育休中の双子パパ、家族で北海道プチ移住してみた! 半年暮らして見えてきた魅力と課題

「地方への移住」=田舎暮らしは憧れだけど、仕事環境などなどハードルが高い。
「男性の育児休業」=まだまだ認知されていなくて、取得できる気がしない……。
一見ハードルが高そうで互いに関係がなさそうな、こんな二つのキーワードを組み合わせた暮らしを体験してみると、実はすごく豊かな暮らし方&働き方改革、そして新たな地方創生が実現できるかも?! 1歳双子男子の関西人新米パパが実践レポートします!

男性の長期育休取得→移住体験にいたるまで

2021年の春のこと。「双子やったわ~」妻からの報告に、嬉しかったり、ビックリしたり。以前から抱いていた「育児休業」という言葉が頭の中を飛び回りました。現実問題として、双子の子育てって、一人じゃ到底難しいよなぁ……育休取れるんやろか。でも、0歳の子どもって、日々成長して変わっていくと言いますし、何にも代えがたい経験が出来る気がする。よくあるワンオペ育児もホンマに大変そうやし、妻に頼りっきりで、妻が倒れてしまったら双子育児なんてどうにも立ち行かなくなるし、二人で育児をするために、なんとか育休取らねば。

とはいえ、男の育休が話題になっている今ですが、現実問題としては、突然いなくなるのも周りへの迷惑も気になるのも事実。社外のバリバリ働いている友人たちからは、その後の会社での処遇なども含めて心配もされました。まだまだ世の中の雰囲気は男性育休に対して意見がいろいろあるんやなぁと実感しました。

ただ幸いなことに、先輩女性職員さんをはじめ、社内のほとんどの同僚たちは大賛成してくれ、上長も「双子やしね~」と前向きな反応。その後、3カ月程にわたり会社との相談を重ね、長期育休を取る方向で話を進めていき、2021年10月、無事、双子男子の父となることができました。

無事産まれて、家に来てくれたばかりの双子。今改めて見ると、本当にちっちゃくてカワイイ!(写真撮影/小正茂樹)

無事産まれて、家に来てくれたばかりの双子。今改めて見ると、本当にちっちゃくてカワイイ!(写真撮影/小正茂樹)

単に“イクメン”として子育てするのも良かったものの、ふと、「育休中って会社に通勤せんでもいいし、育児を大好きな北海道で出来るんじゃ?!」と頭によぎりました。子どもたちの育児環境も、都会より、緑が多くて、空気が澄んでいて、のんびりした空間で出来たほうがいいんじゃなかろうか。記憶には残らないまだまだ小さい頃ですが、のんびりした温和な性格に育ってくれないかなぁ。周囲の先輩パパ・ママに聞いてみると、都会で泣き声とかで周囲への迷惑などにビクビクしながら育てるより、のんびりした空間で育てるほうが親にも子どもにもいいと思うなぁとのこと。

会社に確認すると、育休中の居住地は特に問わず、連絡さえつけばどこにいても問題ないとのこと。そこまで確認し、2021年度中はリモートワーク主体になりながらも、仕事をこなしつつ、2022年度には、長期の育休を取得させていただくことで、上司・人事にも仁義を切り、社内調整も完了しました。あとは、北海道で暮らす算段を立てるのみ!!

せっかく行くなら、できるだけ長く、半年くらいは北海道で暮らしてみたい。暮らす手段を考えてみると、やはりコストの問題が出てきます。ウィークリー/マンスリーマンション的なもの。エアビー(Airbnb)的なもの。長期で借りると安くなる可能性はあるとはいえ、やはり結構高額になってしまう。また、本州から北海道までの引越し代って、海を確実に渡るので、すっごい高いと友人からも聞いています……。うーん、難しい。

でも、すごくいい解決方法が見つかりました!「移住体験」という制度です。
地方都市のいろんなところで実施しているこの制度、これなら、「家具・家電付き」で、「家賃」もお値ごろの住宅が多い。そして、市町村が運営しているだけに、町のあれこれも教えていただけたりしそうで一石二鳥。「ちょっと暮らし」という北海道の体験移住WEBサイトも発見! このサイトなどを穴が開くほど見つめて、友人・知人の多く住んでいる北海道十勝エリア、日高エリアを中心に検討することにしました。また、私が住む大阪には、「大阪ふるさと暮らし情報センター」というところもあり、こちらでは、パンフレットをいただいて、より詳細に検討を行いました。

WEBでいろいろと調べるのもいいですが、調べ物はまずは紙派。いただいたパンフやこれまでストックしてあったさまざまな資料をチェックしながら、詳細をWEBで確認して、検討していきました(写真撮影/小正茂樹)

WEBでいろいろと調べるのもいいですが、調べ物はまずは紙派。いただいたパンフやこれまでストックしてあったさまざまな資料をチェックしながら、詳細をWEBで確認して、検討していきました(写真撮影/小正茂樹)

問い合わせてみると、申込条件としては、基本的に、「二拠点居住」「移住」などを検討していることになっています。私としては、以前から北海道が大好きで、仕事の調整が付けば、将来的に「二拠点居住」が出来ると嬉しいなぁと思っていたため、条件はクリア。

妻の説得、幼い子どもを連れて移住体験するために考えておくこととは

北海道に行く。この気持ちはもう揺るがないものになってきてはいるものの、当時の最重要タスクは、0歳児双子の育児&出産間もない妻の心身のケア。コロナ禍まっただ中ということもあり、都会の子育てサロン的なものはほぼすべて中止になり、なかなかママ友などもできない状況でした。「都会にいると息苦しいから、育児は田舎の方でやったほうがいいかなぁ」なんてことを小出しにしながら、妻の意向確認をするべく、18ページにわたる企画提案書を出してみました。この企画提案書では、暮らすことになる移住体験住宅のイメージはもちろん、大阪での育児と比べて、のんびりした育児環境となること、グルメや遊び情報などと合わせて、プチ移住するにあたっての子どもたちの予防接種などの課題などにも触れ、まずは妻の意見をしっかり聞けるように工夫しました。

妻にプレゼンした18ページの育休期間暮らし方提案書(写真撮影/小正茂樹)

妻にプレゼンした18ページの育休期間暮らし方提案書(写真撮影/小正茂樹)

妻からは楽しそう、美味しいものが食べられそう、などというポジティブな意見もあったものの、「医療機関など子育てに不安がない都会から、突然地方へ乳飲み子を抱えて移動するリスク」や、「最寄りの医療機関の情報」「日常の買い物施設の情報」「子連れウェルカムな施設」などの宿題をたくさんもらいました。プレゼン終了後、別資料で「最寄りの医療機関」「日常の買い物施設」については、地図にプロットし、どこに何があるか、口コミ情報なども調べて、しっかり共有しました。また、小さな子連れで過ごせる施設や、子育てサロン的な集まりなども事前に自治体さんに問い合わせするなどして、情報を集めていき、思ったよりいろいろなものがあることも分かり、無事課題クリア。

しかしながら、「乳飲み子を抱えて移動するリスク」については、難しい点がありました。子育てをご経験された方はご存じかと思いますが、産まれて満1歳ころまでは、数多くのワクチン接種などがあり、健診もたくさん。これらをどこで受診するのか、あれこれ考えることが結構ありました。実は、移住体験はあくまで扱いとしては、「体験」であるため、住民票の異動は認められていません。そのため、ワクチン接種や健診の主体はもともと暮らしている自治体で受診するのが原則になっています。ワクチン接種もできるだけもともと通っていた医院で受けたいという妻の意見をくみ取りつつ、健診がいったん落ち着く9カ月健診の終了後、2022年7月、移住体験をスタートできることになりました。

双子にとって初めての飛行機に乗り、帯広空港に到着。友人たちが荷物運びなどのために出迎えてくれました(写真撮影/小正茂樹)

双子にとって初めての飛行機に乗り、帯広空港に到着。友人たちが荷物運びなどのために出迎えてくれました(写真撮影/小正茂樹)

移住体験先の賢い選び方!

移住体験でお借りできる住宅は、家賃・築年・広さ・住宅内の設備や付属している家具・家電などなど、本当に千差万別。教員住宅だったものを利活用している(小中高校の教員さん向けの公務員住宅だが、地方では統廃合などで、教員住宅自体が余ってきている)ケースが多いですが、民間物件や、地元木材を使って新築で建てられた移住体験用住宅をお借りするケースもあります。個人的なおすすめとしては、移住体験用に建てられた住宅。家賃が他のものより高いことが多いですが、設備も新しく、妻を説得する私としては、「せっかく移住体験するなら、きれいなところ」というのは結構重要な点でした(笑)。

豊頃町(とよころちょう)でお世話になった移住体験住宅は、妻へのプレゼン資料で決め手に。築10年ほど経っていますが、地元木材がふんだんに使われ、お庭も広く、吹き抜けの気持ちいい空間が広がります(写真撮影/小正茂樹)

豊頃町(とよころちょう)でお世話になった移住体験住宅は、妻へのプレゼン資料で決め手に。築10年ほど経っていますが、地元木材がふんだんに使われ、お庭も広く、吹き抜けの気持ちいい空間が広がります(写真撮影/小正茂樹)

また、寝具は別途レンタルとなっていたり、水道光熱費は、灯油代(暖房代)は別途となっていることは多いものの、水道・電気代は込みになっていることが多いです。

■検討する際に忘れてはならない大事なポイント
・借りられる期間(これは市町村さんごとに2週間~1年程度まで、全く異なるので要注意!)
・申し込み締切り日(年に1回、まとめて募集があります。その締切りは概ね年末から2月中旬までが多いです。それ以降も、空きがある場合は、追加募集を行う市町村もあるため、要チェック)
・北海道の場合は、夏場の暑さ!北海道といえど、夏場は30度以上になったりして、暑く感じることもありますが、移住体験住宅はエアコン設備がないところがほとんど。逆に冬はストーブが付けていれば、本州の家とは比べ物にならないくらい暖かいです。移住体験する時期に注意!!

我が家としては、「半年間継続して暮らせる」ことが何より重要でした。乳飲み子を抱えて、ウロウロするのは結構大変。なので、基本的に、半年間を一つの町で暮らせるように考えました。ただ、半年間という長期で申し込める市町村はそこまで多くはなく、申込締切りに間に合い、かつ、楽しい暮らしが実現できそうな「豊頃町」「上士幌町(かみしほろちょう)」の2町に申込することにしました。そして、無事選定いただき、豊頃町で2カ月、上士幌町で4カ月、移住体験をさせていただくこととなりました。

【豊頃町の決め手】
・とにかく移住体験住宅がかっこいい!
・お庭があって、希望者は農作業ができる家庭菜園も。子どもたちに収穫した野菜を食べさせてあげられるかも(今回は2カ月の短期居住で収穫体験が出来るよう、特別に先に植え付けをしてくださっていました)
・農地に隣接していて、のんびり空間を満喫できそう。
・問い合わせした際の町の担当の方がすごく親切だった。
・十勝エリアのなかでも、あまり情報がない町なので、どういう町か暮らしてみたかった。

豊頃町の移住体験住宅からの眺め。都会では到底味わえない抜け感で心身ともにリフレッシュができました(写真撮影/小正茂樹)

豊頃町の移住体験住宅からの眺め。都会では到底味わえない抜け感で心身ともにリフレッシュができました(写真撮影/小正茂樹)

【上士幌町の決め手】
・「ママのHOTステーション」という子育てママが集える空間があった。
・糠平温泉郷や小学校をリノベしたカフェなど、楽しめそうな場所がたくさんあった。
・町がさまざまな斬新な取組みをされているので、肌でそれを感じたかった。
・移住者がすごく多い町という噂なので、移住されている方と仲良くなれるかも。
・移住対応窓口がNPO法人で、いろんな暮らしの情報をもらえそうだった。

「ママのHOTステーション」。実は、一昨年、仕事で上士幌町を視察をしたとき「これや!!」と直感して、上士幌町に移住体験して、妻に通ってほしい!と思ったのです。実際、すごく居心地よく素晴らしいものだったそうです(写真撮影/小正茂樹)

「ママのHOTステーション」。実は、一昨年、仕事で上士幌町を視察をしたとき「これや!!」と直感して、上士幌町に移住体験して、妻に通ってほしい!と思ったのです。実際、すごく居心地よく素晴らしいものだったそうです(写真撮影/小正茂樹)

まだまだ他の町にも! チェックすべき移住体験のオトク情報

移住体験住宅のセレクトで、つい目が行きがちなのが、「家賃」や「築年数」「広さ」など。もちろん、暮らすにあたって、すごく重要なポイントではありますが、実は、個性的な特徴を持っている移住体験住宅もたくさんあります。そんなおすすめポイントを、私が検討した日高・十勝エリアに絞り込んでご紹介します。

1、農園付き住宅!
私が暮らさせていただいた豊頃町の移住体験住宅は、2戸で800平米の敷地。えらい広いなぁと思っていたら、実は、農園付きの住宅でした。自由に植え付けることもできますが、私たちは短期滞在ということもあり、役場のOBのおじいちゃまが育ててくださって、収穫体験させていただく、というようなありがたいサプライズもありました!

また、士幌町には、その名も「もっと暮らし体験『農園付き住宅』」という農園をがっつり楽しみたい方のための1年以上の長期滞在向け体験住宅も用意されていて、本気度が高い方にはこちらもおすすめです。

豊頃町の移住体験住宅のお庭でジャガイモの収穫! 町役場OBのおじいちゃまが手伝ってくださいました。我が家はほとんど収穫体験のみ……。できたて野菜をたくさん双子に食べさせてあげられました(写真撮影/小正美奈)

豊頃町の移住体験住宅のお庭でジャガイモの収穫! 町役場OBのおじいちゃまが手伝ってくださいました。我が家はほとんど収穫体験のみ……。できたて野菜をたくさん双子に食べさせてあげられました(写真撮影/小正美奈)

2、ワーキングステイできる!
ロケット開発や宇宙港開発で有名になりつつある大樹町(たいきちょう)では、移住体験住宅の一つが、専門的な知識やスキルを持つ「クリエイティブ人材」のワーキングステイの場として提供されています。デザインやWEB等の知識がある方、ICTを活用し、都市部の仕事をテレワークで受注する企業や個人事業主の方向けということになっています。実は、このワーキングステイで大樹町にまちづくり提案をした場合、1カ月分の家賃相当の謝礼を受け取ることができます。まちづくりに興味がある方はもちろん、これから宇宙関係で盛り上がっていく大樹町に関われるチャンスが生まれるかもしれません。

大樹町と言えば、実業家の堀江貴文さんが創業し、ロケット開発をベースに宇宙の総合インフラ会社を目指しているインターステラテクノロジズ株式会社。大樹町の宇宙産業開発はこれからも大注目!(写真撮影/小正茂樹)

大樹町と言えば、実業家の堀江貴文さんが創業し、ロケット開発をベースに宇宙の総合インフラ会社を目指しているインターステラテクノロジズ株式会社。大樹町の宇宙産業開発はこれからも大注目!(写真撮影/小正茂樹)

3、オシャレ空間で暮らしたい!
私が暮らしていた豊頃町の移住体験住宅は2棟ともに木材がふんだんに使われていて、土間があったり吹き抜け空間があったりと、妻もオシャレとすごく喜んでいました。また、上士幌町でも、私が滞在した移住体験住宅とは別に、1カ月以内の短期居住向け住宅があり、ややお家賃の割高感はあるものの、新築のオシャレな住宅も用意されています。また、足寄町(あしょろちょう)の移住体験住宅も新築になりますので、快適な暮らしができるのではないでしょうか。

さらに、十勝清水町では、令和5年1月に無印良品さんとコラボし、リノベーション&家具・家電をコーディネートしたすっごいオシャレな住宅が完成しました。一般的な移住体験住宅でちょっと残念なのが、家具・家電のコーディネート力がやや弱いこと。しかしこちらの住宅は、内装に合わせて家具・家電もコーディネートされていました。

豊頃町の体験住宅は、土間・薪ストーブ付き。革小物のハンドメイド作家の妻は、土間で制作作業をしたり、デザインを考えたり。冬ならぜひ、都会の人の憧れ、薪ストーブも使ってみたかったです(写真撮影/小正茂樹)

豊頃町の体験住宅は、土間・薪ストーブ付き。革小物のハンドメイド作家の妻は、土間で制作作業をしたり、デザインを考えたり。冬ならぜひ、都会の人の憧れ、薪ストーブも使ってみたかったです(写真撮影/小正茂樹)

4、馬に囲まれて暮らせる!
また、日高エリアの浦河町では、民間の戸建て物件やホテルなどが移住体験住宅として提供されていますが、そのなかで、「うらかわ優駿ビレッジAERU」の和洋室のお部屋がミニキッチン付きで家族でも十分な広さがあります。ホテル内には大浴場もあり、敷地内にはお馬さんたちがたくさん繫養(けいよう)されていて、のんびりした空間が広がります。北海道発祥のスポーツ「パークゴルフ」や、乗馬も初心者から楽しめるコースも。私も今回の北海道プチ移住では1週間ほど滞在しましたが、ホテルライクにいろいろ体験しながら、のんびり暮らしたい方にはおすすめです。

うらかわ優駿ビレッジAERUの敷地内でのんびり草を食むお馬さん。浦河町は古くからサラブレッドの生産・育成が主な産業。のんびりした牧場空間でサラブレッドが過ごす光景は本当に癒やされます(写真撮影/小正茂樹)

うらかわ優駿ビレッジAERUの敷地内でのんびり草を食むお馬さん。浦河町は古くからサラブレッドの生産・育成が主な産業。のんびりした牧場空間でサラブレッドが過ごす光景は本当に癒やされます(写真撮影/小正茂樹)

長期育児休業×移住体験で新たな暮らし・生き方・住まいを探そう!

現在、日本では、異次元の少子化対策として、さまざまな検討がなされています。私は一足先に、男性ではまだまだ珍しい長期育児休業を取得し、さらに移住体験を通じて、地方で子育てをすることで、すごくポジティブに育児に取り組めました。

■長期育児休業×移住体験のいいところ
・移住先では、子どもをすごく大事にしてくださいました。子どもを抱っこしてくださった地域のおばあちゃまたちの笑顔にすごく癒やされます。
・会社員としての属性は残したまま、自分が気になっているエリアに中・長期で移住体験ができる。
・例えば、祖父母の近くの町などに移住体験できれば、祖父母孝行をしながら、育児ができる。
・中・長期で暮らすことによって、地域の住宅やお仕事情報などが手に入ったり、地元のお祭りに参加出来たり、新しい友人・知人が増え、人生が豊かになる。
・20・30代の方々が長期育休を取り、地方へ移住体験することで、地方の活力がアップしたり、二拠点・多拠点居住など新たな暮らし方を模索するきっかけに。地方の空き家対策などにもつながる可能性。関係人口という地域とのつながり方も注目されています。
・自分の暮らす町で育児をすると、どうしてもマンネリ感と、ストレスを感じがち。移住体験で子育てすることで、日々に変化が生まれ、リフレッシュできる環境で子育てができる。

喫茶店で私たちがランチを食べている間、お店の方とお客さんが双子と遊んでくれているようす。いろんなお店でいろんな方にすごくお世話になりました。おばあちゃまたちの子どもあやすスキルがすごい!(写真撮影/小正茂樹)

喫茶店で私たちがランチを食べている間、お店の方とお客さんが双子と遊んでくれているようす。いろんなお店でいろんな方にすごくお世話になりました。おばあちゃまたちの子どもあやすスキルがすごい!(写真撮影/小正茂樹)

数多くのローカルイベントにも参加でき、町の雰囲気などをいろいろな角度から体感できたのは大きな収穫でした(写真撮影/小正茂樹)

数多くのローカルイベントにも参加でき、町の雰囲気などをいろいろな角度から体感できたのは大きな収穫でした(写真撮影/小正茂樹)

私たちの子どもが双子だということもあるかもしれませんが、どこに出掛けても、いろんな方に声を掛けていただいて、子どもたちをあやしたり、抱っこしてくださったりしました。子どもたちをかまってくださるのは本当に助かりました。町の喫茶店や食堂では、お店の方とお客さんが双子の世話をしてくださり、その間に我々夫婦は食事をとったり、コーヒーを飲んだりも。おかげで、子どもたちは人見知りも、場所見知りもしなくなり、我々夫婦はゆっくり食事ができたりと、良いことずくめでした。そして、すごい副産物やな、と感じたのは、抱っこしてくださったおばあちゃまたちが笑顔で「ありがとう!小さい子に会うのもなかなかないからほんまに癒やされたわ~、また抱っこしたいから遊びに来てね!」と言ってくださったこと。こちらが助けていただいているのに、本当にありがたかったですし、多世代の交流が勝手に生まれていて、すごくほんわか空間ができていました。

また、旅行ではなかなか得られない地域の細かな住宅やお仕事事情、行政サービスのことなどなど、いろんなことを知ることができ、将来的な移住検討もより具体的に考えられるなと感じました。

お孫さんが使っていたというおもちゃを使って、双子とずっと遊んでくださった喫茶店のマスター(写真撮影/小正茂樹)

お孫さんが使っていたというおもちゃを使って、双子とずっと遊んでくださった喫茶店のマスター(写真撮影/小正茂樹)

一方、この新しい暮らし方にも課題があります。

■長期育児休業×移住体験のここに注意! 改善できればいいなというところ
・住民票が動かせないので、行政サービスが受けられないものが多い。
・育児休業中の収入は育児休業給付金のみ(雇用保険料を一定期間納めている方のみいただける制度)になるため、ある程度貯金を取り崩したりするなどしないとダメ。
・保育・幼稚園留学や小・中学校のデュアルスクールなど、教育環境が柔軟なエリアはまだまだ少ないので、兄弟がいる世帯は難しいケースも。

育児休業給付金の制度は、取得から当初180日間は直近6カ月の給料相当額の67%、その後、50%にまで減額されます。社会保険料などは免除されるため、当初180日間を概ね80%まで引き上げることができれば、働いているときとほぼ変わらない収入を確保でき、心配なく育児に専念できます。こうなれば、男性の半年間程度の長期育休は確実に増えると思います。また、私たちのように、地方への移住体験をしながら育児、といった新しい子育てのあり方もどんどん生まれてくるのではないでしょうか。

保育・幼稚園留学や小・中学校のデュアルスクールなどは、まだまだ数は少ないものの、私たちがお世話になった上士幌町では、「上士幌Two-way留学プロジェクト」という地方と都市の2つの学校の行き来を容易にし、双方で教育を受けることができる留学制度は既に始まっており、浦河町でもすごくステキなこども園が一時保育などを積極的に受け入れられています。子どもたちの教育環境としても、実は地方のほうが手厚く、都会では経験できないようなさまざまな体験ができるのではないかなと思います。

ぜひ、国や自治体さんには子育ての多様化、ポジティブな子育て環境をつくりだしていただいて、子どもを育てやすい、と思えるような環境整備や制度拡充ができてくればいいな、と思います。

浦河町滞在時に利用した「浦河フレンド森のようちえん」の子育て支援フレンドクラブ。絵本の読み聞かせなどをしてくださり、園舎内も自由に遊ばせてOK。ワーケーションなどで浦河町滞在時の一時預かりなどにも対応されています(写真撮影/小正茂樹)

浦河町滞在時に利用した「浦河フレンド森のようちえん」の子育て支援フレンドクラブ。絵本の読み聞かせなどをしてくださり、園舎内も自由に遊ばせてOK。ワーケーションなどで浦河町滞在時の一時預かりなどにも対応されています(写真撮影/小正茂樹)

妻の双子の妊娠が発覚してから、ぼんやり考えていた育児休業と真剣に向き合い、男性ではまだまだ珍しい長期の育児休業取得へ。さらに、単に育児休業を取って育児をするより、親のリフレッシュも兼ね、いつもと違った環境に移住体験しながら育児ができたことは、すごくいい刺激を受け、よい経験となりました。

今回、お伺いした2町以外にも移住体験住宅はたくさんありますし、都市部では絶対に経験できないような魅力的なコンテンツも盛りだくさん。旅行では味わえない、田舎暮らしを満喫して、育児も!暮らしも!しっかり人生を楽しみながら、育児に取り組む。こんな新しい育児休業はすごく可能性があるなと感じました。 

また、今回の長期育児休業×移住体験を行ったことにより、新しい友人・知人ができ、新しい地方の魅力を体感できました。もちろん、これからも今回伺った地域との関わりは続けていきたいなと思っています。地方創生の新たな仕組みにもなり得るのではないか、そんなことを感じる体験となりました。

2023年1月中旬、中札内村の道の駅内にある無料で遊べるキッズスペースにて。生後9カ月で北海道に来た双子も、1歳3カ月になり、しっかり歩き回り、自己主張も出てきて、のびのび成長してくれています(写真撮影/小正茂樹)

2023年1月中旬、中札内村の道の駅内にある無料で遊べるキッズスペースにて。生後9カ月で北海道に来た双子も、1歳3カ月になり、しっかり歩き回り、自己主張も出てきて、のびのび成長してくれています(写真撮影/小正茂樹)

移住体験ラストは、さよならパーティーを企画。総勢40名を超える方々にお越しいただけて、半年で本当にさまざまな友人・知人が新たに出来て、これからの人生がより豊かになると確信したひとときとなりました(写真提供/森山直人)

移住体験ラストは、さよならパーティーを企画。総勢40名を超える方々にお越しいただけて、半年で本当にさまざまな友人・知人が新たに出来て、これからの人生がより豊かになると確信したひとときとなりました(写真提供/森山直人)

●関連サイト
大阪ふるさと暮らし情報センター
豊頃町移住計画ガイド
上士幌町移住促進サイト
上士幌町Two-way留学プロジェクト

「住みたい街ランキング2023関西版」自治体では明石市・草津市が大躍進。駅は梅田が西宮北口を引き離し断トツ1位に!

リクルートは関西圏(大阪府・兵庫県・京都府・奈良県・滋賀県・和歌山県)に居住している20歳~49歳の4600人を対象に実施した「SUUMO住みたい街ランキング2023関西版」を発表した。さて今年の順位は?

TOP3は昨年同様1位「梅田」、2位「西宮北口」、3位「神戸三宮」

まず、今年の「2023年の住みたい街(駅)ランキング」の結果を紹介しよう。
TOP3は1位が関西ナンバーワンの都心「梅田」、2位が盤石の人気を誇る阪神間の街「西宮北口」、3位が神戸市の玄関口「神戸三宮」だった。
順位は昨年(2022年)と同じだが、1位と2位の得点差は122点と昨年より広がっており、「梅田」の人気の高まりがより顕著となった。

関西住みたい街(駅)ランキング

20位までに目を向けると、滋賀県の「草津」が7位にランクインし、2018年以降の最高位を獲得した。
「京都河原町」「心斎橋」も過去最高位に。それぞれ京都市、大阪市の中心エリアにあり、商業施設が集積する華やかな街。大都市の利便性を存分に享受できるのが共通した魅力だ。

「梅田」の圧倒的な強さは、資産価値重視の傾向が背景に

2位と得点差を大きく広げて断トツ1位となった「梅田」は、昨年の得点と比べても82点もポイントアップしている。
街の魅力項目では、「働く場として」「街の賑わい」などのほか、「不動産の資産価値が高そう」が上位にあげられた。
別途SUUMOで行った「住まいの価値観に関する調査」では、若い世代ほど住宅の資産性を重視し、そのときに自分に合った選択で住み替えたいと考える傾向がある。現在、梅田周辺は「うめきた2期地区開発プロジェクト」が進み、関空直結のJR「うめきた新駅」が今年3月開業など、資産価値の面で高いポテンシャルを持つ。
本来、ビジネスや商業のイメージが強い梅田だが、JR大阪駅北側「うめきた」エリアの再開発による活性化で住宅供給も増加。直近の5年間でも徒歩15分圏内で3000戸以上の分譲マンションが供給された。
住宅の増加や、資産価値重視の傾向が、住む対象として大きな注目を集める背景となっているのだろう。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

得点がジャンプアップした街(駅)ランキング

さらにTOP50の中で大きく得点を上げた街を見てみよう。
神戸三宮(+49点、3位→3位)、十三(+37点、123位→68位)、中津(+36点、48位→32位)など、都心部の注目度の高さがうかがえる。
一方、「嵐山」(+60点、25位→13位)、「伏見桃山」(+29点、146位→81位)、御影(+29点、30位→24位)、箕面(+29点、33位→25位)なども順位を上げた。都心へのアクセスが良い上、緑豊かな自然環境にも恵まれた近郊の街も支持を集める結果となった。

「住みたい自治体ランキング」では明石市が初のトップ3入り

アンケートでは「住みたい街(駅)」とともに「住みたい自治体」についても尋ねた。ランキングに合わせて、昨年から得点がジャンプアップした注目の自治体のトピックスにふれていこう。

関西住みたい自治体ランキング

得点がジャンプアップした自治体ランキング

1位は昨年に引き続き「兵庫県西宮市」、2位が「大阪府大阪市北区」。3位は昨年の6位から大きくランクアップした「兵庫県明石市」だ。得点も昨年から131ポイントアップ。自治体の中で最も得点を伸ばした。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

近年の明石市の人気には目を見張るものがある。
明石市を支持したのは、「夫婦+子ども世帯」「女性総合」「女性30代」が多く、「シングル女性」「シングル男性」でも過去最高位を獲得。
街の魅力を尋ねると、全国的にも有名な「子育てサービスの充実」のほか、「メディアに良く取り上げられて有名」「今後街が発展しそう」などの回答が多かった。行政の独自施策とメディアへの発信力がランクアップに功を奏したとも言えそうだ。(子育て支援の“東西横綱”千葉県流山市と兵庫県明石市、「住みたい街ランキング」大躍進の裏にスゴい取り組み)
明石市への投票は関西出身者では昨年の4位から3位にアップだが、関西圏以外の出身者でみると昨年の17位から5位と、大幅に上昇した。話題をきっかけに関西に地縁の薄い人からも注目を集めるようになってきており、さらなる人口増が期待される結果となった。

また、「子育てに関する自治体サービスが充実している」の項目で明石市に次いで2位となったのが、「住みたい自治体」で24位にランクインした箕面市。昨年からの得点ジャンプアップランキングでも5位に入っている。
18歳以下の子どもの医療費無料(親の所得制限なし)や、通学路や公園の防犯カメラ設置やコミュニティバス「オレンジゆずるバス」の運行など、子育てや防犯、福祉などのサービスが充実した街だ。
一方、街づくりの面でも、大阪大学箕面キャンパスが2023年度開業予定の「箕面船場阪大前駅」に移転し、周辺には図書館や芸術劇場なども誕生予定。「みのおキューズモール」と繋がる「箕面萱野駅」も2023年度に開業予定と、今後の資産価値上昇への期待も膨らみそうだ。

箕面萱野駅(写真/PIXTA)

箕面萱野駅(写真/PIXTA)

若い世代の人気を集めた華やかな街、大阪市天王寺区。働き暮らす街として存在感を高める草津市

大阪市天王寺区は昨年の7位から今年は4位に。年代・ライフステージ別では20代で2位、20代男性では1位と若い世代から人気を集める結果となった。得点ジャンプアップランキングでも明石市に次ぐ2位。主な理由に「文化・娯楽施設の充実」や「街に賑わいがある」などがあげられ、華やかな印象の街として人気を集めていることがわかる。
天王寺区には2014年に「あべのハルカス」がオープンし、翌2015年には天王寺公園にサッカーコートやレストラン、カフェなどの施設を備えた「てんしば」エリアがオープン。その後も「てんしばi:na」など、新しい施設の誕生が相次いだ。“楽しく暮らせる街”の顔が人々の心をつかんだようだ。

てんしばi:na(写真/PIXTA)

てんしばi:na(写真/PIXTA)

「住みたい自治体ランキング」で初のトップ10入りした草津市。「住みたい街ランキング」でも昨年より順位を上げ7位にランクイン、得点ジャンプアップランキングでも前述の箕面市に次ぐ6位に食い込んでいる。
草津市は再開発により大型商業施設を整備。草津駅を核とする発展への期待に加えて、琵琶湖畔の美しい景観や、JRで京都や大阪と直結する交通アクセスの良さなども魅力だ。
街の魅力が広く認知されるととともに、人口増加も顕著に。草津市のある滋賀県は転入超過数が全国で8番目、関西2府4県では1番多く、中でも草津市は大津市に次ぐ転入超過数だ。立命館大学をはじめとする産官学連合による製造業の発展などの成果もあり、働き暮らす街としての存在感を増しているといえるだろう。

派手さはなくても魅力ある街の登場に期待

2023年の「住みたい街ランキング」では、「梅田」が圧倒的人気を集めた。また、「神戸三宮」「十三」「中津」「なんば」なども大きく得点を伸ばし、大都市中心部の人気の高まりが顕著となった印象だ。
一方、大きく躍進した郊外の街もある。子育て施策を中心とするサービスが全国的な話題となり人口増を実現した「明石」、再開発で評価を高めた「草津」などだ。どちらも街の整備や市民目線の施策の充実に取り組み、地道に成長してきた結果と言えそうだ。
大都市やブランド的な街だけでなく、派手さや知名度はなくても魅力のある街がこれからも登場してほしいと感じる。

●関連リンク
「SUUMO住みたい街ランキング2023 関西版」プレスリリース

魔法の駄菓子屋「チロル堂」、大人の飲食代が子どものカレーやおやつに変身! 子どもを貧困・孤独から地域で守る 奈良県生駒市

「まほうのだがしやチロル堂」は、貧困や孤独といった環境にある子どもたちを、地域みんなで支える魔法の駄菓子屋さん。子ども食堂など食べ物を通じた取り組みが話題になるなかで駄菓子を通じた新しい取り組みです。この仕組みを支えているのは地域の大人の寄付。2022年にグッドデザイン大賞を受賞しており、理由は、大人が飲食を楽しむことで、代金の一部が寄付され、子どもたちはチロル堂のカプセルトイに投じた100円で、100円以上の価値のある駄菓子や食事をすることができる仕組みが評価されたことから。発起人のひとり、石田慶子さんにチロル堂の魔法の仕掛けを伺いました。

子どもたちに金銭での支援以上に価値のある食べ物を支援できる仕組み

奈良県生駒市の大通りから一本入った路地に「まほうのだがしやチロル堂」(以下、チロル堂)はあります。学校帰りの子どもたちが暖簾(のれん)をくぐると、そこは懐かしい駄菓子屋さん。入口にあるカプセルトイには、魔法がかけられています。100円を入れて出てきたカプセルには、チロル堂だけで使える店内通貨「チロル札」が入っています。子どもたちは、このチロル札でお菓子を買ったり、カレーを食べたりすることができます。カプセルに入っているチロル札は1枚100円以上のものと交換でき、しかも枚数は1枚から3枚と運しだい。ドキドキ感は昔からある駄菓子屋の醍醐味と同じです。

暖簾が目印。やってきた子どもは最初に入口のガチャガチャを回す(画像提供/一般社団法人無限)

暖簾が目印。やって来た子どもは最初に入口のガチャガチャを回す(画像提供/一般社団法人無限)

表情は真剣そのもの。「チロル札何枚出てくるかな」(画像提供/一般社団法人無限)

表情は真剣そのもの。「チロル札何枚出てくるかな」(画像提供/一般社団法人無限)

カプセルには、1~3チロル札が入っている(画像提供/一般社団法人無限)

カプセルには、1~3枚チロル札が入っている(画像提供/一般社団法人無限)

近隣の幼稚園児や小学生でにぎわう(画像提供/一般社団法人無限)

近隣の幼稚園児や小学生でにぎわう(画像提供/一般社団法人無限)

魔法を可能にしているのは、地域の大人たちの寄付。このチロル堂には、大人も利用可能なチロル食堂やチロル酒場が併設されており、大人が飲食を楽しむことで、代金の一部が寄付され、子どもたちはチロル堂のカプセルトイに投じた100円で、100円以上の価値のある駄菓子や食事を食べることができるのです。例えば「チロルこどもカレー」は一般価格500円、これを子どもは1チロルで食べることができます。大人には日常のなかで気軽に寄付を行う機会、子どもたちにはそれを受け取る機会を、ともに1つの場所で生みだしているのです。

「チロルこどもカレー」を食べに来た仲良し二人組(画像提供/一般社団法人無限)

「チロルこどもカレー」を食べに来た仲良し二人組(画像提供/一般社団法人無限)

チロル堂をつくったのは、生駒市で放課後デイサービスを行う石田慶子さん、子どものためのアートスクールを開いている吉田田タカシ(ヨシダダ・タカシ)さん、デザイナーの坂本大祐さん、地域子ども食堂「たわわ食堂」を運営する溝口雅代さんの4人。発起人の石田さんに解決したかった地域の課題と、チロル堂が地域の子どもや大人たちに与えた影響を伺いました。

2021年8月にオープンしたチロル堂には、平日には30~40人、休日には200人の子どもたちが訪れます。多いときは、大人も含めると、ひと月で2500人が暖簾をくぐります。

カウンターでお絵描きや宿題をしたり、カレーや駄菓子を食べたり(画像提供/一般社団法人無限)

カウンターでお絵描きや宿題をしたり、カレーや駄菓子を食べたり(画像提供/一般社団法人無限)

「当初は、お母さんと来たり、コソっとひとりで来て帰る子どもが多かったんですが、運動会の休憩時間中に、『チロル堂って知ってるか?』って子どもたちのうわさ話が学校中に広がって、運動会の振替休日に驚くほど多くの子どもたちがやってきたんです。そのうち、『上がっていいらしいよ』となり、子どもたちだけで待ち合わせしてカレーを食べに来たりするようになって。私たちも、チロル堂のスタートは、子どもたちの居場所になることだと思っていたので、よかった!と思いました」(石田さん)

子どもたちからどんな悩みが寄せられていますか? という質問に、石田さんは首を横にふります。

「子どもたちが、今困っているか困っていないかは、重要じゃないと思うんです。提供しているのは駄菓子や食事ですが、今貧困の子どもだけを対象にしているわけでもありません。今来ている子がいつ困るかわからないですよね。ずっと困らない子、問題を抱えない子はいないのではないでしょうか。困ったときにヘルプが出せるように、ここが開き続けることが大事だと思っています」(石田さん)

「放課後チロルに集合ね」と待ち合わせ場所に(画像提供/一般社団法人無限)

「放課後チロルに集合ね」と待ち合わせ場所に(画像提供/一般社団法人無限)

子どもの問題は、大人や社会の問題につながっている

日本では、子どもの約7人に1人が貧困状態にある(厚生労働省国民生活基礎調査)といわれています。無料や安価で栄養のある食事や団らんを提供する「子ども食堂」が全国的に広がってはいますが、石田さんは複雑な思いや疑問を感じていました。

「子ども食堂があることはもちろん良いことですが、必要なこと自体がそもそも問題だと感じていました。子ども食堂ができることで、『困ったときはあそこに行けばいいよ』という大人が増えるとしたら、どうなんだろうと。隣の困っている子どもを地域の大人が助けるという責任を放棄しているように思うのです。おなかを空かしている子どもがいたら、大人がごはんをおごってあげるのは自然なこと、地域の子どもたちを大人が支えるのは当たり前のことではないでしょうか。困っている人は、行政や福祉が助けるべきだと大人が考え、自分たちの問題と切り離してしまうことで、子どもたちが誰にヘルプしたらいいかわからない社会をつくってしまっているんです」(石田さん)

石田さん(右)と子どもに誘われてやって来たお母さん(画像提供/一般社団法人無限)

石田さん(右)と子どもに誘われてやって来たお母さん(画像提供/一般社団法人無限)

石田さんが子どもの課題を社会の課題と考えるようになったのは、10年前から行ってきた障がいのある子どもの療育支援でした。子どもの抱える問題によって窓口が異なるなど、福祉支援があまりに縦割りで、横のつながりが薄いと痛感したと言います。

「子どもが困っていることの多くは、本人の障がいなどでなく、大人の問題や社会の問題だと気づいたんです。貧困や虐待、無理解や差別。問題は複雑に絡み合っているし、支援の縦割りで切り離されてしまうと解決できない多くの問題に直面し、福祉支援だけでは限界を感じていました」(石田さん)

アートや街づくりなど異なる経験をもつ4人が力を合わせる

そんなとき、石田さんが出会ったのが、子ども食堂「たわわ食堂」の溝口さんでした。子ども食堂は、多くは子どもだけが利用する場所になっていますが、たわわ食堂が、子どもや大人、おじいさん、おばあさんが集い、支援する側、される側を超えた多様な人が集まる場所を実現していることに感銘を受けたのです。「課題を解決するのは、こういう場所なのかもしれない」と考えた石田さん。溝口さんと多様な世代、カテゴリーの人が集まる場所をつくろうと2019年ころから動き始めました。

次に石田さんが声をかけたのが、吉田田さんと坂本さんでした。

「福祉の人間が地域活動を行っても、福祉の場にしか刺さらなくて、自分たちの表現する力が足りないことはわかっていました。多くの人に届けるためには、もっと伝わる表現力、デザイン力が必要と考えました。吉田田さんは、子どものアートを通じた教育、坂本さんは、街づくりに携わっていて、“人間”に興味あるふたり。デザインをしていて人も見えている人は、ふたりの他にいないと思いました」(石田さん)

建物のデザインも手掛けた吉田田さん。暖簾は、坂本さんのデザイン会社が担当(画像提供/一般社団法人無限)

建物のデザインも手掛けた吉田田さん。暖簾は、坂本さんのデザイン会社が担当(画像提供/一般社団法人無限)

吉田田さんも坂本さんも石田さんの思いに即座に賛同。プロジェクトが大きく動き出したのは、吉田田さん発案の「寄付を『チロ』と呼ぶ」「この場所だけの通貨『チロル』を使って子どもたちが通貨以上の飲食ができる」という仕組みが生まれたとき。坂本さんによってロゴやチラシのデザインが決定。溝口さんは、週に1回、チロル堂で、運営費のサポートを受けながら子ども食堂を開くことになりました。チロル食堂のカレーやお弁当は、石田さんが運営する障がいのある人の就労支援のお仕事としてつくっています。

楽しみながら寄付ができる大人の居場所「チロル酒場」

「子どもたちが抱えている問題は多様ですが、いちばん課題だと感じているのは、孤立、孤独です。都会・田舎に関係なくどこでも起こっている問題で、今の時代を象徴する、子どもに限らない日本の課題だと思っています。地域の大人が子どもを支える構造をつくるために必要なのは、子どもだけでなく、大人の居場所をつくること。それがチロル酒場です。昼間の駄菓子屋を見て、子どもの場所でしょ?と思っていた大人たちが、酒場がスタートしてから多くの方が訪れてくれるようになりました」(石田さん)

チロル酒場では、おいしい料理やお酒が提供され、子どもたちの親だけでなく、地域の大人でにぎわいます。店主との会話を楽しんだり、日頃の愚痴で盛り上がったり、大人たちは、飲食や場を楽しみながら、自然と寄付ができます。

水・木・金・土の18時30分から営業するチロル酒場。地元のインフルエンサーが店主を務めることも(画像提供/一般社団法人無限)

水・木・金・土の18時30分から営業するチロル酒場。地元のインフルエンサーが店主を務めることも(画像提供/一般社団法人無限)

ドリンク・フードすべての代金に、子どもたちへの「チロ」が含まれている(画像提供/一般社団法人無限)

ドリンク・フードすべての代金に、子どもたちへの「チロ」が含まれている(画像提供/一般社団法人無限)

「地域の大人が子どもを支えていると意識することが大事だと思っています。といっても、難しいことを議論する場所だとはできるだけ言いたくないんです。誰と出会うか、どんな話がはじまるかは自然に任せていきたいです。運営側が方針やルールを設定した瞬間に入る人が限定的になってしまう。それは子どもたちも同じ。ここは100円でカレーが食べられる場所という事実だけでいいんです」(石田さん)

現金で寄付をした人は、壁に名前入りのシールを貼れる(画像提供/一般社団法人無限)

現金で寄付をした人は、壁に名前入りのシールを貼れる(画像提供/一般社団法人無限)

広く寄付を募り、全国からお菓子や野菜、お米などの寄付も寄せられている(画像提供/一般社団法人無限)

広く寄付を募り、全国からお菓子や野菜、お米などの寄付も寄せられている(画像提供/一般社団法人無限)

はじめてチロル堂に関わるには、どうしたらいいですか? と尋ねると、「チロル食堂やチロル酒場においしい食事やお酒を飲みに来ていただけるとうれしいです。昼間はただのお店ですが、夕方になると子どもたちがワーッと集まってきます。その空気を味わいに来ていただくのがいちばんいいかな」とほほ笑む石田さん。

大人用の「ツキノワ・OTONA CURRY」は、コーヒー付き1200円。代金の一部が子どもたちへの寄付になる(画像提供/一般社団法人無限)

大人用の「ツキノワ・OTONA CURRY」は、コーヒー付き1200円。代金の一部が子どもたちへの寄付になる(画像提供/一般社団法人無限)

子どもたちが困っていることの要因は大人たちの問題につながっていると考え、共に解決しようと考えられたチロル堂の仕組み。金沢に2号店が、大阪に3号店がオープン。そのほか4カ所が準備中です。石田さんたちがかけた小さな魔法が、少しずつ全国へ広がっています。

●取材協力
まほうのだがしやチロル堂

参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開

2022年11月、京都市中心部に点在する近代建築を公開する一斉公開イベント、「京都モダン建築祭」が開催されました。京都や大阪を拠点に研究活動を行う建築史家らが選定する文化的価値の高い建築物が公開されるとあり、初開催にもかかわらず3日間でのべ3万人の参加者を数える注目イベントとなりました。現役の庁舎建築や教会、レストラン・商店など民間の建築、長い歴史のなかでもともとの用途から転用された文化施設など、さまざまなバリエーションが楽しめる36軒が参加しました。

京都で開催の建築公開イベント。「モダン建築」をテーマにした理由京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

建築を見ることを趣味とする筆者にとって、普段は中に入れず、外観を眺めるしかない建築の内部を見学できる機会はありがたく貴重です。また数ある名建築の中から興味を引く建築物を探し、その見学方法まで調べて見に行くのとは異なり、気軽に楽しめるのも人気の理由。地域に住む人びとが地元文化の魅力に触れる機会にもなり、こうした建築公開イベントは各地に広がりを見せています。
今回参加したのは、近現代建築と呼ばれるもの。社会が近代化していく時代以降につくられたもので、日本における時代区分としては概ね明治維新以降の時期を指します。一般的には社寺建築や町家など、より古い年代の建築のイメージが強い京都において、近現代建築をテーマにしたのはなぜなのでしょうか?

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

「建築史の研究者からすると、京都は優れた近代建築の宝庫なんです。けれどそのことはあまり知られていません。存在と認識のギャップが最も激しいのが京都なのではないかと。われわれとしてはごく自然に、京都の近代建築の素晴らしさを知っていただきたいという思いが出発点となっています」
今回お話を伺ったのは、大阪公立大学教授で京都モダン建築祭の実行委員に名を連ねる建築史家の倉方俊輔氏。2021年に京都市京セラ美術館で開催された「モダン建築の京都」展でも、アドバイザーを務めました。

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

「京都市の美術館で行う展覧会だから、京都市民のためになる建築の展覧会にしようと。公立の美術館で京都の近代建築をまとめて紹介するのは初めての試みでした。展覧会で紹介した建築は、実際に京都市内に建っているもの。せっかくなら展示だけでなく実物も見てもらおう、ということで建物所有者の方に掛け合って建築見学ツアーを実施したり、会期終了後もオンラインサロンを継続するなど活動が広がっていきました」
こうした展覧会を機に生まれた動きが、京都モダン建築祭につながっていったといいます。今回公開された建築も、展覧会で生まれた縁があってこそ公開できたものも多いそうです。
倉方さんは、大阪で10年続く建築公開イベント「イケフェス大阪」でも長年実行委員を務めてこられました。2019年からは、東京都品川区の名建築を公開する「オープンしなけん」の企画にも携わり、優れた建築の魅力を広めていく活動に力を注いでいます。大学で教鞭を執る傍ら、こうした活動も大切にしている倉方さん。どのような思いで取り組んでいらっしゃるのでしょうか?

「私自身は、ライトな層、専門的なことに詳しいわけではないけれど建物を見るのが好きとか、自分が描いている漫画の背景のヒントにしたいとか、そういう方々を大切にしたいです。もちろん建築の専門家であったり、普段から建築を見に行くことを趣味にしているような人も大切なんだけれど、こういうイベントを通して、建築を使った楽しみが世の中に増えていくといいなと思っています。

例えば今回取り上げているようなモダン建築だと、大正時代や明治時代の、建てられた当時の生活がそのまま残されていたりするわけですよね。そこから何か想像を広げたり、受け取り手次第で新しい見方ができることで、その人にとっての楽しみが増える。新しい楽しみが増えていくことは、世界を豊かにしていくことにつながると思っているので、建築の楽しみ方を増やしていくことで貢献していきたいですね」

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

ビギナーから建築通まで、誰もが楽しめる多彩なプログラム

京都モダン建築祭では建物の公開のほかにも、専門家のガイドツアーをはじめとするさまざまなプログラムが用意されました。日々の運営に携わる方が、建物の歴史や運営面での工夫も交えて案内してくれるツアーや、倉方さんや実行委員長である笠原一人さんをはじめ建築史家の方が街歩きをしながら建物ひとつひとつのデザインの特徴を解説してくれるツアーなど盛りだくさん。なかにはツアーでしか見学ができない建築もあり、高い抽選倍率となりました。ライトな建築好きから専門家まで、各々の知識レベルによって違った楽しみ方ができるラインナップです。

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

筆者も参加させていただいた、笠原一人さんによる三条通の近代建築ツアーでは、三条通に建ち並ぶバリエーション豊かな近代建築の鑑賞ポイントが紹介されました。一括りに近代建築といっても、手掛けた建築家によってまったく異なる表現になるのが面白いポイント。また同じ建築家であっても、ほんの少し建てられた時期が違ったり、建物の用途の違いによって表現が変えられていて、その背景を知ることで一気に身近に感じられます。

見学する建物が通り沿いに連なっているのも重要で、金融関係の施設が集中するエリアから商業エリアへと歩みを進めることで、街の発展の歴史も同時に学ぶことができます。近世以前の社寺建築のイメージが強い京都で、なぜモダン建築を取り上げるのか。ひとつには「市の中心でまさに今人々の生活と密接に結びつくモダン建築は、役目を終えたら壊されてしまう可能性がある。今のうちから親しんでもらうことでこうした建築が街に必要なんだと感じてほしい」と笠原さん。建築史家として古い建物を残していきたい思いをもちつつ、ツアーでは純粋に個々の建築の面白さを紹介してくれました。
ツアー前はどれも似たような様式建築に見えていた建築群が、ツアー後はひとつひとつのデザインが際立って見えてくる。こうした機会を通じて建築の魅力が広まっていくことで、優れた建築が街に残り豊かな景観が維持されていくのだなと感じます。

講義室でレクチャーを聴くのとは違い、実際に街へ出て現物を見ながらそのデザインに込められた意図を聞く体験は、知識が体に染み込んでいくような充実感を得られました。京都モダン建築祭ではこうしたツアーのほかWEBサイト上でも、建築を解説する音声コンテンツが用意され、建物を見ながら建築の知識を同時に学ぶための工夫が伺えました。

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

それは実行委員の方々自身が建築をどのように楽しんでいるのか、その姿勢から来ているのではないかという気がします。倉方さんは、建築を見る楽しみについてこのように語ってくれました。
「あっちからやってくる感じ、それが建築ならではの面白さですね。こちらから理解しようとか楽しもうとか思わなくても、建築の中に入れば空間に包まれるし、いろんなスケールのものが目に入ってきて、向こうから楽しみがやってくる感覚があります。

それに知識があればあったで、これがつくられた年に戦争が始まったんだなとか、これをつくった人が後にあの建築をつくったんだなとか、その関係を読み解いたり、前に見たものと目の前のものが頭の中でつながって、何かひらめきが生まれたりとか。そうやってあっちからやってくるものをいかに捉えるか、というのが真の『鑑賞』なんじゃないかと思います。繰り返し訪れている建築でも、行くたびに自分自身の知識や経験が増えているから、また新しいものが見えてきますし、それこそ見に行く対象も無限にあるので、とにかく飽きないです。その感じをみんながもてるようになるといいですね。結構いい趣味だと思いますよ、交通費くらいしかかからないですし(笑)」

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

祇園祭と肩を並べる一大イベントに。実行委員長の思い

イベントに一番力を尽くしている実行委員の方々自身が、こうした純粋な建築の面白さにのめり込んでいるからこそ、このようなイベントが開催できるのだなと実感させられます。

笠原さんはこの京都モダン建築祭を、「ライバルは祇園祭」と位置づけています。京都の街なかを舞台に繰り広げられる祇園祭には、調度品や美術品を飾った町家などを公開する「屏風祭」と呼ばれる行事があります。普段は見ることのできない京都の文化に親しむ機会を設けることで次の世代につないでいこうとする思いは、今も昔も変わらないということなのかもしれません。
1000年の歴史をもつ祇園祭と開催1年目のモダン建築祭とでは1000倍の歴史の差があります。しかしモダン建築祭が100年続けば差は10分の1に、1000年続けば差は2分の1へと縮まっていく。いつか祇園祭に並ぶ京都を代表するイベントになってほしいと語る笠原さんの言葉には、建築という数千年の歴史をもつ文化と長年向き合ってきた重みが見え隠れするように思いました。

日頃は古建築に目が行きがちな京都の知られざる魅力に触れる建築祭、ぜひ長く続いていってほしいですね。

●取材協力
京都モダン建築祭 実行委員会

ニューヨーク人情酒場 アメリカのパリピ愛飲の「Sake Bomb(サケ・ボム)」って何!? 規格外なアルコール文化とは?

ニューヨーク人情酒場へようこそ!これは、ブルックリンにある小さな酒場(レストラン)で起こったいろんな出来事。
大都会の夜、一杯の酒から始まる人間模様。作者はこのお店で今お寿司を作っているよ。

漫画

いや、なんだよSake Bombって

漫画

にわかに信じがたいドリンクSake Bombですが、これが意外なほど浸透しています。しかも、お箸の上に載せた日本酒入りのおちょこはテーブルを手で叩きまくった振動でビールの中に落とすという野蛮極まりない手順で完成します。挙げ句の果てにビールと日本酒を混ぜたものを飲むというのだから日本人としては目も当てられないといったところですが、アメリカのパリピにはSake Bomb好きが多い印象があります。でも、そもそも日本酒を置いているバーでないとできない遊びなので、条件的には厳しいです。(アジア人経営でないアメリカのバーで日本酒・焼酎を置いているところは少ない。)
アメリカのパリピのやるドリンキング・ゲーム的な遊びは、私のようなオタクの日本人には経験がないほど原始的なものが多く(球をコップに投げ入れて外れたらショットを飲むやつとか)ちょっと困惑してしまいます。でも、あんまり知らない人と距離を詰めるにはちょうどいいのかも!?

ちょい飲みが激しすぎる問題

漫画

日本でサラリーマンを経験した人間といたしましては、「ちょっと飲みに行く」のイメージは仕事終わりの居酒屋での一杯だったんですが、パーティー好きなアメリカ人やラテンアメリカ人にとってはちょっと違ったようです。
とくにラテンの人々はサルサミュージックが流れ出すと自然に腰が動き出し、週末はどこでも構わずに踊り出してしまいます。上司も部下も関係なく、踊ってるときはみんなハッピー。おおらかで優しい心を持った人が多い印象で、ダンスが下手な私にも踊りを教えてくれたりなど。
でも、この日はかなり激しかったな。次誘われたら参加してみようと思います。絶対浮くと思うけど……。

ヤマモトレミ

作者:ヤマモトレミ
89年生まれ。福岡県出身。2017年、勤めていた会社の転勤でニューヨークに移住。仕事の傍ら、趣味でインスタグラムを中心に漫画を描いて発表していたところ、思った以上に楽しくなってしまい、2021年に脱サラし本格的に漫画家としての活動を開始。2022年にアメリカで起業し個人事業主になりました。ブルックリンのレストランで週4で寿司ローラーをやっています。

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【2023年】東京23区の家賃相場が安い駅ランキング。1位は東京駅から15分・5万円台の穴場駅!

東京都内に住む際、交通面や買い物など生活の利便性から23区内を候補に考える人が多いだろう。ただ問題は、家賃相場が高いこと……。なるべく家賃を抑えられる住まいを探すなら、どの駅がいいのか? 23区内でも特に家賃相場が低めな区はどこだろう? そこで今回は、東京23区内に位置する駅それぞれの、徒歩15分圏内にある賃貸物件(専有面積10平米以上~40平米未満のワンルーム・1K・1DK)の家賃相場をランキング。家賃相場が安い駅TOP20をチェックしていこう。

東京23区内の家賃相場が安い駅TOP20(21駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線/駅の所在地)
1位 葛西臨海公園 5.60万円(JR京葉線/江戸川区)
2位 一之江 6.40万円(都営新宿線/江戸川区)
2位 新柴又 6.40万円(北総線/葛飾区)
4位 京成小岩 6.50万円(京成本線/江戸川区)
4位 京成金町 6.50万円(京成金町線/葛飾区)
4位 江戸川 6.50万円(京成本線/江戸川区)
7位 竹ノ塚 6.55万円(東武伊勢崎線/足立区)
7位 金町 6.55万円(JR常磐線/葛飾区)
9位 小岩 6.60万円(JR総武線/江戸川区)
9位 柴又 6.60万円(京成金町線/葛飾区)
9位 瑞江 6.60万円(都営新宿線/江戸川区)
9位 篠崎 6.60万円(都営新宿線/江戸川区)
13位 堀切菖蒲園 6.70万円(京成本線/葛飾区)
13位 小菅 6.70万円(東武伊勢崎線/足立区)
13位 船堀 6.70万円(都営新宿線/江戸川区)
16位 谷在家 6.75万円(日暮里・舎人ライナー/足立区)
17位 上井草 6.80万円(西武新宿線/杉並区)
17位 五反野 6.80万円(東武伊勢崎線/足立区)
17位 喜多見 6.80万円(小田急線/世田谷区)
20位 梅島 6.85万円(東武伊勢崎線/足立区)
20位 青井 6.85万円(つくばエクスプレス/足立区)
※22~44位は記事末

1位に選ばれたのは、家賃相場5万円台で東京駅まで15分以下の駅

1位は家賃相場がトップ20で唯一の5万円台、5万6000円だったJR京葉線・葛西臨海公園駅。駅高架下には2021年1月、アウトドアブランドのショップをはじめ飲食・物販エリアやイベントスペースを備えた複合商業施設「Ff(エフエフ)」がオープンしてる。開業3年目を迎えた現在はリニューアル工事中で休業区画も多い状態だが、今後は新たなショップのオープンも見込まれるので楽しみにしたい。

葛西臨海公園駅(写真/PIXTA)

葛西臨海公園駅(写真/PIXTA)

そんな1位・葛西臨海公園駅は江戸川区の南端に位置し、駅南側の出口を出ると「葛西臨海公園」が目の前に。東京湾に面した園内には水族館や大観覧車があり、海も一望できる。一方の駅北側には青果と花を扱う都の中央卸売市場と、物流倉庫街が広がっている。そのため駅付近に住宅はさほどなく、住宅街らしくなるのは駅から徒歩15分以上のエリア。そのあたりまで出ると、幹線道路の環七沿いにファミレスが点在していたり、住宅の合間にスーパーやコンビニがあったりと日常使いできる商店も。駅から徒歩35分ほど離れるとショッピングセンターやホームセンターがあるので自転車や車が使えると生活の幅が広がるだろう。交通の面を見てみると、東京駅までJR京葉線1本で5駅・約13分の近さ。東京駅とは逆方面に乗ると1駅目が舞浜駅で、ディズニー好きにはたまらない立地でもある。

葛西臨海公園(写真/PIXTA)

葛西臨海公園(写真/PIXTA)

2位は同じく江戸川区にある、都営新宿線・一之江駅で家賃相場は6万4000円。両隣は9位・瑞江駅(家賃相場6万6000円)と13位・船堀駅(家賃相場6万7000円)で、瑞江駅の1駅先は家賃相場6万6000円で同額9位の篠崎駅、という位置関係だ。この4駅では最も家賃相場が安かった一之江駅の様子はというと、4階建ての駅ビルにスーパーや持ち帰り弁当店、中華レストランがあって便利そう。2021年9月に東口駅前広場の正面に誕生したスーパー「マルエツ」をはじめ、駅周辺にもスーパーやコンビニ、ハンバーガーや牛丼などの気軽に入れる飲食店があり、一人暮らしに嬉しい環境だろう。都営新宿線に乗ると、神保町駅まで約23分、市ケ谷駅まで約27分、新宿駅までは約33分だ。

一之江駅前(写真/PIXTA)

一之江駅前(写真/PIXTA)

一之江駅よりもやや家賃相場が高い、両隣の瑞江駅と船堀駅はどんな街だろう? 9位・瑞江駅の駅前にはディスカウントストア「ドン・キホーテ」やスーパー、100円ショップが入った商業ビルがある。ほかにも多彩な飲食店やコンビニなどが立ち並び、一之江駅よりもにぎわっている様子。また、13位・船堀駅の駅前には、都内を見渡す展望塔や映画館を備えた江戸川区のシンボルタワー「タワーホール船堀」が立っている。さらに船堀駅前では再開発が計画され、2028年度の供用開始を目指す地上20階建ての区の新庁舎と、地上27階建ての複合ビルの建設が発表された。駅周辺地区はほかにも開発計画が目白押しで、今後の船堀駅は江戸川区の中心エリアとしての存在感を高めていくだろう。

さて、2位には同額6万4000円で葛飾区にある北総線・新柴又駅もランクインした。柴又と聞くと9位の京成金町線・柴又駅(家賃相場6万6000円)を思い浮かべる人もいるだろう。映画『男はつらいよ』の主人公・寅さんの生まれ故郷としてロケ地にもなった柴又駅周辺は観光地としてもにぎわっているが、そこから歩いて10分ほどの新柴又駅周辺は静かな住宅街。スーパーやドラッグストア、コンビニはあるが繁華街といった雰囲気ではないので、落ち着いた生活ができそうだ。北総線は京成本線~京成押上線~都営浅草線~京急本線へと直通運転されているため、新柴又駅から乗り換えずに日本橋駅や新橋駅に行けるのも魅力。品川駅までも電車1本、約45分で到着する。

新柴又駅(写真/PIXTA)

新柴又駅(写真/PIXTA)

TOP20には東京23区東部の江戸川区、足立区、葛飾区の駅がずらり

2位・新柴又駅と9位・柴又駅のように、名称が似通った駅は4位以下にもランクインしている。4位・京成小岩駅と9位・小岩駅、同じく4位・京成金町駅と7位・金町駅だ。

4位・京成小岩駅は京成本線の駅で家賃相場6万5000円、9位・小岩駅はJR中央・総武線(各駅停車)の駅で家賃相場6万6000円。駅名が似ていてどちらも江戸川区内、そして住宅街にある点は同様だが、両駅間は徒歩20分弱ほど離れている。4位・京成小岩駅前はスーパーやコンビニ、飲食店があり、暮らしやすそうな街並み。2駅先の青砥駅から都営浅草線直通の京成押上線に乗り換えられるので、浅草駅や新橋駅にも行きやすい。また、京成小岩駅から京成本線で約21分の日暮里駅に出ると、山手線や常磐線などJR各線に乗り換え可能だ。

そんな京成小岩駅以上に駅前がにぎわっているのが9位・小岩駅だ。JR中央・総武線(各駅停車)に乗ると、秋葉原駅や市ケ谷駅を経由しつつ新宿駅まで約38分。隣の新小岩駅でJR総武線快速に乗り換えれば、東京駅まで約19分で行ける。駅にはショッピングセンター「シャポー小岩」が直結され、食品関係のお店や飲食店が営業中。改札を挟んだ千葉側エリアは改装工事中で、3月下旬にリニューアルオープンを予定している。改札直結の1階部分は約100mの通路沿いにファッション雑貨店やカフェなどが並ぶアーケード街に、地下1階部分は生鮮食料品街になるという。

小岩駅(写真/PIXTA)

小岩駅(写真/PIXTA)

小岩駅を出ても、約170店舗がひしめき区内最大の商店街と言われる「小岩フラワーロード商店街」をはじめ、線路の北側にも南側にも活気ある商店街が広がる。さらに注目は、駅周辺で大規模再開発が進行中ということ。北口側には住宅や商業の複合ビルと駅前広場が2031年度に完成予定。南口側にはすでに再開発エリア「ファスタ小岩」の商業施設棟とマンションが誕生しており、さらに地上33階建ての商業・住宅複合ビルも2026年度中に竣工予定だ。

小岩フラワーロード商店街(写真/PIXTA)

小岩フラワーロード商店街(写真/PIXTA)

名前が似ているもう1組の駅、葛飾区にある4位・京成金町駅と7位・金町駅もチェックしてみよう。この2駅は駅前広場をはさんで南側に京成金町線の京成金町駅、北側にJR常磐線の金町駅が位置し、周辺住民は2路線が利用できる環境。家賃相場が京成金町駅は6万5000円、金町駅は6万5500円と若干の違いが出たものの、「どちらの駅により近いか」という点にはあまりこだわる必要はないだろう。東西に走るJR常磐線の線路をはさんで、北側のほうに飲食店が多く、南側のほうがより住宅街らしい街並みではあるが、どちら側にも日常生活を支えるスーパーやコンビニは備えている。

ここまで紹介してきた通り、トップ20には近接しあう駅も多くランクインしている。改めて見てみると、トップ20全21駅の所在地は、江戸川区が8駅、足立区が6駅、葛飾区が5駅。いずれも東京23区の東部に位置しているため、リーズナブルな賃貸物件を探したいならまずこのエリアをチェックするとよさそうだ。とはいえ江戸川区をはじめ東部エリアも近年は再開発が進められ、街の様子も変わりつつある。住みやすい街として人気が高まると、家賃相場も上昇しがち。来年、同様の調査を行った際は違った顔ぶれの駅がランキングに並ぶかもしれない。

■22-44位

東京23区家賃相場22位44位

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京23区内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/1~2022/12
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

【2023年】東京23区の家賃相場が安い駅ランキング。1位は東京駅から15分・5万円台の穴場駅!

東京都内に住む際、交通面や買い物など生活の利便性から23区内を候補に考える人が多いだろう。ただ問題は、家賃相場が高いこと……。なるべく家賃を抑えられる住まいを探すなら、どの駅がいいのか? 23区内でも特に家賃相場が低めな区はどこだろう? そこで今回は、東京23区内に位置する駅それぞれの、徒歩15分圏内にある賃貸物件(専有面積10平米以上~40平米未満のワンルーム・1K・1DK)の家賃相場をランキング。家賃相場が安い駅TOP20をチェックしていこう。

東京23区内の家賃相場が安い駅TOP20(21駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線/駅の所在地)
1位 葛西臨海公園 5.60万円(JR京葉線/江戸川区)
2位 一之江 6.40万円(都営新宿線/江戸川区)
2位 新柴又 6.40万円(北総線/葛飾区)
4位 京成小岩 6.50万円(京成本線/江戸川区)
4位 京成金町 6.50万円(京成金町線/葛飾区)
4位 江戸川 6.50万円(京成本線/江戸川区)
7位 竹ノ塚 6.55万円(東武伊勢崎線/足立区)
7位 金町 6.55万円(JR常磐線/葛飾区)
9位 小岩 6.60万円(JR総武線/江戸川区)
9位 柴又 6.60万円(京成金町線/葛飾区)
9位 瑞江 6.60万円(都営新宿線/江戸川区)
9位 篠崎 6.60万円(都営新宿線/江戸川区)
13位 堀切菖蒲園 6.70万円(京成本線/葛飾区)
13位 小菅 6.70万円(東武伊勢崎線/足立区)
13位 船堀 6.70万円(都営新宿線/江戸川区)
16位 谷在家 6.75万円(日暮里・舎人ライナー/足立区)
17位 上井草 6.80万円(西武新宿線/杉並区)
17位 五反野 6.80万円(東武伊勢崎線/足立区)
17位 喜多見 6.80万円(小田急線/世田谷区)
20位 梅島 6.85万円(東武伊勢崎線/足立区)
20位 青井 6.85万円(つくばエクスプレス/足立区)
※22~44位は記事末

1位に選ばれたのは、家賃相場5万円台で東京駅まで15分以下の駅

1位は家賃相場がトップ20で唯一の5万円台、5万6000円だったJR京葉線・葛西臨海公園駅。駅高架下には2021年1月、アウトドアブランドのショップをはじめ飲食・物販エリアやイベントスペースを備えた複合商業施設「Ff(エフエフ)」がオープンしてる。開業3年目を迎えた現在はリニューアル工事中で休業区画も多い状態だが、今後は新たなショップのオープンも見込まれるので楽しみにしたい。

葛西臨海公園駅(写真/PIXTA)

葛西臨海公園駅(写真/PIXTA)

そんな1位・葛西臨海公園駅は江戸川区の南端に位置し、駅南側の出口を出ると「葛西臨海公園」が目の前に。東京湾に面した園内には水族館や大観覧車があり、海も一望できる。一方の駅北側には青果と花を扱う都の中央卸売市場と、物流倉庫街が広がっている。そのため駅付近に住宅はさほどなく、住宅街らしくなるのは駅から徒歩15分以上のエリア。そのあたりまで出ると、幹線道路の環七沿いにファミレスが点在していたり、住宅の合間にスーパーやコンビニがあったりと日常使いできる商店も。駅から徒歩35分ほど離れるとショッピングセンターやホームセンターがあるので自転車や車が使えると生活の幅が広がるだろう。交通の面を見てみると、東京駅までJR京葉線1本で5駅・約13分の近さ。東京駅とは逆方面に乗ると1駅目が舞浜駅で、ディズニー好きにはたまらない立地でもある。

葛西臨海公園(写真/PIXTA)

葛西臨海公園(写真/PIXTA)

2位は同じく江戸川区にある、都営新宿線・一之江駅で家賃相場は6万4000円。両隣は9位・瑞江駅(家賃相場6万6000円)と13位・船堀駅(家賃相場6万7000円)で、瑞江駅の1駅先は家賃相場6万6000円で同額9位の篠崎駅、という位置関係だ。この4駅では最も家賃相場が安かった一之江駅の様子はというと、4階建ての駅ビルにスーパーや持ち帰り弁当店、中華レストランがあって便利そう。2021年9月に東口駅前広場の正面に誕生したスーパー「マルエツ」をはじめ、駅周辺にもスーパーやコンビニ、ハンバーガーや牛丼などの気軽に入れる飲食店があり、一人暮らしに嬉しい環境だろう。都営新宿線に乗ると、神保町駅まで約23分、市ケ谷駅まで約27分、新宿駅までは約33分だ。

一之江駅前(写真/PIXTA)

一之江駅前(写真/PIXTA)

一之江駅よりもやや家賃相場が高い、両隣の瑞江駅と船堀駅はどんな街だろう? 9位・瑞江駅の駅前にはディスカウントストア「ドン・キホーテ」やスーパー、100円ショップが入った商業ビルがある。ほかにも多彩な飲食店やコンビニなどが立ち並び、一之江駅よりもにぎわっている様子。また、13位・船堀駅の駅前には、都内を見渡す展望塔や映画館を備えた江戸川区のシンボルタワー「タワーホール船堀」が立っている。さらに船堀駅前では再開発が計画され、2028年度の供用開始を目指す地上20階建ての区の新庁舎と、地上27階建ての複合ビルの建設が発表された。駅周辺地区はほかにも開発計画が目白押しで、今後の船堀駅は江戸川区の中心エリアとしての存在感を高めていくだろう。

さて、2位には同額6万4000円で葛飾区にある北総線・新柴又駅もランクインした。柴又と聞くと9位の京成金町線・柴又駅(家賃相場6万6000円)を思い浮かべる人もいるだろう。映画『男はつらいよ』の主人公・寅さんの生まれ故郷としてロケ地にもなった柴又駅周辺は観光地としてもにぎわっているが、そこから歩いて10分ほどの新柴又駅周辺は静かな住宅街。スーパーやドラッグストア、コンビニはあるが繁華街といった雰囲気ではないので、落ち着いた生活ができそうだ。北総線は京成本線~京成押上線~都営浅草線~京急本線へと直通運転されているため、新柴又駅から乗り換えずに日本橋駅や新橋駅に行けるのも魅力。品川駅までも電車1本、約45分で到着する。

新柴又駅(写真/PIXTA)

新柴又駅(写真/PIXTA)

TOP20には東京23区東部の江戸川区、足立区、葛飾区の駅がずらり

2位・新柴又駅と9位・柴又駅のように、名称が似通った駅は4位以下にもランクインしている。4位・京成小岩駅と9位・小岩駅、同じく4位・京成金町駅と7位・金町駅だ。

4位・京成小岩駅は京成本線の駅で家賃相場6万5000円、9位・小岩駅はJR中央・総武線(各駅停車)の駅で家賃相場6万6000円。駅名が似ていてどちらも江戸川区内、そして住宅街にある点は同様だが、両駅間は徒歩20分弱ほど離れている。4位・京成小岩駅前はスーパーやコンビニ、飲食店があり、暮らしやすそうな街並み。2駅先の青砥駅から都営浅草線直通の京成押上線に乗り換えられるので、浅草駅や新橋駅にも行きやすい。また、京成小岩駅から京成本線で約21分の日暮里駅に出ると、山手線や常磐線などJR各線に乗り換え可能だ。

そんな京成小岩駅以上に駅前がにぎわっているのが9位・小岩駅だ。JR中央・総武線(各駅停車)に乗ると、秋葉原駅や市ケ谷駅を経由しつつ新宿駅まで約38分。隣の新小岩駅でJR総武線快速に乗り換えれば、東京駅まで約19分で行ける。駅にはショッピングセンター「シャポー小岩」が直結され、食品関係のお店や飲食店が営業中。改札を挟んだ千葉側エリアは改装工事中で、3月下旬にリニューアルオープンを予定している。改札直結の1階部分は約100mの通路沿いにファッション雑貨店やカフェなどが並ぶアーケード街に、地下1階部分は生鮮食料品街になるという。

小岩駅(写真/PIXTA)

小岩駅(写真/PIXTA)

小岩駅を出ても、約170店舗がひしめき区内最大の商店街と言われる「小岩フラワーロード商店街」をはじめ、線路の北側にも南側にも活気ある商店街が広がる。さらに注目は、駅周辺で大規模再開発が進行中ということ。北口側には住宅や商業の複合ビルと駅前広場が2031年度に完成予定。南口側にはすでに再開発エリア「ファスタ小岩」の商業施設棟とマンションが誕生しており、さらに地上33階建ての商業・住宅複合ビルも2026年度中に竣工予定だ。

小岩フラワーロード商店街(写真/PIXTA)

小岩フラワーロード商店街(写真/PIXTA)

名前が似ているもう1組の駅、葛飾区にある4位・京成金町駅と7位・金町駅もチェックしてみよう。この2駅は駅前広場をはさんで南側に京成金町線の京成金町駅、北側にJR常磐線の金町駅が位置し、周辺住民は2路線が利用できる環境。家賃相場が京成金町駅は6万5000円、金町駅は6万5500円と若干の違いが出たものの、「どちらの駅により近いか」という点にはあまりこだわる必要はないだろう。東西に走るJR常磐線の線路をはさんで、北側のほうに飲食店が多く、南側のほうがより住宅街らしい街並みではあるが、どちら側にも日常生活を支えるスーパーやコンビニは備えている。

ここまで紹介してきた通り、トップ20には近接しあう駅も多くランクインしている。改めて見てみると、トップ20全21駅の所在地は、江戸川区が8駅、足立区が6駅、葛飾区が5駅。いずれも東京23区の東部に位置しているため、リーズナブルな賃貸物件を探したいならまずこのエリアをチェックするとよさそうだ。とはいえ江戸川区をはじめ東部エリアも近年は再開発が進められ、街の様子も変わりつつある。住みやすい街として人気が高まると、家賃相場も上昇しがち。来年、同様の調査を行った際は違った顔ぶれの駅がランキングに並ぶかもしれない。

■22-44位

東京23区家賃相場22位44位

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京23区内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/1~2022/12
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

人口600人”不動産屋ゼロ”の地区に移住者がつくった「オクリノ不動産」。小さい町ににぎわい生む役割を 島根県奥出雲町

島根県奥出雲町。人口わずか約600人、200世帯ほどの小さな三沢(みざわ)地区にその不動産会社はある。以前は不動産会社が一軒もなかったこのまちへ移住して、5年前に「オクリノ不動産」を開業したのは糸賀夏樹さん。

2021年8月には地域の人たちと一緒になって古民家を改修し、レンタルスペース&キッチン、「金吉屋(吉は旧字体、以下同)」をオープンさせた。今ここは頻繁にイベントやお店が開かれ、地区の人たちが出入りするまちの拠点になっている。オクリノ不動産のオフィスも、この建物に入る。なぜ、この場所で不動産事業を?また、一事業者がどう地域の人々の信頼を得ていったのか。現地を訪れて聞いてきた。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

感じた「空き家バンク」の限界

出雲市から車で約50分。山間を縫うように車を走らせて向かったのは、島根県東部に位置する奥出雲町。たたら製鉄などで有名な場所だ。三沢地区には民家が軒を連ね、宿場町のような雰囲気が漂う。この中心部の通りに「金吉屋」はある。

今も金吉屋に残る「たばこ屋」の出窓。かつては雑貨屋だったというころの看板も屋内に飾られている。(写真撮影/RIVERBANKS)

今も金吉屋に残る「たばこ屋」の出窓。かつては雑貨屋だったというころの看板も屋内に飾られている。(写真撮影/RIVERBANKS)

築およそ170年の古民家をリノベーションし、レトロな趣を残したまま、装いを新たにした「金吉屋」はレンタルスペース&キッチンとして活用されている。運営するのは、「オクリノ不動産」の糸賀夏樹さん。

出雲市出身の糸賀さんは、20代は大阪で塾講師として働いていた。ところが病気をきっかけにして人生を見つめ直す。誰とどう時間を過ごし、どんな働き方をするのが自分にとって幸せか。また家族にとっては?を考えた。

「塾講師は子どもが好きで始めた仕事でした。でも夜遅くまで帰ってこられないので、自分に子どもができても、子どもに会えない生活になるなと思ったんです」

右が「オクリノ不動産」代表の糸賀夏樹さん、左は「トモの会」のメンバーであり「NPO法人ともに」代表の吉川英夫さん(写真撮影/RIVERBANKS)

右が「オクリノ不動産」代表の糸賀夏樹さん、左は「トモの会」のメンバーであり「NPO法人ともに」代表の吉川英夫さん(写真撮影/RIVERBANKS)

縁あって、島根県北部の奥出雲町への移住を決意する。3年間は地域おこし協力隊として、移住定住のコーディネーターに就任。その一環で携わったのが「空き家バンク」の運営だった。

ほどなく、糸賀さんは気付く。

「不動産の専門知識がないと無理だなって。それで勉強して1年目で宅建を取りました。と同時に、空き家バンクだけで不動産を扱うことの限界も感じたんです。空き家バンクは行政の管轄なので、住民の信頼を得やすい半面、所有者と利用者のマッチングまでしかできない。契約までは立ち入れないし、お金の話は言語道断。でも現実として『あとは双方でやってください』ではうまくいかない場合が多いんです。

双方の利益を考えて法律や税金のこと、お金の話もして契約まで責任もって間に入らないと成立しない。そうしている間にも、空き家は増えるし劣化していきます。民間として不動産に携わる重要性を感じました」

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

オクリノ不動産の誕生

そこで糸賀さんは、協力隊の同期だった濱田達雄さんとともに、任期3年目にして事業体「オクリノ不動産」を立ち上げる。協力隊の任期期間中は利益相反になるため契約には立ち入らないようにしていたが、細やかな対応が効いて成約数は増えていった。任期1年目に10件ほどだった成約数は、「オクリノ不動産」が独立した令和元年(平成31年度)には28件と、任期初年度の倍以上の成約数を達成。

ところがいざ独立してみると、「空き家バンク」の良さにも気付いたという。

「不動産屋に対するイメージって、まだいいものではなくて、気軽に不動産屋に相談に行こうとはならないんですね。相手が事業社だと警戒されてしまう。多くの所有者さんはまず空き家バンクに相談します。行政にはお金儲けじゃないという安心感があるんです。

そこで、ファーストコンタクトは空き家バンクに、それを引き継いでうちのような会社が契約までするような連携の方法に落ち着きました。今もうちの取扱い案件のうち7~8割は空き家バンクの物件です」

同時に、不動産会社がまちの一員になることの重要性にも気付いた。「小さな拠点」モデル事業などを活用しながら、不動産会社ながら地域の一員としてフィールドワークに加わり、空き家の状況を把握する。住民の信頼を得られれば、お客さんの側から「空き家を出そう」という流れになるのが理想。

「少しずつそういう動きができ始めているかなと思います」

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

まちのにぎわいは、人口数じゃなく“ワクワク感”だ

オクリノ不動産のコーポレートメッセージは「まちのにぎわいをつくる」。ただしその「にぎわい」とは人口のことではないという。まちはコンパクトになっても、いる人たちがやりたいことを楽しめる、ワクワク感のあるまち。

「一度は自分も田舎が嫌で都会に出た身ですし、自分の子どもに田舎は嫌だと思われたら悔しいと思ったんです。人口ビジョンを見ると人が減っていくのは自然現象で、仕方がない。でも人が減ってコンパクトになっても、あそこはみんな楽しそうだよねとか、新しいことが起きて活気があるよねって場所になれば、子どもも楽しいだろうと思ったんです。そのために不動産屋ができることがあるなって」

そこで2021年にオープンしたのがレンタルスペース兼キッチン「金吉屋」だった。金吉屋は、昔は近隣に知らない人はない、地区のシンボル的なお店だった。オーナーだった方は「いつか地域のために使いたい」と、築およそ170年になる建物を細々とメンテナンスしていたという。

「この家を借りられることになって、自由に改修もしていいと言ってもらって。自分たちでDIYで改修すれば、リノベーションのいいショールームになると思ったんですね。

ただそれだけじゃなく、地域の仲間とやれたらいいなと。みんながやりたいことを実現する場所にするには、みんなの関わりしろをどれだけつくれるかが重要だと思ったんです」(糸賀さん)

「金吉屋」の内観(写真撮影/RIVERBANKS)

「金吉屋」の内観(写真撮影/RIVERBANKS)

若い者の集まり「トモの会」とともに「金吉屋」をオープン

糸賀さんの提案を受けて「やろうやろう」と協力してくれたのが、まちの若い者会「トモの会」だった。

「僕らがあえてこの一番人口の少ない三沢地区に事務所を構えているのは、地元の人たちが元気で、応援しようって空気感があるのが大きい。若い人たちも危機感をもって自分たちで何とかしなきゃいけない、楽しいことをやろうといった独立心が強くて、音楽フェスを開催したりしていました」

「トモの会」に属するのは地区の30~50代の40人ほどで、金吉屋のプロジェクトに携わったコアメンバーは糸賀さんを入れて7名。介護系のNPOの代表もいれば、大工も土木関係者もいる。

DIYに関わった「トモの会」のメンバー(写真撮影/オクリノ不動産)

DIYに関わった「トモの会」のメンバー(写真撮影/オクリノ不動産)

リノベーションの様子。DIYに関心のあるメンバーによってさまざまな試みが行われた。(写真撮影/オクリノ不動産)

リノベーションの様子。DIYに関心のあるメンバーによってさまざまな試みが行われた。(写真撮影/オクリノ不動産)

「誰しもやりたいって気持ちには賞味期限があると思うんです。ばっと熱が上がっても覚めてしまうとしたら理由があって、その三大理由は『場所がない』『時間がない』『お金がない』。その一番目の場所がないことをまず解消しようと。思いついたことを気軽に実現できる場所を身近につくろうというのが発端です」(糸賀さん)

完成した金吉屋の大きなガラス戸をがらがらと開けるとまず広い土間があり、その奥が多目的スペース。左奥におしゃれなライトの下がったカウンターとキッチンが備え付けられている。それらを時間単位で手頃な価格でレンタルできる。

「金吉屋」で開かれたバーの様子(写真撮影/オクリノ不動産)

「金吉屋」で開かれたバーの様子(写真撮影/オクリノ不動産)

「金吉屋」で開かれた視察の様子(写真撮影/オクリノ不動産)

「金吉屋」で開かれた視察の様子(写真撮影/オクリノ不動産)

今は週に2回「NPO法人ともに」による「ともに食堂」がオープン。その日は、まちの通りに行列ができるほどにぎわう。子どもたちの「やってみたい」という言葉も後押しして、子どもだけで企画から運営までを手がけるフリーマーケットも開催。糸賀さん自身も大人のためのバーを開くなどさまざまなイベントや期間限定のお店が開かれている。

金吉屋で子どもたちによって運営されたフリーマーケット(写真撮影/オクリノ不動産)

金吉屋で子どもたちによって運営されたフリーマーケット(写真撮影/オクリノ不動産)

地域のお祭り「みざわまちあかり」の様子。コロナ禍で実施できなくなった祭りの賑わいを金吉屋前の通りで実現するべく、工夫して実施した(写真撮影/オクリノ不動産)

地域のお祭り「みざわまちあかり」の様子。コロナ禍で実施できなくなった祭りの賑わいを金吉屋前の通りで実現するべく、工夫して実施した(写真撮影/オクリノ不動産)

金吉屋で生まれるにぎわいに触発されて「私もやってみたい!」とキューバサンドの店をオープンする女性も現れた。そんな風に少しずつ、まちの人たちの「やりたい気持ち」に火がつき始め、地区外の人たちも訪れるようになっている。

(写真撮影/オクリノ不動産)

(写真撮影/オクリノ不動産)

長期的にまちのにぎわいを生む装置として

もともと金吉屋の3軒隣には「みらいと」というまちのシェアオフィスおよび創業支援の施設があった。「金吉屋」ができるまでは、オクリノ不動産もみらいとのオフィスを利用していた。

町の創業支援施設「mILIght(みらいと)」の入口(写真撮影/RIVERBANKS)

町の創業支援施設「mILIght(みらいと)」の入口(写真撮影/RIVERBANKS)

金吉屋のリノベーションにも積極的に協力してくれた「トモの会」のメンバーであり「NPO法人ともに」代表の吉川英夫さんとも、この「みらいと」で出会ったという。吉川さんは話す。

「最近はこの集落も人が減って、昔のような行事もなくて寂しいよねという話になって。若い人たちで何か面白いことしたいねってところから、トモの会は始まったんです。みんなが集まれる場所がないので欲しいなと思っていたところへ、この人(糸賀さん)がやろうって言うもんだから、ちょうどいいなって(笑)

良かったなと思うのは、ただ飲み会していたときとは違って、金吉屋を通じて町外のいろんな人が出入りするようになって、交友関係が一気に広がったことです」

DIYを始める際は「いくらかでも手伝ってくれる人たちにお金を払おうと思っていた」と話す糸賀さん。だが地域の仲間から返ってきた言葉は「なめんなよ」だった。

「そういうんじゃないと。俺ら自身が楽しいし、自分らのためだと思うからやるんだと。その代わりみんなでやりたいことをやろうと言われて、腹が決まったというか。DIYも、こうした方がいいってアイディアをみんなが出し合いながら、時には意見がぶつかって喧嘩したりして。それほどみんなが、本気でこの場所を自分の場所だと思ってくれているのが嬉しいんです」(糸賀さん)

そうした場ができた今、さらにまちに人の循環を生むことができたらと考えている。

「『みらいと』に創業支援の機能はあります。でもペーパー上の計画ができても実践する場所がない。そこで金吉屋で実践してもらって、うまくいけば創業してもらう。そのとき地域にうまくつないでくれるのが吉川さん。創業したらようやく物件が必要になるので、やっとうちの不動産事業に結びつきます。まだまだこれからですが、そうした長期的なしかけをつくれたらいいなと考えています」

金吉屋ができるまでオクリノ不動産のオフィスが入っていた、まちの創業支援施設「みらいと」(写真撮影/RIVERBANKS)

金吉屋ができるまでオクリノ不動産のオフィスが入っていた、まちの創業支援施設「みらいと」(写真撮影/RIVERBANKS)

空き家は、不動産として流通させるのが難しいといわれる。すぐに住めないほど傷んでいたり、家財がそのまま残されていたり、所有者が高齢者や離れた所に住んでいるケースも少なくない。

そうした数々のハードルを越えて、空き家を欲しい人を掘り起こしてマッチングしていくには、一般的な不動産会社とは違ったスタイルが求められるのかもしれない。放置されている空き家を活用できるかどうかが、まちの活性化には重要で、大袈裟にいえばその鍵を握るのはまちの不動産会社ではないか。空き家を地域のにぎわいに結びつける、そんな試みがここ奥出雲町で始まっている。

奥出雲町三沢地区の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

奥出雲町三沢地区の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

●取材協力
オクリノ不動産

北海道の山あい300人の地域に移住者が集まるワケ。生計や人間関係、住み心地などリアルを聞いた 岩見沢市

筆者の住む北海道岩見沢市の山あいの美流渡とその周辺地区には、小さなお店を開いたり、木工や陶芸などを制作し販売したりといった、自分なりの生き方を模索する移住者が集まっている。
美流渡地区は人口わずか330人と過疎化が進むが、なぜこのエリアに移住者が集まってくるのだろう?
共通する価値観は大量生産社会への疑問、そして自給自足的な暮らし方だ。この小さな集落で、いったいどのようにして生計を立てているのだろう。つねに安定した収入があるわけではないが、それでもなんとかやりくりをして暮らす、移住者たちの3つのケースを紹介する。

駅からも遠い豪雪地帯に集まる移住者とは、どんな人たち?

岩見沢市は北海道有数の豪雪地帯。朝、扉を開けると、膝上まで雪が積もっているということはたびたび。筆者は、道外からの移住希望者の地域案内をこれまで何度かしたことがあるが、雪の多さを知って「ここには住めない」と語る人は多かった。最寄りの駅まで車で25分。4年前に小中学校も閉校しており、商店も数えるほどしかないことから、「便利さ」や「暮らしやすさ」を求める人にとっては厳しい環境だ。

岩見沢が全国ニュースで取り上げられるのは、大抵大雪のとき。降り始めからの降雪量が2メートルを超え、自衛隊に出動が要請されたこともある(撮影/來嶋路子)

岩見沢が全国ニュースで取り上げられるのは、大抵大雪のとき。降り始めからの降雪量が2メートルを超え、自衛隊に出動が要請されたこともある(撮影/來嶋路子)

けれども、ここ4、5年の間にポツポツと移住者がやってきている。年に1、2世帯(ときにはそれ以上の年も)と数としてはわずかだが、美流渡地区の人口が330人、その周辺地域も含めて500人ほどと考えると地域への影響は少なくない。
そして移住者に共通するのは、大量生産・大量消費という価値観とは異なる生き方をしようとしているところ。ほとんどの場合、空き家をDIYで改修するなど、できる限り自分の手で暮らしをつくっていこうという意識をもっている。

酒屋や食堂など商店は数店。車で20分ほどの市街のスーパーまで買い出しに行く家庭が多い(写真撮影/來嶋路子)

酒屋や食堂など商店は数店。車で20分ほどの市街のスーパーまで買い出しに行く家庭が多い(写真撮影/來嶋路子)

今回、こうした人々の中から3組に、いまの暮らし方と、経済活動をどうやって営んでいるのかについて話を聞いてみることにした。

旅行先で空き家を見つけ、電撃移住した一家。ハーブティブレンドのお店「麻の実堂」笠原麻実さん

「どうやって生きているのかと聞かれたら、自然に生かされているとしか言いようがない」。
そう語るのは、美流渡よりさらに山あいに入った万字地区で暮らす笠原麻実さんだ。笠原さんは、自宅の周りでオーガニックハーブを育て、ハーブティブレンドを販売する「麻の実堂」を営んでいる。
自宅の玄関先が小さなお店。このほかオンラインストアでも販売を行っている。

麻の実堂のハーブブレンド。もともとハーブティが苦手だったという笠原さん。そんな自分でも飲みやすいブレンドをつくりたいと日々研究を重ねている。滋味深い味わいが魅力(撮影/久保ヒデキ)

麻の実堂のハーブブレンド。もともとハーブティが苦手だったという笠原さん。そんな自分でも飲みやすいブレンドをつくりたいと日々研究を重ねている。滋味深い味わいが魅力(撮影/久保ヒデキ)

「自然に生かされている」という言葉は、ハーブという自然の恵みを活かしたものづくりを行うことはもちろん、暮らしのあらゆる部分に関係している。
暖房は薪ストーブ。夫の将広さんが、知り合いが所有している山で間伐を兼ねて丸太を切り出している。笠原さんは、時間を見つけてはそれを割って薪にする。
また春から秋にかけては山菜を採取し、食卓の一品に加えている。畑で野菜も育てていて、トマトピューレや味噌など保存食づくりにも精を出す。さらには、ヤギとニワトリを飼い、ミルクや卵も自給している。

5歳になる息子さんは、ニワトリやヤギと一緒に遊ぶ(撮影/佐々木育弥)

5歳になる息子さんは、ニワトリやヤギと一緒に遊ぶ(撮影/佐々木育弥)

笠原さんはヤギのミルクと採れたての卵を使ったケーキをつくることも(撮影/來嶋路子)

笠原さんはヤギのミルクと採れたての卵を使ったケーキをつくることも(撮影/來嶋路子)

笠原さんは、まるで何十年も前から農的暮らしを営んでいるように見えるが、実はそうではない。5年前までは、夫妻はともにショップの販売員として働きながら東京のマンションで暮らしていた。

移住のきっかけは突然訪れた。2018年、美流渡地区に移住した友人のもとを生まれたばかりの息子を連れて訪ねたときだった。
「2泊3日の旅でした。ここで過ごしているうちに私たちも田舎暮らしをしてみたいという気になって。そのときたまたま空き家を見せてもらったんです」(笠原さん)

紹介された空き家は2世帯がつながった炭鉱住宅だった。そのうちの1世帯に暮らしている(撮影/來嶋路子)

紹介された空き家は2世帯がつながった炭鉱住宅だった。そのうちの1世帯に暮らしている(撮影/來嶋路子)

友人を介して見に行った空き家は、万字地区にある元炭鉱住宅だった。築50年以上経過していて、床が沈んで直さなければ住めない状態だったという。
しかし、二人の心は動いた。都会の暮らしには先が見えない閉塞感を感じていた。そして、帰りの飛行機に乗ったときにはすでに移住を決めていたのだという。

話はとんとん拍子に進み、家は無償で譲り受けることになり、東京の住まいを3カ月で引き払った。
「全部、東京に置いてきましたね。本当にあの家があるのだろうかと不安を抱えながらやってきました(笑)」(笠原さん)
旅行で訪ねた以降は下見もせず、地域がどのような場所かもまったく知らないという、まさに電撃移住だった。

玄関先でハーブティブレンドを販売。じっくりと時間をかけて暮らしをつくる

移住後に、どうやって生活費を稼いでいく計画だったのかと尋ねると、「私はタイ古式マッサージができたので施術をしようと考えていました。それがうまくいかなくても、どこかでアルバイトしたっていいし、なんとかなると思っていました」(笠原さん)

夫が炭鉱住宅を改修。自宅でマッサージの施術も行っている(撮影/久保ヒデキ)

夫が炭鉱住宅を改修。自宅でマッサージの施術も行っている(撮影/久保ヒデキ)

試行錯誤の中での暮らしが始まった。炭鉱住宅は住みながら改修したため、最初はキャンプのような毎日。内装は将広さんが手がけた。父親が大工だったこともあり、見よう見まねでやっていったという。
また、畑にも挑戦しようと、とりあえず直売所に苗を買いに行った。
「お店の方に恐る恐る『畑をやりたいんですけど、どの苗を買ったらいいでしょうか?』と聞いて、何も分からなくて土地の真ん中にポツンと苗を植えたんですよ(笑)」(笠原さん)

手探りだった畑づくり。毎年経験を重ね、多種多様なハーブと野菜を育てられるようになった(撮影/來嶋路子)

手探りだった畑づくり。毎年経験を重ね、多種多様なハーブと野菜を育てられるようになった(撮影/來嶋路子)

近隣には果樹園が多く、人手が必要だということが分かった。果樹は機械化が難しく、手作業に頼る部分が多い。二人は繁忙期に農園で働くこともあった。笠原さんは、自宅でタイ古式マッサージの施術も行い、冬季は将広さんが運送会社や除雪のアルバイトに出かけたりも。
「経済的な太い柱があるわけではなく、何本もの細い柱があって、ようやく暮らしている感じです」(笠原さん)

ハーブの焙煎は薪ストーブの炎でじっくりと。まろやかな味わいに仕上がるという(撮影/久保ヒデキ)

ハーブの焙煎は薪ストーブの炎でじっくりと。まろやかな味わいに仕上がるという(撮影/久保ヒデキ)

こうした中で、一昨年よりハーブブレンドティーの販売を開始。地域の閉校した校舎を利用したイベントに出展しクチコミで広がるようになった。昨年からはハーブを利用したワークショップも開くようになり、固定ファンもつくようになった。

お湯を入れたら、焦らずにじっくり蒸らす。この蒸らしが美味しいお茶をいれるポイント(撮影/久保ヒデキ)

お湯を入れたら、焦らずにじっくり蒸らす。この蒸らしが美味しいお茶をいれるポイント(撮影/久保ヒデキ)

ハーブに目覚めたのは、移住当初、出産後の体調不良で受診したクリニックの処置で、命の危険にさらされるような経験があり、薬や医療の在り方に疑問を感じるようになったことから。昔の人々の知恵や身の回りのものを活かして、体のメンテナンスができないだろうかと考えたという。
そして、ハーブや民間療法などの本を大量に読み、また畑で植物をじっと観察し続ける中で独自のやり方を編み出していった。

この日は朴葉(ほおば)をお茶にしてみた。松や桑、桜などさまざまな植物のブレンドに挑戦している(撮影/久保ヒデキ)

この日は朴葉(ほおば)をお茶にしてみた。松や桑、桜などさまざまな植物のブレンドに挑戦している(撮影/久保ヒデキ)

コンビニでものを買わなくなった。お金に依存しない暮らしに目覚めて

現在、笠原一家の収入の約3分の1がハーブ関連とマッサージ。そのほかは、将広さんのアルバイトなどさまざまな仕事の積み重ねで成り立っているという。
東京時代よりも収入はかなり減っているそうだが、その分、余計な出費も少なくなった。
「家賃もかからないし、コンビニでお惣菜やお菓子を買ったりもしません」(笠原さん)

ただ、除雪機や車のメンテナンス代など、思いがけない出費がかさむときも。しかし、不思議にタイミングよくお金が回っているそうだ。こんな出来事の積み重ねからも、自分たちは「自然という大いなる力に生かされている」と感じずにはいられないのだという。

今後の目標は万字地区にごはんやを開くこと。万字地区の人口は80人で一軒も商店がない地域。だからこそ地元の人たちがいつでも立ち寄れる場所をつくりたいと、新たな空き家を取得して改修中だ。
「ハーブもごはんやも、しっかりとした形になるまでにはすごく時間のかかることだと思います。だから焦らずにやっていきたいですね」(笠原さん)

ワークショップ「魔女のお茶会」も開くようになった。参加者と一緒にガーデンで育てたハーブを収穫。それを使ってブレンドティーやボディクリームづくりをしている(撮影/佐々木育弥)

ワークショップ「魔女のお茶会」も開くようになった。参加者と一緒にガーデンで育てたハーブを収穫。それを使ってブレンドティーやボディクリームづくりをしている(撮影/佐々木育弥)

自分らしく、やりたいように進んでいけばいい。そう心から思えたのは、自然とともにある暮らしを始めたことが何より大きかったという。
「都会では、人と足並みをそろえなくてはならないと思ってとても窮屈な思いをしていました」(笠原さん)
家の裏につくったドラム缶風呂に入りながら、山あいの景色を眺めたり、タンポポやニセアカシアなど、山や野にある植物をサラダや天ぷらにしたり。その一つ一つが、生きているという実感をわきあがらせ、心を豊かに満たしていく。

ハーブはさまざまなところに生えている。「つんで匂いを確かめてみてください。すごくいい香りがしますよ!」と笠原さん(撮影/佐々木育弥)

ハーブはさまざまなところに生えている。「つんで匂いを確かめてみてください。すごくいい香りがしますよ!」と笠原さん(撮影/佐々木育弥)

各地を放浪後、木工作家として美流渡にアトリエを開いて。「アトリエ遊木童」木工作家・五十嵐茂さん

「やっと出稼ぎに行かなくても、暮らすことができるようになった」。
上美流渡地区で「アトリエ遊木童」という名で家具を制作する木工作家・五十嵐茂さんは、笑顔で語った。
この地に移住したのは、およそ20年前。新潟出身で10代のころに単身で上京し、ライブハウスで働いた。20代でインドを放浪。38歳になって帯広の職業訓練校で家具づくりを学び、その後、美流渡に落ち着いた。アトリエを開く決め手の一つは土地代の安さ。当時、市が所有していた土地の借用料は年間2500円だったという。
五十嵐さんは自宅をセルフビルドし、妻の恵美子さんとここで暮らすようになった。

五十嵐茂さん。10・20代はミュージシャンを目指して活動したこともあった(撮影/佐々木育弥)

五十嵐茂さん。10・20代はミュージシャンを目指して活動したこともあった(撮影/佐々木育弥)

移住して5年ほどは、木工作品の制作とともに介護の仕事なども行っていた。
その後、東京の青梅市にある共同アトリエに所属するようになり、東京のクラフト市や百貨店などでの販売も行ってきた。
「北海道だけでは作品の需要が少なくて、『出稼ぎ』に出ていたんだよね」(五十嵐さん)

座面にさまざまな樹種を組み合わせて、カラフルな色合いを出したスツール(撮影/佐々木育弥)

座面にさまざまな樹種を組み合わせて、カラフルな色合いを出したスツール(撮影/佐々木育弥)

こうした暮らしに変化がやってきたのは昨年。
笠原さんも出展した地域の旧校舎を利用したイベント「みる・とーぶ展」に参加したことだ。
このイベントは、地域でものづくりをする人々や、各地のミュージシャン、飲食店を営む人々など20組以上が集まって約2週間にわたって実施されている。
昨年は、春、夏、秋の3回開催され、合計で4300人が来場した。

「みる・とーぶ展」に出展。市内の「木工房ピヨモコ」との2人展を教室で開催した(写真撮影/來嶋路子)

「みる・とーぶ展」に出展。市内の「木工房ピヨモコ」との2人展を教室で開催した(写真撮影/來嶋路子)

このイベントで五十嵐さんは春に「おんがくしつ no 椅子展」を開催。
定番となっていたスツールをメインにした展示を行った。教室には時間が足りずに塗装まで仕上げられていなかったテーブルも置いた。購入希望者が現れたら、後日塗装をして届ける予定だった。
しかし、ここで思いがけない展開があった。
「テーブルの塗装を自分でやりたい。孫にじいちゃんがつくったテーブルだよと言ってプレゼントしたいんだ」という男性が現れた。
また、別の来場者からも、テーブルを一緒につくりたいので教えてほしいと頼まれたという。

無垢の板を使ったテーブル(撮影/佐々木育弥)

無垢の板を使ったテーブル(撮影/佐々木育弥)

みんなでつくり、交流することの大切さを知って

「これで分かったのが、完成品を売るんじゃなくて、みんなでつくるってことが大事なんだということ。時代は変わったんだね」(五十嵐さん)
夏のイベントでは「おんがくしつ no 椅子展」ともに、「組み木スツールワークショップ」も会場で常時行うこととした。
あらかじめ脚や座面のパーツはつくっておき、参加者は組み立てと仕上げを行い、4時間程度で完成するようにした。10名だった定員はすぐにいっぱいになった。

スツールづくりワークショップのチラシ。参加料は約2万円。通常の商品を買うよりもかなりリーズナブルな値段を設定した(画像提供/みる・とーぶプロジェクト)

スツールづくりワークショップのチラシ。参加料は約2万円。通常の商品を買うよりもかなりリーズナブルな値段を設定した(画像提供/みる・とーぶプロジェクト)

商品をたんに販売していたころよりも、売り上げは伸びた。年3回の「みる・とーぶ展」の収益と、その場で受けた注文によって、今年は暮らしを回すことができたそうだ。
組み木スツールワークショップの評判は上々。自分でつくったという物語によって、その人にとって何倍も思い出深い椅子となっていた。
「椅子をつくっている間に、みなさんの人生について聞かせてもらいました。深く話ができたことが本当によかった」(五十嵐さん)

この地域に移住した画家・MAYA MAXXさんとのコラボも行った。五十嵐さんが額をつくり、それに合う絵をMAYAさんが描いた(撮影/佐々木育弥)

この地域に移住した画家・MAYA MAXXさんとのコラボも行った。五十嵐さんが額をつくり、それに合う絵をMAYAさんが描いた(撮影/佐々木育弥)

人々の物語を共有すること。それは五十嵐さんの喜びにもなった。そして過疎地でも人が訪れ、そこで作品を売って暮らせる可能性が開けたことは、大きな希望につながった。

「ここは元炭鉱町で、廃れていく一方だと思っていたけれど、近年になってパワフルな移住者がやってきて、まちの風景が変わっていくのを感じるよ」(五十嵐さん)
今後の目標は、彫刻も制作すること。木の中から現れ出た精霊のような不可思議な作品をつくっていきたいのだという。

平日は札幌で働き、休日は美流渡で過ごす古本屋さん。「つきに文庫」寺林里紗さん

自分でものをつくって販売し、生計を立てようとする移住者がいる一方で、札幌と美流渡の二拠点暮らしを選択する人もいる。
「平日に会社員として働いて、週末にはやりたいことを自由に試してみたい」。
美流渡で月に2回、週末に玄関先で古本屋を開く「つきに文庫」を営み、アフリカンダンサーとしても活動をする寺林里紗さんは、そんな風に考えている。

「つきに文庫」を開く寺林里紗さん。冬季は休業、春から営業を再開する(撮影/佐々木育弥)

「つきに文庫」を開く寺林里紗さん。冬季は休業、春から営業を再開する(撮影/佐々木育弥)

札幌から車で1時間半ほどの美流渡を知るきっかけとなったのは、万字地区に移住したアフリカ太鼓の奏者の友人が、この地で定期的に太鼓教室を開催していたこと。参加者の中から「アフリカンダンスもやってみたい」という希望があって、その講師として寺林さんに声がかかった。

アフリカンダンサーとしてライブのステージに立つことも。美流渡地区でダンスワークショップも開催している(撮影/來嶋路子)

アフリカンダンサーとしてライブのステージに立つことも。美流渡地区でダンスワークショップも開催している(撮影/來嶋路子)

「美流渡は、山並みがまるで四国のようでいい場所だなあと思いました。それに、移住者のみなさんが、週末になるといろいろなイベントをやっていて、おもしろい人たちのいるところだと感じていました」(寺林さん)
以来、週末住めるような家を探すようになり、1年ほどして知人の紹介で空き家を見つけた。一部修繕も必要だったが地域の友人らの手を借りて整えていった。

2階の屋根裏から山々が見渡せる。その風景が気に入ったという(撮影/佐々木育弥)

2階の屋根裏から山々が見渡せる。その風景が気に入ったという(撮影/佐々木育弥)

寺林さんの家には、近所の子どもが遊びに来るようになった。子どもたちが楽しめるようにと、玄関先で古本屋を開いてはどうかとあるとき思った。絵本を用意し、地球環境や旅、暮らしのエッセイなど、これまで自分が読むためにと集めてきた本を並べた。

初めてお店を開けたのは2021年7月。友人が訪ねてきて本を手に取り「これください」と言ったとき、本の値段を決めていなくて戸惑ったという。

「まさか売れるとは思っていなくて(笑)」(寺林さん)

玄関先がお店。自分が読んだことのある本を並べている(撮影/佐々木育弥)

玄関先がお店。自分が読んだことのある本を並べている(撮影/佐々木育弥)

その後は値段をつけて販売するようになったが、商いをやっているという意識はあまりないという。玄関先がオープンスペースとなり、本を通じてコミュニケーションが生まれ、みんながのんびりと過ごせる場づくりを大切にしている。

「いま建築事務所で働いています。働くことは好きなんですが、ドジらないように、毎日すごく緊張していますね」(寺林さん)
寺林さんは社会人として働きつつ、週末の月に2回古本屋さんを開き、バンドやダンス活動も続けている。美流渡に拠点を設ける以前に、これまで2度、アフリカに2~3カ月滞在してダンスを学んだことがある。1回目は会社に長期の休みを取って行き、2回目は退職して向かったが、帰国後すぐに新しい就職先を探すことができたという。

古本屋を始めると、友人からさまざまな本が集まるようになったという。寺林さんは、それを一つ一つ読んでから、ラインナップに加えていく(撮影/佐々木育弥)

古本屋を始めると、友人からさまざまな本が集まるようになったという。寺林さんは、それを一つ一つ読んでから、ラインナップに加えていく(撮影/佐々木育弥)

「ここに住む移住者のみんなは、以前とは暮らしを大胆に変えていますが、私にはそんな勇気はないので二拠点暮らしをしています。でも、いずれは美流渡に移住したいという想いももっています」(寺林さん)

場所を変えることによって仕事とプライベートの切り替えができるそうで、週末、美流渡へと車を走らせていくと、気持ちがゆるみ、ワクワクした感覚があふれてくるのだという。
子どものころから自然の中で過ごすのが大好きで、木登りが得意中の得意だったという寺林さんにとって、山あいのこの場所は生きるエネルギーをチャージする重要な場所になっている。

「空が広くて、四季を通じた変化があった。ここに来ると本当に心が安らぐんですよ」(寺林さん)

美流渡で木に登って、ヤマブドウの実を採ることも(撮影/佐々木育弥)

美流渡で木に登って、ヤマブドウの実を採ることも(撮影/佐々木育弥)

お金をどう稼ぐかではなく、地域や自然と関わる中からできることを探して

今回紹介した3人のように、移住者たちは、地域の人々や自然と関わる中で、何ができるのかを探り、自分なりの活動を続けている。
笠原さんは、体調を崩したことがきっかけでハーブに目覚めた。寺林さんは、美流渡に本を置いてあるスペースがなく、子どもたちに喜んでもらえたらと古本屋を始めた。そして五十嵐さんは、この地で人々と触れ合う中で、完成品を売るのではなく、みんなでつくるという方法にシフトさせていった。

旧美流渡中学校で開催された「みる・とーぶ展」には「麻の実堂」、「アトリエ遊木童」、「つきに文庫」も参加。来場者の声から新たな工夫が生まれることもある(写真撮影/佐々木育弥)

旧美流渡中学校で開催された「みる・とーぶ展」には「麻の実堂」、「アトリエ遊木童」、「つきに文庫」も参加。来場者の声から新たな工夫が生まれることもある(写真撮影/佐々木育弥)

みんなそれぞれ、作品や本が売れるようにと日々試行錯誤を繰り返しているが、収入がそれほど見込めないからといって、現在の活動をやめるわけではない。
共通しているのは、「お金が儲かるから」とか「得をしそうだから」という尺度で物事を選択せず、自分が「心からやりたいことかどうか」で動いているところ。

「貯金をしておかないと、先行き不安では?」と思う人もいるかもしれない。当然、多少の不安はあるだろうが、お金がなければ畑で食べ物をつくったり、農家の手伝いに行けば「きっとなんとかなる」と考えている人は多い。

また、家も自分たちで修繕すればいいし、電気やガスに頼りすぎずに薪を燃料にすればいい。ここで暮らしていくうちに、生きていくための力が自然に備わってきているのではないかと思う。

今回紹介した移住者たちは、日々、協力しあって生きている。イベントを共同で開催したり、アフリカ太鼓のバンド活動もみんなで行っている(写真撮影/來嶋路子)

今回紹介した移住者たちは、日々、協力しあって生きている。イベントを共同で開催したり、アフリカ太鼓のバンド活動もみんなで行っている(写真撮影/來嶋路子)

「もう、都会のマンション暮らしには戻れない」と笠原さんは夫妻で語り合うことがあるという。地面の近くで暮らすことが、何より重要だと分かったそうだ。
都会で将来への安心を求めると貯蓄や投資、保険などという紙に頼る他はない。もちろん都会にいれば、公共施設や病院などが近くにあって利用しやすいという安心感もあるだろう。一方でこの地の移住者は、この大地とつながっていて、いつでもそこから恵みを受けることができるという安心感があるのだと思う。

●取材協力
麻の実堂
つきに文庫

「住みたい街ランキング2023」発表! 大宮と浦和で明暗、新宿が注目の理由とは?

リクルートが、 首都圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・茨城県)に居住している20歳~49歳の1万人を対象に実施した「SUUMO住みたい街ランキング2023」を発表した。ランキングの結果も気になるが、なぜこの街が?という要因も気になるところだ。今回のランキングで注目の街を紹介していこう。

【今週の住活トピック】
「SUUMO住みたい街ランキング2023 首都圏版」を発表/リクルート

住みたい街ランキング2023は、TOP4までは変わらず

さっそく、2023年の住みたい街(駅)ランキングの結果を紹介しよう。「横浜」が首位を、「吉祥寺」が2位を堅持し、昨年3位に食い込んだ「大宮」がその位置をキープし、「恵比寿」が4位を死守するなど、TOP4は2022年と同じ顔触れとなった。

住みたい街(駅)総合ランキングトップ10(首都圏全体/3つの限定回答)(出典:リクルート)

住みたい街(駅)総合ランキングトップ10(首都圏全体/3つの限定回答)(出典:リクルート)

TOP10で注目したいのは、まず「鎌倉」の躍進だ。もともと歴史のある良好な住宅地として人気があったが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響もあってのことか。次の注目点は、「新宿」「池袋」「渋谷」「東京」のターミナル駅がランクアップしていることだ。常に再開発などのプロジェクト案件があり、いずれも話題を集める街だ。

また、11位~25位までを見ると、顔触れは同じようだが順位が少し入れ替わっている。品川や表参道などの都心の街がランクダウンし、舞浜や船橋、立川など郊外の人気駅がランクアップしている印象を受ける。都心の低迷と郊外の上昇の傾向は、2022年も見られた現象なので、コロナ禍で、自分が暮らしている街から近い街が再評価される傾向が続いているようだ。

11位以下では「舞浜」(17位)、「みなとみらい」(26位)、「有楽町」(27位)、「所沢」(30位)、「和光市」(31位)、「新浦安」(37位)、「守谷」(47位)が過去最高位になっている。

住みたい街(駅)総合ランキング11位~25位(首都圏全体/3つの限定回答)(出典:リクルート)

住みたい街(駅)総合ランキング11位~25位(首都圏全体/3つの限定回答)(出典:リクルート)

明と暗に分かれた「大宮」と「浦和」。その違いは?

それにしても、「浦和」(12位)が昨年の5位からTOP10外までダウンしたのは意外だった。SUUMO編集長・池本洋一さんの分析によると、20代・30代のランキングで吉祥寺を抑えて初の2位になるなど、注目度を集めた大宮に対して、広域からの注目度が低かったのが浦和だという。

「大宮」については、池本さんが「コンパクト東京?」と呼ぶほど、若者が魅力を感じる街の賑わいがあるのだそうだ。

SUUMO住みたい街ランキング2023首都圏版 記者発表会資料(出典:リクルート)

東京と大宮の比較(出典:リクルート)

まず、駅周辺の商業施設に東京にしかなかった店が進出している。次に、氷川神社のある大宮公園からコクーンシティをつなぐ「氷川参道」の周辺に活気がある。街路樹に沿って個性的な店が並び、集客力のある「さいたまスーパーアリーナ」や「NACK5スタジアム大宮」なども隣接している。駅周辺には飲食店の多い通りもある。これが近くに凝縮しているので、コンパクトな東京のようだというのだ。

一方、「浦和」は、大宮が埼玉県内外の広域から票を集めている(地元のさいたま市からの投票シェアは23.8%)のに対して、地元の投票シェアが43.4%であるなど、地元の人気に支えられている感が否めない。加えて、浦和駅西口の駅前再開発が進行中であるため、当初あった地元の個人商店が立ち並ぶ商店街がなくなり、一時的に賑わいが減っていること、大宮に比べて賃料が高いことなどが影響しているのではないかというのが、池本さんの分析だ。再開発事業は2026年6月竣工予定だというので、今後に注目したい。

「新宿」は、コロナ禍からの復調の象徴か?

次に注目したいのが、「新宿」だ。2023年にTOP5に入る躍進を見せたが、その原動力となっているのが「シングル男性」だ。ライフステージ別の内訳を見ると、新宿に投票したのはシングル男性が44.9%を占めている。シングル男性のシェアが、1位横浜は22.1%、2位吉祥寺は20.7%、3位大宮は24.0%であることと比べても、突出して高い。

ランキングTOP10のライフステージ別内訳(出典:リクルート)

ランキングTOP10のライフステージ別内訳(出典:リクルート)

もともとコロナ前の2019年のランキングでは、新宿は5位だった。2023年にコロナ禍から復調したと言ってよいだろう。SUUMOによると、新宿の街の魅力項目として高かったのは、「魅力的な働く場や企業がある」「文化・娯楽施設が充実している」「仕事のできる施設(コワーキングスペースやカフェなど)がある」などで、電車バスで行きやすいなど交通利便も上位に挙がった。たとえば、センスの良い飲食店やお店の魅力度が高い「恵比寿」などと比べると、働く・遊ぶ・買う+交通利便など多様な魅力をもつことが、コロナ禍からの復調が進んだ要因だといえるだろう。

特徴(個性)のある街はやっぱり強かった

上位以外で注目の街として、「流山おおたかの森」と「所沢」を挙げておこう。

千葉県としてのランキングでは、2位:舞浜、3位:船橋、4位:柏、5位:千葉を抑えて、1位に躍り出たのが「流山おおたかの森」だ。その魅力項目TOP10を見ると明らかなように、「子育て」や「教育環境」の高さが目立つ。

一方の「所沢」は2022年の48位から2023年には30位に急上昇しただけでなく、「穴場だと思う街(駅)ランキング」でも4位に入るなど、その躍進ぶりが注目される。所沢の魅力項目TOP10も明確だ。「住居費の安さ」「コスパのよさ」「生活上の利便性」など、暮らしやすさが目立つ。所沢駅直結の商業施設「グランエミオ所沢」の完成に加え、2024年秋にも大規模商業施設が完成する予定で、街の発展への期待値も躍進の要因になっているようだ。

「流山おおたかの森」と「所沢」の街の魅力項目TOP10(出典:リクルート)

「流山おおたかの森」と「所沢」の街の魅力項目TOP10(出典:リクルート)

横浜や大宮、新宿に比べて多様な魅力要素がないものの、「商店街」と「公園」、「知名度」といった強力な要素があることが、吉祥寺に根強い人気がある理由だろう。その街ならではの魅力的な個性のある街は、やっぱり強いということだ。

さて、当サイトで昨年「住みたい街ランキング2022」について記事を書いたとき、最後に、「『鎌倉殿の13人』が始まり、来年のランキングで鎌倉が急上昇するような気がする」と書いた。結果は、急上昇というほどではないが、10位から8位にランクアップした。メディアで取り上げられる機会が増えて、鎌倉のもつ歴史的な背景が広く伝わったからだろう。来年も、街の魅力がしっかりと広域に伝わった街が、ランクアップすることだろう。

●関連サイト
「SUUMO住みたい街ランキング2023 首都圏版」

”銭湯図解”で銭湯建築や人の営み描く。映画『湯道』看板娘モチーフになった塩谷歩波さん、「小杉湯」番頭経てホテルやサウナ等も図解する画家・文筆家に

塩谷歩波さんは、銭湯の建物内部を俯瞰図で描く「銭湯図解」シリーズがSNSで人気を博し、刊行した著書が話題沸騰! 銭湯図解とは、銭湯を観察しメジャーなどでさまざまな部分を測量、スケッチに落とし込んでいくもの。塩谷さんの半生はドラマ化(2022年『湯あがりスケッチ』)され、2023年2月23日に自身がモチーフになったキャラが登場する映画『湯道』(企画・脚本:小山薫堂、主演:生田斗真)が公開されます。学生時代、建築を専攻し、設計事務所、高円寺(東京都杉並区)の銭湯「小杉湯」の番頭兼イラストレーターを経て、画家・文筆家へ。建築を描くことで見えてきたものとは。図解イラストを解説しながらたっぷり話していただきました。

画家・文筆家の塩谷歩波さん。現在は、銭湯以外の絵の仕事も注目されている(写真撮影/三浦えり)

画家・文筆家の塩谷歩波さん。現在は、銭湯以外の絵の仕事も注目されている(写真撮影/三浦えり)

銭湯での人のふるまい、美しいと思った瞬間を伝えたい

――銭湯図解からは、建物の構造だけでなく、インテリアや小物までが細かく描かれています。銭湯を図解しようと思ったきっかけを教えてください。

塩谷歩波さん(以下、塩谷):「銭湯ってめっちゃいいじゃん」という純粋な気持ちですね。

銭湯に出合ったのは、当時勤めていた設計事務所を体調不良で休職していたころ。半分鬱のような状態で、同期の人と比べると自分が恥ずかしい人間であるように感じ、同世代の人と話すのがとても怖かったんです。ちょっと人間不信になっていました。

そういうときに銭湯で会う人たちは、自分の日常では絶対出会わない人が多くて。おばあちゃんと裸で知り合うことってないですよね。それが自分にとっては、いい非日常感で、日常から離れていたからこそ、違う人間になることができた。おばあちゃんに突然話しかけられても、ドラマや映画で見た番頭さんのように快活に話すことができました。自分が銭湯の一員になったように感じて、すごく癒やされたんですよね。まだ銭湯に行ったことのない友人に魅力を伝えるために描いたのが初めての銭湯図解でした。

初めて描いた銭湯図解には、友人に向けて寿湯のおすすめポイントが書かれている(画像提供/塩谷歩波さん)

初めて描いた銭湯図解には、友人に向けて寿湯のおすすめポイントが書かれている(画像提供/塩谷歩波さん)

高円寺にある小杉湯の銭湯図解。湯船に漬かる人、着替える人、昭和を感じるレトロなインテリアもいい(画像提供/塩谷歩波さん)

高円寺にある小杉湯の銭湯図解。湯船に漬かる人、着替える人、昭和を感じるレトロなインテリアもいい(画像提供/塩谷歩波さん)

洗い場で背中を流し合う人たち。湯けむりやほっとした息づかいまで聞こえてきそう!(画像提供/塩谷歩波さん)

洗い場で背中を流し合う人たち。湯けむりやほっとした息づかいまで聞こえてきそう!(画像提供/塩谷歩波さん)

『銭湯図解』(2019年2月刊行)は多数のメディアに取り上げられた。2022年には、エッセイ本も出版(画像提供/中央公論新社・双葉社)

『銭湯図解』(2019年2月刊行)は多数のメディアに取り上げられた。2022年には、エッセイ本も出版(画像提供/中央公論新社・双葉社)

――銭湯図解には、多くの人物も描かれていますね。銭湯でくつろぐ人物の絵を見ると、湯けむりや窓からの光、露天の風まで感じられます。

塩谷:銭湯でほっとして、目をほかに向けてみると、そこでの人の触れ合いがすごく愛おしく思えて。おばあちゃん同士が背中を流し合いながら話している姿はどこか癒やされるものがありました。当時、銭湯好きの方がブログやTwitterで銭湯について書いたものはありましたが、カラン(蛇口)の数や浴室の温度などデータ的な紹介が多かったんです。銭湯での人のふるまいや、私が美しいと思った瞬間が語られていないのはもったいないと思いました。

銭湯図解は緻密な表現が魅力(画像提供/塩谷歩波さん)

銭湯図解は緻密な表現が魅力(画像提供/塩谷歩波さん)

番台のある待合所、男女の脱衣所、浴室などが一望できる(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)

番台のある待合所、男女の脱衣所、浴室などが一望できる(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)

機能を兼ね備えたデザイン、地域性、文化性、銭湯建築は面白い

――Twitterなどではどのような反響がありますか?

塩谷:最初のころは、銭湯ファンの方から、「銭湯の良いところが描かれていてスゴイ」と再現性を言われることが多かったですね。建築ファンの人からは、「銭湯に建築的な面白さがあったんだ」という驚きの声が寄せられました。学校の授業でも、建築の本でも、建築の目線から銭湯が語られることってまずなかったんです。銭湯のような大衆的な建物を絵におこしてみることに、意外と価値があると気づいた人が多かったです。機能を兼ね備えたデザインで、時代や場所によって浴槽の形が違うなど、文化性、地域性があるところが面白いんですよ。

あとは、「すごく癒やされる」という声もありました。自分が同じような経験をしたので、心が疲れている人からのコメントがいちばん嬉しかったですね。私と同じようにあの風景に癒やされる人がいるんだなと。

――設計事務所から高円寺の銭湯「小杉湯」に「番頭兼イラストレーター」として転職した後、アトリエエンヤを立ち上げ、小杉湯を退職してから画家として独立されています。振り返って、銭湯図解はどのようなものだったと思いますか?

塩谷:自分が絵を仕事にする可能性をつかんでくれた、そういう絵だったと思います。まさか自分が絵を専門に描く仕事をするとは夢にも思ってみませんでした。銭湯図解によって私の人生は大きく変わりました。小杉湯にいたころは、運営する立場から銭湯を見ていましたが、今はいち銭湯ファン。銭湯に行くのは一週間に一回程度になりました。東京だけでなく旅先の銭湯もすごく面白いんです。これからもいい銭湯があれば、伝えていきたいと思っています。

小杉湯の浴室。湯気を抜くために天井が高くつくられている。これほど高い天井の建物は、今は建築するのが難しいという(画像提供/塩谷歩波さん)

小杉湯の浴室。湯気を抜くために天井が高くつくられている。これほど高い天井の建物は、今は建築するのが難しいという(画像提供/塩谷歩波さん)

銭湯でのイベントで講演をする塩谷さん。なんと小杉湯では、著書『銭湯図解』1000冊を完売。本を片手に銭湯巡りをする人も現れた(画像提供/塩谷歩波さん)

銭湯でのイベントで講演をする塩谷さん。なんと小杉湯では、著書『銭湯図解』1000冊を完売。本を片手に銭湯巡りをする人も現れた(画像提供/塩谷歩波さん)

制作に1枚1カ月かかることも。角度をつけて建物内部を俯瞰的に描く

――図解に用いられている図法について教えてください。どういう意図で用いられているのでしょうか。

塩谷:アイソメトリックという建築図法で、角度をつけて建物内部を俯瞰的に描いています。本来は三方の軸がそれぞれ等しい角度で見えるように立体を投影するものが多いのですが、「銭湯図解」では、それぞれの銭湯によって、「どこを見せたいか」を考えて、角度や断面の表現を調整しています。例えば、脱衣所の人物も番台も見せたい場合、間の壁を切り抜いて、両方を見せています。

要所で壁を切り抜いて、番台や待合所の雰囲気、脱衣所や浴室を1枚の絵で表現(画像提供/塩谷歩波さん)

要所で壁を切り抜いて、番台や待合所の雰囲気、脱衣所や浴室を1枚の絵で表現(画像提供/塩谷歩波さん)

映画『湯道』の銭湯「まるきん温泉」の下書き。映画では架空の銭湯なので、資料を参考にしたが、本来は、取材に行き、実測データを元に縮尺を決めて用紙に下書きする(画像提供/塩谷歩波さん)

映画『湯道』の銭湯「まるきん温泉」の下書き。映画では架空の銭湯なので、資料を参考にしたが、本来は、取材に行き、実測データを元に縮尺を決めて用紙に下書きする(画像提供/塩谷歩波さん)

人物の表情はペン入れの際、さらに細いペンで描き込む。銭湯図解ににぎわいが生まれる瞬間(画像提供/塩谷歩波さん)

人物の表情はペン入れの際、さらに細いペンで描き込む。銭湯図解ににぎわいが生まれる瞬間(画像提供/塩谷歩波さん)

透明水彩で着彩。玄関でお客さんに対応している『湯道』の主人公・三浦史朗(生田斗真)の姿も(画像提供/塩谷歩波さん)

透明水彩で着彩。玄関でお客さんに対応している『湯道』の主人公・三浦史朗(生田斗真)の姿も(画像提供/塩谷歩波さん)

建物には、人の行動がデザインされている

――最近では、高円寺や西荻窪にある店舗や全国のホテル、ゲストハウス、サウナなどの建築図解も描かれています。きっかけは?

塩谷:2019年に書籍『銭湯図解』を刊行した後、銭湯以外の建物を描きたいと思い、2020年にアトリエエンヤという屋号を掲げてお仕事でほかの建物も描くようになりました。高円寺の酒場兼古本屋の「コクテイル書房 図解」を描いたのは、書籍を出した直後ですね。当時、高円寺に住んでいて、街への愛情が高じた結果、高円寺の中で一番魅力的な建物であるコクテイル書房を描きたくなったんです。

建物は古く、オーナーがDIYしている箇所がたくさんあって、「これ何ですか?」って聞くとひとつひとつにストーリーがあるんです。絵を描くことで、そこの人たちの歴史を感じられるのがいいなと思いました。

高円寺にあるコクテイル書房の1階の図解。拾ってきた流木が天井に吊るされているなど、店主の趣味が反映された空間が面白い(画像提供/塩谷歩波さん)

高円寺にあるコクテイル書房の1階の図解。拾ってきた流木が天井に吊るされているなど、店主の趣味が反映された空間が面白い(画像提供/塩谷歩波さん)

――街や店舗を描くとき、銭湯を図解するときと違った発見はありましたか。

塩谷:人が服を着ていることですかね(笑)。また、街や建物によって人の動き方って全然違うんですよ。自分で建物を設計していたときに、建物によって、人のふるまいが変わることに一番興味があったんです。行動をデザインした建物が好きなんです。そういう建物は、描きながら、オーナーや設計者の意図が伝わってきて感動します。描いていて楽しい所ですね。

塩谷さんが愛する西荻窪の路地(画像提供/塩谷歩波さん)

塩谷さんが愛する西荻窪の路地(画像提供/塩谷歩波さん)

街歩きでふらっと入った西荻窪の居酒屋「しんこぺ」のホットケーキを描いた絵がTwitterでバズり、期間限定メニューが定番の人気メニューに(画像提供/塩谷歩波さん)

街歩きでふらっと入った西荻窪の居酒屋「しんこぺ」のホットケーキを描いた絵がTwitterでバズり、期間限定メニューが定番の人気メニューに(画像提供/塩谷歩波さん)

カウンターでホットケーキが出てきたときの塩谷さんの感動が絵から伝わってくる(画像提供/塩谷歩波さん)

カウンターでホットケーキが出て来た時の塩谷さんの感動が絵から伝わってくる(画像提供/塩谷歩波さん)

高円寺や西荻窪の建物を描くことで、人の動きが見えてくる

――描いていて面白いのはどんな街?

塩谷:ガイドブックに載っていない路地がある、歩いて楽しい街ですね。高円寺は、雑多な感じで「東京のインド」と言われたりするんですけど、全然整備されていない街全体のカオスな感じがいい。西荻窪は、趣味が高じてお店をやっている人が多くて、お店はオーナーの城。建物にオーナーの世界観があって、街全体よりひとつひとつが面白いんです。

西荻窪の日本茶スタンド「Saten」。現代的な建物に和の意匠を取り入れている(画像提供/塩谷歩波さん)

西荻窪の日本茶スタンド「Saten」。現代的な建物に和の意匠を取り入れている(画像提供/塩谷歩波さん)

緑色は抹茶をイメージした色。カウンターの奥にあるオレンジの壁は、「床の間」風コーナー。左のテラスにいるフレンチブルドッグを連れた人は実在する常連さん(画像提供/塩谷歩波さん)

緑色は抹茶をイメージした色。カウンターの奥にあるオレンジの壁は、「床の間」風コーナー。左のテラスにいるフレンチブルドッグを連れた人は実在する常連さん(画像提供/塩谷歩波さん)

描くことで、自分の好きなことをより深く理解できる

――2023年2月21日から、個展が開催され、23日から映画「湯道」が公開されます。見どころを教えてください。

塩谷:映画に登場する「まるきん温泉」は、形としては京都にありそうな銭湯です。企画・脚本の小山薫堂さんも温泉・銭湯好きなので、今までの記憶の中から、好きな銭湯を繋ぎ合わせたのでしょうね。監督や映画スタッフとつくりあげた理想の銭湯を感じてみてください。

『湯道』2月23日(木・祝)全国東宝系にて公開(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)

『湯道』2月23日(木・祝)全国東宝系にて公開(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)

撮影後に描いた「湯道」に登場する銭湯「まるきん温泉」(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)

撮影後に描いた「湯道」に登場する銭湯「まるきん温泉」(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)

塩谷:「まるきん温泉」の銭湯図解を描くのがとても面白かったんです。「まるきん温泉」は、セットでつくった架空の銭湯。資料から読み解く謎解きみたいで。実在しない建物も描けるんだなと気づきました。

個展では、実在しない建物の図解作品を展示します。テーマは、「家」。家はなじみ深いですが、隣の家って見たことありませんよね。同じ間取りなのに全然違う世界が広がっている。その人が考えていることが知らず知らず広がっている。面白さもあるけど怖さもある。そういうものが「家」じゃないかと思っています。

原画販売も初めて行う。5作品のひとつ、おばけの家。おばけには足がなく透けるので階段も扉もない(画像提供/塩谷歩波さん)

原画販売も初めて行う。5作品のひとつ、おばけの家。おばけには足がなく透けるので階段も扉もない(画像提供/塩谷歩波さん)

――街歩きや店舗を見るとき、どんな所に目を向けるとよいですか?

塩谷:アイソメトリックで描くことは建築の知識がないと難しいと思いますが、街や建物のどういう空間でどう人が動いているかよく見ると、さまざまな気づきがあります。建物の素敵な所をスマホで撮って終わりではなく、スケッチでも文章でもほかの表現に落とし込んでみると、何で好きと思ったのか、より深く理解できます。

――塩谷さんとって「描く」のはどういった意味をもつ行為でしょうか。

塩谷:描いていると、自分がなぜこの建物が好きなのか再確認できます。下書きしながら、この建物はこんなに面白く見えるんだなあって。色を塗ったり、人物を入れると、絵の中で世界ができていく。描けば描くほど豊かな世界になっていく。完成までワクワク感を抱えていますね。

絵は、自分をこの場所に連れてきてくれた大事なものであると同時に、描き続けるのが辛いときもある。好きとか嫌いとかを超えて、離れられない。表現をする人は同じことを言うと思います。寺社仏閣や教会、世界遺産の建物、民家、古いホテルや民宿、純喫茶、海外の建物……描いてみたいものがたくさんあるんです。これからも、人のふるまいや美しい瞬間を感じられる絵を描いていきたいです。

アトリエからは、試行錯誤を繰り返した創作の様子が伝わってくる。今年の秋口まで仕事はいっぱい(画像提供/塩谷歩波さん)

アトリエからは、試行錯誤を繰り返した創作の様子が伝わってくる。今年の秋口まで仕事はいっぱい(画像提供/塩谷歩波さん)

図解を描いた塩谷さんの思いを伺い、「なんかいいな」と感じていた建物がどういう思いでつくられているのか考えを巡らせたり、人の動きを観察するのが、面白く感じてきました。自分が住んでいる街や街歩きがもっと楽しくなりそうです。

●取材協力
塩谷歩波(Twitter)

●映画公開情報
『湯道』
2月23日(木・祝)全国東宝系にて公開
企画・脚本:小山薫堂(『おくりびと』)
監督:鈴木雅之(『HERO』シリーズ、『マスカレード』シリーズ)
音楽:佐藤直紀
出演:生田斗真、濱田岳、橋本環奈 ほか
©2023映画「湯道」製作委員会

Twitter

画家MAYA MAXX(マヤマックス)さんが330人の集落に移住。北海道の豪雪地域に描いた”巨大クマ”が人々の心のよりどころに。岩見沢市美流渡

北海道有数の豪雪地帯、岩見沢市。その山あいにある330人の集落・美流渡(みると)地区に2020年夏、画家のMAYA MAXX(マヤマックス)さんが移住。MAYAさんはラフォーレ原宿での個展や子ども番組などへの出演を通じて人気を集め、絵本作家としても多くのファンを持つ。これまで都会で活動するイメージが強かったが、一転して過疎地での制作をスタートさせ、まちじゅうに絵を描く活動も展開。「絵を一目見てみたい」と美流渡を訪ねた人は5000人を超えた。同じ美流渡に住み、地域活動の運営を担当する筆者が、移住から2年半のMAYAさんの取り組みについてレポートする。

MAYA MAXXさんの絵本。読者の声により復刊したのが『トンちゃんてそういうネコ』(汐文社)。雑誌で発表した『ぱんだちゃん』(福音館書店)は1月に単行本化された(撮影/久保ヒデキ)

MAYA MAXXさんの絵本。読者の声により復刊したのが『トンちゃんてそういうネコ』(汐文社)。雑誌で発表した『ぱんだちゃん』(福音館書店)は1月に単行本化された(撮影/久保ヒデキ)

長屋の4世帯を利活用。美流渡にアトリエを開いて

美流渡地区は元炭鉱街。道道38号線のわずか2kmほどのエリアに、炭鉱が活況を呈した時代は1万人がひしめき合って暮らしていた。当時を知る人は、労働者の住宅が所狭しと建てられ「美流渡には緑がなかった」と語る。昭和40年代に炭鉱が閉山すると急激な人口流出がおこり、現在は330人が暮らす。住宅があった場所の多くは自然に返っており、いまでは緑豊かな山里の風景が広がっている。

MAYAさんのアトリエがある地区。民家はまばらで森に囲まれている(撮影/久保ヒデキ)301_0P8A7832.jpg

MAYAさんのアトリエがある地区。民家はまばらで森に囲まれている(撮影/久保ヒデキ)

人口減少がある一方で、1980年代からポツポツと移住者が集まるようになっていた。その中には陶芸家や木工作家、やがては薪窯のパン屋などがあった。移住したほとんどの人が、この地に縁のある友人に土地や空き家を勧められたことがきっかけ。
筆者自身も知人を介して5年前に美流渡の古家を取得。岩見沢市の街中から引越した。

MAYAさんの移住もケースは同じで、実は筆者が「空き家をアトリエとして改修してはどうか?」と声を掛けたことによる。MAYAさんとは取材をきっかけに20年来の友人だった。
この時期、個性的な移住者が多いまちとしてメディアなどでも紹介されることが増え、町会に「空き家はないか?」という問い合わせが入るようになっていた。そこで町会と市が連携し、取り壊し予定となっていた元教員住宅を移住者支援住宅として利活用することとした。住宅は4世帯が入った長屋。一棟すべてを借りれば、十分な広さのアトリエがつくれるのではないかと思った。

元教員住宅。1棟に4世帯が暮らしていた。窓だった部分や扉にMAYAさんは絵を描いた(撮影/久保ヒデキ)

元教員住宅。1棟に4世帯が暮らしていた。窓だった部分や扉にMAYAさんは絵を描いた(撮影/久保ヒデキ)

そのときMAYAさんは、10年間の京都での作品発表に区切りをつけ、東京に戻っていた。知人の住宅の一室をアトリエとして借りていたが、大作を何枚も同時に描けるほどの広さはなかった。そんなこともあって美流渡でアトリエをつくったらどうかという筆者の申し出に「それもいいかもね」と軽やかに答えた。以前から、イヌイットなどの北方民族に憧れを抱き、いずれは北に行ってみたいという思いもあった。

MAYA MAXXさん。1993年よりこの名で活動を開始。画家であり絵本も多数手掛ける(撮影/久保ヒデキ)

MAYA MAXXさん。1993年よりこの名で活動を開始。画家であり絵本も多数手掛ける(撮影/久保ヒデキ)

最初は東京との二拠点を考えていたが、新型コロナウイルスの感染が深刻化。展覧会開催予定なども延期となり、都道府県をまたぐ移動にも制限があったことから、東京を離れ美流渡に完全移住することを決めた。

改修は、長沼でリフォーム工事を手掛ける「yomogiya」に依頼。内壁の塗装はMAYAさんと友人らで行うこととした。アトリエは白いペンキを3層塗った。「絵よりも毎日見るものだから」とムラなく仕上げた(撮影/來嶋路子)

改修は、長沼でリフォーム工事を手掛ける「yomogiya」に依頼。内壁の塗装はMAYAさんと友人らで行うこととした。アトリエは白いペンキを3層塗った。「絵よりも毎日見るものだから」とムラなく仕上げた(撮影/來嶋路子)

長屋の2世帯分は境の壁の一部を壊してつなぎアトリエとした。1世帯は住居。残りの1世帯は、作品の収蔵庫にしようと考えていたが、内装の仕上がりが美しかったこともあり、現在はギャラリーとして使っている。

アトリエの一角。部屋を仕切っていた壁、トイレ、風呂場などもすべて取り外し、できる限りスペースを広く取った(撮影/久保ヒデキ)

アトリエの一角。部屋を仕切っていた壁、トイレ、風呂場などもすべて取り外し、できる限りスペースを広く取った(撮影/久保ヒデキ)

ギャラリーとして使われている空間。アトリエから絵を持ち出しここに展示すると客観的な目で見られるようになる(撮影/久保ヒデキ)

ギャラリーとして使われている空間。アトリエから絵を持ち出しここに展示すると客観的な目で見られるようになる(撮影/久保ヒデキ)

自然に身を置く中で、思っても見ない変化が起こって

真っ白なアトリエで、MAYAさんは制作を開始した。普段から構想をスケッチしたり下描きをしたりは一切しない。そのときの自分を介して出てきたものが画面に現れていく。美流渡で最初に描かれたのは、一面のグリーンで覆われた絵。それは、これまでほとんど使ったことがなかった色。
「緑というのは自然の色ですよね。いままでは理解できない、一番ぼんやりしている色として捉えていました」(MAYAさん)
京都や東京で描いていた絵は、黒や赤などコントラストの強い色を使い、線を多用していた。けれど、環境を変えたことによって、自分でも“思ってもみなかった”色彩による表現が生まれた。

緑は青味が強かったり黄色に傾いたりする曖昧さを持っているため、いままでは捉えどころのない色だったという。また緑を使うのが苦手という意識もあったそうだ(撮影/來嶋路子)

緑は青味が強かったり黄色に傾いたりする曖昧さを持っているため、いままでは捉えどころのない色だったという。また緑を使うのが苦手という意識もあったそうだ(撮影/來嶋路子)

絵画と同じように“思ってもみなかった”活動が広がっていった。それはまちに絵を描く取り組みだ。発端は、MAYAさんのアトリエの近くに4年前に閉校となった旧美流渡小中学校の校舎があったことだ。

小学校と中学校が隣り合って立っており同じ時期に閉校した(撮影/佐々木育弥)

小学校と中学校が隣り合って立っており同じ時期に閉校した(撮影/佐々木育弥)

閉校してから校舎の1階には、豪雪で窓が割れないようにと雪除けの板が張られていた。あるときMAYAさんは「あそこに絵を描いたらいいんじゃないか」と語った。雪除けの板は全部で40枚以上。大きいものは一辺が5mにもなった。筆者が市や教育委員会との交渉の窓口となり、2021年8月から「窓板ペインティングプロジェクト」が実施されることとなった。道内各地からサポートしてくれる人々が集まり、約3カ月かけて絵が描かれた。

MAYAさんが輪郭を塗り、その中をサポートしてくれる人たちが塗った(撮影/來嶋路子)

MAYAさんが輪郭を塗り、その中をサポートしてくれる人たちが塗った(撮影/來嶋路子)

メインとなる窓板は、MAYAさんが一人で描いた。雨の日も風の日も、一人、板に向かう姿は地域の人々の心を打った。そばで校舎の草刈りをする人や、まだ下地のペンキが塗られていない板を見つけ、「ここを白く塗っていいですか?」と声を掛けてくれる人が現れた。
「閉校した校舎を今後どう活用するかは行政が検討すること」と考える住民は多かったが、MAYAさんのアクションによって「自分たちも校舎に対して何かできることがあるのではないか」という意識が芽生えていった。

中学校側の一番大きな窓板はMAYAさんが一人で描いた。「We MIRUTO」という言葉には「仲間がいて私はその中にいる」というメッセージが込められた(撮影/來嶋路子)

中学校側の一番大きな窓板はMAYAさんが一人で描いた。「We MIRUTO」という言葉には「仲間がいて私はその中にいる」というメッセージが込められた(撮影/來嶋路子)

閉校して子ども達の声は聞こえなくなってしまったが、絵があることで新しいにぎわいが生まれた(撮影/久保ヒデキ)

閉校して子ども達の声は聞こえなくなってしまったが、絵があることで新しいにぎわいが生まれた(撮影/久保ヒデキ)

ここにも絵を描いてほしい。そんな声が広がって

このプロジェクトから、次の展開が生まれた。美流渡とその周辺地区は過疎化が進み、2021年度で路線バスが廃止となり、代替交通としてコミュニティバスが運行されることとなった。このバスのラッピングデザインをMAYAさんにお願いできないだろうかと、窓板を制作する様子をいつも見ていた町会のみなさんから声が挙がった。MAYAさんはこの依頼に「デザインをするのではなくて、車体に直接描きたい」と応えた。実際に車体を前にするからこそ浮かぶイメージがあるという。「ここには雪を降らせてみよう」や「もっと動物を増やしていこう」とまるでキャンバスと対話をするかのように描いていった。

倉庫で車体のペイントを行った。「バンパーにクマがたくさんいたらかわいいよね!」と正座で描き続けた(撮影/來嶋路子)

倉庫で車体のペイントを行った。「バンパーにクマがたくさんいたらかわいいよね!」と正座で描き続けた(撮影/來嶋路子)

路線バスの廃止は、まちに暗いニュースとして流れたが、MAYAさんが絵を描いている姿が新聞に掲載されると、一転して明るい話題となった。路線バスよりも運賃が安くなり、住民のニーズに合わせたルートとなったこともあり、平日の1日の乗降数はこれまでの倍。全国から視察が来るようになった。
また、停留所で止まっていると記念撮影する人も。美流渡に来るのにマイカーでなく「あえてバスで来ました」と語る旅行者に筆者も出会ったことがある。

「乗っているみなさんの気持ちが少しでも明るくなったら」と、車体には赤と青のシカが描かれ、その周りにクマやリスが散りばめられた(撮影/久保ヒデキ)

「乗っているみなさんの気持ちが少しでも明るくなったら」と、車体には赤と青のシカが描かれ、その周りにクマやリスが散りばめられた(撮影/久保ヒデキ)

もう一人、窓板に絵を描く様子をずっと見守っていた人がいた。食品加工メーカー・モリタンの平井章裕社長だった。モリタンは北海道の素材を使った業務用のコロッケなどの調理品や水産加工品などを製造する指折りの大手。志文地区と美流渡地区に加工工場を持っていて、そこを行き来する車中でMAYAさんの絵を知った。そして、加工工場にも看板となる絵を描いてほしいと依頼した。岩見沢市を拠点としながらも、これまで市民と接点が希薄だったことから、地域の画家に絵を描いてもらうことで、新たな交流の糸口ができるのではないかと考えたという。

打ち合わせの席でMAYAさんは「看板では目立たない。あの食品倉庫に大きなクマの顔を描きたい」と語った。
志文には高さ10m、奥行き100 mにもなる食品冷凍庫があった。その壁は白く「あそこに絵があったらいいな」と以前から思っていたのだという。

食品冷凍庫の壁にペイント。高所作業車のアームを少しずつ動かしながら描いていく(撮影/來嶋路子)

食品冷凍庫の壁にペイント。高所作業車のアームを少しずつ動かしながら描いていく(撮影/來嶋路子)

こうして「ビッグベアプロジェクト」が始まった。2022年8月、平井社長自らが高所作業車のオペレーションを行い、MAYAさんは下描きせずに目見当でクマを描いていった。制作期間は約5日。顔の直径はおよそ9 mあった。できあがって離れて見たとき、屈託のない表情で斜め上を見つめる顔がそこにはあった。「これはきっと右側からやってきた『希望』の光を見つけた喜びの顔なんじゃないか」とMAYAさんは思った。そして、自分自身が制作しているものはすべて、みなさんへの“贈り物”であったことに気付いたという。

クマはHOPEくんと名付けられた。食品冷凍庫の後ろには北海道グリーンランドの観覧車が見える(撮影/久保ヒデキ)

クマはHOPEくんと名付けられた。食品冷凍庫の後ろには北海道グリーンランドの観覧車が見える(撮影/久保ヒデキ)

絵を描くことは自己表現ではなく、贈り物

人は、心を込めた贈り物を受け取ったとき、気分が明るくなり、喜びの感情がわいてくるはずだ。MAYAさんの絵は、そうした気持ちを沸き立たせるもの。まちに絵を描く試みとともに、閉校した校舎を使って、これまで4回の「みんなとMAYA MAXX展」を開催してきた。移住してから身近になったシカ、リス、クマを描いた作品が発表された。会場のアンケートには「絵を見て癒やされました」や「元気が出ました」という声が多数あった。

旧校舎での展覧会は、2021年の秋と2022年春・夏・秋に各2週間開催された(撮影/佐々木育弥)

旧校舎での展覧会は、2021年の秋と2022年春・夏・秋に各2週間開催された(撮影/佐々木育弥)

「絵のコンセプトはどうでもいいんです。私が考えていることや自己表現といったものはそばに置いておいて、とにかくみんなが可愛いと思ってもらえるようなものを描きたい」(MAYAさん)

いま世界はさまざまな危機に直面している。コロナ禍、ウクライナへの軍事侵攻、気候変動。
心が休まるときがない状況にあって、絵と向かい合ういっときはせめて明るさを取り戻してもらいたいとMAYAさんは願っている。

「みんなとMAYA MAXX展」と同時開催で、地域のつくり手の作品を集めた「みる・とーぶ展」も開催。この会場でMAYAさんは手描きのサロペットを販売した。普段、こうしたファッションを身につけない人も、気持ちが明るくなるからと購入した(撮影/來嶋路子)

「みんなとMAYA MAXX展」と同時開催で、地域のつくり手の作品を集めた「みる・とーぶ展」も開催。この会場でMAYAさんは手描きのサロペットを販売した。普段、こうしたファッションを身につけない人も、気持ちが明るくなるからと購入した(撮影/來嶋路子)

4回の「みんなとMAYA MAXX」展を校舎で開催し、訪れたのは5000人以上。札幌から高速道路を利用して1時間強。岩見沢駅から車で25分という決してアクセスのよくない地域に、これだけの人が集まった理由は、どこにあるのだろうか。市や教育委員会、地元企業の協力のほか、運営はみな手弁当。企画にも広報にも戦略といったものはなかった。

来場者が日に日に増えていった理由に対して、「絵には人の気持ちが集まってくるんだよね」と、あるときMAYAさんは語った。
確かに、校舎の窓板やモリタンの絵の制作過程をSNSで公開すると、わざわざ札幌から見学に来る人も現れ、イベントのサポートスタッフになってくれるなど、人の輪が大きく広がっていった。

校舎でギャラリートークも開催。どうやって制作をしているのかや日々の暮らしについてが語られた(撮影/來嶋路子)

校舎でギャラリートークも開催。どうやって制作をしているのかや日々の暮らしについてが語られた(撮影/來嶋路子)

では、人の気持ちが集まってくる絵とは何かとMAYAさんに聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「モリタンのクマや校舎の窓板など公共の場所に描くときには、色数を絞って、輪郭をはっきりととって、絵の具を3度塗りして仕上げます」(MAYAさん)
曖昧な線でたくさんの色を混ぜたような絵だと、雨風に当たっていくうちに薄汚れて見えてしまうのだという。
いつどんなときでも、輝いて見えるような絵にするために、「時間に追われることもあるけれど、やっつけ仕事をしてはいけない。いつでも、いくらでも時間を使えると思って描きたい」と絵筆を動かしているそうだ。

旧校舎の庇にはクマの顔の立体が設置された。半年間かけて仲間と制作。Amiちゃんと名付けられた(撮影/來嶋路子)

旧校舎の庇にはクマの顔の立体が設置された。半年間かけて仲間と制作。Amiちゃんと名付けられた(撮影/來嶋路子)

描き方は人の気持ちを集めるフックにはなるが、もっと大切なことがあると日々MAYAさんと接していて思う。
それは「これをやったら得か損か」という考えを捨て、自分がやりたいという純粋な気持ちだけを持って、軽やかなステップで前へと進んでいくことだ。
「こんなことやって何になるの?という人もいますが、私は一切そうは思いません。あそこに、かわいいクマがいたら、どんなにいいだろうって。ないよりあったほうがいいよねって思います」(MAYAさん)

展覧会と並行してMAYAさんは、地域の商店の看板やシャッターにも絵を描いていった。これらも注文があったわけではない。すべてはMAYAさんの“贈り物”だった。

カフェに設置された看板。市街から山あいの地域に入っていくと、MAYAさんの絵をところどころで見つけることができる(撮影/來嶋路子)

カフェに設置された看板。市街から山あいの地域に入っていくと、MAYAさんの絵をところどころで見つけることができる(撮影/來嶋路子)

移住をして自然と人と近くなって

ときどきMAYAさんは「美流渡に移住して本当によかった」と語る。自分のつくるものが“贈り物”であるという心境に達したのは、この地に暮らしてからのこと。都会での生活は「すべてのことが上滑りで、表面的だった」と語る。

大きな変化は自然との向き合い方。自分がこの大地とそして森の木々とつながっているのだということに気付き、それらを見ることが作品にも大きな影響を与えることに気付いたという。「これまで都会で生きていて、自分が自然をよく知らないということが空虚さにつながっていました。いま61歳になって、土と自然にようやく間に合ったという気がしました。私は本当に美しいものは自然だと思います。毎日美しいものを見ることができる環境に身を置くことができてよかった」(MAYAさん)

立ち枯れた植物の種子や葉を集めて制作された立体作品(撮影/久保ヒデキ)

立ち枯れた植物の種子や葉を集めて制作された立体作品(撮影/久保ヒデキ)

また、人と人との距離が近くなったことも大きい。校舎での展覧会のときMAYAさんは、必ず会場の受付にいて人々を迎えている。これまで多数の美術館で個展をしてきたが、ファンの人たちは固有名詞では存在しなかったという。それが、会場で会話を交わす中で、リアルな存在となった。日々の暮らしの中でも同じ。灯油販売店や設備会社の人たちは、顔馴染みのご近所さん。自分はご近所さんに支えられて、こうして暮らしているということが実感を持って感じられたという。

仲間の存在も大きい。MAYAさんが行うプロジェクトには気心の知れた友人が集う。東京にいたころも、もちろん仲間はいたが、アポイントを入れて会うという、日常とは切り離された状態での付き合いだった。
「絵を描くことはたった一人でやるしかない孤独な時間です。その半面のような、仲間がいてみんなで協力してやる作業は、みんなでみんなのために贈り物をつくるような喜びがあります」(MAYAさん)

Amiちゃんの制作に集まった仲間。スタイロフォーム(住宅などの断熱材として使われるポリスチレン樹脂原料を押出し発泡加工したもの)を重ねて立方体をつくり、そこからクマの顔を削り出した(撮影/來嶋路子)

Amiちゃんの制作に集まった仲間。スタイロフォーム(住宅などの断熱材として使われるポリスチレン樹脂原料を押出し発泡加工したもの)を重ねて立方体をつくり、そこからクマの顔を削り出した(撮影/來嶋路子)

もちろん移住は、良いことばかりではない。とくに厳冬期には容赦なく雪が降り続け、それは時に災害をもたらす。一昨年は屋根雪の重さに耐えきれず、改修したばかりのアトリエの床が凹んだことも。雪道運転で危ない思いをしたことも数えきれない。しかし、それこそが自然と近くなることなのだとMAYAさんは、日々除雪や運転技術をスキルアップさせている。
そして、今年もすでに「あそこにあれがあったらいいよね!」と、新しいプロジェクトの計画が進行中だ。雪が解けたら、またMAYAさんはまちへと出ていく。一つ、また一つと贈り物が増えていくことで、夜道に街灯がどんどん灯っていくように、まちが明るくなっていく。

アトリエの一部は、コンクリートブロックの壁をあえて見せるつくりに(撮影/久保ヒデキ)

アトリエの一部は、コンクリートブロックの壁をあえて見せるつくりに(撮影/久保ヒデキ)

●取材協力
MAYA MAXXさん
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タイニーハウスに一家4人で暮らし、エゾシカを狩る。ハンター兼大工の長谷耕平さんの日常 北海道池田町

北海道池田町で暮らす長谷耕平さんは、タイニーハウスビルダーであり、ハンター、そしてエゾシカの食肉販売や革製品の販売などさまざまな顔を持つ。拠点としているのは60坪のD型倉庫(※)。中にはギャラリーや作業場があり、一家が暮らすタイニーハウスもある。
なぜ、池田町に移住し、タイニーハウスという小さな空間で暮らし、ハンターとしても活動するのか? つねに自然の循環の中に自身の暮らしがあるという長谷さんの眼差しは、私たちの生き方や子育てを見つめなおすきっかけになるかもしれない。

※Dの文字を横にしたような地上部分からドーム型になっている建物。地上部に垂直の壁があって、その上部がドーム型になっているDH型、RH型などの形状もあり開口部が広いことから倉庫などさまざまな用途として使われている

毎日がキャンプ!? 移動できる住まいをつくって

十勝ワインの産地として知られる池田町は、十勝平野の中にある人口約6300人の小さな街。この街の畑作地帯にある、かまぼこの形状をしたD型倉庫に長谷さん一家は暮らしている。

倉庫は池田高等学校に隣接。高校のゲストとして呼ばれ夫婦で授業をすることも(撮影/岩崎量示)

倉庫は池田高等学校に隣接。高校のゲストとして呼ばれ夫婦で授業をすることも(撮影/岩崎量示)

敷地は240坪。倉庫は自らリフォーム。正面は板材を張って仕上げた(撮影/岩崎量示)

敷地は240坪。倉庫は自らリフォーム。正面は板材を張って仕上げた(撮影/岩崎量示)

倉庫の奥行きは20m以上と広く、入って右手には靴やカバンなどの革製品が並べられたギャラリー、左手にはシカ肉の保管庫、奥には事務所、作業場、そしてタイニーハウスと子ども部屋。さらに倉庫の裏手にはコンテナを利用した客室もあった。
2018年に知人の紹介でD型倉庫を購入。大工としても活動をする長谷さんがコツコツと改修を進め、翌年にギャラリーをオープンさせた。この建物は、もとは高校の野球部の屋内練習場として建てられ、その後、羊の飼育が行われていたという。

倉庫の区画は壁で仕切っていないため、ギャラリーやタイニーハウスビルダーとしての作業場などが一望できる(撮影/岩崎量示)

倉庫の区画は壁で仕切っていないため、ギャラリーやタイニーハウスビルダーとしての作業場などが一望できる(撮影/岩崎量示)

居住空間となっているタイニーハウス。土台には車輪がついており牽引車で移動可能(撮影/岩崎量示)

居住空間となっているタイニーハウス。土台には車輪がついており牽引車で移動可能(撮影/岩崎量示)

倉庫の中でひときわ存在感があるのは建物の中にある建物、タイニーハウスを利用したワンルームほどの広さの居住空間だ。
「タイニーハウスは仮住まいのためにつくったんです。土地を探していずれ本邸を建てようという計画があって。移動可能だから本邸を建設しながら、その脇で暮らすこともできると考えました」(長谷さん)

入り口近くにあるキッチンには、コンパクトに機能を集中させている。寝室はロフト。収納が少ないため登っていくハシゴのステップを引き出しにするなど随所に細かな工夫がある。

キッチンの奥がロフト。1階部分が18平米、ロフトは5平米。ご近所の農家さんたち20世帯ほどが共同で山の湧水を引っ張ってきている小規模な水道組合があり、年額5,000円で水を使い放題なのだとか。その水をトレーラー設置部下まで配管して、一度小型のろ過機を通してから生活用水として利用(撮影/岩崎量示)

キッチンの奥がロフト。1階部分が18平米、ロフトは5平米。ご近所の農家さんたち20世帯ほどが共同で山の湧水を引っ張ってきている小規模な水道組合があり、年額5,000円で水を使い放題なのだとか。その水をトレーラー設置部下まで配管して、一度小型のろ過機を通してから生活用水として利用(撮影/岩崎量示)

そしてもっとも目を惹くのは中央に位置している、エゾシカの革を8頭分使ったというソファ。子どもたちの遊び場にもなっているようで、使い込んで良い味が出てきていると長谷さんは微笑む。

ロフトの下がリビング。スペースがコンパクトにまとめられている(撮影/岩崎量示)

ロフトの下がリビング。スペースがコンパクトにまとめられている(撮影/岩崎量示)

ワンルームほどの空間ではあるが、トイレもユニットバスも完備。排水は、倉庫の目の前の道路に町の下水道が通っているため、トレーラー設置部下まで配管し、接続している(撮影/岩崎量示)

ワンルームほどの空間ではあるが、トイレもユニットバスも完備。排水は、倉庫の目の前の道路に町の下水道が通っているため、トレーラー設置部下まで配管し、接続している(撮影/岩崎量示)

一家は、妻の真澄さんと、長男の李咲(りく)君、次男の掌(しょう)君の4人家族。本邸を建てる候補の土地はまだ見つかっていないそうで、この4月で丸4年、タイニーハウスに思いがけず長く住むことになった。倉庫内には、タイニーハウスとは別に入り切らない荷物を収納するスペースがあり、子どもの成長に合わせて部屋を増設したりも。

「居住空間が狭いと家事がやりにくかったりしますが、子どもたちは楽しそうにしています。友人が来ると『毎日がキャンプみたいだね』って、ワクワクしてもらえるのはうれしいですね(笑)」(真澄さん)

倉庫内に増設した子ども部屋。広さは10平米、その上にあるロフトは16平米(撮影/岩崎量示)

倉庫内に増設した子ども部屋。広さは10平米、その上にあるロフトは16平米(撮影/岩崎量示)

子ども部屋の寝室はロフトに設けた。これまで仕事で建ててきた現場の廃材を利用(撮影/岩崎量示)

子ども部屋の寝室はロフトに設けた。これまで仕事で建ててきた現場の廃材を利用(撮影/岩崎量示)

(撮影/岩崎量示)

(撮影/岩崎量示)

住まいとしてつくったタイニーハウスは、キッチンだけでなくバスもトイレもあり、人件費を除いた材料費や設備費を合わせると530万円ほど。池田町は厳冬期にはマイナス20度を下回ることもあるが、床暖房の設備があって快適だという。

「小さな家は材料が少量でいいので、質の高い木材を使うことができますね。また暖房費の節約にもなります」(長谷さん)

大学を出てから沖縄、群馬で暮らし、地域おこし協力隊として北海道へ

長谷さんは東京出身で、出身大学は上智大学の法学部。大学卒業後に沖縄のやんばる地域にある自給自足の暮らしを行う牧場で2年間を過ごした。卒業したらすぐに就職、そんな流れとは違う可能性があるのではないかと思ったからという。馬やヤギとともに暮らし、家を建てるのも自分たちの手で行っていた。沖縄で暮らす中で、やがては建築の仕事を深めてみたいと思うようになった。
兵庫出身の真澄さんとは、この牧場で開かれたイベントで知り合い、それがきっかけとなって、その後に結婚したという。

左は妻の真澄さん、右は長谷さん(撮影/岩崎量示)

左は妻の真澄さん、右は長谷さん(撮影/岩崎量示)

長谷さんが大工の修行をしたいと選んだ場所は群馬。地元の材を活かすログハウスメーカーで5年間働き、長男を授かったタイミングで独立することにした。
「大学時代にバックパッカーとしてアフリカやアジアなどさまざまな場所に行きました。中でも星野道夫(写真家、1952-1996)さんの本に影響を受けて、アラスカを2カ月かけて縦断したこともありました。そんな経験から北での暮らしをしてみたいと思うようになって」(長谷さん)

長谷さんは新天地を探すため移住関連のイベントに足を運ぶようになった。イベントで池田町の人々とつながり、エゾシカの解体処理施設の新設にあたり、そこで働く地域おこし協力隊を募集していることを知った。
「自給自足に関心があり、その中で狩猟はいずれ経験したいと思っていました」(長谷さん)

2016年に池田町に移住。エゾシカの解体処理施設の運営とともに、ハンターとしても活動を開始した。

ギャラリースペースに展示されていたシカの角(撮影/岩崎量示)

ギャラリースペースに展示されていたシカの角(撮影/岩崎量示)

自然の恵みである木を活かすログハウスビルダーとしての活動

移住後、エゾシカに関わる活動とともに、大工としても長谷さんは事業を展開。ギャラリーの奥にあるタイニーハウスは、自宅ではあるがモデルハウスの機能も兼ねており、「木耕」という名で、ログハウスや小屋、家具の制作を受注している。

倉庫の裏手にあるコンテナを利用した客室。広さは8平米。本州の大工仲間に仕事を手伝ってもらうこともあるそうで、滞在場所としても利用(撮影/岩崎量示)

倉庫の裏手にあるコンテナを利用した客室。広さは8平米。本州の大工仲間に仕事を手伝ってもらうこともあるそうで、滞在場所としても利用(撮影/岩崎量示)

最近、受注が多いのはJR貨物のコンテナを利用したサウナ。上士幌町の十勝しんむら牧場のミルクサウナなど、これまで3台を制作してきた。3.6×2.5mという小さな空間は、施主によって求める要素はさまざま。コストを抑えれば200万円ほどでもできるし、要望を盛り込んでいけば400万円ほどかかることもあるそうだ。

長谷さんが大工としてこだわっているのは、木という命を無駄にせず暮らしに活かすこと。道内の木材の多くが、バイオマスの燃料やパルプ材となってしまう現状の中で、新たな価値を与えようとしている。

昨夏、取り組んだコンテナサウナは「北欧のスモークサウナ」をイメージしてほしいと依頼を受けたという。
そこで、地元のカラマツを板にし、荒々しい木肌のまま内装材として使用。「カラマツは元々とてもクセが強く、建築材としてはかなり嫌がられる存在ですが、そのクセを鉄のフレームで力ずくで抑え込んだ力作」だという。
鉄のフレームは自身で溶接し、カラマツはすすで黒ずんだ雰囲気を醸し出すような塗装を施した。

JRコンテナを利用。真っ黒に塗装して仕上げた(写真提供/長谷さん)

JRコンテナを利用。真っ黒に塗装して仕上げた(写真提供/長谷さん)

コンテナの内部。「北欧のスモークサウナ」がテーマ(写真提供/長谷さん)

コンテナの内部。「北欧のスモークサウナ」がテーマ(写真提供/長谷さん)

エゾシカの命をいただくことに感謝し、それを糧にする

移住してから始めたエゾシカの解体処理施設の運営および、ハンターとしての活動は、自然の循環と生と死というものを深く見つめる契機となった。
「うまく利活用されず、廃棄されてしまう頭数の多さに衝撃を受けました」(長谷さん)
エゾシカの生息数は、この30年で急増。現在は減少傾向となっているが、農産物の食害は後を絶たない。そのため町内だけでも、年間600頭が捕獲されているという。

シカ肉の保管庫(撮影/岩崎量示)

シカ肉の保管庫(撮影/岩崎量示)

倉庫内のギャラリースペース。地域おこし協力隊の任期が終わってすぐにオープンさせた(撮影/岩崎量示)

倉庫内のギャラリースペース。地域おこし協力隊の任期が終わってすぐにオープンさせた(撮影/岩崎量示)

「捕ったからには無駄にしたくない」と、シカの「皮」を「革」として甦らせるための活動をスタートさせた。「皮」とは動物の皮膚である状態。それらを鞣(なめ)すことで素材としての「革」となる。
長谷さんは、この鞣を姫路の工房に依頼するとともに、自らも挑戦している。

シカ皮を塩漬けにして保管。倉庫の外にある革鞣(なめ)しの作業場(撮影/岩崎量示)

シカ皮を塩漬けにして保管。倉庫の外にある革鞣(なめ)しの作業場(撮影/岩崎量示)

「鞣(なめし)の方法は1000年以上変わらない原始的なものなんです」(長谷さん)
倉庫の裏手には革鞣しの作業場がある。タンニンが含まれる樹皮や果皮を入れた樽に、下処理を施した皮を半年以上漬け込む。皮に含まれるコラーゲン成分とタンニンとが結合することによって、腐敗のない安定した素材になるのだという。
個人で鞣(なめし)をし、それを「革」という製品にするには、果てしない困難があるというが、その一つ一つをクリアできるように長谷さんは実験を重ねている。

長谷さんがつくった樹皮や果皮を入れた樽(写真提供/長谷さん)

長谷さんがつくった樹皮や果皮を入れた樽(写真提供/長谷さん)

昨年トライしたのは、近隣から譲り受けたブドウの搾りカスと町内で伐採されたミズナラ、カシワの樹皮を、町のワイン事業で使い古された樽で、皮と一緒に漬け込むというもの。
「山で命をいただき、その同じ山にあるもので丹念に鞣(なめ)し上げたこの革は、僕にとって伝えきれないほどの物語性に満ちている」と長谷さんは感じた。

鞣(なめ)しの作業(撮影/岩崎量示) 

鞣(なめ)しの作業(撮影/岩崎量示) 

薪の上に鞣した革が置かれていた。スキンだけでなくファーの状態のものも(撮影/岩崎量示)

薪の上に鞣した革が置かれていた。スキンだけでなくファーの状態のものも(撮影/岩崎量示)

多くの工程を経て革となった素材は、信頼を寄せる革職人へとわたり、靴やカバン、家具へと変身を遂げていく。
製品には、シカの年齢、性別、捕獲日時とともに捕獲した場所のマッピング情報が添えられている。

長谷さんの作品を購入すると、シカの個体情報を記したカードが添えられている(撮影/岩崎量示)

長谷さんの作品を購入すると、シカの個体情報を記したカードが添えられている(撮影/岩崎量示)

単なる物ではなく、一つの命が生きた証を人々の記憶に残し、それが未来へとつながっていったら。こうした思いを伝えることは、日々、命の現場に身を置くものとしての使命だと長谷さんは考えている。

ギャラリーに展示された靴。オーダーメイドも受け付けている。ふるさと納税の返礼品としても取り扱いがある(撮影/岩崎量示)

ギャラリーに展示された靴。オーダーメイドも受け付けている。ふるさと納税の返礼品としても取り扱いがある(撮影/岩崎量示)

「先日、息子のランドセルをつくりました。シカ撃ちから一緒に行って、仕留めたシカに手を合わせ『ありがとう、いただきます』と息子が言いました。目の前にあるものの背景にはたくさんの命や大いなるつながりがあることに、少しずつ想像が働いてほしいなと思っています」(長谷さん)

長男のランドセル(撮影/岩崎量示)

長男のランドセル(撮影/岩崎量示)

長谷さんは現在、3つの事業を、それぞれ屋号をつけて運営している。大工部門が「木耕」、革製品販売部門が「EZO LEATHER WORKS」、シカ肉の販売部門が「鹿肉屋」。
生計の内訳は、エゾシカ関連の事業とタイニーハウスビルダーとしての事業で半々ほどだという。ちなみに狩猟については、有害鳥獣駆除期(4月1日~10月23日)に限り、1頭捕獲につき1万9000円が支払われるという(自治体により期間・金額ともに変わる)。
そのどれにも濃くて深いストーリーがあって、一人の人間がやっているのかと思うと驚きを隠せない。
特に大工とシカ関連事業は、それぞれ独立した活動のように見えるが、「すべてはつながっている」と長谷さんは感じている。

狩猟を通じて、自然の循環の中に自分の生活があるという実感が高まり、また大工仕事も、木材を使うという自然の恩恵の中で成立している。それは自給自足に興味を抱き沖縄へと向かったころから変わらぬ軸といえるのかもしれない。
職業や業種の枠を超えた活動は、これからさらに有機的につながっていくのだろう。
自然とともにある新しい暮らしを切り開く挑戦は続いていく。

●取材協力
EZO LEATHER WORKS
木耕
鹿肉屋

保証人がいなくても賃貸探しに選択肢を。入居困難の壁にぶつかった人同士、互いに見守り、一人にしない「やどかりサポート鹿児島」の取り組み

やどかりサポート鹿児島は、住まい探しのなかで保証人の確保ができないために入居が困難となった人たちに保証を提供しているNPO法人です。さらに2019年からは保証制度の利用者で互いに支え合う仕組みを提案し、居住支援を続けています。これらの支援はどのようにして成り立っているのか、また始めた背景などを、やどかりサポートの理事長である芝田淳さん、社会福祉士の中芝あすかさん、そして実際にこの新しい連帯保証制度を利用する人に話を聞きました。

やどかりサポート鹿児島が取り組む「地域ふくし連帯保証」とは

入居の際に必要な「連帯保証人の確保」は、賃貸借契約に必ず必要なことです。昨今は多くの物件が、「家賃保証会社」を使用することが入居の条件となっていて、入居者は保証会社に一定の料金を支払う代わりに滞納等があった場合は、保証会社が立て替えるという仕組みになっています。

個人で連帯保証人を立てる必要は少なくないのですが、高齢者・外国人・低所得者・障がい者・ひとり親世帯などにおいては、保証会社の審査に通りにくかったり、自身で連帯保証人を立てようにも、頼める親族や知人がいなかったりで、さらに困難な問題に直面することが少なくありません。

「居住支援とは、全ての人がその人らしい生活を営むための拠点となる住居を確保できるよう支援を提供するものです。私たちは、保証人となってくれる親類や知人がいない、審査で保証会社に断られてしまう人たちも入居できるよう、連帯保証を提供しています」(芝田さん)

特徴的なのは、ただ保証を提供するだけでなく、それぞれの利用者に支援者を配置して、生活全般について見守り、何か困ったことがあれば相談に乗る支援を一緒に行っていること。

「連帯保証とともに必要なのは、困っている人たちを社会から孤立させない支援です。そこで、私たちは、保証と同時に地域で福祉に関わっている人たちが『支援者』として制度利用者の日々の生活を継続的に見守る『地域ふくし連帯保証(地域ふくし連携型連帯保証提供事業)』のスキームを考えました」(芝田さん)

やどかりサポート鹿児島は、鹿児島県全域で、支援者の配置と2年間で2万円の利用料を支払うことを条件に、収入や過去を問うことなく連帯保証しています。スタッフ数21名(連帯保証部門11名、相談支援部門10名)の NPO法人ですが、行政や協力機関と連携し、2022年現在、年代も事情もさまざまな約400名の利用者がいるそうです。

ただ保証するだけでなく、支援者が見守り、支援することで利用者が「つながり」のなかで安定した地域生活を送れるようにすることを目指す。滞納などの金銭や法的問題が起こった場合の保証はやどかりサポート鹿児島が担うのが特徴(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

ただ保証するだけでなく、支援者が見守り、支援することで利用者が「つながり」のなかで安定した地域生活を送れるようにすることを目指す。滞納などの金銭や法的問題が起こった場合の保証はやどかりサポート鹿児島が担うのが特徴(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

利用者が互いに助け合う、当事者主体の居住支援

連帯保証するということは、何かあったら債務を負うことでもあります。利用者が孤独死してしまったり、仕事が続かずに家賃を滞納してしまったりするケースもありますが、「支援者による利用者の暮らしの見守りで、事前に防ぐことができる」と芝田さんは言います。

「保証すると同時に支援者による見守りや支援を基本としていますが、どうしても支援者が見つからない場合があります。そこで、利用者が同じような境遇の者同士、支え合っていく『やどかりライフ』というスキームを考えました。これに応える形で、利用者の方々が互助会を作ってくれました」

利用者が企画した交流会をやどかりサポート鹿児島のスタッフがサポートする。利用者が互いを支え合う「やどかりライフ」(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

利用者が企画した交流会をやどかりサポート鹿児島のスタッフがサポートする。利用者が互いを支え合う「やどかりライフ」(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

役所への手続きをサポートしたり、病院の入退院に付き添ったり、足の悪い人の買い物を手伝ったりと、日々の暮らしを、同じ利用者内でできる人が助けます。また、身寄りのない人も多いので、亡くなったときにはほかの利用者が見送りもするそうです。

やどかりサポート鹿児島と互助会のメンバーで行った、亡くなった利用者の初盆の様子(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

やどかりサポート鹿児島と互助会のメンバーで行った、亡くなった利用者の初盆の様子(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

トラブルは当然起こる。それでも同じ目線で見守ることが大事

当事者同士で見守る仕組みはとても画期的なものに思えますが、人と人との付き合いのなかでトラブルが起こることなどはないでしょうか。

「トラブルはたくさん起こります。しかし、トラブルを恐れてつながることができないのなら、トラブル覚悟でつながったほうがいいというのが、私の考えです」(芝田さん)

難しいのは、どこまで関わればよいのか。なかにはプライベートなことにあまり関わってほしくない人もいます。考えの違いから利用者同士で揉めることもあるのだそう。5人程度のグループならコミュニケーションが取れても、10人以上の規模になるとうまくまとまらないことも。「ルールで縛るのではなく、自主性を重んじるほうがうまくいく」というのは、互助会メンバーの感想です。

1日に1回、ラインで発言することで、見守られるだけでなく、見守る役目をそれぞれが担う。一方で人数が多くなると、発言しない人やプライベートに関わられることを嫌がる人もいて、うまくいかないという気付きも得られたそう(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

1日に1回、ラインで発言することで、見守られるだけでなく、見守る役目をそれぞれが担う。一方で人数が多くなると、発言しない人やプライベートに関わられることを嫌がる人もいて、うまくいかないという気付きも得られたそう(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

利用者同士が中心になって支え合うものの、やどかりサポートは困ったことがあればいつでも相談に乗り、バックアップしていく体制を取っています。

支援の考え方について、事務局スタッフの一員でもある社会福祉士の中芝さんは、こう話してくれました。

「社会福祉士としては、トラブルを起こさないために、あらかじめ対策を取るべきなのかもしれません。しかし、やどかりサポート鹿児島は、互助会の人たちと一緒に歩んでいく関係です。トラブルに対して、介入したり指導するのは違うと思うのです。相談されたことに対しては真摯に答えますが、相談を受けない限りはそばで見守るという距離感が大事で、そうすれば自ずと本人同士でトラブルを解決することが多いと感じます」
この言葉に、利用者と同じ目線で関わっていく、やどかりサポートの支援の本質が表れています。

やどかりサポートの連帯保証とやどかりライフがもたらした変化とは

やどかりライフの取り組みは、当事者同士の連帯感が生まれただけでなく、やどかりサポートの運営者と利用者の関係にも変化をもたらしました。利用者に別の利用者へのサポートをお願いすることで、支援する側と受ける側という関係から、共に支え合う対等な立場で向き合えるようになったといいます。

「あくまで私の意見ですが、役割をもち、活躍の場ができることで、前向きに生きる意欲を取り戻し、互助会も盛り上がっていくのだと思います。ですから、何かをしてあげるのではなく、時には、こちらから利用者に対して手伝ってほしいと頼むことも大事なんです」(芝田さん)

引きこもりがちな人や、人の温もりに触れたことがあまりなく尖っていた人も、根気強く接してくれた仲間とのふれあいを通じて心を開き、今では互助会に積極的に参加するまでになったそうです。

「自分は、役割ができたことがすごく嬉しかったです。仕事をしていない人も多いので、家に一人でいることが多くなるのですが、頼み事をされたり、頼られたりするとやる気が湧きました」(利用者)

役割をもつことで責任感が芽生え、利用者同士の連帯感も生まれる(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

役割をもつことで責任感が芽生え、利用者同士の連帯感も生まれる(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

連帯保証事業から賃貸管理へ。広がりを見せることで支援に幅ができる

やどかりサポート鹿児島は21名のスタッフで、さまざまなトラブルや問題にも対処しています。

「連帯保証事業では、過去に何かトラブルが起きた際に物件のオーナーとの連携が密でないと、私たちスタッフは何も動けないという事例が多くありました。解決方法の一つとして、よりオーナーから任される範囲の大きいサブリース型に興味をもったのですが、やどかりサポートはあくまでNPO法人。直接、サブリース業を営むことは難しいと判断しました」(中芝さん)

そこで、芝田さん個人が地元の不動産会社と組んで、賃貸管理業を行う合同会社を設立しました。

マンションの一般の入居者と建物の管理はプロの不動産会社が行い、空き部屋が出た場合のやどかりサポート利用者への貸し出しと、利用者が入居している部屋の管理は合同会社が行います。芝田さんの合同会社は利用者の継続的な見守りや相互の関わりなどをバックアップします。そしてその管理料がやどかりサポートの収入源となります。賃貸管理業ですが、やどかりサポート利用者にとっては「大家さん」みたいな役割です。

「さらに大家さんになることで、入居者との関係を密にすることができ、また、何かあった際には、シェルターとして部屋を提供するなど、支援の幅も広がりました。現在、管理会社として関わっているサブリースが約40件、管理物件は約120件。うち、やどかりサポートの利用者は60名ほどになりました」(芝田さん)

「やどかりライフ」に参加する仲間たちが、一人では手続きが難しい人のために、銀行に同行するなどのサポートも行っている(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

「やどかりライフ」に参加する仲間たちが、一人では手続きが難しい人のために、銀行に同行するなどのサポートも行っている(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

金銭的にも、マンパワー的にも、小さなNPO法人が居住支援を継続していくには多くの協力が必要です。支援したくとも、身近に支援者がいない、鹿児島市以外の地域の方は、断腸の思いで断らざるを得ないこともあるのだとか。

それでも、「より多くの入居の連帯保証に困っている人たちを支援するために「やどかりライフ」のような互助の取り組みを鹿児島市以外の地域でも志のある組織が行えるような流れをつくっていきたい」と話す芝田さん。このような取り組みを全国的に広めていくには、行政や公的機関、企業などとの連携も必須だと言います。

「支援をしてあげるのではない、共に考え、行動していくのだ」という芝田さんの言葉は、私たちに多くの気付きを与えてくれるのではないでしょうか。

●取材協力
やどかりサポート鹿児島

「東急東横線」沿線、家賃相場が安い駅ランキング 2023年版

渋谷や中目黒、武蔵小杉など多数の人気エリアが沿線にある東急東横線は、「SUUMO住みたい街ランキング2022 首都圏版」の「住みたい沿線ランキング」でも3位にランクインしている人気路線。東京都渋谷区から神奈川県横浜市まで21駅を結んでおり、駅ごとに特徴もさまざまだ。そんな東急東横線の沿線で、リーズナブルに賃貸物件に住むならどこがいいのか? 駅から徒歩15分圏内にある、シングル向け物件(専有面積10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)の家賃相場が安い駅を調査した。全21駅のランキングをご紹介しよう。

東急東横線の家賃相場が安い駅ランキング

順位/駅名/家賃相場/駅の所在地
1位 白楽 5.85万円 神奈川県横浜市神奈川区
2位 妙蓮寺 5.95万円 神奈川県横浜市港北区
3位 東白楽 6.00万円 神奈川県横浜市神奈川区
4位 日吉 6.60万円 神奈川県横浜市港北区
5位 大倉山 6.93万円 神奈川県横浜市港北区
6位 反町 7.00万円 神奈川県横浜市神奈川区
7位 菊名 7.10万円 神奈川県横浜市港北区
8位 元住吉 7.20万円 神奈川県川崎市中原区
9位 綱島 7.50万円 神奈川県横浜市港北区
10位 多摩川 7.90万円 東京都大田区
11位 新丸子 8.00万円 神奈川県川崎市中原区
12位 武蔵小杉 8.20万円 神奈川県川崎市中原区
13位 横浜 8.39万円 神奈川県横浜市西区
14位 田園調布 8.50万円 東京都大田区
15位 自由が丘 8.80万円 東京都目黒区
16位 祐天寺 9.00万円 東京都目黒区
17位 学芸大学 9.20万円 東京都目黒区
18位 都立大学 9.40万円 東京都目黒区
19位 中目黒 11.10万円 東京都目黒区
20位 渋谷 12.50万円 東京都渋谷区
21位 代官山 12.60万円 東京都渋谷区

TOP3は横浜駅まで電車で10分以内の近さで家賃相場6万円以下

全21駅ある東急東横線のうち最も家賃相場が安かった駅は、白楽駅で家賃相場5万8500円。2位は妙蓮寺駅で家賃相場5万9500円、3位は東白楽駅で家賃相場6万円という結果に。ちなみにこの3駅は横浜方面に向かって2位・妙蓮寺駅~1位・白楽駅~3位・東白楽駅と連続しており、東白楽駅から2駅先に横浜駅がある。

1位・白楽駅は2021年春に駅舎が増築され、24時間営業のフィットネスジムと「タリーズコーヒーKU白楽駅店」がオープンしている。このタリーズコーヒーは白楽駅から徒歩約15分の場所に横浜キャンパスがある神奈川大学とのコラボカフェで、大学や地域の情報発信基地としての役割も担っているんだとか。学生が多い街だけあって、駅周辺にはリーズナブルな飲食店も豊富。駅西口側の「六角橋商店街」にはスーパーやドラッグストアはもちろん、食料品や生活用品の個人商店も立ち並びにぎやかな雰囲気だ。

六角橋商店街(写真/PIXTA)

六角橋商店街(写真/PIXTA)

「六角橋商店街」を抜けると県道12号・横浜上麻生道路の六角橋交差点にぶつかる。交差点から神奈川大学の横浜キャンパス方面にかけては「六角橋協栄会」、交差点を左折した横浜上麻生道路沿いには「にしかな商店街」と商店街がさらに続く。そのまま横浜上麻生道路を7分ほど歩くと3位・東白楽駅にたどり着く。

3位・東白楽駅の駅前に商店街はなく、個人商店やコンビニ、ミニスーパーが点在する程度。白楽駅と比べると静かな雰囲気といえる。駅の東側は県立高校、西側は仏教寺院の敷地が広がり、それ以外は住宅地となっている。しかし買い物に不便な環境ということもなく、東白楽駅から南へ8分ほど歩くとショッピングモール「イオンスタイル東神奈川」へ。さらにそこから徒歩約3分でJR東神奈川駅の西口に到着。東神奈川駅は東口側にもショッピングモールがあるなど大いににぎわっており、駅前広場をはさんで京急本線の京急東神奈川駅も。東白楽駅周辺に住むと、東急東横線とJR、そして京急本線の3路線が利用できるというわけだ。

2位・妙蓮寺駅の様子も見てみよう。妙蓮寺駅は1位・白楽駅から北に歩いて15分ほど。駅東側には駅名の由来であるお寺「妙蓮寺」の境内が広がっている。駅西側にはスーパーやドラッグストアなどが立ち並ぶ商店街があり、その先には春のお花見名所としても愛される「菊名池公園」が広がる。商店街にはラーメン店やファストフード店、こぢんまりとしたカフェも。手軽に食事を済ませたい場合や息抜きしたいときにも商店街が役立ちそう。

菊名池公園(写真/PIXTA)

菊名池公園(写真/PIXTA)

トップ3の駅周辺にはいずれも大型の商業施設はないけれど、東急東横線に乗ると2位・妙蓮寺駅から1位・白楽駅と3位・東白楽駅を経由して一大繁華街の横浜駅まで約7分。みなとみらい線直通の東急東横線でそのまま横浜駅の先にある人気エリア、みなとみらい駅や元町・中華街駅に行くこともできる。ちなみに横浜駅は13位にランクインしており、家賃相場は8万3900円。トップ3との価格差が2万3000円以上あると考えると、家賃相場が低い白楽駅などに住んで、用事があるときはサクッと横浜駅に出る……という暮らし方もアリだろう。

都内の駅は軒並み家賃相場が高めだが、割安に思える駅も

トップ3のほかにも注目の駅をいくつかピックアップしたい。まずは家賃相場6万6000円で4位にランクインした日吉駅。通勤特急に乗れば、横浜駅まで2駅・約11分、横浜と反対方面の渋谷駅までは4駅・約20分で行ける。日吉駅には東急目黒線と横浜市営地下鉄グリーンラインも乗り入れているほか、2023年3月にはさらにアクセス性が向上。日吉駅と相鉄本線・西谷駅を結ぶ連絡線となる東急新横浜線が開業を迎えるのだ。日吉駅~西谷駅間には新横浜駅もあるため、同駅に停車する東海道新幹線への乗り換えもグッと楽になる。

日吉駅(写真/PIXTA)

日吉駅(写真/PIXTA)

そんな新線開業に沸く4位・日吉駅は慶應義塾大学のお膝元。東口駅前にイチョウ並木が印象的な日吉キャンパスが広がり、多くの学生に利用されている。駅には「日吉東急アベニュー」が併設され、地下1階から地上3階にかけて食料品やファッション・雑貨、家電まで多彩な店舗がそろっている。西口駅前には学生にも愛用されるリーズナブルな飲食店が多数あり、自炊をあまりしない人も飽きずに毎日いろんなものが味わえるだろう。

さて、東急東横線沿線にせっかく住むなら「交通面でも買い物面でも便利な横浜駅がいい」と考える人もいるかもしれない。しかし家賃相場は専有面積10平米以上~40平米未満で8万3900円と思うと悩ましい。そんなとき狙い目は、6位・反町(たんまち)駅。横浜駅の隣駅であり歩いても15分弱という立地ながら家賃相場は7万円で、横浜駅よりも1万3900円低いのだ。反町駅周辺は住宅街で、暮らす街としてはにぎやかな横浜駅よりもこちらが落ち着くと思う人もいるだろう。精肉店や青果店などの個人商店やドラッグストア、安さがウリのスーパー、ファストフードなどのリーズナブルな飲食店もあるため、日常生活に困らない。のんびり散歩できる「東横フラワー緑道」や「反町公園」といった憩いの場も駅近くにあり、落ち着いた暮らしと横浜駅の便利さをイイトコどりできる環境だ。

ここまで見てきた駅はいずれも神奈川県横浜市内なので、東京都内に位置する駅もチェックしよう。都内の駅は10位・多摩川駅をのぞいて家賃相場が8万5000円以上。渋谷駅に近づくとやはり家賃相場もはね上がるようだ。そうしたなかでも注目は16位・祐天寺駅。渋谷方面の隣駅である中目黒駅は家賃相場11万1000円(19位)、横浜方面の隣駅である学芸大学駅は家賃相場9万2000円(17位)なのに対し、両駅の間にある祐天寺駅は家賃相場が9万円にとどまっている。

祐天寺駅前(写真/PIXTA)

祐天寺駅前(写真/PIXTA)

16位・祐天寺駅は各駅停車しか停まらないためか知名度は低めかもしれないが、渋谷駅までは3駅・約7分の近さ。東急東横線の高架化にともなって2018年に誕生した駅ビル「エトモ祐天寺」が併設され、スーパーやドラッグストア、飲食店などが利用可能だ。駅周辺にはチェーン系から個性派までさまざまな飲食店や、人気の洋菓子店、しゃれた古着店など多彩な店舗が並んでいる。一方で活気あふれる通りを少し外れると静かな住宅地に。のんびりした暮らしと生活に便利な街並み、渋谷までの近さを兼ね備えつつ家賃相場9万円というのは、環境のよさの割には狙い目とも言えるかもしれない。2021年には駅周辺の整備計画が策定され、今後数年間をかけてより住みやすい街へと進化していく点も楽しみだ。

家賃相場ランキング

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東横線沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/8~2022/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

シングルが住み続けたい街で阿佐ケ谷界隈が席巻中! “じわじわ”良さがわかる街の魅力を探ってみた

リクルートが首都圏在住の20歳以上の男女を対象に調査し、2022年10月に発表した「東京23区シングル家賃8万円以下住み続けたい駅ランキング」(「SUUMO住民実感調査2022首都圏版 家賃水準別住み続けたい駅ランキング」より)が、なかなか面白い結果になっている。
ポイントは「住みたい」ではなく「現在、住んでいる人が今後も住み続けたい」というところ。そうなると、ちょっと事情が違う。決して“派手”ではない駅が上位を独占したのだ。

1位に南阿佐ヶ谷、6位に阿佐ヶ谷がランクイン

まずは、下のTOP10を見てほしい。

住み続けたい街ランキング2022

「SUUMO住民実感調査2022首都圏版 家賃水準別住み続けたい駅ランキング」は、首都圏に住む20歳以上の男女に、現在住んでいる街に住み続けたいかを聞き、その希望度が高い駅・自治体をランキングした「SUUMO住民実感調査2022首都圏版」の上位の中から、賃貸物件の家賃相場が一定の基準以下の駅だけでエリア別にランキングしたもの(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)

奇しくも杉並区と世田谷区の駅ばかりだが、純粋に23区内の駅でアンケートを取った結果がこれだ。

1位に南阿佐ヶ谷、6位に阿佐ヶ谷がランクイン。阿佐ヶ谷には昨年末のM-1グランプリ2022で優勝したウエストランドが所属する事務所、タイタンもある。

筆者は高円寺に長く住んでいたので、お隣の阿佐ヶ谷も好きな街。馴染みの飲み屋も何軒かある。しかし、この結果は正直、意外だった。決して派手ではなく、都内に住んでいてもどんな街か知らない人も多そうだ。なぜ、住み続けたいのか。人気の理由を探るために街に繰り出した。

目と鼻の先に杉並区役所がある南阿佐ヶ谷駅

まずは、堂々1位の南阿佐ヶ谷駅。

新宿駅から丸ノ内線で10分ちょっとという近さ(撮影/石原たきび)

新宿駅から丸ノ内線で10分ちょっとという近さ(撮影/石原たきび)

ケヤキ並木が美しい中杉通りが青梅街道に突き当たる場所で、目と鼻の先には杉並区役所がある。

さまざまな手続きにも便利なエリア(撮影/石原たきび)

さまざまな手続きにも便利なエリア(撮影/石原たきび)

ここをスタート地点にして、6位に食い込んだJR中央線の阿佐ヶ谷駅周辺までを歩いてみたい。

「パールセンター」は日々の生活に根差した商店街南阿佐ヶ谷と阿佐ヶ谷を結ぶパールセンター商店街(撮影/石原たきび)

南阿佐ヶ谷と阿佐ヶ谷を結ぶパールセンター商店街(撮影/石原たきび)

60年以上の歴史をもち、全長は約700m。常に活気があり、アーケードの商店街なので雨の日ものんびりと買い物ができる。

ほどなくして見えてきたのは、たい焼き専門店の「たいやき ともえ庵」。この場所で営業を始めたのは9年前だが、ひっきりなしにお客さんがやってくる。商店街の中でもかなり大きな存在感を放っているのだ。

店長の安部 翔さん(30歳)にご挨拶。

手にしているのは一番人気の「白玉たいやき」(350円)(撮影/石原たきび)

手にしているのは一番人気の「白玉たいやき」(350円)(撮影/石原たきび)

人の流れを見ていてどんなことを感じますか。

「阿佐ヶ谷の住人は老若男女のバランスが取れています。スーパーや青果店が価格競争をするので、肉も魚も野菜も安いし、日用品の買い物にも事欠きません。1日2万人ぐらいの人通りがありますが、よく見ていると毎日同じ方たちが歩いているんです。この商店街に来るのが日課になっているんでしょうね」

確かに、同じ中央線の中野、高円寺、吉祥寺にもアーケード商店街はあるが、いずれも他から遊びに来る人も多い場所。しかし、パールセンターは地元の住民が毎日のおかずを買いに来る人がほとんどという、生活に根差した商店街なのだ。

自慢のたい焼きは、一匹ずつ焼く「一丁焼き」にこだわる(撮影/石原たきび)

自慢のたい焼きは、一匹ずつ焼く「一丁焼き」にこだわる(撮影/石原たきび)

アーケード商店街の中にトークライブハウス

続いて、すぐ近くのトークライブハウス、「阿佐ヶ谷LOFT A」へ。阿佐ヶ谷はアニメスタジオや映画館、古書店など、エンタメやカルチャーを楽しめるスポットも多い。そんな中でも特に「阿佐ヶ谷LOFT A」は阿佐ヶ谷のエンタメを支えている存在だ。

オープンは2007年。マンガ、アニメ、アイドル、お笑い、映画、などさまざまなジャンルのトークやアコースティック演奏などが楽しめる。

テーマは「コミュニケーションを主体とした空間」(撮影/石原たきび)

テーマは「コミュニケーションを主体とした空間」(撮影/石原たきび)

「新宿ロフト」を中心に各地でライブハウスを運営する「ロフトプロジェクト」の一員だが、それにしても、なぜ阿佐ヶ谷に出店したのだろうか。店長の齋藤 航さん(42歳)に聞いてみた。

「物件を決めるにあたって、にぎやかな商店街の中という立地がよかったんです。自分は一昨年からここの店長になりました。それまでは新宿の歌舞伎町や渋谷の円山町といった夜の繁華街ばかりで働いてきたので、子どもやお年寄りの姿はほとんど見ませんでした。阿佐ヶ谷はそうではなく、安心感というか、人が住んでいる街だなと思います」

「芸人さんがたくさん住んでいるので、お笑いライブもよくやります」と齋藤さん(撮影/石原たきび)

「芸人さんがたくさん住んでいるので、お笑いライブもよくやります」と齋藤さん(撮影/石原たきび)

「スターロード」、「一番街」という2つの飲み屋街

さて、パールセンターを抜けてJR阿佐ヶ谷駅南口に着いた。いつの間にか「スターバックス」や「コメダ珈琲店」ができている。

スタバは2017年、コメダは2021年にオープン(撮影/石原たきび)

スタバは2017年、コメダは2021年にオープン(撮影/石原たきび)

南口には人々が思い思いに休息する広場がある。

街には人も鳩もくつろげる空間が必要なのだ(撮影/石原たきび)

街には人も鳩もくつろげる空間が必要なのだ(撮影/石原たきび)

阿佐ヶ谷駅周辺には「スターロード」、「一番街」という飲み屋街が放射線状に広がっており、いずれも個人店が頑張っている。

「スターロード」のに「立呑風太くん」(撮影/石原たきび)

「スターロード」の「立呑風太くん」(撮影/石原たきび)

ここは筆者が気に入っている立ち飲み屋で、明るいうちから大勢のお客さんでにぎわっている。オーダーごとに「カーン」というゴングを威勢よく鳴らしてくれる趣向も面白い。

新宿ゴールデン街の風情にも似た「一番街」(撮影/石原たきび)

新宿ゴールデン街の風情にも似た「一番街」(撮影/石原たきび)

この2つの通りでは、毎夜さまざまな交流が生まれる。

約1500人を集客する「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り」

とはいえ、よほどの酒好きでもない限り、知らない店にふらっと入るのはハードルが高い。そこで、2019年に誕生したのが立ち飲みスタイルの「アサガヤアンナイジョ」だ。

阿佐ヶ谷の飲み屋事情に詳しい店長が、お客さんにマッチしそうな店をいくつか紹介してくれるというのが売り。いわば、飲み屋のコンシェルジュだ。意外にも、訪れる客の7割が女性だという。

共同オーナーの左・鈴木伸弥さん(39歳)、右・森口剛行さん(46歳)(撮影/石原たきび)

共同オーナーの左・鈴木伸弥さん(39歳)、右・森口剛行さん(46歳)(撮影/石原たきび)

阿佐ヶ谷には飲み屋が数多くあり、店同士の結びつきも強い。この“文化”を広く周知させ、店の扉を開けるのを躊躇していたお客さんとともに街全体を盛り上げていこうという思いから森口さんが立ち上げたのが「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り」。

10年前から始まった、このイベント。回数券を購入すれば、3日間の開催期間に格安料金で飲み歩ける。2022年秋の時点で参加店舗は107軒。コロナ禍で参加者は一時減ったが、昨年11月の開催では約1500人の酒好きを集客した。

祭りの日に「アサガヤアンナイジョ」で乾杯する人々(画像提供/アサガヤアンナイジョ)

祭りの日に「アサガヤアンナイジョ」で乾杯する人々(画像提供/アサガヤアンナイジョ)

ここで、鈴木さんが面白いことを言った。

「住み続けたい街に選ばれる理由ですか? 阿佐ヶ谷は中杉通りのケヤキ並木の空気感も含めて気がいいと思います。街全体のバランスがいいというか。僕、そういうのに敏感なんですよ。帰省後に阿佐ヶ谷に戻ると田舎より落ち着きます」

ジブリ作品『猫の恩返し』の舞台にもなった中杉通りのケヤキ並木(撮影/石原たきび)

ジブリ作品『猫の恩返し』の舞台にもなった中杉通りのケヤキ並木(撮影/石原たきび)

森口さんも言う。

「マイナスの理由で街を出て行く人は少ない印象ですね。同棲したり結婚したりで、2DKの高い家賃が払えないから引越すというケースはあると思います。阿佐ヶ谷で一人暮らしをするなら、物件は5万円台からありますし」

阿佐ヶ谷は「じわじわと良さがわかる街」

さらに向かったのは南口に事務所を構える会社「エヌキューテンゴ」。ここでは、近所や地域とつながりながら暮らす不動産の企画や、街と関わりながら暮らすためのプロジェクトなどを手がけている。

阿佐ヶ谷は「じわじわと良さがわかる街」だと代表の齊藤志野歩さん(43歳)は言う。

「派手なものはないけど、日常的に楽しい暮らしはできる街。駅前に人が集まるというよりは、周辺エリアに手づくりのお菓子屋さんや小さいものづくりの工房があるんですよね。あとは、若い店主が多いので、そういう人たちと仲よくなると住み続けたいという気持ちも強くなるでしょう」

JRの協力のもと、駅ビル内に季節ごとのイベント情報を掲示している齊藤さん(撮影/石原たきび)

JRの協力のもと、駅ビル内に季節ごとのイベント情報を掲示している齊藤さん(撮影/石原たきび)

大勢で街を歩きながら齊藤さんがセレクトした物件の内見もできる「ディスカバリーツアー」も企画している。

周辺環境も含めて、住む場所を選んでほしいという趣旨(画像提供/まち暮らし不動産)

周辺環境も含めて、住む場所を選んでほしいという趣旨(画像提供/まち暮らし不動産)

「阿佐ヶ谷は商業地と住宅地がつながっていて、緑も多く、散歩には最適な街。『神社の裏側の道は夏でも涼しい』、『道に迷ったら鉄塔を目印にする』など、知っているとすぐに阿佐ヶ谷民の仲間入りができるようなスポットも案内しています」

阿佐ヶ谷の賃貸物件事情について、齊藤さんはこう言う。

「7万円台とかでちょっと小ぎれいな1R、1Kが多いので、シングルには住みやすい街でしょうね。ただ、5万円代となるとあまりないので、そういう物件を希望する人は西武新宿線沿いの井荻、鷺宮寄りに住む傾向があります。丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅の向こう側、成田エリアも緑が多くて家賃もリーズナブルですね」

さらに、7年前に南阿佐ヶ谷駅から徒歩5分の場所にできた「プラウドシティ阿佐ヶ谷」についても言及する。

「プラウドシティ阿佐ヶ谷」は5街区、全575戸の巨大分譲マンション(撮影/石原たきび)

「プラウドシティ阿佐ヶ谷」は5街区、全575戸の巨大分譲マンション(撮影/石原たきび)

「あの物件ができてから、各媒体が発表する『住みたい街』といわれるランキングで南阿佐ヶ谷が上位に来るようになりました。青梅街道の向こう側にも店が増えています。また、中杉通りが南側に延伸するという計画もあって、それが実現すると街の重心がもう少し変わってくるかもしれません」

青梅街道を右に進むと「プラウドシティ阿佐ヶ谷」に着く(撮影/石原たきび)

青梅街道を右に進むと「プラウドシティ阿佐ヶ谷」に着く(撮影/石原たきび)

お客さんの多くが阿佐ヶ谷在住という喫茶店

お次は北口へ。

まずは、2020年にスターロードの入り口にオープンしたばかりの喫茶店、「喫茶天文図舘」を訪れた。店内は宮沢賢治の世界をイメージしたノスタルジックな空間だ。

喫茶店好きのオーナー、山城隆輝さん(28歳)が言う。

「駅の1日の乗降客数は、荻窪が約24万人、高円寺が約10万人、そして阿佐ヶ谷が9万人なんです。外から入って来る人の数が少ないことが、住みやすさにつながっているのかもしれません。あまりわちゃわちゃしていないし、駅からちょっと離れると夜はめちゃくちゃ静かですよ」

山城さんはお隣の荻窪育ちなので、阿佐ヶ谷にも土地勘がある(撮影/石原たきび)

山城さんはお隣の荻窪育ちなので、阿佐ヶ谷にも土地勘がある(撮影/石原たきび)

お客さんの多くが阿佐ヶ谷在住。店に入って来た瞬間に、地元の人なのか外から来たのかがなんとなくわかるという。

一番人気のクリームソーダ(750円)は空と海の色をイメージしている(撮影/石原たきび)

一番人気のクリームソーダ(750円)は空と海の色をイメージしている(撮影/石原たきび)

「阿佐ヶ谷で好きなお店ですか? たくさんありますよ。喫茶店なら『パーラーエル』や『ヴィオロン』、割烹料理と居酒屋の中間みたいな『將』(はた)の料理もすごく美味しいです」

会社を辞めて日本中をヒッチハイクで周っていた山城さん。第二の人生の舞台に阿佐ヶ谷を選んだ。

国内外の準新作や旧作を上映するアットホームなミニシアター

スターロードを少し北上すると、住宅地の中に2022年7月にオプーンしたミニシアター、「Morc阿佐ヶ谷」が見えてくる。

支配人代行の趙 子男さん(33歳)は中国の遼寧省出身。国際基督教大学(ICU)入学を機に来日した。

「こんなに長く日本にいるつもりじゃなかったんですけど」と趙さん(撮影/石原たきび)

「こんなに長く日本にいるつもりじゃなかったんですけど」と趙さん(撮影/石原たきび)

ここは名画座でかけるような作品を上映する、いわゆる二番館。作品は自分で実際に見て選んでいるという。

「ミニシアターなので自由に実験できるのが利点。持ち込みにもなるべく応えたいと思っています。例えば、女子高生が消費税増税反対を訴える青春ドラマ、『君たちはまだ長いトンネルの中』は予想を超えて満席に。いろんな作品を積極的に受け入れることも重要だなと思いました」

住宅地にあるせいか、午前中は年配の客が多い。作品によっては若い人であふれる。一方で、通りすがりにふらっと入って来る客もいるそうだ。

阿佐ヶ谷の印象について聞いてみた。

「街全体の文化度が高くて、ほかの駅とは違う落ち着いている感じ。駅の近くに豆腐屋さんが3軒あるんですが、そういう街は今あまりないのでは。取引先のところに訪問する際は老舗和菓子店、『うさぎや』さんのどら焼きを持参します。こういう、昔の雰囲気を残す個人経営のお店が愛され続けているのが阿佐ヶ谷の貴重なところではないでしょうか」

客席数は41、1日に4~6本が上映される(撮影/石原たきび)

客席数は41、1日に4~6本が上映される(撮影/石原たきび)

映画館は文化の象徴。「Morc阿佐ヶ谷」の使命は大きい。

レンガ通りの道沿いには個性的な店が並ぶ

ここからは、松山通り(旧中杉通り)を進む。ゆるやかに下る道沿いには、駅周辺とはちょっと毛色が違う個性的な店が立ち並ぶ。

松山通り商店街では特売やフリーマーケットが定期的に開催される(撮影/石原たきび)

松山通り商店街では特売やフリーマーケットが定期的に開催される(撮影/石原たきび)

レンガ敷きの道をのんびり歩いていると、気になる路地が数多く目に入る。

路地を覗くと何かを待っているかのように、その場から動かない野良猫(撮影/石原たきび)

路地を覗くと何かを待っているかのように、その場から動かない野良猫(撮影/石原たきび)

阿佐ヶ谷のカルチャーを支える気鋭の古書店

通りの途中でお邪魔したのは「古書コンコ堂」。店名の由来は「玉石混交」から。音楽、文学、漫画、美術、絵本など、幅広いジャンルの古書を取りそろえる。

2011年にオープンしたコンコ堂(撮影/石原たきび)

2011年にオープンしたコンコ堂(撮影/石原たきび)

「独立するにあたって中央線沿いでいろいろと探していたんですが、阿佐ヶ谷の場合、パールセンターは賃料が高いし、線路沿いは飲み屋街。店を出すなら松山通りだなと。意外と夜遅い時間まで人が歩いているんですよ」

客層は老若男女さまざまで、ほぼ地元の人。古書店にしては平均年齢が低いそうだ。

約20年間住んだ西荻窪から阿佐ヶ谷に引越してきたコンコ堂店主の天野さん(撮影/石原たきび)

約20年間住んだ西荻窪から阿佐ヶ谷に引越してきたコンコ堂店主の天野さん(撮影/石原たきび)

「観光客が来る街じゃないけど、面白い個人店がたくさんあります。ご飯も美味しいし、居心地はいいですね」

取材終わりに天野さんが「そういえば、阿佐ヶ谷はいま古着屋さんが増えているんですよ」と言っていた。

ここ1、2年で急激に増えた古着屋は現在10店舗

阿佐ヶ谷に古着屋のイメージはなかったが、そのまま松山通りを下っていくと古着屋を発見。

ずいぶんと洒落た外観(撮影/石原たきび)

ずいぶんと洒落た外観(撮影/石原たきび)

こちらは、すべて一点物の古着を扱う「JUDEE」。オーナーの高塚草太さん(28歳)に話を聞いた。

「2018年にこの店をオープンしました。高円寺で出すか阿佐ヶ谷で出すか、ずっと迷っていたんですが、激戦区の高円寺よりは、阿佐ヶ谷でもうちょっとゆったり伸び伸びやりたいなと思って」

専門学校を卒業後、高円寺の古着屋で働いたのちに独立した高塚さん(撮影/石原たきび)

専門学校を卒業後、高円寺の古着屋で働いたのちに独立した高塚さん(撮影/石原たきび)

阿佐ヶ谷の古着屋は、以前は2店舗ぐらいしかなかったが、今は10店舗ほど。ここ1、2年で急激に増えたという。

「阿佐ヶ谷はみんなマイペースで、人の流れがゆっくり。個人商店が多いから街歩きが楽しいですね。うちには日が暮れてから食材などの買い物のついでに寄ってくださるお客さんがいます」

お気に入りの焼肉店についても教えてくれた。

「高架下にある『清香苑』という小さなお店で、入り口も目立たない奥まったところにある街の焼肉屋さん。ここは本当に美味しくて雰囲気も好きです」

来たことがなかった阿佐ヶ谷の雰囲気に一目惚れ

松山通りをさらに奥へ。ラストは昨年7月にオープンしたばかりのカフェ、「エムベイクハウス」だ。

オーナーの内田 萌さん(29歳)は総合電機メーカーで働きながら、好きなお菓子の勉強を始めた。現在、店ではこだわりのドリンクと季節の焼き菓子を提供している。

エムベイクハウス内田さん(撮影/石原たきび)

エムベイクハウス内田さん(撮影/石原たきび)

「じつは阿佐ヶ谷に来たことがなかったんです。物件は目黒区、大田区あたりで探していました。でも、たまたまこの街を訪れたとき、感覚的に好きだなと思いました。特に北側はざわざわしていないし、落ち着いた雰囲気が好きだなと」

そんな折、この物件に出合って契約する。

「お客さんは地元に住んでいる20代から40代ぐらいの女性が多いですね。あとは、バスの乗り換えが阿佐ヶ谷だからといって帰りに寄ってくれる方や、インスタグラムを見て遠くから来てくれる方もいます」

内田さんオススメのドリンクと焼き菓子もお願いした。

「ロンドンフォグラテ」と「レイヤーキャロットケーキ」(セットで1650円)(撮影/石原たきび)

「ロンドンフォグラテ」と「レイヤーキャロットケーキ」(セットで1650円)(撮影/石原たきび)

冬シーズンの人気ドリンク、「ロンドンフォグラテ」はアールグレイティーをベースに、ラベンダーとバニラで香り付けしている。レイヤーキャロットケーキに入っているクルミもいいアクセントになっていた。

「最近、大田区から阿佐ヶ谷に引越して来ましたが、初めて降り立ったときの感覚と変わりません。チェーン以外のお店が多いのが都心にしては珍しいですよね。安くて美味しい手づくりのお店もたくさん見つけました」

「住み続けたい」理由が判明した気がする

かくして、阿佐ヶ谷に店を構える9人に街の魅力について話を聞いた。印象的だったのは「派手なものはないけど楽しく暮らせる」「落ち着いているから住みやすい」「店同士、店と客の結びつきが強い」といったキーワード。

つまりは、「じわじわと良さがわかる街」。シングルが「住み続けたい」理由は、そこに集約されそうだ。一人暮らしのシングルにとっては、街の人々が家族のように感じるのかもしれない。

これまで阿佐ヶ谷はほとんど飲み屋にしか行かなかったが、今回巡ってみると、さまざまな顔をもつ街だとわかった。しかも、どの店も非常に個性的。「エヌキューテンゴ」の齊藤さんが言っていた「若い店主が多いので、そういう人たちと仲よくなると住み続けたいという気持ちも強くなる」という言葉の意味がよくわかる。もし住んだ場合は店主と親しくなって、じわじわと街に溶け込みたい。

阿佐ヶ谷の住民にとってはおなじみ、区役所前のブロンズ像(撮影/石原たきび)

阿佐ヶ谷の住民にとってはおなじみ、区役所前のブロンズ像(撮影/石原たきび)

●取材協力
たいやき ともえ庵
阿佐ヶ谷LOFT A
アサガヤアンナイジョ
エヌキューテンゴ
喫茶天文図舘
Morc阿佐ヶ谷
古書コンコ堂
JUDEE
エムベイクハウス

懐かしさ感じる”リノベ団地”に広がる人の輪! 保育園&農園付きで3年満室続く「ハラッパ団地・草加」を訪ねた

昭和の高度経済成長期に大量に建設された「団地」を、現代の暮らしに合うようリノベーションし、再評価・再活用する動きが続いています。では、そのリノベ団地は、コロナ禍を経てどうなっているのでしょうか。2019年に紹介した「ハラッパ団地・草加」の今を取材しました。

築51年でも満室! 家賃を維持するなど、人気ぶりは健在

1971年、企業の社員寮として建築された建物をリノベして誕生した「ハラッパ団地・草加」。2018年に建物内外を刷新し、シェア農園や保育園、ドッグランを持つ賃貸住宅として生まれ変わりました。1800坪というゆとりのある敷地に、明るい黄色の2棟の建物があり、1LDK~2DKの全55戸で構成されています。ペット飼育OKで、1階に保育園があるなどの付加価値もあるため、2019年に取材したときも全室満室、ウェイティングリストができるほどの人気ぶりでした。

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

あれから3年、コロナ禍もあり、ライフスタイルや価値観、住まいに求めるものも変わったように思います。その後、「ハラッパ団地」はどうなっているのでしょうか。

「3年たった今でも全室満室が続いていて、空室がでたら入居したいという希望者がいらっしゃいます。家賃も維持、または一部で上昇しているんですよ」と教えてくれたのは、広報を担当する山本恵美さん。

長らく新築住宅が最良とされてきた日本では、築年数が経過するごとに家賃を値下げするのが当たり前、半世紀も経過すれば建物の価値はほぼなくなるといわれてきました。それが築51年以上たっても家賃が下がるのではなく、上昇するとは……。適切にリノベ、管理運営されていれば、建物は長持ちするだけでなく、賃貸住宅として価値を向上させることができると証明した格好です。

保育園があることから子育て世帯の入居希望が多そうですが、実際にはシングルや夫婦暮らしなど、幅広い世帯や世代が入居しているそう。
「子どもの声が聞こえる、ということが安心感につながっているようで、一人暮らしの人にも人気となっています」。子どもたちの声が、「あたたかさ」「安心感」につながるのは、住む人にとっても、子どもたちにとっても、とても幸せなことですね。

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

収穫体験にクッキングイベント。交流を生むコミュニティー運営

ハラッパ団地・草加は、農園やドッグラン、食堂などの「地域にひらく」施設も魅力のひとつでした。ただ、こうしたコミュニティー運営は人とノウハウ、時間、予算が必要になります。ましてやこの3年はコロナ禍。人を集める、人が集まるのが難しくなってきた背景もあります。運営はどのように変化したのでしょうか。

「2020年、緊急事態宣言もあり感染状況を考慮して食堂は閉店、ランドリールームなども検討しましたが、団地の人が集まれる場所をということで、コミュニティールームに変更しました。この場所は団地住民であればオンラインで予約・利用できます。お住まいの方は、テレワークやオンライン会議などの場所として使っているようです」と山本さん。地域住民に、集会所・サロンの開催場所として、貸し出しも行っています。

また、2021年12月よりこのコミュニティールームを使い、「味噌づくり」「ヨガ教室」「ピクルスづくり」などのコミュニティー運営を実施するようになったといいます。
「イベントの実施主体は、ハラッパ団地を管理するハウスコムとアミックスです。コミニティーマネージャーや撮影・運営スタッフなどがいて、団地の方と地域の方が、交流を深めていける試みをしています。イベントや畑の活動は今のところ月1回のペースで行っていて、毎回参加くださる方もいれば、スポットで初めてという人も。毎回、なごやかな雰囲気でできています」(山本さん)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

11月は、10月に収穫したさつまいもを使ってのピザ窯での焼きいもとピザづくり、畑に玉ねぎの苗を植えるイベントを実施していました。参加者は筆者が想像していたよりも多く、なんと30人以上! 参加者は多くが未就学児~小学校低学年のお子さんと保護者の方々です。お天気はあまりよいとはいえない状況でしたが、子どもたちは広場や周囲をうきうきと走り回っていました。

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

セミパブリックだからこそできる! 団地の可能性

今回、イベントに参加された方々は、団地にお住まいという方もいれば、ご近隣にお住まいという方もいらっしゃいました。なかには、「実は先週、団地に引越してきたばかりなんです。イベント案内のチラシを見かけてすぐに応募しました。子どもたちが地域になじむきっかけになれば」という声も聞かれました。その後、焼きいもやピザづくりをしながら「何歳ですか?」「同じ学年だね~」と、お子さんや大人の会話が盛り上がっていました。まさに人と知り合う「きっかけ」、コミュニティーづくりになっています。

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

さすがだなと思ったのは、運営側が作業をするだけでなく、「どんな種類のさつまいもを焼くのか」「玉ねぎはいつできるのか」「ピザで好きな具」などの会話のとっかかりとなる「ネタ」を提供していることです。初めて会った人同士でも、「あるある~」「私は~」と自然と会話ができるようになっています。共同作業、なかでも食があると、人と人との距離はぐっと縮まりますよね。

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

他にも、イベントに参加している人に話を聞きましたが、「1階の保育園に通っていて、せっかくなので参加したいと思って」「近所のお友だちに誘われたので」という方が多いように感じました。

また、コロナ禍で思うように外出や遠出ができず、子どもと何かしたいと思っていたときにこのイベントを知ったという声も。
「自分で畑をやったり、ピザの準備をしたりするのは大変だけれど、近くでこんな体験ができるなんて! すごくありがたいです」というコメントもありました。

「コミュニティー運営に携わって7カ月ですが、交流イベントは今のところ8回開催し、累計100名が参加してくださっています。参加者の満足度も高く、次は何をやるんですか? という声も聞かれます。団地外の方からの参加者も多いですし、まさに交流の場所になっています。声を聞きながら、よりよい場所、よりよいコミュニティー運営を模索していきたいですね 」(山本さん)

細越さんは畑やコミュニティー運営を通して、「セミパブリック」の可能性を感じているといいます。「草むしりや苗植え、収穫など自然を通して、人々が交流し、距離感を保てる。『公』や『行政』でもなければ、完全な『私』でもない。ちょうど良い距離感をつくっていけたら」と言います。

コロナ禍では、地域や人との分断が進んだともいわれています。一方で、近くにある幸せや足元を大切にしたい、近所の人とゆる~くでも顔見知りになりたい、という思いは、静かですが確かにあるように感じます。近所づきあいや人とのかかわりを、軽やかにアップデートするために。令和の団地の挑戦はまだまだ続きそうです。

●取材協力
ハラッパ団地・草加

懐かしさ感じる”リノベ団地”に広がる人の輪! 保育園・農園付きで3年満室続く「ハラッパ団地・草加」を訪ねた

昭和の高度経済成長期に大量に建設された「団地」を、現代の暮らしに合うようリノベーションし、再評価・再活用する動きが続いています。では、そのリノベ団地は、コロナ禍を経てどうなっているのでしょうか。2019年に紹介した「ハラッパ団地・草加」の今を取材しました。

築51年でも満室! 家賃を維持するなど、人気ぶりは健在

1971年、企業の社員寮として建築された建物をリノベして誕生した「ハラッパ団地・草加」。2018年に建物内外を刷新し、シェア農園や保育園、ドッグランを持つ賃貸住宅として生まれ変わりました。1800坪というゆとりのある敷地に、明るい黄色の2棟の建物があり、1LDK~2DKの全55戸で構成されています。ペット飼育OKで、1階に保育園があるなどの付加価値もあるため、2019年に取材したときも全室満室、ウェイティングリストができるほどの人気ぶりでした。

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

あれから3年、コロナ禍もあり、ライフスタイルや価値観、住まいに求めるものも変わったように思います。その後、「ハラッパ団地」はどうなっているのでしょうか。

「3年たった今でも全室満室が続いていて、空室がでたら入居したいという希望者がいらっしゃいます。家賃も維持、または一部で上昇しているんですよ」と教えてくれたのは、広報を担当する山本恵美さん。

長らく新築住宅が最良とされてきた日本では、築年数が経過するごとに家賃を値下げするのが当たり前、半世紀も経過すれば建物の価値はほぼなくなるといわれてきました。それが築51年以上たっても家賃が下がるのではなく、上昇するとは……。適切にリノベ、管理運営されていれば、建物は長持ちするだけでなく、賃貸住宅として価値を向上させることができると証明した格好です。

保育園があることから子育て世帯の入居希望が多そうですが、実際にはシングルや夫婦暮らしなど、幅広い世帯や世代が入居しているそう。
「子どもの声が聞こえる、ということが安心感につながっているようで、一人暮らしの人にも人気となっています」。子どもたちの声が、「あたたかさ」「安心感」につながるのは、住む人にとっても、子どもたちにとっても、とても幸せなことですね。

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

収穫体験にクッキングイベント。交流を生むコミュニティー運営

ハラッパ団地・草加は、農園やドッグラン、食堂などの「地域にひらく」施設も魅力のひとつでした。ただ、こうしたコミュニティー運営は人とノウハウ、時間、予算が必要になります。ましてやこの3年はコロナ禍。人を集める、人が集まるのが難しくなってきた背景もあります。運営はどのように変化したのでしょうか。

「2020年、緊急事態宣言もあり感染状況を考慮して食堂は閉店、ランドリールームなども検討しましたが、団地の人が集まれる場所をということで、コミュニティールームに変更しました。この場所は団地住民であればオンラインで予約・利用できます。お住まいの方は、テレワークやオンライン会議などの場所として使っているようです」と山本さん。地域住民に、集会所・サロンの開催場所として、貸し出しも行っています。

また、2021年12月よりこのコミュニティールームを使い、「味噌づくり」「ヨガ教室」「ピクルスづくり」などのコミュニティー運営を実施するようになったといいます。
「イベントの実施主体は、ハラッパ団地を管理するハウスコムとアミックスです。コミニティーマネージャーや撮影・運営スタッフなどがいて、団地の方と地域の方が、交流を深めていける試みをしています。イベントや畑の活動は今のところ月1回のペースで行っていて、毎回参加くださる方もいれば、スポットで初めてという人も。毎回、なごやかな雰囲気でできています」(山本さん)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

11月は、10月に収穫したさつまいもを使ってのピザ窯での焼きいもとピザづくり、畑に玉ねぎの苗を植えるイベントを実施していました。参加者は筆者が想像していたよりも多く、なんと30人以上! 参加者は多くが未就学児~小学校低学年のお子さんと保護者の方々です。お天気はあまりよいとはいえない状況でしたが、子どもたちは広場や周囲をうきうきと走り回っていました。

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

セミパブリックだからこそできる! 団地の可能性

今回、イベントに参加された方々は、団地にお住まいという方もいれば、ご近隣にお住まいという方もいらっしゃいました。なかには、「実は先週、団地に引越してきたばかりなんです。イベント案内のチラシを見かけてすぐに応募しました。子どもたちが地域になじむきっかけになれば」という声も聞かれました。その後、焼きいもやピザづくりをしながら「何歳ですか?」「同じ学年だね~」と、お子さんや大人の会話が盛り上がっていました。まさに人と知り合う「きっかけ」、コミュニティーづくりになっています。

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

さすがだなと思ったのは、運営側が作業をするだけでなく、「どんな種類のさつまいもを焼くのか」「玉ねぎはいつできるのか」「ピザで好きな具」などの会話のとっかかりとなる「ネタ」を提供していることです。初めて会った人同士でも、「あるある~」「私は~」と自然と会話ができるようになっています。共同作業、なかでも食があると、人と人との距離はぐっと縮まりますよね。

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

他にも、イベントに参加している人に話を聞きましたが、「1階の保育園に通っていて、せっかくなので参加したいと思って」「近所のお友だちに誘われたので」という方が多いように感じました。

また、コロナ禍で思うように外出や遠出ができず、子どもと何かしたいと思っていたときにこのイベントを知ったという声も。
「自分で畑をやったり、ピザの準備をしたりするのは大変だけれど、近くでこんな体験ができるなんて! すごくありがたいです」というコメントもありました。

「コミュニティー運営に携わって7カ月ですが、交流イベントは今のところ8回開催し、累計100名が参加してくださっています。参加者の満足度も高く、次は何をやるんですか? という声も聞かれます。団地外の方からの参加者も多いですし、まさに交流の場所になっています。声を聞きながら、よりよい場所、よりよいコミュニティー運営を模索していきたいですね 」(山本さん)

細越さんは畑やコミュニティー運営を通して、「セミパブリック」の可能性を感じているといいます。「草むしりや苗植え、収穫など自然を通して、人々が交流し、距離感を保てる。『公』や『行政』でもなければ、完全な『私』でもない。ちょうど良い距離感をつくっていけたら」と言います。

コロナ禍では、地域や人との分断が進んだともいわれています。一方で、近くにある幸せや足元を大切にしたい、近所の人とゆる~くでも顔見知りになりたい、という思いは、静かですが確かにあるように感じます。近所づきあいや人とのかかわりを、軽やかにアップデートするために。令和の団地の挑戦はまだまだ続きそうです。

●取材協力
ハラッパ団地・草加

都民の約7割が東京に定住意向あり。交通利便性、住み慣れていること以外にカギとなる魅力とは?

東京都がこのほどまとめた「都民生活に関する世論調査」の結果によると、約7割が東京に定住意向があることが分かった。その理由となるのは、第一に発達した交通網なのだが、こうした利便性とは違う項目も上位に挙がっている。その理由とは……。

【今週の住活トピック】
「都民生活に関する世論調査」結果を発表/東京都

調査結果に表れる「住めば都」の実態

「都民生活に関する世論調査」は、東京都全域に住む満18歳以上の男女を対象に郵送やインターネットで実施し、1883人の有効回収を得たもの。

今住んでいる地域の住みよさを聞いたところ、「住みよいところだと思う」は81.5%、「住みよいところだと思わない」は8.8%と、8割を超える人が住みよいと思っている。さらに、今住んでいる地域に今後も住みたいと思うか聞いたところ、「住みたい」は69.5%、「住みたくない」は11.3%となり、約7割が今の地域に住み続けたいと思っている(=地域定住意向あり)ことが分かった。

一方、「東京は、全般的に見て住みよいところか」を聞くと、「住みよい」は58.0%、「住みにくい」は6.6%と、約6割が住みよいと思っており、これは地域の住みよさより低い結果となった。さらに、東京に今後もずっと住みたいと思うかを聞くと、「住みたい」は69.7%、「住みたくない」は9.1%となり、約7割が東京に住み続けたいと思っている(=東京定住意向あり)という結果に。「東京は住みよい」と回答した割合よりも、東京定住意向ありの割合のほうが高い点が興味深い。

次に、それぞれの定住意向を分析すると、いずれも、そこに「長く住んでいる」人ほど定住意向が高まる傾向が見られる。東京定住意向については、さらに「東京生まれであるかないか」で、約15ポイントの開きがあった。生まれた地域、長く住んでいる地域には、今後も住み続けたいと思う、つまりは「住めば都」となることがうかがえる結果だ。

地域定住意向(地域居住年数別)

東京定住意向(東京生まれか否か/東京居住年数別)

出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より抜粋転載

定住したいのは、「住み慣れているから」「利便性が高いから」のほかにも…

次に、それぞれの定住意向あるなしの理由を見ていこう。

「地域定住意向あり」の1308人にその理由を聞いた結果を見ると、次のような項目が上位に挙がった。
1. 買物など日常の生活環境が整っているから          66.3%
2. 自分の土地や家があるから                 43.0%
3. 地域に愛着を感じているから(住み慣れているから)     41.4%
4. 通勤・通学に便利なところだから              40.3%

また、「東京定住意向あり」の1313人にその理由を聞いた結果を見ると、次のような項目が上位に挙がった。
1. 交通網が発達していて便利だから              79.2%
2. 東京に長く暮らしているから                53.7%
3. 医療や福祉などの質が高いから               36.7%
4. 文化的な施設やコンサート・スポーツなどの催しが多いから  28.6%

住み慣れていることに加えて、地域の生活利便性や東京の交通網の発達などが住みたいと思う大きな理由になっているが、東京定住意向では、「医療や福祉の質の高さ」や「文化的な環境のよさ」など、利便性以外の要因もその理由として挙がっている点に注目したい。

東京定住意向の理由をさらに、東京生まれか否かで見ると、「交通の便利さ」はどちらも最多であるが、東京生まれの人は「長く暮らしている」ことが圧倒的に多い。これに対して、東京生まれでない人では、「文化的な環境のよさ」と「人間関係がわずらわしくない」が多くなっている。つまり、文化的な環境や地域の人間関係などは、東京生まれでない人の定住意向に影響を与える要因になっている、と言えそうだ。

東京に住みたい理由(東京生まれか否か別)

出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より抜粋転載

なお、地域定住意向がない理由は「地域に愛着を感じないから」(27.7%)「家賃などの住居費が高いから」(同率27.7%)、東京定住意向がない理由は「生活費が高いから」(62.2%)が最多となった。

文化的な活動への興味関心は高いが、楽しんでいるのは若い世代?

では、文化的な活動について、どう思っているのだろうか?
「東京には美術館や劇場、映画館など文化施設が集中し、さまざまな展覧会や公演が行われているが、こうした文化的な環境を楽しんでいるか」と聞いたところ、「楽しんでいる」(楽しんでいる+まあ楽しんでいる)が49.8%、「楽しんでいない」(楽しんでいない+あまり楽しんでいない)が48.8%と拮抗する結果となった。

東京の文化的な環境を楽しんでいるか

出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より転載

「楽しんでいる」という回答は、若い世代ほど多い傾向が見られる。20代男性では64.9%だったものが、60代男性では34.9%に、20代女性では77.9%だったものが、60代女性では51.2%になるなど、年齢が上がるにつれて「楽しんでいる」という回答が減っている。

なお、男性(全体平均44.6%)より女性(54.1%)のほうが「楽しんでいる」回答が多い傾向も見られた。また、東京都区部(53.2%)のほうが市町村部(43.1%)より「楽しんでいる」割合が高いが、これは都心部に文化施設が多いことが影響しているのだろう。

次に、「芸術や文化を鑑賞したり、文化イベントに参加したりすることに興味関心があるか」と聞いたところ、興味関心が「ある」(ある+少しある)は71.5%に達した。興味関心については「楽しんでいる」回答の内訳ほどには、年代や地域の差が見られなかった。

文化鑑賞・文化イベント参加への興味関心

出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より転載

また、どのような文化鑑賞や文化イベントに参加したいのかは、「映画」(58.5%)、「展覧会(美術・歴史・写真・文芸など)」48.3%、「コンサート(ポップスなど)」41.6%などが上位だった。

総務省が発表した「2022年の住民基本台帳人口移動報告」によると、「東京都は、2020年に減少した転入者数が3年ぶりに増加に転じ、増加を続けていた転出者数が減少に転じており、東京都への移動の動きが活発になりつつある」という。コロナ禍で感染拡大が激しかった東京都は、他県への転出が増加したものの、2022年には転入超過数が大幅に上昇した。

「東京一極集中」の要因として、東京に就業の機会が多いことを挙げることが多いのだが、今回の調査結果を見ると「仕事を見つけやすい、事業を起こしやすい」といった理由で、今後も住みたいと思う人はそれほど多くはなかった。住み続けたいと思わせるには、文化的な環境のよさなども大きな要因になることを、再認識した次第だ。

●関連サイト
東京都「都民生活に関する世論調査」結果

「東急東横線」沿線、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2023年版

東京都渋谷区~神奈川県横浜市の全長24.2km、全21駅を結ぶ東急東横線。沿線には田園調布駅や武蔵小杉駅などの閑静な住宅地や、渋谷駅や横浜駅といった人気繁華街、慶應義塾大学日吉キャンパスをはじめとする学校を多く抱え、通勤に通学にと愛用されている。今回はそんな東急東横線沿線にある、専有面積50平米以上~80平米未満のカップル・ファミリー向け物件の中古マンション価格相場が安い駅をランキング。リーズナブルに住むならどの駅がいいのか? さっそくチェック!

東急東横線の中古マンション価格相場が安い駅ランキング

順位/駅名/価格相場/駅の所在地
1位 大倉山 4000万円 神奈川県横浜市港北区
2位 妙蓮寺 4280万円 神奈川県横浜市港北区
3位 菊名 4490万円 神奈川県横浜市港北区
4位 日吉 4590万円 神奈川県横浜市港北区
5位 東白楽 4690万円 神奈川県横浜市神奈川区
6位 反町 4980万円 神奈川県横浜市神奈川区
7位 新丸子 5380万円 神奈川県川崎市中原区
8位 綱島 5480万円 神奈川県横浜市港北区
9位 横浜 5489.5万円 神奈川県横浜市西区
10位 元住吉 5690万円 神奈川県川崎市中原区
11位 多摩川 6280万円 東京都大田区
12位 武蔵小杉 6785万円 神奈川県川崎市中原区
13位 学芸大学 7380万円 東京都目黒区
14位 祐天寺 7800万円 東京都目黒区
15位 都立大学 7980万円 東京都目黒区
16位 自由が丘 8500万円 東京都目黒区
17位 中目黒 8980万円 東京都目黒区
18位 渋谷 1億890万円 東京都渋谷区
19位 代官山 1億1000万円 東京都渋谷区
※田園調布駅、白楽駅は調査対象物件数が10件以下のためランク外

横浜市港北区に位置する、静かな住宅地が広がる駅がTOP3を独占!

東急東横線の全21駅で最も中古マンションの価格相場が安かったのは、大倉山駅で、価格相場は4000万円。神奈川県横浜市の港北区に位置し、横浜駅までは6駅という立地だ。駅名や近隣の地名「大倉山」は、東洋大学学長も務めた実業家・大倉邦彦氏が駅近くの丘に研究所を構えていたことに由来する。かつて研究所があった一帯は美しい梅林で知られる「大倉山公園」として整備され、クラシカルな洋館である研究所本館は市の文化施設「横浜市大倉山記念館」として利用されている。

大倉山公園(写真/PIXTA)

大倉山公園(写真/PIXTA)

1位・大倉山駅の東側には「大倉山レモンロード商店街」、西側には「大倉山エルム通り商店街」が延びている。両商店街を合わせて店舗総数は約180店舗もあり、スーパーから日用品店、飲食店など多彩な店舗が軒を連ねている。商店街を外れると閑静な住宅地が広がり、駅から歩いて10分弱の場所に港北区役所があるのも何かと便利だろう。また、自転車で10分も走ると、大型商業施設でにぎわうJR新横浜駅前に行くこともできる。

大倉山エルム通り(写真/PIXTA)

大倉山エルム通り(写真/PIXTA)

2位と3位にも横浜市港北区の駅がランクイン。2位は妙蓮寺駅で価格相場4280万円、3位は2位・妙蓮寺駅と1位・大倉山駅の間に位置する菊名駅で価格相場は4490万円だった。まず2位・妙蓮寺駅の様子を見てみると、駅東側には駅名の由来であるお寺「妙蓮寺」の境内が広がっている。駅西側にはスーパーやドラッグストアなどが立ち並ぶ商店街があり、その先に進むと夏期営業のプールを抱える「菊名池公園」にたどり着く。園内の池の周囲にはソメイヨシノが咲き、春は地域住民のお花見スポットとしても愛されている。

菊名池公園(写真/PIXTA)

菊名池公園(写真/PIXTA)

3位・菊名駅は東急東横線の特急・通勤特急・急行の停車駅。通勤特急に乗れば横浜駅まで1駅・約6分、反対方面の渋谷駅までは5駅・約26分で行くことができる。菊名駅にはJR横浜線も乗り入れており、JRの駅舎にはミニスーパーとベーカリーを備えた「シァル菊名」が併設されている。東急東横線側にもスーパーが併設され、電車を降りてすぐに買い物ができる環境だ。駅前には飲食店が数多く、北に延びる綱島街道を進んだ先にもスーパーや市立図書館、郵便局にディスカウントストアといった暮らしを支える施設が立ち並ぶ。駅から東南方面へと住宅街を10分ほど歩くと「菊名桜山公園」へ。丘陵地にある公園は八重桜の名所として知られ、例年4月中旬~下旬に約150本の八重桜が濃いピンク色に花開く光景は圧巻だ。

人気の駅から1駅離れるだけで価格相場は1405万円も安くなる

東急東横線は東京都渋谷区から神奈川県横浜市にまたがっているが、ランキングを見ると上位には神奈川県内の駅が並ぶ結果に。神奈川県内で最も価格相場が高かったのは、知名度抜群の9位・横浜駅を抑えて12位となった武蔵小杉駅。価格相場は6785万円で、横浜駅よりも1200万円以上も高い。JR南武線も乗り入れているうえ、近年の再開発で高層マンションや大型商業施設が数々誕生している人気住宅地だけあり、納得の結果とも言える。

武蔵小杉駅(写真/PIXTA)

武蔵小杉駅(写真/PIXTA)

一方で、武蔵小杉駅の1駅隣に位置する7位・新丸子駅の価格相場は5380万円。直線距離だと450mほどしか離れていないのに、武蔵小杉駅より1405万円も価格相場が低いのだ。新丸子駅から10分も歩けば武蔵小杉駅周辺のショッピングモールに行けるうえ、新丸子駅周辺も商店街でにぎわっている。価格相場が低めな新丸子駅寄りに住みつつ、ときには武蔵小杉駅周辺の商業施設を利用するという暮らし方もアリだろう。

さて、都内に位置する駅で最も価格相場が安かったのは、6280万円で11位にランクインした東京都大田区の多摩川駅だ。2021年度乗降人員が東急東横線21駅中で最も少なかったのが多摩川駅なのだが、どんなところなのだろうか。

11位・多摩川駅には東急東横線のほかに東急目黒線と東急多摩川線も乗り入れ、JR線に接続する目黒駅や蒲田駅へも電車1本で行くことができる。東急東横線の急行停車駅でもあり、渋谷駅までは5駅・約15分だ。駅の東側には「田園調布せせらぎ公園」、西側には「多摩川台公園」という緑豊かな公園が広がり、西側の公園のすぐ先には多摩川が流れている。そして多摩川を超えると神奈川県、という都県境間近の立地だ。

多摩川台公園(写真/PIXTA)

多摩川台公園(写真/PIXTA)

多摩川駅の周辺一帯はお隣の田園調布駅から続く静かな住宅街で、集合住宅よりも一戸建てが多い印象。自然を身近に感じながらのびのび子育てするにはよい環境だが、商業施設が少ない点はネックだろう。徒歩10分圏内にミニスーパーが2件、駅から東へ15分ほど歩いた場所に品揃え豊富なスーパーが1軒。さらに東に進んで、多摩川駅から徒歩約20分の東急池上線・雪が谷大塚駅前の商店街や、多摩川駅から歩いても10分少々の田園調布駅にあるショッピングモールを利用するといいかもしれない。

さてこの11位・多摩川駅と7位・新丸子駅、実は多摩川をはさんで隣り合っており歩いて15分ほど。多摩川駅のほうが急行の停車駅で渋谷駅までアクセスしやすく、乗り入れ路線も多いうえに東京都内に位置するためか価格相場は新丸子駅よりも900万円高い。しかし日々の買い物面においては神奈川県に位置する新丸子駅のほうが便利だろう。自然が身近な多摩川駅と商店でにぎわう新丸子駅のように、1駅違うだけで住環境がガラリと変化することもある。なんとなく価格相場が高い街のほうが住宅地として優れているような気にもなるが、「自分にとって」暮らしやすいかどうかは人それぞれ。暮らす街に対して自分が重視するポイントを基準にして、住まい探しに臨みたいものだ。

※田園調布駅、白楽駅は調査対象物件数が10件以下のためランク外

※田園調布駅、白楽駅は調査対象物件数が10件以下のためランク外

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東横線沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ、専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/8~2022/10
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

ニューヨーク人情酒場 フェアリー・トシさん突然の休職! ヘルプの頑固寿司職人、神絵師“ブルピじじい”降臨

ニューヨーク人情酒場へようこそ!これは、ブルックリンにある小さな酒場(レストラン)で起こったいろんな出来事。
大都会の夜、一杯の酒から始まる人間模様。作者はこのお店で今お寿司を作っているよ。

漫画

トシさんが仕事を休むことになった

漫画

いつも前向きなお寿司フェアリー・トシさんとの日々は平和に過ぎていきました。どんなことがあっても動じず声を荒らげたりも一切しない、奇跡のように心優しくニコニコ笑顔の寿司職人トシさん。彼の存在をあがめるようにして働いていましたが、そんなトシさんから頑固親父ヤスさんへのシフトチェンジは正直難しいところがありました。でも、何事においても第一印象が悪ければ悪いほど、その後の印象が変わりやすいもので・・・?
(この漫画を描くにあたりヤスさん本人の職場にご挨拶に行き、概要を説明して漫画にしてOK!という許可を頂いています)

ブルピじじい

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共通の話題が一切ない人と話している時に、話題をひねり出そうと頭をフル回転する瞬間ってあるよね。私はあの瞬間がすっごく苦手です。
しかし、苦し紛れのスモールトークがきっかけとはいえ、ヤスさんの絵は本当に素晴らしいものでした。職歴40年のベテラン寿司職人ヤスさんですが、寿司を作っている時以外は自宅で絵の制作に励んでいるそうです。NYには本当にいろいろなバックグラウンドをもった人がいて、みんなの経歴を聞くだけでもとても面白いです。第一印象で決めつけることなかれ!
それにしてもこんな素敵な絵が誰の目にも留まることがないなんて本当にもったいない。ここに出した3枚の絵は結構最近描かれたものらしいですよ!

ブルピじじいとの交流

漫画

やっぱり好きなものが共通していると仲良くなるスピードも自然と早くなりますよね。ヤスさんの絵の世界観は意外にもほのぼのとして、絵のことを話している時の言葉選びは調理場とはまるで別人。作品も言葉もどことなく儚く、詩人のような印象がありました。
さらに、調理場での態度にも納得がいくほど、作っていただいたお寿司は本当においしかったです。何事も一流を極めている人ってかっこいいよね!
そして絵の世界観とのギャップが激し過ぎて困惑。絵の話を振ってみてよかった!

ヤマモトレミ

作者:ヤマモトレミ
89年生まれ。福岡県出身。2017年、勤めていた会社の転勤でニューヨークに移住。仕事の傍ら、趣味でインスタグラムを中心に漫画を描いて発表していたところ、思った以上に楽しくなってしまい、2021年に脱サラし本格的に漫画家としての活動を開始。2022年にアメリカで起業し個人事業主になりました。ブルックリンのレストランで週4で寿司ローラーをやっています。

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【早稲田大学】周辺のオススメ賃貸情報&家賃相場ランキング2023年版! 早稲田キャンパス(一人暮らし向け)

来春から大学に進学し、初めての一人暮らしをスタートさせる人もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は早稲田大学・早稲田キャンパス(東京都新宿区)の周辺駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社「ハウスメイトショップ新宿店」店長の林宏さんから、早稲田キャンパスに通う学生が住む街としておすすめの駅を教えてもらった。どんな駅がラインナップされたのか、さっそくご紹介しよう。

早稲田キャンパス最寄駅(高田馬場駅、早稲田駅、西早稲田駅)いずれかまで20分以内の家賃相場が安い駅TOP11

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 東伏見 6.6万円(西武新宿線/東京都西東京市/18分/0回/高田馬場駅)
2位 上井草 6.75万円(西武新宿線/東京都杉並区/19分/1回/高田馬場駅)
3位 上石神井 6.9万円(西武新宿線/東京都練馬区/14分/0回/高田馬場駅)
4位 井荻 6.98万円(西武新宿線/東京都杉並区/15分/1回/高田馬場駅)
5位 江古田 7.0万円(西武池袋線/東京都練馬区/18分/1回/高田馬場駅)
6位 下井草 7.1万円(西武新宿線/東京都杉並区/14分/1回/高田馬場駅)
6位 小竹向原 7.1万円(東京メトロ副都心線/東京都練馬区/11分/0回/西早稲田駅)
8位 武蔵関 7.2万円(西武新宿線/東京都練馬区/16分/0回/高田馬場駅)
8位 野方 7.2万円(西武新宿線/東京都中野区/13分/0回/高田馬場駅)
10位 新江古田 7.3万円(都営大江戸線/東京都中野区/17分/1回/高田馬場駅)
11位 阿佐ケ谷 7.4万円(JR総武線/東京都杉並区/11分/0回/高田馬場駅)
11位 鷺ノ宮 7.4万円(西武新宿線/東京都中野区/9分/0回/高田馬場駅)
11位 成増 7.4万円(東武東上線/東京都板橋区/19分/1回/高田馬場駅)
11位 都立家政 7.4万円(西武新宿線/東京都中野区/14分/0回/高田馬場駅)
11位 南阿佐ケ谷 7.4万円(東京メトロ丸ノ内線/東京都杉並区/20分/1回/高田馬場駅)
11位 氷川台 7.4万円(東京メトロ有楽町線・副都心線/東京都練馬区/13分/0回/西早稲田駅)
―――
「ハウスメイトショップ新宿店」林さんおすすめの駅
ランク対象外 朝霞台 5.7万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/28分/1回/高田馬場駅)
ランク対象外 朝霞 5.93万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/26分/1回/高田馬場駅)
ランク対象外 和光市 6.6万円(東武東上線/埼玉県和光市/23分/1回/高田馬場駅)

複数の駅に囲まれた早稲田キャンパス周辺は学生が集う街

2022年に創立140周年を迎えた早稲田大学を代表するキャンパスといえば、国の重要文化財に指定された大隈講堂が建つ東京都新宿区の早稲田キャンパス。6つの学部生が通うキャンパスは、JR山手線と西武新宿線、東京メトロ東西線が通る高田馬場駅から東へ歩いて20分ほど。駅から早稲田キャンパスに向かう通りは「早稲田通り」と呼ばれている。数多くの飲食店に加えて古書店も立ち並んでいる点は、さすが大学お膝元の街といった趣だ。またこの一帯には早稲田大学に加えて学習院女子大学もあるほか、高校や専門学校、学習塾も多いので、学生らしき若者の姿もよく見かける。

早稲田通り(写真/PIXTA)

早稲田通り(写真/PIXTA)

早稲田キャンパスのすぐ近くにはサークル活動の拠点である学生会館を備えた戸山キャンパスがあり、高田馬場駅から徒歩15分ほどの場所には西早稲田キャンパスも。各キャンパスの近くには東京メトロ東西線・早稲田駅や東京さくらトラム(都電荒川線)早稲田駅、東京メトロ副都心線・西早稲田駅もあり、そちらを利用する学生も少なくない。

そこで今回は高田馬場駅をはじめ、早稲田駅(東京メトロ・東京さくらトラム(都電荒川線))、西早稲田駅のいずれかの駅から20分圏内にある駅を調査対象とし、それぞれの駅から徒歩15分圏内にある学生向け賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場が安い駅を順位付けした。その結果が上記のランキングだ。

ちなみに高田馬場駅の家賃相場は9万1000円。同じくキャンパス最寄駅の東京メトロ東西線・早稲田駅は9万2000円、都電荒川線・早稲田駅は9万円で、西早稲田駅は9万3000円。都心部だけあって学生には手ごろとは言いがたい金額だが、早稲田大学の学生たちは実際、どんな場所に住んでいるのだろう。早稲田大学の学生にも利用されている、「ハウスメイトショップ新宿店」店長の林宏さんにお話を伺った。

「特に早稲田大学の学生さんは、キャンパスまで歩ける範囲で物件を探していらっしゃる方が多い印象です」と話す林さん。「どこに住むとよいかは人それぞれで、例えば学業に専念したいなら移動時間を極力減らすために早稲田駅周辺、大学以外にもアクセスしやすいほうがよければJR山手線も通る高田馬場駅周辺や、高田馬場駅まで2駅のターミナル駅・新宿駅周辺などがよいでしょう」。早稲田駅の周辺は高田馬場駅ほどの繁華街ではないので、落ち着いて暮らせる住環境のよさを求める人にもおすすめだという。

高田馬場駅前(写真/PIXTA)

高田馬場駅前(写真/PIXTA)

通学時間を短く、家賃も抑えたい場合はランキングを活用しよう

通学時間をなるべく短縮するなら、大学の近くに住むのがベストだろう。とはいえ、予算もあるし近さだけを重視して住まいを決めるのは難しいことも。そんな場合は、今回調査した家賃相場が安い駅のランキングを参考にするのもいいだろう。ランキングトップ11の駅は家賃相場が6万円台~7万円台なので、家賃相場が9万円台だった早稲田キャンパスの徒歩圏内と比べるとだいぶ負担を抑えることができる。

最も家賃相場が低かったのは、西武新宿線・東伏見駅で家賃相場は6万6000円。西東京市に位置し、早稲田キャンパスの最寄駅の一つである高田馬場駅までは準急で約18分だ。駅名や周辺の地名である東伏見は、駅から徒歩10分少々の場所にある「東伏見稲荷神社」に由来するそう。また、この地は早稲田大学とも縁が深く、南口駅前には東伏見キャンパスが広がっている。早大生が部活動に励む野球場や馬場、サッカー場や体育会系の合宿所や学生寮もあり、大正時代から現在まで多くの学生が汗を流してきたのだ。

東伏見駅(写真/PIXTA)

東伏見駅(写真/PIXTA)

東伏見キャンパスの左右には「都立東伏見公園」「区立武蔵関公園」という緑豊かな2つの公園とアイススケートリンクがあり、その他の駅周辺は静かな住宅地といった趣。スーパーやコンビニ、ドラッグストアは駅の北と南どちらにもあり、駅前通りと交差する新青梅街道の周辺にはファミレスや「ユニクロ」も。また、東伏見駅や2位・上井草駅を含む西武新宿線の井荻駅~西武柳沢駅間では立体交差化事業が進行中。高架化に合わせて東伏見駅前広場の再整備や商業施設の誘致も計画されているので、今後はより暮らしやすい街になると期待されている。

1位・東伏見駅のほかにもトップ10には西武新宿線の駅が多数ランクイン。高田馬場方面に向かって、東伏見駅(1位)~武蔵関駅(8位)~上石神井駅(3位)~上井草駅(2位)~井荻駅(4位)~下井草駅(6位)と連続しており、そこから2駅はさんで野方駅(8位)という位置関係だ。残る駅は5位の西武池袋線・江古田駅、6位の東京メトロ副都心線・小竹向原駅、10位の都営大江戸線・新江古田駅。実はこの3駅は路線こそ違うものの位置としては近く、江古田駅を基点にすると南に徒歩約8分で新江古田駅へ、北に徒歩約12分で小竹向原駅へと行くことができる。この3つの駅のうち中間にある、江古田駅周辺の様子も見てみよう。

5位・江古田駅は練馬区に位置し、家賃相場は7万円。西武池袋線で池袋駅まで約8分、さらにJR山手線に乗り換えて約4分で高田馬場駅にたどり着く。早稲田キャンパスがある高田馬場駅に加え、都内有数の繁華街・池袋にアクセスしやすい点も魅力だろう。そんな江古田駅の近くには日本大学芸術学部と武蔵大学、武蔵野音楽大学のキャンパスがあり、学生の街として知られている。駅の北口側にも南口側にも商店街があり、狭い道沿いに多彩な商店がひしめく活気ある街並みだ。学生街だけありリーズナブルな飲食店も豊富で、早朝から深夜まで時間帯を気にせず買い物できるスーパーやコンビニも。同年代の若者も多く住む江古田の街は、学生の一人暮らしによさそうだ。

高田馬場駅から25分前後の東武東上線沿線なら家賃相場は5万円台~6万円台に

トップ11にランクインした駅の家賃相場は早稲田キャンパス周辺に比べるとリーズナブル。しかし、「もっと安さを追求したい、でも通学しやすさも担保したい」という人もいるだろう。そこで「ハウスメイトショップ新宿店」店長・林さんに、家賃を抑えたい人向けのおすすめの街を聞いてみると……。「東武東上線の和光市駅や朝霞駅、朝霞台駅です」と教えてくれた。

和光市駅(写真/PIXTA)

和光市駅(写真/PIXTA)

おすすめ駅の一つ、和光市駅の家賃相場は6万6000円。東武東上線の準急で池袋駅まで約17分、そこからJR山手線に乗り換えると約4分で高田馬場駅へ。「東武東上線の準急と急行に加えて快速急行の停車駅でもあり、快速急行なら池袋駅まで1駅・最短約12分です。さらに和光市駅は東京メトロの有楽町線・副都心線の始発駅でもあり、副都心線1本で早稲田大学近くの西早稲田駅までも約24分で到着できます」

そんな和光市駅は埼玉県和光市にあり、東京メトロの駅としては最北端かつ最西端。2020年3月に全面開業した駅ナカ施設&駅ビル「エキア プレミエ和光」には、改札階である地下1階から地上3階にかけてレストランや食料品店、「ユニクロ」など多彩な店舗がずらり。4階~7階部分は「和光市東武ホテル」となっている。また、駅南口には書店や飲食店、家電量販店を併設した「イトーヨーカドー和光店」もあるなど、スーパーも点在。駅北口エリアでは再開発が進められており、駅直結型の複合施設の新設も検討されているとか。今後の発展にも期待できる街だ。

さらに家賃を抑えたいなら、埼玉県朝霞市にある朝霞台駅と朝霞駅に注目。朝霞台駅は東武東上線の急行停車駅で、家賃相場は5万7000円。「急行なら池袋駅まで3駅、最短約17分で到着。東京メトロ副都心線直通の東武東上線に乗れば、乗り換えせずに西早稲田駅まで約31分で行くことができます」。また、「朝霞台駅の駅前ロータリーをはさんでJR武蔵野線の北朝霞駅があり、2つの路線を利用できる点も便利ですよ」と話す林さん。高田馬場駅までは池袋駅からJR山手線に乗り換え、計約28分で行ける。朝霞台駅は改札前コンコースにファストフード店やベーカリー、書店などがあり、駅前には複数のコンビニや気軽に入れる飲食店も。すぐ近くにスーパーもあるので、日常の買い物には困らない環境だ。

北朝霞・朝霞台 駅前広場(写真/PIXTA)

北朝霞・朝霞台 駅前広場(写真/PIXTA)

朝霞駅は朝霞台駅の隣に位置しており、家賃相場は5万9300円。「こちらは準急が利用でき、池袋駅まで3駅・最短約16分です」と林さん。朝霞台駅と同様に池袋駅で乗り換えて、高田馬場駅までは約26分。また、副都心線直通の東武東上線に乗ると、西早稲田駅まで約28分だ。朝霞駅には駅ビル「エキア朝霞」が併設され、ラーメン店やハンバーガー店、カフェといった飲食店に、服飾雑貨店、書店やドラッグストアなど20店以上が並んでいる。駅前にも複数の飲食店が点在するほか、安さを売りにしたスーパーもあるので自炊派で食費を節約したい人にもいいだろう。

さて、林さんがおすすめしてくれた和光市駅と朝霞台駅は「Fライナー」の停車駅でもある。このFライナーは東武東上線~東京メトロ副都心線~東急東横線~みなとみらい線を結ぶ急行の一種で、朝霞台駅や和光市駅から池袋駅、渋谷駅、横浜駅、元町・中華街駅などへも1本で行くことが可能だ。また、東武東上線は池袋と逆方面に進むと、川越や東松山といった埼玉県内の駅を通っている。だからたとえば、たびたび通いたいほど横浜が好きだったり、実家が川越にある場合、通学以外の面でも東武東上線沿線に住むと便利だろう。そんなふうに、通学で利用する駅以外に沿線にはどんな街があるのかもチェックしつつ住む街を探すと、より充実した学生生活が送れるかもしれない。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている高田馬場駅、西早稲田駅、早稲田駅(東京メトロ、都電)まで20分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/2~2022/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※早稲田駅については、メトロ、都電を最寄りとする物件両方の中央値を掲載しています
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年11月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

財政破綻の夕張市にオープン「くるみ食堂」。空き家リノベから街も変えたい! 故郷にUターンし、住民・農家も応援

人口減少が著しい北海道夕張市の新しい未来をつくりたい。そんな想いを胸にカフェ&バル「くるみ食堂」は誕生し、昨年11月で1周年を迎えた。北海道では馴染みのある築48年の三角屋根の住宅を活用した改修は、「リノベーション・オブ・ザ・イヤー2022」の特別賞を受賞し注目を集めた。商店が年々減っていく地域での開店に不安はなかったのか? いかに軌道に乗せていったのか? そこには強い意志と、日々の積み重ねがあった。

生まれ育ったまちに恩返しをしたい。熱い思いを胸に

夕張の中心街から車を10分ほど走らせた沼ノ沢地区の住宅街に三角屋根の家があった。外観は、看板がなければ見過ごしてしまいそうなささやかな佇まい。けれど扉を開くとそこは別世界。ブロックと漆喰の壁、そして木の肌合いが調和した、居心地のよい空間が現れた。
入り口や壁にあるドライフラワーは、開店祝いに贈られた生花を活用したものという。それは室内の装飾というよりも、心を寄せてくれた人たちのことをしっかりと記憶に留めたいという気持ちの表れではないかと思った。
「お店の名前は、みんなでつくる美味しい未(味)来という意味を込めています」(店主・寺江浩平さん)
つくるの「くる」と、みらい「み」で「くるみ」と名付けられた。

くるみ食堂の内観(撮影/久保ヒデキ)

くるみ食堂の内観(撮影/久保ヒデキ)

この食堂を営むのは夕張出身の寺江浩平さんと青森出身の妻・あかねさん。おそろいのデザインの服とエプロンで迎えてくれた二人は、「お店を始めてからは喧嘩ばかり」と言いながらも互いに微笑む。穏やかでゆったりとした雰囲気をもつ二人だが、インタビューをしていくうちに熱く揺るがない信念があることに気付かされた。

沼ノ沢は農家が多いエリア。その住宅街にくるみ食堂はある(撮影/久保ヒデキ)

沼ノ沢は農家が多いエリア。その住宅街にくるみ食堂はある(撮影/久保ヒデキ)

三角屋根の建築とともに北海道各地で見られる平屋タイプの公営住宅が、くるみ食堂の近くにあった(撮影/久保ヒデキ)

三角屋根の建築とともに北海道各地で見られる平屋タイプの公営住宅が、くるみ食堂の近くにあった(撮影/久保ヒデキ)

少年時代からずっと過ごしてきた沼ノ沢地区に浩平さんがカフェ&バルをつくろうと思った理由。それは幼いころからお店をつくりたいという夢があったこと、そして生まれ育ったまちに自分は何ができるのかと考えてのことだった。浩平さんが高校2年生のとき、夕張市は財政破綻。人口減少が加速し、暗いイメージがまちを覆った。

「高校を卒業し、夕張を出て生活していくなかでマイナスなニュースばかりを目にしました。大切で大好きなふるさと夕張が、このような形で世間に知られることが悔しくてたまりませんでした」(浩平さん)

札幌のホテルのレストランやイタリア料理店で修行をし、その後、知り合いを通じて、三角屋根の空き家の存在を知った。静かな住宅地にある隠れ家的な古民家カフェ&バルがここならできるのではないか。そんな構想が浮かんだという。

「所有者の方にこの家を譲ってほしいとお願いをしました。そうしたら『撤去してしまうよりも、地元に帰ってチャレンジする若い人を応援したい』と言ってくれたんですね」(浩平さん)

開店祝いの生花をドライフラワーにして飾っている(撮影/久保ヒデキ)

開店祝いの生花をドライフラワーにして飾っている(撮影/久保ヒデキ)

限られた予算でも、工夫と熱意でここまでできる!

応援してくれる人がいる一方で、将来を案じる人も少なくなかった。中心地でさえもシャッターが閉まったままの店舗は多く、そこからさらに数キロ離れた立地。心配するあまり、「気持ちはわかるけど、こんなところにお店をつくっても誰も来ないよ」と止められたことも。そんな中で祖母の言葉が支えになった。「『自分たちがやりたいと思ったら、後ろは振り返らず、真っ直ぐに進むんだよ』と言ってくれました」(浩平さん)

DIYが得意な父親が看板を制作。長く役所勤めをしていた父も惜しみない協力をしてくれたという(撮影/久保ヒデキ)

DIYが得意な父親が看板を制作。長く役所勤めをしていた父も惜しみない協力をしてくれたという(撮影/久保ヒデキ)

三角屋根の住宅を店舗としてどう改修していくのか。建物はコンクリートブロック造り。ブロックの構造を壁面として活かしたいと浩平さんは考えていた。ネットで事業者を調べていたところ、札幌を中心にリノベーション事業を展開する「スロウル」を知った。

スロウルは、「昔ながらの素朴さとモダンさが共存する現代の北海道らしい家」という独自のコンセプトを掲げていた。壁には安易に壁紙を貼りつけるのではなく、ブロックの質感をそのまま活かすというこだわりがあり、浩平さんのイメージと一致。しかし、住宅の1階の店舗部分と2階の住居部分、すべてのリノベーションを依頼できるほどの予算はなかった。自己資金は700万円。そこにクラウドファンディングにより200万円を調達しようと考えていた。

「CAMPFIRE」で行ったクラウドファンディング

「CAMPFIRE」で行ったクラウドファンディング

2020年1月、クラウドファンディングを実施。サイトで浩平さんはこう訴えた。

「僕が開くお店に足を運んでいただき、夕張の魅力をたくさんの方々に知ってもらいたい、伝えたい。夕張を見つめ直すきっかけをつくりたい。それが僕にできる夕張への恩返し。僕は夕張の新しい未来をつくりに夕張へ帰ります」(クラウドファンディングの文章より)

128人の支援により202万円が集まり、目標金額を超え、この年の春から施工を開始することとなった。

スロウルの代表・平賀丈士さんは、浩平さんの思いを受け止めた。
「お店をつくることで、夕張を盛り上げたいという熱意をすごく感じました」(平賀さん)

右がスロウル代表・平賀丈士さん。施工終了後も度々ここを訪れ、くるみ食堂の活動を広く発信するための動画制作も(撮影/久保ヒデキ)

右がスロウル代表・平賀丈士さん。施工終了後も度々ここを訪れ、くるみ食堂の活動を広く発信するための動画制作も(撮影/久保ヒデキ)

経費を抑えるために考えたのが、分離発注方式。設計プランとコンサルをスロウルが手がけ、施工は施主である浩平さんから、地元の各業者へ依頼することにした。平賀さんによると、この分離発注方式は海外では一般的だが、日本ではリノベーションを手がける工務店が各業者との窓口を一括で引き受け、建物の完成や品質を保証するというスタイルがほとんど。分離発注をする場合は、施主自らが責任をもってつくり上げるという強い意志が必要になってくるという。

内装も料理も、あらゆるところを「みんなでつくる」

実際に施工を行ったのは地元の氏家建設。小学校のころから夕張太鼓の保存会で太鼓を叩いていた浩平さん。同じ会のメンバーであり友人が、この建設会社の社長を務めていた。地元を元気にしたいという気持ちは同じ。協力体制を整え、DIYでできるところは自分たちの手で行った。お店の改修には道内各地から友人が駆けつけ、使っていない建材や厨房設備を持ち寄ってくれる人も現れた。くるみ食堂の名前に込めた「みんなでつくる美味しい未来」が徐々に形となっていった。

閉校した小学校の備品を譲り受け、自分たちでリメイク。椅子のパイプ部分にアイアン塗装を行った(撮影/久保ヒデキ)

閉校した小学校の備品を譲り受け、自分たちでリメイク。椅子のパイプ部分にアイアン塗装を行った(撮影/久保ヒデキ)

「応援してくれる人が少しずつ増えていきました。最初は、こんなところで何かやってもうまくいかないというようなムードもありました。でも誰かが動かなければ、まち自体がなくなってしまうと思っていました」(浩平さん)

財政破綻は人々の心に暗い影を落とし、マイナス思考を呼び込むこともあったという。しかし、浩平さんの新たなお店をつくるという前向きな熱意が、徐々に人々の心を開いていった。

壁には漆喰風塗料。家族と仲間とともに指を使って塗っていった(撮影/久保ヒデキ)

壁には漆喰風塗料。家族と仲間とともに指を使って塗っていった(撮影/久保ヒデキ)

天井を一部高くして開放感を出した。三角屋根の住宅は「断熱」「すきま風」「凍上」「すがもり」などの対策を検討する中で、住宅供給公社により建設が進められた北海道遺産ともいえる貴重な建物(撮影/久保ヒデキ)

天井を一部高くして開放感を出した。三角屋根の住宅は「断熱」「すきま風」「凍上」「すがもり」などの対策を検討する中で、住宅供給公社により建設が進められた北海道遺産ともいえる貴重な建物(撮影/久保ヒデキ)

2021年11月20日、くるみ食堂はオープン。「『こういうお店は今までになかったからうれしい。月に一回は必ず来るよ』と言ってくれる方がいました」(あかねさん)
地元の人たちが笑顔で集う場所が生まれた。

外壁面は既存のグラスウール断熱をそのまま活かし、2階の屋根と天井面には新たにグラスウールを施工、屋根と天井面の木造を感じられるような内断熱施工をした(撮影/久保ヒデキ)

外壁面は既存のグラスウール断熱をそのまま活かし、2階の屋根と天井面には新たにグラスウールを施工、屋根と天井面の木造を感じられるような内断熱施工をした(撮影/久保ヒデキ)

営業を始めてから協力の輪がますます広がった。お店に足を運んでくれた近隣の農家の人々が、「これ食べてみて」と野菜を届けてくれるようになった。
「声を掛けてくれたみなさんとの繋がりを大切にしたいです。地元の食材を知ってもらいたいと、料理にも気持ちが入ります」(浩平さん)

あかねさんは、ホテルのパティシエやカナダのケーキショップで経験を積んだ。キャロットケーキはカナダで学んだレシピ。ドリンクは自家製のレモンソーダ(撮影/久保ヒデキ)

あかねさんは、ホテルのパティシエやカナダのケーキショップで経験を積んだ。キャロットケーキはカナダで学んだレシピ。ドリンクは自家製のレモンソーダ(撮影/久保ヒデキ)

お店は順調に滑り出したが、コロナ禍の緊急事態措置がとられた期間は来店数が少なくなったという。「不安もありましたが、美味しいものを丁寧につくっていれば、きっと来てくれるんじゃないかと思っていました」(浩平さん)

その後、テレビや雑誌で取り上げられる機会があり、徐々に地元にも周知されていき、予約でいっぱいになる日も増えた。道外からやってくる人も現れるようになった。

1周年の記念メニューとして、くるみ食堂を応援してくれた農家の食材をふんだんに取り入れた「ローストビーフサンド」をつくった。地元のポテトやごぼう、ミニトマト。サンドのパンは、あかねさんのご両親が青森でつくったお米を使った米粉を素材に。お皿の上にも「みんなでつくる」というコンセプトを表すことができた。

1周年記念メニュー「くるみ食堂のローストビーフサンド」(写真提供/くるみ食堂)

1周年記念メニュー「くるみ食堂のローストビーフサンド」(写真提供/くるみ食堂)

地元の空き家と出合ってから3年。日々、努力を積み重ねてきた結果によって、「リノベーション・オブ・ザ・イヤー2022」の特別賞「ローカルグッド・リノベーション賞」に輝いた。審査員の一人・雑誌『ソトコト』の指出一正編集長は、「リノベーションにDIOのマインドを重ね合わせたローカルグッドな例」と評した。DIOとはDo It Ourselvesの略で、「ほしい未来をみんなでつくる」と意訳されているという。くるみ食堂は地図上で見れば小さな点でしかないが、人口減少が進む地域にポジティブな風を起こす手立てとして、全国からも共感を集めることになった。

レジカウンターにはクッキーやパウンドケーキが並ぶ。「おすすめはありますか?」とたずねると、「すべてです(笑)」とあかねさん。どれも気持ちを込めてつくっていて優劣はつけられないのだという(撮影/久保ヒデキ)

レジカウンターにはクッキーやパウンドケーキが並ぶ。「おすすめはありますか?」とたずねると、「すべてです(笑)」とあかねさん。どれも気持ちを込めてつくっていて優劣はつけられないのだという(撮影/久保ヒデキ)

新たな目標、自分たちが夕張の新しい魅力になること

浩平さんに夕張というまちの魅力について聞いてみた。「住んでいる人がお節介なくらい温かいことですね」。新年早々夕張は大雪に見舞われた。除雪機がなくスコップで除雪をしていたところ、ご近所さんや除雪業者の人々が手伝ってくれたという。こんなふうに、いつもみんながくるみ食堂のことを心に留めていて、いざというときは手を差し伸べている。

取材をした昨年末までは雪が少なかった夕張。正月早々大雪となり、1月2日から4日までの降雪量は90センチを超えた(撮影/久保ヒデキ)

取材をした昨年末までは雪が少なかった夕張。正月早々大雪となり、1月2日から4日までの降雪量は90センチを超えた(撮影/久保ヒデキ)

年が明け、浩平さんはSNSでこんな発表をした。
「新たな目標は『夕張の新しい魅力になる』です!」

開店当初は夕張の魅力を自分たちが伝える立場と考えていたが、これから地元の人々が自慢できるような場所になりたい、そしてここを目的に夕張に来てもらえるようにしていきたいのだという。季節が巡り、お店が少しずつ軌道に乗り、これからは第二フェーズへと入っていくのだろう。くるみ食堂の挑戦は続いていく。まちの風景がどのように変化していくのか。その展開をずっと見守っていきたい。

●取材協力
くるみ食堂
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高円寺の愛され純喫茶を訪ねて。『純喫茶コレクション』著者・難波里奈さんと、私語禁止の名曲喫茶や老舗店で昭和レトロを味わう

住んでいる街、住みたくなる街の要素はいろいろありますが、「好きなお店がある」のも大事なポイントです。中でも、 “純喫茶” (※1)は街のオアシス的な存在。散歩の途中にひと休みしたいときや、集中して読みたい本があるとき、居心地の良い空間とおいしい飲み物を出してくれる……。そんなお気に入りのお店があると、日常がもっと豊かになるはずです!
今回は、「日常をもっと素敵にしてくれる純喫茶」をテーマに、自分に合った純喫茶を見つけるコツや、その魅力を探ります。案内してくれるのは、純喫茶を愛するあまりほとんど毎日のように通っているという、東京喫茶店研究所二代目所長(※2)の難波里奈さん。
難波さんが好きな街、東京・高円寺を一緒にめぐりながら、「街に好きな純喫茶がある暮らし」を追体験してみましょう。

※1 純喫茶・・・お酒を出す「カフェー」と区別して、珈琲や軽食のみを提供した店を呼ぶ際に、昭和初期より使われるようになった言葉。本文中では90年代のカフェブーム以前の、昭和レトロな喫茶店を「純喫茶」としています(インタビューにおこたえいただいた方による呼称は、発言による)
※2 東京喫茶店研究所二代目所長・・・研究所は架空の存在。その一代目所長は写真家・詩人の沼田元氣さん

難波里奈さん流、好きな純喫茶の探し方

難波里奈さんは今まで日本全国2000件以上の純喫茶を訪ねたという、純喫茶の探究者。『純喫茶コレクション』(河出書房新社)や『純喫茶の空間 こだわりのインテリアたち』(エクスナレッジ)、『純喫茶とあまいもの』(誠文堂新光社)など著書も多数あり、純喫茶を語るスペシャリストとして知られています。

難波さんの著書

難波さんの著書

難波さんの著書を見ると、数えきれない程の素敵な純喫茶が紹介されています。難波さんはどうやって、それらの純喫茶を見つけているのでしょうか。

東京喫茶店研究所二代目所長 難波里奈さん。各地の純喫茶を訪ね歩き、愛する店の記憶を残す活動は、多数の著書としてまとめられている(写真撮影/相馬ミナ)

東京喫茶店研究所二代目所長 難波里奈さん。各地の純喫茶を訪ね歩き、愛する店の記憶を残す活動は、多数の著書としてまとめられている(写真撮影/相馬ミナ)

「今は、喫茶店に行く前に、おそらくスマートフォンで調べると思います。でも私が純喫茶通いを始めた頃は、スマートフォンはまだなくて。だから『街ありき』だったんです。

気になった駅で電車を降りて、その街をひたすら3時間ぐらい歩き回る。途中でたまたま見つけた喫茶店に入って、そのお店が好きだと街にまた行く理由ができる……という感じの散歩を繰り返しています。

もちろん失敗することもあります。でもそれは悪い事ではなくて。何で好きじゃないのかと掘り下げることで『好き』を探る理由にもなるので」(難波さん)

今は誰でも事前に、お店の評価が点数化されたサイトを確認することができます。でも、それはあくまで他人の評価。

「喫茶店も相性。だから正解というものはないのかもしれません。まずは行ってみて、自分の好みを自分で知るしかないですね」(難波さん)

難波さんは好きな喫茶店を見つけたら、その空間に身をゆだねつつ、自らの感覚に頼って観察するそうです。

「ひとつのお店でも、何度か通って違う席に座って、さまざまな角度から見える風景を観察します。あるいはいろいろなお店を訪れて、全ての店でレモネードを頼んで、その違いに注目してみたり、ランプのデザインや明度をチェックして比べてみたり、など定点観測的な楽しみ方もあります。切り口は無限です」(難波さん)

Instagramのアカウント「純喫茶コレクション」には日々の記録が。難波さんの探究の一端を知れる、純喫茶好きならフォロー必須のアカウント(写真提供/難波里奈)

Instagramのアカウント「純喫茶コレクション」には日々の記録が。難波さんの探究の一端を知れる、純喫茶好きならフォロー必須のアカウント(写真提供/難波里奈)

純喫茶めぐりの達人、難波里奈さんによる高円寺案内

各地へ旅をするのはいつも純喫茶訪問が目的だという難波さんに、今回その魅力を伝えるべく案内してもらうのは、学生の頃から好きで頻繁に訪れている中央線の高円寺駅周辺。この街でお気に入りの純喫茶で憩ったり、店主の方と語らったりといったことが、生活の一部だそうです。

何より、高円寺は注目すべき純喫茶が多い街でもあります。
特に思い入れがあるという2店舗、名曲喫茶「ルネッサンス」、「カフェ ブーケ」に伺いました。
純喫茶は高円寺の街でどのように愛され、そしてどんな物語をつむいできたのでしょうか。

高円寺のパル商店街。高円寺には純喫茶はもちろん、いたるところに昭和レトロなテイストが宿っている(写真撮影/相馬ミナ)

高円寺のパル商店街。高円寺には純喫茶はもちろん、いたるところに昭和レトロなテイストが宿っている(写真撮影/相馬ミナ)

昭和20年代の香りを残す、名曲喫茶「ルネッサンス」高円寺の名曲喫茶「ルネッサンス」(写真撮影/相馬ミナ)

高円寺の名曲喫茶「ルネッサンス」(写真撮影/相馬ミナ)

まず、難波さんが案内してくれたのは、高円寺のパル商店街の横道にある名曲喫茶「ルネッサンス」(※3)。「このお店があるからますます高円寺を好きになった」と思うほど、お気に入りの純喫茶です。

扉を開けるとそこはまるで異世界でした。蓄音機や、すりガラスのランプ、そして歩くとギシギシと音を立てる板張りの床。いつの時代のどこの国にいるのか分からなくなるようなエキゾチックなインテリアは、実は1945年から中野にあった伝説の名曲喫茶「クラシック」から引き継いだものだそうです。

※3 名曲喫茶「ルネッサンス」は普段は店内の撮影、会話は制限されています。今回は撮影のために、特別に許可を取っています

「ルネッサンス」の若き店主、檜山真紀子さんは「クラシック」で働いていた元スタッフ。二代目のオーナーが亡くなり、店の全てが処分されようとしていたところを、調度品やレコードを引き継いで、この「ルネッサンス」を開店したという経緯があります。

「『クラシック』のインテリアを処分してしまうという選択肢を選ばなかった檜山さんに、本当に感謝しています。当時、このお店がオープンする噂を聞いてから、ずっと楽しみに待っていました。そして、初訪問のときに嗅いだ匂いまで『クラシック』と同じで、驚いたと同時に言葉にならないほど感激しました」(難波さん)

「匂いのこと、みなさん言いますね。この場所はもともとお米屋さんの倉庫だったので、喫茶店とはほど遠い場所だったのですが『クラシック』のものを運び入れたら、不思議なことに同じ匂いになりました」(檜山さん)

フロアに段差をつけたり、椅子の向きを変えたりして、客同士が視線を合わせずに一人の時間が楽しめるように配慮されている(写真撮影/相馬ミナ)

フロアに段差をつけたり、椅子の向きを変えたりして、客同士が視線を合わせずに一人の時間が楽しめるように配慮されている(写真撮影/相馬ミナ)

曲のリクエストは、聴きたい人が自分で黒板に書いてゆくスタイル。これも前身の「クラシック」時代からの伝統を引き継いでいる(写真撮影/相馬ミナ)

曲のリクエストは、聴きたい人が自分で黒板に書いてゆくスタイル。これも前身の「クラシック」時代からの伝統を引き継いでいる(写真撮影/相馬ミナ)

純喫茶の魅力の一つが、昭和のカルチャーを肌で感じることができるところ。

「ルネッサンス」の前身「クラシック」は、1945年から2005年まで中野で60年間続いた名曲喫茶です。画家であり、数々の純喫茶の内装を手掛けた「クラシック」の創業者、美作七朗マスター手づくりのオリジナリティーあふれる調度品や、昭和初期からの古いレコードコレクションを引き継いだ店内には、形だけでなく、そこに醸成された空気が、匂いとして漂っています。

「ここ『ルネッサンス』や、かつての『クラシック』は、その最たるものですが、店主のセンスがインテリアの細部にまで宿っています。

純喫茶に伺うときは、創業者の好きなものやその時代に流行ったものたちを想像し、『だからこそこういう世界をつくったんだな』と思いをめぐらせています。100店舗あったら100人の店主の好きなものが詰まった、宝箱のようなもので、一つとして同じものはないのです」(難波さん)

難波さんが「宝箱」だという、純喫茶の空間。珈琲1杯の値段で、その空間に包まれる贅沢が味わえるのは、貴重ですね。

純喫茶の歴史を守る、店主との触れ合いも貴重

「ルネッサンス」のオーナー檜山真紀子さん(写真撮影/相馬ミナ)

「ルネッサンス」のオーナー檜山真紀子さん(写真撮影/相馬ミナ)

純喫茶では、その店を守る店主の人柄に触れることも楽しみの一つ。お店を守る人の一人ひとりにドラマがあります。

「私が前身の『クラシック』(中野)にお邪魔していたのは、喫茶店を好きになったばかりの頃でした。数回しか行けていなかったので、閉店したと知ったときはショックを受けました。しかし、しばらくしてから風の噂で、『働いていた方たちが、あの家具たちを丸ごと引き継いで新たにお店を開くらしい』と聞いて、心待ちにしていました」(難波さん)

「ルネッサンス」前身の中野の「クラシック」が閉店したのは2005年1月。初代オーナーの美作七朗さん亡き後、お店を切り盛りしていた娘の美作良子さんが亡くなったことに伴う閉店でした。

「私は高校生の頃から『クラシック』でアルバイトとして働いていたんです。初代の美作七朗オーナーは、私が働きだしてからすぐに亡くなってしまって、娘さんの美作良子ママの下でずっと働いてきました。

途中でケンカ別れしていた時期もあるんですけど、でも楽しくて。ケンカして飲みに行って、またケンカして飲みに行って……という感じで、ママが亡くなるまで一緒に居ましたね。最後は私が看取りましたから」(檜山さん)

檜山さんがアルバイトをしていた1990年代から2000年代にかけては、日本にスターバックスが展開されたり、渋谷近辺の音楽文化とリンクするようなカフェのブームがあったりした時代。その時期に高校生の檜山さんは純喫茶でアルバイトをし、人生を懸けて守りたいと思える空間や、思いを引き継ぎたい人に出会っていたのです。

とはいえ、純喫茶の空間を引き継ぐことは簡単ではなかったようです。
 
「ママが亡くなってから、お店にあった借金を売り上げから返済するまで3年かかりました。その間に中野の『クラシック』のお店を継続しようと、私だけではなく『ヴィオロン』のマスターや遠い親族の方も尽力したのですが、相続権の問題があってダメでした。結局お店のものを、全て処分しなければならない状況になりました。

じゃあどうしようか、というところで。いったん、私の実家や兄宅でレコードや調度品など引き取って、新たな場所で開店する時期をうかがっていたんです。あの空間が全てなくなってしまうことは、私には考えられませんでしたから」(檜山さん)

その苦労の甲斐あり、かつての「クラシック」の匂いまで引き継いだ「ルネッサンス」が高円寺に誕生したのです。

店内は基本的に私語禁止。メニューはドリンク(珈琲、紅茶、オレンジジュース)のみ。それは、お金をかけずにゆっくり音楽を楽しんでほしいという、「クラシック」時代から続く心遣い(写真撮影/相馬ミナ)

店内は基本的に私語禁止。メニューはドリンク(珈琲、紅茶、オレンジジュース)のみ。それは、お金をかけずにゆっくり音楽を楽しんでほしいという、「クラシック」時代から続く心遣い(写真撮影/相馬ミナ)

「美作さんの『クラシック』は、一度入るまではかなりハードルの高い場所でした。一方で『ルネッサンス』は檜山さんが美作さんの美意識を引き継ぎつつ、門戸を開いてくれて、入りやすくなったと思います」(難波さん)

「名曲喫茶というと、ちょっと怖い男性のマスターがいるイメージですけれど、私自身が女性なので、若い女性でも安心して一人で過ごせて、ゆっくり音楽を楽しめる場所にしたいですね」(檜山さん)

初代の美作七朗オーナー。その娘さんであり二代目オーナーの美作良子ママ。そして今、高円寺の「ルネッサンス」にその空間を受け継ぎ、守っている檜山真紀子さん。店内の調度一つ一つに、美作さんの美意識と、それを愛して受け継いで来た人々の思いがこもっています。

新しいビルの地下なので、通り過ぎそうになるかも。黄色の看板を目印に、階段を下りるとルネッサンスの扉がある(写真撮影/相馬ミナ)

新しいビルの地下なので、通り過ぎそうになるかも。黄色の看板を目印に、階段を下りるとルネッサンスの扉がある(写真撮影/相馬ミナ)

ルネッサンス
営業時間:12:00~20:00  定休日:12:00~19:30[水・木・金]12:00~21:30[土・日・祝]月曜日、火曜日(祝日の場合は営業、翌日休み)*営業時間・定休日は変更となる場合があるので、来店前に店舗電話やTwitterにてご確認ください
住所:〒166-0003 東京都杉並区高円寺南2-48-11 堀萬ビルB1F
TEL:03-3315-3310 Twitter:@renaissance2007

高円寺の街の歩みを記憶する「カフェ ブーケ」

次に難波さんに紹介していただいた純喫茶は、地下鉄新高円寺駅2番出口からすぐのところにある「カフェ ブーケ」。昭和43年のクリスマスイブにオープンし、創業54年目になる老舗です。

難波さんは高円寺散策の際によく立ち寄っていたそうで、こちらのムーディーな照明が特にお気に入りとのこと。

「このお店の好きなところは、なんといっても紫色のランプシェードです。カーテンの黒のレースが、ちょっと妖艶な感じもあって。
一番奥の席に座って、レモンスカッシュ越しに窓の方を見ると、それがすごくきれいなんですよ。特に雨や雪が降っている日は格別です」(難波さん)

新高円寺の駅前とは思えない落ち着いた空間は漫画『天国堂喫茶店~アラウンド・ヘヴン~』(双葉社)のモデルにもなっている(写真撮影/相馬ミナ)

新高円寺の駅前とは思えない落ち着いた空間は漫画『天国堂喫茶店~アラウンド・ヘヴン~』(双葉社)のモデルにもなっている(写真撮影/相馬ミナ)

落ち着きのある紫色のランプシェードや黒いレースのカーテンの向こう側には、新高円寺の駅前の風景があります。半世紀以上の歴史があるこの店で、店主の岩田さんは街を眺めてきました。

「この場所で親父が新聞屋をやっていて、その場所を引き継いで僕が喫茶店にしました。昭和40年代当時は、喫茶店で独立する人が、結構多かったんです。

昔は『阿佐ヶ谷は七夕祭りがある、中野にはブロードウェイがある、でも高円寺には何もない』という状態だったのが、僕の親父の代に『高円寺にも何か特色を出そう』と、高円寺ばか踊り(現在の高円寺阿波おどり)を始めたんですよ。
今ではイベントが大きくなりすぎてNPOに運営を任せていますけど、もともとは、発案も運営も商店街が行っていました。そう考えると、親父の代の高円寺の商店主は、頑張っていたよね」(岩田さん)

「カフェ ブーケ」店主の岩田郁也さん(写真撮影/相馬ミナ)

「カフェ ブーケ」店主の岩田郁也さん(写真撮影/相馬ミナ)

開店以来50年以上カウンターに立ってきた岩田さんですが、一度も苦痛に思うことはなかったといいます。

「僕は店の上の階に住んでいますけれど、店に立つのが嫌だと思って階段を下りてくることはないですね。店に出れば、人と話せるから。
僕は中野坂上の(都立)富士高校に通っていた頃は落語をやっていたくらい、喋るのが好き。だからお店の設計もオープンカウンターにして、お客さんと会話ができるようにしました」(岩田さん)

長い歴史のなかでは、地元の人をはじめいろいろな人が常連となり、入れ替わってきました。岩田さんはそれぞれのお客さんを、今でも懐かしく思い出すそうです。

この席でいただくレモンスカッシュが、難波さんのお気に入り(写真提供/難波里奈)

この席でいただくレモンスカッシュが、難波さんのお気に入り(写真提供/難波里奈)

「とにかくいろんな人が来ていたね。ビジネスパーソンはもちろん、漫画家さんやら、舞台衣装をつくっている子やら。息子ぐらいの年齢だけれど、趣味の釣りがきっかけで意気投合して、休みのたびに一緒に釣りに行っていた男の子もいました。

僕はずっと店の中に居て、入口から入ってくれる人を受け入れるだけ。でも普段だったら出会えないような人と出会えるから、楽しい仕事です。
また、昔の常連さんがひょっこり来てくれたりすることもあって。そんなときは、嬉しいですね」(岩田さん)

その土地のランドマークのように長く続く純喫茶の常連になると、街の歴史の一部になれたような気がしますよね。幾年も変わらない店内から街を眺めれば、今まで知らなかった街の表情が発見できるかもしれません。

新高円寺駅から徒歩0分にあるオアシス(写真撮影/相馬ミナ)

新高円寺駅から徒歩0分にあるオアシス(写真撮影/相馬ミナ)

カフェ ブーケ
営業時間:9:00~19:00
定休日:水曜日 
住所:〒166-0003 東京都杉並区高円寺南2丁目20−2
TEL:03-3315-2578

昭和を知らない世代のための、純喫茶の作法

純喫茶の魅力を普及する難波さんの活躍もあってか、近頃は昭和を知らない若い世代の純喫茶好きも増えているそう。

純喫茶という文化が、世代を超えて愛されていくのは素晴らしいことです。とはいえ、長く守って来たお店の雰囲気を壊したくはないもの。純喫茶ならではのお作法があれば、知りたいところです。

難波さんは「気構えしすぎる必要はない」といいます。

「もしも純喫茶での振る舞いを自分の憧れの人に見られたときに、恥ずかしいことはしないように……と意識しておけば、いいのではないでしょうか。例えば、撮影するときはお店の方の許可を取る、ほかのお客さんが写りこまないようにする、立ち上がって撮影しないなど、周りの人を不快にさせない最低限のルールを守ることかと思います。 
純喫茶の空間を一時的に飲み物1杯分のお金で借りていると考えて、周りの人と共有する時間や空間でもあることを忘れずに。誰かに見られているという意識を持つことが大切だと思います」(難波さん)

ゆっくりとひとりの時間を楽しむか、じっくりと会話を重ねるか。用途によって最適なお店を選ぶことも、純喫茶の嗜み(写真撮影/相馬ミナ)

ゆっくりとひとりの時間を楽しむか、じっくりと会話を重ねるか。用途によって最適なお店を選ぶことも、純喫茶の嗜み(写真撮影/相馬ミナ)

ではお店のオーナーの立場としてはどうなのでしょう。

「お店に合う楽しみ方、というのはあると思いますね。うちの店は、以前は私語禁止ではなかったんです。でもすごく騒がれる方がいて、仕方なくそんな決まりを設けました。
やっぱり一人で楽しむ感じの方が、この店には合っているのかなあ、と思います。
常連さん半分と、ご新規さん半分。なんとなくうまい具合にミックスしてくれて、常連さんの振る舞いから『ああ、こういう楽しみ方があるんだ』ということを、来た方が徐々に分かって、自然に馴染んでいってくれるというのが、理想ではあります」(「ルネッサンス」檜山さん)

「時々スマートフォンから目を離して、会話を楽しんでほしいですね。それは僕とでなくてもいいんです。一緒に来た方と会話して、その時間を楽しんでほしいと思います。
後は、僕らのお店は飲食してもらうことで成り立っているので、飲食はしてほしいかな。本当に時々だけれど、飲み物を持ち込む若い人がいるので、それは丁寧にお断りしています」(「カフェ ブーケ」岩田さん)

一人を楽しむお店、おしゃべりを楽しむお店。お店ごとに楽しみ方が違うのも、純喫茶の醍醐味。場所が違えば「そこに馴染む振る舞い」は違います。でも作法は、お店のマスターやマダム、常連さんたちから徐々に学んでいけるもの。最初からスマートに行動できなくてもいいのです。

お店に宿る店主の個性をリスペクトして、そこにしっかりと向き合う。そんな気持ちを持っていれば大丈夫! 純喫茶はあなたを温かく迎えてくれます。

高円寺の純喫茶+α、難波さんのお気に入り散策スポット

純喫茶以外にも見どころの多い高円寺。難波さんに「ルネッサンス」「カフェ ブーケ」以外の高円寺のお気に入りスポットも、紹介してもらいました。

ルネッサンスと同じビルにある小さな本屋さん「蟹ブックス」
「実はオーナーの花田さん主催のイベントに呼んでいただいたことがあって。こちらでお会いしてびっくりしました。ここで本を買って、『ルネッサンス』で読むのも素敵ですね」(難波さん)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

蟹ブックス
営業時間:12:00~20:00
定休日:水曜日 
住所:〒166-0003 東京都杉並区高円寺南2丁目48−11 堀萬ビル 201
TEL:03-5913-8947
Twitter:@kanibooksclub

純情商店街でレトロなインテリアを買うなら「古道具 権ノ助」
「自宅には、棚や椅子など権ノ助さんで購入したものがたくさんあります。店主の遠藤さんは明るくて人懐っこくて、遊びに行くとつい話し込んでしまうのが常です」(難波さん)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

古道具 権ノ助
営業時間:12:00~19:00 土日、日曜祭日は12:00~20:00
定休日:水曜日 
住所:〒166-0002 東京都杉並区高円寺北2-9-8 コーセイドーハイツ101
TEL:03-5373-8355 
Twitter:@koenjigonnosuke

純喫茶の魅力は、個人経営が基本ゆえに、チェーン店とは違って、その内装にも、飲み物や食べ物にも、店主の個性が表れていること。だからこそ、自分と波長の合うお店を見つければ、喜びもひとしおです。

あなたが住んでいる街、よく行く街にも、きっと素敵な純喫茶があるはず。ぜひ探してみてくださいね。

難波さんの部屋

前編では、難波里奈さんのお部屋をご紹介。純喫茶に通うようになった理由も伺いました。
純喫茶から譲り受けた家具でつくったお部屋「喫茶 あまやどり」東京喫茶店研究所二代目所長・難波里奈さんの昭和レトロあふれるおうち拝見

難波里奈さん 
東京喫茶店研究所二代目所長。日々の隙間に訪れた純喫茶は2000軒以上。現在は様々なメディアでその魅力を発信中。『純喫茶コレクション』(河出書房新社)『純喫茶の空間 こだわりのインテリアたち』(エクスナレッジ) 『純喫茶とあまいもの』(誠文堂新光社)など著書多数。

純喫茶コレクション
Instagram:@retrokissa2017 
Twitter:@retrokissa

著書

著書

【慶應義塾大学】周辺のオススメ賃貸情報&家賃相場ランキング2023年版! 日吉&三田キャンパス(一人暮らし向け)

間もなく訪れる新年度より、大学進学を機に一人暮らしをスタートさせる人も多いはず。そんな人の参考になるように、今回は慶應義塾大学で学部数の多い日吉キャンパス(神奈川県横浜市)と三田キャンパス(東京都港区)に通いやすく、家賃相場が安い駅を調査! 各キャンパスの最寄駅である、日吉駅まで電車で15分圏内、または田町駅・三田駅・赤羽橋駅いずれかまで電車で20分圏内に位置し、家賃相場が安い駅のランキングをご紹介する。さらに不動産会社「ハウスメイトショップ」武蔵小杉店店長の加瀬舞子さん、目黒店店長の山本泰史さんに聞いた、各キャンパス周辺にある学生が住む街としておすすめの駅についても見ていこう。

日吉キャンパス最寄り:日吉駅まで15分以内の家賃相場が安い駅TOP14(15駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 白楽 6.0万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/11分/0回)
2位 高田 6.2万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
2位 妙蓮寺 6.2万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/9分/0回)
4位 大口 6.3万円(JR横浜線/神奈川県横浜市神奈川区/12分/1回)
5位 東白楽 6.4万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/13分/0回)
6位 東山田 6.65万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市都筑区/7分/0回)
7位 小机 6.7万円(JR横浜線/神奈川県横浜市港北区/14分/1回)
8位 日吉本町 6.8万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/2分/0回)
9位 日吉 6.9万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/0分/0回)※起点駅
10位 中川 7.0万円(横浜市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市都筑区/15分/1回)
11位 菊名 7.1万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
11位 大倉山 7.1万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/4分/0回)
13位 綱島 7.35万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/1分/0回)
14位 元住吉 7.4万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/1分/0回)
14位 鹿島田 7.4万円(JR南武線/神奈川県川崎市幸区/13分/1回)
―――
「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」加瀬さんおすすめの駅
13位 綱島
14位 元住吉
ランク外 武蔵小杉 8.35万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/2分/0回)

三田キャンパス最寄り駅(田町駅、三田駅、赤羽橋駅)いずれかまで20分以内の家賃相場が安い駅TOP14(15駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 流通センター 8.2万円(東京モノレール/東京都大田区/18分/1回/田町駅)
2位 糀谷 8.3万円(京浜急行空港線/東京都大田区/19分/0回/三田駅)
3位 武蔵小杉 8.35万円(東急目黒線/神奈川県川崎市中原区/18分/1回/田町駅)
4位 川崎 8.4万円(JR東海道本線/神奈川県川崎市幸区/16分/1回/田町駅)
5位 大森町 8.45万円(京浜急行本線/東京都大田区/19分/1回/三田駅)
6位 昭和島 8.5万円(東京モノレール/東京都大田区/19分/1回/田町駅)
6位 西馬込 8.5万円(都営浅草線/東京都大田区/15分/0回/三田駅)
6位 田園調布 8.5万円(東急目黒線/東京都大田区/20分/0回/三田駅)
6位 平和島 8.5万円(京浜急行本線/東京都大田区/14分/0回/三田駅)
10位 京急蒲田 8.6万円(京浜急行本線/東京都大田区/17分/0回/三田駅)
10位 大井競馬場前 8.6万円(東京モノレール/東京都品川区/16分/1回/田町駅)
12位 旗の台 8.7万円(東急大井町線/東京都品川区/18分/1回/田町駅)
12位 千駄木 8.7万円(東京メトロ千代田線/東京都文京区/20分/1回/三田駅)
14位 蒲田 8.8万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/14分/0回/田町駅)
14位 洗足 8.8万円(東急目黒線/東京都目黒区/17分/0回/三田駅)
―――
「ハウスメイトショップ目黒店」山本さんおすすめの駅
14位 洗足
ランク外 武蔵小山 9.2万円(東急目黒線/東京都品川区/12分/0回/三田駅)
ランク外 中延 9.3万円(都営浅草線/東京都品川区/11分/0回/三田駅)

慶應義塾大学を代表する2つのキャンパス周辺の環境&家賃相場は?

慶應義塾大学のキャンパスは各地にあるが、メインとなるのは多くの学部の1・2年生が通う日吉キャンパスと、同様に複数の学部の2~4年生や大学院生が通う三田キャンパスだ。

日吉キャンパス(写真/PIXTA)

日吉キャンパス(写真/PIXTA)

神奈川県横浜市港北区に位置する日吉キャンパスの最寄駅は、東急東横線と東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインが乗り入れる日吉駅。2023年3月に開業予定の東急新横浜線の乗り入れも始まる、注目の駅だ。東口駅前には見事なイチョウ並木が延びており、そこはもう敷地面積約10万坪という広大な日吉キャンパス。駅西口側には食料品街からユニクロなどの服飾・雑貨店、家電量販店までそろう「日吉東急アベニュー」があるほか、リーズナブルな飲食店も豊富な商店街が広がっている。

日吉駅(写真/PIXTA)

日吉駅(写真/PIXTA)

今回お話をうかがった「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長・加瀬舞子さんは、「日吉キャンパスに通うのは単位取得のため学校に通う機会が多い1・2年生が多数。そのため最寄りの日吉駅や、近隣駅にお住まいになる学生さんが多いですね」と教えてくれた。そんな日吉駅は9位にランクインしており、学生向け賃貸物件の家賃相場(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK、駅から徒歩15分圏内。以下同)は6万9000円。さらに家賃を抑えたいなら、ランキング上位の6万円台前半の駅もチェックしたい。加瀬さんからは「近すぎると友人のたまり場になり、遠すぎると通学が面倒になるので、学校から20分ほどの範囲で探すのもいいですよ」とのアドバイスも。その点からも、あえて最寄りの日吉駅ではない街に住むのもアリだろう。

続いて三田キャンパス周辺の様子を見てみよう。東京都港区にある三田キャンパスは慶應義塾の原点といえる地だ。最寄駅である田町駅にはJRの山手線や京浜東北・根岸線が乗り入れ、駅周辺はビジネス街として発展。駅から大学へと向かう通り一帯はリーズナブルな飲食店がひしめく学生街としても愛されている。田町駅のすぐ近くには都営地下鉄の三田線・浅草線が通る三田駅が位置。キャンパスから北へ徒歩8分ほどの場所にある都営大江戸線・赤羽橋駅とあわせて、この3駅が主に大学の最寄駅として利用されている。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

田町駅前の様子(写真/PIXTA)

田町駅前の様子(写真/PIXTA)

田町駅周辺の学生向け賃貸物件の家賃相場は11万6000円、三田駅の家賃相場は11万5500円、赤羽橋駅の家賃相場は12万円。大学への通いやすさなら最寄駅周辺に住むのが一番だろうが、学生にとってこれだけの家賃を払うのは厳しそう……。「ハウスメイトショップ目黒店」の山本泰史さんも、「三田周辺は家賃が高めのため、電車を使ってドア・トゥ・ドアでキャンパスまで30分以内にある物件を探す方が多い印象です」とのこと。上記ランキングで記載している所要時間は「電車の乗車時間(乗り換え時間含む)」であり「物件~駅/駅~大学間の所要時間」は含まないので、その点は物件探しの際に考慮したい。とはいえ家賃相場に注目するとトップ14の駅は8万円台で、田町駅や三田駅、赤羽橋駅の周辺よりもだいぶ費用を抑えることができる。

家賃の安さで住まいを選ぶ際は、上記のランキングをぜひ参考にしてほしい。しかし安さばかりではなく、住みやすい街かどうかも気になるところ。そこで先に登場したお2人に、日吉・三田の各キャンパスに通う学生の住む街としておすすめの駅を教えてもらった。

日吉キャンパスに通う1・2年生が住むなら、東急東横線沿線がおすすめ!

まずは日吉キャンパスに通う学生も利用する、「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長の加瀬さんにおすすめの街をうかがおう。先述したように、日吉キャンパスに通う学生は日吉駅や近隣駅に住むことが多いのだそう。「日吉駅や日吉近隣の東急東横線沿線は、飲食店をはじめ商業施設が充実している駅も多く、初めての一人暮らしでも安心して住める環境ですよ」と加瀬さん。なかでも特におすすめの駅を3つ、教えてくれた。

元住吉駅前の商店街(写真/PIXTA)

元住吉駅前の商店街(写真/PIXTA)

おすすめ度1位は日吉駅の隣、東急東横線と東急目黒線が通る元住吉駅。上記の日吉キャンパス周辺の家賃相場が安い駅ランキングでは、家賃相場7万4000円で14位に。「駅を挟んで東西2つの商店街があり、チェーン系の店舗や地元の個人商店も含めて約270店舗の商店が立ち並んでいます。主にファミリー層が住むエリアなので、落ち着いた住環境を求められる方には非常におすすめできる駅です」。また、駅から徒歩7分ほどの場所に広大な「川崎市中原平和公園」があったり、駅前を流れる渋川沿いに約2kmにわたる桜並木が続いていたりと、自然を感じられる環境なのも魅力だという。

武蔵小杉駅周辺の様子(写真/PIXTA)

武蔵小杉駅周辺の様子(写真/PIXTA)

次なるおすすめは東急東横線と東急目黒線、JRの南武線など各線が乗り入れる武蔵小杉駅。日吉駅までは東急東横線でも東急目黒線でも2駅・3分前後、家賃相場は8万3500円だ。「家賃の価格帯は少し上がりますが、住みたい街ランキングでも上位に入る、人気が高いエリアです。『ららテラス 武蔵小杉』や『グランツリー武蔵小杉』など大型商業施設も充実。乗り入れ路線も多く、都内への玄関口として非常に利便性が高い駅です」

「SUUMO住みたい街ランキング2022 首都圏版」(リクルート調べ)で14位にランクインした武蔵小杉駅は神奈川県川崎市にあるが、駅東側を流れる多摩川を越えると東京都大田区に。東急東横線の通勤特急に乗れば、自由が丘駅まで1駅・約5分、渋谷駅まで3駅・約16分で行くことができる。日吉キャンパスまでの近さはもちろんのこと、せっかく進学で上京するならば都内までの近さも重視したい人には、うってつけだろう。また、武蔵小杉駅は今回調査した「三田キャンパス」周辺の家賃相場が安い駅ランキングだと3位。1・2年次は日吉キャンパス、3年次以降は三田キャンパスに通う予定の学生なら、進級後も引越しせず住み続けられる点も便利そう。

加瀬さんおすすめの3つ目の駅は、日吉キャンパス周辺の家賃相場が安い駅ランキングで13位の東急東横線・綱島駅。元住吉駅とは逆側、日吉駅から下り方面へ1駅目に位置しており、家賃相場は7万3500円。「スーパーやドラッグストア、飲食店など、駅周辺には幅広いジャンルの店舗がとても豊富。2023年3月には東急新横浜線の新綱島駅が開業予定で、ますます利便性が高まる点も注目です!」と加瀬さん。

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

東急新横浜線は日吉駅~新横浜駅を結ぶ路線として開業予定で、同じく開業準備が進む新横浜駅~羽沢横浜国大駅・西谷駅を結ぶ相鉄新横浜線とともに、相鉄・東急直通線の連絡線としての役割を担う。開業したあかつきには相鉄線と東急線との相互直通運転が可能に。新しく誕生する新綱島駅は綱島駅から100mほどの位置なので、この辺りに住むと2駅2路線が利用できるわけだ。新駅開業にあわせて道路の整備などの再開発も進められ、より住みやすい街へと進化しているところだ。

三田キャンパスに通う学生の住まいとして、おすすめの駅3選

三田キャンパスへの通学にも便利な街は、「ハウスメイトショップ目黒店」山本泰史さんにうかがった。住む街を選ぶ際のポイントは、「交通の利便性が高い駅であること」と話す山本さん。「三田キャンパスを利用する3・4年生は、アルバイトや就職活動など学校外での活動が増えてくる時期。そのため学校への行きやすさをふまえたうえで、別の場所へのアクセスの利便性も高い駅を選ぶのがよいでしょう」

三田キャンパスは最寄駅が多く、どの路線がよいのかも迷うところ。その点をうかがうと、「特におすすめは東急目黒線の沿線。都営三田線と相互直通運転されていてキャンパスがある三田駅まで乗り換えせずに行けること、目黒駅に出れば都内の主要駅に行きやすいJR山手線に乗り換えられる点が魅力です」と教えてくれた。

武蔵小山駅前(写真/PIXTA)

武蔵小山駅前(写真/PIXTA)

なかでも山本さんイチ押しは、急行停車駅でもある東急目黒線・武蔵小山駅。大学最寄りの三田駅までは都営三田線直通の東急目黒線なら約12分で行くことができる。家賃相場は9万2000円と少々高め。「開発が進み、近年は家賃相場が上がった点はネック。ですが、東京で最も長いアーケード商店街があって、買い物や外食にたいへん便利な環境です。にぎわいのある街なだけに適度に人目があり、一人暮らしの学生さんも安心して暮らせるでしょう」。都内最長だというアーケード商店街「武蔵小山商店街パルム」は、全長約800mで店舗数は約250軒にものぼる。商店街の東側駅前エリアには、再開発で2019年に開業したショッピングモール「パークシティ武蔵小山ザモール」や、品川区役所の出張所や商業施設も備える2021年7月竣工の複合施設も。駅周辺の再開発は現在も進行中なので、今まさに街が生まれ変わりゆく様子を見られる点も魅力だ。

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

もう少し家賃相場を抑えたいなら、「東急目黒線の東京都区間内では比較的に家賃相場が安い、洗足(せんぞく)駅もおすすめです」と山本さん。洗足駅の家賃相場は8万8000円で、三田キャンパス周辺の家賃相場が安い駅ランキングで14位に。三田駅までは都営三田線直通の東急目黒線に乗ると約17分だ。

「駅前にスーパーやドラッグストアがそろっていて買い物に便利な環境。駅周辺は閑静な住宅街で落ち着いた印象です。ただ、人通りが少ない点が心配なら、住まい探しの際に駅までの道のりチェックも忘れずにしましょう」

この洗足駅前には美しいイチョウ並木が続き、並木通り沿いを中心に商店街が広がっている。日々の食事に役立つ惣菜店や、神保町に本店がある欧風カレーの名店「ボンディ」の支店、自家焙煎にこだわるコーヒーショップなど個性的な店が豊富でめぐり歩くのも楽しそう。また、洗足駅から徒歩10分弱に位置する東急大井町線・北千束駅を利用することも可能だ。

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

山本さんがもう1駅、おすすめしてくれたのが都営浅草線・中延(なかのぶ)駅。家賃相場は9万3000円で、三田駅までは約11分。

「都営浅草線と東急大井町線が利用できて便利。若者に人気の自由が丘駅までも1本で行くことができます。駅近くには商店街が3つあり、八百屋さんや精肉店などが並んでいるので食費を抑える助けにもなるかも。駅前にユニクロがあるのもうれしいところです」

商店街のなかでも注目は、「なかのぶスキップロード」と呼ばれる中延商店街。中延駅から北に延びており、東急池上線の荏原中延駅まで約330mも続くアーケード商店街だ。買い物に利用できる商店街独自のポイントシステムも用意されているので、ポイントを貯めつつお得に買い物ができる。

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さて今回はランキング調査に加え、これまで多くの学生を新生活へと送り出してきた不動産会社のお話を参考に、学生におすすめの街をご紹介した。住む街によって生活の充実度は変わってくるし、学生時代に暮らした街は卒業後も大事な思い出の地になるだろう。しっかりと自分の好みにあった街を選び、ぜひ楽しい新生活を送ってほしい。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている田町駅、三田駅、赤羽橋駅まで20分以内、日吉駅まで電車で15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/2~2022/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年11月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

世界の名建築を訪ねて。“曲面テラス” に覆われた超高層集合住宅タワー「アクア・タワー(Aqua Tower)」/アメリカ・シカゴ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載3回目は、“曲面テラス”がユニークな超高層集合住宅タワー「アクア・タワー(Aqua Tower)」(アメリカ・シカゴ)を紹介する。

曲面テラスが醸すユニークな超高層集合住宅タワー(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

今日、ニューヨークは超高層ビル群が櫛比(しっぴ)する垂直都市として世界的に知られている。スレンダーなスカイスクレーパー(超高層ビル)群が林立する様は、まさに経済的なシンボルともいわれている。だが摩天楼発祥の地はシカゴなのだ。シカゴにはかつて長らく米国1の高さを誇っていた高さ442mの「ウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)」や、それに続く344mの「ジョン・ハンコック・センター」があり、それらの偉容は、シカゴの超高層都市としてのアーバン・イメージを特徴づけてきた。

そうした中、シカゴをベースに活躍する女性建築家ジーン・ギャングが率いる建築設計スタジオ・ギャングが登場し、ここ20数年、主にユニークな集合住宅タワーを設計し評判になっている。彼女は1997年に事務所をシカゴに開設。女性建築家として世界的に有名であったイギリスのザハ・ハディド亡きあと、徐々にアメリカから世界を視野に収めた活動を展開しているスター・アーキテクトである。

彼女が数年前に発表したマルチ・ファンクショナル(多機能的)な集合住宅タワーが、世界的に評判で話題になっている。82階建て約263mの高さを誇る「アクア・タワー」は、4~18階にホテル、19~52階にレンタル・アパートメント、53~79階にコンドミニアム、80~81階(※)にペントハウスが配されている延床面積176,510m2の大きな超高層建築である。いわゆるブラウンフィールド(古い工場などの廃棄跡地)と呼ばれる約16,700m2の敷地に立つ建物は、敷地の50%をグリーンのオープン・スペースとして開放し、シカゴの標準的なゾーニング基準である25%をはるかに超えている寛大なデザインが人気である。この集合住宅タワーの発表で、彼女は一躍世界的に知られるようになった。
※米国では日本の1階部分をグラウンド0(0階)とするため、82階部分は、81階と呼ぶ

(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

眺望を追求し、最大3.6m突出させたテラス

「アクア・タワー」が一見して他のビルと異なるのは、そのユニークな外観にある。建物が立つエリアはミシガン湖に近いが、周辺には同規模のタワー群が建ち並んでおり、眺望を楽しむビュー・ライン(視線)がところどころで遮られているのが現状だ。そのため近隣に立つビル郡の間隙(かんげき)を縫って眺望視線を獲得するために、テラスに工夫が施されているのだ。

(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

建物は各階のプランがコンタ・ライン(等高線)のようにうねっている。特にテラスは曲面となって最大3.6mほど突出している。それは眺望、日影、ルーム・サイズ、居室タイプによって異なっている。建物外壁を見上げると、それらが機能に根ざした非常に彫刻的なヴァーティカル・ランドスケープ(垂直の景観)を呈しているのだ。「アクア・タワー」は強烈なアイデンティティーを生み出し、シカゴ・スカイラインにおける個性的なランドマーク建築として登場したのである。

3階の広いルーフガーデンには多数のアメニティー施設が3階平面図(画像提供/筆者)

3階平面図(画像提供/筆者)

建物はシカゴの建築群の中で、最も広いグリーン・ルーフガーデンのひとつをもつビルとしても知られている。3階の広いルーフガーデンには多数のアメニティー施設があり、住民は自由な時間を楽しく過ごすために、外部に行かなくても十分事足りるようになっている。アメニティーとしては、プールをはじめ、ジム、シアター、ジョギング・コース、室内プール、見晴台、庭園、囲炉裏、禅ガーデン、ヨガ・テラス、バーベキュー・コーナー、脱衣室など、多くのヘルスケア&エンターテイメント施設が充実している。またサスティナブル・デザインとして、自然採光、自然換気、雨水利用をはじめ、開口部まわりには6種類ものガラスが使用されている。特にバード・ストライク(鳥の衝突)予防のために、フリット・ガラスを使用するなど、配慮が行き届いた超高層集合住宅タワーでもある。

●関連サイト
Aqua Tower
スタジオ・ギャング

田んぼに浮かぶホテル「スイデンテラス」の社員はU・Iターンが8割! 都会より地方を選んだ若者続出の魅力とは? 山形県鶴岡市

山形県鶴岡市の中心部にある、建築家・坂茂さんが手掛けた水田に浮かぶホテル「スイデンテラス」。オープンから4年半、今やすっかり全国で知られる人気のホテルになりましたが、ことの始まりは、鶴岡に縁もゆかりもなかった代表・山中大介さんの東京からの移住でした。庄内平野に魅力を感じた山中さんは、その後の人生をかけて「スイデンテラス」をはじめとしたまちづくりをするべく、ヤマガタデザインという会社を起こします。ここでのさまざまな取り組みを見た人たちが、“鶴岡で働き・暮らしたい”と、続々とUターン・Iターンをし、次第に雰囲気は変化。今では働くスタッフのうちUターン・Iターン者のみで約8割を占めるといいます。その魅力は? 働く皆さんにお話を聞きました。

鶴岡の田んぼに浮かぶホテル、なぜつくった?

山形県の北西部に位置する、庄内平野。山と海に囲まれた自然豊かで広大なエリアです。今回私たちが訪ねたホテル「スイデンテラス」は、鶴岡市内にあります。最寄りの鶴岡駅から車で約10分、庄内空港からは車で約20分と、想像していたよりも利便性の良いエリアです。

車で道を走っていると目の前に広がる山並みの景色が美しい鶴岡市内(写真撮影/土田 貴文)

車で道を走っていると目の前に広がる山並みの景色が美しい鶴岡市内(写真撮影/土田 貴文)

周囲を見渡すと、田んぼのほかに工業関連の施設が複数あり、産業が発展していることがうかがえます。

「鶴岡市には11の工業地帯があって大企業のロジスティクスや、バイオサイエンスの研究機関がありますよ。東京からも飛行機で1時間ほどとアクセスが良いので、ビジネスで訪れる方も多いんです」と話すのは、ホテルの広報やブランドコミュニケーションを担う、小野寺望美さん。

そんなエリア内で、異彩を放ったたたずまいをしているのが「スイデンテラス」です。到着するとまず目に留まるのは、水辺の上に浮かんでいるかのような外観。

まるで水面に浮かんでいるかのようなホテル「スイデンテラス」(写真撮影/土田 貴文)

まるで水面に浮かんでいるかのようなホテル「スイデンテラス」(写真撮影/土田 貴文)

ホテルの居室からの眺めは、一面に水面が広がった田んぼの風景。まるで自分が田んぼの真ん中にたたずんでいるよう。レストランのテラスからは、出羽三山の一つ・月山を望むことができ、自然に包みこまれるような心地よさを感じます。

客室からは美しい山々と田んぼの風景を望むことができます(写真撮影/土田 貴文)

客室からは美しい山々と田んぼの風景を望むことができます(写真撮影/土田 貴文)

建物は自然との調和を保つために、あえて木造建築を主軸にしています。そこには「建て直しをせず、いつまでも長く手を入れて継いでいきたい。経年による変化によって生まれる魅力を伝えていきたい、という思いがあります」とヤマガタデザイン 街づくり推進室の長岡太郎さんは語ります。

世界的な建築家・坂茂さんが手掛けたデザイン。施設内には、坂さんの建築の代表的な意匠である紙管を使用(写真撮影/土田 貴文)

世界的な建築家・坂茂さんが手掛けたデザイン。施設内には、坂さんの建築の代表的な意匠である紙管を使用(写真撮影/土田 貴文)

ブックディレクター幅允孝さんと共に選書した約1,000冊の蔵書がそろう共用棟ライブラリー。宿泊者以外もここでくつろぐことができます(写真撮影/土田 貴文)

ブックディレクター幅允孝さんと共に選書した約1,000冊の蔵書がそろう共用棟ライブラリー。宿泊者以外もここでくつろぐことができます(写真撮影/土田 貴文)

レストランは、朝はテラスの窓を開放。気持ちの良い空気と景色を感じることができます(写真撮影/土田 貴文)

レストランは、朝はテラスの窓を開放。気持ちの良い空気と景色を感じることができます(写真撮影/土田 貴文)

それにしても、なぜこの田んぼのど真ん中で、それもホテルを始めたのでしょうか。始まりは、代表取締役である山中大介さんの鶴岡への移住でした。

もともとは東京で暮らしていた、山中さん。その後同じ庄内エリアで世界的に注目をされているバイオベンチャー企業・Spiber(スパイバー)株式会社に転職し、鶴岡へやってきます。鶴岡で暮らしていくなかで、この街にポテンシャルを感じて、ついには自社「ヤマガタデザイン」を立ち上げて定住することを決意します。

「ホテルだけ」をやりたいわけではなかった

山中さんは、鶴岡のことを「気候が穏やかで、景色も美しい。そして何より海の幸や山の幸と、食材の魅力が多いな」と思ったそう。一方で、こうした魅力が周囲にうまく伝えきれておらず、未成熟な部分も多い、とも感じたようです。

“気候や景色、食材など観光として訪れてもらう以外にも、暮らすための魅力も多い。鶴岡には魅力があるのに、この街に住む人が減っていっていることがもったいない。暮らし働く場所のひとつとして、庄内に住む人がもっと増えたら街はもっと魅力的になるのでは”、と思いをつのらせていた山中さん。そんな中で、Spiber社在籍時に、会社の近くにあるサイエンスパーク周辺の土地が未着手のまま困っているという問題に直面します。

そこで、山中さんは「ここをなんとかしたい」とSpiber社を退職後に立ち上げた、「ヤマガタデザイン」社で一手に引き受けることになります。その始まりが「スイデンテラス」でした。

田んぼの稲穂が黄金色に染まる、秋の「スイデンテラス」周辺(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

田んぼの稲穂が黄金色に染まる、秋の「スイデンテラス」周辺(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

有名建築家が手掛けたホテルということもあり、2018年のオープン時から話題となりますが、ヤマガタデザインはホテルの発展だけに心を燃やしているわけではありませんでした。

「僕たちが目指していることは、まちづくりなのです。当初は開発することを第一に考えていましたが、ただつくってそのままにしておくわけにはいかない。施設や街は生き物なのです。持続させるためにホテルの運営も始めました。そのためには暮らし働く環境も必要です。 “従業員が通う保育園が欲しいよね”、“子どもたちが遊べる場所があるといいよね”と次々に発想が広がり、施設や機能が増えているんです」(長岡さん)

子どもたちが体を使って目いっぱい楽しむことができる全天候型の児童教育施設「キッズドームソライ」の「アソビバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

子どもたちが体を使って目いっぱい楽しむことができる全天候型の児童教育施設「キッズドームソライ」の「アソビバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

創作できるスペースも。色鮮やかなクラフトペーパーやリボンなど豊かな素材がそろう「キッズドームソライ」のクリエイティブコーナー「ツクルバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

創作できるスペースも。色鮮やかなクラフトペーパーやリボンなど豊かな素材がそろう「キッズドームソライ」のクリエイティブコーナー「ツクルバ」(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

本格的な工具もそろうほか、スタッフと一緒に制作ができます(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

本格的な工具もそろうほか、スタッフと一緒に制作ができます(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

この4年の間に農業も始めており、近郊にあるハウスで育てた有機野菜は、ホテルの食卓にも提供されています。また、隣接のキッズドームソライでは地域の子どもたちに向けたワークショップやイベントを実施するほか、フリースクールや放課後児童クラブを運営することで、地域の子育ての一端を担っています。この状況は、”鶴岡の街へ参画する一つの窓口になり始めているといえるのではないでしょうか。

ホテルから車で5分のところにあるハウスで有機栽培をしています(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

ホテルから車で5分のところにあるハウスで有機栽培をしています(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

ベビーリーフやミニトマトなどをレストランで提供(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

ベビーリーフやミニトマトなどをレストランで提供(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

レストランスタッフの目利きによる山形の新進気鋭のお酒や飲料はホテル内で販売もしています(写真撮影/土田 貴文)

レストランスタッフの目利きによる山形の新進気鋭のお酒や飲料はホテル内で販売もしています(写真撮影/土田 貴文)

もちろん働き暮らす人たちだけではなく、訪れる人へのアプローチも忘れません。

「“ホテル起点のツーリズム開催”、“食の魅力発信イベント”など、庄内への興味関心を促すことを、これからもどんどんやっていきたいなと考えています。これをきっかけに街への移住者や訪れる人が増え、地域が発展していくということを願いながら、私たちもさまざまな方法や事業で“街”について発信しています」(長岡さん)

山形が故郷である人の心を動かしていった

圧倒的なホテルの存在はもちろん、それにとどまらずに多角的な展開をする姿に、”なにやら面白いことをしているぞ”と、さまざまな人がヤマガタデザインに興味を持ち始めます。

その口コミが広がり、徐々にスタッフになりたいとUターン志望者が現れ、ヤマガタデザインで働くに至りました。
創業期から代表の山中さんとともに汗を流す長岡さん。生まれは山形県寒河江市で、就職後は函館や山形でNHKの報道記者として働いていたと言います。

「自分が山中さんと知り合ったのは、山形勤務時に記者として彼を取材した時。その後、ご本人から話を聞き、彼の心根に打たれて、転職を決意しました」(長岡さん)

山形への熱い思いを語る長岡太郎さん。個人でも山形の美味しいお店や街を活性化するために実施している特徴的なイベントなどを運営しています(写真撮影/土田 貴文)

山形への熱い思いを語る長岡太郎さん。個人でも山形の美味しいお店や街を活性化するために実施している特徴的なイベントなどを運営しています(写真撮影/土田 貴文)

大企業という安泰を捨てる、その決意は並々ならぬものだったのではないでしょうか。

「自分としては、”どこで働くか”よりも”誰と働くか”が大切だと思っていて。心から愛していた山形のことを盛り上げるということには変わりはないし、何よりもこの人と一緒に仕事をしたらもっと面白くできると思ったのです」(長岡さん)

一方、ホテルレストランの料理長である佐藤義高さん。佐藤さんの地元は、鶴岡市の隣にある酒田市です。就職してからずっと東京で暮らしていたものの、いつかは地元に帰ることを考えていたそう。しかし地元の求人の多くは、就労環境や条件などで首都圏との格差があり、Uターンすることを躊躇していました。そんな中で、スイデンテラスの話を知人から耳にします。

「私はいつかUターンしたいなと思っていたものの、独立して店を開業するか、どこかに就職するかの選択となるのだろうなと考えあぐねていた。そんな時に地元の友人から『スイデンテラス』の話を聞いて面白そうだと思いました」(佐藤さん)

ホテルへの就職となると、仕事の内容がある程度決まるため、転職といってもほぼ業界の出身者が集います。

ところがこのホテルは「”まちづくり”の会社が担っていて、集まるメンバーも地方創生やまちづくりに関心がある人が多く、なかにはホテル勤務未経験者もいます。こうした今までにない環境が、自分の中の考え方や料理にプラスになると感じ、Uターンして働くことを決めました」と佐藤さん。

スタッフたちは皆、“街をよくしたい”という思いで、常に語り合っているそう(写真撮影/土田 貴文)

スタッフたちは皆、“街をよくしたい”という思いで、常に語り合っているそう(写真撮影/土田 貴文)

実際に働いてみてどう感じているのでしょうか。佐藤さんは「さまざまな出身のスタッフたちと一緒に働いているし、お客様も全国から来ていただいているので、ある意味で自分が想像していた地元で働く感覚よりも刺激的で、都会的な感覚もあります」と言います。

しかし、こうも続けます。

「スイデンテラスをきっかけに、地元が少しずつ変わっていく姿を見るのが面白い。また自分が帰郷して、食を通じて地元の食材の魅力を見直すことでき、それを訪れる人に伝えられることを嬉しく思っています」(佐藤さん)

縁もゆかりもなかった鶴岡。知れば知るほど夢中になっていった

故郷に近い場所で働くUターン者ももちろん、「山形」の魅力に心を奪われてIターンをしてきたスタッフも多くいます。ヤマガタデザインでは働くスタッフの3割がIターンだといいます。

四季折々に変化する景色の豊かさは、Uターン・Iターンして再確認できたと、口々に話していました(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

四季折々に変化する景色の豊かさは、Uターン・Iターンして再確認できたと、口々に話していました(画像提供/ヤマガタデザイン株式会社)

レストランサービスのリーダーである持田絢乃さんは埼玉県出身。それまでは都内や関東近郊の飲食店で働いていました。仕事をする中で、食品ロスの多さなどに違和感を感じ始め、もっと食を大切に、より深く食を学びたいという気持ちが強く湧いてきたそうです。

そんな中、脳裏をよぎったのが学生時代にお世話になった鶴岡のことでした。

「大学時代に地域フィールドワークの授業で訪れた鶴岡の街のことがずっと忘れられなかったんです。授業では、地域の課題を街のお母さん方と一緒に解決策を考えていくというものだったのですが、とにかく温かく接してくれて。そのことが忘れられなかったんですね。私が鶴岡に移住したいと思ったのは、こうしたこの街の人たちの優しさに触れたのが大きいです」(持田さん)

飲食店を退職し、鶴岡に来てしばらく農家レストランなどで働いていましたが、「この街」の良さをもっと発信したい、と思った時にヤマガタデザインに出合ったと言います。

「一人だと小さな力しかないかもしれないけれど、ここだったら“この街が好き”っていう人がたくさん集まっているので、なにか面白いことができると思っています」(持田さん)

一方、地元が近県の秋田県という武井真笑さん。関東の大学を卒業後は、Uターンして自動車ディーラーで営業の仕事をしていました。現在はホテルレセプションをしています。
あえて山形へ移住したのは、以前から地域振興に興味があったから。きっかけはNPOについて情報発信するサイトを通じて、鶴岡を知り訪れたことだったそう。

「実際に山形を訪れてみたら“すごくいいところじゃん”って思って。何より食事が美味しいし、人がみんなあたたかい。ここで働きたいなと思った」と移住に踏み切ったそうです。

食が豊かなことを改めて知ることができたと話すIターン者のお二人。気鋭の生産物を目利きして、「スイデンテラス」から発信していくことも大切にしています(写真撮影/土田 貴文)

食が豊かなことを改めて知ることができたと話すIターン者のお二人。気鋭の生産物を目利きして、「スイデンテラス」から発信していくことも大切にしています(写真撮影/土田 貴文)

「それまでは隣の県といえども、山形のことを本当に知らなかったんですね。秋田から山形へ出かけるって思ったよりも時間がかかるので。同じ東北地方でも仙台に足を延ばす方が圧倒的に早いんです。ここで仕事をし始めてからこんなにも山形は魅力的なんだな!と改めて感じることが多いです」(武井さん)

ホテルのエントランスには、地元のクリエイターの作品が多数並びます(写真撮影/土田 貴文)

ホテルのエントランスには、地元のクリエイターの作品が多数並びます(写真撮影/土田 貴文)

ここ鶴岡には“街を良くしていきたい”と熱い気持ちを寄せる若い世代が集うと武井さんは話します。

「ヤマガタデザインはもちろん、地元の飲食店や、クリエーター、商店の人たち、まちづくり団体の人たちなど本当にたくさん。この仕事をきっかけに街の魅力を共有できる人たちと、これからも協業できたらいいなと思っています」(武井さん)

地方に暮らして働き、「その街」の魅力を、これからも全力で発信していく!と、エネルギッシュな皆さん。(写真撮影/土田 貴文)

地方に暮らして働き、「その街」の魅力を、これからも全力で発信していく!と、エネルギッシュな皆さん。(写真撮影/土田 貴文)

大きな志を持った山中さんという一人の人物によって、たくさんの人が影響を受け、ここ“鶴岡“の街は確かに変化を遂げていっているようです。UターンやIターンはもちろん簡単なことではないですし、決断をすることにもエネルギーを使います。

ですが、「志」を同じくした仲間がいれば、もしかしたらその一歩は、踏み出しやすくなるのかもしれません。
ヤマガタデザインのように、地方から「ときめく」暮らしや仕事が各地に増えていったら、住む場所を選ぶ私たちはもっとワクワクしそうです。

●取材協力
・スイデンテラス
・ヤマガタデザイン株式会社
・ヤマガタデザインリゾート株式会社

【明治大学】周辺のオススメ賃貸情報&家賃相場ランキング2023年版! 和泉キャンパス(一人暮らし向け)

新年度が始まる4月に合わせて、そろそろ引越しを考える人も増える時期。進学を機に大学の近くで一人暮らしを始める予定の学生もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は明治大学・和泉(いずみ)キャンパス(東京都杉並区)の最寄駅である明大前駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに「ハウスメイトショップ下北沢店」店長の山室貴広さんに聞いた、和泉キャンパスに通う学生の住まいとしておすすめの街もご紹介していきたい。

和泉キャンパス最寄駅(明大前駅)まで15分以内の家賃相場が安い駅TOP14(19駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 つつじヶ丘 6.58万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
2位 三鷹台 6.8万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/13分/0回)
3位 成城学園前 6.9万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/15分/1回)
3位 仙川 6.9万円(京王線/東京都調布市/11分/0回)
5位 井の頭公園 7.0万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/15分/0回)
5位 久我山 7.0万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
5位 松原 7.0万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/8分/1回)
8位 調布 7.1万円(京王線/東京都調布市/13分/0回)
9位 桜上水 7.3万円(京王線/東京都世田谷区/2分/0回)
9位 浜田山 7.3万円(京王井の頭線/東京都杉並区/6分/0回)
11位 西永福 7.35万円(京王井の頭線/東京都杉並区/4分/0回)
12位 山下 7.4万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/10分/1回)
12位 上北沢 7.4万円(京王線/東京都世田谷区/5分/0回)
14位 永福町 7.5万円(京王井の頭線/東京都杉並区/2分/0回)
14位 経堂 7.5万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/13分/1回)
14位 豪徳寺 7.5万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/13分/1回)
14位 千歳烏山 7.5万円(京王線/東京都世田谷区/7分/0回)
14位 梅ケ丘 7.5万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/12分/1回)
14位 富士見ケ丘 7.5万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
―――
「ハウスメイトショップ下北沢店」山室さんおすすめの駅
14位 千歳烏山
ランク外 明大前 8.1万円(京王井の頭線/東京都世田谷区/0分/0回)※起点駅
ランク外 下北沢 8.8万円(京王井の頭線/東京都世田谷区/3分/0回)

大学名を冠した「明大前駅」周辺は生活する街としても魅力的

東京都内を中心に、4キャンパス・10学部を抱える明治大学。東京都杉並区には主に法学部や商学部といった文系学部の1・2年生が通う、和泉キャンパスがある。2022年春には学生の交流スペースも備えた新教育棟「和泉ラーニングスクエア」が誕生した。この和泉キャンパスから徒歩5分ほどの最寄駅はその名も「明大前駅」。明治大学予科(当時)が移転してきたのを機に1935年から、この駅名になったのだとか。

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅(写真/PIXTA)

京王線と京王井の頭線が通る明大前駅は、新宿駅まで京王線の特急で2駅・最短約7分、渋谷駅まで京王井の頭線の急行で2駅・最短約6分という好立地。駅ビル「フレンテ明大前」が併設され、スーパーや書店、飲食店などがある点も魅力の一つだ。駅周辺は細い路地に沿ってコンビニや100円ショップ、ファストフード店やラーメン店といったリーズナブルな飲食店が立ち並び、学生にも愛用されている。大型の商業施設はなく、駅前から少し離れると住宅街。また、明治大学以外にも日本女子体育大学の附属高校など学校が点在しており、通学時間帯の駅周辺は学生の姿でにぎわっている。

明大前駅周辺で暮らす学生も多いそうで、「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山室貴広さんも明大生が住むイチ押しの街として明大前駅を挙げてくれた。

「大学生の住まい探しは、キャンパスまでドア・トゥ・ドアで30分以内、もしくは電車で2~3駅圏内がおすすめ。近年は自転車でも通える距離内でお探しになる方が増えています。また、住む街を選ぶ際はアルバイトや部活動など、授業以外の利便性も考慮するとよいでしょう。その点、明大前駅は2路線利用可能で渋谷駅や新宿駅に乗り換えなしでアクセスできるため非常に便利。駅前商店街に飲食店も多く、コンパクトながら生活に必要な施設はそろっています」

また、明大前駅を含む京王線笹塚駅~千川駅間では現在、連続立体交差事業が進行中。明大前駅の高架化にともなって駅舎のリニューアルも予定され、駅前広場が設けられるなどの駅周辺地区の再開発も計画されている。高架化事業の完了は当初予定の2022年度中から後ろへずれ込んでいるようだが、明大前駅周辺は変革期を迎えているところだ。

そんな明大前駅から徒歩15分圏内にある、学生向け賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場は8万1000円。便利な街だけあって、学生の一人暮らしにとって安くはない。もう少し家賃相場がお手ごろで魅力的な街として山室さんがおすすめしてくれたのが、今回調査したランキングの14位にも入った京王線・千歳烏山駅だ。

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

東京都世田谷区に位置する千歳烏山駅の家賃相場は明大前駅より6000円低い7万5000円となっており、「家賃を抑えたい方におすすめです」とのこと。「親しみやすい風情あふれる商店街があり、ドラッグストアや定食屋さんなど日常使いできる店が多数、立ち並んでいます。また、家具や工具を買いたい場合はホームセンターが隣駅の仙川にありますので、カーシェアなどを利用すれば20分程度で行くことが可能です」と山室さん。千歳烏山駅から明大前駅までは、京王線の特急で1駅・約7分。駅周辺にはクリームソーダが名物の昭和レトロな喫茶店や行列のできるベーカリー、それぞれに特徴的な数々のラーメン店もあり、お気に入りの店を探して街をめぐるのも楽しそう。また、前述した京王線の連続立体交差事業区間に千歳烏山駅も含まれており、将来的には駅の高架化が予定されている。

明大前駅まで乗り換えなし&15分以内の駅でも家賃相場は1万円以上も下がる

続いてランキング上位になった駅も見ていこう。明大前駅まで電車で15分圏内にある、家賃相場が最も安かった駅は東京都調布市に位置する京王線・つつじヶ丘駅。家賃相場は明大前駅よりも1万5000円以上低い、6万5800円だった。京王線の急行に乗ると、2駅・約12分で明大前駅に到着する。つつじヶ丘駅の南口では道路の再整備が行われており、拡張された駅前広場などの一部は供用が開始された。駅舎北側には「京王リトナード つつじヶ丘」が併設され、書店やドラッグストア、飲食店が営業中。そして北口の駅前にもスーパーや飲食店をはじめさまざまな店舗が建ち並ぶ。一帯に広がる「つつじヶ丘商店街」は店舗数が多く、にぎわいを感じる街並みだ。

つつじヶ丘駅(写真/PIXTA)

つつじヶ丘駅(写真/PIXTA)

2位は東京都三鷹市にある京王井の頭線・三鷹台駅で、家賃相場は6万8000円。明大前駅までは各駅停車で7駅・約13分で行けるほか、明大前駅とは逆方面に進むと若者にも人気の街・吉祥寺駅に2駅・約3分で到着する。駅周辺は線路と沿うように神田川が流れ、川の北側にあるドラッグストアとコンビニの先には立教女学院の敷地と住宅地が広がる。商店が多いのは川と線路の南側。スーパーやコンビニのほか、三鷹台駅前通り沿いの商店街を中心にラーメン店や宅配ピザなどの飲食店も点在している。また、1駅隣には5位・井の頭公園駅(家賃相場7万円)があり、駅前には緑豊かな井の頭恩賜公園が広がっている。三鷹台駅からも電車や自転車で訪れやすく、気軽にリフレッシュに出かけられる点も魅力だ。

三鷹台駅周辺(写真/PIXTA)

三鷹台駅周辺(写真/PIXTA)

3位以下は家賃相場が同額の駅が多い結果に。たとえば5位には家賃相場が同額7万円となった、京王井の頭線の井の頭公園駅と久我山駅、東急世田谷線・松原駅の3駅がランクインした。そのうち明大前駅までの所要時間が最も短いのは松原駅。東急世田谷線で下高井戸駅に出てから京王線に乗り換える必要はあるものの、明大前駅までは計約8分で行くことができる。「乗り換えは面倒だな」と感じるかもしれないが、実は松原駅から明大前駅まではほぼ平坦な道のりで自転車なら約6分、歩いても20分ほどの近さ。都内の路線は入り組んでおり、立地的には近い駅でも電車の乗り換えが面倒な場合もある。住む街を探す際は、乗り換え経路だけではなく地図もチェックしておきたい。

東京都世田谷区に位置する5位・松原駅の周辺は静かな住宅地。駅前にはスーパーやコンビニ、ドラッグストアがあるので、日常の買い物には困らないだろう。チェーン系の飲食店はないが、小ぢんまりとしつつも評判高いカフェが点在している。ご近所にある穴場の名店を探すのも楽しそうだ。

流行に敏感な人には、新スポット目白押しの下北沢駅も要チェック!

さて、明治大学の学生が住む街として「ハウスメイトショップ下北沢店」の山室さんはもう1駅、おすすめしてくれた。それは京王井の頭線・下北沢駅。

「バンド、サブカル、古着の聖地。駅前商店街はいつも20代の若者でにぎわっており、学生さんにとても人気がある街です。その分少々、家賃は高いですが……」と話す山室さん。家賃相場は8万8000円で、確かに明大前駅よりもアップしてしまう。しかし明大前駅までは京王井の頭線の各駅停車で3駅・約3分、自転車なら10分弱。渋谷駅までは各駅停車で4駅・約7分、急行なら1駅・約4分で行ける。小田急線も乗り入れているので、通勤急行や快速急行に乗って2駅・約9分で新宿駅にも出られるアクセスのよさが魅力だ。

下北沢駅(写真撮影/嶋崎征弘)

下北沢駅(写真撮影/嶋崎征弘)

ミカン下北(写真撮影/嶋崎征弘)

ミカン下北(写真撮影/嶋崎征弘)

下北沢の街自体も山室さんがおすすめするように若者に人気があり、わざわざ遠方から遊びに来る人も少なくない。古くから人気のショップや飲食店に加え、小田急線の地下化にともなってここ数年で新スポットも次々とオープン。商業施設「シモキタエキウエ」を併設した新駅舎や、線路跡地が商業ゾーンやホテルに生まれ変わった「下北線路街」、井の頭線高架下を活用した商業空間「ミカン下北」など、新施設が街の魅力を高めている。話題のスポットにふらりと出かけたり人気店の食べ歩きをしたりと、学業以外の時間も充実させたいタイプの人なら下北沢での暮らしを気に入ることだろう。

●取材協力
ハウスメイトショップ

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●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている明大前駅まで15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/2~2022/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年11月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

若者も高齢者も”ごちゃまぜ”! 孤立ふせぐシェアハウスや居酒屋などへの空き家活用 訪問型生活支援「えんがお」栃木県大田原市

栃木県大田原市で高齢者向けの「訪問型生活支援事業」を行っている一般社団法人えんがお。近隣の高齢者のたまり場としてつくった地域サロン「コミュニティハウスみんなの家」には、年間延べ1500人の高齢者と2500人の若者が訪れます。活動を始めて6年。若者向けシェアハウス、地域居酒屋、障がい者向けグループホームもできました。えんがお代表理事の濱野将行さんに多世代が日常的に交流する「ごちゃまぜのまち」をつくった理由と地域に与えた影響について伺いました。

えんがおの主な活動は、「訪問型生活支援事業」。高齢者の自宅を訪ね、困りごとをお手伝いする(画像提供/えんがお)

えんがおの主な活動は、「訪問型生活支援事業」。高齢者の自宅を訪ね、困りごとをお手伝いする(画像提供/えんがお)

空き家を活用し、地域サロン、シェアハウス、地域居酒屋、グループホームなどを徒歩2分圏内に運営(画像提供/えんがお)

空き家を活用し、地域サロン、シェアハウス、地域居酒屋、グループホームなどを徒歩2分圏内に運営(画像提供/えんがお)

「話し相手になって」という言葉から始まった高齢者の生活支援

「1週間に1回、電話でいいから話し相手になってほしい」

濱野さんが衝撃を受け、えんがおを設立するきっかけになった、あるおばあちゃんの言葉です。

学生時代から社会貢献活動に携わってきた濱野さん。しかし、東日本大震災の支援活動に参加した際、苦しむ人を前にして「何もできなかった」と無力感を抱えたそうです。それから、「社会課題と向き合える大人になること」が、夢になりました。

卒業後、作業療法士をしながら社会貢献活動を続けていましたが、そのなかで、地域の高齢者の孤立の問題を知りました。

「大きな家でひとりぼっち、体を思うように動かせず、誰にも会いに行けず、会いに来てくれる人もいない。同居している家族がいても日中の多くをひとりで過ごし、夜遅く帰ってきた家族との会話もほとんどない。それでも、体がある程度動かせたり、同居家族がいる人は、独居高齢者向けの制度は使えないんです。寝っ転がって天井を見て何日も過ごしている高齢者の姿がありました」(濱野さん)

「今すぐ誰かがやらないと」という思いで、えんがおを立ち上げたのは、25歳のとき。困っている人にダイレクトにすぐに対応できる「訪問型生活支援事業」を始めました。

内容は、買い物代行やゴミ捨て、大掃除などを手伝う高齢者向け便利屋サービス。「生活のお手伝いをする」という手段を用いて、人とのつながりが希薄な高齢者の生活に「つながり」と「会話」をつくるのが目的です。

「自立支援は、やってあげるではなく、ちょっと助けること」と濱野さん。作業の合間に会話が生まれる(画像提供/えんがお)

「自立支援は、やってあげるではなく、ちょっと助けること」と濱野さん。作業の合間に会話が生まれる(画像提供/えんがお)

「やることないから寝てた」と話すおばあちゃんが、会話で笑顔になる(画像提供/えんがお)

「やることないから寝てた」と話すおばあちゃんが、会話で笑顔になる(画像提供/えんがお)

高齢者を地域のプレーヤーに変える

えんがおの特徴は、高齢者宅を訪れる際、学生や若者を一緒に連れて行くこと。「訪問型生活支援事業」で、若者と訪問するのは、えんがおオリジナルの取り組みです。

宇都宮から「訪問型生活支援事業」の見学に来た大学生。遠方からも見学希望がある(画像提供/えんがお)

宇都宮から「訪問型生活支援事業」の見学に来た大学生。遠方からも見学希望がある(画像提供/えんがお)

中学生と高校生のおふざけに笑いが止まらないおばあちゃんたち(画像提供/えんがお)

中学生と高校生のおふざけに笑いが止まらないおばあちゃんたち(画像提供/えんがお)

支援の内容は、窓ふきや草むしり、障子の張り替えなどさまざま(画像提供/えんがお)

支援の内容は、窓ふきや草むしり、障子の張り替えなどさまざま(画像提供/えんがお)

なぜ若者に関わってもらおうと考えたのでしょうか。

「当時発表されていた調査(*)では、日本の若者(満13歳から満29歳まで)で、『将来に対する希望がある』と答えた人の割合は、先進7カ国のなかで最も低い割合でした。2020年は、中高生の自殺者数が過去最多になってしまいました。こういった社会の現状と高齢者の孤立の問題は無関係ではないと思います。一生懸命生きて来た高齢者が孤立したまま生涯を終える社会では、若者が未来に希望なんて抱けるはずがないと感じました」

*「我が国と諸外国の若者の意識に対する調査」(2013年内閣府)

えんがおの常勤スタッフは濱野さんを入れて3名ですが、運営に積極的に関わってくれる学生の「えんがおサポーター」が20名、個人会員や地域の人が100名以上います。

えんがおの講演会や発表会を見て、活動に参加したい! と言ってくれる大学生や高校生も多いという(画像提供/えんがお)

えんがおの講演会や発表会を見て、活動に参加したい! と言ってくれる大学生や高校生も多いという(画像提供/えんがお)

濱野さんと、えんがおの立ち上げから一緒に活動してきた門間大輝さん(写真左)(画像提供/えんがお)

濱野さんと、えんがおの立ち上げから一緒に活動してきた門間大輝さん(写真左)(画像提供/えんがお)

「作業の傍ら学生が話を聞いたり、時にはおばあちゃんに相談したりすることで、高齢者の強みや昔やっていた仕事や趣味が分かります。お掃除が得意。料理が上手。そういう部分を活かして『役割』をつくり、おじいちゃん、おばあちゃんを地域のプレーヤーに変えていきます。例えば、もともと掃除のプロだったおばあちゃんには、学生に掃除を教える指導役になってもらいました。若者も『人の役に立っている』という肯定感を得ることができます」(濱野さん)

2018年にできた地域サロン「コミュニティハウスみんなの家」は、若者と高齢者が交流できる場所です。「高齢者の日中の居場所をつくりたい」えんがおと、「若者の居場所をつくりたい」商工会議所が協働し、20年使われていなかった空き家を、学生たちとDIYでリノベ―ションしました。もともと酒屋だった建物で、通りに面して窓があり、中に人がいることが見える造りです。

2018年からボランティアを募り、集まったメンバーとDIYでつくりあげていった(画像提供/えんがお)

2018年からボランティアを募り、集まったメンバーとDIYでつくりあげていった(画像提供/えんがお)

「年間延べ4000人の訪問者のうち、2500人が地元の高校生や大学生です。2階に学習スペースがあり、勉強に来た学生は、1階のお茶飲みスペースで、おばあちゃんに受付をしてもらい、2階で勉強して、昼休みにはお茶飲みスペースに。一角には、子ども向けの絵本図書館や不登校の学生のプレイスペースがあります。おじいちゃんがお団子をくれたり、おばあちゃんがお茶を入れてくれたり。近くにいることで、自然と、日常的な世代間交流ができたらいいなと思っています」(濱野さん)

地元の人との食事会。学生、大人、おじいちゃんおばあちゃん、障がいのある人が「ごちゃまぜ」で関わり合う(画像提供/えんがお)

地元の人との食事会。学生、大人、おじいちゃんおばあちゃん、障がいのある人が「ごちゃまぜ」で関わり合う(画像提供/えんがお)

2階にある学生向けの勉強スペースは、地元の中高生の常連さんでいっぱい(画像提供/えんがお)

2階にある学生向けの勉強スペースは、地元の中高生の常連さんでいっぱい(画像提供/えんがお)

休み時間、ストーブでお餅を焼いてもらって大はしゃぎする学生たち。「餅を焼くだけでこんなに喜ばれるなんて」とおばあちゃんもにっこり(画像提供/えんがお)

休み時間、ストーブでお餅を焼いてもらって大はしゃぎする学生たち。「餅を焼くだけでこんなに喜ばれるなんて」とおばあちゃんもにっこり(画像提供/えんがお)

地域サロンには、えんがおの事務所もある。大掃除で、おばあちゃんに新聞の縛り方を教わる学生(画像提供/えんがお)

地域サロンには、えんがおの事務所もある。大掃除で、おばあちゃんに新聞の縛り方を教わる学生(画像提供/えんがお)

徒歩2分圏内に地域居酒屋や無料宿泊所、シェアハウスを運営

地域サロンのほかに、「毎日ひとりでごはんを食べている高齢者と週1回ごはんを食べよう」と、地域居酒屋も始めました。建物内に、シェアキッチンやレンタルオフィスもあり、シェアキッチンは月3、4人の利用者がいて、2階のレンタルオフィスは2企業が利用しています。

週2回は地域食堂「てのかご」、毎週土曜日は「たこ焼き居酒屋ちーちゃん」がオープンする(画像提供/えんがお)

週2回は地域食堂「てのかご」、毎週土曜日は「たこ焼き居酒屋ちーちゃん」がオープンする(画像提供/えんがお)

えんがおの活動を知り、全国から見学にやってくる学生や若者は、年々増えています。支援活動に参加した学生は1000人を超え、2019年には、遠方から来る学生向けの無料宿泊所「えんがおハウス」が、2020年には、えんがおサポーターが交流できるシェアハウス「えんがお荘」ができました。

次第に、学生と高齢者を中心に時々子どもがいたり、社会人がいたり、楽しいコミュニティーができていきました。「ごちゃまぜ」にいろいろな世代や立場の人がいることで、お互いにできないことは助け合い、得意なことで支え合うことにつながっています。

ハロウィンイベントで子どもとゲームをして遊ぶおばあちゃん(画像提供/えんがお)

ハロウィンイベントで子どもとゲームをして遊ぶおばあちゃん(画像提供/えんがお)

忘年会では、3歳の子どもから90歳のお年寄り、支援者、学生が入り混じって盛り上がった(画像提供/えんがお)

忘年会では、3歳の子どもから90歳のお年寄り、支援者、学生が入り混じって盛り上がった(画像提供/えんがお)

濱野さんは、これからのまちづくりのキーワードを「混ぜる」と「シェアする」だと言います。

「見学や体験に来る学生には、『自分に自信が持てない』『なにか変わりたい』と考えている人が多いんです。その人の強みを探して、具体的な言葉で伝えるようにしています。最近では、カメラが趣味の学生が来てくれました。写真がテクニック的に上手というだけではなくて、誰かがいい笑顔をしていると走って行って写真を撮っていたんです。全体が見えているし、人もよく見ている。後輩にも適格なことをズバリと指摘できていました。その学生には、ホームページ用の写真を撮ってもらったり、年下の子をサポートしてもらっています。自信がなかった人も、誰かの役に立つことで、少しずつ自分が好きになれるんです」(濱野さん)

毎日来てくれるおばあちゃんの誕生日。「ここがあるからいいの。ここができるまでは苦しかった」という言葉をかけてもらった(画像提供/えんがお)

毎日来てくれるおばあちゃんの誕生日。「ここがあるからいいの。ここができるまでは苦しかった」という言葉をかけてもらった(画像提供/えんがお)

学生たちが参加する「えんがおゼミ」の月例会。社会課題についてどう向き合うか議論。ここから街中にベンチを置くプロジェクトも生まれた(画像提供/えんがお)

学生たちが参加する「えんがおゼミ」の月例会。社会課題についてどう向き合うか議論。ここから街中にベンチを置くプロジェクトも生まれた(画像提供/えんがお)

濱野さんの原点となった福島の復興支援も引き続き行っている(画像提供/えんがお)

濱野さんの原点となった福島の復興支援も引き続き行っている(画像提供/えんがお)

高齢者や若者だけでなく、障がい者も地域と交流できる場所へ

活動をしながら濱野さんは、世代だけではなく、障がいの有無に関わらず過ごせる空間を目指すようになります。「地域に足りていないものは何か」「障がいのある方と関われる入口になるものは?」……そうやって探った結果、障がい者向けグループホームにたどり着きました。

障がい者向けグループホームとは、障がいを抱える人、数人が共同生活しながら、生活するための能力を学んでいく場所です。

制限が多く自由に外出できなかったり、地域とほとんど交流できていない施設が多いと感じた濱野さんは、「えんがおの近くにつくれば、地域の皆で見守って、比較的自由な施設ができるかもしれない」と考えました。

2021年にオープンした障がい者向けグループホーム「ひととなり」は、比較的自立度の高い精神・知的障がいがある人向けの施設です。

「地域居酒屋、シェアハウス、無料宿泊所、グループホームは、地域サロンから徒歩2分圏内です。グループホームの利用者さんが地域サロンでお茶飲みをして、そこにいるおじいちゃん、おばあちゃん、学生と仲良くなったり、遊びに来た子連れのパパさんが一息ついている間、子どもたちがおばあちゃんと遊ぶ。子どもから高齢者まで、障がいの有無にかかわらず、誰も分断されず、いろいろな人が日常的に関わり合う。全員参加型の『ごちゃまぜ』のまちです」(濱野さん)

おばあちゃんたちとお茶を飲むグループホームの利用者さん。買い物に行くおばあちゃんに「気を付けて行ってください」と声をかける(画像提供/えんがお)

おばあちゃんたちとお茶を飲むグループホームの利用者さん。買い物に行くおばあちゃんに「気を付けて行ってください」と声をかける(画像提供/えんがお)

地域サロンができて4年。「ごちゃまぜのまち」は、さまざまな人を巻き込みなから大きくなっている(画像提供/えんがお)

地域サロンができて4年。「ごちゃまぜのまち」は、さまざまな人を巻き込みなから大きくなっている(画像提供/えんがお)

ビジネスとしての成立させることで、継続できる

えんがおは、2022年の5月で立ち上げから5年が経ち、経営的には6期目に入りました。5期目の1年間の事業規模は、3000万円。6期目の予想規模は、4600万円で順調に伸びています。収入割合は、事業収益が約7割、寄付会費や助成金が合わせて約3割です。

「すべての事業の収支はトントンか黒字。障がい者向けグループホームは、ニーズが多く、その後2棟目もオープンしました。訪問型生活支援事業は、30分500円~3000円と料金は高めですが、リピート率は90%以上です。もちろん特例として無料で行うことはあっても、ちゃんと値段設定をしないと活動を継続できません。それに、『無料だと悪くて次から頼みにくい』という声もあるんです。目の前のニーズを拾って、自分たちのやれることをする積み重ねでやっとここまで来ました。経営的に成り立つサービスでないと広がっていかないのでがんばっています」(濱野さん)

えんがおで公開しているやり方や収益などを参考に、北海道や長野、広島などで、生活支援や多世代交流サロンを始めた人もいるそうです。

設立から6年、今までいちばん苦労したことをたずねると、「思いつかないなあ」と笑う濱野さん。

「大変なことも全部意味があると思うので……。いろいろな人がごちゃまぜに関わると、さまざまな問題が出てきますが、世代や立場など属性が違うからこそ、それぞれの強みが発揮されます。コロナ禍の葛藤からは、電話での健康確認サービスや若者と高齢者が文通するサービスが生まれました。工夫していくのが楽しいんです」(濱野さん)

現在、えんがおでは、障がいのある身寄りのない人のアパートが借りられない問題について、地域の不動産会社と連携して活動しています。今後は、小規模の託児施設やフリースクールなども始める予定です。

高齢者と若者、障がい者などさまざまな立場の人が多世代交流することで、生まれる自己肯定感。『ごちゃまぜのまち』への入り口をたくさんつくることが、濱野さんの今の夢です。えんがおの挑戦は、高齢者の孤立化問題を抱える地域へひとつの答えを示してくれています。

●取材協力
一般社団法人えんがお

高齢者・外国人・LGBTQなどへの根強い入居差別に挑む三好不動産(福岡)、全国から注目される理由とは

日々の生活を送る上で、安心して暮らせる場所があることは重要です。しかし、高齢者や低所得者層、外国人など、住まいを探してもさまざまな事情により入居先を確保することが困難な人たちの問題が今も存在します。
福岡県を中心に活動している三好不動産は、持続可能な社会の実現に向けて、「すべての人に快適な住環境の提供を」のマインドを常に持ち続けています。三好不動産の川口恵子さんと原麻衣さんに取り組みや、その思いについて、話を聞きました。

「お客様が希望する住環境を提供できない」不動産賃貸業界における問題

福岡のまちには、企業や大学が多く存在します。また、地の利も良いことから、海外からの留学生や移住者、日本で仕事をする人も増え、投資の対象としても注目されてきました。

下図は福岡市が民間賃貸住宅事業者に対して行ったアンケート結果(「福岡市住宅確保要配慮者賃貸住宅供給促進計画(2019年3月)」より抜粋)です。2016年時点で実に67.5%の民間の不動産会社が「入居を断ることがある」と答えており、その対象として「外国人」「ホームレス」「高齢者世帯」では3割以上の会社で入居を制限しているという実態がありました。

家を探そうとしても、断られてしまう人たちがいる(画像提供/福岡市)

家を探そうとしても、断られてしまう人たちがいる(画像提供/福岡市)

「当社は『すべての人に快適な住環境の提供をしたい』という基本姿勢のもと、かねてより高齢者や外国人、DV被害者、災害時の住宅提供など、さまざまなニーズにいち早くお応えしてきました。住まい探しに困っている方がいるのであれば、なんとか力になりたいといった社風があります。どのような方がお部屋探しにいらっしゃっても、基本的にお断りすることはありません」(原さん)

すべての人に快適な住環境の提供を!三好不動産が舵を切った分岐点

三好不動産はもともと多様性には理解のある社風でしたが、中でも社員の意識が大きく変わったきっかけがあったといいます。それは、2008年にプロジェクトを立ち上げ、外国人の入居希望者を積極的に受け入れるようになったこと。原さんは、当時のことを「“ありとあらゆる人たちに住環境を提供するのだ”と、社員全員がはっきりと意識する分岐点になった」と感じているそうです。

外国人の従業員も採用するようになり、現在は中国、ベトナム、ネパール、韓国出身の13名が三好不動産で働いており、このうち9名が宅地建物取引士の資格を取得しています。

「2008年当時、福岡で外国人に物件を紹介していた不動産会社は、三好不動産だけだったような気がします。他社よりも外国人への理解はそれなりにあると思っていたのですが、新たに外国人スタッフが加わったことで、今まで当たり前と思っていたことに対して『私の国ではこうです』と指摘され、文化の違いを知ることもあり、お互いの凝り固まった見方とはまた違った考え方や“世界から見た日本”の視点に気付かされることが、たくさんありました」(原さん)

現在、三好不動産が支援する住宅確保に配慮が必要な人たちは、多岐にわたります。外国人や高齢者、LGBTQ、DV被害者、被災者など、抱える問題や事情に違いはあれど、対応していこうとする姿勢に変わりはありません。

「身寄りがないなどの理由で賃貸住宅を借りることが困難な高齢者など、通常の契約が難しいケースでは、自社で設立したNPO法人が、オーナーと借主の間に入って住宅を提供しています。身寄りのない方とも面談をして、一人で生活するのに支障がないことを確認した上でお部屋を紹介することが可能です」(川口さん)

三好不動産が設立した介護賃貸住宅NPOセンターを介したサービス。「身寄りがない」「高齢だから」などの理由で一般の住宅に入居しづらい人と、空室に悩むオーナーをつなぐ(画像提供/三好不動産)

三好不動産が設立した介護賃貸住宅NPOセンターを介したサービス。「身寄りがない」「高齢だから」などの理由で一般の住宅に入居しづらい人と、空室に悩むオーナーをつなぐ(画像提供/三好不動産)

「問題の根本は何なのか」「足りない点は何なのか」を勉強することから始めたLGBTQの居住支援

LGBTQの人たちも、不動産会社側の偏見や理解不足、知識不足から、部屋探しにはさまざまな壁があるようです。LGBTQの居住支援の担当者となった原さんと広報の川口さんは、まずLGBTQの人たちが抱える悩みごとや問題点は何なのか、勉強するところからスタートしました。

「LGBTQ専用のサービスの必要性や所得が低いために生じる問題はほとんどなく、多くは理解のないことや知識不足に起因します。知識と相互理解によって、齟齬のないようにしていくことが大事です」と話す原さん。よくある事例としては、パートナーと一緒に入居を希望した場合に、カミングアウトしていないため、親族に保証人を頼めないケースや、同性パートナーとの同居を、その関係性を打ち明けられず一人入居と偽って契約してしまうといったケースなどが挙げられます。

原さんたちは、まずは店舗にレインボーマークを掲げるなどLGBTQの方が相談しに来やすい環境づくりからはじめ、最近ではYouTubeチャンネルで情報を発信するなど、活動を広げていきました。そして、今では、どの店舗でもLGBTQの人の部屋探しに対応できるまでに。2016年10月~2022年10月の間の賃貸契約数は約120組、相談件数においては常時100件以上にのぼります。

社内勉強会の様子。「何が問題なのか」「何が足りないのか」、まずは知るところから取り組みが始まる(画像提供/三好不動産)

社内勉強会の様子。「何が問題なのか」「何が足りないのか」、まずは知るところから取り組みが始まる(画像提供/三好不動産)

店舗のドアに貼られたレインボーステッカーが、LGBTQフレンドリーである姿勢を示している(画像提供/三好不動産)

店舗のドアに貼られたレインボーステッカーが、LGBTQフレンドリーである姿勢を示している(画像提供/三好不動産)

行政や異業種とのタッグも!取り組みがもたらした変化

三好不動産では、住まいの確保に困難を感じている人たちと、オーナーさんが貸し出すことを承諾した管理物件とをつないで、契約を結んでいます。行政から相談を受けたり、調査や講演などへの協力を要請されたりすることも少なくないそう。

「LGBTQ支援をはじめ、さまざまな活動を通して、不動産業界以外の企業や団体から『三好不動産のLGBTQの取り組みを話してほしい』などの依頼をいただくこともあります。福岡市パートナーシップ宣誓制度の導入を受け、福岡市に後援いただいて当社が主催したセミナーも4回にわたりました」(原さん)

活動を通じて、同じ方向を見ている企業や行政とは、業種を超えて新たな取り組みにつながっていく、良い循環ができているようです。

福岡市高島市長より、LGBTQをはじめとする性的マイノリティ支援に取り組む企業として、ふくおかLGBTQフレンドリー企業登録証が直接手渡されたときの様子。行政から相談を受けることも多い(画像提供/三好不動産)

福岡市高島市長より、LGBTQをはじめとする性的マイノリティ支援に取り組む企業として、ふくおかLGBTQフレンドリー企業登録証が直接手渡されたときの様子。行政から相談を受けることも多い(画像提供/三好不動産)

他社でできないことが三好不動産ならできる、その理由は?

三好不動産で行っている、住まい探しに配慮が必要な人たちに寄り添う取り組みについては「取り組みを始めたけどなかなかうまくいかない」と話す会社も多いそうです。それはどうしてなのか、という疑問を原さんにぶつけてみました。

「何のためにやるのか、そもそもの方向性が違うのだと思います。住まいを求めるお客さまの目線から入っていくことに従業員一人ひとりの発見があるのです。世の中から評価されるために、例えば『SDGsが世の中で評価されているからやる』という視点で見てしまうと、見えるべきものも見えなくなるのではないかと感じます」(原さん)

原さんたちは「いつかは取り組まなくてはならないことだから」と、見切り発車でも、まずは動いてきたと言います。まだ先を完全に読みきれない不安もある中、「失敗を恐れて何もしないよりは」と行動することで取り組みを推し進めてきました。

また、三好不動産の各部署では、自主的に研修会や勉強会を企画・開催し、社内だけでなく社外向けに発信する機会も多くもあるそうです。一人ひとりが受け身ではなく、能動的に動くことこそが、他社ではできないことを可能にしているのではないでしょうか。

九州レインボープライドのブースにて(画像提供/三好不動産)

九州レインボープライドのブースにて(画像提供/三好不動産)

原さんは会社全体のプロジェクトとしてLGBTQやDV被害者のお部屋探しの推進を担当していますが、三好不動産ではそれぞれの店舗でも、高齢者や災害被害者、LGBTQといった住宅確保に困難を抱える人の、住まい探しを支援しています。

「お客さまの身になって」「一人ひとりに寄り添って」。言葉で言うのは簡単です。しかし、本当に困っている人たちと向き合うには、知識も必要ですし、多くの人に理解をしてもらうための手間暇を惜しんではいけないのだと改めて感じました。それは、ボトムアップで意見のできる風通しの良い社風、そして、会社の利益だけでなく“お客さまのために何ができるか”で行動できる環境がそろっているからこそできることなのかもしれません。

そして活動の効果を実感するまでには長い年月がかかるといいます。原さんたちが明らかな変化を感じたのが、2016年から参加している、性的少数者をはじめとするすべての人が自分らしく生きていける社会の実現を目指す啓発イベント「九州レインボープライド」にブースを出店したときの来場者の反応だそう。最初はLGBTQなどの当事者、行政、NPOなど、LGBTQの問題に直接的に関わる人や団体の参加が多く、「どうして不動産会社がここにいるの?」と不思議そうな顔をされたそうですが、2022年の開催では、来場者から「応援しています」「三好不動産の活動、知っていますよ」など、激励の言葉をたくさんもらったのだとか。地道な活動が、少しずつ形になり、実を結びつつあるということでしょう。

●取材協力
株式会社三好不動産

世界で5番目に高額なシンガポールの不動産。一方で高い持ち家率、その理由は?

前回の記事では、シンガポールの生活環境について触れたが、今回は不動産事情についてフォーカスしてみたい。世界の主要都市の中で5番目に高いというデータもあるシンガポールの不動産価格。シンガポールで家を購入して住みたい、賃貸で暮らしたい、と考えたことがある人はもちろん、そうでない人も興味深い最新の現地の不動産事情をご紹介する。

シンガポールの不動産価格の推移

シンガポールの住宅の価格は総じて高額だといわれている。不動産コンサルティング会社・ナイトフランク社の「2020年ウェルスレポート」によると、100万ドルで購入できる世界の一等地の面積ランキングでシンガポールは狭い方から5番目、約35平米の広さしか買えない。東京は12位にランクインしており、約64平米(100万ドルあたり)なので、同価格でシンガポールの約2倍の広さは確保できる。

アジアの国々の中には、不動産を購入する際、外国人には特別な条件を課して、自国民を優先する政策を取っている場合が多い。シンガポールもその1つ、外国人が購入できる居住用物件はコンドミニアムと呼ばれる、高額な集合住宅に限られている。

またシンガポールの不動産価格は上昇を続けている。下記はHDB(政府系集合住宅。日本でいえば、かつての住宅・都市整備公団が分譲する集合住宅の総称。住宅・都市整備公団は現在UR都市機構)の再販価格の推移だが、26カ月連続で上昇している。コンドミニアムの価格はさらに高額だが、やはり同じように上昇を続けているようだ。

HDBの再販価格推移(2022年現在)

HDBの再販価格推移(2022年現在)

2009 年の第1四半期を 100 としたら、2022年第1四半期のHDB再販価格指数は159.5だ。つまりHDB再販アパートの価格は2009年よりもほぼ60%も高くなっている。

シンガポール政府は住宅価格を抑えるためにさまざまな冷却策を導入しているが、大枠で見ると価格は上がり続けているということが分かる。

日本人に人気の住宅エリアは?

シンガポールは東京23区と同じ位の広さなので、どこに住んだとしてもアクセスは便利だ。買い物施設や教育施設によって人気のエリアがある。以下は代表的な住宅エリアである。

●オーチャード・サマセットエリア
日本人に人気があるのが、オーチャード・ロードを中心とするエリア。オーチャード・ロードには、日系のデパートの高島屋や伊勢丹、日本人医師が在籍する病院や歯科もあるので、日本人にとって住みやすい。また学習塾もこのエリアに集中している。

日本でいうと「銀座」のような場所で、ブランドショップからドン・キホーテ、ハンズ、ダイソー、ユニクロまで、日系のお店が充実しているので欲しい物で手に入らないものはほぼない。

日本でいうと銀座のようなショッピングエリア。南北にコンドミニアムが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

日本でいうと銀座のようなショッピングエリア。南北にコンドミニアムが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

●リバーバレーエリア
シンガポール川とリバーバレー通沿いを中心に街が広がるエリア。オーチャードエリアについで、日本人に人気が高い。オーチャードにも近いが、家賃がオーチャードと比べると少し割安感がある。

ローカルの大手スーパーや大きなフードコートがある。大規模なショッピングモール、グレートワールドシティ周辺は高層の物件が立ち並んでいる。

川沿いのロバートソン・キーやクラーク・キーにはおしゃれなレストランやカフェがそろっている。

グレートワールドシティには明治屋やインテリアショップが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

グレートワールドシティには明治屋やインテリアショップが並ぶ(写真撮影/四宮朱美)

●チョンバルエリア
Tiong Bahru (チョンバル) エリアは低層のHDB(公団団地)が多く、のんびりとした雰囲気をもつ昔ながらの住宅街だ。低層のHDBは非常に人気で実際に住むのは難しいが、周辺の高層住宅に住んで、街の雰囲気を楽しむことはできる。

最近では、おしゃれなカフェやショップが増えていて、日本の代官山のような雰囲気だ。鮮度のよい魚介類、野菜、肉がそろうチョンバルマーケットがあり、食材の入手が簡単。またMRT駅構内、そして駅周辺に地元のスーパーがあるので生活も便利。

チョンバルの低層住宅街。緑も多くゆったりした街並み(写真撮影/四宮朱美)

チョンバルの低層住宅街。緑も多くゆったりした街並み(写真撮影/四宮朱美)

おしゃれなカフェやショップが多いチョンバルエリア(写真撮影/四宮朱美)

おしゃれなカフェやショップが多いチョンバルエリア(写真撮影/四宮朱美)

●イーストコーストエリア
海沿いの眺めの良い物件が多い。中心部に比べ比較的リーズナブルで築浅の物件を借りることが可能だ。またチャンギ空港へのアクセスもいいので海外出張の多い人には便利。

海岸線沿いに広い公園があり、サイクリングやジョギングを楽しむこともできる。バイリンガル教育を実施している日系幼稚園、日本人小学校のチャンギ校があり子どものいる家庭に人気。日本食品を取り扱うお店も充実していて住みやすい。

●ウエストコーストエリア
日本人小学校のクレメンティ校、日本人幼稚園、早稲田渋谷シンガポール校のあるエリアで、子どもの学校に近い場所に住みたいという日本人に人気のエリア。East Coast Park同様に、海岸の公園には、大きなアスレチック遊具や砂場スペースがあり、子どもの遊ぶ場所も多い。

閑静な住宅街が多く、予算も比較的抑えられるので、単身の方にも人気。

シンガポールの住宅は主に3タイプ

シンガポールでは大まかに3つのタイプの住宅様式がある。政府系集合住宅(HDB)、民間集合住宅、一戸建ての3種類だ。

またシンガポールの国土の大半は国有地であるため、ほとんどが99年や999年といった長期間のリースホールド(定期借地権)型で売買される。永久的に不動産を所有することができるフリーホールド型の物件は限られている。

また、政府系集合住宅や土地付き一戸建ては、外国人は購入できない。つまり購入する場合は、日本と異なり買える物件と買えない物件があるということだ。

●政府系集合住宅(HDB)
シンガポール国民の80%以上が暮らすといわれているHDBは日本の公団住宅のような住宅だ。The Housing & Development Boardという機関が建築・販売しているため、物件自体がHDBと呼ばれている。

シンガポール国民の住居として販売されている物件なので、民間が分譲するコンドミニアムといわれる比較的高級な物件に比べて価格は抑えられている。外国人は購入することはできないが、借りることはできる。

以前は民間住宅のコンドミニアムに比べて、共用部などがシンプルだったが、最近建てられたものは、コンドミニアムに比べてデザイン性も遜色のないモノが建設されている。建物の中に食堂が集まるホーカーズセンターがあったり、買い物施設があったり、生活するための施設は整っている。

リトルチャイナにあるHDB。駅の近くにあるので便利(写真撮影/四宮朱美)

リトルチャイナにあるHDB。駅の近くにあるので便利(写真撮影/四宮朱美)

●民間集合住宅
民間集合住宅は、プールやジムなどの付帯設備のあるコンドミニアムと呼ばれる豪華な集合住宅と、設備の少ないアパートメントに分類される。

日本人や欧米の駐在員が、主に多く住んでいるのはコンドミニアム。共用部にプールやフィットネスジムなどの設備が整い、セキュリティーがしっかりしている。シンガポール人の富裕層あるいは外国人の住居として利用されている。海外からの不動産投資の対象ともなっており、外国人のオーナーの比率が高い。高額だといわれている理由の1つは、外国人がコンドミニアムを購入する例が多いからだろう。

ユニークな外観のコンドミニアム(写真撮影/四宮朱美)

ユニークな外観のコンドミニアム(写真撮影/四宮朱美)

●一戸建て
シンガポールは国土が狭いため、広い土地を必要とする一戸建ては少ない。数少ない一戸建て住宅の家賃はひときわ高く、住めるのは一部の富裕層に限られている。一般的に外国人は買うことができない。ただしセントーサ島(レジャー施設が多数の観光スポット)の住宅開発地区の物件は、外国人の購入が認められている。

間取りや設備、シンガポールの住まいの特徴は?

次にシンガポールの住宅の特徴について見てみたい。日本とは間取りや設備に違いがある。

●間取り
シンガポールでは単身者は結婚するまで家族と暮らすことが多く、HDBにしろ、コンドミニアムにしろ、ファミリー向けの広い間取りが中心でシングル向けの小さな部屋は少ない。つまり買うにしても借りるにしても高額になりがちだ。そのため単身者の人は広い部屋をシェアすることが多いそうだ。

シンガポールの一般的な間取りは、リビング、キッチン、ダイニング以外に個室が2~3部屋あるタイプが多く、主寝室に1つ、共用部分に1つの計2箇所のシャワールームが標準装備されている。また、それ以外にお手伝いさんのための小さなメイドルームが付いている物件も多い。

シェアハウスに利用される場合、その中のバストイレ付きの一番大きい部屋はマスタールーム、残りのバストイレが共有の部屋をコモンルームと呼び、どこを借りるかで家賃が多少異なるようだ。日本でこのように1つの住居をシェアするのは、知り合い同士で一緒に契約して借りるということが多いが、シンガポールの場合は別々の賃貸契約として提供されていて、知らない人が入居してくるという欧米などでよく見られるスタイルになっている。

シェアハウス・イメージ図(画像提供/pixta)

シェアハウス・イメージ図(画像提供/pixta)

●室内の設備
高い確率でバスタブがないことが多い。熱帯の国ではバスタブを必要としない国は多い。日本人や外国人向けに作られたコンドミニアムではバスタブが設置されているが、バスタブのない物件が主流だ。

日本の物件ではおなじみのシャワー付きトイレもない。取り付けることは可能だが、電気配線工事が必要になるので、簡単には設置できない。

室内や同じフロアのエレベーターホールなどにダストシュートが付いていることが多いので、わざわざゴミ捨て場に行かなくても、24時間いつでもすぐにごみが捨てられるのは便利だ。

天井にシーリングファンが設置されていることが多い。日本でも最近はインテリアの一部のようにシーリングファンが設置されていることがあるが、シンガポールではリビング以外に各個室にも設置されている。しかもかなり大きくパワフルだ。大きな風がゆったりと動くので、個人的にはこの設備が非常に快適だった。夜間などはエアコンがなくても十分に涼しい。

HDBのリビングに設置されたシーリングファン(画像提供/Matthew)

HDBのリビングに設置されたシーリングファン(画像提供/Matthew)

HDBの水回り。バスタブはなくシャワーブースがある(画像提供/Matthew)

HDBの水回り。バスタブはなくシャワーブースがある(画像提供/Matthew)

●共用部
コンドミニアムや新しいHDBは敷地内の施設が充実している。プールは大人用と子ども用が別々に用意されている物件もある。また設備の整ったジムも設置されている。ファミリー向けのコンドミニアムはプレイ・グランドやBBQスペース、貸出しのイベントルームもが設置されているものもある。

コンドミニアムはセキュリティーがしっかりしていて、ほとんどが24時間体制のセキュリティーガードが常駐している。カードキーを持っていないと敷地にも入れないし、エレベーターにも乗れない仕組みになっている。

コンドミニアムの中庭。噴水があるなどリゾートホテルのような雰囲気だ(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムの中庭。噴水があるなどリゾートホテルのような雰囲気だ(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムに設置されているプール。大人用と子ども用のプールが設置されていて広い(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムに設置されているプール。大人用と子ども用のプールが設置されていて広い(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムの敷地の入り口にはセキュリティーガードが常駐している(写真撮影/四宮朱美)

コンドミニアムの敷地の入り口にはセキュリティーガードが常駐している(写真撮影/四宮朱美)

不動産購入に不可欠な保険や税金のシステム

最後に、暮らしに欠かせないお金事情もチェックしておきたい。

シンガポールでは、年金と健康保険を組み合わせたようなCPF(Central Provident Fund)と呼ばれる、シンガポール人と永住権保持者のみ加入できる、強制積立制度がある。

日本の年金は、現在の現役世代から集めた金を現在のリタイヤ世代への支払いに充当する制度だが、CPFは積立方式なので、自分が現役世代に支払った年金が積み立てられ、将来、自分で受け取ることになるということが大きく異なる。

CPFは雇用主である会社と被雇用者である従業員の両方から,それぞれ一定額を強制的に積み立てさせ,それを中央年金庁(CPFB: CPF Board)が運用し,老後の年金として支給する制度。以下の3つの口座に分けられ、預金,債権,不動産など安定的な資産に再投資されている。

引き出すにはそれぞれの口座ごとの引き出し条件等を満たす必要があるため、実質的に国民等の老後の生活資金として機能している。住宅購入の際は下記の積み立てを利用できるうえに、政府からの援助もあるので、持ち家率が非常に高い。

〇普通口座(Ordinary Account) :住宅の購入,保険,投資,教育のために使われる口座
〇特別口座(Special Account):老後の年金,緊急時の支出のために使われる口座
〇保険口座(Medisave Account) :医療費や特定の医療保険のために使われる口座

しかし外国人が不動産購入する場合は税金が高い。2021年12月に、2軒目の住宅購入および外国人の住宅購入には、より高い印紙税を支払う制度ができた。不動産を購入する場合は最高30%の印紙税が課税されることになる。購入意欲を上げすぎず不動産価格の高騰を防ぐための政策だ。

所得税の面から見ると、シンガポールも日本のように累進課税だが、高所得者でも現状22%という低水準、今後24%にまで引き上げられる予定だが、日本の所得税は、住民税も入れれば最高55%にもなるので、高所得者にとってはシンガポールに住むことは有利になる。

永住権を取得すると効率のよいCPFが使え、税金の控除も利用できるので、メリットが多い。シンガポールに長期滞在を希望している方や移住を真剣に検討している人たちが、シンガポールでの永住権の取得を考えているのもうなずけるだろう。

シンガポールの不動産価格は高い水準でキープされている。しかし現地の人たちは政府機関が運営するHDB に住むことができるので持ち家率は高い。コンドミニアムは外国人やシンガポールの富裕層の投資対象となっているが、近年はシンガポール政府の政策で購入のハードルが上がっている。

部屋を借りるときは、シングルの場合はシェアハウスという選択が多い。ファミリーの場合はコンドミニアムだけではなく、HDBを借りるという選択肢も視野に入れておくと、比較的リーズナブルに住むことができる。

物価が高いといわれるシンガポールだが、現地の情報をアップデートしていけば、かしこく住むことも可能だ。

●関連情報
IRAS |追加の購入者印紙税(ABSD)

高齢者や外国人が賃貸を借りにくい京都市。不動産会社・長栄の「入居を拒まない」取り組みとは

国内外から多くの観光客を呼び込む京都のまちに、市内の賃貸管理物件数で多くのシェアを誇る株式会社長栄(以下、長栄)という不動産管理会社があります。長栄は長年にわたり、高齢者や外国人など、賃貸物件への入居が難しい人たちへのサポートを実施してきました。賃貸物件の入居や日々の生活に困難を感じる人を支援するためには、どのような体制や仕組みが必要なのでしょうか。長栄の奥野雅裕さんに話を聞きました。

観光地として国内外から注目を浴びる京都市ならではの住まい事情

奥野さんによれば、さまざまな理由で入居に困難を感じる人がいるなかで、特に京都のまちがもつ特徴から支援が必要だと感じられるのは、高齢者・子育て世帯・外国人の人たちだと言います。

「背景の一つとして、京都市の物件価格の高さが挙げられます。もともと盆地で人が住みやすい条件を満たす土地が限られる中、古くからの建造物や歴史的価値の高い建物も多く、新しい住宅を建てられる場所が、ごくわずかしかありません。提供できる住宅の数が少なければ価格が上がり、それに紐づいて市場が高騰するという悪循環が生じてきました」(奥野さん、以下同)

京都府内の賃料は高止まり状態が続いていて、住宅弱者の住まい探しをより困難にしている(画像提供/長栄)

京都府内の賃料は高止まり状態が続いていて、住宅弱者の住まい探しをより困難にしている(画像提供/長栄)

数が限られた住宅、特に賃貸物件においては、高齢による孤独死などのリスクを不安に思う大家さんが、高齢者の入居を断ることが多々ありました。

また、京都というまちのブランド力により、不動産投資の対象として外国人投資家などからの注目度が高いことも住宅価格を押し上げる要因です。それゆえ、一般の子育て世帯が住宅を購入しづらい点が指摘されています。

そして、京都には大学が多く存在し、留学生の積極的な受け入れに舵を切ったことから、海外からの学生が急激に増えました。ただでさえ賃貸物件数が限られる中、外国人が身寄りのない日本で住居を確保するのは、なかなか難しい状況になっているのです。

「コロナ禍で情勢が変わったのは間違いありませんが、京都市内の住まいの需要は減っていません。売買価格や賃料は高止まりしている状況です」

長栄が主催する外国人留学生に向けた、日本の慣習やルールの説明会。慣れない国での暮らしをスムーズに送るためのサポートを行なっている(画像提供/長栄)

長栄が主催する外国人留学生に向けた、日本の慣習やルールの説明会。慣れない国での暮らしをスムーズに送るためのサポートを行なっている(画像提供/長栄)

市内の不動産会社との連携で住宅弱者の問題に取り組む

このような背景をもとに、「京都の不動産会社には、協力して住宅確保の問題に取り組んで行こうとする会社が多い」と奥野さんは言います。

今回お話を伺った、奥野雅裕さん。賃貸管理部門で12年間経験を積んだ後、顧客サービス部門で日本人、外国人を問わない、入居者に喜ばれるサービスを構築。長期入居者の増加や入居者のニーズに沿ったスキーム、物件の改善に取り組んでいる(画像提供/長栄)

今回お話を伺った、奥野雅裕さん。賃貸管理部門で12年間経験を積んだ後、顧客サービス部門で日本人、外国人を問わない、入居者に喜ばれるサービスを構築。長期入居者の増加や入居者のニーズに沿ったスキーム、物件の改善に取り組んでいる(画像提供/長栄)

京都市は2012年に「すこやか住宅ネット」の愛称で居住支援協議会を立ち上げました。これは、住宅セーフティネット法(住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律)に基づき、住宅確保に配慮が必要な人が円満に民間の賃貸住宅へ入居できる環境を整えるため、行政と民間企業が一体となって取り組んでいく組織です。

京都市は、不動産会社や家主に対して高齢であったり障がいがあったりすることだけを理由に入居を拒否しないよう指導するなど、入居に困難を抱える人を受け入れていくよう説明する機会を積極的に設けています。

「協議会メンバーである不動産会社が中心となって、セキュリティー会社と連携したり、IoT機器を使ったりして、家主が安心して高齢者を受け入れられる環境を作り、高齢者の入居を受け入れてもらうことにも取り組んでいます。当社は協議会立ち上げ当初から関わり、ほかの不動産会社への情報共有や勉強会・セミナーなども行ってきました」

京都市の居住支援協議会、「すこやか住宅ネット」では行政と不動産会社が共に、高齢者や障がい者といった住宅弱者の住まい探しや、暮らしに寄り添う取り組みを行なっている(画像提供/京都市住宅支援協議会)

京都市の居住支援協議会、「すこやか住宅ネット」では行政と不動産会社が共に、高齢者や障がい者といった住宅弱者の住まい探しや、暮らしに寄り添う取り組みを行なっている(画像提供/京都市住宅支援協議会)

「入居を断らない」ことが、大家さんの収益最大化につながる

住宅確保に配慮が必要な人への支援を継続していくには、一時的なものではなく、事業として成り立たなくてはなりません。

「私たちが目指しているのは、家主さんの収益の最大化との両立です。当然のことながら、高齢者、外国人、低所得者だからと言って入居をお断りしていては、家主さんの収益の機会損失になります。入居のハードルが下がれば、入居者さんが増え、家主さんの収益にもつながるというのが、私たちの考えです」

基本的に「入居を希望する人を断らない」のが、長栄のスタンスだそう。だからと言って、やみくもに入居を推し進める訳でありません。

「家賃保証とそのための審査は、不動産の管理・運営をしていく上での肝となる業務です。当社の管理物件に入居される際はほとんどの場合、グループ内の保証会社が対応しています」

必要があれば、入居者と契約前に個別に面談を行って自分たちで審査することも。高齢者の孤独死をはじめ、大家さんにとってリスクの高い人には、「特約」を設けるなど個別対応し、リスクヘッジを図りながら入居を促進するのが長栄のやり方です。

また、高齢者には、セキュリティー会社と連携した見守りサービスの提供、外国人には、各種手続きのサポートやトラブルを避けるための説明会を開催するなどしています。万が一、家賃の滞納が続く場合は、入居者の母国語を話せる外国人スタッフが、事前に取得している母国の連絡先に連絡して対応するなどの解決策を講じています。

高齢者の見守りサービス「ベルヴィシルバーあんしんサポート」。70歳以上の人が単身で入居する際に加入することで、スムーズに入居ができる(画像提供/長栄)

高齢者の見守りサービス「ベルヴィシルバーあんしんサポート」。70歳以上の人が単身で入居する際に加入することで、スムーズに入居ができる(画像提供/長栄)

「入居者ファースト」のサービス会社であることが会社の“幹”

「今後の課題は、住宅確保に配慮が必要な方たちが安心して、長く住んでいただける状況をつくっていくことです」

入居者に長く住んでもらえば収益も安定するので、長栄は入居率を重視しています。現在管理している物件の入居率は、実に96.31%(2022年11月30日時点)と業界平均を大きく上回る状態です。しかし奥野さんは、目先の利益を上げるために、手数料収入さえもらえれば良いと考えている、“不動産屋さん”的な考え方の不動産管理会社が、まだまだ多いと感じているそうです。

「私たちの収益の源泉は入居者さんがお支払いいただく家賃です。入居者さんのために何ができるか、私たちの仕事はサービス業であるという考えが事業の『幹』にあります」

この考えは、長栄の全社員が入社した頃から叩き込まれているといいます。マニュアル通りにはいかないこともたくさんあり、それらにどう対応していくかは日々トレーニングだとも。

「入居者お一人おひとりが本当に困っていることが何なのかを丁寧にうかがって、私たちが解決のためにできることを、しっかりと構築していきたいと考えています」

京都は観光地としての知名度や学校が多いことから外国人も多く、土地や住宅の高騰で、高齢者やひとり親世帯の住宅弱者が多い土地柄。今後も居住支援を長く継続していくには、家主をはじめ周囲の理解と同時に不安を取り除くことが必要です。

そのためには、リスクヘッジをしっかりと行い、万が一のトラブルが起こっても対応できる、仕組みや体制を整えることが大事で、その幹となる心構えがあって初めて居住支援の輪が広がっていくのだと感じました。

●取材協力
株式会社長栄

近所の農家と消費者が育むつながりが地域の心強さに。「縁の畑」が始めた”友産友消”とは?

朝10時半。北海道長沼町のスーパー「フレッシュイン グローブ」(以下、グローブ)の店先には新鮮な農作物が並んでいた。みずみずしい白菜、土のついた大根、真っ赤なりんご。開店と同時に、お客さんが続々と入ってくる。「縁の畑(えんのはた)」というグループの売り場だ。縁の畑は近隣の生産者と消費者が一緒になってつくる共同販売グループのこと。
農業が盛んな地域でも、その地で採れた野菜がそのままスーパーに並ぶとは限らない。多くが市場を通して売買されるためだ。
そこで、生産者と消費者、売り手が小さな流通のしくみを自分たちでつくり「近隣の野菜を地元で食べる」を実現する試みが始まっている。
エネルギーや食の供給が不安定になっている今の情勢下で、縁の畑の取り組みは、生産者と消費者が身近なところでつながり合う意味を教えてくれる。

地産地消の難しさ

この日、白菜を並べていた「ファーム鈴田」の鈴田圭子さんも、縁の畑のメンバーの一人。
「白菜って新鮮なほどおいしくて、採りたてはほんとに味が違うんです。それを食べる人たちにも知ってほしいなと思って」

「ファーム鈴田」の鈴田圭子さん(写真/久保ヒデキ)

「ファーム鈴田」の鈴田圭子さん(写真/久保ヒデキ)

「縁の畑」は長沼町の生産者農家23軒と消費者やこの取り組みを応援する14人による共同販売のチーム。個性ある農家が、地元の人たちに自分たちの野菜を食べてほしいと始めた活動だ。食べ手である消費者も、近隣の野菜を身近な場所で買えるのは心強いと、準組合員になって支援している。

国道沿いには道の駅があり、札幌など都市部から訪れる人たちで週末にぎわうが、長沼の中心部からは少し離れているため、地元の人たちからは少し遠い存在。

同じくきびきびと働いていた白滝文恵さんは、立ち上げメンバーの一人で、いま中心になって事務局をまわしている。

「地元で地元の野菜を買える場所は、長沼でも少なかったんです。例えば地元の農家さんと知り合って、いただいた野菜がすごくおいしくても、近くに買える場所がなくて。キュウリ2~3本を買うために直接農家を訪ねるのはハードルが高いですよね。ここで買えるようになって、すごく喜んでもらえました」

右から事務局の白滝さん、「ファーム鈴田」の鈴田さん、同じく事務局の保井侑希さん(写真/久保ヒデキ)

右から事務局の白滝さん、「ファーム鈴田」の鈴田さん、同じく事務局の保井侑希さん(写真/久保ヒデキ)

「地産地消」という言葉が生まれたのは1980年代(*)。地産地消が実現できれば、消費者は新鮮でおいしい野菜を入手でき、生産者にとっても身近な人たちに届ける喜びになり、少量の産品や規格外品も販売しやすくなるなどの利点もある。

(写真/久保ヒデキ)

(写真/久保ヒデキ)

ただ、直売所の普及や学校給食での地元野菜の使用が進むのに対して、小ロットを狭い地域のなかで流通するシステムは十分に整っているとはいえない。地元の小売店や飲食店がその地の野菜を安定的に仕入れたい場合、市場で買うか農家と個別に契約するほかない。

そこで農家と消費者、地元のスーパーの三者が協力して地元の人たちに届けようとするのが、「縁の畑」である。

縁の畑の組織図(提供:縁の畑)

縁の畑の組織図(提供:縁の畑)

小さな農協のイメージ

参加する農家はさまざまだが、みんなこだわりをもつ個性的な農家ばかり。JA出荷だけでなく直販もしていたり、農家の名前を表に出して売ることを大事にしている。

縁の畑の設立には、多くのメンバーがお世話になった、ある農家の離農がきっかけになっている。長年直販で農業を続けてきた農家だったが、ネット販売が主流になり、年配者には売り先を開拓するのが難しくなったことが理由にあった。何とか離農を防げないかと若手農家10軒ほどが集まって相談した。結局その農園はリタイヤすることになったのだけれど、新しい売り方をみんなで考えたことが会の設立につながった。

会長は、平飼い有精卵の養鶏農家「ファーム モチツモタレツ」の高井一輝さんが就任。ただし農家と消費者による共同運営、共同出資なので何でもみんなで決める。「縁の畑」という名前も、理念も規約も、スラックなどを使って、みんなで意見を出し合って決めてきた。

事務局の白滝さんは、以前北海道の有機農業組合の職員だった。そのため「縁の畑」の組織を考えるとき、小さな農協をつくればいいと発想したのだそうだ。

「会費を募って組合員によって構成されるイメージです。生産者は正組合員として一口1万円、消費者は準組合員として一口5千円。そのほか年会費が5千円です。ただし縁の畑はオーガニックにとらわれない、いろんな生産者の集まり。農薬を使っていても低農薬だったり、必要最低限、おいしいものをつくろうとされている農家さんがたくさんいますから」

白滝さんは長沼でお弁当屋を開いていたこともあり、地元には魅力的な農家がたくさんいることを知っていたという(写真/久保ヒデキ)

白滝さんは長沼でお弁当屋を開いていたこともあり、地元には魅力的な農家がたくさんいることを知っていたという(写真/久保ヒデキ)

「地元の農家さんを地域の人たちにも知ってほしいとずっと思ってきました。地産地消というより、私は『友産友消』と言っているんですが、友達がつくったおいしい野菜を、また友達に食べてもらうような感覚で野菜を流通できないかと考えたんです」

白滝さんはいつも穏やかに話す物静かな人だが、実は驚くほどの行動力の持ち主だ。5月には組織を発足。6月末からはスーパーでの販売も始まった。

地元スーパーの応援あってこそ

「縁の畑」の最大の特徴は、地元のスーパーに専用の売り場をもっていることだ。すでに地元に定着している商店に売り場をもってスタートできたのは大きいと白滝さんは話す。

「フレッシュイン グローブ」は、長年まちの人に愛されてきた中森商店が、数年前にリニューアルしてできたスーパー。今も店内には「秋の大収穫祭」「おいしいものは心に残るが安いだけでは残らず」など勢いのある手書きのポップが何本も下がる庶民派の店だ。魚売り場には尾頭付きの活きのいい魚が並び「市場」のような雰囲気がある。

長沼町の中心街にあるフレッシュイン グローブ。この日は月に一度の縁の畑のマルシェが店頭で行われている(写真/久保ヒデキ)

長沼町の中心街にあるフレッシュイン グローブ。この日は月に一度の縁の畑のマルシェが店頭で行われている(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローブの店内。青果売り場の様子(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローブの店内。青果売り場の様子(写真/久保ヒデキ)

その入口付近に、「縁の畑」専用の売り場がある。青果部の小野直樹さんは開始当初から縁の畑を応援してきた。

「うちの店は、もともと安さより『ほかに置いていないもの』『個性あるもの』を置くのが店の方針なんです。市場で仕入れるとどうしても収穫から日が経ってしまうけど、縁の畑さんは、採れたてのいい野菜をまとめて持ってきてくれるから大歓迎です」

フレッシュイングローブの入口すぐ脇に設置された「縁の畑」の売り場(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイングローブの入口すぐ脇に設置された「縁の畑」の売り場(写真/久保ヒデキ)

一般的にスーパーでは仕入れが安定せず、売り場に空きができるのを嫌う。でも小野さんは「空きができてもいいから、どんどん置いて」と言う。

「野菜は生ものなので、あるときはある、ないときはない。それでいい。そのほうが新鮮さが感じられるでしょう?売り場は活きがいいほうがいいんです」(小野さん)

フレッシュイン グローグ、青果部の小野直樹さん(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローグ、青果部の小野直樹さん(写真/久保ヒデキ)

さらに縁の畑に売り場を貸すだけでなく、微に入り細に入り、売り方のアドバイスをしてくれるという。

「例えば、ビーツを置いたときは、小野さんからすぐに電話がかかってきて。真っ赤な茎の見たことのない野菜があるけど、これ何だかお客さんわかんないよねって。ポップつけようとか、ひな壇にしたほうがいいよ、など並べ方のアドバイスまでしてくれて。スタッフさんがみんな、細かく目を配ってくださるんです」(白滝さん)

なぜそこまで?と小野さんに聞いてみた。

「うちの狙いは、新しいお客さんを呼ぶこむことでもあるんです。実際、縁の畑さんの野菜を置くようになって若いお客さんが増えました。

それに地元の野菜といっても、実際に響くのは従来のお客さんの10人中2~3人というのが肌感です。でも関心のなかった人たちが『地元の野菜が増えたね』『見たことのない野菜がある』と気付くようになって、次第に関心をもつようになる。長沼産の野菜にブランドがつけば我々にとっても嬉しいことです」

(写真/久保ヒデキ)

(写真/久保ヒデキ)

食べる人の声

スーパーでの販売だけでなく、家庭向けの宅配「野菜のおまかせセット」も販売している。消費者として、準組合員になっている人はいま14名。なかには宅配の「野菜おまかせセット」を頼んでくれている人もいる。谷渕友美さんは縁の畑の立ち上げ時から、準組合員であり消費者として会の活動を支えてきた一人。

準組合員の谷渕友美さん(写真/久保ヒデキ)

準組合員の谷渕友美さん(写真/久保ヒデキ)

「縁の畑の農家さんにはママ友など知り合いも多いし、応援したい気持ちがあります。それにおまかせセットで野菜が届くのは楽しみでもあるんです。自分で買い物するとニンジン、玉ねぎ、じゃがいも……とオーソドックスな野菜ばかり買ってしまいますが、ボックスには旬の野菜が入っていたり、見たことのない野菜も入っていたりして料理のレパートリーが広がります」

谷渕さんは、一方で子どもたちに食育の取り組みを進める活動にも携わっている。「子どもの五感は一生の宝」という言葉が印象的だった。

「食に意識の高い人ばかりではないので、食の自給率とか『買い物に哲学を』みたいな話は誰にでも伝わる価値ではないです。安ければ安いほどいいって人は当然いますから。でもだから、グローブのような手に取りやすい場所で、近隣の野菜を販売されてる価値ってあると思うんです。ちょっと高くても野菜が新鮮で、それは買う人にも見た目で自然と伝わるものだから。見て食べて感じることができる。やっぱり野菜の味、全然違いますから」(谷渕さん)

食べる人と、つくる人が一つのチームになって、その輪の中で食べ物が供給される。入口はおいしさの共有かもしれないが、何かあったときの地域のレジリエンスにもなる話だろう。規模でいえば小さな輪でも、この輪があるのとないのとでは安心感が違う。

一方、ビジネス的な視点からいえば、地元で野菜を売っているだけでは厳しいため外にも打って出ている。隣町の道の駅への出荷もしているし、北海道で始まった「やさいバス」にも縁の畑として野菜を入れている。
地元の飲食店や小売店向けのライングループをつくり、その日出荷できる野菜の情報を送り、注文できるしくみになっている。

Instagramで見て都市部から買いにきたという人も(写真/久保ヒデキ)

Instagramで見て都市部から買いにきたという人も(写真/久保ヒデキ)

農家にとっての窓

北海道の夏は短い。できることはできるうちにと、6月の発足時からとにかく走り続けてきた。これから勉強会や生産者同士の技術交流会も検討している。

「夏にやれるだけのことをやって、冬に農家さんたちに時間ができたらじっくり反省会をしたいと思っています」(白滝さん)

3月に初めてみんなで集まったとき、農家の間からやってみたい事柄がたくさん挙がったのだという。野菜の販売だけでなく「食育の活動」「マルシェの開催」「勉強会や技術交換会」「農家体験」など、農家同士の交流や、発信、お客さんに働きかける内容のものも多かった。

佐賀井農園の佐賀井さんは、昨年よりお米の生産面積を増やし販路を開拓したいと考えていたところに縁の畑の話を知って参加。技術交流の取り組みを進めている(写真/久保ヒデキ)

佐賀井農園の佐賀井さんは、昨年よりお米の生産面積を増やし販路を開拓したいと考えていたところに縁の畑の話を知って参加。技術交流の取り組みを進めている(写真/久保ヒデキ)

アスパラガスやキュウリを栽培する坪井ファームの畑には、ハウスが22棟、緩やかな丘に続く傾斜地に立っていた。坪井さんのキュウリはグローブでもすぐ売り切れるほどの人気。夏の繁忙期には一日5000本、多い日には7000本のキュウリを収穫するという。妻の紀子さんは話す。

「夏は大忙しです。朝4時に起きて2時間収穫をした後、子どもたちを送り出して。直販だけではさばけないので、半分はJAを通して出荷しています。縁の畑に出す割合は全体からするとまだそれほど多くはないんですけど」

坪井ファームの坪井紀子さん(写真/久保ヒデキ)

坪井ファームの坪井紀子さん(写真/久保ヒデキ)

それでも、縁の畑の取り組みに参加するのはなぜなのだろう?

「朝ほんの数分ですが、子どもを送りがてらキュウリを届けると、ほかの農家さんたちがどんな品物を出しているんだろうと見られたり、ああこんな野菜もあるんだと小さな刺激を受けて帰ります。農家ってほんとに忙しくて、黙って仕事しているだけだと世界がすごく狭くなっちゃうんですね。農家同士の交流ももっとできたらいいなと思うし、勉強会とか、社会との接点になるって期待しています」

坪井ファームのキュウリはみずみずしくておいしい。地元でも人気(写真/久保ヒデキ)

坪井ファームのキュウリはみずみずしくておいしい。地元でも人気(写真/久保ヒデキ)

縁の畑の理念には、こんな言葉が載っている。

「食を通じて、土地と人とがつながりあい、人も社会も自然も健康でいられる小さな循環をつくること」

自然に向き合い、農業を続けることは生半可にはできない仕事だ。遠くへ運ぶだけでなく、地域で小ロットでも農産物が流通できるマイクロ物流が整えば、より環境負荷が少ない、またロスの少ないしくみができる。
縁の畑は、そのための小さくて大きな一歩かもしれない。

(*)地産地消とは、「農林水産省農蚕園芸局生活改善課が1981年度から進めた地域内食生活向上対策事業」のなかで用いられた「地場生産・地場消費」が略されて「地産地消」になったとされる。(「一般財団法人 地方自治研究機構」HPより)

●取材協力
縁の畑

ニセコ町に誕生の「最強断熱の集合住宅」、屋外マイナス14度でも室内エアコンなしで20度! 温室効果ガス排出量ゼロのまちづくりにも注目

良質なパウダースノーが楽しめるスキーリゾートとして世界的な注目を集める北海道のニセコ。そのニセコエリアで、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量をゼロにする持続可能なまちづくりに、官民一体となって挑んでいるのがニセコ町だ。環境先進国・ドイツのエコハウスをお手本に、2年前、ニセコ町の郊外に完成した賃貸の集合住宅と、市街地中心部の近くで工事が進められている新たな街区「ニセコミライ」での取り組みが、そのスタート地点。なぜ、ニセコ町は持続可能なまちづくりの一環として住宅の省エネ化に町をあげて、取り組んでいるのだろうか。ニセコミライの開発を手掛けるまちづくり会社の株式会社ニセコまちに話を聞いた。

ニセコ町ってどんな町?みんながイメージするあの国際的リゾート・ニセコひらふとは違う町

「ニセコ」と聞いて多くの人がイメージするのは、多くの外国資本による高級ホテルやコンドミニアムが立ち並び、国内外の富裕層が集まる華やかなスキーリゾートだろう。ただし、今回取り上げる「ニセコ町」は、そのイメージとは少し異なる。

「ニセコ」というのは羊蹄山を中心に、主に倶知安(くっちゃん)町、ニセコ町、蘭越(らんこし)町にまたがるエリアを指し、そのうち、スキーリゾートNISEKOの中心地「ニセコひらふ」があるのは倶知安町。ニセコ町は、倶知安町の隣町だ。国定公園ニセコアンヌプリと、蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山(ようていざん)の裾野に位置する人口約5000人の小さな町。ジャガイモやアスパラガス、メロン、ゆり根などを生産する農業と、四季折々の豊な自然を活かした観光が主要な産業。ニセコ町にも、スキー場やホテルがあり、外国からの移住者も多いが、倶知安町のニセコひらふ周辺に比べると落ち着いた静かな町である。

札幌市や新千歳空港からは車で約2時間。外国からの投資でにぎわうニセコリゾートの中心・倶知安町の隣にあるのがニセコ町(画像提供/ニセコまち)

札幌市や新千歳空港からは車で約2時間。外国からの投資でにぎわうニセコリゾートの中心・倶知安町の隣にあるのがニセコ町(画像提供/ニセコまち)

ニセコ町は羊蹄山(写真中央の山)の裾野に位置する、静かで自然豊かな町だ(画像提供/ニセコ町)

ニセコ町は羊蹄山(写真中央の山)の裾野に位置する、静かで自然豊かな町だ(画像提供/ニセコ町)

地球温暖化防止は待ったなしの今、大規模な産業のないニセコ町は建物の高断熱化に取り組む

ニセコ町は2014年、二酸化炭素排出量を86%削減しゼロカーボンを目指す「環境モデル都市」に国から認定され、さらに、2018年には内閣府から「SDGs未来都市」に選定されている。早くから環境への負荷を低減するための取り組みを行ってきた。しかし、地球温暖化や異常気象は簡単に抑えられるものではなく、それはスキー場の資源であるパウダースノーの質や、農作物の生育に大きく影響する。観光や農業で生計を立てている町民の生活をおびやかす。実際、ニセコ町でも近年はスキー場の雪質に変化が見られるという。地球温暖化防止は待ったなしの状況だ。

環境に負荷をかけずに二酸化炭素排出量を削減し、実質ゼロにするには「発電や産業、運輸など、化石燃料をエネルギー源として使用する際の二酸化炭素の発生を減らす」「太陽光や風力、水力、地熱、バイオマスなどを利用した再生可能エネルギーから電気をつくり使用する」などの方法がある。

「ニセコ町の場合、立地条件などから風力発電や水力発電は向いていません。林業や酪農業も規模が大きくないため、間伐材からつくられるチップを燃やすバイオマス発電や、酪農業から得られる家畜のふん尿を使ったバイオガス発電も難しい。再生可能エネルギーの活用が難しいのであれば、使用するエネルギーを削減することで二酸化炭素排出量を減らすしかありません。しかし、ニセコ町にはエネルギー消費量が大きな大規模工場が稼働するような産業がなく、町内でのエネルギー消費の約7割は一般家庭やホテル、公共施設など建物由来。特に、ニセコ町の冬は最高気温がマイナスの日が続くため、暖房に使われるエネルギーが大きい。それを減らすために、建物の断熱性能を高めるという選択にたどり着いたのです」(株式会社ニセコまち・村上敦さん。以下、村上さん)

建物のエネルギー消費を削減しなければというニセコ町の思いは、ニセコ町役場庁舎にも見ることができる。2021年に竣工した新庁舎は、高性能断熱材、アルゴンガス入りトリプルガラスの木製サッシが導入された超高断熱の建物。夏涼しく、冬暖かい庁舎には、町民ホールやキッズコーナー、授乳室などが設けられ、自然に町民が集まる地域の交流の場にもなっている。

ニセコ町役場新庁舎。LPGガスによるコージェネレーションシステム、高断熱材、高気密高断熱のトリプルサッシを導入。躯体外皮性能0.18W/平米・Kを実現し、全国の庁舎でもトップレベルの省エネ性能だ(画像提供/ニセコ町)

ニセコ町役場新庁舎。LPGガスによるコージェネレーションシステム、高断熱材、高気密高断熱のトリプルサッシを導入。躯体外皮性能0.18W/平米・Kを実現し、全国の庁舎でもトップレベルの省エネ性能だ(画像提供/ニセコ町)

木の温もりが感じられるニセコ町役場。1~2階は町民窓口がある執務室や防災対策室など、3階には町民が多目的に利用できる町民ホールや、コワーキングスペースにも使えるフリースペースがある(撮影/笠井義郎)

木の温もりが感じられるニセコ町役場。1~2階は町民窓口がある執務室や防災対策室など、3階には町民が多目的に利用できる町民ホールや、コワーキングスペースにも使えるフリースペースがある(撮影/笠井義郎)

窓はシラカバ材の木製サッシ。トリプルガラスが採用されている(撮影/笠井義郎)

窓はシラカバ材の木製サッシ。トリプルガラスが採用されている(撮影/笠井義郎)

ニセコ町に誕生する官民でつくる新たな街区「ニセコミライ」。環境と住宅問題の切り札に

環境負荷の低減のほか、ニセコ町が抱える慢性的な住宅不足に対応する、SDGsの視点から計画された新しい街区が「ニセコミライ」だ。開発の主体となっているのは、ニセコ町、地元企業、専門家集団が出資し、官民一体で立ち上げたまちづくり会社・ニセコまち。

「ニセコ町はもともと『まちづくりの主体は町民である』という住民自治の理念が基本にある町です。行政主導でもなく、地域外の大手企業に100%委ねるのでもなく、地域の人や企業を巻き込み、官民連携で挑戦しようとしています。そのため、住民が主体となって動けるように株式会社ニセコまちが設立されました」(村上さん)

ニセコミライがつくられるのはニセコ町役場などの公共施設や小中高校、幼児センター、飲食店などに歩いて行ける場所。将来的な計画では、約9haの敷地に、最大で450人程度が暮らすまちになる。

「第1工区は2022年10月から案内を開始しました。低層の木造集合住宅(木質化マンション)で分譲棟2棟、賃貸棟1棟と駐車場を予定し、現在造成工事中。オール電化で二酸化炭素を極力出さない住宅、暮らしがコンセプトです。最小限の光熱費で家中が暖かで、入居者個人の除雪や敷地管理の負担も少なく暮らしやすい住環境を整えます。また、第1工区の敷地内にはニセコミライの住民同士や周辺の住民の方との交流、子どもたちの遊び場など自由に使える住民共有の広場が設けられます」(株式会社ニセコまち・田中健人さん。以下、田中さん)

ニセコミライには、人口が増え移住希望者も多い、それなのに住宅が足りないという町が抱える課題の解消も期待される。

「ニセコミライのターゲットは主に、『現在の家が広すぎる、除雪が大変、市街地近くで生活をしたいなどで住み替えを考えているニセコに暮らしている方』『都市部からニセコに移ってきて、もっとニセコに溶け込みたい人』『ニセコに住みたいけれど、家がない』という方々です。分譲を開始してからは、別荘として使用したいという方からのお問合せも多いです。しかし、ニセコミライはもともと、町民の住み替えや、ニセコに根を張った暮らしをしたい人の移住を想定しています。ですから、特に、第1工区の一つ目の建物については、最終的にご購入いただく方すべてとお話しさせていただき、これからまちづくりに積極的に関わることを了承していただける方、ニセコ町のSDGsの理念に共感する方を優先してご案内しています」(田中さん)

目指すのは、ニセコに根を張り、コミュニティーに参加する人が暮らすまち。2025年以降に着工予定の第2工区は賃貸住宅とエネルギーセンター、シェアハウス、アトリエ、ランドリーカフェなどを予定。その後に着工する第3工区、第4工区はまちの需要に合わせた賃貸住宅や分譲マンションが計画されている。

ニセコミライは、環境に配慮し、「冬でも暖かく快適な暮らしをしたい」という町民の希望から導き出したコンセプトを形にする新しい街区(画像提供/ニセコまち)

ニセコミライは、環境に配慮し、「冬でも暖かく快適な暮らしをしたい」という町民の希望から導き出したコンセプトを形にする新しい街区(画像提供/ニセコまち)

2年前に建てられた集合住宅で実証実験中。これから生まれるニセコミライの家に活かされる

ニセコミライの集合住宅は、ニセコの厳しい冬をどれだけ快適に乗り越えられるのだろうか。2年前、ニセコ町の郊外にプロトタイプとなる集合住宅が建てられた。施工はニセコ町内の工務店が担当。ニセコミライを開発するスタッフと共に、高断熱住宅の先進国・ドイツを訪ね先進の高断熱住宅づくりを学ぶなど、地元の工務店にとっては技術力を高める機会にもなっている。(現在は、ニセコ町内の会社の従業員寮として使われているため取材時のみ公開)

ニセコまちのプロジェクトの実証実験として建てられた集合住宅(画像提供/ニセコまち)

ニセコまちのプロジェクトの実証実験として建てられた集合住宅(画像提供/ニセコまち)

「超高断熱・高気密の外壁と窓を採用しているため、冬季に使用する暖房は、建物全体を温める共用廊下のエアコン2台。このエアコンだけで外がマイナス14度でも、部屋の温度は19~20度を下回ることはありません。もう少し暖かくしたい場合は、各部屋についている500Wのパネルヒーターで室温を上げられます」(村上さん)

過酷な環境が、建物の耐久性にどう影響するかも気になるところ。

「冬は1階の窓の下半分くらいまで雪に埋もれてしまいます。外壁にクラック(ひび)が入らないか、重みで圧縮されて氷になってしまう雪の層は住宅にどのような影響を与えるのか、経過を見ながら、どれくらい耐久性があるかのテストをしているところです。結果は、ニセコミライで建てる住宅に活かしていく予定です」(村上さん)

共用廊下には2台のエアコンが設置されている。各住戸の玄関ドアの上に設けられた給気口から、基礎暖房として共用廊下のエアコンで温められた空気を室内に取り込む(撮影/笠井義郎)

共用廊下には2台のエアコンが設置されている。各住戸の玄関ドアの上に設けられた給気口から、基礎暖房として共用廊下のエアコンで温められた空気を室内に取り込む(撮影/笠井義郎)

窓の下にあるのは補助暖房として付けられているパネルヒーター。寒冷地ではトイレや脱衣室で使われるサイズだ。この集合住宅では、毎月数千円の共益費に基礎暖房代、駐車場代、除雪費、共用部分の清掃費が含まれている(撮影/笠井義郎)

窓の下にあるのは補助暖房として付けられているパネルヒーター。寒冷地ではトイレや脱衣室で使われるサイズだ。この集合住宅では、毎月数千円の共益費に基礎暖房代、駐車場代、除雪費、共用部分の清掃費が含まれている(撮影/笠井義郎)

外壁は厚さ10cmの柱と柱の間に、断熱材としてセルロースファイバー(蓄熱効果もあり、万が一火災で燃えても汚染物質を排出しない自然素材)が吹き込まれている。この集合住宅では、さらに防火性能の高いロックウールで外側をぐるりと囲む外断熱工法も採用し、ダブルでの断熱を実現している(撮影/笠井義郎)

外壁は厚さ10cmの柱と柱の間に、断熱材としてセルロースファイバー(蓄熱効果もあり、万が一火災で燃えても汚染物質を排出しない自然素材)が吹き込まれている。この集合住宅では、さらに防火性能の高いロックウールで外側をぐるりと囲む外断熱工法も採用し、ダブルでの断熱を実現している(撮影/笠井義郎)

窓にはアルゴンガス入りのトリプルガラスを採用。スマホで光を当てると、それぞれのガラスに光が反射し、3枚のガラスが使われていることがわかる(撮影/笠井義郎)

窓にはアルゴンガス入りのトリプルガラスを採用。スマホで光を当てると、それぞれのガラスに光が反射し、3枚のガラスが使われていることがわかる(撮影/笠井義郎)

ニセコまちの田中健人さん(写真左)と村上敦さん(写真右)(撮影/笠井義郎)

ニセコまちの田中健人さん(写真左)と村上敦さん(写真右)(撮影/笠井義郎)

ウッドショックで価格が上昇するなら、高断熱と電気のサブスクで住居費を抑える

町民や移住希望者のための分譲住宅や賃貸住宅が計画されているニセコミライだが、ここへきてウッドショックなどの建築資材高騰が影響し販売価格や想定家賃が当初の予定よりも上昇せざるを得ない状況。それでも通常の住宅と比較して入居者の経済的メリットに可能性を秘めているのは、建物の高い断熱性能と電気料金のサブスクだ。

「ニセコでは冬を乗り切るための暖房費が可処分所得を圧迫します。光熱費は暮らし方などで異なりますが、4人家族、一般的な木造一戸建てで月5万~7万円というケースも耳にしました。さらにこれからも、電気代などの光熱費は上がっていく見通しです。しかし、断熱性能の高いニセコミライの住宅では、2年前に完成した集合住宅で結果が出ているように光熱費を大きく抑えても暖かく快適に生活することが可能です。住宅ローンの返済や毎月の家賃がこれまでよりも多少増えたとしても、光熱費の大幅な削減でトータルでの住居費は抑えられるのではと考えています」(田中さん)

さらに、検討中なのが電気を安い時間帯に購入し、電気代を定額・低額に抑える電気料金のサブスクモデルだ。

「どの時間帯にどの電気を購入するのかはHEMSと自動制御を導入して管理会社である私たちニセコまちが行います。基本はオール電化住宅で電気の基本料金とエアコン、エコキュートのリース代・メンテナンス代を含めて月1万6000円の定額制を計画しています」(田中さん)

一定の範囲を超えて使用した分は従量制での課金も検討しているそうだが、寒い時期でも暖房費を気にせず快適に過ごせる安心感は大きい。

建物の性能を上げての省エネは、脱炭素社会を実現するためのスタンダードに

建物の断熱性を上げるというニセコ町での取り組みは、地元が経済的に潤う「域内経済循環」にもつながる。例えば『断熱による省エネ』で浮いた光熱費分のお金は、買い物をしたり外食をしたりといった地元や周辺地域での消費につながる。地元の工務店が断熱施工技術を学び、施工を行うことで、地元の工務店、職人の利益につながる。ニセコミライのような木造住宅で国産材を使用すれば、お金は地域、少なくとも国内に流通する。地域外に出ていってしまうお金を最小化するという自治体の戦略として汎用性があり、特に地方都市にとっては大きなメリットだ。

環境保護の面だけでなく、地域経済面でのメリットもある建物の高断熱化は、脱炭素社会を目指す自治体にとってこれからのスタンダードになるはずだ。

●取材協力
株式会社ニセコまち
ニセコ町役場

パリ郊外の元工場を自宅へ改装。グラフィックデザイナーが暮らすロフト風一軒家 パリの暮らしとインテリア[16]

パリ東側の郊外の街モントルイユは、アーティストに人気の住宅街です。家賃の高さや住まいの狭さに辟易したパリ在住アーティストたちが、広い住空間を求め、10年ほど前から移り住むようになりました。街を歩いていると、歩道に無造作に置かれた古本の段ボールや(「どうぞご自由に」というメモ付き!)、特徴的な色使いの外壁などから、クリエイティブな人たちが暮らすエリアであることがわかります。グラフィックデザイナーのギレーヌ・モワさんも、パリから移住してきたアーティストの1人。庭のあるロフト風の一軒家には、自由な空気が流れていました。

広さと緑を求め、思い切って郊外へ

「2009年にここに引越してくる前は、パリ13区に住んでいました。フランソワ・ミッテラン国立図書館のすぐそばにある古い広いアパルトマンで、かなり老朽はしていましたが、家族全員がとても気に入っていた住まいでした。ところがオーナーの希望で出てゆかねばならなくなり、ならいっそ賃貸から持ち家に変えようということになって」

最近夢中になっている陶芸作品を手にするギレーヌさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

最近夢中になっている陶芸作品を手にするギレーヌさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ギレーヌさんはイラストレーターとしても活動している(画像提供/ギレーヌさん)

ギレーヌさんはイラストレーターとしても活動している(画像提供/ギレーヌさん)

自然光がたっぷりと差し込む広々としたリビングで、引越しのいきさつを話してくれたギレーヌさん。室内はグリーンがいっぱい、一面ガラス張りで覆われた庭側の壁面から入る風景と相まって、屋内でもあり屋外でもあるような、不思議な開放感のある空間です。ここに暮らしたら、きっと誰だってストレスから解放されることでしょう。

リビングはグリーンが緩やかな仕切りの役割を果たしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングはグリーンが緩やかな仕切りの役割を果たしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

愛猫フィフィ。猫は3匹います(写真撮影/Manabu Matsunaga)

愛猫フィフィ。猫は3匹います(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「賃貸暮らしをやめて物件を購入すると決めた時、優先したのは何よりも広さでした。それまで暮らしていた13区のアパートが広かったので、それより狭くなることは論外だったのです。でも、パリの広い物件はどこも非常に高額。そこで郊外、となるわけですが、モントルイユにはメトロが通っているところが決め手になりました。パリ暮らしをしていた私たち家族にとって、メトロは不可欠なのです」

不動産屋を介し訪問したこの物件は、元工場だったという建築物。以前のオーナーが住居に改装した、ロフト風の一軒家でした。ギレーヌさんとパートナーは訪問するとすぐにこの物件が気に入り、即決したといいます。庭もあり、しかも庭の向こうは空き地で、日光を遮る建物はなく、空き地の緑の借景と静寂が約束されている……信じられない好物件! 

夏場は窓を全開に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

夏場は窓を全開に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭はバーベキューやアペリチフ(食前酒)を楽しむスペースとして大活躍(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭はバーベキューやアペリチフ(食前酒)を楽しむスペースとして大活躍(写真撮影/Manabu Matsunaga)

しかし元工場のロフト風一軒家は、住まいとしては好き嫌いがはっきりと分かれるところ。個性的で面白いと感じる人もいれば、風変わりすぎていてどう住んでいいいのかわからないと思う人もいるはず。ギレーヌさんのようなクリエイティブな人は当然前者で、レイアウトデザイナーである彼女のパートナーもまた前者です。2人にとっては個性的で面白い物件ですが、普通の家の間取りではありません。その特殊さを把握していただくために、玄関からぐるりとご案内させてください。

1階と2階、合わせて約250平米のたっぷり空間

まず、玄関前に立った時点から、ここが住まいの入り口のドアだとはあまり思えない外観をしています。例えるなら、オフィスの入り口のような? 大きなアルミサッシのガラス張りのドアがあり、ガラスの内側が暗い色のカーテンで目隠しされています。家の中が見えないので、プライバシーは守られているとはいえ、いわゆる「家」という雰囲気ではありません。
そのドアを押して玄関の内側に入り、先へ進むと、ブルーにペイントした壁一面がワインの木箱を転用した本棚で覆われています。この壁の裏手がシャワールーム、向かい側はテレビルーム。

ワイン箱を積み重ねて本棚に。ワイン箱は壁に固定していない。中に置いたものの重さだけでバランスを保っている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ワイン箱を積み重ねて本棚に。ワイン箱は壁に固定していない。中に置いたものの重さだけでバランスを保っている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓のない一室をテレビルームに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓のない一室をテレビルームに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランスの住まいでは、テレビはリビングの主役にならないことがほとんどです。狭いアパート暮らしの場合は別ですが、テレビ専用の部屋を確保している家は少なくありません。または、テレビをリビングに置かず、寝室に置く人も多いです。

本棚で覆われた廊下の先が、長い長方形のロフト空間。右手がアイランドキッチンで、左手がギレーヌさんのアトリエ、その先が広いリビング。それぞれのコーナーが壁で仕切られることなく、家具の配置とグリーンで緩やかに仕切られています。
アイランドキッチンは、購入時にはすでに存在していました。ただし、以前のオーナーはここをバーカウンターのように使っていたそうです。ギレーヌさんは植物をたっぷり置いて目隠しをし、キッチンとリビングの区切りをつけています。もちろんあくまでも緩やかに、流動的な仕切り方で。

そんな緩やかな仕切りのあるゆったり空間を歩いていると、あちこちに一休みスペースやディスプレーコーナーが隠れていて、なんとも面白いのです。

目の前に広がるロフト空間、右手がキッチン(写真撮影/Manabu Matsunaga)

目の前に広がるロフト空間、右手がキッチン(写真撮影/Manabu Matsunaga)

廊下からキッチンに入る空間の、くつろぎの演出。本とグリーンに囲まれた隠れ家のようになっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

廊下からキッチンに入る空間の、くつろぎの演出。本とグリーンに囲まれた隠れ家のようになっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンはアイランドタイプ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンはアイランドタイプ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

以前はカウンターとして使われていたアイランドキッチン。あえてグリーンをたくさん置き、独立させた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

以前はカウンターとして使われていたアイランドキッチン。あえてグリーンをたくさん置き、独立させた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アイランドキッチンの内側からは抜け感のいい室内の風景が見渡せる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アイランドキッチンの内側からは抜け感のいい室内の風景が見渡せる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「2階建てのこの建物の総面積は、だいたい250平米でしょうか。ここに引越してきたばかりのころは、夫と一人息子と私の3人で暮らしていました。でもすぐに息子は大学生になって、一人暮らしを始めて。以来ずっと夫婦2人だけで住んでいます。はい、2人暮らしでこの広さですよ。家は私の仕事場でもあり、1日のほとんどをここで過ごしていますから、ここで私が快適かどうかはとても重要なことなです」

2階にはギレーヌさん専用の仕事場と、パートナーの仕事場、夫妻の寝室、息子の寝室があります。ギレーヌさんの仕事場はバルコニー付きで、集中力を要する仕事の合間にふと一息つくのに好都合なのだそう。本当に、この開放感、自然を身近に感じられる環境は、ギレーヌさんにとって何にも変えがたいものなのでした。

ギレーヌさんのアトリエコーナー。ここでイメージを膨らませて、実際の作業は2階の仕事場で行う(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ギレーヌさんのアトリエコーナー。ここでイメージを膨らませて、実際の作業は2階の仕事場で行う(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アトリエコーナーの上に、ギレーヌさんの仕事場がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アトリエコーナーの上に、ギレーヌさんの仕事場がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階にあるギレーヌさんの仕事場。ここにもグリーンが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階にあるギレーヌさんの仕事場。ここにもグリーンが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングには薪ストーブが。リビングの大テーブルコーナーの向こうに、ギレーヌさんのアトリエコーナーがある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングには薪ストーブが。リビングの大テーブルコーナーの向こうに、ギレーヌさんのアトリエコーナーがある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

だだっ広い長方形の空間。実は演出が難しい?

広さ、明るさ、そして窓の外の緑。これだけ広い住まいなら、いくらでも工夫して楽しく暮らせそうです。が、意外にも、縦に長いロフト空間は、暮らしやすいレイアウトづくりが難しいとギレーヌさんは打ち明けてくれました。では、どのように克服しているのでしょうか?

リビング側から見たソファのコーナーと、その後ろ側にあるキッチン(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビング側から見たソファのコーナーと、その後ろ側にあるキッチン(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「各コーナーを魅力的に演出する小道具として、グリーンを使っています。もともとグリーンが好きなこともありますが、ただ単に家具の配置でコーナー分けをするよりもいい雰囲気になりますし、かといってつい立てなどとは違い空間の流動性が失われません」

仕切りのようでいて向こうが見える、グリーンならではの特徴を活用しているわけです。そのグリーンの数の多さにびっくりしますが、買ったものは1つしかないのだそう。わけ技をして増やしたり、路上に捨てられていたものを拾ってきたりしてこれだけの数になったと言います。
「みんな枯れたと思って捨てるのでしょうけれど、案外こうして蘇生できるものなのです」

グリーンと好相性のヴィンテージ家具は、パートナーの収集品です。
「パリ13区に住んでいたころ、すぐお隣にチャリティーショップがあって、彼はほとんど毎日そこへ行っていました。古いもの探しが趣味なのです。蚤の市やフリーマーケットにもちょくちょく出かけていますし、グリーンのように拾って来たものもありますよ。今はヴィンテージが流行っていますが、20年前はそうではなくて、古いものは単純に中古品としてとても安く買えました。広い家に住んでいると、そうやって集めたものを置いておく場所があります。そして集まったものたちは、自然と自分の居場所を見つけて、こうして調和しています」

薪ストーブのすぐそばに大テーブルコーナーが。冬は揺れる炎を見て楽しみ、夏は壁面全体を覆う窓を開け放ち開放感を享受(写真撮影/Manabu Matsunaga)

薪ストーブのすぐそばに大テーブルコーナーが。冬は揺れる炎を見て楽しみ、夏は壁面全体を覆う窓を開け放ち開放感を享受(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「これを買って家のあそこに置こう!」とか、「家のここに置くこんな家具があるといいな」と考えながら買いものをしないのが古いもの探しの極意、とよくいわれますが、ギレーヌさんの住まいを見ていると、どうも実際にそのようです。なんと、家具や食器類は、新しいものを買うことがほとんどないのだそう。とはいえ、ものとの一期一会だけで、うまい具合に必要なものが見つかるのでしょうか?

「不思議なものでこうやって常に古いもの探しをしていると、『サイドテーブルが欲しいな』と思って外に出ると、パッと出合ったりするものです。信じられませんか? でも本当にそうなのですよ! それから、あまりいろいろなものを必要としないことも重要なのかもしれませんね。あるものでやりくりすれば、案外なんとかなるものです」

ものとのグッドタイミングな出合いの話には驚きますが、広い空間と、好きになって連れてきた古いものたちさえあればなんとかなる、というスタンスは、実際うまくいく組み合わせのかもしれません。自分たちは古いもの探しが趣味だから、それらを気兼ねなく置いておける広い住まいが必要。そうはっきりとわかっていて、優先順位の一番高いところが満たされさえしていれば、あとはおおらかに、うまく対応できるような気がします。

気に入って集めたものたちは、暮らしに活かせてなんぼ!ホウロウのキッチンツールを壁にかけて飾る収納。もちろん、料理に使います(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ホウロウのキッチンツールを壁にかけて飾る収納。もちろん、料理に使います(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ギレーヌさん宅にもたくさんのものがありますが、家の中を見渡すと、それぞれのものが必ずなんらかの役割を果たしていることがわかります。先ほどギレーヌさんが「集まったものたちは、自然と自分の居場所を見つけて調和しています」と話してくれた、まさにそのとおり。椅子や棚がそれ専用の用途に使われているのは当然ですが、ホウロウの古いキッチンツールも飾りではなく日々の料理に使われ、未使用のクッキングストーブはコンソールテーブルになっている、といった具合です。
さらに、ギレーヌさんが散歩中に拾ってきた木の実や枝も、ディスプレーのオブジェになっていました。こういう何気ないものが素敵に映えるのは、やっぱり空間の広さがあってこそという気がします。

蚤の市で買ったグラス類に、散歩中に拾った木の実や、猫をブラッシングした時に出る毛を集めてつくった毛玉を入れて。こちらも飾りをかねた収納(写真撮影/Manabu Matsunaga)

蚤の市で買ったグラス類に、散歩中に拾った木の実や、猫をブラッシングした時に出る毛を集めてつくった毛玉を入れて。こちらも飾りをかねた収納(写真撮影/Manabu Matsunaga)

今ではヴィンテージとしてもてはやされている家具も、20年前はチャリティーショップで激安価格だった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

今ではヴィンテージとしてもてはやされている家具も、20年前はチャリティーショップで激安価格だった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

クッキングストーブはコンソールテーブルとして飾る収納に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

クッキングストーブはコンソールテーブルとして飾る収納に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ギレーヌさんが最近夢中になっている陶芸。食器やオブジェを手づくりして楽しんでいる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ギレーヌさんが最近夢中になっている陶芸。食器やオブジェを手づくりして楽しんでいる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分の作品をディスプレイできるのも、広い空間があればこそ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分の作品をディスプレイできるのも、広い空間があればこそ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この家のために買った2つの新品。その正体は?

中古品の使い込んだ風合と、たっぷり配されたグリーン。それが調和した居心地のいいロフト。そんなギレーヌさん宅にも、この家のために新調したものが2つだけあるといいます。それはなんでしょうか?

「鮮やかな黄色のカーテンと、テーブルコーナーの薪ストーブです。どちらも、この家のためにオーダーしました。カーテンの色を決めるときに、ナチュラルな生成りにするか、目の覚めるような黄色にするか、とても悩みましたが、黄色にしてよかったです。冬場の日が短い季節でも、このカーテンを引けばすぐに空間が明るくなりますから。麻の風合いも気に入っています。薪ストーブは家全体を暖めてくれますし、揺れる炎を見るのも好き。火の周りには人が集まりますよね。とても重要なアイテムです」

面積が多い分、大胆な色を選んで大正解だったカーテン(写真撮影/Manabu Matsunaga)

面積が多い分、大胆な色を選んで大正解だったカーテン(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新調した薪ストーブ。これと床暖房で冬は万全(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新調した薪ストーブ。これと床暖房で冬は万全(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭には薪ストーブ用の薪のストックが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭には薪ストーブ用の薪のストックが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分自身の居心地の良さを追求してつくったギレーヌさんの住まいは、まるでギレーヌさんその人のように、飾らず、自由。とても魅力的でした!

ギレーヌさんお気に入りのショップIna Luk。個性あふれるクリエイターのグッズを販売(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ギレーヌさんお気に入りのショップIna Luk。個性あふれるクリエイターのグッズを販売(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お隣の街、ヴァンセンヌの本屋さんMille Pages (写真撮影/Manabu Matsunaga)

お隣の街、ヴァンセンヌの本屋さんMille Pages (写真撮影/Manabu Matsunaga)

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ギレーヌ・モワさん(グラフィックデザイナー)
インスタグラム

●関連サイト
Ina Luk
Mille Pages

ニューヨーク人情酒場 現代のアメリカンドリーム・寿司職人に私はなる! 師匠は元意外な職業

ニューヨーク人情酒場へようこそ!これは、ブルックリンにある小さな酒場(レストラン)で起こったいろんな出来事。
大都会の夜、一杯の酒から始まる人間模様。作者はこのお店で今お寿司を作っているよ。

漫画

いきなり寿司職人になりませんか?と言われた※ミスター・ミヤギ:映画「ベスト・キッド」の登場人物。いじめられっこの主人公が住むアパートの管理人にしてカラテの達人

※ミスター・ミヤギ:映画「ベスト・キッド」の登場人物。いじめられっこの主人公が住むアパートの管理人にしてカラテの達人

いきなりまさかの展開です。でも、寿司職人に対する憧れはずっとあったので受けることにしました。
特別な資格や経験も乏しい移民がアメリカで生活していく上で職業の選択肢は決して多くないのですが、その中でも、特殊能力的な意味で寿司職人はいろいろな場所で重宝される印象があります。一発逆転した方がニュースで取り上げられたりもしていましたね。
中でもグルメの集まる都市、ニューヨークでの寿司職人の待遇はとても良く、アメリカンドリームの1つであるといっても過言ではありません。なんといっても高級な寿司店では一人当たりの単価が200~300ドル(日本円で2万7千円~4万円ほど)が当たり前という世界ですから……。その分、卓越したサービスを求められるのは間違い無いんですけどね。
ひとことで寿司職人といっても日本で職人に弟子入りして長く経験を積んだ方から、身一つでアメリカにやってきて生きるためにゼロから寿司を覚えた方まで三者三様。
しかし、手に職をつけていれば食うのに困らないというのは、まず間違いないといえるでしょう。

トシさん漫画

©1984 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

正直に言ってNYの寿司職人さんは昔ながらの日本人気質の方が多く、そしてほぼ全員が男性です。
ですが、トシさんはどうにもユニークな存在でした。女性を絶対的にリスペクトしており、さらに元々はボクサーをしていて世界中を旅したらしく、その後いろいろ経てアメリカ移住、寿司職人になり30年というかなり面白い経歴。
父親と同年代の方でしたがかなり自由な魂をもった方でした。そして同僚からは、「レミにはミスター・ミヤギがついたらしい」と言われまくりました。

忙しい日漫画

©1984 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

忙しいときこそ、その人の本性が出ると思っています。
トシさんの前向きな姿勢は本当に素敵だし、自分に対しても他人に対してもネガティブな言葉を発するところなんて一度も見たことがありません。
忙しい現場だからこそ、いい雰囲気で一緒に仕事できるよう心がけるというのは、口で言うのはたやすくてもなかなか実行できないものです。
こういうこともあって、私はどんなときも前向きで何があっても私を助けてくれるトシさんを、魔法少女ものでいうところのマスコットキャラ的な妖精なんだろうと思うようになりました。

ヤマモトレミ

作者:ヤマモトレミ
89年生まれ。福岡県出身。2017年、勤めていた会社の転勤でニューヨークに移住。仕事の傍ら、趣味でインスタグラムを中心に漫画を描いて発表していたところ、思った以上に楽しくなってしまい、2021年に脱サラし本格的に漫画家としての活動を開始。2022年にアメリカで起業し個人事業主になりました。ブルックリンのレストランで週4で寿司ローラーをやっています。

IoT技術で進化した「スマートバス停」が便利すぎる! インバウンド対応や自販機一体型も登場

最近、時刻表や広告などを液晶で表示したバス停が増えていると思いませんか? 運行、運休情報がすぐに確認でき、文字が時刻に合わせて自動で大きく表示されることに、便利だと感じた人も多いと思います。それは、IoT(モノのインターネット:モノがインターネット経由で通信すること)を活用した次世代のバス停「スマートバス停」です。デジタルのバス停との違いや、今、「スマートバス停」が全国に導入されている背景、開発の経緯や最新技術、利用者のメリットについて、取材しました。

最新のIoT技術を活用して開発された「スマートバス停」

以前から、広告付きバスシェルターやバスの接近情報案内板がデジタル化されたバス停はありました。「スマートバス停」は、一体どこが今までと違うのでしょうか。開発に携わったYEデジタル(ワイ・イー・デジタル)マーケティング本部の工藤行雄さんと事業推進部スマートバス停担当の筒井瑞希さんに伺いました。

左が従来のバス停。右が「スマートバス停」。バスの接近情報や時刻表、広告などがデジタル表示される(画像提供/YEデジタル)

左が従来のバス停。右が「スマートバス停」。バスの接近情報や時刻表、広告などがデジタル表示される(画像提供/YEデジタル)

「今までにない利点のひとつは、『スマートバス停』は、電源のない所にも設置できることです。日本国内にバス停は、53万基ありますが、その8割に電源がありません。そのため、従来のデジタル化されたバス停は、都市部への設置が主でした。『スマートバス停』は、反射型液晶という超低消費電力技術を用いたディスプレイに、太陽光発電パネルとバッテリーを組み合わせることで電源を必要としないなど、設置環境やニーズに合わせて選べる複数のモデルをご用意しています。そのため、給電しにくい郊外部にも設置が可能になりました。反射型液晶を使った郊外モデルでは、昼は太陽光の反射を活かし、夜間にはバックライトを使って電灯がない所でも高い視認性を保つことができます」(筒井さん)

今まで不便だった高齢者が多い郊外部のバス停でも、大きい文字で時刻表が見られたり、ダイヤ変更の際にすぐに情報が反映されるなど、利用者の利便性が大きく向上しました。

太陽光発電とバッテリーを搭載しているので、長期間日が当たらなくても稼働できる(画像提供/YEデジタル)

太陽光発電とバッテリーを搭載しているので、長期間日が当たらなくても稼働できる(画像提供/YEデジタル)

反射型LCDにバックライトを組み合わせることで、夜間でもよく見える(画像提供/YEデジタル)

反射型LCDにバックライトを組み合わせることで、夜間でもよく見える(画像提供/YEデジタル)

「情報が一覧できるため、複数の交通情報などにスマホでアクセスするのが難しい方にもわかりやすく、英語、中国語、韓国語の翻訳機能もあるため、インバウンド観光で訪れた人にも対応しています。路線バスの情報だけでなく、コミュニティバスの乗り継ぎ情報や航空便の運航状況が逐一表示されるなど、従来のデジタル化したバス停よりも、情報の統合が進んでいるのです」(筒井さん)

従業員の高齢化に悩むバス事業者を「スマートバス停」で働き方改革

「さらに、大きな特徴は、DX化(デジタル技術でビジネスモデルや働き方を変えること)により、バス会社の従業員の働き方改革をした点です」(工藤さん)

プロジェクトの立ち上げのきっかけとなったのは、2017年、工藤さんが、西日本鉄道、西鉄バス北九州、西鉄エム・テックと交わした雑談でした。

「そこで、全国のバス事業者が抱える問題について話題になったんです。年2回、バス停の時刻表を張り替える作業は、従業員総出で深夜まで行っていると知りました。従業員の高齢化や張り替え時の事故の危険性があり、コロナ禍によるダイヤの改正が増えたことも影響し、大きな負担となっていたのです」(工藤さん)

工藤さん。「『スマートバス停』は、まち全体をデジタル化するための第一歩。テクノロジーを使って、事業者にとっても利用者にとっても便利なバス業界にしていきたい」(画像提供/YEデジタル)

工藤さん。「『スマートバス停』は、まち全体をデジタル化するための第一歩。テクノロジーを使って、事業者にとっても利用者にとっても便利なバス業界にしていきたい」(画像提供/YEデジタル)

ダイヤ改正前の時刻表作成作業。ダイヤ改正日の当日深夜、運行管理者や運転手など、営業所総出で張り替え作業をしていた。西鉄バス北九州では、コロナ禍による飛行機の欠航に合わせ、月3回もダイヤ改正する時もあったという(画像提供/YEデジタル)

ダイヤ改正前の時刻表作成作業。ダイヤ改正日の当日深夜、運行管理者や運転手など、営業所総出で張り替え作業をしていた。西鉄バス北九州では、コロナ禍による飛行機の欠航に合わせ、月3回もダイヤ改正する時もあったという(画像提供/YEデジタル)

福岡県北九州市に本社を置くYEデジタルは、IoTを活用したさまざまなサービスを提供しています。工藤さんとバス事業者の会話がきっかけとなり、「バス事業者の抱える課題を解決するバス停をつくろう」と、2017年から、今までにないバス停をつくるプロジェクトが始まりました。

開発は、日本最大手のバス事業者西鉄グループと共同で行いました。高齢化が進む北九州市で、西鉄バス北九州が抱える課題は、全国のバス事業者に共通するのではないかと考えました。

「最も困難だったのは、電源の確保ですね。実は、今回のプロジェクト以前にも何回か商品化にチャレンジしてきましたが、電源問題で先へ進みませんでした。しかし、省電力化の技術が進み、蓄電池のコストも下がっていました。そこで、ソーラー蓄電池で稼働できる商品を開発。電源の有無に関係なく設置できるようになり、全国で8割を占める電源のないバス停のスマート化実現の可能性が一気に高まりました」(工藤さん)

苦労したのは、屋外での耐性面です。

「高湿度による結露を原因としたショート防止などの湿度対策、夏の暑さやアスファルトの照り返しなどへの対策、排気ガスへの耐性……ひとつひとつ課題を解決し、実証実験で検証を重ねました。完成した『スマートバス停』は、14県24事業者に導入され、約140基が稼働中です。販売を開始してから5年間で解約はゼロ。全国で順調に増えています」(工藤さん)

文字の拡大表示など今までにない機能で利便性アップ

バス事業者のメリットだけではなく、西鉄グループからは、「利用者の利便性を向上させるものを」と要望されていました。「紙の時刻表をデジタル表示するだけでは面白くない」と考えたマーケティング本部は、文字を拡大する機能を提案。西鉄グループと共同で運賃や路線、臨時ダイヤを含む連絡事項などの画面を指定した間隔で巡回表示する機能も新開発しました。

2020年1月に製品化された「スマートバス停」のラインアップは、繁華街モデルや市街地モデルのほか、太陽光パネルを使い充電するたびに繰り返し使える二次電池を用いた郊外モデル、電気使用量を最小限に抑え、完全に放電し終わったら取り換える一次電池を用いた楽々モデルの4タイプです。

左から繁華街モデル、市街地モデル、楽々モデル、郊外モデル。4つのモデルを基本形にして、バス事業者の要望に合わせてカスタマイズができる電源不要の郊外モデルと楽々モデルの登場は画期的だった(画像提供/YEデジタル)

左から繁華街モデル、市街地モデル、楽々モデル、郊外モデル。4つのモデルを基本形にして、バス事業者の要望に合わせてカスタマイズができる電源不要の郊外モデルと楽々モデルの登場は画期的だった(画像提供/YEデジタル)

北九州市小倉北区のスマートバス停。上からフライトインフォメーション、エアポートバスの運行情報、時刻表を掲載(画像提供/YEデジタル)

北九州市小倉北区のスマートバス停。上からフライトインフォメーション、エアポートバスの運行情報、時刻表を掲載(画像提供/YEデジタル)

2021年3月には、北九州空港線全路線に楽々モデルが導入されました。2路線23停留所へのスマートバス停化により、6時間以上かかっていた時刻表作成時間は1時間に、18時間かかっていた時刻表張り替え時間は0時間に短縮でき、ダイヤ改正1回に要するコストを96%削減できました。導入された西鉄バス北九州では空港線以外でのスマートバス停の設置が進んでおり、利用者からは、「急な運休情報もすぐに確認できて便利になった」「目が悪いので時刻が大きく表示されるのが助かる」という声が寄せられています。

異業種コラボでユニークな「スマートバス停」が続々登場

さらに、異業種とのコラボレーションでさまざまな「スマートバス停」が登場しています。広島電鉄×伊藤園のコラボで開発した自動販売機一体型サイネージ(電子看板)は、広島駅へ設置されました。時刻のお知らせや接近情報、広告を発信しながら、利用者に飲料水を提供できる自動販売機です。クリーニングボックス付きや地元銘菓が買えるユニークな「スマートバス停」の実証実験なども行ってきました。

左が自動販売機一体型サイネージ。真ん中は、タッチディスプレイを搭載した自動販売機一体型の「スマートバス停」。地元銘菓「くろがね堅パン」を購入した人はオリジナルフレーム付き記念写真の撮影ができる。右はクリーニング対応ロッカー付きバージョン(画像提供/YEデジタル)

左が自動販売機一体型サイネージ。真ん中は、タッチディスプレイを搭載した自動販売機一体型の「スマートバス停」。地元銘菓「くろがね堅パン」を購入した人はオリジナルフレーム付き記念写真の撮影ができる。右はクリーニング対応ロッカー付きバージョン(画像提供/YEデジタル)

まちづくりにおいても注目されており、福岡県みやま市では、自動運転×スマートバス停の実証実験を実施。スマートバス停とコミュニティバスの連携をテストしました。市の情報も表示し、市民がバス停に行くことで行政や民間の情報を得られるようにしてまちの活性化につなげます。

「スマートフォンとの連携もいずれ進めたいと思っています。地域の求人や物件情報がバス停に表示されれば、そこに住んでいる人にダイレクトに届けることができます。バスインフラのコストは、鉄道と比べて10分の1で、今後、市民の足としてますます重要になります。ニーズに対応しながら、全国に『スマートバス停』を広めていきたいですね」(工藤さん)

2021年9月の実証実験で、「スマートバス停」と「みやま市自動運転サービス」の連携を行った(画像提供/YEデジタル)

2021年9月の実証実験で、「スマートバス停」と「みやま市自動運転サービス」の連携を行った(画像提供/YEデジタル)

「スマートバス停」にQRコードを表示し、QRコードサイトから、産経新聞社の「探訪シリーズ」の写真がダウンロードできるサービス(画像提供/YEデジタル)

「スマートバス停」にQRコードを表示し、QRコードサイトから、産経新聞社の「探訪シリーズ」の写真がダウンロードできるサービス(画像提供/YEデジタル)

バス事業者の働き方と住民生活を支える「スマートバス停」。取材では、「簡易的なメッセージをスマートフォンからバス停に送って表示する」アイデアも飛び出しました。「スマートバス停」の表示板でサプライズのプロポーズをする、なんていうユニークな使い方も生まれるかもしれませんね。

●取材協力
株式会社 YEデジタル

コロナ後に地元を盛り上げたい人が増加。駄菓子屋やマルシェなど”小商い”でまちづくり始めてみました!

コロナ禍でリモートワークやステイホームが浸透し、自分が住む地域に目を向ける機会が増えている。地元のまちづくり活動を目にして、参加してみたいと思う人もいるのではないだろうか。これからは、住む街を選ぶという行為だけでなく、参加して変えていくことが、街との関係を考える上でのキーポイントになるかもしれない。全国の最新事例とともに、書籍『まちづくり仕組み図鑑』(日経アーキテクチュア編、日経BP 2022年9月発刊)の著者、早稲田大学教授の佐藤将之先生にお話を聞いた。

続くコロナ禍。身近な人やモノ、機会に目を向ける

佐藤先生の専門は建築計画・環境心理・こども環境。今年9月に、共著で『まちづくり仕組み図鑑』を上梓した。まちづくりに「無意識的」に参画できるような仕組みのポイントを解説しつつ、全国12の事例を取材・紹介して、新たな方向性を示した本だ。カラー写真や図が多く読みやすいので、まちづくりに興味がある人や、地元での楽しみ方を探している人は、ぜひ読んでみてほしい。

もともとは飲み友達だったという佐藤先生と安富啓さん(石塚計画デザイン事務所)、佐藤先生とはパパ友である馬場義徳さん(星野リゾートの海外事業グループユニットディレクター)の共著(写真提供/佐藤将之さん)

もともとは飲み友達だったという佐藤先生と安富啓さん(石塚計画デザイン事務所)、佐藤先生とはパパ友である馬場義徳さん(星野リゾートの海外事業グループユニットディレクター)の共著(写真提供/佐藤将之さん)

「すてきな偶然に出会ったり、予想外のものを発見したりすることを“セレンディピティ”といいますが、ビジネスにおいては、その偶然に“新たな価値を見出す能力”としてとらえられています。これは今回のテーマの一つであり、本の中でも、セレンディピティによって偶然の出会いを楽しみながらビジネスをするという、これからのまちづくりを紹介しています。

地元の会社と地域の人が連携して定期的にマルシェを開催する「DIY STORE三鷹」での事例(写真提供/佐藤将之さん)

地元の会社と地域の人が連携して定期的にマルシェを開催する「DIY STORE三鷹」での事例(写真提供/佐藤将之さん)

僕を含む共著の3人は、まちなどをプランニングする上で、プロセスを大事にしてきました。物理的環境に寄与したまちづくりではなく、本の中で“地元ぐらし”と呼んでいる暮らし方のような、『“身近なところに隠れているいろいろなもの”を大切にするまちづくりに、ビジネスの契機や幸運が埋もれているのでは? そして、それを逃している人が多いのではないか?』と考えたことが、この本を制作したきっかけです(佐藤先生、以下同)」

「自分が暮らす地域=地元」という認識があるなか、この本の中での“地元ぐらし”とは、単にその地域に住んでいる状態を指すのではなく、地域で出合う機会や人脈、地域のポテンシャルを活かしながら、楽しんでビジネスしている暮らし方という意味で使われる。

建築計画のほか、幼児や子どもが過ごす環境に関する研究も行う佐藤先生。『まちづくり仕組み図鑑』でも事例として紹介した「市民集団まちぐみ」(青森県八戸市)のTシャツを着こなす(写真提供/佐藤将之さん)

建築計画のほか、幼児や子どもが過ごす環境に関する研究も行う佐藤先生。『まちづくり仕組み図鑑』でも事例として紹介した「市民集団まちぐみ」(青森県八戸市)のTシャツを着こなす(写真提供/佐藤将之さん)

地元で相手の顔を見ながら、小さく始める

具体的には、コロナ禍が続く現在、まちづくりはどう変わっているのだろうか。

「コロナ以降のまちづくりのキーワードとしては、地元に目を向けることと、ビジネスを小さく始めるスモールスタートにチャンスがあるのではないかと思います。

スモールスタートの考え方は以前からありましたが、コロナ禍で人々が交流できなかったことの反動で、今は、人とのつながりの価値が高まり、リアルに会うことの大切さを、多くの人が実感しているのではないでしょうか」

そうなると、リアルに会いやすいのは地元で暮らす人であり、まずは地元で、顔の見える人たちを相手に小さく事業を始める、スモールスタートが向いている……といえそうだ。

「また、今は人を『“分ける”から“混ぜる”』に変化しています。昔は人口が増える社会だったので、人を『いかに分けるか』が課題でした。例えば、小学生がメインのイメージがある児童館において、首都圏では中高生用の児童館も誕生していた……、というように。でも人口が減少した今は、ニーズが低い用途の建物を単体で建てていては成り立たなくなり、『いかに混ぜてあげるか』が大事になっています。最近は、高齢者施設の入口に駄菓子屋が入っている例もあります。孤立しがちな高齢者とそのほかの人たちと混ぜるのはどうか?と考える動きが現れた、その一例です」

役目が広がる、現代の駄菓子屋の事例

さらなるキーワードを探して、具体的に事例を見ていこう。まずは、「ヤギサワベース」(東京都西東京市)という施設。グラフィックデザインのオフィスに駄菓子屋を併設して、デザイン業も拡大したという内容だ。

駄菓子がにぎやかに並ぶ「ヤギサワベース」の店内。壁のアートワークがカッコイイ(写真提供/佐藤将之さん)

駄菓子がにぎやかに並ぶ「ヤギサワベース」の店内。壁のアートワークがカッコイイ(写真提供/佐藤将之さん)

向かって左側が駄菓子売り場、右側の什器の仕切りの奥がフリースペース。子どもたちは駄菓子を食べたり宿題をしたりして自由に過ごす(写真提供/佐藤将之さん)

向かって左側が駄菓子売り場、右側の什器の仕切りの奥がフリースペース。子どもたちは駄菓子を食べたり宿題をしたりして自由に過ごす(写真提供/佐藤将之さん)

低層ビルの1階に位置し、駄菓子屋が営業を開始する午後には、子どもたちの自転車が集まってくる(写真提供/中村晋也さん)

低層ビルの1階に位置し、駄菓子屋が営業を開始する午後には、子どもたちの自転車が集まってくる(写真提供/中村晋也さん)

グラフィックデザイナーである中村晋也さんは、自身のデザイン事務所に併設する形で「ヤギサワベース」という駄菓子屋を始めた。駄菓子屋は参入障壁が低く、ビジネス構造も単純であることがわかったからだという。売り場の奥にはフリースペースがあり、子どもたちは自由に“たまる”ことができ、夜になると商店街の集会場所としても活用される。スペースを地域に開いたことをきっかけに、地元コミュニティーから本業のデザインの依頼も舞い込むようになったという。

「ヤギサワベース」がある柳盛会柳沢北口商店街の祭礼で、中村さんがポスターなどのデザインを担当(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」がある柳盛会柳沢北口商店街の祭礼で、中村さんがポスターなどのデザインを担当(写真提供/中村晋也さん)

中村さんは現在、西東京市で販売されているさまざまな商品のパッケージデザインなども担当し、地域でのネットワークを広げている。「ひばりが丘PARCO」や「ASTA」といった、市内の大型商業施設のデザインにも参画しているという。

自身のデザイン事務所に駄菓子屋を併設するスタイルは、地元での「スモールスタート」であり、人を「分けるから混ぜる」ことも含んだ事例だ。

西東京市のアンテナショップ「まちテナ 西東京」の責任者にもなり、店舗のデザインなども任されている中村さん。ここでも「まちづくり仕組み図鑑」が購入できるので要チェック!(写真提供/中村晋也さん)

西東京市のアンテナショップ「まちテナ 西東京」の責任者にもなり、店舗のデザインなども任されている中村さん。ここでも「まちづくり仕組み図鑑」が購入できるので要チェック!(写真提供/中村晋也さん)

「ひばりが丘PARCO」では、「西東京市カルタ展」の展示を担当(写真提供/中村晋也さん)

「ひばりが丘PARCO」では、「西東京市カルタ展」の展示を担当(写真提供/中村晋也さん)

佐藤先生によると、「そもそも、昔と比べて駄菓子屋の意味が変わってきています」とのこと。
「かつては、駄菓子屋といえばお菓子があり、子どもたちが集まっていました。でも近年は、子どもたちとそれ以外の人との交流の場としても活用されています」

「ヤギサワベース」のフリースペースでゲームなどを楽しむ子どもたち。遊び場に大人の目があるのは、親としても安心(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」のフリースペースでゲームなどを楽しむ子どもたち。遊び場に大人の目があるのは、親としても安心(写真提供/中村晋也さん)

現代において駄菓子屋は、多世代をつなぐ場としてのキーポイントに。以前SUUMOジャーナルでも紹介した、野田山崎団地にオープンした「駄菓子屋×設計事務所」の「ぐりーんハウス」の事例や、2022年度のグッドデザイン大賞を受賞した、店内通貨によって子ども食堂の役割を果たした奈良県の駄菓子屋「チロル堂」の事例も、駄菓子屋の新しい形といえそうだ。

地域の絆を大切に、スモールスタートで

ほかにも、地元に目を向けたスモールスタートの事例を2つ見てみよう。

「DIY STORE三鷹」(東京都三鷹市)は、東京の郊外でDIYショップを開く会社だ。地域連携の一環として、年2回、駐車場でマルシェを開催していることで、会社の認知度が向上し、住宅の改修工事の受注効果につながるなど、波及効果は大きいという。

マルシェに出店する手仕事の作家たちは、「DIY STORE三鷹」の店内でも、日常的に商品を販売することができる(写真提供/佐藤将之さん)

マルシェに出店する手仕事の作家たちは、「DIY STORE三鷹」の店内でも、日常的に商品を販売することができる(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」を運営するTLSグループの本業はビルメンテナンス事業やリフォーム事業。コロナ禍で人々が自宅をリノベーションしたり、これまで目を向けていなかった地元のお店に行ったりする頻度が増えたというライフスタイルの変化に着目。DIYショップやマルシェの活動を通して、地域とのコミュニティーを形成した。

「DIY STORE三鷹」のマルシェは、アパートの駐車場スペースを活用して開催。小さなスペースだからこそ、出店者や来場者に活発なコミュニケーションが生まれているという(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」のマルシェは、アパートの駐車場スペースを活用して開催。小さなスペースだからこそ、出店者や来場者に活発なコミュニケーションが生まれているという(写真提供/佐藤将之さん)

マルシェでは農作物を販売する市内の農家や、アクセサリーなどをつくって販売する近隣の造形作家、紙芝居屋さんやキッチンカーなどが集まる。2020年の初回から、1日当たり600人が来場したという。

「先日も、11月の初めの3日間、秋のマルシェが行われました。地元の人同士がつながるだけでなく、手仕事をしている人やDIYに関心がある人など、趣味の合う人がつながることがマルシェの強みです。出店を機に商談に発展することもあるほか、出店者同士のコラボなどが生まれています」

2021年11月に行われた、活況の秋のマルシェの様子(写真提供/佐藤将之さん)

2021年11月に行われた、活況の秋のマルシェの様子(写真提供/佐藤将之さん)

ビーズ編みや刺繍のアクセサリーを手掛ける地元作家の出店ブース(写真提供/佐藤将之さん)

ビーズ編みや刺繍のアクセサリーを手掛ける地元作家の出店ブース(写真提供/佐藤将之さん)

地元作家による手仕事の商品を前に、会話も弾む(写真提供/佐藤将之さん)

地元作家による手仕事の商品を前に、会話も弾む(写真提供/佐藤将之さん)

TLSグループの白石尚登代表は、マルシェスペース周辺のアパートを買取ってオーナーとなり、工作教室やシェアレンタルスペースとして貸出している。シェアレンタルスペースは日替わりで喫茶店やベーカリー、整骨院などになり、トライアルできるスペースと賃料によって、双方にメリットがあるという。

「DIY STORE三鷹」では、リノベーションしたアパートをシェアレンタルスペースとして喫茶店などに貸し出している(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」では、リノベーションしたアパートをシェアレンタルスペースとして喫茶店などに貸し出している(写真提供/佐藤将之さん)

DIYを見学し、シェアレンタルスペースのカフェでくつろぐ学生たち。カフェスペースがあることで、ふらりと訪れた若者も覗きやすい仕組みになっている(写真提供/佐藤将之さん)

DIYを見学し、シェアレンタルスペースのカフェでくつろぐ学生たち。カフェスペースがあることで、ふらりと訪れた若者も覗きやすい仕組みになっている(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝とArt&Hotel木ノ離」(岐阜県郡上市)は、岐阜県の郡上八幡に移住した建築家の藤沢百合さんが、スタジオの設立後、ゲストハウス「Art&Hotel木ノ離」を開業。“地元ぐらし”の場とした例だ。郡上八幡の2拠点に、住民や観光客が気軽に訪れる場をつくることで、出会いや持続的な関係を生み出す。

建築設計事務所「スタジオ伝伝」は、縁側に立ち寄って座れるようにしつらえている(写真提供/佐藤将之さん)

建築設計事務所「スタジオ伝伝」は、縁側に立ち寄って座れるようにしつらえている(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝」のエントランスは引き戸にして開放し、地域に対してオープンに(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝」のエントランスは引き戸にして開放し、地域に対してオープンに(写真提供/佐藤将之さん)

小さくビジネスを試してみて、周囲の反応を見ながら少しずつ成長させた藤沢さん。東京に設計事務所を残しつつ、郡上で空き家再生などの建築活動が根付いてから、オフィスを立ち上げた。そして定期清掃やお祭りの準備など、地域活動にも積極的に参加していた結果、「木ノ離」となる物件の大家とつながり、トライアルからゲストハウスを始めた。

「無理せず段階を経てビジネスを発展させていく、スモールスタートの例です。やりたいことを周囲に話しておくと、誰かしらが助けてくれたりするもの。藤沢さんが『空き家でゲストハウスをやりたい』と周囲に話したことで幸運を呼び込んだ、セレンディピティの例でもあります」

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

高齢男性のパワーと“複業” がキーワード

それでは、これからのまちづくりのポイントは?

「一つ目は、高齢者マンパワーに期待することですね。なかでも、退職後の高齢男性は、地元に肩書なしで付き合える仲間や居場所がないことがあり、1日中冷暖房の効いた公共施設で時間を潰している例を聞きました。活動のポテンシャルが活かされていないと感じています。高齢男性が無意識的に参画することができて、知らず知らずのうちに地域活動で躍動するような場や仕組みを提供できるなら、そこにビジネスチャンスがあるのでは」

女性は近所付き合いや自治会、子どものPTA活動などを通して、地域と接点があることが多いが、世代的に仕事人間だった高齢男性は、リタイア後に孤立しがちなようだ。
 
高齢男性のパワーを活かせるような地域での居場所や雇用方法を考えることが、これからキーワードの一つだ。

「二つ目は、“副業”というより“複業”を考える時代ということです」
通信・情報環境の進化や企業の副業解禁、働き方改革などの追い風で、“複業”は身近になっている。

「今はさまざまな人が、多彩な仕事や役割を担うことができます。『ヤギサワベース』における駄菓子屋のように、複業は自分の中で稼ぎ頭ではなくても、本業へ人々を引き込む力がある場合も」

子どもたちでにぎわう「ヤギサワベース」。大人にとっては懐かしい空間だ(写真提供/中村晋也さん)

子どもたちでにぎわう「ヤギサワベース」。大人にとっては懐かしい空間だ(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」ではワークショップも開催。この日は「好きな駄菓子を描く」がテーマ。イラストを見ると、それ自分も好きだった!と言いたくなる(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」ではワークショップも開催。この日は「好きな駄菓子を描く」がテーマ。イラストを見ると、それ自分も好きだった!と言いたくなる(写真提供/中村晋也さん)

今後の暮らし方でいえば、今住んでいる場所だけでなく、多拠点生活や移住も注目を集めている。移住先で“地元ぐらし”をするために心掛けることは?

「今回、書籍で扱った人たちの中には移住組も多いのですが、まず地元の人と一緒に作業に取り組んだり、顔なじみをつくってから生業を始めたりするなどのポイントがありました。周囲の人を無意識的に巻き込んで、共に楽しむことができれば、移住した先でも、地元ぐらしがうまくいくのではないでしょうか」

「地元ぐらし」「スモールスタート」「分けるから混ぜる」「副業から複業へ」など、現代のまちづくりや暮らし方のキーワードには、どれも納得。

筆者も地元が好き。ただこれまでは、「地元」を強調すると、その地で生まれ育っていない人が疎外感を覚えるのでは……と考えていたけれど、必ずしもそうではなさそう。そのまちを愛し、地域の人の役に立ちたいと考えて動き、楽しんでいたら、それは地元ぐらしであり、そこはもう「地元」になるのだ。

●取材協力
・早稲田大学人間科学学術院教授 佐藤将之先生
・まちづくり仕組み図鑑

瀬戸内国際芸術祭の舞台、人口800人弱の”豊島”に移住者が増えている! 「余白のある」島暮らしの魅力とは?

瀬戸内海に「豊島」という島がある。豊島と書いて「てしま」と読む。小豆島の西に位置する、人口768人(2020年国勢調査による)の小さな島だ。「瀬戸内国際芸術祭」の舞台にもなるので、アート好きには知られた島でもある。この島に9日間ほど滞在することになった。住民の高齢化が進むなか、移住者が多い島でもあると聞いて、話をうかがうことにした。

瀬戸内国際芸術祭秋会期中に施設の“助っ人”として訪れて

この島を訪れた理由は、この秋に開業した宿泊兼研修・イベント施設の「豊島エスポワールパーク」を手伝うためだ。「瀬戸内国際芸術祭」2022年秋会期と同時にオープンしたので「助っ人が必要だ」と知人から聞き、手を挙げた。

宿泊棟の全室から海が見える「豊島エスポワールパーク」。ここに助っ人として8日間通った(筆者撮影)

宿泊棟の全室から海が見える「豊島エスポワールパーク」。ここに助っ人として8日間通った(筆者撮影)

「瀬戸内国際芸術祭」とは、2010年にスタート以降3年に1度開催される、瀬戸内海の12の島と2つの港を舞台とする現代アートの祭典。会期中は国内外から多くの観光客が訪れる。豊島にも、豊島美術館や豊島横尾館などの数多くの作品が見られる。

筆者は、豊島エスポワールパークの寮に滞在したのだが、都心と違って建物が少ないからか空が大きく感じられ、空の景色も日々天候によって変わった。夜空の星もきれいに見えた。自然豊かな島ではあるが、あらかじめ「コンビニやスーパーはないので、必要なものは宅配で送るなどしてほしい」と言われていた。

島の中央にそびえる標高約340mの檀山(筆者撮影)

島の中央にそびえる標高約340mの檀山(筆者撮影)

檀山からの景色。右下に見える集落は豊島美術館のある唐櫃(からと)地区(筆者撮影)

檀山からの景色。右下に見える集落は豊島美術館のある唐櫃(からと)地区(筆者撮影)

島に雑貨店はあるが、品数は少なく欲しいものがないときも多い。「観光客お断り」の掲示がしてあるのは、地元住民の買い物を優先したいからだろう。欲しいものがあれば、通販で宅配してもらうか、船で隣の小豆島や岡山県の宇野、香川県の高松に出て買い求めることになる。ただし、船の便の本数は限られる。

一方豊島では、温暖な瀬戸内の気候のもと、米と種類豊富な野菜や果物を育てている。オリーブやミカン、イチゴなどの農園はあるが、それぞれの田畑で育てたものの多くは販売するのではなく、自給自足や物々交換で消費されるものらしい。収穫したものを自宅で食べたり近所に配ったり、そのお返しをもらったりという形だ。

東京で生まれ育った筆者には、なじみのない暮らし方だが、この島には都市部から移住してきた人が多いと聞いて、その理由を知りたいと思った。

まったく変わらない島で、念願だったコーヒーの焙煎所を開業

そこで、豊島エスポワールパーク館長の三好洋子さんに、移住者を紹介してもらった。田中健太さんは単身の45歳。島でコーヒー焙煎の仕事をしている。

「豊島焙煎所」を営む田中さん(筆者撮影)

「豊島焙煎所」を営む田中さん(筆者撮影)

以前は千葉の舞浜に住み、近くのテーマパークに勤務していた。そこを退社後、コーヒーや日本茶の仕事をしたかったので勉強を始めていたが、地域に関わる仕事がしたいと思い、倉敷市玉島の地域おこし協力隊に応募した。協力隊に採用されて担当したのは、朝市(マルシェ)活性化のプロジェクト。

協力隊として商工会議所に所属し、地域の商店とのネットワークを築くことは、将来コーヒー関連の仕事をする際にも活かされるとの思いもあって、2年間働いた。プロジェクトの成果は上がったが、倉敷市は移住するには思っていたよりも大きな街だと分かり、もっと自然の豊かな所で働きたいという思いが強くなった。

そのとき思いついたのが、テーマパーク勤務時代から観光で通っていた、瀬戸内国際芸術祭が開催される島だ。何度も芸術祭で島々を訪れていたが、多くの島がその都度にぎやかになっていくのに対し、豊島は全く変わらなかった。「この島で暮らしたい」と思って仕事を探したところ、「海のレストラン」の新しい店長として採用された。こうして、2018年に豊島への移住が実現した。

店長としてレストランの物品の仕入れなどをするうちに、地域の人たちとのつながりをもつこともでき、レストランの仕事と並行して2年前から念願のコーヒー焙煎の仕事「豊島焙煎所」を始めた。その2年後には店長を辞めて焙煎所に専念し、地元の土産販売店や宿泊施設、飲食店に焙煎したコーヒーを提供している。また、イベントに呼ばれて、屋台でコーヒーの販売をすることも多いという。

「海のレストラン」入社当初は勤務先の寮で暮らしていたが、いまは甲生(こう)地区の一戸建てを借りて住んでいる。「ぼくたちは植松チルドレンと言われているんですよ(笑)」という。なぜかというと、民泊「植松さん家」を営む植松さんが、地元の人に声をかけて移住者が住むための家を探してくれたからだという。

田中さんによると、甲生地区は、豊島の自治会のある3つの集落(ほかに家浦地区、唐櫃(からと)地区)のうち、最も小さい集落だという。人口が減るなか、移住者が増えることは歓迎したい、家の明かりがついているほうが安心できる、といった考えから家探しに協力をする植松さんがいるおかげで、この地区には移住者が多いのだとか。

甲生地区の移住者は同世代が多く、地域ネットワークができている。移住者たちで頻繁に集まって、情報共有などもしている。

田中さんが借りている住まい

田中さんが借りている住まい(筆者撮影)

純和風のお宅で、コーヒーをご馳走になった

純和風のお宅で、コーヒーをご馳走になった(筆者撮影)

妻の条件をクリアして、夫婦で移住。住み続けたいと思える島にしたい

さて、田中さんの取材を終えて、車で安岐石油まで送ってもらった。安岐石油は筆者が通う施設から滞在する寮までの往復途中にあり、レンタカーとレンタサイクルも営んでいるので、自転車を借りようと思ったからだ。店主の安岐さんは、車や自転車を借りに来た人たちに観光ルートを案内したり、開業したばかりの豊島エスポワールパークの紹介もしてくれたりしていたので、顔見知りではあった。

到着すると安岐さんに「田中さんと知り合いだったのか?」と聞かれ、記事にするために取材をさせてもらったと答えると、「それならおっちゃんが移住してきた人を紹介しちゃる」と声をかけてくれた。渡りに船と紹介してもらったのが、川端拓也(43歳)さん、亜希(39歳)さん夫妻だ。

川端さんのマイホームの前で。川端さん夫妻の間にいるのは、民泊を営む植松さん

川端さんのマイホームの前で。川端さん夫妻の間にいるのは、民泊を営む植松さん(筆者撮影)

2人が豊島に移住したのは、2019年11月。豊島移住のきっかけは、やはり「瀬戸内国際芸術祭」だ。拓也さんが旅行で来て、豊島がすっかり気に入ってしまい、知り合いをつくろうと何度も訪れるようになった。檀山に上ったら、凧揚げをしている地元の人がいて仲良くなったりといった具合だ。そのうち、高校の恩師が定年後にUターンして豊島にいると分かったこともあって、真剣に移住を考えるようになった。

問題は当時付き合っていた亜希さんだ。旅行先として豊島に連れてきて、その魅力をアピールした後、仕事を辞めて豊島に移住したいと申し出た。そのとき亜希さんが出した条件が2つある。1つは「仕事を辞めずに続けること」、もう1つが「当面の生活に困らないだけの貯金をすること」。生活の基盤を整えてからなら、移住先についていってもよいということだろう。

その条件はクリアしたものの、移住で最も大変だったのは家探しだった。川端さんは家を買おうと探したが、不動産会社はないし、空き家バンクはあっても、小豆島の物件が中心で豊島の物件はほとんどなく、家探しは難航した。ようやく家浦地区に見つけて契約という段取りになったが、契約日当日にキャンセルになった。移住事態をあきらめかけていたところで、恩師が家探しをサポートしてくれ、いまの家が見つかった。浴室の改修中には、恩師の義理の兄である植松さんの民泊のお風呂をしばらく借りるなど、お世話になっている。

増築して浴室を設けたり浄化槽を設置したりなどの大幅な改修もしたが、拓也さんが床のフローリングを張り替えたり亜希さんが壁に色を塗ったり壁紙を張り替えたりといったDIYも行っている

増築して浴室を設けたり浄化槽を設置したりなどの大幅な改修もしたが、拓也さんが床のフローリングを張り替えたり亜希さんが壁に色を塗ったり壁紙を張り替えたりといったDIYも行っている(筆者撮影)

こうして、川端さん夫妻の豊島への移住が実現した。川端さんはIT関係の仕事をリモートワークで続けているが、亜希さんは東京でのアパレルの仕事を辞め、豊島に来てからは収穫期のイチゴ農家やオリーブ農園などでアルバイトをして生活を支えている。いずれは、自身でつくった食材や島の食材を元にお店をやろうかと計画しているという。

家に併設された倉庫を改造して、拓也さんの仕事場にしている。中では干し柿をつくっていた(筆者撮影)

家に併設された倉庫を改造して、拓也さんの仕事場にしている。中では干し柿をつくっていた(筆者撮影)

川端さん夫妻は、自治会に入り、地域のお祭りや定期的に地域で行う草刈りなどに参加して、地域の人たちとの交流を深めている。自宅の庭で畑をやり始めると、近隣の農家の人たちが寄ってたかって、何をどう育てたらよいかなど助言をしてくれる。川端さんのほうでも、訪ねてくるお年寄りに、スマホの使い方を教えたり車を出したりしている。地域の人たちとは、持ちつ持たれつの関係なのだ。

いま亜希さんは妊娠中だ。今住みたいと移住した島だが、子どもが生まれた後も住み続けたい場所であってほしいと考えている。そこで、川端さん夫妻は移住者たちのネットワークを使って、地域イベントなどを積極的に開いている。例えば、ソーメン屋をたたんだ人から中力粉がたくさんあると聞いて、それを使った「うどんを食べる会」を開いたり、音楽の演奏ができる人を集めて「小さな音楽会」を開いたりして、地域の住民とのつながりを強めているのだ。

島暮らしは不便だらけ、それでも移住する魅力は?

田中さんも川端さんも、島暮らしは不便なことだらけだと口をそろえる。最も不便だと思うのは「島に病院がないこと」というのも、同じ意見だ。島の診療所に週4日、小豆島から医療スタッフが来るが、夜間診療など緊急時に困るという。ただしそれ以外は何とかなる、というのも同じ意見だ。

田中さんは「島への移住は憧れだけではできません。不便だけど、不便を楽しめる人でないと」と、川端さんは「不便だらけだけど、困るほど知恵が沸く。なければつくればよいんです」と。どうやら、豊島の移住者にはこうしたツワモノが多いようだ。

では、島暮らしの魅力は何か? 田中さんは地域の人たちとのつながりのなかで、念願だったコーヒー焙煎の仕事に就けた。店ごとにコーヒーの焙煎を変えるなどしているが、「檀山」や「硯(黄昏)」「硯(彼誰=かわたれ)」などの豊島にちなんだ名前を付けることも多く、パッケージやラベルも手づくりで用意している。以前のレストランとは繁忙期に副業として働くなど、その関係は今も続いている。

ショップ「ナミノミ」で販売されている、田中さんが焙煎したコーヒー。豊島は、瀬戸内国際芸術祭の主要な島でもあるので、芸術祭会期中はもちろん、会期外でも観光客が多く訪れる(筆者撮影)

ショップ「ナミノミ」で販売されている、田中さんが焙煎したコーヒー。豊島は、瀬戸内国際芸術祭の主要な島でもあるので、芸術祭会期中はもちろん、会期外でも観光客が多く訪れる(筆者撮影)

島暮らしの魅力について、亜希さんは「家族感」を挙げた。小さな集落だけに、住民はみな顔見知りだ。緩やかに大きな家族としてつながっているのが心地よいという。逆に「プライバシーを損なわれるのではないか」が気になったが、家族なら生活ぶりを見られても恥ずかしく思わないというので、なるほどと納得した。

そういえば、取材で川端さんの家を訪れたその場に、うわさの植松さんが近所の漁師さんが釣った魚のおすそ分けだとやってきたり、取材中にうどんの会の中力粉を提供した住民が亜希さんに子どもの産着を持ってきたりしていた。川端さんを紹介してくれた安岐さんも、灯油の配達の際に亜希さんが好きなパンを持ってきてくれたりするという。取材時間は1~2時間のことだったので、いかに頻繁に住民との行き来があるかが分かる。

一方、拓也さんは、「東京での生活には手を加えるところがなかったが、豊島での暮らしには余白があるのが楽しい」と言う。移住してきた自分たちでも、集落がよりよくなるためにできることがある。だからこそ、積極的に地域住民と交流するためのイベントを開き、お祭りなどの地域の伝統を継承しようとしているわけだ。

移住者たちは、植松さんの指導の下で棚田で米をつくっている(筆者撮影)

移住者たちは、植松さんの指導の下で棚田で米をつくっている(筆者撮影)

空き家はあるけど、買ったり借りたりできない!?

土庄町(とのしょうちょう)は、香川県の町で、瀬戸内海で2番目に大きい島である小豆島の西北部(小豆島のそれ以外は小豆島町)と豊島で構成される。土庄町は移住に力を入れており、小豆2町(土庄町・小豆島町)で「小豆島移住・交流推進協議会」を運営し、NPO法人Totie(トティエ)と連携してさまざまな移住者の受け入れ支援を行っている。「空き家バンク」や空き家リフォームの補助金なども用意している。川端さんも補助金を利用して、改修費用の一部に充てた。

ただし、空き家バンクは小豆島の物件が多く、豊島の物件はほとんど出てこない。だから、田中さんも川端さんも、家探しに苦労した。もちろん、豊島に空き家がないわけではない。島を歩けば多くの空き家に遭遇する。それでも、買ったり借りたりする家が見つからないということに、筆者はとても驚いた。

空き家はあっても、先祖代々の家を売ったり貸したりしたくないといった所有者自身の意向もあれば、所有者本人が同意したとしても、親戚筋への確認や近所の人たちとの調整などで先に進めない場合も多い。川端さんが最初に契約しようとしていた家も、それが原因で白紙になった。

だからこそ川端さんは、豊島に移住者を増やすために、「空き家を移住者に提供できるような取り組み」(家を探しやすければ移住しやすい)と「地元の人と仲良くなる取り組み」(地元に受け入れられ楽しく過ごせれば移住しやすい)を行っている。空き家を掃除しますと声をかけて所有者を探したりしているが、家の所有者が島外に出てしまい、連絡先が分からない場合も多いという。そうしたときに、地域の事情に精通した植松さんのような人がいてくれることが、とても助かるのだという。

田中さん・川端さんたちが住む甲生地区の穏やかな集落。男木島(おぎじま)が大きく見える(筆者撮影)

田中さん・川端さんたちが住む甲生地区の穏やかな集落。男木島(おぎじま)が大きく見える(筆者撮影)

甲生地区の海岸「ドンドロ浜」。大きなベンチは瀬戸内国際芸術祭の作品「海を夢見る人々の場所」(筆者撮影)

甲生地区の海岸「ドンドロ浜」。大きなベンチは瀬戸内国際芸術祭の作品「海を夢見る人々の場所」(筆者撮影)

移住者の熱意と地元のお節介さんがカギ!?

こうして豊島に移住してきた人の話をうかがって、思ったことがある。島への移住が成功するかどうかは、まずは移住者側の熱意だ。島の暮らしや時間の流れ方に溶け込み、伝統の継承を担うといった気構えも必要だ。加えて、植松さんや安岐さんのような、移住者と地域住民の間を取り持つ“お節介焼き”の存在が欠かせない。

地域住民のなかには、よそ者を嫌う人もいるだろうし、本気で定住するかどうか疑う人もいるだろう。ある意味でお節介なキーマンが間に入って取り持ってくれることで、移住者が島の生活になじみ、それを楽しんでいることが分かって多くの地域住民が歓迎するようになり、持ちつ持たれつの関係になる、というように輪が広がっていくのだろう。

島には70代・80代のお年寄りが多く、人口は減少を続けている。子どもは少なく、小・中学校はあるが、中学校は2016年に小学校に併設となり、今は校舎が空いている。一方で、豊島に移住してきた人たちに子どもが誕生し、自分の子どもに同級生が欲しいと思っている移住者も多いという。こうした移住者のネットワークが、新しい移住者を受け入れる体制を整備し、さらに大きな輪を広げようとしている。

自然豊かな景観や暖かい人との交流は変わってほしくないが、子どもの声がどこにでも聞こえる島になってほしいと思う。

収穫お手伝いで食事・宿を無償提供!? 国内外からサポーター集う「オキオリーブ」関係人口の起点に 高松市

香川県高松市にあるオリーブ農園「オキオリーブ」。「一粒ずつ丁寧に手摘みで収穫したオリーブから、収穫4時間以内で抽出する」という手法でつくられるオリーブオイルは、なかなか手に入らない幻の逸品だとか。そして、この「オキオリーブ」では、「収穫サポーター」なる、ちょっと変わった試みをされていると聞き、現地へ。元・証券マンという異色の経歴を持つ、オキオリーブ代表園主の澳敬夫(おき・たかお)さんにもお話を伺った。

地元・全国から無償で収穫を手伝うサポーターが参加

高松空港から車で約15分、秋晴れの空の下、丘の上のオリーブ畑に到着。すると幅広い世代の男女が、一粒ずつオリーブを収穫し、腰に付けたバスケットに入れている。実はこの方たち、スタッフはほんの一部で、多くは「収穫サポーター」と呼ばれる方々。無償で手伝ってもらう代わりに、園が食事や宿を提供するというもの。地元・香川県だけでなく、県外からやってくる人も多いとか。
「互いに特別の恩恵をはかりあう“互恵”という考え方です。参加される方の理由はさまざま。オリーブという食材、オーガニックなものや農作業に興味を持つ人、この温暖な気候に惹かれた人、旅の一つの選択肢として参加した人、観光では得られない体験を求めている人など。年齢も幅広いです」(澳さん)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

県外からの参加者は、通常は1日1組限定のゲストハウスとして使われている「澳邸」を宿泊施設として利用可能。男女別の相部屋で、まるで合宿所のような雰囲気だとか。「寝食を共にしつつ、農作業の中でも最も楽しい、収穫の喜びも共有してもらえたらと思っています」(澳さん)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。 元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。
元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

収穫サポーターに参加した、ぞれぞれの理由とは? 

撮影当日は今年初めて&2度目という方が多かったが、中にはほぼ毎年訪れている人もいるとか。
そこで、撮影当日に参加されていた方にどうして参加したのか、お話を伺ってみた。
大阪からやってきているというカップル。「もともと2人とも飲食系の仕事をしていて、収穫を自分でできるのはすごく面白いなって。いずれは自分たちのお店をやってみたいという夢もあって、国産オリーブの食材そのものにも興味がありました」

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

ドイツから訪れたという彼の職業はシェフ。「日本の美味しい食材について学びながら日本全国旅をしたいと思っています。まだ日本に着いたばかりで、最初がココなんです」

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

「WWOOF」というシステムを利用して、訪れている人も多い。これはオーガニックな農作物をつくる農家がホストとなり、お金のやりとりなしで、「食事・宿泊場所」と「力」そして「知識・経験」を交換するというもの。中には、こうした働き方をしながら全国旅をしている人も多く、他の現場で顔見知りになっている人もいるそうだ。なかには、耳が不自由ながら、みんなで筆談しながらコミュニケーションをとり「ココの楽しい雰囲気が気に入って、今回は2回目なんです」という方もいた。

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

生活環境、属性も違う面々が非日常を味わいに集う場所

東京、大阪、名古屋といった都市に暮らしながら、年に1回は収穫シーズンに合わせて参加している方もいる。「普段はパソコンに向かっているばかりの毎日だけれど、この環境で身体を動かしてひとつひとつ実を摘んでいく作業はすごく心地いいんです」という声も。何度か訪れているうちに、観光地を訪れるより少し深く、濃く、この場所が特別になっていくのも、この取り組みのメリットだろう。

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

もちろん、香川県在住の方も多い。「地元がここだけれど、普通の会社員だから、こんな場所、こんな取り組みがあるとは知らなくて。私たちが何も知らないのはどうかと思って参加してみたら、楽しくて今回が2回目の参加です」という方もいれば、「もともとは併設のカフェの客だったんです。で、収穫体験できるんだ、と一度経験したら、楽しくて。今回はお友達を誘ってみました」と地元民ならではの気軽さで参加している方もいる。

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

撮影当日は、以前オキオリーブを取材したことのある記者さんが、朝イチの飛行機で東京から参加していた。こうした縁が広がっていくのも面白い。住まい、環境、年齢、属性の違うさまざまな人たちが、同じ空の下、作業をして、休憩して、語らう。美しい光景だ。

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

最初は海外からの旅行者が中心。コロナ禍で変化が

澳さんが、こうした農業サポーターを始めたのは5年前。当初は前述の「WWOOF」で、多くの外国人を受け入れたのがスタートだ。
「最初は、正直いうと、シンプルに収穫に人手がほしかった部分もありました。しかし、ホストファミリーとして、海外の方々を受け入れているうちに、ああ、これは、労働の対価として宿や食事を提供するという単純なものではないなぁと思いました。世界中からいろんな方が来ましたよ。オックスフォードの大学生、医者の卵、建築家、弁護士。お金じゃないんですよね。暮らすように旅をする、日本の食文化を知る、人と人とが繋がる、そういう数字には換算できないものを求めて彼らは来てくれているんだと思いました」(澳さん)

(画像提供/オキオリーブ)

(画像提供/オキオリーブ)

しかしコロナ禍で海外からの渡航者が激減。海外のサポーターの代わりに増えたのが国内の大学生の参加だ。「コロナ禍で学校が休校になったから、と参加してくれるようになったんです。また、海外を旅することはできないから、と国内からの参加も増えましたね」(澳さん)

海外から国内へとシフトする中で、変化も。
「海外の方だと、基本的には1回限り。ココはたくさん旅をする場所のひとつにしか過ぎなかったでしょう。しかし、地元の人やリピーターが増えていくと、少し関わり方も変わってきました。自然と顔見知りは増えますし、リピーターの人が初参加の人に摘み方を教えてあげたり、居住地が近い参加者同士で後日、交流していたり、この場が継続的な、もっと濃い交流の場となっている気がします」(澳さん)

継続的に関わることで生まれる、特別な「場」という意識

そこで、5年前からほぼ毎シーズン参加しているIさんにお話を伺った。最初は娘の秋休みに合わせて親子で参加できる農作業はないか探していたところ、オキオリーブ収穫サポーターを知り、参加したという(現在、収穫サポーターは16歳以上)。

「全国、いや世界中を放浪している若い方たちがいっぱいいたんですよ。娘はお兄さんお姉さんにいっぱい遊んでもらいました。彼らは本当に自由でオープンマインド。私は普通の人生を歩んできた人間なので、ああ、そんな生き方があるんだ、と目からウロコでした」(Iさん)

また、地元の農家さん、澳さんの友人などが顔を出し、一緒にお酒を飲むこともある。そうして何の縁もなかった高松の地が「特別な地」になった。
「地名をいえば、そこで一緒に過ごした方の顔が浮かぶ。子どもにとっても私にとっても繰り返し訪れる地は特別。1回限りの観光で訪れる土地とは、やはり愛着は違います」(Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

音楽やアート。この場でこそ味わえる経験をシェアしたい

ここでの関わり方は収穫などの農作業だけではない。
「大工仕事をやってもらうこともありますし、“こんなことをしてみたい”と提案されることもあります。以前、フランス人のアーティストが、農作業の合間に、壁にオリーブの木を描いてくれたこともありました。あ、こちらのカラフルな壁は地元の大学生の作品。こうした作品も、この青空の下、風を感じる丘の上、といったロケーション込みでアートになるんだなと思っています」(澳さん)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

また、現在このオリーブ畑はキャンプ場、グランピングの場としても利用可能。農作物の栽培という枠組みを超えて、さまざまな人が「関わる余地のある場」となっている。
さらに、敷地内にある小屋のなかには、澳さんの友人の職人による「Sanuki Tekki」の工房があったり、知り会いのミュージシャンによるジャズライブや、地元のシェフを呼んだイベントなども開かれたりしている。

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

場所の力は大きい。オンラインでさまざまなことが可能になったからこそ、その場所に足を運ばなければ体験できないことは特別な意味を持つだろう。それが継続的な体験になり、まったく縁のない人に、この地が特別な所になっていく。
「ゆくゆくは、ギャラリーもつくって、音楽、アート、食、さまざまなカルチャーを媒体に、さまざまな人が交わる場所になったらと思っています。どうしても地方創生というと、移住や住んでもらおうとしがちだけれど、そうではなくて、この土地のサポーターを増やしていけたらいいですよね」(澳さん)

●取材協力
オキオリーブ

収穫お手伝いで食事・宿を無償提供!? 国内外からサポーター集う「オキオリーブ」関係人口の起点に 高松市

香川県高松市にあるオリーブ農園「オキオリーブ」。「一粒ずつ丁寧に手摘みで収穫したオリーブから、収穫4時間以内で抽出する」という手法でつくられるオリーブオイルは、なかなか手に入らない幻の逸品だとか。そして、この「オキオリーブ」では、「収穫サポーター」なる、ちょっと変わった試みをされていると聞き、現地へ。元・証券マンという異色の経歴を持つ、オキオリーブ代表園主の澳敬夫(おき・たかお)さんにもお話を伺った。

地元・全国から無償で収穫を手伝うサポーターが参加

高松空港から車で約15分、秋晴れの空の下、丘の上のオリーブ畑に到着。すると幅広い世代の男女が、一粒ずつオリーブを収穫し、腰に付けたバスケットに入れている。実はこの方たち、スタッフはほんの一部で、多くは「収穫サポーター」と呼ばれる方々。無償で手伝ってもらう代わりに、園が食事や宿を提供するというもの。地元・香川県だけでなく、県外からやってくる人も多いとか。
「互いに特別の恩恵をはかりあう“互恵”という考え方です。参加される方の理由はさまざま。オリーブという食材、オーガニックなものや農作業に興味を持つ人、この温暖な気候に惹かれた人、旅の一つの選択肢として参加した人、観光では得られない体験を求めている人など。年齢も幅広いです」(澳さん)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

県外からの参加者は、通常は1日1組限定のゲストハウスとして使われている「澳邸」を宿泊施設として利用可能。男女別の相部屋で、まるで合宿所のような雰囲気だとか。「寝食を共にしつつ、農作業の中でも最も楽しい、収穫の喜びも共有してもらえたらと思っています」(澳さん)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。 元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。
元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

収穫サポーターに参加した、ぞれぞれの理由とは? 

撮影当日は今年初めて&2度目という方が多かったが、中にはほぼ毎年訪れている人もいるとか。
そこで、撮影当日に参加されていた方にどうして参加したのか、お話を伺ってみた。
大阪からやってきているというカップル。「もともと2人とも飲食系の仕事をしていて、収穫を自分でできるのはすごく面白いなって。いずれは自分たちのお店をやってみたいという夢もあって、国産オリーブの食材そのものにも興味がありました」

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

ドイツから訪れたという彼の職業はシェフ。「日本の美味しい食材について学びながら日本全国旅をしたいと思っています。まだ日本に着いたばかりで、最初がココなんです」

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

「WWOOF」というシステムを利用して、訪れている人も多い。これはオーガニックな農作物をつくる農家がホストとなり、お金のやりとりなしで、「食事・宿泊場所」と「力」そして「知識・経験」を交換するというもの。中には、こうした働き方をしながら全国旅をしている人も多く、他の現場で顔見知りになっている人もいるそうだ。なかには、耳が不自由ながら、みんなで筆談しながらコミュニケーションをとり「ココの楽しい雰囲気が気に入って、今回は2回目なんです」という方もいた。

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

生活環境、属性も違う面々が非日常を味わいに集う場所

東京、大阪、名古屋といった都市に暮らしながら、年に1回は収穫シーズンに合わせて参加している方もいる。「普段はパソコンに向かっているばかりの毎日だけれど、この環境で身体を動かしてひとつひとつ実を摘んでいく作業はすごく心地いいんです」という声も。何度か訪れているうちに、観光地を訪れるより少し深く、濃く、この場所が特別になっていくのも、この取り組みのメリットだろう。

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

もちろん、香川県在住の方も多い。「地元がここだけれど、普通の会社員だから、こんな場所、こんな取り組みがあるとは知らなくて。私たちが何も知らないのはどうかと思って参加してみたら、楽しくて今回が2回目の参加です」という方もいれば、「もともとは併設のカフェの客だったんです。で、収穫体験できるんだ、と一度経験したら、楽しくて。今回はお友達を誘ってみました」と地元民ならではの気軽さで参加している方もいる。

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

撮影当日は、以前オキオリーブを取材したことのある記者さんが、朝イチの飛行機で東京から参加していた。こうした縁が広がっていくのも面白い。住まい、環境、年齢、属性の違うさまざまな人たちが、同じ空の下、作業をして、休憩して、語らう。美しい光景だ。

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

最初は海外からの旅行者が中心。コロナ禍で変化が

澳さんが、こうした農業サポーターを始めたのは5年前。当初は前述の「WWOOF」で、多くの外国人を受け入れたのがスタートだ。
「最初は、正直いうと、シンプルに収穫に人手がほしかった部分もありました。しかし、ホストファミリーとして、海外の方々を受け入れているうちに、ああ、これは、労働の対価として宿や食事を提供するという単純なものではないなぁと思いました。世界中からいろんな方が来ましたよ。オックスフォードの大学生、医者の卵、建築家、弁護士。お金じゃないんですよね。暮らすように旅をする、日本の食文化を知る、人と人とが繋がる、そういう数字には換算できないものを求めて彼らは来てくれているんだと思いました」(澳さん)

(画像提供/オキオリーブ)

(画像提供/オキオリーブ)

しかしコロナ禍で海外からの渡航者が激減。海外のサポーターの代わりに増えたのが国内の大学生の参加だ。「コロナ禍で学校が休校になったから、と参加してくれるようになったんです。また、海外を旅することはできないから、と国内からの参加も増えましたね」(澳さん)

海外から国内へとシフトする中で、変化も。
「海外の方だと、基本的には1回限り。ココはたくさん旅をする場所のひとつにしか過ぎなかったでしょう。しかし、地元の人やリピーターが増えていくと、少し関わり方も変わってきました。自然と顔見知りは増えますし、リピーターの人が初参加の人に摘み方を教えてあげたり、居住地が近い参加者同士で後日、交流していたり、この場が継続的な、もっと濃い交流の場となっている気がします」(澳さん)

継続的に関わることで生まれる、特別な「場」という意識

そこで、5年前からほぼ毎シーズン参加しているIさんにお話を伺った。最初は娘の秋休みに合わせて親子で参加できる農作業はないか探していたところ、オキオリーブ収穫サポーターを知り、参加したという(現在、収穫サポーターは16歳以上)。

「全国、いや世界中を放浪している若い方たちがいっぱいいたんですよ。娘はお兄さんお姉さんにいっぱい遊んでもらいました。彼らは本当に自由でオープンマインド。私は普通の人生を歩んできた人間なので、ああ、そんな生き方があるんだ、と目からウロコでした」(Iさん)

また、地元の農家さん、澳さんの友人などが顔を出し、一緒にお酒を飲むこともある。そうして何の縁もなかった高松の地が「特別な地」になった。
「地名をいえば、そこで一緒に過ごした方の顔が浮かぶ。子どもにとっても私にとっても繰り返し訪れる地は特別。1回限りの観光で訪れる土地とは、やはり愛着は違います」(Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

音楽やアート。この場でこそ味わえる経験をシェアしたい

ここでの関わり方は収穫などの農作業だけではない。
「大工仕事をやってもらうこともありますし、“こんなことをしてみたい”と提案されることもあります。以前、フランス人のアーティストが、農作業の合間に、壁にオリーブの木を描いてくれたこともありました。あ、こちらのカラフルな壁は地元の大学生の作品。こうした作品も、この青空の下、風を感じる丘の上、といったロケーション込みでアートになるんだなと思っています」(澳さん)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

また、現在このオリーブ畑はキャンプ場、グランピングの場としても利用可能。農作物の栽培という枠組みを超えて、さまざまな人が「関わる余地のある場」となっている。
さらに、敷地内にある小屋のなかには、澳さんの友人の職人による「Sanuki Tekki」の工房があったり、知り会いのミュージシャンによるジャズライブや、地元のシェフを呼んだイベントなども開かれたりしている。

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

場所の力は大きい。オンラインでさまざまなことが可能になったからこそ、その場所に足を運ばなければ体験できないことは特別な意味を持つだろう。それが継続的な体験になり、まったく縁のない人に、この地が特別な所になっていく。
「ゆくゆくは、ギャラリーもつくって、音楽、アート、食、さまざまなカルチャーを媒体に、さまざまな人が交わる場所になったらと思っています。どうしても地方創生というと、移住や住んでもらおうとしがちだけれど、そうではなくて、この土地のサポーターを増やしていけたらいいですよね」(澳さん)

●取材協力
オキオリーブ

土間や軒下をお店に! ”なりわい賃貸住宅”「hocco」、本屋、パイとコーヒーの店を開いて暮らしはどう変わった? 東京都武蔵野市

「なりわい賃貸住宅」、「暮らしの町あい所」として話題になった「hocco(ホッコ)」。13戸の賃貸住宅のうち5戸は居住者がなりわいとしてお店を開ける店舗兼用住宅だ。誕生から1年が経過し、「グッドデザイン賞」も受賞した。いま、そこに住む人はどんな暮らし方をしているのだろうか? 再び、訪れることにした。

2022年度グッドデザイン特別賞を受賞した「hocco(ホッコ)」は今?

2021年10月に筆者は「武蔵野市に店舗兼用の『なりわい賃貸住宅』が誕生!住宅街に顔の見える交流拠点を」という記事を書いた。東京都武蔵野市に、小田急バスが自社のバス折返場に建設した複合施設「hocco(ホッコ)」を取り上げたものだ。

hoccoは2022年10月に、2022年度グッドデザイン特別賞・グッドフォーカス賞[地域社会デザイン]を受賞した。「住宅地の真ん中にあるバスターミナルを地域交流拠点として開発した新しい取り組み」として評価されたものだ。審査員のコメントを見てみよう。

「駅から離れた立地のバスターミナルに店舗併用の賃貸住宅を建てることで、住む人の『なりわい』が地域の人々の新しい交流を生む魅力的な場となっている。中庭に面して店舗が並び、店舗は土間と軒先の空間を通じて中庭へと繋がる。軒下があることで人は気持ちよくお店の前でたたずみ、住む人とその『なりわい』に出会うことができる。個性あふれる『なりわい』が魅力となり、地域の人が自然に集まれる場ができている」

1年前、hocco誕生の際には、その仕掛けが面白いと思い、取材して記事にした。それが、入居が始まって1年経った今、実際にはどんな「なりわい」や「地域の人との出会い」が生まれているのだろうか? hoccoの建築設計・賃貸管理をしているブルースタジオの広報・平尾美奈さんに案内してもらった。

全13戸の賃貸住宅『hocco』(撮影/片山貴博)

全13戸の賃貸住宅『hocco』(撮影/片山貴博)

hocco配置図(画像提供/ブルースタジオ)

hocco配置図(画像提供/ブルースタジオ)

hoccoは、13戸の賃貸住宅が中庭を囲むように建ち、バスターミナルに近い5戸が店舗兼用住宅となっている。その特徴は、中庭に開かれた土間だ。「土間」と玄関前の「軒下」で“なりわい”を行うことができる。

04S号室「rn press + RIGHT NOW BOOKSTAND」(撮影/片山貴博)

04S号室「rn press + RIGHT NOW BOOKSTAND」(撮影/片山貴博)

※04S号室の間取り(画像提供/ブルースタジオ)

※04S号室の間取り(画像提供/ブルースタジオ)

現在は、次のような店舗が営業されている。
01S号室「l’atelier de nature(ラトリエ ド ナチュール)」:パンと焼き菓子の店
03S号室「玉草屋」:庭・外構・室内観葉のデザイン施工の店で、店舗で植物を販売
04S号室「rn press + RIGHT NOW BOOKSTAND」:新書古本を扱う書店
05S号室「オーブン屋」:オーブン料理のテイクアウト専門店。弁当販売も
13S号室「The Pie Hole LA 小金井公園」:パイとコーヒーの店

店長は猫のモリオ。本を買うためだけでないコミュニケーションが生まれる店

なりわい賃貸の居住者の一人、株式会社rn press代表取締役の野口理恵さん(41歳)が切り盛りする、書店「RIGHT NOW BOOKSTAND」(04S号室)を訪れた。この書店の店長は猫のモリオだ。

エキゾチックショートヘアのモリオ(1歳10カ月)。人懐っこいので、店長に任命された!?(撮影/片山貴博)

エキゾチックショートヘアのモリオ(1歳10カ月)。人懐っこいので、店長に任命された!?(撮影/片山貴博)

そもそもここに入居を決めたのは、猫のモリオが発端だった。コロナ禍で野口さんとパートナーが家にいるようになってから二人とも外出すると、高齢の猫・うなぎが鳴くようになり、新しく子猫のモリオを飼うようになった。元気がよすぎるモリオのために、ペットが飼える階段のあるメゾネットの賃貸住宅を探していた時に出合ったのが、hoccoだ。土間を自由に使ってよいと聞き、編集の仕事を長くしていることから、土間を書店にしたらどうかと思いついた。

04S号室「rn press + RIGHT NOW BOOKSTAND」1階の事務所。2階がプライベート空間。テーブルの上の籠の中にいるのが6歳のうなぎ。ここに引越してから生後10カ月のマニも飼い始めた(撮影/片山貴博)

04S号室「rn press + RIGHT NOW BOOKSTAND」1階の事務所。2階がプライベート空間。テーブルの上の籠の中にいるのが6歳のうなぎ。ここに引越してから生後10カ月のマニも飼い始めた(撮影/片山貴博)

自分がセレクトした本を置けたらよいと思い、いろいろな本屋のレイアウトをリサーチしたが、最終的には知り合いの元木大輔さん主宰のデザインスタジオDaisuke Motogi Architecture (現DDAA)に本棚の造作を依頼した。本のサイズはそのジャンルによっても変わるので、どんなジャンルの本を何冊ほど置きたいとイメージを固め、それに合わせて本棚をつくってもらった。

野口さんのご自慢の“本が浮いているように見える”ようデザインされた本棚(撮影/片山貴博)

野口さんのご自慢の“本が浮いているように見える”ようデザインされた本棚(撮影/片山貴博)

本業の編集の仕事を続けながら、副業の本屋の仕事も加わり、かなり大変ではないかと心配になったが、「むしろ本業がはかどるようになった」という。月曜~水曜は本屋を休んで本業に充て、木曜~日曜は本屋を営業するスタイルを取っている。本屋の営業日は1階の事務所にいる必要があるので、事務作業や執筆業務を集中してでき、以前よりメリハリがついてはかどるのだとか。本屋営業日に編集の仕事が入ることもあるので、営業は不定期となるが、インスタグラムやツイッターで営業時間を告知している。

では、本屋の営業状況はどうだろう? 以前の賃貸住宅の家賃との差額分を稼げればいいという程度に考えていたが、それを十分に超える収入になっているという。よく売れるのは「料理本」と「絵本」だ。近くに小さな子どものいる家庭が多いからだが、子どもたちは本よりも猫のモリオやマニがお気に入りだ。閉店時でもガラス越しにモリオを呼ぶ子どもの声が聞こえることもあるという。

年配の方が多いのもこの地域の特徴だ。縄文文化の研究をしていたというように、得意分野をもつ高齢者がその分野の本についていろいろ教えてくれることもある。読んだ本の感想を教えてくれる人もいて、野口さんのほうでも、この作家が好きならこちらの作家も好きだと思うと、本を紹介することもある。知的な会話を楽しみたいために通ってくる常連さんもいるとか。

地元の街の小さな本屋さんは、単に本を買いに来る場所ではなく、本に関する会話を楽しんだり、店長猫たちと遊んだりできる、交流の場になっているようだ。

なりわいの入居者は商店街ではなく、地域の人とふれあえる場所での開店を選んだ

次に訪れたのが、「The Pie Hole LA 小金井公園」。2022年7月にオープンしたパイとコーヒーの店だ。この店のY・Hさんが入居を決めたのは、バスターミナルからOPENの看板がよく見える13S号室だ。

13S号室「The Pie Hole LA 小金井公園」(撮影/片山貴博)

13S号室「The Pie Hole LA 小金井公園」(撮影/片山貴博)

The Pie Hole LAは、ロサンゼルス発の焼き立てパイとオーガニックコーヒーを提供するブランドだ。西麻布、軽井沢に店舗があり、期間限定で百貨店などに出店することもある。

東京都武蔵野市にずっと住んでいるHさんは、開催されていたhoccoのイベントに訪れて、地域の人たちと交流できる場所であること、なりわいができることを知った。もともと地域の人たちとのコミュニティーを作ることに興味があったHさんはhoccoに魅力を感じた。

店内にはハンドメイドのパイが並べられたショーケースやエスプレッソマシンが並んでいる(撮影/片山貴博)

店内にはハンドメイドのパイが並べられたショーケースやエスプレッソマシンが並んでいる(撮影/片山貴博)

ハンドメイドのパイは、Hさん自身が工場で手づくりしたものを、店に運んで販売している。13S号室は角地なので軒下が広く、椅子とテーブルを置くことができるが、店舗兼用住宅の中では土間が狭いので、レイアウトに苦労したという。

中心に据えられたショーケースには、おいしそうな総菜パイとデザートパイが並ぶ。パイはグランドメニューに加えて季節ごとのパイの展開もしているので、常に新しいパイに出合える。

人気のパイは、奥の「シェパーズパイ」(挽き肉とポテトを使ったミートパイ)と手前の「マムズアップルクランブルパイ」(りんごとクランブルのデザートパイ)。筆者も買ってみた(撮影/片山貴博)

人気のパイは、奥の「シェパーズパイ」(挽き肉とポテトを使ったミートパイ)と手前の「マムズアップルクランブルパイ」(りんごとクランブルのデザートパイ)。筆者も買ってみた(撮影/片山貴博)

名物のアップルパイには、長野県産のりんごを使っている。東京では購入できない、その農家より仕入れる珍しい品種のりんごの販売や、近所の農家と共同して野菜の販売もはじめた。近所の農家の野菜を使ったおかずなどの商品を今後考えていきたいという。

地域の農家の野菜の販売も試している(撮影/片山貴博)

地域の農家の野菜の販売も試している(撮影/片山貴博)

パイやコーヒーは、hoccoの居住者はもちろん、地域に暮らす人や近くの小金井公園に訪れる人が買いにきてくれる。開店してからまだ5カ月なので、いまは店を知ってもらうために火曜の定休日以外は毎日オープンしているという。

地域の交流拠点を目指して、定期的にイベントも開催

「なりわい賃貸住宅」では、野口さんの本屋や「玉草屋」(03S号室:庭・外構・室内観葉のデザイン施工の店)のように、本業とは別に店舗を営業している入居者もいれば、Hさんのパイとコーヒーの店や「オーブン屋」(05S号室:オーブン料理のテイクアウト専門店)のように、本業として店舗を営業している人もいる。どちらも成り立つのがhoccoの魅力だろう。

03S号室:玉草屋(画像提供/玉草屋)

03S号室:玉草屋(画像提供/玉草屋)

建築設計・賃貸管理をするブルースタジオによると、店の業種が重ならないように配慮しているという。店舗だけでなく、キッチンカーなども呼び込むようにしているので、取材した日には移動販売の花屋「ena to nico(エナトニコ)」がクリスマス用の商品も並べて営業をしていた。

クリスマス向けの商品も数多く用意されていた(撮影/片山貴博)

クリスマス向けの商品も数多く用意されていた(撮影/片山貴博)

店主の林実和さんは、2022年2月からhoccoに毎週(現在は毎週金曜)出店している。毎週出店しているのは、hoccoの環境がとても気に入っているからだ。hoccoの住民で毎週花を買っていく人もいるし、周辺の住民がランチを買いにきたときや犬の散歩の途中で寄って花を買っていく。林さんは、常連さんがいるので市場で花を選ぶ際にとても悩むという。

「ena to nico」はフラワーカーによる移動販売専門の花屋だ(撮影/片山貴博)

「ena to nico」はフラワーカーによる移動販売専門の花屋だ(撮影/片山貴博)

ほかにも、年に1~2回は、地域に開かれたイベントを開催している。2022年は桜咲く4月と10月にイベントを開催した。最新の10月10日に開催した「hoccoの秋祭り」では、hoccoの住民が主体となり、入居者の知り合いやなりわい賃貸店舗が出店し、当日限定の商品などを販売したり、ワークショップを行ったりした。

入居者がハロウィーンのデコレーションを行い、「玉草屋」とその知り合いの「アトリエ自作自演」が、カボチャのペイントなどのワークショップを行い、ハロウィーンムードを盛り上げた。取材をした野口さんは知り合いの「大福書林」に、Hさんは知り合いの「cafe247」に出店を呼び掛けた。

2022年10月に「秋祭り」を開催。時期的にハロウィーンの飾りつけで盛り上げた(画像提供/ブルースタジオ)

2022年10月に「秋祭り」を開催。時期的にハロウィーンの飾りつけで盛り上げた(画像提供/ブルースタジオ)

手芸用品の販売を行った「アトリエ自作自演」。デコレーションパーツは玉草屋のワークショップにも使われた(画像提供/ブルースタジオ)

手芸用品の販売を行った「アトリエ自作自演」。デコレーションパーツは玉草屋のワークショップにも使われた(画像提供/ブルースタジオ)

05S号室「オーブン屋」は特別メニューを提供(画像提供/ブルースタジオ)

05S号室「オーブン屋」は特別メニューを提供(画像提供/ブルースタジオ)

この地域には、古い団地もあれば新しいマンション群もあり、年配の人や子育て家族が多く住んでいる。こうしたイベントは、hoccoの常連客だけでなく、地域の人たちに広くhoccoを知ってもらい、地域交流の場となるようにという狙いがある。イベントには小田急バスやブルースタジオもスタッフを派遣して、当日の設営・片付けや交通整理などを行ったが、いずれは入居者たちだけでイベントが開催できるようになるとよいと考えているという。

現在、hoccoに入居募集中の住戸はないが、店舗兼用住宅への関心は高く、入居待ちの人もいるという。暮らしの延長でなりわいができること、地域の人たちの顔が見えるコミュニケーションができることなど、ほかにはない魅力を感じてのことだろう。新時代を感じさせる拠点だと思う。

●関連サイト
hocco物件専用WEBサイト

JR中央線(東京都内)、家賃相場が安い駅ランキング 2022年版

JR山手線と並んで東京を代表する路線といえるJR中央線。そのうち東京都内に位置する駅は、東京駅から高尾駅まで全32駅ある。沿線には大学のキャンパスも多く、東京駅や新宿駅といった都心のビジネス街もあるため、学生やビジネスマンの一人暮らしにも人気の路線だ。そんなJR中央線のシングル向け物件(専有面積10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)の家賃相場を調査! 東京都内32駅の家賃相場が安い駅ランキングを見ていこう。

JR中央線(東京都内)の家賃相場が安い駅ランキング

順位/駅名/家賃相場(駅の所在地)
1位 高尾 4.60万円(東京都八王子市)
2位 西八王子 5.10万円(東京都八王子市)
3位 日野 5.30万円(東京都日野市)
4位 西国分寺 5.50万円(東京都国分寺市)
5位 国立 5.60万円(東京都国立市)
6位 東小金井 6.00万円(東京都小金井市)
6位 豊田 6.00万円(東京都日野市)
8位 国分寺 6.10万円(東京都国分寺市)
9位 八王子 6.30万円(東京都八王子市)
9位 武蔵小金井 6.30万円(東京都小金井市)
11位 武蔵境 6.70万円(東京都武蔵野市)
12位 三鷹 7.10万円(東京都三鷹市)
13位 阿佐ケ谷 7.15万円(東京都杉並区)
14位 吉祥寺 7.60万円(東京都武蔵野市)
14位 西荻窪 7.60万円(東京都杉並区)
16位 立川 7.70万円(東京都立川市)
16位 荻窪 7.70万円(東京都杉並区)
16位 高円寺 7.70万円(東京都杉並区)
19位 中野 8.20万円(東京都中野区)
19位 東中野 8.20万円(東京都中野区)
21位 大久保 9.40万円(東京都新宿区)
22位 御茶ノ水 11.00万円(東京都千代田区)
22位 東京 11.00万円(東京都千代田区)
24位 四ツ谷 11.30万円(東京都千代田区)
25位 代々木 11.49万円(東京都渋谷区)
26位 市ケ谷 11.70万円(東京都千代田区)
27位 水道橋 11.80万円(東京都千代田区)
28位 神田 11.90万円(東京都千代田区)
29位 信濃町 12.10万円(東京都新宿区)
30位 新宿 12.40万円(東京都新宿区)
31位 飯田橋 12.50万円(東京都千代田区)
32位 千駄ケ谷 13.25万円(東京都渋谷区)

ランキング上位は東京西部の駅がずらり。都内最西端の高尾駅が1位に

JR中央線は「中央本線」と呼称を変えながら東京都から神奈川県、山梨県、長野県……と続く長い路線。東京駅~高尾駅間の東京都内だけでも走行距離は53km以上におよび、沿線の家賃相場もさまざまだ。シングル向け物件(専有面積10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)の家賃相場が最も安かったのは、八王子市に位置する高尾駅で家賃相場は4万6000円だった。

高尾駅(写真/PIXTA)

高尾駅(写真/PIXTA)

1位・高尾駅はJR中央線のうち東京都内の最西端。しかし通勤特快に乗れば新宿駅まで4駅・約47分、東京駅まで8駅・約1時間1分と、思いのほか早くたどり着く。ほとんどの便が高尾駅始発なので、座りやすい点も魅力だ。高尾駅には京王高尾線も乗り入れており、駅にはスーパーや書店、飲食店などを抱えるショッピングモールが併設されている。駅南口を出て東に進むと、100円ショップやスーパー、ホームセンターがあり、さらにその先には多彩な店舗がそろうショッピングモール「イーアス高尾」も。ファストフード店やリーズナブルな食堂など、一人でふらりと入りやすい飲食店が駅周辺に点在している点もうれしいところ。駅の南口側と北口側を行き来するには大きく迂回する必要がある点がネックだが、南北を通り抜けできる自由通路の整備計画もあるそう。当初計画より進ちょくは後ろにずれ込んでいるようだが、完成すればより便利になるだろう。

2位は高尾駅の1駅隣にある西八王子駅で、家賃相場は5万1000円。駅には「セレオ西八王子」が併設され、食料品店やドラッグストア、飲食店が営業中。駅の北口側と南口側どちらにも複数のコンビニが点在し、南口から徒歩3分ほどの場所にはスーパーや100円ショップなどを備えた「コピオ西八王子駅前」がある。一人暮らしの日常の買い物には十分な環境と言えるだろう。また、駅周辺はファストフード店や居酒屋など気軽に行ける飲食店も充実しているうえ、「ラーメン激戦区」とも言われるラーメン店の密集地域でもある。刻み玉ねぎのトッピングが特徴的な「八王子ラーメン」の人気店をはじめ個性豊かなラーメン店が豊富なので、休日ごとに食べ歩いても楽しそうだ。

西八王子駅前の風景(写真/PIXTA)

西八王子駅前の風景(写真/PIXTA)

3位は家賃相場5万3000円の日野駅がランクイン。かつては甲州街道の宿場町として栄えた街で、現在は日野市を代表する駅の一つでもある。南北に走る線路の東側と西側に複数のスーパーやコンビニ、ドラッグストアがあり、日常使いできる飲食店も。バス乗り場やタクシープールがある駅前には交番もあり、安心感を高めてくれる。大型商業施設はないものの、ショッピングモールや家電量販店、映画館もある立川駅(16位・家賃相場7万7000円)まで1駅。平日は自然を感じられる多摩川の河川敷にも近くて落ち着いた街並みの日野で過ごし、休日はお隣の立川で遊ぶ……という暮らし方もいいだろう。JR中央線の快速と通勤特快を乗り継げば、日野駅から新宿駅まで約36分、東京駅までは約50分で行くことが可能だ。

日野駅前(写真/PIXTA)

日野駅前(写真/PIXTA)

都心に近いほど家賃は高め。安く住むには「人気駅の近隣駅」に注目!

JR中央線沿線には都内でも知名度の高い駅が数々あるが、なかでも住む街として人気なのは武蔵野市に位置する14位・吉祥寺駅だろう。リクルート住まいカンパニーが毎年調査する「SUUMO住みたい街ランキング(首都圏版)」では、2018年~2021年は3位、2022年は2位に輝いている。商業施設が充実し、少し歩けば緑豊かな井の頭恩賜公園もある吉祥寺は人気なのも納得だ。しかし家賃相場は7万6000円と、ランキングトップ3に比べるとやはり高め。そんなときは便利な街の恩恵にあずかりつつも家賃が抑えられる、吉祥寺にほど近い駅に住むのも一案だ。たとえば吉祥寺駅から高尾方面へ2駅目、武蔵境駅などいかがだろう。

武蔵境駅前(写真/PIXTA)

武蔵境駅前(写真/PIXTA)

武蔵野市にある武蔵境駅は、家賃相場が6万7000円で11位にランクイン。吉祥寺駅まではJR中央線快速で約5分、自転車でもほぼ平坦な道を走って15分ほど。さらに新宿駅まで約24分、東京駅までは約37分で行くことができる。そんなアクセスのよさだけではなく、武蔵境駅周辺の街並みも魅力的。駅にはスーパーやドラッグストア、飲食店が店を構える「nonowa 武蔵境」が併設され、駅西側高架下の「ののみちサカイ」にも店舗が軒を連ねている。また、武蔵境駅には西武多摩川線も乗り入れており、そちらの駅側には飲食店やスーパーを備えた「エミオ 武蔵境」がある。さらに南口にはショッピングモール「イトーヨーカドー武蔵境」、北口には武蔵野市役所の出張所や屋上にグランピングBBQ施設が入った官民連携の複合施設「QuOLa」も。個人商店が並ぶ商店街も広がる暮らしやすい環境でありながら、家賃相場は吉祥寺駅より9000円も低いのだ。

さて「人気の駅の近くに住み、家賃を抑えつつ便利に暮らす」方式を新宿駅にも応用してみよう。新宿駅は30位にランクインしており、家賃相場は12万4000円。ここからなるべく近くて家賃相場が低い駅としては、19位・東中野駅をピックアップしたい。家賃相場は8万2000円で、新宿駅よりも4万2000円も安いとの調査結果が出ている。新宿駅まではJR中央・総武線(各駅停車)で2駅・約4分、自転車なら12分ほどでたどり着く。この程度なら、ぶらりと出かけやすい距離感と言えるだろう。東中野駅には都営大江戸線も通っており、駅から北へ5分ほど歩くと東京メトロ東西線・落合駅を利用することも可能だ。

東中野駅周辺(写真/PIXTA)

東中野駅周辺(写真/PIXTA)

東中野駅にはスーパーやカフェ、書店などが入った駅ビル「アトレヴィ東中野」が併設されている。駅西口には再開発により2015年に誕生した駅前広場が広がり、27階建てのマンションがそびえ立つ。そして東口側に見えるのは、2005年に誕生した再開発エリア「ユニゾンスクエア」にある高層マンションだ。駅前には高層ビルばかり建ち並ぶかというとそんなことはなく、昔ながらの親しみやすい商店街もあるのが東中野の魅力。あれこれとまとめ買いできるスーパーも点在しているが、フランス料理の惣菜店など個性豊かな個人商店をめぐるのもおすすめだ。映画やテレビのロケ地にもなった昭和レトロな飲食店街「東中野ムーンロード」で、ちょっとディープな夜を過ごすのも楽しそう。そんな新旧の街が融合した東中野にはここ数年でも大型マンションが複数誕生しており、2024年にも25階建てマンションが竣工予定。今後も魅力ある街として、さらに発展していきそうだ。

●JR中央線(東京都内)の家賃相場が安い駅ランキング ※駅の並び順
JR中央線(東京都内)の家賃相場が安い駅ランキング

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている中央線沿線(東京都内)の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/8~2022/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

マンション住民の高齢化で防災どう変わる? 孤立を防ぐ「つつじが丘ハイム」の取り組みが話題 東京都調布市

全国で、マンションの築年数の経過とともに、居住者の高齢化が進んでいます。管理組合役員の担い手が不足し、運営がままならなかったり、管理が消極的になったりするほか、コミュニティの衰退による高齢者の孤立も問題になっています。東京都調布市のつつじが丘ハイムは、コミュニティの再構築と自主防災力の強化に取り組み、その活動が「マンション・バリューアップ・アワード2021」防災部門の部門賞に加えグランプリを受賞しました。管理組合に取り組みの経緯や成功のポイントを伺いました。

高齢化が進むマンションで、自主防災活動が機能する組織をつくる!敷地内の植栽スペースはきれいに掃き清められ、管理が行き届いていることがうかがえた。「ゴミひとつないきれいなマンション」と近隣で評判だという(写真撮影/田村写真店)

敷地内の植栽スペースはきれいに掃き清められ、管理が行き届いていることがうかがえた。「ゴミひとつないきれいなマンション」と近隣で評判だという(写真撮影/田村写真店)

高台に立つつつじが丘ハイムの屋上からの眺め。富士山をはじめ箱根や丹沢の山々が一望でき、晴れた日は、榛名山や赤城山、筑波山も見える(写真撮影/田村写真店)

高台に立つつつじが丘ハイムの屋上からの眺め。富士山をはじめ箱根や丹沢の山々が一望でき、晴れた日は、榛名山や赤城山、筑波山も見える(写真撮影/田村写真店)

調布市郊外にあるつつじが丘ハイムは、1972(昭和47)年に建設された、築50年の大規模分譲マンションです。

受賞理由となったコミュニティの再生と自主防災体制の構築に奮闘したのは、第49期の理事会メンバーです。自主防災会を組織し、活動内容をまとめた自主防災会組織活動マニュアルと、居住者用の防災マニュアルの作成に取り組みました。当時、理事長を務めた久保田潤一郎さんと現理事長の大谷浩彦さんに伺いました。

左は、マニュアルの原案を起草し、活動を率いた49期理事長の久保田さん。50期の理事長大谷さん(右)は、調布市の防災安全課と協力して自主防災会規約の制定に尽力した(写真撮影/田村写真店)

左は、マニュアルの原案を起草し、活動を率いた49期理事長の久保田さん。50期の理事長大谷さん(右)は、調布市の防災安全課と協力して自主防災会規約の制定に尽力した(写真撮影/田村写真店)

つつじヶ丘ハイムには4棟に443世帯が入居している。コミュニティの再生と自主防災体制の構築のための取り組みは、49期の22名の理事会メンバーを中心に行われた(写真撮影/田村写真店)

つつじヶ丘ハイムには4棟に443世帯が入居している。コミュニティの再生と自主防災体制の構築のための取り組みは、49期の22名の理事会メンバーを中心に行われた(写真撮影/田村写真店)

理事会が最初に取り掛かったのは、先代の理事長が発案した「安否確認マグネット」の配布です。「安否確認マグネット」は、大規模地震の発生時に、居住者の安否状況を把握するための表示板で、マグネットの表面には「無事です」、裏面には「救助求む」と書かれています。

「居住者がドアに貼ることで安否を知らせるものですが、配っただけでは機能しないのでは? と理事会で議論になったんです。安否確認マグネット以前にも防災の備えはしてきましたが、それらをつなぐ方針や活動マニュアルがありませんでした。自主防災組織と支援組織をつくり、安否確認マグネットと連動させようと取り組みがスタートしました」(久保田さん)

居住者は、家族全員の安全確認ができた段階で、玄関ドアの外側に「安否確認マグネット」を貼って状況を伝える(写真撮影/田村写真店)

居住者は、家族全員の安全確認ができた段階で、玄関ドアの外側に「安否確認マグネット」を貼って状況を伝える(写真撮影/田村写真店)

防災対策と同時に課題となっていたのは、つつじが丘ハイムのコミュニティの衰退です。1990年代までは、住民サークルや子ども会などのコミュニティ活動が盛んでしたが、2010年代から高齢化が進み、住民同士の交流が減少。久保田さんも、顔見知りが少なくなり、敷地内で挨拶しても名前がわからない人が増えたと感じていました。

「支援活動を継続させるには、居住者が共に支え合えるコミュニティの再構築が必要でした。お互いに困ったとき声をかけあうハイムに戻したいという思いでした」(久保田さん)

しかし、居住者名簿の情報は、ほとんどが入居時に提出されたまま。そこで、2020年9月に、安否確認マグネットの配布と共に、組合情報誌「ハイムエコー」で、居住者名簿を更新することを告知。10月に居住者名簿の整備を行いました。

「結果は、75歳以上の占める割合が18.4%と予想以上に高齢化が進んでいました。同時に、災害時に支援が必要か確認したところ、支援要望が115件あり、災害時の支援が重要課題になったんです。募集した災害支援ボランティアには、18名が登録してくれて、居住者が共に支え合うコミュニティづくりの第一歩となりましたが、登録してもらっただけでは機能しませんから、支援活動組織をつくり、マニュアルづくりを開始しました」(久保田さん)

自主防災会を設置し、支援活動マニュアルを作成

2021年4月から、久保田さんは、災害時の支援活動マニュアルと居住者用のマニュアルの原案を作成し、検討会のメンバーと議論を重ねました。

「毎月3回ほど、皆の知恵を集めて話し合いました。東京都や調布市の防災マニュアルを参考にしようとしましたが、当マンションは、支援を受ける方もする方も高齢者。対応が難しい人命救助活動や、細分化した班分けは、当マンションの実情に合わないので、そのままは使えません。支援活動に携わる人たちの安全を確保しながら居住者を1~2週間ケアできる体制づくりに努めました」

6月に理事会の合意を経て、自主防災会を設置。原案に理事会での意見を加えた自主防災会支援活動マニュアルが完成しました。組織は、自主防災会本部のほか安全確認グループ、物資グループ、情報グループの4班で構成されています。

「つつじが丘ハイム自主防災会組織活動マニュアル」。平常時の活動をはじめ、震災発生時から復旧時までの各グループの活動内容が書かれている(資料提供/つつじが丘ハイム管理組合)

「つつじが丘ハイム自主防災会組織活動マニュアル」。平常時の活動をはじめ、震災発生時から復旧時までの各グループの活動内容が書かれている(資料提供/つつじが丘ハイム管理組合)

居住者名簿をもとに、被災時に支援メンバーが各戸を見まわり、確認シートに安否を記入。緑色は、名簿更新時に支援を要望した住戸で、特に丁寧に確認することになっている(写真撮影/田村写真店)

居住者名簿をもとに、被災時に支援メンバーが各戸を見まわり、確認シートに安否を記入。緑色は、名簿更新時に支援を要望した住戸で、特に丁寧に確認することになっている(写真撮影/田村写真店)

苦労したのは、管理組合として前例のなかった災害ボランティア保険への加入です。

「マニュアルを作成する過程で、災害支援メンバーが安心して活動するためには、傷害保険は不可欠と判断して加入を検討しましたが、大変苦労しました。まず、東京都社会福祉協議会のボランティア保険に問い合わせましたが、マンションの管理組合は対象外。次に、複数の保険会社に該当する保険を調べてもらいましたが、天災時のボランティア保険はないという回答でした」(久保田さん)

それでも管理事務所を通じて粘り強く複数の損害保険会社と交渉を重ね、その中の1社と特約で「災害ボランティア保険」に一人当たり400円で加入することができました。この保険加入で、支援メンバーに安心して支援活動に参加してもらえるベースができました。

災害対応自動販売機の設置や防災用品、備蓄品の見直しを行う

自主防災会の設置や支援活動マニュアル完成後、理事会で進めたのは、災害対応自動販売機(※)の設置です。2020年度の理事会でも議題に上がっていましたが、「空き缶やペットボトルが散乱するのではないか」「居住者以外の利用者が敷地内に入るのは物騒では」と否定的な意見が多く、設置が見送られていました。

※別名「ライフライン自動販売機」ともいわれ、災害や緊急事態で停電になった場合でも、一定の操作により、被災者に飲料を無償提供することができる。

「2021年度は、とにかく居住者の声を聞いてみようと。お試し設置期間を設けて、居住者の意見を募ることにしました。期間中にアンケートを実施したところ、91名から回答があり、『設置してもよい』が87%で、理事会メンバーが想定していた否定的な意見はほとんどありませんでした。この結果をもとに総会に提案し、設置の承認を得ることができました。また、ハイムエコー(組合情報誌)には、賛成・反対両方の意見を掲載し、設置に至るまでの過程を知ってもらえるように工夫しました。普段は普通の自動販売機ですが、災害時には、管理事務所にある鍵で開けられるようになっており、内蔵している600本の飲料を居住者に無料で配布します」(久保田さん)

利用率は高く、電気代はまかなえている。「敷地内にあり便利」という声のほかに「夜間の灯りが防犯上いい」という予想外のメリットも(写真撮影/田村写真店)

利用率は高く、電気代はまかなえている。「敷地内にあり便利」という声のほかに「夜間の灯りが防犯上いい」という予想外のメリットも(写真撮影/田村写真店)

さらに、防災用品と防災備蓄品の見直しを行い、自主防災会組織用の防災用品と、全居住者用の防災備蓄品を購入し保管しました。

「防災用品には、被災時に携帯電話やメールが使用できない状況を想定して、800m先まで声が届くメガホンを加えました。『支援のボランティアができる人は、集まってください』、『飲料水と食料を配ります』とメガホンで知らせます。居住者用には、2Lの保存飲料水3本とアルファ米2食分、羊羹1箱を用意しました。買い替えは、賞味期限前に行い、古いものは、全戸に配布して災害時の支援活動内容をPRして理解を深めてもらう計画です」(久保田さん)

自主防災会組織用の防災用品20品目。ソーラ発電機・バッテリーのほか、800m通達できるメガホンや支援メンバーが見回りの際使用するハンディメガホンも用意(写真撮影/田村写真店)

自主防災会組織用の防災用品20品目。ソーラ発電機・バッテリーのほか、800m通達できるメガホンや支援メンバーが見回りの際使用するハンディメガホンも用意(写真撮影/田村写真店)

倉庫に保管されている飲料水と携帯トイレ。A棟B棟の倉庫で2Lのペットボトルをそれぞれ600本ずつ備蓄(写真撮影/田村写真店)

倉庫に保管されている飲料水と携帯トイレ。A棟B棟の倉庫で2Lのペットボトルをそれぞれ600本ずつ備蓄(写真撮影/田村写真店)

既存の防災用品を検討する中で、新たにわかったこともありました。つつじが丘ハイムには、敷地内の洗車場3カ所に井戸水が給水されていますが、井戸が掘られた理由は誰も知りませんでした。ところが調べてみると、「阪神・淡路大震災が起きた後、1996年に水道停止時の給水用として井戸が掘られた」という記録があったのです。その際購入された井戸水給水用の非常用発電機も見つかりました。

「20年以上も前に諸先輩が用意してくれた財産がすぐそばにあったんだと皆で感謝しました。非常用発電機を整備し、井戸水が水質検査に合格していることを確認して、被災時の生活水として利用することにしました」(久保田さん)

ポータブルの非常用発電機。停電時は、非常用発電機に切り替え、井戸から水をポンプアップする(写真撮影/田村写真店)

ポータブルの非常用発電機。停電時は、非常用発電機に切り替え、井戸から水をポンプアップする(写真撮影/田村写真店)

非常用発電機で送水した井戸水を非常用浄水器に通して浄化し、生活水として支給する(写真撮影/田村写真店)

非常用発電機で送水した井戸水を非常用浄水器に通して浄化し、生活水として支給する(写真撮影/田村写真店)

防災設備の見直しで新たにAEDを2カ所に設置した(写真撮影/田村写真店)

防災設備の見直しで新たにAEDを2カ所に設置した(写真撮影/田村写真店)

自助・共助の活動が見開きでわかる居住者向けの防災マニュアルが完成

その後、2021年6月から、「つつじが丘防災マニュアル」の作成に着手し、10月に居住者が自らの命を守る行動(自助)と自主防災組織の支援活動(共助)をまとめた冊子が完成。全戸に配布されました。

防災活動の要となる居住者用の「つつじが丘ハイム防災マニュアル」と支援者用の「自主防災会組織活動マニュアル」(写真撮影/田村写真店)

防災活動の要となる居住者用の「つつじが丘ハイム防災マニュアル」と支援者用の「自主防災会組織活動マニュアル」(写真撮影/田村写真店)

大規模地震発生時の初動活動は、次のように想定しています。

・自主防災会本部を立ち上げ、理事会メンバーと災害支援ボランティアメンバーを招集。
・安全グループの支援メンバーが、ドアに貼られた安否確認マグネットを確認し、被害状況や支援依頼内容を把握する。
・情報グループは、安全確認グループから受けた被害情報、支援内容などをまとめ、本部へ報告する。
・本部の指示の下に、要支援者に支援を行い、飲料水や非常食などの配分や配布を行う。

「つつじが丘ハイム防災マニュアルには、被災状況や支援依頼内容を把握するための『支援依頼シート』『お困りごとシート』『留守宅への連絡依頼シート』が切り離して使えるようになっています。マグネットに挟んでもらい、安否確認時に回収し、居住者全員の状況を把握します。また、危険な支援活動や二次災害を防ぐために、支援可能な活動と支援が難しい活動を明記しています。例えば、消火器で対応できない規模の消火活動や倒れた家具に挟まれた住民の救出活動は、支援が難しいと明記しています。居住者からは『どんな支援があるのかわかりやすい』、支援ボランティアからは『支援活動時にどう対応すればよいか理解できた』という声が寄せられました」(久保田さん)

時系列で、居住者が自らの命を守るための行動(自助)と自主防災組織の支援活動(共助)が見開きでわかりやすく書かれている(写真撮影/田村写真店)

時系列で、居住者が自らの命を守るための行動(自助)と自主防災組織の支援活動(共助)が見開きでわかりやすく書かれている(写真撮影/田村写真店)

災害支援ボランティアメンバーについては、防災マニュアル配布時に2回目の募集をして合計28名の方が登録されました。そして、登録者を対象とした説明会を開催した際の参加者の声が今後の支援メンバーを募るうえで発想の転換になりました。

「高校生の娘さんがいる50代の男性から、『娘は、ボランティア登録や説明会の参加は苦手だけど、災害時には手伝うよと言ってくれていますよ。そういう若い人はもっといるのでは』という意見をいただいて、なるほどと思いました。現在の登録メンバーに加えて、被災時には、広く支援活動に参加できる人を募るつもりです。実際、昨年雪が降った際、若い人たちがスコップを借りて自主的に除雪をしてくれたんです。つつじが丘ハイムのコミュニティも捨てたものではないなあと思いました。被災時にメガホンで『支援活動が可能な人は、ぜひ集会室に集まってください』と呼び掛けてみます」(久保田さん)

「マンション・バリューアップ・アワード」の受賞をきっかけに、ほかのマンションの管理組合から、これらの資料や取り組みノウハウを活用したいという問い合わせが多数寄せられています。メール以外にも、滋賀県から飛び込みで話を聞きにやってきた人もいたそうです。「防災組織やマニュアルが整備されていないマンションで、つつじが丘ハイムの防災マニュアルが、ひな形として役立ててもらえたら嬉しいですね」と久保田さん。大谷さんは、頷きながら、「今後は、マニュアルを検証していきたい」と続けます。

11月にはコロナ禍で中止していた防災訓練が再開され、46人の居住者が参加。いずれは、避難訓練を行い、被災時の動きをシミュレーションしたいと考えています。

自主防災力の強化を行い、組織づくりを通じて、コミュニティが再生しつつあるつつじが丘ハイム。はじまりは、「自分たちの住むマンションをより良くしたい」という思い。理事会からのトップダウンではなく、居住者のニーズに真摯に向き合うこと、活動を継続していくことが、コミュニティを育んでいくのだと痛感しました。

●取材協力
マンション・バリューアップ・アワード

JR中央線(東京都内)、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

JR山手線と並んで東京を代表する路線といえるJR中央線。中央線自体は「中央本線」と呼称を変えながら東京駅を出てから神奈川県、山梨県、さらに長野県へとつながる長い路線だ。そのうち東京都内に位置する駅は、東京駅から高尾駅の全32駅。そんなJR中央線・東京都内32駅の中古マンションの価格相場はどんなものか? 専有面積50平米以上~80平米未満の中古マンションの価格相場ランキングをご紹介しよう。

中央線(東京都内)沿線の中古マンション価格相場が安い駅ランキング

順位/駅名/価格(駅所在地)
1位 西八王子 2730万円(東京都八王子市)
2位 日野 3930万円(東京都日野市)
3位 八王子 3939万円(東京都八王子市)
4位 豊田 3998万円(東京都日野市)
5位 国立 4725万円(東京都国立市)
6位 立川 4880万円(東京都立川市)
7位 東小金井 4980万円(東京都小金井市)
8位 武蔵小金井 5390万円(東京都小金井市)
9位 西国分寺 5580万円(東京都国分寺市)
10位 国分寺 5680万円(東京都国分寺市)
11位 武蔵境 5980万円(東京都武蔵野市)
12位 三鷹 5990万円(東京都三鷹市)
13位 阿佐ケ谷 6698万円(東京都杉並区)
14位 高円寺 6880万円(東京都杉並区)
15位 西荻窪 6980万円(東京都杉並区)
16位 荻窪 7130万円(東京都杉並区)
17位 大久保 7190万円(東京都新宿区)
18位 中野 7380万円(東京都中野区)
19位 東中野 7494.5万円(東京都中野区)
20位 新宿 8080万円(東京都新宿区)
21位 御茶ノ水 8199万円(東京都千代田区)
22位 神田 9140万円(東京都千代田区)
23位 代々木 9180万円(東京都渋谷区)
24位 信濃町 9480万円(東京都新宿区)
25位 水道橋 9830万円(東京都千代田区)
26位 四ツ谷 1億480万円(東京都千代田区)
27位 千駄ケ谷 1億500万円(東京都渋谷区)
28位 市ケ谷 1億980万円(東京都千代田区)
29位 飯田橋 1億1000万円(東京都千代田区)
※東京、吉祥寺、高尾の各駅は調査対象物件数が10件以下のためランク外

TOP3には自然も感じられる多摩地域の3駅がランクイン

リクルート住まいカンパニーが毎年調査する「SUUMO住みたい街ランキング(首都圏版)」では、JR中央線は2018年から5年連続で「住みたい沿線ランキング」の4位に輝く人気の路線。人気が高いと沿線にある物件の価格もアップしがちだが、広範囲にわたる路線だけあって駅ごとの価格相場の開きが大きいことが調査により判明した。

最も安かったのは八王子市にある西八王子駅で、価格相場は2位より1200万円も安い2730万円だった。中央線の都内最西端の駅である高尾駅の一つ手前に位置し、JR中央線の快速と通勤特快を乗り継ぐと新宿駅まで約48分、東京駅までは約1時間2分で到着する。

西八王子駅(写真/PIXTA)

西八王子駅(写真/PIXTA)

1位・西八王子駅には生鮮食料品を扱う「市場館」と飲食店やドラッグストアなどが並ぶ「生活館」からなる「セレオ西八王子」が併設されている。駅周辺には多彩な飲食店が点在し、深夜1時まで営業するスーパーがあるのも便利なところ。また、駅南口から徒歩3分ほどの場所には、スーパーをはじめ100円ショップやドラッグストア、ベーカリーやクリニックなどを備えた「コピオ西八王子駅前」が2021年10月にオープンした。駅北口から7~8分も歩けば、南浅川の河川敷へ。川沿いには散策やサイクリングにぴったりな「浅川ゆったりロード」が整備され、春は桜並木が沿道を美しく彩ってくれる。日常の買い物に便利な施設がそろい、自然も身近に感じて暮らせるうえに価格相場も安い西八王子は、穴場の駅と言えそうだ。

2位は日野駅で、価格相場は3930万円。日野市を代表する駅の一つであり、駅の約15分圏内には市役所や市立図書館、広々とした「市民の森スポーツ公園」、トレーニングジムを備えた「市民の森ふれあいスポーツホール」といった市の施設が点在している。かつては甲州街道の宿場町として栄え、駅から10分ほど歩くと都内に現存する唯一の本陣である「日野宿本陣」の見学も可能だ。また、新選組の副長・土方歳三の出身地としても知られ、「新選組のふるさと歴史館」もあるなど歴史好きにはそそられる街だろう。

日野宿本陣(写真/PIXTA)

日野宿本陣(写真/PIXTA)

日野駅前に目を向けると飲食店が並んでいるほかスーパーやドラッグストアも複数あり、日常の買い物にも困らない。駅から北へ10分ほど歩くと、のどかに流れる多摩川が見えてくる。土手には緑が茂り、西方を見ると遠くに奥多摩の山影も見える。休日にぶらりと散歩をして、自然あふれる風景を眺めつつ気分転換するのもいいだろう。

3位には、1位・西八王子駅よりも1駅東京方面にある八王子駅がランクイン。価格相場は3939万円だった。八王子市はもちろん東京多摩地域を代表する駅であり、町田・横浜方面と結ばれたJR横浜線も乗り入れている。八王子駅から徒歩5分ほどの場所には京王線・京王八王子駅もあり、駅周辺は大にぎわい。JRと京王線の駅舎ともに商業施設が入った駅ビルがあるほか、ショッピングモールをはじめとした大型商業ビルが駅前に建ち並んでいる。一方で駅前の喧騒を離れると、西八王子駅周辺から「浅川ゆったりロード」が延びる浅川や、湧水が流れる谷や森と遊具広場を備えた「小宮公園」も。都市部の便利さと多摩地域らしい自然が共存する街並みと言える。JR中央線の通勤特快の停車駅なので、新宿駅まで約40分、東京駅まで約54分で行ける点も魅力だ。

八王子駅北口(写真/PIXTA)

八王子駅北口(写真/PIXTA)

浅川ゆったりロード(写真/PIXTA)

浅川ゆったりロード(写真/PIXTA)

再開発で街が様変わりしつつある、あの駅は何位?

続いて4位以下の注目の駅も見ていこう。まずは3998万円で4位にランクインした、日野市に位置する豊田(とよだ)駅。先行して再整備された駅北側に続き、現在は駅南側で街の再整備が進行している。駅の南側を流れる浅川手前までの約87haにわたる土地の区画整理を行い、歩道の幅を広げるなどの生活主要道路の整備や、公園の整備などが行われている状況だ。

豊田駅周辺(写真/PIXTA)

豊田駅周辺(写真/PIXTA)

豊田駅南の土地区画整理事業の完了は2028年度の予定だが、すでに整然とした街並みへと変化がみられ、2023年度には南口駅前広場の本整備も予定されるなど着々と生まれ変わりつつある。現状でも駅北側に「イオンモール多摩平の森」や市立の総合病院があって暮らしやすいが、今後はより魅力的な街になると期待できそう。

もう1駅、18位にランクインした中野区の中野駅をピックアップ。中野駅は「SUUMO住みたい街ランキング2022(首都圏版)」で「住みたい街」19位、「穴場だと思う街」22位に選ばれている。価格相場は7380万円とトップ3に比べるとグッとアップ。しかし「穴場=街の利便性のよさを考えると物件価格が割安に思える」として名前が挙がるだけに、住みやすい様子。どんな街か見てみよう。

18位・中野駅はJR中央線快速の停車駅で、朝8時台はほぼ2~3分間隔で東京方面行きの快速が発車。新宿駅まで約5分、東京駅までは約19分で行くことができる。また、東京メトロ東西線の始発駅でもあり、飯田橋駅や大手町駅、葛西駅へもアクセスしやすい。駅周辺には個性的なテナントが軒を連ねる「サブカルの聖地」として知られる商業施設「中野ブロードウェイ」や、220m以上続くアーケード商店街「中野サンモール」などの商業施設が豊富で、生活する街・遊ぶ街として愛されてきた。

中野ブロードウェイ(写真/PIXTA)

中野ブロードウェイ(写真/PIXTA)

また、ここ10年ほどは働く街としての注目度も上昇。2012年に駅北西側に再開発エリア「中野四季の都市(なかのしきのまち)」が街びらきを迎え、オフィスビルの中野セントラルパークや大型公園、大学のキャンパスなどが誕生した。そして駅周辺の再開発はまだまだ進行中だ。中野四季の都市の一角では区の新庁舎が建設中で、2023年度内に完成予定。駅北側に建つ街のランドマーク「中野サンプラザ」は2023年7月に閉館の後、オフィスやホテルなどの複合施設に建て替えが予定されている。さらに駅南側でも駅前広場の整備、業務・商業・住宅の複合ビルの建設などを計画。2029年度の完了を目指す街づくり事業により、中野駅周辺は一大転換期を迎えているのだ。

中野サンプラザ周辺(写真/PIXTA)

中野サンプラザ周辺(写真/PIXTA)

さて、今回のランキングを振り返ってみると、東京駅から近い順に神田駅~代々木駅の9駅が21位~29位、新宿駅~武蔵境駅の10駅が11位~20位、東小金井駅~西八王子駅の10駅が1位~10位にランクインしている(※調査条件を満たさない東京、吉祥寺、高尾の各駅を除外)。「東京駅から遠いほど価格相場が安い」という、大方の予想を裏切らない結果と言えるだろう。

ちなみに東京駅に最も近い22位・神田駅は価格相場9140万円で、ランキング中で最も遠い1位・西八王子駅は2730万円と、その差は6410万円。しかし遠いと言っても西八王子駅~東京駅は1時間少々で、前述の通り西八王子駅周辺の生活環境も整っている。都心部への近さばかりにとらわれないほうが、自分の暮らしにあった住まいが見つかるかもしれない。

●駅順の価格一覧
※東京、吉祥寺、高尾の各駅は調査対象物件数が10件以下のためランク外

※東京、吉祥寺、高尾の各駅は調査対象物件数が10件以下のためランク外

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている中央線(東京都内)沿線の駅掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ、専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/8~2022/10
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

世界の名建築を訪ねて。ザハ・ハディドによる“熔融した建築”「オウパスMEドバイ・ホテル(ME Dubai Hotel at the Opus)」/ドバイ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載2回目は、国際的な女性建築家として知られたザハ・ハディド(Zaha Hadid)によるホテル「ME Dubai Hotel at the Opus(オウパスMEドバイ・ホテル)」(ドバイ)を紹介する。

建築が熔融した形態美学

2021年10月から2022年3月まで、ドバイ国際博覧会が開催された。アラブ首長国連邦(UAE)切っての経済都市ドバイ。周知のように現在世界最高の828mの高さを誇るタワー「ブルジュ・ハリファ」があり、一説によれば1,700億円ほどの建設費と聞く。ドバイは中近東エリアでは有数の観光地であることはいうまでもないし、近くのアブダビもリッチな国で「ルーブル・アブダビ」という名建築がある。

国際的な女性建築家として知られたザハ・ハディドは、2004年に世界的に権威あるプリツカー賞を、女性で初めて受賞するという名誉に輝いた。彼女の流麗な曲線美を表現した作風は、世界の建築界を広く席巻してきた。

(Photo by Masayuki Fuchigami)

(Photo by Masayuki Fuchigami)

彼女が設計した「オウパスME ドバイ・ホテル」は、ドバイ・ダウンタウンとドバイ・ウォーター・カナルのビジネス・ベイに近いブルジュ・ハリファ地区にある。ということは上述のタワーの名前はこのエリアの地名にもなっているのだ。ザハ・ハディドが2007年にデザインしたこのホテルは、彼女が建築とインテリアを一緒に設計した唯一のホテルとして有名である。それはソリッド&ヴォイド(固体&空洞)、不透明&透明、インテリア&エクステリアというハイブリッドのバランスをコンセプトとしてデザインしたものである。

ホテルはかなり広く、延床面積が84,300m2もある建物は別個のふたつのタワーとしてデザインされ、それらを合体することで、キューブ形の全体として誕生した。ザハ・ハディドによれば、キューブの中心部は熔融し、建物デザイン上の非常に重要なボリュームである自由な形態の空間を創造しているという。建物両サイドの塔状部分は、地上レベルでは4層吹抜けのアトリウムで連結され、地上71mの位置では非対称な幅38mの空中ブリッジで連結されている。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

ガラス・キューブとなっている建物の直覚的な幾何学形態は、その中央にある8層吹抜けのヴォイド空間の流動性とは、ドラマティックな対照をなしている。またキューブの二重ガラス・インシュレーション・ファサードは、UV(紫外線)コーティングと鏡面フリット・パターンによってソーラー・ゲインを減少させている。建物全体に応用されたこのフリット・パターンは、建物の矩形フォームの明るさを強調している。他方、絶えざる反射と透明の変化による光の戯れを通して、建物全体のボリューム感を減少させている。 
 
ヴォイド空間のファサードは6,000m2もあり、4,300枚の一重もしくは二重のカーブしたガラス・ユニットで覆われている。高効率のガラス・ユニットは非常に複雑な構成となっている。8mm厚のロウ・アイアン・ガラス(内側にコーティング)、16mmの間隙、および6mm厚の二重クリア・ガラスに1.52mmPVC樹脂をラミネートしたもので構成されている。ヴォイド空間のカーブしたファサードは、3Dデジタル・モデリングでデザインされたもので、強化ガラスを必要とする部分にも使用されている。

四角い形の建物のガラス張りファサードは、昼間は空をはじめ、太陽、周辺の都市景観を映し出す一方、夜間のヴォイド空間は個々のガラス・パネルに装備されたアジャスタブル(調節できる)なLEDライトのイルミネーションがダイナミックに輝いている。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

ホテルのインテリアに目を向けると、ザハ・ハディド自身がデザインした家具がホテル全域にわたって使用されている。ペタリナス・ソファとオットマンがロビーに配されている。これらは長いライフサイクルをもつ材料からできており、その構成部材はリサイクル可能というサステイナブル・デザイン。ベッドはオウパス・ベッドが使用され、デスク付きのワーク&プレイ・コンビネーション・ソファはスィートルームなどに置かれている。そのほか、彼女が2015年にデザインしたヴィターエ・バスルームが各客室に使用されている。つまりこのホテルは、全てがザハ・ハディドのデザインで埋め尽くされた貴重な建築作品なのだ。

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

(Photo by Laurian Ghinitoiu)

「オウパスMEドバイ・ホテル」には74の客室と19のスィートルームがある。そのほか「ザ・オウパス・ビル」全体では、オフィス、サービス付きレジデンス、レストラン、カフェ、バーなどがある。また有名な日本の炉端焼きレストランのROKAや、MAINEランド・ブラッセリーなどが入っているようだ。

「ザ・オウパス」ビルでは建物全域にあるセンサーが、省エネのためにホテルの混雑具合を判断して換気と照明を自動的に調節する。他方「オウパスMEドバイ・ホテル」は、インターナショナルME(メリア)ホテル群のサステイナブル・デザインと同じシステムを踏襲している。

ゲストは滞在中にホテル内でステンレス・スティールのウォーター・ボトルを受け取り、ホテル中に配置されたウォーター・ディスペンサーから飲料水を得る。客室にプラスティック・ボトルは一切なく、プラスティック・フリー・ホテルとなっている。ホテルではさらに食品廃棄を減らすためにビュッフェをサービスせず、食べ残した食品をリサイクルする生ゴミ処理機を用意しているという。サステイナブル・デザインの先端を疾走する世界的なSDGsホテルでもある。

世界中で先端的な建築を数多くデザインしてきた彼女が、2012年に開催された東京スタジアム・コンペで1等賞となり、来日した時の記者会見で会ったことがある。その時の彼女の晴れやかな佇まいが印象的だった。その後2016年にマイアミの病院で他界してしまったが、今でも彼女がデザインした未完の「東京スタジアム」に憧憬の念を抱いている人は少なくない。

●関連サイト
ME Dubai Hotel

要介護者を減らす「儲かる”大東元気でまっせ体操”」って? 95歳も躍動する大阪府大東市の自主サークルの輪

お揃いの白いポロシャツに身を包み、元気よく記念写真に収まるお年を召した方々。彼らは大阪府大東市の赤井地区の公民館に集まった老人会。背筋は伸び、血色も良いその姿から、95歳を筆頭に全員が74歳以上の高齢者とは思えない。実は彼らは、大東市が考案した「大東元気でまっせ体操」の愛好者だ。なにも彼らだけが特別なわけではない。大東市では毎週133箇所の拠点で、高齢者が自主的に集い、この体操を行っている。17年以上続くこの取り組みにより、まちに変化が生まれたという。どのように変化を遂げたのか、現地へ足を運んでみた。

体操が生まれたきっかけは、増え続ける高齢者の介護サービス

介護保険制度が始まったのは2000年。その数年後には、大東市でも介護や支援が必要な高齢者が急増した。特に増加したのは介護の必要度が低い「要支援者」。「重度の要介護者の増加率はそれほどでもなかったですが、軽度の要支援者数が急増していることに疑問を感じました」と振り返るのは、当時大東市のリハビリテーション課に勤務していた逢坂伸子さん(現・大東市保健医療部高齢介護室課長)

市役所前で「大東元気でまっせ体操」を披露してくれた逢坂さん。全国に先駆けリハビリ専門員を雇い、誰もが住みやすいまちを目指す大東市の姿勢に共感しこの仕事に就いた(写真/藤川満)

市役所前で「大東元気でまっせ体操」を披露してくれた逢坂さん。全国に先駆けリハビリ専門員を雇い、誰もが住みやすいまちを目指す大東市の姿勢に共感しこの仕事に就いた(写真/藤川満)

2003年ごろ、逢坂さんは増え続ける要支援者の相談を受けるうちに、あることに気付いた。「相談者の身体の不具合の原因は、ほとんどが不活発な生活による筋力低下ということが分かりました」。そこで理学療法士の資格をもつ逢坂さんは、運動指導員と共に、主に下半身の筋力強化に繋がる体操を考案する。2005年、単に負荷を与えるだけでなく、脳のトレーニングにも繋がる動きも加え、「楽しさ」を重視した「大東元気でまっせ体操」が誕生する。

筋力強化に必要なのは、継続して取り組むこと。現在は全国各地で類似の体操はあるものの、大東市のように毎週市内各所で、高齢者のグループが自主的に取り組んでいるところは、少なくほぼない。「年一回程度のイベントなどで体操を教えても続かない、というのは過去の事例からも分かっていました」と逢坂さん。

そこで逢坂さんは、高齢者が集う特殊詐欺防止セミナーやカラオケ大会など、およそ200回の地域の集いに出向き、こう説いた。「今の不活発な生活のままでは、将来必ず介護サービスを受ける。すると年間数十万の出費になります。この体操を続ければその出費がなくなり、浮いた分でハワイ旅行に充てることもできます」。つまり「健康でいること」=「儲かる」と強調したことで、高齢者の目の色が変わった。「皆さんお金には興味があるのです(笑)」と逢坂さんも笑う。この提案が功を奏し、参加団体はみるみる増えていき、2022年の時点で、その数は133にものぼっている。

その効果は統計にも表れた。かつて約1100人いた市内の介護予防サービス利用者は、2018年度末には約300人に激減。現在もその数は減り続けているという。またこの体操に取り組む高齢者は、およそ3000人。大東市の高齢者人口の約10%にものぼっている。

各地域のグループは福祉委員会や老人会が中心になっている。赤井自治会老人会では年に一度市内の体操グループが集まる交流会への参加を機に揃いのポロシャツを作った(写真/藤川満)

各地域のグループは福祉委員会や老人会が中心になっている。赤井自治会老人会では年に一度市内の体操グループが集まる交流会への参加を機に揃いのポロシャツを作った(写真/藤川満)

体操を続けることで交流が生まれ、地域も元気になっていく

大東元気でまっせ体操に、15年前の誕生当時から取り組んでいる赤井自治会の老人会。毎週土曜日10時に公民館に20人以上が集まり、モニターの前で身体を動かす。体操は椅子に座って身体を伸ばす「座位ストレッチ」に始まり、立って行う「立位体操」、床に横になる「臥位体操」など6つのプログラム、約40分の構成だ。実際にやってみると、ぽかぽかと身体が温まり、空腹を覚えるほどカロリー消費を実感する。

出席者はまず血圧を測って記入する。健康状態の観察と出席簿の両方を兼ねている(写真/藤川満)

出席者はまず血圧を測って記入する。健康状態の観察と出席簿の両方を兼ねている(写真/藤川満)

この日の参加者の最高齢者は高橋シナヱさん95歳。「元気でいられるのは、この体操のおかげ」と、かくしゃくたる受け答え。さすがに立って行う体操は難しいものの、椅子に座ってメニューをこなす。「地域の人の輪が広がりました」と肉体的効果以外を語るのはリーダー的存在の田口組子さん75歳。これまで近所に住みながら、話を交わしたことがない間柄でも、この体操を通じて交流が生まれ、地域の仲間意識が高まっているという。

動作はあくまでゆっくりながら、普段あまり使わない筋肉を動かす動きが多い(写真/藤川満)

動作はあくまでゆっくりながら、普段あまり使わない筋肉を動かす動きが多い(写真/藤川満)

片足立ちやカンフーの動きを取り入れたりと、高齢者でなくともよろめきそうになる(写真/藤川満)

片足立ちやカンフーの動きを取り入れたりと、高齢者でなくともよろめきそうになる(写真/藤川満)

発案者である逢坂さんも「体操をして元気になれたからこそ、子ども見守り隊に参加したり、地域の民生委員になったりと、参加者が自然とその地域で活躍するようになっています」と変化を実感している。さらに体操に出向くことで、高齢者同士の健康チェックにも繋がっているという。また欠席者の様子を見に行くなど、一人暮らしの高齢者の支えとなる「見守り」も生まれつつある。

大東元気でまっせ体操のDVDは市内の10人以上の体操継続グループには無料、個人・事業所には300円(市外は1000円)で提供している(写真/藤川満)

大東元気でまっせ体操のDVDは市内の10人以上の体操継続グループには無料、個人・事業所には300円(市外は1000円)で提供している(写真/藤川満)

2007年からは口の筋肉を強化する「健口体操」もスタート。現在、大東元気でまっせ体操の拠点づくりと同様に、この普及にも力を入れている。「筋肉を作る赤身の肉など、良質なタンパク質を摂るには噛む力が必要です。口の健康・栄養・体操のトライアングルを完成させてこそ効果が高まります」と逢坂さんも意気込む。

誰もが安心して暮らせるまちを目指して

「体操の拠点を今の133箇所から250箇所くらいまでに増やして、市内高齢者人口の1割を参加者にするのが目標です」と抱負を語る逢坂さん。実際、市内の僻地では、会場が遠くて通えない高齢者もいるという。拠点を増やせば、その問題を解消する一助となる。「高齢者が通える場所ができることで『見守り』が生まれ、高齢者を含む誰もが安心して暮らせる環境になってほしい」と逢坂さんはこれから先を見据える。

そのひとつのツールとして、大東市の地域包括支援センターが、2022年11月「ドキドキドッキョ指数」なるホームページを開設した。このアンケートに答えることで、特に独居高齢者が「一人で暮らしていく力があるか」の度合いが分かる仕組みになっている。

主に独居の高齢者向けの質問内容だが、一人暮らしの若い世代でも自らの生活改善の指針となる構成となっている(写真/(株)コーミンHPより)

主に独居の高齢者向けの質問内容だが、一人暮らしの若い世代でも自らの生活改善の指針となる構成となっている(写真/(株)コーミンHPより)

質問の内容は「自炊ができる」などの<生活維持力>、「運動をしている」などの<心と身体の健康状態>、「まちのことをよく知っている」などの<住んでいるまちとの関係性>という3つのカテゴリーがあり、本人はもちろん、家族や支援者と共に答えることで、自らの状況を把握し、生活改善に役立てることができる。

「大東元気でまっせ体操に参加している人は、おのずとハイスコアを叩き出すはずです」とこれまでの取り組みに自信をのぞかせる逢坂さん。質問は大東市外の住民にも共通するものなので、高齢者の親族をもつ人はもちろん、自分自身の孤立や孤独の危険度を測ってみてほしい。もし結果が危険水域なら、ご近所の仲間を集めて、体操を始めてみてはいかがだろうか。そうすればこれから将来に渡って、きっと元気でまっせ!?

●参考
ドキドキドッキョ指数

古い市営住宅が街の自慢スポットに変貌! 周辺地価が1.25倍になったその仕掛けとは? 「morineki」大阪府大東市

大阪市中心部から電車でおよそ20分。JR四条畷駅から住宅街を東へ歩くと、飯盛山を背に広がる芝生広場に面して、垢抜けたカフェやショップが並ぶ複合施設に辿り着く。芝生では子どもたちが駆け回り、カフェの客席は若い女性客を中心に埋まっている。よく見れば、周囲に馴染む外観の木造低層住宅も近くに並んでいる。実はここは、大阪府大東市の市営住宅エリア「morineki」の一角だ。ここは今、住民だけでなく市内外からも人が集う画期的な市営住宅として注目を浴びている。

古い市営住宅を民間主導で地域のために開発する

かつてこの一体には昭和40年代に建設された市営住宅「飯盛園第二住宅」があった。しかし2010年代に入り、同団地は老朽化が進み、大東市役所では建て替えが議論されていた。「当時は古びた建物とほとんど使われていない公園があり、活気のある場所とはいえなかった」とその頃の様子を語るのは、現在morinekiを運営する(株)コーミン 代表取締役の入江智子さん。

当時の飯盛園第二住宅の様子(写真提供/(株)コーミン)

当時の飯盛園第二住宅の様子(写真提供/(株)コーミン)

当時、入江さんは大東市役所で建築技師として勤務していたこともあり、市営住宅の建て替えに直接関わることになる。「これまでのような市営住宅ではなく、住民の生活の向上に加え、近隣住民も喜ぶような施設、そしてエリア全体の価値が上がるものにしたい」と入江さんは自らの考えを上司へ訴えた。幸いにしてその考えは当時の部長や市長からも理解を得られ、新たなプロジェクトとして進み出す。

ちょうどその頃、岩手県紫波町では、町が保有する駅前の土地を民間企業が再開発して、年間約80万人が訪れる場所へと変貌させた「オガールプロジェクト」が注目を集めていた。入江さんは、同プロジェクトから再開発のヒントを得るため、2016年に9カ月間現地で研修を受けることにした。

そこにあったのは、かつて塩漬けされていた土地に、体育館・図書館、産直マルシェやカフェ、さらにホテルや住宅分譲地などが並び、多くの人が行き交うまちの賑わいだった。「町有地を公と民が連携して開発し、運用して儲けていくというオガールプロジェクトで学んだ手法を、大東市にも活かすことにしました」と入江さん。

写真(上)は現在のmorinekiの全景。地図(下)を見ると民間事業エリア、公園エリア、住宅エリアの3つに分かれているのがわかる(写真・画像提供/(株)コーミン)

写真(上)は現在のmorinekiの全景。地図(下)を見ると民間事業エリア、公園エリア、住宅エリアの3つに分かれているのがわかる(写真・画像提供/(株)コーミン)

市営住宅借り上げとテナントリーシングで融資元から信頼を得る

2016年、大東市が出資した「大東公民連携まちづくり事業株式会社(現(株)コーミン)」が設立され、入江さんは出向という形で翌年から籍を置き、プロジェクトを推進していく。社長は当時の市長ながら、民間企業事業ゆえ事業資金は税金に頼らず、銀行などの金融機関から融資してもらわねばならない。「住宅を市営住宅として大東市が借り上げること、さらにテナントを先付けすることで、銀行の信用度が上がったと思います」

縁あって、北欧のライフスタイルをテーマにしたアパレル会社「(株)ノースオブジェクト」が、大阪市からの本社移転という形でテナントに決まったのが、大きかった。同社にとっても本社機能だけでなく、ライフスタイルショップ、レストラン、ベーカリーなどの直営店を営業することで、自社をPRするショールーム的な使い方ができるメリットがあった。

テナント入居と融資のメドが立った2018年、入江さんは大東市役所を退職。市長に代わり、大東公民連携まちづくり事業株式会社の代表取締役に就任する。そして2021年3月、「大東に住み、働き、楽しむ、ココロとカラダが健康になれるまち」をコンセプトにした「morineki」がオープン。名前は近くの飯盛山の「森」と河内弁で「近く」を意味する「ねき」をつなぎ合わせた。それには「自然のそばで暮らしを営むことに愛着を感じて欲しい」という思いを込めた。

1階はノースオブジェクト直営のベーカリーなどが入り、2階は本社事務所がある(写真/藤川満)

1階はノースオブジェクト直営のベーカリーなどが入り、2階は本社事務所がある(写真/藤川満)

ノースオブジェクト直営のレストランと(株)ソトアソが運営するアウトドアショップも入居している(写真/藤川満)

ノースオブジェクト直営のレストランと(株)ソトアソが運営するアウトドアショップも入居している(写真/藤川満)

「もりねき住宅」と名付けられた住宅エリア、2~3階建の低層木造住宅だ(写真/藤川満)

「もりねき住宅」と名付けられた住宅エリア、2~3階建の低層木造住宅だ(写真/藤川満)

賑わいが生まれることで住民の意識も変化する

かつての市営住宅は144戸に80世帯が暮らしていた。現在の住宅エリアには1LDK44戸、2LDK30戸の74戸に60世帯がそのまま移り住んだ。新規入居者は14世帯。その後、市外からの転入者も含め5~6戸の入居者が入れ替わったという。

住宅棟はゆとりをもって配置され、広い中庭部分には芝生や木々が植えられ、ゆったりとした散歩道のよう。「以前よりも住民みんなでキレイにしていく意識が高まった」と語るのはとある住民。実際、建物のセミプライベート空間は、住民によって、思い思いの花々が飾られ、景観に彩りを与えている。「パン屋が近くにできて、早速行きつけになりましたよ」とうれしそうに語る高齢女性にも出会った。

また芝生広場で子どもと遊んでいた女性は「以前は暗い感じだったけど、今は子どもとよく遊びに来ます。同世代も多く、この広場で子ども同士が一緒に遊ぶことで交流が生まれました」とも語る。市外から友達を訪ねてmorinekiに食事に来た夫婦は「こんなにおしゃれな住宅が市営住宅と聞いて驚いた。子育て世代にはいい環境だと思う」とうらやましがる。

「かつての住民に加え、子を持つ若い夫婦の姿も増えました。それにより住民同士の緩やかな『見守りあい』も生まれつつあります。子育て世代のステップアップのための舞台にしてほしい」と入江さんは、もりねき住宅の活用方法を示す。

住居前は住民が使い方を考えられるセミプライベート空間(写真/藤川満)

住居前は住民が使い方を考えられるセミプライベート空間(写真/藤川満)

企業とタッグを組むことが新たなまちづくりの一助となる

ノースオブジェクトのスタッフの一人は「大阪市内からさほど遠くない。取引先のお客様も商談だけでなく、ショップやレストランにも足を運ばれ、滞在時間が長くなることで、商品や会社への理解を深めてもらえるようにもなりました。また、ここで月一回のイベントを開催することで、直接お客様の声を聞くことができるようになったのは貴重です」と本社移転による効果を実感しているようだ。

広々としたノースオブジェクトのオフィス。取引先が家族を連れてmorinekiに足を運ぶこともあるという(写真/藤川満)

広々としたノースオブジェクトのオフィス。取引先が家族を連れてmorinekiに足を運ぶこともあるという(写真/藤川満)

「元々この周辺は、住民だけで外からの交流人口がゼロでした。morinekiができたことで、わざわざ訪れる人が増えました。近隣にある中学・高校・大学の学生たちもアルバイトやイベントに足を運んでくれ、新たな人の流れになっています。さらに近隣の既存施設が改装したり、新たなショップが開店したりと、まち全体が活性化しつつあります」と手応えを感じている入江さん。実際、周辺地価はかつてより1.25倍になったという。

月一回のノースオブジェクト主催のイベントのほか、エリア全体でのイベントも開催している(写真提供/(株)コーミン)

月一回のノースオブジェクト主催のイベントのほか、エリア全体でのイベントも開催している(写真提供/(株)コーミン)

高度成長期に次々と建てられた公営団地。それからおよそ50年経ち、各地で建て替えが議論されている。また公営住宅の中に公園がある施設も多いが、誰もが足を運べるような開放感はなく、さらに人が集える地域の場所としても機能していないところが多い。その成功例としてmorinekiにも全国各地から多くの自治体が視察に訪れる。しかしmorinekiのような新たな公営住宅は、なかなか誕生していない。
「自治体によって民間が公営住宅を建てることは、難しさもあると思います。ただ戸数を減らして公園スペースを確保したり、その公園に面してテナントを入居させ収益を上げるなどは、工夫をすればできないことはないはず。morinekiの場合は本社移転がプロジェクトに加わりましたが、ほかにも新業態の出店候補地として提案したり、企業に掛け合ってみれば可能性が見えてくるはず」と入江さんは自らの経験に基づいたアドバイスをする。

公民連携という手法で、公営住宅の新たな姿を示してくれたmorinekiが、今後どのように発展していき、周辺を含めた大東市がどのように変化をしていくのか、興味深く見守っていきたい。

(株)コーミン 代表取締役であり、morineki住宅の大家さんとして住民の声に耳を傾ける入江智子さん(写真/藤川満)

(株)コーミン 代表取締役であり、morineki住宅の大家さんとして住民の声に耳を傾ける入江智子さん(写真/藤川満)

●取材協力
(株)コーミン
(株)ノースオブジェクト

昭和街角の情緒を伝える名物賃貸群「大森ロッヂ」。コロナ禍経て深まる住人同士の“ゆるやかなつながり” 東京都大田区

昭和の趣が残る「大森ロッヂ」(東京都大田区)は、住む人や地域の人がゆるやかにつながり、コミュニティが醸成される場所です。2009年以降に順次リノベーションされた8棟の住宅のほか、長屋式店舗兼用住宅「運ぶ家」が竣工・営業開始したのが、2015年6月。当時の様子はSUUMOジャーナルでも紹介しました。今年(2022年)4月には、新たに、一戸建てをリノベーションした「笑門の家」(しょうもんのいえ)が完成。コロナ禍を経て変わったこと、時流が変化しても変わらない思いについて、住民の皆さんや大家さんに伺いました。

石畳の路地の脇に黒壁の長屋が並ぶ。ドアやサッシは一部差し替えたが、中にはもう手に入らない昭和のガラス戸もある(画像撮影/桑田瑞穂)

石畳の路地の脇に黒壁の長屋が並ぶ。ドアやサッシは一部差し替えたが、中にはもう手に入らない昭和のガラス戸もある(画像撮影/桑田瑞穂)

縁台に飾られた鉢植の草花。緑が黒壁に映える(画像撮影/桑田瑞穂)

縁台に飾られた鉢植の草花。緑が黒壁に映える(画像撮影/桑田瑞穂)

コロナ禍に深まる閉塞感への疑問から生まれた、人とつながる「笑門の家」

京急線・大森町駅から歩いて2分、にぎやかな往来から一本入ると、右側に懐かしい佇まいの木塀と木戸でできた大森ロッヂの「ともしびの門」が見えてきます。前で迎えてくれたのは、大家の矢野一郎さんと住民で管理人もしている山田昭二さん。木戸を開けてもらうと、敷地内には昭和の風情を感じる路地があり、路地を挟んで、黒壁の長屋が並んでいます。昭和30~40年代に建てられた木造アパート群の古いものを活かしてリノベーションした賃貸住宅です。

矢野さん(左)と山田さん(右)。大森ロッヂの玄関口である「ともしびの門」の前で(画像撮影/桑田瑞穂)

矢野さん(左)と山田さん(右)。大森ロッヂの玄関口である「ともしびの門」の前で(画像撮影/桑田瑞穂)

大森ロッヂに新しく加わった「笑門の家」は、通りに面したところにあり、温室のような吹抜けの窓が特徴的です。

通りから見える「笑門の家」。古谷デザインに依頼し、木造2階建ての古い住宅をリノベーションした(画像撮影/桑田瑞穂)

通りから見える「笑門の家」。古谷デザインに依頼し、木造2階建ての古い住宅をリノベーションした(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」の計画は、2020年春、コロナ禍ではじまりました。

「コロナ禍では、人の自由が奪われて非常に孤立化してしまったという印象を受けました。テレワークもはじまりましたが、感染流行が拡大するなかで、世の中がどんどん閉鎖的になっていくことに疑問を感じていました。人間が生活する上でいちばん大切なものは、社会の状況に影響されない根源的な部分にあるはずです。それは、家に帰ったらリラックスしてゆったりした気持ちでいたいこと。必要なのは、家族や職場以外の誰かとのふれあいだと思いました。高気密で狭いところへ人を押し込めずに、誰かと接しようとすれば接することのできる機会を提供したいという思いがありました」(矢野さん)

「ゆるやかに人と交流できる家に」というコンセプトで、敷地に立っていた昭和の民家をリノベ―ション。設計を担当した古谷デザインから提案されたのは、一部をガラス張りの吹抜けにして半外部化するアイデア。「開いていく・創造していく場所にふさわしい」と考えた矢野さんは採用を決め、2022年4月に「笑門の家」が完成しました。

建物の一部が吹抜けのガラス張りで温室のような構造になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

建物の一部が吹抜けのガラス張りで温室のような構造になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

人を招きよせる「笑門の家」。地域とつながる交流拠点に

「笑門の家」に入居し、事務所兼住居として使っているのは、デザイン会社「グラグリッド」の三澤直加さんと尾形慎哉さんです。もともと恵比寿を拠点に仕事をしてきましたが、会社の移転を考えていたころ、新型コロナウイルス感染症の流行が重なりました。

「笑門の家」に引越して「地に足がついた生活ができている」という三澤さん(左)の言葉に頷く尾形さん(右)(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」に引越して「地に足がついた生活ができている」という三澤さん(左)の言葉に頷く尾形さん(右)(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」に引越して「地に足がついた生活ができている」という三澤さん(左)の言葉に頷く尾形さん(右)(画像撮影/桑田瑞穂)

古い欄間や梁を活かしてリノベーション。アール型の小上がりを見たとき「どう使うかワクワクしました」と三澤さん。すぐにワークショップのイメージが膨らんだ(画像撮影/桑田瑞穂)

「コロナ禍の影響で、人と繋がりたくてもリモートワークが増えて、知っている者同士しか会えなくなってしまいました。恵比寿のオフィスビルから離れて、大きく生活を変えたいと思うようになったんです。面白い場所に住み替えたいと探していたところ、『笑門の家』に出合い、『これだ!』と思いました」(三澤さん)

「笑門の家」で生まれたアイデアの数々。「関わりしろはどこまで大きくできるのか?」という発想からオープンなザクロ収穫祭の企画へとつながった(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」で生まれたアイデアの数々。「関わりしろはどこまで大きくできるのか?」という発想からオープンなザクロ収穫祭の企画へとつながった(画像撮影/桑田瑞穂)

「ビルの四角い部屋では出ない発想ができるかもしれないと感じたんです。大森ロッヂにコミュニティがあることを知り、住民の方や地域とのつながりで、ワークショップをするなどして、一緒にデザイン活動ができるのではないかというイメージが湧いて。交流(ワークショップ)ができる温室と、集中して仕事ができる2階があり、ほしかった条件がそろっていました。地域の人とつながりあって、実験しながら、やりたいことを実現できるのではないかと思いました」(尾形さん)

2022年6月に引越してから、庭にあったザクロを収穫し、ジュースをつくるイベントを開催。大森ロッヂに住んでいる人や近隣の子ども達も参加しました。尾形さんが非常勤講師を務める専修大学の学生たちと、大森に昔からある産業の廃材を使ってランタンをデザインするワークショップも行い、手ごたえを感じた二人は、いずれテーマを決めて語り合う「笑門の会」をつくりたいと夢を語ってくれました。

引越したとき、庭の隅に咲いていたザクロの花が実ったので催した収穫祭(画像提供/グラグリッド)

引越したとき、庭の隅に咲いていたザクロの花が実ったので催した収穫祭(画像提供/グラグリッド)

「見たことのなかった赤い花がザクロの実に変わっていくのに感動しました」と三澤さん(画像撮影/桑田瑞穂)

「見たことのなかった赤い花がザクロの実に変わっていくのに感動しました」と三澤さん(画像撮影/桑田瑞穂)

ルビーのような実を取り出し、つぶして、ジュースに(画像提供/グラグリッド)

ルビーのような実を取り出し、つぶして、ジュースに(画像提供/グラグリッド)

ふすま屋さんの廃材を使ったランタンづくりのワークショップ(画像提供/グラグリッド)

ふすま屋さんの廃材を使ったランタンづくりのワークショップ(画像提供/グラグリッド)

ふすま紙などを再利用して独創的なランタンが生まれた(画像提供/グラグリッド)

ふすま紙などを再利用して独創的なランタンが生まれた(画像提供/グラグリッド)

「『笑門の家』というネーミングが絶妙なんですよね。人を招くような、不思議な言葉の力があります。名を体現するような使い方ができればいいな。我々のつながりから、周辺の人もつながって、集まった人の話の中から、プロジェクトやイベントのアイデアが自然に発生する。新しいことが生まれるエンジンとしてこの場所を使っていきたいです」(尾形さん)

ワークショップのあとは、小上がりが語らいの場になる(画像提供/グラグリッド)

ワークショップのあとは、小上がりが語らいの場になる(画像提供/グラグリッド)

アトリエ付住宅「ひらめきの家」や店舗兼用住宅「運ぶ家」のその後

大森ロッヂには、長屋群のほか、通りに面したアトリエ・中庭付の2階建て集合住宅「ひらめきの家」や前回の取材時(2015年)に新築された店舗兼用住宅「運ぶ家」があります。

「ひらめきの家」は、店舗として使えるアトリエが通りに面してあり、奥が住居になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

「ひらめきの家」は、店舗として使えるアトリエが通りに面してあり、奥が住居になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

「旅する茶屋」を訪ねると、吹抜けの明るい空間に、茶香炉から良い香りが漂っています。オーナーで日本茶ソムリエの津田尚子さんは、もともと大森ロッヂに住んでいましたが、「ひらめきの家」に空室が生じることになり、住み替えをして、店舗を構えました。

中庭の緑が見える店内でお茶を淹れる津田さん(画像撮影/桑田瑞穂)

中庭の緑が見える店内でお茶を淹れる津田さん(画像撮影/桑田瑞穂)

美しい茶器に注がれるのは八女の白折という日本茶。体調に合わせたおすすめ茶をオーダーすることもできる(画像撮影/桑田瑞穂)

美しい茶器に注がれるのは八女の白折という日本茶。体調に合わせたおすすめ茶をオーダーすることもできる(画像撮影/桑田瑞穂)

「『旅する茶屋』という名前のとおり、店舗を持たず旅先でお茶をたてるワークショップをメインに活動していたのですが、まわりの人に勧められて、タイミングも合ったのでやってみようと思いました。近くの小学生が『ただいま』と声をかけてくれたり、旅で留守にしていて帰ると『閉まっていたけど、どうしていたの?』近所の人が心配してくれたり。地域の風景になりつつあるのかな」(津田さん)

「旅する茶屋」のお隣さんは、2020年から絵画工房と絵画教室を営む「アトリエウォボ」。講師を務めるのは、写実絵画の描き手である油彩画家の宮原俊介さんです。

「住居と一体でありながら、居住スペースとは別に絵を描く場所がほしかったので、条件に合う物件を探して『ひらめきの家』にたどり着きました。教室には、年代も職業もさまざまな人が通ってきます。いずれ、大森ロッヂのギャラリーで生徒たちのグループ展をしたいです」(宮原さん)

写真のように見たまま描いている印象のある写実絵画だが、宮原さんは「見た時の印象を誇張して表現しているので印象画だと思っています」と語る(画像撮影/桑田瑞穂)

写真のように見たまま描いている印象のある写実絵画だが、宮原さんは「見た時の印象を誇張して表現しているので印象画だと思っています」と語る(画像撮影/桑田瑞穂)

壁にかけられた宮原さんの作品。描かれた人物や動物の目力に圧倒される(画像撮影/桑田瑞穂)

壁にかけられた宮原さんの作品。描かれた人物や動物の目力に圧倒される(画像撮影/桑田瑞穂)

「アトリエ ウォボ」の中庭から隣にあるタイル工房「fuchidori」の作業風景が見えていた。クリエイター同士の距離が近いのもお互いの刺激になるのかもしれない(画像撮影/桑田瑞穂)

「アトリエ ウォボ」の中庭から隣にあるタイル工房「fuchidori」の作業風景が見えていた。クリエイター同士の距離が近いのもお互いの刺激になるのかもしれない(画像撮影/桑田瑞穂)

タイルでつくった「fuchidori」の看板がかわいい。「世界の街角を彩る装飾タイルの楽しさを多くの方と共有したい」という思いから、絵付けワークショップを不定期で開催している(画像撮影/桑田瑞穂)

タイルでつくった「fuchidori」の看板がかわいい。「世界の街角を彩る装飾タイルの楽しさを多くの方と共有したい」という思いから、絵付けワークショップを不定期で開催している(画像撮影/桑田瑞穂)

前回の取材時(2015年)に建築された店舗兼用住宅「運ぶ家」は、その後、どのように使われているでしょうか。「運ぶ家」は、貸駐車場借主の退去で空いたスペースに新築されましたが、「ただ建てるのではなく、住む人と建築家とみんなで一緒につくりあげたい」という矢野さんの思いが強く反映された建物です。

「運ぶ家」の2階で蚤の市(不定期)が開かれたときの様子(画像提供/大森ロッヂ)

「運ぶ家」の2階で蚤の市(不定期)が開かれたときの様子(画像提供/大森ロッヂ)

「借主は、建築費や設計料がいくらかわからないまま、家賃が決められていますよね。事業収支をオープンにして、設計段階から入居者、設計者、施主が、あたかも自宅を建てるようなプロセスを踏んだら、きっと場所への愛着も増すのではという気持ちもありました」(矢野さん)

「運ぶ家」に建築当時から関わった入居者のうち、コムロトモコさんはカフェ兼カバンのギャラリー「yamamoto store」を、もうひとりは、「たぐい食堂」を営んでいます。入居者が職住一体でなりわいをもつことができる「ひらめきの家」と「運ぶ家」。「地域に開かれた場所になって、街や大森ロッヂの活性化につなげたい」という矢野さんの思いを体現する場所になっています。

「運ぶ家」1階の「たぐい食堂」では、和定食やおにぎりが食べられる(画像提供/大森ロッヂ)

「運ぶ家」1階の「たぐい食堂」では、和定食やおにぎりが食べられる(画像提供/大森ロッヂ)

日替わりのプレートランチなどを提供するyamamoto store。店内には、店主が手掛けるカバンブランド「aof-kaban-shop」も営業している(画像提供/大森ロッヂ)

日替わりのプレートランチなどを提供するyamamoto store。店内には、店主が手掛けるカバンブランド「aof-kaban-shop」も営業している(画像提供/大森ロッヂ)

場が人を呼び、人とのつながりが価値になる門を入った路地に面してあるノスタルジックなポスト(画像撮影/桑田瑞穂)

門を入った路地に面してあるノスタルジックなポスト(画像撮影/桑田瑞穂)

大森ロッヂの案内図。住居のなかに「かたらいの井戸端」や「はぐくむ広場」など交流できる場所が設けられている(画像提供/大森ロッヂ)

大森ロッヂの案内図。住居のなかに「かたらいの井戸端」や「はぐくむ広場」など交流できる場所が設けられている(画像提供/大森ロッヂ)

現在、大森ロッヂには、15世帯が暮らしています。入居者募集に関しても、矢野さんは、不動産会社任せにするのではなく、自分で入居希望者に会って話を聞くことにしています。入居基準は、「大森ロッヂが好きな人」。長屋の家賃は新築並みで設備も古いですが、納得してくれる人が集まっています。矢野さん主催のイベントは、餅つきや新酒を楽しむ会など年2回ほどですが、住民発案で路地の広場で飲み会が催されることも。イベントは、コロナ禍のため中断していましたが、この11月にやっと再開することができました。

「借りて住む価値はひとりではつくり出せないものなんですよ。お金さえあれば、家は買えますが、周辺は買うことができません。人とのつながりが価値になる。場が人を呼び、自然と街に開かれていけばいいと思っています」(矢野さん)

大家業を通じ、入居者の人生に関わってきた矢野さん。「この仕事は、人間を愛する気持ちが大事」と話す時の優しいまなざしが印象に残っています。これからも、大森ロッヂは、古き良きものを活かしながら、新しいものを生み出す場として育まれていくのでしょう。

●取材協力
・大森ロッヂ
・株式会社グラグリッド
・旅する茶屋
・アトリエウォボ
・fuchidori
・たぐい食堂
・yamamoto store

“人口減少先進地”飛騨市、移住者でなく「ファン」を増やす斬新な施策!お互いさま精神で地域のお手伝いサービス「ヒダスケ!」

岐阜県の最北端に位置する飛騨市は、アニメ映画『君の名は。』のモデルとしても知られる景観が美しいまち。一方で、人口減少率が日本の30年先を行く、まさに「人口減少先進地」でもある。そんな人口減少の状況を「止められないもの」として真正面から受け止め、取り組んでいる。

令和4年度に、「地域を越えて支え合う『お互いさま』が広がるプロジェクト『ヒダスケ!』」が見事、「国交省まちづくりアワード」第1回グランプリを受賞! 飛騨市役所の上田博美さんと、飛騨市地域おこし協力隊の永石智貴さんにお話を聞いた。

飛騨市を推す人たちを“見える化“するファンクラブが原点

2004年に2町2村が合併して誕生した岐阜県飛騨市。飛騨高山が観光地として知られる高山市や、合掌造りで有名な白川村と隣接し、人口は2万2549人(2022年12月1日現在)、高齢化率は40.05%となっている。

「ヒダスケ!」誕生の前には、「人口減少先進地」としての課題解決のために、「飛騨市に心を寄せてくださる方を見える化しよう」と設立された「飛騨市ファンクラブ」の存在があった。

飛騨市役所の上田さんは話す。「飛騨市は、2015年からの30年で、全国平均の倍のスピードで人口減少すると予測される過疎地域です。現在、すでに2045年の日本の高齢化率を上回っているという現状があります。一方で、2016年に公開されたアニメ映画『君の名は。』で、聖地巡礼に来てくれる人たちが増えました。それ以外にも、スーパーカミオカンデで知られ、古川まつりはユネスコ無形文化遺産に登録されています。これまでも、観光などで飛騨市に来てくださる方などの存在に気づいていましたが、名前などがわからず、連絡を取ることができませんでした。そこで、飛騨市に心を寄せてくださるファンの方を見える化して、直接コミュニケーションが取れる仕組みを構築しようと考え、2017年1月に『飛騨市ファンクラブ』を立ち上げました」

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

「飛騨市ファンクラブ」の入会金や年会費は無料で、入会すると会員証や、希望者にはオリジナル名刺がもらえる。さらに、市内の対象施設で利用できる会員限定の宿泊特典や、市内の協力店舗でおトクに飲食や買い物ができるクーポンの配布も。また、飛騨のグルメを味わいながらのファンの集いやバスツアーなどに参加できることも大きな魅力だ。現在、会員は1万200人を突破している。

イベントを開催しながら会員と交流すること約3年。
「『スタッフとしてイベントをお手伝いさせてください!』と、わざわざ遠方から飛騨市へ足を運んでくださる会員さんが何人も現れたのです。そこで、この方達は、地域と関わる“関係人口”だといえるのではないか?と気がつきました」と上田さん。

「このような方達はどのようにして生まれ、またどのくらいいるのか」を検証するために、1年がかりで実験や研究を実施。その中で、「関係人口に関わるアンケート」を全国5000人を対象に行った。

「するとアンケートの結果から、関係人口と移住への興味は、必ずしもイコールではないことがわかりました。また、関係地となる地域へは、長期的な滞在よりも、1度訪れたことがあるかどうかが重要であることや、その地域で『嬉しかった・楽しかった』、また『役に立った』という経験が、愛着度を高める要因であることもわかりました」
その結果や実験を踏まえて誕生したのが、「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」だった。

飛騨市+お助け=「ヒダスケ!」。困りごと解決のマッチングサービス「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

2020年に誕生した「ヒダスケ!」は、飛騨市内にあるさまざまな困りごとを交流資源として、その困りごとに対して地域内外の人の力を借りて、楽しく交流しながら課題解決し、支え合いを生み出すというマッチングサービスだ。

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!では、プログラム主催者を“ヌシ“、参加者を“ヒダスケさん“と呼んでいます。“ヌシ“のお困りごとを、事務局と“ヌシ“が相談しながらプログラム化していき、ネットで参加者を公募します。“ヒダスケさん“は自分が関わりたいプログラムに申し込み、現地またはオンラインで“ヌシ“を助けて、“ヌシ“は“ヒダスケさん“に“オカエシ“します。例えば、農作業を手伝ってもらったら、終わってからお茶菓子を一緒に食べて交流したり、オカエシに農産物を差し上げたりします。また、飛騨市や高山市、白川村で使える“さるぼぼコイン “という電子地域通貨500円分もお渡ししており、ヒダスケ!が終わった後も、飛騨のお店でお買い物や飲食を楽しむことができます。ボランティアや体験ツアーとの違いは、オカエシがもらえるということ以上に、地域の人と楽しく交流し、つながる体験ができることが大きいと思います」と上田さん。

2020年4月から2022年10月までに162プログラムを行ってきた「ヒダスケ!」。ホームページの「プログラム一覧」を見ると、たとえば「稲刈り」や「棚田の草取り」など、飛騨市の「困りごと」が並ぶ。毎年11月ごろには、雪が降る前に、街中の川にいる約2千匹の鯉を溜池に引越しさせるプロジェクトもある。

関わることができるジャンルもさまざまで、「農業編」や「景観保全作業編」、オンラインで参加できるプログラムなどがあり、興味や特技を生かして参加できそうだ。

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛し、交流を求めて「ヒダスケ!」する参加者たち

もともと、前身の「飛騨市ファンクラブ」に入っていて、その流れで「ヒダスケさん」になった人も多いという。

参加者は、東京都や愛知県、石川県など各地から訪れる。多くは40代から60代で、長期の休みには、高校生や大学生も訪れるという。遠方では、ベルギーから日本へ働きに来ていた人が、休日を利用して参加し、ビニールハウスを建てる作業を楽しんだこともあるという。また、コロナ禍と重なり、一時期は岐阜県内からの参加者を募った時期もあったそう。

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケのコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケ!のコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!」は現地集合・現地解散。それでも、「そこまでして飛騨市を愛してくれる方々が、ヒダスケさんになってくれています」とのこと。

「交流を求めて参加する皆さんは、『農作業が好きだから楽しかった』とか、『ヌシから、自分の生活範囲では聞けないような話が聞けてよかった』と言ってくれます。一緒に農作業したヌシの熱い思いに触れて、ヌシや飛騨市のことが好きになり、その人から農作物を買うなど、ヌシへの応援を続けてくれるヒダスケさんもいますし、参加者同士が仲良くなって連絡を取り合い、次回は一緒に参加するなど、輪を広げているというケースも耳にします」

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「楽しく交流しながら支え合いを生み出す」という当初の理念通り、全国各地に助け合いの輪が広がり始めている。

魅力維持の原動力に繋がった、ヌシ側の心の変化

それでは、迎えるヌシ側の心境はどうなのか。ヌシになる人を探したり、ヌシと一緒にプログラム内容を考えたりする、飛騨市地域おこし協力隊の永石さんにお話を聞いた。

「ヒダスケ!のプログラムは、工夫次第でどんな内容でもつくることができますが、しばらくは、ヌシになることに対して敷居の高さを感じている人が多かったようです。飛騨市の人はおもてなしの精神が強いだけに、『自分でできることなのに手伝ってもらうのは申し訳ない』と思ってしまったり、オカエシをプレッシャーと感じてしまったりしていたのです。そこで、僕たちが住民の皆さんと直接話し、雑談の中からお困りごとを見つけるようにしました」

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

「各地から人を呼んで、わざわざ日常のことを頼んでいいのか」と躊躇してしまう住民たちに寄り添い、根気強く話し、推進してきた。

「もちろん、外の人を受け入れるヌシ側も、ヒダスケさん達をただの労働力だと思っていては意味がありません。取り組みを理解してもらうまでには、時間がかかると思いますが、住民が外の人と交流しながら作業することで、関係人口についても考えてもらえればいいですね」

自然と共存する飛騨市では、農作業を含め、数限りない大小の困りごとがあるものの、ちょっとしたことであれば「頑張れば自分でできる」と踏ん張る高齢者が多いという。そんな時、永石さんは「できなくなってから手伝ってくれる人を探しても遅いから、今から始めよう」と伝えているという。

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

例えば『高齢になり、大きな荷物を捨てに行くことができない』というようなお困りごともOKです。農家の畑の雑草取りを“エ草サイズ“と名付けて、参加者にエクササイズ感覚で作業してもらったこともあります」

飛騨市役所の上田さんも話す。「地域外の方を受け入れる人たちの気持ちにも、ヒダスケ!などの取り組みを通して変化が現れてきているように思います」

好例が種蔵(たねくら)地区だ。全国的にも珍しい、石積みの棚田が広がる種蔵地区では、80代のお年寄りも鍬(くわ)を担いで急勾配を上り下りし、農作業を行っている。

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

種蔵地区はミョウガが特産品の1つだが、高齢化により休耕地となってしまう農地もある。そこでヒダスケ!を活用し、「myみょうが畑」としてオーナーを募集。ミョウガ畑の草刈りや間引き、収穫などを行った。それにより、これまでに953平米ものミョウガ畑が復活することになった。

「ヒダスケ!に限らず、さまざまな人や団体が種蔵地区と関わり、景観の維持ができただけでなく、そこに住む人々の気持ちにも前向きな変化が現れています」

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

また、ヒダスケ!をきっかけに、地域の内外での往来や助け合いが自然と生まれるようになったという。さらに、プログラムに参加した移住者と地域の人がつながる仕組みとしても機能しているとのこと。

困りごと解決から魅力を発掘し、地域力アップ

2022年12月時点のヒダスケ!人数は1487名。
「来てくれたからには、ヒダスケ!参加者に楽しんでほしい」と話す永石さん。内容により、参加者の集まりにばらつきがあるので、今後はどんな企画を用意して、どのように広報していくかが課題だという。

「今後は、古民家の修繕や改装などを考えています。地域の人が困っていることは、募集していること以外にもいろいろあるので、内容は何でも、その都度合わせていければ。また、これまでは日にちを指定して、参加者に申し込んでもらっていましたが、これからは『この1カ月で作業できる日は?』と幅を持たせて呼びかけ、人が集まりやすい日にプログラムを実施するなど、やりたい人に合わせていく方法も考えています」と永石さんは計画を語る。

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

上田さんも話す。
「関係人口を形成する方達との関わりは、地域の人を元気にするチカラがあると思います。地域の人にとっては当たり前に感じていたことも、ヒダスケ!を通して魅力だと認識できるので、ここに住んでよかったと思い、守り続けようという気持ちにも繋がっていくはずです。これからも、飛騨市でまだ眠っている困りごとと共に、魅力を掘り起こして、関係人口を増やしていきたいです」

また、「こういった助け合いは、飛騨市だからできることではなく、どの地域でもできること」と上田さん。すでに「ヒダスケ!」を参考に、島根県で「しまっち!」というマッチングシステムが運用されている。

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

「最終的には、ヒダスケ!のようなシステムがなくても、助け合いが自然と生まれるような社会になれば。人口が減っていく中でも、関係人口との関わりで地域が元気になることが理想です」と上田さんは結んだ。

移住する「定住人口」とも観光に来た「交流人口」とも、違う形で地域と関わる“関係人口“。興味を持った地域があれば、誰でもいつでもどこからでも、関係を深めにいくことができるはずだ。

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

筆者の父の郷里も飛騨地域。オンラインでの取材後、映画『君の名は。』を見直すと、祖父母も使っていた飛騨弁が懐かしかった。そういえば祖父母が他界して以来、飛騨を訪れる機会や理由は減ってしまった……。

そこで考えたのは、「生まれた場所に関わらず、多くの人が、全身でリフレッシュできるような心のふるさとを持ちたいものでは」ということ。とはいえ、どの地域を選んだらいいかわからない。こちらが勝手に「心のふるさと」に決めていいものか……!? そんな迷いを、お互いさまであるヒダスケ!の仕組みが払拭してくれそうだ。

全国のヌシたちは、あなたとの関係づくりを、きっと待っている。

●取材協力
・ヒダスケ!
・飛騨市役所

山形住みます芸人・ソラシド本坊元児さん「東京の8年間は罰ゲームみたいだった」。都会を捨て、農業や”まともな生活”で得た充足感

吉本興業の芸人さんが全国47都道府県に暮らす「あなたの街に”住みます”プロジェクト」。お笑いコンビ「ソラシド」の本坊元児さんは、指名を受けて2018年に山形県へ移住、テレビやラジオ出演のかたわら農業を営んでいます。本坊さんのように地方へ移住をしてみたいと願う人も最近は増えていますが、不安や迷いも多くて足踏みしてしまうことも。そんな迷える人に向けて教えてください。本坊さん、移住について本当のところはどう思っているんですか?

手探りで始めた農業は、ご近所の人から教わった

現在山形市内に居住しながら、西川町にある畑や竹林、平屋の古民家を借りて通いで農業に勤しむ本坊さん。日本テレビのTV番組「人生が変わる1分間の深イイ話」では、本坊さんの暮らしぶりに密着するコーナーもあり、注目をされています。実際に目にしたことがある人もいるのでは?芸人仲間で仲良しの「麒麟」川島明さんも、本坊さんの山形暮らしについて、メディアでたびたび話しています。2022年4月には、山形暮らしのことを綴った『脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの』(大和書房)を上梓しました。

山形での暮らしぶりを赤裸々に綴った、本坊さん二冊目の著書(画像提供/大和書房)

山形での暮らしぶりを赤裸々に綴った、本坊さん二冊目の著書(画像提供/大和書房)

それにしても、芸人さんが農業? 一体どんな生活をしているのでしょうか。私たちは東京から飛行機で1時間、さらに車に乗り換えて1時間ほどかけて、西川町に到着しました。

本坊さんの畑がある場所は、山々に囲まれた自然豊かな環境(写真撮影/土田 貴文)

本坊さんの畑がある場所は、山々に囲まれた自然豊かな環境(写真撮影/土田 貴文)

広大な畑をせっせと行き来する本坊さん。「こんにちは」と近くに行くと、10月上旬のこの日は大根の葉の間引きや、里芋の収穫作業をしていました。

大根の葉の間引き作業をする本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

大根の葉の間引き作業をする本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

(写真撮影/土田 貴文)

(写真撮影/土田 貴文)

作付けをしている畑は約400平米ほどの広さ。ここでは現在里芋、大根のほか、玉ねぎやジャンボニンニクなど1シーズンで8種類近くの農産物を育てています。

「実は、里芋の収穫は作付けしてから初めての作業なんですよね、一体どうやるのかなあ」と笑いながら手探りの作業が続きます。

ドキドキしながら里芋収穫の作業をする(写真撮影/土田 貴文)

ドキドキしながら里芋収穫の作業をする(写真撮影/土田 貴文)

掘り起こした根元を見てみると、たっぷり里芋が!(写真撮影/土田 貴文)

掘り起こした根元を見てみると、たっぷり里芋が!(写真撮影/土田 貴文)

「農作物の育て方も、農機具を使うことも、ここにきて初めて知ったこと。何も知らないことばかりで、試行錯誤です。あまりに何もわからないから、ご近所の人たちや、地主であるシゲルさんから教えてもらいながら育ててきましたよ」(本坊さん)

本坊さんの農業の先生、地主のシゲルさんとの出会いは、2020年のコロナ禍、趣味である沖縄三線を通じてだったそう。

家主シゲルさんとの共通の趣味、沖縄三線を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

家主シゲルさんとの共通の趣味、沖縄三線を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

「それまでは少しずつメディアの仕事が増えていってたのが、コロナになって全てパー。アルバイトすらままならなくなったんですよ。そこで、以前から思っていた”何かやりたい、ここでしかできないことをしたい”を実行に移す時だと、農業を始めることに。そのタイミングでシゲルさんとSNSを通じて知り合い、空き家になっていた古民家と竹林、畑を月100円で借りられることになったんです」(本坊さん)

借りている平屋には、家主シゲルさん一家の生活の名残が感じられます(写真撮影/土田 貴文)

借りている平屋には、家主シゲルさん一家の生活の名残が感じられます(写真撮影/土田 貴文)

右も左もわからない状態で始まった山形暮らしですが、現在は毎日が大忙し。作った農作物を道の駅などで販売するほか、今年は近隣の食品会社から400本の大根の注文を受けたのだとか。「社長が、『本坊くんの作っている大根をうちで買わせてくれないか』って言ってくれて。大根を使って、漬物を作ってくれるんですって。ありがたいですよね。だから期待に応えられるようにしっかり作らないと、と思っているんです」(本坊さん)

農作物の生産や販売だけではありません。この日は取材の前に、西川町の名産品であるさるなし・こくわの商品PRショーを行っていたそう。農業を経験したことで、農産物のPRや商品開発にも携わることへと広がり、本気で農業と向き合っているそうです。
一方芸人としての仕事に始まり、東北地方でのメディア出演も増えているとのこと。現在テレビ6本、ラジオ2本へのレギュラー出演と2本の連載、そのほか講演活動にも勤しんでいます。「先日は小学校から講演依頼があったんですけど、テーマが『SDGs』で依頼をもらって。むずいテーマだなって思いながらも、17のテーマの中から農業とゲームで結びつけて話しました。こういう形で、芸人と農業が生きています」(本坊さん)

東京にいることが苦しくて、移住を決意

今でこそ多忙な毎日を送っている本坊さんですが、「それまで僕は20年間、今よりもずっと売れてなくて、月に5日も芸人の仕事があればいいほうでした」と話します。
「それ以外の時間は、日雇いの工事現場での仕事をしていたわけで。明日の予定さえよくわからない毎日だったんです。でも、おかげさまで今はやりたいこと、やらなくてはならないことが常にタスクとしてたまっている日々。そんな日々を走っているってことが嬉しいですね。忙しいことは、暇なことよりもストレスにならないです」(本坊さん)

東京時代のことを振り返る本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

東京時代のことを振り返る本坊さん(写真撮影/土田 貴文)

会社からの指令で山形へ移住することに抵抗はなかったのでしょうか。

「そりゃあ、抵抗はありましたよ。2011年にも一度移住の話を持ちかけられたんですが、その時は断っています。だって僕らは芸人になりたくて吉本に入っているんであって、地方を目指したいわけではない。大都会のてっぺんで頑張りたいって思うわけです。その時は即答で断りました」(本坊さん)

その後東京で芸人活動を続けますが、次第に本坊さんは都会での暮らしに疲弊していったのだと振り返ります。

イチから始めた山形の生活も、四の五の言わずに淡々と楽しんでいる(写真撮影/土田 貴文)

イチから始めた山形の生活も、四の五の言わずに淡々と楽しんでいる(写真撮影/土田 貴文)

「とにかくバイト生活から脱したかった。ほとんどずっと工事現場で働いていて、『この生活は何の罰ゲーム?東京におる意味ってあるんか?』と思いながら過ごしていました。僕にとっての暗黒の8年間。仕事も辛かったけれど、それ以上に人や街の空気に酔ってしまい疲れていたんだと思います。年齢も30過ぎてて、住めるわけでもない大都会の真ん中へ、仕事のためだけに毎日電車に揺られて通う。しんどい以外の何ものでもなかった。そう思っている大人、他にもいるんちゃうかな。だから2回目の移住指令に応じたのは、正直なところ都会の苦しさから逃げたくてラクを選んだところもありました」(本坊さん)

移住をするからって、ずっと住むわけではない

移住してから初めのころは仕事を介した地元の人との付き合いが中心だった本坊さん。その後「芸人じゃない友人」である宅配便配達員・ジンくんとの出会いがきっかけで、仕事以外の地元の友達がたくさんできたといいます。

仲良しの友達ジンくん一家と、馬場園梓さんとの一コマ(画像提供/吉本興業株式会社)

仲良しの友達ジンくん一家と、馬場園梓さんとの一コマ(画像提供/吉本興業株式会社)

「芸人じゃない人たちの生活がとにかく新鮮でしたね。起きて布団を干して、洗濯をする。きちんと靴もそろえられていて、献立表とかが冷蔵庫に貼ってあるんですよ! 何もかもがまともな生活。ああ!こういう生活が普通の生活なんやって、40年近く生きてきて今さら知ったという。遅いんだけど(笑)。そのことがいちいち面白かったです」(本坊さん)

山形の人にとって当たり前の風景や気候も、本坊さんには何もかもが新鮮だったという(写真撮影/土田 貴文)

山形の人にとって当たり前の風景や気候も、本坊さんには何もかもが新鮮だったという(写真撮影/土田 貴文)

休みの日ともなれば友人たちと釣りへ行き、麻雀をし、食事を共にしては時には友人宅に寝泊まりするほど本坊さんは山形の暮らしに馴染んでいきます。これほどに仲良くなれるって珍しいのではないでしょうか。

「”地元を盛り上げたくて”みたいな、なんかうわついたこと言って構えて移住してきても、”あんた何言ってんの?”みたいに思うじゃないですか。大そうなことをしようとなんて思っていないし、正直に嘘をつかないで過ごすことが大事だと思うんです」(本坊さん)
本坊さんが徐々に人脈を広げて、そして仕事へと広がりを見せていったのは、無理な姿をつくらないこと、そして高すぎる志を掲げなかったことが多くの人との距離感を縮めていたのかもしれません。

この地区では一番若いという本坊さん。元気な年長者たちに助けてもらいながら、過ごしているそう(写真撮影/土田 貴文)

この地区では一番若いという本坊さん。元気な年長者たちに助けてもらいながら、過ごしているそう(写真撮影/土田 貴文)

「だから移住の理由も本音を話すんです。本当は”山形に来たくて、移住しました”っていう方がみんな喜ぶでしょうし、それを期待しているんでしょうけれど。”住みます芸人で指名されたから来ました”が僕の本音。嘘は言わない。でも、住むからにはその土地で文句を言わずにできることを一生懸命やる。これが僕のできることです」(本坊さん)
これだけ仲の良い人間関係が出来上がると定住しそうにも思えますが……。

「でもね、住んでる家は賃貸ですしね。一生家を買わない方向を考えているから、またどこかに引越すことになるかもしれません。その時になってみないとわからない。今は今で楽しいけれど、先はもしかしたらまたどこかに移住するかもしれない。そういう話をすると、山形の人たち寂しそうな顔するんですけどね。移住したからといって、移住先に一生住み続けなければならない。ってことはないんですよね」(本坊さん)

迷っている人がいたら、自分が斜に構えないこと

「移住をしたら、ずっと住み続けなければならないってことはない」ーーその一言にハッと目を覚まさせられた気持ちになります。なぜならば、移住を願う人たちの多くは、その土地に住むならば「失敗したらどうしよう・人間関係がうまくいかなかったらどうしよう」と、先々ずっと続く心配をしがちだからです。移住を先に経験している本坊さんは、そこをさらに突いてきます。

「いや、不思議に思うんですけど……。皆なんでそんなにトラブルがありき前提で家や土地探しに行くんですかね。確かに隣の人たちの顔が見えないっていう状況が怖いのはわかるんですけれど。でも正直、自意識過剰な気がします。相手にだって相手の生活があり、彼らにとっても知らない人が移住してくるのは不安や未知がある。見えない情報に翻弄されず、斜に構えないで、目の前の人たちのことをしっかり見ることが大事なんじゃないですかね」(本坊さん)

工事現場での作業経験を活かしながら、廃材を利用してDIYでつくった農作業庫(写真撮影/土田 貴文)

工事現場での作業経験を活かしながら、廃材を利用してDIYでつくった農作業庫(写真撮影/土田 貴文)

確かにその通りですね。自分のことばかりではなく、相手の立場に立って考えることで、不安や心配は和らぐのかもしれません。誰だって未知なる世界に不安が膨らむのは当然のことなのですから。

「僕も移住前に、空き家バンクなんかをネットで調べたりしました。今は手軽に情報が調べられるけれど、こと移住となると、ネットはやっぱり嫌なことしか情報として出てこないんですよ。でもそれを自分の実生活に当てはめてみると、ネットに上がっている情報が全てではなくて。鵜呑みにしない方がいいなって思いますね。半分ゴシップだと思えばいいんです」と語る本坊さん。

移住に対しても一歩俯瞰的に見ているところに芸人さんらしさを感じます(写真撮影/土田 貴文)

移住に対しても一歩俯瞰的に見ているところに芸人さんらしさを感じます(写真撮影/土田 貴文)

本坊さんがおっしゃるように、SNSやインターネットでの情報が手軽に入るようになったからこそ、不安の面積が広がっているというのはあるのかもしれません。

「だって、世の中には嫌な奴もいるし、一方ではいい人もたくさんいる。それは東京でも山形でも同じでしょう? だからパソコンやスマホを指先だけでいじって調べてないで、嫌なことも楽しいことも変化を面白がる。そのくらいの気持ちを持って、体ごとぶつかっていけば、“住めば都”になるかもしれないですね」(本坊さん)

実直な気持ちで、いいも悪いも変化として面白がる。そして失敗したと思っても引き返せばいいし、移住した先に住み続けることが必須ではない。その気持ちと行動が、移住を実現するには何よりも大切なのかもしれません。

東京から遊びに来てくれた「おかずクラブ」と大根の収穫作業を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

東京から遊びに来てくれた「おかずクラブ」と大根の収穫作業を楽しむ(画像提供/吉本興業株式会社)

「本音を言うとまた東京にいる芸人さんたちと一緒に仕事をしたいですよ、特に昔の仲間たちと」とぽつりと語してくれた本坊さん。しかし「東京の暮らしをまたしたいとは思わない、なんだかんだ楽しんでいるんだと思う」とも続けてくれました。

最近は芸人仲間も、本坊さんの山形暮らしにとっても興味を持っている様子。実際に「天津」の木村卓寛さんや、「おかずクラブ」の二人などが、遊びに来てくれたそうです。東野幸治さんはなんと地方移住に興味を持っているのだとか。こうして芸人さんにも、山形や移住のことを自分ごととして感じてもらい、更には街の人たちとの交流が増えるという流れをつくること。それが本坊さんにとってのこれからやりたいことだそう。ますます関係人口が広がっていきそうで、とても楽しみですね。

泥臭く大変な作業ですが、楽しそうに話す姿が印象的でした(写真撮影/土田 貴文)

泥臭く大変な作業ですが、楽しそうに話す姿が印象的でした(写真撮影/土田 貴文)

●取材協力
・吉本興業株式会社
・よしもと住みます芸人
・ソラシド
・本坊元児

障がい者と健常者がともに働き、助けあう草分け的存在「わっぱの会」。街のパン屋から多事業展開へ40年の軌跡

「障がいをもつ人も、もたない人も共に生き、働ける場を」というコンセプトを掲げ、1971年から活動を開始したわっぱの会。その事業の一つである「わっぱん」は共働事業所で働く人たちがつくる無添加のパンです。
わっぱの会が障がいのある人とない人が共に生きていく世界を目指し、活動を続ける理由やその取り組み、住まいに関わる支援について、わっぱの会の斎藤縣三さんに話を聞きました。

障がいのある人たちがつくる、無添加国産小麦のパン「わっぱん」って?

「わっぱん」とは、名古屋を拠点に展開しているパン屋さんです。手作業を重視し、材料にはなるべく添加物を使用せず、遺伝子組換えではないものなど、自主基準を設けこだわっています。

もちろん、使用するカスタードクリームやジャム、つぶあんなどもすべて手づくり。自分たちが信頼できるもの以外は入れない、お手ごろな価格で安心安全なおいしいパンを届ける。そんなパンに込めるつくり手の姿勢は、わっぱんの事業を開始して以来、地域の人々に支持され、愛され続けています。

体に悪いものは入れない。安心でおいしい「わっぱん」のパンは地域の人に長く愛されている(画像提供/わっぱの会)

体に悪いものは入れない。安心でおいしい「わっぱん」のパンは地域の人に長く愛されている(画像提供/わっぱの会)

わっぱんのもう一つの大きな特徴は、障がい者と健常者が一緒に働くパン屋であること。今ではそのような業態はたくさんありますが、わっぱんの事業を開始した1984年当時としては大変珍しく、先駆けでした。わっぱんの誕生について、経営母体である「わっぱの会」の斎藤さんはこう話してくれました。

「わっぱんの事業を始めるまでは内職や移動販売などの仕事をしていましたが、収入は限られたものでした。事業として成立する形で障がいのある人に仕事を提供したいと考えたとき、手作業を活かせて、自立して生活できるだけの収入を得られる仕事として行き着いたのがパン屋だったのです。当時は全国で初めて障がい者と健常者が一緒にパンをつくって地域の人たちに買ってもらうという、時代に先駆けた取り組みでした」

手仕事にこだわった丁寧なパンづくり(画像提供/わっぱの会)

手仕事にこだわった丁寧なパンづくり(画像提供/わっぱの会)

地域の中で地域と共に。「ソーネおおぞね」の誕生

わっぱの会では、これまでの福祉サービスの域を超えて、地元の人たちとの交流や社会参加を重視した、地域に根付いた取り組みを大切にしています。その一つのモデルケースとなる施設が「ソーネおおぞね」です。リサイクルセンター、ショップ、ダイニングカフェ、フリースペース、住まいをはじめ小さなことから相談できる「相談所」の五つの機能をもつ複合施設になっています。

ソーネおおぞね内のショップ。わっぱんのパンや愛知の特産品、有機野菜などの幅広い品揃え(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞね内のショップ。わっぱんのパンや愛知の特産品、有機野菜などの幅広い品揃え(画像提供/わっぱの会)

大曽根団地の中にあったスーパーの跡地を利用してつくられたソーネおおぞね。団地の過疎化が進み、空き部屋がたくさんある状況下で、団地の荒廃を食い止め、地域の人たちも参加できる施設にしたいという思いがあった(画像提供/わっぱの会)

大曽根団地の中にあったスーパーの跡地を利用してつくられたソーネおおぞね。団地の過疎化が進み、空き部屋がたくさんある状況下で、団地の荒廃を食い止め、地域の人たちも参加できる施設にしたいという思いがあった(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞねでは、地域と連携して、団地内の空き部屋を借り受けて改修を行い、住宅弱者に貸し出したり、障がい者のグループホームの運営も行っている(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞねでは、地域と連携して、団地内の空き部屋を借り受けて改修を行い、住宅弱者に貸し出したり、障がい者のグループホームの運営も行っている(画像提供/わっぱの会)

地域住民が一緒に参加する夏祭りを開催したり、キッズスペースをつくって子育て世帯も気軽に訪れることができるようにしたりと工夫を凝らしました。リサイクルセンター「ソーネしげん」での資源の買取にはポイント制を導入し、敷地内のダイニングカフェでそのポイントを利用できるようにしたりしたところ、ソーネしげんの会員は現在4000人を超えるまでに増えています。遠くからも車でやってくるほど、地域を超えて多くの人に受け入れられるようになりました。

ソーネおおぞね内にあるリサイクルセンター「ソーネしげん」。分別した資源を持ち込んで買い取ってもらうことができる(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞね内にあるリサイクルセンター「ソーネしげん」。分別した資源を持ち込んで買い取ってもらうことができる(画像提供/わっぱの会)

リサイクルセンターとカフェにポイント制を取り入れた仕組み(画像提供/わっぱの会)

リサイクルセンターとカフェにポイント制を取り入れた仕組み(画像提供/わっぱの会)

障がい者と健常者の共生・共働を目指し、「一人で暮らしたい」「働きたい」に寄り添う

障がい者の「自立して暮らしたい」「社会の一員として働きたい」という想いに寄り添いつつ、障がい者と健常者のスタッフの生活を成り立たせていくのは簡単ではありません。現在、わっぱの会は事業による収入のほか、寄付や助成金などで運営を持続している非営利法人組織となりました。展開する事業の数は33に及び、年間の事業高は15億円にのぼります。それらは全て、今困っている人たちには何が必要かを考えて、発展していった取り組みです。

ほかにも、企業への就労支援や職業訓練、生活支援、居住支援なども積極的に行ってきました。年間に200名以上の就職を実現し、その実績が評価されて、ハローワークから就職先を探す依頼を受けることも多いそう。

「障がい者は『働きに行く』という意識が芽生え、お金を稼ぐ実感を得られるようになり、一緒に働く健常者は、新たな気づきや生きがいを見出している人が多いようです」

障がい者と健常者がともに働く場はパン屋、リサイクルセンター以外にも多岐にわたる。障がいがあっても働けることを理解してもらい、就職先を開拓する取り組みも行っている(画像提供/わっぱの会)

障がい者と健常者がともに働く場はパン屋、リサイクルセンター以外にも多岐にわたる。障がいがあっても働けることを理解してもらい、就職先を開拓する取り組みも行っている(画像提供/わっぱの会)

生活・仕事・福祉のお悩みも気軽に相談できる地域の相談所を運営(画像提供/わっぱの会)

生活・仕事・福祉のお悩みも気軽に相談できる地域の相談所を運営(画像提供/わっぱの会)

障がい者だけにとどまらない、わっぱの会の居住支援

2010年代の後半には居住支援法人制度の認定を受け、住まい探しの専門センターを設立。障がい者以外の生活困窮者からも多くの相談が寄せられています。

児童養護施設を18歳で退所した若者や、家族関係によって自宅が安心できる環境にない学生に寮として提供している建物(画像提供/わっぱの会)

児童養護施設を18歳で退所した若者や、家族関係によって自宅が安心できる環境にない学生に寮として提供している建物(画像提供/わっぱの会)

「最初は住まいを紹介するだけでしたが、障がいのある人の入居は大家さんも二の足を踏むことが多く、今は連帯保証人がいても保証会社がつかないとなかなか貸してもらえません。そこで私たちは、債務保証会社と協定を結び、わっぱの会が支援する人には、保証会社を付けられるようにしました」

それでも、家賃の滞納や近隣へのトラブルがあるのではないかなど、障がい者への偏見から部屋を貸したがらないオーナーは未だ多く存在するそうです。対策として、わっぱの会がオーナーから部屋を借り受けてリフォームし、貸し出すことにも取り組んでいます。また、わっぱの会が間に入って身元の保証や定期的な安否確認、死後事務まで行うことで、オーナーさんの不安を軽減しているのです。

障がい者やサポートを必要とする人たちへの事業は多岐にわたっている(画像提供/わっぱの会)

障がい者やサポートを必要とする人たちへの事業は多岐にわたっている(画像提供/わっぱの会)

わっぱの会が目指すもの。地域共生の未来とは

斎藤さんが学生だった1970年ごろ、障がい者は山奥の施設など、まちなかとは離れて社会と接しにくい場に置かれるれることが多くありました。その現実に疑問と憤りを覚え、健常者も障がい者も共に暮らし、働ける場所をつくろうと立ち上げたのが、わっぱの会です。

「共生・共働という考え方は、以前と比べて普通に使われるようになってきました。しかし、世の中で広く使われている言葉の意味は、私たちが考えるものとはズレがあるように思います。介護福祉事業への企業参入も増えてきましたが、障がい者に寄り添うことが目的ではなく、行政から補助金を得たり、利益を生み出すための手段として利用しているのではと疑わざるを得ないケースが増えています。

私たちの地域相談窓口に来る人には、障がい者以外の人たちも増えていて、かつては地域の中の支え合いで解決していたことも回らなくなって、今まで以上に地域が疲弊していると感じます。障がい者、健常者、生活困窮者といった枠を超えた福祉が今こそ必要で、そのためには地域をつなぎながら新しく地域を再編していく覚悟が欠かせません」

わっぱんでは、健常者と障がい者合わせて70名近くが同じ仲間として働いている(画像提供/わっぱの会)

わっぱんでは、健常者と障がい者合わせて70名近くが同じ仲間として働いている(画像提供/わっぱの会)

わっぱの会では職員と利用者といった、提供する側と享受する側に分けるような、従来の福祉サービスからの脱却を目指しています。障がい者もただサービスを受けるのではなく、関わる誰もが等しく会費を負担し、共同運営していく、生活と共働を支えるような組合のような組織。そして、成果主義ではなく、みんなで成果を分かち合っていく関係の構築を考えているそうです。

さらに、今後も支え合いを実践しながら活動を持続していくには、障がい者も健常者も生活できる事業として成立するだけのお金が巡る仕組みも欠かせません。枠にとらわれない支援の仕組みづくりと普及が急務とされるなか、わっぱの会の取り組みは一つのモデルケースになりそうです。

●取材協力
わっぱの会
わっぱん
ソーネおおぞね

駅遠&崩壊寸前の空き家6棟を兄妹3人の力で「セレクト横丁」にリノベ! 地元のいいものそろえ、絆も再生 「Rocco」埼玉県宮代町

地方都市や都市郊外で、古い平屋の一戸建てが並んでいるのを見かけたことはありませんか。築年数が経過しているうえに空き家だったりすると、なんとなく不気味な存在、なんて感じたことがある人もいるかもしれません。ところが、その建物の特性を見事に活かしてリノベーションし、地元ならではの「セレクト横丁」にした家族がいます。埼玉県宮代町に「ROCCO」を誕生させた、長年続く建設会社とその家族、出店した地元のみなさんに取材しました。

きっかけは父の病。建築、設計、デザインに携わる3人の子どもたちが地元に集う

高度経済成長期、日本のあちらこちらで、大量に木造賃貸住宅が建設されました。築50年、60年となった建物たちは、今のライフスタイルに合わずに借り手がつかず、放置され空き家となっていることも少なくありません。このまま放置が続けば、倒壊や害虫・害獣の住処になる可能性が出てくるなど、地域にとってはリスクにもなってしまうことも。そんな、日本のあちらこちらにある建物を、地域ならではの“セレクト”横丁として再生させたのが、埼玉県宮代町の「ROCCO」です。

今回取材した「Rocco」のリノベーション前の姿(左)。1970年の2Kの平屋は、全国各地で多数建築されました(写真提供/ROCCO)

今回取材した「Rocco」のリノベーション前の姿(左)。1970年の2Kの平屋は、全国各地で多数建築されました(写真提供/ROCCO)

平屋を“セレクト横丁”として生まれ変わらせた「ROCCO」。「なんということでしょう!」という声が聞こえてきそう。衝撃のビフォアアフターです(写真撮影/栗原論)

平屋を“セレクト横丁”として生まれ変わらせた「ROCCO」。「なんということでしょう!」という声が聞こえてきそう。衝撃のビフォアアフターです(写真撮影/栗原論)

リノベーションを手掛けたのは、埼玉県宮代町にある建設会社、中村建設の中村家の3きょうだいです。長男が会社を継ぎ、次男は都内で設計事務所を共同設立、長女はグラフィックデザイナーとしてそれぞれ活躍しています。

中村建設の中村家の3きょうだい。建設と建築、デザイン。それぞれの道に進みました(写真提供/ROCCO)

中村建設の中村家の3きょうだい。建設と建築、デザイン。それぞれの道に進みました(写真提供/ROCCO)

「はじまりは、ほんとに雑談だった」と振り返るのは、次男で一級建築士でもある中村和基さん。「飲みながら、あそこにお店があったらいいのに、って話したのがはじまりだったんです」と話すのは、末っ子の妹の中村幸絵さん。長男は父から会社を継ぎ、宮代町で暮らしていましたが、当時、2人は都内で暮らしていました。(次男は現在宮代町在住)

会話もきょうだいならではの気軽さ。大人になってからも仲の良い家族っていいですよね(写真撮影/栗原論)

会話もきょうだいならではの気軽さ。大人になってからも仲の良い家族っていいですよね(写真撮影/栗原論)

「父は地域に代々続く建設会社を営んでいました。今は長男が経営を継いでいます。2019年、その父が大病を患っていることがわかり、家族が交代で看病や介護をして支えようと、久しぶりに地元の宮代町に帰ってきたんですね。スーパーに買い物に来たら、平屋の空き家が並んでいるのが目について。『あの空き家、コピペ(コピー&ペースト)したみたいで(同じデザインの外観が並んでいる様子が)かわいいよね』『地元で気軽に寄れる場所やちょっとお酒を飲める場所がほしい、あそこは手を加えたらちょうどいいのでは?』と話していたんです」と幸絵さん。ちょうどコロナが流行りはじめ、リモートワークができるようになり、たびたびこの建物の話題があがっていたといいます。

周辺にはスーパーやドラッグストアがあるが、空き家だったころは周囲も暗い雰囲気だったそう。平屋は放置された状態が続いていた(写真撮影/栗原論)

周辺にはスーパーやドラッグストアがあるが、空き家だったころは周囲も暗い雰囲気だったそう。平屋は放置された状態が続いていた(写真撮影/栗原論)

「そんなある日、突然、長男が『あの建物の所有者と話してきた』と言うんです。実は、もともと建物の建築を請け負ったのが祖父の代だったということがわかり、売却してもいいよと言ってくださったんです。(書類を取り出して)これが建築当時の昭和45年の書類です。築52年、1戸当たり10坪の2K。戦後によくある建物だったんですね」と和基さん。

空き家問題でよく聞くのが、「大家さんは家賃収入があってもなくても生活には困らないので、知らない人には売ったり貸したりしたくない」という意向です。そのため、宙ぶらりんになってしまうことも多いのですが、このROCCOの場合、大家さんが地元企業の先代、先々代からの付き合いがあるということもあり、建物と土地を快く売却してもらえたそう。

契約書を見せてもらいながら、お話を聞かせてくれるお二人(写真撮影/栗原論)

契約書を見せてもらいながら、お話を聞かせてくれるお二人(写真撮影/栗原論)

春日部市、杉戸町、宮代町、地域に眠っている才能を掘り起こす

そうして土地と建物を売却してもらったものの、長年、空き家になっていたためか、建物はボロボロ。特にお風呂やトイレの状態は悪く、耐震性や断熱性など、現在の建築基準を満たすものではなかったといいます。

空き家になっていたためか、建物のあちこちが傷んでいたそう(写真提供/ROCCO)

空き家になっていたためか、建物のあちこちが傷んでいたそう(写真提供/ROCCO)

「かけられる費用のバランスをみながら、大規模リノベをしました。私が建築図面を引いて、妹がサイン等のデザインをして、現場の職人さんたちが作るというような流れで、距離感が近くて、判断が早いんですね。そのあたりのスピード感が内部でできる強みだと感じた」と和基さん。

とにかくこだわったのは、外観。清潔感があり、どんな業種の店舗が出店してもらっても馴染むだろうということから、白を基調にしました。
「完成してから気がついたんですが、白と青空ってすごく『映える』んですね。宮代町の大きな空とあっていて、みなさん写真を撮っていかれます」(幸絵さん)

建物は白を基調に。木材をふんだんに使い、やさしい印象に仕上げています(写真撮影/栗原論)

建物は白を基調に。木材をふんだんに使い、やさしい印象に仕上げています(写真撮影/栗原論)

「建物のリノベーション、契約などと同時進行で、出店してもらうテナント探しをはじめました」と和基さん。注力したのは、テナントもできるだけ「地元の人」「地元のモノ」「長く続けてもらう」ということ。

「東京で仕事をしてきて、家族の病気やコロナもあって、宮代町で過ごすようになって、その良さがわかった点は大きいですね。仕事柄、東京の飲食店ともつながりがあり、お願いすれば出店してもらうことは可能なんでしょうが、知名度・ブランド力のある店舗に出店してもらうのではなくて、地元でがんばっている人で作る、地元に愛される場所にしたかったんです」といいます。

そのため、隣の杉戸町の「わたしたちの3万円ビジネス」を手掛けるchoinacaさんに出向き、起業を希望する人たちがいるのか、どうすれば盛り上がる場作りができるかを相談したそうです。

「地域で起業したいと考えている人、場所があれば自分のお店にしたいと思っている人は、意外と多いんですね。このROCCOが、そんな人達の受け皿になったらいいなと思っています。地元の人がお店やっているとなれば応援したくなるし、地元だからこそ、何度も行きたくなる、そんな場所を目指したんです」(幸絵さん)

宮代町近郊で頑張っている人を探していたころ、隣の春日部市出身で、日本のバリスタコンテストで2冠を果たし、世界大会で準優勝という畠山大輝さん、地元で名物になっているおかきをつくる牧野邦彦さんなどと出会いました。人と人って、こうやってつながっていくんですね。

「宮代もち処 Jファーム」。もともとは米づくりを行っていた社長が手掛け、あげもちやおこわ、餅などを販売(写真撮影/栗原論)

「宮代もち処 Jファーム」。もともとは米づくりを行っていた社長が手掛け、あげもちやおこわ、餅などを販売(写真撮影/栗原論)

名産品として人気の宮代あげもち(写真撮影/栗原論)

名産品として人気の宮代あげもち(写真撮影/栗原論)

週末限定で餅を販売しているが、なんと1000個以上つくっても完売するのだとか(写真撮影/栗原論)

週末限定で餅を販売しているが、なんと1000個以上つくっても完売するのだとか(写真撮影/栗原論)

施工は長年付き合いのある職人。つながりと活気が戻ってくる

ROCCOは全6棟ありますが、コーヒーを扱う「Bespoke Coffee Roasters」、ギリシャヨーグルトとお茶を扱う「M YOGURT」、「宮代もち処 J ファーム」、サカヤ×ビストロ「FusaFusa」、「シェアキッチン棟」など、魅力的な店舗が並んでいます。どれもこれも、きょうだいで力をあわせて見つけてきた、よりすぐりの、熱意があるこだわりのお店ばかりです。

ちなみに、ギリシャヨーグルト専門店「M YOGURT」を運営するのは、春日部市でお茶の販売などを行う、おづづみ園の尾堤智さん。
「母が宮代町の出身ということもあり、今回、ギリシャヨーグルトの店を出すことになりました。私自身が北海道で製法を学んだ、生乳と乳酸菌しか使っていないギリシャヨーグルトを販売しています。正直、高価なので、どこまで売れるか不安だったんですが、杞憂でしたね。宮代町の方に愛されて、製造が追いつかないくらいの人気です」と話します。

ヨーグルトのほかに、日本各地の美味しいものを販売。お茶やヨーグルト、美と健康のセレクトショップを目指すといいます(写真撮影/栗原論)

ヨーグルトのほかに、日本各地の美味しいものを販売。お茶やヨーグルト、美と健康のセレクトショップを目指すといいます(写真撮影/栗原論)

店内で手作りしているヨーグルト。試食するとその濃厚さにびっくりします(写真撮影/栗原論)

店内で手作りしているヨーグルト。試食するとその濃厚さにびっくりします(写真撮影/栗原論)

ギリシャヨーグルトは1つ550円。ほかにもデザートヨーグルト650円などと決して安価ではないが、「美味しい」と好調に売れているそう(写真撮影/栗原論)

ギリシャヨーグルトは1つ550円。ほかにもデザートヨーグルト650円などと決して安価ではないが、「美味しい」と好調に売れているそう(写真撮影/栗原論)

濃厚な味わいで、おやつにもお酒のお供にもよさそう(写真撮影/栗原論)

濃厚な味わいで、おやつにもお酒のお供にもよさそう(写真撮影/栗原論)

酒屋さんがはじめたビストロ「FusaFusa」。東欧のワインを中心に扱っています(写真撮影/栗原論)

酒屋さんがはじめたビストロ「FusaFusa」。東欧のワインを中心に扱っています(写真撮影/栗原論)

カウンター席のみの店内。これはお酒とおしゃべりがはずみそう(写真撮影/栗原論)

カウンター席のみの店内。これはお酒とおしゃべりがはずみそう(写真撮影/栗原論)

ランチメニューの岩中豚ロースのとんかつ。開店前から行列ができる日もある人気ぶりです(写真撮影/栗原論)

ランチメニューの岩中豚ロースのとんかつ。開店前から行列ができる日もある人気ぶりです(写真撮影/栗原論)

棟と棟の間には、宮代町にある日本工業大学の学生の作品をディスプレイ(写真撮影/栗原論)

棟と棟の間には、宮代町にある日本工業大学の学生の作品をディスプレイ(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟(左)とあずまや(右)。暗い雰囲気で、ひと気の少なかった場所が、地域に開かれ、人が集う場所に(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟(左)とあずまや(右)。暗い雰囲気で、ひと気の少なかった場所が、地域に開かれ、人が集う場所に(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟。期間限定ショップやイベント、誕生日会など、さまざまな用途に対応します(写真撮影/栗原論)

シェアキッチン棟。期間限定ショップやイベント、誕生日会など、さまざまな用途に対応します(写真撮影/栗原論)

今回、建物の施工には、先代、先々代から付き合いのある職人さんたちが参加してくれました。外観はROCCOチームが決定し、内装に関しては店舗側の要望にあわせて1棟ずつフルオーダーメイドで作成。職人さんから見ても、幼いときから付き合いのある中村きょうだいが力をあわせた「地域の建物再生プロジェクト」に気合いも入っていたといいます。

「工事期間中、周辺の住民から『ここ何ができるの?』って聞かれたら、職人さんが手をとめて、ここにコーヒー、ここにおかきって、案内までしてくれていたんですよ。みんなの思い、つながりが再生されていく感じでしたね」(和基さん)

残念ながら、きっかけとなったお父さまはROCCOの竣工を見ることなく逝去されたそうですが、きょうだいで力をあわせたプロジェクトに目を細めているに違いありません。
「完成していたら、毎日、それぞれのお店の品を買って周囲に配って、毎日、ビストロで飲んでいたと思います。豪快な人だったから」と幸絵さん。

ともすれば、「負の遺産」になりそうだった建物を、きょうだいの力で再生し、地域のシンボル、新しい場所としていく。工事を手掛けた人も、店舗を運営する人も、訪れたお客さんも地元のよさを再発見する。再生したのは単なる建物だけではなく、地域の人たちのつながりなのかもしれません。

●取材協力
ROCCO

賃貸物件の1階を“街の交差点”に。パン屋さんやコワーキングスペースでにぎわい生む「西葛西APARTMENTS-2」

東京都江戸川区にある「西葛西APARTMENTS-2」は、住むに加えて商う・働くという機能を加えた新感覚の集合住宅です。ベーカリー&カフェ、小商いができるオープンスペース、コワーキングスペースを設けるなどで、街のコミュニティをつくり出しています。こちらが誕生した経緯と、完成から4年でどのように地域に変化をもたらしているかを取材します。

設計者が企画、設計、運営を行う新しいタイプの複合建築

初秋のよく晴れた日の朝、最寄駅である地下鉄東西線 西葛西駅の改札を出て歩くこと約10分。「西葛西APARTMENTS-2」は、大通りから一本入った住宅街のなかにありました。通りから見えるベーカリーの窓には、パンを仕込んでいる職人さんの姿。隣にあるデッキには、木々の緑陰が落ちています。

2000年に竣工した集合賃貸住宅「西葛西APARTMENTS」(右)にデッキスペースをはさんで隣り合う「西葛西APARTMENTS-2」(左)(写真撮影/桑田瑞穂)

2000年に竣工した集合賃貸住宅「西葛西APARTMENTS」(右)にデッキスペースをはさんで隣り合う「西葛西APARTMENTS-2」(左)(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランスのスロープは、バリアフリーに配慮して、端ではなく中央に設けた。「誰にとっても居心地のよい場所に」という想いが込められている(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランスのスロープは、バリアフリーに配慮して、端ではなく中央に設けた。「誰にとっても居心地のよい場所に」という想いが込められている(写真撮影/桑田瑞穂)

駅からの道すがら街なかで目立つのは、整然としたコンビニやファミレスなどのチェーン店ですが、ここには、手作り感あるほっとできる空間が広がっていました。静かな朝のひとときが過ぎると、保育園に子どもを送ったあとのお母さんたちが次々にやってきて、デッキでおしゃべりがはじまります。ロードバイクでふらりと立ち寄った人も。たちまち、にぎわいが生まれました。

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

2018年に完成した「西葛西APARTMENTS-2」は、駒田建築設計事務所の駒田剛司さん、由香さん夫妻が、資金計画、設計、運営まで一貫して行っている集合住宅です。駒田さん自身が銀行で融資を受け、所有しています。

1階にはカフェ併設のベーカリー&カフェ、2階には、コワーキングスペース「FEoT」(FAR EAST of TOKYO)と自社事務所があり、3・4階が賃貸住宅で、どの場所も路地のようなオープンスペース「7丁目PLACE」に開かれています。
隣接する「西葛西APARTMENTS」1階には、シェアキッチンを備えたコミュニティスペース「やどり木」を設けました。

「西葛西APARTMENTS-2」は、単なる集合住宅ではなく、街に開いたオープンスペースを持ち、働く人、商う人、地域の人が集う複合建築であり、地域のコミュニティを再生する場です。通常、集合住宅で、店舗を併設する場合、居住者と店舗の来客の入口は別々にして、動線を分けるのが一般的ですが、「7丁目PLACE」と名付けたデッキスペースに、賃貸部分の居住者やコワーキングスペースの利用者、ベーカリーの来客などすべての動線をあえて重ね、にぎわいを生み出すようにデザインされています。

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

「『西葛西APARTMENTS』には、私たちも入居していましたが、開発事業によって発展した西葛西は、どこにでもある大型のチェーン店が多く、個人の魅力的なお店がなかったんです。徐々に、自分たちが居心地よく過ごせる場所がほしいと思うようになりました。街を面白くするには、自分たちが街に開いていくべきじゃないか。そんな想いから『西葛西APARTMENTS-2』の計画はスタートしました」(由香さん)

エントランス脇の看板は、公園の入口にある看板をイメージしてデザイン。自由に使えるオープンスペースであることを表現している。ベーカリー&カフェ「gonno bakery market」が開店すると瞬く間に自転車でいっぱいに(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランス脇の看板は、公園の入口にある看板をイメージしてデザイン。自由に使えるオープンスペースであることを表現している。ベーカリー&カフェ「gonno bakery market」が開店すると瞬く間に自転車でいっぱいに(写真撮影/桑田瑞穂)

賃貸集合住宅に、働く、商う、集う場を複合しコミュニティを生み出す

西葛西でやりたかったのは、小さくても「住む」「働く」「商う」「集まる」というさまざまな用途をぎゅっと詰め込んだ建物でした。そのためには近隣の人をいかに呼び込むかが大切で、最初に計画したのが、誰でも気軽に立ち寄れるベーカリー&カフェを1階に誘致することでした。

「一般的な集合住宅は、生垣や塀で囲まれていて、通りから中が見えない閉じたつくりになっていますが、その真逆をやってみたいという構想は以前からもっていました。駒田建築設計事務所では、集合住宅を計画する際、『1階を開くと街の価値まで上がる』とオーナーに店舗の誘致やオープンスペースの提案をしてきましたが、『うまくいくの?』と難色を示されてしまうことが多くて。自らオーナーである『西葛西APARTMENTS-2』で、その可能性を証明できるのではと思いました」(由香さん)

誘致した「gonno bakery market」は、もともと近隣の人気店。メディアに取り上げられることも多い。スコーンやバゲットなどさまざまな種類のパンが並び、選ぶのに迷ってしまうほど(写真撮影/桑田瑞穂)

誘致した「gonno bakery market」は、もともと近隣の人気店。メディアに取り上げられることも多い。スコーンやバゲットなどさまざまな種類のパンが並び、選ぶのに迷ってしまうほど(写真撮影/桑田瑞穂)

小さな子ども連れのご家族から高齢者まで、想定通り近隣の住民でにぎわうカフェコーナー(写真撮影/桑田瑞穂)

小さな子ども連れのご家族から高齢者まで、想定通り近隣の住民でにぎわうカフェコーナー(写真撮影/桑田瑞穂)

「空間の力で集客したい」と考えた駒田さん夫妻は、エントランスに、ベーカリーの来客や建物利用者が共有するデッキスペース「7丁目PLACE」を設けました。動線やオープンスペースとしての機能を考え抜き、デザイン案は100通りにものぼったそうです。完成した「7丁目PLACE」では、パンのイベントや不揃いの野菜を販売する「でこぼこマーケット」や美大生による子ども向けアートイベントなどが開催され、大反響。「西葛西APARTMENTS-2」の屋上スペース「7丁目ROOF」も希望者に貸し出していますが、ヨガ教室などのイベントが好評です。

コロナ禍前のパンイベントでは、建物周囲を囲むほどの行列ができた(画像提供/駒田建築設計事務所)

コロナ禍前のパンイベントでは、建物周囲を囲むほどの行列ができた(画像提供/駒田建築設計事務所)

デッキスペースに出店した「でこぼこマーケット」。三輪自転車の店舗に、新鮮な野菜がずらり(画像提供/駒田建築設計事務所)

デッキスペースに出店した「でこぼこマーケット」。三輪自転車の店舗に、新鮮な野菜がずらり(画像提供/駒田建築設計事務所)

「西葛西APARTMENTS-2」の屋上「7丁目ROOF」で催されているヨガ教室。空が近く感じられる気持ちのいい場所(画像提供/駒田建築設計事務所)

「西葛西APARTMENTS-2」の屋上「7丁目ROOF」で催されているヨガ教室。空が近く感じられる気持ちのいい場所(画像提供/駒田建築設計事務所)

駒田建築設計事務所の駒田由香さん。イベントは、主催者とテーマ設定や告知について話し合いながら一緒につくり上げていく(写真撮影/桑田瑞穂)

駒田建築設計事務所の駒田由香さん。イベントは、主催者とテーマ設定や告知について話し合いながら一緒につくり上げていく(写真撮影/桑田瑞穂)

「小さな経済がここで回っていくことが大事だと思っています。住んでいる人や街の人のチャレンジを後押ししながら、自分たちも成長したいと思っています。」(由香さん)

「西葛西APARTMENTS」1階にある「やどり木」は、シェアキッチン付きのオープンスペースです。飲食店営業と菓子製造業の許可を取得済みで、和菓子の会や無農薬野菜のカレー屋さんなどさまざまな活動が催されました。ここでの活動をきっかけに、本を出版したり、ビジネスを立ち上げた人もいるそうです。

「やどり木」でのイベント風景。もともと賃貸住居として貸し出していたスペースをリノベーションしてシェアキッチンとして開放(画像提供/駒田建築設計事務所)

「やどり木」でのイベント風景。もともと賃貸住居として貸し出していたスペースをリノベーションしてシェアキッチンとして開放(画像提供/駒田建築設計事務所)

コワーキングスペースが、居住者や地域の人のサードプレイスに

「西葛西APARTMENTS-2」2階にあるコワーキングスペース「FEoT」は、家でも職場でもない居場所をつくろうという思いで企画されました。

駒田さん夫妻にとって、コワーキングスペースの運営は初めてでしたが、外が見えて風が抜けるリビングのような居心地の良い空間を目指しました。合理的な壁柱の構造を活かしたワークスペースには、プライバシーを保ちつつ、デスクがゆったりと配置されています。構造躯体でない間仕切りには、本棚やコンクリートブロックを使い、簡単にスペース全体のレイアウトを変えられるようになっています。

窓いっぱいに外が見えて開放感のある「FEoT」。右側の壁も中央の壁と同じ構造になっていて、本棚を取り外すと一体の空間として使える(写真撮影/桑田瑞穂)

窓いっぱいに外が見えて開放感のある「FEoT」。右側の壁も中央の壁と同じ構造になっていて、本棚を取り外すと一体の空間として使える(写真撮影/桑田瑞穂)

「FEoT」は駒田建築設計事務所と同フロアにあり、受付は事務所スタッフが行い、運営に関する面談や契約は由香さんが担当。開業半年後から満席が続き、空きが出てもすぐに埋まる状況が続いています。

受付を兼ねたシェアキッチン。右奥が駒田建築設計事務所の入口で、コワーキング利用者と事務所スタッフがスペースを共有している(写真撮影/桑田瑞穂)

受付を兼ねたシェアキッチン。右奥が駒田建築設計事務所の入口で、コワーキング利用者と事務所スタッフがスペースを共有している(写真撮影/桑田瑞穂)

「現在の利用者は入居者、近隣の方を中心に27名ほどです。通常、コワーキングスペースを契約する際には、禁止事項などがずらっと書かれた利用規約がありますけど、悩んだ末、必要最低限の利用規約にとどめました。お互い挨拶を交わすなかで、利用者同士や事務所スタッフが顔見知りの関係になり、みなさん安心して快適に過ごされているようです」

賃貸部分の入居者は、30代~40代が中心で、「西葛西APARTMENTS-2」の醸し出すオープンな雰囲気が気に入って入居されている方が多いようです。この建物を通じて知り合った入居者の方と、近隣に住むコワーキング利用者と三者で、被災時に対応すべきマニュアルの作成など、新しい社会的活動も始めています。

コワーキングスペースはフリーランスの方の事務所となったり、保育園に子どもを送ったあと1時間利用する人がいたり、ベーカリー&カフェでテイクアウトしたパスタを、居住エリアのベンチに持ち込んでテレワークする人も。「『西葛西APARTMENTS-2』みたいな場所があってよかった」という声が寄せられています。

男性が入居する賃貸の一室。キッチンが広めの28.8平米ワンルーム(写真撮影/桑田瑞穂)

男性が入居する賃貸の一室。キッチンが広めの28.8平米ワンルーム(写真撮影/桑田瑞穂)

朝の日差しが気持ちよく差し込んでいた(写真撮影/桑田瑞穂)

朝の日差しが気持ちよく差し込んでいた(写真撮影/桑田瑞穂)

3階のこの部屋は共有廊下に接した写真左の引き違い窓が入口で、入ってすぐキッチンがある。住居を開放して、小商いをすることも可能(写真撮影/桑田瑞穂)

3階のこの部屋は共有廊下に接した写真左の引き違い窓が入口で、入ってすぐキッチンがある。住居を開放して、小商いをすることも可能(写真撮影/桑田瑞穂)

コミュニティが再生する場をつくり、地域の価値を上げる

「1階を開くと街の価値まで変わる」と信じて、新しい集合住宅を設計した駒田さん夫妻。企画当初は、融資を打診した銀行から、立地や場所性を理由に飲食の店舗やコワーキングスペースにする計画には、難色を示されましたが、竣工から1年後、管理会社から、築20年の「西葛西APARTMENTS」の家賃の値上げを提案されたのです。「西葛西APARTMENTS2」を通じてさまざまな人が交流するなかで、「環境をつくる」ことが街に新しい価値を生み出し、その結果事業利益にもつながりました。

「以前は、コンセプトを言葉で説明しても理解されにくかったのですが、実際に「西葛西APARTMENTS-2」を見た多くの人に共感してもらえるようになりました。今までやってきたことがフィードバックされてきたのかなと思っています。これからも、地域の人が交流し発展する場所として育てていきたいです」(由香さん)

設計者自ら不動産を手掛け、「空間の力で集客できる」ことを証明した駒田建築設計事務所の剛司さんと由香さん。2022年11月には、外階段から直接住戸にアクセスでき、小商いが可能な賃貸集合住宅「wdsビル」が竣工しました。これからは、多様な人々を呼び込み、街に開いた集合住宅が、住む人、商う人、働く人の交差点になり、街のコミュニティを醸成する場になっていくのかもしれません。

●取材協力
駒田建築設計事務所

スマートシティ指数1位のシンガポール。最新事情や日常生活のリアルをレポート

新型コロナウイルスのパンデミックから日常に戻ろうとする世界の動きのなか、そろそろ海外へ、と思っていたとき、シンガポール在住の友人から遊びに来ないかと誘いがあった。“スマートシティ”と呼ばれ、世界スマートシティランキング(※1)で2019年~2021年の3年連続1位のAAA(トリプルA)を取る国だ。納税手続きなどもオンライン化、医療でもほとんどの病院でオンラインでの診察予約ができるなど次々と新しい公共サービスが生まれている。以前から興味のあったシンガポール。観光だけでは分からない、現地での暮らしを体験しに行ってみた。ローカルの人たちの生活も含めてレポートする。

※1 国際経営開発研究所(IMD)とシンガポール工科大学(SUTD)は共同で発表

日本からの海外移住者も多いシンガポール

マレー半島の先端に位置し、インド洋と南シナ海・太平洋の両大海を結ぶマラッカ・シンガポール海峡に面したシンガポールは、東京23区より少し広い程度の小さな国土に、中華系、マレー系、インド系と多民族が約569万人暮らしている(外務省データ・2020年現在)。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

1年中、高温多湿な熱帯雨林気候で、平均気温は26~29度(国土交通省気象庁データ)。真夏の日本と比べても、とても過ごしやすい。特に朝と夜は快適で、ほとんどエアコンも不要なほど。

日本から飛行機の直行便で約6~7時間、時差わずか1時間のシンガポールは、日本人が海外移住を考えるときに頭に浮かびやすい国の一つだろう。シンガポールで暮らす日本人は36,797名(外務省データ・2019年10月)。周囲でもシンガポールに長期滞在したことがあるという人はけっこういる。その理由は何だろうか。

シンガポール・チャンギ空港直結のJEWEL(ジュエル)は2019年にできた新施設。地上5階、地下5階の建物には屋内植物園や巨大な人工滝がある。スカイトレインが横断し、レストラン・ホテルも完備(写真撮影/四宮朱美)

シンガポール・チャンギ空港直結のJEWEL(ジュエル)は2019年にできた新施設。地上5階、地下5階の建物には屋内植物園や巨大な人工滝がある。スカイトレインが横断し、レストラン・ホテルも完備(写真撮影/四宮朱美)

デジタルで生活の効率化進む。世界的“スマートシティ”の実力

最近、注目されているITC化(Information and Communication Technology、情報通信技術を活用してコミュニケーションを円滑化し、サービス向上などに活かすこと)の点で見ると、国際経営開発研究所(IMD)が公表する2020年のデジタル競争力ランキングでは、米国が3年連続1位で、シンガポールが2位、日本はなんと27位という成績だ。狭い国土に限られた人口で発展するために、すべてにわたって効率化が進められた結果だろう。

2014年8月、リー・シェンロン首相が演説で掲げたSmart Nation(スマート国家)構想により、シンガポールでは、さまざまなプロジェクトが同時並行で進んでいる。日本のマイナンバーカードのような国民デジタル認証(NDI:National Digital Identity)システムがすでに普及していて、行政サービスのオンライン化も進んでいる。実際に住所変更や婚姻届などの手続きも市役所などに足を運ぶことなくできるので効率的だ。キャッシュレス決済を推進するために、電話番号や個人番号を知っていれば送金ができるシステムの開発や、各キャッシュレス決済事業者が定めている規格を共通化して、小さな個人商店でも普及しやすくしている。

入国の際も、日本で事前に入国カードや健康申告書もオンラインで申請でき、とてもスムーズで驚いた。また、政府が無料Wi-Fiを提供していて、「Wireless@SG」というステッカーが貼られた場所で使える。街中のいたるところに貼られていて、日本のように無料Wi-Fiが飛んでいる場所を探してさまようこともない。

さらに公共交通機関もかなりデジタル化が進んでいる。MRT「Mass Rapid Transit(大量高速交通機関)」という電車や路線バスが市内をくまなく網羅していて、日本に比べて安価な運賃で移動することができるうえ、交通省のデータを活用した無料アプリでバスの到着時間を1分単位の精度で確認できる。

MRTの駅。切符を買わなくてもクレジットカードや電子決済可能なスマートフォンでMRTに乗車することができるシステムもある(写真撮影/四宮朱美)

MRTの駅。切符を買わなくてもクレジットカードや電子決済可能なスマートフォンでMRTに乗車することができるシステムもある(写真撮影/四宮朱美)

全国規模のセンサーネットワーク(SNSP:Smart Nation Sensor Platform)の構築で、人や車の動き、気象情報といったデータを集めて渋滞解消や災害防止などに役立てているのも特徴的だ。一方で、街中に設置されているカメラで犯罪防止になるのはいいが、監視されているようだとの意見もある。

生活必需品などの物価は安いが、嗜好品などは高額。その理由は……

モノの価値観もかなり日本と異なっている。1シンガポールドルは約100円程度(101.21円※10月10日時点)と円安の影響を受けているが、それを抜きにしても住居費、教育費、医療費、保険料は日本からの移住者にとっても高額だと感じるようだ。シンガポールには日本のような国民健康保険制度はなく、ローカルの人は強制積立制度に入る。日本では3000円程度でできる歯科検診(歯の掃除と検診) は95シンガポールドルと高額だ。

実は道路渋滞を回避させるための政府の戦略の一つとして、車もかなり高額。トヨタ カローラ セダンが東京では約232万円なのに対し、シンガポールでは約1277万円と5倍以上(NUMBEO調べ)。一方で、公共交通機関の利用料は日本と比べて安く設定されている。

観光客の多いマリーナベイサンズのモール。カジノもあって高級ブランドが並んでいる(写真撮影/四宮朱美)

観光客の多いマリーナベイサンズのモール。カジノもあって高級ブランドが並んでいる(写真撮影/四宮朱美)

City Hall駅から近いフナンモール。時間によって自転車で通り抜けできる。地下2階から地上2階までのボルダリング施設もある(写真撮影/四宮朱美)

City Hall駅から近いフナンモール。時間によって自転車で通り抜けできる。地下2階から地上2階までのボルダリング施設もある(写真撮影/四宮朱美)

また、外食もとてもリーズナブルに楽しめるのも特徴だ。
ホーカーズセンターというローカル向けのフードコートは約500円程度。生鮮食材はさまざまなスーパーがそろっているが、全体的にシンガポールの物価は日本より高い。現地に住む友人は、現地の人が利用するウェットマーケットやホーカーズをうまく活用すれば、日本の都市部での生活と同程度の予算で切り盛りできると話していた。

ストールとよばれる屋台がたくさん並ぶホーカーズセンター。多民族国家らしく食文化も多彩。中国由来のご飯を鶏のスープで炊き、鶏肉を乗せてたれで食べる「チキンライス」や、マレー系由来の「シンガポールラクサ」、インド由来なら南インドのスパイスと中国でよく食べられる魚の頭を合わせてできた「フィッシュヘッドカレー」などが楽しめる(写真撮影/四宮朱美)

ストールとよばれる屋台がたくさん並ぶホーカーズセンター。多民族国家らしく食文化も多彩。中国由来のご飯を鶏のスープで炊き、鶏肉を載せてたれで食べる「チキンライス」や、マレー系由来の「シンガポールラクサ」、インド由来なら南インドのスパイスと中国でよく食べられる魚の頭を合わせてできた「フィッシュヘッドカレー」などが楽しめる(写真撮影/四宮朱美)

自炊をする場合でも、高級店から庶民向けの店、インターナショナルでオーガニックな食材を扱う店など、いろいろなタイプのスーパーマーケットがそろっている。明治屋やドンドンドンキ(日本のドン・キホーテ)など日系のスーパーも店舗を拡大している(写真撮影/四宮朱美)

自炊をする場合でも、高級店から庶民向けの店、インターナショナルでオーガニックな食材を扱う店など、いろいろなタイプのスーパーマーケットがそろっている。明治屋やドンドンドンキ(日本のドン・キホーテ)など日系のスーパーも店舗を拡大している(写真撮影/四宮朱美)

シンガポールのローカルの人たちはほとんどお酒を飲む習慣がない。また、たばこの路上喫煙も厳しく制限されている。しかもアルコールやたばこといった嗜好品については日本に比べてかなり高額。嗜好品など必要不可欠ではないものに関しては税金を高くして、公共交通機関や外食費のような日常生活に必要なものは価格を抑えるということだろう。

シンガポールの暮らしに欠かせない「メイドさん」

上記で街中のことについて触れてきたが、ここからはシンガポールならではの家庭事情について触れていきたい。シンガポールの暮らしで欠かせないのが、メイドさんの存在だ。

日本ではあまり一般的ではないシステムだが、シンガポールでは、5世帯に1組ほど利用しているそうだ。フィリピン人、インドネシア人、ミャンマー人といった外国人メイドさんが多く働いている。メイドさんに子どもを預けて復職する人や、メイドさんを雇いつつ、保育園に子どもを預けている人もいる。現地に住む友人のコンドミニアムにもメイド用の小さな部屋がついていて、まさに「メイド文化」が社会に溶け込んでいると感じた。

メイドを雇うことは、シンガポール政府が政策として積極的に取り組んできた。費用は、税金や食費も含め1カ月8万~10万円程度。エージェントから紹介してもらい、面接をしてから雇うのだが、雇用主はエージェントではなく、あくまでも一般人である。もちろん他人と同じ家で暮らしていくのは簡単ではない。言葉の問題もあるが適切なマネージメント能力も必要だ。

そのため政府からメイドの雇用に関して雇用主側の規則や責任、健康管理などについて雇用主の向けの講座を受けなければならない。受講費は30~40シンガポールドルほどで、実際に足を運ぶか、オンラインでも受講できる。それに加えて毎月300シンガポールドル(約3万円)の“Levy”という税金を政府に支払う必要がある。

メイドさんはスイカも食べやすいカタチに切って出してくれる。心配りがうれしい(写真撮影/四宮朱美)

メイドさんはスイカも食べやすいカタチに切って出してくれる。心配りがうれしい(写真撮影/四宮朱美)

現地の友人の家ではフィリピン人のメイドさんを雇っている。食事の用意、洗濯、掃除だけではなく、子どもたちの面倒も見てくれている。彼女は自分の子どもの学費のためにシンガポールに出稼ぎに来ているそうだ。料理は上手なうえに友人の子どもたちを叱ってもくれる頼りになる存在だ。

友人は最初、メイドさんの手を借りずに仕事と子育てに頑張っていたが、今はベテランのメイドさんが一緒に暮らしてくれるようになって、ずいぶんと楽になったそうだ。これはフィリピンに滞在したときも感じたが、仕事をする女性が他人の「手」を借りることに抵抗を感じる日本と大きく違う感覚だ。

メイドさんとの関わり方は大きく2つあるようで、雇用主と労働者としてドライな関係にするか、雇用関係がありつつもフレンドリーに接するか。友人の家ではある程度家族の一員のように暮らしている。

滞在中、建国記念日のホームパーティーにはメイドさんのボーイフレンドも参加していた。みんなで食事をしたり、花火を見たり。家事の合間の時間には彼女のアテンドでオーチャードストリートまで買い物にも出かけた。シンガポールのおすすめスポットも彼女からいろいろ教えてもらった。

日本では人材不足やコストの問題もあり、メイドさんを雇うのは容易でない。しかし、共働き家庭が増え、忙しい生活を送る人が多いなかで、生活にゆとりが生まれるというメリットは大きい。もし安心できるサービスや人が見つかるなら、試しに取り入れてみるのもいいのかもしれない。

滞在中にちょうどシンガポールの建国記念日に立ち会うことができた。ローカルの人たちの建国祝いパーティーではゲームをしたり、歌を歌ったり、みんなで一緒に楽しむ(写真撮影/四宮朱美)

滞在中にちょうどシンガポールの建国記念日に立ち会うことができた。ローカルの人たちの建国祝いパーティーではゲームをしたり、歌を歌ったり、みんなで一緒に楽しむ(写真撮影/四宮朱美)

住宅街のなかにある海鮮料理が美味しいレストラン。料理がどれも美味しいのに、決して高額ではない。ローカルの人と出かけるといろいろ地元情報を教えてくれる(写真撮影/四宮朱美)

住宅街の中にある海鮮料理が美味しいレストラン。料理がどれも美味しいのに、決して高額ではない。ローカルの人と出かけるといろいろ地元情報を教えてくれる(写真撮影/四宮朱美)

教育環境を求めてシンガポール移住する人は多いが、実態は?

最後に教育についてもぜひ触れておきたい。シンガポールへの海外移住を検討する人々のなかには、英語だけではなく中国語も習えると、子どもの教育を目当てとする人も多いからだ。

シンガポール政府は経済競争力を高めるために、「人的資源が重要」と教育に力を入れてきた。世界各国の子どもの学力を測る代表的なPISA(ピサ Programme for International Student Assessment)では2015年に72か国中、シンガポールは1位、2018年は2位だ。
一方で、実はシンガポールの大学進学率は30%程度、日本の54%に比べてかなり低い。その代わりに能力や技術に応じて得意分野を伸ばすべき他のコースが用意されている。

小学校入学時には、ローカル校、インターナショナル・スクール、そして日本人学校という選択があるが、特にローカル校は世界的に学力が高いので有名だ。

しかし実際は外国人がローカル校に入るのは至難の業のようだ。シンガポール市民と永住権取得者に優先権があり、外国人は残されたわずかな枠に入ることしかできない。学費もシンガポール国民は安いが、永住権保持者、帯同査証保持者とだんだん高くなる。また入学できたとしても、第一言語を英語、第二言語を母国語として学ぶことが義務化されている。

(写真撮影/四宮朱美)

(写真撮影/四宮朱美)

シンガポールでは小学校6年(プライマリー)までが義務教育。その後、中学校4~5年(セカンダリー)、大学進学課程2年、大学3~4年と、中学校修了後に進学するポリテクニック(実務教育を行う3年制の専門学校)とよばれる学校がある。

特に小学校卒業の際に行われる、PSLE(Primary School Leaving Examination)という全国統一試験の結果により、どのセカンダリースクールに入学できるかが決まる。さらにどのセカンダリースクールに入学するかどうかで大学入学までの進路が決まるといわれているため、小学校入学時点で大学入学までの受験戦争が始まっているといわれているそうだ。

このように、かなり熾烈な競争を生き抜く必要がある。子どもにエリート教育を受けさせたいという人たちが集まっているだけに、物心両面で覚悟が必要なようだ。

シンガポールは建国以来、人民行動党が議会の議席の大部分を占め、事実上、一党独裁体制を採っているので、効率的で合理的な政策が実現しやすい国だ。地下鉄の飲食禁止、路上のポイ捨て・唾はき禁止、ガムの持ち込みは違法など、厳しい罰金制度があるが、街を安全できれいに保つためだと思えば負担にはならないだろう。物価は高いといわれるが、ローカルの人たちの暮らし方を学べば生活費も抑えられそうだ。またデジタル利用を活用したインフラが整い、清潔で安全な環境は日本人にとっても暮らしやすい国といえそうだ。

「小田急線」沿線、家賃相場が安い駅ランキング! 2022年版

新宿に下北沢、町田……と数多くの人気駅を抱える小田急電鉄。環七に架かる橋や駅のホームなど駅周辺がフジテレビ系ドラマ『silent(サイレント)』のロケ地になり、注目度が急上昇中の世田谷代田駅も小田急電鉄の駅の一つだ。そんな小田急電鉄には小田原線、江ノ島線、多摩線の3路線・全70駅がある。今回は小田急電鉄全70駅について、駅徒歩15分以内にあるシングル向け物件(専有面積10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)の家賃相場を調査した。人気の駅はやはり高いのか……? 調査結果をチェックしよう。

小田急線沿線の家賃相場が安い駅TOP20

順位/駅名/家賃相場(路線名/駅所在地)
1位 座間 4.00万円(小田急小田原線/神奈川県座間市)
2位 鶴巻温泉 4.35万円(小田急小田原線/神奈川県秦野市)
3位 玉川学園前 4.40万円(小田急線/東京都町田市)
4位 渋沢 4.45万円(小田急小田原線/神奈川県秦野市)
5位 善行 4.50万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市)
5位 東海大学前 4.50万円(小田急小田原線/神奈川県秦野市)
7位 富水 4.55万円(小田急小田原線/神奈川県小田原市)
8位 新松田 4.60万円(小田急小田原線/神奈川県足柄上郡松田町)
8位 栢山 4.60万円(小田急小田原線/神奈川県小田原市)
8位 足柄 4.60万円(小田急小田原線/神奈川県小田原市)
11位 開成 4.65万円(小田急小田原線/神奈川県足柄上郡開成町)
12位 螢田 4.70万円(小田急小田原線/神奈川県小田原市)
13位 小田急相模原 4.78万円(小田急小田原線/神奈川県相模原市南区)
14位 六会日大前 4.90万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市)
14位 鶴川 4.90万円(小田急線/東京都町田市)
16位 東林間 4.93万円(小田急江ノ島線/神奈川県相模原市南区)
17位 唐木田 5.00万円(小田急多摩線/東京都多摩市)
18位 秦野 5.05万円(小田急小田原線/神奈川県秦野市)
19位 伊勢原 5.10万円(小田急小田原線/神奈川県伊勢原市)
19位 生田 5.10万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区)
※21位以降は記事末尾に記載

トップ3は家賃相場4万円台前半。新宿まで40分ほどで行ける駅も!

1位は神奈川県座間市に位置する小田原線・座間駅で、家賃相場は4万円。各駅停車と快速急行を乗り継ぎ、新宿駅までは50分前後で行ける。タクシー乗り場や駅前広場がある東口側には「小田急マルシェ」の建物が2棟あり、スーパーやドラッグストア、ベーカリーや歯科医院が入っている。その北側に建つのは、かつての小田急電鉄社宅をリノベーションした賃貸用の駅前団地「ホシノタニ団地」。ウッドデッキのテラスや芝生広場を設けた開放的な造りで、団地1階部分にあるカフェ&ランドリーはビジターも利用可能だ。

座間駅(写真/PIXTA)

座間駅(写真/PIXTA)

座間駅の西口側には住宅のほかに小学校や高校があり、10分ほど歩いた県道51号・町田厚木線周辺にはスーパーやディスカウントストアも。さらに進んで、駅から徒歩約15分でJR相模線・入谷駅へ。入谷駅から電車で南下すると約30分で湘南エリアを代表する駅・茅ヶ崎に行けるので、休日に海辺で遊びたい時も便利なロケーション。また、ショッピングモールや映画館といった商業施設が充実した海老名駅まで座間駅から1駅・約3分という点も魅力だろう。

2位は小田原線・鶴巻温泉駅で家賃相場は4万3500円。神奈川県秦野市に位置し、新宿駅まで快速急行で約1時間10分、反対方面の終点でもある43位の小田原駅までは急行で約28分。駅北口側には温泉宿2軒に加え、日帰り温泉施設1軒がある。日帰り温泉施設は市営で市内在住・在勤だと割安で利用できるので、仕事の疲れがたまった際など気軽に立ち寄るのもいいだろう。温泉が湧いているとはいえ街は観光地ではなく住宅地といった雰囲気で、駅から徒歩10分圏内には住宅の合間にスーパーやドラッグストア、コンビニ、飲食店が点在。大型商業施設はないが、日常の買い物には困らなそうだ。

3位には東京都町田市にある、小田急線・玉川学園前駅が家賃相場4万4000円でランクイン。通勤準急や各駅停車で新百合ヶ丘駅に行き、通勤急行や快速急行に乗り換えると新宿駅まで40分前後で行ける。新宿方面に向かって3駅目の新百合ヶ丘駅や、逆方面に1駅目の町田駅は大型商業施設が充実し、ショッピングに出かけやすい立地だ。

玉川学園前駅の様子はというと、南口側には飲食店やドラッグストアの入った商業施設があり、隣にはスーパーも。駅前にもチェーン系の飲食店があるので、料理をしたくない仕事帰りの夕食にも困らなそう。駅北口側にもスーパーや飲食店が点在し、線路に沿うようにして商店街が続いている。そして、駅北東部は幼稚部から大学院まで抱える玉川学園の広大な敷地。学園都市として形成された駅周辺は文教地区に指定されており、落ち着きのある街で暮らしたい人にもうってつけだ。

玉川学園(写真/PIXTA)

玉川学園(写真/PIXTA)

新宿まで座って通勤可能で家賃相場5万円の穴場駅も発見

トップ20の大半を小田原線の駅が占めるなか、5位には江ノ島線の善行(ぜんぎょう)駅が家賃相場4万5000円でランクイン。善行駅から各駅停車で相模大野駅に行き、快速急行に乗り継げば新宿駅まで約1時間3分。また、近隣屈指の繁華街がある藤沢駅まで2駅・約5分。そこからJR東海道本線に乗り換えると、善行駅から30分前後で横浜駅に到着する。

神奈川県藤沢市に位置する善行駅周辺は、スポーツ振興に力を入れてきた街。江ノ島線の車窓からも見える乗馬クラブや、プロも輩出するテニスクラブなどがあるスポーツクラブ、さらにプールやトレーニングジムもある県立スポーツセンターなど、駅周辺にはスポーツ施設が充実している。新たな趣味を探すため、個人・ビジター利用できるプログラムにお試しで参加するのも楽しそう。駅前にはファストフードなどの飲食店やドラッグストア、早朝から深夜まで営業するスーパーもあり、日常生活も送りやすいだろう。また、駅周辺の住宅街を過ぎると農地も残る環境のためか、駅前には無農薬野菜の直売も行うオーガニックカフェがあるほか、2022年6月には農家直営のピザ店もオープン。スポーツに親しみ、野菜を満喫し……と、健康的な生活ができそうだ。

善行駅(写真/PIXTA)

善行駅(写真/PIXTA)

トップ20に多摩線から唯一、ランクインしたのは17位の唐木田駅。多摩ニュータウンの一角、東京都多摩市に位置し、家賃相場は5万円だった。新宿駅発の小田急線に乗った際に「カラキダ行き~」といった車内アナウンスで駅名を聞いたことがある人もいるだろうが、小田急線の新宿駅~多摩線の唐木田駅を乗り換えなしで結ぶ直通列車も運転されている。おかげで唐木田駅から新宿駅まで急行1本で約42分。唐木田駅は多摩線最西端で始発駅のため、通勤時間帯でも座りやすいというメリットもある。

そんな唐木田駅は1990年、小田急電鉄で69番目に開業した比較的新しい駅。ちなみに最も新しい70番目の駅は2004年に開業した、同じく多摩線の「はるひ野駅」だ。さて、唐木田駅周辺の様子を見てみると、北西側から南側にかけてはゴルフ場や大妻女子大学のキャンパス、森が駅の間近まで迫っている。そのため住宅街は駅東側がメイン。駅前にはコンビニやスーパー、ホームセンターがあり、日常の買い物には困らない。また、京王相模原線と多摩モノレールに乗り換え可能な小田急多摩センター駅までは1駅。ショッピングモールや映画館もある多摩センター駅周辺に出かけやすいのも魅力だろう。

唐木田駅(写真/PIXTA)

唐木田駅(写真/PIXTA)

3路線・全70駅におよぶ小田急電鉄沿線は、駅により街並みも家賃相場もさまざま。今回の調査で最も家賃相場が高かったのは新宿駅で、12万6000円だった。そのほか主な駅の家賃相場を見てみると、新百合ヶ丘駅が6万7000円(51位)、登戸駅が6万8000円(52位)、下北沢駅が8万7800円(64位)、代々木上原駅が9万9000円(66位)。テレビドラマのロケ地として脚光を浴びている、世田谷代田駅は8万4000円(63位)だった。

急行が停まるような有名どころだと街も発展しているため、やはり家賃相場が高めという結果に。だが、同じ小田急電鉄の沿線ならば、そうした駅にもアクセスしやすい。狙った駅に近い各駅停車駅に住んで家賃を抑えつつ、休日はふらりと近隣の商業施設が豊富な街へ出かけるのも一案かもしれない。

小田急線沿線の家賃相場が安い駅21位以降
小田急線沿線の家賃相場が安い駅21位以降

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている小田急線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/7~2022/9
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

海の上で農業や発電も! いま話題の「海上都市」モルディブや国連も推す韓国釜山の計画を聞いてみた

「水上都市」「海上都市」というと、たくさんの水上住宅が運河に浮かぶオランダ・アムステルダムや、特異な形の人工島として知られるドバイのパームアイランドが思い浮かぶ人もいるだろう。
今、新たに未来型の海上都市計画が発表され、話題を呼んでいる。海上都市とは、海上に連結されたプラットフォーム上に、生活拠点である住居やオフィス・商業施設を兼ね備えたまちのことだ。
今回は、特に注目を集めている2つの新プロジェクトを紹介する。気候変動や食糧問題などに対応した新たな都市をつくるという韓国・釜山市のプロジェクト「OCEANIX(オセアニックス)」、新たな観光都市づくりを目指すモルディブの「モルディブ・フローティング・シティ計画」だ。

気候変動問題などに対応。国連も後押しする韓国・釜山のプロジェクト「オセアニックス」

かつてない頻度の豪雨や台風、気温の上昇といった問題が、すでに身近なものになっている。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、気候変動により、世界の海面水位は平均で17cmも上昇しており、日本においては、全国で砂浜の約9割が1m以上の海面上昇で失われるといわれている。また、世界の環境対策を急ピッチで連携して押し進めるC40都市気候リーダーシップグループは、2050年までに世界の570都市に住む8億人以上が、海面上昇によるリスクにさらされる可能性があると予測している。

今、水との付き合いは、まちづくりや都市計画にとって、防災・レジリエンスの観点から非常に重要なものだ。

そんななか、2021年11月18日、世界初の海面上昇に対応した海上都市が韓国・釜山市に建設されることが発表された。
その名も海上都市計画のプロトタイプ「OCEANIX(以下、オセアニックス)」)。主導するのは、2018年にイッタイ・マダムンベさんとマーク・コリンズ・チェンさんが設立した米国のブルーテック企業。ブルーテック企業とは、海を守りながら、経済や社会を持続的に発展させることを前提として事業を行う先端技術を持った企業のことだ。
海上都市は2025年までに一部の建設が完了する予定とのことで、それほど遠い未来の話ではない。

計画が現在進行中の韓国・釜山沖の海上都市イメージ図(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

計画が現在進行中の韓国・釜山沖の海上都市イメージ図(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市のプロトタイプは、各15.5エーカーの表面積を持つプラットフォームが、橋で繋がれるという(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市のプロトタイプは、各15.5エーカーの表面積を持つプラットフォームが、橋で繋がれるという(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

マダムンベさんは、「オセアニックスのコミュニティーには国際的な協力者も含まれる予定だが、中核となるのはあくまで釜山市内ひいては韓国全土の人々」と話す。現在の釜山市に、海上都市はどのような形で溶け込むのだろうか(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

マダムンベさんは、「オセアニックスのコミュニティーには国際的な協力者も含まれる予定だが、中核となるのはあくまで釜山市内ひいては韓国全土の人々」と話す。現在の釜山市に、海上都市はどのような形で溶け込むのだろうか(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市には、「ネイバーフッド」と呼ばれる住居が集う。遊び、仕事をするための公共空間もある(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市には、「ネイバーフッド」と呼ばれる住居が集う。遊び、仕事をするための公共空間もある(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

釜山にできる「オセアニックス」のライフスタイルについての動画

地上と変わらない生活スタイルを想像させる海上都市の暮らしのイメージ図(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

地上と変わらない生活スタイルを想像させる海上都市の暮らしのイメージ図(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市では、電気も不自由なく使用できる(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市では、電気も不自由なく使用できる(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

「オセアニックス」は、国連人間居住計画(ハビタット)との協働プロジェクトでもある。
国連ハビタットは、「政策提言、能力開発、国際・地域・国家・地方といったレベルでのパートナシップをとおして、社会的、環境的に持続可能なまちや都市づくりを促進する」国際的な機関で、アジアでは日本の福岡県福岡市に拠点を置いている。海上都市といった未来的な取り組みだけでなく、急速な都市化による、スラムの拡大、自然災害や紛争による居住環境の悪化などの問題解決を目的としている。

このプロジェクトには、海洋保全にまつわる先端技術をもったブルーテック企業と、多分野の専門家とのつながりをもつ国際的な機関が協働することで、あらゆる分野の専門知識と経験が、惜しみなく投入されている。「海上都市づくりに取り組むことは、気候変動や海面上昇、持続可能な沿岸都市化といった課題に対するソリューションを創造することでもあります。各専門家やIT企業のイノベーターたちの力を合わせ、そのためのシステムを構築していきたい」とマダムンベさんは展望を語る。

かつてネット時代の到来に合わせ、アメリカ・シリコンバレーを中心に技術と夢をもった若者たちが集まりビジネスを始めたように、新時代の価値を生み出す都市が、韓国・釜山の海上に誕生するかもしれない。

海洋プラスチックごみの一掃や、海洋保全にまつわる革新的な技術も盛り込まれるのも特徴。サンゴの海をIT技術で保護する「Biorock(バイオロック)」といった海洋技術の活用などによって、海洋生物の乱獲や、環境破壊、地球変動で壊されてしまった海洋エコシステムの再生も行う予定。海面下では、海藻、カキ、ムール貝、ホタテ、貝の養殖が行われる。水をきれいにし、生態系の再生を加速させるという(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海洋プラスチックごみの一掃や、海洋保全にまつわる革新的な技術も盛り込まれるのも特徴。サンゴの海をIT技術で保護する「Biorock(バイオロック)」といった海洋技術の活用などによって、海洋生物の乱獲や、環境破壊、地球変動で壊されてしまった海洋エコシステムの再生も行う予定。海面下では、海藻、カキ、ムール貝、ホタテ、貝の養殖が行われる。水をきれいにし、生態系の再生を加速させるという(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

ARシステムも導入。住まいのあらゆるデータが一目瞭然(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

ARシステムも導入。住まいのあらゆるデータが一目瞭然(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

オセアニックスの移動手段一覧。カヤックや徒歩から、ドローンや電気自動車のシェアまで想定されている(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

オセアニックスの移動手段一覧。カヤックや徒歩から、ドローンや電気自動車のシェアまで想定されている(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市として、水辺におけるサステナブルな生活を追求するという(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

海上都市として、水辺におけるサステナブルな生活を追求するという(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

独自性は“自給自足”と“総合性”

この海上都市では、ゴミ問題や食糧及びエネルギー調達も、すべて都市内で完結する仕組みになるという。

「オセアニックスは、ただの個々の住宅の組み合わせではありません。“持ち込みに頼らない”閉鎖的なループシステムで成り立つ、真に自立した、初めての総合的な海上都市になります」とマダムンベさん。

食糧やエネルギー調達、ゴミ処理も都市内で全て自給自足や循環によりまかなうため、それらに必要な要素をすべて備える予定だとか。都市のエネルギーは、風力発電や太陽光発電はもちろん、波や潮の流れを利用した電流発生器で確保。飲料水は雨水をろ過して使用、食品はコンポストを利用した都市内の農園などから調達できる計画だ。

オセアニックスにおける食物生産の仕組み。「植物中心の食生活で、スペース、エネルギー、水資源への負担を軽減。有機野菜は、水耕栽培や水産養殖で効率的に栽培し、従来の屋外農場や温室を補完します」とマダムンべさん(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

オセアニックスにおける食物生産の仕組み。「植物中心の食生活で、スペース、エネルギー、水資源への負担を軽減。有機野菜は、水耕栽培や水産養殖で効率的に栽培し、従来の屋外農場や温室を補完します」とマダムンべさん(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

公共空間「ネイバーフッド」にある温室では、住民は照明付き室内農場で自分の食べ物を育てる(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

公共空間「ネイバーフッド」にある温室では、住民は照明付き室内農場で自分の食べ物を育てる(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

食物を育てたり、ボート用のデッキを備えたり、集会スペースなどに対応するエリアもある(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

食物を育てたり、ボート用のデッキを備えたり、集会スペースなどに対応するエリアもある(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

養殖と水耕栽培の両方を利用して、協調的な生活環境をつくる「アクアポニックス」の森。水槽で魚を育て、その栄養豊富な排水の一部、または全部を水耕栽培の植物生産システムに循環させることで、循環型の生活が可能になる(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

養殖と水耕栽培の両方を利用して、協調的な生活環境をつくる「アクアポニックス」の森。水槽で魚を育て、その栄養豊富な排水の一部、または全部を水耕栽培の植物生産システムに循環させることで、循環型の生活が可能になる(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

このシステムにより、いま世界中で問題になっているエネルギー不足や食力問題についても10万人規模まで対応できるようになるというのも興味深い。
海上都市内でさらに人口が増えることで必要になる居住地は、新たに海上都市をつくり足すことでスケールアップできるとのことだ。

(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

オセアニックスの全貌。300人の居住区から10万人の都市へと、今後変化し、適応していくことができる都市。36の2ヘクタールの浮体式住居と、数十の生産拠点が、柔軟に拡大・縮小でき、活気あるコミュニティーをつくりだすという(動画提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

強力なリーダーシップが課題

こうした大掛かりなプロジェクトが進行しているが、これまでにも多くの問題や困難に直面してきたに違いない。海上都市計画を成功させために一番大切なことは何だろうか。

「海上都市を実現するための最大の障壁は、技術ではない」とマダムンベさんは断言する。「このような規模の画期的な試みに挑戦する、政治的リーダーシップとビジョンをもった、信頼できる政府のコミットメントを確保することが、最も私たちが苦労したことでした」と話す。

「オセアニックス」は、釜山市のパク・ホンジュン市長というパートナーを見つけた。世界に点在する革新的な技術を投入し、世界で初めてとなる持続可能な海上都市を着工。「今後、世界的に業界をリードしていくことになるだろう」とマダムンベさんは続ける。

ローカル感を大切にまちづくりを進めている。写真は東南アジアのイメージ(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

ローカル感を大切にまちづくりを進めている。写真は東南アジアのイメージ(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

研究棟エリアのイメージ(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

研究棟エリアのイメージ(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

日陰部分となっているテラスは、快適なインドアスペース(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

日陰部分となっているテラスは、快適なインドアスペース(写真提供/OCEANIX/BIG-Bjarke Ingels Group.)

不動産資産としての海上都市を目的とした「モルディブ・フローティング・シティ計画」

一方、1,000超の珊瑚島と 26 の環礁から成るインド洋に浮かぶ熱帯の国、モルディブでは、オランダの建築家が推進する「モルディブ・フローティング・シティ計画」の建設が始まった。

韓国の「オセアニックス」は海上都市計画を気候変動などの問題に対応することを目的にしているのに対し、こちらは「価値が上がる商業不動産」として捉えている点が特徴だ。

モルディブで進行する「モルディブ・フローティング・シティ」の完成イメージ図(写真/Maldives Floating City Press Releaseより)

モルディブで進行する「モルディブ・フローティング・シティ」の完成イメージ図(写真/Maldives Floating City Press Releaseより)

このプロジェクトは、オランダの海上都市のデベロッパーであるダッチ・ドックランズ社とモルディブ政府が協力し、オランダ人建築家ケーン・オルトゥイさんのウォータースタジオが推進している。都市デザインはモルディブの伝統的な海洋文化にインスピレーションを受けたもので、ホテルやレストランはもちろん、ブティックもオープンする予定。
まちづくりにおいては、サステナビリティや革新的な技術が投入される。

アイデアやインスピレーションを、その道のエキスパートたちが共有する場として世界的に知られる「TEDトーク」に登壇した、モルディブの海上都市計画のリーダー、オランダ人建築家のケーン・オルトゥイさん

現時点では「海上都市」に対する法的所有権に関しては議論が進んでいるところ。ボートハウスをはじめとした水上住宅が普及しているオランダでは、国際法(国連海洋法条約[LOSC])、国内法、財産法の3点から、議論が進んでいる。

モルディブでは、法律の専門家がチームに積極的に加わることで、世界最高水準の「海上都市の所有権」がつくられるという。海上都市における土地や建物に所有権をもたせる一方で、法的にも透明性が高く、これまでにない画期的な不動産になる予定だという。

海に囲まれているモルディブにとって、海上都市は海外からの新しい観光客や移住者を引き付けるための“国際的な住宅投資物件”になっていくのだろう。

気候変動など人類が直面している問題に対応した新たな都市を目指す韓国釜山の「オセアニックス」、ビジネス面での海上都市の可能性を追求するモルディブの「モルディブ・フローティング・シティ計画」。
それぞれ違うアプローチだが、地球上のさまざまな場所で、同時並行的にこうした海上都市計画が発案され、実行されるに至ったのは、われわれ人間の技術がそこに到達したというだけではなく、それだけ気候変動や新たなライフスタイルに対応する住宅環境を整えることが急務だということを指し示していると感じざるをえない。

●取材協力
OCEANIX共同創業者 イッタイ・マダムンベさん

「小田急線」沿線、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

小田急電鉄の主要路線と言えば、東京都・新宿駅から新百合ヶ丘駅や相模大野駅を経由して神奈川県・小田原駅に至る小田急小田原線が思い浮かぶ。しかし同路線以外にも、新百合ヶ丘駅~唐木田駅を結ぶ小田急多摩線、相模大野駅~片瀬江ノ島駅を結ぶ小田急江ノ島線も運行されている。今回はそんな小田急線3路線の駅を、中古マンションの価格相場が安い順にランキング! 都心部からベッドタウン、海辺の街まで計70駅を抱え、仕事にレジャーにと多くの人に利用される小田急線3路線で、リーズナブルな物件がそろうのはどの駅か? さっそく見ていこう。

小田急線沿線の中古マンション価格相場が安い駅TOP20

順位/駅名/価格(路線名/駅所在地)
1位 鶴巻温泉 1700万円(小田急小田原線/神奈川県秦野市)
2位 相武台前 1989万円(小田急小田原線/神奈川県座間市)
3位 愛甲石田 2150万円(小田急小田原線/神奈川県厚木市)
4位 桜ヶ丘 2385万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市)
5位 鶴間 2480万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市)
6位 善行 2489.5万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市)
7位 南林間 2490万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市)
8位 伊勢原 2690万円(小田急小田原線/神奈川県伊勢原市)
9位 小田急相模原 2790万円(小田急小田原線/神奈川県相模原市南区)
10位 読売ランド前 2880万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区)
11位 厚木 2890万円(小田急小田原線/神奈川県海老名市)
12位 藤沢本町 2935万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市)
13位 本厚木 2999万円(小田急小田原線/神奈川県厚木市)
14位 大和 3180万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市)
15位 百合ヶ丘 3190万円(小田急線/神奈川県川崎市麻生区)
16位 鶴川 3280万円(小田急線/東京都町田市)
17位 海老名 3339.5万円(小田急小田原線/神奈川県海老名市)
18位 中央林間 3385万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市)
19位 小田急永山 3390万円(小田急多摩線/東京都多摩市)
20位 小田原 3440万円(小田急小田原線/神奈川県小田原市)
※21位以降は記事末に記載

トップ3は小田原線の駅が独占。1位は温泉にふらりと入浴できる鶴巻温泉駅

今回調査したのは、駅から徒歩15分圏内にあるカップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)の中古マンションの価格相場。ちなみに新宿駅の価格相場は8240万円で、沿線で最も高かったのは代々木八幡駅の1億875万円! そして最も安かった駅は小田急小田原線・鶴巻温泉駅で、価格相場は1700万円だった。

1位の鶴巻温泉駅は神奈川県秦野市に位置し、新宿駅まで快速急行で約1時間10分、反対方面の終点でもある20位の小田原駅までは急行で約28分。駅北口側には温泉宿2軒と日帰り温泉施設1軒があるが、街は温泉観光地というよりも住宅地といった雰囲気。2018年に駅舎と南口広場がリニューアルされ、使い勝手が向上したことも記憶に新しい。駅から徒歩10分圏内には住宅の合間にスーパーやドラッグストア、コンビニ、飲食店が点在。商業施設が多いというほどではないが、コンパクトな範囲で日常の買い物は済ませることができそう。ちょっと気分転換したいときは、ふらりと日帰り温泉に行けるのも魅力だろう。

鶴巻温泉の駅前ロータリー(写真/PIXTA)

鶴巻温泉の駅前ロータリー(写真/PIXTA)

2位と3位も小田急小田原線の駅がランクイン。2位は神奈川県座間市の相武台前駅で、価格相場は1989万円。通勤準急と快速急行を乗り継ぐと、新宿駅まで約48分で到着する。相武台前駅北側にはスーパーやドラッグストア、100円ショップに飲食店などが入った駅ビルが併設されているほか、駅周辺にもスーパーや飲食店が立ち並ぶ。駅から東へ20分ほど歩くと2018年誕生の「イオンモール座間」もあり、日用品や衣類などのお店から巨大なフードコート、子どもの遊び場や映画館まであるので、家族で気軽に行ける休日のお出かけ先として役立ちそう。また、駅から南へ徒歩15分ほどの場所には、座間市役所や市立図書館といった公共施設が集まっている。市役所の向かい側は、広大な敷地の県立座間谷戸山公園。野鳥も観察できる豊かな森や池、田んぼに囲まれた古民家風の里山体験館など、自然に包まれて過ごせる癒やしのスポットだ。

3位の愛甲石田駅は1位・鶴巻温泉駅から新宿方面へ2駅目、神奈川県厚木市に位置。価格相場は2150万円 だった。駅舎は厚木市と伊勢原市にまたがるように立ち、周辺一帯は両市のベッドタウンとして発展してきた。多くの人が働く企業の本社や事業所、物流倉庫の最寄り駅でもあり、通勤客にも利用されている。駅北側を通る国道246号沿いに飲食店が立ち並ぶほか、大通りを離れるとスーパーやベーカリーなど暮らしを支える商店も。駅を囲んで広がる住宅地を過ぎると田畑が広がり、のどかな環境で子育てしたい家族にもよさそうだ。また、東名厚木ICや新東名厚木南ICにもアクセスしやすいので、休日に遠出したい場合も便利だろう。

新宿・渋谷まで約40分の駅や、延伸が期待される多摩線の駅もトップ20入り

トップ3は小田急小田原線の駅が占めたが、4位~7位には小田急江ノ島線の駅がランクイン。価格相場2385万円で4位となった神奈川県大和市にある桜ヶ丘駅は、小田急江ノ島線で最も価格相場が安い駅でもあるわけだ。

4位・桜ヶ丘駅に停まるのは各駅停車のみだが、1駅隣の14位・大和駅で快速急行直通の急行に乗り換えると新宿駅まで計約53分。新宿とは逆方面、海辺のレジャーが楽しめる片瀬江ノ島駅までは各駅停車を利用して30分前後で行くことができる。駅周辺は桜の名所として知られ、駅西側を流れる引地川沿いや駅から徒歩10分ほどの引地台公園は、春になると多くの花見客で賑やかに。引地台公園には芝生広場や通年利用できる温水プールもあり、年間を通して家族で遊べるスポットだ。日常の買い物には、駅周辺に点在する複数のスーパーやドラッグストアが活躍してくれるだろう。また、駅東側を通る国道467号沿いには、インテリア用品店「ニトリ」やホームセンター、気軽に行ける回転寿司店やハンバーグレストランなどがあり、ファミリー層が暮らしやすそうな街並みだ。

トップ20に入った小田急江ノ島線の駅のうち、最も新宿方面に位置するのは18位・中央林間駅。神奈川県大和市にあり、価格相場は3385万円だった。新宿駅までは快速急行直通の急行で6駅・約43分。また、中央林間駅は東急田園都市線の始発駅でもあり、渋谷駅まで急行1本・約39分。新宿駅、渋谷駅ともに40分前後で行けるのは魅力的だろう。

中央林間駅(写真/PIXTA)

中央林間駅(写真/PIXTA)

中央林間駅には東急系列の駅ビル「エトモ中央林間」が併設されているほか、駅ビル2階から連絡橋を渡った先に「中央林間東急スクエア」も。同ビルにはスーパーやファッション、雑貨のショップに加え、大和市役所の分室や市の図書館、子育て支援施設が入っている。駅の周辺は東京のベッドタウンとして開発された街のため、スーパーや日常使いできる飲食店、総合病院や各種クリニックなど暮らしを支える施設が充実。駅から北へ10分ほど歩くと広大な「中央林間自然の森(つるま自然の森)」が広がり、自然も身近に感じられる。

続いて唯一、小田急多摩線からトップ20入りを果たした小田急永山駅も見てみよう。東京都多摩市に位置し、価格相場は3390万円で19位にランクインした。京王相模原線・京王永山駅と隣接、乗換駅となっており、両駅を合わせて単に「永山駅」と呼ばれることも多い。小田急永山駅から新宿駅までは、通勤急行を利用して約37分で到着する。

永山駅の周辺は多摩ニュータウンの一角を成す住宅地で、駅のすぐ近くには小学校や中学校、大学病院がある。改札階と直結する駅南側のショッピングセンター「グリナ―ド永山」はクリニックや保育所も備えており、同ビル4階から広場に出て進むと市立図書館を併設した公民館「ベルブ永山」へ。さらに小田急線と京王線それぞれが駅直結のショッピングセンターを構え、駅前にはスーパー銭湯とボウリング場も。日常使いの商業施設から娯楽施設に公共施設、医療機関までが駅周辺に集約され、緑豊かな公園も点在している。

永山駅(写真/PIXTA)

永山駅(写真/PIXTA)

さて、小田急永山駅を走る小田急多摩線は、唐木田駅から先への延伸が計画されている。唐木田駅から南方向へ線路を延ばし、新設する中間駅を経由してJR横浜線・相模原駅、さらにJR相模線・上溝駅を結ぶ約8.8km区間を新設するというものだ。2019年に公表された関係者会議の報告書では、開業想定年次を最速2033年と設定。採算性の問題も指摘され、唐木田駅~相模原駅間の先行整備も検討されるなど未定の部分も多い。しかし延伸されたあかつきには小田急多摩線の利便性がアップし、沿線の街の人気も高まることだろう。今後の動きに注目したい。

●小田急線沿線の価格相場が安い駅21位以降
順位/駅名/価格(路線名/駅所在地)
21位東林間3480万円(小田急江ノ島線/神奈川県相模原市南区)
22位柿生 3650万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市麻生区)
23位五月台3680万円(小田急多摩線/神奈川県川崎市麻生区)
24位相模大野 3799万円(小田急線/神奈川県相模原市南区)
25位生田 3800万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区)
26位小田急多摩センター 3925万円(小田急多摩線/東京都多摩市)
27位湘南台 3990万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市)
28位町田 4200万円(小田急線/東京都町田市)
29位向ヶ丘遊園 4380万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区)
30位登戸 480万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区)
31位藤沢 4485万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市)
32位狛江 5335万円(小田急線/東京都狛江市)
33位片瀬江ノ島 5430万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市)
34位新百合ヶ丘 5480万円(小田急線/神奈川県川崎市麻生区)
35位梅ヶ丘 5630万円(小田急線/東京都世田谷区)
36位喜多見 5690万円(小田急線/東京都世田谷区)
37位千歳船橋 6280万円(小田急線/東京都世田谷区)
38位祖師ヶ谷大蔵 6799万円(小田急線/東京都世田谷区)
39位成城学園前 6980万円(小田急線/東京都世田谷区)
40位経堂 6985万円(小田急線/東京都世田谷区)
41位新宿 8240万円(小田急線/東京都新宿区)
42位参宮橋 8480万円(小田急線/東京都渋谷区)
43位下北沢 8580万円(小田急線/東京都世田谷区)
44位代々木上原 9900万円(小田急線/東京都渋谷区)
45位代々木八幡 1億875万円(小田急線/東京都渋谷区)

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている小田急線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/7~2022/9
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

ニューヨーク人情酒場 ブルックリンの酒場で働く日本人漫画家から見たリアルなアメリカ紹介します!

ニューヨーク人情酒場へようこそ!これは、ブルックリンにある小さな酒場(レストラン)で起こった色いろんな出来事。
大都会の夜、一杯の酒から始まる人間模様。作者はこのお店で今お寿司を作っているよ。

漫画

序章<プロローグ>

漫画

NYでサーバー(給仕係)をやっている人の中でも、やっぱり多いのは何か夢を追っている人たちです。夢を抱いてNYにやって来て、本業と二足のわらじで生活していくために飲食業をやっている人が多く、結果として表現者が現場に多くなる印象です。
2022年現在、最低時給が15ドルな上にサーバーはさらにチップの配当もあるので、うまくいけば時給20ドルぐらいになることも。
今まで出会った同僚たちにはビデオグラファー、フォトグラファー、ペインター、デザイナー、パフォーマー、ダンサー、ミュージシャン、ライターなど本当にいろいろな人たちがいました!働くだけでも面白い人たちにすぐ出会えるのはNYの特徴ですね。

同僚たち

漫画

漫画

ダンスや歌の文化の浸透の仕方は日本とアメリカでは全く違うように感じます。Twerkingを初めて見たときは衝撃を受けました。街なかで音楽が流れてきて急に踊り出す人・歌い出す人がそこらじゅうにいます。これはニューヨークだけでなくアメリカ全土にある風潮なのかもしれませんが、それに対して怪訝な顔をする人もほぼいません。いちいちリアクションしていたら身がもたない、っていう感じなんだと思います。

Chato

漫画

補足:ちょいワルニューヨーカーたちが挨拶や「やったぜ!」の意味でフィストバンプをするときがあります。

チャト兄さん、見た目はちょっと怖いけどいつもニコニコ朗らかでみんなに愛されています。踊ったり歌ったりしながらフライパンを振るう、超絶技巧の料理人。見た目がイカついので40ぐらいかと思っていたら、33歳の私と1歳しか違わなかったのも衝撃です。
チャトが作る料理で一番好きなのは日本風のカルボナーラ!これはメニューにはなく、まかないとして作ってくれるのですが、本当に絶品。
また、NYではタトゥーを入れることはかなりカジュアルな行為であり、Brooklynには予約なしで入ってすぐにタトゥーを入れられるタトゥーパーラーがそこらじゅうにあります。お堅い職業の人も見えるところにタトゥーが入っていたりするので驚き!

こんな感じで、酒場で起こった面白い出来事を漫画にしていくので、良かったら引き続き読んでね~!

ヤマモトレミ

作者:ヤマモトレミ
89年生まれ。福岡県出身。2017年、勤めていた会社の転勤でニューヨークに移住。仕事の傍ら、趣味でインスタグラムを中心に漫画を描いて発表していたところ、思った以上に楽しくなってしまい、2021年に脱サラし本格的に漫画家としての活動を開始。2022年にアメリカで起業し個人事業主になりました。ブルックリンのレストランで週4で寿司ローラーをやっています。

人気店の味を気軽に楽しみ食品ロスにも貢献! マンションと地域の交流を育む「夜のパン屋さん」飯田橋第一パーク・ファミリア 新宿区

コロナ禍のステイホームなどにより、マンション等の集合住宅では、住民同士の交流が減るなどの問題が生じていました。高齢者が多く入居する飯田橋第一パーク・ファミリア(東京都新宿区)では、管理会社と管理組合が連携し、売れ残ってしまいそうなパンを有償で引き取り代理販売する「夜のパン屋さん」を誘致。社会貢献をしながら、入居者や近隣の人へ食の楽しみを提供した活動が評価され、「マンション・バリューアップ・アワード2021『マンションライフ・シニアライフ部門』」で佳作を受賞しました。管理会社の三井不動産レジデンシャルサービス倉本昇さんに、取り組みの経緯と反響を伺いました。

売れ残りパンの代理販売「夜のパン屋さん」がマンションの駐車場にオープン

夕暮れ時、人が行き交う通りから一本入った住宅街のマンションの駐車場に、オレンジ色の光が灯るキッチンカー「夜のパン屋さん」がオープンしていました。マンションに帰宅する人や近隣に住んでいる人が立ち寄り、店頭に並ぶパンを選びながら、店員さんとの会話を楽しんでいます。

「夜のパン屋さん」は、「パンを焼かないパン屋さん」。どのお店のパンが並ぶかは当日のお楽しみ(写真撮影/桑田瑞穂)

「夜のパン屋さん」は、「パンを焼かないパン屋さん」。どのお店のパンが並ぶかは当日のお楽しみ(写真撮影/桑田瑞穂)

マンションの居住者だけでなく、近隣の人も「夜のパン屋さん」のパンを楽しみにしている(写真撮影/桑田瑞穂)

マンションの居住者だけでなく、近隣の人も「夜のパン屋さん」のパンを楽しみにしている(写真撮影/桑田瑞穂)

17~20時の間に20組ほどが訪れる。この日は、静岡や埼玉のパン屋さんから届いたパンが並んだ(写真撮影/桑田瑞穂)

17~20時の間に20組ほどが訪れる。この日は、静岡や埼玉のパン屋さんから届いたパンが並んだ(写真撮影/桑田瑞穂)

飯田橋第一パーク・ファミリアを含む東京の3カ所で定期的にオープンしている「夜のパン屋」さんは、ホームレス状態など生活に困窮する人の自立支援事業を展開する有限会社ビッグイシュー日本が運営するパン屋さんで、売れ残りそうなパンをパン屋さんから預かり、代理販売をしています。

賞味期限が近いパンを買っておいしく食べることで、パン屋さんの食品ロスを減らし、同時に、パンの回収と販売を生活に困窮した人に携わってもらうことで、新たな仕事を創り出す取り組みです。

扱うパンは、都内の有名店や老舗店のほか北海道や静岡などの街のパン屋さんから送られてきたパン。さまざまな店のパンを購入できるとあって、人気を博しています。飯田橋第一パーク・ファミリアは、そのプロジェクトの2号店です。

柿とサツマイモのマフィン(写真撮影/桑田瑞穂)

柿とサツマイモのマフィン(写真撮影/桑田瑞穂)

東京都港区にある「ラトリエCOCCO」から届いたパンの詰め合わせ(写真撮影/桑田瑞穂)

東京都港区にある「ラトリエCOCCO」から届いたパンの詰め合わせ(写真撮影/桑田瑞穂)

コロッケバーガー、チーズボール、クリームパン、あんぱんなど詰め合わせパンは、組み合わせが異なるので選ぶ楽しみがある(写真撮影/桑田瑞穂)

コロッケバーガー、チーズボール、クリームパン、あんぱんなど詰め合わせパンは、組み合わせが異なるので選ぶ楽しみがある(写真撮影/桑田瑞穂)

飯田橋第一パーク・ファミリアの管理会社で、「夜のパン屋さん」のキッチンカーの誘致に尽力した三井不動産レジデンシャルサービスの倉本さんは、「今はすっかり定着しましたが、はじめての取り組みで初日はドキドキでした」と振り返ります。

飯田橋第一パーク・ファミリアには、もともと、管理会社によるキッチンカーの提供がありましたが、外部の運営業者のキッチンカーを敷地内に入れることについて、管理組合では、防犯面などから、さまざまな議論があったそうです。

コロナ禍で孤立する高齢の居住者に食の楽しみを増やしたい

飯田橋第一パークファミリアは、179世帯が入居するマンションで、築40年を超え、居住者の多くが高齢者です。管理会社として、「夜のパン屋さん」出店以前から、敷地内にキッチンカーを無償で出店し、コロナ禍で外出を控えている入居者に、お店でしか食べられないような、美味しい料理を提供してきました。

『夜のパン屋さん』の誘致は、倉本さんが、もともと管理会社が無償で出店していたキッチンカーに訪れた方から、『夜のパン屋さんプロジェクト』の話を聞いたのがきっかけです。運営する有限会社ビッグイシュー日本に問い合わせたところ、ちょうどプロジェクトの2号店として、キッチンカーの出店場所を検討中だとわかりました。以前から出店していたキッチンカーにはなかったパン屋さんであること、おいしいパンを食べることで、社会貢献ができる意義のある取り組みであることに魅力を感じた倉本さんは、マンションの敷地を提供したいと考えました。

「夜のパン屋さん」初のキッチンカー。キャッシュレスで清算できるのは、うれしい(写真撮影/桑田瑞穂)

「夜のパン屋さん」初のキッチンカー。キャッシュレスで清算できるのは、うれしい(写真撮影/桑田瑞穂)

「当時は、コロナ禍で外出を控えたり、在宅勤務が多くなり、先が見えないなかで、自分もフラストレーションを感じていました。なにかできないだろうかと考えていましたが、食の楽しみが増えたらすてきなのではと。入居者の方々の喜ぶ顔が見たいと思いました」(倉本さん)

誘致に対するネガティブな意見に対して不安をなくす提案書を作成

2021年4月に、有限会社ビッグイシュー日本の担当者に現地を見てもらい、6月から理事会へ提案をはじめました。

「理事会では、管理会社の提供ではない外部の事業者が敷地内へ入ることへの防犯面の不安や販売員に対する消極的な意見がありましたが、『パン屋さんが来るのはうれしい』という前向きな意見もありました。管理組合から寄せられた懸念を払拭できるよう、担当者と打合せして、提案書をまとめていきました」(倉本さん)

倉本さん(中央)と販売員さん(左)、スタッフさん(右)。販売員さんは、夜のパン屋さん1号店オープンから手伝うベテラン。ユニフォームは、おそろいのエプロン(写真撮影/桑田瑞穂)

倉本さん(中央)と販売員さん(左)、スタッフさん(右)。販売員さんは、夜のパン屋さん1号店オープンから手伝うベテラン。ユニフォームは、おそろいのエプロン(写真撮影/桑田瑞穂)

提案書には、販売時の服装がわかる写真や、「夜のパン屋さんプロジェクト」の過去の実績を盛り込みました。

「販売員の方に清潔感があることや、不人気な売れ残りではなく、並ばないと買えないような有名店のパンも購入できることが好印象を与え、8月には理事会決議が通りました。有限会社ビッグイシュー日本さんが、課題に対して、スピード感のある提案をしてくださったこと、もともと当社と管理組合で信頼関係があったことも大きかったと思います」(倉本さん)

人気店や老舗店の売れ残りパンが大人気!居住者や近隣住民の楽しみに

「2021年10月5日、3カ月間のトライアルとして第1回目の夜のパン屋さん(2号店)がスタートしました。チラシ配布のみの告知だったにも関わらず、たくさんのお客様でにぎわい、飛ぶようにパンが売れました。当日は、17時に3店舗から預かったパンで販売をスタートしましたが、準備したパンは20分ほどで完売。18時すぎに追加の1店舗からパンが到着し、19時すぎに更に2店舗目からパンが到着しましたが、20時に完売となりました」(倉本さん)

訪れたのは、マンションに住んでいる高齢者、乳児や小さな子ども連れの女性たちでした。「パンが売り切れてしまって残念。次は早めに来ます」「コロナ禍でなかなか外出が出来ない中、毎週火曜日が楽しみになりました」などうれしい言葉が寄せられたそうです。

「夜のパン屋さん」の灯りで駐車場が明るくなり、「防犯面もよくなった」という声もあった(写真撮影/桑田瑞穂)

「夜のパン屋さん」の灯りで駐車場が明るくなり、「防犯面もよくなった」という声もあった(写真撮影/桑田瑞穂)

「参加のパン屋さんも増えていく予定とのことですので、いろいろなパンを住民の皆様にお届け出来るようになればいいなと思っています。ほかのマンションへも波及していったらうれしいです」(倉本さん)

マンションの駐車場にオープンした「夜のパン屋さん」が与えてくれたささやかな幸せ。管理会社や管理組合が工夫することで、居住者だけでなく近隣住民の暮らしも豊かになりました。街のパン屋さんから「夜のパン屋さん」に、そして、買う人へ。パンを通じて、お腹とこころを満たす取り組みが続いています。

●取材協力
・夜のパン屋さん(Twitter)
・マンション・バリューアップ・アワード2021
・三井不動産レジデンシャルサービス株式会社

旅先で職人に弟子入り体験「ベッドアンドクラフト」が国内外から注目のワケ。移住のきっかけにも 富山県南砺市井波地区

日本屈指の「木彫りの町」として知られる富山県南砺市井波地区。人口約8000人のうち200人以上が木彫り職人という井波で、2016年に始まったのが「ベッドアンドクラフト」だ。「職人に弟子入りできる宿」のコンセプトどおり、町に点在する6つの古民家に滞在しながら、職人の工房でクラフトのワークショップが体験できるという、新しいスタイルの宿泊施設である。運営を担うコラレアルチザンジャパン代表の建築家・山川智嗣さんは「井波の伝統文化の魅力を楽しむとともに、地域の方々との交流も旅の楽しみにしてほしい」と語る。取り組みが始まってから6年、職人と旅行客をつなぎ、町ににぎわいを生んできた「ベッドアンドクラフト」。山川さんに、立ち上げの経緯から施設の仕組み、町の将来像などを聞いてみた。

モノづくりの醍醐味を味わうためにJターン

―――山川さんは東京の設計事務所を経て、カナダや中国など海外を拠点に活動されてきました。2015年に帰国後、井波に移住した理由から教えてください。

―山川智嗣(以下、山川):帰国の理由は日本で仕事が入ったことがきっかけですが、移住先に井波を選択したのは上海での経験が大きいですね。上海では公共建築や商業施設などの設計に携わっていたのですが、そうしたきらびやかなビルの数々は、職人さんの泥臭いモノづくりに支えられていたんです。

上海で出会った職人さんたちは「図面は読めないけれど、お前のつくりたい世界を言ってくれ。俺たちがつくってやる」と言うんですよ。床材に石を使うときも、ひとまず山に連れて行かれ、石を掘る場所から話し合うなんてこともありました。そうやって現場の職人さんとモノをつくっていくプロセスは、とても面白かったですね。

建築家であり、コラレアルチザンジャパンの代表を務める山川智嗣さん。富山県出身。東京の設計事務所で同僚だった妻と海外に拠点を移し、2011年に独立。帰国後は東京、上海での仕事を続けながら、2016年にベッドアンドクラフトをスタートさせた(写真撮影/松倉広治)

建築家であり、コラレアルチザンジャパンの代表を務める山川智嗣さん。富山県出身。東京の設計事務所で同僚だった妻と海外に拠点を移し、2011年に独立。帰国後は東京、上海での仕事を続けながら、2016年にベッドアンドクラフトをスタートさせた(写真撮影/松倉広治)

―――設計だけでなく、現場で一緒にモノをつくる感覚が楽しかったと?

山川:そうですね。日本では住宅やビルを建てる場合「つくる」というより「選択する」なんです。床材、壁材、設備機器など、どれもメーカーからパーツを選び、プラモデルのように組み立てていく。しかも、東京の工場にオーダーしたら最低100ロットからしか受けてもらえない。型をつくるだけで相当なコストがかかってしまいます。おまけに職人との距離も遠く、僕としては味気ないなと感じることもありました。

―――ある程度、フォーマットが決まっていると。確かに、モノをつくっている感覚は薄くなるかもしれませんね。

山川:でも、なかには「オリジナルのドアノブをつくりたい!」という人もいると思うんです。たとえドアノブ一つでもオリジナルなら思い入れが生まれ、生活がより豊かになるんじゃないでしょうか。だから、僕は日本でも上海のような「手仕事の文化」を大切にしたいと思ったんです。

そう考えたときに、ふと富山県の井波が頭に浮かびました。手仕事の文化が色濃く残り、職人が多い井波に行けば「何か面白いことができるかも。自分のアイデアを形にしてくれる人がいるかも」と。そして上海のように現場に近い場所でモノづくりの醍醐味が味わえるかもしれないと考えました。

瑞泉寺の門前町である「八日町通り」(写真撮影/松倉広治)

瑞泉寺の門前町である「八日町通り」(写真撮影/松倉広治)

―――それまで、井波を訪れたことはあったんですか?

山川:はい。幼いころから木彫りが盛んな井波という町があることは聞いていましたし、親戚が住んでいたのでよく遊びに行っていましたね。また、妻の父親が彫刻を30年以上も習っていて、兵庫県民ながら1年に1回は井波に通うほど井波彫刻の大ファンだったんです。そういった縁もあり、移住を決心しました。

―――そのときから、宿泊施設の運営を考えていたのですか?

山川:いえ、全く(笑)。宿泊施設を始めたのはたまたまというか、自然な流れですね。移住前から猫を飼っていたのですが、井波にはペットが飼えるマンションがなく、一軒家しか選択肢がありませんでした。その際、地元の人に紹介してもらったのが、後にベッドアンドクラフトの1軒目となる元建具屋の古民家だったんです。

購入時の元建具屋。山川夫妻は賃貸を検討していたものの、オーナーからは買ってほしいと言われたそう。そこで義父に相談したところ「住まなくなったら俺がそこを宿にして井波を回る」と後押しされ、家族の別荘という気持ちで購入を決意(画像提供/ベッドアンドクラフト) 

購入時の元建具屋。山川夫妻は賃貸を検討していたものの、オーナーからは買ってほしいと言われたそう。そこで義父に相談したところ「住まなくなったら俺がそこを宿にして井波を回る」と後押しされ、家族の別荘という気持ちで購入を決意(画像提供/ベッドアンドクラフト) 

山川:家自体は2階建の200平米と広かったので、当初は事務所兼住宅として使っていました。そのうち、海外暮らしの時に知り合った友人が、世界中から遊びに来てくれるようになったんです。そこで、これだけ友人が来るなら2階の余剰スペースを宿にしようと思い立ちました。

「古民家」と「地元の職人」を結びつけた理由

―――現在のベッドアンドクラフトは「職人に弟子入りできる宿」がコンセプトになっています。このアイデアはいつ着想されたのでしょうか?

山川:当初はコンセプトがなく、なんとなく“その土地らしさ”を感じられる宿にしたいと思っていました。特に僕は建築家なので、どうにか井波のエッセンスを建築のなかに取り込みたいなと。そこで、まずは建物内の装飾をお願いできる人を探しました。そのときに紹介してもらったのが木彫家の田中孝明さん。彼との出会いがなければ、今のベッドアンドクラフトはなかったですし、僕は今も井波に住んでいないと思います。

―――それほど衝撃的な出会いだったんですね。

山川:「木彫刻」と聞くと、みなさん欄間や獅子頭など、クラシックな伝統工芸を思い浮かべませんか? 

井波彫刻は「彫刻師」と「彫刻家」に分けられます。彫刻師は欄間や獅子頭など、クラシックな伝統工芸の職人。超絶技巧で、寺社仏閣の建築装飾を行っています。一方、彫刻家はアーティスト。もちろん基本的な技術もあり精巧なモノもつくれますが、彼らは造形で“表現”をしているんです。田中さんも、その一人でした。

初めて田中さんの人形彫刻を見たときは、本当に感動しましたね。土着からくる表現にすごくアートを感じました。同時に、こんなに素晴らしい作品をつくっているのに、なぜ世の中の人は知らないのだろうと思ったんです。

田中孝明さんの作品。「みず・ひかり・たね」のテーマでつくられた、少女の木像(画像提供/ベッドアンドクラフト) 

田中孝明さんの作品。「みず・ひかり・たね」のテーマでつくられた、少女の木像(画像提供/ベッドアンドクラフト) 

山川:そこから興味が湧き、この感動を広く伝えたい、多くの人に見てもらいたいと思いました。そこで、自分の宿にギャラリー機能をもたせ、彼の作品を体験できるような場所にできたらいいんじゃないかと。

昔はどの家にも和室があり、床の間がありました。そこには彫刻や掛け軸などの装飾品が飾られ、建物のなかに「美」の余白があったんです。しかし、現代の暮らしでは装飾品を置く場所も少なくなり、置き方もわからない。だったら、ここでの宿泊体験を通して、その感覚を知ってもらおうと考えました。

―――その後、設計段階から田中さんの意見を取り入れたそうですが?

山川:そうですね。例えば、どこかの文化ホールに行くと、空間に馴染まない絵画や彫刻が唐突に飾られていませんか? 後付けで飾られた作品って、すごく浮いているように感じてしまうんですよね。だから、僕は宿に作品を置くなら、作家さんに設計段階から一緒に入ってもらい、意見を取り入れた空間づくりが必要だと考えました。

ビフォアー(画像提供/ベッドアンドクラフト)

ビフォアー(画像提供/ベッドアンドクラフト)

アフター。田中さんには具体的なオーダーはせず、どんな作品をいくらでも置いていいと伝えたそう。世界観が明確になった結果、空間と体験が見事に調和した宿が完成(画像提供/ベッドアンドクラフト)

アフター。田中さんには具体的なオーダーはせず、どんな作品をいくらでも置いていいと伝えたそう。世界観が明確になった結果、空間と体験が見事に調和した宿が完成(画像提供/ベッドアンドクラフト)

―――では、工芸体験のワークショップをセットにしたのはなぜですか?

山川:今は体験型観光が流行っていますが、それに乗っかったわけでも、ましてやお金を儲けるためでもありません。僕たちとしては、この場所で作品に感激してもらえたら、実際にそれをつくった職人さんに会ってもらい「あなたの作品が欲しい」と言える関係性をつくりたいと思ったんです。そこで、職人さんの工房での工芸体験ワークショップをセットにすることにしました。

また、外から来た人に職人さんのライフスタイルを見てもらうことも、意義があると思いました。彼らの創作活動と生活の場である工房に行って直接コミュニケーションをとり、その生活、作家性、作品の背景などに対する理解を深めてもらう。そうすれば、井波や職人さんのことをより魅力的に感じてもらえると思うんです。

ギャラリーの作家さんは紹介でつながっていったそう。「どの作家さんも魅力的で、宿泊客に紹介したい人がたくさんいます」と山川さん(写真撮影/松倉広治)

ギャラリーの作家さんは紹介でつながっていったそう。「どの作家さんも魅力的で、宿泊客に紹介したい人がたくさんいます」と山川さん(写真撮影/松倉広治)

―――そうやって「職人に弟子入りするプラン」が生まれたんですね。作家さんからの反応はいかがでしたか?

山川:作家さんたちは、それまで実際に作品を使う方と関わる機会がなく、その思いを理解できていない部分もあったそうです。でも、ワークショップを通して初めて自分の作品を目の前で見てもらい、その反応を目の当たりにし、すごく良いインスピレーションをもらえたと言っていただきました。

職人のもとで「弟子入り」体験。職人の道具と技術を用いて、3時間たっぷり作品づくりに没頭できる(画像提供/Kosuke Mae)

職人のもとで「弟子入り」体験。職人の道具と技術を用いて、3時間たっぷり作品づくりに没頭できる(画像提供/Kosuke Mae)

6軒の宿泊施設に6人の作家の作品を展示

―――井波の観光を活性化させるという点でもベッドアンドクラフトは一役買っていると思いますが、宿を始めた当初の地域の人たちの反応はどうでしたか?

山川:2016年9月に最初の宿を開いた当時は「民泊」という言葉もまだ浸透しきっておらず、わりと懐疑的に見られていたと思います。「上海から来たやつが、何やら新しい宿をつくったぞ!」って、地域の人たちをざわつかせてしまいました(笑)。たぶん、みんな1年で潰れると思っていたんじゃないかな。

2016年9月にオープンした「TATEGU-YA(タテグヤ)」。築50年の元建具屋を改装し、木彫家・田中孝明さんの作品を展示した(画像提供/ベッドアンドクラフト)

2016年9月にオープンした「TATEGU-YA(タテグヤ)」。築50年の元建具屋を改装し、木彫家・田中孝明さんの作品を展示した(画像提供/ベッドアンドクラフト)

山川:でも、続けているうちに目に見えて観光客が増えていくわけですよ。しかも、当初は僕の個人的なつながりもあって、外国人ばかり。地元に海外の人が訪れることを嬉しく感じる人も多いようで、次第に地域の人たちが僕らを見る目も、そして、考え方も変わっていきました。井波はもともと産業の町なので、そもそもゲストを迎えようという発想がありませんでした。でも、こんなに人が来てくれるなら、自分たちも何かやってみようと考える人が増えていったように思います。

例えば、自分も宿をやってみたいという人に対しては、建物をホテルとして活用する方法や集客のやり方などをアドバイスしました。そのうち、「ボロボロの空き家があるんだけど……」といった相談も受けるようになり、その建物を使ってベッドアンドクラフト2軒目となる宿「tae(タエ)」をオープンさせるなど、新たな展開にもつながっていきましたね。

2018年オープンのtae。元養蚕業で栄えた豪商の邸宅を活用している。ここには漆芸家・田中早苗さんの作品を展示(画像提供/ベッドアンドクラフト)

2018年オープンのtae。元養蚕業で栄えた豪商の邸宅を活用している。ここには漆芸家・田中早苗さんの作品を展示(画像提供/ベッドアンドクラフト)

山川:その後、ベッドアンドクラフトが所有する施設は6棟にまで増えていきました。一棟ごとに、漆芸家や陶芸家など一人の作家さんの作品を展示しています。ちなみに、展示作品は宿が買い取るのではなく、宿泊費の一部をリース料として職人に還元するという仕組みです。また、展示物の一部は宿泊者が購入することもできて、作品が売れることで作家さんはまた新しい作品を制作でき、宿の展示空間も移り変わっていく。これを「マイギャラリー制度」と呼んでいます。

2019年オープンのKIN-NAKA(キンナカ)。かつては15軒あった料亭のなかでも特に格式の高かった「金中」を改修。木彫家・前川大地さんの作品を展示(写真撮影/松倉広治)

2019年オープンのKIN-NAKA(キンナカ)。かつては15軒あった料亭のなかでも特に格式の高かった「金中」を改修。木彫家・前川大地さんの作品を展示(写真撮影/松倉広治)

階段の頭上には木彫りのシャンデリアも。周りは富山湾をイメージした青色に塗装(写真撮影/松倉広治)

階段の頭上には木彫りのシャンデリアも。周りは富山湾をイメージした青色に塗装(写真撮影/松倉広治)

2019年オープンのMITU(ミツ)。時が「満つる」、静かに「蜜な」時間を過ごす。井波を訪れる人への思いを「ミツ」に込めて名付けられた。陶芸家・前川わとさんの作品を展示(写真撮影/松倉広治)

2019年オープンのMITU(ミツ)。時が「満つる」、静かに「蜜な」時間を過ごす。井波を訪れる人への思いを「ミツ」に込めて名付けられた。陶芸家・前川わとさんの作品を展示(写真撮影/松倉広治)

2019年オープンのTenNE(テンネ)。施設内は菩薩像が身にまとう柔らかな天衣(てんね)のように心地よい時の流れを感じられる。仏師・石原良定さんの作品を展示(画像提供/ベッドアンドクラフト)

2019年オープンのTenNE(テンネ)。施設内は菩薩像が身にまとう柔らかな天衣(てんね)のように心地よい時の流れを感じられる。仏師・石原良定さんの作品を展示(画像提供/ベッドアンドクラフト)

2020年オープンのRoKu(ロク)。まちの診療所を改修。岩や石の「Rock」、緑の「ロク」、6棟目の「6」などの意味が込められている。作庭家・根岸新さんが庭を手掛けるとともに、空間全体で自然を感じる仕掛けを施している(画像提供/ベッドアンドクラフト)

2020年オープンのRoKu(ロク)。まちの診療所を改修。岩や石の「Rock」、緑の「ロク」、6棟目の「6」などの意味が込められている。作庭家・根岸新さんが庭を手掛けるとともに、空間全体で自然を感じる仕掛けを施している(画像提供/ベッドアンドクラフト)

―――宿泊施設以外に、「季ノ実」というショップ兼ギャラリーも運営されているそうですね。

山川:本当は宿に泊まって、ワークショップに参加してほしいのですが、なかにはハードルが高いと感じる人もいます。そこで、もっと気軽に作家さんたちの作品に触れてもらおうと、ショップ兼ギャラリーをオープンさせることにしたんです。

ショップ&ギャラリー「季ノ実」。「ベッドアンドクラフトの作家さん以外の作品も販売しているので、いろんな作家さんを知ってもらうきっかけになれば」と山川さん。彫刻家がつくった木型で焼いたクッキーなど、オリジナルの手土産も販売している(写真撮影/松倉広治)

ショップ&ギャラリー「季ノ実」。ベッドアンドクラフトの作家さん以外の作品も販売しているので、いろんな作家さんを知ってもらうきっかけになれば」と山川さん。彫刻家がつくった木型で焼いたクッキーなど、オリジナルの手土産も販売している(写真撮影/松倉広治)

井波の欄間の代表的なモチーフである蘭、竹、菊、梅を模した「食べる彫刻クッキー」(画像提供/ベッドアンドクラフト)

井波の欄間の代表的なモチーフである蘭、竹、菊、梅を模した「食べる彫刻クッキー」(画像提供/ベッドアンドクラフト)

井波を新しい文化の発信地に

―――子どものころに訪れていたとはいえ、もともとはそこまで深いつながりがなかった井波のために力を尽くしていらっしゃいます。山川さんのなかで、何がモチベーションになっているのでしょうか?

山川:やはり地域の方々に「自慢できるところができた」と言ってもらえるのがすごく嬉しいですね。ベッドアンドクラフトを始めたころなんて、地元の人から自虐混じりに「なんで井波に来たの?」と言われていましたからね。もちろん謙遜でおっしゃっているのですが、自分が暮らす町をそんなふうに思ってしまうのは残念だなあと。それが最近では、地域の方々に「ベッドアンドクラフトがある井波だよ」と自慢してもらえるようになった。多少はシビックプライドにも貢献できたように思います。

―――もはや宿泊施設の運営の域を超えて、町づくりに近い活動ですね。

山川:「町づくり」というと大きなスケールになってしまいますが、自分たちの手で暮らしやすい環境を整えている感覚ですね。例えば、最近はパン屋さんを誘致したんですよ。それまで井波には路面店のパン屋さんが一軒もなかったんです。だから、単純に僕自身が「朝から美味しいパンを食べたい」と思って。ほぼ自分のためですが、きっと町の人も喜んでくれるだろうと、頑張ってオーナーさんを口説き落としました。また、今はコーヒー屋さん、クラフトビール屋さん、2軒目のパン屋さんのオープンも控えています。そうやって自分とみんなの幸せにつながる機能が一つひとつ増えていったら、ちょっとずつ町が良くなっていくのかなと思います。

山川さんが誘致した「baker’s house KUBOTA」。町の人たちも「井波で行列なんて何十年ぶり?」と喜んでいたそう(画像提供/ベッドアンドクラフト) 

山川さんが誘致した「baker’s house KUBOTA」。町の人たちも「井波で行列なんて何十年ぶり?」と喜んでいたそう(画像提供/ベッドアンドクラフト) 

(画像提供/ベッドアンドクラフト)

(画像提供/ベッドアンドクラフト)

―――最後に、今後の目標を教えてください。

山川:そもそも井波が「木彫りの町」になったのは、瑞泉寺が焼失した際に京都から彫刻師の前川三四郎が招かれ、地元の宮大工らにその技法を伝えたことがきっかけです。そこから井波彫刻が誕生し、伝統文化として受け継がれてきました。ですから、今度は井波から日本中にどんどん人材を輩出し、新しい文化を根付かせていくようなことができたらいいなと思います。

そのために、今はそうした「文化の源泉」になる人を一人でも多く井波に呼びたいと思うんです。モノづくりの文化に惹かれて移住した僕のように、この町の職人さん、その至芸に魅力を感じ「自分ならこういうことができる」という意欲を持った人がもっと集まってくれたら嬉しいですね。

●取材協力
ベッドアンドクラフト

世界の名建築を訪ねて。ウーブン・シティなど手掛けるビヤルケ・インゲルス設計の集合住宅「ザ・スマイル」/NY

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載1回目は、アメリカ・ニューヨークにある複合開発ビル「The Smile(ザ・スマイル)」(設計:ビヤルケ・インゲルス(BIG))を紹介する。

火星移住計画、トヨタ「ウーブン・シティ」も手掛ける世界的建築家の作品

今日ニューヨークで話題の建築家ビヤルケ・インゲルスは、デンマークのコペンハーゲン出身の建築家で、まだ48歳という世界の建築界では圧倒的に若さを誇る建築家である。いわゆるアトリエ派といわれる建築家集団(個人名を会社名として使用し設計活動をしている会社)では、おそらく世界有数の規模を有する建築デザイン・アトリエだ。その作品は世界中に展開され、さらに「火星移住計画」なども発表している。     

彼の事務所は「BIG」、すなわちBjarke Ingels Group(ビヤルケ・インゲルス・グループ)と呼ばれ、生み出す建築作品は、そのデザインの形態的ダイナミズム、アイディアの先進性、イノベイティブな機能性など、圧巻の魅力を兼ね備えている。それゆえトヨタが富士山麓に計画しているスマート・シティである「ウーブン・シティ」の都市デザインも任されているのだ。

イースト・ハーレムに打ち込まれた建築的スパーク

ニューヨークのハーレムといえば、多くの人はマンハッタンの北側方向にある治安が悪い場所というイメージをもっていると思う。あながち間違いではないが、近年では治安は以前より良くなっているようだ。裏通りなどはやめて、表通りを歩いていれば安全ということである。

ハーレムの存在はニューヨークの都市的多様性を示す好例であろう。縦長のマンハッタンにはロウアー・マンハッタンからアップタウンに向けて北上して行くと、先述のアーバン・ダイバーシティを種々体験することができる。そしてセントラル・パークを越えると、ハドソン川沿いにあるハーレムに行き着く。

さてビヤルケ・インゲルスがデザインした「ザ・スマイル」は、ハーレム125ストリートとハーレム126ストリートというふたつの通りをつなぐという大きな建物である。1階に看護学校を擁し、上部に集合住宅があり、両ストリートをつなぐ複合開発ビルだ。延床面積26,000平米の建物は、集合住宅の3分の1は手ごろな値段のアパートメントで、この界隈における集合住宅の多様性の一翼を担っている。

T字形をした建物プランにより、ユニット・サイズやレイアウトにバラエティがある一方、近隣ビル群との連繋も強化したデザインとなっている。この南側キャンティレバー部分は、125ストリートに面した既存の商業ビルの上部に浮遊するように見え、発展するアップタウンにおけるダイナミックな起爆剤となっている。

建物における最大の特徴となっている126ストリート側ファサードは、壁面が上部にいくに従って緩やかに湾曲を増していくという、従来の直線的なストリート・ラインに対し、ソフトでエレガントな形態となっている。このデザインは建物のマッス(躯体)を市のゾーニング規制に対応させているし、さらに集合住宅が多いこのストリート界隈に、より多くの直射光を導入するという、巧みな配慮が生きていて素晴らしい。

上部にいくに従って緩やかに湾曲を増していく壁面ファサード。チェッカーボードのパネルの合間は居室の窓にあたり、床から天井までの景色が楽しめる

上部にいくに従って緩やかに湾曲を増していく壁面ファサード。チェッカーボードのパネルの合間は居室の窓にあたり、床から天井までの景色が楽しめる

ニューヨークとはいえ、この辺はにぎわうフィフス・アベニューなどとは違って超高層ビルがないので通りがそんなに暗くはない。だがそれでもニューヨーカーは都心の超高層ビル群の間を巡るストリートの暗さを、日ごろ体験しているので、その気持ちが強いのだと思う。インゲルスもそうした気持ちから、ここハーレムでファサード・デザインに粋を凝らして、街路により多くの自然光を導入しようと考えたのだろうと思う。

建物名の「ザ・スマイル」については、彼の真意は分からないが、曲面壁のファサードは建物がスマイルして(笑って)いると考えたのかもしれない。そのファサード全体に使用された連続するチェッカーボードのパネル・システムは、個々の住宅ユニットに床から天井までフルハイトの開口部を可能にした。そのためテナントは同市のオープンでワイドな景色をエンジョイすることができる。さらにセントラル・パーク方向へのイースト・ハーレムや、北方向のハーレム川やブロンクスの眺望が可能になっている。

のんびりとしたルーフデッキからのワイドな眺望は圧巻

エントランスはタイル張りで、近隣の壁画アートからインスピレーションを得た強烈なカラー・コンクリートのデザイン。界隈のビル群に対しユニークでウェルカムな態度をアピールしている。内部のアメニティとしては、フィットネス・センターをはじめ、メディア・ルーム、リラクゼーション・スパ、ソーシャル・ラウンジ、さらにスカイライトで明るい3層吹き抜けのギャラリーを見晴らすワーク・スペースがある。

さらに外部のルーフトップ・アメニティとして、ワールプール・スパ、水泳プール、その他のソーシャルな活動や集会用に種々のタイプのスペースを提供するルーフデッキがある。建物の外装は黒色のメタル・パネルに対し、インテリアの居住スペースはニュートラルかつミニマルな空間となっている。インテリア全般において、空間は木材、コンクリート打放し、スティール・トラスといった建築素材で構成。それに対し、パブリックなアメニティ・スペースではより多くのファサードのメタル・パネルやカラー・タイルを組み合わせている。

のどかなルーフデッキから遠望するマンハッタン中心部の超高層ビル群が素晴らしい!

のどかなルーフデッキから遠望するマンハッタン中心部の超高層ビル群が素晴らしい!

ユニークな形態で界隈を明るくする「ザ・スマイル」は、前世紀のセットバック規制をクリアしている。良き隣人として、建物は既存の界隈の仲間となり、コミュニティのエネルギーを吸収し、イースト・ハーレムのコミュニティに新たなスパーク(火花)を点火したようだ。

●The Smile (New York, USA)
ザ・スマイル(アメリカ、ニューヨーク)

猫好きさん夢のシェアハウス! 獣医師が運営、定期健診つきで愛猫の健康を守る 「KOTERA」東京都大田区

猫が好き、猫に囲まれて暮らしたい! できれば猫好きの同志も近くに住んでいたら、毎日楽しそう……。そんな暮らしを実現できるのがペット飼育可のシェアハウスです。

ペット飼育可というと、犬のみ、猫のみ、または犬猫OKなどバリエーションはさまざまですが、東京都大田区にあるシェアハウス「KOTERA」の特徴は、オーナーが猫専門の獣医師であること。猫と気持ち良く暮らすための工夫やシェアハウスの運営体制について、オーナーと入居者に聞きました。

「全ての猫に医療の機会を」 知見を活かしたシェアハウス開設(画像提供/猫の診療室モモ)

(画像提供/猫の診療室モモ)

「KOTERA」のオーナーは、猫専門動物病院「猫の診療室モモ」の院長を務める谷口史奈さん。幼いころから猫と過ごし「将来は猫に関する仕事に就きたい」と考えていた谷口さんは、その思いを叶えて獣医師になり、2016年に同院を開業。診察や治療だけでなく、保護猫支援にも積極的に取り組んでいます。

「全ての猫が等しく医療を受けられる機会をつくりたい」と話す谷口さん。実践の場の一つとなっているのが、自身が運営する猫飼育可・女性専用のシェアハウス「KOTERA」です。

入居条件は「猫を飼っている人」もしくは「猫と暮らしてみたい人」一戸建ての2階部分が「KOTERA」(画像提供/KOTERA)

一戸建ての2階部分が「KOTERA」(画像提供/KOTERA)

東急池上線・旗の台駅から徒歩圏内、閑静な住宅街にあるシェアハウス「KOTERA」。現在は、2人と4匹の猫たちが暮らしています。

入居の条件は、「猫を飼っている人」だけでなく「猫と暮らしてみたい人」。猫を飼いたいけれど自分一人で受け入れる余裕や準備がまだできていない人や、猫との暮らしを経験してみたい人が、ほかの入居者の飼い猫との触れ合いを通じて猫に慣れ、学ぶことができます。

約40坪の3LDKで、リビング・ダイニング、キッチンのほか、バスルームや洗面所、トイレといった水回りは共用。玄関前にはウッドデッキも(画像提供/KOTERA)

約40坪の3LDKで、リビング・ダイニング、キッチンのほか、バスルームや洗面所、トイレといった水回りは共用。玄関前にはウッドデッキも(画像提供/KOTERA)

家賃は8万円で、光熱費・水道代、インターネット使用料、共用部の消耗品代、家財保険を含めた共益費が1万6千円。猫の飼育は1人3匹までで、2匹目からは月5千円の追加費用がかかります。

動き回って、外を眺めて 猫の本能を満たす環境づくり共用部であるリビングは掃除がしやすく猫が動き回れるよう、家具は多く置かない(画像提供/KOTERA)

共用部であるリビングは掃除がしやすく猫が動き回れるよう、家具は多く置かない(画像提供/KOTERA)

室内に入ってまず印象的だったのが、リビングの高い天井に渡る2本の梁。入居者の飼い猫たちがキャットウォークとして使っています。キャットタワーやカーテンレールから梁へと移動することができ、日々の運動不足を防ぎます。

人の手が届かない高い位置から、人間の様子を見ている猫たち(画像提供/KOTERA)

人の手が届かない高い位置から、人間の様子を見ている猫たち(画像提供/KOTERA)

飼い主の居室に戻ってほしいのに梁から全然降りてくれなくて困る……なんてこともあるほど、猫たちのお気に入りスポットとなっているそう。こうした縦方向に移動できる環境を飼い猫に提供できるのも、マンションの個室ではない、一戸建てタイプのシェアハウスの広い空間ならでは。

室内飼いの猫にとっては、外の景色を眺めて刺激を受けることも大切です。ウッドデッキ側の大きな窓からはもちろん、猫たちは幅のある窓枠に乗ってそこからも風景を眺めています。

窓辺の猫(画像提供/KOTERA)

窓辺の猫(画像提供/KOTERA)

「猫の本能は見張りと狩り。室内飼いの安全な状態でありつつ、本能が満たされる環境にできると猫の健康のためにいいですね。

とはいえ、『適切な運動量は一日●分』、など一概に言うことは難しいもの。猫にもそれぞれ個性があるので、飼い主が考える『正しい生活』を一方的に強いるのはおかしいですよね。飼い猫の性格を理解したうえで健康を維持できる環境を整える、という考え方が自然ではないでしょうか」(谷口さん)

定期的な健康チェックや往診 もしもの時にも対応

「ペット可のシェアハウスを始めるにあたって、なにか特徴がないと入居には至らないだろうし、猫の健康に関するサービスは特に充実させることにしました」と谷口さん。「KOTERA」で暮らす猫と飼い主のために、いくつかのサービスを用意しています。

・年1回の健康診断、月1回の健康チェック・爪切り・ノミ予防(無料)
・入居猫への往診(往診無料、別途治療費)
・慢性腎臓病などの慢性疾患をもつ猫に必要な薬や処方食を優遇
・最新フードやサプリメントの情報共有

(画像提供/KOTERA)

(画像提供/KOTERA)

月に1回、谷口さんが来訪して健康チェックや爪切り、ノミ予防を行います。爪切りが苦手な飼い主や猫は多いと思いますが、その点、定期的にプロに切ってもらえるのは安心です。

往診が無料というのも、移動や病院がストレスになってしまう猫にとってはありがたいですね。多忙で通院が難しい飼い主も時間をつくりやすくなるため、健康チェックは好評だそう。

また、腎臓病は高齢の猫の発症率が高いため、薬や処方食が今すぐ必要ではない飼い猫にとっても、いざというときの支えになればと考えているそう。何よりも、専門医にすぐ相談できる環境があるということが心強いと感じました。

絶妙な距離感で一つ屋根の下に住む

シェアハウスにつきものなのが、ほかの入居者との相性問題。「KOTERA」の場合は猫同士の相性にも気をつけなくてはいけません。円満な猫関係のために、どのような対策を取っているのでしょうか。

「入居前のヒアリングで猫の性格などを聞き、先住猫とやっていけそうかをある程度判断します。入居後は個室に置いた3段ケージの中で過ごしてもらい、慣れてきたら少しずつ行動範囲を広めて先住猫と対面します。このあたりは普通の多頭飼いとあまり変わらないかなと」(谷口さん)

3段ケージ(右)、個室、共用部と少しずつ環境に慣らしていく(画像提供/KOTERA)

3段ケージ(右)、個室、共用部と少しずつ環境に慣らしていく(画像提供/KOTERA)

猫同士が十分な距離を取れる環境のため、相性の合わない猫たちがずっと一緒にいてストレスがかかることはないそう。仲が悪くも良くもないという、猫らしい絶妙な距離感でそれぞれマイペースに過ごしています。

入居者の居室でリラックスする猫(画像提供/KOTERA)

入居者の居室でリラックスする猫(画像提供/KOTERA)

また、安全のために「KOTERA」では飼い主の不在中は飼い猫を個室にとどめておくというルールを設定。飼い主が出入りする際の玄関ドアからの脱走や、キッチンなど危ない場所への立ち入りを防ぎます。

キャットウォークにもなるウォールシェルフなど、入居者の個室にも猫が動き回れる工夫が(画像提供/KOTERA)

キャットウォークにもなるウォールシェルフなど、入居者の個室にも猫が動き回れる工夫が(画像提供/KOTERA)

エサやトイレは、入居者それぞれの個室に設置。ほかの猫にエサを食べられたりトイレを使われたりというトラブルを避け、臭い対策にもなります。

家賃が猫のためになる 保護猫支援の取り組み保護猫団体「CAT’S INN TOKYO」の活動の様子。同団体の代表と谷口さんは知り合いで、猫に関するさまざまな活動を一緒に行ってきた(画像提供/CAT’S INN TOKYO)

保護猫団体「CAT’S INN TOKYO」の活動の様子。同団体の代表と谷口さんは知り合いで、猫に関するさまざまな活動を一緒に行ってきた(画像提供/CAT’S INN TOKYO)

「KOTERA」では、保護猫支援にも取り組もうとしています。板橋区で里親募集型保護猫カフェの運営や猫の飼育講座を行う団体「CAT’S INN TOKYO」と提携し、保護猫を一定期間預かってお世話をする「預かりボランティア」をシェアハウスで実施予定。エサ代など費用の一部は、シェアハウス入居者の家賃からまかなわれます。

保護猫を迎えたいと思っていても、一人暮らしだと譲渡が難しいケースもあります。「KOTERA」では入居者が保護猫を飼う際、迎え入れる猫の相談や飼育のアドバイスなど、「CAT’S INN TOKYO」と谷口さんがサポートするそうです。

「猫と暮らしたい人、猫と暮らす適性があるか分からない人に、保護猫の迎え入れや預かりボランティアを通じて猫との生活の機会を提供できれば」(谷口さん)

「うちの子こんなに動けたんだ」 実際に入居してみて

「KOTERA」での生活や猫たちの様子について、入居者の方にもお話を伺いました。

入居定員は3名で、それぞれ鍵付きの個室(約5~6畳)を備える(画像提供/KOTERA)

入居定員は3名で、それぞれ鍵付きの個室(約5~6畳)を備える(画像提供/KOTERA)

入居者・ハルカさん(仮名)の飼い猫は3匹。もともと自分で飼っていた猫たちに加え、実家の猫も引き取ることになったタイミングで引越してきました。

「複数匹を飼える賃貸物件はなかなかないので、ありがたかったです。物件自体が広くて猫たちの住み心地がいいのはもちろん、私自身は備え付けのダブルベッドが快適で気に入っています(笑)」(ハルカさん)

ハルカさんの飼い猫、ちろちゃん(左)とチーズちゃん。ダブルベッドですやすやと眠る(画像提供/KOTERA)

ハルカさんの飼い猫、ちろちゃん(左)とチーズちゃん。ダブルベッドですやすやと眠る(画像提供/KOTERA)

もう一人の入居者・ナツコさん(仮名)の飼い猫は、KOTERAに住む猫たちの中で唯一のオスでいちばん年下の新入り。ほかの猫と暮らした経験もありませんでしたが、たまに先輩猫に追いかけ回されたりしつつも、おっとりとマイペースに過ごしているそうです。

ナツコさんの飼い猫・とのくん 窓辺でまったり(画像提供/KOTERA)

ナツコさんの飼い猫・とのくん 窓辺でまったり(画像提供/KOTERA)

「とのは運動があまり得意じゃないと思っていたんです。でもここに引越してから活発に動き回っていて、うちの子こんなに動けたんだ、と驚きましたね。広い環境だからこそ知れた、新たな一面です」(ナツコさん)

入居者はお互いの猫を可愛がるのはもちろん、それぞれの猫の面倒を見ることもあります。朝急いで外出しないといけない時は、お互いの同意のもと、まだ家にいる相手に自分の飼い猫を自分の居室に入れるのを頼んだりするそうです。

膝に乗るのが大好きなちろちゃんは、よくナツコさんの膝の上でくつろいでいる(画像提供/KOTERA)

膝に乗るのが大好きなちろちゃんは、よくナツコさんの膝の上でくつろいでいる(画像提供/KOTERA)

日中は2人とも外出して働いていますが、リビングで会うと必ず雑談したり、ときにはハルカさんがナツコさんにおすすめして2人ともハマったというアイドルの動画を一緒に観たり、入居者同士もゆるやかな関係を築いているそうです。

シェアハウスでの猫との生活は、1人では実現できないような居住空間やサービスを愛猫に与えられること、価値観の似ている入居者同士が気兼ねない距離感で暮らせることが魅力ではないでしょうか。何よりも、「人の飼い猫も思う存分可愛がれる」というのが、猫好きにとっては心惹かれるポイントかもしれません。

●取材協力
・KOTERA
・猫の診療室モモ 院長 谷口史奈さん

3Dプリンターでつくったグランピング施設がオープン!「お菓子の家」な形や断熱性が話題 新冠町

車や家(住宅)など、3Dプリンターの可能性がますます広がってきている。SUUMOジャーナルでも、今年中に3Dプリンターの家が一般向けに発売されるニュースなどをお伝えしてきた。今回は、2022年7月28日に「太陽の森ディマシオ美術館」(北海道・新冠(にいかっぷ)町)内に日本初の3Dプリンター建築に宿泊できるグランピング施設がオープンしたと聞き、取材した。

3Dプリンターでしか表現できない凹凸ある世界

凹凸のある壁。卵形の建物。曲線で描かれた塀。まるで絵画に描かれた世界が飛び出たような空間は、北海道・新冠町の「太陽の森ディマシオ美術館」敷地内に建てられたグランピング施設「GLAMPING VILLAGE 紅葉の里」だ。フランス人幻想画家・ジェラール・ディマシオ氏が描いた、世界最大の油絵が飾られているこの現代美術館の依頼で、會澤高圧(あいざわこうあつ)コンクリート(北海道・苫小牧)が手掛けた。日本初の3Dプリンター宿泊施設としてこの夏オープンした。

大自然に囲まれた美術館の敷地内にあるグランピング施設は、北海道初(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

大自然に囲まれた美術館の敷地内にあるグランピング施設は、北海道初(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

nitay(ニタイ)、sinta(シンタ), nonno(ノンノ)というそれぞれテーマを持った建物が並ぶ(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

nitay(ニタイ)、sinta(シンタ), nonno(ノンノ)というそれぞれテーマを持った建物が並ぶ(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

會澤高圧コンクリートは、プレキャストコンクリート(※)をはじめ、コンクリートに関するあらゆる事業を手掛けている。特に、自己治癒するコンクリートや、環境対策を施したコンクリートといった、先見性の高いコンクリートを扱ってきた。加えて、2019年からは3Dプリンター技術への研究を進め、社内の若手社員が中心となり2020年には3Dプリンターで印刷した公衆トイレを発表し、話題を呼んだ。

※プレキャストコンクリート/規格化された壁などを構成するコンクリート部材で、工場で生産し、現地に運んで組み立てる

會澤高圧コンクリートが、制作した3Dプリンターで作った試作品トイレ。デザイン、機能含めトイレの普及を目指すインドへの輸出を想定して作られた(写真提供/會澤高圧コンクリート)

會澤高圧コンクリートが、制作した3Dプリンターで作った試作品トイレ。デザイン、機能含めトイレの普及を目指すインドへの輸出を想定して作られた(写真提供/會澤高圧コンクリート)

今回、実際に人が宿泊できる空間をアームロボット式のコンクリート 3D プリンターを用いて建設した。建設に際して、太陽の森ディマシオ美術館の専務、谷本晃一さんは「大自然、宇宙、アートの共存をお客様に感じていただくことが大事な幹と考え、このコンセプトを体感していただける建物にしたい」という要望を、會澤高圧コンクリートに出したという。

「3Dプリンターの建物の魅力は、もちろん工期を短くできるという点もあるが、何よりもその表現力の豊かさ」と話すのは、同社の3Dプリンターハウスを一手に担う、執行役員の東大智さんだ。直線と曲線を自由に合わせることが可能な建物の建築は、既存の住宅生産手法では叶わないからだ。

今回建設した3棟は、それぞれテーマを持たせ、球状や幾何学模様といった「3Dプリンター」でしか表現できない建物をデザインすることになった。型枠を用いず、曲線や複雑なテクスチャーを、まずは美術館と會澤高圧コンクリートの両者でアイデアを出し合ってデザイン化し、デッサンを進めた。

「デザイン画だけでは、実際の仕上がりの雰囲気を共有することが難しかった。それぞれ表面のデザインについては、実際の機材を使用して、1m×50cmのテストプリントを3つの建物分全て印刷して確認を行いました」と話す。

こうして自然、宇宙、芸術というテーマに合わせた3つの建物が出来上がった。建物の形は卵型と立方形の2種類。それぞれのグランピング棟は、宿泊用ハウスと、バストイレのサニタリールームとリビングスペースから成る。會澤高圧コンクリートは、その宿泊用ハウス(ベッドルーム)と囲いの壁の部分を3Dプリンターで印刷した。

宇宙をテーマとした卵がモチーフのsinta(シンタ)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

宇宙をテーマとした卵がモチーフのsinta(シンタ)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

芸術をテーマとしたアールデコがモチーフのnonno(ノンノ)(写真提供/會澤高圧コンクリート)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

芸術をテーマとしたアールデコがモチーフのnonno(ノンノ)(写真提供/會澤高圧コンクリート)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

寒さとの戦い

會澤高圧コンクリートの本拠地、依頼主の太陽の森ディマシオ美術館も、ともに北海道にある。冬の寒さはかなりのものだ。今回、施工を行ったのは真冬の1月。気温マイナス30度近くになることもある中で作業をしていると、コンクリートの硬化の時間が通常よりもかかることが判明したという。時には、コンクリートの材料を温め直して使用しなくてはいけない場面もあったとか。現地に機材を持ち込んで印刷する形で施工を行っていたが、「硬化時間が思いのほか長くかかり、途中で印刷のズレが起きるといったハプニングもあった」と東さんは話す。「1棟の印刷に要する時間に5日間を想定していたが、実際はそれより長い時間を要した。理由は、現場で各棟につき2、3回の印刷の微調整を繰り返す必要があったからだ」と続ける。

「プリントするためのロボットアームを現地に持ち込むと聞いてはいたが、施工開始が大変厳しい気象条件の時期に重なってしまったことを申し訳なく思った」と美術館の谷本さん。3Dプリンターを使えば「簡単に」、そして「時間をかけずにできる」というイメージだけが先行していたために考えたスケジュールだったというが、実際は建物が出来上がるまでに多くのトライ・アンド・エラーがあったことが分かり、完成までの過程での苦労に脱帽したと話す。

プリント時に「断熱材」を入れるための層を事前にしっかりと計算。スピード感を持った施工の中でも、北海道ならではの寒さ対策に余念はない(写真提供/會澤高圧コンクリート)

プリント時に「断熱材」を入れるための層を事前にしっかりと計算。スピード感を持った施工の中でも、北海道ならではの寒さ対策に余念はない(写真提供/會澤高圧コンクリート)

さらに、北海道の冬の寒さを凌げる断熱性を確保する建物にするため、「プリントの手法に工夫を施した」と東さん。プリント時に断熱材を入れる層(写真 内側の空洞)を一緒にプリントすることで、通常躯体施工→断面材施工→内装仕上げという工程を、躯体&断熱層&内装プリント→断面材施工に減らしつつ、十分な寒さ対策ができている建物をつくり上げることに成功したという。

遮音性、機密性は宿泊客からも好評

紆余曲折を経て完成し「旅館業簡易宿舎営業許可」を取得。美術館は7月28日に3Dプリンター建築の宿泊施設を「GLAMPING VILLAGE 紅葉の里」と名付けて開業した。この夏は連日満室だったという。

各施設は3Dプリンターでつくられた壁で仕切り、プライベート感を演出(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

各施設は3Dプリンターでつくられた壁で仕切り、プライベート感を演出(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

ダイニングテーブルに座れば、屋外なのにまるでリビングルームで過ごしているような感覚を味わえる(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

ダイニングテーブルに座れば、屋外なのにまるでリビングルームで過ごしているような感覚を味わえる(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

凹凸ある独特の外壁は、ライトアップされることで個性が強調される(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

凹凸ある独特の外壁は、ライトアップされることで個性が強調される(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

グランピング施設では、北海道の海と山の幸を堪能できる(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

グランピング施設では、北海道の海と山の幸を堪能できる(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

「既存の建物が敷地内にある10平米未満の増築扱いなので建築確認申請の必要はありませんでしたが、建築基準法に準拠した構造計算を行い、鉄筋も入れた建物にした」と話す東さん。実際に宿泊客を迎え入れた太陽の森ディマシオ美術館の谷本さんは「特に遮音性、機密性についてとても好評です」と、宿泊客の反応を話す。ほかにも、やはり3Dプリンターならではの形や手触りなども評判だったようだ。

「テクスチャーや外観についてはインパクトがあり、お客さまの多くが驚かれ、楽しんでおられました。遠くから見るとコンクリートには見えないこともあり、手で触れて質感を確認される人が多いのもこの建屋の特徴。また小さな子どもたちは、凹凸のある珍しい壁が “お菓子の家”に見えると言って喜んでいましたよ」と谷本さんは続ける。

自然をテーマとした大地がモチーフのnitay(ニタイ)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

自然をテーマとした大地がモチーフのnitay(ニタイ)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

宿泊棟だけではなく、各施設の壁の模様も、建物のイメージに合わせて変えてある(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

宿泊棟だけではなく、各施設の壁の模様も、建物のイメージに合わせて変えてある(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

3D「プリント」という言葉から、建物が“紙”でできているのではないか、と連想する宿泊客も実は多いという。そのため、「実物に建物を見て、コンクリートに触れた時の驚きは大きいようだ」という。

今後も、ここディマシオ美術館のグランピングビレッジ内にユニークな建屋を建設予定だと話す二人。會澤高圧コンクリートの東さんは「コンクリート会社なので、材料の取り扱いが得意な面を生かし、よりクリエイティブな建物をつくっていきたい」と話す。当面は、7棟を目標に建設を進める。

3Dプリンターで印刷された建屋の内装はシンプルで、寝るためのベッドが置かれているだけのつくり(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

3Dプリンターで印刷された建屋の内装はシンプルで、寝るためのベッドが置かれているだけのつくり(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

會澤高圧コンクリートにて、3Dプリンタープロジェクトを一手に引き受ける東大智さん(写真提供/會澤高圧コンクリート)

會澤高圧コンクリートにて、3Dプリンタープロジェクトを一手に引き受ける東大智さん(写真提供/會澤高圧コンクリート)

太陽の森ディマシオ美術館・専務の谷本晃一さん(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

太陽の森ディマシオ美術館・専務の谷本晃一さん(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

これまで3Dプリンターの国内の建物は、いずれも実験段階の物や、人が生活するための用途で建てられたものではなかった。しかし今回會澤高圧コンクリートの試みで、短い間の滞在先とはいえ、実際に「快適に」居住できるスペースとして、3Dプリンターで建てられた家が登場したことは大きい。すでに海外では、住宅として普及し始めてた3Dプリンターで建てられた家。今後宿泊施設という不特定多数の人が利用する建物ゆえに、多くの人の意見を吸い上げ、3Dプリンターでさらに心地の良い住空間を、早く、そして手ごろに建てていくようになるのではないか。新しい時代の幕開けを感じる。

ライトアップした際に、幻想的な空間を演出できるのは、3Dプリンターがなせる技(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

ライトアップした際に、幻想的な空間を演出できるのは、3Dプリンターがなせる技(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)

●取材協力
會澤高圧コンクリート
太陽の森ディマシオ美術館

“まち医者”のようなデザイナーでありたい。長崎県五島へUターン、9割は島内の仕事を。「草草社」有川智子さんの、懐かしくも新しい働き方 

今でこそ“デザイン”の重要性は全国に浸透しつつあるけれど、10年前はまだ「デザインにお金を払う」感覚は、地方では一般的ではなかった。有川智子さんが、当時働いていた大阪から、生まれ育った長崎県五島に戻ったのはそんな時期だ。

有川さんは島の水産加工品や農産物、お酒や食品などのロゴやポスター、パッケージなどのデザインを手掛ける。仕事以外でも子どもを預ける学童施設を地域の人たちとつくり、自宅の横で一棟貸しの宿「菜を」も始めた。彼女の仕事と暮らしは溶け合うようにつながっていて、家族や周囲の人々とともに暮らしを育てている。まさにつみあげていく、暮らしだった。

「まちのかかりつけ医」のようなデザイナーでありたい

長崎港から五島の福江港まで高速船ジェットフォイルで1時間半。わずか1時間半だが、青い波と空しか見えない船からの眺めが続き、遠くへ来た感がある。

(写真撮影/松本治樹)

(写真撮影/松本治樹)

有川さんは約10年前の2011年、子どもと母親の和子さんとともに生まれ故郷の五島へ帰ってきた。

そこで始めたのがデザインの仕事。島の一次産業や加工品などの商品パッケージやロゴのデザイン、名刺、パンフレットなどをつくる。有川さんは、大学院卒業後、大阪で大手のハウスメーカーに勤め、ライフスタイル研究を行う「生活研究所」という部署に所属。デザインの仕事は初めてだったが、大学時代に学んでいたこともあり、好きなことでもあった。

「当時はまだ、五島のお土産品は、墨文字でばーんと『五島』!と入ったようなデザインのものが多くて。自分や同世代の人たちが欲しいと思える商品のパッケージや、紹介したい場所のマップやパンフレットなどをつくれたらいいなと思ったんです。見た人が買ってくれたり、島に遊びに来てくれたりするかもしれない。少しは島の役に立てるかなって」

草草社の有川智子さん。自宅の一角にある仕事場で(写真撮影/松本治樹)

草草社の有川智子さん。自宅の一角にある仕事場で(写真撮影/松本治樹)

「草草社」という名のデザイン事務所を立ち上げる。
それにしても、島にそれほどデザインの仕事はあったのだろうか。

「それが意外とあるんですよ。五島には水産業や農業、観光系の企業が多くて、パッケージやロゴのデザインが主ですが、細かなものだとポップの表記をmlからgに変えるとか、パッケージをビニール袋から紙に替えなきゃいけないとか、小さな仕事もたくさんあります。頼まれたことは基本断らないので、小さな仕事をコツコツ。一度デザインして終わりではなくて、長いところとはずーっとお付き合いが続きます」

「まちのかかりつけ医」のようなデザイナーになりたい。有川さんはそう思ってきたという。専門医も必要だけれど、まずは困ったら身近に駆け込んで相談できる、まち医者的なデザイナー。そう思って仕事をしていると、依頼は不思議と絶えなかった。

10年経った今も、9割は島内の仕事をしている。

「自分の半径数キロ圏内に暮らす、身近な人たちの役に立てたらいいなと思って、今の仕事をしています」

周りの人たちを幸せにできたら、最終的には自分にも還ってくる。
そう教えられたようだった。

地元にいなければできない仕事をする

以前、有川さんを訪ねたとき、「今朝急に連絡があって、かつおの生節をつくる工房へ撮影へ行くので、一緒に行かないか」と誘ってもらったことがあった。ついていった先は、昔ながらの直火原木燻し焼きでかつおの燻製をつくる工房。一つひとつ手でさばいた魚が、古い窯の中で原木と直火によりじっくりいぶされている最中だった。

(写真提供/草草社)

(写真提供/草草社)

(写真提供/草草社)

(写真提供/草草社)

地元の若手カメラマン松本さんが熱心に撮影する横で、有川さんは若社長らしき人にパッケージの提案をしている。とつとつと、こちらがいいのではと、デザインしたパッケージをお勧めしているのだけれど、決して強く主張はしない。少し話しては相手の出方を待つような話しぶりだった。

都会の感覚の“デザイン”が、必ずしも通用する相手ばかりではないことが想像できた。

でもそんな相手が、今までは印刷屋などが請け負ってくれるデザインは何度も直してもらっていたのに「有川さんに頼むようになってから、一発でこれというものが出てくる」と話していた。

それでも、初めは「デザイン」にお金を払ってもらうのが難しかったという。
そもそも島では印刷屋や包材屋のインハウスデザイナーがパッケージデザインまで手掛けることが多い。

「でも実際にモノができて、ちゃんと背景や思いまで踏まえてデザインされたものと、そうでないものの違いが見える形になると、島の人たちにも、ああデザインってものが必要なんだなと思ってもらえるようになって。パッケージ次第で新しい人の目にとまったり、選ばれる商品になる。そう少しずつ理解してくれるようになったのだと思います」

地元にいなければできないような仕事の仕方をする。

「五島の名物、かんころもち(サツマイモともち米でつくる五島の名物菓子)のパンフレットをつくった時は、サツマイモを植えて、収穫して、干して、かんころもちになるまでの過程を取材しました。島外のデザイナーさんに頼めば、1年がかりの仕事で何度も島に来るのにすごくコストがかかる。『今朝、魚があがったから今日来られる?』と電話があって5分で駆けつけられるのも、近くに居るからできることだなって」

長崎県五島列島・福江島の和菓子店「ル・モンド風月」のかんころもちのパンフレット。(写真提供/草草社)

長崎県五島列島・福江島の和菓子店「ル・モンド風月」のかんころもちのパンフレット。(写真提供/草草社)

仕事のヒエラルキーよりも大事なこと

独りよがりにデザインを重視するのではなく、取引先に寄り添いあくまで「売れるもの」を目指す。相手は常に目の前にいるわけで、売れないものをつくっても逃げることのできない厳しい仕事だとも言える。

オーガニックで緑茶を生産してきた(有)グリーンティ五島からは、新商品のレモングラスティのパッケージデザインを依頼された。

「まだうまくいくかわからない新商品に大きなコストはかけられないので、パッケージの袋は既存の同じものでも、ラベルだけフレーバーごとに色を変えて貼れば見栄えのするようにしました。檸檬草と漢字の表記にして、海外の漢字圏の人にもぱっと伝わるように」(有川さん)

(有)グリーンティ五島の「檸檬草」のシリーズ(写真撮影/松本治樹)

(有)グリーンティ五島の「檸檬草」のシリーズ(写真撮影/松本治樹)

このデザインが好評で注文は増え、発売から1年で各種を2000枚ずつ増刷し、その後も徐々に増えている。(有)グリーンティ五島の川渕義徳(かわふち・よしのり)さんはこう話す。

「有川さんにデザインしてもらったパッケージはバイヤーさんが持ち帰ると、女性の反応がよかったからとすぐに注文が決まっていくんです。法人向けにパッケージしない、量の多い取引を狙った商品だとしても、選ばれるためには、誰かがどこかで見つけてくれることが大事。その機会を得るために、やはりパッケージは大事です」

反応がいい時、地元の業者さんたちは電話をかけてきて「新しいデザイン、好評だよ」とか「大口の注文が入った」といった報告を逐一してくれる。いいも悪いも共有しながら、周囲の人たちに伴走する。役に立っているのを実感できるのが何より嬉しいと有川さんは言う。

仕事では依頼主の畑へ出向くことも多い。(有)グリーンティ五島のレモングラス畑(写真撮影/松本治樹)

仕事では依頼主の畑へ出向くことも多い。(有)グリーンティ五島のレモングラス畑(写真撮影/松本治樹)

仕事には目に見えないヒエラルキーのようなものがあると思う。より大きな仕事、お金が動く仕事、著名な人や会社が関わる仕事。社会的に「値打ちのある」とされるものさしがあって、その大きさにやりがいや喜びを感じる人も多い。

デザインの仕事に携わる人なら、賞やアワードなど、世間的な評価を気にする目もあるだろう。実際に有川さんの手がけた仕事も、長崎デザインアワードで大賞を受賞するなど評価され始めている。田尾フラットの「あまざけ」のパッケージデザインを手がけた際には、2019年の長崎デザインアワードで大賞を受賞した。だが有川さんは、そうした“都市部の人の目にとまる”ことより、地元の人に喜んでもらう方が嬉しいという。

福江教会の外壁の改修に伴い、9つのモチーフで壁面の石版のレリーフをデザインした。9つの図案を載せたカード(写真提供/草草社)

福江教会の外壁の改修に伴い、9つのモチーフで壁面の石版のレリーフをデザインした。9つの図案を載せたカード(写真提供/草草社)

「島で私に仕事をくれる人たちは、売りたいものがはっきりしているんです。ふわっとイメージを売っているわけじゃなくて、モノがある。売るために考えるから、デザインの仕事の足腰がしっかりする。そんな具体的なものづくりの積み重ねでしか土地の魅力ってつくれないと思うんです」

山や海などの大自然と、汗水垂らして働いた人たちの手から生まれるリアルなモノ。それを、若い人たちにも手に取ってもらえるように変換して伝えること。そこに醍醐味がある。

「五島には何百年という歴史の土台があって、その上に今がある。デザインする上でその歴史をもう一度汲みませんかと話すことはあります。遣唐使や椿、キリスト教など、五島の文化の象徴的なものにもう一度目を向ける。それがほかの土地にはない強みになると思うんです」

(写真撮影/松本治樹)

(写真撮影/松本治樹)

家族の居場所、暮らす環境を整えていく

五島へ戻って、積み上げてきたのはデザインの仕事だけではなかった。

2013年、有川さんはお母さんの和子さんとともに、本山エリアの自宅のそばに「コミュニティカフェ・ソトノマ(外の間)」という食堂を開く。もとは酒屋だった建物で、小学校の目の前。有川さん自身が子どものころは、文房具や生活雑貨も置いてある地区の大事なお店だった。

ソトノマは和子さんが手がける地元の野菜と愛情たっぷりの食事、居心地のよさが多くの人を惹きつけ、島へやってくる若い人たちや移住者、子育て中の女性が集まる場所になっていった。この店があったから五島へ移住したという人もいる。

コミュニティカフェ・ソトノマ。木で囲まれた雰囲気で、あたたかみがあって居心地がいい。食堂としてだけでなく、島の野菜を販売していたり、靴を脱いでくつろげる畳のスペースもあり、子どもたちが遊べるおもちゃ、漫画や本も並ぶ(写真撮影/松本治樹)

コミュニティカフェ・ソトノマ。木で囲まれた雰囲気で、あたたみがあって居心地がいい。食堂としてだけでなく、島の野菜を販売していたり、靴を脱いでくつろげる畳のスペースもあり、子どもたちが遊べるおもちゃ、漫画や本も並ぶ(写真撮影/松本治樹)

さらに、ソトノマから歩いて数百メートルの場所には「おうとうのいえ」と呼ばれる学童施設を有志とともに立ち上げた。2019年、地区の公民館長だった方や、移住者、子どものお母さんなどご近所さんを中心に10名ほどで集いNPO法人を設立。有川さん自身も積極的に協力した。

「おうとうの家」の中。子どもたちは自由に遊んだり勉強したりしている(写真撮影/松本治樹)

「おうとうの家」の中。子どもたちは自由に遊んだり勉強したりしている(写真撮影/松本治樹)

放課後、おうとうのいえの理事長である桑田隆介さんが「おうとうの家」へ案内してくれた。
子どもたちが伸び伸びと走りまわり、本を読んだり、宿題をしたりしている。女の子たちが「くわっちゃーん、見てみて~」と楽しそうに走り寄ってくる。

「働く親御さんも多いなかで、このエリアには学童がなくて、バスで隣の区の学童まで通っていた子が多かったんです。いまここへ来る子は小学校1年生から4年生くらいまでの22~23人。学校が終わるとすぐそこの小学校から歩いてきて、遅いときは19時くらいまで、地元のスタッフの皆さんが交代でみてくれています」(桑田さん)

「おうとうのいえ」。奥には桑田さんが運営する賃貸住宅「本山ヒルズ」(写真撮影/松本治樹)

「おうとうのいえ」。奥には桑田さんが運営する賃貸住宅「本山ヒルズ」(写真撮影/松本治樹)

有川さんの二人の子どもも、今は中学生と小学4年生になるが、低学年のころはこの学童に通い、有川さん自身仕事をする上でずいぶん助かったのだという。

桑田さんもソトノマカフェがきっかけで五島へ移住した一人。今は学童のすぐ隣に建つ移住者向けの賃貸住宅「本山ヒルズ」を運営するほか、ソトノマの店主を和子さんから引き継ぎお店の店主に。

「五島へ移住したい人は増えていますが、島には住むところが少ないんです。子育て世代がすぐに住めるよう、賃貸住宅を用意して、すぐそばに小学校もあって、学童もある。そんな環境を用意したかったんです。ありがたいことにもうずっと、空きがない状態です」

桑田さんは、港近くに「hotel sou」も運営していて、谷尻誠氏が設計したことで話題になり人気のホテルになっている。

そうして有川さんの周りには多くの人が出入りしながら、カフェや学童、住宅が整い、本山は新たに人を呼ぶ入り口になっている。彼女はずっとその中心にいた。

宿を始めたのも十年以上前から考えていたことの一つ

さらに今年の夏。有川さんは自宅横の古民家を改修し、一棟貸しの宿「菜を」を始めた。

有川さんの自宅横にあった古民家を改修して始めた宿「菜を」(写真撮影/松本治樹)

有川さんの自宅横にあった古民家を改修して始めた宿「菜を」(写真撮影/松本治樹)

部屋へ入ると、大きな窓からすっと風が通る。障子を通して部屋全体に染み渡るように入る光。天井が高く広い居間には、大きなテーブルやソファ、薪ストーブも。五島へ観光客が訪れるのは夏のみのイメージだが、冬も薪割りなどしながらゆっくりした時間の流れを感じられる滞在を楽しめるようにしたいと考えている。

宿の室内。リビング(撮影提供/草草社・撮影:繁延あづさ)

宿の室内。リビング(撮影提供/草草社・撮影:繁延あづさ)

宿の室内。寝室(写真撮影/松本治樹)

宿の室内。寝室(写真撮影/松本治樹)

居室と反対側にはカウンターの設置された空間があり、ゆくゆくはここで日用品を置くグロサリーストアも始めようと考えている。だから「菜を」の名前は「野菜」そのものや、ここへ泊まる人たちが畑で野菜を育てたり調理するなど「菜をどうする?」の問いかけでもある。

グロサリーストアを始めたいと考えているスペース、宿の一角(撮影提供/草草社・撮影:繁延あづさ)

グロサリーストアを始めたいと考えているスペース、宿の一角(撮影提供/草草社・撮影:繁延あづさ)

仕事も子育ても暮らしも。少しずつ環境を整えて、みごとに暮らしが積み上がってきている感じですね、と告げると、こっそり一冊のノートを見せてくれた。
表紙に「出店日誌」とある。

「出店日誌」と書かれた一冊のノート。1ページ目の日付は2008年(撮影/筆者)

「出店日誌」と書かれた一冊のノート。1ページ目の日付は2008年(撮影/筆者)

中は、有川さんが将来実現したいことを書き連ねた日記のようなもので、出したいお店のイメージやカフェにどんな珈琲を置くかなど細かいことがメモしてある。1ページ目の日付は、14年前の2008年。カフェ、子どもを育てる場所、宿、お店、家を整えること……と有川さんが実現してきたことの多くは、彼女が何年も前から妄想し、日記に描いてきたことだった。

「タイミングがまだのものもありますが。宿を始めたのも、デザイナーとして現役でいられる年齢には限界があると思って。宿を一つの生業にできたらと考えたのと、歳を取ってもいろんな方が遊びに来てくれたら嬉しいじゃないですか。学童にしても、自分の子どもが巣立って少し余裕ができたときに、よその子どもさんをみることができたらと思ったんです。結局全部、自分のためなんです」と言って笑う。

十年かけて少しずつ整えてきた暮らしは、有川さんが望む形に少しずつ近づいている。
これから先の十年は、庭を育てたいという。宿からの眺めがますます素敵なものになるだろう。

望む暮らしを時間をかけて積み上げていく。それ以上に大切なことはないと気付かされるようだった。

(写真撮影/松本治樹)

(写真撮影/松本治樹)

●取材協力
草草社

都市ではデザイナー、地方ではカフェ・宿オーナー。2つの人生を生きるという選択 「山ノ家」新潟県十日町市

空間のデザイン、状況と場のデザインを手掛けるデザインユニット「gift_」が、2012年に越後妻有(読み:えちごつまり 新潟県南部の十日町市、津南町の妻有郷と呼ばれる地域)につくった「山ノ家」は、空き家になった一軒家を1階はカフェ、2階をドミトリー(宿屋)にリノベーションしたもの。月半分ずつ東京と「山ノ家」で過ごしてきた「gift_」の後藤寿和さんと池田史子さんは、都心と田舎、それぞれになりわいを持ち、人々の交流を促す場づくりを行ってきました。「山ノ家」をオープンしてから10年。2拠点との関わり方を池田さんに伺いました。

1階にある「移民たちのカフェ」(画像提供/山ノ家)

1階にある「移民たちのカフェ」(画像提供/山ノ家)

都市と地方、「ダブルローカル」にそれぞれ別のなりわいを持つ

コロナ禍でテレワークが増え、オフィスだけでなくさまざまな場所で仕事をする人が増えました。20代・30代のビジネスパーソンやファミリーが地方に目を向けはじめ、二拠点生活への関心が高まっています。

「現在のいわゆる二拠点生活は、都心にメインとなる住まいや仕事を持ち、地方をサブとして空き家やシェアハウスに滞在しながら趣味や地域貢献をして過ごすスタイルが多いと思います。私たちが『山ノ家』を拠点に行っている二拠点生活はそれとは少し異なります。都心でデザインオフィスを経営しながら、『山ノ家』では、カフェやドミトリーなどの飲食店・宿屋の運営を月半々で行ってきました。2拠点目に都心とは全く別のなりわいと生活の場を持ち、地方をオフにするのではなく、生活という意味でも仕事という意味でも、どちらも『オン』として行き交うこと。それを私たちは『ダブルローカル』と名付けたのです」(池田さん)

旧街道筋に立つ一軒家をリノベーション。1階はカフェ、2階が素泊まりできるドミトリー(画像提供/山ノ家)

旧街道筋に立つ一軒家をリノベーション。1階はカフェ、2階が素泊まりできるドミトリー(画像提供/山ノ家)

越後妻有は、棚田や里山で知られる日本有数の豪雪地帯で、上越新幹線越後湯沢駅からローカル線で30分ほど、東京から約2時間の場所にあります。里山を舞台に2000年から3年に1度開催されている「大地の芸術祭」は、世界最大の国際芸術祭で多くの人が訪れます。前回2018年は約54万人の来場者数を記録しました。今年は「越後妻有 大地の芸術祭 2022」(4/29~11/13)が開催されています。

美しい棚田は越後妻有おなじみの風景(画像提供/山ノ家)

美しい棚田は越後妻有おなじみの風景(画像提供/山ノ家)

冬期は毎年4-5mを超える積雪があり、除雪は毎日、冬の間に数回にわたる屋根の雪下ろしも欠かせない(画像提供/山ノ家)

冬期は毎年4-5mを超える積雪があり、除雪は毎日、冬の間に数回にわたる屋根の雪下ろしも欠かせない(画像提供/山ノ家)

当時、東京の恵比寿・中目黒を拠点に事務所を構えていた「gift_」の池田さんと後藤さんが地方に目を向けるきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災でした。

「電車や電気がとまり、店頭から商品が消えました。都市の脆弱さを思い知り、このまま消費するだけの場所にいていいんだろうかと思うようになったんです。震災から3カ月後、知人から、『新潟県十日町市の松代地区に空き家があって自由にリノベしていいから、空間づくりをするサポートをしてもらえないか』とお願いされて、とりあえず見に行こう! と現地へ向かいました」(池田さん)

豪雪地帯の一軒家をリノベーションしてカフェ&ドミトリーに

空き家のあった通りは、かつて宿場町として栄えた場所ですが、過疎高齢化が進んで、シャッター街に。そこで、外観を雪国の伝統的な古民家のように再生して、地域活性に繋げようという、当地に移住したドイツの建築家カール・ベンクスさんからの提案に十日町市が賛同して、外装工事の費用を補助していました。

街並み景観再生事業によって再生された街並み(画像提供/山ノ家)

街並み景観再生事業によって再生された街並み(画像提供/山ノ家)

「毎週末、3カ月くらい通いながら構想を練っていましたが、何だか担当者の方々の反応がおかしい。『もしかして、空き家のデザインだけでなく、その後も事業者としてここで何かやってほしいと考えていますか?』と改めて確認しましたら、『初めからそのつもりでした』と。私たちが関わる前からその空き家は街並み再生事業の第一号としてリノベされることが決定していながら事業者のいない空っぽの箱ではいけないということで、そもそもの事業者候補を探していたらしいのです。市の補助金の対象となるためには降雪が厳しくなり始める12月の中旬までには外装工事を終わらせなくてはならないことも告げられました。その時、すでに10月。あと2カ月あるかないか。たいへん厳しい状況。正直言って、私たちは積極的に「YES」と言ったわけではないのですが、「NO」と断る理由が見つけられませんでした。おそらくその時点ですでにそうした主体になることを何処かで感受していたのかもしれません」

とまどいながらも、「大地の芸術祭を受け入れているエリアなら、面白いことができるかもしれない」と考えた池田さんたちは、建物1階をカフェ、2階をドミトリーにリノベーションすることを決めました。しかし、市の補助金は外装工事の7割だけで、内装の予算はありません。当時、農業体験や地域活動をする人たちの移動手段として、十日町市が、東京まで往復するシャトルバスを無料で運行していたことを幸いに、大学生や社会人の皆さんにボランティアでリノベーションのサポートに通ってもらうことができ、「山ノ家」が完成しました。

全館Wi-Fi完備。短時間のオフィスとして使う人も(画像提供/山ノ家)

全館Wi-Fi完備。短時間のオフィスとして使う人も(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」「大地の芸術祭」のイベントで都心から人を呼び、地域の人と交流

「山ノ家」完成時には、東京で、200人のメディアを集めて、どんなことをしたくてどんなものをつくったのかの意思表明のプレス発表を行いました。「おそらくこれから先私たちのように単なる観光ではない”行き交う”人が増えていくだろう。そうした人たちにとって必要なものをつくってみたこと」を伝えたかったのです。

「リノベーションする間、泊まるところと食べるところに困っていました。普段のような食事ができて、コーヒーが飲めて、気軽に泊まれて、Wi-Fiが使える場所、それは私たちが最も欲しいものだったんです。10年前はゲストハウスのモデルケースが少なく、ドミトリーが成り立つのかは未知数。飲食店や宿の経営も初心者。お客さんを接待しながらベッドの準備をして家中の掃除をしてカフェ以外にも宿泊者の朝ご飯から晩ご飯も全部つくって。オープンしてからも手探りでした」(池田さん)

「gift_」は、空間デザイナーの後藤さんとクリエイティブディレクターの池田さんからなるデザインユニット(画像提供/山ノ家)

「gift_」は、空間デザイナーの後藤さんとクリエイティブディレクターの池田さんからなるデザインユニット(画像提供/山ノ家)

「大地の芸術祭」開催中にオープンした「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客やアーティストがほとんどでした。お客さんでにぎわう状況ではじまりましたが、芸術祭が終わったとたん、「山ノ家」の前は、人通りが全くなくなってしまいました。

「本当の日常が現れたんですね。こんなにいなくなるのかと驚きました。地方にいるという現実に背筋を正して向き合うことになったんです。そこで、都市圏から人を呼ぶため、都市と地域、両ベクトルで楽しめるイベントを企画するようになりました。地元の人が先生になって都心の人が教わるイベントを行ったり、地元のお祭りに出店したりするうちに、必然的に私たちも地域活動に参加するようになっていきました」(池田さん)

地元の人に草餅のつくり方を教わるワークショップ(画像提供/山ノ家)

地元の人に草餅のつくり方を教わるワークショップ(画像提供/山ノ家)

春の山菜採り。コゴミやウド、フキノトウをてんぷらに(画像提供/山ノ家)

春の山菜採り。コゴミやウド、フキノトウをてんぷらに(画像提供/山ノ家)

地元との関わりが深くなったきっかけは、「茶もっこ」でした。軒先に旅人を招いてお茶をふるまう風習で、宿場町で行われていた文化です。かまくらでどぶろくを飲む「かまくら茶もっこ」を開催したのを皮切りに、山ノ家周辺の数軒が家開きをして、地元の人がそれぞれに地酒や得意の手料理でもてなすイベントに発展して大好評に。2013年からコロナ禍までの7年間、夏、秋、冬の3シーズン「茶もっこ」イベントを行いました。

「かまくら茶もっこ」の様子(画像提供/山ノ家)

「かまくら茶もっこ」の様子(画像提供/山ノ家)

(画像提供/山ノ家)

(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」に、周辺の住民も参加。もてなされるお客さんは首都圏から来る人、市内や近隣から来る人、アーティストたちなどさまざま(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」に、周辺の住民も参加。もてなされるお客さんは首都圏から来る人、市内や近隣から来る人、アーティストたちなどさまざま(画像提供/山ノ家)

2015年には、芸術祭チームから依頼を受けて、廃校になった奴奈川小学校を芸術祭の拠点施設「奴奈川キャンパス」として再生するプロジェクトに参加しました。給食室をカフェテリア「GAKUSYOKU」にリ・デザインして、立ち上げから3年間「山ノ家」が運営しました。メニューは、地元のお母さんたちによる「サトごはん」と、都市圏拠点の料理人たちによる「マチごはん」。地元名産の妻有豚や山菜など同じ食材を使いながら、全く異なる料理を、同時に一つのお盆で楽しめるカフェテリア形式で提供しました。

サトごはんとマチごはんが並ぶ(画像提供/山ノ家)

サトごはんとマチごはんが並ぶ(画像提供/山ノ家)

「東京でデザインの仕事をして、『山ノ家』に来たら、お皿を洗って野菜を刻んで料理をつくって、お客さんの寝床の準備をして隅々までお掃除して……ってことを延々とやっていました。ここでの仕事もなりわいとして成り立たせるため、きれいごとではなく生きるためにやる必要がありました。ただ、やるからには自分たちらしく本気でやりたかったんです」(池田さん)

よそ者の視点を持ち続ける「半移住」という選択

開業当時から「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客が半分以上ですが、移住体験の人も訪れるようになりました。そうした来訪者だけではなく、カフェには農作業を終えたあとの地元のお父さんや女子会をするお母さんたちの姿もあります。

カフェメニューは、地元の食材を使ったキーマカレーやキッシュ、ガパオなどのアジアご飯や地中海料理です。郷土料理にこだわらず、インテリアデザインも都会的です。コロナ禍で自粛していましたが、2022年の夏、カフェを2年ぶりに再会。今後は、「山ノ家」のコンセプトに共感してくれる人を募って、メンバーズシェアハウスにするため、ドミトリー部分にシェアキッチンや共有のランドリースペースをつくる予定です。

「観光で単発に宿泊するというよりは、リピーターが利用しやすい形態にと。サブスクによって連泊がしやすくなったり、シェアハウスのようにもうひとつの生活の場として使っていただけるようにしたいと考えました」(池田さん)

棚田玄米とレンズ豆のサラダ仕立て。クルミやゴボウの素揚げをトッピング(画像提供/山ノ家)

棚田玄米とレンズ豆のサラダ仕立て。クルミやゴボウの素揚げをトッピング(画像提供/山ノ家)

「山ノ家」定番メニューの旬菜のキッシュ(画像提供/山ノ家)

「山ノ家」定番メニューの旬菜のキッシュ(画像提供/山ノ家)

都会の人、地元の人、年齢も職業もさまざまな人が交流(画像提供/山ノ家)

都会の人、地元の人、年齢も職業もさまざまな人が交流(画像提供/山ノ家)

当初、「完全移住はしないんですか?」と地元の人に聞かれることが多かったという池田さん。地域と交流を続けるなかで、まわりの見方も変わっていきました。象徴的だったのは、十日町市役所で作成している市報が「山ノ家」の姿勢をとりあげてくれたこと。タイトルは「半移住という選択」でした。

「私たちは、永遠のよそ者。知らないことがあって当たり前。合わせすぎなくていいと思うんです。例えば、商工会に属していても、飲み会が苦手なので参加できないと最初から言っています。無理なことは無理でいい。地方から都市を見た視点と都市から地方を見た視点、別々の、複数の視点を得たことがダブルローカルそのものなんです。いつまでも新鮮なよそ者としての視点を持ち続けたいです」(池田さん)

プレ移住のために十日町市を訪れた人も立ち寄り、「山ノ家のような場所があるなら、移住しても大丈夫かな」という声が寄せられているそうです。「ダブルローカル」を行き交いながら、2つの人生を生きる。山ノ家は、都市と地方が双方向から交わる場として、進化し続けています。

●取材協力
山ノ家

なぜ図書館でなく”市営の本屋”? 青森「八戸ブックセンター」置くのは売れ筋よりニッチ本、出版も

本州最北端の青森県。
青森市、弘前市、八戸市の三市はほぼ同等の人口規模で、それぞれが深い関係を持ちつつも異なる文化を築いてきました。
このうち、江戸時代に八戸藩の藩都が置かれていた八戸市に、全国的にも珍しい市営の本屋さんがあるのをご存知でしょうか?
書籍を扱う行政施設といえば、図書館が真っ先に思い浮かびますが、「八戸ブックセンター」ではあえて貸出機能はもたず、民間の書店同様、書籍の販売をしています。
市が運営する書店、民間の書店とどのような違いがあるのでしょうか?企画運営担当の熊澤直子さんに、開設5年を迎えたブックセンターの活動について、伺ってきました。

八戸市を「本のまち」に。読む人を増やすアプローチ市街地中心部に位置する八戸ブックセンター(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

市街地中心部に位置する八戸ブックセンター(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸ブックセンターを開設したのは、2016年12月。
八戸市では「本のまち八戸」の推進を掲げ、年代に応じた様々な事業を実施していますが、その拠点施設としてブックセンターは位置付けられました。
その動機となったのは、地方都市ならではのある悩みでした。

「書店としての経営を考えると、どうしても売れる本を中心に売り場をつくっていく必要があります。そうすると、売れ行きが見込みづらい専門書的な本や特定のジャンルの本が置けなくなるなど、本を通して出会う世界が限られたものになってしまいます。本との豊かな触れ合いを残していくことが、八戸にとって重要なことだったんです」

各ジャンルごとに一定数のお客さんが見込める大都市圏とは異なり、人口規模の小さな八戸市では専門性の高い書籍を扱う書店は経営が難しい状況にありました。多様な本との出合いを維持していくためには、民間の書店には難しい部分を市が補っていく必要がある。八戸市は、ブックディレクターの内沼晋太郎氏に選書体制を相談するなど専門家の知見も得ながら、ブックセンターの構想を固めていきました。

そのコンセプトは「本を読む人を増やす」。
本を読む人が増えれば、市全体で本にまつわる文化を盛り上げていくことができます。人口減少時代の地方都市が抱える課題に対する挑戦として、真新しくも必然的な一手でした。

「また来よう」と思わせるお店づくり

八戸ブックセンターは市の施設として営業しているため、売上高の達成を目的としていません。
八戸市の書店を補完する、行政のサービスだからこそ可能な取り組みが活動の根幹となっています。
そのひとつが、八戸市内の他の書店では扱いづらいジャンルの書籍をラインナップすること。立ち上げ時には市内の各書店に、お店で置きにくいジャンルをヒアリングしていったそうです。
「選書はスタッフの知識を活かしながら行っています。人文系の選書に強いスタッフもおりますので、市内の書店さんとはまた違った品ぞろえができているかと思います」

「みわたす」「星をよむひと」「知能」「法則」など直感的な言葉で本が分類されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「みわたす」「星をよむひと」「知能」「法則」など直感的な言葉で本が分類されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

イチ本好きとして店内を観察すると、「またここに来よう」と来訪客に思わせるための工夫が徹底されているように感じます。
どんな書店であっても、お客さんと本との出合いを大切に売場づくりを考える点は共通していますが、ここ八戸ブックセンターでは話題書やベストセラーなど、「ここ以外で売れる本」は置かない方針が根底にあります。
市中の本屋さんと競合するのではなく、共生することこそが八戸の書店文化を盛り上げることにつながっていくからです。
「できるだけ仕入れた本は返品をしない、というのも他の本屋さんではあまり見られない、うちならではの特徴だと思います」
仕入れと返品を繰り返しながら売れる本を探っていく一般的な書店とは、真逆の姿勢です。
そのためブックセンターには、売れ筋ではないけれど確かな選書眼で選びぬかれた、他の書店ではなかなかお目にかかれない本が揃います。
ここで出会った本を読んで満足した人は、またここに来ざるを得ない、そんな常連客との関係性が育まれていることでしょう。
どれだけネット書店が便利になっても、リアル書店でしか果たせない役割が体現されています。

八戸市にゆかりのある人たちがおすすめの書籍を選書した「ひと棚」のコーナー(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸市にゆかりのある人たちがおすすめの書籍を選書した「ひと棚」のコーナー(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸市を盛り上げる、文化の担い手を育てる姿勢

もうひとつ、ブックセンターの重要なミッションがあります。
それは、本を書く人を増やすこと。
そのために「書く」を学ぶワークショップを開催したり、登録すれば誰でも無料で何時間でも使用できるお籠りブースを用意しています。
本を書くためにはいろんな本を読む必要があるでしょう。まさに本を読む人、書く人の両方を増やすための取り組みとなっています。

この姿勢が、八戸市に新しくできた八戸市美術館と共通しているなと感じました。
八戸市美術館は、美術を鑑賞するだけでなく、自ら創造活動に関わっていくことを意図した施設として2021年にリニューアルオープンした市営の美術館です。

この思想が建物のデザイン全体の方針として息づいており、展示室よりも大きな「ジャイアントルーム」と呼ばれる大空間を中心に据えたプランになっています。
ジャイアントルームは可動式の家具やカーテンにより、大小さまざまな活動が可能で、まさにこれから八戸市民の手によっていままで誰も考えもしなかったような使われ方が見出されていくことでしょう。
ちなみにこの日は作家・大竹昭子さんと、アーティストのヒロイ&ヒーマンさんの展示が、八戸市美術館と八戸ブックセンターの2会場で開催されていました。
今後の両施設連携企画でどのようなコラボレーションが生まれていくか、楽しみです。

八戸市美術館のジャイアントルーム。工夫次第でいかようにも使うことのできる、がらんどうが施設の中心になっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸市美術館のジャイアントルーム。工夫次第でいかようにも使うことのできる、がらんどうが施設の中心になっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸市美術館・八戸ブックセンター共同開催の写真・物語展「見えるもの と かたるもの」。前半部分が美術館に展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸市美術館・八戸ブックセンター共同開催の写真・物語展「見えるもの と かたるもの」。前半部分が美術館に展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸から全国へ。活動の強度を高める視座の高さ

さらにブックセンターでは本をつくる文化を盛り上げる、一歩踏み込んだ取り組みが行われています。
なんと、ここで行われた展示に関連し、八戸ブックセンターが主体となって書籍をつくってきたんです。
書店が本をつくるとは、どういうことでしょうか。

八戸ブックセンターでの展示にあわせ、左右社から刊行された詩集(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

八戸ブックセンターでの展示にあわせ、左右社から刊行された詩集(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ひと口に本をつくるといっても、その方法はさまざまです。

展示を本にする場合によく知られている方法としては、自らが発行元となる方法です。この場合は自社で工面できる予算の中で必要な部数を制作し、展示と合わせて販売していくことになります。本の内容をすべてコントロールでき、展示との連携も高めることができるため、来場者に強く訴求することができます。予算を用意できさえすれば確実に本をつくることができるため、展示のアーカイブを目的とする場合に適した方法です。

はじめ熊澤さんから「八戸ブックセンターでの展示と連動した本がある」と聞いた時、この方法を採っているのかなと思いました。八戸ブックセンターは書店の内部に展示スペースをもっており、地元の常連客が多く来場するであろうことを考えるとこの方法が手っ取り早いと感じたからです。

雑誌『縄文ZINE』とのコラボレーション展、「紙から本ができるまで/土から土器ができるまで」。展覧会に合わせ、『土から土器ができるまで/小さな土製品を作る』も刊行された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

雑誌『縄文ZINE』とのコラボレーション展、「紙から本ができるまで/土から土器ができるまで」。展覧会に合わせ、『土から土器ができるまで/小さな土製品を作る』も刊行された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

しかし熊澤さんから出た言葉に驚きました。
「本ごとにそれぞれ別の出版社さんから発行しています。関わった作家さんなどとやりとりをしながら、企画内容を実現してくださいそうな出版社さんにお声がけをしてすすめています」

出版社で発行するためには、それなりの課題をクリアする必要があります。
その出版社から出すべき内容になっているか。
全国の書店で販売するだけの広がりがあるコンテンツになっているか。
出版社が損をしないだけの売上が見込めるか。
単に展示を見にきた人に興味を持ってもらうだけでは不十分な、企画としての強さが求められるといえるでしょう。
このような課題を乗り越えて展示と出版を手がけている公営の文化施設は、日本全国でもかなり珍しいのではないかと思います。

市民の方にとっても、普段から通っている書店での展示が、全国で販売される本にまとまることは、自分達の活動を広い視野をもって捉える機会になるのではないでしょうか。
そのような活動を知ってしまうと、今後八戸市民が創り上げた展覧会が、八戸市美術館から全国を巡回していく、そんな未来を妄想してしまいます。

「紙から本ができるまで/土から土器ができるまで」展は、市内にある「三菱製紙八戸工場」「是川縄文館」の協力により開催された。写真は是川縄文館所蔵の国宝、合掌土偶。風張1遺跡から出土(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「紙から本ができるまで/土から土器ができるまで」展は、市内にある「三菱製紙八戸工場」「是川縄文館」の協力により開催された。写真は是川縄文館所蔵の国宝、合掌土偶。風張1遺跡から出土(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

図書館や美術館といった公共の文化施設は、全国どこでも同じようなサービスを受けられるようにと各地に建設されてきましたが、サービスの供給が行き渡ると同時に新しい施設に税金を投じることは箱モノ行政などと呼ばれ批判の対象にもなってきました。
そうした状況下での八戸市の取り組みは、行政側がサービスを提供するだけでなく、市民自らの手で文化を育てていく場を提供する、時代に即した在り方に思えます。
つくる人を育てる、八戸市の挑戦をぜひ現地で体感してみてください。

●取材協力
八戸ブックセンター

水害対策で注目の「雨庭」、雨水をつかった足湯や小川など楽しい工夫も。京都や世田谷区が実践中

2015年に閣議決定された国土形成計画をきっかけに、グリーンインフラという言葉が広く知られるようになりました。グリーンインフラとは、自然環境が持つ機能を社会におけるさまざまな課題解決に活用しようとする考え方です。雨水を利用する「雨庭(あめにわ)」は、グリーンインフラの取り組みのひとつとして注目されています。近年、雨庭を設置する自治体や雨水を利用する仕組みを建物に導入する建設会社も現れてきました。多発する豪雨などによる都市型洪水が問題視されていますが、その減災の取り組みとしても注目されている雨庭。一体どのようなものなのでしょうか?

都市化や気候変動によるゲリラ豪雨で、都市型洪水が増えている

近年、気候変動に伴う異常気象が引き起こす大型台風やヒートアイランド現象等の自然現象が深刻になり、ゲリラ豪雨も問題になっています。処理できない水があふれ、マンホールを吹き飛ばすニュースの映像が印象に残っている人も多いのではないでしょうか。都市型洪水を減災する取り組みのひとつが雨庭(あめにわ)です。地上に降った雨をそのまま下水道に流れないよう受け止め、ゆっくり浸透を図る仕組みを持たせた植栽空間を指します。

近年、局地的に短時間で降る激しい豪雨、ゲリラ豪雨が多発している(イメージ写真)(PIXTA)

近年、局地的に短時間で降る激しい豪雨、ゲリラ豪雨が多発している(イメージ写真)(PIXTA)

2022年6月3日には、東京をはじめ首都圏で、1日に2度のゲリラ豪雨が発生。夕方には電車が遅延し、帰りの足に影響が出て、ツイッター上では、「ゲリラ豪雨」がトレンド1位に(イメージ写真)(PIXTA)

2022年6月3日には、東京をはじめ首都圏で、1日に2度のゲリラ豪雨が発生。夕方には電車が遅延し、帰りの足に影響が出て、ツイッター上では、「ゲリラ豪雨」がトレンド1位に(イメージ写真)(PIXTA)

九州大学大学院 環境社会部門流域システム工学研究室の田浦扶充子さんに、雨庭の成り立ちを伺いました。

「地面がアスファルトで舗装された都市では、雨水は地面に浸透せずに、雨水管や水路を経由して河川に放流されます。一時的な豪雨で、雨水が流入するスピードが、河川へ排水されるスピードを上回ると、雨水管が満管になり、水路や排水溝から水があふれる都市型洪水が起こります。都市化が進んだことによって、雨が浸透できる緑地や田畑などが減ったため、雨水管へ流れ込む雨の量が増えていることが主な原因といわれています。早くから下水道を整備した都心部などでは、雨水と家庭からの汚水を1本の下水管で流す合流式下水道という方式をとっている地域もあります。そのような地域では、豪雨の際にすべての下水(汚水と雨水)を下水処理場で処理できなくなり、河川へ未処理状態の下水が流れ出ることもあり、それによる河川水質への影響も懸念されています」

つまり、マンホールを吹き飛ばしたのは、下水道管からあふれた下水。都市型洪水を防ぐためには、雨天時に雨水管に入る雨の量を減らす必要があります。敷地内に水が浸透できる場所を増やし、降った雨水を敷地内で処理する必要があるのです。

アイデアがいっぱい! 個人宅につくった「あめにわ憩いセンター」

島谷幸宏教授(現熊本県立大学所属)が中心となり、2016年に福岡の河川工学等の研究者らや建築士などによるあまみず社会研究会を立ち上げ、流域抑制技術の研究を行ってきました。島谷教授が提唱したのは、「あまみず社会」という雨水を色々な場所で浸透させたり、利用することで、有機的に成り立つ社会。一般の人に雨水浸透や利用について興味を持ってほしいとの思いから、造園や建築の専門家と協力し、住宅の敷地内の雨水を処理するための技術開発を行ってきました。そのひとつが雨庭です。雨庭で雨水を敷地内に貯留し、ゆっくりと地面に浸透したり蒸発させたりすることで水害を予防しながら、水が循環する社会に。ヒートアイランド現象の緩和にもつながります。

透水性のないアスファルト舗装に対し、庭や畑、森など土が表出している場所は雨水が浸透する量が多い(画像提供/あまみず社会研究会)

透水性のないアスファルト舗装に対し、庭や畑、森など土が表出している場所は雨水が浸透する量が多い(画像提供/あまみず社会研究会)

もともと日本では、ずっと昔から、雨庭のような機能を意識した庭園が造られており、敷地の中で上手に雨水を貯め、植物や生物の生育環境、生活用水としても活かしてきました。アメリカでグリーンインフラ整備が進むにつれ、2010年ころには、レインガーデンが、ニューヨーク市内の歩道につくられはじめました。日本庭園の枯山水やレインガーデンを参考に、島谷教授と志を共にする京都大学の森本幸裕名誉教授により、このような仕組みを近代都市の中に取り入れようと誕生したのが、日本の雨庭です。

築50年の民家の敷地内に設けたあめにわ憩いセンターの雨庭は、一見、普通の庭と変わりません。しかし、かなりの豪雨「対象降雨(※)」の場合に敷地全体に発生する雨水の量に対して敷地外への流出を80%も抑制できるというから驚きです。
※2009年7月九州北部豪雨時に観測された、総降雨量198mm・約6時間(最大時間雨量105mm/h)の雨量。

あめにわ憩いセンターには、雨水を利用するさまざまな仕組みがある(画像提供/あまみず社会研究会)

あめにわ憩いセンターには、雨水を利用するさまざまな仕組みがある(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から取水した雨水を6つのかめに貯め、利用する(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から取水した雨水を6つのかめに貯め、利用する(画像提供/あまみず社会研究会)

「雨庭づくりでは、雨が地面に浸み込む力が弱ければ、必要であれば、砂や腐葉土を土に混ぜて浸透速度を調整します。あめにわ憩いセンターは、もともと庭に植物が多く、雨が浸みこみやすい土でした。そこで、従来、屋根から縦樋を通って雨水桝(ます)、それから公共雨水菅へつながっていた連結を途中で切り、敷地内で雨水を貯水、利用し、また土に浸透させて、できるだけ敷地外へ雨水を流出させないようにしました」(田浦さん)

集めた雨水を竹筒から流して庭に小川のような水場をつくる(画像提供/あまみず社会研究会)

集めた雨水を竹筒から流して庭に小川のような水場をつくる(画像提供/あまみず社会研究会)

鎖樋(くさりとい)という鎖状になった樋に雨水を伝わせて、樽に溜まる仕掛け(画像提供/あまみず社会研究会)

鎖樋(くさりとい)という鎖状になった樋に雨水を伝わせて、樽に溜まる仕掛け(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から水がめに貯留した雨水を沸かして足湯ができるユニークな工夫も。2020年まで一般開放され、地域の人に親しまれていました。

雨水タンクに貯めた雨水を太陽光発電で温め足湯を楽しむ(画像提供/あまみず社会研究会)

雨水タンクに貯めた雨水を太陽光発電で温め足湯を楽しむ(画像提供/あまみず社会研究会)

全国に広がる雨庭。民間企業や自治体で取り組みが進む

グリーンインフラへの関心が高まるなか、鹿島建設では、一部の建物に雨水利用システムで蓄えた雨水をトイレの洗浄水に用いるほか、災害時の非常用水として利用するシステムを開発。地面には、雨が浸み込む透水性舗装を取り入れ、都市型洪水の防止に取り組んでいます。竹中工務店は、一部のマンションに、屋上雨水を地下ピットに一次貯留し、ろ過処理した後に植栽散水やトイレの洗浄水として利用するシステムを採用。緑化した屋上に畜雨できる三井住友海上駿河台ビル(東京都千代田区)は、雨水活用の先駆けとして話題になりました。

全国の自治体でも、グリーンインフラ整備が進められ、雨庭をまちづくりに取り入れる動きが出ています。
世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課に取り組みを伺いました。

「世田谷区(東京都)では、かねてより豪雨対策の一環として、河川や下水道などに雨水が流れ込む負担を軽くする流域対策を推進しています。グリーンインフラについては、社会的な関心が高まる前から、流域対策の強化の新たな視点として、持続的で魅力あるまちづくりのために取り入れてきました」(世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課)

世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)のレインガーデン。左は、雨水を一時的にため込む保水性竪樋(じゃかご樋)。伝わった水が花壇へ導かれる(画像提供/世田谷区役所)

世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)のレインガーデン。左は、雨水を一時的にため込む保水性竪樋(じゃかご樋)。伝わった水が花壇へ導かれる(画像提供/世田谷区役所)

グリーンインフラの考え方を取り入れた施設である「世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)」のほか、公園や道路などさまざまな公共施設で、グリーンインフラの考え方を取り入れた流域治水の取り組みがなされているとのことです。また公共施設だけでなく、区内の土地利用の約7割を占める民有地での取り組みを推進するため、民間施設を建築する際に、貯留、浸透施設の設置をお願いしているそうです。

また、京都府京都市でも雨庭の整備が進められています。京都市情報館建設局みどり政策推進室に伺いました。

「グリーンインフラの考え方を取り入れながら、市民の方々が身近に接することのできる歩道の植樹帯において、京都の伝統文化のひとつである庭園文化とともに触れていただけるものとして、雨庭の整備を進めています」(京都市情報館建設局みどり政策推進室)

2017年度に京都市として初めての雨庭を四条堀川交差点南東角に整備し、2021年度末までに合計8カ所の雨庭が完成しました。2022年度は、2カ所の雨庭を整備する予定です。

東山二条交差点南東角の雨庭は、背景にある妙傳寺と一体感のある空間に設えている(画像提供/京都市情報館)

東山二条交差点南東角の雨庭は、背景にある妙傳寺と一体感のある空間に設えている(画像提供/京都市情報館)

四条堀川交差点北西角(南側)に2019年に整備された雨庭。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風(画像提供/京都市情報館)

四条堀川交差点北西角(南側)に2019年に整備された雨庭。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風(画像提供/京都市情報館)

道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えて、車道上に降った雨水も雨庭の中に集水し、州浜(すはま)で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる(画像提供/京都市情報館)

道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えて、車道上に降った雨水も雨庭の中に集水し、州浜(すはま)で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる(画像提供/京都市情報館)

講習会で雨庭を体験。「自分でつくってみたい!」という声も

あまみず社会研究会や東京都世田谷区、京都市のそれぞれが、一般の市民へ雨庭普及のための講習会やワークショップなどを行っています。

あまみず社会研究会の代表でもある島谷教授が熊本県立大学に就任し、プロジェクトリーダーを務める流域治水を核とした復興を起点とする持続社会 地域共創拠点を創設しました。雨庭の認知拡大に取り組んでいる研究員の所谷茜さんは、「体感してもらうことが大切」と言います。

「高校でワークショップをしたとき、『思ったより、水が土に浸透するスピードは速いんだ!』と驚きの声が生徒からあがりました。実感していただき、雨庭への理解を深めてもらいたいですね」(所谷さん)

民家に雨庭をつくっている様子。建物から1.5m離して窪地をつくり、この事例では腐葉土等を入れ微生物の動きを活発にすることで浸透性を高めた。1時間100ミリの雨を想定し、17平米の屋根に対し、2平米の雨庭をつくり、雨水が敷地外に流出する量を約40%カット。費用は2万円ほど(画像提供/緑の治水流域研究室)

民家に雨庭をつくっている様子。建物から1.5m離して窪地をつくり、この事例では腐葉土等を入れ微生物の動きを活発にすることで浸透性を高めた。1時間100ミリの雨を想定し、17平米の屋根に対し、2平米の雨庭をつくり、雨水が敷地外に流出する量を約40%カット。費用は2万円ほど(画像提供/緑の治水流域研究室)

世田谷では、“環境共生・地域共生のまちの実現”を目指し、市民主体による良好な環境の形成及び参加・連携・協働のまちづくりを推進する(一財)世田谷トラストまちづくりによって、個人宅でもできる雨庭づくりの普及を進めています。2020年に、NPO法人雨水まちづくりサポートの協力を得ながら、区内の産官民学連携で、区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり施工。この取り組みをきっかけに、住宅都市世田谷で市民の小さな実践をつなげて人口92万人が取り組むグリーンインフラとして「自分でもできる雨庭づくり」の3つの視点(1. 個人宅でも実践しやすい 2. 目に見える楽しさや魅力がある 3. 生物多様性の向上につながる)を整理しました。

個人宅での雨庭における雨の流れイメージ図。竪樋(たてどい)から塩化ビニル管に流れて来た雨水を、建物基礎から離して雨庭に放流。オーバーフローした水は、導水路から雨水は雨水排水桝へ(画像提供/NPO法人雨水まちづくりサポート理事長神谷博さん)

個人宅での雨庭における雨の流れイメージ図。竪樋(たてどい)から塩化ビニル管に流れて来た雨水を、建物基礎から離して雨庭に放流。オーバーフローした水は、導水路から雨水は雨水排水桝へ(画像提供/NPO法人雨水まちづくりサポート理事長神谷博さん)

区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり中。雨が降った日を観察し、その雨水の流れに沿って、園路沿いに土を掘り、窪地をつくる(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり中。雨が降った日を観察し、その雨水の流れに沿って、園路沿いに土を掘り、窪地をつくる(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

窪地に砂利等を敷き詰め、植栽を配し雨庭が完成した(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

窪地に砂利等を敷き詰め、植栽を配し雨庭が完成した(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

世田谷トラストまちづくりでは、2021年度より「世田谷グリーンインフラ学校~自分でもできる雨庭づくり」の企画運営を区より委託を受け実施。グリーンインフラや雨庭等を体系的に学び、演習フィールドにおいて手づくりで施工する市民向けの講座です。定員15名のところ、区内外から60名もの応募がありました。「水の循環を知りたい」「暮らし、地域に取り入れたい」「ガーデニングに取り入れたい」との声が寄せられたそうです。グリーンインフラの取り組みをはじめて3年目になり、「雨庭をつくりたい。どうしたらいいか」と区民からの問合せも増えています。

グリーンインフラ学校の風景。グリーンインフラや雨水、植物などを体系的に学びながら、グループにわかれてディスカッション。最終的に雨庭を手づくり施工する(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

グリーンインフラ学校の風景。グリーンインフラや雨水、植物などを体系的に学びながら、グループにわかれてディスカッション。最終的に雨庭を手づくり施工する(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

京都市でも、市民から緑を増やしたい場所として多くの声が寄せられている道路に雨庭の整備を進め、管理に参加してもらうボランティアを募集するなど雨庭の普及に努めています。

都市での暮らしでは、ふだん、水の流れは見えず、洪水が起こってから「水は怖い」と感じてしまいます。「昔は、雨が土に浸みこんで地下水となり、または蒸発して再び雨になるという実感がありました。雨水を楽しく使いながら水の循環を知ってもらいたいです」と田浦さん。身近に広がる雨庭は、グリーンインフラを整えるだけでなく、緑や水場のある景観を生み出し、心の豊かさにもつながりそうです。

●取材協力
・あまみず社会研究会
・世田谷区役所
・一般財団法人世田谷トラストまちづくり
・京都市情報館

台湾女子の一人暮らしin西荻窪。インテリアやライフスタイルにも個性あり!

エッセイスト柳沢小実が、気になる人のお部屋と暮らしをのぞきにいくシリーズ。第2回目は、台湾・高雄出身で東京在住の郭晴芳(ハル)さんのご自宅へお邪魔しました。

ハルさんは台湾の大学を卒業した後、約15年前に日本の大学院に留学してそのまま就職。現在は、カルチャー系ウェブメディアを運営する会社でプロデューサーをしています。コロナ禍前は日本国内や台湾中を飛び回る日々を送っていました。この数年でどのような変化があったのでしょうか。

Instagramで知り合ってはや数年。最もアクティブな友人

母国語である中国語に加えて日本語も堪能なハルさんは、アジアのクリエイティブシティガイドのディレクターをはじめ、コンテンツ制作やイベントの企画、プロモーション全般も担う、“ひとり広告代理店”のような人。

会社経由のみならず個人でも仕事を受けていて、2021年に高円寺の銭湯「小杉湯」で行われた台北の温泉博物館「北投温泉博物館」のプロモーションイベント、「歡迎光臨 小杉湯的台湾北投」も話題になりました。このイベントでは、台湾のアイテムが購入できるマーケットやトークイベント、ライブ、台湾映画の上映などが行われて大好評。こんこんと湧き出る好奇心と柔軟な発想力、センスの良さで、ますます仕事の幅を広げています。
私とハルさんの出会いは、6年以上前にInstagram経由で私が声をかけたこと。そこから仲良くなり、日本や台湾で頻繁に会うようになりました。もしかすると、家にこもりがちな私といちばん遊んでくれている人かも。遊ぶとはいっても、たいてい散歩して古道具屋や喫茶店に一緒に入るくらいで、あとはイベントに行ったり、ごはんを食べたり。そしてたまに、お互いの家でご飯や梅酒をつくったりしています。

台湾に住むハルさんの友人が二人宛の荷物を私のところに一緒に送ってくれたので、取材で会うついでにハルさん宅にお届け(写真撮影/相馬ミナ)

台湾に住むハルさんの友人が二人宛の荷物を私のところに一緒に送ってくれたので、取材で会うついでにハルさん宅にお届け(写真撮影/相馬ミナ)

形にとらわれない身軽な暮らしぶりは学ぶところが多く、いつか彼女の暮らしや考え方を紹介したいとずっと思っていました。

西荻窪の、繁華街と住宅地の間にある古いマンションに住む

ハルさんの自宅は、西荻窪駅(東京都杉並区)からほど近いところにある築50年ほどのマンション。商店街と住宅地の境目に立つ、愛らしい建物です。部屋の間取りは1Kで、広さはゆったりとした一人暮らしサイズの約39平米。もともとは3部屋が縦に連なるつくりでしたが、リフォームによって2部屋に変えられていて、DKと寝室+リビングとしてゆるやかにゾーン分けできる、住みやすそうな、いい間取りです。

縦に連なる二部屋は、もともとはめてあった間のドアを外して広々と(写真撮影/相馬ミナ)

縦に連なる二部屋は、もともとはめてあった間のドアを外して広々と(写真撮影/相馬ミナ)

ベッドははじめ窓辺に置いていたけれど、朝明るすぎたためにソファと置き替え(写真撮影/相馬ミナ)

ベッドははじめ窓辺に置いていたけれど、朝明るすぎたためにソファと置き替え(写真撮影/相馬ミナ)

ここは日本に来てから5軒目の部屋。最初は日本語学校の寮、その後は荻窪、阿佐ヶ谷、西荻窪、そしてまた今回の西荻窪。ずっと中央線沿線に住んでいます。

「古いものや、古いマンションが好き。新しい物件は間取りが似たり寄ったりだけど、この部屋は間取りがオープンで、フレキシブルに使えるのがいい。それが古い物件が好きな理由です。当初は角部屋を探していましたが、そうでなくても二面に窓があって明るいです。
押し入れはクローゼットにリフォームされていて使いやすいですし、キッチンとトイレのタイルや壁の色も、入居時に自分で好きなものを選ぶことができました。

駅から近いと周辺がにぎやかだけど、ここは商店街の端の住宅地に入るところだから静か。窓を開けても外から見えないので、ベランダを縁側のように使っています」

築年数が経っている物件は、建物はレトロで愛らしい一方で、室内は水まわりを中心にこざっぱりとリフォームされていることも。管理状態が良い物件を選べば、同じ予算で築浅物件より駅近や広い部屋に住めたりするケースもあり、メリットも大いにあります。

カメラマンの友人とDIYでつくったキッチンカウンター(写真撮影/相馬ミナ)

カメラマンの友人とDIYでつくったキッチンカウンター(写真撮影/相馬ミナ)

岡山出身の陶芸家・加藤直樹さんの急須(写真撮影/相馬ミナ)

岡山出身の陶芸家・加藤直樹さんの急須(写真撮影/相馬ミナ)

好きで選んだものを使うのが、とびきり嬉しい(写真撮影/相馬ミナ)

好きで選んだものを使うのが、とびきり嬉しい(写真撮影/相馬ミナ)

ハルさんは、コロナ禍のかなり早い時期に完全テレワークになりました。本社オフィスも早々になくなったため、全く出社せず自宅で働く形態に。生活環境の向上のために、広い部屋に引越したり、東京を離れた同僚もいて、自身も同じ西荻窪内で引越しをしました。

新しい部屋を一からつくるのはやはり心躍るもので、友人に手伝ってもらってキッチンのカウンターを製作したり、古い家具を探してインテリアの配置を考えたり、これまでは苦手でほとんどしていなかった料理に挑戦したり(台湾では外食文化が発達していて、特に都市部に暮らす若い世代は自宅で料理をつくる習慣がほとんどないのです)。ずっと外での楽しみがあったのが180度転換して、家で過ごすことが楽しく思えてきたそうです。

家にいるときはソファで仕事をしたりすることも。お気に入りの場所(写真撮影/相馬ミナ)

家にいるときはソファで仕事をしたりすることも。お気に入りの場所(写真撮影/相馬ミナ)

外食メインだったのが、毎日一食は自炊するように

ハルさんの本棚は、同年代のカルチャー好きな日本人とほぼ一緒。また、作家ものの雑貨やうつわ、洋服などが好きで、インテリアにエスニックなテイストを取り入れるのも上手。〇〇系とくくれないところに、個性が出ています。

「考えずに置いているだけ」が、いい塩梅に(写真撮影/相馬ミナ)

「考えずに置いているだけ」が、いい塩梅に(写真撮影/相馬ミナ)

絵本作家の友人渡邊知樹さんの絵が描かれた紙袋などが無造作に掛けられている(写真撮影/相馬ミナ)

絵本作家の友人渡邊知樹さんの絵が描かれた紙袋などが無造作に掛けられている(写真撮影/相馬ミナ)

「ものを直感で選ぶから、どんどん増えています。買うときに、家に合うかは考えない。無機質な質感のものが苦手で、基本的に古いものが好き。クリエーターの友達の作品や、海外のものに惹かれます」

ハルさんのものの選び方は、ミニマリスト寄りで引き算系、使い道や収納まであらかじめ熟考しないと手に取れない私にとっては、ただただ羨ましい。頭で考えすぎずに、偶然性を楽しんでいてとても素敵です。

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

そんなハルさん、コロナ前は台湾の同年代の友人たちと同様に、家で料理をほとんどしていませんでした。それが、コロナ禍で数年間台湾に帰れなくなったために、恋しい台湾料理を自分でつくるようになり、おうち時間も楽しむ人に大変身。好きなうつわを使いたくて、毎日昼か夜のどちらかは家でつくって食べる生活になったそうです。台湾の屋台料理の鹽酥鶏(鶏のから揚げと素揚げした野菜にスパイスをかけた料理)をつくってもてなしてくれたこともありました。

「二食も外食するとお金がかかるので、一食は自炊してもう一食は外というサイクルになりました。夜は家で食べることが多くなったかな。放っておいても料理がつくれる台湾の電気調理器、“電鍋”を買おうかと思っています」

ほとんど出しっぱなし、そこがいい(写真撮影/相馬ミナ)

ほとんど出しっぱなし、そこがいい(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

入居時に選んだスモーキーなブルーのタイルが効いている(写真撮影/相馬ミナ)

入居時に選んだスモーキーなブルーのタイルが効いている(写真撮影/相馬ミナ)

とにかく西荻窪の街が好き。お店を家のように使っています

「引越してから自宅に置くワークデスクを探していた時に、家の目の前のカフェで仕事ができると知りました。お茶代だけでコワーキングスペースを利用できて、オンライン用の打ち合わせ空間も用意されているので、今は週3日くらいそこで仕事をしています。
リモート生活になってから、これまで以上にオンとオフの切り替えをしなくなりました。仕事と仕事の合間に好きなことをしていて、もちろんその逆もあります。西荻窪はお店が多いから、お昼時になったら外に出て、お店でごはんを食べてそのまま外で仕事をしたり、おにぎりを買ってきたり。フレキシブルに暮らせる街です」

台湾のデザート“愛玉子(オーギョーチ)”をその場でつくってふるまってくださいました(写真撮影/相馬ミナ)

台湾のデザート“愛玉子(オーギョーチ)”をその場でつくってふるまってくださいました(写真撮影/相馬ミナ)

種子を水の中で揉むとゼリー状に。甘酸っぱいシロップをかけていただきます(写真撮影/相馬ミナ)

種子を水の中で揉むとゼリー状に。甘酸っぱいシロップをかけていただきます(写真撮影/相馬ミナ)

西荻窪は、喫茶店や小さな飲食店がひしめく街。自然と繰り返し通う店ができて、お店の人とのコミュニケーションも楽しい。人のあたたかみと優しさを感じます。

台湾の人は、職場の近くや都会に住むことを好み、外に開いているイメージです。喫茶店で息抜きしたり、近くの店をオフィスのように利用したり、内と外の使い分けがとても上手。家の延長に街があって、街の中に家がある。だから、住宅地にばかり住んできて、内と外を明確に線引きして考えがちな私にとって、彼女の視点はとても新鮮でした。

●西荻窪のお気に入りのお店
・オーケストラ(カレー)
・どんぐり舎(喫茶)
・FALL(雑貨) 毎週展示が変わります

一人掛けのソファが特等席(写真撮影/相馬ミナ)

一人掛けのソファが特等席(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

ハルさんはコロナ禍を経て、住まいの基準や条件が大きく変わったといいます。出勤がなくなったこともあり、利便性以上に広さや環境を重視するように。家賃も高いので、将来的には都心から1~1.5時間くらいのエリアで二拠点生活をすることも考えているそうです。

私のまわりでも、都市部から離れる人や二拠点生活をする人が年々増えています。暮らしや働き方、住まいに対する価値観の変化は、この先新しいかたちになることはあれ、元には戻らないのではないでしょうか。私自身は持ち家なので簡単に居住地を変えることはできませんが、それでも暮らし方をアップデートし続けたいという気持ちは持ち続けていて。まずは、ハルさんのように直感を大切にして、心の声に素直になってみます。

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
ハルさん
Instagram @patsykuo
『日青糸且HARU GUMI』@haru__gumi

コロナ禍で住まい失ったシングルマザーを支えたい! 入居・生活支援で貧困の連鎖断ち切る「LivEQuality HUB」の挑戦 名古屋

コロナ禍における女性の非正規雇用の大幅減少の影響は、シングルマザーの経済的困窮を招き、最後の砦だった“住まい”を手放さなければならない人が増えました。さらにそこから始まる子どもへの貧困の連鎖。この連鎖を断ち切るために、母子家庭を対象とした、住まい探しから入居・生活支援までを行っているのが、NPO法人LivEQuality HUB(リブクオリティ ハブ)です。その立ち上げの経緯や、支援活動への思いなどを取材しました。

貧困へのスパイラルを断ち切るには、まず“住まい”から

緊急事態宣言が発出された2020年4月、前月に比べて就業者数が大幅に減少したことは、世の中に大きな影響を与えました(男女共同参画白書平成30年版より)。特に飲食サービス業や娯楽業などの非正規雇用への打撃は深刻で、半数近く(※)が非正規雇用のシングルマザーは「経済的なゆとりがない」と答えた人が75.4%にのぼるなど、厳しい生活環境を強いられている現実が明らかになっています(日本労働組合総連合会「非正規雇用で働く女性に関する調査2022」より)。

※「パート・アルバイト等」43.8%(厚生労働省「平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果報告」)

このような社会情勢を背景に2022年1月26日、まさにコロナ禍での立ち上げとなったNPO法人LivEQuality HUB。“暮らしを豊かにするネットワーク”という意味を持つ法人名で、シングルマザーの支援が主な活動です。小さな子どもがいて頼れる人がいない。住まいも仕事もない。これが子どもの貧困への負の連鎖の始まりです。その連鎖を断ち切るにはまず「住まい」が必要だと考えたのが、代表の岡本拓也さんです。

NPO法人LivEQuality HUB 代表 岡本拓也さん。公認会計士の資格を持ち、企業再生アドバイザリーとして活躍後、複数のNPO法人で理事や事務局長を歴任。2018年より父が経営していた建設会社の代表取締役に就任。2022年LivEQuality HUBを設立(画像提供/LivEQuality HUB)

NPO法人LivEQuality HUB 代表 岡本拓也さん。公認会計士の資格を持ち、企業再生アドバイザリーとして活躍後、複数のNPO法人で理事や事務局長を歴任。2018年より父が経営していた建設会社の代表取締役に就任。2022年LivEQuality HUBを設立(画像提供/LivEQuality HUB)

「先に仕事を見つけるべき、という考えもありますが、この負のスパイラルを断ち切るためには、まず住まいじゃないかと思うんです。住まいがないと行政からの支援を受けるための書類や、仕事を探すための履歴書に記載する住所が書けません。支援も仕事もないとなると、大家さんとしては、家賃滞納などのリスクを負いたくないと考え、部屋の貸ししぶりが起きるのです。だからこそ、まずはシングルマザーの住まい探しから活動を始めました」(岡本さん)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

偶然は必然。異業界とのつながりが活動の軸を支えることに

岡本さんに転機が訪れたのは39歳の時。名古屋市内で建設会社を営んでいた父が急逝。父にとって家族同然だった30名の社員を路頭に迷わせるわけにはいかないと、父の跡を継ぐことになりました。岡本さんにとっては、これまでまったく関わりのなかった建設業界。引き継いだ後の事業運営に関しても、かなり悩んだと言います。

「あれこれ迷いながら手探りでやっていましたが、結局は自分がやりたい軸は変わらず、社会に貢献していくということこそが、自分の人生の本分だとわかりました。建設会社だからこそ、貧困問題に対して私にできることがあるんじゃないかと思い、立ち上げたのがLivEQuality HUBです。

名古屋市内に66室の自社物件を持っており、修繕も可能なため、いつでも快適に住める環境を提供できるんです。この部屋を離婚前や外国籍のシングルマザーに使ってもらい、サポートしていくことを決めました。家賃は、入居者によって異なります。収入によっては通常の家賃で入っていただいている人もいますが、いくらまで家賃を下げれば親子で食べていけるかを細かく計算して決めています。自社物件を持っているからこそできることで、最大の強みです」(岡本さん)

岡本さんが社長を務める建設会社の自社物件。名古屋市内でも利便性のいい場所にあり、母子家庭が住みやすい好条件がそろう(画像提供/LivEQuality HUB)

岡本さんが社長を務める建設会社の自社物件。名古屋市内でも利便性のいい場所にあり、母子家庭が住みやすい好条件がそろう(画像提供/LivEQuality HUB)

部屋の一例(画像提供/LivEQuality HUB)

部屋の一例(画像提供/LivEQuality HUB)

住まいだけではダメ。生きていくための“つながり”を重視

住まいさえあれば安心して生活できるわけではありません。例えばDVなどで他県から逃げてきた方は、地域とのつながりがまったくない場所に住むことになります。住まいはあっても、その後に孤立してしまう。誰かが“伴走”してあげることが大事になります。LivEQuality HUBでは、この伴走の役割を担っています。住居というハード面は建設会社で確保し、その後のソフト面はLivEQuality HUBで支援する、ハイブリッドな組織体制とチームをつくり上げました。

「“お節介の循環”をつくるのが私たちの役目なんです。まずは住まいを確保することが大事ですが、そこから地域とのつながりをつくっていくことがさらに重要になります。孤独な育児は結局貧困に陥り、ひいては虐待につながるというのが現状なんです。

知らない土地に引っ越ししてきても、私たちNPOの仲間を通じて、自分に必要なつながりをつくる支援団体や、地域の人とつながっていくきっかけになれればと思っています。ただ雨露をしのげればよいというものではないですからね」(岡本さん)

支援を必要とするシングルマザーが地域とのつながりを持てるよう、丁寧なヒアリングを行い、課題の解決への道を一緒に探っていく(画像提供/LivEQuality HUB)

支援を必要とするシングルマザーが地域とのつながりを持てるよう、丁寧なヒアリングを行い、課題の解決への道を一緒に探っていく(画像提供/LivEQuality HUB)

コレクティブインパクト勉強会時の様子(画像提供/LivEQuality HUB)

コレクティブインパクト勉強会時の様子(画像提供/LivEQuality HUB)

本当の意味での自立サポートとは?本人の前向きな意欲を引き出す

岡本さんたちの活動には、行政との二人三脚が必要になります。ただ日本の法律上、離婚が成立しているか否かで利用できる制度が異なります。扶養手当をもらうにしても、ひとり親家庭支援を受けるにしても、離婚が成立していることが前提です。離婚成立まで伴走し、成立後に使える制度があれば、本人に申し込んでもらう。その背中を押すのが岡本さんたちの役目なのです。

「行政はあくまでも情報を提供するのみ。私たちが、こういう制度だったらこんな時にありがたいよね、だから申し込んでみましょう、と具体的に話を進めながら、シングルマザーの方が利用してみよう!と思うまで、背中を押しています」(岡本さん)

「外国籍のお母さんの場合は、状況を通訳してあげることも重要です。本人が日本語を話せないことで精神的に不安定になると、自分の状況を整理して説明することが難しい場合もありますから。そんなときには行政に同行して説明しています。日本語の話せない外国籍のお母さんが、お子さんの小学校の入学説明会で渡されたのは日本語の資料でした。結局何を準備すればいいのかわからない。私たちは一緒に学校に行き、教務主任の先生からもう一度説明を聞いて、お母さんと一緒にショッピングモールに行って、必要なものを買いそろえました。伴走支援です。
学校にも日本語が話せないことを伝えると、通訳用の機器を導入してくれたり、英語ができる先生を担任にしてくれたりと、受け入れ態勢を整えてくれました」と、居住支援コーディネーターの神さん。

LivEQuality HUB事務局の神朋代さん。シングルマザーの生活支援を担当。支援を必要とするシングルマザーに寄り添い、自立のサポートを行っている(画像提供/LivEQuality HUB)

LivEQuality HUB事務局の神朋代さん。シングルマザーの生活支援を担当。支援を必要とするシングルマザーに寄り添い、自立のサポートを行っている(画像提供/LivEQuality HUB)

「未来は自分で切り開いていける」。そう思ってもらえるまで伴走する

現在、LivEQuality HUBの主な活動範囲は名古屋市内です。名古屋でやっていることに意義があると岡本さんは語ります。

「東京は課題も多い分、支援のためのリソースも圧倒的に多い。逆に言えばやりやすいんです。東京都とそれ以外の町と区別してもいいほど違いがありますから。名古屋でうまくいけば、おそらく他のどの都市でも展開できると思いますし、広げたいと思っています。私たちは今、そのためのモデルづくりを行っていると考えています」(岡本さん)

「何の地縁もない名古屋にやってきて、一人で子育てをしなければならない不安は、想像以上に大きなものです。そこからいろいろな団体とつながり、仕事も友達もでき、何より子どもが楽しそうに学校に通っている。それがお母さんの幸せなんです。頑張っているお母さんが孤立しないようにサポートし、地域とつながっていくことで、未来は自分自身で切り開いていけるんだと知ってもらえることが私たちのゴールなのかもしれません」(神さん)

LivEQuality HUBのフラッグシップ施設「ナゴヤビル」にある事務所兼イベントスペース。仲間との出会いの場であり、語らいの場でもあり、ここから新たな一歩が始まる(画像提供/LivEQuality HUB)

LivEQuality HUBのフラッグシップ施設「ナゴヤビル」にある事務所兼イベントスペース。仲間との出会いの場であり、語らいの場でもあり、ここから新たな一歩が始まる(画像提供/LivEQuality HUB)

実際に支援を受けた外国籍のシングルマザーは、「住むところ、仕事の紹介など、日本語の読み書きができない私に代わってサポートしてもらいました」と話してくれました。

「何か困りごとが起こったときに寄りかかれる存在があることで、どれほど救われているかわかりません。
シングルマザーになって、希望をなくしたこともありました。それでも頑張ってこられたのは子どもを守らなければならない!という使命感があったからです。LivEQuality HUBのみなさんのおかげで仕事も見つかりましたし、友達もできました。何より、一歩踏み出すことの大切さを教えてもらったことで、生活がガラリと変わりました。
“ひとり親家庭は苦労の多い人生ではなく、強くなるための旅”
そう思えるようになりました」

LivEQuality HUBが立ち上がって8カ月。地域に溶け込み、笑顔で働き、子育てを楽しんでいるシングルマザーが一人、また一人と確実に増えています。“お節介”な岡本さんたちの活動は、まだ始まったばかり。さまざまな困難を抱えたシングルマザーが「助けてほしい」と駆け込める場所であり、とことん伴走しながらも決して手を出しすぎない、真の支援に徹するスタッフがいます。

「本当に困っている方は、自分で検索する余裕もありませんから」(岡本さん)

まずは、LivEQuality HUBのような活動をしている団体の存在を、一人でも多く、その支援を必要とするシングルマザーはもちろん、連携団体や行政に知ってもらうことこそが、大きな課題解決への一歩につながると強く感じました。

●取材協力
LivEQuality HUB

クラファン・DIYで国際基準のサッカー場が誕生! 民設民営「みんなの鳩サブレースタジアム」で地域はどう変わった? 鎌倉

2021年10月、湘南モノレール湘南深沢駅前に観客席200席の人工芝スタジアムが誕生しました。その名も「みんなの鳩サブレースタジアム」。神奈川県社会人リーグに所属する鎌倉インターナショナルFCの本拠地ですが、サッカーに限らず、さまざまなイベントが行われたり、周辺のお子さんや高齢者が散歩に訪れたりと、地域の人たちの憩いの場所にもなっています。このスタジアム、なんと補助金などの公的資金が一切入っていない完全なる民設民営、有志によるDIYなのです。スタジアムができたワケ、地域にもたらす影響を取材しました。

国際基準のサッカーコート。フットサルやヨガの場所としても

「みんなの鳩サブレースタジアム」があるのは、神奈川県鎌倉市の湘南モノレール湘南深沢駅を降りてすぐの場所。広大な土地の一角に人工芝が敷かれ、照明とネットが設置された国際基準サイズのサッカー場です。サッカーチーム「鎌倉インターナショナルFC」のホームスタジアムとして週末にホームゲームが行われているほか、少年サッカー大会やグラウンドゴルフ、フラ、ヨガ教室が行われたり、ときには保育園の子どもたちへ無料開放されているといいます。

湘南モノレール湘南深沢駅から「鳩スタ」をのぞみます(写真提供/Kazuki Okamoto(ONELIFE))

湘南モノレール湘南深沢駅から「鳩スタ」をのぞみます(写真提供/Kazuki Okamoto(ONELIFE))

手づくり感はありつつ、デザインが洗練されていてスマートに見えます(写真提供/DAN IMAI)

手づくり感はありつつ、デザインが洗練されていてスマートに見えます(写真提供/DAN IMAI)

無料開放時の様子。屋外+芝生ってほんとうに気持ちがいいですね(写真提供/マルサ写真)

無料開放時の様子。屋外+芝生ってほんとうに気持ちがいいですね(写真提供/マルサ写真)

「『みんなの鳩サブレースタジアム』という名前がついているので、鳩サブレーで有名な豊島屋さんが運営していると思われることもあるんですが、豊島屋さんにはネーミングライツを買っていただいて、スポンサーとして支援していただいています。スタジアム自体は、自分たちでつくったスタジアムなんですよ」と話すのは鎌倉インターナショナルFCで代表を務める四方健太郎さん。現在はシンガポール在住で海外研修事業を営む企業を経営しつつ、鎌倉にサッカークラブとスタジアムをつくろうと呼びかけた、仕掛け人です。四方健太郎さんは横浜市出身、縁あってインターナショナルなサッカークラブをつくりたいと思いたち、鎌倉インターナショナルFCを創設。さらに、スタジアムまでつくってしまった行動の人です。

スタジアムが誕生したのは昨年10月ですが、1年間での来場者数は約20万人を超えるなど、1年で多くの人が集う場所になりました。広い場所、なかでも芝生がある場所というのは心躍るもの。子どもたちは自然と走り出し、ゴルフで腕をならした高齢者も昔を思い出して、元気に運動をするようになるのだとか。四方さんは、この光景を見て「芝生で子どもたちが走りまわったり、おじいちゃん・おばあちゃんたちと遊んだりする光景って無条件に正義だなって、これがDNAなんだなって感動した」と話します。

「今年8月には手づくりで、『みんなの「TRY!」でつくる「鳩スタ祭」』というイベントを開催しました。キッチンカー5台に出店してもらったほか、くじ引きやチアリーディング、キッズボール体験、音楽ライブを行いました。来場人数も読めないし、何をやったらいいか手探りのなかでしたが、1日で2000人以上が来場するなど大盛り上がりでした。まだ1年足らずですが、地域のみなさんに愛される場所になりつつあるなあと思いました」といいます。

今年、夏に実施された鳩スタ祭の様子。定番になっていくといいな……(写真提供/マルサ写真)

今年、夏に実施された鳩スタ祭の様子。定番になっていくといいな……(写真提供/マルサ写真)

立ちはだかったのは資金難、そして地域を守る条例……

「天然の要塞」ともいわれる鎌倉は海と山に挟まれ、平坦な土地が少ない地勢です。そのためスポーツ環境に乏しいほか、現代的なスポーツ施設は鎌倉の街並みにふさわしくない、という意見があるといいます。また鎌倉市中心部とはやや離れた湘南モノレール沿線は、住宅街や工場も多いエリアです。湘南深沢駅前には広大な土地が広がっていますが、実はこの場所、再開発事業が持ち上がっては立ち消えて現在に至るという、いわゆる“ワケありの場所”。そもそも、どうしてこうした難ありな「鎌倉」にスタジアムをつくろうと思ったのでしょうか。

湘南深沢駅徒歩すぐ。駅前一等地にあります(写真撮影/嘉屋恭子)

湘南深沢駅徒歩すぐ。駅前一等地にあります(写真撮影/嘉屋恭子)

「鎌倉インターナショナルFCというサッカーチームをつくったのは約5年前。大企業のような後ろ盾もない社会人クラブチームとしては当然ながら、自分たちのホームグラウンドなどありません。常識から考えればスタジアムをつくろうなんて発想にはならないんですが、『スタジアムのような“場”ができたら、潮目が変わるよね』とずっと考えていたんです」と四方さん。

「今、私が暮らしているシンガポールには、『アワー・タンピネス・ハブ』というスタジアムやプール、アリーナ、商業施設、行政機関などが入った複合施設があるんです。アワーハブ(Our hub)、つまりみんなの中核ということなんですが、スポーツだけでなく多くの人が集まる場所っていいなと思っていて。みんなが集える場所がほしい、スタジアムがあったら地域が変わると感じ、『みんなのスタジアム』を思い描いたんです」と話します。

みんなのスタジアム構想のもとになったアワー・タンピネス・ハブ(写真提供/鎌倉インターナショナルFC)

みんなのスタジアム構想のもとになったアワー・タンピネス・ハブ(写真提供/鎌倉インターナショナルFC)

「スタジアムができたら“何か”が動き出す」と、失礼を承知でいえば、「あったらいいな」という「ぼんやりとした夢」だったわけですが、この突飛子もない発想が、鎌倉やスポーツを愛する多くの人を巻き込んでいきます。

ただ、スタジアムをつくるといっても、何から何まで課題だらけ。特に資金、土地の契約、そして鎌倉市特有の条例、この3つが大きく立ちはだかったといいます。

「スタジアムをつくる仲間として、鎌倉出身でまちづくりプロジェクトの経験がある堀米剛が加わり、一般社団法人鎌倉スポーツコミッションを設立。二人で金融機関をまわって約1億円の資金集めに奔走しましたが、当然ながら融資はおりませんでした。ただ、鎌倉在住の投資家の方からの申し出があったり、1口3万円のクラウドファンディングで3000万円を達成したことにより、『スタジアムができたらいいな』が『本当にできる!』に風向きが変わっていきました」といいます。

堀米さんという、地域の実情を知っていて、なおかつまちづくりに知見がある仲間が増えたことで、地権者との契約、行政との条例の折衝などもひとつずつ進展。コロナ禍もあり、なかなか工事も進みませんでしたが、2021年に着工、同年10月にお披露目となりました。かかった総工費は1億8800万円、ほかにもスポンサーや基金を活用して、行政からの補助金や金融機関の融資に頼らない、日本で唯一の『民設民営』がスタジアム完成しました。

草刈りの様子。ほんとにみんなでつくったんですね……(写真提供/マルサ写真)

草刈りの様子。ほんとにみんなでつくったんですね……(写真提供/マルサ写真)

鎌倉のスタジアムから、日本の閉塞感を打破したい

「スタジアムは低予算でつくったので、あちこち手づくり感満載です(笑)。芝刈りや土地の整備などはできるところは自分たちでやりました。人工芝にはゴムチップが撒いてあるところが多いんですが、健康や環境への負荷を考えて砂に。受付などはグランピングで使われるドーム型テントを配置しました。利用者からはトイレがきれいだと言われることが多いんですが、練習後に選手たちが掃除をしたり、練習のない日は地元の企業に清掃に入ってもらっているんですよ」と四方さん。

人工芝を敷設しているところ。人工芝ってこうやって敷くんだ……(写真提供/鎌倉インターナショナルFC)

人工芝を敷設しているところ。人工芝ってこうやって敷くんだ……(写真提供/鎌倉インターナショナルFC)

現在はスタジアム利用料、スポンサー料、イベント開催時の入場料、グッズの売上など、あの手この手で稼ぎ、なんとか自走するかたちになったそう。クラブトークンも発行しています。

観客席は200席ほど。筆者が観戦した日は雨天でしたが、40名ほどのファン・サポーターが観戦していました(写真提供/マルサ写真)

観客席は200席ほど。筆者が観戦した日は雨天でしたが、40名ほどのファン・サポーターが観戦していました(写真提供/マルサ写真)

勝った試合のあとは写真撮影。ファンと距離が近いのも魅力です。みんなのスタジアム・みんなのサッカークラブ!(写真提供/マルサ写真)

勝った試合のあとは写真撮影。ファンと距離が近いのも魅力です。みんなのスタジアム・みんなのサッカークラブ!(写真提供/マルサ写真)

「スタジアムの完成から1年、蓋を開けてみればみなさんが喜んでくれて、『スポーツで地域をつなげる場所』になりつつあります。試合を観に来た方たちが毎週会ううちに顔見知りになって一緒に応援するようになったり、シニア向け健康教室に参加していた人と保育園の子どもたちが交流したりなど、鳩スタならではの風景はやっぱり胸にこみ上げるものがあります。でも、人って慣れてくると、サッカーしてBBQしておしゃべりして、が当たり前になってきつつあるんです。いままでは全然ありえなかった光景なんですけどね」と笑います。

コロナ禍であらためて見直されたのが、地域や会社での雑談や井戸端会議ではないでしょうか。用はなくてもおしゃべりすることで、ストレス解消になったり、発見や気付きがあったり。このところ話題になる「独身おじさん友だちいない問題」「中高年孤独問題」ではないですが、地域のなんとなくゆるいつながりがほしいなと思った人は多かったことでしょう。

「やっぱり誰かに会える場所、用がなくても来られる場所って大事なんじゃないでしょうか。スポーツ観戦しているとなんとなく一体感も味わえるし。隣の人とハイタッチしたりとかね。うれしいハプニングというか、何かが起きるワクワク、場があることが大事なんだと思います」(四方さん)

観覧席からの選手が近く、迫力満点。サッカー観戦に慣れていても、びっくりします(写真提供/DAN IMAI)

観覧席からの選手が近く、迫力満点。サッカー観戦に慣れていても、びっくりします(写真提供/DAN IMAI)

10月10日には、「鳩スタ1周年感謝祭」も実施し、集える場所・地域コミュニティとして、早くもフル活用されつつあります。ただ、この事業自体は、将来的に鎌倉市役所移転など本開発がスタートするまでの「暫定利用」のため、今後、スタジアムとして存続できるかどうなるかは不明瞭です。

「将来のことは見通しが立たない部分もありますが、まずは期限まで『地域で必要な場所』にしようと。ここはね、『やってみよう!』を叶える場所にしたいんです。今、日本社会全体が『どうせやれっこない……』『誰が責任とるの……』と消極的になりがちです。鎌倉からこの閉塞感を変えていきたい。日本のどこを探してもなかなか見つからない民設民営のスタジアムができたんです。チャレンジすればできるじゃん、失敗したってまた立ち上がればいい、そんな発信ができたら最高ですね」と四方さん。

四方さんや鎌倉インテルが今、発信しているのは、スタジアムという「場」の良さだけでなく、閉塞感を打破しよう、やればできるという「気骨」なのかもしれません。

●取材協力
みんなの鳩サブレースタジアム
鎌倉インターナショナルFC

住宅街の路地奥、築35年アパートを子育て世帯の”村”に! カフェ・託児所など集う「シェアアトリエ・つなぐば」埼玉県草加市

埼玉県草加市の住宅街にある「シェアアトリエつなぐば」。築35年の鉄骨2階建てアパートをリノベーションした施設内には、子連れでも働けるシェアアトリエやコワーキングスペースとしても開放しているギャラリーワークスペースのほか、カフェ、託児所、美容室などが入居し、地域ににぎわいを生んでいる。運営を担うのは「つなぐば家守舎」代表で、建築家の小嶋直さん。立ち上げの経緯やこれまでの活動内容、そして今後のコミュニティづくりについて聞いてみた。

子育て世帯が集まる「村」のようなコミュニティ

――はじめに、「シェアアトリエつなぐば」を立ち上げるまでの経緯を教えてください。

小嶋直(以下、小嶋):もともとは「シェアアトリエ」というより、みんなが集まって一緒に過ごせる空間をつくりたかったんです。というのも、私が隣町の川口市で借りていた設計事務所がそういった場所だったんですよ。

「つなぐば家守舎」代表の小嶋直さん(写真撮影/松倉広治)

「つなぐば家守舎」代表の小嶋直さん(写真撮影/松倉広治)

小嶋:そこは駅から離れていたものの、カフェやギャラリー、革小物店、焼き菓子店など、さまざまお店が集まっており、1つの村みたいだったんですよね。そして、私も含めてまわりの結婚や出産のタイミングが重なり、いつしか同じ敷地内で家族やパートナーが集まって働いたり、一緒にご飯をつくって食べたり、みんなで子どもを見守ったり……そういった生活が当たり前になっていました。

――とても楽しそうです。

小嶋:そこに遊びに来た人たちからも「羨ましい」と言われることが多く、こういった生活が豊かな暮らしなんだと思いました。だから、この場所以外にも仕事や子育てをシェアできるコミュニティを広げたいなと考え始めたのがきっかけになります。

そしてある日、草加市が主催するリノベーションスクールに講師として参加することになりました。そこで「つなぐば家守舎」を一緒に運営することになる、松村美乃里さんと出会ったんです。

松村さんは結婚を機に草加市へ引越してきたのですが、縁もゆかりもない街になかなか愛着が持てなかったそうなんです。ただ、出産を機に「私が地元・静岡を愛しているように、子どもにも生まれた場所を大事にしてほしい」と思うようになったと。そこで、2015年に草加市のスタートアップ事業「わたしたちの月3万円ビジネス」を受講され“子連れで働ける場所をつくりたい”という思いを持っていたんです。

――そんな松村さんとリノベーションスクールで出会い、意気投合されたと。

小嶋:そうですね。地域コミュニティを運営したい私と、子育てをする人が集まれる場所をつくりたい松村さんの考えが合致し、リノベーションスクールで「シェアアトリエつなぐば」の原型となる提案をさせていただきました。

リノベーションスクールの様子(画像提供/つなぐば家守舎)

リノベーションスクールの様子(画像提供/つなぐば家守舎)

――この場所は、リノベーションスクールから提供された物件だったのでしょうか?

小嶋:いえ。僕らが本来リノベーションしようとしていた対象物件は別にありました。ただ、契約予定の前日に火事に遭ってしまったんです……。

――なんと。プロジェクトはどうなりましたか?

小嶋:工事業者への発注や会社設立の準備はしていましたが、肝心の物件が燃えてしまったので、全て白紙に戻りましたね。その後、1年近く新たな物件を探していたものの、納得する場所を見つけることはできませんでした。

――残念ですね。では、この場所はどのように見つけられたのでしょうか?

小嶋:当時、ここの大家さんが「この建物が空き家になってしまうので公園にしたい」という、処分の相談を市役所に持ちかけていたそうなんです。そこで、市役所の方を通じて大家さんとのご縁をいただき、この場所を見せていただくことになりました。

――第一印象はいかがでしたか?

小嶋:思い描いていたイメージに合う場所だなと思えました。まず、僕らのなかで決め手になったのは、公園内の3本の木です。私たちの会社「つなぐば家守舎」のロゴマークは3つの葉っぱをつなげたデザインなのですが、この物件の目の前にも似たような木が3本植えられていたんですよ。また、内装も一階に業務用厨房が入っていたことで、さまざまな構想が浮かびました。

「シェアアトリエ つなぐば」の前の八幡西公園に植えられた3本の木(写真撮影/松倉広治)

「シェアアトリエ つなぐば」の前の八幡西公園に植えられた3本の木(写真撮影/松倉広治)

――内見の時点で、どんどんイメージが膨らんできたわけですね。

小嶋:そうですね。もちろんメインである「子連れで働けるシェアアトリエ」としても、目の前に公園があることで子どもが安全に遊べますし、スペースも広かったので車で来られる方々の駐車場にも申し分ないなと。僕らにはうってつけの場所だと思い、借りることを決意しました。

「DIO(ほしい暮らしは私たちでつくる)」の精神を大切に

――契約後、「DIO(Do it ourselves)=欲しい暮らしは私たちでつくる」をテーマに掲げました。どのような意図があったのでしょうか?

小嶋:この場所の利用者を募集する説明会を行った際、みなさんから「シェアアトリエってどういう場所なんだろう」という不安の声が聞こえてきました。ただ、僕らとしてはこちらから「こういうことをやる場です」と示すのではなく、“興味を持ってくれた方々のやりたいことを、全て叶えられる場所”にしたかった。そこで、「やりたい場所が無いなら自分たちでつくっていこう」という思いを込めて「DIO」という言葉が生まれました。

――工事も自分たちで行ったとか。まさに、DIOの精神ですね。

小嶋:はい。「DIO」の合言葉に興味を持ってくれた方々や地域の方々と一緒に、アパートの工事をスタートさせました。未経験の方ばかりだったので、解体工事や断熱材の設置、左官工事などは職人さんを講師に招き、ワークショップ形式にして大人も子どもも楽しめるように進めましたね。

解体中に出てきた廃材は、内装や棚などの備品に再利用した(写真撮影/松倉広治)

解体中に出てきた廃材は、内装や棚などの備品に再利用した(写真撮影/松倉広治)

――その後、晴れて2018年6月にオープン。現在は、どのような形で運営しているのでしょうか?

小嶋:さまざまなライフスタイルに対応できるよう、複数の契約形態を用意しました。一本の木で例えると、根の部分が僕ら「つなぐば家守舎」になります。そして、月極で常時利用する「パートナー」が幹、月1回以上の定期利用をする「セミパートナー」が枝、そして単発で利用する「サポーター」が葉と捉えています。

利用者の多くは「自分の得意なことや趣味を仕事にしたい」という方々で、みなさん家事や子育てをしながら無理のない範囲で携わってくれていますね。また、「仕事につながる・母親とつながる・地域とつながる」のコンセプト通り、ここに来ることでいろんな“つながり”が生まれていると思います。

東武鉄道伊勢崎線・新田駅から徒歩15分の「シェアアトリエ つなぐば」。さまざまなスペースでワークショップやミーティングなどでの利用が可能(写真撮影/松倉広治)

東武鉄道伊勢崎線・新田駅から徒歩15分の「シェアアトリエ つなぐば」。さまざまなスペースでワークショップやミーティングなどでの利用が可能(写真撮影/松倉広治)

オープンから1年後に入居した美容室「コルジャヘアー spa&nail」。子どもがいる美容室のスタッフも「つなぐば」のコンセプトに共感してくれたそう(画像提供/つなぐば家守舎)

オープンから1年後に入居した美容室「コルジャヘアー spa&nail」。子どもがいる美容室のスタッフも「つなぐば」のコンセプトに共感してくれたそう(画像提供/つなぐば家守舎)

オープンから2年後に入居した託児所「ton ton's toy」。もともとはカフェスペースでお子さんの面倒を見ていたパートナーさんが独立し、開業(画像提供/つなぐば家守舎)

オープンから2年後に入居した託児所「ton ton’s toy」。もともとはカフェスペースでお子さんの面倒を見ていたパートナーさんが独立し、開業(画像提供/つなぐば家守舎)

「シェアアトリエ つなぐば」のマップ(画像提供/つなぐば家守舎)

「シェアアトリエ つなぐば」のマップ(画像提供/つなぐば家守舎)

――今では1階にカフェスペースをはじめ、アトリエテーブル、クラスルーム、ウッドデッキ、2階にギャラリーワークスペース、託児所「ton ton’s toy」、美容室「コルジャヘアー spa&nail」、建築事務所「co-designstudio」と、さまざまな機能を持っていますね。

小嶋:そうですね。カフェスペースには近隣に住むママさんやパパさんが飲食店を出店してくれたこともあって、地域の憩いの場となりました。また、アトリエテーブルやクラスルームではフラダンスや茶道、アロマなどのワークショップが開催され、ギャラリーワークスペースではクリエイターが仕事をしています。

時にはこの場所をきっかけに、自分が好きなこと、やりたいことに気づく人もいます。以前、普段はカフェのパートで働いてくれている人が月2回、曲げわっぱのお弁当屋を開いていたのですが、そのうち料理そのものより「曲げわっぱに具材を詰めていく」ことが好きなのだと気づき、「具材を詰めるワークショップ」を始めたなんてこともありましたよ。

カフェのキッチンをママさん達が日替わりで利用。毎日違う料理を楽しめる(写真撮影/松倉広治)

カフェのキッチンをママさん達が日替わりで利用。毎日違う料理を楽しめる(写真撮影/松倉広治)

小嶋:あとは、さまざまなスキルを持った人が集まっているからこそ、実現することも多いです。例えば以前、利用者から「娘の七五三の着付けをお願いしたい」という相談があった際も、パートナーのなかにカメラマン、着付けが出来る人が在籍していて、2階に美容室が入居していたため、すぐに対応することができました。その経験から、「つなぐば写真館」として公に募集したところ、多くの人に七五三の撮影の申し込みをしてもらえましたよ。

――まさに、DIO(欲しい暮らしは私たちでつくる)の精神が根付いているようですね。

小嶋:最近ではDIOの精神が子どもたちにも伝播し「子ども会」が立ち上がりました。月に1回、子どもたち主導でやりたいことを企画してもらい、それを形にできるようにパートナーや親がサポートしています。例えば、昨年は夏の思い出をつくれるように、水遊びとスイカ割りを開催しました。最近では、スライムの販売や、目の前の公園で昆虫探しを企画しましたね。

子どもが販売する、スライム屋さん(画像提供/つなぐば家守舎)

子どもが販売する、スライム屋さん(画像提供/つなぐば家守舎)

大人が見守っているため、安心して参加できるそう(画像提供/つなぐば家守舎)

大人が見守っているため、安心して参加できるそう(画像提供/つなぐば家守舎)

また、最近では僕がこの場にいなくても、パートナーが自主的にプロジェクトを立ち上げることが増えてきました。そこからさらに発展して、新しい仕事や職業が生まれていくこともあるんじゃないかと思います。そんな大人たちの姿を見た子どもたちが、将来やりたいことを見つけるきっかけになったら嬉しいですね。

オープン後、錆びて破れた金網のフェンスを撤去してもらい、生け垣の一部を排除。それにより、建物と公園の行き来がスムーズになり、公園でくつろぐ人も増えたそう。その後、公園管理制度を使い、「つなぐば家守舎」が遊具の安全性や芝生の状態などを含めた公園の管理も行うようになったとのこと(画像提供/つなぐば家守舎)

オープン後、錆びて破れた金網のフェンスを撤去してもらい、生け垣の一部を排除。それにより、建物と公園の行き来がスムーズになり、公園でくつろぐ人も増えたそう。その後、公園管理制度を使い、「つなぐば家守舎」が遊具の安全性や芝生の状態などを含めた公園の管理も行うようになったとのこと(画像提供/つなぐば家守舎)

多世代が豊かな暮らしを感じられるコミュニティに

――オープンから約2年後に「コロナ禍」になりました。影響はいかがでしたか?

小嶋:最初の数カ月はお店を閉め、全ての活動がストップしてしまいました。パートナーさんの収入が絶たれてしまった状況を歯がゆく思っていましたし、「人が集まる」という最大の価値が失われてしまい、関係者の多くがもどかしさを感じていました。

そんななか、あるパートナーさんから「目の前の公園に屋台を出し、お弁当やお菓子のテイクアウト販売をしませんか?」という提案がありました。早速、イベントで使用していた屋台を園内に常設することにしたんです。すると、学校が休校になった子どもたちや、行くところがなくストレスを抱えていた人たちが日中の公園に集まってくれるようになって。

その時に改めて「この地域って、こんなにもたくさんの人がいたんだ」と実感しました。同時にオープンから間もない「つなぐば」を、地域のみなさんに知ってもらうきっかけになったように思います。

――パートナーのアイデアが、ピンチをチャンスに変えたわけですね。

小嶋:そうですね。イベントは過去にも開催していましたが、わざわざ遠くのエリアから出店者を呼んだり、お客さんを郊外から集めるような大規模なものでした。でも、これからはもっと地域の人たちに貢献したいと思うようになり、近隣のお店をメインにした月2回のマルシェ「つなぐ八市」を開催することにしたんです。

毎月第2土曜日と第4水曜日に開催される「つなぐ八市」。豆腐屋や餃子屋のほか、焼菓子やビールなどが販売されている(画像提供/つなぐば家守舎)

毎月第2土曜日と第4水曜日に開催される「つなぐ八市」。豆腐屋や餃子屋のほか、焼菓子やビールなどが販売されている(画像提供/つなぐば家守舎)

――地域の方々の反応はいかがでしたか?

小嶋:近隣のお店をメインにしたものの、意外と地域の方々も地元にそうした店があることを知らなかったんですよ。マルシェで初めてお互いの存在を知った出店者とお客さんが楽しそうに会話している姿を見た時に、やっぱりこういうものが求められているんだなと実感できました。

「つなぐ八市」は“イベント”ではなく、“日常のシーン”にしたいと思っています。イベント化してしまうと、コロナのような有事の際は中止せざるを得なくなる。そうではなく、「つなぐ八市」は地域の人たちにとっての日常、いつでも当たり前にやっているマーケットを目指したいんです。

賃貸の中に店や路地のユニーク長屋! 中国福建省伝統の”朱紫坊”インスパイア系 「ドラゴンコートビレッジ」愛知県岡崎市

愛知県岡崎市にあるスタイリッシュな「Dragon Court Village(ドラゴンコートビレッジ)」は、竜美丘コートビレジという賃貸住宅です。2014年の開業以来、居住者に、敷地の一部を地域の人とのつながりの場に開放したり、小商いしたりできる環境を提供してきました。これらの賃貸住宅における店舗兼住宅化は、コロナ禍で人とのつながりが見直されて以降、特に注目されていますが、当時はまだ珍しいものでした。最先端の住まいの先駆けともいえるこの物件は、住む人の暮らしにどのような影響を与えているのでしょうか。設計者で、一級建築士事務所 Eurekaを共同主宰する稲垣淳哉さんに取材しました。

居住者は「自宅でお店を開く」夢がかない、カフェやネイルサロンに地域の人が訪れる軒下や中庭でかつて月1回のペースで催されていたマルシェ「スミビラキ」は、たくさんの人でにぎわっていた(画像提供/Eureka)

軒下や中庭でかつて月1回のペースで催されていたマルシェ「スミビラキ」は、たくさんの人でにぎわっていた(画像提供/Eureka)

小商いという生活形態が話題になったのは2012年ごろ。コロナ禍では、テレワークや副業を始めたいという人が増えました。店舗付き住宅や自宅に店舗機能をもたせた物件が人気を集め、『小商い建築』『商い暮らし』という言葉が注目されています。2010年ごろから設計が始まった「Dragon Court Village」は、小商いできる賃貸集合住宅の先駆けといえるものでした。

「30年ほど前まで、職住近接は身近にありました。例えば、駄菓子屋さんの奥が畳敷きになっていて家族が住んでいたり、八百屋さんの2階部分を賃貸アパートにしていたり。かつての日本では珍しくなかったんですね。設計の早い段階から、一般的な2階建てのアパートと差別化を図るため、アネックス(離れ)、軒下、中庭などを取り入れた集合住宅を構想していました」(稲垣さん)

通路に面して、さまざまなタイプのアネックスがあり、小商いができる(画像提供/Eureka)

通路に面して、さまざまなタイプのアネックスがあり、小商いができる(画像提供/Eureka)

「住みながら商う」暮らしが、新しい生き方につながる

「Dragon Court Village」は、特徴的な外壁をもつ「箱」型の住戸で構成されており、スタイリッシュな印象を与えます。シンプルなデザインですが、路地や中庭で住戸とアネックスをつないだ複雑な構成の建物です。

縦格子や板張り、モルタルを組み合わせた外壁が印象的な外観(画像提供/Eureka)

縦格子や板張り、モルタルを組み合わせた外壁が印象的な外観(画像提供/Eureka)

長手断面図。住戸やアネックスは、「箱」の集合体で、随所に軒下空間を取り入れている(画像提供/Eureka)

長手断面図。住戸やアネックスは、「箱」の集合体で、随所に軒下空間を取り入れている(画像提供/Eureka)

敷地の配置図(向かって上が北、右が東)。駐車スペースは、東にある道路(グレー)側ではなく、敷地境界線に沿って縦列に配置。車路兼通路(茶色)で敷地内を回遊できる(画像提供/Eureka)

敷地の配置図(向かって上が北、右が東)。駐車スペースは、東にある道路(グレー)側ではなく、敷地境界線に沿って縦列に配置。車路兼通路(茶色)で敷地内を回遊できる(画像提供/Eureka)

住宅街に佇む「Dragon Court Village」(画像提供/Eureka)

住宅街に佇む「Dragon Court Village」(画像提供/Eureka)

敷地の境界線に沿ってアパートを囲むように駐車スペースが設けられ車路兼通路で、敷地内を歩いて回遊できます。住戸と住戸の間は、路地や中庭になっています。車路兼通路に面した住居の軒下とアネックス(離れ)が、小商いのために活用できるスペース。9戸ある住居の広さは、40平米から60平米位の差があり、シングルからファミリーが選択して住めるつくりです。希望する居住者は、デザインの異なる5つのアネックスから選んで借り増しができます。

向かって右側が居住者の駐車スペースで、軒下が小商いできるスペース。中央のグレーの砂利敷きの車路兼通路には、イベント時キッチンカーが出店したこともある(画像提供/Eureka)

向かって右側が居住者の駐車スペースで、軒下が小商いできるスペース。中央のグレーの砂利敷きの車路兼通路には、イベント時キッチンカーが出店したこともある(画像提供/Eureka)

「賃貸収入を得るだけなら、高容積で建てれば効率的です。しかし、何十年と住みつないでもらうためには、ほかの賃貸集合住宅にはない魅力が必要です。職住近接といっても、ただ単に昔の住まいに戻ろうというのではありません。私が子ども時代には、自宅のリビングで塾などを開いている例もありましたが、現代にはそぐわないでしょう。住戸から独立し、開放的なアネックス(離れ)が、新しい暮らしの提案になると考えたのです」(稲垣さん)

アネックス(離れ)では、八百屋さんや花屋さん、カフェなどが開業し、月に1度開催されていたマルシェは、地域の人でにぎわいを見せていました。現在、主催していた居住者が転居したためマルシェは中止されていますが、ネイルサロンや英会話教室、エステルーム、オフィスの打ち合わせスペースとして使われています。

左側のモルタル部分がアネックスで、デザイン事務所の打合せスペースとして使われている(画像提供/Eureka)

左側のモルタル部分がアネックスで、デザイン事務所の打ち合わせスペースとして使われている(画像提供/Eureka)

設計の基になったのは中国福建省の伝統的住居

「Dragon Court Village」は、一般的な2階建てアパートにある共用の廊下や階段などがなく、通路や路地から直接住戸へ出入りできる長屋住宅です。江戸の庶民のイメージがある長屋ですが、意外にも稲垣さんが参考にしたのは、中国の伝統住宅地でした。「Dragon Court Village」を設計していたころ、稲垣さんは、一級建築士事務所Eurekaの活動をしながら、大学の研究員として、東・東南アジアの集落や都市空間の調査に携わっていました。

視察時に撮影した朱紫坊の様子。日本の坪庭より広い中庭がある(画像提供/Eureka)

視察時に撮影した朱紫坊の様子。日本の坪庭より広い中庭がある(画像提供/Eureka)

「2011年の東日本大震災を境に、住宅のサステナビリティ(持続可能性)やレジリエンス(回復力※)が、重要なテーマになっていました。日本では、近代化に伴い、住宅の個々に完結したプロダクト(製品)としての性能が重視されました。その結果、コミュニティを育む力が弱まり、子どもの教育、高齢者の介護など皆で助け合っていた場もなくしてしまったのです。研究は、昔の暮らしにノスタルジックに憧れるのではなく、近代化で失われてしまった叡智、例えば、自然と融合したような暮らしがもつ災害に対する備えなどを学ぼうとするものでした」(稲垣さん)

※レジリエンス:「弾力」「回復力」「強靭」という意味。ここでは、ハード(フィジカル)な住宅のレジリエンスだけでなく、自然環境(ランドスケープ)や地域・近隣コミュニティを含んだ「地域防災力」を備える住宅のレジリエンスを指している。

稲垣さんが、特に感銘を受けたのは、中国福建省福洲市内にある朱紫坊という都市部の伝統的住居でした。道路の一辺に敷地が接しており、建物が奥に延びていく京都の町家のようなつくりで、中庭を備えていました。

「朱紫坊の中庭は、ひとりだけのものではなく、みんなが使える空間で、イベントを催したり、ゲストを招いたりする社交の場として機能していました。外部や自然環境につながっている中庭には、風が流れて、おおらかな暮らしぶりがうかがえました。建物が出来上がったときが快適性のピークではなく、ある場所をシェアして皆でより快適な場所につくり上げていくスタイルは、大きな学びとなりました」(稲垣さん)

車路兼通路から見る中庭と路地(画像提供/Eureka)

車路兼通路から見る中庭と路地(画像提供/Eureka)

賃貸集合住宅に設けた中庭や路地という「余白」。居住者で耕しつくり上げる空間に

研究で得た成果を日本での集合住宅設計に応用したいと考えた稲垣さん。「Dragon Court Village」では、建物と建物の間に中庭や路地を設け、軒下空間で緩やかに住戸をつないでいます。中国の伝統的住居のようなシェアスペースを賃貸集合住宅の中にもたせ、豊かなコミュニティを生み出せるように設計しました。

路地の風景。路地に面したデッキやテラスで家族や友人と食事を楽しむ居住者も(画像提供/Eureka)

路地の風景。路地に面したデッキやテラスで家族や友人と食事を楽しむ居住者も(画像提供/Eureka)

難しかったのは、風をデザインすること。風のシミュレーションをして、季節ごとの風の流れを検証するなど試行錯誤し、時には設計をやり直すことも。一見、アトランダムに見える住戸やアネックスの配置は、それらシミュレーション結果を反映した入念な設計で、風が通り抜ける心地よい軒下空間が生まれました。

シミュレーションで、夏場の風の流れを確認。南北に風が流れる設計に(画像提供/Eureka)

シミュレーションで、夏場の風の流れを確認。南北に風が流れる設計に(画像提供/Eureka)

住戸やアネックスは、路地や中庭につながっている(画像提供/Eureka)

住戸やアネックスは、路地や中庭につながっている(画像提供/Eureka)

「家族構成や社会情勢が変わったときに、余白があれば、使い方を工夫しながら、快適性を持続することができます。最初は与えられたものであっても、居住者が耕していき、自分たちでつくり上げた空間になればという思いです」(稲垣さん)

当初は、「アネックスなんて借りる人がいるのだろうか」とオーナーも心配したと言いますが、「Dragon Court Village」が認知されるにつれ、「やりたいことをかなえるならここに住みたい!」という人が集まるようになりました。コロナ禍では、「息が抜ける空間があり、テレワークも快適」「軒下で食事をするのが楽しみ」という声が寄せられているそうです。完成品に住むのではなく、住みながら暮らしをつくり上げていく。8年がたってもなお「Dragon Court Village」は、新しい人生が始まる場所であり続けています。

●取材協力
・一級建築士事務所 Eureka
・「Dragon Court Village」(竜美丘コートビレジ)

役目終えた造船の地・北加賀屋が「現代アートのまち」に。地元企業、手探りの10年 大阪市

「アートによるまちづくり」で大きな成果をあげている場所があります。それが大阪の北加賀屋(きたかがや)。かつては造船景気に沸いたウオーターフロントの街が、役目を終えて沈滞。この10年でアートという新たな航路へと舵を切り、再び浮上したのです。

アートで街全体を彩る大胆な構想を実践したのは、長く地元に根差してきた、「まちの大家さん」ともいえる不動産会社、千島土地株式会社。手探りでアートとまちづくりに向きあってきた10年を振り返っていただきました。

「造船所が去った街」から「アートの街」へと変身

「弊社は不動産会社で、過去にアートにたずさわった経験がなく、『アートでの街づくり』は手探りで進めてきました」

「千島土地株式会社」(以下、千島土地)地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんは、口をそろえてそう語ります。

千島土地地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんと(写真撮影/出合コウ介)

千島土地地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんと(写真撮影/出合コウ介)

明治45年設立の千島土地は、大阪湾に近い木津川沿いの「北加賀屋」地区に約23万平米もの広大な経営地をいだく賃貸事業主。明治時代から昭和の高度成長期にかけて造船所や関連工場などに土地を賃貸し、日本の近代化を支えてきました。

しかし、1980年代に入って産業構造の変化に伴い造船所の転出が進み、北加賀屋は空き工場や空き家が増えていったのです。なかでもとりわけ大きな空き物件が、1988年に退出した「名村造船所大阪工場」の跡地でした。

かつて造船所でつくった船はここから旅立っていったが、船の大型化により浅瀬の木津川では船づくりが難しくなり、九州などに拠点が移っていったという(写真撮影/出合コウ介)

かつて造船所でつくった船はここから旅立っていったが、船の大型化により浅瀬の木津川では船づくりが難しくなり、九州などに拠点が移っていったという(写真撮影/出合コウ介)

宇野「不動産バブルの時代で、広大な土地が返還されるケースが稀だったこともあり、そのままの姿で返還を受けました。しばらくは個人様や企業が所有するボートなどを預かるドックとして機能していました。けれどもバブルが崩壊し、いよいよ使いみちがなくなってしまったんです」

名村造船所跡地(返還時の様子)(写真提供/千島土地株式会社)

名村造船所跡地(返還時の様子)(写真提供/千島土地株式会社)

そういった重工業の集積地である北加賀屋に「アート旋風」の第一陣が巻き起こったのが2004年。「造船所の跡地を表現の場として再活用しよう」という動きが芽吹き始めたのです。

福元「造船所の跡地をアートイベントにお貸ししたら、これがとても好評で。2005年には『クリエイティブセンター大阪(CCO)』として演劇や作品展などにお貸しするようになり、それに伴い弊社もアートに理解を示すようになっていったんです」

千島土地の代表取締役社長である芝川能一(しばかわ よしかず)さんは「アートには街を変える力がある」と確信。2009年に北加賀屋を創造的エリアへと変えていく「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(KCV)構想」を打ち立てました。

さらに2012年に株式会社設立100周年を迎えるにあたり、記念事業の一環として「一般財団法人おおさか創造千島財団」を創設。これらをきっかけに、千島土地の本格的なアート事業がいよいよ幕を開けたのです。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

Ben Eineによるウォールアート(写真提供/千島土地株式会社 Photo by keiichi yamamura)

Ben Eineによるウォールアート(写真提供/千島土地株式会社 Photo by keiichi yamamura)

宇野「北加賀屋は、なんばから地下鉄で5駅。大阪の繁華街からめちゃめちゃ離れているわけじゃないんです。けれども以前は、『北加賀屋? それどこ?』と場所を認識してもらえませんでした。『精神的距離がある街』なんて呼ばれて(苦笑)。けれどもアートでの街づくりを始めてから、『北加賀屋、カッコいいよね』というお声をいただくようになったんです」

アートによって街の印象を大きく変えたという北加賀屋。では、造船の街だった北加賀屋は、アートによってどのようにイメージチェンジしたのか、宇野さんと福元さんに実際に街をガイドしていただくとしましょう。

アーティストのために「改装自由」で部屋を貸し出した

千島土地が手がける北加賀屋の「アートで街づくり」には、さまざまな事例があります。まず紹介するのが、2020年から貸し出しが始まった通称「半田文化住宅」。

工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」が入居する半田文化住宅外装はタイル貼り。1階部分は好みにペイントしたり飾ったり、2階は元のまま、レトロな雰囲気が残る(写真撮影/出合コウ介)

工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」が入居する半田文化住宅外装はタイル貼り。1階部分は好みにペイントしたり飾ったり、2階は元のまま、レトロな雰囲気が残る(写真撮影/出合コウ介)

「文化住宅」とは、主に1950年代~1960年代に建てられた2階建て集合住宅を指す関西の言葉、関東では「モクチン」と呼ばれる場合もあります。一般的にいう「木造アパート」で、それまでの時代は共同だった玄関やトイレなどが各住戸に独立してついており、「文化的」な印象からそう呼ばれるようになりました。イメージは「2階建ての長屋」です。

千島土地はこの半田文化住宅をアーティストやクリエイター向けに、なんと! 「改装自由」「原状回復不要」といった格別な条件で賃貸しているのです。

もともとの借家人の苗字からその名で呼ばれる半田文化住宅は、Osaka Metro四つ橋線「北加賀屋」駅から徒歩わずか1分の好立地にあります。1階に2戸、2階に2戸の風呂なし物件。陶芸家や生き物の標本作家など全戸にアーティストが入居し、ものづくりに励んでいるのです。

とりわけ見違えるほどの改装を施したのが、2020年5月にここへやってきた工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」の大浦沙智子さん。大浦さんは「撮影用の背景ボード」をつくるデザインペインター。SNSやフリーマーケットアプリの「映え」には欠かせぬ、今の時代にぴったりな仕事です。

専門であるペイントや、DIYのスキルを活かして、見違えるようにおしゃれな空間になった工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」(写真撮影/出合コウ介)

専門であるペイントや、DIYのスキルを活かして、見違えるようにおしゃれな空間になった工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」(写真撮影/出合コウ介)

居住はせず、アトリエとして部屋を借りている大浦さん。大きな作業台を必要とする仕事柄、壁を大胆にぶち抜き、広さを確保しました。シャビーシックに色変わりしたこの空間は「水まわりと床以外は建具も含め、ほぼ自分で改装した」というから驚き。さらに2階も借り、ワークショップの会場に使用しています。

ワークショップの会場にもなる2階の作業場(写真撮影/出合コウ介)

ワークショップの会場にもなる2階の作業場(写真撮影/出合コウ介)

宇野「私どもも『ここまで生まれ変わらせていただけるとは』と感動しました」

福元「見事なDIYです。『これがビフォーアフターか!』と見とれましたね」

大浦さんが半田文化住宅を選んだ理由は――。

大浦「隣が空き地だったのが決め手の一つです。空き地のおかげで窓から光が入るのが気に入りました。サンプルの写真がとても撮りやすいんです。この部屋を選ぶ以前は住之江区内のガレージを工房の代わりに使っていました。暗いし、冷暖房はない。夏や冬は大変だったんです。私にとって半田文化住宅は天国ですよ」

この仕事を始める前、塗料の会社で経験を重ねていた大浦さん。独立後、半田文化住宅で気に入ったアトリエを持てたことで、仕事が順調になったそう(写真撮影/出合コウ介)

この仕事を始める前、塗料の会社で経験を重ねていた大浦さん。独立後、半田文化住宅で気に入ったアトリエを持てたことで、仕事が順調になったそう(写真撮影/出合コウ介)

隣接する空き地は、以前は活用されていなかった場所だったのだそう。北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想に共鳴した大浦さんは、フェンスの塗装、芝生の水やりや育成などの空き地の管理にも協力しています。

大浦「部屋の改装はまだ終わってはいません。きっと、これからもずっとどこかをなおし続けていくでしょう。改装というより、『部屋を育てる』感覚なんです」

アーティストが部屋を育て、街の景観を育てる。アートの力で街が育ってゆく。それが北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の本質なのだろうな、そう感じました。

「住宅そのものがアート作品」という驚きの賃貸物件

居住を可能とする事例なら、2016年に誕生した「APartMENT(アパートメント)」もあります。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「APartMENT」は、築古の集合住宅を8組のアーティストやクリエイターのプロデュースによってリノベーションし、再生させるプロジェクト。千島土地が、不動産から設計、工務までトータルでおこなう「Arts & Crafts(アートアンドクラフト)」とタッグを組んでおこなう、「住宅そのものがアート作品」という極めて意欲的な取り組みです。

福元「アーティストに限らず、アートに興味がある人々にも北加賀屋で暮らしてほしい。そのためにも住む場所の提供は弊社の課題でした。『北加賀屋らしい、アートに特化した、特徴のある集合住宅にしよう』と考えて始まったのが、このプロジェクトです。ネーミングとロゴにも『AP“art”MENT』と、アートという言葉が入っているんですよ」

「art(アート)」を内包する住宅、それはまさに北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の所信表明といえるでしょう。

「APartMENT」には二つのタイプの部屋があります。一つ目は、北棟1階と南棟を使った「toolbox PROJECT(ツールボックス・プロジェクト)」による部屋。

「ツールボックス」とは、「自分らしい家づくり」に必要なアイテムを販売したり、実際にそれらを使用して施工したりするWebショップ。

福元「改装できるギリギリ寸止め状態まで弊社で施工しておいて、『あとの内装は自由にやっていいですよ』『ツールボックスの商品を使用した改装内容については原状回復もしなくていいですよ』という部屋なんです」

二つ目が、北棟の2階より上で展開する「8 ARTISTS PROJECT(エイトアーティスト・プロジェクト)」の部屋。モダンアート、照明作家、造園家、先鋭的なデザイン事務所などジャンルの垣根を越えた8組のアーティストが、オリジナリティあふれる「45平米のアート作品」を生みだしたのです。

なかでもインパクトが絶大なのが、現代美術作家の松延総司(まつのべそうし)さんがつくりあげた「やすりの部屋」。壁紙の代わりに使用しているのは、なな、なんと「紙やすり」! ざらりとした手触りは、住む人によってはクセになること請け合い。壁に貼られた紙やすりは部屋ごとに種類が異なり、「この部屋のやすりは刺激的だぞ」と、五感が研ぎ澄まされてゆきます。

現代美術作家の松延総司さんによる「やすりの部屋」。茶色く変化した部分は、家具が擦れて自然とついた色だそう(写真撮影/出合コウ介)

現代美術作家の松延総司さんによる「やすりの部屋」。茶色く変化した部分は、家具が擦れて自然とついた色だそう(写真撮影/出合コウ介)

宇野「以前の住民が使っていた掃除機のルンバと紙やすりが格闘した跡を、あえて現状のまま残しています。こういった生活の痕跡が引き継がれていくのがおもしろいと思うんです」

こちらは「スキーマ建築計画」による、「足す」のではなく「引く」デザインの部屋。中央奥の押入れは、引っこ抜いたかのように取り払い、収納スペースは畳の下にしまい込んで隠してしまう。「足しがち」な暮らしの固定観念を覆す、住む人の気持ちが反転していくような部屋(写真撮影/出合コウ介)

こちらは「スキーマ建築計画」による、「足す」のではなく「引く」デザインの部屋。中央奥の押入れは、引っこ抜いたかのように取り払い、収納スペースは畳の下にしまい込んで隠してしまう。「足しがち」な暮らしの固定観念を覆す、住む人の気持ちが反転していくような部屋(写真撮影/出合コウ介)

このように前衛的な部屋が並ぶ「APartMENT」は、アートとリノベーションの融合、住人の創造性の誘発といった点が評価され、2017年、大阪市が実施する顕彰事業「第30回 大阪市ハウジングデザイン賞」において「大阪市ハウジングデザイン賞特別賞」を受賞しました。

もとは1971年築の鉄工所社宅。鉄筋コンクリートによるがっしりした構造が、アーティストたちの自由な発想を受け入れています。その様子は、鉄でものづくりをしてきた先人たちが、次世代を築くアーティストたちを応援し、胸を貸しているように見えました。

「近寄りがたい」といわれていた集合住宅が交流の場として甦った

住宅を提供する場合があれば、かつて住宅だった物件を別のかたちに蘇らせたケースもあります。それが「千鳥(ちどり)文化」。

千鳥文化の外観。中央がメインとなるアトリウム。統一されていないごちゃごちゃ感もこの文化住宅ができ、育ってきた歴史を物語っている(写真撮影/出合コウ介)

千鳥文化の外観。中央がメインとなるアトリウム。統一されていないごちゃごちゃ感もこの文化住宅ができ、育ってきた歴史を物語っている(写真撮影/出合コウ介)

「千鳥文化」とは2017年にオープンした文化複合施設のこと。「クリエイターと地域の人々が緩やかに交流するプラットフォーム」をコンセプトに、食堂、商店、バー、ギャラリー・ホール、テナント区画が一堂に会しています。築60年ほどの文化住宅をリノベーションした話題のスポットなのです。

福元「アートイベントのためだけに訪れるのではなく、北加賀屋に滞在してほしい。そんな想いで始まったプロジェクトです。元々千鳥文化と呼ばれていた建物。名前もそのまま承継しました」

旧・千鳥文化は、現在の法律では住居としてありえないアバンギャルドな姿をしており、「近寄りがたい雰囲気だった」といわれています。

家の改造はお手の物だった船大工たちの作業の跡が残る室内(写真撮影/出合コウ介)

家の改造はお手の物だった船大工たちの作業の跡が残る室内(写真撮影/出合コウ介)

宇野「かつての千鳥文化は、造船業に従事していた住人たちが自らの手で増改築を繰り返していました。『もともと平屋だった建物に住民が2階を増築したのではないか』と推測されています。わかっているだけでも5回、大きな改築がなされていますね。どうやって建っているのかすらわからないほど不思議な構造だったんです」

増築に「船の素材が使われていた」など、住んでいた船大工の手によっていびつに表情を変えていったこの文化住宅は、ある意味でアートの街・北加賀屋にぴったり。とてもクリエイティブな文化遺産といえるでしょう。

旧・千鳥文化はのちに空き家となり、解体も検討されました。しかし、「迷路のように複雑化するほど人々の暮らしの痕跡が刻まれている貴重な建物だ。二度と再現できない。更地にしてしまうのはもったいない」と、北加賀屋を拠点に活動する建築家集団「dot architects(ドットアーキテクツ)」の手によって、A棟とB棟で二期に分けてリノベーションを実施。新時代の千鳥文化プロジェクトがスタートしたのです。

宇野「設計図が存在しない難物です。柱の1本1本を測りなおし、できる限り元の古材を残しながらも耐震対策は現行法に基づきしっかりやるという、気が遠くなるような作業から始まりました。完成するまでに3年もの年月がかかりましたね」

dot architectsは千鳥文化も含めた功績が認められ、2021年に建築のアワード「第2回 小嶋一浩賞」を受賞しました。

印象に残るレトロな「TEA ROOM まき」の装飾テントには手を加えず、玄関はガラス張りに改修。再生した施設内は「アトリウム」と呼ばれる吹き抜けの共有スペースがあり、誰でも出入りできます。1階部分はカフェや、展示などを行える空間として、2階部分にはアート作品が飾られており、自由に見学できるのです。

アトリウム奥のカフェ「千鳥文化」(写真撮影/出合コウ介)

アトリウム奥のカフェ「千鳥文化」(写真撮影/出合コウ介)

吹き抜けの2階部分。建物の構造を見るだけでもおもしろい(写真撮影/出合コウ介)

吹き抜けの2階部分。建物の構造を見るだけでもおもしろい(写真撮影/出合コウ介)

2階部分に常設されているのは金氏徹平「クリーミーな部屋プロジェクト」。手前と奥の部屋合わせて一人のアーティストの世界観でつくられている(写真撮影/出合コウ介)

2階部分に常設されているのは金氏徹平「クリーミーな部屋プロジェクト」。手前と奥の部屋合わせて一人のアーティストの世界観でつくられている(写真撮影/出合コウ介)

壁にあいた舟窓の穴からのぞくと隠れている奥の部屋にも現代アートがある遊び心あふれる空間(写真撮影/出合コウ介)

壁にあいた舟窓の穴からのぞくと隠れている奥の部屋にも現代アートがある遊び心あふれる空間(写真撮影/出合コウ介)

元居室の扉には、住民がいたころの紙をぺたっと貼っただけの表札が(写真撮影/出合コウ介)

元居室の扉には、住民がいたころの紙をぺたっと貼っただけの表札が(写真撮影/出合コウ介)

往時は「近寄りがたい」と言われていた建物に今や新鮮な空気が循環し、陽がさんさんと降り注ぐ。「千鳥文化というアート作品」が60年の時を経て、やっと正当に評価されたのでは。そんなふうに思えました。

現代美術作家の巨大作品がずらり並ぶ「生きている倉庫」

続いて案内されたのは、外観だけを見れば、単なる大きな倉庫。実はこの倉庫こそが、北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想が成し遂げた重要な功績の一つなのです。

MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)(写真撮影/出合コウ介)

MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)(写真撮影/出合コウ介)

扉を開けて、びっくりしない人はいないでしょう。目の前に並んでいるのは、世界に名だたる現代美術作家たちの、巨大な造形作品なのですから。

ヤノベケンジ 作品 左「ラッキードラゴン」、右「サン・チャイルド」(写真撮影/出合コウ介)

ヤノベケンジ 作品 左「ラッキードラゴン」、右「サン・チャイルド」(写真撮影/出合コウ介)

名和晃平 作品「N響スペクタクル・コンサート「Tale of the Phoenix」舞台セット」(写真撮影/出合コウ介)

名和晃平 作品「N響スペクタクル・コンサート「Tale of the Phoenix」舞台セット」(写真撮影/出合コウ介)

久保田弘成 作品「大阪廻船」(写真撮影/出合コウ介)

久保田弘成 作品「大阪廻船」(写真撮影/出合コウ介)

床面積 約1,030平米(52.5×19.5m)、高さ 9.25mというとてつもない広さを誇るスペースを使った驚異のプロジェクト、その名は「MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」。

収蔵するアーティストは、宇治野宗輝、金氏徹平、久保田弘成、名和晃平、持田敦子、やなぎみわ、ヤノベケンジといった、国際的に活躍する現代美術の人気作家ばかり。

宇野「近年、芸術祭等で大型作品を制作する機会が増えていますが、会期後の保管はアーティストにとって大きな課題となります。実際、多くの作品が解体されたりしているのです。そのため、弊社では無償で大型作品をお預かりすることにしました」

芸術祭の会期後、「作品をどう残すのか」は、アーティストにとって頭が痛い問題です。維持するにはお金がかかる。そもそも “メガ”(大変な規模の)サイズの作品を保管できる“ストレージ”(領域)がない。実際、置き場に困り、作品が廃棄される悲しい例も多いのです。

このような状況に一石を投じるべく、千島土地が管理する鋼材加工工場の倉庫跡を利用し、2012年からアーティストの大型作品を無償で預かるプロジェクト「MASK」を発起しました。作品の保管のみならず、2014年から、年に1回「Open Storage(オープン ストレージ)」と銘打ち、一般公開をしています。

2022年は10月に「Open Storage(オープン ストレージ)」を実施。鉄の柱が張り巡らされた倉庫でたくさんの現代アートを楽しめる。撮影も可能(写真撮影/出合コウ介)

2022年は10月に「Open Storage(オープン ストレージ)」を実施。鉄の柱が張り巡らされた倉庫でたくさんの現代アートを楽しめる。撮影も可能(写真撮影/出合コウ介)

福元「みなさん『北加賀屋にこんなすごいところがあったんだ』と、とても喜んでくださいます。全国を見渡しても、これほどの量の大型作品が並ぶ場所は他にはないと思います」

宇野「北加賀屋がアートで街づくりをしていると一般の方にも知っていただけた、大きなきっかけとなった場所です。よく『なぜ無償で預かっているの? 利益が出ないでしょう』と聞かれるのですが、弊社では『アラビア数字では表せない価値をもたらしてくれた』と考えています」

収蔵のみならず、持田敦子さんの手によるビッグサイズの回転扉『拓く』は、2021年にMASKで現地制作されました。
また、「大きな作品を預かる」という点では、他の倉庫で、オランダのアーティスト、フロレンティン.ホフマンの、膨らますと高さ9.5メートルにも及ぶパブリックアート『ラバー・ダック』を管理し、各地の水上で展示する拠点にもなっています。

「すみのえアート・ビート2021」開催風景(写真提供/千島土地株式会社)

「すみのえアート・ビート2021」開催風景(写真提供/千島土地株式会社)

千島土地は作品『ラバー・ダッグ』を保有する日本唯一の窓口という意外な一面も。水都大阪2020のイベントや、東日本大震災のチャリティイベントでもおなじみの姿が北加賀屋のまちのマンホールアートでも見られる(写真撮影/出合コウ介)

千島土地は作品『ラバー・ダッグ』を保有する日本唯一の窓口という意外な一面も。水都大阪2020のイベントや、東日本大震災のチャリティイベントでもおなじみの姿が北加賀屋のまちのマンホールアートでも見られる(写真撮影/出合コウ介)

倉庫が収蔵する目的を越え、作品を生み出し発信する場所として新たな命を宿している。脈を打ち始めている。ここはまさに「生きている倉庫」ではないでしょうか。2022年の秋も一般公開が予定されています。謎のヴェールに包まれた倉庫がマスクをはぎ取る瞬間に、ぜひ立ち会ってみてください。

2022年度の一般公開「Open Storage 2022 ―拡張する収蔵庫-」は、10月14日(金)~16日(日)、21日(金)~23日(日)と、「すみのえアート・ビート」に合わせて11月13日(日)に開催予定です。

広大な造船所の跡地が表現の場へと船出した

最後に案内していただいた場所、そこはフィナーレを飾るにふさわしい、素晴らしい別天地でした。それは2007年に、経済産業省「近代化産業遺産」に認定された、木津川河口に位置する「名村造船所大阪工場跡地」。そう、千島土地がアートを手掛ける第一歩となった記念すべき場所です。2005年に跡地の一部を「クリエイティブセンター大阪(Creative Center OSAKA/略称:CCO)」と名づけ、敷地面積が約4万平米という空前の広さを活かした一大アートパラダイスへと変貌を遂げたのです。

湾岸沿いで交通の便がいいとはいえない場所だがイベントでは大勢のファンが足を運ぶ(写真撮影/出合コウ介)

湾岸沿いで交通の便がいいとはいえない場所だがイベントでは大勢のファンが足を運ぶ(写真撮影/出合コウ介)

クリエイティブセンター大阪は、「廃墟のポテンシャル」を存分に楽しめる場所。「建物そのものを楽しみたい」という人のために参加無料の見学ツアーも行われています。

さらにライブや演劇、コスプレイベント、撮影会、映画・ドラマのロケ、サバイバルゲームの舞台としてもレンタルされ、なかには結婚式に使うツウなカップルまでいるのだそうです。

福元「一般に開放した当初は、コスプレイベントのためにカートを引いた若者たちが北加賀屋に集まってくるので、地元の方々は『なんだ? なんだ?』とけげんそうな目で見ていました。けれども現在は、集まる若者たちがこの街を盛り上げてくれているんだと、歓迎してくださっています」

刮目すべきは4階にある、船の製図室の遺構をそのまま活かした無柱の創造スペース。

右奥に人のサイズ感で伝わるだろうか。柱がないこれだけの空間は極めて珍しい。この反対側にもこれと同じくらいの広さがさらに広がる(写真撮影/出合コウ介)

右奥に人のサイズ感で伝わるだろうか。柱がないこれだけの空間は極めて珍しい。この反対側にもこれと同じくらいの広さがさらに広がる(写真撮影/出合コウ介)

宇野「この部屋では以前は、船や部品の原寸図を引いていたんです。床に敷いて這いながら書くため、天井には手元を照らすための蛍光灯がずらっと並んでいます。床を見てください。まだ図面の跡があるんですよ」

まるで幾何学模様のような傷は設計の痕跡(写真撮影/出合コウ介)

まるで幾何学模様のような傷は設計の痕跡(写真撮影/出合コウ介)

本当だ。広々とした床には船の図面の面影が遺っていました。往時の果てしない造船作業、職人さんたちの高い技量と苦労が想い起こされ、胸を打ちます。そしてこの部屋は現在、現代アートの展示やイベント、さらに地下アイドルのフェスであれば物販やチェキタイムなど、ファンとの交流にも利用されているのです。

こういった取り組みが評価され、2011年には文化庁が後援する企業メセナ(企業が芸術文化活動を支援すること)協議会「メセナアワード2011」にて「メセナ大賞」を受賞。千島土地がアートでの街づくりに拍車をかけるきっかけとなりました。

かつて2万人を超える造船労働者で盛況を博した北加賀屋。役目を終えた造船所が、北加賀屋のランドマークとなって眠りから覚めました。そうして可能性を秘めたアーティストの卵たちの船出を、あたたかく見守っているのです。その海は、世界へとつながっています。

アートの力で活性化した街の「次の一手」は

造船所が転出し、一時期は活気を失っていた北加賀屋。千島土地の尽力とアートのパワーにより今や世界からも注目される街となり、息を吹き返しています。タワーマンションの供給が始まるなど具体的な経済効果も表れはじめているようです。今後の展望は。

宇野「ギャラリーの誘致を目指す新しい拠点などを計画中です。アーティストが暮らし、作品をつくり、この街で発表する。その作品に注目が集まる。この流れを生みだしていけたらいいなと考えています」

福元「そして、長く暮らしたくなる、価値が高い街にしていきたいです。アートに触れながら、親子3代にわたって住む。そうやって文化を育んでいければ」

芸術の秋です。ウォールアートやパブリックアートの数々が迎えてくれる北加賀屋を散策してみませんか。なんばから、わずか5駅ですよ。

北加賀屋の街中ではさまざまなオブジェやウォールアートが出迎えてくれる(写真撮影/出合コウ介)

北加賀屋の街中ではさまざまなオブジェやウォールアートが出迎えてくれる(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

●取材協力
「千島土地株式会社」Webサイト
「おおさか創造千島財団」Webサイト
「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」Webサイト
「APartMENT」(アパートメント) Webサイト
「千鳥文化」Instagram
「MASK」(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)Webサイト
「クリエイティブセンター大阪」Webサイト

離島の高校で学ぶ「島留学」に日本中から熱視線! 大人版もスタートで移住者増 島根県隠岐

全国の離島では、本土より早いペースで人口減少が続いています。日本海の隠岐諸島にある西ノ島町、海士町、知夫村も過疎化が進んでいました。そこで、2008年から高校生を対象とした「島留学」制度を開始し、その後、大人の「島留学」制度も開始。現在、高校の生徒数や移住者が増加しています。「島留学」が島に与えた影響と、島留学生のその後を取材しました。

以前は住民の数が年々減少し、島で唯一の高校は廃校寸前だった雄大な景観が魅力で多くの観光客が訪れる隠岐国賀海岸(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

雄大な景観が魅力で多くの観光客が訪れる隠岐国賀海岸(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

絶景のなかに佇む校舎。現在、北は秋田から南は鹿児島まで、海外(インド)からも留学生を受け入れている(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

絶景のなかに佇む校舎。現在、北は秋田から南は鹿児島まで、海外(インド)からも留学生を受け入れている(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

隠岐の島は、島根・鳥取の県境から北方約60kmに位置し、「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されている自然豊かな場所。そのうち、島前地区は、西ノ島町、海士町、知夫村から成る地域です。

今、島前地区が注目を集めていることの1つには、島の高校の島留学生や、移住者が増加していることがあります。高校生や大人を対象にした島留学制度がそのきっかけになっているのです。

もともと、移住対策の前に急務だったのは、人口減少や少子高齢化による過疎化により減少の一途をたどっていた島前高校の生徒数を確保することでした。2008年度の生徒数は1学年28人、全校でも90人しかいませんでした。そこで、始まったのが隠岐島前教育魅力化プロジェクトです。さらに、「このままでは廃校になってしまう」と危機感をつのらせた3町村が出資して、2015年に一般財団法人島前ふるさと魅力化財団が設立されました。教育魅力化事業部の宮野準也さんと地域魅力化事業部の青山達哉さんに島留学プロジェクトの経緯を伺いました。

「地元の高校がなくなれば、子どもたちは、進学のため本土に出てしまいます。保護者も一緒に移住してしまえば、過疎化はますます深刻になります。そこで、島前地区の魅力を全国にアピールし、高校への島留学生を呼び込む取組みがはじまりました」(青山さん)

海と山の景観に恵まれている島前地区(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

海と山の景観に恵まれている道前地区(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

全国に先駆けて始まった島前高校の「島留学」

島前高校の「島留学」は、島外の高校生が自然環境・文化・伝統が残る島前地区で寮生活をしながら高校へ通うプロジェクトです。鹿児島や秋田といった県外や、モンゴルやインドなど海外から留学してくる生徒もいます。現在は、全国で「離島留学」を実施する学校が増加。国土交通省では、離島活性化を図る島留学推進のため情報をホームページにとりまとめていますが、当時、島前高校の「島留学」は、全国にない取り組みでした。

「島留学」で来る生徒が通う隠岐島前高校のキャッチコピーは、「島まるごと学校。島民みんなが先生」。島留学生には、ひとりずつ、「島親さん」と呼ばれる島民がついて地域になじむのをサポート。生徒は、夕飯に呼ばれたり、夏祭りに一緒に行ったりするなかで地域の人とつながっていきます。

無形文化財に指定されている島前神楽。海外留学から帰国後、神楽を残そうと地元で活動をはじめた生徒もいる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

無形文化財に指定されている島前神楽。海外留学から帰国後、神楽を残そうと地元で活動をはじめた生徒もいる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

地域のお祭り「キンニャモニャ祭り」に参加した生徒たち。しゃもじを打ち鳴らしながら1時間踊る(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

地域のお祭り「キンニャモニャ祭り」に参加した生徒たち。しゃもじを打ち鳴らしながら1時間踊る(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

「心掛けているのは、学校の学びを校内に閉じないこと」と宮野さん。授業には毎日のように島の人が招かれ、文化や伝統を生徒に教えています。7月に行われた、隠岐諸島でかつて使われた木造船「かんこ舟」の操船体験も地域活動のひとつ。昨年9月にIターンした米国出身の冒険家ハワード・ライスさんと、生徒たちが船を修復し、かつての海の文化を体験しました。

「ほかには、数学の授業で、島にカラオケ店をつくる想定で、経営を考える課題がありました。数学的な視点で考える力を養えます。自分に何ができるのか、常に考えて地域のことにアンテナを張る。学校で学んだことが地域に、地域で学んだことが学校の勉強に役立ちます。地域活動が学びの基礎になっているのです」(宮野さん)

現在、全校生徒数は161名とかつての約2倍に増えています。

島暮らしの原体験を手に入れられる3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」シェアハウスでは、制度を利用してきた人が共同生活を行う。夕飯を一緒に食べたり、仕事や生活で大変なことを相談したり。「島に何ができるのか」熱い話題で盛り上がることも(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

シェアハウスでは、制度を利用してきた人が共同生活を行う。夕飯を一緒に食べたり、仕事や生活で大変なことを相談したり。「島に何ができるのか」熱い話題で盛り上がることも(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

現在、島前地区では、若者を対象とした就労型お試し移住制度も行っています。

制度をはじめるきっかけは、2019年に松江や東京で開催された隠岐島前高校卒業生等が集うイベントでした。参加した100名近い若者から、「隠岐島前へUターンしたいと考えているが、暮らしや仕事の情報がネット上では見えづらく、移住や定住のイメージが湧かない」という声が多く寄せられたのです。そこで、隠岐島前地域の地元出身者に限らず、「島で暮らしたい」という想いをもった全国各地の若者が活用できる大人のための島留学がスタートしました。

期間ややりたい仕事別に3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」から選べること、シェアハウスで共同生活することが特徴です。

「島体験」は、3カ月の滞在型インターンシップ制度。仕事や普段の暮らしを通して、島を知ることができます。「大人の島留学」は、プロジェクトに就労しながら、1年間お試し移住できる制度。「複業島留学」は、2年間、複数の産業を体験しながら島の新しい働き方を探求します。

仕事内容は、海士町役場人づくり特命担当課のサポート業務、ふるさと納税プロジェクト推進サポート業務、島食プロジェクト、こども基地プロジェクト、海士町役場外貨創出プロジェクトなどさまざまです。

島体験生の研修風景。「島体験」では一週間に一度、「大人の島留学」では、一月に一度の研修が行われる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

島体験生の研修風景。「島体験」では一週間に一度、「大人の島留学」では、一月に一度の研修が行われる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

岩ガキ、隠岐牛、農業などの一次産業にもチャレンジできる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

岩ガキ、隠岐牛、農業などの一次産業にもチャレンジできる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

2年間の複業島留学では、1年に3カ所(事業所)以上、観光業、農林水産業を中心とした島の基幹産業に携わる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

2年間の複業島留学では、1年に3カ所(事業所)以上、観光業、農林水産業を中心とした島の基幹産業に携わる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

報酬は、「島体験」は月額8万円、「大人の島留学」は月額15万円、「複業島留学」の年収は年間260日間(1日あたり8時間勤務した場合)で240~310万円です。

応募者をオンライン選考した上で合格した人は、興味ややりたいことと、町村が求めることとマッチングを行い、町が管理するシェアハウスで暮らしながら、島の仕事を体験します。

役場職員から、地域通貨「ハーン」の活用について学ぶ大人の島留学生(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

役場職員から、地域通貨「ハーン」の活用について学ぶ大人の島留学生(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

牛舎での仕事風景。掃除、餌やり、出荷の手伝いなどを手伝う(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

牛舎での仕事風景。掃除、餌やり、出荷などを手伝う(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

「大人の島留学生」の皆さん(画像提供/清瀬りほさん)

「大人の島留学生」の皆さん(画像提供/清瀬りほさん)

「3つの制度を利用した人は、200人ほど。そのうち、20名が就職して移住しています。チャレンジ精神のある若者は町のエネルギー。商店への経済貢献もあり、島前地区の活性化につながっています」(青山さん)

島に滞在して就労体験できる「大人の島留学」で移住者が増加中

清瀬りほさん(役場職員・23歳)は、「大人の島留学」を体験した後、2021年に島への移住を決めました。

「もともと離島出身で、大学時代に離島の教育をテーマに卒論を書いていました。島前高校の魅力化プロジェクトを知り、実際に行きたいと思っていたのですが、さまざまな理由で行くことができませんでした。そのまま就職することに悩んでいたとき、母に背中を押してもらい、『大人の島留学』に参加することにしました」(清瀬さん)

「大人の島留学」で従事する仕事について、清瀬さんは、「行政の中でさまざまな取り組みをしている攻めの部署」を希望。海士町役場の人づくり特命担当課に配属されました。

仕事内容は、大人の島留学事業の推進。シェアハウスにするための空き家清掃や、情報発信、大人の島留学島体験の研修サポートを行いました。

「大人の島留学」時代、大人の島留学・島体験事務局として、島体験生のサポートをする清瀬さん(画像提供/清瀬りほさん)

「大人の島留学」時代、大人の島留学・島体験事務局として、島体験生のサポートをする清瀬さん(画像提供/清瀬りほさん)

西ノ島には、ハイキングコースがあり、休日は、花や野鳥を観察しながら散策を楽しんだ(画像提供/清瀬りほさん)

西ノ島には、ハイキングコースがあり、休日は、花や野鳥を観察しながら散策を楽しんだ(画像提供/清瀬りほさん)

冬になれば雪遊び。ご近所さんから野菜のおすそ分けをいただくことも多い(画像提供/清瀬りほさん)

冬になれば雪遊び。ご近所さんから野菜のおすそ分けをいただくことも多い(画像提供/清瀬りほさん)

島での生活を振り返ると、「たくさんの島の人の顔が浮かんでくる」と言います。

「仕事でも暮らしでもたくさんの島の方と関わりながら生活しているんだなと感じます。学生時代から地域づくりに関わっていましたが、短期の活動ではわからなかった地域の地道な努力が見えてきました」(清瀬さん)

大人の島留学がはじまって半年後、清瀬さんは移住を決めます。

「来島した当初は、街づくりが進んでいる海士町から、出身地である離島の街づくりの参考になることを学ぼうという気持ちでした。でも、仕事を任されるうちに、それでは島の人に失礼だと感じるようになったんです。地元のことは一旦置いて、目の前にある島の課題に向き合い、頑張ってみたいと思いました」

留学生時代から引き続き人づくり特命担当に携わる清瀬さんは、メディアプラットフォームで、「離島のリアルを伝える」仕事をしています。清瀬さんが行った留学生へのインタビューには、「手を動かすことで学びが増えていく」「自分のためにも島のためにも」「自分の世界が広がりました」などの見出しが掲げられています。

島前に住む若者インタビュー、島前紹介、イベントレポなどを掲載(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

島前に住む若者インタビュー、島前紹介、イベントレポなどを掲載(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

清瀬さんが、島留学・移住を経て最も成長したことは、「自分の意見を持ち、言葉で表現できるようになったこと」。

地元の盆踊り大会を楽しむ清瀬さんと自宅の草刈りの様子。草刈り機の扱いにも慣れた(画像提供/清瀬りほさん)

地元の盆踊り大会を楽しむ清瀬さんと自宅の草刈りの様子。草刈り機の扱いにも慣れた(画像提供/清瀬りほさん)

「離島に移住するのはハードルが高く思えるかもしれませんが、実際島を体験すれば合うか合わないかがわかります。覚悟を決めなくていいので、気軽に島留学に来てほしいです」(清瀬さん)

留学時代から住んでいる海士町の多井地区は、最も人口が少なく、商店はもちろん自販機もないところです。ここで暮らすうちに、多井のことが大好きになった清瀬さん。自分が好きな場所に住める幸せを実感しています。

「大人の島留学」のホームページには、体験者の声がいっぱい。オンライン授業を受けたり、休学して、移住生活をする大学生も多く、「島体験」や「大人の島留学」をきっかけに移住を決める人も……。島での「こころを揺さぶる原体験」が、自分を成長させてくれます。

●取材協力
・隠岐島前教育魅力化プロジェクト
・大人の島留学
・島根県立隠岐島前高等学校

地域おこし協力隊・高知県佐川町の“その後”が話題。退任後も去らずに定住率が驚異の7割超の理由

2009年から総務省がスタートした「地域おこし協力隊」制度。これは主に都市部に住む人が、「地域おこし協力隊員」として、地方へ1~3年という一定期間移住し、同自治体の委託を受けて地域の発展や問題解決につながる活動を行うこと。任期終了後も同地に住み続けることで、過疎化が進む地方の活性化の起爆剤としても期待されている。

とはいえ任期終了後も同地に住み続けるかは本人次第。総務省によると2021年3月末までに任期を終了した隊員たちが、その後も同地に住み続けている定住率は全国平均65.3%。この全国平均を上回る77%という数字をはじき出しているのが高知県佐川町だ。なぜ定住率が高いのかが実際に住み続ける元隊員たちの話を通じて見えてきた。

協力隊で得たスキルである程度安定して生活ができること、協力隊のコミュニティの心地よさ、さらに協力隊員同士での結婚などがその理由のようだ。さらに詳しい内容をレポートしたい。

個人経営が難しい林業を、行政が働きやすいシステムに改変し定住につなげる

高知県中西部に位置する佐川町は人口12,306人(2022年8月現在)。高知市のベッドタウンとしての役割も担うが、他の地方自治体同様に少子高齢化が進む典型的な田舎町だ。この町には現在、任期を終えた地域おこし協力隊員たちの77%に当たる39人が暮らしている。これは高知県の自治体の中で、2位64%の四万十町を引き離してトップに立つ。

(写真提供/斉藤 光さん)

(写真提供/斉藤 光さん)

定住者で大きな割合を占めているのが、別記事でも紹介した「自伐型林業」をなりわいとする林業家の元隊員たちだ。2014年に自伐型林業の地域おこし協力隊として佐川町に移住し、任期終了後も妻と2人の子どもと共に暮らしているのが滝川景伍さん。「自伐型林業に興味があり、林業家を目指し移住してきましたが任期の3年間だけでは林業家としての経験が足りませんでした。しかも佐川町以外の地域で、移住者かつ初心者である私が個人経営で民営地を預かり、林業で食べていくことは非常にハードルが高いです」

山に入って仕事をするためには、その山主の許可が必要だ。各山主の所有地の境界線は複雑に張り巡らされている。「佐川町の場合、行政が中心となり山主と交渉を行い、林業家が仕事をできるように『山の集約化』を進めました。そのおかげで私のような新人林業家でも、安心して山で働ける環境が確保されていました」

他地域への参入が難しい林業ゆえに、行政のバックアップで引き続き林業家として働く場所を提供する。この取り組みが、林業をなりわいとしたい協力隊の定住率アップの要因となったことは間違いなさそうだ。「佐川町には元隊員や任期中の隊員も含めて約80人が住んでいます。面白い人たちが多いので、その人たちをつなげるワッカづくりをしていきたい」と滝川さんは意気込んでいる。

重機を使い森の中で作業を行う滝川さん(写真提供/斉藤光さん)

重機を使い森の中で作業を行う滝川さん(写真提供/斉藤光さん)

林業を核に新たな人材の移住を促していく

2016年、林業での地域おこし協力隊の募集に加え、佐川町は“林業の六次産業化”を目指し、その拠点として「さかわ発明ラボ」を開設した。林業の六次産業化とは、生産物である材木の価値を高め、従事者の収入増を目指すこと。同ラボには最新のレーザーカッターなどデジタル工作機械が導入され、それらを巧みに操るクリエーターやエンジニアを地域おこし協力隊として募った。

「大学卒業後の進路に悩んでいたとき、『さかわ発明ラボ』の人材募集を見つけました。デジタル工作機械のものづくりで地域を盛り上げる取り組みは、難易度は高そうですが、やりがいを感じたので応募しました」と語るのは、同ラボの地域おこし協力隊の一期生として移住してきた森川好美さん。

神奈川県横浜市生まれで東京育ちの森川さんは、大学でデジタル工作機械でのあらゆるものづくり、いわゆる「デジタルファブリケーション」を学んだ。時代の先端を行く学問を修めながら、できたばかりの拠点はあるものの、その真逆の環境ともいえる佐川町での生活が始まった。

「移住当初は、自分の取り組みを町民の皆さんに知ってもらうため、毎週ワークショップを開催しました。ものづくりやデザインが好きな町民の方に足を運んでもらいましたが、取り組みを理解してもらえた実感はありませんでした。どうして良いかわからず、毎晩町内の居酒屋を飲み歩いた時期もありました(笑)」と当時を振り返り、苦笑する森川さん。

任期終了後はNPO法人「MORILAB」を立ち上げ、デザイナーやエンジニアとして活躍する森川さん(写真提供/森川好美さん)

任期終了後はNPO法人「MORILAB」を立ち上げ、デザイナーやエンジニアとして活躍する森川さん(写真提供/森川好美さん)

町内にある廃業した歯科医院を活用して開設された「さかわ発明ラボ(写真提供/森川好美さん)

町内にある廃業した歯科医院を活用して開設された「さかわ発明ラボ(写真提供/森川好美さん)

ラボ内ではスタッフ指導のもとで子どもたちもデジタル工作機械の体験ができる(写真撮影/藤川満)

ラボ内ではスタッフ指導のもので子どもたちもデジタル工作機械の体験ができる(写真撮影/藤川満)

ラボを拠点に新たな仕事を生み出していく

森川さんはその後も試行錯誤を繰り返し、ワークショップの対象を子どもたちへと広げた。「子ども向けワークショップを開催することで、親も興味をもってもらえる。そして子どもたちにとっては、家庭と学校以外の『第三の場所』として利用してもらえるようになり、取り組みに光が差してきました」

とはいえ東京の大学を卒業したばかりで、社会人経験も少なかった森川さんに対して、一部の心ない町民から冷ややかな視線を感じることもあった。「当時は同世代の友達もいなくて、辞めたいと思うこともありました。けれど新たな協力隊が赴任した2年目からは、業務を分担することができ、仲間が増えて楽しくなってきました」

協力隊3年目となった森川さんは、同ラボの業務以外に、大学の先輩が営む会社からや、それ以外の個人で受ける仕事も増えてきた。「任期終了後は、佐川町の木材などの地域資源をプログラミングやデザイン・設計を通して活用するNPO法人を立ち上げました。デジタル工作機器の導入サポートや加工の窓口としての業務にも取り組んでいます」

現在同ラボは、「ものづくりの場」「企画/デザイン」「子どもたちの学びの場」という三つの機能をもつ施設として、佐川町民から親しまれ、大学や大都市の企業でデザインや建築を学んだ協力隊員、元隊員の活躍の場となっている。

植物学者・牧野富太郎ゆかりの公園「牧野公園」で開催されたワークショップの様子(写真提供/森川好美さん)

植物学者・牧野富太郎ゆかりの公園「牧野公園」で開催されたワークショップの様子(写真提供/森川好美さん)

同世代という仲間意識が居心地の良い環境をつくる

「森川さんの活躍は高知に来る前から知っていました」と語るのは、今年隊員としての任期を終えたばかりの伊藤啓太さん。茨城県生まれの伊藤さんは、宮城県仙台市の大学でデジタルファブリケーションを学んだ。佐川町の取り組みを知ったのは、とある移住フェア。「『さかわ発明ラボ』と『自伐型林業』の連携に興味をもちました。自分があえて林業へ進めば、ラボとの接着剤の役目を果たせるのではと考えました」

林業家として採用された伊藤さんは、仕事ができない雨の日にラボへ足を運び、椅子づくりなどのワークショップを開催し、まさに接着剤として活動の幅を広げていった。任期終了後の現在、自伐型林業家兼木工デザイナーとしての道を歩み始めている。「滝川さんをはじめとする先輩林業家の人たちが、佐川町に残り働く姿を見てきたので、当たり前のように任期終了後もここで暮らすと決めていました」と伊藤さん。

実は森川さんと伊藤さんは、仕事を通じた交流をきっかけに2022年5月に結婚し、新居を町内に構えた。「最近は若い同世代の隊員が増えてきたことで、年に2~3組はカップルが誕生していますよ」と森川さん。隊員同士のカップルもいれば、隊員×地元民のカップルもいる。住む場所の決め手として、パートナーの存在も大きな要因。同世代という垣根の低さが多くのカップル誕生に寄与しているのかもしれない。

「将来的には自分で製材した木材を使ってアイテムづくりをしたい」と語る伊藤さん(写真提供/伊藤啓太さん)

「将来的には自分で製材した木材を使ってアイテムづくりをしたい」と語る伊藤さん(写真提供/伊藤啓太さん)

同ラボ内で語らう森川さんと伊藤さん。伊藤さんは、デジタル工作機械の操作方法を森川さんから指導されることもあると話す(写真撮影/藤川満)

同ラボ内で語らう森川さんと伊藤さん。伊藤さんは、デジタル工作機械の操作方法を森川さんから指導されることもあると話す(写真撮影/藤川満)

移住者コミュニティの発展が町全体の活性化へつなげていく

「都会にいると、意外と同世代異業種の人と交流することがありません。佐川町の地域おこし協力隊は、『ものづくり』をキーワードに集まった20~30代の同世代が多く、得意分野は違いますがプライベートでも遊ぶほど仲が良いですね」と語るのは神奈川県生まれの大道剛さん。任期終了後は、町内外の学校でのプログラミング教室などの支援を主な業務とし、町内で暮らしている。

さかわ発明ラボ内で語り合う大道さん(右)と(左から)同じく元隊員で建築士の上川慎也さん、革職人の松田夕輝さん(写真撮影/藤川満)

さかわ発明ラボ内で語り合う大道さん(右)と(左から)同じく元隊員で建築士の上川慎也さん、革職人の松田夕輝さん(写真撮影/藤川満)

「任期終了後の定住者がある一定数いることで、移住者のコミュニティが存在しています。さらにその中で気の合う仲間が集う複数のユニットがあり、田舎でありながら自分が心地よい場所をすぐに見つけられるのが佐川町の良いところです」と今の佐川町の移住者コミュニティの状況を教えてくれる大道さん。

さらに「東京のほうが同世代の数は圧倒的に多い、でも仕事以外での仲間はつくりにくいです。佐川のほうが同世代は少ないけど、職業を超えたつながりがつくりやすい。特技の違う仲間で雑談、相談が仕事に生きるし、そういった仲間が心の安心、支えになってくれていますね」と大道さんは、定住率の高さにつながる要因を示してくれた。

2022年7月末の夜、佐川町内バー「貉藻(むじなも)」にて、大道さんが進行役を務め、林業家の滝川さんが登壇し、自らの仕事とこれからの課題を語るイベントが開催された。集まったのは佐川町内に住む元隊員たちを中心とした移住者およそ20人。参加者の中に生粋の佐川町民はわずか1人だけだった。

滝川さんと大道さんを中心に開催されたバー「貉藻(むじなも)」でのイベント(写真撮影/藤川満)

滝川さんと大道さんを中心に開催されたバー「貉藻(むじなも)」でのイベント(写真撮影/藤川満)

「これは始まったばかりの試みで、これからはもともと佐川町に住む人たちの参加も促していくつもりです。まだまだ第一段階の状態です」と大道さん。移住者たちの高い結束力を目の当たりしたイベントながら、これからどのように発展し、どのように佐川町に作用していくのか注視したい。

地域おこし協力隊を活用した佐川町の取り組みは、さまざまな要因が好影響を及ぼし、高い定住率へとつながっているようだ。しかしそれは、地域おこし協力隊黎明期に移住した先輩隊員の努力が礎となっているのも確かだ。定住者コミュニティだけでなく、町全体を巻き込んだ活性化につなげられるのかは、先輩からバトンを受けた後輩隊員たちの努力次第かもしれない。

●取材協力
さかわ発明ラボ

住み続けたい街ランキング関西2022発表! 駅1位は夙川おさえ山陽電鉄・人丸前(明石市)。自治体1位は?

リクルートが関西圏(大阪府、兵庫県、京都府、奈良県、滋賀県、和歌山県)に居住している人を対象にWEBアンケートを実施した「SUUMO住民実感調査2022 関西版」を発表した。この調査は「住んでいる街(駅・自治体)に住み続けたいかどうか」を聞いたもの。住んでいる人に愛され、将来もずっと住み続けたいと思われているのはどんな街なのか。詳細を見てみよう。

「住み続けたい自治体」は芦屋市、西宮市、箕面市がトップ3に

アンケートは「住み続けたい自治体」と「住み続けたい駅」の2つについて尋ねた。それぞれ「子育てに関する自治体サービスが充実している」「今後街が発展しそう」「地域に顔見知りや知り合いができやすい」などさまざまな観点で、魅力項目を点数化した。
毎年発表している「住みたい街ランキング」は“住んでみたい”という憧れの要素が大きいが、「住み続けたい街」は居住者が感じるリアルな声が反映されている点が大きな違いだ。

まず、「住み続けたい自治体ランキング」を見てみよう。
トップ2は兵庫県の芦屋市、西宮市と、全国的なブランド力のある自治体が上位を占めた。

自治体ランキング TOP20

1位の芦屋市は、阪神間の閑静な住宅街として有名だ。魅力項目で「街の住民がその街のことを好きそう」が1位になったのもうなずける。
2位の西宮市も阪神間に位置し、「2022年住みたい街ランキング関西版自治体編」で今年も1位を獲得。年代別調査でも20代から70代以上まで全世代でトップ10入りした。
多くの人が憧れる理由が住んでいる人の実感値にしっかり裏打ちされていることがわかる。

西宮市(写真/PIXTA)

西宮市(写真/PIXTA)

ベスト20には、4位福島区、7位天王寺区、9位北区、13位阿倍野区、18位西区と大阪市内の5区が名を連ねた。いずれもマンション供給が多く、人口が急増している大阪市の中心地域だ。
神戸市では6位灘区、10位東灘区、11位中央区とベスト20位に3区がランクイン。また、京都府では8位京都市中京区、16位長岡京市、17位京都市左京区が入った。
大阪、神戸、京都とも、各都市の中心部やその近くに位置し、利便性の高い自治体が上位に並ぶ結果となった。

恵まれた自然環境や交通アクセスの良さで郊外の自治体も20位以内にランクイン

注目したいのは、中心地から離れた郊外も上位に登場している点。5位の奈良県北葛飾郡、16位の京都府長岡京市などだ。
北葛飾郡は馬見丘陵公園など広い公園や古墳が集まる穏やかな環境ながら、難波・天王寺方面へのアクセスが良い。長岡京市も竹林や筍で知られる自然環境が身近にあり、JR長岡京駅、阪急京都線長岡天神駅が利用できて京都の中心部や大阪方面への利便性が高い。「自然豊かな環境+都心へのアクセスの良さ」が郊外に「住み続けたい」と思わせるキーポイントのようだ。

馬見丘陵公園(写真/PIXTA)

馬見丘陵公園(写真/PIXTA)

新駅誕生や市民目線の施策で箕面市が3位に

ここからは3位以下で注目したい街を紹介しよう。
3位の大阪府箕面市は2023年度に北大阪急行延伸に伴い2つの新駅「箕面船場阪大前」「箕面萱野」駅が誕生する予定。延伸が完了すれば、大阪メトロ「梅田」駅まで約30分以内で結ばれる見通しで、箕面市から大阪市内へのアクセスが良くなることに期待値も高い。「子育てに関する自治体サービスが充実している」、「防犯対策がしっかりしており治安が良い」でも高評価を得た。同市では全ての市立小中学校の通学路及び公園に防犯カメラを設置。市が設置費用の一部を補助して自治会が設置した台数を含めると約2000台(令和4年9月時点)の防犯カメラが運用されており、犯罪抑止効果を高めるとともに、実際に早期の犯人検挙に繋がっているという。また、高齢者や障害者の交通サポートを低負担で提供。高齢者への火災警報器や紙おむつ給付など手厚いサービスも実施しており、「介護や高齢者向けサービスなどが充実している」を高く評価した人も多かった。

箕面萱野駅予定地(写真/PIXTA)

箕面萱野駅予定地(写真/PIXTA)

4位の大阪市福島区はこの10年あまりで新築マンション供給が相次ぎ人口も増加。もともと飲食店などが集積した繁華街のイメージが強いが、イオンをはじめスーパーマーケットが27もあり、生活上の用事を効率的に済ませられるのが評価のポイントになった。隣接する北区で進む「うめきた2期開発」の波及効果があり、発展への期待も大きそうだ。

5位の奈良県北葛飾郡は、“郡”といっても王子駅(JR関西本線、JR和歌山線、近鉄生駒線)を要する交通の要所。難波・天王寺方面へのアクセスが良く、駅周辺に「リーベル王子」など商業施設が充実している。自然環境に恵まれ交通利便性の良いことが、やはり大きな魅力だ。

府県別の自治体ランキングで兵庫県赤穂市や滋賀県守山市がトップ10入り

総合ランキングのほかに府県別ランキングの集計も行った。

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 大阪府

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 兵庫県

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 京都府

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 滋賀県

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 奈良県

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 和歌山県

大阪府では大阪市中心部と箕面市、吹田市、高槻市、豊中市の北摂エリアが上位を占めた。
兵庫県では阪神間と神戸市内が支持を集めたが、7位明石市のほか岡山県との県境に位置する赤穂市が10位に。同市は千種川が瀬戸内海に注ぐ城下町。新快速電車でJR播州赤穂駅から神戸まで直通70分と時間はかかるが、住む人たちは美しい自然や街並み、穏やかな環境に、都会の利便性以上の価値を感じているようだ。
奈良県は難波・天王寺・生駒にアクセスの良い北葛城郡王寺町が1位になり、広陵町も3位にランクイン。どちらも宅地や一戸建ての分譲が多く人口が増え続けているが、公園や古墳などが多く豊かな環境を享受できる点が魅力となっている。
滋賀県の1位、守山市はもりやまエコパーク交流拠点やびわこ地球市民の森、温泉施設ができて人気が復活。和歌山県有田市は結婚する人に住宅関連費用を最大30万円、出産祝金や入学祝金など最大で約200万円の支給で移住を促進している。
魅力的な新施設の創出や市民目線の施策により、県の中心地を抜いて1位を獲得した自治体があるのも興味深い。

「住み続けたい駅ランキング」では人丸前が1位に。子育て項目では明石市の駅が上位を占める

住み続けたい駅ランキング TOP20

次に「住み続けたい駅ランキング」を見ていこう。
驚くのは、阪神間の夙川や苦楽園口、京都の烏丸御池など人気の高い駅を抑えて明石市の人丸前が1位を獲得したこと。
人丸前は山陽電鉄本線の駅で、北には日本標準子午線で知られる明石市立天文科学館、南方面には海水浴場や芝生の広場などのある大蔵海岸公園が広がるのどかな駅だ。明石市といえば、おむつ定期便や第2子以降の保育料の完全無料化など手厚い子育て支援で注目され、「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で1位を獲得している。人丸前は「公共施設が充実している」でも7位。明石海浜プールや天文科学館、文化博物館などは年齢によって無料となり、身近に利用できる施設が多いのも魅力だ。
「子育て環境が充実している駅ランキング」ではほかにも同じ山陽電鉄の東二見が3位、西新町が4位、魚住が7位、大久保が8位、明石が10位と、明石市内の6駅がトップ10に並び、子育ての項目で圧倒的な強さを見せている。

2位の「さくら夙川」、3位の「夙川」、4位の「苦楽園口」は「住み続けたい自治体」2位の西宮市内にある駅。いずれも徒歩10分程度で行けるほど近接し、生活圏はほぼ同じだ。桜並木が美しい夙川公園があり、人気の阪急西宮ガーデンズも普段使いできる。大阪・神戸どちらにも電車で20分程度。魅力がバランス良く満たされている。
上位20位までに西宮市から8駅がランクインし、同市の強さも顕著となった。

5位の「姫松」は大阪市阿倍野区南西部の阪堺電気軌道上町線の駅で、大阪市住吉区北西部にかけて帝塚山と呼ばれる古い住宅地が広がる。学校が多い文教地区で、街の魅力項目の「教育環境が充実している」でも5位にランクインするなど、子育て層に人気が高い。

ターミナル駅の隣駅+再開発で阪急電鉄今津線の阪神国道がトップ10入り

人丸前と並び、これまで注目度が高くなかったがトップ10入りしたのが9位の阪急電鉄今津線阪神国道。西宮北口駅の1駅南にあり、人気の商業施設阪急西宮ガーデンズにも約1kmと徒歩圏。駅の東側の元アサヒビール工場跡地では公園を核とした大規模な再開発が予定され、新病院の建設も計画。「ターミナル駅の隣駅」「再開発による発展の期待」で高評価につながったようだ。

阪神国道駅(写真/PIXTA)

阪神国道駅(写真/PIXTA)

リクルートが毎年発表している「関西 住みたい街(駅)ランキング」の2022年版で1位を獲得した梅田は、今回の「住み続けたい駅ランキング」では50位以内に入っていない。「住みたい……」で2位だった西宮北口も「住み続けたい駅……」では13位と意外な結果だった。
梅田も西宮北口も交通アクセス、買い物利便性が高いターミナル駅。多くの人が「住んでみたい」と思う街だが、ずっと住み続けたいと思わせるには、子育て環境や高齢者サービス、静かで落ち着いた住環境など違った魅力が不可欠なのかもしれない。
住んでみなければ分からない実感を反映したこのランキングを参考に、本当の住みやすさとは何かを考えてみたい。

●関連サイト
「SUUMO住民実感調査2022 関西版」2022年住み続けたい街(自治体/駅)ランキング

移住相談も課長募集もSlackで!? 長野県佐久市の「リモート市役所」が画期的と話題

移住に興味があるけれど、コロナ禍で情報収集できる機会が減ってしまった……。そんな状況を補うのが、ビジネスチャットツール「Slack」を活用した、長野県佐久市による移住のオンラインサロン「リモート市役所」。日本で初めて自治体が運営する、移住の共創型オープンプラットフォームです。
サービス開始は2021年1月。どんな背景でスタートしたのか、どんなコンテンツがあるのか、市民や移住希望者の反響は? リモート市役所を担当する佐久市役所広報広聴課の垣波さんと、移住交流推進課の森下さんにお話をうかがいました。

移住関心度の高い佐久市の新たなシティプロモーション

長野県の東部に位置する佐久市は、浅間山、蓼科山、八ヶ岳を望む自然豊かなまちです。標高約700mの佐久平駅を中心に市街地が広がり、憧れの避暑地として知られる軽井沢もご近所。東京から佐久平までは新幹線で約75分と、首都圏からのアクセスも良好です。

新幹線が停車する佐久平駅を中心に市街地を形成。山もすぐそこ(写真提供/佐久市役所)

新幹線が停車する佐久平駅を中心に市街地を形成。山もすぐそこ(写真提供/佐久市役所)

人口は10万人弱。日本の地方都市同様、高齢化が進み、2010年をピークに人口は減少に転じています。一方、ほかの地域からの転入者数は転出者数を上回っており、2021年の社会増減数(統計ステーションながの「毎月人口異動調査(2021年)年間人口増減 統計表」より)は長野県で第一位。住みやすい環境などから、移住への関心の高さもうかがえます。

そんな佐久市では、従来から市役所に移住相談窓口を設置していました。さらにリモート市役所を立ち上げたのは、どんな経緯があったのでしょうか。
「移住希望者に向けて、まずは佐久市を知ってもらおう、来てもらおうと活動してきましたが、2020年、コロナ禍に突入。佐久市を実際に訪問してもらうことは難しくなりました。そこで、移住に興味のある方が佐久市民とつながり、情報のやり取りができるコミュニケーションプラットフォームとして、『リモート市役所』を立ち上げました」と垣波さん。
実際に足を運ばずとも、佐久市のリアルな情報や魅力を届けたいと考えたのです。

Slackを活用してインタラクティブなメディアに

「Slack」とは、職場で採用していておなじみの人も多いですが、改めて紹介すると、アプリやWEB上で情報共有、グループチャット、ダイレクトメッセージ、通話などができる、いわゆるコミュニケーションツール。この現代的なツールを活用することで、ホームページのような自治体サイドからの一方的な発信ではなく、移住を考える方が暮らしにまつわる質問を投げかけ、実際に佐久市に住んでいる市民が答えるという、双方向のコミュニケーション環境が生まれました。
Slackは書き込みや閲覧に会員登録が必要で、ホームページと比べると閲覧者は限られる一方で、参加者同士がダイレクトにやり取りできるのがメリット。感じたことに対してすぐに反応が返ってくることや、答える側もかしこまったスタンスではなく、自分の本音を伝えることができるため、より現実味のある情報を交換することができます。
利用者の声を聞いてみても、「気軽に質問できる」「リアルな声を発信できる」と、楽しんで活用している様子。垣波さんたち職員も、いち市民の目線で参加し、質問に答えているそうです。

佐久市役所広報広聴課広報係の垣波竜太さんと、移住交流推進課移住推進係の森下慶汰さん

佐久市役所広報広聴課広報係の垣波竜太さんと、移住交流推進課移住推進係の森下慶汰さん

リモート市役所のトップ画面。のぞいてみたくなる、ワクワクするデザインです(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所のトップ画面。のぞいてみたくなる、ワクワクするデザインです(写真提供/佐久市役所)

現在、リモート市役所にはおよそ10の課(チャンネル)が用意され、「写真課」「魅力はどこ課」「子育て課」など、それぞれのテーマごとに楽しげなやり取りが行われています。「佐久市の写真」チャンネルでは、市民が撮影した写真を気軽に投稿。ちなみに、昨冬の雪の写真はインパクト大でした。実は雪は滅多に降らないエリアのため、「浅間山が3回白くなると里に雪が降るといわれています」「風が吹くとかなり寒い。冬はマイナス10度を下回ることも」「移住を考えている方は、冬に一度訪れるのがおすすめ」など、話のタネになったとか。どんな気候なのかも、移住したい人には気になるところですよね。ちなみに、標高約700mの佐久市では、観測史上、熱帯夜(夕方から翌朝までの最低気温が25度を超える夜)を記録したことがないのだとか。晴天率は全国トップクラス。快適に過ごせそうです……!

雪の日の写真を市民がアップ。冬の寒さや雪の多さも事前に知っておきたいところ(写真提供/佐久市役所)

雪の日の写真を市民がアップ。冬の寒さや雪の多さも事前に知っておきたいところ(写真提供/佐久市役所)

5月の連休には県下最大級の熱気球大会「佐久バルーンフェスティバル」が行われます(写真提供/佐久市役所)

5月の連休には県下最大級の熱気球大会「佐久バルーンフェスティバル」が行われます(写真提供/佐久市役所)

「移住の質問部屋」では、「保育園の入りやすさはどう?」「4月に引越すのだけど、暖房器具は必要?」「自治会費っていくらくらい?」など、かなり具体的な質問が飛び交います。ときにはマイナスな情報も、隠さずに伝えているのが印象的です。
「たとえば、佐久市では家庭ゴミは有料の指定袋に入れ、しかも名前を書かなくてはならない。それが面倒だという市民の声も実際にあるのですが、移住を考えている方にはネガティブなことも含めて、ありのままを知ってほしい。あとで違った、こんなはずじゃなかったと後悔するよりも、わかって納得したうえで、それでもメリットの方が上回るから住みたい、と思ってもらえたら」と森下さんは言います。

「アイデア」チャンネルでは提言、提案も盛んです。「保育園の空き状況を調べるのに一件ずつ見ていくのが大変。今自分が住んでいる自治体のように一覧にしてほしい」など、こんなチャンネルがほしい、こんなアプリがあったら……といった声が上がります。「ここが使いづらい、もっとこうだったらいいのに、と思っても、わざわざ市役所にメールする方はなかなかいませんよね。思いついたら気軽に声が上げられるのも、リモート市役所ならではかな、と思っています」(垣波さん)

移住に興味のある人と市民が情報交換できる「移住の質問部屋」。スレッド機能があり追跡しやすいのもいい(写真提供/佐久市役所)

移住に興味のある人と市民が情報交換できる「移住の質問部屋」。スレッド機能があり追跡しやすいのもいい(写真提供/佐久市役所)

参加者は、開始2カ月半で約800人が登録。その後じわじわと増え続け、2022年7月現在、1900人強が参加しています。垣波さんによると、誰でも無料で参加できるので、特に発信はしない“見る専”の方も多いそう。匿名でも参加可能のため、本音でトークしやすく、ローカルネタで盛り上がることもあるようです。<拍手>や<いいね>といったリアクションスタンプが押せるのもとっても気楽! チャットを眺めているだけでも、佐久市への興味が高まってきます。

投稿をきっかけに始まった、新たな移住支援サービス

リモート市役所内の投稿をもとに、新たな取り組みも始まりました。佐久市への移住を検討している方向けの試住の支援サービス「Shijuly(シジュリー)」です。

試住をサポートするサイト「Shijuly」も生まれました(写真提供/佐久市役所)

試住をサポートするサイト「Shijuly」も生まれました(写真提供/佐久市役所)

「生活環境を確認したい、学校を見学したい、家を探したい、という方たちに、お試しで滞在する『試住』をおすすめしています。その際の宿泊先や、子どもの預け先はどうするか、コワーキングスペースはあるかなど、知りたい情報をまとめたサイトがShijulyです」と森下さん。
試住中の宿泊費や移動費などに最大50%補助金(上限あり)が出るのも魅力です。補助金の申請もオンラインで行えて便利。「補助金の利用上限日数は最大6日分ですが、2泊を2~3回に分けて、という方も結構いらっしゃいます。ぜひ、移住のシミュレーションをしてみてください」

稲荷山公園など、市内で子どもと遊べる公園も紹介しています(写真提供/佐久市役所)

稲荷山公園など、市内で子どもと遊べる公園も紹介しています(写真提供/佐久市役所)

業務はオンライン、副業OK、報酬ありの「リモート市役所課長」が誕生

さらに、リモート市役所の「課長」を広く募集したことも話題を呼びました。リモート市役所課長は原則オンラインでの業務で、月に1度の運用会議に参加するほか、Slack内の投稿やリアクションにも対応する、いわばリモート市役所の盛り上げ役。副業も歓迎、報酬もあります(今年度は、年間で固定給50万円、企画・運用費50万円)。

リモート市役所課長募集のお知らせも、わかりやすくてユニーク(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所課長募集のお知らせも、わかりやすくてユニーク(写真提供/佐久市役所)

2021年度の初代課長には、実際にリモート市役所を活用して佐久市に移住した、伊藤侑果さんが選ばれました。伊藤さんは、子育てしながら起業家として働く女性。移住者視点、ママ視点を活かして、熱量をもってさまざまなプロジェクトに携わったそうです。
そして今年度、二代目課長に任命されたのは、FMヨコハマのラジオディレクター・やのてつさん。番組の企画で佐久市に訪れたのをきっかけに佐久市のファンになり、首都圏在住でありながら、佐久市への愛にあふれた方なのだそうです。

本年度のリモート市役所課長に選ばれたやのてつさん。任期は2023年3月末まで(写真提供/佐久市役所)

本年度のリモート市役所課長に選ばれたやのてつさん。任期は2023年3月末まで(写真提供/佐久市役所)

7月には、初のオンラインイベント「リモート市役所サミット」が開催されました。サミットでは、移住を検討するファミリーに向けて、佐久市の魅力を感じられる移住モデルコースづくりにチャレンジ。2チームに分かれてZOOMでワークショップを行いました。

リモート市役所サミットの風景。当初はオフラインを予定していましたが、新型コロナの感染者増加に伴いオンラインで実施(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所サミットの風景。当初はオフラインを予定していましたが、新型コロナの感染者増加に伴いオンラインで実施(写真提供/佐久市役所)

課長のやのてつさんが審査員となり、優秀チームを決定。後日、やのてつさんがご家族とともに実際にそのモデルコースを訪問・取材し、FMリモート市役所でオンエアする予定です。
「リモート市役所は文字や写真での発信がメインですが、やのてつさんの課長就任を機に、ラジオコンテンツ『FMリモート市役所』を強化中。またポッドキャストなど、新たな音声コンテンツも発信していく予定なので、お楽しみに」(垣波さん)

FMリモート市役所では、Slackでの投稿から抽出した選りすぐりの情報などを音声でお届け(写真提供/佐久市役所)

FMリモート市役所では、Slackでの投稿から抽出した選りすぐりの情報などを音声でお届け(写真提供/佐久市役所)

こうした取り組みが評価され、リモート市役所は
「シティプロモーションアワード2021」金賞・未来創造賞
「PRアワードグランプリ2021」ブロンズ
「第14回日本マーケティング大賞」奨励賞
「PR Awards Asia 2022」2部門でゴールド
「Golden Worlds Awards 2022」パブリック・セクター部門最優秀賞
といった賞に輝いています。

また、全国の自治体から問い合わせやオンラインでの視察申し込みも相次ぎました。今年5月には、福岡県北九州市でもSlackを用いた移住のオンラインサロン「バーチャル北九州市」がオープン。佐久市のリモート市役所がお手本となって開設されたそうです。

PR Awards Asia 2022の盾が輝きます(写真提供/佐久市役所)

PR Awards Asia 2022の盾が輝きます(写真提供/佐久市役所)

市民同士の交流を深め、シビックプライドの向上をめざす

実際にリモート市役所への参加を機に佐久市へ移住したのは、わかっているだけで3人。ちょっと少ない数字に見えますが、Uターンや長野県内からの転入もあり、数の把握が難しいのだとか。「今年度より移住者の実情を把握するため、市民課の窓口に転入届を出す際に、自分の意思で移転したか、5年以上住み続ける意思があるか、というアンケートを取り始めました。その結果にも期待したいです」と森下さんは言います。

今後のリモート市役所は、どうなっていくのでしょう。
「参加者も増えてきていますし、イベントの開催など、もっと定期的にチェックしてもらえるような場にしていきたい。市民にとっても、市民同士の交流の場として使ってもらえることを期待しています。佐久市っていいところだなと、市民のみなさんに誇ってもらえるように」と垣波さん。
移住情報中心のプラットフォームとしてだけでなく、市民と市民、市民と行政をつなぐ場所としての役割も担うリモート市役所。市民が愛着を持てる、誇れるまちであることが、移住のその先、定住の促進へとつながっていくはずです。

●取材協力
佐久市役所
リモート市役所
Shijuly・シジュリー
FMリモート市役所

シングルが住み続けたい街ランキング(家賃8万円以下)を世田谷線沿線が席巻! ローカル感がエモい街

リクルートは10月「SUUMO住民実感調査2022首都圏版」と、「SUUMO住民実感調査2022首都圏版 家賃水準別住み続けたい駅ランキング」の2つを発表した。前者は、首都圏に住む20代以上の男女に、現在住んでいる街に住み続けたいかを聞き、その希望度が高い駅・自治体をランキングしたもの。後者は、その上位の中から、賃貸物件の家賃相場が一定の基準をクリアする駅だけでエリア別にランキングしたものだ。今回、紹介するのは後者の方、住民が今後も住み続けたいと感じていて、かつ賃貸物件も手が届きやすい街のランキングとなる。「東京23区シングル家賃8万円以下住み続けたい駅ランキング」のトップ10に、東急世田谷線(以降、世田谷線)、山下、上町、宮の坂、松陰神社前、松原の5駅がランクインした。
世田谷線は、下高井戸駅と三軒茶屋駅(全ての駅は世田谷区内)を結ぶ軌道線で、新宿駅や渋谷駅といった主要ターミナルを起点としない、比較的マイナーな路線といってよいだろう。なぜ、世田谷線の街が多数ランクインしたのだろうか?

高度成長期に「取り残された」のが都内の数少ない軌道線である世田谷線松陰神社前駅に停車する世田谷線の車両。小ぶりの車体の2両編成。うち1編成は、沿線の名所・豪徳寺の「招福の招き猫」が車体にあしらわれている。車内のつり革も猫型だ(写真撮影/村島正彦)

松陰神社前駅に停車する世田谷線の車両。小ぶりの車体の2両編成。うち1編成は、沿線の名所・豪徳寺の「招福の招き猫」が車体にあしらわれている。車内のつり革も猫型だ(写真撮影/村島正彦)

世田谷線は、軌道を走るトラム型車両で運行されている。同様の軌道電車には、都内ではもう一つ、三ノ輪橋と早稲田を結ぶ都電荒川線(東京さくらトラム)がある。

歴史を紐解けば、明治後期(1907年)に近代化・都市開発のため必要な砂利を多摩川から調達するため、渋谷と玉川(現在の二子玉川)の間に軌道(道路上に電車などが走るために設けた線路)が開業した。大正14年(1925年)に三軒茶屋から下高井戸の間に新設軌道の支線、下高井戸線が設けられた。

モータリゼーションの高まりとともに、昭和44年(1969年)現在の国道246号上の軌道線・渋谷~玉川の路線が廃止され、道路と共用しない専用軌道であり残った三軒茶屋~下高井戸の支線は「世田谷線」と改称された。

ほとんどの駅に改札はなく、全線150円の均一料金(2022年現在)。低いプラットフォームから乗降可能な、通常の鉄道車両より小ぶりな2両編成で、三軒茶屋と下高井戸間の5.0kmを17~18分かけてゆっくりとしたスピードで運行されている。

20代後半~30代の「大人のシングル」に人気の松陰神社前(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)

(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)

特筆すべきは、8位に松陰神社前。

地元で不動産仲介サイト「せたがやクラソン」を運営している(株)松陰会舘の山下勇樹さんは「都心に近いことを重視して、東急東横線の祐天寺~中目黒駅あたりや、田園都市線の池尻大橋~三軒茶屋駅あたりで部屋を探していた人が、家賃の兼ね合いもあるでしょうが、少し踏み込んで世田谷線で物件を探してみて、ゆったりとした街の雰囲気に魅せられて住み始めた人が多いように思います。20代後半から30代の単身者、職業は多種多様ですが、広告業界やライター、デザイナーといった自分のスタイルを持った人が多い印象です」と話してくれた。

週末にはカフェ巡りなど来街者も増えて、いまではすっかり世田谷線を代表する駅として認知されている松陰神社前だが、そうした動きはいつからだろうか。

(株)松陰会舘代表の佐藤芳秋さんは、生まれも育ちもこのエリアだ。佐藤さんによると「2010年ごろは世代交代などで空き店舗が目立っていました。それが、大きく変わったのが2014~15年ごろです。若い人たちがカフェやバルなど出店し始めて街に活気と華やぎが戻ってきました」と話す。「自社では、仲介のほか不動産も所有しているので、世田谷線に面した自社所有の老朽化した木造アパートを、用途転用・リノベーションして物販ができるテナントとして企画したのが松陰 PLAT です。新しい店が飲食店に偏っていたので、地域の人が手土産や日々の生活に彩りを加える雑貨などを売る物販のテナントも意識的に呼び込みました」と打ち明ける。地元で50年前からガス事業と不動産業を営む松陰会舘の3代目として、当時は取締役であった佐藤さんが事業を主導した。

松陰神社前駅のほど近くに2014年にオープンしたスイーツ店「MERCI BAKE(メルシーベイク)」。気取らないオシャレなフランス菓子は、手づかみで食べられる。このころから、松陰神社前駅の商店街に若い感覚のお店の開店ラッシュとなった(写真撮影/村島正彦)

松陰神社前駅のほど近くに2014年にオープンしたスイーツ店「MERCI BAKE(メルシーベイク)」。気取らないオシャレなフランス菓子は、手づかみで食べられる。このころから、松陰神社前駅の商店街に若い感覚のお店の開店ラッシュとなった(写真撮影/村島正彦)

ぷらっと寄れる街のプラットホーム「松陰PLAT」は、2016年に佐藤さんが自社物件の築50年の木造アパートを8つの商業施設にリノベーションした。物販店や飲食店が入居する(写真撮影/村島正彦)

ぷらっと寄れる街のプラットホーム「松陰PLAT」は、2016年に佐藤さんが自社物件の築50年の木造アパートを8つの商業施設にリノベーションした。物販店や飲食店が入居する(写真撮影/村島正彦)

「自社で仲介など行う範囲と重なりますが、世田谷区のなかでも、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と勝手に呼んで、2015年に『せたがやンソン』というお店を紹介するウェブメディアを立ち上げました」と話す。

佐藤さんは、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と命名した。世田谷線沿線がまさにこのエリアだ(作成/SUUMOジャーナル)

佐藤さんは、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と命名した。世田谷線沿線がまさにこのエリアだ(作成/SUUMOジャーナル)

このころには、松陰神社前は若い出店希望者が殺到したが、空き店舗が見つからず、上町・宮の坂・山下などに新しい店が少しずつ広がっていったという。こうした、新しい店を応援し紹介し、地域の価値を高めるメディアとして立ち上げたのが、『せたがヤンソン』だ。店主のこだわりや店を開くに至った動機や人となりについて記事に盛り込むことを心掛けている。

この地域は都心に近いながら、ある意味あまり知られていない穴場エリア。「サイトの月間のPVは約3万とそれほど多くはありません。でも、サイトを見て、お客さんが店主の背景を知り、店主との会話のきっかけになっているという話をよく聞きます。あまり流行りすぎもせず、ゆったりとコミュニケーションがつくられる状況は、ちょうど良いと思っています」と話す。

佐藤さんは、2015年から「せたがやンソン」という世田谷ミッドタウンの情報サイトを立ち上げた。2022年6月にはサイトで紹介したお店100軒を載せた「せたがやンソン MY SETAGAYA100」を出版(HPより)

佐藤さんは、2015年から「せたがやンソン」という世田谷ミッドタウンの情報サイトを立ち上げた。2022年6月にはサイトで紹介したお店100軒を載せた「せたがやンソン MY SETAGAYA100」を出版(HPより)

昭和の商店街に新感覚のお店が混在。エモい街!

佐藤さんと同じく、このエリアが故郷の吉澤卓さんは「国士舘大学や駒澤大学、日本大学(文理学部)などが近くて、学生のころから住み慣れ親しんだ人が、そのまま気に入って住み続けている面もあるのでは」と話す。

吉澤さんは、2021年に親が所有する松陰神社駅前のビル2階に、コワーキングスペース「100work」と個人オーナーが小さな書棚で本を売る「100人の本屋さん」、イベントスペース「100cube」を開設した。約130平米の空間に3つの機能がシームレスに混在している。
「新型コロナでステイホームになった近隣の住民が、家では集中できないときや人と話したいと思った際に利用してもらえるような、街の小さな文化・交流拠点になればと思いました」と意図を語ってくれた。

「100人の本屋さん」(松陰神社前)にて、吉澤卓さん(左)と佐藤芳秋さん(右)に話しを聞いた(写真撮影/村島正彦)

「100人の本屋さん」(松陰神社前)にて、吉澤卓さん(左)と佐藤芳秋さん(右)に話しを聞いた(写真撮影/村島正彦)

世田谷線エリアの生まれ育ちで、地域に詳しい佐藤さん・吉澤さんに、この地域にシングルが住み続けたいと感じる魅力について尋ねた。2人の意見を総合すると以下のようなものだ。

・個性的なほかの街にないような飲食店・物販店がある。
・商店街の古くからのお店と、若い人たちが新しく開いたお店が適度に混じり合うことで重層的魅力をつくっている(下町感のある商店街に洒落た店が点在)。
・駅が小さく、また道路が狭いから大きな建物がない。テナントも10坪程度の狭い物件ばかりで、ナショナルチェーンでは採算が合わず出店しないから、街が画一的にならない。逆に若者が小規模な資金で店を開きやすい。
・商店街、道が狭いく緩やかに蛇行するなど(クルマ通りが少なく)歩く人が中心で知り合いと顔を合わせやすい。
・招福の招き猫で有名な豪徳寺、世田谷城址、世田谷八幡、ぼろ市通り、代官屋敷、松陰神社などプチ名所を散歩(世田谷線)で巡って楽しい街。自転車があると最強。
・住民は古くからの地域の老人やファミリー、シングルが混在しており多様な人間模様。気取らない普段着で外出することができる。
・世田谷線を使わなくても、田園都市線や、小田急線・京王線などの駅から歩けなくはない。都心への時間距離はさほどではない(近い)が、賃料は安め。
・上町からは渋谷までバス便が便利。国道246号には通勤時はバスレーンがありスムース。本数も多い。

といったところだ。

これを聞いていた、仲介の山下さんからは「この間、案内した20代後半のシングルの方は、初めて世田谷線エリアを歩くらしく『エモいっすねー』と連発して感激していたのが印象的でした」という。昭和から続く商店街のゆったりした古風な佇まいに、いま風のお店が混じり合って、老いも若きも気取らずに生活を楽しんでいる風景が「エモい」という表現になったようだ。
言い換えてみるなら、大都会・東京にあって、人と人の距離が近い「田舎感」にあふれるエリアということだろうか。

以下、世田谷線沿線の雰囲気を感じていただけるスポットを紹介する。

松陰PLATの一角「good sleep baker」は、クラフトビール(3種の樽を常時開栓)を楽しめる。焼きたてパンも売っており、店内で食べることも持ち帰りも可。店主の小林由美さんによると「仕事を終えた後に美味しいビールを飲んで、明日の朝食のパンも調達できるお店」というコンセプトだ(写真撮影/村島正彦)

松陰PLATの一角「good sleep baker」は、クラフトビール(3種の樽を常時開栓)を楽しめる。焼きたてパンも売っており、店内で食べることも持ち帰りも可。店主の小林由美さんによると「仕事を終えた後に美味しいビールを飲んで、明日の朝食のパンも調達できるお店」というコンセプトだ(写真撮影/村島正彦)

上町駅の近くの包丁と砥石のお店「ひとひら」。店主の相澤北斗さんは「包丁は、研いでメンテナンスしながら長く使って欲しい」という。世田谷・上町に店を開いたのは「生活・食をきちんと楽しんでいる人が多く住んでいるから」という理由だった。販売だけでなく、包丁研ぎのサービスも行っている(写真撮影/村島正彦)

上町駅の近くの包丁と砥石のお店「ひとひら」。店主の相澤北斗さんは「包丁は、研いでメンテナンスしながら長く使って欲しい」という。世田谷・上町に店を開いたのは「生活・食をきちんと楽しんでいる人が多く住んでいるから」という理由だった。販売だけでなく、包丁研ぎのサービスも行っている(写真撮影/村島正彦)

宮の坂駅近く、モダンな設えの和菓子屋さん「まほろ堂蒼月」。山岸史門さんは「オーソドックスな和菓子はもちろんオリジナルにもこだわりたい」という。店内には喫茶スペースもあり、窓からはゆっくりと走る世田谷線を眺めながら、お茶とお菓子を楽しめる(写真撮影/村島正彦)

宮の坂駅近く、モダンな設えの和菓子屋さん「まほろ堂蒼月」。山岸史門さんは「オーソドックスな和菓子はもちろんオリジナルにもこだわりたい」という。店内には喫茶スペースもあり、窓からはゆっくりと走る世田谷線を眺めながら、お茶とお菓子を楽しめる(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺・山下駅近くの青果店「九百屋 旬世(くおや しゅんせ)」。鮮度抜群の野菜が手頃な値段とあっていつも店頭は人だかりが。仕入れた野菜・果物でスムージーやボリューム満点のサンドウィッチを店内で製造販売し、地元の人に人気だ(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺・山下駅近くの青果店「九百屋 旬世(くおや しゅんせ)」。鮮度抜群の野菜が手頃な値段とあっていつも店頭は人だかりが。仕入れた野菜・果物でスムージーやボリューム満点のサンドウィッチを店内で製造販売し、地元の人に人気だ(写真撮影/村島正彦)

山下駅・豪徳寺駅から徒歩5分の住宅地に2022年2月にオープンした「七月堂古書部」。詩歌を中心とした新本と古書の書店だ。明大前から引っ越してきた。古書部部長の後藤聖子さんは「のんびりとした住宅地ですが、お客様が探してたどり着いて下さいます」と話す(写真撮影/村島正彦)

山下駅・豪徳寺駅から徒歩5分の住宅地に2022年2月にオープンした「七月堂古書部」。詩歌を中心とした新本と古書の書店だ。明大前から引っ越してきた。古書部部長の後藤聖子さんは「のんびりとした住宅地ですが、お客様が探してたどり着いて下さいます」と話す(写真撮影/村島正彦)

世田谷線沿線は散歩コースも充実

世田谷線沿線には、ささやかな観光スポットが点在している。住んでみれば、日常的な散歩コースに組み入れて、仕事や雑事をしばし忘れることができそうだ。

豪徳寺(山下駅・宮の坂駅) 彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺。招き猫が多数奉納されていることで観光スポットにもなっている。墓所には、幕末・桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺(山下駅・宮の坂駅) 彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺。招き猫が多数奉納されていることで観光スポットにもなっている。墓所には、幕末・桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も(写真撮影/村島正彦)

世田谷八幡宮(宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷八幡宮(宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷城址公園(上町駅・宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷城址公園(上町駅・宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

松陰神社(松陰神社前)(写真撮影/村島正彦)

松陰神社(松陰神社前)(写真撮影/村島正彦)

世田谷代官屋敷(上町駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷代官屋敷(上町駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷ボロ市(上町駅・世田谷駅) 代官屋敷前の通りで400年続く「市」。毎年12・1月15・16日に開催される(写真撮影/村島正彦)

世田谷ボロ市(上町駅・世田谷駅) 代官屋敷前の通りで400年続く「市」。毎年12・1月15・16日に開催される(写真撮影/村島正彦)

それから、山下さんからは「沿線で人気の地域スーパー、オオゼキの存在も大きいかもしれません」という話が飛び出した。
「世田谷線沿線での住み替えを案内することがありますが、“オオゼキがある街”という希望もよく聞きます」
日常的に使う、スーパーマーケット・オオゼキは地域密着で、エリアの魅力に貢献しているのだという。

オオゼキは売り場に、仕入れ・販売の権限を任せることで地元民の絶大な支持

オオゼキは、世田谷線の松原駅の近くで乾物屋を営んでいたが、1965年にスーパーマーケットに業態変更した。以来、世田谷区を中心とした東京、そして神奈川・千葉に合計41店舗を展開するスーパーだ(2022年現在)。

(株)オオゼキのコミュニケーション統括本部の内田信也さんにお話を聞いた。
「オオゼキは、松原駅の至近に本店の松原店があります。また世田谷線沿線では、上町店があります。この2店舗は、41ある当社の店舗のなかでもとりわけ床面積が大きい旗艦店となります」と説明する。「創業の地である世田谷線エリアは、昔からのお客様、そして地域柄、進学や就職で上京した方が多く住む地域です。ファミリー層から単身者まで幅広い方にご利用いただいています」

松原駅・上町駅の最寄りには地元密着スーパーで地元民に絶大な人気を誇る「オオゼキ」がある。(写真は松原店)品ぞろえ豊富で店員さんは親しみもあり、オリジナルお総菜・弁当や寿司の美登利も店内で製造販売。シングルの味方だ(写真撮影/村島正彦)

松原駅・上町駅の最寄りには地元密着スーパーで地元民に絶大な人気を誇る「オオゼキ」がある。(写真は松原店)品ぞろえ豊富で店員さんの親しみもあり、オリジナルお総菜・弁当や寿司の美登利も店内で製造販売。シングルの味方だ(写真撮影/村島正彦)

上町店(写真撮影/村島正彦)

上町店(写真撮影/村島正彦)

地域のシングル層にオオゼキが訴えるポイントについて「当社は、各店舗・売り場毎に担当者が仕入れから販売まで責任を持つ方針を創業以来とっています。お客様から、このこだわりの商品を入れて欲しいと担当者が聞いて、できる限り対応しています」と内田さん。

例えば、味噌や醤油など、日本全国を網羅し地域性豊かに50~60種類を常時置いている。地方から上京した単身者にとって、近所で手軽に故郷の味が手に入るわけだ。

以下のように続ける。
「全国展開の大手スーパーであれば、社員は管理部門に少数を配置し、多くをパートでまわしています。対して、当社は、レジ担当を含めてスタッフの7割を正社員として採用しています。これが、仕入れと売り場に責任を持って回してくれること、社員ひとり一人に権限を与えているので、お客様のニーズをダイレクトに聞き仕入れ、店頭に並べる商品に反映することに繋がっています。また、地方から上京してきた高卒社員も積極的に採用し、若いうちから売り場を担当してもらっています。若い子は、最新の流行に敏感ですから、新しい・流行っている商品をすぐに仕入れて売り場に並べてくれます。こうしたことも、シングルの若い方に好感をもっていただけるポイントなのではないでしょうか」

また、鮮魚・肉など生鮮食料品売り場で、若い男女のグループが買い物をしているシーンを見かけるという。
「友達をアパートに呼んで、ふだんはやらない鍋でもしようかというときに、オオゼキなら一人暮らしではふだん買えない珍しい食材をみんなでわいわい買うことができて楽しい、という声を聞きます」

冬は、多品種の魚介類をパックにした寄せ鍋セットや、ボリュームたっぷりのアンコウの切り身・肝などを売っている。
「また、各店舗に店内でお総菜・お弁当を作って販売しています。それから、近傍の梅ヶ丘の有名店・寿司の美登利に、松原店・上町店などでは専従スタッフを置いてもらい、できたてのお寿司を買うことができるのも、地域の方には重宝してもらっているのでは」と話してくれた。

オオゼキの生鮮品の品ぞろえ豊富で、飲食店を営むプロの仕入れの場でもあるという。トマトは常時15種類程度の品ぞろえ 、魚介類も穴子や鮎、のどぐろ、ツブ貝、ドジョウなどなど普通のスーパーではなかなか見かけないものまで多品種をそろえる(写真撮影/村島正彦)

オオゼキの生鮮品の品ぞろえ豊富で、飲食店を営むプロの仕入れの場でもあるという。トマトは常時15種類程度の品ぞろえ 、魚介類も穴子や鮎、のどぐろ、ツブ貝、ドジョウなどなど普通のスーパーではなかなか見かけないものまで多品種をそろえる(写真撮影/村島正彦)

醤油、味噌なども全国のメーカーの「レアもの」がそろう。味噌だけで約60種類。東京にいながら、出身地の味が手ごろに入れられる(写真撮影/村島正彦)

醤油、味噌なども全国のメーカーの「レアもの」がそろう。味噌だけで約60種類。東京にいながら、出身地の味が手ごろに入れられる(写真撮影/村島正彦)

世田谷線は、新宿や渋谷といったターミナル駅に直結しておらず、地元密着の個人店やスーパーもあいまって、大都会東京にあって「田舎感」や「地元感」にあふれているように見受けられた。一度住み始めたシングルには、適度に街のお店や人たちとの繋がりを感じて、住み続けたい街として高い評価を獲得しているようだ。

●取材協力
100人の本屋さん
松陰会舘
せたがやンソン
オオゼキ

2022年「住み続けたい街ランキング」が発表!3位日本大通り、2位馬車道、1位は?

毎年、「住みたい街」のランキングを発表しているリクルートが、住民の実感調査による「住み続けたい街」のランキングを発表した。「住みたい街」とは顔ぶれが異なる「住み続けたい街」。どの街が上位になったのだろう。

【今週の住活トピック】
「SUUMO住民実感調査2022 首都圏版」2022年住み続けたい街(自治体/駅)ランキング発表/リクルート

「住みたい」ではなく、今の街に「住み続けたい」をランキング化

首都圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県)の街(自治体・駅)について、「お住まいの街に今後も住み続けたいですか?」と聞いた結果をランキング化したのが、「住み続けたい」街(自治体・駅)ランキングだ。2021年に続き、今回が2回目の調査になる。(ただし、「住み続けたい」の回答方法を5段階から11段階に変更したため、前回の結果との比較はしていない。)

「住みたい街」は多くの人が憧れる街なので、ターミナル駅が上位にくる傾向があるが、「住み続けたい街」は住民の居住継続意向によるもの。人によって“住みやすさ”は異なるので、居住の意向もそれぞれとなるが、「街選びのモノサシを多様に提示したい」という。

気になるランキングだが、興味深い結果になった「住み続けたい駅」のランキングから見ていこう。驚いたのは、首都圏外に住んでいる人には全くなじみのない駅名、いや首都圏に住んでいても知らない人が多いかもしれない駅名も上位にランクインしたことだ。

住み続けたい駅ランキングのTOP3は、湘南海岸公園、馬車道、日本大通り出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載。11位以下のランキングはこちら。

1位は、藤沢市の鵠沼・江ノ島エリアの「湘南海岸公園」。同じエリアからは、4位「鵠沼」、7位「石上」、13位「鵠沼海岸」、16位「片瀬江ノ島」、20位「柳小路」などが上位にランクインし、人気の高さがうかがえる。

2位にはみなとみらい線の「馬車道」が入り、3位「日本大通り」、6位「みなとみらい」と合わせて、この沿線の強さがわかる結果になった。

ほかにも、銀座と築地の間にある「東銀座」が5位に入り、25位「人形町」、28位「水天宮前」、29位「月島」など、中央区の駅が入った。中央区のなかでも、日本橋や京橋など山手線に近いエリアではなく、かつて大川といわれた隅田川に近い駅が挙がった。阿部寛主演の「新参者」に登場した街が人形町や水天宮前だ。歌舞伎座のある東銀座やもんじゃ焼きで有名な月島など、江戸庶民に愛された街である。

余談になるが、かつて筆者の同僚が人形町に住んでいたとき、町内の青年会に入会し、地域のお祭りでは中心となって活躍して楽しんでいた。このエリアは、地域ごとにお祭りがあり、盛大に開催されている点も特徴だ。

さらに、10位「代々木八幡」、15位「代々木公園」、19位「原宿」、26位「代々木上原」、27位「北参道」など、代々木公園の周辺の駅も上位に入った。「代々木公園」の公園力がいかに強いかがうかがえる。代々木公園の特徴は、ピクニックもできる樹木や花の多い公園というだけでなく、「ドッグラン」や「サイクリングコース」(大人用と子供用)、「バードサンクチュアリ」、「イベント広場」など、多様な憩い方ができる点にある。さらに周辺には気軽に入れる飲食店も多く、多様な人が集まりやすいという。

「住み続けたい」理由は、上位グループでも大きく異なる

上位グループが選ばれた理由を見ていこう。実は、「鵠沼・江ノ島エリア」と「馬車道・みなとみらいエリア」とでは、「街の魅力」に対する回答が少し異なる。

■ランキング1位 湘南海岸公園駅の魅力

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

まず、ランキング1位の湘南海岸公園駅の「街の魅力」で高いものを見ていこう。「自然が豊富」な街であることは間違いないが、「地域に顔見知りができやすい」、「街の住民がその街のことを好きそう」といった地域のコミュニティの強さが特徴だ。地域に溶け込みやすいイベントも多く、もともと漁師町であったことから地域で支えあう風土があるという。

■ランキング2位 馬車道駅の魅力

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

一方、ランキング2位の馬車道の「街の魅力」は、「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」や「文化・娯楽施設が充実している」、「魅力的な働く場や企業がある」、「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」など。インフラが充実しているのが特徴だ。SUUMO編集長の池本洋一さんによれば、馬車道では商店振興会主導で歴史景観を残す「ホンモノ思考」があり、シビックプライドが醸成されていること、再開発によるみなとみらいのオフィス、日本大通りのハマスタ、飲食店の多い野毛地域などが融合して多様な人を受け入れていることなどが、沿線エリアの魅力をつくり出しているのだという。

地域への愛着を感じる特色こそが、「住み続けたい」と思う理由に

「住みたい街」と「住み続けたい街」では、共通する高い項目がある。「人からうらやましがられそう」、「街ににぎわいがある」、「雰囲気やセンスのいい店がある」、「文化・娯楽施設が充実」などだ。その街に付加価値があるという点では共通しているわけだ。しかし、「住みたい街」では、「大型の商業施設が充実」、「交通利便性が高い」などの項目が高いのに対して、「住み続けたい街」では、「住民が街のことを好き」、「人目を気にせず自由な生活ができる」など、街への愛着や街が住人の多様性を容認する雰囲気が重視される。

池本さんによれば、住み続けたい街になるには、その街の交通アクセスの良さが不可欠ではあるが、そのほかに共通する大きな要素があるという。第1に、地域に参加しやすいイベントや場所があったり、子育てしやすい環境があったりして、「街の住民がその街のことを好きそう」という要素だ。住民が街を好きであると、街の教育や防災などのインフラが整備される傾向もある。第2には、多様な人を容認する文化があり、「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」という要素が、大きく影響している。

「鵠沼・江ノ島エリア」は特に第1の要素が強く、「馬車道・みなとみらいエリア」は特に第2の要素が強いという代表だろう。こうした要素ができるには、それを醸成する仕掛けや持続させる仕組みがあるのだと、池本さんは指摘した。

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

「住み続けたい自治体」ランキングのTOP3は、武蔵野市、目黒区、葉山町

最後に、「住み続けたい自治体」のランキング上位を紹介しておこう。

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載

出典:リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022 発表資料」より転載。11位以下のランキングはこちら。

1位は「武蔵野市」。2位「目黒区」、4位「中央区」、5位「渋谷区」、8位「港区」、10位「文京区」と東京都の自治体では、23区が多数ランクインしている。3位「葉山町」、7位「逗子市」、11位「藤沢市」、12位「茅ヶ崎市」、14位「鎌倉市」と神奈川県の『湘南・三浦エリア』が上位にランクインしている。

埼玉県では13位「さいたま市浦和区」、15位「さいたま市大宮区」など、さいたま市中心エリアが上位に入り、千葉県では、9位「浦安市」、23位「千葉市美浜区」など湾岸を含むエリアが上位に入った。

さて、ランキングの結果を見て、あなたはどう思っただろう?人気エリアは住居費用が高いと思った人もいるかもしれない。池本さんによれば、手ごろな家賃(シングルで家賃8万円以内)で住み続けたい23区内の街もあり、「南阿佐ヶ谷・阿佐ヶ谷エリア」や「東急世田谷線エリア」などが挙げられるという(同日に発表した「SUUMO住民実感調査2022首都圏 都県(地域)×家賃水準別住み続けたい駅ランキング」に掲載)。

人それぞれで“住みやすさ”を感じる点は異なるので、納得のいく結果も意外な結果もあったかもしれない。集客力のある知名度の高い大きな街だけでなく、自分好みの暮らしができる特色のある街をぜひ探してほしい。

●関連サイト
「SUUMO住民実感調査2022 首都圏版」2022年住み続けたい街(自治体/駅)ランキング

少子高齢化でも社会保障費に頼らないまち目指す民間企業 仙台市「OpenVillageノキシタ」の挑戦

宮城県仙台市の被災者が多く暮らす新興住宅地にある「Open Villageノキシタ」は、「コレクティブスペース」「保育園」「障がい者サポートセンター」「障がい者就労支援カフェ」 の4つの事業所が集まる小さなまち。高齢者、障がい者、子ども、子育て中の親たちが横断的に交流し、補助金や助成金に過度に頼らずに、「つながりと役割で社会課題を解決する」ことを目指した全国でも珍しい取り組みが行われている。その「Open Villageノキシタ」が生まれた経緯や、オープンから約3年間で見えてきたこと、今後の展望について、施設を統括する株式会社AiNest(アイネスト)代表取締役社長の加藤清也さん、取締役の阿部恵子さんに話を聞いた。

被災者のコミュニティづくりと社会保障費の削減を目指す小さなまち

もともと農地だった仙台市宮城野区田子西地区に「Open Villageノキシタ(以下、ノキシタ)」ができたきっかけは、1994年に遡る。当時、地権者らが土地区画整理事業を検討し始め、AiNest(以下、アイネスト)の親会社である国際航業が専門家の立場で携わることになった。

造成工事が始まって間もなく東日本大震災が発生。多くの被災者が家を失ったため、急きょ仙台市と協議をして集団移転用地に変更し、「災害に強く環境にやさしいまちづくり」をテーマにしたまちづくりが始まった。

仙台市は震災時の長期停電を教訓として、エネルギーの地産地消を目指した「エコモデルタウン推進事業」を実施した。複数の民間企業からなる運営事業法人の責任者となったのが、当時国際航業の技術士として、防災まちづくりに取り組んでいた加藤清也さんだ。

加藤さんは、事業を推進する過程でのさまざまな気づきから、新たな構想が芽生えたという。

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタがある田子西地区には、沿岸部の住み慣れた広い家で被災し、初めてアパートタイプの市営住宅に移住した方々などが住んでいます。話を聞くと新しい環境で知り合いがいない、集まる場所もない、おしゃべりの輪に入れない。まるでお母さんたちの公園デビューのよう問題があるとわかり、コミュニティづくりが必要だと思ったんです」

加藤さんはどんなコミュニティをつくるべきかと並行して、以前から疑問に思っていた福祉行政の問題もあわせて考えた。

「障がい者と子どもと高齢者を社会が支える社会の仕組みはすべて縦割りで、横のつながりがほとんどありません。横のつながりをつくろうと取り組んでいる所も、ベースになるのは補助金や助成金です。

今後ますます高齢化が進み、行政の税収入は減ります。福祉事業を補助金や助成金に頼るやり方が継続できるのか。財源がなくなったときに困るのは、福祉サービスを受けている高齢者や障がい者です。お金の流れを根本的に変えて、増税ではなく社会保障費を削減するような仕組みをつくらないといけない、試しにつくってみようと思いました」

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

こうして全国的にも珍しい、民間企業とNPO法人、社会福祉法人の3法人の共同運営による、高齢者、障がい者、子どもや親ら多世代がボーダーレスに集まる小さなまち「ノキシタ」が誕生した。

人とつながり、役割をもつことの健康効果&経済効果を検証する場に

「ノキシタ」設立は、加藤さんの経験に基づく気づきも大きい。

「プライベートでの経験ですが、軽度の認知症の父に重度知的障がい者の息子をお風呂に入れてほしいと頼んだら、父は孫をお風呂に入れることが楽しくて認知症が和らいだのです。一般的に高齢者や障がい者に対して周りは何でもやってあげようとして、その人自身でやることが失われてしまいますが、自らやってもらう効果の大きさを目の当たりにしたんです。

世代や障がいを超えて人と人がつながり、社会に支えられる立場と考えられがちな人が、人を支える役割を持つことで健康寿命がのびて、認知症や寝たきり、要介護の期間が減れば、社会保障費を削減できるのではないか、と思ったんです。

調べてみると、人と人がつながる大切さを裏付けるデータもありました。要介護認定を受けていない一人暮らしの男性の例で、一人で食事をする(独食)のは、誰かと食事をする(共食)より約2.7倍もうつ状態になりやすい(「日本老年学的評価研究(JAGES)」による研究プロジェクト ※1)。また運動も、一人で運動をしているより、スポーツグループに参加して誰かと一緒に行う方が抑うつにいたる率が低い(※2)といったデータもあります。

コロナ禍になって、配食サービスやオンラインフィットネスなど家にこもって一人で何かをすることが増えて、人と交流する大切さや効果が忘れられていく。人と人のつながりと役割が持つ効果を実証・検証する場がノキシタです」

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

高齢者、障がい者、子ども、親たちが丸ごとつながる開かれたまちづくり

敷地内には、“ふたご山”と呼ばれる緑に覆われた築山を囲むように4つの施設が配置されている。庭はボランティアの力も借り、季節ごとの花に彩られている。

社会福祉法人仙台はげみの会が運営する障がい者サポートセンター、グループホーム「Tagomaru」では、重度の障がいがある方の短期入所(ショートステイ)、日中一時支援事業(単独型)、共同生活援助(日中サービス支援型)などが行われている。

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

NPO法人シャロームの会が運営する「シャロームの杜ほいくえん」は0歳児~2歳児を対象に、地域、保育者、保護者、ノキシタに集う多様な方々とのコミュニケーションを大切にしたダイバーシティ保育園(地域全員参画型保育園)を目指している。

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

同じくNPO法人シャロームの会が運営している「ノキシタカフェ・オリーブの小路(こみち)」は、障がい者の就労支援も行うカフェで、畳のキッズスペースを含め定員は30名位。むく材がふんだんに使われた店内には明るい日差しが射し込む。

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

食事はオリジナルスープカレーやランチプレートなど野菜がたっぷりのメニュー。障がい者や高齢者、子ども連れ、誰でも周りに気兼ねなく利用でき、昼どきは人気のスープカレーを目あてに近所の会社員や遠くから足を運ぶ人も多い。

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

補助金や助成金に頼らない交流スペースは「実家のようにほっとする居場所」

そして、ノキシタの交流の要となるのが、アイネストが運営する「コレクティブスペース・エンガワ」という会員制の交流スペースだ。効果を検証する場であることから利用者の年齢や特性を把握する目的もあって会員制(会費は無料)で、現在の登録会員数は約900人。1回の利用料は400円と利用しやすい設定だ。

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

「ここでは、何をして過ごしてもいいし、何もしなくてもいいんです。カフェのメニューをテイクアウトして食べることもできます。お茶を飲んでスタッフと話をするだけの方、毎日ピアノを弾きに来てくださる方もいます。自然と利用者同士で話したり、誰かと楽器でセッションしたり。スタッフが何かをしましょうと声をかけるのではなく、それぞれの方が何に関心を持つか、どう過ごしたいかを距離を置いて見守っています」と取締役の阿部恵子さん。

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「エンガワ」では、さをり織り機、楽器、キッチンなど、施設内の設備に自由にふれることができる。天井の梁に架かるきれいな布は、世界一簡単な手織りといわれる「さをり織り」でつくられたもの。スタッフが丁寧に教えてくれるので、初めての人や小さな子どもも好きな糸を選んで自分だけの作品を簡単につくれる(予約制、有料)。

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

シェアキッチンでは自由に料理ができるので、お昼ご飯をつくって食べる人もいる。子育て中のお母さんも隣接する和室で小さい子どもを遊ばせたり、交代で面倒を見ながら料理教室やパンづくり教室に参加できる。

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

中庭を望むライブラリーではゆっくり読書ができる。子ども用のドラムやギター、ウクレレなどの楽器も自由に演奏できる。ここでは「〇〇をしてはいけない」などとルールで縛るよりも、そのとき一緒にいる人と気持ち良く過ごすために、互いを尊重し合いながら時間と場所を共有することを重視しているという。

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

エンガワの別棟「ハナレ」もガラス張りの明るい空間で、ギャラリーやレンタルスペースとして活用できる。「ここで何をしようか」という想像がふくらむ。

三角屋根が目印のハナレの外観。幹線道路からもわかりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

三角屋根が目印のハナレの外観幹線道路からも分かりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

入口に掲示してある「ノキシタは実家のような場所」と利用者が書いたコメントが印象的だった。「年齢層が幅広く、実家に帰ってきたような感覚で来てくださる方もいます。人生の先輩に家族に話せないようなことも相談したり、素直に助言を聞くことができるようです。心に重いものを抱えていた方がどんどん健康になったり表情が明るくなり、演奏する音色まで変わっていく利用者さんを見るのが嬉しいです」と阿部さんは話す。

社会課題解決の新しい居場所をつくったことで見えてきた本当のニーズ

オープンして3年余りがたち、計画当初の想像と違うことや新たな課題がたくさん見えてきたと加藤さんは話す。「交通の便が良くないので、計画時は半径1、2km圏程度の近所の方の利用を想定していましたが、ふたを開けてみたら仙台市外など遠くからも、多くの方が会員登録をしていたんです。話を聞いてみると、近所の方にはあまり知られたくないような悩みや困りごともここだと本音で話せるそうです。

また、利用者は当初予想していた高齢者に限らず、幅広い年齢層となっています。特に子育て中のお母さんが孤立していたり、気軽に使える場所がないという声があり、子ども連れのイベントを増やしました。人は自分の経験からさまざまなことを想像しがちですが、自分とは違った経験を持つ人々と交流することで、想像を超えたニーズに気づけるのがノキシタの強みです」(加藤さん)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

エンガワでは、月に10回程度のイベントを開催している。当初はさをり織りやパンづくり教室、高齢者のIT教室など、スタッフが企画したイベントが中心だったが、これを呼び水に、利用者が提案・企画するイベントが自然に増えたという。なかでも、プロにメイクをしてもらいプロのカメラマンが写真を撮る女性向けのおしゃれ企画や自ら発表するミニコンサートなどは高齢者に人気が高く、驚くほど表情がイキイキするそうだ。

「コロナ禍で人が集まるイベントは減っていますが、楽しみを持つことが大切。コロナ禍で最初に緊急事態宣言が出たときにエンガワを約1カ月間休業したんです。すると、障がい者のサポートするのが楽しくて毎日通ったことで、支援されずに再び一人で歩けるようになったおばあちゃんが、1カ月後に車椅子になってしまいました。そこで感染対策も必要だけど、大切なことを失う問題もあると気づいて、感染対策に留意しながらできるだけ多くの方に継続的にご利用いただけるように取り組んでいます」

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

2021年4月から「ノキシタ」を、多くの方に知ってもらいたいとアイネストの企画でクラフトビールづくりを始めた。近くの農家が所有する休耕田で、宮城県石巻市を拠点とするイシノマキ・ファームの指導を受けて地域の方と障がい者が一緒にホップを栽培している。そのホップと地域で採れたお米を原料に、岩手県の世嬉の一(せきのいち)酒造が醸造と販売を行う。ラベルの絵は知的障がいがあるノキシタ関係者が描いた。そして多くの方々の協力を得て、2022年3月に第一号の「Sendaiノキシタビール」が誕生した。

高齢化社会に向けた前例がないまちづくり「ノキシタ」は、まだ効果を検証している試行段階だ。「現在は、親会社の国際航業の支援を受けて運営していますが、いつまでもその支援に甘えてはいられません。近い将来に黒字化することを目標に、利用料収入などではないアウトカムビジネスでのサスティナブル経営(ESG経営)を目指しています」と収益の確保を前向きに考えている。

「こんな施設が自宅の近くにあったらうれしい」と思う人は多いだろう。「ノキシタの1カ所でいくら効果を上げても社会的インパクトは小さいと思っています。例えば、高度成長期にできて今は高齢者が増えて若者が減っているニュータウンといわれる団地や、子どもが減って廃校になった学校や空き家などを活用して、この仕組みを広く展開したいと考えています。

今はまだ試行して、効果を見せて、共感や賛同する方を増やす第一段階。次は、補助金に頼らずに持続するシステムを確立させて、行政や他の企業とも連携していきたい。3年たって、この取り組みへの関心も高まっていると感じますし、取材等を受けることで新たな広がりも期待します。その先は無謀な夢かもしれませんが、仙台市内、宮城県、日本全国、世界に展開して、社会を変えていきたい」と加藤さん。

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

社会課題を解決に導く地域共生型の事業モデルを全国、世界へ

障がい者も高齢者も、孤立しがちな子育て中の親も、すべての世代の人たちがお互いに支え合い、丸ごとつながり、地域の課題解決を試みる地域共生型まちづくり「ノキシタ」。少子高齢化が進むなかで生まれるさまざまな問題を、他人事ではなく我が事としてとらえ、本気で取り組んでいる。

まだ試行錯誤の段階だが、すでに世代や分野といった枠を超えた広がり、良い化学反応が生まれている。目の前の利益や前例にとらわれない新たな視点と柔軟な活動、ゴールを目指しできることから一歩ずつ積み上げていく事業モデルは、高齢者が健康寿命を延ばし、お母さんたちが楽しく子育てができて、災害弱者と呼ばれる方々を支える仕組みをつくるヒント、呼び水となるのではないか。

筆者も話を聞いて、見て、カフェで食事をしてみて「何かできることはないか」という思いが込み上げた。何もできないまでも、関心を持ち共感し利用し協力する人が増えれば、「地域が共生するまちづくり」事業化の後押しになるに違いない。

●取材協力
Open Villageノキシタ

古びた温泉街の空き家に個性ある店が続々オープン。立役者は住職の妻、よそ者と地元をつなぐ 島根県温泉津(ゆのつ)

日本には、古きよき温泉街が各地に残っている。場所によっては古い建物が増え、まちが寂れる要因になっている一方で、若い人たちが古い建物に価値を見出し、新しい息を吹き入れるまちもある。今、まさににぎわいを取り戻しているのが、島根県の日本海に面する温泉まち、温泉津(ゆのつ)。いま小さな灯りがぽつぽつ灯り始めたところだが、これから点と点がつながればより大きなうねりになっていくだろう。4軒のゲストハウスと「旅するキッチン」を営む近江雅子さんに話を聞いた。

小さな温泉街で起きていること

名前からして、温泉のまちだ。温泉津と書いて「ゆのつ」。津とは港のこと。島根県の日本海に面し、「元湯」「薬師湯」という歴史ある、源泉掛け流しの温泉が二つある。端から端まで歩いても30分とかからない、こぢんまりした温泉街の細い街並みには、格子の民家や白壁の土蔵など趣ある建物が連なり、その多くが温泉旅館や海鮮問屋だった建物で、空き家も多い。

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

正式には大田市温泉津町温泉津。町全体で人口は1000人弱ほどの規模だ。

そこへ、2016年以降、新しい店が次々に生まれている。ゲストハウス、コインランドリー、キッチン、サウナ、バー。
始まりは「湯るり」という一軒のゲストハウスだった。元湯、薬師湯まで歩いて5分とかからない女性限定の古民家の宿である。

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

この宿を始めたのが、近江雅子さん。10年前に家族で温泉津へ移住してきた。肩にかからない位置でぱつっと髪を切りそろえた、てきぱき仕事をこなす女性。でもほどよく気の抜けたところもあって、笑顔が魅力的な人だ。隣の江津出身で、結婚して東京に住んでいたが、夫がお寺の住職で、温泉津のお寺を継がないかと話があったのだった。

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

「東京に住んで長かったですし、子どもも向こうの生活に慣れていたので初めは反対しました。でもいざここへ来てみると、なんていいところだろうって。もともと古い家が好きなので、街並みや路地裏など宝物のように見えて。歩いているだけで漁師さんが魚をくれたり農家さんが野菜をくれたり、田舎らしいコミュニケーションも残っていて」

そんな温泉津の魅力は、一泊二日の旅行ではわかりにくい。そう感じた雅子さんは、お寺の仕事をしながら、中長期滞在できる宿を始める。

まちをくまなく楽しむ、旅のスタイル

第1号のゲストハウスが「湯るり」だった。温泉宿といえば、食事もお風呂も付いて、宿のなかですべてが完結するのが従来のスタイルだろう。だが、雅子さんが目指したのは、お客さんがまち全体を楽しむ旅。2~3泊以上の滞在になれば、食事に出たり、スーパーで買い物をして調理をしたり、漁師さんから直接魚を買ったりと、いろんなところで町との接点が生まれる。

徒歩で無理なく歩ける小さなまち、温泉津にはぴったりのスタイルだった。

たとえば湯るりに宿泊すると、宿には食べるところがないため、地元の飲食店や近くの旅館で食事することになる。予約すればご近所のお母さんがつくってくれたお弁当が届いたり。温泉では常連さんが熱いお湯への入り方を教えてくれる。

「アルベルゴ・ディフーゾ(※)といってよいかわかりませんが、まち全体を宿に見立てて“暮らすような旅”をしてもらえたらいいなと考えました。そのためには一棟貸しもあった方がいいし、飲食や、コインランドリーの機能も必要だよねと、どんどん増えていったんです」(雅子さん)

(※)アルベルゴ・ディフーゾ:イタリア語で「分散したホテル」の意味。1970年代に、廃村の危機に陥った村の復興を進める過程で生まれた手法で、空き家をリノベーションして、受付、飲食、宿泊などの機能を町中に分散させ、エリア全体を楽しんでもらう旅を提供する。

2016年の「湯るり」に始まり、ここ5~6年の間に一棟貸しの「HÏSOM(ヒソム)」「燈 Tomoru」、2021年にはコインランドリーと飲食店を併設したゲストハウス「WATOWA」と4つの宿泊施設をオープンさせた。

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

実際にこうした旅のスタイルによって、お客さんが少しずつまちを回遊するようになった。地元の人の目にも若い人の姿が増え、明らかにまちが活気づいていった。

温泉街でも世界の味が楽しめる「旅するキッチン」

なかでも、WATOWAの1階にできたキッチンは、近隣の市町に住む人たちにも評判で、小さな活気を生んだ。そのしくみが面白い。数週間ごとにと料理人も料理も変わるシェアキッチンである。

「まちには飲食店が少ないので飲食の機能が必要でした。でも平日の集客がまだそこまで多くないので、自社でレストランを運営するのはハードルが高い。そこで料理人に身一つで来てもらってこちらで環境を整えるスタイルなら、お互いにリスクが少ないと考えたんです」(雅子さん)

WATOWAキッチンに、最初に立ったシェフ第1号は中東料理をふるまう越出水月(こしでみづき)さんだった。

「シェフの水月さんもすっかり温泉津を気に入ってくれて、地元の漁師さんの船に乗せてもらってイカを釣ってきたり、畑から野菜を買ってきたり。このあたりでは中東料理なんて食べたこともないって人がほとんどで、新聞にも大々的に取り上げていただいて、地元の人たちも食べに来てくれました」(雅子さん)

(写真提供/WATOWA)

(写真提供/WATOWA)

その後、アジア料理、スパイス料理、フィンランド料理……と、コロナ禍で思うように都市で営業できないシェフが各地から訪れた。なかには新宿で有名なカレー屋「CHIKYU MASALA」を営むブランドディレクターのエディさんも。100種を超えるテキーラを提供するメキシコ料理店として知られる、深沢(東京都世田谷区)の「深沢バル」は温泉津に第2号店を開く予定にもなっている。

「温泉津に来れば世界の料理が味わえる」という楽しさから、旅行者だけでなく、近隣の市町からも若い人を中心に集う場所になっている。私もこれまでに三度、このキッチンで食事させてもらったのだけれど、どの料理も素晴らしく美味しかった。エディさんのカレーも、食堂アメイルのアジ料理も。

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

交通の便がいいとはいえないこのまちに、途切れることなくシェフが訪れるのはなぜなのか。一つには寝泊まりできる家や車など暮らしの環境が、雅子さんの配慮で用意されていること。滞在できる一軒家は一日1000円程度、車も保険料さえ負担してもらえたら安く貸している。

そしてもう一つは、ほかのシェアキッチンに比べて、経済面でも良心的であること。マージンは売上の15%と、一般的な額の約半分。いずれも雅子さんのシェフを歓迎する意思の表れだ。

「食堂アメイル」の二人は、今年3月初めてこのキッチンで営業をして、すぐまた6月に再び訪れたという。

「初めて来たとき、いいところだなぁと思ったんです。また来たいなって。地元の人たちがみんなすごくよくしてくれて」(Lynneさん)

「何より新鮮な魚介が安く手に入ります。その日に獲れた魚が道の駅にも売ってあるし」(Kaiseiさん)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

二人はキッチンでの営業を終えた今も、温泉津に長期滞在したいと、雅子さんが用意した部屋に暮らしている。この後9月、12月にもキッチンでの営業予定が決まっている。

「田舎ではとにかく働き手が少ないので、ここに居てくれるって人の気持ちはそれだけでとても貴重」と雅子さん。外から訪れた人たちが手軽に住みやすい環境を用意できるかどうか。それがその後のまちの雰囲気を大きく変えていく。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

信用と信用をつなぐ、空き家を紹介する入り口に

雅子さんが、古い家を改修して4軒のゲストハウスを立ち上げたり、Iターン者に家を紹介するのを見た地元の人たちは、次第に「近江さんなら何とかしてくれるのでは」と空き家の相談をもちかけるようになっていく。

都会なら、それほど次々に家を改修するのにどれだけお金が必要だろうと考えてしまうが、温泉津では、古い家にそれほど高い値段がつくわけではない。解体するのに数百万円かかることを考えると、多少安くても売ってしまいたい家主も少なくない。

「連絡をもらうとまず見に行くんです。もちろん私は不動産屋でも何でもないんですけど。屋根がしっかりしているかとか、ここを改修したらいい感じになりそうと頭に入れておいて、IターンやUターンなど、家を探している人が現れた時に紹介します」

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

湯るりやHÏSOMに宿泊したのがきっかけで、その後も何度か温泉津を訪れ、移住する人たちが現れた。まちの勢いを敏感に察知し、温泉津でお店を始めたいという人も出始めている。その都度、雅子さんが地元の人たちとの間に入って、空き家を紹介する。

「温泉津に来て家を買いたいなんて、地元の人たちからしたらストレンジャー。普通ならよそから来た人に、いきなり家は売らない。信用できないからです。それは地域を守るための慣習でもあるんですね。でも私が間に立つことで、何かあったら近江さんに言えばいいのねって。少し気持ちが楽になるんじゃないかと思うんです。

私たちも最初はよそ者ですが、お寺の信用を借りている部分が大きい。皆さん『西念寺さん(お寺の名前)の知り合いなら』といって家を見せてくれます。今までにお寺が築いてきた信用の上でやらせてもらっています」

それにしても、観光で訪れた人が、移住したいと思うようになるなんて、ごく稀なことだと思っていた。でも温泉津で起きていることを見ていると、雅子さんの「住みたいならいつでも紹介しますよ」という声掛けが、温泉津を気に入った人たちの気持ちを後押ししている。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

「観光から移住」の導線をつなぐ

すべてが順調に進んできたわけではなかった。日祖(ひそ)という集落で、ゲストハウスを始めようとしたときには、地元の人たちから大反対を受けた。これまで静かだった集落に騒音やゴミの問題が出てくるのではと危惧されたのだ。その時、雅子さんは丁寧に説明会を繰り返し、草刈りを手伝い、住民との関係性を築いていったという。

そしてある時、こう言ったそうだ。「ここはすごくいい所だから、来てくれた人の中に住みたいって言ってくれる人が現れたらいいですね」
このひと言が周りの気持ちを変えた。そう、地元のある漁師さんが教えてくれた。

「私がこうして中長期滞在型の宿を進めるのは、観光の延長上に移住をみているからです。まちの良さがわかって、何度も足を運んでくれるようになると、住んでみたいと思ってくれる方が現れるんじゃないかって」(雅子さん)

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

この夏には、温泉津の温泉街のほうに新しくバー兼宿「赭Soho」もオープンした。オーナーは東京の銀座でもバーを経営する人で、一年間温泉津に住んで古民家を改修して開業。自らがこの場所を気に入ったことに加えて、今の温泉津の勢いに商売としても採算の見込みがあるとふんだそうだ。何より雅子さんのような頼れる人がいるのが大きかった、と話していた。

地方にはただでさえプレイヤーが少ない。だからこそ雅子さんのような、人材を地元の人につなぐ役割が不可欠。

「田舎では、よそ者が入りづらい暗黙の域があって、事業を始める、家を買うなどの信用問題に関わることには特にシビア。なので間に立つ人間が必要だなと思うんです。

私もこの人なら大丈夫って言う手前、若い人たちにはとくに、地域に入ってしっかりやってほしいことはちゃんと伝えます。都会の常識は田舎の非常識だったりもするから。ゴミはちゃんとしようとか、自治会には必ず入って草刈りは一緒にやろうとか」

最近、温泉津に住みたいという若手が増えてきたため、長期滞在できるレジデンスをつくろうと計画している。

本気で受け入れてもらえるかどうか?を若い人たちは敏感にかぎわけるのかもしれない。
「まちづくり」とは大仰な言葉だと思ってきたけれど、今まさに温泉津では新しい飲食店ができ、バーができ、レジデンスができて……文字通り、まちがつくられていっている。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

●取材協力
WATOWA

品川駅まで電車で30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

リニア中央新幹線の始発駅に決定している品川駅。周辺にはオフィスビルが林立し、商業施設も充実しており、東海道新幹線などJR各線、京浜急行本線が通るターミナル駅でもある。さらに先日、東京メトロ南北線を白金高輪台駅で分岐して品川駅まで延伸し、2030年代半ばの開業を目指すと発表されたことでも注目されている。そんな品川駅まで30分圏内にある、中古マンションの価格相場を調べてみた。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの価格相場が安い駅トップ10を見てみよう。

品川駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 石川町 1790万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/28分/1回)
2位 生麦 2080万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/26分/2回)
3位 神奈川 2479.5万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/24分/1回)
4位 京急鶴見 2480万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/21分/1回)
5位 黄金町 2499万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市南区/29分/1回)
6位 鶴見 2530万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市鶴見区/16分/1回)
7位 西馬込 2580万円(都営浅草線/東京都大田区/19分/1回)
8位 関内 2599万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/26分/1回)
9位 大森海岸 2655万円(京浜急行本線/東京都品川区/12分/0回)
10位 日ノ出町 2680万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市中区/27分/1回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 生麦 3185万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/26分/2回)
2位 保土ケ谷 3280万円(JR横須賀線/神奈川県横浜市保土ケ谷区/24分/1回)
3位 浜川崎 3380万円(JR南武線/神奈川県川崎市川崎区/27分/2回)
4位 津田山 3430万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/29分/1回)
5位 花月総持寺 3480万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/25分/2回)
6位 小田栄 3580万円(JR南武線/神奈川県川崎市川崎区/25分/2回)
7位 子安 3630万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/28分/2回)
8位 神奈川新町 3639万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/22分/0回)
9位 天王町 3790万円(相鉄本線/神奈川県横浜市保土ケ谷区/28分/1回)
10位 西横浜 3900万円(相鉄本線/神奈川県横浜市西区/26分/1回)

「シングル向け」トップ10には京浜急行本線の駅が6駅もランクイン

「シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)」ランキングの1位は、JR京浜東北・根岸線の石川町駅。価格相場はトップ10唯一の2000万円未満、1790万円だった。石川町駅から3駅目の横浜駅でJR東海道本線に乗り換えると、計約28分で品川駅に到着する。石川町駅は横浜市中区に位置し、歴史ある洋館が残る山手エリアや、人気のショップや飲食店が並ぶ商店街がある元町といった、横浜を代表する観光スポットの最寄り駅でもある。元町の商店街を通りつつ10分少々歩くと、みなとみらい線の元町・中華街駅も利用可能だ。また、駅周辺にはスーパーやコンビニ、総合病院など日々の暮らしを支える施設も充実。横浜中華街も駅から歩いて10分ほどなので、休日はぶらりと食べ歩きに出かけてもいいだろう。

石川町駅前商店街(写真/PIXTA)

石川町駅前商店街(写真/PIXTA)

2位は京浜急行本線・生麦駅で価格相場は2080万円だった。まず京急鶴見駅に行き、駅前広場をはさんで位置する鶴見駅からJR京浜東北・根岸線に乗って川崎駅へ、さらにJR東海道本線に乗り換えると品川駅まで乗り換え2回・計約26分。乗り換え回数を減らしたいなら、鶴見駅からJR京浜東北・根岸線に乗ったままでも品川駅まで30分弱で行くことができるし、時間はかかるが京浜急行本線の普通列車(各駅停車)1本でも品川駅にたどり着く。ちなみに経由駅の京急鶴見駅は4位に、鶴見駅は6位にランクインしている。

生麦駅の駅名はその地名に由来しており、江戸時代まで周辺一帯が麦畑だったためとの説もあるが、現在の駅周辺は田畑のない住宅地。駅前には飲食店やコンビニが多数点在するほか、スーパーやベーカリーなどの個人商店も。毎月第2・4日曜には、商店街でテイクアウト中心のフードフェア「生麦de日曜マルシェ」が開催されている。また、駅から歩いて15分ほどの鶴見川近くにある生麦魚河岸通りも注目。通り沿いに何軒もの鮮魚店が立ち並び、魚介類や名物・あなごの天ぷらなどが買えるのだ。午前中に店仕舞いする店舗がほとんどだが、近所に住んでいれば立ち寄りやすいだろう。毎年11月にこの通りで開催される「生麦 旧東海道まつり」も楽しみだ。

3位は京浜急行本線・神奈川駅で価格相場は2479万5000円。横浜駅まで1駅という便利な立地で、横浜駅からJR東海道本線に乗り換えると品川駅まで計約24分で行ける。神奈川駅前には目立った商業施設はなく、人通りも多くはない。しかし横浜駅まで歩いて10分もかからないので、横浜駅で降りて買い物をしてから歩いて帰宅してもいいくらいだろう。ちなみに横浜駅の価格相場は3365万円で、神奈川駅よりも885万5000円もアップする。よりリーズナブルな物件がある神奈川駅周辺に住み、横浜駅の便利さを享受するのが賢いかもしれない。

「シングル向け」のトップ10を見てみると、2位・3位をはじめ京浜急行本線の駅が6駅もランクインしている。さらに3駅はJR京浜東北・根岸線の駅。残る1駅は、都営浅草線・西馬込駅だ。

西馬込駅(写真/PIXTA)

西馬込駅(写真/PIXTA)

7位にランクインした西馬込駅は東京都大田区に位置し、価格相場は2580万円。五反田駅からJR山手線に乗り換えると、品川駅まで計約19分で到着する。また西馬込駅は、渋谷駅まで約23分、新宿駅まで約30分と、他の繁華街へもアクセスしやすい。都営浅草線の始発駅のため、混雑する通勤時間帯も座って乗車しやすい点も魅力だろう。地下鉄駅の地上出口がある国道1号・第二京浜沿いにはスーパーやドラッグストア、コンビニが点在。国道沿いは交通量が多いが、脇道に入ると静かな住宅街へ。駅から南に10分ほど歩けば、池上本門寺に隣接する緑豊かな本門寺公園や、池上梅園などの憩いの場もあり、息抜きに散歩するのも楽しい街並みだ。

「カップル・ファミリー向け」ランキングには街の再開発が進む駅も

「カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)」ランキングの1位は京浜急行本線・生麦駅。「シングル向け」では2位にランクインしており、街の様子については前述の通り。中古マンションの広さにかかわらず価格相場は低いようなので、品川駅までアクセスがよくリーズナブルな物件を探す際は、生麦駅は要チェックだろう。

2位にはJR横須賀線・保土ケ谷駅がランクイン。JR横須賀線1本で品川駅まで5駅・約27分で行けるほか、1駅隣の横浜駅でJR東海道本線に乗り換えると品川駅まで計約24分だ。保土ケ谷駅にはJR湘南新宿ラインも停車するため、乗り換えせずに渋谷駅まで33分、新宿駅まで38分で行くこともできる。

保土ケ谷駅には駅ビルの「シァル保土ヶ谷」と「ビーンズ保土ヶ谷」が直結し、館内にあるスーパーやドラッグストア、飲食店から書店まで駅を出てすぐに利用できる便利な環境。かつて東海道の宿場町として栄えた駅周辺には史跡や歴史ある寺社も点在し、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。駅から車で10分弱進むと、「神奈川県立保土ケ谷公園」へ。広大な園内には梅や桜など季節の花が咲き、アスレチック広場や夏期オープンのプールもあるので子どもと一緒に出かけてもいいだろう。

保土ヶ谷公園のイチョウ並木(写真/PIXTA)

保土ヶ谷公園のイチョウ並木(写真/PIXTA)

3位はJR南武線・浜川崎駅で価格相場は3380万円。浜川崎駅はJR南武線のなかでも枝分かれした支線に位置するため、尻手駅で川崎方面行きのJR南武線に乗り換える。川崎駅から品川駅まではJR東海道本線で1駅、浜川崎駅から計約27分でたどり着く。浜川崎駅は貨物列車の駅でもあるため鉄道ファンには知られているが、一般的にはなじみが薄いかもしれない。駅の南側、運河沿いには工業地帯が広がり商業施設は見当たらない。住宅街は駅北側に広がっている。駅前は寂しい雰囲気だが、北に10分ほども歩くとショッピングモールやホームセンター、大型スポーツ用品店が集まる商業エリアへ。この一帯には小学校や児童公園、子育て支援センターも集まっている。

ショッピングセンターや小学校がある街の中心部は、どちらかというと浜川崎駅の1駅隣にある6位・小田栄駅のほうが近い。しかし小田栄駅の価格相場は浜川崎駅よりも200万円アップの3580万円。街の中心部から少し離れた、浜川崎駅寄りでお得な物件を探すのも一案だろう。

さてトップ10のうちもう1駅、9位の相鉄本線・天王町駅もチェックしておきたい。1駅隣は10位の西横浜駅で、3駅目に横浜駅がある。横浜駅でJR東海道本線に乗り換えると、品川駅までは計約28分だ。駅前には飲食店やドラッグストア、スーパーがあり、住宅の合間には遊具がある公園が点在する、暮らしやすそうな街並み。駅から北に10分ほど歩くと、「ハマのアメ横」と呼ばれる「洪福寺松原商店街」がある。生鮮食品のお店から総菜店、雑貨店に飲食店までがひしめく、活気ある商店街だ。

そして現在、天王町駅~隣接する星川駅間の全長約1.4kmにわたる高架下空間の開発が進められている。第I期開発区域は2022年冬に開業予定とのことなので、楽しみに待ちたい。さらに天王町駅から徒歩10分ほどの場所には、2022年秋に「イオン天王町ショッピングセンター」が開業予定。進化していく天王町駅は、これから注目度が高まりそうだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている品川駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/4~2022/6
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年7月25日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

山あいの商業施設「VISON」に客が続々!? AIなど最先端技術を活用し地域課題の解消に挑む 三重県多気町

地方都市の人口減少や過疎化、産業の衰退……。日本各地で課題の多い地域が増えてきています。そんななか、10年以上もの歳月をかけ、官民連携「デジタル田園都市国家構想」に基づきながら創り上げた、三重県多気郡多気町の一大複合施設「VISON(ヴィソン)」(以下、読み同じ)が注目されています。AIやビッグデータなどの最先端技術を活用して、地域医療やモビリティ、観光振興、エネルギー等地域の社会課題の解決を目指して取り組む施設とのことで、多くの地域が抱えている課題を解決するヒントがありそうです。どんな仕掛けがあるのでしょうか。ヴィソン多気株式会社、代表取締役の立花哲也さんにお話を伺いました。

三重県にはもっと知ってほしい魅力がある

三重県のほぼ中心に位置する多気町は、人口約14000人弱の小さな町。名古屋市内からは車で1時間半ほど、大阪方面からは2時間で足を運ぶことができ、小旅行がてら立ち寄るにはちょうどよいエリアです。ここに日本最大級の複合施設『VISON』がグランドオープンしたのは、2021年7月のことでした。

“美しい村”を意味する『VISON(美村)』。山間地の一部にある、東京ドーム約24個分の雄大な敷地は、一つの村になっています。道や店舗は、その土地の起伏を活かしたつくりになっており、画一的な商業施設からは脱した、個性とデザイン、風景を大切にした自然と調和するつくりが印象的です。
6棟のヴィラ、全155室のホテルや、著名なデザイナーやクリエイターが関わった40室のコンセプチュアルな宿泊施設に、ミュージアム、73店舗のこだわりの飲食店や温浴施設、農園、そして地元農家や漁師による毎朝直送の生産品が並ぶマルシェなど、9つのエリアが集まります。

その広大かつ充実の内容ゆえ、1日では回り切ることができません。じっくりと長期滞在をして楽しみたいほど、暮らしにまつわる豊かな体験をたっぷりと味わうことができる施設です。

VISONのコンセプトづくりにかかわった陶芸家・造形作家の内田鋼一氏が手掛けるミュージアムなどが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

VISONのコンセプトづくりにかかわった陶芸家・造形作家の内田鋼一氏が手掛けるミュージアムなどが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

勾配を生かした敷地のふもとにのぞむ蔵エリアと、山頂部にそびえるホテルエリアの美しい姿(写真撮影/本美安浩)

勾配を活かした敷地のふもとにのぞむ蔵エリアと、山頂部にそびえるホテルエリアの美しい姿(写真撮影/本美安浩)

「三重県は、観光地としての認知度が高くない。代表的な観光地である伊勢神宮には、毎年多くの参拝者が訪れているけれど、その多くは日帰り客で、観光振興とまでは言い難いのです。そして農作物や海産物など、実り豊かな食材や加工品がありますが、そのこともあまり多くの人には知られていません。このように魅力的な点がありながらも、うまく伝わりきっていないというジレンマがありました。さらに多気町周辺では、若者が就職時になると三重を離れてしまうなど、人口減少が課題となっていました。こうした課題を解決するために多気町周辺にある5町(多気町・大台町・明和町・度会町・紀北町)が手を取り合って、少子高齢化などのさまざまな地域課題の解決に向けて取り組みを始めたのが「デジタル田園都市国家構想」という取り組み。『VISON』はこの取り組みの実証実験の場としてつくり上げられた施設だったのです」

8年以上の歳月をかけてつくり上げたその熱意と奮闘について語る、ヴィソン多気株式会社の代表取締役、立花哲也さん(写真撮影/本美安浩)

8年以上の歳月をかけてつくり上げたその熱意と奮闘について語る、ヴィソン多気株式会社の代表取締役、立花哲也さん(写真撮影/本美安浩)

このデジタル田園都市国家構想では、官公庁をはじめ、三重県に由来する民間企業も多数連携。イオンタウン株式会社や、ロート製薬株式会社なども参画し、長い年月をかけて作り上げていきます。

その先陣を切ったのが、三重県菰野町で『アクアイグニス』という一大リゾートを築き、成功へと導いた立花代表でした。

「この地で何かをつくるならば、ただのホテルやリゾート、ショッピングセンターでは意味がないんです。”三重、ひいては日本の文化の発信地となる施設”、そういう場所をつくろうと思いました。文化を守り伝えるためには、ナショナルチェーンやコンビニエンスストア、自動販売機などは施設内に一切設けず、著名なデザイナーが関わるライフスタイルショップやミュージアム、今まで一度も商業施設に出店したことのないような製造メーカー、農家、生産者などにも出店してもらっています」

内田鋼一氏が世界各国から集めていた「食」にまつわる様々な道具を展示するミュージアム(写真撮影/本美安浩)

内田鋼一氏が世界各国から集めていた「食」にまつわるさまざまな道具を展示するミュージアム(写真撮影/本美安浩)

マルシェコーナーには朝採れ野菜が豊富に並び、開店と同時に足を運ぶお客さんの姿がうかがえる(写真撮影/本美安浩)

マルシェコーナーには朝採れ野菜が豊富に並び、開店と同時に足を運ぶお客さんの姿がうかがえる(写真撮影/本美安浩)

伊勢海老をはじめ、地元鮮魚を30年以上も提供している鈴木水産。ミシュランガイドパリ一つ星の手島シェフが監修したソースとともにいただく、揚げたてのアジフライや、フレッシュな鮮魚を使用した定食が注目だ(写真撮影/本美安浩)

伊勢海老をはじめ、地元鮮魚を30年以上も提供している鈴木水産。ミシュランガイドパリ一つ星の手島シェフが監修したソースとともにいただく、揚げたてのアジフライや、フレッシュな鮮魚の使用した定食が注目だ(写真撮影/本美安浩)

出店してもらうのにどれほどの苦労があったのでしょう。プロジェクト構想が立ち上がってからVISONがオープンするまでは8年近くの歳月をかけたといいます。

「この場所から、三重の食文化や日本の発酵文化の面白さについて発信し、大切な伝統を継承していきたい。だから御社の力が必要だ、と地道に対話することを繰り返していましたね。『VISON』には70ほどの店がありますが、ここまで辿り着くまでにおよそ700件近く声を掛けてまわりました。時間はかかりましたけれど、一流の文化発信地にしたいという想いが強くて妥協することはなかったです」

文化や個性の感じられる、オリジナリティあふれる店舗たち

さっそく施設の中を歩いていきましょう。木造建築を中心とした、柔らかな風合いの施設には、土地古来の魅力が感じられる店舗がそろいます。

たとえば和の文化を伝える「和ヴィソン」エリア。主に日本の伝統である味噌・みりん・醤油・酒などの調味料の製造元が軒を連ねています。

その一つであるみりん蔵である『美醂 VIRIN de ISE』。ここでは、多気町産のもち米、米麹、米焼酎をつかった本格みりんの醸造の様子を見学することができます。立花さんの熱意に絆され『VISON』の開業とともに、ここへ蔵を構えました。日本の伝統的な技のみで引き出したみりんは 飲むほどにおいしく、訪れる人がたちまちみりんの魅力に虜になっていきます。

かつおぶし・味噌・醤油など、日本の調味料の魅力を伝える「和ヴィソン」エリア(写真撮影/本美安浩)

かつおぶし・味噌・醤油など、日本の調味料の魅力を伝える「和ヴィソン」エリア(写真撮影/本美安浩)

同じく三重県生まれの、あずきで有名な「井村屋」。同社が新しい文化を発信するきっかけとして、ここで「福和蔵」を構え、日本酒づくりを始めました。

開業前である2019年から仕込んだプレミアムな清酒「福和蔵 純米大吟醸酒」は、訪れる人たちにその意外性と、新たな出会いを提供しているそう。三重という土地に根差した清酒は、これからも魅力のひとつとして語り継がれていきそうですね。

蔵の軒並みから坂道を上っていくと、VISONの注目点の一つであるストリート、サンセバスチャン通りが見えてきます。ここに並ぶ数々のインテリアや雑貨、ライフスタイルショップ。ナガオカケンメイ氏の立ち上げた「D&DEPARTMENT MIE by VISON」や、奈良に拠点を持つ「くるみの木」が運営する、ミュージアムショップ「くるみの木 暮らしの参考室」など、日ごろ目にする商業施設にはない、豊かなライフスタイルを提唱するコンセプトショップが並びます。

サンセバスチャン通りに店を構える、本場スペイン・サンセバスチャンのバスクチーズタルトを再現した店「Egun on(エグノン)」(写真撮影/本美安浩)

サンセバスチャン通りに店を構える、本場スペイン・サンセバスチャンのバスクチーズタルトを再現した店「Egun on(エグノン)」(写真撮影/本美安浩)

サンセバスチャン通りでは食の異文化発信にも力を入れています。食の豊かなスペイン・サンセバスチャン市と三重県多気町は、”美食を通じた友好の証“を締結、互いの文化発信地として誕生したのがこのストリートです。

なかでも印象的なのは「エグノン」のバスクチーズタルト。スペインのバスク地方のチーズタルトを日本の地で発信するために立ち上げられた店です。世界三大ブルーチーズと評されるフランス産の「ロックフォール」を使用したタルトは、柔らかでトロッとした食感の味わい。

店内の厨房で、時間をかけて丁寧に作り上げる(写真撮影/本美安浩)

店内の厨房で、時間をかけて丁寧に作り上げる(写真撮影/本美安浩)

バスクチーズタルトは、ひんやりとした口当たり。とろりととろける食感が新鮮(写真撮影/本美安浩)

バスクチーズタルトは、ひんやりとした口当たり。とろりととろける食感が新鮮(写真撮影/本美安浩)

こうした出会いは、VISONならではであり、訪れた人にとっては新たな感動と、知識と触れ合うことができそうです。

勾配のある坂道をさらに上っていくと温浴施設、自家栽培農園などが広がり、ひとしきり街を散策したあとは、ゆったりと穏やかな時間を過ごすことができます。敷地の最上部にそびえるホテルからは、全エリアが一望でき、体験した数々の豊かな時間を反芻する時間が味わえそうです。

農園では、専属のスタッフが毎日丹精込めて野菜を育て、剪定する(写真撮影/本美安浩)

農園では、専属のスタッフが毎日丹精に野菜を育て、剪定する(写真撮影/本美安浩)

農作物を季節に合わせて豊富に育てているエリア。農園で併設するレストランでも食材として使用される(写真撮影/本美安浩)

農作物を季節に合わせて豊富に育てているエリア。農園で併設するレストランでも食材として使用される(写真撮影/本美安浩)

敷地内はあえて舗装や街並みを整えすぎず、勾配や土地の形などを残しつつも、自然な街並みをつくり上げています。一見不便に見えるかもしれないですが、画一的なつくりではないからこそ生まれる、美しい景色や豊かな体験、経験を得るためにも「地の利」を大切にしているといいます。

勾配のある敷地内は、モビリティを使って移動するのが楽しい(写真撮影/本美安浩)

勾配のある敷地内は、モビリティを使って移動するのが楽しい(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

雄大かつ勾配のある敷地内は、車での移動やモビリティの利用もおすすめ。道中は景色や風が楽しめる(写真撮影/本美安浩)

雄大かつ勾配のある敷地内は、車での移動やモビリティの利用もおすすめ。道中は景色や風が楽しめる(写真撮影/本美安浩)

働くスタッフの意識も変化

立花さんは「ここは観光地でもあるのですが、日常を営むための場所でもある」と話します。VISON内の広大なマルシェにも、この意味が込められているそうです。

「松阪牛や海老などの魚介、農作物など、三重には誇れる特産品があるんですよね。ところがそれらは、流通量の多い東京や大阪に出ると、適正な価格にはならず、生産者も潤いません。こうした食材たちに光を当てたいというのが私たちの願うことです。観光客にとっては普段見ることのできない食材との出会いがあり、また生産地で、商品の価値にあった価格で提供されることによって、生産者にとっても満足度の高い仕組みができるのです」

木造建築で、敷地の起伏を利用してつくられたマルシェは、美しく開放的(写真撮影/本美安浩)

木造建築で、敷地の起伏を利用してつくられたマルシェは、美しく開放的(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

マルシェヴィソンでは多種多様なトマトが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

マルシェヴィソンでは多種多様なトマトが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

各農家からは、毎朝熟れたトマトが直送される。手に取りやすく陳列される姿からはまるで芸術のような美しさも感じる(写真撮影/本美安浩)

各農家からは、毎朝熟れたトマトが直送される。手に取りやすく陳列される姿からはまるで芸術のような美しさも感じる(写真撮影/本美安浩)

カップに詰まったカラフルなトマトたち。市場に流通しない希少な銘柄も並ぶ。まるでフルーツを食べているかのように甘くやわらかな味わいのものも(写真撮影/本美安浩)

カップに詰まったカラフルなトマトたち。市場に流通しない希少な銘柄も並ぶ。まるでフルーツを食べているかのように甘くやわらかな味わいのものも(写真撮影/本美安浩)

こうした願いゆえに、食材の流通については毎日直送、直仕入れにこだわるという。

「こんなところまで運んでくるって大変だと思うでしょう。でも、貴重な味わいを届けたいし、知ってもらえると思えば、私たちにとって価値のあることなのです。日本のなかでも本当にいいもの、おいしいものが集まっている場所として、食材の魅力を伝えていきたいし、訪れた人のお気に入りが見つかれば、これからは直接生産者から買ってもらえるかもしれない。こうしたつながりをたくさん増やしていきたいのです」

多種多様な魚たちが生きたまま運ばれてきている(写真撮影/本美安浩)

多種多様な魚たちが生きたまま運ばれてきている(写真撮影/本美安浩)

無造作に並ぶ直送野菜たちは、たっぷりと栄養の行きわたり、みずみずしい(写真撮影/本美安浩)

無造作に並ぶ直送野菜たちは、たっぷりと栄養の行きわたり、みずみずしい(写真撮影/本美安浩)

生産者だけではなく、施設内で働く人たちにも変化が生まれているという。

「若い世代を中心に、就学や就職を機会に、関西方面や関東方面へ転出してしまうというのがこれまででした。VISONの開業とともに、働く人も三重に戻ってきている。これは嬉しいことですよね。さらには、Iターンするスタッフも最近増えています」

実際に働くスタッフの声に耳を傾けてみましょう。

VISON内の店舗スタッフとして働く40代の方は、それまで東京で働いていたそう。
「三重といえば伊勢神宮、鈴鹿山脈、熊野古道がある……くらいのイメージでした。実際働き始めて、おいしいものがこんなにたくさんあるんだと感じたし、自然も本当に美しい。それに多気町の人は温かくていい人たちばかり」と思うようになっていったのだとか。

ヴィソン多気のオフィスで働く30代のスタッフも、これまで県外で働いていたけれど、開業とともに三重へ越したうちのひとり。

「ここは田舎だし、何もないと思っていたけど、観光の拠点になっていくのは良いことですね。お客様からも『おいしいものがそろっているし、何もないからこそ味わえる美しいこの景色を楽しめる』と喜びの声をいただいています」

さまざまな人たちにとって、多気・三重の見える景色や感じ方に変化が生まれているようです。

100年も200年も、途絶えることなく続く場所でありたい

VISONは一つの村です。村は時を経て、当然人の入れ替わりが生まれるでしょう。商業施設もあるので、店舗の入れ替わりやリニューアルなどもこれからするのではないでしょうか。

今、地方では「できる限り継続的に営み、風土を形成するということ」ができていないことが課題だそう。

しかし、立花さんは「私たちはここを消費や売上だけを優先した場所にするつもりはまったくありません」と話します。

「一般的な商業施設は、定期借地契約がほとんどで、壊すことを前提でつくられていますが、VISONの建物は、持続性を考えてほとんどが木造建物になっています。近郊にある伊勢神宮は、はるか続く歴史の中で、20年ごとに遷宮を迎えると宮を新しくつくり替えて何百年と続いていますが、私たちもそれにならうように、仮に建物は全て作り変えることはできなくても、メンテナンスをしながら、100年も200年も続くサステナブルな施設であることを目指していますね」

関係人口をもっと広げたいと意気込む立花さん。VISONの描く多気町のこれからは、無限の可能性を秘めている(写真撮影/本美安浩)

関係人口をもっと広げたいと意気込む立花さん。VISONの描く多気町のこれからは、無限の可能性を秘めている(写真撮影/本美安浩)

デジタル田園都市国家構想を推進中の5町。次なる一手として、DXを推進し、医療の強化や周辺の観光施設・商店街との地域活性化も動き出したようです。

「DXの力は大きな鍵になると思っています。日本の文化とデジタルの力を融合させることで、この地域でじっくりと伝統と文化を紡ぎ、三重の魅力を伝えていきたいですね」

●取材協力
・VISON
・ヴィソン多気株式会社

木造でも「火事に負けない」賃貸住宅! 法改正で木造の可能性広がる。地域と住民のハブにも アーブル自由が丘

木造建築は、環境負荷の低さや、性能がここ数年で格段に進化していることで注目されているだけでなく、2020年の建築基準法の改正以降、耐火・準耐火に関する基準の見直しや整備により、利用の可能性が広がったこと、2021年の「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律(通称、改正木材利用促進法」によって、木材利用の推進対象が公共建築物から一般建築物に広がり、「高層木造ビル」といった今までには考えられなかった建築物が続々と登場しています。

植物の緑に木のあしらい。まるで昔からあったかのような佇まい

今回は話題の木造建築のなかでも、今年2月に誕生した店舗+集合住宅の複合施設「アーブル自由が丘」(東京都目黒区)を取材しました。地球環境や安全に配慮しながら、その街らしさを色濃く打ち出したこれからの住まいのカタチとは、どのようなものでしょうか。

スイーツや雑貨店などが集まり、おしゃれな街として知られる自由が丘(東京都目黒区)。「アーブル自由が丘」は、自由が丘駅から徒歩5分の場所に、今年2月に誕生した複合施設です。1階には自家焙煎のスペシャルティコーヒーショップ「ONIBUS COFFEE(オニバスコーヒー)」、ワインのセレクトショップ(角打ちも可!)「VIRTUS(ウィルトス)」、ごま油でおなじみの「かどや製油」による初のカフェ「goma to(ごまと)」のテナント、2階と3階はTECH人材向けのコミュニティ型賃貸住宅「TECH RESIDENCE JIYUGAOKA(テックレジデンス自由が丘)」(全22室)、さらにオーナーがお住まいの2住戸から構成されています。

1階のテナントが設けているテラス席では、植物の緑がつくる心地よい木陰で、ご近所の人たちが思い思いに過ごしています。その風景はあまりにもなじんでいるため、ずっと前からあったかのような佇まいです。

自由が丘らしさを感じる1階。カフェやワインバーのテラス席は大人気です(写真撮影/片山貴博)

自由が丘らしさを感じる1階。カフェやワインバーのテラス席は大人気です(写真撮影/片山貴博)

「アーブル自由が丘」があるのは、準防火地域(市街地における火災の危険を防ぐために定められる地域)。敷地に対して最大限のボリュームを確保するため、1時間耐火建築物(※)とし、さらに1階は鉄骨造、2~3階は木造という「混構造」にしています。火災にも強い、今、大注目の木造建築物というわけですが、ここに至るまでの道のりは平坦ではありませんでした。話の始まりは、なんと10年前、2012年~13年ごろになるといいます。

※耐火建築物……建物の主要構造部(柱・梁・床・耐力壁など)が耐火構造または所定の性能を満たし、延焼のおそれのある部分に設けられた開口部には、防火設備(防火サッシやシャッター)が用いられたもの

アーブル自由が丘の断面図。1階が鉄骨造、2~3階が木造(画像提供/内海さん)

アーブル自由が丘の断面図。1階が鉄骨造、2~3階が木造(画像提供/内海さん)

木造で自由が丘らしい建物を目指し、10年かけてコンセプトを詰めていく

「もともと材木商を営んでいたオーナーのご家族から、『実家を建て替えたいので、相談にのってほしい』ともちかけられたのがきっかけです。そのころ、私は世田谷区下馬で、5階建の木造集合住宅を手掛けていたのですが、できたら木造で建て替えられないかというお話からスタートしました」と話すのは、設計を手掛けた内海彩建築設計事務所の内海彩さん。

仕上げ材にも高知・四万十産の良質のスギをふんだんに使い、新築ですがすでに自由が丘の景観になじんでいます(写真撮影/片山貴博)

仕上げ材にも高知・四万十産の良質のスギをふんだんに使い、新築ですがすでに自由が丘の景観になじんでいます(写真撮影/片山貴博)

もともとは、お隣も合わせた約2倍の広さの土地(借地)に4棟のアパートやご自宅がありました。ちょうど商業地域と住宅地の境目にあり、都市計画道路予定地(※2)でもあります。

完成した現在の敷地はL字型になっていますが、建て替えの話がもちあがったときは、どの範囲が敷地になるのか決まっておらず、敷地面積や建物の床面積・用途に応じてチェックするべき都や区の条例が異なるので、さまざまなケーススタディを繰り返したそう。それにしても、今でこそゼネコン各社を含めて木造高層建築に注力していますが、依頼者から希望はあったとはいえ、なぜ当時はまだハードルが高かった“木造”を想定していたのでしょう。

※2 都市計画道路予定地……都市計画法に基づいて計画された道路が予定されている地。計画であり決定ではないため、土地の売買や建築は可能だが建築物の構造や高さ、階数などに制限がある

(画像提供/内海さん)

(画像提供/内海さん)

「オーナーさんが元木材屋さんということで、木造建築物への関心が高かったこともあり、クリアしなければいけない課題は多くあったものの、『木造でいけたらいいね』という方向性は一貫していました。木造ならではの温かみ、風景との調和など木の持つ良さ、価値を共有できていたんだと思います。一方で、従来の『裸木造』(防耐火性能のない木造のこと)のイメージも強く、耐震性などへの不安もおありのようでしたので、CLT(繊維方向が直交するように積層接着した木質系材料)といった最新の木質材料もご紹介し、これからの時代にふさわしい耐震耐火性能を備えた『都市木造』を目指すことにしたのです」(内海さん)

設計を担当した内海彩さん(写真撮影/片山貴博)

設計を担当した内海彩さん(写真撮影/片山貴博)

もともと、内海さんが木造建築に注目したのは2000年前後。建築士として独立した直後で時間もあり、勉強会に参加して、「鉄筋コンクリート造や鉄骨造ばかりの都市に『木造』という選択肢をつくれたらおもしろそう」と夢を思い描いていました。ただ、「世間的には木造というと2~3階建ての一戸建てがイメージされてしまうもの。中高層の木造集合住宅といっても理解されずに、聞きかえされることもしばしばでした」

そんななか、2010年に「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律(通称、木材利用促進法)」ができて、国交省の「木のまち整備促進事業(現・サステナブル建築物等先導事業)」に採択されたことが大きな追い風となり、2013年、世田谷区下馬に5階建の耐火木造集合住宅が完成しました。設計プランとしては注目されていたものの、竣工したことにより、「『本当にできるんだ……!』と多くの方が関心を寄せてくださったんです」と内海さん。

1・2階がRC造(鉄筋コンクリート造)、2~5階が木造の集合住宅「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

1・2階がRC造(鉄筋コンクリート造)、2~5階が木造の集合住宅「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

今回の「アーブル自由が丘」はすべて民間で開発・実現しました。都市計画道路予定地のため、高さ制限や構造制限があり、また、1階は当初より店舗として貸すことが決まっていたため、区画内に柱や壁をつくらず、できるだけ天井高を確保できるよう鉄骨造に。住空間である2・3階を木造とすることにしました。どこにでもある店舗ではなく、暮らしや食に豊かさを感じられるような「自由が丘らしい建物にしたい」というオーナーさんの思いを汲んでテナント募集が進められました。

「コンビニやファミレスへの1店鋪貸しではなく、小ぶりでもセンスの良い、ちょっと入ってみたくなるようなカフェやベーカリー、ギャラリーやフラワーショップなどが並ぶすてきな街並みをつくりたい、というお考えでした。もともと自由が丘に長くお住まいなので、いい街にしたい、この街にふさわしいものをという想いがおありだったんです」(内海さん)

3階にお住まいのオーナーさんのお住い。画廊のお仕事もされていてアートにも造詣が深く、室内のそこかしこに作品が飾られています(写真撮影/片山貴博)

3階にお住まいのオーナーさんのお住い。画廊のお仕事もされていてアートにも造詣が深く、室内のそこかしこに作品が飾られています(写真撮影/片山貴博)

お住まいの一角には、お仕事スペースも。ロールスクリーンを使ってゆるく空間を区切る工夫がされています(写真撮影/片山貴博)

お住まいの一角には、お仕事スペースも。ロールスクリーンを使ってゆるく空間を区切る工夫がされています(写真撮影/片山貴博)

共用ホールにテナント。住民の居場所が複数ある構造に

こうして「木造建築物」「自由が丘らしい」などのコンセプトが固まってきた一方、シェアスペースがあったらいいという話もでてきました。

「この街にふさわしいものを、という話の中で、シェアオフィスもいいねという案が出てきました。単なるワンルームマンションではなく、暮らす人たちが交流・休憩・触発されるような共用空間があったなら……。
シェアオフィス単体で成立させるのは事業計画上難しそうだったのですが、そんな中、テナント募集を進めていた東急さんより、賃貸住宅部分の運営会社としてCEスペースさんのご紹介がありました。CEスペースさんは、IT人材専用コミュニティ型住宅『テックレジデンス』を都内数カ所で運営されています。そのノウハウもプランニングに盛り込み、2・3階を『TECH RESIDENCE JIYUGAOKA(テックレジデンス自由が丘)』として、IT系エンジニアに入居してもらうことになりました。
もともとワンルームだけではなく、2LDK、3LDKと混在させる計画でしたが、これらをシェアタイプの賃貸住戸として利用できるよう調整しました。状況が変われば、シェアハウスの3DKを2LDKに改修できるよう考慮しています。

目黒区の『自由が丘街並み形成委員会』との事前協議でもこの建物の話をしたところ、応援していただきました。自由が丘は、これから駅前を中心に再開発が進みます。そんな未来の自由が丘に才能ある若いIT系エンジニアが集まり、新しい価値観を発信していく、ということに大きな期待があるようでした」(内海さん)

こうして、ワンルーム住戸5室とシェアタイプ住戸内の個室17室、共用ホールという構成が決まり、さらに細部のプランを詰めていき、ついに着工。途中、ウッドショックの荒波に揉まれつつも、1年の工期をかけて完成しました。

入居が始まって約半年が経過した今、共用ホールに至る廊下にはさり気なくオーナーが選んだアートが飾られているほか、トップライトから日光が降り注いだり、木のぬくもりがあったりと、職業はデジタルな「ITエンジニアの住まい」でありつつも、どことなく「アートな香り」「あたたかさ」などアナログの良さを感じられる住まいとなっています。

「アーブル自由が丘」の共用ホール。「ゆ」ののれんが掛かっているのは住戸の玄関で、住民の方がつけたもの。のれんの奥はワンルーム住戸になっています(写真撮影/片山貴博)

「アーブル自由が丘」の共用ホール。「ゆ」ののれんが掛かっているのは住戸の玄関で、住民の方がつけたもの。のれんの奥はワンルーム住戸になっています(写真撮影/片山貴博)

吹き抜けを上部から見たところ。開放感がお分かりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

吹き抜けを上部から見たところ。開放感がお分かりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

吹き抜けの共用ホールは、住民のみが利用できる場所です。ここで仕事をしてもいいですし、気が向いたときは1階のカフェやワインバーも利用できます。自分だけの水まわりがあるワンルームタイプと、キッチン、バス、トイレを3~4名で共用する3~4DKのシェアタイプが混在するので、自分にあった住まい方、暮らし方ができるのもいいですね。家賃は9万4000円~12万6000円。自由が丘駅徒歩数分、共用スペースがあるので感覚的な“広さ”は十分。住む、働くが一体化していることを考えると、納得なのではないでしょうか。

「1階カフェと連携したサブスクリプションサービスが提供されているので、自分がコーヒーを飲むだけでなく、仕事の打ち合わせ、友達とのおしゃべりにも活用できますよね。仕事の打ち合わせでも、共用スペースや1階のカフェ、レストランなどを”自分のテリトリー”として利用できると、人を呼びやすいだろうなと思います。そこからどこかに出かけてもよいし、そういうときに魅力的なスポットがあちこちにある『自由が丘』という地の利もより活かせると思います」と内海さん。

居室に設けられた部屋番号とインターフォン。工事の端材でつくられたものですが、こちらも木のあしらいがかわいい。施錠にはスマートロックを利用しています(写真撮影/片山貴博)

居室に設けられた部屋番号とインターフォン。工事の端材でつくられたものですが、こちらも木のあしらいがかわいい。施錠にはスマートロックを利用しています(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプ住戸内の個室。家具・家電は備え付けられているので、カーテンとベッド、身の回りのものがあれば生活が始められます(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプ住戸内の個室。家具・家電は備え付けられているので、カーテンとベッド、身の回りのものがあれば生活が始められます(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアタイプ住戸の窓。構造材、耐火被覆、外装仕上げを合わせたため、壁の厚みは40センチ弱あり、一般的な一戸建ての2倍以上! そのため、温熱環境はもちろんのこと、遮音性も高く、驚くほど静か(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアタイプ住戸の窓。構造材、耐火被覆、外装仕上げを合わせたため、壁の厚みは40センチ弱あり、一般的な一戸建ての2倍以上! そのため、温熱環境はもちろんのこと、遮音性も高く、驚くほど静か(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプの部屋を外側から見たところ。フシのない杉材は外装材で、内側には木の構造材と断熱材、それを耐火被覆した壁があります(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプの部屋を外側から見たところ。フシのない杉材は外装材で、内側には木の構造材と断熱材、それを耐火被覆した壁があります(写真撮影/片山貴博)

住戸と住戸を仕切る隔壁パネルにも杉材を使用。他の賃貸集合住宅では見られない仕様です(写真提供/内海彩さん)

住戸と住戸を仕切る隔壁パネルにも杉材を使用。他の賃貸集合住宅では見られない仕様です(写真提供/内海彩さん)

シェアタイプの水まわり。バス、洗濯機、トイレ、洗面所を共用して使います(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプの水まわり。バス、洗濯機、トイレ、洗面所を共用して使います(写真撮影/片山貴博)

キッチンには冷蔵庫や炊飯器も。共用部は週2回の業者による清掃が入ります(写真撮影/片山貴博)

キッチンには冷蔵庫や炊飯器も。共用部は週2回の業者による清掃が入ります(写真撮影/片山貴博)

注目されている木造耐火建築、その街らしいテナント、シェアタイプの住戸と、通常の開発よりも手間と時間をかけて完成した「アーブル自由が丘」。それを実現したのは、オーナーさんと建築家さんの「よい街にしたい」「木とともに心地よく暮らしてほしい」という強い思いでした。

「シェアハウスとワンルームの混在」「共用スペース」「一階に店舗がある」「入居者がITエンジニア限定」「木造」など、この物件の魅力の感じ方は人それぞれでしょう。ただ、暮らしの多様性、生き方や地域への関わり方が増えていることは確かです。成熟した街・自由が丘に、今までにない木造の建物ができ、若い世代/才能がともに暮らす。街をよりすてき・魅力的にするような、そんな化学反応が起きるのではないでしょうか。

●取材協力
内海彩建築設計事務所 内海彩さん

不動産屋さんがなぜ米づくり?! 松戸のまちづくりで知られるomusubi不動産、コミュニティづくりは農業だ!

千葉県松戸市にある「omusubi不動産」。一般的な不動産会社は物件への入居希望者と物件をマッチングし、契約を結ぶところまでが仕事だが、同社の場合はむしろ契約してからがスタート。入居者や地域の人たちと一緒に田植えを行うなど、ユニークなアプローチでコミュニティづくりを行っている。
「お米づくりとコミュニティ形成は似ている」と言うomusubi不動産の殿塚建吾さん。その共通点やコミュニティづくりにおける具体的な仕掛け、また、10年にわたり関わり続けている千葉県松戸の街がどう変化してきたかなど、じっくりお話を伺った。

お米づくりはコミュニティの原点

――「omusubi不動産」では、物件の入居者や地域の人たちと田んぼを管理し「お米づくり(田植え、稲刈り)」などを行っています。まず、そもそもなぜお米づくりだったのか、経緯から教えてください。

殿塚建吾(以下、殿塚): うちは祖父の代から不動産会社(omusubi不動産とは別会社)を営んでいて、将来は自分も不動産業に関わるんだろうなと漠然と考えていました。一方、母方は農家だったこともあって、田舎での自給自足の暮らしにもなんとなく憧れを持っていたんです。

そこで、不動産業と田舎のライフスタイルを融合したような働き方ができないかと思い、2012年に「自給自足」をテーマにしたトークイベントやワークショップなどを行う「green drinks松戸」を立ち上げました。同時に、知人から紹介してもらった千葉県白井市にある田んぼで米づくりに挑戦してみることにしたんです。

omusubi不動産の殿塚建吾さん。幼稚園のころから松戸で育ち、新卒で中古マンションのリノベーション会社に就職。その後、企業のCSRプランナーを経て、房総半島にある古民家カフェ「ブラウンズフィールド」に居候。2011年の東日本大震災を機に松戸へ戻り、松戸駅前のまちづくりプロジェクト「MAD City」に参加。2014年、「omusubi不動産」を立ち上げる(写真撮影/松倉広治)

omusubi不動産の殿塚建吾さん。幼稚園のころから松戸で育ち、新卒で中古マンションのリノベーション会社に就職。その後、企業のCSRプランナーを経て、房総半島にある古民家カフェ「ブラウンズフィールド」に居候。2011年の東日本大震災を機に松戸へ戻り、松戸駅前のまちづくりプロジェクト「MAD City」に参加。2014年、「omusubi不動産」を立ち上げる(写真撮影/松倉広治)

――その後、2014年に「omusubi不動産」を立ち上げていますが、最初から入居者のみなさんと一緒に田んぼをやるつもりだったんでしょうか?

殿塚:いえ、当初はあくまで僕の個人的な活動として、地元の農家さんに手伝ってもらいながら田んぼをやるつもりでした。でも、たまたま田んぼに遊びにきた近所の人が家探しをしていて相談に乗ったり、逆にomusubi不動産で仲介した入居者さんが田んぼに興味を持ったりと、両方が結びつくようになっていって。次第に多くの人が田んぼに集まるようになりましたね。その時に、お米づくりってコミュニティをつくるのにすごく適しているんじゃないかと思ったんです。それから、会社のイベントとして参加者を募り、希望する入居者の方に田植えや稲刈りに参加してもらうようになりました。

千葉県白井市にある田んぼ。母方の祖父母の家からも近く、縁を感じたそう(画像提供/加藤甫)

千葉県白井市にある田んぼ。母方の祖父母の家からも近く、縁を感じたそう(画像提供/加藤甫)

――お米づくりのどんなところがコミュニティ形成に適していると思いますか?

殿塚:お米づくりは自然との戦いでもあります。人間一人きりでは、とても厳しい自然と対峙することはできません。田んぼをやっていると、自然相手には到底ひとりで生きるのは無理だろうなと嫌でも感じます。だから、大昔の先人たちも、みんなで力を合わせて田んぼを守り、お米をつくってきたのだと思います。

そういう意味では、米づくりはコミュニティの原点と言えるかもしれません。実際、「omusubi不動産」も田んぼを通じて入居者さん同士はもちろん、地域の方々も含めた豊かなコミュニケーションが生まれる、きっかけになっています。

空き家を「DIY可の賃貸」として貸し出し新京成線・みのり台駅から徒歩6分の「omusubi不動産」。omusubiの頭文字である「O」には、「Organic(食べもの、身につけるものの素材や人のつながりも有機的に)」「Old(古くても懐かしいもの)」「Ourselves(身の回りのことはできるだけ、自分自身で)」「Originality(それぞれの個性やオリジナリティを尊重すること)」。この4つの“Oを結ぶ”存在になりたいという意味が込められている(写真撮影/松倉広治)

新京成線・みのり台駅から徒歩6分の「omusubi不動産」。omusubiの頭文字である「O」には、「Organic(食べもの、身につけるものの素材や人のつながりも有機的に)」「Old(古くても懐かしいもの)」「Ourselves(身の回りのことはできるだけ、自分自身で)」「Originality(それぞれの個性やオリジナリティを尊重すること)」。この4つの“Oを結ぶ”存在になりたいという意味が込められている(写真撮影/松倉広治)

――omusubi不動産では、古民家やレトロな団地、空き家などを積極的に取り扱っています。古い建物の利活用に注目したのはどうしてでしょうか?

殿塚:祖父母の家が古民家のような造りだったこともあり、もともと古い建物に愛着がありました。それに、まだ使える空き家を取り壊し、新しく建て替えるのはもったいないと感じていたので、自分が不動産の世界に関わるなら既存の建物を活かしたいと思ったんです。新卒で中古マンションのリノベーション会社に入ったのも、それが動機ですね。

――既存の物件をそのまま貸し出すのではなく、「DIY可能」や「シェアOK」といった付加価値をつけているのも特徴ですよね。

殿塚:もちろん、こちらでリノベーションをして物件の魅力を高め、高い賃料で貸すという方法もあります。でも、それが通用するのって高額家賃でも借り手がつく都心部だけで、松戸のような場所だと賃料をそこまで上げることは難しいですよね。だったら、入居者さんご自身が自由に改修できる「DIY可能物件」として貸してしまえば、オーナーさんも改修コストがかかりませんし、入居者側も「自由に物件が使える」「安くDIYを始められる」など、双方にメリットがあるだろうと考えました。

実際に借りてくださっているのはデザイナーやイラストレーターなど、クリエイターの方が多いですね。他には、DIYに挑戦したい公務員の方などもいます。ちょっと変わったタイプの物件なので、それに共感してくれるユニークな感性を持った人が多いように思います。

――ちなみに、空き家はどう探していますか? また、そのオーナーとどうやって知り合うのでしょうか?

殿塚:改修費の負担が大きい古い建物って市場になかなか出てこないので、足で探すしかありませんでした。よさそうな建物を見つけたら、役所で所有者を調べてお電話したり、建物にお手紙を投函したりして、本当に地道な活動です。ただ、今では知り合ったオーナーさん側から所有物件のご相談をいただくこともありますし、月に100件以上は見つかるようになりました。なかには、これまで空き家を積極的に活用する気はなかったけど、「街が面白くなるならいいよ」と快く貸してくださるオーナーさんもいましたね。

居酒屋の廃業を機に、オーナーさんから預かった物件。今ではお蕎麦屋や革製品のアトリエが入居している(写真撮影/松倉広治)

居酒屋の廃業を機に、オーナーさんから預かった物件。今ではお蕎麦屋や革製品のアトリエが入居している(写真撮影/松倉広治)

――その結果、「DIY物件」の取り扱い数が日本一になったと。ちなみに、空き家を取り扱う上での苦労みたいなものはありますか?

殿塚:たとえば権利関係なども物件によりさまざまですし、空き家の場合は前オーナーの荷物や家具などがそのままになっていることもあります。一般的な賃貸物件のようにマニュアル通りに進められることはほとんどなく、個別に問題を解決していかなければいけないのは空き家ならではだと思いますね。

子どものころから憧れていた建物を再生

――住居以外にクリエイティブスペースも手がけられていますが、特に面白いのが「せんぱく工舎」です。古い社宅にクリエイターが集まるこのスペースは、どういう経緯で誕生したのでしょうか?

殿塚:ここは、もともと船の会社が持っている築60年の社宅でした。僕の母校の近くにあったので、学生の頃からカッコいい建物だなと思っていたんです。大人になり、松戸に戻ってきてから改めて見てもその印象は変わりませんでした。長く空き家でボロボロな状態ではありましたが、400平米もの大きなスケールの建物ですし、うまく活用できたら街のランドマークになるんじゃないかと。

そこで、オーナーである神戸の会社に手紙を出し、協議を重ねた結果、現在のような形で使わせてもらえることになったんです。

「せんぱく工舎」。改修中の部屋からは阪急ブレーブスのブーマーが満塁ホームラン打ったときの新聞が出てきたそう(画像提供/omusubi不動産)

「せんぱく工舎」。改修中の部屋からは阪急ブレーブスのブーマーが満塁ホームラン打ったときの新聞が出てきたそう(画像提供/omusubi不動産)

――改修はかなり大変だったのでは?

殿塚:外観は刷新しましたが、内部はDIY物件として貸す前提で、最低限の改修のみ行いました。そのぶん家賃を抑えて、入居者さんが好きに手を加えられるようにしています。余談ですが、改修する時って建物を布で囲うじゃないですか。なので、地域の人は布で囲われた様子を見て解体が始まったと思いきや、囲いが外されるやいなや綺麗な外観に生まれ変わっていてビックリされていましたよ。

オーナーとの交渉から2年後にオープン。1階にはカフェやスコーン屋、本屋、スペインバル、劇団の事務所、2階にはクリエイターの工房が入る(画像提供/omusubi不動産) 

オーナーとの交渉から2年後にオープン。1階にはカフェやスコーン屋、本屋、スペインバル、劇団の事務所、2階にはクリエイターの工房が入る(画像提供/omusubi不動産) 

――部屋数も多く、立地的にも満室にするのは大変だったと思います。どのように入居者を集めたのでしょうか?

殿塚:リノベーションしたとはいえ、古い建物には変わりません。なので、一般的なスペースとは異なることを理解してもらうために、完成前からSNSでの告知に力を入れたり、内覧ツアーを組んだりしていました。また、廊下を塗ったり、外にウッドデッキをつくったりするワークショップなども定期的に行い、みんなで協力しながら少しずつ街に開いていきました。そうした取り組みのなかからさまざまなつながりが生まれ、最終的には多くの人に借りていただくことができましたね。

――DIY賃貸物件の場合、特別な入居の審査はあるのでしょうか?

殿塚:「せんぱく工舎」は何かにチャレンジしたい人、叶えたい夢がある人の土台になる場所だったり、クリエイティブな活動を始めたい人の学校のような場所にしたいと考えていますので、そうした方々を迎えています。実際、面白い人が多いと感じますし、さまざまな才能が集まることによる化学反応みたいなものも生まれていますよ。

例えば、omusubi不動産の事務所がある「あかぎハイツ」に出店しているキッチンカーは、オーナーも車をデザインしたデザイナーも、ロゴを描いたイラストレーターも全て、「せんぱく工舎」の入居者だった方々です。業種もスキルもバラバラな入居者同士が新しいプロジェクトを生み出したり、退去後もつながって一緒に街で活動してくれるのは、とても嬉しいですね。それに、そうやって面白い人が一箇所に集まりコラボすることで様々な仕掛けが生まれ、街自体の魅力も高まっていくと思うんです。

――「せんぱく工舎」では街に開いたイベントも行っていますよね。

殿塚:月に一度の「ゆるっとオープンデー」というイベントでは、入居者同士がコラボ料理を開発したり、2階のクリエイターが個展を開いたりしています。また、以前は入居者さんの発案で生まれた「おもかじ祭」や「とりかじ祭」というイベントに紐づけて、街なかを巡るイベント「やはしら日々祭」を同時開催したこともあります。

1階のベルエンザイム、星子スコーン、せんぱくブックベース、エルアルカと、2階のTransMeatがコラボした「せんぱく弁当」(画像提供/omusubi不動産)

1階のベルエンザイム、星子スコーン、せんぱくブックベース、エルアルカと、2階のTransMeatがコラボした「せんぱく弁当」(画像提供/omusubi不動産)

――殿塚さんはそうした「せんぱく工舎」のイベントだけでなく、2018年からは国際芸術祭「科学と芸術の丘」の企画・運営にも携わっています。そうしたイベントや、これまでの活動の結果として、松戸の街自体が盛り上がってきたと感じますか?

松戸市で行われる「科学と芸術の丘」では国の重要文化財である「戸定邸」のほか、松雲亭、戸定が丘歴史公園にて、国内外のアーティストによる作品展示やトークイベント、ワークショップを開催(画像提供/加藤甫)

松戸市で行われる「科学と芸術の丘」では国の重要文化財である「戸定邸」のほか、松雲亭、戸定が丘歴史公園にて、国内外のアーティストによる作品展示やトークイベント、ワークショップを開催(画像提供/加藤甫)

今年は初年度のようにマルシェも開催予定とのこと(画像提供/加藤甫)

今年は初年度のようにマルシェも開催予定とのこと(画像提供/加藤甫)

殿塚:僕の活動の成果どうこうは置いておいて、松戸がどんどん面白くなっているのは間違いないですね。「せんぱく工舎」がオープンしたのと同時期に、シェアカフェがオープンしたり、都内にある有名な本屋がなぜか松戸に出店してきたりと、面白いお店が一気に増えています。

それに、数年前に比べて「この街で何かを始めたい」と考える人が増えたように感じます。以前は松戸で新しい試みを始める時には、まず我々に声がかかり、何かしらの形で関わることが多かったんです。でも、今は僕らと全く関係のないところで人が集まり、どんどん面白い動きが始まっている。街がイキイキと動き始めた感じがして、とても喜ばしいことだなと。

これまでのように僕らが声をあげて「松戸にきませんか?」「一緒に楽しいことしませんか?」と呼びかけなくても、まちの外の方から松戸を面白がって来てくれるようになったのは、大きな変化だと思います。

2020年には下北沢の「BONUS TRACK」でコワーキングスペースの運営。さらに昨年からは東急が手掛けている、学芸大学の高架下活用プロジェクトなど、松戸以外にも活動の幅を広げている(画像提供/加藤甫)

2020年には下北沢の「BONUS TRACK」でコワーキングスペースの運営。さらに昨年からは東急が手掛けている、学芸大学の高架下活用プロジェクトなど、松戸以外にも活動の幅を広げている(画像提供/加藤甫)

――不動産会社の枠を超え、どんどん活動の領域が広がっていますが、今後はどのようなことにチャレンジしていきますか?

殿塚:これから注力していきたいのは「人が集まって暮らすことの再構築」。つまり、コミュニティをリノベーションすることです。単に住居や活動の場所を用意するだけではなく、そこに住む人たちや集まる人たちが楽しく幸せに過ごせたり、そこで何かをやりたいクリエイターが力を発揮しやすい環境を整えること。もちろんこれまでにも取り組んできたことですが、より意識的に取り組んでいけたらと考えています。

(写真撮影/松倉広治)

(写真撮影/松倉広治)

――そして、お米づくりも続けていくと。

殿塚:そうですね。コミュニティーづくりって、田んぼへの向き合い方と似ていると思うんです。田んぼも、苗が育ちやすい環境を整備することがとても重要で、場づくりと全く同じですよね。管理する人がしっかり手をかけないと、良いコミュニティは育っていかない。お米づくりをしていると、改めてそのことに気付かされますね。そうした原点を忘れないためにも田んぼは今後も続けながら、コミュニティのリノベーションの事例を増やしていきたいです。

●取材協力
omusubi不動産

昭和レトロの木造賃貸が上池袋で人気沸騰! 住民や子どもが立ち寄れる憩いの場、喫茶店やオフィスにも活用 豊島区

東武東上線の北池袋駅(東京都豊島区)から徒歩10分ほどの場所で活動する「かみいけ木賃文化ネットワーク」。活動の中心は昭和に建築された3つの木造賃貸建築物。コミュニティづくりやアートワーク、オフィス、住居などに利用し、訪れる人や住まう人たちがゆるやかに活動をする繋がりをつくり上げています。
そのようななか、2022年1月に新たなスペースとして「喫茶売店メリー」をオープン。まちなかに住む人々とのつながりが変化したそうです。一体どのように変わったのでしょうか。

木造賃貸アパートをもっと面白く活用したい

巨大ターミナル駅・池袋駅の1つ隣にある、東武東上線の北池袋駅。周辺には低層住宅が所せましと並び、大都会である豊島区・池袋とは思えぬ穏やかな時間が流れます。駅から住宅街を10分ほど歩いていくと、昔ながらの木造の建物「山田荘」「くすのき荘」「北村荘」が見えてきます。戦後、「木賃(もくちん)」と呼ばれる、狭い木造賃貸アパートが多く建築されたこのまちで、ネットワークをつくりながら”木賃文化”を盛り上げているのは、「かみいけ木賃文化ネットワーク」を運営する、山本直さん・山田絵美さん夫妻。

実家である「山田荘」について、思いを話す山田絵美さん(写真撮影/片山貴博)

実家である「山田荘」について、思いを話す山田絵美さん(写真撮影/片山貴博)

「かみいけ木賃文化ネットワーク」は木造賃貸アパートをどう面白く活用するかを徹底的に考える活動。活動のきっかけは、山田さんが両親から受け継いだ「山田荘」でした。

「『山田荘』は、もともと私の実家が、賃貸アパートとして運営していた建物です。とはいえ、狭くて古い建物を住まいとして貸し続けることには限界があると感じていて。私が受け継ぐ時に、この建物を『もっと良く活用ができないものか』と考え始めたんです」(山田さん)

1979年築の木造賃貸アパート「山田荘」は、昔ながらの風呂なし・トイレ共同で、4畳半の部屋が並ぶ6室構成。随所に古き良き面影を残しながらも、綺麗にリフォームされています。入口では愛らしい人形がお出迎えする(写真撮影/片山貴博)

1979年築の木造賃貸アパート「山田荘」は、昔ながらの風呂なし・トイレ共同で、4畳半の部屋が並ぶ6室構成。随所に古き良き面影を残しながらも、綺麗にリフォームされています。入口では愛らしい人形がお出迎えする(写真撮影/片山貴博)

「山田荘もそうですが、かなり築年数の進んだ木造アパートなどは、現代の建物と比べると機能も足りてないところが多いんですよね……。風呂なし、トイレ共同、洗濯機置き場がないというのがおおむねスタンダードです。でも暮らしの全てを、自分の住むスペースでまかなうのではなく、まち全体を1つの『家』に見立てれば、いろんな暮らし方ができるんじゃない?と思うのです。台所がないなら食堂へ。お風呂がないならば、銭湯へ。アトリエがないならばガレージへ。庭がないならば公園へ――古き良き木造建築物を楽しんで生かし、”足りないことはまちなかで補い、まちの人や暮らしとゆるく繋がろう”ということを目指しています」(山田さん)

アーティストの拠点として、木造賃貸アパートの居室を利活用

こうした活動に至ったのは、山田さん自身が、豊島区内で実施していたアートイベントとの出合いも影響していたようです。2011年ごろから、東京都や豊島区は「としまアートステーション構想」という、地域資源を活かした「アート」につながる活動をする場づくりをしていました。その一環で山田荘のアパートの一部を、美術家である中崎透さんの滞在制作場所として提供しました。

アーティストなどに賃貸している山田荘1階の入口部分(写真撮影/片山貴博)

アーティストなどに賃貸している山田荘1階の入口部分(写真撮影/片山貴博)

「山田荘をプロジェクトで活用してもらえることはうれしかったですね。この建物は、古い木造建築物で、当時の建築基準法に沿ってつくられており、現行法では既存不適格です。そのため、これを壊すことなく同じ形で、建物そのものが持つ良さを文化として残したいという思いもあったので、これはチャンスだと感じました」(山田さん)

3つの拠点を行き来することで、新たな出会いと交流が生まれる

「山田荘」の、居住する以外の活用方法を通じて、おもしろさを実感した山本さん・山田さん。

「そうしたら、自然と空き物件が目に入るようになったんです(笑)」(山田さん)

その後、2016年に「山田荘」から徒歩5分ほどの位置にある「くすのき荘」を借り、2020年には「北村荘」を借りることとなりました。

運送会社が使用していた建物を改修した「くすのき荘」。右横にはくすのき公園があり、まるで庭のよう(写真撮影/片山貴博)

運送会社が使用していた建物を改修した「くすのき荘」。右横にはくすのき公園があり、まるで庭のよう(写真撮影/片山貴博)

運送会社の名残を残す「くすのき荘」は、1975年築の2階建て事務所兼住居建物です。隣にはくすのき公園があり、あたりには気持ちの心地の良い穏やかな時間が流れています。

運送会社時代に倉庫として使用されていた天井の高い1階スペースは、メンバー制のシェアアトリエとして利用。2階は、山本さん・山田さん夫妻の居住スペースのほか、メンバーのシェアリビング、シェアキッチンとしても開放。時折開かれるイベントには、近所に住むメンバー外の人も訪れることもあり、まさに「まちのリビング」として、思い思いの時間を過ごしています。

1階にあるメンバー制のシェアアトリエ。大学生がアート作品の制作をしたり、アーティストがワークショップを開いたりと、それぞれの活動を繰り広げている(写真撮影/片山貴博)

1階にあるメンバー制のシェアアトリエ。大学生がアート作品の制作をしたり、アーティストがワークショップを開いたりと、それぞれの活動を繰り広げている(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアスペースは、勉強に使ってよし、食事してよし、と使い道は自由自在。時折イベントやワークショップも実施されている(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアスペースは、勉強に使ってよし、食事してよし、と使い道は自由自在。時折イベントやワークショップも実施されている(写真撮影/片山貴博)

看板猫がのんびりと同居中(写真撮影/片山貴博)

看板猫がのんびりと同居中(写真撮影/片山貴博)

一方、2020年に活動開始した「北村荘」は一見すると一軒家のようですが、1階・2階にそれぞれ玄関があり、スペースが区切られている2階建ての木造賃貸アパート。1階は住人たちのコミュニティスペース、2階はシェアハウスになっています。

「1964年築のこの建物は、山田荘と同じく、旧耐震基準の建物です。やはり一度壊したら同じ形での再建築は不可です。私たちが山田荘に対して感じていたことと同じように、不動産屋さんからも『この建物を壊すことなく活かす方法を探している』と相談をいただき、引き受けることにしました」(山田さん)

その後、耐震改修を加え、内装をDIYで改装し、「北村荘」は再生されたのです。

「北村荘」への入口は昔ながらの細路地(写真撮影/片山貴博)

「北村荘」への入口は昔ながらの細路地(写真撮影/片山貴博)

1階のコミュニティスペース、2階のシェアハウス(居住スペース)にはそれぞれに別の玄関がある(写真撮影/片山貴博)

1階のコミュニティスペース、2階のシェアハウス(居住スペース)にはそれぞれに別の玄関がある(写真撮影/片山貴博)

DIYのワークショップを行いながら改装した「北村荘」1階のコミュニティスペース。”日常生活の中で探求する場”として研究活動や、ワークショップなどが行われている(写真撮影/片山貴博)

DIYのワークショップを行いながら改装した「北村荘」1階のコミュニティスペース。”日常生活の中で探求する場”として研究活動や、ワークショップなどが行われている(写真撮影/片山貴博)

「3つの建物は、コンセプトも用途も異なりますが、利用者は居住者やご近所さんだけでなく、遠方から”何か楽しい集まり”や”出会い”を期待して足繁く通う人もいます。また、それぞれの拠点を行き来する使い方もあります。そうすることで新たな出会いや交流が生まれますね」(山田さん)

コロナ禍で、半径500m圏内のご近所付き合いを実感

「開けたまちのスペース・まちの人同士をつなぐ場でありたい」という願いがありながらも、「メンバーシップ制」のため、どうしても仲間うちの閉じた活動になりやすいことが悩みだったそうです。

「活動をするメンバーは、”アート”をきっかけに興味を持った人のほか、豊島区近郊ではなく、首都圏内広くから、さらにはそれより遠方から通うクリエイターさんもいて。特に『くすのき荘』はガレージの奥が深く、常にオープンしていたわけではないので、近所の人たちからは『一体あそこで何をやっているのだろう?』と思われがちだったんです」(山本さん)

子どもが気軽に楽しめるようにと、駄菓子やおもちゃも販売(写真撮影/片山貴博)

子どもが気軽に楽しめるようにと、駄菓子やおもちゃも販売(写真撮影/片山貴博)

隣にあるくすのき公園で遊ぶ人も(写真撮影/片山貴博)

隣にあるくすのき公園で遊ぶ人も(写真撮影/片山貴博)

そんななか、2020年からのコロナ禍で状況が大きく変化しました。

区外の離れた場所からコミュニティスペースに通えなくなる人が増加した一方で、人々の活動範囲が狭められ、半径500m圏内の生活濃度が上がったのを実感したそうです。

これを機に、『くすのき荘』を、地域の人たちと繋がるためのもっと”開けた場”にし直そうと決意。いつでも誰でもふらっと足を運び、気軽におしゃべりしたり、交流する” 半径500m圏内の憩いの場”にするべく、リニューアルすることにしたのです。

特別な店ではない 日常の延長にある「喫茶売店メリー」をオープン

山本さんは、リニューアルにあたって「喫茶売店メリー」を設けることを決めます。

「喫茶というよりも、イメージは『公園にある売店』といった感じのものを考えていました。ガレージを開放した状態だと、隣にあるくすのき公園と地続きになり、自由に行き来ができる。そういうつくりにして、『喫茶売店メリー』が”街の一角である”ことをイメージさせたかったのです」(山本さん)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

正面の通りからも、ガレージ側からも購入ができる開放的なキッチンカウンター(写真撮影/片山貴博)

正面の通りからも、ガレージ側からも購入ができる開放的なキッチンカウンター(写真撮影/片山貴博)

やはり、まちの人にとって「こんな開放的な場所があるのね!」と知ってもらい、いつでも足を延ばしてほしい、という思いがあるゆえなのでしょう。

「このエリアにはお年を召した方も多く住んでいます。若い単身者や外国にルーツを持つ人も多く、まさに多種多様です。さまざまな人にとって魅力的に感じ、いつでも気軽に訪れることができるコンテンツは何か?と考えた結果、カフェという答えに行きつきました。でも僕自身は今までカフェなんてやったことなかったんですよ。だから本当にイチから勉強で、試行錯誤もいいところです(笑)。

最初はレシピやメニューをつくるにも、何からすればいいか分からなかったんです。なので、近所に住む台湾人の料理人のおじさんに教えてもらい、看板メニューであるルーローハンをつくったんですよ。おかげさまで彼はよく顔を出してくれます」(山本さん)

看板メニューのルーローハンとアイスコーヒー(写真撮影/片山貴博)

看板メニューのルーローハンとアイスコーヒー(写真撮影/片山貴博)

カフェを増築するにあたっては、山本さんと旧知の関係である建築事務所「チンドン」主宰、建築家の藤本綾さんが設計を担当しました。

設計を担当した藤本綾さん。施主である山本・山田さん夫妻の想いや願いを聞きながら一緒につくり上げていくことが新鮮かつ楽しかったそう(写真撮影/片山貴博)

設計を担当した藤本綾さん。施主である山本・山田さん夫妻の想いや願いを聞きながら一緒につくり上げていくことが新鮮かつ楽しかったそう(写真撮影/片山貴博)

「中をのぞけば楽しそうにしている方たちがたくさんいるのに、外部から中の様子が見えづらいことで、入りづらさを感じて。開放的な場所づくりを意識し、建物の大きな扉を開けるとコンパクトな売店が出現する設計にしました。テイクアウトで使えるような小さな窓口を設けることで、通りを歩く人との接点がつくりやすいようにしています」(藤本さん)

通りからフラッと入れる入口ゆえ、この日も台湾人のおじさんが顔を出す(写真撮影/片山貴博)

通りからフラッと入れる入口ゆえ、この日も台湾人のおじさんが顔を出す(写真撮影/片山貴博)

ゆるく交わるオープンスペースの連続性で、都心の街並みは変わる

2022年1月に「喫茶売店メリー」がオープンしてから、半年以上が経過。内輪感のある空気にひそかに頭を悩ませていた山田・山本さん夫妻は「顔ぶれに変化が生まれた」と話します。

開放的なガレージ部を利用した喫茶スペースに開店と同時に人が集う(写真撮影/片山貴博)

開放的なガレージ部を利用した喫茶スペースに開店と同時に人が集う(写真撮影/片山貴博)

「ワンちゃん連れのお客さんが散歩の途中でコーヒーを買ってくれたり、ベビーカーで赤ちゃんを連れたファミリーが公園に寄る途中で訪れてくれたりすることが増えましたね。あと、たまに小学生がフラっとガレージに紛れ込んでくるんです。何気なくベンチで休憩していて(笑)。そういうのが楽しいですよね。まちの居場所として思ってもらえているんだなと」(山本さん)

これまでに「かみいけ木賃文化ネットワーク」の活動にアドバイスしてきた、「まちを編集する出版社」千十一編集室の代表・編集者の影山裕樹さんは、今回「喫茶売店メリー」オープンに伴い、クラウドファンディングの立ち上げから、コピーライティング、コンセプトの考案などのディレクションに携わりました。その時のことを思い出しながら、こう話します。

まちのコミュニティについて研究を続ける影山さんは、「かみいけ木賃文化ネットワーク」を支える重要な存在の一人(写真撮影/片山貴博)

まちのコミュニティについて研究を続ける影山さんは、「かみいけ木賃文化ネットワーク」を支える重要な存在の一人(写真撮影/片山貴博)

「昔は、角のタバコ屋のようにちょっとした憩いの場ってありましたよね。いまでも都市公園にある、気の抜けた売店みたいな場所があり、そこに集う人々は飲食や休憩、遊具の購入などいろいろな目的を持って訪れています。ですが、現代の都市空間においては、経済合理性が優先され、お店の機能が限定されてしまっています。複数の機能を持ったゆるいスペースがなくなっているんです。そういう場所をつくりたかったので、今回のプロジェクトは渡りに船だなと感じました。また、東京の人たちは、自分の足元の半径500mのコミュニティとの繋がりがほとんどなく、せいぜいコンビニや居酒屋とかしか行かない。こうした狭い範囲で暮らす人が多様な人と関われる場所にもしたくて、”公園の売店のようなお店”だとか、”開けっぱなしの客席”というコンセプトにつながりました」(影山さん)

上池袋のまちを中心とした、「木賃文化」のことやご近所付き合いについても、続けてこう話します。

「このエリアは木造密集エリアとして知られ、火事などの災害に弱い反面、木貸アパートが持つゆるやかなご近所づきあいという、文化的遺伝子を持つエリアでもあります。都市開発において、木造賃貸アパートは次第に淘汰されていく運命ですが、高度成長期は地方都市からの上京組が、その時代を経て、日本へやってきた外国人や単身者が暮らし、家族とは違うコミュニティを形成してきました。こうしたご近所さんとのゆるやかなつながりを生み出す仕組みを、現代に引き継ぐというのが木賃アパートの価値だと思います。こうしたソフト面でのまちづくりは現代の東京に必要な視点だと思いますね」(影山さん)

くすのき荘オープン時に募ったクラウドファンディングのリターンの1つ、中崎透制作の看板たち。地域の応援でこの場所は支えられている(写真撮影/片山貴博)

くすのき荘オープン時に募ったクラウドファンディングのリターンの1つ、中崎透制作の看板たち。地域の応援でこの場所は支えられている(写真撮影/片山貴博)

「カフェができることによって、出入り自由のオープンな雰囲気がより強くなったと思います。こうした空気感のある中で生まれる小さなつながりが、徐々に広がっていくと、きっと住みやすい街になっていきそうですよね」(山本さん)

「かみいけ木賃文化ネットワーク」内にもたらされた、「喫茶売店メリー」オープンという変化は、都市のソーシャルな課題を解決するために多くの人に知ってほしい、”小さくも大きい出来事”だったのではないでしょうか。

●取材協力
・かみいけ木賃文化ネットワーク

おんせん県なのに温泉ナシの豊後大野市。サウナ嫌いが移住したら、なぜか九州一の「サウナのまち」になっちゃった話 高橋ケンさん

大分県といえば「日本一のおんせん県」をうたっているが、豊後大野市(ぶんごおおのし)には温泉が、ない。その状況を逆手にとり、2021年に「サウナのまち」を宣言した。現在、官民一体となってサウナを盛り上げている。
鍾乳洞サウナ、清流に“ドボン”できるサウナなど、自然の地形を活かしたアウトドアサウナが市内だけで5カ所。バラエティの豊かさからSNSなどで注目を集め、県内外のサウナーたちがこぞって足を運んでいる。
この「サウナのまち」の仕掛け人が、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人であり、アウトドアサウナ協議会「いいサウナ研究所」所長でもある高橋ケンさんだ。茨城県守谷市出身、東京都内での仕事を経て、豊後大野市に移住した高橋さん。豊後大野での暮らしなどについて、移住のリアルな話を伺った。

「REBUILD SAUNA」、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人の高橋ケンさん。豊後大野市内に点在するアウトドアサウナをとりまとめる協議会「いいサウナ研究所」の所長でもある(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人の高橋ケンさん。豊後大野市内に点在するアウトドアサウナをとりまとめる協議会「いいサウナ研究所」の所長でもある(写真撮影/衞藤克樹)

“サウナ嫌い”から開眼。3年で九州一アウトドアサウナの多い地域に

東京の広告代理店、株式会社LIGの地方創生チームのメンバーだった高橋さんが豊後大野市に足を踏み入れたきっかけは、大分県での移住定住イベント。そこからあれよあれよという間に山あいにある廃校跡地の委託事業を任され、2017年に宿泊施設「LAMP豊後大野」を開業。自身も移住することになった。

元小学校跡地に立つ宿泊施設LAMP豊後大野。木組の外観はドイツ建築の雰囲気が漂う(写真撮影/衞藤克樹)

元小学校跡地に立つ宿泊施設LAMP豊後大野。木組の外観はドイツ建築の雰囲気が漂う(写真撮影/衞藤克樹)

看板には、豊後大野の特徴でもある祖母傾国定公園の山々が描かれている。「REBUILD SAUNA」は施設内に設置されている(写真撮影/衞藤克樹)

看板には、豊後大野の特徴でもある祖母傾国定公園の山々が描かれている。「REBUILD SAUNA」は施設内に設置されている(写真撮影/衞藤克樹)

日光がたっぷり入り込む明るい施設内。手づくりのガーランドほか、アート作品などが散りばめられ、ぬくもりのある雰囲気を演出している(写真撮影/衞藤克樹)

日光がたっぷり入り込む明るい施設内。手づくりのガーランドほか、アート作品などが散りばめられ、ぬくもりのある雰囲気を演出している(写真撮影/衞藤克樹)

「当時はサウナ嫌いだったんです」と話す高橋さんが、なぜ現在は、まちのアウトドアサウナ施設をとりまとめる協議会「おんせん県いいサウナ研究所」所長にまでなったのか。そのはじまりは移住3年目の2018年、宿泊施設にお客さんを呼ぼうと、必死で集客方法や宣伝方法を模索していた時期だった。

ある日、LIGの同僚で、のちに長野県信濃町でThe Sauna(LAMP野尻湖内)を立ち上げた野田クラクションべべーさんにサウナへ誘われた。「その時は、ただ熱いのを我慢するものだと何も魅力を感じていなかったんです」と振り返る。当然、野田さんの勧めを断ろうとしたが、あまりの熱意に負けて、「ウェルビー福岡」(福岡県福岡市)で初めてのサウナ体験をすることになった。

野田さんに言われるままにサウナの流儀(サウナ→水風呂→休憩)に従っていると、あきらかにこれまでと違う感覚、“ととのい”が訪れるのを感じた。大分への帰り道でも、自分の身体がまだポカポカと温かく、「サウナって温泉みたい」と気付いた。「案外サウナっていいものなんだな」。目からうろこだった。1人でサウナへ通う楽しみができた。

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

そこから高橋さんのサウナ熱は加速していく。

豊後大野の「カフェパラム」オーナーとサウナ話で意気投合し、カフェの前に流れる清流を水風呂代わりにするアイデアで大盛り上がり。2019年にはテントサウナを張ってイベント開催するに至り、大盛況となった。さらに、それがきっかけで2020年7月はLAMP豊後大野内にフィンランド式サウナ「REBUILD SAUNA」を建設。同年3月にアウトドアサウナを市内に増やすべくサウナ協議会「いいサウナ研究所」も立ち上げ、2021年には自治体を巻き込み市をあげて「サウナのまち宣言」をするに至った。

高橋さんがサウナにハマってから、わずか3年のできごとだ。

地域、カルチャー、資源をリビルドしたサウナを中心に展開

高橋さんが施設内につくった「REBUILD SAUNA」のサウナ小屋は、解体される長屋などの廃材を再利用し、本来捨てられてしまうものを利活用している。素人でもできる部分は、できる限りDIYした。

“再構築”と言う意味の「REBUILD」と名付けたのは、廃材活用をしているからだけではない。

尾平地区には、LAMP豊後大野のほか、鉱山事務所とおじいちゃん1人が住む住宅しかない。この地域の再生、自然を活かしたフィンランド式サウナの導入によって新しい文化を紡いでいきたい、という想いも込めている。

廃材の合板にボルトを打ち付けてつくったロゴ(写真撮影/衞藤克樹)

廃材の合板にボルトを打ち付けてつくったロゴ(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ室(サ室)内。まだ九州では珍しい薪ストーブを使用。最大10名まで収容可能(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ室(サ室)内。まだ九州では珍しい薪ストーブを使用。最大10名まで収容可能(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ小屋のほか、広々とした外気浴スペースと、小学校のプールを活かした水風呂エリアがある。水風呂には、奥岳川の最上流部から水を引いている。透明度が高く、柔らかい水質は、温まった体をしっかり包み込み、キュッと肌を引き締めてくれる(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ小屋のほか、広々とした外気浴スペースと、小学校のプールを活かした水風呂エリアがある。水風呂には、奥岳川の最上流部から水を引いている。透明度が高く、柔らかい水質は、温まった体をしっかり包み込み、キュッと肌を引き締めてくれる(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんは、職人さんから「大分県臼杵市の長屋が解体される」と聞き、自ら車を運転して資材をレスキューしに行った。廃材は、合板、トイレ、ライト、床材と、使えそうなものは全て利活用している(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんは、職人さんから「大分県臼杵市の長屋が解体される」と聞き、自ら車を運転して資材をレスキューしに行った。廃材は、合板、トイレ、ライト、床材と、使えそうなものは全て利活用している(写真撮影/衞藤克樹)

透きとおった豊後大野の清流。この水が水風呂へと流れている(写真撮影/衞藤克樹)

透きとおった豊後大野の清流。この水が水風呂へと流れている(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

シシ麻婆(1,200円)とオロポ(450円)。シシ麻婆は大分県産のイノシシ肉とスパイスが絶妙に絡み合う一品。どちらもサウナ後の栄養・水分補給にはもってこいのメニューだ(写真撮影/衞藤克樹)

シシ麻婆(1,200円)とオロポ(450円)。シシ麻婆は大分県産のイノシシ肉とスパイスが絶妙に絡み合う一品。どちらもサウナ後の栄養・水分補給にはもってこいのメニューだ(写真撮影/衞藤克樹)

「自然を活かしたサウナは、やはりほかで真似できないところが魅力ですね。その土地の空気感、外気浴で感じる風、におい。すべてが違っているんですよね」と語る高橋さん。

それでも、九州のほかのエリアにも、人気のサウナは数多い。豊後大野市まで足を運んでもらうためにはもっと工夫が必要だと考えて、アウトドアサウナの数を増やすことを思い立つ。まちのサウナ協議会「おんせん県いいサウナ研究所」を設立し、市内でのアウトドアサウナの立ち上げの促進や地域ブランディングにも力を入れることにした。

市内の各サウナのオーナー同士のつながりができたおかげで、県外からもさまざまな趣向を凝らしたアウトドアサウナを存分に楽しもうとサウナのはしごを楽しむお客さんが来るようになった。まち単位での大規模イベント「サウナ万博」も定期開催できるようになり、例年チケットは完売。今年(2022年)10月22日にロッジ清川で開催される「第3回サウナ万博in豊後大野」も、多くのサウナーたちが当日を心待ちにしている状況だ。

現在は、フィンランドと姉妹都市を結ぶべく市へ提案もしている最中だという。

「おんせん県いいサウナ研究所」に加盟しているサウナのひとつ「稲積水中鍾乳洞サウナ」。水風呂代わりに鍾乳洞へとダイブできる(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

「おんせん県いいサウナ研究所」に加盟しているサウナのひとつ「稲積水中鍾乳洞サウナ」。水風呂代わりに鍾乳洞へとダイブできる(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

同じく「おんせん県いいサウナ研究所」加盟サウナ「Tuuli Tuuli」は、「REBUILD SAUNA」がきっかけで誕生した、カフェパラムのオーナーが運営するDIYサウナ。カフェの目の前に流れる清流が水風呂だ(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

同じく「おんせん県いいサウナ研究所」加盟サウナ「Tuuli Tuuli」は、「REBUILD SAUNA」がきっかけで誕生した、カフェパラムのオーナーが運営するDIYサウナ。カフェの目の前に流れる清流が水風呂だ(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

移住して変わった、自然への尊敬と危機意識

中学生の頃からずっと「山に住みたい」という夢を持ち続けていた高橋さん。まさか大分県に住むとは思ってもみなかったそうだが、実際に訪れてみると、豊後大野の棚田の美しさに感動したという。「田んぼに水がはられて、その水面に夕陽が映る。夜空を見上げれば、天の川の星群を肉眼で見ることができる。四季の移ろいも、気温の上がり下がりだけではない、植物の変化で感じることができる。そういうひとつひとつのことに感動してしまう、大分県の自然のスケール感に心震える毎日です」と笑う。

九州を代表する祖母傾山。豊後大野市は九州で唯一「ユネスコ・エコパーク」と「日本ジオパーク」の両方に認定された自然が豊かな地域。水源も多いせいか、濃緑の山の連なりがひたすらに広がっている(写真撮影/衞藤克樹)

九州を代表する祖母傾山。豊後大野市は九州で唯一「ユネスコ・エコパーク」と「日本ジオパーク」の両方に認定された自然が豊かな地域。水源も多いせいか、濃緑の山の連なりがひたすらに広がっている(写真撮影/衞藤克樹)

森林浴の森日本100選にも選ばれる川上渓谷。夏は川遊びをする人たちもちらほら(写真撮影/衞藤克樹)

森林浴の森日本100選にも選ばれる川上渓谷。夏は川遊びをする人たちもちらほら(写真撮影/衞藤克樹)

山でろ過されて澄みきった水。大分県内でも豊後大野の水質はいいと評判だ(写真撮影/衞藤克樹)

山でろ過されて澄みきった水。大分県内でも豊後大野の水質はいいと評判だ(写真撮影/衞藤克樹)

一方で、環境問題について考えることが多くなった。

「例えば自然災害。雨が降って斜面が崩れるってことが田舎では本当に起きるんです。その時に、前はこんなところから水が出てたかな?と上の方を見たら木が伐採されていたのを発見したこともある。いかに人間のエゴで自然が犠牲になっているかを実感せざるを得ないし、地域の過去・現在・未来を自然から感じることで、自分たちが今からどうしなきゃいけないのか?と向き合うことも多くなりました」

出身地の茨城では都市部で生活していた上に仕事は東京。そのため当時は気がつかなかった問題が見えてきた。高橋さんは今、この集落を守るために、自然を守りつつ、どうすれば子どもから高齢者までが住みやすい環境になるかを真剣に模索している。

豊後大野市の幸福度を上げたい

「大分県には、将来子どもたちのために自分たちは何を残せるかを考えている人、どのようにまちの課題を解決して、どんな未来を託すかを考えている仲間が結構います。そこがすごくいいなと思うし、それだけ、地域で生きるってことは、日本の未来に直結している問題と向き合っているなと自分自身で生活のなかでも感じます。

LAMP豊後大野のスタッフと談笑する高橋さん。スタッフはサウナ移住や地域おこし協力隊として働いている人たちが多く、この場所から独立して大分で働く人たちも多いそうだ(写真撮影/衞藤克樹)

LAMP豊後大野のスタッフと談笑する高橋さん。スタッフはサウナ移住や地域おこし協力隊として働いている人たちが多く、この場所から独立して大分で働く人たちも多いそうだ(写真撮影/衞藤克樹)

東京では、自分の半径何kmだけしか見なくても生活はしていける。けれども地域では、地域共同体で考える必要があります。行政のやることでみんなの暮らしがリアルに決まっちゃうので、税収が少なくなれば、余生をそこで過ごせなくなって、中心地に移動せざるを得ない、みたいなことが現実として起こりえる。この集落を残すためには、ここにいる人たち個人の考えや行動ひとつひとつが本当に大事なんだと意識するようになりました。

そんななかで、なぜサウナをやるのか。それは、単なるサウナが好きという気持ちだけにはとどまりません。豊後大野の教育と福祉を充実させ、子どもから高齢者までが幸福度の高いまちにしたいと思っているからです。そうすれば、きっとこの場所はなくならない。だからこそ、もっと地元と外部との接点が必要で、そこからいいものを取り入れていく必要がある。サウナはその外の世界とのきっかけづくりに位置しているんじゃないかなと思っています」

高橋さんが豊後大野市に移住してから7年が経つ。
移住のきっかけは、ただ仕事のためだった。だが現在は「自分たちが暮らすまちのために」と大きく視点、思考が変化し、地元の仲間と共にいかにまちの暮らしをよくするか、問題解決の糸口を探っている。

「地域に愛着を持つということは、それと共に問題をも一緒に共有をしていくということでもあります。移住を検討している人は、それをわずらわしいと思うかどうかを、実際に何度か移住候補先へと通って先輩移住者の声を聞いてフラットに判断することが大切だと思います」と高橋さんは話す。

地域の共同体として生きる上で直面する問題は、決して1人で解決するものでないことを高橋さんの話を聞いて感じた。移住の決め手は、自分自身が一歩前に踏み出すことはもちろん、地域にどのような人が住んでいて、どう一緒に生活をしていくのかまで目を向け、手を横に広げることが大切なのかもしれない。

高橋さんは今日も豊後大野の愛する景色を守るべく、アウトドアサウナのハブとしてカルチャーを広めている。

高橋さんお気に入りの景色(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんお気に入りの景色(写真撮影/衞藤克樹)

●取材協力
LAMP豊後大野
REBUILD SAUNA
おんせん県いいサウナ研究所

高知の山里に若い移住者相次ぐ。「儲かる林業=自伐型」に熱視線 高知県佐川町

2023年春、日本の植物学の父・牧野富太郎博士を描いた朝ドラ(NHK連続テレビ小説)『らんまん』がスタートする。博士が生まれたのは、高知県の中西部にあり、高知市から車でおよそ40分の佐川(さかわ)町。同町はドラマの舞台として注目される一方で、「自伐型林業」というあまり聞き慣れない林業の先進地としても、実は熱い視線が注がれている。

安定収入が得られるうえに、空いた時間も副業などで有効活用できると言われる自伐型林業。今佐川町では、それに魅力を感じた若者たちが全国から移住してきているという。新しい林業で活気づきつつあるという町の実態を知るために、佐川町へ足を運んでみた。

町面積の7割を占める森を新たな産業の源に

84%という全国トップの森林率を誇る高知県。佐川町でも町面積の7割を森が占める。さらにその7割が人工林でありながら、同町で林業は産業としてほぼ成立していなかった。かつての一般的な林業は、山林の所有者が森林組合などの事業者に管理を委託し、対象となる木を全て伐採する「皆伐」、あるいは木々を間引く「間伐」を必要以上に行う大規模型林業。ところが高額な投資の割には利益が上げづらいといわれ、担い手は減るばかりだった。

人が入らなくなった放置林は、地表に日光が届かず、下層の植物が育たない。大雨時には直接雨水が地表を流れ、土砂災害を誘発する。また大規模な皆伐、さらに大型重機を通す広い作業道の敷設は、放置したままの山で起こる災害以上の被害を発生させる恐れがある。これまでの林業を取り巻く環境は、採算性に加え、環境面でも多くの問題を孕んでいた。

2013年、佐川町の森を産業の源のひとつと考え、「自伐型林業」による林業振興を公約に掲げた堀見和道町長が就任する。「小規模投資で参入しやすく、利益も上げやすい。しかも雇用を生み、環境にもいい」とされる自伐型林業。近年全国50以上の自治体が導入支援を行っているが、堀見町政以降の佐川町ほど手厚い支援を行う自治体は少なく「佐川型自伐林業」として知られるほどになった。

従来型林業と、自伐型林業の大きな違いは伐採のスパンと規模だ。これまでの林業は、約50年のスパンで大規模に皆伐し、また造林する、というのを、場所を変え繰り返していくため、その規模に見合った大型な機械や作業道などへの投資が必要で、採算性に問題があった。その不採算を高額の補助金で補填している側面もあった。

自伐型林業は、一つの場所を100年から150年以上の長いスパンでとらえ、皆伐はせず、少しずつ伐採し長く利益を得ていく。従来型に比べ、機械や作業道への投資規模は小さくて済み、小さな法人や個人なども参入でき、採算化もしやすいため、補助金の補填も最小限で済むといった特徴があり、近年、注目されているのだ。

佐川町の人工林は約5000haあるといわれている(写真提供/斉藤 光さん)

佐川町の人工林は約5000haあるといわれている(写真提供/斉藤 光さん)

メリット多き自伐型林業の魅力をさらに高める施策

現在佐川町の林業家は、やり方次第では自伐型林業だけで300万円以上の収入を得ることが可能だ。それは佐川町が林業家に対して行う支援によって実現した。例えば佐川町では従事者に対してショベルカーなどの重機は一日500円でレンタルできる補助を行う。極端なモデルケースでは「自立支援金で購入した軽トラとチェーンソーがあればできる」といわれるほど初期投資は少なく、参入もしやすくなった。

またこれまでの林業は、前述のように約50年単位で大規模な伐採をしていた。しかしスギやヒノキにとってこの年数はまだ若く、高価格な建材としては出荷できず加工用として安く取引されてしまうことが多い。しかも次の伐採は50年後だ。

自伐型林業では、混み合った木々を間引いていく間伐を、森全体の2割で留める。これは伐採しても木が自然に増えていく森林成長率に即した割合だという。これにより継続的に出荷できる上に、残った木も成長により価値が上がり、森の環境も維持できる。

間伐を進めるための補助金を支給していた高知県。その条件は森全体の3割を間伐すること。これを森林成長率に照らし合わせると、森を傷めることになりかねない。佐川町は高知県と協議の末、「2割間伐」での緊急間伐補助金の新設に成功。従事者には1haを間伐するごとに、12万2000円が支給されるようになった。

作業道の整備に対しても、1m開通に付き、県と町あわせて2000円を支給し、林業家のモチベーションを高めている。実は林業にとって作業道は、人間にとって血管のごとく重要な存在。作業道があって初めて森の中で仕事ができる。自伐型林業のために整備する作業道は、従来型に比べ狭く済み、土壌流出を最小限に留め、かつ法面の緑化を促す。つまり小規模な作業道の整備は、災害に強い森づくりと林業振興のダブル効果があるのだ。

自伐型林業では幅2~2.5m程度の作業道をつくる。これは重機が通れる最低限の道幅だ(写真提供/斉藤 光さん)

自伐型林業では幅2~2.5m程度の作業道をつくる。これは重機が通れる最低限の道幅だ(写真提供/斉藤 光さん)

担い手不足は全国から募った地域おこし協力隊が補う

このようにいいことずくめの自伐型林業だが、問題のひとつとしてあげられていたのが担い手不足。「佐川町内での林業家募集に望みは薄い」と考えた佐川町は、2014年に地域おこし協力隊の制度を活用し、全国から人材を募ることでこの問題に対応した。毎年5人を採用し、10年間続ける計画だ。

「森林率全国一位の林業県である高知で働くということは、私にとっては林業界のハリウッドで働くということです(笑)」と語るのがこの第一期生となった滝川景伍さん(38歳)。京都生まれの滝川さんは、一時は映画監督を目指すも挫折し、大学卒業後は出版社で編集者として活躍した。

ほぼ毎日終電帰りという多忙さと、子どもを授かったことによる心境の変化を機に、30歳の時に転職を決意。農業などの一次産業に魅力を感じていた時、偶然にも大学の先輩が自伐型林業推進協議会の事務局長をしていたことから、自伐型林業を知ることになった。

「単なる林業ではなく『自伐型』という響きに興味を持ちました。いろいろ調べてみると最小限の道具だけで始められる。しかも高知県は近代自伐型林業の発祥地であり最先端を行く場所。ちょうど佐川町で自伐型林業の地域おこし協力隊を募集していたのが決め手でした」

今や佐川町の自伐型林業のリーダー的存在となった滝川さん。メディアからも引っ張りだこだ(写真提供/斉藤 光さん)

今や佐川町の自伐型林業のリーダー的存在となった滝川さん。メディアからも引っ張りだこだ(写真提供/斉藤 光さん)

林業家の職場を確保するための山の集約化

地域おこし協力隊として赴任したばかりの滝川さんは、予想以上に重いチェーソーに四苦八苦しながらも、技術の習得に励んだ。「林業家として山主さんから安心して管理を任せてもらうためには、ヨソ者の私にとって、協力隊3年間の任期内での技術習得は絶対条件でした」と振り返る。

任期終了後、独立支援金としての100万円で、軽トラックと防護服など必要な備品を買い揃え、林業家としての道を歩み始めた滝川さん。とはいえ自由に森へ入って仕事ができるわけではない。森の中には、数多くの山主の所有地があり、その境界線が複雑に張り巡らされ、一箇所ずつ許可を得る必要がある。

そこで佐川町は、林業家の代わりとなって山主と交渉する「山の集約化」を推し進めた。それにより滝川さんもスムーズに山へ入っていくことができた。現在滝川さんが管理を任されている森は約35ha。自伐型林業を専業にして生活していくためには50ha、兼業で30haが必要とされている。

滝川さんによると、これまで佐川町が山主と管理契約を行った700haの森のうち、施業者に委託されたのは約100ha。道半ばの印象はあるが、「町が集約化を進めたことで、林業を行う仕事場が確保されたメリットは大きい」と滝川さんが語るように、行政のバックアップは新人林業家には頼もしい存在だ。

チェーンソーを使いこなす滝川さん。怪我と隣り合わせの仕事ゆえに、「精神的にゆとりを持って臨むことが大切」と語る(写真/斉藤 光さん)

チェーンソーを使いこなす滝川さん。怪我と隣り合わせの仕事ゆえに、「精神的にゆとりを持って臨むことが大切」と語る(写真/斉藤 光さん)

林業で食べていくための補助金は、安全な地域づくりの必要経費

新人林業家として、まずは作業道づくりに励んだ滝川さん。一日平均15mを作れば、1m2000円×15mで、その日の収入は30000円となる。経費は重機のレンタル代ワンコイン500円と燃料代の3000円程度。「最初の年は1.8kmの作業道をつくりました。ただ作業道の補修には労力がかかるので、壊れない道づくりも大切です」と滝川さん。

作業道づくりだけで年間300万円以上の収入に加え、間伐補助金、さらに木材の売上げで十分な年収を確保できた滝川さんだが、「木材の売上げは微々たるもので、補助金で生かされているのも事実。しかし、森を整備することで、山の資産価値を高め、災害防止にも繋がります。補助金は地域の公益性を高めるために必要な先行投資だと思っています」と語る。

長いスパンで仕事を進める林業。滝川さんは「どの木を切るかではなく、どの木を残していくかが大切です」と極意を語る。現時点では木材の売上げは少ないものの、それは高価値の木材を育てるための助走期間。補助金を活用しつつ、将来的には販売売上げの割合を上げていくことが理想だ。

ショベルカーを使いこなし作業道をつくる滝川さん。「天地返し」という工法で地中の砂利を路面に敷き、路面強化を図る(写真/斉藤 光さん)

ショベルカーを使いこなし作業道をつくる滝川さん。「天地返し」という工法で地中の砂利を路面に敷き、路面強化を図る(写真/斉藤 光さん)

林業の包容力が可能にした兼業が生む地域とのつながり

「毎日手がかかる農業と異なり、林業はとてものんびりしています。一度手入れすれば一年ほったらかしにしてもいいこともある。森に入れば自然に包まれ心が和らぐ。こんなストレスフリーな仕事はありませんよ」とその魅力を語る滝川さん。

佐川町で林業家として独立して5年が経った。毎日子どもを保育園へ送り届け、朝の家事をこなして9時ごろに森へ入る。7時間ほど働いたら17時には帰宅。土日や大雨の日は休みだ。2021年の場合、約150日を林業に従事し、それ以外は副業として郷土史の編集や地域の人たちを繋げる活動に取り組んだ。

「佐川町の自伐型林業は、まだまだ地元では実態が把握されていません。町民に山へ関心を持ってもらうことが、山に無関心だった山主へ波及すると考えています。山と地域を繋げることは、ある意味前職の編集に通じます。そんな思いで地域の人と関わる活動にも注力するようになりました」

時間にゆとりのある林業だからこそ、副業や地域活動に取り組める。それが林業家と地元民との新たな接点となり、山に視線を向けてもらう。そんな循環の新たな担い手として期待されているのが、2017年に地域おこし協力隊として赴任し、現在は林業家と町議会議員を兼業している斉藤 光さんだ。

森の中で滝川さんと談笑する斉藤さん(左)は人なつっこいキャラクターで人気者だ(写真/斉藤 光さん)

森の中で滝川さんと談笑する斉藤さん(左)は人なつっこいキャラクターで人気者だ(写真/斉藤 光さん)

モノゴトを「おかゆ化」することで林業の発信を目指す

東京生まれで鍼灸院を営んでいた斉藤さんが、佐川町へ移住するきっかけとなったのは、娘の待機児童問題に直面したこと。「知り合いの紹介もあって、のびのび子育てできる高知へ移住を考えました。当初、林業は仕事として思い入れもなく始めましたが、自己負担なしで林業に必要な免許をすべて取得でき、その技術で作業道をつくれることに興奮しました!」

滝川さんや斉藤さん以外にも、2022年までに39人の地域おこし協力隊が着任。さまざまな形で林業に携わり、「キコリンジャー」という愛称で、それなりに知られるようになった。彼らの家族も含め、そのほかの分野の協力隊など、移住者の存在は徐々に増しつつあった。

「当時の町長の堀見さんに『そろそろ君たち移住者の代表が町議会にいてもいいのでは?』と声をかけられた時には、本当に驚きました」と振り返る斉藤さん。それをきっかけに70代が大半を占める町議会の実体を知ることになり、若者の代表として立候補を決意。2021年10月、定員14人中13位で当選する。

「世の中は簡単なモノゴトをとても難しく伝えていることが多いです。だから私は、誰でも簡単にのみ込めるように『おかゆ化』して、政治の情報をSNSで発信してきたい」と斉藤さんは意気込む。今は林業家兼議員としてどのように林業を盛り上げていくか模索中だ。

時間にゆとりのある林業家だからこそ、議員活動にも力を入れることができる。さらに鍼灸師としての仕事も増え、三足のわらじを履きこなし地域と交流を深める斉藤さん。林業をベースに地方での働き方の新しいカタチを教えてくれているようだ。

「林業を楽しんでいます」と語る斉藤さんだが、作業中は常に真剣だ(写真/斉藤 光さん)

「林業を楽しんでいます」と語る斉藤さんだが、作業中は常に真剣だ(写真/斉藤 光さん)

六次産業化で価値を高め、さらに「食える林業へ」

豊富な補助金、山の集約化などの施策により、林業家の職場と収入は確保されつつある佐川町。さらに肝心要となる木材の売上げを伸ばし、収入増を目指すために林業の六次産業化を進めている。六次産業化とは、生産物の価値を高め、農林漁業などの一次産業従事者の収入を上げることだ。

その拠点となるのが2016年に町内に開設された「さかわ発明ラボ」。ここにはレーザーカッターなどのデジタル工作機器が導入され、林業家はもちろん町内の一般の人も自由に木材の加工ができる。またそれらを巧みに操るクリエーターやエンジニアが在籍し、佐川の木材を使った新たな商品の開発に取り組んでいる。

さらに2023年には「まきのさんの道の駅・佐川」が新たにオープンする。施設内には「おもちゃ美術館」が併設され、佐川町産の木材を使ったおもちゃ等を展示する。同町の林業を産業として発信するシンボリックな役割を果たしそうだ。

さまざまなスタイルの働き方が広がりつつある昨今、自伐型林業という新しい林業をベースに、自らの得意分野を活かした仕事や、新しい分野へのチャレンジを副業として取り入れている佐川町の若者たち。彼らの取り組みは地方移住者の働き方の良きモデルケースになるかもしれない。また産業振興と移住者獲得という2つの効果をもたらした佐川町の取り組みもまた、他の地方自治体にも大いに参考になるはずだ。

歯科医院跡の建物を利用した「さかわ発明ラボ」。地域の子どもたちの交流の場にもなっている(写真/森川好美さん)

歯科医院跡の建物を利用した「さかわ発明ラボ」。地域の子どもたちの交流の場にもなっている(写真/森川好美さん)

●取材協力
さかわ発明ラボ

東京・北品川、築90年の古民家群をリノベした「SHINAGAWA1930」。親子カフェや熟成酒専門店などでまちの拠点に成長中

日本有数のターミナル駅である品川駅にほど近く、かつての東海道五十三次の宿場の一つ、品川宿の雰囲気が色濃く残る北品川エリア。今と昔が共存する、そんな北品川を象徴するかのような複合施設「SHINAGAWA1930」が2022年6月にグランドオープンした。戦前に建てられた古民家をリノベーションしたこの建物は、地域の新たな交流拠点として人や地域とのつながりをどのように生み出しているのだろうか。

かつて品川宿のあった北品川の街並み

品川駅から京急本線で一駅の北品川駅。品川駅からも徒歩圏内ながら、高層ビルが立ち並ぶ品川・港南エリアとはうって変わり、北品川本通り商店会には古き良き宿場町の雰囲気が残る。

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

江戸時代に整備された旧東海道は、現在の東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道だ。道中の53の宿場は「東海道五十三次」として歌川広重の浮世絵などでも知られている。その1つめである品川宿は、人々が行き交う「江戸の玄関口」としてにぎわっていた。

そんな旧東海道の名残を見せる商店街を横切り、八ツ山通りの十字路に出ると目に入ってくる2階建ての木造建築物が複合施設「SHINAGAWA1930」。1930(昭和5)年に建てられたとされる古民家をリノベーションしている。

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

同施設は、1棟2階建ての計5棟構成。ソーシャルカフェや親子向けのコワーキングスペース、古酒と熟成酒の専門店といったバラエティ豊かなテナントが入居し、残りの2棟は建築事業を行う企業がオフィスとして利用している。

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

建物の裏には品川浦が広がり、屋形船や釣船が停まる船溜まりを見ることができた。

(写真撮影/阿部夏美)

(写真撮影/阿部夏美)

「一度壊したら、もう戻らない」風景を引き継ぐ新施設

北品川にある古い民家の家並みは、品川区の生活・歴史・風土を伝える風景「しながわ百景」に選ばれたこともあったが、民家の減少により、現在では「失われた百景」に数えられている。

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

SHINAGAWA1930の前身の建物は、このエリアの再開発を見越して京急電鉄が取得していた。これからどう活用していくのか。取り壊して駐車場にする案も挙がるなか、京急電鉄のグループ会社でリノベーション事業を行う株式会社Rバンクの清水麻里さんに相談が持ちかけられた。

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

「築90年を超える古民家が5棟全て残っているのは珍しい。壊すのは簡単ですが、一度壊したらその風景はもう戻りません。建物の歴史を引き継ぎながら地域のためになる新しいことをやりたい、という思いがありました」(清水さん)

町の歴史と立地の特徴から、人々の交流が生まれる場所として古民家を再生してはどうか。2019年、清水さんを中心として運営事務局が立ち上がる。

改修費用の一部はクラウドファンディングで募った。物件の改修工事は京急電鉄が行い、内外装の一部はDIY。柱や梁を生かし、窓ガラスやサッシは一部をそのまま使う。外壁は損傷が激しくほぼ交換したが、元の雰囲気を壊さないように注意を払ったという。

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

クラウドファンディングの支援者や地域住民など、改修を手伝った人は述べ150人以上。「偶然通りがかった人が興味を持って壁を塗ってくれる、なんてこともありました」と清水さん。「何か手伝えることはないか」と、近くに住む人が施設のプロモーション動画を制作してくれたこともあった。

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

清水さんは、施設のすぐ裏にある民家に戦前から住んでいる女性と時々話すそう。

「戦時中、あたりに爆弾が落ちてもこの一角だけは焼けなかったのだとか。石畳は、都電品川線が廃止された時にみんなで石をもらって敷いたと聞きました」(清水さん)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

そうして時代を生き抜き歴史を紡いできた建物が、人々の出会いの場として続いていく。

新型コロナウイルスの感染拡大により、入居テナントが完全な状態で営業できなかったり、イベントが開催直前に中止になってしまったりと影響を受けながらも、2021年1月からテナントが順次オープン。2022年6月に施設全体のグランドオープンを迎えた。

昼夜を通して人が集まるソーシャルカフェ

A棟の1階にはソーシャルカフェ「PORTO(ポルト)」が入り、2階は多目的スペースとして使われている。

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

ソーシャルカフェというコンセプトの通り、昼はカレーやお好み焼きなど曜日ごとに異なる飲食店が営業。夜は日替わりで、美容師やダンサー、ゲストハウスのオーナー、デザイナー、会社員など多様な職種の人が1日店長として店に立つ。

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

2階は時間制で場所を貸し出し、鍼灸院やヨガのレッスン、学習塾などに活用されている。PORTOで食事する人の背後を学習塾に通う小学生が元気に階段をかけのぼっていく光景も見られるそう。

取材時にランチ営業していたのは、スリランカカレーなどを提供する「カレーと紅茶 ミカサ」。昼時の店内は近隣のオフィスワーカーでにぎわっていた。

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

店主の茨木直子さんは北品川エリアについて、「昔ながらの小さな店が地域を支え合っている雰囲気に惹かれた」と話す。当初は飲食をやるならオフィス街でと考えていたが、コロナ禍により生活様式は一変。住民の生活に根ざしたまちに注目するようになったという。

「実は私の店は5日前に営業を始めたばかり。ここで経験を積みながら、北品川の人とふれ合う時間をつくっていきたいです」(茨木さん)

子育て世代のつながりの場をつくる

C棟に入る親子向けの「ママプラスカフェ」は、子連れ歓迎のコワーキングスペースとしても利用できる。もちろんパパも歓迎で、週末は家族での来店も多いのだとか。

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

2階では、ママ講師によるヨガやピラティスのレッスンなどさまざまなイベントを開催。

「同じくらいの月齢の子がいると、親同士の交流は生まれやすいですよね。イベントの参加者同士が意気投合して、後日一緒にカフェに来店することもあります」と店長の森田健吾さん。カフェでは赤ちゃんが隣の人の席に遊びに行ってしまい、それがきっかけで親同士が仲良くなることもあるのだとか。

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

カフェメニューに使う野菜は北品川本通り商店会の青果店で仕入れることで、商店街の人にも店を知ってもらえるようになった。「商店会で紹介されたから来てみた」というお客さんもいる。

「小さい子を育てていると、子ども以外とのつながりがどうしても断たれがち」と森田さん。この店に来ることで、社会との接点を断つことなく子育ての期間を楽しく過ごしてほしいと話す。

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

時代を感じる店内で酒を楽しむ「体験」を提供

B棟「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんは、前店舗の移転先を探していたタイミングでSHINAGWA1930のオープン情報をキャッチ。古民家をリノベーションした物件は店のコンセプトにぴったりで、「物件情報を見て即連絡した」という。

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

日本酒を寝かせた古酒・熟成酒を販売しているが、薬師さんは「ただ酒を売ることだけが目的ではない」と話す。「マーケットが小さいジャンルなので、まずは知って、味わって、体験してもらいたい」と、店内の商品は全て有料試飲することができる。

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

2階の「いにしえLABO」では、日本酒ナビゲーターによるセミナーや、自分好みのペアリングを探す「チーズと熟成酒の会」などを開催。日本酒「車坂」の杜氏を招いて3時間ひたすら語ってもらう会や、苔の専門家をゲストに苔を眺めながら飲む「苔と熟成酒」など、個性的なイベントも企画している。

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「見たり聞いたり、自分で組み合わせを試して味わったり。この店での体験を通して、古酒・熟成酒のことを深く知ってほしい。ただ商品を買って帰るだけでは、なかなかそうはなりませんから」(薬師さん)

肩肘張らない地域の雰囲気を感じながら働く

E棟とD棟をオフィスとして使うのは、BIMという技術で木造建築に関わる業務の効率化を推進する株式会社MAKE HOUSE。

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

オフィスのしつらえは社員みんなで考え、梱包材をカバー代わりにするソファやパイプを使ったテーブルを置く。およそオフィスという雰囲気はなく、ゆったりと働けそうな印象を受けた。

もう1棟は、実証実験の会場になっていた(期間限定のため現在は終了)。社員数の増加に伴い、今後はオフィスとして使うという。

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

移転前は品川駅付近にオフィスを構えていた同社。社員の岩田剛士さんは「今のオフィスは肩肘張らずにいられる」と話す。

「品川と北品川では、だいぶ雰囲気が違いますね。以前は高層ビルのワンフロアで働き、昼食は主にキッチンカーで買っていましたが、今は商店街やリーズナブルなごはん屋さんが近くにあるし、PORTOさんで食べることもあります。都市部でありながら、こぢんまりとした雰囲気が気に入っています」(岩田さん)

SHINAGAWA1930のこれから

建物の完成からグランドオープンまで、1年半をかけて少しずつまちにひらいてきたSHINAGAWA1930。施設としては町内会と商店会に加入しており、清水さんは「コロナの状況が落ち着いたら、商店会と連携した企画を進めるなど、もっと地域と関わっていきたい」と話す。

最近は、1人でふらっと遊びに来た地元の子どもが施設を気に入り、後日親子で再訪してくれることもあったそう。そんなゆるやかさが北品川ののんびりとした雰囲気にマッチし、人と人とが出会うきっかけを自然に生み出しているのかもしれない。

●取材協力
SHINAGAWA1930

渋谷駅まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング 2022年版

東京屈指の繁華街である、渋谷駅。大規模な再開発が進行中で、7月に東急百貨店本店跡地の複合ビルの計画概要が発表され「都心のオアシス構築」を目指すという。新しい顔を次々と見せてくれる渋谷までアクセスが良い場所に住むなら、どこがねらい目か。ワンルーム・1K・1DK(10平米以上~40平米未満)を対象にした、家賃相場が安い駅ランキングの最新版から考えてみた。

渋谷駅まで電車で30分以内、一人暮らし向け物件の家賃相場の安い駅TOP13

順位 駅名 家賃相場(主な路線/駅所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 生田 4.98万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/27分/2回)
2位 読売ランド前 5.35万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/30分/2回)
3位 妙蓮寺 5.90万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/30分/1回)
4位 和泉多摩川 6.05万円(小田急線/東京都狛江市/25分/2回)
5位 和光市 6.10万円(東武東上線/埼玉県和光市/29分/1回)
5位 宿河原 6.10万円(JR南武線/神奈川県川崎市多摩区/28分/1回)
5位 青葉台 6.10万円(東急田園都市線/神奈川県横浜市青葉区/28分/0回)
8位 つつじヶ丘6.20万円(京王線/東京都調布市/27分/1回)
8位 向ヶ丘遊園6.20万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/24分/1回)
8位 新百合ヶ丘6.20万円(小田急線・多摩線/神奈川県川崎市麻生区/30分/1回)
8位 狛江 6.20万円(小田急線/東京都狛江市/23分/2回)
8位 高田 6.20万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/30分/1回)
13位 久地 6.30万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/26分/1回)
13位 喜多見 6.30万円(小田急線/東京都世田谷区/21分/2回)
13位 戸田公園6.30万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/29分/0回)

1位と2位は川崎市多摩区のベッドタウン、生田駅と読売ランド前駅

1位と2位は、ともに川崎市多摩区に位置する駅がランクインした。多摩区は北に多摩川、南には多摩丘陵が広がる緑豊かなエリア。かつては多摩川梨の栽培で知られた農村地帯だったが、都心へのアクセスのよさから宅地開発が進んだベッドタウンだ。

川崎市多摩区(写真/PIXTA)

川崎市多摩区(写真/PIXTA)

1位の生田駅は小田急線の沿線駅で、準急や通勤準急の停車駅。新宿駅へも約20分で行くことができ、ランキング中で唯一、家賃が5万円を切っている。

生田駅は明治大学の生田キャンパスや聖マリアンナ医科大学の最寄駅で、専修大学生田キャンパスなども近い。そのため、学生を対象にした手ごろな家賃の単身者用物件が充実しているのもランキングに影響しているかもしれない。

駅周辺には大規模な商業施設があるというわけではないが、学生街らしく、手軽に行ける飲食店やドラッグストアなどは数多い。大学を中退した青年の引きこもりの葛藤を描いた滝本竜彦の人気小説やアニメ『NHKにようこそ!』の舞台になった街でもある。

少し行くと一戸建てが目立つ住宅街が広がっており、近年はファミリー層の住民も増えている。アットホームな雰囲気のこぢんまりした商店街があり、野菜の直売所を見かけることも。付近には遊歩道や、天候に恵まれた日には東京スカイツリーまで望める展望広場などもある。

3位の妙蓮寺駅は、人気の東急東横線の駅。各駅列車のみの停車駅だが、横浜駅へ約6分で行けるほか、特急停車駅の菊名駅は隣駅で、駅間距離は約1.5km。菊名駅は新幹線の新横浜駅へのアクセスも良く、物件の立地によっては手ごろな家賃と交通利便性の両方がねらえそうだ。

妙蓮寺駅(写真/PIXTA)

妙蓮寺駅(写真/PIXTA)

駅前には駅名の由来となった日蓮宗のお寺「妙蓮寺」がある。そのためか緑豊かで、街並みもどこか閑静な印象。昔ながらの個人商店が散在するノスタルジックな路地などは、街歩きも楽しそうだ。

駅の近くには、2万8000平米の敷地を持つ菊名池公園がある。桜並木や広場などのほか、夏に猛暑が続く昨今には嬉しい流水プールなどの施設も備えており、小さな子どもがいる家庭にとっても魅力的なエリアかもしれない。

渋谷まで直通の和光市駅、駅直結の施設開業でより便利に

5位の和光市駅は、ランキング中唯一、東武東上線・東京メトロ有楽町線・副都心線の沿線駅。副都心線は渋谷駅まで直通しているため、時間を気にしなければ座って乗り換えなしで行ける。東武東上線は池袋駅まで約13分、有楽町線は有楽町駅や銀座駅まで乗り換えなしで移動できるのもうれしいところだ。

和光市駅は所在地である埼玉県和光市の中心部にある、市の玄関口。駅南側を中心に大型スーパーやドラッグストア、飲食店は充実しているが、大きな繁華街へのアクセスがよいだけに、以前は足元の駅付近は日常以上の買い物施設も十分、とまでいえなかったかもしれない。しかし2020年に東武ホテルなどが入った駅直結の商業施設「エキアプルミレ和光」が開業したことで、仕事などの帰宅途中に家の近くで寄れる選択肢が増えた。

和光市駅(写真/PIXTA)

和光市駅(写真/PIXTA)

駅前広場では毎月2回、野菜の直売会も開催されている。和光市内は郊外を中心に農家も数多く、地元の農家の手による新鮮な農産品の直売所も市内各地にあり、店頭では目にしないような珍しい野菜や、地元特産のブランドいちごなども販売されている。駅近くにはそんないちご狩りができる農園があるほか、市が農地を貸し出して菜園体験ができる市民農園などもある。

整備された駅周辺の景色からベッドタウンとしてのイメージが強いが、和光市は江戸時代には川越街道の宿場の一つ、白子宿(しらこじゅく)としてにぎわった歴史を持つ。そのため古くから住んでいる住民も多く、地域のつながりが密接で、地域のお祭りやイベントの開催も盛ん。また市をあげて、日本中のご当地鍋の日本一を決めるコンテスト「ニッポン全国鍋グランプリ」を開催しており、観光客の殺到する名物イベントになっている。

駅北口は周辺道路が狭く住宅が密集しているが、新たな駅前広場や公園の整備、道路を拡充する再開発が推進中。安全で災害に強い街づくりが進められている。

同率5位の青葉台駅は、神奈川県横浜市青葉区に位置する。東急田園都市線の駅で、急行や準急が停車する。平日は渋谷駅からの深夜急行バスも運行しており、帰宅が遅くなりがちな多忙なビジネスパーソンから重宝されている。

青葉台駅(写真/PIXTA)

青葉台駅(写真/PIXTA)

駅から直結する商業施設「青葉台東急スクエア」はスーパーやドラッグストアのほか、書店やカルディコーヒーファーム、インテリアショップの「Francfranc」、生活雑貨の「ナチュラルキッチン」など、近場にあったら便利な店舗がひと通りそろっている。カルチャーセンターやコンサートホールも入っており、クラシックコンサート会場としての評価も高い。

駅周辺も「成城石井」や「明治屋」などの買い物施設や商店街、チェーン系からこだわりの飲食店まで充実しておりにぎやか。安売り店の「MEGAドン・キホーテ青葉台店」や業務スーパーもあり、買い物には不自由することはなさそうだ。

道路の幅も広く整備されており、住みやすさがうかがえる。駅から少し行くと、桜台公園がある。自然な環境が残された池や、森の中に散策路が設けてあり、都心の中とは思えない豊かな緑を満喫できるもの心地よい。ただ、住宅街は一戸建てが大半で、集合住宅も大規模建築が目立つ。子ども向けの教育施設も多く、どちらかというファミリー向けのエリアだが、ライフステージが変わっても満足して住み続けられる場所、ともいえるかもしれない。

8位の新百合ヶ丘駅は、小田急多摩線の始発駅。快速急行や急行、特急ロマンスカーも停車する。

駅には「小田急アコルデ新百合ヶ丘」「小田急マルシェ新百合ヶ丘」の2つの商業施設が直結。付近のスーパーなども大型の施設が多い。少し行くと飲食店が充実した商店街「マプレ専門店街」もある。

マプレ専門店街(写真/PIXTA)

マプレ専門店街(写真/PIXTA)

新百合ヶ丘は芸術啓発に力を入れている街であり、駅周辺には映画館やホールなどの文化施設が多い。南口の駅前には大作映画をチェックできるシネコン「イオンシネマ新百合ヶ丘」だけでなく、北口から徒歩3分の「川崎市アートセンター」には名画の上映が行われる「アルテリオ映像館」、演劇公演、イベントなども行われる「アルテリオ小劇場」などがある。また、日本で唯一の映画の単科大学である日本映画大学や昭和音楽大学も、新百合ヶ丘駅が最寄駅。昭和音楽大学では一般向けのコンサートも開催されている。そうしたホールなどが共催し、地域が主体となった芸術イベントや映画祭などの開催も数多い。

住宅街は閑静で、あちこちに中規模の公園や緑道を見かける。また所在地である麻生区は、区域の約4分の1が農地や山林だが、川崎市は緑地保全を推進しているため、穏やかな環境が急変することもなさそうだ。

巨大繁華街である渋谷駅へのアクセスの良さでピックアップしたランキングだが、自然豊かな街で閑静な街が多いため、部屋探しの際の選択肢の多彩さや奥深さが感じられる。ゆったりした生活と、繁華街での仕事や遊びのメリハリがつく、充実した日々の拠点になる部屋が、きっと見つかるはずだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている渋谷駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/4~2022/6
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年6月27日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

地元の北本団地が高齢化。生まれ育った子どもたちが住居付き店舗をジャズが流れるコミュニティスペースに 埼玉県

総戸数2000戸を超える巨大な団地「北本団地」(埼玉県北本市)。しかし、高齢化や少子化に伴って入居数は年々減り、団地中心部の商店街もシャッター通りと化していた。そこで2021年に発足したのが「北本団地活性化プロジェクト」だ。北本団地出身・在住のまちづくりチーム「暮らしの編集室」を主体に、北本市・良品計画・MUJIHOUSE・UR都市機構の5者が連携し、団地の活性化に取り組んできた。

どうにかして“ふるさとの団地”と関わりたかった

その最初の取り組みが、団地内にある商店街の活性化だ。商店街にある20の建物は全てが住居付店舗(1階店舗、2階住宅)になっているが、その一つをジャズが流れるコミュニティスペース「中庭」として再生。1階は「暮らしの編集室」が改装し、2階の住居部分はMUJIHOUSEとUR都市機構がリノベーションした。なお、2階部分には中庭を運営する夫妻が暮らしている。商店街の住居付店舗を再生し、そこに住みながら地域活性化に取り組むという、全国的にも珍しい試み。その背景や目的、これからについて「暮らしの編集室」メンバーの江澤勇介さん、岡野高志さんに伺った。

「暮らしの編集室」のメンバー江澤勇介さん(左)と岡野高志さん(右)。2人は中学校の同級生(写真撮影/松倉広治)

「暮らしの編集室」のメンバー江澤勇介さん(左)と岡野高志さん(右)。2人は中学校の同級生(写真撮影/松倉広治)

――2021年にスタートした「北本団地活性化プロジェクト」ですが、その主体である「暮らしの編集室」設立の経緯から教えてください。

岡野高志(以下、岡野):私は北本市の観光協会に勤めているのですが、2019年に埼玉県と北本市から「街を活性化するために、商店街や中心市街地で何かできないか」と相談を受けました。そこで、まずは北本駅前周辺にある空き店舗を活用して何かを始めようと考え、地元の友人だったカメラマンの江澤と建築家の若山に声をかけ「暮らしの編集室」を立ち上げたんです。

江澤勇介(以下、江澤):暮らしの編集室のコンセプトは、地元・北本に暮らしながら楽しめる街をつくっていくこと。北本市って典型的な郊外のベッドタウンで、手付かずの自然や田畑のほかには「何もない街」なんです。でも、何もないからこそ、何か新しいことをやるためのフィールドや余白が残っていると思いました。

――まずは、どんな活動からスタートしましたか?

岡野:はじめは、「市民がチャレンジできる場所」をつくりたいと思い、「暮らしの編集室」の拠点を兼ね、1日からレンタルできるシェアキッチン「ケルン」をつくりました。立ち上げから2年半が経ちますが、延べ35組の方々にご利用いただき、現在は1カ月のうち平均20日くらいは稼働しており、地元野菜を使った、さまざまな美味しい料理が食べられる場になっていますよ。

「暮らしの編集室」の拠点でもある「ケルン」(画像提供/暮らしの編集室)

「暮らしの編集室」の拠点でもある「ケルン」(画像提供/暮らしの編集室)

――その後、2021年には「北本団地活性化プロジェクト」を発足させていますが、そもそも北本団地に目を向けた理由というのは?

江澤:北本団地は僕が生まれ育った場所なんです。団地を出た後も「団地祭」という夏祭りには毎年訪れていたのですが、年々衰退していくのを目の当たりにしてきました。とはいえ、自分も今は住んでいないし、関わりしろもない。仕方ないと思いつつも、団地内の商店街がシャッター通りになったままなのは寂しくて。地元の同級生とも「どうにかしたいね」と話していたんです。

岡野:私も団地には7年ほど住んでいます。北本団地は北本町が市になった1971年に完成し、総戸数2000戸を超える巨大な団地として注目を集めました。しかし、次第に高齢化が進み、団地内の商店街の店舗も少しずつシャッターを下ろすようになっていったんです。2021年3月には、団地の子どもたちが通うためにつくられた小学校も閉校してしまいました。

北本駅から車で15分の北本団地商店街(写真撮影/松倉広治)

北本駅から車で15分の北本団地商店街(写真撮影/松倉広治)

江澤:僕も岡野も昔の活気ある商店街の風景を覚えているだけに、非常に寂しい気持ちでした。そして、せっかく「暮らしの編集室」をつくったのだから、北本団地の空き店舗を活用して何かできないかと考えたんです。それから、「ケルン」の運営と並行して、その可能性を模索するようになりました。

――まずは「ケルン」と同様に、自分たちで北本団地の空き店舗を借りたと伺いました。

岡野:そうですね。そこは「ケルン」の成功体験が大きかったと思います。一般的なお店ではなく、ケルンのシェアキッチンのような入り口があれば、その場所を使いたい人が集まってくる。そして、そのコミュニティをきっかけにさまざまな展開が起こる流れを体験していたので、団地でも同じことができるのではないかと考えました。

団地活性化のカギは「住居付店舗の再生」

――「北本団地活性化プロジェクト」には「暮らしの編集室」に加え、北本市・良品計画・MUJIHOUSE・UR都市機構が参加しています。連携することになった経緯を教えてください。

岡野:もともと、北本市とは地域づくりの事業を進めてきた実績がありました。また、良品計画には私の知人がいて、北本団地についても相談していたんです。良品計画も団地の活性化には課題感を持っていて、これから団地や商店街に活気を呼び起こすには「住宅付店舗」(1階が店舗、2階が住宅)のような、職住隣接の暮らし方がキーになるということでした。ぜひ北本団地でも敷地内の商店街にある既存の住居付店舗を積極的に活用したいと考え、団地を管理するUR都市機構へ提案しにいきました。

北本団地(画像提供/暮らしの編集室)

北本団地(画像提供/暮らしの編集室)

シャッター商店街となっていた北本団地(写真撮影/松倉広治)

シャッター商店街となっていた北本団地(写真撮影/松倉広治)

――それが採択され、大きなプロジェクトへ発展していったわけですね。プロジェクトのなかで「暮らしの編集室」はどんな役割を担っているのでしょうか?

江澤:僕らは現場でプロジェクトを主導するプレイヤーですね。街づくりでありがちなのは、支援者は多いのに、実際にそこで何かをやる人、現場を動かす人がいないことです。特に少子高齢化が進んでいる団地はネガティブなものとして捉えられ、進んでやりたがる人は多くありません。でも、ここは僕らの地元ですし、発起人としての責任もある。そこで、「暮らしの編集室」のメンバーが実際に現場で動くプレイヤーとなり、北本市・良品計画・MUJIHOUSE・UR都市機構にバックアップしてもらう体制をとっています。

――では、「住宅付店舗」を再生させる取り組みを進めるにあたり、最初に何から始めたのでしょうか?

岡野:「きたもと未来会議」というワークショップを開きました。「団地の活性化」とか「街の未来」といっても漠然としているし、描くものは人によって違うじゃないですか。ですから、まずはみんなが「この場所をどうしたいか」について話し合い、共通言語をつくる必要があると考えたんです。会議には団地の自治会の人、商店街の人、UR都市機構の人、地元の友人などを招き、団地や街に対する思いをぶつけてもらいました。

江澤:従来の団地の自治会でも会議は行われていましたが、これまではそこで出た住民の要望をUR都市機構に伝えるだけでした。でも、今は自治会とUR都市機構、そして僕たちも含めたプロジェクトのメンバーがともに顔を付き合わせて、団地の未来について考えています。直接コミュニケーションをとることでアイデア出しや意見交換も活発に行われるようになり、例えば自治会からはコロナ禍で2年間開催できていない「団地祭」についての相談が出たり、UR都市機構からは「団地の広場を防災のために活用してはどうか」という提案が出たりしています。

「きたもと未来会議」の様子(画像提供/暮らしの編集室)

「きたもと未来会議」の様子(画像提供/暮らしの編集室)

――みんなで一丸となって「団地や暮らしを良くしていこう」という気概が感じられますね。

岡野:もちろん、それまでにも多くの人が良くしようという気持ちは抱いていたと思います。でも、それがうまく形にできていなかったし、そもそも思いをぶつけられる場がなかった。「暮らしの編集室」では“コミュニケーションを軸とした編集”を基本にしています。だから、みんながフラットに話せる場はとても重要なんです。

――今回の住居付店舗再生の取り組みにあたって苦労した点はありますか? 5者が連携するとなると、足並みをそろえるのも大変だと思うのですが。

江澤:みなさん同じ目線で考えてくださったので、その部分での苦労はありませんでした。しいて言えば、資金繰りですね。「住宅付店舗」を再生させる上で、2階の住宅部分はMUJI×URで改装を行い、1階の店舗部分は「暮らしの編集室」が改装を行ったのですが、僕たちは資金力が豊富にあるわけではありませんでしたから。

岡野:改装には初期投資だけで約350万円かかったんですが、その資金集めはかなり大変でしたね。ふるさと納税型クラウドファンディングで200万円は集まりましたが、足りない部分は会社からの持ち出しによって工面しました。

――どこまで自分たちで改修されたんですか?

江澤:入り口の建具、水回り、電気は工務店にお願いしましたが、その他は自分たちで改修しています。UR都市機構はスケルトン貸し、スケルトン返しが基本なので、例えば天井のほこり留めは塗り直したものの、色はもとのままです。あとは、棚やカウンター、入り口の壁などもDIYしました。

1階部分を改修(画像提供/暮らしの編集室)

1階部分を改修(画像提供/暮らしの編集室)

「一緒に面白がれる人」に住んでほしかった

――そこに住む人はどう選定しましたか?

岡野:実は、そこが一番のネックでした。プロジェクトは順調に進み1階を「飲食を軸とした交流スペース」にすることまで決定していたものの、肝心の「誰に住んでもらうか」というところが、なかなか決まらなかったんです。初めての試みだけにどういう形になるか分からなかったし、「誰でもいいから住んでほしい」という類いのものでもない。できれば、私たちと一緒にこの場所を“面白がれる”人に来てほしいと思い、慎重に候補を探していました。

江澤:最終的には、僕の知人である落合夫妻が住んでくれることになりました。1階はただのお店ではなく「みんなの居場所」になるようなスペースにしたいと考えていたところ、夫がジャズミュージシャン、妻が喫茶店を営む落合夫妻が「それならジャズ喫茶をやってみたい」と言ってくれたんです。それで、西荻窪(東京)から引っ越していただき、2021年の5月末に「ジャズ喫茶 中庭」がオープンしました。

北本団地「住宅付店舗」の第一号でもある「ジャズ喫茶 中庭」(写真撮影/松倉広治)

北本団地「住宅付店舗」の第一号でもある「ジャズ喫茶 中庭」(写真撮影/松倉広治)

妻のカナコさんは喫茶店を営みながら、縫い物のワークショップを開いている(写真撮影/松倉広治)

妻のカナコさんは喫茶店を営みながら、縫い物のワークショップを開いている(写真撮影/松倉広治)

――当初の狙い通り、人が集まる場になっていますか?

江澤:そうですね。現在では落合夫妻だけでなく、地元の人が投げ銭ライブを開催したり、週一でジャズライブを行ったりしています。毎回ライブに来ているお客さんもいて「中庭でのライブ鑑賞が私の趣味になった」と楽しんでくれていますよ。

岡野:お店の1周年記念の時には自治会の人が街宣車を出して、「本日は中庭が1周年です」と告知して回ってくれたんです。「こういうことは、ちゃんと言わなきゃダメだよ」って。自治会のみなさんには本当にいろいろと協力していただいて、感謝しきれません。

グランドピアノ、レコード、オーディオなどは落合夫妻の知人から譲り受けたものだそう。また、店内で使用している中華椅子は以前この商店街で49年営んでいた「大盛食堂」のもの。いろんなものが混在しているのが面白いと2人は語る(写真撮影/松倉広治)

グランドピアノ、レコード、オーディオなどは落合夫妻の知人から譲り受けたものだそう。また、店内で使用している中華椅子は以前この商店街で49年営んでいた「大盛食堂」のもの。いろんなものが混在しているのが面白いと2人は語る(写真撮影/松倉広治)

地域のお客さんからのプレゼント(写真撮影/松倉広治)

地域のお客さんからのプレゼント(写真撮影/松倉広治)

「ジャズ喫茶 中庭」を営みつつ、2階で暮らす落合さん。住み心地については「とても良いです。長く住む方々からの視線は感じますが『面白いことをやっているな!』と来てくださる方も多いので救われています。まだまだこれからですが、徐々になじんできていると思います」と話す(写真撮影/松倉広治)

「ジャズ喫茶 中庭」を営みつつ、2階で暮らす落合さん。住み心地については「とても良いです。長く住む方々からの視線は感じますが『面白いことをやっているな!』と来てくださる方も多いので救われています。まだまだこれからですが、徐々になじんできていると思います」と話す(写真撮影/松倉広治)

江澤:正直、団地の人たちとの関わり方は大変だと思います。でも、この2人だからうまくやれていると感じますし、こちらとしても非常に助かっています。実は一度、生音を出した際にクレームが入り、シャッターに生卵をぶつけられたこともあったんですよ。でも、落合夫婦は自粛するのではなく「調整しよう」って言うんです。やりたいことはやりながらも、もしヤダと言われたら折衝していく。疲れるけれど、この場所で新しいことを受け入れてもらうためには欠かせないことなのかなと思います。

「郊外団地」再活性化のモデルケースに

――現在、商店街に「住居付店舗」は20戸あるということですが、他の建物も「中庭」のように再生していくのでしょうか?

「商店街だけでなく、団地にも人が入るサイクルも考えていきたい」と岡野さん(写真撮影/松倉広治)

「商店街だけでなく、団地にも人が入るサイクルも考えていきたい」と岡野さん(写真撮影/松倉広治)

岡野:そうですね。現在、1階のテナント部分にはスーパーや接骨院、診療所などが入っていますが、2階に暮らしながら運営しているのは「中庭」だけです。せっかくの住居付店舗ですから、やはりそこに暮らしながら地域を盛り上げてくれる人を増やしていきたいと思っています。また、今年5月には同じ商店街内に「まちの工作室 てと」がオープンし、2階部分をシェアアトリエとして活用しています。今までとは異なる、新たな商店街の使い方が広がると、もっと面白くなっていくんじゃないでしょうか。

江澤:「まちの工作室 てと」は、もともとケルンで展示販売をやってくれていた作家さんが、ギャラリー兼シェアアトリエが欲しいということでスタートしました。他にも、この商店街へ遊びに来て「私たちも借りたい」と言ってくれる方は多いので、今後も増やしていきたいですね。

「まちの工作室 てと」。羊毛の手芸家、洋裁師、天然石とビーズでアクセサリーデザイナーの3人の女性が入居

「まちの工作室 てと」。羊毛の手芸家、洋裁師、天然石とビーズでアクセサリーデザイナーの3人の女性が入居

「てと」でワークショップ終わりに「中庭」でランチする人は珍しくないそう(画像提供/暮らしの編集室)

「てと」でワークショップ終わりに「中庭」でランチする人は珍しくないそう(画像提供/暮らしの編集室)

岡野:実は今、「多肉植物と陶芸のお店を開きたい」という人と交渉中です。私たちには想像もつかない活用法ですが、こうして商店街を訪れる人が「こんなふうに使いたい」と可能性を見いだしてくれるのは、とても面白いですし、いい傾向だと思います。

江澤:また、「中庭」でも空いている日はシェアキッチンとして貸し出しを行っています。この間は川越(埼玉)の台湾料理店が借りてくれましたし、お店を持っていない人たちも間借りなら気軽にトライできる。これまでに例えば、お弁当屋さん、タップダンス教室、坊主カフェなど、いろんなお店が開かれましたよ。あとは、社会福祉協議会の方々と一緒に手話で注文できるカフェも月に1回オープンしています。手話を使う人って、注文の手間だったり、周囲の目線など一般的なお店に入るのを躊躇するそうなんです。それもあってか、毎回大盛況で外に人があふれていますね。

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

岡野:ほかにも、ピザのキッチンカーが来たり、JAが野菜を売りに来たりしています。実は、キッチンカーは団地出身の人がやってくれているんですよ。この場所なら、採算を度外視してでも毎月出たいと言ってくださっています。私たちがそうだったように、なんとかこの思い出の場所に関わりたいという人たちは意外と多いのだと思います。だから、関わりしろさえあれば惜しみなく協力してくれる。クラウドファンディングをやった時も、北本団地ではないですが「昔、団地に住んでいました」という支援者からのコメントが多かったですし、団地って愛着がわきやすいんでしょうね。

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

――それにしても、決して利便性が高いとはいえない団地に、これだけ多くの人が関わりたいと思っているというのは意外でした。

江澤:そうですね。実際、これまでのMUJI×URのプロジェクトも都内近郊で、都心に通うような人たちをターゲットにしてきたところがあると思います。一方で、北本団地のような場所って言い方は悪いですが、「中途半端な郊外」なんですよね。だけど、日本中にはそんな「中途半端な郊外」の団地の方が多いんじゃないでしょうか。今まで放って置かれがちだった「中途半端な郊外」の団地に、思いを持つ人が集まり再生の道を探るというのは、これまでになかったこと。新しい郊外団地の在り方として、可能性を示していけたらいいですね。

「今後、団地に住んでいたころに感じた“楽しい”と思える場所の選択肢を増やしていきたい」と江澤さん(写真撮影/松倉広治)

「今後、団地に住んでいたころに感じた“楽しい”と思える場所の選択肢を増やしていきたい」と江澤さん(写真撮影/松倉広治)

●取材協力
暮らしの編集室

「サブカルのシモキタ」開発で再注目。熱気と個性が下北沢に戻ってきた!

下北沢は「サブカルチャーの聖地」「若者のまち」として1970年代から人気を集めてきた。しかしここ20年はチェーン店が増加し、「かつての熱気が失われたのでは」ともささやかれていた。しかし現在、再び脚光を浴びているのだ。
京王井の頭線と小田急線が通る下北沢エリア(東京都世田谷区)は2013年から在来線の地下化や高架化が行われ、ここ数年は「下北線路街」「ミカン下北」などさまざまな複合施設のオープンラッシュ。大規模開発で駅前も整備された。現在はどのような進化を遂げているのだろうか。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

開発から10年、まちやカルチャーの専門家3人の目線から現在の下北沢はどう見えているのか

SUUMOジャーナルでは、2021年8月にも下北沢の開発の様子をお伝えした。あれから1年、新しい商業施設も増え、さらなる進化を遂げている。
そこで今回は、2022年6月30日にTSUTAYA BOOKSTORE下北沢のSHARE LOUNGE(シェアラウンジ)で開催された「書店から考える〈ウォーカブルな街「下北沢」を支える新施設と人〉」をテーマにしたトークイベントに登壇した、下北沢に縁の深い3名に下北沢のまちの現在についてインタビューを行った。

左からB&B/BONUS TRACKの内沼晋太郎さん、CCC門司孝之さん、『商店建築』編集長の塩田健一さん(写真撮影/嶋崎征弘)

左からB&B/BONUS TRACKの内沼晋太郎さん、CCC門司孝之さん、『商店建築』編集長の塩田健一さん(写真撮影/嶋崎征弘)

「商業施設」を通じてまちの移り変わりを追い続ける雑誌『商店建築』編集長の塩田健一さん、下北沢を代表する本屋B&Bの共同経営者で商業施設「BONUS TRACK」を運営する散歩社の取締役・内沼晋太郎さん、TSUTAYA BOOKSTORE下北沢の物件開発担当のカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)門司孝之さん、それぞれの目から今の下北沢はどう見えているのだろうか。

開発が始まった当初の10年前、下北沢のまちを大手チェーン店が席巻していた(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

10年前に内沼さんらが「本屋B&B」をオープンした時、「こういう店ができたのは久しぶりだ」と言われたという。

下北沢が長年「サブカルチャーのまち」「若者のまち」として愛されてきた背景には、個性派個人店が多く存在していたことがある。

しかし、まちの人気にともない、店舗の賃料が上昇。潰れた個人店の跡には、高い賃料が弊害となり小さな個人店は入ることができず、大手チェーン店ができる……という流れが生まれ、下北沢の特色を生む個性派個人店がオープンする「余白」がなくなりつつあったのだという。

こうして大手チェーン店が席巻するなか、内沼さんらがオープンさせた「本屋B&B」には、「チャレンジできる場所」としての下北沢らしさがあったようだ。

「本屋B&B」は2回の移転を経て、現在は「BONUS TRACK」内にある(写真撮影/嶋崎征弘)

「本屋B&B」は2回の移転を経て、現在は「BONUS TRACK」内にある(写真撮影/嶋崎征弘)

毎日イベントを開催する、店内でビールが飲めるなど、当時から書店として型破りの挑戦をしてきたこともあって、「本屋B&B」は今や下北沢を代表する存在になった。

「本屋B&B」が個人店復活の先駆けとなったこと、時を同じくして下北沢の大規模開発で個人店の入居を想定した商業施設づくりが始まったことから、現在では、特色ある個人店が再び活気を生んでいる。

一方、TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢は今回の開発で新規参入した “大手チェーン”だが、他の地域と同じ店づくりはしていない。店舗開発を担当した門司さんは、下北沢のカラー、個性に寄り添った展開を心掛けたようだ。

もともとTSUTAYAや蔦屋書店は地域の特性に合わせた店舗づくりをしているが、「本屋B&B」をはじめ、個性派書店が数多くある下北沢だからこそ、逆に「本のラインナップは個性を打ち出すのではなく、総合書店として話題の本やコミックをしっかりとそろえる」ことにしたという。

その代わり、地域の人々が横のつながりを持つことができる場所に、とSHARE LOUNGEを設けた。

「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」。「これまで下北沢の書店には、意外と文芸書やコミックなどの売れ筋を扱うところが多くはなかったんです」と内沼さんは振り返る(写真撮影/嶋崎征弘)

「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」。「これまで下北沢の書店には、意外と文芸書やコミックなどの売れ筋を扱うところが多くはなかったんです」と内沼さんは振り返る(写真撮影/嶋崎征弘)

SHARE LOUNGEではビールサーバーや軽食を用意している(写真撮影/嶋崎征弘)

SHARE LOUNGEではビールサーバーや軽食を用意している(写真撮影/嶋崎征弘)

既存の個人店との役割を分けながら、新しい地元の場所を創出したかたちだ。

そんな“大手チェーン店”の参入を、「本屋B&B」の内沼さんは当初は「脅威を感じた」一方で、実際にできた店を訪れて「TSUTAYAという新しいこのピースが入ったことで、下北沢というまち全体で、本を買うことが楽しくなる環境がより整った」と感じた。

「本屋というのは、まちに住む人や訪れる人の影響を受けて品ぞろえをするため、まちの特色を代弁する存在になりやすいです。現在の下北沢は、全国どこを見渡しても稀有な、本屋めぐりが楽しい特別なまちになっていると思います」(内沼さん)

「本屋B&B」と「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」は、現在の下北沢における個性派個人店と大型チェーン店の新たな関係性を表しているようだ。本屋だけでなく、今やほかのジャンルにおいても、同様の動きが生まれつつある。

7月号で下北沢を特集した『商店建築』編集長の塩田さんは、取材を通じて「いずれの商業施設も、『個人商店が集まった、顔が見える商業施設づくり』をテーマにしていたことが印象的だった」と話す。

「下北沢に新しい商業施設がオープンするたびに取材をしてきました。新しいアイデアが結集してできあがったまちという印象がある一方で、すごく懐かしい、昔の商店街のような要素を感じます。昔の商店街にあった、お店をやっている人が奥に住んでいて、その人たちの生活やお茶の間が見えていた世界観が、ここ最近で続々とオープンした施設に入っているお店にも垣間見られるんです。顔の見える個人商店が集まっているような雰囲気です」(塩田さん)

下北沢は、歩きまわって楽しい仕掛けが散りばめられたまちに生まれ変わった

下北沢の魅力は、“特色のある個人店が多いこと”だけではない。
塩田さんは、下北沢が「ますます歩いて楽しい“ウォーカブルなまち”になった」と感じたという。
「下北沢にはもともとたくさんの路地があり、特色ある店がここかしこに存在していました。しかし近年、まちが整備されたことで、ますます“歩き回って面白い”仕掛けがたくさん散りばめられました」(塩田さん)

『商店建築』7月号「変貌する『下北沢』」特集(写真提供/商店建築社)

『商店建築』7月号「変貌する『下北沢』」特集(写真提供/商店建築社)

まず、2020年4月にオープンした商業施設「BONUS TRACK」の存在は大きいという。「BONUS TRACK」には、書店や発酵食品の店、コワーキングスペースなど13のテナントが立ち並んでいる。

「訪れた人が、歩いたり、溜まったり、そこでの過ごし方を自由に選べる。そういった“回遊性”を楽しめる、絶妙な構成でつくられているんです」(塩田さん)

「BONUS TRACK」。「本の読める店 fuzkue」や、全国の発酵食品を販売する「発酵デパートメント」など13テナントが立ち並ぶ。(写真撮影/嶋崎征弘)

「BONUS TRACK」。「本の読める店 fuzkue」や、全国の発酵食品を販売する「発酵デパートメント」など13テナントが立ち並ぶ。(写真撮影/嶋崎征弘)

施設内は、路地裏を歩いているような感覚を楽しめる「余白」を意識したつくり。食事をしたり、知り合いや店の人と立ち話をしたり。時には広場でポップアップイベントも開催される(写真撮影/嶋崎征弘)

施設内は、路地裏を歩いているような感覚を楽しめる「余白」を意識したつくり。食事をしたり、知り合いや店の人と立ち話をしたり。時には広場でポップアップイベントも開催される(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

「その後に誕生した『reload(リロード)』や『ミカン下北』などの商業施設のつくりもユニークです」と塩田さん。
「外観からはわからないのですが、建物の中に入ると、まるで路地に迷い込んだ感覚になります。商業施設のなかに、路地が張り巡らされた小さなまちがあるようです。こういった施設が増えたことで、下北沢の“歩いて楽しいまち”のイメージが広がったように思います」

2021年6月に小田急線線路跡地にオープンした「reload」(写真撮影/嶋崎征弘)

2021年6月に小田急線線路跡地にオープンした「reload」(写真撮影/嶋崎征弘)

「reload」は、“店主の顔が見える個店街”がコンセプト。下北沢で長年ビジネスを営んできた店から、下北沢初出店の店舗まで個性豊かな顔ぶれ。「歩くたびに見える景色が違う」と塩田さん。テナントは路地や階段で結ばれ、ちょっとした迷路探索気分(写真撮影/嶋崎征弘)

「reload」は、“店主の顔が見える個店街”がコンセプト。下北沢で長年ビジネスを営んできた店から、下北沢初出店の店舗まで個性豊かな顔ぶれ。「歩くたびに見える景色が違う」と塩田さん。テナントは路地や階段で結ばれ、ちょっとした迷路探索気分(写真撮影/嶋崎征弘)

従来の商業施設は、どの施設にも同じような店が並んでいたり、画一的なレイアウトだったりして、歩き回る楽しさよりも動線の効率化が優先されているものが多い。そのため、施設内に入ると、せっかくのまち歩きの楽しさが分断されてしまっていた。

しかし、新しく登場した商業施設の回遊性を大切にしたつくりは、楽しいまち歩きの延長線上となり、下北沢が施設内を含めて“歩いて楽しいまち”に昇華された形だ。

また、塩田さんは「下北沢駅からまちに出る方法にも、複数の選択肢があるのもおもしろい」と言う。駅を上るとカフェや居酒屋が並ぶ「シモキタエキウエ」へ、井の頭線・中央口改札、小田急線・東口改札から出て右手側に歩くとすぐに「ミカン下北」があり、駅を出た瞬間からそれぞれに違ったまち歩きがスタートする。

2022年3月に高架下に誕生した「ミカン下北」は、外側からはズラリと並ぶテナントが見えるが、中に入るとストリートが登場する(写真撮影/嶋崎征弘)

2022年3月に高架下に誕生した「ミカン下北」は、外側からはズラリと並ぶテナントが見えるが、中に入るとストリートが登場する(写真撮影/嶋崎征弘)

「ミカン下北」のストリート。レトロな提灯街を思い起こさせるショップの数々、歩く人との距離の近さが、下北沢の路地感をそのまま表現しているかのようだ(写真撮影/嶋崎征弘)

「ミカン下北」のストリート。レトロな提灯街を思い起こさせるショップの数々、歩く人との距離の近さが、下北沢の路地感をそのまま表現しているかのようだ(写真撮影/嶋崎征弘)

新しさと懐かしさが同居する

国土交通省は今、「『居心地が良く歩きたくなる』空間づくり」を推進し、全国で支援などを行っている。そんななか、塩田さんは「下北沢の開発はこれから他の地域のモデルになる」と断言する。

「他に類を見ない最先端の商業施設がここにできあがりました。一方で、全国で商業施設をつくりたいと考えている人が理想とするものが、今、下北沢に出そろっているということになるのではないでしょうか。だから、今後は規模の大小はあるとしても、下北沢を参考にして、日本中にたくさんの個性的な商業施設ができあがってくると思うし、できてほしい」

新しい商業施設が続々とできる一方で、居酒屋や古着屋などが雑多に立ち並ぶ以前から変わらない風景も。昔ながらの路地裏巡りも、下北沢の変わらない醍醐味のひとつ(写真撮影/嶋崎征弘)

新しい商業施設が続々とできる一方で、居酒屋や古着屋などが雑多に立ち並ぶ以前から変わらない風景も。昔ながらの路地裏巡りも、下北沢の変わらない醍醐味のひとつ(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

ここも駅前で整備されたエリア。誕生した商業施設を緩やかに新たな道で繋ぎ、まちがより一層ウォーカブルになった(写真撮影/嶋崎征弘)

ここも駅前で整備されたエリア。誕生した商業施設を緩やかに新たな道で繋ぎ、まちがより一層ウォーカブルになった(写真撮影/嶋崎征弘)

まち全体で課題を共有していく必要がある

「本屋B&B」「BONUS TRACK」を手掛けてきた内沼さんは現在、下北沢と長野県御代田町で二拠点生活を送っている。「BONUS TRACKという場所に20年間かかわる覚悟を決めたので、東京という場所、下北沢というまちを客観視するために、住まいを移しました」と話す。

そうして見えてきたのは、「それぞれの店が、自分の店のことだけを考えるのではなく、課題を共有しながら運営していくことが大切」ということ。

下北沢が「歩くのが楽しいウォーカブルなまち」となり、個人店が再び集う「若者たちが挑戦できるまち」として復活しつつある今、以前よりもまちの一体感は高まっているのではないか。かつては個人店という点同士がまちをかたちづくっていた。しかし今後はまち全体としてお互いを高め合い、より魅力的なまちをつくっていく予感を感じた。

●取材協力
BONUS TRACK
本屋B&B
TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢
ミカン下北
reload
商店建築

わずか6畳のプレハブ書店。本屋が消えた町に住民らが「六畳書房」を立ち上げた理由 北海道浦河町

海からのんびり歩くこと3分、木々に囲まれた中にあるプレハブ小屋が見えてきた。人口約1万2000人の町唯一の書店「六畳書房」だ。本屋のなくなった町で、2014年に初代店主と住民ら有志が立ち上がりスタートした。現在の店主は武藤あかり(むとう・あかり)さん、書店勤務の経験はない。なぜ、この地に、いったいどのような経緯でこの店ができたのか、北海道の浦河町を訪ねた。

「浦河町」っていったいどんなところ? 夏は涼しく冬は温暖な地域

札幌から車で約3時間、太平洋に面した浦河町。夏は涼しく冬は温暖で雪が少ない。大きな娯楽施設や商業施設はなく、道を歩いていると、「こんにちは」と声をかけてくれるのどかな町だ。

競走馬の生産地としてよく知られ、町の中心部から車を10分ほど走らせると、牧草地が広がり馬ののんびり歩く姿を見ることができる。町内にはJRA(日本中央競馬会)の日高育成牧場をはじめ約200の牧場があり、道路には「馬横断注意」という看板が掲げられているほど馬が多く自然豊かな場所だ。

牧場が広がる浦河町。乗馬体験も人気だ(写真撮影/岡みなこ)

牧場が広がる浦河町。乗馬体験も人気だ(写真撮影/岡みなこ)

「馬横断注意」の看板。道路のいたるところで見ることができる(写真撮影/岡みなこ)

「馬横断注意」の看板。道路のいたるところで見ることができる(写真撮影/岡みなこ)

そんな浦河町に「六畳書房」ができたのは、2014年のこと。地元の書店やチェーン書店が次々と撤退し「本屋のない町」になっていた。

「町に本屋が欲しい」──。住民たちの切実な思いに、地域おこし協力隊で札幌から浦河町に来ていた武藤拓也(むとう・たくや)さんが立ち上がった。ある日、拓也さんらは、ユニークなフェアを次々生み出してきた札幌の「くすみ書房」が行ったクラウドファンディングで、店主の久住邦晴(くすみ・くにはる)さんを講演に呼べるというリターンを見つけ講演会を開いた。久住さんからのアドバイスを得て、一口5000円の寄付を100人近くから集め、古民家の六畳間に小さな書店を完成させた。開店は週1回、皆の力で開いた書店だからと、拓也さんは自分自身のことを店長ではなく、店番と呼んだ。

だが、開店からわずか3年後に拓也さんの仕事が忙しくなったことや資金面など、さまざまな理由が重なり閉店してしまった。また町から本屋がなくなってしまう──。浦河町に移住してきた夫妻が中継ぎとして運営を引き受け、自宅の居間で営業を再開した。

自分と対話を続け、3代目店主に手を挙げた

あくまで中継ぎ、“長く続けられる人を”と3代目を探していたところに、手を挙げたのが現在店長を務めるあかりさんだった。浦河出身のあかりさんは、「ここから出たい」と札幌の高専へ進学したが、結婚を機に浦河町へUターンをして地元で子育てを始めた。

子どもが1歳になるころに育休から復帰したものの、勤務先はホテルでシフト制。子どもの急な発熱などで、穴を開けてしまうこともあり、両立の難しさをひしひしと感じていた。忙しい日々の中でふと、「あれ、私のやりたいことってなんだった……?」と思いを巡らせた。

20代、映像作品の制作にのめりこんでいたころの気持ちを思い出したあかりさん。浦河町に戻ってきてからも細々と制作は続けていたが、それまでのような制作方法に限界を感じていた。「30代を子どもと一緒に浦河でどう過ごそうか」と悩みに悩んだ末、「つくり手ではなく表現物を紹介する側でもいいのでは」とこれから進む道筋を見つけた。

以前から「六畳書房」が3代目店主を募集していたことを知っていたため、「私がやりたいんですが……」と手を挙げた。

木々に囲まれた中にある「六畳書房」。町の中心部からも近い(写真撮影/岡みなこ)

木々に囲まれた中にある「六畳書房」。町の中心部からも近い(写真撮影/岡みなこ)

「本当にやるの? やりたいの?」初代として「六畳書房」を立ち上げた夫は驚いたようにこう言ったが、あかりさんの決意は固かった。

2020年11月に引き継ぎスタートしたものの…襲ったコロナ禍

2020年11月に引き継ぎ、当初は出張本屋としての運営を考えていたが、コロナ禍にぶつかりイベント販売もままならない状況になってしまった。出張型は諦め、自宅近くの場所に、あかりさんの祖父の使っていたプレハブを移設した。店を構え、2021年7月に3代目店主あかりさんの「六畳書房」がついに開店した。偶然にも譲り受けたプレハブは“6畳”の広さだった。

店内の様子(写真提供/六畳書房)

店内の様子(写真提供/六畳書房)

店内に入るとすぐ目につくのが新刊やおすすめの書籍が並ぶ棚だ。取材した日は浦河町出身で『少年と犬』で2020年に直木賞を受賞した馳星周(はせ・せいしゅう)さんの新著『黄金旅程』が山積みされていた。同作は、直木賞受賞後の第一作で浦河町を舞台にしている。

絵本など児童書は子どもの手の取りやすいところに並べられ、子どもが座って読めるように、座卓を使ったちょっとした小上がりも用意されている。

座卓に座って本を選んだり、読んだりすることもできる(写真撮影/岡みなこ)

座卓に座って本を選んだり、読んだりすることもできる(写真撮影/岡みなこ)

浦河町出身の直木賞作家・馳星周さんのサイン(写真撮影/岡みなこ)

浦河町出身の直木賞作家・馳星周さんのサイン(写真撮影/岡みなこ)

営業は週3回程度 表現力豊かなポップがお出迎え

表紙の色や雰囲気なども見つつ、本の位置を考え、陳列していくあかりさん。「立ち読み歓迎。どうぞごゆっくり本をお選びください」と書かれた貼り紙や、「今読みたいロシア・戦争の関連本」「店長推しマンガ」「ナンセンス絵本の神と言われる長新太さんの絵本」「『カニ ツンツン』なんか笑っちゃってうまく読めない!(笑)」など本の紹介や思わず本を開いてみたくなる感想が書かれた手書きのポップが随所に貼られ、それらを読むだけでも楽しい気持ちになる。

月50冊の新刊が入ってくる「六畳書房」。本の陳列を見直すあかりさん(写真撮影/岡みなこ)

月50冊の新刊が入ってくる「六畳書房」。本の陳列を見直すあかりさん(写真撮影/岡みなこ)

「立ち読み歓迎」の貼り紙、あかりさんの温かさを感じられる(写真撮影/岡みなこ)

「立ち読み歓迎」の貼り紙、あかりさんの温かさを感じられる(写真撮影/岡みなこ)

営業は月によって変わるが、主に水~土の間で週3日程度。事前にTwitterやInstagramなどSNSで営業日を告知している。Instagramには、その時のおすすめや新しく入荷した本などをあかりさんの感想などコメントを添えて投稿している。

例えば、『本のフルコース 選書はひとを映す鏡』(著・佐藤優子)の紹介では、「旅先に持っていきたい1冊」と端的だけど心くすぐる一言が記されていた。「六畳書房」に行ってみようかな、本を手に取ってみようかなと思うような仕掛けが凝らされ、「SNSを見て来た」というお客さんも増えているそうだ。

猫やカモメのお客さんも来店! 1時間近くかけて来店する人もいる

来店客は、1人も来ない日もあれば、5組~10組どっと来店する日もあるそう。猫やカモメのお客さんがひょっこり現れることもある。客層も幅広く、老若男女問わずさまざまなお客さんが来店する。書店のない近隣の町から車で1時間近くかけて来る人もいるそうだ。ネットが使えず読みたい本を購入できない高齢者からの注文も受けており、数は少ないながらも住民のインフラ的な存在にもなっている。

「六畳書房」から見える浦河の港。潮の香りが漂ってくる(写真撮影/岡みなこ)

「六畳書房」から見える浦河の港。潮の香りが漂ってくる(写真撮影/岡みなこ)

店に並ぶ本は、新刊8割、古本が2割ほどで、新刊入荷は月50冊程度。選書はあかりさんがいいと思うものや、常連さんの好みに合いそうな本、話題の本、お客さんにおすすめを教えてもらったりして仕入れている。

一般的な書店にある返品制度が六畳書房ではさまざまな理由から使えず、買い切りになっているため、売れ残りにならないよう慎重な選書をしているそうだ。「本当はマンガなどももっと入れたい」と言うが、返品できないというリスクもあり、大々的な販売には踏み切れていない。

一番の売れ筋は意外にも「絵本」だという。自分の子ども用だけでなく、出産などお祝い向けに買って行く人が多い。手に取って、本を開き、プレゼントする人のことを思い浮かべながら選ぶことができる。リアル書店ならではのよさだ。

本を選ぶことは旅行と一緒 予想外の出会いがうれしい

絵本に限らず、自分が興味なかった分野の本でも、書店で平積みされているのを見たり、表紙を見たり、手に取ってみたりして買って読んでみると意外にも面白くのめりこんでしまうことがある。「六畳書房」ではその寄り道の楽しさや偶然の出会いなどリアル書店ならではの醍醐味を味わうことができるのだ。

あかりさん自身も“予定調和でない出会い”はとても大切にしており、お店の運営においても重視しているという。

「予定していないものに出会うことを大切にしています。例えば旅行に行って、予定通りに動こうとしても、そのとおりにいかないことのほうが多いですよね。でも、帰ってきてから記憶に残っているのは想定外のことだったりしますよね。

本棚を眺めていて全然知らなかった本を手に取ってみることも旅行と同じです。アマゾンやネットフリックスはネット上でなんでも見られるように思えますが、その人に最適化されたものが次々と表示されているだけで偶然の出会いは起こりにくい」(あかりさん)

浦河の街並みを一望できるルピナスの丘(写真撮影/岡みなこ)

浦河の街並みを一望できるルピナスの丘(写真撮影/岡みなこ)

何かが起きる場所としての「六畳書房」

だからこそ、浦河町で本屋を開く意味があるという。「田舎は都会と比べると知らない人に出会う機会も、知らない物に出会うことも少ない。手に取れるカルチャーや訪れることのできる文化施設が少ないのが都会との違いです。ここの書店を何かが起こる場所にしたかった」(あかりさん)

あかりさん自身も「六畳書房」を始めてからいくつもの偶然の出会いがあった。訪ねてきたお客さんの中には地元は近いが六畳書房で初めて出会い、話してみると札幌時代に近所に住んでいたことや趣味が似ていることがわかり、泊まりがけで遊ぶ仲になった同い年の人もいる。この「場」がなかったら起こりえなかったことだ。

長く続けるために「商売としてきちんと続けるつもりでやらないと、続かない」と言い、利益を出すことを目指している。しかし、現在はまだまだ利益が出ているとはいえない。そのため、本屋の営業以外にも本や映画やローカル情報の話をする有料の動画配信も始めた。また、今は週3回程度の営業だが、子どもの成長に合わせて今後少しずつ日数を増やすことも視野に入れているという。

「ここに住んでいる人たちが町に愛着を持てる存在になれたらいいなと思っている」というあかりさんの言葉が強く印象に残った。

人と人、物と人が偶然出会う場は、ネット通販が主流になったこの時代でも必要なものであるということを「六畳書房」を通して改めて実感した。町の本屋さんという場を通して、人と人とが出会い、そこで交流を深めることで町にも活気が湧いてくる。これまでだったら家で過ごしていた時間を本屋に行く時間に充て、町を歩き、行く途中や店でさまざまな人との出会いも生まれる。さらに、歴代の店主や住民の想いが詰まった「六畳書房」が浦河にあることで町に愛着を感じ、ここに住んだり訪れたりする理由になるかもしれない。六畳と小さくても町にとって貴重な存在であることは確かである。

●取材協力
・「六畳書房」(Twitter/@rokujoshobo、Instagram/@rokujoshobo)

渋谷駅まで電車で30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

ここ数年で大型複合ビルが次々と誕生し、さらに2027年度まで再開発プロジェクトが目白押しの渋谷駅周辺。すでに都内屈指の商業・ビジネスの街でありながら、今後はいっそうの発展が見込まれる注目のエリアだ。今回はそんな渋谷駅まで30分圏内にある駅の中古マンションの価格相場を調査した。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの中古マンションの価格相場が安い街はどこなのか? さっそく見ていこう。

渋谷駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/渋谷駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 西川口 2380万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/29分/1回)
2位 川口 2473万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/26分/1回)
3位 西馬込 2580万円(都営浅草線/東京都大田区/21分/1回)
4位 大森海岸 2655万円(京浜急行本線/東京都品川区/28分/2回)
5位 練馬 2800万円(西武有楽町線/東京都練馬区/23分/0回)
6位 平和島 2899万円(京浜急行本線/東京都大田区/25分/1回)
7位 木場 2910万円(東京メトロ東西線/東京都江東区/29分/1回)
8位 中板橋 2930万円(東武東上線/東京都板橋区/24分/1回)
9位 沼袋 2980万円(西武新宿線/東京都中野区/24分/1回)
9位 門前仲町 2980万円(都営大江戸線/東京都江東区/25分/2回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/渋谷駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 読売ランド前 2680万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/30分/2回)
2位 高田 3190万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/30分/1回)
3位 久地 3380万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/26分/1回)
4位 津田山 3430万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/24分/1回)
5位 西川口 3580万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/29分/1回)
6位 宮崎台 3680万円(東急田園都市線/神奈川県川崎市宮前区/27分/0回)
7位 向ヶ丘遊園 3699万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/24分/1回)
8位 戸田公園 3780万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/29分/0回)
9位 生田 3790万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/27分/2回)
10位 上板橋 3930万円(東武東上線/東京都板橋区/29分/1回)

「シングル向け」は渋谷・新宿・池袋に30分以内で行ける西川口駅が1位に!

今回の調査基点にした渋谷駅の中古マンションの価格相場は、「シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)」が5365万円、「カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)」が9975万円。さすがというか、なかなかに高額! しかし渋谷駅まで30分圏内にまで範囲を広げると、価格相場もぐっと下がることが調査より見て取れる。

渋谷駅まで30分圏内にある中古マンションの価格相場が安い駅のうち「シングル向け」ランキングの1位は、JR京浜東北・根岸線の西川口駅で価格相場は2380万円。そして西川口駅より1駅東京方面にある川口駅が、価格相場2473万円で2位にランクインした。

西川口駅前(写真/PIXTA)

西川口駅前(写真/PIXTA)

共に埼玉県川口市に位置する1位・西川口駅と2位・川口駅は、直線距離で2kmほどしか離れていない。川口駅のほうがより埼玉県を代表する主要駅として知られているが、両駅周辺の様子は大きくは違わない。ここでは1位・西川口駅を中心にして街の様子を見ていこう。

1位・西川口駅から渋谷駅までは約29分。JR京浜東北・根岸線で赤羽駅に向かい、そこからJR埼京線に乗り換えると渋谷駅に到着する。赤羽駅~渋谷駅間には池袋駅や新宿駅もあるので、渋谷・新宿・池袋の3駅まで30分以内で行ける便利なロケーションというわけだ。そんな西川口駅には、肉や魚、野菜の売り場からベーカリー、100円ショップにレストランまで備えた駅ビル「ビーンズ西川口」が直結。駅前にもスーパーやディスカウントストア「ドン・キホーテ」、ファストフード店をはじめとした多彩な飲食店が立ち並ぶ。また、西口側には「西川口チャイナタウン」と呼ばれるエリアが広がり、中国系をはじめとしたアジア各国の食材店や飲食店が数多い点も特徴だ。

西川口駅からお隣の2位・川口駅方面に15分ほど歩くとショッピングモール「アリオ川口」があり、さらに10分ほど歩くと川口駅へ。川口駅前には広々とした「川口西公園」が広がるほか、行政センターや市立中央図書館、川口総合文化センターなどの公共施設も点在。川口市役所の最寄駅でもあり、西川口駅よりも川口駅のほうが市を代表する駅といえそうだ。そのためもあってか価格相場は西川口駅よりも川口駅のほうが93万円高い結果となった。

川口駅(写真/PIXTA)

川口駅(写真/PIXTA)

3位は東京都大田区に位置する都営浅草線・西馬込駅で、価格相場は2580万円だった。都営浅草線で五反田駅に行き、JR山手線に乗り換えると渋谷駅まで計約21分。この渋谷駅までの所要時間はトップ10のうち最短だ。また、五反田駅で下車せずそのまま都営浅草線に乗っていると、新橋駅や東銀座駅、日本橋駅などへも30分以内に到着できる。地下鉄駅の西馬込駅から地上に出ると、そこは国道1号・第二京浜の大通り沿い。駅前広場のようなものはなく、国道沿いにはマンションや飲食店などが立ち並んでいる。少し脇道に入ると静かな住宅街で、かつてこのエリア一帯には多くの文人・芸術家が住み「馬込文士村」と呼ばれた由緒ある地でもある。大型商業施設はないが、スーパーやドラッグストア、個人商店やおしゃれなカフェなど地元の人に愛されるお店が点在。静かに暮らしたい人にはいい街といえそうだ。

西馬込駅(写真/PIXTA)

西馬込駅(写真/PIXTA)

4位以下にも都内の駅が並んでいる。そのうち渋谷駅まで乗り換え0回で行けるのは、5位にランクインした東京都練馬区の西武有楽町線・練馬駅。西武有楽町線は練馬駅~新桜台駅~小竹向井原駅のわずか3駅の路線だが、小竹向原駅から東京メトロ副都心線と直通運転しているため渋谷駅まで乗り換えなしで行けるのだ。また、副都心線は東急東横線やみなとみらい線と直通運転しており、乗る列車を選べば練馬駅から渋谷駅を通り過ぎて横浜の元町・中華街駅まで1本で行くこともできる。

都営大江戸線も通る5位・練馬駅は練馬区を代表する駅といえ、駅周辺にはスーパーやドラッグストア、100円ショップといった暮らしを支える店舗や飲食店などの商店が充実。区の子ども家庭支援センターや区役所も、駅から徒歩10分圏内にある。また、駅から北に15分ほど歩くと遊園地としてにぎわった「としまえん」跡地が広がっている。この跡地は東京都が公園として整備する計画が進行中。その一角には2023年に「ハリー・ポッター」の体験施設が誕生予定なので、オープンが楽しみだ。

「カップル・ファミリー向け」トップ10には川崎市から6駅ランクイン

「カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)」ランキングの1位は、神奈川県川崎市多摩区にある小田急小田原線・読売ランド前駅。価格相場はトップ10唯一の2000万円台となる2680万円で、2位以下よりも510万円も低かった。渋谷へのアクセスは小田急小田原線の各駅停車と快速急行を乗り継いで下北沢駅に出て、そこから京王井の頭線に乗り換えると約30分でたどり着く。読売ランド前駅から1駅目には9位の生田駅、2駅目には7位の向ヶ丘遊園駅、という位置関係だ。

読売ランド前駅(写真/PIXTA)

読売ランド前駅(写真/PIXTA)

1位・読売ランド前駅は絶叫マシンや夏季営業のプールで人気の「よみうりランド」の最寄駅の一つで、駅前からバスに乗って約10分で行くことができる。駅北側には日本女子大学と大学付属中学・高校の敷地が広がるため、平日には学生の姿も多く見られる。駅にスーパーが直結しているほか、南口前の通り沿いには精肉店や鮮魚店、野菜が安いと評判のミニスーパーやドラッグストアも。駅周辺は住宅街で、住宅の合間に市立の小中学校や保育園が点在。大型商業施設がない点がネックだが、そのぶん静かに暮らせる環境ともいえる。下り方面に2駅進むとショッピングモールや映画館が駅前にそろう新百合ヶ丘駅があるので、休日に遊びがてらまとめ買いに出かけてもいいだろう。

2位は神奈川県横浜市港北区にある横浜市営地下鉄グリーンライン・高田駅で、価格相場は3190万円。2駅先の日吉駅から東急東横線に乗り換えると、渋谷駅まで約30分だ。横浜市営地下鉄グリーンラインは2008年に開業した比較的新しい路線で、利用者数が年々増加してきた。朝のラッシュ時間帯に対応するため駅改良工事を進め、2022年9月からは現状より2両増やした6両編成の運転を導入予定。混雑緩和が見込まれており、より快適に通勤・通学ができそうだ。駅周辺は静かな住宅地で、グリーンラインの開業以降にホームセンターやスーパー、ドラッグストアも誕生して生活の利便性が向上。また、駅前の交差点近くには広大な敷地の工場跡地があり、ここに新たな商業施設が誕生するとの情報も。今後、さらに便利な街への発展が期待されている。

3位は神奈川県川崎市高津区にあるJR南武線・久地駅で、価格相場は3380万円。1駅隣にある4位・津田山駅を経由して武蔵溝ノ口駅に行き、東急東横線の溝の口駅に乗り換えれば約26分で渋谷駅に到着する。スーパーが点在する駅前から北へ15分ほど歩くと、多摩川の河川敷へ。久地駅は都県境近くに位置しているため、対岸には東京都世田谷区が見える。また、駅から南に徒歩10分~15分ほどの場所には植物園や子ども広場を備えた「県立東高根森林公園」や、水遊びや焚火もできる広場から屋根付きスポーツ広場、木工などの創作スペースまで備えた「川崎市子ども夢パーク」がある。川や緑を身近に感じながら暮らせる久地駅周辺は、のびのび子育てをしたいファミリーにもよさそうだ。

県立東高根森林公園(写真/PIXTA)

県立東高根森林公園(写真/PIXTA)

トップ10のうち、渋谷駅まで乗り換え0回で行けるのは6位の東急田園都市線・宮崎台駅と8位のJR埼京線・戸田公園駅。この2駅のうち渋谷駅への所要時間がより短く、約27分で行けるのは神奈川県川崎市宮前区に位置する6位の宮崎台駅だ。同駅には東急電鉄が運営する「電車とバスの博物館」が直結しているので、乗り物好きキッズがいる家庭は注目だ。駅周辺には複数のスーパーに加え、川崎市内の新鮮な農畜産物がそろうJA直営のファーマーズマーケットがあるのも嬉しいところ。また、コンパクトながら遊具を備えた児童公園が複数点在していたり、地域児童の遊び場「宮崎こども文化センター」があったりと、小さな子どもがいるファミリーが暮らしやすい街並みだ。

6位の宮崎台駅を含め、トップ10のうち6駅は神奈川県川崎市に位置している。川崎市はコロナ禍でも転出より転入が上回り、2021年に人口が154万人を突破。なかでも15歳未満の人口が約19万人と多くの子どもたちが暮らしているそうで、子育て支援を推進するべく「第2期川崎市子ども・若者の未来応援プラン」を2022年3月に策定。安心して子育てができる街づくりに向けてさまざまな取り組みを行っており、詳細については市のウェブサイトでも公開している。子育て期間中に引越しを考えているファミリー層は、交通の便や街の環境に加え、こうした自治体の取り組みもチェックして住まい探しをするといいだろう。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている渋谷駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/4~2022/6
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年6月27日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

人気の花火職人が山里で始めたカフェ兼宿。コロナ禍で気づいた豊かさや幸せの答え 「山の家」福岡県みやま市

コロナ禍によって人々の価値観が変わった。大切なことが明確になった、という人も多いかもしれない。今回紹介する筒井良太、今日子夫妻がカフェ兼宿「山の家」(福岡県みやま市)を始めたのも、コロナがきっかけだった。「足元に目を向ける」「地元のものを生かす」と口でいうのは簡単だが、誰かに提供するには形にしないとならない。お土産品、飲食店、カフェやゲストハウス……さまざまな形があるけれど、筒井夫妻が始めたのは、みやまの宝を集結した家だった。なぜ宿を?山の家を訪れて話を聞いた。

趣のある「山の家」

福岡県の南に位置するみやま市。福岡の繁華街からわずか車で1時間ほどだが、まるで風景が変わる。道脇には清流が流れ、小高い山々や田畑が広がる。今年3月、ここに「山の家」と呼ばれるカフェ兼宿がオープンした。築100年以上の屋敷を改修して店を始めたのは、同じみやま市で玩具花火をつくってきた「筒井時正玩具花火製造所」の筒井良太、今日子夫妻だ。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

山の家に到着すると、お屋敷、といっていいような風格ある古民家が、緑の茂るなかに立っていた。山の家という名から、標高の高い場所にあるのかと想像していたが、思っていたより平地からすぐの場所にある。

中へ入ると思わず声が漏れた。「うわぁ素敵ですね」。
年月を経た家の重厚な空気感に、ラインの美しいカウンターや洗練された椅子とテーブル。ショーケースには美味しそうなケーキが並び、レジ向こうは座敷になっていて、女性スタッフが座って花火づくりの作業をしていた。

古い壁から出てきた竹格子はあえて残してある。窓際のカウンター上部には長崎の陶器ブランド「JICON」のオレンジ色の照明が存在感を放っている。(写真撮影/藤本幸一郎)

古い壁から出てきた竹格子はあえて残してある。窓際のカウンター上部には長崎の陶器ブランド「JICON」のオレンジ色の照明が存在感を放っている。(写真撮影/藤本幸一郎)

玄関から向かって左半分のスペースが「カフェ・フイユ」。右ののれんをくぐった先が宿「山の家」になる。

「カフェフイユ」のフイユとはフランス語で「葉っぱ」のこと。「葉っぱに「予約席」の文字(写真撮影/藤本幸一郎)

「カフェフイユ」のフイユとはフランス語で「葉っぱ」のこと。「葉っぱに「予約席」の文字(写真撮影/藤本幸一郎)

「じつはすごく贅沢な暮らしをしていた」

筒井夫妻は、ここから車で5分ほどの場所で「筒井時正玩具花火製造所」兼ギャラリーを営んできた。なぜ、宿を?

「コロナ禍で何がほんとうに贅沢で豊かなのか。幸せって何だろうって考え直した時、「みやま」ってなんていいところなんだろうって改めて思ったんです。

今まではお金を稼いでいいもの買って、というのが贅沢だったけど、明らかに以前とは考え方が変わった。ここでは採れたての野菜が食べられたり、週末には炭でパンを焼いて青空の下で食べたりして」

川はきれいで緑は豊か。夜には星も見える。子どもたちはのびのびと花火もできるし川遊びもできる。周囲には優しい地元の人たち。それまで当たり前に享受してきたあれこれが、いかに贅沢であるかに気づいた。

「この豊さを、都会から訪れる人たちにも楽しんでもえたらいいなと思ったんですね。地元のいいものを集めた場所がつくれたらいいなって」

そうして昨年2021年、導かれるように知人に紹介されたのがこの物件だった。

筒井今日子さん。夫の良太さんとともに「筒井時正玩具花火製造所」を営む(写真撮影/藤本幸一郎)

筒井今日子さん。夫の良太さんとともに「筒井時正玩具花火製造所」を営む(写真撮影/藤本幸一郎)

“ユミちゃんのケーキ”が食べられる店

今年の春には、まず「カフェ・フイユ」を先行してオープン。メニューには地元の美味しいものが詰まっている。切り盛りするのは、「ユミちゃん」の愛称で呼ばれる、パティシエの高巣由美(たかす・ゆみ)さん。もともと地元で「ランコントル」という予約制のケーキ屋を営んでいた。

カフェをやるなら、ユミちゃんにお願いできないかと今日子さんはまず思ったのだそうだ。

パティシエで、カフェフイユのオーナー、高巣由美さん(写真撮影/藤本幸一郎)

パティシエで、カフェフイユのオーナー、高巣由美さん(写真撮影/藤本幸一郎)

「ユミちゃんのケーキはほんとに人気で、でも予約して数日待たないと食べられない。それがこのカフェでいつでも食べられればみんな喜ぶだろうなと思ったんです。蓋を開けてみると、思ったとおりでした(笑)」(今日子さん)

ショーケースにはチーズケーキやガトーショコラなど美味しそうなケーキが並び、持ち帰りもできる。看板商品はレーズンサンド。クリームには近くの酒蔵の甘酒や酒粕を使用。それとは別に、酒粕パンも販売している。

ケーキの並ぶショーケースの横には、筒井時正玩具花火製造所の線香花火をはじめ、びわの葉茶や九州の工芸品も並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

ケーキの並ぶショーケースの横には、筒井時正玩具花火製造所の線香花火をはじめ、びわの葉茶や九州の工芸品も並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

ランチのスープセット。今は食事のメニューはホットサンドとスープセットのみだが、カレーも近く提供する予定(写真撮影/藤本幸一郎)

ランチのスープセット。今は食事のメニューはホットサンドとスープセットのみだが、カレーも近く提供する予定(写真撮影/藤本幸一郎)

11時の開店時間を過ぎると、カフェはお客さんでいっぱいになった。若者や女性が多いのだろうと想像していたのだが、年配者も多い。地元の人らしいお母さんたちが少しお洒落した装いで集まっている。「パン買いに来たよ~」とにこにこ声をかける女性もいる。

「お店をオープンする前に、地元の人たち先行でお披露目会をしたんです。そうじゃないとなかなか接点がもてないんじゃないかと思って。地元が元気になったらいいなと始める店でもあるから」(今日子さん)

「ユミちゃん、ユミちゃん」とお客さんが楽しげに声をかけているのが聞こえてきた。

おしゃべりに興じるご近所さん(写真撮影/藤本幸一郎)

おしゃべりに興じるご近所さん(写真撮影/藤本幸一郎)

長いこと、地域には背を向けてきた

もともと「筒井時正玩具花火製造所」は、少し変わった花火メーカーでもある。

花火の国産メーカーは、安い海外品におされて数が減っている。なかでも線香花火をつくる会社は、いま全国に4軒しかない。一時期は残り一社となった製造所が廃業し、絶滅寸前に陥った。このままでは線香花火は日本でつくられなくなってしまうぞという時に、筒井時正玩具花火製造所3代目の筒井良太さんが廃業前の製造所へ出向いて修行をし、技術を引き継いだのだった。

国産の線香花火は、海外産に比べて火花が大きく、長く火が落ちない。その質の良さを生かして、二人は自社の線香花火をギフトや雑貨として「一箱40本で1万円」の高価なオリジナル商品として発表した。

「そんな高い花火が売れるはずない」と周囲に反対されながらも、インテリアライフスタイル展などに出展し、販路を増やしてきた。花火を製造する工房横には、線香花火を試せるギャラリーも設けた。新しい花火のあり方を切り開いてきた10年間だった。

筒井時正玩具花火製造所の線香花火。火花が大きく長くもつ(提供/筒井時正玩具花火製造所)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火。火花が大きく長くもつ(提供/筒井時正玩具花火製造所)

だからこそ、これまではほとんど地元に関心を向けてこられなかったのだという。

「花火を売れるようにするのに必死やったんで。どうしてもそっちが先になってしまって」と良太さん。

けれど、自社のギャラリーを訪れたお客さんにリピーターが少ないことに気付く。

「自分のところだけ頑張っていてもダメだなって。お客さんにとっては、ここへ来た後、あそこでお昼を食べて、最後ここに寄って帰ろうなどいくつか立ち寄れる場所があるといいですよね。だからみんなでまちを盛り上げていけたらいいなと思ったんです」(今日子さん)

筒井さんたちは山の家を始める前にもう一軒、「川の家」という宿を近くで運営している。花火をできる場所がどんどん限られていることも宿を始めるきっかけだった。

「今、3割の子どもたちは花火をしたくてもできないまま、大人になってしまうと知ったんです。それがショックで。公園も浜辺もどこも禁止、禁止でしょう。川沿いなど屋外であればいくらでも花火を楽しめますから」(今日子さん)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火(写真撮影/藤本幸一郎)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火(写真撮影/藤本幸一郎)

びわプロジェクト

山の家をオープンするに至るには、これまでに筒井さんが地元の人たちと進めてきたいくつもの活動が背景にあった。

そのひとつが、「びわプロジェクト」だ。

ある時、筒井さんたちに、びわ畑を引き取ってもらえないかと相談があった。広さ1500坪の畑は、そう簡単に「はい」と引き受けられる規模ではなかったが、調べてみると、びわにはさまざまな活用法があることがわかった。びわの葉を使ったお茶、お灸、びわ染め。

今日子さんは、すぐに営利目的で活用するのは難しいけれど、地域のみんなとびわ畑で新しいことを始めるのにはいいと考えた。

「山の家」宿側の縁側から見える庭(写真撮影/藤本幸一郎)

「山の家」宿側の縁側から見える庭(写真撮影/藤本幸一郎)

「びわプロジェクト」を立ち上げるのに造園家、農家、市役所の職員など有志約20名が集まり、みやま市の地域ブランドをつくろうと活動が始まったのが2020年6月。それから月に一度、みんなで楽しみながら作業を続けていて、現在は約50名のプロジェクトメンバーがいる。

昨年の6月には立派な実がたくさん収穫できて、道の駅などで販売した。

(提供/びわプロジェクト)

(提供/びわプロジェクト)

びわプロジェクトの活動の様子(提供/びわプロジェクト)

びわプロジェクトの活動の様子(提供/びわプロジェクト)

「ゆくゆくはびわを活用して商品化、ブランドにしてお金をまわしていくことも考えているんですけど、いま動いてくれる人たちはほとんどがボランティア。それじゃあ長続きしないと思って、びわコインという地域通貨を発行しています。でもベースはみなさんの地元がよくなるようにって気持ち、郷土愛によるものなんです。

みやまには、誰かが何かを始めるんやったら、よっしゃ一緒にやってやろうと関わってくれる人がたくさんいる。そんな人が50人もいるってすごいじゃないですか」(今日子さん)

このびわプロジェクトは、2年目からウコンも含めた「薬草研究会」として発展。びわゼリー、びわ大福、びわフローズンを試作したり、びわやウコンの効能、加工、商品開発に向けての意見交換をして、収穫から活用まで考えている。

その、地元の人たちと活動してきたひとつの出口として「山の家」がある。近々、ウコン(ターメリック)とびわ茶、みやまの特産品であるセロリを用いたカレーも新しいメニューとして、カフェで提供される予定。宿で出すお茶もびわ葉。部屋着やのれんもびわ染めした。

宿「山の家」は、人とのつながりで生まれた

年内には宿「山の家」もオープンする予定。全面に庭の緑が見える広々としたお座敷と、現代風にアレンジされた中の間の二部屋、屋敷の右半分が貸切で使用できる。

座敷(写真撮影/藤本幸一郎)

座敷(写真撮影/藤本幸一郎)

中の間(写真撮影/藤本幸一郎)

中の間(写真撮影/藤本幸一郎)

「初めは接客のプロを雇ってお任せしようと思っていたんです。でも知人に、老舗旅館と勝負しても勝てないのではと言われて、そうだなって。私たちはあくまで花火屋。サービスレベルなどで勝負しても、長年旅館をやっていらっしゃるところにはかないっこない。であれば、せめて私たち自身が直接お客さんと話したり、最大限のもてなしをする方が私たちらしいやり方なんじゃないかと思うようになりました」

泊まらなくても「山の家」を気軽に体験できるよう、カフェと宿の定休日である水曜限定の、ジビエ料理「Nuit」と「山の家鍼灸所」をオープンした。

「地元の人たちにも楽しんでもらえるといいなと思って。この家は格子から漏れる光がきれいで、夜の雰囲気がすごく素敵なんです」

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

さらに今年、筒井さんたちは「有明月」という名前の一般社団法人を設立した。地元の人たちとのつながりも増え、より機動力のある形で動けるようにとの思いから。お寺の住職さんと朝のお勤めを体験するツアーを実施したり、元商工会の職員さんと事業計画づくりのサポートをする仕事をしたり。

「行政にしかできないことはもちろんあると思いますが、小さくても自分たちでできることはどんどんやろうって気持ちなんです。役場の職員さんも、個人的に関わってくれていたりします」

山の家を始めるうえで協力してくれた人たちは数えきれない。今日子さんの話に登場する人たちはみんな、個性的で魅力的で聞いていて飽きない。ジビエ料理にしたのも、ハンティングから手がける若きシェフとの出会いがあったから。カフェの器を依頼したのは海外に暮らす作家さん。びわの栽培を教えてくれた佐賀のおじいさんの話。

「私たちがやっていることって、結局すべて人とのつながりから始まってるんです。ああ、この人と一緒に何かしたいなって思ったら一緒にやる。そうしてひとつひとつ、つながってきた結果が山の家かもしれない」(今日子さん)

そんな山の家の成り立ちを聞いていると、田舎の未来像が見えるようだった。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

●取材協力
山の家
カフェ・フイユ

NY現地レポ! 新型コロナ、戦争、物価高。「モノ不足」に市民が悲鳴

コロナ禍になって3年目。アメリカでは「モノ不足」が叫ばれるようになって久しい。
2020年3月、日本と同様、アメリカでも人々は未曾有の脅威に備え「買いだめ」に走った。それによりトイレットペーパー、消毒液、不織布マスク、風邪薬、長期保存用のパスタや米といった食料品、ミネラルウォータなどがスーパーの棚からごっそり消えた。
感染拡大の落ち着きとともに品不足は解消されたが、コロナ禍3年目の今年になっても、さまざまな「モノ不足」が社会問題になっている。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

アメリカで深刻な粉ミルク不足

日本では、新型コロナや戦争などに関連して材料不足・労働力不足による値上げや品不足が取りざたされているが、それだけとも限らない。例えば今春、ベビーフォーミュラ(粉ミルクなど乳児用ミルク)の品薄が子を持つ親にとって切実な問題となった。

そもそもの原因は、粉ミルクを飲んだ乳児4人が細菌による感染症で入院、うち2人が死亡したことだ。この粉ミルクは米最大手アボット・ラボラトリーズのミシガン州の工場で製造されたもので、同社は問題発覚後、製品を回収し工場の稼働を停止した。その影響で消費者がパニック買いをしたことで、5月半ばには全米で粉ミルクが常時より43%減り、どの店でも品薄状態に陥った。

きっかけは1社の感染症によるもので、厳密に言えば労働力不足や戦争などが関連したものではないが、コロナ禍で社会不安が広がるなか、人々がニュースに敏感になり、ちょっとした異変を感じては買いだめに走り、商品が棚からごっそりなくなるという意味では、この2年で発生したほかの品不足騒動と類似している。

その後FDA(アメリカ食品医薬品局)は、外国製粉ミルクの輸入を認める方針を発表し、ヨーロッパからの輸入に頼る緊急対策を打ち出した。さらに、工場の衛生環境の見直しなどを条件にアボット社の再稼働を許可したことで、問題はさしずめ落ち着いたように見られるが、店によってはまだ品薄状態だ。足りない地域の人々は、他州に買いに行ったりオンラインで購入したりしている。

7月下旬になっても、ニューヨーク市内のドラッグストアでは乳幼児用製品が品薄状態  (c) Kasumi Abe

7月下旬になっても、ニューヨーク市内のドラッグストアでは乳幼児用製品が品薄状態 (c) Kasumi Abe

ドラッグストアでは、タンポンも不足気味だ。まったくないわけではないが、商品によっては空の棚が目立つ。

タンポン売り場。7月下旬、ニューヨーク市内のドラッグストアにて (c) Kasumi Abe

タンポン売り場。7月下旬、ニューヨーク市内のドラッグストアにて (c) Kasumi Abe

ニューヨークタイムズによると、タンポンの品薄状態はインフレによる消費者物価の上昇が背景にあるという。また、金融関連の専門メディア、ブルームバーグによると、インフレにより今年5月の時点で、生理用ナプキンの平均価格は今年の初めに比べて8%以上上昇し、タンポンの価格は10%近く上昇した。

タンポンの製造を行うタンパックス(Tampax)社は、コットンやプラスチックなどの原材料を入手するのに高いコストがかかっていることにより(製造が)非常に不安定であると発表している。

コロナ禍以降のモノ不足について、ニューヨークタイムズは、粉ミルクやタンポン以外にも「トイレットペーパー、自動車、厨房機器などの世界的なサプライチェーンが品薄の危機に晒されている」と報じた(筆者の住むエリアでは、トイレットペーパーの仕入れはここ1~2年ほど安定しているが、全米では品薄の場所もあるようだ)。

また筆者は本屋を取材した際、出版業界でも紙不足と労働力不足で印刷が減っているという話も聞いた。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

米労働省労働統計局(U.S. Bureau of Labor Statistics)によると、2021年6月と比べて、食品価格は10.4%上昇した。具体的に卵は33.1%、レタスは11.4%、パンは10.8%値上がりし、消費者物価指数(CPI)は1981年以来もっとも高い上昇率だという。ガソリンの高騰も報じられている。

インフレ以前もアメリカの都市部では物価、家賃、外食費は高かったのだが、以前ならスーパーでちょっとしたものを購入し て5000円~1万円程度で済んでいたものが、インフレの今は、6000円~1万1000円出さないといけない状態だ。買い物1回あたりは約1.1倍と微増だが、塵も積もれば結構な出費となる。筆者も極力外食を減らし自炊を増やしているのはもちろんのこと、単価が高くなったもの自体の購入自体をやめた、もしくは購入する回数を減らしたケースもある(例えば、6ドルから数セント値上がりしついに7ドルに達したお気に入りのジュースなど。6ドルでも高いと思ったが、7ドルになると手が出せない域になったと感じた)。

価格高騰の波は、さまざまな分野に影響を及ぼす

例えばニューヨークでは、数々の映画でもおなじみの観光地であるセントラルパークのボートハウスが2022年10月16日、150年の歴史に幕を閉じることが7月21日に発表された。閉店理由は「人件費と物価の上昇による」という。「また1つ、ニューヨークのアイコンがなくなる」と、市民を失望させるニュースだった。市内ではコロナ禍以降、店舗の閉店が増えるなど、ボートハウスの閉店は氷山の一角だ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

また、都市部では住宅不足による家賃高騰も続いている。

新型コロナがサプライチェーンにもたらす影響

コロナ禍初期、行動制限により世界中の工場が操業を停止した。それにより何が起こったかというと、サプライチェーン(商品や製品が消費者の手元に届くまでの調達、製造、在庫管理、配送、販売、消費という一連の流れ)の一時停滞と、世界の物流の寸断だ。

コロナ禍3年目のいま、初期とは別の問題が生じている。一時は停滞していた経済活動が回復し、需要が増えたのはいいが、供給が追いつかない状態なのだ。コロナ禍以降、住宅着工件数が急増したことで、輸入木材の価格は2021年10月の時点で、コロナ禍前の2019年12月に比べて1.8倍に、自動車や電子機器に使われる銅の価格は2021年11月、2019年12月の1.5倍にはね上がった。木材や銅などの資源価格が急激に上昇し、コンテナ不足などもあり物流が混乱している状態だ。

労働力も足りない

コロナ禍以降の不足は「モノ」など物質だけではない。「人」や「労働力」もそうだ。

筆者は日常生活のあらゆる場で、人手不足を感じている。例えば、銀行に行くにも予約が取りにくい状況だ。その理由を行員に尋ねると「Labor shortage(人手不足、労働力不足)」と説明される。薬局では、万引き防止で鍵のかかった商品を出してもらおうと店員を呼んでも、しばらく誰も来てくれないことがある。スタッフが足りていないのだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

現在は真夏のプールシーズン真っ盛りだが、ライフガード不足でいくつかの公共プールの閉鎖(もしくは入場制限)が報じられた。

また、今はそれほど深刻ではないものの、今後はオリーブオイルの品薄も懸念されている。オリーブの生産国の1つ、イタリアでオリーブ急速衰退症候群といってオリーブの樹木を枯らす細菌が急速に蔓延しているのが原因だ。専門家によると、そのせいで過去5年間で生産量が約50%も損なわれるなど大きな被害が出ている。これに加え、世界中のサプライチェーンの問題、労働力不足、ウクライナでの戦争も供給に影響を及ぼすというのだ。

このようにコロナ禍以降の「人・モノ不足」は、アメリカのみならず世界各地での切実な問題だ。
市井の人の視点としては、モノ不足に関して「まったくない」状態ではないので行政の目立った対策はないものの、以前と比べて「チョイスが限られるようになった」のは事実。世界的なサプライチェーンの問題はしばらく続きそうだが、それさえ解決できたら少しは人・モノ不足も解消されていくだろうと、人々は期待を寄せている。

屋根の上には中央線! 高架下の学生向け賃貸「中央ラインハウス小金井」完成から2年、コロナ禍での住み心地

2020年3月、JR中央線東小金井駅から武蔵小金井駅間の高架下に建設された、学生向け賃貸住宅「中央ラインハウス小金井」。JR中央線の高架下を敷地としていること、3人の有名建築家が各棟を設計、専用カフェテリアでの食事付き、などが話題となった。現在、入居開始から3年目。コロナ禍をまともに受けつつ、どのように学生たちが過ごしているのか、お話を伺った。

中央線の高架下の有効活用が「食事付き学生専用マンション」

「入居開始後、最初の入居者は地方出身の1年生(当時)がほとんどでした。新築の「デザイナーズマンション」であることに加え、管理人がいて学生専用である安心感、朝夕の食事付きであることも親御さんからの支持が大きいです。いわゆる学生寮に比べればプライベートな居住空間はしっかり確保され、門限もない自由さもいいようです」と当物件の管理運営を担っている株式会社学生情報センター 広報室の寺田律子さん。

周辺には商店街も。そもそもここに学生向け賃貸住宅が計画されたのは、中央線の高架化に伴い生まれた土地の有効活用という観点から。多くの大学に通学できる利便性から、法政大学、東京農工大学、国際基督教大学はじめ約30校の学生が暮らしている(写真撮影/桑田瑞穂)

周辺には商店街も。そもそもここに学生向け賃貸住宅が計画されたのは、中央線の高架化に伴い生まれた土地の有効活用という観点から。多くの大学に通学できる利便性から、法政大学、東京農工大学、国際基督教大学はじめ約30校の学生が暮らしている(写真撮影/桑田瑞穂)

高架下かつ第一種低層住居専用地域で、「寄宿舎」カテゴリによる建築確認申請により建設をしているため、共同施設が必要になる。当物件には食堂があり、おのずと目玉は学生専用カフェテリアに。平日の朝と夕に、管理栄養士監修のボリューム感ある食事は「美味しい」と評判だ。さらに、専用カフェテリアが営業しない週末は自炊も。専用部分にキッチンがない学生は共用キッチンで調理をする。

メニューの一例(写真は夕食)。食事は朝食・夕食の提供で1万7600円/月(税込)。提供時間は月~金曜の7時~9時、18時~21時 (画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

メニューの一例(写真は夕食)。食事は朝食・夕食の提供で1万7600円/月(税込)。提供時間は月~金曜の7時~9時、18時~21時 (画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

外から中が見える、開放的なカフェテリアは居住する学生専用。近所の住民の方から「これは何?」と聞かれることも多いとか(写真撮影/桑田瑞穂)

外から中が見える、開放的なカフェテリアは居住する学生専用。近所の住民の方から「これは何?」と聞かれることも多いとか(写真撮影/桑田瑞穂)

高架下ということで騒音や揺れが気になるのでは、とイメージする人は多そうだが、実際はほとんど気にならない。
C棟に住むAさん(大学3年・男性)は、「むしろ、昔から鉄道が好きで、高架下のマンションということでがぜん興味を覚えました。都市学にも興味があり、こんな新しい土地活用は、恰好のネタにもなると思いました。暮らすのは一番の実践です」と話す。

棟は3通り。専用部分はミニマムに。共用スペースをシェア

実際の部屋や共用スペースを案内していただいた。
各部屋専有部は10~15平米とコンパクトだが、机やベッド、収納などが備え付けられ、洗濯機や冷蔵庫など家電も付いている(棟によって内容は異なる)。必要最低限の荷物で生活が始められるとあって、地方から上京する新1年生に人気の物件だ。

共用部を通らず入室でき、2住戸ごとにオートロックがあるなど、最も独立性の高い「C棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

共用部を通らず入室でき、2住戸ごとにオートロックがあるなど、最も独立性の高い「C棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

C棟の部屋は13.04~15.94平米で、ロフト、キッチン、浴室付きが最も人気が高い(写真撮影/桑田瑞穂)

C棟の部屋は13.04~15.94平米で、ロフト、キッチン、浴室付きが最も人気が高い(写真撮影/桑田瑞穂)

勉強や食事などができるコミュニティスペースを併設している「L棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

勉強や食事などができるコミュニティスペースを併設している「L棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟の部屋は10.75~11.36平米(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟の部屋は10.75~11.36平米(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟にある共用キッチン(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟にある共用キッチン(写真撮影/桑田瑞穂)

コインランドリー(写真撮影/桑田瑞穂)

コインランドリー(写真撮影/桑田瑞穂)

最も天井の高い「H棟」(10.44~11.59平米)。シャワーユニットとロフト付き。冷蔵庫付き(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

最も天井の高い「H棟」(10.44~11.59平米)。シャワーユニットとロフト付き。冷蔵庫付き(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

ロフトから見たH棟の部屋(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

ロフトから見たH棟の部屋(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

コロナ禍で交流イベントが白紙に。現在は少しずつ挑戦中

「共用部を充実させることで、付加価値を付けられたらと考えています。当初は、さまざまなイベントを提供することで、自然と交流を生み出す手伝いもできたらと考えていました」と寺田さん。というのも、多くの学生専用マンションを手掛けてきた同社は、これまでウェルカムパーティーやゲーム大会、ハロウィーンイベントなど、さまざまな仕掛けで、入居する学生たちの交流を促してきた実績があったからだ。

しかし、完成と同時にコロナ禍に。当然、さまざまなイベントは白紙になった。新入生も突如すべての授業がオンラインになるなか、実家にも帰れないという状況が続いた。前出のAさんも「最初の3カ月間は、初めての一人暮らしとコロナ禍のダブルで精神的につらかったです」と思い返す。

ただし、この学生向け賃貸住宅なら、会話を通しての交流は難しくても、同じ建物内に人がいる安心感や自分の部屋以外のスペースを使えるメリットがある。
「共用スペースで料理をしていれば、当然他の学生と同じ時間に料理したりすることがあるので、そこで会話をして顔見知りになっていくことができました」とH棟の住民の学生Sさん(大学2年・男性)

「感染状況をみながら、イベントも少しずつ再開しました。例えば、カフェテリアでスタッフが楽器を演奏するイベントなどを試みました」と当物件の事業開発主体であり、沿線のコミュニティを創発する株式会社JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん。パーティーは無理だが、音楽を通して自然とそこに居る人たちの一体感が増す仕掛けだ。

6月にカフェテリアで行われた音楽イベント。スタッフがアコースティックギターとバイオリンを奏でて(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

6月にカフェテリアで行われた音楽イベント。スタッフがアコースティックギターとバイオリンを奏でて(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

学生自ら企画に参加。東京五輪の観戦イベントも

学生が自ら企画したイベントもある。前出のSさんは、東京五輪のサッカー戦をカフェテリアで一緒に観戦するイベントを担当した。

「せっかく、ただのアパートではなく学生マンションに住んでいるので、他の学生とも気軽に交流できる環境をつくりたいと思ったんです。一緒に企画したり、実際に来てくれた人と話している中で、他の大学の話を聞いたり、北から南まで出身地がバラバラで、故郷の話を聞いたり、すごく面白かったんです。もともとは部屋の美しさと食堂があったことで決めた物件ですが、いろんなバックグラウンドを持つ学生が集まっている良さを実感しました」(Bさん)

シェア工作室で地域にも開かれた場所に

そして、住人の学生だけでなく地域にも開かれた交流の場となっているのが、ナレッジルームだ。さまざまな工具、道具が用意されているため、材料を持ち込んでDIYをしたり、不用品を分解してつくるアートを楽しむこともできる。入居している学生のなかには、壊れていたものを自分で直したり、自分の部屋用にと棚や箱などぴったりサイズのものをDIYする人も。

「何をするかは自分で決める」が基本だが、小さなワークショップを開催することもある。小学生でも、初回のみ保護者の同伴が必要だが、保護者の許可があれば小学生だけで利用することも可能だ。
「ここは高架下で多くの方が“ここは何だろう”と思う場所。その注目度を活かして、学生だけでなく、地域の皆さまにも自然に交流が生まれる場所になったら理想的だなと思っています」と山口さん。

毎週月・火曜13時~18時、日曜10時~15時(不定期)にオープン。クリエイティブ・フィールドVIVISTOPを運営するVIVITA JAPAN(株)のスタッフに相談もできる(写真撮影/桑田瑞穂)

毎週月・火曜13時~18時、日曜10時~15時(不定期)にオープン。クリエイティブ・フィールドVIVISTOPを運営するVIVITA JAPAN(株)のスタッフに相談もできる(写真撮影/桑田瑞穂)

あらゆる工具のほか、ミシンやロックミシン、カッティングマシーン、シルクスクリーンなどが準備されている(写真撮影/桑田瑞穂)

あらゆる工具のほか、ミシンやロックミシン、カッティングマシーン、シルクスクリーンなどが準備されている(写真撮影/桑田瑞穂)

また、ナレッジルームで行われるイベントを学生が手伝うケースもある。
C棟に住むCさん(大学3年)は、「たまたま夏に募集があって、ヒマだったので参加しました。一般の来場者向けに、デイジーの種を空き缶で育てるプラントづくりを考案し、当日たくさんの方にレクチャーしました。緊張しましたがとても楽しくて、やってよかったですね。それきっかけで、スタッフの方と仲良くなり、たまに顔を出しています」と他にはない体験を楽しんだようだ。

正直、コロナ禍で、当初思うような交流の場が設けられていないのは事実だ。
「しかし、こちらの物件ではありませんが、オンラインを使ったe-スポーツ大会、有給のインターシップなど、新しい試みを実施しています。今後は学生さんたちもさまざまなイベントを企画する側から参加していただけたら面白いですね」(寺田さん)

できた当初は“高架下にできた学生寮”という珍しさで注目を集めた「中央ラインハウス小金井」。実は、中央線の高架化に伴い、学生向け賃貸住宅のほかにも、新たな商業施設、コワーキングスペース、保育園、クリニックなどが整備されている。つまり、駅の高架下という立地は、自然と地域住民が目にすることの多いロケーションなのだ。こうした特性を生かし、今後は、地域との交流も加速していくかもしれない。

現時点では、交流が入居の決め手になった学生はそれほど多くないが、今後は変わるかもしれない。就職活動において「自ら考え、自ら動いてきたか」を重視する傾向にある今、自分が暮らす場がその舞台になるのは絶好の機会だ。今後は「交流をしたいから」「イベントを自分で考えてみたいから」入居するという学生が増えるかもしれない。今後にも期待したい。

今回お話を伺った学生情報センター寺田律子さんと、JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん(写真撮影/桑田瑞穂)

今回お話を伺った学生情報センター寺田律子さんと、JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん(写真撮影/桑田瑞穂)

●取材協力
・中央ラインハウス小金井
・学生情報センター

京都の細長すぎる家に思わず二度見!1階は立ち飲み兼古本屋、2階は自宅の”逆うなぎの寝床” バヒュッテ

京都にある「細長ぁ~い」お店が話題です。間口がおよそ18mあるのに対し、奥行きはたったの2~3m。この悪条件のなか、なんと住居兼店舗を実現。狭小な敷地の有効活用が高い評価を受け、2021年度「グッドデザイン賞」を受賞しました。

連日にぎわうこの店には、未利用地の活用に頭を痛める人々を救うヒントがあるはず。古書、雑貨、立ち呑みの三つの商いを一堂で行う「バヒュッテ」の清野郁美さんに運用の秘訣をうかがいました。

狭い? 広い? 思わず二度見してしまう不思議な建物

「グッドデザイン賞」を受賞したウワサのお店は、叡山(えいざん)電鉄「修学院」駅を下車し、徒歩およそ5分のところにあります。

駅前のアーケード商店街「プラザ修学院」を抜けると、そこは白川通りという名の車道。ここに築かれた建物こそが、目指すお店「ba hütte.(バヒュッテ)」です。オープンは2019年5月30日。2022年で4年目を迎えます。

あなたは、きっと二度見するでしょう。木立のなかに現れたその建物を。あまりにも、あまりにも「細い」。いや、「細い」を通り越して、「薄い」のです。

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

しかし、通りの反対側から眺めてみると、今度は「ひ、広い!」。間口はなんと、およそ18mにも及ぶといいます。

広いのか、はたまた狭いのか。見る角度によって印象が大きく変わる、まるでトリックアートのような建物。隣接する大学施設や神社の樹木と相まって、とてもファンタジックな印象を受けます。

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

間口が広く、奥行きが浅い「逆・うなぎの寝床」

「うちの店はよく“逆・うなぎの寝床”と呼ばれますよ」

そう語るのは「バヒュッテ」店主、清野(せいの)郁美さん(38歳)。

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

「逆・うなぎの寝床」とは言い得て妙。「うなぎの寝床」といえば間口が狭く、反面、奥行きが深い建物のこと。江戸時代、京都は間口の広さに比例して税金の額が決められていました。そのため、住民はこぞって間口を狭くし、奥行きが深い家を建てたのです。京都の建築様式が「うなぎの寝床」と呼ばれているのは、そのためです。

バヒュッテは、うなぎの寝床の正反対。間口は驚くほど広く、しかしながら奥行きはたったの2.2~3.7mしかありません。間口が約18mもありながら、建坪はなんと、わずか8.7坪しかないのです。

清野「自分は見慣れているので日ごろはなんとも思わないのですが、たまに旅から帰ってきて、改めて自分の店を見てみると、『ほそっ!』と思います(笑)。江戸時代だったら、うちの店はものすごくたくさんの税金を払わなきゃいけませんね」

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長いだけではありません。敷地は、実はきれいな長方形になっていない不整形地。ご近所の人が言うには、以前この場所には小屋のように簡素な造りの魚屋さんがあったのだとか。さらにそれ以前は水車小屋が立っていました。代々、“地元に根付く小屋がある場所”だったようです。

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

清野「偶然なのですが、バヒュッテの『ヒュッテ』も小屋という意味なんです」

なんと、この地のさだめに引き寄せられたかのように、新たな小屋(ヒュッテ)が誕生していたのでした。ではバヒュッテの「バ」とは?

清野「世代を超えた交流の“場(バ)”になったらいいな、と思い……というのは後付けで、本当は“バ!”というパワーがある語感が好きなので名づけました」

本、雑貨、お酒。どれもはずせない要素だった

パワフルな語感のバヒュッテは、建物の細長さのみならず、業態もインパクト強め。コンセプトは「古本と雑貨と立ち呑みのお店」。壁一面に本棚があり、シブめなセレクトにうならされます。

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

2016年に結婚した清野郁美さん。パートナーの清野龍(りょう)さん(42)は20年以上にわたり大手書店にお勤めのベテラン書店員です。清野さんも同じ書店に10年以上働いていており、二人はかつての同僚でした。

夫妻ともども本が大好き。バヒュッテで販売している本はほぼすべて、ご両人の私物。センスのいい本ばかりと思ったのもどうりで。二人は二階で暮らし、夫の龍さんは、書店の勤務が休みの日はバヒュッテを手伝うのだそうです。

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

雑貨は、ポーチやペン、ノート、手ぬぐいと、バリエーション豊か。

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

そして注目すべきは、L字になった魅惑の立ち呑みスタンド。背徳の昼呑みが楽しめます。建築物としてのユニークさにばかり目を奪われがちですが、古書店で飲酒ができる点もかなり希少でしょう。

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

清野「私自身、本が好きで雑貨が好きで、そしてお酒が大好きだったんです。だから本、雑貨、お酒、三つともそろえました。狭いスペースで欲張りすぎなんですけれど、どれ一つ、はずせなかったですね」

清野さんの朗らかなキャラクターに惹かれ、夕方から続々とお客さんが呑みにやってきます。語感で選んだという「バヒュッテ」の「バ」は、コミュニティーの「場」として根付き、成熟していったようです。

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

「理想の物件に出会えないのならば土地を買って建てよう」

住居兼店舗である「バヒュッテ」は店舗としても住居としても非凡な、言わば珍建築のハイブリット。その発想は、どこから生まれたのでしょうか。

清野「結婚するタイミングで、夫と『家を借りようか。それとも買おうか』と話し合っているなかで、『お店もやれたらいいね』という気持ちが芽生えてきたんです」

本好きの二人は、「古本の販売を基本とした、自分たちらしいお店を営みたい」という夢を共有するようになりました。しかしながら、物件探しは簡単にはいきません。

清野「はじめは、『住むマンションは買って、店はテナントを借りる』という方針で動いていました。とはいえ、いいなと感じる住居、面白いと思えるテナント、二つを同時に探すのがものすごく大変で」

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

なかなか理想郷にたどり着けない清野さん夫妻。そこで、大胆な発想の転換を試みたのです。

清野「だったら、『いっそ思いきって土地を購入して、拠点を新たに建てたほうが、自分たちにあったかたちにできるんじゃないか』って、考え方が変わってきたんです」

店舗兼住居を借りるのではなく、「建てる」。言わば一世一代の大勝負に出た清野さん。そうしてたどり着いた場所が、「逆・うなぎの寝床」。ユニーク極まりない、尻込みする人が多い不整形地ですが、画期的な業態の店舗を開こうとする二人の新しい門出として、むしろ適していたのです。この土地に出会うまでに、「およそ3年もの月日を要した」と言います。

清野「長かったですね。やっと出会えた、そんな気がしました。私も夫も一目惚れ。『ここ、ここ!』って即決しました。並木道なので緑が豊富。散歩コースだから人通りもそれなりにある。隣接している建物がなく、たとえ少々音をたてたとしてもご近所に迷惑が掛からない。すぐそばに商店街があり、さらにスーパーマーケットがあって、病院があって、銀行があってと、至れり尽くせり。『住む』と『商売をする』の両立を可能とする唯一の物件だったんです」

レアな土地に誕生した、レアな城。遂にバヒュッテは完成し、細長さを逆手に取った仕様がたちまち話題になりました。そうして遂に「グッドデザイン賞」の受賞に至ったのです。

木材を斜めにとりつける大胆な構造。建築のプロたちも驚いた

バヒュッテがグッドデザイン賞に輝いた大きな理由の一つが「筋交い(すじかい)」。筋交いとは建物を強くするために、柱の間などに斜めに交差させてとりつけた木材のこと。とはいえ、実際に筋交いが空間を堂々と斜めに横切る店舗はそうそうありません。バヒュッテのシンボルともいえる武骨な筋交いは、何度見ても驚かされます。

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

清野「筋交いをしなきゃいけない理由は、通りに面した柱を減らすためです。『間口は全面ガラス張りにする』という設計士さんのアイデアがあり、そのために壁面に大きな筋交いが必要となったんです。これだけ大きいと、隠しようがない」

集成材でできた筋交いで壁側をしっかり固め、揺るぎない構造に。これにより間口の開放感がグンと増しました。

では、そもそも間口を全面ガラス張りにした理由は、なんなのでしょう。それは、「歩道すら建築の一部だと錯覚させるため」。狭いゆえに、外の景色も店内に採り入れようという発想なのです。筋交いは功を奏し、抜群の採光と眺望を手に入れました。視覚的効果がこれほどの爽快感をもたらすとはと、感心してしまいます。

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

地面を掘って天井を高く見せる効果は絶大

もう一つ、バヒュッテの構造には大きな特徴があります。それは古本や雑貨が並ぶ店舗部分の地面を掘り下げていること。その深さは約600mm。

清野「地面を掘ったのも設計士さんのアイデアです。掘って床を下げ、天井を高く見せ、狭さを感じなくさせているんです」

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

確かに掘られた床に立っていると、窮屈さをまるで感じません。天井が高く、ガラス戸から陽光が差し込み、まるで教会にいるような敬けんな気持ちにすらなってきます。

とはいえ、それは怪我の功名ともいえます。実はこの敷地、かたちがいびつなだけではなく、南北で高低差もある難物だったのです。地面を掘って店舗に床高の変化をつけたのは、やっかいな敷地を店舗として成立させる苦肉の策でもありました。そしてこの店内の起伏が、グッドデザイン賞を受賞したポイントとなったのです。

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

細長い店舗兼住居が「新時代の町家建築」と高評価に

2021年度「グッドデザイン賞」に選ばれたこの類まれなる店舗併用住宅「バヒュッテ」を設計したのは京都市北区にある「木村松本建築設計事務所」。

公益財団法人「日本デザイン振興会」は、バヒュッテを「京都に出現した新時代の町家建築だ。働くことと暮らすことが混ざり合った都市住宅の新しい在り方を示すことに成功している。街の本屋がどんどんと閉店していく中で、古本屋がこうやって暮らしと溶け合うのは、大変に現代的な現象であるとも言える。時代の流れを生む重要なデザインである」と評価しました。それが受賞の理由。

設計者の一人である木村吉成さんはバヒュッテを、「クライアント、構造家、施工者が一丸となってつくった建物」と語りました。自分たちでも会心の作だったという熱い想いが伝わってきます。木村松本建築設計事務所はさらにバヒュッテの設計を高く評価され、日本建築家協会が主催する「JIA新人賞」も同年に受賞。いっそう箔をつけたのです。

グッドデザイン賞の受賞を機に、特殊な構造を一目見ようと、バヒュッテには設計士、建築関係者、大学教授、建築を勉強する学生たちが続々とやってくるようになりました。なかには他府県からわざわざ見学に訪れる人もいるのだとか。

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

清野「みんな怪訝な表情で10分ほど写真を撮っていかれます。そして居合わせた見学者さん同士でビールを飲んで盛りあがる場合もしばしばあるんです。そんなときはいつも、『こういう仲をとりもてたのが、この構造の一番の効果かな』と思うんです。ただ、ここを設計してくれた木村さんは、『ここまで立ち呑み屋として発展するとは自分でも意外だった。酒がすすむ効果までは考えていなかった』とおっしゃっていましたね」

間口をガラス張りにして閉塞感を拭い去り、筋交いを隠すことなくさらけだした構造には、設計士すらも気がつかなかった、飾らずに楽しく会話させる効能があったのかもしれません。

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

不整形地もアイデア次第で活用できる

さて、気になるのは居住部分。さまざまな仕掛けで狭さを感じさせないように設計されたバヒュッテですが、家となるとさすがに「細長すぎるのでは」と心配になります。

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

清野「お客さんからよく、『本当に夫婦で二階に住んでいるの?』『人が住めるんですか?』と聞かれます。確かによその家よりも細長いので、友達を数人呼ぶと、横一列に並んで座る感じになりますね。『ちょっと、どいて』って言わないと通れませんし。でも、不便を感じるのはそれくらいかな。ロフトになっていて、狭さを感じないです。総面積だと小さめのマンション一部屋ぶんくらい十分にありますよ」

居住スペース。陽当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

居住スペース。日当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

それを聞いて安心しました。そして、いよいよ核心である「お値段」について踏み込まねばなりません。バヒュッテの建築には、いったいいくらかかったのでしょう。

清野「土地だけで2680万円。魚屋さんの建物を撤去する費用に10万円。そして店舗兼住居の建築費に3000万円。計およそ6000万円ですね。借入は35年の住宅ローンです。35年じゃないとローンが組めなかったので」

人気の京都市左京区内で、しかも駅から徒歩5分ほど場所の土地が2680万円とは安い。さらにもとあった鮮魚店店舗の撤去費用がわずか10万円とは破格にお得。不整形地でも固定観念を覆し、冴えたアイデアさえあれば存分に活かせるのだと、バヒュッテは教えてくれます。

お客さんに寄り添いながら流動してゆく店に

いまや修学院駅周辺エリアのランドマークであり、大切なコミュニティーの「バ」となったバヒュッテ。今後はどんなお店にしたいと考えているのでしょう。

清野「自分たちでこうしたいというより、お客さんに寄り添いながら流動してゆく店でありたい。もともとは古本と雑貨をメインに考えていて、午前11時オープン、夜は早く閉まるお店でした。けれども立ち呑みコーナーが人気となって、現在は昼下がりの午後2時から午後8時までになったんです。お酒の品ぞろえもお客さんの好みに合わせて変わってきました。そんなふうにニーズを探りつつ、自分たちがやりたいことをすり合わせて、変化させていく。そんなお店にしたい。現状維持はつまらないですしね」

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

街角に現れた、見る角度によって大きさが変わる不思議な小屋。そこは、人間の多様性や多面性を受け入れるやさしさがありました。

●取材協力
ba hütte.(バヒュッテ)
住所 京都府京都市左京区山端壱町田町38番地
営業時間 14:00 ~ 20:00
定休日 火曜日 水曜日 臨時休業あり
電話 075-746-5387
地上2階 /敷地面積:52.60平米 /建築面積:29.00平米 /延床面積:53.64平米

伊豆下田の絶景・名店6選で移住気分。地元写真家が推す“日常の贅沢”を追体験

5年前に東京から静岡県・下田に移住したカメラマンの津留崎徹花です。
私が住んでいる下田は美しい海や山、温泉にも恵まれているため観光地として人気の場所です。
もちろん旅行でもその魅力に触れていただけるのですが、住んでいるからこそ味わえることもたくさんあります。
たとえば温泉や海水浴、おいしい海の幸山の幸も特別なものではなく、ごく当たり前の日常となるのです。
なんてことない日常のなかで目にする夕暮れ時の海。
そうした自然の美しさに触れると「これが本当の贅沢なのではないか」と感じます。

今回「じゃらんニュース」と「SUUMOジャーナル」の合同で、
「じゃらんニュース」では下田観光をする場合のモデルコースを、「SUUMOジャーナル」では下田に住んだらこんな暮らし方ができるというおすすめ情報を掲載しています。
タイムスケジュールに沿ってご紹介していますので、参考にしていただけたらと思います(撮影は5月です)。

AM5:30 爪木崎自然公園(静岡県下田市須崎)

絶景スポットで、海から昇る朝日を拝む。

 駐車場のすぐ横にある芝生の広場から、こんな絶景を眺めることができます(写真撮影/津留崎徹花)

駐車場のすぐ横にある芝生の広場から、こんな絶景を眺めることができます(写真撮影/津留崎徹花)

下田に住んでいるとふとした時に、「あぁ、本当にきれいだ…」とため息が出るような景色に出会います。
快晴の日に車を運転していると、輝く海の美しさにハッとしたり。
買い物の帰りに、夕日を浴びて真っ赤に染まりゆく広々とした空を眺められたり。
そして、一日の始まりにちょっとだけ早起きをして、近くの海で朝日が上るのを見ることだってできるのです。

私のお気に入りの場所は、須崎半島の突端に位置する爪木崎。
水仙祭りや柱状節理で有名な景勝地なのですが、日の出もまた想像以上に素晴らしいのです。
わざわざ遠出をしなくても、日常のなかに絶景が広がっている。
これは下田で暮らしているからこその豊かさだと感じます。

爪木埼の灯台と朝日を眺める(写真撮影/津留崎徹花)

爪木崎の灯台と朝日を眺める(写真撮影/津留崎徹花)

早起きは三文の徳、ぜひこの景色を堪能してください(写真撮影/津留崎徹花)

早起きは三文の徳、ぜひこの景色を堪能してください(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日には、ハッとするような美しいブルーが広がります(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日には、ハッとするような美しいブルーが広がります(写真撮影/津留崎徹花)

AM10:00 農産物直売所・旬の里(静岡県下田市河内)

朝どれのみずみずしい地場野菜が並ぶ、おすすめ直売所!

柑橘天国、伊豆下田。なかでもこの「旬の里」は、一年を通して常に柑橘を購入できるお店です(写真撮影/津留崎徹花)

柑橘天国、伊豆下田。なかでもこの「旬の里」は、一年を通して常に柑橘を購入できるお店です(写真撮影/津留崎徹花)

下田といえばおいしい魚のイメージがあるかと思うのですが、実は海の幸だけではなく山の幸にも恵まれています。
「旬の里」はその名の通り、旬の山菜や野菜などがずらりと並ぶ人気の直売所です。
生産者さんがその日に採れたものを直接お店におろしているので、新鮮そのもの。
春になるとタケノコや山菜が並び、夏にはトマトが棚いっぱいに並びます。
秋にはツヤツヤのナスや栗、冬にはどっかりとした白菜や大根が鎮座。
朝採れたばかりの地物野菜を持ち帰り、その日のうちに味わう。
そうして「またこの季節が巡ってきたのか」と、四季の移ろいを感じるのは下田暮らしの楽しみのひとつです。

早朝、地元の生産者さんが次々と採れたばかりの野菜や果物を納品。みずみずしくおいしい地物をいただけるのは本当にありがたいです(写真撮影/津留崎徹花)

早朝、地元の生産者さんが次々と採れたばかりの野菜や果物を納品。みずみずしくおいしい地物をいただけるのは本当にありがたいです(写真撮影/津留崎徹花)

野菜だけではなく、地元の方が手作りしたパンやお惣菜、漬物などもそろっています(写真撮影/津留崎徹花)

野菜だけではなく、地元の方が手作りしたパンやお惣菜、漬物なども揃っています(写真撮影/津留崎徹花)

夏にはこんな立派なスイカもずらり、お値段もとてもリーズナブルです(写真撮影/津留崎徹花)

夏にはこんな立派なスイカもずらり、お値段もとてもリーズナブルです(写真撮影/津留崎徹花)

PM12:00 FermenCo.(静岡県下田市吉佐美)

注目店!海を見ながらピザを頬張る、極上のひととき。

キリッと冷えたナチュラルワインと香ばしいマルゲリータ、最高です(写真撮影/津留崎徹花)

キリッと冷えたナチュラルワインと香ばしいマルゲリータ、最高です(写真撮影/津留崎徹花)

白い砂浜と透明度抜群の美しい海が広がる入田浜は、地元でも人気のビーチ。
その入田浜の目の前に、昨年「FermenCo.」フェルメンコというピザ屋がオープンしました。
絶好のロケーションもさることながら、とにかくこちらのピザがとてもおいしいのです。
「FermenCo.」の大きな特徴でもあるのがピザの生地。
小麦粉と水だけで起こすサワードウという自家製発酵種を使い、長時間かけてじっくりと発酵させています。
さっぱりとしたなかに小麦本来の甘みが感じられるのが、サワードウならではの優しい味わい。
店内に響く心地のよい音楽、目の前には青い海、そしてナチュラルワインを傾けながらおいしいサワードウピザを楽しむ。
贅沢すぎる時間を、ぜひ。

入田浜がすぐ目の前に。シンプルで洗練された店内の雰囲気も心地よく、つい長居してしまいます(写真撮影/津留崎徹花)

入田浜がすぐ目の前に。シンプルで洗練された店内の雰囲気も心地よく、つい長居してしまいます(写真撮影/津留崎徹花)

イタリアから仕入れたこだわりのピザ窯。400度以上にもなる高温の窯で焼きあげたピザは、ふっくらとした食感と炭火の香ばしさが楽しめます(写真撮影/津留崎徹花)

イタリアから仕入れたこだわりのピザ窯。400度以上にもなる高温の窯で焼きあげたピザは、ふっくらとした食感と炭火の香ばしさが楽しめます(写真撮影/津留崎徹花)

モッツァレラチーズやマッシュルーム、卵などがトッピングされたビスマルクもおすすめです。トリュフオイルの香りが独特のアクセントに(写真撮影/津留崎徹花)

モッツァレラチーズやマッシュルーム、卵などがトッピングされたビスマルクもおすすめです。トリュフオイルの香りが独特のアクセントに(写真撮影/津留崎徹花)

PM15:00 鈴与鮮魚店(静岡県下田市一丁目)

キンメだけじゃない、下田のおいしい地魚を食べるなら迷わずこのお店へ!

夕方になると地元の常連さんがお刺身を買いにくるのをよく見かけます。わが家もお刺身を買うならここ、と決めているのです(写真撮影/津留崎徹花)

夕方になると地元の常連さんがお刺身を買いにくるのをよく見かけます。わが家もお刺身を買うならここ、と決めているのです(写真撮影/津留崎徹花)

下田といえば金目鯛が有名ですが、そのほかにも四季折々のおいしい地魚がたくさんあります。
鈴与鮮魚店さんの店先に並ぶ魚は、そのほとんどが地元であがった天然ものの良質な魚。
「売ればいいってもんじゃないんだよね、いいものを仕入れないと意味がないから」と話すのは店主の鈴木さん。
そうしたこだわりは、一口味わってみれば納得がいきます。
魚の臭みなどみじんなく、うま味だけがすっと身体に染み込んでいく感覚。
こだわりがあるからこそ、時には店先の魚が乏しくなることも。

「海が荒れれば魚は上がらない、自然相手だからいい日もあれば悪い日もあるんだよ。」とご主人。
冷凍や養殖ものを扱えば、天候に左右されずに商売ができます。
けれど、地元で上がった天然の魚を一番おいしい旬の時期に提供したいというのがご主人の姿勢。
魚の種類によっては仕入れてから一晩寝かせ、翌日身が緩んだらようやく骨を抜く。さらにもう一日寝かせてから店先で販売するのだそう。そうして一番おいしいタイミングでお客さんに提供するのです。

「今日はお魚が並んでいるかな?」そんな風に魚を買いにいくのも、下田暮らしの楽しみのひとつです。

仕入れた魚を丁寧に処理するご主人(写真撮影/津留崎徹花)

仕入れた魚を丁寧に処理するご主人(写真撮影/津留崎徹花)

店先に並んでいる魚は身が引き締まっていて、とにかく美しい。この日に並んでいたのは色鮮やかな地金目鯛や高級魚のオオモンハタ、芭蕉イカ(あおりイカ)など(写真撮影/津留崎徹花)

店先に並んでいる魚は身が引き締まっていて、とにかく美しい。この日に並んでいたのは色鮮やかな地金目鯛や高級魚のオオモンハタ、芭蕉イカ(あおりイカ)など(写真撮影/津留崎徹花)

お刺身の盛り合わせの一例(写真撮影/津留崎徹花)

お刺身の盛り合わせの一例(写真撮影/津留崎徹花)

PM17:00 下田ビューホテル(静岡県下田市柿崎)

外浦海岸を一望!日帰り入浴ができる絶景温泉。

ジャグジー付きの内風呂からも海が一望できます(写真撮影/津留崎徹花)

ジャグジー付きの内風呂からも海が一望できます(写真撮影/津留崎徹花)

東京で暮らしていた頃は、長期休暇を利用して温泉旅行へ出かけていました。
けれど今は、温泉地としても人気のある下田に住んでいます。
つまり、「あぁ、疲れた~」というときにすぐ温泉につかることができるのです。
家族で近くの温泉宿に宿泊することもあるのですが、ひとりでふらっと日帰り入浴に行くことも多々あります。
なかでもお気に入りの日帰り入浴が下田ビューホテル。
昭和47年に開業した下田ビューホテルは、クラシカルな雰囲気がとても素敵で、お風呂は内風呂と露天風呂があり、美しい外浦海岸を一望することができる絶景温泉なのです。
青い海を眺めながらゆっくり入浴していると、一日の疲れがしだいに解けていきます。
特別な旅行ではなく、日常に温泉があるという暮らし方はとても心地のよいものです。
(新型コロナウィルス拡大防止のため、現在下田市在住の方のみ日帰り入浴が可能です。)

お風呂は男女ともに露天風呂と内風呂があります(時間帯によって入れ替え制)(写真撮影/津留崎徹花)

お風呂は男女ともに露天風呂と内風呂があります(時間帯によって入れ替え制)(写真撮影/津留崎徹花)

ラウンジでのランチを予約すると無料で温泉が利用できます。メニューは和定食や海鮮丼などで2500円(税込)(ランチは要事前予約、2名様より予約可能)(写真撮影/津留崎徹花)

ラウンジでのランチを予約すると無料で温泉が利用できます。メニューは和定食や海鮮丼などで2500円(税込)(ランチは要事前予約、2名様より予約可能)(写真撮影/津留崎徹花)

こちらは客室からの眺め。日帰り入浴だけではなく、宿泊してのんびりするのもおすすめです(写真撮影/津留崎徹花)

こちらは客室からの眺め。日帰り入浴だけではなく、宿泊してのんびりするのもおすすめです(写真撮影/津留崎徹花)

PM18:00 外浦海水浴場(静岡県下田市外浦)

仕事が終わったら、さあビール片手に海へ行こう!

ふじのくに限定「静岡麦酒」で乾杯!(写真撮影/津留崎徹花)

ふじのくに限定「静岡麦酒」で乾杯!(写真撮影/津留崎徹花)

「今日もよく頑張った…という仕事終わり、飲みにいく?どこに?近所の海に!」
という贅沢なことができてしまうのが下田暮らしの良いところです。

私が夕暮れどきによく足を運ぶのは、外浦海水浴場。
下田には9つの海水浴場があるのですが、なかでも波が穏やかなのがこの外浦海水浴場です。
夏になると小さい子ども連れの海水浴客でひしめき合う人気のスポットなのですが、人けのなくなる夕方になると、ちょうど夕日が海の方向へ差し込みます。
波のない静かな海が真っ青に色づき、そして空はピンク色に染まっていく。
なんとも美しい色合いの景色を眺めながら、冷えた缶ビールで乾杯。
一日頑張った自分への最高のご褒美です。

こんな景色が家のすぐそばで見られるなんて、これほど贅沢なことはないです(写真撮影/津留崎徹花)

こんな景色が家のすぐそばで見られるなんて、これほど贅沢なことはないです(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日中もまた、素晴らしい景色が広がります(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日中もまた、素晴らしい景色が広がります(写真撮影/津留崎徹花)

下田で暮らし始めてから5年が経ちます。東京に住んでいたときには渋滞に巻き込まれながら旅行に出かけていました。けれど今はちょっと休息をしたければすぐ目の前に海や温泉がある、贅沢な環境だとつくづく思います。
そして、時が経てば経つほど下田の魅力を感じています。豊かで美しい自然、そうした自然を生かしながら寄り添って暮らしてきた地元の方々の知恵には、学ぶことがとても多いと感じる日々です。
今回の記事をきっかけに下田に興味を持ってくださったらとても嬉しいです。ぜひ一度、下田に足を運んでください。

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●紹介スポット
爪木崎自然公園
[住所]静岡県下田市須崎
[営業時間・定休日・料金]散策自由
[アクセス]伊豆急下田駅より約15分
伊豆急下田駅よりバス「爪木崎」行き 爪木崎下車
[駐車場]あり(500円)
「爪木崎自然公園」の詳細はこちら(爪木崎)

農産物直売所・旬の里
[電話] 0558-27-1488
[住所]静岡県下田市河内281-9
[営業時間]8:30~17:00
[定休日]なし/年末年始のみ休業(12/31~1/3)
[アクセス]【電車】伊豆急蓮台寺駅から徒歩5分
【車】伊豆急下田駅から国道414号松崎方面に向かい車で約5分
[駐車場]あり(無料)
「農産物直売所・旬の里」の詳細はこちら

FermenCo. フェルメンコ
[電話]0558-36-3643
[住所] 静岡県下田市吉佐美348-37
[営業時間11:00-14:30
[定休日]月・火曜日
[料金]ピザ1300円~
マルゲリータ1500円
ビスマルク1900円
ナチュラルハウスワイン グラス600円
[アクセス]【電車】伊豆急下田駅より車で10分
【車】(東京方面より)新東名長泉沼津ICより伊豆縦貫道を通り、下田方面へ約1時間半
[駐車場]入田浜海水浴場の駐車場を利用(夏季期間有料)
「FermenCo.」の詳細はこちら

鈴与鮮魚店
[TEL]0558-22-0458
[住所]静岡県下田市一丁目14−47
[営業時間]11:00~17:00
[定休日]毎週水曜日・月末だけ水・木曜日
[アクセス]伊豆急下田駅から徒歩約3分
[駐車場]なし

下田ビューホテル
[電話]0558-22-6600
[住所]静岡県下田市柿崎633
[営業時間]日帰り入浴 11:00-14:00
[定休日]繁忙期は日帰り入浴の受け入れなし
[料金]1500円(ランチ2500円)
[アクセス]
【電車】JR特急踊り子号で伊豆急行の伊豆急下田駅へ。 伊豆急下田駅より車で6分。送迎あり。
【車】
<東京方面から>
東名高速道路を名古屋方面~東名厚木IC~小田原厚木道路~石橋ICから国道135号で白浜へ
<名古屋方面から>
東名高速道路を東京方面~新東名・長泉沼津IC~〔東駿河湾環状道(有料)~伊豆中央道(有料)~修善寺道(有料)〕~国道136号、国道414号から国道135号で白浜へ
※新東名長泉沼津ICから約1時間35分
[駐車場]あり(80台無料)
「下田ビューホテル」の詳細はこちら

外浦海水浴場
[住所]下田市外浦
[営業時間・定休日・料金]散策自由
[アクセス] 伊豆急下田駅より約7分
[駐車場]あり(夏季期間有料)
「外浦海水浴場」の詳細はこちら

好きすぎて長野にサウナ移住。The Saunaをつくったら、聖地になり移住希望者も続々で人生が変わった話 野田クラクションべべーさん

サウナは今、空前のブーム。なかでも全国各地の自然や水質を活かしたアウトドアサウナは、その地域にしかない唯一無二であり、サウナーたちにとって欠かせない体験のひとつとなった。そのアウトドアサウナの先駆者である『The Sauna』支配人の野田クラクションべべーさんは、東京生まれの東京育ち。だが5年前、サウナをつくるために長野県信濃町に移住した。サウナに熱狂し、サウナをきっかけに移住したその後の暮らしはどうだろうか。サウナ移住のいきさつと、移住後の暮らしについて話を伺った。

誰に言うでもなかった密かな趣味、サウナを仕事にしようと思い立った

野田さんは、もともとWEBメディアの広告代理店・株式会社LIGを経営する社長のカバン持ちとしてインターンで就業(その後正社員に)。ブログコンテンツの企画のために社長の無茶ぶりに応え、タイで仕入れたTシャツを1ヶ月で200枚を売るために訪問販売したり、海外で野宿生活を送ったりなどもしていた。そんな日々のなか、1年間車中泊をしながら日本全国を回る企画で国内を放浪していた時にハマったのが、サウナ。開眼のきっかけは、高知県田野町にある入浴施設・たのたの温泉だと振り返る。

「その日は、お遍路で100km程度の道程を3日間かけて歩いてたんですよ。日差しの強い中、お風呂も入らずに歩き続けていたので、両手が日焼けでとっても痛かった。なのでまずは、と水風呂に入ったんですよね。で、体が冷たくなったから、そのままサウナへ。するとサウナ室内でのオルゴール調のBGM、夕方の外気浴、目の前で流れる小川の音と、グルービングがバチッとハマって、はー、気持ちいいなってふわっと体が軽くなった。さらに、その日はすごくよく眠れたんです。それがサウナに目覚めたきっかけですね」

それを機に、東京に戻った後もサウナに通うようになった。

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

その後、ラッパー活動(これも仕事)を通じて本気で音楽をやる人たちに出会ったことで、改めて「自分が本気になれることって何だろう」と考え始めた野田さん。誰に話すわけでもない、それでも通い続けていたサウナならやれる。サウナへの道を進む決断をした。

最初は、会社を辞めてサウナ施設へ転職するつもりだった野田さん。昔からお世話になっている編集者の先輩に相談したところ、社長の運営する長野の宿泊施設「LAMP」内でのサウナ建設をすすめられた。

「まだ湖に飛び込むようなサウナは日本にないから、やってみれば?」。その一言で、野田さんの人生は本格的にアウトドアサウナへと舵をきっていく。アウトドアサウナは、フィンランドが本場。それを知った野田さんは早速社長に旅費を借りて現地視察。自然の地形を活かしたサウナを見て、これを野尻湖でやろう!と決心し、その勢いのまま2018年11月に信濃町に移住した。

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

移住するやいなや、自身で損益分岐表をネットなどで調べながら作成。クラウドファンディングで約6カ月で264万円の建設費を集めることに成功した。

そして半年後、The Sauna 第1号棟の「ユクシ」が誕生する。

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

アウトドアサウナは体験がすべて。だから地元の誰とつくるかを大事にした

“ぜんぶ、しぜん。”をコンセプトにしたThe Saunaは、地元の資材を使うことはもちろん意識しながらも、最も大事にしたところは、地元の誰とつながるか、ということだという。

「利用者にストーリーを話せるサウナにしたい」。そう考えた野田さんが声をかけたのは地元のログハウス会社。「これまでつくったことがない」と言われながらも、一緒にサウナをつくりあげた。また、ヴィヒタを長野の白樺の生産者と共同開発したり、フードメニューに信濃町に移住してきた農家さんがつくった無農薬野菜を取り入れたりもした。

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ500円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ400円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

さらに、と、野田さんは続ける。

「アウトドアサウナって、やはり自然だから、天候によって体験が変わるんです。虫が多くて気持ちよくサウナに入れない日が10点だとしたら、雨上がりで水温が低くてむちゃくちゃ水風呂が綺麗な100点の日もある。同じ場所でも同じ体験ができるとは限らないところも醍醐味なんです。

だからこそ、アウトドアサウナにはスタッフのサービスがとても大事。お客さまにとって心地よいサービスができれば150点になる日もある。The Saunaはそこをすごく重要視してますね。うちは、サ室の温度を保つために薪の管理などをする担当者、いわゆる“サウナ番”がいるのですが、特に設けなくてもいいポジションかもしれない。でも、最高の体験になるように演出するためには必要なんです」

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木枝の木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

勢いで移住したが、コロナ禍で信濃町の魅力をかみしめた

とにかくサウナをつくりたい。その一心で長野県信濃町に移住し、最初の1年はただがむしゃらで、当初は楽しむ余裕もなかった。一人でも多くのお客さんを呼ぶことに夢中で、まちを楽しむどころではなかった。

ところが国内で新型コロナが蔓延し、約2カ月の休業を余儀なくされたとき、LAMPの宿で自身が提供していたサービスを経験してみた。その時に初めて信濃町の魅力に気がついたという。

「野尻湖のおかげで釣りが趣味になりました。起きて5分後には釣りができるんですよ。また春と秋には山菜狩りやきのこ狩りが、夏にはカヤックやSUP、冬にはクロスカントリーやスノーシューが楽しめます。新潟県の上越にもアクセスが良くて山へお出掛けもできる。信濃町は長野駅から車で30~40分程度なので、移動もそこまで苦じゃない――その環境の豊かさを初めて知った時に、『なんていい場所だろう』と改めてこの場所が好きになりました」

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

生活も早寝早起きにシフトチェンジし、東京では難しかった健康的な生活を送っているそうだ。

「何より、自然のことを考える機会が多くなりましたね。嫌でもアウトドアで自然に触れるので、SDGsは意識するようになった。以前はそこまで深く考えることはなかったんですけれどね。例えば、木を永続的に残していくためにはどうしたらいいかとか、自分がおじいちゃんになった後もこの環境をどう維持していくかといったことを考えるようになって、先進的なフィンランドの取り組みを積極的に学んだりするようになりました。今はフィンランドや他の国の人と直接対話がしたくて、人生で初めて英語を学びたいなと思うようになりました」

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

The Saunaは、アウトドアサウナ初心者の利用が多い。つまり、信濃町に初めて触れる機会にもなるというパブリックな一面もあることをとても意識しているという。だからこそ、信濃町の暮らしや観光などについての情報もシェアしているとのこと。

「そのためにも、信濃町の良さをどう多くの人たちと共有できるかを考えるようになりました。信濃町の魅力を知ってもらえれば、ゆくゆくは移住者も増えて、地域の活性化につながるかもしれない。そのためには地域の経済成長が大事です。なので、自分たちのサウナやサービスのクオリティを高めることで、もっと地域に人が来てくれるきっかけになればいいなと思いますね」と話す野田さん。

こうして、個人の“好き”からはじまった勢いまかせのサウナ移住は、徐々に地域をどう盛り上げていけるかという視点へと広がっていったのだ。

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

移住はデメリットもメリットもある。どこで判断するかがポイント

野田さんが移住して今年で5年。アウトドアサウナは、野田さんの活動をきっかけに今や他の地域でも増え、その地域でしか体験できないサウナに魅せられて移住する人が少しずつ出てくるまでになった。野田さんのたった一人の決断もまた、多くのサウナ移住検討者たちへ背中を見せる形となった。

「正直、勢いで移住を決めた僕のパターンはあまり参考にならないかもしれないですが、決めるってことが大事な気がします。信濃町でいえば冬は積雪量が多いので雪かきが必要です。田舎だと虫も多かったりするし、それ以外でも嫌なことだってある。でも都会だって嫌なことはある。その嫌な部分も含めて決断するってことが大事だと思うんですよね。

第三者から見た、住みやすさを条件にするのも、良いは良い。けれどどこの部分で移住を決めるかを自分で実際に通ってみて考えることが割と重要かなと思います」と真っ直ぐ前を見て野田さんは語る。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

The Saunaには、全国から「サウナやアウトドアを楽しみたい、学びたい」という人が移住してきて、スタッフとして働いている。移住希望者には、まずはヘルパー制度という期間を設け、まちや季節感などを実際に体験してから判断してもらうそうだ。

「移住は合う人合わない人がいます。まずは自分にとってどうなのか、できれば、地域の春夏秋冬を見てもらった上で判断してもらえたらいいなと思いますね。住んだ後の人との関係も出てくるので、ローカルルールやまちの集会など理解しておくとスムーズかなと思います。役所などのオンライン移住相談で話を聞くなど、まずは自分の条件やイメージに合うかを一次情報で判断していけたらいいですね」

自分の生活の条件だけでなく、何が好きか、何が許容できて、何ができないのかといった、自分の価値観をどこに置くか。その点が決断するポイントの一つかもしれない。

勢いでしたサウナ移住だったが、価値観や人生観、ライフスタイルもガラッと変わったという野田さん。野田さんは今日もまたサウナを通じて、新たな地域の価値を探っていく。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

●取材協力
LAMP野尻湖
The Sauna
野田クラクションべべ―さん

南海トラフ地震の津波対策へ地元企業が300億円の寄付。10年かけ全長17.5kmの防波堤ができるまで 静岡県浜松市

内閣府が実施した南海トラフ巨大地震の被害想定によると、全国のなかで甚大な被害が予測される都市の1つである静岡県浜松市。2012年、地元を創業の地とするハウスメーカーが、地震による津波対策のために300億円を寄付したことが話題に。2020年に全長17.5kmに及ぶ防潮堤が竣工しました。民間の寄付金をきっかけにはじまった全国初のプロジェクトが地域にもたらしたものとは。地震による津波対策の先進事例を、プロジェクトに携わった静岡県浜松土木事務所に取材しました。

南海トラフ巨大地震により、浜松市だけで約1万6千人の死者が予想されていた浜松市中心部にあるアクトシタワーと馬込川(画像/PIXTA)

浜松市中心部にあるアクトシタワーと馬込川(画像/PIXTA)

2011年に起きた東日本大震災は、東北地方を中心に、太平洋沿岸の広範な地域に甚大な被害を与え、約1万5900人の死者(2022年3月警察庁発表)を出しました。特に、大きな被害をもたらしたのは、それまでの想定を大幅に上まわる巨大な津波でした。これを受けて、大震災による津波対策の見直しやいっそうの強化が急務になったのです。

津波対策について、東日本大震災以前と大きく変わったポイントは、津波の想定レベルの設定です。

中央防災会議では、今後の津波対策を構築するにあたり、基本的に2つのレベルの津波を想定しています。レベル1は、発生頻度は高く、津波高は低いものの大きな被害をもたらす津波、レベル2は、発生頻度は極めて低いものの、発生すれば甚大な被害をもたらす津波 (東日本大震災クラス相当)です。

レベル1については、津波を防ぐ施設高の確保など海岸保全施設整備等のハード対策によって津波による被害をできるだけ軽減。それを超えるレベル2の津波に対しては、ハザードマップの整備など、避難することを中心とするソフト対策を重視する方針です。

静岡県では、東日本大震災の直後から津波対策の総点検を行い、2011年9月、新たな行動計画として「ふじのくに津波対策アクションプログラム(短期対策編)」を取りまとめていました。同年12月、津波防災地域づくり法が成立。2012年に、内閣府から南海トラフの巨大地震モデルが提示されました。

南海トラフ巨大地震では、関東から九州の広い範囲で強い揺れと高い津波が発生すると想定されています。静岡県では、『第4次地震被害想定策定会議』を設置し、新たな地震被害想定を実施。2013年6月と11月に報告を公表。その結果、静岡県特有の課題が明らかになったのです。

シミュレーションでは、防潮堤と水門により宅地浸水深2m以上の範囲を98%低減することが期待できる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

シミュレーションでは、防潮堤と水門により宅地浸水深2m以上の範囲を98%低減することが期待できる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

静岡県浜松土木事務所 沿岸整備課長 石田安秀さんはこう話します。
「浜松市は津波の到達時間が短く、多くの人口・資産が集中する低平地において広範囲に大きな被害が想定されました。静岡県の南海トラフ巨大地震の津波による想定死者数は、全国で最も多い9万6000人(2013年時点予測)でした。特に低平地が広がる浜松市は、沿岸部に人口が集中し、工場など働く場所もあります。津波による浸水面積は約4200ha、最大津波高さは14.9m、家屋の流失は約2600棟。地震発生から津波が海岸に到達する時間は、わずか約15分です。東日本大震災の東北エリアの場合で40~60分ありましたから、十数分では、避難時間が確保できません。浜松市だけで約1万6000人もの命が失われると想定されたのです」

浜松市沿岸部。海岸近くに人・家・工場が集中。国道1号線が海沿いを走っている(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

浜松市沿岸部。海岸近くに人・家・工場が集中。国道1号線が海沿いを走っている(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

天竜川河口から浜名湖今切口までの17.5kmが整備区域に指定された(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

天竜川河口から浜名湖今切口までの17.5kmが整備区域に指定された(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

一条工務店グループの寄付により全国にない防潮堤整備が始動。「何としても命を守る」

国の指針では、レベル1の津波をしっかり防ぐことを目標に補助金を使った防潮堤の整備や、避難施設の整備が全国で進められています。浜松市では、レベル1を防ぐための防潮堤はすでに整備されており、地域の課題となるのは、レベル2の津波対策です。国は、ハザードマップなどを整備して避難するソフト面での対策を重視していました。

「地域特性から、ソフト面の対策のみでは、沿岸域の住民の命を守ることは多くの困難が伴うと考えていましたが、レベル1を超える津波を防ぐための防潮堤工事には、前例のない規模の整備費用を地元だけで捻出する必要があり、整備ができない状況でした」

ターニングポイントは、一条工務店グループからの300億円の寄付でした。「創業の地である浜松市の多くの命、財産を津波から守ってほしい」と多額な寄付を県に申し出たのです。

2012年6月に、一条工務店グループ、静岡県、浜松市で「三者基本合意」を締結。一条工務店グループは300億円の寄付、県は浜松市沿岸域の防潮堤整備、浜松市は必要な土砂の確保と市民への理解促進を行うことが合意されました。2012年9月に浜松市沿岸域防潮堤整備事業に着手。レベル1を超える大津波に備える、全国初のプロジェクトがはじまりました。

一条工務店グループは、静岡県に防潮堤整備に用いる費用として300億円を寄付。静岡県、浜松市と「三者基本合意」を結んだ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

一条工務店グループは、静岡県に防潮堤整備に用いる費用として300億円を寄付。静岡県、浜松市と「三者基本合意」を結んだ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

目標としたのは、「想定最大津波に対しても命を守る減災効果を得る」こと。

「どんなに備えても想定以上の震災が生じる可能性は残り、レベル2以上の津波が来た場合、防ぎきることはできないだろうと言われています。レベル1を超える津波への対策の基本方針は、『減災』です。減災とは、人命を守りつつ、被害をできる限り軽減すること。最優先は、避難するまでの時間を稼ぐこと。次に、家屋の流失を防ぐのが防潮堤の役割です」

レベル2の津波が発生すると想定される南海トラフ巨大地震に対して、防潮堤と馬込川河口の水門で、既存防潮堤で防ぎきれないレベル1以上の津波から街を守る計画です。浸水深2m以上が、木造家屋が倒壊する目安とされています。減災効果をシミュレーションして整備規模を決定し、限られた事業費の中で最大限の減災効果が得られるように設計されました。

宅地の浸水シミュレーションでは、整備前の浸水深2m未満と以上をあわせた1464haが、整備をすることで、280haまで減災できると見込まれた(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

宅地の浸水シミュレーションでは、整備前の浸水深2m未満と以上をあわせた1464haが、整備をすることで、280haまで減災できると見込まれた(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

静岡県・浜松市・市民が一体となった「オール浜松」で整備が進む

これほど大規模な防潮堤を短期間でつくりあげる事業は、全国的に前例がありません。県・市・一条工務店グループは、検討会議を重ねるとともに、地元自治会の要望や意見を反映するため推進協議会を立ち上げ、浜松商工会議所と連携し、横断幕やロゴマーク等を作成。地域と連携しながら一般市民に理解を求めていきます。工事には地元の建設会社が広く参画できるようにすることも決まりました。

民間企業の寄付ではじまった大津波から街を守るプロジェクト。その後、「自分の街を守りたい」という思いが市民に広がり、大きなうねりとなって、「オール浜松」運動へつながっていきました。静岡県・浜松市・市民が一体となり、プロジェクトを推進する運動です。この運動により、市民や民間企業の寄付を募ったところ、浜松商工会議所、自治会連合会、市民団体から、約13億円もの寄付が集まったのです。

「2014年から本格的にはじまった工事で、最も気を使ったのは、土砂の運搬です。工事には防潮堤に使う大量の土砂が必要です。運搬した土砂は、山一つ分に相当する200万平米に及びました。それをダンプトラックが工事現場へ運びます。騒音や交通規制などで日常生活に影響が生じるため、周辺住民には丁寧に説明をして理解していただきながら慎重に進めました。問題があっても『どうしたら実現できるか』を考えながら、市民が苦労を分かち合ってくれました」

浜松市内の阿蘇山からダンプトラックに土砂を載せ、市街地を通って工事現場へ運搬した(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

浜松市内の阿蘇山からダンプトラックに土砂を載せ、市街地を通って工事現場へ運搬した(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

土砂とセメントと水を混ぜて製造したCSGを、ブルドーザで均一にならしているところ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

土砂とセメントと水を混ぜて製造したCSGを、ブルドーザで均一にならしているところ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

宅地の浸水面積8割減、浸水深2m以上の範囲は98%少なくなった

2020年3月、8年に及ぶ工事を終えて、浜松市沿岸域防潮堤がついに竣工しました。防潮堤の中心には、ダム技術により開発された土砂よりも強度があるCSGを使用。区間により異なりますが、その両側を土砂やコンクリートで覆い、強化した構造です。高さは標高13~15m、CSGを覆う両側の盛土等を含んだ堤防の幅は約30~60mで、17.5kmに及びます。

既存堤防とさざんか通りの間に新設された防潮堤(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

既存堤防とさざんか通りの間に新設された防潮堤(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤により市街地を津波から守ることができる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤により市街地を津波から守ることができる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

CSGの両側を土砂で覆ってから海岸防災林を再生(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

CSGの両側を土砂で覆ってから海岸防災林を再生(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤に、今後整備される馬込川河口津波対策の水門を加えた効果として、宅地の浸水面積は約8割少なく、宅地の浸水深さ2m以上の範囲は98%低減することが期待できます。

「防潮堤は津波をすべて防げるものではなく、避難することが前提ですが、津波の到達時間が長くなることで、安全な場所に避難するための時間をかせぐことができます」

「オール浜松」による事業の推進や減災効果に重点を置いた防潮堤の整備など今回の防潮堤事業に関する一連の手法は「浜松モデル」と言われ、「静岡モデル」として地域の特性に合った津波対策を提唱するきっかけになりました。現在は、県内の沿岸21市町のうち8市町で実施されています。防潮堤の建設期間中、3万人を超える人が、日本全国や海外から視察に訪れました。

浜松まつりでは、防潮堤の上から凧揚げを観覧している(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

浜松まつりでは、防潮堤の上から凧揚げを観覧している(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

「今回の事例は、公共事業のクラウドファンディングとも言えますね。私財を投じた津波対策の昔の事例に、和歌山県広川町の『稲村の火』や広村堤防などがあります。今回の事例が、事業や制度に限界があるときに、企業や市民の参加や寄付によって街の防災が進展するきっかけになればと思っています」

浜松市沿岸域防潮堤は、市民から親しみを込めて「一条堤」と呼ばれているそうです。堤防の上部は道路になっていて、犬の散歩や浜松まつりの凧上げを見に訪れる人も。今も、水門工事が着々と進められています。国による公助、自治体による共助に加えて、自らが考えて行動する自助がさらに安心なまちづくりにつながると感じました。

●取材協力
・静岡県浜松土木事務所

入居者全員クリエイター! 築49年の今も作家たちのアイデアで進化する「インストールの途中だビル」品川区中延

東京都品川区中延にある「インストールの途中だビル」は、2012年にスタートした6階建てのビル型シェアアトリエ。現代美術家、ファッションデザイナー、演劇団体、キャンドル作家、靴職人など多業種のクリエイター20組以上が共同利用している。今年10周年を迎えたこの異色の物件には、どのような歴史やライフスタイルがあるのか。訪れて話を聞いてみた。

駅から徒歩1分、騒がしい立地が好条件に「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」は、東急大井町線・都営浅草線の中延駅から徒歩1分とアクセス良好な場所にあり、6階建てビルの2階から5階を使って運営される。国道1号沿いで、向かいと左右をパチンコ店に囲まれる騒がしい立地だが、音を伴う「ものづくり」の環境としては周りに気を使う必要がないため、むしろ好条件と支持されている。

運営するのは、自らを「まちづくり会社」と称する合同会社ドラマチック。建物の再生事業や全国の公共施設の運営、地域で活動したい人に向けての拠点づくり・イベント運営などを行っている。

「インストールの途中だビル」を立ち上げたドラマチック代表社員の今村ひろゆきさんにお話を伺った。

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

時間の経過とともにきれいになる。アップデートを前提としたスタート

今村さんがこのビルを知ったのは、2011年4月ごろ。ドラマチックの活動が新聞に掲載された日に、一通のメールが届いた。内容は「中延駅のすぐそばにビルを持っているが、どうにかしてくれないか」というもの。

「ビルを見に来たらびっくりしました。会社の事務所として使われていたようですが、壁もカーペットも汚れていてヤニ臭く……(笑)。しかし、駅チカでほぼ一棟まるまる空いている物件なんてそう無いですし、すごいポテンシャルを感じました」

しかし、普通のシェアオフィスやコワーキングスペースとして利用できる状態に改装するには、初期費用がかなりかかってしまう。

「活動場所を探しているアーティストの知り合いが複数いたので、アトリエとして使うのはアリだなと。ものづくりをしているとどうしても周りが汚れてしまうので、それなら最初からきれいである必要がないですしね」

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

シェアアトリエとして運営する方針を定めてから、どのような準備をしたのか。

「掃除と、窓を拭くこと。基本はそれだけです(笑)。あとは入居ブースごとに仕切りで区画を分けて、そのほかは入居者の自由ということにしました。壁を塗ってもいいし、照明を変えてもいい。正直まだ会社としてもお金が無かったころなので、アイデアで工夫していくしかありませんでした」

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

合同会社ドラマチックを立ち上げる前は、商業施設の開発をしていたという今村さん。

「新しくつくった商業施設は、時間が経てば建物が古くなって集客も減り、廃れていきます。でもこの『インストールの途中だビル』は未完成な状態から始まり、徐々に人が集まって場がアップデートされていく。いわゆる商業的な開発の流れとは逆の場をつくっていければと思いました」

コミュニケーションの中で生まれるアイデアをインストールし、よりよい環境をつくるという方針が、施設名の由来ともなるコンセプトだ。こういった事業は一般的にリノベーションを済ませてから開始するものと思い込んでいたが、入居者に使ってもらいながら整えていくという手法は、空き物件を活用するうえでの可能性を広げるアイデアだと感じた。

24時間制作可能。展示会やパフォーマンスができるスペースも

「入居している方は『ものづくりをする』という点では共通していますが、活動のジャンルは本当にばらばらですね。ビルが揺れるほどの大きな音を出して金属の彫刻物をつくる方もいます。ここでの活動を本業としている方は3割ぐらいでしょうか」

各アトリエに住宅の機能はないが、24時間出入り可能。賃料はブースの広さによって変わり、月額2万1800円から。入居金5万円と水道光熱費が別途かかる。利用を続ける中で「もう少し広いスペースを使いたい」といった要望があれば、今村さんらが大工仕事ができる入居者に依頼して仕切りを動かし、ブースを拡張することも。

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

ビル内には約50平米のレンタルスペースもあり、入居者は1時間200円で借りられる。演劇の稽古など広い場所が必要な活動や、作品展・イベント会場、打ち合わせ・撮影の場として使われるという。

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

屋上は無料で開放され、植物を育てるなど息抜きの場所となっている。気候のいい時期はここで飲食をしながら入居者同士の近況報告会が行われることも。

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

入居するクリエイターたちにとって、このビルは制作の場だけでなく、発表や交流の場ともなっているようだ。では、実際の入居者の方々にお話を聞いてみよう。

アトリエが稽古場にも舞台にもなる

まずは「インストールの途中だビル」が始まった当初から入居している演劇団体「Prayers Studio」さん。稽古場として常時利用するほか、アトリエ内に舞台と客席をつくって公演も行う。

代表の渡部朋彦さん、設立メンバーの妻鹿有利花さんが、入居当時のことからお話ししてくれた。

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「ここに来るまでは区民施設などを都度借りて稽古しながら活動していました。小道具なども徐々に増えていき、どこかに拠点を構えたいと感じていたところ、劇団員がこのビルのことをTwitterで偶然見つけたんです。すぐに連絡して、4月1日のオープンぴったりのタイミングで入居しました。月末には公演を控えていたので、さっそく本番前は徹夜で稽古しましたね」(渡部さん)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

声を出すことが不可欠な演劇の活動にとって、入居者全員がものづくりに理解のある環境は理想的だという。現在、Prayers Studioは11人のメンバーで4チームに分かれて活動しており、ブースには常に誰かがいるような状況。ここを拠点として活動を続けてきた結果、ビル周辺の中延エリアに引越してきた劇団員も多い。

「天井はあえて梁を見せて高さを出し、蛍光灯やカーペットは外して、客席やカーテンの仕切りを設置しました。また、24時間活動できるといっても音に関しては多少気を使います。遅い時間に大道具を組み立てたり大声を出したりするのは控えるなど。逆に私たちの公演期間はほかの入居者が音を出す作業を控えてくれて、積極的に協力してくださりありがたいです」(渡部さん)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

入居者同士で生まれる活動のつながり

10年間入居していることもあり、入居者とのコミュニケーションが創作活動やプライベートにつながることもあったという。

「キャンドル作家の方に制作を依頼して、アトリエで香りを焚かせてもらったり……」(妻鹿さん)

「結婚を考えている劇団員が、アクセサリー作家さんのワークショップで婚約指輪をつくったことも。その後も結婚式の引き出物としてキャンドルをつくってもらったり、式の撮影も入居者のフォトグラファーさんにお願いしたり(笑)。逆に入居者の方の個展で僕がナレーションをやったり、劇団員がファッションブランドのモデルを務めたりしたこともありますね」(渡部さん)

想像以上に濃いつながりだった。このほかにも、中延商店街のお祭りでの公演や、子ども向けのワークショップ、観客参加型の舞台上演など、地域と関わる活動も多く行ってきたPrayers Studio。現在も「拠点を持つ劇団」という強みをきっかけに、外部のクリエイターと共同で舞台演出上の新企画に取り組んでいる。

「夜、活動を終えて帰宅するときに、ほかの部屋に明かりがついていると『自分も負けていられないな』と思います。モチベーションが刺激される環境ですね」(妻鹿さん)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

イベントでたまたま訪れたビルに入居して9年目

続いては、ファッションブランド「NeLL」のデザイナー・hee(ヒー)さん。「誰でも着られる服」というコンセプトに基づき、1つの素材で1サイズのみの服をつくる『One=Everyone』というシリーズが好評だ。

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

このアトリエには、本職の仕事場として週5日ほど通うheeさん。入居のきっかけは、ビルの屋上で行われた2周年イベントだという。

「最初は、ただ好きなミュージシャンの方がライブをすると聞いて来たんです。でも中に入ってみたら結構良さそうな場所だったのと、ちょうど当時使っていたアトリエを出なくてはいけないタイミングだったので、後日改めて内見をしました」

求めていた条件は「ある程度の広さ」「汚しても大丈夫なこと」など。いずれも問題なさそうで、「夜でもミシンの音など気にせず作業できるのは気楽でいいな」と感じ、入居を決めたそう。

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

「入居して9年目になりますが、実は今のブースを使い始めるまでにビル内で3回引越しました。一緒に借りていたメンバーが離れるタイミングなどで、その都度ちょうどいい広さのブースに移っています。このビルは『駆け出しの人を応援する場』だという感覚もあるので、本当は早くここを出られるように頑張らなきゃいけないと思うんですけど、なかなか居心地が良くて今に至ります(笑)」

ジャンルを問わない出会いが活動の幅を広げる

heeさんに「入居してから感じた良い点」を聞いてみた。

「やっぱり入居者の知り合いができることですね。創作活動の話や展示など自分の作品を知ってもらう方法について情報交換できますし、そこから依頼が発生することもありました。インストールの途中だビルでは、月一回の定例会があって、コロナ禍で頻度は落ちてしまいましたが、ビルのメンバーとコミュニケーションをとれます。年末の忘年会など交流機会は割とあって楽しいです」

2014年には、インストールの途中だビルが主催となり近隣の商店街で「中延EXPO」を開催。ダンサーやミュージシャンが即興で演奏しながら街を練り歩くイベントで、heeさんはパフォーマーの衣装を提供したという。

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「今後もさまざまなジャンルの人と関わっていきたい」と語るheeさん。ビルのレンタルスペースで開催される音楽イベントでミュージシャンの衣装提供なども予定しているとのことだった。

これからもインストールは続いていく

シェアアトリエという空間を活かし、地域や外部との交流も図ってきたインストールの途中だビル。

「料金設定もそうですが、『これからがんばっていこう』という段階のクリエイターを応援したい気持ちがあります。そのために、ハード面である物件に手を加えていくのではなく、人同士のつながりというソフト面でメンバーの活動を応援して、ビルを盛り上げていきたいです。運営を続ける中で、活動が成功して売れっ子になっていった方もいて、そういう過程を見られるのはうれしいですね」と今村さん。

あえてセオリーどおりの「快適な空間」を用意せずにスタートしたこのシェアアトリエでは、入居者自身が過ごしやすいように作業環境をつくることができる。いわば全員が「ビルのクリエイター」として一つの居場所を構築していくことは、ライフスタイルの充実に大きく寄与していると感じた。

インストールの途中だビルは今年で10周年を迎え、入居者はのべ100名を超える。今村さんは「今後も新しいクリエイターの方と出会えるのが楽しみ」とほほえみ交じりに語っていた。

●取材協力
・インストールの途中だビル
・まちづくり会社ドラマチック
・Prayers Studio
・NeLL

シェア型書店やよろず相談所がつなぐ、令和のご近所づきあい。大田区池上で「半径2kmリビング化」が拡張中

東京都大田区の池上地区で「ノミガワスタジオ」を運営するアベケイスケさん。メインはギャラリー兼イベントスペースだが、他にも放課後や休日に親子と談笑したり、「本」を介したコミュニケーションスペースとしての顔も持つ。また、地域の人がアベさんにさまざまな相談をしにくる「よろず相談所」としての側面も。アベさんがこうしたスペースを始めた背景には、幼少期に大分県の別府で体験した“地縁文化とお互いに世話を焼く温かさ”があったという。「地域の人を知ると安心感が生まれ、暮らしはもっと心地よくなる」と話すアベさんに、地域交流のあり方について伺った。

「人と人とのつながり」に安心感を覚えた別府での生活

――はじめに、アベさんが運営する「堤方4306(つつみかたヨンサンマルロク)」と「ノミガワスタジオ」について教えてください。

アベケイスケ(以下、アベ):「堤方4306」は動画配信のスタジオに加え、ギャラリー、間借り喫茶など、誰もが利用できる多目的スペースとして運営してきました。2020年に現在の場所へ移転し、同時にスタートしたのが「ノミガワスタジオ」です。ギャラリー&イベントスペースとして、ランドスケープの設計事務所「スタジオテラ」と共同で運営しています。

デザイナーのアベケイスケさん。大田区に住んで19年目(写真撮影/松倉広治)

デザイナーのアベケイスケさん。大田区に住んで19年目(写真撮影/松倉広治)

1階に「ノミガワスタジオ」と「堤方4306」が、2階に「スタジオテラ」のオフィスが入る(写真撮影/松倉広治)

1階に「ノミガワスタジオ」と「堤方4306」が、2階に「スタジオテラ」のオフィスが入る(写真撮影/松倉広治)

アベ:また、時折イベントを開催するだけでなく、毎週金・土曜はシェア型の書店「ブックスタジオ」として営業し、地域のみなさんにご利用いただいています。

――シェア型の書店って何ですか?

アベ:本棚をいくつかの区画に分け、それを個人や団体に貸し出す形態の書店です。借りた人(棚主)はそこに自分が選んだ本を陳列し、販売することができます。吉祥寺にある「Book Mansion」の中西さんが発案したコンテンツで、「ブックスタジオ」を立ち上げる際にご協力いただきました。入会金のほか、1区画当たりの賃料は月額4000円ですが、現在のところ44区画中28区画が埋まっていますね。来月また一つ面白い本棚が生まれます。ちなみに、お店番は当番制で、その時々の棚主さんである“店主”と訪れた人の、本を介した交流を促進する狙いもあります。

ノミガワスタジオに設置されたブックスタジオ。なかには町田から来ている棚主さんもいるそう(写真提供/ノミガワスタジオ)

ノミガワスタジオに設置されたブックスタジオ。なかには町田から来ている棚主さんもいるそう(写真提供/ノミガワスタジオ)

――地域のコミュニケーションスペースとしての役割もあるんですね。

アベ:はい。ノミガワスタジオの目の前には小学校があるので、親子で立ち寄る方も多いです。最初は子どもが遊びに来て、後日に親御さんを連れてくるパターンとか。この場所で知り合いになる親御さんたちもいて、ご近所付き合いにも貢献しているのかなと思います。ちなみに、池上は寺町情緒が色濃く残り、昔ながらの住民が多く暮らすエリアですが、最近ではマンションも立ち新しい人たちも増えています。そんな新しい住民のみなさんが地域になじんだり、顔見知りをつくる場所としても役立てばうれしいです。親御さんたちからは「なんで、こんなことしているんですか?」と聞かれますけどね。

夕方には学校帰りの子どもや親が集う。親同士が「〇〇に行ってくるから、ちょっとだけ見てて~」と、互いに子どもを見守り合う光景も日常茶飯事なのだとか(写真撮影/松倉広治)

夕方には学校帰りの子どもや親が集う。親同士が「〇〇に行ってくるから、ちょっとだけ見てて~」と、互いに子どもを見守り合う光景も日常茶飯事なのだとか(写真撮影/松倉広治)

――ちなみに、なぜなんでしょう?

アベ:これには僕の幼少期の体験が大きく影響しています。僕は三重県で育ったのですが、両親の実家は大分県の別府で、夏休みや正月のたびに帰省していました。そのときに、別府には観光地ならではの「外から来た人に対して寛容で、温かい空気」が流れていると感じたんです。僕自身も、帰省中の短い生活のなかで地域の人にお世話を焼いてもらった思い出が、強く記憶に残っています。

例えば、気付いたら商店街でおばさんたちの井戸端会議に参加してたり、お呼ばれしてご飯をご馳走になったり、銭湯でタオルをお湯に入れておじさんに怒られたり。ペットが飼いたかった私に猫の散歩をさせてくれたり、近所の大人に声を掛けてもらうこともしばしば。何気ないことですが、早くに父を亡くした私には地域にいつも見守られている感覚があって、地域の人の寛容さがとても居心地がよかった。今思えば、普段暮らしている街以上に地域のつながりや人情が残っていて「人と人とのつながり」に、安心感を覚えていたんでしょうね。「袖振り合うも多生の縁」ですね。

――別府での生活を経験したから、なおさら良さがわかるわけですね。

アベ:そうですね、僕にとって別府の生活はとても心地よくて。感覚的に「家から半径2km以内にいる人たち」のことを知っていると、地域に精神的な居場所があると感じられ、居心地の良さにつながると思います。リラックスできる場所が家の中だけでなく、家の外にも拡張されるというか。ですから、池上に暮らす人もノミガワスタジオでの会話を通じて、そんな居心地のキャッチボールができたらと思っています。ちなみに、僕はこれを「半径2kmリビング化計画」と呼んでいます。家から半径2km圏内に会話のできる場所やあいさつできる人を複数つくり、日々を充実させていきませんか?という考え方です。

営業日は金・土曜日。下校時間はアベさんが子どもたちを見守っている。アベさんいわく「別府の経験があるからこそできる」活動とのこと(画像提供/ノミガワスタジオ)

営業日は金・土曜日。下校時間はアベさんが子どもたちを見守っている。アベさんいわく「別府の経験があるからこそできる」活動とのこと(画像提供/ノミガワスタジオ)

――ちなみに、「堤方4306」ではどんな動画を配信しているのでしょうか?

アベ:近年、メインに配信しているのは「池上放談」という地域の人へのインタビュー動画です。10年前くらいから「普通の人が一番面白い!」と思っていて、別府や自身の生い立ちから「この人は、どうしてこんな人に育ったのだろう…」と知りたくなったことをきっかけに始めたのがインタビューの配信でした。例えば、昨年に亡くなられた地域のおじいちゃんがいるのですが、生前にインタビュー配信に出ていただいたことがあるんです。すごく生き生きと自分の半生を語っていただき、お話を聞いている僕もうれしくなりました。そんなふうに普通の人の人生に触れることや、スイッチが入ったときの話を聞くことは単純に楽しいですし、それが「ご近所のあそこの店主」となれば会いに行きたくなったりもします。それだけでも地域の他のみなさんにとっても意義があると思うんです。

地域の人にインタビューする動画「池上放談」(画像提供/堤方4306)

地域の人にインタビューする動画「池上放談」(画像提供/堤方4306)

――どうしてですか?

アベ:インタビュー動画を見た人が自分の住む街や人のことを深く知れば、安心につながり、さらに居心地が良くなると思ったからです。居心地が良くなれば自然と笑顔になり、それが周囲にも伝播していく。そんなふうに笑顔の輪を広げ、自宅以外にもリラックスして暮らせるエリアを拡張していってほしい。そんな思いから始めました。私にとっては、ごく普通の感覚ですが、この安堵感を知らない人も多いのかなと。「半径2kmリビング化」がその人たちに伝わればいいなと思っています。

過去のインタビュー配信「お米やさんと釜飯屋さん」(画像提供/堤方4306)

過去のインタビュー配信「お米やさんと釜飯屋さん」(画像提供/堤方4306)

アベ:余談ですが以前、私が街の諸先輩たちに「街の昔話を聞かせてほしい」と、あるお店に伺いました。すると先代の80代くらいの方が「いやいや、私は語れない。そこのお店のご主人がちょうど良い」って言うんです。すると、今度は80代半ばの方が「いやいや、私もまだ若くて語れない。それならあそこの……」って言うんです。「いやいやいやいや、じゃあ、幾つになったら語るんですか!(笑)」と。とにかく、お話が聞きたかったです。

地域の人が「街」について語る機会を

――ノミガワスタジオでは他にも、地域の人や場所とコラボしたさまざまなイベント、プロジェクトも実施しているそうですね。これまでの事例を教えてください。

アベ:養源寺というお寺の本堂をお借りして、『まちの本屋』というドキュメンタリー映画の上映会を行いました。近年は「お寺をもっと開かれた場所にし、外に知ってもらうための努力も必要」と考えている住職さんもいらっしゃいます。そんなこともあり、本堂を使ったイベントに快くご協力いただけました。

本と街をテーマにした映画の上映会を行うことは、ブックスタジオの棚主さん同士が会話できる良い機会になるのではと思い、企画しました。今回は主に棚主さん向けでしたが、今度は一般の方も含めてまた『まちの本屋』の上映をしたいですね。

上映会の様子。上映当日は大小田直貴監督も来場するなど大成功に終わった(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映会の様子。上映当日は大小田直貴監督も来場するなど大成功に終わった(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映開始まで本堂の廊下でそよ風に和む至福の時間(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映開始まで本堂の廊下でそよ風に和む至福の時間(画像提供/ノミガワスタジオ)

アベ:ゆくゆくは、こうした催し物ができるお寺をもっと増やしていき、「回遊イベント」のようなことがみんなでできればと思っています。近隣のお寺さんのなかには、地域の動きに協力して下さる人も増えている気がします。そのため、いろんなお寺の住職さんと仲良くなろうとしている最中です(笑)

――他にはどんなイベントを?

アベ:大田区と東急が推進するまちづくり協定の枠組み「池上エリアリノベーションプロジェクト」の一環で、2021年6月から11月末まで半年にわたって「温 THE TOWN」というイベントが行われていたのですが、これを個人的に引き継いで続けています。

「温 THE TOWN」は休業中の銭湯「久松温泉」の2階を活用し、落語のイベントやトークセッションなど文化的な交流や発信をするというもの。名前の通り“まちの体温を少し上げる”プロジェクト(画像提供/温 THE TOWN)

「温 THE TOWN」は休業中の銭湯「久松温泉」の2階を活用し、落語のイベントやトークセッションなど文化的な交流や発信をするというもの。名前の通り“まちの体温を少し上げる”プロジェクト(画像提供/温 THE TOWN)

アベ:とはいえ、予算がないので今のメインコンテンツは紙相撲なんですけどね(笑)。ただ、これが意外と大人も子どもも夢中になってくれるんですよ。銭湯になじみのない子どもや大人も遊びにきてくれて、「半径2kmリビング化計画」につながる接点が増えたかな。ちなみに、ノミガワスタジオキッズはみんな経験者ですし、今夏は近隣小学校の夏休み講座に土俵を持って出向きます。夢は巡業のように、他県での紙相撲ツアーをしたいですね(笑)

「温 THE TOWN」で行われた紙相撲大会の様子。小さな力士が大きく映し出され動くさまは意外にも迫力があるもの(画像提供/温 THE TOWN)

「温 THE TOWN」で行われた紙相撲大会の様子。小さな力士が大きく映し出され動くさまは意外にも迫力があるもの(画像提供/温 THE TOWN)

他には、今年度はスタッフとして「池上まちよみプロジェクト」に関わっています。昔の街の写真をもとに“地域のアーカイブ”をつくって、オンライン、オフラインで可視化する活動ですね。以前に地元のお年寄りと写真を見る機会があったのですが、「これはあそこじゃないか?」「これが今のあそこ」と、イキイキした様子でお話しくださるんですよ。そんなふうに、街の人が気軽に見に来て、街の歴史や現在について知ったり、思い出を語ったり、世代に関係なく雑談するきっかけになったらうれしいです。

「池上まちよみプロジェクト」で地域の方々と昔の街の写真や記事を眺める様子(画像提供/ノミガワスタジオ)

「池上まちよみプロジェクト」で地域の方々と昔の街の写真や記事を眺める様子(画像提供/ノミガワスタジオ)

目指すは落語に出てくる「ご隠居」

――池上は2019年から3年間にわたり「池上エリアリノベーションプロジェクト」が展開されるなど、積極的に活性化の取り組みが進められてきたエリアです。アベさん自身、街の盛り上がりや地域の人の変化を感じることはありますか?

アベ:もちろん感じますし、地元以外の人からも、池上は盛り上がっているように見えるみたいです。散歩をしていると、街ゆく人に「良いところですね」と声を掛けられたりしますからね。おそらく、以前にはなかった景色が生まれていて、街全体に楽しい雰囲気が漂っているのだと思います。

(写真撮影/松倉広治)

(写真撮影/松倉広治)

アベ:それに、以前からここに暮らしている住民の方も、街に対してこれまでにない可能性を感じているんじゃないでしょうか。ここにいれば「何か楽しそうなことが起こりそう」という期待感を持ってくれていると思うんです。僕らはそのムードを消さないよう、地域のみなさんと連携して、さらに盛り上げていかなければいけないですよね。ただ、頑張りすぎず、楽しみながら(笑)

――もっと多くの人を巻き込むには、何が必要でしょうか?

アベ:まずは「気軽さ」だと思います。まちづくりって面倒なことも多いですし、誰もが高いモチベーションを持ってコミットするのは難しいですよね。だから、運営側がそんなに頑張らなくても何となく「街を良くするのに役立っている」「居心地がいい」と思える。そんな参加ハードルの低い機会をみんなでつくれたらいいですね。

まちづくりって、色んなフェーズがあると思うのですが、極論何も特別なことをする必要はないと思うんです。特にここは寺町で心地のよい広い空間や緑も多く、お寺のメインストリートはすごく良い景色です。でもそれらは、檀家さんが支えてくれているものであって、街の人は享受しているだけです。だから、ちょっとでも何かできるとしたら自転車に小さいトングとゴミ袋を常備して、気付いたらゴミ拾いをするルーティンも面白いかなと思っています。

――それは誰にでもできるし、とても良いルーティンですね。

アベ:そう思います。きっと街への愛着が強ければ強いほど、綺麗な方がうれしいはずなんですよね。だって、自分の部屋にゴミが落ちていたら拾うし、タバコの吸い殻を床に捨てたりはしないじゃないですか。自分が住んでいる街のことも自分の部屋くらい愛着を持てるようになったら、心地よい状態を保とうとするはず。みんなが自然とそういう意識になるように、池上の良さを感じられる企画をこれからも考え、まわりと話していきたいですね。

池上の駅前商店街(画像提供/ノミガワスタジオ)

池上の駅前商店街(画像提供/ノミガワスタジオ)

――これから特に力を入れようとしていることは何ですか?

アベ:一つは、今以上に街の人に話を聞いて、動画配信を増やしていきたいです。普通に暮らしているだけだと、地域の人やそこで活動しているプレイヤーと知り合う機会ってなかなかないじゃないですか。だから、自分がそのパイプ役になれるような取材活動は続けていきたいですね。あとは、今目指しているのは「長屋のご隠居」ですかね。

――ご隠居?

アベ:そう、ご隠居さんです。落語に出てくる長屋のご隠居のところには、さまざまな相談事が舞い込みます。そして、それら一つひとつをお世話していく。僕も地域でそんな存在になれたらと思います。実際、こうしてスペースを構えていると、本当にいろんな相談を受けますからね。不動産屋じゃないのに物件探しの相談を受けたり、池上で商売をしたい人の話とか、最近は小学生の恋の悩み相談も。そもそも解決ではなく、言いたいだけなときもありますし(笑)。本当にいろいろありますよ。でも、そうやって何でも言ってきてくれることが本当にうれしいんです。これからも地域のご隠居として、この街と関わっていきたいですね。

●取材協力
ノミガワスタジオ
BOOK STUDIO

パリの暮らしとインテリア[15] 芸術を愛するパリジャンが猫と暮らす、アートと植物いっぱいの70平米アパルトマン

フランス・パリの北東19区には、市内最大級の緑地といわれる約25ha(東京ドーム約5.3個分)のビュット・ショーモン公園があります。ナポレオン3世の時代19世紀に造園された公園で、起伏に富んだレイアウトと高台からパリを一望する景観は、今もパリ市民を魅了してやみません。ここから徒歩10分ほどのアパルトマンに、ヨアン・メルロさんはパートナーのティエリーさん、愛猫フォアンと暮らしています。RMN-GP(フランス国立美術館連合)に勤務し、私生活ではアンティーク探しを楽しむヨアンさん。芸術を愛する彼の、個性的な70平米を訪ねました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

玄関を中庭側につくる! 思いがけない選択肢ヨアンさんの家のすぐそばにある憩いの公園「Square du Sergent Aurelie Salel」。周辺には借景の恩恵にあずかるアパルトマンが多く、これらの物件は人気が高く高額である(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヨアンさんの家のすぐそばにある憩いの公園「Square du Sergent Aurelie Salel」。周辺には借景の恩恵にあずかるアパルトマンが多く、これらの物件は人気が高く高額である(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「このアパルトマンを購入して10年になります。地上階(日本でいう1階)の35平米と、地下の35平米、合わせて70平米の物件で、もともとはショップでした。それをロフト風に改装し、私たち好みの住まいにつくり替えて暮らしています」
と、緑いっぱいの玄関先で迎えてくれたヨアンさん。

ここは、通りに面した建物の後ろ側にある静かな中庭。集合住宅の共有スペースです。ヨアンさん宅は、住まいそのものは歩道に面した地上階ですが、玄関はいったん建物の中に入った中庭側にある、というアクセスです。なかなか個性的ですね。いったいどうやって見つけた物件なのだろう、と不思議になり聞くと、ティエリーさんが近所のカフェで元オーナーと出会ったことがきっかけなのだそう。まるでフランス映画のシナリオのようですが、思えば30年くらい前までは、部屋探しをしている人に「あそこのカフェで聞いてみるといいよ、あそこの親父はこの界隈のことならなんでも知っているから」と、パリジャンたちは言ったものでした。今では不動産会社をあたるのが一般的になったとはいえ、こんな出会いもまだ健在というのは心温まります。もしかすると、ティエリーさんは、コミュニケーション力のある方なのかもしれません。そしてヨアンさんも、引き寄せる力の持ち主なのかも。

ご近所さんからも好評のグリーンたち。朝はここにテーブルを出して朝食をとることも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ご近所さんからも好評のグリーンたち。朝はここにテーブルを出して朝食をとることも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

というのも、中庭に配された美しいグリーンのほとんどが、2人が道端で「保護した」ものだからです。

「植木鉢が25個もありますから、みんな『ここの住人はガーデニングが趣味だ』と思うようです。でも実は、ここにある植物の品種すら知らないのですよ。例えば一番大きく成長しているこの木、道端で見つけた時は乾ききって本当に助けが必要な状態でした。それがご覧ください、今では屋根を越えているでしょう。葉が大きくてきれいだね、と、いろんな人から品種を聞かれますが、そんなわけで答えられないのです」

パリの道端には古い家具や食器類が無造作に置いてあったりするものですが、観葉植物は珍しい! 道端で保護したり、友人から分けてもらったり、旅先から持ち帰ったり。そうして集まった名も知らない植物たちを、こんなに元気に育てられるとは驚きます。北向きながらも一日中柔らかい光で満たされた中庭は、カンカン照りにならず、植物にとってちょうどいい環境なのかもしれません。優しげに葉を揺らす植物に迎えられながら、ヨアンさんは玄関のドアを開けました。

物件の個性を活かして改装

「もともとは通りに面したドアが玄関でした。それを塞いで中庭側の元裏口を玄関にしたおかげで、プライベート感がぐっと高まりました。反対に、中庭に面した壁全体に一直線に続く窓をつくり、開放感を出しています。こうしたことで、ショップだった当時のロフト風の雰囲気を、効果的に活かすことができたと思います」

アトリエ風に水平一列につくった窓から、中庭の柔らかい光が差し込む。北向きの地上階とは思えない明るさ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アトリエ風に水平一列につくった窓から、中庭の柔らかい光が差し込む。北向きの地上階とは思えない明るさ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

玄関前は、愛猫フォアンのコーナーです。レジのあった一角は、箱のようなキッチンに。ダイニングコーナーに向かって開く窓をつけた、半オープンキッチンです。家の中に窓というのは意外ですが、この窓があるおかげで中庭からの自然光がキッチンの中まで届きます。装飾的な効果と実用性の、両方を兼ね備えた開口、というわけです。

コレクションのマグネットを貼り付けたドア。この一角が愛猫フォアンのコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コレクションのマグネットを貼り付けたドア。この一角が愛猫フォアンのコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レジのあったボックス部分をキッチンに。ちょうどうまい具合に半分閉じ、半分空いているところが、結果的に使いやすいキッチンとなった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レジのあったボックス部分をキッチンに。ちょうどうまい具合に半分閉じ、半分空いているところが、結果的に使いやすいキッチンとなった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダイニングコーナーは、石造りの壁が印象的です。これは改装工事中に偶然見つけたオリジナルで、せっかくの持ち味を活かすために専門家に依頼し、漆喰(しっくい)で修復してもらったこだわりの作。

改装工事中に発見した19世紀の石造りの壁! 修復してインテリアに活かしたところは、ヨアンさんの審美眼の賜物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

改装工事中に発見した19世紀の石造りの壁! 修復してインテリアに活かしたところは、ヨアンさんの審美眼の賜物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「そもそもの物件がクラシックなアパルトマンではありませんから、あえてこの物件らしいボヘミアンな雰囲気を活かしたい、それをインテリアのテーマにしよう、と思いました。ティエリーはここを初めて訪問したときから、地下へ下りる階段が気に入っていたのですよ」

リビングにニュッと飛び出た階段の柵を、規格外と捉えるか、魅力と認識するか。人それぞれのジャッジの分かれ道であり、物件との相性がものをいう部分だといえそうです。

空間を有効利用して、ものを厳選する

地下の35平米には、ベッドコーナーとドレッシングコーナー、書斎コーナーがあります。やはり地上階と同じで仕切りは設けず、ロフト風のレイアウト。地下なので窓はありませんが、スケルトン階段の開口のおかげで、思いのほか自然光が入ってきます。その階段下を書斎コーナーにしてデスクを置き、スペースを最大限に活用。

リビングから、地下の眺め。落ち着く色合いで統一したベッドまわりが、整然とした印象を与える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングから、地下の眺め。落ち着く色合いで統一したベッドまわりが、整然とした印象を与える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面全体に造り付けた本棚は、文字通り「用の美」。収納力抜群で、使い勝手もよい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面全体に造り付けた本棚は、文字通り「用の美」。収納力抜群で、使い勝手もよい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「スペースの有効活用という点では、収納家具を使わずにドレッシングコーナーをつくったことも効果的でした。自分の持ち物に合わせて、一番下には靴、その上にTシャツ類、その上にはコートやスーツなどを掛け、さらにその上には帽子という具合に棚を組み、地厚なカーテンで覆っています。収納家具以上の収納力があって、しかも存在が邪魔になりません」

左側に見えるベージュのカーテンの後ろ側が、ヨアンさんこだわりのドレッシングコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

左側に見えるベージュのカーテンの後ろ側が、ヨアンさんこだわりのドレッシングコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

確かに、収納家具の存在感というのは威圧的なもの。それを置かずに、ベージュのカーテンの向こう側全てをドレッシングにする、という選択は、結果として空間全体をスッキリさせ、広く感じさせています。家具はどうしても凹凸がありますが、カーテンはペタリと平面になり、視界の邪魔にならないせいでしょう。

厳選されたものだけを置いた階段前の一角。どのオブジェにも、まるで最初からここに置くために選んだかのような、それぞれの居場所が感じられる。「オブジェ集めが好きな分、たくさん置きすぎないよう心がけているから」とヨアンさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

厳選されたものだけを置いた階段前の一角。どのオブジェにも、まるで最初からここに置くために選んだかのような、それぞれの居場所が感じられる。「オブジェ集めが好きな分、たくさん置きすぎないよう心がけているから」とヨアンさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アートを身近に! パリならではのメリット

地上階と地下、元ショップだった70平米を大改装してつくった、ショーモン公園そばのスイートホーム。自分たちのライフスタイルに合った快適な住まいを完成させ、そこに暮らす喜びは、格別に違いありません。ところがそれだけでなく、なんとヨアンさんカップルは、ノルマンディーの海沿いにも一戸建てを所有しています。毎週木曜日から週末をノルマンディーで暮らし、週の始まりをパリで過ごす、行ったり来たりの生活を始めてもう5年とのこと。パリの住まいとノルマンディーとの距離は約200kmで、車や電車で大体2時間半で移動しているそうです。コロナ禍以前からリモートワークがメインだったからこそ、こんな贅沢も可能なわけですが、それならいっそノルマンディーに引越してしまっても良いのでは? この物件なら、いいお値段ですぐに買い手が決まりそうですし……。

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

「いえいえ、それはできません! ギャラリー巡りをしたり、エキシビションを見たり、そういうパリ暮らしが私には不可欠なのです。先日、興味本位で査定をしてもらったところ、10年前の購入時の5倍ほどの値段がついて驚きました。でもできるだけ、金銭的な必要に迫られない限りこの住まいは売らず、パリとノルマンディーを行き来する生活を続けたいのです。いざとなったら貸すこともできますから」

職業柄、そしてまた趣味や娯楽の面からも、芸術の都パリから切り離された生活は考えられないのでした。でもそれができるなら、それに越したことはありません!
そんなヨアンさんのインテリアは、もちろん、アートがいっぱいです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房が製造販売するフランソワ・ポンポンの複製もインテリアに登場(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房が製造販売するフランソワ・ポンポンの複製もインテリアに登場(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ものとの出合いを楽しむ秘訣、実は……?

趣味はアンティーク探し、というヨアンさん。蚤の市を巡るのはもちろんのこと、オークションの「ドルオー」にも足を運びます。

「オークションと聞くとみんな高いものを想像しますが、実はものすごく安いものも出されるのです。この間は80ユーロ(約1万円)のテーブルを買いました。大きくて立派なテーブルなので、ノルマンディーの家で使っています。オークションには本当にいろんなものが出品されるので、細かくチェックするのがコツです」

蚤の市や、オークション「ドルオー」で入札したオブジェたち。時代を経た魅力あるオブジェを見つけるのがヨアンさんの長年のホビーである(写真撮影/Manabu Matsunaga)

蚤の市や、オークション「ドルオー」で入札したオブジェたち。時代を経た魅力あるオブジェを見つけるのがヨアンさんの長年のホビーである(写真撮影/Manabu Matsunaga)

幼いころから両親に連れられ、競売場(オークションハウス)に出かけていたヨアンさんには、オークションは特別なものではなく数ある買い物の手段の一つ。オークションを利用している人たちが口をそろえていうのは、特に面倒な手続きはないし、何よりも専門家が査定しているので品物や価格に間違いがなく安心、ということ。そう聞くと、一度くらいは体験したくなります。

「アンティーク以外には、友人からプレゼントされたものも多いです。みんな、私が集めているものを知っているので、ドアに貼るマグネットやらオブジェやらをよく贈ってくれます。ものを集めている割には整然としていますか? そうですね、確かにパリの住まいに置くものは厳選しています。そのかわり、ノルマンディーの家は集めたオブジェであふれかえっていますよ!」

フランス国立美術館工房の複製と、ヨアンさんのアンティークコレクション(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房の複製と、ヨアンさんのアンティークコレクション(写真撮影/Manabu Matsunaga)

友人がプレゼントしてくれた肘掛け椅子。ここに愛猫フォアンと座る時間は、ヨアンさんにとって最良のひととき(写真撮影/Manabu Matsunaga)

友人がプレゼントしてくれた肘掛け椅子。ここに愛猫フォアンと座る時間は、ヨアンさんにとって最良のひととき(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ティエリーさんがデザインして自作したテーブルも、オブジェのような美しさ! 日曜大工店で木とガラスを切ってもらい、自分で組み立てた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ティエリーさんがデザインして自作したテーブルも、オブジェのような美しさ! 日曜大工店で木とガラスを切ってもらい、自分で組み立てた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリとノルマンディー、二つの住まいを行き来する生活は、それぞれの良さを享受しながら暮らせるところがいい。ヨアンさんの話を聞きながら、そう思いました。一つの住まいに完璧を求めないで済む分、ストレスが少なく、それぞれの持ち味を冷静に見極めて、それらを十分に楽しめる気がするのです。人やものとの出会いも、そんな心の余裕があってこそでしょう。

ヨアンさんお気に入りのビストロ。人情味がたまらないそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヨアンさんお気に入りのビストロ。人情味がたまらないそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

人気のパティスリー「ブノワ・カステル」もご近所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

人気のパティスリー「ブノワ・カステル」もご近所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

多くの人は、二つではなく一つの住まいに暮らしていると思います。自分が暮らしている住まいを、ヨアンさんになった気分で眺めることができたら、別の捉え方ができるかもしれません。不満やあら探しではなく、いいところを認めて、それをもっと謳歌したくなる。そんな気がします。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ヨアン・メルロさん
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フランス国立美術館工房