世界の名建築を訪ねて。ウーブン・シティで話題のビヤルケ・インゲルス建築の集合住宅「AARHUS Φ4Housing(オーフスΦ4集合住宅)」/デンマーク・オーフス

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載13回目。今回は、デンマークのオーフスという街にある、「ウーブン・シティ」などを手掛ける世界的建築家・ビヤルケ・インゲルスによる集合住宅「オーフスΦ4集合住宅(AARHUS Housing)」(設計:ビヤルケ・インゲルス・グループ)を紹介する。

海浜地区にそびえる2棟の3角形集合住宅タワー

デンマークはスカンディナビア諸国の中では一番南にある国となっている。首都のコペンハーゲンはシェラン島にあるが、同国第2の大都市オーフスはヨーロッパの陸続きであるユトランド半島にある。「オーフスΦ4(ファイ・フォー)集合住宅」は、“オーフスΦ“と呼ばれる新しい都市開発における人工島Φ4の先端部に位置している。この開発は港と湾、すなわち都市と自然の中間地域にあり、両者の素晴らしいパノラマを満喫できる一等地にある。

(C)R. Hjortshoj

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建築家ビヤルケ・インゲルス(デンマーク出身)といえば、アメリカのニューヨークに拠点をもち、世界的に活躍しているスター・アーキテクトである。周知のように日本のトヨタ自動車に頼まれて、富士山麓に約2000人が住むという「ウーブン・シティ」をデザインしている建築家でもある。その彼が故郷デンマークに2019年につくったのが「オーフスΦ4集合住宅」である。

まるで「ふたつの頂上のある集合住宅」

この建物は、オーフスという街における既存の典型的な都市エレメントのタイポロジー(特定の象徴性や用途、形態をもつ「ビルディング・タイプ」に基づく分類を指す)であるコートヤード・ビル、連続住宅、高層ビルディングなどの都市のエッセンスを、デザイン的にひとつの集合住宅に凝縮した作品となっている。

「オーフスΦ4集合住宅」は平行四辺形のプランをもち、同じ形のコートヤードをもっている。相対する3角形のふたつのコーナーは、山の頂のように種々の高さに立ち上がり、段状になったルーフスケープが戸外活動用の大きなプライベート・テラスを生み出している。いわばツイン・ピークス・ハウジング、すなわち「ふたつの頂上のある集合住宅」とでもいえそうなシャープな外観が特徴である。

(C)R. Hjortshoj

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種々の場所にあるアウトドア・スペースの延長としての連続的なバルコニーが、建物全体をぐるりと取り巻いている。これらの長いバルコニーは、コートヤードの中にあるより小さなバルコニー群によって区切られている。と同時にそれらの小さなバルコニーは、十分なアウトドア・スペースを全ての住戸に与えている。

 (C)R. Hjortshoj

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住民が野菜や果樹を育てられる公園がある

「オーフスΦ4集合住宅」の中心的な公園ともいうべきコートヤードは、全ての住民が共有するガーデンを提供し、野菜や果樹を育て、アウトドアでのコミュニティー・ディナーの開催もできる住民たちの憩いの場所となっている。

建物のストリート・レベルには、個人用の海浜レジャー施設や、オーフス市の進行する都市開発をサポートする商業施設などが入っている。北東方向には2階建てのカナル(運河)・ハウスが海に面して配置されており、人々はそこから直接海に入って自由に水泳をしたり、散歩を楽しんだりすることができる。南西側コーナーには共有のコミュニティー・スペースがあり、正面に大きなテラスをもつアーバン・スペースへと連続している。この多目的スペースは、周囲のストリートに対し、華やかなファサードを見せている。

 (C)R. Hjortshoj

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総体的にいって、「オーフスΦ4集合住宅」はデンマーク第2の都市の既存の建築レガシーを包含しつつ、また港と都市のスカイラインに登場したダイナミックな新しい建築のビーコン(自分の存在位置を示すようなデザイン、形態、信号など)として存在している。ヨーロッパ・ツアーをされる方たちは、多数の国がひしめきあうヨーロッパの中で訪問先は多いだろうが、時には大都会から遠く離れた場所で、新しいデザインの建築に遭遇するのは面白いのではないだろうか。「オーフスΦ4集合住宅」は、まさにその典型的な例といえそうだ。

世界の名建築を訪ねて。国際的建築家集団MADによる彫刻のようなパビリオン「The Cloudscape of Haikou(海口クラウドスケープ )」/中国・海口市

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載12回目。今回は、中国・海口市(はいこうし)、約7,500平米という広大な敷地に立つ2021年に誕生した住宅街の交流施設「海口クラウドスケープ (The Cloudscape of Haikou)」(設計:MAD)を紹介する。

彫刻的表情をもつオーガニック・アーキテクチャー

中国最南端の海南島の北端にある海口市は、中国本土に対面した都市で、近年社会的重要性が指摘され、同市のパブリック・スペースの質を高め、都市・建築・住民間の連係を強める計画がスタートした。「海口クラウドスケープ」は、そのような計画の端緒となったプロジェクトである。

(C)ArchExist

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「海口クラウドスケープ」は、16棟の海浜パビリオンのトップを飾るもので、海沿いに展開されるパブリック・スペースを改良する目的がある。海口シーサイド・パビリオンと呼ばれる新規構想では、国際的に著名な建築家、アーティストおよび学際的なプロフェッショナルに、16件のランドマーク的公共建築の設計を依頼した。

中国で先進的な国際的建築家集団MADが手がけたパビリオン

パビリオンをデザインしたMADといえば、今や中国建築界ではもっとも先進的な国際的建築家集団で、マ・ヤンソン、ダン・チュン、早野洋介の3名が率いる建築家チームは、中国のみならず今やヨーロッパにも活動領域を広げている。

パビリオンには、ブック・ストアと市民アメニティを含んでいる。海口湾岸沿いのセンチュリー・パークに位置する建物は、4,397m2の敷地に1,380m2の延床面積を擁している。建物内部の南側には10,000冊の蔵書スペースがある図書館とその閲覧室がある。また無料で一般に開放された多機能視聴覚エリアが収容されている。他方北側には、シャワー室をはじめ休息室、保育室、トイレ、ルーフ・ガーデンがある。

陸と海の中間で静穏に座すパビリオンは、高度に彫刻的な表情を見せている。自由でオーガニックなフォルムは、ユニークなインテリア・スペースを生み出している。そこでは壁、床、天井は一体となった融合的なデザインとなっている。さらに内外空間の境界が曖昧となっている。

パビリオンの円形開口部は、野生動物や海の生物によってつくられた穴を想起させ、建築と自然の境界を曖昧にしている。大小さまざまな開口部は、インテリアに自然光を導入し、海口の一年中暖かい気候にある建物を冷やす自然換気を生み出している。これらの穴越しに、ビジターは時間や空間の推移を通して、あたかも慣れ親しんだ世界を見るかのように、空を仰ぎ見たり海を眺めたりする。

(C)CreatAR

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1階と2階をつなぐカスケード状となった海に面する閲覧室は、図書空間だけでなく文化的な交流の場所にもなっている。子ども用の閲覧エリアは、メインの閲覧室から離れたところにあり、そこではトップライト、穴、ニッチなどが子どもの探究心を刺激するようデザインされている。

読書や眺望を楽しめる半外部空間やテラスがあちこちに

建物の構造的な形態から、いくつかの半外部空間やテラスが生まれ、それらが読書をしたり海を眺めたりする格好のスペースとなっている。ローカルな暑い気候に対応して、建物の外部廊下のグレー空間はキャンティレバー(※)となり、居心地のよい気温を生み出し、サステイナブルな省エネ建築となっている。

※片持ち梁。通常、梁は柱や壁などに両端が固定されているが、一端のみ固定されているもの。バルコニーなどで用いられる

(C)ArchExist

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MADはこの建物により、アンチ・マテリアルなアプローチを掲げ、構造や工事の意図的な表現を避け、材料についての日常的な認識を解消し、空間認識そのものがメインの目的となるようにしている。この建物ではコンクリートは、その流れるようなソフトで自在な構造形態で特徴づけられる液状材料と考えられている。

建物の内外はコンクリート打放しとし、ひとつの凝集的フォルムとなっている。屋根と床は2層のワッフル・スラブ(高気密・高断熱・高遮音の快適住空間を生み出す床材)で、建物のスケールや大きなキャンティレバーを支持している。デザインはデジタル・モデルを使用して進められた。その結果、機械系、電気系、配管系のエレメントは、見かけを最小にしてコンクリートの隙間に配置し、視覚的な統一性を表現することが可能になった。パビリオンのスムースかつ有機的なオーラは、建築、構造、機械&電気デザインを巧みにインテグレートすることで創造された。

世界の名建築を訪ねて。名建築家ビヤルケ・インゲルスが設計した低所得者用集合住宅「Dortheavej Housing(ドルテアベジ・ハウジング)/デンマーク・コペンハーゲン

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載8回目。今回は、デンマークの首都コペンハーゲンにある低所得者向け集合住宅(アフォーダブルハウス)である「ドルテアベジ・ハウジング(Dortheavej Housing)」(設計:ビヤルケ・インゲルス(BIG))を紹介する。

手ごろな家賃で、豊かな空間をもつ低所得者用ハウジング

現代世界建築界において、建築家としてのデザイン力、交渉力、組織力など、およそ建築家が必要とする能力を兼ね備えた若手建築家といえば、今やアメリカのニューヨークにオフィスを構えるビヤルケ・インゲルスの右に出る者はいないのではないだろうか。彼がデザインする作品群は、当然スケールの大きな建築やハイエンドな建築などの作品が多いのは当たり前だ。しかしここに紹介する「ドルテアベジ・ハウジング」は、そのような範疇から逸脱したまさに”アフォーダブル・ハウジング”なのだ。

アフォーダブル・ハウジングとは日本語では、手ごろな料金のハウジングのという意味である。早い話がここでは低所得者用ハウジングなのである。ニューヨークの都市計画や、最近ではトヨタのウーブン・シティなど話題となるプロジェクトを数多く手掛けるビヤルケ・インゲルスが、低所得者用集合住宅をどのような理由からデザインするようになったのであろうか。故郷であるデンマークのコペンハーゲンのために一肌脱いだといえばそれまでだが、彼のことだから単なる低所得者用のハウジングでないだろうことは想像に難くない。何らかのユニークなデザインがあろうと推察される。

■関連記事:
世界の名建築を訪ねて。ウーブン・シティなど手掛けるビヤルケ・インゲルス設計の集合住宅「ザ・スマイル」/NY

世界中の話題となる建築家ビヤルケ・インゲルスが設計する故郷の集合住宅とは

敷地はコペンハーゲンの北西部に位置するドルテアベジと呼ばれる、1930年代から50年代の車修理工場や車庫などの工業ビルが櫛比(しっぴ)する工業地帯である。そこにインゲルスは必要とされるアフォーダブル・ハウジングとパブリック・スペースを生み出し、他方歩行者通路や隣接する手付かずのグリーン広場を一般の人々のために開放したのである。

施主であるデンマーク低所得者ハウジング非営利団体の建設意図は、低所得者用ハウジングを世界一流の建築家に設計してもらうことが狙いであった。彼らはビヤルケ・インゲルスと共に、サステナブル・デザインであり、安全かつ機能的で、そこに住む人々が目と目を合わせて生活できる低所得者用ハウジングを目指したのである。

((c)Rasmus Hjortshoj)

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6,800平米の敷地に完成した5階建てのハウジングには、66戸のアパートメントが収められている。各住戸は60~115平米の広さをもち、天井高が3.5mもあるという大振りなつくりで低所得者用とは思えないリッチさなのだ。しかも開口部は床から天井までフルハイトの大きさという贅沢さである。自然光がたっぷり導入され、さらにグリーン・コートヤードの緑も内部に侵入してくるという、明るい素晴らしいインテリア空間が生まれた。大きな開口部からテラス越しに街を見晴らす生活は、ローコスト住戸といえどもパノラミックな景観が楽しめるメリットが住民に大人気である。

建物ファサード全体を覆う四角いチェッカーボード・パターンはプレハブ構造によるもので、コンクリートと長い木造板でできたスクエアなユニットを、5層に積み上げてできたものである。各住戸の南側には、居心地のよいサステナブル・ライフのための小さなテラスが装備されている。北側ファサードはコートヤード側であり、緩やかな曲面を描く外観形態となっている(夜景写真)

((c)Rasmus Hjortshoj)

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南側曲面壁の凹んだ1階中央部は、3ユニット分が北側コートヤードへのゲートとなっている。建物へのメイン・エントランスはこのゲートの両側に配置されている。南側外壁はスクエアなグリッドで覆われているが、ファサードで凹んだ部分がテラスとなっているために彫りの深い表情を見せている。このグリッド状のファサード・デザインは独特のアトモスフィア(雰囲気)を放ち、従来の一般的な集合住宅やマンションとは一線を画した造りが魅力を発揮している。

((c)Rasmus Hjortshoj)

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建物の北側ファサードは、建物群に囲まれた草木が青々と茂るグリーンのコートヤードに面している。ここは「ドルテアベジ・ハウジング」の住人と、近隣の住人たちによる共同のコミュニティ・レクリエーションにおける活動の場となっている。休日や時間のあるときに人々は集まり、老若男女全てがスポーツをはじめ種々のイベントなどに興じることができるパブリック・スペースとして利用している。

低予算で、高い建築デザイン性を実現するための工夫

「ドルテアベジ・ハウジング」の建設は予算的には非常に厳しい統制があったと思われる。建築デザイン的に如何に対応していくかという、ハードなチャレンジそのものだったといえそうだ。インゲルスは比較的に控え目な材料を用いたモジュラー工法を採用している。これは工場で部分部分をつくり上げて組み立て、それを解体して現場で組み立てる工法で、ここではプレハブ化されたエレメントを現場で積み上げて、高さのあるインテリアと、殊のほか広いリビング・ダイニング空間を巧みに生み出して住民に満足感を与えている。

((c)Rasmus Hjortshoj)

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なおインゲルスは住民にとっての経済的不満は、しばしば建物における過疎化につながるケースが多いので、個人のみならずコミュニティに対しても、十分な付加価値をつけたアフォーダブル・ハウジング(低所得者用ハウジング)を創造したのはさすがである。     

●関連サイト
Bjarke Ingels Group: BIG

東日本大震災の”復興建築”を巡る。今こそ見るべき内藤廣・乾久美子・ヨコミゾマコトなどを建築ライターが解説 岩手県陸前高田市・釜石市

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、建築デザイン業界にも大きな衝撃を与えました。おびただしい数の建築物が津波によって流されたことで、街ごと新たにつくり直す必要に迫られただけではありません。建築の仕事に携わる人にとっては、これまで設計してきた建築を、復興が急務となる被災地において、そしてまたそうした地域を抱える日本において、同じような考え方で設計して良いものなのかと自問する契機にもなったのです。

そうは言っても急速に復興が推し進められるなか、建築家もさまざまなかたちで被災地の建築デザインに関わってきました。避難所の生活を改善するための取り組みや、仮設住宅の建設といった応急対応から、この先の長い街づくりの礎となるような恒久的な施設まで、震災復興をきっかけに初めて試みられたデザインも多岐にわたります。

そうした人類の新たな叡智を見て歩くことは、被災地に限らず日々の生活をより良くしていくための発見に満ちているはず。今回、各地の建築やまち歩きをライフワークにしてきた筆者が、被災から10年以上が経ち、大方の復興が完了した岩手県南東部の沿岸エリアで見学ができる震災復興建築をレポートします。

あらゆるタイプの復興建築がそろう陸前高田

震災復興のために建てられた建築といっても、その内実はさまざまです。街づくり全体の広域復興計画に位置づけられる、市民生活のインフラとなるもの。地域住民の多様な活動をサポートする拠点となるもの。地域産業、特に漁業や観光業のための施設として使われるもの。観光を目的に東北に訪れる人々、そしてまた現役の、未来の地域住民のために津波の教訓を伝えていくために設計された伝承施設や追悼祈念碑。さらに、実際に津波や地震の被害を被った震災遺構も、解体することなく遺し、見学するためのルートを整備したことを鑑みると広い意味でのデザインとして見ることができるでしょう。
以下では、それぞれの特徴をおさえつつ、実際の建築物をエリアごとに紹介していきたいと思います。

まずなんといっても被災地での復興建築デザインを見学するなら、陸前高田市は外せません。ここには建築家の内藤廣氏が全体計画を担った高田松原津波復興祈念公園があります。
津波によって流されてしまった防潮林のうち、ただ1本残された「奇跡の一本松」をご存じの方も多いのではないでしょうか。あの松林があったエリアに整備された公園です。

公園の整備にあたり、内藤氏は海に向かってまっすぐ延びる祈りの軸線を設けました。そこに直交するかたちでデザインされたのが、道の駅高田松原を併設した「東日本大震災津波伝承館」です。国と岩手県、陸前高田市が連携し、津波被害の実態を後世に伝えるために整備されたメモリアルパークでありながら、道の駅として地域住民にも日常の延長として使われる、風景と一体化した複合施設です。

高田松原津波復興祈念公園全景。左中央に見える直線状の白い建物が東日本大震災津波伝承館。右手の三角形は、震災遺構「タピック45」。津波の際、屋上を駆け上った避難者が助かった(写真/ロンロ・ボナペティ)

高田松原津波復興祈念公園全景。左中央に見える直線状の白い建物が東日本大震災津波伝承館。右手の三角形は、震災遺構「タピック45」。津波の際、屋上を駆け上った避難者が助かった(写真/ロンロ・ボナペティ)

伝承館の中央ゲートから祈りの軸線を見る。軸線の先に象徴的なモニュメントを設けるのではなく、海に向かって祈りを捧げるよう演出されている(写真/ロンロ・ボナペティ)

伝承館の中央ゲートから祈りの軸線を見る。軸線の先に象徴的なモニュメントを設けるのではなく、海に向かって祈りを捧げるよう演出されている(写真/ロンロ・ボナペティ)

防腐処理を施され、もともと立っていた場所に再設置された奇跡の一本松。津波が直撃し変形した「陸前高田ユースホステル」が被害の実態を伝えている(写真/ロンロ・ボナペティ)

防腐処理を施され、もともと立っていた場所に再設置された奇跡の一本松。津波が直撃し変形した「陸前高田ユースホステル」が被害の実態を伝えている(写真/ロンロ・ボナペティ)

海を強く意識させるデザインは、津波により亡くなった方への追悼を促すとともに、ここを訪れる人がその瞬間海の間近にいること、地震が発生したらすぐに避難しなければならないことを同時に印象付けます。伝承館でも繰り返し実例が示される、2011年の3月11日に生死を分けた人々の判断と行動。いざという時にどのような対応をすべきか、公園全体で訴えかけるようなデザインがなされていました。

さらに陸前高田市では、高台にも内藤氏が設計した建築をはじめ、復興後の市民生活を支える建築が集まっています。そのひとつ、陸前高田「みんなの家」は、日本を代表する建築家の伊東豊雄氏の呼びかけに応じ、名だたる建築家が集まり地域の方々とともにつくりあげた集会所。世界各国が建築の実践を展示し建築界のオリンピックとも称される第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展ではその建設プロセスを紹介し、最高栄誉の金獅子賞を受賞しました。応急的な復興が一段落したことで役目を果たし、一度解体されましたが、駅前に再建されました。併設の総菜屋さんは、みんなの家の設計に携わった平田晃久氏が手掛けており、建築家と被災地との継続的な関わりが伺えます。

伊東豊雄氏、平田晃久氏、藤本壮介氏、乾久美子氏らが協働した陸前高田「みんなの家」。右側に延びる低層の建物が新しく設計された総菜店(写真/ロンロ・ボナペティ)

伊東豊雄氏、平田晃久氏、藤本壮介氏、乾久美子氏らが協働した陸前高田「みんなの家」。右側に延びる低層の建物が新しく設計された総菜店(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「東日本大震災犠牲者刻銘碑」三陸特有の山々が入り組んで連なるリアス式海岸を見晴らす(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「東日本大震災犠牲者刻銘碑」。三陸特有の山々が入り組んで連なるリアス式海岸を見晴らす(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「陸前高田市立博物館」。屋上の展望台からは、防潮堤の先に広がる海の景色を望むことができる(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「陸前高田市立博物館」。屋上の展望台からは、防潮堤の先に広がる海の景色を望むことができる(写真/ロンロ・ボナペティ)

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・震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と
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生活に密着した復興建築が揃う釜石市

陸前高田から北上することおよそ50km、三陸海岸の中央に位置する釜石市も、震災後の建築デザインを知る上で重要なエリアです。

街の中心部が津波で流され、多くの住民が亡くなった鵜住居町(うのすまいちょう)では、市民生活の立て直しに必要なさまざまな施設が震災後に整備されました。駅前に整備された「うのすまい・トモス」には、「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」として複数の公共施設が配置されました。追悼施設の釜石祈りのパークには、震災で亡くなった方の名板があしらわれた祈念碑が設置されています。離れた位置から見ると白い板にしか見えませんが、近づいていくと個人名が刻印されており、報道で知る客観的事実としての被害とその一人ひとりにそれぞれの人生があった、その対比が表されているよう。少し土が盛られた上段に設置されたモニュメントは上端のラインが津波浸水高さ(11m)となるように設計され、ここを訪れる人々に有事の際は一目散に高台へ避難する意識を植え付ける計らいがなされています。

「釜石祈りのパーク」上段の壁の上端ラインが津波到達地点を示す(写真/ロンロ・ボナペティ)

「釜石祈りのパーク」上段の壁の上端ラインが津波到達地点を示す(写真/ロンロ・ボナペティ)

「うのすまい・トモス」全景。奥に体育館、左手前が震災の資料展示を行う「いのちをつなぐ未来館」、右手前が土産物などを販売する「鵜の郷交流館」(写真/ロンロ・ボナペティ)

「うのすまい・トモス」全景。奥に体育館、左手前が震災の資料展示を行う「いのちをつなぐ未来館」、右手前が土産物などを販売する「鵜の郷交流館」(写真/ロンロ・ボナペティ)

駅前からすぐ目に入る高台には、小学校・中学校・児童館・幼稚園の、子どもたちのための4施設が新たに建設(設計:小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt)されました。通学路となる階段は、津波到達地点で階段の色が塗り分けられており、市街地から見上げた際に一目でどの高さまで避難すれば良いのかがわかる指標になっています。子どもたちが毎日登下校する様子は市街地のどこにいても目に入り、その風景が復興のシンボルとなるように、という願いが込められているそうです。

また震災当時、沿岸部にあった小学校と中学校は被災後に取り壊され、跡地には「釜石鵜住居復興スタジアム」が建設されました。周囲から隔絶された専用施設とするのではなく、日常的に使用できる公園として周囲と一体的に整備することで、海から山へと連続する鵜住居町の風景の一部となっています。2019年のラグビーワールドカップでは会場の一つとして使用され、まさに復興のシンボルとして人々の生活とともにあるスタジアムとして愛されています。
「鵜住居小学校・釜石東中学校」、「釜石鵜住居復興スタジアム」、「釜石祈りのパーク」では、個々の施設の設計に建築から関わったほか、神戸芸術工科大学の長濱伸貴教授がランドスケープデザイン・監修に携わっています。

「釜石市立鵜住居小学校・釜石市立釜石東中学校・釜石市鵜住居児童館・釜石市立鵜住居幼稚園」敷地へ至る階段のオレンジのラインが津波到達地点(写真/ロンロ・ボナペティ)

「釜石市立鵜住居小学校・釜石市立釜石東中学校・釜石市鵜住居児童館・釜石市立鵜住居幼稚園」。敷地へ至る階段のオレンジのラインが津波到達地点(写真/ロンロ・ボナペティ)

梓設計による「釜石鵜住居復興スタジアム」グラウンドと周囲がフラットにつながり、風景の一部となっている(写真/ロンロ・ボナペティ)

梓設計による「釜石鵜住居復興スタジアム」。グラウンドと周囲がフラットにつながり、風景の一部となっている(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市の中心部にも、ぜひとも訪れたい重要な建築プロジェクトがあります。

世界最大水深の防波堤としてギネスブックの世界記録にも登録されていた湾口防波堤が震災でも大きな減災効果を発揮した釜石市中心部は、リアス式海岸が連なる三陸沿岸エリアにおいては比較的津波の被害がおさえられたエリアでした。震災前から残る商店街「のんべい横丁」と連続する位置に計画されたのが、釜石市民のさまざまな活動の受け皿となる、「釜石市民ホールTETTO」でした。折しも街区をひとつ挟んで隣接するエリアに大型ショッピングセンターの建設が進んでいました。そのままでは既存の商店街とショッピングモールが断絶してしまうことを恐れた市は、市民ホールの建設にあわせて隣接する街区も取得し、ショッピングセンターと市民ホールをつなぐ広場を整備することを決定。ガラスの大屋根が架かる市民ホールの前面広場と接続させることで、のんべい横丁からショッピングセンターへと連なる一連の商業エリアを創出することに成功しました。

建築はaat+ヨコミゾマコト建築設計事務所による設計。施設内部での活動が街に滲み出すようデザインされました。展覧会の一部が外からでも鑑賞できるようになっていたり、スタジオで練習するバンドの様子がうかがえるなど、文化が日常のなかで育まれることが実感できる市民ホールになっています。前面広場に面するステージでは、コロナ禍において全国でも先駆けて屋外コンサートを開催するなど、TETTOでは市民による市民のための精力的な活動が展開されています。

ショッピングセンター側からTETTOを望む。4方向に出入口が設けられ、建物のどこにいても避難できる動線が考えられた。手前の広場が市が取得した「大町広場」(写真/ロンロ・ボナペティ)

ショッピングセンター側からTETTOを望む。4方向に出入口が設けられ、建物のどこにいても避難できる動線が考えられた。手前の広場が市が取得した「大町広場」(写真/ロンロ・ボナペティ)

TETTOの前面広場に架かるガラスの大屋根は、建設費高騰の折に建設中止も検討されたが、建築家のさまざまなコスト削減策により実現された(写真/ロンロ・ボナペティ)

TETTOの前面広場に架かるガラスの大屋根は、建設費高騰の折に建設中止も検討されたが、建築家のさまざまなコスト削減策により実現された(写真/ロンロ・ボナペティ)

前面広場を客席として披露された、市民によるブラスバンドの演奏(写真/ロンロ・ボナペティ)

前面広場を客席として披露された、市民によるブラスバンドの演奏(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市南部の集落に立つ「唐丹小学校・唐丹中学校・唐丹児童館」斜面を活かして建てられた校舎は、建築家の乾久美子氏による設計(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市南部の集落に立つ「唐丹小学校・唐丹中学校・唐丹児童館」。斜面を活かして建てられた校舎は、建築家の乾久美子氏による設計(写真/ロンロ・ボナペティ)

被災地に観光目的で訪れるのは不謹慎なのではないか、そんな想いをもたれる方もいらっしゃるかもしれません。筆者自身、現地を訪れるまでは住民の方からどのような目で見られるのだろうかと不安に思うところもありました。

しかし実際に現地の方とお話をすると、理由はどうあれ来てくれる事自体が喜ばれ、また震災の実態を知ってほしいと活動される方も多くいらっしゃいました。
ここで紹介したような施設も、伝承館はもちろんのこと、そうでない建築にも津波の悲劇を繰り返さないためのデザインが施されていました。それは被災地で日常を送る住民の方はもちろんのこと、被災地を訪れた人たちにも、自然災害の恐ろしさを伝え、やがて来る東北以外の地域での災害を防ぐ一助となることを見越したものでしょう。

災害大国である日本において、建築はどうあるべきか、これ以上ない模範事例が集まる東北、三陸海岸を訪れてみてはいかがでしょうか。

■施設リスト
東日本大震災犠牲者刻銘碑
陸前高田市立博物館
東日本大震災津波伝承館 (いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル)
釜石市立唐丹小学校
釜石市民ホール TETTO
釜石市立鵜住居小学校
うのすまい・トモス
釜石鵜住居復興スタジアム

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世界の名建築を訪ねて。ザハ・ハディドによる62階建て超高層集合住宅タワー「ワン・サウザンド・ミュージアム(One Thousand Museum)」/アメリカ・マイアミ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載7回目。今回は、アメリカ・マイアミにある62階建ての超高層の集合住宅「ワン・サウザンド・ミュージアム(One Thousand Museum)」設計:ザハ・ハディド(ザハ・ハディド・アーキテクツ)を紹介する。

マイアミにザハ・ハディドが残した形見。豪華マンション「ワン・サウザンド・ミュージアム」

マイアミといえば、アメリカきっての常夏のリゾート・エリアであるだけに、いわゆるマンションとなると広々としたハイエンドかつゴージャスな建築が多いのは当たり前である。加えてデザイン的見地からも凝った作品が多い。「ワン・サウザンド・ミュージアム」はそのような今日的なマイアミ・スタイルのなかで、一頭地を抜くデザイン性の高い作品ということができる。

建物はマイアミのミュージアム・パークという有名な公園の真向かいに位置している。ビスケーン湾に面した広さ30エーカーの公園は、2013年にマイアミ・ダウンタウンにおける重要な公園のひとつとして開発されたものである。ここには同市の新しいアート・ミュージアムや科学ミュージアムなどの施設があり、知識を与える公園として市民にとっては特に人気のある公園となっている。

((c)Hufton+Crow)

((c)Hufton+Crow)

ザハ・ハディドの設計による高さ約213mの超高層集合住宅タワーである「ワン・サウザンド・ミュージアム」は、62階建て延床面積約84,600m2というかなり大きな集合住宅だ。しかし、全戸数はわずかに83戸と少ないのだ。その内訳はタウン・ハウス:4戸、ハーフ・フロア・ユニット:70戸、フル・フロア・ユニット:8戸、ペントハウス:1戸、駐車場は260台分ある。これから分かるのは、一番小さな住戸でもハーフ・フロアの広さがあり、各住戸は平均3台分の駐車スペースを確保していることになる。まさにマイアミならではの豪華マンションということになる。

((c)Hufton+Crow)

((c)Hufton+Crow)

ザハ・ハディドの超高層ビル研究が活かされた作品

「ワン・サウザンド・ミュージアム」のユニークなデザインは、ザハ・ハディド事務所の超高層ビルに関する研究の成果を引き継いだもので、建物全てに及ぶエンジニアリング技術で裏打ちされたザハ特有の流れるような華麗な建築表現となっている。建物のコンクリート・エクソスケルトン(外骨格)は、ペリメーター部分を流体的なラインでデザインし、それらが構造的支持体である縦型交差ブレース(筋交い)となっている。

最高階から最低階まで一つの連続したフレームで構成された建物は、上昇するに連れてベース部分から立ち上がった柱が扇形に広がるブレースとなり、コーナー部分で側面からの同じようなブレースと繋がることによって建物をひとつの堅固なチューブとし、マイアミの強い風荷重に対抗している。そのカーブした支持体が強烈なハリケーンを物ともしない強固なダイヤゴナル・ブレース(交差ブレース)を形成している。

((c)Hufton+Crow)

((c)Hufton+Crow)

「ワン・サウザンド・ミュージアム」はグラスファイバー強化コンクリート製の型枠を使用(コンクリートの型枠を残して構造材として利用)しており、工事がタワーの上部に進むに連れて所々で残存されているのだ。このような永久的なコンクリート型枠により、また最小のメンテナンスが可能な建築的仕上げとすることができたという。

エクソスケルトンのフレームが建物のペリメーターにあるため、タワーのインテリア・フロアはほとんどコラム・フリー(柱がない状態)となっているメリットがある。外壁に現れた巨大なブレースの曲率により、各階のフロア・プランは少しずつ異なっている。低層階ではテラスがコーナーからキャンティレバー(片側だけが固定され、反対部分が張り出している構造)で出ているのに対し、上層階では巨大なブレースの背後に配されている。

最上階には居住者のためのアクアティクスセンターやラウンジなども

アメニティー施設としては、最上階にアクアティクスセンター、ラウンジ、イベントスペースがあり、ランドスケープデザインが施されたガーデン、テラス、プールなどは、ロビーや居住者用パーキングの上部に設けられている。

((c)Hufton+Crow)

((c)Hufton+Crow)

なお、ザハ・ハディドは2016年3月31日にここマイアミの病院で他界した。ザハ終焉の地に完成した「ワン・サウザンド・ミュージアム」は、彼女の手から生まれた流麗なデザインの形見となっている。それは彼女の冥福を祈っているかのような佇まいで、マイアミの海辺に屹立(きつりつ)しているのである。

●関連サイト
One Thousand Museum

世界の名建築を訪ねて。14世紀の古城にUFOみたいな先端的なドーム型コンサートホール「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」/スイス

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載6回目。今回は、スイス南西に位置するヴォー州にある「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」、通称「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」(デザイン:ベルナール・チュミ)を紹介する。

14世紀の古城の境内に建設。先端的な装いに身を包んだサステイナブル・コンサートホール 

「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は、スイスのヴォー州にある最古の著名な寄宿学校のひとつにできたコンサートホールである。寄宿学校はジュネーブとローザンヌの中間にあるロール近郊の14世紀の由緒ある古城「シャトー・ル・ロゼ(ロゼ城)」の境内に建設されたものである。ポール・エミール・カーナルによって創立された寄宿学校「ロゼ学院」は、そのような歴史的に著名な敷地に建立された建築である。今回完成したコンサートホールは、創立者の名前をとって「カーナル・ホール」と呼ばれている。

(c)Iwan Baan

(c)Iwan Baan

「ロゼ学院」はスイス最古の名門寄宿学校のひとつで、超高級な中等教育機関であり、世界のエリートやセレブリティの子弟や子女が数多く入学している。例えばモナコのレーニエ3世、ケント公爵エドワード2世、ショーン・レノン(ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子)、丹下憲孝(建築家・丹下健三の息子)、高田万由子(女優、葉加瀬太郎の妻)、ロスチャイルド家(ユダヤ人の富豪)、アガ・ハーン4世(ムスリムのインド人大富豪)、その他多数。

アメリカの建築家、ベルナール・チュミによってデザインされた「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は木造の矩形(くけい・長方形のこと)のコンサートホールで、ステンレス・スティール製の低い円形ドーム内に独立して建設されたものである。歴史的なキャンパスという敷地の中に、UFOのような形態の超現代的な建築が追加されたことで、その対比が新しい息吹を流し込んだと言われて好評である。建物は木立越しに見ると、ステンレス・スティール製のドーム形の屋根や外壁が、日光に輝いてシャープで先端的な雰囲気を醸している。俯瞰した写真の正面左側の暗い大きな開口部がエントランスとなっている。

建物を俯瞰すると敷地に落差があり、エントランス部分は1階レベルだが、右手の日が当たっている側は地下レベルから立ち上がっており、地下1階、地上2階建てになっている。学校側から要求されたプログラムは、メインとなる900席のコンサートホールをはじめ、ブラック・ボックス・シアター、会議室、リハーサル&練習室、図書室、ラーニング・センター、レストラン、カフェ、学生ラウンジ、その他のアメニティを含む盛りだくさんの内容であった。

(c)Iwan Baan

(c)Iwan Baan

関連記事:連載「世界の名建築を訪ねて」

エアコンは不使用、機械式の自然換気のみを採用

建築家ベルナール・チュミが考える先端的なフィルハーモニック・ホールは、いかにしてサステイナビリティの目標と組みわせることができたのか。彼は低く配置された反射する直径80mのステンレス・スティール・ドーム内に、リサイクルされたOSB合板(配向性ストランドボード)を全面的に使用したコンサートホールをデザインしたが、エネルギーを消費するエアコンは使用せず、機械式の自然換気を採用しているのみなのだ。これはスイスの比較的涼しい気候を鑑みたデザインで、建物は歴史的な雰囲気のキャンパスに、スマートな現代建築的なイメージで溶け込んでいる。

このプロジェクトでは材料が建物のデザイン・コンセプトに重要な役割を演じている。というのは、メインであるコンサートホールは、ドーム型の建物内部に木造で独立して立っており、全体を覆う反射性のステンレス・スティール製のメタル・ドームとコントラストをなしている。言わば2重外皮とも取れるデザイン・コンセプトは、コンサートホールを音響的に独立させ、近くを走る鉄道が発する騒音もシャットアウトしている。こうしたデザインが、近隣環境への音響的配慮を十分考慮したものと好評なのだ。

(c)Iwan Baan

(c)Iwan Baan

建築家ベルナール・チュミの洗練されたデザイン力が発揮された作品

世界的に著名な建築設計事務所であるオブ・アラップ・ニューヨーク社が音響設計を担当したのも効果を発揮している。施主であるロゼ学院からの「カーナル・ホール」についての要求事項は、非常に野心的なものであった。曰く、国際的な学生コミュニティにサービスできるワールド・クラスのコンサートホールであると同時に、世界一流のオーケストラを迎えられるものであった。実際に建築家のベルナール・チュミは粋を凝らしたデザインを展開した。その結果「カーナル・ホール」のオープニングには、世界的に著名な巨匠シャルル・デュトワの指揮によるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の豪華なパフォーマンスが、アカデミックなアトモスフィアの中で開催された。

今から40年ほど前の1982年、パリの「ラ・ヴィレット公園」のコンペに勝利し、一躍世界の建築界に頭角を現した建築家ベルナール・チュミは、ル・コルビュジエと同様スイス人ながらフランス国籍を取り、同国で活躍してきた。その後ニューヨークにも事務所を開設し、コロンビア大学建築プランニング保存学部長を務めながらデザイン活動をし、同大学にエポック・メイキングな「ラーナー・ホール」を設計し話題になった。現在はニューヨークとパリで設計に専念している。

数カ月前に、久しぶりに彼の中国に完成した「ビンハイ科学博物館」の資料を見たが、要塞のようなその斬新なデザインは目を見張るものがあった。今回はそれとは違って、故郷スイスに完成した未来的な相貌をした、先端的ハイエンドかつサステイナブルなコンサートホールが生まれたことにより、彼の洗練された衰えを知らぬデザイン力を、まざまざと見せつけられた感じである。

(c)Christian Richters

(c)Christian Richters

世界の名建築を訪ねて。14世紀の古城にUFOのような先端的なドーム型コンサートホール「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」/スイス

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載6回目。今回は、スイス南西に位置するヴォー州にある「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」、通称「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」(デザイン:ベルナール・チュミ)を紹介する。

14世紀の古城の境内に建設。先端的な装いに身を包んだサステイナブル・コンサートホール 

「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は、スイスのヴォー州にある最古の著名な寄宿学校のひとつにできたコンサートホールである。寄宿学校はジュネーブとローザンヌの中間にあるロール近郊の14世紀の由緒ある古城「シャトー・ル・ロゼ(ロゼ城)」の境内に建設されたものである。ポール・エミール・カーナルによって創立された寄宿学校「ロゼ学院」は、そのような歴史的に著名な敷地に建立された建築である。今回完成したコンサートホールは、創立者の名前をとって「カーナル・ホール」と呼ばれている。

(c)Iwan Baan

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「ロゼ学院」はスイス最古の名門寄宿学校のひとつで、超高級な中等教育機関であり、世界のエリートやセレブリティの子弟や子女が数多く入学している。例えばモナコのレーニエ3世、ケント公爵エドワード2世、ショーン・レノン(ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子)、丹下憲孝(建築家・丹下健三の息子)、高田万由子(女優、葉加瀬太郎の妻)、ロスチャイルド家(ユダヤ人の富豪)、アガ・ハーン4世(ムスリムのインド人大富豪)、その他多数。

アメリカの建築家、ベルナール・チュミによってデザインされた「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は木造の矩形(くけい・長方形のこと)のコンサートホールで、ステンレス・スティール製の低い円形ドーム内に独立して建設されたものである。歴史的なキャンパスという敷地の中に、UFOのような形態の超現代的な建築が追加されたことで、その対比が新しい息吹を流し込んだと言われて好評である。建物は木立越しに見ると、ステンレス・スティール製のドーム形の屋根や外壁が、日光に輝いてシャープで先端的な雰囲気を醸している。俯瞰した写真の正面左側の暗い大きな開口部がエントランスとなっている。

建物を俯瞰すると敷地に落差があり、エントランス部分は1階レベルだが、右手の日が当たっている側は地下レベルから立ち上がっており、地下1階、地上2階建てになっている。学校側から要求されたプログラムは、メインとなる900席のコンサートホールをはじめ、ブラック・ボックス・シアター、会議室、リハーサル&練習室、図書室、ラーニング・センター、レストラン、カフェ、学生ラウンジ、その他のアメニティを含む盛りだくさんの内容であった。

(c)Iwan Baan

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関連記事:連載「世界の名建築を訪ねて」

エアコンは不使用、機械式の自然換気のみを採用

建築家ベルナール・チュミが考える先端的なフィルハーモニック・ホールは、いかにしてサステイナビリティの目標と組みわせることができたのか。彼は低く配置された反射する直径80mのステンレス・スティール・ドーム内に、リサイクルされたOSB合板(配向性ストランドボード)を全面的に使用したコンサートホールをデザインしたが、エネルギーを消費するエアコンは使用せず、機械式の自然換気を採用しているのみなのだ。これはスイスの比較的涼しい気候を鑑みたデザインで、建物は歴史的な雰囲気のキャンパスに、スマートな現代建築的なイメージで溶け込んでいる。

このプロジェクトでは材料が建物のデザイン・コンセプトに重要な役割を演じている。というのは、メインであるコンサートホールは、ドーム型の建物内部に木造で独立して立っており、全体を覆う反射性のステンレス・スティール製のメタル・ドームとコントラストをなしている。言わば2重外皮とも取れるデザイン・コンセプトは、コンサートホールを音響的に独立させ、近くを走る鉄道が発する騒音もシャットアウトしている。こうしたデザインが、近隣環境への音響的配慮を十分考慮したものと好評なのだ。

(c)Iwan Baan

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建築家ベルナール・チュミの洗練されたデザイン力が発揮された作品

世界的に著名な建築設計事務所であるオブ・アラップ・ニューヨーク社が音響設計を担当したのも効果を発揮している。施主であるロゼ学院からの「カーナル・ホール」についての要求事項は、非常に野心的なものであった。曰く、国際的な学生コミュニティにサービスできるワールド・クラスのコンサートホールであると同時に、世界一流のオーケストラを迎えられるものであった。実際に建築家のベルナール・チュミは粋を凝らしたデザインを展開した。その結果「カーナル・ホール」のオープニングには、世界的に著名な巨匠シャルル・デュトワの指揮によるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の豪華なパフォーマンスが、アカデミックなアトモスフィアの中で開催された。

今から40年ほど前の1982年、パリの「ラ・ヴィレット公園」のコンペに勝利し、一躍世界の建築界に頭角を現した建築家ベルナール・チュミは、ル・コルビュジエと同様スイス人ながらフランス国籍を取り、同国で活躍してきた。その後ニューヨークにも事務所を開設し、コロンビア大学建築プランニング保存学部長を務めながらデザイン活動をし、同大学にエポック・メイキングな「ラーナー・ホール」を設計し話題になった。現在はニューヨークとパリで設計に専念している。

数カ月前に、久しぶりに彼の中国に完成した「ビンハイ科学博物館」の資料を見たが、要塞のようなその斬新なデザインは目を見張るものがあった。今回はそれとは違って、故郷スイスに完成した未来的な相貌をした、先端的ハイエンドかつサステイナブルなコンサートホールが生まれたことにより、彼の洗練された衰えを知らぬデザイン力を、まざまざと見せつけられた感じである。

(c)Christian Richters

(c)Christian Richters

世界の名建築を訪ねて。巨石の彫刻が躍る韓国の人気デパート「クァンギョ・ガレリア(Galleria in Gwanggyo)」/ソウル市

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載5回目。今回は、韓国・ソウル南部にある“デパート”「クァンギョ・ガレリア(Galleria in Gwanggyo)」(設計:クリス・ヴァン・ドゥイン/OMA)を紹介する。

驚愕的ファサードで魅了する最新の韓国デパート「クァンギョ・ガレリア」

韓国は隣国の中国ほどではないにしても、アジアでは著名海外建築家のデザイン作品が多い国である。例えばレム・コールハース(オランダ)が率いるOMA(Office for Metropolitan Architecture)がデザインした「ソウル国立大学美術館」を筆頭に、ザハ・ハディド(英)の「東大門デザイン・プラザ」、ジャン・ヌーヴェル(仏)の「サムスン美術館 Leeum」、MVRDV(オランダ)の「ソウル・スカイ・ガーデンズ」など、日本と比較したらそうそうたる世界の著名建築家の作品が非常に多いのだ。

今回OMAのパートナーのひとり、クリス・ヴァン・ドゥインがデザインした「クァンギョ・ガレリア(光教ガレリア)」は、1970年代に韓国で初めて生まれた大規模デパートであるガレリアの支店である。以来同デパートは韓国の小売市場において、先端を疾走する大手デパートに成長してきた。今回の新店舗はソウル南部にあるニュータウンのクァンギョ地区に完成した国内6番目の支店で、同社の最大規模のデパートとなった。

クァンギョ・ガレリア(Galleria in Gwanggyo)

(Photo by Hong Sung Jun)

レム・コールハースによるOMAの建築デザインは、非常に多様性があることは世界的に知られた事実であり、全世界にユニークな建築を数多く展開してきた。そうした作品群のなかでも、今回クァンギョに完成した作品は、ビックリもののデザインだ。建物はまさに奇想なデザインをまとった巨大な岩石の彫刻といった印象である。都市のワン・ブロックを占める巨大な矩形の岩石を切り出したような外壁に、切子面状のガラス開口部が、蛇のようにくねって外壁に取り付いているといった特異な外観である。この強烈なアイデンティティーの表現は、OMAデザインの中でも異色中の異色と言える代物であろう。

“自然”にインスパイアされた建築は、市民の視覚的な拠り所に

クァンギョ・ニュータウンの中心街の大通りに位置するこの建物は、新興のアーバン・ディベロップメント(都市開発)による特有の高層集合住宅タワー群に囲まれている。「クァンギョ・ガレリア」のファサードは、自然石のような素材をモザイク状に張り巡らせた不思議な表情に驚かされる。そのような自然的ファサードと、蛇のように曲がりくねるガラス開口部が、異様なシナジー効果(相乗効果)を発揮して人々を驚愕させる。それは近隣にあるクァンギョ・レイクパーク(光教湖水公園)における自然を参照したデザインなのだ。

クァンギョ・ガレリア(Galleria in Gwanggyo)

(Photo by Hong Sung Jun)

建物はそのクァンギョ・レイクパークと、林立する高層集合住宅タワー群のちょうど中間あたりに位置している。建物の外壁を覆うストーン・ファサードのようなテクスチャーが、レイクパークにある岩壁などの自然を喚起させると同時に、クァンギョ市民の自然に対する視覚的な拠り所となっている。

建物は地下1階・地上12階建ての大きなデパートである。外壁を取り巻く長い開口部は、1階から徐々に上昇しながら建物をループ状に取り巻いて行き、文化的なアクティビティもできるルーフ・ガーデンに至る。つまりこの開口部の内部は来客用のパブリック・ループ(回廊)となっており、クァンギョの街並みを楽しみながら、自分の目指す売り場へと至ることができるデザインとなっている。パブリック・ループの途中には、特にコーナー部分には、レスト・スペース、エキシビションやパフォーミング・スペースが設けられており、買い物客は休息したり、展示を見たり、パフォーマンスをしたりすることができる。

クァンギョ・ガレリア(Galleria in Gwanggyo)

(Photo by Hong Sung Jun)

クリス・ヴァン・ドゥインが意図したデザイン・ポイントは、「ショッピングとカルチャー」、「都市と自然」という二項対立的なものをミックスすることで、ショッピングの予測可能性をはるかに超えた場所としてのデパートである「クァンギョ・ガレリア」が、市民に親しまれることであった。そのように単なるショッピングではなく、付加価値を加味して、ショッピングというアクティビティをさらなる高次元へと進化させていく狙いが見事に成功しているデパート・デザインである。

クァンギョ・ガレリア(Galleria in Gwanggyo)

(Photo by Hong Sung Jun)

日本にもある! OMAパートナーによるデザイン「虎ノ門ヒルズ・ステーション・タワー」

設計を担当したOMAのクリス・ヴァン・ドゥインはデルフト工科大学でマスターを取得した。1996年にOMAに参加し、2014年にパートナーになった逸材。OMAの代表作のひとつである北京の「CCTV(中国中央電視台本部ビル)」をはじめとする主にアジアの作品を担当してきたが、「ユニヴァーサル・スタジオ・ロサンゼルス」「プラダ・ニューヨーク&ロサンゼルス・ストアーズ」などアメリカ作品をも担当。近年では「モスクワ現代ガレージ美術館」(2015)、「ミラノ・プラダ財団」(2015)、「アレクシ・ド・トクビル図書館」(2017)なども手掛けたシャープなセンスをもつパートナーである。
なお現在OMAには8名のパートナーがおり、ロッテルダムの本社以外の世界各地に赴任して活動している。日本人唯一のパートナーである重松象平氏はニューヨークにおり、アメリカを担当しているが、現在「虎ノ門ヒルズ・ステーション・タワー」のデザインにもタッチしている。

●関連サイト
クアンギョ・ガレリア
OMA

世界の名建築を訪ねて。マリーナ湾に浮かぶガラスの球体“アップルストア” 「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ(Apple Marina Bay Sands)」/シンガポール

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載4回目。今回は、マリーナ湾に浮くドーム状の“Apple Store(アップルストア)”「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ(Apple Marina Bay Sands)」(シンガポール)を紹介する。

頂部にオキュラス(中心眼)をもつガラス・ドーム空間

シンガポールの著名観光スポットといえばマーライオンと「マリーナ・ベイ・サンズ」だが、後者はカナダの著名建築家モシェ・サフディが設計した誰もが知る著名ホテルだ。地上200mに長さ150mのプールがあるホテルの登場で、シンガポール観光というと、マリーナ・ベイ(湾)界隈はさらに世界的な知名度をもつようになった。

ところがその後マーライオンの対面で、「マリーナ・ベイ・サンズ」側の水面にひょっこり顔を出してきたのが、丸っこいガラス・ボール形の建築である。このガラス・ボールはアップルのスマートショップで、いわばシンガポールの都市に進出していくスターティング・ポイントとなる「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」だ。

マリーナ・ベイに浮かぶ「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」(写真左側)Photo by Finbarr Fallon

マリーナ・ベイに浮かぶ「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」(写真左側)Photo by Finbarr Fallon

マリーナ・ベイの水面にユニーク極まりない姿を現した直径30mのガラス・ボールは、ブラック・ガラスが低部を覆い、上部は透明ガラスが球の形で立ち上がっている。建物のデザインはアップル社のデザイン・チームと、フォスター+パートナーズのエンジニアリングとデザイン・チームの緊密な協働の結果生まれたものである。「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」は、透明性と影が織なす絶妙な光に満ちた空間として話題となっている。

ドーム状の空間は114枚のガラス・パネルで構成建物は内外空間の境界を溶融させ、水面に静かに浮かぶミニマルな建築となっている。そこからはマリーナ湾とスペクタキュラーなシンガポールのスカイラインを仰ぎ見ることができる。構造的にはスチールとガラスのハイブリッドな建築として機能している。カーブした構造的なガラス・パネルは側面からスチール・エレメントを支え、側面からのロードに対抗する全体的な形態を強固なものにしている。

内部に装備された日除けにより、ガラス張りのインテリア・スペースはクールさを保っている。シンガポールには独自のサスティナビリティの評価システムであるグリーン・マークがある。ここで使用された114枚のガラス・パネルは、このグリーン・マークで決められたガラスの性能指標にマッチするものが選ばれた。 

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

ガラス張り空間の内壁に装着された同心円サンシェード・リングと呼ばれる日除けは、建物の頂部に近づくにつれて小さくなり、店内の雑音吸収効果も発揮している。さらに重要なことは、それらが昼光を拡散させ上部のリングへと反射させ、ストラクチャーそのものを非物質化させるマジック効果を発揮しているのだ。頂部にある半透明なオキュラス(中心眼)は、有名なローマ時代の古代建築である「パンテオン」を参照したもので、空間をよぎるドラマティックな光のシャフトを現出させている。

ガラス・ドームそのものはエフェメラル(希薄)な存在といえるかもしれない。その効果は非常に静穏で、光の変化するプロセスと色彩は微妙な効果を発揮して魅力的だ。それは単にアップルの驚異的な商品へのセレブレーションのみならず、自然光への賛歌ではないだろうか。

店内にはマリーナ湾の景色や店内を見渡せるスペースも

建物はガラス張り空間のために、シンガポールの理想とするガーデン・シティの都市景観がインテリア空間に流れ込んでくる。内部のペリメーター(周辺)部分に配置された樹木群は、レザーを貼ったプランターに植え込まれているが、ビジターはレザーの上に座り、店内の雰囲気やマリーナ湾の素晴らしい景色をエンジョイすることができる。

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」へは、ふたつのアクセスが可能となっている。ひとつは水上に架けられたアクセス・ブリッジを渡る方法。もうひとつはマリーナ・ベイ・サンズの店舗群の通りである長さ45m、幅7.6mの通路を抜けて、両側に配されたアップル特有のアヴェニュー・ディスプレイがある石のエントランスへとアクセスする。これが地下にあるドラマティックなエスカレーターに繋がっている。ここから両サイドがミラーの壁になったエスカレーター・シャフトの中を上昇していくと、ビジターはカレイドスコープ(万華鏡)のごとき目くるめく体験に圧倒される仕組みとなっている。

日本から7時間半ほどのフライトでいけるシンガポールは、アジアの中ではトップクラスの観光地である。しかも国をあげて安全・清潔な街を志しているのが素晴らしい。特にここに紹介したマリーナ湾界隈には著名なスポットがたくさんあって、家族ツアーなどにもばっちりあっているし、世界的な建築家、丹下健三氏が都市計画を手がけており、建築好きにも見逃せない街である。

●関連サイト
Apple Marina Bay Sands

世界の名建築を訪ねて。ザハ・ハディドによる“熔融した建築”「オウパスMEドバイ・ホテル(ME Dubai Hotel at the Opus)」/ドバイ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載2回目は、国際的な女性建築家として知られたザハ・ハディド(Zaha Hadid)によるホテル「ME Dubai Hotel at the Opus(オウパスMEドバイ・ホテル)」(ドバイ)を紹介する。

建築が熔融した形態美学

2021年10月から2022年3月まで、ドバイ国際博覧会が開催された。アラブ首長国連邦(UAE)切っての経済都市ドバイ。周知のように現在世界最高の828mの高さを誇るタワー「ブルジュ・ハリファ」があり、一説によれば1,700億円ほどの建設費と聞く。ドバイは中近東エリアでは有数の観光地であることはいうまでもないし、近くのアブダビもリッチな国で「ルーブル・アブダビ」という名建築がある。

国際的な女性建築家として知られたザハ・ハディドは、2004年に世界的に権威あるプリツカー賞を、女性で初めて受賞するという名誉に輝いた。彼女の流麗な曲線美を表現した作風は、世界の建築界を広く席巻してきた。

(Photo by Masayuki Fuchigami)

(Photo by Masayuki Fuchigami)

彼女が設計した「オウパスME ドバイ・ホテル」は、ドバイ・ダウンタウンとドバイ・ウォーター・カナルのビジネス・ベイに近いブルジュ・ハリファ地区にある。ということは上述のタワーの名前はこのエリアの地名にもなっているのだ。ザハ・ハディドが2007年にデザインしたこのホテルは、彼女が建築とインテリアを一緒に設計した唯一のホテルとして有名である。それはソリッド&ヴォイド(固体&空洞)、不透明&透明、インテリア&エクステリアというハイブリッドのバランスをコンセプトとしてデザインしたものである。

ホテルはかなり広く、延床面積が84,300m2もある建物は別個のふたつのタワーとしてデザインされ、それらを合体することで、キューブ形の全体として誕生した。ザハ・ハディドによれば、キューブの中心部は熔融し、建物デザイン上の非常に重要なボリュームである自由な形態の空間を創造しているという。建物両サイドの塔状部分は、地上レベルでは4層吹抜けのアトリウムで連結され、地上71mの位置では非対称な幅38mの空中ブリッジで連結されている。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

ガラス・キューブとなっている建物の直覚的な幾何学形態は、その中央にある8層吹抜けのヴォイド空間の流動性とは、ドラマティックな対照をなしている。またキューブの二重ガラス・インシュレーション・ファサードは、UV(紫外線)コーティングと鏡面フリット・パターンによってソーラー・ゲインを減少させている。建物全体に応用されたこのフリット・パターンは、建物の矩形フォームの明るさを強調している。他方、絶えざる反射と透明の変化による光の戯れを通して、建物全体のボリューム感を減少させている。 
 
ヴォイド空間のファサードは6,000m2もあり、4,300枚の一重もしくは二重のカーブしたガラス・ユニットで覆われている。高効率のガラス・ユニットは非常に複雑な構成となっている。8mm厚のロウ・アイアン・ガラス(内側にコーティング)、16mmの間隙、および6mm厚の二重クリア・ガラスに1.52mmPVC樹脂をラミネートしたもので構成されている。ヴォイド空間のカーブしたファサードは、3Dデジタル・モデリングでデザインされたもので、強化ガラスを必要とする部分にも使用されている。

四角い形の建物のガラス張りファサードは、昼間は空をはじめ、太陽、周辺の都市景観を映し出す一方、夜間のヴォイド空間は個々のガラス・パネルに装備されたアジャスタブル(調節できる)なLEDライトのイルミネーションがダイナミックに輝いている。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

ホテルのインテリアに目を向けると、ザハ・ハディド自身がデザインした家具がホテル全域にわたって使用されている。ペタリナス・ソファとオットマンがロビーに配されている。これらは長いライフサイクルをもつ材料からできており、その構成部材はリサイクル可能というサステイナブル・デザイン。ベッドはオウパス・ベッドが使用され、デスク付きのワーク&プレイ・コンビネーション・ソファはスィートルームなどに置かれている。そのほか、彼女が2015年にデザインしたヴィターエ・バスルームが各客室に使用されている。つまりこのホテルは、全てがザハ・ハディドのデザインで埋め尽くされた貴重な建築作品なのだ。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

「オウパスMEドバイ・ホテル」には74の客室と19のスィートルームがある。そのほか「ザ・オウパス・ビル」全体では、オフィス、サービス付きレジデンス、レストラン、カフェ、バーなどがある。また有名な日本の炉端焼きレストランのROKAや、MAINEランド・ブラッセリーなどが入っているようだ。

「ザ・オウパス」ビルでは建物全域にあるセンサーが、省エネのためにホテルの混雑具合を判断して換気と照明を自動的に調節する。他方「オウパスMEドバイ・ホテル」は、インターナショナルME(メリア)ホテル群のサステイナブル・デザインと同じシステムを踏襲している。

ゲストは滞在中にホテル内でステンレス・スティールのウォーター・ボトルを受け取り、ホテル中に配置されたウォーター・ディスペンサーから飲料水を得る。客室にプラスティック・ボトルは一切なく、プラスティック・フリー・ホテルとなっている。ホテルではさらに食品廃棄を減らすためにビュッフェをサービスせず、食べ残した食品をリサイクルする生ゴミ処理機を用意しているという。サステイナブル・デザインの先端を疾走する世界的なSDGsホテルでもある。

世界中で先端的な建築を数多くデザインしてきた彼女が、2012年に開催された東京スタジアム・コンペで1等賞となり、来日した時の記者会見で会ったことがある。その時の彼女の晴れやかな佇まいが印象的だった。その後2016年にマイアミの病院で他界してしまったが、今でも彼女がデザインした未完の「東京スタジアム」に憧憬の念を抱いている人は少なくない。

●関連サイト
ME Dubai Hotel

愛猫家必見、ペット共生住宅の専門家の自宅におじゃまします! 猫・犬・人が快適に過ごせる間取りや家づくりの工夫は?

ペット共生住宅の専門家で設計事務所fauna+design (ファウナ・プラス・デザイン)代表の廣瀬慶二さん。約20年、愛犬や愛猫と幸せに暮らす家づくりを研究し続ける中で、2020年に家族3人と犬1匹、猫2匹が暮らすマイホームを建築し、自宅を通して試行錯誤しながら今も研究を続けています。そんな廣瀬さんの自宅は「猫も犬も人も快適に美しく暮らす家づくり」のポイントがたくさん。中でも、完全室内飼いで家にしかいない猫は、より工夫が必要です。猫が遊ぶ場所、くつろげる場所、トイレの場所はどうするかなど、猫と暮らす家を検討している人が気になることを専門家かつ実践者の目線で教えてもらいました。

愛猫のシロイちゃん。愛猫は2匹とも保護猫だそう(写真撮影/水野浩志)

愛猫のシロイちゃん。愛猫は2匹とも保護猫だそう(写真撮影/水野浩志)

愛猫のチャイちゃん(写真撮影/水野浩志)

愛猫のチャイちゃん(写真撮影/水野浩志)

フィールドワークを出発点にペット共生住宅を手掛け、犬猫専門建築家へ

ペットとの共生住宅を専門に設計する建築士は国内外を通じてほとんどいません。その第一人者として海外でも知られる廣瀬慶二さんは、ペット共生住宅を100軒以上手掛けています。そのスタートとなったのは2000年ごろ、当時勤めていた設計事務所を辞めてから、犬と暮らす人の家を訪問して聞き取るフィールドワーク(住まい方調査)を始めたことでした。

fauna+design (ファウナ・プラス・デザイン)代表の廣瀬慶二さんとシロイちゃん(写真撮影:水野浩志)

fauna+design (ファウナ・プラス・デザイン)代表の廣瀬慶二さんとシロイちゃん(写真撮影:水野浩志)

「フィールドワークをする中で、ペットと暮らすことで家の中がぐちゃぐちゃになりストレスを感じている人が意外と多くいました。以前所属していた設計事務所で設計した家を引き渡しからしばらくして見に行くと、部屋の隅に大きな檻が置かれて、せっかくの豪邸が台無しになっているケースもありました」
ペットの生態や習性、飼い主の行動に基づく、ペットと人が共生する新しいコンセプトの家が必要ではないか。そう思った廣瀬さんは、まず犬のための家づくりを始めました。

「その分野を誰もやっていなかったこともペットとの共生住宅をつくるようになった理由の一つです。2004年、庭で飼うのが主流だった犬を室内で飼う習慣が出てきたころと同時に、屋外にいることが普通だった猫を外に出さない完全室内飼育が主流になり、それに合わせて家の形も変わらなければならないと、一気に猫の家の仕事が増えてきました」

そして、廣瀬さんは「猫専門建築家」としても認知されるようになりました。

爪研ぎができる猫柱を登ってキャットウォークに向かうチャイちゃん。猫がワクワクするのを見ると飼い主も楽しい(写真撮影/水野浩志)

爪研ぎができる猫柱を登ってキャットウォークに向かうチャイちゃん。猫がワクワクするのを見ると飼い主も楽しい(写真撮影/水野浩志)

そもそも、今はよく耳にするようになった「ペット共生住宅」とは何でしょうか。「今の段階で定義をすると、動物福祉の世界には5FREEDOM(5つの自由(解放))という国際的に認められた基準があります。この「5つの自由」が担保された、動物も人間もストレスを感じない住まいをペット共生住宅といいます」と廣瀬さん。

5FREEDOM(5つの自由(解放))とは、1960年代の英国で家畜の劣悪な飼育環境を改善、福祉を確保するために基本として定められたもので、英国の動物福祉法にも盛り込まれています(以下参照)。この問いかけの文言を一つひとつチェックしていくと、ペットとの共生住宅に必要なものが見えてきます。

「5つの自由」に基づく動物福祉の評価表
Animal Welfare Assessment by(注※)RSPCA,WOAH

■1.飢えと渇きからの自由(解放)
(1) 動物が、きれいな水をいつでも飲めるようになっていますか?
(2) 動物が、健康を維持するために栄養的に充分な食餌を与えられていますか?

■2.肉体的苦痛と不快からの自由(解放)
(3) 動物は、適切な環境下で飼育されていますか?
(4) その環境は、常に清潔な状態が維持されていますか?
(5) その環境には、風雪雨や炎天を避けられる屋根や囲いの場所はありますか?
(6) その環境に怪我をするような鋭利な突起物や危険物はないですか?
(7) その動物に休息場所がありますか?

■3.外傷や疾病からの自由(解放)
(8) 動物は、痛み、外傷、あるいは疾病の兆候を示していませんか?
 もしそうであれば、その状態が、診療され、適切な治療が行われていますか?

■4.恐怖や不安からの自由(解放)
(9) 動物は恐怖や精神的苦痛(不安)の兆候を示していませんか?
 もし、そのような徴候を示しているなら、その原因を確認できますか?
 その徴候をなくすか軽減するために的確な対応がとれますか?

■5.正常な行動を表現する自由 
(10) 動物は、正常な行動を表現するための充分な広さが与えられていますか?
 作業中や輸送中の場合、動物が危険を避けるための機会や休息が与えられていますか?
(11) 動物は、その習性に応じて、群れあるいは単独で飼育されていますか?
(注※)
RSPCA:The Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals(英国王立動物虐待防止協会)
WOAH:World Organisation for Animal Health(世界動物保健機関)

ポイント1 猫専用のものと猫立入禁止の空間を設け、猫の動線を考えて設計する

廣瀬さんがマイホームを建てたのは2021年3月。「実験の場を兼ねて家を建てて1年以上、いろいろなものをつくって、実際に猫たちが使って強度や使い勝手などを見て。お客さまに提供する前の実験をしていたんです」

廣瀬さんの自邸外観。正面の高い所にある正方形の窓は猫が外を見る場所(写真撮影/水野浩志)

廣瀬さんの自邸外観。正面の高い所にある正方形の窓は猫が外を見る場所(写真撮影/水野浩志)

廣瀬さんの自宅は見晴らしの良い高台の傾斜地に立つ2階建てで、さらに地下階とロフトがあります。上の写真すべて2階部分、駐車場部分は人工地盤で、本来の1階部分はこの下で、リビング・ダイニング・キッチンと和室、水まわり、さらに、地下階は子ども部屋、書斎、主寝室、ご家族の趣味の音楽室、そしてアクアリウムがあるプライベート空間となっています。1階と地下階が家族の生活の場で、愛犬の主な居場所は1階です。そして、2階は応接室と廣瀬さんの仕事場でもあるアトリエで、勾配屋根の下を利用した屋根裏やロフトは猫が主に利用しています。上の階に行くほど猫の滞在時間は長くなります。

2階の応接室とアトリエ(写真撮影/水野浩志)

2階の応接室とアトリエ(写真撮影/水野浩志)

間取図(以下参照)を見てわかるように、廣瀬さんの家には、猫専用のものと猫の立入禁止スペースを設けています。猫が好きなことも、家族(人間)の趣味や生活も大事にして、お互いに嫌な思いをしないで安全・安心に過ごせるよう線引きをしています。

・猫専用の空間と場所……猫ダイニング、猫用階段、猫大階段、猫柱、キャットウォークなど
・猫立入禁止スペース……書斎、音楽室、子ども部屋、キッチンなど水まわり

廣瀬さんの自邸の間取図。グレー部分は猫の立入禁止ゾーン、黄色部分は猫専用スペース(画像提供/fauna+design)

廣瀬さんの自邸の間取図。グレー部分は猫の立入禁止ゾーン、黄色部分は猫専用スペース(画像提供/fauna+design)

猫専用の空間には猫用の出入口を設けています。一方、猫立入禁止スペースにはドアの両側から鍵が閉められる両面サムターン鍵をつけているので、猫がレバーハンドルに飛びついて戸を開けてしまうことはありません。

右側は猫用のトイレ(下段)と水を飲んだり食事をしたりする場所(2段目)。掃除などで人間が出入りする扉とは別に、左の小さな扉は常時出入り可能な猫専用ドア(写真撮影/水野浩志)

右側は猫用のトイレ(下段)と水を飲んだり食事をしたりする場所(2段目)。掃除などで人間が出入りする扉とは別に、左の小さな扉は常時出入り可能な猫専用ドア(写真撮影/水野浩志)

玄関はメインエントランスのほかに、2階の応接室・アトリエに直接入れる来客用の玄関も設け、職と住を分けています。

そして、猫の動線も行動に合わせてしっかり道がつくられています。下の写真は、1階のリビング・ダイニングに隣接している「猫ダイニング」のくぐり穴(スリット)から専用通路(キャットウォーク)を歩いてキャットツリーを登って2階に行く動線です。ともすれば取ってつけたように感じるキャットウォークが、デザインとしても美しく成立しています。

猫ダイニングから和室、キャットウォーク、猫専用階段へ。出口や道がちゃんと用意されているから、家族の趣味の音楽のアイテムを邪魔しないで自由に動き回れる(写真撮影/水野浩志)

猫ダイニングから和室、キャットウォーク、猫専用階段へ。出口や道がちゃんと用意されているから、家族の趣味の音楽のアイテムを邪魔しないで自由に動き回れる(写真撮影/水野浩志)

ポイント2 猫のお気に入りになるキャットウォーク「大通り、横道、交差点」をつくる

愛猫家が「猫のための家をつくろう」と考えるとき、最初に浮かぶのはキャットウォークではないでしょうか。廣瀬さんの自宅、特にロフトにはキャットウォークがたくさんあります。

「キャットウォークは何も考えずにつくると、使ってくれないことが多々あります。1カ所に固めない方がいいです。まずは猫が好きな場所(A地点)から好きな場所(B地点)に行ける大きい道をつくる、それがメインキャットウォークです。そこから分岐するように、眺めを楽しむ窓の前やご飯を食べる所に行ける道、横断キャットウォークをつくります。交差する交差キャットウォークは、猫はどっちに行こうかと考えて自由に道を選べるので楽しいし、活発になりますね」

廣瀬さんの自宅のメインキャットウォークは部屋の端から端まで渡した、長さ7.5mの一本道。幅もあるので2匹の猫が擦れ違うときも悠々と歩けます。「住まいの中に猫的街並みを展開する」といった視点から解説すると、メインキャットウォークは都市でいえばメインストリート(大通り)という位置づけです。

メインキャットウォークの先には眺めを楽しむ窓。周囲にはすのこを張り巡らせ自在に動ける(写真撮影/水野浩志)

メインキャットウォークの先には眺めを楽しむ窓。周囲にはすのこを張り巡らせ自在に動ける(写真撮影/水野浩志)

メインキャットウォークから横断キャットウォークは、インテリア性も考えて廣瀬さんが好きなアーティスティックな組子細工の板を採用しています。

組子細工の横断キャットウォークは足元の下が見えるか見えないかで猫の冒険心をかき立てる? 厚さは約5cmで強度も問題ない(写真撮影/水野浩志)

組子細工の横断キャットウォークは足元の下が見えるか見えないかで猫の冒険心をかき立てる? 厚さは約5cmで強度も問題ない(写真撮影/水野浩志)

交差キャットウォークは、「猫的街並み」の視点では、信号がない交差点のような場所です。

キャットウォークが交差していると猫は自由で楽しい(写真撮影/水野浩志)

キャットウォークが交差していると猫は自由で楽しい(写真撮影/水野浩志)

猫の寝る場所もキャットウォークで上がれる天井裏を利用した落ち着く場所に設置。チャイちゃんがまったり(写真撮影/水野浩志)

猫の寝る場所もキャットウォークで上がれる天井裏を利用した落ち着く場所に設置。チャイちゃんがまったり(写真撮影/水野浩志)

廣瀬さんの家は勾配天井で、屋根材と下地の間に断熱材を入れて通気層となる隙間を設けた「屋根断熱通気層工法」を採用しているため、屋根裏に空間ができ、キャットウォークをたくさん設けることができました。小屋裏収納などに使うことが多い屋根裏を、猫たちが自由に楽しめるパラダイスとして有効活用したのです。平屋でも参考になる事例ではないでしょうか。

ポイント3 トイレと水飲み場がある猫専用の空間「猫ダイニング」をつくる

廣瀬さんの自宅には、1階と2階の2カ所に猫用の小部屋「猫ダイニング」があります。ダイニングといえば食事場所です。

「猫を初めて飼うとき、ほとんどの人が3段ケージを使います。一番下にトイレ、2段目にご飯と水を置いて、一番上にハンモックをつる、3段構成のケージです。飼い主がお世話するのに集中できますが、3段ケージを部屋として初めからつくればいいと考えたのが猫ダイニングです。

猫ダイニングには、猫の頭数分のトイレと猫の水飲み場(食事場所兼用)を置いています。水を少量だけ流しっ放しにできる水栓と手洗いボウルを設けた猫の水飲み場があると、猫はよく水を飲むようになります。水をよく飲む猫は下部尿路疾患のリスクが減り、毛艶もよくなります。猫は15年以上家の中で暮らしますから、長生きしてもらうためにも、間取りの中にあらかじめトイレの場所、猫ダイニングをつくってあげるといいですね」

カウンターにはくぐり穴を造作しトイレから2段目やキャットウォークへのスムーズな動線を設けた。トイレの置き場は防水性があるものを。つり戸棚には猫のものを収納((写真撮影/水野浩志)

カウンターにはくぐり穴を造作しトイレから2段目やキャットウォークへのスムーズな動線を設けた。トイレの置き場は防水性があるものを。つり戸棚には猫のものを収納((写真撮影/水野浩志)

食事場所とトイレが近くても立体的に配置すれば問題ありませんが、猫ダイニングではトイレの清潔感、掃除のしやすさがポイントになります。「猫トイレの置き場所はキッチンのカウンターに用いられる人造大理石で7cmの立ち上がりをつくり、内部の入隅にRをつけて、掃除がしやすいよう工夫しています。そして一番大事なのはトイレの近くに24時間稼働する換気扇をつけることです」。猫も個室があるとうれしいでしょうし、トイレも集中してできそう、飼い主は世話がしやすく省スペースで大助かりです。

廣瀬さんの自宅は猫2匹とジャックラッセルテリアのアリスちゃんが同居しています。犬が猫のトイレの砂を食べてしまうこともあるため、猫のトイレに犬を近づけないことが最重要課題で、だからこそ個室にすることが必要でした。

また、犬は猫が大好きで近づきたいそうですが、猫はマイペースで過ごしたいので犬と一緒にいたがらないそうです。犬と猫が仲良しの例もあるかもしれませんが、住まいにおいては、犬と猫がお互いに邪魔をしないように動線を分けてあげることが大切です。

ポイント4 猫が大好きな縦の運動ができる「猫大階段」などをつくる

キャットウォークは水平方向に動ける道ですが、猫にとっては縦の動き、縦と横をつないで立体的に動くことが大切です。廣瀬さんの自宅では、猫ステップ(上下の行き来ができる棚板)ではなく猫大階段、猫ロフト、猫専用階段を採用しています。

「猫はとにかく高い所が好きです。家の中ばかりにいると刺激も必要ですし、肥満防止にもなるので、縦の運動ができるように工夫しています。猫ステップは過去にたくさんつくって、幅や段差などをいろいろ調査しましたが、見た目(インテリア性)のことも考えて最近、猫ステップは設計に組み込んでいません。猫ダイニングの高さまで登るなら、椅子を一つ置くだけで十分です。
地形レベルで考えると、壁から飛び出した板を上がるより、小さい山があったり谷があったりした方が猫は楽しいので、最近は猫大階段と呼んでいる大きい階段をつくっています。猫は階段が大好きなので、機会があったら人間用の階段が複数ある家をつくりたいですね」

本棚兼用の猫大階段と、その背後にある猫ロフト(写真撮影/水野浩志)

本棚兼用の猫大階段と、その背後にある猫ロフト(写真撮影/水野浩志)

猫ロフトは、猫がのんびりくつろぐ空間。「猫専用の家具は必要ありません。人と猫が共用できる、猫のお気に入りの椅子があればいいですね」。猫は人が使う椅子が大好きですし、猫と住んでもインテリアの質を落としたくないという廣瀬さんのこだわりもあります。

人間用の読書空間にもなる猫ロフトにはカッシーナのすてきなチェアや小田隆の絵画が飾られている(写真撮影/水野浩志)

人間用の読書空間にもなる猫ロフトにはカッシーナのすてきなチェアや小田隆の絵画が飾られている(写真撮影/水野浩志)

デスク横の造り付けの家具は空間を仕切る収納棚であり、キャットウォークに上れる猫階段でもある(写真撮影/水野浩志)

デスク横の造り付けの家具は空間を仕切る収納棚であり、キャットウォークに上れる猫階段でもある(写真撮影/水野浩志)

左がキャットツリーで、1階から2階、猫ロフトまで一気に駆け上ることができる。右は猫用階段(写真撮影/水野浩志)

左がキャットツリーで、1階から2階、猫ロフトまで一気に駆け上ることができる。右は猫用階段(写真撮影/水野浩志)

廣瀬さんの自宅は、人間の居心地の良さと猫の居心地の良さ、人と猫の使いやすさが両立しています。美しく整然としていることも居心地の良さを高めます。例えば、家族がくつろぐリビング・ダイニングの壁、天井の下のキャットウォークはくぐり戸や猫柱とつながり部屋から部屋へ、上階から下階へと移動する機能をもちながら、インテリアとしてもアクセントになっています。

猫のほかに犬(テリア?の〇〇〇ちゃん)もいますが、

家族がくつろぐリビング・ダイニングにキャットウォークや猫専用階段、猫柱がなじんでいる。犬は主にリビングでくつろぐ(写真撮影/水野浩志)

家族がくつろぐリビング・ダイニングにキャットウォークや猫専用階段、猫柱がなじんでいる。犬は主にリビングでくつろぐ(写真撮影/水野浩志)

仕事の打ち合わせをする2階の応接室。猫が自在に動ける動線、猫が好きな景色を見る窓も、癒やしの植物もある(写真撮影/水野浩志)

仕事の打ち合わせをする2階の応接室。猫が自在に動ける動線、猫が好きな景色を見る窓も、癒やしの植物もある(写真撮影/水野浩志)

まだある!猫も家族もうれしい猫の家を2事例紹介

廣瀬さんの自宅のほか、廣瀬さんが設計した猫と暮らす家を2事例紹介します。

まずは、愛知県のW邸(猫5匹と同居)で、猫が岩盤浴を楽しむという個性的なコンセプトの家です。白とナチュラルを基調としたフレンチモダンのインテリアで統一されていて、猫も優雅に見えます。2階の猫大階段を上がると床暖房が採用された猫ロフトがあり、そこで猫がまるで岩盤浴のようにのんびりと楽しめる、ほんわかした雰囲気です。また、壁面の中に猫階段を設けた「猫壁」をつくるなど工夫を凝らしています。

W邸の猫大階段。左には猫トイレと食事スペース(画像提供/fauna+design)

W邸の猫大階段。左には猫トイレと食事スペース(画像提供/fauna+design)

W邸。猫が岩盤浴にアクセスするには猫大階段、キャットツリー、キャットタワー、爪研ぎ猫柱などいくつものルートがある。白い格子窓の窓台は猫の居場所(画像提供/fauna+design)

W邸。猫が岩盤浴にアクセスするには猫大階段、キャットツリー、キャットタワー、爪研ぎ猫柱などいくつものルートがある。白い格子窓の窓台は猫の居場所(画像提供/fauna+design)

W邸。猫は暖かい所が大好き。猫ロフト(岩盤浴)でくつろぐ猫(画像提供/fauna+design)

W邸。猫は暖かい所が大好き。猫ロフト(岩盤浴)でくつろぐ猫(画像提供/fauna+design)

W邸。壁に飾り棚や収納を設け、階段も猫の居場所に(画像提供/fauna+design)

W邸。壁に飾り棚や収納を設け、階段も猫の居場所に(画像提供/fauna+design)

次に紹介するのは、岡山県のO邸(猫3匹)で、キャット用のパティオ(中庭)、「キャティオ」のある家です。リビング・ダイニングの天井にはキャットウォークや猫ステップ、キャットツリーを設け、上部のすのこ上の猫寝天井(猫が寝るための天井空間)や猫ロフトへの移動をスムーズにしました。まるでバリのリゾートホテルのような趣のインテリアに猫の居場所や遊び場が違和感なくなじんでいます。

O邸。外からの視線も危険もない広いキャティオで、お腹を出して日なたぼっこを楽しむ猫(画像提供/fauna+design)

O邸。外からの視線も危険もない広いキャティオで、お腹を出して日なたぼっこを楽しむ猫(画像提供/fauna+design)

O邸。猫の寝床は人間のベッド。構造上必要な柱を爪研ぎの猫柱とし、連続的に並べているのは、猫のためと、デザイン面への配慮(画像提供/fauna+design)

O邸。猫の寝床は人間のベッド。構造上必要な柱を爪研ぎの猫柱とし、連続的に並べているのは、猫のためと、デザイン面への配慮(画像提供/fauna+design)

O邸。リビング・ダイニングのキャットウォークから猫ステップへリズミカルに移動する猫(画像提供/fauna+design)

O邸。リビング・ダイニングのキャットウォークから猫ステップへリズミカルに移動する猫(画像提供/fauna+design)

O邸。コーナーで折れ曲がるキャットウォーク(画像提供/fauna+design)

O邸。コーナーで折れ曲がるキャットウォーク(画像提供/fauna+design)

以上の二つの事例は、家族の好みや趣味、インテリア性を大事にしながら、猫のストレスがたまらないように、気持ちよく過ごせることを優先的に考えています。そして、猫が幸せだと飼い主も幸せ、お互いが幸せになる家です。

廣瀬さんの自宅を参考に「猫と暮らす家について大切なこと」をまとめてみました。

・お気に入りの場所に行けるキャットウォークを設ける
・縦、垂直に移動できる猫階段、猫柱などを設け、縦と横がつながるようにする
・屋根断熱工法を採用すると屋根裏を猫の遊び場として利用できる
・高い所、外を眺めるのが好きな猫のために窓と窓の前の居場所を設ける
・猫の水飲み場、食事場所、トイレを1カ所にまとめた猫ダイニングを設ける。少量でいいので常に新鮮な水を流しっ放しにし、換気扇をつけて清潔に保つ

廣瀬さんがつくるペット共生住宅は、猫の習性や行動に基づいて猫にとって必要なものをつくり、猫目線で猫が喜ぶこと、幸せに感じることを考えた住宅です。人間がペットのために我慢することがないように、反対にペットが人間のために我慢することがないように、お互いに健やかに暮らせるように工夫して、ペットと暮らす家づくりを考えてみませんか。

●取材協力
廣瀬慶二さん
設計事務所fauna+design代表、犬猫専門建築家、一級建築士、一級愛玩動物飼育管理士。神戸大学大学院自然科学研究科博士前期課程修了。著書『ペットと暮らす住まいのデザイン』ほか

建築家・谷尻誠のサウナ道。「日々ととのい立ち止まる暮らしを全国に。一家に1サウナ時代がきたら素晴らしい」

サウナブームと呼ばれて久しいが、なかには自宅にサウナをつくってしまう上級者もいるようだ。建築家・谷尻誠さんもその1人。3年前にサウナに目覚めたという谷尻さんは自宅をはじめ、建築家としてサウナ付きのホテルやテントサウナなども手がけてきた。そして、現在は広島のオフィスにもサウナを作る計画があるという。

今回は「SUUMO」×「じゃらん」のコラボ企画として、そんなサウナをSUUMOでは「おうちサウナ」、じゃらんでは「旅サウナ」、それぞれの視点から楽しみ方を紐解いてみたい。そこで、谷尻さんに、日常でどのようにサウナを楽しんでいるかや、自宅のサウナの話、職場でのサウナの話などについて聞いてみた。

サウナはコミュニケーションの場でもある

――谷尻さんがサウナにハマったきっかけを教えてください。

谷尻誠さん(以下、谷尻):サウナに目覚めたのは3年ほど前です。“ととのえ親方”こと、プロサウナーの松尾大さん指導の下、アウトドアサウナを体験したのがきっかけですね。

谷尻誠さん(写真撮影/嶋崎征弘)

谷尻誠さん(写真撮影/嶋崎征弘)

――そのときにサウナの気持ちよさを知ったと。

谷尻:はい、めちゃくちゃ気持ち良くて、ハマってしまいましたね。それから週に3~4回はサウナに入るようになり、キャンプに行く時は常にテントサウナを持参し、さらには自宅にもサウナをつくってしまいました。自社のサウナストーブを入れて、スチールの花壇に水を溜めた水風呂を設置した簡易的なものですけれどね。

企業とコラボしたサウナストーブ、火が見える仕様となっている(画像提供/(株)DAICHI)

企業とコラボしたサウナストーブ、火が見える仕様となっている(画像提供/(株)DAICHI)

――自宅サウナ、羨ましいです。どれくらいのペースで入っていますか?

谷尻:週3回くらいですかね。夜のルーティーンとして、ゆっくり入っています。あとは週末に日ごろの疲れを癒やしたり、冬場はスノーボード帰りに入ることが多いですね。時々、事務所のスタッフが入りにくることもありますよ。リラックスしながらコミュニケーションをとるスペースとしても重宝しています。

――今では、ご自宅以外にもホテルやキャンプ場のサウナを設計するなど、もはや趣味の域を超えていますよね。

谷尻:ちなみに、いまは「ととのえベンチ」という外気浴用の水平ベッドを設計しています。温浴施設の外気浴スペースにはリクライニングチェアが設置されていることが多いのですが、僕は仰向けになって空を見上げられる状態のほうが心地いいんです。そこで、専用のベッドをつくってしまおうと。

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

サウナは「一家に一室」の時代?

――サウナブームの影響で、住宅やホテルなどにサウナを導入したいというニーズは増えているのでしょうか?

谷尻:そうですね。住宅やホテルなど「サウナ付きの●●」という依頼は多くなってきました。だから今度、松尾大さんと「サウナに特化したゼネコン」をつくることにしたんです。これまで、ホテルや自宅の設計をする建築家とサウナをつくるメーカーは別々でした。でも、それを一つにして、ホテルの設計もサウナの企画も、さらには工事までワンストップで行える会社があったらいいんじゃないかと。ホテルもサウナも統一されたイメージでつくることができますし、最初からサウナありきで設計すれば、より心地よいものになるはずですから。

――今やサウナで集客ができるようになりましたもんね。今後、谷尻さんのように自宅にサウナをつくる人も増えると思いますか?

谷尻:増えるんじゃないでしょうか。洗濯機や冷蔵庫のように“一家に一室”の時代がきてもおかしくないと思います。じつはそこまでスペースもとらないし、心身ともに健康になれるし、そうなったら素晴らしいと思いますよ。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

サウナに入ることで、いったん立ち止まる

――サウナに目覚めて、一番良かったことは何ですか?

谷尻:「いったん止まること」を覚えたのは大きいです。サウナ室にはスマートフォンも持ち込めないし、いったん立ち止まるような感覚があるんですよ。仕事や生活に忙殺されていると、そういう時間ってなかなか持てませんよね。常に何かしら考えていたり、手を動かしていたりする。「正」という字は、「一に止まる」と書くって言うじゃないですか。あれは本当にその通りで、いっとき止まって考えてみると、いいアイデアが閃いたり、前向きな思考になれたりするんです。

――デジタルデトックスじゃないですけど、脳がリフレッシュされそうですよね。

谷尻:だから今、広島にあるオフィスにもサウナを作る計画を立てています。まだ構想段階ですが、ビル全体を改修して、1階にレストラン、2階にギャラリー、3階にオフィス、そして、5階をサウナにする予定なんですよ。

――それはすごい。どんなコンセプトのサウナになるんですか?

谷尻:都市部にあるビルなので、なかなか理想通りとはいかないのですが、それでも外気浴をしながら自然を感じられるような空間はつくりたいですね。あとは、他で見たこともない、どこにもないようなサウナにしたいです。例えば、5階の窓を全て外してしまうとかね。そうすれば、サウナ室を出た瞬間から外気浴をしているような気分を味わえるんじゃないかと思います。

屋上から穴を開け、日光が植物を照らすようなデザイン(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

屋上から穴を開け、日光が植物を照らすようなデザイン(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

大きいバルコニーをつくり、水風呂と外気浴スペースを設けるそう。画像は外気浴スペース(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

大きいバルコニーをつくり、水風呂と外気浴スペースを設けるそう。画像は外気浴スペース(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

水風呂(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

水風呂(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

――オフィスにサウナ。スタッフさんが羨ましいです。

谷尻:もちろん疲れを癒やしてもらったり、コミュニケーションを円滑にしたりする目的はあるのですが、自分自身で体験することでサウナーの気持ちを分かってほしいという思いがあります。

――サウナを設計する上では、とても大事なことですね。

谷尻:そうなんです。あまりサウナに入ったことのない人だと、ただサウナ室を設計すればいいと思ってしまうんですよ。でも、サウナってサウナ室だけでなく、水風呂や外気浴スペースへの動線などもすごく大事です。さらには、サウナ後に何を食べたいのか、どういう環境でくつろぎたいのかなど、本当に気持ちよくなるためのポイントはたくさんあります。だから、スタッフそれぞれが「サウナとは何なのか」を考え、理解してもらいたい。そのために、サウナに“社員旅行”したこともあるんですよ。広島オフィスのサウナも、うちのスタッフはいつでも入れる状態にしようと思っています。(広島事務所の5Fのサウナは近日会員募集予定)

――となると、さらにサウナへの理解が深まりますね。その上で、谷尻さんたちがこれからどんなサウナをつくってくれるか、楽しみです。

谷尻:僕自身も楽しみです。うちに限らず、オフィスにサウナがあると生産性が上がると思うんです。例えば、出社してデスクにつく前、昼食後、仕事が終わった後など、サウナに入ってリフレッシュすることでメリハリがつく。頭がぼーっとした状態でダラダラ働くより、よっぽどいいです。ですから、まずはうちが率先して、そんな働き方を実践していきたいですね。

谷尻さんのようにサウナを「コミュニケーションの場」として楽しむサウナーは少なくない。とはいえ、昨今のご時世ではなかなか難しい。そんなときにサウナが一家に一室の時代がくれば、より快適なサウナライフが送れることだろう。

●取材協力
SUPPOSE DESIGN OFFICE
DAICHI silent river

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谷尻誠さんのサ旅については「じゃらんニュース」で
建築家・谷尻誠のサウナ建築と“サ旅”。滝壺や船上、雪風呂など「その土地ならではのサウナ体験をつくりたい」

神勝寺では“うどんを食う”も禅体験に! 建築や庭などすべてが「禅」のミュージアム 広島県福山市

近年、世界的にも注目を高めている“禅”。精神を統一して真理を追求する仏教・禅宗の教えが広まったことで、日常生活にも取り込まれていきました。高尚で精神的なものをイメージしてしまいがちですが、禅の教えを楽しみながら、五感で体験できるミュージアムがあることをご存知でしょうか? 広島県福山市にある「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、広大な境内に点在する建築物を巡りながら、禅の教えに触れる体験ができると聞き、実際に体験した様子をレポートしたいと思います。

あの有名建築家の建築も! 建物自体が展示作品境内全体図(提供:神勝寺)

境内全体図(提供:神勝寺)

緑豊かな山道を登った先に見えてくる総門をくぐると、建築史家・建築家 藤森照信氏が設計した寺務所、「松堂」が出迎えてくれます。
屋根に植えられた松の木は、藤森氏が「禅と縁の深い」木として選んだもの。もちろん、勝手に生えてきてしまったのではなく、デザインされた外観なんです。
藤森氏といえば、屋根にタンポポを植えた自邸の「タンポポハウス」や故・赤瀬川原平邸「ニラハウス」をはじめ、建築に直接植物を植えるデザインに繰り返し挑戦しています。

「松堂」外観。 面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「松堂」外観。
面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一見すると突拍子もないおふざけのようにも見えてしまいますが、実は「芝棟」と呼ばれる屋根から植物を生やした日本古来の住宅形式に着想を得たもの。それもそのはずで、藤森氏は建築家でありながら、建築史家として長年古建築の研究に携わってこられました。
松堂に植えられた松は、自然と共に生きてきた日本人の知恵を、現代に蘇らせたデザインなんです。
軒下の天井と壁を一体化させた継ぎ目のない漆喰による面のつくり方も、日本古来の手法を現代的に再解釈したデザイン。新しくもありどこか懐かしい温かみを感じる藤森氏の建築は、温故知新を体現するミュージアムに来訪者を招き入れるゲートの役割に、これ以外ないと思わせるバランスで応えていました。

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然と共にある庭も禅への入口

松堂の眼前に広がる「賞心庭」は、作庭家・中根史郎氏が手掛けたもの。池の周りを巡り楽しむ回遊式の庭園で、四季折々の草花を愛でることができる見どころが随所に施されています。
この池を挟んで松堂と正対するように立っているのが茶房「含空院」。こちらはもともと滋賀県にある永源寺より移築されたもので、築350年以上の歴史をもった茅葺きの建築です。維持管理の手間がかかる茅葺きですが、美しく保たれているのが印象的です。含空院では庭園を眺めながらお茶や甘味をいただくことができます。
神勝寺には含空院のほかにも、年代も様式も用途もバラバラな多くの建物が各地から移築され境内に点在しています。「神勝寺 禅と庭のミュージアム」は、もともと臨済宗の寺院として築かれていた境内に、含空院をはじめいくつかの建築を移築し、また新たな建造物を建ててオープンしました。
寺院建築では他の寺院から建造物を譲り受け、移築すること自体は昔から行われてきましたが、これだけたくさんの建築物を移築し、また新築して境内全体を刷新するのはあまり例のない試みといえるでしょう。庭や美術作品のほか、建築物も含めて禅の体験を提供する「ミュージアム」というコンセプトだからこそ、建物自体もミュージアムを構成する作品の一部として、様式や宗派といった個々の建築が有する背景と矛盾なく同居させることが可能なのかもしれませんね。

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

25分のインスタレーション作品で禅を体験

賞心庭から松堂の脇を抜け坂を登っていくと、多宝塔が見えてきます。そこからさらに歩を進めると、神勝寺最大の目玉ともいえるアートパビリオン《洸庭》が出迎えてくれます。
彫刻家・名和晃平氏率いるクリエイティブ・プラットフォーム、Sandwichが制作した《洸庭》では、約25分間の禅をテーマにしたプログラムが用意されています。

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

係員の誘導に従って一連のプログラムを体験することで、誰でも禅のエッセンスに触れることができるアート作品です。このように作品として体験する空間や場所はインスタレーションと呼ばれ、現代アートの表現ジャンルとして発展してきました。
お寺にアート作品? と意外な気もしましたが、よくよく考えてみると、古くからお寺は芸術が生まれ、人々の目に触れる場として機能してきました。博物館で観ることのできる美術品にも、お寺でつくられ、使われていたものが多く展示されています。いまの時代であれば現代アートがお寺に展示制作されることは、むしろ自然な流れといえそうです。
《洸庭》は内部のインスタレーションはもちろん、建築としても見応え十分。広い庭に舟形の建物が浮かぶように立つ様子からは、浮世離れした印象を受けますね。建物全体を包むように、伝統建築の屋根に多用されてきたこけら葺きと呼ばれる技法で木材が施されており、全体のプロポーションとも相まって巨大なお堂のようにも見えます。船を模した造形は、ミュージアムの運営母体である造船会社から着想を得たデザインで、インスタレーションの内容とも連動しているんです。

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

特定の用途のために建てられる建築も、多様な使われ方を想定してある程度融通の利くように設計されるのが一般的です。ここでは、一つのインスタレーション作品の体験の場を創出する目的のみに特化することで、独創的なデザインを実現しています。

うどんをすする禅体験? 修行僧のごちそうをいただきます

お昼時には「五観堂」に立ち寄りましょう。ここでは、普段は食事も修行の一環として厳しく制限されている修行僧・雲水にとって一番のごちそうである、湯だめのうどんをいただくことができます。
ただうどんを食べるだけではないのが神勝寺の面白さです。ここにもまた禅の教えに触れる工夫が。
配膳を前に、食事の作法を教えてくれます。本来であれば食事中ですら音を立ててはいけない雲水も、うどんを食べるときだけは豪快にうどんをすすり音を立てて食べることが許されているのだそうです。
厳しい修行における束の間の解放感、その疑似体験を通じて、雲水の修行に思いをはせることが禅を体感する足掛かりになるなんて不思議ですね。

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

五観堂からさらに先へ進むと、「秀路軒」、その先には「一来亭」が見えてきます。どちらも茶室・数寄屋研究の泰斗である中村昌生氏が携わり再現/復元された茶室。いずれも千利休に縁のある建築で、合わせて見学することで利休の追求した美の一端に触れることができます。

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

庭園にも美術品にも潜む禅の思想

それらを後にしてさらに登っていくと一気に視界が開け、広大な枯山水庭園が広がる頂上へと到達します。この庭園は「足立美術館」の庭園作庭などで知られる中根金作氏によるもの。総門からここへたどり着くまでに仕掛けられたさまざまな工夫と対比されるように、要素が限定され白い砂利が一面に広がる空間に身を置くと、邪念が吹き飛び心が洗われるよう。「禅と庭」をテーマにしたミュージアムのクライマックスにふさわしい庭園空間です。賞心庭を手掛けた中根史郎氏は息子でもあり、境内を上下に挟むように親子共演を楽しむことができるようになっています。

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また荘厳堂に展示される禅画・墨跡は《洸庭》と並ぶミュージアムのもう一つの目玉。その中心は江戸時代中期に臨済宗を中興した禅師白隠のコレクションで、ユーモアも交えた魅力的で多彩な作品が展示されています。誰もがその写真を見たことのあるような有名な作品を、その思想の発信基地である臨済宗の寺院で鑑賞できる貴重な体験です。

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

全身で体感し、持ち帰る禅体験

本堂から階段を下りる視線の先には、建物一つ見えない自然豊かな景色が広がっています。人里離れた静かな境内で、草木に囲まれて自然の声に耳を澄ますのもまた禅との接点になっているんです。
こうして建物を見て歩き、境内を巡るだけでも、禅の思想を頭ではなく、楽しみながら体で体験することができるのがこのミュージアムのすごいところ。ほかにも写経や坐禅体験のプログラムも用意されていて、訪問者の時間に合わせた禅体験ができるようになっています。
ひと通り回った後は、浴室で汗を流しましょう。ここでは入浴中に口に含むための飴玉が配られます。口内の飴玉に意識を集中させることで雑念を振り払う、瞑想の訓練としての飴玉なんです。

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、大掛かりなインスタレーションアートから、うどんの食事や入浴といった日常生活と地続きのものまで、さまざまな場面を通じて禅の思想に触れることができます。
それは単にこの場所で禅の体験をするにとどまらず、日々の暮らしの中で禅を意識し、暮らしを見つめ直す第一歩となることを意図したもの。
禅の思想は最近ではビジネスの世界でも注目が集まっていますが、それ自体は臨済宗の教えからエッセンスを抜き出して、ビジネスへの活用を考えようとする動きです。素人目には、仏教の思想をそんなふうに都合よく扱って良いものだろうか? と思ってしまいますが、時代が変われば宗教の存在価値もまた変わっていくもの。むしろ積極的に日々の暮らしに役立ててほしいと、多様なプログラムが用意されていることに驚きました。
そしてそのプログラムを伝える媒体となる建築もまた、求められるニーズに合わせてアップデートされ、新しいデザインの可能性を切り開いていました。
禅と庭、そして美術と建築、これらが一体となった神勝寺は、建築好きあるいは美術好きでなくとも、新しい発見を得ることができる、皆に開かれたミュージアムでした。

●取材協力
神勝寺

隈研吾×佐藤可士和が団地をアップデート! 築50年「洋光台団地」はどう変わった?

日本を代表する建築家の隈研吾氏と、同じく日本を代表するクリエイティブディレクター佐藤可士和氏の2人がUR都市機構と共に、築50年の団地の持つポテンシャルを追求した「団地の未来プロジェクト」(神奈川県横浜市・洋光台団地)。洋光台北団地では、2020年11月に集会所や広場の整備が完了し、現在は整備された空間を活用してのさまざまなイベントが開催されているといいます。トップクリエイターの手によって団地はどのように変わったのでしょうか。住民のみなさんの思いも聞きました。
建築家とクリエイティブディレクターが見た「団地の価値」

今から半世紀ほど前、洋光台駅周辺は、横浜市と日本住宅公団(現UR都市機構)により賃貸住宅、分譲住宅や一戸建てなどが立ち並ぶ住宅地として開発されました。駅前には高層棟、スーパーや商店などがあり、その周辺にずらりと低層棟、一戸建てが広がっていて、その街並みは映画『シン・ゴジラ』にも登場しています。

そんな洋光台団地は、駅前の高層棟を中心とした洋光台中央、中層5階建てを中心とした洋光台北、洋光台西というUR賃貸住宅団地として1970年に誕生していますが、開発から半世紀、入居者の高齢化と共に建物自体も年を重ねています。そこで、UR都市機構が依頼したのが建築家の隈研吾氏です。言わずもがな、新国立競技場などを手掛けた日本を代表する建築家。なんと横浜生まれ・横浜育ちで、洋光台団地が建設されているのを電車の窓越しに見ながら通学していたという逸話もあるとか。そんな隈研吾氏が佐藤可士和氏に声をかけるかたちで参画してもらったのが、この「団地の未来プロジェクト」です。

洋光台駅前すぐの高層棟・洋光台中央団地に新設されたアーケード屋根。中央広場を囲むようにぐるりと設置されています。ゆるりと居場所をつくるさまは、まちの“縁側”です(写真撮影/桑田瑞穂)

洋光台駅前すぐの高層棟・洋光台中央団地に新設されたアーケード屋根。中央広場を囲むようにぐるりと設置されています。ゆるりと居場所をつくるさまは、まちの“縁側”です(写真撮影/桑田瑞穂)

今回、プロジェクトを担当したUR都市機構で東日本賃貸住宅本部神奈川エリア経営部ストック活用計画課の柴田岳さんによると、隈研吾氏と佐藤可士和氏の監修により、団地の持つ「価値」を再発見できたといいます。
また、柴田さんは、「お二人は、プロジェクト開始当初より、団地のことを、『人が集まって住まう』ということの良さ、建物と建物のあいだのゆとり、土地の余白を持った『価値のあるものだ』と高く評価されていました。コロナ禍が起きた今、半屋外空間でゆるく人々が集える場所があるってこんなにも豊かなことなんだ……と改めて実感します」といいます。

室外機を隠すためのアルミ製の「木の葉パネル」が外観のアクセントに。色が微妙に違うのがオシャレ(写真撮影/桑田瑞穂)

室外機を隠すためのアルミ製の「木の葉パネル」が外観のアクセントに。色が微妙に違うのがオシャレ(写真撮影/桑田瑞穂)

屋根の下、アーケードの2階部分でイベントを開催している様子。アーケード部分がまるでもとから団地にあったかのようになじんでいて、「後付け?」とびっくりします(写真撮影/桑田瑞穂)

屋根の下、アーケードの2階部分でイベントを開催している様子。アーケード部分がまるでもとから団地にあったかのようになじんでいて、「後付け?」とびっくりします(写真撮影/桑田瑞穂)

2階部分はもともと住戸でしたが、リニューアルにともなって小さな店舗になっています。「職住融合」のひとつですね(写真撮影/桑田瑞穂)

2階部分はもともと住戸でしたが、リニューアルにともなって小さな店舗になっています。「職住融合」のひとつですね(写真撮影/桑田瑞穂)

感染対策をしながら行われたクラフトマーケット。作家さんたちによるminiクラフトマルシェや謎解きラリー。参加している人も、そうでない人も、それぞれ楽しそうに過ごしています(写真撮影/桑田瑞穂)

感染対策をしながら行われたクラフトマーケット。作家さんたちによるminiクラフトマルシェや謎解きラリー。参加している人も、そうでない人も、それぞれ楽しそうに過ごしています(写真撮影/桑田瑞穂)

外壁は白く、棟番号や木調のルーバー状の手すりでぐっとオシャレに

今回のリニューアルプロジェクトのすごいところは、隈研吾氏も佐藤可士和氏も、今ある団地を美しく見せる、広場を活用する、再活用する、コミュニティを活性化するといった点に注力している点です。建築家やクリエイティブディレクターの色が全面に出てくる建築物やデザインとは違って、「住む人の居心地のよさ」を全面的に追求している気がします。プロジェクトでリニューアルした洋光台北団地がどのように変わったのか、もう少し見ていきましょう。

外壁はより白く、おなじみの棟番号も見やすく(写真撮影/桑田瑞穂)

外壁はより白く、おなじみの棟番号も見やすく(写真撮影/桑田瑞穂)

洋光台北団地外観。ルーバーに木目調の「団地の小枝手すり」を採用。デザインってすごい(写真撮影/桑田瑞穂)

洋光台北団地外観。ルーバーに木目調の「団地の小枝手すり」を採用。デザインってすごい(写真撮影/桑田瑞穂)

同じく洋光台北団地の階段室。佐藤可士和氏オリジナルフォントで統一しすっきりした印象に(左)。室内、設備も現代の暮らしにあわせて一部住戸をリノベ済み。暮らしやすい1LDK(写真撮影/桑田瑞穂)

同じく洋光台北団地の階段室。佐藤可士和氏オリジナルフォントで統一しすっきりした印象に(左)。室内、設備も現代の暮らしにあわせて一部住戸をリノベ済み。暮らしやすい1LDK(写真撮影/桑田瑞穂)

閉じた砂利敷きだった場所に芝生を植えて、既存の緑と調和。風が抜け、本当に心地よい広場に(写真撮影/桑田瑞穂)

閉じた砂利敷きだった場所に芝生を植えて、既存の緑と調和。風が抜け、本当に心地よい広場に(写真撮影/桑田瑞穂)

こうして見ると、団地ってここまでオシャレになれるんだなあ、と思う人も多いことでしょう。実際、建築やデザインが好きな人の見学も多いそうです。想像していたよりもずっとキレイで、筆者もとても感動しました。神は細部に宿るといいますが、団地の良さを最大限見抜き、細部をバージョンアップすることで、今の暮らしに最適化されています。5階以下には基本的にエレベーターはありませんが、建物の室内はリノベーションにより新しくなっていますし、部屋の広さとしてもシングルはもちろん2人家族なども暮らしやすいことでしょう。

よく見るとベンチがプロジェクトロゴ(+や●)の形になっている点に注目!(写真撮影/桑田瑞穂)

よく見るとベンチがプロジェクトロゴ(+や●)の形になっている点に注目!(写真撮影/桑田瑞穂)

「手前味噌ですが、最近、この団地に引越してきたUR都市機構の若手職員がいるんです。団地の暮らしがすごく新鮮に映るみたいですね」(柴田岳さん)

取材日はイベント実施日ということもあり、団地を行き交う人は年配者から若い人、子育て世代とさまざまでした。思い思いにベンチでのんびりおしゃべりしているのを見ると、なんともいえない愛おしさがこみ上げてきます。

人がゆるくつながる、笑う。団地の未来は明るい

「洋光台中央団地のアーケードの2階には、UR、有識者、洋光台まちづくり協議会、行政が連携し、洋光台の情報発信基地として『洋光台まちの窓口(まちまど)』を立ち上げました。女性スタッフを中心に、団地やその内外に暮らす人たちの輪が自然と広がっています。団地の良さは『人が集まって住まう』こと。人と人の交流が生まれることでもあります。この『まちまど』ではこうしたゆるいコミュニティを生み、育てる仕掛けをしているんです」(柴田さん)

「まちまど」に来れば、洋光台地域でどんなイベントがいつ、開かれているのか一目りょう然。興味のあるイベントを見つけて、つながれるようになっています(写真撮影/桑田瑞穂)

「まちまど」に来れば、洋光台地域でどんなイベントがいつ、開かれているのか一目りょう然。興味のあるイベントを見つけて、つながれるようになっています(写真撮影/桑田瑞穂)

「まちまど」運営スタッフのお二人。笑顔で丁寧に対応くださった青山さん(左)と伊藤さん(右)。話の輪から人のつながりが生まれていくそう(写真撮影/桑田瑞穂)

「まちまど」運営スタッフのお二人。笑顔で丁寧に対応くださった青山さん(左)と伊藤さん(右)。話の輪から人のつながりが生まれていくそう(写真撮影/桑田瑞穂)

先述したURの若手職員も「まちまど」のお二人を通じて、地域に溶け込んでいるようです。
「駅周辺にスーパー、コンビニ、ホームセンターなど買い物施設も集まっているし、生活も便利です。こうして顔なじみができ、会話があるのも当たり前になりましたね」とうれしそうです。

青山さんも伊藤さんも洋光台地域にお住まい。今回のプロジェクトで、見た目が大きく変わった団地をより愛着のあるものへ、つながりの感じられる街へ、と日々、ゆるやかに活動しています。

「イベントにもサークルにも興味はあるけれど、地域の方々に情報が届いていないということも多い。『ココでこんなイベントをやっていますよ』とゆるく背中を押してあげることが、豊かなコミュニティにつながると思っています。コロナ禍を経て、集いたい、話したい・聞いてほしいという思いはより強くなったのではないでしょうか」と青山さん。

洋光台北団地にできた「団地の集会所 OPEN RING」(写真撮影/桑田瑞穂)

洋光台北団地にできた「団地の集会所 OPEN RING」(写真撮影/桑田瑞穂)

「団地のカフェ」でもある「よっしーのお芋屋さん」。洋光台の名物になりつつありますが、単なるショップではなくコミュニティ拠点としての側面もあわせ持っています(写真撮影/桑田瑞穂)

「団地のカフェ」でもある「よっしーのお芋屋さん」。洋光台の名物になりつつありますが、単なるショップではなくコミュニティ拠点としての側面もあわせ持っています(写真撮影/桑田瑞穂)

「団地のカフェ」内にある「団地のライブラリー」。監修はブックディレクターの幅允孝氏。本とレジャーシートをバスケットに入れて本棚に並べたもので、団地住民でなくても利用できる「開かれた場所」です(写真撮影/桑田瑞穂)

「団地のカフェ」内にある「団地のライブラリー」。監修はブックディレクターの幅允孝氏。本とレジャーシートをバスケットに入れて本棚に並べたもので、団地住民でなくても利用できる「開かれた場所」です(写真撮影/桑田瑞穂)

(写真撮影/桑田瑞穂)

(写真撮影/桑田瑞穂)

筆者は洋光台団地の近くで生まれ育ち、友人が暮らしていた街なので、懐かしさと新鮮さ、うれしさがこみ上げる取材となりました。今後10年で、高度経済成長期に大量に建てられた築50年~60年を迎える建物が急増することになります。たくさんの建物が急速に老朽化していくなかですが、単に「古いもの」「陳腐なもの」と壊されるのではなく、最大限活用され、洋光台団地のように心豊かな暮らしの舞台となることを願っています。

高層棟から横浜市街地、ベイブリッジやツバサ橋を見渡す。丘を渡る風が気持ちいい(写真撮影/桑田瑞穂)

高層棟から横浜市街地、ベイブリッジやツバサ橋を見渡す。丘を渡る風が気持ちいい(写真撮影/桑田瑞穂)

●取材協力
洋光台団地

海外レポート(2)ベルリンの博物館島、サンスーシ宮殿、クヴェートリンブルクが世界遺産の理由

世界遺産フリークで世界遺産検定2級の筆者は、2020年2月に念願のドイツ世界遺産の旅に出た。デッサウのバウハウス、ベルリンのモダニズム公共住宅に続き、ここではベルリンの博物館島やポツダムのサンスーシ宮殿などの世界遺産に登録された建築物について紹介していきたい。
モダニズム建築につながるドイツ新古典主義の博物館群。会いたい人にも……

ベルリンには、世界遺産が3つある。その1つがすでに見学した、ブルーノ・タウトやバウハウス初代校長のワルター・グロピウスなど当時の一流建築家による「モダニズム公共住宅」(6団地が登録)。次に時代を遡って、「ムゼウムスインゼル(博物館島)」。さらに遡って、「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の3つだ。

時代によってそれぞれ、建築様式が異なる点がとても興味深い。では、詳しく見ていくことにしよう。
筆者がとても楽しみにしていたのが、博物館島だ。5つの博物館を見ることに加えて、会いたい人がいるからだ。

博物館島の大きな特徴は、建築順に旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー(国立美術館)、ボーデ博物館、ペルガモン博物館が林立すること。1830年に旧博物館が建設されたのを皮切りに、以降100年の間に博物館や美術館が建設されてきた。しかも、シュプレー川の中州の中にだ。

博物館内にあった模型で見ると、下の画像のような配置になる。こうした複合文化施設の先駆けであるとともに、近代博物館建築の歴史を示すことが評価されて、1999年に世界遺産に登録された。

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が旧博物館を建設し、後を継いだ4世が旧博物館のある中州を「芸術と科学の聖域」と定めて複数の博物館の建設を始めた。しかし、第2次世界大戦による被害を受け、ベルリンの壁の崩壊後に大規模な修復やコレクションの再編などが行われ、今に至っている。

○旧博物館 (Altes Museum)
1830年築。建築家カール・フリードリッヒ・シンケル設計
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○新博物館 (Neues Museum)
1859年築。シンケルの弟子の一人であるアウグスト・シュテューラ設計
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○旧ナショナルギャラリー(Alte National Gallerie)
1876年築。アウグスト・シュテューラとハインリッヒ・ストラック設計
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○ボーデ博物館 (Bode Museum)
1904年築。エルンスト・イーネ設計
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○ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)※建物を改修中のため一部のみ見学可能
1930年築。アルフレッド・メッセルとルードウィッヒ・ホフマン設計。5つの中では最大規模。
外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

博物館島の建築様式は、19世紀~20世紀に全盛だったドイツの「新古典主義」。グリークリバイバルといわれる、古代ギリシャの神殿のようなデザインが多く見られる。ただし、前述のシンケルの幾何学的で端正なデザインは、その後のモダニズム建築にも影響を与えたといわれている。

博物館としては、古代都市ペルガモンの大祭壇(訪問時は展示されていなかった)を擁するペルガモン博物館が最も有名だが、建築物としては旧ナショナルギャラリーが素晴らしかった。ドーム天井の緑色と降り注ぐ日差しの組み合わせは、心奪われるものだった。

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

さて、筆者が会いたかった人には、新博物館の片隅で会うことができた。その人とはエジプトの「王妃ネフェルティティ」。彼女の胸像が収められた一角は、ここだけ撮影が禁止され、厳重に守られていた。

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新古典主義が装飾過剰と批判したバロック・ロココ様式とは?

さて、「新古典主義」とは、それ以前の「バロック建築・ロココ建築」の反動から、建築の本質をギリシャやローマに求めたもの。次は、装飾過剰と批判された、その建築様式を見ていこう。

バロックの語源はポルトガル語の「歪んだ真珠(バローコ)」といわれている。バロック建築ではルネサンス時代の端正な形よりも曲線や歪んだ形など動きのある形が好まれ、強烈な印象を与えようとするデザインになっていく。教会や絶対王政の国王などに富と権力が集まり、室内の天井・壁、家具、絵画・彫刻から庭園まで一体となって装飾するのが特徴だ。

旅の最初に訪れたがドレスデン。2004年に「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されたが、保存すべきエルベ川沿岸の文化的景観の川に橋を架けたため、2009年に世界遺産登録が抹消されてしまった。その景観を構成するひとつである「ツヴィンガー宮殿」は、ドイツバロック建築の傑作といわれている。フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)が、それまでの木造建築から石造りの宮殿を建築しようと、建築家ダニエル・ペッペルマンに命じて1728年に建設された。

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

一方、ロココの語源はフランス語の「岩石(ロカイユ)」といわれ、貝殻や植物などをモチーフとした室内の浮彫装飾や家具・調度品の装飾に特徴がある。バロックの劇的な演出から和やかな演出を好むようになり、フランスではバロックからロココへと移っていき、ドイツに波及した。

ドイツロココ様式の代表例が、ドイツ・ポツダムの「サンスーシ宮殿」だ。世界遺産として登録された「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の構成要素になっている。サンスーシ宮殿は、1745年フリードリヒ2世により、王の意向を反映して友人の建築家クノーベルスドルフが建設したもの。

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

部屋は12室とかなり小規模な宮殿だが、装飾は華麗だ。音楽の間では天井の中央に蜘蛛の巣、周辺の天井や壁には植物文様の装飾が施され、曲線が美しい長椅子なども置かれている。一方、大王の書斎では天井に曲線があるものの比較的直線が多いのは、後に古典主義様式に改装されたためだという。

(左)音楽の間 (右)書斎

(左)音楽の間 (右)書斎

生粋の軍人王だった父親と対立したフリードリヒ2世は、芸術をこよなく愛したそうだ。サンスーシとは、「憂いのない」を意味するフランス語。オーストリアとの戦いの最中に建てられた宮殿は、激務を忘れ、友と語らう場として和むための居城だった。サンスーシ宮殿に自然をモチーフにしたデザインが多いのは、フリードリヒ2世が自然を住まいに取り入れようとしたとも見られるという。

世界遺産のロマネスク建築やハーフティンバー様式の街並みも

この旅で筆者が訪れた世界遺産のある都市はいくつかあるので、さらに時代を遡ってみよう。サンスーシ宮殿の「バロック・ロココ様式」から「ルネサンス様式」→「ゴシック様式」→「ロマネスク様式」と遡れる。

宗教改革の現場となったとして、1996年に世界遺産に登録されたのが、「アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群」だ。関連する教会はいくつかあるが、ルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会は「ゴシック建築」だ。天井の頭が尖ったアーチや交差して支える「リヴ・ヴォールト」などが見られる。

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

さらには、ドイツ発祥の地といわれるクヴェードリンブルク。10世紀前半にザクセンをひきいたハインリヒ1世は、この地に城を構え、政治、教育、文化の中心地と位置付け、国家統一の礎を築いた。

このハインリヒ1世と王妃マティルデが眠っているのが、城の中にある聖セルヴァティウス教会(聖堂参事会教会)だ。この教会は1129年(教会の日本語資料には、「平清盛11歳の時」と説明があった(笑))に4回目の建て直しがされたもので、「ロマネスク建築」の代表例とされる。その特徴は厚い壁、てっぺんが丸い小さな窓、重厚感のある柱と支柱で、円柱2本ごとに角柱を置く「ニーダーザクセン風の支柱」だという。

聖セルヴァティウス教会外観

聖セルヴァティウス教会外観

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

クヴェートリンブルクは、教会や城のほか、その街並みにも大きな特徴がある。

ザクセン王家の庇護の下、クヴェートリンブルクは商業の街として発展する。14~19世紀には、商人の邸宅やギルドハウスが、ハーフティンバー様式の木組みの家で建てられた。なんでも、庶民には石造り建築が許されなかったからだという。

そのおかげというか、ハーフティンバー様式の家が建ち並ぶ旧市街は、「木組みの家博物館」として有名になった。この旧市街は、二度の世界大戦の戦禍を免れ、その姿をそのまま残している。この旧市街と城山や教会の一体地域は、ザクセン王朝の歴史と密接なかかわりをもつ建築様式の重要性なども評価され、「クヴェートリンブルクの旧市街と聖堂参事会教会、城」として、1994年に世界遺産として登録された。

旧市街の中心「マルクト広場」

旧市街の中心「マルクト広場」

木組みの家が連なる街並み

木組みの家が連なる街並み

さて、旧市街を歩いて驚いたのは、多くの家々に文化財のマークが掲示されていることだ。木組みの家の街並みを維持していくには、街の住民の高い保存意識が背景にあるのだろう。こうした努力がないと、住宅がそのまま維持保存されるのは難しいことだ。

丸の中が文化財指定のマーク

丸の中が文化財指定のマーク

旧東ドイツエリアの世界遺産を例に、モダニズム建築からロマネスク建築(ルネサンス建築を除く)に至る建築様式を見てきたが、建築物が時代に応じてどんどん進化していくことが分かる。だからこそ、面白いのが建築物だ。

ところで、この旅をプランニングしてくれたのは、NPO法人世界遺産アカデミーの客員研究員・目黒正武さんだ。筆者は、目黒さんによる明治大学リバティアカデミー「旅する世界遺産~ヨーロッパ建築の歴史を訪ねて~」講座を一年間受講した。

目黒さんによると、「外観も内装もシンプルなモダニズム建築(バウハウス等)と重厚な外観と派手な内装のバロック建築(サンスーシ宮殿)では、真逆な印象を持つだろうが、住む人、使う人のための空間設計という点においては共通している」という。

富も権力もない筆者はサンスーシ宮殿で和むことはできないが、権威を誇示する必要がある人にとっては心地よく過ごせる空間だったのだろう。建築物はいつの時代も、暮らす人のために造られるべきということだ。

参考資料:NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「すべてがわかる世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。

海外レポート(1)ドイツのモダニズム建築は住宅ジャーナリストを興奮させる?

実は筆者は世界遺産フリークで、国内外の世界遺産を見に行くのが大好きだ。それが高じて、かなり前に世界遺産検定2級を取得した。住宅を専門とするからには行ってみたい都市や建築にまつわる世界遺産があり、ようやくそれが実現した。2020年2月に訪れたのは、ドイツ・デッサウのバウハウスとベルリンの博物館島を含む世界遺産の数々だ。
「バウハウス」の象徴、デッサウの校舎に興奮しきり

そもそも「バウハウス」とは、1919年にワイマールに、建築家ワルター・グロピウスを初代校長として開設された総合造形学校のこと。1925年にデッサウへ移転し、1932年にベルリンへと移転するが、ナチスの弾圧によりわずか14年で廃校となった。

画家のバウル・クレーやヴァシリー・カンディンスキーなど当時を代表する芸術家が教授を務め、その理念は現代にもさまざまな形で受け継がれている。デッサウ移転の際にグロピウスが設計して建てたのは、この校舎のほかに教授用住宅「マイスターハウス」があり、ほかにも3都市にまたがってバウハウスの関連の遺産が多く残っている。

建築物として優れた景観を見せるだけでなく、以降の建築・デザインなどの発展に多大な影響を与えたことなどが評価されて、「バウハウスと関連遺産群」は1996年に文化遺産として、世界遺産に登録された(2017年に対象を拡大)。

1919年から100年たった2019年には、バウハウス設立100年を記念したイベントが日本を含め、数多く開催され、話題になった。

さて、筆者は、バウハウスと言えば必ず紹介されるモダニズム建築の代表作「デッサウのバウハウス校舎」が目に入ったときに、「ついに出会えた!」とかなり興奮した。建物の一部は開放されていて、定期的にガイド付きツアーも催されている。

デッサウのバウハウス校舎。中央に見えるのが工房棟。以下、写真撮影は全て筆者

デッサウのバウハウス校舎。中央に見えるのが工房棟。以下、写真撮影は全て筆者

当時としては斬新なガラスのカーテンウォールや半地下により浮いているかのように見える「工房棟」は、今の時代にも美しさを感じるだろう。で、まずカフェテリアにお邪魔してランチをいただき、その後館内を見学した。

赤い扉が工房棟の玄関

赤い扉が工房棟の玄関

工房棟の玄関ホールの左側に、講堂やカフェテリアなどを備えた低層の「祝祭スペース」が続き、その奥の「アトリエ棟」(学生寮)と接続している。玄関ホールから講堂に入る部分を見ると、扉の取っ手が壁の穴に収まるようになっていて(画像の朱色の部分)、美しくかつ機能的なデザインになっている。天井の照明のほか、机や椅子などの備品等もバウハウス工房で制作されたものだ。

講堂の入口部分。白い扉の奥が講堂

講堂の入口部分。白い扉の奥が講堂

大きな中央階段も特徴的で、カーテンウォールから入る日差しが気持ちよい。自然換気用に一部が開閉できるようになっていて、ハンドルを回すと連続する回転窓が動くようになっている。この仕掛けは教室など多くの場所にも見られた。
ちなみに、中央階段の踊り場を照らす吊り下げ照明(画像の朱色丸内)は、バウハウス女性マイスターのマリアンネ・ブラントのデザインによるもので、見学した各所で同じデザインのものが数多く見られた。

工房棟の中央階段(窓の外に見えるのは北棟の玄関)と換気窓

工房棟の中央階段(窓の外に見えるのは北棟の玄関)と換気窓

工房棟には、家具工房や金属加工、塗装、壁画などの部屋があった。最も広い部屋が染織の部屋。かなり開放的な空間で、スポットライト風の照明もなかなかおしゃれだ。カーテンウォールによって、仕事したり休憩したりする姿が外から見えるようになっていた。

工房棟1階(日本でいう2階)の「染織」の部屋

工房棟1階(日本でいう2階)の「染織」の部屋

「工房棟」から工芸職業学校であった「北棟」に向かうために、「橋」となる2階建ての建物を通る。

正面が「橋」の部分、左手前が講堂・カフェテリアのある「祝祭スペース」、右奥が「北棟」

正面が「橋」の部分、左手前が講堂・カフェテリアのある「祝祭スペース」、右奥が「北棟」

「橋」の建物の廊下脇の部屋は、1階が事務所、2階がバウハウス建築学科で、グロピウスが執務した部屋も残されていた。

工房棟から橋状の建物を通って北棟へ。窓の外(奥)に見える北棟は窓の水平ラインが特徴的

工房棟から橋状の建物を通って北棟へ。窓の外(奥)に見える北棟は窓の水平ラインが特徴的

北棟は教室が多く設けられ、廊下に収納も配されている。実は収納が教室内とつながっていて、廊下側から荷物を入れて、教室の内部から取り出せるようになっていた。

北棟の教室。この教室には室内に手洗い場もあった

北棟の教室。この教室には室内に手洗い場もあった

なお、バウハウス校舎の室内は白を基調としているが、ところどころに「赤」「青」「黄」のポイントカラーが配されている。今の時代で考えても、オシャレな印象を受けた。

住める世界遺産「ベルリンのモダニズム公共住宅」はめちゃカッコイイ

バウハウスと同じころ、モダニズム建築がベルリンに建設された。こちらは、1910年から1933年にかけてつくられた集合住宅群で、低所得者向けに住宅供給政策として建設された公共住宅だ。ベルリンは19世紀末から急速に発展し、それに伴って人口も増えていき、なかでも労働者の住宅が不足していた。ベルリン市の住宅政策によって供給される集合住宅群を手掛けたのが、ブルーノ・タウトを中心とする、ワルター・グロピウスなど当時の一流建築家だった。

限られた予算のなかでも、都市計画に基づく近代的で機能的に設計された公共住宅は、洗練された姿を見せるとともに、以降の公共住宅のモデルにもなった点が評価され、2008年に文化遺産の世界遺産として登録された。登録されたのは、6つの集合住宅群で、そのうち2つを見学できた。

まず「グロースジードルング・ブリッツ」を訪ねた。建築家はブルーノ・タウトとマルティン・ワーグナーで、現地の資料によると建築期間1925年~1930年、人口3100人とある。世界遺産に登録されたのは、約29ヘクタールで6段階の開発が行われて供給された、集合住宅1285戸、一戸建て(連棟式住戸)679戸だ(なお、別の資料には総戸数1963戸とある)。

通称「フーファイゼンジードルング(蹄鉄集合住宅)」と言われ、馬蹄形の建物を中心に据えているのが大きな特徴。街の看板にその全景が見られ、緑豊かな広大な集合住宅群だと分かる。その馬蹄形の建物はかなり大きい(350メートルの長さがある)ので、パノラマ撮影をしてみた。

中心地にあった看板の写真

中心地にあった看板の写真

馬蹄形の建物(パノラマ撮影)

馬蹄形の建物(パノラマ撮影)

周辺には、横長の住宅が数多く並んでいるが、それぞれ建物の色や形状が異なり、街並みに変化を見せている。

「レッド フロント」と呼ばれる集合住宅

「レッド フロント」と呼ばれる集合住宅

建物の中を見学することもできた。
家族人数に応じて部屋数の異なる複数のタイプが用意されていて、低所得者用住宅といえどもキッチンとバスルームを付けて、衛生的で快適な生活ができるようになっている。

(左)バスルーム、(右)キッチン

(左)バスルーム、(右)キッチン

居室

居室

次に訪れたのが、「グロースジードルング・ジーメンスシュタット」だ。ジーメンスは、日本ではシーメンスという名前で知られる会社で、もとは電信、電車、電子機器のメーカーだった。ここには、ジーメンスの工場の労働者の住宅として提供され、工場から通勤する電車も通っていた(今は廃線だが、再建する計画もあるとか)。

資料によると、建築家はオットー・バルトニング、フレッド・フォルバート、ワルター・グロピウス、フーゴー・ヘーリング、パウル・ルドルフ・ヘニング、ハンス・シャロウンの6人、建築時期は1929年~1931年、1933年/1934年、人口は2800人とある。

世界遺産に登録された6つの公共住宅団地の中では最後に完成したことになるが、マルティン・ワーグナー総指揮の下、ハンス・シャロウンのマスタープランにより、それぞれの建築家の個性的な総計1370戸の集合住宅が建設されている。

ハンス・シャロウンの集合住宅

ハンス・シャロウンの集合住宅

ワルター・グロピウスの集合住宅

ワルター・グロピウスの集合住宅

フーゴー・ヘーリングの集合住宅

フーゴー・ヘーリングの集合住宅

オットー・バルトニングの集合住宅

オットー・バルトニングの集合住宅

どちらの世界遺産も、住宅として居住することができる稀有なものだ。

以上、世界遺産となったドイツのモダニズム建築を見てきた。そもそもモダニズム建築とは、産業革命以降に登場した鉄やガラス・コンクリートなどの工業化された素材や材料を使って、合理主義的精神に立脚してつくられたもの。装飾を排し、機能性を高めた建築物が多い。

近年は、モダニズム建築が世界遺産に登録される事例が増えてきた。その事例を挙げると、日本でも国立西洋美術館が登録対象となって注目された、7カ国17の建築群からなる「ル・コルビュジエの建築作品」。8つの建築作品からなる「フランク・ロイド・ライトの20世紀の建築作品」。ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエの「ブルノのトゥーゲントハート邸」。ブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーの「パンプーラの近代造物群」と新首都「ブラジリア」(ニーマイヤー設計の国会議事堂や聖堂などを含む)などがある。

建築物は遺産として残るものが多く、歴史をたどったり比較したりできるのも面白い。

●参考資料
NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。

「大丸心斎橋店 本館」、9月20日グランドオープン

大丸松坂屋百貨店はこのたび、「大丸心斎橋店 本館」(大阪市中央区)のグランドオープンを2019年9月20日(金)に決定した。アメリカ村や南船場・堀江など、特徴的街区を持つ世界有数の商業集積地「心斎橋」。この街で開業してから約300年の歴史を持つ「大丸心斎橋店」を建て替え、「大丸心斎橋店 本館」として生まれ変わる。個性溢れる専門店は計370店舗(2019年6月11日現在)出店する予定。

また、同プロジェクトは、本館(地下2階~10階)・北館(パルコ:地下2階~7階、専門店街:8階~14階)・南館の3館体制で2021年まで続く複合開発のさきがけとなるもの。本館と北館をつなぐ大宝寺通りの上空部に増築を行い、両館の2階~10階のフロアが接続され一体化する。

本館は、Osaka Metro御堂筋線「心斎橋」駅4番出口・地下道直結。B2・B1・10Fは、食物販・レストランフロア。1F~6Fのメインは物販フロア。7Fにはテラスを設け、緑溢れる都会のオアシス空間を提供。9Fには海外顧客に対応する“インバウンドセンター”を構築する。

なお、今回の本館建て替えプロジェクトでは、日本の近代建築に大きな足跡を残した米国の建築家「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」の名建築を最新の技術で再現。旧本館の採取可能な部材は現物による再利用を行い、困難な部材は原型の型取りの上、最新技術により再現。継承すべき空間の再構築に挑んだという。

ニュース情報元:(株)大丸松坂屋百貨店

雑貨店店主と建築家の夫婦がつくる「変わり続ける家」 その道のプロ、こだわりの住まい[4]

JR国立駅と谷保駅の間に位置する、国立ダイヤ街商店街。精肉店や鮮魚店、青果店が軒を連ね、昔から地元の人たちに愛され続けている場所だ。その一角にあるのが日用雑貨を扱う「musubi」。ここは、店主の坂本眞紀さんと夫で建築家の寺林省二さん、一人娘の吟ちゃん、愛猫のトトが暮らす自宅でもある。道具を扱うプロと、家づくりのプロの生活を見せてもらった。【連載】その道のプロ、こだわりの住まい
料理家、インテリアショップやコーヒーショップのスタッフ……何かの道を追求し、私たちに提案してくれるいわば「プロ」たちは、普段どんな暮らしを送っているのだろう。プロならではの住まいの工夫やこだわりを伺った。昔ながらの商店を彷彿とさせる仕事場兼自宅坂本さん(左)は元インテリアショップのバイヤーで、独立して自身の店を構えた。寺林さん(右)は「テラバヤシ・セッケイ・ジムショ」として、住宅を中心に設計をしている。坂本さんの膝の上にいるのが、看板猫のトト(写真撮影/嶋崎征弘)

坂本さん(左)は元インテリアショップのバイヤーで、独立して自身の店を構えた。寺林さん(右)は「テラバヤシ・セッケイ・ジムショ」として、住宅を中心に設計をしている。坂本さんの膝の上にいるのが、看板猫のトト(写真撮影/嶋崎征弘)

日用雑貨が並ぶ店内の奥に目を向けると、一段高くなった場所にダイニングキッチンが見える。昔ながらの商店を彷彿とさせるつくりの雑貨店「musubi」。約8年前、自分たちの仕事場と自宅を兼ねた場所として、夫の寺林さん自ら設計した。

間取り(画像提供/寺林省二さん)

間取り(画像提供/寺林省二さん)

器やクロス、掃除道具やかごなど、さまざまな日用雑貨が並ぶ店内。どれも坂本さん自ら選び、使って、確かめたものばかり。箒づくりや刺繍などのワークショップを行うこともある(写真撮影/嶋崎征弘)

器やクロス、掃除道具やかごなど、さまざまな日用雑貨が並ぶ店内。どれも坂本さん自ら選び、使って、確かめたものばかり。箒づくりや刺繍などのワークショップを行うこともある(写真撮影/嶋崎征弘)

「以前はここでお昼ご飯を食べているときにお客様がいらして、扉を開けっ放しにしていて丸見えだったっていうこともあります(笑)。でも、周りの商店街はどのお店も奥に暮らしの気配があるから、それはそれでいいかと思って」と坂本さんはこのつくりを気に入っている様子。「この場所には、もともとクリーニング店があったんです。リフォームして使いたいほど気に入っていたんですが、難しい状態だったので、結局、ほぼ同じ間取りで建て替えました。だから、昔ながらの商店の感じが残っているのかもしれません」

シンクとガス台だけ取り付けた状態で生活を始めたという。カゴやゴミ箱、ツールをかけたバーなどは、生活しながら必要なものを見極め、後から設置した(写真撮影/嶋崎征弘)

シンクとガス台だけ取り付けた状態で生活を始めたという。カゴやゴミ箱、ツールをかけたバーなどは、生活しながら必要なものを見極め、後から設置した(写真撮影/嶋崎征弘)

箱のような状態からスタートした家

「家具も収納もきちんと決めていなくて、ただの箱のような状態だったんです。住みながら少しずつつくってきた感じ」と坂本さんは振り返る。約14坪弱の敷地に建てた自宅は、家、事務所、店という3つの要素を一つの場所に共存させるために、見極めるべきことが多かった。だからこそ、最初に細部まで決めすぎず、住んでみてから自分たちに必要なことを見極めていったという。「暮らしているうちに、ここに棚板があったら便利だな、ここに収納をつくればいいな、と考えていきました」と寺林さんも続ける。

料理に使うバットを引き出し代わりに。カトラリーや箸置きなどの細かいものを収納している。子どもでも手の届く高さなので、吟ちゃんがお手伝いで並べることも(写真撮影/嶋崎征弘)

料理に使うバットを引き出し代わりに。カトラリーや箸置きなどの細かいものを収納している。子どもでも手の届く高さなので、吟ちゃんがお手伝いで並べることも(写真撮影/嶋崎征弘)

例えばキッチン。シンクやガス台の下には、食材を入れたカゴやカトラリーを入れたバット、ゴミ箱などがきちんと収まっている。「ここも最初は何もない空間だったんです。引越してきてからは、紙袋や空き箱をいろいろ使ってみて、どんな大きさの収納道具が必要か考えていきました」。食材はどんなものをどれくらいストックするか、必要なゴミ箱の大きさと数はどれくらいか、よく使う調理道具はどこに置けば便利か、全てを暮らしながら見極めていったのだ。そうして坂本さんが自らスケッチを描き、必要な棚やキャスター付きの箱などを寺林さんにお願いしたという。全てをしまい込まず、頻繁に手にする調理道具は、使う場所の壁面にバーを設置してつるすようにもしている。出し入れしやすいということは、つまりは片付けやすくすっきりした状態を保てるということにつながっているのだろう。

食器棚は大きめの鉢のサイズに合わせて奥行きを設定。店で扱う器や銅なべ、せいろなどもあり、使い込まれた様子を見せてもらうことができる(写真撮影/嶋崎征弘)

食器棚は大きめの鉢のサイズに合わせて奥行きを設定。店で扱う器や銅なべ、せいろなどもあり、使い込まれた様子を見せてもらうことができる(写真撮影/嶋崎征弘)

家具は最初にそろえず、暮らしながら必要なものだけをつくる

食器棚も本棚も、そこにしまう食器や雑誌、文庫本のサイズに合わせてあつらえている。決して広いとは言えない空間だからこそ、きちんとものが収まるように工夫されている。「最初は、クローゼットも布団を入れる場所もなくて。奥行きがどれくらい必要か、どの高さなら届きやすいか、どこにあったら便利か考えて、この形になったんです」と坂本さんは話す。自分たちの洋服の量をきちんと把握し、奥行きや幅を考えてクローゼットをつくった。布団も上げ下ろしがしやすい高さに棚板を設置して、使いやすい収納になっている。

夫婦のクローゼットは、この奥にある吟ちゃんの部屋との間仕切りの役目も担う。洋服と下のケースのサイズに合わせて奥行きを設定したそう。扉はつけず、カーテンで目隠し(写真撮影/嶋崎征弘)

夫婦のクローゼットは、この奥にある吟ちゃんの部屋との間仕切りの役目も担う。洋服と下のケースのサイズに合わせて奥行きを設定したそう。扉はつけず、カーテンで目隠し(写真撮影/嶋崎征弘)

また、随所に棚板を取り付けているのも、ものを収めるのにとても役立っている。キッチンでは食器棚の上、シンクの上にそれぞれ1枚あり、鍋やカゴなどの道具類が置かれている。シンク前の窓にはすのこ状の棚板があり、洗った器や道具などを置いて乾かすのに最適な場所になっている。さらに、トイレ兼洗面所にも奥行きの浅い棚板が1枚あり、洗面道具などの細かなものが並び、隣の洗濯機の上にはタオルがきちんと収まる棚板が2枚取り付けられている。「どれも、奥行きはそこに置くものにサイズを合わせて取り付けています」と寺林さん。使う場所の近くに収納場所を設置することで、出し入れがしやすいというメリットが生まれているのだ。

トイレ兼洗面所。奥行きの浅い棚が一枚あるだけで、歯ブラシやハンドクリームなどの洗面道具の定位置ができる。右にお風呂があるので、タオルは洗濯機の上に収納。手を伸ばせばすぐ使える状態(写真撮影/嶋崎征弘)

トイレ兼洗面所。奥行きの浅い棚が一枚あるだけで、歯ブラシやハンドクリームなどの洗面道具の定位置ができる。右にお風呂があるので、タオルは洗濯機の上に収納。手を伸ばせばすぐ使える状態(写真撮影/嶋崎征弘)

さらに、階段下も見逃さず、坂本さんの事務スペースとして活用している。「収納にするかどうしようか迷っていたんですが、ここに机を置いてみたらいいんじゃないかということでやってみたんです。最初はふさごうと思っていたので、階段の裏まできちんと仕上げができていないんですけど、これはこれでいいかなと思って」と寺林さんは教えてくれる。坂本さんにとっては、料理などの家事をしながら、事務仕事や店番もできて、とても便利なスペースになっている。

階段の下に天板を置き、坂本さんの事務スペースに。店からは目に入りにくい場所なので、多少ものが多くても気にならない。階段裏には吟ちゃんが描いた絵などを貼って楽しい雰囲気に(写真撮影/嶋崎征弘)

階段の下に天板を置き、坂本さんの事務スペースに。店からは目に入りにくい場所なので、多少ものが多くても気にならない。階段裏には吟ちゃんが描いた絵などを貼って楽しい雰囲気に(写真撮影/嶋崎征弘)

また、2階では、本棚やクローゼットが壁としての役割も果たしているのもこの家の特徴だ。もともとは、がらんとしたひとつながりの空間だった。そこに本棚とクローゼットを設置することで間仕切りになってスペースが生まれている。今は一人娘である吟ちゃんの部屋になっているが、ここはもと寺林さんの事務所だった場所だ。

2階の廊下。右の本棚が廊下と吟ちゃんの部屋の間仕切りとして機能している。そのほかはカーテンで仕切っているので、ほどよく気配が伝わる空間(写真撮影/嶋崎征弘)

2階の廊下。右の本棚が廊下と吟ちゃんの部屋の間仕切りとして機能している。そのほかはカーテンで仕切っているので、ほどよく気配が伝わる空間(写真撮影/嶋崎征弘)

リビングは夫婦の寝室も兼ねている。大きな家具は置かず、臨機応変に使えるスペースになっている(写真撮影/嶋崎征弘)

リビングは夫婦の寝室も兼ねている。大きな家具は置かず、臨機応変に使えるスペースになっている(写真撮影/嶋崎征弘)

さかのぼれば、建てた当初は、事務所は1階の雑貨店のスペースに併設していた。店で扱う品が増えてきたことから、2階の一角に事務所を移動。「1階で使っていた本棚を2階で間仕切りのように使うことで事務所スペースにしたんです」と寺林さん。吟ちゃんはというと、リビングの壁面に学習机と収納を設置して使っていた。成長とともに自分だけの空間が欲しいということになり、寺林さんは別の場所に事務所を借りて、吟ちゃんは無事に自分のお城を手に入れたというわけだ。

寺林さんの事務所スペースだった場所を吟ちゃんの部屋に。机とベッドを設置して、プライベートな空間をつくった。吟ちゃんは、好きな生地でカーテンをつくったり、壁に絵を貼ったりと、自分だけのスペースを楽しんでいる様子(写真撮影/嶋崎征弘)

寺林さんの事務所スペースだった場所を吟ちゃんの部屋に。机とベッドを設置して、プライベートな空間をつくった。吟ちゃんは、好きな生地でカーテンをつくったり、壁に絵を貼ったりと、自分だけのスペースを楽しんでいる様子(写真撮影/嶋崎征弘)

好きなものは我慢せず、でも、分量は決めて管理する

ものに合わせた収納だからこそ、きちんと収まってはいるものの、やはりどうしても好きな食器や本は増えてしまうという。「狭いからこそ、棚に収まる分だけと決めています。ここからあふれそうになったら、家族みんなで『ガサ入れ』して、不要なものがないか探すんです。使わないものは誰かに譲ったり、売ったりしています」と坂本さん。一人娘の吟ちゃんもその習慣がしっかり身についていて、読まなくなった絵本や使わなくなったおもちゃなどをダンボールにまとめて『ご自由にどうぞ』と自ら書き、お店がお休みの日に家の前に置いていることもあるのだという。

坂本さんの収納術を日常的に目にしているせいか、吟ちゃんが自分で管理する引き出しの中は見事にすっきり。引き出しごとに分類し、きれいに収めている様子はさすが。ここはマスキングテープなどの文具の段(写真撮影/嶋崎征弘)

坂本さんの収納術を日常的に目にしているせいか、吟ちゃんが自分で管理する引き出しの中は見事にすっきり。引き出しごとに分類し、きれいに収めている様子はさすが。ここはマスキングテープなどの文具の段(写真撮影/嶋崎征弘)

商品の使い心地を、自身のキッチンから伝える

「musubi」では、扱っている商品のほとんどを坂本さんが自身で使っている。「使い込んだらどんな状態に変化するか、知りたいお客様も多いんです。そういうときは、ダイニングキッチンから持ってくることもあるし、実際に使い心地を試してもらうこともあります」と坂本さん。また、寺林さん自身の作品として自宅をオープンハウスにすることもある。どこにどんな家具や収納が欲しいか、この家を見ながら打ち合わせることもできるというわけだ。

テーブルの下やクローゼットの中にトト専用のかごがあり、さりげなくしっかりと居場所をキープしている(写真撮影/嶋崎征弘)

テーブルの下やクローゼットの中にトト専用のかごがあり、さりげなくしっかりと居場所をキープしている(写真撮影/嶋崎征弘)

最初に決めず、生活とともに家をつくればいい

坂本さんも寺林さんも、自分たちの暮らしをよく観察し、それに合わせた家をつくり続けてきた。最初から家具を一式そろえたり、システムキッチンを組み込んだりという考えはなかったという。「小さい家だから、どこに何が必要かしっかり見極めたかったんです」と二人は話す。結果、店の形態の変化とともに、事務所が移動し、娘の成長に合わせて子ども部屋が生まれることになった。
最初から決めつけなくてもいいのだ。暮らし方も好みも変わっていくものだから、家も一緒に変化していけばいい。少しずつ、自由に、生活に合わせてしつらえていけばいい。
寺林家は、これからもきっとどこか変わっていくのだろう。「子ども部屋の棚も新しくしたいし、リビングに合うソファもつくろうかと思っているんです」。寺林さんはそう楽しそうに教えてくれた。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

●店舗情報
musubi
東京都国立市富士見台1-8-37
12:00~18:00
日、月曜定休
>HP●設計事務所
>テラバヤシセッケイジムショ●取材協力
坂本眞紀
1974年岩手県生まれ。商社、インテリアショップのバイヤーとして勤務後、東京・国立市に自身の店をオープン。使い心地がよく、実用性の高い道具を選ぶ目に定評がある。建築家である夫の寺林省二さんと娘、猫の3人と1匹暮らし。

「Maggie’s東京」がん支援の新しい形、秋山正子センター長に聞く[後編]

前編「英国発『マギーズ・センター』に世界が注目」で紹介したように、マギーズは一人の英国人がん患者女性の思いから生まれました。その日本第一号が2016年に東京で誕生したのも、一人の日本人女性の積年の思いが実現したものでした。

筆者も両親をがんで亡くした当事者として「マギーズ東京」を訪問し、その役割を体験。後編では、その内容を紹介します。

予約無しに立ち寄れ、無料で時間を気にせず相談

東京・豊洲、築地市場の移転先と目と鼻の先に、がん支援センター「マギーズ東京」が2016年10月にオープン。高いビルも無い埋め立て地の一角、海を背景に緑の植栽に囲まれた平屋の建物がたたずんでいました。

【画像1】ナチュラルなガーデン・アプローチと開放感のあるデッキが、人を招き入れる(写真提供/マギーズ東京)

【画像1】ナチュラルなガーデン・アプローチと開放感のあるデッキが、人を招き入れる(写真提供/マギーズ東京)

ドアを開けてくれたボランティアの男性が、「よくカフェと間違って、入って来られるんですよ」。実際、近所のイベント会場から女性たちがふらっと入って来ては、がん支援センターと知り帰っていくのが何度か見えました。庭と建物のランドスケープが醸し出すWelcomeな雰囲気が人を惹きつける、前編で紹介した”空間の力“がここにもあるようです。

【画像2】木製デッキ沿いから入口まで大きなガラスドアが続き、歩きながら中の雰囲気を感じることができた(写真撮影/藤井繁子)

【画像2】木製デッキ沿いから入口まで大きなガラスドアが続き、歩きながら中の雰囲気を感じることができた(写真撮影/藤井繁子)

ドアを開け一歩入ると、むくの床から建具、天井まで木がふんだんに使われた明るく柔らかな空間になっています。

【画像3】日当たりの良いオープンなダイニングとキッチン(右手の奥)。折り上げ天井で空間に変化と豊かさを創り出し、アフリカンチェリーの大きな一枚板のテーブルや柳宗理デザインの和紙の照明などが空間のクオリティを高めている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像3】日当たりの良いオープンなダイニングとキッチン(右手の奥)。折り上げ天井で空間に変化と豊かさを創り出し、アフリカンチェリーの大きな一枚板のテーブルや柳宗理デザインの和紙の照明などが空間のクオリティを高めている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

丁度お昼時で、お弁当を広げている方やお茶を飲んでくつろぐ方、利用者は看護師などの専門家・ボランティアの方と思い思いに過ごされている様子。

【画像4】木製の建具や家具が利用者の体と心を優しく包む。病院や施設とは違う、柔らかな空気感(写真撮影/藤井繁子)

【画像4】木製の建具や家具が利用者の体と心を優しく包む。病院や施設とは違う、柔らかな空気感(写真撮影/藤井繁子)

「マギーズ東京」センター長の秋山正子さんに、お話を伺うことができました。「医療の発達とともに今、がんは何年も付き合っていくような病気に変わっています」と、訪問看護で長年、がん患者にも接してきた秋山さん。

「病院と自宅、それぞれでできることがあり、またできないこともあります。通院中の患者さんが、日常の中で何か頼れる人や場が自宅以外にあればと考えていたところ、2008年に英国マギーズ・センターの活動を知り日本でも実現したいと思ったのです」

【画像5】長年、医療現場や看護教育などに携ってきた秋山さんも、40代の姉をがんで亡くされた経験者。訪問看護を最前線で推進しながら、がん患者支援のあり方を模索されてきた(“市谷のマザーテレサ”の異名を持つ、秋田生まれの67歳)(写真撮影/藤井繁子)

【画像5】長年、医療現場や看護教育などに携ってきた秋山さんも、40代の姉をがんで亡くされた経験者。訪問看護を最前線で推進しながら、がん患者支援のあり方を模索されてきた(“市谷のマザーテレサ”の異名を持つ、秋田生まれの67歳)(写真撮影/藤井繁子)

「マギーズ・センターをモデルに、無料で気軽に医療や生活相談をできる『暮らしの保健室』を立ち上げて活動をしてきました。5年がたったころに出会った、鈴木美穂さん(24歳でがんを経験したテレビ局報道記者)たちの若い力を得て『マギーズ東京』実現に向けて大きく動き出しました」

英国のようなセンターをつくるには、まず用地や建築資金が必要。利用者は無料なので運営資金も継続的に必要です。

「英国のようにチャリティー文化が根付いていない日本で、資金集めのハードルは高く、皆様の知恵とご支援によって何とか船出をしたところです」

設立に向けては、クラウドファンディングも活用して資金を集めるなど、さまざまなチャレンジによって夢を実現されたようです。

ここ豊洲の建築地は2020年までの借地ということでパイロット・プロジェクトの形になりますが、2016年10月オープン後1年間の利用者6000人超は「英国本部からも初年度としては多いとの感想でした」(秋山さん)。現在も日に25人前後、多い日には40人くらいが利用。マギーズの支援活動を必要とする人々が、まだまだいるようです。

英国のコンセプトを実現しながら、低予算でも日本らしい住空間に

秋山さんにお話を伺ったのは、中庭に面したリビングルーム。マギーの提案した10の建築要件(前編で紹介)どおりの空間。でも、必須アイテムの「暖炉」と「水槽」が無い?

「暖炉は英国人がHome(家)を感じるものなので英国には必要ですが、日本人としては障子なんかが日本の家を感じるものとして、ここでは使いました。それと水槽は無いのですが、この豊洲の埋め立て地は静かな海の水辺なので、天然の水槽?ということで(笑)」

【画像6】障子ドアの向こうは、仕切れば個室になる。この日も看護師さんと利用者が対話中(写真撮影/藤井繁子)

【画像6】障子ドアの向こうは、仕切れば個室になる。この日も看護師さんと利用者が対話中(写真撮影/藤井繁子)

英国のマギーズとは違って低予算の事業、このように快適な空間はどうやって実現したのでしょう?

総合プロデュースを佐藤由巳子さん(建築・アートコーディネーター)、総合監修を阿部勤さん(建築家)が担当。平屋2棟を中庭で廊下を渡してつなぐ配置の工夫や、その1つのアネックス棟(設計:日建設計)は建築関連のイベントで活用したものを移築し再利用するなど、関係者の涙ぐましい努力によってローコストでハイクオリティな空間が実現しています。

【画像7】本館は予算の関係で軽量鉄骨プレハブ構造だが、内外装に木製建具を活用し木造建築のよう(設計施工:コスモスモア)(写真撮影/藤井繁子)

【画像7】本館は予算の関係で軽量鉄骨プレハブ構造だが、内外装に木製建具を活用し木造建築のよう(設計施工:コスモスモア)(写真撮影/藤井繁子)

【画像8】木製サッシにする予算が足りず、追加でファンドを立ち上げたというこだわり!断熱性だけでなく、空間の質感も高まった(写真撮影/藤井繁子)

【画像8】木製サッシにする予算が足りず、追加でファンドを立ち上げたというこだわり!断熱性だけでなく、空間の質感も高まった(写真撮影/藤井繁子)

「すてきな場所で迎え入れられると、人は”認められた”という気持ちになるでしょ。受け入れられ心が落ち着くと、自分から話をしたくなるもの」(秋山さん)

“空間の力”によって対話が生まれることを教えてくれました。

患者も家族も「自分の力を取り戻せるよう」支援

利用者の気持ちを受け止めてくれるケアリングのプロたち。看護師や心理士、ソーシャルワーカーなど専門家が、個々の悩みや問題を解決するために一緒に考えてくれます。個別相談以外に、1時間程度で参加できるセッションも企画されています。「食事のお話」や「体・脳のリラクセーション」など、日常的に役立つテーマ。訪問当日は、【心のリラクセーション】が企画されていたので筆者も参加してみました。

【画像9】アネックス棟は三角屋根のオープン空間に合わせてデザインしてつくられたソファでもつくろげる。リラクセーションのセッション時には家具を移動させ、椅子を並べマットが敷かれてあった(写真撮影/藤井繁子)

【画像9】アネックス棟は三角屋根のオープン空間に合わせてデザインしてつくられたソファでもくつろげる。リラクセーションのセッション時には家具を移動させ、椅子を並べマットが敷かれてあった(写真撮影/藤井繁子)

【画像10】心理療法士の方が、心を体で調整する方法をレクチャー。「深く息を吐くことから」と呼吸の大切さを教えてくれた(写真撮影/藤井繁子)

【画像10】心理療法士の方が、心を体で調整する方法をレクチャー。「深く息を吐くことから」と呼吸の大切さを教えてくれた(写真撮影/藤井繁子)

マギーの遺志を継いだイギリス本国のローラ・リー(故マギーの担当看護師)マギーズ・センターCEOからは
「『マギーズ東京』の運営を継続していくために、資金集めを行っていく必要があります。私たちは必要としているすべての人が、マギーズの支援を受けられるようにしたいと強く願っています。一度ぜひ『マギーズ東京』にお立ち寄りいただき、私たちのやっていることを皆さんの目で見てください」と、運営の後押しを願うメッセージ。

秋山センター長も「直接的ではなくても、さまざまな方向から大きな渦のように支援の輪が広がり、マギーズの活動が世の中に役立てばと願っています」

同じような境遇の人たちと出会うだけでも、患者の心は和み勇気が湧いてくるかも知れません。ここへ来れば、自分の置かれた状況にどう向き合って行けば良いのかを考える、手助けをしてもらえるのです。患者を抱える家族や友人も、患者に対してどう接するべきなのか……。悩む気持ちを打ち明ければ、何か解消するきっかけが見つかりそうです。

今回マギーズという場があることを知り、私にも次にやって来るその時のあり方が、両親の時とは違ってくるだろうと感じることができた取材でした。

●取材協力
・マギーズ東京(特定非営利活動法人maggie’s tokyo)
 【ご寄付について(認定NPO法人の控除有り)】

がん患者を“空間の力”で癒やす、英国発「マギーズ・センター」に世界が注目[前編]

日本人の死因トップである“がん”。2016年の調査によると、全死因に占める割合は28.5%と2位の心疾患15.1%を大きく上回ります(※1)。がん患者の家族・友人を含めると、がんに関係の無い人を見つけるほうが難しいくらい身近な病気。そんながんに関係する人々を無償で支援する場が、英国で1996年に誕生した「マギーズ・キャンサーケアリング・センター」。以来20年余り、英国内外で20カ所以上の『マギーズ・センター』が開設し運営されています。
(※1)「性別にみた死因順位(第10位まで)別 死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合」(厚生労働省)

前編ではその成り立ちを、後編では一昨年日本にオープンした『マギーズ東京』での体験をレポートします。
一人の英国人女性Maggieの思いが形に、「自分を取り戻す」ための場所

1988年47歳の時に乳がんを患った、マギー・K・ジェンクス(Maggie Keswick Jencks)。5年後に再発したがんによって死を覚悟せざるを得なかった時、治療の方向性や家族のことなどさまざまな悩みと不安を抱えて病と戦っている最中に「自分を取り戻せる空間とサポートが必要」と実感。入院中の病院敷地内に、後の「マギーズ・センター」のモデルとなる“誰でもがいつでも立ち寄れる”「第二の我が家」をつくったことが始まりです。

【画像1】センターの庭に立つマギーの像。1941年スコットランド生まれ、1995年「マギーズ・センター」オープンの前年に54歳で旅立った。センターの前身である病院内の小屋の前で、春の日を浴び「私たち、ラッキーよね?」と言葉を残して(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像1】センターの庭に立つマギーの像。1941年スコットランド生まれ、1995年「マギーズ・センター」オープンの前年に54歳で旅立った。センターの前身である病院内の小屋の前で、春の日を浴び「私たち、ラッキーよね?」と言葉を残して(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーが医者からがんの再発で余命数ヶ月と告げられた時「心は打ちのめされているのに、次の患者のために診察室にとどまることはできませんでした」(マギー・K・ジェンクス著)という言葉をのこしています。

病院の診察時間に制限があるのは、日本でも同じ。待ち時間の長さに対して、自分の診察時間の短さに困惑した人は少なくないでしょう。それが、がん告知の現場であることを想像すると……。

医療現場で多くの患者と接してきた、担当のがん専門看護師ローラ・リー(現マギーズ・キャンサーケアリングセンターCEO)を話し相手に、マギーは立ち上がりました。「がん患者や家族、医療者などがんにかかわる人たちが、がんの種類やステージ、治療に関係なく、予約も必要なくいつでも、無料で利用することができる癒やしの『空間』をつくりたい」と。

設立者マギーは造園家、その夫は建築評論家。“空間の力”を知る人によるプロジェクト

マギーズ・センターでは、カウンセリングや栄養指導、医療制度などさまざまな専門的支援を無料で受けることができます。のんびりお茶を飲んだり、本を読んだりするなど自分の好きなように過ごしていて良いのです。訪れるだけで癒やされる、“第二の我が家”のような場所にしたいとマギーは考えました。

「美術館のように魅力的であり、教会のようにじっくり考えることができ、病院のように安心でき、家のように帰ってきたいと思える場所」

それを実現するために、マギーは「建築概要」の中に以下のような建築要件を提案しています。

・自然光が入って明るい     ・安全な(中)庭がある
・空間はオープンである     ・執務場所からすべて見える
・オープンキッチンがある    ・セラピー用の個室がある
・暖炉がある、水槽がある    ・ゆったりとしたトイレがある
・建築面積280m2程度      ・建築デザインは自由

そして、1996年英国エジンバラにオープンしたマギーズ・センター第一号[Maggie’s Edinburgh]。

【画像2】[Maggie’s Edinburgh](Richard Murphy設計)。赤いスチール、ガラスブロック、石、木とさまざまな素材の調和を試みた個性的な建築(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像2】[Maggie’s Edinburgh](Richard Murphy設計)。赤いスチール、ガラスブロック、石、木とさまざまな素材の調和を試みた個性的な建築(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像3】窓を大きくとった明るい室内、インテリアは暖色系のカラフルなファブリックが、宝石のように散りばめられている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像3】窓を大きくとった明るい室内、インテリアは暖色系のカラフルなファブリックが、宝石のように散りばめられている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーの夫チャールズ(建築評論家)は「マギーズ・センターには二つの要素を求めました。リラックスできる癒やしの要素と、患者が病と闘えるような要素を支援すること。それを病院とは違う雰囲気の環境の中で提供したいのです」と、語っています。

マギーズでは“対話”が最も大切な支援の方法。病を抱える人にとって、心の悩みや不安を口に出して伝えるのは簡単ではありません。まずは、すてきな建物や庭という空間が訪問者を優しく迎えることで、その心を和ませ、おのずと“対話”が生まれる環境をつくるのです。それが“空間の力”であり、ジェンクス夫妻はそのことを熟知した空間づくりの専門家であったことが、マギーズ成功の一つの理由と言えます。

マギーの闘病を支え、話し相手になってきた看護師のローラ・リーCEOは「長年、薄暗いモノクロ色の病院で働いてきた私にとっても新鮮でした。環境や空間の力が人の心を動かし、自分の中にある力を引き出すことをマギーは教えてくれたのです」

著名な建築家が設計、建物の求心力と発信力がマギーズを世界に広げる

建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞している、フランク・ゲーリーやザハ・ハディドなどがマギーズ・センターの設計に参加しています。マギーの建築要件を尊重しながらも建築家の英知によって「見てみたい、入ってみたい」気持ちにさせるパワースポットのような建物になっています。

【画像4】Zaha Hadid設計の[Maggie’s Fife] 2006年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像4】Zaha Hadid設計の[Maggie’s Fife] 2006年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

炭鉱の町だったことからひらめいたという、ザハらしい彫刻のように真っ黒な外観に対して、室内は曲線を使った真っ白で明るいインテリア。「環境が個人の幸福を高めるのに、どれほど有意義に役立つかをマギーズによって理解しました」と、生前のザハは語っています。

【画像5】三角窓からの光が印象的な室内。違ったタイプの椅子や家具、その日の気分や健康状態でくつろぎ方も変えることができる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像5】三角窓からの光が印象的な室内。違ったタイプの椅子や家具、その日の気分や健康状態でくつろぎ方も変えることができる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーズ・センターの建築は英国内外の建築賞を数々受賞していて、マギーズの活動を世界が知る機会にもなっています。

日本からも建築家・黒川紀章がプロジェクトに参加しているのを知り驚きました。黒川氏が若かりしころ、夫チャールズの本を翻訳した経緯もあったようです。黒川氏は完成前の2007年に亡くなりましたが、その志が形になった素晴らしい建築を見ることができ、日本人として誇らしく感じました。

【画像6】黒川紀章設計の[Maggie’s Swansea] 2011年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像6】黒川紀章設計の[Maggie’s Swansea] 2011年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像7】オープンキッチンはマギーズの中核。大きな窓から庭が望める開放的な空間(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像7】オープンキッチンはマギーズの中核。大きな窓から庭が望める開放的な空間(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーズの利用者が「病院とは違って、温かくて緑や自然が近くにあって“サンクチュアリ”のようよ」と、サンクチュアリ=鳥獣の保護区に例えるように、マギーズは安心して羽を下ろして過ごせる場になっているのです。「いつでも泣きたくなれば、泣くことができる個室もあるしね」とも。

英国に留まらず、海外でのマギーズ第一号が2013年香港に誕生。香港はマギーが幼少期に過ごしたゆかりの地です。

【画像8】Frank Gehry設計の[Maggie’s Hong Kong] 2013年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像8】Frank Gehry設計の[Maggie’s Hong Kong] 2013年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像9】広いリビング&ダイニングスペースからは、中国様式の庭と池が眺められる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像9】広いリビング&ダイニングスペースからは、中国様式の庭と池が眺められる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

「死への恐怖で、生きる喜びを失うべきでない」と、強い意志で活動したマギー。利用者が快適な空間で過ごしながら、対話によって、自分の中にある力を見いだし、自分を取り戻すことがマギーズの目指す支援。

その活動が、東京でも一昨年からスタートしました。後編では『マギーズ東京』を訪問し、その支援を体験させていただいた内容を紹介します。

●取材協力
・マギーズ東京(特定非営利活動法人maggie’s tokyo)
【ご寄付について(認定NPO法人の控除有り)】