「東京建築祭」レポート。名建築の意外な裏側など12件の詳細や参加者の声まで、特別公開プログラムを追体験! 来年の予習にも

2024年5月26日に終了した「東京建築祭」では2通りの楽しみ方がある。ひとつは、限定イベントに参加して深く楽しむ方法だが、申し込むタイミングが合わなかったり抽選に外れてしまったりで、必ずしも参加できるとは限らない。そこで、予約なしで誰もがその日に見学できる、18の「特別公開」プログラムをどう楽しめるかレポートしたい。

「東京建築祭」の特別公開で好きな建築を選んで見て回ろう

公開日時であれば、予約なしに無料で見学できるのが「特別公開」プログラムだ。今回は、「日本橋・京橋」「大手町・丸の内・有楽町」「銀座・築地」「神田周辺」のおおむね4つのエリアに点在する18の建築が対象だ。

まず、ライブ配信「東京建築祭の歩き方」が公開された。YouTubeで見逃し配信もされていたので、最初にこれを見ておけば、各建築の見どころを東京建築祭実行委員長で建築史家である倉方俊輔さんの解説で理解できる。そのうえで、見学するコースを決めたり、見どころをメモして出向いたりすればよいのだ。

出典:東京建築祭公式サイトより

出典:東京建築祭公式サイトより

さらに、「東京建築祭オーディオガイド」も用意されている。公式サイトの特別公開のそれぞれの概要説明の下部に「オーディオガイド」の情報が掲載されている。すべてではないが、おおむね「外観」と「内観」について1分程度の倉方さんの解説が聞ける。これを事前に聞いてもよいし、アプリ「まいまいポケット」をスマホにダウンロードしておき、その場でオーディオガイドを聞くこともできる。アプリには地図もあるので便利だ。

建築の専門知識があまりない場合、「見学に行ったけど、どこを見たらよいのかよくわからなかった」ということもありがちだが、こうした解説を利用すると楽しめるだろう。

そして、最後にSNSに投稿するという楽しみ方もある。自身の感想を書いたり、ほかの人はどこを見学してどこに着目したかを探してもよい。知らない人たちだが、建築祭という枠で何となくつながっているというのもよいものだ。

出典:筆者のFacebookより

出典:筆者のFacebookより

■関連記事:
https://suumo.jp/journal/2024/06/11/202967/

平日に先行公開の建築を3つ見学、ちらほら見かけた建築祭の見学者

さて、特別公開のメインは5月25日(土)26日(日)の週末だが、先行して5月21日(三越劇場)や5月23日~25日(国際ビルヂング・新東京ビルヂング・明治生命館)に公開したものもあった。筆者は5月23日に大手町で仕事があったので、立ち寄ることにした。

平日の午後ということもあって、ビルを利用する人の出入りが多く、東京建築祭の見学者が押し寄せるという状況ではなかった。が、筆者が滞在している間に何組かが熱心に撮影したり、建築資料の解説ボードを熱心に見たりしていた。これは東京建築祭の見学者に違いないと、何人かに声をかけた。

国際ビルヂングのエレベーターホール(筆者撮影)

国際ビルヂングのエレベーターホール(筆者撮影)

新東京ビルヂングのエントランスホール(筆者撮影)

新東京ビルヂングのエントランスホール(筆者撮影)

明治生命館(丸の内 MY PLAZA)外観(筆者撮影)

明治生命館(丸の内 MY PLAZA)外観(筆者撮影)

国際ビルヂングで話を聞いた人は、建築好きなので東京建築祭にとても興味があるが、週末や三越劇場の21日には予定があって来られないので、23日に3つのビルを見学しようと思ってやってきたという。来年実施されたら、もっと多くを見学したいとも。

また、新東京ビルヂングで話を聞いた建築関係の仕事をしている男性は、夫婦で開催期間中に9つを回る予定だという。9つを選んだ基準は、まだ見ていないもの、通常非公開部分が見られるもの、そして今後見られない可能性のあるものだそうだ。たしかに、国際ビルヂングは帝劇と一体的に建て替えることになっているし、有楽町周辺のビルで建て替え予定のものも多い。今のうちに見ておくべきだろう。

本番当日、レンタサイクルでホンキモードの見学

5月25日は別の記事にまとめたガイドツアーの取材もあったので、カメラマンに同行してもらい、終日見て回れるだけ見学することにした。移動しやすいのはレンタサイクルだと思い、自転車に乗るのは20年ぶりと渋るカメラマンの内海さんにも自転車を借りてもらった。

特別公開の最初の見学先は「堀ビル」と決めていた。新橋で気になる外観のビルであったことに加え、古い住宅を見に行くと、錠前や建具の金物に堀商店の金物がよく使われているので、堀商店のビルということへの関心もあった。行ってみると入場待ちの列ができていたが、あまり待たずに入場できた。

スクラッチタイルと窓がつくる水平線が特徴の堀ビルの外観(撮影/内海明啓)

スクラッチタイルと窓がつくる水平線が特徴の堀ビルの外観(撮影/内海明啓)

堀ビル(goodoffice新橋)は、竹中工務店が堀ビルのオーナーからマスターリース契約で長期間借りて、シェアオフィスとして改修し、それをグッドルームが運用している。スタッフの方に声をかけると、建築祭のスタッフだけでなく、竹中工務店のCOT-Lab(共創拠点)やグッドルームの人たちもスタッフとして参加しているという。受け入れる側のホンキ度もかなりのものだ。

シェアオフィスの1階部分が今回の特別公開エリア。青銅製の両開きドアは堀商店ならでは(撮影/内海明啓)

シェアオフィスの1階部分が今回の特別公開エリア。青銅製の両開きドアは堀商店ならでは(撮影/内海明啓)

さらに、事前の抽選による予約が不要なサプライズツアー(先着順の予約が必要)を4回実施するという。オープン前にすでに140人ほどが並んでいたということで、1時間ほどでサプライズツアーの予約が埋まってしまったのだそうだ。そこで、サプライズツアーを取材させてもらうことにした。

サプライズツアーのガイドはCOT-Lab新橋代表の杉本照彦さん(撮影/内海明啓)

サプライズツアーのガイドはCOT-Lab新橋代表の杉本照彦さん(撮影/内海明啓)

堀ビルが完成した後に、道路の下を地下鉄銀座線が通ったこともあって、地盤沈下の跡が見られるといった話に始まり、屋上から地下1階まで各階を案内してもらった。特に4階は堀家が住まいとして使っていたこともあり、和室の趣きが残る部屋や寝室の暖炉が残る部屋など個性的な部屋が多かった。また、2階の共用廊下では、もともとオフィスのドアの前に設置されていた金物格子扉を取り外して、天井の照明として使っている。

堀ビル2階の金物格子扉を活用した天井照明(撮影/内海明啓)

堀ビル2階の金物格子扉を活用した天井照明(撮影/内海明啓)

エレベーターがないので、戦後GHQに接収されなかったという点も、建物の保存にプラスに働いた。竹中工務店が、使ってきた建物の歴史を残すように、外観をそのまま維持できるように、さまざまに工夫して改修したことが伝わる解説だった。

さて、サプライズツアーに参加した後は、再び自転車で新橋から銀座を抜け、日本橋方面へ。次に寄った「旧宮脇ビル(川崎ブランドデザインビルヂング)」も、その次の「日証館」も、いずれも入場の行列ができていた。ただ日証館では、エントランスホールの混雑具合と行列の長さを見て、東京建築祭スタッフが柔軟に入場人数を調整したようで、長い割には列が動いて、それほど待つことはなかった。

解体を免れて改修された旧宮脇ビル(川崎ブランドデザインビルヂング)(撮影/内海明啓)

解体を免れて改修された旧宮脇ビル(川崎ブランドデザインビルヂング)(撮影/内海明啓)

品格のある外観の日証館(撮影/内海明啓)

品格のある外観の日証館(撮影/内海明啓)

日証館ではQRコードでオーディオガイドにアクセスできるようになっていた(撮影/内海明啓)

日証館ではQRコードでオーディオガイドにアクセスできるようになっていた(撮影/内海明啓)

次は、川を越えて「三井本館」へ。ここはかなり長い行列ができていた。

アメリカン・ボザール・スタイルの三井本館(撮影/内海明啓)

アメリカン・ボザール・スタイルの三井本館(撮影/内海明啓)

三井本館は、東西と南の三方が道路に面しているが、今回は西側の日銀通りに面した合名玄関が特別公開された。筆者が行ったときには、西側から南側までびっしりと列ができ、東側に折れるところまで続く長さだった。建築祭スタッフに聞いたところ、午後になるほど列が長くなったという。

三井本館の次はさらに北上して、「丸石ビルディング」へ。行列がわずかだったのは、内部の撮影が禁止だったため、入退場の回転が速いからだろう。天井のレリーフや照明、床のタイルなど、撮影できないのが残念なくらいに美しかった。それでも、ロマネスク様式の外観を多くの見学者が近くから遠くから、何枚も撮影していた。

この外観の魅力は、異なる素材でさまざまな表情を見せたり、入り口の両脇にねじり柱やライオン像があったりして、親しみやすさを感じさせることだ。と、偉そうに書いてみたが、「まいまいポケット」アプリの倉方さんのオーディオガイドの受け売りだ。解説が具体的でわかりやすいのも、活用を勧めたい点だ。

ロマネスク様式の丸石ビルディング(撮影/内海明啓)

ロマネスク様式の丸石ビルディング(撮影/内海明啓)

スマホのアプリでオーディオガイドを聞く筆者(撮影:内海明啓

スマホのアプリでオーディオガイドを聞く筆者(撮影:内海明啓

さて、本日の最後は「江戸屋」に決めて移動した。老舗の店舗だけに、入場できるキャパは少ない。行ってみると行列はできていたが、10人程度を入れ替える形で混乱なく見学していた。建築祭のスタッフが、次の入場グループを店舗前に誘導し、注意事項を説明して待機させたり、それ以外の人たちを別の場所に並ばせるなど、適切な誘導とルールを守る見学者の様子に感心した。

看板建築の好事例。軒先から突き出た6本のラインは刷毛を表現しているという(撮影/内海明啓)

看板建築の好事例。軒先から突き出た6本のラインは刷毛を表現しているという(撮影/内海明啓)

江戸屋の見学者に今日はどこを見学してきたか聞いてみた。年配の女性二人組は、「カトリック築地教会」でハルモニウムの演奏を聴くのが楽しみだったので、最初に演奏時間に合わせてカトリック築地教会に行き、近くの「築地本願寺」「井筒屋」「三井本館」「江戸屋」と回ったという。残念ながら、井筒屋は入場制限で入れず、三井本館は行列が長すぎて断念したが、ハルモニウムの演奏が聴けたので良かったという。

このように、特別公開は自由に見学できるが、行列が長いこともあれば入場制限がかかることもある。井筒屋はキャパオーバーになって入場制限がされて、そのことをX(旧ツイッター)で知らせていたが、気づかずに行った人も多いようだった。

まだまだ見学、リノベーションビル3連チャン

5月26日も神田周辺のビルを3つ見学した。事前にXをチェックして、それほど混雑していないことを確認して出かけた。共通するのは、いずれも既存のビルをリノベーションして活用していること。まず行ったのが「神田ポートビル」だ。

神田ポートビル外観(筆者撮影)

神田ポートビル外観(筆者撮影)

印刷会社の旧社屋をリノベーションして、地下は「サウナラボ神田」、1階は写真とデザインの「ゆかい」、2・3階は「ほぼ日の學校」、4~6階が印刷会社という文化複合ビルに生まれ変わった。

地下1階のサウナラボのフロア(筆者撮影)

地下1階のサウナラボのフロア(筆者撮影)

サウナラボで枯葉の束を見ていたら、サウナで使うヴィヒタだと教えてくれた、サウナ好きの大学生に出会った。建築学部ではなく政治経済学部だが、都市経済学を勉強しているので、都市の発展や構造という観点で東京建築祭に興味を持ったという。そして、特別公開の神田ポートビルに来てみたら、かつて利用したサウナがあるビルだと知ったという。目的があるとそこにしか目が行かないが、改めて建築という視点で見ると違うものが見えてくるだろう。

また、事前に前日の状況をXで調べて、三井本館は朝イチで行くのがよさそうで、築地本願寺はランチタイムが空いていそうだと、予定を立てて回っているという人もいた。SNSは、情報収集に有効に使えるという面もあるので、上手に活用したい。

次に行ったのが「岡田ビル」。現在の法規制に合わなくなった古いビルを、大胆に「減築」することで生まれ変わったビルだ。1・2階は日本初出店のthink coffee、3~6階はオフィスだが、減築により光と風が通るようになり、快適な空間になっている。

左:岡田ビル外観 右:吹き抜けになった減築部分(筆者撮影)

左:岡田ビル外観 右:吹き抜けになった減築部分(筆者撮影)

減築という珍しい手法ということもあってか、屋上で出会った3人組は大学院の修士課程で建築を学んでいる院生だった。法規制をどのようにクリアしたか、既存の躯体をどのように使っているかなどに興味を持って、見学に来たという。

そして筆者が建築祭の最後に訪れたのは、「安井建築設計事務所 東京事務所」だ。築約60年のオフィスビルをリノベーションし、その中に東京事務所を移転。「美土代クリエイティブ特区」と名づけた、まちにひらき人とつながる空間をデザインした、ユニークなオフィスだ。

(筆者撮影)

(筆者撮影)

ここで16時から20分程度の設計者による特別プレゼンテーションがあるというので参加したが、立ち見も多くてざっと200人を超えるほどの人が集まっていたと思う。熱心にメモをしたりプレゼンの画面を写メしたりする人もいたので、建築に関心の高い人が集まったようだ。

そういえば、25日(土)に見て回った際には、6~7割が女性、しかも若い人から年配の人まで幅広いというのが筆者の印象だった。建築好きの女性がここまで多いのかと、驚いたものだ。ところが、26日(日)に見た神田周辺の3つのリノベーションビルに限れば、明らかに若い人が多い。リノベーションによる活用という点で、建築知識のある人や学んでいる人がより興味を持つテーマなのだろう。

このように、建築の知識がそれほどない人でも、専門性のある人でも、それぞれで楽しめるというのが建築祭の魅力なのだと思う。今回改めて分かったことは、建築にはとてつもなくパワーがあるということだ。

クロージングイベントもあると聞いて、のぞいてみた。キックオフで倉方さんは、やってみないとどれだけ人が集まるかわからないので、「不安半分・期待半分」と言っていたのが、クロージングでは「都心の風景を変えるほどの人が集まった」と表現した。つまり、東京初の建築祭として大成功だったようだ。来年以降も継続すると宣言してもらったのが、なによりうれしい。

クロージングイベントの様子(筆者撮影)

クロージングイベントの様子(筆者撮影)

さて、建築祭が終わってしまったのに、いまさら楽しみ方の記事を読んでも……と思う人もいるかもしれない。でも、東京の都心には、まだまだ魅力的な建築が数多くある。三井本館で行列に並んだ人は、隣の三越日本橋本店の美しさに気づくだろうし、公開された玄関の向かいの日本銀行も名建築で知られている。日本銀行本店では解説付きで見学ができるし、三越劇場も劇場主催で有料のガイドツアーをたまに開催している。

また、ガイドツアーに漏れてもその外観を見学することはできるし、東京建築祭で得られた情報は、自身で見て回る際にも役立つだろう。秋には大阪や京都、神戸でも建築祭が開催される。こうして建築見学に慣れていくうちに、来年の東京建築祭がやってきて、さらに楽しめるようになる。そのように考えて記事を見ていただけるとうれしい限りだ。

●関連サイト
東京建築祭公式サイト

【東京建築祭】「教文館・聖書館ビル」アントニン・レーモンドの戦前の名建築ガイドツアーに潜入レポート! 文人に愛されたモダニズム建築を追体験 東京都・銀座

東京で初開催となる建築祭が、大盛況のうちに2024年5月26日に終了した。「東京建築祭」の概要や見どころなどは、開催前から多くのメディアで紹介されていたので、ここでは実際に、建築祭はどんな内容で行われ、どんな人たちが参加して楽しんだのか、その実態を2回に分けてレポートしたい。

「東京建築祭」の楽しみ方は2通り。限定イベントに参加するには?

建築祭に参加して楽しむ方法としては、主に2パターンがある。ひとつは、通常は非公開のエリアが公開される「特別公開」の建築物を見学するパターン。もうひとつは、参加人数が限定されるイベントに参加するパターンだ。人数限定のイベントは、クラウドファンディングまたはガイドツアー(多くは有料)により提供される。

「東京建築祭」を主催するのは、東京建築祭実行委員会だ。倉方俊輔実行委員長(大阪公立大学教授)をはじめ、8人の実行委員により構成される。実行委員たちが手弁当で活動し、スタッフをボランティアで集めたとしても、建築祭を魅力的に告知する専用サイト・パンフレット等の作成費用や事務局の運営費用などがかかる。協賛パートナーを募って支援してもらうほかに、一般の方からクラウドファンディング(以下、クラファン)の手法で資金を集めるスタイルを取った。

出典:「東京建築祭」クラウドファンディングのサイトより

出典:「東京建築祭」クラウドファンディングのサイトより

クラファンには、純粋に開催を応援して資金を提供するだけでなく、用意されたリターンを選択して資金提供する方法もある。東京建築祭のクラファンでも、建築家の藤本壮介さんのスケッチによる東京建築祭2024トートバッグや、建設工事中のGinza Sony Park 特別見学会、三越劇場での東京建築祭キックオフイベントへの招待などのいくつかのリターンが用意された。今回のクラファンには、337人から計約624万円の協賛が集まった。ただし、クラファンのリターンの場合は先着順となるので、希望のリターンを選ぶには早期の情報入手も必要だ。

一方、東京建築祭のガイドツアーは44プログラム(同じツアーが複数回開催される場合もある)が用意された。一部に無料のガイドツアーもあるが、多くは有料で、申込者の中から抽選で参加者が決まる。ガイドを務めるのは、その建物の設計者や建築に関わる人であったり、建物の所有者や使用者であったりと多様な顔ぶれだ。面白いところでは、テレビドラマ『名建築で昼食を』の原案者である甲斐みのりさんの案内で、実際に名建築でランチを楽しむツアーなどもあった。

ガイドツアーで最も申し込みが多かったのは、帝国劇場の「建替え工事直前、谷口吉郎の名作・劇場内特別ツアー」だったという。閉館が決まっている名建築を倉方さんの案内で見学できることに加え、例外的に帝国劇場側の希望を受けた無料ツアーであったこともあり、申し込みが殺到したという。当選確率はおそらく数%というほどの激戦だったのではないか。

三越劇場での「東京建築祭キックオフイベント」に潜入

さて、クラファンで最も多い87人が選んだリターンが、トートバッグ付きの「東京建築祭キックオフイベント」への招待だ。そこで、キックオフイベントを取材させてもらった。

キックオフイベントは創建当時のロココ調の装飾が残る三越劇場で開催された(筆者撮影)

キックオフイベントは創建当時のロココ調の装飾が残る三越劇場で開催された(筆者撮影)

キックオフイベントは、まず、豪華な装飾に彩られた三越劇場の副支配人・齊木由多加さんによる、建築解説で始まった。日本初の百貨店として「デパートメント宣言」を表明し、日本橋に最先端の設備を採用したルネッサンス様式の本店を建築したものの、関東大震災で被災し、残った躯体を活かして修復した際に、三越劇場(当時は三越ホール)が誕生したことや、天井を飾る美しいステンドグラスは実は4段構成になっていること、至るところに隠し絵があることなどを解説してくれた。

副支配人の齊木さんによる三越劇場の建築解説もあった(筆者撮影)

副支配人の齊木さんによる三越劇場の建築解説もあった(筆者撮影)

次いで、実行委員長の倉方さんから東京建築祭の狙いが説明され、キックオフの特別プログラムへ。まず、ゲストの建築家・藤本壮介さんが、自身の設計した建築物を紹介しながら、建築の可能性を語るミニ講演。最初の事例として紹介された、フランス南部のモンペリエに建築した集合住宅「L’Arbre Blanc」に驚いた。恥ずかしながら筆者は、この集合住宅を初めて知ったのだが、木から枝が伸びるように躯体から張り出した奥行きのあるバルコニーの写真を見て度肝を抜かれた。ほかにも、前橋の白井屋ホテルなど多数の建築物が事例として紹介された。

次に、ジンズホールディングス代表取締役CEOの田中仁さんが登壇。経営者という顔のほかに、前橋市の街の再生者という顔もお持ちで、市のビジョンをつくり、白井屋ホテルに始まるまちの活性化にどう取り組んできたかという話をされた。

最後に三人によるトークセッションがあり、会場の参加者を含めた撮影会を経て、キックオフイベントは終了した。キックオフには、協賛パートナー事業者の方やボランティアスタッフの方もいたので、クラファンによる招待客が誰かわからなかったのだが、撮影会の際に事務局からの「トートバッグをかざしてください」という呼びかけに応じて、多くの方がトートバッグを取り出してかざしていた。その顔はちょっと誇らしげに見えた。

登壇した三人によるトークセッション。左から倉方さん、藤本さん、田中さん(筆者撮影)

登壇した三人によるトークセッション。左から倉方さん、藤本さん、田中さん(筆者撮影)

ガイドツアー「【教文館・聖書館ビル】A.レーモンドの名建築へ、非公開エリアに潜入」

次に、ガイドツアーをレポートしよう。取材をさせてもらったのは、銀座の「教文館・聖書館ビル」だ。日本近代建築の父ともいわれる、アントニン・レーモンドが手掛けたビルというから、申込者も多かっただろう。集合場所の1階エントランスホールに、当選した15人が集まってきた。

参加者にこのガイドツアーを申し込んだ理由を聞いてみると、このビルの前をよく通っていたり、書店でよく本を買っていたりして、馴染みのあるビルの非公開の場所が見られると聞いて、申し込んだという声が多かった。

教文館・聖書館ビルの1階エントランスに集合。東京建築祭スタッフがガイドの2人を紹介(撮影/内海明啓)

教文館・聖書館ビルの1階エントランスに集合。東京建築祭スタッフがガイドの2人を紹介(撮影/内海明啓)

さて、ガイドツアーは、建築祭のスタッフから見学時の注意事項などの説明があった後、ガイドを紹介して始まった。教文館代表取締役社長の渡部満さんと専務の森岡新さんが、今回のガイドだ。「今では創建当時の建物をそのまま保存するという考え方が浸透しているが、かつてはそこまでの意識はなかった。そのため、外壁など改修された部分も多いが、まだ当時のものも残っている。エントランスの天井のレリーフもその一つで、今回、そうしたものを中心に見学する」という。

教文館ビル側のショーケースに、東京建築祭のためのさまざまな資料が展示されていたが、写真の右側の模型は都立大崎高校のペーパージオラマ部がレーモンドの設計図を基に作成したもの。当時は屋上にアール・デコ様式の塔が2つあったが、左の模型のように広告塔を建てるために1つを撤去してしまったという。ただ、もう1つの塔の台座はまだ屋上に残っている。

エントランスのショーケースに東京建築祭のための展示が並ぶ(撮影/内海明啓)

エントランスのショーケースに東京建築祭のための展示が並ぶ(撮影/内海明啓)

このビルの特徴は、教文館ビルと聖書館ビルが隣接して1つのビルになっていることだ。エントランスやエレベーターホールを共有しているが、階段室を見ると壁を隔ててそれぞれのビルに行く階段が分かれている。実は、当時の階段が地下に残されていて、それを見ると教文館側は2色になっていることが分かる。

1階部分の階段室(撮影/内海明啓)

1階部分の階段室(撮影/内海明啓)

地下の階段室を見ると色の違いが分かる(撮影/内海明啓)

地下の階段室を見ると色の違いが分かる(撮影/内海明啓)

さて、ツアーは1階から屋上、5階、地下へと移動し、またエントランスに戻るという流れだったが、5階には床の大理石や階段室の仕切り、室内に入るドア部分など当時のものが多く残っている。ほかにも、今は使われていないが、メールシューターやダストシュート、消防用の送水口(1階)が残っている。

床の大理石や日本聖書協会側のドア枠などは当時のもの(撮影/内海明啓)

床の大理石や日本聖書協会側のドア枠などは当時のもの(撮影/内海明啓)

メールシューターは手紙を入れるとそのまま下に落ちて集められる仕組みだった(撮影/内海明啓)

メールシューターは手紙を入れるとそのまま下に落ちて集められる仕組みだった(撮影/内海明啓)

エントランスに戻ると、社長の渡部さんが当時のエピソードをいくつか紹介した。教文館ビルの1階と地下に、当時では珍しい「富士アイス」というモダンなレストラン・パーラーがあったこと。まだコーヒーに馴染みがない時代だったので、ブラジル大使の依頼を受けたレーモンドが、聖書館ビルの1階に、「ブラジルコーヒー」を設計した。そこには、レーモンドと親しかった画家の藤田嗣治の「大地」という壁画があったが、閉鎖に伴い壁画はブラジルに渡り、今は広島のウッドワン美術館が所蔵しているという。

なお、聖書館側の外壁に4つのレリーフがあったが、今もその1つが残っている。ぐるりと回れば見つけられるので、読者の方も探して当時の面影を感じてほしい。

ガイドツアーが終わった後、参加者に感想を聞いた。「ダストシュートなど当時のものがまだ残っているのが、素晴らしい」といった声や、「社長さんからじかに、建物の歴史を聞くことができてよかった」という声があった。レーモンド設計の建築を長く見守り続けた人が、ガイドとして解説してくれるだけに、単なる解説にとどまらない思いも伝わってくる。それが、こうした企画の魅力だろう。

さて、こうした解説付きで建築について学べる機会、ましてや、通常は非公開の部分に入り込んで解説してもらえる機会というのは、そう多くはない。東京建築祭ならではの限定企画は、そうした機会を得られる場でもある。キックオフイベントやガイドツアーを追体験していただこうと記事にまとめたものの、情報が多すぎてすべてを盛り込めないことが残念だ。

限定企画に参加するには、早期に情報を入手したり、強運で当選を引き当てたりする必要もある。来年に東京建築祭が開催されたら、ぜひ早めに動いてほしい。それでも、限定となると、機会を得るのはなかなか難しいかもしれないが、一方、東京建築祭では事前申し込みが不要な「特別公開」が多数ある。それをどう楽しむかについては、別の記事で紹介したい。

●関連サイト
東京建築祭公式サイト

世界の名建築を訪ねて。フランス建築界の巨匠ジャン・ヌーヴェルの“V字形に傾斜したユニーク極まりない” 39階建て高層ビル「トゥール・デュオ(Tours Duos)」/フランス・パリ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載17回目。今回は、フランス・パリにある39階建て高層ビル「トゥール・デュオ(Tours Duos)」(設計:ジャン・ヌーヴェル)を紹介する。

V字形に傾斜した大胆な造形美

フランス建築界の巨匠ジャン・ヌーヴェルといえば、飛ぶ鳥を落とす勢いの世界的な建築家である。2002年東京に彼初の超高層「電通タワー」を完成させ、その後ニューヨークに超高層のハイグレードな「53West53」を完成させ、さらに中国に「深セン・オペラハウス」、「上海浦東美術館」と話題の作品をデザインし続けてきた。そのパワフルなヌーヴェルが、今度は地元パリに「トゥール・デュオ」というV字形に傾斜したユニーク極まりない建築を完成させ、パリジャンの度肝を抜いた。

(c)Roland Halbe_AJN

(c)Roland Halbe_AJN

今パリの東部地区は新規開発が進行し、パリの未来に向けて強烈な牽引力を発揮しつつある。というのは今年(2024年)の7月からの夏季オリンピックのため、パリは高層ビル建設のラッシュが続いている。こうした状況の中、ジャン・ヌーヴェル設計の「トゥール・デュオ」は、ドミニク・ペローがデザインした「フランス国立図書館」からセーヌ川沿いに少し下った位置で、パリ左岸の13区にあるブリュヌゾー通り沿いに立ち上がった。

エッフェル塔、モンパルナス・タワーに次ぐ、パリで3番目に高いビル

2棟からなる「トゥール・デュオ」は、延床面積140,000m2の巨体で、39階建て、高さ180mの「デュオ-1」にはオフィス、オーディトリアム、レストラン、ショップが組み込まれている。29階建て、高さ125mの「デュオ-2」にはオフィス、レストラン、ショップ、ホテル(139室)、パノラミック・レストラン、バーなどがある。また「デュオ-1」にはオープン・テラスがあり、パリのワイドな景観を満喫できるようだ。建物は324mのエッフェル塔、210mのモンパルナス・タワーについで、パリで3番目に高いビルとなった。

(c)Roland Halbe_AJN

(c)Roland Halbe_AJN

建物は2棟がV字形に対峙した感じで立ち上がっているが、手前に立っていて頂部に頭がある建物が「デュオ-1」で、奥側に傾いて見えるのが「デュオ-2」である。「デュオ-2」には、著名インテリア・デザイナー&建築家のフィリップ・スタルクがデザインしたホテルがある。敷地がセーヌ川沿いの工業地帯とはいえ、おそらくゴージャスなフィニッシュが施されていることは想像に難くない。

「トゥール・デュオ」の特徴のひとつは、サミット(頂上部分)に”頭”があることだ。高層ビルに”頭”がデザインされていることは、歴史的に見ても非常に少ない。これらふたつの”頭”で建物は識別可能となっているし、これらふたつのサミットがお互いにトークし合ったりしているように見えるのだ。

(c)Roland Halbe_AJN

(c)Roland Halbe_AJN

(c)Roland Halbe_AJN

(c)Roland Halbe_AJN

このような建物同士の関係性については、かつてアメリカの著名建築家ダニエル・リベスキンドが、シンガポールに「レフレクションズ・アット・ケッペル・ベイ」という集合住宅タワー群を建て、その中の大小のタワーがお互いにトークしているように見えたデザインが話題になったことがある。

夏季オリンピックの建築ラッシュの中でも期待のプロジェクト

パリ東部開発の起爆剤ともいえる「トゥール・デュオ」は、強烈なランドマークとして君臨する必要があり、このエリアを未来へと牽引するメルクマール的存在となっている。さらに先述のように、「トゥール・デュオ」は夏季オリンピックの建設ラッシュの一翼を担うプロジェクトとして期待が高まっているのだ。

今年の夏、パリ・オリンピックに行かれる方もいると思うが、有名なドミニク・ペローの「フランス国立図書館」などの建築を見学する方は、そこから歩いていける距離にあるジャン・ヌーヴェルの話題作「トゥール・デュオ」も建築見学リストに入れるのをお忘れなく!

●関連サイト
Tours Duo

「東京建築祭」18の名建築を無料で特別公開! 東京駅や三越日本橋本店などの普段は見られないエリアも開放。実行委員長・倉方俊輔さんが見どころ語る

今年、2024年5月、東京の日本橋、丸の内、銀座エリアを中心に、「東京建築祭」なるイベントが開催されることをご存知でしょうか。建築の祭りと聞いてすぐにイメージが湧かない方も多いのではないかと思いますが、その実態は普段関係者しか中に入れない建築を一般公開し、自由に見学ができるようにするというもの。過去にSUUMOジャーナルでも取り上げた、京都・神戸の「モダン建築祭」や約10年の歴史がある大阪の「生きた建築ミュージアムフェスティバル」で行われてきた建築公開イベントが、5月25日・26日を中心に待望の東京初開催となります。
どのような建築が公開されるのか、そしてイベントの見どころを、実行委員長の倉方俊輔さんにお聞きしてきました!

建築空間に身を置く、だけでいい!?東京建築祭のプログラム一覧(提供/東京建築祭実行委員会)

東京建築祭のプログラム一覧(提供/東京建築祭実行委員会)

■京都モダン建築祭、神戸モダン建築祭のレポートはこちら
参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開
「神戸モダン建築祭」港湾都市の名建築を一斉に公開! 建築ライターが歩いて触れる街のアイデンティティ

東京建築祭では専門家や建物の運営に携わる”中の人”による有料ガイドツアーも用意されていますが、注目したいのが東京を代表する18の建築が無料で特別公開されるプログラム。
知る人ぞ知る名建築や、東京駅や三越日本橋本店といった誰もが知る建築の、普段は見ることのできない姿を見ることができます。この期間だけの特別公開、どうせなら目一杯楽しみたいですよね。倉方さんに、建築を見学する際に注目すべきポイントをお聞きしました。

スクラッチタイルの立面が美しい、堀ビル。1階の共用ラウンジが見学できる(写真提供/東京建築祭実行委員会)

スクラッチタイルの立面が美しい、堀ビル。1階の共用ラウンジが見学できる(写真提供/東京建築祭実行委員会)

三越日本橋本店では、ふんだんに装飾が施された「三越劇場」が公開される(写真提供/東京建築祭実行委員会)

三越日本橋本店では、ふんだんに装飾が施された「三越劇場」が公開される(写真提供/東京建築祭実行委員会)

「特別な知識や経験は必要ありません。とにかくその空間に身を置いて、自分がどう感じるか、それが第一です。歴史や設計者の意図を知りたければ、本を読めば済むわけですから」

なんと、大学で建築史を教えている建築史家とは思えない意外な答え。でもそれくらいの気持ちで臨んで良いのであれば、無料かつ事前の申し込みも不要なイベントでもありますし買い物のついでに少し寄ってみようかなと気楽に参加できそうです。

「好奇心を働かせて、隅々まで観察したり、なぜそのようなデザインになっているのか、自分なりに考えてみたり。優れた建築の優れた空間で、ゆったり時を過ごしてみる、そんな楽しみ方もおすすめです。建築祭で特別公開となる建築も、エントランスホールなど普段から一般に開かれた建築の通常非公開部分が公開されるものも含まれています。これをきっかけに、東京のお気に入りスポットを見つけてみる、そんな機会としても活用してほしいです」

倉方さんがその代表的な例として推すのが築地本願寺。かまぼこ型の屋根が特徴的な寺院建築ですが、本堂には普段から自由に出入りできること、ご存知でしたか? 宗教建築ということもあり、足を踏み入れることに抵抗があるという方もいらっしゃるかもしれません。これを機会に訪れてみて、その不思議な魅力に触れてみてはいかがでしょうか。東京建築祭では通常非公開の貴賓室や講堂、本堂裏の廊下が公開されます。

築地本願寺外観。古代インドの仏教寺院、西洋建築、日本を含むアジア各国の要素を複雑に組み合わせたここでしか見られない独特な建築(写真提供/東京建築祭実行委員会)

築地本願寺外観。古代インドの仏教寺院、西洋建築、日本を含むアジア各国の要素を複雑に組み合わせたここでしか見られない独特な建築(写真提供/東京建築祭実行委員会)

「築地本願寺は設計者の伊東忠太による独創的な装飾や空間が注目されがちですが、実はあの時代に複合ビルとして建てられた点が革新的なんです。当時の寺院建築では分棟で建てられていた本堂、講堂、貴賓室といった各機能が統合されてひとつの建築としてつくられています。従来の木造ではなく、鉄筋コンクリートが登場したからこそ可能になった形式ですね。
今回の特別公開で、本堂以外の空間も一度にひとつの建物の内部で経験することで、その前提知識がなくても伝統的なお寺とは違う面白さを感じてもらえるのではないかと思います。加えて、ここがすごいのは結婚式や法事など、宗教的な行事が行われているときでも変わらず一般の参拝者を受け入れているというところです。本堂で催事が行われている後ろを仏教徒でもない一般人が出入りしている様子はほかではなかなか見られない大らかさがありますね。ここまで場を開くことに意識的な建築は、宗教建築でも珍しいと思います」

革新的な寺院建築の形式は、施主である西本願寺の決断なくしては実現し得なかったアイデアです。関東大震災を経て木造から鉄筋コンクリート造の建物に転換していった社会状況も、構造形式の選択に影響しているでしょう。そうした要件の上に、建築家が心血を注いで設計された建築が、その時々の状況に応じて手を加えながら90年近くも使われ続けている。個人の才能だけでは実現しない、社会との関わりによって初めて成立する創作物である点が、建築ならではの面白さだと倉方さんは言います。

築地本願寺内部。手すり部分をはじめ、随所に動物の像が据えられている(写真提供/東京建築祭実行委員会)

築地本願寺内部。手すり部分をはじめ、随所に動物の像が据えられている(写真提供/東京建築祭実行委員会)

(写真提供/東京建築祭実行委員会)

(写真提供/東京建築祭実行委員会)

建築を介して人や社会とつながる

「建築の面白さは、人の面白さに尽きます。面白い建築の裏には、それを必要としたクライアントがいて、クライアントの要求に応えた建築家がいて、そのアイデアをかたちにした技術者がいて、工夫しながら使っている人たちがいて、その皆が面白い。今回、ガイドツアーをいろいろな立場で建築に関わっている方々にお願いしています。建築を支える人たちとの出会いも楽しんでほしいです」

建築を見学する上でのポイントとなる情報は、オーディオガイドでも提供される予定です。
ただ、それもあくまで取っ掛かりとして使ってもらえれば、と倉方さん。

「面白い、という心の動きの基本は、自分が今まで知らなかった、新しいものに出合うことだと思います。それまで外観は見たことがあったけれど内部がどうなっているか知らなかった建物に、入ってみるだけでワクワクしたり、楽しいと思えるのではないでしょうか。知らないものと出合う喜びは、旅にも通ずるところがありますね。建築を面白がれるようになると、普段の街歩きから旅をしているような体験を得られるようになりますよ」

オフィスビルをリノベーションした「安井建築設計事務所 東京事務所」。改修プランは社内コンペによって案が選ばれた(写真提供/東京建築祭実行委員会)

オフィスビルをリノベーションした「安井建築設計事務所 東京事務所」。改修プランは社内コンペによって案が選ばれた(写真提供/東京建築祭実行委員会)

また、建築祭で建築を楽しむことを知った人に、ぜひその楽しみを一歩進めてほしいといいます。

「楽しい、という気持ちを自分のなかで留めずに、なにかアクションを起こしてもらえたら嬉しいですね。面白い建築を使ってお店を開いているところがあれば訪れてみるとか、自分が興味深かったことをSNSでシェアするとか。誰かの感想を見ることで、そういう見方もあるのかと楽しみが広がっていきます。そのようにして建築を気にする人が増えていくと、せっかく建てるなら今までにないものにしようとか、今ある貴重な建築を大切に使っていこうとか、人びとの想いが街を豊かにすることにつながっていくと思うんです。面白い、という感情はそれだけで社会的行為につながっていくんだということは、これまで建築公開イベントの運営に携わるなかで実感することですね。一人の熱い想いが社会を変えていく原動力になるんだ、社会は変えていけるものなんだ、ということは僕自身がこのイベントを通して皆さんに共有したいことでもあります」

東京建築祭は、5月25日(土)26日(日)を中心に開催されます。有料のガイドツアーの申し込みは締め切っていますが、25日・26日の特別公開はどれも無料・申し込み不要で見ることができますので、ぜひ公式のWEBサイトで詳細をチェックしてみてください!

●取材協力
東京建築祭実行委員会

世界の名建築を訪ねて。圧倒的売れっ子建築家ビヤルケ・インゲルス設計の高層集合住宅「イコン集合住宅タワー(Iqon Residential Tower)」/エクアドル・キト

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載16回目。今回は、エクアドルの首都・キトにある高層集合住宅「イコン集合住宅タワー(Iqon Residential Tower)」(設計:ビヤルケ・インゲルス)を紹介する。

「ウーブン・シティ」などを手掛ける世界的建築家・ビヤルケ・インゲルス設計「イコン集合住宅タワー」

ビヤルケ・インゲルスといえば、ニューヨークをベースに活躍する建築家で、現今の世界建築分野では圧倒的なパワーでデザイン活動をしているスター・アーキテクトとして知られている。

その話題の建築家ビヤルケ・インゲルスがデザインした「イコン集合住宅タワー」(Iqon Residential Tower)が、南米エクアドルの首都キトに完成し、話題となっている。建物はキトのカロリーナ公園近くにできた高層ビルで、インゲルス初の南米建築となった。

カロリーナ公園とストリートを挟んで向かい合う32階建ての「イコン集合住宅タワー」は、ファサードがカスケード状になったバルコニーが特徴の建築だ。キトでは最高の高さを誇るタワーで、220戸のアパートメントを擁し、コマーシャル・スペースやオフィス群も併設されている。

(c) copia

(c) copia

“生物多様性”を建築で表現した

高さ133mのスカイスクレーパー(摩天楼)は特異な外観で、キトのスカイラインに君臨している。ファサードは、現地の樹木や草花を植えこんだコンクリート・ボックス群で覆われている。こうしたデザインにより、キトの都市景観や有名なピチンチャ火山を展望することができる。また時間の経過に連れてグリーンが生育し、カロリーナ公園のグリーンと連携することを目指している。

(c)BICUBIK

(c)BICUBIK

インゲルスが考えたのは、キトのアイコニックな地理学的な条件、すなわち、地球上で最もバイオ・ダイバーシティ(生物多様性)のある国のひとつであるということ。さらに人間や植物にとっては常にエネルギッシュな状態にある赤道直下の国という特徴を、垂直的な形態にデザインしたという。

インゲルスによれば、キトの全てのアイコニックな性質を引き出すことにより、個人住宅群の垂直的コミュニティである「イコン集合住宅」を生みだした。これはカロリーナ公園を建物の頂上まで伸び上がらせた増築というコンセプトをベースにして完成させた。

「イコン集合住宅」は、キトにあるふたつのランドマーク的集合住宅のひとつとしてデザインされたものである。もう一方は、 やはりアメリカのモシェ・サフディ・アーキテクツのデザインによる、彼らの南米初の集合住宅である「コーナー・ビルディング」(Qorner building)である。

インゲルスによる「イコン集合住宅」と、近隣にあるサフディ・アーキテクツの「コーナー・ビルディング」は、キトにおける現代建築ブームを反映しているようだ。ふたつの建物は、キトという都市が、建築、デザイン、イノベーションなどの試金石となり、変貌していくプロセスを表現しているとも言われている。

最初の住民が入居しはじめて、建物内部でのビジネスがスタートし、両ビル間での相互作用により、近隣界隈の繁栄のドライビング・フォース(推進力)になることが期待されている。

先端的なアーバン・ライフを享受できるぜいたくな集合住宅

「イコン集合住宅」は延床面積が55,000平米もあり、220戸のアパート、5店舗の商業施設、36社のオフィスが入居している巨大ビルディングである。住居は1ベッド・ルームから3ベッド・ルームがあり、その中にはキト市街のパノラミックな景観をエンジョイできる、ゴージャスな9戸のペントハウスが含まれている。

(c)Pablo Casals Aguirre

(c)Pablo Casals Aguirre

住戸、オフィス、商業施設に加えて、建物にはパブリック・プラザ、ショップ、野菜ガーデンが併設された大きなグラウンド・フロア・プラザがある。その他のアメニティとしては屋上プール&テラス、スポーツ&スパ施設、ボウリング場、ミュージック・ルームなどがあり、同市における先端的なアーバン・ライフを享受できる施設でもある。

世界の名建築を訪ねて。アメリカ建築史における重要な都市・セントルイスで名物の高層集合住宅「公園脇の100mタワー(100m Above the Park)」

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載15回目。今回は、アメリカのミズーリ州セントルイスにある高層集合住宅「公園脇の100mタワー(100m Above the Park)」(設計:スタジオ・ギャング)を紹介する。

アメリカ建築史を語るうえで欠かせない重要な都市、セントルイスにある名物集合住宅

「公園脇の100mタワー」は、アメリカ合衆国の中央部にあるミズーリ州のセントルイスに立つ高さ116mの高層集合住宅タワーである。セントルイスという街は、アメリカ建築史における特筆すべき重要な都市なのだ。アメリカはかつて東部から西部に向けて開発が進行したが、その拠点の一つになったのが、セントルイスであったからだ。そのようなアメリカ開発史の軌跡を留めた都市が、セントルイスというわけなのである。

(C)Tom Harris

(C)Tom Harris

今日セントルイスを訪れると、以下の文章にも出てくる「ゲートウェイ・アーチ」という著名建築があり、それ故にこの町の名前を世界的に有名にさせているのだ。アメリカ建築界の巨匠であったエーロ・サーリネンが設計した名建築であり、高さ192mの美しい半円形アーチの建築は、内部をトロッコに乗って頂上まで登れるようになっている。頂上の窓から西部の大平原を一望に見晴らすことができるという、エポック・メイキングな建築である。

エネルギー負荷を減らす建物形態がユニーク

「公園脇の100mタワー」は1階に店舗などの商業施設をはじめ、アメニティー施設、パーキングなどがある。上階の住戸群からは西側にフォレスト・パークを望み、東側には上述の有名な「ゲートウェイ・アーチ」を望むことができる。特にフォレスト・パークの樹木によりフレーミングされた建物は、この上なく優雅な佇まいを見せている。

(C)Tom Harris

(C)Tom Harris

「公園脇の100mタワー」は平面的には樹木の葉に似たユニークなプランをもち、立面的には段状に連なる形態は、全体的なエネルギー負荷を減らし、そのユニークな建物形態が近隣では話題となっている建築である。

建物は4階分をひとつのまとまった層とし、上部に向けて開くようなデザインとなっている。この層が積層化されて建物全体が構成されている。従ってファサードは、テラスを広く取るよう上広がりになるよう角度が付けられている。つまりテラスがあるのは4層の一番下の階にある住戸に限られているので、全住戸の4分の1だけということになる。また住民コミュニティー用の共有のアメニティー空間は、グリーン・ルーフ・スペースに設置されており、緑の庭園で住民同士の活動や語らいができるようデザインされている。

敷地のオリエンテーションや環境条件による種々のメリットを高めることで、樹木の葉のようなプランや、積層化された建物形態はその効果を最大にしている。逆に全体的なエネルギー負荷を減らすことで、住民の満足感を向上させている。

周辺の景観も建築を引き立てる要素に

緑の森や雪景色といったダイナミックなシーンを生み出すフォレスト・パークは、変わりゆく日差しや天候をエンジョイする建物の素晴らしい背景になっている。このアパートメントは特にフォレスト・パークと有名なゲートウェイ・アーチへの眺望が素晴らしく、それがこの建築の魅力的な特徴になっている。個々の住戸はコーナー部分にリビングを配して、2方向への視界が可能になっている。パノラミックな景色に加えて、住戸内にはハイ・クオリティの太陽光をふんだんに導入している。1階には店舗スペースもあり、公園側へのワイドなストリートスケープが楽しめる。

(C)Sam Fentress

(C)Sam Fentress

真冬の雪で周囲が白化粧をすると、建物は開口部以外の白い外壁が近隣環境に同化して“白のハーモニー”を奏で、住民たちはそのアンサンブルを楽しむことができる。やはり女性建築家のデザインによると、シックで華麗な外観の佇まいが、納得できる素晴らしさを秘めているようだ。

●関連サイト
100 Above the Park

「神戸モダン建築祭」港湾都市の名建築を一斉に公開! 建築ライターが歩いて触れる街のアイデンティティ

明治の開港以来、港湾都市としてさまざまな文化の発信地となってきた神戸市(兵庫県)。そうした街の記憶は、都市に立つさまざまな建築物にも刻み込まれ、街を訪れる人に歴史を伝えています。神戸の伝承者ともいえる名建築の数々が一斉に公開される建築公開イベント、神戸モダン建築祭が2023年11月に開催されました。
専門家による確かな審美眼で選ばれた、見どころの多い名建築を一度に楽しむことのできる建築公開イベントは、ビギナーから上級者まで、建築好きがこぞって集まるイベントです。日本では2014年からスタートした大阪の生きた建築ミュージアムフェスティバル(通称:イケフェス大阪)に始まり、2022年からは京都モダン建築祭が開催され、2023年に待望の神戸での開催となりました。
本記事では、これまで国内外の建築を見歩いてきた筆者が、建築祭の魅力や神戸ならではの建築の楽しみ方をレポートします。

港町神戸の象徴、神戸税関。レンガの茶とコンクリートの白の対比や、角に対し円形の塔がたつ配置など、神戸市内のあちこちで開港都市に由来したデザインを見つけることができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

港町神戸の象徴、神戸税関。レンガの茶とコンクリートの白の対比や、角に対し円形の塔がたつ配置など、神戸市内のあちこちで開港都市に由来したデザインを見つけることができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

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参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開

建築祭を盛り上げた専門家の語り

大阪、京都でのさまざまな取り組みを継承し、神戸モダン建築祭でも初回とは思えない充実のプログラムが提供されました。京都モダン建築祭に引き続き建築史家の笠原一人さん、倉方俊輔さんによる音声ガイドが配信されたほか、事前申し込み制の特別ツアーも開催され、参加者のニーズに応じた楽しみ方ができるよう企画が用意されました。

事前申し込み制の特別ツアー、「長尾さんと北野モダン建築めぐり、シュウエケ邸からバプテスト教会へ」の様子。震災後、シュウエケ邸の改修に携わった建築家の長尾健さんが、自身の経験も踏まえた解説を行った(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

事前申し込み制の特別ツアー、「長尾さんと北野モダン建築めぐり、シュウエケ邸からバプテスト教会へ」の様子。震災後、シュウエケ邸の改修に携わった建築家の長尾健さんが、自身の経験も踏まえた解説を行った(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

そのような至れり尽くせりのイベントに参加してさらに驚いたのが、各公開建物に駐在するガイドの存在でした。彼らが話してくれるのは、事実としての建物の歴史だけでなく、実際にその建築物と関わりのあるガイドさん自身の生身の経験です。改修工事に携わり、歴史的な工法でつくられた意匠を現代の技術でどのように再現したか、など現場の視点での工夫や、阪神淡路大震災時の被災状況など、その人にしか語ることのできないエピソードを交えた解説は建築に対する愛着をぐっと深める貴重なコンテンツとして機能していました。
そのような体制を取った理由について、神戸モダン建築祭の実行委員長でNPO法人神戸まちづくり研究所副理事長を務める松原永季さんはこう語ります。

「神戸では建築に関わる人たち皆で盛り上げる建築祭にしたいと思ったんです。今回の公開建物と実務を通して関係のある方々を中心にお声がけし、ガイドとして参加していただきました」

阪神淡路大震災以降、復興のまちづくりに長年携わってきた松原さんが実行委員長を務めたからこそ実現できた施策といえるでしょう。
事実を解説しようとすると語りも堅くなりがちですが、自分自身の個人史と絡めて建築を語ることで、ガイドさん自身も解説を楽しんでいたように感じられました。

港湾都市神戸の屋台骨を担った建築の数々

行政の施設など貿易に関わる規模の大きな建築が集まる港湾エリアと旧居留地、そして北野・山手エリアの2つのエリアに公開建物が集中した今回のイベント。

「建築は街のアイデンティティの根拠となるものです。大震災以降、神戸の街は一段と洗練された都市に変わってきましたが、その来歴は明治の開港以来、直接的・間接的に海外からの影響を受けてつくられてきた建築がベースにあります。今回の建築祭ではそうした開港都市としての建築を見ていただくことで、神戸の街の歴史を知ってほしいという思いがありました」と松原さん。

「特に港湾機能の重要性はもっと知られるべきものだと考えています。倉庫群や埠頭機能、また今回は公開に至りませんでしたが、貿易の重要な機能を担ってきた土木構造物にも見るべきものが多くあり、今後公開する機会をつくっていけたらと思っています」

貿易と関わりの深い開港都市としての建築が多く公開されたことは、見学者にとっても神戸という街にある建築を見る上での指針になりました。

たとえば1927年に建てられた生糸の検査所をリノベーションしたKIITOは、高い天井高を有効利用しデザイン関連のさまざまな催事に使われるデザイン・クリエイティブの拠点となっています。神戸市立の検査所が完成した5年後には国立の生糸検査所が隣接して建てられ、2つの建物が一体となっています。また対面には神戸税関が並び、神戸市が物流を担っていた往時の発展ぶりがうかがえます。

KIITO外観。整然とした左右対称の立面とは裏腹に、中に入ると複雑で多様な空間が広がっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

KIITO外観。整然とした左右対称の立面とは裏腹に、中に入ると複雑で多様な空間が広がっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内部にはデザイン関連のさまざまな機能が。自由に使えるワークスペースでは、学生や社会人らが思い思いの作業に取り組んでいた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内部にはデザイン関連のさまざまな機能が。自由に使えるワークスペースでは、学生や社会人らが思い思いの作業に取り組んでいた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

新港貿易会館。左手奥にKIITOが見える。1930年に事務所ビルとして建てられ、現在もデザイン事務所や貿易関係の会社が入居している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

新港貿易会館。左手奥にKIITOが見える。1930年に事務所ビルとして建てられ、現在もデザイン事務所や貿易関係の会社が入居している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

新港貿易会館、エントランス部のタイル。まだら模様のスクラッチタイルに、建物のアクセントカラーであるグリーンの目地がよく映える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

新港貿易会館、エントランス部のタイル。まだら模様のスクラッチタイルに、建物のアクセントカラーであるグリーンの目地がよく映える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

新港貿易会館、階段室のステンドグラス。モダン建築祭でも屈指の人気撮影スポットとなっていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

新港貿易会館、階段室のステンドグラス。モダン建築祭でも屈指の人気撮影スポットとなっていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

神戸ならではの特徴をよく体現している建築のひとつ、高砂ビルは、元は港の倉庫として建てられた鉄筋コンクリート造のビルです。貨物の保管や搬出入のために造られた、高い天井高やゆとりのある空間は、時代の移り変わりに応じて使われ方が変遷し、現在では音楽ホールやスタジオとして活用されています。

高砂ビル外観。なにも知らなければ素通りしてしまいそうなシンプルな外観に、歴史が詰まっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

高砂ビル外観。なにも知らなければ素通りしてしまいそうなシンプルな外観に、歴史が詰まっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

高砂ビル1階ホール。1949年竣工の高い天井高をもった空間に、雑多に物が置かれさまざまなチラシやポスターが随所に貼り付けられている。日々新しい取り組みが行われているであろう活気が伝わってくる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

高砂ビル1階ホール。1949年竣工の高い天井高をもった空間に、雑多に物が置かれさまざまなチラシやポスターが随所に貼り付けられている。日々新しい取り組みが行われているであろう活気が伝わってくる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ヨーロッパの街角を思わせる美しい石張りの外観をまとったアール・デコの傑作、新港ビルヂングは1939年の竣工。保存状態の良さは、行き届いた管理はもちろんのこと、妥協なく選ばれた高品質な材料によるものでしょうか。
連続する街並みも近い意匠が意識されており、この建物の隣に下手な建築は建てられないぞという意気込みが伝わってきます。良い街並みというものは、往々にしてそのように形成されていくのかもしれません。

神港ビルヂングエントランス。石畳の歩道とアール・デコ建築の取り合わせが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

神港ビルヂングエントランス。石畳の歩道とアール・デコ建築の取り合わせが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

様式は違えど、左右の建物でデザインの統一性が感じられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

様式は違えど、左右の建物でデザインの統一性が感じられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

これらの建築からは少し時代を下って1969年に建てられた神戸商工貿易センタービルは、霞が関ビルディングに次ぐ国内2番目の超高層ビルとして建てられたオフィスビルです。
外観からは四角形平面のごく一般的なオフィスビルに見えますが、中に入ると建物の中央を縦横に通路が交差する特徴的な空間が現れます。今回はかつて展望室だったという26階の会議室が公開され、これから見学する、あるいは見学してきた神戸の街を一望することができるスポットとなりました。

神戸商工貿易センタービル外観(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

神戸商工貿易センタービル外観(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

開放的なエントランスホールの中心に、エレベーターコアが位置する。45度で交わる通路が特徴的だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

開放的なエントランスホールの中心に、エレベーターコアが位置する。45度で交わる通路が特徴的だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

展望室からは、船の発着するポートアイランド、神戸空港へ至るモノレールも見え、陸海空の交通が交差する様子を一望できる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

展望室からは、船の発着するポートアイランド、神戸空港へ至るモノレールも見え、陸海空の交通が交差する様子を一望できる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

神戸観光の目玉。異人館とショッピングエリア

神戸異人館街と呼ばれる、かつて貿易で財を成した外国人商人たちが居を構えた北野エリアでは、豪奢な邸宅の数々やいまや世界的建築家となった安藤忠雄氏が活動初期に手掛けた商業施設が公開されました。

ヨーロッパの本格的なデザインを輸入しながらも日本の風土に合わせて細かな工夫が凝らされた異人館は、近い時代のものであってもさまざまなバリエーションを楽しむことができます。またなかでも建築家、ハンセルの自邸として建てられたシュウエケ邸には、年代物のシャンデリアやフランス製の家具、明治時代の浮世絵のコレクションなどが展示され、往時の生活が再現されています。長らく非公開だったものが公開され、神戸の文化の源泉に触れる貴重な機会となりました。

シュウエケ邸、庭からの外観。多くの異人館が当初の敷地を分割し売却していくなか、オリジナルの敷地がそのまま残っている希少な例(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

シュウエケ邸、庭からの外観。多くの異人館が当初の敷地を分割し売却していくなか、オリジナルの敷地がそのまま残っている希少な例(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階食堂。浮世絵のコレクション、象牙の置物、シャンデリアや食器類など、貿易商の豪勢な生活がうかがえる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階食堂。浮世絵のコレクション、象牙の置物、シャンデリアや食器類など、貿易商の豪勢な生活がうかがえる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

北野のハイセンスなショッピングストリートを象徴するのが安藤忠雄氏の初期作品群です。いずれも周囲の住宅と変わらぬ規模感でありながら、それぞれ個性的なデザインを楽しむことができます。今回のイベントでは通常非公開の部屋が公開されるなど、隅々まで空間を堪能することができました。
ローズガーデンや北野アレーで見られる高低差のある敷地条件を最大限に活かした迷路のような空間構成は、目的のお店にたどり着くまでの道中で思わぬ出会いを生んでくれそうな、ショッピングの楽しみを広げてくれる設計になっています。40年以上が経ってもテナントが入れ替わり使われ続けているさまからは、安藤建築の根強い人気が感じられます。

ローズガーデン外観。2面の道路はいずれも傾斜がある複雑な地形。コンクリートやレンガ、ガラス、鉄骨など複数の素材が統合されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ローズガーデン外観。2面の道路はいずれも傾斜がある複雑な地形。コンクリートやレンガ、ガラス、鉄骨など複数の素材が統合されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ローズガーデン中庭。立体迷路のような複雑な通路を巡りながら目的の店舗を行き来する。モダン建築祭で公開されたローズガーデン、北野アレーのほかにも、近隣に安藤建築が多数点在している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ローズガーデン中庭。立体迷路のような複雑な通路を巡りながら目的の店舗を行き来する。モダン建築祭で公開されたローズガーデン、北野アレーのほかにも、近隣に安藤建築が多数点在している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また神戸税関にほど近い位置には2022年3月、安藤氏の寄附により「こども本の森 神戸」がオープンしました。子どもたちに豊かな感性を育んでほしいという安藤氏の想いにより建てられたこども本の森。名前の通り、施設内を歩き回りながらお気に入りの本を探す文化施設です。

平坦な敷地に立つ湾曲した平面の内部は、安藤氏の空間演出によって歩くだけで楽しい、巨大な本棚のような空間が広がっています。貸出はせず、館内で本との出合いを楽しんでほしいという館のコンセプトがダイレクトに表現された建築でしょう。時代も規模も異なれど、起伏のある空間での散策を誘発する安藤建築のエッセンスを一度に味わい、世界的建築家の芯となる部分に触れることができたような気がします。

こども本の森 神戸の外観。階段状の前庭にも学校帰りの学生たちが遊ぶ姿が(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

こども本の森 神戸の外観。階段状の前庭にも学校帰りの学生たちが遊ぶ姿が(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

巨大な本棚が絡み合うような内部空間。本棚の一部が切り取られ、子ども用の机が配置されるなど、遊び心満載の読書空間に安藤ファンの大人たちも大興奮だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

巨大な本棚が絡み合うような内部空間。本棚の一部が切り取られ、子ども用の机が配置されるなど、遊び心満載の読書空間に安藤ファンの大人たちも大興奮だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今後の継続についてはまだ確定できていない状況ではあるそうですが、確かな手応えを感じているという松原さん。

「私も現地で見学されている方の様子を見ていましたが、参加者の方々の反応は予想以上のものでした。こんなにすごい建築を見せてくれてありがとう、と受付のスタッフに声をかけていた方がいらっしゃり、建物への敬意やスタッフへの感謝を通して新たな交流が生まれる機会になったのだなと感じました。スタッフも楽しんで対応している様子が伝わり、開催してよかったなと強く思いましたね」

建物を媒介とした交流は、名建築の文化的な価値を広め、次世代につないでいくエネルギーにもなることでしょう。大阪、京都、神戸の建築祭の継続はもちろんのこと、日本各地でこうしたイベントが広まっていく期待を胸に、まずはお近くの名建築巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

●取材協力
神戸モダン建築祭 実行委員会

世界の名建築を訪ねて。ウィーンで建築を味わうなら欠かせない! 建築家コープ・ヒンメルブラウ設計の賃貸マンション「ベルビュー・タワー(BelView Tower)」

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載14回目。今回は、オーストリアのウィーンにあり、ウィーンで建築とお酒を同時に楽しめる特別コースに欠かせない名建築、賃貸マンション「ベルビュー・タワー(BelView Tower)」(設計:コープ・ヒンメルブラウ)を紹介する。

脱構築主義を代表する建築家コープ・ヒンメルブラウ設計の賃貸マンション

建築好きにとってウィーンと聞くと、20世紀の巨匠アドルフ・ロースやルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインを思い出す。前者は世界的に著名な「アメリカン・バー」(ロース・バー)を、後者は「ストンボロウ邸」を設計した。ウィーンに行くと必ず寄りたいのが「アメリカン・バー」だ。薄暗くちょっとミステリアスなアトモスフィアで、かつては娼婦がたむろしていたという話を聞いたことがある。

だがいきなり「アメリカン・バー」に行くのはもったいない。同じケルントナー通りの少し南側にコープ・ヒンメルブラウが設計した「ライス・バー」がある。ここはシャンペン・バーだが、ここで下地をつくってから、はしごして「アメリカン・バー」へと行くのが、建築とお酒を同時に味わえる特別コースと、同地を数回訪れた自分は思っている。

(c)Duccio Malagamba

(c)Duccio Malagamba

さてこのコープ・ヒンメルブラウが近年設計したのが、「ベルビュー・タワー」だ。ウィーン駅のすぐ近くという好立地に建ったこの建築物は賃貸マンションである。かつて彼らの作品はいわゆるデコン(デコンストラクティヴィズム=脱構築主義)という範疇の建築として知られていた。そうしたアヴァンギャルドな作品を得意としていた彼らが、比較的落ち着いたアパートメントを設計した。

「ベルビュー・タワー」は、カルティエ・ベルヴェデーレ地区にあるシュヴァイツアー・ガルテンという緑の多い公園の近くにある。建物には249戸のアパートメントがあり、2 ルーム・タイプが234戸、3ルーム・タイプが15戸ある。小さいルーム・タイプが多いのは、独身か若いカップルの入居者を想定したコンセプトがあるようだ。

部屋には天井冷房と床暖房完備、ウィーンの景観が楽しめるバルコニーも

このレジデンシャル・タワーの形態は、アメーバーのような有機的なフォルムで流れるようなモノリシック・ストラクチャー(一体となっている構造)となるよう考案された。ペリメーターのパラペットは、白い粉体塗装アルミニウム製と高価な仕上げで、これが建物全体の外壁をぐるりとカバーしているが、あるところでは途切れている。それはその外壁部分の環境的ファクターが異なるからなのだ。つまり風当たり、騒音、日当たりなどが異なるので、それに対応したデザインが成されている。その結果ひとつの建物のファサードでも場所によってデザインが異なるという、微に入り細を穿った処理をほどこしているのだ。

各アパートメントには天井冷房と床暖房が装備されているという豪華さだ。さらにウィーンの魅力的な景観を見晴らすバルコニーがあり、高度なアウトドア・リビングを可能にしている。日射が限定される部分では、建物の一部が突出しており、適切な自然光と景色を取り込むためのメタル製の出窓となっている。

(c)Duccio Malagamba

(c)Duccio Malagamba

「ベルビュー・タワー」の外壁はプラスター断熱合成ファサードでデザインされている。さらに開口部は固定された3重ガラスか、もしくは回転式、あるいはアルミニウムとガラスによる傾斜形になっている。ガラス張りの1階部分はポスト&ビーム構造で、アルマイト(酸化アルミニウム皮膜を施したアルミニウム)で作られたメタル被覆ウォール・パネルで構成されている。エントランスは1階ファサード中央部に配されている。

エントランスホール(c)Duccio Malagamba

エントランスホール(c)Duccio Malagamba

住民はフィットネスルームや発送用の郵便ボックスを利用できる

マンションの住民は、地下のサウナ・エリアにあるプロ仕様の器具を備えたフィットネスルームを使用できる。また共用で使えるキッチンがあるコモン・ルームはランドスケープされたプラザにアクセスでき、そこでは住民同士が交歓したり、種々の活動をシェアできる。またアパートメントにはコイン・ランドリーがあるので、住民に洗濯機は不要だし、発送できる郵便ボックスがあるので郵便局に行く必要もない。地下パーキングからアパートメントへは、バリア・フリーでアクセス可能となっている。建物はDGNB(ドイツ持続可能な建築物評議会)よりゴールドの認証を得ている。

●関連サイト
Coop Himmelblau

名建築ホテルの実測スケッチがエモいとSNSで話題! 朝食やアメニティも実測する遠藤慧さんの制作現場に密着 「all day place shibuya」東京都渋谷区

ホテルの実測スケッチがSNSで人気を集め、2023年8月に『東京ホテル図鑑』(学芸出版社)として書籍化が実現した一級建築士・カラーコーディネーターの遠藤慧さん。実測スケッチとは、建築物などの対象物を観察しメジャーなどでそのさまざまな部分を測量、スケッチに落とし込んだもの。初の著書には、「アマン東京」「帝国ホテル」など人気の名建築ホテルがたっぷり収録されています。どのような視点で実測スケッチを描いているのか? ホテルの実測スケッチに密着し、建築スケッチに込めた思いをたっぷり語ってもらいました。

遠藤慧さん。講談社の雑誌『with』にて「実測スケッチで嗜む名作建築」連載中(写真撮影/池田礼)

遠藤慧さん。講談社の雑誌『with』にて「実測スケッチで嗜む名作建築」連載中(写真撮影/池田礼)

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名建築ホテルを実測スケッチで味わう。「アマン東京」「LANDABOUT TOKYO」「hotel hisoca」など 一級建築士 遠藤慧さん

水彩スケッチ集『東京ホテル図鑑』で楽しむ名建築『東京ホテル図鑑 実測水彩スケッチ集』(学芸出版社)(画像提供/遠藤慧さん)

『東京ホテル図鑑 実測水彩スケッチ集』(学芸出版社)(画像提供/遠藤慧さん)

「HOTEL K5」「アマン東京」「K5」「山の上ホテル」「hotel Siro」など東京・近郊で人気のホテルを収録(画像提供/遠藤慧さん)

「HOTEL K5」「アマン東京」「山の上ホテル」「hotel Siro」など東京・近郊で人気のホテルを収録(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんは、建築事務所に勤めていたころ、設計のリサーチとしてホテルの実測スケッチを描きはじめました。デザインの勉強のためにホテルを実際に訪れ、建築家が建てた空間を体験しながら描いたスケッチは、現在までに30枚以上! 丁寧に描き込まれた実測スケッチからは、建築を慈しむ遠藤さんの眼差しや感動が伝わってきます。初の著書となる『東京ホテル図鑑』には、2020~2023年、宿泊して描いた23のホテルの実測スケッチを収録。見開きに1つのホテルの要素を詰め込んだ図鑑のような仕上がりです。

見開きページでホテルの1ルームの空間を表現。左ページにはパース(遠近法で描いた線画)、右ページに平面図、中央付近にアメニティを描いた例(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン:乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

見開きページでホテルの1ルームの空間を表現。左ページにはパース(遠近法で描いた線画)、右ページに平面図、中央付近にアメニティを描いた例(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

実測したホテルの写真と解説、スケッチの参考にした色や素材のリストも掲載(アマン東京 設計:大成建設、インテリアデザイン:ケリー・ヒル・アーキテクツ)(画像提供/遠藤慧さん)

実測したホテルの写真と解説、スケッチの参考にした色や素材のリストも掲載(アマン東京 設計:大成建設、インテリアデザイン:ケリー・ヒル・アーキテクツ)(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんが図鑑的なスケッチを描くようになったきっかけは、東京藝術大学美術学部建築科の授業「建築と表現」の課題でした。

その時試みたのは、建築の空間を表現する際、1つの側面だけではなく、断面や置いてある植物など空間を構成している全てを1枚に収めたスケッチを描くことでした。指導担当の中山英之教授から「君がやりたいのは図鑑なんだよ」と指摘され、遠藤さんはハッとしたと言います。子どものころ、図鑑が好きだったことを思い出したのです。例えば、小学館の図鑑シリーズでは、「タンポポ」のページを見ると、花の断面や蕾から開いていく様子、植物学的な分類、タンポポの花を使った草遊びまで、あらゆる事象がタンポポを説明するものとして、1ページに収められています。幼い遠藤さんにはそれがとても美しく思えたのです。

遠藤さんの実測スケッチには、真上から見た平面図、建物を縦に切った時の断面図、立体的に表現されたパースなどが1枚に収められ、さまざまな角度からホテルの魅力を伝えています。シャンプーや歯ブラシなどのアメニティやフードを描いたマニアックなスケッチも! 情報量が多く、見飽きることがありません。

限られたスペースに機能とデザインを両立させた収納や洗面台は必ずスケッチ。タオル入れやコンセントの配置も描いたスケッチ(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

限られたスペースに機能とデザインを両立させた収納や洗面台は必ずスケッチ。タオル入れやコンセントの配置も描いたスケッチ(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン:乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんの琴線に触れたものは描かれる運命。ルームキーや部屋に飾ってある花も(山の上ホテル 建築設計:ヴォーリズ建築事務所ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/現一粒社ヴォーリズ建築事務所)(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんの琴線に触れたものは描かれる運命。ルームキーや部屋に飾ってある花も(山の上ホテル 建築設計:ヴォーリズ建築事務所ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/現一粒社ヴォーリズ建築事務所)(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の実測スケッチ(設計・施工:UDS)(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の実測スケッチ(設計・施工:UDS)(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の実測スケッチを描いた縁で、ホテルのコンセプトブックのイラストを担当。美しい絵本をめくっているよう(写真撮影/池田礼)

「hotel hisoca」の実測スケッチを描いた縁で、ホテルのコンセプトブックのイラストを担当。美しい絵本をめくっているよう(写真撮影/池田礼)

遠藤さん、一体どうやって描いているんですか!? そこで、実際に宿泊して実測スケッチする過程を見せてもらうことに。著書にも登場する「all day place shibuya」実測スケッチに同行。書籍に収録されているのは、2022年12月、ダブルルームに宿泊し、実測スケッチしたものです。今回は、スイートルームの実測スケッチを行います。

使われている色や素材から設計者の意図を探る

JR渋谷駅から徒歩5分、高低差のある道路に挟まれた角地に立つ「all day place shibuya」。2階のレセプションに、小さなジュラルミンのキャリーケースをひいて現れた遠藤さん。「初めて泊まるお部屋を描けるのがとっても楽しみ!」とにっこり。2回目の来訪ですが、初めて訪れた時のホテルの印象はいかがでしたか。

「一番魅力的に感じたのは、道路との高低差を段状のベンチや花壇で上手く調整しながら、屋外空間をつくっているところです。誰でもするっと入っていけるポケットパークのよう。街にとっても素敵なことだと思います」(遠藤以下略)

街に開きながら囲われた感もあり、ベンチには、コーヒーやビールを手に語り合う人々の姿がありました。

高低差のある道路に囲まれているがレベル差を活かしたエントランス(写真撮影/池田礼)

高低差のある道路に囲まれているがレベル差を活かしたエントランス(写真撮影/池田礼)

床やベンチ、花壇の立ち上がりには緑色のタイルを使用(写真撮影/池田礼)

床やベンチ、花壇の立ち上がりには緑色のタイルを使用(写真撮影/池田礼)

2022年にダブルルームに宿泊した時描いたスケッチ(all day place shibuya 企画・設計・運営:UDS、客室インテリアデザイン:DDAA)(画像提供/遠藤慧さん)

2022年にダブルルームに宿泊した時描いたスケッチ(all day place shibuya 企画・設計・運営:UDS、客室インテリアデザイン:DDAA)(画像提供/遠藤慧さん)

「とても素敵なのは、エントランスに入った時の体験が途切れずに2階まで続いていくこと! 1階のカフェの床に使われている緑色のタイルは、屋外やエレベーターの中まで連続していて、内外が繋がっているんです。多治見の美濃焼を使ったオリジナルのタイルは、色むらが本当にきれいで、街とホテルをグラデーショナルに繋いでくれています」

植栽と相まってイメージカラーの緑が強調されている(写真撮影/池田礼)

植栽と相まってイメージカラーの緑が強調されている(写真撮影/池田礼)

色むらが美しい緑色のタイルがエレベーターの床まで連続している(写真撮影/池田礼)

色むらが美しい緑色のタイルがエレベーターの床まで連続している(写真撮影/池田礼)

建物のインテリアデザインは、DDAA。ホテルのレセプションがある2階のレストランはPuddleによる設計です。

「素材の使い方などデザインコードが似ているので、建物全体に共通言語があると感じます。2階は土色のタイルを床と壁面の一部に用いたデザインですが、エントランスも、床と花壇の立ち上がり部分にタイルを使用していました。レセプションに置かれたアクリル板と金メッキの単管パイプを使った造作のテーブルがすごくカッコイイです!」
※デザインコード
「配置」「色」「形」「素材」など、空間の秩序を構成する「視覚的な約束事」

スタッフが常駐するコミュニケーションテーブルや季節のディスプレイを展示するテーブルは、DDAA・元木大輔さんによるオリジナル(写真撮影/池田礼)

スタッフが常駐するコミュニケーションテーブルや季節のディスプレイを展示するテーブルは、DDAA・元木大輔さんによるオリジナル(写真撮影/池田礼)

一級建築士でありカラーコーディネーターでもある遠藤さんだからこそ気づける視点はハッとすることばかり。解説をしながら壁やテーブルにそっと触れる遠藤さんは、物言わぬ建物と語り合っているように見えます。

「建築は、とても雄弁なんですよ。事前に資料も調べますが、訪れないとわからないことの方が多いんです。設計は箱だけつくるわけじゃなくて、過ごす人のことを考えて雰囲気も含め、トータルにデザインされています。滞在して、その場に身を置くことで、設計者の思いを辿っていきたいと思っています」

2階にあるピッツァ・ダイニング「GOOD CHEESE GOOD PIZZA」では、毎朝、清瀬の農場から届く新鮮な牛乳からつくったチーズを提供(写真撮影/池田礼)

2階にあるピッツァ・ダイニング「GOOD CHEESE GOOD PIZZA」では、毎朝、清瀬の農場から届く新鮮な牛乳からつくったチーズを提供(写真撮影/池田礼)

モーニングで選べる「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」は、もちもちとしたチーズとサーモン、アボカドのコンビネーション(写真撮影/池田礼)

モーニングで選べる「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」は、もちもちとしたチーズとサーモン、アボカドのコンビネーション(写真撮影/池田礼)

描くことで、ものをよく見ることができる

今回、実測スケッチをするのは、「Weekend Suite」(広さ53.7平米・定員2名)です。入室するやいなやドアに貼ってある避難経路図をまじまじと見る遠藤さん。

「フロアにある部屋の並びを確認しているんです。宿泊する部屋が、このフロアで一番多いタイプなのか特殊な位置づけなのか把握することから始めます」

ゆったりとしたソファスペース。22時までならゲストを呼んでパーティ等も可能(写真撮影/池田礼)

ゆったりとしたソファスペース。22時までならゲストを呼んでパーティ等も可能(写真撮影/池田礼)

感嘆の声をあげながら、メモをとったり、収納をのぞいたり、楽しそうな遠藤さん(写真撮影/池田礼)

感嘆の声をあげながら、メモをとったり、収納をのぞいたり、楽しそうな遠藤さん(写真撮影/池田礼)

(写真撮影/池田礼)

(写真撮影/池田礼)

ベッドルームから水回り、収納を見て回ります。ベッドとソファスペースの間にあるユニークな形のオブジェは、オリジナルデザインの照明でした。

「ホームページの写真で見た時は何だろう?と思っていましたが、ベッドとソファスペースの仕切りとしてとても良いですね。金属ブラインドの透け感が良い感じ。ぐにゃぐにゃ柔らかそうな照明でとてもかわいいです」

ベッドルームの壁には首都高をモチーフに制作されたアート(作:安田昴弘氏)が飾られています。以前遠藤さんが宿泊したダブルルームと同様に本棚などの什器には緑色のメラミン化粧板が使われていました。

コーヒーにまつわる本が置かれたシェルフには、コーヒー豆やミルも用意されている(写真撮影/池田礼)

コーヒーにまつわる本が置かれたシェルフには、コーヒー豆やミルも用意されている(写真撮影/池田礼)

積層合板を小口に現したメラミン化粧板の棚。右は壁や床の色や素材を示したもの(画像提供/遠藤慧さん)

積層合板を小口に現したメラミン化粧板の棚。右は壁や床の色や素材を示したもの(画像提供/遠藤慧さん)

「部屋に使用されているメラミン化粧板の緑色は、共用部のタイルの緑色とは印象も実際の色味も違いますが、他の素材がグレーや黒などの無彩色系なので、テーマカラーのグリーンがとてもきれいに伝わってきます。広いお部屋で見ると深い色に見え、本棚の天板が外の光やアートの色をほのかに反射して美しいです。入り巾木や造作家具の収まり、カーテンの見せ方など、ものとものとの取り合いが良いですね。壁面が真っ白ではなくてほんの少しグレーで、自然光を柔らかく広げていて、とても良い見え方になっています」

ホテルの担当者から、ひととおり、部屋の説明を受けたあと、実測がスタート。キャリーケースから次々と道具を取り出します。実測に使うのは、レーザー距離計と金属製のメジャー、色見本帳のほか見慣れない道具も。

左回りに、レーザー距離計、三角スケール、スコヤ(直定規)、コンベックス(金属製メジャー)、色見本帳(写真撮影/池田礼)

左回りに、レーザー距離計、三角スケール、スコヤ(直定規)、コンベックス(金属製メジャー)、色見本帳(写真撮影/池田礼)

「レーザー距離計は部屋の外形など長い距離を測る時に便利です。椅子の高さなど中距離はメジャー、小さな厚みなどはノギス。コップなどの厚みや丸いものの径を測る時に使います」

慣れた手つきでレーザー距離計を壁にあてる遠藤さん。ベッドルームとソファスペースの長辺の長さは7m以上! 実測すると部屋の端から端まで想像以上の距離があり、どうりで広いはずだ!と納得。

「空間を何となく見ているだけでは描けないんです。構造がどうなっているのか理解するために、さまざまな角度からよく見るようにしています」

「後ろが窓になっているのが清々しくてとても良いですね」と遠藤さんお気に入りの洗面所(写真撮影/池田礼)

「後ろが窓になっているのが清々しくてとても良いですね」と遠藤さんお気に入りの洗面所(写真撮影/池田礼)

実測したら、最終的なレイアウトをイメージしながら、スケッチブックにおおよそのレイアウトや気になった家具などを描き、寸法を入れていきます。部屋の規模にもよりますが、その後の下書きやペン入れ、水彩による着彩は自宅で行うことが多いそうです。

(写真撮影/池田礼)

(写真撮影/池田礼)

今回は、スケッチブックにひと晩でこんなに描き込んだというから驚きです(画像提供/遠藤慧さん)

今回は、スケッチブックにひと晩でこんなに描き込んだというから驚きです(画像提供/遠藤慧さん)

描きたいのは、コップではなくコップが置かれた空間編集部に届いた実測スケッチ。設計者やデザイナーの思いと遠藤さんの感動が響き合い、生まれた1枚(画像提供/遠藤慧さん)

編集部に届いた実測スケッチ。設計者やデザイナーの思いと遠藤さんの感動が響き合い、生まれた1枚(画像提供/遠藤慧さん)

完成した実測スケッチを見た瞬間、思わず、ため息がこぼれました。紙面を大胆に使ってソファスペースからベッドルームのパースが描かれています。1階のクラフトビールバーのグラスには高さや幅のサイズが書かれ、「使ってみて欲しくなった!」という備えつけのソーダサーバーまで事細かに描かれています。

左下は、「カッコ良すぎる」と遠藤さんが感じたローテーブル。古材とアクリル板、荷紐のベルトなど素材についてのメモも(画像提供/遠藤慧さん)

左下は、「カッコ良すぎる」と遠藤さんが感じたローテーブル。古材とアクリル板、荷紐のベルトなど素材についてのメモも(画像提供/遠藤慧さん)

壁と床の間にある巾木の素材や壁や家具の足まわりなども事細かに。神は細部に宿るとはまさにこのこと!(画像提供/遠藤慧さん)

壁と床の間にある巾木の素材や壁や家具の足まわりなども事細かに。神は細部に宿るとはまさにこのこと!(画像提供/遠藤慧さん)

チーズのとろとろが見事に描写された「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」。ピンクペッパーがピリッ(画像提供/遠藤慧さん)

チーズのとろとろが見事に描写された「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」。ピンクペッパーがピリッ(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さん、こんな目線で見ていたんだ……と驚くと共に、自宅のようにくつろいだ部屋の印象が蘇りました。

「空間の雰囲気が伝わったなら、とても嬉しいです。例えば、コップがあった時、私が描こうとしているのは、コップそのものじゃなくて、コップが置かれている空間です。何となくこの部屋いいなと思う時、その理由が1つだけということはあまりないと思います。コップのそばに置いてある食べ物だったり、その後ろにある窓からの光だったり、全部ひっくるめて、良いなと感じているはず。部屋を訪れた時の印象をどうやったら表現できるんだろう? と思って辿り着いたのが、図鑑的にいろんな断面を見せる実測スケッチだったのです」

カーテンを開けた時の感動が伝わってくる(帝国ホテル東京 設計:高橋貞太郎/本館、インテリアコーディネート:ジュリアン・リード/本館インペリアルフロア)(画像提供/遠藤慧さん)

カーテンを開けた時の感動が伝わってくる(帝国ホテル東京 設計:高橋貞太郎/本館、インテリアコーディネート:ジュリアン・リード/本館インペリアルフロア)(画像提供/遠藤慧さん)

実測スケッチ風ホテルステイの楽しみ方

最後に、『東京ホテル図鑑』をもっと楽しむ方法や自分に合ったホテルを選ぶポイントを教えてください。

「SNSには『本は、汚さないように大切にします!』と言ってくださる方もいて有難いのですが、自分で訪れたホテルの感想を書き込んだりして使い込んでもらっても嬉しいです。建築資料として参照できるつくりにこだわったので、自分もとても役立っています。『どうやってホテルを見つけていますか?』という質問もよく受けますが、私は、素敵だなと思ったホテルに巡り合ったら、設計者やデザイナー、運営会社をチェックして、同じ系列のホテルに行ってみたりすることもあります」

表紙カバーの裏には、遠藤さんからのサプライズが。本の中で紹介したホテルの平面図が同じスケールで、入り口の向きをそろえて面積順にズラリ(写真撮影/池田礼)

表紙カバーの裏には、遠藤さんからのサプライズが。本の中で紹介したホテルの平面図が同じスケールで、入り口の向きをそろえて面積順にズラリ(写真撮影/池田礼)

本に紹介されている部屋と同じ部屋に泊まって、遠藤さんが感じたことを追体験したり、スケッチとの違いを感じたりしても楽しそう! 逆に実測スケッチされていない部屋に泊まるのもアリ。こういうパターンのデザインもあるんだ!など気づきがありそうです。

遠藤さんが実測スケッチを描くモチベーションは、「行ってめちゃくちゃ良かった!」という自分の感想を伝えたいというシンプルな思いです。

「こういう風に描いたら良さが伝わるんじゃないかと思いつくと、ワクワクするんですよ。スケッチを見た人から『行ってみたくなった!』というコメントが届くとすごく嬉しいですね」

建築をよく見て思いを込めて描くからこそ、遠藤さんは、設計者やデザイナーが建物に込めた物語を見つけることができるのでしょう。

『東京ホテル図鑑』のスケッチからは、街とホテル、雰囲気や居心地のデザインなど当たり前に過ごしていた空間がどのようにつくられているのかを学ぶことができます。「いつか海外のホテルを実測スケッチして本を出したい」と語った遠藤さん。以前、「all day place shibuya」の担当者が、レセプションで『東京ホテル図鑑』を展示したところ、海外のお客さんに大反響だったそう。夢が叶う日はそう遠くないかもしれません。

●取材協力
・遠藤慧(X:Twitter)
・all day place shibuya

世界の名建築を訪ねて。ウーブン・シティで話題のビヤルケ・インゲルス建築の集合住宅「AARHUS Φ4Housing(オーフスΦ4集合住宅)」/デンマーク・オーフス

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載13回目。今回は、デンマークのオーフスという街にある、「ウーブン・シティ」などを手掛ける世界的建築家・ビヤルケ・インゲルスによる集合住宅「オーフスΦ4集合住宅(AARHUS Housing)」(設計:ビヤルケ・インゲルス・グループ)を紹介する。

海浜地区にそびえる2棟の3角形集合住宅タワー

デンマークはスカンディナビア諸国の中では一番南にある国となっている。首都のコペンハーゲンはシェラン島にあるが、同国第2の大都市オーフスはヨーロッパの陸続きであるユトランド半島にある。「オーフスΦ4(ファイ・フォー)集合住宅」は、“オーフスΦ“と呼ばれる新しい都市開発における人工島Φ4の先端部に位置している。この開発は港と湾、すなわち都市と自然の中間地域にあり、両者の素晴らしいパノラマを満喫できる一等地にある。

(C)R. Hjortshoj

(C)R. Hjortshoj

建築家ビヤルケ・インゲルス(デンマーク出身)といえば、アメリカのニューヨークに拠点をもち、世界的に活躍しているスター・アーキテクトである。周知のように日本のトヨタ自動車に頼まれて、富士山麓に約2000人が住むという「ウーブン・シティ」をデザインしている建築家でもある。その彼が故郷デンマークに2019年につくったのが「オーフスΦ4集合住宅」である。

まるで「ふたつの頂上のある集合住宅」

この建物は、オーフスという街における既存の典型的な都市エレメントのタイポロジー(特定の象徴性や用途、形態をもつ「ビルディング・タイプ」に基づく分類を指す)であるコートヤード・ビル、連続住宅、高層ビルディングなどの都市のエッセンスを、デザイン的にひとつの集合住宅に凝縮した作品となっている。

「オーフスΦ4集合住宅」は平行四辺形のプランをもち、同じ形のコートヤードをもっている。相対する3角形のふたつのコーナーは、山の頂のように種々の高さに立ち上がり、段状になったルーフスケープが戸外活動用の大きなプライベート・テラスを生み出している。いわばツイン・ピークス・ハウジング、すなわち「ふたつの頂上のある集合住宅」とでもいえそうなシャープな外観が特徴である。

(C)R. Hjortshoj

(C)R. Hjortshoj

種々の場所にあるアウトドア・スペースの延長としての連続的なバルコニーが、建物全体をぐるりと取り巻いている。これらの長いバルコニーは、コートヤードの中にあるより小さなバルコニー群によって区切られている。と同時にそれらの小さなバルコニーは、十分なアウトドア・スペースを全ての住戸に与えている。

 (C)R. Hjortshoj

(C)R. Hjortshoj

住民が野菜や果樹を育てられる公園がある

「オーフスΦ4集合住宅」の中心的な公園ともいうべきコートヤードは、全ての住民が共有するガーデンを提供し、野菜や果樹を育て、アウトドアでのコミュニティー・ディナーの開催もできる住民たちの憩いの場所となっている。

建物のストリート・レベルには、個人用の海浜レジャー施設や、オーフス市の進行する都市開発をサポートする商業施設などが入っている。北東方向には2階建てのカナル(運河)・ハウスが海に面して配置されており、人々はそこから直接海に入って自由に水泳をしたり、散歩を楽しんだりすることができる。南西側コーナーには共有のコミュニティー・スペースがあり、正面に大きなテラスをもつアーバン・スペースへと連続している。この多目的スペースは、周囲のストリートに対し、華やかなファサードを見せている。

 (C)R. Hjortshoj

(C)R. Hjortshoj

総体的にいって、「オーフスΦ4集合住宅」はデンマーク第2の都市の既存の建築レガシーを包含しつつ、また港と都市のスカイラインに登場したダイナミックな新しい建築のビーコン(自分の存在位置を示すようなデザイン、形態、信号など)として存在している。ヨーロッパ・ツアーをされる方たちは、多数の国がひしめきあうヨーロッパの中で訪問先は多いだろうが、時には大都会から遠く離れた場所で、新しいデザインの建築に遭遇するのは面白いのではないだろうか。「オーフスΦ4集合住宅」は、まさにその典型的な例といえそうだ。

世界の名建築を訪ねて。国際的建築家集団MADによる彫刻のようなパビリオン「The Cloudscape of Haikou(海口クラウドスケープ )」/中国・海口市

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載12回目。今回は、中国・海口市(はいこうし)、約7,500平米という広大な敷地に立つ2021年に誕生した住宅街の交流施設「海口クラウドスケープ (The Cloudscape of Haikou)」(設計:MAD)を紹介する。

彫刻的表情をもつオーガニック・アーキテクチャー

中国最南端の海南島の北端にある海口市は、中国本土に対面した都市で、近年社会的重要性が指摘され、同市のパブリック・スペースの質を高め、都市・建築・住民間の連係を強める計画がスタートした。「海口クラウドスケープ」は、そのような計画の端緒となったプロジェクトである。

(C)ArchExist

(C)ArchExist

「海口クラウドスケープ」は、16棟の海浜パビリオンのトップを飾るもので、海沿いに展開されるパブリック・スペースを改良する目的がある。海口シーサイド・パビリオンと呼ばれる新規構想では、国際的に著名な建築家、アーティストおよび学際的なプロフェッショナルに、16件のランドマーク的公共建築の設計を依頼した。

中国で先進的な国際的建築家集団MADが手がけたパビリオン

パビリオンをデザインしたMADといえば、今や中国建築界ではもっとも先進的な国際的建築家集団で、マ・ヤンソン、ダン・チュン、早野洋介の3名が率いる建築家チームは、中国のみならず今やヨーロッパにも活動領域を広げている。

パビリオンには、ブック・ストアと市民アメニティを含んでいる。海口湾岸沿いのセンチュリー・パークに位置する建物は、4,397m2の敷地に1,380m2の延床面積を擁している。建物内部の南側には10,000冊の蔵書スペースがある図書館とその閲覧室がある。また無料で一般に開放された多機能視聴覚エリアが収容されている。他方北側には、シャワー室をはじめ休息室、保育室、トイレ、ルーフ・ガーデンがある。

陸と海の中間で静穏に座すパビリオンは、高度に彫刻的な表情を見せている。自由でオーガニックなフォルムは、ユニークなインテリア・スペースを生み出している。そこでは壁、床、天井は一体となった融合的なデザインとなっている。さらに内外空間の境界が曖昧となっている。

パビリオンの円形開口部は、野生動物や海の生物によってつくられた穴を想起させ、建築と自然の境界を曖昧にしている。大小さまざまな開口部は、インテリアに自然光を導入し、海口の一年中暖かい気候にある建物を冷やす自然換気を生み出している。これらの穴越しに、ビジターは時間や空間の推移を通して、あたかも慣れ親しんだ世界を見るかのように、空を仰ぎ見たり海を眺めたりする。

(C)CreatAR

(C)CreatAR

1階と2階をつなぐカスケード状となった海に面する閲覧室は、図書空間だけでなく文化的な交流の場所にもなっている。子ども用の閲覧エリアは、メインの閲覧室から離れたところにあり、そこではトップライト、穴、ニッチなどが子どもの探究心を刺激するようデザインされている。

読書や眺望を楽しめる半外部空間やテラスがあちこちに

建物の構造的な形態から、いくつかの半外部空間やテラスが生まれ、それらが読書をしたり海を眺めたりする格好のスペースとなっている。ローカルな暑い気候に対応して、建物の外部廊下のグレー空間はキャンティレバー(※)となり、居心地のよい気温を生み出し、サステイナブルな省エネ建築となっている。

※片持ち梁。通常、梁は柱や壁などに両端が固定されているが、一端のみ固定されているもの。バルコニーなどで用いられる

(C)ArchExist

(C)ArchExist

MADはこの建物により、アンチ・マテリアルなアプローチを掲げ、構造や工事の意図的な表現を避け、材料についての日常的な認識を解消し、空間認識そのものがメインの目的となるようにしている。この建物ではコンクリートは、その流れるようなソフトで自在な構造形態で特徴づけられる液状材料と考えられている。

建物の内外はコンクリート打放しとし、ひとつの凝集的フォルムとなっている。屋根と床は2層のワッフル・スラブ(高気密・高断熱・高遮音の快適住空間を生み出す床材)で、建物のスケールや大きなキャンティレバーを支持している。デザインはデジタル・モデルを使用して進められた。その結果、機械系、電気系、配管系のエレメントは、見かけを最小にしてコンクリートの隙間に配置し、視覚的な統一性を表現することが可能になった。パビリオンのスムースかつ有機的なオーラは、建築、構造、機械&電気デザインを巧みにインテグレートすることで創造された。

東日本大震災の”復興建築”を巡る。宮城県南三陸町の隈研吾作品や石巻エリア、坂茂設計の駅舎など、今こそ見るべきスポットを建築ライターが紹介

2011年3月11日に発生した東日本大震災。津波によって多くの人命が失われ、街の主要な機能が流されてしまった東北の沿岸地域では、復興が急ピッチで進められました。同時に、惨劇を二度と繰り返さないために、地震が発生したときにどのようにふるまうべきか、教訓を語り継いでいくための取り組みが行われています。
紙媒体やインターネットを通じたアーカイブも充実していますが、やはり現地を訪れてこそ感じ取れることがあるのも確か。特に被害の実態や被災者の生の声を伝える資料をコンテンツとしていかに体験してもらうか、建築家やデザイナーが綿密な計画を練った復興建築を巡ることは、被災地から離れた地域に住む人にとって有効なツアーになるのではないでしょうか。

今回、各地の建築やまち歩きをライフワークにしてきた筆者が、都内からも比較的アクセスしやすい宮城県石巻市を中心に、宮城県の三陸海岸エリアの復興建築をレポートします。前編では三陸海岸の北側、岩手県沿岸部を紹介していますので、合わせてご覧ください。

東日本大震災の”復興建築”を巡る。今こそ見るべき内藤廣・乾久美子・ヨコミゾマコトなどを建築ライターが解説 岩手県陸前高田市・釜石市

海と川、2方向から津波が襲った石巻市

仙台市から電車で1時間、国内有数の水揚げ量を誇る漁港の町として知られる石巻市には、市街地の中心に旧北上川という河川が流れ、川が見える風景が長らく市民の生活とともにありました。しかし東日本大震災時にはこの旧北上川を逆流した津波が市内に流れ込んだことで大きな被害を生み、河岸部分に防潮堤を築くことになります。それでも少しでも川とともにある生活を受け継ぐことを意図してデザインされたのが、大きくゆとりをもたせ広い散歩道として整備された防潮堤でした。一段低い市街地から防潮堤に架け渡すように設計された建築も見られ、市民の憩いの場として川と街をつないでいます。
東日本大震災からの復興にあたっては、防災のために巨大な土木スケールの防潮堤を築くことに対し、古くからの町の風景が失われてしまう葛藤がどの地域にもありました。人命には替えられないと、防潮堤の建設は進められていきましたが、デザインの力によってその間を取り持つ可能性が示されているように感じます。

河岸に整備された散歩道(写真撮影/筆者)

河岸に整備された散歩道(写真撮影/筆者)

防潮堤に設置された東屋は、仮設的で華奢なデザイン。設計は萬代基介建築設計事務所による(写真撮影/筆者)

防潮堤に設置された東屋は、仮設的で華奢なデザイン。設計は萬代基介建築設計事務所による(写真撮影/筆者)

防潮堤と市街地をつなぐブリッジのように建つ、観光情報施設「かわべい」(写真撮影/筆者)

防潮堤と市街地をつなぐブリッジのように建つ、観光情報施設「かわべい」(写真撮影/筆者)

復興が進んだ中心部に対し、痛ましい被害の様子が伺えるのが南の沿岸部側。津波により被災した門脇小学校は、震災遺構として遺され見学ができるようになっています。震災時に発生した津波火災によって黒焦げに焼けた校舎は、見学用のルートが真横に新設され、間近で見ることができます。
少し小高い日和山を背に立つ門脇小学校では、発災時に校舎内にいた児童は迅速に山へ避難し津波を逃れることができました。一方で校庭に集まった住民の多くが津波の被害に合いました。少しの判断の差が生死を分けた現実は、悔やんでも悔やみきれません。その教訓を風化させまいという残された人々の想いが、校舎を取り壊すことなく保存する決断につながっています。ご遺族の言葉も、資料とともに展示されることで画面越しで見るのとは違う切実さを、訪れる人に与えているのではないでしょうか。

石巻市震災遺構門脇小学校の外観。右側に見えるボックス状の回廊が、新設された見学ルート(写真撮影/筆者)

石巻市震災遺構門脇小学校の外観。右側に見えるボックス状の回廊が、新設された見学ルート(写真撮影/筆者)

校舎1階部分。左手側の旧校舎は被災当時のまま残され、通路から見学することができる(写真撮影/筆者)

校舎1階部分。左手側の旧校舎は被災当時のまま残され、通路から見学することができる(写真撮影/筆者)

門脇小学校からさらに南へ向かうと、更地になった海岸部に整備された広大な復興祈念公園が見えてきます。中心に位置するのが「みやぎ東日本大震災大津波伝承館」です。こちらは語り部として活動している被災者のメッセージに加え、津波のメカニズムなど震災を科学的な視点から紹介するコーナーなど、より包括的に震災の記録がアーカイブされた施設となっています。市が運営し、石巻市にフォーカスした門脇小学校と、宮城県が運営する伝承館、さらにその中間には市民により運営されている「伝承施設MEET門脇」があり、それぞれの視点で伝承のための活動が行われています。さらに町の中心部では、津波被害に限定せず、石巻市の歴史や市民の生活そのものを知ってもらう展示がなされた場所も見られました。町の魅力を伝えることで興味をもってもらう、そのうえで津波被害について学ぶことは、ただ単に事実を見せられるのとは違う印象を与えるのだと思います。

復興祈念公園の遠景。防潮堤が海との境界になっている。左手前に見えるのが伝承館で、庇最上部の位置まで津波が達した(写真撮影/筆者)

復興祈念公園の遠景。防潮堤が海との境界になっている。左手前に見えるのが伝承館で、庇最上部の位置まで津波が達した(写真撮影/筆者)

石巻市に限らず、こうした伝承施設は特定のエリアに集中して建てられるケースが多く見受けられます。遠方から訪れた観光客は、そうした施設を順に見て回る人も多いでしょう。そのなかでいかにして被害の実態を記憶にのこるかたちで伝えていくか。官民それぞれの取り組みが重なり合いながら、相互に補い合って伝承している石巻は、町全体で展示デザインがなされているように感じるほど、震災にまつわる豊富な学びのある町でした。

中心部から離れた高台に新設された「マルホンまきあーとテラス」。大小のホールや市立博物館を備えた文化施設の設計は、藤本壮介建築設計事務所によるもの(写真撮影/筆者)

中心部から離れた高台に新設された「マルホンまきあーとテラス」。大小のホールや市立博物館を備えた文化施設の設計は、藤本壮介建築設計事務所によるもの(写真撮影/筆者)

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震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と

新しく整備されたプロムナードで海産物を楽しむ女川

石巻からさらに電車で30分、町の中心部全体が浸水し町の主要な機能が失われてしまった女川町では、中心市街地全体を盛土により嵩上げし、居住区域を高台に移す復興がなされました。これにより防潮堤の高さを制御し、町から海が見える風景が守られました。そして震災後の新たなシンボルとして、世界的建築家の坂茂氏設計による駅舎が建てられました。

長年、建築家としての設計活動と並行して、世界中の災害現場や難民キャンプで仮設住宅など避難用の建築のデザインや施工をボランティア活動として取り組んできた坂氏は、東日本大震災でも東北各地で復興支援活動にあたりました。避難所での生活にプライベートな空間を確保するためのダンボール間仕切りの提供のほか、ここ女川では輸送用コンテナを活用し短期間での施工を可能にした仮設住宅の設計を手掛けています。この仮設住宅設計後も継続的に女川に関わり、近隣の仮設住宅に住む住民への聞き取り調査を行っていた坂氏は、狭い仮設住宅のユニットバスでは望めない、ゆったりくつろげる銭湯が多くの方に望まれていることを知ります。その矢先に、女川駅の設計を依頼された坂氏は、駅舎と温浴施設を一体的にデザインする提案を行いました。災害復興への長年の取り組みあってこそのデザインだったと言えるでしょう。

女川駅全景。白い膜でつくられた大きな屋根が象徴的なデザイン(写真撮影/筆者)

女川駅全景。白い膜でつくられた大きな屋根が象徴的なデザイン(写真撮影/筆者)

女川駅の展望台から海方向を見る。海への見晴らしが維持された(写真撮影/筆者)

女川駅の展望台から海方向を見る。海への見晴らしが維持された(写真撮影/筆者)

「海が見える終着駅」として知られる女川駅からは、駅舎からまっすぐ海へと向かってプロムナードが延び、その両サイドに地産の食材が楽しめる料理屋や土産物屋が並びます。星野リゾートのホテルの設計などで知られる建築家の東利恵氏が手掛けた、シーパルピア女川です。漁港の町らしい木造の家屋が立ち並び、個性のある商店が店を構え、分棟形式の隙間には庭が整備されています。決して多くはない商店を、単純に横並びにするのではなく前後の奥行きをもたせて配置することで、散策しながら買い物を楽しむことができるよう計画されたデザインです。

観光客であふれるシーパルピア女川(写真撮影/筆者)

観光客であふれるシーパルピア女川(写真撮影/筆者)

中・小規模の建屋が雁行するように連なり、隙間の空間を散策できる(写真撮影/筆者)

中・小規模の建屋が雁行するように連なり、隙間の空間を散策できる(写真撮影/筆者)

女川にも、観光客が必ず目にするであろう場所、プロムナードの突き当りに、津波の猛威を示す震災遺構が遺されています。鉄筋コンクリート造の建物が基礎ごと引き抜かれ、横倒しにされた光景がメディアを通じて大きな衝撃を与えた旧女川交番です。被災当時のままの状態で保存され、その周囲を取り囲む回廊が新たに設置されました。回廊に掲げられたパネルには、女川町の震災被害や復興までの歩みが記されています。小さいながらも強いメッセージを発する震災遺構です。

横倒しになった旧女川交番。剥き出しになった杭が津波の威力を伝えている(写真撮影/筆者)

横倒しになった旧女川交番。剥き出しになった杭が津波の威力を伝えている(写真撮影/筆者)

隈研吾氏設計の建築が集まる南三陸町

石巻駅から電車とバスを乗り継ぎ2時間弱、南三陸町も復興建築が集中するエリアです。津波によって線路が流されてしまったため、中心部にある志津川駅はBRT(バス高速輸送システム)の停留所として使われています。

駅の目の前で一際目を引くのが、新国立競技場の設計などで知られる建築家・隈研吾氏設計による「南三陸ポータルセンターアムウェイハウス」。南三陸産の木材を用いたルーバーは平行ではなく放射状に配置され、建物内部に視線が引き込まれるようにデザインされています。アムウェイハウスは被災地の地域コミュニティの再生支援を行う施設として、ここ南三陸を含む東北3県7箇所に設置されています。

隈研吾氏は2013年から継続的に南三陸町の復興計画に携わり、一帯のマスタープランも手掛けています。地元の海産物を楽しめる商店街さんさん市場、駅とメモリアルパークを結ぶ中橋、そしてこのアムウェイハウスです。メモリアルパークには、津波襲来の直前まで避難を呼びかける様が大きく報じられた南三陸旧防災庁舎が震災遺構として遺されており、多くの観光客が日々訪れています。駅から市場へ、メモリアルパークから山方向にある神社へ、2つの軸線の中間に位置するアムウェイハウスには、人の流れを誘発するように穴が設けられています。マスタープランがあってこそ生まれたデザインです。

南三陸ポータルセンターアムウェイハウス。斜めに傾いたいくつもの立体が統合されたデザイン(写真撮影/筆者)

南三陸ポータルセンターアムウェイハウス。斜めに傾いたいくつもの立体が統合されたデザイン(写真撮影/筆者)

南三陸さんさん市場。シンプルな構成により、低コスト化と短納期化を図っている(写真撮影/筆者)

南三陸さんさん市場。シンプルな構成により、低コスト化と短納期化を図っている(写真撮影/筆者)

メモリアルパークから駅方向を見たところ。右手前に鉄骨フレームだけとなった旧防災庁舎が見える(写真撮影/筆者)

メモリアルパークから駅方向を見たところ。右手前に鉄骨フレームだけとなった旧防災庁舎が見える(写真撮影/筆者)

東日本大震災による被害の状況は、発災当時メディアを通じて視覚的なイメージとして発信されていました。その光景はどの町も同じように悲惨なものとして、記憶に焼きつけられているのではないでしょうか。しかし震災から10年以上が経ち、新しいコミュニティが築かれ新たな町として生まれ変わった被災地の現状は、町ごとに、エリアごとに異なる復興が行われ、それぞれの歩みを進めています。その土台としてデザインされた復興建築を巡ることは、東北の今を知るきっかけとして気軽にできる最初の一歩になるのではないかと思っています。

●取材協力
門脇小学校

世界の名建築を訪ねて。建物の30%がリサイクル素材! スティーヴン・ホールによる「Cofco Cultural and Health Center(コフコ文化&健康センター)」/中国・上海市

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載11回目。今回は、中国・上海市、約7,500平米という広大な敷地に立つ2021年に誕生した住宅街の交流施設「Cofco Cultural and Health Center(コフコ文化&健康センター)」(設計:スティーヴン・ホール・アーキテクツ(Steven Holl Architects))を紹介する。

地域コミュニティに貢献するサステナブル建築

中国の上海にある「コフコ文化&健康センター」は、健康的な生活と文化交流を促進させるために、近隣の大きな住宅コミュニティにグリーンのパブリック・スペースを提供するという社会的使命をもっている。

(c)Aogvision

(c)Aogvision

敷地面積約7,500平米の公園のような大きな敷地に位置する建物は、社会的な“コンデンサー“(建築には社会的行動に影響を与える能力があるというソビエト構成主義理論の考え方)となることを目指しており、上海の浦南運河沿いの周辺住宅地域に対し、近隣コミュニティが待ち焦がれているパブリック・スペースやランドスケープ・エリアとなるよう、近隣住民の期待に応えるべくデザインされた。

浦南運河は、上海の南側にある杭州湾から北側の内陸に10kmほど入ったところを、東西に長く延びる運河である。この運河沿いに位置する「コフコ文化&健康センター」の近隣には、大きなハウジング・ブロックが広範囲にわたって展開している。

“Clocks and Clouds”(時計と雲)に着想を得たデザイン

これらのハウジング・ブロックの建築デザインは、同じような繰り返しのデザインとなっているが、建物の空間はエネルギーに満ち、開放性に富み、全コミュニティの住人をレクリエーションや文化的プログラムへと誘っている。健康願望の達成に励む人たちは、全体の中核施設であるヘルス・センターに足しげく通っている。

スティーヴン・ホール・アーキテクツのポスト・コロナ建築戦略に沿って、建物はグリーン・スペースを取り込み、新鮮な空気と自然光を最大に導入し、オープンなサーキュレーションと広いパブリック・スペースを特徴にしている。

ランドスケープと二つの新しい建物は、哲学者カール・ポパー(オーストリア出身のイギリスの哲学者)の有名な1965年のレクチャー、“Clocks and Clouds”(時計と雲)のコンセプトにより導入された。ランドスケープは時計のような大きな円形となり、中心となるパブリック・スペースを構成し、建物は雲のようなユニークな形態をした開口部と開放性を有している。

薄いグレー色のコンクリートでできた延べ床面積約6,000平米の「文化センター」は、1階のガラス張り透明空間にカフェ、ゲーム&レクリエーション・ルームを擁している。2階へ向けて徐々に上昇していくカーブしたスロープを歩いていくと、見下ろし風景の連続的な変化が楽しめる。これはフランスの著名20世紀建築家、ル・コルビュジエが言った有名な”建築散歩”の好例である。

(c)Aogvision

(c)Aogvision

(c)Aogvision

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同じような薄いグレーのコンクリートをまとっている延床面積約1,500平米の「健康センター」は、中心部にあるランドスケープ・スペースによって建物形態が形成されており、雲のような部分とランドスケープ全体との緊密な関係を助長している。「文化センター」と「健康センター」という二つの建物は共にグリーン・ルーフをもち、上部から見下ろしたり、近隣のアパートメント・ビルから眺めると、緑のランドスケープ・スペースに溶け込んで一体になったように見えて素晴らしい。

建物全体の30%がリサイクル材料!のサステナブル建築

2021年に完成した「コフコ文化&健康センター」は、主なサステイナブル・デザインとして、最大限のグリーンやオープン・スペースを擁し、リサイクル材料を建物全体の30%に使用している。またセントラル冷暖房システムを採用し、CO2モニタリング・システム、蓄熱システム、生活排水&雨水のリサイクルなど、広範囲にわたってサステイナブル・デザインを実現している。ヘルシーな生活と文化交流を促進する二つの建物は、大きな近隣住宅コミュニティに対し、グリーン・パブリック・スペースを提供するなど、多くの地域貢献に役立っている。 

(c)Aogvision

(c)Aogvision

●関連サイト
Cofco Cultural and Health Center

世界の名建築を訪ねて。建築家ザハ・ハディドによる約19万平米の巨大企業「Infinitus Plaza(インフィニタス・プラザ)」/中国・広州市

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載10回目。今回は、世界的な建築家ザハ・ハディド氏が手掛けた中国・広東省広州市にある約19万平米の広さを誇る巨大企業「Infinitus Plaza(インフィニタス・プラザ)」(設計:ザハ・ハディド・アーキテクツ(Zaha Hadid Architects))を紹介する。

無限マーク(∞)形のデザインの巨大建築

中国にある巨大企業「インフィ二タス・プラザ」は、インフィニタス・チャイナの新しい世界本社である。創造性や協調性などの企業家精神を育む仕事環境を有する新しい本社は、ハーブ薬研究施設やセイフティ・アセスメント・ラボ、会議や展示会用のラーニング・センターなども併設している。

((C) Liang Xue)

((C) Liang Xue)

約19万平米の広さをもつ「インフィニタス・プラザ」は、中国・広州市の白雲中央ビジネス地区の中心部へのゲートウェイの一角に位置している。廃止された白雲空港の跡地に建設された新しいビジネス・センターであり、広州市中心部に繋がっている。「インフィニタス・プラザ」は半地下となった地下鉄線をまたいでいるため二分されているが、多層にわたるブリッジで連結されているのが外観上の特徴となっている。

無限のシンボルである“∞“マークを反映した中央アトリウムと中庭の周囲に配置したデザインは、インフィニタスの企業文化を構成する強いコミュニティ意識を、種々の内外空間に反映させることで創造されたものである。

従業員のためのエクササイズ・ルームやレクリエーション&リラクゼーション・ゾーンなども!

2棟間を接続するブリッジは、従業員のためのフレキシブルなコミュニティ・スペースがあり、その他にも彼らの健康促進のためのエクササイズ・ルーム、レクリエーション&リラクゼーション・ゾーンをはじめ、レストランやカフェがある。ブリッジ群はオフィスを、ショッピングやダイニング・エリアに接続させている。

((C) Liang Xue)

((C) Liang Xue)

広州市の高湿度な亜熱帯モンスーン気候に位置する「インフィニタス・プラザ」はダイヤモンド・パターンのアルミ・パネルをまとった高度なサステイナブル・デザインで、それは中国のグリーン・ビル・プログラム(中国のサステイナブル・デザインの評価基準)の三つ星に匹敵する。

建物の最適化をすることで、所定のコンクリート使用量を軽減することができ、逆にリサイクル建材が増加した。約25,000トンのリサイクル建材が「インフィニタス・プラザ」の建設に採用され、その内訳は、鉄、銅、ガラス、アルミ合金、石膏プロダクツ、木などとなっている。

この地域の年間太陽照射分析によって、建物の日影をつくるアウトドア・テラスの幅が決定された。この分析はまた、ソーラー・ヒート・ゲイン(低太陽熱利得係数)を最適化するために、外壁の穴空きアルミ日影パネルの数をも限定している。この方法はロー・アイアン複層ガラス(複層ガラスの内側に金属の膜を入れ断熱性や日射遮蔽性能を高めたもの)と相まって、効率的に太陽熱を遮断し、それにより建物全域に良質な自然光を導入し、他方でソーラー・ヒート・ゲインとエネルギー消費を減じている。

太陽光発電によって稼働するスマート・マネージメント・システムにより、雨水利用のスプリンクラーのスプレーを個々のアトリウム上部のETFE(フッ素樹脂プラスティック)膜に吹き付け、気化熱により冷却している。半透明ETFE膜の屋根は複層のため、60cm幅の中間部に圧縮空気を流している。

太陽熱で膜面が35度を超えると30分毎に3~4分間のスプレーが吹き付けられ、膜面が14度下がると内部温度は5度ほど下がる。また屋上の太陽熱温水暖房により、省エネが推進されている。

雨水を再利用して近隣のランドスケープに活用((C) Liang Xue)

((C) Liang Xue)

また貯水された雨水をフィルターにかけ、再利用して近隣のランドスケープに灌漑(かんがい)している。3階、7階、8階のガーデンには同地の薬草や植物が植栽されているが、これらは雨による自然灌漑によっている。これらのアウトドア・コミュニティ・エリアは、共に屋上にあるジョギング・コースや散歩道に通じている。グリーン・ルーフは、トータルな屋上面積の約半分に及んでいる。

中国の健康福祉産業の国立センターとして、広州市の白雲中央ビジネス地区に根を下ろしたインフィニタス・チャイナの新しい本社は、イノヴェイティブなデザインと施工技術を擁し、持ち前のサステイナブル戦略で全ての部門を統合し、グループ全体のコミュニケーションを高める斬新なワーク・エンバイロメント(働く環境)を創造している。

世界の名建築を訪ねて。NY9.11跡地「フリーダム・タワー」構想などの建築家ダニエル・リベスキンドによる超高層集合住宅「Zlota44(ズロタ44)」/ポーランド・ワルシャワ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載9回目。今回は、ポーランドの首都ワルシャワにある52階建ての超高層集合住宅タワー「Zlota44(ズロタ44)」(設計:ダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind))を紹介する。

ワルシャワの街に立つ弓形の超高層タワー

ニューヨークのグラウンド・ゼロのマスタープラン・コンペに優勝した建築家ダニエル・リベスキンドは、世界的に知られている現代世界建築の巨匠である。その彼が、祖国ポーランドの首都ワルシャワに、アイコニックな形態で屹立(きつりつ)する超高層タワー「ズロタ44」を設計して評判となっている。

 
建物はワルシャワ中心部にある歴史的建物である「スターリン文化パレス」の正面に立ち、52階建て高さ192mの超高層の偉容を見せている。長くカーブした形態は、鷲の翼からインスパイアーされ、ワルシャワのスカイラインに君臨している。建物は延床面積約30,000平米で、1ベッドルームから3ベッドルームのアパートメント287戸とペントハウスを含み、ビジネス&レジャーのコンシェルジュ・サービスやパーキング施設も完備しているデラックスな集合住宅タワーである。

写真右側が「スターリン文化パレス」、左から2番目の建物が「ズロタ44」(C)Kruba Jurskowski

写真右側が「スターリン文化パレス」、左から2番目の建物が「ズロタ44」(C)Kruba Jurskowski

建物のシンボリックな形態は、太陽の軌跡に従って全階の住戸に最大量の自然光を導入しようというコンセプトをベースにデザインされたものである。さらに高密度化された歴史的なアーバン・スケープのなかで、ストリートに落ちる建物の影を、最小にするよう細かく配慮されたデザインなのである。大きく湾曲したアーチ状のファサードは、頂上からこの都市のワイドなパノラミック・ビューを満喫できるペントハウスを擁している。ガラスとアルミニウムのカーテンウォールはセルフ・クリーニング・パネル(自己洗浄パネル)が採用されており、外壁を常にクリーンに保つ優れものである。またフルハイト(床から天井までの高さがあること)の大きな3重ガラス窓はイレギュラーなパターンで配置されているため、光と影の戯れを外壁上に引き起こしている。

「私にとって『ズロタ44』は非常に個人的なプロジェクトであります。私は若き日、共産主義の圧迫から逃れてポーランドを去りましたが、自分は故国の精神や文化を決して忘れることはありませんでした。今日故国に戻ってきましたが、このシンボリックな建物の竣工にあたり、感無量です」と、リベスキンドは語っている。

リベスキンドがデザインしたロビーは、温和な木材料、ガラス器具、幾何学的なセラミック・タイルのフロアリング等で構成され、外壁を覆うフルハイトの開口部からの自然光で非常に明るい。カスタム・メイドの受付デスクや壁面パネルはウォルナット合板が使用されている。高さ6mの天井からは繊細なガラス・シャンデリアが宙に浮いている。リベスキンドの手によるモローゾ(著名なイタリアのファニチャー・ブランド)の家具は、豪華なエントランス・ホールに、彫刻的かつウエルカム・ムードのアトモスフィアを放っている。

((C) Hufton+Crow)

((C) Hufton+Crow)

広さは60平米から300平米まで。多種にわたる住戸タイプを展開

リベスキンドのデザインが生み出したユニークな住戸は、多種にわたるフロア・プランとサイズが展開されている。標準的なアパートメントの広さは、小は60平米から大は300平米にわたり、ペントハウスやフルフロア・アパートメントは930平米もある豪華さとなっている。全てのアパートメントにはフルハイトの開口部付きの広いリビングがあり、明るい風通しの良い環境となっている。

キッチンやダイニング・ルームはオープン・プランでカスタム仕様となり、インテグレートされた器具類やブレックファースト・バーなども設えているリッチな仕様である。仕上げデザインも多様なオプションが用意されている。RC打ち放しの天井やコラム類(鉄骨柱に使用する筒型の鋼材)、シーザーストーン(汚れ・傷・ひび割れ・水に強いという特徴がある)のキッチントップ、ステンドオーク(硬いオーク材)またはアメリカン・ウォールナットのフロアリングなどがある。またガゲナウ(ドイツの高級ビルトイン・キッチン・メーカー)のキッチン設備や、スマホやタブレットでコントロール可能な最新のホーム・マネージメント・システムを装備している。

(C)Kruba Jurskowski

(C)Kruba Jurskowski

スポーツ&レクリエーション施設、ワインのテイスティング・ルームなども完備

約1,800平米のアメニティ・フロアにはワールド・クラスのスポーツ&レクリエーション施設やスパがあり、また25mの水泳プールを設えている。1階には住民用に10,000本のワイン・ボトルを収容できるワイン・ストーレッジがあり、テイスティング・ルームも装備している。タワー下部には9階分もあるパーキング・スペース があり、ストリートレベルからのアクセスが可能である。さらに大型のラグジュアリー・カーを収容するスペースも充分取られている。フルタイムのスタッフによるコンシェルジュ・サービスも万全で、住民のアメニティ向上に寄与している。 

(C)Kruba Jurskowski

(C)Kruba Jurskowski

●関連サイト
Zlota44

世界の名建築を訪ねて。名建築家ビヤルケ・インゲルスが設計した低所得者用集合住宅「Dortheavej Housing(ドルテアベジ・ハウジング)/デンマーク・コペンハーゲン

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載8回目。今回は、デンマークの首都コペンハーゲンにある低所得者向け集合住宅(アフォーダブルハウス)である「ドルテアベジ・ハウジング(Dortheavej Housing)」(設計:ビヤルケ・インゲルス(BIG))を紹介する。

手ごろな家賃で、豊かな空間をもつ低所得者用ハウジング

現代世界建築界において、建築家としてのデザイン力、交渉力、組織力など、およそ建築家が必要とする能力を兼ね備えた若手建築家といえば、今やアメリカのニューヨークにオフィスを構えるビヤルケ・インゲルスの右に出る者はいないのではないだろうか。彼がデザインする作品群は、当然スケールの大きな建築やハイエンドな建築などの作品が多いのは当たり前だ。しかしここに紹介する「ドルテアベジ・ハウジング」は、そのような範疇から逸脱したまさに”アフォーダブル・ハウジング”なのだ。

アフォーダブル・ハウジングとは日本語では、手ごろな料金のハウジングのという意味である。早い話がここでは低所得者用ハウジングなのである。ニューヨークの都市計画や、最近ではトヨタのウーブン・シティなど話題となるプロジェクトを数多く手掛けるビヤルケ・インゲルスが、低所得者用集合住宅をどのような理由からデザインするようになったのであろうか。故郷であるデンマークのコペンハーゲンのために一肌脱いだといえばそれまでだが、彼のことだから単なる低所得者用のハウジングでないだろうことは想像に難くない。何らかのユニークなデザインがあろうと推察される。

■関連記事:
世界の名建築を訪ねて。ウーブン・シティなど手掛けるビヤルケ・インゲルス設計の集合住宅「ザ・スマイル」/NY

世界中の話題となる建築家ビヤルケ・インゲルスが設計する故郷の集合住宅とは

敷地はコペンハーゲンの北西部に位置するドルテアベジと呼ばれる、1930年代から50年代の車修理工場や車庫などの工業ビルが櫛比(しっぴ)する工業地帯である。そこにインゲルスは必要とされるアフォーダブル・ハウジングとパブリック・スペースを生み出し、他方歩行者通路や隣接する手付かずのグリーン広場を一般の人々のために開放したのである。

施主であるデンマーク低所得者ハウジング非営利団体の建設意図は、低所得者用ハウジングを世界一流の建築家に設計してもらうことが狙いであった。彼らはビヤルケ・インゲルスと共に、サステナブル・デザインであり、安全かつ機能的で、そこに住む人々が目と目を合わせて生活できる低所得者用ハウジングを目指したのである。

((c)Rasmus Hjortshoj)

((c)Rasmus Hjortshoj)

6,800平米の敷地に完成した5階建てのハウジングには、66戸のアパートメントが収められている。各住戸は60~115平米の広さをもち、天井高が3.5mもあるという大振りなつくりで低所得者用とは思えないリッチさなのだ。しかも開口部は床から天井までフルハイトの大きさという贅沢さである。自然光がたっぷり導入され、さらにグリーン・コートヤードの緑も内部に侵入してくるという、明るい素晴らしいインテリア空間が生まれた。大きな開口部からテラス越しに街を見晴らす生活は、ローコスト住戸といえどもパノラミックな景観が楽しめるメリットが住民に大人気である。

建物ファサード全体を覆う四角いチェッカーボード・パターンはプレハブ構造によるもので、コンクリートと長い木造板でできたスクエアなユニットを、5層に積み上げてできたものである。各住戸の南側には、居心地のよいサステナブル・ライフのための小さなテラスが装備されている。北側ファサードはコートヤード側であり、緩やかな曲面を描く外観形態となっている(夜景写真)

((c)Rasmus Hjortshoj)

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南側曲面壁の凹んだ1階中央部は、3ユニット分が北側コートヤードへのゲートとなっている。建物へのメイン・エントランスはこのゲートの両側に配置されている。南側外壁はスクエアなグリッドで覆われているが、ファサードで凹んだ部分がテラスとなっているために彫りの深い表情を見せている。このグリッド状のファサード・デザインは独特のアトモスフィア(雰囲気)を放ち、従来の一般的な集合住宅やマンションとは一線を画した造りが魅力を発揮している。

((c)Rasmus Hjortshoj)

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建物の北側ファサードは、建物群に囲まれた草木が青々と茂るグリーンのコートヤードに面している。ここは「ドルテアベジ・ハウジング」の住人と、近隣の住人たちによる共同のコミュニティ・レクリエーションにおける活動の場となっている。休日や時間のあるときに人々は集まり、老若男女全てがスポーツをはじめ種々のイベントなどに興じることができるパブリック・スペースとして利用している。

低予算で、高い建築デザイン性を実現するための工夫

「ドルテアベジ・ハウジング」の建設は予算的には非常に厳しい統制があったと思われる。建築デザイン的に如何に対応していくかという、ハードなチャレンジそのものだったといえそうだ。インゲルスは比較的に控え目な材料を用いたモジュラー工法を採用している。これは工場で部分部分をつくり上げて組み立て、それを解体して現場で組み立てる工法で、ここではプレハブ化されたエレメントを現場で積み上げて、高さのあるインテリアと、殊のほか広いリビング・ダイニング空間を巧みに生み出して住民に満足感を与えている。

((c)Rasmus Hjortshoj)

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なおインゲルスは住民にとっての経済的不満は、しばしば建物における過疎化につながるケースが多いので、個人のみならずコミュニティに対しても、十分な付加価値をつけたアフォーダブル・ハウジング(低所得者用ハウジング)を創造したのはさすがである。     

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東日本大震災の”復興建築”を巡る。今こそ見るべき内藤廣・乾久美子・ヨコミゾマコトなどを建築ライターが解説 岩手県陸前高田市・釜石市

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、建築デザイン業界にも大きな衝撃を与えました。おびただしい数の建築物が津波によって流されたことで、街ごと新たにつくり直す必要に迫られただけではありません。建築の仕事に携わる人にとっては、これまで設計してきた建築を、復興が急務となる被災地において、そしてまたそうした地域を抱える日本において、同じような考え方で設計して良いものなのかと自問する契機にもなったのです。

そうは言っても急速に復興が推し進められるなか、建築家もさまざまなかたちで被災地の建築デザインに関わってきました。避難所の生活を改善するための取り組みや、仮設住宅の建設といった応急対応から、この先の長い街づくりの礎となるような恒久的な施設まで、震災復興をきっかけに初めて試みられたデザインも多岐にわたります。

そうした人類の新たな叡智を見て歩くことは、被災地に限らず日々の生活をより良くしていくための発見に満ちているはず。今回、各地の建築やまち歩きをライフワークにしてきた筆者が、被災から10年以上が経ち、大方の復興が完了した岩手県南東部の沿岸エリアで見学ができる震災復興建築をレポートします。

あらゆるタイプの復興建築がそろう陸前高田

震災復興のために建てられた建築といっても、その内実はさまざまです。街づくり全体の広域復興計画に位置づけられる、市民生活のインフラとなるもの。地域住民の多様な活動をサポートする拠点となるもの。地域産業、特に漁業や観光業のための施設として使われるもの。観光を目的に東北に訪れる人々、そしてまた現役の、未来の地域住民のために津波の教訓を伝えていくために設計された伝承施設や追悼祈念碑。さらに、実際に津波や地震の被害を被った震災遺構も、解体することなく遺し、見学するためのルートを整備したことを鑑みると広い意味でのデザインとして見ることができるでしょう。
以下では、それぞれの特徴をおさえつつ、実際の建築物をエリアごとに紹介していきたいと思います。

まずなんといっても被災地での復興建築デザインを見学するなら、陸前高田市は外せません。ここには建築家の内藤廣氏が全体計画を担った高田松原津波復興祈念公園があります。
津波によって流されてしまった防潮林のうち、ただ1本残された「奇跡の一本松」をご存じの方も多いのではないでしょうか。あの松林があったエリアに整備された公園です。

公園の整備にあたり、内藤氏は海に向かってまっすぐ延びる祈りの軸線を設けました。そこに直交するかたちでデザインされたのが、道の駅高田松原を併設した「東日本大震災津波伝承館」です。国と岩手県、陸前高田市が連携し、津波被害の実態を後世に伝えるために整備されたメモリアルパークでありながら、道の駅として地域住民にも日常の延長として使われる、風景と一体化した複合施設です。

高田松原津波復興祈念公園全景。左中央に見える直線状の白い建物が東日本大震災津波伝承館。右手の三角形は、震災遺構「タピック45」。津波の際、屋上を駆け上った避難者が助かった(写真/ロンロ・ボナペティ)

高田松原津波復興祈念公園全景。左中央に見える直線状の白い建物が東日本大震災津波伝承館。右手の三角形は、震災遺構「タピック45」。津波の際、屋上を駆け上った避難者が助かった(写真/ロンロ・ボナペティ)

伝承館の中央ゲートから祈りの軸線を見る。軸線の先に象徴的なモニュメントを設けるのではなく、海に向かって祈りを捧げるよう演出されている(写真/ロンロ・ボナペティ)

伝承館の中央ゲートから祈りの軸線を見る。軸線の先に象徴的なモニュメントを設けるのではなく、海に向かって祈りを捧げるよう演出されている(写真/ロンロ・ボナペティ)

防腐処理を施され、もともと立っていた場所に再設置された奇跡の一本松。津波が直撃し変形した「陸前高田ユースホステル」が被害の実態を伝えている(写真/ロンロ・ボナペティ)

防腐処理を施され、もともと立っていた場所に再設置された奇跡の一本松。津波が直撃し変形した「陸前高田ユースホステル」が被害の実態を伝えている(写真/ロンロ・ボナペティ)

海を強く意識させるデザインは、津波により亡くなった方への追悼を促すとともに、ここを訪れる人がその瞬間海の間近にいること、地震が発生したらすぐに避難しなければならないことを同時に印象付けます。伝承館でも繰り返し実例が示される、2011年の3月11日に生死を分けた人々の判断と行動。いざという時にどのような対応をすべきか、公園全体で訴えかけるようなデザインがなされていました。

さらに陸前高田市では、高台にも内藤氏が設計した建築をはじめ、復興後の市民生活を支える建築が集まっています。そのひとつ、陸前高田「みんなの家」は、日本を代表する建築家の伊東豊雄氏の呼びかけに応じ、名だたる建築家が集まり地域の方々とともにつくりあげた集会所。世界各国が建築の実践を展示し建築界のオリンピックとも称される第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展ではその建設プロセスを紹介し、最高栄誉の金獅子賞を受賞しました。応急的な復興が一段落したことで役目を果たし、一度解体されましたが、駅前に再建されました。併設の総菜屋さんは、みんなの家の設計に携わった平田晃久氏が手掛けており、建築家と被災地との継続的な関わりが伺えます。

伊東豊雄氏、平田晃久氏、藤本壮介氏、乾久美子氏らが協働した陸前高田「みんなの家」。右側に延びる低層の建物が新しく設計された総菜店(写真/ロンロ・ボナペティ)

伊東豊雄氏、平田晃久氏、藤本壮介氏、乾久美子氏らが協働した陸前高田「みんなの家」。右側に延びる低層の建物が新しく設計された総菜店(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「東日本大震災犠牲者刻銘碑」三陸特有の山々が入り組んで連なるリアス式海岸を見晴らす(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「東日本大震災犠牲者刻銘碑」。三陸特有の山々が入り組んで連なるリアス式海岸を見晴らす(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「陸前高田市立博物館」。屋上の展望台からは、防潮堤の先に広がる海の景色を望むことができる(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「陸前高田市立博物館」。屋上の展望台からは、防潮堤の先に広がる海の景色を望むことができる(写真/ロンロ・ボナペティ)

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生活に密着した復興建築が揃う釜石市

陸前高田から北上することおよそ50km、三陸海岸の中央に位置する釜石市も、震災後の建築デザインを知る上で重要なエリアです。

街の中心部が津波で流され、多くの住民が亡くなった鵜住居町(うのすまいちょう)では、市民生活の立て直しに必要なさまざまな施設が震災後に整備されました。駅前に整備された「うのすまい・トモス」には、「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」として複数の公共施設が配置されました。追悼施設の釜石祈りのパークには、震災で亡くなった方の名板があしらわれた祈念碑が設置されています。離れた位置から見ると白い板にしか見えませんが、近づいていくと個人名が刻印されており、報道で知る客観的事実としての被害とその一人ひとりにそれぞれの人生があった、その対比が表されているよう。少し土が盛られた上段に設置されたモニュメントは上端のラインが津波浸水高さ(11m)となるように設計され、ここを訪れる人々に有事の際は一目散に高台へ避難する意識を植え付ける計らいがなされています。

「釜石祈りのパーク」上段の壁の上端ラインが津波到達地点を示す(写真/ロンロ・ボナペティ)

「釜石祈りのパーク」上段の壁の上端ラインが津波到達地点を示す(写真/ロンロ・ボナペティ)

「うのすまい・トモス」全景。奥に体育館、左手前が震災の資料展示を行う「いのちをつなぐ未来館」、右手前が土産物などを販売する「鵜の郷交流館」(写真/ロンロ・ボナペティ)

「うのすまい・トモス」全景。奥に体育館、左手前が震災の資料展示を行う「いのちをつなぐ未来館」、右手前が土産物などを販売する「鵜の郷交流館」(写真/ロンロ・ボナペティ)

駅前からすぐ目に入る高台には、小学校・中学校・児童館・幼稚園の、子どもたちのための4施設が新たに建設(設計:小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt)されました。通学路となる階段は、津波到達地点で階段の色が塗り分けられており、市街地から見上げた際に一目でどの高さまで避難すれば良いのかがわかる指標になっています。子どもたちが毎日登下校する様子は市街地のどこにいても目に入り、その風景が復興のシンボルとなるように、という願いが込められているそうです。

また震災当時、沿岸部にあった小学校と中学校は被災後に取り壊され、跡地には「釜石鵜住居復興スタジアム」が建設されました。周囲から隔絶された専用施設とするのではなく、日常的に使用できる公園として周囲と一体的に整備することで、海から山へと連続する鵜住居町の風景の一部となっています。2019年のラグビーワールドカップでは会場の一つとして使用され、まさに復興のシンボルとして人々の生活とともにあるスタジアムとして愛されています。
「鵜住居小学校・釜石東中学校」、「釜石鵜住居復興スタジアム」、「釜石祈りのパーク」では、個々の施設の設計に建築から関わったほか、神戸芸術工科大学の長濱伸貴教授がランドスケープデザイン・監修に携わっています。

「釜石市立鵜住居小学校・釜石市立釜石東中学校・釜石市鵜住居児童館・釜石市立鵜住居幼稚園」敷地へ至る階段のオレンジのラインが津波到達地点(写真/ロンロ・ボナペティ)

「釜石市立鵜住居小学校・釜石市立釜石東中学校・釜石市鵜住居児童館・釜石市立鵜住居幼稚園」。敷地へ至る階段のオレンジのラインが津波到達地点(写真/ロンロ・ボナペティ)

梓設計による「釜石鵜住居復興スタジアム」グラウンドと周囲がフラットにつながり、風景の一部となっている(写真/ロンロ・ボナペティ)

梓設計による「釜石鵜住居復興スタジアム」。グラウンドと周囲がフラットにつながり、風景の一部となっている(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市の中心部にも、ぜひとも訪れたい重要な建築プロジェクトがあります。

世界最大水深の防波堤としてギネスブックの世界記録にも登録されていた湾口防波堤が震災でも大きな減災効果を発揮した釜石市中心部は、リアス式海岸が連なる三陸沿岸エリアにおいては比較的津波の被害がおさえられたエリアでした。震災前から残る商店街「のんべい横丁」と連続する位置に計画されたのが、釜石市民のさまざまな活動の受け皿となる、「釜石市民ホールTETTO」でした。折しも街区をひとつ挟んで隣接するエリアに大型ショッピングセンターの建設が進んでいました。そのままでは既存の商店街とショッピングモールが断絶してしまうことを恐れた市は、市民ホールの建設にあわせて隣接する街区も取得し、ショッピングセンターと市民ホールをつなぐ広場を整備することを決定。ガラスの大屋根が架かる市民ホールの前面広場と接続させることで、のんべい横丁からショッピングセンターへと連なる一連の商業エリアを創出することに成功しました。

建築はaat+ヨコミゾマコト建築設計事務所による設計。施設内部での活動が街に滲み出すようデザインされました。展覧会の一部が外からでも鑑賞できるようになっていたり、スタジオで練習するバンドの様子がうかがえるなど、文化が日常のなかで育まれることが実感できる市民ホールになっています。前面広場に面するステージでは、コロナ禍において全国でも先駆けて屋外コンサートを開催するなど、TETTOでは市民による市民のための精力的な活動が展開されています。

ショッピングセンター側からTETTOを望む。4方向に出入口が設けられ、建物のどこにいても避難できる動線が考えられた。手前の広場が市が取得した「大町広場」(写真/ロンロ・ボナペティ)

ショッピングセンター側からTETTOを望む。4方向に出入口が設けられ、建物のどこにいても避難できる動線が考えられた。手前の広場が市が取得した「大町広場」(写真/ロンロ・ボナペティ)

TETTOの前面広場に架かるガラスの大屋根は、建設費高騰の折に建設中止も検討されたが、建築家のさまざまなコスト削減策により実現された(写真/ロンロ・ボナペティ)

TETTOの前面広場に架かるガラスの大屋根は、建設費高騰の折に建設中止も検討されたが、建築家のさまざまなコスト削減策により実現された(写真/ロンロ・ボナペティ)

前面広場を客席として披露された、市民によるブラスバンドの演奏(写真/ロンロ・ボナペティ)

前面広場を客席として披露された、市民によるブラスバンドの演奏(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市南部の集落に立つ「唐丹小学校・唐丹中学校・唐丹児童館」斜面を活かして建てられた校舎は、建築家の乾久美子氏による設計(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市南部の集落に立つ「唐丹小学校・唐丹中学校・唐丹児童館」。斜面を活かして建てられた校舎は、建築家の乾久美子氏による設計(写真/ロンロ・ボナペティ)

被災地に観光目的で訪れるのは不謹慎なのではないか、そんな想いをもたれる方もいらっしゃるかもしれません。筆者自身、現地を訪れるまでは住民の方からどのような目で見られるのだろうかと不安に思うところもありました。

しかし実際に現地の方とお話をすると、理由はどうあれ来てくれる事自体が喜ばれ、また震災の実態を知ってほしいと活動される方も多くいらっしゃいました。
ここで紹介したような施設も、伝承館はもちろんのこと、そうでない建築にも津波の悲劇を繰り返さないためのデザインが施されていました。それは被災地で日常を送る住民の方はもちろんのこと、被災地を訪れた人たちにも、自然災害の恐ろしさを伝え、やがて来る東北以外の地域での災害を防ぐ一助となることを見越したものでしょう。

災害大国である日本において、建築はどうあるべきか、これ以上ない模範事例が集まる東北、三陸海岸を訪れてみてはいかがでしょうか。

■施設リスト
東日本大震災犠牲者刻銘碑
陸前高田市立博物館
東日本大震災津波伝承館 (いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル)
釜石市立唐丹小学校
釜石市民ホール TETTO
釜石市立鵜住居小学校
うのすまい・トモス
釜石鵜住居復興スタジアム

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世界の名建築を訪ねて。ザハ・ハディドによる62階建て超高層集合住宅タワー「ワン・サウザンド・ミュージアム(One Thousand Museum)」/アメリカ・マイアミ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載7回目。今回は、アメリカ・マイアミにある62階建ての超高層の集合住宅「ワン・サウザンド・ミュージアム(One Thousand Museum)」設計:ザハ・ハディド(ザハ・ハディド・アーキテクツ)を紹介する。

マイアミにザハ・ハディドが残した形見。豪華マンション「ワン・サウザンド・ミュージアム」

マイアミといえば、アメリカきっての常夏のリゾート・エリアであるだけに、いわゆるマンションとなると広々としたハイエンドかつゴージャスな建築が多いのは当たり前である。加えてデザイン的見地からも凝った作品が多い。「ワン・サウザンド・ミュージアム」はそのような今日的なマイアミ・スタイルのなかで、一頭地を抜くデザイン性の高い作品ということができる。

建物はマイアミのミュージアム・パークという有名な公園の真向かいに位置している。ビスケーン湾に面した広さ30エーカーの公園は、2013年にマイアミ・ダウンタウンにおける重要な公園のひとつとして開発されたものである。ここには同市の新しいアート・ミュージアムや科学ミュージアムなどの施設があり、知識を与える公園として市民にとっては特に人気のある公園となっている。

((c)Hufton+Crow)

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ザハ・ハディドの設計による高さ約213mの超高層集合住宅タワーである「ワン・サウザンド・ミュージアム」は、62階建て延床面積約84,600m2というかなり大きな集合住宅だ。しかし、全戸数はわずかに83戸と少ないのだ。その内訳はタウン・ハウス:4戸、ハーフ・フロア・ユニット:70戸、フル・フロア・ユニット:8戸、ペントハウス:1戸、駐車場は260台分ある。これから分かるのは、一番小さな住戸でもハーフ・フロアの広さがあり、各住戸は平均3台分の駐車スペースを確保していることになる。まさにマイアミならではの豪華マンションということになる。

((c)Hufton+Crow)

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ザハ・ハディドの超高層ビル研究が活かされた作品

「ワン・サウザンド・ミュージアム」のユニークなデザインは、ザハ・ハディド事務所の超高層ビルに関する研究の成果を引き継いだもので、建物全てに及ぶエンジニアリング技術で裏打ちされたザハ特有の流れるような華麗な建築表現となっている。建物のコンクリート・エクソスケルトン(外骨格)は、ペリメーター部分を流体的なラインでデザインし、それらが構造的支持体である縦型交差ブレース(筋交い)となっている。

最高階から最低階まで一つの連続したフレームで構成された建物は、上昇するに連れてベース部分から立ち上がった柱が扇形に広がるブレースとなり、コーナー部分で側面からの同じようなブレースと繋がることによって建物をひとつの堅固なチューブとし、マイアミの強い風荷重に対抗している。そのカーブした支持体が強烈なハリケーンを物ともしない強固なダイヤゴナル・ブレース(交差ブレース)を形成している。

((c)Hufton+Crow)

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「ワン・サウザンド・ミュージアム」はグラスファイバー強化コンクリート製の型枠を使用(コンクリートの型枠を残して構造材として利用)しており、工事がタワーの上部に進むに連れて所々で残存されているのだ。このような永久的なコンクリート型枠により、また最小のメンテナンスが可能な建築的仕上げとすることができたという。

エクソスケルトンのフレームが建物のペリメーターにあるため、タワーのインテリア・フロアはほとんどコラム・フリー(柱がない状態)となっているメリットがある。外壁に現れた巨大なブレースの曲率により、各階のフロア・プランは少しずつ異なっている。低層階ではテラスがコーナーからキャンティレバー(片側だけが固定され、反対部分が張り出している構造)で出ているのに対し、上層階では巨大なブレースの背後に配されている。

最上階には居住者のためのアクアティクスセンターやラウンジなども

アメニティー施設としては、最上階にアクアティクスセンター、ラウンジ、イベントスペースがあり、ランドスケープデザインが施されたガーデン、テラス、プールなどは、ロビーや居住者用パーキングの上部に設けられている。

((c)Hufton+Crow)

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なお、ザハ・ハディドは2016年3月31日にここマイアミの病院で他界した。ザハ終焉の地に完成した「ワン・サウザンド・ミュージアム」は、彼女の手から生まれた流麗なデザインの形見となっている。それは彼女の冥福を祈っているかのような佇まいで、マイアミの海辺に屹立(きつりつ)しているのである。

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