居住支援少ない男性にもシェルターを。犯罪歴ある人の身元引受けなど、金沢市の不動産会社エリンクが支援つづける理由とは

金沢のまちは、観光地としても名高く、冬は雪深い土地。この石川県金沢市で居住支援を行っている不動産会社、エリンク代表の谷村麻奈美さんは、生活保護受給者や障がいのある人に住まいの斡旋だけでなく、一時的な避難シェルターや入居した後の継続的な支援、見守りを提供しています。エリンクの不動産会社としての活動のほか、NPOの設立や金沢における居住支援の課題などについて聞きました。

住まい確保に困っている人たちを断るのが辛かった

石川県金沢市。北陸新幹線が通り、県庁所在地でもあるこの地に、エリンクという不動産会社があります。従業員4人という規模ながら、子育て世帯・ひとり親世帯・高齢者・生活保護受給者・障がい者・犯罪歴のある人など、賃貸住宅への入居に困難を抱えている人たちに物件を紹介し、2022年には住まい探しをサポートする居住支援法人として登録されました。

金沢市にある不動産会社エリンク。子育て世帯・ひとり親世帯・高齢者・生活保護受給者・障がい者・犯罪歴のある人などを中心に、賃貸物件の仲介や管理を行っている(画像提供/エリンク)

金沢市にある不動産会社エリンク。子育て世帯・ひとり親世帯・高齢者・生活保護受給者・障がい者・犯罪歴のある人などを中心に、賃貸物件の仲介や管理を行っている(画像提供/エリンク)

住まい探しが困難な人たちは、さまざまな事情を抱えています。生活保護を受給するために自治体の定めた家賃以下でなければ入居できなかったり、生活支援や見守りといった入居後の暮らしに継続的な配慮やサポートが必要な場合があります。また、家賃の滞納や孤独死などを懸念するオーナーや管理会社が、入居を敬遠することも。居住支援では、それらの課題を一つひとつ乗り越えていかなければなりません。

代表の谷村さんがエリンクを立ち上げたのは、2017年のこと。
それまでは会社員として別の不動産会社に勤めていましたが、会社の収益を上げるため、効率の良い仕事が優先されることに違和感を感じていたと言います。

「通常よりも手間がかかる案件に時間をかけることについて十分理解されていませんでした。個人の思いとは裏腹に、住まい探しに困っている人が来ても断らざるを得なかったのです。相談に来た人が残念そうに店を後にする姿を見るのは、とても辛いものでした」(エリンク 谷村さん、以下同)

組織の中にいては思い通りにできない。どんな人でも受け入れられる不動産会社をつくろう、と立ち上げたのがエリンクでした。

「時間をかけて入居者との関係を築いていく」エリンクの居住支援

現在、谷村さんを含むスタッフ4名のうち、普段から住宅の確保に配慮が必要な人たちの居住支援を行っているのは、谷村さんと従業員2人の3名。この記事のインタビューの最中も、ひっきりなしに電話がかかってくる忙しさです。

賃貸物件の紹介だけでなく、入居後、連絡が取れなくなったときには様子を確認しに行ったり、「体調が悪くて家賃の振り込みに行けない」と連絡があれば谷村さんたちが部屋まで集金に行ったりします。時には「給付金の申請をするのに書き方がわからない」と電話がきて書き方を教えに行くなど、頼まれれば入居者を訪ねることも日常なのだそう。

居住支援には、谷村さんともう2人の3人体制であたっている。社員4人の小さな街の不動産屋さんだ(画像提供/エリンク)

居住支援には、谷村さんともう2人の3人体制であたっている。社員4人の小さな街の不動産屋さんだ(画像提供/エリンク)

また、ある時は上の階に住む人とけんかをした入居者が警察に連れて行かれ、ほかに身寄りがないため、谷村さんが身元の引き受けに行ったこともあります。「なんでお前が来たんだ」と怒鳴られ、すかさず谷村さんも「オーナーさんの迷惑になることを考えて!」 と大声で言い返したのだとか。谷村さんは「『なんでも相談所』のようでしょう?」と笑いながら話します。

「大事なのは入居者と信頼関係を築くこと。大げんかしたその入居者とも、1年以上の時間をかけて、時には人生相談にも乗り、関係をつくり上げてきました。だからこそ、本音でぶつかり合えるのだと思います」

入居者とは、時に言い合いになることもあるけれど、その分、笑い合うことも多い。「(日常的な声掛けをすることなどを)しつこいと言われたこともあります。でも途中で諦めたくはないんです」と谷村さん(画像提供/エリンク)

入居者とは、時に言い合いになることもあるけれど、その分、笑い合うことも多い。「(日常的な声掛けをすることなどを)しつこいと言われたこともあります。でも途中で諦めたくはないんです」と谷村さん(画像提供/エリンク)

経営的にはギリギリ。それでも達成感を感じている

それでも経営は赤字ギリギリの状態です。居住支援法人に登録した理由の一つには、助成金がないと居住支援事業を継続するのが難しいという背景もありました。

「会社や事業には、それぞれの客層やターゲットというものがあります。低所得者など住まい探しに困っている人に重点を置いている不動産会社がなかったので、私は逆にそこに事業としてのチャンスがあるのではないかと思ったのです。何より、さまざまな問題を解決していかなければならないことは、むしろ楽しそうだと感じました。

私自身が、そういう性分なんです。普段の仕事はもちろん大変ですけど、達成感があるので忘れちゃう。嫌なことも楽しいことも波があることを楽しんでいます。経営は厳しくても、私がやりたかったことを実行できているという点では『成功』だと思っています」

現在、エリンクのホームページに掲載している物件の中で、生活保護受給者が入居できる家賃のものは1200件以上。それ以外の物件数は600件ほどなので、住まいに困っている人の支援にいかに力を入れているかがわかります。しかしそれぞれの物件で入居に必要な条件が異なるため、どうしても入居できない場合は、谷村さんが保有している3室を含め、160室ほどのエリンクの管理物件から紹介しているそう。

これらのエリンクが管理する部屋は、長年空室で悩むオーナーさんが、エリンクの取り組みをメディアを通して知ったり、別のオーナーさんからの紹介で「空室にしておくよりは、困っている人に貸してほしい」と託されたもの。オーナーさんの理解も得て、エリンクでは2022年中に住まい探しに困難をかかえる人から相談があった約95件のうち、67件が入居に至っているのだそうです。

エリンクの管理物件は、理解のあるオーナーさんから預かったもので、管理物件を獲得するための営業は一切していないという(画像提供/エリンク)

エリンクの管理物件は、理解のあるオーナーさんから預かったもので、管理物件を獲得するための営業は一切していないという(画像提供/エリンク)

緊急で住まいを必要とする人には男性が多い!? 石川県・金沢市の事情とは

エリンクを訪れる相談者の特徴は、30~60代の男性が圧倒的に多いということ。
その理由は、ちょうど一般的に「働き盛り」とされるこの年代で、行政には住まいに困っている男性を受け入れる受け皿がないためだと、谷村さんは分析しています。

「石川県には、住まいに困っている女性や子どもに対しては『女性センター』や『母子寮』など、行政で受け入れる場所があるのですが、住まいを失った男性向けの一時的な避難場所となる『シェルター』のような施設がありません。職を失って社宅や寮を出なくてはならなくなった人が、ネットカフェや車中生活をせざるを得ない状況が多いのです」

そこで普段はNPO法人「安心生活ネットワークいち」(活動内容については後述)の事務所として利用している店舗の2階を、緊急用の民間シェルターとして確保しています。しかし一度に1名しか利用できないので、いつでも空いているわけではありません。「もっと一時的に避難するシェルターとなる場所が必要」だと、谷村さんは訴えています。

普段は事務所として使用している2階をシェルターとして使用できるように家具家電などを配置。さまざまな事情を抱えた人の中には、緊急で一時的に避難できる場所を必要とする人がいる(画像提供/エリンク)

普段は事務所として使用している2階をシェルターとして使用できるように家具家電などを配置。さまざまな事情を抱えた人の中には、緊急で一時的に避難できる場所を必要とする人がいる(画像提供/エリンク)

金沢における居住支援法人の活動、行政との連携は?

また、もう一つ、谷村さんが課題として挙げるのが、居住支援に携わる人たちや組織が連携するためのネットワークや体制づくりです。

住まい探しに困っている人たちに居住支援を行う各地方自治体の住宅部門は、福祉部門との連携がうまく取れていないことが課題になっているところも少なくありません。かつてエリンクの存在は、石川県や金沢市の住宅部門・福祉部門いずれの担当者にも知られておらず、住まいと福祉の連携もありませんでした。

「生活保護を受けている人が提出する賃貸借契約書などの書類にエリンクの名前がたびたび上がるのを知った金沢市の社会福祉協議会の方が当社を訪ねてくださって。2019年ころから、家賃を支払えず困って社会福祉協議会に相談に来る人の紹介を受けたり、こちらから給付金が利用できないかを尋ねたりというつながりができました」

今では、金沢を地盤にしている福祉関係団体や弁護士から多くの問い合わせが来るようになったそうです。

「ただし、今は何かトラブルや問題が起きた時にその都度、担当者同士の個人的なつながりを頼りに連絡をとって対応しているので、スムーズに支援ができている状態とは言えません。支援を必要とするより多くの人たちを的確にサポートしていくためにも、ネットワークづくりや連携の仕組みが必要です」

現状は図のとおり不動産会社であるエリンクがそれぞれに連絡を取っている状況。「住まいに困っている人には、不動産会社が中心となって行政や民間企業・団体が連携して支援するネットワークやスキームが築けるはず」だと谷村さんは考えている(画像提供/エリンク)

現状は図のとおり不動産会社であるエリンクがそれぞれに連絡を取っている状況。「住まいに困っている人には、不動産会社が中心となって行政や民間企業・団体が連携して支援するネットワークやスキームが築けるはず」だと谷村さんは考えている(画像提供/エリンク)

「入居後の孤立を無くしたい」谷村さんの新たな一歩

協力してくれるオーナーさんも増えて入居まではサポートできるようになったものの、谷村さんは「入居した後も人や社会とつながりを持てない、孤立している人をどうにかしなければ」との思いを強くしたそうです。

不動産事業のオプションとしてではなく、本腰を入れて入居後の生活までサポートする必要があると考え、2022年12月にオーナーさんや司法書士、引越し業者や特殊清掃業者など、応援してくれている人たちを会員としてNPO法人「安心生活ネットワークいち」を設立しました。

NPO法人「安心生活ネットワークいち」を立ち上げ、入居前の住まい探しから、入居後の暮らしや職探しなどトータルのサポートに本格的に乗り出した(画像提供/エリンク)

NPO法人「安心生活ネットワークいち」を立ち上げ、入居前の住まい探しから、入居後の暮らしや職探しなどトータルのサポートに本格的に乗り出した(画像提供/エリンク)

孤立を防ぐために谷村さんたちが早速始めたのは、金沢市社会福祉協議会の事務所を会場として開催する「おむすびの会」。

「支援者も受益者も関係なく、ごちゃ混ぜで『みんなで楽しくおむすびをつくっておしゃべりをしよう』という趣旨の会で、誰でも参加できて、しかも無料です。不要な食べ物をもらいに行って、それを欲しい人に届けるフードバンクの活動も行っていて、今は車1台のみで配っていますが、もっと増やしていきたいと考えています」

入居前のサポートから入居後の見守り、そして引きこもりがちな高齢者や障がい者、犯罪歴のある入居者などが社会とつながるサポートを目指す谷村さんたちの活動は、前へ前へと進んでいるようです。

誰でも参加OKで参加費無料のおむすびの会。気軽に参加しておしゃべりを楽しむことで、引きこもりがちな人が社会とつながるきっかけに(画像提供/エリンク)

誰でも参加OKで参加費無料のおむすびの会。気軽に参加しておしゃべりを楽しむことで、引きこもりがちな人が社会とつながるきっかけに(画像提供/エリンク)

不要となった食べ物を集め、必要としている人に届ける。外に出たくないと自宅にこもりがちな人も多いので、それならこちらからいけばいい!という発想。安否確認もできる(画像提供/エリンク)

不要となった食べ物を集め、必要としている人に届ける。外に出たくないと自宅にこもりがちな人も多いので、それならこちらからいけばいい!という発想。安否確認もできる(画像提供/エリンク)

「孤軍奮闘」。谷村さんと周囲の人たちの活動を知り、そんな言葉が頭をよぎりました。

最後に谷村さんは、「ライバルをつくることになるかもしれないですが、私たちのような不動産会社がもっと増えればいいと思っています。それだけ、困っている人がいるということです」と話してくれました。

金沢市内には他にも居住支援や生活支援に携わる団体や企業が存在するでしょう。しかしネットワークや仕組みが未だできてない理由の一つは、金沢にはとても奥ゆかしい人が多い風土だからなのだそうです。「『やれたらいいよね』という人はいても『よし、やろう』という人がいない」と谷村さんは打ち明けます。

谷村さんのようなリーダーが増え、その人たちが繋がることができれば、金沢の居住支援は大きく前進するのかもしれません。そして、住まいに困っている人たちを包括的に支援するためには行政の協力も欠かせません。現状の周知と連携強化を訴え、谷村さんたちは今日も活動を続けています。

●取材協力
株式会社エリンク
特定非営利活動法人安心生活ネットワークいち

高齢者も障がい者も“ごちゃまぜ”に暮らす。空き家を活用した街「輪島KABULET」

社会福祉法人「佛子園(ぶっしえん)」が手掛けるまちづくりの特徴は、温泉やカフェ、レストラン、農園など、地域住民が集える場所をつくり、高齢者、障がい者が地域と自然に交われるよう、多様性に富んでいること。なかでも、既存の空き家や空き地を再利用した「輪島KABULET(わじまかぶーれ)」は、全国どの地方でも直面する人口減に対する解決策のひとつとして注目されている。
今回は、「佛子園」理事長の雄谷良成さんに、その経緯や開発の裏側、今後の展開についてお話を伺った。

「生涯活躍のまち」モデルで福祉の街×空き家対策を目指す

「輪島KABULET」が展開するエリアは、室町時代からの歴史がある石川県輪島市の中心部。かつてから漆器の輪島塗を生業としていた家も多い街だ。輪島塗の小売店や漆ギャラリー、輪島朝市など観光名所も多い。しかし郊外の大型ショッピンモールに車で出掛ける生活スタイルの増加から、最盛期に比べると人口は2万人弱が減少。かつてはにぎわいのあった街の中心部でも増加する空き家が課題となっていた。 

伝統的な街並みが美しい輪島市街。朝の連続ドラマ小説『まれ』の舞台にも(写真撮影/イマデラガク)

伝統的な街並みが美しい輪島市街。朝の連続ドラマ小説『まれ』の舞台にも(写真撮影/イマデラガク)

そこで、雄谷さんがアプローチしたのは、ハブとして新たに大型の施設をつくるのではなく、既存の建物を活かして福祉施設+地域住民が集う場を街なかにいくつもつくりだす手法。具体的には、大正から昭和にかけてつくられた既存の木造住宅を改修し、高齢者ケアハウス、障がい者グループホーム、ママカフェ、温泉、蕎麦屋さん、ゲストハウスへと次々と生まれ変わらせた。
費用は復興庁の交付金、国土交通省の空き家対策の交付金などを活用。「高齢者、障がい者、子育て世代、若者、観光客、誰もが行き交う、ごちゃまぜの街にする」という社会福祉法人「佛子園」のコンセプトはそのままに、既存の街を生まれ変わらせるプロジェクトに。2018年には、内閣府による「生涯活躍のまち」モデルの先駆けとして全国に紹介され注目を浴びている。

温泉、食事処、住民自治室、生活介護、放課後等デイサービスが入っている拠点施設「B’s WAJIMA」。中庭を挟んだ向かい側には高齢者デイサービスと訪問介護ステーションもあり、街の中心になっている(写真撮影/イマデラガク)

温泉、食事処、住民自治室、生活介護、放課後等デイサービスが入っている拠点施設「B’s WAJIMA」。中庭を挟んだ向かい側には高齢者デイサービスと訪問介護ステーションもあり、街の中心になっている(写真撮影/イマデラガク)

「GUEST HOUSEうめのや」は、築70年余りの町家をリノベーションしたもの。漆や白漆喰などを活かしたノスタルジックな空間に(写真撮影/イマデラガク)

「GUEST HOUSEうめのや」は、築70年余りの町家をリノベーションしたもの。漆や白漆喰などを活かしたノスタルジックな空間に(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

空き地だった場所に、温泉・レストランを開設。写真は近隣住民が自由に使える住民自治室での「肌に優しい洗い方」教室の一コマ(写真撮影/イマデラガク)

空き地だった場所に、温泉・レストランを開設。写真は近隣住民が自由に使える住民自治室での「肌に優しい洗い方」教室の一コマ(写真撮影/イマデラガク)

既存の街だからこそ、「街の記憶」を尊重したまちづくりに

ちなみに社会福祉法人「佛子園」といえば、この「輪島KABULET」以前から、「生涯活躍のまち」政府認定モデルとして、1万坪超の敷地にイチからダイナミックな街づくりをした金沢市の「シェア金沢」が有名だ。では「輪島KABULET」のような既存の街の枠組みを活かしたまちづくりとの違いは何だろうか?

「シェア金沢のような大掛かりなものをつくるのは、土地の確保や資金面などクリアする課題は多く、どこでもできるわけではありません。一方、すでに街にあるものを再利用し、福祉の施設だけでなく地域の人に求められる場所を点在させる手法なら、少しずつ手掛けることができ、その取り組みを街全体に拡大させられます」(雄谷さん)

社会福祉法人「佛子園」理事長の雄谷良成(おおや・りょうせい)さん。住職という一面も持つ(写真提供/佛子園)

社会福祉法人「佛子園」理事長の雄谷良成(おおや・りょうせい)さん。住職という一面も持つ(写真提供/佛子園)

ただし、金銭面でのメリットがある一方、すでに地域住民がいて「街が変わること」に誰もが賛成ではない難しさもある。街の開発には賛成でも、自分の家を貸す、改修することには抵抗感のある人も少なくない。
そんな時、雄谷さんが実践しているのは、一軒一軒、1人1人の話に耳を傾けること。
「例えば、空き家でも事情はそれぞれ。息子さん夫婦が年に数回帰省するための家だったり、今は使っていないけれど思い入れがあったり。この路地、あの家で昔はよく遊んだもんだと話してくれる住民の方がいたり……。既存の街の再開発は、街の在りようがすでに自分事で、当事者意識がある。実は、それは強みでもあるんです。だから、当初は一番反対していた住民の方が、のちに一番の応援団になってくださることも多いですよ。反対しているということは、自分に暮らす街に思い入れがあるということですから。当初は空き家を貸すことを断られた方も、時とともに承諾してくださることもあります」

既存の街だからこその苦労もある一方、うれしさもある。
例えば、現在はカフェとなった建物は、元は診療所。「ここを訪れた若いママさんが“私が子どものころ熱を出して夜遅くに駆け込んだんです”という思い出を話してくれました。ひと言で“空き家”といっても、その土地、家には歴史があり、街の人の想いがあるということ。そのひとつひとつが宝物。その街の記憶を継承していく大切さを実感しました」

ママカフェ『カフェ・カブーレ』。「“生涯活躍のまち”というと、どうしても高齢者向けの施設と思いがちですが、意外と子育て世代も多く、こうした施設が必要と考えました」(写真撮影/イマデラガク)

ママカフェ『カフェ・カブーレ』。「“生涯活躍のまち”というと、どうしても高齢者向けの施設と思いがちですが、意外と子育て世代も多く、こうした施設が必要と考えました」(写真撮影/イマデラガク)

親子で楽しめるクッキング教室やパパ・ママ同士が集まるイベントも実施している(画像提供/佛子園)

親子で楽しめるクッキング教室やパパ・ママ同士が集まるイベントも実施している(画像提供/佛子園)

子どもからお年寄り、障がいの有無に関わらず利用できる「ゴッチャ!ウェルネス輪島」。地域に密着し、誰もが顔見知りだからこそ、一般的なジムに比べて退会する人が少ない、地域のたまり場のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

子どもからお年寄り、障がいの有無に関わらず利用できる「ゴッチャ!ウェルネス輪島」。地域に密着し、誰もが顔見知りだからこそ、一般的なジムに比べて退会する人が少ない、地域のたまり場のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

街は現在進行形。ガレージの改修が“気軽なリノベ”のモデルケースに

事業がスタートして2年。蔵を改造したコワーキングスペースや、軒先で無添加の中華そばを食せるお店も開業。さらに、佛子園が手掛ける施設以外にも、体験や見学のできる輪島塗の工房ができるなど、相乗効果が生まれている。「輪島周辺は小さなゲストハウスが増えたので、シーツの洗濯を一気に引き受けるクリーニング店があってもいいねという話から事業化につながったり、拠点の近所の割烹のご主人が食事を終わった後、お客さんをまとめてうちの温泉に連れてきてくださったり、街全体でいい影響をもらいあっています」

ゲストハウス「umenoya」内にあるコワーキングスペース。ワーケーションに利用する人も多いそう(写真撮影/イマデラガク)

ゲストハウス「umenoya」内にあるコワーキングスペース。ワーケーションに利用する人も多いそう(写真撮影/イマデラガク)

空き家になっていた民家を活かした「蕎麦やぶかぶれ」。みんなが気軽に集える場所で、蕎麦はフェアトレードによってブータン蕎麦を輸入したもの(写真撮影/イマデラガク)

空き家になっていた民家を活かした「蕎麦やぶかぶれ」。みんなが気軽に集える場所で、蕎麦はフェアトレードによってブータン蕎麦を輸入したもの(写真撮影/イマデラガク)

そして、最近新しく加わったのが、空き店舗を改修したオートバイや自転車専用のガレージだ。「このあたりはツーリングをする人が多いので、自分の愛車をとことんメンテナンスできる場所があってもいいのでは、というアイデアから生まれました。工事期間は2週間ほど。無理のない範囲で新しいことができるという、モデルケースになったと思います。基本は無人で、鍵は隣のゲストハウスが管理しているので、ランニングコストもさほどかからない。今後は、せっかくなら、愛車を眺めながらお酒でも飲みたいねって、お洒落な冷蔵庫を置く計画も話しています。お金をかけてカフェバーをつくらなくても、これなら気軽にできるでしょう」

輪島市は、2019年「ライダーを笑顔で歓迎する都市」を宣言。この「うめのやガレージハウス」は能登へのツーリング客の拠点のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

輪島市は、2019年「ライダーを笑顔で歓迎する都市」を宣言。この「うめのやガレージハウス」は能登へのツーリング客の拠点のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

働く場としての多様性も。そこにあるのは原始的な幸せ

もちろん、福祉の街としての役割もある。「障がい者のなかには突発的に声を上げたりする人もいます。それにはひとつひとつ理由があるわけなのですが、街の人は慣れていて、振り返りもしないくらいです。認知症、障がい者が身近に自然にすごしていることで、懐の広い街になっていると思います。毎日のやり取りの中で化学反応が起こり始めています」

障がい者も、ウェルネスの受付、インストラクター、機器の清掃、点検など多岐にわたって活躍している(写真撮影/イマデラガク)

障がい者も、ウェルネスの受付、インストラクター、機器の清掃、点検など多岐にわたって活躍している(写真撮影/イマデラガク)

頼りになるのは、“かぶれ人”という何でも屋のスタッフ。福祉事業に携わりながら、それぞれの得意分野を活かして、まちづくりをサポート。雄谷さんが会長を勤める青年海外協力協会のOB・OGたち「JOCA」のメンバーも多い。「まちづくりは想定外、問題発生の連続。常に手探り状態。そんなとき、JOCAの面々は、発展途上国に赴き、それこそ”なんでも屋”であったわけで、なんでもやるマルチタスクに慣れています。そのうち、地域の人たちに頼りにされたり、彼らが頼りにしたり、つながりが生まれ、街を盛り上げてくれています」

“かぶれ人”と呼ばれるスタッフたち。青年海外協力隊を経験したメンバーや輪島出身メンバーなどさまざま。それぞれ専門分野もありつつ、フレキシブルに働いている(写真撮影/イマデラガク)

“かぶれ人”と呼ばれるスタッフたち。青年海外協力隊を経験したメンバーや輪島出身メンバーなどさまざま。それぞれ専門分野もありつつ、フレキシブルに働いている(写真撮影/イマデラガク)

「多様性に満ちた自主的なまちづくり。理想的ですね」という筆者の感想に、「いえいえ理想じゃないですよ。喧嘩もするし、大変なことも多いですから」と雄谷さん。「まちづくりには、そもそもゴールも100点満点も完成品もないんです。それでも、誰かに相談事をしていると、人が人をつなげれてくれたりするし、こんな角度の考えがあるんだと気づくことも多いです。最初から完成品を目指すわけじゃなくて、想定外の出会いが想定外のものをつくり出していくための“場”を提供するのが我々の役目です」

いろんな人を巻き込みながら、変化し続ける「輪島KABULET」。「蔵に眠ったままの輪島塗を使ってみようとか、輪島移住を考えている女優の中尾ミエさんとなにかできないだろうかとか、実はたくらみもまだまだあるんです」と雄谷さんは楽しそう。既存の空き家などを利用しながら取り組みを拡大していくというスタイルは、同様の状況にある自治体は多く、横展開もしやすい。今後の展開が楽しみだ。

●取材協力
雄谷良成(おおや りょうせい)さん
社会福祉法人佛子園理事長。幼少のころから、家業のひとつとして運営されていた障がい者施設で、障がい者とともに暮らし、大学では障がい者心理を研究。青年海外協力隊員としてドミニカ共和国にも赴き、現在は公益社団法人 青年海外協力協会 会長、日蓮宗 普香山 蓮昌寺住職も務める。
佛子園
輪島カブーレ

お宝風景発見!「金沢民景」に学ぶ街歩きの新視点

新型コロナウイルス禍により、旅行に少し躊躇してしまう日々が続いています。それならば、この機会に地元の街をめぐってみましょう。「う~ん。うちのジモト、面白い場所がないんだよな~」。そんなふうに嘆いているあなた、いま話題のミニコミ誌「金沢民景(かなざわ・みんけい)」を読んでみませんか。街の見方が変わって、フレッシュな気持ちでジモト旅を楽しめますよ。
なんと1冊わずか100円。街の見方が変わるミニコミ誌が話題

「金沢民景」とは、石川県金沢市の住民がつくりだした風景を撮影し、テーマごとに一冊にまとめたミニコミ誌のこと。

金沢の風景をテーマごとに一冊にまとめた「金沢民景」(撮影/吉村智樹)

金沢の風景をテーマごとに一冊にまとめた「金沢民景」(撮影/吉村智樹)

2017年9月に第一号が発行され、現在までに17号を数えます。カラー16ページ。一冊なんと100円(税込)! という驚きのお値打ち価格。手のひらにすっぽりおさまる愛らしいA6サイズ(105×148ミリ)。街歩きのお供にピッタリです。

金沢民景のサイズ感がわかる写真

ポケットに入れて街歩きしやすいハンディサイズ(撮影/吉村智樹)

この「金沢民景」は、一冊ごとに「たぬき」「バス待合所」など、ひとつの視点に絞って編集されているのが特徴。

金沢民景かポート号の見開きページ

「金沢民景」……石川県金沢市の住民がつくり出した風景を収集し、テーマごとに一冊にまとめたミニコミ誌。「言われてみれば確かに不思議な光景」が豊富に収められ、物件の持ち主に取材をし、なぜこのような状態になったのか解説している(撮影/吉村智樹)

警察署に集められた焼き物のたぬきの写真

かつて陶器店の軒先に立っていた看板「たぬき」が現在は警察署に集められたという何ともユニークな光景(「たぬき」の巻より、画像提供/金沢民景)

どのテーマも暮らしに根を張っており、地元の人には見慣れた風景。それゆえに気にしなければ通り過ぎてしまうものばかりです。「妻壁(つまかべ)」「ひな壇造成」など耳慣れぬ建築用語がテーマの号があるかと思えば、「バーティカル屋根」などページを開くまで「それがなにを指しているのか分からない」謎めいた物件まで、多種多彩。

妻壁の写真

建物の短辺部分が屋根によって三角形に切り取られた外壁を「妻壁」と呼ぶ(「妻壁」の巻より画像提供/金沢民景)

ひな壇造成の写真

金沢の地形は起伏に富んでおり斜面に沿うよう町が形成されている「ひな壇造成」と呼ばれるもの(「ひな壇造成」の巻より、画像提供/金沢民景さん)

発行しているのは金沢で設計事務所を営んでいる建築士の山本周さん(35)。
ほかにも金沢に住んでいたり、お勤めだったり、なおかつ街歩きが好きな人たちが集まって編集しているのです。

「民景」って、いったいなに? 私たちが住む街でも民景は見つけることができるの? そして民景が私たちに語りかけてくるものとは? 代表の山本周さんにお話をうかがいました。

山本周さんの写真

「金沢民景」発行人の山本周さん(写真撮影/吉村智樹)

暮らしのなかから生まれたデザイン、それが「民景」

――「金沢民景」をとても楽しく拝読しました。巻数の多さと、観察力に圧倒されました。金沢の街への愛情が伝わってきます。「民景」は、もともとある言葉なのですか。

山本:「 “民景”は造語です。『住民がつくった風景』の略なんです。街に住んでいる人が、暮らしのなかで必要になって生まれたデザイン、それを民景と呼んでいます。実用性と街の人々の美意識が重なってつくられた風景を誰かが評価しなければ、という気持ちで、この言葉をつくりました」

街で見つけた民景を撮影する山本さんの写真

まるで用水路の上を浮かんでいるように見えるロッカー。山本さんは暮らしが生んだデザインを「民景」と呼び採集している(写真撮影/吉村智樹)

――「金沢民景」に掲載された画像を観ていると、確かに暮らしから生まれたデザインだと感じます。やむにやまれず生まれたアートというか。

山本:「いろんな格闘の跡が見えますよね。そこが人間らしくていいなと感じたんです」

風除室の写真

強風から家を守るために玄関に設置された「風除室」(「風除室」の巻より、画像提供/金沢民景)

「金沢の街並みが大好き」

――「金沢民景」の発行人である山本さんは、ご出身も金沢なのですか。

山本:「実は生まれは新潟なんです。その後、日本の各地を転々としました。幼少期は埼玉。小学校から高校時代までを神戸で過ごし、金沢美術工芸大学への進学のために金沢にやってきました。大学・大学院と、金沢には計6年いました。それから関東で就職したんですが、4年前に金沢に戻ってきました。金沢の街並みが好きで、自分に合うんです」

さまざまな時代の建物が混在する金沢

――「民景」を意識するようになったのは、いつからですか。

山本:「やっぱり大学進学のために金沢に来てからですね。金沢の景色や建物を初めて見て、びっくりしたんです。金沢は戦災に遭いませんでした。なので、100年以上も前の建物がたくさん遺っています。しかも有名な建築だけじゃなくて、一般のお宅も。現在も誰かがちゃんと住んでいるんです。明治、大正、昭和、いろんな時代の建物がごっちゃに混ざっている。そのなかで生活が営まれているのが面白かったですね」

門柱の写真

柵が取り払われたため「門柱」だけが残った。時代の経過を感じられて味わい深い(画像提供/金沢民景)

カーポートの写真

雪から車を守るため家を建てたあとに設置された「カーポート」。猫除けネットや所せましと並ぶ植木鉢など時間の経過とともに生活色に彩られていった(画像提供/金沢民景)

ピロティの写真

古民家の一階部分を鉄骨で補強し、大胆に「ピロティ」(一階に壁がなく開放空間とした建築形式)に変えてしまった(画像提供/金沢民景)

――確かにこちらのオフィスへうかがう途中の風景は、古い建物と新しい建物が混在していました。バラエティに富んでいて、きょろきょろしてしまいました。

山本:「ここ(オフィス)のまわりは武家屋敷が並んでいます。江戸時代からの風景が残っているんです。そのすぐ隣には、昭和な雰囲気の通りがあります。さらにその向こうは平成生まれのオフィス街。歩いているだけで、いろんな時代を通り過ぎることができます」

バルコニーから街を眺める山本さんの写真

さまざまな時代の建物が混在する金沢の街をバルコニーから眺めるのが好きだという山本さん(写真撮影/吉村智樹)

――金沢はやっぱり素敵な街ですね。とはいえ山本さんは関東で就職していたんですよね。そこを捨ててまで、金沢への転居を決めたきっかけはなんですか。

山本:「北陸新幹線の長野~金沢間が開業したのが2015年。新幹線が初めて金沢に停車した日が僕の誕生日だったんです。それで勝手に金沢にご縁を感じて。『こりゃ戻らなきゃいけない』って。大学時代に『いいな』と思っていた街なみや、古くていい感じの通りが新幹線の開通とともに整備されて公園になっていたのはとても残念でしたが、時代の変わり目に立ち会えたのは貴重な経験だったと思います」

金沢駅の写真

新幹線開通とともに整備された金沢駅周辺(写真撮影/吉村智樹)

「金沢民景」はサークルではなく“町内会”

――「金沢民景」は山本さんひとりではなく同好の人たちが集まってつくっているそうですね。メンバーはどういう方々なのですか。

山本:「メンバーのほとんどが金沢在住です。現在は7~8人でやっています。年齢も職業もバラバラです。僕はサークルというより、町内会だと思っています。町内会って会員の世代がさまざまだし、メンバーがしょっちゅう会わないじゃないですか。けれども、なにかをつくるときには一致団結する。そういう点で町内会に近いですね。そして民景の画像は町内会の共有財産という感覚です」

――「共有財産」! 景色が財産とは、いい言葉ですね。どうやってメンバーから「あそこにいい民景がある」という情報を集めているんですか。

山本:「金沢民景のグループLINEがあるんです。それぞれ自分が撮った画像をLINE上のざっくりしたフォルダへ納めていく。そうやって情報を共有しています。みんな生活がありますから、リアルではほとんど会えません」

腰壁の写真

まるで帯を巻いているかのような見事な「腰壁」。山本さん曰く「町内会」のメンバーから情報が届く(画像提供/金沢民景さん)

――あちこちから新情報が届いて、楽しそうですね。「金沢民景」はテーマごとに一冊にまとめておられますが、最初から毎号ひとつの視点でミニコミ誌にまとめる計画だったのですか。

山本:「いやあ、はじめのころは、そこまで強い気持ちはなかったですね。ミニコミ誌にする予定すらなかったんです。特にテーマは設けず面白い物件があったらカメラにおさめ、みんなでコメントをしあっていただけでした。『この屋根、いいよね』『この柱、味があるね』って。そのうち、例えばカーポートの写真が溜まってくるなど自然に“分野分け”ができだしたんです。メンバーにひとり、ミニコミ誌制作や製本に詳しい人がいたので、『では分野ごとに一冊にまとめましょう』と。そういうふうに進んでいきました」

カーポートの写真

「曲線が美しいカーポートがある」など情報が集まってくる(画像提供/金沢民景さん)

夫が編集し、妻がデザイン。一冊ずつ手づくりで発刊

――どうやって次号のテーマを決めているのですか。

山本:「傾向が近い風景がLINEグループのフォルダのなかにおよそ50枚~100枚が集まって、『この分野、おもしろそうだな』と思ったら、ですね。いい情報がたくさん集まったら一冊にまとめる、そんな流れです。ですので発行は完全に不定期です。発行しなきゃいけない日はあんまり決めずに、気が向いたら」

――ゆるそうに聞こえますが、「気が向いたら」で、3年で17冊はすごいです。そして判型が小さくて、かわいいです。

山本:「学生のころからカラーブックス(※)が好きだったんです。種類がたくさんあって、集めていくうちにひとつの世界ができあがる、あの感じが好きでした。『カラーブックスのような小さなサイズの図鑑をつくりたい』、そんな気持ちはずっとありました」

カラーブックスの写真

※カラーブックス……出版社「保育社」から発売されていたカラーページが豊富な文庫本のシリーズ。1962年に創刊。37年に亘り909点が刊行され、コレクターズアイテムとなっている(写真撮影/吉村智樹)

――それに温かな手づくり感が伝わってきます。

山本:「装丁はデザイナーの妻がやっていて、一冊ずつがハンドメイドなんです。なので、あんまり大量にはつくれません」

「民景」を見つけると街の特徴が浮かび上がってくる

――それにしても、路上観察系のミニコミ誌で、ここまで細かくテーマ分けされたものは初めて見ました。

山本:「分野で分けると、地域の特徴が見えてきます。例えば“バルコニー”。歩いているうちに、なぜか広いバルコニーを設けている家がたくさん集まっているエリアに出くわしました。調べてみると町割(まちわり/一定範囲の土地に複数の街路や水路を整備し、それによって土地を区画整備すること)が細かくて、お庭が造りにくいのだとわかったんです。なので皆さん、バルコニーをお庭のように使って楽しんでいる。バルコニーという視点から街の特徴が分かってくる。そういう逆の発見があるんだって気がついたんです」

我が町の当たり前が通用しない。地域によって「民景」は異なる

――街の景色がテーマごとに一冊にまとまると、こんなにクリエイティブな世界だったんだと驚かされます。例えば街で石臼がこんなにも再利用されているって、気がつきませんでした。

山本:「自宅で蕎麦やうどんを打っていたり、大豆をすりつぶしていたり、石臼は、かつてはどこのご家庭にもありました。生活習慣が変わって石臼を使わなくなり、捨てるわけにもいかず、再利用しているようなんです。地域によっては石臼を供養する塚があるんですよ」

軒先にある石臼の写真

植木鉢の台座になっている石臼。蕎麦を打つ習慣があった街では石臼の再利用(?)が見受けられる(「石臼」の巻より、画像提供/金沢民景さん)

――読んでいて「これはまさに金沢民景だな」と感じるテーマもありました。とりわけ「風除室(ふうじょしつ)」は、私が住む京都市内では見たことがないです。

山本:「風除室は、海風を遮ったり、山の方だと雪で玄関の開け閉めができなくなるのを防いだりするために設けてあるんです。『雪吊り』も北陸や新潟にあります。雪が少ない地方だと、ないかもしれませんね」

風除室の写真

玄関の前にもう一室が誕生する「風除室」(「風除室」の巻より、画像提供/金沢民景)

雪吊りの写真

北陸特有の水分が多く重い雪から木の枝を守るために吊るされた「雪吊り」は雪深い地方ならではの民景(「雪吊り」の巻より、画像提供/金沢民景)

民景は「境目」をつなぐ工夫のなかから生まれる

――民景を見つけるコツはありますか。

山本:「“境目”ですね。なにかとなにかの変わり目を見ていく。すると、そこにいいデザインが現れる場合が多いです。川と住宅地の境目、お家とお家の境目、道路と家の境目、時代と時代の境目。そういった境界線付近を見ていくと、そこにはなにかしらの工夫がされている」

――つまり、工夫を見つけるのが大事なんですね。

山本:「 “工夫”に感心する、それが民景の面白さのひとつだと思います。斜面と平地の境目には、きっと困っている人がいる。そして、そこには悩みを解消するための工夫が生まれる」

――先ほどおっしゃった「いろんな格闘の跡」ですね。でも民景って、どこにあるのかが、分からないですよね。「ここに注目」って地図に載っているわけではないですものね。

山本:「地図に載っていれば見つけるのがラクですよね。ただ、それでも地図は見たほうがいいんです。地図を見ていると、新しい街はだいたいグリット(罫線)のようにきれいに整備されています。ところがときどき、なかにごちゃごちゃっとして整理されていない、細い路地が集まっている場所があるんです。『ん? ここはなんかあるぞ』とピンとくるんですよ。そういう場所を実際に歩いてみると、いい民景がたくさん見つかる場合が多いです」

インタビュー中の山本さんの写真

「民景」を発見すると「なぜ、こうなったのか。理由を知りたくなる」という(写真撮影/吉村智樹)

掲載する際は撮影許可を取る。そこにドラマがある

――一冊にまとめる際は、LINEグループのフォルダに集まった画像を掲載しているのですか。

山本:「いいえ。集まった情報をもとに物件がある場所を訪れ、掲載許可の取得を兼ねて、可能な限りインタビューしています。そして、どういう経緯でこの物件ができたのか、誰がなぜこの色にしたのか、風除室はなぜつくったのかなど、お話をうかがいます。そして一眼レフで撮りなおして掲載しています。残念ながら許可が取れず載せられない物件もありました。やっぱり気持ち悪いじゃないですか。突然『この屋根は何のためにあるんですか?』って訊いてこられたら。『わ、やべーやつ来た!』って思いますよね」

――取材をする側の度胸が必要ですね。

山本:「そうですね。でも、掲載許可をいただくために物件の持ち主を取材する、その行為自体はとても楽しいんですよ。例えば屋根の上に、手すりがまるで蛇のような形状のバルコニーがあったんです。それが気になって、勇気を出してバルコニーがあるお宅のインターフォンを押してみました。すると、お母さんが対応してくれて。それから2時間くらい、ずっとお母さんといろんな話をして、最後には人生相談にまで発展しました(笑)。その体験がすごく楽しくて」

――民景にはドラマがあるんですね。

山本:「お母さんは植物を育てるのが大好きだったんです。そしてお父さんが、たまたま日曜大工が趣味でした。そんなお父さんが屋根の上に陽(ひ)がよくあたっているのに気がついて。それでお父さんがお母さんのために植物を育てられるバルコニーをどんどんどんどんつくっていったそうなんです。つまり、お母さんのためだったんです。謎のバルコニーには、そういうストーリーが背景にあるんだって分かって。その分かっていく過程が面白くて。『民景には物語があるんだ。逸話をみんな聞いてやろう』と思って、それからインターフォンを押すようになりました」

バルコニーの写真

手すりがうねるようなバルコニー。そこには夫婦の情愛の物語があった(画像提供/金沢民景)

今後一冊にまとめたいテーマは「雪除け屋根」

――今後、刊行したいテーマはありますか。

山本:「いま気になっているのが、『雪除け屋根』。冬になるとお寺の境内に現れる三角形の屋根です。お寺の屋根に雪が積もると、塊になって下にばーっと落ちてきて危ないじゃないですか。手を合わせている人に雪の塊が当たると怪我をしかねない。そういった事故を防ぐために、三角形のトンネルのようなものを設置します。落ちてきた雪が三角屋根に当たると左右に飛び散るんです」

雪除け屋根の写真

屋根から落ちてきた雪から通路を保護する「雪除け屋根」(画像提供/金沢民景)

――雪国特有の造形物でしょうか。初めて見ました。見た目のインパクトが強いですね。

山本:「パワーが集まってきそうですよね(笑)。この三角屋根の物件は僕も金沢に来て初めて見ました。金沢のいろんな場所にあります。ただ冬にしか登場しないのが難点で。いつか一冊にまとめたいのですが、かなり時間がかかるだろうなと思います」

――民景を見つけて画像や冊子にして保存する行為は、郷土史という観点でも民俗学としても重要なことだと感じました。

山本:「ぜひ、『民景』という言葉も皆さんに使っていただいて、ご自身の街をみていただければ」

民景とは、人々がそこで暮らした証しなんですね。取材を終えて金沢駅へ向かう道すがらの光景は、行きがけよりもさらに尊い輝きを放って見えました。

新型コロナウイルスの影響で遠出がしづらい今だからこそ、ご近所を散歩してみませんか。歩いた経験がない路地をめぐってみましょう。自宅周辺の民景をさがすことで地域の再評価へもつながります。日本各地からさまざまな表情を見せる民景が見つかれば、通り過ぎていた価値が見直され、街への愛情が生まれ、日本が元気を取り戻せる。そんな気がした一日でした。

山本周さんプロフィール写真山本周
1985年生まれ。建築士。金沢市の住民がつくり出した風景を収集する活動「金沢民景」を主宰し、活動の記録をミニコミ誌にまとめ続けている。(写真撮影/吉村智樹)

金沢民景 Webサイト/Instagram/Twitter

3カ月、駐車場に住んだバンライファー夫妻。40代後半で退職、家を売却した理由【バンライフの日々1】

2020年4月、筆者が運営するシェアハウス「田舎バックパッカーハウス」併設の“住める駐車場”「バンライフ・ステーション」にひと組のバンライファー夫妻が訪れた。神奈川県横浜市出身、50歳を目前に早期退職し、自宅を売却して今年1月末からバンライフをスタート。その理由や、新型コロナウイルス感染症の騒動下での状況について伺った。連載名:バンライフの日々
荷台スペースが広い車“バン”を家やオフィスのようにし、旅をしながら暮らす新たなライフスタイル「バンライフ」。石川県 奥能登の限界集落・穴水町川尻に、シェアハウス「田舎バックパッカーハウス」と住める駐車場「バンライフ・ステーション」をオープンした旅人・中川生馬が「バンライフ」と出会ったバンライファーたちとのエピソードを紹介します。自宅を売却して“車”を拠点にした生活にお二人がバンライフの拠点にしているのは、「ISUZU Be-cam」をベースにした日本特種ボディー社製キャンピングカー「SAKURA」(写真撮影/中川生馬)

お二人がバンライフの拠点にしているのは、「ISUZU Be-cam」をベースにした日本特種ボディー社製キャンピングカー「SAKURA」(写真撮影/中川生馬)

今回「バンライフ・ステーション」に3カ月滞在していたバンライファー夫妻の夫・秋葉博之さんと妻・洋子さん。

バンライフという暮らし方を決めた大きなきっかけは「宝くじ」だった。「宝くじ」に当たったわけではないが、そのときにふと交わしたシンプルな会話が二人の人生観を変えたのだ。

2018年春、洋子さんが「宝くじで、億円単位が当たったらなにをしたい? 私だったら、全国へ旅したい!」と言った。当たったわけでもないのに、博之さんはすぐに「いいね!やるなら今でしょ!」と賛同。二人は「とにかく、何もしないで旅をしよう!」と話し合った。「お金に対する不安ばかりを考えてもなにも始まらない」「とりあえず生きられればいい」……

キャンピングカー内にはテレビ兼PCモニターも設置されている(写真撮影/中川生馬)

キャンピングカー内にはテレビ兼PCモニターも設置されている(写真撮影/中川生馬)

博之さんは、バンライフをスタートさせるために購入したキャンピングカーの納車に合わせて、2019年10月中旬、約15年勤務した建設機械のレンタル会社を退社。それから生命保険の解約、自宅にあったモノの売却・譲渡・処分など、秋葉さん夫妻にとって今後の人生で“不要”と思ったモノの断捨離……いわゆる資産整理を始め、そして2020年1月30日に横浜の自宅を売却。バンライフを始めるにあたっての投資額は約1000万円以上。不安よりもワクワクのほうが何十倍も大きい。人生1度限りの無期限な旅へ期待に胸を膨らませながら、バンライフへの旅立ちの日を迎えた。

だが、ぶち当たったのは新型コロナウイルス感染症の影響だった。

キャンピングカー内の寝床(写真撮影/中川生馬)

キャンピングカー内の寝床(写真撮影/中川生馬)

90リッターの備え付けの冷蔵庫と、14リッターのエンゲル社製の冷蔵庫も積んでいるため、“食”生活も問題ない(写真撮影/中川生馬)

90リッターの備え付けの冷蔵庫と、14リッターのエンゲル社製の冷蔵庫も積んでいるため、“食”生活も問題ない(写真撮影/中川生馬)

旅立ち直後、コロナ禍で行き場を失った

バンライフをスタートさせた1月末は順調だったが、3月になると世の中は新型コロナ禍の影響が色濃くなっていった。
政府が4月7日に「緊急事態宣言」を発出し、各県でも順次、独自の対応を発表した。密閉空間・密集場所・密接場面など、3つの「密」になりうる温泉、道の駅、車中泊スポットなどの施設も閉鎖。運転の休憩をするための“仮眠”向けの車中泊スポットとなる道の駅やサービスエリア、電源が使えるRVパークなどは、いずれもバンライファーにとって大事な生活拠点だ。これらが使えないのは、家を売却してしまった夫妻にとっては死活問題。行き場を失ってしまった。

さらに、「車両ナンバーは、コロナが蔓延している神奈川県『横浜』。あちこち移動することで、周囲の人に不快感を与えたくなかった」と秋葉さん夫妻。彼らと同じように考える県外ナンバーのバンライファーは多く、筆者の知り合いのバンライファーたちも、実家や友人宅に滞在するなどして、バンライフを自粛していた。

「バンライフ」はクルマで旅や仕事をしながら快適に生活でき、好きな場所で寝起きできるなど、旅好きやさまざまな場所で暮らしてみたい人たちにとっては、理想的なライフスタイルではある。

しかし、今回のコロナ禍は、秋葉さん夫妻のように家を売却してしまっている、あるいは家を持たないバンライファーたちにとって、長期滞在することができる「不動産の拠点」の必要性を痛感した出来事でもあったかと思う。

まだまだバンライファーたちが長期滞在できるスポットの選択肢は多くない。「バンライフ・ステーション」へ秋葉さん夫妻が訪れたのは、こうした経緯からだった。

シェアハウス「田舎バックパッカーハウス」の住める駐車場「バンライフ・ステーション」には、トイレ・シャワー・料理場・ダイニング・居間・ワークスペースなど基本的な生活インフラを完備(写真撮影/中川生馬)

シェアハウス「田舎バックパッカーハウス」の住める駐車場「バンライフ・ステーション」には、トイレ・シャワー・料理場・ダイニング・居間・ワークスペースなど基本的な生活インフラを完備(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻の家犬ならぬ“バン”犬・ぶーすけ(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻の家犬ならぬ“バン”犬・ぶーすけ(写真撮影/中川生馬)

行き場を失ってたどり着いた

秋葉さん夫妻から筆者に問い合わせがきたのは、緊急事態宣言から数日後の4月11日。内容は以下のようなものだった。「現在、和歌山県にいます。今は毎日、点々として暮らしている状態です。先が見えない状況であり緊急事態宣言の出た横浜ナンバーでウロウロするのも気が引けて……。このような私たちでも受け入れが可能であれば利用させていただききたいと思っております。よろしくお願いいたします。(旅していた場所は)田舎ですし、3密になることもありませんが、道の駅や入浴施設等は利用しています。今のところ体調不良はありません」――。とても紳士的で、「きっといろいろと考えて問い合わせしてくれたんだろうなぁ」と思った。

秋葉さん夫妻滞在中に、1トントラックに自作の木造の家を荷台に積み1年間全国を旅したというバンライファーも訪問!(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻滞在中に、1トントラックに自作の木造の家を荷台に積み1年間全国を旅したというバンライファーも訪問!(写真撮影/中川生馬)

当時、ちょうど「田舎バックパッカーハウスも、なにかコロナ対策に利活用できないものか」「災害時、ここが社会的にもっと役立つ施設になれればなぁ」と考えていた時期で、同じ“旅人”だということと、筆者がもともと暮らしていた鎌倉と、秋葉さん夫妻が暮らしていた横浜というゆかりのある土地の近さで親近感を抱いたことなども背景にあり、受け入れさせていただいた。また、思い切ってキャンピングカーに“人生の楽しみ”を詰め込むような人に「悪い人はいない!」という筆者の勝手な思い込みと直感もあった。

本来の田舎暮らしは近所付き合いが大切で、そこに面白みがあるのだが、今回はそうも言っていられない。1. (一定期間)近所の人たちとの距離を置く、2. マスクをすることなどを前提に「バンライフ・ステーション」に来ていただいた。

実際、夫妻に会ってみると、まさに思っていた通りの人たちだった。

「いい歳して、会社を辞めて、家を売って、将来のことはどうするの?」と思う人もいるかもしれない。しかし、秋葉さん夫妻は、「“自分たちの将来”のことについて本気で考えて、大切に想っている」からこそ旅に出たのである。大切な決断だと思う。

いろんな場所で短期滞在するのがバンライフの暮らし方。コロナ禍は災難だったが、期せずして長期滞在になったことで、能登をよく知ってもらう機会になったのではないかと思う。残念ながら前半はコロナの影響もあり、筆者の家族以外の近所付き合いがなかったが、滞在中に平和な田舎暮らしを味わってもらえたようだ。その様子は博之さんのブログに綴られている。

秋葉さん夫妻と筆者親子で「田舎バックパッカーハウス」周辺をお散歩(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻と筆者親子で「田舎バックパッカーハウス」周辺をお散歩(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」周辺 田んぼなど、緑が広がっている。近くには海も(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」周辺 田んぼなど、緑が広がっている。近くには海も(写真撮影/中川生馬)

緊急事態宣言の解除後、「北」へ旅立った

6月18日、緊急事態宣言が全面的に解除され、19日以降、県境移動の自粛も解除された。

秋葉さん夫妻の動きは慎重だった。最終的に、7月9日に北海道に向けて旅立った。能登での3カ月間の“ちょい”田舎暮らしが終了した。

能登出発最終日に秋葉さん夫妻と記念撮影(写真撮影/中川生馬)

能登出発最終日に秋葉さん夫妻と記念撮影(写真撮影/中川生馬)

本州の暑くなる夏を避けるために、北海道へと向かったのだ。当初の旅の目的である「自分たちが今後なにをしたいのか探しながら全国を旅する」ことを果たすために。

「田舎バックパッカーハウス」運営者である筆者は、このコロナ禍という未曾有の状況下でつながった秋葉さん夫妻にますます親近感を持ってしまい、お別れの9日にはぼろ泣きしてしまった。

北へと向かった秋葉さん夫妻(写真撮影/中川生馬)

北へと向かった秋葉さん夫妻(写真撮影/中川生馬)

コロナ禍で見直されるバンライフ

このコロナ禍で、今後のライフスタイルについて改めて考え始めた人も多いだろう。秋葉さん夫妻のように、年齢やタイミングに関係なく、実現したいライフスタイルを自由に選択できる時代だ。

一方で、秋葉さん夫妻の話から筆者が感じたのは、今後増えていくだろうバンライファーに対応したインフラ施設の進化が必要だということ。バンライフは災害時にも有用な暮らし方だと言われているが、今回の件でさらなる課題が見えたように思う。

暮らし方だけでなく、生活基盤の選択肢も充実し、より豊かな生き方を選び取ることができるようになることを願いたい。

住める駐車場「バンライフ・ステーション」に続き、多くのバンライファーが集うことができる駐車場“村”「バンライフ・ビレッジ(仮)」を整備中で、オープン予定の赤井成彰さん(写真撮影/中川生馬)

住める駐車場「バンライフ・ステーション」に続き、多くのバンライファーが集うことができる駐車場“村”「バンライフ・ビレッジ(仮)」を整備中で、オープン予定の赤井成彰さん(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」のワークスペース、ダイニング、キッチンエリア。7月中旬から、旅行グッズレンタルサービス「flarii(フラリー)」とタッグを組み、バンライファーやサテライトオフィス含め長期滞在者向けの仕事環境のために、パソコンやPCモニターがレンタルできる「リモートワークプラン」を開始した(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」のワークスペース、ダイニング、キッチンエリア。7月中旬から、旅行グッズレンタルサービス「flarii(フラリー)」とタッグを組み、バンライファーやサテライトオフィス含め長期滞在者向けの仕事環境のために、パソコンやPCモニターがレンタルできる「リモートワークプラン」を開始した(写真撮影/中川生馬)

バンライファーが集う「田舎バックパッカーハウス」がある石川県では、地元・金沢工業大学とCarstay社が「バンライフ」で地域を盛り上げるプロジェクトが始まった。全国的に「バンライフ」の旅と暮らしのスタイルが広がりつつある(写真撮影/中川生馬)

バンライファーが集う「田舎バックパッカーハウス」がある石川県では、地元・金沢工業大学とCarstay社が「バンライフ」で地域を盛り上げるプロジェクトが始まった。全国的に「バンライフ」の旅と暮らしのスタイルが広がりつつある(写真撮影/中川生馬)

●取材協力
・秋葉さん夫妻
・田舎バックパッカー
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