「下関って何にもない、ダサい」我が子のひと言に奮起。空き家再生で駅前ににぎわいを 山口県・上原不動産

山口県下関市にある上原不動産は、下関市で賃貸住宅の仲介・管理業務などを主に行っている不動産会社です。住宅を確保することが難しい人たちへの支援を、1982年の会社設立当初から行ってきました。
代表の長女であり、上原不動産の常務取締役である橋本千嘉子さんは、地元を元気にしたい、離れていく若者たちが戻ってきたいと思うような街にしたいと、空き家再生事業「ARCH」を立ち上げ、街づくりや再生にも力を入れています。そこで今回は橋本さんの「下関の街の再生」にかける想いや、活動について、話を聞きます。

きっかけは子どもの何気ないひと言。街の再生に目を向けるように

山口県下関市にある上原不動産は、下関駅前を中心に、高齢者、障がいのある人、低所得者、外国人やひとり親世帯など、住まい探しに困難を抱える人たちに寄り添い、居住支援を積極的に行っている不動産会社です。
代表の長女である橋本千嘉子さんは、会社の仕事として居住支援や賃貸仲介・管理業務を行う傍ら、自身が20年以上不動産を管理・運用するオーナーでもあり、現在、個人で所有する物件は、60部屋ほどに上ります。

「古い建物を活かして利活用していくことで収益を上げていくことに興味がありました。空室だらけのアパートを購入し、リノベーションして満室にしていくことが私のライフワークだったんです」(橋本さん、以下同)

個人でも約60部屋の物件を所有している橋本さん(右)。空室の物件をリノベーションをして満室にするところから街の空き家再生に乗り出すようになった(画像提供/ARCH)

個人でも約60部屋の物件を所有している橋本さん(右)。空室の物件をリノベーションをして満室にするところから街の空き家再生に乗り出すようになった(画像提供/ARCH)

橋本さんは「物件の再生」というスキルが身につくにつれ、空き家活用やリノベーションに興味を持つようになっていったといいます。さらに、自分が所有する建物だけでなく「街づくり」にも目が向くように。そのきっかけは、5児の母でもある橋本さんが、中学2年生の子どもから言われた「下関って何にもない、ダサい」という言葉でした。

「本当にそのとおりだな、って反論できませんでした。それで子どもたちがこれから先もこの街で育っていくために、どうやったら住みやすくなるかを考えるようになりました」

街の活性化やサードプレイスづくりに取り組む。空き家再生事業ARCHを設立

橋本さんは、より良い街にするためにいろいろなセミナーやスクールに通いました。そして、さまざまな学びの中で、街にコミュニティを築いて街の価値を上げる方法を知ったそうです。

「監視し合うコミュニティではなく、自分の都合にあわせて誰もが気軽に集まれるような場所、それこそが『サードプレイス』なんだと気づきました。そこから、今までやってきた居住支援だけに留まらず、地域共生や街づくり、空き家問題などが全部つながっていったんです」

長期間借り手がつかず、古すぎて売却できない建物をリノベーションしてサードプレイスに(画像提供/上原不動産)

長期間借り手がつかず、古すぎて売却できない建物をリノベーションしてサードプレイスに(画像提供/上原不動産)

時を同じくして、商店街のビルのオーナーが高齢者施設に入るため、不動産を処分したいという話が橋本さんのもとに舞い込んできました。

「その時話のあった建物は、古すぎて売り物にならないようなものでしたが、まちづくりについて学んだときに、私は『商店街の真ん中など目立つ立地のヘンテコな物件があったら買います』と宣言をしていたんです」

そこで、橋本さんは物件を購入し、市の「リノベーションまちづくり拠点活動支援補助金」を利用して物件を改修。駅前を活性化させたいという想いから、その古い建物をリノベーションし、新たにレンタルスペースとしてオープンさせました。それが「ARCH茶山」です。

さらに商店街にあるエレベーターなしの3階建ビルで7年以上借り手がつかなかった物件など、2カ所を借り上げ、同じようなリノベーションを施し、シェアオフィスやコワーキングスペース、シェアキッチンとして再生させました。

ARCH茶山には、ギャラリーとして利用したり、ポップアップショップとして出店したりできるスペースも(画像提供/ARCH)

ARCH茶山には、ギャラリーとして利用したり、ポップアップショップとして出店したりできるスペースも(画像提供/ARCH)

イベントスペースとしても活用。写真はキッズ向けのクリスマスイベントの様子(画像提供/ARCH)

イベントスペースとしても活用。写真はキッズ向けのクリスマスイベントの様子(画像提供/ARCH)

交わらない人たちをつなげたい。「下関市100人カイギ」を開催

橋本さんは、それらの建物を利用して誰もが集える場所をつくろうと、全国の事例を見に行き、いろいろなイベントを仕掛けていこうと動き始めました。

橋本さんがやりたいこと。それはこれまで交わることのなかった人たちに横串を指すことです。例えば行政においては、部署が違うと横の連携がなくて戸惑うことが多いのだとか。住宅と福祉部、観光と街づくり、どちらも密接に関係していることなのに、なぜか「横の連携が取れていない」と橋本さんはいいます。

「それでも、自分たちの街を良くしたいという思いは同じはずです。だったらこの人たちをくっつけたらいいという発想で、同じ志を持つイベンターの仲間たちとともにイベントを仕掛けています」

その一つが「下関市100人カイギ」です。「100人カイギ」とは、その街で働く100人を起点に人と人とを緩やかに繋ぐコミュニティ。地域のあり方や、価値の再発見を目的として、100人のゲストを呼んだらコンプリート、という期限付きのイベントです。橋本さんたちは毎回、行政の人、学生、企業、起業している人、なにかの“先生”と呼ばれる人、の5人をゲストに呼んで毎月トークイベントを開催し、毎回50~60人の人たちがイベントに参加するまでになりました。

記念すべき第1回目の下関市100人カイギの集合写真。地域医療を目指す医学生や癌で声を失った下関教育委員会の元教育長をゲストとして招き意見交換が行われた(画像提供/ARCH)

記念すべき第1回目の下関市100人カイギの集合写真。地域医療を目指す医学生や癌で声を失った下関教育委員会の元教育長をゲストとして招き意見交換が行われた(画像提供/ARCH)

建物がボロボロになる前に不動産屋としてできること

橋本さんが古い建物を活用しようとする試みには、街に増えつつある空き家をどうにかしたいという思いもありました。「福祉と空き家の問題は表裏一体」だと橋本さんは話します。

「高齢になると、認知症発症の恐れや体の自由が利かなくなり、従来の賃貸物件に住み続けることが困難なケースも。入居者は施設に入ったり、他への転居を余儀なくされ、空室が増えていきます。

同時にもう一つ気付かなくてはならないのが『オーナーの高齢化』です。実は高齢者が住むアパートのオーナーも高齢者であることが多く、オーナー自身がアパートの一室に住みながら賃貸収入で生計を立てている人がいます。建物の老朽化が進み入居者がいなくなると、オーナー自身の生活が成り立たなくなり、生活保護などの福祉的な支援が必要になる可能性を孕んでいるのです」

在宅訪問などで現場を目にしている福祉職の人は、これらの問題を認識しつつも、これまでは「居住支援」や「居住支援法人」の言葉を知らないために、不動産会社へ相談に行きませんでした。

上原不動産が山口県、山口県居住支援協議会と2023年10月に共催した不動産オーナー向けの勉強会のチラシ。居住支援と空き家問題の関係や、不動産と福祉との連携の必要性を訴えている(画像提供/上原不動産)

上原不動産が山口県、山口県居住支援協議会と2023年10月に共催した不動産オーナー向けの勉強会のチラシ。居住支援と空き家問題の関係や、不動産と福祉との連携の必要性を訴えている(画像提供/上原不動産)

「本来なら、建物がボロボロになる前にメンテナンスをして、見守りサービスなどを導入し、高齢の入居者が転居せずに住み続けられるのが、入居者にとってもオーナーにとってもベストなはずです。空き家問題に発展する一歩手前の段階で解決するというのも、私たち不動産会社の使命だと考えています」

橋本さんは、居住支援法人の活動を知ってもらうために、福祉施設である地域包括支援センターなどに講演をしにいくことがあります。すると福祉関係の人たちは、居住支援を行っている不動産会社があることを知って驚くのだとか。居住支援法人となって、福祉団体との交流ができたことによって、見えてきた課題もあるようです。

新しい考え方に触れることで街に好循環を生み出したい

橋本さんには、不動産業に長く取り組んできたからこその課題感もある様子。

「不動産屋には建物などのハードは得意だけれども、サービスなどのソフトに弱いところがあります。私も以前は、入居に困る方は家というハードが決まれば大丈夫だと考え、その後の暮らしといったソフトの部分にはほとんど関知していませんでした。でもそうではなくて、今では住宅と福祉とが連鎖していかないと生活しにくい人たちが多くいる、と思うようになりました」

橋本さんはセミナーの講師として登壇することも。福祉の話で呼ばれる時には不動産やまちづくりの話をし、 まちづくりの話で呼ばれる時には福祉の話をする。 居住支援を行うには、街全体で住宅と福祉が包括的に取り組んでいく必要があるからだ(画像提供/上原不動産)

橋本さんはセミナーの講師として登壇することも。福祉の話で呼ばれる時には不動産やまちづくりの話をし、 まちづくりの話で呼ばれる時には福祉の話をする。 居住支援を行うには、街全体で住宅と福祉が包括的に取り組んでいく必要があるからだ(画像提供/上原不動産)

100人カイギのようなイベントに下関市出身で活躍している人などが参加することで、また違った視点や新しい考え方に触れることができます。プレイヤーとリードしていく人たちを発掘し、何か新しいことを始めたいという人が現れたら、それを街に落としていくというサイクルを構築しているところだといいます。

さらに嬉しいことに、これらの活動を通じて「なんだか面白そうだから」と下関に定住したいという人が少しずつ増えてきたそう。最初のきっかけをつくることで、街に住む人たちが自分たちで繋がり、やがて街を変えていく。その様を見て、橋本さんは「まだまだこれからですが、不動産屋が動けば、街も変わる」と気づき、不動産業に携わる人としての醍醐味を感じています。

ARCHが横浜市の人権団体NGO EQUAL POWERと共催した、LGBTQ当事者とのトークセッション。上原不動産が管理する物件の入居者が参加するなど、居住支援やまちづくり、空き家活用が一体的に行われることで街が変わりつつある(画像提供/ARCH)

ARCHが横浜市の人権団体NGO EQUAL POWERと共催した、LGBTQ当事者とのトークセッション。上原不動産が管理する物件の入居者が参加するなど、居住支援やまちづくり、空き家活用が一体的に行われることで街が変わりつつある(画像提供/ARCH)

まちづくりや空き家問題の解決、住まい探しに困っている人たちへの居住支援といった橋本さんの幅広い活動や人と人とを結ぶ仕掛けは、不動産会社としてできることの可能性を広げたのではないでしょうか。

橋本さんの活動には、街に人を呼びこみ、街を活性化していくヒントがたくさんあります。まずは動いてみる。そして周りを巻き込んでいく、パワーを感じました。
近い将来、下関は橋本さんの子どもが表現した「何もない街」ではなく、地域共生社会創生のモデル都市になるかもしれないですね。

●取材協力
上原不動産

列島を1万キロ歩くモドさんがNYタイムズに盛岡と山口を載せた理由。東京と廃墟ラブホから見える日本 クレイグ・モド(Craig Mod)インタビュー

2023年11月下旬、初雪が降った日の盛岡。筆者はどうしても来たくなり、高速バスに揺られた。

理由は2つある。一つは、筆者がかつて心を打たれた街を、もう一度味わいたくなったから。

そしてもう一つは、作家・写真家のクレイグ・モド(Craig Mod)さんにインタビューさせてもらったからだ。ニューヨークタイムズ紙に「盛岡」を強く推薦し、同紙の「2023年に行くべき52カ所」で、その2番目に盛岡を抜擢させた張本人。

インタビューでモドさんが語った盛岡の姿が頭から離れず、バスに乗ったのだ。

「ちゃんと国が国民を守ろうとしている国」JR盛岡駅前で(写真撮影/辰井裕紀)

JR盛岡駅前で(写真撮影/辰井裕紀)

早稲田大学への留学をきっかけに、23年日本に住み続けるモドさん。各媒体に寄稿して多数の著書を発表し、これまでMediumやスマートニュースなどのアドバイザーや、イエール大学(米国)の講師を務めるなど国内外で活躍する。

そして東海道や中山道を徒歩で踏破するなど、日本の隅々まで歩くことがライフワークだ。

わかりやすい自然の要素以上に、日本の至るところにある黄色と黒のキリスト教の看板などの生活の足跡に興味をもち、雑多な旧街道沿いを「パチンコロード」と呼び、そのウラにある強大なグローバリズムを感じ取る。

新潟県長岡市で(写真撮影/辰井裕紀)

新潟県長岡市で(写真撮影/辰井裕紀)

外国人という客観的な視点を持ちながら、日本人以上に日本の姿を見つめてきた張本人だ。そんな彼は、少子高齢化や経済的な問題を抱える日本をどう見ているのだろうか?

運よく、鎌倉の自宅でインタビューする機会に恵まれた。

モドさん宅の和室で(写真撮影/桑田瑞穗)

モドさん宅の和室で(写真撮影/桑田瑞穗)

まず、モドさんは何がきっかけで日本に来たのか。

モド「地元(コネティカット州)の治安が悪かったんです。アメリカには国民保険とかもほとんどなくて、みんな苦しんで。ちゃんと充実して生きるなら離れないといけないと思って。留学するなら思い切って遠くまで行った方が面白いと思って、日本を選びました」

感情を込めて語るのが、「初めて、ちゃんと国が国民を守ろうとしているところに来た」こと。

モド「アニメや漫画、寿司も好きだったわけじゃなくて、日本を何も知らないままで来て。でもこんなに安全で、深みと味のある街で生活できるのは奇跡。アメリカ、とくにサンフランシスコとかは、『地獄の地獄のさらに地獄』まで堕ちられるし、脱出する手段がない」

それがドラッグ中毒者を生み、ドラッグほしさに暴力を振るったり、万引きしたりの犯罪天国になる。生活保護などのサポートがある日本とは大きな違いがあった。

モド「日本は貧富の差が比較的小さくて、金持ちと一般人の生活が大きく変わらない。同じ保険も手に入るし、同じ地下鉄や道路も使える」

著書「Kissa by Kissa: 日本の歩き方」(2020年発行)より(写真撮影/桑田瑞穗)

著書「Kissa by Kissa: 日本の歩き方」(2020年発行)より(写真撮影/桑田瑞穗)

そして、日本に暮らし続けられた根本的な要素が「物価の安さ」。

モド「すごく安かった。ホームステイしても1年の学費が、アメリカの5分の1から10分の1とか」

それが、「ひたすら街道を歩く」などの一朝一夕ではとても儲からないようなモドさんの活動を支えたのだ。

東京は「世界でも奇跡のように安全」

モドさんが来日から35歳まで、長らく住んでいたのが東京。どんな街か。

モド「東京、本当に奇跡のように安全で、こんなに広く人口がすごく多いのに、本当に時計のような美しい動きができる街。このスケールでスムーズに動いているところは本当に東京だけ」

(写真撮影/辰井裕紀)

(写真撮影/辰井裕紀)

ニューヨークやロンドンは建物の状態があまりよくなかったり、地下鉄がちゃんと動かなかったりするが、東京はその心配がないという。

モド「あと東京は(世界の大都市としては)建物やお店を比較的自由に建てられるから、いろいろな住宅やお店が混在できて、そのおかげで家賃が安くできる。柔軟にスクラップ・アンド・ビルドを行ってタワーマンションなんかを建てているから」

ニューヨークやロンドンでは、集合住宅の家賃が高くて単身では借りられない人が多く、ルームシェアなどをするのが普通。「日本の物価は安すぎて、経済成長の足かせになっている」ともささやかれるが、若者にとっては、他国に比べ自由で挑戦がしやすい視点もあるという。

モド「東京だとまだ、自分の予算に合わせて住める。僕も20代で広尾・表参道・代官山・恵比寿のあたりにずっと住んでいました。6畳の和室で、月6万円とかの物件がまだ残っていますから」

モドさんがかつて住んだ恵比寿。JR恵比寿駅前の様子(写真撮影/辰井裕紀)

モドさんがかつて住んだ恵比寿。JR恵比寿駅前の様子(写真撮影/辰井裕紀)

モド「僕は20代のとき、儲からない芸術活動ばかりしていたんですが、東京だとお金のためにやりたくないことをたくさんしなくても、やりたいことがちゃんとできるし、博物館とか美術館も楽しめる。800円でおいしい昼ごはんを食べられるのは日本だけです」

鎌倉に転居して8年、今でも東京が恋しくなることもある。

モド「でも東京で困るのはね、住みたいところがありすぎて、選ぶのが難しい。谷根千(谷中・根津・千駄木)もいいし、蔵前や清澄あたりも面白くなったし……」

東京人が見ない地方の現状

そんな東京とは、一線を画す現状があるのが地方だ。アメリカの地方出身者として、モドさんは歩いてその姿を目に焼き付けた。

1万キロを超える道のりの中で幾度も見たのが、旧街道沿いにあるドラッグストアなどのチェーン店、パチンコ屋が多数連なる風景。モドさんは「今日の私たちを表現している」と語る。

モド「僕は東京から京都まで中山道で歩き、東海道も歩いたんですけど、今はパチンコ屋やギャンブル場ばっかり。でもこれ、日本だけじゃないんですよ」

愛機・ライカとともに1万キロを歩いたモドさん(写真撮影/桑田瑞穗)

愛機・ライカとともに1万キロを歩いたモドさん(写真撮影/桑田瑞穗)

アメリカでもヨーロッパでもみんな同じように、大きなチェーン店が並ぶ。

モド「これがダメとかじゃなくて、これで何を損しているのか、考えた方がいい」

こうなって我々が何を得し、何を損しているか。街道にあるのは、現在進行形のグローバリズムだ。

そして街道を越えた先には、日本人の多くが見て見ぬふりをする地方の姿がある。

モド「田舎へ行けば行くほど、“床屋(美容室)と喫茶店”しか営業していなくて、シャッター街ばかり」

モドさんの記事にも、「田舎で老人介護施設が多い」「ラブホテルを使う若い人が減ってラブホテルの廃墟が並ぶ」など、少子高齢化を示す描写が目立つ。

モド「高齢化社会って都会じゃあまり想像がつかないけど、地方を数カ月歩くと、『もう終わりと思うしかないような町や村』が多い。それはどうにか守らなきゃとかじゃなくて、もう人口や産業の有無の問題。現実として、終わりに向かう流れを止めるのは難しい」

それでも「喫茶店」が残った

限界集落が生まれ続ける地方。その中でモドさんを癒やしたのは、喫茶店だった。

モド「パチンコ屋やチェーン店ばっかりだし、残された個人店は喫茶店と床屋・美容室だけで、それで喫茶店へ行くことになって。社会の中での喫茶店の立場や、よさが見えてきた」

喫茶店で目につく料理は「ピザトースト」しかなかったので食べてみたら、意外においしく、「私の魂の食べ物」というほどになった。

(写真撮影/辰井裕紀)

(写真撮影/辰井裕紀)

それにしても田舎の個人商店は、なぜ床屋・美容室と喫茶店が残るのか。

モド「コミュニティのハブみたいになっているはず。高齢化社会になるほど、孤独が増える。でも喫茶店さえあれば、毎日モーニング食べて、みんなとお喋りできるから」

さらに個人の喫茶店はモーニングセットなどで、価格競争に強いチェーン店にも対抗できる価格で提供する。

モド「あとチェーンだとスタッフと仲良くなるのは難しいし、もしそうなっても、いつか担当者がどっか行っちゃうから。何十年もずっと挨拶するマスターや奥さんの方が特別です」

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

盛岡のような中核市にはチャンスがある

道行く人たちと挨拶を交わしながら、数々の街を通り過ぎたモドさん。こんな考えが芽生えた。

モド「小さい村はどうしても、たぶん守れないと思うけど、中核市ぐらいだと、チャンスはある」

ニューヨークタイムズに盛岡市(岩手県)を推薦したのはその思いからだった。また、東北にはインバウンドの観光客の0.9%しか行かない※。経済的に応援したい気持ちもあった。※観光庁「宿泊旅行統計調査」に基づく、2023年3月の外国人宿泊者ブロック別シェアより

モド「でも、盛岡は何度行ってもすごく充実している。にぎやかで若者が頑張ろうとしている姿をたくさん見られる街。大きい街が近くにないのに、盛岡だけはすごく充実感がある。10カ所の中核市を巡るプロジェクトで街を歩きましたが、その中でも盛岡は街並みもきれいだし、岩手山もきれいに見えるし。川もきれいで気の流れがいいし、市民に余裕を感じた」

杜の大橋から望む雄大な岩手山(写真撮影/辰井裕紀)

杜の大橋から望む雄大な岩手山(写真撮影/辰井裕紀)

モド「加えて、喫茶店も面白かったし、大正時代の建物も残っているし、大学生のエネルギーもあるし。バランスのある街だと思って推薦しました」

モドさんが推薦した盛岡の喫茶店、リーベ。筆者もモーニングを注文し、2階席の平和な静寂を味わった(写真撮影/辰井裕紀)

モドさんが推薦した盛岡の喫茶店、リーベ。筆者もモーニングを注文し、2階席の平和な静寂を味わった(写真撮影/辰井裕紀)

岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館。東京駅の設計でも知られる辰野・葛西建築設計事務所によるもの(写真撮影/辰井裕紀)

岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館。東京駅の設計でも知られる辰野・葛西建築設計事務所によるもの(写真撮影/辰井裕紀)

そして、モドさんの尽力により盛岡がニューヨークタイムズの「2023年に行くべき52カ所」の2番目に選ばれ、2023年は膨大な数の取材依頼が相次いだ。

とてつもない数の取材に応対し続けた理由に、「中規模や小規模な町でも快適で大事な人生を過ごせると伝えたい」との思いがあった。

モド「私も中核市に近いアメリカの工業都市が地元だったんですが、工場が中国へ行くなどして産業がなくなって。みんなの苦しみばかりを子どものころに見てきたから」

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

モド「盛岡の個人のお店は重要なコミュニティで、文化もつくっている。そういうお店が、個人で実現できるのを見ると感謝するし、私の地元から見ると、本当に奇跡のような状態だから」

盛岡のような、元気な中規模都市は少ないのか?

モド「少ない。寂れているところがほとんどです」

盛岡は、なぜそうならなかったのか?

モド「結構大きいのは大学があること。『大谷翔平モデルの時計』も作っている盛岡セイコー工業も近郊にあるし、ものづくりの仕事がある。あと、新幹線が停まるのも大きい。新幹線が停車する街と、そうじゃない街は全然違う。中山道を歩くとすごく感じる」

なお、東洋経済が1993年から発表している「住みよさランキング」の北海道・東北編で、2023年版の2位に盛岡市がランクイン。年間小売販売額と同1人当たりの販売額は北東北では1位という。

盛岡と各地をつなぐ新幹線はやぶさ号(写真撮影/辰井裕紀)

盛岡と各地をつなぐ新幹線はやぶさ号(写真撮影/辰井裕紀)

ちなみに筆者も盛岡の老舗のバーで、「今まさに世界的企業を相手にしている盛岡のものづくり文化」をマスターから力説され、ある自動車関連部品メーカーの活躍を紹介いただいた。南部鉄器からその精神は脈々と受け継がれているのだ。

(写真撮影/辰井裕紀)

(写真撮影/辰井裕紀)

それは、さまざまな問題に直面する日本のヒントにもなるという。

モド「本当に盛岡みたいなところが、あるんですよ。ほかにも山口市(山口県)とか松本市(長野県)とか尾道市(広島県)とか、そういった感じの街が守られたらいいと思う。東京で大きい会社に勤めなきゃとかばっかりじゃなくて、個人で本屋とかジャズ喫茶とかバーやりたいと思っている方が、できるスペースがあれば。中核市だとちょうどやりやすいから」

なお、2024年のニューヨークタイムズの「2024年に行くべき52の場所」で、山口市の選出にも関わったモドさん。選んだ理由をこう語っている。

「山口市は盛岡の魅力と同じ特質を多く備えています。若い起業家を惹きつける、人間的なスケールで充実した生活ができる街。京都、金沢、広島が日本の『レコードのA面』なら、山口と盛岡は『B面』で、控えめな天才性が含まれることが多い面です」

山口市の米屋町商店街(写真撮影/辰井裕紀)

山口市の米屋町商店街(写真撮影/辰井裕紀)

快適で大事な人生を過ごせる街・住まいを

あらためて、中核市ならではのよさは何か。

モド「東京だと疲れる。大きすぎて、ときにコミュニティをつくりづらい。少し地方に行けば、自分の好きなことがやれるくらいの町のリソースがありつつ、それでいて疲れない。鎌倉に住んでいる人たちは、みんな『もう東京行けなくなっちゃった』とか言っていますよ」

モドさんはさらにニュースレターの中で、「(盛岡のような)こうした小規模なビジネスの有り様は、大規模なデベロッパーによる東京の巨大開発と対極にある。そこには、巨大な構造物の中に似たような店ばかりが並び、小規模事業者には手が届かず、個性のかけらもない。盛岡は、盛岡にしかない個性や趣にあふれている」と語っている。

もりおか歴史文化館前の庭にて(写真撮影/辰井裕紀)

もりおか歴史文化館前の庭にて(写真撮影/辰井裕紀)

そんなモドさんは、8年前に東京から鎌倉に転居した。

モド「東京の観光客が増えすぎて、疲れた。鎌倉も多いんだけど、観光客が行くところは同じ。八幡宮、小町通り、大仏にしか行かないから、一本離れればすごく静か」

鎌倉の海を望む(写真撮影/桑田瑞穗)

鎌倉の海を望む(写真撮影/桑田瑞穗)

モド「鎌倉の大きい家に引越してきて、最初の晩に超泣いた。東京で住んでいた6畳の部屋じゃなくて、本当はやっぱりこれぐらいの広い家がほしかったんだなって」

ご近所さんも優しく、「みんな面白い人生を過ごしている」という。

モド「僕はご近所のみなさんより3、40歳ぐらい年下だけど、たぶん『モドさんは何者?』とずっと思われてたんじゃないかな。今年いっぱいテレビに出始めたら、優しくなった(笑)」

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

さらに、鎌倉は交通の便もいい。

モド「東京まで50分ぐらいで、グリーン車も500~1,000円くらい(※)でスタバのコーヒー1杯くらいの値段。1本で渋谷、池袋まで行けるし、吉祥寺に住むよりずっと楽だと思ったんです」

※2024年3月16日よりJR東日本は価格改定

鎌倉でモドさんがお気に入りの「甘縄神明宮」(写真撮影/辰井裕紀)

鎌倉でモドさんがお気に入りの「甘縄神明宮」(写真撮影/辰井裕紀)

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

モド「鎌倉は企業の社長やクリエイターなどの面白い人もたくさん住んでいる。山歩きもできるし、海を眺めながら癒やされるし、おいしいお店もあるし……」

そして、人々の暮らしの中にいい人生に必要なものは何かを探し続けるモドさん。今、それをどう考えているか。

モド「『充実感』を感じることです。自分が興味があって、少し上手にできる活動に集中すると充実できる。この前も日本刀の職人さんを見学して、それを実感した。過酷な状態でずっときつい作業をしているんだけど、すごく充実していい日々を過ごしている、と。その充実した生活や仕事で、快適で大事な人生を過ごせるか……」

そんな充実したことに没頭できる街こそ、いい街のはずだ。

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

最後に「住むなら、どんな家がおすすめか?」について、モドさん流のアドバイスをもらった。

モド「コミュニティが感じられるところに住むのが、大事。古いアパートでも、周りでコミュニティをすごく感じられるなら、100倍くらい、いい人生は過ごせるから」

◇   ◇   ◇

「小さい村はどうしても、たぶん守れないと思うけど、中核市ぐらいだと、チャンスはある」

膨大な数の田舎を歩いて見てきたモドさんの、現実的な見識。初めて47都道府県すべてで日本人の人口が減った今、日本のどこなら人生の大切な思いを実現して住めるか……自らにもう一度問いかけた。

モドさんの仕事場(写真撮影/桑田瑞穗)

モドさんの仕事場(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

(写真撮影/桑田瑞穗)

●取材協力
クレイグ・モドさん (Craig Mod)
2021年に紀伊半島を約30日間踏破した回想録「Things Become Other Things」が発売中。
「漁師、口の悪い子ども、そしてひどく悲惨で素晴らしいコーヒー」たちに出合った記録が叙情的な写真とともに記されているThings Become Other Things

「生まれ育った街だから住まいに困る人を減らしたい」。外国籍、高齢者などに寄り添い住まいと福祉を結ぶ居住支援法人・上原不動産

山口県の下関駅前で居住支援に力を入れている上原不動産の橋本千嘉子さん。不動産業を営んできた両親の背中を見て育ち、自身も生まれ育った街に集まってくる、さまざまな住まい探しに困難を抱える人たちの入居をサポートしています。また、入居を促進するためのオーナーへの啓蒙活動や社員の教育、行政や福祉団体との連携促進、街の活性化にも尽力しています。何がそこまで橋本さんを突き動かすのか、お話を聞きました。

歴史的背景を知ると見えてくる、下関駅前エリアの成り立ち

上原不動産がある山口県の下関駅前は海に囲まれた地形の港町。駅周辺は建物の老朽化が目立ち、再建不可のものも多いといいます。橋本さんは、この下関駅前で40年以上続く上原不動産の代表の長女として、両親の背中を見て育ちました。自身も5人の子どもを育てながら家業を担う2代目です。

橋本さんによると、この辺りはもともと1940年代に朝鮮半島から日本に抑留された人たちが帰国を目指して港のあるこの地に集まってきたものの、国に帰ることができず暮らし続け商売を営んでいる人も多い地域だそう。当時はバラックがたくさんあって活気があり、今もそのころを思わせる古い街並みが残っている。
歴史的背景を知ると、また違った風景が見えてきます。

少子高齢化、地元に留まらず都会に出ていく若者といった、現在の地方都市がどこも抱えている問題に加え、「総合病院や拘置所や更生保護施設など、駅周辺の環境もあって、体の悪い人や生活再建を目指す人、外国人など、住まい探しにおいても配慮や支援を必要としている人たちが、より多い地域といえます。この地で不動産賃貸管理業を続けていくためには、移住者を増やすなど、人を呼び込む必要性を強く感じています」(橋本さん、以下同)

本州最西端にある都市、下関市。人口の減少率は全国平均よりも高く、65歳以上の高齢者は市の総人口の1/3以上を占める(画像提供/上原不動産、出所/JMAP地域医療情報システム)

本州最西端にある都市、下関市。人口の減少率は全国平均よりも高く、65歳以上の高齢者は市の総人口の1/3以上を占める(画像提供/上原不動産、出所/JMAP地域医療情報システム)

「若いころは好きになれなかった」韓国語が飛び交う街

そんな橋本さんも、若いころはこの街が好きになれなかったといいます。

「私自身、在日韓国人3世で帰化しているのですが、韓国語の飛び交う雑多な雰囲気の街を、素直に受け入れられませんでした。スマートな都会的生活に憧れて、東京のデザイン系の学校に進んだのですが、強烈なホームシックに襲われました。その時初めて、自分がどれだけ地元のことを大好きだったかに気づいたんです」

地元に帰った橋本さんが会社を手伝い始めて間もないある日、入居者が突然亡くなり、警察と一緒に現場検証に立ち会うことがありました。その人は、かつて道端に倒れていたところを世話好きな橋本さんのお母さんがおぶって保護したことのある人でした。「不動産屋って、ここまでやらなくてはいけないんだ」と深く印象付けられた出来事だったといいます。

風光明媚な観光地も多い一方で、地元に根付いた人々の暮らしもある。大好きな地元を支えていきたい、子どもたちが自慢できる街にしたいという思いが、原動力(画像/PIXTA)

風光明媚な観光地も多い一方で、地元に根付いた人々の暮らしもある。大好きな地元を支えていきたい、子どもたちが自慢できる街にしたいという思いが、原動力(画像/PIXTA)

誰もやらないなら、まずは自分たちで。居住支援法人に登録

上原不動産の代表である橋本さんの父は、3~4年前から不動産業界のこれからを見据え、住宅弱者に対する支援団体の連携の場である「下関市居住支援協議会」の立ち上げを行政や宅建協会などに提案してきました。しかし人手が足りないことなどを理由に、なかなか実働に向かいません。

「誰もやらないなら、まずは自社でやらなくては、と考えて2021年9月に山口県の居住支援法人に登録し、福祉についても勉強し始めました。居住支援法人の登録には専用窓口、専用スタッフ、専用ダイヤルを設置・明示する必要があり、大変でした。しかしその仕組みをつくったことで、お問い合せを受けやすくなり、行政や福祉法人との連携体制ができつつあります」

上原不動産のホームページより。専任スタッフを置き、相談窓口をつくるのは大変だったが、問い合わせしやすい環境を整えることができ、相談の増加につながっている(画像提供/上原不動産)

上原不動産のホームページより。専任スタッフを置き、相談窓口をつくるのは大変だったが、問い合わせしやすい環境を整えることができ、相談の増加につながっている(画像提供/上原不動産)

居住支援法人となって大きく変わったのは「断らなくても良い方法を見つけよう」という意識でした。そして受け入れ可能な物件を増やすためにはオーナーや管理会社の理解が必要です。オーナーの意向を知るために上原不動産が独自で行ったアンケートでは、約9割が要配慮者の受け入れOKとの回答だったそう。

「ただし『受け入れ可』は、当社が責任を持って対応することが大前提となっていました。そこで私たちも今まで以上に入居後の生活サポートに目が向くようになり、いろいろなサービスの導入を進めてきたのです」

65歳以上の人にはAIによる見守りと死亡補償を組み合わせたサービスへの加入を必須にしたり、携帯電話も固定電話も持っておらず家賃保証会社を利用できない人のために格安スマホの代理店となったり。それぞれの事情に応じて幅広く対応できるよう、家賃保証会社5社以上と提携しながら、緊急連絡先を確保し、連帯保証人がいない人であっても自社所有物件に入居できるようにするなど、二重三重のサポート体制を整えているそうです。

上原不動産で65歳以上の人の入居時に加入を必須としている、電気の使用量をAIが判断し、いつもと違う動きがあってもすぐに察知、連絡できるシステム。利用者の手を煩わせることなく、プライバシーも守りながら見守りができる(画像提供/上原不動産、出所/R65不動産)

上原不動産で65歳以上の人の入居時に加入を必須としている、電気の使用量をAIが判断し、いつもと違う動きがあってもすぐに察知、連絡できるシステム。利用者の手を煩わせることなく、プライバシーも守りながら見守りができる(画像提供/上原不動産、出所/R65不動産)

若手社員の教育に悩むことも……体制を整え、国の制度も活用

現在、上原不動産には約25人の社員が在籍しており、その中の居住支援推進課という専門部署に社員2人が在籍しています。賃貸事業部の営業担当者が支援を必要とする入居希望者に対応するときには、居住支援推進課が伴走する体制です。

未来推進事業部に所属する住居支援推進課を中心に居住支援に当たるが、相談者や入居者の対応は各窓口の担当者が行っている。居住支援推進課は組織の枠を飛び越え、必要な支援と繋いでいく伴走型の部署だ(画像提供/上原不動産)

未来推進事業部に所属する住居支援推進課を中心に居住支援に当たるが、相談者や入居者の対応は各窓口の担当者が行っている。居住支援推進課は組織の枠を飛び越え、必要な支援と繋いでいく伴走型の部署だ(画像提供/上原不動産)

しかし中には、居住支援を進める会社の方針に「福祉事業をやるために入社したんじゃない」「もっと利益を追求する楽な方法があるのではないか」という社員や、共感できずに退職する人もいたそう。さらに時代が変わってデジタルシフトしていけばいくほど入居者との関わりは事務的になり、関係が希薄になっていきます。

「私たちがこの街で商売をしていくということは、福祉的支援を必要とする人たちにも寄り添っていくということ。社員数が少ないときは何となく意志統一ができていましたが、会社が大きくなると『理念』というものを内外に打ち出していかないと伝わらないことに気づきました」

橋本さんは最初こそ社員全員に居住支援について学んでもらおうとしていましたが、それが難しいことを痛感し、社員のキャリアのステージにあった教育を行うべく、会社としてノウハウを蓄積中です。

「不動産取引本来の醍醐味なども理解した上で支援のあり方を学んでいかないと、居住支援に取り組む価値が伝わらず、業務の大変さに皆疲弊していってしまうんですね。なので合間あいまに伝えながら、理解できているスタッフが伴走するようにしています」

さらに2022年度からは厚労省が実施している「高齢者住まい・生活支援伴走支援プロジェクト」に参画。居住支援に取り組む団体の悩みや課題をサポートし、解決に導く制度で、専門家にアドバイスを受けるなどした結果、誰にも相談できずに抱え込んでいた担当社員の精神的負担を軽くすることができました。そして行政や地域を巻き込んで開催した2年目となる2023年10月の勉強会では、橋本さんが横串を刺したいと考えていた市の住宅課と福祉部の連携が少しずつ進んでいると感じられたそう。下関市の居住支援を前に進めるためにも「今後も継続していきたい」というのが現場の声です。

高齢者住まい・生活支援伴走支援プロジェクトの勉強会の一コマ。地域の関係者同士、お互いの補完性や他機関連携の重要性を学び、共有する機会となったという(画像提供/上原不動産)

高齢者住まい・生活支援伴走支援プロジェクトの勉強会の一コマ。地域の関係者同士、お互いの補完性や他機関連携の重要性を学び、共有する機会となったという(画像提供/上原不動産)

さまざまな取り組みを進める中で、見えてきた課題とは

このように多くの取り組みを進めてきた橋本さんだからこそ「不動産屋として、居住支援法人として、どこまで関わるべきか悩む」と言います。例えば、本人が自立して暮らしたいと言っても、福祉の専門家から見れば施設に入った方が安心で安全というケース。本人の意向を優先して民間の賃貸住宅に受け入れることで、入居者が事故に遭ったり、死につながったりすることは避けなければなりません。

「どこまで寄り添うべきなのか、どこまで受け皿を準備すべきなのか、正直まだ答えは出せずにいます。本人が望むなら賃貸住宅での受け入れ先を探したい私たち居住支援法人としての目線と、病院や福祉事業者の目線のバランスをとるのはとても難しいです。ケースワーカーなど専門知識のある人とつながる必要性を感じます」

そしてもう一つ、行政の横のつながりを推し進めること。行政が部署の垣根を越えて案件や問題に関わることは安易ではありません。橋本さんもその事情や体質は理解しつつも、街をよくしたいという想いは皆同じはずだと考えています。

「だったらこの交わらない人たちをくっつけられないものかと、駅前のコワーキングスペースで行政の人や学生、関東で活躍している下関出身の人などをゲストスピーカーとして招くイベントを企画したりしています」

街に人を呼び込む、橋本さんの興味深い活動については、また違った話が聞けそうです。

勉強会、研修会を独自で開催するなど、居住支援活動の普及に努めている。写真右が橋本さん(画像提供/上原不動産)

勉強会、研修会を独自で開催するなど、居住支援活動の普及に努めている。写真右が橋本さん(画像提供/上原不動産)

「不動産は国交省から、居住支援については厚労省から政策が下りてきますが、居住支援法人になっていろいろな政策を自分の身近に置き換えて俯瞰して見られるようになった」と橋本さんは言います。
自分たちの周りにいる人たちがお客さまとしてのターゲットであり、入居をサポートするために必要な方策を模索していくこと。幼いころから両親の背中を見てきた橋本さんにとって、居住支援の取り組みは当たり前で自然なことなのかもしれません。

そして行政や周りの団体を巻き込み、若い人たちへと伝えていこうとする橋本さんの竜巻を起こすようなパワフルさに惹きつけられました。上原不動産の今後の活動にも注目していきたいですね。

●取材協力
上原不動産株式会社

更地だらけの温泉街が再生! 移住者や二拠点生活者が集まる理由とは【旅と関係人口1/長門湯本温泉(山口県長門市)】

今、コロナ禍で帰省できない人や、都会で生まれ育った‘‘ふるさとを持たない‘‘人たちが多い。そんななか、従来の観光だけを目的にしていない、新しい旅のスタイルが生まれている。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」。その結果、地域と関わりを深める人が現れているのだ。それを裏付ける事例が、リピーターを巻き込んだ街づくりで温泉街を復活させた山口県長門市、長門湯本温泉だ。実際に観光などで訪れたことから、移住や二拠点生活で関わることになった人々の想いも紹介する。

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

新しい旅のスタイル。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」

働き方改革や新型コロナウイルス感染症の影響で人々の価値観が変わり、旅のニーズも変化している。都市部のふるさとを持たない人の中には、田舎に憧れを持ち、関わりを求める動きがある。求められているのは、従来の観光ではなく、現地の暮らしを体験し、滞在することを目的にした旅のかたち。その結果、地元の人や土地への愛着が生まれ、‘‘第二のふるさと‘‘ができる人が増えているという。

観光庁では、2022年度の概算要求で掲げた新規プロジェクト「第2のふるさとづくり」を始動させた。「何度も地域に通う旅、帰る旅」という新たなスタイルを定着させる取り組みだ。それぞれの地域も地域活性化を図るため、受け入れる体制を整えている。リピート型の新しい旅は、本格的な地域貢献につながる可能性があるのだ。

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

観光客が減り、老舗旅館廃業も……。苦境の温泉街を地元×リピーターで復活させた!

長門湯本の温泉街は、2020年3月にリニューアルオープンしたばかり。新設された高台の駐車場から竹林の中の階段を降りると音信川に出る。旅館が並ぶ川沿いには、おしゃれなカフェや雑貨屋をのぞきながらそぞろ歩く女子旅の人、川辺に張り出したテラスからは、川床や親水公園で遊ぶ子どもたちが見える。立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」では、地元の人と一緒に観光客が入浴する様子も。ライトアップや季節ごとに行われるイベントを楽しみに何度も訪れる人も増えた。

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

今の活況からは想像できないが、長門湯本の温泉街は、2014年に大きな危機に見舞われていた。当時の様子を、長門市役所に勤めたのち、現在は長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーをしている木村隼斗さんに伺った。

「人口約3万3000人の長門市にある湯本の温泉街は、600年の歴史がある山口県最古の温泉です。昭和50年代のピーク時には、宿泊者数40万人もの歓楽街でした、しかし、その後は訪れる人が減り続け、ついに、2014年に150年続いていた老舗旅館が廃業になりました。温泉街の中心部には複数の老朽化した施設が残り、公費での解体が必要なまでに。すっかり更地が多くなった温泉街を見て、このままでは誰もいない街になってしまうと危機感を募らせていました」(木村さん)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

長門市役所は、2016年に温泉街の再生計画をスタート。誘致したリゾートホテルと提携してマスタープランをつくり、街全体をリノベーションするプロジェクトが始まった。

「長門湯本に限らず、大型バスで宿泊施設に滞在し、施設内で飲食して帰る団体旅行から、個人旅行がトレンドになりました。川沿いの温泉街は全国で珍しくはありません。この土地にしかない魅力をつくり出すのはどうしたらいいか。箱となる施設をつくるのではなく、小さくても、個人的な思いや魅力が伝わる街にしたいと考えました」(木村さん)

プロジェクトの出発点は、長門湯本温泉の立ち寄り湯「恩湯」だった。施設の老朽化や利用客の減少により、2017年5月に公設公営での営業を終了していた温泉施設を民間で再建するプロジェクトが始まる。さらに、2017年8月から2019年にかけて、温泉街で3つの「社会実験」を実施。川床や置き座で「川を楽しむ」、道路の一部を出店ブースや休憩スペースに活用し「道を楽しむ」、湯本提灯やライトアップで「夜を楽しむ」ことをテーマとした。

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

「伝統ある立ち寄り湯を残したい! という思いで地域の若手有志が集まり、年配の旅館経営者も応援してくれました。いきなり理念や絵を見せるだけで『やります』と言っても、地元の賛同は得られません。『社会実験』イベントは、うまくできるかの実証実験で、将来目指すところを仮設で実現してみて課題を洗い出すために行いました。イメージや問題点を共有した上で、観光客の反応や地元の方々の受け止めを見て改善していったのです」(木村さん)

温泉街衰退の危機から6年が経った2020年3月に、リニューアルした「恩湯」と隣接する飲食施設「恩湯食」がオープン。冬季には、長門市出身の童謡詩人「金子みすゞ」の詩をテーマにしたライトアップ「音信川うたあかり」を行うなど季節ごとにさまざまなイベントを行っている。

「イベントを通じて、長門湯本で新しいことが始まっていると知り、山口県内や近県から訪れる人が増えました。宿泊者数はコロナの影響できびしいものの、宿泊費の単価がやや上がり、温泉街の満足度を高めることで宿泊事業にプラスの効果を生み出せる可能性を感じる兆しもあります。一人旅や女子旅で訪れる人が増え、温泉街に人が戻ってきていると実感しています」(木村さん)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

地元の人や川への愛着が決め手。温泉通いから移住してカフェやバーを経営へ

イベントの出店者選びでは、ただ商売をするだけでなく、ものづくりや地域への思いがある出店者や、居心地のいい場所をつくるサービスを選んだ。結果として、イベントや長門湯本に出店する人は、長門湯本につながりがある人や何度も観光で訪れている人が多い。

「売れ行きだけじゃなくて、自分たちが楽しめるかどうかを大事に感じる出店者さんも多い。ここなら関わってもいいなと思える未来を共有して一緒に実現したいと思っています」と木村さん。イベント出店をきっかけに移住・二拠点生活を始めた人もいる。

音信川沿いにあるカフェギャラリー、cafe&pottery音の店長、横山和代さんもそのひとり。約400年続く萩焼・深川窯の若手作家の器と自家焙煎コーヒーのカフェが女性観光客に人気だ。横山さんが長門湯本に関わるようになったきっかけは、家族と訪れた温泉だった。静岡出身の横山さんは、岡山で家族と暮らしていたが、夫の転勤で山口県山口市に移住。釣りと温泉好きな夫と娘を連れて、山口市から毎週末、長門湯本の温泉に通うようになった。

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「川沿いの温泉街がとても気に入りました。山口市内から車で1時間ほどかかりますが、月2、3回日帰り旅行で訪れるようになりました。当時入浴料が200円だった恩湯は地元の人が日常で使う温泉で、洗い場でおばあちゃんがまだ1歳だった娘を見てくれるなど、あたたかな交流をしてもらいました。仕事の都合でいったん山口を離れたのですが、あまりに居心地がよかったので、1年半後、また山口に戻ってきたんです」(横山さん)

そのころ、温泉街では、社会実験のイベント「おとずれリバーフェスタ2018」が催されていた。楽しそうな出店者の様子を見て、横山さんは、自分も出店してみることに。イベントに関わることで、木村さんをはじめとする街づくりに携わる人との出会いもあった。そして、イベント後に、長門湯本でカフェをしてみないかと誘われる。

「みなさん長門湯本をよくしようと熱い人たちで、いつも楽しそうに仕事をしているんです。いつの間にかいい意味で巻き込まれていました。旅館の方々や萩焼の若手作家さんからお声掛けいただき、とりあえず1年間だけやってみようとカフェを始めました。」(横山さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

娘と一緒に山口市内から長門湯本に通う生活が始まった。本格的に移住を決めた理由は、娘の存在が大きい。

「私がカフェで忙しいと、木村さんや近所の人が娘の面倒をみてくれました。娘にとって、長門湯本がいちばん楽しい場所、大好きな場所になっていたんです。ついには、『長門の保育園に行きたい』と言い出して。長門市役所もとても協力的で、住まいの相談にも乗ってくれました。紹介してもらったのは、庭に果樹や栗の木がある古民家。2021年6月に移住することになりました」(横山さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

カフェを訪れるのは、地元の人と観光客が半分ずつ。店内は、萩焼のギャラリーになっている。萩焼は、山口県萩市一帯でつくられている陶器で、長門市にも窯元がある。その窯元の作家の器を常設。地元の人でも「長門にこんないいものがあったのか」と驚く人もいるという。不定期に催される展示会目当てに訪れる人も増え、cafe&pottery音が地元と観光客をつなぐ場所になっている。

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

夕暮れの温泉街に浮かび上がる「THE BAR NAGATO」のマスター、黒田大介さんは、大阪との二拠点生活をしながら週末3日間経営するスタイルで、長門湯本と関わっている。バーテンダーとして30年の経験を持つ黒田さんは、長年大阪の北新地でバーを営んできた。

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「もともと、温泉街のライトアップイベントのデザイナーと知り合いで、長門湯本でバーをやらないかと誘われたんです。それは無理だけど、イベントだけならと、2017年と2018年の『おとずれリバーフェスタ』に出店者として参加することに。ところが、地元の人ととても気が合って。人のつながりがどんどん増えていきました。街づくりに携わっている市役所の人、イベントのデザイナー、出店者がみんなプロフェッショナルで、自分も携わることに魅力を感じました」(黒田さん)

2回目のイベントに参加したとき、市役所から築70年の長屋を紹介された黒田さん。「改装したら、絶対いい場所になる」と夢が膨らんだ。長屋をリノベーションして2021年3月に「THE BAR NAGATO」をオープン。大阪から長門湯本へは新幹線を使いドアツードアで片道6時間ほどかかるが、毎週来るのが楽しみだという。

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

長屋の2階にある「THE BAR NAGATO」の店内は、映画のセットのような空間にデザインされ、こだわりのウィスキーやカクテルが飲める。バーを訪れる人にリピーターも増えて来た。

「日帰りや旅館に素泊まりの人が来てくれますね。湯本を拠点にして長門市内へ足を伸ばしているようです。私がなぜここでバーを経営することになったか、聞かれることもあります。長屋のリノベーションを手がけたオーナーの木村大吾さんが店を訪れたとき、街づくりについてお客さんと盛り上がることもありました。『来るたびによくなるね』と驚くリピーターのお客さんも多いです」(黒田さん)

旅で訪れた人を引き付けているのは、温泉だけでなく、街全体に長門湯本をよくしたいという熱い想いが込められているから。地元の人と訪れた人で一緒につくる新しいふるさと。「これから始まる街にいるわくわく感があるんです」という横山さんの言葉がとても印象的だった。

●取材協力
・長門湯本温泉
・cafe&pottery音
・THE BAR NAGATO

親子ワーケーションで旅も働き方も自由に! 子どもの成長にも変化 私のクラシゴト改革3

いま注目を集めている、働きながら旅をする「ワーケーション(ワーク+バケーションの造語)」。それを子ども連れで実践している、フリー編集者の児玉真悠子さんにお話を伺った。子どもたちの思わぬ反応もあったようで・・・・・・。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。仕事をしながら暮らすように旅ができる。山口県萩の10日間

とにかく旅好きな児玉さん。しかし出産、育児でなかなか旅行ができない状態が続き、もやもやしていたそう。
「そもそも、夫と長期休暇が合わず、子ども2人を連れての家族旅行は、スケジュール調整だけでひと苦労。結局、PCを持ち込んで旅先で仕事をしていました」
そんな時、山口県の萩市から、所属する一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会宛に、“ワーケーションを自ら実践してパンフレットをつくってほしい”という依頼が。“子連れなら行けます”と返答したのが、親子ワーケーションを意識した最初だった。

そして昨年の夏に、当時小5の息子と小1の娘を連れ、山口県萩市で10日間過ごすワーケーションの旅に。日中は子どもと遊び、早朝や夜は集中的に仕事。4日目で夫が合流すると、子どもの見守りを分担した。
「とにかく予定を詰め込みがちな通常の旅行と違い、腰を落ち着けてその土地で生活する楽しさがありました。萩市は吉田松陰や高杉晋作など明治維新の立役者の生家が徒歩圏内なんです。感動しましたね。場所の力に刺激を受け、夫と今後についてゆっくり話し合う時間もありました。ああ、こういう過ごし方もありなんだと発見でした」

ただし、正直、子どもが同じ場にいながらの仕事は困難も。外に連れ出す際は、私も同行しなければならず、フルには稼働できないジレンマもあったそう。

萩市のお試し暮らし住宅(#梅ちゃんち)に10日間1万円で滞在。古民家だが、中はリノベーション済みで快適(画像提供/児玉さん)

萩市のお試し暮らし住宅(#梅ちゃんち)に10日間1万円で滞在。古民家だが、中はリノベーション済みで快適(画像提供/児玉さん)

吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作などの生家、世界遺産の松下村塾など名所が街のあちこちに(画像提供/児玉さん)

吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作などの生家、世界遺産の松下村塾など名所が街のあちこちに(画像提供/児玉さん)

メール返信や、アイデア出し、情報収集といった仕事は、児童館の横のスペースがぴったり(画像提供/児玉さん)

メール返信や、アイデア出し、情報収集といった仕事は、児童館の横のスペースがぴったり(画像提供/児玉さん)

子どもを地元の小学校に通わせつつ、長崎県五島列島でワーケーション

その課題から、2度目の親子ワーケーション先として選んだのは、子どもたちが地元の小学校に通える長崎県五島市のプログラム「GOTO Workation Challenge 2020」。

「最初は、島に行くことに子どもたちは不安だったみたいです。娘は『東京に戻ってきたら、習っていない漢字があるのが不安』って泣いてしまったので、『大丈夫だよ、事前に先生に何を習うか聞いておくから』と安心させました。一方、息子の第一声は『そこって、Wi-Fiある?』。デジタルネイティブだな~と思いました(笑)」

当初は不安だった2人も、入学初日で「楽しかった!」とイキイキとした表情で帰ってきたそう。「『掃除の仕方が違ってた』『牛乳がびんじゃなくて紙パックだった』『給食にくじらの肉が出たよ』とか、たくさん話してくれました。娘はあやとりが好きなのですが、島の子とつくる作品が違っていたみたいで、お互いに“すごいね”って言いあいながら仲良くなったようでした」

地元の小学校へ登校する2人。「ドキドキ、不安だったのは初日だけ。日に日に登校時の表情が明るくなって、短期間でも子どもたちの成長を感じました」(画像提供/児玉さん)

地元の小学校へ登校する2人。「ドキドキ、不安だったのは初日だけ。日に日に登校時の表情が明るくなって、短期間でも子どもたちの成長を感じました」(画像提供/児玉さん)

地元の子どもたちがくれた、お手製の観光ガイトの小冊子(画像提供/児玉さん)

地元の子どもたちがくれた、お手製の観光ガイトの小冊子(画像提供/児玉さん)

最後に色紙をくれたのもいい思い出に。「子どもたちの関係は本当にフラットで、すぐ仲良くなれるのはすごいなぁと思いました」(画像提供/児玉さん)

最後に色紙をくれたのもいい思い出に。「子どもたちの関係は本当にフラットで、すぐ仲良くなれるのはすごいなぁと思いました」(画像提供/児玉さん)

五島市では1階にコワーキングスペースが併設されているホテルに宿泊。「子どもが学校に行っている間は東京と同じように仕事ができました」(画像提供/児玉さん)

五島市では1階にコワーキングスペースが併設されているホテルに宿泊。「子どもが学校に行っている間は東京と同じように仕事ができました」(画像提供/児玉さん)

知らない世界に飛びこむアウェイ体験は、将来の生きる力に

「一番、印象的だったのが、息子が『まるで、違う人の人生を生きたみたいだった』と言ったこと。また、『いろんな教え方をする先生がいるんだ』とか、『どっちの学校も面白いことと、そうじゃないことがある』って気付けたようで、どこか自分自身を俯瞰で見るような、貴重な体験ができたみたいです。子どもの世界ってどうしても狭くなりがち。でも、いつもの学校とは違う”パラレル”な世界をちょっとだけ経験したことで、自分が所属している社会がすべてじゃないと知ったよう。この体験は、子どもたちが今後何かでつまずいたときに、生きる力になるんじゃないかと思います」

五島市のプログラムに参加していた子どもたちと。「こうして子どもたちに地縁のある場所をひとつずつ増やしていきたいです」(画像提供/児玉さん)

五島市のプログラムに参加していた子どもたちと。「こうして子どもたちに地縁のある場所をひとつずつ増やしていきたいです」(画像提供/児玉さん)

児玉さんが子どもたちに体験入学をさせたかった理由は、ご自身の子どものころの体験が大きい。
「私は親の仕事の都合で転校が多く、ドイツやフランスで過ごしたことも。そこでは既存のコミュニティの輪の中に飛び込まないといけず、いろんなことに挑戦しなきゃいけなかった。でも、それって社会人になれば当たり前のことですよね。異世界での刺激が自分を成長させてくれたと思うから、子どもたちにも、そうしたアウェイ経験をさせてみたかったんです」

コワーキングスペースの片隅でゲーム中。「東京の友達とオンラインゲームで遊んでいました。今は離れていてもこうやってつながることができるのもいいですね」(画像提供/児玉さん)

コワーキングスペースの片隅でゲーム中。「東京の友達とオンラインゲームで遊んでいました。今は離れていてもこうやってつながることができるのもいいですね」(画像提供/児玉さん)

会社員でもテレワークが浸透。ワーケーションや二拠点暮らしも視野に

今年秋には、ワーケーションのモニターとして、栃木県那珂川町で2泊3日、下の娘さんを連れて滞在。地元の小学校で体育の授業を一緒に受けたり、川遊び、そば打ち体験、竹細工づくり、栗拾いをしたり、普段とは違う刺激を受けたようだ

「娘は栃木で、子どもを預かってくれた地元のスタッフさんと昔遊びをしたのがすごく楽しかったようで、『もっと森とか川が近くにある場所に住みたい』って言っていました。そんなふうに、小さい時から、自分にフィットする環境を意識することは大切だと思います。そんな娘のために、これからは山で暮らす機会を増やしてあげたいです。こうした経験の積み重ねが、将来、都市以外で暮らす選択肢にもなるのではないかと。それこそ、職業選択の幅も広がると思っています」

もちろん、こうした長期のワーケーションができるのも、児玉さんがフリーランスだからだが、コロナ禍の影響でテレワークが増え、会社員でも可能な選択になっているといえるだろう。
「実際、かつては毎日出社していた会社員の夫も、現在はほぼリモート。東京から離れて暮らすのも全然アリだと言っています。ただ、私は実家が都内にあり、東京の住まいをなくすことは考えていません。ゆくゆくは二拠点暮らしができたらいいね、と夫と話しています」

民家の庭先で栗拾い中。「モニターに参加した同級生の男の子ともすっかり仲良しに。今回、初めて合ったとは思えないくらい!」(画像提供/児玉さん)

民家の庭先で栗拾い中。「モニターに参加した同級生の男の子ともすっかり仲良しに。今回、初めて合ったとは思えないくらい!」(画像提供/児玉さん)

観光マインドからひとつ抜け出すことがワーケーション浸透のカギ

現在、ワーケーションに関するモニター参加や、ワーケーションに関するイベントなどを通して、ワーケーションを推進したい自治体の関係者とも話をする機会の多い児玉さん。課題は何だろうか。

「受け入れ側がまだ観光マインドが抜けないことが大きいですね。例えば、オフシーズンの夏のスキーゲレンデを訪れた時、『このゲレンデの芝を滑って遊べたら、子どもたちがすごく喜びそうだし、このスキー場内の施設で仕事ができたらいいですね。Wi-Fiがあって、見守りしてくれる大人がいたら、みんな来たいですよ』と言ったら、『そんなのでいいのですか』と言われました。地域を観光資源としてだけ見ていて、生活する上での何気ない魅力に気が付いていない人が多いんです。ほかにも、子ども向けの地元のワークショップが、親も参加がマストならワーケーションには向かないけれど、●歳以上は子どもだけの参加でOKとか、親子が別々に過ごせる時間がつくれるならワーケーション向きになります。ワーケーション先を探すとき、今は親がそれぞれ自分で生活環境や子どもの受け入れについて情報収集をしていますが、受け入れる自治体が親子向けのワーケーション先としての魅力を発信するだけでも違ってくるんじゃないでしょうか」

ビジネス系出版社の書籍編集者から、2014年に編集者・ライターとして独立。一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の「フリパラ編集部」、地方創生チームに所属。親子向けワーケーションの普及に向けて、企画や発信を行う事業を展開。現在、小6男児、小2女児の母。夫もマスコミ勤務。写真は10月に参加した兵庫県新温泉町のワーケーション視察後に訪れた鳥取砂丘にて(写真提供/児玉さん)

ビジネス系出版社の書籍編集者から、2014年に編集者・ライターとして独立。一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の「フリパラ編集部」、地方創生チームに所属。親子向けワーケーションの普及に向けて、企画や発信を行う事業を展開。現在、小6男児、小2女児の母。夫もマスコミ勤務。写真は10月に参加した兵庫県新温泉町のワーケーション視察後に訪れた鳥取砂丘にて(写真提供/児玉さん)

子どもがいるから、仕事があるから、と旅がままならない人たちも、テレワークの浸透で働き方はぐっと自由に。実は、思春期になる前の小学生の時期は、乳幼児ほど目が離せないわけではなく、ワーケーションや二拠点生活に向いている。
また、ワーケーションとひとくくりにしても、仕事重視か、休暇重視かで滞在場所や期間も変わる。“プライベートの旅行のときに仕事を持っていく”という段階からひとつ超えた、新たな旅のスタイル、働き方の広がりに期待したい。

●取材協力
・萩市お試し暮らし住宅(#梅ちゃんち)
・「GOTO WORKATION CHALLENGE 2020」
・創生なかがわ株式会社