増加する空き家、政府が不動産売買の仲介手数料上限の一部改正に向けてパブリックコメントの募集をスタート

5年ごとに日本の住宅とそこに居住する世帯の居住状況などを調べる、「住宅・土地統計調査」の令和5年版が公表された。日本の住宅数は増える一方で、空き家の数も過去最多を更新するという結果だった。空き家の実態とその対策について、考えていこう。

【今週の住活トピック】
「令和5年住宅・土地統計調査」結果を公表/総務省

放置されている可能性の高い空き家は全国に385万戸

調査結果によると、日本の総住宅数は6502万戸で過去最多となった。常に居住していない「空き家」の数は、全国で900万戸に達し、空き家率は13.8%にまで上昇した。日本の総人口が減少する一方で、住宅の数は増え、空き家も増えているのが実態だ。

ただし、空き家の中には、売却予定で住んでいない住宅や賃借人の入れ替わりで空いている賃貸住宅など、いずれ居住される予定の住宅も含まれている。さらには、別荘や二次的住宅として、常に居住はしていないが必要な時に利用しているものも含まれる。

空き家すべてが問題なのではなく、居住予定や利用予定のない、“放置された空き家”がさまざまなトラブルの元になる。放置されている可能性の高い「賃貸・売却用及び二次的住宅を除く空き家」に限定すると、385万戸、空き家率は5.9%になる。むしろ、この部分が増えていることが問題だろう。

出典:「令和5年住宅・土地統計調査結果」(総務省統計局)

出典:「令和5年住宅・土地統計調査結果」(総務省統計局)

ちなみに、「賃貸・売却用及び二次的住宅を除く空き家率」(全国平均5.9%)が10%を超えるのは、北から順に秋田県(10.0%)、和歌山県(12.0%)、島根県(11.4%)、山口県(11.1%)、徳島県(12.2%)、愛媛県(12.2%)、高知県(12.9%)、鹿児島県(13.6%)だった。

放置された空き家はなぜ問題になるのか?

適切な管理をしないで空き家が放置されると、建物は急速に老朽化し、庭木も伸び放題となる。そうなると、建物が倒壊する危険性が高まるだけでなく、周囲の景観を乱したり、害獣や害虫による衛生面の問題が生じたり、犯罪の温床になったりといったトラブルを引き起こす原因になりかねない。

ただし空き家といえど、住宅は個人の財産なので、国や自治体が勝手に立ち入ったり、取り壊したりすることはできない。だからと言って、政府も手をこまねいているわけではない。

「空家等対策の推進に関する特別措置法(空き家対策特措法)」によって、自治体が空き家に立ち入って実態を調べたり、空き家の所有者に適切な管理をするよう指導したり、空き家の跡地の活用を促進できるようにした。放置されて問題となる空き家を「特定空家」に指定したり、その危険性のある空き家を「管理不全空家」に指定することで、自治体が強く関与できるようにもしている。

空き家が放置される原因ひとつひとつに手を打っているが……

空き家を放置する原因のひとつが、売っても値が大してつかないといったことや、住宅が建っていた方が更地にするよりも減税になるといったことがあった。そこで、政府は「特定空家」や「管理不全空家」に対しては、固定資産税の減額措置を解除したり、逆に空き家を売却した場合には、譲渡所得から最大3000万円を差し引ける特別控除の適用を認めたりする措置を取っている。

また、さらに問題を大きくしているのは、所有者が分からない場合だ。相続を繰り返す際に登記をしないことで、所有者が判明しないという事例も多い。そのため、相続登記の申請を義務づける改正を行い、2024年4月から施行されている。

住宅価格の高い都市部では、譲渡所得の特別控除などの対策が効果的に働くものの、過疎地域、郊外型団地、木造住宅密集地などによって、空き家が発生する経緯や解決すべき課題、対応方法などが異なる。空き家に対する相談窓口を強化するなどの対策も講じているが、空き家の課題解決は一筋縄ではいかない。

新たな解決策につながるか?仲介手数料の上限規制を緩和?

2024年5月2日に、「宅地建物取引業者が宅地又は建物の売買等に関して受けることができる報酬の額」の一部改正案に関して意見募集がされた。いわゆるパブリックコメントだ。

背景にあるのは、不動産会社が不動産の売買などを仲介した際の手数料に規制があることだ。売買では、価額が400万円を超える場合に「売買価格×3%+6万円+消費税」といった速算式がある。なお、200万円以下の場合は売買価格の5%が上限なので、200万円の取引なら仲介手数料は最大で10万円+消費税しか受け取れない。

放置された空き家はこうした低価格な取引にしかならないことが多いため、地方の空き家を仲介しても経費を差し引くと手元に残らないといったことが起こる。同じ時間を都市部の高額な住宅の売買に向けたほうが効率的なので、不動産会社が仲介に積極的に取り組みづらいということになる。

こうした背景を受けて改正案では、低価格な取引となる空き家の売買などの仲介をした場合、価額が800万円以下であれば仲介手数料を従来の規定より多く受け取ることができるようにするという趣旨になっている。ただし、「30万円の1.1倍に相当する金額を超えてはならない」などの制限を設けている。また、長期間空き家の賃貸借の仲介についても、仲介手数料の上限を緩和する案となっている。

これによって、空き家が仲介市場に出回るようになることを期待しているわけだ。

資産である住宅が空き家として放置されるのには、さまざまな理由がある。政府もかなり踏み込んだ対策を打ってはいるが、急速に増加する空き家に追いつかない状況だ。負動産を後世に残さないために、今後も空き家に対する対策をさらに検討する必要があるだろう。

私たちにできることは、空き家にならないように早めに対処したり、しっかり予防することだ。住まないことが想定される親の住まいや別荘などをどうするか、きちんと話し合って準備をしておきたいものだ。

●関連サイト
総務省「令和5年住宅・土地統計調査 調査の結果」
パブリックコメント「宅地建物取引業者が宅地又は建物の売買等に関して受けることができる報酬の額」の一部改正案に関する意見募集について

空き家がレトロおしゃれな150店舗に大変身! 長野・善光寺周辺にカフェや雑貨店、古着屋など、マッチングでにぎわい生む地元不動産会社の手腕

長野県長野市の善光寺門前エリアは、若い世代を中心に空き家をリノベーションした店が増え、にぎわいを創出しているまちとして、全国的にも注目が集まっています。その立役者として知られるのが、空き家専門不動産会社「MYROOM」の倉石智典さん。事業を始めたい人に空き家を仲介するに至った思い、長年まちを案内している「空き家見学会」のこと、新たな拠点でスタートした“まちづかい”への取り組みについて、お話をうかがいました。

空き家活用で150店舗オープン。空き家専門不動産会社「MYROOM」

長野駅からぶらぶら歩けば30分ほど。古い街並みが残る善光寺門前エリアでは、ここ20年ほどの間、空き家を活用した小さな店舗が次々とオープンし、にぎわいを生み出しています。

観光客でにぎわう善光寺表参道(撮影/新井友樹)

観光客でにぎわう善光寺表参道(撮影/新井友樹)

この界隈で事業を始めたい人と空き家をつないでいるのは、2010年に創業した「MYROOM」代表の倉石さん。MYROOMはいわゆる通常の新築・中古物件は取り扱わない、空き家専門の不動産会社です。設計事務所と建設業も兼ねていて、リノベーションの設計施工や管理までワンストップで行っています。

「空き家の未来をデザインする」をコンセプトにMYROOMを立ち上げた倉石智典さん(撮影/新井友樹)

「空き家の未来をデザインする」をコンセプトにMYROOMを立ち上げた倉石智典さん(撮影/新井友樹)

これまで倉石さんが事業者と空き家をマッチングした事例は、ゲストハウスに雑貨店、ブックカフェなど、およそ150軒にものぼります。そもそも、なぜ空き家専門の不動産会社を始めようと思ったのでしょうか?
「空き家を専門に扱っている不動産会社がなかったからです。なにも、地域活性化とかまちににぎわいを、と考えたわけではなくて、ビジネスとして、ニッチなところを狙ったというわけです」と、倉石さんは穏やかに話します。

創業当初、空き家は全国的に問題になり始めていました。ご多分に漏れず、長野市中心部の善光寺界隈も、使い手のいない古い空き家が増え続けていたころ。「建物って、地理や産業の成立ちを背景に建てられてきたじゃないですか。今は時代が変わって、ライフスタイルも変わった。人生の中で人は移動するし、人口もどんどん減っている。地理も産業も引継ぐ必要性はなくなりましたよね。どこでも住めて誰でも家が手に入る。このままでは、空き家だらけになっていってしまいます」

倉石さんの仲介で、築70年の建物がカフェと古着屋に生まれ変わった(撮影/塚田真理子)

倉石さんの仲介で、築70年の建物がカフェと古着屋に生まれ変わった(撮影/塚田真理子)

「一般的な不動産会社では、不動産価値のない古い空き家は取り扱いません。一方で、空き家バンクなどでは、行政が費用を出して無料でサイトに掲載をしています。いわゆる“1円物件”などもそう。でも、これまで大切に引き継いできた土地や家を使わないからといって使い捨ててしまうようで悲しいし、違和感を感じていました」

空き家は決して単体で存在していたわけではなく、古く長く、地域で引き継がれてきたものです。その大切な建物を、使いたい人が楽しく使わせてもらう、それがまちを引き継いでいくことにつながる。そんな思いが倉石さんのなかにはあったのです。

古さが味わいに。カフェも古着店も客層は幅広いという(撮影/塚田真理子)

古さが味わいに。カフェも古着店も客層は幅広いという(撮影/塚田真理子)

おもしろいのは、小商いをしてみたい事業者と空き家をマッチングするその手法です。倉石さんは事業者の「やりたいこと」をヒアリングし、倉石さんの頭の中にあるまちの地図や歴史や現在地、人の流れなどをもとに、「ここならうまくいくんじゃないか」という相性のいい物件候補を提案してくれます。
「空き家は歩いて見つけて、所有者を調べて訪ねて行って、貸していただけそうなところはストックしています。でも、所有者がわかっても貸さない、貸せないとか、いろいろな事情がありますよ」と倉石さん。そう、大家さんに頼まれて仲介しているわけではないので、順番が逆なのです。その建物はかつてどう使われていたのか、まちのなかでどんな存在だったのか。この家に合うのはどんな人かな、今ここでどんな商売をやったら地域に溶け込めるかな……そんなことを日々妄想している倉石さんだからこそのマッチング方法なのです。

その妄想をみんなでできたらいいな、という思いで毎月開催しているのが、2011年から続く「空き家見学会」です。

■関連記事:
・シャッター街、8年で「移住者が活躍する商店街」に! 20店舗オープンでにぎわう 六日町通り商店街・宮城県栗原市
・コンビニが撤退危機だった人口減の町に、8年で25の店がオープン。「通るだけのまち」を「行きたいまち」に変えたものとは? 長崎県東彼杵町
・「0円空家バンク」で転入者170人増! 家を手放したい人にもメリットあり、移住者フォローも手厚すぎる富山県上市町の取り組みが話題

12年続く「空き家見学会」で、まちを歩いて見えてくるもの

MYROOMでは空き家の鍵を数十軒分預かっているといいますが、物件情報はウェブサイトなどに公開されていません。このエリアで空き家を活用して店を開きたいと考える人は、まず「空き家見学会」に参加することからスタートします。

空き家見学会とは、2011年、善光寺西之門にある編集企画室「ナノグラフィカ」とともに始めたもの。現在は、倉石さんが2021年に立ち上げた新拠点「R-DEPOT(アールデポ)」が引き継ぎ、毎月1回行っています。R-DEPOTについてはのちほど紹介するとして、まずは空き家見学会に同行させてもらいました。

現在は、「R-DEPOT」の若きスタッフがまちを案内している(撮影/新井友樹)

現在は、「R-DEPOT」の若きスタッフがまちを案内している(撮影/新井友樹)

見学会の参加者は、半数が長野市内、半数は市外または県外の人だそう。多いときは10名、平均5~6名が参加します。予約制で時間は2時間ほど、参加費は無料です。

R-DEPOTに集合したら、まずは案内人、参加者ともに自己紹介(撮影/新井友樹)

R-DEPOTに集合したら、まずは案内人、参加者ともに自己紹介(撮影/新井友樹)

観光客はなかなか足を踏み入れない路地へ。昔の地形やかつてこの場所にあったものなど、歩きながら紹介してくれる(写真撮影/新井友樹)

観光客はなかなか足を踏み入れない路地へ。昔の地形やかつてこの場所にあったものなど、歩きながら紹介してくれる(写真撮影/新井友樹)

空き家見学会というネーミングですが、いわゆる物件紹介というものとはわけが違います。物件までの道すがら、今駐車場になっているところには昔こういうお店があって、こんなふうににぎわっていて、細い路地にはかつて川が流れていて……といったように、まちの案内も繰り広げられます。建物は3~4件見学するものの、間取りやスペック、家賃の紹介はありません。というか、貸せるかどうかも決まっていないとのこと。
「空き家になる前の暮らしぶりを参加者の方にはお伝えしています。大家さんやご近所さん、大工さんから聞いたエピソードなども交えたりして」(倉石さん)

この日見た建物は3軒。古いガラスのレトロさにグッとくる(撮影/新井友樹)

この日見た建物は3軒。古いガラスのレトロさにグッとくる(撮影/新井友樹)

ここは昔タバコ屋さんだったところ。2階は住居だった模様(撮影/新井友樹)

ここは昔タバコ屋さんだったところ。2階は住居だった模様(撮影/新井友樹)

坂の上に立つだけに、2階の窓を開けると、眺めがいい!(撮影/新井友樹)

坂の上に立つだけに、2階の窓を開けると、眺めがいい!(撮影/新井友樹)

100年前にどうしてここに建物が建ったのか。使われなくなったとき、とっくに壊して駐車場にすることもできた、けれど壊さなかった理由ってなんだろう。代々ご先祖様から引き継いでいる建物だから。街並みが壊れるから。ご近所に申し訳ないから。まちのおかげで商売できていたから――その背景を知ることが大切だと思い知ります。

まちを歩き、実際の建物を見ながらそんな話を聞いていると、当時の風景がよみがえるように想像できました。そしてこれからここをどう使ったら楽しいのだろう?と、これからの“まちづかい”のことも想像できた気がします。これは、画面上ではきっとわかりえなかったことで、現場だからこそ感じられた体験なのでしょう。

大通り沿いに立つ建物。昔の記憶やエピソードがその家ごとに詰め込まれている(撮影/新井友樹)

大通り沿いに立つ建物。昔の記憶やエピソードがその家ごとに詰め込まれている(撮影/新井友樹)

古い農機具のポスターや看板も残されていて、時が止まったかのよう(撮影/新井友樹)

古い農機具のポスターや看板も残されていて、時が止まったかのよう(撮影/新井友樹)

1件目の空き家は築100年くらいで、もともとは篩(ふるい)屋さんだったとか。2軒目は元タバコ屋。玄関横に窓口があって、ここでコーヒースタンドとかやったら楽しいだろうな。3軒目の広い農機具店は、ガラスの掃き出し窓から見える小さな中庭が素敵で、シンボルツリーみたいな木を植えたら映えそう。こんなに広いならシェアハウスがいいかも?と、思わず妄想がふくらんだのも楽しい経験でした。

R-DEPOTに戻ったら、見学会参加者は「門前暮らし相談所」にも参加できます。門前でしたいこと、使いたい空間についてなど、スタッフと個別に相談できます。この日一緒に参加した男性は、学生時代この辺りに通っていたといい、得意な語学を活かして物販の店をやりたいと語っていました。果たして次のステップに進めたのでしょうか。

「同じ場所を見ても、どう受け止めるかは人によって違います。ここを引き継ぎたいと思うかどうか。いい人がいい使い方をしてくれたら、大家さんも、建物も、地域もみんなが喜んでくれます。残したい人と使いたい人の手助けになれればいい。選択肢のひとつを提示できたらいいなと思っています」(倉石さん)

倉石さんがつないだ、若きオーナーと空き家の現在地カフェ「POLKA DOT CAFE」のオーナー・山田大輔さん(右)と、古着店「COMMA」オーナーの駒込憲秀さん(左)(撮影/塚田真理子)

カフェ「POLKA DOT CAFE」のオーナー・山田大輔さん(右)と、古着店「COMMA」オーナーの駒込憲秀さん(左)(撮影/塚田真理子)

実際に倉石さんの紹介で空き家を借り、商いを始めた2組のオーナーさんにも話を聞いてきました。
まず1組目は、1階でカフェ、2階で古着屋を営む幼馴染のふたりです。きっかけは、30歳で東京からUターンし、地元で飲食店を始めたいと思った山田さんが、同級生の駒込さんに声をかけたこと。「彼が、いつか自分で古着屋をやりたいと話していたのを思い出したんです。2人でやれたら家賃も安く済むと思いました。善光寺門前エリアは古い建物をリノベしたおしゃれな店が多いから、若い人たちが来てくれるんじゃないかなと」(山田さん)。

古い建物は山田さんが希望していたレトロポップな雰囲気によく合う。倉石さんに相談しながら、自分たちも壁を塗るなどして改装した(撮影/塚田真理子)

古い建物は山田さんが希望していたレトロポップな雰囲気によく合う。倉石さんに相談しながら、自分たちも壁を塗るなどして改装した(撮影/塚田真理子)

残置物のアイスケースが活躍。「床は知り合いの子どもがペンキのついた靴で歩き回っちゃったので、いっそ、それで行こうか、と」(撮影/塚田真理子)

残置物のアイスケースが活躍。「床は知り合いの子どもがペンキのついた靴で歩き回っちゃったので、いっそ、それで行こうか、と」(撮影/塚田真理子)

翌月の空き家見学会まで待つ時間が惜しく、MYROOMの倉石さんに直接連絡を取り、このまちでやりたいことを語ったふたり。広くて2店舗を仕切れそうな建物を3件紹介してもらい、最初に見たこの2階建ての建物に決めました。
「築70年以上ですかね。昔はそば屋さんだったようですが、物置状態で。住まいだった2階は床が割れていたりして、正直いうと最初はピンときませんでした。でも、1階と2階で店が分けられるのはいいなと思ったし、原状回復不要で好きなようにリノベーションできるから、自分たちの世界観がつくりやすい。MYROOMさんが手がけたほかのリノベ物件もおしゃれだったので、そのままお願いすることにしました」(山田さん)。

費用を抑えるため、自分たちでタイルを貼ったり壁を塗ったりしたことも、愛着が湧く要因に。ちなみに、上の写真のアイスケースは残置物。「これが使えたのもよかった。店でかき氷を出したかったので、アイスストッカーとして大活躍しています」(山田さん)

カフェを通り、奥の階段で2階へ。天井が低いので頭上に注意(撮影/塚田真理子)

カフェを通り、奥の階段で2階へ。天井が低いので頭上に注意(撮影/塚田真理子)

かつて押入れだったところも活用してディスプレイ(撮影/塚田真理子)

かつて押入れだったところも活用してディスプレイ(撮影/塚田真理子)

「地元の成人式で『自分の店を持ちたい』とスピーチしたのを大ちゃん(山田さん)が覚えていてくれて、声をかけてくれたから独立に踏ん切れました」と駒込さん(写真撮影/塚田真理子)

「地元の成人式で『自分の店を持ちたい』とスピーチしたのを大ちゃん(山田さん)が覚えていてくれて、声をかけてくれたから独立に踏ん切れました」と駒込さん(写真撮影/塚田真理子)

敷金・礼金は1カ月ずつ、改装費は1階が500万円、2階が100~200万円ほどかかりました。「家賃は1棟で6万円なので、3万円ずつ。コロナ禍には、なにより固定費が低いことのありがたみを痛感しました」とふたりは声をそろえます。

2018年春に2つの店がオープンしてはや5年。その間、同じ通りには革小物の店、美容室、イラストレーターによるTシャツの店など、同様に空き家を活用した店が次々とオープンしています。「昔から商売しているお隣の店主さんに、最近若い人たちが歩くようになってきたねと言われました。歩いてあちこち店をめぐれたら楽しいし、まちもにぎわいますよね」

3階建ての団地の一室がおしゃれな焼き菓子店にHEIHACHIRO BAKE SHOPオーナーの小渕哲さん。戸隠から車で40分ほどかけて毎日通勤している(撮影/塚田真理子)

HEIHACHIRO BAKE SHOPオーナーの小渕哲さん。戸隠から車で40分ほどかけて毎日通勤している(撮影/塚田真理子)

2019年、築50年ほどの元NTTの社宅だった団地の一室にオープンしたのが、「HEIHACHIRO BAKE SHOP」です。店主の小渕哲さんは、スキー場がある山のリゾート、長野市戸隠で妻とともに焼き菓子店を営んでいましたが、長野市のまちなかにも出店したいと考え、ネットで情報を収集。
「まちづくりにも興味があって、数年前には空き家見学会にも参加したことがあったんです。そのときから、店というのはまちをつくる大事な要素なんだなと考えていました」

MYROOMの倉石さんとも面識があったことから、事業計画書を持参して相談してみることに。そこで紹介してもらったのが、このCAMPiT本郷団地でした。

「駐車場が6台確保できたことが決め手になりました。ここ長野市三輪は門前エリアから車で6~7分と少し離れた住宅街で、調べてみると市内でもかなり人口が多い。地域のお客さまに日常的に利用してもらえたらと思ったのです」

信州大学とのプロジェクトで既に完成していたというウッドデッキ。天気がいい日はパラソルとベンチを設置。ここで焼き菓子を食べることもできる(撮影/塚田真理子)

信州大学とのプロジェクトで既に完成していたというウッドデッキ。天気がいい日はパラソルとベンチを設置。ここで焼き菓子を食べることもできる(撮影/塚田真理子)

もとの間取りは3LDK。「完成させてから入居者を募集するのではなく、住み手や使い手の想いに合わせて自由に使えるようにしたい」という倉石さんの考えから、内装や設備はあえて改装しないまま残されていました。
リノベーションは、雑誌の写真など小渕さんが好きなテイストを提示して、倉石さんやMYROOMの施工担当者と相談しながらつくり上げました。水回りなどは移動させたため、配管工事などに費用がかかったといいます。リノベーションとの総額はおよそ800万円。
現在、この団地にはHEIHACHIRO含め4つの店舗と会社が入っていて、ほかに住宅としても活用されているそうです。

床は工事現場で使っていた足場材を再利用。古道具店で購入した棚に焼き菓子を陳列している。人気はマフィンとスコーン(撮影/塚田真理子)

床は工事現場で使っていた足場材を再利用。古道具店で購入した棚に焼き菓子を陳列している。人気はマフィンとスコーン(撮影/塚田真理子)

さらに小渕さんは、HEIHACHIROの経営が軌道に乗ったころ、かねてからやってみたかったドーナツ店の開業に取り掛かります。善光寺門前エリアにより近い立地で空き家がないか倉石さんに相談したところ、ちょうどR-DEPOTを立ち上げるべく、長野市西後町の元NTTのビルを改装中だったタイミング。
「ビルの離れのようなところに、倉庫だったのか、守衛さんがいたところなのか、6.5坪ほどの空間があったのです。この辺りは官公庁に近く人通りもあるうえ、R-DEPOTにはさまざまな企業も誘致していて、集客も望めそう。そこで、テナントのようなかたちで入居させてもらうことにしました」(小渕さん)。

左がR-DEPOT、右が小渕さんのドーナツ店「LAGOM DOUGHNUT & DRINK(ラーゴム ドーナツアンドドリンク)」(撮影/新井友樹)

左がR-DEPOT、右が小渕さんのドーナツ店「LAGOM DOUGHNUT & DRINK(ラーゴム ドーナツアンドドリンク)」(撮影/新井友樹)

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

こちらはどこか路地裏風の、趣のあるロケーションが魅力。厨房設備を入れてドーナツを製造、窓越しに販売するスタイルです。
長野駅と善光寺を結ぶ中央通りから1本入ったところですが、中央通りと比べると家賃は1/3くらいに抑えられているとか。平日はサラリーマン、週末は観光客と、客層は違うものの日中は常に人の流れがあり、気軽にドーナツを買い求める人の姿でにぎわっています。
「ここ(NTT)で昔働いていたとか、団地の焼き菓子店の方は昔住んでいたとか、そういうお客様も来てくださって、懐かしがってくださるのがうれしいです」

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

“まちづかい”の拠点、R-DEPOTが始動R-DEPOTは2022年6月に完成。元電報局で女性の多い職場だったため、1階と3階は女性用トイレのみというのが建物の歴史を物語る(撮影/新井友樹)

R-DEPOTは2022年6月に完成。元電報局で女性の多い職場だったため、1階と3階は女性用トイレのみというのが建物の歴史を物語る(撮影/新井友樹)

最後に、倉石さんが設立した新拠点「R-DEPOT(アールデポ)」について話をうかがいました。R-DEPOTがあるのは、長野駅と善光寺のほぼ中間地点に立つ築50年ほどの3階建てビルで、元NTTの電報局だったところ。5年以上使われていなかったこの建物を一棟丸ごと借り、「移住創業、まちづかいの拠点」というコンセプトのもと活動をスタートしました。

1階は、R-DEPOTが運営する古道具店とカフェ、オフィス。2・3階は、クリエイターやIT企業など10社ほどに転貸しています。なかには長野県庁がサテライトオフィスとして入居して仕事をしていたり、NHK長野放送局がサテライトスタジオとして1階ショップ横で「善光寺monzen studio」と題するテレビ・ラジオの放送も行っていたりしています。

味のある家具や食器などが並ぶR-SHOP(撮影/新井友樹)

味のある家具や食器などが並ぶR-SHOP(撮影/新井友樹)

1階の古道具店「R-SHOP」は、取り壊される建物からレスキューした家具や雑貨などを、次の使い手につなげるための場所。奥には古材のストックルームもあり、リノベーションの際に再利用したりしています。
「たとえば食器も、お祝いのときやお客さんが来たときに使って、またちゃんと保管しておいたような、とっておきのものもあるんです」と倉石さん。代々大切に受け継がれてきたものは、これからも想いを引き継ぎながら使ってほしい。1階は誰でも利用もできるので、ふらりと立ち寄って、気軽に手に取ってみられるのもいいですよね。

この建物と出会ったとき、「新しい拠点にできたらいいな」とインスピレーションがわいたという倉石さん(撮影/新井友樹)

この建物と出会ったとき、「新しい拠点にできたらいいな」とインスピレーションがわいたという倉石さん(撮影/新井友樹)

たとえばこの家具のタイトルは「Rがチャーミングなタンス」。どこから、いつレスキューしてここに来たのかも、商品の魅力とともに伝えている(撮影/新井友樹)

たとえばこの家具のタイトルは「Rがチャーミングなタンス」。どこから、いつレスキューしてここに来たのかも、商品の魅力とともに伝えている(撮影/新井友樹)

カフェも併設。ちなみに、上で紹介した「LAGOM」のドーナツをカフェに持ち込むこともできる(撮影/新井友樹)

カフェも併設。ちなみに、上で紹介した「LAGOM」のドーナツをカフェに持ち込むこともできる(撮影/新井友樹)

一角にはカフェもあります。移住相談をしたい人、新しく事業を始めたい人など、お茶を飲みながらコミュニケーションの入り口になれば、と考えたからです。

R-DEPOTでは移住者交流会も開かれています。既に移住した人、これから移住を考えている人ともに参加でき、先輩移住者からの経験談やアドバイスが聞ける座談会のようなもの。具体的な補助金の話や、移住創業情報、まちのおすすめスポットなども教えてもらえます。

長野駅前で65年ものあいだ営業し、昨年惜しまれつつ閉店した喫茶店の什器なども引き取っている(撮影/新井友樹)

長野駅前で65年ものあいだ営業し、昨年惜しまれつつ閉店した喫茶店の什器なども引き取っている(撮影/新井友樹)

上階にはシェアオフィスやコワーキングスペースも。移住創業を始めた人、地元企業、入居者、R-DEPOTスタッフなどが交流し、仕事につながるきっかけづくりをめざす(撮影/新井友樹)

上階にはシェアオフィスやコワーキングスペースも。移住創業を始めた人、地元企業、入居者、R-DEPOTスタッフなどが交流し、仕事につながるきっかけづくりをめざす(撮影/新井友樹)

キャンプを思わせるパブリックエリア。休憩に使うほか、クリエイターがポップアップイベントを行うことも(撮影/新井友樹)

キャンプを思わせるパブリックエリア。休憩に使うほか、クリエイターがポップアップイベントを行うことも(撮影/新井友樹)

さらに、空き家にまつわるさまざまな取り組みが、R-DEPOTを拠点にスタートしています。長野市の認定事業として始まった「まちの家守(やもり)事業」も、新しい試み。
「空き家を貸したい人と借りたい人をつなぐウェブサイト『まちの掲示板』をつくります」(倉石さん)。まちに引き継ぎたい空き家のストックと、まちで始めたい事業を、サイトでPRできます。
物件については、かつてどのように使われていたか、地域の中の位置付け、改修はいくらくらいかかりそうか、といった話を。事業希望者はどんなマーケットがあって、売り上げはいくらくらい望めそうか、ということを相談できるといいます。

そのなかから、ストック1物件、事業者1組をピックアップして紹介する「まちの寄合会議」を公開開催します。これは、不動産会社、デザイン会社、経営コンサル、金融機関、創業者OBなどがガイドとして参加する、2日間のユニットワーク。
「現地調査やデザインワーク、事業計画など、これまで事業者が自分でやらなくてはならなかったこと、MYROOMが時間をかけてサポートしてきたことを、2日でまとめて、みんなで考えて共有しようという企画です。成約するかどうかは、別の話。お互いにこんなはずじゃなかった、というのを防いで、事業、建物、地域、3つの価値が高まることが狙いです」と倉石さんは話します。

このほかにもR-DEPOTではさまざまなイベント、相談会などが定期的に催されていて、たくさんの交流が生まれています。もちろん、空き家見学会も継続中です。

R-DEPOTの窓も楽しい掲示板。思わず立ち止まって読んでしまう(撮影/新井友樹)

R-DEPOTの窓も楽しい掲示板。思わず立ち止まって読んでしまう(撮影/新井友樹)

取材を通して、「この取り組みは、お見合いのようなもの」という倉石さんの言葉が印象に残りました。入り口はネットでも、顔を見せあって名乗るところが最初のスタートライン。自分の希望だけではダメで、縁やタイミングもあるでしょう。倉石さんたち経験を持った人が仲人になって、お互いに知る期間を設けることも大切。
物件単体の仲介では決してなく、あくまでも“まちを引き継ぐ関係づくり”に重きを置いていることがわかります。
まちなかにR-DEPOTという拠点があることで、建物とまちの魅力が伝わって、それを引き継ぎたい人にバトンを渡せる。結果として楽しい“まちづかい”が実現していくことに、思わず心が躍るようでした。

●取材協力
MYROOM
R-DEPOT
POLKA DOT CAFE
COMMA
HEIHACHIRO BAKE SHOP
LAGOM DOUGHNUT & DRINK

「0円空家バンク」で転入者170人増! 家を手放したい人にもメリットあり、移住者フォローも手厚すぎる富山県上市町の取り組みが話題

「地方に空家があるなら、移住希望者に住んでもらえばいいんじゃない?」そんな誰もが空想する取り組みを実行に移し、大成功している自治体があります。富山県上市町です。では、どのようにして成功させたのでしょうか。現場を見学してきました。

0円空家バンクに希望者殺到。能登半島地震の被災者も受け入れ

富山県上市町は、富山駅から電車で約25分の約2万人の町(令和6年1月31日時点)です。町内の多くは山岳地で、名峰・剱岳があるほか、映画『おおかみこどもの雨と雪』(細田 守監督)の舞台になった町でもあります。以前、SUUMOジャーナルでは、「古民家をイメージした公営住宅が誕生!」という記事でもご紹介しました。

この上市町で2022年にはじまったのが「上市町0円空家バンク」(空家解消特別推進事業)です。仕組みとしてはとてもシンプルで、空家所有者の依頼・要望を受けて、行政が建物や土地の現地調査を行い、0円空家バンクに登録します。0円空家バンクを見て取得を希望する人を募集し、内覧会を実施したうえで、空家所有者が取得希望者を選定し、契約を締結、譲渡という流れになります。

上市町0円空家バンクの仕組み(資料提供:上市町役場)

上市町0円空家バンクの仕組み(資料提供:上市町役場)

空家所有者は無償で建物や土地を譲渡できるほか、相続手続き・不用品の処分費用として最大10万円の補助が受けられます。また、取得希望者は住宅が0円で手に入るだけでなく、定額50万円(所有権移転登記費用が発生する場合には贈与税など)の補助があり、さらに該当すれば移住定住の助成金を受け取れます。一方で上市町は空家の指導や特定などに人手を割く必要がなくなり、人口減少どころか定住者の増加、税収増も見込めます。

まさに三方良しの取り組みとあって、2022年度の制度スタートからすぐに人口増へとつながり、その年度のうちで転入者数が前年度より77人、2023年度にはさらに170人まで伸びています。なかでも県外転入者数は、2022年度に前年度の4.4倍となり、2023年度には2021年度の5.9倍まで増加しています。

また、今年1月に発生した能登半島地震の被災者も、2月にこの「0円空家バンク」を利用して移住につながりました。建物の所有者が「被災者の力になりたい」ということで、譲渡が決まったといいます。空き家が住まいという資源として活用できている、好事例といってよいでしょう。

空家を持つと“詰む”!? 所有者にも補助金を出す理由とは

「空家バンク」そのものは全国各地にありますが、ここまで成果が出ている自治体はなかなかありません。上市町の取り組みにはどういった特徴があるのでしょうか? 上市町建設課の金盛敬司主幹に話を聞きました。

上市町建設課の金盛敬司主幹(左)と企画課の盛一紗弥子係長(撮影/SUUMO編集部)

上市町建設課の金盛敬司主幹(左)と企画課の盛一紗弥子係長(撮影/SUUMO編集部)

「以前は、私は固定資産税を担当する部署にいたのですが、空家の所有者から、実家が空家になっているので手放したいという相談を受けていました。その後、現在の建設課に異動になったところ、できるだけ安く住まいを手に入れたい、空家を紹介してもらいたいというニーズがあることに気づきました。副町長からも大胆な取り組みを、という後押しもあり、不動産業者が取り扱わない『無料』の物件に絞って、町が紹介すればいいんじゃないか、という仕組みを思いつきました」と解説します。

0円空家バンク誕生の経緯(資料提供/上市町建設課)

0円空家バンク誕生の経緯(資料提供/上市町建設課)

不動産は売却額が200万円以下の場合、不動産会社が受け取れる仲介手数料の上限は「成約価格× 5%」+消費税と決められています。ただこの手数料では事業として利益を出すことができず、事実上、扱うことはほとんどありません。そのため、「0円でもいいから引き取ってほしい」という要望があっても流通することはなく、空き家として放置されてしまうのです。国は対策として、2023年より「相続土地国庫帰属制度※」をはじめましたが、手放すにも20万円もしくはそれ以上の「負担金」や各種手続きが発生するので、「手放すのにもお金がかかる……」と二の足を踏む人がいるといいます。

※相続土地国庫帰属制度/相続または遺贈(遺言によって特定の相続人に財産の一部または全部を譲ること)によって土地を相続した人が、土地を手放し、国庫に帰属させることを可能にした制度

空家・農地に十分な市場価値がない、売却に必要な図面や書類がない、国庫に帰属させようにもお金がかかる、建物を解体したくても解体費用が出せない、家庭や健康状態によっては家財や荷物の片付けができない。さらに思い入れのある家だからこそ、譲渡する相手は誰でもいいわけではない。経済面はもちろん、感情面も入り交じり、より問題を複雑にしています。「上市町0円空家バンク」では、こうした所有者の事情を考慮して空家所有者にも費用を助成し、譲渡先の決定権も所有者が決める制度です。

「空家所有者には、食器や仏壇、寝具、壊れた家電などは処分していただくことと、権利や担保は整理・抹消と相続してから登録していただくことを説明しています。一方で、タンスなどの大型家具に関しては利活用できることもありますので、そのままでよいですよとお伝えしています。間取図は法務局と固定資産税担当の部署で閲覧し、私が図面を作成します。写真も撮影して、0円空家バンクに登録。複数の応募者のなかから、基本的には直接会っていただき、この人なら、という方に譲渡を決めていただきます」(金盛さん)

空き家に残された立派な家財箪笥。まだまだ使用可能(撮影/SUUMO編集部)

空家に残された立派な家財たんす。まだまだ使用可能(撮影/SUUMO編集部)

これは、金盛さんが一級建築士でもあるからこその機動力です。ちなみに前述の映画監督の細田守さんとは中学の同級生で高校進学時に先生がこの2人を呼んで、美術の道を目指すように勧めたとか。出てくるエピソードにまたまたびっくりします。

<「上市町0円空家バンク」の空家所有者のメリット>
・家財の処分費用助成がある
・譲渡相手を見つけてもらえるが、最終決定は自分たちで行う
・譲渡に必要な物件写真撮影や間取図作成、応募者募集は行政が行う

移住希望者にも助成。不動産会社だけでなく、周囲の企業にも好影響

一方で、取得希望者にも安全な住まいを用意するよう、配慮しています。

「どんな建物でも0円空家バンクに登録できるのか、というとそうではありません。われわれが現地調査を行い、損傷度や危険性に応じて1から4ランクまで判定します。居住するには危険がないと判断でき、なおかつ不動産会社が取り扱わないものを0円空家バンクに登録し、希望者を募るのです。一方で100万円~500万円など価格がつきそうなものは、不動産会社を紹介し、扱ってもらっています。逆に不動産会社から行政に相談して、といわれることもあり、お互いに補い合っている関係です」(金盛さん)

また、0円空家バンクで上市町を知り、内見に来て土地を気に入り、中古住宅を購入して引越してくることもあるよう。

「上市町は、富山駅まで富山地方鉄道も利用できますし、行政や病院、学校、商業施設などもまとまっています。建物が0円というのでどんな山奥・へき地かと思ったら、コンパクトで便利そう、気に入ったとのお声を聞きます。0円空家バンクの住宅取得者には50万円が助成されますが、ほかにも若者・子育て世帯定住促進事業などの他の助成制度を使えば、住宅取得補助費用として最大360万円までもらえます」(金盛さん)

上市町移住・定住ポータル「かみスイッチ」(写真提供/上市町建設課)

上市町移住・定住ポータル「かみスイッチ」(写真提供/上市町建設課)

「上市町0円空家バンク」は、充実した移住定住ポータルサイトをもっているほか、YouTubeでも情報発信をしており、首都圏はもちろん、関西、沖縄、海外からはアメリカやオーストラリア・ドバイなどからも申し込み・反響があったとか。基本は現地で内見しますが、難しい場合はオンラインで建物のルームツアーを行い、紹介しています。こうした「かゆいところに手が届く」あたりも成功の秘訣といえそうです。

こうした情報発信がうまくいき、一時期、不動産会社からは「上市町から売る土地・不動産がなくなった」とまでいわれたほど。もちろん、移住者が来てくれれば、家具や家電、リフォーム、カーテンなどの家財を購入する必要があり、地元企業にも還元されていきます。民間の不動産会社で利益が出せるものは民間で行い、行政にしかできないことに絞って行うというのも大きなポイントのようです。

移住者が近隣コミュニティと打ち解けるため、LINEを活用

上市町のこの0円空家バンクでは、今まで17号まで登録され、うち16物件が契約済みとなっています。(令和6年3月18日時点)そのなかには、建物の雑草対策としてヤギの飼育をはじめ、それをきっかけに子どもたちや近所の人とのつながりもでき、地域コミュニティにもすっかりと打ち解けたという移住者もいるそう。

赤ちゃんや動物ってそれだけで打ち解けますよね(写真提供/上市町建設課)

赤ちゃんや動物ってそれだけで打ち解けますよね(写真提供/上市町建設課)

ヤギと飼い主さん。これは人の輪がひろがります(写真提供/上市町建設課)

ヤギと飼い主さん。これは人の輪が広がります(写真提供/上市町建設課)

「この制度を利用して移住してきた方からは、可処分所得と時間が増えたということをよく聞きます。通勤時間が短くなったり、テレワークをしたりすることで、家族といっしょに過ごす時間が増えた、また、住宅ローンや家賃に縛られずに使えるお金が増えたという声もありますね。水、お米、魚、野菜がおいしい、山が美しいと、改めて上市町の良さを教えてもらえることも多いですね」(金盛さん)

また、移住者がスムーズに地域コミュニティに打ち解けられるよう、LINEオープンチャット「ウェルカミ」を開設し、地域の情報を発信していて、住民情報交換、交流の場をつくっているとか。年1回にオフ会も行い、リアルとSNSの両方で移住支援を行っています。

上市町オンライン交流コミュニティ「WELKAMI」(写真提供/上市町企画課)

上市町オンライン交流コミュニティ「WELKAMI」(写真提供/上市町企画課)

<「上市町0円空家バンク」の移住者側のメリット>
・0円で土地、建物などが入手できる
・国内外の遠方、オンライン内見も可能
・移住後は地域コミュニティに打ち解ける仕組みも

「これが0円!?」 取材陣も驚愕(きょうがく)の0円空家の状態とは?

では、0円空家とはどのような物件なのでしょうか。実際に2物件を見学させてもらいました。まず、向かったのは上市駅近くの121平米、1962年(一部1972年)築の建物です。こちらは能登半島地震で被災された方が住むことが決定しています。店舗付き住宅だったようで、道路に面して建物がひらかれているのが特徴で、2階は和室となっています。建物全体に古さは感じるものの、キッチン、バス、トイレといった水回りをリフォームし、窓は二重窓にすれば、ぐっと住みやすくなるのが素人目にもわかります。

上市町駅近くの0円空家(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

上市町駅近くの0円空家(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関をあけるとたたき、その奥に浴室。窓ガラスもレトロかわいい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関を開けるとたたき、その奥に浴室。窓ガラスもレトロかわいい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

一階の和室は、畳もキレイ状態です。大きな姿見がありかつては美容室だったのかな、と推測できます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

一階の和室は、畳もキレイな状態です。大きな姿見がありかつては美容室だったのかな、と推測できます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

そして、もう一軒の0円空家を見学させていただきました。こちらは建物内部ではなく、外側から。土地と私道をあわせて約800平米、住宅220平米で間取り10DK、車庫と物置で50平米超になります。建物はいちばん古いもので1971年築、増改築を重ねていますが、まだまだ住めるというか、こんな立派な家が0円!?と驚きを隠せません。これが0円で住めるのであれば、私はなんのために都会で生きているのか、人生の価値基準が揺らぐ音がします。

こちらが220平米・10DKの住まい。晴れていると美しい山々の景色を望めます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

こちらが220平米・10DKの住まい。晴れていると美しい山々の景色を望めます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

こちらは離れ。もちろん0円。ここをリノベしてサウナにしたい。目の前の土地はととのいスペースなどにしたいと、妄想が止まりません(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

こちらは離れ。もちろん0円。ここをリノベしてサウナにしたい。眼の前の土地はととのいスペースなどにしたいと、妄想が止まりません(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

電動シャッター付きの車庫。2階は倉庫になっています。っていうかここに住めるのでは?(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

電動シャッター付きの車庫。2階は倉庫になっています。っていうかここに住めるのでは?(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

現在も取得希望者・空家登録者を募集中!制度はよりブラッシュアップして継続へ

この取り組み、以前から上市町に暮らす住民たちからも好評だとか。
「やはり隣家が空家だと、火事や、動物が住み着く、台風や雪などの自然災害での倒壊の危険など、不安が募るようです。若い世代に住んでもらえてうれしい、ほっとしたという声を聞きます」(金盛さん)

家は人が住んでいないとあっという間に劣化していきます。新しい人が入居し、手入れをしながら住んでもらえたら、これほどに幸せな出会いはありません。また、今回のような震災があった場合、被災者支援にも有効であることがわかりました。

上市町には、誰も居住していない、売買市場にも取引されていない空家が、現在、336戸ほどあるといいます(令和6年1月取材時点)。これを単なる「空家」だと思うと負債になりますが、この仕組みでマッチングが成立していけば、立派な「資源」であり、「伸びしろ」ということになります。金盛さんは、「まずは空家の所有者の方に登録してもらいたい」といい、今ある制度をよりブラッシュアップし、次世代につなげていくと意気込んでいます。

取材をしたあとには、制度そのものもすばらしいですが、「空家を所有する人」「移住を考えている人」のお困りごとを一つずつ解決していく、「ていねいさ」「人柄のよさ」が心に残りました。制度をつくるのも人ですが、運用するのも人。良い町を次世代に残していきたい、そんな思いが「上市町0円空家バンク」成功の秘訣だと思いました。

●取材協力
上市町移住・定住ポータルサイト
富山県上市町公式ホームページ

「0円空家バンク」等で転入者170人増! 家を手放したい人にもメリットあり、移住者フォローも手厚すぎる富山県上市町の取り組みが話題

「地方に空家があるなら、移住希望者に住んでもらえばいいんじゃない?」そんな誰もが空想する取り組みを実行に移し、大成功している自治体があります。富山県上市町です。では、どのようにして成功させたのでしょうか。現場を見学してきました。

0円空家バンクに希望者殺到。能登半島地震の被災者も受け入れ

富山県上市町は、富山駅から電車で約25分の約2万人の町(令和6年1月31日時点)です。町内の多くは山岳地で、名峰・剱岳があるほか、映画『おおかみこどもの雨と雪』(細田 守監督)の舞台になった町でもあります。以前、SUUMOジャーナルでは、「古民家をイメージした公営住宅が誕生!」という記事でもご紹介しました。

この上市町で2022年にはじまったのが「上市町0円空家バンク」(空家解消特別推進事業)です。仕組みとしてはとてもシンプルで、空家所有者の依頼・要望を受けて、行政が建物や土地の現地調査を行い、0円空家バンクに登録します。0円空家バンクを見て取得を希望する人を募集し、内覧会を実施したうえで、空家所有者が取得希望者を選定し、契約を締結、譲渡という流れになります。

上市町0円空家バンクの仕組み(資料提供:上市町役場)

上市町0円空家バンクの仕組み(資料提供:上市町役場)

空家所有者は無償で建物や土地を譲渡できるほか、相続手続き・不用品の処分費用として最大10万円の補助が受けられます。また、取得希望者は住宅が0円で手に入るだけでなく、定額50万円(所有権移転登記費用が発生する場合には贈与税など)の補助があり、さらに該当すれば移住定住の助成金を受け取れます。一方で上市町は空家の指導や特定などに人手を割く必要がなくなり、人口減少どころか定住者の増加、税収増も見込めます。

まさに三方良しの取り組みとあって、2022年度の制度スタートからすぐに人口増へとつながり、その年度のうちで転入者数が前年度より77人、2023年度にはさらに170人まで伸びています。なかでも県外転入者数は、2022年度に前年度の4.4倍となり、2023年度には2021年度の5.9倍まで増加しています。

また、今年1月に発生した能登半島地震の被災者も、2月にこの「0円空家バンク」を利用して移住につながりました。建物の所有者が「被災者の力になりたい」ということで、譲渡が決まったといいます。空き家が住まいという資源として活用できている、好事例といってよいでしょう。

空家を持つと“詰む”!? 所有者にも補助金を出す理由とは

「空家バンク」そのものは全国各地にありますが、ここまで成果が出ている自治体はなかなかありません。上市町の取り組みにはどういった特徴があるのでしょうか? 上市町建設課の金盛敬司主幹に話を聞きました。

上市町建設課の金盛敬司主幹(左)と企画課の盛一紗弥子係長(撮影/SUUMO編集部)

上市町建設課の金盛敬司主幹(左)と企画課の盛一紗弥子係長(撮影/SUUMO編集部)

「以前は、私は固定資産税を担当する部署にいたのですが、空家の所有者から、実家が空家になっているので手放したいという相談を受けていました。その後、現在の建設課に異動になったところ、できるだけ安く住まいを手に入れたい、空家を紹介してもらいたいというニーズがあることに気づきました。副町長からも大胆な取り組みを、という後押しもあり、不動産業者が取り扱わない『無料』の物件に絞って、町が紹介すればいいんじゃないか、という仕組みを思いつきました」と解説します。

0円空家バンク誕生の経緯(資料提供/上市町建設課)

0円空家バンク誕生の経緯(資料提供/上市町建設課)

不動産は売却額が200万円以下の場合、不動産会社が受け取れる仲介手数料の上限は「成約価格× 5%」+消費税と決められています。ただこの手数料では事業として利益を出すことができず、事実上、扱うことはほとんどありません。そのため、「0円でもいいから引き取ってほしい」という要望があっても流通することはなく、空き家として放置されてしまうのです。国は対策として、2023年より「相続土地国庫帰属制度※」をはじめましたが、手放すにも20万円もしくはそれ以上の「負担金」や各種手続きが発生するので、「手放すのにもお金がかかる……」と二の足を踏む人がいるといいます。

※相続土地国庫帰属制度/相続または遺贈(遺言によって特定の相続人に財産の一部または全部を譲ること)によって土地を相続した人が、土地を手放し、国庫に帰属させることを可能にした制度

空家・農地に十分な市場価値がない、売却に必要な図面や書類がない、国庫に帰属させようにもお金がかかる、建物を解体したくても解体費用が出せない、家庭や健康状態によっては家財や荷物の片付けができない。さらに思い入れのある家だからこそ、譲渡する相手は誰でもいいわけではない。経済面はもちろん、感情面も入り交じり、より問題を複雑にしています。「上市町0円空家バンク」では、こうした所有者の事情を考慮して空家所有者にも費用を助成し、譲渡先の決定権も所有者が決める制度です。

「空家所有者には、食器や仏壇、寝具、壊れた家電などは処分していただくことと、権利や担保は整理・抹消と相続してから登録していただくことを説明しています。一方で、タンスなどの大型家具に関しては利活用できることもありますので、そのままでよいですよとお伝えしています。間取図は法務局と固定資産税担当の部署で閲覧し、私が図面を作成します。写真も撮影して、0円空家バンクに登録。複数の応募者のなかから、基本的には直接会っていただき、この人なら、という方に譲渡を決めていただきます」(金盛さん)

空き家に残された立派な家財箪笥。まだまだ使用可能(撮影/SUUMO編集部)

空家に残された立派な家財たんす。まだまだ使用可能(撮影/SUUMO編集部)

これは、金盛さんが一級建築士でもあるからこその機動力です。ちなみに前述の映画監督の細田守さんとは中学の同級生で高校進学時に先生がこの2人を呼んで、美術の道を目指すように勧めたとか。出てくるエピソードにまたまたびっくりします。

<「上市町0円空家バンク」の空家所有者のメリット>
・家財の処分費用助成がある
・譲渡相手を見つけてもらえるが、最終決定は自分たちで行う
・譲渡に必要な物件写真撮影や間取図作成、応募者募集は行政が行う

移住希望者にも助成。不動産会社だけでなく、周囲の企業にも好影響

一方で、取得希望者にも安全な住まいを用意するよう、配慮しています。

「どんな建物でも0円空家バンクに登録できるのか、というとそうではありません。われわれが現地調査を行い、損傷度や危険性に応じて1から4ランクまで判定します。居住するには危険がないと判断でき、なおかつ不動産会社が取り扱わないものを0円空家バンクに登録し、希望者を募るのです。一方で100万円~500万円など価格がつきそうなものは、不動産会社を紹介し、扱ってもらっています。逆に不動産会社から行政に相談して、といわれることもあり、お互いに補い合っている関係です」(金盛さん)

また、0円空家バンクで上市町を知り、内見に来て土地を気に入り、中古住宅を購入して引越してくることもあるよう。

「上市町は、富山駅まで富山地方鉄道も利用できますし、行政や病院、学校、商業施設などもまとまっています。建物が0円というのでどんな山奥・へき地かと思ったら、コンパクトで便利そう、気に入ったとのお声を聞きます。0円空家バンクの住宅取得者には50万円が助成されますが、ほかにも若者・子育て世帯定住促進事業などの他の助成制度を使えば、住宅取得補助費用として最大360万円までもらえます」(金盛さん)

上市町移住・定住ポータル「かみスイッチ」(写真提供/上市町建設課)

上市町移住・定住ポータル「かみスイッチ」(写真提供/上市町建設課)

「上市町0円空家バンク」は、充実した移住定住ポータルサイトをもっているほか、YouTubeでも情報発信をしており、首都圏はもちろん、関西、沖縄、海外からはアメリカやオーストラリア・ドバイなどからも申し込み・反響があったとか。基本は現地で内見しますが、難しい場合はオンラインで建物のルームツアーを行い、紹介しています。こうした「かゆいところに手が届く」あたりも成功の秘訣といえそうです。

こうした情報発信がうまくいき、一時期、不動産会社からは「上市町から売る土地・不動産がなくなった」とまでいわれたほど。もちろん、移住者が来てくれれば、家具や家電、リフォーム、カーテンなどの家財を購入する必要があり、地元企業にも還元されていきます。民間の不動産会社で利益が出せるものは民間で行い、行政にしかできないことに絞って行うというのも大きなポイントのようです。

移住者が近隣コミュニティと打ち解けるため、LINEを活用

上市町のこの0円空家バンクでは、今まで17号まで登録され、うち16物件が契約済みとなっています。(令和6年3月18日時点)そのなかには、建物の雑草対策としてヤギの飼育をはじめ、それをきっかけに子どもたちや近所の人とのつながりもでき、地域コミュニティにもすっかりと打ち解けたという移住者もいるそう。

赤ちゃんや動物ってそれだけで打ち解けますよね(写真提供/上市町建設課)

赤ちゃんや動物ってそれだけで打ち解けますよね(写真提供/上市町建設課)

ヤギと飼い主さん。これは人の輪がひろがります(写真提供/上市町建設課)

ヤギと飼い主さん。これは人の輪が広がります(写真提供/上市町建設課)

「この制度を利用して移住してきた方からは、可処分所得と時間が増えたということをよく聞きます。通勤時間が短くなったり、テレワークをしたりすることで、家族といっしょに過ごす時間が増えた、また、住宅ローンや家賃に縛られずに使えるお金が増えたという声もありますね。水、お米、魚、野菜がおいしい、山が美しいと、改めて上市町の良さを教えてもらえることも多いですね」(金盛さん)

また、移住者がスムーズに地域コミュニティに打ち解けられるよう、LINEオープンチャット「ウェルカミ」を開設し、地域の情報を発信していて、住民情報交換、交流の場をつくっているとか。年1回にオフ会も行い、リアルとSNSの両方で移住支援を行っています。

上市町オンライン交流コミュニティ「WELKAMI」(写真提供/上市町企画課)

上市町オンライン交流コミュニティ「WELKAMI」(写真提供/上市町企画課)

<「上市町0円空家バンク」の移住者側のメリット>
・0円で土地、建物などが入手できる
・国内外の遠方、オンライン内見も可能
・移住後は地域コミュニティに打ち解ける仕組みも

「これが0円!?」 取材陣も驚愕(きょうがく)の0円空家の状態とは?

では、0円空家とはどのような物件なのでしょうか。実際に2物件を見学させてもらいました。まず、向かったのは上市駅近くの121平米、1962年(一部1972年)築の建物です。こちらは能登半島地震で被災された方が住むことが決定しています。店舗付き住宅だったようで、道路に面して建物がひらかれているのが特徴で、2階は和室となっています。建物全体に古さは感じるものの、キッチン、バス、トイレといった水回りをリフォームし、窓は二重窓にすれば、ぐっと住みやすくなるのが素人目にもわかります。

上市町駅近くの0円空家(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

上市町駅近くの0円空家(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関をあけるとたたき、その奥に浴室。窓ガラスもレトロかわいい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関を開けるとたたき、その奥に浴室。窓ガラスもレトロかわいい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

一階の和室は、畳もキレイ状態です。大きな姿見がありかつては美容室だったのかな、と推測できます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

一階の和室は、畳もキレイな状態です。大きな姿見がありかつては美容室だったのかな、と推測できます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

そして、もう一軒の0円空家を見学させていただきました。こちらは建物内部ではなく、外側から。土地と私道をあわせて約800平米、住宅220平米で間取り10DK、車庫と物置で50平米超になります。建物はいちばん古いもので1971年築、増改築を重ねていますが、まだまだ住めるというか、こんな立派な家が0円!?と驚きを隠せません。これが0円で住めるのであれば、私はなんのために都会で生きているのか、人生の価値基準が揺らぐ音がします。

こちらが220平米・10DKの住まい。晴れていると美しい山々の景色を望めます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

こちらが220平米・10DKの住まい。晴れていると美しい山々の景色を望めます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

こちらは離れ。もちろん0円。ここをリノベしてサウナにしたい。目の前の土地はととのいスペースなどにしたいと、妄想が止まりません(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

こちらは離れ。もちろん0円。ここをリノベしてサウナにしたい。眼の前の土地はととのいスペースなどにしたいと、妄想が止まりません(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

電動シャッター付きの車庫。2階は倉庫になっています。っていうかここに住めるのでは?(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

電動シャッター付きの車庫。2階は倉庫になっています。っていうかここに住めるのでは?(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

現在も取得希望者・空家登録者を募集中!制度はよりブラッシュアップして継続へ

この取り組み、以前から上市町に暮らす住民たちからも好評だとか。
「やはり隣家が空家だと、火事や、動物が住み着く、台風や雪などの自然災害での倒壊の危険など、不安が募るようです。若い世代に住んでもらえてうれしい、ほっとしたという声を聞きます」(金盛さん)

家は人が住んでいないとあっという間に劣化していきます。新しい人が入居し、手入れをしながら住んでもらえたら、これほどに幸せな出会いはありません。また、今回のような震災があった場合、被災者支援にも有効であることがわかりました。

上市町には、誰も居住していない、売買市場にも取引されていない空家が、現在、336戸ほどあるといいます(令和6年1月取材時点)。これを単なる「空家」だと思うと負債になりますが、この仕組みでマッチングが成立していけば、立派な「資源」であり、「伸びしろ」ということになります。金盛さんは、「まずは空家の所有者の方に登録してもらいたい」といい、今ある制度をよりブラッシュアップし、次世代につなげていくと意気込んでいます。

取材をしたあとには、制度そのものもすばらしいですが、「空家を所有する人」「移住を考えている人」のお困りごとを一つずつ解決していく、「ていねいさ」「人柄のよさ」が心に残りました。制度をつくるのも人ですが、運用するのも人。良い町を次世代に残していきたい、そんな思いが「上市町0円空家バンク」成功の秘訣だと思いました。

●取材協力
上市町移住・定住ポータルサイト
富山県上市町公式ホームページ

人口減少と空き家増加の課題、住まいに困っている人と空き家のマッチングで活路。高齢者や低所得者などの入居サポート、入居後の生活支援も 福岡県大牟田市

近ごろ話題になることの多い空き家問題。福岡県大牟田市では、住宅系部門管轄の空き家を活用するために、福祉系部門の民生委員が調査を行いました。空き家の状態を調査し、住宅を必要とする人とのマッチング、他の支援団体と連携して包括的な生活の支援を目指しています。

他の自治体のお手本になりそうなこの取り組み、大牟田市都市整備部建築住宅課の今福信幸さん、西山妙佳さん、NPO法人大牟田ライフサポートセンターの牧嶋誠吾さん、三浦雅善さんにお話を聞きました。

大牟田市の空き家問題と住宅要確保配慮者の実情とは

福岡県大牟田市は、かつては炭坑節でも知られる三池炭鉱が栄え、1960年代には20万人以上の人でにぎわう、日本の高度経済成長を象徴する街でした。しかし閉山と共に人口は減り、現在では多くの自治体と同様に、人口減少や高齢化などの問題を抱えています。

増え続ける空き家問題も深刻です。
大牟田市の今福さんによると、2019年に実施した調査では2912件の空き家が存在し、2016年からわずか3年で1138件も新たに空き家が増えているとのこと。現状のまま利用できる空き家が減少し、修繕が必要だったり利用が困難だったりする建物が増えていることがわかります。

大牟田市では、人口の減少とともに空き家の増加も問題になっている(資料提供/大牟田市)

大牟田市では、人口の減少とともに空き家の増加も問題になっている(資料提供/大牟田市)

一方、何らかの事情で住まい探しに困っている高齢者、障がい者、ひとり親世帯、外国人など「住宅確保要配慮者」と呼ばれる人たちも増え続けています。

これらの問題を解決しようと、大牟田市では、2012年から行動を起こし始めました。同年、住まい探しが困難な人たちの入居や生活をサポートする団体としてNPO法人大牟田ライフサポートセンターが誕生。翌2013年には、不動産関係団体や医療・福祉関係団体らと情報を共有し、円滑に居住支援を行うための場として「大牟田市居住支援協議会」が立ち上がりました。現在、協議会の事務局は大牟田市の建築住宅課と大牟田ライフサポートセンターが共同で担っています。

大牟田市では全国の取り組みと比べてもかなり早い時期から見守りや、空き家を居住支援に利活用するためのワークショップを行い、関係者間で問題を共有することが居住支援協議会立ち上げの素地となっていった(資料提供/大牟田ライフサポートセンター)

大牟田市では全国の取り組みと比べてもかなり早い時期から見守りや、空き家を居住支援に利活用するためのワークショップを行い、関係者間で問題を共有することが居住支援協議会立ち上げの素地となっていった(資料提供/大牟田ライフサポートセンター)

空き家の実態を調査するために、民生委員と学生が活躍!

現在は大牟田ライフサポートセンターの事務局長であり、当時は大牟田市の職員だった牧嶋さんは、増え続ける空き家を住まいの問題を抱える人たちの受け入れ先として利活用できないか、と考えました。そのためには、まず空き家が「市内のどこに、どれくらいあるのか」の把握と「空き家の老朽状態の確認」をする必要がありますが、市の財政は厳しく、予算もなければ人も足りません。

大牟田ライフサポートの牧嶋さん(右)。かつては大牟田市職員として、住宅部局と福祉部局両方の仕事を経験したため、双方の仕事や考え方も理解した上で「居住支援とは暮らしの基盤を整えることで、決して箱だけを提供するものではない」と話す(写真撮影/りんかく)

大牟田ライフサポートの牧嶋さん(右)。かつては大牟田市職員として、住宅部局と福祉部局両方の仕事を経験したため、双方の仕事や考え方も理解した上で「居住支援とは暮らしの基盤を整えることで、決して箱だけを提供するものではない」と話す(写真撮影/りんかく)

そこで牧嶋さんたちは300人の民生委員(※)に協力を求めることを思いつきました。ところが、当初は相談しても「厚生労働大臣から委嘱され活動している民生委員は、自治体職員の下請けではない」「なぜ私たちがやらなくてはならないのか」と反対意見も多かったのだとか。

「日ごろから築いてきた人間関係を武器に『空き家利活用は地域の問題でもある』ということを何度も説明し、最終的には24校区の内、23校区に協力してもらうことができました。地域で支える認知症の取り組みなど、長期にわたる行政と民間(民生委員)の協働という土壌があったからできたのだと思います」(牧嶋さん)

※民生委員/厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員で、地域住民の立場から生活や福祉全般に関する相談・援助活動を行う。地域社会のつながりが薄くなっている現在、子育てや介護の悩みを抱える人や、障害のある方・高齢者などが孤立し、必要な支援を受けられないケースがある中、身近な相談相手となって、支援を必要とする住民と行政や専門機関をつなぐパイプ役を務めている

民生委員たちは地域に精通しているので、地図を見ただけでどこに空き家があるかを把握していることも多い。この空き家調査でデータだけではわからなかった、市内の空き家の位置や数が明らかに(画像提供/大牟田市)

民生委員たちは地域に精通しているので、地図を見ただけでどこに空き家があるかを把握していることも多い。この空き家調査でデータだけではわからなかった、市内の空き家の位置や数が明らかに(画像提供/大牟田市)

さらには、市内の高等専門学校の建築学科の先生に相談し、学生たちに空き家の老朽度調査を実施してもらえないかを相談。結果、かかった費用は民生委員に渡した蛍光ペン代と学生たちのアルバイト代を合わせて、約90万円でした。

空き家と、住まいに困っている人たちをつなぐ仕組み

この調査で得られた情報をもとに、牧嶋さんたちは本格的な空き家を利活用した居住支援に踏み出します。
2014年には、住宅確保要配慮者向けWEB情報システム「住みよかネット」を立ち上げました。入居を希望する人と空き家のオーナーをマッチングするだけではなく、入居してからの暮らしも見据えた「居住支援」の相談窓口へとつなげるものです。

「住みよかネット」では、空き家の所有者などから許可を得た物件情報を掲載。借りたい人や購入したい人が物件を探せるだけでなく、問い合わせることで居住支援の窓口につながる(画像提供/大牟田市居住支援協議会)

「住みよかネット」では、空き家の所有者などから許可を得た物件情報を掲載。借りたい人や購入したい人が物件を探せるだけでなく、問い合わせることで居住支援の窓口につながる(画像提供/大牟田市居住支援協議会)

大牟田市の居住支援では、住宅の確保から入居支援まで、大牟田市居住支援協議会が窓口となりつつ、入居後の生活支援に関しては居住支援法人であるNPO法人大牟田ライフサポートセンターなどの支援団体が主となって支援していく体制をとっています。ここまでが住宅施策、と区切ってしまうのではなく、互いに連携をとり、必要なところを補い合いながら業務を分担しているところが特徴的でしょう。

「私たち大牟田市居住支援協議会は、空き家所有者と入居希望者を結びつける『仲人』です。オーナーに行政や福祉の窓口に相談にきた相談者の人となりを紹介しながら、現場でお見合いをしてもらいます。この、第三者が間に入るトライアングルの関係と運用の仕組みづくりが重要なんです」(牧嶋さん)

入居後も支援団体が間に入ることで、オーナーが直接対峙するのを避け、入居者に起こっている問題解決のための相談に乗ることができるわけです。

住宅確保の相談から生活支援までの流れ。「居住支援とは、ただ家を紹介するのではなく、空き家物件の確保から、入居サポート、さらには入居後の生活の支援まで、住宅と福祉、両方の支援が必要」だと、牧嶋さんは言う(画像提供/大牟田市)

住宅確保の相談から生活支援までの流れ。「居住支援とは、ただ家を紹介するのではなく、空き家物件の確保から、入居サポート、さらには入居後の生活の支援まで、住宅と福祉、両方の支援が必要」だと、牧嶋さんは言う(画像提供/大牟田市)

住宅の確保には、空き家を提供するオーナーさんを継続して募集しています。
空き家を貸し出すことができれば、オーナーさんはその収入を建物の維持管理に充てることが可能。空き家のまま放置して劣化が進み、倒壊の恐れや相続の際のトラブルの原因になったりするリスクも減らせるので、オーナーさんにとってもメリットです。

オーナーさんから相談が入ると、市役所の建築住宅課の職員と大牟田ライフサポートセンターのスタッフとが一緒に現地に空き家調査に赴きます。

「大牟田市に空き家の相談が寄せられる件数は年間約80件ほど。オーナーさんの希望を聞きながら利用が可能か、取り壊さないと危険なのか建物状況を調査し、使用可能な場合は利活用の道をオーナーさんと共に相談していきます。行政職員が一緒に同行することでオーナーさんも安心して活用を検討できます」(大牟田ライフサポートセンター 三浦さん)

「調査に伺うと、家財道具の処分などを希望されることもあります。市としては特定の会社を紹介することができませんが、NPO法人である大牟田ライフサポートセンターなら直に紹介できるので、オーナーさんも、市としても助かります」(大牟田市 西山さん)

大牟田市職員の西山さん(左)と大牟田ライフサポートセンターの三浦さん(右)(撮影/りんかく)

大牟田市職員の西山さん(左)と大牟田ライフサポートセンターの三浦さん(右)(撮影/りんかく)

困っている人たちにとって「本当に必要な支援は何か」を見極める

大牟田市では、居住支援を行う際、相談に来る人たちに必ずお願いしていることがあります。それは、居住支援協議会の事務局である大牟田市の職員と大牟田ライフサポートのスタッフ以外に、メインとなる支援者をつけること。最初の相談時点で支援者が誰もいない場合は、支援団体への紹介も行っているそうです。

また、大牟田市においては近年、ひとり親世帯、特に母子家庭の困窮者が目立つと言いますが、住まいに困っている人の事情はさまざま。単純に高齢者の問題、低所得者の問題、といったように分類して区切れるものではありません。

「住まい探しだけに困っているケースはごくわずかです。多くの場合、仕事やそれに伴う収入、医療・介護の必要性など、さまざまな問題が複雑に絡み合っているため、よくよく話を聞くと、その人に必要なのは住まいではなく、生活に紐づく複数の問題だったりします。

現場でメインとなる支援者とは別に、私たち大牟田ライフサポートでは、面談を通じた適切なアセスメント(その人自身や周りの人、環境に及ぼす影響を把握すること)によって、相談内容の本質はどこにあるのか、必要な支援は何かを見極めるのです」(牧嶋さん)

住まい探しの相談にくる人は、住まいだけでなく、さまざまな問題を抱えている場合が多い。相談者ごとに本当に必要な支援をしていくため、居住支援協議会以外にメインとなって支援をしていく団体をつけるようにしている(資料提供/大牟田ライフサポートセンター)

住まい探しの相談にくる人は、住まいだけでなく、さまざまな問題を抱えている場合が多い。相談者ごとに本当に必要な支援をしていくため、居住支援協議会以外にメインとなって支援をしていく団体をつけるようにしている(資料提供/大牟田ライフサポートセンター)

居住支援を継続していくためのポイントや課題は?

大牟田市の住宅部局と福祉が連携をとって、居住支援を押し進める事ができるのは、以前から協働の土壌があったことが大きいでしょう。さまざまな分野の人が集まって福祉的視点からの空き家利活用などについて話し合うワークショップを開催するなど、コミュニケーションを重ねてきました。

「民生委員だったり、地域の住民だったり、民間の企業とも関わっていく必要があります。居住支援を広げたいと考えるときも、最初の一歩は現場で属人的な関わりをきっかけに動いていくことが大事です」(牧嶋さん)

そして、今後改善すべき点を聞いたところ、間髪を入れずに「運営費です!」との答えが返ってきました。

「基本的に、お金にゆとりのない人を支援の対象者にしています。既にある制度に則った支援には補助金がつきますが、NPO職員の人件費など、運営費を確保していくのも大変だということを基礎自治体にもっと知っていただきたい。居住支援は行政サービスの一環だという認識がもっと広まってほしいと思います」(牧嶋さん)

居住支援だけで事業を成り立たせるのは至難の業。継続的な支援のための運営費を確保していくことが大牟田市のみならず、居住支援の現場の課題といえそうです。

大牟田市都市整備部建築住宅課課長の今福さん。牧嶋さんと一緒に長年大牟田市の住宅施策、居住支援を推し進めている(撮影/りんかく)

大牟田市都市整備部建築住宅課課長の今福さん。牧嶋さんと一緒に長年大牟田市の住宅施策、居住支援を推し進めている(撮影/りんかく)

空き家をセーフティネット住宅として活用していくことは、国としても目指しているところです。しかし、うまく推し進められている自治体はまだまだ多くはありません。そんな中で、大牟田市は非常にうまく、住宅と福祉が連携している例と言えます。

300人もの民生委員が空き家調査に動いたり、市の職員とNPO法人が常に一緒に活動を行う大牟田市の居住支援は、常日頃から良好な人間関係を築いてきたからこそ。大牟田市の協働の姿勢は、他の地域にも参考となるヒントがいろいろとあるのではないでしょうか。

●取材協力
・大牟田市居住支援協議会
・住みよかネット
・大牟田市
・大牟田ライフサポートセンター

シャッター街、8年で「移住者が活躍する商店街」に! 20店舗オープンでにぎわう 六日町通り商店街・宮城県栗原市

シャッター街になりつつあった宮城県栗原市にある「六日町通り商店街」。しかし2016年ごろから、自治体や商店会、地域おこし協力隊らが連携し、移住者が開業しやすい環境づくりに努めてきた。その結果、個性的なお店が約20店舗オープンし、若手中心にイベントなどを企画、人が集まりにぎわいが生まれ注目されている。その「六日町通り商店街」再生の取り組みと現状を紹介する。

移住・定住を進める栗原市定住戦略室の取り組みと支援制度

宮城県北部にある栗原市は、人口6万3143人(2023年1月末時点)、地方への移住をテーマにした情報誌『「田舎暮らしの本』(宝島社)の2024年版「住みたい田舎ベストランキング」で、人口5万人以上10万人未満の市を対象にした全国の総合部門で1位になったまち。

栗原市企画部定住戦略室は、栗原市への移住・定住を希望する人に情報を提供し、相談に対応する総合的な窓口として、2013年7月に開設された。

「栗原市の移住者の数は2013年ごろから右肩上がりで伸びていましたが、新型コロナウイルス感染症が蔓延してからは対面の接触やイベントができないことで、かなり減ってしまいました。2023年になってようやく制限が緩和され、イベントも増やし、対面の相談や窓口にいらっしゃる方は多くなってきました」と話すのは、栗原市企画部定住戦略室の小関さん。

栗原市企画部定住戦略室の小関さん(写真撮影/難波明彦)

栗原市企画部定住戦略室の小関さん(写真撮影/難波明彦)

栗原市企画部定住戦略室は、首都圏からの移住相談、移住者の住まいや仕事の支援、子育てなどのサポートも整えている。

「『空き家バンク制度』といって、空き家の物件を移住検討者の方が購入できるよう、空き家の所有者と利用希望者をマッチングできる体制をつくっています(※)。希望があれば『お試し移住体験住宅』に宿泊し、暮らしを体験することもできます」(小関さん)
※栗原市は紹介のみで、交渉や契約は当事者間で行い、栗原市は関与しない(条件や補助金額など詳細はホームページ参照)

栗原市では、『お試し移住体験住宅』滞在中には、相談者の要望に応じて、移住して起業した人や希望職種に就いている人などを紹介したり、可能なアクティビティを紹介するオーダーメイド型アテンドや体験型プログラムも用意。また、空き家リフォームの助成制度や、若者、新婚生活を始める人の住まいに関する費用を助成し、若年層への支援にも取り組んでいる。また、移住検討者と移住者の交流会やイベントなども積極的に取り組んでいる。

地域おこし協力隊、移住定住コーディネーターらが道を拡げた

地方のシャッター商店街の増加が問題になる中、六日町通り商店街は、仙台圏や首都圏から移住して新規開業した店舗が2015年以降8年間で20店舗ほどと活況だ。中小企業庁が選定する「はばたく商店街30選 2021」にも選ばれた。

特筆すべきは、「移住者が開業しやすいまちづくり」をしている点だ。どのようにして、六日町通り商店街は復活を遂げたのだろう。

最初に六日町通り商店街を盛り上げたキーパーソンは、『cafe かいめんこや』の杉浦風ノ介(すぎうら かぜのすけ) さん。京都府京都市から栗原市に移住後、六日町通り商店街に明治中頃からあった建物を改装して2015年に『cafe かいめんこや』をオープン。

かいめんこや 外観(画像提供/杉浦風ノ介さん)

かいめんこや 外観(画像提供/杉浦風ノ介さん)

「六日町通りには、街の人が話をしたり、相談したりできる場所がなく、ハブになるような場所が必要だと思い、カフェを開きました」と話す。オープン後、少しずつカフェに集う人が増えてコミュニティの場になり、人がまばらだった商店街に変化が生まれた。

2023年4月には、同店の向かいに珈琲豆の焙煎と販売を行う『ムヨカ珈琲ロースタリー』を開業した、オーナーの杉浦風ノ介さん (画像提供/杉浦風ノ介さん)

2023年4月には、同店の向かいに珈琲豆の焙煎と販売を行う『ムヨカ珈琲ロースタリー』を開業した、オーナーの杉浦風ノ介さん (画像提供/杉浦風ノ介さん)

杉浦さんは、移住定住コーディネーターとして、栗原市の定住戦略室から紹介された移住検討者やカフェのお客さんに、移住しお店を開業した先輩、生活者の視点で相談にも応じている。さらには、2019年に地域おこし協力隊のメンバーと、まちづくり会社「六日町合同会社」を設立し、移住者が開業しやすいまちづくりに取り組んでいる。

毎月6日には、食べ物、飲み物を持ち寄りで集まり、ゲストスピーカーの話を聞くイベント『六日知らず』を主催。移住検討者の話を聞き、お店を始めたい人に、商店街の空き店舗を紹介している。

杉浦風ノ介さんは、アーティストが訪れやすい環境、アートに気軽に触れられる場所をつくりたいと考え、アーティスト・イン・レジデンスもスタート(画像提供/杉浦風ノ介さん)

杉浦風ノ介さんは、アーティストが訪れやすい環境、アートに気軽に触れられる場所をつくりたいと考え、アーティスト・イン・レジデンスもスタート(画像提供/杉浦風ノ介さん)

「地方の商店街がにぎわうために必要なものは、『何でもできそうだ』という思い込みや、自由な気質、『楽しそうなまちだな』と思わせるイリュージョンマジックのようなものかな。

商売を始めるなら稼げる首都圏でと考える人は多くても、地方で始めようと考える人は少ないかもしれません。私は画一化されていく世の中が好きじゃなくて、同じ考えの人は他にもいると思います。東京ほど稼げる場所ではないかもしれませんが、家族と暮らしていくには十分で、やり方次第ではもっと稼げると思います。

『自由に切り拓きたい、面白いことをやりたい』人たちが100人でも集まってきて、面白いまちになればいいですね。

キーパーソンだって、一人じゃなく、いろいろな人が何人もいることが大事。これからは次代を引っ張っていく若い世代の人たちが活躍しやすい環境をつくっていきたいと思っています」

六日町商店街(写真撮影/難波明彦)

六日町商店街(写真撮影/難波明彦)

地域おこし協力隊、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんも、六日町通り商店街のキーパーソンの一人だ。

三浦大樹さん。「生まれも育ちも栗原市で、高校卒業後は仙台市に出て働いてましたが、地元に貢献できることがしたい、という気持ちが生まれて栗原市にUターン。今はクラフトビール醸造所の立ち上げの準備中です」(写真撮影/難波明彦)

三浦大樹さん。「生まれも育ちも栗原市で、高校卒業後は仙台市に出て働いてましたが、地元に貢献できることがしたい、という気持ちが生まれて栗原市にUターン。今はクラフトビール醸造所の立ち上げの準備中です」(写真撮影/難波明彦)

三浦さんは2022年4月から、地域おこし協力隊、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」として活動。六日町通り商店街に拠点を構え、地域協力活動を行いながら、商店街の空き店舗と店を開業したい人をマッチングする取り組みや、商店街に人を集め、にぎわいを創出するお祭りやイベントの企画・運営などを行い、一軒でも多くのシャッターを開けようとチャレンジしている。

「六日町通り商店街では6、7、8月の第2土曜日に六日町通り商店街を歩行者天国にして『くりこま夜市』を開催しています。1970年代から商店会が続けてきた伝統的なイベントですが、近年は六日町通り商店街と地域おこし協力隊が連携して、マルシェや音楽ライブを行い、外部から出店するマルシェ(キッチンカー)が50店舗ほど並びます。西馬音内盆踊りの輪踊りやDJイベントなども。2023年6月は、地域内外から約1万人が集まりました」(三浦さん)

近年開業した移住者たちと既存の店舗の若手後継者が中心となって、商店街の内部組織として「未来事業部」を発足、イラストマップの制作やスタンプラリーの開催、ギフトラッピングの開発など、新しい発想で商店街の魅力を発信している。

くりこま夜市風景(画像提供/三浦大樹さん)

くりこま夜市風景(画像提供/三浦大樹さん)

「商店街では古くからの人、若い後継者や若い移住者との間に、一般的には溝や隔たりがあったりしますが、六日町通り商店街は全くありません。年齢の高い人たちが、新しいチャレンジを歓迎してくれる環境があります。

それと、既存の店の店主さんたちが、状況が悪いときも足を止めずにイベントを続けてきたことが大きい。その土壌があって、2015年に『かいめんこや』ができて、若い人が集まるようになったという流れですね」(三浦さん)

まちの雰囲気はもちろん、地代が比較的安く、商店会が快くサポートしてくれる、また新たに小売店、飲食店などを開業する人に対して「ビジネスチャレンジサポート」という補助金もあって初期投資を軽減できるなど、比較的開業・起業しやすいまちといえそうだ。

思わぬきっかけで移住して、六日町通り商店街に新店を開業

六日町通り商店街に移住・開業した店主を、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんに紹介してもらった。

■ハンドメイド雑貨店「ねこの森雑貨店」
六日町通り商店街に移住・開業した店主を「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんに紹介してもらったうちの一人が、「ねこの森雑貨店」の店主、髙橋千恵美さんだ。

店主の髙橋千恵美さん(写真撮影/難波明彦)

店主の髙橋千恵美さん(写真撮影/難波明彦)

髙橋さんは結婚後、仙台市に8年ほど暮らし、子どもが2歳くらいのときに、「自然豊かで、のびのびしたところで子育てがしたい」と夫妻で話し合い、移住を検討するように。

「宮城県内のいくつかの市町村を見て回ったときに、栗原市には豊かな自然があり、六日町通り商店街の雰囲気も気に入りました。そして、夏に訪れた夜市マーケットが楽しく、商店街を歩いたときも店主さんが気さくに声をかけてくれて、栗原市への移住を決めました。栗原市に知り合いも親戚もいませんが、定住戦略室の相談窓口など移住者のサポートが積極的で、お泊り体験で移住後の生活をイメージしやすかったのも良かったです」と髙橋さん。

ねこの森雑貨店 外観(写真撮影/難波明彦)

ねこの森雑貨店 外観(写真撮影/難波明彦)

その後『かいめんこや』の杉浦さんに、六日町通り商店街に住みながら店が開けるような空き物件を紹介され、2018年に移住、2019年に「ねこの森雑貨店」をオープンした。

「かなり傷んだ建物でしたが、近所の店主さんや移住して開業した先輩に分からないことを聞き、アドバイスをもらいながら開業の準備を進めました。商店街がとても歓迎ムードで、気軽に話しかけてくれたり、一聞いたら十以上教えてくれました」

店内には羊毛フェルトの一点もののブローチやイラスト、アート原画など、ここでしか買えないオリジナルキャラクターの作品が並ぶ。また、ペットの写真をもとにしたオーダーメイドの半立体顔ブローチや全身立体などは、大切なペットを亡くした方などに喜ばれているそう。

ねこの森雑貨店 店内(写真撮影/難波明彦)

ねこの森雑貨店 店内(写真撮影/難波明彦)

「手芸が得意な祖母の影響で、私も小学生のころから何かを手づくりして、作品をイベントに出したり、Webサイトで販売したりしていました。ここにお店を開いたのは、地域の方々にハンドメイド作品の素晴らしさを広めたいと思ったから。当時は、ハンドメイドが好きな人は多くてもあまり馴染みがない人、やり方が分からないという人が多く、相談を受けたりしましたが、この4、5年間でハンドメイド作家さんや作品を扱うお店が少しずつ増えて、とてもうれしいです」(髙橋さん)

■文具・雑貨の店「さるぶん」

さるぶん店内。可愛い雑貨は選ぶのが楽しい(写真撮影/難波明彦)

さるぶん店内。可愛い雑貨は選ぶのが楽しい(写真撮影/難波明彦)

「私は、この六日町通り商店街をショッピングモールと考えているんです。当店にいらした方にはできるだけ商店街マップを渡しています。六日町通りごと気に入ってもらって、他の店を見て歩いてどこかで買い物をしてくれたらうれしい」と話すのは、文具・雑貨「さるぶん」の佐藤陽子さん。県外出身で、結婚後宮城県に移住してきた。

「もともと文具や雑貨が好きだったのです。定年後は雑貨屋か本屋ができたらいいな、とぼんやりと思っていました。そこに六日町通りにオリジナル文具店の2号店ができること、そこの店長を募集していると知り、『やってみよう』と手を挙げたのがきっかけで店を構えることになりました」。開業にあたって前職を離れ、六日町に転居した。
「こんなところで出合えるなんて」をコンセプトに佐藤さんがアイテムをセレクト。レトロでかわいいものや海外の文具など少し変わったものを置いているのが特徴。開業に当たっては、栗原市の開業支援の助成金、改装時は県産木材を使うことでの補助金などを利用した。

「『さるぶん』は、文具と雑貨の店ですが、ひとつの建物に間借り店舗として、本屋、貸カフェ・貸ギャラリーの3店舗が入っているイメージです。貸カフェでは、月曜が近所のスープ屋さんの日、火曜がレトルトカレーの日と場所を貸して、ギャラリーは作家さんの作品の展示やイベントで使っていただいています。何か面白いことをやっている場所といった存在になれたらいいですね。

本棚には本がたくさん(写真撮影/難波明彦)

本棚には本がたくさん(写真撮影/難波明彦)

開業して一番良かったのは、好きなものに囲まれて暮らせること。自分の好きなものをお客さんに手に取って喜んでもらえることがうれしいです。ここはもともと鶴丸城の城下町でした。近くに細倉鉱山があった頃はかなりの繁華街だったそうです。昔からお住まいの地域の方、商店会の方はそういったプライドを持ってお仕事されており、そして新しく入った私たちがすることを温かく見守ってくれるので、居心地がいい。お客様にも『この地にルーツがなくてもどこか懐かしさを感じる。日常とは時間の流れが違ってほっとする』と言っていただいています。私自身もこの場所に癒やされています」(佐藤さん)

■工具の販売や各種家庭金物「佐々木金物店」
最後に紹介するのは、移住者ではなく、古くから六日町通り商店街で商売してきた老舗、佐々木金物店へ。ねこの森雑貨店の髙橋さんは、開業準備でお世話になったという。

佐々木金物店の佐々木桂子さん。東日本大震災で建物が壊れたままだったが、2022年10月に建物をリニューアルし、再オープンした(写真撮影/難波明彦)

佐々木金物店の佐々木桂子さん。東日本大震災で建物が壊れたままだったが、2022年10月に建物をリニューアルし、再オープンした(写真撮影/難波明彦)

佐々木金物店は、1926年に創業、馬の蹄鉄などを販売していたが、現在は、プロの電動工具、各種家庭金物からフライパンや包丁といったキッチン用品など豊富な商品を販売、サッシなどの各種取り付け工事の相談にも対応している。気軽に立ち寄りお茶飲み話をするお客さんも多いそう。

変化する商店街を見てきたが、「地域おこし協力隊やコーディネーターの方たちのおかげでIターンの移住者が増えて、六日町通り商店街は、古いお店と新しいお店が混在していますが、若い人たちのパワーはすごいと思います」と表情は明るい。

「うちも売るだけではなく、不定期でドライフラワーや花材キット体験会などのワークショップも開催して、新しいものも採り入れていきたい。今後もここで頑張っていきます」(佐々木さん)

地方への人の流れをつくる取り組みや、にぎわいを失った商店街の活性化は各地で行われている。栗原市では、移住・定住を単に推し進めるのではなく、「住まい、仕事(起業・開業)、子育て環境」のサポートを充実させ、相談に力を入れ、地域おこし協力隊、移住定住コーディネーターを依頼するなど、市民に協力を求めた。

活気を失いかけていた六日町通り商店街だが、商店会組織はイベントや販売促進の取り組みは地道に継続しており、若い人の新しい提案や移住者を歓迎する雰囲気もあった。そこで、コミュニティカフェがカギとなり、新たな店が出店し、人と人のつながりが生まれ、新旧の人、店が手をつなぎ商店街の魅力を育み、外に向けて発信を始めている。これまで守ってきた既存の店、店主を尊重しながら、新しいまちづくりを若い人のパワーに託す「信頼と感謝、〇〇のためという思いやり」。これがまちへの定着にもつながると感じた。

●取材協力
栗原市企画部企画課定住戦略室
cafe かいめんこや
六日町通り商店街
ねこの森雑貨店
さるぶん
佐々木金物店

●関連サイト
移住定住ハンドブック 第班(令和5年度発行)宮城県地域振興課
お試し移住体験生活事業
移住定住コンシェルジュ
六日町通り商店街

人口6割減・貧困で治安悪化の街、ラストベルトからよみがえりのカギは市街地3分の1の空き家! 農園などに活用する驚きのまちづくりとは? アメリカ・フリント市

地方へ帰省した時や旅先で、「空き家が増えたな……」と思うことはありませんか。人口が減り始めた日本では、空き家や集落をどのようにしていくか、難しい課題が浮き彫りになっています。今回はそんな空き家対策として参考になりそうな、米国のミシガン州郊外フリント市の「グリーンイノベーション地区」の計画について取材しました。

市街地の1/3が空き家に! 治安も悪化、貧困層が取り残された街

今回、お話を伺ったのは横浜国立大学で人口減少と都市の規模の適性化を目指すまちづくりを研究している矢吹剣一准教授。矢吹先生が事例として注目しているのは、米国のミシガン州郊外にあるフリント市の「グリーンイノベーション地区」の計画です。

アメリカ・フリント市(写真提供/矢吹剣一さん)

アメリカ・フリント市(写真提供/矢吹剣一さん)

そもそもフリント市は自動車メーカー・ゼネラル・モーターズ(GM)創業の地で、最盛期の1960年代~70年代には約20万人が暮らし、「全米でもっとも豊かな都市の1つ」とまでいわれた街でした。ただその後、工場の移転と閉鎖にともない人口は激減、2022年には約8万人と半分以下にまで落ち込んでいます。

横浜国立大学 大学院都市イノベーション研究院 准教授・矢吹剣一さん(写真提供/矢吹剣一さん)

横浜国立大学 大学院都市イノベーション研究院 准教授・矢吹剣一さん(写真提供/矢吹剣一さん)

産業の勃興と衰退によって人口の増加・減少が起きたのは、石炭や造船業が盛んだった都市と同様といってよいでしょう。ただ、米国と日本では土地に関する価値観が異なります。

「米国は日本と異なり、土地への執着が低いため、仕事のあるところに引越し・移住をするのが当たり前です。そのため、家賃や税金を滞納したままの状態で、ある日突然、住人がいなくなるということが頻発するんです。当然、残されたのは、税滞納状態となった空き家や空き地、あるいは移住する費用が払えない貧困層という状態になります」

貧しく、行き場のない人だけが取り残されたほか、人種ごとによる居住地域の違いなども問題を複雑化させています。さらに追い打ちをかけたのが、サブプライムローン問題に端を発した2007年の住宅バブルの崩壊です。フリント市内の住宅でも差し押さえが相次いだこともあり、市内の総不動産のうちなんと1/3が遊休地化し、空き地・空き家(しかも荒廃している)だらけだったとか。さすが米国、空き家・空き地問題のスケールもケタ違いです。

ランドバンクを介して土地を利活用。農園が健康や治安の改善にも役立つ

税金などを滞納して差し押さえられた不動産は、行政などに差し押さえられたのち、公的な性格をもつ「ランドバンク」が権利を保有し、再生・利活用の道を探ることになります。

「フリントが位置するジェネシー郡は、2002年に公的なランドバンクを設立しています。差し押さえた空き家は解体されるだけでなく、適切にリフォームして販売や賃貸されたり、土地だけで貸したり、管理、活用の方法を模索します。なかでも注目は、『サイドロットプログラム』。その名前の通り、side-lot(隣地)、つまり、隣の人に低額で貸したり、売却したりというもの。困ったときに頼りになるのは隣の人ということで、隣地を低額で売却または賃貸してもらい、管理してもらうという取り組みです」(矢吹先生)

隣地が管理されておらず、荒れていると困るのはまさに隣の家の住人ですし、日本でも昔から「隣の土地は借金してでも買え」と言われてきたほど。とても合理的な取り組みといえるでしょう。広くなったスペースは庭や子どもの遊び場として活用しているようです。とはいえ1区画は450~500平米超もあり、隣の区画と合わせれば900~1000平米、3区画合わせれば1500平米にもなります。テニスコート(ダブルス)の広さが約261平米なので約6面、こうなってくると家の敷地というより畑ですね……。

「ランドバンクは、土地を隣家に貸す以外にも、地元の住民団体やNPOなどに貸し出して、農園やコミュニティガーデンとしても活用しています。カギになるのは、教会や地域コミュニティ。米国の教会も、日本の寺院でいう檀家さん、つまり信徒さんがいないと成り立たないんですね。ですから、牧師と信徒のみなさん、NPO、地元の学生さんなどがともにコミュニティガーデンで野菜を育て、近隣住民で分け合うという取り組みをしているんです。フリント市や近隣のデトロイト市は全米平均よりも貧困率が高く、日頃の生活にも困っている方も多いのですが、こうした住民の栄養状態を改善し、健康促進をする、という意味でも農園(都市農業)は役立っています」(矢吹先生)

放置された空き家は、行政やランドバンクによってチェックされる。状態によって4段階にわけられ、撤去解体、リノベ、リフォーム、賃貸など、再生の方法が模索される(写真提供/矢吹剣一さん)

放置された空き家は、行政やランドバンクによってチェックされる。状態によって4段階にわけられ、撤去解体、リノベ、リフォーム、賃貸など、再生の方法が模索される(写真提供/矢吹剣一さん)

コミュニティガーデン、農園では、住民たちが一緒になって草刈りや緑の管理、畑作をすることで、治安維持、景観の向上、住民の栄養やメンタルヘルスの改善などに役立つこともわかっているそう。行政としても草刈りなどの空き地を管理するコストが低減でき、住民、行政、双方にメリットのある仕組みです。

「コミュニティガーデンでは野菜を提供するだけでなく、農業に必要な資材を貸し出したり、苗を売ったり配ったりしています。米国でも日本の地域おこし協力隊のような地域に貢献したいと活動する若者がいるのですが、彼らが農業を手伝っていることもあります。教会の牧師さんもまちづくりや都市計画について関心が高く、教会の一角にまちづくりに関する展示パネルもあるほどです」

教会(写真提供/矢吹剣一さん)

教会(写真提供/矢吹剣一さん)

コミュニティガーデンで活動する人たち。緑を手入れすることで、住民の栄養やメンタルヘルスの改善、治安維持できることがわかっている(写真提供/矢吹剣一さん)

コミュニティガーデンで活動する人たち。緑を手入れすることで、住民の栄養やメンタルヘルスの改善、治安維持できることがわかっている(写真提供/矢吹剣一さん)

教会の一角にあるまちづくりに関する展示パネル(写真提供/矢吹剣一さん)

教会の一角にあるまちづくりに関する展示パネル(写真提供/矢吹剣一さん)

重要なのは覚悟と都市計画。住民参加で「合意形成」もなされる

とはいえ、ランドバンクは万能ではありません。フリント市全域で約2万2000区画ある空地に対して、何区画かずつの規模で活用したところで、全体の問題解決にならないからです。問題の本質は、都市がどうあるべきなのか、その設計図である、「都市計画」が機能していること。ここが機能していないと、本質的な人口減への対応は難しいといいます。

「滞納された不動産の個別の利活用をはかったところで、ランドバンクは黒字化はおろか、人件費も出せるかどうかというのが現実です。フリント市は財政難も続いています。そのため、2013年に『マスタープラン』、日本でいうところの総合計画と都市計画マスタープランを合わせたような計画を作成し、この時にはじめて人口減・低密度化をふまえた都市計画を立案しました」(矢吹先生)
これは日米共通のようですが、ふるさとの人口減少に対し、回復することは難しいと認め、受け入れるのは非常に覚悟のいること。希望的観測、こうあってほしいという願望、政治的な意向で「玉虫色の決着」になりがちですが、人口が半分以下と、どん底までいったフリント市はついに覚悟を決めたのです。

「この覚悟を決めた2013年の都市計画では、空き地をコミュニティガーデンなどにしていき緑豊かな住宅地を目指す『グリーン・ネイバーフッド』、できるだけ新たな人が来ることを想定せず、1つ1つの土地そのものを広くする『グリーン・イノベーション』という2種類の地区を設定しました。特に空洞化のひどかった地区は『グリーン・イノベーション』として、できる限り人の流入を抑えて、とにかく土地を合筆、集約化していき、将来の不確実性に備えるとしています。結果的に人の流入は制限出来ませんでしたが、それぞれが使用する1区画あたりの面積を大きくして、なるべく大きな面積を管理してもらう仕組みをつくることができました」

グリーン・イノベーション地区の様子(写真提供/矢吹剣一さん)

グリーン・イノベーション地区の様子(写真提供/矢吹剣一さん)

ポケットパーク(写真提供/矢吹剣一さん)

ポケットパーク(写真提供/矢吹剣一さん)

人口が増え続けている米国では都市「縮小」、「撤退」という概念にまだ拒否感があります。そのため、居住エリアを「縮小」するのではなく「低密度」な状態でも維持することを目指し、同時にさまざまな社会状況に対応できるよう「不確実性に対応する可変性の高さ」というコンセプトを打ち出したのです。
「グリーン・イノベーション地区」はまず、空き地を緑地やコミュニティガーデンとして活用しようと謳います。そして、将来に備えて空いた土地を徐々に合筆集約しておく、そうすれば大規模工場の誘致、農園の誘致など起死回生的なチャンスへの対応も可能で、不確実な情勢に対応しやすいというわけです。いわば「二段構えの施策」といえるでしょう。

赤いエリアが町の中心市街地。周囲の住宅地には、空き家・空き地が多い地区が点在していました。これら(上図・緑部分)を「グリーンイノベーション地区」と名付けました(画像提供/矢吹剣一さん)

赤いエリアが町の中心市街地。周囲の住宅地には、空き家・空き地が多い地区が点在していました。これら(上図・緑部分)を「グリーンイノベーション地区」と名付けました(画像提供/矢吹剣一さん)

もちろん、自分が住む地域が「グリーン・イノベーション地区」になることに難色を示した住民もいました。それはそうですよね、「あなたが住む場所はもう新しい人は来ず、将来は広大な緑地です!」と言われたら、住民が反発するのは必至です。ただ、住民も実際にワークショップに参加していくと、都市計画やまちづくりの必要性としてなによりフリントがおかれた深刻な現状を理解し、納得していくのだとか。
「地価の低さもありますが、自分たちの目で空き家調査をしたこと、自分たちの意見や議論でグリーン・イノベーション地区のエリアを決めたこと、細かい規制内容も住民意見を反映したことが、合意形成の上で非常に大きかったと言えます」

日本は戦後の住宅難もあり、都市でも農村部でも、とにかく土地の分筆が続けられてきました。いわば現在のフリントの真逆状態です。ゆえに所有権者と利害関係者が増えすぎてしまい、合意形成や、現在および将来の全体最適な土地の利活用を難しくしていますが、その意味でもとても示唆に富んでいるように思います。

また、日本の都市計画制度は米国ほど効力をもっていません。例えば、水道・電気などのインフラ保守管理を効率化するために居住地域を厳しく制限する、自治体ごとに用途地域をカスタマイズして望ましい将来像へ都市空間を誘導するなどの制限はできていない状態です。

「米国でも都市部の『縮小』という現実に向き合うのは非常に困難でした。でも、人口が減るという現実を受け入れ、覚悟を決めたところから再生がはじまっているんです。日本でも同様に、厳しい現実に向き合わないといけない。まずはそこからではないでしょうか」(矢吹先生)

もちろん国の成り立ちや価値観が違うので、すべてを真似する必要はありませんが、公的な性格をもつランドバンク、住民参加型のコミュニティ、強力な都市計画、行政の覚悟……など、岐路に立つ日本も見習うべき点は多いのではないでしょうか。

Center for Community Progressによる動画
「How to Use Property Condition Data for Vacant Land Stewardship(空き地管理のための不動産状況データの使用方法)」

●取材協力
横浜国立大学 大学院都市イノベーション研究院 准教授
矢吹剣一さん
専門は都市計画・都市デザイン・まちづくり。主に人口減少時代における土地利用政策(マスタープラン/ゾーニング)、空き家・空き地の政策(利活用および管理・除却)、共創まちづくり(住民参加による計画策定技法/公・民・学連携のまちづくり)に関して研究・実践を行っている。
福島県いわき市生まれ。筑波大学第三学群社会工学類(都市計画主専攻)卒業。東京大学大学院都市工学専攻修士課程修了。株式会社久米設計勤務後、東京大学大学院都市工学専攻博士課程修了。博士(工学)、一級建築士。東京大学特任研究員・アーバンデザインセンター坂井チーフディレクター、神戸芸術工科大学助教、東京大学先端科学技術研究センター特任助教を経て、2022年10月より現職。

コンビニが撤退危機だった人口減の町に、8年で25の店がオープン。「通るだけのまち」を「行きたいまち」に変えたものとは? 長崎県東彼杵町

自分の暮らすまちで「その地域は人が減っているから、あなたの仕事はもう続けていけないよ」と言われたら、いったいどうするだろう。場所を変える、仕事を変える、撤退する……などいろいろ選択肢はあるけれど、地域に訪れる人を増やそうとする人は、そう多くいないのではないだろうかと思う。

長崎県東彼杵(ひがしそのぎ)町は旧千綿(ちわた)村と彼杵町が合併してできた、人口約7700人の町。過疎の進む一方だったこのまちに、近年新しいお店が続々とオープンし、活気を取り戻している。8年間で新しいお店が約25店舗オープン。50人以上が移住し、交流拠点「Sorrisoriso(ソリッソリッソ)」は、年約2万7000人が訪れる場所に。
一体ここで何が起きているのだろう?現地を訪れて話を聞いてきた。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

「まちづくりの鍵は自営業者にある」

東彼杵町は、大村湾を望む山に一面にお茶畑が広がる、海と山に囲まれた美しいまち。長崎から観光スポット、ハウステンボスへ向かう通過点にすぎないと言われてきたこのエリアに、近年、若い人たちが集う小さな店がいくつもできている。

その中心が、元JA(農業協同組合)の米倉庫を改修してできたまちの拠点「Sorrisoriso」だ。

まちの拠点「Sorrisoriso」外観。2013年には解体予定だった建物。今は県の「まちづくり景観資産」に登録されている(写真撮影/藤本幸一郎)

まちの拠点「Sorrisoriso」外観。2013年には解体予定だった建物。今は県の「まちづくり景観資産」に登録されている(写真撮影/藤本幸一郎)

Sorrisorisoの内観。中には珈琲店「ツバメコーヒー」と、お隣に地産品として有名なそのぎ茶の試飲ができる体験型のショップ「くじらの髭」が入っている(写真撮影/藤本幸一郎)

Sorrisorisoの内観。中には珈琲店「ツバメコーヒー」と、お隣に地産品として有名なそのぎ茶の試飲ができる体験型のショップ「くじらの髭」が入っている(写真撮影/藤本幸一郎)

今、Sorrisorisoの周囲にはフレンチレストラン「Little Leo(リトル・レオ)」、アンティークと古着の店「Gonuts(ゴーナッツ)」、障がい者がデザイン製作した雑貨やアート作品を販売する「=VOTE(イコールボート)」などの店ができている。

車で数分圏内には、オーガニック食の「海月(くらげ)食堂」、洋食料理人が作る鶏魚介ラーメン専門店「多々樂tatara(タタラ)」、雑貨屋「きょうりゅうと宇宙」などポップで楽しそうな店が、ここ数年の間に続けてオープン。県内外から若い人や、感度の高いお客さんが訪れるエリアになっている。
各店のオーナーはIターン者や地元の若手、Uターン者とさまざま。

元はコインランドリーだった建物に入る「=VOTE」(写真撮影/藤本幸一郎)

元はコインランドリーだった建物に入る「=VOTE」(写真撮影/藤本幸一郎)

アート作品やプロダクトが並ぶ「=VOTE」の店内。VOTE代表の坂井佳代さん(右)(写真撮影/藤本幸一郎)

アート作品やプロダクトが並ぶ「=VOTE」の店内。VOTE代表の坂井佳代さん(右)(写真撮影/藤本幸一郎)

とくに大きな資本が入って再開発が行われたわけではない。

Sorrisorisoを運営する、一般社団法人「東彼杵ひとこともの公社」代表理事の森一峻(もり・かずたか)さんは、地域の活動に取り組む中で、あることに気付いたという。

それは、「まちづくりの鍵は自営業者にある」というもの。

「自営業者にとって、まちに活気があるかどうかは自分の店の経営にダイレクトに影響します。だからまちのことも自分ごととして捉えることができる。同じベクトルをもてる自営業者同士がコミュニティをつくれば、まちの活動が盛んになると思ったのです」

森さん自身が旧千綿村に生まれ育ち、5年半ほど県外で働いた後、24歳でUターンして家業のコンビニエンスストアを継いだ地元の自営業者である。

森さんはLINEグループなどを使って、まちの自営業者同士が支え合うゆるやかなコミュニティをつくり、Sorrisorisoを中心に新しい店を増やす取り組みを始めていった。

フレンチレストラン「Little Leo」店内(筆者撮影)

フレンチレストラン「Little Leo」店内(筆者撮影)

鶏魚介ラーメン専門店「多々樂tatara」の「そのぎ茶つみれラーメン」(写真撮影/藤本幸一郎)

鶏魚介ラーメン専門店「多々樂tatara」の「そのぎ茶つみれラーメン」(写真撮影/藤本幸一郎)

雑貨屋「きょうりゅうと宇宙」、小玉一花さん(筆者撮影)

雑貨屋「きょうりゅうと宇宙」、小玉一花さん(筆者撮影)

新しい店を支援する「パッチワークプロジェクト」

まずはSorrisorisoで、起業したい人が小さく自営業を始めることのできるしくみ「パッチワークプロジェクト」をスタートさせる。

うまくいくかどうかわからない中で店を構えて商売を始めるのはハードルが高いもの。そこで、まずは試験的にSorrisoriso内のスペースを貸して商いを始めてもらい、お客さんがついたら独立してもらう。開業の養成所のような役割を果たす。

さまざまなカラーの店がSorrisorisoに集い、卒業した後もまちを彩る。その様を布のパッチワークに例えた。

「とくにIターンで外から入ってきた人たちには、新しい土地で商売を始めるのは難しいと思うんです。そこで僕たちが間に入って、このエリアへ出店する場合はすべて無償で移住を含めたサポートをします。空き物件を紹介したり、情報発信をしてお客さんとつないだり。名前やロゴを一緒に考えることもあります」(森さん)

一般社団法人東彼杵ひとこともの公社の代表理事、森さん(写真撮影/藤本幸一郎)

一般社団法人東彼杵ひとこともの公社の代表理事、森さん(写真撮影/藤本幸一郎)

筆者が初めてSorrisorisoを訪れたのは、2018年の夏だった。この時は「Tsubame coffee(ツバメコーヒー)」のほかに、古着やアンティークを置く店「Gonuts」がSorrisorisoで営業していた。その後「Gonuts」は独立して近くに店をオープン。

筆者が訪れる以前に、Sorrisorisoで営業していた「海月(くらげ)食堂」や「千綿食堂」はすでに独立していて、海月食堂は近くの元製麺工場を改装してオーガニックカフェレストランをオープン、千綿食堂は駅で営業していて人気があった。

そんなふうに、パッチワークプロジェクトを通して、新しい店がいくつも東彼杵町にできてきたのである。

勢いのあるエリアだという印象が広まると、佐世保市内で営業していた飲食店が、こちらへ移転してくるなどの動きも起こり始めた。

新しいお店ができる過程が自営業者のコミュニティ内で情報共有され、地元で応援する構図がSorrisorisoを中心にできていった。

例えば、フレンチレストラン「Little Leo」が千綿に移転してきた際には、みなで歓迎し、リノベーションを手伝ったのだそうだ。

フレンチレストラン「Little Leo」のリノベーション前、地域の方々や手伝ってくださる方に森さんやレストランオーナーの宮副(みやぞえ)シェフがSorrisorisoにて説明会および交流会を開催した時の様子(写真提供/くじらの髭)

フレンチレストラン「Little Leo」のリノベーション前、地域の方々や手伝ってくださる方に森さんやレストランオーナーの宮副(みやぞえ)シェフがSorrisorisoにて説明会および交流会を開催した時の様子(写真提供/くじらの髭)

地域のみなで空き家のリノベーションを手伝った(写真提供/くじらの髭)

地域のみなで空き家のリノベーションを手伝った(写真提供/くじらの髭)

「Little Leo」オープン前日のパーティー。お手伝いした人や知人を含め大勢が集まり、翌日からのオープンを祝った(写真提供/くじらの髭)

「Little Leo」オープン前日のパーティー。お手伝いした人や知人を含め大勢が集まり、翌日からのオープンを祝った(写真提供/くじらの髭)

地元の自営業者たちがサポートしてくれるとなれば、よそから移住してお店を始める人たちにとっても、どれほど心強いか。

「Iターン者の存在は、閉鎖的な町に刺激を与えてくれるなど、まちに新しい風を吹き込む意味で重要です。ただしそれを迎え入れて活躍する場を用意するUターン者や地元の人たちに関心をもってもらうのも大切。自営業者が集って楽しみながらまちの活動も進めていることで、お店だけでなく、ライターやカメラマンなどクリエイティブな仕事をする人たちも集まってきています」(森さん)

さらに地元の人がお店を新しくオープンするなど、相乗効果が生まれていった。

Sorrisorisoの裏手の道には、お店案内の看板も出ている。それほど店がありそうでない場所に店がある(筆者撮影)

Sorrisorisoの裏手の道には、お店案内の看板も出ている。それほど店がありそうでない場所に店がある(筆者撮影)

閉店勧告を受けた時、後退せずに「攻め」で進んだ

森さんがSorrisorisoを立ち上げたきっかけは、実家のコンビニエンスストア(八反田郷店)を父から引き継いだ翌年、本社から受けた勧告だった。2012年のことである。

「このままでは八反田郷店は閉めるか、ほかのエリアに移すしかない、と本社から宣告されたのです。普通なら店を閉じて後退するところなんでしょうけど、父が始めた地元店をなくすことは考えられなかった。借金背負ってでも前進しようと。翌年、八反田郷店をリニューアルした上に、資金繰りのためさらに新しい店舗を隣の川棚町でも始めて、同時にSorrisorisoをつくる動きを始めました」

この時、森さんが痛感したのは、「自分の店だけでなく、エリア全域が活気づかなければ店の継続は難しい」ということ。

コンビニは、地方ではもはやインフラである。宅配やATM、買い物など生活を支える機能は、それはそれでまちにとって大事。

それでも、森さんは、コンビニのもつ限界も同時に感じてきたと話す。デジタルマーケティングによって絞り切った商品のみを投下する、合理性の極みのようなビジネスと、Sorrisorisoで始めた、地域性や文化的な要素を大事にしながら自営業を支援する展開は、まるで方向性がちがう。

「コンビニも大事ですが、それを目指してよそからお客さんが来るというふうにはなりませんから」

地域性や人、文化を大事にする商いは、効率はよくないかもしれないけれど、持続的に地元の人たちに愛され、土地の個性を発揮する武器、キラーコンテンツにもなりえる。地域性のあるお店を大事にすることが、長い目でみれば、地域の大きな価値になる。

森さんのそうした考え方が、Sorrisorisoをはじめとする展開のベースにある。
Sorrisorisoでも、地元のそのぎ茶を試飲できたり、活版印刷機を展示していたり。地域性や文化を前面に打ち出した展開は、その後開発した「くじら焼き」にも広がっていった。

全国茶品評会で連続日本一となった地産品、そのぎ茶を店内で試飲できる。(写真撮影/藤本幸一郎)

全国茶品評会で連続日本一となった地産品、そのぎ茶を店内で試飲できる。(写真撮影/藤本幸一郎)

森さんには、生まれ育った旧千綿村の原風景がずっと頭にあった。

「昔、千綿の浜はいつも漁師さんたちでにぎわっていました。朝が早いので、昼には漁から戻った人たちが、漁港や浜でわいわい飲んでいて。

僕が8歳の時、浜でゴミを燃やしているところへスプレー缶を投げ入れて、爆発して大やけどしたことがあったんです。この時、浜にいた大人たちがすぐに僕を海に放り込んでくれたおかげで、一命をとりとめました。全身包帯でぐるぐる巻きにされて数カ月入院したのですが、危なかったと言われました。

つまり、浜に人が居たから助かったんです。あの浜の風景が自分にとっては大事。もう当時の方々は亡くなったりしているので、地域に恩送りしたい気持ちが強いんです」

元は浜だった場所が今は小さな魚港になっている(写真撮影/藤本幸一郎)

元は浜だった場所が今は小さな魚港になっている(写真撮影/藤本幸一郎)

コロナの状況下で目を向けた、地元の老舗店

2015年から2020年の5年間は、外から訪れる人の移住支援や、20~40代など若い人たちの新規起業を中心に、自営業者のコミュニティを育ててきた。だが2020年のコロナ禍によって、事態が変化。
地元に古くからある自営業者を応援しようという動きにシフトする。

森さんたちは、ひとこともの公社で運営する「くじらの髭」というウェブサイトで、地元企業30社近くを取材し、情報発信をしていった。取材の過程で、森さん自身も地元の店のことを改めて知ったのだと話す。

「例えば割烹懐石料理を楽しめる、創業96年の栄喜屋さん。美味しい店だとは思っていましたが、大将が若いころ、京都の老舗で修行されたと取材で初めて知って。鰻の炭火焼きのタレを、創業者でオーナーのおばあさんにあたる“おるい”さんが防空壕にまで持ち込んで守り抜いてきたタレであるってことも知ったんです」

そうした諸々を知って初めて「おるいさんのストーリーをアピールした方がいい」「この写真を活用するといいのでは」といったアドバイスをするような関係に。

創業96年の栄喜屋の歴史を感じさせる写真。創業者は、大将の祖母にあたる方で、森ルイさん、通称「おるい」さん(写真提供/くじらの髭)

創業96年の栄喜屋の歴史を感じさせる写真。創業者は、大将の祖母にあたる方で、森ルイさん、通称「おるい」さん(写真提供/くじらの髭)

もう一つ例を挙げると、同じく旅館兼老舗の料亭「若松屋」さん。コロナ禍でくじらカツ弁当を販売することになり、お弁当のパッケージデザインの制作に森さんが入り、地元のデザイナーとつないで、若い人にも訴求しそうなデザインに仕上げたのだそう。これが若松屋のリブランディングにもつながった。

くじらカツ弁当(写真提供/くじらの髭、撮影/小玉大介)

くじらカツ弁当(写真提供/くじらの髭、撮影/小玉大介)

森さんたちと話したのがきっかけで、お店の側でSNSも活用し始め、コロナ禍が落ち着き県外からもお客さんが訪れるようになり、すっかり繁盛しているのだとか。

この時期、こうした老舗料理屋のオーナー同士がSorrisorisoに集まった時のこと。「初めて会った」とお互いが言い合っているのを聞いて森さんは驚いたのだそう。

「何十年もこの小さなまちで同業でやってきて、組合に属していても、会ったことがないんだなって。そういう機会がないんですね。みんなその場で一緒に弁当食べたりして、さっそく仲良くなっていました」

Sorrisorisoのような「まちの拠点」があると、内外から人が集まってくる。外からふわっとやって来る人たちを、森さんたちが適材適所に導く。ただそれだけでなく、元々いたまちのプレイヤーもここを介して知り合い、新たな共同の動きを始めている。地元の民間事業者同士のつながりも強くなり、外の人を受け入れる土壌ができているのだ。

地域の文化に目を向ける さらなる展開の広がり

これまでの取り組みが評価され、2020年には九州電力との協業もスタート。2022年には新たに複合施設「uminoわ」がオープンした。

「uminoわ」外観。コインランドリーをはじめ、喫茶「CHANOKO」、服のお直しをしてくれる縫製場、子どもの遊び場、観光案内所といった機能が内包され、たい焼きならぬ「くじら焼き」を商品開発し、出張販売も行っている(写真撮影/藤本幸一郎)

「uminoわ」外観。コインランドリーをはじめ、喫茶「CHANOKO」、服のお直しをしてくれる縫製場、子どもの遊び場、観光案内所といった機能が内包され、たい焼きならぬ「くじら焼き」を商品開発し、出張販売も行っている(写真撮影/藤本幸一郎)

「くじらの髭」プランニングマネージャーの池田晃三さん(左)と、「CHANOKO(チャノコ)」のストアマネージャー兼ブランドマネージャーでありパティシエの中村雅史さん(右)(写真撮影/藤本幸一郎)

「くじらの髭」プランニングマネージャーの池田晃三さん(左)と、「CHANOKO(チャノコ)」のストアマネージャー兼ブランドマネージャーでありパティシエの中村雅史さん(右)(写真撮影/藤本幸一郎)

「uminoわ」内観(写真撮影/藤本幸一郎)

「uminoわ」内観(写真撮影/藤本幸一郎)

2022年秋には、ひとこともの公社が、「国土交通大臣賞 地域づくり部門」を受賞。

森さんは、今、さらに新たな会社を通して、人と人のつながりを東彼杵町の中だけでなく長崎県全域、ひいては九州に広げようとしている。各地に拠点をもつプレイヤーがつながり合うことで、お互いに協力し合ったり、情報交換したり刺激し合うことができる。

筆者が、全国で行われているさまざまなまちづくりの例を見てきて思うのは、地域に活気を取り戻そうとする行為は、とどのつまり、人と人のつながりを繋ぎ直すことに集約されるのではないかということ。

一度途切れてしまったつながりを地域内でつなぎ直すという意味もあるし、新しく入ってきた人と地元の人をつなぐ、地域をこえて外の人同士がつながり刺激し合う。
Sorrisorisoでの取り組みにはそのすべてが含まれていた。

東彼杵町の「ひとこともの」をつなぐ取り組みは、いまも続いている。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

●取材協力
Sorrisoriso ひがしそのぎの情報サイト「くじらの髭」

「コンテナハウス」のスゴすぎる世界。空き家・防災対策など日本の住宅問題を解決する!?

今、コンパクトな平屋が注目を集めていますが、タイニーハウス(小屋)やトレーラーハウス、コンテナハウスにも注目が集まっています。今回は、物流用コンテナを住まいや店舗などとして活用するコンテナハウスにフォーカス。実は空き家対策や防災対策などでも活用されているのです。そのコンテナハウスの最前線について、日本コンテナハウス建築協会会長の菅原修一さんに話を伺いました。

店舗やホテル、住宅……。コンテナの使い道は実に多彩!

コンテナとは、船や鉄道などの輸送に使われる容器、入れ物のこと。サイズは普及しているもので20ftと40ftが主流であり、大型トレーラー車両がけん引していたり、鉄道の貨物輸送などに使われている12ftと31ftサイズを大型車両が輸送しているのを見かけたことがある人も多いことでしょう。

コンテナ(写真/PIXTA)

コンテナ(写真/PIXTA)

コンテナは世界中の輸送で使用されることから、強度が高く、過酷な環境にも耐え、しかも容易に移動させることができるのです。そのため、このコンテナを住まい、ホテル、店舗などとして活用するケースが増えてきました。例えば、2022年に開催されたFIFAワールドカップカタール大会ではコンテナを建材として積み上げてスタジアムとしたり、ホテルとしても活用されていました。コロナ禍では臨時の医療拠点になったこともあるといい、多用途かつ多目的に使うことができるのです。

「コンテナは日本のみならず世界中で使われていて、港で積荷を降ろし、帰りに荷物を載せる必要がない場合は現地で売り払うのです。そのため、各国で中古コンテナ市場が形成されています。日本でもコンテナは手ごろな価格帯で販売されて、フリマアプリやオークションでも取引されています。こうした中古コンテナを入手し、内外装を施して住居や店舗、ホテルなどに改造して活用しているのです。コンテナを連結したり、多層構造にすることもできますし、インテリアの自由度も高く、フルカスタムで世界に一つだけのコンテナハウスやショップがつくれるんですよ」と話すのは日本コンテナハウス建築協会の菅原修一さん。

なるほど、コンテナハウスのメリットをまとめると、
(1)躯体が頑丈
(2)価格が手ごろ
(3)内装の自由度が高い
(4)工期が短くて済む
(5)移動ができる
(6)不要になったら撤去、売却、再利用ができる
という点にあるようです。世界中で建築資材が高騰しているなか、こうしてみると人気が出るのは当たり前、といえます。

20ftのコンテナを平置きにして店舗にした例。広さは8畳ほど(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

20ftのコンテナを平置きにして店舗にした例。広さは8畳ほど(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

カフェ内部に入るとコンテナであると気づかない(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

カフェ内部に入るとコンテナであると気づかない(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

40ft(約12m強)のコンテナ3台を並べて店舗にした。千代田区4番町にあるその名も「No.4」。広さにして約80平米(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

40ft(約12m強)のコンテナ3台を並べて店舗にした。千代田区4番町にあるその名も「No.4」。広さにして約80平米(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

天井を見るとコンテナだな、とわかる(写真撮影/嘉屋恭子)

天井を見るとコンテナだな、とわかる(写真撮影/嘉屋恭子)

上下に積み重ねることで、多層構造にもなる(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

上下に積み重ねることで、多層構造にもなる(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

建物内部、吹き抜けで開放的な空間に(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

建物内部、吹き抜けで開放的な空間に(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

コンテナの耐用年数60~70年。使い捨てにならず離島や空き家対策にも!

さまざまなメリットがあるコンテナハウスですが、(6)不要になったら解体、売却できるため、「使い捨てにならない」という面でもすぐれています。

「コンテナは先ほど紹介したように各国で利用されているため、使い終わっても廃棄とはなりません。使い捨てなんてもうカッコ悪いし、時代に合わない。場所や用途に合わせて長く使っていく時代です。コンテナの耐用年数は一概にはいえませんが60年~70年は使用できるでしょう。もちろん、海沿いなどの環境条件やメンテナンスなどによって異なってきますが、少なくとも40年~50年は使用できると思います」とのこと。

持続可能なまちづくりや開発は、今や避けては通れない課題です。必要なときに、必要に応じて住まいや店舗、医療施設、学校を建設することも可能です。

コンテナの移動性、構造強度が強いことを利用し、「コンテナに建設資材や物資を積んで、現地に行って、住宅や学校、医療施設をつくることも可能です。基礎は現地で施工し、コンテナはそのまま躯体として活用、積んでいった窓や建材を使って建物をつくるのです。離島は、建築物を建てようとすると資材の輸送費、人材の移動費などの関係で建設コストが高くなりますが、これなら容易につくることが可能です。さらに、離島防衛、国土強靭化にも役立つんですよ。日本だけでなく世界の災害発生時や紛争地帯、アフリカなどの援助にも活用されています」と菅原さん。

石垣島のリゾートホテル『ぱいぬ島リゾート』(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

石垣島のリゾートホテル『ぱいぬ島リゾート』(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

コンテナを斜めにしてインパクトのある建築物に。構造計算もしてあるため、強度にも問題ないという(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

コンテナを斜めにしてインパクトのある建築物に。構造計算もしてあるため、強度にも問題ないという(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

客室。こちらもコンテナとは気が付かないはず(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

客室。こちらもコンテナとは気が付かないはず(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

日本では、東日本大震災のときもコンテナハウスは仮設住宅として活躍しました。現在では、トイレやお風呂もついたものを道の駅などに設置しておき、災害発生時は被災者を受け入れる、または被災地まで出向き、仮設住宅として使うという計画もあるといいます。

災害発生時に建設される仮設住宅は、一定程度の敷地が必要で、設置・解体廃棄にもコスト、工期がかかり、そのコストは1棟500万とも600万ともいわれています。コンテナハウスであれば、平時は宿泊施設などとして活用しながら、非常市は仮設住宅になるのであれば無駄もなく、解体、廃棄する必要がありません。地震だけでなく、台風、水害などの自然災害が多発している今、こうした備えは全国各地で普及していくことでしょう。

東日本大震災では仮設住宅としても使われた(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

東日本大震災では仮設住宅としても使われた(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

また、日本の喫緊の課題でもある空き家活用にも、コンテナハウスは役立つ、といいます。

「今、築100年、200年の立派な古民家が日本各地で空き家になっていますが、現在の建築基準を満たそうとすると、耐震性や断熱性などの改修費用が高くなることから、初期費用が高く、利活用の妨げになっています。そこでコンテナハウスと木造住宅の混構造のリノベを提案しています。コンテナにトイレとバス、寝室をもうけて寝室部分とします。木造は、ダイニングや共用部分とするとよいでしょう。ホテルでも自宅でも、なにかあっても耐火性、耐震性も高いのでシェルターになりますし、命を守ることができます」

こうして聞いてみると、用途は限りなくありますし、繰り返し使えます。太陽光発電と蓄電池、下水は浄化槽、空気中の水蒸気を飲み水になどの技術と組み合わせることで、容易にオフグリッド住宅にもなることでしょう。安全性、汎用性が高く、持続可能というあらゆる意味で、21世紀の住まいのスタンダードにもなりそう、そんな気すらしてきます。

建築基準法準拠、断熱や遮熱など、価格以外にも留意を

「国際海上コンテナは世界中で使われているので、国際的に規格化したISOという規格で統一されています。ただし、住居や店舗など、固定した建築物として使う場合は、ISO規格+日本の建築基準法に適合したJIS規格に適合した『建築専用コンテナ』でないといけません。違いは複数ありますが、大きくは使用している鋼材と構法が異なります。そのため、価格ばかりに目を奪われ、何も知らないで中古コンテナを購入、建築すると違法建築になることもあるんです。現に私の元には、『行政から違法建築といわれた』という相談が増えています」と菅原さん。

「ISOコンテナ」と「JISコンテナ」の外地

菅原さんの取材を基に筆者作成

また、海上輸送コンテナはパネル構造でつくられているため、窓やドアを設置するために開口部を設けると強度が大きく損なわれてしまうことも。建築基準法を満たした建築コンテナはラーメン構造であるためこうした問題は発生しませんが、コンテナハウスを手掛ける業者がそもそもこうした建築法規を知らないケースもあるため、注意が必要だといいます。

あわせて、注意したいのが住み心地/使い心地に直結する、断熱や遮熱、気密性です。
「コンテナハウスは北海道から沖縄まで日本全国で使われており、建築基準法を基にきちんと設計・施工すれば住居として冬暖かく、夏も快適に過ごせることがわかっています。ただ、コンテナそのものは壁が1.6mm~2.0mmの鉄板ですぐに熱を通してしまうため、建物内部に断熱材を施工するほか、気密性も高めないといけません。単純に断熱材が入っていればOKではなく、発泡ウレタン吹き付け、ロックウール、グラスウールなど、どのような材料が使われているか、またその厚み、施工精度が非常に重要になります。きちんと施工されていないと、コンテナ壁鋼板と内装仕上げ下地材の空気層が結露してしまってそこからカビが生えてきた……というトラブルも発生しています」(菅原さん)

気密性も同様、どれだけ頑丈なコンテナであっても開口部などから空気が漏れてしまっては意味がありません。コンテナハウスでは、土地の条件、内装の意匠性にもよりますが1棟で700~800万円ほどが目安で、建築法令の理解や施工の精度も含めて、コンテナハウスを扱う業者を選んでほしいとのこと。

コンテナを店舗にしたケース(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

コンテナを店舗にしたケース(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

コンテナをつかった住まい。インダストリアルの雰囲気がかっこいい(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

コンテナをつかった住まい。インダストリアルの雰囲気がかっこいい(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

過疎地域に役立つ無人コンビニにもなる(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

過疎地域に役立つ無人コンビニにもなる(写真提供/コンテナハウス2040.jp)

カッコよくて、快適、時代にもあったコンテナハウス。自然災害や離島、空き家問題への活用など、日本の住宅問題をまるっと解決する「コンテナ」の活用方法を聞くたび、筆者はワクワクがとまりませんでした。何より、ひとり1コンテナで、家賃や住宅ローンに縛られず、のびのび暮らせる未来がきたら、楽しいですよね。住宅はコンパクトで、もっと自由度の高いものへ。コンテナハウスにもっと光があたる日も近い気がします。

●取材協力
一般社団法人日本コンテナハウス建築協会
株式会社コンテナハウス2040.jp

空き家所有者「3年以上放置」が6割以上! 対策がより厳しくなった「改正空家特措法」が成立し、放置空き家改善の兆し生まれるか?

空き家が社会的な問題になって久しいが、(株)AS IT ISが、空き家所有者などを対象に「空き家の実態と活用方法」について調査を行った。その結果を見ると、空き家の所有者はかなり長期間、空き家のままにしていることが分かった。政府も法改正などで、空き家対策を強化している。

【今週の住活トピック】
「空き家の実態と活用方法」の調査結果公表/(株)AS IT IS

空き家所有者の6割以上が空き家になって3年以上経過。8割が「今後も暮らす予定はない」

まず、空き家の所有者に「家が空き家となってどれくらい経つか」聞いたところ、最多は「10年以上」の22.2%、次いで「3年~5年」の21.9%、「1年~3年」の20.5%が続く結果となった。空き家になってから「3年以上経つ」という回答が合わせて63.2%に達した。

次に、「今後、空き家に自身もしくは親族が暮らす予定はあるか」と聞くと、80.9%が「ない」と回答した。では、空き家は今後どうするつもりかというと、「土地と家を売却する」が38.0%と最多だったが、次いで「特にない」が29.5%だった。

空き家になってどれくらい経ちますか?

出典:AS IT IS【空き家の実態と活用方法調査】より転載

空き家対策のための法律を改正してさらなる強化へ

調査結果では、空き家の多くが誰も住むことがないまま、長期間経過していることになる。これらの空き家の中には、適切に管理されているものもあるだろうが、管理が行き届かずに建物が老朽化したり庭の草木が生い茂ったりしているものもあるかもしれない。

適切な管理をしないで空き家が放置されると、景観を乱したり、衛生面や防災面、防犯面などの問題を起こしたりする場合がある。一方で、空き家といえども個人の所有物なので、勝手に入ったり処分したりできないので、問題がある空き家に手をこまねく形となる。

その解決策として、2015年5月に全面施行されたのが、「空家等対策の推進に関する特別措置法(空き家対策特措法)」だ。この法律によって、自治体が空き家に立ち入って実態を調べたり、空き家の所有者に適切な管理をするよう指導したり、空き家の跡地の活用を促進できるようになった。さらに、地域で問題となる空き家を自治体が「特定空家」に指定して、立木伐採や住宅の除却などの助言・指導・勧告・命令をしたり、行政代執行(強制執行)もできるようになった。

この空き家対策特措法は、さらに踏み込んだ形で改正され、「空家等対策の推進に関する特別措置法の一部を改正する法律」が2023年6月14日に国会で成立し、公布された。問題のある空き家の除却をさらに促進させること、近隣に悪影響を及ぼす前の段階で有効活用や適切な管理を強化することが目的だ。

適切に管理しないまま放置すると、固定資産税の軽減措置が受けられなくなる?

今回の改正で注目されているのが、「特定空家」の前段階となる「管理不全空家」という区分を設けたことだ。今回の改正により、適切な管理が行われておらず、そのまま放置すれば「特定空家」に該当するおそれのある空き家を「管理不全空家」として、管理指針に即した措置を、自治体が指導・勧告できるようになる。勧告を受けた管理不全空家は、固定資産税の減額措置が解除される。

そもそも誰も住んでいない空き家を放置する背景に、「住宅用地の課税標準の軽減特例」の存在がある。住宅用地と認められた土地で、住宅1戸当たり200平米までの土地は「小規模宅地」として、課税標準=固定資産税評価額が1/6に軽減される。固定資産税の額を抑えたいために、住める状態でなくても家を取り壊さないでおくという事例が多いからだ。

空き家対策特措法では、すでに「特定空家」に対してはこの軽減特例を解除する形になっているが、今回の改正で「管理不全空家」に対しても同様に軽減特例を解除する形となる。解除されると、固定資産税がおおむね4倍になるといわれている。

なお、空き家対策特措法の改正は、公布から6カ月以内に施行されることになっている。早ければ年内にも施行される可能性があるので、空き家を管理せずに放置している場合は、注意が必要だ。

空き家を放置すると、近隣とトラブルになったり、法規制の対象になったりする可能性がある。住む予定がないなら、老朽化が進行する前に売却したり、更地にしたりリフォームしたりして、活用することを検討しよう。相談窓口を設けたり専門家を紹介したりする自治体も多いので、早めに相談するとよいだろう。

●関連サイト
(株)AS IT IS【空き家の実態と活用方法調査】
国土交通省「空家等対策の推進に関する特別措置法の一部を改正する法律案」を 閣議決定
政府広報オンライン「空き家にしないためのポイントは?」

法務省の地図データ無料公開などで進む三次元データやリアルタイム防災情報への活用。空飛ぶ車の実用化や空き家問題解決も!?

ドローンによって収集された災害時の情報を地図に反映したり、ビジネスの用途に合った土地を現地調査なしで世界中から探したりと、地図データを活用したサービスや取組みが進んでいます。それらの基盤となるのが、“G空間情報”です。「地理空間情報技術(Geospatial Technology)」の頭文字のGを用いた地理空間の意味で、将来が期待される科学分野の一つとして注目されています。2023年1月から、登記所備付地図データの一般公開が始まりました。これらの地図データを活用することで、どんな問題の解決が進み、また、私たちの生活はどう変わるのでしょうか? 最新の取組みを取材しました。

登記所備付地図データを無償で誰でも利用できるようになった!

「空飛ぶクルマの実用化に向けた未来のカーナビ」「メタバースを活用して空き家問題を解決するサービス」……夢のような世界の実現化に向けて、G空間情報を活用する動きが広がっています。

2022年12月6日に開催された地理空間情報の活用を推進するイベント「G空間EXPO」には、1424名の人が会場を訪れ、オンラインアクセス数は、4万5493。会場では、地理空間情報を活用したビジネスアイデアコンテスト「イチBizアワード」の受賞式が行われ、冒頭で紹介したサービスなどが表彰されました。

サービスの基盤となるG空間情報の提供元は、「G空間情報センター」です。「G空間情報センター」は、さまざまな地理空間情報を集約し、その流通を支援するプラットフォーム。法務省から提供された地図データを利用者がワンストップで検索・閲覧し、情報を入手できる仕組みの構築を目指す機関です。

2023年1月から新たに、登記所備付地図データの一般公開が始まり、「G空間情報センター」にログインすることで、誰でも電子データをダウンロードでき、無償で利用することができるようになったのです。

内閣官房主催の「イチBizアワード」。390件の応募から15件のビジネスアイデアが選出された(画像提供/角川アスキー総合研究所)

内閣官房主催の「イチBizアワード」。390件の応募から15件のビジネスアイデアが選出された(画像提供/角川アスキー総合研究所)

地理空間の高低差を利用して車を交差させて渋滞を緩和するアイデア(芝浦工業大学附属中学高等学校)(画像提供/角川アスキー総合研究所)

地理空間の高低差を利用して車を交差させて渋滞を緩和するアイデア(芝浦工業大学附属中学高等学校)(画像提供/角川アスキー総合研究所)

地理空間情報を基に国土を生成したVRコンテンツ。空中旅行などのバーチャルツアーなどの活用が期待される(Voxelkei)(画像提供/角川アスキー総合研究所)

地理空間情報を基に国土を生成したVRコンテンツ。空中旅行などのバーチャルツアーなどの活用が期待される(Voxelkei)(画像提供/角川アスキー総合研究所)

背景には農業分野におけるICT活用のニーズがあった

法務省の地図作成事業では、不動産の物理的状況(地目、地積等)及び権利関係を記録してきましたが、登記記録だけでは、その土地が現地のどこに位置し、どんな形状をしているかはわかりませんでした。

以前から、土地の位置・区画を明確にするため、法務局(登記所)に精度の高い地図を備え付ける事業が全国で進められてきました。その結果、全国で約730万枚の図面が整備され、登記情報に地図を紐づけることで、それぞれの土地の所有者などが調べやすくなりました。

しかし、今までは、法務局において地図の写しの交付を受けるか、インターネットの登記情報提供サービスで表示された情報(PDFファイル)をダウンロードする方法しかなく、加工可能なデータ形式で手に入れることはできなかったのです。

農業分野におけるICT活用のため、農業事業者等から、まとまった区域の登記所備付地図の電子データを入手したいと要望があり、個人情報公開の法的整理をした上で、今回、地図データを加工可能な形式で提供できるようになりました。

農業のICT化で自動走行トラクターやドローンによる生育状況の把握が可能になる(画像/PIXTA)

農業のICT化で自動走行トラクターやドローンによる生育状況の把握が可能になる(画像/PIXTA)

データはXML形式のため、ダウンロードしてすぐに地図として見ることができず、表示するためには、パソコン等にアプリケーションをインストールすることが必要で、一般の人が簡単に利用するのは難しいものです。しかし、加工可能なデータとして得られるようになったことで生活関連・公共サービス関連情報との連携や、都市計画・まちづくり、災害対応などの様々な分野への展開が可能となり、私たちの暮らしに新しい効果がもたらされることが期待されています。

宇宙ビッグデータを活用した土地評価エンジン「天地人コンパス」

冒頭に紹介した「イチBizアワード」では、誰でも手軽に土地の価値がわかる「天地人コンパス」が最優秀賞を受賞しました。G空間情報や地球観測衛星データをビッグデータと組み合わせたサービスです。開発に携わった株式会社天地人の吉田裕紀さんに地図データ公開の価値とG空間情報を活用したサービスで今までより何が便利になるのか伺いました。

天地人は、JAXA公認のスタートアップ企業で、地球観測衛星データとAIで土地や環境を分析し、農業、不動産などさまざまな産業を支援するサービスを展開しています。地球観測衛星データとは、陸や海の温度、雨や雪の強さ、風や潮の流れ、人の目に見えない情報のこと。「天地人コンパス」は、地球観測衛星データとG空間情報を重ね合わせて、ビジネスにおいて最適な土地を宇宙から見つけることができる土地評価サービスです。農作物が美味しく育つ場所を探したり、土地や建物の災害リスクをモニタリングしたりすることができます。

地球上のどんな地域でも条件で比較できる(画像提供/天地人)

地球上のどんな地域でも条件で比較できる(画像提供/天地人)

「天地人コンパス」で提供されるのは、20種類以上の地図空間情報や最長10年分の衛星データを独自のアルゴリズムで分析したデータ。アカウント登録で誰でも無料で使うことができます(フリープランは一部機能を制限)。

「G空間情報×地球観測衛星データ」を体感できる機能は、エリアの中から条件に一致する場所を探すことができる「条件分析ツール」と2点間の地表面温度や降水量の類似度を測れる「類似度分析ツール」です。東京都近郊の2015年と2020年の地表面温度をビジュアルで比較してみると、温暖化の影響が一目瞭然でした!

条件分析ツールで、設定項目を1月~3月、日中15℃以上にして、2015年と2020年を比較すると、地表温度の変化が色で表現される。赤いエリアが多い方が暖かい日が多かったとわかる(画像提供/天地人)

条件分析ツールで、設定項目を1月~3月、日中15℃以上にして、2015年と2020年を比較すると、地表温度の変化が色で表現される。赤いエリアが多い方が暖かい日が多かったとわかる(画像提供/天地人)

「一般的に使われているオンラインMAPには、地図の上に道路情報やお店の情報、お気に入りの場所など、いろいろな情報が表示されています。あれは、地図のデータの上に、お店のデータなど、情報ごとに「層(レイヤー)」になって重なっているんです。同様に、『天地人コンパス』はさまざまな情報レイヤーを重ね合わせることで、特定の条件にマッチする場所を視覚的に探すことができます」(吉田さん)

ダムや公園のG空間情報は以前から公開されていましたが、自治体ごとにいろんなフォーマットが混在し、管理もばらばらで統一が難しいという課題がありました。「国が主導して、全国で統一されたデータフォーマットが公開されたのは、かなり価値がある」と吉田さん。

「データを使うビジネスにとって信頼できる唯一の情報源になるのがポイントで、マスターとなるデータを皆が参照できる。2023年に一般公開された登記所備付地図の電子データは主に不動産関係業者が使うことになると思いますね。G空間情報センターが公開しているG空間情報は日本で一番整っている地図データといえます。弊社もそのデータを使って開発をしています」(吉田さん)

今回公開された地図のデータを「天地人コンパス」に組み込めば、農地にしたり、何かを建設しようと決めた時、次のステップとして、土地の所有者は誰か、面積がどのぐらいあるのかということが、コンパスの中だけでわかるようになります。「天地人コンパス」は有料オプションとして企業の持っているデータを重ね合わせることが可能です。実際、不動産関係の企業からの相談が増えているといいます。

愛知県豊田市と連携して作成した「水道管凍結注意マップ」。スマホで自宅の水道管の凍結の注意を確認できる(画像提供/天地人)

愛知県豊田市と連携して作成した「水道管凍結注意マップ」。スマホで自宅の水道管の凍結の注意を確認できる(画像提供/天地人)

「今後、『天地人コンパス』に不動産企業が蓄積している部屋の間取りや築年数、建物階数などのデータを組み合わせれば、一気に活用が広がります。天気予報だと東京に雨が降る程度しかわかりませんが、『天地人コンパス』だと1km単位で気象の変化がわかるので、渋谷区の中でも特に暑くなりやすいとか、この公園は日当たりがいいとか自分が住もうとしているエリアがどのぐらい快適なのか現地に行かなくてもわかるようになります。類似検索ツールを使えば、日本の中でヨーロッパの地中海と同じような気候の場所、リゾート気分を味わえる場所がどこか探すこともできるんですよ」(吉田さん)

2点間の似ている度合いをパーセンテージで表現する類似度分析ツール(画像提供/天地人)

2点間の似ている度合いをパーセンテージで表現する類似度分析ツール(画像提供/天地人)

新たに開発された「天地人コンパスmoon版」。月の地面の高低差がわかり、クレーターの深さを富士山などと比較できる(画像提供/天地人)

新たに開発された「天地人コンパスmoon版」。月の地面の高低差がわかり、クレーターの深さを富士山などと比較できる(画像提供/天地人)

「地球規模で仕事することが増えている」と吉田さん。気候変動で温暖化が進んだ場合、地球環境に合わせて作物の農作地を変えていく必要があると指摘されています。

「温暖化・SDGsなどの課題に対して身近に感じています。例えば、日本でも米の銘柄ごとの産地は、今と20年後だったら場所が変わっているかもしれません。『天地人コンパス』は、場所探しが一番軸なので、適した場所を探せる。解決に関わっているという実感があります」(吉田さん)

「天地人ファーム」で、宇宙から米つくりに適した土地を探して栽培した「宇宙ビッグデータ米」(画像提供/天地人)

「天地人ファーム」で、宇宙から米つくりに適した土地を探して栽培した「宇宙ビッグデータ米」(画像提供/天地人)

G空間情報×ドローンで、自然災害発生後すぐに現地状況を地図へ反映する

大地震が起きたとき、この道は安全に通れるだろうか?、洪水や大規模火災が起きたとしたら、どちらに逃げればいいのだろう?と不安に感じたことはありませんか?

防災分野において、自然災害、政治的混乱等の危機的状況下で、地図情報を迅速に提供し、世界中に発信・活用することを目的に活動をしているのが、NPO法人「クライシスマッパーズ・ジャパン」です。理事長を務める青山学院大学教授の古橋大地さんは、「空間情報は、安全安心な生活のライフライン」と言います。

「もし自分や家族、大切な人たちの周りで大規模災害が起きたら、とにかく生き延びて欲しいですよね。そのためには、市民が自分たちの力で情報を取得し、自らの判断で安全な場所に逃げることが大変重要です」(古橋さん)

大災害が発生すると、被害が大きいエリアほど被災状況がわからず、住民の避難や救助活動に支障が出るという問題があります。その際、最初に必要となるのが、被災状況をすばやく反映できる発災後の地図づくり活動「クライシスマッピング」です。「リアルタイム被災支援・地図情報」とも呼ばれ、被災地の衛星画像や航空写真画像、地上から撮影されたスマホ写真などから被害状況を地図上に落とし込み、被害のエリアや規模をリアルタイムで視覚的にわかりやすくした地図のことをいいます。

「クライシスマッピング」という言葉が使われ始めたのは2010年のハイチ地震のころです。「オープンストリートマップ」という世界中の誰でも自由に地図情報を共有・利用でき、編集機能のある世界地図をつくる共同作業プロジェクトで、初めてハイチの被災地の地図をリアルタイムで更新する活動が行われました。古橋さんもその活動に参加したひとりでした。

「世界中のボランティアがネット上に集まり、震災後の正確な地図をつくりました。2010年1月にハイチ地震、2月にチリ地震があり、2011年2月にニュージーランドのクライストチャーチで地震があったんですね。3月には、東日本大震災が起こりました。『あっちでも起こった、こっちもだ。今はどこだ』という感じでクライシスマッピングの作業をしていたことを覚えています」(古橋さん)

2010年ハイチ地震当初のオープンストリートマップ(左)と、詳細な情報が落とし込まれた更新後の地図(右)(画像提供/DRONEBIRD, OpenStreetMap Contributors)

2010年ハイチ地震当初のオープンストリートマップ(左)と、詳細な情報が落とし込まれた更新後の地図(右)(画像提供/DRONEBIRD, OpenStreetMap Contributors)

世界中で次々と災害が起きていることを痛感し、ますます「クライシスマッピング」の必要性を感じた古橋さん。日本で「クライシスマッピング」を広めるために2016年に設立したのが、「クライシスマッパーズ・ジャパン」でした。被災地で撮影された写真を基に、世界でもっとも詳細で最新の「現地の被災状況マップ」をつくり、国連や赤十字などの救援活動のために必要な情報支援をしています。

熊本地震前の益城町のオープンストリートマップ。情報が少なく何がどこにあるのか把握できない(画像提供/DRONEBIRD, OpenStreetMap Contributors)

熊本地震前の益城町のオープンストリートマップ。情報が少なく何がどこにあるのか把握できない(画像提供/DRONEBIRD, OpenStreetMap Contributors)

熊本地震時航空写真のトレース作業によって建物情報を取り込んで更新された益城町のオープンストリートマップ。この地図に倒壊した建物や崩落した橋、土砂災害で流された鉄道線路などの被害状況を反映させ、最新のストリートマップとして公開する一連の作業が「クライシスマッピング」と呼ばれる(画像提供/DRONEBIRD, OpenStreetMap Contributors)

熊本地震時航空写真のトレース作業によって建物情報を取り込んで更新された益城町のオープンストリートマップ。この地図に倒壊した建物や崩落した橋、土砂災害で流された鉄道線路などの被害状況を反映させ、最新のストリートマップとして公開する一連の作業が「クライシスマッピング」と呼ばれる(画像提供/DRONEBIRD, OpenStreetMap Contributors)

同時期に立ち上げた「DRONEBIRD」は、G空間情報とドローンで空撮した情報を重ね合わせ、どこで災害が起きても発生から2時間以内に現地状況を地図へ反映する体制を整えるプロジェクトです。津波による浸水や、放射能で汚染された場所でもドローンなら飛ばせます。地図を作成する「マッパー」を募り、ドローンの撮影部隊を育成しています。

2019年台風による相模原市緑区の土砂災害をドローンで撮影(画像提供/DRONEBIRD,CC BY 4.0)

2019年台風による相模原市緑区の土砂災害をドローンで撮影(画像提供/DRONEBIRD,CC BY 4.0)

「DRONEBIRD」と災害協定を締結する自治体が増えている。ドローンを抱える伊勢原市市長と古橋さん(画像提供/DRONEBIRD,CC BY 4.0)

「DRONEBIRD」と災害協定を締結する自治体が増えている。ドローンを抱える伊勢原市市長と古橋さん(画像提供/DRONEBIRD,CC BY 4.0)

「DRONEBIRD」の「クライシスマッピング訓練」の様子(画像提供/DRONEBIRD,CC BY 4.0)

「DRONEBIRD」の「クライシスマッピング訓練」の様子(画像提供/DRONEBIRD,CC BY 4.0)

「我々の活動におけるG空間情報センターのメリットはふたつ。大学の研究者や業界関係者の協議会があり、信頼できる組織であること。日本語ベースで情報が公開されていることですね。新しいツールの多くは、英語ベースですから。専門的なツールを使い慣れていない国内の人に向けて、地図データを利用可能な形で提供しているG空間情報センターの存在は大きいと思っています」(古橋さん)

地図データの一般公開により、認知や活用が進むG空間情報。「イチBizアワード」の授賞式は、G空間情報で新しいサービスを開発しようという熱気に溢れ、G空間情報が今とてもアツイ分野だと実感しました。今後、身近で、「地図でこんなことができるようになったの!?」と驚くことが増えるかもしれません。

●取材協力
・G空間EXPO
・株式会社角川アスキー総合研究所
・株式会社天地人
・NPO法人「クライシスマッパーズ・ジャパン」

お隣さんの枝が自分の敷地に伸びてきた、切ってもいい? 4月から民法改正で空き家問題に影響も

お隣さんとはうまくやっていきたいもの。お隣さんの樹木などが自分の敷地に入り込み、通行の邪魔になったり美観を損ねたりした場合には、何とかしてほしいと伝えたい。とはいえ、世の中いろいろな考え方のひとがいる。無用なトラブルをさけるためには、ルールが必要になる。民法にも隣家との関係を調整する規定がある。「相隣関係(そうりんかんけい)」と呼ばれるものだ。この相隣関係の規定の一部が改正され、2023年4月より施行となる。(1)隣地使用権、(2)竹木の枝の切除・根の切取り、(3)ライフライン設備の設置・使用権、の3つだ。今回はそのうちの(2)竹木の枝の切除・根の切取りについて解説する。

隣地から侵入する竹木の根は自分で切れるが、枝は切ってもらうのが原則

「隣地の木の枝が越境している時は木の所有者に切ってもらう。一方、根が越境している時は自分で切ってしまってOK」。これはわりと有名ルールなので、聞いたことがあるかもしれない。枝と根で扱いが違うのだ。なんで?と思う人もいるだろう。

枝や根も含めて竹木(樹木)といえども財産だ。所有者以外は勝手に切除できない。これが原則だ。「他人の土地に越境している方が悪いんだろう!切っちゃえ」というのはダメなのだ(自力救済の禁止、といいます)。明らかに向こうが悪いと思うような違反行為があった場合にもその竹木の所有者に対応してもらうことになる。

つまり、枝に関するルール=他人のものなのだから勝手には切除できない、というのが法律的には普通の発想なのだ。では、なぜ根は隣地所有者が切ることができるのか。民法の解説書などを読むと次のような説明がある。

①枝切りは、竹木の所有者が敷地内で切除できるが、根は伸びている隣地に入って作業する必要がある(隣地所有者に切ってもらった方が、作業が容易)。
②枝は、果実などがついている場合など、財産的価値があることもある。一方、根には価値がない。

うーーん、根菜などは根にも価値があるのでは、という気もするが……。それはともかく、「枝は切れない。根は自分で切れる」が原則なのだ。この点は2023年4月以降も変わりはない。

隣地の所有者がわからない、というのも珍しいことではない

ところがこのルールには一つ問題がある。越境している木の枝を隣地所有者に切ってもらうおうとしても、空き地など隣地の所有者がわからない、連絡が取れないという場合だ。そんな時はどうすればよいのか?

実は日本には「所有者不明の土地」が少なくない。有識者で構成される「所有者不明土地問題研究会」の報告によれば2016年時点の調査で所有者不明率は20.3%。この割合を全国に適用すると約410万ヘクタールの土地が所有者不明、ということになる。…と言われてもぴんとこないが、なんと九州本島より広いのだそうだ。土地の所有者が不明、ということは決して珍しいことではないのだ。

隣から枝が越境していて美観を損ねたり、庭の利用の邪魔になっている。しかも所有者が不明。となると…。まぁ、普通は勝手に枝を切っちゃいますよね。でもさきほど説明したように、法律上は勝手に切ることは許されない。私もいちおう大学の教員なんで、「勝手に切っちゃいましょう」などと無責任なことはいわずに法律の解説を続けることにする。

所有者不明の場合にはどうすれば?

話を戻す。土地の所有者が不明と聞いて、登記を見ればわかるのでは?と思ったかもしれない。しかし、相続が発生した際に登記がされない、ということも珍しくはない。相続登記が義務ではないことがその理由だ。登記はお金もかかるし、面倒なのでつい放っておかれてしまう。実は、この点も法改正され、来年、令和6年4月より相続に伴う登記が義務化される。とはいえ、現状すでに、登記上の所有者が死亡している、連絡先が不明などということも少なくない。土地の所有者を探すのがなかなか大変ということになる。

また、所有者が分かっていても、枝を切ってくれない、ということもあるだろう。高い木の枝などは業者に依頼しなければ切るのも難しく、お金もかかるだろう。枝は所有者に切ってもらえ、と言われても所有者がわからない、わかっても切ってくれない、では困ってしまう。

「こんな状況なら、自分で切ってしまっても相手も文句は言わないでしょう」と思うかもしれないが、個人間のケースばかりではない。例えば、所有者不明の土地から道路に伸びた枝や葉が信号を見えにくくしている、公園の美観をそこねている、というケースもある。道路や公園を管理する市町村としては、勝手に切断するという違法行為を犯すわけにはいかないのだ。

登記申請書イメージ

(写真/PIXTA)

枝を自分でも切ってもよい場合とは

そこで今回の法改正だ(やっと本題に入る。前置きが長いのが大学教員の悪い癖)。以下3つのいずれかに該当する場合は、越境した枝を切ることが法律上も可能になった。

①枝を切ってくれ、と催告したのにいつまでも切除されない。
②竹木の所有者が不明。または所有者はわかっているが連絡先が不明
③急迫の事情があるとき

①。まずは、竹木の所有者(通常は土地の所有者か使用者だろう)に枝を切ってくれ、と催告する。それでも「相当の期間」切除されないのならば、越境された側が枝を切ってもかまわない、と改正された。なるほど。でも「相当の期間」って…。いったいどのくらい我慢すればよいのだろう??

2週間が目安!?

これは「個別の事情を踏まえて判断」される。要はケースバイケースなのだ。ここらあたりが法律の頼りになるような、ならないような点と思うかもしれない。竹木の位置や大きさや枝の越境状況、土地の利用状況、竹木自体の財産的価値など様々な事情があるだろうから、一概には線を引けないのだ。

とはいえ、目安となるものがないわけではない。法案を審議した参議院法務委員会では、「竹木の所有者に枝を切除するために必要な時間的な余裕、時間的な猶予を与えるという趣旨からすれば、基本的には二週間程度は要することになるのではないか」という説明が政府参考人からあった(「第204回国会 参議院 法務委員会 第9号 令和3年4月20日」と検索すれば誰でも議事録を読むことができます)。「相当の期間」を判断する材料のひとつになるかもしれない(2週間経過すれば勝手に切ってよい、ということではないですよ。念のため)。

所有者を探さなければならない!?

また、②にあるように所有者が不明ならば、自分で枝を切ってしまってもかまわない。放っておくと伸び続けてしまうから、これはありがたいルールだ。とはいえあくまで「所有者が不明」「所有者がわかっても連絡が取れない」という場合の話だ。所有者を探す努力をしなければダメなのだ。

空き地や空き家など住んでいる人がいない場合では「所有者を探すのが面倒だな」と思うかもしれない。登記で所有者を調べるにもお金がかかる。登記に記載された土地の所有者が死亡している、住所が変わっている、ということもありうる。そのため根の場合と同様、自分で切れる、という案も検討されたようだが、それは採用されなかった。竹木所有者の権利を守るためだ。

③は差し迫った危険があるときだ。時間的余裕がないのであれば、枝を切って構わない。具体的には、「地震により破損した建物の修繕工事用の足場を組むために、隣地から越境した枝を切る」といった場合などを想定している。

費用は誰が負担するのか費用のイメージ

(写真/PIXTA)

竹木の枝や根の切り取りに専門業者に依頼しなければならない場合、当然、タダではない。この費用は誰が負担するのか。

枝や根の越境は、不法行為(他人の権利を侵害する行為)に該当し、損害賠償請求権が発生するから、竹木の所有者が負担することが筋だろう。法改正について議論した衆議院法務委員会でも政府参考人からそのような回答があった。しかし、費用負担については改正法でも明文化されていない。事案ごとに協議や調整を行う、ということになっている。
(このあたりの議論も国会の議事録を読むことができる。興味のある方は「第204回国会 衆議院 法務委員会 第6号 令和3年3月23日」で検索を)。

空き家となった実家は大丈夫?

今回の法改正によって、個人の宅地だけでなく、道路や公園など公共用地に、隣接地の竹木が越境してきた場合、新しいルールに基づいて枝を切り取ることが可能となった。

とはいえ、それは隣地所有者が切除しなかった場合の話だ。そもそもは、空き家となった実家などで近隣に迷惑をかけるようなことのないよう、所有者が管理すべきものなのだ。今は利用する予定がないから、といって放っておく、隣地に枝が伸びている、枯れ葉もたくさん落ちている、という事態も珍しくない。土地の所有者である以上、責任をもって管理しなければならない。さらに言えばお隣さんと良好な人間関係を築いておくことも大切だろう。円満な人間関係があれば、法律など持ち出す必要はないのだから。

若者も高齢者も”ごちゃまぜ”! 孤立ふせぐシェアハウスや居酒屋などへの空き家活用 訪問型生活支援「えんがお」栃木県大田原市

栃木県大田原市で高齢者向けの「訪問型生活支援事業」を行っている一般社団法人えんがお。近隣の高齢者のたまり場としてつくった地域サロン「コミュニティハウスみんなの家」には、年間延べ1500人の高齢者と2500人の若者が訪れます。活動を始めて6年。若者向けシェアハウス、地域居酒屋、障がい者向けグループホームもできました。えんがお代表理事の濱野将行さんに多世代が日常的に交流する「ごちゃまぜのまち」をつくった理由と地域に与えた影響について伺いました。

えんがおの主な活動は、「訪問型生活支援事業」。高齢者の自宅を訪ね、困りごとをお手伝いする(画像提供/えんがお)

えんがおの主な活動は、「訪問型生活支援事業」。高齢者の自宅を訪ね、困りごとをお手伝いする(画像提供/えんがお)

空き家を活用し、地域サロン、シェアハウス、地域居酒屋、グループホームなどを徒歩2分圏内に運営(画像提供/えんがお)

空き家を活用し、地域サロン、シェアハウス、地域居酒屋、グループホームなどを徒歩2分圏内に運営(画像提供/えんがお)

「話し相手になって」という言葉から始まった高齢者の生活支援

「1週間に1回、電話でいいから話し相手になってほしい」

濱野さんが衝撃を受け、えんがおを設立するきっかけになった、あるおばあちゃんの言葉です。

学生時代から社会貢献活動に携わってきた濱野さん。しかし、東日本大震災の支援活動に参加した際、苦しむ人を前にして「何もできなかった」と無力感を抱えたそうです。それから、「社会課題と向き合える大人になること」が、夢になりました。

卒業後、作業療法士をしながら社会貢献活動を続けていましたが、そのなかで、地域の高齢者の孤立の問題を知りました。

「大きな家でひとりぼっち、体を思うように動かせず、誰にも会いに行けず、会いに来てくれる人もいない。同居している家族がいても日中の多くをひとりで過ごし、夜遅く帰ってきた家族との会話もほとんどない。それでも、体がある程度動かせたり、同居家族がいる人は、独居高齢者向けの制度は使えないんです。寝っ転がって天井を見て何日も過ごしている高齢者の姿がありました」(濱野さん)

「今すぐ誰かがやらないと」という思いで、えんがおを立ち上げたのは、25歳のとき。困っている人にダイレクトにすぐに対応できる「訪問型生活支援事業」を始めました。

内容は、買い物代行やゴミ捨て、大掃除などを手伝う高齢者向け便利屋サービス。「生活のお手伝いをする」という手段を用いて、人とのつながりが希薄な高齢者の生活に「つながり」と「会話」をつくるのが目的です。

「自立支援は、やってあげるではなく、ちょっと助けること」と濱野さん。作業の合間に会話が生まれる(画像提供/えんがお)

「自立支援は、やってあげるではなく、ちょっと助けること」と濱野さん。作業の合間に会話が生まれる(画像提供/えんがお)

「やることないから寝てた」と話すおばあちゃんが、会話で笑顔になる(画像提供/えんがお)

「やることないから寝てた」と話すおばあちゃんが、会話で笑顔になる(画像提供/えんがお)

高齢者を地域のプレーヤーに変える

えんがおの特徴は、高齢者宅を訪れる際、学生や若者を一緒に連れて行くこと。「訪問型生活支援事業」で、若者と訪問するのは、えんがおオリジナルの取り組みです。

宇都宮から「訪問型生活支援事業」の見学に来た大学生。遠方からも見学希望がある(画像提供/えんがお)

宇都宮から「訪問型生活支援事業」の見学に来た大学生。遠方からも見学希望がある(画像提供/えんがお)

中学生と高校生のおふざけに笑いが止まらないおばあちゃんたち(画像提供/えんがお)

中学生と高校生のおふざけに笑いが止まらないおばあちゃんたち(画像提供/えんがお)

支援の内容は、窓ふきや草むしり、障子の張り替えなどさまざま(画像提供/えんがお)

支援の内容は、窓ふきや草むしり、障子の張り替えなどさまざま(画像提供/えんがお)

なぜ若者に関わってもらおうと考えたのでしょうか。

「当時発表されていた調査(*)では、日本の若者(満13歳から満29歳まで)で、『将来に対する希望がある』と答えた人の割合は、先進7カ国のなかで最も低い割合でした。2020年は、中高生の自殺者数が過去最多になってしまいました。こういった社会の現状と高齢者の孤立の問題は無関係ではないと思います。一生懸命生きて来た高齢者が孤立したまま生涯を終える社会では、若者が未来に希望なんて抱けるはずがないと感じました」

*「我が国と諸外国の若者の意識に対する調査」(2013年内閣府)

えんがおの常勤スタッフは濱野さんを入れて3名ですが、運営に積極的に関わってくれる学生の「えんがおサポーター」が20名、個人会員や地域の人が100名以上います。

えんがおの講演会や発表会を見て、活動に参加したい! と言ってくれる大学生や高校生も多いという(画像提供/えんがお)

えんがおの講演会や発表会を見て、活動に参加したい! と言ってくれる大学生や高校生も多いという(画像提供/えんがお)

濱野さんと、えんがおの立ち上げから一緒に活動してきた門間大輝さん(写真左)(画像提供/えんがお)

濱野さんと、えんがおの立ち上げから一緒に活動してきた門間大輝さん(写真左)(画像提供/えんがお)

「作業の傍ら学生が話を聞いたり、時にはおばあちゃんに相談したりすることで、高齢者の強みや昔やっていた仕事や趣味が分かります。お掃除が得意。料理が上手。そういう部分を活かして『役割』をつくり、おじいちゃん、おばあちゃんを地域のプレーヤーに変えていきます。例えば、もともと掃除のプロだったおばあちゃんには、学生に掃除を教える指導役になってもらいました。若者も『人の役に立っている』という肯定感を得ることができます」(濱野さん)

2018年にできた地域サロン「コミュニティハウスみんなの家」は、若者と高齢者が交流できる場所です。「高齢者の日中の居場所をつくりたい」えんがおと、「若者の居場所をつくりたい」商工会議所が協働し、20年使われていなかった空き家を、学生たちとDIYでリノベ―ションしました。もともと酒屋だった建物で、通りに面して窓があり、中に人がいることが見える造りです。

2018年からボランティアを募り、集まったメンバーとDIYでつくりあげていった(画像提供/えんがお)

2018年からボランティアを募り、集まったメンバーとDIYでつくりあげていった(画像提供/えんがお)

「年間延べ4000人の訪問者のうち、2500人が地元の高校生や大学生です。2階に学習スペースがあり、勉強に来た学生は、1階のお茶飲みスペースで、おばあちゃんに受付をしてもらい、2階で勉強して、昼休みにはお茶飲みスペースに。一角には、子ども向けの絵本図書館や不登校の学生のプレイスペースがあります。おじいちゃんがお団子をくれたり、おばあちゃんがお茶を入れてくれたり。近くにいることで、自然と、日常的な世代間交流ができたらいいなと思っています」(濱野さん)

地元の人との食事会。学生、大人、おじいちゃんおばあちゃん、障がいのある人が「ごちゃまぜ」で関わり合う(画像提供/えんがお)

地元の人との食事会。学生、大人、おじいちゃんおばあちゃん、障がいのある人が「ごちゃまぜ」で関わり合う(画像提供/えんがお)

2階にある学生向けの勉強スペースは、地元の中高生の常連さんでいっぱい(画像提供/えんがお)

2階にある学生向けの勉強スペースは、地元の中高生の常連さんでいっぱい(画像提供/えんがお)

休み時間、ストーブでお餅を焼いてもらって大はしゃぎする学生たち。「餅を焼くだけでこんなに喜ばれるなんて」とおばあちゃんもにっこり(画像提供/えんがお)

休み時間、ストーブでお餅を焼いてもらって大はしゃぎする学生たち。「餅を焼くだけでこんなに喜ばれるなんて」とおばあちゃんもにっこり(画像提供/えんがお)

地域サロンには、えんがおの事務所もある。大掃除で、おばあちゃんに新聞の縛り方を教わる学生(画像提供/えんがお)

地域サロンには、えんがおの事務所もある。大掃除で、おばあちゃんに新聞の縛り方を教わる学生(画像提供/えんがお)

徒歩2分圏内に地域居酒屋や無料宿泊所、シェアハウスを運営

地域サロンのほかに、「毎日ひとりでごはんを食べている高齢者と週1回ごはんを食べよう」と、地域居酒屋も始めました。建物内に、シェアキッチンやレンタルオフィスもあり、シェアキッチンは月3、4人の利用者がいて、2階のレンタルオフィスは2企業が利用しています。

週2回は地域食堂「てのかご」、毎週土曜日は「たこ焼き居酒屋ちーちゃん」がオープンする(画像提供/えんがお)

週2回は地域食堂「てのかご」、毎週土曜日は「たこ焼き居酒屋ちーちゃん」がオープンする(画像提供/えんがお)

えんがおの活動を知り、全国から見学にやってくる学生や若者は、年々増えています。支援活動に参加した学生は1000人を超え、2019年には、遠方から来る学生向けの無料宿泊所「えんがおハウス」が、2020年には、えんがおサポーターが交流できるシェアハウス「えんがお荘」ができました。

次第に、学生と高齢者を中心に時々子どもがいたり、社会人がいたり、楽しいコミュニティーができていきました。「ごちゃまぜ」にいろいろな世代や立場の人がいることで、お互いにできないことは助け合い、得意なことで支え合うことにつながっています。

ハロウィンイベントで子どもとゲームをして遊ぶおばあちゃん(画像提供/えんがお)

ハロウィンイベントで子どもとゲームをして遊ぶおばあちゃん(画像提供/えんがお)

忘年会では、3歳の子どもから90歳のお年寄り、支援者、学生が入り混じって盛り上がった(画像提供/えんがお)

忘年会では、3歳の子どもから90歳のお年寄り、支援者、学生が入り混じって盛り上がった(画像提供/えんがお)

濱野さんは、これからのまちづくりのキーワードを「混ぜる」と「シェアする」だと言います。

「見学や体験に来る学生には、『自分に自信が持てない』『なにか変わりたい』と考えている人が多いんです。その人の強みを探して、具体的な言葉で伝えるようにしています。最近では、カメラが趣味の学生が来てくれました。写真がテクニック的に上手というだけではなくて、誰かがいい笑顔をしていると走って行って写真を撮っていたんです。全体が見えているし、人もよく見ている。後輩にも適格なことをズバリと指摘できていました。その学生には、ホームページ用の写真を撮ってもらったり、年下の子をサポートしてもらっています。自信がなかった人も、誰かの役に立つことで、少しずつ自分が好きになれるんです」(濱野さん)

毎日来てくれるおばあちゃんの誕生日。「ここがあるからいいの。ここができるまでは苦しかった」という言葉をかけてもらった(画像提供/えんがお)

毎日来てくれるおばあちゃんの誕生日。「ここがあるからいいの。ここができるまでは苦しかった」という言葉をかけてもらった(画像提供/えんがお)

学生たちが参加する「えんがおゼミ」の月例会。社会課題についてどう向き合うか議論。ここから街中にベンチを置くプロジェクトも生まれた(画像提供/えんがお)

学生たちが参加する「えんがおゼミ」の月例会。社会課題についてどう向き合うか議論。ここから街中にベンチを置くプロジェクトも生まれた(画像提供/えんがお)

濱野さんの原点となった福島の復興支援も引き続き行っている(画像提供/えんがお)

濱野さんの原点となった福島の復興支援も引き続き行っている(画像提供/えんがお)

高齢者や若者だけでなく、障がい者も地域と交流できる場所へ

活動をしながら濱野さんは、世代だけではなく、障がいの有無に関わらず過ごせる空間を目指すようになります。「地域に足りていないものは何か」「障がいのある方と関われる入口になるものは?」……そうやって探った結果、障がい者向けグループホームにたどり着きました。

障がい者向けグループホームとは、障がいを抱える人、数人が共同生活しながら、生活するための能力を学んでいく場所です。

制限が多く自由に外出できなかったり、地域とほとんど交流できていない施設が多いと感じた濱野さんは、「えんがおの近くにつくれば、地域の皆で見守って、比較的自由な施設ができるかもしれない」と考えました。

2021年にオープンした障がい者向けグループホーム「ひととなり」は、比較的自立度の高い精神・知的障がいがある人向けの施設です。

「地域居酒屋、シェアハウス、無料宿泊所、グループホームは、地域サロンから徒歩2分圏内です。グループホームの利用者さんが地域サロンでお茶飲みをして、そこにいるおじいちゃん、おばあちゃん、学生と仲良くなったり、遊びに来た子連れのパパさんが一息ついている間、子どもたちがおばあちゃんと遊ぶ。子どもから高齢者まで、障がいの有無にかかわらず、誰も分断されず、いろいろな人が日常的に関わり合う。全員参加型の『ごちゃまぜ』のまちです」(濱野さん)

おばあちゃんたちとお茶を飲むグループホームの利用者さん。買い物に行くおばあちゃんに「気を付けて行ってください」と声をかける(画像提供/えんがお)

おばあちゃんたちとお茶を飲むグループホームの利用者さん。買い物に行くおばあちゃんに「気を付けて行ってください」と声をかける(画像提供/えんがお)

地域サロンができて4年。「ごちゃまぜのまち」は、さまざまな人を巻き込みなから大きくなっている(画像提供/えんがお)

地域サロンができて4年。「ごちゃまぜのまち」は、さまざまな人を巻き込みなから大きくなっている(画像提供/えんがお)

ビジネスとしての成立させることで、継続できる

えんがおは、2022年の5月で立ち上げから5年が経ち、経営的には6期目に入りました。5期目の1年間の事業規模は、3000万円。6期目の予想規模は、4600万円で順調に伸びています。収入割合は、事業収益が約7割、寄付会費や助成金が合わせて約3割です。

「すべての事業の収支はトントンか黒字。障がい者向けグループホームは、ニーズが多く、その後2棟目もオープンしました。訪問型生活支援事業は、30分500円~3000円と料金は高めですが、リピート率は90%以上です。もちろん特例として無料で行うことはあっても、ちゃんと値段設定をしないと活動を継続できません。それに、『無料だと悪くて次から頼みにくい』という声もあるんです。目の前のニーズを拾って、自分たちのやれることをする積み重ねでやっとここまで来ました。経営的に成り立つサービスでないと広がっていかないのでがんばっています」(濱野さん)

えんがおで公開しているやり方や収益などを参考に、北海道や長野、広島などで、生活支援や多世代交流サロンを始めた人もいるそうです。

設立から6年、今までいちばん苦労したことをたずねると、「思いつかないなあ」と笑う濱野さん。

「大変なことも全部意味があると思うので……。いろいろな人がごちゃまぜに関わると、さまざまな問題が出てきますが、世代や立場など属性が違うからこそ、それぞれの強みが発揮されます。コロナ禍の葛藤からは、電話での健康確認サービスや若者と高齢者が文通するサービスが生まれました。工夫していくのが楽しいんです」(濱野さん)

現在、えんがおでは、障がいのある身寄りのない人のアパートが借りられない問題について、地域の不動産会社と連携して活動しています。今後は、小規模の託児施設やフリースクールなども始める予定です。

高齢者と若者、障がい者などさまざまな立場の人が多世代交流することで、生まれる自己肯定感。『ごちゃまぜのまち』への入り口をたくさんつくることが、濱野さんの今の夢です。えんがおの挑戦は、高齢者の孤立化問題を抱える地域へひとつの答えを示してくれています。

●取材協力
一般社団法人えんがお

駅遠&崩壊寸前の空き家6棟を兄妹3人の力で「セレクト横丁」にリノベ! 地元のいいものそろえ、絆も再生 「Rocco」埼玉県宮代町

地方都市や都市郊外で、古い平屋の一戸建てが並んでいるのを見かけたことはありませんか。築年数が経過しているうえに空き家だったりすると、なんとなく不気味な存在、なんて感じたことがある人もいるかもしれません。ところが、その建物の特性を見事に活かしてリノベーションし、地元ならではの「セレクト横丁」にした家族がいます。埼玉県宮代町に「ROCCO」を誕生させた、長年続く建設会社とその家族、出店した地元のみなさんに取材しました。

きっかけは父の病。建築、設計、デザインに携わる3人の子どもたちが地元に集う

高度経済成長期、日本のあちらこちらで、大量に木造賃貸住宅が建設されました。築50年、60年となった建物たちは、今のライフスタイルに合わずに借り手がつかず、放置され空き家となっていることも少なくありません。このまま放置が続けば、倒壊や害虫・害獣の住処になる可能性が出てくるなど、地域にとってはリスクにもなってしまうことも。そんな、日本のあちらこちらにある建物を、地域ならではの“セレクト”横丁として再生させたのが、埼玉県宮代町の「ROCCO」です。

今回取材した「Rocco」のリノベーション前の姿(左)。1970年の2Kの平屋は、全国各地で多数建築されました(写真提供/ROCCO)

今回取材した「Rocco」のリノベーション前の姿(左)。1970年の2Kの平屋は、全国各地で多数建築されました(写真提供/ROCCO)

平屋を“セレクト横丁”として生まれ変わらせた「ROCCO」。「なんということでしょう!」という声が聞こえてきそう。衝撃のビフォアアフターです(写真撮影/栗原論)

平屋を“セレクト横丁”として生まれ変わらせた「ROCCO」。「なんということでしょう!」という声が聞こえてきそう。衝撃のビフォアアフターです(写真撮影/栗原論)

リノベーションを手掛けたのは、埼玉県宮代町にある建設会社、中村建設の中村家の3きょうだいです。長男が会社を継ぎ、次男は都内で設計事務所を共同設立、長女はグラフィックデザイナーとしてそれぞれ活躍しています。

中村建設の中村家の3きょうだい。建設と建築、デザイン。それぞれの道に進みました(写真提供/ROCCO)

中村建設の中村家の3きょうだい。建設と建築、デザイン。それぞれの道に進みました(写真提供/ROCCO)

「はじまりは、ほんとに雑談だった」と振り返るのは、次男で一級建築士でもある中村和基さん。「飲みながら、あそこにお店があったらいいのに、って話したのがはじまりだったんです」と話すのは、末っ子の妹の中村幸絵さん。長男は父から会社を継ぎ、宮代町で暮らしていましたが、当時、2人は都内で暮らしていました。(次男は現在宮代町在住)

会話もきょうだいならではの気軽さ。大人になってからも仲の良い家族っていいですよね(写真撮影/栗原論)

会話もきょうだいならではの気軽さ。大人になってからも仲の良い家族っていいですよね(写真撮影/栗原論)

「父は地域に代々続く建設会社を営んでいました。今は長男が経営を継いでいます。2019年、その父が大病を患っていることがわかり、家族が交代で看病や介護をして支えようと、久しぶりに地元の宮代町に帰ってきたんですね。スーパーに買い物に来たら、平屋の空き家が並んでいるのが目について。『あの空き家、コピペ(コピー&ペースト)したみたいで(同じデザインの外観が並んでいる様子が)かわいいよね』『地元で気軽に寄れる場所やちょっとお酒を飲める場所がほしい、あそこは手を加えたらちょうどいいのでは?』と話していたんです」と幸絵さん。ちょうどコロナが流行りはじめ、リモートワークができるようになり、たびたびこの建物の話題があがっていたといいます。

周辺にはスーパーやドラッグストアがあるが、空き家だったころは周囲も暗い雰囲気だったそう。平屋は放置された状態が続いていた(写真撮影/栗原論)

周辺にはスーパーやドラッグストアがあるが、空き家だったころは周囲も暗い雰囲気だったそう。平屋は放置された状態が続いていた(写真撮影/栗原論)

「そんなある日、突然、長男が『あの建物の所有者と話してきた』と言うんです。実は、もともと建物の建築を請け負ったのが祖父の代だったということがわかり、売却してもいいよと言ってくださったんです。(書類を取り出して)これが建築当時の昭和45年の書類です。築52年、1戸当たり10坪の2K。戦後によくある建物だったんですね」と和基さん。

空き家問題でよく聞くのが、「大家さんは家賃収入があってもなくても生活には困らないので、知らない人には売ったり貸したりしたくない」という意向です。そのため、宙ぶらりんになってしまうことも多いのですが、このROCCOの場合、大家さんが地元企業の先代、先々代からの付き合いがあるということもあり、建物と土地を快く売却してもらえたそう。

契約書を見せてもらいながら、お話を聞かせてくれるお二人(写真撮影/栗原論)

契約書を見せてもらいながら、お話を聞かせてくれるお二人(写真撮影/栗原論)

春日部市、杉戸町、宮代町、地域に眠っている才能を掘り起こす

そうして土地と建物を売却してもらったものの、長年、空き家になっていたためか、建物はボロボロ。特にお風呂やトイレの状態は悪く、耐震性や断熱性など、現在の建築基準を満たすものではなかったといいます。

空き家になっていたためか、建物のあちこちが傷んでいたそう(写真提供/ROCCO)

空き家になっていたためか、建物のあちこちが傷んでいたそう(写真提供/ROCCO)

「かけられる費用のバランスをみながら、大規模リノベをしました。私が建築図面を引いて、妹がサイン等のデザインをして、現場の職人さんたちが作るというような流れで、距離感が近くて、判断が早いんですね。そのあたりのスピード感が内部でできる強みだと感じた」と和基さん。

とにかくこだわったのは、外観。清潔感があり、どんな業種の店舗が出店してもらっても馴染むだろうということから、白を基調にしました。
「完成してから気がついたんですが、白と青空ってすごく『映える』んですね。宮代町の大きな空とあっていて、みなさん写真を撮っていかれます」(幸絵さん)

建物は白を基調に。木材をふんだんに使い、やさしい印象に仕上げています(写真撮影/栗原論)

建物は白を基調に。木材をふんだんに使い、やさしい印象に仕上げています(写真撮影/栗原論)

「建物のリノベーション、契約などと同時進行で、出店してもらうテナント探しをはじめました」と和基さん。注力したのは、テナントもできるだけ「地元の人」「地元のモノ」「長く続けてもらう」ということ。

「東京で仕事をしてきて、家族の病気やコロナもあって、宮代町で過ごすようになって、その良さがわかった点は大きいですね。仕事柄、東京の飲食店ともつながりがあり、お願いすれば出店してもらうことは可能なんでしょうが、知名度・ブランド力のある店舗に出店してもらうのではなくて、地元でがんばっている人で作る、地元に愛される場所にしたかったんです」といいます。

そのため、隣の杉戸町の「わたしたちの3万円ビジネス」を手掛けるchoinacaさんに出向き、起業を希望する人たちがいるのか、どうすれば盛り上がる場作りができるかを相談したそうです。

「地域で起業したいと考えている人、場所があれば自分のお店にしたいと思っている人は、意外と多いんですね。このROCCOが、そんな人達の受け皿になったらいいなと思っています。地元の人がお店やっているとなれば応援したくなるし、地元だからこそ、何度も行きたくなる、そんな場所を目指したんです」(幸絵さん)

宮代町近郊で頑張っている人を探していたころ、隣の春日部市出身で、日本のバリスタコンテストで2冠を果たし、世界大会で準優勝という畠山大輝さん、地元で名物になっているおかきをつくる牧野邦彦さんなどと出会いました。人と人って、こうやってつながっていくんですね。

「宮代もち処 Jファーム」。もともとは米づくりを行っていた社長が手掛け、あげもちやおこわ、餅などを販売(写真撮影/栗原論)

「宮代もち処 Jファーム」。もともとは米づくりを行っていた社長が手掛け、あげもちやおこわ、餅などを販売(写真撮影/栗原論)

名産品として人気の宮代あげもち(写真撮影/栗原論)

名産品として人気の宮代あげもち(写真撮影/栗原論)

週末限定で餅を販売しているが、なんと1000個以上つくっても完売するのだとか(写真撮影/栗原論)

週末限定で餅を販売しているが、なんと1000個以上つくっても完売するのだとか(写真撮影/栗原論)

施工は長年付き合いのある職人。つながりと活気が戻ってくる

ROCCOは全6棟ありますが、コーヒーを扱う「Bespoke Coffee Roasters」、ギリシャヨーグルトとお茶を扱う「M YOGURT」、「宮代もち処 J ファーム」、サカヤ×ビストロ「FusaFusa」、「シェアキッチン棟」など、魅力的な店舗が並んでいます。どれもこれも、きょうだいで力をあわせて見つけてきた、よりすぐりの、熱意があるこだわりのお店ばかりです。

ちなみに、ギリシャヨーグルト専門店「M YOGURT」を運営するのは、春日部市でお茶の販売などを行う、おづづみ園の尾堤智さん。
「母が宮代町の出身ということもあり、今回、ギリシャヨーグルトの店を出すことになりました。私自身が北海道で製法を学んだ、生乳と乳酸菌しか使っていないギリシャヨーグルトを販売しています。正直、高価なので、どこまで売れるか不安だったんですが、杞憂でしたね。宮代町の方に愛されて、製造が追いつかないくらいの人気です」と話します。

ヨーグルトのほかに、日本各地の美味しいものを販売。お茶やヨーグルト、美と健康のセレクトショップを目指すといいます(写真撮影/栗原論)

ヨーグルトのほかに、日本各地の美味しいものを販売。お茶やヨーグルト、美と健康のセレクトショップを目指すといいます(写真撮影/栗原論)

店内で手作りしているヨーグルト。試食するとその濃厚さにびっくりします(写真撮影/栗原論)

店内で手作りしているヨーグルト。試食するとその濃厚さにびっくりします(写真撮影/栗原論)

ギリシャヨーグルトは1つ550円。ほかにもデザートヨーグルト650円などと決して安価ではないが、「美味しい」と好調に売れているそう(写真撮影/栗原論)

ギリシャヨーグルトは1つ550円。ほかにもデザートヨーグルト650円などと決して安価ではないが、「美味しい」と好調に売れているそう(写真撮影/栗原論)

濃厚な味わいで、おやつにもお酒のお供にもよさそう(写真撮影/栗原論)

濃厚な味わいで、おやつにもお酒のお供にもよさそう(写真撮影/栗原論)

酒屋さんがはじめたビストロ「FusaFusa」。東欧のワインを中心に扱っています(写真撮影/栗原論)

酒屋さんがはじめたビストロ「FusaFusa」。東欧のワインを中心に扱っています(写真撮影/栗原論)

カウンター席のみの店内。これはお酒とおしゃべりがはずみそう(写真撮影/栗原論)

カウンター席のみの店内。これはお酒とおしゃべりがはずみそう(写真撮影/栗原論)

ランチメニューの岩中豚ロースのとんかつ。開店前から行列ができる日もある人気ぶりです(写真撮影/栗原論)

ランチメニューの岩中豚ロースのとんかつ。開店前から行列ができる日もある人気ぶりです(写真撮影/栗原論)

棟と棟の間には、宮代町にある日本工業大学の学生の作品をディスプレイ(写真撮影/栗原論)

棟と棟の間には、宮代町にある日本工業大学の学生の作品をディスプレイ(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟(左)とあずまや(右)。暗い雰囲気で、ひと気の少なかった場所が、地域に開かれ、人が集う場所に(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟(左)とあずまや(右)。暗い雰囲気で、ひと気の少なかった場所が、地域に開かれ、人が集う場所に(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟。期間限定ショップやイベント、誕生日会など、さまざまな用途に対応します(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟。期間限定ショップやイベント、誕生日会など、さまざまな用途に対応します(写真撮影/栗原論)

今回、建物の施工には、先代、先々代から付き合いのある職人さんたちが参加してくれました。外観はROCCOチームが決定し、内装に関しては店舗側の要望にあわせて1棟ずつフルオーダーメイドで作成。職人さんから見ても、幼いときから付き合いのある中村きょうだいが力をあわせた「地域の建物再生プロジェクト」に気合いも入っていたといいます。

「工事期間中、周辺の住民から『ここ何ができるの?』って聞かれたら、職人さんが手をとめて、ここにコーヒー、ここにおかきって、案内までしてくれていたんですよ。みんなの思い、つながりが再生されていく感じでしたね」(和基さん)

残念ながら、きっかけとなったお父さまはROCCOの竣工を見ることなく逝去されたそうですが、きょうだいで力をあわせたプロジェクトに目を細めているに違いありません。
「完成していたら、毎日、それぞれのお店の品を買って周囲に配って、毎日、ビストロで飲んでいたと思います。豪快な人だったから」と幸絵さん。

ともすれば、「負の遺産」になりそうだった建物を、きょうだいの力で再生し、地域のシンボル、新しい場所としていく。工事を手掛けた人も、店舗を運営する人も、訪れたお客さんも地元のよさを再発見する。再生したのは単なる建物だけではなく、地域の人たちのつながりなのかもしれません。

●取材協力
ROCCO

倉敷がいま若者に人気の理由。廃れない街並みの背景に地元建築家と名家・大原家の熱い郷土愛

江戸情緒あふれる町並みが魅力の観光地・岡山県倉敷。観光の中心地点となる美観地区を流れる倉敷川に沿って、江戸時代から残る木造の民家や蔵を改装したショップやカフェ、文化施設などが立ち並びます。空襲を免れたことで旧家が残り、観光資源として活用されている倉敷ですが、それだけではなく、印象派絵画のコレクションで知られる「大原美術館」や、工場跡をホテルにコンバージョンした「倉敷アイビースクエア」など、決して広くはないエリアに国内有数の観光施設が点在しています。
古い建物が残る地域は日本各地に見られる中で、倉敷にこれほど魅力的なスポットが集中する理由はどこにあるのでしょうか。
倉敷で生まれ育ち、すみずみまで知り尽くす建築家の楢村徹さんに、長年倉敷の古民家再生にかかわってきたからこそ見えてきたまちの魅力を伺いました。

倉敷の土台を築いた名士、大原家近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷はまちも人も恵まれた場所ですね。古いものが残っていて、常に新しいことを仕掛けていこうというエネルギーがある。一朝一夕ではない、時間をかけて育まれた文化が根付いています」
建築家として全国のまちを訪れてきた楢村さん。自身の出身地であることを差し引いても、倉敷は面白いまちだといいます。
伝統的な町並みの印象が強い倉敷のまちに対し「新しい」というワードも不思議な気がしましたが、確かに倉敷を代表する建造物は建設当時の最先端を行くものです。大原美術館に採用されているヨーロッパの古典建築を再現するデザインは、建築家の薬師寺主計がヨーロッパ各国の建築を学び設計したもの。文化の面でも欧米列強を追いかけていた当時の日本において、芸術の殿堂と古代ローマ建築をモチーフとするデザインとの組み合わせは、ここでしか見られないオリジナルなアイデアです。蔦で包まれた外壁が特徴のアイビースクエアも、産業遺産である工場をホテルに転用する、日本でも先駆け的なプロジェクトでした。

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

伝統を崩さず、新しさを採り入れる

さらに總一郎は、建築家の浦辺鎮太郎とともに市と連携して倉敷市民会館や倉敷市庁舎、倉敷公民館など市民の生活を支える施設を整備していきます。
大原美術館と並び倉敷観光の中心を成す倉敷アイビースクエアも、もともと倉敷紡績の工場だったものを浦辺の設計でコンバージョンして蘇らせた文化複合施設です。

「倉敷には江戸時代以来の商人のまちとしての歴史があって、時代ごとに築きあげてきたものが積み重なっていまの倉敷をつくっているんです。空襲にもあいませんでしたから。ドイツに中世につくられた道や建物がそのまま残っているローテンブルクというまちがあるんですが、總一郎さんが倉敷をドイツのローテンブルクのようなまちにしようと呼びかけた。そこからいろんな人たちが協力して古いまち並みを残してきた結果、一周遅れのトップランナーといった感じで注目されるようになってきた。いま我々がやっているのはそれを生かして新築ではできない魅力をさらに積み重ねていく、新しいエッセンスを加えて次の世代にわたしていくと、こういうことです」

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷は町家造りの建物が並んでいて、広場になるような場所がないんです。だけど建物の正面から一歩奥に入ると、細い路地がポケットパーク的に点在しています。日常的に使わないから物置として放置されていたりもするんですが、大きなテーマとして、そういった本来裏の空間である路地空間を表の空間として皆が入ってこられる場所にすることと、それらをつないでいくことでまちに奥行きをつくりだして歩いて散策できるまちにすること、このふたつに取り組んでいます」

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もともと私は古民家が好きとか、古い建物が好きとかそういうわけでもないんです。新しいデザインを追求した結果、古民家がもっている歴史の積み重ねに新しい要素を加えることを考えました。若いころに読んでいたヨーロッパの建築雑誌には、石造りの古い建物をリノベーションした建築が載っていて、これが非常にモダンで格好良いんです。そういうものを見て、自分もやってやろうというモチベーションでしたから、一番新しいデザインだと思ってやっています。長い年月を朽ちることなく耐え抜いてきた古民家に使われているのは、選びぬかれた本物の材料です。いまでは手にはいらないような貴重な材料でつくられているから、時間が経っても古びない、むしろ味わいが増していく魅力があると思います」

いいものをつくることが、保存への近道

楢村さんは建築家として独立した30年以上前に同世代の建築家たちと「古民家再生工房」を立ち上げ、全国の古民家を改修する活動を続けてきました。当時はバブル真っ只中。建築業界では次々に建て変わる建物の更新スピードと並走するように、目まぐるしくデザインの傾向が変わっていきました。そんななか、地道に古民家の改修を続ける楢村さんたちの活動はどのように受け止められたのでしょうか。

「建築の設計に携わっている専門家ほど、『お前らそんな仕事しかないのか』と見向きもしない傾向はありました。でも建物を建てるのは一般の人なんだから、専門家からどう言われようが自分たちが信じたことをやっていけば良いとは思っていました。
地元のメディアに働きかけてテレビやラジオ、雑誌に取り上げてもらったり、講演会や展覧会を自分たちでずっと継続してきて、一般の人たちに建築デザインの魅力や古民家再生の良さを知ってもらおうと活動してきました。
それまでは古民家というと保存する対象で、古い建物を東京の偉い先生が見に来てこれは残すべきだとか、大切に使ってほしいとかそういうことを言ってきたわけです。でも建物の持ち主からすれば、歴史的な価値がどうとか言われてもよくわからないですよね。
それを我々はアカデミックな見方ではなくて、現代の目で見て良いデザインに生まれ変わらせようという視点で設計してきたから受け入れられたんだと思います。若い人たちがここに住みたいと思うようなものにしてしまえば、保存してほしいなんて言わなくても使い続けてもらえるわけですからね」

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「そんなことを十年以上やっていたら、倉敷で中心市街地の活性化事業がスタートしたときに声をかけてもらって。もう十五年以上、倉敷の町家再生に携わっています。といっても単に建物を改修するだけではダメで、そこをどんな場所にするのか、お店をやるならどんな内容にするのかとか、どうしたらちゃんと事業として回っていくのかとか、中身のことも一緒に考えていくから設計の仕事は全体の3割位ですね。
なにかお店を入れようと思ったら周りとの調整も必要だし、1つの建物を生まれ変わらせるのに4、5年かかるのが普通です。その間はお金にもならないし、思うようにいかないことばかりで大変ですが、誰かがやらなくちゃいけないことですから。本当はなにも描いていないまっさらな白紙に、倉敷がこんなまちになったら良いななんてイメージを描いていくのが一番楽しいんですが、実現しないとなんの意味もない。思い描いたうちの8割でも7割でも、かたちにして次につないでいくことが、我々がいますべきことだと思っています」

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「理想は観光客に対してではなく、倉敷に住む人にとって良いまちにしていくこと、その結果、外の人が来ても楽しめるまちになるといいなと思ってやってきました。最近は若い人たちが倉敷のまちづくりに関わるようになってきています。私の事務所から独立して町家の改修をやっている人もいるし、頑張って新築をつくっている人も。
そうやって若い人たちが集まってきて、やりたいことを実現できる土壌があって、それがちゃんと経済的にも成り立つだけのポテンシャルがある。これまで倉敷が積み重ねてきた文化の地層に、新しい要素を付け加えながら、次の倉敷をつくっていってほしいですね」

●取材協力
楢村徹さん

空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

「がもよん」の愛称で親しまれる大阪の下町が、2021年度グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。昭和の風情が今なお息づく庶民的な街がいったいなぜ、ここにきて注目を集めているのでしょう。それはこの街が日本中の市区町村が頭を抱える「空き家問題」「古民家再生」に対し先鋭的な取り組みをしてきたからなのです。

「がもよんモデル」と呼ばれる、その方法とは? 実際に「がもよん」の街を歩き、キーパーソンをはじめ関わった人々にお話を伺いました。

街をむしばむ「空き家問題」に悩まされた「がもよん」

「がもよん」。まるでドジな怪獣のような愛らしい語感ですが、これは大阪府大阪市城東区の蒲生(がもう)四丁目ならびにその周辺の愛称。「がもう・よんちょうめ」略して「がもよん」なのです。

大阪城の北東に位置する「がもよん」には住宅がひしめいています。蒲生四丁目交差点を中心として半径2kmに広がるエリアに約7万もの人が暮らしているのです。かつては大坂冬の陣・夏の陣の激戦地。現在は大阪きっての住宅密集地となっています。

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

大阪メトロ長堀鶴見緑地線と同・今里筋線が乗り入れる「がもよん」は、副都心「京橋」まで地下鉄でわずか3分で着く交通利便性が高い場所。それでいて昭和30年(1955年)ごろに発足した城東商店街や入りくんだ路地など、のんびりした下町の風情がいまなお薫るレトロタウンなのです。

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

そんな「がもよん」は下町ゆえの問題もはらんでいました。旧街道に沿う蒲生四丁目は第二次世界大戦の空襲を逃れたため戦前に建てられた木造の古民家や長屋、蔵が多く残っていたのです。住民の少子高齢化とともに築古の空き家が増加し、住む人がいない建物は日に日に朽ちてゆきます。街は次第に寂れたムードが漂い始めていました。

2000世帯以上の流入を成し遂げた「がもよんにぎわいプロジェクト」

そんな下町「がもよん」が2021年10月20日、グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

約5800件から選ばれたのは、一般社団法人「がもよんにぎわいプロジェクト」の事業。「がもよんにぎわいプロジェクト」とは閉業した昭和生まれの商店や老朽化した古民家などの空き家を事業用店舗に再生する取り組みのこと。これが「住民が地域活性化に参加できる“エリア全体のリノベーション”を実現した」と高く評価されたのです。

「“がもよんにぎわいプロジェクト”を始めて13年。今回の受賞が全国で増加する空き家問題を解決する一手となり、活動を支えてくれた地域の人が、街を誇りに感じてもらえたらうれしいですね」

そう語るのは「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事であり、建設・不動産業を営む会社R-Play(アールプレイ)の代表取締役、和田欣也さん(56)。

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは無人物件の所有者と事業オーナーとのマッチングによって空き家問題を解決し、「貸す人も借りる人も地域も喜ぶ」三方よしの新たなビジネスモデルを打ち立てています。しかも公的な補助金はいっさい受け取らず、民間の力だけで。「経済自立したエリアマネジメント」を成立させたのです。

「この5年間で、がもよんは2030世帯も住民が増えたんです(令和2年 国勢調査)。『にぎわう』という当初の目標は達成できているんじゃないかな」

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

地道な「街歩き」で人々と接してきた効果は絶大

和田さんがこの10余年に「がもよん」内にて手掛けた空き家再生の物件は40軒以上。そのうち店舗は33軒。刮目すべきは、再生した物件のほぼすべてがしっかり収益を上げ、成功していること。家庭の事情で閉業した一例を除き、業績の不振によって撤退したケースはなんと「ゼロ」なのだそう。コロナ禍の渦中ですら一軒も潰れることなく営業していたのだから感心するばかり。

成功の秘訣は、自らの足で街を巡り、路地に立ち、街の空気を感じること。和田さんが「がもよん」を歩くと、皆が声をかけてくる。いわば「街の顔」なのです。

「僕の顔、み~んな知っています。街を歩けば、近所のおばちゃんから『あそこに新しい店ができたなー。こんど連れて行ってーや』と声をかけられる。サービス券を渡したら、『孫も連れて行くから、もう一枚ちょうだい』って」

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

「ここは“がもよん”や。梅田とちゃうぞ」と敬遠された

そんな和田さんには他のまちおこしプランナーにはない大きな特徴があります。それは「耐震診断士の資格」を取得していること。過去に「あいち耐震設計コンペ最優秀賞」「兵庫県耐震設計コンペ兵庫県議長賞」を受賞している和田さん。実はこの耐震診断士資格こそが「がもよんにぎわいプロジェクト」の発端といえるのです。

「がもよんにぎわいプロジェクト」が誕生したきっかけは、2008年6月、築120年以上の米蔵をリノベーションしたイタリアンレストラン「リストランテ・ジャルディーノ蒲生」(現:リストランテ イル コンティヌオ)の開業でした。

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

老朽化したまま放置された米蔵の扱いに悩んでいた現スギタハウジング株式会社の代表取締役、杦田(すぎた)勘一郎さん。「古い米蔵が醸し出す温かな雰囲気を残したい」と、当初は「そば屋」をイメージしてテナントを募集しました。しかしながら、反応がありません。「先代から引き継いだ古い建物を守りつつ、次の世代へ良い形で残したい」と願うものの、和食という固定観念にとらわれていた様子。

そこで杦田さんは、耐震のエキスパートである和田さんに参加を呼びかけ、古民家再生プロジェクトがスタートしました。そして和田さんは「蔵だから和食、では当たり前すぎる」と、「柱や梁を残し、蔵の装いをそのまま活かしたイタリアンレストラン」への転用を提言したのです。

「フルコースでイタリアン。一番安いコースを3000円くらいで食べられる。そういうタイプの予約制の店は、がもよんにはなかった。ないからこそ、やりたかったんです」

しかし、蔵の所有者は「そんなワケのわからんものにするくらいなら更地にせえ」と猛反対。周囲からも「がもよんでイタリアンなんか流行るわけがない」と奇異な目で見られ、理解が得られませんでした。

「めちゃくちゃ敬遠されました。13年前はまだ外食の際に予約を取る習慣ががもよんにはなかったんです。ジャージにつっかけ履きのままで、ふらりとメシ屋の暖簾をくぐるのが当たり前やったから。『予約がないと入れない? はぁ? なにスカシとんねん。ここをどこやと思っとんのじゃ。がもよんやぞ。梅田ちゃうで』と、訪れた客から捨て台詞まで吐かれる。梅田に比べて破格に安い値段設定にしたのですが、それでも受け入れてもらえませんでした」

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「失敗したらギャラはいらん」と覚悟の姿勢を見せて所有者を説得。建築のみならず腕利きの料理人のスカウトまで担ったのです。

古い物件ゆえに耐震や断熱の工事に時間がかかります。蔵は天井が低く、地面を掘り下げる必要が生じるなど工事は困難を極めました。周囲は「失敗を確信していた」といいます。

ところが結果は……オープンと同時にテレビをはじめマスコミが「下町に不似合いなイタリアンの店が誕生」と報じ、噂を聞きつけて他都市からわざわざ訪れる客やカップル、家族連れなどで予約が取れぬほどの盛況に。街のランドマークとなり、がもよんの外食需要が掘り起こされたのでした。

このイタリアンの件を機にタッグを組んだ和田さんと杦田さん。杦田さんは「自分は空き家を数多く所持している。一軒の店の再生という“点”で終わらず、地域という“面”で活性化に取り組まないか」と提案し、これが「がもよんにぎわいプロジェクト」へと発展していったのです。

目の当たりにした阪神淡路大震災の悲劇

和田さんが古民家を再生するにあたり、もっとも重要視するのが「耐震」。

「耐震にはうるさいので、疎ましがられます。『和田さんはさー、耐震野郎なんだよ』とよくからかわれました。喜ばしいことですよ。それくらい耐震を考えて街づくりをしている人が少ないということです」

和田さんが耐震に重きを置く背景には1995年に発生した阪神・淡路大震災がありました。

「震災でお亡くなりになった約7000人のうち、圧死したのはおよそ3000人。多くの人が自分の家につぶされて亡くなっている。最も安心できるはずのわが家に殺されるって、なんて悲しいんだろうと」

和田さんは震災の後、ブルーシートや水を車に積んで被災地へボランティアへ出かけました。そこで見た光景は「忘れることができない」悲壮なものだったのです。

「雪がちらつく寒い夜、公園に被災した人が集まっている。けれども誰も眠っていないんです。『襲われるんじゃないか』と不安になって眠ることができない。みんな殺気立っていました」

生き残った人たちまで疑心暗鬼に駆られる悲劇を二度と繰り返したくない。そのため耐震の重要性を説くものの、当初はなかなか理解してもらえませんでした。

「古民家改修の耐震設計は一から行うより大変なんです。どうしてもお金と時間がかかる。そのわりに目に見えた効果がない。お店に入って『耐震がしっかりしているか』なんて、わからないじゃないですか。そもそも地震が来るかどうかすらわからない。耐震を軽んじれば時間も予算も削減できる。なので、所有者の説得には何度も心が折れそうになりましたよ」

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「ちょっと背伸びして」味わえるフードタウンへ

イタリアンの店「ジャルディーノ蒲生」のヒットをきっかけに旗揚げされた「がもよんにぎわいプロジェクト」。このプロジェクトはいったい、なにをテーマとするのか。これが和田さんに課せられた最初の命題でした。

同じころ、大阪の各所では「古い街を活性化させようとする動き」が起こっていました。先駆事例を挙げるなら、北区の中崎町は「雑貨」、天王寺区の空堀(からほり)町は「アート」といったように。

そこで和田さんが選んだプロジェクトのテーマは「ごはん」。

「雑貨はお客さんが『店に入っても何も買わない』選択ができてしまう。アートは『自分には縁がない』と考える人がいる。けれども誰しも必ず食事はする。月に一度は外食をするでしょう。なので、人口密度が高くファミリーが多いがもよんを『フードタウンにしようやないか』と」

食べ物でのまちおこし。下町なら「B級グルメ」が定番。しかし和田さんは、あえてB級を選びませんでした。

「がもよんでB級グルメって、そのまんまでしょう。ギャップがない。目指したのは“地元の高級店”。お祝いごととか、正月に娘や息子が帰ってくるとか。そういうときに『ちょっと、ごはんを食べに行こうや』となりますよね。でもファミレスでは『ざんない』(しのびない)。とはいえオータニはさすがに高い。そのあいだくらいの、“ちょい背伸びする料金”でおいしいものが食べられる街にしましょうよ、と提案しました」

こうして古民家の趣を大切に残しつつ、一店舗一店舗オリジナリティに溢れる飲食店の誘致が始まったのです。

「古民家再生」の気概に触れ、腕のいい料理人が集結

「和田さんと杦田さんから、『がもよんには本格的な和食割烹がない。店をやっていただけませんか』とお誘いをいただいて」

そう語るのは、オープン5年目を迎えるカウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん。

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんたちからの出店の依頼を引き受けた最も大きな理由は「古民家の再生プロジェクト」という点が琴線に触れたから、なのだそう。

「空き家って、どの街でも大きな問題になっているじゃないですか。私も微力ながら問題解消のために協力できるのでは、と思いまして」

紹介された空き家は「93年前までの資料しか残っていない」という、築100年越えの可能性がある四軒長屋の一棟。もともとは大きな邸宅で、一軒を四軒に分離させた異色の建築です。恐るべきことに、工事前はなんと「耐震措置ゼロ」というつくりでした。

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

「和田さんにしっかり耐震工事をやっていただきました。それでいて、できるかぎり元の建物の情緒を残してもらって。なので、とても気に入っています。欄間は当時の家のまま。ガラスも今ではつくる職人さんがいない、割れたら終わりという貴重なものなんです」

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

再生した古民家に「満足している」という多羅尾さん。さらに気に入ったのは「がもよんにぎわいプロジェクト」に加盟している店同士の「仲の良さ」でした。

「ミナミや北新地って各店がライバル関係なんです。けれども、がもよんは店舗さん同士の仲が良くて。一緒に飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり。皆さんで協力し合ってまちおこしをしている。『自分もその輪に入って力になれたら』という気持ちが湧いてきましたね」

古民家に惹かれUターンする人も

かつての「がもよん」の住人が、古民家再生の取り組みに惹かれ、再びこの街へ転入してきた例もあります。

そのうちの一軒が2021年6月にオープンしたイタリアンカフェ『amaretto(アマレット)』。エスプレッソのみならず抹茶やほうじ茶のティラミスなど絶品のイタリアンスイーツが楽しめるお店です。

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

店主の脇裕一朗さんは他都市でさまざまな飲食関係の業務を経験したのち独立。故郷であるがもよんへ帰ってきました。そうして初めての個人店を開いたのです。

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

「イタリアの田舎町にある雰囲気の店にしたかったので、古民家を探していたんです。そんなときに以前に住んでいたがもよんが古民家再生でまちおこしをしていると知り、『それはちょうどいいな』と思って和田さんにお願いしました」

吹抜けに建て替えた古民家は、天井はそのまま。梁も玄関戸があった位置も往時の姿を今に残しています。

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

さらに脇さんが気に入ったのは、街を包む活気でした。

「がもよんは、いい意味で雰囲気は昔っからの下町のまんま。けれども人口が増え、『新しいお店がいっぱいできているな』という印象です」

プロジェクトが生みだす店同士の連帯感

「がもよんにぎわいプロジェクト」は店舗物件の保守管理にとどまらず、マネジメントの一環として、店舗同士が集うコミュニティも運営しているのが特徴。割烹『かもん』の多羅尾さんがプロジェクトに関心を抱いたのも、この点にありました。

コミュニティの本拠地は元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。ここで毎週木曜日に店主ミーティングが開かれているのです。

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクトは加盟金などない非営利団体。鬼ごっこと同じです。『入りたい』と思ったら入っていい。『もういやや』って感じたら抜けていい。ミーティングも任意参加。そんな気楽な関係やけど、参加してくださる方はとても多いんですよ」(和田さん)

ミーティングではハード面での相談はもちろん、経営ノウハウの共有、情報交換や共同イベント企画など、店主さんたちが腹を割って話し合います。そうすることで店同士が経営動向を把握し、悩みを解消し合い、連帯感を生む。支え合い、ひいては、がもよん一帯の魅力を押し上げているのです。

「お店の周年記念には、花を贈り合う。そんな温かな習慣が生まれています。お店同士の仲がいいと、お客さんにもそれが伝わる。常連客が『あっちの店にも行ってみるわ』と他店へも顔を出すようになり、経済が回るんです」

店主同士、仲がいい。この良好な関係を築くため、和田さんには決めている原則があります。それは「同じ業態の店舗はエリア内で一つだけ」というルール。

「例えばラーメン屋さんやったら一軒だけ。同業者がお客さんを奪い合って共倒れになったらプロジェクトが持続できない。それに大家さんも、店子と店子がライバルになったら悲しいでしょう」

「競争ではなく共闘できる環境づくり」。それが和田さんのモットーなのです。

「空き家の活用は普通、物件の契約が済んだら関係は終わる。でも、がもよんにぎわいプロジェクトは“契約からがスタート”なんです。『がもよんに店を開いて良かった』と思ってほしいですから。そのために、やれるサポートはやっていくつもりです」

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

こうして和田さんたちの取り組みは「売り上げ」という目に見える形で効果を表し、いつしか「がもよんモデル」と呼ばれ、評価され始めました。

赤と黒が織りなす戦乱のゲストハウス

成功のノウハウを蓄積し、発起から10年を過ぎて地域密着型まちづくりモデルとして成熟してきた「がもよんにぎわいプロジェクト」。その手法は次第に飲食店というワクを超え、他分野へ応用されるようになってきました。

例えば2018年に「戦国の世」をイメージしてオープンしたゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。

がもよんが戦国武将「真田幸村」ゆかりの地であることから、幸村のイメージカラーである赤と黒を基調として内装。寝室には人気アニメ『ワンピース』とのコラボでも話題の墨絵師・御歌頭氏が描く大坂・冬の陣が壁全面に広がっており、大迫力。

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

「『民泊ブームの逆路線を行こう』。そんな発想から生まれた宿です」

そう語るのは、和田さんの右腕として働くアールプレイ株式会社の宅建士、田中創大(そうた)さん。

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

確かに、野点を再現した居間、黒で囲まれた和の浴室など、民泊ではありえない非日常感があります。

「もともとは大きな住宅でした。『せっかく広々とした場所があるのだから、旧来のホテルや旅館とは違う、がもよんに来ないと体験できないエンタテインメントを感じてもらおう』。そのような気持ちから、見てのとおりの設えになりました」

ブッ飛んだ発想は海を越えて口コミで広がり、コロナ禍以前は英語圏や中華圏から宿泊予約が殺到したのだそう。

改修不能な空き家が「農園」に生まれ変わった

古民家の再生によりまちおこしを図る「がもよんにぎわいプロジェクト」。とはいえ古民家のなかには改修不能な状態に陥った物件もあります。そこで和田さんたちが始めたのが貸農園「がもよんファーム」。

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

2018年、平成最後の年に大阪に甚大な被害をもたらした「平成30年台風第21号」。風雨にさいなまれた空き家4棟は屋根瓦が崩れ落ちるなど倒壊の危険性をはらんでいました。

「がもよんファーム」は、そんな空き家が連なっていた住宅密集地にあります。「え! ここに農園が?」と驚くこと必至な、意外な立地です。

案内してくれた田中さんは、こう言います。

「台風の被害に遭った空き家を修復しようにも、当時は大阪全体の業者さんが多忙で、工事のスケジュールが押さえられない状況でした。『このまま放置はできない』と、仕方なく解体し、更地にしたんです」

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風の被害が大きかった建物を解体撤去して拓いた貸農園「がもよんファーム」。令和元年(2019)5月、新元号の発表とともに開園。全29区画。1区画が5平米(約2.5平方m)。1 区画/月に4000円という手ごろな賃料。

開園に先立ち、設置したのが農機具を預けられるロッカー。

「住宅街なので鍬(くわ)を持参するのはハードルが高い。『手ぶらで来られる農園』をアピールしました」

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

それにしても、いったいなぜ「農園」だったのでしょう。

「街の空き地はコインパーキングにするのが一般的です。けれども、夜中にエンジンの音が聴こえたり、狭路なので事故につながったり。『駐車場では、近隣の人々に喜んでもらえないだろう』と。それで地域のかたが利用できる農園を開きました。これまで農園という発想がなかったです。なんせ畑がぜんぜんない地域だったので。初めての経験で、手探りでしたね」

反応が予想できず、恐る恐る始めた「がもよんファーム」。ところが開園後1カ月で全区画が埋まる人気に。しかも8割以上のユーザーが開園当時から現在まで利用を継続しているというから驚き。いかに貸農園のニーズが潜在していて「待望の空間」だったかがうかがい知れます。

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

さらに幸運だったのが、がもよん在住歴13年という元・農業高校の教師、加藤秀樹さんが退職直後に区画の借主になってくれたこと。加藤さんが他の利用者に栽培のアドバイスをするなどし、おかげで世代間交流が盛んに。農園から新たなコミュニティが生まれたのです。

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「週に3回、夏は週に4回は『がもよんファーム』へ来ます。自宅から歩いて13~14分なので近いですし。『がもよんファーム』の存在はホームページで知りました。この辺で『がもよんバル』(※)というのをやっていて、『今年もあるのかな』と思ってホームページを見てみたら、たまたま農園が開かれるニュースを見つけたので」(加藤さん)

※がもよんバル……和田さんたちが開催する飲食イベント。店と地域の人をつなぐ取り組み

「加藤さんは一般の人ではわかりにくい病気を発見してくれて、『気をつけたほうがいいですよ』とアドバイスをしてくださるので助かります」(田中さん)

加藤さんの助言によりキュウリがたくさん実り「ご近所に配って喜ばれたのよ」とほほ笑むご婦人も。

さらに『がもよんファーム』は新たなニーズを開拓しました。

「趣味で園芸を楽しんでいる利用者だけではなく、アロマのお店がハーブを育てていたり、クラフトビールの工房がホップを育てていたりします」(田中さん)

ゆくゆくは、がもよん生まれの地ビールがこの街の名物になるかもしれません。住宅密集地に誕生した貸農園が商業利用の需要を発掘したのです。これもまた、街全体を活気づけるエリアリノベーションであり、「古民家再生」の姿といえるでしょう。

「がもよんモデル」を世界へ

こうして文字通り「にぎわい」を創出し、「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよん」。和田さんが考える今後は?

「喫茶店でお茶を飲んでいたらね、後ろの席で女性が『昔はな、がもよんに住んでるって言うのが恥ずかしかった。なので、京橋に住んでるねんって言ってた。でも今は『がもよんに住んでるって自慢してるねん』と話していたんです。思わず『よしっ!』って小さくガッツポーズしましたよ。自分が住む街を誇りに思えるって、素敵じゃないですか。こんな気持ちを日本中、世界中の人に感じてほしい。がもよんモデルには、それができる力があると思うんです。なので、ほかの街でも展開していきたいですね」

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

空き家問題への対策から誕生した新たなビジネスモデル「がもよんモデル」。地域のお荷物だった空き家が収益を生み、「わが街の自慢」にイメージチェンジする。和田さんはその方法論を全国に広げたいと考えています。

これからますます深刻になってゆく空き家問題。しかしながら、空っぽだからこそ、新しい価値観を芽生えさせるチャンスでもある。がもよんが、それを教えてくれた気がします。

●取材協力
がもよんにぎわいプロジェクト

空き家のマッチングサービスが始動!「やりたい」を叶える物件をリコメンドする「さかさま不動産」

空き家の借り手・買い手が見つからず、増え続ける一方……。そんな問題が深刻化するなか、物件を世に出してアピールするのではなく、まず借り手の「やりたい想い」を聞き、そこに共鳴して物件を貸してくれる大家を探すという逆転の発想で解決しようという、ユニークなサービスが誕生した。従来のやり方を“さかさま“に進める「さかさま不動産」の取り組みについて取材した。
“借り手の想い”から空き家をマッチング

「自分のお店を持ちたい」という場合、物件はどうやって探すだろうか。まず、不動産仲介業者を介して物件の情報を得て、内見などをしてから契約し、そうしてやりたいことをスタートさせる。これが一般的な流れだ。

ただ、これは空き家自体の情報が不動産仲介業者に開示されていなければ、選択肢から抜け落ちる。

そんな従来のやり方を「さかさま」にし、借り手の需要に合った空き家を探してマッチングさせるサービスが「さかさま不動産」だ。運営するのは、東海エリアを中心に空間プロデュースなどを行う株式会社On-Co(三重県桑名市)で、メンバーは代表取締役水谷岳史さんと共同代表の藤田恭平さん、執行役員で広報を担当する福田ミキさんの3名だ。

地域の未解決問題を今までにない手法で解決することを目指した企画やディレクションも行うOn-Coのメンバー(写真提供/さかさま不動産)

地域の未解決問題を今までにない手法で解決することを目指した企画やディレクションも行うOn-Coのメンバー(写真提供/さかさま不動産)

「まずはじめに、やりたいことがあるプレイヤーの想いを聞き出し、それをオープンにすることで、『この人に貸したい、この人を応援したい』と共鳴したオーナーさんが物件を貸してくれる、というやり方です。僕たちがそのマッチングのお手伝いをしています」と水谷さん。

広報の福田さんは、「やりたいことや出会いがベースなので、空き家のあるエリアを特定せず、物件の場所は全国どこでもいいというフットワークの軽いプレイヤーが多いですね」と、借り手の傾向を話す。

シニア世代の大家側にも分かりやすいシンプルな仕組み

前提にはまず、増加する空き家問題がある。総務省統計局の住宅・土地統計調査によると、日本の住宅のうち空き家の割合は13.6%を占め、846万戸と過去最高に (2018年10月)。さらに、この空き家率が2040年には43%に達すると見られている(2003年のペースで新築約120万戸を造り続けた場合、野村総合研究所)。

背景には、高齢化が進み住む人がいなくなってしまうということと、所有者自身が空き家の管理や活用方法をうまく見出せていないということがある。

「『空き家バンク』などの空き家情報のポータルサイトは以前からありますが、それらは総じて築年数や間取り、広さなどの情報が羅列されただけのもの。そういった情報は若い借り手の心には響きにくいと感じています。また、多くの大家はシニア世代で、彼らにとって、インターネットサイトに掲載すること自体がハードルなんです。『Webに掲載すると(個人情報をさらすようで)不用心だ』と考える人や、『(所有物件を空き家にしてしまうなんて)あの人は身内との意思疎通ができてないと思われる』と親戚やご近所の目を気にする人もいます」と水谷さん。

「一方で、大家が借り手を選ぶこの方法であれば、所有物件のことはインターネットに情報を掲載しなくてすみますし、あらかじめ借り手の顔や考え方を知ることができることで、親戚、ご近所に対しても説得・説明したりすることもできます。実際、相手が安心できる相手だと事前に分かることで貸したくなる、というデータも出ていて、物件の流通を促進する効果もあります」

さかさま不動産のホームページには、物件を探すさまざまな人の「やりたい想い」が並ぶ(写真提供/さかさま不動産)

さかさま不動産のホームページには、物件を探すさまざまな人の「やりたい想い」が並ぶ(写真提供/さかさま不動産)

熱意や人柄など、やりたい人の情報をインタビューしてWeb上で可視化できるように

「さかさま不動産」の立ち上げは、水谷さんたち自身の体験がもとになっている。
「2011年、僕らは名古屋駅から半径1km以内の場所で空き物件を探し、大家さんに交渉して借り、自分たちで改装してシェアハウスを運営していました。なぜ半径1km以内かというと、地道に交渉するのにほどよい距離だったからです。借りた後も、台風が来たら借りた建物を自分たちで補修したり、時には大家さんにお土産を渡したりして、いい関係が続きました。

そんな物件の一つで飲食店を経営した時に、若い人から『自分もこんなことをやってみたい。どうやって物件を探したの?』といった質問を受けることがありました。何かをやりたい人って、想いはあるけれど、人に伝える場がなかなかないんですよね。こういった子たちの面白い物語をなんとか大家さんに伝えたいと思い、彼らの情報を発信しようと考えました」

On-Coが空き家を活用した飲食店(写真提供/さかさま不動産)

On-Coが空き家を活用した飲食店(写真提供/さかさま不動産)

具体的には、さかさま不動産のメンバーが、「やりたい想い」を持つ借り手にインタビュー。想いや理由を可視化して記事にしたものをさかさま不動産のWebサイトなどに掲載したり、記事をSNS等でシェアしたりすることで、周囲が応援したくなるような仕組みをつくった。

それを見た物件所有者が、さかさま不動産側に問い合わせる。借り手は、物件所有者と直接会って、改めて想いを伝えることができるのもメリットだ。

さらには、物件を所有していない人が、自分が住む地域で条件に合う空き家を見つけて、その大家さんへ情報を伝えるというケースにも期待している。

「例えば近所の喫茶店のオーナーが高齢で店を閉めざるを得ないというようなケースでは、近所の人が『さかさま不動産に、このエリアでカフェをやりたい若者が掲載されていたよ』と情報を持ってくる……ということも考えられます」

借り手と貸し手だけでなく、その人たちを応援したい人、地域を盛り上げたい人など、関わる誰もが地域を良くするために考え、参加することができる。物件の所有者以外もマッチングに参加できる仕組みだ。

空き家に人の想いと地域性をプラスして、新たなコミュニティが生まれる

「さかさま不動産」の正式なサービス開始は2020年6月で、2021年6月現在までに愛知県名古屋市の本屋「TOUTEN BOOKSTORE」など、登録された「借りたい側」累計66件中6件がマッチング。現在もホームページを見ると、個性豊かな「借りたい人」の情報や想いが綴られている。

コンセプトデザイナー、知覚材料研究者、調香師の浅井睦さんは、自身の研究ラボ兼、誰でも出入りできる公民館のような場所をつくる「ニューコウミンカン構想」を実現するため、奈良県吉野市の空き家とマッチング。浅井さんは大阪府出身だが、知人がいて、バイクで出かけたこともある吉野エリアに親しみを感じていたことから、活動の拠点を吉野にしたいという想いがかなった。

奈良県吉野市の空き家。コンセプトデザイナーの浅井睦さんが、現在東屋のような施設に改装中(写真提供/浅井さん)

奈良県吉野市の空き家。コンセプトデザイナーの浅井睦さんが、現在東屋のような施設に改装中(写真提供/浅井さん)

コンセプトデザイナーとして、フリーランスで研究や制作を続けている浅井睦さん(写真提供/浅井さん)

コンセプトデザイナーとして、フリーランスで研究や制作を続けている浅井睦さん(写真提供/浅井さん)

「鍵は開けっ放しで、使いたい人がいつでも使える東屋のような秘密基地をつくりたかったんです。空き家を安く借りられないかと考えて、当初は知り合いのつてで遠方の物件をあたっていましたが、なかなか進まず断念しました。2020年11月にさかさま不動産の藤田さんと出会い、この面白いマッチングサービスのことを知りました。12月に掲載してもらいましたが、エリアを吉野に限定していたので、そううまくはいかないだろうなと思っていました」

ところが間もなく、吉野市に古民家を所有する人からメッセージが届いた。

物件のオーナーは、建築・改装業と不動産業を営む大阪府堺市の岡所さんだった。岡所さんは、
「もともと空き家の活用法について考えていて、これまでは古民家を購入して自分で改修し、レンタルスペースなどにしていましたが、別の方法で地域を活性化できないかと考えていたところでした。吉野の古民家を借りたい人なんているのかな?と思いながら、さかさま不動産のサイトをのぞいたら、偶然、浅井さんを見つけました」と振り返る。

岡所さんが「とりあえず物件を見てみて」と提案し、ふたりは一緒に改修前の物件を見学し、そのまま契約に至った。「もともと自分もものづくりをしているので、クリエイティブな人を応援したいという気持ちと、古い物件を守りたいという想いが重なり、浅井さんに貸したいと思いました」と岡所さん。

浅井さんは家の構造を知りたいという思いもあり、自分で改修を行うことにしたので、家賃も月2万円ほどに抑えられた。

他府県から駆けつけてくれた友人も改修を手伝ってくれ、開業前から仲間が集まるように(写真提供/浅井さん)

他府県から駆けつけてくれた友人も改修を手伝ってくれ、開業前から仲間が集まるように(写真提供/浅井さん)

現在も改修中で、「ニューコウミンカン」のオープンは2021年10月ごろ、改修完了は年内を想定している。

「岡所さんもたびたび見にきて改修のアドバイスをしてくれたり、端材を持ってきてくれたりするので助かっています」と浅井さん。岡所さんは「完成したら、自分もこのエリアに立ち寄るスペースができるから楽しみです」と話す。

浅井さんは、地域の人からの期待や応援も感じているという。「地元の工務店さんがいい材木屋さんを紹介してくれ、その人のつてで、廃棄される予定だった軽トラックを10万円で譲ってもらいました。改修には吉野の材木を使うようにしています。また、通りすがりのご近所さんから話しかけられることも多く、『30年来の空き家に、あなたのような人が入ってくれてうれしい』と言われたこともあります」

作業する中で、浅井さんは歴史や自然に恵まれた吉野エリアの良さを再認識したという。「空き家だったところに自分がやりたいことの想いを乗せて、さらにその地域ならではの要素が加わって、人が集まり、でき上がることは何か。僕自身がそれを見届けたいと思います」

今後、「ニューコウミンカン」が各地から新たな人を誘引すれば、エリアの活性化にもつながるだろう。

「壁や床の裏側がどうなっているかなどを知ることができるいい機会」と、自ら空き家改修を進めている(写真提供/浅井さん)

「壁や床の裏側がどうなっているかなどを知ることができるいい機会」と、自ら空き家改修を進めている(写真提供/浅井さん)

借り手と大家、地域が良好な関係を築けるシステムへ

さかさま不動産のメンバー藤田さんは、愛知県瀬戸市「ライダーズカフェ瀬戸店」の物件所有者でもあり、シャッター化が進んでいた商店街にプレイヤーを誘引した実績がある。
「物件の大家として当たり前の感情ですが、関係性を構築できる人が借主になってくれたらうれしいし、お店が今後どうなっていくか自分自身が楽しみでもあります。借り手のことは、コミュニティを共有しているパートナーだと思っています」と藤田さん。

せと銀座通り商店街に位置する「ライダーズカフェ瀬戸店」。名古屋・大須に1号店を構えていた借り手を、藤田さんが瀬戸市へ誘引した(写真提供/ライダーズカフェ瀬戸店)

せと銀座通り商店街に位置する「ライダーズカフェ瀬戸店」。名古屋・大須に1号店を構えていた借り手を、藤田さんが瀬戸市へ誘引した(写真提供/ライダーズカフェ瀬戸店)

水谷さんも「やりたいことベースだと、契約までの話が早く、その後もいい関係が続きやすいんです。貸し手と借り手の関係性ができているし、お互いに顔を出したりしてコミュニケーションが取れているので、契約後も『自分の家にこんなリフォームはしてほしくなかった』などの齟齬が生まれません」と話す。

最近では若い人が副業で不動産のオーナーをしているケースも多いといい、「先に借りたい人を決めて、その人のやりたいことに合わせて改装した方がいい」と考える場合も。そんな時も「さかさま不動産」が活用されているという。

実はこの「さかさま不動産」のサービスに関して、これまでOn-Coでは仲介手数料などを一切もらっていない。

「今後の課題は、借りたい人にこのサービスをもっと知ってもらうことと、マッチングの質を大切にしていくことです。これからは『このエリアでこんな人を求めています』という具体像を出していきたい。また、シニアなどWebを見ない層である物件オーナーへの直接的なアプローチも課題です。その地域でやりたいことがある人の情報を貼り紙で掲載することや、紙媒体をカフェや銀行の支店に置いてもらう方法、協力者が直接物件所有者の家を回ることなども考えています。

まずは情報を集め、プレイヤーの想いを聞き出すインタビュアーを各地域に増やそうと思います。地域に新しく仲間入りして活躍するかもしれない人のニーズを聞き出すことは、そのエリアにとっても大切なことです。そして、もともと地域に根付いた活動をしている人にもメリットが生まれるといいなと考えています。今後は誰もが利用しやすいようにシステムを広げていきたいと思います」

「さかさま不動産」の運営メンバーは20代から30代で、登録者も20代、30代が多いという。若い人たちが新しい取り組みをしているようにも見えるが、実は仲介者と地域住民、登録者による世代を超えた対人コミュニケーションがサービスの核であり、温もりを感じる。

海洋プラスチックゴミ問題解決を目指して製作活動をしている元航海士のアーティストは、マッチングした三重県鳥羽市内の空き倉庫で地域の海洋プラスチックを使ったアート活動を本格始動(写真提供/さかさま不動産)

海洋プラスチックゴミ問題解決を目指して製作活動をしている元航海士のアーティストは、マッチングした三重県鳥羽市内の空き倉庫で地域の海洋プラスチックを使ったアート活動を本格始動(写真提供/さかさま不動産)

福田さんは「空き家を、街の“余白”であり“関わりしろ”だという目線で前向きに見ているのが、このサービスのいいところです」と話してくれた。

柔軟な頭で、くるりと反対側から物事を考えたら、深刻な空き家問題の解決策が浮かぶのかもしれない。

●取材協力
・さかさま不動産

タダ同然の空き家も引く手あまた!? 「家いちば」から空き家問題の新提案

立地が不便だし、ボロボロでタダ同然でも売れない、親類の空き家が重荷となっている……。
「空き家」が社会問題となってずいぶん経ちますが、売主さんの不安や負担、事情を聞くと、簡単には解決できないことが多くあります。そんな物件にストーリーを付与することで、売買を可能にしている企業があります。

空き家問題解決の新しい糸口を探るべく、不動産を売りたい人のための掲示板サイト「家いちば」を運営する藤木哲也さんにお話を聞きました。

住宅の売買に専門家はいらない!? 先入観を取り払うサービスお話を聞かせていただいた家いちばの代表取締役・藤木哲也さん(写真提供/藤木さん)

お話を聞かせていただいた家いちばの代表取締役・藤木哲也さん(写真提供/藤木さん)

家いちばでは、空き家などの不動産を「セルフセル方式」で売買しているとのこと。セルフセル方式とは一体どんな販売方式なのでしょうか。また、なぜそのような形態で不動産売買サービスを提供しようと考えたのでしょうか。

「セルフセル方式とは、不動産を売りたい人が自分で販売活動を行うスタイルのことです。通常、不動産の売買をするときには、仲介会社が販売活動や見学の調整を行いますが、家いちばでは、売主さんが自分で家いちばのサイトに物件画像や説明文を掲載します。その後も購入検討者の方と直接、見学日程の調整や条件交渉を行ってもらいます。僕たちは最終段階で本当にプロが入るべき業務のみ、例えば物件の調査や重要事項の説明など、契約のサポートを中心に行うようにしています」(藤木さん、以下同)

従来の不動産売買と異なり、家いちばでは売り手と買い手が直接交渉を行い、宅地建物取引士の手が入るのは最終段階が中心になる(撮影/唐松奈津子)

従来の不動産売買と異なり、家いちばでは売り手と買い手が直接交渉を行い、宅地建物取引士の手が入るのは最終段階が中心になる(撮影/唐松奈津子)

このスタイルに行き着くまでに最も大きな影響を与えたのが、日経BP社が国土交通省の補助を受けて実施した、「既存住宅流通市場活性化に関する実証実験」だそうです。

「売却希望者・購入希望者を集めてワーキンググループなどを行ったのですが、そこで僕が強く感じたことは『不動産を売りたい人、買いたい人は、国などが想定しているほど専門家の意見やサポートを必要としているわけではなかった』ということでした」

不動産の売買にはさまざまな法律や制度が絡みます。だから専門家の手が必要だ、という先入観を取り払い、売主さんが自分で調べたり、学んだりできるように促す、それがセルフセル方式なのですね。

不動産について「自分で調べる、学ぶ」という経験が価値になる

このように家いちばでは、専門家の知識と経験が絶対に必要になる”物件調査”と”契約”以外の過程は、できる限り売りたい人・買いたい人本人たちに任せているそうです。

「一般に、不動産を売却する人や、そのサポートをする不動産仲介会社は、いかに早く、高く売るかということを考えています。しかし、田舎の空き家や遊休不動産を扱っている中で多く出会ったのは、『売れるかどうかも分からない』『タダでもいいから安心できる人にもらってもらいたい』という売主さんたちの言葉で、決して早く・高くだけのニーズではないということでした。同じように買う人も『ボロボロの家屋は取り壊して、更地になったら買いたい』という人ばかりではなく、今あるものでこれからどうやって工夫して活用していこうかという発想を持っている人も多かったのです。

「家いちば」の掲示板の一例

「家いちば」の掲示板の一例

それらの取引を通じて僕が感じてきたのは『売りたい人も買いたい人も“賢い”』ということです。例えば、売主さんによっては、買主さんとコミュニケーションを取るなかでローンの選び方やどうすれば審査が通りやすいか、この物件にはどの商品がオススメか、といったことまでお話できる方がいます。それはそうですよね。購入されるときには、実際にご自身がさんざん真剣に悩んで、比較検討をしてローンを組んできたわけですから、情報収集や知識の習得に対する本気度が違います。

売主さんから質問をもらったときも、僕たちは自ら答えるのではなく例えば『役所の都市計画課に聞くと教えてくれますよ』などと話します。自分で調べたり学んだりすることでそれが知識となり、不動産売却の経験、自分で売ることの醍醐味になるんです」

「まるで面接かオーディション」。売り手が納得できる仕組み

売り手の本気度は、売りたい物件を掲載するとき、案内や交渉の過程でも見ることができます。

「森林や畑を含む1万平米近くの土地に、母屋や離れ、蔵、車庫などがある豪邸を相続した母娘がいました。広大な土地と建物の維持管理が大変なものであることを痛感していた母娘は、それを理解して永続的に管理ができる人を求めていました。多くの問い合わせや内見に対応するなかで、二人は『購入者に求める人物像』をまとめたのです。

物件ページには、『近所の方とうまくお付き合いのできる方』『長期的に山林などを保存、維持管理、活用が可能な方』『建物の大規模な改修をせず、天井の丸太の梁やふすまなど昭和の風情を残しながらお使いくださる方』などの項目を明記。応募フォームも自分でつくり、購入希望者が購入後の利用予定や森林等の維持管理計画まで書くものになりました。まるで面接かオーディションですよね」

売主さんが思いやストーリーを十分に記載することができ、購入希望者との直接のやり取りを通じて、心から納得して売却できることもセルフセル方式の魅力のひとつかもしれません。

「結果的に、こちらの物件は広い土地を有効に使って活動したいという法人へ売却が決まりました。住宅はもちろん、森や畑も有効に使う計画で、将来的にどんな状況になっても窓口となる役員が個人で引き継いでいくという強い意思を確認できたことで、二人は安心して売却されたのです」

「買ってから考える」もアリ! 不動産購入の可能性が広がる

一方、買主さんにとって家いちばで物件を購入することの最大の魅力は、その価格の手ごろさです。掲載されている空き家の中心価格帯は100万円前後、場合によっては0円物件もあります。当然、価格が安いからにはそれだけの理由、例えば通常の住居としては使いづらい、かなり手を入れる必要があるなどの難点があるものですが、そのような物件をお試しとして用途が未定のまま購入する人も多いといいます。

温泉が出るリゾートマンションの1室が80万円で売られているケースも。(管理費と温泉使用料は別途1万7800円/月)(写真提供/家いちば)

温泉が出るリゾートマンションの1室が80万円で売られているケースも。(管理費と温泉使用料は別途1万7800円/月)(写真提供/家いちば)

「別荘やセカンドハウス、あるいは『遊びの拠点』として比較的軽いノリで購入されますね。なかには『何に使うかまだ決まっていない』『買ってから考える』という人もいます」

購入された物件が何に使われるのかは、買主さんによって本当にさまざまな様子。藤木さんにとって印象的だった事例を聞くと「廃墟となったガソリンスタンドをバイク置き場として購入した人」だそうです。

「茨城県の霞ヶ浦湖畔で50年以上前に建てられたガソリンスタンドが廃業し、10年以上放置されていました。老朽化は激しく、地下タンクを処分するのに土壌汚染が懸念されるため、一般の不動産流通にも乗せられない。解体に数百万円はかかるといわれてお手上げ状態でした。そんな物件を購入され、お手持ちのバイクを数十台搬入されたときにはそんな使い方もあるんだ! と本当に驚きました」

廃業したガソリンスタンドを(写真提供/家いちば)

廃業したガソリンスタンドを(写真提供/家いちば)

バイク置き場に(写真提供/家いちば)

バイク置き場に(写真提供/家いちば)

売る人と買う人、双方が幸せになって社会問題も解決!

さらに藤木さんは「活用されない低利用不動産が新たな持ち主によって中利用不動産、高利用不動産となることは、地域の人や街にとってもいい影響を与える」と考えています。

そのまま民泊を始められるくらい、すでに整備された物件も(写真提供/家いちば)

そのまま民泊を始められるくらい、すでに整備された物件も(写真提供/家いちば)

「家いちばで物件を購入した人の中には、複数の物件を購入して、将来的には民泊を経営したり、その街の活性化に寄与したいと考えている人も少なくありません。安い物件を買えば、安い賃料で展開できるため、低所得層など、住宅の確保が難しい人にも賃貸できます。なかには一般の人でも運用のプロのような人もいますが、空き家問題をはじめとする社会問題をどうにか解決したい、という想いで購入する人もいるんです」

複数の物件を購入したり、社会問題の解決を目指したり、といったことが可能になるのは「低価格」の物件ならではでしょう。一方で「安かろう、悪かろう」の言葉のように、当然、安いからには何かしらの理由があってそこに不安を感じる人も多くいるのではないのでしょうか。

「だから、僕たちプロがいます。不動産売買をする人が求めているのは専門家ではない、と言いましたが、求めているのは『安心』です。物件調査を念入りに行い、物件のもつデメリットもしっかり納得したうえで売る人、買う人、そして社会全体が満たされたものになればと思います」

藤木さんの「売れる値段で売るという、市場の原理に任せればいい」の言葉の通り、いま、家いちばでは毎日1物件に数十件の問い合わせが入っており「掲載する空き家が足りない」状態だといいます。将来的にどんどん増え続けるといわれる空き家が、売主さんも買主さんも心から満足できる取引を経て活用され、社会問題の解決にもつながるとすれば、こんなに素晴らしいことはありません。そのために重要なことは「自分で売る」「自分で学ぶ」「自分で見極めて買う」覚悟なのかも……と、家いちばのセルフセル方式から垣間見たように思います。

記事では書ききれなかったユニークな活用事例の数々が家いちばの書籍『空き家幸福論』(11月20日発刊)には掲載されていました。自分がとことん納得できる形で不動産売買を実現した先輩たちの事例を知ることも、自分で学ぶことの一歩かもしれません。

『空き家幸福論』(日経BP)●取材協力
藤木哲也(ふじき・てつや)さん
家いちば株式会社代表取締役CEO。1993年、横浜国立大学建築学科卒。ゼネコンで現場監督、建築設計事務所で設計、住宅デベロッパーを経て、不動産ファンド会社にて不動産投資信託やオフィスビル、商業施設などの証券化不動産のアセットマネジメントに携わる。豪ボンド大学のビジネススクールにてMBA(経営学修士)を取得後、2011年に家いちばの前身となる不動産活用コンサルティング会社、エアリーフローを設立。15年に「家いちば」サイトをスタート、19年、家いちば設立
『空き家幸福論』(日経BP)
・家いちば

”空き”公共施設をホテルやシェアオフィスにマッチング?「公共空間逆プロポーザル」がおもしろい

空き家が社会問題として取り上げられるようになって随分経ちますが、実は、空き家だけではなく、全国の地方自治体が持っている「公共施設」についても老朽化や財政圧迫などが大きな問題になっています。

そんな公共施設の活用方法について、民間事業者がプレゼン形式で提案し、そのアイデアに賛同する自治体とマッチングするのが「公共空間逆プロポーザル」です。このイベントを運営する公共R不動産の飯石藍(いいし・あい)さんと菊地マリエさんに公共施設の「これまで」と「これから」についてお話を聞きました!

空き家同様、公共施設も“モノ余り”の局面を迎えている!

「公共施設」と言えば、最近全国で新しく建てられ、話題になっている子育て施設や健康センター、観光・交流施設みたいなものをイメージする人も多いのではないでしょうか。

実は公共施設にはさまざまな施設や設備が含まれています。身近なもので言えば、小・中学校や図書館、公園や公民館、都道府県庁や市町村の庁舎、住居に関わるところでは公営住宅などもあります。そのほか、見えにくいものとして上下水道などの配管や電柱、道路、ごみ処理施設や給食センターなども公共施設に含まれます。

公共施設等の一例。筆者の住む品川区では、公共施設はこのように分類されている(資料:品川区「品川区公共施設等総合計画」)

公共施設等の一例。筆者の住む品川区では、公共施設はこのように分類されている(資料:品川区「品川区公共施設等総合計画」)

そんな私たちの生活に欠かせない施設がいま、「モノ余り」の状況だと言います。一体どういうことなんでしょうか?

「モノ余りという意味で、一番分かりやすいのは、廃校かもしれません。平成14年(2002年)から平成29年(2017年)の15年の間に全国で7500以上(発生数)の学校が廃校になっていますが、これは毎年約300~600校程度が廃校になっているということです。すべての廃校を建て替えたり再整備をしたりするだけの経済的な余力があればいいのですが、ご存じの通り、国も全国の地方自治体も財政難という問題を抱えています。加えてこれから人口は減っていく一方。もはや自治体が公共施設を自分たちだけで管理・運営できなくなっているのです」(菊地さん)

小・中学校や公営住宅なども「公共施設」の一つ(画像/PIXTA)

小・中学校や公営住宅なども「公共施設」の一つ(画像/PIXTA)

確かに、市庁舎や公営住宅が老朽化して建て替えなければならない、でも予算がどうこう……といった話をよく耳にします。

「公共施設は戦後から高度成長期にかけて大量に建設・整備をされました。その多くがコンクリート造であるため、耐用年数(=法定耐用年数、減価償却する資産が利用に耐える年数。鉄筋コンクリート造の建物の場合は47年)はほとんど一緒です。一気に整備をしたので、2010年くらいから一気に老朽化して、いま一気に再整備が必要になっている、という状況なんです」(菊地さん)

こんな活用ができたら、みんながもっと楽しい!

とはいえ、廃校が道の駅や宿泊施設になったり、クリエイターの集まるシェアオフィス的な施設になったりと、面白い事例も少しずつ出てきているように感じます。公共R不動産では、基本的にメディアやコンサルティングなど官民のマッチングを促すサービスを提供していますが、1つだけ施設の運営にも関わっているとのこと。

「公共R不動産メンバーが関わった公共施設活用の事例の一つに、静岡県沼津市の『泊まれる公園 INN THE PARK(インザパーク)』があります。もともと少年自然の家として長年親しまれてきた施設が使われなくなってしまい、沼津市がうまく活用してくれる民間のパートナーを探していました。市はその建物自体の活用事業を想定していましたが、現地に赴いたメンバーが一番魅力に感じたのは併設する広い公園です。この『公園にも泊まれる』、というアイデアをベースに、施設のリノベーションだけでなく、公園内に宿泊可能な球体のテントを設置することも提案しました。現在は別会社をつくって運営しています」(菊地さん)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。市のもともとの要望はこの施設の活用のみだった(写真提供/沼津市)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。市のもともとの要望はこの施設の活用のみだった(写真提供/沼津市)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。宿泊棟(写真提供/沼津市)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。宿泊棟(写真提供/沼津市)

リノベーション後。最大8名が泊まれる宿泊棟は全部で2棟ある(写真提供/インザパーク)

リノベーション後。最大8名が泊まれる宿泊棟は全部で2棟ある(写真提供/インザパーク)

フロントのある本館はリノベーションされ、こんなに素敵な空間に(写真提供/インザパーク)

フロントのある本館はリノベーションされ、こんなに素敵な空間に(写真提供/インザパーク)

インザパークの公園のなかの森。木々の間で浮かぶ球体のテントが幻想的な雰囲気(写真提供/インザパーク)

インザパークの公園のなかの森。木々の間で浮かぶ球体のテントが幻想的な雰囲気(写真提供/インザパーク)

木々の間に浮かぶ丸いテントに泊まれるなんて、子どもはもちろん、大人もワクワクしちゃいますね。

手続きの煩雑さを解消し、公共空間活用の間口を広げたい!

「公共R不動産」のサイトでは、このような全国の公共施設が活用募集中の物件として掲載されています。こちらに加え、公共R不動産が2年前から始め、話題になっているのが「公共空間逆プロポーザル(以下「逆プロポ」)」というイベントです。こちらは従来の公共施設の活用と、どのような違いがあるのでしょうか。自治体がもっている遊休化した公共施設の活用者を募集するにも、以前は各自治体のホームページ等でひっそりと掲載されるくらいで、なかなか民間事業者の目に留まりませんでした。それを公共R不動産で情報を編集し、まとめて紹介することで多くの人の目に触れるようにしたいと思い、公共R不動産を立ち上げたのですが、サイトを見た民間の方に活用に興味をもってもらっても、実はその後が大変なんです」(菊地さん)

「通常、自治体が公共施設の建て替えなどで、民間企業と一緒に何かの事業を行うときには公募(プロポーザル)という形を採る必要があります。これは手続きがとても煩雑で時間がかかる。さらに、公平な手続きが行われているかどうか、住民の目が光りますし、地域住民の合意や議会の承認手続きなどの障壁もあります。私たちの周りには柔軟なアイデアをもつ民間企業さんが多くいるので、そのような面白い事業を、公共施設の活用にもっと活かせないだろうか、また、民間の事業のようにもっとスピーディーに進められないだろうか、という気持ちで試しにやってみたのがこのイベントです」(菊地さん)

全国から注目を浴び、満を持して開催した2019年の第2回のイベントは、参加自治体数・物件数・観客数は第1回を上回り、盛況をみせた(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

全国から注目を浴び、満を持して開催した2019年の第2回のイベントは、参加自治体数・物件数・観客数は第1回を上回り、盛況をみせた(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

全国の自治体がもつ公共施設の情報を収集している公共R不動産だからこそ、見えてきた課題、そして実現できたイベントだと言えるでしょう。具体的には、どんなイベントなのかについても聞きました。

「もともとは、2018年に『公共R不動産のプロジェクトスタディ』という本を制作した際、『妄想企画』というコラムの中で行政のサービスを面白く変えられないかと出してみたアイデアが発端なんです。昔テレビで放映されていた『スター誕生』という番組をご存じでしょうか? スターになりたい人たちが芸能事務所の人たちの前でアピールをして、うちの事務所で一緒にやろう! という担当者がプラカードを上げてマッチングをする、という番組です。あの番組からインスピレーションを受け、まず、民間事業者が公共施設をこんなふうに使いたい! とプレゼンテーションを行います。ぜひうちの自治体でそれをやりたい!という担当者がプラカードを上げることでマッチングのきっかけづくりをしています」(飯石さん)

書籍「公共R不動産のプロジェクトスタディ」の妄想企画として掲載したイベントのイメージ画(写真提供/公共R不動産)

書籍「公共R不動産のプロジェクトスタディ」の妄想企画として掲載したイベントのイメージ画(写真提供/公共R不動産)

「面白い公共施設」を可能にするのは、民間事業者のプレゼンテーション

筆者も第1回、第2回と参加しましたが、イベントはかなりの盛り上がり! アイデアに賛同するプレゼンには、参加者がオレンジ色の「いいね」うちわを上げてリアクションしますが、会場全体がオレンジ色に染まる場面も多々ありました。

「最初は、自治体の人たちが本当にプラカードを上げてくれるんだろうか、民間企業の先進的なアイデアについていけるんだろうか、と不安でした。ところが、2018年に開催した第1回のイベントが予想以上に盛り上がり、昨年に行った第2回のイベントは第1回を超える規模で開催しました。全国定額住み放題サービス『ADDress』(2019年4月スタート)は、第1回のイベントのときにプレゼンター・佐別当隆志さんのアイデアを自治体に投げかけたところ、とても手応えを感じたので半年後に会社をつくって事業化されたと聞いています。直接自治体のもつ公共施設ではないのですが、社会問題として挙がっている空き家を活用し、自治体とも連携して一緒に進めているものです。全国にある空き家をきれいにリノベーションして運営していて、会費を払った会員が、どこでも好きな空き家を選んで住むことができます」(飯石さん)

第1回のイベント後、わずか半年で会社をつくって事業展開したADDressの定額住み放題サービス。第2回のイベントではその詳しい経緯について紹介された(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

第1回のイベント後、わずか半年で会社をつくって事業展開したADDressの定額住み放題サービス。第2回のイベントではその詳しい経緯について紹介された(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

全国で60以上の拠点ごとに、さまざまな人たちと出会うことができるのもADDressの魅力(写真提供/ADDress)

全国で60以上の拠点ごとに、さまざまな人たちと出会うことができるのもADDressの魅力(写真提供/ADDress)

SUUMOでも2019年の住まいのトレンド予測として「デュアラー=デュアルライフ(二拠点生活)を楽しむ人」を挙げ、その動向を追ってきましたが、まさに今の新しい住まい方に沿うアイデアですね!

主催者の不安をよそに、次々と自治体からプラカードが上がり、アピールタイムが足りないほど盛り上がった(写真提供/公共R不動産)

主催者の不安をよそに、次々と自治体からプラカードが上がり、アピールタイムが足りないほど盛り上がった(写真提供/公共R不動産)

他にも世界中で「無印良品」ブランドを展開する良品計画と茨城県常総市とのマッチングが成立して、市営住宅の活用に関するプロジェクトが始動するところだそう! 常総市は第2回のイベントに市長自ら参加したことからも、自治体として「何が何でもアイデアをもって帰って形にするぞ」という気合いがうかがえます。これからもイベントがどう発展していくか、またプレゼンされたアイデアがどう実現されていくのかがとても楽しみですね!

このイベントに参加した茨城県常総市市長、プレゼンテーターのアイデアに市長自ら猛アピール(写真提供/公共R不動産  ©MIKI CHISHAKI)

このイベントに参加した茨城県常総市市長、プレゼンテーターのアイデアに市長自ら猛アピール(写真提供/公共R不動産  ©MIKI CHISHAKI)

これから公共施設はどうなっていく!? 公共R不動産のチャレンジ

これまでの取り組みをふまえて、今後、公共R不動産で予定していることについてもお二人に聞いてみました。

「逆プロポに関しては、コロナの影響もあり、しばらくイベントの開催が難しい状況もあるので、オンラインでのイベント開催を考えています。実は2月に予定していた福岡でのイベントは、急きょ動画で提供する形に変更となりました。実際にやってみて、オンラインでの実施でもマッチングにつながる可能性を感じました。当然、オンラインであれば、これまで遠方でなかなか足を運びづらかった自治体の担当者の方なども参加しやすくなりますしね」(菊地さん)

コロナの影響で急きょ動画配信に変更された福岡県でのイベント。オンラインの可能性も発見できた(写真提供/公共R不動産)

コロナの影響で急きょ動画配信に変更された福岡県でのイベント。オンラインの可能性も発見できた(写真提供/公共R不動産)

「ほかにもイベント後に、プレゼンターとして登壇いただいた民間事業者の方々を連れて、アピールしてくださった自治体の公共施設を一緒に視察する機会もつくったりしています。施設の価値はそれ単体ではなく、周辺施設も含む立地であったり、その街を形成するコミュニティであったり、とさまざまな要素が絡み合って形づくられるものです、だからこそ、現地に行って肌で感じることも重要だと思います。実際に逆プロポでも、第1回では物件とのマッチングという側面が強かったのですが、第2回では物件単体というよりも、その街にどんな人がいて、何をやっているのか、という『コミュニティ』や、一緒に事業を仕掛けていける現地の『パートナー』に焦点が当たりました。それで然るべきと思いますし、その街ならではの資源が活かされるプロジェクトになるといいなと思います」(飯石さん)

お二人の話を聞いて、公共施設の現状や問題について、今まで知ることができなかった裏側の事情も少し垣間見えた気がしました。自分の住む街がもっといい街に、もっと面白い街になってほしい! という気持ちは多くの人にとって共通の想いなのではないでしょうか。
自分の住む街が魅力的な街になるように、また魅力的な街を選べるように、住まいとともに公共施設の現状や使い方にも興味をもって、地域のコミュニティに主体的・積極的に関わっていきたいものですね。

●取材協力
・公共R不動産
・株式会社アドレス
・株式会社良品計画
・常総市

東京都心に残る宿場町「板橋宿」。歴史的”空き家”を活かし魅力再生

昔の風情を残す江戸四宿の一つ板橋宿。東京都板橋区本町および仲宿、板橋1、3丁目付近を指す。マンション開発の波の中、どうしたらその魅力を残せるのか。地域住民との協働は、資金調達はどのようにしたのか。空き家を軸に、まちの魅力とにぎわいの再生に取り組むプロジェクトを取材した。
「先祖代々住んできたまち。旧中山道の昔ながらの風情を残したい」

JR板橋駅から徒歩10分程にある「板橋宿不動通り商店街」。ここは、旧中山道の1番目の宿場町、板橋宿の歴史を継承する場所である。都心でありながら、どの駅からも徒歩10分程度は離れていることが功を奏して、今も大正~昭和初期の趣ある建物が点在。通り全体に懐かしい風情が漂う。とはいえ、実はここ10年ほどでマンション開発がじわじわと進み、昔ながらの板橋宿を髣髴とさせる建物は減っているという。地域のシンボルでもあった銭湯「花の湯」も、保存活動の動きはあったものの、107年の歴史に幕を下ろした。まちづくり会社「向こう三軒両隣」代表であり、このまちで先祖代々飲食業などの商売を続けてきた永瀬賢三さんはこう話す。

「僕はこの地域を“ガラパゴス”と呼んで、親しんできました。しかし残念ながら、大きな開発の波は止められるものではありません。5年ほど前から、この地域で商売を続ける意味を考えると同時に、どうしたらこの地域の魅力を残せるのか考えるようになりました」

現在の板橋宿付近。江戸時代には旧中山道の一番目の宿場町「板橋宿」があり、にぎわっていたという(画像提供/向こう三軒両隣)

現在の板橋宿付近。江戸時代には旧中山道の一番目の宿場町「板橋宿」があり、にぎわっていたという(画像提供/向こう三軒両隣)

空き家をフックにした“リノベーションまちづくり”を手本に

永瀬さんの結論は、住民自ら地域のあり方に気づき主体的に行動することが結果的に”まちづくり”になり、魅力は残っていくということ。そのフックとして着目したのは、通り沿いにある趣ある建物群だ。多くが空き家のままになっていた。これらを活用すれば、きっと面白いことができる……という確信はあったが、実際に動こうとすると、何から手を付けていいのか分からない。当時、建築や不動産に関する知識はゼロに近かったという。

「自分なりに建物のリノベーションや不動産活用の仕組みについて調べ始めたところ、リノベーションまちづくりという考え方を知りました」

永瀬さんは、不動産の大家、まちづくり会社、家守など、空き家活用のステークホルダーの存在を知る。その後はSNSなどを活用したり、空き家活用のキーパーソンと思われる人たちに直接話を聞きに行き、知識を積み重ねていった。

板橋宿という名称の由来となった、現在の「板橋」付近の様子。石神井川に架かる(画像提供/向こう三軒両隣)

板橋宿という名称の由来となった、現在の「板橋」付近の様子。石神井川に架かる(画像提供/向こう三軒両隣)

まちづくり会社設立。地域電力会社と連携し投資の仕組みも

その後間もなく、永瀬さんは商店街に興味を持つさまざまな人たちに声を掛け、2018年にはともにまちづくりの基盤となる「板橋宿まちづくり協議会」を立ち上げた。会員は近隣のさまざまな企業、不動産会社、行政書士、住民など、まちと空き家活用のステークホルダーたちだ。旧中山道界隈を対象に、空き店舗を活用して地域の魅力向上をはかり、活性化につなげることを目標に掲げた。

さらに、プロジェクトを積極的に進める、いわば実行部隊として、まちづくり会社「向こう三軒両隣」を立ち上げることを決意。空き家再生・活用にそれぞれ役割を果たす、建築家、料理家などが参画した。空き家再生・活用に関するプロジェクトでは、しばしば資金繰りが課題になるが、同社では投資の仕組みも早々に構築した。それは、参画している地域電力会社「めぐるでんき」を組み込むというユニークなものである。

「再生可能エネルギー由来の電力を供給するだけでなく、当該地域のプロジェクトに電気料金の一部を還元します。まちの活性化に協力したい人であれば、電力会社と契約することで、手間なく持続的に投資できるのはメリットではないでしょうか」と、めぐるでんき代表取締役の渡部健さんは話す。

「向こう三軒両隣」が入居および経営しているコワーキングスペース「おとなり」(写真撮影/介川亜紀)

「向こう三軒両隣」が入居および経営しているコワーキングスペース「おとなり」(写真撮影/介川亜紀)

築100年超の「板五米店」をカフェ&住民の活動の拠点に

2019年半ばには、まちづくり会社、向こう三軒両隣とめぐるでんきが連携し、新たなプロジェクトを立ち上げた。空き家の状態が続いていた大正6年築の「板五米店」を、地域のシンボルとして、また、住民の活動の拠点として再生する計画だ。

「この建物を活かすこと=景観まちづくり、です。また、宿場町ならではにぎわいを表現するため、住民の集う場所として計画することが重要でした」と、運営の仕組みづくりとプランニングに関わったアルセッド建築研究所の益尾孝祐さんは説明する。

2019年12月、同プロジェクトが無事完了。土蔵造りの町家であり、建物の両側面位置するレンガ壁、2階の鉄板の雨戸がアクセントとなっている板五米店は、風情も名称もそのままに、新たな姿に生まれ変わった。1階に新たに厨房を造設した以外、ほとんど間取りも建具も変えていないが、安全・快適に使い続けられるよう耐震性、断熱性は見直した。2019年に、用途変更確認申請手続きが変更後の用途の床面積200平米以下まで不要になったことが、プロジェクト実現の追い風になったという。

板五米店は、「米」をキーワードにおむすびやスイーツを供するカフェと、地域のコミュニティ活動拠点の機能を持ち、座敷などは会食・イベントなどで貸し切り利用ができる。「板橋宿ツーリズム」のレセプションも併設している。

妻側がレンガ造りになっているなど個性的なつくり。文化財への登録を目指す(画像提供/向こう三軒両隣 撮影/浅田美浩)

妻側がレンガ造りになっているなど個性的なつくり。文化財への登録を目指す(画像提供/向こう三軒両隣 撮影/浅田美浩)

1階には新たに厨房を設けた。ランチにはおむすび定食や子ども向けのメニューを用意。今後、夜の会食向けメニューなども準備予定(画像提供/向こう三軒両隣 撮影/浅田美浩)

1階には新たに厨房を設けた。ランチにはおむすび定食や子ども向けのメニューを用意。今後、夜の会食向けメニューなども準備予定(画像提供/向こう三軒両隣 撮影/浅田美浩)

窓や障子などの建具は再利用。壁の位置はほとんど変更していない。延床面積は約160平米(画像提供/向こう三軒両隣 撮影/浅田美浩)

窓や障子などの建具は再利用。壁の位置はほとんど変更していない。延床面積は約160平米(画像提供/向こう三軒両隣 撮影/浅田美浩)

旧中山道沿いに個性的なスモールビジネスの集積を

同プロジェクトでは、多くの住民の参加や協力の機会を設けたことで、完成までに板五米店を軸とした緩やかな地域コミュニティができた。事業計画やプランニングは、まちづくり会社、向こう三軒両隣と商店街がともに検討し、住民から、工事前の見学会や大掃除、工事に関わる塗装、障子貼り、家具づくりなどのワークショップ参加を募った。資金は、向こう三軒両隣+めぐるでんきからの出資金のほか、地域の有志が誰でも参加できるようクラウドファンディングを活用した。

ワークショップなどを通じて板五米店の存在は近隣住民に浸透し始めており、子連れのママたちが和室に集まってくつろいだり、立ち座りしやすい椅子座の部屋ではお年寄りがお茶を楽しむといった光景が日々見られるようになった。

今後、向こう三軒両隣と商店街は連携を続け、“宿場町”“旅”をテーマに、地域に空き家などを活用したゲストハウスや飲食店を増やしていきたいという。
「都心部はテナント料が高いことなどから、歴史的建造物の活用が進みにくい状況にあります。板五米店プロジェクトはリノベーションや資金繰りに工夫を重ねて、その点をクリアしました。これをモデルケースとして、多くの個性的なスモールビジネスを立ち上げ、旧中山道沿いをより魅力的な地域に変えていきたいですね」(益尾さん)

左から籾井玲さん、益尾孝祐さん、渡部健さん、永瀬賢三さん(写真撮影/介川亜紀)

左から籾井玲さん、益尾孝祐さん、渡部健さん、永瀬賢三さん(写真撮影/介川亜紀)

人口が減少し通りから人が消え、まちがにぎわいも輝きも失っていく中、傍観するに終わらず、自らまちづくりについて学び、周りの協力を得て理想像を少しずつ形にしていく。まちづくりで着目される地域には、そういったキーパーソンが少なからず存在しているようだ。まちの行く末を“自分事”として考えられる人である。コロナ対策時のインターネット頼りの日常を経て、あらためて、自分の住む地域や近隣の人々とのリアルなつながりを見直す人も増えるのではないだろうか。関わり方のひとつとして、当記事が参考になれば幸いである。

●取材協力
・板五米店
・向こう三軒両隣
・アルセッド建築研究所
・めぐるでんき

空き家になった実家、どう管理したらいい?

日本では年々空き家が増え、大きな問題になっています。空き家になった実家を相続したものの、どのように管理したらいいのか悩んでいる方も多いのでは?
空き家が身近になった今だからこそ、実際に空き家を管理する立場になった場合に気を付けること、そして売ったり貸したりしたいと思ったときの注意点などについて、さくら事務所会長の長嶋氏に解説いただきました。

空き家対策法の全面施行で何が変わる?

これから本格的な人口・世帯数減に突入する日本で、空き家が大幅に増加するのは既定路線。総務省の「住宅・土地統計調査」によると、全国の空き家は2018年時点で846万戸、空き家率は13.6%と過去最高を更新しました。さらにおよそ15年後の33年には空き家数が2000万戸を超えるといった民間シンクタンクの予測も。

こうした見通しを受け、2015年5月には「空き家対策法」(空家等対策の推進に関する特別措置法)が全面施行されました。倒壊等著しく保安上危険となるおそれがある、などいくつかの項目に該当するとみなされ、「特定空き家」に認定されたら大変。普通の住まいの場合6分の1に減額されている固定資産税がその特例を受けられなくなります。また、屋根や外壁が落ちる、害虫や犯罪の温床になるなどして周囲に迷惑をかけるどころか、歩行者にケガをさせるなどの懸念も。建物というものは、放置しておけばおくほど傷みます。6カ月も放置された建物は、主に換気が不十分であることなどから、そのままでは住むことができないほど劣化します。あまりに劣化が激しくなると、「売る」「貸す」といった処分もできなくなります。

すでに空き家を抱えている方、あるいはこれから空き家を所有することになる方はどう考え、どう行動したらよいのでしょうか。

空き家を売却したり賃貸する場合に気を付けたいこと

一番のおすすめはズバリ「売却」。都心や都市部の一等立地以外、大半の地域は住宅価格の下落が予想されています。特に都市郊外のベッドタウンなどは、住宅価格が年3~4%下落してもおかしくはありません。特段利用する予定がなければ、できるだけ早期に売却するのが良いでしょう。売値は「今」がいちばん高いはずです。

まずは不動産仲介業者に査定を依頼します。査定だけなら基本は無料です。相場観をつかむためにも2、3社に依頼するのがよいでしょう。

(写真/PIXTA) 

(写真/PIXTA) 

その中で、ことさら査定価格が高いものは省きます。これは、査定価格を上げることで売却の依頼を受けようとする意図が見えるためです。不動産市場には相場というものがあり、その相場価格より飛び抜けて高い価格で売れるということは基本的にないと思ってください。残った業者のうち「査定価格の根拠が明確に示されているか」「購入者のターゲット、販売の戦略は示されているか」などを参考に売却依頼先を決定します。

売却依頼の契約にはおおまかに言って、1社だけに依頼する「専任媒介」と、複数社に依頼する「一般媒介」があります。原則としては専任媒介がよいでしょう。売主からの仲介手数料を事実上約束してもらえることで、不動産仲介会社も積極的に動きやすくなります。専任媒介であっても、他社も物件を紹介することができるので、購入者を見つけてくれることもあります。

「駅から近い」「建物が比較的新しい」「価格競争力がある」などいわゆる売れ筋物件の場合にはあえて一般媒介として、健全な競争を促すといったやり方もいいでしょう。

もちろん、いろんな理由で空き家を処分するのが難しいケースがあるのも分かります。「荷物が残っている」「思い出が残っている」「相続でもめている」などなど。しかし、そうした問題も含めて早めに解決してしまったほうが経済的には得策ですし、のちのち苦労することもありません。

(写真/PIXTA) 

(写真/PIXTA) 

次に「貸す」といった方法がありますが、これは駅近マンションや、一戸建てで需給が逼迫(ひっぱく)している地域などで検討できる選択肢。貸すとなると多くのケースで一定の修繕・リフォームが必要になります。必要なリフォーム費用の見積もりを取り、コストの投資回収期間を計算してみましょう。例えば200万円のリフォームをした場合、家賃8万円なら年間家賃収入96万円と、2年強で投資額を回収できる計算(賃貸管理料〈家賃の5%程度〉、マンションなら管理費や修繕積立金、固定資産税の支払いなどは含まず)になります。そのうえで、賃貸に回すことがはたして割に合うか、冷静に見極めたいところ。空室率や経年による家賃の下落、修繕費用の負担も織り込む必要もあるでしょう。周辺の賃料相場などを調べつつ、シミュレーションしてみましょう。

管理が難しい場合は、空き家管理サービスを利用するという選択肢も

いまのところ予定はないものの、将来は自分や親族が住むかもしれない、といった場合の選択肢として「空き家のまま管理する」といった方法も考えられます。空き家の管理には 建物や敷地内の見回り、ポスト周りの清掃、室内空気の入れ替えなどが定期的に必要です、自分でできない場合は「空き家管理サービス」を利用する方法もあります。月に1回の頻度で5000円から1万円程度が相場です。該当地域でこうしたサービスの提供事業者がいるか調べてみましょう。

最後に、自身や親族が「空き家に住む」といった場合。耐震診断や耐震改修、バリアフリーや省エネリフォームについて、多くの自治体が補助金や助成金を用意していますので確認しましょう。こうした助成金制度や減税制度などに詳しいリフォーム会社を選ぶと、なお安心。複数社から見積もりを取り、その中身をよく見比べてみたいところです。その際のコツは「同条件で見積もりを取ること」「記載内容が大雑把でないこと」など。記載内容については、住宅リフォーム推進協議会の「標準契約書式」と同レベルのものが望ましいでしょう。

いずれにしても大事なのは、空き家をどうするか、早めに意思決定すること。時間が経過するほど周囲にライバルの空き家は増える一方だからです。なんとなく意思決定を先延ばしにしたまま放置する、あるいは相続でもめて動けないというのが最も悪いパターンです。自身や家族・親族にとっての最適解を見つけてください。

s-長嶋修_正方形.jpg長嶋 修  さくら事務所創業者・会長
業界初の個人向け不動産コンサルティング・ホームインスペクション(住宅診断)を行う「さくら事務所」を創業、現会長。不動産購入ノウハウの他、業界・政策提言や社会問題全般にも言及。著書・マスコミ掲載やテレビ出演、セミナー・講演等実績多数。【株式会社さくら事務所】

空き家問題や環境問題の糸口に。古材が注目される理由

古い木材を使ったりエイジング加工が施されたりした木材を使ったリノベーションやインテリア・家具が人気になるなど、古材や古木(※)という素材に注目が集まっている。単純にかっこいいというのはもちろん理由のひとつだが、それらは空き家問題や環境問題などさまざまな社会問題の解決の糸口にもなっているのだという。住む人にも、集う人にも、環境にもやさしい古木という素材の魅力について、2人の古材・古木のプロフェッショナルである、山翠舎の山上浩明氏とリクレイムドワークスの岩西剛氏に話を聞いた。その魅力はもちろん、過去から未来へとつながる古木の可能性に満ちた対談となった。山翠舎の東京支社ショールームにて。(左)山翠舎 代表取締役社長・山上浩明氏。創業80年以上という老舗の木工所(建具屋)で、現在では古木を使った店舗デザイン・設計・施工や古民家の移築・再生事業までを手掛ける。 (右)リクレイムドワークス ディレクター・岩西剛氏。アメリカ西海岸から輸入した古木を使った家具の販売や住宅リフォーム、店舗・オフィスのプランニングを行う(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

山翠舎の東京支社ショールームにて。(左)山翠舎 代表取締役社長・山上浩明氏。創業80年以上という老舗の木工所(建具屋)で、現在では古木を使った店舗デザイン・設計・施工や古民家の移築・再生事業までを手掛ける。 (右)リクレイムドワークス ディレクター・岩西剛氏。アメリカ西海岸から輸入した古木を使った家具の販売や住宅リフォーム、店舗・オフィスのプランニングを行う(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

歴史やストーリーが密に詰まった「古木」 長野県大町市にある山翠舎の倉庫兼工場。800坪/7階建相当の巨大な倉庫内には3500本もの古木が。写真で古民家40軒分なのだとか(画像提供/山翠舎)

長野県大町市にある山翠舎の倉庫兼工場。800坪/7階建相当の巨大な倉庫内には3500本もの古木が。写真で古民家40軒分なのだとか(画像提供/山翠舎)

岩西剛(以下、岩西):「古木(こぼく)・古材(こざい)・古材(ふるざい)、どう呼べばいいんですか?」ってよく聞かれるんですよね。

山上浩明(以下、山上):今度から「古木(こぼく)」って言いませんか? 「古材」だと、鉄など木以外のいろいろな材料も含まれてしまいますよね。古いものを敬遠する人もいるけれど、例えば「法隆寺にあった木」とか「善光寺のご神木の一部」とかいうストーリーがあるとありがたい感覚になる。そういうストーリー性のあるものを、私は「古木」と定義したいんです。

山翠舎の施工事例

山翠舎の施工事例

岩西:「古木」という言葉は、まさしく僕が感じていた違和感を正しく言い当ててくれています。アメリカでは「リクレイムド(reclaimed:再生利用する)」という資源に対して使う言葉があるので、古木に「リサイクル(recycle)」という言葉は使わないんです。そこにはリスペクトがあるんですよね。だから山上さんが「古木(こぼく)」という言葉のもつ意味にこだわっているのが素晴らしいと思うんです。アメリカには「リサイクル・ウッド」と「リクレイムド・ウッド」は違うというカテゴリがあるのに、日本はいまだに「廃材」「古材」。そこによってかかる手間やコストも全然違うのに、「古材」という言葉で一緒くたにされてお客様が分からなくなっている状態がある。

岩西さんがアメリカ・ポートランドに行った際に訪問した古材屋・Salvage Worksのオフィス(写真提供/リクレイムドワークス)

岩西さんがアメリカ・ポートランドに行った際に訪問した古材屋・Salvage Worksのオフィス(写真提供/リクレイムドワークス)

リクレイムドワークスでは、主にアメリカ西海岸から古木を輸入し、家具を制作している(写真提供/リクレイムドワークス)

リクレイムドワークスでは、主にアメリカ西海岸から古木を輸入し、家具を制作している(写真提供/リクレイムドワークス)

岩西:古材には歴史があって、それが木にインストールされているはずなのに、そこを蹴飛ばして全部「古材」と言ってしまっている。ただ、それはこちら側がちゃんとプレゼンしていないのがいけないんですよね。

山上:そうですね。山翠舎では古木を使った店舗づくりをしているんですけど、オーダーする人が「古木」か「古材」かにこだわっていることって少ないんですよね。古木は高価なものですし、予算の関係という現実もあるかもしれませんが、私たちの発信力も足りないという現実もあるんだと思います。

古木が生み出す、人のつながり

岩西:リクレイムドワークスのお客様はアメリカ好き、特に西海岸のテイストが好きな人が多いんです。その雰囲気を醸し出すには、現地の木が必要になってくるんです。古民家もそうだと思うんですけど、やはり木がもっているパワーってすごいんですよね。西海岸のスタイルを使いたかったら西海岸の木を使うのがいいし、日本のスタイルだったら日本の古木を使ったほうがいい。デザインだけでは醸し出すことができないんです。木の力によって雰囲気が大きく変わってくるんですよ。

リクレイムドワークスの家具を愛用しているTさん宅。「古木を使用した家具は独特な落ち着きがあり、見る角度や光の当たり具合でさまざまに表情が変わりとても素敵だなと感じました。家具が来てから、家の中が暖かく落ち着いた雰囲気になり、心地よい空間になりました」(Tさん)(画像提供/リクレイムドワークス)

リクレイムドワークスの家具を愛用しているTさん宅。「古木を使用した家具は独特な落ち着きがあり、見る角度や光の当たり具合でさまざまに表情が変わりとても素敵だなと感じました。家具が来てから、家の中が暖かく落ち着いた雰囲気になり、心地よい空間になりました」(Tさん)(画像提供/リクレイムドワークス)

山上:古木のパワーを極力活かすために、私たちは施工時には鉄の釘は使わず、古民家の梁や柱が年月を経て変化した形をもそのまま活かして手作業で組み立てます。
私は、古い木が人を呼ぶものになってほしいと思っているんです。例えば、あるお店でスタッフが来店されたお客様に「机の木は近くの小学校の廊下で使われていたものを利用しているんですよ」と言ったとする。もしかしたら、お客様はその小学校出身の人かもしれないですよね。すると、お客様との距離が縮まるじゃないですか。そういうストーリー性のあるものが建材に内包されていると、人が集まる可能性があるというときめきがある。

廃墟と化していたビルを古木を使ってリノベーションしたら、全室埋まるほどの反響を呼んだとか。写真は古木を贅沢に使用したレストラン(写真提供/山翠舎)

廃墟と化していたビルを古木を使ってリノベーションしたら、全室埋まるほどの反響を呼んだとか。写真は古木を贅沢に使用したレストラン(写真提供/山翠舎)

このようなケースもありました。
長野県で蕎麦屋「とみくら食堂」を経営していたおばあさまが、店舗でもあり、自身も住んでいた築89年の古民家に住む人がいなくなってしまったので、解体することにしたんです。ただ、先祖から引き継いできた大切な家なので、何とかしてもらえないかと相談を受けて。そこで弊社で熱海にある「竹林庵みずの」という旅館を引き合わせて、旅館側が解体費用込みでこの古民家の材を購入してくれて、移築したんです。移築後、息子さんがその旅館に行ったときに、柱に自分が子どものころの成長を刻んだ背比べの跡を見つけてすごく喜んでいて。経済的なうれしさだけではなく、精神的なうれしさもあるんだなあと、改めて感じた事例でした。これは空き家問題の新しい解決方法だと思うんです。

ただ単純にエイジングされていてかっこいいというだけではではなく、古木にはそのような意味合いがあるということをしっかりと伝えていきたいですね。

長野県飯山市の富倉集落に建っていた蕎麦屋「とみくら食堂」(写真提供/山翠舎)

長野県飯山市の富倉集落に建っていた蕎麦屋「とみくら食堂」(写真提供/山翠舎)

「竹林庵みずの」館内(写真提供/山翠舎)

「竹林庵みずの」館内(写真提供/山翠舎)

移築された蕎麦屋「とみくら食堂」で、幼き息子さんが背比べをした跡も旅館に残っている(写真提供/山翠舎)

移築された蕎麦屋「とみくら食堂」で、幼き息子さんが背比べをした跡も旅館に残っている(写真提供/山翠舎)

「古木」は、社会問題の解決の糸口になる

山上:現在、日本に空き家は約820万戸あるとされていて、その中で約21万戸が古民家。2033年までに2100万戸くらいまでに空き家が増えるという計算でいくと、古民家も54万戸くらいまで増えると言われています。私が古木を扱おうと思ったとき、使われていない古民家はたくさんあるので、単純に古民家で使われていない材をそのまま利用するのが一番いい気がしたんですよね。
木を伐採しないので環境にやさしいし、古民家をレスキューするという空き家問題の解決にもなる。次に事業者も利益が出る。そして、利用者も心地よく過ごすことができる。古木は、全方位的に社会問題や環境問題を解決する素材だと思うんです。

山翠舎の倉庫内にある古木には、解体した家があった場所などのラベルがつけられている(写真提供/山翠舎)

山翠舎の倉庫内にある古木には、解体した家があった場所などのラベルがつけられている(写真提供/山翠舎)

岩西:アメリカでは、よくセレブリティが古木を使うんですよね。例えば、ミュージシャンのジャック・ジョンソンの事務所でダグラス・ファー(ベイマツ)の古木を使っています。エコな商材はアメリカでは「グリーンマテリアル」と呼ばれていて、環境問題に自分が加担しているというのがひとつのステータスになる。FacebookやPatagoniaなどの企業も古木を使っているのはそこには理念があるから。ある世界的なアメリカの企業では、使っている古木すべてに、古木メーカーの名前が入るんですよ。

山上:なんと……!
岩西:木は人間と同じ生命というところで伝わってくるものがあるんですよね。以前、ある企業のミーティングルームに木や人工素材などさまざまな素材の天板を使ったテーブルをたくさん納めたんです。そして1年ぶりに行ってみたら、自然に古木のテーブルに人が集まっていたんですよ。色などほかの要因もあるかもしれませんが、古木には人が惹きつけられるというひとつの説得材料になりますよね。

山上:日本でも古木をグリーンマテリアルにしたいですよね。ただ、いまの日本は、海外のセレブリティのように環境問題に関心があることをアピールするような状況にはない。ただ単に、世界観・空気感という外見的なものがいいという人にとっては、すべて古材は一緒なんですよね。

古木を使ったポートランドの飲食店(写真提供/リクレイムドワークス)

古木を使ったポートランドの飲食店(写真提供/リクレイムドワークス)

岩西:やはり見た目で使っている人が多い。その性質を使う側が分かっていればいいんですけどね。

山上:知らないんですよね。だから、いずれ認定資格のようなものをやろうとも考えています。こういう古い木を扱うためには勉強が必要だと思うんですよ。

岩西:僕も各所にマテリアルのアドバイザーは必要だと思っていて。床の雰囲気を出すためには針葉樹なのか広葉樹なのかとか、なかなか分からないですよね。そのなかでも特異な古木というアイテムにはアドバイザーが必要だと思います。そうでないと、活きた使い方ができない。耐久性の問題もありますし、一番よく見える使い方もありますしね。

山上:先ほどのグリーンマテリアルという考え方には、はやく日本も追いつかなければならないですね。木材をリードしてきた国としていいところはたくさんある。昔は普通だった使い方を今することで、生活がさらに豊かになるというか。自宅に居心地のいい空間があると自分たちがハッピーになりますし、お店で使われていればお客様もハッピーになる。かっこいいという表面的な部分だけではない使い方をしてもらえればいいなと思います。

※「古木/こぼく/koboku」は山翠舎の登録商標です

●取材協力
山翠舎
リクレイムドワークス
Salvage Works