水害対策で注目の「雨庭」、雨水をつかった足湯や小川など楽しい工夫も。京都や世田谷区が実践中

2015年に閣議決定された国土形成計画をきっかけに、グリーンインフラという言葉が広く知られるようになりました。グリーンインフラとは、自然環境が持つ機能を社会におけるさまざまな課題解決に活用しようとする考え方です。雨水を利用する「雨庭(あめにわ)」は、グリーンインフラの取り組みのひとつとして注目されています。近年、雨庭を設置する自治体や雨水を利用する仕組みを建物に導入する建設会社も現れてきました。多発する豪雨などによる都市型洪水が問題視されていますが、その減災の取り組みとしても注目されている雨庭。一体どのようなものなのでしょうか?

都市化や気候変動によるゲリラ豪雨で、都市型洪水が増えている

近年、気候変動に伴う異常気象が引き起こす大型台風やヒートアイランド現象等の自然現象が深刻になり、ゲリラ豪雨も問題になっています。処理できない水があふれ、マンホールを吹き飛ばすニュースの映像が印象に残っている人も多いのではないでしょうか。都市型洪水を減災する取り組みのひとつが雨庭(あめにわ)です。地上に降った雨をそのまま下水道に流れないよう受け止め、ゆっくり浸透を図る仕組みを持たせた植栽空間を指します。

近年、局地的に短時間で降る激しい豪雨、ゲリラ豪雨が多発している(イメージ写真)(PIXTA)

近年、局地的に短時間で降る激しい豪雨、ゲリラ豪雨が多発している(イメージ写真)(PIXTA)

2022年6月3日には、東京をはじめ首都圏で、1日に2度のゲリラ豪雨が発生。夕方には電車が遅延し、帰りの足に影響が出て、ツイッター上では、「ゲリラ豪雨」がトレンド1位に(イメージ写真)(PIXTA)

2022年6月3日には、東京をはじめ首都圏で、1日に2度のゲリラ豪雨が発生。夕方には電車が遅延し、帰りの足に影響が出て、ツイッター上では、「ゲリラ豪雨」がトレンド1位に(イメージ写真)(PIXTA)

九州大学大学院 環境社会部門流域システム工学研究室の田浦扶充子さんに、雨庭の成り立ちを伺いました。

「地面がアスファルトで舗装された都市では、雨水は地面に浸透せずに、雨水管や水路を経由して河川に放流されます。一時的な豪雨で、雨水が流入するスピードが、河川へ排水されるスピードを上回ると、雨水管が満管になり、水路や排水溝から水があふれる都市型洪水が起こります。都市化が進んだことによって、雨が浸透できる緑地や田畑などが減ったため、雨水管へ流れ込む雨の量が増えていることが主な原因といわれています。早くから下水道を整備した都心部などでは、雨水と家庭からの汚水を1本の下水管で流す合流式下水道という方式をとっている地域もあります。そのような地域では、豪雨の際にすべての下水(汚水と雨水)を下水処理場で処理できなくなり、河川へ未処理状態の下水が流れ出ることもあり、それによる河川水質への影響も懸念されています」

つまり、マンホールを吹き飛ばしたのは、下水道管からあふれた下水。都市型洪水を防ぐためには、雨天時に雨水管に入る雨の量を減らす必要があります。敷地内に水が浸透できる場所を増やし、降った雨水を敷地内で処理する必要があるのです。

アイデアがいっぱい! 個人宅につくった「あめにわ憩いセンター」

島谷幸宏教授(現熊本県立大学所属)が中心となり、2016年に福岡の河川工学等の研究者らや建築士などによるあまみず社会研究会を立ち上げ、流域抑制技術の研究を行ってきました。島谷教授が提唱したのは、「あまみず社会」という雨水を色々な場所で浸透させたり、利用することで、有機的に成り立つ社会。一般の人に雨水浸透や利用について興味を持ってほしいとの思いから、造園や建築の専門家と協力し、住宅の敷地内の雨水を処理するための技術開発を行ってきました。そのひとつが雨庭です。雨庭で雨水を敷地内に貯留し、ゆっくりと地面に浸透したり蒸発させたりすることで水害を予防しながら、水が循環する社会に。ヒートアイランド現象の緩和にもつながります。

透水性のないアスファルト舗装に対し、庭や畑、森など土が表出している場所は雨水が浸透する量が多い(画像提供/あまみず社会研究会)

透水性のないアスファルト舗装に対し、庭や畑、森など土が表出している場所は雨水が浸透する量が多い(画像提供/あまみず社会研究会)

もともと日本では、ずっと昔から、雨庭のような機能を意識した庭園が造られており、敷地の中で上手に雨水を貯め、植物や生物の生育環境、生活用水としても活かしてきました。アメリカでグリーンインフラ整備が進むにつれ、2010年ころには、レインガーデンが、ニューヨーク市内の歩道につくられはじめました。日本庭園の枯山水やレインガーデンを参考に、島谷教授と志を共にする京都大学の森本幸裕名誉教授により、このような仕組みを近代都市の中に取り入れようと誕生したのが、日本の雨庭です。

築50年の民家の敷地内に設けたあめにわ憩いセンターの雨庭は、一見、普通の庭と変わりません。しかし、かなりの豪雨「対象降雨(※)」の場合に敷地全体に発生する雨水の量に対して敷地外への流出を80%も抑制できるというから驚きです。
※2009年7月九州北部豪雨時に観測された、総降雨量198mm・約6時間(最大時間雨量105mm/h)の雨量。

あめにわ憩いセンターには、雨水を利用するさまざまな仕組みがある(画像提供/あまみず社会研究会)

あめにわ憩いセンターには、雨水を利用するさまざまな仕組みがある(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から取水した雨水を6つのかめに貯め、利用する(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から取水した雨水を6つのかめに貯め、利用する(画像提供/あまみず社会研究会)

「雨庭づくりでは、雨が地面に浸み込む力が弱ければ、必要であれば、砂や腐葉土を土に混ぜて浸透速度を調整します。あめにわ憩いセンターは、もともと庭に植物が多く、雨が浸みこみやすい土でした。そこで、従来、屋根から縦樋を通って雨水桝(ます)、それから公共雨水菅へつながっていた連結を途中で切り、敷地内で雨水を貯水、利用し、また土に浸透させて、できるだけ敷地外へ雨水を流出させないようにしました」(田浦さん)

集めた雨水を竹筒から流して庭に小川のような水場をつくる(画像提供/あまみず社会研究会)

集めた雨水を竹筒から流して庭に小川のような水場をつくる(画像提供/あまみず社会研究会)

鎖樋(くさりとい)という鎖状になった樋に雨水を伝わせて、樽に溜まる仕掛け(画像提供/あまみず社会研究会)

鎖樋(くさりとい)という鎖状になった樋に雨水を伝わせて、樽に溜まる仕掛け(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から水がめに貯留した雨水を沸かして足湯ができるユニークな工夫も。2020年まで一般開放され、地域の人に親しまれていました。

雨水タンクに貯めた雨水を太陽光発電で温め足湯を楽しむ(画像提供/あまみず社会研究会)

雨水タンクに貯めた雨水を太陽光発電で温め足湯を楽しむ(画像提供/あまみず社会研究会)

全国に広がる雨庭。民間企業や自治体で取り組みが進む

グリーンインフラへの関心が高まるなか、鹿島建設では、一部の建物に雨水利用システムで蓄えた雨水をトイレの洗浄水に用いるほか、災害時の非常用水として利用するシステムを開発。地面には、雨が浸み込む透水性舗装を取り入れ、都市型洪水の防止に取り組んでいます。竹中工務店は、一部のマンションに、屋上雨水を地下ピットに一次貯留し、ろ過処理した後に植栽散水やトイレの洗浄水として利用するシステムを採用。緑化した屋上に畜雨できる三井住友海上駿河台ビル(東京都千代田区)は、雨水活用の先駆けとして話題になりました。

全国の自治体でも、グリーンインフラ整備が進められ、雨庭をまちづくりに取り入れる動きが出ています。
世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課に取り組みを伺いました。

「世田谷区(東京都)では、かねてより豪雨対策の一環として、河川や下水道などに雨水が流れ込む負担を軽くする流域対策を推進しています。グリーンインフラについては、社会的な関心が高まる前から、流域対策の強化の新たな視点として、持続的で魅力あるまちづくりのために取り入れてきました」(世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課)

世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)のレインガーデン。左は、雨水を一時的にため込む保水性竪樋(じゃかご樋)。伝わった水が花壇へ導かれる(画像提供/世田谷区役所)

世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)のレインガーデン。左は、雨水を一時的にため込む保水性竪樋(じゃかご樋)。伝わった水が花壇へ導かれる(画像提供/世田谷区役所)

グリーンインフラの考え方を取り入れた施設である「世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)」のほか、公園や道路などさまざまな公共施設で、グリーンインフラの考え方を取り入れた流域治水の取り組みがなされているとのことです。また公共施設だけでなく、区内の土地利用の約7割を占める民有地での取り組みを推進するため、民間施設を建築する際に、貯留、浸透施設の設置をお願いしているそうです。

また、京都府京都市でも雨庭の整備が進められています。京都市情報館建設局みどり政策推進室に伺いました。

「グリーンインフラの考え方を取り入れながら、市民の方々が身近に接することのできる歩道の植樹帯において、京都の伝統文化のひとつである庭園文化とともに触れていただけるものとして、雨庭の整備を進めています」(京都市情報館建設局みどり政策推進室)

2017年度に京都市として初めての雨庭を四条堀川交差点南東角に整備し、2021年度末までに合計8カ所の雨庭が完成しました。2022年度は、2カ所の雨庭を整備する予定です。

東山二条交差点南東角の雨庭は、背景にある妙傳寺と一体感のある空間に設えている(画像提供/京都市情報館)

東山二条交差点南東角の雨庭は、背景にある妙傳寺と一体感のある空間に設えている(画像提供/京都市情報館)

四条堀川交差点北西角(南側)に2019年に整備された雨庭。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風(画像提供/京都市情報館)

四条堀川交差点北西角(南側)に2019年に整備された雨庭。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風(画像提供/京都市情報館)

道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えて、車道上に降った雨水も雨庭の中に集水し、州浜(すはま)で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる(画像提供/京都市情報館)

道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えて、車道上に降った雨水も雨庭の中に集水し、州浜(すはま)で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる(画像提供/京都市情報館)

講習会で雨庭を体験。「自分でつくってみたい!」という声も

あまみず社会研究会や東京都世田谷区、京都市のそれぞれが、一般の市民へ雨庭普及のための講習会やワークショップなどを行っています。

あまみず社会研究会の代表でもある島谷教授が熊本県立大学に就任し、プロジェクトリーダーを務める流域治水を核とした復興を起点とする持続社会 地域共創拠点を創設しました。雨庭の認知拡大に取り組んでいる研究員の所谷茜さんは、「体感してもらうことが大切」と言います。

「高校でワークショップをしたとき、『思ったより、水が土に浸透するスピードは速いんだ!』と驚きの声が生徒からあがりました。実感していただき、雨庭への理解を深めてもらいたいですね」(所谷さん)

民家に雨庭をつくっている様子。建物から1.5m離して窪地をつくり、この事例では腐葉土等を入れ微生物の動きを活発にすることで浸透性を高めた。1時間100ミリの雨を想定し、17平米の屋根に対し、2平米の雨庭をつくり、雨水が敷地外に流出する量を約40%カット。費用は2万円ほど(画像提供/緑の治水流域研究室)

民家に雨庭をつくっている様子。建物から1.5m離して窪地をつくり、この事例では腐葉土等を入れ微生物の動きを活発にすることで浸透性を高めた。1時間100ミリの雨を想定し、17平米の屋根に対し、2平米の雨庭をつくり、雨水が敷地外に流出する量を約40%カット。費用は2万円ほど(画像提供/緑の治水流域研究室)

世田谷では、“環境共生・地域共生のまちの実現”を目指し、市民主体による良好な環境の形成及び参加・連携・協働のまちづくりを推進する(一財)世田谷トラストまちづくりによって、個人宅でもできる雨庭づくりの普及を進めています。2020年に、NPO法人雨水まちづくりサポートの協力を得ながら、区内の産官民学連携で、区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり施工。この取り組みをきっかけに、住宅都市世田谷で市民の小さな実践をつなげて人口92万人が取り組むグリーンインフラとして「自分でもできる雨庭づくり」の3つの視点(1. 個人宅でも実践しやすい 2. 目に見える楽しさや魅力がある 3. 生物多様性の向上につながる)を整理しました。

個人宅での雨庭における雨の流れイメージ図。竪樋(たてどい)から塩化ビニル管に流れて来た雨水を、建物基礎から離して雨庭に放流。オーバーフローした水は、導水路から雨水は雨水排水桝へ(画像提供/NPO法人雨水まちづくりサポート理事長神谷博さん)

個人宅での雨庭における雨の流れイメージ図。竪樋(たてどい)から塩化ビニル管に流れて来た雨水を、建物基礎から離して雨庭に放流。オーバーフローした水は、導水路から雨水は雨水排水桝へ(画像提供/NPO法人雨水まちづくりサポート理事長神谷博さん)

区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり中。雨が降った日を観察し、その雨水の流れに沿って、園路沿いに土を掘り、窪地をつくる(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり中。雨が降った日を観察し、その雨水の流れに沿って、園路沿いに土を掘り、窪地をつくる(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

窪地に砂利等を敷き詰め、植栽を配し雨庭が完成した(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

窪地に砂利等を敷き詰め、植栽を配し雨庭が完成した(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

世田谷トラストまちづくりでは、2021年度より「世田谷グリーンインフラ学校~自分でもできる雨庭づくり」の企画運営を区より委託を受け実施。グリーンインフラや雨庭等を体系的に学び、演習フィールドにおいて手づくりで施工する市民向けの講座です。定員15名のところ、区内外から60名もの応募がありました。「水の循環を知りたい」「暮らし、地域に取り入れたい」「ガーデニングに取り入れたい」との声が寄せられたそうです。グリーンインフラの取り組みをはじめて3年目になり、「雨庭をつくりたい。どうしたらいいか」と区民からの問合せも増えています。

グリーンインフラ学校の風景。グリーンインフラや雨水、植物などを体系的に学びながら、グループにわかれてディスカッション。最終的に雨庭を手づくり施工する(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

グリーンインフラ学校の風景。グリーンインフラや雨水、植物などを体系的に学びながら、グループにわかれてディスカッション。最終的に雨庭を手づくり施工する(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

京都市でも、市民から緑を増やしたい場所として多くの声が寄せられている道路に雨庭の整備を進め、管理に参加してもらうボランティアを募集するなど雨庭の普及に努めています。

都市での暮らしでは、ふだん、水の流れは見えず、洪水が起こってから「水は怖い」と感じてしまいます。「昔は、雨が土に浸みこんで地下水となり、または蒸発して再び雨になるという実感がありました。雨水を楽しく使いながら水の循環を知ってもらいたいです」と田浦さん。身近に広がる雨庭は、グリーンインフラを整えるだけでなく、緑や水場のある景観を生み出し、心の豊かさにもつながりそうです。

●取材協力
・あまみず社会研究会
・世田谷区役所
・一般財団法人世田谷トラストまちづくり
・京都市情報館

パリ郊外の古い一戸建てを大改造しモロッコ空間に!緑いっぱいサンルームでガーデンパーティも パリの暮らしとインテリア[14]

二人暮らしから赤ちゃんが生まれて家族が増え。ライフスタイルの変化とともに、住まいに求める内容も変化します。パリ郊外の街モントルイユに暮らすドミニクさん夫妻は、25年前、変化に合わせて暮らしを大きく変えました。未知の環境をどのように選び、どのようにして新しいライフスタイルをつくり上げたのでしょうか ? 緑いっぱいの一戸建てを訪問し、話を伺いました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

エレベーター無しの7階から、庭のある郊外の一戸建てへ

ドキュメンタリストのドミニク・メタン・ド・ラージュさんは、パリ郊外の街モントルイユに引越して25年になります。ドキュメンタリストという職業はあまり馴染みがありませんが、映画やテレビ番組を制作する際に、歴史的資料やデータといった諸々のドキュメント(文書)を集める仕事なのだそう。今はちょうどNetflix向けに資料集めをしている真っ最中です。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

仕事場は自宅。フランス政府が文化を守るために舞台関係者などを金銭的支援するアーティスト認定制度「アンテルミッタン」を獲得しているドミニクさんは、自由業者にはない安定の保証を得つつ、時間や場所の制約なしで作業ができるライフスタイルに、心から満足しているよう。これというのも25年前、パリを脱出し、環状線の外側の郊外へ飛び出したおかげなのでした。

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「パリ生活は、ミュージシャンが多く住むオベルカンフ通り周辺が拠点でした。夫は今もそうですが、以前は私もレコード会社に勤めていたこともあって、あのエリア特有の自由でクリエイティブな空気がとても気に入っていたのです。ただ、アパルトマンはエレベーター無しの7階で……子どもが産まれてからは、不自由を感じるようになって。そもそも寝室が1つしかなく、リビングの一角に夫婦のベッドコーナーをつくってなんとかやり過ごしていたのです。でも、次男を妊娠した1996年、片方の腕で長男を抱いて、もう片方で紙おむつの大きなパックやミネラルウオーターを抱えながら、毎日7階まで階段を昇る生活をやめる時がきた、と悟りました」

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの古いアパルトマンの、木の階段を昇り降りする日々、しかも小さな子どもと一緒! 想像するだけでよく頑張りましたと絶賛したくなりますが、そのくらいパリ暮らしが気に入っていて、パリ以外の場所での生活は考えられなかったということでしょう。

「実は1年ほどパリ市内で物件探しをしていたのです。でも値段が高いばかりで、ちっともいい物件に出会えませんでした。そんな時、友人のひとりがモントルイユのことを教えてくれました。当時はまだ安かったですし、感じのいい一戸建てが多いんだよ、と」

友人のすすめですぐに不動産屋とコンタクトを取り、3軒目に訪問したこの家でピンときて、即決断。パリではさんざん苦労した物件探しも、モントルイユに来た途端、たった1カ月で目的達成できました。

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「条件はまず第一に、メトロに近いことでした。なぜなら、パリの友人たちは、みんなが必ずしも車を持っているわけではないからです。友人たちとこれまで通り行き来しやすいよう、交通の便がいいことは絶対でした。第二の条件は、十分な広さがあること。ここは一戸建てですし、庭もあります。住空間は約130平米、庭がだいたい50平米くらい。内見をした時に、庭をどんなふうに手入れして、家をどう改装するか、そこで私たち家族がどんな暮らしを送るのか……情景がすぐにイメージできたのです。家の裏に広い公園があることも、決断を後押しする大きなポイントでした。交通量の多い大通りを渡ったりせずに、すぐに遊びに行ける広い公園があることは、子どもたちにとって何より嬉しいことですから」

アーティストのアトリエが多いモントルイユの環境や、隣人が地下を改装してバンドの練習をしていたことも好印象だったそう。物件購入後、田舎の家そのものだったこの一戸建てを、ドミニクさん夫婦は自分達のライフスタイルに合わせて大改装していきました。

2階建てを3階建てにつくり替えて、寝室を増やす ?!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

夫妻と、息子2人。合計4人の家族全員が、快適に暮らせるようにと購入した一戸建て。その希望に応えるポテンシャルはありながらも、購入時の家は現在の姿とは全く違っていました。

「2階建てとはいえ、中は昔ながらのつくりのせいで廊下ばかりが場所をとり、肝心な各部屋はとても小さかったのです。しかもトイレは、屋外に後付けされていました。私たちはまず、寝室をもう1つ増やすために2階の天井を低くして、屋根裏を寝室につくり変えることにました。つまり、2階建ての家の中身を、3階建てに変えたのです」

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

3階に新しく寝室をつくって、ここを長男の部屋にする、というプランでした。

「1階は、庭の魅力を最大限に取り入れたかったので壁をすべて取り払い、代わりにサンルームをつくりました。このおかげで、サンルームの屋根の部分が、2階のバルコニーになったのです。これは本当にいい判断だったと思っています。サンルームのガラスが納品されるまでの間、ベニア板で塞いで暮らしていた1カ月以上にわたる悪夢も、今では笑い話ですね」

天井を低くしたり、壁を取り壊したり。かなりの大工事を経験せねばなりませんでしたが、こうして完成した住まいは広々とした4LDK。もちろんトイレもちゃんと家の中です! さあ、どんな間取りになったのか、玄関から順を追って見ていきましょう。

庭のメリットを最大限に生かす住まいのレイアウト

まず、ピンク色にペイントした玄関を入ってその先へ。右側がキッチンとリビングです。リビングは例のサンルームに続き、その先にドミニクさんお気に入りの庭が広がっています。廊下を挟んでリビングの向かい側、つまり玄関の先の左側は、仕事部屋兼テレビルームです。モロッコ風のニッチは美と実益を兼ねていて、ドミニクさん自慢のコーナーの一つです。

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階には夫妻の寝室と、長男の部屋が。サンルームの屋根を利用してできたバルコニーは、夫妻の寝室からひと続きになっています。このバルコニーも、ドミニクさんのお気に入り空間です。一人で静かに過ごす日中、ベッドの上で読書をして、気が向いたらバルコニーに出て空を眺める。そんな時間をドミニクさんは心から愛しているのです。

そしてこの上階、屋根裏につくった寝室が次男の部屋、という次第。今では長男・次男ともに独立し、一緒に住んではいません。現在、次男の部屋にはプロジェクターをセットして、ホームシアターとして使っているとのことでした。ここも、ドミニクさんのお気に入り空間です。

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

インテリアはミックスで

家を一周して一番印象に残るのは、なんと言ってもモロッコ風のアクセントです。ピンク色の壁とポインテッドアーチ型のニッチは、まるでモロッコの都市・マラケシュにいるよう。なぜモロッコテイストなのかなと思い尋ねたたところ、ドミニクさん夫妻は15年前からモロッコで賃貸の一戸建てを借りていて、バカンスのたびに彼の地へ行くのが習慣になっているのだそう。夫の両親がモロッコに住んでいたこともあり、愛着のある土地なのだと教えてくれました。

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「モロッコの職人芸術には、かなりインスパイアされていると思いますよ。ポインテッドアーチ型のニッチのように、装飾性と実用性を兼ねたものが多いこともその理由かも知れません。加えて、モロッコからパリまではバスを使った格安の配送サービスがあるので、家づくりに必要なものを買ってパリに送ることが簡単にできるのです。例えば、壁のピンクの顔料はモロッコで買ったもの。普通のペンキよりもずっと発色がいいのです」

そして全てをモロッコスタイルにするのではなく、ミッドセンチュリーデザインや、モントルイユのアーティストのオブジェ、世界中の旅先から持ち帰ったものなど、いろいろなスタイルをミックスしていることにも気づきます。あえてひとつのスタイルに統一しないのは、フランスの人々の住まいによく見られる特徴です。ファッションと同じように、住まいづくりにも自分の個性を尊重して、自分のために空間をつくる。だからこそ自分が心地よく暮らせるのだということを、個人主義の彼らは経験から熟知しているのです。

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

時には60人を招いてガーデンパーティも!

一戸建てを大改装し、自分達の暮らしに合うようつくり替えたドミニクさん。家の中の多くの部分がお気に入り空間になっていることから分かるように、改装工事は大成功でした。

「でも実は、この家で一番気に入っているのは庭なんです。庭は、日々の生活に心の安らぎと喜びを与えてくれます。自然は毎日変化し、時間ごとに変化しますから、見飽きるということがありません。時にはここで、大勢を招いてガーデンパーティをします。一番最近は夫の70歳のバースデーパーティ。60人を招待しました!」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そんなに大勢をどうやって !? 食器だって足りないのではと心配になりますが、フランスの人たちは招待客でもパーティの準備に参加する、いわゆる「持ち寄り」精神が旺盛なのだそう。食器はともかく、料理の方はみんなで持ち寄って参加するので、招待する側だけが何日も前から仕込みをしたり、プロのケータリングを頼んだりせずに済むそうです。気負わずに大人数のパーティができるのはいいですね。

「パリの西にあるモントルイユは、近年人気が上昇し続けている街です。エコロジーに根ざした環境と、パリジャンやパリジェンヌとは違ったメンタリティーの人たちが住んでいることが、その人気の理由です。街そのものは特別美しくはありませんが、17世紀から19世紀にかけて作られた『桃の壁』という文化遺産があって、多くのアソシエーションがここで都市型農園や参加型菜園などのプロジェクトを進めています。つまり、いいエナジーのある街。いろいろなバランスがいいので、老後も田舎へ引越すことは考えていません。もし引越すならモロッコです! そのくらい、今のライフスタイルに満足しています」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「住まい」とは、家の中だけではなくて、庭や環境、街のエナジーまでも含む自分を取り囲む空間のこと。物件探しをする際は、周辺の環境もしっかり見なくては! そう肝に銘じさせられる、ドミニクさんのお宅訪問でした。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ドミニクさん