日本橋を人と街の交流拠点へ。三井不動産が手掛けるオープンスペース、自然と会話が生まれるイベントは想像以上の多彩さだった!

三井不動産が東京・日本橋に、「好奇心を動かし探求と活動を生み出すオープンスペース 」を開設させた。なぜ、日本橋に交流拠点を開設したのかが気になるところだが、多彩なイベントを連日開催していると聞いて、参加してみた。その様子をレポートしよう。

【今週の住活トピック】
「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」をオープン/三井不動産

交流拠点「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」とはどんな施設?

オープンスペースの名称は「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN(以下、「+NARU NIHONBASHI」)」。NARU(ナル)は「成る」「為る」「鳴る」「生る」といった複数の意味が込められており、人や街に変化や動きを生み出すことを目指しているのだとか。

現地を訪れてみると、ガラス張りなので中の様子が見えて、開放的な印象を受けた。(記事冒頭のエントランス写真参照)目に入るのがコーヒースタンド(ドリンクは有料)で、カフェと間違える人もいるかもしれない。中に入るとコミュニティマネージャーが声をかけてくる。取材で訪れた旨を伝えると、三井不動産から委託され+NARU NIHONBASHIを運営している株式会社 GoldilocksのCEO川路武さんが施設を案内してくれた。

+NARU NIHONBASHIのコーヒースタンド(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIのコーヒースタンド(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIは、LINEで会員登録をすれば利用できる。実は、ラウンジが利用できるならと、筆者は既に登録していた。筆者のように日本橋には住んでも勤めてもいないけれど、日本橋のお蕎麦屋さんが定期的に開く落語会や三越劇場が主催する三越落語会など、趣味で日本橋をよく訪れるという場合でも登録はウエルカムだ。登録特典のLINEのコーヒークーポンがあったので、さっそく利用した。

このラウンジは、施設がオープン中であればいつでも利用できる。ラウンジ内にはいくつかのテーブル・椅子が置かれており、ノートパソコンを持ち込んでいる人がいた。よく見ると、テーブルごとにお勧めの本が置かれていたりボードゲームが置かれていたりして、本を読んだりゲームをしたりすることもできるようになっていた。滞在時間はどのくらいなのかを聞くと、短い人で1時間程度、長い人では半日ほどいるという。

+NARU NIHONBASHIのラウンジ(オープンスペース)(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIのラウンジ(オープンスペース)(筆者撮影)

テーブルごとにテーマが設定されていることも(筆者撮影)

テーブルごとにテーマが設定されていることも(筆者撮影)

ほかにも登録会員であれば、ラウンジを区切った約10席のミーティングスペース(1000円/時間)を予約することもできる。また、ラウンジスペースはイベントスペース(10000円/時間)として誰でもレンタルすることができるが、登録会員が主体となった、日本橋に資する内容であると認められるイベントの場合には、メンバー価格(3000円/時間)で利用できるといった特典もある。日本橋で新しいチャレンジが生まれることを応援したいからだという。

+NARU NIHONBASHIにはミーティングスペースが2つある(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIにはミーティングスペースが2つある(筆者撮影)

コミュニティマネージャーが常駐しているのも特徴だ。利用者に声をかけて、コミュニケーションを取っているだけでなく、それぞれの持ち味を生かした多彩なイベントを開催している。その内容も、参加しやすい出会いの場づくりのものから、深掘りしたり自分磨きをしたりする手の込んだものまで、実にさまざまだ。

参加費用は、無料であったり、有料でも1000円程度だったりとリーズナブル。実費相当額程度なので、イベントで利益を得る構図ではないようだ。

いざ、ホットサンド作りに挑戦

そうこうしているうちに、参加するイベントの開催時間となった。この日の朝には、すでにバリスタが教えてくれる「美味しいコーヒーの淹れ方講座」(会員参加費1000円|定員4名)が開催され、4名がいずれも通勤前に参加したという。互いに入れたコーヒーの飲み比べをして、味の違いを体感して盛り上がったそうだ。

筆者が参加した12:00~13:30の時間帯は、「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」(参加費600円)が開催された。テーブルには、定番のレタスとハム・チーズから、和風のサバ缶と大葉・コーン、フルーツを中心としたスイーツ系までさまざまな具材が並べられ、自分がセットしたものを順番に焼いていくスタイルだ。筆者は、チョコレートソースにフルーツとマシュマロという甘々のセットにしたが、マシュマロが溶けてプレス機にこぼれ出し、大変迷惑をかけてしまった。

さて、参加者に話を聞いてみた。日本橋に勤務している50代の男性は今回のイベントが2回目の参加だ。どうせランチを食べるのならと、今回のホットサンドイベントに参加したという。サバ缶サンドが、あまりにおいしそうだったので、筆者の甘々サンドと半分交換してもらった。こうした交流ができるのもイベントならではだろう。

桐葉恵さん(20代)は、友達から面白いことをやっている場所があると聞いて、今回初めて参加した。この日は自宅でリモートワーク中だったので、ランチ代わりに寄ってみたという。スタッフも交えてワイワイ食事をするのは、知らない者同士でも気づまりすることがない。桐葉さんは、次は朝のラジオ体操に参加しようかと検討していた。

「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」の様子(筆者撮影)

「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」の様子(筆者撮影)

人気のイベントは「詳しくない趣味をシャベル会」!?

多彩なイベントの中でも、参加者が多い人気企画の一つが「詳しくない趣味をシャベル会」。これまで4回開催して50名以上が参加したという。担当のダバンテス・ジャンウィルさんに詳しく聞いてみた。

趣味は何かと問われると趣味と言えるほどではないと躊躇してしまうが、「詳しくない趣味」なら気楽に好きなことやいつもしていることを話せるもの。「シャベル」としたのは話すことに加えて“掘る”という意味もあるそう。

では、これまでどんな「詳しくない趣味」が登場したのか。シュウマイやピザトースト、左官(実演付き)、無課金漫画を楽しむ、寝る前に怖い話を聞く、願望リストをいつも作る、といった趣味と言えるのかよくわからないものまで実にさまざま。なんでもありと言ってよいだろう。

会の具体的な展開はこうだ。初めにゲストプレゼンター数人が詳しくない趣味について説明する。それを聞いて、参加者はそれぞれ紙に自分の趣味(あるいは趣味のタネ)を書く。3人1組になってそれぞれが書いた趣味について語り合い、終わると別の3人で組んで同じように趣味を語り合う。そのときのルールは、相手の趣味の話を聞いて、通常より割り増しで感情を表現すること。最後に、誰の趣味が面白かったかのアンケートを取り、上位になった人には次のゲストプレゼンターになってもらう。こうして、参加者から次のプレゼンターが誕生するというユニークな仕掛けになっている。

この日の「+NARU NIHONBASHI」のスタッフたち(筆者撮影)

この日の「+NARU NIHONBASHI」のスタッフたち(筆者撮影)

この他にも、施設を利用したり、イベントに参加した人たちのリレーションを活用したイベントが開催されている。その一つが「街中に屋台を出してみたい」という学生会員の声から生まれた「夜読書時間~ときどき屋台~」。軽食やドリンクを提供するお手製の屋台が登場し、読書イベントに花を添える。このような会員が発案するイベントも増やしたいということだ。

日本橋の街づくりにコミュニティの力を活かす

さて、無料で会員登録ができ、会員になるとオープンスペースが利用でき、さらにミーティングルームやイベントスペースが低額で利用できる。そればかりではなく、筆者が体験したような気軽なイベントや「詳しくない趣味をシャベル会」のようなイベントまで、多彩なイベントが用意されている。会員には至れり尽くせりの交流拠点であることが分かった。

でも、場所を提供し、やりたいことをアシストしてくれるコミュニティマネージャーを常駐させることまでして、日本橋に交流拠点を置く理由はなんだろう。そこで、三井不動産 日本橋街づくり推進部 北村聡さんに話を聞くことにした。

日本橋の川沿いでは、他社も含め今後5つの再開発が予定されている。三井不動産は、歴史も文化もある日本橋の街づくりだからこそ、「共感・共創・共発」の考えのもとで、オープンな街づくりをしたいと考えているという。

この拠点に集まる人たちが、日本橋を好きになってアクションを起こすアシストをすることで、その人たちが将来的に、この街の課題を見つけたりそれを解決したりする人材となっていく。それは街づくりのプロでは思いつかないアイディアや手法だったりする可能性もあり、そうしたことを期待して、長期的にこの施設を運営していくということだ。

また、施設オープンから3週間で数百名が会員登録をしており、立ち寄った会員の7割近くが、日本橋徒歩20分圏内に勤務先や自宅がある人たちだという。今は個人会員を募集しているが、団体や企業登録などの選択肢も視野に入れている。地元の企業とのコラボレーション企画や日本橋を知るための地元研修の実施など、多くの可能性があるからだ。日本橋という立地とコミュニティ形成のノウハウを持つこの拠点なら、面白いことができそうだ。

●関連サイト
三井不動産ニュースリリース:コミュニティラボ「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」をオープン
公式WEBサイト

“音楽の殿堂”、“アイドルの聖地”「中野サンプラザ」が誕生50年で閉館。再開発で新たな中野のシンボル誕生へ

数々のコンサートが開かれ、“音楽の殿堂”などと呼ばれた「中野サンプラザ」がついに閉館した。5月3日から7月2日まで2カ月開催された、50年の歴史の集大成となる音楽祭「さよなら中野サンプラザ音楽祭」を終えた晩に、クロージングセレモニーが開催された。今後は、野村不動産を中心としたプロジェクトが推進される。

【今週の住活トピック】
さよなら中野サンプラザ音楽祭最終日!50年の歴史のクロージングセレモニー開催/株式会社中野サンプラザ

中野のランドマークで昭和の名建築でもあった「中野サンプラザ」

筆者は、以前、中野区に住んでいた。子どものときから社会人になってしばらくの間まで。だから、子どものころの繁華街といえば、中野ブロードウェイだった。中野ブロードウェイの高層棟のマンションには著名人が住み、商業施設には都知事だった青島幸男さんがオーナーのスパゲッティ店(この頃はパスタとはいわなかった)もあった。

1973年当時の中野サンプラザ(株式会社中野サンプラザ提供)※手前は中野区役所

1973年当時の中野サンプラザ(株式会社中野サンプラザ提供)※手前は中野区役所

そんな中野の中心地に、1973年、地上21階、高さ92mの中野サンプラザという大きな建物が建った。竹橋のパレスサイドビルなどで知られる、林昌二さんの設計による建物は、白い三角形の特徴的なビルで、中野のランドマークとなった。建物の中には、ホテル・レストランや宴会場、結婚式場、研修室などの施設のほか、スポーツクラブ、スタジオ、ボウリング場まであった。当初の「全国勤労青少年会館」という名称の通り、集団就職で上京した若者のための施設として、大きな建物の中にさまざまな機能を集約した珍しいものだった。

2000人規模のホールでは、アーティストがコンサートを行うようになると、“音楽の殿堂”といわれるようになり、モーニング娘。などのアイドルがコンサートを行うようになると、“アイドルの聖地”といわれるようになった。

その中野サンプラザが老朽化などを背景に閉館し、解体されることになった。

閉館直後の中野サンプラザ(広場には別れを惜しむ大勢が集まった)※筆者撮影

閉館直後の中野サンプラザ(広場には別れを惜しむ大勢が集まった)※筆者撮影

50年の歴史に別れを告げる、クロージングセレモニー開催

50年間の歴史を閉じるにあたって、5月3日から7月2日の2カ月間にわたり、「さよなら中野サンプラザ音楽祭」が開催され、37公演で約6万人の観客を集めて終了した。この後、関係者によるクロージングセレモニーが行われた。

「さよなら中野サンプラザ音楽祭」ポスター(中野サンプラザにて筆者撮影)

「さよなら中野サンプラザ音楽祭」ポスター(中野サンプラザにて筆者撮影)

中野区長(酒井直人さん)、中野区議会議長(酒井たくやさん)、中野サンプラザ代表取締役会長(金野晃さん)、同代表取締役社長(佐藤章さん)及び跡地再活発事業者を代表して野村不動産代表取締役社長(松尾大作さん)によるメッセージがあり、ゲストの“サンプラザ中野くん”さんから花束贈呈などが行われた。

金野会長は、東日本大震災で帰宅困難者を受け入れたり、コロナ禍でしばらく休館を余儀なくされたりといった歴史もあり、人が集い交流する50年だったと振り返った。最後は、中野サンプラザの従業員の方々が一斉に並び、別れを惜しんだ。

最後に挨拶をした中野サンプラザの従業員の方々(筆者撮影)

最後に挨拶をした中野サンプラザの従業員の方々(筆者撮影)

セレモニーの前、最後の山下達郎さんのコンサートが開催されているときから、中野サンプラザ前の広場に多くの人が集まり始め、正面玄関のガラス越しに隙間なく立ち並んで、セレモニーの様子を見守っていたのが印象的だ。この中野サンプラザが成人式の会場だった筆者としては、感慨深いものがあった。

跡地は「(仮称)NAKANOサンプラザシティ」へと変貌する予定

さて、跡地については、野村不動産を代表とするグループ(共同事業者:東急不動産、住友商事、ヒューリック、東日本旅客鉄道)が、中野区と「中野駅新北口駅前エリア拠点施設整備の事業化推進に関する基本協定書」を締結し、再開発することが決まっている。事業者によると「本事業は同エリアの象徴的な存在である中野サンプラザの機能を再整備する事業でもあることから、文化を原動力としたまちづくりを目指し生活・産業・交流を活性化させるため整備を図っていく」ということだ。

中野駅新北口駅前地区第一種市街地再開発事業 建物完成イメージ

中野駅新北口駅前地区第一種市街地再開発事業

野村不動産等の事業者の資料より転載※この地図は、国土地理院発行の地理院地図(電子国土Web)を使用したものです。

低層棟には、最大7000人収容の大ホールとライフスタイルホテル、バンケットホールなど従来の施設を継承する機能、高層棟にはオフィスや住宅・商業施設が入る予定だ。また、事業者が立ち上げるエリアマネジメント協議会が事務局となり、地域の活性化につながるさまざまな活動を展開していくという。

ほかにも、中野駅とホールをつなぐ歩行者空間や広場の整備なども計画しており、2028年度内の竣工を目指すということだ。

中野駅周辺には100年に1度の再開発が進行中

実は、中野駅周辺では、100年に1度といわれるほど、開発計画が目白押しだ。

すでに、2012年には警察大学校跡地に「中野四季の都市(まち)」ができ、四季の森公園の周囲のオフィスビルに、キリンビールなどの企業を誘致した。その後、3つの大学(早稲田大学、帝京平成大学、明治大学)の新キャンパスも開校するなど、活気ある街になっている。なお、中野区役所は「中野四季の都市(まち)」の一部、北東エリアへ移転する。

姿がはっきりしてきたのは、中野駅南口の公社中野駅前住宅跡地周辺(中野二丁目地区)の開発事業だ。業務棟と住宅棟(住友不動産の賃貸マンション)の2棟が工事中で、2023年度に竣工予定だ。

駅自体も再開発の対象だ。「中野駅西側南北通路・橋上駅舎等事業」によって、2026年に新たに西口が誕生する。歩行者専用道路である「南北通路」と「橋上駅舎」、「駅ビル」を一体の建物として建設する計画だ。

中野駅周辺まちづくり事業一覧

中野区の「中野駅周辺まちづくり事業一覧」より抜粋転載

中野駅周辺は、中野サンプラザ跡地だけでなく、駅前広場の整備や駅の利便性向上なども考慮した、連携した再開発計画が進んでいる。昭和の名建築が取り壊されることは残念ではあるが、この後の数年間で街が一気に様変わりすることになる。

セレモニーでゲストとして登壇したサンプラザ中野くんさんは、「今日で閉館となるが、2028年にはまた中野サンプラザという名前が戻ってくる。その間は、自分が名前を守っていく」とスピーチしていた。新しい街がどんな街になるのか、筆者も見守っていきたい。

●関連サイト
・さよなら中野サンプラザ音楽祭最終日!50 年の歴史のクロージングセレモニー 開催
・中野駅周辺まちづくり

みんなでつくる、みんなのまち「ミナガルテン」始動。ガーデン、キッチンなどをシェア

広島市佐伯区は、市内中心部と世界遺産の地・宮島の中間に位置するベッドタウン。昔ながらの人のつながりも残りつつ、約50年前に開通したバイパスと共に住宅地として発展した、新旧の顔が入り混じる街だ。そんな佐伯区・皆賀(みなが)エリアに、新しい試みを行う街づくりが始動している。街の名前は“minagarten(ミナガルテン)”。企画プロデュースを行う株式会社真屋の谷口千春さんにお話を伺った。
園芸関係の卸売業を営んでいた会社の温室や倉庫跡地が、街づくりの舞台

minagartenの街づくりが進む敷地の全体面積は約3100平米。谷口さんの祖父・父の代に稼業として営んでいた園芸事業会社の跡地だ。観葉植物や、土や鉢などの園芸資材の卸売や、初期のころには球根や苗の栽培も行っていたという。しかし、2017年夏、惜しまれながら事業を閉じることとなり、当時東京で働いていた谷口さんには、「残された土地や建物をどうするか」という課題が突き付けられることになった。
「谷口家の長女として、また仕事を通じて他県のまちづくりに関わってきた身として、いつかはこの地で何かすることになるかも知れないという漠然とした思いはありましたが、事業の閉鎖が急だったこともあり実感が持ちきれないままプロジェクトはスタートしました。2年近くの間、1~2カ月に1回程度、週末を使って東京と広島を行き来する日々。いよいよ身体が現地にないと進まないという段階まできて、ようやくこの4月に広島に戻ってきました」と振り返る谷口さん。
「皆賀は江戸時代には水長と書き、山からの水が滞留する場所でしたが、住民らが力を合わせて行った治水工事で改善。それを祝って、皆が賀す(祝う)という意味の現在の表記になったといいます。そのことを知ったとき、これは歴史からのメッセージだと思いました。この地につくるのは、地域の人々と社会とのさまざまなつながりを後押しする、そんな施設がいい。そう感じたんです」

(画像提供/minagarten)

(画像提供/minagarten)

(画像提供/minagarten)

(画像提供/minagarten)

まちづくりの核となるコミュニティ施設のリノベーション前の状態(画像提供/minagarten)

まちづくりの核となるコミュニティ施設のリノベーション前の状態(画像提供/minagarten)

社会とのつながりを育む「みんなの庭、わたしの庭、皆賀の庭」

「激しく変化する時代の中で、みんな新しい幸せの形を模索しているように思います。minagartenのメインコンセプトは『人と暮らしのウェルビーイング』。まずは体が健康であること、次に心が健康であること、そして、社会的に健康であること。その3つが満たされてこそ、本当の意味でウェルビーイング(幸福)な状態と呼べるのではないでしょうか。
今の時代、みんな会社や学校、家や家族など、たくさんのものを背負って生活をしています。その中での役割や立ち位置を縛られ、気づかないうちに疲弊してしまったり、本当の自分らしさが分からなくなってしまう人も多い。だからこそ、肩書きを脱ぎ捨て、一個人として趣味や興味・関心を通じてもっとフラットに人や社会とつながることのできる、サードプレイス的な居場所が必要だと思うのです」
minagartenは造語で、この地域の名前である「皆賀(みなが)」と、庭という意味のドイツ語「garten(ガルテン)」を組みあわせたものだ。英語ではなくドイツ語にしたのは、市民が農園をシェアして家庭菜園などを楽しむ「クラインガルテン」や、子どもたちの個性の芽を育む幼稚園「キンダーガルテン」にヒントを得たから。さらに、「ミナ」という音は、フィンランド語では「わたし」「個人」といった一人称を指すといい、日本語の「みんな」とは一見真逆の意味を持つ。「でも、その両方の幸せが同時に成立する世界をつくりたいと思いました。自分の大切な人が幸せじゃないと、自分一人だけが幸せということはありえない。そうやって自分のことのように思いやれる対象を拡張させて行った先にしか、世界平和はありえないんじゃないかと。皆賀という地域の庭であり、みんなの庭であり、誰にとっても私の庭であると感じられる。そんな場所にしたいと考えています」と、命名の経緯を語ってくれた。

17戸からなる住宅エリアと、シェアキッチンやカフェを備えた「みんなの場所」

minagartenの計画は、14区画の分譲地と3戸の賃貸住宅からなる住宅エリアと、住民だけでなく誰もが利用できるシェアキッチンやカフェを備えたコミュニティエリアから成る。コミュニティエリアは、かつての園芸資材倉庫を段階的にリノベーション。10月には先行して2階部分のシェアキッチンとレンタルスタジオがオープンを迎え、1階もイベントスペースとしての利用がスタートしている。
構想としては、1階にリーシング中のカフェは、コインランドリーを備えた「ランドリーカフェ」にしたいという。「子育てに家事にと忙しい人が、洗濯を理由に気軽に出かけられる。そこで出会う人との会話を通じて気分転換や情報交換ができる。そんな場所にしたいと思っています」と谷口さん。3階部分に計画中の2部屋の民泊ルームでは、一般の旅人以外にも、国内外のアーティストが長期滞在して作品制作する「アーティスト・イン・レジデンス」の仕組みも取り入れる。
中央の吹抜けを挟んで、2階のシェアキッチンの向かい側にはビューティーサロンの計画が進んでいる。「所有と使用を切り離して考えるスタイル。例えばトリートメントルームをネイルや美容鍼などフリーランスの事業者に貸し出すなど、空間シェアを進めていきたいですね」
さらに、隣接する木造倉庫もリノベーションし、ベーカリーを誘致する予定だという。

全体配置イメージ(画像提供/Minagarten)

全体配置イメージ(画像提供/Minagarten)

コミュニティスペースの配置イメージ(画像提供/minagarten)

コミュニティスペースの配置イメージ(画像提供/minagarten)

各種イベントや講座、研究会活動など。まずは新たなコミュニティの構築から

10月17~18日には、minagarten第1期オープンを記念したアートイベント「STAMP! STAMP! STAMP!」が開催された。大人も子どもも100人を超える参加者たちは、リノベーション前の1階の緑の床に、いろんな形のスポンジでつくったスタンプを押して、思い思いに個性の花を咲かせた。「minagartenはこれからもっともっと変わっていく。園芸倉庫だったBeforeの姿をなるべくたくさんの人に覚えていて欲しかった」と谷口さん。吹抜けのホール空間ではライブイベントも開催。多くの人が訪れ、特別な時間を過ごした。
シェアキッチンでは、すでにフラワーアレンジメントの教室や料理教室などが行われているほか、パティシエやコーヒーロースターの方が臨時カフェを営業するなど、新たな人の流れが生まれつつある。今後は住宅エリアの案内会や入居予定者の交流会なども開催予定だ。
さらには、かつての園芸事業関係者や、新たに集った園芸に興味のある人たちと一緒に「園芸研究会」を立ち上げ、建物裏のシェアガーデンをみんなでつくっていくプランも進行中。DIYでピザ窯も設置された。他には読書会などを主催する「ブック研究会」、地域や自らのルーツを解きほぐす「ルーツ研究会」なども。
「まずは小さなコミュニティをたくさんつくっていくこと。選択肢の多さは、そのままコミュニティの豊かさや、風通しの良さにも繋がります。人との出会いを通じて新たな道は開かれるものだと思います。みんなで楽しみながら、これからの人と暮らしの幸せを一緒に創っていける仲間を増やしていけたらいいですね」

「STAMP! STAMP! STAMP!」イベントの様子(画像提供/minagarten)

「STAMP! STAMP! STAMP!」イベントの様子(画像提供/minagarten)

【STAMP!STAMP!STAMP! 皆賀の庭に花が咲く】minagartenオープニングアートイベント

1階のイベントスペースで行われたライブイベントの様子(画像提供/minagarten)

1階のイベントスペースで行われたライブイベントの様子(画像提供/minagarten)

「皆賀の庭で花あそび スケカワミワの10月のスワッグづくり」の様子(スワッグとは花や葉を束ねて壁にかける飾りのこと)(画像提供/minagarten)

「皆賀の庭で花あそび スケカワミワの10月のスワッグづくり」の様子(スワッグとは花や葉を束ねて壁にかける飾りのこと)(画像提供/minagarten)

一戸建て住宅地でありながら、共用の庭を中心にした街づくりへ

一方、住宅エリアに関しては2020年11月時点で、宅地造成がほぼ終わった状態だ。街づくりの計画に賛同した、家づくりのパートナーである広島のハウスメーカー「イワキ」が、個々の家づくりを進めている。
minagartenの住宅地は、通常の宅地開発とは一味違う。アスファルトの道路の代わりに、分譲14世帯が区分所有する私有地に豊かな植栽を施した「みんなの庭」を設け、全世帯が共同で使用・運営するルールを定めている。家々を仕切るようなフェンスは極力排除するなど、建築や外構に一定のルールを設けることで、ゆとりと統一感のある街並み形成を可能にする計画だ。
「限られた面積の『わたしの家』から、広がりのある『わたしたちの街』へ……。緑とコミュニティの成長が何よりの資産。そんな街を住民一体となって育んでいきたいと思います」
住宅エリアには、14棟の注文住宅と、3戸の賃貸住宅が誕生する。モデルハウスの完成と、新たな街の街開きは2021年初夏を予定している。

minagarten住宅エリアのイメージ(画像提供/minagarten)

minagarten住宅エリアのイメージ(画像提供/minagarten)

minagartenはみんなで一緒に楽しみながらつくり上げていく街だ。この街の主役は、この街に関わる全ての人。パワフルに人生を楽しもうとする人が集まり、そのパワーがどんどんほかの参加者に伝染していく。人が人を呼び、活動は進化を続ける。谷口さんを見ていると、そのことを実感する。
今年初夏に街びらきを迎えるこの新しい街がどんな風に育っていくのか。谷口さんのお話を伺って、今から楽しみで仕方ない。

●取材協力
minagarten

住民主導の「街そだて」とは?グッドデザイン受賞の幕張ベイパークを訪ねてみた

新型コロナウイルスの感染防止対策として、外出自粛やテレワークの増加など生活が大きく変化した。自宅周辺の“わが街”で過ごす時間が長くなり、街の魅力を再確認した人も多いだろう。そんな自宅周辺の街を住民自身が育てる取り組みで、2020年度のグッドデザイン賞を受賞した事例があると聞いて、訪ねてみた。
地域コミュニティにもグッドデザイン!?

グッドデザイン賞の公式ホームページによれば、「デザインによって私たちの暮らしや社会をよりよくしていくための活動」とある。特定の商品や建築物での受賞作品は数多くあるが、「地域・コミュニティづくり」のような形のないものも、「人が何らかの理想や目的を果たすために築いたものごとをデザインととらえ、その質を評価・顕彰する」のだという。

今回受賞したのは、一般社団法人幕張ベイパークエリアマネジメント(以下、B-Pam)および東京都や千葉県のデベロッパー7社だ。売り主であるデベロッパー側だけでなく、その街を拠点とする住民や店舗が主体となって「街そだて」をする仕組みが評価されての受賞となった。

ここで、受賞対象の街である「幕張ベイパーク」について説明しておこう。

JR京葉線・海浜幕張駅徒歩15分くらいの場所に、開発面積約17.5ヘクタール(東京ドーム約3.7個分)の広大な土地がある。2015年に開発事業者が決定し、ここに約4500戸の住宅及び生活するうえで必要となる商業施設や保育・教育施設、医療施設、運動施設などを、時間をかけて整備し、将来的には約1万人が暮らす街づくりの計画が立てられた。A街区とB-1~7街区の8区画に分かれ、中心に位置する楕円形の公園を取り囲むように、6棟の超高層マンションや生活関連施設が段階的に開発されていくミクストユースの街づくりを目指しているとのことである。

幕張ベイパーククロスポートに設置された模型

幕張ベイパーククロスポートに設置された模型

筆者が取材した段階では、A街区にイオンスタイルの商業施設が、B-7街区に「幕張ベイパーククロスタワー&レジデンス(497戸)」(写真手前)と保育・学童施設やコワーキングスペース、コンビニなどが、B-1街区に「ZOZOPARK HONDA FOOTBALL AREA」があり、それぞれ稼働している。B-2街区には「幕張ベイパークスカイグランドタワー(826戸)」(写真右奥)とクリニックモールやスポーツ施設などが間もなく竣工予定で、B-3街区で超高層住宅の工事が着手されたところだ。

街そだての仕組みである「B-Pam」とは?

さて、街そだての役目を担う「B-Pam」に取材するために、街の公民館のような存在という「幕張ベイパーククロスポート」を訪れた。当日はちょうど、「謎解きトレジャーハント」というイベントが開催されていた。イオンスタイル幕張ベイパークで配布する「宝の地図」に記載された14カ所の店舗を回ってクイズを解き、12文字の暗号を伝えるとB-Pamの活動拠点である幕張ベイパーク クロスポートで宝物をもらえるというもので、筆者が見ている間に次々と親子が問題を解きに来ていた。宝物は足りるかと心配するほどの勢いだ。

B-Pamが拠点を置く幕張ベイパーククロスポート。謎解きトレジャーハントの謎を解いて、宝物をもらいにきた子どもたちが次々と訪れていた(画像提供:B-Pam)

B-Pamが拠点を置く幕張ベイパーククロスポート。謎解きトレジャーハントの謎を解いて、宝物をもらいにきた子どもたちが次々と訪れていた(画像提供:B-Pam)

取材に対応してくれたのは、B-Pam代表理事で住民でもある遠藤峰志さんと、事務局長でマンション管理会社三井不動産レジデンシャルサービスの社員でもある吉野公二さん、開発担当者である三井不動産レジデンシャルの柳谷剛弘さん。まず、B-Pamの役割を聞いた。

■B-Pamの役割
(1)自治会機能
(2)商店会機能
(3)管理組合の横連携機能
(4)エリアマネジメント機能

B-Pamの主な役割は上記の4つがあるという。まず、町内会のような住民組織である自治会としての機能(1)、ここで営業する商店主による商店会としての機能(2)がある。また、街区ごとにマンション管理組合が組織化されるが、幕張ベイパーク内には今後も段階的にマンションが建設されていくため、将来必要になる管理組合相互の横の連携を図る機能(3)もB-Pamの役割となる。

(1)~(3)は相互連携がテーマだが、(4)のエリアマネジメントは、街の価値を維持・向上させるための活動である。B-Pamでは、住民や店舗などが参加しやすいイベントの企画運営、街の景観を維持するためのルールづくりや清掃活動、安全安心な地域づくりのための防災訓練実施などのさまざまな活動の企画と実施を担っている。

デザインガイドラインを設け、街の中の商業施設に関しても、街並みの統一感を図っている。写真はイオンスタイル幕張ベイパークで、外観は落ち着いたトーンになっていた

デザインガイドラインを設け、街の中の商業施設に関しても、街並みの統一感を図っている。写真はイオンスタイル幕張ベイパークで、外観は落ち着いたトーンになっていた

B-Pamの活動拠点は、次の2つ。
■B-Pamの活動拠点
・幕張ベイパーククロスポート(街のコミュニティ拠点)
・B-Pam WEB(インターネット上の交流サイト)

「幕張ベイパーク クロスポート」には、B-Pamの活動拠点であるほか、貸し出しできるフリースペース(キッチン付きパーティールームもあり)があり、パーティーや趣味のサークルなど多様に利用ができるようになっている。一方「B-Pam WEB」では、イベントなどの告知や参加申し込み、管理組合からのお知らせ、店舗などの情報提供、フリースペースやマンションの共用施設の予約などもできるようになっている。

また、B-Pamはどういったメンバーで構成されるかというと(下図参照)、住民による「居住会員」とエリア内の商業施設の事業者による「店舗会員」、街を開発するデベロッパーによる「開発会員」などで構成され、それぞれの代表が役員を務める「理事会」を事務局がサポートしながら活動し、正会員による「総会」で決議していく形だ。

B-Pam組織図(画像提供:B-Pam)

B-Pam組織図(画像提供:B-Pam)

正会員のほかに、居住会員の家族による「ファミリー会員」や商業施設の従業員による「ワーカー会員」を「準会員」としているほか、B-Pamの活動を支援する企業や団体による「パートナー会員」や幕張ベイパークに居住していないが関わりたい個人による「オープン会員」なども設定している。

会員になるのは任意で強制ではない。会費も支払うことになる。居住会員の会費は、1世帯あたり月300円で、店舗会員は店舗の広さに応じで会費が変わる。現在、居住会員は居住者の約7~8割が加入しており、店舗会員は13店舗が全て加入している。

また、現在の理事会は幕張ベイパークの居住者4名、店舗事業者2名、デベロッパー社員3名の役員で構成しており、任期は2年。居住者による役員は、マンションの管理組合との連携を図る意味合いから、管理組合の理事と兼任を図っているとのことだ。代表理事の遠藤さんも、管理組合の第1期理事を務めていた。

重要なのは継続していくこと、参加者の主体性がカギに

さて、幕張ベイパークは2019年4月に「街びらき」イベントを開催している。街びらきイベント自体は、入居者の親睦のためでもあるが、お披露目としての宣伝効果もあり、デベロッパーが力を入れることで盛大に実施することはできる。問題となるのは、その後だ。大勢が参加する多様なイベントを、数多く継続して開催できるかどうかが課題だ。

デベロッパーが用意した活動の場があっても、事務局などの限られた人たちだけがいくらがんばっても、継続して活動してくれる住民たちがいなければ続かないものだ。そうした担い手をどう集めるかが最も難しい点だ。

B-Pamでは、マンションの入居が始まる前からこのコミュニティづくりにいち早く取り組み、契約者が入居するまでに、どういった活動をするかを詳しく説明し、街づくりに関心を持つ人を育てていった。遠藤さんもそこで関心を持った一人だ。こうした人を中心に、「B-Pamサポーター」を募集して、どんなことをやったら楽しいか、どんなことがやれるかをブレストして、アイデアを紙に張り出すといったこともしている。あくまで住民がやりたいことを吸い上げて具現化する「街の住民の主体性」を重視する発想だ。
例えば、2019年のハロウィーンのイベントは、4、5人の住民有志が手を挙げて企画実行したが、有料でも人が集まるか、チラシを打って人を集めるだけの期待を得られるような企画になっているか、協力してくれるボランティアは集まるかなど、多くの不安を抱える中で試行錯誤して実施したという。その結果、「ハロウィーンハント」という、昼間にはシールを集めたり、公園に隠された宝を探したりするイベントを有料先着順で開催し、夜間には公園に夕食を持ち寄って集まるオープンイベントを開催したが、予想を超える300人以上の参加があり、大盛況だったという。

左)ハロウィーンハントの手づくりチラシ 右)ジャック・スパロウ船長に扮して、仮装大会で優勝した遠藤さん。右隣のダース・ベイダーは事務局の吉野さん、左隣は柳谷さん(画像提供:B-Pam)

左)ハロウィーンハントの手づくりチラシ 右)ジャック・スパロウ船長に扮して、仮装大会で優勝した遠藤さん。右隣のダース・ベイダーは事務局の吉野さん、左隣は三井不動産レジデンシャルのは柳谷さん(画像提供:B-Pam)

また、間を空けずに継続して、イベントなどを開催していくことも大切だという。というのも、継続することで「つながる場」を多くつくることになり、住民同士が顔見知りになる機会も増えて、次のイベントの参加を誘い合ったり、興味を持って新たに企画実行のメンバーになったりする。結果として、間口が広がって担い手を育てる効果もあるからだ。

B-Pamでは、街のイベントとして、七夕や夏祭り、夏の早朝ラジオ体操、秋の運動会、ハロウィーン、クリスマス、餅つきといったイベントも開催していった。さらに、フリースペースでは、店舗スタッフの協力によるコーヒーセミナー・各種の料理レッスンや、住民がそれぞれに企画した料理やアート、教養の教室などが多様に開かれている。

なかには、小学生の女の子が「クレープを焼きたい」とB-Pamに相談したことで、パーティールームを使ったクレープパーティーが開かれたこともあった。「子どもたちが企画したり、協力してくれたりということが意外に多く、かなりの戦力になっています」(遠藤さん)という。

悩ましいコロナ禍でのイベント。知恵を絞って継続

しかしそこへ、このコロナ禍だ。密になるイベントが難しいこともあって、1周年記念イベントが開催できなかった。そこで、これまで住民が取り溜めた街の写真の「フォトコンテスト」とおうち時間を使って子どもが描いた絵画の「絵コンテスト」を実施して、住民が参加できるイベントを工夫して継続していった。

加えて、コロナ禍で営業が厳しい近隣の店舗を応援しようと、住民の発案による「宅配ごはん」推奨の企画も実現した。B-Pam会員割引を設定してもらい、チラシ作成も住民が行って、テイクアウトの利用を促進したという。

こうして、街びらきから1年半近く経った今は、さまざまな活動が定着しつつある。
・毎月の公園清掃活動
・防災勉強会
・ハロウィーンやクリスマスなどの大型季節イベント
・ソフトボール部、サッカー愛好会等の部活動
・店舗支援企画

清掃活動の様子。インスタグラムやFacebookで清掃活動のボランティアを呼び掛けたところ、幕張に拠点を置くアメリカンフットボールチームIBM BIG BLUEの選手も参加してくれた(画像提供:B-Pam)

清掃活動の様子。インスタグラムやFacebookで清掃活動のボランティアを呼び掛けたところ、幕張に拠点を置くアメリカンフットボールチームIBM BIG BLUEの選手も参加してくれた(画像提供:B-Pam)

ソフトボール部が誕生した話というのも面白い。ある日突然、住民の一人が数日後に開催されるソフトボールの大会に出場したいとB-Pam事務局に相談してきた。「まだソフトボール部がない」のに、である。急遽、部員募集の告知をしたり、言い出しっぺの部長が朝のバス停でチラシを配ったりして、何とか人数をかき集めて大会に出場できた。しかし、練習不足で予選敗退。ところが、1年後の大会では見事に準優勝に輝いた。

こうした多様なイベントが継続する要因は、企画自体が住民の発案によるものだからだという。理事会は、街そだてに意味がある企画かどうかを判断し、事務局で自治体などの外部との交渉や予算管理などをサポートする。例えば景品の調達に企画実行チームの住民が駅周辺の商業施設に直接交渉したり、必要なボランティアを集めたりして、自主的に動いている。

「プロに外注できる予算を確保していますが、住民の皆さまが自治会としての金銭感覚で工夫してくれるので、予算を節約できています。イベントで司会が必要だとなると、住民のあの人なら上手にできそうと人選して、想定どおりにとても盛り上がる司会ぶりを発揮してくれたといったこともありました。」(吉野さん)

WEBで情報提供するだけでなく、イベントの開催やメンバー募集などを呼び掛けるチラシも手づくりしている

WEBで情報提供するだけでなく、イベントの開催やメンバー募集などを呼び掛けるチラシも手づくりしている

2020年のハロウィーンは小規模な開催となったが、クリスマスイベントは感染予防対策をしたうえで4週続けて土曜日に開催する予定だ。これまでの経験からそろいのアイテムを身に着けるとイベントが盛り上がるということが分かったので、今年はB-Pamオリジナルのクリスマスマスクを発売することにした。

遠藤さんが付けているのが、今回用意したオリジナルマスク

遠藤さんが付けているのが、今回用意したオリジナルマスク

2019年のクリスマスイベントの様子(画像提供:B-Pam)

2019年のクリスマスイベントの様子(画像提供:B-Pam)

B-Pamでは、イベントを開催するグループやサークル活動などの「街そだて」に貢献する活動に対して、支援金制度(最大5万円)を設けている。活動のための費用を負担することも大切だが、最も重要なのは住民の「熱い思い」だろう。にぎわいのある街を育てるには、その担い手が必要だ。更地だったこの街に住もうという住民たちには、街の成長に期待し、新しいつながりを築こうとする人が潜在的に多いのだと思う。

だからこそ、活動の場や仕組みに乗じて、ボトムアップで楽しみながらイベント等を企画実行する担い手が登場し、持続可能なエリアマネジメントが可能になるのではないか。それにしても、この街に暮らす住民たちはオールシーズン楽しいだろうと羨ましくなった。

コロナ禍で増える自転車のマナー違反! まちづくりと人に警鐘

コロナ禍で公共交通機関を避け、通勤も含めて自転車を利用する人が増えているようだ。一方で、近年の自転車ブームもあり事故も増加傾向に。安心して自転車に乗れる街づくりのために、何が必要なのか? 自宅から会社まで直接自転車で通勤する人を「自転車ツーキニスト」と呼び、そのスタイルを提唱。自転車に関する著述活動を行っている疋田智さんに話を伺った。
駐輪場や自転車通行帯等の整備は進んでいるのだが……

自転車産業復興協会によれば2020年6月の1店舗あたりの新車平均販売台数は前年同月比で+8.1台。1店舗につき前年同月より平均8台以上も売れているということ。コロナ禍で満員電車をはじめ公共交通機関を避ける動きが現れている一例だろう。

疋田智さん(写真提供/疋田智さん)

疋田智さん(写真提供/疋田智さん)

「確かに、日ごろから自転車通勤している私の体感として、自転車ユーザー(サイクリスト)は少し増えているように思います。それに比例するように、交通ルールを守らない人も目立つようになりました。これは、今まで自転車に乗っていなかった人が増えたからではないでしょうか」

そもそも2011年の東日本大震災を機に、サイクリストがグンと増えたと疋田さん。それを受けるかのように、2012年から警視庁(管轄は東京都)が「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」の設置を開始するなど、自転車の通行帯を整備する動きが加速している。多くの人が車道の路肩や歩道内に、自転車が通行できることを示すマーク等を見かけるようになったのではないだろうか。

自転車の通行帯は、地方独自のものもあり、さまざまな種類がある。写真は警視庁(東京都)の「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」(写真/PIXTA)

自転車の通行帯は、地方独自のものもあり、さまざまな種類がある。写真は警視庁(東京都)の「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」(写真/PIXTA)

また駐輪場の整備も進んでいる。なかには定位置に自転車を置いて、ボタンを押すだけでそのまま地下に吸い込まれていく機械式駐輪システムもあり、「日本はハイテクだ!」と海外でも話題になったほどだ。東京都だけを見ると、山手線の駅はほぼ全てに地下駐輪場が設けられ、駅前の違法駐輪が随分と解消されている。

品川駅港南口(東口)にある地下駐輪場(こうなん星の公園自転車駐車場)。5基あり1020台収納可能。自転車に取り付けるICタグを機械に読み込ませて入庫させ、出庫時はICカードで操作する(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

品川駅港南口(東口)にある地下駐輪場(こうなん星の公園自転車駐車場)。5基あり1020台収納可能。自転車に取る付けるICタグを機械に読み込ませて入庫させ、出庫時はICカードで操作する(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「京都市も中心街の地下に大きな駐輪場を設置しています。過去には雨でも傘を差さず安全に運転できるよう100円でカッパを買えるような試みもしていて(現在は撤去済み)、現在も自転車ユーザーが快適に利用できるような施策を常に模索しています」。このように日本の駐輪環境は、進化しつづけていると言っていいだろう。

御射山自転車等駐輪場(写真提供/疋田智さん)

御射山自転車等駐輪場(写真提供/疋田智さん)

かつて雨具を販売する試みも行っていた(写真提供/疋田智さん)

かつて雨具を販売する試みも行っていた(写真提供/疋田智さん)

コロナ禍で見えてきた、日本の自転車環境の問題

一方で、ここ数年の自転車事故が全事故に占める割合は増加傾向にある。「サイクリストや車のドライバーを含め、日本人があまり自転車走行のルールをよく分かっていないことが原因だと思います」と疋田さん。
そこには日本人の「自転車観」が大きく影響しているという。そもそも自転車は「軽車両」。リヤカーや人力車などと同じカテゴリーの「車両」の1種であり、道路交通法では自動車などと一括りに「車両等」と表記される。また「車両等」であるから、原則は車と同様、車道の左側に寄って走ることと、道路交通法にも定められている。「世界的にも、車と自転車は同一方向を走ることが義務付けられています」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ところが多くの人は、「自転車は自動車と同じカテゴリーではなく、歩行者に近い存在の乗りものだと捉えています」。この認識のズレが、歩道を走ったり車道の右側を走るサイクリストが絶えない原因であり、交通事故を増やす要因の一つになっているのだ。

「え、でも自転車は歩道を走れるでしょ?」と思うかもしれないが、実は「一定の条件下」と道路交通法では定められているのだ。その一定の条件とは1.道路標識などにより通行できることが示されている歩道2.自転車の運転手が、児童や幼児、高齢者、障碍者など、車道を通行すると危険だと政令で定められた者であるとき3.政令で定められた場合以外でも、安全に走るためには歩道を走行してもやむを得ないと認められるとき、の3つ。しかも全ての場合で徐行が義務づけられている。とはいえ、あまり知られていないのが実情だ。

「まずは、自転車は車道を走る“車両”であるという認識から再スタートしないと、いつまでたっても事故は減らないのではないでしょうか」と疋田さんは警鐘を鳴らす。

京都市から見えてきた「自転車の乗りやすい街づくり」のヒント

ここまで見てきたように、日本のサイクリスト人口は確実に増え、駐輪環境は整備されつつあるものの、交通ルールの徹底がまだまだ行き届いていない。だからこそ自転車が関わる事故が、今後も増えてしまう危険がある。

もちろん、誰もが手をこまねいているわけではない。例えば京都市。2014年度を「自転車政策元年」と位置付け、さまざまな自転車の走行環境整備などを進めている。車道や歩道内の自転車の通行帯の多くは、例えば渋谷駅から六本木駅を結ぶ国道246号の路肩など、A地点からB地点を結ぶ“線”で設置されることが多いが、京都市の場合は「まずは〇〇通と〇〇通に囲まれた街区」というように、“面”で設置していると疋田さん。

京都の道路(写真提供/疋田智さん)

京都の道路(写真提供/疋田智さん)

(写真提供/疋田智さん)

(写真提供/疋田智さん)

色のついたエリアが京都市の自転車走行の環境が整備された箇所。このように「面展開」されている(画像出典:「京都市サイクルサイト」より)

色のついたエリアが京都市の自転車走行の環境が整備された箇所。このように「面展開」されている(画像出典:「京都市サイクルサイト」より)

「細い路地の多い街区なので、みんなが左側通行を守り、速度も出さない(出せない)ため事故も減りました。それを隣の街区、さらに隣へという具合に面展開しているのです」。設置された街区で頭でも体でもルールを覚えたサイクリストたちは、エリアが広がっても同様にルールを守るようになる。「ここ10年間の自転車に関する施策の中で一番のヒットだと思います」

また世界中のサイクリストから人気の高い「しまなみ海道」を擁する愛媛県では、2015年から県立高校で自転車通学する生徒のヘルメット着用を義務化。ここまでは他地域でも昔からよくある話だが、その際に、かつての白くて丸いヘルメットではなく、ロードバイク用の安全性や空力性、デザイン性を考慮したヘルメットを無償提供したこともある(2015年度。2016、2017年度は購入費用の一部補助)。「だから学生が、田舎くさく見えない。爽やかだし、カッコいいんです」

こうしたヘルメットで自転車に乗ることを覚えた高校生は、大人になっても「ヘルメット=ダサい」いう感覚がないため、大人になっても被り続けるようになると疋田さん。実際、疋田さんも参加している「自転車ヘルメット委員会」の2020年7月に実施した全国調査によれば、47都道府県でヘルメット着用率の1位は29%で愛媛県がトップだった。以下長崎県の26%、鳥取県の18%と続く。

ヘルメット装着によって実際に死亡事故が防がれている。なかには、追突された衝撃で頭部がフロントガラスにぶつかり、フロントガラスが割れるなどの事故が起こったが、ヘルメットをきちんとかぶっていたために、命を守ることができたそう(写真提供/愛媛県教育委員会)

ヘルメット装着によって実際に死亡事故が防がれている。なかには、追突された衝撃で頭部がフロントガラスにぶつかり、フロントガラスが割れるなどの事故が起こったが、ヘルメットをきちんとかぶっていたために、命を守ることができたそう(写真提供/愛媛県教育委員会)

自転車先進国には「車の進入禁止」エリアもある

海外からヒントを学ぶ方法もある。「自転車先進国とよく言われるのはデンマーク、オランダ、ドイツです。これらの国々には“ゾーン30”と呼ばれるエリアがたくさん設定されています」

ゾーン30とは歩行者から車まで、すべてが30km/h以内で移動しなければならないエリア。「そこではウサイン・ボルト(ロンドンオリンピック決勝時の最高速度は約45km/h)も全速力で走ってはいけないんです(笑)」

30km/h以下ならお互いが衝突を避けやすく、万が一ぶつかっても死亡事故に至る確率も低い。「さらに自家用車の進入を禁止したゾーン30もあります。例えばドイツのミュンスターやフライブルクなどがそうです。エリア内に住む人々の自家用車の駐車場はゾーン30の外に設定し、中に入れるのは物流用トラックと公共機関のバスだけ。おかげで交通事故や渋滞が減ったのはもちろん、空気がきれいになり、住民の健康寿命が延びて医療費が抑えられたという話も。ゾーン30にしたおかげでいくつもの果実を得られた例です」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ドイツ・ミュンスターにて。“ここから先は歩行者限定”ということを表す標識(写真提供/疋田智さん)

ドイツ・ミュンスターにて。“ここから先は歩行者限定”ということを表す標識(写真提供/疋田智さん)

日本にも住宅地を中心にゾーン30が設定されているエリアはいくつもあるが、自家用車まで規制しているところはない。

そもそも一定条件下とはいえ、歩道を通れるようになったのは、高度経済成長期の道路交通法の改正によるもの。当時の急激なモータリゼーションの高まりから、クルマの数が激増し、自転車との事故が増えた。このため自転車を緊急避難的に歩道に上げてしまった。要するに車道に自転車レーンを設けるインフラ整備が追いつかないための苦肉の策だったわけだ。

地震大国日本にとって自転車は強力な武器になる

しかも自転車環境を整備していくメリットは、事故を減らすだけはない。地震大国である日本にとって、自転車は減災の大きな武器になるようだ。「東京大学大学院(都市工学)にいたころ、構造計画研究所と共同で、宮崎県日南市を例に、地震による津波が発生した場合のシミュレーションを行ったのですが、自転車による避難がとても有効であることが分かりました」

日南市(写真提供/疋田智さん)

日南市(写真提供/疋田智さん)

日南市油津近くの海岸通り(写真提供/疋田智さん)

日南市油津近くの海岸通り(写真提供/疋田智さん)

それによると、25分以内に避難しなければならないと仮定した場合の避難完了率、つまり逃げ遅れが最も少ない順は、1位が欧州仕様の電動アシスト自転車(24km/h以上でもモーターがアシストしてくれる)で、次いで日本の電動アシスト自転車(24km/hまでモーターがアシストしてくれる)、普通の自転車、徒歩、車という順位になった。これは5つの手段の利用割合がいずれも20%としてシミュレーションした結果で、「車の利用率が十分低くて渋滞が起こらなければ一番早いのですが、渋滞が起こるほど交通量が増えると一番遅くなるのです」

シミュレーションの設定条件次第では上記の順位は変わるが、少なくとも自転車は徒歩より早く津波から逃げられる。地震大国日本の避難方法としては有効な手段だし、素早く避難するためにも、やはり交通ルールの徹底など自転車の利用環境の整備をすることは、減災に繋がると言えるではないだろうか。

それに自転車が走りやすくなれば、サイクリストも増えるだろう。それは健康な人が増える、ということでもある。疋田さんの例で言えば「84kgの体重が1年で67kgに減り、コレステロール値や中性脂肪値、尿酸値、空腹時血糖値などが、すべてC判定からA判定になりました」。健康な人が増えれば、医療費の抑制にも繋がる。

このように自転車環境を整えるということはメリットがたくさんある。では、今後日本で自転車環境を整えていくには、何が必要か。まずは、一見遠回りに思えるかもしれないが、自転車は車両である、という原点を再認識することから始めることではないだろうか。「そこから左側走行をはじめとした原則を再確認すれば、交通ルールの徹底や、自転車環境整備も進みやすくなり、事故も減ると思います」。自転車先進国だけでなく、日本にとって多くの果実を生む可能性のある自転車。丁寧にその環境を育てる時期にきているようだ。

●取材協力
疋田智さん
1966年生まれ。自転車で通勤する人=「自転車ツーキニスト」NPO法人自転車活用推進研究会理事、学習院生涯学習センター非常勤講師、某TV局プロデューサーも兼ねる。メールマガジン「週刊自転車ツーキニスト」は2006年の“メルマガオブザイヤー”総合大賞を受賞。
>疋田智の週刊自転車ツーキニスト

京都市
「京都市サイクルサイト」
愛媛県

立川駅前の進化がすごい! 「GREEN SPRINGS」で街がどう変わる?

かつて広大な飛行場が広がっていた立川。再開発が進められるなか、駅近くに残されていた巨大な空地が気になっていた方も多いのでは? 2020年4月、ついにそのエリアに大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープン。従来の立川のイメージを覆す洗練された空間に、子どもから大人まで多くの人が日々訪れている。歴史とともに変わり続けてきた立川のまちは、どこに向かっていくのだろうか?
米軍基地跡だった空き地に、緑豊かな「街」が誕生

新宿から中央線で約26分。都心からのアクセスに恵まれ、駅近くには緑豊かな国営昭和記念公園が広がるこの街は、かつて「基地のまち」だった。

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

大正時代に整備され、立川駅周辺に広がっていた「立川飛行場」は、1970年代まで米軍基地として使用されていた。立川は長い間、戦争のイメージと切っても切り離せない街だったのだ。

ところが平成に入ると、街は徐々にその姿を変える。土地区画整理事業や駅前の再開発により、大型商業施設やデパートなどが次々とオープン。上空を多摩都市モノレールが走る光景は、街の発展を印象づけた。

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

そして来たる2020年4月、残されていた駅北側の約3.9haの広大な空き地に、大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープンした。

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「ウェルビーイングタウン」をコンセプトとする同施設には、店舗や飲食店のほかに、2500席規模のホール「TACHIKAWA STAGE GARDEN」や、日常遣いできる都市型リゾートの「SORANO HOTEL」、保育園、オフィスなどが配置されている。単なる商業施設ではない、人が暮らす「街」を意識したテナント構成が特徴だ。

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ。(写真/片山貴博)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる。(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる(写真/片山貴博)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

歩いていると、点在するアート作品や遊び心のある演出が目を楽しませてくれた。よくある郊外の大規模商業施設のような既視感がないのは、こうした細部へのこだわりに、施設の個性が表れているからかもしれない。

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

新型コロナの影響で、4月のオープニングイベントは全て中止に 。しかし平日の夕方に高校生が訪れておしゃべりを楽しんだり、カスケードで水遊びをしたりするようになり、彼らの口コミから、 徐々に評判が広がった。 以前は立川駅からIKEAに向かう人々が通り過ぎるだけだったエリアが、現在では多くの人でにぎわっている。取材日は平日の昼間だったが、子ども連れのファミリーや若い女性が多く訪れていた印象だ。

この「GREEN SPRINGS」の開発を先導したのが、立川市のほぼ中央に約98万平方メートルもの土地を所有する、株式会社立飛ホールディングスだ。

1924年設立の立川飛行機を前身とし、戦後は不動産賃貸業を中心に事業を展開してきた同社が、地域社会に対する貢献へと舵を切ったのは2012年。グループ再編を経て、村山正道さんが代表取締役社長就任したことがそのきっかけとなった。

村山社長は、昭和48年(1973年)に立飛ホールディングスに入社。代表取締役社長に就任するまでの33年間、一貫して経理を務めてきた村山社長は、地域貢献に対する思いを次のように語った。

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

「かつての当社は、敷地を万年塀で囲うような閉鎖的な会社、地域に開かれているとは言えませんでした。でも私は、土地とは単なる資産ではなく社会資本なのだから、それを所有している以上、地域に対する責任を果たさなくてはならないとずっと考えていました」

村山社長の率いる立飛ホールディングスは、意思決定の速さを強みに、この8年で数々のプロジェクトを展開してきた。2015年12月の「ららぽーと立川立飛」を皮切りに、日本最大のフェイクビーチ「タチヒビーチ」、スポーツ大会やイベントで利用できる「アリーナ立川立飛」「ドーム立川立飛」などがオープン。街づくりを通じた社会貢献を意識しているからこそ、商業施設一辺倒ではない、多様な事業を誘致してきた。特に、街の文化振興への思いは強い。

「世界的に見ても、歴史上長く栄えてきたのは芸術・文化の街です。立川を、買い物ができるだけではなく、音楽などの芸術やスポーツを楽しめる街にしたいんです。今はなんでもオンラインでできると言われていますが、やはり生で見たときの刺激や学びは大きい。特にこの街で育つ子どもたちには、そうした環境を提供したいですね」

いま郊外の街の多くは、商業施設を中心とした再開発により、どこも同じような 印象だ。そんななか、立川はオリジナルな発展を遂げているように見える。参考にしている街はあるかと村山社長に問うと、「どこかの真似をしている感覚はない」と即答だった。

「立川には立川の街の歴史があり、独自の文化があります。それはほかのどの街とも、似て非なるものです。地域独自の文化を前面に押し出したまちづくりをすれば、街の魅力が上がり、結果的に住みたい人や働きたい人が増えると考えています」

「GREEN SPRINGS」には、ところどころ飛行場のモチーフが散りばめられている。街の歴史を大切にする立飛ホールディングスのこだわりが垣間見えた。

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

子ども時代のイメージが一変。立川は「変化を受け入れるまち」

変わっていく立川を、住民はどんな気持ちで見つめているのか。立川エリアで生まれ育った、あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さんにお話を聞いた。

岩崎さんは1995年に同組合の理事会に参加。2011年から代表理事として地域のさまざまな活動に携わっている。岩崎さんは活動を通じて、街の歴史の深さを知るとともに、立川ならではの良さに気づいたという。

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

「立川には特別有名な観光名所があるわけではありませんが、面白い施設が駅前の狭いエリアにぎゅっと詰まっています。専門店や百貨店、家電量販店、映画館、劇場、スポーツ施設、サブカルチャーや芸術関係の施設など。自然と触れ合える国営昭和記念公園もあります。新型コロナの影響で遠くに行きづらい時期だからこそ、徒歩圏内にこれだけの楽しみがあるのは一層魅力的に感じますね」

笑顔で語る岩崎さん。しかし意外なことに、子ども時代にはあまり立川にいいイメージを抱いていなかったという。
 
「親には、駅の北側(現在GREEN SPRINGSがあるエリア)には行くなと言われていました。昔その辺りは米軍基地でしたから、基地の方を相手にしていた大人なお店も多かったんです」

それが平成に入り、立川はみるみるうちに変貌を遂げる。再開発が進むにつれ、昔ながらの街並みが失われたことを嘆く住民もいた。しかし岩崎さんは、「今の立川の方が断然いい」とすっきりした表情だ。

「ずいぶんにぎやかになりましたよ。街が大きくなったと感じます。人口は昔からほとんど変わっていませんが、立川には昼間働きにきたり、遊びにきたりする『昼間人口』が多いんですね。居住人口が今後増えることは考えにくいので、関わってくれる人を増やすのは、街が存続していくために大切なことです」

昼間人口の増加とともに、人が訪れるエリアも広がっている。かつては「良くなったのは駅前だけ」と卑下する人もいたそうだが、GREEN SPRINGSは立川駅から徒歩8分。駅からは少し離れた場所にある。岩崎さんの言うように、街の大きさは確実に広がっており、それとともに、街全体に活気がもたらされているのだ。

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

「若い人が関わりたいと思ってくれる、魅力ある街であってほしいですね。立派な施設ができても、建物自体はいずれ古くなります。街が発展し続けるためには、やる気のある人がチャレンジしやすい環境が必要です。幸い立川には、よそ者を拒むような地域性がありません。昔から何でも受け入れる街なんです。懐を広く保っておくことが、立川の未来のためには大事なことだと思いますね」

変化を拒まず、受け入れる。日本の人口減少が止まらない中、立川の歴史は、郊外の街が発展し続けるための一つの方向性を示しているように見えた。

●取材協力
GREEN SPRINGS
立飛ホールディングス
立川市の歴史

立川駅前の進化がすごい! 「GREEN SPRINGS」で街がどう変わる?

かつて広大な飛行場が広がっていた立川。再開発が進められるなか、駅近くに残されていた巨大な空地が気になっていた方も多いのでは? 2020年4月、ついにそのエリアに大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープン。従来の立川のイメージを覆す洗練された空間に、子どもから大人まで多くの人が日々訪れている。歴史とともに変わり続けてきた立川のまちは、どこに向かっていくのだろうか?
米軍基地跡だった空き地に、緑豊かな「街」が誕生

新宿から中央線で約26分。都心からのアクセスに恵まれ、駅近くには緑豊かな国営昭和記念公園が広がるこの街は、かつて「基地のまち」だった。

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

大正時代に整備され、立川駅周辺に広がっていた「立川飛行場」は、1970年代まで米軍基地として使用されていた。立川は長い間、戦争のイメージと切っても切り離せない街だったのだ。

ところが平成に入ると、街は徐々にその姿を変える。土地区画整理事業や駅前の再開発により、大型商業施設やデパートなどが次々とオープン。上空を多摩都市モノレールが走る光景は、街の発展を印象づけた。

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

そして来たる2020年4月、残されていた駅北側の約3.9haの広大な空き地に、大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープンした。

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「ウェルビーイングタウン」をコンセプトとする同施設には、店舗や飲食店のほかに、2500席規模のホール「TACHIKAWA STAGE GARDEN」や、日常遣いできる都市型リゾートの「SORANO HOTEL」、保育園、オフィスなどが配置されている。単なる商業施設ではない、人が暮らす「街」を意識したテナント構成が特徴だ。

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ。(写真/片山貴博)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる。(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる(写真/片山貴博)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

歩いていると、点在するアート作品や遊び心のある演出が目を楽しませてくれた。よくある郊外の大規模商業施設のような既視感がないのは、こうした細部へのこだわりに、施設の個性が表れているからかもしれない。

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

新型コロナの影響で、4月のオープニングイベントは全て中止に 。しかし平日の夕方に高校生が訪れておしゃべりを楽しんだり、カスケードで水遊びをしたりするようになり、彼らの口コミから、 徐々に評判が広がった。 以前は立川駅からIKEAに向かう人々が通り過ぎるだけだったエリアが、現在では多くの人でにぎわっている。取材日は平日の昼間だったが、子ども連れのファミリーや若い女性が多く訪れていた印象だ。

この「GREEN SPRINGS」の開発を先導したのが、立川市のほぼ中央に約98万平方メートルもの土地を所有する、株式会社立飛ホールディングスだ。

1924年設立の立川飛行機を前身とし、戦後は不動産賃貸業を中心に事業を展開してきた同社が、地域社会に対する貢献へと舵を切ったのは2012年。グループ再編を経て、村山正道さんが代表取締役社長就任したことがそのきっかけとなった。

村山社長は、昭和48年(1973年)に立飛ホールディングスに入社。代表取締役社長に就任するまでの33年間、一貫して経理を務めてきた村山社長は、地域貢献に対する思いを次のように語った。

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

「かつての当社は、敷地を万年塀で囲うような閉鎖的な会社、地域に開かれているとは言えませんでした。でも私は、土地とは単なる資産ではなく社会資本なのだから、それを所有している以上、地域に対する責任を果たさなくてはならないとずっと考えていました」

村山社長の率いる立飛ホールディングスは、意思決定の速さを強みに、この8年で数々のプロジェクトを展開してきた。2015年12月の「ららぽーと立川立飛」を皮切りに、日本最大のフェイクビーチ「タチヒビーチ」、スポーツ大会やイベントで利用できる「アリーナ立川立飛」「ドーム立川立飛」などがオープン。街づくりを通じた社会貢献を意識しているからこそ、商業施設一辺倒ではない、多様な事業を誘致してきた。特に、街の文化振興への思いは強い。

「世界的に見ても、歴史上長く栄えてきたのは芸術・文化の街です。立川を、買い物ができるだけではなく、音楽などの芸術やスポーツを楽しめる街にしたいんです。今はなんでもオンラインでできると言われていますが、やはり生で見たときの刺激や学びは大きい。特にこの街で育つ子どもたちには、そうした環境を提供したいですね」

いま郊外の街の多くは、商業施設を中心とした再開発により、どこも同じような 印象だ。そんななか、立川はオリジナルな発展を遂げているように見える。参考にしている街はあるかと村山社長に問うと、「どこかの真似をしている感覚はない」と即答だった。

「立川には立川の街の歴史があり、独自の文化があります。それはほかのどの街とも、似て非なるものです。地域独自の文化を前面に押し出したまちづくりをすれば、街の魅力が上がり、結果的に住みたい人や働きたい人が増えると考えています」

「GREEN SPRINGS」には、ところどころ飛行場のモチーフが散りばめられている。街の歴史を大切にする立飛ホールディングスのこだわりが垣間見えた。

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

子ども時代のイメージが一変。立川は「変化を受け入れるまち」

変わっていく立川を、住民はどんな気持ちで見つめているのか。立川エリアで生まれ育った、あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さんにお話を聞いた。

岩崎さんは1995年に同組合の理事会に参加。2011年から代表理事として地域のさまざまな活動に携わっている。岩崎さんは活動を通じて、街の歴史の深さを知るとともに、立川ならではの良さに気づいたという。

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

「立川には特別有名な観光名所があるわけではありませんが、面白い施設が駅前の狭いエリアにぎゅっと詰まっています。専門店や百貨店、家電量販店、映画館、劇場、スポーツ施設、サブカルチャーや芸術関係の施設など。自然と触れ合える国営昭和記念公園もあります。新型コロナの影響で遠くに行きづらい時期だからこそ、徒歩圏内にこれだけの楽しみがあるのは一層魅力的に感じますね」

笑顔で語る岩崎さん。しかし意外なことに、子ども時代にはあまり立川にいいイメージを抱いていなかったという。
 
「親には、駅の北側(現在GREEN SPRINGSがあるエリア)には行くなと言われていました。昔その辺りは米軍基地でしたから、基地の方を相手にしていた大人なお店も多かったんです」

それが平成に入り、立川はみるみるうちに変貌を遂げる。再開発が進むにつれ、昔ながらの街並みが失われたことを嘆く住民もいた。しかし岩崎さんは、「今の立川の方が断然いい」とすっきりした表情だ。

「ずいぶんにぎやかになりましたよ。街が大きくなったと感じます。人口は昔からほとんど変わっていませんが、立川には昼間働きにきたり、遊びにきたりする『昼間人口』が多いんですね。居住人口が今後増えることは考えにくいので、関わってくれる人を増やすのは、街が存続していくために大切なことです」

昼間人口の増加とともに、人が訪れるエリアも広がっている。かつては「良くなったのは駅前だけ」と卑下する人もいたそうだが、GREEN SPRINGSは立川駅から徒歩8分。駅からは少し離れた場所にある。岩崎さんの言うように、街の大きさは確実に広がっており、それとともに、街全体に活気がもたらされているのだ。

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

「若い人が関わりたいと思ってくれる、魅力ある街であってほしいですね。立派な施設ができても、建物自体はいずれ古くなります。街が発展し続けるためには、やる気のある人がチャレンジしやすい環境が必要です。幸い立川には、よそ者を拒むような地域性がありません。昔から何でも受け入れる街なんです。懐を広く保っておくことが、立川の未来のためには大事なことだと思いますね」

変化を拒まず、受け入れる。日本の人口減少が止まらない中、立川の歴史は、郊外の街が発展し続けるための一つの方向性を示しているように見えた。

●取材協力
GREEN SPRINGS
立飛ホールディングス
立川市の歴史

SF映画みたいな「未来のまち」が現実に! テクノロジーを駆使したまちづくり

コロナ禍のまっただ中の2020年5月27日、参院本会議で可決された「スーパーシティ法案」。これによって、今後の日本の各地でA I(人工知能)やビッグデータを活用して生活全般をよりスマート化させる技術を実装した街が、本格的に登場することになる。未来の街なんてまだピンと来ない……というわけで、すでにそんなテクノロジーを駆使した「まちづくり事業」の展開を目指すパナソニックとトヨタが今年設立した合弁会社「プライム ライフ テクノロジーズ(以下P L T)」に、未来を見据えたまちづくりとはどのようなものか詳しい話を聞いた。
「あたりまえを変えていく」まちづくりとは?

ロボットが重い荷物を家の中まで運んでくれたり、健康診断を自宅にいながら受けることができたり、自動運転の車で外出ができる――。そんな今私たちが想像できるものを遥かに超える、次世代の人々の暮らし。
私たちの生活にガスや電気が当たり前になったように、これからは先端テクノロジーが生活をサポートすることで、暮らしの「あたりまえ」が変わろうとしている。

そんなまちづくりを進めるPLTを設立したのは、パナソニックとトヨタの2社。

パナソニックは、パナソニック ホームズなどと世界に先駆けて取り組んだスマートシティ「Fujisawaサスティナブル・スマートタウン」(神奈川県藤沢市)が今年で丸5年を迎えた。地域課題を解決するために、エネルギー、セキュリティ、モビリティ、ウェルネス、コミュニティの5つの分野を横断するサービスを提供。例えばコミュニティ内にある高齢者施設の部屋の温度・湿度や居住者の生活リズムを、同社製のエアコンとセンサーを用いることで、見守りを可能にしている。

Fujisawaサスティナブル・スマートタウン(写真提供/パナソニック ホームズ)

Fujisawaサスティナブル・スマートタウン(写真提供/パナソニック ホームズ)

一方でトヨタは今年、モノやサービスがつながる「コネクテッド・シティ」を推進することを発表した。「コネクテッド・シティ」は、人々が生活を送るリアルな環境のもと、自動運転やパーソナルモビリティといった進化した乗り物や、ロボット、スマートホーム技術に人工知能(AI)技術など、最先端テクノロジーを導入した実証都市。ゼロエミッションのモビリティと歩行者が歩く道が血管のように編み巡らされたまちから、「ウーブン・シティ」と名付けられた。実際に、2021年に静岡県裾野市にあるトヨタ工場跡地で着工予定だ。

PLTは、そんな2社のほか、関連会社であったパナソニック ホームズ、トヨタホーム、ミサワホーム、パナソニック建設エンジニアリング、松村組の5社との間で家や街づくりに関するノウハウを共有し、まちづくりに活かしていく。
PLTとしての共同まちづくりプロジェクトは、すでに全国で13ケースが予定されている。

「少子高齢化の影響による空き家の増加であったり、建築業界における就労人口の減少といったさまざまな社会課題を抱えているのが今の日本です。また暮らしの面では、AIやIoTの高度化、5Gの出現などで、現在はダイナミックな暮らしの変化が起きる目前。こうした大きな環境変化が想定される中で、全く新しい価値をもった、次世代の街を提供する必要があると考えました」と同社グループ戦略部主任 佐野遥香さん。

今ある技術やこれから生まれてくる最先端技術を使って、私たちが直面する社会課題に正面から取り組み、より良い生活を目指すまちづくりに期待が膨らむ。

同社まちづくり事業企画部 担当課長の粂田(くめだ)和伸さんは、「想像を超えた暮らしを実現したい」と語る。

「これまでは家を建てて売るということを事業の中心として行ってきましたが、今後は“くらしサービス事業者”として街全体をプロデュースしていきたいです」(粂田さん)

生活を支えながら、技術で社会課題も解決

具体的にはどのような街をつくろうとしているのだろうか。それを語るに欠かせないのが、トヨタのモビリティ技術、パナソニックのAIや先進デジタル技術を中心とした、グループ会社5社のノウハウによる家づくりだ。

「これまで1社だけで活用していた技術を、PLTではグループ各社と分け合っていけることが強みなんです」と話すのは、同社技術企画推進部 担当部長の小島昌幸さん。

左から、PLTまちづくり事業企画部担当課長の粂田和伸さん、PLT技術企画推進部担当部長の小島昌幸さん(写真提供/プライム ライフ テクノロジーズ)

左から、PLTまちづくり事業企画部担当課長の粂田和伸さん、PLT技術企画推進部担当部長の小島昌幸さん(写真提供/プライム ライフ テクノロジーズ)

例えば地震が起きたとき、ミサワホームが開発した「GAINET (ガイネット)」という、外出先からも瞬時に建物の被災度が分かる技術を、今後はパナソニック ホームズやトヨタホームが提供する住宅にも導入を検討しているという。このサービスは、万一の時には、被災した家の復旧支援を一早く提供することを可能にした技術でもある。

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建物の被災度が瞬時に分かるミサワホームの「GAINET(ガイネット)」は、今後P L T各社の新築物件でも導入できるよう検討中だという(写真提供/ミサワホーム)

建物の被災度が瞬時に分かるミサワホームの「GAINET(ガイネット)」は、今後P L T各社の新築物件でも導入できるよう検討中だという(写真提供/ミサワホーム)

また、近ごろ頻発している自然災害による長時間の停電対策として、トヨタ自動車からの技術支援を受け、一般的に広まっているハイブリッド車・プラグインハイブリット車の車載蓄電池からAC100V・1500W電力供給機能を住宅・建設物につなぐことで、安全な非常用電源として使えるようトヨタホームが研究開発中だという。この技術は、ミサワホーム、パナソニック ホームズが提供する住宅への展開も予定しているのだとか。

災害の多い日本では、災害対策された住まいへのニーズも高まっている。オンラインでつながることによる復旧支援の早期対応や、車載蓄電池を用いた電源確保といった先端テクノロジーを活かした家づくりへの期待は大きい(写真提供/トヨタホーム)

災害の多い日本では、災害対策された住まいへのニーズも高まっている。オンラインでつながることによる復旧支援の早期対応や、車載蓄電池を用いた電源確保といった先端テクノロジーを活かした家づくりへの期待は大きい(写真提供/トヨタホーム)

「技術を活用していくことで、人々の生活を支えながら、社会課題も解決していくことができると思っています」と小島さんは話す。

一方、AIやビッグデータを暮らしに導入することについて、プライバシーや個人情報の扱いなどについての側面から、一部で懸念する声もある。「技術はあくまでも、問題解決の手法。その一面だけを切り取るのではなく、問題解決のための必要ツールとして導入についての理解を得た上で、(セキュリティ面を含め)きちんと運用していくことが大切だと思っています」(小島)

防災対策万全な未来型都市「愛知県みよし市」

PLT設立後の最初の大型プロジェクトとして進行中なのが、愛知県みよし市にある大型分譲地「TENKUU no MORIZONO MIYOSHI MIRAITO(てんくうのもりぞの みよしみらいと)」だ。2020年6月13日から販売が開始されたこの戸建分譲地は、もともとトヨタホームが2018年に着手したプロジェクトで、PLTが掲げる”人と社会がつながるまちづくり“というビジョンに沿って展開した形だ。

TENKUU no MORIZONO MIYOSHI MIRAITOの顔とも言える「MORIZONO HOUSE(もりぞの はうす)」(写真提供/トヨタホーム)

TENKUU no MORIZONO MIYOSHI MIRAITOの顔とも言える「MORIZONO HOUSE(もりぞの はうす)」(写真提供/トヨタホーム)

この分譲地の特徴の一つが、町の中心部にある集会所として機能する、「MORIZONO HOUSE」。スマート防災コミュニティセンターである一方で、先進テクノロジーを用いて、停電時や災害時に一定期間、エネルギーを自給できる自立型の防災センターとして機能するようにつくられるという。さらに、非常用電源として、駆動用バッテリーから電力を取り出すことができるV2H(ヴィークル・トウ・ホーム)スタンド、防災水槽、使用済み車載バッテリーを再利用した、世界初の定置型蓄電システムであるスマートグリーンバッテリー、防災備蓄庫なども設置される。

そのほかに、電動自転車のシェアサイクルや、「次世代型電気自動車(E V)」の導入といったこともすでに予定されている上、先述のMORIZONO HOUSEでは、カルチャースペースや、コミュニティ・ラウンジ・キッチンを設備。コミュニティ内の住民同士の交流を図るパーティーやイベントなどを開催することも想定済みだ。

(写真提供/トヨタホーム)

(写真提供/トヨタホーム)

(写真提供/トヨタホーム)

(写真提供/トヨタホーム)

「例えば複数の企業のサテライトオフィスを街の共有スペースとして利用したり次世代モビリティが自動運転で街の中を自由かつ安全に走行し、高齢者やお子さんの移動手段となっていたり、住宅内のセンサーを設置して音や光を感知するセンシング技術と連携することで、住まいの不具合が生じた際に駆けつけサービスを行うといったことが、近い将来実現できるのではないかと考えています。また、お店に人がモノを買いに行くのではなく、お店を“可動”にすることでモノを欲しいと思っている人のところへお店の方からやってくる、といったこともできるようになるかもしれません。高齢化、ライフスタイルの変化、そしてこのコロナ禍での価値観の変化など、さまざまな暮らしの変化が起きています。でも、最先端の技術を最大限活かすことで、そんな変化に対応した、どんな人にとっても心地よい住まいや街をつくることができると思います」(粂田さん)

PLTには、7社(トヨタ、パナソニック含む)から、それぞれ異なる背景を持った社員が集まってまちづくりに取り組んでいる。小島さんが「この半年は、驚きと勉強の日々だった」というように、ビジネス習慣から持っている技術や知識についても違いがある中で、手を取り合って進めていく道は決して平坦ではないはずだ。だが同時に、社員の士気は高いという。

多様性あるアイデアやソリューションが集まるP L Tが提供する未来型都市が、世界に先駆けて超高齢社会という大きな問題を抱える日本が誇れる社会課題型ソリューションになることを期待したい。

●取材協力
プライム ライフ テクノロジーズ
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遊休地に屋台などでにぎわいを。3密を避けたウィズコロナ時代のまちづくり

新型コロナウイルスの感染リスクを低減しつつ、街のにぎわいを生み出すにはどうしたらいいのか、テラス席を設置して活用するなど、屋外を有効利用しようという試みが世界中ではじめられています。今回は都市部にある遊休地を活用して、半屋外・風通しのよい環境でにぎわいを生み出す取り組みをご紹介します。
高架下・建設予定地・空き店舗など、都市部には遊休地がいっぱい

遊休地とは、利用されていない土地のこと。地価が高く、土地の高度利用が進んでいる都市部ですが、鉄道や高速道路の高架下、建設予定地、空き店舗など、実は使われていない土地=遊休地は意外にたくさんあるもの。しかも空き家問題が進んでいることから、遊休地が増えているといいます。また、2020年の新型コロナウイルスの影響で、再開発事業などもストップし、一時的に塩漬けになっている土地もあるとか。

遊休地は一見するとなにも問題ないように見えますが、街のにぎわいが損なわれますし、放置されて不法投棄などがされれば、治安や景観にマイナスとなります。

「私自身、まちづくりや都市開発に14年ほど携わってきましたが、空き地や空き店舗など都市部の空洞化、スポンジ化が大きな課題のひとつでした。遊休地や空き家・空き地は街の活力を奪い、心理的にも視覚的にも大きなデメリットになっているんです」と話すのは、遊休地に屋台を並べて新しいにぎわいを創出している「Replace」の中谷タスク(なかたに たすく)さん。

写真最左が中谷 タスクさん(写真提供/Replace)

写真最左が中谷 タスクさん(写真提供/Replace)

課題となっている遊休地でなにかできないか、中谷さんが考えだしたのが「屋台」という手法です。飲食店は店舗を構えるとなると1000万円以上の費用が必要になり、それが経営の大きな負担になっています。ただ、屋台であれば初期費用が店舗と比較して1/20以下、キッチンカーと比べても1/6以下で済み、利益を生みやすくなります。

また、土地の所有者からすると、活用しかねていた土地を貸すことによる賃料収入を得ることができ、街ににぎわいも創出できるというメリットがあります。

京都府京都市の「梅小路京都西駅」の廃線跡の「梅小路ハイライン」に小籠包やクラフトビール、おでんなどの屋台が並ぶ様子。屋台って並んでいるとやっぱりワクワクしますよね……。8月7日からエリアを拡大してリニューアルオープンするとのこと(写真提供/Replace)

京都府京都市の「梅小路京都西駅」の廃線跡の「梅小路ハイライン」に小籠包やクラフトビール、おでんなどの屋台が並ぶ様子。屋台って並んでいるとやっぱりワクワクしますよね……。8月7日からエリアを拡大してリニューアルオープンするとのこと(写真提供/Replace)

「今までにぎわい創出を目的として、土地所有者、例えば鉄道事業者などがイベント開催費用を負担していましたが、この仕組みでは反対に賃料収入を得られる。何よりにぎわいも生み出せて、地域のブランド力の向上につながると考えています」(中谷さん)。

また、屋台そのもののデザイン性を向上させ、スタイリッシュな印象にしているのも印象的です。

実際、以前は不法投棄や違法駐輪でいっぱいだった大阪環状線天満駅の遊休地で中谷さんが実施した「ほんまのYATAI天満」では、駅の印象を大きく変えただけでなく、「この場所に来たい」と屋台を目当てに訪れる人も増えているとか。遊休地が資産になっている好例といえるでしょう。

「ほんまのYATAI天満」には焼き鳥、台湾料理、沖縄料理などの幅広い種類の飲食店の屋台がならぶ(写真提供/Replace)

「ほんまのYATAI天満」には焼き鳥、台湾料理、沖縄料理などの幅広い種類の飲食店の屋台がならぶ(写真提供/Replace)

屋台は半屋外で風通しのよさは抜群。でも人との距離が近い…

新型コロナウイルスの対策でいうと、屋台は「屋外」になるので、「密閉」にはなりませんし、お弁当やテイクアウトなどの業態とも親和性が高く、時流にあわせて業態を変えられるのも大きな魅力です。

「ただ、屋台では店主と客、客同士、つまり人との距離が近いことがあるんです。ここで会話がうまれて、新しい交流がうまれる。一方で、アルコールが入ることも多く、『密接』に近くなることも。そこはマスクや消毒など対策を徹底しつつ、取り組んでいます」と話します。

現在、Replaceには廃線跡や高架下、公開空地などに出店しないかという引き合いも多いといいます。
「屋台を始めたいという飲食店側、土地の所有者、それぞれからの問い合わせが増えています。街のにぎわいを絵に描くだけでなく、実際につくりだしていけたらと思っています」(中谷さん)

高架下はホステルやスポーツイベントにも活用できる

遊休地の活用法は飲食店だけではありません。「Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズ横浜日ノ出町)」(神奈川県横浜市)は、鉄道の高架下に複数のタイニーハウス(小型の移動できる住まい)を設置して「Tinys Hostel (タイニーズホステル)」とイベント・飲食スペース「Tinys Living Hub(タイニーズリビングハブ)」のほか、目の前を流れる大岡川で水上スポーツ「SUP(スタンドアップパドルボード)」などが体験できる「Paddlers+(パドラーズプラス)」からなる複合施設です。可動式の5台のタイニーハウスを設置することで、食べるだけでなく、遊ぶ、集うということも可能です。この「Tinys Yokohama Hinodecho」を運営する川口直人さんは、高架下の遊休地の可能性についてこう話します。

鉄道の高架下に可動式のタイニーハウスを並べてできた「Tinys Yokohama Hinodecho」(写真提供/YADOKARI)

鉄道の高架下に可動式のタイニーハウスを並べてできた「Tinys Yokohama Hinodecho」(写真提供/YADOKARI)

「Tinys Yokohama Hinodecho」にはタイニーズホステルがあり、宿泊も可能に(写真提供/YADOKARI)

「Tinys Yokohama Hinodecho」にはタイニーズホステルがあり、宿泊も可能に(写真提供/YADOKARI)

高架下は半屋外なので換気は良好。密を避けるにはぴったりの環境だ(写真提供/YADOKARI)

高架下は半屋外なので換気は良好。密を避けるにはぴったりの環境だ(写真提供/YADOKARI)

「遊休地は土地の所有者が今後、どうするか決めかねているということも多いもの。建築物は一度、つくってしまうと動かせませんが、可動式の施設を使うというのは、相性がいいのかもしれません。このスタイルだと、一時的にお試し・実験的に事業をすることも可能です。また、今回の新型コロナ対策のように大きな変化があっても、柔軟に対応することができます」と川口さん。

ちなみに「Tinys Yokohama Hinodecho」ができたのは2018年。もともとは違法風俗店が立ち並んでいたエリアでしたが、アートによるまちづくり、「Tinys Yokohama Hinodecho」などの努力によって、街の雰囲気が大きく変わりつつあった矢先、今回の新型コロナ騒動がおきました。今後のにぎわいについてどのように考えているのでしょうか。

「高架下は屋根や壁がなく、半屋外になるため実は換気が抜群なんです。また、タイニーズ横浜日ノ出町では基本的には外から何をしているのか見えるデザインになっています。ウィズコロナでは外から何をしているのか、にぎわいが可視化されて、不安を取り除けることがとても大切だと考えています」(川口さん)

大岡川から川を下れば、みなとみらいの風景を眺めながら水上スポーツ「SUP(スタンドアップパドルボード)ができる(写真提供/YADOKARI @横浜SUP倶楽部)

大岡川から川を下れば、みなとみらいの風景を眺めながら水上スポーツ「SUP(スタンドアップパドルボード)ができる(写真提供/YADOKARI @横浜SUP倶楽部)

さすがに密接・密集になるようなイベントはできませんが、それでもにぎわいを取り戻すための取り組みは続けています。

「街のにぎわいは、人が集まり、交流からうまれます。人が集まって語らうことは、街を守ることにもつながります。感染を恐れるあまりネガティブになりすぎるのではなく、気をつけながら街が少しずつ回復していくことを願っています」と川口さん。

「遊休地」を単なる「困った場所」ではなく、新しいにぎわいの場所とするために、試行錯誤はまだまだ続きそうです。

●取材協力
STAND3.0
Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズ横浜日ノ出町)

中央区晴海に「HARUMI FLAG パビリオン」オープン

東京・中央区晴海の都市開発プロジェクト「HARUMI FLAG」、その魅力が体験できる販売センター「HARUMI FLAG パビリオン」が、4月27日(土)にオープンする。「HARUMI FLAG」は、約13haの土地に5,632戸の分譲住宅・賃貸住宅と商業施設を含めた24棟を建築、保育施設やシニア住宅なども取り入れ、人口約12,000人が住む街とする一大プロジェクト。三井不動産レジデンシャル(株)、野村不動産(株)、住友不動産(株)など、大手デベロッパー10社が事業参画している。

「レインボーブリッジ」など東京湾を一望でき、三方を海に囲まれた眺望、多様な世代・ライフスタイルに対応できる多彩な施設、平均専有面積約84m2(第一工区)の広々とした住戸など、これまでにない「東京の新しい暮らし・価値」を提供するプロジェクトとして注目されている。

今回オープンする「HARUMI FLAG パビリオン」では、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)などの最新技術で、「HARUMI FLAG」で実際に暮らしているかのような臨場感を体験することができる。

また、5つのレファレンスルームでは、60m2台から100m2を超えるものまで、多様な世代・ライフスタイルに対応した間取りが体感できる。

さらに、新たな交通機関「東京BRT」、新しい駅「マルチモビリティステーション」、共用スペースや施設の紹介、中庭空間の見どころなど、5つのコーナーにて街の魅力を分かりやすく解説する。

施設は、都営大江戸線「月島駅」徒歩9分、「勝どき駅」徒歩15分、東京メトロ有楽町線「豊洲駅」徒歩15分に立地。見学は完全予約制(定休日:火・水・木)。なお、住戸の第一期販売は7月下旬から開始する予定。

ニュース情報元:三井不動産レジデンシャル(株)