古びた温泉街の空き家に個性ある店が続々オープン。立役者は住職の妻、よそ者と地元をつなぐ 島根県温泉津(ゆのつ)

日本には、古きよき温泉街が各地に残っている。場所によっては古い建物が増え、まちが寂れる要因になっている一方で、若い人たちが古い建物に価値を見出し、新しい息を吹き入れるまちもある。今、まさににぎわいを取り戻しているのが、島根県の日本海に面する温泉まち、温泉津(ゆのつ)。いま小さな灯りがぽつぽつ灯り始めたところだが、これから点と点がつながればより大きなうねりになっていくだろう。4軒のゲストハウスと「旅するキッチン」を営む近江雅子さんに話を聞いた。

小さな温泉街で起きていること

名前からして、温泉のまちだ。温泉津と書いて「ゆのつ」。津とは港のこと。島根県の日本海に面し、「元湯」「薬師湯」という歴史ある、源泉掛け流しの温泉が二つある。端から端まで歩いても30分とかからない、こぢんまりした温泉街の細い街並みには、格子の民家や白壁の土蔵など趣ある建物が連なり、その多くが温泉旅館や海鮮問屋だった建物で、空き家も多い。

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

正式には大田市温泉津町温泉津。町全体で人口は1000人弱ほどの規模だ。

そこへ、2016年以降、新しい店が次々に生まれている。ゲストハウス、コインランドリー、キッチン、サウナ、バー。
始まりは「湯るり」という一軒のゲストハウスだった。元湯、薬師湯まで歩いて5分とかからない女性限定の古民家の宿である。

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

この宿を始めたのが、近江雅子さん。10年前に家族で温泉津へ移住してきた。肩にかからない位置でぱつっと髪を切りそろえた、てきぱき仕事をこなす女性。でもほどよく気の抜けたところもあって、笑顔が魅力的な人だ。隣の江津出身で、結婚して東京に住んでいたが、夫がお寺の住職で、温泉津のお寺を継がないかと話があったのだった。

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

「東京に住んで長かったですし、子どもも向こうの生活に慣れていたので初めは反対しました。でもいざここへ来てみると、なんていいところだろうって。もともと古い家が好きなので、街並みや路地裏など宝物のように見えて。歩いているだけで漁師さんが魚をくれたり農家さんが野菜をくれたり、田舎らしいコミュニケーションも残っていて」

そんな温泉津の魅力は、一泊二日の旅行ではわかりにくい。そう感じた雅子さんは、お寺の仕事をしながら、中長期滞在できる宿を始める。

まちをくまなく楽しむ、旅のスタイル

第1号のゲストハウスが「湯るり」だった。温泉宿といえば、食事もお風呂も付いて、宿のなかですべてが完結するのが従来のスタイルだろう。だが、雅子さんが目指したのは、お客さんがまち全体を楽しむ旅。2~3泊以上の滞在になれば、食事に出たり、スーパーで買い物をして調理をしたり、漁師さんから直接魚を買ったりと、いろんなところで町との接点が生まれる。

徒歩で無理なく歩ける小さなまち、温泉津にはぴったりのスタイルだった。

たとえば湯るりに宿泊すると、宿には食べるところがないため、地元の飲食店や近くの旅館で食事することになる。予約すればご近所のお母さんがつくってくれたお弁当が届いたり。温泉では常連さんが熱いお湯への入り方を教えてくれる。

「アルベルゴ・ディフーゾ(※)といってよいかわかりませんが、まち全体を宿に見立てて“暮らすような旅”をしてもらえたらいいなと考えました。そのためには一棟貸しもあった方がいいし、飲食や、コインランドリーの機能も必要だよねと、どんどん増えていったんです」(雅子さん)

(※)アルベルゴ・ディフーゾ:イタリア語で「分散したホテル」の意味。1970年代に、廃村の危機に陥った村の復興を進める過程で生まれた手法で、空き家をリノベーションして、受付、飲食、宿泊などの機能を町中に分散させ、エリア全体を楽しんでもらう旅を提供する。

2016年の「湯るり」に始まり、ここ5~6年の間に一棟貸しの「HÏSOM(ヒソム)」「燈 Tomoru」、2021年にはコインランドリーと飲食店を併設したゲストハウス「WATOWA」と4つの宿泊施設をオープンさせた。

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

実際にこうした旅のスタイルによって、お客さんが少しずつまちを回遊するようになった。地元の人の目にも若い人の姿が増え、明らかにまちが活気づいていった。

温泉街でも世界の味が楽しめる「旅するキッチン」

なかでも、WATOWAの1階にできたキッチンは、近隣の市町に住む人たちにも評判で、小さな活気を生んだ。そのしくみが面白い。数週間ごとにと料理人も料理も変わるシェアキッチンである。

「まちには飲食店が少ないので飲食の機能が必要でした。でも平日の集客がまだそこまで多くないので、自社でレストランを運営するのはハードルが高い。そこで料理人に身一つで来てもらってこちらで環境を整えるスタイルなら、お互いにリスクが少ないと考えたんです」(雅子さん)

WATOWAキッチンに、最初に立ったシェフ第1号は中東料理をふるまう越出水月(こしでみづき)さんだった。

「シェフの水月さんもすっかり温泉津を気に入ってくれて、地元の漁師さんの船に乗せてもらってイカを釣ってきたり、畑から野菜を買ってきたり。このあたりでは中東料理なんて食べたこともないって人がほとんどで、新聞にも大々的に取り上げていただいて、地元の人たちも食べに来てくれました」(雅子さん)

(写真提供/WATOWA)

(写真提供/WATOWA)

その後、アジア料理、スパイス料理、フィンランド料理……と、コロナ禍で思うように都市で営業できないシェフが各地から訪れた。なかには新宿で有名なカレー屋「CHIKYU MASALA」を営むブランドディレクターのエディさんも。100種を超えるテキーラを提供するメキシコ料理店として知られる、深沢(東京都世田谷区)の「深沢バル」は温泉津に第2号店を開く予定にもなっている。

「温泉津に来れば世界の料理が味わえる」という楽しさから、旅行者だけでなく、近隣の市町からも若い人を中心に集う場所になっている。私もこれまでに三度、このキッチンで食事させてもらったのだけれど、どの料理も素晴らしく美味しかった。エディさんのカレーも、食堂アメイルのアジ料理も。

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

交通の便がいいとはいえないこのまちに、途切れることなくシェフが訪れるのはなぜなのか。一つには寝泊まりできる家や車など暮らしの環境が、雅子さんの配慮で用意されていること。滞在できる一軒家は一日1000円程度、車も保険料さえ負担してもらえたら安く貸している。

そしてもう一つは、ほかのシェアキッチンに比べて、経済面でも良心的であること。マージンは売上の15%と、一般的な額の約半分。いずれも雅子さんのシェフを歓迎する意思の表れだ。

「食堂アメイル」の二人は、今年3月初めてこのキッチンで営業をして、すぐまた6月に再び訪れたという。

「初めて来たとき、いいところだなぁと思ったんです。また来たいなって。地元の人たちがみんなすごくよくしてくれて」(Lynneさん)

「何より新鮮な魚介が安く手に入ります。その日に獲れた魚が道の駅にも売ってあるし」(Kaiseiさん)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

二人はキッチンでの営業を終えた今も、温泉津に長期滞在したいと、雅子さんが用意した部屋に暮らしている。この後9月、12月にもキッチンでの営業予定が決まっている。

「田舎ではとにかく働き手が少ないので、ここに居てくれるって人の気持ちはそれだけでとても貴重」と雅子さん。外から訪れた人たちが手軽に住みやすい環境を用意できるかどうか。それがその後のまちの雰囲気を大きく変えていく。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

信用と信用をつなぐ、空き家を紹介する入り口に

雅子さんが、古い家を改修して4軒のゲストハウスを立ち上げたり、Iターン者に家を紹介するのを見た地元の人たちは、次第に「近江さんなら何とかしてくれるのでは」と空き家の相談をもちかけるようになっていく。

都会なら、それほど次々に家を改修するのにどれだけお金が必要だろうと考えてしまうが、温泉津では、古い家にそれほど高い値段がつくわけではない。解体するのに数百万円かかることを考えると、多少安くても売ってしまいたい家主も少なくない。

「連絡をもらうとまず見に行くんです。もちろん私は不動産屋でも何でもないんですけど。屋根がしっかりしているかとか、ここを改修したらいい感じになりそうと頭に入れておいて、IターンやUターンなど、家を探している人が現れた時に紹介します」

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

湯るりやHÏSOMに宿泊したのがきっかけで、その後も何度か温泉津を訪れ、移住する人たちが現れた。まちの勢いを敏感に察知し、温泉津でお店を始めたいという人も出始めている。その都度、雅子さんが地元の人たちとの間に入って、空き家を紹介する。

「温泉津に来て家を買いたいなんて、地元の人たちからしたらストレンジャー。普通ならよそから来た人に、いきなり家は売らない。信用できないからです。それは地域を守るための慣習でもあるんですね。でも私が間に立つことで、何かあったら近江さんに言えばいいのねって。少し気持ちが楽になるんじゃないかと思うんです。

私たちも最初はよそ者ですが、お寺の信用を借りている部分が大きい。皆さん『西念寺さん(お寺の名前)の知り合いなら』といって家を見せてくれます。今までにお寺が築いてきた信用の上でやらせてもらっています」

それにしても、観光で訪れた人が、移住したいと思うようになるなんて、ごく稀なことだと思っていた。でも温泉津で起きていることを見ていると、雅子さんの「住みたいならいつでも紹介しますよ」という声掛けが、温泉津を気に入った人たちの気持ちを後押ししている。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

「観光から移住」の導線をつなぐ

すべてが順調に進んできたわけではなかった。日祖(ひそ)という集落で、ゲストハウスを始めようとしたときには、地元の人たちから大反対を受けた。これまで静かだった集落に騒音やゴミの問題が出てくるのではと危惧されたのだ。その時、雅子さんは丁寧に説明会を繰り返し、草刈りを手伝い、住民との関係性を築いていったという。

そしてある時、こう言ったそうだ。「ここはすごくいい所だから、来てくれた人の中に住みたいって言ってくれる人が現れたらいいですね」
このひと言が周りの気持ちを変えた。そう、地元のある漁師さんが教えてくれた。

「私がこうして中長期滞在型の宿を進めるのは、観光の延長上に移住をみているからです。まちの良さがわかって、何度も足を運んでくれるようになると、住んでみたいと思ってくれる方が現れるんじゃないかって」(雅子さん)

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

この夏には、温泉津の温泉街のほうに新しくバー兼宿「赭Soho」もオープンした。オーナーは東京の銀座でもバーを経営する人で、一年間温泉津に住んで古民家を改修して開業。自らがこの場所を気に入ったことに加えて、今の温泉津の勢いに商売としても採算の見込みがあるとふんだそうだ。何より雅子さんのような頼れる人がいるのが大きかった、と話していた。

地方にはただでさえプレイヤーが少ない。だからこそ雅子さんのような、人材を地元の人につなぐ役割が不可欠。

「田舎では、よそ者が入りづらい暗黙の域があって、事業を始める、家を買うなどの信用問題に関わることには特にシビア。なので間に立つ人間が必要だなと思うんです。

私もこの人なら大丈夫って言う手前、若い人たちにはとくに、地域に入ってしっかりやってほしいことはちゃんと伝えます。都会の常識は田舎の非常識だったりもするから。ゴミはちゃんとしようとか、自治会には必ず入って草刈りは一緒にやろうとか」

最近、温泉津に住みたいという若手が増えてきたため、長期滞在できるレジデンスをつくろうと計画している。

本気で受け入れてもらえるかどうか?を若い人たちは敏感にかぎわけるのかもしれない。
「まちづくり」とは大仰な言葉だと思ってきたけれど、今まさに温泉津では新しい飲食店ができ、バーができ、レジデンスができて……文字通り、まちがつくられていっている。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

●取材協力
WATOWA

おんせん県なのに温泉ナシの豊後大野市。サウナ嫌いが移住したら、なぜか九州一の「サウナのまち」になっちゃった話 高橋ケンさん

大分県といえば「日本一のおんせん県」をうたっているが、豊後大野市(ぶんごおおのし)には温泉が、ない。その状況を逆手にとり、2021年に「サウナのまち」を宣言した。現在、官民一体となってサウナを盛り上げている。
鍾乳洞サウナ、清流に“ドボン”できるサウナなど、自然の地形を活かしたアウトドアサウナが市内だけで5カ所。バラエティの豊かさからSNSなどで注目を集め、県内外のサウナーたちがこぞって足を運んでいる。
この「サウナのまち」の仕掛け人が、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人であり、アウトドアサウナ協議会「いいサウナ研究所」所長でもある高橋ケンさんだ。茨城県守谷市出身、東京都内での仕事を経て、豊後大野市に移住した高橋さん。豊後大野での暮らしなどについて、移住のリアルな話を伺った。

「REBUILD SAUNA」、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人の高橋ケンさん。豊後大野市内に点在するアウトドアサウナをとりまとめる協議会「いいサウナ研究所」の所長でもある(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人の高橋ケンさん。豊後大野市内に点在するアウトドアサウナをとりまとめる協議会「いいサウナ研究所」の所長でもある(写真撮影/衞藤克樹)

“サウナ嫌い”から開眼。3年で九州一アウトドアサウナの多い地域に

東京の広告代理店、株式会社LIGの地方創生チームのメンバーだった高橋さんが豊後大野市に足を踏み入れたきっかけは、大分県での移住定住イベント。そこからあれよあれよという間に山あいにある廃校跡地の委託事業を任され、2017年に宿泊施設「LAMP豊後大野」を開業。自身も移住することになった。

元小学校跡地に立つ宿泊施設LAMP豊後大野。木組の外観はドイツ建築の雰囲気が漂う(写真撮影/衞藤克樹)

元小学校跡地に立つ宿泊施設LAMP豊後大野。木組の外観はドイツ建築の雰囲気が漂う(写真撮影/衞藤克樹)

看板には、豊後大野の特徴でもある祖母傾国定公園の山々が描かれている。「REBUILD SAUNA」は施設内に設置されている(写真撮影/衞藤克樹)

看板には、豊後大野の特徴でもある祖母傾国定公園の山々が描かれている。「REBUILD SAUNA」は施設内に設置されている(写真撮影/衞藤克樹)

日光がたっぷり入り込む明るい施設内。手づくりのガーランドほか、アート作品などが散りばめられ、ぬくもりのある雰囲気を演出している(写真撮影/衞藤克樹)

日光がたっぷり入り込む明るい施設内。手づくりのガーランドほか、アート作品などが散りばめられ、ぬくもりのある雰囲気を演出している(写真撮影/衞藤克樹)

「当時はサウナ嫌いだったんです」と話す高橋さんが、なぜ現在は、まちのアウトドアサウナ施設をとりまとめる協議会「おんせん県いいサウナ研究所」所長にまでなったのか。そのはじまりは移住3年目の2018年、宿泊施設にお客さんを呼ぼうと、必死で集客方法や宣伝方法を模索していた時期だった。

ある日、LIGの同僚で、のちに長野県信濃町でThe Sauna(LAMP野尻湖内)を立ち上げた野田クラクションべべーさんにサウナへ誘われた。「その時は、ただ熱いのを我慢するものだと何も魅力を感じていなかったんです」と振り返る。当然、野田さんの勧めを断ろうとしたが、あまりの熱意に負けて、「ウェルビー福岡」(福岡県福岡市)で初めてのサウナ体験をすることになった。

野田さんに言われるままにサウナの流儀(サウナ→水風呂→休憩)に従っていると、あきらかにこれまでと違う感覚、“ととのい”が訪れるのを感じた。大分への帰り道でも、自分の身体がまだポカポカと温かく、「サウナって温泉みたい」と気付いた。「案外サウナっていいものなんだな」。目からうろこだった。1人でサウナへ通う楽しみができた。

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

そこから高橋さんのサウナ熱は加速していく。

豊後大野の「カフェパラム」オーナーとサウナ話で意気投合し、カフェの前に流れる清流を水風呂代わりにするアイデアで大盛り上がり。2019年にはテントサウナを張ってイベント開催するに至り、大盛況となった。さらに、それがきっかけで2020年7月はLAMP豊後大野内にフィンランド式サウナ「REBUILD SAUNA」を建設。同年3月にアウトドアサウナを市内に増やすべくサウナ協議会「いいサウナ研究所」も立ち上げ、2021年には自治体を巻き込み市をあげて「サウナのまち宣言」をするに至った。

高橋さんがサウナにハマってから、わずか3年のできごとだ。

地域、カルチャー、資源をリビルドしたサウナを中心に展開

高橋さんが施設内につくった「REBUILD SAUNA」のサウナ小屋は、解体される長屋などの廃材を再利用し、本来捨てられてしまうものを利活用している。素人でもできる部分は、できる限りDIYした。

“再構築”と言う意味の「REBUILD」と名付けたのは、廃材活用をしているからだけではない。

尾平地区には、LAMP豊後大野のほか、鉱山事務所とおじいちゃん1人が住む住宅しかない。この地域の再生、自然を活かしたフィンランド式サウナの導入によって新しい文化を紡いでいきたい、という想いも込めている。

廃材の合板にボルトを打ち付けてつくったロゴ(写真撮影/衞藤克樹)

廃材の合板にボルトを打ち付けてつくったロゴ(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ室(サ室)内。まだ九州では珍しい薪ストーブを使用。最大10名まで収容可能(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ室(サ室)内。まだ九州では珍しい薪ストーブを使用。最大10名まで収容可能(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ小屋のほか、広々とした外気浴スペースと、小学校のプールを活かした水風呂エリアがある。水風呂には、奥岳川の最上流部から水を引いている。透明度が高く、柔らかい水質は、温まった体をしっかり包み込み、キュッと肌を引き締めてくれる(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ小屋のほか、広々とした外気浴スペースと、小学校のプールを活かした水風呂エリアがある。水風呂には、奥岳川の最上流部から水を引いている。透明度が高く、柔らかい水質は、温まった体をしっかり包み込み、キュッと肌を引き締めてくれる(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんは、職人さんから「大分県臼杵市の長屋が解体される」と聞き、自ら車を運転して資材をレスキューしに行った。廃材は、合板、トイレ、ライト、床材と、使えそうなものは全て利活用している(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんは、職人さんから「大分県臼杵市の長屋が解体される」と聞き、自ら車を運転して資材をレスキューしに行った。廃材は、合板、トイレ、ライト、床材と、使えそうなものは全て利活用している(写真撮影/衞藤克樹)

透きとおった豊後大野の清流。この水が水風呂へと流れている(写真撮影/衞藤克樹)

透きとおった豊後大野の清流。この水が水風呂へと流れている(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

シシ麻婆(1,200円)とオロポ(450円)。シシ麻婆は大分県産のイノシシ肉とスパイスが絶妙に絡み合う一品。どちらもサウナ後の栄養・水分補給にはもってこいのメニューだ(写真撮影/衞藤克樹)

シシ麻婆(1,200円)とオロポ(450円)。シシ麻婆は大分県産のイノシシ肉とスパイスが絶妙に絡み合う一品。どちらもサウナ後の栄養・水分補給にはもってこいのメニューだ(写真撮影/衞藤克樹)

「自然を活かしたサウナは、やはりほかで真似できないところが魅力ですね。その土地の空気感、外気浴で感じる風、におい。すべてが違っているんですよね」と語る高橋さん。

それでも、九州のほかのエリアにも、人気のサウナは数多い。豊後大野市まで足を運んでもらうためにはもっと工夫が必要だと考えて、アウトドアサウナの数を増やすことを思い立つ。まちのサウナ協議会「おんせん県いいサウナ研究所」を設立し、市内でのアウトドアサウナの立ち上げの促進や地域ブランディングにも力を入れることにした。

市内の各サウナのオーナー同士のつながりができたおかげで、県外からもさまざまな趣向を凝らしたアウトドアサウナを存分に楽しもうとサウナのはしごを楽しむお客さんが来るようになった。まち単位での大規模イベント「サウナ万博」も定期開催できるようになり、例年チケットは完売。今年(2022年)10月22日にロッジ清川で開催される「第3回サウナ万博in豊後大野」も、多くのサウナーたちが当日を心待ちにしている状況だ。

現在は、フィンランドと姉妹都市を結ぶべく市へ提案もしている最中だという。

「おんせん県いいサウナ研究所」に加盟しているサウナのひとつ「稲積水中鍾乳洞サウナ」。水風呂代わりに鍾乳洞へとダイブできる(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

「おんせん県いいサウナ研究所」に加盟しているサウナのひとつ「稲積水中鍾乳洞サウナ」。水風呂代わりに鍾乳洞へとダイブできる(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

同じく「おんせん県いいサウナ研究所」加盟サウナ「Tuuli Tuuli」は、「REBUILD SAUNA」がきっかけで誕生した、カフェパラムのオーナーが運営するDIYサウナ。カフェの目の前に流れる清流が水風呂だ(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

同じく「おんせん県いいサウナ研究所」加盟サウナ「Tuuli Tuuli」は、「REBUILD SAUNA」がきっかけで誕生した、カフェパラムのオーナーが運営するDIYサウナ。カフェの目の前に流れる清流が水風呂だ(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

移住して変わった、自然への尊敬と危機意識

中学生の頃からずっと「山に住みたい」という夢を持ち続けていた高橋さん。まさか大分県に住むとは思ってもみなかったそうだが、実際に訪れてみると、豊後大野の棚田の美しさに感動したという。「田んぼに水がはられて、その水面に夕陽が映る。夜空を見上げれば、天の川の星群を肉眼で見ることができる。四季の移ろいも、気温の上がり下がりだけではない、植物の変化で感じることができる。そういうひとつひとつのことに感動してしまう、大分県の自然のスケール感に心震える毎日です」と笑う。

九州を代表する祖母傾山。豊後大野市は九州で唯一「ユネスコ・エコパーク」と「日本ジオパーク」の両方に認定された自然が豊かな地域。水源も多いせいか、濃緑の山の連なりがひたすらに広がっている(写真撮影/衞藤克樹)

九州を代表する祖母傾山。豊後大野市は九州で唯一「ユネスコ・エコパーク」と「日本ジオパーク」の両方に認定された自然が豊かな地域。水源も多いせいか、濃緑の山の連なりがひたすらに広がっている(写真撮影/衞藤克樹)

森林浴の森日本100選にも選ばれる川上渓谷。夏は川遊びをする人たちもちらほら(写真撮影/衞藤克樹)

森林浴の森日本100選にも選ばれる川上渓谷。夏は川遊びをする人たちもちらほら(写真撮影/衞藤克樹)

山でろ過されて澄みきった水。大分県内でも豊後大野の水質はいいと評判だ(写真撮影/衞藤克樹)

山でろ過されて澄みきった水。大分県内でも豊後大野の水質はいいと評判だ(写真撮影/衞藤克樹)

一方で、環境問題について考えることが多くなった。

「例えば自然災害。雨が降って斜面が崩れるってことが田舎では本当に起きるんです。その時に、前はこんなところから水が出てたかな?と上の方を見たら木が伐採されていたのを発見したこともある。いかに人間のエゴで自然が犠牲になっているかを実感せざるを得ないし、地域の過去・現在・未来を自然から感じることで、自分たちが今からどうしなきゃいけないのか?と向き合うことも多くなりました」

出身地の茨城では都市部で生活していた上に仕事は東京。そのため当時は気がつかなかった問題が見えてきた。高橋さんは今、この集落を守るために、自然を守りつつ、どうすれば子どもから高齢者までが住みやすい環境になるかを真剣に模索している。

豊後大野市の幸福度を上げたい

「大分県には、将来子どもたちのために自分たちは何を残せるかを考えている人、どのようにまちの課題を解決して、どんな未来を託すかを考えている仲間が結構います。そこがすごくいいなと思うし、それだけ、地域で生きるってことは、日本の未来に直結している問題と向き合っているなと自分自身で生活のなかでも感じます。

LAMP豊後大野のスタッフと談笑する高橋さん。スタッフはサウナ移住や地域おこし協力隊として働いている人たちが多く、この場所から独立して大分で働く人たちも多いそうだ(写真撮影/衞藤克樹)

LAMP豊後大野のスタッフと談笑する高橋さん。スタッフはサウナ移住や地域おこし協力隊として働いている人たちが多く、この場所から独立して大分で働く人たちも多いそうだ(写真撮影/衞藤克樹)

東京では、自分の半径何kmだけしか見なくても生活はしていける。けれども地域では、地域共同体で考える必要があります。行政のやることでみんなの暮らしがリアルに決まっちゃうので、税収が少なくなれば、余生をそこで過ごせなくなって、中心地に移動せざるを得ない、みたいなことが現実として起こりえる。この集落を残すためには、ここにいる人たち個人の考えや行動ひとつひとつが本当に大事なんだと意識するようになりました。

そんななかで、なぜサウナをやるのか。それは、単なるサウナが好きという気持ちだけにはとどまりません。豊後大野の教育と福祉を充実させ、子どもから高齢者までが幸福度の高いまちにしたいと思っているからです。そうすれば、きっとこの場所はなくならない。だからこそ、もっと地元と外部との接点が必要で、そこからいいものを取り入れていく必要がある。サウナはその外の世界とのきっかけづくりに位置しているんじゃないかなと思っています」

高橋さんが豊後大野市に移住してから7年が経つ。
移住のきっかけは、ただ仕事のためだった。だが現在は「自分たちが暮らすまちのために」と大きく視点、思考が変化し、地元の仲間と共にいかにまちの暮らしをよくするか、問題解決の糸口を探っている。

「地域に愛着を持つということは、それと共に問題をも一緒に共有をしていくということでもあります。移住を検討している人は、それをわずらわしいと思うかどうかを、実際に何度か移住候補先へと通って先輩移住者の声を聞いてフラットに判断することが大切だと思います」と高橋さんは話す。

地域の共同体として生きる上で直面する問題は、決して1人で解決するものでないことを高橋さんの話を聞いて感じた。移住の決め手は、自分自身が一歩前に踏み出すことはもちろん、地域にどのような人が住んでいて、どう一緒に生活をしていくのかまで目を向け、手を横に広げることが大切なのかもしれない。

高橋さんは今日も豊後大野の愛する景色を守るべく、アウトドアサウナのハブとしてカルチャーを広めている。

高橋さんお気に入りの景色(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんお気に入りの景色(写真撮影/衞藤克樹)

●取材協力
LAMP豊後大野
REBUILD SAUNA
おんせん県いいサウナ研究所

「松本十帖」で“二拠点生活”。温泉街再生プロジェクトで共同湯文化に浸る【旅と関係人口2/浅間温泉(長野県松本市)】

コロナ禍を背景に、開放感と地域への共感、貢献感など心が満たされる場所(心のふるさと)へのニーズが高まっている。従来の観光を目的とせず、現地の暮らしを体験したり、文化に触れたり、現地の人々と交流する旅である。地域のファンとなり、何度も訪れることで、結果的に関係人口が増えた地域も。旅からはじまる地域との新しい関係とは。これからの旅の在り方のヒントとして、長野県松本市の浅間温泉リノベーションプロジェクト「松本十帖」を紹介する。

宿泊客以外も利用できるカフェを併設。開かれた宿が街歩きの起点に

長野県松本市の浅間温泉は、飛鳥時代から約1300年続くとされ、温泉街から車で10分の距離に松本城があり、安曇野や上高地、白鳥など信州全域への観光拠点になっている。いま、時代の変化に置いて行かれ、歴史があっても廃れていく温泉街が後を絶たないが、浅間温泉街も例外ではない。城下町の奥座敷という恵まれたロケーションにありながら、全盛期に比べ、温泉街を歩く人の姿は減少していた。

そこで、温泉街再興の起爆剤として2018年3月に始まったのが、貞享3(1686年)創業の歴史を持つ老舗旅館「小柳」の再生プロジェクト「松本十帖」だった。ホテル単体の再建ではなく、温泉街を含む「エリアリノベーションのきっかけ」になることを目指した画期的な取り組みだ。

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

4年の歳月をかけて2021年5月に誕生した複合施設「松本十帖」は、宿と街の関係を深める新しいモデルとして注目を集めている。もともと老舗旅館「小柳」が建っていた敷地内に、「HOTEL松本本箱」と以前の名前を冠したまったく新しい「HOTEL小柳」がオープン。ホテル内には、ブックストア、ベーカリー、レストランなどがあり、宿泊者以外も利用できるように入口を4か所設けて、地域に閉じていた旅館を「解放」。2軒のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」「哲学と甘いもの。」は、“温泉街を人々が回遊すること”をイメージして、あえて敷地外につくった。

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

古民家を借り受けて改装した「Cafeおやきとコーヒー」は、ホテルのレセプションを兼ねている。そもそもホテル敷地内には駐車場がない。宿泊者の駐車場はホテルまで徒歩2、3分のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」の横にあるのだ。宿泊者は、まず、カフェでチェックインし、おやきとコーヒーのウェルカムサービスをいただいてから、温泉街を歩いて、歴史ある温泉街を訪れたという気持ちを高めながら、ホテルへ向かう。ホテルに着くと、Barを兼ねたフロントでは、スタッフが温泉街の成り立ちや文化を紹介してくれる。

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

ホテルから温泉街全体へ波及させ、地域活性化を目指す「松本十帖」は完全な民間プロジェクト。一般的に公的資金を投入して行うようなプロジェクトを引き受けた株式会社自遊人代表取締役でクリエイティブディレクターの岩佐十良(いわさ・とおる)さんに、プロジェクトにかける想いを伺った。

「私が思い描くのは、メインストリートに人があふれるほどにぎわう浅間温泉街の姿。『松本十帖』が、その呼び水になれば。『地域に開かれた宿』と注目されていますが、私にとって地域に開かれた宿が当たり前という感覚です。そもそも温泉街は、街歩きを楽しむ場所としても発展してきました。しかし、昭和30年代以降、観光バスでやってきて宿の中で楽しむ団体旅行が主流になり、街なかにあったラーメン屋やカラオケ、バーまでも施設内に取り込んで、大型化していきました。宿泊施設の中で完結するようになった結果、温泉街が廃れてしまったのです。でも、そういう時代は終わりました。宿に来てもらうだけでなく街に出てもらう。『松本十帖』は、双方向から仕掛けをつくっています」(岩佐さん)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

また食べたい! もっと知りたい! 旅の心残りがリピートのきっかけ

温泉街に人を呼び戻すには、まずは、「行ってみたい」と思わせる宿がいる。雑誌「自遊人」を発行する出版社の経営者である岩佐さんは、新潟県大沢山温泉の「里山十帖」など地域の歴史や文化を体験・体感でき、ライフスタイルを提案する複合施設としてのホテルをプロデュース、そして自ら経営してきた。「HOTEL松本本箱」「HOTEL小柳」の設計を依頼したのは、注目の建築家、谷尻誠氏と吉田愛氏が率いるサポーズ デザイン オフィスと、長坂常氏が代表を務めるスキーマ建築計画など。サポーズ デザイン オフィスが「HOTEL松本本箱」を手掛け、スキーマ建築計画が敷地内の「小柳之湯」や「浅間温泉商店」「哲学と甘いもの。」などを手掛けた。小柳旅館解体時に現れた鉄筋コンクリートの躯体やもともとの内装を活かしながら、洗練されたホテルに生まれ変わった。

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

ユニークなのは、昔からある地域住民のコミュニティ「湯仲間」で管理し利用する共同浴場を、あえて「松本十帖」の中に復活させたこと。「Cafeおやきとコーヒー」の2階席の階下には、湯仲間しか入れない共同浴場「睦の湯」がある。地域住民しか入浴できない温泉を、観光客が出入りする「松本十帖」に取り入れた狙いはどこにあるのだろうか。

「従来の考え方では、観光客が入れないんだったら意味がないじゃないかと思われるかもしれませんが、私はこういった見えない文化も観光資源だと思っているんです。『睦の湯』など、浅間温泉各所にある共同浴場には、地元のタンクトップ姿のおじさんが、四六時中温泉街を歩いて温泉に入りに来ます。これこそが、生活に根付いた温泉街の姿ですよね。観光客も『入れない風呂があるなんて面白そうだ』と感じてくれます。そこで、観光客と湯仲間のおじさんの間に『どんなお風呂なんですか』『めちゃくちゃいい湯だよ』といったような会話が生まれるかもしれません」(岩佐さん)

それが、岩佐さんが「生活観光」と呼んでいる地域の風土・文化・歴史を体感できる新しい旅。「睦の湯」を通して、偶発的な会話が生まれるように「松本十帖」という場所がデザインされているのだ。観光客用には、「松本十帖」の敷地内に「小柳之湯」を用意している。設備は「睦の湯」と同じく、シャンプーやボディーソープはなく、脱衣所と半露天のシンプルな浴槽のみ。源泉かけ流しの小さな湯舟に浸かれば、生活の中に息づく温泉街を感じられる。

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

ホテルにはリピーターも多いが、大きな理由は“食”にある。ホテルの夕食は、地域の「風土・文化・歴史」を表現した料理で、レストラン名は、「三六五+二(367)」。三六七(三六五+二)は信州をS字に流れる日本一の大河、千曲川(信濃川)の総延長が367kmであることに由来する。365日の風土と歴史、文化(+二)を感じてもらいたいという思いが込められている。食材は地場の野菜や千曲川・信濃川流域と日本海でとれた魚が中心。キャビアなどの豪華食材を使うことはなく、季節のものを厳選し、いつ来ても違う味に出会える。ほかに、1万冊を超える蔵書を誇るブックカフェ「松本本箱」のとりこになり、リピーターになる人もいる。料理と本で「また食べたい」「もっと知りたい」という「旅の心残り」を誘う。松本十帖は、コロナ禍による閉塞感からの解放にとどまらず、自分の感性を磨いたり、思考を整理したり、ポジティブな目的を持って訪れる人が多いそうだ。

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

日常でも非日常でもない「異日常」へ もう一人の自分に会いに帰る旅

岩佐さんが手掛けたホテルを何度も訪ねている鈴木七沖さん(すずき・なおき、57歳・編集者)に魅せられる理由を伺った。25年間、本づくりに携わり、現在は映像制作も手掛けている鈴木さんは、神奈川県茅ケ崎市在住で、「箱根本箱」には6回、新潟の「里山十帖」には3回、「松本十帖」にはオープン直後に訪れている。「松本十帖」の敷地外のカフェでチェックインした鈴木さんは、細い温泉街の道を歩いて宿まで移動しながら、気持ちが整っていく感じがしたという。本をゆっくり読むため外出することは少ないが、温泉に入ったり、食事をしたりするのがいいリセットになる。

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

「僕の場合は、観光する目的ではなく、自分の考えを整理したり、発想力を豊かにするために宿泊しています。何回も通っている理由は、なんていうか、自分の‘‘残り香‘‘がする場所になっているからなんです」(鈴木さん)

‘‘残り香‘‘とは何かたずねると、鈴木さんは、「日常ではない場所にいるもう一人の自分」だと答える。

「『松本十帖』だけでなく岩佐さんの手掛けたホテルでは、日常ではなかなか出会えないもう一人の自分に出会えるんです。旅行に行くというより『帰る』という感覚。自分と対話できる時間と空間がたっぷりある。僕にとって魔法が生まれる場所です」

普通の観光であれば、南の島に行ってきれいな海で泳ぐなど非日常を楽しむのが目的だ。鈴木さんの体験は、日常でも非日常でもない「異日常」という表現がしっくりくる。鈴木さんは街づくりのオンラインサロンを運営しているが、「異日常」は二拠点生活の感覚に近いという。

「異日常は、日常では思いもよらないアイデアだったり、もう一つの感性だったりを気付て「ぜひ出店したい」と「cafeおやきとコーヒー」の目の前におしゃれなパン屋さんができた。岩佐さんは、「浅間温泉街を起点に松本市内にいろんなマップマークが出てくれば、大きなうねりが起きる可能性がある」と期待を寄せる。宿から街に人の流れができれば、地域のファンになり、関係人口として関わる人も増えるはず。新しい旅の形には、人口減少問題解決の鍵となる地方再生の可能性が秘められている。

●取材協力
・松本十帖
・鈴木七沖さん

更地だらけの温泉街が再生! 移住者や二拠点生活者が集まる理由とは【旅と関係人口1/長門湯本温泉(山口県長門市)】

今、コロナ禍で帰省できない人や、都会で生まれ育った‘‘ふるさとを持たない‘‘人たちが多い。そんななか、従来の観光だけを目的にしていない、新しい旅のスタイルが生まれている。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」。その結果、地域と関わりを深める人が現れているのだ。それを裏付ける事例が、リピーターを巻き込んだ街づくりで温泉街を復活させた山口県長門市、長門湯本温泉だ。実際に観光などで訪れたことから、移住や二拠点生活で関わることになった人々の想いも紹介する。

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

新しい旅のスタイル。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」

働き方改革や新型コロナウイルス感染症の影響で人々の価値観が変わり、旅のニーズも変化している。都市部のふるさとを持たない人の中には、田舎に憧れを持ち、関わりを求める動きがある。求められているのは、従来の観光ではなく、現地の暮らしを体験し、滞在することを目的にした旅のかたち。その結果、地元の人や土地への愛着が生まれ、‘‘第二のふるさと‘‘ができる人が増えているという。

観光庁では、2022年度の概算要求で掲げた新規プロジェクト「第2のふるさとづくり」を始動させた。「何度も地域に通う旅、帰る旅」という新たなスタイルを定着させる取り組みだ。それぞれの地域も地域活性化を図るため、受け入れる体制を整えている。リピート型の新しい旅は、本格的な地域貢献につながる可能性があるのだ。

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

観光客が減り、老舗旅館廃業も……。苦境の温泉街を地元×リピーターで復活させた!

長門湯本の温泉街は、2020年3月にリニューアルオープンしたばかり。新設された高台の駐車場から竹林の中の階段を降りると音信川に出る。旅館が並ぶ川沿いには、おしゃれなカフェや雑貨屋をのぞきながらそぞろ歩く女子旅の人、川辺に張り出したテラスからは、川床や親水公園で遊ぶ子どもたちが見える。立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」では、地元の人と一緒に観光客が入浴する様子も。ライトアップや季節ごとに行われるイベントを楽しみに何度も訪れる人も増えた。

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

今の活況からは想像できないが、長門湯本の温泉街は、2014年に大きな危機に見舞われていた。当時の様子を、長門市役所に勤めたのち、現在は長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーをしている木村隼斗さんに伺った。

「人口約3万3000人の長門市にある湯本の温泉街は、600年の歴史がある山口県最古の温泉です。昭和50年代のピーク時には、宿泊者数40万人もの歓楽街でした、しかし、その後は訪れる人が減り続け、ついに、2014年に150年続いていた老舗旅館が廃業になりました。温泉街の中心部には複数の老朽化した施設が残り、公費での解体が必要なまでに。すっかり更地が多くなった温泉街を見て、このままでは誰もいない街になってしまうと危機感を募らせていました」(木村さん)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

長門市役所は、2016年に温泉街の再生計画をスタート。誘致したリゾートホテルと提携してマスタープランをつくり、街全体をリノベーションするプロジェクトが始まった。

「長門湯本に限らず、大型バスで宿泊施設に滞在し、施設内で飲食して帰る団体旅行から、個人旅行がトレンドになりました。川沿いの温泉街は全国で珍しくはありません。この土地にしかない魅力をつくり出すのはどうしたらいいか。箱となる施設をつくるのではなく、小さくても、個人的な思いや魅力が伝わる街にしたいと考えました」(木村さん)

プロジェクトの出発点は、長門湯本温泉の立ち寄り湯「恩湯」だった。施設の老朽化や利用客の減少により、2017年5月に公設公営での営業を終了していた温泉施設を民間で再建するプロジェクトが始まる。さらに、2017年8月から2019年にかけて、温泉街で3つの「社会実験」を実施。川床や置き座で「川を楽しむ」、道路の一部を出店ブースや休憩スペースに活用し「道を楽しむ」、湯本提灯やライトアップで「夜を楽しむ」ことをテーマとした。

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

「伝統ある立ち寄り湯を残したい! という思いで地域の若手有志が集まり、年配の旅館経営者も応援してくれました。いきなり理念や絵を見せるだけで『やります』と言っても、地元の賛同は得られません。『社会実験』イベントは、うまくできるかの実証実験で、将来目指すところを仮設で実現してみて課題を洗い出すために行いました。イメージや問題点を共有した上で、観光客の反応や地元の方々の受け止めを見て改善していったのです」(木村さん)

温泉街衰退の危機から6年が経った2020年3月に、リニューアルした「恩湯」と隣接する飲食施設「恩湯食」がオープン。冬季には、長門市出身の童謡詩人「金子みすゞ」の詩をテーマにしたライトアップ「音信川うたあかり」を行うなど季節ごとにさまざまなイベントを行っている。

「イベントを通じて、長門湯本で新しいことが始まっていると知り、山口県内や近県から訪れる人が増えました。宿泊者数はコロナの影響できびしいものの、宿泊費の単価がやや上がり、温泉街の満足度を高めることで宿泊事業にプラスの効果を生み出せる可能性を感じる兆しもあります。一人旅や女子旅で訪れる人が増え、温泉街に人が戻ってきていると実感しています」(木村さん)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

地元の人や川への愛着が決め手。温泉通いから移住してカフェやバーを経営へ

イベントの出店者選びでは、ただ商売をするだけでなく、ものづくりや地域への思いがある出店者や、居心地のいい場所をつくるサービスを選んだ。結果として、イベントや長門湯本に出店する人は、長門湯本につながりがある人や何度も観光で訪れている人が多い。

「売れ行きだけじゃなくて、自分たちが楽しめるかどうかを大事に感じる出店者さんも多い。ここなら関わってもいいなと思える未来を共有して一緒に実現したいと思っています」と木村さん。イベント出店をきっかけに移住・二拠点生活を始めた人もいる。

音信川沿いにあるカフェギャラリー、cafe&pottery音の店長、横山和代さんもそのひとり。約400年続く萩焼・深川窯の若手作家の器と自家焙煎コーヒーのカフェが女性観光客に人気だ。横山さんが長門湯本に関わるようになったきっかけは、家族と訪れた温泉だった。静岡出身の横山さんは、岡山で家族と暮らしていたが、夫の転勤で山口県山口市に移住。釣りと温泉好きな夫と娘を連れて、山口市から毎週末、長門湯本の温泉に通うようになった。

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「川沿いの温泉街がとても気に入りました。山口市内から車で1時間ほどかかりますが、月2、3回日帰り旅行で訪れるようになりました。当時入浴料が200円だった恩湯は地元の人が日常で使う温泉で、洗い場でおばあちゃんがまだ1歳だった娘を見てくれるなど、あたたかな交流をしてもらいました。仕事の都合でいったん山口を離れたのですが、あまりに居心地がよかったので、1年半後、また山口に戻ってきたんです」(横山さん)

そのころ、温泉街では、社会実験のイベント「おとずれリバーフェスタ2018」が催されていた。楽しそうな出店者の様子を見て、横山さんは、自分も出店してみることに。イベントに関わることで、木村さんをはじめとする街づくりに携わる人との出会いもあった。そして、イベント後に、長門湯本でカフェをしてみないかと誘われる。

「みなさん長門湯本をよくしようと熱い人たちで、いつも楽しそうに仕事をしているんです。いつの間にかいい意味で巻き込まれていました。旅館の方々や萩焼の若手作家さんからお声掛けいただき、とりあえず1年間だけやってみようとカフェを始めました。」(横山さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

娘と一緒に山口市内から長門湯本に通う生活が始まった。本格的に移住を決めた理由は、娘の存在が大きい。

「私がカフェで忙しいと、木村さんや近所の人が娘の面倒をみてくれました。娘にとって、長門湯本がいちばん楽しい場所、大好きな場所になっていたんです。ついには、『長門の保育園に行きたい』と言い出して。長門市役所もとても協力的で、住まいの相談にも乗ってくれました。紹介してもらったのは、庭に果樹や栗の木がある古民家。2021年6月に移住することになりました」(横山さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

カフェを訪れるのは、地元の人と観光客が半分ずつ。店内は、萩焼のギャラリーになっている。萩焼は、山口県萩市一帯でつくられている陶器で、長門市にも窯元がある。その窯元の作家の器を常設。地元の人でも「長門にこんないいものがあったのか」と驚く人もいるという。不定期に催される展示会目当てに訪れる人も増え、cafe&pottery音が地元と観光客をつなぐ場所になっている。

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

夕暮れの温泉街に浮かび上がる「THE BAR NAGATO」のマスター、黒田大介さんは、大阪との二拠点生活をしながら週末3日間経営するスタイルで、長門湯本と関わっている。バーテンダーとして30年の経験を持つ黒田さんは、長年大阪の北新地でバーを営んできた。

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「もともと、温泉街のライトアップイベントのデザイナーと知り合いで、長門湯本でバーをやらないかと誘われたんです。それは無理だけど、イベントだけならと、2017年と2018年の『おとずれリバーフェスタ』に出店者として参加することに。ところが、地元の人ととても気が合って。人のつながりがどんどん増えていきました。街づくりに携わっている市役所の人、イベントのデザイナー、出店者がみんなプロフェッショナルで、自分も携わることに魅力を感じました」(黒田さん)

2回目のイベントに参加したとき、市役所から築70年の長屋を紹介された黒田さん。「改装したら、絶対いい場所になる」と夢が膨らんだ。長屋をリノベーションして2021年3月に「THE BAR NAGATO」をオープン。大阪から長門湯本へは新幹線を使いドアツードアで片道6時間ほどかかるが、毎週来るのが楽しみだという。

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

長屋の2階にある「THE BAR NAGATO」の店内は、映画のセットのような空間にデザインされ、こだわりのウィスキーやカクテルが飲める。バーを訪れる人にリピーターも増えて来た。

「日帰りや旅館に素泊まりの人が来てくれますね。湯本を拠点にして長門市内へ足を伸ばしているようです。私がなぜここでバーを経営することになったか、聞かれることもあります。長屋のリノベーションを手がけたオーナーの木村大吾さんが店を訪れたとき、街づくりについてお客さんと盛り上がることもありました。『来るたびによくなるね』と驚くリピーターのお客さんも多いです」(黒田さん)

旅で訪れた人を引き付けているのは、温泉だけでなく、街全体に長門湯本をよくしたいという熱い想いが込められているから。地元の人と訪れた人で一緒につくる新しいふるさと。「これから始まる街にいるわくわく感があるんです」という横山さんの言葉がとても印象的だった。

●取材協力
・長門湯本温泉
・cafe&pottery音
・THE BAR NAGATO

地熱発電の利用拡大はできるのか? 別府市の取り組みを取材してみた

環境に配慮した自給自足のエネルギーとして再生可能エネルギーの重要性が年々高まっている。太陽光、風力、水力と発電方法はさまざまだが、そのなかでも天候に左右されないエネルギーとして注目されているのが「地熱エネルギー」だ。そこで国内で初めて地熱発電に成功した大分県・別府市にて現状と今後について伺った。
地熱発電の導入数でトップ

温泉大国・別府市は源泉数2217件、毎分83058Lの湧出量を誇る。これは日本でもずば抜けて多い源泉数と湧出量で、至るところで湯けむりがたなびいている景色は、国内外問わず観光客に支持されている。そして同市はその豊かな源泉を活かして日本で初めて地熱発電を成功させた。

1919年、別府の鶴見噴気孔付近で掘削した後、1925年に東京電灯(東京電力の前身)の太刀川平治博士が深度約24mの井戸から出た噴気を利用して電灯10個分ほど(1.12kW)の発電に成功したことがきっかけで、地熱発電が全国へと広まった。その後、東日本大震災をきっかけに再生可能エネルギーの導入が進んでいるが、なんと2017年3月末時点で全国29カ所のうち17カ所が別府市と、日本の地熱発電所の約6割が同市に集まっている。

【画像1】資料は資源エネルギー庁の集計のもの。発電所数に関して別府市は全国でもトップ。認定=国から売電の許可を得た発電所。導入=そのうち売電を始めた発電所(提供/別府市)

【画像1】資料は資源エネルギー庁の集計のもの。発電所数に関して別府市は全国でもトップ。認定=国から売電の許可を得た発電所。導入=そのうち売電を始めた発電所(提供/別府市)

【画像2】海側から眺めた別府市(写真提供/別府市観光協会)

【画像2】海側から眺めた別府市(写真提供/別府市観光協会)

別府市の地形は扇型で、二つの断層が市街地を挟むように山から海に向かって伸びており、その断層をつたって温泉が湧き出ている。山側・中側・海側と断層を掘る位置によって違った泉質の温泉が楽しめるのが特徴だが、地熱発電に関して言えば山側の断層付近では高深度の掘削を行わなくても高温の温泉や蒸気を確保することが可能であり、それによって地熱バイナリー発電の導入が進んでいる。

【画像3】別府市では「別府市地域エネルギービジョン」を掲げ、地熱・太陽光・風力・バイオマスなど各種再生可能エネルギーの導入に関して具体的な目標数値を設定。温泉発電の導入ペースはこのまま維持する計画だ(出典/別府市「別府市地域エネルギービジョン」より転載)

【画像3】別府市では「別府市地域エネルギービジョン」を掲げ、地熱・太陽光・風力・バイオマスなど各種再生可能エネルギーの導入に関して具体的な目標数値を設定。温泉発電の導入ペースはこのまま維持する計画だ(出典/別府市「別府市地域エネルギービジョン」より転載)

固定価格買取制度(FIT制度)に関する地熱発電の買取価格は40円/1kwと太陽光に比べても高く、また天気に左右されず24時間安定供給ができるクリーンエネルギーであることから地産地消のエネルギーとして拡大が期待されている。しかし実際のところを伺うと、開発費用や設置費用、メンテナンス費用など経費が高く事業として成り立たない恐れや、メイン産業である温泉に「これ以上、掘削を続けると影響があるのではないか」という懸念の声が一部で出ていることが分かった。別府市の産業の9割はサービス業なので、温泉の湯量や温度への影響は死活問題でもあるのだ。

災害などの非常事態にも備えた取り組みは、まちのシンボルに

一方、地熱発電の先駆けとして走っているのが「杉乃井ホテル」だ。このホテルでは1980年に日本のホテル業界では初めて本格的な地熱発電所として運転を開始し、当時は3000kWの発電に成功した。現在は1900kWの設備容量により、ホテル館内の約46%の電力を賄っている。

【画像4】杉乃井地熱発電所。24時間体制で電力を送電でき、非常時にも対応できるのが魅力。施設は日本工業技術庁が地熱発電試験を行った跡地を利用(写真撮影/フルカワカイ)

【画像4】杉乃井地熱発電所。24時間体制で電力を送電でき、非常時にも対応できるのが魅力。施設は日本工業技術庁が地熱発電試験を行った跡地を利用(写真撮影/フルカワカイ)

「温泉はスケールと呼ばれる『湯垢』がつくので、温泉を通る管やタンクなどのメンテナンスには費用がかかります。それでも熊本地震のときには非常電力として稼働し、ホテルなので非常食やベッドなどの提供もできる態勢が整っていたので、災害時に感謝の声をいただきました。私たちとしても続けてよかったなと思っているところです」と語る広報の東さん。

事実「震災に見舞われて一時的だが観光客が減ったときも杉乃井ホテルの明かりがついていたことは市民のこころの支えになった」という地元の声もあった。また通常時でも夏には温水プール、冬にはイルミネーションと電力を観光客の楽しめるエンタテインメントに替え、地域の魅力を発信している。

【画像5】杉乃井ホテルの外観(写真提供/杉乃井ホテル)

【画像5】杉乃井ホテルの外観(写真提供/杉乃井ホテル)

【画像6】330万球のイルミネーション。おもてなしの精神を光で表現している(写真提供/杉乃井ホテル)

【画像6】330万球のイルミネーション。おもてなしの精神を光で表現している(写真提供/杉乃井ホテル)

古き良き温泉熱利用でうまれた温泉たまご

乱掘が懸念されてはいるが、多くの温泉が湧き出るなかでそのまま利用しないのはもったいないというのも事実である。鉄輪温泉にある「双葉荘」は、源泉から出た蒸気をさまざまな形で利用して観光客向けのサービスを提供している旅館だ。「地獄蒸し」と呼ばれる、蒸気でつくる温泉たまごは温泉独自の硫黄の香りがさらに味わいを増し、6時間以上たってもあたたかい。また蒸し湯やオンドルもじんわりと体を温めてくれるので長湯ができない人にも人気だ。古くから行われている温泉の二次利用の代表例であり、それが観光資源となるなど、最先端の有効活用法でもある。

【画像7】写真左:宿泊客のリピート率が90%という旅館「双葉荘」で人気の地獄蒸し。写真右:宿泊客は自由に野菜やたまご、海鮮類を持ち込んでは蒸し料理を楽しんでいる。旅館内にはオンドルも(写真撮影/フルカワカイ)

【画像7】写真左:宿泊客のリピート率が90%という旅館「双葉荘」で人気の地獄蒸し。写真右:宿泊客は自由に野菜やたまご、海鮮類を持ち込んでは蒸し料理を楽しんでいる。旅館内にはオンドルも(写真撮影/フルカワカイ)

【画像8】 別府市では規定により発電に関する堀削の場所や穴の深さ・横幅を定めている。「すでに湧出している温泉や蒸気の熱エネルギーの有効活用を図るという意味での、温泉発電の導入促進が進んでいるのが現状です」と別府市環境課の津川さん(写真撮影/フルカワカイ)

【画像8】 別府市では規定により発電に関する堀削の場所や穴の深さ・横幅を定めている。「すでに湧出している温泉や蒸気の熱エネルギーの有効活用を図るという意味での、温泉発電の導入促進が進んでいるのが現状です」と別府市環境課の津川さん(写真撮影/フルカワカイ)

再生可能エネルギーの自給率を上げるにはまず、個人の意識を高めることが必要

このように、地熱エネルギーの取り組みは国内でも進んではいるものの、現状の施設への配慮を優先とし、使用用途などを慎重に考慮しながら進めているのが事実として見えてきた。環境にも優しく、非常事態でも使えるエネルギーは市外の人間にとってはメリットしか見えないが、温泉を生業にする人には持続可能な温泉資源の利活用が重要な課題として上がってくる。「まずは現状湧き出ている温泉の蒸気の二次利用など、現状の状態でできることから始めていき、だんだんと理解を深めていくのが必要なことかもしれません」と環境課の津川さんは語る。ある地域に依存する、ということではなく、再生可能エネルギーを私たち個人がどう生み出すか。次世代に向けてエネルギーのあり方をひとりひとりが考えていくことが大切なのかもしれない。

●取材協力
・別府市
・杉乃井ホテル
・鉄輪温泉「双葉荘」●参考
・再生可能エネルギーを知る・学ぶには