シングルが住み続けたい街ランキング(家賃8万円以下)を世田谷線沿線が席巻! ローカル感がエモい街

リクルートは10月「SUUMO住民実感調査2022首都圏版」と、「SUUMO住民実感調査2022首都圏版 家賃水準別住み続けたい駅ランキング」の2つを発表した。前者は、首都圏に住む20代以上の男女に、現在住んでいる街に住み続けたいかを聞き、その希望度が高い駅・自治体をランキングしたもの。後者は、その上位の中から、賃貸物件の家賃相場が一定の基準をクリアする駅だけでエリア別にランキングしたものだ。今回、紹介するのは後者の方、住民が今後も住み続けたいと感じていて、かつ賃貸物件も手が届きやすい街のランキングとなる。「東京23区シングル家賃8万円以下住み続けたい駅ランキング」のトップ10に、東急世田谷線(以降、世田谷線)、山下、上町、宮の坂、松陰神社前、松原の5駅がランクインした。
世田谷線は、下高井戸駅と三軒茶屋駅(全ての駅は世田谷区内)を結ぶ軌道線で、新宿駅や渋谷駅といった主要ターミナルを起点としない、比較的マイナーな路線といってよいだろう。なぜ、世田谷線の街が多数ランクインしたのだろうか?

高度成長期に「取り残された」のが都内の数少ない軌道線である世田谷線松陰神社前駅に停車する世田谷線の車両。小ぶりの車体の2両編成。うち1編成は、沿線の名所・豪徳寺の「招福の招き猫」が車体にあしらわれている。車内のつり革も猫型だ(写真撮影/村島正彦)

松陰神社前駅に停車する世田谷線の車両。小ぶりの車体の2両編成。うち1編成は、沿線の名所・豪徳寺の「招福の招き猫」が車体にあしらわれている。車内のつり革も猫型だ(写真撮影/村島正彦)

世田谷線は、軌道を走るトラム型車両で運行されている。同様の軌道電車には、都内ではもう一つ、三ノ輪橋と早稲田を結ぶ都電荒川線(東京さくらトラム)がある。

歴史を紐解けば、明治後期(1907年)に近代化・都市開発のため必要な砂利を多摩川から調達するため、渋谷と玉川(現在の二子玉川)の間に軌道(道路上に電車などが走るために設けた線路)が開業した。大正14年(1925年)に三軒茶屋から下高井戸の間に新設軌道の支線、下高井戸線が設けられた。

モータリゼーションの高まりとともに、昭和44年(1969年)現在の国道246号上の軌道線・渋谷~玉川の路線が廃止され、道路と共用しない専用軌道であり残った三軒茶屋~下高井戸の支線は「世田谷線」と改称された。

ほとんどの駅に改札はなく、全線150円の均一料金(2022年現在)。低いプラットフォームから乗降可能な、通常の鉄道車両より小ぶりな2両編成で、三軒茶屋と下高井戸間の5.0kmを17~18分かけてゆっくりとしたスピードで運行されている。

20代後半~30代の「大人のシングル」に人気の松陰神社前(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)

(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)

特筆すべきは、8位に松陰神社前。

地元で不動産仲介サイト「せたがやクラソン」を運営している(株)松陰会舘の山下勇樹さんは「都心に近いことを重視して、東急東横線の祐天寺~中目黒駅あたりや、田園都市線の池尻大橋~三軒茶屋駅あたりで部屋を探していた人が、家賃の兼ね合いもあるでしょうが、少し踏み込んで世田谷線で物件を探してみて、ゆったりとした街の雰囲気に魅せられて住み始めた人が多いように思います。20代後半から30代の単身者、職業は多種多様ですが、広告業界やライター、デザイナーといった自分のスタイルを持った人が多い印象です」と話してくれた。

週末にはカフェ巡りなど来街者も増えて、いまではすっかり世田谷線を代表する駅として認知されている松陰神社前だが、そうした動きはいつからだろうか。

(株)松陰会舘代表の佐藤芳秋さんは、生まれも育ちもこのエリアだ。佐藤さんによると「2010年ごろは世代交代などで空き店舗が目立っていました。それが、大きく変わったのが2014~15年ごろです。若い人たちがカフェやバルなど出店し始めて街に活気と華やぎが戻ってきました」と話す。「自社では、仲介のほか不動産も所有しているので、世田谷線に面した自社所有の老朽化した木造アパートを、用途転用・リノベーションして物販ができるテナントとして企画したのが松陰 PLAT です。新しい店が飲食店に偏っていたので、地域の人が手土産や日々の生活に彩りを加える雑貨などを売る物販のテナントも意識的に呼び込みました」と打ち明ける。地元で50年前からガス事業と不動産業を営む松陰会舘の3代目として、当時は取締役であった佐藤さんが事業を主導した。

松陰神社前駅のほど近くに2014年にオープンしたスイーツ店「MERCI BAKE(メルシーベイク)」。気取らないオシャレなフランス菓子は、手づかみで食べられる。このころから、松陰神社前駅の商店街に若い感覚のお店の開店ラッシュとなった(写真撮影/村島正彦)

松陰神社前駅のほど近くに2014年にオープンしたスイーツ店「MERCI BAKE(メルシーベイク)」。気取らないオシャレなフランス菓子は、手づかみで食べられる。このころから、松陰神社前駅の商店街に若い感覚のお店の開店ラッシュとなった(写真撮影/村島正彦)

ぷらっと寄れる街のプラットホーム「松陰PLAT」は、2016年に佐藤さんが自社物件の築50年の木造アパートを8つの商業施設にリノベーションした。物販店や飲食店が入居する(写真撮影/村島正彦)

ぷらっと寄れる街のプラットホーム「松陰PLAT」は、2016年に佐藤さんが自社物件の築50年の木造アパートを8つの商業施設にリノベーションした。物販店や飲食店が入居する(写真撮影/村島正彦)

「自社で仲介など行う範囲と重なりますが、世田谷区のなかでも、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と勝手に呼んで、2015年に『せたがやンソン』というお店を紹介するウェブメディアを立ち上げました」と話す。

佐藤さんは、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と命名した。世田谷線沿線がまさにこのエリアだ(作成/SUUMOジャーナル)

佐藤さんは、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と命名した。世田谷線沿線がまさにこのエリアだ(作成/SUUMOジャーナル)

このころには、松陰神社前は若い出店希望者が殺到したが、空き店舗が見つからず、上町・宮の坂・山下などに新しい店が少しずつ広がっていったという。こうした、新しい店を応援し紹介し、地域の価値を高めるメディアとして立ち上げたのが、『せたがヤンソン』だ。店主のこだわりや店を開くに至った動機や人となりについて記事に盛り込むことを心掛けている。

この地域は都心に近いながら、ある意味あまり知られていない穴場エリア。「サイトの月間のPVは約3万とそれほど多くはありません。でも、サイトを見て、お客さんが店主の背景を知り、店主との会話のきっかけになっているという話をよく聞きます。あまり流行りすぎもせず、ゆったりとコミュニケーションがつくられる状況は、ちょうど良いと思っています」と話す。

佐藤さんは、2015年から「せたがやンソン」という世田谷ミッドタウンの情報サイトを立ち上げた。2022年6月にはサイトで紹介したお店100軒を載せた「せたがやンソン MY SETAGAYA100」を出版(HPより)

佐藤さんは、2015年から「せたがやンソン」という世田谷ミッドタウンの情報サイトを立ち上げた。2022年6月にはサイトで紹介したお店100軒を載せた「せたがやンソン MY SETAGAYA100」を出版(HPより)

昭和の商店街に新感覚のお店が混在。エモい街!

佐藤さんと同じく、このエリアが故郷の吉澤卓さんは「国士舘大学や駒澤大学、日本大学(文理学部)などが近くて、学生のころから住み慣れ親しんだ人が、そのまま気に入って住み続けている面もあるのでは」と話す。

吉澤さんは、2021年に親が所有する松陰神社駅前のビル2階に、コワーキングスペース「100work」と個人オーナーが小さな書棚で本を売る「100人の本屋さん」、イベントスペース「100cube」を開設した。約130平米の空間に3つの機能がシームレスに混在している。
「新型コロナでステイホームになった近隣の住民が、家では集中できないときや人と話したいと思った際に利用してもらえるような、街の小さな文化・交流拠点になればと思いました」と意図を語ってくれた。

「100人の本屋さん」(松陰神社前)にて、吉澤卓さん(左)と佐藤芳秋さん(右)に話しを聞いた(写真撮影/村島正彦)

「100人の本屋さん」(松陰神社前)にて、吉澤卓さん(左)と佐藤芳秋さん(右)に話しを聞いた(写真撮影/村島正彦)

世田谷線エリアの生まれ育ちで、地域に詳しい佐藤さん・吉澤さんに、この地域にシングルが住み続けたいと感じる魅力について尋ねた。2人の意見を総合すると以下のようなものだ。

・個性的なほかの街にないような飲食店・物販店がある。
・商店街の古くからのお店と、若い人たちが新しく開いたお店が適度に混じり合うことで重層的魅力をつくっている(下町感のある商店街に洒落た店が点在)。
・駅が小さく、また道路が狭いから大きな建物がない。テナントも10坪程度の狭い物件ばかりで、ナショナルチェーンでは採算が合わず出店しないから、街が画一的にならない。逆に若者が小規模な資金で店を開きやすい。
・商店街、道が狭いく緩やかに蛇行するなど(クルマ通りが少なく)歩く人が中心で知り合いと顔を合わせやすい。
・招福の招き猫で有名な豪徳寺、世田谷城址、世田谷八幡、ぼろ市通り、代官屋敷、松陰神社などプチ名所を散歩(世田谷線)で巡って楽しい街。自転車があると最強。
・住民は古くからの地域の老人やファミリー、シングルが混在しており多様な人間模様。気取らない普段着で外出することができる。
・世田谷線を使わなくても、田園都市線や、小田急線・京王線などの駅から歩けなくはない。都心への時間距離はさほどではない(近い)が、賃料は安め。
・上町からは渋谷までバス便が便利。国道246号には通勤時はバスレーンがありスムース。本数も多い。

といったところだ。

これを聞いていた、仲介の山下さんからは「この間、案内した20代後半のシングルの方は、初めて世田谷線エリアを歩くらしく『エモいっすねー』と連発して感激していたのが印象的でした」という。昭和から続く商店街のゆったりした古風な佇まいに、いま風のお店が混じり合って、老いも若きも気取らずに生活を楽しんでいる風景が「エモい」という表現になったようだ。
言い換えてみるなら、大都会・東京にあって、人と人の距離が近い「田舎感」にあふれるエリアということだろうか。

以下、世田谷線沿線の雰囲気を感じていただけるスポットを紹介する。

松陰PLATの一角「good sleep baker」は、クラフトビール(3種の樽を常時開栓)を楽しめる。焼きたてパンも売っており、店内で食べることも持ち帰りも可。店主の小林由美さんによると「仕事を終えた後に美味しいビールを飲んで、明日の朝食のパンも調達できるお店」というコンセプトだ(写真撮影/村島正彦)

松陰PLATの一角「good sleep baker」は、クラフトビール(3種の樽を常時開栓)を楽しめる。焼きたてパンも売っており、店内で食べることも持ち帰りも可。店主の小林由美さんによると「仕事を終えた後に美味しいビールを飲んで、明日の朝食のパンも調達できるお店」というコンセプトだ(写真撮影/村島正彦)

上町駅の近くの包丁と砥石のお店「ひとひら」。店主の相澤北斗さんは「包丁は、研いでメンテナンスしながら長く使って欲しい」という。世田谷・上町に店を開いたのは「生活・食をきちんと楽しんでいる人が多く住んでいるから」という理由だった。販売だけでなく、包丁研ぎのサービスも行っている(写真撮影/村島正彦)

上町駅の近くの包丁と砥石のお店「ひとひら」。店主の相澤北斗さんは「包丁は、研いでメンテナンスしながら長く使って欲しい」という。世田谷・上町に店を開いたのは「生活・食をきちんと楽しんでいる人が多く住んでいるから」という理由だった。販売だけでなく、包丁研ぎのサービスも行っている(写真撮影/村島正彦)

宮の坂駅近く、モダンな設えの和菓子屋さん「まほろ堂蒼月」。山岸史門さんは「オーソドックスな和菓子はもちろんオリジナルにもこだわりたい」という。店内には喫茶スペースもあり、窓からはゆっくりと走る世田谷線を眺めながら、お茶とお菓子を楽しめる(写真撮影/村島正彦)

宮の坂駅近く、モダンな設えの和菓子屋さん「まほろ堂蒼月」。山岸史門さんは「オーソドックスな和菓子はもちろんオリジナルにもこだわりたい」という。店内には喫茶スペースもあり、窓からはゆっくりと走る世田谷線を眺めながら、お茶とお菓子を楽しめる(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺・山下駅近くの青果店「九百屋 旬世(くおや しゅんせ)」。鮮度抜群の野菜が手頃な値段とあっていつも店頭は人だかりが。仕入れた野菜・果物でスムージーやボリューム満点のサンドウィッチを店内で製造販売し、地元の人に人気だ(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺・山下駅近くの青果店「九百屋 旬世(くおや しゅんせ)」。鮮度抜群の野菜が手頃な値段とあっていつも店頭は人だかりが。仕入れた野菜・果物でスムージーやボリューム満点のサンドウィッチを店内で製造販売し、地元の人に人気だ(写真撮影/村島正彦)

山下駅・豪徳寺駅から徒歩5分の住宅地に2022年2月にオープンした「七月堂古書部」。詩歌を中心とした新本と古書の書店だ。明大前から引っ越してきた。古書部部長の後藤聖子さんは「のんびりとした住宅地ですが、お客様が探してたどり着いて下さいます」と話す(写真撮影/村島正彦)

山下駅・豪徳寺駅から徒歩5分の住宅地に2022年2月にオープンした「七月堂古書部」。詩歌を中心とした新本と古書の書店だ。明大前から引っ越してきた。古書部部長の後藤聖子さんは「のんびりとした住宅地ですが、お客様が探してたどり着いて下さいます」と話す(写真撮影/村島正彦)

世田谷線沿線は散歩コースも充実

世田谷線沿線には、ささやかな観光スポットが点在している。住んでみれば、日常的な散歩コースに組み入れて、仕事や雑事をしばし忘れることができそうだ。

豪徳寺(山下駅・宮の坂駅) 彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺。招き猫が多数奉納されていることで観光スポットにもなっている。墓所には、幕末・桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺(山下駅・宮の坂駅) 彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺。招き猫が多数奉納されていることで観光スポットにもなっている。墓所には、幕末・桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も(写真撮影/村島正彦)

世田谷八幡宮(宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷八幡宮(宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷城址公園(上町駅・宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷城址公園(上町駅・宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

松陰神社(松陰神社前)(写真撮影/村島正彦)

松陰神社(松陰神社前)(写真撮影/村島正彦)

世田谷代官屋敷(上町駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷代官屋敷(上町駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷ボロ市(上町駅・世田谷駅) 代官屋敷前の通りで400年続く「市」。毎年12・1月15・16日に開催される(写真撮影/村島正彦)

世田谷ボロ市(上町駅・世田谷駅) 代官屋敷前の通りで400年続く「市」。毎年12・1月15・16日に開催される(写真撮影/村島正彦)

それから、山下さんからは「沿線で人気の地域スーパー、オオゼキの存在も大きいかもしれません」という話が飛び出した。
「世田谷線沿線での住み替えを案内することがありますが、“オオゼキがある街”という希望もよく聞きます」
日常的に使う、スーパーマーケット・オオゼキは地域密着で、エリアの魅力に貢献しているのだという。

オオゼキは売り場に、仕入れ・販売の権限を任せることで地元民の絶大な支持

オオゼキは、世田谷線の松原駅の近くで乾物屋を営んでいたが、1965年にスーパーマーケットに業態変更した。以来、世田谷区を中心とした東京、そして神奈川・千葉に合計41店舗を展開するスーパーだ(2022年現在)。

(株)オオゼキのコミュニケーション統括本部の内田信也さんにお話を聞いた。
「オオゼキは、松原駅の至近に本店の松原店があります。また世田谷線沿線では、上町店があります。この2店舗は、41ある当社の店舗のなかでもとりわけ床面積が大きい旗艦店となります」と説明する。「創業の地である世田谷線エリアは、昔からのお客様、そして地域柄、進学や就職で上京した方が多く住む地域です。ファミリー層から単身者まで幅広い方にご利用いただいています」

松原駅・上町駅の最寄りには地元密着スーパーで地元民に絶大な人気を誇る「オオゼキ」がある。(写真は松原店)品ぞろえ豊富で店員さんは親しみもあり、オリジナルお総菜・弁当や寿司の美登利も店内で製造販売。シングルの味方だ(写真撮影/村島正彦)

松原駅・上町駅の最寄りには地元密着スーパーで地元民に絶大な人気を誇る「オオゼキ」がある。(写真は松原店)品ぞろえ豊富で店員さんの親しみもあり、オリジナルお総菜・弁当や寿司の美登利も店内で製造販売。シングルの味方だ(写真撮影/村島正彦)

上町店(写真撮影/村島正彦)

上町店(写真撮影/村島正彦)

地域のシングル層にオオゼキが訴えるポイントについて「当社は、各店舗・売り場毎に担当者が仕入れから販売まで責任を持つ方針を創業以来とっています。お客様から、このこだわりの商品を入れて欲しいと担当者が聞いて、できる限り対応しています」と内田さん。

例えば、味噌や醤油など、日本全国を網羅し地域性豊かに50~60種類を常時置いている。地方から上京した単身者にとって、近所で手軽に故郷の味が手に入るわけだ。

以下のように続ける。
「全国展開の大手スーパーであれば、社員は管理部門に少数を配置し、多くをパートでまわしています。対して、当社は、レジ担当を含めてスタッフの7割を正社員として採用しています。これが、仕入れと売り場に責任を持って回してくれること、社員ひとり一人に権限を与えているので、お客様のニーズをダイレクトに聞き仕入れ、店頭に並べる商品に反映することに繋がっています。また、地方から上京してきた高卒社員も積極的に採用し、若いうちから売り場を担当してもらっています。若い子は、最新の流行に敏感ですから、新しい・流行っている商品をすぐに仕入れて売り場に並べてくれます。こうしたことも、シングルの若い方に好感をもっていただけるポイントなのではないでしょうか」

また、鮮魚・肉など生鮮食料品売り場で、若い男女のグループが買い物をしているシーンを見かけるという。
「友達をアパートに呼んで、ふだんはやらない鍋でもしようかというときに、オオゼキなら一人暮らしではふだん買えない珍しい食材をみんなでわいわい買うことができて楽しい、という声を聞きます」

冬は、多品種の魚介類をパックにした寄せ鍋セットや、ボリュームたっぷりのアンコウの切り身・肝などを売っている。
「また、各店舗に店内でお総菜・お弁当を作って販売しています。それから、近傍の梅ヶ丘の有名店・寿司の美登利に、松原店・上町店などでは専従スタッフを置いてもらい、できたてのお寿司を買うことができるのも、地域の方には重宝してもらっているのでは」と話してくれた。

オオゼキの生鮮品の品ぞろえ豊富で、飲食店を営むプロの仕入れの場でもあるという。トマトは常時15種類程度の品ぞろえ 、魚介類も穴子や鮎、のどぐろ、ツブ貝、ドジョウなどなど普通のスーパーではなかなか見かけないものまで多品種をそろえる(写真撮影/村島正彦)

オオゼキの生鮮品の品ぞろえ豊富で、飲食店を営むプロの仕入れの場でもあるという。トマトは常時15種類程度の品ぞろえ 、魚介類も穴子や鮎、のどぐろ、ツブ貝、ドジョウなどなど普通のスーパーではなかなか見かけないものまで多品種をそろえる(写真撮影/村島正彦)

醤油、味噌なども全国のメーカーの「レアもの」がそろう。味噌だけで約60種類。東京にいながら、出身地の味が手ごろに入れられる(写真撮影/村島正彦)

醤油、味噌なども全国のメーカーの「レアもの」がそろう。味噌だけで約60種類。東京にいながら、出身地の味が手ごろに入れられる(写真撮影/村島正彦)

世田谷線は、新宿や渋谷といったターミナル駅に直結しておらず、地元密着の個人店やスーパーもあいまって、大都会東京にあって「田舎感」や「地元感」にあふれているように見受けられた。一度住み始めたシングルには、適度に街のお店や人たちとの繋がりを感じて、住み続けたい街として高い評価を獲得しているようだ。

●取材協力
100人の本屋さん
松陰会舘
せたがやンソン
オオゼキ

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケードの最期

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

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●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケード

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

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共悦マーケットが取り壊される際に入居していた店舗の図面。IBASHOメンバーで建築士の久米良寛さんが作成した(写真/吉澤卓)

●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO