純喫茶から譲り受けた家具でつくったお部屋「喫茶 あまやどり」。東京喫茶店研究所二代目所長・難波里奈さんの昭和レトロあふれるおうち拝見

おしゃれなインテリアをつくるセオリーはいくつもあるけれど、その中核に自分の「好き」という気持ちがなければ、どこかありきたりになってしまいます。とはいえ自分の好みを反映するさじ加減は、意外に難しいもの。
好きなお店のインテリアの使いは参考にしたいものの一つですが、もしあなたがアンティークなテイストが好きなら、昭和レトロな純喫茶(※1)に注目してみませんか。
今回は純喫茶を愛するあまりほとんど毎日通っている、東京喫茶店研究所二代目所長(※2)、難波里奈さんのお部屋をご紹介。純喫茶から譲り受けたものや、自ら探し求めた家具などで構成された自室は、昭和の映画、例えば大林宣彦監督の映画『時をかける少女』や『ねらわれた学園』のヒロインのお部屋を思わせる、心ときめく空間です。

※1 純喫茶・・・お酒を出す「カフェー」と区別して、珈琲や軽食のみを提供した店を呼ぶ際に、昭和初期より使われるようになった言葉。本文中では90年代のカフェブーム以前の、昭和レトロな喫茶店を「純喫茶」としています(インタビューにお答えいただいた方による呼称は、発言による)
※2 東京喫茶店研究所二代目所長・・・研究所は架空の存在。その一代目所長は写真家詩人の沼田元氣さん

自らの足で訪問し、感じ取った純喫茶の魅力を伝える東京喫茶店研究所二代目所長 難波里奈さん(写真撮影/相馬ミナ)

東京喫茶店研究所二代目所長 難波里奈さん(写真撮影/相馬ミナ)

難波さんは日本全国2000軒以上の純喫茶を訪ねてきたほどの、純喫茶好き。その貴重な記録は多数の著書としてまとめられ、その純喫茶への愛は誰もが一目置くところです。

さまざまな純喫茶をめぐり、その空間を知り尽くした難波さんのお部屋、こと「喫茶 あまやどり」は、今までに見てきたものを活かしながら、暮らしやすさにも考慮された居心地のよさそうな空間。

そこで好きなお店から受けたインスピレーションを部屋づくりに活かすノウハウや、閉店した純喫茶からインテリアを譲り受けた時のエピソード、昭和レトロなアイテムやアンティークテイストな品との出合い、そして難波さんが純喫茶に魅せられ、通うようになったきっかけなどについて伺いました。

「私のあこがれるものは全て純喫茶の空間の中にある」部屋の中で聞くレコードプレイヤーを置くためのスペース。閉店した純喫茶「DANTE」(東京・西荻窪)から譲り受けたテーブルは、アナログレコードとプレーヤーによく馴染む(写真提供/難波里奈)

部屋の中で聞くレコードプレイヤーを置くためのスペース。閉店した純喫茶「DANTE」(東京・西荻窪)から譲り受けたテーブルは、アナログレコードとプレーヤーによく馴染む(写真提供/難波里奈)

もともと難波さんは昭和レトロな雑貨や家具が好きで、純喫茶に通うようになったのもそれがきっかけだったそう。

「なぜかは覚えていないのですが、大学生の時に昭和時代のものたちがとても気になって、集め始めました。用途などはまったく考えずに、見た目のデザインだけで惚れ込んで『うわぁ、これ素敵!』って。炊飯器を7つも買ってしまったこともあります。その他にも、ポット、電球、照明とか、グラスやスプーンや鍋などの日用雑貨を、コレクションしていました。

当時は実家暮らしだったのですが、自分の部屋だけではなく、隣の部屋、倉庫、と次々と昭和レトロなアイテムたちで侵食してしまって(笑)。さすがに父親から『使いきれないものを、そんなに集めてどうするんだっ』と叱られました。確かに私自身もコレクションの管理に限界を感じていて……。

そんなある時、『私が好きで集めているものは、実は全部、喫茶店にあるな』って気が付いて。それなら喫茶店を、『今日の私の部屋』だと思えばいいと、ひらめいたのです。それから、部屋を着替えるように、喫茶店に通う日々が始まりました」(難波さん)

純喫茶のインテリアにも、さまざまなテイストがあります。重厚な書斎風だったり、デコラティブなロココ調だったり、70年代風のレトロポップだったり。難波さんは、そのどれもが愛おしいといいます。

「店主の好みで統一された空間に魅かれます。たとえ自分のテイストとは合わなくても、その方の表現したい世界に興味が湧くのです。それぞれの個性がぎゅっとつまった空間で、インテリアを観察しながら過ごす時間が、大好きです」(難波さん)

目を輝かせて純喫茶のインテリアを語る難波さん。店主が自らの好みを突き詰め、長い年月をかけて磨き上げた純喫茶の空間で憩うことは、その人の世界観を「のぞかせてもらっている」感覚だといいます。

閉店する純喫茶の家具で、インテリアを構成した理由「喫茶 あまやどり」の珈琲タイム。コーヒービーンズが敷き詰められたテーブルと、椅子は元住吉の「らんぷ」、ナプキン入れとシュガーポットは神田「カスタム」のもの。今は閉店した両店から、難波さんが譲り受けた。アンティークショップ「SHIBERIA」にて購入したランプをコーディネートして(写真提供/難波里奈)

「喫茶 あまやどり」の珈琲タイム。コーヒービーンズが敷き詰められたテーブルと、椅子は元住吉の「らんぷ」、ナプキン入れとシュガーポットは神田「カスタム」のもの。今は閉店した両店から、難波さんが譲り受けた。アンティークショップ「SHIBERIA」にて購入したランプをコーディネートして(写真提供/難波里奈)

難波さんは自室を「喫茶 あまやどり」と呼んでいます。

Instagramでは、純喫茶めぐりの様子とあわせて、自室でいただくお料理や、耳を傾ける音楽についても、ストーリー機能を使って発信。難波さんのフォロワーには純喫茶のファンであると同時に、「喫茶 あまやどり」のファンも多いのです。

Instagramの難波さんのアカウント「純喫茶コレクション」は日々の純喫茶通いのレポートとともに、「ストーリーズ」機能にて、難波さんのお部屋「喫茶 あまやどり」での過ごし方も発信(画像提供/難波里奈)

Instagramの難波さんのアカウント「純喫茶コレクション」は日々の純喫茶通いのレポートとともに、「ストーリーズ」機能にて、難波さんのお部屋「喫茶 あまやどり」での過ごし方も発信(画像提供/難波里奈)

「実は私の部屋のインテリアの多くが、喫茶店からのもらいものです。閉店してしまった喫茶店から譲り受けた家具と、私が自分で集めたアンティークテイストのインテリアを組み合わせているのがポイントです。

譲り受けた経緯はいろいろで、初めて訪れたお店で、マスターから『明日で閉店するから、店の中のものは全部処分する』と聞いて、『もし可能であれば、この机をいただけませんでしょうか?』とお願いしたこともありました。また、ずっと通っていたお店が幕を下ろすことになり、悲しんでいたら『最後にこれをあげる』と形見分けみたいにいただいた、家具や雑貨もあります。そんなお店からのものたちが、部屋の中に10点以上ありますね」(難波さん)

コレクションしている純喫茶のカップたち。左3列は閉店したお店から譲り受けたカップ。飾ってないものも含めて20客ほども(写真提供/難波里奈)

コレクションしている純喫茶のカップたち。左3列は閉店したお店から譲り受けたカップ。飾ってないものも含めて20客ほども(写真提供/難波里奈)

訪れた純喫茶のマッチコレクション。写っているのはほんの一部(写真提供/難波里奈)

訪れた純喫茶のマッチコレクション。写っているのはほんの一部(写真提供/難波里奈)

難波さんが閉店した純喫茶のインテリアを引き取るのは、二つの理由があります。一つは、もちろん純喫茶のインテリアが好きだから。もう一つは、無くなった純喫茶の空間を記憶しておくためです。

「閉店した喫茶店から譲り受けたものは、お店の方たちに託していただいたものだと思っています。

お店は閉店してしまったけれど、私はそこで過ごした時間を覚えています。つまり、私の中では生きているのです。その記憶を部屋にコレクションしているという感覚です」(難波さん)

難波さんのお部屋からは、閉店していくお店も含めて、愛する純喫茶を探究し、記録していこうという情熱がうかがえます。

純喫茶のインテリアに照らして、自分の「好き」を発見する純喫茶から譲り受けた家具と、自ら探したアンティーク調の雑貨などを組み合わせた難波さんの部屋(写真提供/難波里奈)

純喫茶から譲り受けた家具と、自ら探したアンティーク調の雑貨などを組み合わせた難波さんの部屋(写真提供/難波里奈)

アンティーク家具が好きだけれど、他のインテリアのテイストとの合わせ方が分からなかったり、古めかしい印象になるのを心配したりして、「部屋に取り入れるのが難しい」と感じている人も多いのではないでしょうか?

難波さんの部屋は、さまざまな純喫茶から譲り受けたインテリアや雑貨で構成されていますが、すっきりとして統一感のある仕上がりです。難波さんに部屋のコーディネートの工夫を聞きました。

「『これ』という正解があるわけではなくて、すごく好きな喫茶店があればよく観察して、『あ、こういう椅子とこういう机が合うんだ』と、さりげなく真似をしてみるのもいいかもしれません。

喫茶店はつくった人の好きなものや情熱が細部まで散りばめられている空間です。ですから喫茶店にインスパイアされた部屋をつくるのなら、お店の方たちにそのコツを聞いてみるのもいいですね。

好きな喫茶店から学んだら、それに似た家具を骨董屋さんや骨董市で集めてはどうでしょうか。今はレトロがブームなので、販売しているお店は多いと思います」(難波さん)

難波さんお気に入りの高円寺のアンティークショップ「古道具 権ノ助」(写真撮影/相馬ミナ)

難波さんお気に入りの高円寺のアンティークショップ「古道具 権ノ助」(写真撮影/相馬ミナ)

純喫茶は「100店舗あったら100人のマスターの好きなものが詰まった、一つとして同じものがない宝箱のようなもの」と難波さんはいいます。純喫茶めぐりを続けてそれぞれのお店の個性と向き合うことで、難波さん自身のインテリア選びのセンスも、磨かれていったのでしょう。

お話を伺って、大学時代に自分の“好き”を発見し、以来それを追い求め続けてきた難波さんの感性が、その著書にも、またお部屋にも表れているのだと感じました。純喫茶を発掘することも、そこからインテリアのエッセンスを汲み取ることも、自分の感性を研ぎ澄ましてじっくりと時間をかけて向き合うことが、大切なのかもしれません。

難波里奈さん

後編では、難波里奈さんのお気に入りの街、高円寺の純喫茶を案内してもらいました。
高円寺の愛され純喫茶を訪ねて。『純喫茶コレクション』著者・難波里奈さんと、私語禁止の名曲喫茶や老舗店で昭和レトロを味わう 

難波里奈さん 
東京喫茶店研究所二代目所長。日々の隙間に訪れた純喫茶は2000軒以上。現在は様々なメディアでその魅力を発信中。『純喫茶コレクション』(PARCO出版)『純喫茶の空間 こだわりのインテリアたち』(エクスナレッジ) 『純喫茶とあまいもの』(誠文堂新光社)など著書多数。

純喫茶コレクション
Instagram:@retrokissa2017 
Twitter:@retrokissa

著書

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今人気のスポット「上野桜木あたり」誕生には、熱い思いがあった!

「上野桜木あたり」をご存じだろうか?上野桜木周辺という意味ではない。上野桜木あたりという名称の人気のスポットのことだ。街の住人はもちろん、国内外からの観光客が立ち寄る人気スポットとは、いったいどんな所か、どうやって創られたのか、探ってみた。
昭和レトロな空間に出会える路地周辺が「上野桜木あたり」

「上野桜木」は台東区の地名。江戸時代には、徳川家の菩提寺でもあった上野寛永寺の寺域で、隣接して谷中の寺町が続く。明治期に新たに住宅地になったが、今はむしろ、大正期や昭和初期の建物の面影が残る、懐かしさを感じる街並みを形成している。

JR日暮里駅から歩いて約10分。そんな上野桜木の住宅街を歩いていると、風情ある建物が並ぶ路地に出会う。そこが「上野桜木あたり」だ。街とのつながりや広がりを持つ、上野桜木周辺という意味も含んで、付けられたという。

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建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

昭和13年(1938年)に建てられた三軒家はそれぞれ、路地に面した「あたり1」に「谷中ビアホール」が、路地裏であたり1の奥側「あたり2」には塩とオリーブオイルの専門店「おしおりーぶ」とベーカリー「VANER」がある。路地裏の井戸をはさんだあたり2の対面が「あたり3」で、賃貸住宅として住文化を引き継ぐほか、一部を「みんなのざしき」と呼ばれるレンタルスペースにしている。

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

最初に出迎えてくれたのは、あたり1の「谷中ビアホール」を運営する(有)イノーバー・ジャパン代表取締役の吉田瞳さん。お店の雰囲気に合わせて、吉田さんまたは店長(若女将)の守山莉澄さんのどちらかは着物で出迎えるそうだ。当初は住宅地の中の古民家に店を出すことを懸念する人もいたというが、昭和レトロな雰囲気を活かした店内装飾やここでしか飲めない「谷中ビール」をつくるなどの工夫が効を奏して、今では大人気の店になっている。

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「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

次に訪れたのが「おしおりーぶ」。店内には、世界各国から集められた塩やオリーブオイル、ビネガーがずらりと並び、オリジナルドリンク「オリーブラテ」などの販売もしている。取材中も海外や国内のお客さんで狭い店内は人があふれるほど。店長の石塚恵美子さんによると「海外からのお客様がSNSにアップしたようで、それを見たという海外の方も多く訪れます。お土産用に商品を買われる方も多いですし、地元のリピーターの方も多いですよ」

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

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写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真映えもする上野桜木あたりでは、あたり3の座敷と路地を、「みんなのざしき・ろじ」として貸し出している。お稽古や交流会などの集まりに利用できるほか、ロケ地としても利用できるのが特徴だ。

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

取材中に上野桜木あたりを訪れた家族に、話を聞いた。
地元ではないが、谷中銀座にはよく遊びに来るので、この場所を気にかけていたというご夫婦。お目当てだったベーカリーがお休みでちょっと残念だったが、せっかくなのでビアホールでランチを食べて帰るという。

犬のお散歩で訪れた地元のご夫婦は、ここが犬のお散歩ルートの一つだという。ここに来るとお店の人や訪れた人たちが可愛がってくれるので、それが分かっているワンちゃんが来たがるのだとか。ここに来たら路地の椅子で一休みしながらワンちゃんは井戸の水で、飼い主さんは谷中ビールでエネルギーを供給しているそう。

人気スポットになる背景には、仕掛け人がいた!

上野桜木あたりが注目されるようになった要因の一つに、2015年度のGoodDesign賞を受賞したことも挙げられる。「昭和13年築の三軒家の保存と改修・活用のバランスを大事に再生させたプロジェクト」である点が評価されたというが、それには仕掛人となったグループがいる。

そのグループの中心人物である、NPO法人たいとう歴史都市研究会(以下「たい歴」)の椎原晶子さんに話を伺った。

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

実は、谷中や上野桜木に数多く残っていた古い住宅や店舗、銭湯などの建物が、ここ数十年で急速に取り壊されて無くなっていった。こうした状況の中で、古い建物を残して町を再生していこう、という取り組みをさまざまな人が手掛けていた。平成12年(2001年)設立(2003年NPO法人化)の「たい歴」もそのひとつだ。

「たい歴」と「上野桜木あたり」のオーナーとの最初の接点は、“ドラマのロケ地”だった。テレビ局からいいロケ地がないかと相談されたときに、思いついたのがこの場所だ。というのも、椎原さんが見学会などでこの建物を訪れていて、そのころは住人がいたのに、徐々に住人が減っていく様を見て、再生の手伝いなどができないかと気になっていたという。

当時、オーナーはこの場所を離れていたので、近隣の方の紹介で連絡を取り、ロケについて相談したところ快諾を得て、ロケ地として使うことができた。ちょうどオーナー側も、土地の権利関係を整理して、三軒家とも法人で所有し、有効活用したいと考えていたところだった。

オーナーとしては、代々の家族が暮らした思い出のある建物をできれば残したいと考えていた。そこで「たい歴」は、建物保存修復の専門家、建築家や造園家、建物活用希望事業者とのチームをつくった。そこで協議した結果、建物と路地を隔てていた塀を取り除き、路地と一体となった交流スペースを創出し、それぞれの建物を改修して運用者に貸すなど、新しい魅力を付加するプランを提案したのだ。

別の団体からも建物の活用プランの提案があったようだが、「たい歴」の提案が通ったのは、椎原さんによると「ここに住みたい、商売を始めたいといった人たちを集めた交流会に、オーナー家族にも参加してもらったことで、この家や場所を大切にしながら実際に活用したいという人がいるのだという実感を持っていただいたことが、大きかったのではないか」という。

「たい歴」では、建物の調査をして改修プランを立て、活用したいという人や企業とのマッチングを行い、維持管理も請け負っている。ただ、マッチングについても、地元の人たちに配慮して厳選した。例えば、地元の人たちの「日常で買い物できる店が減っている」「焼き立てのパンが買える店がほしい」といった声を参考に、ベーカリーを優先した。オーナーや入居者とともに活用のガイドラインも設けた。例えば、住宅地でビアホールを開くことも、酔客が騒いで近隣に迷惑をかける可能性を減らすため、営業時間は入店20時(閉店20時半)までとした。店舗側も、大人数の団体の予約は入れないなどの配慮をしている。

こうした仕掛けで再生したのが、上野桜木あたりなのだ。

「カヤバ珈琲」「旧平櫛田中邸」など、地域に価値のある建物を保存して街に開きたい

「たい歴」では現在、5軒の建物を管理している。この5軒が、古い建物を改修して活用できることを知らせる実例となっている。人気の昭和レトロな喫茶店「カヤバ珈琲」もその一つだ。

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上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

昭和13年(1938年)創業のこの店は、経営者が高齢になり閉店してしまった。近所の住人の憩いの場所だったので、ぜひ継続してほしいという声が上がった。そこで「たい歴」がこの建物を借り受け、この店で営業してくれる人を探して、カヤバ珈琲を復活させたのだ。

出桁造り(だしげたづくり)の町家の外観などを活かしつつ、看板や椅子、食器などもそのまま活用し、当時の面影を残しながら再生させた。なじみのメニューも復活した。卵焼きを使った「たまごサンド」やコーヒーとココアを混ぜた「ルシアン」は、いまでも人気メニュー。ただし、お店だけを再生するのではなく、街全体の活性化につながるように、谷中銀座周辺のお店の食材や商品を使ったり、谷中名産の生姜を使った「谷中ジンジャー」などを新たにメニューに加えたりもしている。

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)


上野桜木に大正8年(1919年)に建てられた「旧平櫛田中(ひらくしでんちゅう)邸」アトリエも「たい歴」が管理協力している一つ。アートプロジェクト・マネジメントを行う一般社団法人「谷中のおかって」とともに芸術文化の創造交流拠点として維持活用管理を行っている。取材当日には、地元の芸術家などを紹介する展示イベント「SHINOBAZU WONDER12」の開催期間ということで、訪れてみた。

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

平櫛田中は著名な彫刻家で、歌舞伎好きの筆者も、国立劇場のロビーに展示されている六代目尾上菊五郎の像の作者として認知している。その平櫛のアトリエと住まいが保存され、通常は非公開だがイベント開催時には公開される。

旧平櫛田中邸は現在、出生地だった岡山県井原市が所有しているが、「たい歴」と「谷中のおかって」が維持保存活動に協力しており、イベント等の受け入れやボランティアによる定期的なお掃除会などを開いている。実は筆者も、建物見たさにお掃除会に1度参加したことがある。

「たい歴」が管理する建物にはほかに、「市田邸」(明治40(1907)年築の布問屋市田家の屋敷と蔵)、「間間間(さんけんま)」(大正8(1919)年築の町家で今は一階に「散ポタカフェのんびりや」が入居)がある。

「古い建物が空き家になって壊されてからでは遅い」と椎原さんは言う。そのためには、古い建物の所有者が悩んだときに相談できる環境を整えたり、地元の住人から情報が集まるネットワークを形成したりといったことが欠かせない。こうした地域の住人とのつながりがあるからこそ、人気スポットが誕生したのだろう。

●取材協力
・特定非営利活動法人たいとう歴史都市研究会
・上野桜木あたり

今人気のスポット「上野桜木あたり」誕生には、熱い思いがあった!

「上野桜木あたり」をご存じだろうか?上野桜木周辺という意味ではない。上野桜木あたりという名称の人気のスポットのことだ。街の住人はもちろん、国内外からの観光客が立ち寄る人気スポットとは、いったいどんな所か、どうやって創られたのか、探ってみた。
昭和レトロな空間に出会える路地周辺が「上野桜木あたり」

「上野桜木」は台東区の地名。江戸時代には、徳川家の菩提寺でもあった上野寛永寺の寺域で、隣接して谷中の寺町が続く。明治期に新たに住宅地になったが、今はむしろ、大正期や昭和初期の建物の面影が残る、懐かしさを感じる街並みを形成している。

JR日暮里駅から歩いて約10分。そんな上野桜木の住宅街を歩いていると、風情ある建物が並ぶ路地に出会う。そこが「上野桜木あたり」だ。街とのつながりや広がりを持つ、上野桜木周辺という意味も含んで、付けられたという。

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建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

昭和13年(1938年)に建てられた三軒家はそれぞれ、路地に面した「あたり1」に「谷中ビアホール」が、路地裏であたり1の奥側「あたり2」には塩とオリーブオイルの専門店「おしおりーぶ」とベーカリー「VANER」がある。路地裏の井戸をはさんだあたり2の対面が「あたり3」で、賃貸住宅として住文化を引き継ぐほか、一部を「みんなのざしき」と呼ばれるレンタルスペースにしている。

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

最初に出迎えてくれたのは、あたり1の「谷中ビアホール」を運営する(有)イノーバー・ジャパン代表取締役の吉田瞳さん。お店の雰囲気に合わせて、吉田さんまたは店長(若女将)の守山莉澄さんのどちらかは着物で出迎えるそうだ。当初は住宅地の中の古民家に店を出すことを懸念する人もいたというが、昭和レトロな雰囲気を活かした店内装飾やここでしか飲めない「谷中ビール」をつくるなどの工夫が効を奏して、今では大人気の店になっている。

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「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

次に訪れたのが「おしおりーぶ」。店内には、世界各国から集められた塩やオリーブオイル、ビネガーがずらりと並び、オリジナルドリンク「オリーブラテ」などの販売もしている。取材中も海外や国内のお客さんで狭い店内は人があふれるほど。店長の石塚恵美子さんによると「海外からのお客様がSNSにアップしたようで、それを見たという海外の方も多く訪れます。お土産用に商品を買われる方も多いですし、地元のリピーターの方も多いですよ」

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

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写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真映えもする上野桜木あたりでは、あたり3の座敷と路地を、「みんなのざしき・ろじ」として貸し出している。お稽古や交流会などの集まりに利用できるほか、ロケ地としても利用できるのが特徴だ。

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

取材中に上野桜木あたりを訪れた家族に、話を聞いた。
地元ではないが、谷中銀座にはよく遊びに来るので、この場所を気にかけていたというご夫婦。お目当てだったベーカリーがお休みでちょっと残念だったが、せっかくなのでビアホールでランチを食べて帰るという。

犬のお散歩で訪れた地元のご夫婦は、ここが犬のお散歩ルートの一つだという。ここに来るとお店の人や訪れた人たちが可愛がってくれるので、それが分かっているワンちゃんが来たがるのだとか。ここに来たら路地の椅子で一休みしながらワンちゃんは井戸の水で、飼い主さんは谷中ビールでエネルギーを供給しているそう。

人気スポットになる背景には、仕掛け人がいた!

上野桜木あたりが注目されるようになった要因の一つに、2015年度のGoodDesign賞を受賞したことも挙げられる。「昭和13年築の三軒家の保存と改修・活用のバランスを大事に再生させたプロジェクト」である点が評価されたというが、それには仕掛人となったグループがいる。

そのグループの中心人物である、NPO法人たいとう歴史都市研究会(以下「たい歴」)の椎原晶子さんに話を伺った。

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

実は、谷中や上野桜木に数多く残っていた古い住宅や店舗、銭湯などの建物が、ここ数十年で急速に取り壊されて無くなっていった。こうした状況の中で、古い建物を残して町を再生していこう、という取り組みをさまざまな人が手掛けていた。平成12年(2001年)設立(2003年NPO法人化)の「たい歴」もそのひとつだ。

「たい歴」と「上野桜木あたり」のオーナーとの最初の接点は、“ドラマのロケ地”だった。テレビ局からいいロケ地がないかと相談されたときに、思いついたのがこの場所だ。というのも、椎原さんが見学会などでこの建物を訪れていて、そのころは住人がいたのに、徐々に住人が減っていく様を見て、再生の手伝いなどができないかと気になっていたという。

当時、オーナーはこの場所を離れていたので、近隣の方の紹介で連絡を取り、ロケについて相談したところ快諾を得て、ロケ地として使うことができた。ちょうどオーナー側も、土地の権利関係を整理して、三軒家とも法人で所有し、有効活用したいと考えていたところだった。

オーナーとしては、代々の家族が暮らした思い出のある建物をできれば残したいと考えていた。そこで「たい歴」は、建物保存修復の専門家、建築家や造園家、建物活用希望事業者とのチームをつくった。そこで協議した結果、建物と路地を隔てていた塀を取り除き、路地と一体となった交流スペースを創出し、それぞれの建物を改修して運用者に貸すなど、新しい魅力を付加するプランを提案したのだ。

別の団体からも建物の活用プランの提案があったようだが、「たい歴」の提案が通ったのは、椎原さんによると「ここに住みたい、商売を始めたいといった人たちを集めた交流会に、オーナー家族にも参加してもらったことで、この家や場所を大切にしながら実際に活用したいという人がいるのだという実感を持っていただいたことが、大きかったのではないか」という。

「たい歴」では、建物の調査をして改修プランを立て、活用したいという人や企業とのマッチングを行い、維持管理も請け負っている。ただ、マッチングについても、地元の人たちに配慮して厳選した。例えば、地元の人たちの「日常で買い物できる店が減っている」「焼き立てのパンが買える店がほしい」といった声を参考に、ベーカリーを優先した。オーナーや入居者とともに活用のガイドラインも設けた。例えば、住宅地でビアホールを開くことも、酔客が騒いで近隣に迷惑をかける可能性を減らすため、営業時間は入店20時(閉店20時半)までとした。店舗側も、大人数の団体の予約は入れないなどの配慮をしている。

こうした仕掛けで再生したのが、上野桜木あたりなのだ。

「カヤバ珈琲」「旧平櫛田中邸」など、地域に価値のある建物を保存して街に開きたい

「たい歴」では現在、5軒の建物を管理している。この5軒が、古い建物を改修して活用できることを知らせる実例となっている。人気の昭和レトロな喫茶店「カヤバ珈琲」もその一つだ。

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上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

昭和13年(1938年)創業のこの店は、経営者が高齢になり閉店してしまった。近所の住人の憩いの場所だったので、ぜひ継続してほしいという声が上がった。そこで「たい歴」がこの建物を借り受け、この店で営業してくれる人を探して、カヤバ珈琲を復活させたのだ。

出桁造り(だしげたづくり)の町家の外観などを活かしつつ、看板や椅子、食器などもそのまま活用し、当時の面影を残しながら再生させた。なじみのメニューも復活した。卵焼きを使った「たまごサンド」やコーヒーとココアを混ぜた「ルシアン」は、いまでも人気メニュー。ただし、お店だけを再生するのではなく、街全体の活性化につながるように、谷中銀座周辺のお店の食材や商品を使ったり、谷中名産の生姜を使った「谷中ジンジャー」などを新たにメニューに加えたりもしている。

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)


上野桜木に大正8年(1919年)に建てられた「旧平櫛田中(ひらくしでんちゅう)邸」アトリエも「たい歴」が管理協力している一つ。アートプロジェクト・マネジメントを行う一般社団法人「谷中のおかって」とともに芸術文化の創造交流拠点として維持活用管理を行っている。取材当日には、地元の芸術家などを紹介する展示イベント「SHINOBAZU WONDER12」の開催期間ということで、訪れてみた。

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

平櫛田中は著名な彫刻家で、歌舞伎好きの筆者も、国立劇場のロビーに展示されている六代目尾上菊五郎の像の作者として認知している。その平櫛のアトリエと住まいが保存され、通常は非公開だがイベント開催時には公開される。

旧平櫛田中邸は現在、出生地だった岡山県井原市が所有しているが、「たい歴」と「谷中のおかって」が維持保存活動に協力しており、イベント等の受け入れやボランティアによる定期的なお掃除会などを開いている。実は筆者も、建物見たさにお掃除会に1度参加したことがある。

「たい歴」が管理する建物にはほかに、「市田邸」(明治40(1907)年築の布問屋市田家の屋敷と蔵)、「間間間(さんけんま)」(大正8(1919)年築の町家で今は一階に「散ポタカフェのんびりや」が入居)がある。

「古い建物が空き家になって壊されてからでは遅い」と椎原さんは言う。そのためには、古い建物の所有者が悩んだときに相談できる環境を整えたり、地元の住人から情報が集まるネットワークを形成したりといったことが欠かせない。こうした地域の住人とのつながりがあるからこそ、人気スポットが誕生したのだろう。

●取材協力
・特定非営利活動法人たいとう歴史都市研究会
・上野桜木あたり