シャッター街、8年で「移住者が活躍する商店街」に! 20店舗オープンでにぎわう 六日町通り商店街・宮城県栗原市

シャッター街になりつつあった宮城県栗原市にある「六日町通り商店街」。しかし2016年ごろから、自治体や商店会、地域おこし協力隊らが連携し、移住者が開業しやすい環境づくりに努めてきた。その結果、個性的なお店が約20店舗オープンし、若手中心にイベントなどを企画、人が集まりにぎわいが生まれ注目されている。その「六日町通り商店街」再生の取り組みと現状を紹介する。

移住・定住を進める栗原市定住戦略室の取り組みと支援制度

宮城県北部にある栗原市は、人口6万3143人(2023年1月末時点)、地方への移住をテーマにした情報誌『「田舎暮らしの本』(宝島社)の2024年版「住みたい田舎ベストランキング」で、人口5万人以上10万人未満の市を対象にした全国の総合部門で1位になったまち。

栗原市企画部定住戦略室は、栗原市への移住・定住を希望する人に情報を提供し、相談に対応する総合的な窓口として、2013年7月に開設された。

「栗原市の移住者の数は2013年ごろから右肩上がりで伸びていましたが、新型コロナウイルス感染症が蔓延してからは対面の接触やイベントができないことで、かなり減ってしまいました。2023年になってようやく制限が緩和され、イベントも増やし、対面の相談や窓口にいらっしゃる方は多くなってきました」と話すのは、栗原市企画部定住戦略室の小関さん。

栗原市企画部定住戦略室の小関さん(写真撮影/難波明彦)

栗原市企画部定住戦略室の小関さん(写真撮影/難波明彦)

栗原市企画部定住戦略室は、首都圏からの移住相談、移住者の住まいや仕事の支援、子育てなどのサポートも整えている。

「『空き家バンク制度』といって、空き家の物件を移住検討者の方が購入できるよう、空き家の所有者と利用希望者をマッチングできる体制をつくっています(※)。希望があれば『お試し移住体験住宅』に宿泊し、暮らしを体験することもできます」(小関さん)
※栗原市は紹介のみで、交渉や契約は当事者間で行い、栗原市は関与しない(条件や補助金額など詳細はホームページ参照)

栗原市では、『お試し移住体験住宅』滞在中には、相談者の要望に応じて、移住して起業した人や希望職種に就いている人などを紹介したり、可能なアクティビティを紹介するオーダーメイド型アテンドや体験型プログラムも用意。また、空き家リフォームの助成制度や、若者、新婚生活を始める人の住まいに関する費用を助成し、若年層への支援にも取り組んでいる。また、移住検討者と移住者の交流会やイベントなども積極的に取り組んでいる。

地域おこし協力隊、移住定住コーディネーターらが道を拡げた

地方のシャッター商店街の増加が問題になる中、六日町通り商店街は、仙台圏や首都圏から移住して新規開業した店舗が2015年以降8年間で20店舗ほどと活況だ。中小企業庁が選定する「はばたく商店街30選 2021」にも選ばれた。

特筆すべきは、「移住者が開業しやすいまちづくり」をしている点だ。どのようにして、六日町通り商店街は復活を遂げたのだろう。

最初に六日町通り商店街を盛り上げたキーパーソンは、『cafe かいめんこや』の杉浦風ノ介(すぎうら かぜのすけ) さん。京都府京都市から栗原市に移住後、六日町通り商店街に明治中頃からあった建物を改装して2015年に『cafe かいめんこや』をオープン。

かいめんこや 外観(画像提供/杉浦風ノ介さん)

かいめんこや 外観(画像提供/杉浦風ノ介さん)

「六日町通りには、街の人が話をしたり、相談したりできる場所がなく、ハブになるような場所が必要だと思い、カフェを開きました」と話す。オープン後、少しずつカフェに集う人が増えてコミュニティの場になり、人がまばらだった商店街に変化が生まれた。

2023年4月には、同店の向かいに珈琲豆の焙煎と販売を行う『ムヨカ珈琲ロースタリー』を開業した、オーナーの杉浦風ノ介さん (画像提供/杉浦風ノ介さん)

2023年4月には、同店の向かいに珈琲豆の焙煎と販売を行う『ムヨカ珈琲ロースタリー』を開業した、オーナーの杉浦風ノ介さん (画像提供/杉浦風ノ介さん)

杉浦さんは、移住定住コーディネーターとして、栗原市の定住戦略室から紹介された移住検討者やカフェのお客さんに、移住しお店を開業した先輩、生活者の視点で相談にも応じている。さらには、2019年に地域おこし協力隊のメンバーと、まちづくり会社「六日町合同会社」を設立し、移住者が開業しやすいまちづくりに取り組んでいる。

毎月6日には、食べ物、飲み物を持ち寄りで集まり、ゲストスピーカーの話を聞くイベント『六日知らず』を主催。移住検討者の話を聞き、お店を始めたい人に、商店街の空き店舗を紹介している。

杉浦風ノ介さんは、アーティストが訪れやすい環境、アートに気軽に触れられる場所をつくりたいと考え、アーティスト・イン・レジデンスもスタート(画像提供/杉浦風ノ介さん)

杉浦風ノ介さんは、アーティストが訪れやすい環境、アートに気軽に触れられる場所をつくりたいと考え、アーティスト・イン・レジデンスもスタート(画像提供/杉浦風ノ介さん)

「地方の商店街がにぎわうために必要なものは、『何でもできそうだ』という思い込みや、自由な気質、『楽しそうなまちだな』と思わせるイリュージョンマジックのようなものかな。

商売を始めるなら稼げる首都圏でと考える人は多くても、地方で始めようと考える人は少ないかもしれません。私は画一化されていく世の中が好きじゃなくて、同じ考えの人は他にもいると思います。東京ほど稼げる場所ではないかもしれませんが、家族と暮らしていくには十分で、やり方次第ではもっと稼げると思います。

『自由に切り拓きたい、面白いことをやりたい』人たちが100人でも集まってきて、面白いまちになればいいですね。

キーパーソンだって、一人じゃなく、いろいろな人が何人もいることが大事。これからは次代を引っ張っていく若い世代の人たちが活躍しやすい環境をつくっていきたいと思っています」

六日町商店街(写真撮影/難波明彦)

六日町商店街(写真撮影/難波明彦)

地域おこし協力隊、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんも、六日町通り商店街のキーパーソンの一人だ。

三浦大樹さん。「生まれも育ちも栗原市で、高校卒業後は仙台市に出て働いてましたが、地元に貢献できることがしたい、という気持ちが生まれて栗原市にUターン。今はクラフトビール醸造所の立ち上げの準備中です」(写真撮影/難波明彦)

三浦大樹さん。「生まれも育ちも栗原市で、高校卒業後は仙台市に出て働いてましたが、地元に貢献できることがしたい、という気持ちが生まれて栗原市にUターン。今はクラフトビール醸造所の立ち上げの準備中です」(写真撮影/難波明彦)

三浦さんは2022年4月から、地域おこし協力隊、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」として活動。六日町通り商店街に拠点を構え、地域協力活動を行いながら、商店街の空き店舗と店を開業したい人をマッチングする取り組みや、商店街に人を集め、にぎわいを創出するお祭りやイベントの企画・運営などを行い、一軒でも多くのシャッターを開けようとチャレンジしている。

「六日町通り商店街では6、7、8月の第2土曜日に六日町通り商店街を歩行者天国にして『くりこま夜市』を開催しています。1970年代から商店会が続けてきた伝統的なイベントですが、近年は六日町通り商店街と地域おこし協力隊が連携して、マルシェや音楽ライブを行い、外部から出店するマルシェ(キッチンカー)が50店舗ほど並びます。西馬音内盆踊りの輪踊りやDJイベントなども。2023年6月は、地域内外から約1万人が集まりました」(三浦さん)

近年開業した移住者たちと既存の店舗の若手後継者が中心となって、商店街の内部組織として「未来事業部」を発足、イラストマップの制作やスタンプラリーの開催、ギフトラッピングの開発など、新しい発想で商店街の魅力を発信している。

くりこま夜市風景(画像提供/三浦大樹さん)

くりこま夜市風景(画像提供/三浦大樹さん)

「商店街では古くからの人、若い後継者や若い移住者との間に、一般的には溝や隔たりがあったりしますが、六日町通り商店街は全くありません。年齢の高い人たちが、新しいチャレンジを歓迎してくれる環境があります。

それと、既存の店の店主さんたちが、状況が悪いときも足を止めずにイベントを続けてきたことが大きい。その土壌があって、2015年に『かいめんこや』ができて、若い人が集まるようになったという流れですね」(三浦さん)

まちの雰囲気はもちろん、地代が比較的安く、商店会が快くサポートしてくれる、また新たに小売店、飲食店などを開業する人に対して「ビジネスチャレンジサポート」という補助金もあって初期投資を軽減できるなど、比較的開業・起業しやすいまちといえそうだ。

思わぬきっかけで移住して、六日町通り商店街に新店を開業

六日町通り商店街に移住・開業した店主を、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんに紹介してもらった。

■ハンドメイド雑貨店「ねこの森雑貨店」
六日町通り商店街に移住・開業した店主を「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんに紹介してもらったうちの一人が、「ねこの森雑貨店」の店主、髙橋千恵美さんだ。

店主の髙橋千恵美さん(写真撮影/難波明彦)

店主の髙橋千恵美さん(写真撮影/難波明彦)

髙橋さんは結婚後、仙台市に8年ほど暮らし、子どもが2歳くらいのときに、「自然豊かで、のびのびしたところで子育てがしたい」と夫妻で話し合い、移住を検討するように。

「宮城県内のいくつかの市町村を見て回ったときに、栗原市には豊かな自然があり、六日町通り商店街の雰囲気も気に入りました。そして、夏に訪れた夜市マーケットが楽しく、商店街を歩いたときも店主さんが気さくに声をかけてくれて、栗原市への移住を決めました。栗原市に知り合いも親戚もいませんが、定住戦略室の相談窓口など移住者のサポートが積極的で、お泊り体験で移住後の生活をイメージしやすかったのも良かったです」と髙橋さん。

ねこの森雑貨店 外観(写真撮影/難波明彦)

ねこの森雑貨店 外観(写真撮影/難波明彦)

その後『かいめんこや』の杉浦さんに、六日町通り商店街に住みながら店が開けるような空き物件を紹介され、2018年に移住、2019年に「ねこの森雑貨店」をオープンした。

「かなり傷んだ建物でしたが、近所の店主さんや移住して開業した先輩に分からないことを聞き、アドバイスをもらいながら開業の準備を進めました。商店街がとても歓迎ムードで、気軽に話しかけてくれたり、一聞いたら十以上教えてくれました」

店内には羊毛フェルトの一点もののブローチやイラスト、アート原画など、ここでしか買えないオリジナルキャラクターの作品が並ぶ。また、ペットの写真をもとにしたオーダーメイドの半立体顔ブローチや全身立体などは、大切なペットを亡くした方などに喜ばれているそう。

ねこの森雑貨店 店内(写真撮影/難波明彦)

ねこの森雑貨店 店内(写真撮影/難波明彦)

「手芸が得意な祖母の影響で、私も小学生のころから何かを手づくりして、作品をイベントに出したり、Webサイトで販売したりしていました。ここにお店を開いたのは、地域の方々にハンドメイド作品の素晴らしさを広めたいと思ったから。当時は、ハンドメイドが好きな人は多くてもあまり馴染みがない人、やり方が分からないという人が多く、相談を受けたりしましたが、この4、5年間でハンドメイド作家さんや作品を扱うお店が少しずつ増えて、とてもうれしいです」(髙橋さん)

■文具・雑貨の店「さるぶん」

さるぶん店内。可愛い雑貨は選ぶのが楽しい(写真撮影/難波明彦)

さるぶん店内。可愛い雑貨は選ぶのが楽しい(写真撮影/難波明彦)

「私は、この六日町通り商店街をショッピングモールと考えているんです。当店にいらした方にはできるだけ商店街マップを渡しています。六日町通りごと気に入ってもらって、他の店を見て歩いてどこかで買い物をしてくれたらうれしい」と話すのは、文具・雑貨「さるぶん」の佐藤陽子さん。県外出身で、結婚後宮城県に移住してきた。

「もともと文具や雑貨が好きだったのです。定年後は雑貨屋か本屋ができたらいいな、とぼんやりと思っていました。そこに六日町通りにオリジナル文具店の2号店ができること、そこの店長を募集していると知り、『やってみよう』と手を挙げたのがきっかけで店を構えることになりました」。開業にあたって前職を離れ、六日町に転居した。
「こんなところで出合えるなんて」をコンセプトに佐藤さんがアイテムをセレクト。レトロでかわいいものや海外の文具など少し変わったものを置いているのが特徴。開業に当たっては、栗原市の開業支援の助成金、改装時は県産木材を使うことでの補助金などを利用した。

「『さるぶん』は、文具と雑貨の店ですが、ひとつの建物に間借り店舗として、本屋、貸カフェ・貸ギャラリーの3店舗が入っているイメージです。貸カフェでは、月曜が近所のスープ屋さんの日、火曜がレトルトカレーの日と場所を貸して、ギャラリーは作家さんの作品の展示やイベントで使っていただいています。何か面白いことをやっている場所といった存在になれたらいいですね。

本棚には本がたくさん(写真撮影/難波明彦)

本棚には本がたくさん(写真撮影/難波明彦)

開業して一番良かったのは、好きなものに囲まれて暮らせること。自分の好きなものをお客さんに手に取って喜んでもらえることがうれしいです。ここはもともと鶴丸城の城下町でした。近くに細倉鉱山があった頃はかなりの繁華街だったそうです。昔からお住まいの地域の方、商店会の方はそういったプライドを持ってお仕事されており、そして新しく入った私たちがすることを温かく見守ってくれるので、居心地がいい。お客様にも『この地にルーツがなくてもどこか懐かしさを感じる。日常とは時間の流れが違ってほっとする』と言っていただいています。私自身もこの場所に癒やされています」(佐藤さん)

■工具の販売や各種家庭金物「佐々木金物店」
最後に紹介するのは、移住者ではなく、古くから六日町通り商店街で商売してきた老舗、佐々木金物店へ。ねこの森雑貨店の髙橋さんは、開業準備でお世話になったという。

佐々木金物店の佐々木桂子さん。東日本大震災で建物が壊れたままだったが、2022年10月に建物をリニューアルし、再オープンした(写真撮影/難波明彦)

佐々木金物店の佐々木桂子さん。東日本大震災で建物が壊れたままだったが、2022年10月に建物をリニューアルし、再オープンした(写真撮影/難波明彦)

佐々木金物店は、1926年に創業、馬の蹄鉄などを販売していたが、現在は、プロの電動工具、各種家庭金物からフライパンや包丁といったキッチン用品など豊富な商品を販売、サッシなどの各種取り付け工事の相談にも対応している。気軽に立ち寄りお茶飲み話をするお客さんも多いそう。

変化する商店街を見てきたが、「地域おこし協力隊やコーディネーターの方たちのおかげでIターンの移住者が増えて、六日町通り商店街は、古いお店と新しいお店が混在していますが、若い人たちのパワーはすごいと思います」と表情は明るい。

「うちも売るだけではなく、不定期でドライフラワーや花材キット体験会などのワークショップも開催して、新しいものも採り入れていきたい。今後もここで頑張っていきます」(佐々木さん)

地方への人の流れをつくる取り組みや、にぎわいを失った商店街の活性化は各地で行われている。栗原市では、移住・定住を単に推し進めるのではなく、「住まい、仕事(起業・開業)、子育て環境」のサポートを充実させ、相談に力を入れ、地域おこし協力隊、移住定住コーディネーターを依頼するなど、市民に協力を求めた。

活気を失いかけていた六日町通り商店街だが、商店会組織はイベントや販売促進の取り組みは地道に継続しており、若い人の新しい提案や移住者を歓迎する雰囲気もあった。そこで、コミュニティカフェがカギとなり、新たな店が出店し、人と人のつながりが生まれ、新旧の人、店が手をつなぎ商店街の魅力を育み、外に向けて発信を始めている。これまで守ってきた既存の店、店主を尊重しながら、新しいまちづくりを若い人のパワーに託す「信頼と感謝、〇〇のためという思いやり」。これがまちへの定着にもつながると感じた。

●取材協力
栗原市企画部企画課定住戦略室
cafe かいめんこや
六日町通り商店街
ねこの森雑貨店
さるぶん
佐々木金物店

●関連サイト
移住定住ハンドブック 第班(令和5年度発行)宮城県地域振興課
お試し移住体験生活事業
移住定住コンシェルジュ
六日町通り商店街

東日本大震災の”復興建築”を巡る。宮城県南三陸町の隈研吾作品や石巻エリア、坂茂設計の駅舎など、今こそ見るべきスポットを建築ライターが紹介

2011年3月11日に発生した東日本大震災。津波によって多くの人命が失われ、街の主要な機能が流されてしまった東北の沿岸地域では、復興が急ピッチで進められました。同時に、惨劇を二度と繰り返さないために、地震が発生したときにどのようにふるまうべきか、教訓を語り継いでいくための取り組みが行われています。
紙媒体やインターネットを通じたアーカイブも充実していますが、やはり現地を訪れてこそ感じ取れることがあるのも確か。特に被害の実態や被災者の生の声を伝える資料をコンテンツとしていかに体験してもらうか、建築家やデザイナーが綿密な計画を練った復興建築を巡ることは、被災地から離れた地域に住む人にとって有効なツアーになるのではないでしょうか。

今回、各地の建築やまち歩きをライフワークにしてきた筆者が、都内からも比較的アクセスしやすい宮城県石巻市を中心に、宮城県の三陸海岸エリアの復興建築をレポートします。前編では三陸海岸の北側、岩手県沿岸部を紹介していますので、合わせてご覧ください。

東日本大震災の”復興建築”を巡る。今こそ見るべき内藤廣・乾久美子・ヨコミゾマコトなどを建築ライターが解説 岩手県陸前高田市・釜石市

海と川、2方向から津波が襲った石巻市

仙台市から電車で1時間、国内有数の水揚げ量を誇る漁港の町として知られる石巻市には、市街地の中心に旧北上川という河川が流れ、川が見える風景が長らく市民の生活とともにありました。しかし東日本大震災時にはこの旧北上川を逆流した津波が市内に流れ込んだことで大きな被害を生み、河岸部分に防潮堤を築くことになります。それでも少しでも川とともにある生活を受け継ぐことを意図してデザインされたのが、大きくゆとりをもたせ広い散歩道として整備された防潮堤でした。一段低い市街地から防潮堤に架け渡すように設計された建築も見られ、市民の憩いの場として川と街をつないでいます。
東日本大震災からの復興にあたっては、防災のために巨大な土木スケールの防潮堤を築くことに対し、古くからの町の風景が失われてしまう葛藤がどの地域にもありました。人命には替えられないと、防潮堤の建設は進められていきましたが、デザインの力によってその間を取り持つ可能性が示されているように感じます。

河岸に整備された散歩道(写真撮影/筆者)

河岸に整備された散歩道(写真撮影/筆者)

防潮堤に設置された東屋は、仮設的で華奢なデザイン。設計は萬代基介建築設計事務所による(写真撮影/筆者)

防潮堤に設置された東屋は、仮設的で華奢なデザイン。設計は萬代基介建築設計事務所による(写真撮影/筆者)

防潮堤と市街地をつなぐブリッジのように建つ、観光情報施設「かわべい」(写真撮影/筆者)

防潮堤と市街地をつなぐブリッジのように建つ、観光情報施設「かわべい」(写真撮影/筆者)

復興が進んだ中心部に対し、痛ましい被害の様子が伺えるのが南の沿岸部側。津波により被災した門脇小学校は、震災遺構として遺され見学ができるようになっています。震災時に発生した津波火災によって黒焦げに焼けた校舎は、見学用のルートが真横に新設され、間近で見ることができます。
少し小高い日和山を背に立つ門脇小学校では、発災時に校舎内にいた児童は迅速に山へ避難し津波を逃れることができました。一方で校庭に集まった住民の多くが津波の被害に合いました。少しの判断の差が生死を分けた現実は、悔やんでも悔やみきれません。その教訓を風化させまいという残された人々の想いが、校舎を取り壊すことなく保存する決断につながっています。ご遺族の言葉も、資料とともに展示されることで画面越しで見るのとは違う切実さを、訪れる人に与えているのではないでしょうか。

石巻市震災遺構門脇小学校の外観。右側に見えるボックス状の回廊が、新設された見学ルート(写真撮影/筆者)

石巻市震災遺構門脇小学校の外観。右側に見えるボックス状の回廊が、新設された見学ルート(写真撮影/筆者)

校舎1階部分。左手側の旧校舎は被災当時のまま残され、通路から見学することができる(写真撮影/筆者)

校舎1階部分。左手側の旧校舎は被災当時のまま残され、通路から見学することができる(写真撮影/筆者)

門脇小学校からさらに南へ向かうと、更地になった海岸部に整備された広大な復興祈念公園が見えてきます。中心に位置するのが「みやぎ東日本大震災大津波伝承館」です。こちらは語り部として活動している被災者のメッセージに加え、津波のメカニズムなど震災を科学的な視点から紹介するコーナーなど、より包括的に震災の記録がアーカイブされた施設となっています。市が運営し、石巻市にフォーカスした門脇小学校と、宮城県が運営する伝承館、さらにその中間には市民により運営されている「伝承施設MEET門脇」があり、それぞれの視点で伝承のための活動が行われています。さらに町の中心部では、津波被害に限定せず、石巻市の歴史や市民の生活そのものを知ってもらう展示がなされた場所も見られました。町の魅力を伝えることで興味をもってもらう、そのうえで津波被害について学ぶことは、ただ単に事実を見せられるのとは違う印象を与えるのだと思います。

復興祈念公園の遠景。防潮堤が海との境界になっている。左手前に見えるのが伝承館で、庇最上部の位置まで津波が達した(写真撮影/筆者)

復興祈念公園の遠景。防潮堤が海との境界になっている。左手前に見えるのが伝承館で、庇最上部の位置まで津波が達した(写真撮影/筆者)

石巻市に限らず、こうした伝承施設は特定のエリアに集中して建てられるケースが多く見受けられます。遠方から訪れた観光客は、そうした施設を順に見て回る人も多いでしょう。そのなかでいかにして被害の実態を記憶にのこるかたちで伝えていくか。官民それぞれの取り組みが重なり合いながら、相互に補い合って伝承している石巻は、町全体で展示デザインがなされているように感じるほど、震災にまつわる豊富な学びのある町でした。

中心部から離れた高台に新設された「マルホンまきあーとテラス」。大小のホールや市立博物館を備えた文化施設の設計は、藤本壮介建築設計事務所によるもの(写真撮影/筆者)

中心部から離れた高台に新設された「マルホンまきあーとテラス」。大小のホールや市立博物館を備えた文化施設の設計は、藤本壮介建築設計事務所によるもの(写真撮影/筆者)

■関連記事:
震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と

新しく整備されたプロムナードで海産物を楽しむ女川

石巻からさらに電車で30分、町の中心部全体が浸水し町の主要な機能が失われてしまった女川町では、中心市街地全体を盛土により嵩上げし、居住区域を高台に移す復興がなされました。これにより防潮堤の高さを制御し、町から海が見える風景が守られました。そして震災後の新たなシンボルとして、世界的建築家の坂茂氏設計による駅舎が建てられました。

長年、建築家としての設計活動と並行して、世界中の災害現場や難民キャンプで仮設住宅など避難用の建築のデザインや施工をボランティア活動として取り組んできた坂氏は、東日本大震災でも東北各地で復興支援活動にあたりました。避難所での生活にプライベートな空間を確保するためのダンボール間仕切りの提供のほか、ここ女川では輸送用コンテナを活用し短期間での施工を可能にした仮設住宅の設計を手掛けています。この仮設住宅設計後も継続的に女川に関わり、近隣の仮設住宅に住む住民への聞き取り調査を行っていた坂氏は、狭い仮設住宅のユニットバスでは望めない、ゆったりくつろげる銭湯が多くの方に望まれていることを知ります。その矢先に、女川駅の設計を依頼された坂氏は、駅舎と温浴施設を一体的にデザインする提案を行いました。災害復興への長年の取り組みあってこそのデザインだったと言えるでしょう。

女川駅全景。白い膜でつくられた大きな屋根が象徴的なデザイン(写真撮影/筆者)

女川駅全景。白い膜でつくられた大きな屋根が象徴的なデザイン(写真撮影/筆者)

女川駅の展望台から海方向を見る。海への見晴らしが維持された(写真撮影/筆者)

女川駅の展望台から海方向を見る。海への見晴らしが維持された(写真撮影/筆者)

「海が見える終着駅」として知られる女川駅からは、駅舎からまっすぐ海へと向かってプロムナードが延び、その両サイドに地産の食材が楽しめる料理屋や土産物屋が並びます。星野リゾートのホテルの設計などで知られる建築家の東利恵氏が手掛けた、シーパルピア女川です。漁港の町らしい木造の家屋が立ち並び、個性のある商店が店を構え、分棟形式の隙間には庭が整備されています。決して多くはない商店を、単純に横並びにするのではなく前後の奥行きをもたせて配置することで、散策しながら買い物を楽しむことができるよう計画されたデザインです。

観光客であふれるシーパルピア女川(写真撮影/筆者)

観光客であふれるシーパルピア女川(写真撮影/筆者)

中・小規模の建屋が雁行するように連なり、隙間の空間を散策できる(写真撮影/筆者)

中・小規模の建屋が雁行するように連なり、隙間の空間を散策できる(写真撮影/筆者)

女川にも、観光客が必ず目にするであろう場所、プロムナードの突き当りに、津波の猛威を示す震災遺構が遺されています。鉄筋コンクリート造の建物が基礎ごと引き抜かれ、横倒しにされた光景がメディアを通じて大きな衝撃を与えた旧女川交番です。被災当時のままの状態で保存され、その周囲を取り囲む回廊が新たに設置されました。回廊に掲げられたパネルには、女川町の震災被害や復興までの歩みが記されています。小さいながらも強いメッセージを発する震災遺構です。

横倒しになった旧女川交番。剥き出しになった杭が津波の威力を伝えている(写真撮影/筆者)

横倒しになった旧女川交番。剥き出しになった杭が津波の威力を伝えている(写真撮影/筆者)

隈研吾氏設計の建築が集まる南三陸町

石巻駅から電車とバスを乗り継ぎ2時間弱、南三陸町も復興建築が集中するエリアです。津波によって線路が流されてしまったため、中心部にある志津川駅はBRT(バス高速輸送システム)の停留所として使われています。

駅の目の前で一際目を引くのが、新国立競技場の設計などで知られる建築家・隈研吾氏設計による「南三陸ポータルセンターアムウェイハウス」。南三陸産の木材を用いたルーバーは平行ではなく放射状に配置され、建物内部に視線が引き込まれるようにデザインされています。アムウェイハウスは被災地の地域コミュニティの再生支援を行う施設として、ここ南三陸を含む東北3県7箇所に設置されています。

隈研吾氏は2013年から継続的に南三陸町の復興計画に携わり、一帯のマスタープランも手掛けています。地元の海産物を楽しめる商店街さんさん市場、駅とメモリアルパークを結ぶ中橋、そしてこのアムウェイハウスです。メモリアルパークには、津波襲来の直前まで避難を呼びかける様が大きく報じられた南三陸旧防災庁舎が震災遺構として遺されており、多くの観光客が日々訪れています。駅から市場へ、メモリアルパークから山方向にある神社へ、2つの軸線の中間に位置するアムウェイハウスには、人の流れを誘発するように穴が設けられています。マスタープランがあってこそ生まれたデザインです。

南三陸ポータルセンターアムウェイハウス。斜めに傾いたいくつもの立体が統合されたデザイン(写真撮影/筆者)

南三陸ポータルセンターアムウェイハウス。斜めに傾いたいくつもの立体が統合されたデザイン(写真撮影/筆者)

南三陸さんさん市場。シンプルな構成により、低コスト化と短納期化を図っている(写真撮影/筆者)

南三陸さんさん市場。シンプルな構成により、低コスト化と短納期化を図っている(写真撮影/筆者)

メモリアルパークから駅方向を見たところ。右手前に鉄骨フレームだけとなった旧防災庁舎が見える(写真撮影/筆者)

メモリアルパークから駅方向を見たところ。右手前に鉄骨フレームだけとなった旧防災庁舎が見える(写真撮影/筆者)

東日本大震災による被害の状況は、発災当時メディアを通じて視覚的なイメージとして発信されていました。その光景はどの町も同じように悲惨なものとして、記憶に焼きつけられているのではないでしょうか。しかし震災から10年以上が経ち、新しいコミュニティが築かれ新たな町として生まれ変わった被災地の現状は、町ごとに、エリアごとに異なる復興が行われ、それぞれの歩みを進めています。その土台としてデザインされた復興建築を巡ることは、東北の今を知るきっかけとして気軽にできる最初の一歩になるのではないかと思っています。

●取材協力
門脇小学校

宮城県・仙台市「住みたい街ランキング2023」、上位キーワードは「アクセス・子育て・将来性」

2023年、リクルートが3年ぶりに「住みたい街ランキング」の宮城県版/仙台市版を発表。アンケートは、宮城県に居住している20代~40代の男女1,000人を対象に実施したもの。ランキングと併せて評価された理由、背景などを、杜の都に生まれ育ち、宮城をこよなく愛する筆者と共に見ていこう。

2023年「住みたい街(駅)」も、1位は仙台、2位は長町

まずは「SUUMO住みたい街ランキング2023 宮城県版/仙台市版」の結果のうち、「住みたい街(駅)」を、宮城県全体、仙台市全体の両面から紹介する。

宮城県 住みたい街(駅)ランキング

仙台市 住みたい街(駅)ランキング

宮城県版・仙台市版ともに「住みたい街(駅)」の1位は「仙台」。「働く、遊ぶ、学ぶ、住む、憩う、潤う」が融合した都市機能と自然のバランスの良さが「住みたい」につながっている。2020年のランキングも、宮城県版・仙台市版ともに1位は東北の顔となる「仙台」で、2位は仙台南の副都心「長町」で不動の人気だ。

東北の玄関口 JR仙台駅(写真/PIXTA)

東北の玄関口 JR仙台駅(写真/PIXTA)

上昇がめざましいのは、宮城県版、仙台市版共に順位を上げた「北仙台」。同駅から仙台市地下鉄南北線でひと駅隣の「北四番丁」も、安定した人気だ。「北仙台」「北四番丁」については、以降で解説する。

宮城県版で2020年に17位から9位にランクアップした「古川」は、JR仙台駅から東北新幹線でひと駅、所要時間12~13分、高速バスも利用でき通勤圏だ。

仙台市版で9位の「五橋」は2018年以降最高位となった。2023年4月に、仙台市地下鉄南北線「五橋」駅から徒歩1分に東北学院大学五橋キャンパスが開校。その影響で周辺の商店街、賃貸物件のマンション、アパートの動きも活況を呈し、地価も上昇傾向にある。

また宮城県版で、前回ランク外から大きく飛躍したのが11位の「小鶴新田」、12位の「多賀城」、14位の「宮城野原」で、いずれもJR仙石線沿線の駅だ。

沿線別の「住みたいランキング」は以下の通り。

宮城県 住みたい沿線ランキング

沿線別は、1位は「仙台市地下鉄南北線」、2位は「仙台市地下鉄東西線」と仙台市地下鉄がツートップ。仙台市地下鉄は仙台市民の通勤・通学・外出の大事な足になっている。

2015年に開業した仙台市地下鉄東西線の東の起点、荒井駅(写真/PIXTA)

2015年に開業した仙台市地下鉄東西線の東の起点、荒井駅(写真/PIXTA)

駅から徒歩10分以内の「駅近」物件は購入・賃貸ともに人気を集めているが、仙台市地下鉄駅は特に人気だ。

仙台市に次ぐ「住みたい自治体」は仙台市のベッドタウン、名取市・富谷市

宮城県 住みたい自治体ランキング

仙台市 住みたい自治体ランキング

宮城県・仙台市別のランキングだが、1位~7位まで順位は同じ。仙台市の5区「仙台市青葉区」「仙台市宮城野区」「仙台市太白区」「仙台市泉区」「仙台市若林区」が上位5位を占める。

続くのが、仙台市に隣接するベッドタウン、名取市、富谷市。名取市は、東北最大の国際空港のある街で、海、川、山が近く広い公園もあり、街並みが整然として美しい。イオンモール名取にある子育て支援拠点「cocoI’ll(ここいる)」をはじめ、子育て・子どもを支援する施設やイベントが充実しているほか、春まつり、夏まつり、秋まつりと名取3大祭りを開催するなどイベントが多い。

富谷市は、2023年度から公立の小・中学校の学校給食を完全無償化。2023年6月に江戸時代に宿場町の物流を支えた荷宿を活用したビジネス交流ベース「荷宿-NIYADO」がオープン。公園のような雰囲気の富谷市営墓地とパークゴルフ場が隣接する「(仮称)やすらぎパークとみや」が大亀山森林公園近くに2024年度にオープン予定。さらに、市民の声を取り入れ、図書館をはじめ、スイーツステーション、児童屋内遊戯施設、公民館といったさまざまな機能を集約した「富谷市民図書館等複合施設」が2027年度中開館予定と、子どもからシニア世代まであらゆる世代が生きがいをもって暮らせるまちづくりを目指し、さまざまな計画が進行している。

2020年にランク外から10位にランクインした宮城郡利府町も注目だ。詳細は後述する。

「住みたい」あこがれ誘う都心近接の「北仙台」「北四番丁」

前述のとおり、「住みたい街・駅」のランキングで上昇がめざましかったのが「北仙台」だ。宮城県版で2020年の9位から5位に、仙台市版では7位から3位と2018年以降最高位にジャンプアップ。「北仙台」はJR「仙台」駅から約5分と都心に近く、JR、仙台地下鉄、バスの3つの公共交通機関が利用でき交通の利便性が高い。駅前には24時間営業のスーパーもあり、日常生活施設が整い、住宅地としても古くから人気が高い。交通・生活利便性が高いのに家賃や物件価格が割安なイメージがある「宮城県 穴場だと思う街(駅)ランキング」の3位にもランクインしている。

宮城県 穴場だと思う街(駅)ランキング

JR北仙台駅(写真/PIXTA)

JR北仙台駅(写真/PIXTA)

付近には1960年代から存在した横丁「仙台浅草」のような懐かしい商店街や数百年の時を超えて街を見守る古刹、北山五山が残る一方、こだわりの生活雑貨や生鮮食品などを揃えたセレクトショップ「眞野屋」、パン屋、カフェなど洗練された店が点在。クリニックや金融機関なども充実している。

禅寺、北山五山のひとつで紫陽花の名所。資福寺(写真/PIXTA)

禅寺、北山五山のひとつで紫陽花の名所。資福寺(写真/PIXTA)

伊達政宗公を祀る青葉神社。5月の青葉まつりのメイン会場となる(写真/PIXTA)

伊達政宗公を祀る青葉神社。5月の青葉まつりのメイン会場となる(写真/PIXTA)

同駅から仙台市地下鉄南北線でひと駅隣の「北四番丁」も、宮城県版では12位から10位にランクアップ、仙台市版では変わらず8位で安定した人気だ。「北仙台」と同じく、「北四番丁」は、いずれも仙台市役所、宮城県庁、青葉区役所が集まる官公庁エリア、東北随一のショッピングゾーン・一番町四丁目買物公園、JR仙台駅への距離が近く、地下鉄やバスはもちろん、道が平坦で歩道が整備されているため、自転車利用もスムーズだ。

地下鉄北四番丁駅(写真/PIXTA)

地下鉄北四番丁駅(写真/PIXTA)

特徴的なのは、昔ながらのお屋敷町で、文教エリアとして教育熱心なファミリーに支持されている上杉地区に隣接。イチョウ並木の新緑、紅葉が美しい愛宕上杉通、四季折々の自然やイベントが楽しめる勾当台公園や定禅寺通り、仙台三越へは、散歩がてら歩いて行ける距離。さらに、東北大学農学部雨宮キャンパス跡地には、医療・福祉施設地区に仙台厚生病院が移転、2024年開院予定、商業施設地区には大型商業施設が建設予定、マンションが建設中で、今後の発展が期待される。

宮城県庁と官公庁エリアの憩いの場、勾当台公園(写真/PIXTA)

宮城県庁と官公庁エリアの憩いの場、勾当台公園(写真/PIXTA)

仙台都心からは離れるが、「小鶴新田」駅は、「住みたい街(駅)」ランキングで順位が飛躍。宮城県版では、2020年のランク外から11位、仙台市版では27位から15位に上がった。JR仙石線に2004年に開業して以来、住宅地が広がり、新築マンションが増えて、住宅地として人気が定着。駅周辺には大型スーパーマーケットなど日常生活施設が充実し、住宅地の中心には子どもが走り回れる広い「新田東中央公園」もある。近隣の「仙台市新田東総合運動場 元気フィールド仙台」には、仙台市民球場、宮城野体育館、温水プール、ボルダリング施設、アーチェリー場などさまざまな運動施設があり、気軽に利用できるスポーツプログラムが開催されている。

元気フィールド内 仙台市民球場(写真/PIXTA)

元気フィールド内 仙台市民球場(写真/PIXTA)

「住みたい街(駅)」でランク上昇の「利府町」は子育て支援が充実

「SUUMO 住みたい自治体ランキング2023」で、2020年にランク外から10位にランクイン、過去最高順位を得た宮城郡利府町は、仙台市の北東部に立地。JR利府駅からJR仙台駅までは、東北本線で20分弱とアクセスしやすい。

JR利府駅(写真/PIXTA)

JR利府駅(写真/PIXTA)

2棟に分かれた東北最大級の「イオンモール新利府」をはじめ商業施設が充実。波が穏やかで表松島と呼ばれる海に面し、陸から海に突き出た天然の桟橋「馬の背」など、ビュースポットが点在。

利府町の赤沼、櫃ヶ沢の馬の背(写真/PIXTA)

利府町の赤沼、櫃ヶ沢の馬の背(写真/PIXTA)

大きな特徴は、子育て支援にも力を入れていること。0歳から18歳年度末までの子ども医療費を所得制限なしで全額助成(保険診療分の自己負担額)、子育てに必要なベビーベッド、ベビーバス、ベビーシートの無料貸し出し、赤ちゃん絵本セットの配布、小・中学校の新1年生全員に学校で使う運動着の無料支給、小学校6年生・中学校3年生の学校給食費無料化など、独自の子育て事業を実施していることも支持されている。

オフにファミリーで出掛けられる大型公共施設も充実。図書館や多目的ホールを要する利府町文化センター(リフノス)や、東京五輪のサッカー公式開場にもなった宮城スタジアム(キューアンドエースタジアムみやぎ)、アーティストのライブなどの大型イベントが行われる「セキスイハイムスーパーアリーナ(宮城県総合運動公園総合体育館)」などを有する「グランディ・21(宮城総合運動公園)」などがあり、アクティブな日常を過ごせる。

キューアンドエースタジアムみやぎ(写真/PIXTA)

キューアンドエースタジアムみやぎ(写真/PIXTA)

「SUUMO住みたい街ランキング2023 宮城県版/仙台市版」の結果を見ると、2020年と変わらず、仙台市地下鉄、JR東北本線、JR仙石線沿線の駅、アクセスの良い都心が上位にランクインしているのが分かる。また、子育て支援が充実している街、再開発計画があり、これからの将来性が期待できる街は住みたいというあこがれ、ニーズが高く、今後も目が離せない。

●関連ページ
SUUMO住みたい街ランキング2023 宮城県版/仙台市民版

少子高齢化でも社会保障費に頼らないまち目指す民間企業 仙台市「OpenVillageノキシタ」の挑戦

宮城県仙台市の被災者が多く暮らす新興住宅地にある「Open Villageノキシタ」は、「コレクティブスペース」「保育園」「障がい者サポートセンター」「障がい者就労支援カフェ」 の4つの事業所が集まる小さなまち。高齢者、障がい者、子ども、子育て中の親たちが横断的に交流し、補助金や助成金に過度に頼らずに、「つながりと役割で社会課題を解決する」ことを目指した全国でも珍しい取り組みが行われている。その「Open Villageノキシタ」が生まれた経緯や、オープンから約3年間で見えてきたこと、今後の展望について、施設を統括する株式会社AiNest(アイネスト)代表取締役社長の加藤清也さん、取締役の阿部恵子さんに話を聞いた。

被災者のコミュニティづくりと社会保障費の削減を目指す小さなまち

もともと農地だった仙台市宮城野区田子西地区に「Open Villageノキシタ(以下、ノキシタ)」ができたきっかけは、1994年に遡る。当時、地権者らが土地区画整理事業を検討し始め、AiNest(以下、アイネスト)の親会社である国際航業が専門家の立場で携わることになった。

造成工事が始まって間もなく東日本大震災が発生。多くの被災者が家を失ったため、急きょ仙台市と協議をして集団移転用地に変更し、「災害に強く環境にやさしいまちづくり」をテーマにしたまちづくりが始まった。

仙台市は震災時の長期停電を教訓として、エネルギーの地産地消を目指した「エコモデルタウン推進事業」を実施した。複数の民間企業からなる運営事業法人の責任者となったのが、当時国際航業の技術士として、防災まちづくりに取り組んでいた加藤清也さんだ。

加藤さんは、事業を推進する過程でのさまざまな気づきから、新たな構想が芽生えたという。

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタがある田子西地区には、沿岸部の住み慣れた広い家で被災し、初めてアパートタイプの市営住宅に移住した方々などが住んでいます。話を聞くと新しい環境で知り合いがいない、集まる場所もない、おしゃべりの輪に入れない。まるでお母さんたちの公園デビューのよう問題があるとわかり、コミュニティづくりが必要だと思ったんです」

加藤さんはどんなコミュニティをつくるべきかと並行して、以前から疑問に思っていた福祉行政の問題もあわせて考えた。

「障がい者と子どもと高齢者を社会が支える社会の仕組みはすべて縦割りで、横のつながりがほとんどありません。横のつながりをつくろうと取り組んでいる所も、ベースになるのは補助金や助成金です。

今後ますます高齢化が進み、行政の税収入は減ります。福祉事業を補助金や助成金に頼るやり方が継続できるのか。財源がなくなったときに困るのは、福祉サービスを受けている高齢者や障がい者です。お金の流れを根本的に変えて、増税ではなく社会保障費を削減するような仕組みをつくらないといけない、試しにつくってみようと思いました」

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

こうして全国的にも珍しい、民間企業とNPO法人、社会福祉法人の3法人の共同運営による、高齢者、障がい者、子どもや親ら多世代がボーダーレスに集まる小さなまち「ノキシタ」が誕生した。

人とつながり、役割をもつことの健康効果&経済効果を検証する場に

「ノキシタ」設立は、加藤さんの経験に基づく気づきも大きい。

「プライベートでの経験ですが、軽度の認知症の父に重度知的障がい者の息子をお風呂に入れてほしいと頼んだら、父は孫をお風呂に入れることが楽しくて認知症が和らいだのです。一般的に高齢者や障がい者に対して周りは何でもやってあげようとして、その人自身でやることが失われてしまいますが、自らやってもらう効果の大きさを目の当たりにしたんです。

世代や障がいを超えて人と人がつながり、社会に支えられる立場と考えられがちな人が、人を支える役割を持つことで健康寿命がのびて、認知症や寝たきり、要介護の期間が減れば、社会保障費を削減できるのではないか、と思ったんです。

調べてみると、人と人がつながる大切さを裏付けるデータもありました。要介護認定を受けていない一人暮らしの男性の例で、一人で食事をする(独食)のは、誰かと食事をする(共食)より約2.7倍もうつ状態になりやすい(「日本老年学的評価研究(JAGES)」による研究プロジェクト ※1)。また運動も、一人で運動をしているより、スポーツグループに参加して誰かと一緒に行う方が抑うつにいたる率が低い(※2)といったデータもあります。

コロナ禍になって、配食サービスやオンラインフィットネスなど家にこもって一人で何かをすることが増えて、人と交流する大切さや効果が忘れられていく。人と人のつながりと役割が持つ効果を実証・検証する場がノキシタです」

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

高齢者、障がい者、子ども、親たちが丸ごとつながる開かれたまちづくり

敷地内には、“ふたご山”と呼ばれる緑に覆われた築山を囲むように4つの施設が配置されている。庭はボランティアの力も借り、季節ごとの花に彩られている。

社会福祉法人仙台はげみの会が運営する障がい者サポートセンター、グループホーム「Tagomaru」では、重度の障がいがある方の短期入所(ショートステイ)、日中一時支援事業(単独型)、共同生活援助(日中サービス支援型)などが行われている。

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

NPO法人シャロームの会が運営する「シャロームの杜ほいくえん」は0歳児~2歳児を対象に、地域、保育者、保護者、ノキシタに集う多様な方々とのコミュニケーションを大切にしたダイバーシティ保育園(地域全員参画型保育園)を目指している。

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

同じくNPO法人シャロームの会が運営している「ノキシタカフェ・オリーブの小路(こみち)」は、障がい者の就労支援も行うカフェで、畳のキッズスペースを含め定員は30名位。むく材がふんだんに使われた店内には明るい日差しが射し込む。

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

食事はオリジナルスープカレーやランチプレートなど野菜がたっぷりのメニュー。障がい者や高齢者、子ども連れ、誰でも周りに気兼ねなく利用でき、昼どきは人気のスープカレーを目あてに近所の会社員や遠くから足を運ぶ人も多い。

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

補助金や助成金に頼らない交流スペースは「実家のようにほっとする居場所」

そして、ノキシタの交流の要となるのが、アイネストが運営する「コレクティブスペース・エンガワ」という会員制の交流スペースだ。効果を検証する場であることから利用者の年齢や特性を把握する目的もあって会員制(会費は無料)で、現在の登録会員数は約900人。1回の利用料は400円と利用しやすい設定だ。

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

「ここでは、何をして過ごしてもいいし、何もしなくてもいいんです。カフェのメニューをテイクアウトして食べることもできます。お茶を飲んでスタッフと話をするだけの方、毎日ピアノを弾きに来てくださる方もいます。自然と利用者同士で話したり、誰かと楽器でセッションしたり。スタッフが何かをしましょうと声をかけるのではなく、それぞれの方が何に関心を持つか、どう過ごしたいかを距離を置いて見守っています」と取締役の阿部恵子さん。

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「エンガワ」では、さをり織り機、楽器、キッチンなど、施設内の設備に自由にふれることができる。天井の梁に架かるきれいな布は、世界一簡単な手織りといわれる「さをり織り」でつくられたもの。スタッフが丁寧に教えてくれるので、初めての人や小さな子どもも好きな糸を選んで自分だけの作品を簡単につくれる(予約制、有料)。

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

シェアキッチンでは自由に料理ができるので、お昼ご飯をつくって食べる人もいる。子育て中のお母さんも隣接する和室で小さい子どもを遊ばせたり、交代で面倒を見ながら料理教室やパンづくり教室に参加できる。

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

中庭を望むライブラリーではゆっくり読書ができる。子ども用のドラムやギター、ウクレレなどの楽器も自由に演奏できる。ここでは「〇〇をしてはいけない」などとルールで縛るよりも、そのとき一緒にいる人と気持ち良く過ごすために、互いを尊重し合いながら時間と場所を共有することを重視しているという。

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

エンガワの別棟「ハナレ」もガラス張りの明るい空間で、ギャラリーやレンタルスペースとして活用できる。「ここで何をしようか」という想像がふくらむ。

三角屋根が目印のハナレの外観。幹線道路からもわかりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

三角屋根が目印のハナレの外観幹線道路からも分かりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

入口に掲示してある「ノキシタは実家のような場所」と利用者が書いたコメントが印象的だった。「年齢層が幅広く、実家に帰ってきたような感覚で来てくださる方もいます。人生の先輩に家族に話せないようなことも相談したり、素直に助言を聞くことができるようです。心に重いものを抱えていた方がどんどん健康になったり表情が明るくなり、演奏する音色まで変わっていく利用者さんを見るのが嬉しいです」と阿部さんは話す。

社会課題解決の新しい居場所をつくったことで見えてきた本当のニーズ

オープンして3年余りがたち、計画当初の想像と違うことや新たな課題がたくさん見えてきたと加藤さんは話す。「交通の便が良くないので、計画時は半径1、2km圏程度の近所の方の利用を想定していましたが、ふたを開けてみたら仙台市外など遠くからも、多くの方が会員登録をしていたんです。話を聞いてみると、近所の方にはあまり知られたくないような悩みや困りごともここだと本音で話せるそうです。

また、利用者は当初予想していた高齢者に限らず、幅広い年齢層となっています。特に子育て中のお母さんが孤立していたり、気軽に使える場所がないという声があり、子ども連れのイベントを増やしました。人は自分の経験からさまざまなことを想像しがちですが、自分とは違った経験を持つ人々と交流することで、想像を超えたニーズに気づけるのがノキシタの強みです」(加藤さん)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

エンガワでは、月に10回程度のイベントを開催している。当初はさをり織りやパンづくり教室、高齢者のIT教室など、スタッフが企画したイベントが中心だったが、これを呼び水に、利用者が提案・企画するイベントが自然に増えたという。なかでも、プロにメイクをしてもらいプロのカメラマンが写真を撮る女性向けのおしゃれ企画や自ら発表するミニコンサートなどは高齢者に人気が高く、驚くほど表情がイキイキするそうだ。

「コロナ禍で人が集まるイベントは減っていますが、楽しみを持つことが大切。コロナ禍で最初に緊急事態宣言が出たときにエンガワを約1カ月間休業したんです。すると、障がい者のサポートするのが楽しくて毎日通ったことで、支援されずに再び一人で歩けるようになったおばあちゃんが、1カ月後に車椅子になってしまいました。そこで感染対策も必要だけど、大切なことを失う問題もあると気づいて、感染対策に留意しながらできるだけ多くの方に継続的にご利用いただけるように取り組んでいます」

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

2021年4月から「ノキシタ」を、多くの方に知ってもらいたいとアイネストの企画でクラフトビールづくりを始めた。近くの農家が所有する休耕田で、宮城県石巻市を拠点とするイシノマキ・ファームの指導を受けて地域の方と障がい者が一緒にホップを栽培している。そのホップと地域で採れたお米を原料に、岩手県の世嬉の一(せきのいち)酒造が醸造と販売を行う。ラベルの絵は知的障がいがあるノキシタ関係者が描いた。そして多くの方々の協力を得て、2022年3月に第一号の「Sendaiノキシタビール」が誕生した。

高齢化社会に向けた前例がないまちづくり「ノキシタ」は、まだ効果を検証している試行段階だ。「現在は、親会社の国際航業の支援を受けて運営していますが、いつまでもその支援に甘えてはいられません。近い将来に黒字化することを目標に、利用料収入などではないアウトカムビジネスでのサスティナブル経営(ESG経営)を目指しています」と収益の確保を前向きに考えている。

「こんな施設が自宅の近くにあったらうれしい」と思う人は多いだろう。「ノキシタの1カ所でいくら効果を上げても社会的インパクトは小さいと思っています。例えば、高度成長期にできて今は高齢者が増えて若者が減っているニュータウンといわれる団地や、子どもが減って廃校になった学校や空き家などを活用して、この仕組みを広く展開したいと考えています。

今はまだ試行して、効果を見せて、共感や賛同する方を増やす第一段階。次は、補助金に頼らずに持続するシステムを確立させて、行政や他の企業とも連携していきたい。3年たって、この取り組みへの関心も高まっていると感じますし、取材等を受けることで新たな広がりも期待します。その先は無謀な夢かもしれませんが、仙台市内、宮城県、日本全国、世界に展開して、社会を変えていきたい」と加藤さん。

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

社会課題を解決に導く地域共生型の事業モデルを全国、世界へ

障がい者も高齢者も、孤立しがちな子育て中の親も、すべての世代の人たちがお互いに支え合い、丸ごとつながり、地域の課題解決を試みる地域共生型まちづくり「ノキシタ」。少子高齢化が進むなかで生まれるさまざまな問題を、他人事ではなく我が事としてとらえ、本気で取り組んでいる。

まだ試行錯誤の段階だが、すでに世代や分野といった枠を超えた広がり、良い化学反応が生まれている。目の前の利益や前例にとらわれない新たな視点と柔軟な活動、ゴールを目指しできることから一歩ずつ積み上げていく事業モデルは、高齢者が健康寿命を延ばし、お母さんたちが楽しく子育てができて、災害弱者と呼ばれる方々を支える仕組みをつくるヒント、呼び水となるのではないか。

筆者も話を聞いて、見て、カフェで食事をしてみて「何かできることはないか」という思いが込み上げた。何もできないまでも、関心を持ち共感し利用し協力する人が増えれば、「地域が共生するまちづくり」事業化の後押しになるに違いない。

●取材協力
Open Villageノキシタ

宮城「住み続けたい街ランキング2022年版」仙台市内をおさえ、隣接の街が1位・2位に!

リクルートが、 宮城県に居住している20歳~49歳の1万4883人を対象に実施した「SUUMO住み続けたい街ランキング2022宮城版」を発表した。「住み続けたい駅」「住み続けたい自治体」「街の魅力ランキング」から見えてくる住民の本音とは?ランキング上位の駅と自治体、それぞれにどんな魅力を感じているのかを見ていこう。

「住み続けたい街」(駅)上位5位は仙台駅に近い、利便性と潤いを兼ね備えた街

2022年2月、国土交通省が公表した公示地価(1月1日時点)によると、宮城県の住宅地の上昇率は全国3位、しかも10年連続で上昇している。「住みたい街(駅)」と直接関係ないが、宮城県が住みたい場所としてのニーズが高い表れではないだろうか。

そんな宮城県の中の「住み続けたい街(駅)ランキング2022」の上位20位を見ていこう。

宮城県  住み続けたい駅ランキングTOP20

上位10位まではすべて仙台市内の駅で、うち6駅が「仙台市青葉区」にある。「榴ケ岡」駅、「太子堂」以外は、仙台市地下鉄が利用できる(仙台駅、長町駅はJRのほかに地下鉄も乗り入れ)。また、11位から20位は、仙台駅にほど近い都心近接の駅、または副都心の駅で、仙台市以外では名取市から「美田園」駅、「名取」駅、「館腰」駅がランクイン、「仙台」駅とダイレクトに結ばれている駅が評価を集めたようだ。

上位5つの駅(「勾当台公園」「北四番丁」「榴ケ岡」「大町西公園」「青葉通一番町」)はいずれもJR「仙台」駅から2km以内に位置する。「榴ケ岡」駅はJR東北本線で「仙台」駅から1駅、ほかの4つの駅は仙台市地下鉄で1駅~3駅、徒歩で20分以内とアクセス至便。車を使わなくても「電車・バスでいろいろな場所に電車・バスで行きやすい」アクセスと、「歩ける範囲で日常のものは一通りそろう」など、生活利便性の面でも住民にも支持されている。

さらに、いずれの駅も仙台の中心部を代表する3つの広大な公園(勾当台公園、西公園、榴岡公園)が身近にあり、「公園の充実」「散歩・ジョギングがしやすい」という点も評価されている。利便性も潤いも兼ね備えた街が上位にランクインしたと言えるだろう。

「榴ケ岡」駅近くの榴岡公園は11.2ha、歴史あるサクラの名所で季節ごとの花木が美しい。ランニングコースが設置されランニングの練習や芝生でヨガをするグループも見られる(画像提供/PIXTA)

「榴ケ岡」駅近くの榴岡公園は11.2ha、歴史あるサクラの名所で季節ごとの花木が美しい。ランニングコースが設置されランニングの練習や芝生でヨガをするグループも見られる(画像提供/PIXTA)

国土交通省による「新型コロナ生活行動調査(2020年)」において、コロナ後の都市空間に対する調査で充実してほしい空間として「公園、広場、テラスなどゆとりある屋外空間」が最も高く、次が「自転車や徒歩で回遊できる空間の充実」だった。

今回、上位10位までに入った駅では、「仕事のできる施設がある(コワーキングスペースやカフェなど)」を街の魅力として挙げる声も多く見られるが、仙台市内は「仙台」駅周辺を中心に、コワーキングスペースが増えており、ますます便利に。さらに、在宅ワーク、テレワークの導入が増えるなか、身近に運動不足の解消や気分転換、リフレッシュができる大きな公園や広場があることはコロナ前以上に、魅力的な街の要素になってくるだろう。

「住み続けたい街」(駅)1位は「勾当台公園」

「住み続けたい街(駅)」1位の「勾当台公園」駅は、官公庁やオフィスが集まるビジネス街にありながら、『仙台三越』や東北髄一のショッピングゾーン『一番町四丁目買物公園』、繁華街『国分町』が生活圏にあるエリアだ。

街の魅力項目では「利用しやすい商店街がある」のランキングで1位を獲得しているほか、「学びや、趣味の施設がある(稽古事、カルチャースクールなど)」「文化・娯楽施設が充実している(映画館、劇場、美術館、博物館など)」でも1位を獲得。買い物の利便性に加えて、学ぶ、楽しむなど、余暇の過ごし方も充実できる面での評価が高い。「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」が街の魅力の上位にあるのは、ほかの上位10位までの街と異なる特徴だが、仙台駅から少しだけ離れていて、静かで落ち着いた雰囲気があるからではないだろうか。

地下鉄「勾当台公園」駅に隣接する勾当台公園。背後に宮城県庁が見えるが、官公庁やオフィス街にある市民の憩いの場で昼どきはのんびりお弁当を広げる人も。イベントや催しも多く行われる(画像提供/PIXTA)

地下鉄「勾当台公園」駅に隣接する勾当台公園。背後に宮城県庁が見えるが、官公庁やオフィス街にある市民の憩いの場で昼どきはのんびりお弁当を広げる人も。イベントや催しも多く行われる(画像提供/PIXTA)

また、勾当台公園に隣接する『定禅寺通』はケヤキ並木とイチョウ並木が続く杜の都のシンボルストリートで、『仙台七夕まつり』『SENDAI光のページェント』など杜の都の大きなイベントが開催される(近年はコロナ禍でイベントの中止が続いている)ほか、『せんだいメディアテーク』の周囲にはハイセンスなカフェ、雑貨店なども点在する。

定禅寺通に面した『せんだいメディアテーク』。仙台市民図書館、映像音響ライブラリー、スタジオなどの施設が入る複合施設で、美術や映像といった文化活動や生涯学習の場(画像提供/PIXTA)

定禅寺通に面した『せんだいメディアテーク』。仙台市民図書館、映像音響ライブラリー、スタジオなどの施設が入る複合施設で、美術や映像といった文化活動や生涯学習の場(画像提供/PIXTA)

2位の「北四番丁」駅は、地下鉄南北線で「勾当台公園」駅の隣の駅だ。「勾当台公園」駅が、政治・ビジネスの中枢機能を担う都心とすれば「北四番丁」駅は、藩政時代からのお屋敷町・上杉地区を中心とした邸宅地。歴史の古い学校も多いことから、都心の便利さや華やかさよりは、「教育施設の充実、医療施設の充実、学びや趣味の施設、文化・娯楽施設の充実」が魅力項目の上位に上がった。

都心再構築計画など再開発の将来性も住み続けたい理由

「住み続けたい街(駅)」1位~6位は、「イノベーションが生まれる都心、新たなにぎわいを創り出す都心、個性が活きる都心」を目指し、令和2年に開始された「せんだい都心再構築プロジェクト」の重点ゾーンで、同プロジェクトの「緑と交流・賑わい軸(回遊軸)」に位置付け、東北大学農学部跡地開発、仙台市役所の建て替え、勾当台公園の再整備計画など、さまざまな計画が目白押しだ。

3位の「榴ケ岡」駅、6位の「宮城野通」駅周辺でも、ヨドバシ仙台第1ビル計画、防災の拠点となる宮城県広域防災拠点、宮城県民会館・みやぎNPOプラザを合わせた複合施設の移転・新築計画などが進められている。

4位の「大町西公園」は、華やかさ、買い物の利便性より「散歩・ジョギングがしやすい」「仕事ができる施設がある(コワーキングスペースやカフェなど)、「公園が充実している」が主な魅力として挙げられており、公園、運動施設、公共施設、文化・娯楽施設など、休日をのびのびと過ごせる施設が充実し、落ち着いた潤いがある暮らしができることが評価されているようだ。

5位の「青葉通一番町」は4位の「大町西公園」から東に1駅、かつ仙台駅から地下鉄東西線で西へ1駅で徒歩圏内でもある。目の前にハイセンスな地元の老舗デパート『藤崎』やオフィスビル、金融機関などが路面に続く。「いろいろな場所に電車・バスで行きやすい」「職場など決まった所に行くなら電車・バスが便利だ」「歩ける範囲で日常のものがひと通り揃う」「生活上の用事を効率的に済ませることができる」の4項目において、駅ランキング1位にランクイン。アクセス・生活利便性の高さが住民に評価されている。

「青葉通一番町」駅界隈は、老舗の藤崎百貨店やアーケードを中心とした商業エリアで、ファッション・カルチャー・情報が集まる街だが、ノスタルジックな横丁もある(画像提供/PIXTA)

「青葉通一番町」駅界隈は、老舗の藤崎百貨店やアーケードを中心とした商業エリアで、ファッション・カルチャー・情報が集まる街だが、ノスタルジックな横丁もある(画像提供/PIXTA)

「住み続けたい街」(自治体)1位は「子育てに関する自治体サービスが充実の自治体1位」の富谷市

「住み続けたい街」(自治体)のランキングの上位を見ていこう。仙台市の5つの区のほかに仙台市に隣接する市や町がランクインしている。

宮城県  住み続けたい自治体ランキングTOP20

1位の「富谷市」は、仙台市の北、宮城県のほぼ中央に位置し、1970年代から仙台都市圏の居住機能を担うベッドタウンとして、道路を整備し、次々と大型団地が開発・分譲されてきた。地区内に富谷高校があり、企業の誘致や、イオンモール富谷が誕生するなど、目覚ましい発展を続けてきた。1963年の町政施行時は人口が5000人余りの町だったが、1970年から2010年の40年間で約9.7倍に人口が増加。市政の要件の「人口が5万人以上」という条件を満たす見込みが出てきたことから市制移行へ向けて準備を開始、2016年に人口5万人都市となり市政がスタートした。

子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10

富谷市は「子育てに関する自治体サービスが充実している」「介護や高齢者向けサービスなどが充実している」など、自治体サービスに関する2項目で自治体ランキング1位。「魅力的な働く場や企業がある」でも、1位と評価が高かった。

また「子ども医療費助成制度」は、2015年10月から助成対象年齢を高校卒業にあたる18歳年度末までに拡大、2020年10月からは所得制限を撤廃している(小学校4年生以上の子どもの通院分)。また、2020年度から産婦検診と産後うつの予防として出産間もない母子をサポートする「富谷市産後ケア事業」を開始するなど、子育て支援に力を入れている。

新興住宅地に住む、子育て世代が多い若い街で、日本ユニセフ協会の子どもにやさしいまちづくり事業委員会に参加し、「富谷市子どもにやさしいまちづくり宣言」を進め、行政のみならず、地域住民の理解と協力を得ながら「子どもにやさしいまちづくり」を推進している。

また、2021年には政府の「GIGAスクール構想の実現」にいち早く対応し、高速大容量ネットワークの整備と児童生徒1人1台端末配備を宮城県内で最も早く完了するなど、学校教育の情報化推進計画にも力を入れているなど意欲的だ。

「住み続けたい街」(自治体)2位は「教育施設が充実している自治体ランキング」1位の利府町

住み続けたい自治体2位の「宮城郡利府町」は、JR東北本線で仙台駅から約20分、町内に2つのJR駅、路線バス4路線と路線バスを補完する町内バス(大人一律100年)が運行、4つのインターチェンジが存在する交通の要所だ。「運動施設が充実している」「教育環境が充実している」「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」「子育てに関する自治体サービスが充実している」のランキングで1位。さらに、「公園が充実している」「公共施設が充実している」「介護や高齢者向けサービスが充実している」「魅力的な働く場や企業がある」といった項目も、2位・3位にランクインした。

実際、利府町は自然が豊かな一方、さまざまな施設に恵まれている。買い物施設は、2棟から成り、店舗面積としては東北最大級のイオンモール新利府で生活に必要なものはほぼそろう。買い物利用客を対象に送迎バスを運行といったサービスもある。また、屋内温水プール、子ども向けのアスレチック広場、東北楽天イーグルスの二軍の本拠地の一つである利府町中央公園野球場などを擁する『十符の里パーク(利府町中央公園)』、総合体育館、サブアリーナ、総合プール、宮城スタジアムなどを擁する総合運動施設では大規模なコンサートが開催され県外からも多くの人が訪れる『宮城県総合運動公園(グランディ・21)』など、自然に囲まれた運動施設が町内に集中し、オフに子ども連れで遊びに出かけるのに最適だ。さらに2021年7月には「利府町文化交流センター リフノス」が開館。音楽コンサートや演劇など多目的に利用できる文化会館、公民館、学習室、さらに7万7000冊の蔵書を管理する利府町図書館の複合施設となっている。それらの施設を活かした、さまざまなイベントも行われており、多様な経験を得ることができる。

宮城県総合運動公園、集いの広場周辺(画像提供/PIXTA)

宮城県総合運動公園、集いの広場周辺(画像提供/PIXTA)

利府町は、「教育施設が充実している自治体ランキングTOP10」で1位を獲得。「町はひとつの学校」を理念に、小・中学校が密に連携し、町を挙げて子どもたちの健全な育成を目指す『志(こころざし)教育』を推進していることも評価につながった。

2020年に『利府町総合計画(2021年-2030年)』を策定。2020年以降の人口増加とともに、2030年の目標人口を3万8800人、県内の町で1位になることを目指し、将来の市政への移行を目標にしている。利府町オリジナルの「協働のまちづくり」に楽しんで取り組む活動団体が多数あること、きめ細かな行政施策などにより、住み続けたいという評価につながったのだろう。「今後、街が発展しそう駅ランキング」でも1位となっていることからも、将来への期待がうかがえる。

JR利府駅(画像提供/PIXTA)

JR利府駅(画像提供/PIXTA)

「住み続けたい街」(自治体)4位の「名取市」をはじめ上位は子育て施設や子ども医療費助成の充実が際だつ

4位の「名取市」は『イオンモール名取』が仙台空港アクセス鉄道駅と直結し、「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」の自治体ランキングで2位を獲得するなど、商業利便性の高さが評価された。名取市のイオンモール名取には、子育て経験豊富なスタッフが常駐し0歳児から小学校入学前の乳幼児親子が気軽に遊びに行ける「名取市子育て支援拠点施設 cocoI’ll(ここいる)」(利用料無料)が2019年4月にオープン、買い物のついでに子育ての悩み相談や情報交換ができる親子のお友達づくりの場として人気が高く、2年間で5万人以上が来館している。2005年度から「名取市次世代育成支援行動計画(後期行動計画)」「名取市子ども・子育て支援事業計画」と子ども・子育て支援施策を推進。現在は、2020年度から2024度を計画期間とし、障がい者福祉計画や食育プランなど「第2期 名取市子ども・子育て支援事業計画」を進めている。

また、「住み続けたい街」(自治体)上位10位のうち、仙台市以外でランクインしているのは紹介した「富谷市」「利府町」「名取市」のほか、9位の「多賀城市」と10位の「宮城郡七ヶ浜町」だ。富谷市、宮城郡利府町、名取市に共通するのは、大規模な商業施設のイオンがあることだ。住宅地が広がり、大規模な商業施設ができて、周辺施設や人の流れが刻々と変わり発展してきた街だが、いずれも、「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10」にランクインしており、子育てのしやすさがイコールファミリーの住みやすさと直結しているのも特筆すべき点だ。

9位の「多賀城市」は、JR仙台駅から仙石線で約20分、車で約30分というアクセスの良さに加え「公共施設の充実(図書館、コミュニティセンター、公民館など)」の評価が高かった。JR仙石線「多賀城」駅前には、2016年にリニューアルオープンした「多賀城市立図書館」、キッズライブラリーや学習スペース、ギャラリー、民間の書店やカフェなども併設している、0歳児から未就学児が親子で遊べる「多賀城市子育てサポートセンターすくっぴーひろば」があり、利用しやすい。

近代的な多賀城市立図書館(画像提供/PIXTA)

近代的な多賀城市立図書館(画像提供/PIXTA)

10位の「七ヶ浜町」は、名前のとおり七つの海に囲まれ、宮城県有数の菖蒲田浜(しょうぶたはま)海水浴場があり、日本三景・松島に面し、町内の「多聞山展望広場公園・毘沙門堂」からは松島を一望できるなど、風光明媚な地でもあり「街の住民がその街のことを好きそう」の魅力項目では、自治体ランキング1位を獲得している。
「運動施設が充実している(フィットネスジム、プール、テニスコートや体育館など)自治体ランキング」では利府町に続き2位にランクインしている。

七ヶ浜町内には入浴施設、アリーナ、トレーニングルーム、フィットネススタジオなどを備えた「七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ」やサッカースタジアム、テニスコート、フットサルコート、野球場、町民プールなどのスポーツ施設が集まり、さまざまなスポーツが楽しめる。

七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ(画像提供/PIXTA)

七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ(画像提供/PIXTA)

また、宮城県は、全国的に見ても「子ども医療費助成事業」が充実している。「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10」の富谷市、利府町、大和町、栗原市、東松島市、岩沼市、七ヶ浜町は、対象年齢が、高校3年生までの子どもで、所得制限なし。仙台市・名取市は所得制限があるものの、中学3年生までを対象とするなど、年齢の上限が高い。

「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で11位の東松島市は、市内に住所をもつ全ての子ども(18歳到達年度末まで)に対して医療費が無料で所得制限を設けていない。ケガや風邪、高熱などで病院にかかるときもこのような医療費の助成があれば安心して病院に行くことができる。「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で5位にランクインしているのも納得の結果だ。

2022年の宮城県の住み続けたい街(駅)と(自治体)のランキングを見てきた。「住みたい街」は、憧れといった側面が強いが、「住み続けたい街」は、実際に住んで満足し、将来にも期待している、リアルな「住み心地の良さ」の証明だ。

実際に住んでみなければ分からない部分にお墨付きをいただいたようなランキングを参考に、「住みたい街」「住み替えたい街」を検討するときのひとつの指針にしてはいかがだろう。

●関連記事
SUUMO住民実感調査2022 宮城県版

災害時の大停電、切り札は「地域マイクログリッド」。電気の地産地消は進むか?

気候変動の影響で、災害が頻繁に発生しているなか、「地域マイクログリッド」が注目されています。これは「既設の送配電ネットワークを活用して電気を調達し、非常時にはネットワークから切り離して電気の自給自足をする柔軟な運用が可能なエネルギーシステム」(資源エネルギー庁「地域マイクログリッド構築のてびき」より)のことで、現在各地域に導入推進をしています。一体どのような仕組みなのか、資源エネルギー庁の担当者にお話を聞きました。

エネルギーは中央集権型から分散型へ

2018年の北海道胆振東部地震や2019年に発生した台風15号の被害により大規模停電被害が発生し、“インフラ断絶“が大きな課題になったことは、多くの人にとって記憶に新しいと思います。これは、エネルギーのシステムが中央集権型システムで、電気が一括供給されていることが原因でした。通常、電力は各地域の大手電力発電所で大量につくられ、そして送電線からその地域の施設や住宅に供給されます。この中央の送電システムが断絶すると、一気に全体のライフラインが絶たれてしまいます。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

そこで着目されたのが、リスク分散が期待できる分散型エネルギー。従来の大規模・集中型エネルギーとは違い、集中型エネルギーを使いつつも、各地域の特徴も踏まえ、小規模かつさまざまな方法や地域からの分散型エネルギーも上手に活用することで、「電力レジリエンス強化」をすることができるのです。「レジリエンス(resilience」とは、「弾力」「回復力」「強靭」といった意味で使われ、防災分野においては、災害発時にその影響を強くしなやかに乗り越え、速やかに回復できる状態を指しています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

分散型エネルギーの好活用「地域マイクログリッド」

さらに分散型エネルギーは、地域のエネルギーをその地域で消費することによる省エネ効果を見込むことも。そのために国が推進しているのが「地域マイクログリッド」です。

「地域マイクログリッドは、平常時は下位系統の潮流を把握し、災害等による大規模停電時には自立して電力を供給できるエネルギーシステムです。平常時は地域の再生可能エネルギーを有効活用しつつ、電力会社などとつながっている送配電ネットワークを通じて電力供給を受けますが、非常時には事故復旧の一手段として送配電ネットワークから切り離され、その地域内の再生可能エネルギー電源をメインに、他の分散型エネルギーと組み合わせて自立的に電力供給可能なシステムです」(担当者)

このモデルは、都市部・郊外・離島では、送配電ネットワークの密集度や非常時に期待される役割がそれぞれ異なるため、対象エリアの特性に合わせ、その仕組みも最適化していきます。

経済産業省 資源エネルギー庁が2021年4月に公表した「地域マイクログリッド 構築のてびき」によると、地域におけるマイクログリッドのシステムモデル例が次のように示されています。

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

このモデル図では、平常時と非常時の電気の流れが異なることを示しています。非常時には大型の発電所との送配電ネットワークを切り離し、再エネ電源等から直接の送電を受けることで、生活復旧に必要最低限の電力が確保できるようになっているのです。

なぜ今マイクログリッドなのか?

なぜ今、マイクログリッドが注目されているのでしょうか? それはマイクログリッドによって「分散型電源」である再生可能エネルギーを効率よく活用できるからです。そもそも、電力はエネルギーの状態で貯めておくことはできない上に、送電の間にその一部が失われる「送電ロス」があります。電力を生み出すところと使うところが離れるほどそのロスは大きく、本来地域で電力を作って地域内で消費する分散型モデルの方が無駄なく使えるのです。近年、太陽光発電など再生可能エネルギーを普及させる取り組みが進み、分散型電源を活用しやすいマイクログリッドというエネルギーシステムが注目を集め始めました。そうしたなか、国は地域マイクログリッドの構築を後押しするために、補助事業も行っています。2018年度と2020年度には、それぞれ10組を超える民間企業や地方自治体などが参画したマスタープランが採択されました。これから徐々に取り入れようとしている企業や団体も増えてきているようです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

地域マイクログリッドでプラン採択された団体は多くありますが、事業完成という実例はまだない状況です。一方で、自営線を活用する事例としては、宮城県大衡村の第二仙台北部中核工業団地にある『F-グリッド』(2015年開始)が挙げられます。

宮城県大衡村の、第二仙台北部中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

宮城県仙台市大衡村の、第二仙台中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

「F-グリッド」が導入された地域内では、日頃から蓄積しているエネルギーをF-グリッド内各工場へのエネルギー供給のみならず、余剰電力は東北電力を通じて近隣の地域防災拠点である大衡村役場などへ供給し、さらにはプラグインハイブリッド車と、充放電システムを拠点に配置をしているため、有事の際にすぐに災害支援活動ができる体制を備えています。

その一方で、「地域マイクログリッド」の構築には技術的にもクリアしなければならない点やビジネスモデルとして収益を確立することに課題点があり、これをクリアすることが普及の鍵となるようです。

あらゆる地域で安定稼働するまで、まだ少し時間がかかりそうですが、地域にこうした安心材料が一つでも増えると、市民にとってはとても嬉しいですね。

また補助事業とは別の制度を利用する形で、マイクログリッドの仕組みを導入している事例もあります。千葉県木更津市にある、広さ30ヘクタールの農場で食や農業体験ができるサステナブルファーム&パーク「クルックフィールズ」では、2021年2月に蓄電池システムを導入しました。「クルックフィールズ」では、2019年9月の台風15号による停電を経験して、長期停電時でも家畜のいる牛舎等への電力の安定供給や、地域住民の避難所として電力供給を自前で行えるようにしたいと思い導入に踏み切ったとのこと。自立したライフラインだけではなく、何かあったときには地域との人たちと助け合える、今後こうした施設は増えていきそうです。

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている。(写真提供/クルックフィールズ)

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている(写真提供/クルックフィールズ)

地域マイクログリッドによる期待と効果とは?

地域マイクログリッドは、対象エリアの分散型エネルギーを活用します。こうした分散型エネルギーの活用によって、災害時や非常時のレジリエンス強化だけではないメリットがあると期待されています。それは環境負荷削減と、エネルギーの高効率での地産地消ということです。地域マイクログリッドに取組むことそのものが地域に新たな産業振興をもたらす可能性もあります。エネルギー課題と街づくりを一体化して取組むことで、地域の活性化につながるかもしれません。
こうした災害や非常時に強い、そして自分たちだけで自立した暮らしを営むことができる街づくりというのは、生活する人としては安心感があり、住みやすいのではないでしょうか。今後住まいを選ぶ一つのキーワードとして、マイクログリッドを取り入れるエリアは、注目ポイントになりそうです!

●取材協力
・資源エネルギー庁
・(株)KURKKU FIELDS

音楽で生きていくため10代で移住。国立音楽院で学び、宮城県加美町が支援

田んぼに囲まれた宮城県加美町の国立音楽院宮城キャンパスで、他地域から移住してきた若者たちが演奏技術、楽器の製作・リペアや音楽療法などを学んでいる。
「好きな音楽を一生の仕事に活かす」を謳う国立音楽院の本校があるのは、話題のカフェが集まる都会、東京都世田谷区三宿エリア。音楽による地方創生を目指す加美町からの提案が、宮城分校のきっかけだった。

音楽資源を見直した町の創生キャンパス周辺に広がる田畑。冬には雪が降り積もり真っ白な光景となる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

キャンパス周辺に広がる田畑。冬には雪が降り積もり真っ白な光景となる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「この町には、もともと暮らしに音楽が馴染んでいました」と教えてくれたのは加美町ひと・しごと推進課 菅原敏之さん。
東北新幹線仙台駅の隣駅の古川駅から車で20分ほどの加美町中心部には、1981年に開設された中新田バッハホールがある。パイプオルガンを備え、国内外から音響の素晴らしさが評価されている本格的クラシック専用ホールだ。市町村合併などの事情で利用が低迷していた時期もあったが、2011年に猪股洋文加美町長が就任し、中新田バッハホールを核とした音楽によるまちづくりに注力。無料コンサートが毎月開催され、小中学校の音楽活動も支えてきた。中新田バッハホールを拠点とする市民オーケストラも創設されている。

「上多田川小学校の廃校決定と合わせて、地域の方に利用の方法を検討していただきました。その中で教育施設としての提案があり、音楽関連の人材育成ができる機関を誘致して再利用する、という計画が作成されたのも自然な流れでした」(菅原さん)

国立音楽院は学校法人ではなく、音楽に関連する技術や資格への学びを提供する、いわば音楽関連職育成スクール。東京にある本校は50年以上の歴史があり、2021年度は360人ほどが学んでいる。
「国立音楽院はミュージシャン向けのカリキュラムも充実していますが、それ以上に楽器製作者や修繕をするリペアラー、育児教育につながる幼児リトミック指導員、介護を担う音楽療法士を育成している点が魅力でした。移住促進策としても、楽器製作者にふさわしい場所提供など必要な支援をイメージしやすく、また、音楽を用いた育児と介護は、住民の住み心地に直結します」(菅原さん)

町の中心部にある中新田バッハホール。加美町の音楽でのまちづくりは、2017年に地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

町の中心部にある中新田バッハホール。加美町の音楽でのまちづくりは、2017年に地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院東京本校。高校生は通信高校と提携して卒業資格を得られる。音楽大学に通いながらのダブルスクール生、社会人学生も多い。宮城キャンパスのほか鳥取県にも分校がある(写真提供/国立音楽院)

国立音楽院東京本校。高校生は通信高校と提携して卒業資格を得られる。音楽大学に通いながらのダブルスクール生、社会人学生も多い。宮城キャンパスのほか鳥取県にも分校がある(写真提供/国立音楽院)

若い移住者を支援する町と学校のセッション

加美町では、地域再生戦略交付金などを活用して旧校舎のリフォームと机などを準備。国立音楽院は加美町に使用料を支払う形で、2017年4月に宮城キャンパスが開校した。

町外からの移住者に対して、加美町では年間6万円(最長5年、30歳未満)の家賃補助を行なっている。希望者にはアルバイト先を紹介していて、「未成年の学生の代わりに、応募電話をすることもあります」(菅原さん)と、加美町の移住支援は親戚同様の温かさ。
その支援を軸に、国立音楽院も東京校以外の選択肢として宮城キャンパスへの移住を提示している。「音楽を学ぶうえで、生活コストが安いのはいいことです。また、当校はもとより不登校の生徒も受け入れています。都会より自然の中での学びの方が合う子どももいますから」(国立音楽院代表 新納智保さん)

学生の住まいは、町中心部の民間アパートを国立音楽院が紹介しているが、2022年度は中古で購入した社員寮を新たに学生寮としてオープンする予定だ。町の中心部からキャンパスまではバスで20分程度。学生は通学バスに加えて上多田川地区と市街地を結ぶ地域バスも利用できるようになっており、地域が学生の受け入れと応援に力を入れていることがわかる。

2021年度の生徒は61名。新型コロナ感染拡大の影響を受けて前年の80名より減少したが、次年度は増加を見込んでいる。
「生徒のうち約半数、29名は全国各地からの移住者です。国立音楽院のスタッフも含めて、町全体では2015年~2020年累計で244人が移住してくれました。人口減少傾向がすぐに増加に転じるわけではありませんが、移住者に10代が多いのは特筆すべき結果です」(菅原さん)

国立音楽院宮城キャンパス。草刈りなどを地元が協力してくれ、敷地内は綺麗に整備されている。学舎としてだけではなく、地域のコミュニティの場でもある(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院宮城キャンパス。草刈りなどを地元が協力してくれ、敷地内は綺麗に整備されている。学舎としてだけではなく、地域のコミュニティの場でもある(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

旧校舎をそのまま活用したキャンパスで伸びやかに学ぶ

旧上多田川小学校の校舎は1998年に建て替えられた。もともと児童数が少なく、複式学級(児童数が少ない学校で取り入れる2つ以上の学年を一つにした学級)を前提にした校舎だったため教室は3つのみだった。「柱、床、壁の状態はよく、ほとんどそのまま利用できました。学年別授業のための間仕切りも有効活用しています」(菅原さん)

エントランスホール。薪ストーブを設置した以外、建具は元の小学校のまま。エントランスホールで開く「月イチライブ」には地元の聴衆が駆けつける(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

エントランスホール。薪ストーブを設置した以外、建具は元の小学校のまま。エントランスホールで開く「月イチライブ」には地元の聴衆が駆けつける(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国家資格であるピアノ調律技能士育成のための教室。防音ブースを置いただけだそう。東京本校には防音ブースがないが、宮城キャンパスでは他からの音に干渉されず繊細な音に没頭できる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国家資格であるピアノ調律技能士育成のための教室。防音ブースを置いただけだそう。東京本校には防音ブースがないが、宮城キャンパスでは他からの音に干渉されず繊細な音に没頭できる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ヴァイオリン製作科ではヴァイオリン、ヴィオラなど擦弦楽器(さつげんがっき)の製作・修理・調整を生徒たちが学んでいる。ヴァイオリン製作を本格的に教える学校は、日本では2校のみとのこと(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ヴァイオリン製作科ではヴァイオリン、ヴィオラなど擦弦楽器(さつげんがっき)の製作・修理・調整を生徒たちが学んでいる。ヴァイオリン製作を本格的に教える学校は、日本では2校のみとのこと(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ギターの製作室。各教室の窓外には豊かな自然が広がっている(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ギターの製作室。各教室の窓外には豊かな自然が広がっている(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

管楽器のリペア室では授業が行われていた。この日はティンパニーが題材。あらゆる楽器をリペアできる人材の育成を目指している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

管楽器のリペア室では授業が行われていた。この日はティンパニーが題材。あらゆる楽器をリペアできる人材の育成を目指している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

音楽を身体で表現し感性や表現力を養う「幼児リトミック」の実習は、宮城キャンパス内や町内外の幼稚園・保育所・カルチャーセンターなどで行われている。福祉関係として、高齢者施設での音楽療法士を育成するコースもある(写真提供/国立音楽院)

音楽を身体で表現し感性や表現力を養う「幼児リトミック」の実習は、宮城キャンパス内や町内外の幼稚園・保育所・カルチャーセンターなどで行われている。福祉関係として、高齢者施設での音楽療法士を育成するコースもある(写真提供/国立音楽院)

スタッフも生徒も音楽演奏が大好き。バンド練習室は元校長室だった(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

スタッフも生徒も音楽演奏が大好き。バンド練習室は元校長室だった(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

21歳移住者「学んだ音楽の力で地域への貢献が実感できます」

北川日香里さん(21歳)は高校卒業後、国立音楽院東京校で管楽器のリペアを2年間学んだのち、2020年に加美町へ移住してきた。
「リペアを学び続けながら働きたいと考えていました。東京校で知った加美町の移住セミナーに参加してみて、地域の人と交流できる環境に興味を持ちました」と北川さん。加美町の地域おこし協力隊隊員に採用され、音楽による地域振興活動と、その活動の一環として宮城キャンパスでのリペア作業に携わる日々を送っている。

「地域おこし協力隊」は、国からの地域振興予算をもとに地域振興を担う人材を3年間登用し、給与を支払う制度。楽器の修理事業を根付かせたいという町の期待に対し、リペアラー修業を続けながら地域貢献を目指す北川さんは打ってつけの人材だった。

コロナ禍で苦戦した場面はあったが、北川さんは全世帯に配布される町内広報誌の作成や、「真夏の畑でライブ」を主催。地元の人から声を掛けられることも多いそう。「親しみを込めて話しかけてくれるのが嬉しいです。ライブ演奏も楽しんでもらえたし、自分の活動で音楽でのまちづくりが広がる実感が持てるのも、加美町の規模だからかも」(北川さん)

北川日香里さんは長崎県五島列島出身。中学校・高校の吹奏楽部時代に楽器修理が島内でできず、輸送費と待ち時間に悩まされたのがリペアラーになったきっかけ。ゆくゆくは地元の長崎で開業するのが夢(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

北川日香里さんは長崎県五島列島出身。中学校・高校の吹奏楽部時代に楽器修理が島内でできず、輸送費と待ち時間に悩まされたのがリペアラーになったきっかけ。ゆくゆくは地元の長崎で開業するのが夢(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「宮城キャンパスでも、東京校と同じレベルの授業を提供しています」と宮城キャンパス長の宮内佳樹さん。「各学科の講師は、専門分野のプロフェッショナルです。東京校講師による出張講義もあり、オンライン授業の仕組みもコロナ禍以前から整備しています。都会では勉強以外の誘惑も多いので、学びに向き合う環境としてはこちらの方がまさっていると思います」(宮内さん)

宮城キャンパス長の宮内さん。さまざまなバンドやライブに参加するギタリストでもある。東京だけが音楽の場ではないと気づき、家族とともに東京から加美町に移住してきた(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

宮城キャンパス長の宮内さん。さまざまなバンドやライブに参加するギタリストでもある。東京だけが音楽の場ではないと気づき、家族とともに東京から加美町に移住してきた(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「住まいのある町の中心地はスーパーもコンビニもあって、生活にはまったく支障がない」と話すのは管楽器リペア科講師の土生啓由さん。土生さんも東京校からの転勤組だ。「楽器店が身近にないのは残念な点です。高級品も含め完全に整備された楽器に触れる機会が少ないですから。ですが、生徒の数が東京校より少ない分、身近に生徒の成長を感じられるのが嬉しいです」

講師の土生さん。仕事に没頭すると昼食を抜くことも多いそうだが、「月に1回程度、地元の方が主宰してくれる交流ランチ会を生徒もスタッフも楽しみにしています。給食室で調理してくれる地元産の野菜が美味しいです」(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

講師の土生さん。仕事に没頭すると昼食を抜くことも多いそうだが、「月に1回程度、地元の方が主宰してくれる交流ランチ会を生徒もスタッフも楽しみにしています。給食室で調理してくれる地元産の野菜が美味しいです」(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院宮城キャンパスで定期的に行われている幼児リトミック教室は、親同士が子育ての悩みを相談できる大事な場。中高年を対象とした「若返りリトミック®」は楽しみながら運動イベントとして好評で、そのほか「地元とのランチ会」「月イチライブ」「クリスマスコンサート」は地域コミュニケーションの活性に繋がっている。

集客が制限されるなどコロナ禍の打撃は大きかったが、国立音楽院宮城キャンパス開校は、音楽による生き生きとした暮らしを実現しつつある。

加美町の菅原さんは、「これからは、卒業後の就労先を増やして移住を定着させていくことを頑張らなければなりません。楽器のリペア事業者の支援や、介護の音楽療法士・幼児リトミック指導員の活躍の場を広げていきたいです」と語る。

国立音楽院宮城キャンパスは2021年度で5年目を迎え、2022年3月で卒業する生徒(3年コース生)は3期生となる。
おうち時間に楽しむ楽器への需要が増え、2021年はショパンコンクールでの日本人上位入賞が話題となった。音楽に関連する仕事への気運が高まるなか、音楽での地域創生もますます期待していきたい。

●取材協力
・加美町
・国立音楽院宮城キャンパス

震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と

全国で大規模な自然災害が増えている。時間と共に関心が薄れてきている震災の記憶を風化させまいと、被災地では伝承施設の建設が相次いでいる。また、震災で失われたものをプラスに活かす取り組みも。各地で進められている「震災の記憶を残し、後世に確実に伝える取り組み」のうち、2020年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した宮城県亘理郡山元町、福島県相馬郡飯舘村、熊本県熊本市の3つの事例を紹介する。
伝承が難しい状況でも震災を風化させない。復興へ向けた取り組み

東日本大震災からもうすぐ10年。震災を振り返るテレビ番組や報道は3月11日前後以外はあまり見なくなった。被災地では、子どもから高齢者までの震災経験者による語り部ガイドツアーは継続しているが、ガイド役の子どもたちが成長して忙しくなったり、高齢化で担い手が減少しつつあったりするという。また、震災を知らない子どもたちも増えた。

一方で、国土交通省が2017年に「震災を風化させないプロジェクト~震災の記録・記録の見える化への取り組み~」を発表し、震災情報の発信、震災遺構・追悼施設等のマップ化、震災メモリアル施設等の整備などに力を入れている。被災地では、震災の事実を伝える施設が続々と計画、誕生している。

被害状況を保存建築物にした「山元町立中浜小学校」

山元町立中浜小学校は、宮城県沿岸部、海から約400mに位置する。2011年3月11日、東日本大震災の大津波で校舎は2階天井近くまで浸水した。避難場所まで歩いて避難することは不可能と判断し、児童と教職員ら90人は、校舎屋上の倉庫で一夜を過ごし、翌朝自衛隊のヘリコプターで全員が無事救助された。

中浜小学校は2013年に内陸の小学校と統合されて閉校、沿岸部の自治体では被災した建築物を保存するか解体するか議論されたが、山元町は宮城県南地域で唯一残る被災建築物である校舎を防災教育施設として保存することを決めた。「大津波の痕跡をできるだけ残したまま整備し、教訓を風化させず、災害に対する備え、意識の大切さを伝承する震災遺構」として、2020年9月から一般公開している。整備を担当した山元町教育委員会生涯学習課の八鍬智浩(やくわ・ともひろ)さんに案内してもらった。

校舎南側の1階は窓がサッシごと失われた。2階は窓枠は残るが、窓枠は歪みガラスが破壊されている(写真撮影/佐藤由紀子)

校舎南側の1階は窓がサッシごと失われた。2階は窓枠は残るが、窓枠は歪みガラスが破壊されている(写真撮影/佐藤由紀子)

学校のシンボル的存在だった時計台は、根元から押し倒され、津波の甚大さを物語っている。校庭だった場所はメモリアル広場として整備され、救助のヘリが着陸した場所の近くには震災モニュメント「3月11日の日時計」が新たにつくられた。

文字盤に埋め込まれてた石は地震発生時刻の14時46分を指している。中央の方位盤には国内外で起きた大規模地震の発生時期と方位や距離が記されている。「東日本大震災だけではなく、繰り返し起きる災害に対してどう構え、どう備えるべきかを広い視点で捉えてほしい」と八鍬さんは話す。

メモリアル広場には、津波の高さと襲来した方角を示す国旗掲揚塔や、「地震があったら津波の用心」と刻まれた明治・昭和三陸地震津波の石碑も置かれている。県道沿いにたくさんあったクロマツのうち唯一残った1本は、周辺の道路工事で伐採される予定だったものを移植して残した。

校舎の児童玄関は窓枠ごと流され、下駄箱も流されていた。本来外側に開く教職員用の玄関の扉が内側に開いているのは、津波の引き波によるもの。それでも、校舎の西側に体育館があり、引き波の威力が弱められたという。盾となった体育館は引き波から校舎を守り、現在は取り壊されている。

校舎入口に建つ学校のシンボルだった時計台は津波で根元から倒され、そのまま残されている(写真提供/山元町教育委員会)

校舎入口に建つ学校のシンボルだった時計台は津波で根元から倒され、そのまま残されている(写真提供/山元町教育委員会)

震災の翌朝、自衛隊のヘリコプターが着陸した位置の近くに設けられた「日時計の丘」。3月11日に誤差なく時間を示すようにつくられているほか、さまざまな工夫が施されている(写真提供/山元町教育委員会)

震災の翌朝、自衛隊のヘリコプターが着陸した位置の近くに設けられた「日時計の丘」。3月11日に誤差なく時間を示すようにつくられているほか、さまざまな工夫が施されている(写真提供/山元町教育委員会)

「校舎1階は、被災したままの状態を保存し、津波の甚大さを知ってもらうための場所として整備しています。被災した状態の校舎の中をそのまま保存し見学できるようにすることは、本来、建物が守るべき建築基準法とは相反します。津波の被害状況をなるべくそのまま見てもらいたい、体感してもらいたいという思いがあり、山元町では新たに条例を制定したうえで、建築基準法の適用を除外する手続きをとりました。天井から落ちてきそうな部材や配管類はワイヤーや接着剤で固定したり、倒れ掛かっている壁は裏から鉄骨で支えるなど、安全に維持・見学するために必要な補修、保存手法を目立たないように施しています」(八鍬さん)

1階の多目的ホールのモニュメントは、津波により押し倒されている。曲がった机や椅子が積み重なり、防潮林だったクロマツが校舎内に流れついている(写真撮影/佐藤由紀子)

1階の多目的ホールのモニュメントは、津波により押し倒されている。曲がった机や椅子が積み重なり、防潮林だったクロマツが校舎内に流れついている(写真撮影/佐藤由紀子)

中庭に面した窓ガラスはほとんどが破壊されたが2階の窓ガラスやステンドグラスは一部が残っている(写真撮影/佐藤由紀子)

中庭に面した窓ガラスはほとんどが破壊されたが2階の窓ガラスやステンドグラスは一部が残っている(写真撮影/佐藤由紀子)

校舎の窓ガラスは破壊され、天井などは大きくはがれ落ち、配管類がむき出しになっている。窓枠のサッシはめくれ上がり、津波で運ばれた大量の瓦礫や木などが積み重なっている。遺構のさまざまな被害状況から、津波の威力や高さ、方向などをうかがい知ることができる。

教室と仕切りで区切られたワークスペース(廊下)も天井が剥がれ落ちている。木の床板は雨風が吹き込んで徐々に反り、剥がれていった(写真提供/山元町教育委員会)

教室と仕切りで区切られたワークスペース(廊下)も天井が剥がれ落ちている。木の床板は雨風が吹き込んで徐々に反り、剥がれていった(写真提供/山元町教育委員会)

柱に巻き付いている鉄骨は学校にあったものではなく、どこからか流されてきたもの。津波はいろいろなものを巻き込んで襲ってきた(写真撮影/佐藤由紀子)

柱に巻き付いている鉄骨は学校にあったものではなく、どこからか流されてきたもの。津波はいろいろなものを巻き込んで襲ってきた(写真撮影/佐藤由紀子)

90人が寒さと余震に耐え、いつくるか分からない救助を待ち続けた屋上倉庫。震災当時のまま残され、その状況を見学できる(写真提供/山元町教育委員会)

90人が寒さと余震に耐え、いつくるか分からない救助を待ち続けた屋上倉庫。震災当時のまま残され、その状況を見学できる(写真提供/山元町教育委員会)

90人が一夜を過ごした屋上の倉庫へは、狭く急な階段を昇る。明かりのないこの倉庫は、学習発表会の衣装や模造紙に書かれた絵などが当時のまま残されている。食べ物も飲み物もなく、氷点下の外気温の中、屋上倉庫の中にあるもので寒さをしのぎ、余震の恐怖に耐えながら一夜を過ごした。

災害を自分のこととして考える校舎の壁に見える青いプレートの高さまで津波が達した。津波が押し寄せて水没した校舎は「まるで船になって海に漕ぎ出したような感覚」だったという(写真提供/山元町教育委員会)

校舎の壁に見える青いプレートの高さまで津波が達した。津波が押し寄せて水没した校舎は「まるで船になって海に漕ぎ出したような感覚」だったという(写真提供/山元町教育委員会)

体育館により引き波から守られたことで被害が比較的少なかった2階の旧音楽室は当時の状況を色濃く残したまま映像室に改修され、当時の様子などを教職員や保護者のリアルな声と共に知ることができる。震災前は集落が見えていた旧音楽室の窓からは、黄色いハンカチが風にたなびくのが見える。被災地に対する支援への感謝や、全国から寄せられた復興を願うメッセージなどがハンカチに書かれている。地元で伝承活動を続ける「やまもと語りべの会」によるプロジェクトのひとつだ。

2階の旧図書室は展示室として改修され、ジオラマ、ドキュメントパネル、震災前の映像などを見ることができる。震災前の街並みを再現した模型は、地域住民らとのワークショップを通じて製作された「記憶をカタチに残す」取り組みだ。また、震災前の中浜小学校の模型は、縁が津波の高さに合わせてつくられており、同じ高さの視線で覗き込むといろいろなことが見えてくる。

「この震災遺構は、津波の被害状況や甚大さを知ってもらうだけではなく、災害を『自分のこと』として捉えることが大事だと考えて整備しました。例えば、展示物もただ模型を見るだけではなく、『津波はどの方向から襲ってきたのだろう』『たった一日で日常生活が変わってしまうのはどんな気持ちになるだろう』など問いかけのカードを多く用意しており、その問いかけを通じて、見学者自身にもし自分の生活環境で災害が起きたらどうするかについて考えさせるためのさまざまな工夫しています」と八鍬さんが話すように、答えを与えるのではなく、見て、考えて、想像できるような展示内容になっている。

震災前の町を再現したジオラマは住民も参加して製作され、地域住民の記憶回帰の場にもなっている(写真撮影/佐藤由紀子)

震災前の町を再現したジオラマは住民も参加して製作され、地域住民の記憶回帰の場にもなっている(写真撮影/佐藤由紀子)

児童ら90人の命が無事に守られたことには「事前の備え」がいくつもある。中浜小学校は震災前から津波や高潮の危険性があったことから、1989年の建て替え時に敷地全体が2m程度かさ上げされた。そのため、屋上は津波の被害を逃れた。また、地域住民が学校が開いていない時間帯でも校舎2階まで避難できるように設けられた3つの外階段のひとつが翌朝に脱出ルートとして利用できた。

「学校が海に近いため、先生方は津波の浸水域であるという危機感を常に持っていて、震災当日の2日前の3月9日に発生した津波注意報の発表を伴う地震(このとき山元町では津波は観測されていなかった)を受け、津波が発生した場合の防災・避難行動をしっかりと考え直しています。いろいろな偶然や幸運が重なりましたが、事前に避難マニュアルを確認し、児童には災害に対する意識の大切さを促していたので、パニックにならず落ち着いて行動ができました」(八鍬さん)

児童の心のケア、転入・転出の手続き、年度末の会計処理、支援物資の分配など、学校再開に向けた多岐にわたる取り組みを整理するため模造紙に書かれたマインドマップ。仕事や勉強などさまざまなものに応用できるという(写真撮影/佐藤由紀子)

児童の心のケア、転入・転出の手続き、年度末の会計処理、支援物資の分配など、学校再開に向けた多岐にわたる取り組みを整理するため模造紙に書かれたマインドマップ。仕事や勉強などさまざまなものに応用できるという(写真撮影/佐藤由紀子)

震災遺構として2020年9月に中浜小学校が公開され、約2カ月で来訪者は8000人を超えた。修学旅行の小・中学生も多く訪れており、展示室のノートには「津波の破壊力にびっくりした」「こんな災害が二度と起こらないように願う」「深く考えさせられ、多くの学びを得られる場所だった」などの感想が綴られている。

震災遺構中浜小学校は、被災したままの状態での公開を法的に可能とした手法や、住民らとの意見交換を重ねて整備したプロセス、時の流れを感じながら震災について考える日時計モニュメントなどによる統合的なデザインが評価され、「震災の脅威を示すにとどまらない学びの場を提供しており、柔軟な発想が出来上がった空間の質を格段に高めている。この種の施設を整備する際の、ひとつのモデルを提示したプロジェクトである」として、グッドデザイン・ベスト100のほか、特別賞に該当するグッドフォーカス賞(防災・復興デザイン)も受賞した。

福島県のログハウス型仮設住宅を再利用した「大師堂住宅団地」2020年度グッドデザイン賞を受賞した福島県相馬郡飯舘村の「大師堂住宅団地」(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

2020年度グッドデザイン賞を受賞した福島県相馬郡飯舘村の「大師堂住宅団地」(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

次に紹介するのは、仮設住宅にまつわる取り組み。

2011年、福島県は応急仮設住宅を、通常のプレハブ建築ではなく、木造住宅で約6000戸以上を建設・供給した。(過去記事)仮設住宅は一定期間を過ぎると役割を終えるが、撤去されると同時に大量のゴミが発生し、処分費用もかかる。そこで、福島県は資源を有効活用しようと2016年に応急仮設住宅の再利用を呼び掛けた。

「大師堂住宅団地」が生まれた背景を福島県飯舘村建設管理係に聞いた。「2017年3月に、福島県第1原発事故で全村が計画的避難区域指定が、一部を除いて解除されました。そこで、避難していた住民が戻ってきて住めるように災害公営住宅を新築したり、もともとの公営住宅を改修・改善して整備していましたが、当時、仮設住宅に住める期間終了が当時迫っていて、年内に住宅を供給するために工期を短縮する必要がありました。

そこで、福島県が提案する『仮設住宅の移築・再利用事業』とも相まって、県内で使われていたログハウス型の仮設住宅を移築・再利用しようという流れになりました。

そして、仮設住宅を解体・廃棄処分ではなく恒久住宅とし、一時的な仮設住宅を恒久住宅として再構築したのが『大師堂住宅団地』です。仮設住宅が集会所などに再利用された話は聞いていましたが、災害公営住宅に変わったのは福島県で初めてでした」

建築・設計は、福島県から委託された設計事務所「はりゅうウッドスタジオ」と打ち合わせて進めた。躯体、間取りの壁の位置などはそのまま、屋根や外壁、基礎外周部に断熱材を補強して断熱・気密性を高め、冬は床下のエアコンひとつで暖かく、夏は涼しく過ごせるようにした。外壁に鉄板サイディングを施し、屋根、サッシ、設備などは一新。また、南側を広くし、軒下に外部デッキ・軒下空間を加えて外とつながり、交流する場を設けた。

16戸の仮設住宅の間取りを広げて12戸として再利用した(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

16戸の仮設住宅の間取りを広げて12戸として再利用した(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

内部は木の温かみ、ぬくもりを活かしログ材を極力そのまま見せるデザインにした。「ログ材は積み上げた後に丸太の重量と収縮で下がる現象があるため、断熱材の連続と気密を連続させることが難しかった」と話す(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

内部は木の温かみ、ぬくもりを活かしログ材を極力そのまま見せるデザインにした。「ログ材は積み上げた後に丸太の重量と収縮で下がる現象があるため、断熱材の連続と気密を連続させることが難しかった」と話す(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

県産の木を使い、地元の工務店の職人が建てた、地域の財産ともいえるログハウス型仮設住宅に新しい可能性を示した「大師堂住宅団地」は、緻密で丁寧な設計と同時に、資材の循環という地球環境にやさしい社会的な意義が評価された。

被災した特別史跡の復旧工事を公開する新たな手法「熊本城特別見学通路」「熊本城特別見学通路」。やわらかな弧を描く通路は全長350m、高低差21m(画像提供/益永研司写真事務所)

「熊本城特別見学通路」。やわらかな弧を描く通路は全長350m、高低差21m(画像提供/益永研司写真事務所)

最後に紹介するのは、2016年4月の熊本地震により甚大な被害を受け、石垣が崩れ、復旧工事に約20年が必要になった熊本城の事例。

「一般的に復旧工事はクローズで行われますが、熊本市の観光のメインで市民のシンボルに20年も入れないことは観光経済に大きな打撃です。そこで、発想を転換して開かれた工事にしようと、被災した城内に入り復旧する過程を安全、間近に見られる観光資源をつくり出すことを熊本市に提案し、実現にいたりました」と話すのは、日本設計のアーキテクト、塚川譲さん。

国の特別史跡内に建築をつくって見学通路を設ける、という初の試みだが、厳しい条件が重なった。「地震などが起きれば石垣が崩落する危険がある。復旧中の現場に新築の建物をつくるという通常では考えられないプロセスを進める必要がありました。また、熊本城の敷地は文化財保護法で定められた特別史跡で、掘ったり削ったりができないため、地中に杭を打つことができず、コンクリートの塊を置いた基礎としました。文化財に配慮しながら建物を支える建築手法をとりました」

見学ルートとなる空中歩廊。基礎を置ける範囲が制限されるため、石垣を飛び越える約50mのロングスパンアーチ構造を採用した(画像提供/益永研司写真事務所)

見学ルートとなる空中歩廊。基礎を置ける範囲が制限されるため、石垣を飛び越える約50mのロングスパンアーチ構造を採用した(画像提供/益永研司写真事務所)

来場者の視線、熊本城の景観に配慮して構造躯体はできるだけ小さく見せるよう工夫。生い茂る木々や植物と一体になった熊本城の景観が楽しめる(画像提供/益永研司写真事務所)

来場者の視線、熊本城の景観に配慮して構造躯体はできるだけ小さく見せるよう工夫。生い茂る木々や植物と一体になった熊本城の景観が楽しめる(画像提供/益永研司写真事務所)

2019年10月から特別公開第1弾を開始。2020年6月に第2弾として見学通路が開通した。コロナ禍の影響もあったが、10月下旬には見学者が10万人を突破した。「近くで見ることができてうれしかった」「まだ震災の傷跡が残っていることに悲しみや驚きを感じた」などの感想が届いているという。以前は地面から熊本城を見ていたが、地上6mから見られるのも新鮮で、緑豊かな城内では行くたびに違った景色を見ることができる。

「通常であれば新築の建物を建てることが許されない場所に建物を建てているため、20年間のみの公開で、その後は解体するということで文化庁の許可を受けています。前例のない試みの建築が、今回初めて実現したことで、文化財と建築の在り方が大きく見直されたのではないかと思います。入れない場所に安全に入って修復過程を見学するといった手法は、震災遺構の見学でも応用できる可能性があると、建築の有識者から評価をいただきました」(塚川さん)。「熊本城特別見学通路」は、安全性、機能性とあわせて美しいデザインも高く評価されている。

2020年度グッドデザイン賞を受賞した3つの事例に共通するのはリアルに災害を肌で感じ、広い視点で考え、「学ぶ」「生かす」「考える」機会を与えているという点だ。地域の復興にも役立ち、未来の災害への備え、対応を強く訴えかける。

前例がない特殊な状況や環境だらけだった「震災を伝える取り組み」はまだ始まったばかりだが、未来に生きるすべての人のために、これからも進化させながら100年、200年先まで伝え続けていく必要がある。

●取材協力
震災遺構中浜小学校の一般公開について
熊本城
●グッドデザイン賞
震災遺構 [山元町震災遺構中浜小学校]
住宅団地 [大師堂住宅団地]
建築 [熊本城特別見学通路]

東日本大震災の“復興は宮城県最遅”。2年でにぎわい生んだ閖上の軌跡

宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、東日本大震災で甚大な被害を受けたなかで、復興のスタートが遅れた地域。けれども、2018年以降、新しい公共施設、公園が完成し、商業施設「かわまちてらす閖上」がオープン。震災前とは違ったにぎわいが生まれている。住民や応援する人たちが、行政や専門家と協働して粘り強く検討し取り組んできた閖上地区のまちづくりについて話を聞いた。
2018年から復興が加速し2019年5月にまちびらき

仙台市の南に隣接する宮城県名取市の閖上地区は名取川市河口にある港町。東日本大震災前は約5700人、2100世帯が暮らしていたが、東日本大震災の大津波で700人以上の尊い命を失った。近くに高台が少なく、沿岸部の平野に住宅が密集していたため、多くの家や建物が流され広範囲で更地となった。ゼロからつくりなおすような、まちづくり。被害が甚大で、内陸・高台への移転か、現地で再建するか住民の意見がまとまらなかったり、区画整理に時間がかかり3、4年が過ぎ、復興のスピードは宮城県で最も遅いと言われた。

2019年に完成した、名取市震災メモリアル公園の祈りの広場の東日本大震災慰霊碑。空に伸びる「芽生えの塔」の高さは、閖上の津波の高さと同じ8.4メートル(「豊穣の大地」の高さを含む)(撮影/佐藤由紀子)

2019年に完成した、名取市震災メモリアル公園の祈りの広場の東日本大震災慰霊碑。空に伸びる「芽生えの塔」の高さは、閖上の津波の高さと同じ8.4メートル(「豊穣の大地」の高さを含む)(撮影/佐藤由紀子)

2020年3月11日に近い週末、閖上地区を訪ねた。

閖上地区は2018年(平成30年)4月、名取市初の小中一貫教育校の閖上小中学校が開校し、12月に災害公営住宅全655戸が完成。2019年(平成31年)春には名取トレイルセンター、閖上公民館・体育館、中央公園、中央緑道が完成。5月には閖上地区のまちびらきが行われた。

まだ更地や工事中の道路などもあるが、見通しが良く、新しい学校、新しい住宅や新しい施設が目につく。

移転・新築した閖上公民館は約150人収容可能。和室研修室、図書コーナー、じゅうたんを敷いたホールなどがあり、閖上体育館を併設している(撮影/佐藤由紀子)

移転・新築した閖上公民館は約150人収容可能。和室研修室、図書コーナー、じゅうたんを敷いたホールなどがあり、閖上体育館を併設している(撮影/佐藤由紀子)

閖上公民館の南に広がる広場が中央公園。隣接する中央緑道は、市街地を東西に走り、水辺へと通じ閖上小中学校への通学路としても利用されている(撮影/佐藤由紀子)

閖上公民館の南に広がる広場が中央公園。隣接する中央緑道は、市街地を東西に走り、水辺へと通じ閖上小中学校への通学路としても利用されている(撮影/佐藤由紀子)

震災前のイメージを一新、水辺と一体となった魅力ある商業施設

特ににぎわっているのが、閖上公民館の北、名取川沿いにある「かわまちてらす閖上」だ。国の「かわまちづくり計画」と連携して名取市が進める「閖上地区まちなか再生計画区域」の「にぎわい拠点(かわまちづくり地区内)」エリアに2019年4月にオープンした共同商業施設だ。

閖上名物の赤貝、国内北限のしらす、サバなど採れたての新鮮な魚介、地元で加工した笹かまぼこ、宮城県産の食材を使ったカレーやスイーツなど、あわせて26店舗が集まる。集いや飲食の場としてフードコートやにぎわい広場があり、屋外に椅子とテーブルが置かれ、外で食事もできる。

南側駐車場からすぐの「かわまちてらす閖上」。昼食どきとあって、店内から人があふれ、順番を待つ人の姿もあった(撮影/佐藤由紀子)

南側駐車場からすぐの「かわまちてらす閖上」。昼食どきとあって、店内から人があふれ、順番を待つ人の姿もあった(撮影/佐藤由紀子)

このように河口の堤防に建物が位置する商業施設は全国でも珍しいそうだ。閖上地区は、江戸時代から名取川や貞山運河を使って仙台城下に物資を運び、舟運事業の町として発展した街で、川沿いに商店があったという。
「名取市のまちづくり計画(閖上地区まちなか再生計画)の中で、ここににぎわいの拠点をつくろうということで、仙台市・名取市を支援していた私たちに声がかかりました」と話すのは、「かわまちてらす閖上」を運営する株式会社かわまちてらす閖上・常務取締役の松野水緒さん。

震災の翌年の2012年10月、「閖上地区まちなか再生計画」が策定され、閖上らしい商業地区整備の方針を検討するために「閖上地区商業エリア復興協議会」が設立された。そこに出店予定事業者等が加わり「にぎわいエリア検討部会」を設立。「閖上地区まちづくり会社設立準備会」を経て、2017年にまちづくり会社「かわまちてらす閖上」が設立された。

「いろいろなプランがありましたが、何度も話し合いを重ねて、河川堤防と一体となった閖上らしい場所に集まって拠点をつくることになりました。会社にしたのは、地域への貢献という任務も含め、行政ではなく完全に民間主体で運営したいと思ったから。自立して運営していかなければ発展はないと思ったからです」と話す。

株式会社かわまちてらす閖上の常務取締役・松野水緒さん。かわまちてらす閖上の「ももや」、ゆり唐揚げ「tobiume」を出店する株式会社飛梅の代表取締役でもある(撮影/佐藤由紀子)

株式会社かわまちてらす閖上の常務取締役・松野水緒さん。かわまちてらす閖上の「ももや」、ゆり唐揚げ「tobiume」を出店する株式会社飛梅の代表取締役でもある(撮影/佐藤由紀子)

株式会社かわまちてらす閖上を構成するのは、三分の一がもとからの閖上の住民で、三分の二は閖上出身以外(宮城県民と震災後福島県から宮城県に移住した方)で、閖上を応援しようという志を共通でもつ。土曜・日曜の天気がいい日は観光客を含め1日約1500人、イベント開催時は1日約5000人が訪れる。子ども連れや愛犬を連れた家族、カップルが多い。「ここに来るのが楽しみ」と、毎日通う地元住民もいて触れ合いの場になっているそう。川辺の憩いのテラスになるように、まちを“照らす”ようにとの思いを込めて名づけた「てらす」が、閖上地区ににぎわいを提供し始めている。

2つで500円(税込)の特別セール品の海鮮丼を購入し、味噌汁などを注文してフードコートで食べた。新鮮で美味しい地元産の魚介、この値段でこの満足感(撮影/佐藤由紀子)

2つで500円(税込)の特別セール品の海鮮丼を購入し、味噌汁などを注文してフードコートで食べた。新鮮で美味しい地元産の魚介、この値段でこの満足感(撮影/佐藤由紀子)

「会社の設立前から4,5年かけて計画を立てました。行政ができることも限られていて、途中で担当の変更もあり、みんなで試行錯誤しながらいろいろな問題を乗り越え、ようやくオープンしましたが、またたくさんの問題が出てきました。それでも、やはり商売人なので、目の前にお客様がいる環境ができたことが大切で、これ以上のものはない」と、松野さん。閖上の味、おしゃれなカフェ、目の前に広がる水辺の景色が自慢だ。

オープンして約1年、どのような変化があったのか。「オープン前は、震災前の閖上のイメージで期待値が低かった部分もありましたが、ふたを開けてみたら次から次とお客さんが訪れてくれる場所になって、最初はびっくりしました。オープンからしばらくは手が回らないほどの忙しさで、たくさんの方が応援、支持してくださっていることを本当にうれしく思います」(松野さん)。

震災から9年が経過し、3月末には「復興達成宣言」が行われ、ハード面の復興事業はひと区切りを迎える予定だ。「自分は支援させていただく側、支援していただく側の両方の立場になりますが、支援していただいて当然と思わないようにしています。今年度いっぱいで行政の支援が切れた後に続けていけるのか。オープンしたときに話題になっても、にぎわいが継続し、自立できなければ意味がない。100万都市の仙台の隣でアクセスもいいので、地の利を活かして自立可能なまちづくりをしていかなければならないと思います」と、松野さんは今後に向けて気を引き締める。

住民の声を本当に活かすための住民主体のまちづくり組織を設立

名取市閖上地区のまちづくりを進める核となったのが、住民主体の「閖上地区まちづくり協議会」だ。震災後は名取市(行政)が「まちづくり推進協議会」を立ち上げ、委員を集めて土地利用や公共施設について協議していた。しかし、行政が選んだ委員だけでは、住民の声が活かせないのではないかという課題感から「まちづくり推進協議会」はいったん解散。2014年5月に住民主体の組織「閖上地区まちづくり協議会」を設立した。

会の規約を決め、「どんな閖上にするか」というまちづくりのテーマを決め、週1回、18時半から2時間以上に渡る会議「世話役会」を開催。閖上で計画されていたハード面、公民館、公園、道路、学校、商業施設の位置などを話し合った。その「世話役会」は180回以上開催され、議事録をホームページで公開。ほとんどの施設ができた現在も、世話役会は月2回行われている。

閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。生まれも育ちも宮城県だが、閖上地区に住むようになったのは社会人になってから(撮影/佐藤由紀子)

閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。生まれも育ちも宮城県だが、閖上地区に住むようになったのは社会人になってから(撮影/佐藤由紀子)

世話役会は、住民だけでなく、行政の担当者、コンサルティング会社、仙台高等専門学校の教授・学生らによる専門家も一堂に会した。「普通は、まず住民だけで話し合い、まとめた内容を行政に提案書として提出して、却下されて意見が通らないという話を聞きます。閖上は他の被災地に比べて復興が遅れたので、遅れを取り戻すために、住民も行政も専門家もみんなで話をして一緒に決めていきました。そこで決まったことを、まちづくり協議会が提案書として行政に出すと、8~9割がスムーズに通り、徐々に遅れを取り戻していくことができました」と、閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。

「住民と自治体と専門家で一緒に協議を行うのは結論が早く、設立後2年後には災害復興住宅第一弾の完成もあって、復興が一気に進みました。行政には、できないことはできないとその場で言ってほしいとお願いしました。できる・できない・分からない、できないなら理由を教えてほしい、分からないなら調べてくださいと要望しました。住民はまちづくりの素人なので、コンサルタント会社、事務局が行政との間に入って話を整理したり、分かりやすく話してくれました」。

また、閖上地区まちづくり協議会は、周りの被災地域のまちづくりを視察し、いいところを採り入れた。また、仮設集会所などに足を運んで話し合う「移動会議キャラバン」や、提案箱やアンケートを行い、情報網を広げて住民の意見や声を吸い上げた。足を使って汗をかくことで世話役が増えたのも収穫だった。

ハード面が整い、これからは自立して住民が参加してつくるまちへ閖上まちびらきは地区内9つの会場で行われ、メイン会場、閖上公民館前広場でのステージ、開会式では希望を込めて青空にバルーンを飛ばした(画像提供/閖上地区まちづくり協議会)

閖上まちびらきは地区内9つの会場で行われ、メイン会場、閖上公民館前広場でのステージ、開会式では希望を込めて青空にバルーンを飛ばした(画像提供/閖上地区まちづくり協議会)

2019年5月の閖上まちびらきは名取市を主体に、約1年前から準備を行った。どんな催し物をしたいか、一般公募したアイディアをメインにイベントを開催し、2万人もの人が訪れた。施設や道路が整い、まちの顔となる商業施設が誕生し、2020年度はスーパーイトーチェーンの開業や、天然温泉浴場を備えたサイクルスポーツセンターの開業などが予定されている。

開校した閖上小中学校には転入する生徒が増え、かさ上げにより再建した市有地や建売住宅を売り出すと、市内外からの応募が殺到し、新しい住民が増え始めている。

「まちびらきは行政、住民、商売する人、商工会議所、自治会、学校など、みんなで考え、みんなで企画して実行しつくり上げました。まちづくり協議会では、閖上を良くしていく“TEAM閖上”をつくりたい、と話をしています。ハード的なものはだんだん整ってきたので、住民のコミュニケーションを深めて、自治活動を充実させていければ。そして、震災のときに支えたもらった方々にありがとう、ここまで来ましたというのを見てもらいたい」と針生さん。まちづくり協議会の取り組みはこれからも続く。

被害が大きく、被災した住民が多かった分、復興の大方針に合意するのに時間がかかった閖上地区は、住民主体の組織を立ち上げ、「住民・行政・専門家」が三位一体で話し合いを進めることで、課題に対し、スピードアップして結論を出していくことができた。かわまちてらす閖上、閖上まちづくり協議会ともに、行政だけに頼らない姿勢も奏功したのだろう。共通していたのは「何もしてくれない」といった他力本願な考えではなく「自ら取り組む」大切さ。未来のため、それは自分のためにも、自ら意識を変えていく必要があると感じた。

●取材協力
かわまちてらす閖上
閖上まちづくり協議会

一般社団法人仙台ママナビ、大手デベ4社とママ向けイベント

(一社)仙台ママナビ(宮城県仙台市)は、異なる3つの新築分譲マンションのモデルルームが1度に内覧できるイベント「笑顔で暮らしたいママのフェスタ in 青葉区」を、5月31日(金)と6月20日(木)、仙台市で開催する。今回見学できるのは、「ザ・パ ークハウス 仙台通町」(地下鉄南北線「北四番丁」駅徒歩9分、地上9階建・総戸数75戸)、「グランドメゾン勾当台通ザ・タワー」(地下鉄南北線「北四番丁」駅徒歩8分、地上24階建・総戸数92戸)、「ノブレス北仙台」(地下鉄南北線「北仙台」駅徒歩5分、地上14階建・総戸数50戸)のモデルルーム。1回約60分の団体ツアー形式で、販売員による接客もないため、気軽に見学できるイベントとして注目されている。

イベントには、積水ハウス(株)、三菱地所レジデンス(株)、ナイス(株)および東北ミサワホーム(株)といった大手デベロッパー4社が協力。現在、青葉区都心部では新築分譲マンションの供給が集中している。エリア内の複数物件の回遊を促し、平日の有閑モデルルームを活用することで、ママと素敵な住まいとの出会いの場を提供する。

当日は「プロ直伝!子育てママの家選びメソッド」「KO-Iスキルは親子の自己肯定感を育む」といったスペシャル講座や、占い・ワークショップ、多肉植物販売などの出展ブースもある。

会場は「フォレスト仙台」(地下鉄南北線「北四番丁」駅より徒歩約7分)。入退場は自由で参加費無料。9時半から12時半を予定している。

ニュース情報元:(一社)仙台ママナビ

一般社団法人仙台ママナビ、大手デベ3社とママ向け合同イベント開催

ママ支援事業を行う(一社)仙台ママナビ(宮城県仙台市)は、異なる2つの新築分譲マンションのモデルルームが1度に内覧できるイベント「笑顔で暮らしたいママのフェスタ in 長町」を、2月25日(月)、仙台市で開催する。今回見学できるのは「パークタワーあすと長町」(JR「長町」駅徒歩2分、地上28階・総戸数468戸)と「プレシスあすと長町 エクレール」(JR「長町」駅徒歩4分、地上15階・総戸数139戸)のモデルルーム。通常なら1物件に長時間かけて回るモデルルームの内覧が、1度に複数、1回約30分(団体ツアー形式)、接客もなく気軽に見学できるイベントとして注目されている。

イベントには、三井不動産レジデンシャル、伊藤忠都市開発、一建設といった大手デベロッパー3社も協力。現在、仙台市青葉区内では都心部に新築分譲マンションの供給が集中している。そのような中、副都心である「あすと長町」エリア内の新築分譲マンションを連携し、改めて同エリア内のマーケットを活性化する取り組みとして企画された。また、平日の有閑モデルルームを活用し、ママと素敵な住まいとの出会いの場を提供していく。

当日は「子育てに適した街の条件とは?(仮)」「プロ直伝!子育てママの家選びメソッド」など、子育てに関するセミナーやお役立ちミニ講座を随時開催。片づけのポイントなどが学べるブースもある。

会場は「あすと長町デンタルクリニック2階」(JR「長町」駅より徒歩2分)。入退場は自由で参加費無料。10時から14時を予定している。

ニュース情報元:(一社)仙台ママナビ

仙台市「泉パークタウン」で社会課題解決型まちづくり

三菱地所(株)、パナソニック(株)、パナソニック ホームズ(株)、関電不動産開発(株)は、「泉パークタウン」(宮城県仙台市)に位置する第6住区東工区の住宅地開発における事業協定を締結した。三菱地所、パナソニック ホームズ、関電不動産開発の3社による共同開発方式を採用し、同事業に着手する。「泉パークタウン」は仙台市泉区で1974年にまちびらきをしたニュータウン。三菱地所グループが40年以上にわたり居住者や仙台市とともにまちづくりを進めている。

今回、三菱地所が行ってきたまちづくりに加え、パナソニックグループが保有するエネルギー・セキュリティ・モビリティ等の先進技術や、戸建住宅事業で培った住まいづくり、サスティナブル・スマートタウンのノウハウに加え、関電不動産開発のまちづくりノウハウを掛け合わせ、サスティナブル&スマートなくらしを具体化した社会課題解決型まちづくりを目指す。

開発面積は481,194m2(145,561坪)。一戸建用宅地を721区画開発する。工期は2018年11月28日~2021年12月下旬の予定。2022年のまちびらきに向け、様々な企業・団体との共同研究も積極的に展開し、幅広い視点から新しい技術・発想を取り入れていくという。

ニュース情報元:三菱地所(株)