「神山まるごと高専」企業70社以上の支援受け”奇跡の田舎”に開校。支援者や地元民「町のダイバーシティが拡大」「他校の生徒にも影響」など刺激に 徳島県神山町

「神山まるごと高専」(理事長・寺田親弘/Sansan(株))が、徳島県神山町に開校して1年が経った。「モノをつくる力で、コトを起こす人」の育成をミッションに掲げ、各界からも注目されている新設の高等専門学校だ。全寮制であるがゆえ、現在(2024年2月)一期生約40人が神山に暮らしながら学んでいる。さまざまなまちおこしの取り組みを経て「奇跡の田舎」と呼ばれる神山町に、この学校の存在と学生たちはどのような刺激を与え、まちにどのような変化を生み出しているのだろうか。学校に出資・寄付した起業家や街の人など、学校周辺の人々に話を聞いた。

海外との交流をベースに「よそもの」を受け入れる素地を醸成

徳島市西部と隣接しているとはいえ、ベッドタウンとは言い難い自然豊かなまち、徳島県神山町。2023年3月、このまちに「神山まるごと高専」が開校した。まちおこしの好モデルとして知られる地に、また新たな話題が生まれた背景には、これまでの取り組みで築き上げてきた、しっかりとした土台があるようだ。

神山まるごと高専の講義・研究棟「OFFICE」。町産材「神山杉」をふんだんに使用している(画像提供/神山まるごと高専)

神山まるごと高専の講義・研究棟「OFFICE」。町産材「神山杉」をふんだんに使用している(画像提供/神山まるごと高専)

大講義室(写真撮影/藤川満)

大講義室(写真撮影/藤川満)

1955(昭和30)年の市町村合併で生まれた神山町は、当時人口約2万人。その後全国の地方同様に人口が減り続け、現在は約4700人(2024年3月1日時点)。それでも2011(平成23)年度には町政始まって以来、転入者が転出者を上回る社会増となった。同町ホームページによると、その後高齢化による自然減は続いているものの、今でも年によっては社会増になり、町外との交流が活発であることが分かる。

その要因となったのは国内外のアーティストを招き町内で創作活動をしてもらう「神山アーティスト・イン・レジデンス(以下、KAIR)」と大都市にある企業のサテライトオフィス進出による起業家の転入の影響が大きい。

最大のきっかけは、1997(平成9年)に始まり、99年から恒例となったとは、毎年8月末から2カ月間、国内外3~5名のアーティストが神山に滞在。あくまで住民との交流や滞在して創作することに重点を置く。

今や全国各地で行われているアーティスト・イン・レジデンスだが、単に有名アーティストを招待するだけのものも少なくない。KAIRの場合、予算もなかったため、「お遍路の<お接待精神>でアーティストの満足度を高めること」に照準を合わせたのが功を奏した。

その後、2001年の招聘アーティスト2名が神山町に移住する。それ以外のアーティストもアンケートで「条件さえ整えば、自費でも神山に来たい」という意見があり、2004、2005年には試験的に自費滞在を実施。2009年には本格的に自費滞在プログラムを開始する。これにより「よそもの」が神山に足を運び、根付いていく流れが加速。そして2004(平成16)年、神山国際交流協会を母体に「NPOグリーンバレー」が誕生する。

神山アーティスト・イン・レジデンスの様子。Luz Peuscovich《The Cloud》KAIR2022作品展覧会アートツアー(画像提供/NPOグリーンバレー)

神山アーティスト・イン・レジデンスの様子。Luz Peuscovich《The Cloud》KAIR2022作品展覧会アートツアー(画像提供/NPOグリーンバレー)

アーティストから起業家の移住を後押ししたデジタル化

2005(平成17)年、神山町に光ファイバーの高速インターネット回線が整備され、その3年後にグリーンバレーが主体となりウェブサイト「イン神山」を開設。同サイトに「神山で暮らす」という空き家の物件情報を紹介するコンテンツを設けたことも大きかった。それは単なる物件紹介ではなく、「この物件は〇〇屋さん向き」など、神山町にこれから必要となる仕事と結びつけた移住者を募集したのだ。

この発信が見事に当たり、移住者が徐々に現れてきた。「神山に移住したいけど仕事がない」を逆手に取り「仕事やスキルを持っている人に神山へ移住してもらう」という考えを「ワーク・イン・レジデンス」と名付け、クリエイターが安価に滞在できるオフィス開設などにも着手していき、企業誘致の土壌も整えていった。

そして2010年(平成22年)、神山に名刺管理のクラウドサービスを行うSansan(株)が、サテライトオフィス第1号となる「Sansan神山ラボ」を開設する。その後も働き方改革やコロナ禍の影響もあり、神山町にサテライトオフィスを開設する企業が増え、現在16社が稼働している。

前置きが長くなったが、神山町がこれまで辿ってきた道を紹介した。まず海外との交流を経て、よそものアレルギーを緩和し、デジタル化の波に乗りターゲットを絞った移住の情報発信。移住者にも抵抗のない環境とデジタルインフラの存在は、サテライトオフィス進出を後押しした。その一連の流れの延長線上に高専開校が浮かび上がってきた。

元縫製工場をリノベーションし2013年にオープンした「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」。サテライトオフィスやコワーキングスペースとして利用できる(写真撮影/藤川満)

元縫製工場をリノベーションし2013年にオープンした「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」。サテライトオフィスやコワーキングスペースとして利用できる(写真撮影/藤川満)

高専により神山のダイバーシティが更に拡大している

「これまで神山には、移住したアーティストやクリエイターたちはたくさんいましたが、高専ができたことで、さらにこのまちのダイバーシティが広がっているように感じます」と語るのは、(株)プラットイーズのサテライトオフィス「えんがわオフィス」の代表・隅田徹さん。配信や放送に関わるシステムなどを提供する同社は、2013年に神山へ進出してきた。

隅田さんは町内にある築100年の古民家を改装しサテライトオフィスとしてリノベーションし活用している(写真撮影/藤川満)

隅田さんは町内にある築100年の古民家を改装しサテライトオフィスとしてリノベーションし活用している(写真撮影/藤川満)

神山にオフィスを開設するにあたって、決め手となったのは「地域のゆるさ」。他に候補となった自治体よりも神山町は補助金も少なく、経済的メリットはあまりなかった。とはいえ補助金は、いつかは打ち切られるもの。長期的な視野で見ると、働く若者が居心地よく過ごせる環境があるかが重要だった。

「開設を検討していた当時、例えば地域の行事への参加義務などを課した自治体もありました。神山町の場合、それらはすべて自由参加。びっくりするほど田舎の掟がゆるい。『ここに骨を埋めろ』というような、若者にプレシャーになることは言われなかった」

そんななか高専ができるという話を聞き、「大手スポンサーには及ぶまでもないが身の丈にあった」寄付をした。「私達の仕事からすれば、教育というのは最も縁遠い存在かも知れません。ただ中身より『なにか新しいことをやってやろう』というポジティブな人たちが、このまちには圧倒的に多い」。高専に強い期待を抱いていたわけではないものの、チャレンジを後押しする思いが寄付につながった。

開校を機に目に見えて起きた変化のひとつに、ダイバーシティの広がりを挙げた隅田さん。学生はもちろん、教員やスタッフなど県内外から新たな人たちが、このまちのメンバーになった。そして学生の親も少なくとも一度は神山を訪れる。「共同経営している宿の稼働率も上がりましたよ(笑)」と経済効果も実感しているようだ。

「全国から来た学生が神山で生活しているのを見ると、時代の変化を感じますね」。実際、学生たちと触れ合い、驚くことも多いという。「部活でロボットコンテストに出場する600万円の資金を、チーム一丸となって集めようとする姿勢はすごいと思いましたよ」

かつての部活は、学校からの予算や寄付の中でやりくりしてきた。その枠を越えた取り組みに、隅田さんは資金調達や組織運営のノウハウをアドバイスしているという。

一方では、「なにもない田舎なので、かつてのゲームセンターが不良のたまり場だったような、危険な場所や危ない人に触れることが少ない。危機察知能力も磨く必要があるのでは」と優秀で純粋な学生たちに危惧を抱くこともあるという。「そんな場所をあえてつくる必要はないけれど(笑)」と笑いながら語る姿から、この一年を概ね肯定的に捉えていることが感じられた。

神山まるごと高専の学生が主催する町民報告会で地元住民と意見を交換し合う(画像提供/神山まるごと高専)

神山まるごと高専の学生が主催する町民報告会で地元住民と意見を交換し合う(画像提供/神山まるごと高専)

他校にも影響を与え、「教育のまち」の横顔が加わりつつある実感

神山に生まれ育ち、町内で金物店を営む佐藤英雄さんは1991年以降、30年以上神山の活性化に取り組んできた一人だ。現在は金物店の経営と共にグリーンバレーの理事や地元商工会の会長を務める。そんな佐藤さんに、生粋の神山っ子としての一年を振り返ってもらった。

金物だけでなくプロパンガスの配達や日用雑貨まで扱う佐藤英雄さんは、神山町内の隅々まで知り尽くしている(写真撮影/藤川満)

金物だけでなくプロパンガスの配達や日用雑貨まで扱う佐藤英雄さんは、神山町内の隅々まで知り尽くしている(写真撮影/藤川満)

「高専ができる以前、神山にある徳島県立城西高校神山分校(旧徳島農業高校)の統合、路線バスの撤退の話が進んでいました。これは神山にとって大打撃になる。町として学校がなくなることは、なんとしても避けたかった」とかつての危機的状況を振り返る佐藤さん。町や町民の努力で幸いにして分校消滅は免れ、教育への関心が高まっていた前後に、新しい高専設立構想を耳にした。

「アートとテクノロジーの融合というコンセプトは、これまでのKAIRの経験から『できないことはない』と思いました。批判的な意見がなかったとは言えませんが、私は『神山のために面白いことをやろう』と考えがあったので」

その後、寮の改装や校舎建築が始まると、住宅設備などさまざまな備品を納品する業者としても関わった佐藤さん。しかも神山に精通するために、教員やスタッフの住居の確保や整備など、生活面での相談にのることも多かったという。

隅田さんと同じく、開校後のまちを若い人が闊歩する姿を喜ぶ佐藤さん。直接的な学生との交流はさほど多くないものの、自分よりも若い教員やスタッフとの交流は「楽しい」と微笑む。もちろん学生主催の報告会やイベントには足を運ぶようにしている。

高専だけでなく、佐藤さんにとっては城西高校神山校も大切な存在。「存続が決まってから、環境デザインや食農プロデュースなどが新設され、地域の人との交流などユニークな取り組みを始めました。それが評価され、今や町外から進学する学生が9割と聞きます」

高専開校と神山分校の影響により、教育に関心のある人の移住者が増えた印象を受ける佐藤さん。神山町はアートやサテライトオフィスだけでなく「教育のまち」という側面も加わりつつあるようだ。

もうひとつ佐藤さんが目を細めるのは、高専生と分校生の交流が生まれつつあるということ。「去年の地域のお祭では、両校の生徒が一緒になって参加しました。分校生も高専に刺激を受けて、パワーアップしているようですね」

神山で暮らす高専生はまだ一期生のみ。高専が注目を集めたことで、それが学生たちにプレッシャーとなっていないかを憂慮する佐藤さん。やや過熱気味だった周囲の環境が落ち着く2年目以降が、佐藤さんには気がかりだ。つまり神山が故郷である佐藤さんにとって、ここで5年間暮らして、その後どう神山と関わるのかが、関心事のひとつでもある。

「授業の内容は詳しくわかりませんが、アーティストやクリエイターだけではなく、神山には知られざる名人がたくさんいます。例えば魚捕りの名人とか。そんな人達との交流をもっと深めて、卒業後は神山を『第2の故郷』と言ってもらえるよう、大好きになってもらいたい」

移住者と地元を代表する二人の話を聞いた限りでは、高専開校は神山にとって好ましい影響を与えているようだ。しかし、背景の異なるさまざまな人が暮らしていくと、いろいろと問題が起こることもあるだろう。それを乗り越えることで、さらにより良き方向へ進むことに期待するべきと考えたい。そして卒業生が活躍し始める頃、神山町の存在感はどれほど大きくなっているのだろうか。

●取材協力
神山まるごと高専
NPO法人グリーンバレー
株式会社えんがわ

起業家育成・学費実質無料で話題の「神山まるごと高専」2年目、東京の進学校を辞退し選んだ学生も。企業70社以上が支援する唯一無二の授業の内容とは 徳島県神山町

2023年4月、「モノをつくる力で、コトを起こす人」の育成をミッションに掲げて徳島県神山町に開校した高等専門学校「神山まるごと高専」(理事長・寺田親弘/Sansan(株))。教育界とは異なる起業家が主導した私立校であるため、設立から運営まで何もかもが手探りで進んだ。地域も巻き込み、各界から注目を集めた同校は、開校1年を迎えた今、どのような成果と課題が見えてきたのだろうか。

地域活性化で注目を浴びるまちに生まれた新たな教育機関

徳島市内から車でおよそ40分。神山町は自家用車さえあれば、都市部から比較的アクセス容易な場所に位置する人口約4200人のまち。特産は日本一の生産量を誇る柑橘類のスダチ。80%以上が山林に覆われた町域の中心を鮎喰川が流れ、その周囲に集落が点在する、一見すればよくある田舎町だ。

一方で近年において、企業のサテライトオフィスが続々と開設され、若者たちが営むショップ等もオープンするなど、地域活性化の好例として、メディアに「奇跡の田舎」と取り上げられることも少なくない。

そんなまちに誕生した神山まるごと高専は、文科省認可としては約20年ぶりに新設された高等専門学校。いわゆる「高専」は、1960~70年代にかけて、高度成長期の急激な工業化に対応する人材養成を目的として、全国に創設された。入学資格は中学卒業程度とし、主に工科系の課程を5年間履修する高等教育機関だ。

現在日本にある高専は58校。そのうち国公立が54校で、神山まるごと高専を含む私立は4校。高専生が対象の「ロボットコンテスト(通称ロボコン)」などを目にしたことがある方も多いだろう。卒業生の就職率は高く、その人材は産業界から一定の評価を受けているとも言われる。

とはいえ昨今の少子化や理数離れ、四年制大学への進学者の増加により、創設期の勢いに比べ、高専を取り巻く環境は変化してきている。そんななか誕生した神山まるごと高専の一期生の入試は、国内外から出願があり、約9倍という高倍率となった。

その狭き門をくぐり入学したのは44人。彼らは今、寮で共同生活を送りながら、時に壁にぶつかり、学業と神山町での暮らしを謳歌している。

旧神山中学校の校舎をリノベーションした寮「HOME」。3学年分の寮室と食堂、図書室などが入る(画像提供/神山まるごと高専)

旧神山中学校の校舎をリノベーションした寮「HOME」。3学年分の寮室と食堂、図書室などが入る(画像提供/神山まるごと高専)

「HOME」から鮎喰川を挟み対岸にあるのは、授業や研究の拠点となる「OFFICE」。町産材の「神山杉」をふんだんに活用した校舎になっている(画像提供/神山まるごと高専)

「HOME」から鮎喰川を挟み対岸にあるのは、授業や研究の拠点となる「OFFICE」。町産材の「神山杉」をふんだんに活用した校舎になっている(画像提供/神山まるごと高専)

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唯一無二の授業内容で、卒業生の「起業家4割」を目指す

「これからの時代、自分でデータをつくり、自分でプロトタイプをつくり、そして提案するような、技術を持った起業家が求められています。それができないと社会のスピード感についていけないと思います。つまり『モノをつくる力で、コトを起こす人』です」と語るのは常務理事・事務局長を務める松坂孝紀さん。同校が描く卒業後の進路の比率は、就職30%、大学などへの編入30%、そして起業40%だ。

それを実現するべく、神山まるごと高専では「テクノロジー×デザイン×起業家精神」の3つの領域を、1学科で複合的に学ぶ。“テクノロジー”では、ネット社会の未来に対応した情報工学から電子工学で、モノをつくる力の基礎を養う。また“デザイン”は、つくりたいものを絵や言語などに具現化するため、デザインや映像、建築、ゲームづくりなどの技術を身につける。そして“起業家精神”では、ビジネスの基本や起業の方法、他人を巻き込むコミュニケーション力などを学ぶ。

東京出身の松坂さんは、東京大学卒業後、人材教育会社を経て、2017年に人事コンサルティング会社の子会社を起業。同時に企業や自治体の人や組織づくりプロジェクト等も推進する。2021年より神山まるごと高専の立ち上げに携わる(写真撮影/藤川満)

東京出身の松坂さんは、東京大学卒業後、人材教育会社を経て、2017年に人事コンサルティング会社の子会社を起業。同時に企業や自治体の人や組織づくりプロジェクト等も推進する。2021年より神山まるごと高専の立ち上げに携わる(写真撮影/藤川満)

1コマ90分の授業は、一般的な座学中心ではなく、実験や演習に加え、ディスカッションやグループワークなど双方向的で実践的な内容を重視し、問題解決能力を育んでいく。

さらに毎週水曜日の夕方に開催される特別授業「Wednesday Night」では、第一線で活躍する起業家、経営者、クリエーターを招き、これまでの彼らの経験を語り、また食事も共にして、コミュニケーションを深める。この一年で24回開催され、合計50名のゲストが同校に足を運んだ。

大講義室で行われた「Wednesday Night」の前半。この日のゲストスピーカーは山口周氏((株)ライプニッツ代表)、山崎亮氏(studio-L代表)、坊垣佳奈氏((株)マクアケ共同創業者/取締役)の3人(写真撮影/藤川満)

大講義室で行われた「Wednesday Night」の前半。この日のゲストスピーカーは山口周氏((株)ライプニッツ代表)、山崎亮氏(studio-L代表)、坊垣佳奈氏((株)マクアケ共同創業者/取締役)の3人(写真撮影/藤川満)

「Wednesday Night」の後半は、「HOME」に会場を移し、ゲストと学生が食事や焚き火を共にしながら語り合う(写真撮影/藤川満)

「Wednesday Night」の後半は、「HOME」に会場を移し、ゲストと学生が食事や焚き火を共にしながら語り合う(写真撮影/藤川満)

「起業家たちと学生が接することで、この5年間で起業を身近な選択肢として捉えてもらいたい」と狙いを語る松坂さん。学生たちはゲストと名刺交換することで、卒業時には起業家とのコネクションも持つことができる。起業を目指す学生にとっては、またとないチャンスを得ることができる仕掛けだ。

私立でありながら学費実質無料を実現したスキーム

注目すべきもうひとつは、一人年間200万円の学費が実質無償という点だ。それには「家庭の経済状況に左右されず、世界を変える可能性を秘めた子どもたちの、誰もが目指す学校にしたい」という強い思いが込められている。

これを実現するにあたり、民間企業から一口10億円の出資や寄付を募り、それを運用して得た運用益を返済不要の奨学金に当てる仕組みを構築。この日本初の取り組みに、ソフトバンク、富士通、ロート製薬など、日本を代表する企業が賛同し、合計11社、総額100億円の金額が集まった。現在、一期生だけでなく二期生以降の学費無償化の目処もたっている。

資金を拠出した企業は「スカラーシップパートナー」として以降も連携していき、学生との共同研究や新事業の創造などに取り組んでいく。ほかにも物品やサービスを提供する「リソースサポーター」、実際に各社の強みのある領域を授業で提供する「プログラムパートナー」など、合計70社以上の企業が同校の運営を支援している。それほど日本の企業が同校に期待を寄せている表れと言えよう。

「OFFICE」の窓ガラスにはパートナー企業の会社名がずらりと並ぶ(写真撮影/藤川満)

「OFFICE」の窓ガラスにはパートナー企業の会社名がずらりと並ぶ(写真撮影/藤川満)

進学校よりも魅力を感じて門を叩いた

現在の在校生は東京、北海道、徳島と全国各地から集まっている。なかにはロンドンの日本人学校出身の学生もいて、さまざまな思いを持って神山の地で全寮生活を送っている。開校当時は特にルールもなく、戸惑いがちだった学生たちも、会議を開くなどして、自分たちの主体的な考えに基づいた自治へ歩みつつある。

「一人になる時間はあまりないですが、毎日が修学旅行みたいで楽しい」と寮生活を語るのは東京都出身の市川和さん。一時は同室者との価値観の違いに悩んだというが、「今は吹っ切れた」と心境の変化もあった。

高校受験時の市川さんは、ICUや青山学院にも合格していたが、父親の紹介で同校の存在を知り、あえて神山まるごと高専を選んだ。「ICUや青山学院に進学すれば、安定した道を歩んだかもしれませんが、自分の心に正直になり、より楽しそうなこちらに決めました」

当初は具体的な目的があったわけではないが、現在はグラフィックデザインに興味を持ち、先述の「Wednesday Night」のチラシやEスポーツに関するフリーペーパーの制作に力を入れている。「この学校に入って初めてAdobeのソフトを授業で触れてみた時『これまでの勉強よりおもしろいことあるじゃん!』って思いました」と目を輝かせる。

そんな市川さんだが、もともとはバスケに打ち込むスポーツマンで、美術はむしろ苦手だった。「そのころはアイディアがあってもそれを具現化する方法を知らなかった。やり方さえ覚えれば、誰でもできることに気づきました」

広告代理業を営む父親の影響もあり、日ごろからデザインと起業が身近にあった市川さんだが、将来は起業よりも、まず就職して経験を積みたいと考えている。「デザインを続けていくかはまだわかりませんが、雇われる人の気持ちや仕事の姿勢を理解したうえで、いつかは起業したい。一方的な経営者にはなりたくないですから」

「自然が好きなので、神山は散歩をしていても楽しい。ただもう少し娯楽があれば嬉しいですけど」と神山の印象を語る市川さん(写真撮影/藤川満)

「自然が好きなので、神山は散歩をしていても楽しい。ただもう少し娯楽があれば嬉しいですけど」と神山の印象を語る市川さん(写真撮影/藤川満)

もっと社会との関わりを持ちたくて高校を中退

高知県出身の名和真結美さんは、国際バカロレアを実践する中高一貫校を高校1年時に中退し、神山まるごと高専への道を選んだ。国際バカロレアとは、世界の複雑さを理解し、それに対処する力を養う総合的な教育プログラム。「バカロレアに出会って、学びの面白さを知りました。でも学校の課題や勉強ばかりで、社会とのつながりを感じることができませんでした」

社会とのつながりを求めていた名和さんにとって、面白さと同時に違和感を感じていた中学時の学習環境、そして高校進級時、中学からお世話になった教員が、神山まるごと高専へ転任したことが契機となる。「学校外で起業家精神プログラムに参加して、そこで再会したその先生がキラキラ輝いて見えた。そこからこの学校のことを調べてみたら、『私がやりたいことができる!』と思いました」

「国際バカロレアプログラムを受けて、思考するクセがついてしまった。思考の旅とでもいいますか(笑)」と笑う名和さん。旅をするような感覚で、その時にやりたいことをやることを信条としている。現在、アートやファッションに強い関心を持ち、創作活動にも取り組んでいる。

「あ、あとロボット! これまで経験はなかったですけど、ここでプログラミングに触れてみたら、凄い面白くて!」。現在、名和さんは13人のチームでロボットづくりに勤しむ。目標はアメリカで開催されている世界的ロボット競技会「ファースト ロボティクス コンペティション」への参加だ。

「チームのなかでロボットづくりの経験者は一人しかいません。でも知らないテクノロジーをどんどん開発してくのが楽しいです。それが動いた瞬間が本当にうれしいですね。チーム内のコミュニケーションや資金集めには苦労しましたけど……」と語る名和さん。ハワイで行われる予選に出場するための資金600万円は、企業や地域の人から協賛金で集めることができた。今、ロボット製作に日夜集中できる準備は整っている。

現在製作中のロボットを前にする名和さん。寮生活には満足しているが、「まだまだ自治には至っていないので、みんなでアップデートしていきたい」と語る(撮影/藤川満)

現在製作中のロボットを前にする名和さん。寮生活には満足しているが、「まだまだ自治には至っていないので、みんなでアップデートしていきたい」と語る(撮影/藤川満)

テクノロジーだけではない、人との繋がりでやりたいことが見えてきた

「中学時代は、将来なにか特にやりたいことがあったわけではありません。たまたま父親に勧められてこの学校のキャンパスツアーに参加して、進学を決意しました」と語るのは静岡県出身の伊藤楽大さん。入学後、起業家や教員とコミュニケーションを取るうちに、徐々に「やりたいこと」が見えてきたという。

「いろいろチャレンジしている大人と出会えたことで、選択肢がものすごい広がった。今はその選択肢のなかから、農業が『やりたいこと』としてクローズアップされてきました」。静岡の市街地で育った伊藤さんは、神山の自然に触れたこともひとつのきっかけになった。

同校の理事が運営する農園に足を運んだり、周辺の草刈りの手伝いなどを経て、ますます農業にはまっていった。神山町特産であるシイタケの農家をはじめ、農業を通じて地域の人と関わりを深めていくことで「自分でやりたいことができる」と自信を持ち始めている。

その一方で悩んだのは、寮生活と偉大すぎる起業家たちの存在。「寮生活は自分にはあまり合わなくて、少し悩みました。それと『自分も起業家のようにならないといけない』というプレッシャーも感じました」

ふたつの悩みに押しつぶされそうになった伊藤さんを救ってくれたのは、同校のスタッフの存在。「時間が解消してくれたものありますが、話を聞いてサポートしてくれたスタッフさんのお陰で乗り越えることができました」と振り返る伊藤さん。目下じゃがいもづくりに興味を傾けているが、将来は自然関係の会社の経営を夢のひとつとして描いている。

伊藤さんが作物を育てている畑は、同校の敷地近くにある。農業以外にも美術や国語の授業が楽しいという伊藤さん。「なにより先生たちが楽しそうに授業をするのがいい!」(撮影/藤川満)

伊藤さんが作物を育てている畑は、同校の敷地近くにある。農業以外にも美術や国語の授業が楽しいという伊藤さん。「なにより先生たちが楽しそうに授業をするのがいい!」(撮影/藤川満)

話を聞いた3人は、それぞれに充実した学生生活を送っていることが分かる。とはいえ遊びたい盛りの多感な世代。神山の自然に満足しているものの、カラオケやゲームセンターなど仲間と遊べる場所は少なく、都会的な刺激を直接受ける機会も少ないのも事実だろう。

さらに試験で60点以下の赤点となれば、進級は叶わない。難関を突破した力はあったとしても、今の環境に馴染めず、この先全員が苦労せず進級できるとは限らない。マイナス面や不安を上げれば切りがないが、少なくとも大半の学生が生き生きと過ごしているのは印象的だった。

起業家が創った学校だからこそ起業家が育つ大いなる可能性

「学校というものは基本的に安定を求めるものかもしれませんが、私達が大切にしているのは変化し続けること。今後時代が変わるたびに私達もスピード感をもって変化していくことが勝負かと思います」と未来を見据える事務局長の松坂さん。それは既存の学校のあり方や制度に抗い続けることでもあるという。

今、学生たちは何もかもが暗中模索だった入学時から、徐々に視界がひらけ、それぞれの道を歩みだしている。そんな彼らの将来に起業家たちも期待を寄せる。「Wednesday Night」にゲストスピーカーとして登壇した(株)マクアケ共同創業者/取締役の坊垣佳奈氏は語る。

「第一線で活躍している起業家たちが創った学校だから、同じようにできる人が生まれるはず。ここの学生たちは感じる力と考える力がある。それをもっと強くして、さらに自分の感覚を大切にして、やりたいことに情熱を注いでほしい」。社会にどんな変革をもたらす人材が羽ばたくのか、一期生が卒業する4年後、そしてその後も注視していきたい。

「Wednesday Night」の後半、坊垣氏らと学生が焚き火を囲んで語らう。坊垣氏は開校前から神山に足を運び、同校に注目していた(撮影/藤川満)

「Wednesday Night」の後半、坊垣氏らと学生が焚き火を囲んで語らう。坊垣氏は開校前から神山に足を運び、同校に注目していた(撮影/藤川満)

●取材協力
神山まるごと高専

離島の高校で学ぶ「島留学」に日本中から熱視線! 大人版もスタートで移住者増 島根県隠岐

全国の離島では、本土より早いペースで人口減少が続いています。日本海の隠岐諸島にある西ノ島町、海士町、知夫村も過疎化が進んでいました。そこで、2008年から高校生を対象とした「島留学」制度を開始し、その後、大人の「島留学」制度も開始。現在、高校の生徒数や移住者が増加しています。「島留学」が島に与えた影響と、島留学生のその後を取材しました。

以前は住民の数が年々減少し、島で唯一の高校は廃校寸前だった雄大な景観が魅力で多くの観光客が訪れる隠岐国賀海岸(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

雄大な景観が魅力で多くの観光客が訪れる隠岐国賀海岸(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

絶景のなかに佇む校舎。現在、北は秋田から南は鹿児島まで、海外(インド)からも留学生を受け入れている(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

絶景のなかに佇む校舎。現在、北は秋田から南は鹿児島まで、海外(インド)からも留学生を受け入れている(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

隠岐の島は、島根・鳥取の県境から北方約60kmに位置し、「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されている自然豊かな場所。そのうち、島前地区は、西ノ島町、海士町、知夫村から成る地域です。

今、島前地区が注目を集めていることの1つには、島の高校の島留学生や、移住者が増加していることがあります。高校生や大人を対象にした島留学制度がそのきっかけになっているのです。

もともと、移住対策の前に急務だったのは、人口減少や少子高齢化による過疎化により減少の一途をたどっていた島前高校の生徒数を確保することでした。2008年度の生徒数は1学年28人、全校でも90人しかいませんでした。そこで、始まったのが隠岐島前教育魅力化プロジェクトです。さらに、「このままでは廃校になってしまう」と危機感をつのらせた3町村が出資して、2015年に一般財団法人島前ふるさと魅力化財団が設立されました。教育魅力化事業部の宮野準也さんと地域魅力化事業部の青山達哉さんに島留学プロジェクトの経緯を伺いました。

「地元の高校がなくなれば、子どもたちは、進学のため本土に出てしまいます。保護者も一緒に移住してしまえば、過疎化はますます深刻になります。そこで、島前地区の魅力を全国にアピールし、高校への島留学生を呼び込む取組みがはじまりました」(青山さん)

海と山の景観に恵まれている島前地区(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

海と山の景観に恵まれている道前地区(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

全国に先駆けて始まった島前高校の「島留学」

島前高校の「島留学」は、島外の高校生が自然環境・文化・伝統が残る島前地区で寮生活をしながら高校へ通うプロジェクトです。鹿児島や秋田といった県外や、モンゴルやインドなど海外から留学してくる生徒もいます。現在は、全国で「離島留学」を実施する学校が増加。国土交通省では、離島活性化を図る島留学推進のため情報をホームページにとりまとめていますが、当時、島前高校の「島留学」は、全国にない取り組みでした。

「島留学」で来る生徒が通う隠岐島前高校のキャッチコピーは、「島まるごと学校。島民みんなが先生」。島留学生には、ひとりずつ、「島親さん」と呼ばれる島民がついて地域になじむのをサポート。生徒は、夕飯に呼ばれたり、夏祭りに一緒に行ったりするなかで地域の人とつながっていきます。

無形文化財に指定されている島前神楽。海外留学から帰国後、神楽を残そうと地元で活動をはじめた生徒もいる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

無形文化財に指定されている島前神楽。海外留学から帰国後、神楽を残そうと地元で活動をはじめた生徒もいる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

地域のお祭り「キンニャモニャ祭り」に参加した生徒たち。しゃもじを打ち鳴らしながら1時間踊る(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

地域のお祭り「キンニャモニャ祭り」に参加した生徒たち。しゃもじを打ち鳴らしながら1時間踊る(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

「心掛けているのは、学校の学びを校内に閉じないこと」と宮野さん。授業には毎日のように島の人が招かれ、文化や伝統を生徒に教えています。7月に行われた、隠岐諸島でかつて使われた木造船「かんこ舟」の操船体験も地域活動のひとつ。昨年9月にIターンした米国出身の冒険家ハワード・ライスさんと、生徒たちが船を修復し、かつての海の文化を体験しました。

「ほかには、数学の授業で、島にカラオケ店をつくる想定で、経営を考える課題がありました。数学的な視点で考える力を養えます。自分に何ができるのか、常に考えて地域のことにアンテナを張る。学校で学んだことが地域に、地域で学んだことが学校の勉強に役立ちます。地域活動が学びの基礎になっているのです」(宮野さん)

現在、全校生徒数は161名とかつての約2倍に増えています。

島暮らしの原体験を手に入れられる3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」シェアハウスでは、制度を利用してきた人が共同生活を行う。夕飯を一緒に食べたり、仕事や生活で大変なことを相談したり。「島に何ができるのか」熱い話題で盛り上がることも(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

シェアハウスでは、制度を利用してきた人が共同生活を行う。夕飯を一緒に食べたり、仕事や生活で大変なことを相談したり。「島に何ができるのか」熱い話題で盛り上がることも(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

現在、島前地区では、若者を対象とした就労型お試し移住制度も行っています。

制度をはじめるきっかけは、2019年に松江や東京で開催された隠岐島前高校卒業生等が集うイベントでした。参加した100名近い若者から、「隠岐島前へUターンしたいと考えているが、暮らしや仕事の情報がネット上では見えづらく、移住や定住のイメージが湧かない」という声が多く寄せられたのです。そこで、隠岐島前地域の地元出身者に限らず、「島で暮らしたい」という想いをもった全国各地の若者が活用できる大人のための島留学がスタートしました。

期間ややりたい仕事別に3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」から選べること、シェアハウスで共同生活することが特徴です。

「島体験」は、3カ月の滞在型インターンシップ制度。仕事や普段の暮らしを通して、島を知ることができます。「大人の島留学」は、プロジェクトに就労しながら、1年間お試し移住できる制度。「複業島留学」は、2年間、複数の産業を体験しながら島の新しい働き方を探求します。

仕事内容は、海士町役場人づくり特命担当課のサポート業務、ふるさと納税プロジェクト推進サポート業務、島食プロジェクト、こども基地プロジェクト、海士町役場外貨創出プロジェクトなどさまざまです。

島体験生の研修風景。「島体験」では一週間に一度、「大人の島留学」では、一月に一度の研修が行われる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

島体験生の研修風景。「島体験」では一週間に一度、「大人の島留学」では、一月に一度の研修が行われる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

岩ガキ、隠岐牛、農業などの一次産業にもチャレンジできる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

岩ガキ、隠岐牛、農業などの一次産業にもチャレンジできる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

2年間の複業島留学では、1年に3カ所(事業所)以上、観光業、農林水産業を中心とした島の基幹産業に携わる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

2年間の複業島留学では、1年に3カ所(事業所)以上、観光業、農林水産業を中心とした島の基幹産業に携わる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

報酬は、「島体験」は月額8万円、「大人の島留学」は月額15万円、「複業島留学」の年収は年間260日間(1日あたり8時間勤務した場合)で240~310万円です。

応募者をオンライン選考した上で合格した人は、興味ややりたいことと、町村が求めることとマッチングを行い、町が管理するシェアハウスで暮らしながら、島の仕事を体験します。

役場職員から、地域通貨「ハーン」の活用について学ぶ大人の島留学生(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

役場職員から、地域通貨「ハーン」の活用について学ぶ大人の島留学生(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

牛舎での仕事風景。掃除、餌やり、出荷の手伝いなどを手伝う(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

牛舎での仕事風景。掃除、餌やり、出荷などを手伝う(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

「大人の島留学生」の皆さん(画像提供/清瀬りほさん)

「大人の島留学生」の皆さん(画像提供/清瀬りほさん)

「3つの制度を利用した人は、200人ほど。そのうち、20名が就職して移住しています。チャレンジ精神のある若者は町のエネルギー。商店への経済貢献もあり、島前地区の活性化につながっています」(青山さん)

島に滞在して就労体験できる「大人の島留学」で移住者が増加中

清瀬りほさん(役場職員・23歳)は、「大人の島留学」を体験した後、2021年に島への移住を決めました。

「もともと離島出身で、大学時代に離島の教育をテーマに卒論を書いていました。島前高校の魅力化プロジェクトを知り、実際に行きたいと思っていたのですが、さまざまな理由で行くことができませんでした。そのまま就職することに悩んでいたとき、母に背中を押してもらい、『大人の島留学』に参加することにしました」(清瀬さん)

「大人の島留学」で従事する仕事について、清瀬さんは、「行政の中でさまざまな取り組みをしている攻めの部署」を希望。海士町役場の人づくり特命担当課に配属されました。

仕事内容は、大人の島留学事業の推進。シェアハウスにするための空き家清掃や、情報発信、大人の島留学島体験の研修サポートを行いました。

「大人の島留学」時代、大人の島留学・島体験事務局として、島体験生のサポートをする清瀬さん(画像提供/清瀬りほさん)

「大人の島留学」時代、大人の島留学・島体験事務局として、島体験生のサポートをする清瀬さん(画像提供/清瀬りほさん)

西ノ島には、ハイキングコースがあり、休日は、花や野鳥を観察しながら散策を楽しんだ(画像提供/清瀬りほさん)

西ノ島には、ハイキングコースがあり、休日は、花や野鳥を観察しながら散策を楽しんだ(画像提供/清瀬りほさん)

冬になれば雪遊び。ご近所さんから野菜のおすそ分けをいただくことも多い(画像提供/清瀬りほさん)

冬になれば雪遊び。ご近所さんから野菜のおすそ分けをいただくことも多い(画像提供/清瀬りほさん)

島での生活を振り返ると、「たくさんの島の人の顔が浮かんでくる」と言います。

「仕事でも暮らしでもたくさんの島の方と関わりながら生活しているんだなと感じます。学生時代から地域づくりに関わっていましたが、短期の活動ではわからなかった地域の地道な努力が見えてきました」(清瀬さん)

大人の島留学がはじまって半年後、清瀬さんは移住を決めます。

「来島した当初は、街づくりが進んでいる海士町から、出身地である離島の街づくりの参考になることを学ぼうという気持ちでした。でも、仕事を任されるうちに、それでは島の人に失礼だと感じるようになったんです。地元のことは一旦置いて、目の前にある島の課題に向き合い、頑張ってみたいと思いました」

留学生時代から引き続き人づくり特命担当に携わる清瀬さんは、メディアプラットフォームで、「離島のリアルを伝える」仕事をしています。清瀬さんが行った留学生へのインタビューには、「手を動かすことで学びが増えていく」「自分のためにも島のためにも」「自分の世界が広がりました」などの見出しが掲げられています。

島前に住む若者インタビュー、島前紹介、イベントレポなどを掲載(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

島前に住む若者インタビュー、島前紹介、イベントレポなどを掲載(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

清瀬さんが、島留学・移住を経て最も成長したことは、「自分の意見を持ち、言葉で表現できるようになったこと」。

地元の盆踊り大会を楽しむ清瀬さんと自宅の草刈りの様子。草刈り機の扱いにも慣れた(画像提供/清瀬りほさん)

地元の盆踊り大会を楽しむ清瀬さんと自宅の草刈りの様子。草刈り機の扱いにも慣れた(画像提供/清瀬りほさん)

「離島に移住するのはハードルが高く思えるかもしれませんが、実際島を体験すれば合うか合わないかがわかります。覚悟を決めなくていいので、気軽に島留学に来てほしいです」(清瀬さん)

留学時代から住んでいる海士町の多井地区は、最も人口が少なく、商店はもちろん自販機もないところです。ここで暮らすうちに、多井のことが大好きになった清瀬さん。自分が好きな場所に住める幸せを実感しています。

「大人の島留学」のホームページには、体験者の声がいっぱい。オンライン授業を受けたり、休学して、移住生活をする大学生も多く、「島体験」や「大人の島留学」をきっかけに移住を決める人も……。島での「こころを揺さぶる原体験」が、自分を成長させてくれます。

●取材協力
・隠岐島前教育魅力化プロジェクト
・大人の島留学
・島根県立隠岐島前高等学校

コロナ禍の新小学1年生、住まいはどう対応する?カギは「親こそ柔軟に」

「春から我が子が新入学」という人は、今、悩んでいるのではないだろうか。コロナ禍でおうち時間が長くなる中、子どもの生活リズムが変わり、勉強が始まり、持ち物が増える……。家庭内で気になるのは、学習環境をどう整えるべきか?ということ。そこで今回、「一生モノの学び体質を作る戦略的メソッド」である「かおりメソッド」を展開する岩田かおりさんにお話を聞いた。
子どもたちも期待と不安でいっぱい。親はゆったりと構えて

コロナ禍での新入学。気をつけるべき例年との違いは?

「保護者や先生といった大人が、新型コロナウイルスに関して過剰に反応することが、子どもの心的負担に影響するように感じます。これらは学校への行き渋りや不登校につながりかねません。ただでさえ、コロナ禍での子どもたちは『初めまして』でマスクをしているという状態。口元が隠れて表情が分かりづらく、意思疎通がしにくいのです。また本来であれば、1年生の担任の先生はハグなどのスキンシップをして、コミュニケーションをとってくれることが多いもの。コロナ禍でそれがなくなったことも、まだ幼い1年生にとってはストレスなのでは。昨年1年生になった受講生のお子さんでも、『学校が怖い』と言って行き渋りをした子がいました」(岩田かおりさん・以下同)

昨春はすでにコロナ禍で、入学式の後、初登校が6月ごろだった小学校も多い。低学年ではうまく言語化できないものの、不安な気持ちが積み重なり、スタートがうまく行かないケースが見られたそう。

「対応としては、親が過剰に反応しすぎないことです。親が不安な様子を見せると、子どもも不安を感じてしまうもの。コロナ禍での新入学という現状を大げさに捉えすぎず、子どもから違和感を感じ取ったときにだけ、寄り添うために動きましょう」

岩田かおりさん

岩田かおりさん 株式会社ママプロジェクトJapan代表取締役 子ども教育アドバイザー 1男2女の母。幼児教室勤務を経て、「子どもを勉強好きに育てたい」との思いから独自の教育法を開発。ガミガミ言わず勉強好きで知的な子どもを育てる作戦「かおりメソッド」を全国へ展開中(画像提供/かおりメソッド)

まずは学習場所の確保を。低学年にはリビング学習がおすすめ

子どもが小学校に入学すると、生活にどのような変化があるのだろう。

「まず、子どもと過ごす時間の長さが変わります。幼稚園児だったのであれば、小学生になると学校で過ごす時間の方が長くなり、保育園児だったのであれば、園時代より早く帰宅するようになります」

小学校に入学すると勉強が始まり、宿題もある。そこで大切なのは学習場所の確保だ。

「1年生は、まだまだ1人で勉強することが難しいので、リビング学習が中心になると思います。持ち物は格段に増え、ランドセルや教科書、ノートのほかに、使うとその都度持ち帰る絵の具セットなどもあります」

子ども用に個室があれば別だが、個室がない完全なリビング学習派にとって困るのが、増えた物の置き場所だ。
「リビング学習派の受講生におすすめしているのが、子ども用にキッチンワゴンを1つ用意して、持ち物をまとめる方法です。ホームセンターなどで販売されているキッチンワゴンに、ここは宿題、ここは習字道具を置くなどと決めさせます。本人がやる気になったら、宿題に取り掛かることができるよう、取り出しやすくしておくことが大事なのです。宿題が終わったら片付けて、自分でワゴンを定位置に移動させます」

子どもが好きな色のキッチンワゴンを選べば、やる気もアップしそう。リビング学習派は、リビングやテーブルに子どものモノが置きっぱなしになりやすいが、その問題も解決してくれる。

3人の子を持つ母である岩田さん宅も、モノが多くなりがちだという。成長した上の子たちは学習机を使わなくなったといい、各自がリビングをはじめ好きなところで学習し、勉強用具は使用後自室に持ち帰る。「子どもたちがリビングに持ち込んでいいモノは、その場でよく使う“一軍”のアイテムだけと決めています」とのことだ。

親も子もストレスなく、おうち時間を過ごすために

コロナ禍で外出の機会が減少し、親も子も家の中で過ごす時間が長くなった。

「今はステイホームがスタンダード。だからこそ、家の中で快適に過ごそうと考えるご家庭はとても増えました。受講生も、室内のレイアウトを変えたり、おうち時間のためにカードゲームやボードゲームを購入したりといったご家庭が多いですね。保護者の在宅勤務も増えたので、スケジュールボードに『この時間、お母さんは仕事中』などと書き入れ、子どもが大声を出していい時間とそうでない時間を“見える化”したという工夫も聞きました」

また、子どもが小学生になると、子どもの友達が自宅に遊びにきて、にぎやかに過ごすということがある。筆者にも経験があるが、我が子のためには無下に断りたくはないものの、オンライン会議をはじめ在宅勤務を思うと悩ましい。

「親は住まいの中に自分の仕事スペースを確保しましょう。その上で、仕事がある時間はこちらの都合に合わせてもらうといいですね。子どもたちに『3時までは公園や児童館で遊んでね。帰ってきたらおやつにしましょう』などと提案を」

おうち時間が増えると、子どもがゲームやインターネットに触れる時間が増えることも心配のタネだ。
「自室があってもデバイスを持ち込ませないことです。時間を区切るためにも、使うのはリビングなど親の目が届く場所で。これはオンライン学習でも同様です。勉強が終わった後のパソコンやタブレットでネットサーフィンをしてしまう子も多いので、時間が来たら、電源を切って片付けることを習慣にしましょう」

住まいの「我が家流」を見つけよう!

「住環境や家族構成は人それぞれです。ある程度の枠組みを整えたら、ぜひ“我が家流”をつくってみてください」と岩田さん

枠組みづくりの導入におすすめなのは、「モノの住所を決めること」だそう。
「文房具ならここ、ハサミはここ、学校からのお便りはここ……とモノを収納する場所を決めて、それぞれラベリングを。文房具などが、すぐ手が届く場所に分かりやすく配置されていると、勉強へのハードルが下がるものです」

家庭用のラベルプリンターなどを使えば、手軽にラベルづくりができる。子どもと一緒にラベリングするとさらに効果的だ。

「学習環境にはこれが正解という答えがありません。私は“ノマド派”を推奨しています。今日は自室で勉強をしよう、今日は階段で座って本を読もう……など、家の中であれば、どこで学習してもOK。『必ずここに座って勉強しなさい』『終わったら見せに来て』などと締め付けると、子どもはヤル気を失ってしまいます。我が家ではその子の気分によって、フリースタイルで学習していいことにしています」

子どもの学習机を買うべきかどうかも悩むところ。
「置くスペースがあればいいのですが、余裕がない方もいると思います。我が家も上の子たちが小2と小4の時に学習机を買いましたが、二人が高校生になった今では使っていません。今は、安価で小さいテーブルも売られているので、子どもの学習意欲が上がるのなら、期間限定で楽しんでもいいと思います」

また、子どもが主体的に学習に取り組むよう、受講生には「家の中に仕掛けを」と伝えているとか。

「例えば壁に日本地図を貼って、親が興味を持たせるような会話やアプローチをしてみるなど、勉強は楽しいものだと思わせましょう。特に小学校低学年であれば、学習に遊び感覚を取り入れると効果的です」

新入学前、先輩ママのレイアウト変更例

ここで、受講生が実践した、住まいのレイアウト変更例をご紹介しよう。

・Kさん 小学2年男子の母
「学習用品を収納するスペースが欲しい」と考えていたことから、小学校入学後1カ月で新しい生活スタイルを把握し、5月に子どもスペースのリフォームを実施。家具職人によるオーダーメイドで、壁面2面に収納をつくった。「元から本好きでしたが、大きな本棚をつくったことでますます読書に夢中に。また、自分で身支度するのが得意になりました」

(上)ビフォア、(下)アフター

Kさん宅のビフォア・アフター。側面の白い収納を開けると、学習用のポスターなどが貼ってあるが、閉めるとスッキリ(写真提供/Kさん)

・Mさん 大学1年男子、高校2年女子、小学6年男子、小学1年女子の母

二女の小学校入学にあたり、学習スペースをつくることに。リビングにあるMさんの仕事スペースのすぐ隣に、切り離した絵本棚の上部分を設置。棚にラベリングし“モノの住所”をつくった。「ちょうど住み替えのタイミングでもあったので、先生のアドバイスで、同じ学区中で、より人通りが多い場所へ引越しました。そのおかげで友達が訪ねて来てくれ、1年生を楽しくスタートすることができました」

(上)Mさん学習スペース1、(下)Mさん学習スペース2

食卓のすぐ側の仕事場兼学習スペースで、Mさんと二女が机を並べる。飽きないよう学習ポスターは随時貼り替える(写真提供/Mさん)

・Tさん
小学2年女子、幼稚園年中女子の母

1SLDKの間取りで収納スペースが少なく、カラーボックスを並べるなどして対応していたが、この年末年始に模様替え。夫の部屋にあった本棚をリビング移動させ、長女用に。辞書などが見たいときに、すぐに手が届くようにした。「自分でしまう場所ができたことで、より主体的に学びやすい環境に。長女がリビング学習していると、二女も自然と並ぶので、良い相乗効果が生まれています」

Tさん宅リビング1

教材などを貼ってリビング学習(写真提供/Tさん)

(左)Tさん宅リビング2、Tさん宅リビング3(右)

トランポリンと鉄棒はステイホーム期間に購入した(写真提供/Tさん)

親のサポートで、子どもに柔軟性と成功体験を

岩田さんの上の子たちの現在の学習スペースは、リビングや図書館、カフェなどだそう。
「塾に行くのであれば塾の学習室も利用できます。逆に『静かな自分の部屋でないと勉強に集中できない』というのでは困ってしまいますよね。主体的に自分をマネジメントして取り組むのが勉強です。『ここではやりにくい』と感じるのであれば、場所を変えて勉強する柔軟性も必要です」

子どもの柔軟性を育むためには、親が柔軟に考えることが大切だという。

「住まい方は、ライフスタイルや家族の成長に合わせて変えていけばいいと思います。学習机を買って失敗だったのなら、近所の人に声を掛けたり、フリマアプリなどを活用したりして誰かにお譲りしては」

「子育ては、常に更新を」と岩田さんは力を込める。
「年に一度は住まいのレイアウトを見直してみてください。昨今はコロナ禍で状況に変化があったので、より見直しのタイミングだといえるかもしれません。例えば小学生のころは、手が届きやすい低めの位置に持ち物を配置するといいのですが、中高生では使いづらいこともあります」

「子どもが小さい時にこそ、住まいについて一緒に考えてみてください。自分で『ここに置く』と決めたレイアウトがうまく機能すれば、成功体験になります。親のサポートのもと、子どもがやりたいことを実現していく過程が、主体的に学ぶ子を育てることにつながります」

春から小学5年になる筆者の娘に、新入学の時に心配だったことを聞くと、「友達ができるかどうかと、先生が優しい人かどうかが気になった」とのこと。

実際に小学校が始まってから困ったことは、「宿題を家に置き忘れたり、時間割を間違えたり、プリントをなくしたこと」……。学習スペースや収納について、親が深く考えていなかったからだと反省した。

そんな娘は小学校が大好き。いよいよ高学年という成長を感じながら、一緒に学習スペースをアップデートしようと思った。

●取材協力
・かおりメソッド

二拠点生活で小・中学校はどうする? コロナ禍で高まるニーズ受けて

コロナで2回目の緊急事態宣言が発令されて始まった2021年。今回は休校や休園などの事態は免れたものの、テレワークなどの新しい生活様式の推奨に伴って、郊外への引越しや地方移住、二拠点生活を検討する人が増えていると言います。

2019年から二拠点生活を始めて2年、小学校・中学校への進学を控える子ども2人を持つ筆者が、改めて二拠点生活の「学校どうするか」問題について考えます。

コロナで地方移住や二拠点生活の志向が高まっている!?

1月29日、総務省が2020年の住民基本台帳に基づく人口移動報告を発表し、東京都からの転出者が全国で唯一増加となったことが話題になりました。転出先は神奈川・埼玉・千葉の近隣3県が55%を占めることに。コロナの影響でリモートワークが普及し、都心から通勤圏内の郊外へ移り住む流れが進んでいると言われます。

また、リクルート住まいカンパニーが発表した調査でも同様の傾向が見られます。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を2020年1月と8月で比較した伸び率をランキングすると、伸び率1位となったのは中古マンションでは神奈川県三浦市、中古一戸建てでは千葉県富津市でした。さらにいずれもトップ5は都心から100キロメートル圏内の郊外エリアだったのです。2拠点生活意向者も2018年11月と比べ、2020年7月時点では13.4ポイント増加し、二拠点生活を志向する人が約2倍に増えていることを示しています。

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

二拠点生活をするとき、学校の選択肢は?

これまで二拠点生活の実現を阻むと言われてきた二大要素が「仕事」と「子どもの就学」でした。そのうち、「仕事」については、WEB会議システムをはじめとしたテレワーク化の流れによって、地方に住みながら今の仕事を続けられるかも、と二拠点生活をイメージできる人が増えたのではないでしょうか。

そして、もう一つの困難が「子どもの就学」問題です。二拠点生活をするときの通学形態には、いくつかの選択肢があります。公立の小・中学校に通学する場合、大体次の3つに分けられるでしょう。

1)いずれか主となる住所地に住民票と学籍を置き、その学校にのみ通学する
・現在の学校に引き続き通学
・転校する(親子留学制度などを利用する場合も含む)

2)デュアルスクール制度のある自治体(徳島県、長野県塩尻市、秋田県など)で区域外就学制度(後述)を活用し、都心部に住民票と学籍を置いたまま、地方の学校にも通学する

3)主となる住所地に住民票と学籍を置き、別拠点に滞在中はフリースクールや家庭教師など任意の教育で補う

山梨県や長野県に移住した友人からは、それらの県の一部地域で募集されている「親子留学」制度が、コロナによって問い合わせが増えていると聞きます。この親子留学制度も上の1)の住民票と学籍を移す形になります。

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

「区域外就学制度」が使える? 自治体や教育委員会に問い合わせてみた!

古くから各地方自治体には「区域外就学」の制度があります。これは具体的な事情が相当と認められる場合に、住民票と学籍のない自治体の公立学校に通うことが可能となる制度です。

実は、地方移住や二拠点生活などのニーズを反映し、2017年7月に文部科学省からこの区域外通学に関する通達が出されました。この通達には、「相当と認めるとき」に「地方への一時的な移住や二地域に居住するといった理由」も含まれることが記載されています。二拠点でこの制度を活用することに文科省のお墨付きを得ている、とも言えるこの通達ですが、文部科学省教育制度改革室の松岡将さんによると「実際の運用と認められるかどうかの判断は、各地方自治体の教育委員会の判断に委ねられている」と言います。

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

そこで、筆者は現在、東京の拠点である品川区と住民票を置いている佐賀県佐賀市にこの制度が活用できるかを尋ねてみることにしました! それぞれの自治体のホームページには、学期の途中で転出した場合などに加え、「その他教育委員会が特に必要と認めた場合」に区域外就学制度を利用できる旨の記載があります。

「コロナ」という“特別な事情”が、加味される可能性も

ところが、実際に各自治体に相談してみると、筆者のように1回あたり数日~1週間程度の滞在では申請が認められることは難しく、一つの目安として「一定期間(2~3週間程度)以上、居住していること」が必要であることが判明しました。

また、自治体によっては、主に海外赴任で一時的に帰国している場合などに、住民票がなくとも一定期間居住していることを条件に「体験入学」できる制度を設けているところもあります。この制度を活用する場合においても、居住期間2~3週間以上の場合の申請が一般的ということでした。

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

ただ、品川区学務課の篠田英夫さんによると「コロナによって区内に住む人から、地方の祖父母宅など一時的に他のエリアで子どもを通学させることができないか、といった相談が出てきている」といいます。

「『コロナのような特別な事情』があれば、受け入れ側の自治体との調整によっては可能になる場合もあるかもしれません。個別事情によって判断することになるので、詳細は各自治体や教育委員会などの窓口に相談してほしいと思います」(篠田さん)

意外と「デュアルスクール」を望んでいない子どもも!?

子ども2人がそれぞれ小学校、中学校に進学するのにともない、筆者の中では改めて“学校どうしよう”問題が湧き上がりました。特に1カ月に1~2回、3~7日ほどの東京・佐賀の行き来が日常になっていた長男には、区域外就学制度が活用できたらよかったのにな……という思いも拭えません。

ところが、いざ息子にその話をしてみると「小学校は佐賀だけでいい。2つも学校行くのは面倒だから」と言います。中学校に進学する長女に聞いても同様の返答です。

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

実は、私たちの二拠点生活も最初から全てが順調だったわけではなく、佐賀に引越して最初の半年ほどの間は、よく保育園の園長先生から長男の様子について話がありました。息子が移動中のバスの中でお友達を叩いたり、体操の時間にみんなで走っているときに前の子を押したりすることが頻発したのです。

園長先生から聞いたのは息子が「怒っているように見える。お母さんが仕事で東京に行って不在のときは、特にイライラしている様子」だということ。半年ほど経って息子の様子が落ち着いてきたことを園長先生と話したとき、「生活に慣れて、いつもの安心できる環境になったんでしょうね」と言われて、気付かされた思いでした。子どもにとっては“いつもの安心できる環境”が第一なのだな、と。

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

国も自治体も、そして親も「子どもの教育環境」を第一に

松岡さんに話を聞いたときにも印象的だったのは「子どもの教育環境が大切」という言葉が繰り返し使われたことです。また、篠田さんは「学級運営や他の子どもたちの学習環境にも影響するので、区域外就学も安易には認められない」と言っていました。

親としては生活の選択肢を増やす意味で、また子どもの将来にとって良かれと思って、二拠点生活に活用できる就学制度があれば、と思わずにいられません。実際、都会育ちの子どもが、デュアルスクールを体験し、かけがえのない経験や、自分の居場所はどこにでもつくれるという強い自信を得た、といった素晴らしい話も聞きます。一方で、二拠点生活を考える際に子どもの学校をどうするのか、本当に子どもにとって2つの学校に通うことが必要なのかどうかは、それぞれの家庭の事情にあわせて慎重に検討する必要があると感じました。

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

二拠点生活を始めた当時、小学4年生だった長女が転校して現在の小学校にすんなり馴染めたのも、既に顔見知りの同級生がいたことが大きいと思っています。実は、娘は東京・品川区の小学校に入学した6歳のころから4年間、毎年冬休みには佐賀の祖父母宅に一人で2週間ほど滞在し、現在の住まいの近所に住む子どもたちと一緒に遊んできたのです。

デュアルスクール制度、区域外就学制度、体験入学制度、親子留学制度など、二拠点生活の広まりに応じて活用できそうな就学制度が出てきました。また、コロナの今だからこそ、活用できる可能性もありそうです。

“子どもの教育環境”という簡単には答えの出ない問題だからこそ、まずは親子で休暇を利用して一時的に滞在してみる、「子連れワーケーション」を実践してみるなど、“試しに”から始めて子どもの様子を見るのも一手かもしれませんね。

●取材協力
・文部科学省
・東京都品川区
・佐賀県佐賀市

二拠点生活で小・中学校はどうする? コロナ禍で高まるニーズ受けて

コロナで2回目の緊急事態宣言が発令されて始まった2021年。今回は休校や休園などの事態は免れたものの、テレワークなどの新しい生活様式の推奨に伴って、郊外への引越しや地方移住、二拠点生活を検討する人が増えていると言います。

2019年から二拠点生活を始めて2年、小学校・中学校への進学を控える子ども2人を持つ筆者が、改めて二拠点生活の「学校どうするか」問題について考えます。

コロナで地方移住や二拠点生活の志向が高まっている!?

1月29日、総務省が2020年の住民基本台帳に基づく人口移動報告を発表し、東京都からの転出者が全国で唯一増加となったことが話題になりました。転出先は神奈川・埼玉・千葉の近隣3県が55%を占めることに。コロナの影響でリモートワークが普及し、都心から通勤圏内の郊外へ移り住む流れが進んでいると言われます。

また、リクルート住まいカンパニーが発表した調査でも同様の傾向が見られます。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を2020年1月と8月で比較した伸び率をランキングすると、伸び率1位となったのは中古マンションでは神奈川県三浦市、中古一戸建てでは千葉県富津市でした。さらにいずれもトップ5は都心から100キロメートル圏内の郊外エリアだったのです。2拠点生活意向者も2018年11月と比べ、2020年7月時点では13.4ポイント増加し、二拠点生活を志向する人が約2倍に増えていることを示しています。

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

二拠点生活をするとき、学校の選択肢は?

これまで二拠点生活の実現を阻むと言われてきた二大要素が「仕事」と「子どもの就学」でした。そのうち、「仕事」については、WEB会議システムをはじめとしたテレワーク化の流れによって、地方に住みながら今の仕事を続けられるかも、と二拠点生活をイメージできる人が増えたのではないでしょうか。

そして、もう一つの困難が「子どもの就学」問題です。二拠点生活をするときの通学形態には、いくつかの選択肢があります。公立の小・中学校に通学する場合、大体次の3つに分けられるでしょう。

1)いずれか主となる住所地に住民票と学籍を置き、その学校にのみ通学する
・現在の学校に引き続き通学
・転校する(親子留学制度などを利用する場合も含む)

2)デュアルスクール制度のある自治体(徳島県、長野県塩尻市、秋田県など)で区域外就学制度(後述)を活用し、都心部に住民票と学籍を置いたまま、地方の学校にも通学する

3)主となる住所地に住民票と学籍を置き、別拠点に滞在中はフリースクールや家庭教師など任意の教育で補う

山梨県や長野県に移住した友人からは、それらの県の一部地域で募集されている「親子留学」制度が、コロナによって問い合わせが増えていると聞きます。この親子留学制度も上の1)の住民票と学籍を移す形になります。

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

「区域外就学制度」が使える? 自治体や教育委員会に問い合わせてみた!

古くから各地方自治体には「区域外就学」の制度があります。これは具体的な事情が相当と認められる場合に、住民票と学籍のない自治体の公立学校に通うことが可能となる制度です。

実は、地方移住や二拠点生活などのニーズを反映し、2017年7月に文部科学省からこの区域外通学に関する通達が出されました。この通達には、「相当と認めるとき」に「地方への一時的な移住や二地域に居住するといった理由」も含まれることが記載されています。二拠点でこの制度を活用することに文科省のお墨付きを得ている、とも言えるこの通達ですが、文部科学省教育制度改革室の松岡将さんによると「実際の運用と認められるかどうかの判断は、各地方自治体の教育委員会の判断に委ねられている」と言います。

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

そこで、筆者は現在、東京の拠点である品川区と住民票を置いている佐賀県佐賀市にこの制度が活用できるかを尋ねてみることにしました! それぞれの自治体のホームページには、学期の途中で転出した場合などに加え、「その他教育委員会が特に必要と認めた場合」に区域外就学制度を利用できる旨の記載があります。

「コロナ」という“特別な事情”が、加味される可能性も

ところが、実際に各自治体に相談してみると、筆者のように1回あたり数日~1週間程度の滞在では申請が認められることは難しく、一つの目安として「一定期間(2~3週間程度)以上、居住していること」が必要であることが判明しました。

また、自治体によっては、主に海外赴任で一時的に帰国している場合などに、住民票がなくとも一定期間居住していることを条件に「体験入学」できる制度を設けているところもあります。この制度を活用する場合においても、居住期間2~3週間以上の場合の申請が一般的ということでした。

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

ただ、品川区学務課の篠田英夫さんによると「コロナによって区内に住む人から、地方の祖父母宅など一時的に他のエリアで子どもを通学させることができないか、といった相談が出てきている」といいます。

「『コロナのような特別な事情』があれば、受け入れ側の自治体との調整によっては可能になる場合もあるかもしれません。個別事情によって判断することになるので、詳細は各自治体や教育委員会などの窓口に相談してほしいと思います」(篠田さん)

意外と「デュアルスクール」を望んでいない子どもも!?

子ども2人がそれぞれ小学校、中学校に進学するのにともない、筆者の中では改めて“学校どうしよう”問題が湧き上がりました。特に1カ月に1~2回、3~7日ほどの東京・佐賀の行き来が日常になっていた長男には、区域外就学制度が活用できたらよかったのにな……という思いも拭えません。

ところが、いざ息子にその話をしてみると「小学校は佐賀だけでいい。2つも学校行くのは面倒だから」と言います。中学校に進学する長女に聞いても同様の返答です。

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

実は、私たちの二拠点生活も最初から全てが順調だったわけではなく、佐賀に引越して最初の半年ほどの間は、よく保育園の園長先生から長男の様子について話がありました。息子が移動中のバスの中でお友達を叩いたり、体操の時間にみんなで走っているときに前の子を押したりすることが頻発したのです。

園長先生から聞いたのは息子が「怒っているように見える。お母さんが仕事で東京に行って不在のときは、特にイライラしている様子」だということ。半年ほど経って息子の様子が落ち着いてきたことを園長先生と話したとき、「生活に慣れて、いつもの安心できる環境になったんでしょうね」と言われて、気付かされた思いでした。子どもにとっては“いつもの安心できる環境”が第一なのだな、と。

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

国も自治体も、そして親も「子どもの教育環境」を第一に

松岡さんに話を聞いたときにも印象的だったのは「子どもの教育環境が大切」という言葉が繰り返し使われたことです。また、篠田さんは「学級運営や他の子どもたちの学習環境にも影響するので、区域外就学も安易には認められない」と言っていました。

親としては生活の選択肢を増やす意味で、また子どもの将来にとって良かれと思って、二拠点生活に活用できる就学制度があれば、と思わずにいられません。実際、都会育ちの子どもが、デュアルスクールを体験し、かけがえのない経験や、自分の居場所はどこにでもつくれるという強い自信を得た、といった素晴らしい話も聞きます。一方で、二拠点生活を考える際に子どもの学校をどうするのか、本当に子どもにとって2つの学校に通うことが必要なのかどうかは、それぞれの家庭の事情にあわせて慎重に検討する必要があると感じました。

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

二拠点生活を始めた当時、小学4年生だった長女が転校して現在の小学校にすんなり馴染めたのも、既に顔見知りの同級生がいたことが大きいと思っています。実は、娘は東京・品川区の小学校に入学した6歳のころから4年間、毎年冬休みには佐賀の祖父母宅に一人で2週間ほど滞在し、現在の住まいの近所に住む子どもたちと一緒に遊んできたのです。

デュアルスクール制度、区域外就学制度、体験入学制度、親子留学制度など、二拠点生活の広まりに応じて活用できそうな就学制度が出てきました。また、コロナの今だからこそ、活用できる可能性もありそうです。

“子どもの教育環境”という簡単には答えの出ない問題だからこそ、まずは親子で休暇を利用して一時的に滞在してみる、「子連れワーケーション」を実践してみるなど、“試しに”から始めて子どもの様子を見るのも一手かもしれませんね。

●取材協力
・文部科学省
・東京都品川区
・佐賀県佐賀市

探究力をはぐくむ「研究者を育てた家」

2022年の高等学校学習指導要領改訂に向けて、全国の中学・高校で導入され始めた「探究学習」。
未来子どもたちには、自身で課題を発見し、解決する力が求められるようになるだろう。
今回は、自身の探究力を開花させた研究者たちへ、幼少期の住まいについてインタビューした。
子どもたちの問いをはぐくみ、探究力を伸ばす家の秘密をひもといていこう。

探究力とは、自ら課題を設定し、その課題を自ら解決へ導くループを回す力のこと。日々の暮らしの些細な出来事から生まれるふとした疑問「問い」をきっかけに、地域や社会に目を向けて自ら課題を設定し、課題解決のための情報収集を行い、手に入れた情報の取捨選択や分析を行いながら、自分なりの答えを探していく。インタビュー1:“21世紀のドリトル先生” 長谷川眞理子さん●プロフィール:長谷川眞理子さん
総合研究大学院大学学長。1952年、東京都生まれ。83年に東京大学大学院理学系研究科人類学専攻博士課程修了。2006年より総合研究大学院大学教授。17年より同校学長に就任。専門は、行動生態学、進化生物学

●研究テーマ:ヒトはなぜ大人になるのか?
みなさんも経験している思春期。実は、ヒトの思春期は他の動物に比べるととても長いことが分かっています。私はヒトの思春期がいつ始まり、いつ終わりを迎えるか、つまりヒトがいつ大人になるのかを研究しています。子どものころに読んで憧れたドリトル先生のように前人未到の地に足を踏み入れたいと考え、チンパンジーをはじめ、世界中の動物たちの研究をしてきました。そこでヒトの思春期の不思議にたどり着き、現在に至っています。

長谷川さんに聞いてみました!
Q. 幼少期、どんな家・街で暮らしていましたか?
A. 豊かな自然がいつも身近にある環境でした

3歳から5歳ぐらいまで、和歌山県田辺市にある古い町家に住んでいました。近くには海があったので、よく遊びに行っていました。今のようにテトラポッドで遮られておらず、海に棲息するイソギンチャクや貝殻を手にすることができて、生物に関心をもつようになりました。これが私の原風景です。
その後、8歳の時に小金井市の一軒家に引越します。当時の小金井市には自然がたくさんあって、家から少し離れると畑も多く、牛がのんびりと歩いていたほどです。この家には、広い庭を見渡すことのできるリビングがあり、家のなかにいても緑を間近に感じられる環境でした。庭では父の芝刈りを手伝って、雑草取りをするのが私の役割。抜いた雑草を眺めては、「これは何という植物なのだろう」と、自分の部屋に持ち帰り、図鑑で調べて名前を覚えたりしていました。毎日が生き物に対する発見の連続でしたね。

広い庭を見渡すことのできるリビングで、家の中でも緑を間近に感じることができる(イラスト/3rdeye)

広い庭を見渡すことのできるリビングで、家の中でも緑を間近に感じることができる(イラスト/3rdeye)

Q. 家がご自身にどんな影響を与えましたか?
A. 書斎からまだ見ぬ風景に思いを馳せていました

北側にある父の書斎が涼しかったので、夏休みによく忍び込んで、目についた本を読んでいました。並んでいたのは志賀直哉や芥川龍之介など。訳も分からず目を通していましたね。大人の本ばかり読んでいたのを父が見かねて、『少年少女世界文学全集』を買ってくれました。毎月1巻ずつ家へ届けられるお話の数々に、私はワクワクしていました。そこで出合ったのが、『ドリトル先生航海記』です。あの本を読んで、私もドリトル先生みたいに前人未到の地を旅してみたい、と思うようになったのです。

Q. 子どもにどんな家を与えたいですか?
A. 自分だけの世界観がはぐくめる場所を設けたい

私は一人っ子でしたので部屋をもらうことができましたが、今の住環境ではなかなか難しいかもしれないので、この部屋の一角はあなただけの場所、というところを設けたいですね。そのような場所があると、自分だけの世界観と責任感をはぐくむことができます。あまり汚くしていたら、時には叱ることも必要だとは思いますが、親の許容度が何よりも大切です。こうした住環境のもと、公園でも何でもいいので、自然を見られたり、触れられたりする場所がお住まいの近くにあってほしいと思います。

長谷川さんのFavorite time~当時のお気に入りの過ごし方
(左)『ドリトル先生航海記』はじめ、読書は冒険への入口。物語を通じて、田辺で見た海の向こうに広がる世界を想像していたという(右)家の近くの小川に棲息する生物を捕まえ観察するなかで、どこまで足を踏み入れると川が深くなるかなどを体感的に学んでいったそう(イラスト/3rdeye)

(左)『ドリトル先生航海記』はじめ、読書は冒険への入口。物語を通じて、田辺で見た海の向こうに広がる世界を想像していたという(右)家の近くの小川に棲息する生物を捕まえ観察するなかで、どこまで足を踏み入れると川が深くなるかなどを体感的に学んでいったそう(イラスト/3rdeye)

長谷川さんのHINT FOR KIDS~子どもたちへのヒント
好奇心の種は公園や学校など、大抵外に転がっています。興味をもったものを持ち帰って調べたり、深めたりするのが「家」の役割。ぜひ外で「本物」を見てみてください。そして、ご両親にお願いして家でじっくり外での発見を味わってみましょう。そうすることであなたの世界が広がります。

インタビュー2:“プラモデルからメディアを考える社会学者”松井広志さん●プロフィール:松井広志さん
愛知淑徳大学創造表現学部講師。1983年、大阪府生まれ。ポピュラー文化の歴史やモノのメディア論の理論枠組を研究している。著書に『模型のメディア論:時空間を媒介する「モノ」』(青弓社)など

●研究テーマ:モノがなぜメディアになるのか?
私は社会のなかでメディアがどう形づくられ、どんな役割をもつのかを研究しています。新聞、雑誌、テレビといった従来のメディアはもちろん、現代はスマホや通信アプリ、SNSなど、インターネットを活用するメディアが増えました。一方で、例えばテーマパークやフェスなどの場、人、展示物やガンプラなどのキャラクターグッズといったモノも、メディアと捉える見方が登場しました。ポップカルチャーと親和性の高いこの分野を探究しています。

松井さんに聞いてみました!
Q. 幼少期、どんな家・街で暮らしていましたか?
A. 駅や商店街に近い下町の、古い家に住んでいました

都会でも田舎でもない下町で暮らしていました。家のすぐ横を近鉄とJRが走っていたので、常に電車の音が聞こえ、隣家はカラオケ店、その横は酒屋さん、さらに隣は駄菓子屋さんという、電車や人の往来が多い場所でした。妙に古い木造の一軒家に両親と妹と住んでいて、庭には物置になっていた離れがあり、よく探検しました。いつ誰が使っていたのか分からない昔の物や本が出てくるので、埃まみれなんですが、宝探しのようで本当に面白かったです。
家のなかで特徴的なのは、滑り台。なぜだかリビングに、小学生でも滑れるくらいしっかりした滑り台があったんです。これがあるので幼稚園や学校帰りに友達が立ち寄り、滑りながらビデオデッキでアニメを観たり、連れ立って駄菓子屋さんに行ったりしました。リビングの滑り台が我が家の象徴となり、人と人をつなぐメディアになっていたわけですね。

リビングの滑り台が象徴となっていた松井さんのご自宅の間取り(イラスト/3rdeye)

リビングの滑り台が象徴となっていた松井さんのご自宅の間取り(イラスト/3rdeye)

Q. 家がご自身にどんな影響を与えましたか?
A. 予期せぬ出合いで興味の幅を広げてくれました

離れの物置空間は、「世の中には自分の知らないものが存在している」と実感できる場所でした。この空間が歴史に興味をもつきっかけとなり、今の研究にも役立っています。また当時、家にビデオの宅配業者が毎週7本ほど映画やアニメを持ってきていたので、よく観ました。開封して、観た分の料金を後日支払う仕組みでした。レンタルショップと違って観たいものが選べず、好みではない作品もセレクトされているのですが、あるとつい観てしまう。選り好みしないで幅広く興味をもつようになりました。

Q. 子どもにどんな家を与えたいですか?
A. パブリックとプライベートが両方備わった家

私の経験則から、子どもにはある程度の刺激が欲しいと思います。問いやアイデアは人とのコミュニケーションから生まれやすいので、滑り台じゃなくても庭にビニールプールを置くとか、リビングが広くて人を招きやすいとか、人とのつながりをはぐくむきっかけや開放性があるといいですね。ただし、物事を探究するときは、自分自身と向き合うことが必要です。他との交わりを断って内にこもるような、秘密をもてることは大事です。開放性と閉鎖性、どちらが欠けてもいけないと思います。

松井さんのFavorite time~当時のお気に入りの過ごし方
(左)タイムカプセルのような離れの物置を探検。江戸川乱歩の小説や、ブリキのおもちゃなどを発掘しては、自室に持ち帰り楽しんだ(右)考えた物語を妹に伝え、リカちゃんや怪獣のおもちゃで小さな劇団ごっこをして遊んだ。妹にはお兄ちゃん風を吹かせていたそう(イラスト/3rdeye)

(左)タイムカプセルのような離れの物置を探検。江戸川乱歩の小説や、ブリキのおもちゃなどを発掘しては、自室に持ち帰り楽しんだ(右)考えた物語を妹に伝え、リカちゃんや怪獣のおもちゃで小さな劇団ごっこをして遊んだ。妹にはお兄ちゃん風を吹かせていたそう(イラスト/3rdeye)

松井さんのHINT FOR KIDS~子どもたちへのヒント
好奇心を養い、問いを見つけるには、人と交流したり刺激を受けたりするような、遊び心のある空間は大事です。しかしそれだけでは、人の顔を見て右往左往する、世の中の関心事に引っ張られるような人になってしまう恐れが。時には外からの刺激を遮断してみると、安心できますよ。

インタビュー3:“ロボットで「生き物」をつくる研究者”梅舘拓也さん●プロフィール:梅舘拓也さん
信州大学学術研究院繊維学系准教授。2005年、名古屋大学工学研究科計算理工学専攻修士課程修了後、一般企業への就職を経て、2009年に東北大学大学院工学研究科学位を取得。2019年より現職

●研究テーマ:日常生活に溶け込む、やわらかいロボットとは?
日常生活や自然環境で活躍する「ソフトロボット」の開発に取り組んでいます。ロボットというと硬い金属製のイメージがあると思いますが、“やわらかい材料”を用いることで、安全かつ自然に生活環境に溶け込めるのではないかと考えています。筋肉や皮膚をどんな素材でつくるか、ロボットをどう自律的に動かすか、ハードウェア、ソフトウェアの両面から研究を重ねています。私が開発した「イモムシ型ロボット」は学習塾で教育用キットとしても活用されています。

梅舘さんに聞いてみました!
Q. 幼少期、どんな家・街で暮らしていましたか?
A. 母屋の向かいに工場があり、そこが遊び場でした

子どものころに暮らしていたのは、田舎の古い一軒家でした。1階で曽祖父母が、2階で僕ら家族が生活していましたね。2階には4つ部屋がありましたが、ふすまを開けると全部つながるんです。だから、プラレールの線路で全部屋を結ぶなど、空間をフルに使って遊んでいましたよ。また、母屋から道路を挟んだ向かい側には、祖父母が営む製材工場がありました。空き地と隣り合っていて、そこでもよく友達と遊びましたが、工場自体もよい遊び場でしたね。
流行りのおもちゃをほとんど買ってもらえない家だったので、欲しいものは工場で手づくりするんです。転がっている端材を使って、磁石で走る車とか、天体観測用のキットなんかをつくったのを覚えています。今思えば、おもちゃを買ってくれなかったのは、母の教育方針だったのかもしれませんね。自分で創意工夫する力を育てようとしてくれていたのだと思います。

ふすまで全室をつなげて、プラレールなどを楽しむことができる間取り(イラスト/3rdeye)

ふすまで全室をつなげて、プラレールなどを楽しむことができる間取り(イラスト/3rdeye)

Q. 家がご自身にどんな影響を与えましたか?
A. 学んで成功に近づく面白さに気付きました

欲しいものを自作したといっても、実際は失敗だらけ。頭にある完成形の4~6割くらいのものしかつくれませんでした。でも、そこで満足できなかったからこそ、新たに知識を得て完成度を引き上げていく楽しさに気付けたんじゃないでしょうか。思い出深いのは、小学生の時に母に連れて行かれた近所の電機メーカーのワークショップ。イチからスピーカーを組みました。自分がつくったものから音が出ることに感動し、将来は「もっとすごい何かをつくりたい」と思えた、大きな出来事でしたね。

Q. 子どもにどんな家を与えたいですか?
A. 試行錯誤してモノづくりができる空間を

僕でいう資材工場にあたる場所は与えてあげたい。それも、家族で何かをつくるスペースがいいですね。ガレージに作業場を設け、みんなで囲む机を置きたいです。そして、そこで子どもたちと遊びたい。僕には3人の子どもがいて、今の家でも色々とつくっていますよ。小2の息子はCADソフトで図面を引いて、3Dプリンターでおもちゃをつくっています。何でも簡単に手に入れるのではなく、まずは自分で試行錯誤する人になってほしい。そんな願いどおりに育ってくれているのかなと思います。

梅舘さんのFavorite time~当時のお気に入りの過ごし方
(左)小学校低学年からは資材工場に入りびたり、ものづくりに没頭。不要になった電気製品などを分解するのも好きだった(右)土間の上に釜が置かれた昔ながらの台所では、曽祖父母たちと餅をつくなど、多世代に渡る交流を楽しんでいた(イラスト/3rdeye)

(左)小学校低学年からは資材工場に入りびたり、ものづくりに没頭。不要になった電気製品などを分解するのも好きだった(右)土間の上に釜が置かれた昔ながらの台所では、曽祖父母たちと餅をつくなど、多世代に渡る交流を楽しんでいた(イラスト/3rdeye)

梅舘さんのHINT FOR KIDS~子どもたちへのヒント
大事なのは、何でもまず自分でやってみることです。例えば自転車がパンクしたら、すぐ修理に出さず自分で直してみる。うまくいかなくても、そこで構造や仕組みを覚えることで好奇心が刺激されますし、得意なこと、好きなことが見つかるきっかけになるんじゃないでしょうか。

インタビュー4:“「作品をつくること」を問い直す哲学者”千葉雅也さん●プロフィール:千葉雅也さん
哲学者、作家。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、『勉強の哲学』、『意味がない無意味』、『アメリカ紀行』、『デッドライン』などがある

●研究テーマ:作品をつくるとはどういうことか?
作品と聞いて何を思い浮かべますか?一般的に作品とは広く「work」を指しますが、芸術作品ばかりでなく、研究、仕事、手仕事など、区切りのある仕事や作品の一切を「work≒仕事≒作品」として、“作品をつくるとはどういうことか”を根本的に問い直しています。広い意味で「work」の哲学を考えているのです。そして、「作品をつくる」「仕事を完了させる」「形にする」ための哲学、方法を探究し、シェアすることで、「つくり方を哲学する方法論」を民主化したいと考えています。

千葉さんに聞いてみました!
Q. 幼少期、どんな家・街で暮らしていましたか?
A. 離れにあった「パパのアトリエ」がお気に入りでした

8歳まで住んでいたのは、2階建ての古い家。そこに祖父母と両親、僕と妹が生活していました。遊び場だったリビングには図鑑がたくさんありましたね。親戚のおじさんがお年玉代わりに、生物の図鑑などをプレゼントしてくれたのを覚えています。
当時、自分の部屋はありませんでしたが、「離れ」があって、そこでよく遊んでいました。多趣味な父親の隠れ家、遊び場のようなところで、母屋2階のベランダから階段で入れるようになっていたんです。オーディオマニアの父は壁にJBLのスピーカーを埋め込んで、部屋の音響にもこだわっていました。ほかにも、ラジコンや電子工作など色々な遊びを教えてもらいましたよ。「パパのアトリエ」と呼んでいたその空間で父親と同じ趣味を共有する。「アンプの真空管を変えたら音がどう変わるか」みたいなことを教わるのがとにかく楽しくて。素敵な時間でしたね。

お気に入りの「パパのアトリエ」でよく遊んでいた幼少期の千葉さん宅(イラスト/3rdeye)

お気に入りの「パパのアトリエ」でよく遊んでいた幼少期の千葉さん宅(イラスト/3rdeye)

Q. 家がご自身にどんな影響を与えましたか?
A. 両親を見て「本気で遊ぶ」楽しさを知りました

そんなふうに親が趣味に没頭する姿を間近で見て育ちました。母親も絵が好きで、自作の絵を部屋に飾ったりしていましたからね。僕の両親は子どもと「遊んであげる」のではなく、子どもを自分の遊びのプロジェクトに巻き込んでいるところがあった。
改めて振り返ると、僕もそんな両親に感化されましたね。父の姿を見て、僕も本気で遊ぶ大人になろうと思ったし、母の影響で僕も描いた絵を飾るようになった。大人の本気に圧倒されるなかで、自分の価値観や創造性が育っていった気がします。

Q. 子どもにどんな家を与えたいですか?
A. 親子で一緒に没頭できる空間がある家

遊びが大事とはいえ、個室で一人黙々と趣味に勤しむだけでは、クリエイティブな展開につながりづらいのではないかと思います。ですから僕にとっての「パパのアトリエ」や母親と絵を描いたリビングなど、誰かと一緒に何かをやる空間があるといいですよね。
そして、親はそこで子どもが興味をもったこと、何かを集めたり、うんちくを語ったりしているのを受け止めてあげることが大事。そんなコミュニケーションが、子どもの探究力をさらに伸ばすカギになるのではないでしょうか。

千葉さんのFavorite time~当時のお気に入りの過ごし方
(左)男の子が憧れそうなものは何でもあったという離れのアトリエ。帰りの遅い父親を待って、ここで一緒に遊ぶのが何よりの楽しみだった(右)中学からはMacが一番のおもちゃに。プログラミングなどをして遊んだ。創造性を育む道具は惜しみなく与えてくれる両親だったそう(イラスト/3rdeye)

(左)男の子が憧れそうなものは何でもあったという離れのアトリエ。帰りの遅い父親を待って、ここで一緒に遊ぶのが何よりの楽しみだった(右)中学からはMacが一番のおもちゃに。プログラミングなどをして遊んだ。創造性を育む道具は惜しみなく与えてくれる両親だったそう(イラスト/3rdeye)

千葉さんのHINT FOR KIDS~子どもたちへのヒント
よく遊んでほしいです。家に自分の部屋がないなら「空間を遊び場化」させればいい。家にあるものを障害物に見立て「シューティングゲームごっこ」をしたりね。遊び場がない、ゲームを買ってもらえない。そんな状況でこそ、想像力を働かせてほしいです。

子どもの探究力をはぐくむ家のアイデア7

第一線で活躍する研究者のインタビューを通じて「身近に想像力を刺激するものがある」「多くの人と接する」
「自分だけの空間をもつ」など、子どもの探究力を伸ばす家の共通点が浮かんできた。家探しの参考にしてほしい。

本棚ならぬ“本壁”がある
壁一面の本棚で、絵本や図鑑、文学、写真集など、さまざまな本を家族で共有しよう。本を通じた意外な出合いが子どもの好奇心や想像力につながる。難しければ、図書館の近くに住むのもひとつの手(画像提供/@morningsun3480)

壁一面の本棚で、絵本や図鑑、文学、写真集など、さまざまな本を家族で共有しよう。本を通じた意外な出合いが子どもの好奇心や想像力につながる。難しければ、図書館の近くに住むのもひとつの手(画像提供/@morningsun3480)

秘密基地がある
好奇心のタネを、子どもがひとり熟成できる場所を用意したい。一部屋でなくても、ロフトや屋根裏、屋内テントを設置するのもいいだろう(画像提供/@lokki__talo)

好奇心のタネを、子どもがひとり熟成できる場所を用意したい。一部屋でなくても、ロフトや屋根裏、屋内テントを設置するのもいいだろう(画像提供/@lokki__talo)

おうち美術館を開く
子どもの描いた絵や工作を部屋に飾ってみよう。できれば専用の場所を設けるといい。子どもの創作意欲を刺激し、自己肯定感をはぐくむ(画像提供/@uk__502)

子どもの描いた絵や工作を部屋に飾ってみよう。できれば専用の場所を設けるといい。子どもの創作意欲を刺激し、自己肯定感をはぐくむ(画像提供/@uk__502)

自然と身近に触れ合う
山や海に近い環境は理想的だが、利便性との両立が難しい場合も。庭付きの家や、自然公園の近くに住めば、日常生活のなかで自然と触れ合いやすい(画像提供/@589littlegarden)

山や海に近い環境は理想的だが、利便性との両立が難しい場合も。庭付きの家や、自然公園の近くに住めば、日常生活のなかで自然と触れ合いやすい(画像提供/@589littlegarden)

おうちオフィスを構える
大人が本気で取り組む姿を子どもに見せるのに、自宅ワークスペースは最適。最近は共用施設にスタディールームを持つマンションもある(画像提供/Unsplash)

大人が本気で取り組む姿を子どもに見せるのに、自宅ワークスペースは最適。最近は共用施設にスタディールームを持つマンションもある(画像提供/Unsplash)

庭を開いてみる
色々な人とかかわりをもつのに、庭を交流空間として開放するのも一案。マンションなら敷地内公園やキッズルームがある物件もあるので活用して(画像提供/PIXTA)

色々な人とかかわりをもつのに、庭を交流空間として開放するのも一案。マンションなら敷地内公園やキッズルームがある物件もあるので活用して(画像提供/PIXTA)

相棒と暮らす
ペットと一緒に暮らすことで、動物たちの豊かな感情表現が感受性をはぐくみ、子どもに命の尊さを教えてくれる。マンションの場合、ペットの飼育が可能か事前に確認しよう(画像提供/@mattam_interio(r ICHIMIRI))

ペットと一緒に暮らすことで、動物たちの豊かな感情表現が感受性をはぐくみ、子どもに命の尊さを教えてくれる。マンションの場合、ペットの飼育が可能か事前に確認しよう(画像提供/@mattam_interior(ICHIMIRI))

研究者たちの幼少期の住まいや暮らしぶりから、育った環境がその後の成長に大きな影響を与えていることがわかります。人とのつながりをはぐくむリビングや、両親と一緒にものづくりができるアトリエなど子どもの好奇心をかきたてるような住環境に加えて、その好奇心を受け止める家族の存在がより“子どもの探究力”を伸ばすのかもしれません。

●スタディサプリ
スタディサプリよりお知らせ

・スタディサプリ三賢人の学問探究ノート(1)人間を究める
・スタディサプリ三賢人の学問探究ノート(2)社会を究める
・スタディサプリ三賢人の学問探究ノート(3)生命を究める

取材・文/小野雅彦(長谷川眞理子さん)、寺井真理(松井広志さん)、やじろべえ榎並紀行(梅舘拓也さん、千葉雅也さん)
※この記事はSUUMOマガジン2020年5月27日発売号からの提供記事です

虎ノ門・麻布台地区の再開発事業が認定

国土交通省は7月26日、都市再生特別措置法の規定に基づき、民間都市再生事業計画「虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業」を認定した。
同事業は本年7月2日付けで、虎ノ門・麻布台地区市街地再開発組合が申請していたもの。事業区域は東京都港区虎ノ門五丁目18番3他。住宅、ホテル、オフィス、商業施設、教育施設(インターナショナルスクール)のほか、大規模な中央広場を一体的に整備することで、国際性豊かな複合市街地の形成を目指す。

また、街区再編に伴う大規模土地利用転換により、木造建物が密集した状態を解消し、人工地盤等の整備による地形の高低差の解消、地下鉄連絡広場、歩行者通路等を整備。災害対応力の強化と歩行者の回遊性向上を図る。

事業では、A街区に地下6階・地上65階、B-1街区に地下6階・地上64階、B-2街区に地下6階・地上53階など、7棟の複合ビルを建設する。施行期間は2019年8月1日~2023年3月31日の予定。

ニュース情報元:国土交通省