名建築ホテルの実測スケッチがエモいとSNSで話題! 朝食やアメニティも実測する遠藤慧さんの制作現場に密着 「all day place shibuya」東京都渋谷区

ホテルの実測スケッチがSNSで人気を集め、2023年8月に『東京ホテル図鑑』(学芸出版社)として書籍化が実現した一級建築士・カラーコーディネーターの遠藤慧さん。実測スケッチとは、建築物などの対象物を観察しメジャーなどでそのさまざまな部分を測量、スケッチに落とし込んだもの。初の著書には、「アマン東京」「帝国ホテル」など人気の名建築ホテルがたっぷり収録されています。どのような視点で実測スケッチを描いているのか? ホテルの実測スケッチに密着し、建築スケッチに込めた思いをたっぷり語ってもらいました。

遠藤慧さん。講談社の雑誌『with』にて「実測スケッチで嗜む名作建築」連載中(写真撮影/池田礼)

遠藤慧さん。講談社の雑誌『with』にて「実測スケッチで嗜む名作建築」連載中(写真撮影/池田礼)

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水彩スケッチ集『東京ホテル図鑑』で楽しむ名建築『東京ホテル図鑑 実測水彩スケッチ集』(学芸出版社)(画像提供/遠藤慧さん)

『東京ホテル図鑑 実測水彩スケッチ集』(学芸出版社)(画像提供/遠藤慧さん)

「HOTEL K5」「アマン東京」「K5」「山の上ホテル」「hotel Siro」など東京・近郊で人気のホテルを収録(画像提供/遠藤慧さん)

「HOTEL K5」「アマン東京」「山の上ホテル」「hotel Siro」など東京・近郊で人気のホテルを収録(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんは、建築事務所に勤めていたころ、設計のリサーチとしてホテルの実測スケッチを描きはじめました。デザインの勉強のためにホテルを実際に訪れ、建築家が建てた空間を体験しながら描いたスケッチは、現在までに30枚以上! 丁寧に描き込まれた実測スケッチからは、建築を慈しむ遠藤さんの眼差しや感動が伝わってきます。初の著書となる『東京ホテル図鑑』には、2020~2023年、宿泊して描いた23のホテルの実測スケッチを収録。見開きに1つのホテルの要素を詰め込んだ図鑑のような仕上がりです。

見開きページでホテルの1ルームの空間を表現。左ページにはパース(遠近法で描いた線画)、右ページに平面図、中央付近にアメニティを描いた例(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン:乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

見開きページでホテルの1ルームの空間を表現。左ページにはパース(遠近法で描いた線画)、右ページに平面図、中央付近にアメニティを描いた例(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

実測したホテルの写真と解説、スケッチの参考にした色や素材のリストも掲載(アマン東京 設計:大成建設、インテリアデザイン:ケリー・ヒル・アーキテクツ)(画像提供/遠藤慧さん)

実測したホテルの写真と解説、スケッチの参考にした色や素材のリストも掲載(アマン東京 設計:大成建設、インテリアデザイン:ケリー・ヒル・アーキテクツ)(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんが図鑑的なスケッチを描くようになったきっかけは、東京藝術大学美術学部建築科の授業「建築と表現」の課題でした。

その時試みたのは、建築の空間を表現する際、1つの側面だけではなく、断面や置いてある植物など空間を構成している全てを1枚に収めたスケッチを描くことでした。指導担当の中山英之教授から「君がやりたいのは図鑑なんだよ」と指摘され、遠藤さんはハッとしたと言います。子どものころ、図鑑が好きだったことを思い出したのです。例えば、小学館の図鑑シリーズでは、「タンポポ」のページを見ると、花の断面や蕾から開いていく様子、植物学的な分類、タンポポの花を使った草遊びまで、あらゆる事象がタンポポを説明するものとして、1ページに収められています。幼い遠藤さんにはそれがとても美しく思えたのです。

遠藤さんの実測スケッチには、真上から見た平面図、建物を縦に切った時の断面図、立体的に表現されたパースなどが1枚に収められ、さまざまな角度からホテルの魅力を伝えています。シャンプーや歯ブラシなどのアメニティやフードを描いたマニアックなスケッチも! 情報量が多く、見飽きることがありません。

限られたスペースに機能とデザインを両立させた収納や洗面台は必ずスケッチ。タオル入れやコンセントの配置も描いたスケッチ(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

限られたスペースに機能とデザインを両立させた収納や洗面台は必ずスケッチ。タオル入れやコンセントの配置も描いたスケッチ(The AOYAMA GRAND Hotel 建築設計:三菱地所、インテリアデザイン:乃村工藝社A.N.D)(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんの琴線に触れたものは描かれる運命。ルームキーや部屋に飾ってある花も(山の上ホテル 建築設計:ヴォーリズ建築事務所ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/現一粒社ヴォーリズ建築事務所)(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さんの琴線に触れたものは描かれる運命。ルームキーや部屋に飾ってある花も(山の上ホテル 建築設計:ヴォーリズ建築事務所ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/現一粒社ヴォーリズ建築事務所)(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の実測スケッチ(設計・施工:UDS)(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の実測スケッチ(設計・施工:UDS)(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の実測スケッチを描いた縁で、ホテルのコンセプトブックのイラストを担当。美しい絵本をめくっているよう(写真撮影/池田礼)

「hotel hisoca」の実測スケッチを描いた縁で、ホテルのコンセプトブックのイラストを担当。美しい絵本をめくっているよう(写真撮影/池田礼)

遠藤さん、一体どうやって描いているんですか!? そこで、実際に宿泊して実測スケッチする過程を見せてもらうことに。著書にも登場する「all day place shibuya」実測スケッチに同行。書籍に収録されているのは、2022年12月、ダブルルームに宿泊し、実測スケッチしたものです。今回は、スイートルームの実測スケッチを行います。

使われている色や素材から設計者の意図を探る

JR渋谷駅から徒歩5分、高低差のある道路に挟まれた角地に立つ「all day place shibuya」。2階のレセプションに、小さなジュラルミンのキャリーケースをひいて現れた遠藤さん。「初めて泊まるお部屋を描けるのがとっても楽しみ!」とにっこり。2回目の来訪ですが、初めて訪れた時のホテルの印象はいかがでしたか。

「一番魅力的に感じたのは、道路との高低差を段状のベンチや花壇で上手く調整しながら、屋外空間をつくっているところです。誰でもするっと入っていけるポケットパークのよう。街にとっても素敵なことだと思います」(遠藤以下略)

街に開きながら囲われた感もあり、ベンチには、コーヒーやビールを手に語り合う人々の姿がありました。

高低差のある道路に囲まれているがレベル差を活かしたエントランス(写真撮影/池田礼)

高低差のある道路に囲まれているがレベル差を活かしたエントランス(写真撮影/池田礼)

床やベンチ、花壇の立ち上がりには緑色のタイルを使用(写真撮影/池田礼)

床やベンチ、花壇の立ち上がりには緑色のタイルを使用(写真撮影/池田礼)

2022年にダブルルームに宿泊した時描いたスケッチ(all day place shibuya 企画・設計・運営:UDS、客室インテリアデザイン:DDAA)(画像提供/遠藤慧さん)

2022年にダブルルームに宿泊した時描いたスケッチ(all day place shibuya 企画・設計・運営:UDS、客室インテリアデザイン:DDAA)(画像提供/遠藤慧さん)

「とても素敵なのは、エントランスに入った時の体験が途切れずに2階まで続いていくこと! 1階のカフェの床に使われている緑色のタイルは、屋外やエレベーターの中まで連続していて、内外が繋がっているんです。多治見の美濃焼を使ったオリジナルのタイルは、色むらが本当にきれいで、街とホテルをグラデーショナルに繋いでくれています」

植栽と相まってイメージカラーの緑が強調されている(写真撮影/池田礼)

植栽と相まってイメージカラーの緑が強調されている(写真撮影/池田礼)

色むらが美しい緑色のタイルがエレベーターの床まで連続している(写真撮影/池田礼)

色むらが美しい緑色のタイルがエレベーターの床まで連続している(写真撮影/池田礼)

建物のインテリアデザインは、DDAA。ホテルのレセプションがある2階のレストランはPuddleによる設計です。

「素材の使い方などデザインコードが似ているので、建物全体に共通言語があると感じます。2階は土色のタイルを床と壁面の一部に用いたデザインですが、エントランスも、床と花壇の立ち上がり部分にタイルを使用していました。レセプションに置かれたアクリル板と金メッキの単管パイプを使った造作のテーブルがすごくカッコイイです!」
※デザインコード
「配置」「色」「形」「素材」など、空間の秩序を構成する「視覚的な約束事」

スタッフが常駐するコミュニケーションテーブルや季節のディスプレイを展示するテーブルは、DDAA・元木大輔さんによるオリジナル(写真撮影/池田礼)

スタッフが常駐するコミュニケーションテーブルや季節のディスプレイを展示するテーブルは、DDAA・元木大輔さんによるオリジナル(写真撮影/池田礼)

一級建築士でありカラーコーディネーターでもある遠藤さんだからこそ気づける視点はハッとすることばかり。解説をしながら壁やテーブルにそっと触れる遠藤さんは、物言わぬ建物と語り合っているように見えます。

「建築は、とても雄弁なんですよ。事前に資料も調べますが、訪れないとわからないことの方が多いんです。設計は箱だけつくるわけじゃなくて、過ごす人のことを考えて雰囲気も含め、トータルにデザインされています。滞在して、その場に身を置くことで、設計者の思いを辿っていきたいと思っています」

2階にあるピッツァ・ダイニング「GOOD CHEESE GOOD PIZZA」では、毎朝、清瀬の農場から届く新鮮な牛乳からつくったチーズを提供(写真撮影/池田礼)

2階にあるピッツァ・ダイニング「GOOD CHEESE GOOD PIZZA」では、毎朝、清瀬の農場から届く新鮮な牛乳からつくったチーズを提供(写真撮影/池田礼)

モーニングで選べる「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」は、もちもちとしたチーズとサーモン、アボカドのコンビネーション(写真撮影/池田礼)

モーニングで選べる「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」は、もちもちとしたチーズとサーモン、アボカドのコンビネーション(写真撮影/池田礼)

描くことで、ものをよく見ることができる

今回、実測スケッチをするのは、「Weekend Suite」(広さ53.7平米・定員2名)です。入室するやいなやドアに貼ってある避難経路図をまじまじと見る遠藤さん。

「フロアにある部屋の並びを確認しているんです。宿泊する部屋が、このフロアで一番多いタイプなのか特殊な位置づけなのか把握することから始めます」

ゆったりとしたソファスペース。22時までならゲストを呼んでパーティ等も可能(写真撮影/池田礼)

ゆったりとしたソファスペース。22時までならゲストを呼んでパーティ等も可能(写真撮影/池田礼)

感嘆の声をあげながら、メモをとったり、収納をのぞいたり、楽しそうな遠藤さん(写真撮影/池田礼)

感嘆の声をあげながら、メモをとったり、収納をのぞいたり、楽しそうな遠藤さん(写真撮影/池田礼)

(写真撮影/池田礼)

(写真撮影/池田礼)

ベッドルームから水回り、収納を見て回ります。ベッドとソファスペースの間にあるユニークな形のオブジェは、オリジナルデザインの照明でした。

「ホームページの写真で見た時は何だろう?と思っていましたが、ベッドとソファスペースの仕切りとしてとても良いですね。金属ブラインドの透け感が良い感じ。ぐにゃぐにゃ柔らかそうな照明でとてもかわいいです」

ベッドルームの壁には首都高をモチーフに制作されたアート(作:安田昴弘氏)が飾られています。以前遠藤さんが宿泊したダブルルームと同様に本棚などの什器には緑色のメラミン化粧板が使われていました。

コーヒーにまつわる本が置かれたシェルフには、コーヒー豆やミルも用意されている(写真撮影/池田礼)

コーヒーにまつわる本が置かれたシェルフには、コーヒー豆やミルも用意されている(写真撮影/池田礼)

積層合板を小口に現したメラミン化粧板の棚。右は壁や床の色や素材を示したもの(画像提供/遠藤慧さん)

積層合板を小口に現したメラミン化粧板の棚。右は壁や床の色や素材を示したもの(画像提供/遠藤慧さん)

「部屋に使用されているメラミン化粧板の緑色は、共用部のタイルの緑色とは印象も実際の色味も違いますが、他の素材がグレーや黒などの無彩色系なので、テーマカラーのグリーンがとてもきれいに伝わってきます。広いお部屋で見ると深い色に見え、本棚の天板が外の光やアートの色をほのかに反射して美しいです。入り巾木や造作家具の収まり、カーテンの見せ方など、ものとものとの取り合いが良いですね。壁面が真っ白ではなくてほんの少しグレーで、自然光を柔らかく広げていて、とても良い見え方になっています」

ホテルの担当者から、ひととおり、部屋の説明を受けたあと、実測がスタート。キャリーケースから次々と道具を取り出します。実測に使うのは、レーザー距離計と金属製のメジャー、色見本帳のほか見慣れない道具も。

左回りに、レーザー距離計、三角スケール、スコヤ(直定規)、コンベックス(金属製メジャー)、色見本帳(写真撮影/池田礼)

左回りに、レーザー距離計、三角スケール、スコヤ(直定規)、コンベックス(金属製メジャー)、色見本帳(写真撮影/池田礼)

「レーザー距離計は部屋の外形など長い距離を測る時に便利です。椅子の高さなど中距離はメジャー、小さな厚みなどはノギス。コップなどの厚みや丸いものの径を測る時に使います」

慣れた手つきでレーザー距離計を壁にあてる遠藤さん。ベッドルームとソファスペースの長辺の長さは7m以上! 実測すると部屋の端から端まで想像以上の距離があり、どうりで広いはずだ!と納得。

「空間を何となく見ているだけでは描けないんです。構造がどうなっているのか理解するために、さまざまな角度からよく見るようにしています」

「後ろが窓になっているのが清々しくてとても良いですね」と遠藤さんお気に入りの洗面所(写真撮影/池田礼)

「後ろが窓になっているのが清々しくてとても良いですね」と遠藤さんお気に入りの洗面所(写真撮影/池田礼)

実測したら、最終的なレイアウトをイメージしながら、スケッチブックにおおよそのレイアウトや気になった家具などを描き、寸法を入れていきます。部屋の規模にもよりますが、その後の下書きやペン入れ、水彩による着彩は自宅で行うことが多いそうです。

(写真撮影/池田礼)

(写真撮影/池田礼)

今回は、スケッチブックにひと晩でこんなに描き込んだというから驚きです(画像提供/遠藤慧さん)

今回は、スケッチブックにひと晩でこんなに描き込んだというから驚きです(画像提供/遠藤慧さん)

描きたいのは、コップではなくコップが置かれた空間編集部に届いた実測スケッチ。設計者やデザイナーの思いと遠藤さんの感動が響き合い、生まれた1枚(画像提供/遠藤慧さん)

編集部に届いた実測スケッチ。設計者やデザイナーの思いと遠藤さんの感動が響き合い、生まれた1枚(画像提供/遠藤慧さん)

完成した実測スケッチを見た瞬間、思わず、ため息がこぼれました。紙面を大胆に使ってソファスペースからベッドルームのパースが描かれています。1階のクラフトビールバーのグラスには高さや幅のサイズが書かれ、「使ってみて欲しくなった!」という備えつけのソーダサーバーまで事細かに描かれています。

左下は、「カッコ良すぎる」と遠藤さんが感じたローテーブル。古材とアクリル板、荷紐のベルトなど素材についてのメモも(画像提供/遠藤慧さん)

左下は、「カッコ良すぎる」と遠藤さんが感じたローテーブル。古材とアクリル板、荷紐のベルトなど素材についてのメモも(画像提供/遠藤慧さん)

壁と床の間にある巾木の素材や壁や家具の足まわりなども事細かに。神は細部に宿るとはまさにこのこと!(画像提供/遠藤慧さん)

壁と床の間にある巾木の素材や壁や家具の足まわりなども事細かに。神は細部に宿るとはまさにこのこと!(画像提供/遠藤慧さん)

チーズのとろとろが見事に描写された「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」。ピンクペッパーがピリッ(画像提供/遠藤慧さん)

チーズのとろとろが見事に描写された「つくりたてストラッチャテッラ オンザブレッド」。ピンクペッパーがピリッ(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤さん、こんな目線で見ていたんだ……と驚くと共に、自宅のようにくつろいだ部屋の印象が蘇りました。

「空間の雰囲気が伝わったなら、とても嬉しいです。例えば、コップがあった時、私が描こうとしているのは、コップそのものじゃなくて、コップが置かれている空間です。何となくこの部屋いいなと思う時、その理由が1つだけということはあまりないと思います。コップのそばに置いてある食べ物だったり、その後ろにある窓からの光だったり、全部ひっくるめて、良いなと感じているはず。部屋を訪れた時の印象をどうやったら表現できるんだろう? と思って辿り着いたのが、図鑑的にいろんな断面を見せる実測スケッチだったのです」

カーテンを開けた時の感動が伝わってくる(帝国ホテル東京 設計:高橋貞太郎/本館、インテリアコーディネート:ジュリアン・リード/本館インペリアルフロア)(画像提供/遠藤慧さん)

カーテンを開けた時の感動が伝わってくる(帝国ホテル東京 設計:高橋貞太郎/本館、インテリアコーディネート:ジュリアン・リード/本館インペリアルフロア)(画像提供/遠藤慧さん)

実測スケッチ風ホテルステイの楽しみ方

最後に、『東京ホテル図鑑』をもっと楽しむ方法や自分に合ったホテルを選ぶポイントを教えてください。

「SNSには『本は、汚さないように大切にします!』と言ってくださる方もいて有難いのですが、自分で訪れたホテルの感想を書き込んだりして使い込んでもらっても嬉しいです。建築資料として参照できるつくりにこだわったので、自分もとても役立っています。『どうやってホテルを見つけていますか?』という質問もよく受けますが、私は、素敵だなと思ったホテルに巡り合ったら、設計者やデザイナー、運営会社をチェックして、同じ系列のホテルに行ってみたりすることもあります」

表紙カバーの裏には、遠藤さんからのサプライズが。本の中で紹介したホテルの平面図が同じスケールで、入り口の向きをそろえて面積順にズラリ(写真撮影/池田礼)

表紙カバーの裏には、遠藤さんからのサプライズが。本の中で紹介したホテルの平面図が同じスケールで、入り口の向きをそろえて面積順にズラリ(写真撮影/池田礼)

本に紹介されている部屋と同じ部屋に泊まって、遠藤さんが感じたことを追体験したり、スケッチとの違いを感じたりしても楽しそう! 逆に実測スケッチされていない部屋に泊まるのもアリ。こういうパターンのデザインもあるんだ!など気づきがありそうです。

遠藤さんが実測スケッチを描くモチベーションは、「行ってめちゃくちゃ良かった!」という自分の感想を伝えたいというシンプルな思いです。

「こういう風に描いたら良さが伝わるんじゃないかと思いつくと、ワクワクするんですよ。スケッチを見た人から『行ってみたくなった!』というコメントが届くとすごく嬉しいですね」

建築をよく見て思いを込めて描くからこそ、遠藤さんは、設計者やデザイナーが建物に込めた物語を見つけることができるのでしょう。

『東京ホテル図鑑』のスケッチからは、街とホテル、雰囲気や居心地のデザインなど当たり前に過ごしていた空間がどのようにつくられているのかを学ぶことができます。「いつか海外のホテルを実測スケッチして本を出したい」と語った遠藤さん。以前、「all day place shibuya」の担当者が、レセプションで『東京ホテル図鑑』を展示したところ、海外のお客さんに大反響だったそう。夢が叶う日はそう遠くないかもしれません。

●取材協力
・遠藤慧(X:Twitter)
・all day place shibuya

東日本大震災の”復興建築”を巡る。宮城県南三陸町の隈研吾作品や石巻エリア、坂茂設計の駅舎など、今こそ見るべきスポットを建築ライターが紹介

2011年3月11日に発生した東日本大震災。津波によって多くの人命が失われ、街の主要な機能が流されてしまった東北の沿岸地域では、復興が急ピッチで進められました。同時に、惨劇を二度と繰り返さないために、地震が発生したときにどのようにふるまうべきか、教訓を語り継いでいくための取り組みが行われています。
紙媒体やインターネットを通じたアーカイブも充実していますが、やはり現地を訪れてこそ感じ取れることがあるのも確か。特に被害の実態や被災者の生の声を伝える資料をコンテンツとしていかに体験してもらうか、建築家やデザイナーが綿密な計画を練った復興建築を巡ることは、被災地から離れた地域に住む人にとって有効なツアーになるのではないでしょうか。

今回、各地の建築やまち歩きをライフワークにしてきた筆者が、都内からも比較的アクセスしやすい宮城県石巻市を中心に、宮城県の三陸海岸エリアの復興建築をレポートします。前編では三陸海岸の北側、岩手県沿岸部を紹介していますので、合わせてご覧ください。

東日本大震災の”復興建築”を巡る。今こそ見るべき内藤廣・乾久美子・ヨコミゾマコトなどを建築ライターが解説 岩手県陸前高田市・釜石市

海と川、2方向から津波が襲った石巻市

仙台市から電車で1時間、国内有数の水揚げ量を誇る漁港の町として知られる石巻市には、市街地の中心に旧北上川という河川が流れ、川が見える風景が長らく市民の生活とともにありました。しかし東日本大震災時にはこの旧北上川を逆流した津波が市内に流れ込んだことで大きな被害を生み、河岸部分に防潮堤を築くことになります。それでも少しでも川とともにある生活を受け継ぐことを意図してデザインされたのが、大きくゆとりをもたせ広い散歩道として整備された防潮堤でした。一段低い市街地から防潮堤に架け渡すように設計された建築も見られ、市民の憩いの場として川と街をつないでいます。
東日本大震災からの復興にあたっては、防災のために巨大な土木スケールの防潮堤を築くことに対し、古くからの町の風景が失われてしまう葛藤がどの地域にもありました。人命には替えられないと、防潮堤の建設は進められていきましたが、デザインの力によってその間を取り持つ可能性が示されているように感じます。

河岸に整備された散歩道(写真撮影/筆者)

河岸に整備された散歩道(写真撮影/筆者)

防潮堤に設置された東屋は、仮設的で華奢なデザイン。設計は萬代基介建築設計事務所による(写真撮影/筆者)

防潮堤に設置された東屋は、仮設的で華奢なデザイン。設計は萬代基介建築設計事務所による(写真撮影/筆者)

防潮堤と市街地をつなぐブリッジのように建つ、観光情報施設「かわべい」(写真撮影/筆者)

防潮堤と市街地をつなぐブリッジのように建つ、観光情報施設「かわべい」(写真撮影/筆者)

復興が進んだ中心部に対し、痛ましい被害の様子が伺えるのが南の沿岸部側。津波により被災した門脇小学校は、震災遺構として遺され見学ができるようになっています。震災時に発生した津波火災によって黒焦げに焼けた校舎は、見学用のルートが真横に新設され、間近で見ることができます。
少し小高い日和山を背に立つ門脇小学校では、発災時に校舎内にいた児童は迅速に山へ避難し津波を逃れることができました。一方で校庭に集まった住民の多くが津波の被害に合いました。少しの判断の差が生死を分けた現実は、悔やんでも悔やみきれません。その教訓を風化させまいという残された人々の想いが、校舎を取り壊すことなく保存する決断につながっています。ご遺族の言葉も、資料とともに展示されることで画面越しで見るのとは違う切実さを、訪れる人に与えているのではないでしょうか。

石巻市震災遺構門脇小学校の外観。右側に見えるボックス状の回廊が、新設された見学ルート(写真撮影/筆者)

石巻市震災遺構門脇小学校の外観。右側に見えるボックス状の回廊が、新設された見学ルート(写真撮影/筆者)

校舎1階部分。左手側の旧校舎は被災当時のまま残され、通路から見学することができる(写真撮影/筆者)

校舎1階部分。左手側の旧校舎は被災当時のまま残され、通路から見学することができる(写真撮影/筆者)

門脇小学校からさらに南へ向かうと、更地になった海岸部に整備された広大な復興祈念公園が見えてきます。中心に位置するのが「みやぎ東日本大震災大津波伝承館」です。こちらは語り部として活動している被災者のメッセージに加え、津波のメカニズムなど震災を科学的な視点から紹介するコーナーなど、より包括的に震災の記録がアーカイブされた施設となっています。市が運営し、石巻市にフォーカスした門脇小学校と、宮城県が運営する伝承館、さらにその中間には市民により運営されている「伝承施設MEET門脇」があり、それぞれの視点で伝承のための活動が行われています。さらに町の中心部では、津波被害に限定せず、石巻市の歴史や市民の生活そのものを知ってもらう展示がなされた場所も見られました。町の魅力を伝えることで興味をもってもらう、そのうえで津波被害について学ぶことは、ただ単に事実を見せられるのとは違う印象を与えるのだと思います。

復興祈念公園の遠景。防潮堤が海との境界になっている。左手前に見えるのが伝承館で、庇最上部の位置まで津波が達した(写真撮影/筆者)

復興祈念公園の遠景。防潮堤が海との境界になっている。左手前に見えるのが伝承館で、庇最上部の位置まで津波が達した(写真撮影/筆者)

石巻市に限らず、こうした伝承施設は特定のエリアに集中して建てられるケースが多く見受けられます。遠方から訪れた観光客は、そうした施設を順に見て回る人も多いでしょう。そのなかでいかにして被害の実態を記憶にのこるかたちで伝えていくか。官民それぞれの取り組みが重なり合いながら、相互に補い合って伝承している石巻は、町全体で展示デザインがなされているように感じるほど、震災にまつわる豊富な学びのある町でした。

中心部から離れた高台に新設された「マルホンまきあーとテラス」。大小のホールや市立博物館を備えた文化施設の設計は、藤本壮介建築設計事務所によるもの(写真撮影/筆者)

中心部から離れた高台に新設された「マルホンまきあーとテラス」。大小のホールや市立博物館を備えた文化施設の設計は、藤本壮介建築設計事務所によるもの(写真撮影/筆者)

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震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と

新しく整備されたプロムナードで海産物を楽しむ女川

石巻からさらに電車で30分、町の中心部全体が浸水し町の主要な機能が失われてしまった女川町では、中心市街地全体を盛土により嵩上げし、居住区域を高台に移す復興がなされました。これにより防潮堤の高さを制御し、町から海が見える風景が守られました。そして震災後の新たなシンボルとして、世界的建築家の坂茂氏設計による駅舎が建てられました。

長年、建築家としての設計活動と並行して、世界中の災害現場や難民キャンプで仮設住宅など避難用の建築のデザインや施工をボランティア活動として取り組んできた坂氏は、東日本大震災でも東北各地で復興支援活動にあたりました。避難所での生活にプライベートな空間を確保するためのダンボール間仕切りの提供のほか、ここ女川では輸送用コンテナを活用し短期間での施工を可能にした仮設住宅の設計を手掛けています。この仮設住宅設計後も継続的に女川に関わり、近隣の仮設住宅に住む住民への聞き取り調査を行っていた坂氏は、狭い仮設住宅のユニットバスでは望めない、ゆったりくつろげる銭湯が多くの方に望まれていることを知ります。その矢先に、女川駅の設計を依頼された坂氏は、駅舎と温浴施設を一体的にデザインする提案を行いました。災害復興への長年の取り組みあってこそのデザインだったと言えるでしょう。

女川駅全景。白い膜でつくられた大きな屋根が象徴的なデザイン(写真撮影/筆者)

女川駅全景。白い膜でつくられた大きな屋根が象徴的なデザイン(写真撮影/筆者)

女川駅の展望台から海方向を見る。海への見晴らしが維持された(写真撮影/筆者)

女川駅の展望台から海方向を見る。海への見晴らしが維持された(写真撮影/筆者)

「海が見える終着駅」として知られる女川駅からは、駅舎からまっすぐ海へと向かってプロムナードが延び、その両サイドに地産の食材が楽しめる料理屋や土産物屋が並びます。星野リゾートのホテルの設計などで知られる建築家の東利恵氏が手掛けた、シーパルピア女川です。漁港の町らしい木造の家屋が立ち並び、個性のある商店が店を構え、分棟形式の隙間には庭が整備されています。決して多くはない商店を、単純に横並びにするのではなく前後の奥行きをもたせて配置することで、散策しながら買い物を楽しむことができるよう計画されたデザインです。

観光客であふれるシーパルピア女川(写真撮影/筆者)

観光客であふれるシーパルピア女川(写真撮影/筆者)

中・小規模の建屋が雁行するように連なり、隙間の空間を散策できる(写真撮影/筆者)

中・小規模の建屋が雁行するように連なり、隙間の空間を散策できる(写真撮影/筆者)

女川にも、観光客が必ず目にするであろう場所、プロムナードの突き当りに、津波の猛威を示す震災遺構が遺されています。鉄筋コンクリート造の建物が基礎ごと引き抜かれ、横倒しにされた光景がメディアを通じて大きな衝撃を与えた旧女川交番です。被災当時のままの状態で保存され、その周囲を取り囲む回廊が新たに設置されました。回廊に掲げられたパネルには、女川町の震災被害や復興までの歩みが記されています。小さいながらも強いメッセージを発する震災遺構です。

横倒しになった旧女川交番。剥き出しになった杭が津波の威力を伝えている(写真撮影/筆者)

横倒しになった旧女川交番。剥き出しになった杭が津波の威力を伝えている(写真撮影/筆者)

隈研吾氏設計の建築が集まる南三陸町

石巻駅から電車とバスを乗り継ぎ2時間弱、南三陸町も復興建築が集中するエリアです。津波によって線路が流されてしまったため、中心部にある志津川駅はBRT(バス高速輸送システム)の停留所として使われています。

駅の目の前で一際目を引くのが、新国立競技場の設計などで知られる建築家・隈研吾氏設計による「南三陸ポータルセンターアムウェイハウス」。南三陸産の木材を用いたルーバーは平行ではなく放射状に配置され、建物内部に視線が引き込まれるようにデザインされています。アムウェイハウスは被災地の地域コミュニティの再生支援を行う施設として、ここ南三陸を含む東北3県7箇所に設置されています。

隈研吾氏は2013年から継続的に南三陸町の復興計画に携わり、一帯のマスタープランも手掛けています。地元の海産物を楽しめる商店街さんさん市場、駅とメモリアルパークを結ぶ中橋、そしてこのアムウェイハウスです。メモリアルパークには、津波襲来の直前まで避難を呼びかける様が大きく報じられた南三陸旧防災庁舎が震災遺構として遺されており、多くの観光客が日々訪れています。駅から市場へ、メモリアルパークから山方向にある神社へ、2つの軸線の中間に位置するアムウェイハウスには、人の流れを誘発するように穴が設けられています。マスタープランがあってこそ生まれたデザインです。

南三陸ポータルセンターアムウェイハウス。斜めに傾いたいくつもの立体が統合されたデザイン(写真撮影/筆者)

南三陸ポータルセンターアムウェイハウス。斜めに傾いたいくつもの立体が統合されたデザイン(写真撮影/筆者)

南三陸さんさん市場。シンプルな構成により、低コスト化と短納期化を図っている(写真撮影/筆者)

南三陸さんさん市場。シンプルな構成により、低コスト化と短納期化を図っている(写真撮影/筆者)

メモリアルパークから駅方向を見たところ。右手前に鉄骨フレームだけとなった旧防災庁舎が見える(写真撮影/筆者)

メモリアルパークから駅方向を見たところ。右手前に鉄骨フレームだけとなった旧防災庁舎が見える(写真撮影/筆者)

東日本大震災による被害の状況は、発災当時メディアを通じて視覚的なイメージとして発信されていました。その光景はどの町も同じように悲惨なものとして、記憶に焼きつけられているのではないでしょうか。しかし震災から10年以上が経ち、新しいコミュニティが築かれ新たな町として生まれ変わった被災地の現状は、町ごとに、エリアごとに異なる復興が行われ、それぞれの歩みを進めています。その土台としてデザインされた復興建築を巡ることは、東北の今を知るきっかけとして気軽にできる最初の一歩になるのではないかと思っています。

●取材協力
門脇小学校

世界の名建築を訪ねて。建物の30%がリサイクル素材! スティーヴン・ホールによる「Cofco Cultural and Health Center(コフコ文化&健康センター)」/中国・上海市

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載11回目。今回は、中国・上海市、約7,500平米という広大な敷地に立つ2021年に誕生した住宅街の交流施設「Cofco Cultural and Health Center(コフコ文化&健康センター)」(設計:スティーヴン・ホール・アーキテクツ(Steven Holl Architects))を紹介する。

地域コミュニティに貢献するサステナブル建築

中国の上海にある「コフコ文化&健康センター」は、健康的な生活と文化交流を促進させるために、近隣の大きな住宅コミュニティにグリーンのパブリック・スペースを提供するという社会的使命をもっている。

(c)Aogvision

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敷地面積約7,500平米の公園のような大きな敷地に位置する建物は、社会的な“コンデンサー“(建築には社会的行動に影響を与える能力があるというソビエト構成主義理論の考え方)となることを目指しており、上海の浦南運河沿いの周辺住宅地域に対し、近隣コミュニティが待ち焦がれているパブリック・スペースやランドスケープ・エリアとなるよう、近隣住民の期待に応えるべくデザインされた。

浦南運河は、上海の南側にある杭州湾から北側の内陸に10kmほど入ったところを、東西に長く延びる運河である。この運河沿いに位置する「コフコ文化&健康センター」の近隣には、大きなハウジング・ブロックが広範囲にわたって展開している。

“Clocks and Clouds”(時計と雲)に着想を得たデザイン

これらのハウジング・ブロックの建築デザインは、同じような繰り返しのデザインとなっているが、建物の空間はエネルギーに満ち、開放性に富み、全コミュニティの住人をレクリエーションや文化的プログラムへと誘っている。健康願望の達成に励む人たちは、全体の中核施設であるヘルス・センターに足しげく通っている。

スティーヴン・ホール・アーキテクツのポスト・コロナ建築戦略に沿って、建物はグリーン・スペースを取り込み、新鮮な空気と自然光を最大に導入し、オープンなサーキュレーションと広いパブリック・スペースを特徴にしている。

ランドスケープと二つの新しい建物は、哲学者カール・ポパー(オーストリア出身のイギリスの哲学者)の有名な1965年のレクチャー、“Clocks and Clouds”(時計と雲)のコンセプトにより導入された。ランドスケープは時計のような大きな円形となり、中心となるパブリック・スペースを構成し、建物は雲のようなユニークな形態をした開口部と開放性を有している。

薄いグレー色のコンクリートでできた延べ床面積約6,000平米の「文化センター」は、1階のガラス張り透明空間にカフェ、ゲーム&レクリエーション・ルームを擁している。2階へ向けて徐々に上昇していくカーブしたスロープを歩いていくと、見下ろし風景の連続的な変化が楽しめる。これはフランスの著名20世紀建築家、ル・コルビュジエが言った有名な”建築散歩”の好例である。

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同じような薄いグレーのコンクリートをまとっている延床面積約1,500平米の「健康センター」は、中心部にあるランドスケープ・スペースによって建物形態が形成されており、雲のような部分とランドスケープ全体との緊密な関係を助長している。「文化センター」と「健康センター」という二つの建物は共にグリーン・ルーフをもち、上部から見下ろしたり、近隣のアパートメント・ビルから眺めると、緑のランドスケープ・スペースに溶け込んで一体になったように見えて素晴らしい。

建物全体の30%がリサイクル材料!のサステナブル建築

2021年に完成した「コフコ文化&健康センター」は、主なサステイナブル・デザインとして、最大限のグリーンやオープン・スペースを擁し、リサイクル材料を建物全体の30%に使用している。またセントラル冷暖房システムを採用し、CO2モニタリング・システム、蓄熱システム、生活排水&雨水のリサイクルなど、広範囲にわたってサステイナブル・デザインを実現している。ヘルシーな生活と文化交流を促進する二つの建物は、大きな近隣住宅コミュニティに対し、グリーン・パブリック・スペースを提供するなど、多くの地域貢献に役立っている。 

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●関連サイト
Cofco Cultural and Health Center

東日本大震災の”復興建築”を巡る。今こそ見るべき内藤廣・乾久美子・ヨコミゾマコトなどを建築ライターが解説 岩手県陸前高田市・釜石市

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、建築デザイン業界にも大きな衝撃を与えました。おびただしい数の建築物が津波によって流されたことで、街ごと新たにつくり直す必要に迫られただけではありません。建築の仕事に携わる人にとっては、これまで設計してきた建築を、復興が急務となる被災地において、そしてまたそうした地域を抱える日本において、同じような考え方で設計して良いものなのかと自問する契機にもなったのです。

そうは言っても急速に復興が推し進められるなか、建築家もさまざまなかたちで被災地の建築デザインに関わってきました。避難所の生活を改善するための取り組みや、仮設住宅の建設といった応急対応から、この先の長い街づくりの礎となるような恒久的な施設まで、震災復興をきっかけに初めて試みられたデザインも多岐にわたります。

そうした人類の新たな叡智を見て歩くことは、被災地に限らず日々の生活をより良くしていくための発見に満ちているはず。今回、各地の建築やまち歩きをライフワークにしてきた筆者が、被災から10年以上が経ち、大方の復興が完了した岩手県南東部の沿岸エリアで見学ができる震災復興建築をレポートします。

あらゆるタイプの復興建築がそろう陸前高田

震災復興のために建てられた建築といっても、その内実はさまざまです。街づくり全体の広域復興計画に位置づけられる、市民生活のインフラとなるもの。地域住民の多様な活動をサポートする拠点となるもの。地域産業、特に漁業や観光業のための施設として使われるもの。観光を目的に東北に訪れる人々、そしてまた現役の、未来の地域住民のために津波の教訓を伝えていくために設計された伝承施設や追悼祈念碑。さらに、実際に津波や地震の被害を被った震災遺構も、解体することなく遺し、見学するためのルートを整備したことを鑑みると広い意味でのデザインとして見ることができるでしょう。
以下では、それぞれの特徴をおさえつつ、実際の建築物をエリアごとに紹介していきたいと思います。

まずなんといっても被災地での復興建築デザインを見学するなら、陸前高田市は外せません。ここには建築家の内藤廣氏が全体計画を担った高田松原津波復興祈念公園があります。
津波によって流されてしまった防潮林のうち、ただ1本残された「奇跡の一本松」をご存じの方も多いのではないでしょうか。あの松林があったエリアに整備された公園です。

公園の整備にあたり、内藤氏は海に向かってまっすぐ延びる祈りの軸線を設けました。そこに直交するかたちでデザインされたのが、道の駅高田松原を併設した「東日本大震災津波伝承館」です。国と岩手県、陸前高田市が連携し、津波被害の実態を後世に伝えるために整備されたメモリアルパークでありながら、道の駅として地域住民にも日常の延長として使われる、風景と一体化した複合施設です。

高田松原津波復興祈念公園全景。左中央に見える直線状の白い建物が東日本大震災津波伝承館。右手の三角形は、震災遺構「タピック45」。津波の際、屋上を駆け上った避難者が助かった(写真/ロンロ・ボナペティ)

高田松原津波復興祈念公園全景。左中央に見える直線状の白い建物が東日本大震災津波伝承館。右手の三角形は、震災遺構「タピック45」。津波の際、屋上を駆け上った避難者が助かった(写真/ロンロ・ボナペティ)

伝承館の中央ゲートから祈りの軸線を見る。軸線の先に象徴的なモニュメントを設けるのではなく、海に向かって祈りを捧げるよう演出されている(写真/ロンロ・ボナペティ)

伝承館の中央ゲートから祈りの軸線を見る。軸線の先に象徴的なモニュメントを設けるのではなく、海に向かって祈りを捧げるよう演出されている(写真/ロンロ・ボナペティ)

防腐処理を施され、もともと立っていた場所に再設置された奇跡の一本松。津波が直撃し変形した「陸前高田ユースホステル」が被害の実態を伝えている(写真/ロンロ・ボナペティ)

防腐処理を施され、もともと立っていた場所に再設置された奇跡の一本松。津波が直撃し変形した「陸前高田ユースホステル」が被害の実態を伝えている(写真/ロンロ・ボナペティ)

海を強く意識させるデザインは、津波により亡くなった方への追悼を促すとともに、ここを訪れる人がその瞬間海の間近にいること、地震が発生したらすぐに避難しなければならないことを同時に印象付けます。伝承館でも繰り返し実例が示される、2011年の3月11日に生死を分けた人々の判断と行動。いざという時にどのような対応をすべきか、公園全体で訴えかけるようなデザインがなされていました。

さらに陸前高田市では、高台にも内藤氏が設計した建築をはじめ、復興後の市民生活を支える建築が集まっています。そのひとつ、陸前高田「みんなの家」は、日本を代表する建築家の伊東豊雄氏の呼びかけに応じ、名だたる建築家が集まり地域の方々とともにつくりあげた集会所。世界各国が建築の実践を展示し建築界のオリンピックとも称される第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展ではその建設プロセスを紹介し、最高栄誉の金獅子賞を受賞しました。応急的な復興が一段落したことで役目を果たし、一度解体されましたが、駅前に再建されました。併設の総菜屋さんは、みんなの家の設計に携わった平田晃久氏が手掛けており、建築家と被災地との継続的な関わりが伺えます。

伊東豊雄氏、平田晃久氏、藤本壮介氏、乾久美子氏らが協働した陸前高田「みんなの家」。右側に延びる低層の建物が新しく設計された総菜店(写真/ロンロ・ボナペティ)

伊東豊雄氏、平田晃久氏、藤本壮介氏、乾久美子氏らが協働した陸前高田「みんなの家」。右側に延びる低層の建物が新しく設計された総菜店(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「東日本大震災犠牲者刻銘碑」三陸特有の山々が入り組んで連なるリアス式海岸を見晴らす(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「東日本大震災犠牲者刻銘碑」。三陸特有の山々が入り組んで連なるリアス式海岸を見晴らす(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「陸前高田市立博物館」。屋上の展望台からは、防潮堤の先に広がる海の景色を望むことができる(写真/ロンロ・ボナペティ)

内藤廣氏設計の「陸前高田市立博物館」。屋上の展望台からは、防潮堤の先に広がる海の景色を望むことができる(写真/ロンロ・ボナペティ)

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生活に密着した復興建築が揃う釜石市

陸前高田から北上することおよそ50km、三陸海岸の中央に位置する釜石市も、震災後の建築デザインを知る上で重要なエリアです。

街の中心部が津波で流され、多くの住民が亡くなった鵜住居町(うのすまいちょう)では、市民生活の立て直しに必要なさまざまな施設が震災後に整備されました。駅前に整備された「うのすまい・トモス」には、「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」として複数の公共施設が配置されました。追悼施設の釜石祈りのパークには、震災で亡くなった方の名板があしらわれた祈念碑が設置されています。離れた位置から見ると白い板にしか見えませんが、近づいていくと個人名が刻印されており、報道で知る客観的事実としての被害とその一人ひとりにそれぞれの人生があった、その対比が表されているよう。少し土が盛られた上段に設置されたモニュメントは上端のラインが津波浸水高さ(11m)となるように設計され、ここを訪れる人々に有事の際は一目散に高台へ避難する意識を植え付ける計らいがなされています。

「釜石祈りのパーク」上段の壁の上端ラインが津波到達地点を示す(写真/ロンロ・ボナペティ)

「釜石祈りのパーク」上段の壁の上端ラインが津波到達地点を示す(写真/ロンロ・ボナペティ)

「うのすまい・トモス」全景。奥に体育館、左手前が震災の資料展示を行う「いのちをつなぐ未来館」、右手前が土産物などを販売する「鵜の郷交流館」(写真/ロンロ・ボナペティ)

「うのすまい・トモス」全景。奥に体育館、左手前が震災の資料展示を行う「いのちをつなぐ未来館」、右手前が土産物などを販売する「鵜の郷交流館」(写真/ロンロ・ボナペティ)

駅前からすぐ目に入る高台には、小学校・中学校・児童館・幼稚園の、子どもたちのための4施設が新たに建設(設計:小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt)されました。通学路となる階段は、津波到達地点で階段の色が塗り分けられており、市街地から見上げた際に一目でどの高さまで避難すれば良いのかがわかる指標になっています。子どもたちが毎日登下校する様子は市街地のどこにいても目に入り、その風景が復興のシンボルとなるように、という願いが込められているそうです。

また震災当時、沿岸部にあった小学校と中学校は被災後に取り壊され、跡地には「釜石鵜住居復興スタジアム」が建設されました。周囲から隔絶された専用施設とするのではなく、日常的に使用できる公園として周囲と一体的に整備することで、海から山へと連続する鵜住居町の風景の一部となっています。2019年のラグビーワールドカップでは会場の一つとして使用され、まさに復興のシンボルとして人々の生活とともにあるスタジアムとして愛されています。
「鵜住居小学校・釜石東中学校」、「釜石鵜住居復興スタジアム」、「釜石祈りのパーク」では、個々の施設の設計に建築から関わったほか、神戸芸術工科大学の長濱伸貴教授がランドスケープデザイン・監修に携わっています。

「釜石市立鵜住居小学校・釜石市立釜石東中学校・釜石市鵜住居児童館・釜石市立鵜住居幼稚園」敷地へ至る階段のオレンジのラインが津波到達地点(写真/ロンロ・ボナペティ)

「釜石市立鵜住居小学校・釜石市立釜石東中学校・釜石市鵜住居児童館・釜石市立鵜住居幼稚園」。敷地へ至る階段のオレンジのラインが津波到達地点(写真/ロンロ・ボナペティ)

梓設計による「釜石鵜住居復興スタジアム」グラウンドと周囲がフラットにつながり、風景の一部となっている(写真/ロンロ・ボナペティ)

梓設計による「釜石鵜住居復興スタジアム」。グラウンドと周囲がフラットにつながり、風景の一部となっている(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市の中心部にも、ぜひとも訪れたい重要な建築プロジェクトがあります。

世界最大水深の防波堤としてギネスブックの世界記録にも登録されていた湾口防波堤が震災でも大きな減災効果を発揮した釜石市中心部は、リアス式海岸が連なる三陸沿岸エリアにおいては比較的津波の被害がおさえられたエリアでした。震災前から残る商店街「のんべい横丁」と連続する位置に計画されたのが、釜石市民のさまざまな活動の受け皿となる、「釜石市民ホールTETTO」でした。折しも街区をひとつ挟んで隣接するエリアに大型ショッピングセンターの建設が進んでいました。そのままでは既存の商店街とショッピングモールが断絶してしまうことを恐れた市は、市民ホールの建設にあわせて隣接する街区も取得し、ショッピングセンターと市民ホールをつなぐ広場を整備することを決定。ガラスの大屋根が架かる市民ホールの前面広場と接続させることで、のんべい横丁からショッピングセンターへと連なる一連の商業エリアを創出することに成功しました。

建築はaat+ヨコミゾマコト建築設計事務所による設計。施設内部での活動が街に滲み出すようデザインされました。展覧会の一部が外からでも鑑賞できるようになっていたり、スタジオで練習するバンドの様子がうかがえるなど、文化が日常のなかで育まれることが実感できる市民ホールになっています。前面広場に面するステージでは、コロナ禍において全国でも先駆けて屋外コンサートを開催するなど、TETTOでは市民による市民のための精力的な活動が展開されています。

ショッピングセンター側からTETTOを望む。4方向に出入口が設けられ、建物のどこにいても避難できる動線が考えられた。手前の広場が市が取得した「大町広場」(写真/ロンロ・ボナペティ)

ショッピングセンター側からTETTOを望む。4方向に出入口が設けられ、建物のどこにいても避難できる動線が考えられた。手前の広場が市が取得した「大町広場」(写真/ロンロ・ボナペティ)

TETTOの前面広場に架かるガラスの大屋根は、建設費高騰の折に建設中止も検討されたが、建築家のさまざまなコスト削減策により実現された(写真/ロンロ・ボナペティ)

TETTOの前面広場に架かるガラスの大屋根は、建設費高騰の折に建設中止も検討されたが、建築家のさまざまなコスト削減策により実現された(写真/ロンロ・ボナペティ)

前面広場を客席として披露された、市民によるブラスバンドの演奏(写真/ロンロ・ボナペティ)

前面広場を客席として披露された、市民によるブラスバンドの演奏(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市南部の集落に立つ「唐丹小学校・唐丹中学校・唐丹児童館」斜面を活かして建てられた校舎は、建築家の乾久美子氏による設計(写真/ロンロ・ボナペティ)

釜石市南部の集落に立つ「唐丹小学校・唐丹中学校・唐丹児童館」。斜面を活かして建てられた校舎は、建築家の乾久美子氏による設計(写真/ロンロ・ボナペティ)

被災地に観光目的で訪れるのは不謹慎なのではないか、そんな想いをもたれる方もいらっしゃるかもしれません。筆者自身、現地を訪れるまでは住民の方からどのような目で見られるのだろうかと不安に思うところもありました。

しかし実際に現地の方とお話をすると、理由はどうあれ来てくれる事自体が喜ばれ、また震災の実態を知ってほしいと活動される方も多くいらっしゃいました。
ここで紹介したような施設も、伝承館はもちろんのこと、そうでない建築にも津波の悲劇を繰り返さないためのデザインが施されていました。それは被災地で日常を送る住民の方はもちろんのこと、被災地を訪れた人たちにも、自然災害の恐ろしさを伝え、やがて来る東北以外の地域での災害を防ぐ一助となることを見越したものでしょう。

災害大国である日本において、建築はどうあるべきか、これ以上ない模範事例が集まる東北、三陸海岸を訪れてみてはいかがでしょうか。

■施設リスト
東日本大震災犠牲者刻銘碑
陸前高田市立博物館
東日本大震災津波伝承館 (いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル)
釜石市立唐丹小学校
釜石市民ホール TETTO
釜石市立鵜住居小学校
うのすまい・トモス
釜石鵜住居復興スタジアム

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世界の名建築を訪ねて。14世紀の古城にUFOみたいな先端的なドーム型コンサートホール「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」/スイス

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載6回目。今回は、スイス南西に位置するヴォー州にある「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」、通称「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」(デザイン:ベルナール・チュミ)を紹介する。

14世紀の古城の境内に建設。先端的な装いに身を包んだサステイナブル・コンサートホール 

「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は、スイスのヴォー州にある最古の著名な寄宿学校のひとつにできたコンサートホールである。寄宿学校はジュネーブとローザンヌの中間にあるロール近郊の14世紀の由緒ある古城「シャトー・ル・ロゼ(ロゼ城)」の境内に建設されたものである。ポール・エミール・カーナルによって創立された寄宿学校「ロゼ学院」は、そのような歴史的に著名な敷地に建立された建築である。今回完成したコンサートホールは、創立者の名前をとって「カーナル・ホール」と呼ばれている。

(c)Iwan Baan

(c)Iwan Baan

「ロゼ学院」はスイス最古の名門寄宿学校のひとつで、超高級な中等教育機関であり、世界のエリートやセレブリティの子弟や子女が数多く入学している。例えばモナコのレーニエ3世、ケント公爵エドワード2世、ショーン・レノン(ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子)、丹下憲孝(建築家・丹下健三の息子)、高田万由子(女優、葉加瀬太郎の妻)、ロスチャイルド家(ユダヤ人の富豪)、アガ・ハーン4世(ムスリムのインド人大富豪)、その他多数。

アメリカの建築家、ベルナール・チュミによってデザインされた「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は木造の矩形(くけい・長方形のこと)のコンサートホールで、ステンレス・スティール製の低い円形ドーム内に独立して建設されたものである。歴史的なキャンパスという敷地の中に、UFOのような形態の超現代的な建築が追加されたことで、その対比が新しい息吹を流し込んだと言われて好評である。建物は木立越しに見ると、ステンレス・スティール製のドーム形の屋根や外壁が、日光に輝いてシャープで先端的な雰囲気を醸している。俯瞰した写真の正面左側の暗い大きな開口部がエントランスとなっている。

建物を俯瞰すると敷地に落差があり、エントランス部分は1階レベルだが、右手の日が当たっている側は地下レベルから立ち上がっており、地下1階、地上2階建てになっている。学校側から要求されたプログラムは、メインとなる900席のコンサートホールをはじめ、ブラック・ボックス・シアター、会議室、リハーサル&練習室、図書室、ラーニング・センター、レストラン、カフェ、学生ラウンジ、その他のアメニティを含む盛りだくさんの内容であった。

(c)Iwan Baan

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関連記事:連載「世界の名建築を訪ねて」

エアコンは不使用、機械式の自然換気のみを採用

建築家ベルナール・チュミが考える先端的なフィルハーモニック・ホールは、いかにしてサステイナビリティの目標と組みわせることができたのか。彼は低く配置された反射する直径80mのステンレス・スティール・ドーム内に、リサイクルされたOSB合板(配向性ストランドボード)を全面的に使用したコンサートホールをデザインしたが、エネルギーを消費するエアコンは使用せず、機械式の自然換気を採用しているのみなのだ。これはスイスの比較的涼しい気候を鑑みたデザインで、建物は歴史的な雰囲気のキャンパスに、スマートな現代建築的なイメージで溶け込んでいる。

このプロジェクトでは材料が建物のデザイン・コンセプトに重要な役割を演じている。というのは、メインであるコンサートホールは、ドーム型の建物内部に木造で独立して立っており、全体を覆う反射性のステンレス・スティール製のメタル・ドームとコントラストをなしている。言わば2重外皮とも取れるデザイン・コンセプトは、コンサートホールを音響的に独立させ、近くを走る鉄道が発する騒音もシャットアウトしている。こうしたデザインが、近隣環境への音響的配慮を十分考慮したものと好評なのだ。

(c)Iwan Baan

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建築家ベルナール・チュミの洗練されたデザイン力が発揮された作品

世界的に著名な建築設計事務所であるオブ・アラップ・ニューヨーク社が音響設計を担当したのも効果を発揮している。施主であるロゼ学院からの「カーナル・ホール」についての要求事項は、非常に野心的なものであった。曰く、国際的な学生コミュニティにサービスできるワールド・クラスのコンサートホールであると同時に、世界一流のオーケストラを迎えられるものであった。実際に建築家のベルナール・チュミは粋を凝らしたデザインを展開した。その結果「カーナル・ホール」のオープニングには、世界的に著名な巨匠シャルル・デュトワの指揮によるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の豪華なパフォーマンスが、アカデミックなアトモスフィアの中で開催された。

今から40年ほど前の1982年、パリの「ラ・ヴィレット公園」のコンペに勝利し、一躍世界の建築界に頭角を現した建築家ベルナール・チュミは、ル・コルビュジエと同様スイス人ながらフランス国籍を取り、同国で活躍してきた。その後ニューヨークにも事務所を開設し、コロンビア大学建築プランニング保存学部長を務めながらデザイン活動をし、同大学にエポック・メイキングな「ラーナー・ホール」を設計し話題になった。現在はニューヨークとパリで設計に専念している。

数カ月前に、久しぶりに彼の中国に完成した「ビンハイ科学博物館」の資料を見たが、要塞のようなその斬新なデザインは目を見張るものがあった。今回はそれとは違って、故郷スイスに完成した未来的な相貌をした、先端的ハイエンドかつサステイナブルなコンサートホールが生まれたことにより、彼の洗練された衰えを知らぬデザイン力を、まざまざと見せつけられた感じである。

(c)Christian Richters

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世界の名建築を訪ねて。14世紀の古城にUFOのような先端的なドーム型コンサートホール「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」/スイス

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載6回目。今回は、スイス南西に位置するヴォー州にある「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」、通称「カーナル・コンサート・ホール(Carnal Concert Hall)」(デザイン:ベルナール・チュミ)を紹介する。

14世紀の古城の境内に建設。先端的な装いに身を包んだサステイナブル・コンサートホール 

「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は、スイスのヴォー州にある最古の著名な寄宿学校のひとつにできたコンサートホールである。寄宿学校はジュネーブとローザンヌの中間にあるロール近郊の14世紀の由緒ある古城「シャトー・ル・ロゼ(ロゼ城)」の境内に建設されたものである。ポール・エミール・カーナルによって創立された寄宿学校「ロゼ学院」は、そのような歴史的に著名な敷地に建立された建築である。今回完成したコンサートホールは、創立者の名前をとって「カーナル・ホール」と呼ばれている。

(c)Iwan Baan

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「ロゼ学院」はスイス最古の名門寄宿学校のひとつで、超高級な中等教育機関であり、世界のエリートやセレブリティの子弟や子女が数多く入学している。例えばモナコのレーニエ3世、ケント公爵エドワード2世、ショーン・レノン(ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子)、丹下憲孝(建築家・丹下健三の息子)、高田万由子(女優、葉加瀬太郎の妻)、ロスチャイルド家(ユダヤ人の富豪)、アガ・ハーン4世(ムスリムのインド人大富豪)、その他多数。

アメリカの建築家、ベルナール・チュミによってデザインされた「ル・ロゼ新フィルハーモニック・コンサートホール」は木造の矩形(くけい・長方形のこと)のコンサートホールで、ステンレス・スティール製の低い円形ドーム内に独立して建設されたものである。歴史的なキャンパスという敷地の中に、UFOのような形態の超現代的な建築が追加されたことで、その対比が新しい息吹を流し込んだと言われて好評である。建物は木立越しに見ると、ステンレス・スティール製のドーム形の屋根や外壁が、日光に輝いてシャープで先端的な雰囲気を醸している。俯瞰した写真の正面左側の暗い大きな開口部がエントランスとなっている。

建物を俯瞰すると敷地に落差があり、エントランス部分は1階レベルだが、右手の日が当たっている側は地下レベルから立ち上がっており、地下1階、地上2階建てになっている。学校側から要求されたプログラムは、メインとなる900席のコンサートホールをはじめ、ブラック・ボックス・シアター、会議室、リハーサル&練習室、図書室、ラーニング・センター、レストラン、カフェ、学生ラウンジ、その他のアメニティを含む盛りだくさんの内容であった。

(c)Iwan Baan

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関連記事:連載「世界の名建築を訪ねて」

エアコンは不使用、機械式の自然換気のみを採用

建築家ベルナール・チュミが考える先端的なフィルハーモニック・ホールは、いかにしてサステイナビリティの目標と組みわせることができたのか。彼は低く配置された反射する直径80mのステンレス・スティール・ドーム内に、リサイクルされたOSB合板(配向性ストランドボード)を全面的に使用したコンサートホールをデザインしたが、エネルギーを消費するエアコンは使用せず、機械式の自然換気を採用しているのみなのだ。これはスイスの比較的涼しい気候を鑑みたデザインで、建物は歴史的な雰囲気のキャンパスに、スマートな現代建築的なイメージで溶け込んでいる。

このプロジェクトでは材料が建物のデザイン・コンセプトに重要な役割を演じている。というのは、メインであるコンサートホールは、ドーム型の建物内部に木造で独立して立っており、全体を覆う反射性のステンレス・スティール製のメタル・ドームとコントラストをなしている。言わば2重外皮とも取れるデザイン・コンセプトは、コンサートホールを音響的に独立させ、近くを走る鉄道が発する騒音もシャットアウトしている。こうしたデザインが、近隣環境への音響的配慮を十分考慮したものと好評なのだ。

(c)Iwan Baan

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建築家ベルナール・チュミの洗練されたデザイン力が発揮された作品

世界的に著名な建築設計事務所であるオブ・アラップ・ニューヨーク社が音響設計を担当したのも効果を発揮している。施主であるロゼ学院からの「カーナル・ホール」についての要求事項は、非常に野心的なものであった。曰く、国際的な学生コミュニティにサービスできるワールド・クラスのコンサートホールであると同時に、世界一流のオーケストラを迎えられるものであった。実際に建築家のベルナール・チュミは粋を凝らしたデザインを展開した。その結果「カーナル・ホール」のオープニングには、世界的に著名な巨匠シャルル・デュトワの指揮によるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の豪華なパフォーマンスが、アカデミックなアトモスフィアの中で開催された。

今から40年ほど前の1982年、パリの「ラ・ヴィレット公園」のコンペに勝利し、一躍世界の建築界に頭角を現した建築家ベルナール・チュミは、ル・コルビュジエと同様スイス人ながらフランス国籍を取り、同国で活躍してきた。その後ニューヨークにも事務所を開設し、コロンビア大学建築プランニング保存学部長を務めながらデザイン活動をし、同大学にエポック・メイキングな「ラーナー・ホール」を設計し話題になった。現在はニューヨークとパリで設計に専念している。

数カ月前に、久しぶりに彼の中国に完成した「ビンハイ科学博物館」の資料を見たが、要塞のようなその斬新なデザインは目を見張るものがあった。今回はそれとは違って、故郷スイスに完成した未来的な相貌をした、先端的ハイエンドかつサステイナブルなコンサートホールが生まれたことにより、彼の洗練された衰えを知らぬデザイン力を、まざまざと見せつけられた感じである。

(c)Christian Richters

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世界の名建築を訪ねて。マリーナ湾に浮かぶガラスの球体“アップルストア” 「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ(Apple Marina Bay Sands)」/シンガポール

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載4回目。今回は、マリーナ湾に浮くドーム状の“Apple Store(アップルストア)”「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ(Apple Marina Bay Sands)」(シンガポール)を紹介する。

頂部にオキュラス(中心眼)をもつガラス・ドーム空間

シンガポールの著名観光スポットといえばマーライオンと「マリーナ・ベイ・サンズ」だが、後者はカナダの著名建築家モシェ・サフディが設計した誰もが知る著名ホテルだ。地上200mに長さ150mのプールがあるホテルの登場で、シンガポール観光というと、マリーナ・ベイ(湾)界隈はさらに世界的な知名度をもつようになった。

ところがその後マーライオンの対面で、「マリーナ・ベイ・サンズ」側の水面にひょっこり顔を出してきたのが、丸っこいガラス・ボール形の建築である。このガラス・ボールはアップルのスマートショップで、いわばシンガポールの都市に進出していくスターティング・ポイントとなる「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」だ。

マリーナ・ベイに浮かぶ「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」(写真左側)Photo by Finbarr Fallon

マリーナ・ベイに浮かぶ「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」(写真左側)Photo by Finbarr Fallon

マリーナ・ベイの水面にユニーク極まりない姿を現した直径30mのガラス・ボールは、ブラック・ガラスが低部を覆い、上部は透明ガラスが球の形で立ち上がっている。建物のデザインはアップル社のデザイン・チームと、フォスター+パートナーズのエンジニアリングとデザイン・チームの緊密な協働の結果生まれたものである。「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」は、透明性と影が織なす絶妙な光に満ちた空間として話題となっている。

ドーム状の空間は114枚のガラス・パネルで構成建物は内外空間の境界を溶融させ、水面に静かに浮かぶミニマルな建築となっている。そこからはマリーナ湾とスペクタキュラーなシンガポールのスカイラインを仰ぎ見ることができる。構造的にはスチールとガラスのハイブリッドな建築として機能している。カーブした構造的なガラス・パネルは側面からスチール・エレメントを支え、側面からのロードに対抗する全体的な形態を強固なものにしている。

内部に装備された日除けにより、ガラス張りのインテリア・スペースはクールさを保っている。シンガポールには独自のサスティナビリティの評価システムであるグリーン・マークがある。ここで使用された114枚のガラス・パネルは、このグリーン・マークで決められたガラスの性能指標にマッチするものが選ばれた。 

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

ガラス張り空間の内壁に装着された同心円サンシェード・リングと呼ばれる日除けは、建物の頂部に近づくにつれて小さくなり、店内の雑音吸収効果も発揮している。さらに重要なことは、それらが昼光を拡散させ上部のリングへと反射させ、ストラクチャーそのものを非物質化させるマジック効果を発揮しているのだ。頂部にある半透明なオキュラス(中心眼)は、有名なローマ時代の古代建築である「パンテオン」を参照したもので、空間をよぎるドラマティックな光のシャフトを現出させている。

ガラス・ドームそのものはエフェメラル(希薄)な存在といえるかもしれない。その効果は非常に静穏で、光の変化するプロセスと色彩は微妙な効果を発揮して魅力的だ。それは単にアップルの驚異的な商品へのセレブレーションのみならず、自然光への賛歌ではないだろうか。

店内にはマリーナ湾の景色や店内を見渡せるスペースも

建物はガラス張り空間のために、シンガポールの理想とするガーデン・シティの都市景観がインテリア空間に流れ込んでくる。内部のペリメーター(周辺)部分に配置された樹木群は、レザーを貼ったプランターに植え込まれているが、ビジターはレザーの上に座り、店内の雰囲気やマリーナ湾の素晴らしい景色をエンジョイすることができる。

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

Photo by Finbarr Fallon

「アップル・マリーナ・ベイ・サンズ」へは、ふたつのアクセスが可能となっている。ひとつは水上に架けられたアクセス・ブリッジを渡る方法。もうひとつはマリーナ・ベイ・サンズの店舗群の通りである長さ45m、幅7.6mの通路を抜けて、両側に配されたアップル特有のアヴェニュー・ディスプレイがある石のエントランスへとアクセスする。これが地下にあるドラマティックなエスカレーターに繋がっている。ここから両サイドがミラーの壁になったエスカレーター・シャフトの中を上昇していくと、ビジターはカレイドスコープ(万華鏡)のごとき目くるめく体験に圧倒される仕組みとなっている。

日本から7時間半ほどのフライトでいけるシンガポールは、アジアの中ではトップクラスの観光地である。しかも国をあげて安全・清潔な街を志しているのが素晴らしい。特にここに紹介したマリーナ湾界隈には著名なスポットがたくさんあって、家族ツアーなどにもばっちりあっているし、世界的な建築家、丹下健三氏が都市計画を手がけており、建築好きにも見逃せない街である。

●関連サイト
Apple Marina Bay Sands

参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開

2022年11月、京都市中心部に点在する近代建築を公開する一斉公開イベント、「京都モダン建築祭」が開催されました。京都や大阪を拠点に研究活動を行う建築史家らが選定する文化的価値の高い建築物が公開されるとあり、初開催にもかかわらず3日間でのべ3万人の参加者を数える注目イベントとなりました。現役の庁舎建築や教会、レストラン・商店など民間の建築、長い歴史のなかでもともとの用途から転用された文化施設など、さまざまなバリエーションが楽しめる36軒が参加しました。

京都で開催の建築公開イベント。「モダン建築」をテーマにした理由京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

建築を見ることを趣味とする筆者にとって、普段は中に入れず、外観を眺めるしかない建築の内部を見学できる機会はありがたく貴重です。また数ある名建築の中から興味を引く建築物を探し、その見学方法まで調べて見に行くのとは異なり、気軽に楽しめるのも人気の理由。地域に住む人びとが地元文化の魅力に触れる機会にもなり、こうした建築公開イベントは各地に広がりを見せています。
今回参加したのは、近現代建築と呼ばれるもの。社会が近代化していく時代以降につくられたもので、日本における時代区分としては概ね明治維新以降の時期を指します。一般的には社寺建築や町家など、より古い年代の建築のイメージが強い京都において、近現代建築をテーマにしたのはなぜなのでしょうか?

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

「建築史の研究者からすると、京都は優れた近代建築の宝庫なんです。けれどそのことはあまり知られていません。存在と認識のギャップが最も激しいのが京都なのではないかと。われわれとしてはごく自然に、京都の近代建築の素晴らしさを知っていただきたいという思いが出発点となっています」
今回お話を伺ったのは、大阪公立大学教授で京都モダン建築祭の実行委員に名を連ねる建築史家の倉方俊輔氏。2021年に京都市京セラ美術館で開催された「モダン建築の京都」展でも、アドバイザーを務めました。

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

「京都市の美術館で行う展覧会だから、京都市民のためになる建築の展覧会にしようと。公立の美術館で京都の近代建築をまとめて紹介するのは初めての試みでした。展覧会で紹介した建築は、実際に京都市内に建っているもの。せっかくなら展示だけでなく実物も見てもらおう、ということで建物所有者の方に掛け合って建築見学ツアーを実施したり、会期終了後もオンラインサロンを継続するなど活動が広がっていきました」
こうした展覧会を機に生まれた動きが、京都モダン建築祭につながっていったといいます。今回公開された建築も、展覧会で生まれた縁があってこそ公開できたものも多いそうです。
倉方さんは、大阪で10年続く建築公開イベント「イケフェス大阪」でも長年実行委員を務めてこられました。2019年からは、東京都品川区の名建築を公開する「オープンしなけん」の企画にも携わり、優れた建築の魅力を広めていく活動に力を注いでいます。大学で教鞭を執る傍ら、こうした活動も大切にしている倉方さん。どのような思いで取り組んでいらっしゃるのでしょうか?

「私自身は、ライトな層、専門的なことに詳しいわけではないけれど建物を見るのが好きとか、自分が描いている漫画の背景のヒントにしたいとか、そういう方々を大切にしたいです。もちろん建築の専門家であったり、普段から建築を見に行くことを趣味にしているような人も大切なんだけれど、こういうイベントを通して、建築を使った楽しみが世の中に増えていくといいなと思っています。

例えば今回取り上げているようなモダン建築だと、大正時代や明治時代の、建てられた当時の生活がそのまま残されていたりするわけですよね。そこから何か想像を広げたり、受け取り手次第で新しい見方ができることで、その人にとっての楽しみが増える。新しい楽しみが増えていくことは、世界を豊かにしていくことにつながると思っているので、建築の楽しみ方を増やしていくことで貢献していきたいですね」

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

ビギナーから建築通まで、誰もが楽しめる多彩なプログラム

京都モダン建築祭では建物の公開のほかにも、専門家のガイドツアーをはじめとするさまざまなプログラムが用意されました。日々の運営に携わる方が、建物の歴史や運営面での工夫も交えて案内してくれるツアーや、倉方さんや実行委員長である笠原一人さんをはじめ建築史家の方が街歩きをしながら建物ひとつひとつのデザインの特徴を解説してくれるツアーなど盛りだくさん。なかにはツアーでしか見学ができない建築もあり、高い抽選倍率となりました。ライトな建築好きから専門家まで、各々の知識レベルによって違った楽しみ方ができるラインナップです。

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

筆者も参加させていただいた、笠原一人さんによる三条通の近代建築ツアーでは、三条通に建ち並ぶバリエーション豊かな近代建築の鑑賞ポイントが紹介されました。一括りに近代建築といっても、手掛けた建築家によってまったく異なる表現になるのが面白いポイント。また同じ建築家であっても、ほんの少し建てられた時期が違ったり、建物の用途の違いによって表現が変えられていて、その背景を知ることで一気に身近に感じられます。

見学する建物が通り沿いに連なっているのも重要で、金融関係の施設が集中するエリアから商業エリアへと歩みを進めることで、街の発展の歴史も同時に学ぶことができます。近世以前の社寺建築のイメージが強い京都で、なぜモダン建築を取り上げるのか。ひとつには「市の中心でまさに今人々の生活と密接に結びつくモダン建築は、役目を終えたら壊されてしまう可能性がある。今のうちから親しんでもらうことでこうした建築が街に必要なんだと感じてほしい」と笠原さん。建築史家として古い建物を残していきたい思いをもちつつ、ツアーでは純粋に個々の建築の面白さを紹介してくれました。
ツアー前はどれも似たような様式建築に見えていた建築群が、ツアー後はひとつひとつのデザインが際立って見えてくる。こうした機会を通じて建築の魅力が広まっていくことで、優れた建築が街に残り豊かな景観が維持されていくのだなと感じます。

講義室でレクチャーを聴くのとは違い、実際に街へ出て現物を見ながらそのデザインに込められた意図を聞く体験は、知識が体に染み込んでいくような充実感を得られました。京都モダン建築祭ではこうしたツアーのほかWEBサイト上でも、建築を解説する音声コンテンツが用意され、建物を見ながら建築の知識を同時に学ぶための工夫が伺えました。

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

それは実行委員の方々自身が建築をどのように楽しんでいるのか、その姿勢から来ているのではないかという気がします。倉方さんは、建築を見る楽しみについてこのように語ってくれました。
「あっちからやってくる感じ、それが建築ならではの面白さですね。こちらから理解しようとか楽しもうとか思わなくても、建築の中に入れば空間に包まれるし、いろんなスケールのものが目に入ってきて、向こうから楽しみがやってくる感覚があります。

それに知識があればあったで、これがつくられた年に戦争が始まったんだなとか、これをつくった人が後にあの建築をつくったんだなとか、その関係を読み解いたり、前に見たものと目の前のものが頭の中でつながって、何かひらめきが生まれたりとか。そうやってあっちからやってくるものをいかに捉えるか、というのが真の『鑑賞』なんじゃないかと思います。繰り返し訪れている建築でも、行くたびに自分自身の知識や経験が増えているから、また新しいものが見えてきますし、それこそ見に行く対象も無限にあるので、とにかく飽きないです。その感じをみんながもてるようになるといいですね。結構いい趣味だと思いますよ、交通費くらいしかかからないですし(笑)」

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

祇園祭と肩を並べる一大イベントに。実行委員長の思い

イベントに一番力を尽くしている実行委員の方々自身が、こうした純粋な建築の面白さにのめり込んでいるからこそ、このようなイベントが開催できるのだなと実感させられます。

笠原さんはこの京都モダン建築祭を、「ライバルは祇園祭」と位置づけています。京都の街なかを舞台に繰り広げられる祇園祭には、調度品や美術品を飾った町家などを公開する「屏風祭」と呼ばれる行事があります。普段は見ることのできない京都の文化に親しむ機会を設けることで次の世代につないでいこうとする思いは、今も昔も変わらないということなのかもしれません。
1000年の歴史をもつ祇園祭と開催1年目のモダン建築祭とでは1000倍の歴史の差があります。しかしモダン建築祭が100年続けば差は10分の1に、1000年続けば差は2分の1へと縮まっていく。いつか祇園祭に並ぶ京都を代表するイベントになってほしいと語る笠原さんの言葉には、建築という数千年の歴史をもつ文化と長年向き合ってきた重みが見え隠れするように思いました。

日頃は古建築に目が行きがちな京都の知られざる魅力に触れる建築祭、ぜひ長く続いていってほしいですね。

●取材協力
京都モダン建築祭 実行委員会

世界の名建築を訪ねて。“曲面テラス” に覆われた超高層集合住宅タワー「アクア・タワー(Aqua Tower)」/アメリカ・シカゴ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載3回目は、“曲面テラス”がユニークな超高層集合住宅タワー「アクア・タワー(Aqua Tower)」(アメリカ・シカゴ)を紹介する。

曲面テラスが醸すユニークな超高層集合住宅タワー(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

今日、ニューヨークは超高層ビル群が櫛比(しっぴ)する垂直都市として世界的に知られている。スレンダーなスカイスクレーパー(超高層ビル)群が林立する様は、まさに経済的なシンボルともいわれている。だが摩天楼発祥の地はシカゴなのだ。シカゴにはかつて長らく米国1の高さを誇っていた高さ442mの「ウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)」や、それに続く344mの「ジョン・ハンコック・センター」があり、それらの偉容は、シカゴの超高層都市としてのアーバン・イメージを特徴づけてきた。

そうした中、シカゴをベースに活躍する女性建築家ジーン・ギャングが率いる建築設計スタジオ・ギャングが登場し、ここ20数年、主にユニークな集合住宅タワーを設計し評判になっている。彼女は1997年に事務所をシカゴに開設。女性建築家として世界的に有名であったイギリスのザハ・ハディド亡きあと、徐々にアメリカから世界を視野に収めた活動を展開しているスター・アーキテクトである。

彼女が数年前に発表したマルチ・ファンクショナル(多機能的)な集合住宅タワーが、世界的に評判で話題になっている。82階建て約263mの高さを誇る「アクア・タワー」は、4~18階にホテル、19~52階にレンタル・アパートメント、53~79階にコンドミニアム、80~81階(※)にペントハウスが配されている延床面積176,510m2の大きな超高層建築である。いわゆるブラウンフィールド(古い工場などの廃棄跡地)と呼ばれる約16,700m2の敷地に立つ建物は、敷地の50%をグリーンのオープン・スペースとして開放し、シカゴの標準的なゾーニング基準である25%をはるかに超えている寛大なデザインが人気である。この集合住宅タワーの発表で、彼女は一躍世界的に知られるようになった。
※米国では日本の1階部分をグラウンド0(0階)とするため、82階部分は、81階と呼ぶ

(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

眺望を追求し、最大3.6m突出させたテラス

「アクア・タワー」が一見して他のビルと異なるのは、そのユニークな外観にある。建物が立つエリアはミシガン湖に近いが、周辺には同規模のタワー群が建ち並んでおり、眺望を楽しむビュー・ライン(視線)がところどころで遮られているのが現状だ。そのため近隣に立つビル郡の間隙(かんげき)を縫って眺望視線を獲得するために、テラスに工夫が施されているのだ。

(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

建物は各階のプランがコンタ・ライン(等高線)のようにうねっている。特にテラスは曲面となって最大3.6mほど突出している。それは眺望、日影、ルーム・サイズ、居室タイプによって異なっている。建物外壁を見上げると、それらが機能に根ざした非常に彫刻的なヴァーティカル・ランドスケープ(垂直の景観)を呈しているのだ。「アクア・タワー」は強烈なアイデンティティーを生み出し、シカゴ・スカイラインにおける個性的なランドマーク建築として登場したのである。

3階の広いルーフガーデンには多数のアメニティー施設が3階平面図(画像提供/筆者)

3階平面図(画像提供/筆者)

建物はシカゴの建築群の中で、最も広いグリーン・ルーフガーデンのひとつをもつビルとしても知られている。3階の広いルーフガーデンには多数のアメニティー施設があり、住民は自由な時間を楽しく過ごすために、外部に行かなくても十分事足りるようになっている。アメニティーとしては、プールをはじめ、ジム、シアター、ジョギング・コース、室内プール、見晴台、庭園、囲炉裏、禅ガーデン、ヨガ・テラス、バーベキュー・コーナー、脱衣室など、多くのヘルスケア&エンターテイメント施設が充実している。またサスティナブル・デザインとして、自然採光、自然換気、雨水利用をはじめ、開口部まわりには6種類ものガラスが使用されている。特にバード・ストライク(鳥の衝突)予防のために、フリット・ガラスを使用するなど、配慮が行き届いた超高層集合住宅タワーでもある。

●関連サイト
Aqua Tower
スタジオ・ギャング

世界の名建築を訪ねて。ザハ・ハディドによる“熔融した建築”「オウパスMEドバイ・ホテル(ME Dubai Hotel at the Opus)」/ドバイ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載2回目は、国際的な女性建築家として知られたザハ・ハディド(Zaha Hadid)によるホテル「ME Dubai Hotel at the Opus(オウパスMEドバイ・ホテル)」(ドバイ)を紹介する。

建築が熔融した形態美学

2021年10月から2022年3月まで、ドバイ国際博覧会が開催された。アラブ首長国連邦(UAE)切っての経済都市ドバイ。周知のように現在世界最高の828mの高さを誇るタワー「ブルジュ・ハリファ」があり、一説によれば1,700億円ほどの建設費と聞く。ドバイは中近東エリアでは有数の観光地であることはいうまでもないし、近くのアブダビもリッチな国で「ルーブル・アブダビ」という名建築がある。

国際的な女性建築家として知られたザハ・ハディドは、2004年に世界的に権威あるプリツカー賞を、女性で初めて受賞するという名誉に輝いた。彼女の流麗な曲線美を表現した作風は、世界の建築界を広く席巻してきた。

(Photo by Masayuki Fuchigami)

(Photo by Masayuki Fuchigami)

彼女が設計した「オウパスME ドバイ・ホテル」は、ドバイ・ダウンタウンとドバイ・ウォーター・カナルのビジネス・ベイに近いブルジュ・ハリファ地区にある。ということは上述のタワーの名前はこのエリアの地名にもなっているのだ。ザハ・ハディドが2007年にデザインしたこのホテルは、彼女が建築とインテリアを一緒に設計した唯一のホテルとして有名である。それはソリッド&ヴォイド(固体&空洞)、不透明&透明、インテリア&エクステリアというハイブリッドのバランスをコンセプトとしてデザインしたものである。

ホテルはかなり広く、延床面積が84,300m2もある建物は別個のふたつのタワーとしてデザインされ、それらを合体することで、キューブ形の全体として誕生した。ザハ・ハディドによれば、キューブの中心部は熔融し、建物デザイン上の非常に重要なボリュームである自由な形態の空間を創造しているという。建物両サイドの塔状部分は、地上レベルでは4層吹抜けのアトリウムで連結され、地上71mの位置では非対称な幅38mの空中ブリッジで連結されている。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

ガラス・キューブとなっている建物の直覚的な幾何学形態は、その中央にある8層吹抜けのヴォイド空間の流動性とは、ドラマティックな対照をなしている。またキューブの二重ガラス・インシュレーション・ファサードは、UV(紫外線)コーティングと鏡面フリット・パターンによってソーラー・ゲインを減少させている。建物全体に応用されたこのフリット・パターンは、建物の矩形フォームの明るさを強調している。他方、絶えざる反射と透明の変化による光の戯れを通して、建物全体のボリューム感を減少させている。 
 
ヴォイド空間のファサードは6,000m2もあり、4,300枚の一重もしくは二重のカーブしたガラス・ユニットで覆われている。高効率のガラス・ユニットは非常に複雑な構成となっている。8mm厚のロウ・アイアン・ガラス(内側にコーティング)、16mmの間隙、および6mm厚の二重クリア・ガラスに1.52mmPVC樹脂をラミネートしたもので構成されている。ヴォイド空間のカーブしたファサードは、3Dデジタル・モデリングでデザインされたもので、強化ガラスを必要とする部分にも使用されている。

四角い形の建物のガラス張りファサードは、昼間は空をはじめ、太陽、周辺の都市景観を映し出す一方、夜間のヴォイド空間は個々のガラス・パネルに装備されたアジャスタブル(調節できる)なLEDライトのイルミネーションがダイナミックに輝いている。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

ホテルのインテリアに目を向けると、ザハ・ハディド自身がデザインした家具がホテル全域にわたって使用されている。ペタリナス・ソファとオットマンがロビーに配されている。これらは長いライフサイクルをもつ材料からできており、その構成部材はリサイクル可能というサステイナブル・デザイン。ベッドはオウパス・ベッドが使用され、デスク付きのワーク&プレイ・コンビネーション・ソファはスィートルームなどに置かれている。そのほか、彼女が2015年にデザインしたヴィターエ・バスルームが各客室に使用されている。つまりこのホテルは、全てがザハ・ハディドのデザインで埋め尽くされた貴重な建築作品なのだ。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

「オウパスMEドバイ・ホテル」には74の客室と19のスィートルームがある。そのほか「ザ・オウパス・ビル」全体では、オフィス、サービス付きレジデンス、レストラン、カフェ、バーなどがある。また有名な日本の炉端焼きレストランのROKAや、MAINEランド・ブラッセリーなどが入っているようだ。

「ザ・オウパス」ビルでは建物全域にあるセンサーが、省エネのためにホテルの混雑具合を判断して換気と照明を自動的に調節する。他方「オウパスMEドバイ・ホテル」は、インターナショナルME(メリア)ホテル群のサステイナブル・デザインと同じシステムを踏襲している。

ゲストは滞在中にホテル内でステンレス・スティールのウォーター・ボトルを受け取り、ホテル中に配置されたウォーター・ディスペンサーから飲料水を得る。客室にプラスティック・ボトルは一切なく、プラスティック・フリー・ホテルとなっている。ホテルではさらに食品廃棄を減らすためにビュッフェをサービスせず、食べ残した食品をリサイクルする生ゴミ処理機を用意しているという。サステイナブル・デザインの先端を疾走する世界的なSDGsホテルでもある。

世界中で先端的な建築を数多くデザインしてきた彼女が、2012年に開催された東京スタジアム・コンペで1等賞となり、来日した時の記者会見で会ったことがある。その時の彼女の晴れやかな佇まいが印象的だった。その後2016年にマイアミの病院で他界してしまったが、今でも彼女がデザインした未完の「東京スタジアム」に憧憬の念を抱いている人は少なくない。

●関連サイト
ME Dubai Hotel

名建築ホテルを実測スケッチで味わう。「アマン東京」「LANDABOUT TOKYO」「hotel hisoca」など 一級建築士 遠藤慧さん

ホテルの実測スケッチがSNSで人気を集めている一級建築士・カラーコーディネーターの遠藤慧さん。実測スケッチとは、建築物などの対象物を観察しメジャーなどでそのさまざまな部分を測量、スケッチに落とし込んでいくものです。「アマン東京」「hotel hisoca」「LANDABOUT TOKYO」など写真ではなくイラストでホテルを図解することで見えてきた名建築の魅力をインタビューしました。

「OMO5」、「山の上ホテル」、「hotel siro」、「MUJI HOTEL」など国内外のホテルを訪れて描いた実測スケッチ(画像提供/遠藤慧さん)

「OMO5」、「山の上ホテル」、「hotel siro」、「MUJI HOTEL」など国内外のホテルを訪れて描いた実測スケッチ(画像提供/遠藤慧さん)

遠藤慧さん(写真撮影/YUTA ITAGAKI)

遠藤慧さん(写真撮影/YUTA ITAGAKI)

ホテルは寝食住のデザインをまるっと体験できる場所

――実測スケッチからは、遠藤さんがホテルを訪れたときの感動が伝わってくるようです。国内外のメディアにも紹介され、人気を博していますが、ホテルをスケッチしようと思ったきっかけを教えてください。

遠藤慧さん(以下、遠藤):ホテルの実測スケッチは、建築事務所に勤めていたころ、設計のリサーチとしてはじめました。建築をなりわいにしている人は、デザインの勉強のために実際の建物を訪れることがよくあります。建築家が建てた空間を体験したいと思ったときに、例えば個人宅は公開されていないので、見学するのはハードルが高いですよね。美術館や図書館などの公共施設やレストランは誰でも行けますが、他の人もいるし、基本は夜閉館時間になったら出なくてはいけません。

丸一日その場所に滞在し、ご飯を食べて、お風呂に入って、就寝まで過ごして、デザインを丸ごと体感できるのがホテル(宿泊施設)の良いところだと思っています。部屋で実測していても誰からも変な目で見られないのも良いところです(笑)。

――遠藤さんは、その後も、数多くのホテルを訪れ、30枚以上に及ぶ実測スケッチを描いてSNSで公開されています。ホテルのどこに惹かれたのでしょうか?

遠藤:ホテルってすごいんですよ。建物のデザインはもとより、インテリア、家具、アメニティー、食器、パンフレットや部屋番号のサインに至るまで総合的にブランディングされ、デザインされているところが多いです。特に最近のホテルは体験をデザインすることに重きを置いていて、一つ一つのアイテムにこだわりがあり、食事などもホテルの過ごし方に合ったメニューが用意されています。大袈裟に言えば、ホテルは、「寝食住」のデザインを一番コンパクトに、まるっと体験できる場所だと思っています。

ホテルのコンセプトが体現されているアメニティーをスケッチすることも。「hotel hisoca」のアメニティーは、コンセプトカラーに合わせてセレクトされているのがかわいい(画像提供/遠藤慧さん)

ホテルのコンセプトが体現されているアメニティーをスケッチすることも。「hotel hisoca」のアメニティーは、コンセプトカラーに合わせてセレクトされているのがかわいい(画像提供/遠藤慧さん)

食器などを含め総合的にプロデュースされた食事も描く。「アマン東京」の朝食は、直径85cmのテーブルぴったりにお皿が並ぶさまが壮観(画像提供/遠藤慧さん)

食器などを含め総合的にプロデュースされた食事も描く。「アマン東京」の朝食は、直径85cmのテーブルぴったりにお皿が並ぶさまが壮観(画像提供/遠藤慧さん)

――実測スケッチはどのような過程で描かれていくのでしょうか? 

遠藤:チェックインをすませたら、部屋を歩き回って観察して、気になったところをどんどんスケッチしていきます。メジャー、レーザー距離計で実測して寸法値を書き込んだあと、それをもとに鉛筆で下書き・ペン入れをします。水彩絵の具での着彩は帰宅後に行い、細かい寸法などを描き込んで仕上げます。1枚描くのに8~10時間ほどかかっていると思います。

宿泊中は色見本帳(※1)で内装の色を測ったり、水栓金物や家具などのメーカーもチェック。せっかく良いホテルに来て観察ばかりしていてはもったいないので、カフェに行っておやつを食べたり、プールやスパ、レストランなどに行ってホテルステイを堪能します。

※1/ここでは日本塗料工業会が発行している「日塗工色見本帳」のこと。建築物・景観設備・インテリアカラーや日本工業規格(JIS)で定められた色などの実用色を多く収録しているので、建築の色を測る際に便利。

着彩を行うための作業台と色見本帳(画像提供/遠藤慧さん)

着彩を行うための作業台と色見本帳(画像提供/遠藤慧さん)

最初は寸法を測らず、間取りと“すてき”だと感じた場所を描く。その後、実測した数値を書き込んでいく(画像提供/遠藤慧さん)

最初は寸法を測らず、間取りと“すてき”だと感じた場所を描く。その後、実測した数値を書き込んでいく(画像提供/遠藤慧さん)

間取りだけでなく体感した居心地のよさを描き込みたい

――実測スケッチは、1枚に平面図とパースで構成されていますね。

遠藤:子どものころ、小学館の図鑑を眺めるのが大好きでした。スケールの違うものや、時間軸、表や文字など、ある項目にまつわるあらゆる切り口の情報が、等価にレイアウトされて1ページに収まっているのが好きだったんです。そんな「図鑑」を自分でも作ってみたい、という気持ちがあります。

「hotel hisoca」の実測スケッチ。部屋を真上から見た平面図と遠近法で家具などが描かれたパースが図鑑のように1枚に表現されている(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の実測スケッチ。部屋を真上から見た平面図と遠近法で家具などが描かれたパースが図鑑のように1枚に表現されている(画像提供/遠藤慧さん)

――配置を描いた平面図だけでなく、家具や窓からの眺めなどのパースがあることで、写真だけではわからない部屋の雰囲気までも伝わってきます。

遠藤: どのホテルのスケッチにも平面図は絶対に入れるようにしています。縮尺を設定して描いているので他のホテルとの比較がしやすいし、お部屋全体を一番網羅的に表現できます。空間のイメージはパース(建物の外観や内部を立体的に描いた透視図)や立体的な絵のほうがわかりやすいので、平面図で表せなかった部分を意識して付け加えています。客室で体験したことをギュッとまとめて見せられるような構図を目指しています。

「hotel hisoca」の平面スケッチ。客室内に個室サウナを備えたプランが特徴的。バスタブやキングサイズベッドまであらゆる寸法が記入されている(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の平面スケッチ。客室内に個室サウナを備えたプランが特徴的。バスタブやキングサイズベッドまであらゆる寸法が記入されている(画像提供/遠藤慧さん)

「hotel hisoca」の上品な色で統一された客室。ホテルのブランドカラーは、dusty pink(くすんだピンク)とdusty green(くすんだグリーン)(画像提供/ナカサアンドパートナーズ)

「hotel hisoca」の上品な色で統一された客室。ホテルのブランドカラーは、dusty pink(くすんだピンク)とdusty green(くすんだグリーン)(画像提供/ナカサアンドパートナーズ)

遠近法で部屋の様子を描いたパース。照明器具が組み込まれたベッドのヘッドボード回りの寸法がよくわかる(画像提供/遠藤慧さん)

遠近法で部屋の様子を描いたパース。照明器具が組み込まれたベッドのヘッドボード回りの寸法がよくわかる(画像提供/遠藤慧さん)

オリジナルファニチャーのパース。洋服掛けについて「両側から使えるのがとてもヨイ!」と感想もメモしている(画像提供/遠藤慧さん)

オリジナルファニチャーのパース。洋服掛けについて「両側から使えるのがとてもヨイ!」と感想もメモしている(画像提供/遠藤慧さん)

池袋にある「hotel hisoca」。「ホテルのコンセプトカラーであるくすんだピンクとグリーンが、建物、家具、アメニティーなどすべてに徹底されているのが素晴らしかったです」(遠藤)(画像提供/ナカサアンドパートナーズ)

池袋にある「hotel hisoca」。「ホテルのコンセプトカラーであるくすんだピンクとグリーンが、建物、家具、アメニティーなどすべてに徹底されているのが素晴らしかったです」(遠藤)(画像提供/ナカサアンドパートナーズ)

描くことで設計者がデザインに込めた物語が見えてくる

――建築士・カラーコーディネーターとしてどのような視点でホテルを見ていますか?

遠藤:仕事で自分でも建築設計やカラーコーディネートを行っているので、それに活かしたいと思いながら見ています。ホテルによって客層や目指している方向性が全然違いますし、どのようにしてデザインに落とし込んだのかとか、いろんな制約をどうやって乗り越えているのか……と思いながら見ていますね。歴史があるホテルも、新しいホテルも、ブランドに対して並々ならぬこだわりと企業努力があって、たくさんの物語があるんですよ。興味をもって調べたり聞いたりするといくらでもそういうのが出てくるので面白いです。

LANDABOUT TOKYOの実測スケッチ。カラフルな内装は、まちの色や素材をサンプリングしたものだという。「アメニティー、食事も同じ世界観で統一されていておしゃれ」(遠藤)(画像提供/遠藤慧さん)

LANDABOUT TOKYOの実測スケッチ。カラフルな内装は、まちの色や素材をサンプリングしたものだという。「アメニティー、食事も同じ世界観で統一されていておしゃれ」(遠藤)(画像提供/遠藤慧さん)

鮮やかなピンク色の床が特徴的。ベッドは小上がりに設置されていることで空間が広く感じられる(画像提供/遠藤慧さん)

鮮やかなピンク色の床が特徴的。ベッドは小上がりに設置されていることで空間が広く感じられる(画像提供/遠藤慧さん)

企画・内装デザインは、「株式会社HAGI STUDIO」(画像提供/Hajime Kato 加藤甫)

企画・内装デザインは、「株式会社HAGI STUDIO」(画像提供/Hajime Kato 加藤甫)

「LANDABOUT TOKYO」のエントランス。入ると地域に開かれたパブリックなカフェラウンジがある(画像提供/Hajime Kato 加藤甫)

「LANDABOUT TOKYO」のエントランス。入ると地域に開かれたパブリックなカフェラウンジがある(画像提供/Hajime Kato 加藤甫)

図解スケッチやホテルのおすすめの楽しみ方

――実測スケッチで伝えたいことは?

遠藤:設計者はみんな心を尽くして設計をしていますから、その片鱗がスケッチから少しでも伝わったらいいなと思います。私は、体感した空間を図にすることで理解しているんだと思います。描くことの良い点は、ものをよく見ることができること。描いてみると、いかに普段自分がぼんやりとしかものを見ていないのかわかるんですよね。構造がどうなっているのかわからないと描くことはできないんですよ。なんとなくだと描けない。上手い下手とはまた別の話です。

「アマン東京」の実測スケッチ。遠藤さんが驚いたのは、部屋の中央にベッドがあること。ベッドやテーブルのセンターラインに対してライトや椅子、ソファがシンメトリーに配置されている(画像提供/遠藤慧さん)

「アマン東京」の実測スケッチ。遠藤さんが驚いたのは、部屋の中央にベッドがあること。ベッドやテーブルのセンターラインに対してライトや椅子、ソファがシンメトリーに配置されている(画像提供/遠藤慧さん)

ソファのある窓際は、ベッドのある床から一段下がっている。「視界をさえぎるものはなく、空が近かった!」という遠藤さんの感動が伝わってくるパース(画像提供/遠藤慧さん)

ソファのある窓際は、ベッドのある床から一段下がっている。「視界をさえぎるものはなく、空が近かった!」という遠藤さんの感動が伝わってくるパース(画像提供/遠藤慧さん)

伝統的な日本の住居からインスピレーションを得てデザインされた室内。「木の色と白、黒のほぼ3色だけでコーディネートされていることに感動」(遠藤さん)(画像提供/アマン東京)

伝統的な日本の住居からインスピレーションを得てデザインされた室内。「木の色と白、黒のほぼ3色だけでコーディネートされていることに感動」(遠藤さん)(画像提供/アマン東京)

部屋を描いたあとは、カフェやレストラン、スパなど共用部を楽しむ。プールサイドのベッドのイラストには、「水着のままあがってもOK」「めちゃやわらかいタオル」など体感したこともメモ(画像提供/遠藤慧さん)

部屋を描いたあとは、カフェやレストラン、スパなど共用部を楽しむ。プールサイドのベッドのイラストには、「水着のままあがってもOK」「めちゃやわらかいタオル」など体感したこともメモ(画像提供/遠藤慧さん)

スタイリッシュなデザインの美しいプール。窓の向こうには、東京の大パノラマが広がる(画像提供/アマン東京)

スタイリッシュなデザインの美しいプール。窓の向こうには、東京の大パノラマが広がる(画像提供/アマン東京)

――実測スケッチを見ていると、描かれているホテルに行ってみたくなります。ホテルの楽しみ方を教えてください。

遠藤:SNSでも、「写真を見るより雰囲気がわかる!」「行ってみたくなった!」という声をいただくことが多くてうれしいです。行く前にホテルの由来などを調べたり、受付にパンフレットなどがあればぜひ読んでみるのもおすすめです。ホテルのコンセプトや設計者が建物に込めた思いをより感じられると思います。最近は“ホカンス(ホテルでバカンス)”という言葉も流行り、ホテルで過ごすこと自体をおしゃれに楽しむという風潮もありますが、建物の美しさにも目を向けてみるとよりすてきな発見があると思います。ぜひ訪れて、一つ一つのホテルの物語を感じてもらいたいです。

●取材協力
・遠藤慧(Twitter)
・hotel hisoca
・LANDABOUT TOKYO
・アマン東京
・株式会社HAGI STUDIO

世界の名建築を訪ねて。ウーブン・シティなど手掛けるビヤルケ・インゲルス設計の集合住宅「ザ・スマイル」/NY

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載1回目は、アメリカ・ニューヨークにある複合開発ビル「The Smile(ザ・スマイル)」(設計:ビヤルケ・インゲルス(BIG))を紹介する。

火星移住計画、トヨタ「ウーブン・シティ」も手掛ける世界的建築家の作品

今日ニューヨークで話題の建築家ビヤルケ・インゲルスは、デンマークのコペンハーゲン出身の建築家で、まだ48歳という世界の建築界では圧倒的に若さを誇る建築家である。いわゆるアトリエ派といわれる建築家集団(個人名を会社名として使用し設計活動をしている会社)では、おそらく世界有数の規模を有する建築デザイン・アトリエだ。その作品は世界中に展開され、さらに「火星移住計画」なども発表している。     

彼の事務所は「BIG」、すなわちBjarke Ingels Group(ビヤルケ・インゲルス・グループ)と呼ばれ、生み出す建築作品は、そのデザインの形態的ダイナミズム、アイディアの先進性、イノベイティブな機能性など、圧巻の魅力を兼ね備えている。それゆえトヨタが富士山麓に計画しているスマート・シティである「ウーブン・シティ」の都市デザインも任されているのだ。

イースト・ハーレムに打ち込まれた建築的スパーク

ニューヨークのハーレムといえば、多くの人はマンハッタンの北側方向にある治安が悪い場所というイメージをもっていると思う。あながち間違いではないが、近年では治安は以前より良くなっているようだ。裏通りなどはやめて、表通りを歩いていれば安全ということである。

ハーレムの存在はニューヨークの都市的多様性を示す好例であろう。縦長のマンハッタンにはロウアー・マンハッタンからアップタウンに向けて北上して行くと、先述のアーバン・ダイバーシティを種々体験することができる。そしてセントラル・パークを越えると、ハドソン川沿いにあるハーレムに行き着く。

さてビヤルケ・インゲルスがデザインした「ザ・スマイル」は、ハーレム125ストリートとハーレム126ストリートというふたつの通りをつなぐという大きな建物である。1階に看護学校を擁し、上部に集合住宅があり、両ストリートをつなぐ複合開発ビルだ。延床面積26,000平米の建物は、集合住宅の3分の1は手ごろな値段のアパートメントで、この界隈における集合住宅の多様性の一翼を担っている。

T字形をした建物プランにより、ユニット・サイズやレイアウトにバラエティがある一方、近隣ビル群との連繋も強化したデザインとなっている。この南側キャンティレバー部分は、125ストリートに面した既存の商業ビルの上部に浮遊するように見え、発展するアップタウンにおけるダイナミックな起爆剤となっている。

建物における最大の特徴となっている126ストリート側ファサードは、壁面が上部にいくに従って緩やかに湾曲を増していくという、従来の直線的なストリート・ラインに対し、ソフトでエレガントな形態となっている。このデザインは建物のマッス(躯体)を市のゾーニング規制に対応させているし、さらに集合住宅が多いこのストリート界隈に、より多くの直射光を導入するという、巧みな配慮が生きていて素晴らしい。

上部にいくに従って緩やかに湾曲を増していく壁面ファサード。チェッカーボードのパネルの合間は居室の窓にあたり、床から天井までの景色が楽しめる

上部にいくに従って緩やかに湾曲を増していく壁面ファサード。チェッカーボードのパネルの合間は居室の窓にあたり、床から天井までの景色が楽しめる

ニューヨークとはいえ、この辺はにぎわうフィフス・アベニューなどとは違って超高層ビルがないので通りがそんなに暗くはない。だがそれでもニューヨーカーは都心の超高層ビル群の間を巡るストリートの暗さを、日ごろ体験しているので、その気持ちが強いのだと思う。インゲルスもそうした気持ちから、ここハーレムでファサード・デザインに粋を凝らして、街路により多くの自然光を導入しようと考えたのだろうと思う。

建物名の「ザ・スマイル」については、彼の真意は分からないが、曲面壁のファサードは建物がスマイルして(笑って)いると考えたのかもしれない。そのファサード全体に使用された連続するチェッカーボードのパネル・システムは、個々の住宅ユニットに床から天井までフルハイトの開口部を可能にした。そのためテナントは同市のオープンでワイドな景色をエンジョイすることができる。さらにセントラル・パーク方向へのイースト・ハーレムや、北方向のハーレム川やブロンクスの眺望が可能になっている。

のんびりとしたルーフデッキからのワイドな眺望は圧巻

エントランスはタイル張りで、近隣の壁画アートからインスピレーションを得た強烈なカラー・コンクリートのデザイン。界隈のビル群に対しユニークでウェルカムな態度をアピールしている。内部のアメニティとしては、フィットネス・センターをはじめ、メディア・ルーム、リラクゼーション・スパ、ソーシャル・ラウンジ、さらにスカイライトで明るい3層吹き抜けのギャラリーを見晴らすワーク・スペースがある。

さらに外部のルーフトップ・アメニティとして、ワールプール・スパ、水泳プール、その他のソーシャルな活動や集会用に種々のタイプのスペースを提供するルーフデッキがある。建物の外装は黒色のメタル・パネルに対し、インテリアの居住スペースはニュートラルかつミニマルな空間となっている。インテリア全般において、空間は木材、コンクリート打放し、スティール・トラスといった建築素材で構成。それに対し、パブリックなアメニティ・スペースではより多くのファサードのメタル・パネルやカラー・タイルを組み合わせている。

のどかなルーフデッキから遠望するマンハッタン中心部の超高層ビル群が素晴らしい!

のどかなルーフデッキから遠望するマンハッタン中心部の超高層ビル群が素晴らしい!

ユニークな形態で界隈を明るくする「ザ・スマイル」は、前世紀のセットバック規制をクリアしている。良き隣人として、建物は既存の界隈の仲間となり、コミュニティのエネルギーを吸収し、イースト・ハーレムのコミュニティに新たなスパーク(火花)を点火したようだ。

●The Smile (New York, USA)
ザ・スマイル(アメリカ、ニューヨーク)

新品なのに捨てられる「建材ロス」問題。オトクに販売し建築業界の悪しき慣習に挑む  HUB&STOCK

まだ食べられる食材が廃棄される「フードロス問題」はよく知られていますが、実は建築業界でも同様に余剰となった新品の建築資材が廃棄されている「建築資材ロス問題」があります。まだ使える建材をレスキューして、再利用につなげる、そんな会社をはじめた建築士の挑戦をご紹介します。

新品を廃棄!? 背景は「納期厳守」の建築業界の慣習

日本の、特に都市部などの利便性の高いエリアでは、ビルやマンションの槌音が絶える日はありません。新しいビルが建設されるとき、建築会社は内装材をはじめ資材を必要量よりやや多めに発注します。「引き渡し日」を死守するため、長年、行われてきた業界の慣習です。

そうして、無事に建物が完成すると、使われなかった新品の建築資材、端材が発生します。多くの場合、工事後にまとめて廃棄しています。まだ新品で使えるのにも関わらず、会社が処分費用を払って、です。

建築会社からレスキューしてきた建築資材。どれも使われていない、新品です(写真提供:HUB&STOCK)

建築会社からレスキューしてきた建築資材。どれも使われていない、新品です(写真提供:HUB&STOCK)

こうした余剰の建築資材を集め、必要となる人や企業へ届けようとはじめたのが「HUB&STOCK(ハブ&ストック)」です。立ち上げたのは、一級建築士の豊田訓平さん。ゼネコン、一級建築士事務所を経て、2021年にはじめたスタートアップ企業です。

HUB&STOCKをはじめた一級建築士の豊田さん(写真提供:HUB&STOCK)

HUB&STOCKをはじめた一級建築士の豊田さん(写真提供:HUB&STOCK)

「今、東京をはじめ首都圏で合計約100万トンの建築混合廃棄物が出ています(2018年度)が、うち約2割がこうした新品だと思われます。東京の最終処分場の処理能力は既に限界です。最終処分場がいっぱいになってじゃあ、地方に持っていって捨てていいのか?と。一方で建築会社も建築資材を捨てたくて捨てているわけではありません。半端な量なのと、資材流用になってしまうので、他の現場では使えない。『もったいないよね』『なんとかできないかな』、皆そう思っているけど、既存の仕組みでは難しい。迷っていたときに、社会起業家集団ボーダレス・ジャパンの人と会って話をし、『もう、やるしかないじゃん』と腹を括ってはじめました」(豊田さん)

HUB & STOCKの倉庫には今、約600種類、1万2000点もの、今すぐ使える建材がずらりと並んでいます。資源として「すでに利用可能な状態」の建材を再利用するのは、環境負荷として非常に負荷が低く、無理も無駄もありません。ただ、業界の慣習でなかなか変えられない側面があり、文字どおり豊田さんが身ひとつ、真っ向から挑戦している状況です。

豊田さん自身が回収してきた資材たち。きれいに仕分けされ、ところ狭しと並びます(写真撮影/嘉屋恭子)

豊田さん自身が回収してきた資材たち。きれいに仕分けされ、ところ狭しと並びます(写真撮影/嘉屋恭子)

多いのは床材。これがすべて廃棄されていたと思うと信じられません(写真撮影/嘉屋恭子)

多いのは床材。これがすべて廃棄されていたと思うと信じられません(写真撮影/嘉屋恭子)

自ら会社に出向いて建材を仕入れ。販売はホームセンターで実施

立ち上げから1年が経過し、余剰となった資材提供をしてくれる会社も、1社また1社と増え、現在、一都三県の協力してくれる20もの建設会社にまで増えたそう。また、引取時はどんなに少額でも引取費用を支払っているといいます。そのため、建設会社から見ると、(1)資材を保管、廃棄する手間がなくなる、(2)廃棄処分費用が不要になる、(3)収入になる、と3つのメリットがあることになります。

豊田さんが仕入れるのは主に床材、壁紙、タイル、巾木など。一つずつ、タグをつけて保管するだけでなく、なおかつ実際の使用例まで見せられるのは、豊田さんが一級建築士である強みです。

巾木がずらり。素人が見てもなんだかわかりませんが、タグ付け、仕分けができているので、いつでも出荷できる状態です(写真撮影/嘉屋恭子)

巾木がずらり。素人が見てもなんだかわかりませんが、タグ付け、仕分けができているので、いつでも出荷できる状態です(写真撮影/嘉屋恭子)

「1つの建設会社から出る建築資材は、だいたい2トントラック一杯分です。初めての取引先は青山だったんですが、トラックを運転して行きました。今は2~3カ月に一度程度、回収しています。モノによっては重さ60kgある建材を自身で搬入搬出しているので、だいぶ足腰が鍛えられました(笑)」(豊田さん)

保管されている建材は現在、ホームセンターなどで、メーカーの希望小売価格の7~8割引き、卸売価格の2~3割引きという、アウトレット価格で販売されています。
「DIYをする人やプロからは、必要な資材がすぐに買える貴重な場だけあって、『ぜひ売ってほしい』『店舗を見たい』という要望を多くいただいているのですが、今は、自分ひとりで回しているので、弊社で直接、販売できるキャパシティがないんです。首都圏であればホームセンターの山新さんで、『アウトレット建材コーナー』を設置してもらい販売しています。ホームセンターは全国で約5000店舗あるので、『新古建材を循環する流れ』をつくる意義を考えると、自社で販売するよりもこちらのほうが有利と考えてのことです」と豊田さん。

とはいえ、スタートアップ企業のHUB&STOCKが、ホームセンター大手企業といきなり取引するのは容易ではありません。そこでホームセンターの業界紙に取り上げてもらった記事を片手に、豊田さんが各社社長宛てに直筆の手紙を書き、販売交渉にあたったそう。当たり前ですが、1人で何役もこなすその努力に頭が下がります。

新古建材を使って原状回復をした例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

新古建材を使って原状回復をした例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

異なる柄のタイルカーペットも組み合わせることで有効活用できる例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

異なる柄のタイルカーペットも組み合わせることで有効活用できる例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

言われなければ新古建材を使っているとはわかりません。豊田さんのデザイナーとしての腕の確かさを感じます。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

言われなければ新古建材を使っているとはわかりません。豊田さんのデザイナーとしての腕の確かさを感じます。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」のデスクまわりの様子(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」のデスクまわりの様子(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」部屋全体(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」部屋全体(写真提供:HUB&STOCK)

課題は売る建材がない!? 将来は地域拠点やアジアでの進出も視野に

現状、苦労して黒字を計上できる月も出てきたといいますが、このところ建材不足と価格高騰という追い風が吹いていて、ありがたくもあり、困っている状況でもあるといいます。

「とにかく課題は山積みなんですが、今は建材が高騰しているので、とにかく欲しいので売ってくれ、という引き合いが多いですね。要望が多いのはとくに床材です。利用用途としては、賃貸物件の原状回復、個人のDIYなどでしょうか。当社に入ってくる資材は特性上、少量ロットになるので、個人のリフォームや原状回復と相性がいいんですよ」(豊田さん)

まさかの資材不足の影響がココにもきているそう。
「今、ここにある断熱材もすでに行き先が決まっています。いい建材がたくさんあるので、売れていくのはうれしいですね。メーカーはじめ、企業との協業も水面下で進んでいるんですが、まだまだ言えないことも多くて困ります」と苦笑いをします。

いちばん上に載せられた断熱材。すでに使いたいと申し出があるといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

いちばん上に載せられた断熱材。すでに使いたいと申し出があるといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

「賃貸でも分譲でも、住まいに無関係な人はいません。ぜひ、建築の資材問題を知ってもらいたいですし、欲しいなと思ったらホームセンターで手に取ってほしいですね。実は新築の建材廃棄問題は、メーカーでも卸売会社でも発生しています。販売できなかった商品は処分されているんですね。メーカーさんもこのままじゃいけないのは、わかっている。弊社で引き取り、アウトレット建材ということで販売していけたらいいなと思っています」(豊田さん)

今後の展望としては、建築資材を地域で循環させていくモデルを確立すること。

「利便性のいい土地に大拠点をつくると輸送費のほうが高くなるので(笑)、関東や中部、関西など、その地域地域にあわせたストックをつくり、循環させていくモデルをつくりたいですね」といい、日本のみならず、さらには海外展開も視野に入れているといいます。
「日本だけでなく、現在、発展著しいアジア各地でも同様の問題は起きるはずです。将来はアジアにもビジネスモデルを輸出していけたら」と話します。

ほかにも、余った建材どう組み合わせてデザインするか、設計手法のコンサルティングなども考えているそう。「デザインありき」ではなく、建材をどうやって組み合わせて空間を見せるか、考えただけでもおもしろそうです。今後、国内では中古住宅のリフォーム、修繕、メンテナンスはますます広がりを見せることでしょう。そんなときの、ホームセンターで新古建材を選ぶことが当たり前の選択肢になる、そんな日はそう遠くない気がします。

●取材協力
HUB&STOCK

神勝寺では“うどんを食う”も禅体験に! 建築や庭などすべてが「禅」のミュージアム 広島県福山市

近年、世界的にも注目を高めている“禅”。精神を統一して真理を追求する仏教・禅宗の教えが広まったことで、日常生活にも取り込まれていきました。高尚で精神的なものをイメージしてしまいがちですが、禅の教えを楽しみながら、五感で体験できるミュージアムがあることをご存知でしょうか? 広島県福山市にある「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、広大な境内に点在する建築物を巡りながら、禅の教えに触れる体験ができると聞き、実際に体験した様子をレポートしたいと思います。

あの有名建築家の建築も! 建物自体が展示作品境内全体図(提供:神勝寺)

境内全体図(提供:神勝寺)

緑豊かな山道を登った先に見えてくる総門をくぐると、建築史家・建築家 藤森照信氏が設計した寺務所、「松堂」が出迎えてくれます。
屋根に植えられた松の木は、藤森氏が「禅と縁の深い」木として選んだもの。もちろん、勝手に生えてきてしまったのではなく、デザインされた外観なんです。
藤森氏といえば、屋根にタンポポを植えた自邸の「タンポポハウス」や故・赤瀬川原平邸「ニラハウス」をはじめ、建築に直接植物を植えるデザインに繰り返し挑戦しています。

「松堂」外観。 面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「松堂」外観。
面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一見すると突拍子もないおふざけのようにも見えてしまいますが、実は「芝棟」と呼ばれる屋根から植物を生やした日本古来の住宅形式に着想を得たもの。それもそのはずで、藤森氏は建築家でありながら、建築史家として長年古建築の研究に携わってこられました。
松堂に植えられた松は、自然と共に生きてきた日本人の知恵を、現代に蘇らせたデザインなんです。
軒下の天井と壁を一体化させた継ぎ目のない漆喰による面のつくり方も、日本古来の手法を現代的に再解釈したデザイン。新しくもありどこか懐かしい温かみを感じる藤森氏の建築は、温故知新を体現するミュージアムに来訪者を招き入れるゲートの役割に、これ以外ないと思わせるバランスで応えていました。

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然と共にある庭も禅への入口

松堂の眼前に広がる「賞心庭」は、作庭家・中根史郎氏が手掛けたもの。池の周りを巡り楽しむ回遊式の庭園で、四季折々の草花を愛でることができる見どころが随所に施されています。
この池を挟んで松堂と正対するように立っているのが茶房「含空院」。こちらはもともと滋賀県にある永源寺より移築されたもので、築350年以上の歴史をもった茅葺きの建築です。維持管理の手間がかかる茅葺きですが、美しく保たれているのが印象的です。含空院では庭園を眺めながらお茶や甘味をいただくことができます。
神勝寺には含空院のほかにも、年代も様式も用途もバラバラな多くの建物が各地から移築され境内に点在しています。「神勝寺 禅と庭のミュージアム」は、もともと臨済宗の寺院として築かれていた境内に、含空院をはじめいくつかの建築を移築し、また新たな建造物を建ててオープンしました。
寺院建築では他の寺院から建造物を譲り受け、移築すること自体は昔から行われてきましたが、これだけたくさんの建築物を移築し、また新築して境内全体を刷新するのはあまり例のない試みといえるでしょう。庭や美術作品のほか、建築物も含めて禅の体験を提供する「ミュージアム」というコンセプトだからこそ、建物自体もミュージアムを構成する作品の一部として、様式や宗派といった個々の建築が有する背景と矛盾なく同居させることが可能なのかもしれませんね。

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

25分のインスタレーション作品で禅を体験

賞心庭から松堂の脇を抜け坂を登っていくと、多宝塔が見えてきます。そこからさらに歩を進めると、神勝寺最大の目玉ともいえるアートパビリオン《洸庭》が出迎えてくれます。
彫刻家・名和晃平氏率いるクリエイティブ・プラットフォーム、Sandwichが制作した《洸庭》では、約25分間の禅をテーマにしたプログラムが用意されています。

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

係員の誘導に従って一連のプログラムを体験することで、誰でも禅のエッセンスに触れることができるアート作品です。このように作品として体験する空間や場所はインスタレーションと呼ばれ、現代アートの表現ジャンルとして発展してきました。
お寺にアート作品? と意外な気もしましたが、よくよく考えてみると、古くからお寺は芸術が生まれ、人々の目に触れる場として機能してきました。博物館で観ることのできる美術品にも、お寺でつくられ、使われていたものが多く展示されています。いまの時代であれば現代アートがお寺に展示制作されることは、むしろ自然な流れといえそうです。
《洸庭》は内部のインスタレーションはもちろん、建築としても見応え十分。広い庭に舟形の建物が浮かぶように立つ様子からは、浮世離れした印象を受けますね。建物全体を包むように、伝統建築の屋根に多用されてきたこけら葺きと呼ばれる技法で木材が施されており、全体のプロポーションとも相まって巨大なお堂のようにも見えます。船を模した造形は、ミュージアムの運営母体である造船会社から着想を得たデザインで、インスタレーションの内容とも連動しているんです。

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

特定の用途のために建てられる建築も、多様な使われ方を想定してある程度融通の利くように設計されるのが一般的です。ここでは、一つのインスタレーション作品の体験の場を創出する目的のみに特化することで、独創的なデザインを実現しています。

うどんをすする禅体験? 修行僧のごちそうをいただきます

お昼時には「五観堂」に立ち寄りましょう。ここでは、普段は食事も修行の一環として厳しく制限されている修行僧・雲水にとって一番のごちそうである、湯だめのうどんをいただくことができます。
ただうどんを食べるだけではないのが神勝寺の面白さです。ここにもまた禅の教えに触れる工夫が。
配膳を前に、食事の作法を教えてくれます。本来であれば食事中ですら音を立ててはいけない雲水も、うどんを食べるときだけは豪快にうどんをすすり音を立てて食べることが許されているのだそうです。
厳しい修行における束の間の解放感、その疑似体験を通じて、雲水の修行に思いをはせることが禅を体感する足掛かりになるなんて不思議ですね。

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

五観堂からさらに先へ進むと、「秀路軒」、その先には「一来亭」が見えてきます。どちらも茶室・数寄屋研究の泰斗である中村昌生氏が携わり再現/復元された茶室。いずれも千利休に縁のある建築で、合わせて見学することで利休の追求した美の一端に触れることができます。

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

庭園にも美術品にも潜む禅の思想

それらを後にしてさらに登っていくと一気に視界が開け、広大な枯山水庭園が広がる頂上へと到達します。この庭園は「足立美術館」の庭園作庭などで知られる中根金作氏によるもの。総門からここへたどり着くまでに仕掛けられたさまざまな工夫と対比されるように、要素が限定され白い砂利が一面に広がる空間に身を置くと、邪念が吹き飛び心が洗われるよう。「禅と庭」をテーマにしたミュージアムのクライマックスにふさわしい庭園空間です。賞心庭を手掛けた中根史郎氏は息子でもあり、境内を上下に挟むように親子共演を楽しむことができるようになっています。

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また荘厳堂に展示される禅画・墨跡は《洸庭》と並ぶミュージアムのもう一つの目玉。その中心は江戸時代中期に臨済宗を中興した禅師白隠のコレクションで、ユーモアも交えた魅力的で多彩な作品が展示されています。誰もがその写真を見たことのあるような有名な作品を、その思想の発信基地である臨済宗の寺院で鑑賞できる貴重な体験です。

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

全身で体感し、持ち帰る禅体験

本堂から階段を下りる視線の先には、建物一つ見えない自然豊かな景色が広がっています。人里離れた静かな境内で、草木に囲まれて自然の声に耳を澄ますのもまた禅との接点になっているんです。
こうして建物を見て歩き、境内を巡るだけでも、禅の思想を頭ではなく、楽しみながら体で体験することができるのがこのミュージアムのすごいところ。ほかにも写経や坐禅体験のプログラムも用意されていて、訪問者の時間に合わせた禅体験ができるようになっています。
ひと通り回った後は、浴室で汗を流しましょう。ここでは入浴中に口に含むための飴玉が配られます。口内の飴玉に意識を集中させることで雑念を振り払う、瞑想の訓練としての飴玉なんです。

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、大掛かりなインスタレーションアートから、うどんの食事や入浴といった日常生活と地続きのものまで、さまざまな場面を通じて禅の思想に触れることができます。
それは単にこの場所で禅の体験をするにとどまらず、日々の暮らしの中で禅を意識し、暮らしを見つめ直す第一歩となることを意図したもの。
禅の思想は最近ではビジネスの世界でも注目が集まっていますが、それ自体は臨済宗の教えからエッセンスを抜き出して、ビジネスへの活用を考えようとする動きです。素人目には、仏教の思想をそんなふうに都合よく扱って良いものだろうか? と思ってしまいますが、時代が変われば宗教の存在価値もまた変わっていくもの。むしろ積極的に日々の暮らしに役立ててほしいと、多様なプログラムが用意されていることに驚きました。
そしてそのプログラムを伝える媒体となる建築もまた、求められるニーズに合わせてアップデートされ、新しいデザインの可能性を切り開いていました。
禅と庭、そして美術と建築、これらが一体となった神勝寺は、建築好きあるいは美術好きでなくとも、新しい発見を得ることができる、皆に開かれたミュージアムでした。

●取材協力
神勝寺

「中銀カプセルタワービル」2022年に取り壊しへ。カプセルユニット保存へ向けて挑戦はじまる

2021年夏。世界の建築ファンが注目する建築が、いま取り壊しへのカウントダウンを刻みつつあるという。東京都・銀座8丁目に建つ、建築家・黒川紀章の代表作「中銀カプセルタワービル」(1972年)だ。丸窓を有するキューブ状のユニット140個が塔状に張り付くユニークな建築は、世界ではじめてのカプセル型の集合住宅と言われている。その住戸であるカプセルユニットの保存を、クラウドファンディングの資金援助によって行おうとしているグループの代表いしまるあきこさんに話を聞いた。
目標150万円を大きく上回る400万円の支援金を獲得

「2カ月間のクラウドファンディングの期間(5月30日~7月28日)に、延べ300人を超える方々から、当初目標とした150万円を超えて、約400万円の支援をいただきました」と「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるさんはその支援・共感の手応えを話してくれた。

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービル(以下、中銀カプセル)は建築関係者だけでなく、一般の建築ファンやかつての未来感に共感を寄せる人々、しかも、若い方から建設された1970年代に子ども時代を過ごして懐かしむ方まで、幅広い世代に関心を寄せていただきました」(いしまるさん)と支援者の幅広さを強調する。

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

この独創的なカプセル建築は、建築家・黒川紀章(1934~2007年)の設計によるものだ。「中銀カプセル」は、黒川が参画した建築運動「メタボリズム」(※1)のもと、1969年に黒川が提唱した「カプセル宣言」に端を発し、1970年の大阪万博での未来型カプセル住宅の仮設パビリオンに続く、恒久的な建築として、銀座という一等地に燦然とその姿をあらわした。
日本はもとより世界で、黒川の建築思想と斬新な意匠とあいまって注目される建築となった。
ただし、黒川氏の構想ではカプセルをそれぞれ個別に25年毎に交換するアイデア(建築の新陳代謝)だったものの、現実的には建物の構造上これが難しく、結果的にカプセルはひとつも、一度も交換されないまま老朽化を迎えることになった。(※2)
また、その後には、カプセルホテルでおなじみのカプセルベッドの開発(1979年)という別の形のカプセルとしても実現した。黒川氏の60年代末に提唱した「カプセル」というコンセプトは、いまも私たちの暮らしの中の一隅に生き続けている。

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※注1:メタボリズムとは「新陳代謝」を意味し、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を目指すという、1960年代から70年大阪万博にかけての前衛建築運動だった。
※注2:建物の構造体となる階段室シャフトに対して、カプセルユニットを下から順番に引っかけて固定しており、また、カプセル同士の隙間が30cm程度しかないため、1つのカプセルを外すときに周囲のカプセルに干渉しやすく、設備配管を外すことも難しかった。棟ごとでカプセルを交換することで、ようやく実現できる。さらに、法的には一般的な分譲マンションと同様の区分所有建物であり、多くのカプセル交換は大規模修繕にあたるため所有者の大多数の合意がないと建物を改修できないという制約もカプセル交換を阻む壁となった。

黒川氏のカプセル建築は、50年のときを経て老朽化が進んでいる。
その一つ、別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(1973年・長野県御代田町)は、黒川の子息である黒川未来夫氏が取得して、同じくクラウドファンディングで資金の一部を調達して改修され、21年秋ごろには民泊として、誰もが宿泊体験できる予定だ。(黒川紀章の「カプセル建築」が再注目される理由)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

古い建物好きが高じて、中銀カプセルタワービルにたどり着く

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表で一級建築士のいしまるさんは、大学の建築学科の学生のころから新しいピカピカの建築よりも、歴史を重ねて年月の深みを刻んだ住宅や建築に心を引かれてきたという。
例えば、関東大震災(1923年)の復興住宅である同潤会青山アパート(※3)について、解体前年の2002年から「同潤会記憶アパートメント展」を計7回主宰し開催してきたという。(2012年に「Re1920記憶」と改称したのちも、計5回開催)最初の開催時には、大学院生だった。
また、自ら古い住宅や店舗をデザイン・リノベーションする設計やDIY活動も行ってきた。
いずれも「古い建物を使うことで残すことにつなげたい、建築を体感してもらうことでその記憶を未来につくりたい」と取り組んできたのだという。

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※注3:震災義援金をもとに1924年に設立された財団法人同潤会が、34年までに東京・神奈川の16箇所に鉄筋コンクリート造の集合住宅、いわゆる同潤会アパートを建設した。青山アパートは1926-27年建築。2003年解体。現在跡地には安藤忠雄設計の表参道ヒルズが建つ

そんないしまるさんが、中銀カプセルにたどり着いたのは、2013年のことだという。偶然見つけたカプセルの賃貸だったが、「身軽なうちに名建築に住んでみたい」と思い、お湯も出ず、キッチンも洗濯機置き場もないが、借りて住むことにした。中銀カプセルは分譲マンションで、140個のカプセルそれぞれにオーナーがいる。当時から、建て替えや保存について管理組合で議論されていたが、保存派の所有者からB棟の1室を借りて1年ほど住み、2019年まではシェアオフィスにしていた。2017年からは、B棟のシェアオフィスでの取り組みが評価されて、保存派の所有者から別のカプセルA606号室を借り受け、シェアオフィスとして企画・運営することになったという。現在は、自身を含む8人の会員とともにA606号室を活用している。(シェアオフィスの利用は8月末で終了し、退去予定)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんは「私が、中銀カプセルに住み始めた2013年には、すでにカプセルでさまざまなリフォームが行われていました。雨漏りや経年劣化で傷みがひどいところも多く、もとのカプセルのオリジナルパーツを残すのも難しかったようです。オリジナルが残っているものは、できる限りそのまま残したい、竣工時の空間をもっとちゃんと知りたいと思うようになりました」と語る。
「そこで私たちは、もともとオリジナルの棚などが多く残っていたA606を、1972年の建てられた当時の状態に“レストア”することにしました。レストア(restore)とは、クルマなどの古い乗り物を販売当初の姿に修復して使えるように復活させるときによく使われる言葉です。当初のカプセルユニットには、当時最先端の機器類がオプションで設置できました。ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオ、電卓、電話、冷蔵庫などです。これらを竣工時の状態にレストアして、A606号室では全て使えるように直しました。カメラマンの副代表が設備機器の修復、メンテナンスを担っています」(いしまる)と説明してくれた。円形のブラインドについては、竣工時の写真などをもとに工夫して復元したのだという。
いしまるさんは「セカンドハウスという位置づけでカプセルは生まれました。黒川紀章さんが1人1カプセルと謳った思想は現代にも通用すると思います。ユニットバスを含めた全部で10平米(壁芯で2.5m×4m)のコンパクトな空間ですが、直径1.3mの大きな丸窓のおかげで閉塞感も無く、過ごしているうちにちょうど良い大きさで快適だと感じていきます」と話してくれた。

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという。(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという。(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

クラウドファンディングを手がかりに「3つの保存」に取り組む決意

「わたしたちは、カプセルを借りているに過ぎないので、保存や解体などに直接的な権利はありません。このような意思決定は区分所有者の話し合いに委ねられています。解体に向けて2018年に大きく舵は切られ、私たちにA606号室を貸してくれていた保存派のオーナーも2019年には『買い受け企業』にA606を売却しました」ということだ。
いしまるさんは、その「買い受け企業」と弁護士を通しての粘り強い交渉の末、「1.A606住戸ユニットを譲り受けること、2.全カプセルの学術調査、3.それら費用のクラウドファンディング実施、4.見学会等の実施」を認めてもらうよう裁判所での調停で合意を取り付けたという。

7月28日に終了したクラウドファンディングを呼びかけのサイトから、いしまるさんたちの「保存」についての考え方を引用してみよう。

####(引用はじめ)
残念ながら、2022年3月以降に中銀カプセルタワービルの解体が予定されています。解体にあたって、私たちは「3つの保存」に取り組み、未来にカプセルをシェアしていきたいと考えています。

1. 記録保存  中銀カプセルタワービルの全戸調査による記録保存
2. カプセル保存 カプセル躯体とオリジナルパーツの保存
3. シェア保存  動くモバイル・カプセルとして多くの方とシェアして残す

1. 記録保存
中銀カプセルタワービル全戸の学術的調査(実測調査、写真撮影、Theta撮影、ドローン撮影など)をおこない、解体されたら消えてしまう中銀カプセルタワービルのさいごの姿を、記録を残すことで後世に伝えます。

2. カプセル保存
A606オーナーである中銀カプセルタワービルの「買い受け企業」から譲り受けるカプセルユニットと、取り外す予定のカプセルのオリジナル家具・機器類を、のちに組み合わせることでカプセルのオリジナルを保存します。オリジナルパーツが消えてしまう前に救って、再度オリジナルのカプセルユニットと組み合わせます。

3. シェア保存
「使うことで残す」ことを実践してきた私たちは、使い続けながらより多くの方とカプセルをシェアしていけるようにします。
カプセルを動かせるようにすることで、たとえば、建築学科のある大学や美術館・博物館に移動して、多くの方とオリジナルのカプセルユニットをシェアできるような仕組みをつくっていきたいと考えています。どこかに移築保存するやり方もあるとは思いますが、私たちはカプセルを移動できるようにすることがふさわしいと考えました。動くカプセルは黒川紀章氏の「カプセルは、ホモ・モーベンス(=動民)のための建築である」、「動く建築」の思想の実現でもあるからです。
####(引用終わり)

いしまるさんによると「カプセルの保存にあたって、一番問題なのはアスベスト(石綿)がカプセルに使われていることです。建設時には合法でしたが、壁の内側にある鉄骨の吹き付けアスベストと外壁にもアスベスト含有塗料が用いられています」。
かつてアスベストは柔軟性、耐熱性、耐腐食性などに優れ、さらに安価のため「夢の建材」と言われ、断熱材、耐火材、塗料などにあらゆる建材に多用された(※4)。現在では、吸入することで中皮腫・肺ガンの原因となり死に至る毒性が明らかになったことから、取り壊しなどの際には飛散防止など慎重な取り扱いが法的に義務づけられている。
建物解体時のアスベスト除去作業によって、オリジナルパーツが廃棄されてしまうのを避けるために、自分たちでアスベスト対策をした上で、オリジナルパーツを取り外して救い出すのだという。このため、いしまるさんらは自ら「石綿取扱作業従事者特別教育」を受け、更に「石綿作業主任者講習」などを受けてアスベスト関連作業を取り扱うことができるようになったという。自分たちで取り組むことでコストダウンになるが、それでもアスベスト環境下の内装解体作業だけで約100万円はかかりそうだという。そのためにクラウドファンディングを行っていた。
##
※注4:アスベストによる建材等は1990年ころまでは当たり前に使われており、日本では2006年全面禁止された

このほか、黒川氏は「カプセル宣言」のなかで、カプセルそのものを動かすことを謳っていることから、いしまるさんらは、移築保存ではなくこれを「牽引化(=車で引っ張って動かせるようにする)して動くモバイルカプセル」にすることで、動かして使いながらの保存を目標としている。
また、50年を経て傷んでいるカプセル外壁の処理などを考えると、牽引化のための特殊な台車と合わせてさらに約500万円がかかるだろうと試算している。

いしまるさんは「中銀カプセルタワービルが取り壊されるのは残念ですが、老朽化や修繕の費用負担を考えると致し方ない状況だと思っています。建物が解体されるのであれば、黒川紀章さんの当初の想いを継承して、1つのカプセルをオリジナルに近い状態で保存して、多くの方とシェアしながら使って残していくことが私たちのやるべきことだと考えています。どうやって、どこで使うのか……など、まだまだ決まっていないことだらけです。今回のクラウドファンディングで寄せられた支援金や、暖かい励ましのメッセージを受け止めて、私たちのやり方で、しっかり取り組みたいと思います」と決意を語ってくれた。

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

最後に筆者の個人的な思いについても、少し紹介しておきたい。
いしまるさんによる同潤会アパートの記憶の展示や、オリンピックの舞台となった新国立競技場近く千駄ヶ谷の古いRC造マンションをコツコツとセルフ・リノベーションしていたお住まい等でお会いしたのは、かれこれ10年以上前のことだ。筆者は、かつて、日本の近代建築を大学・大学院で専攻していたこともあって、いしまるさんの地に足がつき、なおかつ継続的な取り組みに共感するところは大きい。
このたびの取材においても、いしまるさんの小さな身体から、このエネルギーはどんなふうに湧いてでているのだろうと、お話しになる姿をたのもしく拝見したものだ。今後のカプセル保存までには幾つもの困難が待ち受けているだろうが、応援したい。

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

●取材協力
・中銀カプセルタワービルA606プロジェクト/カプセル1972 
・READYFOR中銀カプセルタワービルA606プロジェクト(クラウドファンディングは終了) 
・いしまるあきこWebサイト

海外レポート(2)ベルリンの博物館島、サンスーシ宮殿、クヴェートリンブルクが世界遺産の理由

世界遺産フリークで世界遺産検定2級の筆者は、2020年2月に念願のドイツ世界遺産の旅に出た。デッサウのバウハウス、ベルリンのモダニズム公共住宅に続き、ここではベルリンの博物館島やポツダムのサンスーシ宮殿などの世界遺産に登録された建築物について紹介していきたい。
モダニズム建築につながるドイツ新古典主義の博物館群。会いたい人にも……

ベルリンには、世界遺産が3つある。その1つがすでに見学した、ブルーノ・タウトやバウハウス初代校長のワルター・グロピウスなど当時の一流建築家による「モダニズム公共住宅」(6団地が登録)。次に時代を遡って、「ムゼウムスインゼル(博物館島)」。さらに遡って、「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の3つだ。

時代によってそれぞれ、建築様式が異なる点がとても興味深い。では、詳しく見ていくことにしよう。
筆者がとても楽しみにしていたのが、博物館島だ。5つの博物館を見ることに加えて、会いたい人がいるからだ。

博物館島の大きな特徴は、建築順に旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー(国立美術館)、ボーデ博物館、ペルガモン博物館が林立すること。1830年に旧博物館が建設されたのを皮切りに、以降100年の間に博物館や美術館が建設されてきた。しかも、シュプレー川の中州の中にだ。

博物館内にあった模型で見ると、下の画像のような配置になる。こうした複合文化施設の先駆けであるとともに、近代博物館建築の歴史を示すことが評価されて、1999年に世界遺産に登録された。

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が旧博物館を建設し、後を継いだ4世が旧博物館のある中州を「芸術と科学の聖域」と定めて複数の博物館の建設を始めた。しかし、第2次世界大戦による被害を受け、ベルリンの壁の崩壊後に大規模な修復やコレクションの再編などが行われ、今に至っている。

○旧博物館 (Altes Museum)
1830年築。建築家カール・フリードリッヒ・シンケル設計
171082_sub01n

○新博物館 (Neues Museum)
1859年築。シンケルの弟子の一人であるアウグスト・シュテューラ設計
171082_sub03

○旧ナショナルギャラリー(Alte National Gallerie)
1876年築。アウグスト・シュテューラとハインリッヒ・ストラック設計
171082_sub04

○ボーデ博物館 (Bode Museum)
1904年築。エルンスト・イーネ設計
171082_sub05

○ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)※建物を改修中のため一部のみ見学可能
1930年築。アルフレッド・メッセルとルードウィッヒ・ホフマン設計。5つの中では最大規模。
外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

博物館島の建築様式は、19世紀~20世紀に全盛だったドイツの「新古典主義」。グリークリバイバルといわれる、古代ギリシャの神殿のようなデザインが多く見られる。ただし、前述のシンケルの幾何学的で端正なデザインは、その後のモダニズム建築にも影響を与えたといわれている。

博物館としては、古代都市ペルガモンの大祭壇(訪問時は展示されていなかった)を擁するペルガモン博物館が最も有名だが、建築物としては旧ナショナルギャラリーが素晴らしかった。ドーム天井の緑色と降り注ぐ日差しの組み合わせは、心奪われるものだった。

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

さて、筆者が会いたかった人には、新博物館の片隅で会うことができた。その人とはエジプトの「王妃ネフェルティティ」。彼女の胸像が収められた一角は、ここだけ撮影が禁止され、厳重に守られていた。

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新古典主義が装飾過剰と批判したバロック・ロココ様式とは?

さて、「新古典主義」とは、それ以前の「バロック建築・ロココ建築」の反動から、建築の本質をギリシャやローマに求めたもの。次は、装飾過剰と批判された、その建築様式を見ていこう。

バロックの語源はポルトガル語の「歪んだ真珠(バローコ)」といわれている。バロック建築ではルネサンス時代の端正な形よりも曲線や歪んだ形など動きのある形が好まれ、強烈な印象を与えようとするデザインになっていく。教会や絶対王政の国王などに富と権力が集まり、室内の天井・壁、家具、絵画・彫刻から庭園まで一体となって装飾するのが特徴だ。

旅の最初に訪れたがドレスデン。2004年に「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されたが、保存すべきエルベ川沿岸の文化的景観の川に橋を架けたため、2009年に世界遺産登録が抹消されてしまった。その景観を構成するひとつである「ツヴィンガー宮殿」は、ドイツバロック建築の傑作といわれている。フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)が、それまでの木造建築から石造りの宮殿を建築しようと、建築家ダニエル・ペッペルマンに命じて1728年に建設された。

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

一方、ロココの語源はフランス語の「岩石(ロカイユ)」といわれ、貝殻や植物などをモチーフとした室内の浮彫装飾や家具・調度品の装飾に特徴がある。バロックの劇的な演出から和やかな演出を好むようになり、フランスではバロックからロココへと移っていき、ドイツに波及した。

ドイツロココ様式の代表例が、ドイツ・ポツダムの「サンスーシ宮殿」だ。世界遺産として登録された「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の構成要素になっている。サンスーシ宮殿は、1745年フリードリヒ2世により、王の意向を反映して友人の建築家クノーベルスドルフが建設したもの。

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

部屋は12室とかなり小規模な宮殿だが、装飾は華麗だ。音楽の間では天井の中央に蜘蛛の巣、周辺の天井や壁には植物文様の装飾が施され、曲線が美しい長椅子なども置かれている。一方、大王の書斎では天井に曲線があるものの比較的直線が多いのは、後に古典主義様式に改装されたためだという。

(左)音楽の間 (右)書斎

(左)音楽の間 (右)書斎

生粋の軍人王だった父親と対立したフリードリヒ2世は、芸術をこよなく愛したそうだ。サンスーシとは、「憂いのない」を意味するフランス語。オーストリアとの戦いの最中に建てられた宮殿は、激務を忘れ、友と語らう場として和むための居城だった。サンスーシ宮殿に自然をモチーフにしたデザインが多いのは、フリードリヒ2世が自然を住まいに取り入れようとしたとも見られるという。

世界遺産のロマネスク建築やハーフティンバー様式の街並みも

この旅で筆者が訪れた世界遺産のある都市はいくつかあるので、さらに時代を遡ってみよう。サンスーシ宮殿の「バロック・ロココ様式」から「ルネサンス様式」→「ゴシック様式」→「ロマネスク様式」と遡れる。

宗教改革の現場となったとして、1996年に世界遺産に登録されたのが、「アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群」だ。関連する教会はいくつかあるが、ルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会は「ゴシック建築」だ。天井の頭が尖ったアーチや交差して支える「リヴ・ヴォールト」などが見られる。

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

さらには、ドイツ発祥の地といわれるクヴェードリンブルク。10世紀前半にザクセンをひきいたハインリヒ1世は、この地に城を構え、政治、教育、文化の中心地と位置付け、国家統一の礎を築いた。

このハインリヒ1世と王妃マティルデが眠っているのが、城の中にある聖セルヴァティウス教会(聖堂参事会教会)だ。この教会は1129年(教会の日本語資料には、「平清盛11歳の時」と説明があった(笑))に4回目の建て直しがされたもので、「ロマネスク建築」の代表例とされる。その特徴は厚い壁、てっぺんが丸い小さな窓、重厚感のある柱と支柱で、円柱2本ごとに角柱を置く「ニーダーザクセン風の支柱」だという。

聖セルヴァティウス教会外観

聖セルヴァティウス教会外観

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

クヴェートリンブルクは、教会や城のほか、その街並みにも大きな特徴がある。

ザクセン王家の庇護の下、クヴェートリンブルクは商業の街として発展する。14~19世紀には、商人の邸宅やギルドハウスが、ハーフティンバー様式の木組みの家で建てられた。なんでも、庶民には石造り建築が許されなかったからだという。

そのおかげというか、ハーフティンバー様式の家が建ち並ぶ旧市街は、「木組みの家博物館」として有名になった。この旧市街は、二度の世界大戦の戦禍を免れ、その姿をそのまま残している。この旧市街と城山や教会の一体地域は、ザクセン王朝の歴史と密接なかかわりをもつ建築様式の重要性なども評価され、「クヴェートリンブルクの旧市街と聖堂参事会教会、城」として、1994年に世界遺産として登録された。

旧市街の中心「マルクト広場」

旧市街の中心「マルクト広場」

木組みの家が連なる街並み

木組みの家が連なる街並み

さて、旧市街を歩いて驚いたのは、多くの家々に文化財のマークが掲示されていることだ。木組みの家の街並みを維持していくには、街の住民の高い保存意識が背景にあるのだろう。こうした努力がないと、住宅がそのまま維持保存されるのは難しいことだ。

丸の中が文化財指定のマーク

丸の中が文化財指定のマーク

旧東ドイツエリアの世界遺産を例に、モダニズム建築からロマネスク建築(ルネサンス建築を除く)に至る建築様式を見てきたが、建築物が時代に応じてどんどん進化していくことが分かる。だからこそ、面白いのが建築物だ。

ところで、この旅をプランニングしてくれたのは、NPO法人世界遺産アカデミーの客員研究員・目黒正武さんだ。筆者は、目黒さんによる明治大学リバティアカデミー「旅する世界遺産~ヨーロッパ建築の歴史を訪ねて~」講座を一年間受講した。

目黒さんによると、「外観も内装もシンプルなモダニズム建築(バウハウス等)と重厚な外観と派手な内装のバロック建築(サンスーシ宮殿)では、真逆な印象を持つだろうが、住む人、使う人のための空間設計という点においては共通している」という。

富も権力もない筆者はサンスーシ宮殿で和むことはできないが、権威を誇示する必要がある人にとっては心地よく過ごせる空間だったのだろう。建築物はいつの時代も、暮らす人のために造られるべきということだ。

参考資料:NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「すべてがわかる世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。

海外レポート(1)ドイツのモダニズム建築は住宅ジャーナリストを興奮させる?

実は筆者は世界遺産フリークで、国内外の世界遺産を見に行くのが大好きだ。それが高じて、かなり前に世界遺産検定2級を取得した。住宅を専門とするからには行ってみたい都市や建築にまつわる世界遺産があり、ようやくそれが実現した。2020年2月に訪れたのは、ドイツ・デッサウのバウハウスとベルリンの博物館島を含む世界遺産の数々だ。
「バウハウス」の象徴、デッサウの校舎に興奮しきり

そもそも「バウハウス」とは、1919年にワイマールに、建築家ワルター・グロピウスを初代校長として開設された総合造形学校のこと。1925年にデッサウへ移転し、1932年にベルリンへと移転するが、ナチスの弾圧によりわずか14年で廃校となった。

画家のバウル・クレーやヴァシリー・カンディンスキーなど当時を代表する芸術家が教授を務め、その理念は現代にもさまざまな形で受け継がれている。デッサウ移転の際にグロピウスが設計して建てたのは、この校舎のほかに教授用住宅「マイスターハウス」があり、ほかにも3都市にまたがってバウハウスの関連の遺産が多く残っている。

建築物として優れた景観を見せるだけでなく、以降の建築・デザインなどの発展に多大な影響を与えたことなどが評価されて、「バウハウスと関連遺産群」は1996年に文化遺産として、世界遺産に登録された(2017年に対象を拡大)。

1919年から100年たった2019年には、バウハウス設立100年を記念したイベントが日本を含め、数多く開催され、話題になった。

さて、筆者は、バウハウスと言えば必ず紹介されるモダニズム建築の代表作「デッサウのバウハウス校舎」が目に入ったときに、「ついに出会えた!」とかなり興奮した。建物の一部は開放されていて、定期的にガイド付きツアーも催されている。

デッサウのバウハウス校舎。中央に見えるのが工房棟。以下、写真撮影は全て筆者

デッサウのバウハウス校舎。中央に見えるのが工房棟。以下、写真撮影は全て筆者

当時としては斬新なガラスのカーテンウォールや半地下により浮いているかのように見える「工房棟」は、今の時代にも美しさを感じるだろう。で、まずカフェテリアにお邪魔してランチをいただき、その後館内を見学した。

赤い扉が工房棟の玄関

赤い扉が工房棟の玄関

工房棟の玄関ホールの左側に、講堂やカフェテリアなどを備えた低層の「祝祭スペース」が続き、その奥の「アトリエ棟」(学生寮)と接続している。玄関ホールから講堂に入る部分を見ると、扉の取っ手が壁の穴に収まるようになっていて(画像の朱色の部分)、美しくかつ機能的なデザインになっている。天井の照明のほか、机や椅子などの備品等もバウハウス工房で制作されたものだ。

講堂の入口部分。白い扉の奥が講堂

講堂の入口部分。白い扉の奥が講堂

大きな中央階段も特徴的で、カーテンウォールから入る日差しが気持ちよい。自然換気用に一部が開閉できるようになっていて、ハンドルを回すと連続する回転窓が動くようになっている。この仕掛けは教室など多くの場所にも見られた。
ちなみに、中央階段の踊り場を照らす吊り下げ照明(画像の朱色丸内)は、バウハウス女性マイスターのマリアンネ・ブラントのデザインによるもので、見学した各所で同じデザインのものが数多く見られた。

工房棟の中央階段(窓の外に見えるのは北棟の玄関)と換気窓

工房棟の中央階段(窓の外に見えるのは北棟の玄関)と換気窓

工房棟には、家具工房や金属加工、塗装、壁画などの部屋があった。最も広い部屋が染織の部屋。かなり開放的な空間で、スポットライト風の照明もなかなかおしゃれだ。カーテンウォールによって、仕事したり休憩したりする姿が外から見えるようになっていた。

工房棟1階(日本でいう2階)の「染織」の部屋

工房棟1階(日本でいう2階)の「染織」の部屋

「工房棟」から工芸職業学校であった「北棟」に向かうために、「橋」となる2階建ての建物を通る。

正面が「橋」の部分、左手前が講堂・カフェテリアのある「祝祭スペース」、右奥が「北棟」

正面が「橋」の部分、左手前が講堂・カフェテリアのある「祝祭スペース」、右奥が「北棟」

「橋」の建物の廊下脇の部屋は、1階が事務所、2階がバウハウス建築学科で、グロピウスが執務した部屋も残されていた。

工房棟から橋状の建物を通って北棟へ。窓の外(奥)に見える北棟は窓の水平ラインが特徴的

工房棟から橋状の建物を通って北棟へ。窓の外(奥)に見える北棟は窓の水平ラインが特徴的

北棟は教室が多く設けられ、廊下に収納も配されている。実は収納が教室内とつながっていて、廊下側から荷物を入れて、教室の内部から取り出せるようになっていた。

北棟の教室。この教室には室内に手洗い場もあった

北棟の教室。この教室には室内に手洗い場もあった

なお、バウハウス校舎の室内は白を基調としているが、ところどころに「赤」「青」「黄」のポイントカラーが配されている。今の時代で考えても、オシャレな印象を受けた。

住める世界遺産「ベルリンのモダニズム公共住宅」はめちゃカッコイイ

バウハウスと同じころ、モダニズム建築がベルリンに建設された。こちらは、1910年から1933年にかけてつくられた集合住宅群で、低所得者向けに住宅供給政策として建設された公共住宅だ。ベルリンは19世紀末から急速に発展し、それに伴って人口も増えていき、なかでも労働者の住宅が不足していた。ベルリン市の住宅政策によって供給される集合住宅群を手掛けたのが、ブルーノ・タウトを中心とする、ワルター・グロピウスなど当時の一流建築家だった。

限られた予算のなかでも、都市計画に基づく近代的で機能的に設計された公共住宅は、洗練された姿を見せるとともに、以降の公共住宅のモデルにもなった点が評価され、2008年に文化遺産の世界遺産として登録された。登録されたのは、6つの集合住宅群で、そのうち2つを見学できた。

まず「グロースジードルング・ブリッツ」を訪ねた。建築家はブルーノ・タウトとマルティン・ワーグナーで、現地の資料によると建築期間1925年~1930年、人口3100人とある。世界遺産に登録されたのは、約29ヘクタールで6段階の開発が行われて供給された、集合住宅1285戸、一戸建て(連棟式住戸)679戸だ(なお、別の資料には総戸数1963戸とある)。

通称「フーファイゼンジードルング(蹄鉄集合住宅)」と言われ、馬蹄形の建物を中心に据えているのが大きな特徴。街の看板にその全景が見られ、緑豊かな広大な集合住宅群だと分かる。その馬蹄形の建物はかなり大きい(350メートルの長さがある)ので、パノラマ撮影をしてみた。

中心地にあった看板の写真

中心地にあった看板の写真

馬蹄形の建物(パノラマ撮影)

馬蹄形の建物(パノラマ撮影)

周辺には、横長の住宅が数多く並んでいるが、それぞれ建物の色や形状が異なり、街並みに変化を見せている。

「レッド フロント」と呼ばれる集合住宅

「レッド フロント」と呼ばれる集合住宅

建物の中を見学することもできた。
家族人数に応じて部屋数の異なる複数のタイプが用意されていて、低所得者用住宅といえどもキッチンとバスルームを付けて、衛生的で快適な生活ができるようになっている。

(左)バスルーム、(右)キッチン

(左)バスルーム、(右)キッチン

居室

居室

次に訪れたのが、「グロースジードルング・ジーメンスシュタット」だ。ジーメンスは、日本ではシーメンスという名前で知られる会社で、もとは電信、電車、電子機器のメーカーだった。ここには、ジーメンスの工場の労働者の住宅として提供され、工場から通勤する電車も通っていた(今は廃線だが、再建する計画もあるとか)。

資料によると、建築家はオットー・バルトニング、フレッド・フォルバート、ワルター・グロピウス、フーゴー・ヘーリング、パウル・ルドルフ・ヘニング、ハンス・シャロウンの6人、建築時期は1929年~1931年、1933年/1934年、人口は2800人とある。

世界遺産に登録された6つの公共住宅団地の中では最後に完成したことになるが、マルティン・ワーグナー総指揮の下、ハンス・シャロウンのマスタープランにより、それぞれの建築家の個性的な総計1370戸の集合住宅が建設されている。

ハンス・シャロウンの集合住宅

ハンス・シャロウンの集合住宅

ワルター・グロピウスの集合住宅

ワルター・グロピウスの集合住宅

フーゴー・ヘーリングの集合住宅

フーゴー・ヘーリングの集合住宅

オットー・バルトニングの集合住宅

オットー・バルトニングの集合住宅

どちらの世界遺産も、住宅として居住することができる稀有なものだ。

以上、世界遺産となったドイツのモダニズム建築を見てきた。そもそもモダニズム建築とは、産業革命以降に登場した鉄やガラス・コンクリートなどの工業化された素材や材料を使って、合理主義的精神に立脚してつくられたもの。装飾を排し、機能性を高めた建築物が多い。

近年は、モダニズム建築が世界遺産に登録される事例が増えてきた。その事例を挙げると、日本でも国立西洋美術館が登録対象となって注目された、7カ国17の建築群からなる「ル・コルビュジエの建築作品」。8つの建築作品からなる「フランク・ロイド・ライトの20世紀の建築作品」。ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエの「ブルノのトゥーゲントハート邸」。ブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーの「パンプーラの近代造物群」と新首都「ブラジリア」(ニーマイヤー設計の国会議事堂や聖堂などを含む)などがある。

建築物は遺産として残るものが多く、歴史をたどったり比較したりできるのも面白い。

●参考資料
NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。

国内非住宅木造市場、20年度は工事費予定額7,953億円、矢野経済研究所

(株)矢野経済研究所は、国内の非住宅木造市場を調査し、2020年度までの市場動向・見通しなどを発表した。
調査期間は2018年3月~5月。調査対象は、非住宅分野の木造構造建築物に取り組む事業者(ゼネコン、ハウスメーカー、集成材メーカー、建築金物メーカー等)。同調査における非住宅木造市場とは、「産業用建築物」で「木造」構造の建物を対象としている。

それによると、2016年度の国内の非住宅木造市場規模は面積ベースで423万8,000m2(前年度比106.5%)、工事費予定額ベースでは6,702億円(同106.5%)となった。建築着工ベースにおける床面積は公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律(木促法)が施行された2010年度以降は右肩上がりに推移している。2014年度には、消費増税の反動減の影響から民間分野の木造構造建築物が減少したことで全体も減少に転じたが、その後は堅調に推移している。

非住宅分野の木造構造建築物を展開する建設事業者の特徴は、 耐火構造部材を活用し「中高層建築物」へ積極的に取り組む事業者と、住宅用一般流通木材を活用し、在来軸組工法や2×4工法を応用した建築を行う、「低層建築物」へ積極的に取り組む事業者の2つ。「中高層建築物」へ積極的に取り組む主な事業者は、(株)竹中工務店、鹿島建設(株)、住友林業(株)、(株)シェルター等が挙げられる。「低層建築物」へ積極的に取り組む事業者には、住友林業(株)、ポラテック(株)、三井ホームコンポーネント(株)等が挙げられ、これまで住宅市場で展開してきたノウハウを活かし、非住宅市場へ展開している。

また、2020年度の国内の非住宅木材市場規模は、面積ベースで480万m2(2016年度対比113.3%)、工事費予定額ベースで7,953億円(同118.7%)と予測。今後も職人不足による労務費の高騰は続くとみられ、平米単価は上昇基調に推移することが考えられる。現在、東京オリンピック・パラリンピック関連施設の着工が進み、五輪特需が景気を下支えしているが、開催年の2020年度以降は、工事費高騰により先送りとなっていた民間分野の案件需要が高まることが予測される。

ニュース情報元:(株)矢野経済研究所

「Maggie’s東京」がん支援の新しい形、秋山正子センター長に聞く[後編]

前編「英国発『マギーズ・センター』に世界が注目」で紹介したように、マギーズは一人の英国人がん患者女性の思いから生まれました。その日本第一号が2016年に東京で誕生したのも、一人の日本人女性の積年の思いが実現したものでした。

筆者も両親をがんで亡くした当事者として「マギーズ東京」を訪問し、その役割を体験。後編では、その内容を紹介します。

予約無しに立ち寄れ、無料で時間を気にせず相談

東京・豊洲、築地市場の移転先と目と鼻の先に、がん支援センター「マギーズ東京」が2016年10月にオープン。高いビルも無い埋め立て地の一角、海を背景に緑の植栽に囲まれた平屋の建物がたたずんでいました。

【画像1】ナチュラルなガーデン・アプローチと開放感のあるデッキが、人を招き入れる(写真提供/マギーズ東京)

【画像1】ナチュラルなガーデン・アプローチと開放感のあるデッキが、人を招き入れる(写真提供/マギーズ東京)

ドアを開けてくれたボランティアの男性が、「よくカフェと間違って、入って来られるんですよ」。実際、近所のイベント会場から女性たちがふらっと入って来ては、がん支援センターと知り帰っていくのが何度か見えました。庭と建物のランドスケープが醸し出すWelcomeな雰囲気が人を惹きつける、前編で紹介した”空間の力“がここにもあるようです。

【画像2】木製デッキ沿いから入口まで大きなガラスドアが続き、歩きながら中の雰囲気を感じることができた(写真撮影/藤井繁子)

【画像2】木製デッキ沿いから入口まで大きなガラスドアが続き、歩きながら中の雰囲気を感じることができた(写真撮影/藤井繁子)

ドアを開け一歩入ると、むくの床から建具、天井まで木がふんだんに使われた明るく柔らかな空間になっています。

【画像3】日当たりの良いオープンなダイニングとキッチン(右手の奥)。折り上げ天井で空間に変化と豊かさを創り出し、アフリカンチェリーの大きな一枚板のテーブルや柳宗理デザインの和紙の照明などが空間のクオリティを高めている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像3】日当たりの良いオープンなダイニングとキッチン(右手の奥)。折り上げ天井で空間に変化と豊かさを創り出し、アフリカンチェリーの大きな一枚板のテーブルや柳宗理デザインの和紙の照明などが空間のクオリティを高めている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

丁度お昼時で、お弁当を広げている方やお茶を飲んでくつろぐ方、利用者は看護師などの専門家・ボランティアの方と思い思いに過ごされている様子。

【画像4】木製の建具や家具が利用者の体と心を優しく包む。病院や施設とは違う、柔らかな空気感(写真撮影/藤井繁子)

【画像4】木製の建具や家具が利用者の体と心を優しく包む。病院や施設とは違う、柔らかな空気感(写真撮影/藤井繁子)

「マギーズ東京」センター長の秋山正子さんに、お話を伺うことができました。「医療の発達とともに今、がんは何年も付き合っていくような病気に変わっています」と、訪問看護で長年、がん患者にも接してきた秋山さん。

「病院と自宅、それぞれでできることがあり、またできないこともあります。通院中の患者さんが、日常の中で何か頼れる人や場が自宅以外にあればと考えていたところ、2008年に英国マギーズ・センターの活動を知り日本でも実現したいと思ったのです」

【画像5】長年、医療現場や看護教育などに携ってきた秋山さんも、40代の姉をがんで亡くされた経験者。訪問看護を最前線で推進しながら、がん患者支援のあり方を模索されてきた(“市谷のマザーテレサ”の異名を持つ、秋田生まれの67歳)(写真撮影/藤井繁子)

【画像5】長年、医療現場や看護教育などに携ってきた秋山さんも、40代の姉をがんで亡くされた経験者。訪問看護を最前線で推進しながら、がん患者支援のあり方を模索されてきた(“市谷のマザーテレサ”の異名を持つ、秋田生まれの67歳)(写真撮影/藤井繁子)

「マギーズ・センターをモデルに、無料で気軽に医療や生活相談をできる『暮らしの保健室』を立ち上げて活動をしてきました。5年がたったころに出会った、鈴木美穂さん(24歳でがんを経験したテレビ局報道記者)たちの若い力を得て『マギーズ東京』実現に向けて大きく動き出しました」

英国のようなセンターをつくるには、まず用地や建築資金が必要。利用者は無料なので運営資金も継続的に必要です。

「英国のようにチャリティー文化が根付いていない日本で、資金集めのハードルは高く、皆様の知恵とご支援によって何とか船出をしたところです」

設立に向けては、クラウドファンディングも活用して資金を集めるなど、さまざまなチャレンジによって夢を実現されたようです。

ここ豊洲の建築地は2020年までの借地ということでパイロット・プロジェクトの形になりますが、2016年10月オープン後1年間の利用者6000人超は「英国本部からも初年度としては多いとの感想でした」(秋山さん)。現在も日に25人前後、多い日には40人くらいが利用。マギーズの支援活動を必要とする人々が、まだまだいるようです。

英国のコンセプトを実現しながら、低予算でも日本らしい住空間に

秋山さんにお話を伺ったのは、中庭に面したリビングルーム。マギーの提案した10の建築要件(前編で紹介)どおりの空間。でも、必須アイテムの「暖炉」と「水槽」が無い?

「暖炉は英国人がHome(家)を感じるものなので英国には必要ですが、日本人としては障子なんかが日本の家を感じるものとして、ここでは使いました。それと水槽は無いのですが、この豊洲の埋め立て地は静かな海の水辺なので、天然の水槽?ということで(笑)」

【画像6】障子ドアの向こうは、仕切れば個室になる。この日も看護師さんと利用者が対話中(写真撮影/藤井繁子)

【画像6】障子ドアの向こうは、仕切れば個室になる。この日も看護師さんと利用者が対話中(写真撮影/藤井繁子)

英国のマギーズとは違って低予算の事業、このように快適な空間はどうやって実現したのでしょう?

総合プロデュースを佐藤由巳子さん(建築・アートコーディネーター)、総合監修を阿部勤さん(建築家)が担当。平屋2棟を中庭で廊下を渡してつなぐ配置の工夫や、その1つのアネックス棟(設計:日建設計)は建築関連のイベントで活用したものを移築し再利用するなど、関係者の涙ぐましい努力によってローコストでハイクオリティな空間が実現しています。

【画像7】本館は予算の関係で軽量鉄骨プレハブ構造だが、内外装に木製建具を活用し木造建築のよう(設計施工:コスモスモア)(写真撮影/藤井繁子)

【画像7】本館は予算の関係で軽量鉄骨プレハブ構造だが、内外装に木製建具を活用し木造建築のよう(設計施工:コスモスモア)(写真撮影/藤井繁子)

【画像8】木製サッシにする予算が足りず、追加でファンドを立ち上げたというこだわり!断熱性だけでなく、空間の質感も高まった(写真撮影/藤井繁子)

【画像8】木製サッシにする予算が足りず、追加でファンドを立ち上げたというこだわり!断熱性だけでなく、空間の質感も高まった(写真撮影/藤井繁子)

「すてきな場所で迎え入れられると、人は”認められた”という気持ちになるでしょ。受け入れられ心が落ち着くと、自分から話をしたくなるもの」(秋山さん)

“空間の力”によって対話が生まれることを教えてくれました。

患者も家族も「自分の力を取り戻せるよう」支援

利用者の気持ちを受け止めてくれるケアリングのプロたち。看護師や心理士、ソーシャルワーカーなど専門家が、個々の悩みや問題を解決するために一緒に考えてくれます。個別相談以外に、1時間程度で参加できるセッションも企画されています。「食事のお話」や「体・脳のリラクセーション」など、日常的に役立つテーマ。訪問当日は、【心のリラクセーション】が企画されていたので筆者も参加してみました。

【画像9】アネックス棟は三角屋根のオープン空間に合わせてデザインしてつくられたソファでもつくろげる。リラクセーションのセッション時には家具を移動させ、椅子を並べマットが敷かれてあった(写真撮影/藤井繁子)

【画像9】アネックス棟は三角屋根のオープン空間に合わせてデザインしてつくられたソファでもくつろげる。リラクセーションのセッション時には家具を移動させ、椅子を並べマットが敷かれてあった(写真撮影/藤井繁子)

【画像10】心理療法士の方が、心を体で調整する方法をレクチャー。「深く息を吐くことから」と呼吸の大切さを教えてくれた(写真撮影/藤井繁子)

【画像10】心理療法士の方が、心を体で調整する方法をレクチャー。「深く息を吐くことから」と呼吸の大切さを教えてくれた(写真撮影/藤井繁子)

マギーの遺志を継いだイギリス本国のローラ・リー(故マギーの担当看護師)マギーズ・センターCEOからは
「『マギーズ東京』の運営を継続していくために、資金集めを行っていく必要があります。私たちは必要としているすべての人が、マギーズの支援を受けられるようにしたいと強く願っています。一度ぜひ『マギーズ東京』にお立ち寄りいただき、私たちのやっていることを皆さんの目で見てください」と、運営の後押しを願うメッセージ。

秋山センター長も「直接的ではなくても、さまざまな方向から大きな渦のように支援の輪が広がり、マギーズの活動が世の中に役立てばと願っています」

同じような境遇の人たちと出会うだけでも、患者の心は和み勇気が湧いてくるかも知れません。ここへ来れば、自分の置かれた状況にどう向き合って行けば良いのかを考える、手助けをしてもらえるのです。患者を抱える家族や友人も、患者に対してどう接するべきなのか……。悩む気持ちを打ち明ければ、何か解消するきっかけが見つかりそうです。

今回マギーズという場があることを知り、私にも次にやって来るその時のあり方が、両親の時とは違ってくるだろうと感じることができた取材でした。

●取材協力
・マギーズ東京(特定非営利活動法人maggie’s tokyo)
 【ご寄付について(認定NPO法人の控除有り)】

がん患者を“空間の力”で癒やす、英国発「マギーズ・センター」に世界が注目[前編]

日本人の死因トップである“がん”。2016年の調査によると、全死因に占める割合は28.5%と2位の心疾患15.1%を大きく上回ります(※1)。がん患者の家族・友人を含めると、がんに関係の無い人を見つけるほうが難しいくらい身近な病気。そんながんに関係する人々を無償で支援する場が、英国で1996年に誕生した「マギーズ・キャンサーケアリング・センター」。以来20年余り、英国内外で20カ所以上の『マギーズ・センター』が開設し運営されています。
(※1)「性別にみた死因順位(第10位まで)別 死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合」(厚生労働省)

前編ではその成り立ちを、後編では一昨年日本にオープンした『マギーズ東京』での体験をレポートします。
一人の英国人女性Maggieの思いが形に、「自分を取り戻す」ための場所

1988年47歳の時に乳がんを患った、マギー・K・ジェンクス(Maggie Keswick Jencks)。5年後に再発したがんによって死を覚悟せざるを得なかった時、治療の方向性や家族のことなどさまざまな悩みと不安を抱えて病と戦っている最中に「自分を取り戻せる空間とサポートが必要」と実感。入院中の病院敷地内に、後の「マギーズ・センター」のモデルとなる“誰でもがいつでも立ち寄れる”「第二の我が家」をつくったことが始まりです。

【画像1】センターの庭に立つマギーの像。1941年スコットランド生まれ、1995年「マギーズ・センター」オープンの前年に54歳で旅立った。センターの前身である病院内の小屋の前で、春の日を浴び「私たち、ラッキーよね?」と言葉を残して(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像1】センターの庭に立つマギーの像。1941年スコットランド生まれ、1995年「マギーズ・センター」オープンの前年に54歳で旅立った。センターの前身である病院内の小屋の前で、春の日を浴び「私たち、ラッキーよね?」と言葉を残して(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーが医者からがんの再発で余命数ヶ月と告げられた時「心は打ちのめされているのに、次の患者のために診察室にとどまることはできませんでした」(マギー・K・ジェンクス著)という言葉をのこしています。

病院の診察時間に制限があるのは、日本でも同じ。待ち時間の長さに対して、自分の診察時間の短さに困惑した人は少なくないでしょう。それが、がん告知の現場であることを想像すると……。

医療現場で多くの患者と接してきた、担当のがん専門看護師ローラ・リー(現マギーズ・キャンサーケアリングセンターCEO)を話し相手に、マギーは立ち上がりました。「がん患者や家族、医療者などがんにかかわる人たちが、がんの種類やステージ、治療に関係なく、予約も必要なくいつでも、無料で利用することができる癒やしの『空間』をつくりたい」と。

設立者マギーは造園家、その夫は建築評論家。“空間の力”を知る人によるプロジェクト

マギーズ・センターでは、カウンセリングや栄養指導、医療制度などさまざまな専門的支援を無料で受けることができます。のんびりお茶を飲んだり、本を読んだりするなど自分の好きなように過ごしていて良いのです。訪れるだけで癒やされる、“第二の我が家”のような場所にしたいとマギーは考えました。

「美術館のように魅力的であり、教会のようにじっくり考えることができ、病院のように安心でき、家のように帰ってきたいと思える場所」

それを実現するために、マギーは「建築概要」の中に以下のような建築要件を提案しています。

・自然光が入って明るい     ・安全な(中)庭がある
・空間はオープンである     ・執務場所からすべて見える
・オープンキッチンがある    ・セラピー用の個室がある
・暖炉がある、水槽がある    ・ゆったりとしたトイレがある
・建築面積280m2程度      ・建築デザインは自由

そして、1996年英国エジンバラにオープンしたマギーズ・センター第一号[Maggie’s Edinburgh]。

【画像2】[Maggie’s Edinburgh](Richard Murphy設計)。赤いスチール、ガラスブロック、石、木とさまざまな素材の調和を試みた個性的な建築(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像2】[Maggie’s Edinburgh](Richard Murphy設計)。赤いスチール、ガラスブロック、石、木とさまざまな素材の調和を試みた個性的な建築(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像3】窓を大きくとった明るい室内、インテリアは暖色系のカラフルなファブリックが、宝石のように散りばめられている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像3】窓を大きくとった明るい室内、インテリアは暖色系のカラフルなファブリックが、宝石のように散りばめられている(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーの夫チャールズ(建築評論家)は「マギーズ・センターには二つの要素を求めました。リラックスできる癒やしの要素と、患者が病と闘えるような要素を支援すること。それを病院とは違う雰囲気の環境の中で提供したいのです」と、語っています。

マギーズでは“対話”が最も大切な支援の方法。病を抱える人にとって、心の悩みや不安を口に出して伝えるのは簡単ではありません。まずは、すてきな建物や庭という空間が訪問者を優しく迎えることで、その心を和ませ、おのずと“対話”が生まれる環境をつくるのです。それが“空間の力”であり、ジェンクス夫妻はそのことを熟知した空間づくりの専門家であったことが、マギーズ成功の一つの理由と言えます。

マギーの闘病を支え、話し相手になってきた看護師のローラ・リーCEOは「長年、薄暗いモノクロ色の病院で働いてきた私にとっても新鮮でした。環境や空間の力が人の心を動かし、自分の中にある力を引き出すことをマギーは教えてくれたのです」

著名な建築家が設計、建物の求心力と発信力がマギーズを世界に広げる

建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞している、フランク・ゲーリーやザハ・ハディドなどがマギーズ・センターの設計に参加しています。マギーの建築要件を尊重しながらも建築家の英知によって「見てみたい、入ってみたい」気持ちにさせるパワースポットのような建物になっています。

【画像4】Zaha Hadid設計の[Maggie’s Fife] 2006年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像4】Zaha Hadid設計の[Maggie’s Fife] 2006年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

炭鉱の町だったことからひらめいたという、ザハらしい彫刻のように真っ黒な外観に対して、室内は曲線を使った真っ白で明るいインテリア。「環境が個人の幸福を高めるのに、どれほど有意義に役立つかをマギーズによって理解しました」と、生前のザハは語っています。

【画像5】三角窓からの光が印象的な室内。違ったタイプの椅子や家具、その日の気分や健康状態でくつろぎ方も変えることができる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像5】三角窓からの光が印象的な室内。違ったタイプの椅子や家具、その日の気分や健康状態でくつろぎ方も変えることができる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーズ・センターの建築は英国内外の建築賞を数々受賞していて、マギーズの活動を世界が知る機会にもなっています。

日本からも建築家・黒川紀章がプロジェクトに参加しているのを知り驚きました。黒川氏が若かりしころ、夫チャールズの本を翻訳した経緯もあったようです。黒川氏は完成前の2007年に亡くなりましたが、その志が形になった素晴らしい建築を見ることができ、日本人として誇らしく感じました。

【画像6】黒川紀章設計の[Maggie’s Swansea] 2011年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像6】黒川紀章設計の[Maggie’s Swansea] 2011年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像7】オープンキッチンはマギーズの中核。大きな窓から庭が望める開放的な空間(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像7】オープンキッチンはマギーズの中核。大きな窓から庭が望める開放的な空間(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

マギーズの利用者が「病院とは違って、温かくて緑や自然が近くにあって“サンクチュアリ”のようよ」と、サンクチュアリ=鳥獣の保護区に例えるように、マギーズは安心して羽を下ろして過ごせる場になっているのです。「いつでも泣きたくなれば、泣くことができる個室もあるしね」とも。

英国に留まらず、海外でのマギーズ第一号が2013年香港に誕生。香港はマギーが幼少期に過ごしたゆかりの地です。

【画像8】Frank Gehry設計の[Maggie’s Hong Kong] 2013年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像8】Frank Gehry設計の[Maggie’s Hong Kong] 2013年開設(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像9】広いリビング&ダイニングスペースからは、中国様式の庭と池が眺められる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

【画像9】広いリビング&ダイニングスペースからは、中国様式の庭と池が眺められる(写真提供/藤井浩司(ナカサアンドパートナーズ))

「死への恐怖で、生きる喜びを失うべきでない」と、強い意志で活動したマギー。利用者が快適な空間で過ごしながら、対話によって、自分の中にある力を見いだし、自分を取り戻すことがマギーズの目指す支援。

その活動が、東京でも一昨年からスタートしました。後編では『マギーズ東京』を訪問し、その支援を体験させていただいた内容を紹介します。

●取材協力
・マギーズ東京(特定非営利活動法人maggie’s tokyo)
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