築30年賃貸マンションの地下に”秘密基地”をつくった!地元を愛する大家兄弟が入居者や地域住民と相模大野で住み続けたい街めざす キチカ「パークハイム渋谷」神奈川県相模原市

楽しそうな人の輪ができていたり、行列ができていたりすると、何があるんだろうと気になるもの。にぎわいは、人と人との出会い、会話、つながりをもたらしてくれます。今回は、賃貸物件を親と2世代で運営している渋谷洋平さん、純平さん兄弟が、相模大野駅近くににぎわいの場・コミュニティスペースをつくり、人の輪を生み出したストーリーをご紹介します。

地下のコミュニティスペース「キチカ」がマルシェに古本市の場に

新宿駅から約30分、小田急小田原線と江ノ島線の分岐で、交通の要衝(ようしょう)の相模大野駅。駅周辺には商業施設が集まり、現在進行型で大規模マンションが建設されている人気の街です。この相模大野駅から徒歩2分、公園に隣接した「パークハイム渋谷」の地下にあるのが、コミュニティスペース「kichika(キチカ)」。週末に古本市やマルシェなどが開催されていたりで、その際は多くの人が足を留めて集まり、会話や交流が生まれています。

相模大野北口公園に隣接。写真中央の11階建ての建物が「パークハイム渋谷」(写真撮影/相馬ミナ)

相模大野北口公園に隣接。写真中央の11階建ての建物が「パークハイム渋谷」(写真撮影/相馬ミナ)

その「パークハイム渋谷」の地下、階段を降りたところにコミュニティスペース「キチカ」があります(写真撮影/相馬ミナ)

その「パークハイム渋谷」の地下、階段を降りたところにコミュニティスペース「キチカ」があります(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

取材時には青木純さんの新刊『PUBLIC LIFE』の出版記念イベントが開催されていました(写真撮影/相馬ミナ)

取材時には青木純さんの新刊『PUBLIC LIFE』の出版記念イベントが開催されていました(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

「キチカ」にはキッチンもあるので、イベント時にはドリンクやフードの提供もできます(写真撮影/相馬ミナ)

「キチカ」にはキッチンもあるので、イベント時にはドリンクやフードの提供もできます(写真撮影/相馬ミナ)

「キチカ」には、イベントスペースのほか、大きな本棚があります。腰掛けスペースもあり、心地よい空間。空間づくりはプロのサポートを受けつつ、兄弟と地域の人や入居者などでつくったものです(写真撮影/相馬ミナ)

「キチカ」には、イベントスペースのほか、大きな本棚があります。腰掛けスペースもあり、心地よい空間。空間づくりはプロのサポートを受けつつ、兄弟と地域の人や入居者などでつくったものです(写真撮影/相馬ミナ)

本棚の一角には住人の本のスペースもあります(写真撮影/相馬ミナ)

本棚の一角には住人の本のスペースもあります(写真撮影/相馬ミナ)

駅前のいわば一等地をひらき、街にあたたかなにぎわいをもたらしているのは、この物件を管理する(有)ミフミの渋谷洋平さん、純平さん兄弟。ともに青木純さんが2016年に開校させた「大家の学校」の一期生です。この賃貸物件のほかに、駐車場、都市農地と遊休不動産の活用実験「畑と倉庫と古い家」などを手掛けています。では、どうして管理している賃貸物件の地下にコミュニティスペースをつくったのか、まずはそのきっかけから聞いていきましょう。

■関連記事:
・賃貸住宅に革命起こした「青豆ハウス」、9年でどう育った? 居室を街に開く決断した大家さん・住民たちの想い 東京都練馬区
・13代続く湘南の地主・石井さん、地域の生態系や風景まもる賃貸住宅で”100年後の辻堂の風景”を住まい手とつくる 「ちっちゃい辻堂」神奈川県藤沢市

親とともに経営する大家業。青木純さんがこぼした「人がいないね」に衝撃を受ける

「兄弟ともに別の会社で仕事をしていましたが、2012年に私が、2013年に弟が、ミフミに参画しました。大家業や賃貸業はこれからどうすべきか試行錯誤していたとき、賃貸のイベントで出会ったのが青木純さんでした。全体的に真面目な雰囲気だったのに、青木さんがいる一角だけくだけた雰囲気で、服装もカジュアルで、すごく印象に残っています。そのとき、勇気を振り絞って話しかけたところ、初対面にも関わらず気さくにお話ししてくださいました。

その後、青木純さんが「大家の学校」という学びの場を始めると知り、さっそく一期生として参加させてもらいました。
その際に、思い切って自分たちの物件のサイトを見てもらったら、『人が居ないね』とすぐにひと言、返されて。……今思うと、デザイン性を意識するというか、やっぱりカッコつけていたんでしょうね(笑)」と振り返る洋平さん。

大家業とはなにか、地域や次世代の景観、子どもたちにむけ自分たちはなにができるのか、青木純さんのアドバイスを受けつつ、兄弟で模索がはじまります。

「まず、手掛けたのが、小学校に隣接している自分たちが生まれ育った家。『畑と倉庫と古い家』と名付けて、ちょっとだけ地域にひらくこと。ここは、周囲に畑、倉庫があり、開発と変化が著しい相模原の原風景をかろうじてとどめています。草木生い茂って畑があって、道端でちょっとおしゃべりをして……。何気ない風景ですが、『すごくいいよね』と青木さんにも言ってもらって、とても貴重な場であることに気づきました。次世代に残していくにはどうしたらいいかと思い、周囲になじむように畑を軸に耕していったんです」(純平さん)

畑と倉庫と古い家で話す、青木純さんと渋谷兄弟(写真撮影/相馬ミナ)

畑と倉庫と古い家で話す、青木純さんと渋谷兄弟(写真撮影/相馬ミナ)

小学校に隣接する、渋谷さん兄弟が生まれ育った実家にある畑と芝生。緑が心地よい、ご近所のみなさんの貴重な憩いの場になっています(写真撮影/相馬ミナ)

小学校に隣接する、渋谷さん兄弟が生まれ育った実家にある畑と芝生。緑が心地よい、ご近所のみなさんの貴重な憩いの場になっています(写真撮影/相馬ミナ)

畑の手入れは、渋谷兄弟とはたけ部として携わってくれている知人、地域の知り合いでやっています。メンバーにはパークハイム渋谷の住人もいます(写真撮影/相馬ミナ)

畑の手入れは、渋谷兄弟とはたけ部として携わってくれている知人、地域の知り合いでやっています。メンバーにはパークハイム渋谷の住人もいます(写真撮影/相馬ミナ)

まずはじめたのが、私有地を示す境界物・看板の撤去です。ただ、母屋ではご両親が今も暮らしているので、誰も彼もが入ってきていいわけではありません。

「なので、プランターを置いたり、畑の畝のデザインで、ここからはなんとなく入らないでね、というあいまいな線をつくることで、ゆるやかな区切りを設けています。あくまでも、畑をとおして、周囲や住民さんとゆる~くつながる。ときどき集まり、食べたりできたらいいな、という場にしていければ」(純平さん)

渋谷純平さん。奥の桜が咲いているのが小学校。敷地はプランターでゆるく境界であることを示しています(写真撮影/相馬ミナ)

渋谷純平さん。奥の桜が咲いているのが小学校。敷地はプランターでゆるく境界であることを示しています(写真撮影/相馬ミナ)

つくり込みすぎずに余白をつくることで、愛犬家や子どもたちの憩いの場になるように。するとこれが人と人をつなげ、思わぬ出会いにつながることもありました。

「今、うちにはウサギがいるんですが、このコはもともと隣の小学校で飼育されていたんです。学校で、小屋を取り壊すことになってうちで引き取ることに。そのため、小学校の子どもたちがウサギに会いに来てくれることも多いんです。また、私の同級生が親になり、子どもといっしょに会いに来てくれることもありました」(純平さん)

小学校から引き取られたウサギちゃんはみんなのアイドル(写真撮影/相馬ミナ)

小学校から引き取られたウサギちゃんはみんなのアイドル(写真撮影/相馬ミナ)

年齢を重ねていますが元気そのもの。見ているこちらが幸せになります(写真撮影/相馬ミナ)

年齢を重ねていますが元気そのもの。見ているこちらが幸せになります(写真撮影/相馬ミナ)

味わいがある古屋。青緑瓦(せいろくがわら)がたまりません(写真撮影/相馬ミナ)

味わいがある古屋。青緑瓦(せいろくがわら)がたまりません(写真撮影/相馬ミナ)

母屋のワークショップから「さがみはら100人カイギ」へ。つながりの輪がさらに広がる

次に行ったのが、マンション一室のリノベーションです。プロの力を借りつつ、パークハイム渋谷の住民、地域の人とでワークショップでリノベーションしました。人が集まるのだろうかと心配していたものの、予想以上に集まったそう。こうして畑の活動もしながらワークショップを繰り返していると、思いがけないところから声がかかりました。

リノベーション前(写真提供/ミフミ)

リノベーション前(写真提供/ミフミ)

リノベーション後(写真提供/ミフミ)

リノベーション後(写真提供/ミフミ)

リノベーションのワークショップ中リの様子(写真提供/ミフミ)

リノベーションのワークショップ中リの様子(写真提供/ミフミ)

「地元の相模女子大学教授から『100人カイギ』というのがあるから、相模原でもやってみませんか?と声をかけてもらったんです。どうしようかなと思ったんですが、地元のつながりがほしいと、主催者として関わることになったんです」(洋平さん)

「100人カイギ」とは、「毎回、地元で面白い活動をしている5名のゲストのプレゼンを聞き、ゲストが100名に達したら解散する」というコミュニティ活動のこと。今でこそ日本各地で展開されていますが、そのころはまだ、2箇所目の渋谷区ではじまったばかりでした。

「大変なことも多かった」というさがみはら100人カイギ(写真撮影/相馬ミナ)

「大変なことも多かった」というさがみはら100人カイギ(写真撮影/相馬ミナ)

「2017年だったかな、相模原のシビックプライドが多くの項目で最下位になっていたことを知りました。相模原って広くて、なかなか街の歴史や人のことを知らなかったり、つながりが限定的だったり。自分たちはもちろん、住んでいる人が愛着を持つにはどうしたらいいのか、というのがはじまりです。運営は大変でしたが、ここでかなり知り合いが増えました。ただ、もっと人が集まれる場所があればいいのに……という思いが芽生えてきたんです」(洋平さん)

渋谷家は従来からある大地主ではなく、祖父が曳家業(※)をしていて、少しずつ土地や建物を買い増していたのがはじまりだそう。渋谷兄弟の父の代になり曳家業はたたみ、不動産賃貸業へと形をかえましたが、兄弟ともに地元・相模原への愛着があり、なにか地元のためにしたい、という思いがあったそう。

※建築業の一種。建物を解体せずにそのまま移動する仕事

「2019年の6月末で、『パークハイム渋谷』の地下に入っていた飲食店が撤退することになったんです。かなり迷ったんですが、『地域に開くスペースがほしいよね』『人が集まれ気軽にチャレンジできる場があれば!!』『100人カイギでなかよくなったメンバーと、これからもつながっていきたい。それには場所が必要だよね』という結論にいたりました」(純平さん)

ここまで決めた二人は、パークハイム渋谷の居住スペースと同様、地下スペースもワークショップでリノベーションを実施。ついに「キチカ」が誕生したのです。

本棚だけでなく、腰掛けられるスペースも設置。手を動かすワークショップのなかで入居者から出てきたアイデアだそう(写真撮影/相馬ミナ)

本棚だけでなく、腰掛けられるスペースも設置。手を動かすワークショップのなかで入居者から出てきたアイデアだそう(写真撮影/相馬ミナ)

コロナ禍ということもあり、なかなか人が集めにくい時期もありましたが、大きな達成感はあったそう。
「とにかく場が持てたことで。広がりができたのがうれしかったですね。自分たちだけじゃなくて、いろんな人がいろんな使い方をしてくださる。するとそのことで縁が広がっていく。昔、こうしたらいいねという話をしていたのがこの2~3年でわっと形になっていった感じ。それはすごく感じます」(洋平さん)

穏やかな雰囲気の二人、急がず焦らず、慌てずだからこそ、周囲が助けたくなる、いっしょに何かをしたくなるのかもしれません。こうしてできたコミュニティスペース「キチカ」は、現在、「パークハイム渋谷」の入居者が主催するボードゲームのイベント会場になったり、マルシェになったり、地域の活動場所として活用されています。

英会話学校からマルシェまで。相模原のタテとヨコのつながりをつくる

では、「パークハイム渋谷」の入居者は、どのように感じているのでしょうか。現在、「パークハイム渋谷」で暮らし、ワークショップを開催していることもあるYさんご夫妻、同物件で英会話教室を開いているご夫妻にインタビューしてみました。

まずは、ワークショップを開催したり、畑のお手入れにもよく参加するというご夫妻に話を聞いてみました。

ご夫妻が暮らしている住まいもリノベのお部屋。無垢床なので、はだしで歩くのが気持ちいいそう(写真提供/ミフミ)

ご夫妻が暮らしている住まいもリノベのお部屋。無垢床なので、はだしで歩くのが気持ちいいそう(写真提供/ミフミ)

「二人で暮らすための新しい住まいを探していたところ、渋谷兄弟に出会いました。私が不動産が好きで、リノベしたお部屋とキチカの構想を聞いて『おもしろそう!』と感じたんです。利便性が高い立地とほどよい住民同士の交流が心地よく、入居後も楽しく過ごしています。今はキチカで、『さがみはら一箱古本市』を開いています。一箱古本市とは、箱1つ程度の古本を持ち寄り、交流しながら販売するというもの。コーヒースタンドも出店するほか、まちあるきのイベントも行っています。地域に輪が広がっていく感じがよいですね」(妻)

「さがみはら一箱古本市」開催時の様子(写真提供/ミフミ)

「さがみはら一箱古本市」開催時の様子(写真提供/ミフミ)

(写真提供/ミフミ)

(写真提供/ミフミ)

「自分は東海大学出身で、相模大野の雰囲気の良さは以前から印象にあり、こちらに引越してきました。また、地域のコミュニティ活動にも興味があって、キチカでボードゲームのイベントを実施したり、『畑と倉庫と古い家』の畑のお手入れにも時々携わらせていただいています。
そんな感じで渋谷兄弟との関わり方も程よい距離感となり、ますます相模大野が気に入りました。それが私たち夫婦の今後の人生を変えるきっかけとなりまして、このたび相模大野に家を買うことにもなりました。ですので残念ですが部屋を退去することも決まっています。でも、これからも渋谷兄弟との関係やアクティビティは、ここ相模大野でずっと続いていくと思っています」(夫)

古本市のイベント告知。キチカのイベントはいつも「パークハイム渋谷」のエントランスに貼っておきます(写真撮影/相馬ミナ)

古本市のイベント告知。キチカのイベントはいつも「パークハイム渋谷」のエントランスに貼っておきます(写真撮影/相馬ミナ)

もう一組、一部屋でTSE ACADEMYを営むマーフィートラビスさん、美紀さんご夫妻にも話を聞いてみました。

「TSE ACADEMY」のお二人(写真撮影/相馬ミナ)

「TSE ACADEMY」のお二人(写真撮影/相馬ミナ)

「相模大野駅近くのレンタルスペースで英会話教室をしていたのですが、突然、閉鎖することになり、教室の場所を探していたんです。もともと渋谷兄弟のお父様を存じ上げていたので、『パークハイム渋谷』が居住スペースというのはわかっていたんですが、ダメ元でお願いし、1部屋お借りして、今、教室を開いています。英会話の生徒さんには地元の未就学のお子さんから年配の方もいらっしゃいます。

実は『キチカ』でマルシェも開いているんです。幼稚園のバザーをした時にすごく楽しくて、『キチカ』でもマルシェをやろうと思ったんです。2023年夏と2024年春に開催しました。子どもたちがつくったお店だけでなく、ケータリングカーを誘致したり、ワークショップを実施したり。びっくりするほど人が集まってくれて、こんなにもワクワクできる場所ってほかにないって感動しています」と美紀さんは話します。

マルシェ開催時の様子(写真提供/ミフミ)

マルシェ開催時の様子(写真提供/ミフミ)

賃貸や大家業についてアドバイスをしていた青木純さんはこう話します。
「兄弟二人が自分たちのペースで、少しずつ賃貸を変化させたこと、入居者さんたちの楽しそうな様子を見ていてとてもあたたかな気分になりました。これは予言といってもいいんですが、次は自分たちの賃貸物件にとどまらず、パブリック、外の場所をもっと面白くしていくんじゃないかな、そう思っています」

渋谷兄弟はもともと、「新しい大家業のスタイルを確立する」というような大望を抱くタイプではないと言います。「自分たちが大家として、住民さんと心地よく暮らしていけるにはどうしたらいいか」「住んでいる相模原を好きになるにはどうしたらいいか」を考え、ちょっとずつ、ちょっとずつ試みを行い続けた結果、自分たちも住民たちも、心地よい今があります。まるで渋谷家が代々営んできた「曳家」のように、「ゆっくりと、力強く、着実に」が二人のDNAに刻まれているからかもしれません。

●取材協力
ミフミ
Instagram
さがみはら100人カイギ
大家の学校 ※第11期の締切は5月31日(金)まで。定員に達し次第終了

13代続く湘南の地主・石井さん、地域の生態系や風景まもる賃貸住宅で”100年後の辻堂の風景”を住まい手とつくる 「ちっちゃい辻堂」神奈川県藤沢市

コミュニティ賃貸のはしり、賃貸住宅に革命を起こしたといわれる「青豆ハウス」の誕生から10年。タネが芽吹くように、ゆるやかな人と人、人と地域がつながりを持つ個性的な賃貸が静かに増えつつあります。では、どんな人が共感し、どのような暮らしが行われているのでしょうか。湘南にある「ちっちゃい辻堂」を訪ね、その暮らしぶりを取材しました。

13代続く地主の石井光さん。100年後の辻堂の風景をつくりたい

2016年、青豆ハウスをつくった青木純さんは、「大家の学校」を開校しました。これは、日本全国の大家さんや希望者を対象に、「大家業」の実践と学び、出会いの場です。「愛のある大家さんになるにはどうしたらいいか」という視点にたち、「選ばれる場づくり」「関係性のデザイン」を学びつつ、「大家という仕事を描き直す地図」を手に入れる。今までにない学校といっていいでしょう。

■関連記事:
賃貸住宅に革命起こした「青豆ハウス」、9年でどう育った? 居室を街に開く決断した大家さん・住民たちの想い 東京都練馬区

「大家の学校」校長である青木純さんは、「大家として大切にしている6つの向き合い方(①そこにいる、②愛し続ける、③決めすぎない、④気を遣わせない、⑤一人ひとりの居心地を大切にする、⑥場が育つ触媒になる)というのがあるのですが、そのすべてをていねいに実行している方です」と話すのが、大家の学校1期生の、石井光さん。湘南・辻堂で13代続く地主の家系で、現在、小さな村のような賃貸住宅「ちっちゃい辻堂」のほか、コミュニティ農園の代表や田んぼにも携わり、「半農半大家」をしています。

「ちっちゃい辻堂」の大家である石井光さん(左)とお母さま(右)(写真撮影/相馬ミナ)

「ちっちゃい辻堂」の大家である石井光さん(左)とお母さま(右)(写真撮影/相馬ミナ)

ちっちゃい辻堂は、JR東海道線辻堂駅から海側に徒歩13分、平屋3棟と二階建て1棟、集合住宅、畑やみんなで使うコモンハウス「shareliving縁と緑」で構成されています。駅からも近いながら、敷地内にはふんだんに緑が植えられており、鳥のさえずりが心和ませてくれる、サンクチュアリのよう。住民はみな、口をそろえて「とにかく気持ちがいい」と話します。

手前が平屋、右奥には二階建て。建築設計はビオフォルム環境デザイン室(写真撮影/相馬ミナ)

手前が平屋、右奥には二階建て。建築設計はビオフォルム環境デザイン室(写真撮影/相馬ミナ)

取材時はまだ少なかった緑も、5月はこのように(写真提供/石井さん)

取材時はまだ少なかった緑も、5月はこのように(写真提供/石井さん)

竣工は2023年春、相場の賃料より高めの設定ですが、半年かけて満室に。2024年には少し離れた場所にできる第二期の募集をはじめますが、すでに15件ほどの問い合わせが寄せられているといい、着実に注目を集めているのがわかります。

大学では景観生態学を学んでいた石井さんは、地域の生態系や風景、生き物を大切にしたいとの思いを持っていたそう。そのため、プロジェクトのコンセプトは「ゆるやかに集まってつくる土とつながった暮らし」としました。建物には神奈川県産木材を使っているほか、敷地内には井戸が2カ所(どちらも手掘り)、さらに雨水タンク、コンポスト、サウナ、にわとり小屋があり、駐車場と通路はコンクリートではなく、微生物舗装(有機物や炭、石などの資源でつくる舗装の手法のこと)、敷地内の植栽は博覧会開催のため伐採予定だった木々を貰い受けて植えるなど、とにかくエピソードが満載です。

奥が雨水タンク、手前にあるのが井戸。草木や野菜の水やりや防災にもつながります(写真撮影/相馬ミナ)

奥が雨水タンク、手前にあるのが井戸。草木や野菜の水やりや防災にもつながります(写真撮影/相馬ミナ)

コモンハウスの室内。こたつが心地いいですね(写真撮影/相馬ミナ)

コモンハウスの室内。こたつが心地いいですね(写真撮影/相馬ミナ)

敷地内を散歩するメスのにわとりたち。産んだ卵は住民と分け合っているそう。奥には黒いテントサウナ(写真撮影/相馬ミナ)

敷地内を散歩するメスのにわとりたち。産んだ卵は住民と分け合っているそう。奥には黒いテントサウナ(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

完成から1年、住民たちと実験のような遊びを繰り返しながら現在のかたちに。つくり込み過ぎないのも魅力のひとつです(写真撮影/相馬ミナ)

完成から1年、住民たちと実験のような遊びを繰り返しながら現在のかたちに。つくり込み過ぎないのも魅力のひとつです(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

もともとは、築約60年の平屋4軒(最後は2軒)とアパートが立っていましたが、祖父に代わって光さんが経営を担うことになり、この「ちっちゃい辻堂」が誕生しました。他になかなかないコンセプトですが、家族からの理解はすぐに得られたのでしょうか。

「この地域は古くからの地主さんたちが土地を持っていて、相続が発生するごとに、土地が切り売られていき、また相続対策としてのマンション建設もあり、どこにでもある風景になっていっているような気がしていました。それと同時にまちから緑が少なくなり、生き物の居場所も減っていると感じていました。。わが家も相続対策をしないといけなかったのですが、先代にあたる祖父がとにかく借金が嫌だ、何もしない、と意地になっていて、どうにも話が進まない。そのため、ちっちゃい辻堂のコンセプトはできたものの、数年ほどお休み期間もありました」と光さん。

ただ、祖父が年齢を重ね、転倒が続くなどしたことから遺言書と家族信託を急いで作成。祖父の見送りなどもあり、当初の構想から7年ほど時間はかかってしまったものの、「ちっちゃい辻堂」は完成しました。

一方で、光さんのお母様は、先代の娘でもあります。世代的にも立場的にも板挟み、新しい価値観との出合いで、やや複雑な思いで見守っていたそう。

先代の娘でもあり、光さんの母でもある。心配しつつも「ちっちゃい辻堂」を見守り、応援しています(写真撮影/相馬ミナ)

先代の娘でもあり、光さんの母でもある。心配しつつも「ちっちゃい辻堂」を見守り、応援しています(写真撮影/相馬ミナ)

「私の父がしてきた『大家業』と、光のすることはイチから十までぜんぶ逆。父は昔ながらの感覚で、とにかく強烈な人。土地を守っていくことが第一、家は建てたらあとは管理会社にまかせておけばいい。でも光は、住民の引越しの手伝いから、段ボールをまとめて軽トラで公民館に持って行ったり……。よくやっているなあと思っています。ただ、事業にともなって借金をしていますし、不安はありました。そこである時、聞いたんです。『本当に大丈夫なの』って。そしたら光が『ここまでやってうまくいかないなら、この世界は生きている意味がない』ということを言ったんです。ああ、ここまでの覚悟ならもう支えるしかないと腹が決まりました」といいます。

光さんは光さんで、自分にしかできないことを、という覚悟を持っていました。

「地主の家系に生まれ、引き継いだ土地は都市部でも田舎でもなく、しかも離婚していて父親がいないので一代飛ぶ。このポジションにあるので、人が住めば住むほど生態系が回復していくというモデルを社会に広めやすい、そういうお役目があると思っています」(光さん)

大学で生態学を学び、コミュニティデザインやパーマカルチャーなどにも興味があり、コミュニティ農園の代表をしていて、しかも実家は地主業。確かにここまでの条件はなかなかそろわないもの。石井光さんらしいミッション、それが「ちっちゃい辻堂」なんですね。

虫や鳥、植物、微生物を含めた多様な生き物を守るため、除草剤や殺虫剤は基本使用しません。ふかふかの土が心地いい(写真撮影/相馬ミナ)

虫や鳥、植物、微生物を含めた多様な生き物を守るため、除草剤や殺虫剤は基本使用しません。ふかふかの土が心地いい(写真撮影/相馬ミナ)

昔からあった平屋は1棟残し、光さんと大工さんの手でリノベし、共用スペースにしています。2週間に1回の住民の食事会、ヨガ教室、来客の宿泊などに使われています(写真撮影/相馬ミナ)

昔からあった平屋は1棟残し、光さんと大工さんの手でリノベし、共用スペースにしています。2週間に1回の住民の食事会、ヨガ教室、来客の宿泊などに使われています(写真撮影/相馬ミナ)

続いて、実際に暮らしている人に話しを聞いてみましょう。

「住体験を創造したい」。50歳を過ぎて見つけたノイズのない暮らし

浦川貴司さんは、現在、夫妻とお子さん3人の5人家族で「ちっちゃい辻堂」にお住まいです。住民でもありますが、現在は仕事としても「ちっちゃい辻堂」プロジェクト全般に携わっています。

浦川さんの、引越しと転職という大きな変化のきっかけは、子ども達が成長し、賃貸/分譲/注文住宅などのくくりにとらわれず、「次の暮らし、住体験の創造をしたい」と漠然と思い描いていたことにはじまります。

「SNSで『ちっちゃい辻堂』を知り、前に住んでいた家も近くなので、ふらっと行ってみたら光さんがいて、立ち話をしたんです。そこで出た言葉が『100年後の辻堂の風景をつくる』というフィロソフィー(哲学)でした。これは、この1年で聞いた話でいちばんいい話だなと感銘をうけて、2023年秋に引越してきました。ついでにいうと転職もしました(笑)」

浦川さんと石井光さん。ちっちゃい辻堂には、「どこよりも楽しい体験と人生がある」(浦川さん)(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんと石井光さん。ちっちゃい辻堂には、「どこよりも楽しい体験と人生がある」(浦川さん)(写真撮影/相馬ミナ)

「前の住まいを手放すと言ったら、家族はまさに青天の霹靂(へきれき)で『何を言っているんだ』という感じでした。以前の住まいに比べると広さは3分の2 程度、モノもだいぶ処分しましたが、結果からいうと、家族全員ハッピーで満足していますね。朝起きてから就寝するまで敷地内には視界にノイズを感じず気持ちがいい。人との関係、あり方なども含めて、本当に心地いいです」

浦川さんのお住まい。土間と続くリビングを上手に住みこなしています。大人が憧れる空間です(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんのお住まい。土間と続くリビングを上手に住みこなしています。大人が憧れる空間です(写真撮影/相馬ミナ)

「今まで自身の事業のなかでも自分自身も何度も 住宅をつくってきましたが、住まいを買う事は目的ではなく、賃貸でも分譲でも、住まい手の美意識や自己表現を通してどんなライフスタイルを過ごしたいのかという事に向かい合うことがより大切。コロナ禍を経て、新しい、本質的な人生の豊かさに向かい合った住まい方、価値観の変異が起き始めているように思います。美しい暮らし、生き方のセンスというのかな、大きな転換期がはじまっているように思います。

一方で、現在進行系で『ちっちゃい辻堂』で得られた知見というのはとても貴重なものですし、『100年先の辻堂の風景』のためには、より多くの地主さんや大家さんに知ってもらわないといけない。賃料が相場よりプラス設定だとしても、豊かな体験がある住宅には人が集まりエリア相場以上に収益を出していけることを知ってもらいたいですね」

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんの書斎スペース。庭に面しているので、自然光が入ってくる設計。当初は小さな商いもできる前提(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんの書斎スペース。庭に面しているので、自然光が入ってくる設計。当初は小さな商いもできる前提(写真撮影/相馬ミナ)

家賃ではなく、新しい暮らし方への投資、共同出資のような感覚

20代のKさんは、デザイナーのパートナーと二人暮らし。前は都内の賃貸住宅で暮らしていましたが、オーナーの事情で退去を迫られ、新たな住まいを探していたそう。

“個”を保ちながら会話が生まれる。ちょうどよい距離感(写真撮影/相馬ミナ)

“個”を保ちながら会話が生まれる。ちょうどよい距離感(写真撮影/相馬ミナ)

「家と仕事をともに振り回されることが続いて、これから”どこに住むか(where to live)を考えるよりどのように生きるのか?(how to live) “ を話し合いこの物件に出合いました。マイクログリッドなどにも興味がありましたが、自分たちでイチからつくるにはムリがある。この物件は、2人で話していた『生き方の実験』にドンピシャなところがいっぱいあって、ゆるくつながりながら、東京にもアクセスできる、それに共鳴したという感じです」(Kさん)

Kさん(左)とYさん(右)の住まい。「ちっちゃい辻堂」の第一印象である、「とにかく心地いい」という言葉が印象的です(写真撮影/相馬ミナ)

Kさん(左)とYさん(右)の住まい。「ちっちゃい辻堂」の第一印象である、「とにかく心地いい」という言葉が印象的です(写真撮影/相馬ミナ)

パートナーのYさんは、以下のように話します。
「建物、敷地の第一印象はすごく気持ちがいい、ということ。光とか風とか、五感に働きかけるところがあって。建築・ランドスケープデザインの人と話しをしたら、すべて理由があって納得しました。コミュニティや共有という概念は、正直、苦手だなと思っていたんです。でも、実際、暮らしてみると誰も何も強制しないし、自発的な交流が生まれる仕掛けがあって、居心地がいい。庭の手入れをしていたら、ワイン片手に食事がはじまったりしてね。住まいは独立しているけれど、それぞれの境界線から色がにじみでる感じ。また新しい色ができているのが、未来的といえるかもしれません」

中央のペンダントライトは浦川さんが持っていたもの。よいものがないか探していたところ、「借してあげるよ」といわれ、借りているのだそう。これもシェアのひとつですね(写真撮影/相馬ミナ)

中央のペンダントライトは浦川さんが持っていたもの。よいものがないか探していたところ、「借してあげるよ」といわれ、借りているのだそう。これもシェアのひとつですね(写真撮影/相馬ミナ)

「自分は3DプリンターやDIYツールをたくさん持っているんですけれど、それを光さんのスペースに置かせてもらう代わりに、他の住民にも使っていいよ、としています。所有ではなく完全な共有でもない。モノや知恵をシェアする暮らし、所有すること、私有と共有についてもよく二人で話あっています。ほかにも、なんでお金が必要なんだっけ、なんの仕事をしたいんだっけなど、豊かさや暮らし、都市やアートについて考え直すことが多く、あらためて人生を見つめ直している感じです」(Kさん)

花やアートのあしらいが上手なお二人。「ちっちゃい辻堂」の暮らしは触発されることが多く、話し合うことも多いのだそう(写真撮影/相馬ミナ)

花やアートのあしらいが上手なお二人。「ちっちゃい辻堂」の暮らしは触発されることが多く、話し合うことも多いのだそう(写真撮影/相馬ミナ)

「引越してきて3~4カ月ですが、得られたものが大きいですね。親には家賃の割には空間は狭いよね、と言われることがあったんですが、単純に空間に家賃を払っているわけではない。生きることやつながりに対しての対価ですよね。暮らしのなかでも、畑をつくる、みそをつくるなど、動詞がすごく増えました。自然との共存という大きな挑戦や、可能性という、大きなものにお金を払っている。そんな感覚があります」(Yさん)

室内にもたくさん自然光が入ってくる間取りです(写真撮影/相馬ミナ)

室内にもたくさん自然光が入ってくる間取りです(写真撮影/相馬ミナ)

アーティストカップルだからこそ、コミュニティに助けられる

もう一組、フラワーアーティストのお二人にも話を聞きました。以前は東京都立川市在住、こちらも引越して半年になります。パーマカルチャー講座で光さんと知り合い、SNSで入居者募集を知ったのがきっかけでした。アーティストである二人にとって、この「ちっちゃい辻堂」はプラスしかない、といいます。

フラワーアーティストのお二人の住まい。写真左の花のオブジェが作品(写真撮影/相馬ミナ)

フラワーアーティストのお二人の住まい。写真左の花のオブジェが作品(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

「まずは、土間があって創作活動の作業がしやすい、水が使いやすい。そして外も緑が多くて気持ちがいい。軒先にドライフラワーを飾ってもいいし、使いきれなかったお花は、まわりのお宅に渡すと喜ばれます。周囲に大工さん、デザイナー、エンジニアがいるので相談できるし、さらに道具まであって。自分が表現したい世界や幅が広がるので、アーティストとしてはプラスしかないです。

アーティスト二人で暮らしていると、それはぶつかることもありますから。でも縁側にいて、誰か来るとおしゃべりして、すっと気が晴れることもあります」

土間があり、水をたくさん使える間取り、そういえばなかないですよね(写真撮影/相馬ミナ)

土間があり、水をたくさん使える間取り、そういえばなかないですよね(写真撮影/相馬ミナ)

「あと、人同士の距離がね、ほんとうに心地いいんです。光さんの考えや価値観を理解したうえで暮らしているので、違和感がないというか。濃密過ぎず、薄いわけでもない。これが新しい暮らしというものなのかな、と思います」

どこを切り取っても絵になります(写真撮影/相馬ミナ)

どこを切り取っても絵になります(写真撮影/相馬ミナ)

縁側のドライフラワー。さり気なくつるしてあるのがかわいい(写真撮影/相馬ミナ)

縁側のドライフラワー。さり気なくつるしてあるのがかわいい(写真撮影/相馬ミナ)

定例の食事会。顔の見える距離感ってこんなに心地いいんですね(写真撮影/相馬ミナ)

定例の食事会。顔の見える距離感ってこんなに心地いいんですね(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

最後に、2週間に1回、開催されている食事会に少しだけお邪魔しました。訪れてみると、住民のみなさんはそれぞれのおうちでつくったご飯とアルコールを持ち寄り、すでに盛り上がっていました。出会って数カ月とは思えないほどですが、とにかくムリなく、自然に、ゆるりと背伸びしない関係ができているようです。石井光さんと仲間たちが耕しはじめた、未来の暮らしはまだまだはじまったばかり。時間がたつほどに味わいを増して、「みんなの居場所」として心地よくなっていく気がします。

●取材協力
ちっちゃい辻堂
大家の学校 ※第11期の締切は5月31日(金)まで