田んぼに浮かぶホテル「スイデンテラス」の社員はU・Iターンが8割! 都会より地方を選んだ若者続出の魅力とは? 山形県鶴岡市

山形県鶴岡市の中心部にある、建築家・坂茂さんが手掛けた水田に浮かぶホテル「スイデンテラス」。オープンから4年半、今やすっかり全国で知られる人気のホテルになりましたが、ことの始まりは、鶴岡に縁もゆかりもなかった代表・山中大介さんの東京からの移住でした。庄内平野に魅力を感じた山中さんは、その後の人生をかけて「スイデンテラス」をはじめとしたまちづくりをするべく、ヤマガタデザインという会社を起こします。ここでのさまざまな取り組みを見た人たちが、“鶴岡で働き・暮らしたい”と、続々とUターン・Iターンをし、次第に雰囲気は変化。今では働くスタッフのうちUターン・Iターン者のみで約8割を占めるといいます。その魅力は? 働く皆さんにお話を聞きました。

鶴岡の田んぼに浮かぶホテル、なぜつくった?

山形県の北西部に位置する、庄内平野。山と海に囲まれた自然豊かで広大なエリアです。今回私たちが訪ねたホテル「スイデンテラス」は、鶴岡市内にあります。最寄りの鶴岡駅から車で約10分、庄内空港からは車で約20分と、想像していたよりも利便性の良いエリアです。

車で道を走っていると目の前に広がる山並みの景色が美しい鶴岡市内(写真撮影/土田 貴文)

車で道を走っていると目の前に広がる山並みの景色が美しい鶴岡市内(写真撮影/土田 貴文)

周囲を見渡すと、田んぼのほかに工業関連の施設が複数あり、産業が発展していることがうかがえます。

「鶴岡市には11の工業地帯があって大企業のロジスティクスや、バイオサイエンスの研究機関がありますよ。東京からも飛行機で1時間ほどとアクセスが良いので、ビジネスで訪れる方も多いんです」と話すのは、ホテルの広報やブランドコミュニケーションを担う、小野寺望美さん。

そんなエリア内で、異彩を放ったたたずまいをしているのが「スイデンテラス」です。到着するとまず目に留まるのは、水辺の上に浮かんでいるかのような外観。

まるで水面に浮かんでいるかのようなホテル「スイデンテラス」(写真撮影/土田 貴文)

まるで水面に浮かんでいるかのようなホテル「スイデンテラス」(写真撮影/土田 貴文)

ホテルの居室からの眺めは、一面に水面が広がった田んぼの風景。まるで自分が田んぼの真ん中にたたずんでいるよう。レストランのテラスからは、出羽三山の一つ・月山を望むことができ、自然に包みこまれるような心地よさを感じます。

客室からは美しい山々と田んぼの風景を望むことができます(写真撮影/土田 貴文)

客室からは美しい山々と田んぼの風景を望むことができます(写真撮影/土田 貴文)

建物は自然との調和を保つために、あえて木造建築を主軸にしています。そこには「建て直しをせず、いつまでも長く手を入れて継いでいきたい。経年による変化によって生まれる魅力を伝えていきたい、という思いがあります」とヤマガタデザイン 街づくり推進室の長岡太郎さんは語ります。

世界的な建築家・坂茂さんが手掛けたデザイン。施設内には、坂さんの建築の代表的な意匠である紙管を使用(写真撮影/土田 貴文)

世界的な建築家・坂茂さんが手掛けたデザイン。施設内には、坂さんの建築の代表的な意匠である紙管を使用(写真撮影/土田 貴文)

ブックディレクター幅允孝さんと共に選書した約1,000冊の蔵書がそろう共用棟ライブラリー。宿泊者以外もここでくつろぐことができます(写真撮影/土田 貴文)

ブックディレクター幅允孝さんと共に選書した約1,000冊の蔵書がそろう共用棟ライブラリー。宿泊者以外もここでくつろぐことができます(写真撮影/土田 貴文)

レストランは、朝はテラスの窓を開放。気持ちの良い空気と景色を感じることができます(写真撮影/土田 貴文)

レストランは、朝はテラスの窓を開放。気持ちの良い空気と景色を感じることができます(写真撮影/土田 貴文)

それにしても、なぜこの田んぼのど真ん中で、それもホテルを始めたのでしょうか。始まりは、代表取締役である山中大介さんの鶴岡への移住でした。

もともとは東京で暮らしていた、山中さん。その後同じ庄内エリアで世界的に注目をされているバイオベンチャー企業・Spiber(スパイバー)株式会社に転職し、鶴岡へやってきます。鶴岡で暮らしていくなかで、この街にポテンシャルを感じて、ついには自社「ヤマガタデザイン」を立ち上げて定住することを決意します。

「ホテルだけ」をやりたいわけではなかった

山中さんは、鶴岡のことを「気候が穏やかで、景色も美しい。そして何より海の幸や山の幸と、食材の魅力が多いな」と思ったそう。一方で、こうした魅力が周囲にうまく伝えきれておらず、未成熟な部分も多い、とも感じたようです。

“気候や景色、食材など観光として訪れてもらう以外にも、暮らすための魅力も多い。鶴岡には魅力があるのに、この街に住む人が減っていっていることがもったいない。暮らし働く場所のひとつとして、庄内に住む人がもっと増えたら街はもっと魅力的になるのでは”、と思いをつのらせていた山中さん。そんな中で、Spiber社在籍時に、会社の近くにあるサイエンスパーク周辺の土地が未着手のまま困っているという問題に直面します。

そこで、山中さんは「ここをなんとかしたい」とSpiber社を退職後に立ち上げた、「ヤマガタデザイン」社で一手に引き受けることになります。その始まりが「スイデンテラス」でした。

田んぼの稲穂が黄金色に染まる、秋の「スイデンテラス」周辺(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

田んぼの稲穂が黄金色に染まる、秋の「スイデンテラス」周辺(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

有名建築家が手掛けたホテルということもあり、2018年のオープン時から話題となりますが、ヤマガタデザインはホテルの発展だけに心を燃やしているわけではありませんでした。

「僕たちが目指していることは、まちづくりなのです。当初は開発することを第一に考えていましたが、ただつくってそのままにしておくわけにはいかない。施設や街は生き物なのです。持続させるためにホテルの運営も始めました。そのためには暮らし働く環境も必要です。 “従業員が通う保育園が欲しいよね”、“子どもたちが遊べる場所があるといいよね”と次々に発想が広がり、施設や機能が増えているんです」(長岡さん)

子どもたちが体を使って目いっぱい楽しむことができる全天候型の児童教育施設「キッズドームソライ」の「アソビバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

子どもたちが体を使って目いっぱい楽しむことができる全天候型の児童教育施設「キッズドームソライ」の「アソビバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

創作できるスペースも。色鮮やかなクラフトペーパーやリボンなど豊かな素材がそろう「キッズドームソライ」のクリエイティブコーナー「ツクルバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

創作できるスペースも。色鮮やかなクラフトペーパーやリボンなど豊かな素材がそろう「キッズドームソライ」のクリエイティブコーナー「ツクルバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

本格的な工具もそろうほか、スタッフと一緒に制作ができます(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

本格的な工具もそろうほか、スタッフと一緒に制作ができます(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

この4年の間に農業も始めており、近郊にあるハウスで育てた有機野菜は、ホテルの食卓にも提供されています。また、隣接のキッズドームソライでは地域の子どもたちに向けたワークショップやイベントを実施するほか、フリースクールや放課後児童クラブを運営することで、地域の子育ての一端を担っています。この状況は、”鶴岡の街へ参画する一つの窓口になり始めているといえるのではないでしょうか。

ホテルから車で5分のところにあるハウスで有機栽培をしています(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

ホテルから車で5分のところにあるハウスで有機栽培をしています(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

ベビーリーフやミニトマトなどをレストランで提供(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

ベビーリーフやミニトマトなどをレストランで提供(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

レストランスタッフの目利きによる山形の新進気鋭のお酒や飲料はホテル内で販売もしています(写真撮影/土田 貴文)

レストランスタッフの目利きによる山形の新進気鋭のお酒や飲料はホテル内で販売もしています(写真撮影/土田 貴文)

もちろん働き暮らす人たちだけではなく、訪れる人へのアプローチも忘れません。

「“ホテル起点のツーリズム開催”、“食の魅力発信イベント”など、庄内への興味関心を促すことを、これからもどんどんやっていきたいなと考えています。これをきっかけに街への移住者や訪れる人が増え、地域が発展していくということを願いながら、私たちもさまざまな方法や事業で“街”について発信しています」(長岡さん)

山形が故郷である人の心を動かしていった

圧倒的なホテルの存在はもちろん、それにとどまらずに多角的な展開をする姿に、”なにやら面白いことをしているぞ”と、さまざまな人がヤマガタデザインに興味を持ち始めます。

その口コミが広がり、徐々にスタッフになりたいとUターン志望者が現れ、ヤマガタデザインで働くに至りました。
創業期から代表の山中さんとともに汗を流す長岡さん。生まれは山形県寒河江市で、就職後は函館や山形でNHKの報道記者として働いていたと言います。

「自分が山中さんと知り合ったのは、山形勤務時に記者として彼を取材した時。その後、ご本人から話を聞き、彼の心根に打たれて、転職を決意しました」(長岡さん)

山形への熱い思いを語る長岡太郎さん。個人でも山形の美味しいお店や街を活性化するために実施している特徴的なイベントなどを運営しています(写真撮影/土田 貴文)

山形への熱い思いを語る長岡太郎さん。個人でも山形の美味しいお店や街を活性化するために実施している特徴的なイベントなどを運営しています(写真撮影/土田 貴文)

大企業という安泰を捨てる、その決意は並々ならぬものだったのではないでしょうか。

「自分としては、”どこで働くか”よりも”誰と働くか”が大切だと思っていて。心から愛していた山形のことを盛り上げるということには変わりはないし、何よりもこの人と一緒に仕事をしたらもっと面白くできると思ったのです」(長岡さん)

一方、ホテルレストランの料理長である佐藤義高さん。佐藤さんの地元は、鶴岡市の隣にある酒田市です。就職してからずっと東京で暮らしていたものの、いつかは地元に帰ることを考えていたそう。しかし地元の求人の多くは、就労環境や条件などで首都圏との格差があり、Uターンすることを躊躇していました。そんな中で、スイデンテラスの話を知人から耳にします。

「私はいつかUターンしたいなと思っていたものの、独立して店を開業するか、どこかに就職するかの選択となるのだろうなと考えあぐねていた。そんな時に地元の友人から『スイデンテラス』の話を聞いて面白そうだと思いました」(佐藤さん)

ホテルへの就職となると、仕事の内容がある程度決まるため、転職といってもほぼ業界の出身者が集います。

ところがこのホテルは「”まちづくり”の会社が担っていて、集まるメンバーも地方創生やまちづくりに関心がある人が多く、なかにはホテル勤務未経験者もいます。こうした今までにない環境が、自分の中の考え方や料理にプラスになると感じ、Uターンして働くことを決めました」と佐藤さん。

スタッフたちは皆、“街をよくしたい”という思いで、常に語り合っているそう(写真撮影/土田 貴文)

スタッフたちは皆、“街をよくしたい”という思いで、常に語り合っているそう(写真撮影/土田 貴文)

実際に働いてみてどう感じているのでしょうか。佐藤さんは「さまざまな出身のスタッフたちと一緒に働いているし、お客様も全国から来ていただいているので、ある意味で自分が想像していた地元で働く感覚よりも刺激的で、都会的な感覚もあります」と言います。

しかし、こうも続けます。

「スイデンテラスをきっかけに、地元が少しずつ変わっていく姿を見るのが面白い。また自分が帰郷して、食を通じて地元の食材の魅力を見直すことでき、それを訪れる人に伝えられることを嬉しく思っています」(佐藤さん)

縁もゆかりもなかった鶴岡。知れば知るほど夢中になっていった

故郷に近い場所で働くUターン者ももちろん、「山形」の魅力に心を奪われてIターンをしてきたスタッフも多くいます。ヤマガタデザインでは働くスタッフの3割がIターンだといいます。

四季折々に変化する景色の豊かさは、Uターン・Iターンして再確認できたと、口々に話していました(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

四季折々に変化する景色の豊かさは、Uターン・Iターンして再確認できたと、口々に話していました(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

レストランサービスのリーダーである持田絢乃さんは埼玉県出身。それまでは都内や関東近郊の飲食店で働いていました。仕事をする中で、食品ロスの多さなどに違和感を感じ始め、もっと食を大切に、より深く食を学びたいという気持ちが強く湧いてきたそうです。

そんな中、脳裏をよぎったのが学生時代にお世話になった鶴岡のことでした。

「大学時代に地域フィールドワークの授業で訪れた鶴岡の街のことがずっと忘れられなかったんです。授業では、地域の課題を街のお母さん方と一緒に解決策を考えていくというものだったのですが、とにかく温かく接してくれて。そのことが忘れられなかったんですね。私が鶴岡に移住したいと思ったのは、こうしたこの街の人たちの優しさに触れたのが大きいです」(持田さん)

飲食店を退職し、鶴岡に来てしばらく農家レストランなどで働いていましたが、「この街」の良さをもっと発信したい、と思った時にヤマガタデザインに出合ったと言います。

「一人だと小さな力しかないかもしれないけれど、ここだったら“この街が好き”っていう人がたくさん集まっているので、なにか面白いことができると思っています」(持田さん)

一方、地元が近県の秋田県という武井真笑さん。関東の大学を卒業後は、Uターンして自動車ディーラーで営業の仕事をしていました。現在はホテルレセプションをしています。
あえて山形へ移住したのは、以前から地域振興に興味があったから。きっかけはNPOについて情報発信するサイトを通じて、鶴岡を知り訪れたことだったそう。

「実際に山形を訪れてみたら“すごくいいところじゃん”って思って。何より食事が美味しいし、人がみんなあたたかい。ここで働きたいなと思った」と移住に踏み切ったそうです。

食が豊かなことを改めて知ることができたと話すIターン者のお二人。気鋭の生産物を目利きして、「スイデンテラス」から発信していくことも大切にしています(写真撮影/土田 貴文)

食が豊かなことを改めて知ることができたと話すIターン者のお二人。気鋭の生産物を目利きして、「スイデンテラス」から発信していくことも大切にしています(写真撮影/土田 貴文)

「それまでは隣の県といえども、山形のことを本当に知らなかったんですね。秋田から山形へ出かけるって思ったよりも時間がかかるので。同じ東北地方でも仙台に足を延ばす方が圧倒的に早いんです。ここで仕事をし始めてからこんなにも山形は魅力的なんだな!と改めて感じることが多いです」(武井さん)

ホテルのエントランスには、地元のクリエイターの作品が多数並びます(写真撮影/土田 貴文)

ホテルのエントランスには、地元のクリエイターの作品が多数並びます(写真撮影/土田 貴文)

ここ鶴岡には“街を良くしていきたい”と熱い気持ちを寄せる若い世代が集うと武井さんは話します。

「ヤマガタデザインはもちろん、地元の飲食店や、クリエーター、商店の人たち、まちづくり団体の人たちなど本当にたくさん。この仕事をきっかけに街の魅力を共有できる人たちと、これからも協業できたらいいなと思っています」(武井さん)

地方に暮らして働き、「その街」の魅力を、これからも全力で発信していく!と、エネルギッシュな皆さん。(写真撮影/土田 貴文)

地方に暮らして働き、「その街」の魅力を、これからも全力で発信していく!と、エネルギッシュな皆さん。(写真撮影/土田 貴文)

大きな志を持った山中さんという一人の人物によって、たくさんの人が影響を受け、ここ“鶴岡“の街は確かに変化を遂げていっているようです。UターンやIターンはもちろん簡単なことではないですし、決断をすることにもエネルギーを使います。

ですが、「志」を同じくした仲間がいれば、もしかしたらその一歩は、踏み出しやすくなるのかもしれません。
ヤマガタデザインのように、地方から「ときめく」暮らしや仕事が各地に増えていったら、住む場所を選ぶ私たちはもっとワクワクしそうです。

●取材協力
・スイデンテラス
・ヤマガタデザイン株式会社
・ヤマガタデザインリゾート株式会社

山形住みます芸人・ソラシド本坊元児さん「東京の8年間は罰ゲームみたいだった」。都会を捨て、農業や”まともな生活”で得た充足感

吉本興業の芸人さんが全国47都道府県に暮らす「あなたの街に”住みます”プロジェクト」。お笑いコンビ「ソラシド」の本坊元児さんは、指名を受けて2018年に山形県へ移住、テレビやラジオ出演のかたわら農業を営んでいます。本坊さんのように地方へ移住をしてみたいと願う人も最近は増えていますが、不安や迷いも多くて足踏みしてしまうことも。そんな迷える人に向けて教えてください。本坊さん、移住について本当のところはどう思っているんですか?

手探りで始めた農業は、ご近所の人から教わった

現在山形市内に居住しながら、西川町にある畑や竹林、平屋の古民家を借りて通いで農業に勤しむ本坊さん。日本テレビのTV番組「人生が変わる1分間の深イイ話」では、本坊さんの暮らしぶりに密着するコーナーもあり、注目をされています。実際に目にしたことがある人もいるのでは?芸人仲間で仲良しの「麒麟」川島明さんも、本坊さんの山形暮らしについて、メディアでたびたび話しています。2022年4月には、山形暮らしのことを綴った『脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの』(大和書房)を上梓しました。

山形での暮らしぶりを赤裸々に綴った、本坊さん二冊目の著書(画像提供/大和書房)

山形での暮らしぶりを赤裸々に綴った、本坊さん二冊目の著書(画像提供/大和書房)

それにしても、芸人さんが農業? 一体どんな生活をしているのでしょうか。私たちは東京から飛行機で1時間、さらに車に乗り換えて1時間ほどかけて、西川町に到着しました。

本坊さんの畑がある場所は、山々に囲まれた自然豊かな環境(写真撮影/土田 貴文)

本坊さんの畑がある場所は、山々に囲まれた自然豊かな環境(写真撮影/土田 貴文)

広大な畑をせっせと行き来する本坊さん。「こんにちは」と近くに行くと、10月上旬のこの日は大根の葉の間引きや、里芋の収穫作業をしていました。

大根の葉の間引き作業をする本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

大根の葉の間引き作業をする本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

(写真撮影/土田 貴文)

(写真撮影/土田 貴文)

作付けをしている畑は約400平米ほどの広さ。ここでは現在里芋、大根のほか、玉ねぎやジャンボニンニクなど1シーズンで8種類近くの農産物を育てています。

「実は、里芋の収穫は作付けしてから初めての作業なんですよね、一体どうやるのかなあ」と笑いながら手探りの作業が続きます。

ドキドキしながら里芋収穫の作業をする(写真撮影/土田 貴文)

ドキドキしながら里芋収穫の作業をする(写真撮影/土田 貴文)

掘り起こした根元を見てみると、たっぷり里芋が!(写真撮影/土田 貴文)

掘り起こした根元を見てみると、たっぷり里芋が!(写真撮影/土田 貴文)

「農作物の育て方も、農機具を使うことも、ここにきて初めて知ったこと。何も知らないことばかりで、試行錯誤です。あまりに何もわからないから、ご近所の人たちや、地主であるシゲルさんから教えてもらいながら育ててきましたよ」(本坊さん)

本坊さんの農業の先生、地主のシゲルさんとの出会いは、2020年のコロナ禍、趣味である沖縄三線を通じてだったそう。

家主シゲルさんとの共通の趣味、沖縄三線を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

家主シゲルさんとの共通の趣味、沖縄三線を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

「それまでは少しずつメディアの仕事が増えていってたのが、コロナになって全てパー。アルバイトすらままならなくなったんですよ。そこで、以前から思っていた”何かやりたい、ここでしかできないことをしたい”を実行に移す時だと、農業を始めることに。そのタイミングでシゲルさんとSNSを通じて知り合い、空き家になっていた古民家と竹林、畑を月100円で借りられることになったんです」(本坊さん)

借りている平屋には、家主シゲルさん一家の生活の名残が感じられます(写真撮影/土田 貴文)

借りている平屋には、家主シゲルさん一家の生活の名残が感じられます(写真撮影/土田 貴文)

右も左もわからない状態で始まった山形暮らしですが、現在は毎日が大忙し。作った農作物を道の駅などで販売するほか、今年は近隣の食品会社から400本の大根の注文を受けたのだとか。「社長が、『本坊くんの作っている大根をうちで買わせてくれないか』って言ってくれて。大根を使って、漬物を作ってくれるんですって。ありがたいですよね。だから期待に応えられるようにしっかり作らないと、と思っているんです」(本坊さん)

農作物の生産や販売だけではありません。この日は取材の前に、西川町の名産品であるさるなし・こくわの商品PRショーを行っていたそう。農業を経験したことで、農産物のPRや商品開発にも携わることへと広がり、本気で農業と向き合っているそうです。
一方芸人としての仕事に始まり、東北地方でのメディア出演も増えているとのこと。現在テレビ6本、ラジオ2本へのレギュラー出演と2本の連載、そのほか講演活動にも勤しんでいます。「先日は小学校から講演依頼があったんですけど、テーマが『SDGs』で依頼をもらって。むずいテーマだなって思いながらも、17のテーマの中から農業とゲームで結びつけて話しました。こういう形で、芸人と農業が生きています」(本坊さん)

東京にいることが苦しくて、移住を決意

今でこそ多忙な毎日を送っている本坊さんですが、「それまで僕は20年間、今よりもずっと売れてなくて、月に5日も芸人の仕事があればいいほうでした」と話します。
「それ以外の時間は、日雇いの工事現場での仕事をしていたわけで。明日の予定さえよくわからない毎日だったんです。でも、おかげさまで今はやりたいこと、やらなくてはならないことが常にタスクとしてたまっている日々。そんな日々を走っているってことが嬉しいですね。忙しいことは、暇なことよりもストレスにならないです」(本坊さん)

東京時代のことを振り返る本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

東京時代のことを振り返る本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

会社からの指令で山形へ移住することに抵抗はなかったのでしょうか。

「そりゃあ、抵抗はありましたよ。2011年にも一度移住の話を持ちかけられたんですが、その時は断っています。だって僕らは芸人になりたくて吉本に入っているんであって、地方を目指したいわけではない。大都会のてっぺんで頑張りたいって思うわけです。その時は即答で断りました」(本坊さん)

その後東京で芸人活動を続けますが、次第に本坊さんは都会での暮らしに疲弊していったのだと振り返ります。

イチから始めた山形の生活も、四の五の言わずに淡々と楽しんでいる(写真撮影/土田 貴文)

イチから始めた山形の生活も、四の五の言わずに淡々と楽しんでいる(写真撮影/土田 貴文)

「とにかくバイト生活から脱したかった。ほとんどずっと工事現場で働いていて、『この生活は何の罰ゲーム?東京におる意味ってあるんか?』と思いながら過ごしていました。僕にとっての暗黒の8年間。仕事も辛かったけれど、それ以上に人や街の空気に酔ってしまい疲れていたんだと思います。年齢も30過ぎてて、住めるわけでもない大都会の真ん中へ、仕事のためだけに毎日電車に揺られて通う。しんどい以外の何ものでもなかった。そう思っている大人、他にもいるんちゃうかな。だから2回目の移住指令に応じたのは、正直なところ都会の苦しさから逃げたくてラクを選んだところもありました」(本坊さん)

移住をするからって、ずっと住むわけではない

移住してから初めのころは仕事を介した地元の人との付き合いが中心だった本坊さん。その後「芸人じゃない友人」である宅配便配達員・ジンくんとの出会いがきっかけで、仕事以外の地元の友達がたくさんできたといいます。

仲良しの友達ジンくん一家と、馬場園梓さんとの一コマ(画像提供/吉本興業株式会社)

仲良しの友達ジンくん一家と、馬場園梓さんとの一コマ(画像提供/吉本興業株式会社)

「芸人じゃない人たちの生活がとにかく新鮮でしたね。起きて布団を干して、洗濯をする。きちんと靴もそろえられていて、献立表とかが冷蔵庫に貼ってあるんですよ! 何もかもがまともな生活。ああ!こういう生活が普通の生活なんやって、40年近く生きてきて今さら知ったという。遅いんだけど(笑)。そのことがいちいち面白かったです」(本坊さん)

山形の人にとって当たり前の風景や気候も、本坊さんには何もかもが新鮮だったという(写真撮影/土田 貴文)

山形の人にとって当たり前の風景や気候も、本坊さんには何もかもが新鮮だったという(写真撮影/土田 貴文)

休みの日ともなれば友人たちと釣りへ行き、麻雀をし、食事を共にしては時には友人宅に寝泊まりするほど本坊さんは山形の暮らしに馴染んでいきます。これほどに仲良くなれるって珍しいのではないでしょうか。

「”地元を盛り上げたくて”みたいな、なんかうわついたこと言って構えて移住してきても、”あんた何言ってんの?”みたいに思うじゃないですか。大そうなことをしようとなんて思っていないし、正直に嘘をつかないで過ごすことが大事だと思うんです」(本坊さん)
本坊さんが徐々に人脈を広げて、そして仕事へと広がりを見せていったのは、無理な姿をつくらないこと、そして高すぎる志を掲げなかったことが多くの人との距離感を縮めていたのかもしれません。

この地区では一番若いという本坊さん。元気な年長者たちに助けてもらいながら、過ごしているそう(写真撮影/土田 貴文)

この地区では一番若いという本坊さん。元気な年長者たちに助けてもらいながら、過ごしているそう(写真撮影/土田 貴文)

「だから移住の理由も本音を話すんです。本当は”山形に来たくて、移住しました”っていう方がみんな喜ぶでしょうし、それを期待しているんでしょうけれど。”住みます芸人で指名されたから来ました”が僕の本音。嘘は言わない。でも、住むからにはその土地で文句を言わずにできることを一生懸命やる。これが僕のできることです」(本坊さん)
これだけ仲の良い人間関係が出来上がると定住しそうにも思えますが……。

「でもね、住んでる家は賃貸ですしね。一生家を買わない方向を考えているから、またどこかに引越すことになるかもしれません。その時になってみないとわからない。今は今で楽しいけれど、先はもしかしたらまたどこかに移住するかもしれない。そういう話をすると、山形の人たち寂しそうな顔するんですけどね。移住したからといって、移住先に一生住み続けなければならない。ってことはないんですよね」(本坊さん)

迷っている人がいたら、自分が斜に構えないこと

「移住をしたら、ずっと住み続けなければならないってことはない」ーーその一言にハッと目を覚まさせられた気持ちになります。なぜならば、移住を願う人たちの多くは、その土地に住むならば「失敗したらどうしよう・人間関係がうまくいかなかったらどうしよう」と、先々ずっと続く心配をしがちだからです。移住を先に経験している本坊さんは、そこをさらに突いてきます。

「いや、不思議に思うんですけど……。皆なんでそんなにトラブルがありき前提で家や土地探しに行くんですかね。確かに隣の人たちの顔が見えないっていう状況が怖いのはわかるんですけれど。でも正直、自意識過剰な気がします。相手にだって相手の生活があり、彼らにとっても知らない人が移住してくるのは不安や未知がある。見えない情報に翻弄されず、斜に構えないで、目の前の人たちのことをしっかり見ることが大事なんじゃないですかね」(本坊さん)

工事現場での作業経験を活かしながら、廃材を利用してDIYでつくった農作業庫(写真撮影/土田 貴文)

工事現場での作業経験を活かしながら、廃材を利用してDIYでつくった農作業庫(写真撮影/土田 貴文)

確かにその通りですね。自分のことばかりではなく、相手の立場に立って考えることで、不安や心配は和らぐのかもしれません。誰だって未知なる世界に不安が膨らむのは当然のことなのですから。

「僕も移住前に、空き家バンクなんかをネットで調べたりしました。今は手軽に情報が調べられるけれど、こと移住となると、ネットはやっぱり嫌なことしか情報として出てこないんですよ。でもそれを自分の実生活に当てはめてみると、ネットに上がっている情報が全てではなくて。鵜呑みにしない方がいいなって思いますね。半分ゴシップだと思えばいいんです」と語る本坊さん。

移住に対しても一歩俯瞰的に見ているところに芸人さんらしさを感じます(写真撮影/土田 貴文)

移住に対しても一歩俯瞰的に見ているところに芸人さんらしさを感じます(写真撮影/土田 貴文)

本坊さんがおっしゃるように、SNSやインターネットでの情報が手軽に入るようになったからこそ、不安の面積が広がっているというのはあるのかもしれません。

「だって、世の中には嫌な奴もいるし、一方ではいい人もたくさんいる。それは東京でも山形でも同じでしょう? だからパソコンやスマホを指先だけでいじって調べてないで、嫌なことも楽しいことも変化を面白がる。そのくらいの気持ちを持って、体ごとぶつかっていけば、“住めば都”になるかもしれないですね」(本坊さん)

実直な気持ちで、いいも悪いも変化として面白がる。そして失敗したと思っても引き返せばいいし、移住した先に住み続けることが必須ではない。その気持ちと行動が、移住を実現するには何よりも大切なのかもしれません。

東京から遊びに来てくれた「おかずクラブ」と大根の収穫作業を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

東京から遊びに来てくれた「おかずクラブ」と大根の収穫作業を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

「本音を言うとまた東京にいる芸人さんたちと一緒に仕事をしたいですよ、特に昔の仲間たちと」とぽつりと語してくれた本坊さん。しかし「東京の暮らしをまたしたいとは思わない、なんだかんだ楽しんでいるんだと思う」とも続けてくれました。

最近は芸人仲間も、本坊さんの山形暮らしにとっても興味を持っている様子。実際に「天津」の木村卓寛さんや、「おかずクラブ」の二人などが、遊びに来てくれたそうです。東野幸治さんはなんと地方移住に興味を持っているのだとか。こうして芸人さんにも、山形や移住のことを自分ごととして感じてもらい、更には街の人たちとの交流が増えるという流れをつくること。それが本坊さんにとってのこれからやりたいことだそう。ますます関係人口が広がっていきそうで、とても楽しみですね。

泥臭く大変な作業ですが、楽しそうに話す姿が印象的でした(写真撮影/土田 貴文)

泥臭く大変な作業ですが、楽しそうに話す姿が印象的でした(写真撮影/土田 貴文)

●取材協力
・吉本興業株式会社
・よしもと住みます芸人
・ソラシド
・本坊元児

「日本の省エネ基準では健康的に過ごせない」!? 山形と鳥取が断熱性能に力を入れる理由

在宅勤務が増えた人も多いだろうが、そうなると気になるのが今年の夏の冷房費。さらに今冬の暖房費もきっと……? そんななか、山形県が2018年に、鳥取県が2020年に国の省エネ基準のほぼ倍となる厳しい断熱基準を打ち出し、それに適合する省エネ住宅を推進している。なぜ国より厳しい基準を設けたのか、家を建てる私たちにどんなメリットがあるのか? 各県の担当者に話を聞いた。
ヒートショックによる死亡者数が交通事故の約4倍!?

国民が健康的な生活を送れるようにと定められているのが、省エネルギー基準(以降、省エネ基準)だ。この省エネ基準をクリアすることは家を建てる際の義務ではないが、例えば金利の優遇を受けられ【フラット35】S 金利Bプランの利用条件の1つに、「断熱等性能等級4」がある。これは現在の国の省エネ基準に相当する。また住宅ローン控除や固定資産税優遇制度などが受けられる長期優良住宅の「省エネルギー対策」も断熱等性能等級4が条件となる。

このように省エネ基準を満たす家づくりが推奨されている中、山形県は国の基準よりも高い「やまがた健康住宅基準」を2018年に定めた。これには同県ならではの切実な理由があった。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

「実は山形県でヒートショックによる死亡者数の推計値は年間200名以上。これは交通事故による死亡者数の4倍にもなります」と山形県県土整備部建築住宅課の永井智子さん。しかも山形県といえば寒い東北地方、というイメージだが、実は山形市や米沢市は盆地にあり、寒い地方だけれど夏は暑いという、寒暖差の大きい地域。大きな寒暖差は、体に悪影響を与える。ちなみに2007年に岐阜県多治見市に抜かれるまでは、74年間も1933年に山形市が記録した40.8度が日本一の最高気温だった(現在は2018年に記録した埼玉県熊谷市の41.1度が最高)。

では「やまがた健康住宅基準」が国の基準と比べてどれくらい高いのか。比較したのが下記図だ。

「やまがた健康住宅基準」と国の省エネ基準やZEHの基準との比較

「やまがた健康住宅基準」と国の省エネ基準やZEHの基準との比較(編集部作成)
※「国の地域区分」…国が省エネ基準を定める際、地域の気候に合った基準を定めるために全国を8つの地域に分けた区分のこと
※「UA値(外皮平均熱貫流率)」…住宅の断熱性能を示す。1平米あたりどれだけの熱が中から外へ逃げるのかを示しており、数値が低いほど断熱性能は高い
※「相当隙間面積(C値)」…住宅の隙間がどれだけあるかを示すもので、これも数値が低いほど気密性が高いことを示す

表内の「地域区分」は市区町村単位で決められていて、山形県の場合、地域区分は3~5に分かれているが、「やまがた健康住宅基準」は地域区分ごとに断熱性能の高低レベルとしてI~IIIの3つを設定している。一番低いレベルIIIでも、国の基準はもとより、ZEH(年間の一次エネルギー消費量がゼロ以下)の基準をも上回る。一番高いレベルIは、ZEHの約2倍という高い数値だ。

暖房を切って寝ても翌朝室温10度を下回らない家

もともと山形県は省エネ活動に積極的で、以前から学識経験者や県内の住宅関係者、環境や森林部門など各部署の人々から成る「山形県省エネ木造住宅推進協議会」を設けていた。この協議会の会長で、省エネ住宅に詳しい山形県東北芸術工科大学の三浦教授をはじめたとした学識経験者の方々に意見をうかがいながら「HEAT20」の基準を参考に「やまがた健康住宅基準」を定めることにしたのだという。

「HEAT20」が推奨するUA値は3つのレベルがあり、それが下記の数値だ。一番低いレベルの「G1」の数値を見ると、地域区分3では0.38、4なら0.46、5は0.48(いずれも単位はW/m2・k)。そう、山形県のレベルI~IIIの基準値と同じなのだ。

HEAT20の断熱性能推奨水準と国の基準との比較

HEAT20の断熱性能推奨水準と国の基準との比較(編集部作成)。ちなみに「HEAT20」とは地球温暖化やエネルギー問題に対応するため2009年に発足した「2020年を見据えた住宅の高断熱化技術開発委員会」の略称。住宅の省エネルギー化を図るため、研究者や住宅・建材生産者団体の有志によって構成されている

ちなみに「HEAT20」では、「G1」レベルの家で地域区分3~5(山形県の全域が該当)の場合、冬の最低の体感温度が概ね10度を下回らない断熱性能があるとしている。「ヒートショックを防ぐためには、最も寒い時期でも就寝前に暖房を切り、翌朝室温が10度を下回らないように」(永井さん)という断熱の目的に合致した基準というわけだ。

「やまがた健康住宅基準」と認定された住宅を建てた場合は、県による「山形の家づくり利子補給制度」の「寒さ対策・断熱化型(やまがた健康住宅)」として補助金を受け取ることができる。

令和2年度 山形県の家づくり利子補給制度

令和2年度 山形県の家づくり利子補給制度。所得1200万円以下の県内在住者を対象に、住宅ローンの当初10年間が対象。年度末に利子補給金が1年分振り込まれ、10年間で最大約80万円が交付される

上記表の「寒さ対策・断熱化型(やまがた健康住宅)」は「やまがた健康住宅基準」の認証を受けることが条件だが、認証制度を開始した2018年度で21件、2019年度で35件と着実に伸びている。「やはり暑さ寒さが身に染みている県民だからこそ、多少初期費用が高くても断熱性能の高い家を求めるのではないでしょうか」と永井さんは分析する。

(写真提供/山形県)

(写真提供/山形県)

鳥取県は山形県よりもヒートショックの危険が高い!? 

一方、同じ日本海側とはいえ山形県よりずっと西に位置する鳥取県も、同様に国の基準より高い「HEAT20」の基準を参考に、「とっとり健康省エネ住宅性能基準」を定めた。西の方だからさほど寒くないのでは?と思いがちだが、同県のシンボルの一つである大山(だいせん)にはスキー場もあるなど、冬になれば雪が積もる。鳥取県住まいまちづくり課の槇原章二さんによれば「国のスマートウェルネス事業にも携わっている慶応大学の伊香賀先生の調査によれば、鳥取県は全国の冬季の死亡率割合がワースト16位だったんです」という。

慶応大学の伊香賀教授が、厚生労働省の2014年人口動態統計に基づいて月平均死亡者数を比較し、冬季(12月~3月)死亡増加率を算出したもの

慶応大学の伊香賀教授が、厚生労働省の2014年人口動態統計に基づいて月平均死亡者数を比較し、冬季(12月~3月)死亡増加率を算出したもの(出典/慶應義塾大学伊香賀研究室提供資料)

大山鏡ヶ成の雪景色(写真/PIXTA)

大山鏡ヶ成の雪景色(写真/PIXTA)

すべての死因がヒートショックによるものかどうかまで精査するのは難しいが、冬の心疾患や脳血管疾患といえば、ヒートショックにより引き起こされる疾患の代表格。その数が寒冷な北海道や青森県よりずっと多いのだ。また上記グラフをよくみれば、死亡増加率の高い県は、意外と比較的温暖な地域がずらりと並んでいることに気づくだろう。「ヒートショックは寒い時期に起こりやすい→だから寒くない地域はそこまで心配する必要はない」という油断が、この結果を招いているのだと思われる。

一方で、上記の考え方に沿えば「寒い地域だからこそ、家の断熱性は高くしよう、家を暖かくしよう」と考える人が多いからこそ、寒冷な地域は数が少ないのかもしれない。とはいえ、上記表でベスト9位という山形県でも、先述の通り交通事故の4倍がヒートショックで亡くなっている。そう考えると東西南北を問わず、日本全体がヒートショックの危機にさらされているということになる。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

そもそも日本は昔から高気密高断熱の真逆、通気性を重視する家づくりが盛んだった。吉田兼好は「家つくりやうは、夏をむねと すべし」と、夏のジメジメした気候に合う、通気性のよい家づくりをと、徒然草に書いたほどだ。日本人の多くは、断熱性の低い住まいが当たり前だったことから、室内温度は外気に左右されやすいもので、家にいても「夏は暑い、冬は寒い」「北は寒い、南は暖かい」のは当たり前、という考えが根付いたのだと思われる。なにしろ高気密高断熱の住宅という考えが日本に知られるようになったのは、西洋風の住宅が広まりだした1960~70年あたりからと、日本の歴史から見れば、つい最近の話なのだ。

全館空調システムを導入しても採算が取れる家

もともと県内で健康省エネ住宅の普及に取り組んできた民間団体であるとっとり健康省エネ住宅推進協議会(代表理事 谷野利宏)に県としても参加し、協議会で話し合いを重ねる中で、健康省エネ住宅の普及に向けて県としての省エネ住宅のモノサシをつくろうということになったという。

とっとり健康省エネ住宅性能基準

とっとり健康省エネ住宅普及事業のホームページより。ちなみに鳥取県のほとんどは国の定めた地域区分では、比較的温暖な地域の6にあたるが、同一市町村内でも標高差が大きい鳥取県では国の定めた地域区分も「実態に則していない」「消費者にとってわかりづらい」という課題があった(出典/鳥取県庁公式ホームページ「とりネット」)

「ヒートショックを防ぐためには、廊下も含めて住宅の隅々まで同じ温度であることが必要になります。そうなると全館空調システムは必須。では全館空調システムの効果を高めるためには、住宅の断熱性能がどの水準にあればいいのか、光熱費の削減率や高気密高断熱住宅を建てるコストはいくらほどになるのか、をシミュレーションすることから始めました」と、鳥取県住まいまちづくり課長の遠藤淳さん。

その際に、山形県同様「HEAT20」の断熱基準を元にシミュレーションしてみたのだという。「HEAT20」の基準を元に計算した理由は、遠藤さんは以前から日本の基準がヨーロッパなど世界と比べ低いことに課題感を持っていて「HEAT20」の基準が欧米で義務化されている水準であることからだそうだ。

シミュレーションの結果「初期投資があまり高くなりすぎず、全館空調の効果を高める断熱性能の基準がUA値0.48であることがわかりました。UA値0.48は「HEAT20」の基準で地域区分が5のG1に相当します。鳥取県はほとんどが地域区分6ですが、県全体の共通基準としてシンプルに示すため地域区分5のUA値を採用しました」(槇原さん)。それが上記表の「とっとり健康省エネ住宅性能基準」の「T-G1」にあたり、国の基準値で建てた場合と比べると、光熱費を約30%削減できるというシミュレーションの結果となった。さらに断熱性能の高い「T-G2」や「T-G3」であれば、それぞれ約50%、約70%の削減に繋がる。「T-G2なら15年で初期費用の増額分を回収できるくらいの光熱費削減効果があります」と槇原さんはいう。やはり断熱性能が高ければ、光熱費を大幅に削減できるのだ。

「高断熱性能を実現するために最重要」と槇原さんが語るトリプルガラス(写真/PIXTA)

「高断熱性能を実現するために最重要」と槇原さんが語るトリプルガラス(写真/PIXTA)

始まったばかりだが、省エネ住宅を建てられる施工会社は多い

先述のシミュレーション結果をもとに策定した健康省エネ住宅性能基準を軸に、鳥取県では令和2年(2020年)度から「とっとり健康省エネ住宅普及事業」をスタートさせた。上記表の通り、補助金制度も用意したが、まだその詳細が決まっていないころの2019年の年末の仕事納めの日に、遠藤さんたちは知事にこれらの事業について報告。さあ、年が明けたら忙しくなるぞ、と思っていたら知事が年頭の挨拶でこの「とっとり健康省エネ住宅普及事業」について発言したため、正月から各メディアに取り上げてもらえたという、うれしいサプライズがあった。

知事による発言の効果もあったのだろう、2月に行った施工会社等事業者向けの説明会には、想定を超える200名以上が参加。5月から6月にかけて事業者向けの技術研修にも271名もの参加者があったという。

この技術研修の最後に、平たくいえば試験が行われ、そこで合格した人が「とっとり健康省エネ住宅普及事業」の登録事業者になる。登録事業者が建てて、とっとり健康省エネ住宅性能基準を満たした住宅が「とっとり健康省エネ住宅」と認定される。7月末時点で登録事業者は設計が121人、施工が104人(両方取得した人もいる)。スタートしたばかりにも関わらず、いずれも想定以上の人数で、業界をあげて事業に積極的であることが伺える。

この状況に対して遠藤さんは「年頭の知事の発言で『県が本腰を入れて取り組む事業』と周知されたことで注目を集めたことと、事前説明会で、日本の基準が世界と比べてかなり低いということ、思いのほか無理のない費用で高気密高断熱の住宅が建てられること、光熱費の削減効果でゆくゆくは初期費用の増加分のもとが取れることを伝えたことで、事業者の方々にも魅力を感じていただけたのだと思います」

さらに「2021年から新築住宅に対して施主への省エネ基準の説明が義務化されたことも大きいのでは」と遠藤さんは指摘する。

実は、事前説明会に参加した事業者の約6割が、これまで建てた家のUA値を把握していなかったという。だとすれば、「とっとり健康省エネ住宅」の認定住宅を建てれば、この説明義務も果たせるし、商品として魅力的に映ると考えてもおかしくはない。

もちろん家を建てる側からすれば、難しい数字で説明されるより「国よりも厳しい基準の省エネ住宅で、T-G2というレベルなら15年で初期費用の増額分を回収できる」のほうが分かりやすく、しかも光熱費の削減の具体的な数字が見えるのはうれしい。

地方発の断熱性能向上革命は、成功するのか!?

先述のように、「とっとり健康省エネ住宅普及事業」は今年度に始まった事業で、事業者への研修も6月末でようやく終わったばかり。しかし、実は以前から「とっとり健康省エネ住宅性能基準」をクリアするほどの省エネ住宅を既に手がけている事業者もいるという。もちろん既に建てられた家は事業開始前ゆえ、補助金は支給されないのだが、中には「それでもいいから、認定だけ欲しい」という施主もいるという。

山形県同様、それだけ暑さ寒さが身に染みていた県民がいたという証でもある。そのなかで「T-G2」(経済的で快適に生活できる推奨レベル)のUA値0.34を超える0.32の家を建てたKさんは「冬の寒い時期の、2月に福山建築さんの見学会に参加したのですが、エアコンが1台しかないのに、家中どこでも暖かくて驚きました。住むならこんな断熱性能の高い家がいいと、お願いしました」という。同社は県の事業が始まる前から、積極的に高気密高断熱の家を手がけてきた地元の施工会社の一つだ。

施工は鳥取県の福山建築。UA値は0.32、C値は0.13(写真提供/福山建築)

施工は鳥取県の福山建築。UA値は0.32、C値は0.13(写真提供/福山建築)

(写真提供/福山建築)

(写真提供/福山建築)

実際に住んでみると「冬でも毛布1枚で眠れますし、日中はTシャツ1枚でも十分です。こたつなどの暖房器具を出す手間も減りました」とKさん。UA値やC値といった数字では、なかなか「暖かい」「涼しい」が見えないため、こうした“体験談”の口コミは貴重だ。

先述した山形県でも“体験型”による省エネ住宅の普及が期待されている。同県の飯豊町では2019年11月から、やまがた健康住宅基準の中で2番目に高い基準の、レベルIIの認証住宅を建てることを条件に分譲地を販売しているが、この一角に「6月5日にモデル住宅が完成し、今後は体験宿泊も検討されています」(山形県県土整備部建築住宅課 永井智子さん)。

エコタウン椿(写真提供/山形県)

エコタウン椿(写真提供/山形県)

(写真提供/山形県)

(写真提供/山形県)

エコタウン椿 近景パース(写真提供/山形県)

エコタウン椿 近景パース(写真提供/山形県)

徒然草に書かれるほど、2000年近くも高気密高断熱の家とは無縁の生活を送ってきた日本人。そこから障子や欄間など日本固有の文化が生まれたのは確かだが、しかし「残念ながら日本の現在の省エネ基準でも、健康的に暮らせるレベルではありません」と槙原さん。とっとり健康省エネ住宅普及事業のホームページに掲げた、上記の「とっとり健康省エネ住宅性能基準」のグラフに、敢えて欧米の省エネ基準が併記されているのもその強い想いの表れだろう。では、本当に山形県や鳥取県のいう省エネ住宅なら、健康的に快適に暮らせるのか? 長年「夏は暑い、冬は寒いのは当たり前」という意識が身に染みている人にとってみれば、Kさんの「冬でもTシャツ」は本当なのか、Tシャツで「快適」と本気で思えるのか、と疑問も湧くだろうが、まずは山形県や鳥取県の省エネ基準をクリアした家の、見学会や宿泊を通して、身をもって体験してみるといいだろう。

●取材協力
鳥取県
山形県のエコ住宅