世界で5番目に高額なシンガポールの不動産。一方で高い持ち家率、その理由は?

前回の記事では、シンガポールの生活環境について触れたが、今回は不動産事情についてフォーカスしてみたい。世界の主要都市の中で5番目に高いというデータもあるシンガポールの不動産価格。シンガポールで家を購入して住みたい、賃貸で暮らしたい、と考えたことがある人はもちろん、そうでない人も興味深い最新の現地の不動産事情をご紹介する。

シンガポールの不動産価格の推移

シンガポールの住宅の価格は総じて高額だといわれている。不動産コンサルティング会社・ナイトフランク社の「2020年ウェルスレポート」によると、100万ドルで購入できる世界の一等地の面積ランキングでシンガポールは狭い方から5番目、約35平米の広さしか買えない。東京は12位にランクインしており、約64平米(100万ドルあたり)なので、同価格でシンガポールの約2倍の広さは確保できる。

アジアの国々の中には、不動産を購入する際、外国人には特別な条件を課して、自国民を優先する政策を取っている場合が多い。シンガポールもその1つ、外国人が購入できる居住用物件はコンドミニアムと呼ばれる、高額な集合住宅に限られている。

またシンガポールの不動産価格は上昇を続けている。下記はHDB(政府系集合住宅。日本でいえば、かつての住宅・都市整備公団が分譲する集合住宅の総称。住宅・都市整備公団は現在UR都市機構)の再販価格の推移だが、26カ月連続で上昇している。コンドミニアムの価格はさらに高額だが、やはり同じように上昇を続けているようだ。

HDBの再販価格推移(2022年現在)

HDBの再販価格推移(2022年現在)

2009 年の第1四半期を 100 としたら、2022年第1四半期のHDB再販価格指数は159.5だ。つまりHDB再販アパートの価格は2009年よりもほぼ60%も高くなっている。

シンガポール政府は住宅価格を抑えるためにさまざまな冷却策を導入しているが、大枠で見ると価格は上がり続けているということが分かる。

日本人に人気の住宅エリアは?

シンガポールは東京23区と同じ位の広さなので、どこに住んだとしてもアクセスは便利だ。買い物施設や教育施設によって人気のエリアがある。以下は代表的な住宅エリアである。

●オーチャード・サマセットエリア
日本人に人気があるのが、オーチャード・ロードを中心とするエリア。オーチャード・ロードには、日系のデパートの高島屋や伊勢丹、日本人医師が在籍する病院や歯科もあるので、日本人にとって住みやすい。また学習塾もこのエリアに集中している。

日本でいうと「銀座」のような場所で、ブランドショップからドン・キホーテ、ハンズ、ダイソー、ユニクロまで、日系のお店が充実しているので欲しい物で手に入らないものはほぼない。

日本でいうと銀座のようなショッピングエリア。南北にコンドミニアムが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

日本でいうと銀座のようなショッピングエリア。南北にコンドミニアムが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

●リバーバレーエリア
シンガポール川とリバーバレー通沿いを中心に街が広がるエリア。オーチャードエリアについで、日本人に人気が高い。オーチャードにも近いが、家賃がオーチャードと比べると少し割安感がある。

ローカルの大手スーパーや大きなフードコートがある。大規模なショッピングモール、グレートワールドシティ周辺は高層の物件が立ち並んでいる。

川沿いのロバートソン・キーやクラーク・キーにはおしゃれなレストランやカフェがそろっている。

グレートワールドシティには明治屋やインテリアショップが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

グレートワールドシティには明治屋やインテリアショップが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

●チョンバルエリア
Tiong Bahru (チョンバル) エリアは低層のHDB(公団団地)が多く、のんびりとした雰囲気をもつ昔ながらの住宅街だ。低層のHDBは非常に人気で実際に住むのは難しいが、周辺の高層住宅に住んで、街の雰囲気を楽しむことはできる。

最近では、おしゃれなカフェやショップが増えていて、日本の代官山のような雰囲気だ。鮮度のよい魚介類、野菜、肉がそろうチョンバルマーケットがあり、食材の入手が簡単。またMRT駅構内、そして駅周辺に地元のスーパーがあるので生活も便利。

チョンバルの低層住宅街。緑も多くゆったりした街並み(写真撮影/四宮朱美)

チョンバルの低層住宅街。緑も多くゆったりした街並み(写真撮影/四宮朱美)

おしゃれなカフェやショップが多いチョンバルエリア(写真撮影/四宮朱美)

おしゃれなカフェやショップが多いチョンバルエリア(写真撮影/四宮朱美)

●イーストコーストエリア
海沿いの眺めの良い物件が多い。中心部に比べ比較的リーズナブルで築浅の物件を借りることが可能だ。またチャンギ空港へのアクセスもいいので海外出張の多い人には便利。

海岸線沿いに広い公園があり、サイクリングやジョギングを楽しむこともできる。バイリンガル教育を実施している日系幼稚園、日本人小学校のチャンギ校があり子どものいる家庭に人気。日本食品を取り扱うお店も充実していて住みやすい。

●ウエストコーストエリア
日本人小学校のクレメンティ校、日本人幼稚園、早稲田渋谷シンガポール校のあるエリアで、子どもの学校に近い場所に住みたいという日本人に人気のエリア。East Coast Park同様に、海岸の公園には、大きなアスレチック遊具や砂場スペースがあり、子どもの遊ぶ場所も多い。

閑静な住宅街が多く、予算も比較的抑えられるので、単身の方にも人気。

シンガポールの住宅は主に3タイプ

シンガポールでは大まかに3つのタイプの住宅様式がある。政府系集合住宅(HDB)、民間集合住宅、一戸建ての3種類だ。

またシンガポールの国土の大半は国有地であるため、ほとんどが99年や999年といった長期間のリースホールド(定期借地権)型で売買される。永久的に不動産を所有することができるフリーホールド型の物件は限られている。

また、政府系集合住宅や土地付き一戸建ては、外国人は購入できない。つまり購入する場合は、日本と異なり買える物件と買えない物件があるということだ。

●政府系集合住宅(HDB)
シンガポール国民の80%以上が暮らすといわれているHDBは日本の公団住宅のような住宅だ。The Housing & Development Boardという機関が建築・販売しているため、物件自体がHDBと呼ばれている。

シンガポール国民の住居として販売されている物件なので、民間が分譲するコンドミニアムといわれる比較的高級な物件に比べて価格は抑えられている。外国人は購入することはできないが、借りることはできる。

以前は民間住宅のコンドミニアムに比べて、共用部などがシンプルだったが、最近建てられたものは、コンドミニアムに比べてデザイン性も遜色のないモノが建設されている。建物の中に食堂が集まるホーカーズセンターがあったり、買い物施設があったり、生活するための施設は整っている。

リトルチャイナにあるHDB。駅の近くにあるので便利(写真撮影/四宮朱美)

リトルチャイナにあるHDB。駅の近くにあるので便利(写真撮影/四宮朱美)

●民間集合住宅
民間集合住宅は、プールやジムなどの付帯設備のあるコンドミニアムと呼ばれる豪華な集合住宅と、設備の少ないアパートメントに分類される。

日本人や欧米の駐在員が、主に多く住んでいるのはコンドミニアム。共用部にプールやフィットネスジムなどの設備が整い、セキュリティーがしっかりしている。シンガポール人の富裕層あるいは外国人の住居として利用されている。海外からの不動産投資の対象ともなっており、外国人のオーナーの比率が高い。高額だといわれている理由の1つは、外国人がコンドミニアムを購入する例が多いからだろう。

ユニークな外観のコンドミニアム(写真撮影/四宮朱美)

ユニークな外観のコンドミニアム(写真撮影/四宮朱美)

●一戸建て
シンガポールは国土が狭いため、広い土地を必要とする一戸建ては少ない。数少ない一戸建て住宅の家賃はひときわ高く、住めるのは一部の富裕層に限られている。一般的に外国人は買うことができない。ただしセントーサ島(レジャー施設が多数の観光スポット)の住宅開発地区の物件は、外国人の購入が認められている。

間取りや設備、シンガポールの住まいの特徴は?

次にシンガポールの住宅の特徴について見てみたい。日本とは間取りや設備に違いがある。

●間取り
シンガポールでは単身者は結婚するまで家族と暮らすことが多く、HDBにしろ、コンドミニアムにしろ、ファミリー向けの広い間取りが中心でシングル向けの小さな部屋は少ない。つまり買うにしても借りるにしても高額になりがちだ。そのため単身者の人は広い部屋をシェアすることが多いそうだ。

シンガポールの一般的な間取りは、リビング、キッチン、ダイニング以外に個室が2~3部屋あるタイプが多く、主寝室に1つ、共用部分に1つの計2箇所のシャワールームが標準装備されている。また、それ以外にお手伝いさんのための小さなメイドルームが付いている物件も多い。

シェアハウスに利用される場合、その中のバストイレ付きの一番大きい部屋はマスタールーム、残りのバストイレが共有の部屋をコモンルームと呼び、どこを借りるかで家賃が多少異なるようだ。日本でこのように1つの住居をシェアするのは、知り合い同士で一緒に契約して借りるということが多いが、シンガポールの場合は別々の賃貸契約として提供されていて、知らない人が入居してくるという欧米などでよく見られるスタイルになっている。

シェアハウス・イメージ図(画像提供/pixta)

シェアハウス・イメージ図(画像提供/pixta)

●室内の設備
高い確率でバスタブがないことが多い。熱帯の国ではバスタブを必要としない国は多い。日本人や外国人向けに作られたコンドミニアムではバスタブが設置されているが、バスタブのない物件が主流だ。

日本の物件ではおなじみのシャワー付きトイレもない。取り付けることは可能だが、電気配線工事が必要になるので、簡単には設置できない。

室内や同じフロアのエレベーターホールなどにダストシュートが付いていることが多いので、わざわざゴミ捨て場に行かなくても、24時間いつでもすぐにごみが捨てられるのは便利だ。

天井にシーリングファンが設置されていることが多い。日本でも最近はインテリアの一部のようにシーリングファンが設置されていることがあるが、シンガポールではリビング以外に各個室にも設置されている。しかもかなり大きくパワフルだ。大きな風がゆったりと動くので、個人的にはこの設備が非常に快適だった。夜間などはエアコンがなくても十分に涼しい。

HDBのリビングに設置されたシーリングファン(画像提供/Matthew)

HDBのリビングに設置されたシーリングファン(画像提供/Matthew)

HDBの水回り。バスタブはなくシャワーブースがある(画像提供/Matthew)

HDBの水回り。バスタブはなくシャワーブースがある(画像提供/Matthew)

●共用部
コンドミニアムや新しいHDBは敷地内の施設が充実している。プールは大人用と子ども用が別々に用意されている物件もある。また設備の整ったジムも設置されている。ファミリー向けのコンドミニアムはプレイ・グランドやBBQスペース、貸出しのイベントルームもが設置されているものもある。

コンドミニアムはセキュリティーがしっかりしていて、ほとんどが24時間体制のセキュリティーガードが常駐している。カードキーを持っていないと敷地にも入れないし、エレベーターにも乗れない仕組みになっている。

コンドミニアムの中庭。噴水があるなどリゾートホテルのような雰囲気だ(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムの中庭。噴水があるなどリゾートホテルのような雰囲気だ(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムに設置されているプール。大人用と子ども用のプールが設置されていて広い(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムに設置されているプール。大人用と子ども用のプールが設置されていて広い(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムの敷地の入り口にはセキュリティーガードが常駐している(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムの敷地の入り口にはセキュリティーガードが常駐している(写真撮影/四宮朱美)

不動産購入に不可欠な保険や税金のシステム

最後に、暮らしに欠かせないお金事情もチェックしておきたい。

シンガポールでは、年金と健康保険を組み合わせたようなCPF(Central Provident Fund)と呼ばれる、シンガポール人と永住権保持者のみ加入できる、強制積立制度がある。

日本の年金は、現在の現役世代から集めた金を現在のリタイヤ世代への支払いに充当する制度だが、CPFは積立方式なので、自分が現役世代に支払った年金が積み立てられ、将来、自分で受け取ることになるということが大きく異なる。

CPFは雇用主である会社と被雇用者である従業員の両方から,それぞれ一定額を強制的に積み立てさせ,それを中央年金庁(CPFB: CPF Board)が運用し,老後の年金として支給する制度。以下の3つの口座に分けられ、預金,債権,不動産など安定的な資産に再投資されている。

引き出すにはそれぞれの口座ごとの引き出し条件等を満たす必要があるため、実質的に国民等の老後の生活資金として機能している。住宅購入の際は下記の積み立てを利用できるうえに、政府からの援助もあるので、持ち家率が非常に高い。

〇普通口座(Ordinary Account) :住宅の購入,保険,投資,教育のために使われる口座
〇特別口座(Special Account):老後の年金,緊急時の支出のために使われる口座
〇保険口座(Medisave Account) :医療費や特定の医療保険のために使われる口座

しかし外国人が不動産購入する場合は税金が高い。2021年12月に、2軒目の住宅購入および外国人の住宅購入には、より高い印紙税を支払う制度ができた。不動産を購入する場合は最高30%の印紙税が課税されることになる。購入意欲を上げすぎず不動産価格の高騰を防ぐための政策だ。

所得税の面から見ると、シンガポールも日本のように累進課税だが、高所得者でも現状22%という低水準、今後24%にまで引き上げられる予定だが、日本の所得税は、住民税も入れれば最高55%にもなるので、高所得者にとってはシンガポールに住むことは有利になる。

永住権を取得すると効率のよいCPFが使え、税金の控除も利用できるので、メリットが多い。シンガポールに長期滞在を希望している方や移住を真剣に検討している人たちが、シンガポールでの永住権の取得を考えているのもうなずけるだろう。

シンガポールの不動産価格は高い水準でキープされている。しかし現地の人たちは政府機関が運営するHDB に住むことができるので持ち家率は高い。コンドミニアムは外国人やシンガポールの富裕層の投資対象となっているが、近年はシンガポール政府の政策で購入のハードルが上がっている。

部屋を借りるときは、シングルの場合はシェアハウスという選択が多い。ファミリーの場合はコンドミニアムだけではなく、HDBを借りるという選択肢も視野に入れておくと、比較的リーズナブルに住むことができる。

物価が高いといわれるシンガポールだが、現地の情報をアップデートしていけば、かしこく住むことも可能だ。

●関連情報
IRAS |追加の購入者印紙税(ABSD)

海外レポート(2)ベルリンの博物館島、サンスーシ宮殿、クヴェートリンブルクが世界遺産の理由

世界遺産フリークで世界遺産検定2級の筆者は、2020年2月に念願のドイツ世界遺産の旅に出た。デッサウのバウハウス、ベルリンのモダニズム公共住宅に続き、ここではベルリンの博物館島やポツダムのサンスーシ宮殿などの世界遺産に登録された建築物について紹介していきたい。
モダニズム建築につながるドイツ新古典主義の博物館群。会いたい人にも……

ベルリンには、世界遺産が3つある。その1つがすでに見学した、ブルーノ・タウトやバウハウス初代校長のワルター・グロピウスなど当時の一流建築家による「モダニズム公共住宅」(6団地が登録)。次に時代を遡って、「ムゼウムスインゼル(博物館島)」。さらに遡って、「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の3つだ。

時代によってそれぞれ、建築様式が異なる点がとても興味深い。では、詳しく見ていくことにしよう。
筆者がとても楽しみにしていたのが、博物館島だ。5つの博物館を見ることに加えて、会いたい人がいるからだ。

博物館島の大きな特徴は、建築順に旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー(国立美術館)、ボーデ博物館、ペルガモン博物館が林立すること。1830年に旧博物館が建設されたのを皮切りに、以降100年の間に博物館や美術館が建設されてきた。しかも、シュプレー川の中州の中にだ。

博物館内にあった模型で見ると、下の画像のような配置になる。こうした複合文化施設の先駆けであるとともに、近代博物館建築の歴史を示すことが評価されて、1999年に世界遺産に登録された。

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が旧博物館を建設し、後を継いだ4世が旧博物館のある中州を「芸術と科学の聖域」と定めて複数の博物館の建設を始めた。しかし、第2次世界大戦による被害を受け、ベルリンの壁の崩壊後に大規模な修復やコレクションの再編などが行われ、今に至っている。

○旧博物館 (Altes Museum)
1830年築。建築家カール・フリードリッヒ・シンケル設計
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○新博物館 (Neues Museum)
1859年築。シンケルの弟子の一人であるアウグスト・シュテューラ設計
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○旧ナショナルギャラリー(Alte National Gallerie)
1876年築。アウグスト・シュテューラとハインリッヒ・ストラック設計
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○ボーデ博物館 (Bode Museum)
1904年築。エルンスト・イーネ設計
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○ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)※建物を改修中のため一部のみ見学可能
1930年築。アルフレッド・メッセルとルードウィッヒ・ホフマン設計。5つの中では最大規模。
外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

博物館島の建築様式は、19世紀~20世紀に全盛だったドイツの「新古典主義」。グリークリバイバルといわれる、古代ギリシャの神殿のようなデザインが多く見られる。ただし、前述のシンケルの幾何学的で端正なデザインは、その後のモダニズム建築にも影響を与えたといわれている。

博物館としては、古代都市ペルガモンの大祭壇(訪問時は展示されていなかった)を擁するペルガモン博物館が最も有名だが、建築物としては旧ナショナルギャラリーが素晴らしかった。ドーム天井の緑色と降り注ぐ日差しの組み合わせは、心奪われるものだった。

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

さて、筆者が会いたかった人には、新博物館の片隅で会うことができた。その人とはエジプトの「王妃ネフェルティティ」。彼女の胸像が収められた一角は、ここだけ撮影が禁止され、厳重に守られていた。

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新古典主義が装飾過剰と批判したバロック・ロココ様式とは?

さて、「新古典主義」とは、それ以前の「バロック建築・ロココ建築」の反動から、建築の本質をギリシャやローマに求めたもの。次は、装飾過剰と批判された、その建築様式を見ていこう。

バロックの語源はポルトガル語の「歪んだ真珠(バローコ)」といわれている。バロック建築ではルネサンス時代の端正な形よりも曲線や歪んだ形など動きのある形が好まれ、強烈な印象を与えようとするデザインになっていく。教会や絶対王政の国王などに富と権力が集まり、室内の天井・壁、家具、絵画・彫刻から庭園まで一体となって装飾するのが特徴だ。

旅の最初に訪れたがドレスデン。2004年に「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されたが、保存すべきエルベ川沿岸の文化的景観の川に橋を架けたため、2009年に世界遺産登録が抹消されてしまった。その景観を構成するひとつである「ツヴィンガー宮殿」は、ドイツバロック建築の傑作といわれている。フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)が、それまでの木造建築から石造りの宮殿を建築しようと、建築家ダニエル・ペッペルマンに命じて1728年に建設された。

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

一方、ロココの語源はフランス語の「岩石(ロカイユ)」といわれ、貝殻や植物などをモチーフとした室内の浮彫装飾や家具・調度品の装飾に特徴がある。バロックの劇的な演出から和やかな演出を好むようになり、フランスではバロックからロココへと移っていき、ドイツに波及した。

ドイツロココ様式の代表例が、ドイツ・ポツダムの「サンスーシ宮殿」だ。世界遺産として登録された「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の構成要素になっている。サンスーシ宮殿は、1745年フリードリヒ2世により、王の意向を反映して友人の建築家クノーベルスドルフが建設したもの。

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

部屋は12室とかなり小規模な宮殿だが、装飾は華麗だ。音楽の間では天井の中央に蜘蛛の巣、周辺の天井や壁には植物文様の装飾が施され、曲線が美しい長椅子なども置かれている。一方、大王の書斎では天井に曲線があるものの比較的直線が多いのは、後に古典主義様式に改装されたためだという。

(左)音楽の間 (右)書斎

(左)音楽の間 (右)書斎

生粋の軍人王だった父親と対立したフリードリヒ2世は、芸術をこよなく愛したそうだ。サンスーシとは、「憂いのない」を意味するフランス語。オーストリアとの戦いの最中に建てられた宮殿は、激務を忘れ、友と語らう場として和むための居城だった。サンスーシ宮殿に自然をモチーフにしたデザインが多いのは、フリードリヒ2世が自然を住まいに取り入れようとしたとも見られるという。

世界遺産のロマネスク建築やハーフティンバー様式の街並みも

この旅で筆者が訪れた世界遺産のある都市はいくつかあるので、さらに時代を遡ってみよう。サンスーシ宮殿の「バロック・ロココ様式」から「ルネサンス様式」→「ゴシック様式」→「ロマネスク様式」と遡れる。

宗教改革の現場となったとして、1996年に世界遺産に登録されたのが、「アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群」だ。関連する教会はいくつかあるが、ルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会は「ゴシック建築」だ。天井の頭が尖ったアーチや交差して支える「リヴ・ヴォールト」などが見られる。

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

さらには、ドイツ発祥の地といわれるクヴェードリンブルク。10世紀前半にザクセンをひきいたハインリヒ1世は、この地に城を構え、政治、教育、文化の中心地と位置付け、国家統一の礎を築いた。

このハインリヒ1世と王妃マティルデが眠っているのが、城の中にある聖セルヴァティウス教会(聖堂参事会教会)だ。この教会は1129年(教会の日本語資料には、「平清盛11歳の時」と説明があった(笑))に4回目の建て直しがされたもので、「ロマネスク建築」の代表例とされる。その特徴は厚い壁、てっぺんが丸い小さな窓、重厚感のある柱と支柱で、円柱2本ごとに角柱を置く「ニーダーザクセン風の支柱」だという。

聖セルヴァティウス教会外観

聖セルヴァティウス教会外観

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

クヴェートリンブルクは、教会や城のほか、その街並みにも大きな特徴がある。

ザクセン王家の庇護の下、クヴェートリンブルクは商業の街として発展する。14~19世紀には、商人の邸宅やギルドハウスが、ハーフティンバー様式の木組みの家で建てられた。なんでも、庶民には石造り建築が許されなかったからだという。

そのおかげというか、ハーフティンバー様式の家が建ち並ぶ旧市街は、「木組みの家博物館」として有名になった。この旧市街は、二度の世界大戦の戦禍を免れ、その姿をそのまま残している。この旧市街と城山や教会の一体地域は、ザクセン王朝の歴史と密接なかかわりをもつ建築様式の重要性なども評価され、「クヴェートリンブルクの旧市街と聖堂参事会教会、城」として、1994年に世界遺産として登録された。

旧市街の中心「マルクト広場」

旧市街の中心「マルクト広場」

木組みの家が連なる街並み

木組みの家が連なる街並み

さて、旧市街を歩いて驚いたのは、多くの家々に文化財のマークが掲示されていることだ。木組みの家の街並みを維持していくには、街の住民の高い保存意識が背景にあるのだろう。こうした努力がないと、住宅がそのまま維持保存されるのは難しいことだ。

丸の中が文化財指定のマーク

丸の中が文化財指定のマーク

旧東ドイツエリアの世界遺産を例に、モダニズム建築からロマネスク建築(ルネサンス建築を除く)に至る建築様式を見てきたが、建築物が時代に応じてどんどん進化していくことが分かる。だからこそ、面白いのが建築物だ。

ところで、この旅をプランニングしてくれたのは、NPO法人世界遺産アカデミーの客員研究員・目黒正武さんだ。筆者は、目黒さんによる明治大学リバティアカデミー「旅する世界遺産~ヨーロッパ建築の歴史を訪ねて~」講座を一年間受講した。

目黒さんによると、「外観も内装もシンプルなモダニズム建築(バウハウス等)と重厚な外観と派手な内装のバロック建築(サンスーシ宮殿)では、真逆な印象を持つだろうが、住む人、使う人のための空間設計という点においては共通している」という。

富も権力もない筆者はサンスーシ宮殿で和むことはできないが、権威を誇示する必要がある人にとっては心地よく過ごせる空間だったのだろう。建築物はいつの時代も、暮らす人のために造られるべきということだ。

参考資料:NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「すべてがわかる世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。

海外レポート(1)ドイツのモダニズム建築は住宅ジャーナリストを興奮させる?

実は筆者は世界遺産フリークで、国内外の世界遺産を見に行くのが大好きだ。それが高じて、かなり前に世界遺産検定2級を取得した。住宅を専門とするからには行ってみたい都市や建築にまつわる世界遺産があり、ようやくそれが実現した。2020年2月に訪れたのは、ドイツ・デッサウのバウハウスとベルリンの博物館島を含む世界遺産の数々だ。
「バウハウス」の象徴、デッサウの校舎に興奮しきり

そもそも「バウハウス」とは、1919年にワイマールに、建築家ワルター・グロピウスを初代校長として開設された総合造形学校のこと。1925年にデッサウへ移転し、1932年にベルリンへと移転するが、ナチスの弾圧によりわずか14年で廃校となった。

画家のバウル・クレーやヴァシリー・カンディンスキーなど当時を代表する芸術家が教授を務め、その理念は現代にもさまざまな形で受け継がれている。デッサウ移転の際にグロピウスが設計して建てたのは、この校舎のほかに教授用住宅「マイスターハウス」があり、ほかにも3都市にまたがってバウハウスの関連の遺産が多く残っている。

建築物として優れた景観を見せるだけでなく、以降の建築・デザインなどの発展に多大な影響を与えたことなどが評価されて、「バウハウスと関連遺産群」は1996年に文化遺産として、世界遺産に登録された(2017年に対象を拡大)。

1919年から100年たった2019年には、バウハウス設立100年を記念したイベントが日本を含め、数多く開催され、話題になった。

さて、筆者は、バウハウスと言えば必ず紹介されるモダニズム建築の代表作「デッサウのバウハウス校舎」が目に入ったときに、「ついに出会えた!」とかなり興奮した。建物の一部は開放されていて、定期的にガイド付きツアーも催されている。

デッサウのバウハウス校舎。中央に見えるのが工房棟。以下、写真撮影は全て筆者

デッサウのバウハウス校舎。中央に見えるのが工房棟。以下、写真撮影は全て筆者

当時としては斬新なガラスのカーテンウォールや半地下により浮いているかのように見える「工房棟」は、今の時代にも美しさを感じるだろう。で、まずカフェテリアにお邪魔してランチをいただき、その後館内を見学した。

赤い扉が工房棟の玄関

赤い扉が工房棟の玄関

工房棟の玄関ホールの左側に、講堂やカフェテリアなどを備えた低層の「祝祭スペース」が続き、その奥の「アトリエ棟」(学生寮)と接続している。玄関ホールから講堂に入る部分を見ると、扉の取っ手が壁の穴に収まるようになっていて(画像の朱色の部分)、美しくかつ機能的なデザインになっている。天井の照明のほか、机や椅子などの備品等もバウハウス工房で制作されたものだ。

講堂の入口部分。白い扉の奥が講堂

講堂の入口部分。白い扉の奥が講堂

大きな中央階段も特徴的で、カーテンウォールから入る日差しが気持ちよい。自然換気用に一部が開閉できるようになっていて、ハンドルを回すと連続する回転窓が動くようになっている。この仕掛けは教室など多くの場所にも見られた。
ちなみに、中央階段の踊り場を照らす吊り下げ照明(画像の朱色丸内)は、バウハウス女性マイスターのマリアンネ・ブラントのデザインによるもので、見学した各所で同じデザインのものが数多く見られた。

工房棟の中央階段(窓の外に見えるのは北棟の玄関)と換気窓

工房棟の中央階段(窓の外に見えるのは北棟の玄関)と換気窓

工房棟には、家具工房や金属加工、塗装、壁画などの部屋があった。最も広い部屋が染織の部屋。かなり開放的な空間で、スポットライト風の照明もなかなかおしゃれだ。カーテンウォールによって、仕事したり休憩したりする姿が外から見えるようになっていた。

工房棟1階(日本でいう2階)の「染織」の部屋

工房棟1階(日本でいう2階)の「染織」の部屋

「工房棟」から工芸職業学校であった「北棟」に向かうために、「橋」となる2階建ての建物を通る。

正面が「橋」の部分、左手前が講堂・カフェテリアのある「祝祭スペース」、右奥が「北棟」

正面が「橋」の部分、左手前が講堂・カフェテリアのある「祝祭スペース」、右奥が「北棟」

「橋」の建物の廊下脇の部屋は、1階が事務所、2階がバウハウス建築学科で、グロピウスが執務した部屋も残されていた。

工房棟から橋状の建物を通って北棟へ。窓の外(奥)に見える北棟は窓の水平ラインが特徴的

工房棟から橋状の建物を通って北棟へ。窓の外(奥)に見える北棟は窓の水平ラインが特徴的

北棟は教室が多く設けられ、廊下に収納も配されている。実は収納が教室内とつながっていて、廊下側から荷物を入れて、教室の内部から取り出せるようになっていた。

北棟の教室。この教室には室内に手洗い場もあった

北棟の教室。この教室には室内に手洗い場もあった

なお、バウハウス校舎の室内は白を基調としているが、ところどころに「赤」「青」「黄」のポイントカラーが配されている。今の時代で考えても、オシャレな印象を受けた。

住める世界遺産「ベルリンのモダニズム公共住宅」はめちゃカッコイイ

バウハウスと同じころ、モダニズム建築がベルリンに建設された。こちらは、1910年から1933年にかけてつくられた集合住宅群で、低所得者向けに住宅供給政策として建設された公共住宅だ。ベルリンは19世紀末から急速に発展し、それに伴って人口も増えていき、なかでも労働者の住宅が不足していた。ベルリン市の住宅政策によって供給される集合住宅群を手掛けたのが、ブルーノ・タウトを中心とする、ワルター・グロピウスなど当時の一流建築家だった。

限られた予算のなかでも、都市計画に基づく近代的で機能的に設計された公共住宅は、洗練された姿を見せるとともに、以降の公共住宅のモデルにもなった点が評価され、2008年に文化遺産の世界遺産として登録された。登録されたのは、6つの集合住宅群で、そのうち2つを見学できた。

まず「グロースジードルング・ブリッツ」を訪ねた。建築家はブルーノ・タウトとマルティン・ワーグナーで、現地の資料によると建築期間1925年~1930年、人口3100人とある。世界遺産に登録されたのは、約29ヘクタールで6段階の開発が行われて供給された、集合住宅1285戸、一戸建て(連棟式住戸)679戸だ(なお、別の資料には総戸数1963戸とある)。

通称「フーファイゼンジードルング(蹄鉄集合住宅)」と言われ、馬蹄形の建物を中心に据えているのが大きな特徴。街の看板にその全景が見られ、緑豊かな広大な集合住宅群だと分かる。その馬蹄形の建物はかなり大きい(350メートルの長さがある)ので、パノラマ撮影をしてみた。

中心地にあった看板の写真

中心地にあった看板の写真

馬蹄形の建物(パノラマ撮影)

馬蹄形の建物(パノラマ撮影)

周辺には、横長の住宅が数多く並んでいるが、それぞれ建物の色や形状が異なり、街並みに変化を見せている。

「レッド フロント」と呼ばれる集合住宅

「レッド フロント」と呼ばれる集合住宅

建物の中を見学することもできた。
家族人数に応じて部屋数の異なる複数のタイプが用意されていて、低所得者用住宅といえどもキッチンとバスルームを付けて、衛生的で快適な生活ができるようになっている。

(左)バスルーム、(右)キッチン

(左)バスルーム、(右)キッチン

居室

居室

次に訪れたのが、「グロースジードルング・ジーメンスシュタット」だ。ジーメンスは、日本ではシーメンスという名前で知られる会社で、もとは電信、電車、電子機器のメーカーだった。ここには、ジーメンスの工場の労働者の住宅として提供され、工場から通勤する電車も通っていた(今は廃線だが、再建する計画もあるとか)。

資料によると、建築家はオットー・バルトニング、フレッド・フォルバート、ワルター・グロピウス、フーゴー・ヘーリング、パウル・ルドルフ・ヘニング、ハンス・シャロウンの6人、建築時期は1929年~1931年、1933年/1934年、人口は2800人とある。

世界遺産に登録された6つの公共住宅団地の中では最後に完成したことになるが、マルティン・ワーグナー総指揮の下、ハンス・シャロウンのマスタープランにより、それぞれの建築家の個性的な総計1370戸の集合住宅が建設されている。

ハンス・シャロウンの集合住宅

ハンス・シャロウンの集合住宅

ワルター・グロピウスの集合住宅

ワルター・グロピウスの集合住宅

フーゴー・ヘーリングの集合住宅

フーゴー・ヘーリングの集合住宅

オットー・バルトニングの集合住宅

オットー・バルトニングの集合住宅

どちらの世界遺産も、住宅として居住することができる稀有なものだ。

以上、世界遺産となったドイツのモダニズム建築を見てきた。そもそもモダニズム建築とは、産業革命以降に登場した鉄やガラス・コンクリートなどの工業化された素材や材料を使って、合理主義的精神に立脚してつくられたもの。装飾を排し、機能性を高めた建築物が多い。

近年は、モダニズム建築が世界遺産に登録される事例が増えてきた。その事例を挙げると、日本でも国立西洋美術館が登録対象となって注目された、7カ国17の建築群からなる「ル・コルビュジエの建築作品」。8つの建築作品からなる「フランク・ロイド・ライトの20世紀の建築作品」。ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエの「ブルノのトゥーゲントハート邸」。ブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーの「パンプーラの近代造物群」と新首都「ブラジリア」(ニーマイヤー設計の国会議事堂や聖堂などを含む)などがある。

建築物は遺産として残るものが多く、歴史をたどったり比較したりできるのも面白い。

●参考資料
NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。