あなどれない木造! マンションもオフィスビルも建てられる最新事情

全国47都道府県の木材を軒庇(のきひさし)に使用した新国立競技場など話題の建築を引き合いにだすまでもなく、昔から日本では家を建てる際に「木」が使われてきた。その多くは3階建てまでだが、最近は技術的な進化で中高層の木造住宅も建築されるようになってきた。こうした背景には何があるのか? 国土交通省の一重(ひとえ) 喬一郎さんに話を伺いながら、木造住宅・木造建築の最新事情をさぐった。
実は燃えにくく、地震にも強い!?木造住宅

童話『三匹の子豚』ではオオカミにあっという間に壊されてしまった“木の家”だが、世界で最も古い木造建築物は、607年に建てられた法隆寺の五重塔だ。子豚の次男は、正確には“木の枝”を集めてちゃちゃっと建てたから、文字どおり“木っ端みじん”にされたのであって、きちんと建てて、メンテナンスさえ怠らなければ1400年以上も長持ちするのだ。

法隆寺(写真/PIXTA)

法隆寺(写真/PIXTA)

「そもそも日本は国土の約7割が森林に覆われています」と一重さん。そのため木の家は昔から私たちにとって身近な存在だった。今でもそれは変わらないようで「国土交通省がまとめた令和元年度の『建築着工統計』によると、3階建て以下の住宅のうち、木造は実に82.5%を占めています。また内閣府の『森林と生活に関する世論調査(令和元年)』でも、『新たに住宅を建てたり、買ったりする場合、どんな住宅を選びたいか?』という問いに対し、73.6%が木造住宅を建てたいと回答しています」。つまり、私たちは木の家が大好きなのだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

それを示すように21世紀に入ってからは古民家が見直されるようになってきたし、無垢(むく)の床材が流行ったり、木のフィトンチッド(木が発散する物質で、消臭や抗菌、リラックス効果があると言われている)が注目を集めるようになった。

一方で「木造は燃えやすい」とか「地震に弱い」と思われていたのも事実。けれど、一昔以前と比べて、木造建築の技術は飛躍的に進歩している。

たしかに木は燃えるが、燃えた部分が炭化層となり、酸素供給を阻むことで燃え進みにくくなる。この性質を活かし、「準耐火建築物」では、一定の厚みを増した上で木の柱や梁を“現し”(=燃えしろ設計)にすることが可能である。防火地域内では、一般の住宅でも3階建て以上か、延べ面積100平米を超えるものは、これまで「耐火建築物」とする必要があったが、平成30年の法改正により石膏ボードなどで覆わずに、燃えしろ設計で木造住宅を建築することができるようになっている。

さらに古くは漆喰壁など、昔から “防耐火技術”の研究が絶え間なく続けられ、現在は難燃薬剤の注入や、不燃材を内部に埋め込み木の柱や梁をつくる技術なども開発されている。

また耐震性に関しては、木造だろうと鉄筋コンクリート造であろうと、現在の耐震基準を満たすことが求められている。つまり、基準を満たしている住宅は、構造種別とは関係なく、すべからく一定以上の耐震性があるということだ。実際「2016年に起きた熊本地震の悉皆調査によれば、2000年に改正された基準を満たして建てられた木造の住宅は一部の特殊なものを除き全てが倒壊を免れており、約6割が無被害でした。さらに、耐震性のレベルを示す耐震等級で、最も高い耐震等級3の住宅はほとんどが無被害であったため、被災後も安全に住み続けられることができると考えられます」

そもそも木は、鉄やコンクリートと比べて、「軽い割に強い」素材だ。加えて、最近は「CLTなどの新しい素材の開発や、木材と木材を強固に繋いで耐震性を高める要となる金具の開発などによって、木造でも高層建築物が建てられるようになってきています」という。

CLT(直交集成板)パネル(写真提供/国土交通省)

CLT(直交集成板)パネル(写真提供/国土交通省)

ちなみにCLTとはヨーロッパで生まれた技術で、繊維方向が直交するように積み重ねて接着した集成パネルのこと。そのため大木を必要とせず、また節の多い木でも使えるため、木材を有効に活用できるというメリットがある。また厚みや強度があるので、構造を支える壁や床として使用できる。

鉄筋コンクリート造と組みあわせれば高層建築物も可能!

では、実際の最新木造住宅とはどんなものがあるのか。

(写真提供/三井ホーム)

(写真提供/三井ホーム)

「例えば東京都千代田区に三井ホームが建てた木造(ツーバイフォー構法)4階建て住宅は、『防火地域』『4階建て』『狭小』という3つもの課題をクリアして、3世代が暮らせるような造りになっています」。『防火地域』と『4階建て』は最新の木造技術を使って、隣家との間が狭くて足場の組めない『狭小』では独自の「建て起こし工法」と呼ばれる方法を使って、4階建てを実現した。

また神奈川県横浜市で大林組が「仮称OYプロジェクト」として建築を計画しているのは「木造軸組構法による11階建ての研修所です」。柱と梁の接合部分に「十字型剛接合プレファブユニット」という技術を採用し、高層化を実現している。

高層純木造耐火建築物「仮称OYプロジェクト」(画像提供/大林組)

高層純木造耐火建築物「仮称OYプロジェクト」(画像提供/大林組)

鉄骨造や鉄筋コンクリート造と組みあわせる方法でも、もっと高い“木の家”を建てることも可能だ。2020年9月に、三井不動産と竹中工務店は東京都中央区日本橋において、木造高層建築物として国内最大・最高層となる木造賃貸オフィスビル計画の検討に着手したと発表した。構造は「ハイブリッド木造」とされ、規模は地上17階・高さ約70m・延べ面積約26000平米になるという。今後、詳細の検討を勧め、2023年着工・2025年竣工を目指すとしている。

(画像提供/三井不動産・竹中工務店)

(画像提供/三井不動産・竹中工務店)

このように木造建築の高層化は着々と進んでいるのだ。

竹中工務店は木造技術を多く採用した12階建ての単身者向け社宅「フラッツ ウッズ 木場」も手掛けている(写真提供/竹中工務店)

竹中工務店は木造技術を多く採用した12階建ての単身者向け社宅「フラッツ ウッズ 木場」も手掛けている(写真提供/竹中工務店)

(写真提供/竹中工務店)

(写真提供/竹中工務店)

“木”は日本にとって貴重な天然資源

それにしても、いくら日本人が「木が好き」だといっても、なぜ近年こうした高層化プロジェクトが続々と生まれているのか。それには「天然資源が乏しい日本にとって、森林は他国よりも豊富にある、貴重な資源」であることが関係している。

昔から日本は森林が豊富だと思う人は多いだろうが、実は日本の長い歴史の中では、森林伐採と植林の歴史を繰り返してきている。日本人にとって木は最も身近な材料ゆえ、森林乱伐が幾度となく行われてきたのだ。あまりにも乱伐が進んだため676年に天武天皇が伐採禁止令を出したほどである。

太平洋戦争の終戦直後は、現在よりも荒廃した国土で、統計が取られ始めた昭和41年(1966年)時点では、人工林の資源量は現在の約3分の1ほどだった。しかし戦後の植林や間伐などに手入れにより順調に日本の国土では豊かな森林資源がはぐくまれ「最近10年では年平均で約8100立米の『森林資源ストック』が増え続けています」という。

約8100立方メートルとは、平成30年(2018年)の木材需要量とほぼ同等。つまり普通に木を使っていても、1年間分の需要量に相当する“ストック”が毎年増え続けているというわけだ。これを秒単位でみると、9秒で家一軒分の木材が増えているという計算になる。

(写真提供/国土交通省)

(写真提供/国土交通省)

「そこで木材をもっと積極的に利用してもらおうと、国としてさまざまな施策を行っています」。その一つが、中高層の木造建築物の振興施策だ。「3階建て以下の低層住宅の82.5%は木造ですが、オフィスや店舗などの「非住宅」は3階建て以下の低層であっても木造は15.7%、4階建て以上では、住宅、非住宅ともに木造はほとんどありません。そのため木造のシェアを伸ばせる余地の多い、非住宅や、4階建て以上の木造住宅を増やすためにさまざまな施策を行っています」。先述した4階建て木造住宅やOYプロジェクトは、いずれも「木造先導プロジェクト」として国が費用の一部を支援している。

こうした資金面の支援だけではなく「先進的な木造建築を建てられる人材の育成にも力を入れています」という。例えばCLTをはじめとした先進技術の知識やノウハウの共有を目的に、欲しい情報がすぐに見られるようにしたポータルサイトの整備、開設に向けた準備を進めている。

木造住宅で生活の質も高められる

一方で、木造住宅の割合が高い3階建て以下の低層住宅だが、「生活の質をより向上させるための住宅や、長年にわたって住み続けられる住宅を増やすための取り組みも行っています」。例えば一定の省エネ基準や耐久性、耐震基準などを満たした「長期優良住宅」に対する税制優遇はその一例だが、「事業者別にみると、年間1万戸以上供給する大手事業者が建てる住宅のほとんどは長期優良住宅なのですが、年間50戸未満の中小事業者の場合、平成28年度の数字でみても12.6%と、まだまだ少ないという現状です」

1・2階がRC造(鉄筋コンクリート造)、2~5階が木造の集合住宅「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

1・2階がRC造(鉄筋コンクリート造)、2~5階が木造の集合住宅「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

年間50戸未満の中小事業者の多くは、地元に密着して活動していることが多い。そこで地域の中小工務店や建築事務所、原木供給者、製材事業者などがグループを形成して補助金を申請できる「地域型住宅グリーン化事業」が用意された。例えばグループで長期優良住宅を建てると一戸につき最大110万円、省エネルギー性の高いゼロエネルギー住宅なら最大140万円といったように、各種補助金を受け取ることができる。こうした補助金制度を活用してもらうことで、木造住宅を建てようとする人々の「生活の質の向上や、長年にわたって住み続ける」ことを支援しようというものだ。

先述したように3階建て以下の低層住宅のほとんどは木造住宅。しかもこの10年間というレンジで見ると、その割合はじわじわと上昇している。だから木造住宅を増やすという意味では、ここまでの施策は必要ないのだが、「原木供給者や製材事業者など、地方には林業に関連する産業が多いので、こうした施策で地域が活性化することも目的としています」。それゆえ中小工務店単体ではなく、グループでの申請というわけなのだ。

森林という貴重な資源が豊富な日本で、豊かな暮らしを得るために、木材を上手に活用する。しかも木材はCO2を貯め込んだ材料のため、50年、100年と長きにわたり使われる建築物の材料としては、とてもエコな資源だ。木材を上手く使い、都市や地方を問わず生活の質を向上させるというのは、日本の風土に合った暮らし方だと言えそうだ。

●取材協力
国土交通省

縄文人さん、「竪穴住居」でどんな暮らしを送っていたんですか?

1万年以上も平和が続いたとされる縄文時代。人々は狩猟、採集、漁労を生業とし、竪穴住居を建てて集落単位の定住生活を始めた。この「竪穴住居(我々の時代は「竪穴式住居」と習ったが、現在は「竪穴住居」という表記が一般的らしい)」、社会の教科書で見たことはあるが、一体どんな家だったのだろうか。

調理場は? 収納スペースは? ベッドは? 山梨県北杜市の梅之木遺跡で竪穴住居の復元にあたっている21世紀の“縄文人”を訪問して詳しい話を聞いた。

縄文ガールは「使いやすい複式炉」がお好き

ある日、面白いフリーペーパーを見つけた。その名も『縄文ZINE』。縄文時代のあれやこれやをさまざまな角度から取り上げている。しかも、デザインワークから記事の切り口まで何しろポップなのだ。

この編集長なら竪穴住居での暮らしについて何か知っているに違いない。

最新号の表紙はラップユニットの「ENJOY MUSIC CLUB」(写真撮影/石原たきび)

最新号の表紙はラップユニットの「ENJOY MUSIC CLUB」(写真撮影/石原たきび)

「(架空の)縄文人同士のガールズトーク」という記事では「『一緒に貝塚をつくろう』と言われたらグッときちゃうかな」「集落のいちばん日当たりのいい場所にふたりだけの可愛い竪穴住居をつくって」などの発言が飛び出す。

「炉は使いやすい複式炉」がいいそうです(写真撮影/石原たきび)

「炉は使いやすい複式炉」がいいそうです(写真撮影/石原たきび)

このイカしたフリーペーパーをつくっているのは、株式会社ニルソンデザイン事務所代表の望月昭秀さん(48歳)。縄文関連の書籍も何冊か出版している。

手にしているのは最新刊の『縄文人に相談だ』(写真撮影/石原たきび)

手にしているのは最新刊の『縄文人に相談だ』(写真撮影/石原たきび)

望月さん、なんでまた縄文時代なんですか?

「僕は静岡県生まれで、子どものころから近くの登呂遺跡を自転車で見に行ったりしていて。当時から遺跡は身近な存在だったんです。決定的だったのは、10年ぐらい前に長野をドライブしている途中でふらっと入った尖石縄文考古館。そこで、縄文の土器や土偶が持つ造形の面白さを再認識しました」

「竪穴住居を復元している人をご紹介しましょうか?」

すっかり縄文にハマった望月さんは、2015年から『縄文ZINE』をつくり始める。現在、11号目を配布中だ(不定期刊行)。

公式サイトでは縄文グッズも販売している(写真撮影/石原たきび)

公式サイトでは縄文グッズも販売している(写真撮影/石原たきび)

そうそう、今回は縄文時代の家について聞きに来たのだ。いわゆる、竪穴住居ですよね。

「竪穴住居の屋根は茅葺のイメージでしたが、最近の研究では土盛りが多かったという説が有力になりました。当時の庶民の生活って記録が残っていないから、分からないことだらけなんですよ」

残念ながら、『縄文ZINE』では竪穴住居の特集を組んだことがないという。しかし、ここから意外な展開が待っていた。

「山梨県で竪穴住居を復元している人がいるので、ご紹介しましょうか? 何度か現場を見学しましたが、山を背景に炊事の煙が上がっていたりして、かなりいい雰囲気ですよ」

おおお、21世紀の縄文人だ。よろしくお願いします。

縄文時代中期の環状集落跡「梅之木遺跡」

12月上旬、新宿駅から特急あずさに乗り込んだ。約1時間半で山梨県の韮崎駅に到着。

山から吹き降ろす風が冷たい(写真撮影/石原たきび)

山から吹き降ろす風が冷たい(写真撮影/石原たきび)

ここから車で20分ほどの場所に目指す「梅之木遺跡」がある。

約5000年前、縄文時代中期の環状集落跡で北杜市が管理運営している(写真撮影/石原たきび)

約5000年前、縄文時代中期の環状集落跡で北杜市が管理運営している(写真撮影/石原たきび)

標高は約800m。気温はさらに下がった。敷地内は公園として整備され、自由に見学できる。正面には標高3000mに迫る甲斐駒ヶ岳を含む南アルプスの連山を望む。

斜面に点在しているあれが竪穴住居?(写真撮影/石原たきび)

斜面に点在しているあれが竪穴住居?(写真撮影/石原たきび)

肌寒いが冬の日差しは柔らかい。聞こえるのはとカラスの鳴き声のみ。のどかだ。まさしく縄文日和ではないか。

北杜市が立ち上げた竪穴住居復元プロジェクト

縄文人はすぐに見つかった。

満を持してご登場(写真撮影/石原たきび)

満を持してご登場(写真撮影/石原たきび)

こちらは東京・杉並区で造園業の「熊造園」を営む黒田将行さん(44歳)。現代美術作家という別の顔も持つ。

ちなみに、いかにも縄文スタイルのコートは猟師が獲った鹿の皮を黒田さんがなめして毛皮にしたものだ。

2016年、北杜市は梅之木遺跡内の竪穴住居を復元するプロジェクトを立ち上げた。復元にあたっての条件は、できるだけ縄文の道具と資材だけで建てること。そこで白羽の矢が立ったのが、造園技術に長けていて木と石を使った立体物の制作も得意な黒田さんだ。

挨拶もそこそこに、まずはガイダンス館を案内してもらった。

遺跡の解説パネルや遺跡出土品が展示されている(写真撮影/石原たきび)

遺跡の解説パネルや遺跡出土品が展示されている(写真撮影/石原たきび)

1万年以上続いたとされる縄文時代。この遺跡でも長期にわたって人々が生活したのだろう。

「いえ、じつはここで人が暮らしたのは500年間ぐらい。150軒ほどの住居跡が見つかっていますが、縄文時代中期に地球規模の気候変動が起こったことで、ちょっと先にあるエリアに移動したようです」

カナダの先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目

竪穴住居の中からは土器や石器も出土した。

調理のための深鉢型土器や伐採用の石斧など(写真撮影/石原たきび)

調理のための深鉢型土器や伐採用の石斧など(写真撮影/石原たきび)

出土品の中でも最も貴重なのは香炉型土器だという。

縄文時代特有の文様で装飾が施された香炉型土器(写真撮影/石原たきび)

縄文時代特有の文様で装飾が施された香炉型土器(写真撮影/石原たきび)

「焦げた跡があることから、燭台として使っていたんじゃないかと言われています。ロウのように加工した鹿の油とかを入れてから、真ん中のふちに縄を通して火を灯していたんだと思います」

なお、竪穴住居の復元にあたってはカナダ・ブリティッシュコロンビア州の先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目した。日本とほぼ同じ緯度に位置し、狩猟・採集で暮らしていた彼らの住居は、縄文人の住居を考える際に参考になるのだ。

ちょっと広めのワンルームといった風情

黒田さんはこれらの情報をもとに現代版の設計図を作成した。

円錐形の土屋根で、排煙・採光用の天窓を設けるのが特徴(写真提供/黒田将行)

円錐形の土屋根で、排煙・採光用の天窓を設けるのが特徴(写真提供/黒田将行)

東京で造園業の仕事をしながら、週末は梅之木遺跡に通う生活が1年半続いた。何しろ、住居を建てるための縄や石斧をつくるところから始めたのだ。数々の苦労を経て竪穴住居は完成した。

さて、室内を拝見しよう。

予想以上に広かった(写真撮影/石原たきび)

予想以上に広かった(写真撮影/石原たきび)

「30平米ぐらいですね。中央の炉の灰の中に土器を立てます。ここで料理をしたりお茶を飲んだりしていたと思われます。周囲の段差はいわゆる収納スペースです」

床は土に石灰とにがりを混ぜて固めたもの。

排煙・採光用の天窓もちゃんとある(写真撮影/石原たきび)

排煙・採光用の天窓もちゃんとある(写真撮影/石原たきび)

木と木をつなぎ止めるのは藤の蔓でつくった縄だ(写真撮影/石原たきび)

木と木をつなぎ止めるのは藤の蔓でつくった縄だ(写真撮影/石原たきび)

玄関、キッチン、収納、天窓。ちょっと広めのワンルームといった風情だ。ところで黒田さん、肝心のベッドはどこですか?

「あくまでも推測ですが、枝や丸太を横に渡して、その上に寝ていたんじゃないでしょうか。それだけだと背中が痛くて無理でしたが、さらに草やゴザを敷いたら寝心地は結構よかったです」

体を張って試行錯誤中です(写真撮影/石原たきび)

体を張って試行錯誤中です(写真撮影/石原たきび)

収納スペースには手づくりの石斧があった。

握りやすいようにグリップを削っている(写真撮影/石原たきび)

握りやすいようにグリップを削っている(写真撮影/石原たきび)

「明日、ジビエを食べながら土器を焼くイベントがあるんですよ。だから、今日は薪をたくさん割っとかないと。やってみます?」

案内されたのは資材や道具類を保管している「事務所」。

竪穴を掘らない“平地式”タイプ(写真撮影/石原たきび)

竪穴を掘らない“平地式”タイプ(写真撮影/石原たきび)

「薪はこの辺りから伐り出してくるコナラ、カエデ、クヌギなどです」

一発で仕留める黒田さん(写真撮影/石原たきび)

一発で仕留める黒田さん(写真撮影/石原たきび)

なお、石斧では時間がかかりすぎるため、イベント用の薪割りはさすがに文明の利器に頼るそうだ。

へっぴり腰ながら僕も何度目かで成功(写真撮影/石原たきび)

へっぴり腰ながら僕も何度目かで成功(写真撮影/石原たきび)

樹皮を土で覆う屋根で断熱性アップ

現在、遺跡内には計4棟の竪穴住居がある。順番に見せてもらった。まずは、2棟目(1棟目はタイトル画像のもの)。

こちらも1棟目と同様、樹皮を敷いた上にこれから土を被せて土屋根にする(写真撮影/石原たきび)

こちらも1棟目と同様、樹皮を敷いた上にこれから土を被せて土屋根にする(写真撮影/石原たきび)

3棟目の屋根は樹皮の上から土で覆う構造。

これによって断熱効果が高まるそうだ(写真撮影/石原たきび)

これによって断熱効果が高まるそうだ(写真撮影/石原たきび)

入口の高さの感覚が分からず、頭をぶつけるのでのれんを下げた(写真撮影/石原たきび)

入口の高さの感覚が分からず、頭をぶつけるのでのれんを下げた(写真撮影/石原たきび)

縄文人は我々と比べて身長もずいぶん低かったのだ。

4棟目は現在建築中。初期の骨組みがよく分かる。柱の根元を焦がすのは腐食防止のためだという。

奥に見えるのは子どもたち用の竪穴住居製作体験キット(写真撮影/石原たきび)

奥に見えるのは子どもたち用の竪穴住居製作体験キット(写真撮影/石原たきび)

きれいなサークル状の敷石はサウナ跡?

敷地内には国指定天然記念物の「山高神代ザクラ」の子孫樹もあった。春になると花を付ける。

樹齢2000年の古木の種子から育てた1本(写真撮影/石原たきび)

樹齢2000年の古木の種子から育てた1本(写真撮影/石原たきび)

地球を4100周して還ってきた種子(写真撮影/石原たきび)

地球を4100周して還ってきた種子(写真撮影/石原たきび)

同じ囲いの中では「ツルマメ生育実験」も行われていた。植物性タンパク質が豊富なツルマメはダイズの原種で、縄文時代から食用として利用されていた。ここでは、その利用の実態を解明するために育てられている。

最後に、遺跡のすぐ下の小川に連れて行ってくれた。「面白いものがあるんですよ」と黒田さん。

きれいなサークル状の敷石を復元したもの(写真撮影/石原たきび)

きれいなサークル状の敷石を復元したもの(写真撮影/石原たきび)

小川の脇でも縄文人が使っていたと思われる遺跡がいくつか発見された。このサークル状の敷石もそのひとつだ。

「ここで何が行われていたかは分からないんです。儀式や出産のための場所とも言われていますが、個人的な妄想としてはサウナだったらいいなあと(笑)。下が土だと汗をかいてドロドロになるので石を敷いた。このスペースで火を焚くとかなり熱いでしょ。限界がきたら下の小川の水で体を冷やす。縄文時代の交互浴ですよ(笑)」

火が点く日と点かない日は半々ぐらい

縄文ツアーもいよいよクライマックス。そう、ラストを飾るのは竪穴住居内での焚き火だ。黒田さんが説明する。

「着火剤はよく揉んだよもぎの葉っぱと麻縄。あとは、全力で棒を回転させます」

しかし、苦戦する黒田さん(写真撮影/石原たきび)

しかし、苦戦する黒田さん(写真撮影/石原たきび)

「バトンタッチしましょうか」の一言で、初の火起こし体験。

これはかなりしんどいぞ(写真撮影/石原たきび)

これはかなりしんどいぞ(写真撮影/石原たきび)

15分ほど挑戦したのちに「今日はあきらめましょう。火が点く日と点かない日は半々ぐらいですね。ゲストの日ごろの行いに左右されます(笑)」。黒田さんは潔くライターで点火した。パチパチという心地よい音、枝の水分が蒸発するジューという音が竪穴住居の中に響く。

縄文人もこうして同じ光景を見ていたのだろう(写真撮影/石原たきび)

縄文人もこうして同じ光景を見ていたのだろう(写真撮影/石原たきび)

屋根の角度「30度」は山の傾斜とほぼ同じ

「竪穴住居をつくっているうちに分かってきたことですが」と前置きして黒田さんが語り出す。

「『め』『き』『て』といった単音節、つまりひとつの音節だけでできた言葉に縄文語が潜んでいるんじゃないかと思うんです。例えば住まいは『す』で、つまりは巣。竪穴住居の天井を見上げると蜘蛛の巣みたいでしょう」

さらに、「光(ひかり)」は「火(ひ)」と「狩(かり)」ではないかという持論も飛び出した。

それ、すごい発見なんじゃないですか(写真撮影/石原たきび)

それ、すごい発見なんじゃないですか(写真撮影/石原たきび)

なお、今日見た竪穴住居の屋根の角度は約30度。これが高さを確保しながらも土が崩れにくい最適な角度なんだそうだ。

「山の傾斜もだいたい30度なんですよ。土砂が崩れない角度が自然にできているんだと思います。縄文人もそういうところからヒントを得て住居をつくっていたのでは」

週末限定の縄文人として暮らす中で見えてきた縄文人の生活や価値観。今回の取材では、その片鱗に触れることができた。

炎が安定してきた(写真撮影/石原たきび)

炎が安定してきた(写真撮影/石原たきび)

そういえば、望月さんからは「せっかくなので泊まっていってはいかがですか?」と言われた。黒田さん、ぶっちゃけ泊まれますか?

「冬の朝は軽く氷点下になるし、一晩中火の番をしなければいけなくなるのでやめたほうがいいですね。そもそも、施設自体が17時に閉まってしまいます(笑)」

とはいえ、竪穴住居の中でぼんやりとたたずむだけで縄文人の感覚に少し近付けた気がした。

●取材協力
北杜市埋蔵文化財センター
『縄文ZINE』

西麻布三丁目の再開発事業、港区より都市計画決定

野村不動産(株)、(株)ケン・コーポレーション、(株)竹中工務店が参画する「西麻布三丁目北東地区第一種市街地再開発事業」が、4月19日、港区より都市計画決定の告示を受けた。
同事業は、東京メトロ日比谷線および都営大江戸線「六本木」駅から西へ約300m、「六本木ヒルズ」に隣接する約1.6haの区域を再開発するもの。緑豊かで魅力ある複合市街地の形成を目指し、地上200mの超高層棟に都市居住機能(約550戸予定)、商業・業務機能を導入。国際水準の宿泊機能を備えるべく、外資系ラグジュアリーホテルブランドの誘致も目指す。

また、補助10号線(テレビ朝日通り)の拡幅や、「六本木ヒルズ」を含む周辺地区との回遊性を高める歩行者デッキ、地域の拠点となるオープンスペース(広場)を整備する。併せて、地区内の3つの寺社を再整備し、まちの歴史を継承していく。

工事着工は2020年度、竣工は2025年度の予定。

ニュース情報元:野村不動産(株)