キャンピングカーをリノベで「動く別荘」に! 週末バンライフで暮らしながら家族と九州の絶景めぐり

キャンピングカー、バンライフなど、車と住まいが一体化したライフスタイルが注目を集めています。そんなトレンドの影響もあってか、リノベーションオブ・ザ・イヤー2023で特別賞を受賞したのがキャンピングカーをリノベした「動く家」です。キャンピングカーをリノベしたら、一体どのような住まいになったのでしょうか。施主と設計を担当した建築士に話を聞いてみました。

中古のキャンピングカーをリノベしてできた「動く家」

今回の「動く家」プロジェクトの施主・川原一弘さんは、サーフィンやキャンプを趣味としていて、もともとハイエースを所有していました。ただ、コロナ禍もあって自由に移動できず不便さを感じていたため、別荘またはハイエースへの買い替えを検討していましたが、偶然、中古のキャンピングカーを発見しました。

もともと、熊本を中心にリノベーションや店舗デザインなどを幅広く手掛けていた会社ASTERの社名を知っていた川原さんは、すぐに会社宛にメールを送り、相談したといいます。

「状態のいいキャンピングカーがあるのですが、これをリノベできますか」。すると、わずか10分後にメールで「できますよ!」と即答が。このレスポンスに後押しされ、キャンピングカーを購入したのです。2022年3月3日のことでした。

30年前に製造されたキャンピングカー。横顔がりりしい!(写真提供/ASTER中川さん)

30年前に製造されたキャンピングカー。横顔がりりしい!(写真提供/ASTER中川さん)

車は1993年製造、建物でいうと築30年、広さは8平米のワンルーム。キッチン・バス・トイレと運転席がついていて、昨今、都心部で話題になっている「激狭ワンルーム」と同程度といってもいいかもしれません。

「せっかくのキャンピングカーなので、単なる改装で終わらせるのは惜しいと思いました。居住性を高めて『動く家』にするのはどうだろう、という案を川原さんに提案したところ『よいですね』と話がまとまりました。キッチン・トイレ・シャワーは十分に動くためそのままで、位置などの変更も行っていません」と話すのは、設計を担当したASTERの中川正太郎さん。

既存の駆体のギミック、良さは残しつつ、価値を高めるのは「リノベ」の得意とするところです。車の改装では終わらせずに「家」「別荘」のように使える空間をつくる、そんなプランニングが固まりました。

居住性を高めるのは素材感。住宅用の無垢材、家具屋のソファを採用

「動く家」にするということは、すなわち「居住性を高める」こと。そのため、プランニングでは手触り、心地よさなど素材感を活かすことにしようと思い至ったといいます。

リノベ前の写真。これはこれで味があります(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。これはこれで味があります(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。室内から運転席を見たところ(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。室内から運転席を見たところ(写真提供/ASTER中川さん)

「内装の雰囲気の参考にするため、キャンピングカーショーを訪れるなどし、かなりの数のキャンピングカーを見学しました。そのなかで気がついたのは、家らしさというのは、やはり素材ということ。自動車改装用パーツで木っぽい見た目にするのは容易ですが、やっぱりどこか工業用部品なんです。ですから、今回は住宅用の建材を使おうと。床や壁にはたくさん木材を使っていますが、突板(スライスした天然木をシート状にして加工したもの)を貼っていますし、塗装も住宅用、照明はダウンライトです。ソファなども車用ではなくて家具屋さんに依頼しました」と中川さん。

ソファベッドは折りたたみ式で、ベッドのように広げたところ。間接照明がおしゃれ(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドは折りたたみ式で、ベッドのように広げたところ。間接照明がおしゃれ(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドをソファとテーブルを囲む椅子にした状態(左)とベッドにした状態(右)の間取図。バス・キッチン・トイレ。動線も考えられた、まさに家(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドをソファとテーブルを囲む椅子にした状態(左)とベッドにした状態(右)の間取図。バス・キッチン・トイレ。動線も考えられた、まさに家(写真提供/ASTER中川さん)

狭い空間だからこそ、目に入るもの、手や足で触れるものの素材感が大事というのは、わかる気がします。また、空間がコンパクトになることから、省スペースで小さく作られていることが多い船舶用パーツを採用したとか。

「施工に関しては、普通の住宅のリノベとほぼ同様の工程です。残せる部分は残しつつ、施工する床やソファなど既存のものは剥がしています。床はヘリンボーン(角が90度になっている貼り方)なので、座席と接する面など、細かな部分は職人さんも苦労したと思います」(中川さん)

床のヘリンボーンを貼っているところ。車だと思えないですね(写真提供/ASTER中川さん)

床のヘリンボーンを貼っているところ。車だと思えないですね(写真提供/ASTER中川さん)

こうしてみると手仕事でできているのがわかります(写真提供/ASTER中川さん)

こうしてみると手仕事でできているのがわかります(写真提供/ASTER中川さん)

施工にかかったのは約1カ月半、費用は130万円ほど。通常、リノベーションでは職人さんが現地に赴いて作業を行いますが、そこは車なので、なんと職人さんの庭に移動してきて作業をしたそう。大工さんも家ではなく車に施工するとは、きっと貴重な機会になったことでしょう。

車内に船舶用の照明を採用するなど、狭くても快適に暮らせる工夫が凝縮(写真提供/ASTER中川さん)

車内に船舶用の照明を採用するなど、狭くても快適に暮らせる工夫が凝縮(写真提供/ASTER中川さん)

窓の景色が移ろう、動く城のような最強の可動産が完成!

完成した住まいは、常に移動して窓から景色が動いていく「動く城」のよう。出来上がりについて施主の川原さんは、「最強の可動産ができた!」と表現します。

この車からの眺め、そのままロードムービーに使えそう(写真提供/ASTER中川さん)

この車からの眺め、そのままロードムービーに使えそう(写真提供/ASTER中川さん)

「動線がスムーズなので、寝る、着替える、くつろぐ、収納からモノを出す、といった行動が家と同じ感覚でできています。目的地についてもキャンプ設営は不要ですし、着替えやシャワー、トイレの場所を探すといった行動にストレスがなく、滞在時間を思う存分、アクティビティに使えます。運転席にロールスクリーンがあるので、下ろして映画を見たりもしています。2人の子どもたちはゲームをしたり、家となんら変わらないくつろぎ方をしていますね。窓から景色がキレイなんですけど、まったく見ていないという……」(川原さん)

キッチンでコーヒーを淹れるだけで、至福のひととき(写真提供/ASTER 中川さん)

キッチンでコーヒーを淹れるだけで、至福のひととき(写真提供/ASTER 中川さん)

ロールスクリーンを下ろしてゲーム中。川原家のお子さんになりたい(写真提供/川原さん)

ロールスクリーンを下ろしてゲーム中。川原家のお子さんになりたい(写真提供/川原さん)

こうして動く城に家族を乗せて、サーフィンや釣り、キャンプに行ったり、初日の出を屋根の上で見たりと、すっかり家族の居場所になっているといいます。ご近所にも評判で、同級生が内見(?)するということも多いとか。

生活に必要なインフラでいうと、電気は大型のポータブルバッテリーを搭載、上水は大きめの給水タンク、下水も汚水タンクがあるため、「家」と変わらない快適さをキープ。断熱材はもともと入っているため今回は手をつけていませんが、現状、エアコン1台で冬も夏も快適に過ごせるといいます。そこはさすが断熱先進国ドイツ製!といったところでしょうか。

一方で、キャンピングカーはそのものが大きいので運転では注意が必要なこと、事前に駐車するスペースを調べておくこと、目的地までの道路が細すぎないか、という点に注意しているそう。もう一つ、気を付けている点として、家の生活感を持ち込まないことをあげてくれました。

お子さんたちのものは極力、厳選して持ち込んでいます(写真提供/川原さん)

お子さんたちのものは極力、厳選して持ち込んでいます(写真提供/川原さん)

「子どもがいるとどうしても、住空間に生活感がにじみでてしまいますよね。せっかくおしゃれにつくってくれたので、この世界観を壊さないように、大人のインテリア空間にするよう、努めています」(川原さん)

ああ、わかります、その気持ち。子どもと一緒の空間は好きなんだけれども、たまには生活感のない大人の空間にいたい……。「動く家」はそんな大人の切なる願いも叶えてくれたようです。

家や住宅ローンのように「動かせないもの」に囚われない生き方を提案したい

今回の「動く家」、現在、乗れているのはほぼ週末といいますが、川原さんがもっとも魅力を感じたのは、「家が自分についてくる、自分本意の生き方ができること」だといいます。

「私たちが暮らす九州は、風光明媚な場所が多くて、阿蘇、天草、鹿児島、大分、宮崎など、自然そのもの、移動そのものが楽しいことが多いんです。『動く家』があれば、ドライブに出かけてそのまま夜空を眺めたり、美しい景色を見て、気に入ったら長く滞在したりと、自由に暮らすことができる。時間通りに動くというより、自分に合わせて家がついてくる、そんな生き方を可能にすると思いました」

窓の向こうに広がる絶景! キャンピングカーで九州を巡るのを夢見ている人は多いのでは(写真提供/川原さん)

窓の向こうに広がる絶景! キャンピングカーで九州を巡るのを夢見ている人は多いのでは(写真提供/川原さん)

動く家。ドライブだけでもしてみたい(写真提供/ASTER中川さん)

動く家。ドライブだけでもしてみたい(写真提供/ASTER中川さん)

設計を担当した中川さんも、手応えを感じているようです。
「弊社の『マンション』『一戸建て』『賃貸』というメニューに『車』という領域を増やしたいくらい。一軒家+離れや応接間のような感覚で、車の空間を使ってみたいという人は多いと思います」と話します。確かにテレワークスペース、家族の避難場所などとして、十分に「ほしい」という人はいることでしょう。

ともすると、私たちは、家や住宅ローンという「重いもの」に縛られがちですが、「動く家」はそうした重たさや、「動かせない」という思い込みを追い払ってくれる存在です。

「老後のためにと今まで積み立ててきた有価証券を取り崩さず、担保に入れて資金調達するスキームを組むことで月々の返済負担をなくし、目先を楽しむことを実現しています。今、老後や将来のためにといって貯蓄や投資にまわす人は多いですが、死ぬときにお金はもっていけません。やりたいことを我慢するのではなく、きちんと暮らしとやりたいことは両立できるんだよという、事例になっていけたらいい」と話す川原さん。

キャンピングカーやバンライフが広がりはじめたものの、「いいなあ」「やってみたい」という人は多いはず。ただ、移動する車窓のように、人生は移ろいゆき、変化していくもの。「定年後に」「ゆくゆくはキャンピングカーで」と憧れるのではなく、実はすぐにでも動き出すことが大切なのもしれません。

●取材協力
ASTER
ASTERのInstagramアカウント

Z世代は地域社会とつながる旅を志向。調査で分かった地域貢献意識の高さや地方移住の動きを解説

宿やホテルを予約できる「じゃらん」のじゃらんリサーチセンターでは、宿泊旅行についての大型調査「じゃらん宿泊旅行調査」を定期的に行っている。今回、Z世代に焦点を当てて、Z世代の価値観や旅行への意識について再分析した結果を公表した。それによると、Z世代は「地域貢献意識」が高く、「地方への移住を考える旅」も実施しているという。地方移住の鍵になると見られるZ世代の意識について詳しく見ていこう。

【今週の住活トピック】
じゃらん宿泊旅行調査を再分析/リクルート じゃらんリサーチセンター

Z世代で多い「地域体験交流タイプ」、女性は「効率・欲張りタイプ」も

公表されたリリースでは、「Z世代」を調査対象の20代(18歳~29歳)として分析している。調査対象全体をクラスター分析すると、「1.地域体験交流」「2.地域訪問」「3.話題性重視」「4.効率・欲張り」「5.リピートなじみ」「6.計画」「7.こだわりなし」の7タイプに分類できる。

なかでも、「地域体験交流タイプ」は、Z世代男性で29.6%、女性で15.8%の出現率となり、他の世代よりも多いことが分かった。このタイプは、観光したら終わるといったものではなく、「地域や地元の文化や生活習慣を深く理解し、地域社会とのつながりを築くことに重点が置かれている」点に特徴があるという。

また、「地域体験交流タイプ」は男性が多いのに対して、「効率・欲張りタイプ」は女性が多く、なかでもZ世代の女性は22.6%と最多だった。効率・欲張りタイプの特徴は、効率よくできるだけ多くの場所を回り、新しい場所への好奇心が強いタイプだという。女性のほうが、友人や恋人との旅行比率が高いことも影響しているそうだ。

●宿泊旅行に対する意識 クラスター構成2023(性年代別)

宿泊旅行に対する意識 クラスター構成2023(性年代別)

出典:じゃらんリサーチセンター「じゃらん宿泊旅行調査再分析」より転載

Z世代の「地方への移住」を考える旅は実施フェーズに

じゃらんリサーチセンターによると、Z世代に多い「地域体験交流タイプ」で強く見られる因子が「地域志向性」だという。「地域志向性」と相関の強い6項目(ⅰ地域のためになること、貢献できることを選ぶ、ⅱ将来の移住やライフスタイルの参考になりそうな旅をする、ⅲ地元の人に積極的に話しかけて情報を聞いたり交流する、ⅳ旅行先の風土や生活習慣を体験する、v自ら主体的に参加する・体験する、ⅵ暮らすように旅をする)を可視化すると、次の画像のようになり、Z世代の地域志向性の高さが分かるという。

●Z世代の地域とのかかわりへの意識と実施(男女別)

Z世代の地域とのかかわりへの意識と実施(男女別)

出典:じゃらんリサーチセンター「じゃらん宿泊旅行調査再分析」より転載

また、コロナ禍を経てZ世代で最も変化した項目は、「地域のためになること、貢献できることを選ぶ」で、男女ともに「地域貢献意識」が大きく上昇したという。

ほかにも、「地方移住」はコロナ禍で注目度が一気に高まったキーワードだが、コロナ禍前後を比べると「将来の移住やライフスタイルの参考になりそうな旅をする」ことへの関心が高まり、実施ポイントも増加していることから、関心にとどまらず実施フェーズへの移行の兆しが見られるという。

増加が期待される「地方移住」について、Z世代が関心を持ち、動き出しているとは、なんとも頼もしい限りだ。

Z世代の価値観は、地域で活躍することがかっこいい!?

この分析を担当した同研究員の池内摩耶さんは、分析結果を「とーりまかし別冊 研究年鑑 2024」で詳しくまとめている。そこで池内さんは、「なぜZ世代は『地域とのかかわり』を求めるのか」についても考察している。

「①オンラインやリモートなど学び方、働き方が柔軟になったことで移住含め地域がより身近な存在となったこと。②Z世代の三大都市圏居住率は年々高まり約6割で地域を知る機会に乏しいこと。③地域に居を構え地域活性に向き合う若手への注目など、コロナによって「地域」というものを強く意識する機会が増えたこと。主にこれらの要因が、Z世代が地域とのかかわりを求める動機付けとなり、地域で活躍することへの憧れ・かっこよさのような志向性が表れていると考えられる」という考察だ。

Z世代がこれからの地方移住の核になりそうだ、という結果については頼もしいと思うが、一方で受け入れ側の体制の改善にも期待したい。地方自治体が予算を取って地方移住を呼び込むさまざまな対策を用意しているが、地域特性を生かした魅力的な対策でなければ、「選ばれる地方」にならない。また、受け入れる地元の住民が「よそもの」意識を持っていると、移住は進まない。

人口減少、急激な高齢化が進むなか、移住先としての地方の選別がなされるようになるだろう。こうした課題を解決していかないと、地域志向性の高いZ世代に注目されることが難しいかもしれない。

●関連サイト
じゃらんリサーチセンター「じゃらん宿泊旅行調査を再分析」
じゃらんリサーチセンター「とーりまかし別冊 研究年鑑 2024」

関心高まる「移住・二地域居住」 、促進に向け専門委員会が中間とりまとめを公表 これから何が変わる?

空家の増加が懸念されるなか、東京圏の転入超過数はコロナ禍で一時的に減少したものの、現在は再び増加している。一方で、若者世代を含めた移住や二地域居住の希望者が増加している。こうした状況下で、地方への人の流れを創出・拡大させようと、国土交通省では移住・二地域居住等促進専門委員会を設けて「移住・二地域居住」などを促進するための施策について審議を続け、この度その中間とりまとめを公表した。

【今週の住活トピック】
移住・二地域居住等の促進に向けた対応の方向性等をとりまとめ/国土交通省

地方移住や二地域居住への関心は高い

政府は、移住や二地域居住を促進することは、東京一極集中の是正や地方創生という課題について効果があると見ている。また移住や二地域居住の促進は、「関係人口」の創出拡大を通じた魅力的な地域づくりにも有効な手段と考えている。

関係人口とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、特定の地域に継続的に多様な形で関わる人のことで、「二地域居住等」を行う人も含んでいる。なお、政府では二地域居住を「主な生活拠点とは別の特定の地域に生活拠点(ホテル等も含む)を設ける暮らし方」と定義している。必ずしも2つの地域に住まいがあることに限定していない。

さて、専門委員会の中間とりまとめを見よう。内閣府や国土交通省の調査結果から、地方移住や二地域居住への関心が高まっていると指摘している。まず、内閣府が2023年3月に行った「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」では、東京圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)に居住する人の地方移住への関心は年々高まっている様子がうかがえる。

また、国土交通省が2023年8月~9月に行った「二地域居住に関するアンケート」で、二地域居住を行っていない人に二地域居住等を行いたいと思うか聞いたところ、27.9%が二地域居住を行いたい・行う予定があるなどの高い関心を示した。

地方移住への関心(東京圏)全年齢

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」より

今後、居住地や通勤・通学先以外で、二地域居住等を行いたいと思いますか?

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」の参考資料集より

このように関心が高まっている移住や二地域居住だが、実行するにはさまざまなハードルもある。

場所にしばられない働き方が可能になり、転職なき移住も

移住や二地域居住で最も高いハードルになるのが、「仕事や収入」といわれてきた。ところが、コロナ禍でテレワークが普及し、地方にいながらにして東京での仕事を続けることができるようになった。地方で希望の仕事が見つからない、地方での収入が都市部より低くて経済的に成り立たないといったハードルが低くなったことで、移住や二地域居住がしやすくなってきた。また、副業を禁止しない企業も増えているので、東京で本業を、地方で副業やボランティアを、といったスタイルが取りやすいことも追い風となっている。

パーソル総合研究所「地方移住に関する実態調査」(2022年3月作成)によると、移住した人の53.4%が「転職をしていない」と回答している。場所にしばられない働き方ができれば、「転職なき移住」も可能になるわけだ。もちろん、残りの半数近くは転職や独立・起業をしているので、それを支援する手立ても必要となる。

移住に伴う転職・職務変更

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」の参考資料集より

「住まい」「なりわい(仕事)」「コミュニティ」の3本柱

次に、「地域コミュニティへの参加のしやすさ」というハードルもある。地域独特のルールに馴染めないといったことや、「よそ者」に対する寛容性が低い地域、性別や世代などによる偏見が残っている地域があったりして、移住や二地域居住の障害になる場合もある。

そこで、中間とりまとめでは「住まい」「なりわい(仕事)」「コミュニティ」を3つの柱に据えて、それぞれの課題や対応の方向性を提示している。

「住まい」「なりわい(仕事)」「コミュニティ」の課題

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」より

移住や二地域居住の促進をするための施策についてのとりまとめなので、「中間とりまとめ」ではそれぞれの対応策について、地方自治体が取り組むべき内容や実際に取り組んでいる自治体の事例などを詳しく紹介している。さらに、受け入れる個々の地方自治体だけでなく、民間との連携や地域間、基礎自治体と広域の都道府県との連携も必要であり、区域外就学制度などの子どもの学びの環境づくりなど、横断的な対応も必要と指摘している。

筆者が取材した地方移住者の場合、空き家はあるのによそ者には売ったり貸したりしたくないという風潮があり、それが大きな課題となったという事例もあった。その事例では、移住者のサポートをする橋渡し役の人が地元住民に働きかけて意識を変えたことで、移住者向けの空き家が増え、新たなコミュニティが形成されて、今では多くの移住者や地元住民と良い関係が築けていた。

中間とりまとめは、かなり細かい点にまで言及した提言となっている。実際に行うのは難しい内容も多いが、新しい人材を求める自治体には積極的に取り組んでほしい。働き方や家族のライフスタイルなどが変化している今こそ、障害を減らして魅力を発信できる自治体が移住先・二地域居住先として選ばれていくだろう。

●関連サイト
国土交通省の報道発表:移住・二地域居住等の促進に向けた対応の方向性等をとりまとめ
「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」
「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」の参考資料集

勤務先への出社頻度は増加しても、郊外・地方への移住ニーズは減少しない?

野村総合研究所(以下NRI)は、2023年7月、東京都内の従業員300人以上の企業に勤務する20代~60代の男女3090人を対象に、働き方と郊外・地方移住に関するインターネット調査を実施した。2022年の調査に続き2回目。新型コロナウイルス感染症が2023年5月に5類に移行してからの調査になるので、前回より勤務先への出社頻度は増加しているが、移住ニーズはどう変化したのだろう。

【今週の住活トピック】
「働き方と移住」のテーマで2回目の調査を実施/野村総合研究所

勤務先に「毎日出社」する割合が53.1%まで回帰

まず、2023年7月時点の出社頻度を尋ねたところ、「毎日出社」が53.1%を占めた。前回調査時の2022年2月は、まだ東京都でまん延防止等重点措置の期間中だったため、「毎日出社」が38.3%だったのに対してかなり増えたことになる。出社回帰の傾向は強まっているものの、コロナ前ほどには戻っていないようだ。

■各時点での出社頻度(コロナ前・今回調査時:N(回答数)=3,090、前回調査時:N=3,207)

各時点での出社頻度

注)コロナ前の出社頻度は、今回の調査対象者に2020年1月以前の出社頻度を聴取した。
前回、今回調査時の出社頻度は、各回の調査対象者に調査時点の出社頻度を聴取した。
出所:NRI「働き方と生活に関するアンケート」(2023年7月)

出社頻度が増加した理由はなんだろう? 出社頻度が増加した人にその理由を聞いたところ、「勤務先の方針やルールが変わり、出社を求められるから」(39.0%)など企業側の要請という理由もあったが、「出社したほうがコミュニケーションを円滑に取れるため、自主的に出社を増やしたから」(28.2%)や「出社したほうが業務に集中できるため、自主的に出社を増やしたから」(23.7%)など、自らの意志によるものもあった。

出社頻度が増加しても、郊外・地方への移住意向は下がらない

次に、郊外・地方※への移住意向を聞いたところ、直近1年間に移住意向がある人は全体の15.3%、5年以内に意向がある人は全体の28.4%と、それぞれ前回調査から微増した。出社頻度が増加したとはいえ、郊外や地方への移住ニーズは下がっていないことが分かった。
※都心から公共交通機関で1時間程度の場所を「郊外」、2時間以上の場所を「地方」として調査

■郊外・地方への移住意向がある人の割合(前回調査N=3,207、今回調査N=3,090)

郊外・地方への移住意向がある人の割合

出所:NRI「働き方と生活に関するアンケート」(2023年7月)

NRIは、この理由として、「「都心よりも住宅費が抑えられる郊外・地方への関心が高まっている」、「テレワークの浸透によって、より広い居住面積を有する郊外の住宅ニーズが高まっている」などが推察される」としている。また、移住意向を年代別や現在の居住形態別に分析した結果、「郊外・地方への移住意向がある層は、現在は賃貸住宅に居住している若年層(25~34歳)で、かつ将来的には持家に居住したいと考えている層だと考えられる」と指摘している。

「理想の出社頻度」を聞いたうえで、出社頻度を現在の出社頻度よりも減らしたいと考えている人を分析したところ、「郊外・地方移住意向なしの人よりも、郊外・地方移住意向ありの人の方が多い結果となった」という。最も差が開いたのは、「週3日出社」の場合。「週3日出社」している人で理想の出社頻度を減らしたい回答だったのは、「郊外・地方移住意向なし」では49.3%なのに対して、「郊外・地方移住意向あり」では63.9%で、週3日以上の出社が移住のハードルとなっているようだ。

また、「転職の意向」と重ねて分析すると、「郊外・地方移住意向あり」のうち、「今後1年の間に転職を考えている」人は47.6%で、「郊外・地方移住意向なし」の23.9%に比べてかなり高い結果となった。さらに、転職の検討理由について分析すると、「郊外・地方移住意向あり」のうち、「テレワークの制限によって理想の働き方が実現できないこと」が理由だと回答した人は23.6%で、「郊外・地方移住意向なし」の14.8%に比べて高い結果になっていた。これらのことから、NRIは、「郊外・地方移住意向ありの人の中には、出社頻度を転職の判断軸のひとつとする人が一定数いると推察される」と分析している。

郊外・地方移住をする場合の注意点とは?

では、郊外・地方に移住する際に注意すべきことはなんだろう?

現役世代が勤務しながら「郊外・地方移住」をする場合、都心部から遠くても2~3時間程度までだろう。となると、都心部と気候が全く異なるとか、自然に囲まれた田舎暮らしになるとか、そこまでの注意点は不要だろう。

そうはいっても、都心部の暮らしとは違う点も多々あるはずだ。その場所に住むことのメリットとデメリットをしっかりと把握しておきたい。

たとえば、
・広い家を手に入れやすい
・都心から離れた分だけ自然が豊かになる
・生活するための物価が安い
などのメリットがあるかもしれないし、

・近隣との関係が都心部とは異なる
・車移動が増える。そのため、ガソリン代も増える
・都心より、商業施設や娯楽施設が少ない
などのデメリットがあるかもしれない。

なぜそこに移住したいかの「理由」を明確にしておくことも大切だ。メリットの優先度が高くなったりデメリットを許容できるようになったりと、検討したメリットとデメリットの優劣も変わってくる。家族で移住するなら、よく話し合って互いに共有できるようにしておきたい。

NRIでは、「賃貸住宅に居住している若年層(25~34歳)で、かつ将来的には持家に居住したい層で、郊外・地方移住意向が高いことから「家族が増える・住宅を購入するといったタイミングでの転居において、その安さや広さから郊外・地方への関心がより高まっている」と考えられる」と見ている。利便性一辺倒ではない住まいの選び方が、今後は広がっていくのかもしれない。

●関連サイト
「野村総合研究所、都内の会社員を対象に「働き方と移住」のテーマで2回目の調査」

田舎暮らしは“異世界”? 漫画編集者が会社を辞めて「半農半X」に挑んだ結果

コロナの影響でテレワークが当たり前となり、「都会で暮らす意味ってなんだっけ……?」と思っていませんか? 現に、二拠点居住や移住を考える人も増えているようです。そんな人たちに参考になりそうなのが、都会生まれ都会育ちの漫画編集者が田舎という異世界で暮らす様子を赤裸々に描く実録マンガ『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』(講談社)です。原作者のクマガエさんに田んぼとお住まいで話を聞いてきました。
深夜も土日も仕事。朝まで新宿ゴールデン街で飲み歩いていた漫画編集者時代『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』(講談社 (c)クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』(講談社 (c)クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

本作は、主人公・佐熊陽平が激務の漫画編集者時代を振り返るところから物語がはじまります。主人公のモデルはクマガエさん自身で、自身の移住体験をもとに話は展開していきます。

『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』の冒頭。明け方までの激務(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』の冒頭。明け方までの激務(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

誰が言ったか、「田舎暮らしは異世界暮らし」(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

誰が言ったか、「田舎暮らしは異世界暮らし」(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

「編集者時代は終電後に飲みに行って、朝5~6時まで飲んで、さらにもう1軒……なんてこともざらでした。土日も関係なく働いていましたし、だいたい朝に寝てお昼に出社できればいい方という日々です」とクマガエさんは振り返ります。妻のルキノさんと出会ったのも新宿ゴールデン街がきっかけだといい、二人はかつての暮らしを「なぜあんなに飲んでいたのか分からない」と笑うほど。

その多忙な生活に疲れ、“異世界”である田舎で稲作をはじめたのは、今から6年前。コロナ禍のさなか、今年4月、『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』単行本1巻が発売となり、田舎暮らし・郊外暮らしを描いているということで注目を集め、メディアからの取材も続いているといいます。

クマガエさん(写真撮影/土屋比呂夫)

クマガエさん(写真撮影/土屋比呂夫)

「読者で多いのは、私がそうだったように30代前半から半ばでしょうか。多忙な都会の日々に限界を感じている、特に最近では仕事がテレワークになったことで移住や二拠点生活ができるのではないか、と考えはじめるようです。あとは、大学生なども読んでくれていて、働き方や生き方について考えさせられましたといった声が届いています」(クマガエさん)

給料は伸びなくても、都市部の家賃や住宅ローンの負担はずしりと重くのしかかります。日々、忙しく働いているのに、「手元にお金も残らず、家も狭いし、これって幸せなんだっけ?」と思う気持ち、よく分かります。

漫画編集者を辞めようと悩むものの……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

漫画編集者を辞めようと悩むものの……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

会社員を辞めて「田舎暮らし」という異世界へ踏み出します(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

会社員を辞めて「田舎暮らし」という異世界へ踏み出します(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

田舎+古民家ライフができるのはバーサーカー(狂戦士)だけ!?

現在、クマガエさんがしているのは、いわゆる「ど田舎にある古民家・自然派暮らし」ではありません。1話目冒頭で紹介されている通り、住まいは築浅の賃貸アパート、近くにはカフェもあり、東京にも電車で1時間半ほどでアクセスできるなど、都内に出社できないこともない、田舎と郊外の狭間での暮らしです。

「マンガで描いているように、私自身も米づくり体験→会社を辞めることを検討→田舎で空き家探し→移住の流れです。空き家探しは、会社を辞める前提で家賃を抑えられたらいいな~と、気楽に考えていたんですが、まさに異世界体験となりました。修繕しないですぐ住める家はないし、前の住人の荷物で ゴミ屋敷と化していたり。都会の賃貸物件を内見する感覚でいたので、めちゃくちゃびっくりしました。でも、地方や田舎出身の人に話を聞くと、よくある話みたいですよ(笑)」といいます。

異世界・田舎での家探しがスタート(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

異世界・田舎での家探しがスタート(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

しかし思ったようにいかず……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

しかし思ったようにいかず……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

家探しの前提条件が違うのは衝撃ですよね。同じ時代の同じ国、同じ言葉を話すのに「言葉や感覚が違う」というのはまさには、異世界転生。なんか……バグっていく感覚です。

妻のルキノさんは、もともと引越しが大好きで、賃貸の更新をせずに引越したいと思うタイプ。ただ、夫妻二人ともに都市部育ちということもあり、便利な東京23区外で暮らせるのかという不安はあったそう。

「結局、いい空き家が見つからず、知人の古民家に間借りというかたちで田舎暮らしが始まりました。実際に古民家で暮らしてみて、家の修繕を自分でできて、暑さ寒さや湿気、虫の多さも気にしない、過酷な環境にも対応できるバーサーカー(狂戦士)じゃないと、あの生活はできないだろうと痛感して。それで今の賃貸に落ち着きました。SUUMOで探した気がします(笑)。今の家は家賃7万円台、広さ60平米弱の2LDKで、駐車場1台付きです。東京時代は夫婦二人で渋谷区のワンルーム暮らしで30平米未満、家賃は10万円超でしたからねえ」としみじみと振り返ります。

夫妻が暮らす賃貸アパートのリビング。陽がたっぷりと入り、のびのびとした空間(写真撮影/土屋比呂夫)

夫妻が暮らす賃貸アパートのリビング。陽がたっぷりと入り、のびのびとした空間(写真撮影/土屋比呂夫)

ベランダでは収穫した玉ねぎを乾燥させています(写真撮影/土屋比呂夫)

ベランダでは収穫した玉ねぎを乾燥させています(写真撮影/土屋比呂夫)

デスクを並べて夫妻でお仕事。奥の壁は原状回復できる色付きの壁紙で明るくし、画の額縁も自作。DIYスキルも上がっています(写真撮影/土屋比呂夫)

デスクを並べて夫妻でお仕事。奥の壁は原状回復できる色付きの壁紙で明るくし、画の額縁も自作。DIYスキルも上がっています(写真撮影/土屋比呂夫)

稲作6年目、そろそろレベルアップ!? 海の近くへ引越しも検討中

「今は米づくりのほかに、畑で野菜を育てるほか、ぬか漬け、梅仕事、味噌づくりなど、田舎暮らしの経験値もぐっと溜まってきました。半農半X、つまり米づくりや畑や農作業のほか、今までもっているスキルをかけあわせて、農作業のほかに、フリーランスのマンガ編集者、漫画原作などを並行して暮らしています」

自宅でとれた稲の糠をつかってのぬか漬け(左)と梅干しづくり(右)にも挑戦中。手仕事って見ているだけでも楽しい(写真/土屋比呂夫)

自宅でとれた稲の糠をつかってのぬか漬け(左)と梅干しづくり(右)にも挑戦中。手仕事って見ているだけでも楽しい(写真/土屋比呂夫)

田んぼ作業がある日は朝6~7時ごろに起きてお弁当を持って田んぼへ行き、夜には自宅で食事。23時には就寝と、夫妻二人、東京にいたころに比べれば“人間らしい”暮らしを送っています。「田んぼ仕事って、年中、忙しいわけではなくて、5月半ばの田植えのあとは、週1回程度の草引きを2カ月ほどやれば大丈夫なんです。今の田んぼは4家族でシェアして使っていますが、去年は夫婦二人で食べきれないほどのお米(110kg程度)が収穫できました」(クマガエさん)

東京から電車で2時間弱。広い空と水田に心和みます。日本人の原風景なんでしょうね、きっと(写真/土屋比呂夫)

東京から電車で2時間弱。広い空と水田に心和みます。日本人の原風景なんでしょうね、きっと(写真/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

草取りは“ニルヴァーナ(涅槃)“だったのです。解脱も近い?(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

草取りは“ニルヴァーナ(涅槃)“だったのです。解脱も近い?(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

この生活をすることで、物欲も減り、飲み会も行かなくてもいいかな、と思うようになりました。友人と集まって一緒に味噌づくりをしたり、味噌の完成お披露目会をしたり、そんなことが楽しいですね。今はどこでも味噌が売っていて、買えますよね。一見、すごく便利なようだけど、実はみんなでわいわい味噌をつくるような楽しい機会を奪われているんじゃないか……って思うようにもなりました。あと家事の大切さ、家仕事の価値がすごく低く見積もられている気がします」(クマガエさん)

確かに家事って生きる日々の営みですものね。おろそかにしていいことではない気がします。今、二人は、賃貸で快適な暮らしをキープしつつ、農作業と仕事をする「ちょうどよい暮らし」をしているように見えますが、実はレベルアップ(?)も間近だとか。

「一度、東京都心の塀のなかから飛び出したことで、『あ、私たち、郊外でも暮らせるんだ』って、自信がついた感じでしょうか。もう都会暮らしは無理かもしれませんが、もうちょい不便でも暮らしていけるかも」とルキノさん。今、引越し先として考えているのは海の近くで、農作業ができるエリアだとか。

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

「こうやって取材を受けるなかで、そろそろ次のレベルにいってもいいかもな、と思うようになりました。今の場所を見て、『田舎じゃない』っていう人もいるんですけれど、田舎って言ってもグラデーションになっていて、いろんな人がいて、場所がある。もしハードルが高いと感じるなら、いきなり移住・引越ししなくたっていい。まずは農作業経験とかに参加してみたり、軽い気持ちでチャレンジしてもいいと思うんですよね」とクマガエさん。

コロナ禍を経て、私たちの働き方、暮らし方は大きく変わろうとしています。郊外や地方での暮らしのハードルはぐっと下がっている今、農作業と仕事を自分らしく楽しむ「半農半X」という方法で、無理せずやりたいことを実現するのは、決して夢物語ではありません。もしかしたらクマガエさんのように異世界に踏み出す勇者は、続々と現れるのではないでしょうか。

●取材協力
『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』公式Twitter
1話試し読み
作画担当 宮澤ひしを先生Twitter

コロナ禍でクリエイターが石巻に集結?空き家のシェアハウスで地域貢献

宮城県石巻市で、空き家を新たな発想で活用する取り組みを行ってきたクリエイティブチーム「巻組」。2020年6月、コロナ禍で困窮したクリエイターに住む場所と発表の場を提供し、地域とつながりながら「お互いさま」の関係をつくるプロジェクト「Creative Hub(クリエイティブハブ)」をスタートさせた。その取り組みは、単なる空き家問題解消にとどまらず、地域の活性化にも大きな影響を与えている。
震災ボランティアの住まいを確保するために立ち上げた「巻組」

東日本大震災の津波被害が大きかった宮城県石巻市で「Creative Hub」を企画、運営する「巻組」を立ち上げた、渡邊享子(きょうこ)さんに話を聞いた。

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

2011年、埼玉県出身の渡邊さんは学生ボランティアとして石巻市を訪れた。石巻市は住宅地が津波に飲み込まれ、2万2000戸の家屋が全壊。もともと賃貸物件は少ないが、既存の賃貸物件は被災者や復興需要で埋まり、ボランティアが住む場所が足りなかった。

渡邊さんは、仲間のボランティアが石巻市に残って支援を続けられるように、空き家を探し、住めるようにリノベーションをして貸し出そうと考えた。2012年から始めて何軒か手掛けるうちに、事業化できるのではと思い始めた。当時、渡邊さんは東京で就職活動をしていたが、震災不況で決まらず、「やることがある所に住もう」と移住した。

「2018年の住宅土地統計調査によると、石巻市内の空き家は1万3000戸、全家屋の約20%です。賃貸物件は、一般的にPLACE(立地)、PRICE(家賃)、PLAN(間取り・設備)の『3P』を基準に選ばれますが、私たちが扱うのは『3P』が絶望的な空き家です。敷地が公道に接していない立地や、給水設備が未整備のもの、築60年を超える廃屋など、持ち主が“ただでももらってほしい”という空き家、不動産会社も扱いづらく困っているような建物を買い上げています」(渡邊さん、以下同様)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

「リノベーションで苦心しているのは、予算内でどこまでできるか。素材などお金をかけるべきところにはかけますが、できるだけ物件の持ち味を活かし、住む人自身が自らカスタマイズする余地を大事にしています」

巻組は、この空き家を活用した住宅支援や事業開発プログラムの提供などを行い、2015年に3人のメンバーで合同会社として法人化。これまで、空き家を買い上げて自社で改修した物件が35軒、そのうち、自ら運営するシェアハウスや賃貸住宅、民泊が11軒、すでにのべ約100人が居住した。

クリエイティブ人材を活用した「Creative Hub」のスタート

「不動産会社が扱いにくい廃屋、一般的には絶望的な条件も、視点を変えてプラスの価値に転換する、大量生産、大量消費とは真逆の価値観です。悪条件も、ものづくりや芸術活動などのクリエイティブな活動をする人は『かえっていいね』『おもしろい』とポジティブに受け止めてくれました。

例えば、音を出してパフォーマンスしたい人は、静かな環境で思いきり声を出すことができるし、ものづくりをするために壁や床を汚してしまう、壊してしまう恐れがあるという人には、自由に創作できるキャンバスのようなものになります。また、都会では難しい広いアトリエや作品を保管する倉庫が確保できます。

狩猟用の猟銃を所持している場合、賃貸物件を借りるときは大家さんの許可が必要で、嫌がられる場合があります。そういった、一般の賃貸住宅を借りにくい住宅難民、規格におさまりきらないニーズを持った人が喜んで使ってくれるのです」

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

2020年はコロナウイルスの感染が拡大するなか、活動や発表の場を奪われたアーティストが増えた。「アーティスト活動ができず、生活費を稼ぐためのアルバイトすらできなくなったクリエイターを支えたい。クリエイティブ系の人材を石巻に集めたら、使われていない地方の資源を活用できるのではないか」と、巻組は「Creative Hub(クリエイティブハブ)」プロジェクトを計画。クラウドファンディングで応援してくれる人を募り、倉庫のリノベーションなどの準備費用の寄付・協力を呼びかけた。

老若男女が出会い支え合う場をつくる

2020年6月に立ち上げたこのプロジェクトは、どんな仕組みなのか。

活動の場、働く場を失ったアーティストの卵に、巻組が運営するシェアハウスやアトリエ倉庫を一定期間無償で提供する。食料や家電など、生活に必要なものは、寄付で集めた「ギフト」をギフトバンクに集め、入居者にマッチするものを提供する。

生活の拠点と生活資材の提供を受けたアーティストは、クリエイティブな活動に集中しながら、次へのステップの準備ができる。そしてギフトのお返しとして、製作のプロセスや製作物を地域の方に公開する。また、ギフトバンクに届いた「掃除や草取り、雪かきを手伝ってほしい」「農作業の一部を手伝ってほしい」といった「ちょっとした手伝いのSOS」に対して、労働力などのお金以外の形でお返しをする。こうして、アーティストと地域住民のコミュニケーションが生まれる。

昭和以前の田舎にあった「助け合い」「おすそ分け」「お互いさま」のような関係性を再構築したのだ。

また巻組は、アーティストと地域住民の交流の場として、石巻市と連携し月1回、第4日曜日に「物々交換市」を開催している。「Creative Hub」の倉庫などを利用して、アーティストが制作物を出品したり、パフォーマンスをしたりする。地域住民は、出店するものが気に入れば、持ち寄ったものと交換したり、投げ銭などを行う。ワークショップブースでは、絵の具や木材などを使って、アーティストと一緒に制作活動が楽しめる。「物々交換市」は、3カ月間で、のべ120名が参加、約280人が市外から寄付などを通してこの仕組みを応援している。

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

「石巻ではアートのイベントを頻繁に行っていますが、地域にアーティストが定着するためには参加者も双方向的な仕組みをつくれると良いと思いました。アーティストの作品を見に来てください、と誘うとハードルが高くなりますが、物々交換なら地域の高齢者が楽しみに来てくれますし、若い人の役に立ちたいと、家にある食器類、古着、端材、農産物などを持ってきてくれます。アーティストにとっては、作品が売れたり、人の目に触れて反響があったり、応援してもらうことはとても大事なこと。首都圏のアーティストは孤立しがちですが、ここで共同生活をすることで他の人から刺激を受けることも、力になると思います。

一方で、地域の高齢者は、人の役に立つことで自己肯定感が高まります。マンション住まいの子どもたちは、家ではできないような絵の具を使って壁に絵を描いたりして、クリエイティビティな感性が育ちます。子どもから高齢者までがリアルに触れ合い、支え合い、元気になれるコミュニティがつくられる、それが重要だと思っています」。市の来場者アンケートによると「新しい人と出会えた」という意見が多く寄せられるという。

「Creative Hub」に参加して「人のための演劇」にシフト

ここで「Creative Hub」の入居者の声を紹介する。よしだめぐみさんは、東京都出身のパフォーミングアーティスト。東日本大震災のときは中学2年生、高校時代に東北を訪れる機会があったが、まさか東北に住むとは思っていなかったという。

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

小学生のときから児童劇団に所属し、演劇を続け、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科に進んだが、他の世界を知らないことが不安になり、大学2年生のときに中退。さまざまな仕事を経験し、石巻市の食・アート・音楽の総合芸術祭「REBORN ART FESTIVAL(リボーンアート・フェスティバル)」でアルバイト運営スタッフとして働く。そのときに演劇をつくれるスキルを現地に滞在し制作するアーティストに面白いと言われて、演劇を再開しようと決意。

「2020年は都内でイベントの仕事をする予定でしたが、コロナの影響でイベントはできず、制作費を稼ぐのも大変になってきました。東京にいる理由がなくなり、自分を求めてくれる人、味方になってくれる人がたくさんいる石巻で活動することにしました」

住むところがなかったよしださんは、巻組を紹介され、5月からシェアハウスに入居。まもなく「Creative Hub」が始まった。

「家賃なしでクリエイターに住まいを提供してくれる、全国でもない取り組みです。全国から集まる入居者、街の人たちとも仲良くなりました。

外に出れば出会い、発見があります。街の人はお米や牡蠣、飲み物などをくれて『ちゃんと食べなさい』と言ってくれる。大きなファミリーに見守られている感じで、都会とは違った人のつながりがありますね。関係が濃密なので、人が好きな人には合っているし、やりたいことがある人には、やりやすい場所だと思います」

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

演劇の脚本を書き、演じ、演出もする。福祉施設のコミュニケーション教育のワークショップや高校の演劇部の指導、イベントや撮影のアシスタントも。さらに石巻、仙台、女川など、宮城県の地域のイベントやアーティストのマネジメントと、仕事の幅を広げている。

「『Creative Hub』に参加して、知らない世界を知る人たちに出会い、影響を受けました。東京にいたときは、自分ががむしゃらに演劇をやりたいと思ってきましたが、ここに来て『誰から、どんなニーズがあるから、こういう演劇をつくりたい』と、自己満足ではなく、仕事にする方向で演劇を考えられるようになりました。人のために自分のスキルを活用したいと考え、視野が広がりました。

ここを原点に、いずれは拠点を選ばずに演劇活動ができるように、発展させていきたい。石巻で必要とされなくなるまで活動していきたい」と声を弾ませる。

創作意欲が高まり、日々出会いがある

次に紹介するのは、「みち草工房」の菅原賀子(よしこ)さんと、阿部史枝(ふみえ)さん。巻組の賃貸物件を工房として借りて2人でシェアしている。菅原さんは、大阪府大阪市出身で、神戸の木材の会社に勤めていたが、交際相手が住んでいる宮城県へ移住したことをきっかけに、石巻に惹かれた。コワーキングスペースをもつ石巻のカフェを訪れ、そこで働く阿部さんと出会った。

木を使ってモノづくりをしていた菅原さん、布を使って洋服の直しやオーダーメイドを請け負っていた阿部さんは、お互いの取り組みを面白いと感じた。そして一緒に活動するべく借りたシェアオフィスが手狭になり、いったん解散しようと思ったが、巻組のシェアハウスが気に入り、作業場として二人で借りた。

「石巻のまちなかにありながら、山際に立ち、植物に囲まれ、まるで山奥にいるよう。魅力的な物件です」と菅原さん。

「ここは広いので、たくさんの端材を置けるし、庭で植物を育てたりして、家ではできないことができます。

家とは別の空間を持つ面白さもあり、癒しの場所でもあります。また、ここは誰でも気軽に立ち寄れるオープンな物件なので、巻組が連れてくる見学者、デザイナー、アーティストなど、いろいろな人が遊びに来るのも楽しい」

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「釘を打ったり、棚をつけたりとDIYをすることは賃貸では難しいですが、ここは自分たちの好きなように自由に変えられるし、原状回復も必要ありません。この場所にいるだけで、何かをつくりたくなるような気持ちになりました。

『どうしてそんな目立たない所に引越したの?』と言う人もいましたが、一度遊びに来た人は『隠れ家みたい』と気に入って、何度も気軽に来てくれます。今は震災に関係なくここの取り組みに惹かれて移住した人が増えている感じがします」と阿部さん。

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人のコラボ作品の第一弾は、猫用のハンモック「にゃんもっく」。「物々交換市」では、住民が持ってきたものと交換、または投げ銭で物を交換する「クルクルフリマ」という物々交換の店を出している。「普通のマーケットと違って、パフォーマンスもあり、活気があります。幅広い年齢層の方がのぞいてくれますね」(阿部さん)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「最先端の考え方をする人が集まってきて、もともとの住民と移住した人、古さと新しさが同居する面白いまちになっていると思います」(菅原さん)

アーティストの支援にとどまらない、社会の課題解決のモデルとして

巻組は、2020年12月、築70年の古民家を改築した「OGAWA(おがわ)」を開設。密集を避けて仕事をしたい人のためのワーケーションの拠点として、都心などから人を呼び込み、石巻と関わる「関係人口」を増やすことが目的だ。

「少子高齢化、人口の減少、孤立化などは全国的な問題。空き家問題が進む地域にアイデアとして何か転化していければと思います。空き家を活用して、ただカッコいい場所をつくろうとか、クリエイティブ人材を市内外から連れてくるだけでもありません。

現在の取り組みは、反響もありますが、こういう形がどれだけ広がり、一般化していくか、課題と制約のなかで、いかに価値を出すかが、クリエイティブやアートにとって大事なところだと思います。そして、アーティストがこういう場所で生み出したものを、どう売り出していくかを考えて、形として見えやすいものにしていく必要があると思います。見逃されがちなものを、空き家を活用して、さまざまな問題にどうコミットできるかを考えていきたいです」(渡邊さん)

若いアーティスト人材の居場所をつくり、呼び込んで育てながら、地域を活性化する、巻組の取り組み。多世代のコミュニケーションが生まれ、誰も孤立させずみんなで幸せになる地域社会をつくる。人材、資材を活用しアイデアを加える、人も経済も元気になる「良循環」といえるだろう。

震災後、外から多くのアーティストやクリエイター、ボランティアなど優れた人材が出入りしたことも変化につながった。都会の便利さはない田舎だからこその懐の大きさとポテンシャルの高さ。豊かな人材、資材、アイデアが流入して変化していく石巻は面白いまちだ。

●取材協力
・巻組

コロナ禍で高まる移住熱。『田舎暮らしの本』編集長が注目する地域と特徴って?

近年、地方移住に関心を持つ人が増えるなか、コロナ禍がさらにその後押しとなっている。地域の選択肢は多数あるが、どう選んでいくのがよいのだろうか。
「2021年版 第9回 住みたい田舎ベストランキング」を発表した情報誌『田舎暮らしの本』柳順一編集長に、上位にランクインしているまちの特徴や、移住先を考える際のポイントについて聞いてみた。あわせて、同ランキングで9年連続ベスト3入りし、移住・定住支援施策に力を入れる豊後高田市の担当者と、実際の移住者からも話を聞いた。

幅広い世代が「田舎暮らし」に関心を持つように

『田舎暮らしの本』は1987年に創刊。現在に至るまでの約34年で、「田舎暮らし」を志向する層、受け入れる自治体側ともに大きく変化してきたという。

「1990年代まで、『田舎暮らし』と言えば『老後に悠々自適の暮らしをしたい』シニアの方がほとんどでした。自治体側の受け入れ体制も整備されていませんでしたが、2000年代に入り、地域おこし協力隊や空き家バンクなどの制度が登場しています。同時に、2008年のリーマンショックの影響など、価値観の変化もあったのでしょう。若い方が『田舎暮らし』『地方移住』に反応し始め、今では幅広い世代の方が関心を持つようになっています。また、このコロナ禍で弊誌の反響も高まっており、その傾向が顕著になっていると感じています」(柳編集長)

『田舎暮らしの本』編集長 柳 順一氏(画像提供/宝島社)

『田舎暮らしの本』編集長 柳 順一氏(画像提供/宝島社)

コロナ禍で、具体的に行動を起こす人が増えた

『田舎暮らしの本』では毎年、全国の自治体を調査し、移住・定住に関する施策への取り組み状況を基に「住みたい田舎ベストランキング」を発表している。
2021年版の調査は645市町村を対象とし、「移住者歓迎度」「住宅支援」「交通」「日常生活」などさまざまな観点から、272項目に及ぶアンケートを実施。例えば「移住者歓迎度」は「首長が定住促進を公約にしている」「土日や祝日にも移住相談を受け付ける窓口を常設している」「区費やゴミ処理の方法など地域のルールを移住相談者に知らせて、トラブルを未然に防ぐよう努めている」など22項目で測る。

2013年から続くランキングだが、コロナ禍による変化はあったのだろうか。
「2021年版の調査は2020年4月~10月の実績を基に回答いただいており、まさにコロナの影響を大きく受けた期間。そのなかで、『前年に比べ移住者数が増えている』と回答した自治体が27%、『同程度』が43%、『減っている』が20%。移住相談件数に関しては『増えている』38%、『同程度』39%、『減っている』19%。
移住に関心を持ち、実際にアクションを起こす方が増えているようです。
『20代からの問い合わせ』『県外や遠方の検討者』『相談内容が具体的で、真剣に考えている検討者』が増えたという声もありました」と柳編集長は語る。

『田舎暮らしの本』2021年2月号(画像提供/宝島社)

『田舎暮らしの本』2021年2月号(画像提供/宝島社)

デジタルに強い自治体へ注目集まる

一方、コロナ禍で地域間の移動が難しくなるなか、移住支援施策にもオンライン化が求められている。
「今回の調査では、移住相談会や就職相談会など移住関連施策のオンライン対応実施有無もアンケート項目に追加しました。ランキング上位に入った自治体は、オンライン化にしっかり対応できているところがほとんどです。相談を受けるだけでなく、空き家見学などもオンラインでできるようにしている。こうした背景を受け、現地に行かずに移住を決定するケースも出てきています」(柳編集長)

デジタル活用で注目される自治体の筆頭が長崎県五島市だ。離島ということもあり、以前から遠隔医療・ドローン・IOTなど技術活用が進んでいる。近年、新たな事業や雇用が生まれ続けており、5年間で672人が移住、うち7割以上が30代以下だという。
現在、常設のオンライン移住相談を月3回開催しており、XRを活用した移住イベントも予定している。

長崎県五島市(画像提供/五島市)

長崎県五島市(画像提供/五島市)

「大きな市(人口10万人以上)」で1位を獲得した愛媛県西条市もデジタル活用が盛んなまちだ。児童数の少ない学校同士をつないでオンラインで共同ホームルームを行うなど、先進的な取り組みを実施してきた。シェアオフィス活用やローカルベンチャー育成にも積極的で、新たに移住検討を始めた働き盛りの世代からも支持される素地がある。2020年4月~10月の移住相談件数は前年同時期の5倍という。

西条市のコワーキングスペース「紺屋町dein」(画像提供/西条市)

西条市のコワーキングスペース「紺屋町dein」(画像提供/西条市)

「もともと上位の自治体は、新しいことにどんどん取り組むマインドがあります。
デジタルに強くて順位が上がった自治体もありますが、どちらかというと『移住・定住に真剣に取り組んできた自治体は、デジタルへの対応も早い』という印象です」(柳編集長)

「住みたい田舎」9年連続ベスト3、豊後高田市の取り組み

同ランキングで9年連続ベスト3入りし、今回は「小さな市(人口10万人未満)」で1位になった大分県豊後高田市を例に、移住対策が評価されている自治体の取り組みを具体的に見てみよう。

柳編集長は「自治体主導で『赤ちゃんから高齢者まで暮らしやすいまちづくり』に本気で取り組んでいる。施策を常に見直し、アップデートし続け、広く伝えることを怠らない」と評する。

豊後高田市では現在168項目におよぶ移住・定住支援策を準備しており、同ランキングでは「総合」「若者世代」「子育て世代」「シニア世代」の全4部門でトップに輝いた。
0~5歳児の保育料・幼稚園授業料、中学生までの給食費、高校生までの医療費は全て無料。さらに無料の市営塾「学びの21世紀塾」を開設するなど手厚い子育て支援のほか、シニア世代のニーズにあった商品販売やイベント開催・気軽に集える場の創出に取り組む「玉津プラチナ通り」など、シニア世代が楽しく暮らせるまちづくりにも力を入れている。

玉津プラチナ通りでおこなわれた寄席(画像提供/豊後高田市)

玉津プラチナ通りでおこなわれた寄席(画像提供/豊後高田市)

成功理由は「20年の積み重ね」

豊後高田市 地域活力創造課の大塚さんは9年連続高評価の要因を「20年ほど前から『暮らしやすいまちづくり』に取り組んできたこと」と分析する。
「例えば『学びの21世紀塾』は、学校が週5日制になった際、学力低下を懸念し始めたことがきっかけです。市内数カ所の拠点からスタートし、今は各小中学校で実施、対象年齢も広げていきました。
都市部に比べると個人年収が低いからこそ、共働きを前提に仕事と子育てを両立しやすい環境づくりにも早くから取り組んできました」(大塚さん)

市が運営する「学びの21世紀塾」(画像提供/豊後高田市)

市が運営する「学びの21世紀塾」(画像提供/豊後高田市)

今では全国に広がる「空き家バンク」への取り組みも早かった。しかし2006年の開始当初は登録数も利用も少なかったという。
「紹介できる空き家がなければ利用も増えません。大家さんの中には『荷物があるから』『リフォームが必要だから』などの理由で登録を躊躇されている方も多いです。そうした方々と対話を重ね、例えばリフォームの補助金を用意するなど、登録のハードルを下げていきました」(大塚さん)

結果、登録数は大幅に増え、今では多くの移住者が空き家バンクを活用している。さらに空き家活用だけでなく、新築という選択もしやすいよう、土地代無償の宅地の提供も開始した。

土地代無償の宅地を42区画用意(画像提供/豊後高田市)

土地代無償の宅地を42区画用意(画像提供/豊後高田市)

時勢を踏まえた新しい取り組みにも積極的だ。2020年には市が運営する「長崎鼻ビーチリゾート」で「ビーチ・ワーケーションプラン」の提供を開始した。ビーチに面した施設等で、景色を楽しみながら仕事ができる環境を整えている。

ワーケーション環境を整えた長崎鼻ビーチリゾート(画像提供/豊後高田市)

ワーケーション環境を整えた長崎鼻ビーチリゾート(画像提供/豊後高田市)

「最初から大きな成果が出たものはありません。20年間、トライ&エラーで少しずつ施策を改善・充実させていった結果、注目頂く機会が増えたと感じます」と大塚さん。
『田舎暮らしの本』の柳編集長も、「豊後高田市の成功理由は、仕事づくりや教育の充実など『既に暮らしている人にとって住みよい街づくり』という基盤をつくった上で、移住支援施策をはじめたこと」と語る。

最近では、IターンだけでなくUターンも増えているという。
「『学びの21世紀塾』に通っていた子どもたちが成長して戻ってきて、今は講師としてサポートしてくれたり、子育て支援施設を活用していた方々が今度はスタッフ側で働いてくれたりと、循環が生まれ始めています。今後は『子どもたちが残れる環境づくり』も考えていきたいですね」(大塚さん)

子育て支援施設「花っこルーム」。過去の利用者が今はスタッフとして参加(画像提供/豊後高田市)

子育て支援施設「花っこルーム」。過去の利用者が今はスタッフとして参加(画像提供/豊後高田市)

支援施策を活用し、「夢の暮らし」を手に入れた

2019年、福岡県から豊後高田市に移住した橋本早織さんは、7歳・5歳・2歳の子どもと夫の5人家族だ。漠然と「自然豊かなところで子育てがしたい」と考えていたなか、テレビ番組で豊後高田市の移住支援施策を知った。その後すぐに同市の空き家バンクツアーに参加。「憧れだけでなく、大変なことや不便なことも理解した上で判断しました」と語る。

他の自治体もいくつか比較検討したが、豊後高田市の支援策がとびぬけて魅力的に思えたという。
「保育料で給料が飛んでいく状況だったので、保育料や給食が無料というのはありがたかったです。空き家バンクの登録数が多く、住まいを選べることも大きかったですね」(橋本さん)

移住後、橋本さんは市内で転職、夫はしばらく福岡との二拠点生活を送っていたが、その後リモートワークができるようになり、完全移住。今は市内の会社に転職している。
現在の住まいは空き家バンクで見つけた物件だ。「大家さんは売却を希望されていましたが、市の担当者を通して相談し、まずは賃貸で住んでいます。気に入ったので、今後購入させていただく予定です」と橋本さん。
「こちらに来て、子どもの遊び場がビルやマンションに囲まれた公園から海や山、川、田んぼになりました。自然豊かな場所で子育てを、という夢が叶ったと同時に、親である私たちもその環境に癒やされています。今の暮らしにとても満足しています」(橋本さん)

豊後高田市での暮らしを楽しむ橋本さんご家族(画像提供/橋本早織さん)

豊後高田市での暮らしを楽しむ橋本さんご家族(画像提供/橋本早織さん)

心が動かなければ、住民票は動かない

柳編集長は、移住先の選び方についてこう語る。
「ランキングというある種の判断材料と矛盾するかもしれませんが、移住を決断できるかどうかは『心が動くかどうか』。心が動かなければ、住民票は動きません。
そして多くの移住者は、『人との出会い』に心を動かされたと話します。先輩移住者や役場担当者、地域の方など、『話が合う』『頼りになる』『落ち着く』と感じる方に出会えたら、そのまちが第一候補になりうると思います。

良いまちは全国にたくさんあります。私たちのランキングは『移住定住に熱心なまちは取り組み施策数も多い』前提で作成していますが、上位のまちはあくまで『いろんな方に薦められる』ということ。施策の『数が多い』ことが、必ずしも個々人にとって良い訳ではないですよね。

今は実際にまちを訪れることも難しいですが、逆にオンラインだからこそ、家族そろって気軽に自治体に相談することもできます。そのなかで、『話が合う人』を見つけられるかもしれません。

そうして興味を持ったまちがあれば、そこではじめて支援制度などを確認するのが良いと思います。
『こんな支援をしてくれるなら移住する』という『お客様気分』だと失敗しやすい。『移住大歓迎』なまちでも、『行ってやる』意識でいるのは間違いです。例えば特にこの時勢であれば、窓口を訪れる前にアポを入れる、オンラインで相談するなど先方への配慮も当然必要でしょう。
自治体は『自分たちの仲間になってくれる人』を探しています。そんな人なら、喜んでサポートしてくれると思いますよ」

オンラインの移住相談風景(画像提供/豊後高田市)

オンラインの移住相談風景(画像提供/豊後高田市)

まちと自分の「相性」を試し、良い選択を

都市圏一極集中への懸念が生まれ、働き方が変わり、暮らす場所の選択肢が広がった。まちにはそれぞれ特性があり、人とまちには相性がある。時勢を受け、オンラインでの相談対応等を行うまちも増えている。今は難しいかもしれないが、お試し移住やワーケーションなど、気軽に「相性」を試せる機会も増えている。地方移住に関心を持ったなら、まずはそうした場を利用することから始めてみてはいかがだろう。

●取材協力
『田舎暮らしの本』編集部
豊後高田市

台湾の家と暮らし[4] 台南の歴史地区・安平の古民家に暮らし、アートで高齢者と若者をつなぐ活動も

暮らしや旅のエッセイスト・柳沢小実が台湾の家を訪れる本連載。昨年は3軒のお宅におじゃましましたが、今年の1軒目におじゃましたのは、徐瑞陽さん(通称・クーパーさん)が住む、台南市・安平にある小さくて愛らしい平屋の一軒家です。歴史的な地域にある築80年の一軒屋での暮らしやまちおこし活動について、お話を伺いました。連載名:台湾の家と暮らし
雑誌や書籍、新聞などで連載を持つ暮らしのエッセイスト・柳沢小実さんは、年4回は台湾に通い、台湾についての書籍も手掛けています。そんな柳沢さんは、「台湾の人の暮らしは、日本人と似ているようでかなり違って面白い」と言います。2019年に続き、柳沢さんと自分らしく暮らす3軒の住まいへお邪魔しました。台湾南部の港町、台南・安平へ

台南市の中心地から車で約20分。安平は台湾南部の古都・台南市の一角にある、貿易で栄えた港町です。オランダ人が創建した台湾最古の城堡「安平古堡」、イギリス商人の古い倉庫にガジュマルの木が絡みついた「安平樹屋」、清朝の名臣によるフランス式の要塞「億載金城」などの古跡があることで知られ、観光スポットのひとつとして、国内外から多くの人が訪れています。ここにはオランダ統治時代、鄭氏政権時代、清朝統治時代、日本統治時代などに建てられた貴重な建築物の数々が残っており、建物からも台湾の歴史を追うことができます。

狭い小道の両側に、各家庭で育てている植物の鉢が置かれています。眩しい光と湿度の高い空気、まぎれもなくここが台南なのだと感じます(写真撮影/KRIS KANG)

狭い小道の両側に、各家庭で育てている植物の鉢が置かれています。眩しい光と湿度の高い空気、まぎれもなくここが台南なのだと感じます(写真撮影/KRIS KANG)

クーパーさんのご自宅は、オランダ統治時代(1624年~1662年)につくられた台湾最古の商店街・安平老街の中興街という通りにあります。この地域の住宅の屋根や壁、門などには、沖縄のシーサーに似た「劍獅」と呼ばれる獅子のモチーフがついていて、それぞれの家を守っています。

劍獅は民家の壁にもあしらわれています。その表情はさまざま(写真撮影/KRIS KANG)

劍獅は民家の壁にもあしらわれています。その表情はさまざま(写真撮影/KRIS KANG)

特徴的な門の上の飾りは、武器をモチーフにした昔の文化財。当時は泥棒や海賊対策でつけられていましたが、今は魔除けの意味をもち、クーパーさんの家だけに飾られているものだそうです。

実は、五年ほど前に偶然前を通って、印象に残っていたこの家。のちに取材に来るとは思ってもみませんでした。台湾はそんな素敵な偶然がたくさん(写真撮影/KRIS KANG)

実は、五年ほど前に偶然前を通って、印象に残っていたこの家。のちに取材に来るとは思ってもみませんでした。台湾はそんな素敵な偶然がたくさん(写真撮影/KRIS KANG)

門の飾りに平安への願いをこめて(写真撮影/KRIS KANG)

門の飾りに平安への願いをこめて(写真撮影/KRIS KANG)

この家はもともとボロボロで、住むにあたって大家さんが壁や屋根を補修しました。この地域で家のリフォームなどをする際は、台南市に申請して許可をもらう必要があり、その代わりに古い建物の保全のために少額ですが助成金が支払われます。

風が抜けて心地よいリビング。六畳とコンパクトですが、住みやすく整えられて閉塞感は皆無です(写真撮影/KRIS KANG)

風が抜けて心地よいリビング。六畳とコンパクトですが、住みやすく整えられて閉塞感は皆無です(写真撮影/KRIS KANG)

その一角にワークスペースがあります。棚には資料がぎっしりと(写真撮影/KRIS KANG)

その一角にワークスペースがあります。棚には資料がぎっしりと(写真撮影/KRIS KANG)

壁は、芯の部分はレンガで、外側はモルタルに牡蠣の殻を砕いて混ぜたものが使われています。内側には防寒のために、50年前の新聞紙が貼ってありました。屋根はもともとは瓦でしたが、今は小規模な家を直してくれる職人さんがいないために、修繕で板金に変わりました。おかげで、夏場はとても暑いそうです。

50年前の新聞紙が貼られた室内の壁(写真撮影/KRIS KANG)

50年前の新聞紙が貼られた室内の壁(写真撮影/KRIS KANG)

小さく愛らしい古民家との出合い

家は20坪の土地に建っていて、敷地面積は15坪。間取りは各6畳ほどの部屋が3つにキッチン等が付いた3Kです。

間取り(イラスト/Rosy Chang)

間取り(イラスト/Rosy Chang)

安平は昔から家を建てられる土地が狭く、どの家もコンパクト。かつてこの家には、中国から渡ってきた2家族が住んでいました。
ちなみに、古い家に住んでいて不便な点は、3月に「反潮現象」で海から湿度が高い南風が吹いて床が濡れることだそうです。

高雄市出身のクーパーさんは昔から古い家や庭付きの家が好きで、海の近くに住みたいとずっと考えていました。台南市の芸術大学で建築芸術を学び、高雄市橋頭の文化協会で働いていたこともあります。安平の街のことは、学校の空間デザインの仕事をしていた時に知りました。

中興街にて(写真撮影/KRIS KANG)

中興街にて(写真撮影/KRIS KANG)

この街に住むことになったのは、安平に住みたくてブラブラ歩きまわっていた際に、陶芸家の友人から別の陶芸家が住んでいたこの家を紹介されたのがきっかけ。最初は又貸しで借りていて(台湾は賃貸物件の又貸しがOKなのです)、のちに大家さんと直接契約をしました。
街の人は好奇心が旺盛で、引越してきた時は、近所の人たちが「なぜここに?」と口々に聞いてきたそうです。小さな街では近所の人たちと仲が良く、ドアは開けっ放しでも安心なほど。近所との関係が濃いと言います。

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

こじんまりした、住みたくなる路地。たわわに実をつけたマンゴーの樹があり、その下では猫がのんびりと昼寝をしていました(写真撮影/KRIS KANG)

こじんまりした、住みたくなる路地。たわわに実をつけたマンゴーの樹があり、その下では猫がのんびりと昼寝をしていました(写真撮影/KRIS KANG)

建物の壁には牡蠣の殻などが埋め込まれていました(写真撮影/KRIS KANG)

建物の壁には牡蠣の殻などが埋め込まれていました(写真撮影/KRIS KANG)

鮮やかな色の花が咲き乱れて奥には十二宮社三靈殿がある。台南らしい風景が広がります(写真撮影/KRIS KANG)

鮮やかな色の花が咲き乱れて奥には十二宮社三靈殿がある。台南らしい風景が広がります(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

ギャラリーで心の交流を

5年前からは、さらに自宅の隣の建物も借りて、ギャラリーを運営し始めました。才能があれば職業や年齢は関係なく、アーティストではない一介の人を見出して作品を紹介しています。漁師で画家のおじさんが描いた魚の絵や、90歳のおばあちゃんが描いたお花の絵、近所に住む子どもの絵の展示も行っています。ギャラリーの展示は、春分、夏至、秋分、冬至の年4回実施。出展料や入場料は取らない代わりに、グッズ等を自分でデザインして、その売り上げを収入にしています。

クーパーさんが営むギャラリー(写真提供/クーパーさん)

クーパーさんが営むギャラリー(写真提供/クーパーさん)

今春開催されている展覧会「日常の中でささいな幸せを感じること(原題:生活裡讓你快樂的小事)」には、90歳のおばあちゃん吳占さんによる絵が展示されています。絵を描くことはおばあちゃんにとって一番幸せな時間です(写真提供/クーパーさん)

今春開催されている展覧会「日常の中でささいな幸せを感じること(原題:生活裡讓你快樂的小事)」には、90歳のおばあちゃん吳占さんによる絵が展示されています。絵を描くことはおばあちゃんにとって一番幸せな時間です(写真提供/クーパーさん)

このギャラリーの目的は、外から訪れる若い人だけでなく、地元のお年寄りにも楽しんでもらうこと。ギャラリーに来た人が、外に座っている近所のおばあちゃんたちと立ち話したりするのがうれしいのだとか。これが彼が考える町の活性化。外の人に認知してもらって収入を得ながら、住んでいる人にも心の豊かさと訪れた人との交流を提供しています。
そして、昔の建物や地方の歴史をより多くの人に知ってもらいたいと、zine(小規模・少部数の紙媒体)やトークイベントなどを通じて、昔の人の話を伝えています。

地元のお年寄りの話をまとめたzine(写真撮影/KRIS KANG)

地元のお年寄りの話をまとめたzine(写真撮影/KRIS KANG)

新聞のようなスタイルでつくったzine。漁師のおじさんや、絵の紹介がされています(写真撮影/KRIS KANG)

新聞のようなスタイルでつくったzine。漁師のおじさんや、絵の紹介がされています(写真撮影/KRIS KANG)

zineの裏側は、漁師のおじさんが描いた魚の絵。力強いタッチとビビッドな配色が魅力的(写真撮影/KRIS KANG)

zineの裏側は、漁師のおじさんが描いた魚の絵。力強いタッチとビビッドな配色が魅力的(写真撮影/KRIS KANG)

古い町並みを保全し、発展させるために

ちなみに、安平のような古い町は近年台湾の若い人たちにも人気があって、ここに住んでお店や小さい宿をやりたいという人も多くいます。けれども、そもそも家の数自体が少ないのと、たとえ空き家があっても使用するためにはそれぞれ元の持ち主の子孫などたくさんいる持ち主全員に許可を得なければならず、貸し出しや修繕がなかなかできないそう。台湾の不動産事情で根深い問題だとクーパーさんは話してくださいました。

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

昔ながらののどかな町並みで、住む人の生活も垣間見られる中興街。偶然来た人だけが知ることができる、宝物のような場所です。この通りは奇跡的にかつての雰囲気を残していますが、3本ある通りのうちの2本は商業化して、いわゆる観光地になってしまいました。
ビジネスだけが目的の人が訪れると、そこの昔ならではの雰囲気は壊されてしまいます。景観だけでなく、住む人の生活も守りたい。この通りには小規模な宿やフランス人が経営しているカフェがありますが、今後はそのような生活感や街の良さを尊重したスポットがさらに増えるといいと彼は考えています。どの土地も、代わりのないかけがえのない場所。クーパーさんは、古跡の保全と高齢者との交流という、大きなテーマに向き合っています。

台湾のおばさまはとてもお洒落。そして目が合うとにっこりと微笑んでくださいます(写真撮影/KRIS KANG)

台湾のおばさまはとてもお洒落。そして目が合うとにっこりと微笑んでくださいます(写真撮影/KRIS KANG)

近所にある芋菓子「蜜地瓜」の屋台。サツマイモに黒糖水をからめながら6時間かけてつくる安平でおなじみのスナック。「仕上げにピーナッツシュガーパウダーをまぶしたまろやかな口当たり。幸福感と郷愁を感じます」とクーパーさん(写真撮影/KRIS KANG)

近所にある芋菓子「蜜地瓜」の屋台。サツマイモに黒糖水をからめながら6時間かけてつくる安平でおなじみのスナック。「仕上げにピーナッツシュガーパウダーをまぶしたまろやかな口当たり。幸福感と郷愁を感じます」とクーパーさん(写真撮影/KRIS KANG)

サツマイモの甘みが濃厚に引き立ち、手が止まりませんでした(写真撮影/KRIS KANG)

サツマイモの甘みが濃厚に引き立ち、手が止まりませんでした(写真撮影/KRIS KANG)

●展覧会情報
「日常の中でささいな幸せを感じること(生活裡讓你快樂的小事)」
会期:2020年4月19日(日)までの土・日・月・火曜
時間:13:30~18:00
住所:台南市安平区中興街47号
チケット代:50元/枚(ポストカード1枚をプレゼント)
※マスクを持参して着用してください。
※入り口にアルコール消毒液を設置します。
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※上記の開催イベント情報は現地・台湾のものです。現在、台湾では、海外からの渡航者に対しては一定期間の外出禁止令が出ています。

サ高住「ゆいまーる花の木」に込めた、秩父市×豊島区が目指すアクティブシニアの未来とは

自分のセカンドステージをどういったように暮らしたいかと考えたとき、生活を楽しみ、人との交流も続けたいと望むアクティブシニアが増えている。そんな高齢者向けの住宅や施設も誕生しているようだ。今回は秩父市に建設された「ゆいま~る花の木」のオープン記念式典があると聞いて足を運んでみた。
都市と田舎を結ぶ姉妹都市連携が新しいシニアの住まい方をつくる

池袋駅からレッドアロー号で78分、西武秩父駅に降り立つと駅周辺は活気にあふれている。関東に暮らす人にとっては長瀞渓谷や軽登山が楽しめる山々など、週末のアクティビティのイメージが強い秩父だが、歴史ある街であるからこそ、文化施設や個性的なカフェなども多く、実は落ち着いて自然を満喫できる暮らしができる古都でもある。

長瀞渓谷(写真/PIXTA)

長瀞渓谷(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

駅から徒歩15分、タクシーだとワンメーターでたどりつく場所に「ゆいま~る花の木」が11月にオープンした。木造2階建ての新築20戸、60歳以上の元気なシニア世代を対象としたサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)だ。今回、そのオープン記念式典が、隣にある秩父市の交流センターで開催された。

「ゆいま~る花の木」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

「ゆいま~る花の木」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

この施設は「秩父市生涯活躍のまちづくり」構想のモデル事業「花の木プロジェクト」の一環として誕生したものだが、秩父市(埼玉県)&豊島区(東京都)による「2地域居住」構想にも関係している。もともと姉妹都市関係にある両自治体が将来に向けてお互いの可能性を見据えた計画だという。

豊島区は、都市の過密や高齢化という課題を抱える中で、区民のライフスタイルの選択肢を広げ、第2の人生を後押ししたいとの考えがあった。一方、秩父市も人口減少という課題をかかえ、生涯活躍のまちづくり(都市部からの移住者が健康で活動的な生活を送れるとともに、医療・福祉等の地域ケアも整ったまちづくり(日本版CCRC)を目指していた。

セレモニーでは豊島区長と市長の挨拶もあり、この取組への期待の高さが感じられる。運営はサ高住で実績のある株式会社コミュニティネットが担当、「親しい人に囲まれ、楽しく、自由な暮らしを満喫し、介護が必要になったときも、地域の医療/介護資源を利用しながら自分らしく暮らす」をコンセプトとしている。

キッチンが設置された「秩父市花の木交流センター」でオープニングセレモニーを開催。「ゆいま~る花の木」の住民はもちろん、秩父市内の住民交流の場としても期待されている(写真撮影/四宮朱美)

キッチンが設置された「秩父市花の木交流センター」でオープニングセレモニーを開催。「ゆいま~る花の木」の住民はもちろん、秩父市内の住民交流の場としても期待されている(写真撮影/四宮朱美)

とりあえず試しに住む、2地域居住で気楽に始める、どちらも可能

リタイア後のセカンドライフをどこで始めるかは、高齢層にとって関心は高いが、いきなり今まで住んでいた場所から他の場所に移り住むのはハードルが高い。できればお試し期間が欲しい。

「ゆいま~る花の木」は、平日は自然豊かな秩父で生活し、土日は豊島区で文化芸術イベントに参加するといった「2地域居住(デュアルライフ)」のモデルケースも想定している。若い世代で行われているデュアルライフが平日都心、週末郊外となっているのに対し、逆も可能というのも特徴。これから人口減少が懸念される日本にあって、お互いに人口を奪い合わない交流や移動で「さまざまな地域との共生の仕組みづくり」に力を入れているそうだ。実際に豊島区に自宅がありながら、ここでの生活も始めようとしている高野正義さんに話を伺った。

「私は生まれてから現在まで豊島区で暮らし、地域の町会長もしてきました。地元に友人・知人も多いですが、少しのんびりしたいと思って、ここに拠点を持つことにしました。言ってみれば『もう1つの書斎』みたいなものですね。友人たちも興味を持っているみたいで、いずれ彼らも参加してくれると面白いと思っています」

快適なセカンドライフに必要なのは、設備や住宅はもちろんだが、地域に溶け込めるコミュニティだ。その点でも、隣接する地域開放型交流拠点施設「秩父市花の木交流センター」の存在が注目されている。セレモニーでは近隣の幼稚園児も参加、かわいい歌声を聞くことができた。施設が幼稚園、小学校、中学校などの教育施設が集まる文教エリアの中に位置していることで、世代を超えたコミュニティの醸成が期待できる。

「秩父市花の木交流センター」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

「秩父市花の木交流センター」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

(写真提供/株式会社コミュニティネット)

(写真提供/株式会社コミュニティネット)

終身建物賃貸契約と3つの安心で長く安心して暮らせるシステム

部屋は1Kから2LDK、29.54平米~47.62平米の3タイプが用意されている。住居内はバリアフリー。床暖房が設置され、ヒートショックを軽減する浴室換気乾燥暖房機も標準装備だ。シニアにとって住戸内の温度差が整えられているのはうれしい。

くわえて「毎日の安否確認」「生活コーディネーターの日常生活の相談」「セコムと連携した夜間緊急時の対処」など3つの安心も用意されている。

安否確認は、1日1回建物内の郵便受け横に設置した専用ボードに記名予定、確認ができない場合は、電話連絡や入室などで安否確認を実施。生活コーディネーターは、日々のちょっとした相談や困りごと、医療・介護の活用についても相談に応じる(フロントは、隣接する交流センター内に設置予定)。 日中は常駐スタッフとセコムが連携し、夜間の緊急時にはセコムの緊急対処員が駆けつけ対応する。

また「終身建物賃貸借契約」で入居者は亡くなるまで安心して住み続けられるのもメリット。毎月払いの場合は5万7000円から8万9000円、一括前払いの場合は1231万円から1922万円と終身タイプのものとしては手が届きやすい(このほか毎月、生活サポート費2万7500円(一人の場合、税込)と共益費1万円(非課税)が必要)。

2LDKタイプの居室。収納スペースも確保されている(写真撮影/四宮朱美)

2LDKタイプの居室。収納スペースも確保されている(写真撮影/四宮朱美)

水まわりもバリアフリーでゆとりあるスペースを確保(写真撮影/四宮朱美)

水まわりもバリアフリーでゆとりあるスペースを確保(写真撮影/四宮朱美)

ちょうどいい距離感と歴史や文化に恵まれた自然たっぷりの秩父市

秩父市は荒川の清流と秩父盆地を中心とした山々に囲まれ、四季折々の自然が楽しめる環境だ。また歴史的な文化資源も豊富。昭和レトロを感じさせる町並みや、秩父夜祭をはじめとする大小多くの祭りが1年を通じて開催される。

西武秩父駅構内には「祭の湯」というスパ施設があり、土産物を売る店も充実している。フードコートではたくさんの人が食事を楽しんでいる。

セレモニー当日も平日にも関わらず、駅周辺は観光に訪れた人たちを目にした。秩父34カ所観音霊場巡りだけでも、たくさんのコースがあり人気を集めている。池袋からの距離も「大人の遠足」で出かけてくるのにちょうどいい距離感だ。いわゆるアクティブシニアが自分らしい時間を過ごすために、秩父市というのは最適な環境の1つかもしれない。

駅構内に隣接されている祭の湯。フードコートや土産物店も併設され、日常的に楽しめる施設になりそうだ(写真撮影/四宮朱美)

駅構内に隣接されている祭の湯。フードコートや土産物店も併設され、日常的に楽しめる施設になりそうだ(写真撮影/四宮朱美)

筆者が若いころにイメージしていた「落ち着いてのんびり過ごす老後」は、自分が年齢を重ねて目の当たりにする状況とは少し違ってきている気がする。「ゆいま~る花の木」での生活を始めようとしている高野さんにおいては、豊島区でのコミュニティづくりの経験を秩父での暮らしにこれからも活かしていけそうだ。すでに豊島区と秩父市の橋渡しのような存在になっている。リタイア後のセカンドライフは、これからも続けていきたいこと、これから新たに挑戦したいこと、等々がいっぱいありそうだと感じた。そんなアクティブシニアにとっては、都会と田舎の両方でのセカンドライフを欲張りに手に入れられそうな環境は、選択肢として魅力的かもしれない。

●取材協力
・株式会社コミュニティネット

ローカルで長屋暮らし。福岡県八女市で賃貸住宅「里山ながや・星野川」を選んだ人たちに起きたこと

福岡の山どころとも呼ばれる八女市。お茶の産地として有名だが、特によい茶葉が取れるエリアとして人気の高い上陽町に2018年7月に誕生したのが、この賃貸住宅「里山ながや・星野川」だ。自然あふれるローカルエリアに突如できた長屋にどのような人たちが移り住み、生活しているのだろうか。現地の暮らしぶりをリサーチしてきた。
民間企業が運営。移住前のお試し居住として、長屋の暮らしを提供

上陽町久木原は近隣にスーパーなど日用品をそろえる施設がなく、八女の市街地からも車で20分と、ローカル中のローカル、という声が地元でもちらほら聞こえるエリアだ。

もともと小学校跡地のグラウンドを民間会社が土地を借り利活用、建築設計事務所アトリエ・ワンの塚本由晴氏が設計を手掛けている。施工は地元の若手大工が行い、全8戸がつながった長屋様式の建物は、ほぼ全てが八女産の木材を使用して造られている。

この場所に賃貸の長屋を構えることを決めたのは、この住宅の管理会社でもある八女里山賃貸株式会社。自然資源の活用と、無理のない移住生活へのステップを創出しようという想いから、あえてこの田舎で長屋建築を計画実行した。

地域おこし協力隊で八女移住。夢を形にする助走期間として住まう山内淳平さん(28歳)は、福岡県小郡市出身。新卒で大手家電メーカーに就職後、2018年9月から八女の地域おこし協力隊に就任。地元企業のIT指導や広報支援を行う(写真撮影/加藤淳史)

山内淳平さん(28歳)は、福岡県小郡市出身。新卒で大手家電メーカーに就職後、2018年9月から八女の地域おこし協力隊に就任。地元企業のIT指導や広報支援を行う(写真撮影/加藤淳史)

まずお話をお聞きしたのは、会社員時代は営業職を担当していたという山内淳平さん。東京、大阪、福岡と転勤を繰り返すなかで、今はローカルが時代の最先端だと感じ、地域おこし協力隊の求人を一年かけて探したという。全国的にも珍しい、商工会に配属されるという募集要項を見て、八女への移住を決めた。「この建物はSNSで見て一目惚れ。地域資源を使って地元の若手大工がつくったというコンセプトもとても良くて、絶対ここに住もうと思っていました」と、協力隊就任とともに入居を開始した。大学時代を含めると、ひとり暮らしは4拠点目になるが、今が最も心にゆとりがあるという。

部屋はメゾネットタイプの2階建て。天井、柱、家具、格子などは全て八女杉を使用。1階は土間空間で、ひんやりと涼しい空気が流れる。写真はモデルルーム。どの部屋も同じ間取りとなる(写真撮影/加藤淳史)

部屋はメゾネットタイプの2階建て。天井、柱、家具、格子などは全て八女杉を使用。1階は土間空間で、ひんやりと涼しい空気が流れる。写真はモデルルーム。どの部屋も同じ間取りとなる(写真撮影/加藤淳史)

同じく八女杉を使ったキッチン。通常、八女杉を素材に使ったキッチンはほぼないそう。木の良い香りが漂う(写真撮影/加藤淳史)

同じく八女杉を使ったキッチン。通常、八女杉を素材に使ったキッチンはほぼないそう。木の良い香りが漂う(写真撮影/加藤淳史)

キッチン裏は浴室とトイレ、ランドリースペースと水まわりが1カ所にまとめられている。小屋の先には元ランチルームがあり、それが程よい目隠しに。日光が差し込んで開放感あふれる空間が広がる(写真撮影/加藤淳史)

キッチン裏は浴室とトイレ、ランドリースペースと水まわりが1カ所にまとめられている。小屋の先には元ランチルームがあり、それが程よい目隠しに。日光が差し込んで開放感あふれる空間が広がる(写真撮影/加藤淳史)

「室内は木材がいっぱいで、玄関をくぐるたびにふわっと森林の香りがします。朝には鳥のさえずりが聴こえます。星野川は星が綺麗な地域なので、空を見上げると満天の星空が望めますし、目の前にある清流の音も心地いい。空間や家具に木が使われていることでおだやかな気持ちになり、料理や入浴の時間とかも、ひとつひとつを丁寧に過ごせるようになりましたね」と話すように、飲み会の多かった会社員時代と比べて自宅でゆっくりと過ごす時間が増えたそうだ。

当初は、八女でなくてもどこでも構わないと思っていたが、至るところに野菜の直売所があり、どれを食しても美味しいことや、長屋暮らしを通じて隣人や地元の人たちとも程よい交流ができたおかげで、暮らしを通じて、この土地に住む人のあたたかさや生活環境の良さが分かってきた山内さん。特に八女の星空と山の景色に魅せられ、地域おこし協力隊の任期を終えたあとは、この地形を活かし体験型のアクティビティをメインにした事業を起こそうと計画中だ。

「地域を盛り上げることを目標とするより、八女にいる自分がどう幸せになれるかを考えた方が地域にとって良くなりそうな気がするんです」と語る。自分の生活像も将来のことも八女に来た当初はぼんやりとしか持っていなかったが、自分の環境を変えたことで少しずつ考えがクリアになってきたそうだ。

「自身のステップの場としてこの環境があることに満足しています」と最後、爽やかに答えていただいた。

「長屋暮らしだからか周囲に人がいなくて寂しいと感じたことはないです。地域の方とは年に数回、近くの公民館で親睦会を開いてお酒を飲みながら交流するのが楽しいです」(写真撮影/加藤淳史)

「長屋暮らしだからか周囲に人がいなくて寂しいと感じたことはないです。地域の方とは年に数回、近くの公民館で親睦会を開いてお酒を飲みながら交流するのが楽しいです」(写真撮影/加藤淳史)

夫婦生活のはじまりの場として。職場は変わらずとも気持ちに変化が桜木愼也・有希子さんご夫妻。お互い理学療法士で、同じ病院に就職したことがきっかけで知り合い、昨年結婚。初めての同居生活をこの里山賃貸でスタートさせた。仕事は結婚後も継続中(写真撮影/加藤淳史)

桜木愼也・有希子さんご夫妻。お互い理学療法士で、同じ病院に就職したことがきっかけで知り合い、昨年結婚。初めての同居生活をこの里山賃貸でスタートさせた。仕事は結婚後も継続中(写真撮影/加藤淳史)

次にお話を聞いたのは、里山賃貸住宅の利用者第一号となった桜木愼也・有希子さんご夫妻。「八女のロマン」という地元の移住ポータルサイトを見て竣工式から完成まで何度も足を運び、入居開始と同時に二人暮らしを始めた。
お互いアウトドア好き、また、夫が柳川、妻が筑後から職場のある八女の中心街まで通っていたということもあり、もともと3,40分の通勤時間が発生していたことから、星野川から勤務地まで車で20分という距離もさほど気にならず、それよりも自然に囲まれた環境が良いということで、長屋生活を選んだ。

「最初は、キャンプのコテージに泊まっているような気分でしたね。春は家の窓から桜並木を眺めたり、夏は目の前にある川に足を浸して涼んだり、冬はストーブで暖をとったりと、四季を生活のなかで楽しんでいます」

そう話す愼也さんは、この物件に移り住んでからドライフラワーの制作に目覚めて、趣味でつくった花々を壁に吊るして飾っている。

ドライフラワーは愼也さんの趣味。「いつの間にか始めてましたね」とコメント。中には結婚式のブーケで使った花もあるそう(写真撮影/加藤淳史)

ドライフラワーは愼也さんの趣味。「いつの間にか始めてましたね」とコメント。中には結婚式のブーケで使った花もあるそう(写真撮影/加藤淳史)

日用品などの買い物については市街地の病院で働いていることもあり、仕事帰りに済ませているので田舎暮らしに不便は感じていない。むしろ、周囲に店が少ないことで、なるべく自宅にあるもので済ませるうちに、物を買うことへの意識が変わってきたとのこと。ひとつひとつを吟味して買うようになったので、無駄遣いがなくなり貯金ができるようになったそうだ。また、家庭菜園を始めたことで、病院に来るおじいちゃん、おばあちゃんと肥料の種類など、野菜の栽培についての話が盛り上がるようにったという。

「接客業という仕事柄、ストレスを溜めることもあります。しかし、夫への悩み相談は通勤中にするようになったので、家に帰ると自然とスイッチが切り替わって、全く仕事のことは考えなくなりますね」とにこやかに話す有希子さん。外出してもすぐに家に帰りたくなるくらい、自分の住まいが好きなんだそう。

(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

「以前は、せかせかして時間にゆとりが持てていなかったんだろうな、と思うときがあります。自分たちは、職場は変わらず、ただ住環境を変えただけなのですが、木のお風呂に浸かったり、2階のスペースで横になって休んだり、そういう暮らしが手に入ったことで変わってきたような気がしますね」と有希子さん。場所の力をひしひしと感じているようだ。

長屋の住人たちとの軽い挨拶や日常会話は毎日。「さっきイタチを見たよ」など気軽に話せる相手が近くにいることが生活の安心・安定感にもつながっている(写真撮影/加藤淳史)

長屋の住人たちとの軽い挨拶や日常会話は毎日。「さっきイタチを見たよ」など気軽に話せる相手が近くにいることが生活の安心・安定感にもつながっている(写真撮影/加藤淳史)

愼也さんも「もともと意識下にあった自分の好きなことや物が引き出された感じがありますね」というように、住まいによってご夫婦それぞれの行動や心境にポジティブな変化が生まれたようだ。

「子どもが生まれても生活的に問題なければずっとここにいたいですね。それ位この自然環境と木の生活は気に入ってます」と話す桜木さんご夫婦は最後、顔を見合わせて穏やかに微笑みあっていた。

シンプルに心地よい暮らしを求めたら、たまたま移住につながった(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

今回取材した山内さん、桜木さんはともに都市部からの移住。一般的にはそのように環境の大きく異なる地域への移住は、うまく生活していけるかなどの不安で、ハードルが高く感じるものだ。しかしこの2組の場合は、いきなり完成形を求めるのではなく、まずは里山賃貸住宅の暮らしに惹かれてコンパクトな長屋暮らしを始め、そこから少しずつ自分たちの好きなことや、やってみたいことに出会え、将来的にもここに住み続けるという「移住」という思いに至った。

全く違う環境に飛び込んでいく「移住」を大げさにとらえずに、こんな暮らしをしてみたいな、とか、単に住まい環境を変えたい、他者のコンセプトや物に惹かれた、という心のままにローカルでの暮らしを始めるのもいいのかもしれない。特にこの八女里山賃貸住宅では、同じ感覚で集まった人同士がつながることによって、それぞれが良い方向へと進んでいるようだった。

継続的な生産性は、無意識レベルでの「好き」から始まるのかもしれない。

取材当日に地域住民の有志で植えた芝生。今後はここでBBQや星空観察などを計画中だ(写真撮影/加藤淳史)

取材当日に地域住民の有志で植えた芝生。今後はここでBBQや星空観察などを計画中だ(写真撮影/加藤淳史)

●取材協力
>八女里山賃貸住宅ホームページ

デュアルライフ・二拠点生活[7]都市部のマンションと里山が結びつき、住民の第二のふるさとに

通勤便利なJR千葉みなと駅徒歩3分の大規模マンションの管理組合が、マンションの魅力アップ策として新たに「里山縁組プロジェクト」に取り組み、絵に描いたような美しい里山の風景が広がる群馬県川場村との交流を始めた。利便性の高い都市部に住みながらマンションぐるみで里山とつながる、そんな新しい形のデュアルライフを紹介しよう。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。平日は都会の生活、休日は自然豊かな環境へ。住民経営マンションの新たな取り組み

「ブラウシア」はJR千葉みなと駅から徒歩3分と近く都内への通勤者も多い、2005年完成の438世帯約1400人が住む大規模マンションだ。マンションの資産価値を保つことを目的に、管理組合が積極的に活動する「住民経営マンション」としても注目されているブラウシア管理組合が、あらたなマンション魅力アップ策として取り組んでいるのが「里山縁組プロジェクト」だ。

2005年完成、438世帯約1400人が住む「ブラウシア」。大規模マンションながら住民交流も活発で空室もないという人気だ(写真提供/ブラウシア管理組合)

2005年完成、438世帯約1400人が住む「ブラウシア」。大規模マンションながら住民交流も活発で空室もないという人気だ(写真提供/ブラウシア管理組合)

このプロジェクトを仕掛けたのは、資産価値向上のために「住民経営マンション」として活動するブラウシア管理組合の皆さんと、植栽管理およびコミュニティ形成活動にかかわっている東邦レオ株式会社(以下東邦レオ)だ。マンションの立地は変えることはできないが、マンションにとっての「第二のふるさと」をつくって住民が自然を楽しめる環境をつくることが付加価値のひとつになるのでは、というアイデアから「里山縁組プロジェクト」はスタートした。

「利便性のいい都市型マンションに住んで都内に通勤しながら、一方で自然に囲まれのんびりしたいと思っている人が多いのでは、と。私自身移住も考えたこともありますが、通勤のため断念。実際、週末になるとマンションからキャンプに出掛ける車をよく見かけます」と管理組合の吉岡さん。

川場村には山、川、田畑など絵に描いたような里山の風景が広がる。恵まれた自然はすぐにブラウシアの子どもたちの遊び場に(画像提供/ブラウシア管理組合)

川場村には山、川、田畑など絵に描いたような里山の風景が広がる。恵まれた自然はすぐにブラウシアの子どもたちの遊び場に(画像提供/ブラウシア管理組合)

東邦レオ側で面識のあった川場村の永井酒造さんからのご縁で、まずは管理組合が初めて川場村に足を運んだのが2017年7月。その後住民も交えてバスツアーなどのイベントも実施。ブラウシア側は、訪れた誰もが、豊かな自然と温かいもてなしに感激。そしてマンション内交流も盛んであったことから相思相愛となり、さまざまな共同イベントを本格開催するに至った。

住民同士の交流も深めたリンゴ狩り&BBQ日帰りバスツアー

具体的に一つ、ブラウシアと川場村の交流イベントをご紹介しよう。12月に行われたイベントは川場村のリンゴ農家での収穫体験と交流BBQをメインにしたもの。ブラウシア側の参加者は子ども10人を含む28人が、満席のバスで早朝にマンションを出発。バスはまず、川場村のリンゴ農園へ。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

1本のリンゴの樹にブラウシアの家族がオーナーになる「りんごオーナー制度」。自分たちの樹のリンゴを自分の手で収穫(写真撮影/内海明啓)

1本のリンゴの樹にブラウシアの家族がオーナーになる「りんごオーナー制度」。自分たちの樹のリンゴを自分の手で収穫(写真撮影/内海明啓)

川場村との交流のため、あらかじめ川場村のリンゴの樹の年間オーナーを募集し、応募したブラウシア住民家族は、現地で自分たちの樹のリンゴを収穫。オーナー以外の家族も、リンゴ狩りをして自分たちが採ったリンゴを買い取って楽しんだ。川場村は知る人ぞ知る、リンゴの名産地なのだ。

この日収穫したリンゴの一部。自然環境に恵まれた川場村は、リンゴのほかにも米、そば、ブルーベリー、ブドウなど農産物が豊富だ(写真撮影/内海明啓)

この日収穫したリンゴの一部。自然環境に恵まれた川場村は、リンゴのほかにも米、そば、ブルーベリー、ブドウなど農産物が豊富だ(写真撮影/内海明啓)

リンゴ狩りのあとは、川場村の住民中村さんのお宅のお庭で川場村住民、ブラウシア、川場村の取り組みにかかわっている東京農業大学の学生さんら総勢50人余りでBBQを楽しむ。このBBQが川場村のみなさんとの重要なコミュニケーションの場でもある。その後、川場村の自然に触れられる体験イベントや温泉などに移動して最後はマンションまで戻って解散、というもの。イベントのスケジュールは主だったものは決めるが、あまり固定しすぎず、その場のみんなの意見や、川場村の皆さんのアドバイスで臨機応変に変更し、住民交流できるようにしているという。

農家の庭先を借りてのBBQ交流会の様子。ブラウシア住民約30名に加え、川場村のみなさん、川場村と交流のある世田谷川場ふるさと公社や東京農業大学のみなさん合計4団体50人超で大賑わい(写真撮影/内海明啓)

農家の庭先を借りてのBBQ交流会の様子。ブラウシア住民約30名に加え、川場村のみなさん、川場村と交流のある世田谷川場ふるさと公社や東京農業大学のみなさん合計4団体50人超で大にぎわい(写真撮影/内海明啓)

川場村の皆さんは郷土料理だご汁(団子汁)をつくっておもてなし。つくり方や素材の話で会話も弾む(写真撮影/内海明啓)

川場村の皆さんは郷土料理だご汁(団子汁)をつくっておもてなし。つくり方や素材の話で会話も弾む(写真撮影/内海明啓)

単なる旅行でなく田植え、BBQ、地元交流など目的のあるイベントを楽しむ

このような住民を交えたバスツアーを、提携後11月「敬老会」、6月「田植え体験」、7月「古民家とブルーベリー」、9月「稲刈り体験(雨天により中止)」、12月「リンゴ狩り」と計画、実施し、イベント運用の目途も立ってきた。好評な「道の駅 川場田園プラザ」でのお買い物を定番にさまざまな企画を加え、来年度はより多くの住民に参加してもらう予定だという。

「道の駅川場田園プラザ」は東日本でも指折りの充実した道の駅。ここに立ち寄り地元の新鮮野菜をBBQ用やお土産用に買い物するのはイベントの定番コースに(写真撮影/内海明啓)

「道の駅川場田園プラザ」は東日本でも指折りの充実した道の駅。ここに立ち寄り地元の新鮮野菜をBBQ用やお土産用に買い物するのはイベントの定番コースに(写真撮影/内海明啓)

今回、ご家族4名で参加された守屋さんは、6月の田植え体験に続いて2回目の参加。ご夫婦ともに千葉出身で「いわゆる田舎らしい田舎がないので、子どもにここでしかできない田植えやリンゴの収穫などを実際に体験させてあげられることが貴重です」と語る。5歳の長男も田植えをしたら収穫が楽しみになり、いい教育になったという。

6月に行われた田植えは泥んこになって大人も子どもも初体験。夢中になってカエルを探したり、お米ができるまでに興味をもったり、貴重な体験となった(画像提供/ブラウシア管理組合)

6月に行われた田植えは泥んこになって大人も子どもも初体験。夢中になってカエルを探したり、お米ができるまでに興味をもったり、貴重な体験となった(画像提供/ブラウシア管理組合)

小学生の男の子を連れて家族2人で参加した高田さん一家は、なんとプライベートでもおとずれるといい、今回で6回目の川場村訪問。「川場村の道の駅は第七駐車場まであっても一杯になり、一日中遊べるくらいの充実度で都会的です。でもそこから数分走って村までくると観光客には誰にも会わない、この絶妙なバランスがいいですね」と高田さん。川場村との提携の話を聞いて、早速一家で訪問してからすっかりお気に入りだという。「子どもには田んぼでの泥んこ遊びがとにかく楽しかったみたいです。通っているうちに村に、というより出会う村の人に愛着を感じ、人に会いに来ています」

このように、川場村の住民の皆さんとの交流も楽しみのひとつ。地元の親子も参加する交流BBQや自然体験を通じて子ども同士も仲良くなり、「環境が異なる場所で育っている子ども同士の触れ合いもいい刺激です」という声も。「途中の道の駅でBBQ用の野菜を買ったら、川場村側の参加者にその野菜の生産者さんがいた」「メールアドレスを交換して珍しい野菜の調理方法や田舎料理のレシピを教えてもらった」など。相互の交流を楽しむ声が続々聞こえてきた。

バスツアーのほか、マンション内で行われる夏祭りなどのイベントでは、川場村の産直野菜を販売するマルシェはもはや定番。過去2回実施したが、発売前に長蛇の列ができるほどの人気だ。

ブラウシアで実施する夏祭りやクリスマスなどのイベントでは川場村の産直野菜を販売。発売30分で売り切れるほどマンション住民にも大人気だ(画像提供/ブラウシア管理組合)

ブラウシアで実施する夏祭りやクリスマスなどのイベントでは川場村の産直野菜を販売。発売30分で売り切れるほどマンション住民にも大人気だ(画像提供/ブラウシア管理組合)

管理組合のみなさんに今後の抱負を伺うと「川場村でお米や野菜を育てたい」「蛍が見られるときにツアーを」「お米の田植えと収穫体験をセットで」「りんご農家さんで受粉体験を」「川場村の獣害などお困りごと解決ボランティア」「川場村のような提携先を複数の自治体と」など次々にアイデアがあふれ出る。来季からはより多くの住民がイベントに参加し、川場村と交流できるようにする予定。着実に群馬県川場村はブラウシア住民の心の故郷になろうとしている。こんなマンションに住んだら休日も楽しそう、と思ったが「残念ながら現在空室ありません」とのこと。やはり管理組合が活性化しているマンションは人気なのだ。

●取材協力
ブラウシア管理組合
東邦レオ

デュアルライフ・二拠点生活[6] 山梨県北杜市 子育てのために選択した里山の生活で家族全員が変わった!

八ヶ岳や南アルプスなど美しい山々に囲まれた山梨県北杜市。お子さんの入園をきっかけに東京から住まいを移したOさん一家は、夫の通勤のための拠点も持つ、のびのび子育てデュアラーだ。デュアルライフ(二拠点生活)を決断するまでは夫婦で悩み抜いた、と笑顔で振り返るOさんの暮らしをご紹介しよう。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。休日は大自然に囲まれ家族だんらん、夫は通勤のためニ拠点を使いわけ東京都府中市から山梨県北杜市に住まいを移したOさんご家族(写真撮影/内海明啓)

東京都府中市から山梨県北杜市に住まいを移したOさんご家族(写真撮影/内海明啓)

遠くに八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳などの南アルプス連峰がそびえる雄大な景色に囲まれた里山、山梨県北杜市。Oさんご一家が東京からここに住まいを移し、通勤のためデュアルライフ(二拠点生活)を始めるきっかけになったのは、日登(ひのと)くん(4歳)の入園だった。

「子どもは自然豊かな環境で、余計な知識を与えずに育てたいと思っていました。どうしてもここの保育が受けたくて、動くなら入園前にと悩みに悩んだ末の一大決心でした」と妻の未来さん(36歳)。

自宅から園まで、雄大な南アルプスの山々を眺めながら田んぼの間の道をまっすぐ進む、映画のような風景が広がる山梨県北杜市。すぐそこに森も川も広がる、豊かな里山だ(写真撮影/内海明啓)

自宅から園まで、雄大な南アルプスの山々を眺めながら田んぼの間の道をまっすぐ進む、映画のような風景が広がる山梨県北杜市。すぐそこに森も川も広がる、豊かな里山だ(写真撮影/内海明啓)

1年前までのお住まいは、夫・善行さん(37歳)が勤務する新宿まで一本で通勤できる府中の賃貸一戸建て。現在は善行さんが、通勤時は栃木にある妻の実家、休日は家族が待つ北杜市という二拠点を行き来している。「幸い夜勤もあるシフト制の仕事なので、夜勤明けは実質3日間ゆっくり家族で過ごすことができます」

日登くんが4月から通い始めた園は、北杜市の住まいから車で約20分の「森のようちえんピッコロ」。保育士と保護者による共同運営の園で、子どもの感性・想像力・考える力を信じて大人が先導せずに見守る保育を実践している。教育方針に強く共感したものの、山梨県北杜市に地縁があるわけではない。o夫妻が入園と自分たちのデュアルライフを決断するまでには大きな葛藤があった。

文字通り里山に囲まれた「森のようちえんピッコロ」。園庭もまさに自然。つくられた砂場や遊具はなく、遊びを通して危険との付き合い方も覚える(写真撮影/内海明啓)

文字通り里山に囲まれた「森のようちえんピッコロ」。園庭もまさに自然。つくられた砂場や遊具はなく、遊びを通して危険との付き合い方も覚える(写真撮影/内海明啓)

子育て、仕事、住まい、将来設計など悩みぬいて教育方針と環境に惹かれた園へ

東京で一生を終えるイメージが沸かず、自然の中での暮らしにも憧れがあったご夫妻は「自分たちがこれから根を張って生きていく場所を探そう」と、日登くんの入園を前に都内や移住先候補の長野や山梨、実家のある栃木など複数のエリアで幼稚園の情報収集や現地見学を行った。

実際に現地に出かけてみると、似た環境の園でも実情は千差万別であること、移住を考えていた場所がイメージより都会、などさまざまな気付きがあった。教育方針に共感したピッコロは善行さんが通勤するには遠いので、通勤圏内での転職先探し、未来さんが就職して保育園を探すなど、あらゆる選択肢を検討して悩み抜いたという。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

園を選択すると、住まい、仕事、将来設計、など全てがつながって変わってくるので、どんどん身動きが取れなくなる。決断ができないまま月日がたち、日登くんの入園にすべてを間に合わせるはずが、条件がそろってから途中入園でも、と弱気になった。そんなとき先輩ママさんから「年少さんは年中・年長さんたちからたくさんの気持ちを寄せてもらって愛情を浴び、見えないものを積もらせてゆくかけがえのない時」と言われて、未来さんはハッとした。「全てが整うのを待ってからではなく、今できるベストの選択をしよう。全てを一度に変えようとせず、できるところから。まずは園を決めて住まいを山梨に移そう」と善行さんに決心を告げる。

善行さんは「体調が悪くなったとき、そばにいてあげられないし、頼る親も友人もいない」と反対。持病があり健康面の不安がある未来さんにとって、いざというときに親に頼れる実家のある栃木に家族3人で移住することが安全な選択だった。しかし「安全な選択ではあるものの、自分が大切にしたいものを失う気がした」という未来さんを説得しようとしても、「どんどん妻の顔が暗くなっていくのが分かりました」と善行さん。

未来さんの熱意に影響され、善行さん自身も「安定志向で思い切った決断をできない自分を変えたい」「行ってみてダメなら帰ってくればいい」、と二拠点での暮らしに同意したのは入園申し込みの締め切りギリギリだった。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

こうした大きな葛藤を経て、日登くんの園は決まった。入園が正式に決定するとすぐに、北杜市に家を探して引越した。地縁もないなか「ペーパードライバーだったので、家から園までの通園ルートの運転練習から始めた」という未来さん、初めての園通いの日登くん、通勤のため妻の実家を新たな拠点とした善行さん。家族3人それぞれ新しいチャレンジのデュアルライフがスタートした。

山梨は冬が寒いのではと不安だったが、選んだ賃貸は断熱性が高く、ひと冬過ごしてみて、快適で冷暖房費もあまりかからず大正解だったという(写真撮影/内海明啓)

山梨は冬が寒いのではと不安だったが、選んだ賃貸は断熱性が高く、ひと冬過ごしてみて、快適で冷暖房費もあまりかからず大正解だったという(写真撮影/内海明啓)

子どもはのびのび、妻は健康に、夫もオンオフのメリハリができ、家族全員が楽しんで成長自然に恵まれた北杜市は野菜や果物の宝庫でもある。自宅と園の間にある明治・大正・昭和の校舎を活用した「三代校舎ふれあいの里」で地元産の新鮮な野菜を選ぶのも楽しみ(写真撮影/内海明啓)

自然に恵まれた北杜市は野菜や果物の宝庫でもある。自宅と園の間にある明治・大正・昭和の校舎を活用した「三代校舎ふれあいの里」で地元産の新鮮な野菜を選ぶのも楽しみ(写真撮影/内海明啓)

日登くんは、森や川に囲まれた恵まれた自然環境の中、園でたくさんのお友達と心が揺れる経験を積み重ねて大きく成長中。保育では自分で薪に火をつけたり、野菜を包丁を使って切ったりなどの体験を通して、「うまくいかない」や、「揺れる心」を味わい尽くすそうだ。「時間に追われず、ありのままを受け入れてもらうことで、元々持っていた個性がどんどん現れて輝いています。自己主張もはっきりするようになりました。生きる喜びにあふれている様子です」と未来さん。

保育後、お友達とお料理ごっこやお店屋さんごっこで一緒に遊ぶ日登くん。園に行くのが楽しみで仕方ないという(写真提供/未来さん)

保育後、お友達とお料理ごっこやお店屋さんごっこで一緒に遊ぶ日登くん。園に行くのが楽しみで仕方ないという(写真提供/未来さん)

実は変わったのは子どもだけではない。「引っ込み思案な妻が、コミュニケーションを楽しみながら、園の運営にかかわる姿に驚きました」と善行さん。「環境が身体に合うのか、薬のお世話になる日が激減し、健康面の不安も少なくなりました」と未来さん。

都会では遠足に出かけないと見ることができないような森や川がすぐそばにある恵まれた環境。写真は父の日の保育「お父さんと森へゆこう」のひとコマ(写真提供/未来さん)

都会では遠足に出かけないと見ることができないような森や川がすぐそばにある恵まれた環境。写真は父の日の保育「お父さんと森へゆこう」のひとコマ(写真提供/未来さん)

いのちをより身近に感じる機会も東京暮らしのときにくらべ圧倒的に増えた(写真提供/未来さん)

いのちをより身近に感じる機会も東京暮らしのときにくらべ圧倒的に増えた(写真提供/未来さん)

善行さんも育児はもちろん、地域の方々とつくり上げる行事やイベントなどにも積極的に参加。「ほかの子どもたちや地域の方々と触れ合う機会も多く、自分自身も癒やされます」と善行さん。はじめる前は離れて暮らすことに抵抗はあったが、日登くんと未来さんのイキイキとした姿を目の当たりにして、選択して良かったと思うようになった。善行さん自身、オンとオフのメリハリもでき仕事のモチベーションも上がった。子育てのためにと思い切って一歩を踏み出したデュアルライフは、子どもだけでなく、予想外にも大人に変化と成長をもたらしたようだ。園での理想の子育ても、憧れの自然の中での暮らしも、しっかりと手ごたえを感じているOさん一家だ。

●取材協力
・森のようちえんピッコロ

デュアルライフ・二拠点生活[5]山梨県南巨摩郡、月に一度のゆる田舎暮らし。手間とお金をかけず楽しむデュアルライフ

「まさか、自分の人生で猿と本気で戦う日々が訪れるとは思ってもいませんでした」。そう語るのは、都会暮らしの長いHさん(40代)。月に一度、四方を山に囲まれた、住む人もまばらな里山で、悠々自適なデュアルライフ(二拠点生活)を楽しんでいます。天候や害獣に翻弄されはするものの、それも楽しみ方のひとつ。友人を招いてのアウトドア料理やDIYなど、新たな趣味も生まれました。なぜ、そのようなライフスタイルの変化が起きたのか、Hさんにうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
デュアルライフ(二拠点生活)にはこれまで、別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイア組が楽しむものだというイメージがありました。しかし最近は、空き家やシェアハウス、賃貸住宅などさまざまな形態をうまく活用してデュアルライフを楽しむ若い世代も増えてきたようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます東日本大震災をきっかけに、土地に根差した生活を志向

Hさんはフリーランスのライター/雑誌記者。普段は、都心の事務所を拠点に、取材や原稿執筆に追われています。東京で生まれ、大阪を経て、横浜育ち。田舎とは無縁の生活を送ってきましたが、学生時代から、年に1、2回ほど、山梨県南巨摩郡にある人里離れた山中の集落に足を運んでいたとのこと。そこは、Hさんの祖父が生まれ育った土地。鎌倉時代から続くH家のルーツなのだそうです。

「最盛期には90人近くの住民がいたそうですが、急速に過疎が進行。祖父自身も、若くして山を下り、北海道に移り住みました。ただ、晩年になり、故郷に錦を飾りたくなったのでしょう。老朽化が進み、住む人もいなくなった生家を建て直し、瓦葺きの立派な母屋を新築したのです」

それが、40数年前のこと。ただ、新築後の数年を除き、すぐに空き家になってしまったそうです。

「そのため、私の両親や親戚がたまに手入れに行き、家を維持してきました。私自身も、学生時代から年に1、2回、墓掃除などに駆り出されていたんです。ただ、自宅から片道3時間弱かかるし、夜は真っ暗。私にとって、仕方なく行く場所でしかなく、次第に足は遠のいていきました」

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

築40数年。長く無人であったとは思えないほどしっかり保たれた室内。間取りは、なんと8LDK。山間だけあって日照時間は限られるが、室内には明るい日が差し込む(写真撮影/内海明啓)

築40数年。長く無人であったとは思えないほどしっかり保たれた室内。間取りは、なんと8LDK。山間だけあって日照時間は限られるが、室内には明るい日が差し込む(写真撮影/内海明啓)

祖父の実家でありながら、次第に足が遠のいていった土地。そうした意識が、180度変わったのが、東日本大震災だったとHさんは言います。

「テレビ番組で、タレントが畑を耕しながら、『村』を開拓する企画がありましたよね。好きな番組でしたが、原発事故により、その『村』が帰還困難区域に含まれたことを知りました。私も当時、仕事やボランティアで福島に何回か足を運びましたが、多くの人が理不尽にも、土地を追われたことに心を痛めました。私自身は、根無し草のような生活をしてきたけれど、本来、農耕民族である日本人にとって、土地は切っても切り離せないもの。たまたま、自分にはゆかりの土地がある。土地と共に暮らすとはどういうことか、肌感覚として知りたくなったんです」

土いじりやアウトドアとは無縁の生活からの第一歩

そんな思いから、Hさんのデュアラー(二拠点生活者)としての暮らしが始まりました。とは言っても、あくまで「気軽に、肩ひじ張らず」がコンセプト。土地を開墾し、小さな畑でもつくり、新鮮な野菜を肴(さかな)に、うまい酒が飲めればそれでいい、くらいに考えていたそうです。

「当時、『週末農業』という言葉が流行っていましたが、毎週なんてとても無理。そこで、『月1農業』と名付け、月1回のペースで都内から通うことにしたんです。最初のうちは、キュウリやナス、白菜など、さまざまな野菜を育てましたが、収穫のタイミングを逸したり、手入れが追いつかなかったりと大変。3年目以降は、月に1回の訪問でも育つ、ジャガイモやサツマイモなどの根菜を主力作物としています」

ありがたかったのは、設計関係の仕事をしている友人のAさんが趣旨に賛同してくれたこと。畑や造作関係で多大な力を発揮してくれているそうです。なんと、今ではHさんより訪問回数が多いとか。ほかにも、収穫の時期を中心に、多くの友人・知人が遊びに来てくれると言います。

最初のシーズンの収穫物。収穫時期を逸して、キュウリやナスが巨大化してしまった(画像提供/Hさん)

最初のシーズンの収穫物。収穫時期を逸して、キュウリやナスが巨大化してしまった(画像提供/Hさん)

友人のAさん(右)らとジャガイモを収穫。大勢来ても大丈夫なように、たくさんの作業着や長靴が用意されている(画像提供/Hさん)

友人のAさん(右)らとジャガイモを収穫。大勢来ても大丈夫なように、たくさんの作業着や長靴が用意されている(画像提供/Hさん)

農業どころか家庭菜園の経験もなかったHさん。最初は、ホームセンターで購入した苗を、プラスチックの黒いポットごと土に植えようとしていたほど。それが今では、たい肥を自作するまでになりました。

「ジャガイモの茎に、ミニトマトのような実がなって驚いたことがありましたが、ジャガイモもトマトも同じナス科の植物と知って納得。そんな、小さな気づきが、行くたびに生まれました。無農薬で育てた不格好な白菜が、虫の棲み処と化しているのを見たときは、農家さんの努力に頭が下がると同時に、スーパーに並ぶきれいな野菜は、どれだけ農薬を使っているのだろうか、と思ったり」

そうした害虫以上に手強いのが害獣だと、Hさんは力説します。

「新芽をすぐに摘んでしまう鹿や、土を掘り返す猪に対しては、畑に侵入しないよう、柵で囲うことで対抗したのですが、問題は猿との終わりなき攻防です。ご近所の方も、手を焼いているようでした。奴らは上から攻めてくるので、天井を含め、柵を全面ネットで覆うことで防御態勢を敷きました」

柵の中の作物を狙っている猿。人間が近づくとすぐに逃げるが、遠巻きに獲物を狙っている。こちらの画像は、動くものに反応してシャッターを切る「動物監視カメラ」で撮影(画像提供/Hさん)

柵の中の作物を狙っている猿。人間が近づくとすぐに逃げるが、遠巻きに獲物を狙っている。こちらの画像は、動くものに反応してシャッターを切る「動物監視カメラ」で撮影(画像提供/Hさん)

しかし、友人のAさんが、手間暇かけて育てたトウモロコシを、まさに収穫しにいったその日、猿の一団がナイロン製のネットを破って侵入。一瞬のスキをつかれ、すべて奪われてしまったのだと言います。

「ゆでたてのトウモロコシをつまみにビールを飲むことだけを楽しみにやってきたAさんの怒りは、その時、頂点に達しました。一方、私はといえば、猿と本気で戦っている自分たちの姿が、これまでの都会での生活とかけ離れているため、無性におかしくなり、笑いをこらえるのに必死でした。とはいえ、このまま手をこまねいているわけにもいかず、柵を全面、金網で囲うことにしたのです」
その後、半年かけて金網化を完了するものの、その翌年、まさかの大雪が。金網にしたことがあだとなり、柵は見事につぶれてしまいます。「本当にぺっちゃんこになってしまい、笑ってしまいました」とHさん。

積雪量が少ない地域にもかかわらず、数十年ぶりといわれる大雪に見舞われ、単管パイプ(足場パイプ)で組んでいた25mプールほどの大きさの柵が崩壊(画像提供/Hさん)

積雪量が少ない地域にもかかわらず、数十年ぶりといわれる大雪に見舞われ、単管パイプ(足場パイプ)で組んでいた25mプールほどの大きさの柵が崩壊(画像提供/Hさん)

その後、小さな柵を複数再建するも、今に至るまで、猿の軍団の遊び場と化している(画像提供/Hさん)

その後、小さな柵を複数再建するも、今に至るまで、猿の軍団の遊び場と化している(画像提供/Hさん)

新旧の友人が集う、大人の「秘密基地」として機能

それ以外にも「水道管が破裂した」「台風で屋根の瓦が吹っ飛んだ」「付近で山火事が起きた」「土砂崩れで道がふさがれた」「ネズミが食べ物を食い散らかした」など、行くたびにトラブルが生じます。しかし、そんな騒ぎも、楽しめるくらいたくましくなってきたとHさん。人里離れた、山暮らしの魅力とは何でしょうか。

夏から秋にかけてはスズメバチが活発化。日本酒やみりんでつくった自家製トラップの効果は高いが、軒下等に巣を見つけた場合は、シルバー人材センターなどに連絡して駆除してもらう(写真撮影/内海明啓)

夏から秋にかけてはスズメバチが活発化。日本酒やみりんでつくった自家製トラップの効果は高いが、軒下等に巣を見つけた場合は、シルバー人材センターなどに連絡して駆除してもらう(写真撮影/内海明啓)

「昔から、モノづくりやDIYに興味があったんです。けれど、都心の住宅地では、物音を立てるわけにはいきません。でも、ここでは、電気ノコギリや電動ドリル、エンジンチェーンソーを使っても、誰にも迷惑がかかりません。燻製やバーベキューなど、煙や臭いが出る調理もできるし、大音量で映画や音楽を楽しむこともできるんです」

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

屋外での調理やバーベキューでも、煙や臭いを心配する必要はなし(写真撮影/内海明啓)

屋外での調理やバーベキューでも、煙や臭いを心配する必要はなし(写真撮影/内海明啓)

Hさんたちがつくったのは、ウッドデッキをはじめ、テーブル、カウンター、石窯、アウトドアキッチン、ドラム缶風呂など、挙げればきりがありません。

「憧れだった電動工具をひと通りそろえました。コンクリートで基礎をつくるのも、昔からしてみたかったこと。今後は、溶接や鉄工に挑戦しようと思っています」

(画像提供/Hさん)

(画像提供/Hさん)

単管パイプと木材を併用して製作したウッドデッキ。母屋と庭を結ぶ大切な接点であり、憩いの場。この後、1.5倍に拡張したうえ、蚊帳や日除け、照明、ハンモックなどが吊るせるよう、柱と梁を設置した(画像提供/Hさん)

単管パイプと木材を併用して製作したウッドデッキ。母屋と庭を結ぶ大切な接点であり、憩いの場。この後、1.5倍に拡張したうえ、蚊帳や日除け、照明、ハンモックなどがつるせるよう、柱と梁を設置した(画像提供/Hさん)

自作の石窯はHさんの自信作。ただし、ピザを焼く適温の400度になかなか達しないのが悩み。改良の余地ありだとか(写真撮影/内海明啓)

自作の石窯はHさんの自信作。ただし、ピザを焼く適温の400度になかなか達しないのが悩み。改良の余地ありだとか(写真撮影/内海明啓)

裏の竹林から切り出した青竹でオリジナルの門松を製作。コストは限りなくタダに近い(画像提供/Hさん)

裏の竹林から切り出した青竹でオリジナルの門松を製作。コストは限りなくタダに近い(画像提供/Hさん)

先ほどから、料理の写真が続いていますが、Hさん自身は、決して料理が得意なわけではありません。都会の暮らしでは、なかなか味わえないような料理づくりも楽しみのひとつだとか。

「料理好きの友人が多いので、一緒になって、いろいろなことに挑戦しています。そば打ちや、手打ちうどん、流しそうめん、鯛の塩釜焼きといった和食から、自家製ソーセージやハンバーガー、パエリアやシュラスコなどの各国料理まで。七面鳥を焼くこともあるんです」

バウムクーヘンもづく作り。生地を塗った竹を炭火にかざし、回転させながら一層一層、焼き上げたのだそう(画像提供/Hさん)

バウムクーヘンも手づくり。生地を塗った竹を炭火にかざし、回転させながら一層一層、焼き上げたのだそう(画像提供/Hさん)

最近はパンづくりにも挑戦。ピザを焼いた後の石窯に発酵させたパン生地を投入し、鉄扉をとじるだけで見事な食パンが完成(画像提供/Hさん)

最近はパンづくりにも挑戦。ピザを焼いた後の石窯に発酵させたパン生地を投入し、鉄扉をとじるだけで見事な食パンが完成(画像提供/Hさん)

定番メニューと化しているという燻製。安いチーズやウインナーが極上のつまみになる(画像提供/Hさん)

定番メニューと化しているという燻製。安いチーズやウインナーが極上のつまみになる(画像提供/Hさん)

年に2回、農作物の「収穫祭」を実施。ここ数年は、現地に来られない人のために、収穫した作物を東京に持ち帰り、友人宅で豪華なホームパーティーを開催している(画像提供/Hさん)

年に2回、農作物の「収穫祭」を実施。ここ数年は、現地に来られない人のために、収穫した作物を東京に持ち帰り、友人宅で豪華なホームパーティーを開催している(画像提供/Hさん)

月1で通いだして3年目のこと。それまで携帯電話の電波もつながりづらかった土地に、光回線が開通し、インターネットが使えるようになりました。

「画期的な出来事でした。滞在期間中に急な仕事や作業が発生しても、都内の仕事場に戻らずにある程度の対応ができるようになりました。また、映画や音楽の配信サービスも利用できますから、大音量でそれらを楽しむこともできます。いずれにしろ、月に1回、リフレッシュする時間、空間があるというのは、都内で仕事をするうえでも貴重です」

二拠点生活をするようになって、話しのタネに困らなくなったと話すHさん。はじめて会う人でも、興味をもってくれる人が少なくないそう。交通の便がいいとは言えないものの、大勢の友人・知人が遊びに来てくれることが何よりうれしいとも。

「古い友人が訪ねてくれることもあります。知り合いが、その知り合いや家族を連れて来てくれることで、出会いも広がりました。単にうまい酒を飲みに来るのでもいいし、山登りやツーリング、釣りのついでに立ち寄るのでもいい。それぞれの人にとっての『秘密基地』として、機能してくれたらうれしいです」

バーカウンターにはウイスキーが並ぶ。「月に1回程度の訪問だから、封を開けてもボトルキープが利く蒸留酒がちょうどいいんです」とHさん(写真撮影/内海明啓)

バーカウンターにはウイスキーが並ぶ。「月に1回程度の訪問だから、封を開けてもボトルキープが利く蒸留酒がちょうどいいんです」とHさん(写真撮影/内海明啓)

ウッドデッキに照明を灯すと、おしゃれな雰囲気に。雲がないとプラネタリウムのような星空が広がる。初夏にはホタルが飛び交うシーンも(写真撮影/内海明啓)

ウッドデッキに照明を灯すと、おしゃれな雰囲気に。雲がないとプラネタリウムのような星空が広がる。初夏にはホタルが飛び交うシーンも(写真撮影/内海明啓)

夏に、一回り下の友人たちとした花火のひとコマ。世代に関係なく交流が広がっていく(画像提供/Hさん)

夏に、一回り下の友人たちとした花火のひとコマ。世代に関係なく交流が広がっていく(画像提供/Hさん)

祖父から引き継がれた家屋(現在はHさんの父親名義。Hさんは周辺の土地を所有)は、瓦の葺き替えや、井戸水ポンプの交換など、細かい修繕は必要なものの、大規模なリノベーションをしているわけではありません。身の丈にあわせて、コツコツのんびりやるのが性に合っているとのこと。必要以上にお金と手間をかけないことが長続きの秘訣なのでしょう。別荘みたいな使い方だけれど、それよりは頻繁に足を運ぶ大人の「秘密基地」。都会と田舎のいいとこ取り。そんなデュアルライフ(二拠点生活)を求めている人に、ヒントを与えてくれそうです。

デュアルライフ・二拠点生活[4] 千葉県香取市 将来の移住を見据え、都心のタワマンから週末滞在型農園に土いじりに通う

共働きのYさん夫妻のお住まいは、超都心のタワーマンションの高層階。仕事のため利便性重視で山手線沿線の住まいを購入したものの、一生住むつもりではない。将来移住するならば野菜づくりの趣味くらいあったほうがいいと千葉県香取市に居住スペースと畑を借り、毎週末自分の畑の手入れに通う。いわばプレ移住デュアラーであるYさんのライフスタイルをご紹介しよう。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。定年後の移住を視野に、趣味のアウトドアから土いじりにチャレンジ東京都港区のタワーマンションの高層階に愛犬とお住まいのYさんご夫妻(写真撮影/内海明啓)

東京都港区のタワーマンションの高層階に愛犬とお住まいのYさんご夫妻(写真撮影/内海明啓)

都心のタワーマンションに暮らし、ともに公務員として平日は仕事が忙しいというYさんご夫妻は、週末は千葉県香取市に借りた自分たちの畑で汗を流すという一面ももつデュアラーだ。お住まいは10年前に仕事のため利便性重視、資産価値が下がらないよう山手線駅最寄りで徒歩10分以内を条件に購入した港区のタワーマンション高層階。一方、今年4月から千葉県香取市が運営する滞在型市民農園「クラインガルテン栗源(くりもと)」を借り、ここにも自分たちの小屋と畑があるのだ。

休日は愛犬を連れてオートキャンプ、トレッキング、海や山などに出かけることが多かったお二人。「今は仕事があるから都心が便利でも、一生暮らすつもりはない」と、山か温暖な場所への移住を漠然と考えていた。東京都出身で特にほかに地縁があるわけではなく、八ヶ岳、鴨川、館山、などさまざまな場所にリサーチがてら出かけているうちに「定年後移住するなら、土いじりができたほうが楽しめそう」と思ったのが農業に興味をもつきっかけだったという。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

それまではベランダのプランターで野菜をつくる程度だったので、きちんと学ぼうと早速行動開始。まずは夫が一人で農業体験教室へ。千葉県千葉市まで隔週で1年通い、約25万円かけて農業の基礎を学んだのが3年前だ。その後、学んだことを実践する場を探し、たまたまテレビ番組で紹介されていた滞在型市民農園を知り応募するが落選。代わりに千葉県の山奥の畑を1年契約7万円で借りたものの、畑の規模も小さく植えるものも決められていて自由度もなく物足りなかった。そこで1年後のこの4月に再度応募し、約310平米の敷地に畑と宿泊も可能な休憩小屋がセットされたひと区画を借り、デュアルライフが始まった。

畑110平米と休憩小屋35平米と庭のセットで約310平米ひと区画がY夫妻の専用スペース(写真撮影/内海明啓)

畑110平米と休憩小屋35平米と庭のセットで約310平米ひと区画がY夫妻の専用スペース(写真撮影/内海明啓)

週末早朝に都心を出発し、愛犬と畑仕事に一日を費やし暮らしにメリハリ

クラインガルテン栗源は、畑スペースと休憩小屋のセットが全20区画、さらに共同の畑や集会所などの共用スペースもある香取市が運営するコミュニティだ。年間40万円と2.4万円の共益費(電気・ガスは別途)で、最長5年間借りることができる、いわばプチ農業体験スペース。農業に必要な肥料や耕運機などの工具も共用で用意され、地元の農家の方に農業指導をしてもらう機会もある。「道具を一からそろえる必要もなく、気軽にスタートできました。農業といえるほどの畑の広さではありませんが、季節ごとに植える物の場所や配分を計画するのが楽しいです」と夫。

共同利用農業器具、ビニールハウス、洗い場など基本的なものは共用部分にそろっているため、初心者でも手軽に畑仕事をスタートしやすい環境だ(写真撮影/内海明啓)

共同利用農業器具、ビニールハウス、洗い場など基本的なものは共用部分にそろっているため、初心者でも手軽に畑仕事をスタートしやすい環境だ(写真撮影/内海明啓)

現在のYさん夫妻の週末のライフスタイルはこうだ。愛犬を連れて土曜日早朝に都心を車で出発し、香取市に着いたら自分の庭で畑を眺めながら朝食。途中、昼食休憩をはさんで、午前と午後は畑仕事に集中。暗くなるまで作業をしたら、帰路の渋滞の様子を見ながら畑からの収穫物を持ってその日のうちにマンションに戻る。土曜日が雨なら日曜日、必ず週1回は訪れる。

いざ畑仕事を始めると、それぞれの役割分担を黙々と集中してやる、というお二人。実は虫が苦手という妻の手つきもなかなかのもの(写真撮影/内海明啓)

いざ畑仕事を始めると、それぞれの役割分担を黙々と集中してやる、というお二人。実は虫が苦手という妻の手つきもなかなかのもの(写真撮影/内海明啓)

自分たち専用の空間があることで、農地だけを借りていた昨年とは使い勝手が全く違うという。軽く調理して食事、農作業後のシャワー、休憩、必要な荷物を置いておくこともできる。「それでも、実はまだ宿泊したことはありません。その日のうちに都内に戻ったほうが、翌日も有効に使えるからです」。週末の楽しみができたことで、メリハリのある生活になったという。

専用の室内は35平米とコンパクトながら約10畳のリビングと水まわり(キッチン・バス・洗面・トイレ)も一通りそろい、エアコン付き。休憩はもちろん、宿泊も可能な快適さだ(写真撮影/内海明啓)

専用の室内は35平米とコンパクトながら約10畳のリビングと水まわり(キッチン・バス・洗面・トイレ)も一通りそろい、エアコン付き。休憩はもちろん、宿泊も可能な快適さだ(写真撮影/内海明啓)

移住お試し期間で畑やコミュニティを楽しみ将来の選択肢を広げるYさんの区画は全20区画並ぶクラインガルテン栗源のなかで一番共用スペース寄りのため、通りがかるほかの住人とも顔を合わす機会も多く、思いのほかコミュニケーションが増えたという(写真撮影/内海明啓)

Yさんの区画は全20区画並ぶクラインガルテン栗源のなかで一番共用スペース寄りのため、通りがかるほかの住人とも顔を合わす機会も多く、思いのほかコミュニケーションが増えたという(写真撮影/内海明啓)

毎週通うようになって、同じクラインガルテン栗源の住人たちとのお付き合いも始まった。畑仕事という共通の趣味があるため、年齢や職業や住んでいる場所など一切関係なく話が弾むという。「畑の先輩たちが多いので、親切にいろいろ教えてもらって助かっています」と夫。都心のマンション暮らしにはコミュニティがないし、移住していきなりディープなコミュニティに入れるかどうかの不安もある。そんななか、共通の趣味を通じた週末畑仕事のデュアルライフはまさにイイトコ取りで、コミュニケーションもライフスタイルも楽しんでいる。

農作物は生き物でどんどん育つため、連休でキャンプなどに遠出しても、その帰りには必ず通っているという。「大変ですが、世話する喜びもあります。農作物を上手に育てるコツは丁寧に世話することですから」と夫。

今回の瑞々しい収穫物。初年から豊作で、家族では食べきれず職場やご近所の方々に配ったという(写真撮影/内海明啓)

今回の瑞々しい収穫物。初年から豊作で、家族では食べきれず職場やご近所の方々に配ったという(写真撮影/内海明啓)

農業の学校にまで通ったアウトドア派の夫に対し、実は虫が苦手だという妻。「虫は今も嫌いだけど、虫も農作業もだいぶ慣れました(笑)。作物は待ってくれないのでいつも追われて大変なことが多いですが、その分収穫の喜びは大きいですね」という。

移住を考えるために、自分たちに実際何ができて何ができないかを見極めたいというお二人。「定年はまだ先ですがそれに縛られず臨機応変に早めに探してもいいし、将来の可能性を広げておきたいですね」と夫。プレ移住デュアルライフによって、お二人の将来計画のイメージはより具体的になってきているようだ。

お二人が畑作業中、愛犬は庭の一角に設けたドッグランで自由に過ごす。普段はマンション暮らしだけに土の上を走り回ることができてうれしそうだという(写真撮影/内海明啓)

お二人が畑作業中、愛犬は庭の一角に設けたドッグランで自由に過ごす。普段はマンション暮らしだけに土の上を走り回ることができてうれしそうだという(写真撮影/内海明啓)

●取材協力
・滞在型市民農園 クラインガルテン栗源(平成31年度の募集は1月23日まで)

デュアルライフ・二拠点生活[1] 南房総に飛び込んで生まれた、新しい人間関係や価値観

今までにない、デュアルライフ(二拠点生活)で、人生を充実させている人が増えています。その一人が、川鍋宏一郎さん(34)。東京に本社のある外資系IT企業に勤務し、横浜市内の自宅で四人家族で生活していますが、2年ほど前から、毎週末は、千葉県南房総のもう一つの拠点に通っています。
その動機や経緯、意識の変化などについて、南房総でうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
デュアルライフ(二拠点生活)にはこれまで、別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイア組が楽しむものだというイメージがありました。しかし最近は、空き家やシェアハウス、賃貸住宅などさまざまな形態をうまく活用してデュアルライフを楽しむ若い世代も増えてきたようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。田舎の不動産探しをきっかけにシェアハウスを知る

「もともとキャンプや自然が好き。しかし住んでいるのは綱島(横浜)の住宅地。あるとき、東京近郊でも少し田舎に行けば、空き家物件が300万円くらいと驚くような低価格で買えることを知って、探し始めたのがきっかけです。同じころ、建築ライターの馬場未織さんの書かれた書籍『週末は田舎暮らし』にも影響を受けました」と川鍋さん。

川鍋宏一郎さん。東京に本社のある外資系IT企業に勤務。キャンプ好きが昂じて南房総と綱島のデュアルライフをするようになった(写真撮影/内海明啓)

川鍋宏一郎さん。東京に本社のある外資系IT企業に勤務。キャンプ好きが高じて南房総と綱島のデュアルライフをするようになった(写真撮影/内海明啓)

手に入れた住宅を改修して週末に過ごすことを想定、まずはDIYのスキルを身につけようと、ワークショップを探すうち、見つけたのが、ヤマナハウスのウェブサイトでした。「関心のある人が月一回集まって、古民家の改修に取り組もうとしていました。これだ!と思って、参加したんです」

千葉県南房総市三芳にあるヤマナハウスは、シェアオフィス運営を手がけるHAPON新宿の創設者の一人、永森昌志さんが主宰しメンバーと共同運営しています。約2500坪もの里山にある古民家を改造したので『シェア里山』と呼び、年齢も職業もさまざまな人たちが週末に集まっては、田舎暮らしを楽しんでいます。

千葉県南房総の広大な里山にある古民家を改修してできたヤマナハウス(写真撮影/内海明啓)

千葉県南房総の広大な里山にある古民家を改修してできたヤマナハウス(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。川鍋さんら、このハウスのメンバーがリフォーム。週末に集まって野良仕事などした後は、ここで食事を(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。川鍋さんら、このハウスのメンバーがリフォーム。週末に集まって野良仕事などした後は、ここで食事を(写真撮影/内海明啓)

大工仕事の腕も上がった川鍋さんは現在、ほぼ毎週末をヤマナハウスで過ごしています。「綱島から車で約1時間20分ほど。金曜の夜にヤマナハウスに着き、日曜日の朝に戻るというパターンです」。交通費は高速を使って1回に5000円~6000円程度です。
現地では、ここの仲間のほかに、移住してきた人たちも加わり、野良仕事やバーベキュー、飲み会などを楽しんでいます。古民家の改修・改造は今も続いています。取材中も、多くの人が集まり、にぎやかに新たな物置を建設中でした。

綱島の自宅付近も緑の多い住宅地ですが、南房総とは比べものになりません。「人工的な自然ですし、落ち葉を集めての焚き火もできません。キャンプにも親しんできましたが、キャンプ場は管理されていて、薪のための木一本切ることもできません。しかしここでは自由にいろいろなことができます」

ヤマナハウスは2015年の春にスタート。古民家改修、畑仕事、裏山の整備・手入れなどを行い、それが都市ではできない“遊び”にもなっている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスは2015年の春にスタート。古民家改修、畑仕事、裏山の整備・手入れなどを行い、それが都市ではできない“遊び”にもなっている(写真撮影/内海明啓)

取材の日は、ヤマナハウスの前に物置小屋を建築中で川鍋さんもお手伝い(写真撮影/内海明啓)

取材の日は、ヤマナハウスの前に物置小屋を建築中で川鍋さんもお手伝い(写真撮影/内海明啓)

5歳、7歳になる二人の娘さんを連れて行くと、自然のなかでキックボードをしたり、川や砂浜で貝殼を拾ったり、虫やカエルをつかまえたりと、都会ではできない生活を楽しんでいるそうです。
「妻は福島の自然の豊かなところの出身ですから、最初は、今さらなぜ田舎に?と感じたようですが、協力してくれました。たくさんの人が集まっているので、代わる代わる誰かが子どもの相手をしてくれるのもうれしいところ。このヤマナハウスには、疑似(大)家族的な側面がありますね」

左)川鍋さんの娘さんたち。自然のなかで遊び、生きものに触れる機会が増えた。右)農作業のお手伝いも貴重な経験(画像提供/川鍋宏一郎)

左)川鍋さんの娘さんたち。自然のなかで遊び、生きものに触れる機会が増えた。右)農作業のお手伝いも貴重な経験(画像提供/川鍋宏一郎)

新しい人間関係が生まれ、都会での価値観が変わる

こうしたデュアラー(二拠点生活者)としての生活は、川鍋さんの意識にも変化をもたらしました。
「それまでの生活では絶対知り合えなかったはずの、年齢、職業などが多種多様な友人ができました。それぞれが得意なことが違うので、教え合い、手分けする“タスク分散”もできます。僕は酒が好きなので、果実酒のつくり方を伝えたりしています」

川鍋さんは、東京都品川・戸越銀座の育ちです。祭りのときは御輿(みこし)担ぎに駆り出されるなど、人間関係は今もしっかり残っていて、いわゆる“都市生活者の孤独”とは無縁です。「でもそれは、上下のある縦の人間関係なんです。一方、シェアハウスでの人間関係はフラットで平等。これも心地よさの理由かもしれません」

モノはお金を払って買う、という発想も揺らぎました。必要なモノはつくる、誰かと交換する、壊れたら自らの手で直す、そうした発想になりました。「すぐ近くに移住して養鶏をしている人がいるので、そこに酒を持って行き、卵を分けてもらうといったこともあります」

都心のIT企業に長く勤務し、千葉県君津市に移住して、毎月ヤマナハウスに足を運んでいる高橋新志さん(52)も、「犬の散歩に一周歩いたら、いただいた野菜で両手がいっぱい、といったことが起こります。ここは物々交換経済がまだかなり機能しているんですね。だから東京の基準で考えたら低い収入だとしても、豊かな暮らしがしていけるんです」

ヤマナハウスの土間部分に設けられたキッチン。床部分のコンクリートも職人さんに教わりながらメンバーが手伝って敷いた。(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスの土間部分に設けられたキッチン。床部分のコンクリートも職人さんに教わりながらメンバーが手伝って敷いた(写真撮影/内海明啓)

スタディツアーでやってきた都内の大学生との交流会。ヤマナハウスメンバー以外にも地元の方も加わり、多様な世代、多様なライフスタイルの人達と関わりが持てる場になっている(写真提供/ヤマナハウス)

スタディーツアーでやってきた都内の大学生との交流会。ヤマナハウスメンバー以外にも地元の方も加わり、多様な世代、多様なライフスタイルの人たちとかかわりがもてる場になっている(写真提供/ヤマナハウス)

ヤマナハウスには女性の参加者もいます。東京のSI企業に勤務している女性SEは、「東京では体を動かして何かをするという実感が得られず、自然に引かれて参加しました。月に1、2回ですが、こちらに来ると元気になりますね」。
前述の高橋新志さんは、東日本大震災以降、自給自足的な生活拠点を持つことへの関心が高まってきたことを感じるそうです。「川鍋さんはキャンプという下地があったので、田舎の生活になじみやすかったように思えます。ご家族の協力があることも大きいですね」(高橋新志さん)

田舎の生活に人間関係は大切、と語るのは、高橋保雄さん(54)。千葉県船橋市に住み、都会の企業に勤務し、ヤマナハウスには月に2度くらい来ています。「川鍋さんが若いときから、こういう生活を試せるのはうらやましいですね。僕が若いころはそうした機会を得られず、粛々と会社人間を続けました。実はそれで精神的に参ったことが、デュアルライフに切り替えたきっかけになったんです」(高橋保雄さん)

ヤマナハウスのメンバーのほか、南房総が気に入って移住してきた人たちも加わっての作業。田舎で、職業や背景の異なる仲間と出会うのも楽しみだ。得意な人、慣れた人が教えて、みんなで学んでいく関係になっている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスのメンバーのほか、南房総が気に入って移住してきた人たちも加わっての作業。田舎で、職業や背景の異なる仲間と出会うのも楽しみだ。得意な人、慣れた人が教えて、みんなで学んでいく関係になっている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。築250~300年ほどの古民家を再生・改修したもの。古い窓枠や廊下の木材はそのまま利用している(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。築250~300年ほどの古民家を再生・改修したもの。古い窓枠や廊下の木材はそのまま利用している(写真撮影/内海明啓)

個人としても家と土地を借りる

川鍋さんは、移住を考えたところから始まって、デュアラーとなりましたが、移住を諦めたわけではありません。移住も視野に入れ、家を借りることもしています。 
「このヤマナハウスの大家さんのご紹介で、私個人が半年ほど前から近くに家を借りました。家と言っても1500~2000坪の敷地も込みで、東京で言えば駐車場代程度。将来はここにキャンプ場をつくりたいと考えているんです」

川鍋さんがこのような紹介で、土地と家を借りることができたのも、ヤマナハウスが地元に定着し、そこで活動していることで、地元の人たちの信頼を得るようになったからと言えそうです。
「ヤマナハウスのみんなで、地域で年に1回行われる草刈りに参加したり、祭りでは御輿を担いだりしています。地元の青年部の方々には喜んでいただけていますね。そこからまた知り合いを紹介されるなど、人の輪が広がることもあります」

ヤマナハウスとは別に、すぐ近くに川鍋さんが借りた家。小屋や車を何台も停められる広いスペースも。これに手を加え、将来は仲間とのキャンプの拠点にしたいと考えている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスとは別に、すぐ近くに川鍋さんが借りた家。小屋や車を何台も停められる広いスペースも。これに手を加え、将来は仲間とのキャンプの拠点にしたいと考えている(写真撮影/内海明啓)

裏山で長年放置されて広がってしまった竹をみんなで刈って整備。新しい農法に挑戦したりなど新しい取り組みにも挑戦している(写真提供/ヤマナハウス)

裏山で長年放置されて広がってしまった竹をみんなで刈って整備。新しい農法に挑戦したりなど新しい取り組みにも挑戦している(写真提供/ヤマナハウス)

将来の移住のためのトライアルとしても有効なデュアルライフ

川鍋さんのお話からは、デュアルライフに必要なヒントがいくつも見出せます。自ら工夫する力、お金ではない価値を大切にすること、家族の協力、地元の方々との良い人間関係などです。
またデュアルライフは、都会の仕事をやめずに実現できるので、特別な富裕層でなくても可能です。また将来の移住を考えている人にとっては、トライアルとしても有効な手段と言えるでしょう。

南房総の里山の自然は豊か。季節の変化を感じる生活が、都会の変化だけでは得られない変化を与えてくれ、翌週の活力につながっている(写真撮影/内海明啓)

南房総の里山の自然は豊か。季節の変化を感じる生活が、都会の変化だけでは得られない変化を与えてくれ、翌週の活力につながっている(写真撮影/内海明啓)

●取材協力
HAPON新宿