マンションで農業はじめました! 空き地の整地からスタート、防災・コミュニティづくりの新機軸に 「ブラウシア」千葉市

「農業委員会、始めました!!」。マンションの広報誌にそんな見出しが躍ったのは今年6月。発行元は千葉県千葉市中央区千葉港にある「ブラウシア」だ。なぜマンションで農業を?理由を探るべく現地を訪ねてみると、そこではコミュニティと防災を見据えた今までにない取り組みが始まっていた。

玉ネギ1000個! 1000平米の畑で始まった本気の野菜づくり

千葉みなと駅から徒歩3分の「ブラウシア」は438戸の大規模マンション。なにかと話題になるのは、現役理事と“オブザーバー”と呼ばれる元理事が協力し合った管理組合のアグレッシブな活動だ。5年前、最寄りのバス停に空港行きリムジンバスの停車を誘致したのは、大きな実績の一つ。最近では千葉市で初となる事前決済式で待ち時間なしのキッチンカーを導入するなど、マンションにメリットのあることならどしどし取れ入れる“スーパー管理組合”なのである。

京葉線と千葉都市モノレールの千葉みなと駅からすぐの場所に立つ「ブラウシア」。竣工は2005年(写真撮影/一井りょう)

京葉線と千葉都市モノレールの千葉みなと駅からすぐの場所に立つ「ブラウシア」。竣工は2005年(写真撮影/一井りょう)

そんなマンションに新たに加わった活動が農業委員会だ。
まず驚いたのはその“本気度”。活動場所はマンションから車で15分ほどの遊休地。1000平米もの土地を借り、ホウレン草、春菊、玉ネギ、ジャガイモ、ナス、トウモロコシなど四季折々の野菜を栽培しているという。育てる量も半端なく、ジャガイモは種イモで50kg分、玉ネギはなんと1000個!

活動の様子はマンションの広報誌「ブラウシアニュース」6月号の表紙を飾り、「一緒に汗を流してみませんか?」と住民への参加も呼びかけている。

「野菜を自分でつくってみたい、土に触れたいなど活動を始めた理由はいろいろですが、とにかく楽しいんです」

こう話すのはメンバーの一人でオブザーバーの加藤勲さんだ。

「農作業は重労働ですが、リモートワークの運動不足解消やストレス発散にもってこい。作業後のビールのおいしさは格別ですし、もちろん、収穫したての新鮮な野菜を味わえるのも特権です。そうやって住民同士で一緒に畑で汗を流せば打ち解けやすく、連帯感も生まれます。コミュニティの醸成にもなることから、農業委員会という形で居住者なら誰でも参加できるようにしました」

「ブラウシアニュース」6月号の表紙(画像提供/ブラウシア管理組合法人)

「ブラウシアニュース」6月号の表紙(画像提供/ブラウシア管理組合法人)

初心者ばかりのメンバーで雑草が茂る土地を野菜畑に

ブラウシアでこの農園活動が始まったのは2021年の秋。きっかけをつくったのは「小湊鐵道」の社員であり、近隣のマンションに住む佐々木洋さんだった。

「畑として使っているのは弊社が所有する土地。将来的な沿線開発を見込んで購入していたのですが、諸般の事情で開発が進まず未活用のままだったのです。点在しているその土地を私が所属していた部署で管理していたのです」

佐々木さんが日ごろから頭を痛めていたのは雑草問題だ。放置された土地には雑草が茂り、その種が周りの畑に害を及ぼすことから、度々クレームが舞い込んでいた。

「1人でコツコツと草刈りをしていましたが、手作業なので1時間で刈り取れるのは車一台分のスペースがやっと。その場所で野菜づくりを始めました。畑として使えば雑草問題が解決できますから。ただ、1人でやるのには限界があって。私はブラウシアの近くのマンションに住んでいて、管理組合の活発な活動はよく知っていました。個人的な知り合いもいたので、『一緒に農園をしませんか』と話をもちかけました」(佐々木さん)

実は、小湊鐵道とブラウシアにはちょっとした縁もあった。小湊鐵道が運営するゴルフ場「長南パブリックコース」の法人会員にブラウシア管理組合法人として登録していたのだ。住民は会員料金で利用でき、マンションのゴルフコンペを開いたこともあったという。

突如、舞い込んだ農園の話だが、さすがスーパー管理組合、その後の動きは早かった。さっそく、理事会有志が畑候補地の視察に訪れ、翌月には加藤さんと前・副理事長の光藤智さんが農園活動のメンバーに立候補。佐々木さんを交えた3人体制のスタートとなった。
「手始めは土地の整備作業。みんなで雑草を抜いて整地をし、畝を立て、植え付けしてとやっていくうちに結束も固まりました」
と加藤さんは振り返る。

整地前の土地。生い茂る雑草を手作業で取り除いたそう(画像提供/ブラウシア農業委員会)

整地前の土地。生い茂る雑草を手作業で取り除いたそう(画像提供/ブラウシア農業委員会)

草刈りを終えた土地はご覧のとおり、まっさらに。ただし、この後に耕作の作業が待っている(画像提供/ブラウシア農業委員会)

草刈りを終えた土地はご覧のとおり、まっさらに。ただし、この後に耕作の作業が待っている(画像提供/ブラウシア農業委員会)

耕作中の一コマ。畑を丁寧に耕すことで元気な野菜が育つ。この日は自治会長など理事会の有志も助っ人として参加した(画像提供/ブラウシア農業委員会)

耕作中の一コマ。畑を丁寧に耕すことで元気な野菜が育つ。この日は自治会長など理事会の有志も助っ人として参加した(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農園活動がスタートして間もない畑の様子。ホウレン草や春菊などが栽培された(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農園活動がスタートして間もない畑の様子。ホウレン草や春菊などが栽培された(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農具などを置く小屋を使いやすい位置に移設するときの作業風景。酷暑のなか、理事会メンバーも大勢駆けつけた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農具などを置く小屋を使いやすい位置に移設するときの作業風景。酷暑のなか、理事会メンバーも大勢駆けつけた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

移設を終えた小屋。廃材を使って屋根や壁を補修し、雨風が凌げるように。貯水槽も移設できた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

移設を終えた小屋。廃材を使って屋根や壁を補修し、雨風が凌げるように。貯水槽も移設できた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農業委員会のメンバーは随時募集中で、今年4月からは光藤さんと同じく副理事長を務めていた今泉靖さんが加わって4人体制になった。

「といっても、まだ少人数なので細かいルールは設けず、何をどのくらい植えるかなどはその都度、話し合って決めています。活動日も特につくらず、それぞれが都合のつくときに行って作業をし、状況や活動結果はグループLINEで共有しています。気をつけているのは隣接する畑の耕作者とできるだけ良好な関係を維持すること。もちろん、土地の所有者である小湊鉄道さんの意向を汲むことも大前提です」(加藤さん)

聞けば、加藤さんはベランダ菜園はやっていたものの、本格的な農作業は初体験。ほかのメンバーも同様で、YouTubeで勉強したり、農作業の経験を持つ先輩たちに聞いたりしながら手探りで始めたそうだが、今ではLINEに専門用語が飛び交うほど詳しくなった。
そんな熱意もあって野菜づくりは順調に進行。収穫物はメンバーで分けても食べきれず、理事会などでお裾分けするなかで農業委員会の認知度はじわじわと広まっているそうだ。

畑に立つ農業委員会のみなさん。左から加藤さん、初参加の鈴木さん、光藤さん、今泉さん、小湊鐵道の佐々木さん。メンバー間で野菜の生育状況を日々共有・相談し合うなかで、経験値と知識を急速に向上させている(写真撮影/一井りょう)

畑に立つ農業委員会のみなさん。左から加藤さん、初参加の鈴木さん、光藤さん、今泉さん、小湊鐵道の佐々木さん。メンバー間で野菜の生育状況を日々共有・相談し合うなかで、経験値と知識を急速に向上させている(写真撮影/一井りょう)

畑に植える苗は各自ベランダで育成。愛らしい芽が伸びる様子に“萌える”メンバーも(写真撮影/一井りょう)

畑に植える苗は各自ベランダで育成。愛らしい芽が伸びる様子に“萌える”メンバーも(写真撮影/一井りょう)

目指すは公認サークル化。今後は農作業の体験会なども計画

農業委員会として、目下、目指してしるのは公認サークル化だ。
「農具や種の購入はメンバーの自費で賄っていますが、公認サークルになれば補助費を受け取れるので活動の幅を広げられます。今、計画しているのは植え付けや収穫などの体験会の開催。より多くの住民で畑作業を楽しむことができますよね。あるいは、採れた野菜をマンション内のイベントの景品にしたり直売をしたり。農園活動に参加できる機会を増やし、それを通じて住民同士のコミュニティをバックアップしていきたいと思っています」(加藤さん)

そんな活動の第一歩として、6月初旬には玉ネギとジャガイモの収穫体験が実施された。あくまでも試験的に催した会だが、小さな子どものいる2組の家族のほか、自治会長や元理事のオブザーバーなど総勢12人が畑に集結した。

まずは玉ネギの収穫作業からスタート。芽の部分を持って引き出すと、土のなかから丸々とした玉ネギが現れて、「楽しい!」「もっと採る!」と子どもたちはたちまち熱中し始めた。大人も「次はここを抜こうかな」「あ、こっちもあった」と口々に話しながらにぎやかに作業が進んでいく。

玉ネギは全部で1000個を栽培。赤玉ネギも植えられ「辛味が少ないからオニオンスライスにして食べると最高ですよ」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

玉ネギは全部で1000個を栽培。赤玉ネギも植えられ「辛味が少ないからオニオンスライスにして食べると最高ですよ」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

小2の娘さんと2歳の息子さんと参加したIさん。「コロナ禍で外に出る機会が少なかったので、久しぶりにいい汗をかきました」(写真撮影/一井りょう)

小2の娘さんと2歳の息子さんと参加したIさん。「コロナ禍で外に出る機会が少なかったので、久しぶりにいい汗をかきました」(写真撮影/一井りょう)

掘り出した玉ネギは畑の上でしばらく乾燥させた後、芽や根を切り落とす(写真撮影/一井りょう)

掘り出した玉ネギは畑の上でしばらく乾燥させた後、芽や根を切り落とす(写真撮影/一井りょう)

玉ネギをすべて掘り出したら、次はジャガイモの収穫だ。男爵イモやメークインなど4種類のジャガイモが植えられているという。
農業委員会のメンバーからレクチャーを受け、参加した子どもが茎を持って引き抜くと根のところにいくつものジャガイモが!
「抜いた周りも掘ってみて。まだまだあるよ」
との声に従い土を掘れば、ジャガイモがゴロゴロと出てきて大きな歓声が挙がった。宝探しのような楽しさに時間を忘れて収穫に励む参加者たち。子どもはもちろん、大人も童心にかえって土と戯れられるのは農園活動の魅力だろう。

こうして2時間ほどですべての収穫が完了。親子で作業した参加者に感想を訊くと、輝く笑顔でこんな答えが返ってきた。

「普段の生活で土に触れることはなかなかないので、こういう機会があれば参加してみたいと思っていたんです。子どもたちはすごく楽しそうでしたし、自分もリフレッシュできました」(Iさん)
「観光農園の収穫体験に参加したことはあるのですが、マンションで実施されていることにびっくり。作業しながら、同じマンションに住む人たちと交流をもてるのもうれしいですね。子どもの友達も誘ってまた参加したいです」(Mさん)

掘り立ての玉ネギとジャガイモはメンバーと参加者で分配したが、それでも余るほどの大豊作。筆者もお裾分けしてもらったが、つくった人たちの顔が浮かぶ新鮮な野菜はおいしさもひとしおだった。

畑から掘り出されたジャガイモ。1つの種イモから10個前後のジャガイモが収穫できる(写真撮影/一井りょう)

畑から掘り出されたジャガイモ。1つの種イモから10個前後のジャガイモが収穫できる(写真撮影/一井りょう)

全員でジャガイモを収穫中。「土の香りに癒されます」と顔を綻ばせるメンバーも(写真撮影/一井りょう)

全員でジャガイモを収穫中。「土の香りに癒されます」と顔を綻ばせるメンバーも(写真撮影/一井りょう)

Mさんは小4の息子さんと5歳の娘さんの3人で参加。好奇心旺盛な息子さんは大きなミミズを見つけて大喜びだった(写真撮影/一井りょう)

Mさんは小4の息子さんと5歳の娘さんの3人で参加。好奇心旺盛な息子さんは大きなミミズを見つけて大喜びだった(写真撮影/一井りょう)

災害時にはマンションに野菜を供出。防災面でも“頼れる農園”に

こうしてマンション内のコミュニティを育む農園活動だが、実はこの活動にはもう一つ、別の目的もある。それは防災だ。
加藤さんは5年前、管理組合下におかれた防災委員会で初年度から委員長を務め、防災活動に人一倍力を注いでいる。マンションが農園をもつことは災害時の強みになると力を込めていう。

「政令指定都市のなかで震度6以上の地震が今後30年以内に起こる確率が最も高いのが、僕らが住む千葉市と言われています。そのため防災体制の強化は管理組合の重要課題であり、防災委員会ではさまざまな施策を講じています。そのなかで話題に挙がるのは備蓄の問題。マンションとしての備蓄はスペースの点から難しく、世帯それぞれで水や食料などを確保してもらうのが大原則ではあるのですが、農園があれば多少なりとも食料の確保に役立つのではないかと。被災時には収穫物をマンションに供出しようと思っています」(加藤さん)

確かに災害で避難生活を余儀なくされたとき、畑にイモ類などの野菜があれば食料になり、炊き出しもできるだろう。育ちが早い葉物野菜なら避難生活を送りながら栽培することも可能だ。
「こうした考えに賛同して農業を一緒にしてくれる仲間が増えたら、新たに整地し、農地を広げることも考えています。そうすれば安心感はより高まるはずです。小湊鐵道さんの協力あってのことですが」(加藤さん)

6月初旬に収穫したジャガイモは段ボール3箱分!「備蓄しやすいイモ類は被災時も活躍するはず」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

6月初旬に収穫したジャガイモは段ボール3箱分!「備蓄しやすいイモ類は被災時も活躍するはず」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

夏に向けてトウモロコシもすくすく成長中(写真撮影/一井りょう)

夏に向けてトウモロコシもすくすく成長中(写真撮影/一井りょう)

もちろん、農園活動で育まれたコミュティも防災の大きな力になる。日ごろから住民同士が良好な関係を築いておけば、万が一のときにお互い助け合うことができるからだ。
特に今回、強く感じたのは畑で生まれるコミュニティの深さ。手足を土で真っ黒にしながら無心で作業をすると誰もが”素”に戻るからだろうか、人と人の心の距離がすーっと自然に近くなることを実感した。農作業を手伝い合ったり、収穫した野菜をみんなで集めて運んだりと共同作業が多いのも、交流を深めるよいきっかけになるだろう。

農園活動はどのマンションでも真似できるわけではないけれど、マンションコミュニティの新しい形が生まれていることは確かである。

●取材協力
ブラウシア管理組合法人

倉敷がいま若者に人気の理由。廃れない街並みの背景に地元建築家と名家・大原家の熱い郷土愛

江戸情緒あふれる町並みが魅力の観光地・岡山県倉敷。観光の中心地点となる美観地区を流れる倉敷川に沿って、江戸時代から残る木造の民家や蔵を改装したショップやカフェ、文化施設などが立ち並びます。空襲を免れたことで旧家が残り、観光資源として活用されている倉敷ですが、それだけではなく、印象派絵画のコレクションで知られる「大原美術館」や、工場跡をホテルにコンバージョンした「倉敷アイビースクエア」など、決して広くはないエリアに国内有数の観光施設が点在しています。
古い建物が残る地域は日本各地に見られる中で、倉敷にこれほど魅力的なスポットが集中する理由はどこにあるのでしょうか。
倉敷で生まれ育ち、すみずみまで知り尽くす建築家の楢村徹さんに、長年倉敷の古民家再生にかかわってきたからこそ見えてきたまちの魅力を伺いました。

倉敷の土台を築いた名士、大原家近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷はまちも人も恵まれた場所ですね。古いものが残っていて、常に新しいことを仕掛けていこうというエネルギーがある。一朝一夕ではない、時間をかけて育まれた文化が根付いています」
建築家として全国のまちを訪れてきた楢村さん。自身の出身地であることを差し引いても、倉敷は面白いまちだといいます。
伝統的な町並みの印象が強い倉敷のまちに対し「新しい」というワードも不思議な気がしましたが、確かに倉敷を代表する建造物は建設当時の最先端を行くものです。大原美術館に採用されているヨーロッパの古典建築を再現するデザインは、建築家の薬師寺主計がヨーロッパ各国の建築を学び設計したもの。文化の面でも欧米列強を追いかけていた当時の日本において、芸術の殿堂と古代ローマ建築をモチーフとするデザインとの組み合わせは、ここでしか見られないオリジナルなアイデアです。蔦で包まれた外壁が特徴のアイビースクエアも、産業遺産である工場をホテルに転用する、日本でも先駆け的なプロジェクトでした。

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

伝統を崩さず、新しさを採り入れる

さらに總一郎は、建築家の浦辺鎮太郎とともに市と連携して倉敷市民会館や倉敷市庁舎、倉敷公民館など市民の生活を支える施設を整備していきます。
大原美術館と並び倉敷観光の中心を成す倉敷アイビースクエアも、もともと倉敷紡績の工場だったものを浦辺の設計でコンバージョンして蘇らせた文化複合施設です。

「倉敷には江戸時代以来の商人のまちとしての歴史があって、時代ごとに築きあげてきたものが積み重なっていまの倉敷をつくっているんです。空襲にもあいませんでしたから。ドイツに中世につくられた道や建物がそのまま残っているローテンブルクというまちがあるんですが、總一郎さんが倉敷をドイツのローテンブルクのようなまちにしようと呼びかけた。そこからいろんな人たちが協力して古いまち並みを残してきた結果、一周遅れのトップランナーといった感じで注目されるようになってきた。いま我々がやっているのはそれを生かして新築ではできない魅力をさらに積み重ねていく、新しいエッセンスを加えて次の世代にわたしていくと、こういうことです」

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷は町家造りの建物が並んでいて、広場になるような場所がないんです。だけど建物の正面から一歩奥に入ると、細い路地がポケットパーク的に点在しています。日常的に使わないから物置として放置されていたりもするんですが、大きなテーマとして、そういった本来裏の空間である路地空間を表の空間として皆が入ってこられる場所にすることと、それらをつないでいくことでまちに奥行きをつくりだして歩いて散策できるまちにすること、このふたつに取り組んでいます」

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もともと私は古民家が好きとか、古い建物が好きとかそういうわけでもないんです。新しいデザインを追求した結果、古民家がもっている歴史の積み重ねに新しい要素を加えることを考えました。若いころに読んでいたヨーロッパの建築雑誌には、石造りの古い建物をリノベーションした建築が載っていて、これが非常にモダンで格好良いんです。そういうものを見て、自分もやってやろうというモチベーションでしたから、一番新しいデザインだと思ってやっています。長い年月を朽ちることなく耐え抜いてきた古民家に使われているのは、選びぬかれた本物の材料です。いまでは手にはいらないような貴重な材料でつくられているから、時間が経っても古びない、むしろ味わいが増していく魅力があると思います」

いいものをつくることが、保存への近道

楢村さんは建築家として独立した30年以上前に同世代の建築家たちと「古民家再生工房」を立ち上げ、全国の古民家を改修する活動を続けてきました。当時はバブル真っ只中。建築業界では次々に建て変わる建物の更新スピードと並走するように、目まぐるしくデザインの傾向が変わっていきました。そんななか、地道に古民家の改修を続ける楢村さんたちの活動はどのように受け止められたのでしょうか。

「建築の設計に携わっている専門家ほど、『お前らそんな仕事しかないのか』と見向きもしない傾向はありました。でも建物を建てるのは一般の人なんだから、専門家からどう言われようが自分たちが信じたことをやっていけば良いとは思っていました。
地元のメディアに働きかけてテレビやラジオ、雑誌に取り上げてもらったり、講演会や展覧会を自分たちでずっと継続してきて、一般の人たちに建築デザインの魅力や古民家再生の良さを知ってもらおうと活動してきました。
それまでは古民家というと保存する対象で、古い建物を東京の偉い先生が見に来てこれは残すべきだとか、大切に使ってほしいとかそういうことを言ってきたわけです。でも建物の持ち主からすれば、歴史的な価値がどうとか言われてもよくわからないですよね。
それを我々はアカデミックな見方ではなくて、現代の目で見て良いデザインに生まれ変わらせようという視点で設計してきたから受け入れられたんだと思います。若い人たちがここに住みたいと思うようなものにしてしまえば、保存してほしいなんて言わなくても使い続けてもらえるわけですからね」

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「そんなことを十年以上やっていたら、倉敷で中心市街地の活性化事業がスタートしたときに声をかけてもらって。もう十五年以上、倉敷の町家再生に携わっています。といっても単に建物を改修するだけではダメで、そこをどんな場所にするのか、お店をやるならどんな内容にするのかとか、どうしたらちゃんと事業として回っていくのかとか、中身のことも一緒に考えていくから設計の仕事は全体の3割位ですね。
なにかお店を入れようと思ったら周りとの調整も必要だし、1つの建物を生まれ変わらせるのに4、5年かかるのが普通です。その間はお金にもならないし、思うようにいかないことばかりで大変ですが、誰かがやらなくちゃいけないことですから。本当はなにも描いていないまっさらな白紙に、倉敷がこんなまちになったら良いななんてイメージを描いていくのが一番楽しいんですが、実現しないとなんの意味もない。思い描いたうちの8割でも7割でも、かたちにして次につないでいくことが、我々がいますべきことだと思っています」

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「理想は観光客に対してではなく、倉敷に住む人にとって良いまちにしていくこと、その結果、外の人が来ても楽しめるまちになるといいなと思ってやってきました。最近は若い人たちが倉敷のまちづくりに関わるようになってきています。私の事務所から独立して町家の改修をやっている人もいるし、頑張って新築をつくっている人も。
そうやって若い人たちが集まってきて、やりたいことを実現できる土壌があって、それがちゃんと経済的にも成り立つだけのポテンシャルがある。これまで倉敷が積み重ねてきた文化の地層に、新しい要素を付け加えながら、次の倉敷をつくっていってほしいですね」

●取材協力
楢村徹さん

倉敷の木密地域が「防災大賞グランプリ」! 美観地区を防災とにぎわいの拠点に 岡山・あちてらす倉敷

全国にある木造住宅が密集する地域は、木密地域(もくみつちいき)と呼ばれ、火災の発生や、細い路地を緊急車両が通れないなどの防災上のリスクを抱えています。岡山県倉敷市では、長年、駅前の木密地域の再開発を構想し、2021年10月に複合施設「あちてらす倉敷」をグランドオープンしました。地域防災の強化とともに住環境を改善したプロジェクトは、強靭な国づくり、地域づくりの活動等を実施している企業・団体を評価・表彰する「ジャパン・レジリエンス・アワード(強靭化大賞)2022」で最高位の「グランプリ」を受賞。こちらの事例を通じて、木密地域における街づくりの課題と、どう乗り越えてにぎわいに結びつけたのかを取材しました。

木造住宅が密集する市街地は、火災や自然災害のリスクが高い

倉敷市では、倉敷駅に近い市中心部(阿知3丁目東地区)に老朽化した木造住宅が密集する地域があり、過去には火災が発生していました。さらに狭小敷地が多く、狭い道路や行き止まり道路が多いため、消防車による消防活動が難しいという防災面での課題がありました。

再開発前の阿知地区の木密地域。駅前に老朽化した住宅や店舗が立ち並んでいた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発前の阿知地区の木密地域。駅前に老朽化した住宅や店舗が立ち並んでいた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発前の商店街。シャッターを下ろしたままの店舗が多く、人通りが少なかった(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発前の商店街。シャッターを下ろしたままの店舗が多く、人通りが少なかった(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

2011年の東日本大震災で住宅密集地域が甚大な被害を受けたことから、翌年、国土交通省は「地震時等に著しく危険な密集市街地」を公表。当時、全国で約6000haにのぼり、そのうち東京都が約1683ha、大阪府が約2248haを占めていました。首都直下型地震が予想される東京都で、一層の木密地域解消を目標に「不燃化10年プロジェクト」がはじまったのもこの時期でした。

一方で、木密地域には、固有の文化やコミュニティが形成され、特色をもった地域の魅力がつくり出されている場合もあります。阿知地区の南側は、白壁土蔵のなまこ壁、軒を連ねる格子窓の町屋など日本の伝統的で美しい街並みが保全されている美観地区と接しています。再開発では、防災力を向上するだけでなく、倉敷の個性や魅力が伝わる街づくりを目指しました。

柳並木が連なる倉敷川沿い。国から重要伝統的建造物群保存地区に指定されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

柳並木が連なる倉敷川沿い。国から重要伝統的建造物群保存地区に指定されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

古い商店街を含む市街地が、ホテルと分譲マンション・商業・公共施設を有した複合施設「あちてらす倉敷」に生まれ変わった

JR岡山駅から在来線で約20分、JR新大阪駅からは新幹線と在来線で約1時間半の倉敷駅。南側には、昭和初期から続く一番街商店街がありましたが、近年は空き店舗が目立ち、建物の老朽化が進んでいました。倉敷市では、1994年ころから、木密地域の再開発を構想していましたが、建て替えが進みにくい状況でした。2007年4月から始まった「倉敷市阿知3丁目東地区第一種市街地再開発事業」に2016年1月から参画した旭化成不動産レジデンス開発営業本部齋藤淳さんに開発の経緯を伺いました。

再開発エリアは、倉敷中央通りと倉敷一番街商店街にはさまれた約1.7haで、駅からは徒歩5分。倉敷駅と美観地区の中間地点にある(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発エリアは、倉敷中央通りと倉敷一番街商店街にはさまれた約1.7haで、駅からは徒歩5分。倉敷駅と美観地区の中間地点にある(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「再開発事業は、倉敷市の意向をふまえながら、事業コンサルタントで設計監理者のアール・アイ・エーと工事を請け負った特定業務代行者藤木工務店と共に官民一体で推進してきました。旭化成不動産レジデンス、株式会社NIPPOは、マンション事業者としてマンションの商品開発を担いました。過去に何度も火災があったと聞いていましたし、再開発途中に西日本豪雨による真備町の洪水がありました。火災、水害への備えはもちろんですが、美観地区の玄関口として、街全体の魅力を高める街づくりが必要だと考えていたんです。それらをふまえ、『あちてらす倉敷』の開発に着手しました」(齋藤さん)

再開発工事中の阿知3丁目地区。再開発事業では、施行地区内の木造建築物を解体し、建て替えや道路整備を行った(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発工事中の阿知3丁目地区。再開発事業では、施行地区内の木造建築物を解体し、建て替えや道路整備を行った(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

完成した「あちてらす倉敷」。中央通路をはさんで右側が分譲マンションや市営駐車場のある南棟、左側がホテルや店舗のある北棟(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

完成した「あちてらす倉敷」。中央通路をはさんで右側が分譲マンションや市営駐車場のある南棟、左側がホテルや店舗のある北棟(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

倉敷市に再開発の構想が浮上してから約27年、2021年10月10日、「あちてらす倉敷」がグランドオープンしました。白壁や木格子など倉敷美観地区の建築表現を取り入れた外観の施設には、「ホテル グラン・ココエ倉敷」が入る北棟、分譲マンション「アトラス倉敷ル・サンク」を中心に商業・医療施設、市営駐車場を含む南棟があります。

北棟外観。1~2階が店舗とホテルエントランスで、上階はホテルの宿泊施設(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

北棟外観。1~2階が店舗とホテルエントランスで、上階はホテルの宿泊施設(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

南棟外観。左にある住宅棟に隣接する2~4階が市営駐車場、さらに上階はマンション居住者専用駐車場になっている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

南棟外観。左にある住宅棟に隣接する2~4階が市営駐車場、さらに上階はマンション居住者専用駐車場になっている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

木造住宅の建て替えや雨水浸透桝で火災・水害に備え、施設内の市営駐車場を避難場所へ

「あちてらす倉敷」には、防災のための工夫が随所に設けられています。

「再開発前は、幅4mに満たない道路や路地が多く、倉敷駅南口周辺には避難場所がありませんでした。そこで、耐火性能の高い鉄筋コンクリート造へ建て替え、道路を拡幅するなど、防災性の強化を行っています」(齋藤さん)

そのほか、力を入れたのは、豪雨による水害対策です。洪水ハザードマップによると、このエリアは、洪水浸水想定区域で想定浸水深は約1.4mあり、雨水への対策が必要でした。

「公共空地などに浸透性ブロック舗装と雨水貯留ブロックを用い、全域に雨水浸透桝を設置。雨水浸透桝は、エリア内の民間企業の協力も得られ、開発街区全体で108カ所設置でき、街全体で雨水処理能力が大幅にアップしました。さらに、避難のため、南棟にある24時間利用可能な市営駐車場の台数を再開発前より増やし、緊急時、車ごと避難できるようにしました。南棟にある市民交流施設の『あちてらすぽっと』も、避難場所として使えます」(齋藤さん)

市営駐車場と「あちてらすぽっと」の2階の床は、想定浸水高さを上回る高さに設計(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

市営駐車場と「あちてらすぽっと」の2階の床は、想定浸水高さを上回る高さに設計(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「あちてらすぽっと」。常時はワークスペースや休憩場として利用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「あちてらすぽっと」。常時はワークスペースや休憩場として利用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発エリア内の公共空地と民有地の一部をオープンスペースとして活用し、にぎわいを創出

再開発で改善されたのは、防災面だけではありません。中央通路や、芝生広場を公共空間として設けることで、さまざまなイベントが催されるようになりました。

「エリア内には、約500平米ものオープンスペースがあります。中央通路や駅前古城池霞橋線の沿道は、市所有の公共空地ですが、都市再生推進法人制度を導入することで、民間がイベントの企画や運営など、にぎわいのための取組みを実施できるようになりました。芝生広場は、半分が公共空地で、残りが民有地ですが、あわせて誰でも使えるオープンスペースとして開放されています」(齋藤さん)

南棟と北棟の間にある中央通路は、歩行者専用(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

南棟と北棟の間にある中央通路は、歩行者専用(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

オープンカフェなど、人と集う場として中央通路が活用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

オープンカフェなど、人と集う場として中央通路が活用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

周囲にデッキがある芝生広場(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

周囲にデッキがある芝生広場(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

北棟1階西側は店舗が並び、旧商店街のにぎわいを取り戻しつつある。道路をはさんだ向かい側の商店街も人通りが増えてきた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

北棟1階西側は店舗が並び、旧商店街のにぎわいを取り戻しつつある。道路をはさんだ向かい側の商店街も人通りが増えてきた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「倉敷駅近くに魅力のあるホテルや商業施設ができたので、美観地区や大原美術館をじっくり見ることができます。瀬戸内の美味しいものを食べたり、ホテルに泊まって、ゆっくり倉敷を堪能して欲しいです。今後は、街の滞在時間が増えていくと期待しています」(齋藤さん)

コロナ禍の影響で減少していた観光客はゴールデンウィーク明けに復調の兆しがあり、外国人観光客も多かった美観地区の客足はこれから戻ると予想されています。安全と暮らしやすさを両立しながら、街の個性を生かす取り組みは、全国にある木密地区の街づくりのヒントになると感じました。

●取材協力
・旭化成不動産レジデンス

東京駅まで30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

東京駅は、東西南北に走るJRの在来線各線に加え、新幹線の始発駅でもあり、東京メトロ丸ノ内線も乗り入れている。駅周辺には多数のオフィスビルが林立し、東京を代表するビジネスの要所でもある。もはや開発の余地もないかに思えたが、東京駅前・八重洲エリアでは現在、大規模再開発が繰り広げられている。今回は、ますますの発展が期待される東京駅まで30分圏内にある駅の価格相場を調査! 専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの中古マンションの価格相場が安い街をご紹介しよう。

東京駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

東京駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/東京駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 十条 2089万円(JR埼京線/東京都北区/24分/1回)
2位 お花茶屋 2180万円(京成本線/東京都葛飾区/30分/1回)
3位 大森海岸 2355万円(京浜急行本線/東京都品川区/27分/1回)
4位 西馬込 2440万円(都営浅草線/東京都大田区/29分/1回)
5位 西川口 2498万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/26分/1回)
6位 川口 2580万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/23分/1回)
6位 鶴見 2580万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市鶴見区/25分/1回)
8位 新宿御苑前 2590万円(東京メトロ丸ノ内線/東京都新宿区/15分/0回)
9位 大森 2640万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/17分/1回)
10位 馬込 2735万円(都営浅草線/東京都大田区/27分/1回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/東京駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 足立小台 2799万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区/27分/2回)
2位 竹ノ塚 2980万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/30分/2回)
3位 松戸 2989.5万円(JR常磐線/千葉県松戸市/27分/0回)
4位 青井 3180万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/25分/1回)
5位 西船橋 3219.5万円((JR京葉線//千葉県船橋市/29分/0回)
6位 お花茶屋 3300万円(京成本線/東京都葛飾区/30分/1回)
7位 五反野 3380万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/27分/1回)
7位 六町 3380万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/27分/1回)
7位 西新井 3380万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/27分/1回)
10位 堀切菖蒲園 3385万円(京成本線/東京都葛飾区/28分/1回)

名物商店街と再開発で注目される十条駅が「シングル向け」1位に

駅周辺の再開発で注目が高まる東京駅。駅東側の八重洲エリアに2021年には地上38階建ての商業・オフィスの複合ビル「常盤橋タワー」が竣工し、商業ゾーンがグランドオープンしている。隣接地では2027年度の竣工を目指して日本一の高さとなるシンボルタワービル「Torch Tower」を建設中だ。さらに2022年9月には「東京ミッドタウン八重洲」の一部エリアが先行オープンとなり、2023年3月にはグランドオープンを迎える予定だ。

そんな東京駅まで30分圏内にある駅のうち「シングル向け」中古マンションの価格相場が最も安かったのは、東京都北区にあるJR埼京線・十条駅で価格相場は2089万円。東京駅まで乗り換え1回・約24分で行けるほか、JR埼京線で池袋駅まで2駅、新宿駅まで3駅、渋谷駅まで4駅という便利な立地だ。十条駅の名物といえば、駅北口を中心に広がる「十条銀座商店街」だろう。このアーケード商店街には170店舗以上が軒を連ねており、食料品や日用品の買い出しから食事までここにくればまかなえる。テイクアウトできる総菜やお弁当のお店も充実し、仕事帰りに買って自宅ですぐ夕食を楽しむこともできる。駅周辺にはコンビニも点在しているので、早朝や深夜のちょっとした買い物にも困らない。

十条銀座商店街(写真/PIXTA)

十条銀座商店街(写真/PIXTA)

また、十条駅西口では再開発が進行中。住宅・商業・公益一帯の複合施設「J&TERRACE(ジェイトテラス)」「J&MALL(ジェイトモール)」の建設に着工し、2024年度中の完成を目指している。さらに十条駅周辺のJR埼京線を1.5km区間に渡り高架化し、道路と鉄道を立体交差化する工事も進められている。こちらは2030年の完成予定とまだ先だが、これから十条の街は大きく様変わりしていくだろう。

2位は東京都葛飾区の京成本線・お花茶屋駅で価格相場は2180万円。東京駅までは乗り換え1回・約30分で到着する。駅周辺にはドラッグストアや100円ショップ、コンビニが点在し、徒歩10分圏内にスーパーも複数あるので日常の買い物には困らないだろう。駅北側の商店街にはラーメン店や洋食店、魚料理が自慢の食事処やインドカレー店などもあるので、お気に入りの店を探して食べ歩いても楽しそう。ちなみにお花茶屋駅は「カップル・ファミリー向け」ランキングでも6位にランクインしており、シングル向け物件だけでなく広めの中古マンションもリーズナブルな物件がそろっているようだ。

お花茶屋駅(写真/PIXTA)

お花茶屋駅(写真/PIXTA)

3位には東京都品川区にある京浜急行本線・大森海岸駅がランクイン。価格相場は2355万円で、東京駅には乗り換え1回・約27分で行くことができる。かつては駅近くにまで海岸が迫っていたため付いた駅名だが、その後に埋立地が形成されて現在は海からは少々離れている。駅東側に広がる平和島や城南島といった埋立地には複数の公園があるほか、「大井競馬場」や「しながわ水族館」がある勝島も埋立地の一つ。水族館は「しながわ区民公園」の一角にあり、緑豊かな園内には海水を引き入れた人工湖や芝生広場も。2021年には水族館がある南側ゾーンの再整備が完了したところなので、きれいな園内で息抜きするのもよいだろう。

商業施設は大森海岸駅の西側に多く、複数のコンビニのほかにショッピングモールのイトーヨーカドーやスーパーの西友も徒歩10分圏内。そのまま西へと歩くと、大森海岸駅から徒歩10分弱で9位にランクインしたJR京浜東北・根岸線の大森駅へ。大森駅には駅ビル「アトレ大森」が併設されており、ここで買い物をすることも可能だ。

また、都営浅草線の4位・西馬込駅と10位・馬込駅は共に9位・大森駅から車で10分ほどの近さ。3位・大森海岸駅、4位・西馬込駅、9位・大森駅、10位・馬込駅はいずれも東京駅から南へ直線距離で11kmほどと大差ない立地なのだ。しかしこの4駅の価格相場には最大380万円の開きがあり、東京駅までの所要時間も約17分~約29分と違いがある。似通ったエリアにあっても価格相場やアクセスの利便性は駅ごとに変わってくるので、今回のようなランキング情報を参考にしながら物件探しをしたほうが後悔のない住まい探しができそうだ。

「カップル・ファミリー向け」には「子育てにやさしいまち」の駅もランクイン

「カップル・ファミリー向け」の1位は、東京都足立区にある日暮里・舎人ライナーの足立小台駅。価格相場は2799万円で、東京駅までは乗り換え2回・約27分で到着する。この駅は北に荒川、南に隅田川が流れる立地で、高架の駅を降りると広々とした荒川土手が目の前に広がる。東側の駅前には家電量販店、西側の駅前にはスーパーを併設したホームセンターが建っている。荒川に架かる扇大橋や隅田川に架かる尾久橋を越えた、駅から徒歩15分圏内にはコンビニやスーパーも。川に挟まれた細長い地形のため駅前の土地面積が広くはない足立小台駅周辺で物件を探すなら、駅からの近さにこだわり過ぎず、川を越えたエリアも視野に入れたほうが物件の選択肢も増えそうだ。

足立小台駅(写真/PIXTA)

足立小台駅(写真/PIXTA)

2位は東京都足立区に位置する、東武伊勢崎線・竹ノ塚駅で価格相場は2980万円。東京駅までは乗り換え2回・約30分で行くことができる。竹ノ塚駅の1駅隣は急行が停車する7位・西新井駅で、3駅先には同額7位・五反野駅があり、さらにそのまま東武伊勢崎線に乗っていると浅草駅にたどり着く。そんな竹ノ塚駅は2022年3月に上下緩行線(普通列車)の高架化が完了し、新駅舎もできたばかりというまだ新しさを感じる駅。この高架化により「開かずの踏切」がなくなり、駅周辺のアクセスの利便性が向上した。駅周辺にはUR賃貸住宅の集合住宅をはじめとした住宅地が広がり、スーパーやコンビニ、ファストフード店などの飲食店もそろっている。また、足立区では「竹ノ塚エリアデザイン」計画に着手。これは駅高架化を「東西一体となった街づくり」の好機だととらえ、将来に向けて街の魅力向上を目指すもの。まだ具体的な実行計画までは立てられていないが、今後の進化を楽しみにしたい。

この足立区による街づくり「エリアデザイン」は、同額7位の六町駅と西新井駅の周辺エリアでも進行中。いずれも民間の協力を得ながら駅前を中心とした街を再整備する計画が、竹ノ塚エリアに先立って策定されている。これからより魅力的な街の実現に向けて取り組んでいくそうで、注目のエリアと言えるだろう。

「カップル・ファミリー向け」トップ10には東京都足立区の駅が6つもランクインしており、京成本線の6位・お花茶屋駅と10位・堀切菖蒲園駅も足立区に隣接する東京都葛飾区にある。この計8駅は直径7kmほどの円内に収まる近い位置関係だ。そんななか3位には千葉県松戸市にある、JR常磐線・松戸駅が価格相場2989万5000円でランクイン。東京都外に位置しながら、東京駅までは乗り換え0回・約27分で行くことができる。これは上野駅~東京駅を途中停車駅なしで結ぶ、JR上野東京ラインに直通運転されるJR常磐線が通っているおかげ。この列車に乗ると6駅目が東京駅という近さなのだ。東京駅を基点に住まい探しをすると都内の駅に目が向きがちだが、路線によっては都外でもアクセスしやすい駅があることも頭に入れておきたい。

松戸駅西口前の様子(写真/PIXTA)

松戸駅西口前の様子(写真/PIXTA)

さて松戸駅の様子を見てみると、JR常磐線に加え新京成線も乗り入れており、新京成線では一番の乗降客数を誇るターミナル駅でもある。JR常磐線の各駅停車は東京メトロ千代田線と直通運転されているため、大手町駅や霞ケ関駅、赤坂駅、表参道駅などにも乗り換えなしで行ける点も魅力的だ。また松戸駅は現在、改良工事中で、2027年春の完成を目指して東西通路の拡幅や駅南側の駅ビル建設などが進められている。あわせて西口駅前広場の整備も進行中なので、あと5年ほどで新たな松戸駅の姿が見られそうだ。

そんな松戸駅には駅ビル「アトレ松戸」が併設され、食料品からファッション、雑貨のお店、レストランまで多彩な店舗が揃っている。駅近くには松戸市役所もあるなど市の中心地と言えるエリアで、駅周辺は多くの人が行き交う繁華街。駅西口側に「キテミテマツド」、東口側には「プラーレ松戸」というショッピングモールもあるなど商業施設が充実している。一方で駅から歩いて5分ほどの場所には松戸中央公園や相模台公園といった憩いの場もあり、駅から西に10分も歩くと散策路が整備された江戸川河川敷へ。のびのび遊びたい子どもがいるファミリーも暮らしやすそうな環境だ。

ちなみに松戸市は2017年には市内全23カ所の駅前・駅ナカへの小規模保育施設の整備が完了し、「待機児童6年連続ゼロ」(※2021年4月時点の国の基準)を誇るなど「子育てにやさしいまち」を掲げている。これから育児をする環境として住まい探しをする場合は、こうした市の子育てに関する取り組み・支援も念頭に置きつつ立地選びをするのも大切だろう。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/2~2022/4
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年5月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

白馬村から雪が消える?! 長野五輪スキー会場も直面の気候変動問題、子ども達の行動で村も変化

スキーやスノーボードをする人、山を愛する人はもちろん、そうでない人にもおなじみのリゾート地、長野県白馬村。長野五輪も開催されたこの村は、サーキュラーエコノミー(循環経済)に本気で取り組み、2021年にはグッドデザイン賞も受賞しました。人口1万人弱の小さな村で今、何が起きているのでしょうか。現地で取材してきました。

スノーリゾートで人気の街が雪不足の年も。気候変動を体感し、危機感連休明けの5月、白馬の人たちは「今が一番いい季節」と口をそろえていました(写真撮影/嶋崎征弘)

連休明けの5月、白馬の人たちは「今が一番いい季節」と口をそろえていました(写真撮影/嶋崎征弘)

“白馬村とサーキュラーエコノミー”と聞いて、その関係にすぐにピンとくる人は少ないかもしれません。また、大変お恥ずかしい話ですが、筆者は「サーキュラーエコノミー」を正しく理解しておらず、「環境問題に関することでしょ?」などとぼんやり捉えていましたし、正直に話すと、環境問題に特に意識の高い人達にしかまだ定着していない言葉なのかなと思っておりました。

植えられたばかりの稲が風にそよいでいます。山の近さがおわかりいただけるでしょうか(写真撮影/嶋崎征弘)

植えられたばかりの稲が風にそよいでいます。山の近さがおわかりいただけるでしょうか(写真撮影/嶋崎征弘)

サーキュラーエコノミーとは、日本語に直訳すると「循環型経済」で、廃棄されてきた製品や原材料を資源ととらえ、限りなく循環させていく経済の仕組みのことをいいます。今まで製品は生産、消費、廃棄が一方通行で大量生産大量消費を繰り返すことで経済を発展させてきましたが「サーキュラーエコノミー」では、使用が終わった製品を廃棄せずに資源と捉えて循環させ、廃棄物と汚染を発生させずに、環境と経済を両立するという考え方です。

欧州を中心に今、急速に世界中に広まりつつある考え方ですが、では、なぜ日本のリゾート地である白馬村でいち早く取り組んでいるのでしょうか。その背景を聞いてみました。

お話を聞かせてくださった白馬村観光局の福島洋次郎さん。真冬でも日課である犬散歩が大好きな愛犬家です(写真撮影/嶋崎征弘)

お話を聞かせてくださった白馬村観光局の福島洋次郎さん。真冬でも日課である犬散歩が大好きな愛犬家です(写真撮影/嶋崎征弘)

「そもそものはじまりは地元の高校生のアクションなんです。この数年、雪不足の年があったと思ったら、ドカ雪の年があったり。『気候変動の影響かね』『スノーリゾートなのに雪がないなんて笑えないよね』なんて私たちも話していたんですが、子どもたちは自分ごととして捉え、2019年、気候変動危機を訴える『グローバル気候マーチ』を起こしたんです」と話してくれたのは、白馬村観光局で働く福島 洋次郎さん。

子どもたちの真剣な意思表示を、白馬村の大人たちは無視しませんでした。2019年、『白馬村気候非常事態宣言』を白馬村の村長が打ち出し、白馬村では持続可能社会のあり方を考える「サーキュラーエコノミー」に取り組むようになったのです。雪の減少による観光客減という背に腹は代えられない面もあったのかもしれませんが、山を愛し、気候変動を肌に感じるからこそのスピード感といえるかもしれません。

5月の白馬の峰々。圧倒的に尊く、「これは次世代に引き継ぐべき宝だ!」という思いに駆られます(写真撮影/嶋崎征弘)

5月の白馬の峰々。圧倒的に尊く、「これは次世代に引き継ぐべき宝だ!」という思いに駆られます(写真撮影/嶋崎征弘)

取材で訪れたのはウィンターシーズンが終わり、新緑が眩しい5月でした。大きく美しい空と山に残る雪、緑に圧倒され、「環境問題はファッションやきれいごとではないんだ」と胸に迫ってきます。「意識高い」などと思っていた自分の浅はかさ、愚かさが心底恥ずかしくなりました。

雪解け水が地下を通り、湧水となってできた青木湖。夏のアクティビティとしてサップ体験が人気です(写真撮影/嶋崎征弘)

雪解け水が地下を通り、湧水となってできた青木湖。夏のアクティビティとしてサップ体験が人気です(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

湧水ならではの透明感と美しさ。都会で薄汚れた心を浄化してくれました(写真撮影/嶋崎征弘)

湧水ならではの透明感と美しさ。都会で薄汚れた心を浄化してくれました(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

断熱改修、自然エネルギー由来の導入など、行動が早い

そこからの動きは素早く、2020年夏には白馬村で初めての「GREEN WORK HAKUBA」が開催されました。これは、白馬村の事業者や村外のパートナー企業がカンファレンス、ワークショップを重ねながら、白馬村の課題を掘り出し、持続可能なリゾートへと変化するために、解決法や取り組みを考えるプロジェクトです。広告会社の新東通信内に設置された「CIRCULAR DESGIN STUDIO.」と協力して立ち上げました。

過去の「GREEN WORK HAKUBA」開催時の様子(写真提供/CIRCULAR DESGIN STUDIO.)

過去の「GREEN WORK HAKUBA」開催時の様子(写真提供/CIRCULAR DESGIN STUDIO.)

「サーキュラーエコノミーを発信する日本のトップ研究者、SDGsに力を入れていて環境保全にも取り組む企業関係者などが白馬村に滞在・宿泊しながら、持続可能な経済、白馬村のあり方について、ディスカッションしたりアイデアを出し合ったりします。山の目の前、大自然・屋外でワークショップするとね、普段は出ないようなアイデア、素直な議論ができるんですよ」と福島さんは続けます。

GREEN WORK HAKUBAのワークショップ会場「白馬岩岳マウンテンリゾート」(写真撮影/嶋崎征弘)

GREEN WORK HAKUBAのワークショップ会場「白馬岩岳マウンテンリゾート」(写真撮影/嶋崎征弘)

自然に囲まれてワークショップをする「GREEN WORK HAKUBA」、今年も7月に開催予定です(写真撮影/嶋崎征弘)

自然に囲まれてワークショップをする「GREEN WORK HAKUBA」、今年も7月に開催予定です(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬三山に向かって漕ぎ出すブランコは、ゼロ・カーボンだけど体験したくなるアクティビティ。発想がすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬三山に向かって漕ぎ出すブランコは、ゼロ・カーボンだけど体験したくなるアクティビティ。発想がすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

すごいのはアイデアを出して終わりだけではなく、行動まで進めてしまうところ。たとえば、課題としてあげられていたのが、白馬南小学校をはじめとした校舎や建物の断熱性能の低さ。2021年秋には、企業やプロの協力をとりつけ、小学生のDIYによって断熱改修が行われたそう。

「企業に断熱材を提供してもらい、建築士の先生、地元の工務店のプロに手ほどきを受けながら、小学生自身が校舎の断熱改修を実施しました。すると教室が大幅に暖かくなり、今まで昼にはなくなっていた灯油が午後まで残り、驚くほど暖かくなったそうです」(福島さん)

(写真提供/白馬村観光局)

(写真提供/白馬村観光局)

「建物の断熱性を高めてエネルギー消費量を減らし、二酸化炭素の排出量を削減しつつ、教室も暖かくなって健康・快適になる」、そんな経験、お金を払ってでもしてみたいです。しかも小学生のうちから経験できるなんて、うらやましい……。そして何よりすばらしいのが、絵に描いた餅だけでなく、行動をしているところ。すばやい取り組みを見ると、みなさん本気なんですね。

リフトは自然エネルギー由来の電力へ切り替え、照明もLED化するなど、省エネや環境への負荷を低くするための投資・修繕を現在進行形で実施中(写真撮影/嶋崎征弘)

リフトは自然エネルギー由来の電力へ切り替え、照明もLED化するなど、省エネや環境への負荷を低くするための投資・修繕を現在進行形で実施中(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

岩岳マウンテンリゾートの自動販売機で販売しているのは瓶入りのコーラ!(写真撮影/嶋崎征弘)

岩岳マウンテンリゾートの自動販売機で販売しているのは瓶入りのコーラ!(写真撮影/嶋崎征弘)

瓶のほうが再利用は容易です。そしてなぜでしょう、大変美味しく感じます(写真撮影/嶋崎征弘)

瓶のほうが再利用は容易です。そしてなぜでしょう、大変美味しく感じます(写真撮影/嶋崎征弘)

エコなスキー場、ゴミ削減、ゼロ・カーボンの移動など、やりたいこと山積み!

とはいえ、サーキュラーエコノミーの取り組みははじまったばかり。やりたいことばかりが出てきて、実現できるものもあれば、追いつかないものもあると、福島さんは苦笑します。

村を見下ろすこの特等席。よい風景があれば実は何もいらないのかもしれません(写真撮影/嶋崎征弘)

村を見下ろすこの特等席。よい風景があれば実は何もいらないのかもしれません(写真撮影/嶋崎征弘)

「白馬も基本的に車社会なので、旅行者もレンタカーを借りる人が多いんです。でも、サーキュラーエコノミーをうたっているのに、自動車頼みでいいの? という意見があって、『人力車で村をめぐる』というアクティビティがうまれました。しかも引き手は白馬在住のプロ山岳ランナー。白馬でしかできない体験です。ただ、選手なので遠征のときは利用できないんですよ(笑)」と明かします。

また、白馬には約500件の宿泊施設があり、年間250万人が訪れているそう。当然、排出されるゴミの量も半端ではなく、当然、人口約9000人の村では処理しきれないので、周辺自治体と広域で運営する焼却施設に廃棄しています。

「排出ゴミの削減は切実な課題なんです。1つのホテル、1つのスキー場だけは限界があるので、連携してなにかできないかという取り組みもはじまっています。たとえば、ホテルのアメニティを協同のブランドにするなどですね。脱プラを進めるためにも、容器がプラスチックの液体ではなく石鹸のように固体のアメニティにしたいなど、アイデアはたくさんでています」といいます。

白馬ノルウェービレッジのカフェでは、出た食品廃棄物をコンポストで肥料にしています。できた肥料を畑で使い、夏には立派な野菜ができます(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジのカフェでは、出た食品廃棄物をコンポストで肥料にしています。できた肥料を畑で使い、夏には立派な野菜ができます(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジ(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジ(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらはコンポストでつくった肥料を使って夏野菜を育てている畑。ナス、きゅうり、トマトなどは併設のカフェでも出しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらはコンポストでつくった肥料を使って夏野菜を育てている畑。ナス、きゅうり、トマトなどは併設のカフェでも出しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬村は耕作放棄地が少なめ。畑や水田を利用希望者へと受け渡すマッチングも促進しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬村は耕作放棄地が少なめ。畑や水田を利用希望者へと受け渡すマッチングも促進しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

また、スキー場の設備の劣化やメンテナンス、季節ごとの閑散期と繁忙期の差や、各施設の収益力アップも課題になっているそう。
「いくら環境にやさしくても雇用を維持できなければ、持続可能とはいえません。白馬のスキー場は高度経済成長期につくられた設備も多いので、当然、メンテナンス・新しい設備投資も必要になる。夏のアクティビティのバリエーションを増やしたり、テレワークの場所としてアピールしたり。リゾートとして注目されるための新規の設備を設けたり、中長期で必要な設備投資をしつつ、暮らしている人の満足度や幸せ度を上げていけたらいいですよね」(福島さん)

将来的には「カーボンニュートラル(二酸化炭素の排出を全体としてゼロにする)」から一歩進んで、「カーボンネガティブ(二酸化炭素を排出せずに、他地域の二酸化炭素を吸収している)」という構想もあるとか。

地球温暖化は世界の問題で、一つの地域で取り組んでも、その効果は限定的かつ、努力した地域に効果が変えるというものでもありません。白馬村のような先進的的取り組みがさらに様々な地域で展開されていく必要があります。環境と地方の観光、経済を両立する。小さな村ではじまった本気の取り組みが、他の町や村にもよい競争として波及し、さらなる好循環(まさにサーキュレーション!)を生み出すことを期待したいです。

●取材協力
白馬村観光局
GREEN WORK HAKUBA
CIRCULAR DESGIN STUDIO.

「東京駅」まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング 2022年版

東京駅は、日本を代表するターミナル駅。仕事や遊びにかかわらず、すべての移動の起点となる東京駅へのアクセスは、部屋探しの際に気になる人は多いだろう。東京駅へ電車で30分以内に到着するシングル向け物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)を対象にした最新の家賃相場ランキングから、ねらい目の駅を探してみたい。

東京駅まで30分以内の家賃相場が安い駅TOP16駅

順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅の所在地/東京駅までの所要時間(乗り換え時間・駅から駅への徒歩移動時間を含む)/乗り換え回数)
1位 蕨6.00万円(JR京浜東北線/埼玉県蕨市/29分/1回)
2位 一之江 6.18万円(都営新宿線/東京都江戸川区/27分/1回)
3位 南船橋 6.20万円(JR京葉線など/千葉県船橋市/30分/0回)
4位 津田沼 6.35万円(JR総武線/千葉県習志野市/30分/0回)
5位 竹ノ塚 6.45万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/30分/2回)
6位 堀切菖蒲園6.50万円(京成本線/東京都葛飾区/28分/1回)
6位 小菅 6.50万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/25分/1回)
6位 新子安 6.50万円(JR京浜東北線/横浜市神奈川区/30分/1回)
6位 瑞江 6.50万円(都営新宿線/東京都江戸川区/30分/1回)
6位 船堀 6.50万円(都営新宿線/東京都江戸川区/25分/1回)
11位 小岩 6.55万円(JR総武線/東京都江戸川区/19分/1回)
12位 下総中山 6.60万円(JR総武線/千葉県船橋市/26分/1回)
13位 五反野 6.70万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/27分/1回)
13位 国道 6.70万円(JR鶴見線/横浜市鶴見区/30分/2回)
13位 舞浜 6.70万円(JR京葉線/千葉県浦安市/16分/0回)
16位 小竹向原 6.80万円(東京メトロ副都心線/東京都練馬区/27分/1回)
16位 新浦安 6.80万円(JR京葉線/千葉県浦安市/20分/0回)
16位 松戸 6.80万円(JR常磐線・新京成線/千葉県松戸市/27分/0回)
16位 梅島 6.80万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/29分/1回)
16位 青井 6.80万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/25分/1回)

首位は“時代の先端”をいく、埼玉の蕨駅

トップ3には、埼玉県、都内、千葉県がバランスよく分散した。1位は、埼玉県蕨市にある蕨駅だ。

蕨駅前(写真/PIXTA)

蕨駅前(写真/PIXTA)

蕨市は面積が5.11平方kmと、全国で一番小さな市として知られている。端から端までは約4kmのコンパクトさで、蕨駅は市の玄関口であるとともに唯一の駅でもある。東京駅までの所要時間短縮のためには乗り換えが効果的ではあるが、路線のJR京浜東北線は首都の大動脈のひとつであり、乗り換えなしでの利用も可能だ。

近年は、都市機能の活性化をかかげた「コンパクトシティー」構想が推奨されていて、蕨市は小さな市域の中に40以上の医療機関や保育園児童館、商業施設などがぎゅっと凝縮している。駅周辺を核に、駅前広場や商業施設、公共複合施設の整備などの再開発も進めている。そうした機能の要となる市役所は耐震化などのため建て替え中で、現在は駅から少し離れた場所にあるが、今後はいざというときの災害拠点にもなる機能をもたせるという。

また蕨市といえば、外国人の住民が増えており、なかでも在住クルド人が多いことでも知られる。彼らによるお祭りや、地元住民も一緒に参加できる料理教室が開催されるなど、地に足の着いた国際交流も盛んだ。海外の珍しい食材を扱う商店を見かけることも少なくなく、ダイバーシティを体現している街ともいえる。

そういた“時代の先端”をいく一方で、市内にはいくつもの人情味あふれる商店街も残る。蕨市は江戸時代、中山道の「蕨宿」として栄え、また江戸から昭和にかけては織物の生産地としても名をはせていた。市内には今でも、かつての風情を感じさせる歴史ある建物が点在。商店街の中を散策していて、そんな歴史の息吹を思わせる店舗にふらっと出合うこともある。

商業施設が充実の南船橋駅は、大規模施設の開業控える

3位は千葉県船橋市の南船橋駅。京葉線の快速列車の停車駅で、スウェーデン発の人気家具店IKEAの日本1号店「IKEA Tokyo-Bay」や大型商業施設の「ららぽーとTOKYO-BAY」のほか、深夜まで営業しているスーパーなどもあり、必要なものはなんでも近場でそろいそうな便利さが魅力だ。

ららぽーと(写真/PIXTA)

ららぽーと(写真/PIXTA)

2020年末には通年型のアイススケートリンク「三井不動産アイスパーク船橋」がオープン。国際スケート連盟基準を満たしたリンクで、競技大会なども開かれている。また2024年には、船橋市を拠点にする男子プロバスケットボールBリーグの「千葉ジェッツふなばし」のホームアリーナ「LaLa arena TOKYO-BAY(仮称)」が完成予定。1万人規模が収容でき、スポーツだけでなくコンサートや企業イベントなどにも対応する予定とのこと。スポーツファンだけでなく、足を運ぶ機会が増えそうだ。

同率6位の新子安駅、船堀駅、瑞江駅、ライフスタイル別でどこを選ぶ?

同率6位には5駅がランクインしている。そのうちの一つの新子安駅は神奈川県の駅でランキング最上位、JR京浜東北線で、蕨駅同様に、東京駅まで乗り換えなしでも利用できる。

新子安駅(写真/PIXTA)

新子安駅(写真/PIXTA)

横浜駅、川崎駅へはともに2駅で、10分以内で行くことができる。また京急本線沿線の京急新子安駅がすぐそばにあるため、羽田空港などへのアクセスもいいほか、少し行けばJR横浜線の大口駅があり、新幹線が停車する新横浜駅へも直通で利用できる。遠隔地への出張が多いビジネスパーソンには心強い穴場スポットかもしれない。

駅北側の丘陵地にかけて、閑静な雰囲気の住宅街が広がっている。駅前にはスーパーやファミリーレストラン、郵便局などが入った商業施設「オルトヨコハマ」や、深夜1時半まで営業しているスーパーがあり、日常の買い物に不自由することはなさそうだ。少し足を延ばせば、映画やドラマの撮影地などにもなっている、横浜の名物のひとつの六角橋商店街もある。

六角橋商店街(写真/PIXTA)

六角橋商店街(写真/PIXTA)

駅の南側、港湾部は京浜工業地帯の工場や倉庫が集まっており、やや無骨な印象もあったが、近年は再開発で高層マンションも建てられている。周辺住民も利用できる広場や、防災対策にも活用できる空き地が整備されたマンションなどもある。

駅から近いキリンビールの横浜工場や日産自動車の横浜工場は、大人にも人気の高い工場見学も受け付けている。なかでもキリンビールは敷地内に芝生広場やレストランなども併設し、限定グッズも販売しており、散策だけでも楽しめる。工業地帯の偏ったイメージだけでは見逃すにはもったいないかもしれない。

同じく6位の船堀駅と瑞江駅は、都営新宿線の沿線駅。間に2位の一之江駅をはさんだ隣駅になる。都営新宿線は日中、新宿―本八幡間で急行運転しているが、船堀駅は急行が停車。そのため新宿駅までは約20分で行くことができる。

船堀駅は駅すぐに24時間営業のスーパーがあり、低価格が売り物の大型スーパーなども目に付く。チェーン系の飲食店も多いので、自炊したくない日などにはありがたいところだ。ファミリー層も多いため駅前はにぎやかだが、少し行けば一戸建て住宅の目立つ住宅街が広がる。

駅そばには、所在地である江戸川区が水資源に恵まれていることにちなみ「区民の乗合船」をコンセプトに建てられた「タワーホール船堀(江戸川区総合区民ホール)」がある。著名アーティストのコンサートも開催されるほか、こだわりのアート作品からハリウッド大作映画まで上映される映画館「船堀シネパル」などが入っており、知的好奇心を満たしてくれそう。一般公開されている展望台からは、江戸川区花火大会も望むことができる(2022年は中止された)。

江戸川区花火大会(写真/PIXTA)

江戸川区花火大会(写真/PIXTA)

瑞江駅は各駅停車のみの駅ながら、駅付近の施設は船堀駅よりも充実している。すぐ近くにはディスカウントストアの「ドン・キホーテ」や業務スーパー、深夜まで営業しているスーパーなどと豊富で、家計の賢いやりくりのためには選択肢の上位にあがりそうだ。書店も駅すぐそばにあり、夜10時まで営業している。

駅周辺は再開発されているため、雰囲気自体はすっきりしておりチェーン系飲食店が目立つ。少し行くと、おしゃれな飲食店も点在。江戸川区は50年以上にわたって緑化運動をすすめており、親水公園や親水緑道の整備をしている。瑞江駅周辺も親水緑道を見かけることが多く、公園もあちこちにあり、近場で自然を感じることができる。

また、江戸川区役所へは区内のあちこちの駅からバスが主な経路になるが、瑞江駅は分所の東部事務所の最寄駅。公的手続きの手間を少し省けるのはありがたい。ファミリー層の人気も高いエリアだ。

16位も同率で5駅がランクインしている。このうちの松戸駅はJR常磐線の沿線だが、同線は東京メトロ千代田線と乗り入れているため、東京駅だけでなく大手町や赤坂などのビジネス街や、表参道や原宿などの繁華街へも乗り換えなしで行くことができる。また新京成線も利用できる。

松戸駅周辺(写真/PIXTA)

松戸駅周辺(写真/PIXTA)

駅に直結した商業施設や大きなスーパーなどが多く、非常に栄えているが、駅周辺は再開発が進行中で、2027年までには新しい駅ビルもできる予定。生活する上ではとても便利なことは間違いないだろう。また、松戸はラーメン激戦区としても知られており、頑固店や知る人ぞ知る名店まで充実している。“おひとりさま”の生活も楽しめそうだ。

大都会・東京の真ん中へのアクセスと考えると、都心を連想しがちだが、東京駅は乗り込む路線が多いだけに、部屋探しの選択肢も多種多様。ライフスタイルにあわせた部屋も、きっと見つかることだろう。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/2~2022/4
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年5月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

世界的クライマー・平山ユージが町おこしに本気トライ! 埼玉県小鹿野町をクライミングの聖地へ

2021年前後からクライマーが一気に増えて話題となっている場所がある。埼玉県秩父郡小鹿野町にある二子山だ。そのきっかけは「世界の平山ユージ」と呼ばれるプロクライマーが、クライミングによる町おこしを提案したことだった。

10代から海外で修行、日本クライミング界をリードしてきた平山ユージさん

平山ユージさんは1969年生まれ。15歳でクライミングを始めてから瞬く間に頭角を現し、高校生にして国内トップクライマーの地位についた。17歳になるとアメリカで半年間のトレーニングを経験し、19歳でクライミングの本場に身を置くべく単身渡仏、マルセイユを拠点にヨーロッパやアメリカの難関ルートを制覇。

人口壁で行われる競技会に参加するようになると、1998年に日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たし、2000年には2度目の総合優勝。53歳となった今も難関ルートを制し続け、国内外のクライマーから尊敬を集める現役のプロクライマーだ。

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

「二子山の岩場は、世界に比するポテンシャルがある」

「小鹿野町に二子山を中心としたクライミングによる町おこしを提案したのが2008年。当時は形にならずすっかり忘れていたのですが、2018年に町会議員さんから突然電話をいただきました」と平山さん。

平山さんと二子山との出合いは1989年。渡仏中にクライミング仲間から「いい岩場がある」と教えてもらい、一時帰国して登ったときだった。クライミングできるルートは限られていたが、東岳と西岳からなる二子山の雄大さに、整備すれば海外の有名な岩場にも匹敵する場所となる可能性を感じたのだという。

しかし、クライミングルートの整備や開拓は、勝手にできるものではない。
「二子山の所有者の理解や、町の協力がないと成り立ちません。最初はクライミングエリアとして二子山のポテンシャルに引かれたのが大きかったですが、クライマーが訪れたり移住したりする経済効果や、クライミングというスポーツによる住民の健康やコミュニティ促進は、町の発展にも貢献できると確信して企画を提出しました。埼玉の郊外にある秩父、小鹿野町はどうしても少子高齢化が進んでいきますが、都心部からほど近い広大な自然は、町の貴重な資源。クライミングならその資源を十分活用できますから」(平山さん)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

町への提案から10年、「クライミングで町おこし」がスタート

提案から10年ほどたった2018年、平山さんは小鹿野町観光大使を委嘱された。
「町会議員に当選したばかりの高橋耕也さんが、過去の企画書を見つけて電話をくれました。少子高齢化問題が明らかになってきたこと、東京オリンピック競技種目にスポーツクライミングが選ばれたこと、町の再生を志す若い世代の議員が当選したこと、いろいろな事柄がうまくはまったのがこのときだったのでしょうね」(平山さん)

そして、平山さんたちクライマーが町に通い続けていたということ。
「企画を提出したことをすっかり忘れていましたが、頻繁にクライミングには来ていました。顔なじみになった、『ようかみ食堂』の店主が高橋議員とつないでくれました」(平山さん)

平山さんは、早速二子山でクライミングエリアの整備を進めるため、クライミング仲間と地元住民による小鹿野町クライミング委員会を2019年に発足。2020年には一般社団法人小鹿野クライミング協会とし、2022年現在は会長職を務めている。

一般社団法人小鹿野町クライミング協会(撮影時・小鹿野町クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古く錆びたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

一般社団法人小鹿野クライミング協会(撮影時・小鹿野クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古くさびたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

また、同時期に町営クライミングジムのオープンにも、平山さんは深く携わることになる。

小鹿野町役場の宮本さんにお話を伺うと、「閉館が決定した県営施設の埼玉県山西省友好記念館を残してほしいとの地元の声を受け、町では再利用方法を検討していました。『クライミングで町おこし』を実行するタイミングと重なり、平山さんの全面協力のもと、初心者にも上級者にも楽しんでもらえる本格的クライミング施設が誕生しました」とのこと。

「両神山や二子山といった町自慢の観光資源は、天候に左右されやすい弱点があります。充実した室内施設があれば、国内外のクライマーが長期滞在をプランニングしてくれるきっかけになると考えています」(宮本さん)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

神怡舘の運営を任命された宮本さんの所属は「小鹿野町おもてなし課 山岳クライミング推進室」。「クライミングで町おこしをする」町の本気度が垣間見える部署名だ。クライミング経験なしだった宮本さんにとっては若干無茶振り人事だったものの、2年でインストラクターも務められるようになったそう。

「クライミングは小中学校の体育の授業にも採用されていて、ハマって通う生徒も多いですよ。職場のクラブ活動としての利用も盛んです」と宮本さん。「クライミングは老若男女が楽しめる素晴らしいスポーツ。ルートごとにレベルが設定されているので目標を決めやすく、お年寄りでも無理なく続けられます。小学生と大人がここで友達になって、競い合い励まし合う姿も日常の光景。神怡舘は住民の健康増進とコミュニティづくりに、とても大切な場所になっています」(宮本さん)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

二子山への入山者が1.7倍に。コロナ禍で増加の事故にもクライマーの知見を活かす

2019年に約4000名だった二子山の入山者数は、2021年に約6800名と急増した。コロナ禍によるアウトドアブームの影響もあるが「2018年までも4000~5000人程度でした。入山者全員がクライマーとは限りませんが、クライミング専門誌に二子山新ルートが紹介された途端、一気にクライマーが増えた実感があります」(宮本さん)
2022年のゴールデンウイーク前後は「びっくりするほど多くのクライマーが二子山に来てくれました」と平山さん。「クライマーの飲食店や温泉の利用も増えて、喜んでいます」(宮本さん)

一方で、一般登山者による事故の増加も顕著になった。
「コロナ禍でアウトドアを始める人が増え、さらに接触を避けての単独行動も増えたことが大きな要因です。上級者と安全確保しながら登るクライミングよりも、ハイキングや登山での事故が圧倒的に多いのです」(宮本さん)

その対策として、町の消防署と小鹿野クライミング協会による情報交換会が開かれている。
「山をよく知るクライマーと救助のプロ、それぞれの立場から危険な場所やヘリコプター救助時の誘導方法などについて、実りある情報交換ができました。両神山や二子山などの大自然を、多くの人に安全に楽しんでもらいたいですね」(宮本さん)

町になじみ、広がっていくクライミングの魅力

平山さんたちクライマーの町おこし活動は、クライミングの枠をはみ出し始めている。

「今年の尾ノ内氷柱づくりには平山さんたちに協力してもらいました」(宮本さん)
尾ノ内氷柱は、尾ノ内渓谷の沢から水をパイプで引き上げてつくられる人工の氷柱群。高さ60m、周囲250mに及ぶ氷柱群がライトアップされた幻想的な風景は、冬の一大観光スポットだ。
「高所での作業は大変危険ですが、クライマーにはお手のものです。地元に恩返しできるいい機会でしたし、作業を任せてもらえるのもクライミングが町になじんできたからかと思うと、うれしかったですね」(平山さん)

「企画の打ち合わせやイベントの出演や、クライミング以外でもしょっちゅう町に来ています」(平山さん)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

「小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの有名クライミングタウン」(平山さん)

10代から世界の名だたる岩場を登ってきた平山さん。「小鹿野町を世界中からクライマーが集まる場所にしていきたい」と語る小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの街。例えば「イタリアにあるアルコ。100を超える岩場に数千のルートがあり、クライマーなら一度は訪れたい憧れの街です。滞在中はクライミングだけでなく、中世の街並みでの散歩や、おいしい食事やお酒も楽しめる。住民のクライミングへの関心も高いので、すぐに仲良くなれます」(平山さん)

「二子山の開発から数年たって、小鹿野町にもクライミングが浸透してきたように感じています。日本の小鹿野町が、欧米に並ぶクライミングスポットになる、未来へのルートが見えてきました」(平山さん)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

アウトドア以外でも、小鹿野町には古き良き日本の姿がある。有名なのは江戸時代から続く庶民の歌舞伎。農家直売所には新鮮な野菜が並び、商店街では地酒・地ワインも手に入る。疲れた身体を癒やす温泉と、おもてなしが温かい飲食店も点在している。

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

二子山は世界にも誇れるクライミングスポットとして成熟中だが、「町に宿泊施設がもっと必要」と平山さんの先への課題は明確だ。欧米のようにキャンプ場や自炊できる民泊、コンドミニアムが増えれば、長期滞在も気軽になってくる。

ほんの数年で進化を見せている小鹿野町のクライミングシーン。さらに注目が集まることで宿泊の整備も進み、滞在者や移住者が増え、小鹿野町出身のクライマーが世界で活躍していく、そんな未来もすぐそこなのかもしれない。

●取材協力
・小鹿野町
・Climb Park Base Camp

※訂正:22年7月1日、読者のご指摘により一部修正をいたしました。
小鹿町→小鹿野町

世界的クライマー・平山ユージが町おこしに本気トライ! 埼玉県小鹿町をクライミングの聖地へ

2021年前後からクライマーが一気に増えて話題となっている場所がある。埼玉県秩父郡小鹿野町にある二子山だ。そのきっかけは「世界の平山ユージ」と呼ばれるプロクライマーが、クライミングによる町おこしを提案したことだった。

10代から海外で修行、日本クライミング界をリードしてきた平山ユージさん

平山ユージさんは1969年生まれ。15歳でクライミングを始めてから瞬く間に頭角を現し、高校生にして国内トップクライマーの地位についた。17歳になるとアメリカで半年間のトレーニングを経験し、19歳でクライミングの本場に身を置くべく単身渡仏、マルセイユを拠点にヨーロッパやアメリカの難関ルートを制覇。

人口壁で行われる競技会に参加するようになると、1998年に日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たし、2000年には2度目の総合優勝。53歳となった今も難関ルートを制し続け、国内外のクライマーから尊敬を集める現役のプロクライマーだ。

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

「二子山の岩場は、世界に比するポテンシャルがある」

「小鹿野町に二子山を中心としたクライミングによる町おこしを提案したのが2008年。当時は形にならずすっかり忘れていたのですが、2018年に町会議員さんから突然電話をいただきました」と平山さん。

平山さんと二子山との出合いは1989年。渡仏中にクライミング仲間から「いい岩場がある」と教えてもらい、一時帰国して登ったときだった。クライミングできるルートは限られていたが、東岳と西岳からなる二子山の雄大さに、整備すれば海外の有名な岩場にも匹敵する場所となる可能性を感じたのだという。

しかし、クライミングルートの整備や開拓は、勝手にできるものではない。
「二子山の所有者の理解や、町の協力がないと成り立ちません。最初はクライミングエリアとして二子山のポテンシャルに引かれたのが大きかったですが、クライマーが訪れたり移住したりする経済効果や、クライミングというスポーツによる住民の健康やコミュニティ促進は、町の発展にも貢献できると確信して企画を提出しました。埼玉の郊外にある秩父、小鹿野町はどうしても少子高齢化が進んでいきますが、都心部からほど近い広大な自然は、町の貴重な資源。クライミングならその資源を十分活用できますから」(平山さん)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

町への提案から10年、「クライミングで町おこし」がスタート

提案から10年ほどたった2018年、平山さんは小鹿野町観光大使を委嘱された。
「町会議員に当選したばかりの高橋耕也さんが、過去の企画書を見つけて電話をくれました。少子高齢化問題が明らかになってきたこと、東京オリンピック競技種目にスポーツクライミングが選ばれたこと、町の再生を志す若い世代の議員が当選したこと、いろいろな事柄がうまくはまったのがこのときだったのでしょうね」(平山さん)

そして、平山さんたちクライマーが町に通い続けていたということ。
「企画を提出したことをすっかり忘れていましたが、頻繁にクライミングには来ていました。顔なじみになった、『ようかみ食堂』の店主が高橋議員とつないでくれました」(平山さん)

平山さんは、早速二子山でクライミングエリアの整備を進めるため、クライミング仲間と地元住民による小鹿野町クライミング委員会を2019年に発足。2020年には一般社団法人小鹿野クライミング協会とし、2022年現在は会長職を務めている。

一般社団法人小鹿野町クライミング協会(撮影時・小鹿野町クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古く錆びたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

一般社団法人小鹿野クライミング協会(撮影時・小鹿野クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古くさびたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

また、同時期に町営クライミングジムのオープンにも、平山さんは深く携わることになる。

小鹿野町役場の宮本さんにお話を伺うと、「閉館が決定した県営施設の埼玉県山西省友好記念館を残してほしいとの地元の声を受け、町では再利用方法を検討していました。『クライミングで町おこし』を実行するタイミングと重なり、平山さんの全面協力のもと、初心者にも上級者にも楽しんでもらえる本格的クライミング施設が誕生しました」とのこと。

「両神山や二子山といった町自慢の観光資源は、天候に左右されやすい弱点があります。充実した室内施設があれば、国内外のクライマーが長期滞在をプランニングしてくれるきっかけになると考えています」(宮本さん)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

神怡舘の運営を任命された宮本さんの所属は「小鹿野町おもてなし課 山岳クライミング推進室」。「クライミングで町おこしをする」町の本気度が垣間見える部署名だ。クライミング経験なしだった宮本さんにとっては若干無茶振り人事だったものの、2年でインストラクターも務められるようになったそう。

「クライミングは小中学校の体育の授業にも採用されていて、ハマって通う生徒も多いですよ。職場のクラブ活動としての利用も盛んです」と宮本さん。「クライミングは老若男女が楽しめる素晴らしいスポーツ。ルートごとにレベルが設定されているので目標を決めやすく、お年寄りでも無理なく続けられます。小学生と大人がここで友達になって、競い合い励まし合う姿も日常の光景。神怡舘は住民の健康増進とコミュニティづくりに、とても大切な場所になっています」(宮本さん)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

二子山への入山者が1.7倍に。コロナ禍で増加の事故にもクライマーの知見を活かす

2019年に約4000名だった二子山の入山者数は、2021年に約6800名と急増した。コロナ禍によるアウトドアブームの影響もあるが「2018年までも4000~5000人程度でした。入山者全員がクライマーとは限りませんが、クライミング専門誌に二子山新ルートが紹介された途端、一気にクライマーが増えた実感があります」(宮本さん)
2022年のゴールデンウイーク前後は「びっくりするほど多くのクライマーが二子山に来てくれました」と平山さん。「クライマーの飲食店や温泉の利用も増えて、喜んでいます」(宮本さん)

一方で、一般登山者による事故の増加も顕著になった。
「コロナ禍でアウトドアを始める人が増え、さらに接触を避けての単独行動も増えたことが大きな要因です。上級者と安全確保しながら登るクライミングよりも、ハイキングや登山での事故が圧倒的に多いのです」(宮本さん)

その対策として、町の消防署と小鹿野クライミング協会による情報交換会が開かれている。
「山をよく知るクライマーと救助のプロ、それぞれの立場から危険な場所やヘリコプター救助時の誘導方法などについて、実りある情報交換ができました。両神山や二子山などの大自然を、多くの人に安全に楽しんでもらいたいですね」(宮本さん)

町になじみ、広がっていくクライミングの魅力

平山さんたちクライマーの町おこし活動は、クライミングの枠をはみ出し始めている。

「今年の尾ノ内氷柱づくりには平山さんたちに協力してもらいました」(宮本さん)
尾ノ内氷柱は、尾ノ内渓谷の沢から水をパイプで引き上げてつくられる人工の氷柱群。高さ60m、周囲250mに及ぶ氷柱群がライトアップされた幻想的な風景は、冬の一大観光スポットだ。
「高所での作業は大変危険ですが、クライマーにはお手のものです。地元に恩返しできるいい機会でしたし、作業を任せてもらえるのもクライミングが町になじんできたからかと思うと、うれしかったですね」(平山さん)

「企画の打ち合わせやイベントの出演や、クライミング以外でもしょっちゅう町に来ています」(平山さん)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

「小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの有名クライミングタウン」(平山さん)

10代から世界の名だたる岩場を登ってきた平山さん。「小鹿野町を世界中からクライマーが集まる場所にしていきたい」と語る小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの街。例えば「イタリアにあるアルコ。100を超える岩場に数千のルートがあり、クライマーなら一度は訪れたい憧れの街です。滞在中はクライミングだけでなく、中世の街並みでの散歩や、おいしい食事やお酒も楽しめる。住民のクライミングへの関心も高いので、すぐに仲良くなれます」(平山さん)

「二子山の開発から数年たって、小鹿野町にもクライミングが浸透してきたように感じています。日本の小鹿野町が、欧米に並ぶクライミングスポットになる、未来へのルートが見えてきました」(平山さん)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

アウトドア以外でも、小鹿野町には古き良き日本の姿がある。有名なのは江戸時代から続く庶民の歌舞伎。農家直売所には新鮮な野菜が並び、商店街では地酒・地ワインも手に入る。疲れた身体を癒やす温泉と、おもてなしが温かい飲食店も点在している。

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

二子山は世界にも誇れるクライミングスポットとして成熟中だが、「町に宿泊施設がもっと必要」と平山さんの先への課題は明確だ。欧米のようにキャンプ場や自炊できる民泊、コンドミニアムが増えれば、長期滞在も気軽になってくる。

ほんの数年で進化を見せている小鹿野町のクライミングシーン。さらに注目が集まることで宿泊の整備も進み、滞在者や移住者が増え、小鹿野町出身のクライマーが世界で活躍していく、そんな未来もすぐそこなのかもしれない。

●取材協力
・小鹿野町
・Climb Park Base Camp

タクシー相乗り、ついに解禁! 気になる料金や乗車方法など最新事情を聞いた

国土交通省はタクシーの「相乗りサービス」制度を2021年11月から導入した。その仕組みやメリットとは? 今後「相乗りサービス」はどこに住んでいても使えるようになるのだろうか? 先陣を切って参入し、実際に同サービスを2022年2月24日から開始した、タクシーの相乗りサービスを手がけるNearMe(ニアミー)の髙原幸一郎社長と、事業開発担当の真弓聖悟さんに話を伺い、今後の展開を探った。

アプリなどを使い同乗者をマッチングするサービス

国土交通省が2021年11月から導入したタクシーの「相乗りサービス」制度とは、配車アプリなどを使い、目的地が近い利用者同士をマッチングして、タクシーに相乗りできるようにする制度。従来は客同士が事前に相談して相乗りするケースはあっても、システムとして運用されるのは初めてとなる。国としては、このサービスによってタクシー事業者の生産性向上を図るのが狙いだ。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

(画像提供/NearMe)

(画像提供/NearMe)

原則として乗車距離に応じて利用者ごとに料金が案分される(下図参照)。そのため利用者としては割安にタクシーを利用できる。これまでタクシーの相乗りといえば、多くは同じ方面を利用する知り合い同士での利用に限られていたうえ、先に降りる人が最後まで乗る人に「なんとなく案分」して支払っていたが、このサービスを利用すれば明朗会計できるというわけだ。

(画像提供/国土交通省)

(画像提供/国土交通省)

さらに「自宅から勤務先など、相乗りタクシーによるドアツードアが普及すれば、朝晩などの需要の多いときに配車ができない状況を減らすことができ、相乗りをすることで環境負荷の削減になります。また電車やバスなど公共交通機関の混雑の解消にもつながりますし、東日本大震災の時のように災害等で公共交通機関が止まってしまった場合、『自由に移動できる車』をシェアすることで、たくさんの人が恩恵を受けやすくなります」とNearMe(ニアミー)の髙原社長。

同社はタクシーの相乗りサービス解禁を受けて、いち早く2022年2月24日から「nearMe.Town(ニアミータウン)」を開始した。サービスエリアは東京都の中央区・千代田区・港区・江東区の4区だ。同社は従来から自宅やホテルと空港をドアツードアで送迎する「nearMe.Airport(ニアミーエアポート)」サービスなどを展開している交通関連サービス事業者だ。
タクシーの相乗りサービス「ニアミータウン」を利用するには、まず専用アプリやウェブサイトからの会員登録が必要だ。その後アプリやウェブサイト上で利用したい日時と乗降場所を設定する。すると24時間以内に配車可否のメールが届くので、あとはそれを見て利用する。支払は登録しておいたクレジットカードで乗車後に決済されるので、誰一人タクシー内で財布を出す必要はない。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

(画像提供/NearMe)

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電車やバスよりも同乗者を特定しやすいので安心

実際どんな人が利用しているのだろう。同社の真弓さんによれば「ニアミータウンの利用者の約40%は通勤や通学に利用される方です。また買い物や子どもの塾への送迎など、昼間の利用も意外と多いようです」という。

利用者からは「一人でタクシーを使うより安く使えて便利」という声だけでなく、「通勤時のストレスが緩和された」「乗り替えをしなくていいから便利」「コロナ禍で混雑を避けたいが、これなら安心」といった声が上がっているそうだ。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

一方で「どれくらいの金額や時間で利用できるのかわからない」「相乗りはなんだか不安」といった声もあるという。これに対して同社では「申し込み画面に『このくらいの距離なら料金はこれくらい』といった事例を挙げるなど、利用イメージが湧きやすいよう随時改善しています」(真弓さん)。さらにサイトには問い合わせ用のチャットも用意されている。

また、見知らぬ人とのタクシーの相乗りは、確かに不安に思う人も多いかもしれない。しかし「会員登録は2段階認証ですし、いつ誰がどこで乗ったか把握できます。電車やバスも、広い意味で『相乗り』ですが、それらよりも追跡しやすいサービスです」(真弓さん)。決済とつながっていることからも、素性のわからない人が利用することがなく、万が一の際でも、相手を特定することが容易というわけだ。

「実際ニアミータウンより先に、私たちは約2年前から空港と自宅やホテルを結ぶ同様の相乗りサービス『ニアミーエアポート』を運用していますが、これまでにトラブルは起きていません」(真弓さん)

公共交通機関のほかに「割安に乗れるタクシー」が加わった

タクシーの相乗りサービス制度がもたらす恩恵を考えるためにも、既存の交通機関との相違点をもう少し細かく見てみよう。まず従来のタクシーとの違いは先述の通り「安く利用できる」という点だ。一方複数人で利用するため、一人で乗るよりも多少到着時間は読みにくくなる。ただし「ニアミータウン」のAIが、何人かいる利用者の中から最適なマッチングと、それによる最適なルートを提示するので、それほど心配する必要はないだろう。

また電車やバスといった公共交通機関よりも時間や乗降場所の融通が効き、混雑した車内とも無縁であることは言うまでもない。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

一方で最近流行の「ラストワンマイル」の乗り物、例えばシェアリングの自転車や電動キックボードなどと比べると、長距離を移動できるという違いがある。現状「ニアミータウン」の利用者は5km前後の移動にこのサービスを使うことが多いという。電動キックボード等で移動するにはハードな距離だし、特に雨の日はタクシーのほうが楽だ。そもそも「ラストワンマイル」とは駅や停留所からの「あとワンマイル」なのだから。

「今はサービスエリアが4区のみですが、今後エリアが拡大すればもっと利用距離が延びる可能性はあります」(真弓さん)

ちなみに以前紹介したシェアリングのタクシー利用サービス「mobi」も、特定エリアの半径2km以内が基本のラストワンマイルサービスだ。そのため同じタクシーでも、自宅と勤務先のドアツードアで利用できる「ニアミータウン」とは自然と利用目的が異なる。

またカーシェアリングと違い、車を取りに行ったり、行き先で駐車場を探したり、そもそも自分で運転する必要がないのもタクシーの相乗りサービスの特徴だ。

つまり「タクシーの相乗りサービス」は我々利用者にとって、文字どおりタクシーの利便性をそのまま享受でき、多少時間は読みにくくなる可能性はあるが、利用料金が安くなるというサービス。ラストワンマイルの乗り物とは距離がまったく違うため、公共交通機関とは違う新たな移動の選択肢が増えた、あるいはタクシーの新しい利用方法が生まれた、と捉えるとわかりやすいだろう。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

新しい街づくりに欠かせない!?タクシー相乗り

先述の通り、現在は中央区・千代田区・港区・江東区の4区でサービスが展開されている「ニアミータウン」だが、今後は「なるべく早い時期に東京都の23区にサービスエリアを広げていき、将来的には全国各地で展開したいと考えています」(髙原社長)という。

「ただし人口密度が低く、シェアする人が少ないエリアでは現状のビジネスモデルでは成り立ちません。過疎地での高齢者の通院など、顕在化している社会問題をこのサービスを使って解決したいと考えていますが、そういったエリアでは行政とタッグを組むなど、プラスアルファの施策を考える必要があります」(髙原社長)

一方で「これから生まれる新しい街」には、最初から「ニアミータウン」が利用できる可能性があるかもしれないという。現在「ニアミータウン」は三井不動産とShareTomorrowが提供しているモビリティサービス「&MOVE」と連携しているが、実はこうした不動産ディベロッパーとのタッグが、「移動が便利な新しい街づくり」にひと役買いそうなのだ。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

三井不動産とShareTomorrowの「&MOVE」は三井不動産が手がけたホテルやマンション、商業施設等の利用者に提供されているもので、例えば自宅マンションから商業施設へ行く際に、これまで専用アプリを使ってタクシーやカーシェアリング、シェアリングサイクルといった「移動手段」を提供していたのだが、その選択肢の1つに「ニアミータウン」が加えられた。

ここから見えてきたのが、駅から多少離れているマンションでも、タクシー相乗りサービスがあれば移動の不安が解消されるというメリットだ。例えば「眺望はいいけれど駅から少し離れたエリア」にも、マンションが建てられる可能性があるというわけだ。そうなると『徒歩何分』という従来のマンションの価値の1つが希薄になる。

しかも大規模なマンションほどシェアする人が増える、つまり人口密度が高くなるので、タクシー相乗りサービスはその利便性を発揮しやすい。また大規模なマンションができれば、近くにレストランやスーパーをはじめ、様々な商業施設もできるだろうし、そうなればちょっとした街が1つ出来上がる。そんな「これから生まれる新しい街」づくりに、タクシー相乗りサービスがひと役買う可能性があるというわけだ。

タクシーの新しい乗り方は、単に利用料金を安く抑えられるというメリットがあるだけでなく、新しい街を作る可能性も秘めている。今後どんな場所に「移動が便利な新しい街」が生まれるのか、注目してみたい。

●取材協力
株式会社NearMe
nearMe.Airportサービスサイト
nearMe.Townサービスサイト

口コミで移住者急増! アート、オーガニックなど活動が拡散し続ける理由を地元不動産会社2代目に聞いた 神奈川県二宮町

改札口から出ると、鎌倉や辻堂、藤沢に代表されるようないわゆる「湘南」の華やかさとは異なるゆるりとした空気が流れる二宮駅。「湘南新宿ラインで大磯と国府津の間」といえば、何となく海沿いのまちを想像いただけるだろうか。神奈川県二宮町(にのみやまち)は、5年ほど前から少しずつ「ものづくり」を好む人たちに支持されて移住者が増え、転入人口が転出人口を上回る年が増えているという。今、二宮で何が起きているのか。小さなまちの中で暮らす人とその営みを、美しい海と里山の風景とともにお届けする。

「幸福の本質が二宮にある」と気づいた、不動産会社の2代目吾妻山の中腹から二宮駅と相模湾を望む。自然と人の営みとが美しく調和している(写真撮影/相馬ミナ)

吾妻山の中腹から二宮駅と相模湾を望む。自然と人の営みとが美しく調和している(写真撮影/相馬ミナ)

“二宮”といえば最初に名前が挙がる人、それがまちの人が「プリンス・ジュン」と呼ぶ太平洋不動産の宮戸淳さんだ。宮戸さんは父が創業した不動産会社の店長として、日々、二宮の住まいやまちの魅力をブログで発信し、イベントがあればプリンス・ジュンとして参加し、場を盛り上げてきた。

太平洋不動産の宮戸淳さん。父が創業した不動産会社の店長をしている(写真撮影/相馬ミナ)

太平洋不動産の宮戸淳さん。父が創業した不動産会社の店長をしている(写真撮影/相馬ミナ)

町内のイベントなどの際には「プリンス・ジュン」として登場し、場をわかせる(写真/唐松奈津子)

町内のイベントなどの際には「プリンス・ジュン」として登場し、場をわかせる(写真/唐松奈津子)

宮戸さんは生まれも育ちも二宮。高校を卒業してから千葉の大学に進学し、東京の不動産会社に就職した。「10年間、二宮を離れたことで地元の良さを再認識した」と言う。

「僕は、都心ではお金を使うこと、つまり消費によって心を満たしていたと思います。ところが、二宮に戻ってきて、日常生活の中で目に入る風景に癒やされていることに気づいて。自然を身近に感じて心が満たされる、幸福の本質はここにあると思いました」(宮戸さん)

町の南側は海。ちょっとした街角にも海の気配を感じることができる(写真撮影/相馬ミナ)

町の南側は海。ちょっとした街角にも海の気配を感じることができる(写真撮影/相馬ミナ)

一つのパン屋の存在で「人の流れが変わった」

しばらくは東京にいたころと同じ感覚で不動産の仕事をしていた宮戸さん。その意識を大きく変えたのが、今や二宮を代表するお店となった小さなパン屋「ブーランジェリー・ヤマシタ」の店主、山下雄作さんとの出会いだった。

「もともと山下さんは会社員をされていて、静かな場所で暮らしたいと10年前に茅ヶ崎から二宮に移住してきた方。お住まいを私が紹介したんです。その2年後、8年ほど前に山下さんが誰も見向きもしないような放置された空き家を見つけて『ここでパン屋をやりたい、所有者さんに当たってほしい』と相談されました」(宮戸さん)

山下さんはその空き家をたくさんの人の力を借りながらもできる範囲で自分の手でリノベーションした。出来上がった店舗を見たときのことを思い出し、宮戸さんは「こんなオシャレなお店が二宮にできるなんて衝撃だった」と言う。

取材に訪れた日も、店の前には「何を買おうか」とパンを楽しみに待つ人の行列ができていた(写真/唐松奈津子)

取材に訪れた日も、店の前には「何を買おうか」とパンを楽しみに待つ人の行列ができていた(写真/唐松奈津子)

「食堂」と呼ぶイートインスペースは、信頼できる大工さんとともに倉庫だった場所をリノベーションして雰囲気のあるすてきな店舗に改装(写真撮影/相馬ミナ)

「食堂」と呼ぶイートインスペースは、信頼できる大工さんとともに倉庫だった場所をリノベーションして雰囲気のあるすてきな店舗に改装(写真撮影/相馬ミナ)

ハード系のパンが中心に並ぶ店内。午後早めの時間には売り切れていることもしばしば(写真撮影/相馬ミナ)

ハード系のパンが中心に並ぶ店内。午後早めの時間には売り切れていることもしばしば(写真撮影/相馬ミナ)

「ブーランジェリー・ヤマシタはおいしいパン、オシャレなお店というだけでなく、二宮の人の流れそのものを変えました。店内では展示会や演奏会などが開催され、日々の暮らしにアートや音楽を取り入れながら、心豊かに暮らそうとする人たちが集まるようになったんです。お店一つで地域の価値が変わった、と感じた瞬間でした」(宮戸さん)

空き家の入居者をプレゼン方式で募集

山下さんのような人が増えれば、まちの価値自体がどんどん上がっていく。町内には、まだ放置されている空き家がいっぱいある。そのことに気づいた宮戸さんは「自分のまちの見方、不動産との関わり方自体が変わっていった」と話す。

まず、町内に点在する空き家について、プレゼン形式で入居者を募集することにした。現在、諏訪麻衣子さんと養鶏も営む農家が一緒に営業しているお店「のうてんき」も、その一つ。当初は、宮戸さんが空室になった平屋をコミュニティスペースにする目的で地域の人たちと一緒にリノベーションし、「ハジマリ」という屋号でお店を開いてみたい人たちに貸したり、ワークショップを開催したりしてきた。今はとれたての卵やオーガニック野菜などを農家が直接販売できる場所としてオープン。「二宮の農家さんを応援したい」と活動している諏訪さんと仲間たちがお店番をやりながら、その野菜と卵を使った料理を振る舞っている。

古い平屋を町内のアーティストがペイント。カラフルなガーランドとともに訪れる人を温かく迎えてくれる(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を町内のアーティストがペイント。カラフルなガーランドとともに訪れる人を温かく迎えてくれる(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を改装した「のうてんき」の店内(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を改装した「のうてんき」の店内(写真撮影/相馬ミナ)

外のテラスでも食事ができる(写真撮影/相馬ミナ)

外のテラスでも食事ができる(写真撮影/相馬ミナ)

二宮の農家がつくった、採れたて野菜が諏訪さんの手で美しく、体に優しい料理に。この日のランチメニューは2種類(お豆と野菜)のカレー(写真撮影/相馬ミナ)

二宮の農家がつくった、採れたて野菜が諏訪さんの手で美しく、体に優しい料理に。この日のランチメニューは2種類(お豆と野菜)のカレー(写真撮影/相馬ミナ)

以後、町内のさまざまな場所でマルシェが開催されるようになった。2016年、町と地域と神奈川県住宅供給公社が連携し、二宮団地の再編プロジェクトが始まったころから「二宮が面白いよ」という声が口コミで広がる。まさに転入が転出を超過し始めた5年ほど前から、宮戸さんも肌でまちの盛り上がりを感じられるようになってきたそう。それまでは何か面白いことがあれば首を突っ込んでは追いかけ、ブログで紹介してきた宮戸さんだが「町内の各所で自発的に面白い活動が展開・拡散し続けた今は、もはや自分の手に負えない」と笑う。

月に1つのペースで増えて続ける「壁画アート」で彩られるまち

そんな宮戸さんが今、準備を進めているのが、2022年10月に開催予定のアートイベント「二宮フェス」だ。このイベント開催の背景には2年半前から「Area8.5(エリア・ハッテンゴ)」としてこの地域を盛り上げようという動きの中で、Eastside Transitionのアーティストである乙部遊さんと、ディレクターの野崎良太さんによる壁画アート活動がある。

彼らには「アートでこのエリアに彩りを与え、活性化し、他のエリアからも注目されたい。この活動を通じて、このエリアに住む若い世代に地元への誇りや愛着を持ってもらいたい」という想いがあった。そして、想いに共感したEDOYAガレージの江戸理さんが手始めに自宅の外壁に絵を描いてもらうことにしたのだ。

乙部さんがNYから二宮に移り住む前から、作品のファンだったという江戸さん(写真撮影/相馬ミナ)

乙部さんがNYから二宮に移り住む前から、作品のファンだったという江戸さん(写真撮影/相馬ミナ)

自宅ガレージのシャッターと壁に乙部さんに絵を描いてもらったのがArea8.5内のアート活動の始まり(写真撮影/相馬ミナ)

自宅ガレージのシャッターと壁に乙部さんに絵を描いてもらったのがArea8.5内のアート活動の始まり(写真撮影/相馬ミナ)

このカッコ良さに注目をする人が増え、2人のもとには壁画制作の依頼が相次ぐようになった。創業109年を迎える地元の印刷会社、フルサワ印刷の真下美紀さんもその活動に魅せられた一人だ。壁画の完成後、若い人はもちろん、近隣に住む年配の人も会社の前を訪れては「よくぞ描いてくれた」と褒めてくれるのだと言う。

大正時代から続く老舗、フルサワ印刷の外壁。Eastside Transitionの作品が町内を彩る(写真撮影/相馬ミナ)

大正時代から続く老舗、フルサワ印刷の外壁。Eastside Transitionの作品が町内を彩る(写真撮影/相馬ミナ)

アメリカン雑貨を扱う「D-BOX」の看板(写真撮影/相馬ミナ)

アメリカン雑貨を扱う「D-BOX」の看板(写真撮影/相馬ミナ)

町内の壁画は今も月に1カ所のペースで増え続けており、野崎さんによれば、2022年5月末時点で「既に18カ所目の壁画制作の予定まで決まっている」らしい。

Eastside Transitionが経営するアートギャラリー「8.5HOUSE」(写真撮影/相馬ミナ)

Eastside Transitionが経営するアートギャラリー「8.5HOUSE」(写真撮影/相馬ミナ)

店内ではさまざまなアート作品やTシャツを扱う(写真撮影/相馬ミナ)

店内ではさまざまなアート作品やTシャツを扱う(写真撮影/相馬ミナ)

「オーガニック」「エコ」の流れは二宮のまちにとっての「必然」

もう一つの新しい波として、宮戸さんは「オーガニック」「エコ」の流れが二宮に来ていることを挙げる。

「アーティストや編集者、映像製作などのクリエイターやものづくりに興味のある人、この景色に魅力を感じる人が集まってきました。二宮の自然が好きで集まった人たちなのでオーガニック志向やエコ意識が高いことは、ある種の必然と言えるかもしれません」(宮戸さん)

先に紹介した「のうてんき」で提供される料理も体に優しいごはんだった。さらに、そのテラスから畑と空き地を挟んだ向かいには、植物で囲われた独特のオーラを放つ古家がある。この家も宮戸さんがプレゼン形式で入居者の募集を行った物件だ。今はオーガニック製品の量り売りを行う「ふたは」の店舗として、天然素材の優しさと、手仕事のぬくもりや喜びに満ちた空間になっている。

ツタに覆われた「ふたは」の外観(写真撮影/相馬ミナ)

ツタに覆われた「ふたは」の外観(写真撮影/相馬ミナ)

店のドアは植物に埋もれて、異世界への入口のよう!(写真撮影/相馬ミナ)

店のドアは植物に埋もれて、異世界への入口のよう!(写真撮影/相馬ミナ)

店内には量り売りの天然素材や食料品が並び、外観からは想像できないほど明るくて心地のいい空間になっている(写真撮影/相馬ミナ)

店内には量り売りの天然素材や食料品が並び、外観からは想像できないほど明るくて心地のいい空間になっている(写真撮影/相馬ミナ)

豊かな自然と東海道にはじまる新旧の営みが、未来をはぐくむ

町を見下ろすことができる吾妻山、湘南の海を望む梅沢海岸などの美しい風景も、昔から変わらない二宮の代表的なスポット。50年以上前から町の北側を中心に28棟856戸(うち、10棟276戸は2021年3月時点で賃貸終了)を展開してきた神奈川県住宅供給公社の「二宮団地」では、再編プロジェクトによって町の魅力づくりや小田原杉を使った部屋のリノベーションを行うなど、新しい風も吹いている。自然と親しみの深い土地は、このまちで育つ子どもたちにも温かいまなざしを向けてきたことだろう。

約87haもの里山に開発された「二宮団地」。50年以上の時を経て、里山の美しい景色に溶け込んでいる(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

約87haもの里山に開発された「二宮団地」。50年以上の時を経て、里山の美しい景色に溶け込んでいる(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

近年の子どもたちや親子の居場所として注目したいのが、「みらいはらっぱ」だ。東京大学果樹園跡地の活用を町が計画し、2021年から地元企業が運営。貸し出しスペースを利用して、さまざまな企業・団体や個人がそれぞれのアイデアで参加・活用をしている。

「みらはらSTAND」では、平日に(一社)あそびの庭が子どもたちのサードプレイスを提供。土日はイベントやワークショップも開催されている。かわいいルーメット(キャンピングトレーラー)は、テレワークをはじめ多用途に使える子連れOKのシェアスペースとして運用を始めようというところだ。

毎週月・水・金曜日の10時~17時には、「はらっぱベース」として子どもたちの居場所事業を行う(写真撮影/相馬ミナ)

毎週月・水・金曜日の10時~17時には、「はらっぱベース」として子どもたちの居場所事業を行う(写真撮影/相馬ミナ)

ルーメットがテレワークなどに使えるシェアスペースに改装され、子どもたちも興味津々(写真撮影/相馬ミナ)

ルーメットがテレワークなどに使えるシェアスペースに改装され、子どもたちも興味津々(写真撮影/相馬ミナ)

二宮を訪れて出会う誰もが「人が優しい」と口にする。「ずっと住んでいた人も、移住して来た人も優しくて、新しい取り組みをみんなが応援してくれる」と。

江戸日本橋から、京都三条大橋までの東海道、その53の宿場を指す東海道五十三次で「8」大磯と「9」小田原の間にあるまち。Area「8.5」の由来はここにある。昔から多くの人が行き交い、交流してきた土地柄だからこそ、できた空気感なのかもしれない。その空気と自然をまとう二宮のまちに心地よさを感じた人たちが、日々の暮らしを営みながら、これからも新しい何かをつくり続けていくのだろう。

●取材協力
・太平洋不動産
・ブーランジェリー・ヤマシタ(Facebook)
・のうてんき
・8.5 House(Eastside Transition)
・EDOYAガレージ(Facebook)
・フルサワ印刷
・D-BOX
・ふたは
・みらいはらっぱ
・あそびの庭
・二宮団地(神奈川県住宅供給公社)

郊外の空き地で、焚き火や養蜂に住民みんなが挑戦!「“禁止”はNG」が合言葉の「nexusチャレンジパーク 早野」

今から100年以上前、近代都市計画の祖といわれる英国のハワードが提唱した、豊かな自然環境と都市が融合した「田園都市構想」。この考え方に影響を受けて誕生したのが、東急田園都市線とその沿線に広がる住宅街です。今年春、そのお膝元ともいえる場所に、東急が「nexusチャレンジパーク 早野」をオープン。これまで活用されていなかった土地に、“みんなでチャレンジできる遊び場”をつくったといいます。さっそく取材してきました。

ヤギ、養蜂、コーヒー焙煎、シェア農園……住民が遊べる広場

「nexus(ネクサス)チャレンジパーク 早野」があるのは、東急田園都市線あざみ野駅からバスで10分ほど、虹ヶ丘団地とすすき野団地のあるエリア。今年4月、約8000平米の敷地に登場したのは、地産地消マルシェなどのイベントに利用できる「ネクサスラボ」、シェア型のコミュニティ農園「ニジファーム」、焚き火を囲んで遊べる「ファイヤープレイス」、養蜂やカブトムシの育成などに挑む「生き物の森」で構成されていて、基本的に住民が自由に使うことができる広場です。

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

取材時は「チャレンジデイ」ということで、パークでどんなチャレンジができるのかを知ってもらうイベントを行っていました。当日は、「ヤギとのふれあい」「焚き火でコーヒー焙煎」などの体験や、「どんなところかひと目みたい」という地元のみなさんでにぎわっていました。周囲は団地で、緑にあふれる環境。この日は晴天で、風が吹き抜ける中、子どもたちが自由に駆け回っていて、とても清々しい気持ちになりました。

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

焚き火もOK! 自由に、楽しく、街で試してチャレンジ

都市部でも郊外でも、何かと制約や禁止が多い昨今ですが、ここではハチやヤギのような生き物はいるし、焚き火もOKという、きわめて自由度の高い場所としてデザインされています。

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「企画のかなり早い段階で、パーク内に『禁止』と書くのはやめようね、という話になりました。禁止といわれてしまうと、とたんにあれもこれもダメになってしまう。大切なのはチャレンジできること。ダメだから、と諦めるのではなく、どうやったらできるか? という発想で進めているんです」と話すのは、nexusチャレンジパーク運営チームの清水健太郎さん。

確かに、「ダメ」や「迷惑でしょ」といわれてしまうと、大人も子どももとたんに遠慮や萎縮が出てしまうもの。あくまで「チャレンジをする場所」と位置づけ、まずはやってみたいことを募り、法律や地域のルールにも配慮しながら、「どうやったらできるか」を考えていくといいます。

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集したところ(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集し(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

模造紙に書かれた、パークでチャレンジしたい内容を見ていくと「フェス」や「おまつり」「ざっそうとり大会」「無料カフェ」など、ユニークな内容がずらり。いいですよね、毎週、文化祭やおまつり気分。早くも「チャレンジパークにいくと、楽しいことがあるよ」「楽しい人がいるよ」という場所になりそうな予感がします。

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

「こうした自由な遊び場を通じて、地域の人の想いを結びつけ、コミュニティとして育つ空間をつくりたい」と話すのは、前出の清水さん。住む人が自然とつながり合い、語り合い、一緒にチャレンジし、また語り合う、そんなサイクルを生み出す、これこそが、運営チームのみなさんがこの場で実現したいことだそう。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

東急田園都市線沿線は、閑静な住宅地として大いに発展してきましたが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大により、その住宅で『働く』ことが当たり前になりました。コロナ禍で私たちのライフスタイルは大きく変わり、以前のような毎日決まった時間に通勤する人の動きに、もう戻らないだろうともいわれています。

「家での滞在時間が増えたということは、居住地域で過ごす時間が増えたということ。だとしたら、新たな居場所が必要だよね、と。これまでは「住む」の意味合いが強かった場所に、「学ぶ」「働く」そしてnexusチャレンジパークのような「遊ぶ」場がある、そんな『街づくり』、『歩いていて楽しい街』にしていきたい。」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

大人が遊ぶというと、お酒を飲むとか、イベントに行くとかになりがちですが、焚き火遊びや野遊びができる場が近所にあったら、やっぱりそれは楽しいし、利用したくなりますよね。

街のバディ(仲間)を発掘。人が人を呼ぶ楽しさ、つながる喜び

また、もう一つこだわったのは、運営や企画に携わるのが「地域の人」という点です。

「今回、記録撮影に入っているカメラマンさん、地元にお住まいなんです。ひょんなことから地域に住んでいるカメラマンさんとの出会いがあり、お願いすることになりました。今回来てくれたヤギのオーナーさんも、団地の方が紹介してくださり話がまとまったんです。チャレンジパーク内の施工関係は地元の桃山建設の専務が参画されていたりと、地域の仲間、つまりバディを発掘しながらつくりあげています。今後もそんな輪を広げていきたいですね」と、清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

地域コミュニティを創出するプロに依頼し、それらしい空間をつくるのは容易いことでしょう。でも、そうはせず、時間はかかっても、その土地で暮らしてきた人々の気持ち、地域の縁によって育てていくのが、チャレンジパークのコンセプト。

ちなみに、撮影を担当していたカメラマンさんによると、「この地域には映像ディレクターにプログラマーなど、優秀な人が多くて、才能の宝庫です。自由にやっていいといったら何でもできるのではないでしょうか」とのことです。

「昔と違って地域に住んでいる人って、実はなかなか出会わないし、知り合いになる機会って限定されていますよね。でも、農作業をする、とか焚き火をする、一緒に遊ぶという活動や体験の共有があると、ぐっと距離が縮まるでしょう。地域に住む人が、自然と、互いにつながる場になっていけたら」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

今年2022年に創立100年を迎える東急グループ。沿線も街も成熟していますが、一方で、街として成熟するということは、自由な余白がなくなるということでもあり、規則が増えるということでもあります。

成熟した街に、もう一度、余白と自由を取り戻す。緑豊かな田園の環境と都市の利便性、美しさの融合が「田園都市」だとしたら、このnexusチャレンジパークは、本来の意味での「田園都市」としてアップデートする試みといえるのかもしれません。

●取材協力
nexusチャレンジパーク 早野

パリ郊外の古い一戸建てを大改造しモロッコ空間に!緑いっぱいサンルームでガーデンパーティも パリの暮らしとインテリア[14]

二人暮らしから赤ちゃんが生まれて家族が増え。ライフスタイルの変化とともに、住まいに求める内容も変化します。パリ郊外の街モントルイユに暮らすドミニクさん夫妻は、25年前、変化に合わせて暮らしを大きく変えました。未知の環境をどのように選び、どのようにして新しいライフスタイルをつくり上げたのでしょうか ? 緑いっぱいの一戸建てを訪問し、話を伺いました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

エレベーター無しの7階から、庭のある郊外の一戸建てへ

ドキュメンタリストのドミニク・メタン・ド・ラージュさんは、パリ郊外の街モントルイユに引越して25年になります。ドキュメンタリストという職業はあまり馴染みがありませんが、映画やテレビ番組を制作する際に、歴史的資料やデータといった諸々のドキュメント(文書)を集める仕事なのだそう。今はちょうどNetflix向けに資料集めをしている真っ最中です。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

仕事場は自宅。フランス政府が文化を守るために舞台関係者などを金銭的支援するアーティスト認定制度「アンテルミッタン」を獲得しているドミニクさんは、自由業者にはない安定の保証を得つつ、時間や場所の制約なしで作業ができるライフスタイルに、心から満足しているよう。これというのも25年前、パリを脱出し、環状線の外側の郊外へ飛び出したおかげなのでした。

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「パリ生活は、ミュージシャンが多く住むオベルカンフ通り周辺が拠点でした。夫は今もそうですが、以前は私もレコード会社に勤めていたこともあって、あのエリア特有の自由でクリエイティブな空気がとても気に入っていたのです。ただ、アパルトマンはエレベーター無しの7階で……子どもが産まれてからは、不自由を感じるようになって。そもそも寝室が1つしかなく、リビングの一角に夫婦のベッドコーナーをつくってなんとかやり過ごしていたのです。でも、次男を妊娠した1996年、片方の腕で長男を抱いて、もう片方で紙おむつの大きなパックやミネラルウオーターを抱えながら、毎日7階まで階段を昇る生活をやめる時がきた、と悟りました」

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの古いアパルトマンの、木の階段を昇り降りする日々、しかも小さな子どもと一緒! 想像するだけでよく頑張りましたと絶賛したくなりますが、そのくらいパリ暮らしが気に入っていて、パリ以外の場所での生活は考えられなかったということでしょう。

「実は1年ほどパリ市内で物件探しをしていたのです。でも値段が高いばかりで、ちっともいい物件に出会えませんでした。そんな時、友人のひとりがモントルイユのことを教えてくれました。当時はまだ安かったですし、感じのいい一戸建てが多いんだよ、と」

友人のすすめですぐに不動産屋とコンタクトを取り、3軒目に訪問したこの家でピンときて、即決断。パリではさんざん苦労した物件探しも、モントルイユに来た途端、たった1カ月で目的達成できました。

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「条件はまず第一に、メトロに近いことでした。なぜなら、パリの友人たちは、みんなが必ずしも車を持っているわけではないからです。友人たちとこれまで通り行き来しやすいよう、交通の便がいいことは絶対でした。第二の条件は、十分な広さがあること。ここは一戸建てですし、庭もあります。住空間は約130平米、庭がだいたい50平米くらい。内見をした時に、庭をどんなふうに手入れして、家をどう改装するか、そこで私たち家族がどんな暮らしを送るのか……情景がすぐにイメージできたのです。家の裏に広い公園があることも、決断を後押しする大きなポイントでした。交通量の多い大通りを渡ったりせずに、すぐに遊びに行ける広い公園があることは、子どもたちにとって何より嬉しいことですから」

アーティストのアトリエが多いモントルイユの環境や、隣人が地下を改装してバンドの練習をしていたことも好印象だったそう。物件購入後、田舎の家そのものだったこの一戸建てを、ドミニクさん夫婦は自分達のライフスタイルに合わせて大改装していきました。

2階建てを3階建てにつくり替えて、寝室を増やす ?!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

夫妻と、息子2人。合計4人の家族全員が、快適に暮らせるようにと購入した一戸建て。その希望に応えるポテンシャルはありながらも、購入時の家は現在の姿とは全く違っていました。

「2階建てとはいえ、中は昔ながらのつくりのせいで廊下ばかりが場所をとり、肝心な各部屋はとても小さかったのです。しかもトイレは、屋外に後付けされていました。私たちはまず、寝室をもう1つ増やすために2階の天井を低くして、屋根裏を寝室につくり変えることにました。つまり、2階建ての家の中身を、3階建てに変えたのです」

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

3階に新しく寝室をつくって、ここを長男の部屋にする、というプランでした。

「1階は、庭の魅力を最大限に取り入れたかったので壁をすべて取り払い、代わりにサンルームをつくりました。このおかげで、サンルームの屋根の部分が、2階のバルコニーになったのです。これは本当にいい判断だったと思っています。サンルームのガラスが納品されるまでの間、ベニア板で塞いで暮らしていた1カ月以上にわたる悪夢も、今では笑い話ですね」

天井を低くしたり、壁を取り壊したり。かなりの大工事を経験せねばなりませんでしたが、こうして完成した住まいは広々とした4LDK。もちろんトイレもちゃんと家の中です! さあ、どんな間取りになったのか、玄関から順を追って見ていきましょう。

庭のメリットを最大限に生かす住まいのレイアウト

まず、ピンク色にペイントした玄関を入ってその先へ。右側がキッチンとリビングです。リビングは例のサンルームに続き、その先にドミニクさんお気に入りの庭が広がっています。廊下を挟んでリビングの向かい側、つまり玄関の先の左側は、仕事部屋兼テレビルームです。モロッコ風のニッチは美と実益を兼ねていて、ドミニクさん自慢のコーナーの一つです。

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階には夫妻の寝室と、長男の部屋が。サンルームの屋根を利用してできたバルコニーは、夫妻の寝室からひと続きになっています。このバルコニーも、ドミニクさんのお気に入り空間です。一人で静かに過ごす日中、ベッドの上で読書をして、気が向いたらバルコニーに出て空を眺める。そんな時間をドミニクさんは心から愛しているのです。

そしてこの上階、屋根裏につくった寝室が次男の部屋、という次第。今では長男・次男ともに独立し、一緒に住んではいません。現在、次男の部屋にはプロジェクターをセットして、ホームシアターとして使っているとのことでした。ここも、ドミニクさんのお気に入り空間です。

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

インテリアはミックスで

家を一周して一番印象に残るのは、なんと言ってもモロッコ風のアクセントです。ピンク色の壁とポインテッドアーチ型のニッチは、まるでモロッコの都市・マラケシュにいるよう。なぜモロッコテイストなのかなと思い尋ねたたところ、ドミニクさん夫妻は15年前からモロッコで賃貸の一戸建てを借りていて、バカンスのたびに彼の地へ行くのが習慣になっているのだそう。夫の両親がモロッコに住んでいたこともあり、愛着のある土地なのだと教えてくれました。

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「モロッコの職人芸術には、かなりインスパイアされていると思いますよ。ポインテッドアーチ型のニッチのように、装飾性と実用性を兼ねたものが多いこともその理由かも知れません。加えて、モロッコからパリまではバスを使った格安の配送サービスがあるので、家づくりに必要なものを買ってパリに送ることが簡単にできるのです。例えば、壁のピンクの顔料はモロッコで買ったもの。普通のペンキよりもずっと発色がいいのです」

そして全てをモロッコスタイルにするのではなく、ミッドセンチュリーデザインや、モントルイユのアーティストのオブジェ、世界中の旅先から持ち帰ったものなど、いろいろなスタイルをミックスしていることにも気づきます。あえてひとつのスタイルに統一しないのは、フランスの人々の住まいによく見られる特徴です。ファッションと同じように、住まいづくりにも自分の個性を尊重して、自分のために空間をつくる。だからこそ自分が心地よく暮らせるのだということを、個人主義の彼らは経験から熟知しているのです。

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

時には60人を招いてガーデンパーティも!

一戸建てを大改装し、自分達の暮らしに合うようつくり替えたドミニクさん。家の中の多くの部分がお気に入り空間になっていることから分かるように、改装工事は大成功でした。

「でも実は、この家で一番気に入っているのは庭なんです。庭は、日々の生活に心の安らぎと喜びを与えてくれます。自然は毎日変化し、時間ごとに変化しますから、見飽きるということがありません。時にはここで、大勢を招いてガーデンパーティをします。一番最近は夫の70歳のバースデーパーティ。60人を招待しました!」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そんなに大勢をどうやって !? 食器だって足りないのではと心配になりますが、フランスの人たちは招待客でもパーティの準備に参加する、いわゆる「持ち寄り」精神が旺盛なのだそう。食器はともかく、料理の方はみんなで持ち寄って参加するので、招待する側だけが何日も前から仕込みをしたり、プロのケータリングを頼んだりせずに済むそうです。気負わずに大人数のパーティができるのはいいですね。

「パリの西にあるモントルイユは、近年人気が上昇し続けている街です。エコロジーに根ざした環境と、パリジャンやパリジェンヌとは違ったメンタリティーの人たちが住んでいることが、その人気の理由です。街そのものは特別美しくはありませんが、17世紀から19世紀にかけて作られた『桃の壁』という文化遺産があって、多くのアソシエーションがここで都市型農園や参加型菜園などのプロジェクトを進めています。つまり、いいエナジーのある街。いろいろなバランスがいいので、老後も田舎へ引越すことは考えていません。もし引越すならモロッコです! そのくらい、今のライフスタイルに満足しています」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「住まい」とは、家の中だけではなくて、庭や環境、街のエナジーまでも含む自分を取り囲む空間のこと。物件探しをする際は、周辺の環境もしっかり見なくては! そう肝に銘じさせられる、ドミニクさんのお宅訪問でした。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ドミニクさん

「新宿駅」まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング 2022年版

日本屈指の繁華街、新宿駅。2022年4月には高層オフィスビル建設を含むグランドターミナル再編を目指した再開発計画の概要も発表されている。その新宿駅へ30分以内で行ける駅はどこだろうか。ワンルーム・1K・1DKを対象にした家賃相場が安い駅の最新ランキングから、狙い目の街を探してみよう。

新宿駅まで電車で30分以内、家賃相場の安い駅TOP12

順位/駅名/家賃相場(沿線名/駅の所在地/新宿駅までの所要時間(乗り換え時間を含む)/乗り換え回数)
1位 京王よみうりランド 5.00万円(京王相模原線/東京都稲城市/29分/1回)
2位 生田 5.20万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/22分/1回)
3位 花小金井 5.30万円(西武新宿線/東京都小平市/30分/1回)
4位 読売ランド前 5.35万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/24分/1回)
5位 朝霞台 5.40万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/28分/1回)
6位 西国分寺 5.50万円(JR中央線・武蔵野線/東京都国分寺市/29分/1回)
7位 田無 5.60万円(西武新宿線/東京都西東京市/28分/1回)
8位 京王稲田堤 5.80万円(京王相模原線/神奈川県川崎市多摩区/28分/1回)
9位 朝霞 5.90万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/27分/1回)
9位 百合ヶ丘 5.90万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市麻生区/26分/1回)
9位 稲田堤 5.90万円(JR南武線/神奈川県川崎市多摩区/29分/1回)
12位 中野島 6.00万円(JR南武線/神奈川県川崎市多摩区/27分/1回)
12位 京王多摩川6.00万円(京王相模原線/東京都調布市/26分/1回)
12位 南浦和 6.00万円(JR京浜東北線・武蔵野線/埼玉県さいたま市/30分/1回)
12位 向ヶ丘遊園6.00万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/19分/1回)
12位 和泉多摩川6.00万円(小田急小田原線/東京都狛江市/22分/1回)
12位 柴崎 6.00万円(京王線/東京都調布市/27分/1回)
12位 蕨 6.00万円(JR京浜東北線/埼玉県蕨市/26分/1回)
12位 西調布 6.00万円(京王線/東京都調布市/28分/1回)

自然豊かな地域で農作所の直売所も

1位は東京都稲城市にある京王よみうりランド駅だった。京王相模原線の快速と区間急行の停車駅で、駅名のとおり遊園地の「よみうりランド」の最寄り駅だ。

よみうりランド(写真/PIXTA)

よみうりランド(写真/PIXTA)

稲城市は、多摩ニュータウンに含まれる東京都内のベッドタウンで、緑豊かな地域。農業が盛んで、市と同名の品種「稲城」などのブランド梨の栽培でも知られる。そのため、駅付近は閑静な住宅地だが、周囲には畑も目立ち、市内のあちこちで農家の直売所も見かける。駅近くには百円均一店などが入るスーパーもあるが、市外からも買いに訪れる人の多い梨をふくむ新鮮な農産物が手軽に入手できるのは魅力だ。

少し行けば、大露天風呂を備えた温泉施設や、よみうりランドで遊ぶ際にも利用できる大規模なバーベキュー施設などもある。郊外ならではの週末の楽しみも満喫できそうだ。

3位の花小金井駅は西武新宿線の沿線駅。急行と準急が停車する。7位の田無駅とは隣駅で、こちらは快速急行と急行、通勤急行と準急の停車駅。駅間距離は約2.6kmなので、価格と交通利便性のバランスをとってうまく物件を選びたいところだ。

周囲には市立の図書館や、世界一に認定されたプラネタリウムのある体験型ミュージアム「多摩六都科学館」など教育設備が点在しているため、子育て世帯が多い印象を受けるが、駅周辺は単身者向けの物件も目立つ。西武新宿線は早稲田大学の最寄駅の高田馬場駅にも乗り入れて、花小金井駅には早稲田大生も多く住んでいる。また法政大の小金井キャンパスもほど近い。

駅の近くには24時間営業のスーパーなども充実しており、100軒以上の飲食店などが並ぶ商店街「花小金井商栄会」もある。自然が豊かな地域で、うつくしく整備された長い緑道沿いには、野菜の直売所をみかけることも。桜の名所として知られる約80haの「小金井公園」もすぐそば。サイクリング専用コースやドッグランなどの施設のほか、墨田区にある江戸東京博物館の分館として開設された屋外博物館「江戸東京たてもの園」もある。文化的価値の高い歴史的建造物を移築、復元して展示している博物館で、地元の多摩地域の歴史に関する展示も豊富だ。

小金井公園(写真/PIXTA)

小金井公園(写真/PIXTA)

また7位の田無駅は、駅直結の複合商業施設や成城石井などのスーパーのほか、少し行けばホームセンターもある。便利なチェーン系飲食店も数多いが、駅の南側にはレトロな雰囲気のある個人経営店も点在している。所在地である西東京市の市役所も近く、日常の生活には全方位的に便利な場所、といえそうだ。

複数路線利用駅や再開発進行中の駅もランクイン

5位の朝霞台駅は、東武東上線の急行や快速の停車駅。新宿と同様に都内屈指の繁華街である池袋駅までも乗り換えなしで約20分で行ける、利便性抜群の駅だ。JR武蔵野線の北朝霞駅と直結しているため、複数路線利用できるのもうれしいところ。

駅前はチェーンの飲食店や深夜2時まで営業しているスーパーがあるが、少し行くと落ち着いた住宅街が広がる。9位の朝霞駅とは東武東上線の隣駅だが、朝霞駅は準急と普通の停車駅。交通の便がよく、駅周辺がよりにぎやかなのも朝霞台駅だが、朝霞市役所や朝霞税務署、ハローワーク朝霞などの公的機関は朝霞駅が最寄りだ。

両駅の所在地の朝霞市は埼玉県の南東側に位置し、東京都と隣接している。地名を冠した陸上自衛隊の朝霞駐屯地が有名だが、敷地は実は練馬区や和光市、新座市にまたがっていて、大半は朝霞市ではない。しかし広報センターは朝霞市にあるため、納涼祭などのイベントが開かれ、地域に親しんでいる。また市民まつりでは、県外からの参加者もいる大規模なよさこいが開催される。

ランキング中、唯一所要時間が20分を切ったのが、同率12位の向ケ丘遊園駅。向ケ丘遊園駅は渋谷駅まで電車で30分以内の家賃相場が安い駅ランキングの2021年版でも3位にランクインしている。

向ケ丘遊園駅(写真/PIXTA)

向ケ丘遊園駅(写真/PIXTA)

周辺は専修大学生田キャンパスや明治大学生田キャンパスなど大学が多いため、そうした学生向けの物件が充実している。深夜まで営業しているスーパーや飲食店が多く、特にラーメン店が充実しており、学生でなくても単身者には心強い。所在地である多摩区役所の最寄り駅でもある。また、近くには漫画家の藤子・F・不二雄氏の描いた原画などが展示された「藤子・F・不二雄ミュージアム」や、川崎市生まれの芸術家、岡本太郎氏と、その両親で漫画家の岡本一平氏、小説家の岡本かの子氏の作品を顕彰する「岡本太郎美術館」など複数の美術館がある。

駅名の由来となった向ヶ丘遊園の広大な跡地は再開発が進められており、23年度には新たなシンボルとして温泉や商業施設、自然体験ができるキャンプ場などを備えた施設が完成する予定という。なかでも温泉施設は、周囲の自然豊かな環境を楽しみながら都心まで望める露天風呂や、貸し切り個室風呂、昨今ブームになっているサウナ施設なども設ける予定で、近い将来に、新しい魅力をみせてくれそうな街といえそうだ。

ランキングは東京、神奈川、埼玉を各方面がバランスよく混在し、路線も非常にバラエティー豊か。新宿駅というターミナルの大きさを実感するとともに、家探しの選択肢の無限さにも思いをはせてしまう。自分の求めるライフスタイルや生活の中で重視するものは何かをしっかり見極めて、最適な部屋を見つけたいものだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている新宿駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/1~2022/3
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年3月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

”池袋の隣の地味な駅=大塚”が4年で大変貌! 星野リゾート進出など地元不動産屋7代目の軌跡

「最近、大塚がアツいらしい」。そんな話を耳にすることが増えてきた。きっかけは、2018年に、あの星野リゾートが都市型ホテル「OMO」東京第1号を大塚で開業したこと。「東京大塚のれん街」も同時に登場し、大きな話題になった。
その旗振り役は、行政でも大手デベロッパーでもない、地元・大塚の山口不動産。
今回は、代表取締役CEOの武藤浩司さんに、大塚のこれまでとこれからどうなっていくのか、個人的な心のうちを含めて、お話を伺った。

仕掛け人は社員7名の不動産会社

2022年4月に大塚で街イベント「ba fes.(ビーエーフェス)」が開催されると聞き、足を運んだ。本格クラフトビールを楽しめるビアフェスのほか、ステージパフォーマンス、フリーマーケット、「OMO5東京大塚by星野リゾート」でのDJイベントなど、さまざまな催しが大塚の街のあちこちで開催され、おおいににぎわっていた。

4月22日(金)~24日(日)に行われた「北東京を象徴するビアフェス」。地元、南大塚のビアバー「TITANS」が厳選する、東京北部のマイクロブリュワリーと海外のブリュワリーのビールが集合(写真撮影/相馬ミナ)

4月22日(金)~24日(日)に行われた「北東京を象徴するビアフェス」。地元、南大塚のビアバー「TITANS」が厳選する、東京北部のマイクロブリュワリーと海外のブリュワリーのビールが集合(写真撮影/相馬ミナ)

会場は、東京大塚のれん街の隣、山口不動産が管理する駐車場にて開催(写真撮影/相馬ミナ)

会場は、東京大塚のれん街の隣、山口不動産が管理する駐車場にて開催(写真撮影/相馬ミナ)

フェス専用のリサイクルカップを使用するなど、環境に配慮も(写真撮影/相馬ミナ)

フェス専用のリサイクルカップを使用するなど、環境に配慮も(写真撮影/相馬ミナ)

ba01ビル地下1階の「ping-pong ba」では、地元民が出品するフリーマーケットも(写真撮影/相馬ミナ)

ba01ビル地下1階の「ping-pong ba」では、地元民が出品するフリーマーケットも(写真撮影/相馬ミナ)

街の景色を変えた仕掛人は山口不動産の代表、武藤さん。所有するビルに「ba(ビーエー)」と名付け、駅前のロータリーや分電盤にも「ba」のロゴが施されている。大塚駅に降り立った人に「これはなんだろう」と思わせる仕掛けだ。
「そもそも、山口不動産は、この辺りに広い土地を持っていた地主である山口家が、自分の土地・不動産を管理する会社。祖母が山口家の13代目でした。他のどの街でもあるような、不動産を保有して賃料収入を得るだけの会社でした」。親族経営ゆえに冒険はしないのが基本。テナント収入で利益を得ることが優先され、銀行から多額の融資を受けてまで新事業を推進することには消極的になりがちな体質だ。
「でも、それだけでは、面白くないし、小さな会社だからこそ、意思決定はスピーディに行えることも利点なんです」

開発前の大塚(写真提供/山口不動産)

開発前の大塚(写真提供/山口不動産)

現在の風景。大塚駅北口には、ba01、ba02、ba03、ba05、ba06、ba07と6つの建物が点在(写真撮影/相馬ミナ)

現在の風景。大塚駅北口には、ba01、ba02、ba03、ba05、ba06、ba07と6つの建物が点在(写真撮影/相馬ミナ)

baのロゴ(写真提供/山口不動産)

baのロゴ(写真提供/山口不動産)

山口不動産は、この駅前広場のネーミングライツ(命名権)を取得して、2021年3月に「ironowa hiro ba」と命名。豊島区は、支払われた命名権料を広場の維持管理に充てる、という仕組み。その向こうに見えるのは、「OMO5東京大塚by星野リゾート」(写真撮影/相馬ミナ)

山口不動産は、この駅前広場のネーミングライツ(命名権)を取得して、2021年3月に「ironowa hiro ba」と命名。豊島区は、支払われた命名権料を広場の維持管理に充てる、という仕組み。その向こうに見えるのは、「OMO5東京大塚by星野リゾート」(写真撮影/相馬ミナ)

山口不動産代表取締役CEO武藤浩司さん。東京大学を卒業後、メガバンク、大手監査法人を経て、同社へ入社。2018年より現職。インタビュー取材に同席した会社の看板犬・Naluちゃんと一緒に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

山口不動産代表取締役CEO武藤浩司さん。東京大学を卒業後、メガバンク、大手監査法人を経て、同社へ入社。2018年より現職。インタビュー取材に同席した会社の看板犬・Naluちゃんと一緒に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「星野リゾート」誘致からスタートした「baプロジェクト」

「ba」とは「場」の意味。「魅力ある『場』を提供していける会社になりたい」という想い、「b」は『being』で「いること」、「a」は『association』で「つながり」という意味合いもある。
この「ironowa ba project(いろのわ・ビーエー・プロジェクト)」は、2018年に、星野リゾートの都市型ホテルが入るビルを「ba01」、賃貸マンションの建物を「ba03」として同時に竣工したことから始まった。さらに、カフェや飲食店が入居している駅前のビルを「ba06」、その向こう側にあるオフィスビルを「ba07」と改名した。

狙いは「“大塚”のまちの体温をあげたい」。

星野リゾート側も、都市観光ホテルブランドを立ち上げるにあたって、観光地ではないけれど滞在すれば、その街の魅力を暮らすように体験できる立地を想定しており、下町情緒の残る「大塚」はまさにぴったりだった経緯もある。
「これまで大塚といえば『池袋の次の駅』といったイメージくらいしかなく、わざわざ降りる場所ではなかったでしょう。それを何とかしたかったんです。『どこに住んでいるの? 』 って聞かれて『大塚』って答えたら、『すっげぇ、いいなぁ 』って憧れられる。それが目標です」と武藤さん。

「寝るだけでは終わらせない、旅のテンションを上げる都市観光ホテル」をコンセプトにした「OMOブランド」。都内初となった「OMO5東京大塚by星野リゾート」は、単に宿泊するだけでなく、「ご近所を楽しむ」という視点でユニークなサービスを展開(写真撮影/相馬ミナ)

「寝るだけでは終わらせない、旅のテンションを上げる都市観光ホテル」をコンセプトにした「OMOブランド」。都内初となった「OMO5東京大塚by星野リゾート」は、単に宿泊するだけでなく、「ご近所を楽しむ」という視点でユニークなサービスを展開(写真撮影/相馬ミナ)

縦空間や壁面を有効活用した櫓(やぐら)寝台のような造りで、秘密基地気分で楽しめるゲストルーム(写真提供/山口不動産)

縦空間や壁面を有効活用した櫓(やぐら)寝台のような造りで、秘密基地気分で楽しめるゲストルーム(写真提供/山口不動産)

同時オープンでインパクト。積極的なテナント誘致で街の顔を変えていく

そのための戦略は、ある意味シビアだ。
注目度の高い星野リゾートと、内装や賃料などの厳しい交渉の末、誘致に成功。この誘致が決定されたことで、飲食店プロデュースの株式会社スパイスワークスの下遠野亘さんを巻き込むことができた。昭和の風情の居酒屋が並ぶ「東京大塚のれん街」と星野リゾートのホテルの同時オープンにこぎつけたことで、大いに話題になり、各メディアに取り上げられた。
「星野リゾートの都市型ホテルの都内一号店でなければ、さらには同時オープンでなければ、インパクトは与えられないと考えました」

昭和の佇まいを残しながら改築した居酒屋の集合体「東京大塚のれん街」(画像提供/山口不動産)

昭和の佇まいを残しながら改築した居酒屋の集合体「東京大塚のれん街」(画像提供/山口不動産)

さらに、入るテナントも「このお店が大塚にあったらイメージがよくなるはず」という観点を優先。さらに食通が足繁く通うことで知られる目黒にある焼鳥店「やきとり阿部」の阿部友彦氏が手がける「やきとり結火」の出店を自ら打診。武藤さん自身が、求心力のあるテナントを仕掛けている。

「やきとり結火」は、焼鳥の名店「鳥しき」で修業し独立した店主の阿部友彦氏の3店舗目になる。ソムリエによるワインのセレクトと焼鳥のマリアージュを楽しめる (画像提供/山口不動産)

「やきとり結火」は、焼鳥の名店「鳥しき」で修業し独立した店主の阿部友彦氏の3店舗目になる。ソムリエによるワインのセレクトと焼鳥のマリアージュを楽しめる(画像提供/山口不動産)

「採算性だけを考えれば、コンビニやドラッグスストア、飲食のチェーン店のテナントを入れるのが正解なのかもしれません。だけど、それではどこでもある街になるでしょう。大塚だからこそ出会える味、経験を提供したいんです。メガバンクや監査法人で働いたこともあるので、数字がいかに大事かは理解しています。しかし、数字だけみていても楽しくない。クリエイティブなこと、アイデアフルなことに投資したい。要はバランスですね」

持続性のあるイベント開催で、大塚を知ってもらうのが第一歩

こうして、「ironowa ba project」の発足を皮切りに、さまざまな分野の人を巻き込み、大塚の街を盛り上げる試みにもトライしている。前出のフェスもそのひとつ。山口不動産グループが直接経営する、星野リゾートのOMO5が入るba1の1階「eightdays dining」では、休日には店外のデッキで小さなイベントを開催することもある。

山口不動産グループが経営するカフェダイニング「eightdays dining」(写真提供/相馬ミナ)

山口不動産グループが経営するカフェダイニング「eightdays dining」(写真提供/相馬ミナ)

ビアフェスでは、「eightdays dining」デッキ部分にお店が出店していた(写真提供/相馬ミナ)

ビアフェスでは、「eightdays dining」デッキ部分にお店が出店していた(写真提供/相馬ミナ)

当初は社員のみの活動だった清掃活動も、お揃いのユニフォームや軍手を身に着けて認知度を上げたことで、テナントで働く人、賃貸マンションに暮らす人なども巻き込んでいき、インスタ等を通してたくさんの人が参加する清掃活動「#CleanUpOtsuka」へと発展した。

「#CleanUpOtsuka」は週2回開催。日常活動のほか、100人規模のゴミ拾いイベントを定期的に開催している。 (画像提供/山口不動産)

「#CleanUpOtsuka」は週2回開催。日常活動のほか、100人規模のゴミ拾いイベントを定期的に開催している(画像提供/山口不動産)

「定期的に開催することで顔見知りが増えたり、大塚という街に愛着を持ってもらえます。コロナ禍で変更を余儀なくされましたが、持続的に開催すれば、『大塚ってなんか面白いな』と興味を持ってもらえる方が増えるはず。実際に、大塚駅のあちこちにある『ba』ロゴに興味を覚え、ネット検索から、僕のnoteにたどり着いた方が、当社の物件を契約してくださったんです」

とはいえ、「まちづくりの仕掛け人」という紹介のされ方には違和感があるという武藤さん。
「おこがましい気がして (笑)。まちを『つくっている』という意識なんて僕にはないですし、僕がしたいのは、“大塚に来てみたら、住んでみたら楽しいな”と思ってもらうこと。僕は、“大塚のまちの体温をあげたい”というのが一番近いかなと思っています」

駅南口は開発が進む北口と雰囲気が異なる。サンモール商店街では趣のある路地散策を楽しめる(写真撮影/相馬ミナ)

駅南口は開発が進む北口と雰囲気が異なる。サンモール商店街では趣のある路地散策を楽しめる(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

都電荒川線が走る、大塚おなじみの風景(写真撮影/相馬ミナ)

都電荒川線が走る、大塚おなじみの風景(写真撮影/相馬ミナ)

「あくまでも個人的な思い」もモチベーションのひとつに

純粋に「育った街を盛り上げたい」という想いとは別に、武藤さん個人の「自分の人生もなんとかしたい」という切実な事情も動機になっている。
そもそも、山口不動産は、元地主の親族経営の会社。武藤さんの祖母は、外孫である武藤さんに期待し、いずれは会社を継がせたいという、未来予想図があった。武藤さんは、東京大学を卒業後、メガバンクへ入行し、大手監査法人へ。ただ、ほどなくしてうつを患ってしまい、退職。当初描いていたよりずっと早く、祖母の会社の山口不動産に入社することになった。

「冒険をせずとも、粛々と日常の業務をこなしていけば、食べてはいけるんですよね。でも、それで本当にいいのかとずっと自問していました。私自身、友人たちの活躍に置いて行かれた気分にもなっていたんです。祖母の想いはあれど、自分が社長職を継げるかどうか、保証も何もなかった。親族内でも社内でも認めてもらうのは、実績が必要だ。そういう自分自身の焦燥感も、モチベーションになっていたと思います」
 
「今後の目標は? 」という質問に、「SUUMOの『住みたい街ランキング』で大塚が上位になること」と答えてくださった武藤さん。このプロジェクトを通して、同じ志を共にする人材も雇用でき、良い循環が生まれているという。武藤さん自身が、自分のうつのこと、親族間の確執、決して成功だけでははない失敗のアレコレなど、「通常なら隠しておいても普通のこと」を、note「僕はまちづくりなんてしてない~大塚からまちの体温を上げる」で発信していることも注目されている。

「noteで赤裸々に語ったおかげで、僕個人に興味を持ってくださったメディアから取材を受けることが多く、大きなPRになっています」(画像提供/山口不動産)

「noteで赤裸々に語ったおかげで、僕個人に興味を持ってくださったメディアから取材を受けることが多く、大きなPRになっています」(画像提供/山口不動産)

「発信を始める前に比べて、僕たちの取組みに共感してくださる方、協力の意思表示をしてくださる方が目に見えて増えたのが、何よりも嬉しい変化でした」。
こうした「あくまでも個人的なエモーション」が、人々を巻き込み、街を変える原動力になる。そんなある意味、原始的なうねりのようなものを「大塚」という街は生み出しているのかもしれない。

●取材協力
ironowa ba project | 山口不動産株式会社
note「僕はまちづくりなんてしてない~大塚からまちの体温を上げる」

「新宿駅」まで30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

多数の路線が乗り入れ、世界で最も1日の乗降客数が多い駅としてギネス世界記録にも認定された新宿駅。渋谷駅や池袋駅と並んで東京都内3大繁華街にも数えられ、さまざまな企業があるビジネス街でもある。そんな新宿駅までアクセスしやすい、中古マンションの価格相場を調査した。新宿駅まで30分圏内にある、専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの価格相場が安い駅トップ15をご紹介しよう。

新宿駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP15

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/新宿駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 大森 2480万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/24分/2回)
2位 西川口 2498万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/23分/1回)
3位 ときわ台 2500万円(東武東上線/東京都板橋区/20分/1回)
4位 西馬込 2535万円(都営浅草線/東京都大田区/28分/1回)
5位 川口 2580万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/20分/1回)
6位 本蓮沼 2780万円(都営三田線/東京都板橋区/24分/1回)
7位 平和島 2880万円(京浜急行本線/東京都大田区/30分/2回)
8位 南千住 2980万円(つくばエクスプレス/東京都荒川区/30分/2回)
8位 町屋 2980万円(東京メトロ千代田線/東京都荒川区/26分/1回)
10位 調布 2985万円(京王線/東京都調布市/22分/0回)
11位 馬込 2990万円(都営浅草線/東京都大田区/25分/1回)
12位 新井薬師前 2998万円(西武新宿線/東京都中野区/15分/1回)
13位 下板橋 3030万円(東武東上線/東京都豊島区/13分/1回)
14位 大山 3080万円(東武東上線/東京都板橋区/16分/1回)
15位 板橋本町 3085万円(都営三田線/東京都板橋区/22分/1回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/新宿駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 読売ランド前 2639万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/24分/1回)
2位 京王稲田堤 2700万円(京王相模原線/神奈川県川崎市多摩区/28分/1回)
3位 百合ヶ丘 2730万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市麻生区/26分/1回)
4位 中野島 2830万円(JR南武線/神奈川県川崎市多摩区/27分/1回)
5位 戸田 2980万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/25分/0回)
6位 生田 3089万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/22分/1回)
7位 北戸田 3365万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/27分/0回)
8位 京王多摩川 3480万円(京王相模原線/東京都調布市/26分/1回)
8位 朝霞 3480万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/27分/1回)
10位 久地 3510万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/29分/1回)
11位 戸田公園 3580万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/23分/0回)
11位 西川口 3580万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/23分/1回)
11位 西調布 3580万円(京王線/東京都調布市/28分/1回)
14位 朝霞台 3665万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/28分/1回)
15位 蕨 3680万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県蕨市/26分/1回)

予想外!?「シングル向け」トップ15のうち13駅は都内からランクイン

「シングル向け」の1位は東京都大田区に位置するJR京浜東北・根岸線の大森駅で、価格相場は2480万円。JR京浜東北・根岸線で品川駅に出て、JR山手線に乗り換えて大崎駅へ、さらにJR埼京線に乗り換えると新宿駅まで乗り換え2回・約24分。品川駅からJR山手線で恵比寿駅に向かい、JR湘南新宿ラインに乗り換える行き方もある。また、JR京浜東北・根岸線で大井町駅へ行き、JR埼京線直通のりんかい線に乗ると新宿駅まで乗り換え1回で済み、計約26分で到着する。

大森駅(写真/PIXTA)

大森駅(写真/PIXTA)

1位・大森駅は1876年開業という歴史ある駅で、路線は1本のみだが駅ビル「アトレ大森」が併設され、駅北側にも「大森駅ビルRaRa」があるなど駅周辺には商業施設が充実。大森銀座商店街「Milpa(ミルパ)」をはじめ商店街も駅の東口側・西口側の両方に広がっている。マンションなどの住宅は駅西口側に多く、古くからのお屋敷街・山王地区もこちら側に。東口側は商業施設やオフィスビルが多く見られ、東へ10分ほど歩くと京浜急行本線・大森海岸駅へ。さらに東に向かうと東京湾に続く運河沿いに「しながわ水族館」が見えてくる、多彩な顔を持つ街並みだ。こうした暮らしやすそうな環境でありながら、中古マンションの価格相場は4780万円だった新宿駅のおよそ2分の1、差額は2300万円。こう考えるとお得感のある相場に思えるだろう。

2位は1位と同じJR京浜東北・根岸線の西川口駅で、価格相場は2498万円。駅がある埼玉県川口市は県を代表する中核市の一つで、東京との都県境に位置している。新宿駅までは乗り換え1回・計約23分でたどり着く。西川口駅は5位にランクインした川口駅に隣接し、川口駅ほどには大規模に発展していないものの、5フロアにまたがる駅ビル「ビーンズ西川口」が併設されている。電車を降りてすぐに食料品の買い出しや食事、100円ショップで買い物もできる便利な環境だ。駅周辺にはスーパーや「ドン・キホーテ」があるほか、店舗が軒を連ねる商店街も複数。駅西口側を中心に広がる、「西川口チャイナタウン」があるのも楽しいところ。中国料理店を中心に中国食材のお店やカフェなど60店舗以上があり、あまり観光地化されていないため異文化ムードをひしひしと感じられるだろう。

3位は東京都板橋区にある東武東上線・ときわ台駅で価格相場は2500万円。東武東上線に乗ると5駅・約9分で池袋駅に行くことができ、JR埼京線に乗り継げば新宿駅まで計約20分だ。ときわ台駅は1935年の開業当時の様子を再現して2018年にリニューアルされた、レトロなスペイン瓦屋根の北口駅舎がシンボル。駅舎の隣接地には2019年に5階建て商業ビル「EQUiAときわ台」がオープンした。同ビルには飲食店やクリニックのほか、「成城石井」も出店しているので駅を出てすぐ買い物ができる。駅周辺は駅の開業とあわせて宅地分譲された住宅地で、景観ガイドラインが定められたエリアには美しい街並みが広がる。2000年代に入るとマンション建設も相次ぎ、古くからの住民だけではなくシングル層や若いファミリー層も流入。また、駅南口側には70以上の店舗が並ぶ「常盤台銀座商店街」があり、住民の暮らしを支えている。

ときわ台駅(写真/PIXTA)

ときわ台駅(写真/PIXTA)

さて、今回調査の基点駅にした新宿駅はJR各線をはじめ多数の路線が乗り入れている。しかしその割にランクインしたのは、乗り換えが必要な駅がほとんど。唯一、乗り換え0回だったのは、10位にランクインした東京都調布市にある京王線・調布駅だ。新宿駅までは京王線の特急で4駅・約22分で、価格相場は新宿駅よりも1795万円低い、2985万円となっている。

そんな調布駅は2012年に地下化されたことにともない、駅前の再整備が進められた。地域住民を困らせた「開かずの踏切」がなくなり駅の北側と南側の分断が解消されたほか、2017年には線路や地上駅があったスペースも活用して「トリエ京王調布」が誕生。この商業施設はA・B・C館からなり、地下1階で改札階に接続するA館には食品やファッション、レストランフロアがあり、B館には家電量販店が、C館にはシネマコンプレックスと飲食店が入っている。このほかにも駅周辺には「調布パルコ」などの商業施設が充実し、駅南側には市役所や、市立の図書館や文化センターといった公共施設が集結。駅から車で15分も走れば緑豊かな「神代植物公園」があるなど、自然が身近に感じられる環境なのもうれしいところ。現在は駅前広場の整備も進められており、2025年度末を目標とする完成を楽しみに待ちたい。

調布駅(写真/PIXTA)

調布駅(写真/PIXTA)

「カップル・ファミリー向け」トップ15は軒並み新宿駅の価格相場の半額以下

続いて「カップル・ファミリー向け」ランキングを見ていこう。ちなみに調査の基点にした新宿駅の中古マンション価格相場は7980万円。そしてトップ15にランクインした駅の価格相場は、いずれも新宿駅の2分の1以下となっていた。なかでも最も価格相場が低かったのは小田急小田原線・読売ランド前駅で、新宿駅の3分の1以下である2639万円だった。

読売ランド前駅(写真/PIXTA)

読売ランド前駅(写真/PIXTA)

1位・読売ランド前駅は神奈川県川崎市多摩区に位置し、小田急小田原線の通勤準急で登戸駅に出た後、快速急行に乗り換えると約24分で新宿駅に到着する。また、駅前からバスに乗ると約10分で遊園地「よみうりランド」に行くことができる。遊園地の隣接地にはフラワーパーク「HANA・BIYORI」や日帰り入浴施設「丘の湯」、ゴルフ練習場もあるので、子どものみならず家族みんなの休日のお出かけ先として活用できそう。読売ランド前駅周辺に目を向けてみると、北口側には日本女子大のキャンパスがあるため商業施設はあまりないが、駅前に郵便局や交番が見える。南口駅前には100円ショップを併設したスーパーやドラッグストア、ファストフード店があるほか、自家製ハム・ソーセージが人気の精肉店などが店を構える商店街が広がっている。この商店街には多摩区による「子育て支援パスポート」の協賛店も。18歳までの子どもがいる住民に発行されるパスポートを提示すると、代金が割引になるなど子育て世代にうれしいサービスが用意されている。

2位は京王相模原線・京王稲田堤駅で、価格相場は2700万円だった。新宿駅までは、京王相模原線の快速で調布駅に出て、京王線特急に乗り換えると計約28分。京王線直通の京王相模原線特急に乗れば、新宿駅まで乗り換えせずに30分前後で行くこともできる。京王稲田堤駅は1位・読売ランド前駅と同じ川崎市多摩区にある。読売ランド前駅から北に向かい、日本女子大のキャンパスを越えつつ車で10分ほど走ると京王稲田堤駅という位置関係だ。こちらの駅前に広がる商店街にも「子育て支援パスポート」協賛店がある点は要チェック。京王稲田堤駅から歩いて5分ほどのJR稲田堤駅まで続く商店街では、青果店や手作り豆腐店、ベーカリーなどが元気に営業中。駅前にはスーパーや100円ショップもあるほか、多摩区の行政サービスを担当する出張所があるのも何かと便利だろう。駅北口から北へ10分ほど歩くと多摩川の河川敷へ。河川敷にはのびのび過ごせる広場があり、多摩川を越えたほど近くには8位・京王多摩川駅がある。

3位は川崎市麻生区にある小田急小田原線・百合ヶ丘駅で、価格相場は2730万円。新宿方面に進んで1駅目が1位・読売ランド前駅、2駅目が6位・生田駅だ。百合ヶ丘駅南口のバスロータリー沿いにはドラッグストアや100円ショップを併設したスーパーや、持ち帰り弁当店、コーヒーショップなどの飲食店が立ち並ぶ。ロータリーを過ぎ、URの賃貸集合住宅を囲むように弧を描く道を歩けば、約10年前に新校舎が建てられた小学校やスーパーが見えてくる。周辺には児童館や複数の保育園もあり、子育て世代も多く住む街のようだ。また、新宿とは逆方面に1駅進むと駅前にショッピングモールや映画館がある新百合ヶ丘駅へ。百合ヶ丘駅前から歩いても15分ほどでたどり着く。ちなみに新百合ヶ丘駅の価格相場は4880万円と、百合ヶ丘駅よりも2150万円もアップ。駅前の商業施設は確かに新百合ヶ丘駅のほうが充実しているが、徒歩15分ほどでそうした商業施設の便利さを享受できるならば、住まいは百合ヶ丘駅周辺に構えるという選択も十分にアリだろう。

百合ヶ丘駅前付近の様子(写真/PIXTA)

百合ヶ丘駅前付近の様子(写真/PIXTA)

「カップル・ファミリー向け」トップ15で新宿駅まで乗り換え0回だったのは3駅。いずれもJR埼京線沿線で、新宿方面に向かって北戸田駅(7位、価格相場3365万円)~戸田駅(5位、同2980万円)~戸田公園駅(11位、同3580万円)の順に連続して並んでいる。3駅中で最も新宿駅寄りかつ価格相場が高かった11位・戸田公園駅は、スーパーやドラッグストア、100円ショップや無印良品などが入った駅ビル「ビーンズ戸田公園」を併設。徒歩10分圏内に総合病院やホームセンターもある、便利な環境だ。

しかし3駅中で最も価格相場が安かった5位・戸田駅も、商業施設の充実度は戸田公園駅に引けを取らない。駅前にスーパーや100円ショップ、書店や家電量販店が出店するショッピングビルがあり、ホームセンターや戸田市役所も徒歩10分圏内。また、7位・北戸田駅も2021年12月に駅高架下にスーパーが誕生したほか、駅から10分ほど歩くと「イオンモール北戸田」がある点も魅力的だ。この3駅に関しては「最寄り駅がどこにあたるか」にあまりこだわりすぎず、3駅の周辺エリアに広く目を向けて物件探しをし、自分好みの住まいに決めてもよさそうだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている新宿駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/1~2022/3
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年3月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

子育て支援の“東西横綱”千葉県流山市と兵庫県明石市、「住みたい街ランキング」大躍進の裏にスゴい取り組み

2022年3月に発表された「SUUMO住みたい街ランキング2022」において、首都版で得点が最も伸びた街(自治体)に選ばれた千葉県流山市と、関西版で子育て世代の投票を特に集めた兵庫県明石市。共に子育てサービスが充実し、子育て環境が充実している点が支持につながりました。全国初の支援を次々と打ち出している流山市と明石市では、どのように子育てができるのでしょうか。子育て支援の最新事情を取材しました。

“「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」”から12年、定着した駅前送迎ステーション、保育園数は5倍に

「住みたい街ランキング2022首都圏版」の、昨年より得点がジャンプアップした自治体ランキングで1位を獲得した流山は、自然豊かな住宅都市。つくばエクスプレス快速で秋葉原駅まで約20分。そのほか市内には、JR武蔵野線、常磐線、東武野田線、流鉄流山線など5線11駅があり、バス網も整備されています。流山おおたかの森駅前には、大型ショッピングモールや子育て支援施設、公園が充実。駅前に多くを集結させ、時間効率性をアップしたことで子育て世代や共働きカップルの得点が高い結果になりました。

流山おおたかの森駅前。2022年春開業したCOTOE(コトエ)は、約40店舗が入居する複合商業施設。保育所や学習塾が入ったこもれびテラスも近くにある(画像提供/流山市役所)

流山おおたかの森駅前。2022年春開業したCOTOE(コトエ)は、約40店舗が入居する複合商業施設。保育所や学習塾が入ったこもれびテラスも近くにある(画像提供/流山市役所)

流山グリーンフェスティバルの様子。春には住宅街で個人邸のオープンガーデンが催される(画像提供/流山市役所)

流山グリーンフェスティバルの様子。春には住宅街で個人邸のオープンガーデンが催される(画像提供/流山市役所)

流山が子育て家族の街として注目されたのは、「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」のキャッチフレーズで2010年から展開された市のプロモーション活動です。2007年から開始されていた駅前保育送迎ステーション(保護者それぞれで保育園に子どもを送らなくても、駅前のステーションにまで送っていけば、そこから市内各所の保育園に送迎してくれる仕組み)も注目を集めました。流山市の子育て支援のサービスや支援を続けるなかでの課題、新しい子育て支援について、流山市マーケティング課河尻和佳子さんに伺いました。

「当時全国に先駆け開設した駅前保育送迎ステーションは、現在も稼働しています。2022年3月の利用児童は131名。『通勤前後に子どもを送り出せて時短になる』と保護者に好評ですが、実は徐々に利用者は減っています。理由は保育園の定員が入園を希望する児童数に追いついてきたためです。駅前保育送迎ステーションはもともと家の近くの保育園に預けられず、離れた園に空きはあっても待機児童になってしまうのを解消する目的ではじめた施策なので、保育園数が増えて利用者が減ることは目標に近づいていると言えます」(河尻さん)

駅前保育送迎ステーション。おおたかの森駅前、南流山駅前で児童を預けられる。通勤に使う駅で送り迎えができるので、通勤している共働き世帯に好評のサービスだ(画像提供/流山市役所)

駅前保育送迎ステーション。おおたかの森駅前、南流山駅前で児童を預けられる。通勤に使う駅で送り迎えができるので、通勤している共働き世帯に好評のサービスだ(画像提供/流山市役所)

保育園数は、10年余で5倍になり、定員も4倍強に増加。大規模な共同住宅等を建設する場合、事業者に保育所の設置を要請しています。今後、子どもたちが通うための小学校の新設も予定されているそうです。

流山市がさまざまな子育て支援策を打ち出し始めたのは、井崎義治市長が就任した2003年以降。流山市では今後住民の高齢化が進行し、将来、市の財政が厳しくなるリスクがありました。そこで、共働きが多い若い世代への子育て環境の整備を行い、移住者を呼び込み、少子高齢社会を支えようと考えたのです。全国初のマーケティング課を市役所に創設し、首都圏の子育て世代をターゲットにインターネット等でプロモーション活動をしたところ、「自分に語り掛けてくるようだ」と30代~40代の子育て世代から予想以上の反響がありました。

「流山市の人口は、10年間で約3.8万人増えています。年齢別人口でみると35~39歳代の人口が伸びており、その多くが首都圏からの移住者です。4歳以下の子どもの数も増え、合計特殊出生率は1.55。人口増加はつくばエクスプレス開業の効果もありますが、子育て施策が注目され、メディアでの露出が増え、知名度やイメージが向上したことも大きいと感じています」(河尻さん)

オンラインコミュニティNの研究室や女性創業支援で、自己実現をバックアップ

移住してきた子育て世代が街に定着している流山市では、今後、どのような支援が求められていくのでしょうか。

「日本の人口が減り続けるなかで、流山市の人口増加は2027年がピークと推計しています。今後も魅力ある街として共働きの子育て世代に選ばれるには、子育て環境の整備だけでは足りません。『子育てしながら、なりたい自分になれるまち』を目指し、そのきっかけの場づくりなどをしていきます」(河尻さん)

商工振興課では、女性の創業・起業支援として創業スクールを開講。100人以上に及ぶ卒業生の中には、創業のほか、NPO団体や街のコミュニティを立ち上げる人もいます。民間のシェアサテライトオフィスTrist(トリスト)は、都内に通勤していた子育て女性によって「地元でスキルを活かした仕事をしたい女性を応援する」ために設立されました。現在は、市内2拠点でリモートワークの場として、企業と一緒に復職プログラムを開発したり、利用者同士のコミュニティもつくられています。

講師を迎えて開講される創業スクールの授業風景(画像提供/流山市役所)

講師を迎えて開講される創業スクールの授業風景(画像提供/流山市役所)

2022年度の募集パンフレット。募集を開始すると2日で定員が埋まる盛況ぶり(画像提供/流山市役所)

2022年度の募集パンフレット。募集を開始すると2日で定員が埋まる盛況ぶり(画像提供/流山市役所)

さらに市民の「やってみたい」を形にするため、2022年1月末から、市民のためのオンラインコミュニティ「Nの研究室」が開設されました。

「アイデアの提案や仲間探しの場になればと企画しました。コメント欄では、2カ月で80人強の市民が参加し活発な意見交換が行われています。『虫が苦手なママのための昆虫教室』や『市内の名所で家族写真を撮るサービス』などの発案がプロジェクト化に向け進行しています」(河尻さん)

当初否定的なコメントが増える可能性を案じていたが、熱い議論が交わされ「面白そう」と市外から参加する人も(画像提供/流山市役所)

当初否定的なコメントが増える可能性を案じていたが、熱い議論が交わされ「面白そう」と市外から参加する人も(画像提供/流山市役所)

実際に、流山市に移住し、子育てをしている田中さん(専業主婦・30代)に、流山市の住み心地を取材しました。田中さんが夫と共に約3年間暮らしたアメリカ・ニューヨークから、里帰り出産のため愛知県の実家に戻ったのが2020年の1月ごろ。出産を経て6月に流山市へ引越し、1か月後に帰国した夫と家族3人で暮らしています。流山市へ移住した理由は、都心に出やすく、夫の通勤に便利なこと、徒歩圏内に商業施設や公園がたくさんあることが決め手でした。

「児童センターや支援センターを積極的に活用しています。月ごとにさまざまなイベントがあり、子どもは喜んで通っています。最新の子育て情報を知ることができるLINE配信も便利です」(田中さん)

コミュニティのイベントで娘を遊ばせる田中さん。「まわりのお母さんたちが子どもの成長を一緒に見届けてくれることがうれしい」と話す(画像提供/田中さん)

コミュニティのイベントで娘を遊ばせる田中さん。「まわりのお母さんたちが子どもの成長を一緒に見届けてくれることがうれしい」と話す(画像提供/田中さん)

田中さんは、NY mom’sナガレヤママムズという3歳以下の子どもをもつ母が参加できるコミュニティの3期目の運営に携わりました。昨年度の流山マムズ参加人数は、約90名。活動内容は、Facebookでの情報交換、月に一度の交流会、季節のイベント、月に数回少人数で集まる会、部活動(英語部、絵本部、ダンス部、ホームパーティー部などです。流山市に移住して間もない母親の加入が多く、情報交換の場になっているそうです。

田中さんの流山市の子育て支援についての満足度は、10点満点中8点。

「流山市は新しい保育園がたくさんでき、駅前保育送迎ステーションなど働くお母さんのための選択肢がたくさんあるのが良いですね。私は専業主婦なので、幼稚園ももっと充実させていただけたらうれしいなと思います」(田中さん)

自己実現の満足度を訪ねると、「料理が苦手なので8点くらいですが、10点を目指しています!」と明るく答えてくれました。

所得制限なく5つの無料化を続ける明石市。すべての子育て世代に支援を明石城跡につくられた明石公園では、週末にマルシェが催されることも(画像提供/明石市役所)

明石城跡につくられた明石公園では、週末にマルシェが催されることも(画像提供/明石市役所)

面積約50平方kmの兵庫県明石市は、目の前に明石海峡や淡路島を望む、海に面した街です。明石市では、2011年の泉房穂市長就任以降、「子どもを核としたまちづくり」を掲げてきました。「住みたい街ランキング2022関西版」では、夫婦+子育て世帯を対象にしたランキングで明石市として10位、明石駅は過去最高の7位。兵庫県民ランキングにおいては、初のベスト5入りと支持を集めました。明石市の子育て支援について、明石市役所に取材しました。

明石市の無料化施策の特徴は、現金を配るのではなく、サービスを提供すること。しっかり子どもに支援を届けていくために、今すでに発生している公共サービスを無料にしています。例えば、『おむつ定期便』では、経済的負担の軽減に加え、毎月支援員が家庭を訪問することで必要な支援につなげています。さらに、親の所得に関わらず、すべての子どもたちにサービスを届けるため、5つの無料化はすべて所得制限なしで提供されています。

【明石市独自である子育て支援の5つの無料化】※すべて所得制限、自己負担なし

1. こども医療費
2013 年より、中学3年生までの医療費を無料化。さらに 2021年に対象を高校 3 年生まで拡大
2. 中学校給食費
すべての市立中学校で提供している給食を、2020 年から無償化
3. 保育料
2016年から、第2子以降の保育料の完全無料化
4. 公共施設の入場料
天文科学館(市内外問わず高校生以下)、明石海浜プール(市内在住・在学の小学生以下)など
5. おむつ定期便
2020年より、子育て経験がある見守り支援員(配達員)が、0 歳児の赤ちゃんがいる家庭に紙おむつなどを直接お届け

おむつ定期便では、おむつを渡すだけでなく、子育て経験のある支援員が相談にのってくれる(画像提供/明石市役所)

おむつ定期便では、おむつを渡すだけでなく、子育て経験のある支援員が相談にのってくれる(画像提供/明石市役所)

市内に5カ所あるあかし子育て支援センターでは、就学前の子どもが入り混じって遊ぶ(画像提供/明石市役所)

市内に5カ所あるあかし子育て支援センターでは、就学前の子どもが入り混じって遊ぶ(画像提供/明石市役所)

ボールプールや滑り台、読み聞かせのできる図書コーナーもある(画像提供/明石市役所)

ボールプールや滑り台、読み聞かせのできる図書コーナーもある(画像提供/明石市役所)

長年子育て支援を継続した結果、定住人口は9年連続で増加し、2020年の国勢調査で30万人を超え過去最高に。25~39歳の子育て層が増加しており、0~4歳人口も増えています。合計特殊出生率は、2020年統計時に1.7に上昇しました。人口が増えるとともに、明石駅の公共施設がさらに充実し、商業施設、商店街ににぎわいが生まれ、市外からも人が集まるように。交流人口が増加し、商業地地価も毎年上昇しています。

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

人口が増加してからも、次々と新しい子育てサービスを実施。2020年9月に市内全公立幼稚園で給食をスタート(副食費は無料)したり、離婚前後の子どもを支援したり、さまざまな施策を行っています。離婚前後の養育支援では、面会交流のコーディネートのほか、2020年7月~2021年3月に、養育費の不払いがあった際、市が支払い義務者に働きかけを行い、不払いが続く場合に1か月分(上限5万円)の立て替えを行いました。「子どもに会えて成長を確認できてうれしい」「養育費がちゃんと支払われるようになった」と利用者から感謝の声が寄せられたそうです。

すべての子どもをまちのみんなで応援することが、まちの未来をつくる

明石市では、全小学校区に子ども食堂を配置していますが、運営団体は、まちづくり協議会や民生児童委員協議会、地区社会福祉協議会、ボランティア団体など住民主体の活動です。2020年度の子どもの利用者は、3916名でした。

食材は、地産地消にこだわり、管理栄養士によるバランスのとれた食事を提供したり、団体によって様々な工夫をしている(画像提供/明石市役所)

食材は、地産地消にこだわり、管理栄養士によるバランスのとれた食事を提供したり、団体によって様々な工夫をしている(画像提供/明石市役所)

小学校内や公民館、民間施設などで実施され、ボランティアによって運営されている(画像提供/明石市役所)

小学校内や公民館、民間施設などで実施され、ボランティアによって運営されている(画像提供/明石市役所)

また、街づくりの一環としてはじまった「本のまちづくり」は、子どもたちのこころの豊かさを育むことにつながっています。2017年に、子育て施設などが入る明石駅前ビルに移設オープンした、あかし市民図書館を中心に、「いつでも、どこでも、だれでも手を伸ばせば本に届くまち」を掲げ、さまざまな取り組みを行っています。

2017年からは、4か月児健診時に絵本2冊と読み聞かせ体験をプレゼントする『ブックスタート』、2018年から、3歳6か月児健診時に絵本1冊のプレゼントと読み聞かせのアドバイスを行う『ブックセカンド』を開始しました。2020 年の 4 月~5 月に未就学児を対象に実施した『絵本の宅配便』では、コロナ禍で外出自粛を余儀なくされた子どもと保護者がいつもと変わらず楽しい時間を過ごせるよう、絵本を各家庭まで配送。利用者には大変喜ばれ、多くのお礼のお手紙が図書館に寄せられたそうです。こうした取り組みが評価され、「Library of the Year2021」において、あかし市民図書館が優秀賞とオーディエンス賞をダブル受賞しました。

移動図書館車の「めぐりん」で本を選ぶ子どもたち。大小2台の移動図書館車が市内を巡回して本を届け、子どもが本に接する機会を市がたくさん提供している(画像提供/明石市役所)

移動図書館車の「めぐりん」で本を選ぶ子どもたち。大小2台の移動図書館車が市内を巡回して本を届け、子どもが本に接する機会を市がたくさん提供している(画像提供/明石市役所)

すべての子どもを街のみんなで支えるという、明石市が進める子どもを核とした街づくり。無償化するだけでなく、子ども食堂での見守りや面会交流支援など、寄り添う支援を行うことで、安心して子育てができる環境をつくっていると感じました。

それぞれ独自のサービスで支持を集めている流山市と明石市。ふたつの街づくりで共通するのは、子育て世代のニーズに応えられるように、常に変わり続けていること、子どもと一緒に自分の未来が描けることでした。

●取材協力
・流山市役所
・明石市役所

月に一度、満月の日は大切な人に会いに。「コロナ禍で会えない」から始まった生活直売店 福島県いわき市

月に一度、満月の日にだけオープンする店がある。そう聞いたのは一年ほど前のことだ。運営するのは鈴木智子さん。ご主人の康人さんとともにomotoという名のユニットを組み、鉄と布を素材とする生活道具を製作して展示を行う布作家である。私自身、2人とは数年前に知り合い、度々お会いしてきた。その智子さんが2年ほど前から、いわき市の自宅を月に一度開放して生活用品のお店を開いているという。この日だけごく普通の民家の前にコーヒースタンドが立ち、まるで小さなマルシェが出現したかのようになる。それにしてもなぜお店を?しかも満月の日に。そんな話を伺うために、いわきを訪れた。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

満月の日にだけ開く小さなお店に、女性たちが次々と

JRいわき駅から歩くこと約20分。周囲には大型スーパーやチェーン店が立ち並ぶ都市郊外の風景が続く。初めて訪れると「この近くにそんなお店が……?」と不安になるが、大通りから一歩奥まった位置に「生活直売店」の看板が見える。家の前にはテーブルが置かれ、コーヒースタンドも。そこだけ小さなマーケットのような空間が広がっている。

この家は、普段は智子さんと康人さん夫妻の住まいで、2人がつくる包丁やナイフなどの鍛冶道具や、布小物、衣服を製作するアトリエでもある。2人はomotoの名で全国のセレクトショップやクラフトマーケットなどに出展し作家活動を行っている。

その自宅兼アトリエが、月に一日だけ満月の日に「生活直売店」として様がわりする。

玄関入ってすぐ脇の棚には味噌や醤油などの調味料や食品。普段は作業場として使っている左手の部屋には食品や小物が陳列され、美味しそうな焼菓子やパンが並ぶショーケースも。奥の居間には衣服や雑貨などが販売されている。いずれも智子さん自身がセレクトした品で、「普段うちで使っているものか、使ってみて気に入ったもの」だという。もちろんomotoの品も置いてある。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

いわき市内のお客さんもいれば、県外からわざわざ訪れる人も少なくない。月に一度、この日しか開いていない小さなお店に、次々に洗練された格好の女性が入ってくるのに驚いた。みな満月の日を把握しているのだろうか? そう疑問に思ったが、omotoのインスタグラムを見て訪れる人が多いのだそうだ。

数カ月ぶりに会う智子さんは、とても元気そうに見えた。

 omotoの2人、鈴木康人さんと智子さん(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

omotoの2人、鈴木康人さんと智子さん(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

日常的な場で、大切な人たちに会えるように

智子さんが「生活直売店」を初めてオープンしたのは、コロナ禍が本格化した2020年のことだ。なぜお店を始めたのだろう。そう問うと、こんな話をしてくれた。

「近所によく通っていた自然食品店があったんですが、その店の女性が亡くなって会えなくなったのが一つのきっかけでした。お店の娘さんだったんですが、年齢も近くて、お店に行くたびに話をして。一言か二言他愛ない話をするだけですが、時々深い話になることもあって。とても気の合う人だったんです。彼女の顔を見に行くようなところもあって、いつもその店で買い物して毎回元気をもらっていました」

女性はしばらく入院していたのだが、コロナ禍でお見舞いに行くことも叶わなかった。

「会いたい人に会えずにいるうちに、会えなくなってしまう。そんなことが本当に起こるんだなって」

コロナ禍で、私たちは嫌というほどそのことを教えられた。
さらに、日常の些細なやり取りに人はどれほど励まされ、元気をもらっているのか。気付くきっかけにもなった。

「だから定期的に会いたい人たちに会える機会をつくれたらいいなと思ったんです。買い物の場なら、日常的に周囲の人たちに会うことができる。彼女がやっていたようなお店なら友達も来れるし、全然知らない人と出会う可能性も広がると思ったんです」

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

実はお店を始める一年ほど前まで、鈴木夫妻は月に一度、やはり満月の夜に「満月講」という会を開いていた。この時は主にいわきの友人知人が一人一品、料理を持ち寄って楽しむ会で、メンバーは知り合い限定の親密な場だった。

満月の日なら、月によって休日にも平日にもなる。休日の異なる参加者全員に平等な日の選び方だったという。だが2019年秋の台風19号による水害で、休止を余儀なくされる。

「川の水が氾濫して約1.8メートルまで浸水したんです。いわき市の一部が水没して、うちも目の前まで水がきました。それでしばらく満月講をお休みにしていたら、翌年コロナが始まってそのまま再開できずで」

コロナ禍で、人と会う機会はぐっと減った。この期間、誰にも会えず不安を抱いた人は多かったのではないだろうか。静まり返ったまちを歩いて気付いたのは、たとえそれが見知らぬ誰かであっても、笑い声や話し声を耳にして得られる活力があるのだということ。誰にも会えない間、静かに心が蝕まれていくような、元気が失われていく感覚があった。

お店が開く日のみ、こうした看板が立てられる。室内の案内図(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

お店が開く日のみ、こうした看板が立てられる。室内の案内図(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

友人のおすすめ品を買える、小さな生協

そうして智子さんが始めた「生活直売店」では、その名のとおり、日用品や食品、衣服など日常生活で使う品を扱っている。お客さんにとって嬉しいのは、一般的なスーパーでは取り扱っていないような品も手に入ること。智子さんが実際に愛用している品が多いため、味噌も醤油も一種と種類は少ないが、乾物から下着まで品数は豊富。それも友人のおすすめを買えるといった安心感がある。

智子さん自身、2011年の東日本大震災以降、食べるものには気を遣ってきた。調味料や食材などできるだけ天然素材や無添加のもので美味しいものを選ぶ。衣類や生活雑貨も一度は使ってみたもの。日持ちのしない食品などは仕入れ前に事前予約を受け付ける。ちょっとした生協のようだ。

例えば、「これまでに出合ったなかで一番しっくりきた」と智子さんがお勧めしてくれたのが兵庫県の「薪火野」というベーカリーのパン。お客さんにも人気。中でも「パンデピス」は香辛料によるスパイシーな風味と蜂蜜の甘さがじんわり感じられる保存性に優れたパン菓子で、しっかりした硬さの生地と奥深い味で美味しい。そこらのパンとは違うぞという風格と味わいがあった。残念ながらパンデビスは今は新しいパンに変わっているが、スコーンやカンパーニュなどもあり、それぞれが限定品なので、予約する人も多い。

「薪火野」の「パンペイサージュ」(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

「薪火野」の「パンペイサージュ」(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

家の前のコーヒースタンドでは、毎回違う出店者がコーヒーやドリンク、サンドイッチなどの軽食をふるまう。規模は小さくても小さなマルシェのようで、お客さんが都度新しさを感じられる工夫がされている。

「いわきの人たちって新しいもの好きなんです。目新しいものに探究心があるというか。なのでいつも用意する定番品と、その月にしかない新しい企画や展示をするスタイルがいいかなと思って。飲食も違う出店者に出てもらえば、毎回違う味のコーヒーを飲めてお客さんの楽しみにもなりますし」

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

もともと鈴木夫妻の家は古い家具や生活道具が並ぶしっとりした内装で、落ち着いた雰囲気(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

もともと鈴木夫妻の家は古い家具や生活道具が並ぶしっとりした内装で、落ち着いた雰囲気(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

オンラインとは違った買い物を

智子さんと話している間にも、お客さんが次々に訪れる。
「こんにちは~」「ちょっと見ていいですか?」「どうぞ~」「もう一つ腕抜き買っちゃった」「ありがとうございます!」そんな言葉が交わされて、智子さんは心から嬉しそうな顔をしている。お客さんの中には常連さんも少しずつ増えている。

「コロナでどこにも行けなくなって、オンラインで買い物する機会が増えましたよね。でも店頭販売にはモノを売り買いするだけじゃない良さがあると思うんです。写真と実物を見るのとでは全然違うし、モノの見方や使い方を知ったり。そんな買い物ができる場所をつくりたいと思ったのも、お店を始めた理由の一つかもしれません」

もともとomotoの2人が刃物や衣服を製作する上で大事にしてきたのも「一生使える品」であること。対面で説明して気に入って買ってもらえたら、その後メンテナンスも請け負う。お客さんにはモノと長く付き合ってほしい。自分たちも長く付き合うつもりで品物を売っている。そんなスタンスでものづくりを行ってきた。

鍛冶職人の康人さんがつくるデザイン性のある包丁。その布カバーを智子さんがつくる(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

鍛冶職人の康人さんがつくるデザイン性のある包丁。その布カバーを智子さんがつくる(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

智子さんが手がけるomotoの衣服。染めも行っている(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

智子さんが手がけるomotoの衣服。染めも行っている(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

お客さんもスタッフも

そんな成り立ちの店だからか、生活直売店は買い物の場としてだけでなく、集まった人たちの束の間の憩いの場になる。

店は毎回お昼12時ごろにオープンして閉店は19時。昨年夏に訪れたときは、夕暮れ時になると、どこからともなく店の前に人が集まってきて、ベンチに腰かけて夕涼みしながら話が弾んだ。康人さんがもぎたてのキュウリをお皿に山盛り出してくれて、スタッフもお客さんも一緒になってみんなでかじった。蚊取り線香の匂い。夏休みの夜のような、懐かしく穏やかな空気が心地よかった。

昔はこんな夕涼みの光景があちこちにあったのだろう。今はそうした暮らしからどれだけ遠く離れてしまったのかと思う。

お客さんは、ご近所さんや県外からの方も。常連さんも多い(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

お客さんは、ご近所さんや県外からの方も。常連さんも多い(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

いま智子さんの知り合いの女性たちが数名入れ替わり立ち替わり、スタッフとして店を手伝ってくれている。それもお金を稼ぐためというより、友達の延長上で手伝いをしながら買い物客との交流を楽しんでいる。そんな風に見えた。

カメラマンで、普段omotoの活動写真を撮っている白石ちか(シロヤマ写真館)さんも、生活直売店の時は度々お手伝いをしている。

「お客さんと話すのもすごく楽しいんです。感覚を共有できるようないいお客さんばっかりなので。ほかのお店で展示会が減っていることもあって、月に一回ここで知人に会えるのは本当に嬉しい」

手伝って得たバイト代を、この生活直売店で買い物するのに使うと言うスタッフもいた。楽しく働いたお金でいい品物も手に入る。お客さんが少ない日もあるだろうけれど、omotoの2人と顔を合わせて楽しく時間を過ごせればそれで十分なのかもしれない。

私自身、智子さんや康人さんに会いに出かけて、話して帰ってくるとそれだけでいつも元気をもらう。そこに直売店のようなきっかけがあると、遠方からでも出かける後押しになる。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

「私はお店を始めてから積極的に外に出るより、できるだけここに居て来てくれる方たちを迎え入れたいなと思うようになりました。外に出ることも自分にとって大事ではあるけれど、ここを充実させる方に気持ちが強くなっています」(智子さん)

智子さんは将来、お店を常設にすることも考え始めている。これから先、どういった形になるかはわからないけれど、この店が身近な人たちとの大切な接点であることは変わらないだろう。そしてその入口は、まちに開かれ、少しずつ広がっている。

お客さんにとっても、こうした小さくても信頼できる店が生活圏内にあることは心強い。店はいまも昔も、そこに集まる人たち同士が心を通わせ合える貴重な場所になるからだ。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

●取材協力
omoto「生活直売店」

北海道「住み続けたい街ランキング2022年版」1位札幌市中央区、2位厚別区、続く3位は意外な“町”?!

リクルートは北海道に居住している人を対象に実施した「SUUMO住民実感調査2022 北海道版」を発表。札幌市内の駅を対象に実施された2022年「住み続けたい駅ランキング札幌版」の結果と併せて見ていこう。

「住み続けたい街(自治体)」と居住者が評価するポイントは?

「SUUMO住民実感調査2022 北海道版」は道内居住者に、“その街に住み続けたいかどうか”を聞いたアンケートをもとにした街ランキング。リクルートが例年発表している「住みたい街ランキング」とは異なるランキングだ。

今回の調査は、住んでみたいと憧れる街などではなく、すでにその街に住んでいる人が、今後も継続して住みたいとその街を評価するかどうかがポイントとなる。つまり、居住者の実感値が大きく反映された街ランキングといえるだろう。

〔北海道〕住み続けたい自治体ランキングTOP20

住み続けたい自治体ランキングの1位は「札幌市中央区」。そのほか、TOP20には、札幌市の全ての区がランクインする一方、3位「河東郡音更町」や6位「上川郡東神楽町」、10位「中川郡幕別町」、17位「河西郡芽室町」、18位「新冠郡新冠町」など、道内各地の“町”も多数ランクイン。

また、北海道ボールパークFビレッジの開業を控える「北広島市」は13位、札幌へも新千歳空港へもアクセスの良い「恵庭市」は19位に入ったほか、北海道新幹線の終点、新函館北斗駅のある「北斗市」は16位。道外からも広く観光客が訪れる「帯広市」や「函館市」はそれぞれ11位、13位という結果となった。

住み続けたい街として上位に選ばれた顔ぶれを見ていると、便利でにぎわいのあるエリアが多数ランクインしているのはもちろんだが、1位「札幌市中央区」、2位「札幌市厚別区」、5位「札幌市豊平区」、13位「北広島市」など、大規模な再開発が行われ、今後の街の姿に期待が高まるような街も支持を集めている。また、ランクインした郊外の街については空港へのアクセスや車移動がしやすく、観光資源も豊富な街が多い。

札幌市内およびその近郊都市の居住者が住み続けたいと評価するポイントとしては、電車やバスなどの利便性や買い物施設の充実、街のにぎわい、今後の街の発展性などが挙げられるが、札幌から離れた郊外の自治体に住む人にとっては、それらの項目よりも、自治体のサービスや生活にかかるコスト、子育て環境などが評価される傾向があるようだ。

それでは、ランキング上位のそれぞれの街について詳しく見ていこう。

「住み続けたい自治体」1位は札幌市中央区、2位は札幌市厚別区、3位は河東郡音更町

今回1位にランクインした「札幌市中央区」は、周知の通り、交通面でも生活面でも抜群の利便性があり、魅力的なスポットも豊富。都心ながら大通公園や円山公園など、豊かな緑も身近に感じられる街だ。住民も街の魅力として、「文化・娯楽施設が充実している」「いろいろな場所に電車・バスで行きやすい」「街にぎわいがある」などの項目を上位に挙げている。

札幌駅(写真/PIXTA)

札幌駅(写真/PIXTA)

さらに、道内最大のターミナル駅である札幌駅が位置する同区は、北海道新幹線の延伸や札幌オリンピック誘致などを控え、区内では続々と大規模な再開発計画が進められている。今後2030年に向けて札幌駅は南口周辺が再開発で大きく生まれ変わる予定だ。

2位の「札幌市厚別区」は札幌市内の中では郊外の住宅エリアとしてのイメージが強いが、交通利便性も高い街。新札幌副都心にはJR「新札幌」駅、地下鉄東西線「新さっぽろ」駅のほか、バスターミナルもあり、市内各地のほか、新千歳空港へのアクセスもスムーズだ。また、幹線道路や高速道路が近く、車移動もしやすい。

また、今回のランキングでは総合ランキングのほかにも、街の魅力項目別のランキングも集計しているが、札幌市厚別区は「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」という魅力項目のランキングでは、札幌市中央区や、市内最大級のショッピングセンターであるアリオ札幌が立地する札幌市東区を押さえ、1位にランクイン。新さっぽろ駅周辺は複数の大型商業施設が集積しており、今後も再開発により新たな商業施設やホテルなどが誕生予定で、さらににぎわいのある街へと進化していきそうだ。

ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある 自治体ランキング TOP10

総合ランキング3位の「河東郡音更町」は十勝平野のほぼ中央に位置する自治体で、JR帯広駅から市街地まで車で約15分。とかち帯広空港も車で約50分と、車や鉄道で道内各地へ移動しやすいことに加え、飛行機で本州へのアクセスも良好だ。

道内の町村の中では最多の人口を誇る音更町では農業や酪農が盛んで、地元の食材は地域の小中学校の給食にも使われている。また、観光スポットとしても広く知られるモール温泉が湧き出す十勝川温泉があり、足まわりの良さに加え、大自然の恵みを日常的に享受できる点も住む人にとっては大きな魅力だ。

十勝川温泉付近(写真/PIXTA)

十勝川温泉付近(写真/PIXTA)

今回のアンケートでは、「車での移動が便利」という点に加え、「ゴミ収集に関する自治体サービスが充実している」「物価が安い」などの項目も居住者からは高く評価されており、都心部とは一味違う住み心地の良さを感じられる街だといえそうだ。

「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」1位は白糠郡白糠町

今回の調査では、街の魅力項目別のランキングも集計したと前述したが、子育て世代が住まい選びをする際に気になる、子育てに関する自治体サービスについてのランキングも紹介しよう。

子育てに関する自治体サービスが充実している  自治体ランキング TOP10

1位にランクインした、道東、釧路市の西隣に位置する「白糠郡白糠町」は“子育て応援日本一の町”を掲げ、子育て世代に手厚い経済的な支援を行う自治体。町内の太陽光発電施設による収入を財源として、出産祝い金の支給、18歳までの医療費・保育料・学校給食費の無料化、新入学児童・生徒入学支援金の支給などを行っている。

次に、旭川空港が立地する2位「上川郡東神楽町」は総合ランキングでも6位にランクイン。アンケートで居住者が街の魅力の上位に挙げた項目を順に見てみると、「公共料金が安い」「治安が良い」「車での移動が便利」「住居費が安い」「物価が安い」などが挙げられ、それに続いて「子育てに関する自治体サービスが充実している」という項目が挙げられている。これらの評価ポイントからは、暮らしにかかわる経済的な負担が比較的軽いと感じている居住者が多いということがうかがえるのではないだろうか。道内で5番目に面積が小さい自治体ながら、人口に占める子どもの割合が比較的高いというのも納得だ。

3位の「北斗市」は函館市に隣接し、北海道の中では雪が少なく温暖な地域。新幹線最北端の駅である新函館北斗駅を有し、陸の玄関口ともいえる街だ。育児支援制度にも力を入れており、高校卒業までの医療費無料制度や市内小・中学生の給食費軽減制度などの経済的支援を行っている。また、保育所、幼稚園、認定こども園、放課後児童クラブなどの施設の数も充実しており、働き盛りの子育て世代も暮らしやすい環境が整っているようだ。

2022年「住み続けたい駅ランキング札幌版」では、札幌市電の駅が多数ランクイン

最後に、札幌市内に限定した「住み続けたい駅ランキング」を紹介したい。

〔札幌〕住み続けたい駅ランキングTOP20

ここまで見てきた北海道全域の住み続けたい自治体ランキングは今回初めて集計されたものだが、札幌市内に限定した住み続けたい駅ランキングは2020年にもリクルートは発表している。

前回のランキングでは、上位10駅は全て札幌市中央区という結果だったが、今回のランキングでも上位の駅のほとんどが札幌市中央区に位置し、上位20位の内9駅が札幌市電の駅という結果となった。

札幌市電(写真/PIXTA)

札幌市電(写真/PIXTA)

札幌市中央区の駅が軒並みランクインする中、それ以外のエリアから上位に入ったのは札幌市西区に位置する6位と15位の「琴似」(6位がJR函館本線、15位が地下鉄東西線)と、札幌市厚別区に位置する14位の「新札幌」(JR千歳線)だ。

JR「琴似」駅は札幌駅まで快速で1駅。駅周辺は計画的な整備が進められ、商業施設をはじめ、公共施設や医療施設、金融機関など、生活に必要なさまざまな施設がそろう。居住者が評価する項目の最上位には「利用しやすい商店街がある」が挙げられているが、JRと東西線の駅間に位置する琴似栄町通は西区随一の繁華街としても知られており、特にこの買い物利便性の高さが、街への評価へとつながっているようだ。

JR琴似駅(写真/PIXTA)

JR琴似駅(写真/PIXTA)

また、閑静な住宅地として知名度の高い円山公園を押さえ、今回1位にランクインしたのは「西線14条」(札幌市電)。前回ランキングの集計結果5位からの大幅ランクアップだ。居住者の評価する項目としては「街の住民がその街のことを好きそう」「人からうらやましがられそう」「歩ける範囲で日常のものはひととおりそろう」などが挙げられているが、大きな繁華街などはないエリアながら、ドラッグストアやスーパーなどの買い物施設は十分にそろい、落ち着いた生活を送ることができる住環境への満足度の高さがうかがえる結果となった。

今回のランキングでは、北海道版、札幌版共に札幌都心部が強く支持される結果となった印象もあるが、項目別ランキングなどを見てみると、街の大小にかかわらず、実にさまざまな街がランクインしているのは興味深い。住み続けたいと思う街に求めるものは人それぞれだと思うが、住んでいる人の実感値を反映したこのランキングは、住みやすさとは何かを考えるヒントにもなりそうだ。

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SUUMO住民実感調査2022 北海道版

「横浜駅」まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング 2022年版

リクルートが2022年3月に発表した「SUUMO住みたい街ランキング2022 首都圏版」で、5年連続で総合1位になった横浜駅。歴史ある港町で首都圏屈指の観光地でもある繁華街だ。その横浜駅に電車で30分以内で行ける、ワンルーム・1K・1DKの物件を対象にした家賃相場の安い駅ランキングを紹介する。

横浜駅まで電車で30分以内、家賃相場の安い駅TOP14駅

順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅の所在地/横浜駅までの所要時間(乗り換え時間を含む)/乗り換え回数)
1位 善行 4.80万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市/29分/1回)
2位 南万騎が原 4.90万円(相模鉄道いずみ野線/横浜市旭区/15分/1回)
3位 藤沢本町 4.95万円(小田急江ノ島線/藤沢市/29分/1回)
4位 安針塚 5.05万円(京急本線/横須賀市/29分/1回)
5位 三ツ境 5.10万円(相鉄本線/横浜市瀬谷区/17分/0回)
5位 桜ケ丘 5.10万円(小田急江ノ島線/大和市/28分/1回)
7位 京急田浦 5.15万円(京急本線/横須賀市/26分/1回)
8位 能見台 5.20万円(京急本線/横浜市金沢区/19分/1回)
8位 舞岡 5.20万円(ブルーライン/横浜市戸塚区/16分/1回)
8位 鶴間 5.20万円(小田急江ノ島線/大和市/29分/1回)
11位 京急富岡 5.30万円(京急本線/横浜市金沢区/18分/1回)
11位 南林間 5.30万円(小田急江ノ島線/大和市/27分/1回)
13位 屏風浦 5.40万円(京急本線/横浜市磯子区/13分/1回)
14位 いずみ野 5.45万円(相鉄いずみ野線/横浜市泉区/20分/0回)
14位 さがみ野 5.45万円(相鉄本線/海老名市/26分/1回)
14位 汐入 5.45万円(京急本線/横須賀市/30分/0回)
14位 追浜 5.45万円(京急本線/横須賀市/24分/0回)

1位の善行駅と2位の南万騎が原駅はともにアニメやドラマの“聖地” 善行駅周辺(写真/PIXTA)

善行駅周辺(写真/PIXTA)

1位は小田急江ノ島線沿線の善行駅。駅の読み方は「ぜんぎょう」だが、字面の縁起の良さから、かつては記念入場券も発行されていた。駅名は、付近に江戸時代にあったという寺「善行寺」に由来している。

所在地の神奈川県藤沢市は、県の中央南部に位置し、南を相模湾に面している。市域はおおむね平坦な地形だが、善行駅付近は丘陵地帯で坂が多い。毎日坂道を登り下りすると考えると敬遠してしまいそうだが、それすら“味”と感じられそうなどこか郷愁を誘う景色は、まるで映画の場面のような風情と魅力的な雰囲気がある。実際、2017年にTOKYO MX系で放送されたテレビアニメ『Just Because!』など、駅周辺を忠実に描写した作品などもある。

駅周辺は深夜1時まで営業しているスーパーやドラッグストア、飲食店などが充実しており、駅東側は陸上競技場や球技場を備えた神奈川県立スポーツセンターなどがある。少し行くと果樹園や田畑などが広がり、親水広場や植物園がある「引地川親水公園」もある。

2位の南万騎が原駅は、横浜市旭区にある。横浜駅までの所有時間は15分と利便性抜群な上、沿線である相模鉄道は2023年3月に東急線と相互直通運転を予定。都内の渋谷駅や目黒駅までのアクセスも向上が期待できる。

南万騎が原駅前広場(写真/PIXTA)

南万騎が原駅前広場(写真/PIXTA)

所在地の旭区は自然豊かなエリアで、区内には国内でも希少な動物が飼育されおり人気の「よこはま動物園ズーラシア」などがある。横浜市は市の魅力を広く発信し、ブランド力向上や集客増のためのプロモーションとして市内での映像や出版物の撮影などに対応する事業「横浜フィルムコミッション」を手がけており、南万騎が原駅もTBS系の人気テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で、星野源演じる主人公の住む最寄り駅として登場。ほかにもテレビCMなどで登場することも多い。

駅前にあるドラックストアや病院の入ったスーパーは深夜1時半まで営業。すぐ近くにはJA横浜が運営する農作物の直売所「ハマっ子」があるのは、自炊派にとってはうれしい点だろう。

沿線である相模鉄道いずみ野線の宅地開発とともに発展してきた駅で、相鉄グループや市による再開発も行われており、子どもや高齢者にも暮らしやすく環境に配慮した次世代の街づくりが進められている。持続可能な開発目標・SDGsが世界的に掲げられるなか、「持続可能な住宅地モデル」として南万騎が原駅周辺の商業施設や周辺地域を再開発。電柱の地中化なども進んでいる。そうした街並みや住宅は、「グッドデザイン賞」も複数回受賞。“横浜”らしい、スタイリッシュな気分も満喫できる街かもしれない。

横浜名物も近所で買える三ツ境駅、隠れたグルメスポットの舞岡駅

同率5位の三ツ境駅は、相鉄の急行、通勤急行、快速、各駅停車のすべてが停車する駅。横浜駅まで乗り換えなしなのはポイントが高い。所在地は瀬谷区だが、旭区との境に位置しており、南万騎が原駅と同じく自然に恵まれている。天候に恵まれた日には富士山が見えることでも知られている。

三ツ境駅(写真/PIXTA)

三ツ境駅(写真/PIXTA)

瀬谷区の区役所は三ツ境駅が最寄り。駅前には警察署があるのも、いざというときに心強い。区役所と隣接する公会堂では、モノづくり体験やスポーツ講座なども開かれている。周辺には学校も数多い。

駅に直結した「相鉄ライフ 三ツ境」はスーパーのほか、スターバックスコーヒーやカルディコーヒーファームなどが入っている。飲食店も多数あり、横浜名物である崎陽軒や横濱文明堂も入っているのが地元民にはうれしいところだ。ほかにも大きなスーパーや家電量販店、安売り店などが点在するほか、「三ツ境駅前商店街」「笹野台商店街」など、昔ながらの商店街も複数ある。季節ごとのイベントが開催されることもあり、買い物も楽しそうだ。

同率8位の舞岡駅は、ランキング中唯一の戸塚区所在で、ブルーライン沿線駅。駅前のJA横浜の直売所「ハマっ子」や、お弁当や総菜などを扱う「ハム工房まいおか」、いちご狩りもできる「舞岡いちご園」などのファーマーズマーケットがあちこちに点在しており、ちょっとしたグルメスポットとして知られている。

舞岡駅周辺(写真/PIXTA)

舞岡駅周辺(写真/PIXTA)

舞岡地区は横浜市の市街化調整区域に指定されており、自然景観の保全に力を入れているエリア。小さな川のほとりに遊歩道が整備されたのどかな景色には、心が癒やされそうだ。その小川沿いに少し行くと鎌倉時代に創建されたと伝えられる舞岡八幡宮がある。新型コロナウイルス禍以前には、毎年、沸かした湯に笹の葉を浸して神前や参詣人にまく祭礼「湯花神楽」が行われており、地域の歴史に思いをはせることができそうだ。

ランキング中、横浜駅までの所要時間が一番短いのが、13位の屏風浦駅。普通列車のみの停車駅だが、隣駅はエアポート急行や特急が停車し、横浜市営地下鉄が利用できる上大岡駅で、駅間距離は約2.5km。同じく隣駅でエアポート急行と、JR根岸線と横浜シーサイドラインが利用できる杉田駅は約1.6kmで、屏風浦駅を最寄りとする物件でも、選ぶ場所によっては利用路線の選択肢を増やすことができる。

周辺は落ち着いた住宅街で、味のある個人経営の飲食店などが点在。駅前には100円均一店が入ったスーパーがあり、少し行くと業務スーパーなどもある。また、総合病院の康心会汐見台病院も近い。大きな商業施設などはないがどこか人情味が感じられる街並みで、穴場といえそうだ。

横浜は利便性の高い都会だが、少し足を延ばせば海や緑など自然が豊かなところも大きな魅力の一つだ。ランキングでは、そんな横浜に共通する豊かな自然環境を大切にしている街が目立つ。洗練された便利さとのどかさが両立できることこそ、横浜に魅せられる要因なのだろう。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている横浜駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/1~2022/3
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年3月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

築50年の古アパートに入居希望殺到? 高円寺・小杉湯コラボの“銭湯付き物件”が話題 「湯パートやまざき」

若者に人気の街、高円寺(東京都杉並区)。この街に全国に名を馳せる銭湯、「小杉湯」がある。1日の利用者数は500人前後。電車を乗り継いでやってくる熱狂的ファンもいるのだ。

ミルク風呂やフルーツ風呂などの日替わり湯が人気で、さまざまなイベントも行っている。しかし、最新のホットニュースは、小杉湯が連携する築50年の空き家だったアパートを活用した「湯パートやまざき」のオープンだ。都内の銭湯で使える1カ月分の入浴券付きで家賃は5万円~6万円程度。

プロジェクトのきっかけは? 室内の雰囲気は? どんな人が住んでいる? さっそく取材に行ってきました。

「終電で帰ってきても利用できる」銭湯

JR新宿駅から中央線快速で2駅、6分で高円寺に着いた。北口には高円寺の代名詞ともいえる純情商店街のアーチ。「キングオブコント2021」で空気階段が優勝した際は、「高円寺芸人 鈴木もぐらさん おめでとう!!」という横断幕が掲げられた。

高円寺は芸人が多く住む街でもある(写真撮影/片山貴博)

高円寺は芸人が多く住む街でもある(写真撮影/片山貴博)

駅から歩くこと5分。昭和8年創業の老舗銭湯、小杉湯が見えてきた。玄関には社寺にみられる丸みを帯びた「唐破風(からはふ)」、屋根には三角形の「千鳥破風(ちどりはふ)」が施されている。

2021年1月には国の登録有形文化財(建造物)に登録された(写真撮影/篠原豪太)

2021年1月には国の登録有形文化財(建造物)に登録された(写真撮影/篠原豪太)

「終電で帰ってきても利用できるように」という思いから、営業時間は深夜1時45分まで。待合では漫画が読み放題で、壁にはアート作品や著名人の色紙も飾られていた。

風呂上がりにのんびりと過ごせるスペース(写真撮影/篠原豪太)

風呂上がりにのんびりと過ごせるスペース(写真撮影/篠原豪太)

ペンキ絵はいまや日本に3人しかいない銭湯絵師、中島盛夫氏によるもの。ペンキ絵は定期的に描き換えられ、現在の絵は2020年11月に上書きされた。

鮮やかな色使いで富士山と海辺の風景が描かれている(写真撮影/篠原豪太)

鮮やかな色使いで富士山と海辺の風景が描かれている(写真撮影/篠原豪太)

高円寺に新風を吹き込むシェアスペース

さらに、2020年3月にオープンしたのが「小杉湯となり」という会員制の銭湯付きシェアスペース。文字通り、小杉湯の隣で銭湯まで徒歩3秒という立地だ。

建て主は小杉湯、建築設計は東京を拠点に活動するT/Hが担当した(写真撮影/片山貴博)

建て主は小杉湯、建築設計は東京を拠点に活動するT/Hが担当した(写真撮影/片山貴博)

エントランスの脇には緑が映える中庭も(写真撮影/片山貴博)

エントランスの脇には緑が映える中庭も(写真撮影/片山貴博)

1階は食堂のような場所で、シェアキッチンとテーブル席を自由に使える(写真撮影/片山貴博)

1階は食堂のような場所で、シェアキッチンとテーブル席を自由に使える(写真撮影/片山貴博)

Tシャツやスウェットなどの小杉湯となりオリジナルグッズも販売中(写真撮影/片山貴博)

Tシャツやスウェットなどの小杉湯となりオリジナルグッズも販売中(写真撮影/片山貴博)

2階はWi-Fi、電源、プリンター完備のお座敷。ここで仕事をするもよし、ゴロゴロするもよし(写真撮影/片山貴博)

2階はWi-Fi、電源、プリンター完備のお座敷。ここで仕事をするもよし、ゴロゴロするもよし(写真撮影/片山貴博)

スタッフや会員が選書している大きな本棚もある(写真撮影/片山貴博)

スタッフや会員が選書している大きな本棚もある(写真撮影/片山貴博)

こちらは「1話だけ読んでも面白いエッセイ」という棚(写真撮影/片山貴博)

こちらは「1話だけ読んでも面白いエッセイ」という棚(写真撮影/片山貴博)

「湯パートやまざき」のキーパーソンたち

さて、ここからが本題だ。

3階の個室で「湯パートやまざき」についての話を聞かせてくれたのは、「小杉湯となり」発起人で株式会社銭湯ぐらし代表の加藤優一さん(34歳)、株式会社まめくらしに所属し、「高円寺アパートメント」の女将として住人や地域の人たちとの関係性を育む宮田サラさん(28歳)、そして、「湯パートやまざき」の住人1号となった勝野楓未さん(23歳)の3人。

加藤さんと勝野さんは定休日以外は毎日小杉湯に通う。宮田さんも週に1、2回は訪れるという小杉湯愛に満ちた面々だ。

右から加藤さん、宮田さん、勝野さん(写真撮影/片山貴博)

右から加藤さん、宮田さん、勝野さん(写真撮影/片山貴博)

旧国鉄の社宅を株式会社ジェイアール東日本都市開発がリノベーションした賃貸住宅、「高円寺アパートメント」(写真提供/株式会社まめくらし)

旧国鉄の社宅を株式会社ジェイアール東日本都市開発がリノベーションした賃貸住宅、「高円寺アパートメント」(写真提供/株式会社まめくらし)

「この『小杉湯となり』が立つ場所には、もともと風呂なしアパートがあったんですが、取り壊しが決まった後、1年間は空いた状態でした。そこで、僕を含めた多様なクリエイターで共同生活を始めることになったんです。その生活で気付いたのが、街全体を家のように楽しむ豊かさでした。風呂なしアパートが寝室で、銭湯が浴室、台所は近くのお店と考えると、暮らしの選択肢が広がります。その考え方を実現したのが『小杉湯となり』であり、『湯パートやまざき』もプロジェクトの一つです」(加藤さん)

(画像提供/加藤優一)

(画像提供/加藤優一)

「小杉湯となり」ができる前にあった、風呂なしアパート。当時、期間限定の新住人で外壁に絵も描いた(写真提供/加藤優一)

「小杉湯となり」ができる前にあった、風呂なしアパート。当時、期間限定の新住人で外壁に絵も描いた(写真提供/加藤優一)

きっかけは空き家活用のための勉強会

「湯パートやまざき」は、前述の「小杉湯となり」から徒歩7分ほど離れた場所にある。「湯パートやまざき」プロジェクト発足のきっかけは、空き家を活用して高円寺を盛り上げるための勉強会だった。対象は空き家を持っているが活用に悩んでいる大家さんたち。

「去年の6月に第一回の勉強会を開催したら、10人ぐらいの方が参加してくれました。みなさん、空き家のまま放置しておくのはもったいないし、街のために活用できたらと思っていらっしゃる方々でした」(宮田さん)

同年8月に開催した第二回勉強会の様子(写真提供/加藤優一)

同年8月に開催した第二回勉強会の様子(写真提供/加藤優一)

この勉強会には現「湯パートやまざき」の大家・山崎さんのご家族が参加しており、「10年ぐらい空き家になっているアパートを何とか活用できないか」という相談を受ける。そこで、「じゃあ、みんなで物件を見に行きましょう」となった。

現「湯パートやまざき」に向かう参加者たち(写真提供/加藤優一)

現「湯パートやまざき」に向かう参加者たち(写真提供/加藤優一)

住人募集の告知から3日間で応募が殺到

「最初に外観を見た感想は、『一般的な風呂なしアパートだなあ』というもの。でも、中に入るとレトロな家具の雰囲気が良くて、随所に大工さんの技巧も凝らしてある。ここに銭湯を組み合わせることで“湯パート”としてリブランディングしようと思いました」(加藤さん)

去年の11月ぐらいから「銭湯ぐらし」にかかわり始めた勝野さんは、東京大学大学院で建築を学んでいる学生。加藤さんと宮田さんが「湯パートやまざき」のリブランディングとなるコンセプトや企画を考え、彼女がより具体的なイメージ図を描いた。

現在、大家さんは住んでいないが部屋は残してある(イラスト/勝野楓未)

現在、大家さんは住んでいないが部屋は残してある(イラスト/勝野楓未)

勝野さんがnoteに描いたイメージ図とともに、住人募集の告知をTwitterにアップしたのが2022年1月30日。すると3日間で50人の応募があり、あわてて募集を締め切ったという。

「『シェアハウスほど近すぎず、普通のアパートほど遠くない、ほどよい関係』がみなさんに刺さったのでは」と加藤さんは振り返る。個室はあるが1階にシェアスペースもあり、価値観の近い人が入居することもイメージできる。また、「近所に小杉湯があることも大きかったと思います。ほかには、大家さんの顔が見えることや、DIYができること、そして、1人ではできないけど誰かとはやってみたいという“小さな暮らしが実現できる”という点に魅力を感じていただけたと思います」と話す。

以前は家賃3万円だったが、小杉湯を起点に「街を家と捉える」プロジェクトの一つとして生まれ変わらせるにあたり、家賃に入浴券1カ月分を組み込んだ家賃5~6万円の「銭湯付きアパート」へ(頭が出た分の金額は、大家さんと株式会社銭湯ぐらしで按分している)。入浴券は都内共通入浴券なので都内の銭湯ではどこでも使えるが、ご近所にある小杉湯のファンが集う結果となったようだ。

「応募してくれたのは20歳から30代後半の方で、6割ぐらいが女性でした。職業はいろいろ。高円寺に住んでいないけど、高円寺が好きという人もいれば、コロナ禍で1人で暮らすのが寂しいという人もいました。必ずしも小杉湯ファンだけではなかったですね」(勝野さん)

共有スペースには螺鈿細工のたんすやレトロなテーブル

内見会やオンラインでのヒアリングを経て、勝野さんを含む3名の住人が決まった。勝野さんは2月の半ばから、残りの2名も3月中旬から住み始めている。

コンセプトは「暮らしの要素をシェアする、懐かしくて新しい共同生活」。というわけで、さっそく物件を案内してもらった。

「ようこそ、『湯パートやまざき』へ!」(写真撮影/片山貴博)

「ようこそ、『湯パートやまざき』へ!」(写真撮影/片山貴博)

高円寺駅から徒歩9分、小杉湯から徒歩7分。防犯上の理由から詳しい場所は書けないが、閑静な住宅地にある木造2階建てのアパートだった。

まずは、1階の共有スペースを拝見。

螺鈿細工のたんすやレトロなテーブルが雰囲気たっぷり(写真撮影/片山貴博)

螺鈿細工のたんすやレトロなテーブルが雰囲気たっぷり(写真撮影/片山貴博)

ホワイトボードには住人らによる「今後やりたいこと」が貼ってあった(写真撮影/片山貴博)

ホワイトボードには住人らによる「今後やりたいこと」が貼ってあった(写真撮影/片山貴博)

このキッチンも共同で使用する(写真撮影/片山貴博)

このキッチンも共同で使用する(写真撮影/片山貴博)

「湯パートやまざき」での暮らしを選んだ理由

次に2階の勝野さんの部屋へ。

階段には収納用の隠し棚があった(写真撮影/片山貴博)

階段には収納用の隠し棚があった(写真撮影/片山貴博)

入口のドアの上には今やなかなかお目にかかれない電気メーターが(写真撮影/片山貴博)

入口のドアの上には今やなかなかお目にかかれない電気メーターが(写真撮影/片山貴博)

「ここが私の部屋です」と勝野さん(写真撮影/片山貴博)

「ここが私の部屋です」と勝野さん(写真撮影/片山貴博)

間取りは6畳プラス、ミニキッチン(写真撮影/片山貴博)

間取りは6畳プラス、ミニキッチン(写真撮影/片山貴博)

張り替えたばかりの青畳が香る。

「布団は押入れに入れてあって、寝るときに出します。日当たりが良いので外に干すとすぐに乾くんですよ。設計の勉強に使う金尺は置き場所がないので柱に掛けました」

実は勝野さん、ここに住む前は隣駅の阿佐ケ谷に住んでいた。風呂トイレ付きで床はフローリングというアパート。しかし、銭湯ぐらしやまめくらしの「街を大きな家と捉えて大きく暮らす」という考え方に共感したことと、コロナ禍で家に全部そろっている必要はないと考え方が変わったことから、「湯パートやまざき」への転居を決めたそうだ。

共同作業の第一歩はバルコニーのペンキ塗り

勝野さん以外の住人2名にもオンラインで話を聞いた。

そのうちの1人は転職で大阪から上京したばかりの27歳の女性。たまたま、加藤さんのツイートを目にし、応募した。東京に知り合いが1人もいない状態での共同生活は楽しく、初めて訪れた高円寺を徐々に開拓したいそうだ。

彼女の部屋はこんな感じ。裸電球がいい味を出している(写真撮影/本人)

彼女の部屋はこんな感じ。裸電球がいい味を出している(写真撮影/本人)

もう1人は建築設計事務所で働く28歳の男性。彼もまたTwitterでの告知を見てすぐに応募したという。多忙のため終電で帰ることが多い生活だが、会ったら「オッス」というぐらいの距離感がちょうどいいと言っていた。

現在入居者の住居となっている部屋には、図書館司書として働いている大家さんの親族がセレクトしたセンスあふれる本の数々が置いてあった。

住人も本好きな人たちなので、いずれは共有スペースをミニ図書館にする予定(写真撮影/宮田サラ)

住人も本好きな人たちなので、いずれは共有スペースをミニ図書館にする予定(写真撮影/宮田サラ)

そして、生活を豊かにしてくれそうなのが通りに面した広いバルコニー。勝野さんのイメージ図には望遠鏡のイラストとともに「流星群や満月を観察」と書かれていた。

机とテーブルを置けばコーヒータイムも楽しめる(写真撮影/片山貴博)

机とテーブルを置けばコーヒータイムも楽しめる(写真撮影/片山貴博)

「今度、みんなで柵にペンキを塗るんですよ。いずれは菜園もやりたいです」

取材後、3人の予定が合った日にペンキ塗りを実行(写真撮影/宮田サラ)

取材後、3人の予定が合った日にペンキ塗りを実行(写真撮影/宮田サラ)

大家さんの思いとともにそれぞれのスタイルで暮らす

築50年とはいえ、必要最低限の補修のみで大がかりなリノベーションはしていない。つまり、長く住んだ大家さんの思いを残した形だ。3人は今後、大家さんの思いとともに「暮らしの要素をシェアする、懐かしくて新しい共同生活」を送る。それぞれのスタイルで、街を取り込みながら。

老舗銭湯の「小杉湯」を軸に新しい風は吹き続ける。スタートしたばかりの「湯パートやまざき」の試みが軌道に乗れば、高円寺にまだまだたくさんあるという空き家アパートの活用が一層進むだろう。

●取材協力
小杉湯となり
銭湯ぐらし
まめくらし
湯パートやまざきSNSアカウント
Instagram:@yupart_yamazaki
Twitter:@yupart_yamazaki

地味だった大阪の下町・昭和町、“長屋の活用”で人口増!「どこやねん」から「おもろい街」へ

建物の老朽化、空き家問題、高齢化、人口流出。都市の多くが頭を抱える問題です。そのようななか大阪の下町「昭和町」では、長い歴史を誇る長屋をローコストで再活用し、街に活気をもたらしています。成功に導いたのは、代々続く地元の不動産会社。三代目社長の「気づき」がきっかけでした。「長屋の保存活動ではない。やっているのは長屋の“活用”だ」。そう語る三代目社長に、奏功の秘訣をおうかがいしました。

「私は長屋の保存活動はしていない」

「誤解されるのですが、私は長屋の保存活動はしていないんです」

「丸順不動産」代表取締役、小山隆輝さん(57)はそう言います。

「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。電動アシスト自転車と首からさげたカメラがトレードマーク(写真撮影/出合コウ介)

「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。電動アシスト自転車と首からさげたカメラがトレードマーク(写真撮影/出合コウ介)

大阪府大阪市阿倍野区(あべのく)「昭和町」。大阪メトロ御堂筋線の巨大ターミナル駅「天王寺」から南へ一駅くだった場所にある細長いエリアです。

「昭和町」はその名のとおり昭和時代の面影を感じさせてくれる、のんびりした雰囲気に包まれた街。あべのハルカスがそびえる大都会、天王寺のそばだとは信じがたい印象。近年はテレビをはじめとしたメディアがこぞって「下町レトロ散歩」特集の舞台に昭和町を選ぶようになりました。

昭和町のゆったりムードに大きく貢献しているのが「長屋」。現在ではあまり見かけない長屋ですが、昭和町には築100年前後という貴重な長屋が奇跡的に数多くのこっています。

昭和町の随所にのこる長屋。古風で落ち着いた雰囲気を活かし、ヨガサロンを開く例もある(写真撮影/出合コウ介)

昭和町の随所にのこる長屋。古風で落ち着いた雰囲気を活かし、ヨガサロンを開く例もある(写真撮影/出合コウ介)

なかでもおしゃれなお店が6軒ずらり並ぶ「桃ケ池長屋」は昭和町エリアのランドマーク的存在。桃ケ池長屋をはじめ古い家屋のリノベーション計画が功を奏し、国勢調査によると1995年(平成7年)から2020年(令和2年)までのあいだに965人(大阪市における住民基本台帳人口数)が増加しました。大阪市の多くの街が人口流出や高齢化による人口減にあえぐなか、これは快挙です。

昭和町の長屋に新たな命を吹き込んだエキスパートが、大正13年(1924年)創業の「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。

小山「昭和町5丁目で生まれ、昭和町4丁目で育ちました。57年の人生を昭和町の徒歩5分圏内で過ごしています」

小山さんは生粋の昭和町っ子。先述の「桃ケ池長屋」や、大正14年築という長屋をリノベーションして大阪古民家カフェブームの先鞭をつけた「金魚カフェ」など、数々の物件をブレイクさせた立役者です。電動アシスト自転車をこぎながら日々、昭和町の風景を撮影しSNSで発信し続ける。そんな不動産界のインフルエンサーとしても知られています。

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

ただ、活躍ゆえに“誤解”が生じている様子。

小山「ときどき“長屋再生人”と紹介されます。いいえ、違うんです。長屋を文化財として保存したいわけじゃない。元通りにしたいわけでもない。やりたいことは“長屋の活用”です。だって、長屋だけきれいになってもしゃあないやないですか。そうではなく、長屋など既存の建物を活用し、エリアの価値を向上させたいんです。目指すは“上質な下町”。そのためにも、いいプレイヤーを昭和町に集めたい。それが私のメインテーマですわ」

長屋の保存ではなく、再生でもない。メインテーマは「長屋の活用」と「エリアの価値向上」。その言葉の真意をさぐるべく、先ずは小山さんが手がけ、いまや大阪の人気スポットとなった「桃ケ池長屋」を案内していただくことにしましょう。

「昭和町ってどこやねん」と言われた知名度の低さ

「桃ケ池長屋」へ向かう道すがら、長屋が注目される以前の昭和町の姿はどんなものだったのかを、小山さんは語ってくれました。

小山「とにかく街の知名度が低かった。こんな話があるんです。昭和町でBarをやっていた男性がミナミやキタにいる友達のところへ遊びに行った。友達に『昭和町で店をやってるから、遊びに来てな』と言ってショップカードを渡した。するとそのカードを見た友達が、こう言ったんです。『昭和町って、どこやねん』。同じ大阪市内、同じ御堂筋線沿線にもかかわらずですよ。それくらい地味で目立たない街でした」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

現在ではメディアの人気コンテンツとなり、憧れの気持ちを抱いて訪れる若者も多い昭和町にも、そんな無名時代があったのです。

小山「私が二十代のころは少子高齢化が進み、人口は減少。『昔はにぎやかな商店街やったのに誰一人として歩いていない』。そんな寒々とした風景でした。このままではあかん。昭和町をなんとかしなければならない。最初にそう思ったのが25年くらい前。子どものころから通っていた散髪屋さんのおっちゃんが私に、『あんたら不動産屋ががんばらなんだら、街がようならへんやんか。人もお店も増えへんやないか』と言ったんです。それ以来、“不動産屋ができる、街をよくする方法”を考えるようになりました」

街の人が危機感を抱くほどさびれていた昭和町。それを解決する糸口の一つが、長屋だったのです。

「上質な下町」のシンボルとなった「桃ケ池長屋」

やってきた「桃ケ池長屋」。「昭和4年(1929)の資料が残っている」という、大正時代と昭和のはざまに誕生した4軒長屋と近隣の2軒の計6軒。「焼き菓子カフェ」「洋裁工房」「おばんざい(お惣菜)」など6つのお店が並んでいます。年に1、2回、不定期で長屋総出のイベントを行い、その日はたくさんのお客さんでにぎわいます。小山さんが目指す「上質な下町」と呼べる空間づくりに大いに貢献しています。

桃ケ池長屋(写真撮影/出合コウ介)

桃ケ池長屋(写真撮影/出合コウ介)

かつての桃ケ池長屋(2003年撮影)(写真提供/小山さん)

かつての桃ケ池長屋(2003年撮影)(写真提供/小山さん)

そのうちの一軒、平成23年(2011年)に入居した「カタルテ」は器と雑貨のお店。注目すべき作家の一点ものをはじめ、店主の宮倉さんが焼き物の産地である信楽や丹波立杭などに足を運んで選んだ逸品が並びます。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

実は「桃ケ池長屋」という名称は、「昔からあったものではない」のだとか。

宮倉「桃ケ池長屋という名前は長屋のみんなでつけました。勝手にね(笑)。『長屋でイベントをするときに呼び名をつけたいね』『じゃあ近くに桃ケ池公園があるし、桃ケ池長屋にしようか』って。そうして勝手に名前を呼んでいたら、だんだん定着してきたんです」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

店舗兼住居のこの「カタルテ」、梁など昭和の趣を残しながらも無理やりな懐古趣味はなく、見事に現代と調和しています。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

宮倉「アルミサッシなど、古い長屋と雰囲気が合わない建具は入れたくなかったので、大家さんによい方法はないかと相談しました。大家さんがとても理解がある方で、ご自身がお持ちの取り壊す古い建物から『要るものがあるなら持っていっていいよ』と言ってくださって。大工さんと一緒にメジャーを持って計りに行き、使えそうな建具を運んできました」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「カタルテ」は、古い長屋に別の古い建具を継ぐという、ありそうで意外とない方法で新しいスペースをデザインしていたのです。

小山「この物件は家主さん、借主さん、大工さん、三者の美意識が合致した好例です。私が長屋に着手しはじめた当時はまだ大工さんは“きれいにするのが当たり前”でした。『あそこを残して。ここを残して』と言っても理解してもらえなかった。ひたすら、闘いでしたね」

「桃ケ池長屋」が好評を博した秘訣、それは小山さんのトータルプロデュース力にありました。

宮倉「小山さんが、世代が近い人を横並びでつないでくださったんです。世代が近いから相談できるし、『イベントを一緒にやろうよ』という動きになっていきました。長屋が一つのカラーをもっているおかげで続けられているのかな。小山さんのはからいがなかったら、何年かで店を辞めちゃっていたかもしれない」

小山「一軒一軒で考えるのではなく、世代をできるだけ合わせていく。いいプレイヤーを揃える。それが『長屋が街を変える』第一歩やと思うんです。ぜんぜん違うテイストのものを並べても、街としておもろくないですから。そやから僕はしっかりとお話をして人となりを見ます。『どんな人か』が大事やから」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

お話を聞くにつけ、いいこと尽くしのように感じる長屋のリノベーション。とはいえ、およそ100年も前の建物の再利用です。不便はないのでしょうか。

宮倉「気になる点は物音でしたね。壁が共有なので。お隣さんの会話の内容がわかっちゃうくらい筒抜け。『こちらが出した音も向こうに聞こえているんだろうな』と思って、電話する場合はわざわざお風呂場で話をしていました」

決して厚くない壁。しかも共有。長屋は言わば一つの大きな家。共同体だからこそ両隣との関係性が重要になってきます。

宮倉「お互いにお店をしていて、一緒にイベントをする仲間。人柄がわかっているから許容できました。『お互い様だよね』って。ときにはお隣の物音に安心感をおぼえる日もありました。まったく見知らぬ人だったら『うるさいよ』ってなっていたかもしれません」

一軒一軒ではなく、長屋全体をどうするかをトータルで考える。小山さんの発想と手腕はトラブル回避にも活かされていたのです。さらに、長屋での商いは物音などのリスクを超えた大きなメリットがあると宮倉さんは言います。

宮倉「広さに対する家賃の安さは魅力ですね。プラス、この雰囲気。ピカピカじゃなくって、歴史があるものにしか出せない温かな雰囲気が得られるのはとてもありがたいです」

タウン誌などにもたびたび採りあげられる桃ケ池長屋。「やりたいことは長屋の保存や再生ではなく“活用”」「長屋の活用によるエリアの価値向上」。小山さんの信条は、「桃ケ池長屋」というかたちではっきりと可視化されていたのです。

長屋の雰囲気になじんでいる看板猫のエモンちゃん(写真撮影/出合コウ介)

長屋の雰囲気になじんでいる看板猫のエモンちゃん(写真撮影/出合コウ介)

「長屋が文化財なら、昭和町はお宝だらけや」

そもそも、なぜ昭和町には昭和初期の長屋が多く残っているのでしょう。理由は大正時代にさかのぼります。

小山「大正時代から昭和のはじめにかけて大阪市は経済が大きく発展しました。“大大阪”“東洋のマンチェスター”と呼ばれるほどだったんです。そのため人口が急増した。かつての東京市(1943年/昭和18年に廃止)よりも多かった。結果、たちまち住宅難が起きました。各地から続々と転入してくるため、住む人を吸収できなくなってきたんです」

サラリーマン家庭の住居の用意に急を要した大阪市。そこで建てられたのが、長屋でした。大阪市は特有の土地区画整理計画「長屋建築規則」を制定。長屋という名のニュータウン開発事業に乗り出したのです。

小山「大正時代までこのあたりは畑やったんですけれども、区画整理をして、長屋の寸法に街割をしたんです。そやから当時は長屋がザーッと並んでいました。言わば元祖ベッドタウンです。区画整理がスタートしたのが昭和のあたま頃やったんで、“昭和町”という地名になったんです」

なんと、昭和町という地名自体が、長屋の開発が由来だったとは。そんな深い縁がある長屋に再びスポットが当たる出来事がありました。それが「寺西家阿倍野長屋の再評価」。

「寺西家阿倍野長屋」とは昭和7年(1932年)に建築された近代的な4軒長屋。戦前の庶民の都市住宅としての様式を今に残す貴重な建築であることが評価され、平成15年(2003年)、長屋としては全国初となる「登録有形文化財」に指定されたのです。

寺西家阿倍野長屋(写真提供/丸順不動産)

寺西家阿倍野長屋(写真提供/丸順不動産)

小山「登録文化財になったという新聞記事を見て、『そんな文化財になるような長屋なんかあったか?』と探しに行ったところ、そこにあったのはどこにでもある普通の長屋。『これが文化財になるんやったら町中が文化財だらけや。これを使わない手はないやろ』と思いました」

現場へ行って寺西家阿倍野長屋を見上げた小山さん。そのとき「散髪屋のおっちゃん」から言われた「あんたら不動産屋ががんばらへんかったら、街がようならへん」のひと言が蘇ってきたのだそう。

小山「昭和町の長屋は、確かに質が高い。『京都では町家のリノベーションを当たり前にやっている。だったら昭和町は、長屋でそれができるんやないか』。そうひらめいたんです。意識して素敵なテナントを誘致したり、古い建物のよさを残したりすれば、街が元気になるんじゃないかと。散髪屋のおっちゃんのあの一言と長屋が頭の中でピタッとくっついた瞬間でしたね」

日本建築の粋を集めた「お屋敷長屋」

このように長屋や既存の古い建物およそ30軒を蘇らせてきた小山さんに、もう一軒のケースを見せていただきました。「水回り以外は昭和初期の雰囲気のまま」という、5戸が連なる長屋です。

2019年より家族3人で居住している建築士、城田研吾さんはこう言います。

城田「物件を見る前は、『長屋をDIYしたい』と考えていました。部屋を自由に改造できる条件で物件を探していたんです。けれどもこの長屋を初めて内見したとき、『このまま住みたい』と思いました。手を入れる必要がない、理想の住まいだったんです」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

屋内は丸窓の「灯りとり」、欄間、土壁、漆喰など、惚れ惚れとするほど昭和の意匠が遺されています。特に立派な床の間が印象的。

玄関(写真撮影/出合コウ介)

玄関(写真撮影/出合コウ介)

キッチンとリビングをつないで広々とした空間をつくりだしている。段差を考慮したテーブルをオーダーメイドし、二間をまたぐように設置した(写真撮影/出合コウ介)

キッチンとリビングをつないで広々とした空間をつくりだしている。段差を考慮したテーブルをオーダーメイドし、二間をまたぐように設置した(写真撮影/出合コウ介)

小山「フルサイズの床の間が、この長屋の特徴です。床の間は無駄と言えば無駄なんですけれども、当時は『床の間のない家なんて家やない』という文化があり、必須の設えだったんでしょう。ほかにも門があり、庭があり、燈籠が建てられている。大きなお屋敷の様式を全部きゅっと詰め込んである。だから“お屋敷長屋”と呼ばれる場合もあります。しっかりした邸宅で、落語に出てくる、八っつあん熊さんがいるような庶民の長屋とはずいぶん違いますね」

寝室(写真撮影/出合コウ介)

寝室(写真撮影/出合コウ介)

書斎(写真撮影/出合コウ介)

書斎(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

棚は城田さん自身が造作(写真撮影/出合コウ介)

棚は城田さん自身が造作(写真撮影/出合コウ介)

取材時、中庭には赤い桃の花が咲いていました。城田さんはこの家を「もものきながや」と名づけ、風流な景色を楽しんでいます。いやあ、若くしてこの長屋を気に入るとは、シブいご趣味ですね。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

城田「僕らの世代は原体験がないぶん、逆に昔の趣が残っている家って好きなんじゃないですかね」

小山「新車に乗りたい人がいれば旧車に乗りたい人もいる。新しいジーンズが好きな人がいれば、リーバイスのヴィンテージを好む人もいる。それと同じとちゃいますか」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

長屋はジーンズに例えるならばヴィンテージ。長屋の魅力がさらに鮮明になってきました。

昭和町の住民と店とをつなぐ「バイローカル」活動

小山さんの取り組みで刮目(かつもく)すべきもう一つの軸、それが昭和町の住民と地元の商売人との縁をつなぐ「buy-local(バイローカル)」という活動。具体的には昭和町にある素敵な商店およそ80軒が掲載されたマップつきの小冊子を年に一回発行し、PRしてゆく行いです。小山さんは2013年4月から、街の有志とともにバイローカル活動をはじめました。

小山「バイローカルとは、そもそもはアメリカのコロラド州で生まれた『小さな商店の雇用を守ろう』という運動でした。コロラド州のバイローカルは大資本に立ち向かう抗議活動やけど、昭和町はそこまで好戦的やない。志だけを継いで、街の“よき商い”を昭和町に住む人にもっと知ってほしい、そんな気持ちでやっています。理想は“内発的発展”。地域の人たちが自分の街にある店を選択し、守り、昭和町の中で365日、経済が循環する環境を整えていきたいんです」

小冊子のほか、使いやすいMAPも配布している

小冊子のほか、使いやすいMAPも配布している

マップを見ていると、新旧の魅力的な個人商店が満載。「少し歩くとこんなにたくさんのオリジナリティと出会えるのか。昭和町カルチャーすごい!」と驚かされます。

バイローカルマップを配布する大事なイベントが、長池公園にて開催される年に一度のマーケット。出店数は50店舗前後。あまりの人手に昨年は平日開催にせざるをえなかったというから、いかにバイローカルという理念が昭和町に根付いたかがうかがい知れます。

小山「人を寄せて儲けるのが目的ではない。マーケットを開くことで、地元の人とお店の人とでコミュニケーションをとってもらいたいんですよ。『あんたんとこのお店、どこやの? 今度遊びに行くわ』『あんたのお店、前から知ってたんやけど、どんなお兄ちゃんがやってるかわからへんかったから、行くん怖かってん。なんや~、あんたかいな~。ほんならこれから行くわ~』みたいな。バイローカルのマーケットを通じて知らないお店と出会ってほしいんです。ゆっくり話をしてほしいから、本音は、あんまりたくさんの人に来てほしくない(笑)」

2020年開催時の様子(写真提供/小山さん)

2020年開催時の様子(写真提供/小山さん)

自分が住む街にどんなお店があるのか、意外と知らないものです。バイローカルは住民と店とのマッチングの機会をつくり、街がよい商いを支える地盤をつくりました。おかげで、こんな利点があったのだそうです。

小山「2020年の夏はコロナでしんどい時期でしたけれども、街の人がテイクアウトでお店を支えた。お店も必死やけど、街の人たちも必死でした。『この店がつぶれたら絶対に困る』ってね」

昭和町なら駅から離れていても商売が成立する。それが理想

「長屋なんて更地にしてアパートを建てましょう」「コインパーキングにしてしまいましょう」が当たり前ななか、あえて古い建物の活用で街を衰退から救った小山さん。今後の展望は。

小山「これまでの経験で得た知見を活かし、おもろいエリアをさらに広げていきたい。街のはずれにも素敵なお店があって、周遊しながら楽しめる。そういうふうにならんと街ってしまいに廃れると思うんですよ。駅前でないと商売が成り立たん、そんなんではあかん。『昭和町なら住宅地でも商売が成立するんですよ』と伝えていかなければ。駅前一極集中ではなく、歩いて行ける場所、あるいは自転車でまわれるエリアに、自分の暮らしを豊かにしてくれるお店がいくつも点在している。それが街の理想形かなって思うんです」

確かに、バイローカルのマップを見ていると、点々とあるすべてのお店をぐるりと回遊したくなります。そうしてきょろきょろしているうちに、きっとさらに街が好きになる。

バイローカル会議の様子(写真提供/小山さん)

バイローカル会議の様子(写真提供/小山さん)

小山「象徴的な出来事がありました。駅前のいい場所に店舗が空いたので、お客さんをご案内したんです。けれども、そのお客さんが言うには、『すっごいええ場所やねんけれども、ここだと家賃を払うために仕事をせなあかん。ちゃんとていねいに商いをしたいから、もっとさびしい場所でいいです』と。その感覚なんです、昭和町は」

昭和町を訪れないと出会えない素敵な個性がある。希少となった長屋も、現代でいえば個性的な存在です。小山さんは今日も電動アシスト自転車で街を駆け抜けながらええもんを見つけ、昭和町をさらに「おもろい街」にすべく奮闘しています。

「私はただの不動産屋さん。けれども、街のことを考える不動産屋さんです。そやから、なんでもします。街の不動産屋はなんでもやりますよ」

●取材協力
丸順不動産株式会社
Facebook:@marujunfudousan
暮らしと商いの不動産(丸順不動産の物件ブログ)
丸順不動産の三代目は毎日なにをしてるんや?(公式ブログ)
Twitter:@KoyamaTakateru
Instagram:@takaterukoyama
365日バイローカルライフ
昭和なまちのバイローカル
器と暮らしの雑貨 カタルテ
Mono architects モノ アーキテクツ(城田研吾さんの設計事務所)

「横浜駅」まで電車で30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

リクルートが2022年3月に発表した「SUUMO住みたい街ランキング2022 関東版」にて、見事5年連続の1位に輝いた横浜駅。大型商業施設や人気観光スポットが豊富にあり、JR各線をはじめ多数の路線が乗り入れていて利便性もよいうえに、爽やかな海景色も楽しめるため人気があるのもうなずける。今回はそんな横浜駅まで30分圏内にある駅の中古マンションの価格相場を調査。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」それぞれの、価格相場が安い駅トップ15を見ていこう。

横浜駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP15

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅の所在地/横浜駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 伊勢佐木長者町 1840万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市中区/7分/0回)
2位 海老名 2048万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/27分/0回)
3位 吉野町 2059.5万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市南区/10分/0回)
4位 南太田 2170万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市南区/8分/0回)
5位 京急鶴見 2275万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/7分/0回)
6位 阪東橋 2290万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市南区/9分/0回)
7位 黄金町 2294万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市南区/6分/0回)
8位 大森海岸 2380万円(京浜急行本線/東京都品川区/24分/1回)
9位 鶴見 2425万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市鶴見区/9分/0回)
10位 八丁畷 2480万円(京浜急行本線/神奈川県川崎市川崎区/14分/1回)
10位 大森 2480万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/18分/1回)
12位 神奈川 2589.5万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/1分/0回)
13位 石川町 2685万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/7分/0回)
14位 川崎 2780万円(JR東海道本線/神奈川県川崎市幸区/7分/0回)
14位 関内 2780万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市中区/5分/0回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅の所在地/横浜駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 かしわ台 1889万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/29分/1回)
2位 善行 2280万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市/29分/1回)
3位 鶴間 2285万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市/29分/1回)
4位 金沢文庫 2330万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市金沢区/17分/0回)
5位 藤沢本町 2380万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市/29分/1回)
6位 さがみ野 2480万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/26分/1回)
7位 下永谷 2485万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市港南区/17分/1回)
8位 十日市場 2490万円(JR横浜線/神奈川県横浜市緑区/26分/0回)
9位 京急富岡 2585万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市金沢区/18分/1回)
10位 南林間 2670万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市/27分/1回)
11位 鶴ケ峰 2698万円(相鉄本線/神奈川県横浜市旭区/10分/0回)
12位 小机 2780万円(JR横浜線/神奈川県横浜市港北区/16分/0回)
12位 洋光台 2780万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市磯子区/21分/0回)
12位 相模大塚 2780万円(相鉄本線/神奈川県大和市/24分/1回)
15位 大和 2839.5万円(相鉄本線/神奈川県大和市/19分/0回)

横浜駅までわずか1分の駅も「シングル向け」トップ15にランクイン横浜大通公園(写真/PIXTA)

横浜大通公園(写真/PIXTA)

「シングル向け」1位は横浜市中区に位置する、市営地下鉄ブルーライン・伊勢佐木長者町(いせざきちょうじゃまち)駅で価格相場は1840万円。駅北側には商業エリアとして発展してきた「伊勢佐木町」が広がり、駅自体の所在地は「長者町」なので、駅名はその2つの地名を合体したわけだ。駅から歩いて5分ほどの伊勢佐木町には全面歩行者天国の「イセザキモール」をはじめとする商店街があり、地元民に愛される老舗も点在している。また、地下駅の地上出口は「大通り公園」につながっており、東西に延びる細長い公園内を歩くと10分もかからずに隣駅の関内駅にたどり着く。この関内駅は14位にランクインしており、価格相場は2780万円。徒歩10分弱の距離でありながら、伊勢佐木長者町駅と価格相場の差が940万円もあるのは少々驚きだ。そして関内駅を越えてさらにそのまま歩き続けると、大さん橋がある海辺までも駅から徒歩20分ほど。横浜駅まで電車で約7分というだけでなく、徒歩でも横浜の主要エリアに行ける便利な立地だ。

海老名駅西口(写真/PIXTA)

海老名駅西口(写真/PIXTA)

2位は相鉄本線・海老名駅で価格相場は2048万円。こちらは神奈川県海老名市に位置し、横浜駅から乗り換え不要だが所要時間は約27分とやや離れている。しかしJR相模線と小田急小田原線も乗り入れており、小田急線の快速急行や急行に乗ると乗り換えなしで45分前後で新宿駅まで行くこともできる。また、海老名駅の東口には複合商業施設「ビナウォーク」や「イオン海老名店」、西口には「ららぽーと海老名」といった大型商業施設が立ち並び、大いににぎわっている。横浜や新宿に行かなくても、日常の買い物はもちろん食事から映画鑑賞まで地元で楽しむことが可能だ。さらに西口エリアでは再開発が行われており、高層マンションの住居エリアとオフィス棟、商業施設などからなる「ViNA GARDENS(ビナガーデンズ)」の整備が進行中。2022年4月より10階建て複合施設「「ViNA GARDENS PERCH(パーチ)」の施設が順次開業しているほか、2025年度内にエリア一帯の完成が予定されている。今後、注目度が高まる街と言えそうだ。

3位は横浜市南区にある、市営地下鉄ブルーライン・吉野町駅で価格相場は2059万5000円。1駅先に6位・阪東橋駅、2駅先に1位・伊勢佐木長者町駅という位置関係だ。駅周辺は繁華街というよりは住宅街といった趣で、大型商業施設は見当たらない。とはいえスーパーやコンビニは点在し、下町風情が漂う商店街として地元で愛される「横浜橋商店街」も阪東橋駅方面に歩いて15分ほど。日常生活の買い物には困らないし、多彩な商業施設がある横浜駅まで電車で約10分なのだから、住む街として十分に快適な環境だろう。

横浜橋商店街(写真/PIXTA)

横浜橋商店街(写真/PIXTA)

この3位・吉野町駅をはじめ1位、6位、14位とトップ15に4駅がランクインした市営地下鉄ブルーライン。同路線は神奈川県藤沢市の湘南台駅~横浜市青葉区のあざみ野駅間の32駅を結んでいる。そして今後、あざみ野駅から神奈川県川崎市にある小田急小田原線・新百合ヶ丘駅に向け、路線の延伸と4駅の新設が計画されている。開業目標は2030年とのことなので少々先だが、横浜市と川崎市を結ぶ新ルートの誕生により路線価値が向上し、沿線の駅の人気も高まるかもしれない。

さてトップ15よりもう1駅、12位にランクインした京浜急行本線・神奈川駅をピックアップして見ていこう。今回調査の基点駅にした横浜駅は、価格相場が3089万5000円だった。そして神奈川駅は横浜駅よりわずか1駅・約1分しか離れていないのに価格相場は2589万5000円と、価格相場に500万円もの開きがあるのだ。両駅間は直線距離だとわずか650mしか離れておらず、神奈川駅周辺に住んだとしても横浜駅周辺の商業施設は徒歩圏内。その一方で神奈川駅周辺は緑豊かな公園があったりお寺の敷地が広がっていたりと、横浜駅よりも落ち着いた街並みとなっている。買い物や遊びに便利な環境がいいけれど、にぎやかすぎるところは避けたい……という人には、神奈川駅は住む街の候補になりそうだ。

「カップル・ファミリー向け」は、価格相場が横浜駅の半額以下の駅がずらり

「カップル・ファミリー向け」で最も価格相場が安かったのは、神奈川県海老名市の相鉄本線・かしわ台駅。相鉄本線の快速や急行で大和駅に行き、そこから特急に乗り換えると30分弱で横浜駅へ。急行1本でも40分弱で横浜駅に到着する。横浜駅まで「すごく近い」ほどでもないが、価格相場の違いを見ると所要時間も気にならなくなるかもしれない。横浜駅の「カップル・ファミリー向け」中古マンションの価格相場は5489万円だったのに対し、かしわ台駅は1889万円。30分弱の距離を離れると3600万円も価格相場が低くなるなら、かしわ台駅も住まいの候補地として一気に浮上するのではなかろうか。

そんなかしわ台駅の周辺環境は、駅から徒歩15分圏内に市立中学校と2つの市立小学校がある住宅地。駅から徒歩5分ほどの場所には総合病院があるのが心強い。日用品の買い物は、駅周辺にあるスーパーやドラッグストア、100円ショップで済ませられるだろう。目久尻川沿いの「海老名市北部公園」をはじめ、公園も複数点在しているため、子どもの遊び場にも困らなさそう。また、1駅隣は「シングル向け」で2位にランクインした海老名駅。ショッピングや映画などの施設が豊富な海老名駅まですぐ行ける点も魅力の一つだ。

海老名駅東口ロータリー(写真/PIXTA)

海老名駅東口ロータリー(写真/PIXTA)

2位は神奈川県藤沢市にある小田急江ノ島線・善行(ぜんぎょう)駅で、価格相場は2280万円。まず藤沢駅に行き、JR東海道本線に乗り換えると横浜駅まで約29分で到着する。藤沢駅から小田急江ノ島線でさらに先に進むと、3駅で片瀬江ノ島駅へ。夏は海水浴客でにぎわうビーチや水族館、歩いて渡れる島・江の島といった観光スポットが充実した、江の島・湘南エリアまで気軽に行けるロケーションだ。また、善行駅周辺はスーパーやドラッグストア、日常使いできる飲食店といった商店が立ち並んでいる。駅東側は陸上競技場や球技場からなる県立のスポーツセンターと高校が広い面積を占めているため、住宅街はスポーツセンターを越えた国道467号沿いや、駅の西側に広がっている。住宅街を過ぎると果樹園や田畑などの田園風景も残され、駅西方の川沿いには親水広場や湿生植物園が整備された「引地川親水公園」も。自然を感じながら暮らしたいファミリーには嬉しい環境だろう。

引地川親水公園(写真/PIXTA)

引地川親水公園(写真/PIXTA)

3位は小田急江ノ島線・鶴間駅で価格相場は2285万円。2位と同じ路線だが善行駅からは北へ7駅目、と少し離れた神奈川県大和市に位置している。1駅隣の大和駅で相鉄本線に乗り換えると横浜駅にたどり着く。鶴間駅は小田急江ノ島線の各駅停車しか停まらない駅の一つだが、そのなかでは1日の乗降人員が最多(2020年度データ)。その理由は、駅周辺の施設の豊富さにありそうだ。大和市役所に市立病院、さらにスーパーや飲食店に加えイトーヨーカドーやイオンモールといったショッピングモールも駅から徒歩15分圏内。歩いて20分ほどの場所には約900種もの植物が息づく「泉の森」、車で10分ほど走るとコストコやホームセンターも。近隣からもわざわざ訪れたくなるような施設がそろい、暮らしやすい街と言えそうだ。

泉の森(写真/PIXTA)

泉の森(写真/PIXTA)

ここまでトップ3を見てきたが、横浜駅までの所要時間はいずれも約29分。4位以下を見ても、20分前後かかる駅が多くランクインしている。物件の予算は抑えたいけど、横浜駅までの所要時間もなるべく短いほうがいい……。そうお望みならば、11位にランクインした相鉄本線・鶴ケ峰駅に注目だ。

11位・鶴ケ峰駅は横浜市旭区に位置し、相鉄本線の通勤急行なら横浜駅まで2駅・約10分の近さ。それでいて価格相場は横浜駅の2分の1以下、2698万円となっている。そんな鶴ケ峰駅周辺には役所や消防署、市立図書館といった公共施設がさまざまあり、横浜市旭区の中心的なエリアだ。スーパーや飲食店、保育園にクリニックまでそろう駅直結の「ココロット鶴ヶ峰」をはじめ、商業施設も充実。駅西側には精肉店や鮮魚店、惣菜店に日用品店や飲食店が立ち並ぶ鶴ヶ峰商店街もある、活気ある街並みだ。この駅はちょっと変わっていて商店街を抜けた先、駅から5分ほど歩いた場所にバスターミナルがある。そこからバスに乗れば約15分で「よこはま動物園 ズーラシア」に到着。毎週土曜は小中高生だと入園無料なので、子どもとの休日の定番お出かけ先にしても楽しそう。

今回のランキングを振り返ってみると、「シングル向け」は横浜駅まで10分以下の駅が大半だったのに対し、「カップル・ファミリー向け」は30分ギリギリという駅も多かった。しかし横浜駅から離れるぶん、「カップル・ファミリー向け」にランクインした駅は横浜駅に比べて価格相場がだいぶリーズナブルで、トップ11駅にいたっては横浜駅の2分の1以下という結果に。自然が豊かで落ち着いた環境の駅も多いので、子どもをのびのび育てたいと考えるファミリーには、横浜駅周辺に住むよりもかえって魅力的かもしれない。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている横浜駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/1~2022/3
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年3月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

広島「住み続けたい街ランキング2022年版」1位は広島市おさえ府中町! 子育て環境や街の将来性などで高評価

リクルートでは、広島県に住んでいる人を対象にWEB調査を行い、「SUUMO住民実感調査2022 広島県版」を発表した。今住んでいる街(駅・自治体)について、住み続けたいかどうかを聞いたところ、駅では広島電鉄の「皆実町六丁目」(広島市)が、自治体では「安芸郡府中町」がそれぞれ第1位に。住んでいる人に愛されているのはどんな街なのか、詳細を覗いてみよう。

「住み続けたい駅」は広島電鉄の駅に集中 [広島県]住み続けたい駅ランキング2022 TOP20(リクルート調べ)

[広島県]住み続けたい駅ランキング2022 TOP20(リクルート調べ)

まず、「住み続けたい駅」のランキングを見てみると、ズラリと並ぶのは広島電鉄沿線の駅。
広島電鉄は、主に広島市内中心部を走る路面電車だ。駅間隔はJRに比べて狭く、より居住エリアに密着した駅と言うこともできる。ちなみに、同じくリクルートで広島県在住者を対象に実施した「住みたい街ランキング」(2020年同社)は、住んでいる街(駅・自治体)以外にも投票可能なのだが、そちらではJRの再開発や観光地として注目を集める駅や、複数路線を利用できるターミナル駅が中心にランクイン。それを考えると、よりリアルな暮らしに密着したエリアが支持を集めたことが見て取れる。
また、広島市は6本の川がつくる中州地帯に広がる街だ。JRは街の北寄りを東西に走り、広島の玄関口である広島駅と、いわゆる繁華街である紙屋町や八丁堀、オフィス街の大手町なども少し離れた場所に存在する。紙屋町や八丁堀を通る路線は広島電鉄やバスがメインで、この中心部エリアから、中州エリアに街が広がっていることも、広島電鉄の駅が多くランクインした理由のひとつだろう。

自治体では1位・安芸郡府中町、2位・広島市南区という結果に[広島県]住み続けたい自治体ランキング2022 TOP20(リクルート調べ)

[広島県]住み続けたい自治体ランキング2022 TOP20(リクルート調べ)

「住み続けたい自治体」のランキングを見てみると、「住み続けたい駅」のランクイン駅が多く所在する広島市南区が2位。それを押さえて1位となったのは、自動車メーカー・マツダ本社のある安芸郡府中町だ。駅ランキング10位の天神川駅も、所在地は南区だが、府中町の主要駅のひとつ。
ランキング上位の自治体の評価ポイントを見てみると、「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」「医療施設が充実している(病院や診療所など)」「魅力的な働く場や企業がある」といった日常生活に直結した利便性が評価されているのが分かる。
府中町では、「イオンモール広島府中」や「マツダ病院」、何よりマツダ本社の存在も大きいようだ。しかし、2位との大きな違いは、それに加えて、子育てや介護などのサービスや公共施設の充実などの項目について高い評価を得ていること。子育てについては、自宅から小学校までの距離1km以内率が広島県内第1位(府中町ホームページより)だったり、児童センターや子育て支援センターなどの施設が充実していたりなどのポイントが評価されているのではないかと思われる。
また、いずれの項目も住民評価の偏差値が非常に高いことにも注目だ。ほかの自治体に比べて、多くの項目について満足している人の割合が高い=街の魅力を実感している人が多いと言えるだろう。

学校や医療機関などが充実した皆実町周辺エリア

ここからはランキング上位の駅について少し細かく見ていこう。

まずは1位・皆実町六丁目と、その周辺エリアに存在する駅。2位の広大附属学校前や、5位の御幸橋もかなり近いエリアの駅だ。この街を選んだ人が魅力として挙げている項目には、「学びや趣味の施設がある(稽古事・カルチャースクールなど)」「医療施設が充実している(病院や診療所など)」が共通している。
学びという点で挙げるならばやはり広島大学附属の小学校と中高一貫校があること。学習塾なども多くあるほか、合格すれば近いところに引越すというケースがあることからも、教育に対して熱意のある人が多い傾向も頷ける。また、最寄駅ではないものの、「広島赤十字・原爆病院」や「県立広島病院」、「広島大学病院」などが近隣にそろっていることも、医療についての安心感を高めているのかもしれない。
5位の御幸橋については、近くに大規模な公園である「千田公園」や「中区スポーツセンター」、「広島市健康づくりセンター 健康科学館」などがそろうことも魅力項目に表れている。
また、魅力項目5位までには入っていないものの、「ゆめタウン広島」という大型ショッピングモールがあることも、皆実町周辺のベースポイントとしては高そうだ。

何でもそろう本通りと、古い商店街と新商業地区が混在する宇品エリア

3位の本通はアストラムラインの駅。アストラムラインは2017年の新白島駅開業でJRにも接続し、利便性が格段にアップした。「本通」という駅名は、広島の最中心部ともいえる商店街「広島本通商店街」が由来。商店街の周辺にも多くの商業施設がひしめき合い、ショッピング自体を楽しむことができるエリアだ。
歩いてすぐの紙屋町にはデパートやカルチャーセンター、徒歩圏内には県庁もあるほか、本通りを突き抜ければ、元安川と、緑豊かな平和記念公園へとつながる。住宅自体が多いわけではないが、暮らしている人の充実した毎日は想像に難くない。

紙屋町にあるそごう広島店・パセーラ(写真/PIXTA)

紙屋町にあるそごう広島店・パセーラ(写真/PIXTA)

4位には宇品四丁目、9位には宇品五丁目がランクイン。宇品は、皆実町からさらに南へ下ったところにあり、明治の宇品港開発以降、埋め立てられ拡大してきたエリアだ。広島電鉄宇品線も終点は広島港(宇品)となる。
電車通り沿いには古い商店などが多く、戦後の青空市の名残を残す、年季の入った商店街もある。「ゆめタウンみゆき」や「イオン宇品店」等のショッピングセンターがそろうほか、ベイエリアや宇品港寄りの新たな商業エリアには、「ドン・キホーテ」や「コーナン」、「フタバ図書」等の比較的規模の大きい路面店も多い。コンビニも点在し、日常の生活には非常に便利なエリアといえるだろう。

街からほど近い閑静な住宅街や、川沿いの緑道が整備されたエリアも

6位の銀山町と8位の的場町はいずれも広島駅の周辺エリア。広島駅まで徒歩5~15分ほどで、ターミナルとしての広島駅の利便性を活かしやすい街だ。京橋川や猿猴川といった川沿いの街でもあり、緑道も整備されている。
また、銀山町は「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」という項目では1位となっている。京橋川沿いに整備されたオープンカフェのほか、大通りから入った路地にもおしゃれな飲食店が点在。「RCC文化センター」もあるので、習い事も充実しそうだ。

7位の白島は、「人にうらやましがられそう」という項目で堂々の1位。広島城の北東に位置し、交通量の多い大通りから一歩入れば閑静な住宅地が広がるエリアだ。近年、エリア内に複数のスーパーが開業し、エリアの西側にJR新白島駅が開業。日常の買い物の利便性とともに、広島駅方面へのアクセスが向上したことも魅力のひとつといえるだろう。

川岸の緑道の緑が美しい京橋川(写真/PIXTA)

川岸の緑道の緑が美しい京橋川(写真/PIXTA)

広島市内中心部へのアクセスのよい市区町が人気

住み続けたい自治体についてみてみると、先に紹介した安芸郡府中町、広島市南区に次ぐのは、3位・広島市中区。広島市の中心部にあたり、交通でも商業施設の面でも利便性の高いエリアで人気も頷ける。

続く同率4位の広島市西区と広島市佐伯区、6位の廿日市市は、同じJR・広電宮島線の路線に並ぶ市区だ。西区にあるJR西広島駅から宮島口駅まではJRと広電が並走。2線利用できるうえ、JRなら、広島駅から五日市駅(佐伯区)まで約15分、廿日市駅(廿日市市)まで約20分と十分通勤圏内。西区のアルパークやLECT、佐伯区のジ・アウトレット広島、廿日市のゆめタウン廿日市と、各エリアに大型のショッピングモールが存在し、旧国道2号線沿いを中心に、飲食店や各種の商業施設も豊富。住んでいる街で日々の買い物が完結できる。西に行くほど住宅価格のお手ごろ感も増し、マイホームの選択肢が広がることも人気の理由の一つかもしれない。

7位の安芸郡海田町にある海田市駅は、広島駅から3駅約10分。JR山陽本線とJR呉線の2路線利用ができる駅だ。また、広島駅方面から呉方面へと続く国道31号線沿いには飲食店やドラッグストア、スーパーなどがそろい、日常の買い物にも便利。さらには町のシルバー人材センターが運営する託児所があったり、七夕まつりなど町独自のイベントがあったりと、街ならではの特徴もある。

唯一広島市から離れていながらランクインしたのが8位の尾道市だ。尾道は尾道水道を見下ろす坂の町で、映画の町、最近では猫の町としても人気の観光地。さらに、しまなみ海道を渡るサイクリストの拠点としても知られる。

移住支援にも力を入れており、住宅支援のほか就職支援や創業支援、東京圏からの移住者には移住支援金の制度もある。子どもの医療費助成で中学生まで通院費用の助成があるのも魅力だ(広島県内では小学校6年生までが多数)。

尾道の街並みと尾道水道を見渡す、千光寺からの眺め(写真/PIXTA)

尾道の街並みと尾道水道を見渡す、千光寺からの眺め(写真/PIXTA)

住む人が「住み続けたい」と感じる街は、交通機関や商業施設はもちろん、子育てや学び、さらには医療に関する充実度など、共通する項目がいくつもあった。「暮らしやすさ」をベースにしつつ、「おしゃれな店が多い」「公園が充実している」「人からうらやましがられそう」といった、それぞれの街の特色にプラスアルファの魅力を感じ、「住み続けたい」という思いにつながっているのではないか。
「暮らしやすい街」をベースに、あなたに響く魅力ポイントのある街を探してみてはどうだろうか?

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SUUMO住民実感調査2022 広島県版

NY「ビリオネア通り」の不動産が活況! 億万長者だらけの最新マンションに潜入

ニューヨークには、世界の億万長者が好んで住んでいる通りがいくつかあります。その最たる通りの名は、「Billionaires’ Row(ビリオネアズ・ロウ)」。「億万長者の並び」という意味で、世界の名だたる実業家や投資家など選ばれし者が注目するストリートです。

なぜここがそのように富裕層の人々から関心を向けられているのでしょうか。この通りの一角に今年新築されたばかりのマンションを特別に内見させてもらいながら、不動産専門家に話を聞きました。

NYのビリオネア通り(億万長者通り)って?

ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークからほんの2ブロック南にある東西に延びる通り、「ビリオネアズ・ロウ(億万長者通り、ビリオネア通り)」は、実業家や投資家、セレブなど世界中の富裕層が好んで売買する高級物件が集まっており、富の象徴となっています。

(写真提供/7w57)

(写真提供/7w57)

この通りには以前より、お金持ち御用達の高級老舗デパート「Bergdorf Goodman(バーグドルフ・グッドマン)」や「Nordstrom(ノールドストローム)」、ルイ・ヴィトン、シャネルなど世界を代表するハイブランド店が点在しています。この通りが住居や投資物件としてビリオネアや投資家の関心を集め始めたのは、かれこれ13年ほど前にさかのぼります。

2009年、当時としては市内でもっとも高層のコンドミニアム「One57 (ワン57)」が この通りに着工しされ、14年に完成しました。これに続けとばかりに、11年には、それよりもさらに高層(当時、市内で一番高い住居用)ビルとして85階建ての「432 Park Ave.(432パークアベニュー)」もこの通りに着工され、15年 に完成。それを機にビリオネアズ・ロウはゆうに80フロアを超える縦に細長い超高層ビルの建設ラッシュが続き、「Race to the Sky(空に向かった競争)」として活気付きました。現在は8棟ほどの超高層タワーマンションが立ち並んでいます 。

「432 Park Ave.」(写真撮影/安部かすみ)

「432 Park Ave.」(写真撮影/安部かすみ)

縦に細長いビルが立っている通りが、ビリオネアズ・ロウになる(写真撮影/安部かすみ)

縦に細長いビルが立っている通りが、ビリオネアズ・ロウになる(写真撮影/安部かすみ)

「マンハッタンの57丁目は、不動産市場の動きを注視する目の肥えた(実業家や投資家などの)世界中のバイヤーたちを魅了する超高層のラグジュアリーなコンドミニアムが集合したことで『ビリオネアズ・ロウ』という称号(呼び名)で呼ばれるようになりました。ここ10数年以上にわたって販売記録を更新し続けています」と説明するのは、米不動産大手コーコラン社のライセンス・セールスパーソン、ジョアンナ・パッシュビー(Joanna Pashby)さん。

432パークアベニューには一時期、女優のジェニファー・ロペス氏が当時の婚約者、アレックス・ロドリゲス氏と共にペントハウスを購入し話題になるなど、セレブも多くこの通りに物件を所有するようになりました。

またほかにも、イギリスの歌手スティング(Sting)ほか、デル(DELL)の創設者、マイケル・デル(Michael Dell )氏、アリババの共同創設者、ジョセフ・ツァイ(Joe Tsai)氏、HGTVネットワークの創設者、ケニス・ロウ(Kenneth Lowe)氏、日本の女優、松居一代氏など世界のそうそうたる富裕層がビリオネアズ・ロウに物件を購入したことが、メディアなどで報じられています。

特にデル氏が2015年に購入したワン57の最上階2フロアにわたるペントハウスの価格は、100.47ミリオンドル(1ドル130円計算で130億円超え)。市内で販売された最も高額なアパートとして話題をかっさらいました。

57丁目には、超高級の老舗デパート「Bergdorf Goodman」(写真)や「Nordstrom」、世界のハイブランド店などが軒を連ねる(写真撮影/安部かすみ)

57丁目には、超高級の老舗デパート「Bergdorf Goodman」(写真)や「Nordstrom」、世界のハイブランド店などが軒を連ねる(写真撮影/安部かすみ)

ビリオネアズ・ロウの5分圏内には、広大で緑豊かなセントラルパークが広がり、四季折々のレクリエーションが楽しめる(写真撮影/安部かすみ)

ビリオネアズ・ロウの5分圏内には、広大で緑豊かなセントラルパークが広がり、四季折々のレクリエーションが楽しめる(写真撮影/安部かすみ)

新築の「7w57」にいざ潜入

パッシュビーさんが次に注目するのは、ビリオネアズ・ロウの五番街と六番街の間に新築されたコンドミニアムの「7w57」です。

7w57は今年春に完成したばかりの、20階建て高級アパートメント(コンドミニアム)です。

「15戸のコンドミニアム(15家族分の住居物件)があり、ペントハウスは2フロア(この2フロアもカウントすると、ビル自体は22階建てということになる)で、セントラルパークを望む屋外スペースもあるんです」とパッシュビーさんは案内してくれます。

米コーコラン社のライセンスセールス、パッシュビーさん(写真撮影/安部かすみ)

米コーコラン社のライセンスセールス、パッシュビーさん(写真撮影/安部かすみ)

7w57の外観(写真提供/7w57)

7w57の外観(写真提供/7w57)

ロビー。当地の高級物件では言わずものがなの、24時間ドアマンサービス(写真提供/7w57)

ロビー。当地の高級物件では言わずものがなの、24時間ドアマンサービス(写真提供/7w57)

パッシュビーさんは、まず6階の2ベッドルームのお部屋から案内してくれました。

ニューヨークの高級物件で、特にコロナ禍以降の需要が高いプライベートエレベーターが、このアパートメントにも備えられています。プライベートエレベーターを降りると、アート作品が飾られたギャラリー風の長くてゆったりとした廊下の向こうに、広々とした豪華なリビングルームが広がっています。全面ガラス一面に映し出された57丁目の通りの景色自体が、まるで「アート作品」のようです。

窓全体がアート作品のような、6階のリビングルーム(写真提供/7w57)

窓全体がアート作品のような、6階のリビングルーム(写真提供/7w57)

リビングルームから57丁目のビリオネアズ・ロウを見下ろす(写真撮影/安部かすみ)

リビングルームから57丁目のビリオネアズ・ロウを見下ろす(写真撮影/安部かすみ)

(写真撮影/安部かすみ)

(写真撮影/安部かすみ)

窓側から見た6階リビングルーム(写真撮影/安部かすみ)

窓側から見た6階リビングルーム(写真撮影/安部かすみ)

6階の住居スペースは、1723スクエアフィート(約160平米)の面積に2ベッドルーム(寝室)、2.5バスルーム(浴室とトイレ)、リビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋が完備されています。

(画像提供/7w57)

(画像提供/7w57)

6階のキッチンスペース。洗浄機が備えられているのはもちろん、「料理の煙を換気扇がすぐにキャッチし吸い取ってくれ、キャビネットには指紋が付きにくいんですよ」と、使い勝手がいいように細かい部分まで配慮されています(写真提供/7w57)

6階のキッチンスペース。洗浄機が備えられているのはもちろん、「料理の煙を換気扇がすぐにキャッチし吸い取ってくれ、キャビネットには指紋が付きにくいんですよ」と、使い勝手がいいように細かい部分まで配慮されています(写真提供/7w57)

キッチンスペース(写真提供/7w57)

キッチンスペース(写真提供/7w57)

ホテルのような、バスルーム(写真提供/7w57)

ホテルのような、バスルーム(写真提供/7w57)

(資料提供/7w57)

(資料提供/7w57)

ベッドルーム(写真提供/7w57)

ベッドルーム(写真提供/7w57)

もう一つのベッドルーム(写真提供/7w57)

もう一つのベッドルーム(写真提供/7w57)

また最上階の2フロアと屋上テラスで展開するペントハウスは、2801スクエアフィート(約260.2平米)の面積に、2ベッドルーム(寝室)やリビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋に、2.5バスルーム(浴室とトイレ)などに加え、セントラルパークを眼下に望む広い屋外スペース(北と南の2カ所、1017スクエアフィート(約94.4平米)なども完備されています。

ローワーレベル(下階)(画像提供/7w57)

ローワーレベル(下階)(画像提供/7w57)

アッパーレベル(上階)(画像提供/7w57)

アッパーレベル(上階)(画像提供/7w57)

テラス(屋外スペース)(画像提供/7w57)

テラス(屋外スペース)(画像提供/7w57)

ペントハウスのリビングルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのリビングルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのキッチン(写真提供/7w57)

ペントハウスのキッチン(写真提供/7w57)

ペントハウスのバスルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのバスルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスの2フロアをつなぐ階段(写真撮影/安部かすみ)

ペントハウスの2フロアをつなぐ階段(写真撮影/安部かすみ)

ペントハウスの北側に位置する屋外スペース。ここと別に南にも屋外スペースがあり、専用のキッチンやお手洗いスペース、ストレージ(倉庫)などを完備(写真提供/7w57)

ペントハウスの北側に位置する屋外スペース。ここと別に南にも屋外スペースがあり、専用のキッチンやお手洗いスペース、ストレージ(倉庫)などを完備(写真提供/7w57)

目の前は豪華なセントラルパークとアイコンビルのザ・プラザ(プラザホテル)。四季折々の季節がここから楽しめる(写真提供/7w57)

目の前は豪華なセントラルパークとアイコンビルのザ・プラザ(プラザホテル)。四季折々の季節がここから楽しめる(写真提供/7w57)

問い合わせは国内外の富裕層からきているとのこと。コロナ禍3年目でさらに不動産市場が活気付いているニューヨークで、このような超高級物件の需要は相変わらず高いようです。

住居用としてもそうですが投資先としてもますます目が離せないビリオネアズ・ロウ。「Race to the Sky(空に向かった競争)」は、今後もさらに活気付いていきそうです。

●取材協力
7w57
※記事中の部屋情報

6階
$3,950,000(1ドル130円計算で約5億1000万円)
5Rooms, 2 Bedrooms, 2.5baths
約1723 平方 ft(約160平米)

ペントハウス
$12.5 million(1ドル130円計算で約16億円)
2 Bedrooms, 2.5 baths

屋内スペース
約2801平方 ft(約260.2平米)

屋外スペース
約1017 平方 ft(約94.4平米)

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One57(ワン57)
432 Park Ave.(432パークアベニュー)

宮城「住み続けたい街ランキング2022年版」仙台市内をおさえ、隣接の街が1位・2位に!

リクルートが、 宮城県に居住している20歳~49歳の1万4883人を対象に実施した「SUUMO住み続けたい街ランキング2022宮城版」を発表した。「住み続けたい駅」「住み続けたい自治体」「街の魅力ランキング」から見えてくる住民の本音とは?ランキング上位の駅と自治体、それぞれにどんな魅力を感じているのかを見ていこう。

「住み続けたい街」(駅)上位5位は仙台駅に近い、利便性と潤いを兼ね備えた街

2022年2月、国土交通省が公表した公示地価(1月1日時点)によると、宮城県の住宅地の上昇率は全国3位、しかも10年連続で上昇している。「住みたい街(駅)」と直接関係ないが、宮城県が住みたい場所としてのニーズが高い表れではないだろうか。

そんな宮城県の中の「住み続けたい街(駅)ランキング2022」の上位20位を見ていこう。

宮城県  住み続けたい駅ランキングTOP20

上位10位まではすべて仙台市内の駅で、うち6駅が「仙台市青葉区」にある。「榴ケ岡」駅、「太子堂」以外は、仙台市地下鉄が利用できる(仙台駅、長町駅はJRのほかに地下鉄も乗り入れ)。また、11位から20位は、仙台駅にほど近い都心近接の駅、または副都心の駅で、仙台市以外では名取市から「美田園」駅、「名取」駅、「館腰」駅がランクイン、「仙台」駅とダイレクトに結ばれている駅が評価を集めたようだ。

上位5つの駅(「勾当台公園」「北四番丁」「榴ケ岡」「大町西公園」「青葉通一番町」)はいずれもJR「仙台」駅から2km以内に位置する。「榴ケ岡」駅はJR東北本線で「仙台」駅から1駅、ほかの4つの駅は仙台市地下鉄で1駅~3駅、徒歩で20分以内とアクセス至便。車を使わなくても「電車・バスでいろいろな場所に電車・バスで行きやすい」アクセスと、「歩ける範囲で日常のものは一通りそろう」など、生活利便性の面でも住民にも支持されている。

さらに、いずれの駅も仙台の中心部を代表する3つの広大な公園(勾当台公園、西公園、榴岡公園)が身近にあり、「公園の充実」「散歩・ジョギングがしやすい」という点も評価されている。利便性も潤いも兼ね備えた街が上位にランクインしたと言えるだろう。

「榴ケ岡」駅近くの榴岡公園は11.2ha、歴史あるサクラの名所で季節ごとの花木が美しい。ランニングコースが設置されランニングの練習や芝生でヨガをするグループも見られる(画像提供/PIXTA)

「榴ケ岡」駅近くの榴岡公園は11.2ha、歴史あるサクラの名所で季節ごとの花木が美しい。ランニングコースが設置されランニングの練習や芝生でヨガをするグループも見られる(画像提供/PIXTA)

国土交通省による「新型コロナ生活行動調査(2020年)」において、コロナ後の都市空間に対する調査で充実してほしい空間として「公園、広場、テラスなどゆとりある屋外空間」が最も高く、次が「自転車や徒歩で回遊できる空間の充実」だった。

今回、上位10位までに入った駅では、「仕事のできる施設がある(コワーキングスペースやカフェなど)」を街の魅力として挙げる声も多く見られるが、仙台市内は「仙台」駅周辺を中心に、コワーキングスペースが増えており、ますます便利に。さらに、在宅ワーク、テレワークの導入が増えるなか、身近に運動不足の解消や気分転換、リフレッシュができる大きな公園や広場があることはコロナ前以上に、魅力的な街の要素になってくるだろう。

「住み続けたい街」(駅)1位は「勾当台公園」

「住み続けたい街(駅)」1位の「勾当台公園」駅は、官公庁やオフィスが集まるビジネス街にありながら、『仙台三越』や東北髄一のショッピングゾーン『一番町四丁目買物公園』、繁華街『国分町』が生活圏にあるエリアだ。

街の魅力項目では「利用しやすい商店街がある」のランキングで1位を獲得しているほか、「学びや、趣味の施設がある(稽古事、カルチャースクールなど)」「文化・娯楽施設が充実している(映画館、劇場、美術館、博物館など)」でも1位を獲得。買い物の利便性に加えて、学ぶ、楽しむなど、余暇の過ごし方も充実できる面での評価が高い。「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」が街の魅力の上位にあるのは、ほかの上位10位までの街と異なる特徴だが、仙台駅から少しだけ離れていて、静かで落ち着いた雰囲気があるからではないだろうか。

地下鉄「勾当台公園」駅に隣接する勾当台公園。背後に宮城県庁が見えるが、官公庁やオフィス街にある市民の憩いの場で昼どきはのんびりお弁当を広げる人も。イベントや催しも多く行われる(画像提供/PIXTA)

地下鉄「勾当台公園」駅に隣接する勾当台公園。背後に宮城県庁が見えるが、官公庁やオフィス街にある市民の憩いの場で昼どきはのんびりお弁当を広げる人も。イベントや催しも多く行われる(画像提供/PIXTA)

また、勾当台公園に隣接する『定禅寺通』はケヤキ並木とイチョウ並木が続く杜の都のシンボルストリートで、『仙台七夕まつり』『SENDAI光のページェント』など杜の都の大きなイベントが開催される(近年はコロナ禍でイベントの中止が続いている)ほか、『せんだいメディアテーク』の周囲にはハイセンスなカフェ、雑貨店なども点在する。

定禅寺通に面した『せんだいメディアテーク』。仙台市民図書館、映像音響ライブラリー、スタジオなどの施設が入る複合施設で、美術や映像といった文化活動や生涯学習の場(画像提供/PIXTA)

定禅寺通に面した『せんだいメディアテーク』。仙台市民図書館、映像音響ライブラリー、スタジオなどの施設が入る複合施設で、美術や映像といった文化活動や生涯学習の場(画像提供/PIXTA)

2位の「北四番丁」駅は、地下鉄南北線で「勾当台公園」駅の隣の駅だ。「勾当台公園」駅が、政治・ビジネスの中枢機能を担う都心とすれば「北四番丁」駅は、藩政時代からのお屋敷町・上杉地区を中心とした邸宅地。歴史の古い学校も多いことから、都心の便利さや華やかさよりは、「教育施設の充実、医療施設の充実、学びや趣味の施設、文化・娯楽施設の充実」が魅力項目の上位に上がった。

都心再構築計画など再開発の将来性も住み続けたい理由

「住み続けたい街(駅)」1位~6位は、「イノベーションが生まれる都心、新たなにぎわいを創り出す都心、個性が活きる都心」を目指し、令和2年に開始された「せんだい都心再構築プロジェクト」の重点ゾーンで、同プロジェクトの「緑と交流・賑わい軸(回遊軸)」に位置付け、東北大学農学部跡地開発、仙台市役所の建て替え、勾当台公園の再整備計画など、さまざまな計画が目白押しだ。

3位の「榴ケ岡」駅、6位の「宮城野通」駅周辺でも、ヨドバシ仙台第1ビル計画、防災の拠点となる宮城県広域防災拠点、宮城県民会館・みやぎNPOプラザを合わせた複合施設の移転・新築計画などが進められている。

4位の「大町西公園」は、華やかさ、買い物の利便性より「散歩・ジョギングがしやすい」「仕事ができる施設がある(コワーキングスペースやカフェなど)、「公園が充実している」が主な魅力として挙げられており、公園、運動施設、公共施設、文化・娯楽施設など、休日をのびのびと過ごせる施設が充実し、落ち着いた潤いがある暮らしができることが評価されているようだ。

5位の「青葉通一番町」は4位の「大町西公園」から東に1駅、かつ仙台駅から地下鉄東西線で西へ1駅で徒歩圏内でもある。目の前にハイセンスな地元の老舗デパート『藤崎』やオフィスビル、金融機関などが路面に続く。「いろいろな場所に電車・バスで行きやすい」「職場など決まった所に行くなら電車・バスが便利だ」「歩ける範囲で日常のものがひと通り揃う」「生活上の用事を効率的に済ませることができる」の4項目において、駅ランキング1位にランクイン。アクセス・生活利便性の高さが住民に評価されている。

「青葉通一番町」駅界隈は、老舗の藤崎百貨店やアーケードを中心とした商業エリアで、ファッション・カルチャー・情報が集まる街だが、ノスタルジックな横丁もある(画像提供/PIXTA)

「青葉通一番町」駅界隈は、老舗の藤崎百貨店やアーケードを中心とした商業エリアで、ファッション・カルチャー・情報が集まる街だが、ノスタルジックな横丁もある(画像提供/PIXTA)

「住み続けたい街」(自治体)1位は「子育てに関する自治体サービスが充実の自治体1位」の富谷市

「住み続けたい街」(自治体)のランキングの上位を見ていこう。仙台市の5つの区のほかに仙台市に隣接する市や町がランクインしている。

宮城県  住み続けたい自治体ランキングTOP20

1位の「富谷市」は、仙台市の北、宮城県のほぼ中央に位置し、1970年代から仙台都市圏の居住機能を担うベッドタウンとして、道路を整備し、次々と大型団地が開発・分譲されてきた。地区内に富谷高校があり、企業の誘致や、イオンモール富谷が誕生するなど、目覚ましい発展を続けてきた。1963年の町政施行時は人口が5000人余りの町だったが、1970年から2010年の40年間で約9.7倍に人口が増加。市政の要件の「人口が5万人以上」という条件を満たす見込みが出てきたことから市制移行へ向けて準備を開始、2016年に人口5万人都市となり市政がスタートした。

子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10

富谷市は「子育てに関する自治体サービスが充実している」「介護や高齢者向けサービスなどが充実している」など、自治体サービスに関する2項目で自治体ランキング1位。「魅力的な働く場や企業がある」でも、1位と評価が高かった。

また「子ども医療費助成制度」は、2015年10月から助成対象年齢を高校卒業にあたる18歳年度末までに拡大、2020年10月からは所得制限を撤廃している(小学校4年生以上の子どもの通院分)。また、2020年度から産婦検診と産後うつの予防として出産間もない母子をサポートする「富谷市産後ケア事業」を開始するなど、子育て支援に力を入れている。

新興住宅地に住む、子育て世代が多い若い街で、日本ユニセフ協会の子どもにやさしいまちづくり事業委員会に参加し、「富谷市子どもにやさしいまちづくり宣言」を進め、行政のみならず、地域住民の理解と協力を得ながら「子どもにやさしいまちづくり」を推進している。

また、2021年には政府の「GIGAスクール構想の実現」にいち早く対応し、高速大容量ネットワークの整備と児童生徒1人1台端末配備を宮城県内で最も早く完了するなど、学校教育の情報化推進計画にも力を入れているなど意欲的だ。

「住み続けたい街」(自治体)2位は「教育施設が充実している自治体ランキング」1位の利府町

住み続けたい自治体2位の「宮城郡利府町」は、JR東北本線で仙台駅から約20分、町内に2つのJR駅、路線バス4路線と路線バスを補完する町内バス(大人一律100年)が運行、4つのインターチェンジが存在する交通の要所だ。「運動施設が充実している」「教育環境が充実している」「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」「子育てに関する自治体サービスが充実している」のランキングで1位。さらに、「公園が充実している」「公共施設が充実している」「介護や高齢者向けサービスが充実している」「魅力的な働く場や企業がある」といった項目も、2位・3位にランクインした。

実際、利府町は自然が豊かな一方、さまざまな施設に恵まれている。買い物施設は、2棟から成り、店舗面積としては東北最大級のイオンモール新利府で生活に必要なものはほぼそろう。買い物利用客を対象に送迎バスを運行といったサービスもある。また、屋内温水プール、子ども向けのアスレチック広場、東北楽天イーグルスの二軍の本拠地の一つである利府町中央公園野球場などを擁する『十符の里パーク(利府町中央公園)』、総合体育館、サブアリーナ、総合プール、宮城スタジアムなどを擁する総合運動施設では大規模なコンサートが開催され県外からも多くの人が訪れる『宮城県総合運動公園(グランディ・21)』など、自然に囲まれた運動施設が町内に集中し、オフに子ども連れで遊びに出かけるのに最適だ。さらに2021年7月には「利府町文化交流センター リフノス」が開館。音楽コンサートや演劇など多目的に利用できる文化会館、公民館、学習室、さらに7万7000冊の蔵書を管理する利府町図書館の複合施設となっている。それらの施設を活かした、さまざまなイベントも行われており、多様な経験を得ることができる。

宮城県総合運動公園、集いの広場周辺(画像提供/PIXTA)

宮城県総合運動公園、集いの広場周辺(画像提供/PIXTA)

利府町は、「教育施設が充実している自治体ランキングTOP10」で1位を獲得。「町はひとつの学校」を理念に、小・中学校が密に連携し、町を挙げて子どもたちの健全な育成を目指す『志(こころざし)教育』を推進していることも評価につながった。

2020年に『利府町総合計画(2021年-2030年)』を策定。2020年以降の人口増加とともに、2030年の目標人口を3万8800人、県内の町で1位になることを目指し、将来の市政への移行を目標にしている。利府町オリジナルの「協働のまちづくり」に楽しんで取り組む活動団体が多数あること、きめ細かな行政施策などにより、住み続けたいという評価につながったのだろう。「今後、街が発展しそう駅ランキング」でも1位となっていることからも、将来への期待がうかがえる。

JR利府駅(画像提供/PIXTA)

JR利府駅(画像提供/PIXTA)

「住み続けたい街」(自治体)4位の「名取市」をはじめ上位は子育て施設や子ども医療費助成の充実が際だつ

4位の「名取市」は『イオンモール名取』が仙台空港アクセス鉄道駅と直結し、「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」の自治体ランキングで2位を獲得するなど、商業利便性の高さが評価された。名取市のイオンモール名取には、子育て経験豊富なスタッフが常駐し0歳児から小学校入学前の乳幼児親子が気軽に遊びに行ける「名取市子育て支援拠点施設 cocoI’ll(ここいる)」(利用料無料)が2019年4月にオープン、買い物のついでに子育ての悩み相談や情報交換ができる親子のお友達づくりの場として人気が高く、2年間で5万人以上が来館している。2005年度から「名取市次世代育成支援行動計画(後期行動計画)」「名取市子ども・子育て支援事業計画」と子ども・子育て支援施策を推進。現在は、2020年度から2024度を計画期間とし、障がい者福祉計画や食育プランなど「第2期 名取市子ども・子育て支援事業計画」を進めている。

また、「住み続けたい街」(自治体)上位10位のうち、仙台市以外でランクインしているのは紹介した「富谷市」「利府町」「名取市」のほか、9位の「多賀城市」と10位の「宮城郡七ヶ浜町」だ。富谷市、宮城郡利府町、名取市に共通するのは、大規模な商業施設のイオンがあることだ。住宅地が広がり、大規模な商業施設ができて、周辺施設や人の流れが刻々と変わり発展してきた街だが、いずれも、「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10」にランクインしており、子育てのしやすさがイコールファミリーの住みやすさと直結しているのも特筆すべき点だ。

9位の「多賀城市」は、JR仙台駅から仙石線で約20分、車で約30分というアクセスの良さに加え「公共施設の充実(図書館、コミュニティセンター、公民館など)」の評価が高かった。JR仙石線「多賀城」駅前には、2016年にリニューアルオープンした「多賀城市立図書館」、キッズライブラリーや学習スペース、ギャラリー、民間の書店やカフェなども併設している、0歳児から未就学児が親子で遊べる「多賀城市子育てサポートセンターすくっぴーひろば」があり、利用しやすい。

近代的な多賀城市立図書館(画像提供/PIXTA)

近代的な多賀城市立図書館(画像提供/PIXTA)

10位の「七ヶ浜町」は、名前のとおり七つの海に囲まれ、宮城県有数の菖蒲田浜(しょうぶたはま)海水浴場があり、日本三景・松島に面し、町内の「多聞山展望広場公園・毘沙門堂」からは松島を一望できるなど、風光明媚な地でもあり「街の住民がその街のことを好きそう」の魅力項目では、自治体ランキング1位を獲得している。
「運動施設が充実している(フィットネスジム、プール、テニスコートや体育館など)自治体ランキング」では利府町に続き2位にランクインしている。

七ヶ浜町内には入浴施設、アリーナ、トレーニングルーム、フィットネススタジオなどを備えた「七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ」やサッカースタジアム、テニスコート、フットサルコート、野球場、町民プールなどのスポーツ施設が集まり、さまざまなスポーツが楽しめる。

七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ(画像提供/PIXTA)

七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ(画像提供/PIXTA)

また、宮城県は、全国的に見ても「子ども医療費助成事業」が充実している。「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10」の富谷市、利府町、大和町、栗原市、東松島市、岩沼市、七ヶ浜町は、対象年齢が、高校3年生までの子どもで、所得制限なし。仙台市・名取市は所得制限があるものの、中学3年生までを対象とするなど、年齢の上限が高い。

「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で11位の東松島市は、市内に住所をもつ全ての子ども(18歳到達年度末まで)に対して医療費が無料で所得制限を設けていない。ケガや風邪、高熱などで病院にかかるときもこのような医療費の助成があれば安心して病院に行くことができる。「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で5位にランクインしているのも納得の結果だ。

2022年の宮城県の住み続けたい街(駅)と(自治体)のランキングを見てきた。「住みたい街」は、憧れといった側面が強いが、「住み続けたい街」は、実際に住んで満足し、将来にも期待している、リアルな「住み心地の良さ」の証明だ。

実際に住んでみなければ分からない部分にお墨付きをいただいたようなランキングを参考に、「住みたい街」「住み替えたい街」を検討するときのひとつの指針にしてはいかがだろう。

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SUUMO住民実感調査2022 宮城県版

百貨店、閉店ラッシュで奮起。鳥取大丸と伊勢丹浦和店、地元民デイリー使いの“たまり場”へ

2019年以降、郊外中核都市における百貨店の閉店ラッシュが続いています。その一方で、街の百貨店では今、住民と一体となり活性化させる動きが出てきました。今回は、鳥取県鳥取市「鳥取大丸」と埼玉県さいたま市「伊勢丹浦和店」に、「愛する街をもっと自分ごとに」する地方百貨店での新たな取り組みについてお話を伺いました。

地方老舗百貨店が、市民参加型スペースを導入する一大決心

2020年4月、「鳥取大丸」(鳥取県鳥取市)の5階と屋上に「トットリプレイス」がオープンしました。ここは創業や、イベントを実施してみたい市民が、自身の力を試して挑戦することができる市民参加型の多目的スペースです。
フロア内には1日単位から飲食店舗を出店できる「プレイヤーズダイニング」、菓子製造のできる工房「プレイヤーズラボ」、調理器具・機材の揃ったキッチンスペースでパーティや料理教室などができる「プレイヤーズキッチン」、屋上には音響施設を完備したステージがあり、ライブやパフォーマンスの発表の場にも使える「プレイヤーズガーデン」などバラエティにあふれています。

こうしたシェアキッチンや創業支援スペースなどは、都市部では増えてきていますが、地方でかつ百貨店での取り組みとなると、珍しい試みのように思います。コロナ禍でのオープンとなりましたが、5店舗分の区画があるチャレンジショップは、既に多くの人がトライアルしているそう。

トットリプレイス内にある、月単位で借りられるチャレンジショップブース「プレイヤーズマーケット」。ここには雑貨やアクセサリー作家などで、初めてお店経営に挑戦したいという人がトライアルで出店している。(画像提供/鳥取大丸)

トットリプレイス内にある、月単位で借りられるチャレンジショップブース「プレイヤーズマーケット」。ここには雑貨やアクセサリー作家などで、初めてお店経営に挑戦したいという人がトライアルで出店している。(画像提供/鳥取大丸)

「ここに勤めて30年経ちますが、栄枯盛衰ありました。開店当時からリニューアル前の2018年までの間に売上は約3分の1となり、従業員の数も減っています。街に住む市民が高齢化し、若者が街から離れていくなかで、百貨店としても従来のスタイルを続けていてはいけない、と危機を感じていました」そう話すのは、鳥取大丸の田口健次さん。2年がかりで“百貨店再生”をテーマにリニューアル計画を立て、オープンにたどり着いたそうです。

現在の鳥取大丸の現在の外観。前身の丸由百貨店を経て1949年にオープンした、地域を支える百貨店(画像提供/鳥取大丸)

現在の鳥取大丸の現在の外観。前身の丸由百貨店を経て1949年にオープンした、地域を支える百貨店(画像提供/鳥取大丸)

街の人にとって“ハレ”の場所ではなく、“デイリー”な場所でありたい

「トットリプレイス」のある5階は、リニューアル前までは催事場として使用されてきましたが、催事イベントは常に実施されるものではないため、スペースを有効活用しきれているとは言い難い状況でした。百貨店にとって、催事は売上や客足への起爆剤となる大切なイベントですが、田口さんはこの広いスペースをもっと「市民が日々愛着を持って足をのばしてくれる場所」にしたいと考えて、市民参加型活動の場へと転じる決意をしたそうです。

トットリプレイスにリニューアル前は、催事場だった5Fフロア。写真は2010年頃の催事の様子(画像提供/鳥取大丸)

トットリプレイスにリニューアル前は、催事場だった5Fフロア。写真は2010年頃の催事の様子(画像提供/鳥取大丸)

リニューアル後のスペースには展示エリアも設けられている(画像提供/鳥取大丸)

リニューアル後のスペースには展示エリアも設けられている(画像提供/鳥取大丸)

プレイヤーズダイニングスペースでは、飲食物の販売が可能(画像提供/鳥取大丸)

プレイヤーズダイニングスペースでは、飲食物の販売が可能(画像提供/鳥取大丸)

実は、もともと百貨店から程近い場所に、市民スペースである男女総合参画センターがありました。しかし百貨店のリニューアルを機に合併させ、キッチンやショップなどのスペースを充実させて、設備を整えました。

5階トットリプレイスのフロアマップ。市民参加スペースに加え、飲食店もそろう(画像提供/鳥取大丸)

5階トットリプレイスのフロアマップ。市民参加スペースに加え、飲食店もそろう(画像提供/鳥取大丸)

「リニューアルをしたことで、人の流れが少しずつ変わってきたように思います。以前は街のなかに本当に若い世代の人がいるのか?と思うほど見かけることがなかったのが、リニューアル後は、街中でも今まで百貨店内であまり見なかった若い世代の人を見かけるようになりました。『トットリプレイス』を訪れ、その足で店内で食事や買い物をする、という流れも生まれているようです。百貨店も、もはや物を売るだけではない時代。こうした憩いの場のような、市民の“ハレ”だけではなく“日常”に寄り添えることがこれからは大切なのだと感じています」(田口さん)

まだまだ長引くコロナ禍で、制限を設けながらスペースを使用しており、試行錯誤が続いています。アフターコロナにはさらに市民の姿でにぎわう様子が待ち遠しいですね。

眠っていた屋上スペースを利活用、市民にイベント企画を委ねて地域活性化

一方、市民団体にイベントの企画を委ねて百貨店の活性化に取り組んでいるのは、「伊勢丹浦和店」(埼玉県さいたま市)です。

伊勢丹浦和店の外観(画像提供/伊勢丹浦和店)

伊勢丹浦和店の外観(画像提供/伊勢丹浦和店)

ずっと手を入れていなかった屋上の“有効活用”と、市民のチャレンジの場とすることを目的に、2019年10月19日、20日に「うらわLOOP☆屋上遊園地」を実施しました。共同主催したのは、パパ友たちが立ち上げた一般社団法人「うらわClip」。屋上にメリーゴーラウンドやこどもサーキットなどのアトラクションを設置したほか、地元店によるマルシェをオープンし、日ごろは閑散としている屋上が大にぎわい。2日間で約4000人が来場しました。

2019年の「うらわLOOP☆屋上遊園地」実施時の様子。3世代ファミリーでの来場も目立ち、屋上遊園地を楽しむ姿が見られました(画像提供/伊勢丹浦和店)

2019年の「うらわLOOP☆屋上遊園地」実施時の様子。3世代ファミリーでの来場も目立ち、屋上遊園地を楽しむ姿が見られました(画像提供/伊勢丹浦和店)

伊勢丹浦和店の担当者である甲斐正邦さんと「うらわClip」の共同代表である長堀哲也さんは、約6年前に地域の市民祭で知り合ったそう。「意気投合をして“いつか一緒に何かをやりたいね“と話していて。その後、屋上遊園地の実現となりました」と話す長堀さん。

2021年秋には、伊勢丹浦和店40周年記念のイベントとして、デパートの屋上文化の新たな価値を生み出す「デパそらURAWA」を10~12月の土日祝限定でオープン。このために再び市民団体「デパそら実行委員会」を立ち上げて、伊勢丹浦和店との共催という形をとりました。

「都市型アウトドアスペース」をコンセプトに、屋上にハンモックやテントを備えるほか、地元ミュージシャンのライブを開催するほか、地元とつながりのあるクラフトビール店が出店するなど、駅前スペースでありながらもアウトドア気分を満喫できる空間になりました。

「デパそらURAWA」実施時の様子。ウッドデッキやハンモックもあり、来場者は思い思いに過ごしていた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「デパそらURAWA」実施時の様子。ウッドデッキやハンモックもあり、来場者は思い思いに過ごしていた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ピクニックスペース以外にも子ども向けアトラクションやイベントもちりばめられていて、飽きることなく過ごせる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ピクニックスペース以外にも子ども向けアトラクションやイベントもちりばめられていて、飽きることなく過ごせる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

アウトドアスペースは予約も可能。テントを貸し切って、3世代で誕生日パーティを楽しむ姿も。コロナ禍ということもあり、こうした屋外でのイベントニーズも高かったそう(写真提供/伊勢丹浦和店)

アウトドアスペースは予約も可能。テントを貸し切って、3世代で誕生日パーティを楽しむ姿も。コロナ禍ということもあり、こうした屋外でのイベントニーズも高かったそう(写真提供/伊勢丹浦和店)

ここ数年、夏のビアガーデン以外では活用されていなかった屋上スペースは、開店40周年を記念してリニューアル。「デパそら」という晴れやかなイベントに合わせてより使いやすく過ごしやすい空間にするべく、設備を大改装しました。ウッドデッキや青々と美しい芝生スペースが設けられ、見違える姿に変身し、今では誰もが心地よく時間を楽しめるパブリックスペースになっています。

改装前の屋上スペース。床面に無骨な風合いが残る(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装前の屋上スペース。床面に無骨な風合いが残る(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装後の屋上スペース。ウッドデッキも設置され、くつろげる憩いの空間に(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装後の屋上スペース。ウッドデッキも設置され、くつろげる憩いの空間に(写真提供/伊勢丹浦和店)

そして、2022年春に「デパそらURAWA」が復活します。都市型アウトドアスペースに加え、夜はビアガーデンも楽しめるそう。百貨店という場に「日常」が味わえる場所が、朝から夜まであるというのは、市民にとっても嬉しいところです。

街をより良くするために、リスクよりも挑戦

市民主体で、百貨店でのイベントを実施するというのは、さまざまな課題やリスクもあったのではないでしょうか。

「もちろん、課題やリスクはゼロとは言えません。しかし、誰かが始めないとこうした面白い挑戦はできない。それに、“屋上”という誰も利活用できていなかった場所をより良くするには、十分すぎるほど魅力的なコンテンツでした。長堀さんとはすでに信頼関係が構築されていたし、彼は誰よりも浦和の街のことを想い行動できる人。この街にとって私たち伊勢丹ができることは、地元愛のある個人や団体が活躍できる場を作り出すことであり、屋上はその象徴的な場所だったのです」(甲斐さん)
「浦和で生まれ育った自分にとって、百貨店はやはり憩いの場であってほしいと思っています。街づくりの活動に参加・企画をしていて感じるのは、自分たちは街の特性を良くわかり、人脈は豊富にあるけれど、まちづくり団体だけではできることが限られる。こうした地域のシンボルのような百貨店と協業できれば、互いの良さを生かして、より浦和という街を盛り上げられます。そして何より願うことは、“デパそら”に訪れる子どもたちが暮らす街に愛着を持ち、自分ごととして捉えてくれること。そして未来において街づくりの担い手になってくれれば嬉しいです」(長堀さん)

伊勢丹浦和店の甲斐さん(向かって左)と、デパそら実行委員会の長堀さん(右)。立場は違えど地域を愛する気持ちは同じ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

伊勢丹浦和店の甲斐さん(向かって左)と、デパそら実行委員会の長堀さん(右)。立場は違えど地域を愛する気持ちは同じ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さまざまな立場の人を巻き込み、協業していくことが理想

日本に百貨店が誕生して100年以上が経ちました。ちょっと特別な買い物や食事ができる、レジャーを楽しむことができる「百貨店」は、地域の人の消費や憩いを支えてきた大切な場所です。しかし、時代を経て地域の中でより長く根付いていくためには、「挑戦すること」「市民との協業」が必要だと、2店の担当者は話します。“街をよくしたい”という思いは市民も、周辺の商店も、大型施設であるショッピングセンターや百貨店もみな同じです。転換期に差し掛かる百貨店も、街の“キーマン”たちと協力し、新しい価値を模索し始めています。

●取材協力
・鳥取大丸
・伊勢丹浦和店
・デパそら実行委員会
・うらわClip

会話はNG、読書したい人限定の店「フヅクエ」お酒やコーヒー片手に長居も 西荻窪など

家でもカフェでもなく、ただゆっくり一人で本を読むことができたら。自宅で過ごす時間が増えた今、外へ出てほどよい緊張感のある場所で読書に浸る。そんな贅沢を叶えてくれるのが「本の読める店fuzkue」(以下、フヅクエ)だ。おしゃべりはもちろん、仕事も勉強もNG。シャットアウトされた空間で、飲物を片手に好きなだけ本に没頭する。本好きにとっては至福の時間だろう。「好き」を共有するお客さんの心をとらえ、ニッチでも特定のニーズに振り切るフヅクエは、今後のお店のあり方を示唆しているようでもある。

どんなお店か?

JR西荻窪駅から歩いて約10分。「fuzkue西荻窪」(東京都杉並区)は通りから一歩奥まったところに入り口がある。大きな窓からはゆったりしたソファが見える。

中に入ると洗練された空間に、静謐な空気が流れていた。図書館よりずっと澄んだ静けさ。中途半端な時間帯のせいか、お客さんは2人。背筋の伸びる思いで一番手前のソファに腰かけた。

ガラスの向こうに店内が見える。階段を数段降りた、半地下の位置にある入口からしてフヅクエの雰囲気。(写真撮影/古末拓也)

ガラスの向こうに店内が見える。階段を数段降りた、半地下の位置にある入口からしてフヅクエの雰囲気。(写真撮影/古末拓也)

まず運ばれてきたのは普通のメニューより少し厚めの「案内書きとメニュー」。
最初にこうある。

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「本の読める店」とは
愉快な読書の時間のための店です

「本の読める店」は、「愉快な読書の時間を過ごしたい」と思って来てくださった方にとっての最高の環境の実現を目指して設計・運営されています。この店が考える「たしかに快適に本の読める状態」は、大きく分けて2つの要素から成り立っています。ひとつは穏やかな静けさが約束されていること、もうひとつは心置きなく過ごせること。
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そのあとに、店で過ごすための細やかな決まりごとが続く。たとえば「勉強、仕事、作業」は禁じられていること。「ペンの取り扱い」について。パソコンは見るのもNG。スマホはOKだが動画視聴はNG、といった具合。でも語り口がとてもやわらかで、嫌な感じは一切しない。お店の主旨を知って訪れるお客さんは、読書のための雰囲気を保つためだと理解している。

50ページ近くある「案内書きとメニュー」(写真撮影/古末拓也)

50ページ近くある「案内書きとメニュー」(写真撮影/古末拓也)

西荻窪店は、フヅクエの3店舗目として2021年6月にオープンした。一号店は2014年に初台に、二号店は2020年に下北沢で開店。創業者の阿久津隆さんは、まちにじっくり本が読める場所が少ないと感じて、8年前にフヅクエを始めた。

「カフェで読もうとしても、隣のお客さんが複数人でおしゃべりしたり、勉強する人のせわしない気配やパソコンのキーボードを叩く音が気になったりと不確定要素が多いですよね。家には家族がいたり、一人だとだれてしまったり。とにかくじっくり読書を楽しむ、そこに特化した店をつくりたいと思ったんです」

初台店ができたときのフヅクエのウェブサイトには、チェーン店の片隅では味わえない、「なんとなくほっとできる、なんだかよくわからないけれど人間味みたいなものを、 親密さみたいなものを感じられる、そんな場所で本を読みたい」と書かれている。

そうした阿久津さん自身の願いを叶えるための店であり、ほかにないから自分がつくろうという提案でもある。

初台でフヅクエを始めた阿久津隆さん(写真撮影/古末拓也)

初台でフヅクエを始めた阿久津隆さん(写真撮影/古末拓也)

「本を読みたい人」に振り切る

一号店がオープンしたころは、まだ100%読書をするための店ではなかった。読書目的のお客さんを含む「一人の時間を応援する」という、より広い主旨で、仕事も勉強もOKだった。それ以降、店のしくみをブラッシュアップするたびに、フヅクエはどんどん「本を読みたい人のための店」に特化していった。

たとえば料金体系も、お客さんが気兼ねなくゆっくり過ごせるように、を第一に考えられている。長時間滞在を前提に、ドリンクやフードをオーダーするごとに、席料が小さくなる。コーヒー一杯700円を注文した場合は席料が900円だが、コーヒーを2杯オーダーすると席料は300円に。2杯のコーヒーにケーキなんて頼むと、席料はゼロ。2年ほど前から1000円前後で1時間だけ利用することもできる「1時間フヅクエ」も始まった。

こうしたしくみは「どれだけ居ても大丈夫ですよ、そのためのお店です」という店側からの意思表示でもある。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

ただし「こうしたお客さんに向けた店です」という姿勢をはっきりさせるほど、裏を返せば、それ以外のお客さんを排除してしまうことにもなるだろう。

「世の中にはいいお店と悪いお店があるわけではなくて、For Meのお店かNot For Meのお店があるだけだと思うんです。どれだけクオリティの高い店でも肩身を狭く感じればNot For Meだろうし、どれだけ汚かったり怖かったり評判が悪かったりする店でも、For Meに感じる人にとっては尊い場所のはずで。大事なのは、For You、つまりどんな人にFor Meの店だと感じてもらいたいのかを決めて、とにかくその人に届けようとすることじゃないかと思います。フヅクエにとってのYouは気持のいい読書の時間を過ごしたいと思う人なんです」

相当ニッチにも思えるフヅクエだが、SNSでは「こんなお店があってよかった」といった声、反応が多く届いた。紛れもなく、そうした声がフヅクエと阿久津さんを支えてきた。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

「お客さんに読書の時間を楽しんでほしいなと考える店はたくさんあると思います。でもなかなかそこに100%振り切るのは勇気というか、覚悟がいりますよね。そもそも自分の店をおしゃべりできない空間にしたいと思う人なんて滅多にいないはずで(笑)そこを愚直に追求してきたのがフヅクエかなと」

今も、そうした特殊なお店とは知らずに入ってくるお客さんもいる。そのことがわかると、必要に応じてスタッフが店の主旨を説明するのだそうだ。

「『そうなんだ、じゃあやめとこうか』とか『じゃあまたゆっくり一人で来ます』といって帰られる方ももちろんいます。それはむしろ嬉しいことで、ミスマッチが起きなくてよかったと安堵する感じがあるんです。過ごしたくもない時間を過ごして不満を持って帰られるのが一番避けたいことなので」

今は100%「読書を楽しむ」ための空間として、お客さんを守るためのルールがしっかり確立している。

まちにひらかれた店

西荻窪店はフヅクエにとって初のフランチャイズ店。店長は、阿久津さんの本を読んで共感したという、酒井正太さん。

「お店のしくみもうそうですが、フヅクエの考え方が何より面白いと思ったんです。もともとは西荻窪界隈で本屋をやりたいと思っていたんですが、フヅクエを知って、自分がやりたいのはこっちかもなって思って。それで阿久津さんにお会いして物件を探して」(酒井さん)

右が西荻窪店の経営者、酒井正太さん(写真撮影/古末拓也)

右が西荻窪店の経営者、酒井正太さん(写真撮影/古末拓也)

西荻窪には、個人経営の小さな本屋がいくつもある。今野書店、旅の本屋のまど、本屋ロカンタン、BREW BOOKS……と新刊書店も古本屋もそろっていて、お隣の荻窪の本屋Titleもフヅクエから徒歩10分圏内。近所の本屋で本を買ってフヅクエでじっくり読む。そんな休日の過ごし方をまるごと提案できるのも、西荻窪ならでは。

さらに、店の周囲は住宅街。

「学生さんからご年配の方まで、比較的近所の方が利用してくださっているような印象です。オープン当初から通ってくれているおばあさんもいらして。こんなお店が欲しかったってすごく喜んでいただいて、それはすごく嬉しいですね」(酒井さん)

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

「初台や下北沢店のときは、まちに対してちゃんと挨拶をできなかったな、という反省があったんです。とくに初期はあまり多くの人目に触れたくないとさえ思っていたので。でもお客さんを守り切るためのルールを整えることもできましたし、西荻窪はもっとまちに開かれた場にしたいねと酒井さんとも話していたんです」(阿久津さん)

初めての人でも入りやすいよう、店の手前はゆったりした開放感のある空間に。相席できる広いソファを置き、店の奥へ行くほど一人で深く読書に浸れるような設計になっている。

西荻窪店では、地元のラム酒専門店とのコラボレーションにより、他店よりラム酒の種類が豊富に置いてあったり、近所のケーキ屋「Kequ」の焼き菓子を持ち込むお客さんもいたりする。近所の本屋ロカンタンにはフヅクエコーナーもあり、オリジナルグッズやショップカードを置いてくれているそうだ。同じまちに仲間が多いことがうかがえる。

本棚の本は、お客さんが自由に読むことができる。メニューにはビール、ウィスキー、カクテルなどアルコールも豊富(写真撮影/古末拓也)

本棚の本は、お客さんが自由に読むことができる。メニューにはビール、ウィスキー、カクテルなどアルコールも豊富(写真撮影/古末拓也)

ゆかいなミスマッチを

これまでは「いかにフヅクエでゆっくり過ごしてもらうか」ばかりを考えてきたという阿久津さん。だが、ルールがかたまったことでお客さんの幅を広げても大丈夫かもしれないと、2年前から全店舗で「1時間フヅクエ」を始めた。

「西荻窪店を始める前の冬に、1000円ちょっとで過ごせるライトな1時間用プランをつくったのは、6年目にして大きな変化でした。あるときふと、短時間の読書に対応できない状態は本の読める店としておかしいんじゃないか、とやっと気づいて。長時間を前提にしていたのはお客さんを守るためでもあったのですが、そもそも読書以外、何もできない店になったので、短い時間用の過ごし方を用意しても今の雰囲気を損なわれることはないと判断して導入しました」

あくまでお客さんの読書の時間を守るために、フヅクエは存在する。だが「1時間フヅクエ」を導入したことで利用者の幅も広がった。

「今は愉快な事故がもっと起きたらいいなと思っていて。たとえば、そうとは知らずに来た人が、帰るのもなんだしそれなら1時間本を読んで過ごしていくかとなって、いざ過ごしてみたら案外気に入っちゃって、たまには読書もいいものだな、みたいなことを起こせたらすごく楽しいですね。1時間フヅクエをつくったことで、偶然の読書の時間を生めるようになった感じですね」

実際に、フヅクエを訪れる前までは全然本を読んでいなかった人が「今月は6冊読んだ」なんてツイートを見かけることもあって、それは阿久津さんにとってとても嬉しいことだという。

店内には本を読むのに邪魔にならないような音楽が流れている(写真撮影/古末拓也)

店内には本を読むのに邪魔にならないような音楽が流れている(写真撮影/古末拓也)

「幸せな読書の時間の総量を増やす」

トークイベントなどは行わないフヅクエだが、これまで店で不定期に開催してきたのが「会話のない読書会」。お客さんが集まって同時に同じ本を読む。

「感想を述べ合うわけでもなく、それぞれの世界に入っているんですが、同じ空間で全員同じものを読んでいるという。あれはまたやりたいですね。映画と同じで、一人で読むのとは明らかに違う体験になります」

なぜあえて、その時間を共有するのだろう。

「たとえば映画も、映画館で見る方が“体験”になって記憶に残りやすいと思うんです。家では、できることの可能性がひらかれすぎていて、一時停止したり、見るのをやめることもできちゃうし。ある意味、半強制的にでも集中できる状態に自分を閉じ込めるのは大事なことなんじゃないかなと思って。今そういう時間が圧倒的に減っているので。スマホから離れられるのも大きい」

シャットアウトされる時間の貴重性。わざわざ電波の入らない「秘境」に行かずとも、読書に没頭する以外にない店があれば、日常からすっとスイッチオフできる。

「削ぎ落としたほうが贅沢。いまはそういう部分があるんじゃないですかね」と阿久津さんは言う。

店の敷居の奥には、一人でこもることのできるスペースも(写真撮影/古末拓也)

店の敷居の奥には、一人でこもることのできるスペースも(写真撮影/古末拓也)

一方で、いまフヅクエのミッションとして掲げているのが「幸せな読書の時間の総量を増やす」。

店舗を訪れるだけでなく、どこに居ても本を読む人が増えたらという思いから「#フヅクエ時間」というサービスを始めた。サイトを開くと、いまこの瞬間に本を読んでいる人の投稿が、日本地図上に点灯して示される。いまこの時も日本のどこかで本を楽しんでいる人がいる。そのことを誰かと共有していると思うだけでなぜだかほっとする。

フヅクエのウェブサイトで、こんな言葉が心に残った。

「より安心して何かを好きでいられる社会をつくる」

自分の「好き」に忠実であることは、ときに難しい。だがフヅクエは、こと読書に関してはとことん追求することを許容し背中を押してくれる。

「好き」が起点にあるお店は、お客さんからもこれほど愛されるのだなということが店の空気から伝わってきた。フヅクエの存在は、読書に限らず、誰かの「好き」を肯定することの、心強い味方になるのではないかと思えた。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

●取材協力
本の読める店「fuzkue」

愛知「住み続けたい街ランキング2022年版」住民評価1位は名古屋おさえ長久手市!

例年、「住みたい街」のランキングを発表しているリクルートが、2022年は住民の実感調査による「住み続けたい街」のランキングを発表。再開発や再整備、注目の施設の開業など、変化が著しい愛知。今住んでいる住民が「住み続けたい」街とは……?! どんな街が上位なのか、評価されたポイントなど、愛知県春日井市生まれ、現在名古屋市に住み続けて18年の筆者と一緒に見ていこう。

2022年「住み続けたい街(駅)」は、2020年「住みたい街(駅)」とは大きく違う顔ぶれに!

今回の「住み続けたい」街(自治体・駅)ランキングは、愛知県内の街(自治体・駅)について、居住者に「今後もお住まいの街に住み続けたいですか?」と聞いた結果をランキングしたもの

「住みたい街」は、住んでみたいと思われている憧れの街だといえるが、「住み続けたい街」は、住民の居住継続意向によるもの。住み替えの際に参考となる多様な視点を提供することが、この調査の目的になっている。

[愛知県]住み続けたい駅ランキング

「住み続けたい駅」TOP10は、長久手市の駅である3位「はなみずき通」と、一宮市の駅である9位「観音寺」以外、すべて名古屋市内にある駅となった。

前回2020年には、「SUUMO住んでいる街実感調査」として「住民に愛されている街(駅)」ランキングを発表しており、こちらは1位「いりなか」、2位「御器所」、3位「覚王山」で、「荒畑」と「はなみずき通」も8位と9位にランクイン。今年の「住み続けたい街」と似た顔ぶれとも言える。

ところが、同じく前回の2020年発表の「住みたい街(駅)」ランキングでは、1位「名古屋」、2位「金山」、3位「豊橋」という大きく違った結果だった。こちらは7位に繁華街の「栄」もランクインしている。

これらのランキングから、「住んでみたい」と思われている街は、リニア中央新幹線開業への期待感なども込めて、再開発が進む都市部の街。一方で、実際に今住んでいる住民から愛され、「住み続けたい」と思われている街は、利便性のほかに住宅街としての顔を持った、下町らしさや自然が残る街という印象だ。

「住み続けたい街」(駅)1位は、歴史と新しさが共存する「覚王山」!

それでは、「住み続けたい街」(駅)ランキング上位の街について見ていこう。

1位「覚王山」は、オフィスや商業施設が集まる「名古屋」や「栄」にも直通の地下鉄東山線沿線の駅で、名古屋市千種区に所在。シンボルは覚王山日泰寺で、駅を出るとすぐに400mほどの参道が続き、商店街が広がる。レトロな雰囲気の食堂などのほか、東海発祥のドーナツ店やパティスリーといった人気店も軒を連ね、新旧の良さが合わさる街だ。住民も街の魅力として「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」という項目を上位に挙げている。

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

春夏秋に開催される「覚王山祭り」など地域の行事も盛んなので、世代を問わず楽しめる。また、一帯は古くからの住宅地で、特に本山方面にかけて広がる丘陵地は、閑静な住宅街として知られる。

2位「御器所」、4位「いりなか」、5位「荒畑」、8位「八事日赤」の4つは名古屋市昭和区の駅。一体は大学や高校が集まる文教地区で、それぞれの街の住民が、街の魅力の上位に「教育環境が充実している」ことを挙げた。

なかでも、2位「御器所」は駅徒歩圏内に名古屋柳城短期大学、名古屋国際高校・中学校などがある。また、女子バスケットボールの強豪校として全国に知られる桜花学園高校も。

御器所駅は昭和区役所や保健所とエレベーターで直結し、各種手続きや健診に便利。広路通沿いには24時間営業のスーパーや飲食店が並び、生活利便性も高い。地下鉄は市内中心部を南北に走る桜通線と、東西に走る鶴舞線の2路線が乗り入れ、通勤や通学に便利だ。鶴舞線は名鉄豊田線とも直通であるため、豊田市駅へも好アクセスだ。

注目なのは、住民による街の魅力として挙がった項目に「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」が入っていること。目立つ施設がある街ではないけれど、交通利便性が高く必要なものがそろうので、充実した毎日が過ごせそうだ。

同じく名古屋市昭和区内にあり、教育環境が注目を集める4位「いりなか」は、南山学園(私立)の小中高・大学までの最寄駅。南山学園には名古屋都市景観重要建築物等に指定された建物があり、景観も美しい。また、駅からすぐにある隼人池公園では、季節ごとに花見や紅葉が楽しめるなど自然と触れ合える魅力も。人気の駅「八事」と「川名」の間に位置し、「八事」の興正寺は参道でのマルシェが好評だ。「川名」は複合遊具がある「川名公園」がファミリーに人気で、遠出しなくても地元で楽しみが見つかりそう。

川名公園(写真/PIXTA)

川名公園(写真/PIXTA)

千種区「本山」から昭和区「八事」方面へ南北に走る四谷通は、山手通や山手グリーンロードとも呼ばれ、周辺は「四谷・山手通都市景観形成地区」に指定されている。丘陵地帯である八事山のなだらかな坂やカーブはドライブするのも楽しい。道沿いには名古屋大学や南山大学をはじめ大学が集中し、キャンパスタウンとしても知られる。

古くは実業家の保養地としても発展した丘陵地帯であることから、周辺にはゆとりある区画割の住宅街が広がる。8位「八事日赤」までの八事エリア一帯は、緑を残しつつ洗練された雰囲気を醸し出す、憧れのエリアだ。

3位「はなみずき通」は、長久手市にある愛知高速交通東部丘陵線リニモの駅。名古屋市の東端にある「藤が丘」の隣駅で、名古屋市とも行き来しやすい。市のランドマークでもある長久手市中央図書館の最寄駅でもあり、図書館のほか長久手市文化の家に繋がる道は、図書館通りと呼ばれて親しまれている。周辺にはベーカリーやカフェなどのほか、遊具が豊富な後山(うしろやま)公園があるなど、駅周辺に施設が充実しているのも生活のしやすさにつながっているのだろう。

住民による街の魅力項目1位が「街の住民がその街のことを好きそう」、2位が「人からうらやましがられそう」、3位が「子育て環境が充実している」というのも納得。

「住み続けたい自治体」の第1位は、今秋「ジブリパーク」が第1期開業する長久手市!

[愛知県]住み続けたい自治体ランキング

次に、「住み続けたい自治体」についても見ていこう。TOP10の自治体のうち、7つは名古屋市の行政区。一方で名古屋市に隣接の市もランクインしていて、名古屋市中心部へのアクセスの良さと住環境が両立したエリアも高評価だった。

そんな、「住み続けたい自治体」ランキングの1位は、名古屋市16区を抑えて市外の長久手市!「住み続けたい駅(街)」3位の「はなみずき通」駅を擁する市だ。

街の魅力の評価で、「子育てに関する自治体サービスが充実している」をはじめ、多くの項目で自治体ランキング1位と、住民から高い評価を得た長久手市は、名古屋市名東区や日進市に隣接。名東区の駅「藤が丘」から豊田方面に延びるリニモ沿線の街だ。人口1人当たりの都市公園面積が県内1位で、緑が多いことが特徴。

人口は増加傾向で、市民の平均年齢が40.2歳(2020年国勢調査)という「日本一若い」街としても知られる。市内には愛知県立大学をはじめ大学が点在し、子育てファミリーも多い。

リニモ「長久手古戦場」駅前に映画館を併設するイオンモール長久手があり、「公園西」駅前にはIKEA長久手があるなど、商業施設が充実。そして2022年11月1日には、自然と共存し里山の景観を維持した愛・地球博記念公園内に、「ジブリパーク」が第1期開業予定! 「ジブリの大倉庫」「青春の丘」「どんどこ森」の3エリアが先行オープンとのことで、今から楽しみだ。

長久手市(写真/PIXTA)

長久手市(写真/PIXTA)

同じく名古屋市外から5位にランクインした「大府市」にも注目したい。名古屋市緑区に隣接しているこの街は、魅力偏差値では「子育て環境が充実している」で1位、「子育てに関する自治体サービスが充実している」で2位に。

大府市は市民の健康づくりに注力。市南部には健康・医療・福祉・介護関連の施設が集中する地区があり、ウェルネスバレーと名付けられている。その中には約100haの総合施設「あいち健康の森」があり、アスレチックやターザンロープが楽しめる公園で、多世代が体を動かせる。また、県内唯一の小児保健医療専門施設「あいち小児保健医療総合センター」があるなど、子育てファミリーに手厚い環境だ。

「住み続けたい自治体」ランキング2位の「名古屋市昭和区」は、「住み続けたい駅」TOP10にランクインした「御器所」「いりなか」「荒畑」「八事日赤」の4駅が所在する区。文教地区であるだけに、街の魅力項目でも「教育環境が充実している」で1位だった。

3位の「名古屋市東区」は、「住み続けたい街(駅)」7位の駅「高岳」がある。「高岳」は久屋大通や栄エリアまで2km圏内でありながら、公園や幼稚園、保育園と商店が点在する住宅街の一面も。地下鉄の駅だけでなく、JR大曽根駅や名鉄瀬戸線の駅も利用でき、バスレーンも通ることから、街の魅力項目でも交通利便性が高く評価された。「いろいろな場所に電車・バス移動で行きやすい」「職場など決まった場所に行くなら電車・バス移動が便利だ」の2項目で、「名古屋市中区」に次いで2位に。

4位の「名古屋市千種区」は「住み続けたい駅」1位の「覚王山」駅がある区。地下鉄東山線沿線の街で、「今池」「池下」「星ヶ丘」「東山公園」の駅周辺にも商業施設が集まる。

名古屋市郊外に位置する8位「緑区」は、名鉄「左京山」駅徒歩圏内に106haの広大な敷地を持つ公園「大高緑地」があり、1人100円でゴーカートが楽しめる。また、JR「南大高」駅はイオンモール大高と南生協病院に隣接していて便利で、世代を問わず住み心地が良さそうだ。

魅力項目別のランキングからも、注目の街が見えてくる

続いて、「街の魅力項目駅ランキング」からも、注目の街をピックアップしてみよう。

歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)はひととおり揃う 駅ランキング TOP10

「歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)がひととおり揃う」駅ランキングTOP10には、大須商店街を形成する「上前津」と「大須観音」、栄エリアと大須エリアの間に位置する「矢場町」がランクイン。そのほか、2位はイオンモールナゴヤドーム前がある街。4位「東別院」は、駅名にもなっているお寺で毎月8が付く日に開かれる朝市が評判だ。8位「いりなか」や9位「鶴舞」は大学が近いことから学生も多く、スーパーやコンビニエンスストア、ドラッグストアなどが充実している。

子育て環境が充実している 駅ランキング TOP10

「子育て環境が充実している」駅ランキング2位は「東山公園」。中学生以下は入園無料の東山動植物園があり、花見や写生大会、ナイトZOOなどのイベントでも自然や生物と触れ合える。5位の「瑞穂区役所」の周囲には名古屋市博物館があるほか、高校や大学が点在。春には山崎川沿いの桜並木が楽しめる。また現在、2026年アジア競技大会のメイン会場になる瑞穂公園陸上競技場を建て替え中で、竣工後はより市民に開かれた施設になる予定だ。

今後、街が発展しそう 自治体ランキング TOP10

ラストは「街の魅力項目自治体ランキング」から、「今後、街が発展しそう」と思われている街をご紹介。第1位は再び「長久手市」。ジブリパークの第1期開業を今年11月に控え、愛・地球博記念公園内で、新たな移動手段や移動体験の実現に向け、自動運転などの実証実験も始まっている。

2位の「名古屋市中区」は、今年3月、「栄」の丸栄跡地にマルエイガレリアがオープン。名古屋初出店のスーパーマーケット、パントリーが入居して話題に。今後も2024年に中日ビルが建て替え、2026年に錦三丁目に高層ビルが誕生予定など、大型開発が控えている。

3位の「刈谷市」は、周辺にトヨタ系部品メーカーであるデンソーやアイシン精機などの本社がある財政力豊かな街。名鉄線「刈谷市」駅北西側では2028年度まで市街地の整備が続く予定で、より魅力ある街へ進化しそうだ。

長く「住み続けたい街」とは、ライフスタイルが変わっても、その時々で暮らしやすく、楽しみが見つかる街ではないかと思う。

筆者が住んでいる街もTOP10入りしていた。確かに、近くに公園や商業施設があって、今は働きながら子育てしやすいし、自然や文化に触れられるスポットも徒歩圏内だから、将来はのんびり散歩できそう……。

住民のリアルな声を集めた「住み続けたい街」ランキングからは、街の新たな魅力が見えてくる。

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「住みたい街」は、住んでみたいと思われている憧れの街だといえるが、「住み続けたい街」は、住民の居住継続意向によるもの。住み替えの際に参考となる多様な視点を提供することが、この調査の目的になっている。

[愛知県]住み続けたい駅ランキング

「住み続けたい駅」TOP10は、長久手市の駅である3位「はなみずき通」と、一宮市の駅である9位「観音寺」以外、すべて名古屋市内にある駅となった。

前回2020年には、「SUUMO住んでいる街実感調査」として「住民に愛されている街(駅)」ランキングを発表しており、こちらは1位「いりなか」、2位「御器所」、3位「覚王山」で、「荒畑」と「はなみずき通」も8位と9位にランクイン。今年の「住み続けたい街」と似た顔ぶれとも言える。

ところが、同じく前回の2020年発表の「住みたい街(駅)」ランキングでは、1位「名古屋」、2位「金山」、3位「豊橋」という大きく違った結果だった。こちらは7位に繁華街の「栄」もランクインしている。

これらのランキングから、「住んでみたい」と思われている街は、リニア中央新幹線開業への期待感なども込めて、再開発が進む都市部の街。一方で、実際に今住んでいる住民から愛され、「住み続けたい」と思われている街は、利便性のほかに住宅街としての顔を持った、下町らしさや自然が残る街という印象だ。

「住み続けたい街」(駅)1位は、歴史と新しさが共存する「覚王山」!

それでは、「住み続けたい街」(駅)ランキング上位の街について見ていこう。

1位「覚王山」は、オフィスや商業施設が集まる「名古屋」や「栄」にも直通の地下鉄東山線沿線の駅で、名古屋市千種区に所在。シンボルは覚王山日泰寺で、駅を出るとすぐに400mほどの参道が続き、商店街が広がる。レトロな雰囲気の食堂などのほか、東海発祥のドーナツ店やパティスリーといった人気店も軒を連ね、新旧の良さが合わさる街だ。住民も街の魅力として「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」という項目を上位に挙げている。

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

春夏秋に開催される「覚王山祭り」など地域の行事も盛んなので、世代を問わず楽しめる。また、一帯は古くからの住宅地で、特に本山方面にかけて広がる丘陵地は、閑静な住宅街として知られる。

2位「御器所」、4位「いりなか」、5位「荒畑」、8位「八事日赤」の4つは名古屋市昭和区の駅。一体は大学や高校が集まる文教地区で、それぞれの街の住民が、街の魅力の上位に「教育環境が充実している」ことを挙げた。

なかでも、2位「御器所」は駅徒歩圏内に名古屋柳城短期大学、名古屋国際高校・中学校などがある。また、女子バスケットボールの強豪校として全国に知られる桜花学園高校も。

御器所駅は昭和区役所や保健所とエレベーターで直結し、各種手続きや健診に便利。広路通沿いには24時間営業のスーパーや飲食店が並び、生活利便性も高い。地下鉄は市内中心部を南北に走る桜通線と、東西に走る鶴舞線の2路線が乗り入れ、通勤や通学に便利だ。鶴舞線は名鉄豊田線とも直通であるため、豊田市駅へも好アクセスだ。

注目なのは、住民による街の魅力として挙がった項目に「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」が入っていること。目立つ施設がある街ではないけれど、交通利便性が高く必要なものがそろうので、充実した毎日が過ごせそうだ。

同じく名古屋市昭和区内にあり、教育環境が注目を集める4位「いりなか」は、南山学園(私立)の小中高・大学までの最寄駅。南山学園には名古屋都市景観重要建築物等に指定された建物があり、景観も美しい。また、駅からすぐにある隼人池公園では、季節ごとに花見や紅葉が楽しめるなど自然と触れ合える魅力も。人気の駅「八事」と「川名」の間に位置し、「八事」の興正寺は参道でのマルシェが好評だ。「川名」は複合遊具がある「川名公園」がファミリーに人気で、遠出しなくても地元で楽しみが見つかりそう。

川名公園(写真/PIXTA)

川名公園(写真/PIXTA)

千種区「本山」から昭和区「八事」方面へ南北に走る四谷通は、山手通や山手グリーンロードとも呼ばれ、周辺は「四谷・山手通都市景観形成地区」に指定されている。丘陵地帯である八事山のなだらかな坂やカーブはドライブするのも楽しい。道沿いには名古屋大学や南山大学をはじめ大学が集中し、キャンパスタウンとしても知られる。

古くは実業家の保養地としても発展した丘陵地帯であることから、周辺にはゆとりある区画割の住宅街が広がる。8位「八事日赤」までの八事エリア一帯は、緑を残しつつ洗練された雰囲気を醸し出す、憧れのエリアだ。

3位「はなみずき通」は、長久手市にある愛知高速交通東部丘陵線リニモの駅。名古屋市の東端にある「藤が丘」の隣駅で、名古屋市とも行き来しやすい。市のランドマークでもある長久手市中央図書館の最寄駅でもあり、図書館のほか長久手市文化の家に繋がる道は、図書館通りと呼ばれて親しまれている。周辺にはベーカリーやカフェなどのほか、遊具が豊富な後山(うしろやま)公園があるなど、駅周辺に施設が充実しているのも生活のしやすさにつながっているのだろう。

住民による街の魅力項目1位が「街の住民がその街のことを好きそう」、2位が「人からうらやましがられそう」、3位が「子育て環境が充実している」というのも納得。

「住み続けたい自治体」の第1位は、今秋「ジブリパーク」が第1期開業する長久手市!

[愛知県]住み続けたい自治体ランキング

次に、「住み続けたい自治体」についても見ていこう。TOP10の自治体のうち、7つは名古屋市の行政区。一方で名古屋市に隣接の市もランクインしていて、名古屋市中心部へのアクセスの良さと住環境が両立したエリアも高評価だった。

そんな、「住み続けたい自治体」ランキングの1位は、名古屋市16区を抑えて市外の長久手市!「住み続けたい駅(街)」3位の「はなみずき通」駅を擁する市だ。

街の魅力の評価で、「子育てに関する自治体サービスが充実している」をはじめ、多くの項目で自治体ランキング1位と、住民から高い評価を得た長久手市は、名古屋市名東区や日進市に隣接。名東区の駅「藤が丘」から豊田方面に延びるリニモ沿線の街だ。人口1人当たりの都市公園面積が県内1位で、緑が多いことが特徴。

人口は増加傾向で、市民の平均年齢が40.2歳(2020年国勢調査)という「日本一若い」街としても知られる。市内には愛知県立大学をはじめ大学が点在し、子育てファミリーも多い。

リニモ「長久手古戦場」駅前に映画館を併設するイオンモール長久手があり、「公園西」駅前にはIKEA長久手があるなど、商業施設が充実。そして2022年11月1日には、自然と共存し里山の景観を維持した愛・地球博記念公園内に、「ジブリパーク」が第1期開業予定! 「ジブリの大倉庫」「青春の丘」「どんどこ森」の3エリアが先行オープンとのことで、今から楽しみだ。

長久手市(写真/PIXTA)

長久手市(写真/PIXTA)

同じく名古屋市外から5位にランクインした「大府市」にも注目したい。名古屋市緑区に隣接しているこの街は、魅力偏差値では「子育て環境が充実している」で1位、「子育てに関する自治体サービスが充実している」で2位に。

大府市は市民の健康づくりに注力。市南部には健康・医療・福祉・介護関連の施設が集中する地区があり、ウェルネスバレーと名付けられている。その中には約100haの総合施設「あいち健康の森」があり、アスレチックやターザンロープが楽しめる公園で、多世代が体を動かせる。また、県内唯一の小児保健医療専門施設「あいち小児保健医療総合センター」があるなど、子育てファミリーに手厚い環境だ。

「住み続けたい自治体」ランキング2位の「名古屋市昭和区」は、「住み続けたい駅」TOP10にランクインした「御器所」「いりなか」「荒畑」「八事日赤」の4駅が所在する区。文教地区であるだけに、街の魅力項目でも「教育環境が充実している」で1位だった。

3位の「名古屋市東区」は、「住み続けたい街(駅)」7位の駅「高岳」がある。「高岳」は久屋大通や栄エリアまで2km圏内でありながら、公園や幼稚園、保育園と商店が点在する住宅街の一面も。地下鉄の駅だけでなく、JR大曽根駅や名鉄瀬戸線の駅も利用でき、バスレーンも通ることから、街の魅力項目でも交通利便性が高く評価された。「いろいろな場所に電車・バス移動で行きやすい」「職場など決まった場所に行くなら電車・バス移動が便利だ」の2項目で、「名古屋市中区」に次いで2位に。

4位の「名古屋市千種区」は「住み続けたい駅」1位の「覚王山」駅がある区。地下鉄東山線沿線の街で、「今池」「池下」「星ヶ丘」「東山公園」の駅周辺にも商業施設が集まる。

名古屋市郊外に位置する8位「緑区」は、名鉄「左京山」駅徒歩圏内に106haの広大な敷地を持つ公園「大高緑地」があり、1人100円でゴーカートが楽しめる。また、JR「南大高」駅はイオンモール大高と南生協病院に隣接していて便利で、世代を問わず住み心地が良さそうだ。

魅力項目別のランキングからも、注目の街が見えてくる

続いて、「街の魅力項目駅ランキング」からも、注目の街をピックアップしてみよう。

歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)はひととおり揃う 駅ランキング TOP10

「歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)がひととおり揃う」駅ランキングTOP10には、大須商店街を形成する「上前津」と「大須観音」、栄エリアと大須エリアの間に位置する「矢場町」がランクイン。そのほか、2位はイオンモールナゴヤドーム前がある街。4位「東別院」は、駅名にもなっているお寺で毎月8が付く日に開かれる朝市が評判だ。8位「いりなか」や9位「鶴舞」は大学が近いことから学生も多く、スーパーやコンビニエンスストア、ドラッグストアなどが充実している。

子育て環境が充実している 駅ランキング TOP10

「子育て環境が充実している」駅ランキング2位は「東山公園」。中学生以下は入園無料の東山動植物園があり、花見や写生大会、ナイトZOOなどのイベントでも自然や生物と触れ合える。5位の「瑞穂区役所」の周囲には名古屋市博物館があるほか、高校や大学が点在。春には山崎川沿いの桜並木が楽しめる。また現在、2026年アジア競技大会のメイン会場になる瑞穂公園陸上競技場を建て替え中で、竣工後はより市民に開かれた施設になる予定だ。

今後、街が発展しそう 自治体ランキング TOP10

ラストは「街の魅力項目自治体ランキング」から、「今後、街が発展しそう」と思われている街をご紹介。第1位は再び「長久手市」。ジブリパークの第1期開業を今年11月に控え、愛・地球博記念公園内で、新たな移動手段や移動体験の実現に向け、自動運転などの実証実験も始まっている。

2位の「名古屋市中区」は、今年3月、「栄」の丸栄跡地にマルエイガレリアがオープン。名古屋初出店のスーパーマーケット、パントリーが入居して話題に。今後も2024年に中日ビルが建て替え、2026年に錦三丁目に高層ビルが誕生予定など、大型開発が控えている。

3位の「刈谷市」は、周辺にトヨタ系部品メーカーであるデンソーやアイシン精機などの本社がある財政力豊かな街。名鉄線「刈谷市」駅北西側では2028年度まで市街地の整備が続く予定で、より魅力ある街へ進化しそうだ。

長く「住み続けたい街」とは、ライフスタイルが変わっても、その時々で暮らしやすく、楽しみが見つかる街ではないかと思う。

筆者が住んでいる街もTOP10入りしていた。確かに、近くに公園や商業施設があって、今は働きながら子育てしやすいし、自然や文化に触れられるスポットも徒歩圏内だから、将来はのんびり散歩できそう……。

住民のリアルな声を集めた「住み続けたい街」ランキングからは、街の新たな魅力が見えてくる。

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パリの暮らしとインテリア[14]パリジェンヌ、息子&猫と郊外へ。移住してでも欲しかったアートとグリーンいっぱいの住まい

大きな窓から差し込む自然光、白い空間を飾る無数の額、心地よく配されたグリーン……1年前の引越しで手に入れた新しい環境に、心から満足しているエヴ=マリーさん。27平米から54平米へ、約2倍になった住空間と、念願のバルコニーのある暮らしです。これと引き換えに手放したのは、大好きなパリ暮らしへのこだわりでした。エヴ=マリーさん決断の物語です。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

大好きなパリ暮らしにさよなら!

エヴ=マリー・ブリオラさんは息子のエミール君と、大きな猫のノラちゃんと暮らしています。ちょうど1年前、パリ北西の郊外の街、ル・プレ・サン・ジェルヴェにある54平米の集合住宅に引っ越してきました。パリに愛着を持つパリジェンヌにとって、パリを離れる決断はとても重大です。しかしエヴ=マリーさんには、広い住空間とバルコニーのある暮らしを得る、という明確なヴィジョンがあったのです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「パリのそのアパルトマンには15年以上暮らしていて、パリらしいオスマニアン建築(※)にも、街でのライフスタイルにも、とても満足していました(※オスマニアン建築:19世紀のパリ改造を象徴する集合住宅の建築様式。石造りの壁、凝った装飾を施した鉄柵のバルコニーなどが特徴)。でも息子が8歳になり、27平米の暮らしがだんだんと手狭になってきて……そこへコロナ禍の外出制限(ロックダウン)が重なったのです。オフィスで働く生活が一変し、自宅勤務が当たり前になった時、慣れ親しんだパリ暮らしにお別れする決意をしました」と、エヴ=マリーさん。

そのころエヴ=マリーさんは、自身が2018年に創業した手編みキットのブランドKnit in Parisの経営者として、責任ある仕事をしていました。そしてそれ以前の仕事は、DIYとインテリアデコレーション専門のジャーナリストだったそう。20年以上にわたって、『MARIE CLAIRE IDEES(マリクレール・イデ)』をはじめとするフランスのメジャー雑誌で仕事をしていたのです。つまり、快適な住まいづくりのプロ! 

「新しい暮らしのイメージが具体的に、はっきりとありましたから、物件は3週間もかからずに見つかりましたよ」

決断したら早いところは、さすが、自ら会社を立ち上げた経験の持ち主です。しかも郊外暮らしをスタートした後に仕事も一新し、この1月から非営利団体の広報責任者を務めているとのこと。もともとジャーナリストだったエヴ=マリーさんにとって、情報を集めて文章を書き、それを効果的なグラフィックで見せていくという点で、現在の仕事は長くキャリアを積んだフィールドと共通しているのだそうです。
新しい街で、新しい住まいをつくり、新しい仕事を始めたエヴ=マリーさん。彼女が「大満足しています!」と言う住まいに、お邪魔しました!

エミール君とノラちゃん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

エミール君とノラちゃん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

条件に合わせて街を決め、さらに物件を絞り込む

「15年以上暮らしたパリの27平米のアパルトマンを賃貸に出して、その家賃収入で広い住まいを借りて住む」
これがエヴ=マリーさんの引越しプロジェクトでした。「広さ、バルコニー、地下物置」という条件を満たす物件は、郊外に多く見つかりましたが、ル・プレ・サンジェルヴェに絞り込んだことには理由がありました。なぜならこの街からは、パリの中心部レ・アルまでメトロ1本でアクセスできるのです。東京に例えるなら、新宿駅に地下鉄1本でアクセスできる感覚。これなら、パリのギャラリーやエキシビジョン巡りをする生活が続けられますし、エミール君も転校せずに通学できます。この立地が、全く未知の街だったル・プレ・セン・ジェルヴェを、有力な引越し先にしたのでした。

街の様子(写真撮影/Manabu Matsunaga)

街の様子(写真撮影/Manabu Matsunaga)

街が決まったら、次は物件です。これも条件が明確だったため、検索ですぐに絞り込みができたと言います。広さ、バルコニー、そして地下物置。

念願のバルコニー! エミール君とノラちゃんの安全のためにネットを装着した(写真撮影/Manabu Matsunaga)

念願のバルコニー! エミール君とノラちゃんの安全のためにネットを装着した(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「内観したときに、ここで暮らしている様子がすんなりとイメージできました」
ということで即決。このジャッジの速さと正確さは、インテリアに携わる仕事をしてきた経験のたまもの。多くを見て知っている分、迷いがないわけです。ダイニングスペースのある広いキッチンと、広いリビング、子ども部屋、バルコニーと地下物置のある日当たりのいい10階の物件を、予算内で見つけることができました。

「気に入らないところはバスルームだけ。でも賃貸なので、ある程度の妥協はやむを得ませんね。バルコニーからの眺めと、遮るものがなくいつでも明るい10階の環境は、何ものにも代えられませんから」

こだわりのインテリア。選び方や配置のコツは?

エヴ=マリーさんの住まいは個性にあふれている印象。なぜかな、と思ってぐるりと見渡し気づくのは、やはり特徴的なインテリアづかい。白で統一した空間に、たっぷりと配したグリーン、そして壁を覆う額。

ダイニングスペースのある広いキッチン。ここにも額を飾り、グリーンをたっぷりと配している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダイニングスペースのある広いキッチン。ここにも額を飾り、グリーンをたっぷりと配している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「写真やイラストが好きで、たくさん購入してしまうのです。息子が生まれたころ、つまり9年くらい前から少しずつ集め始めて、引越しを機に数えたところ、なんと額が89枚もありました! 友達に手伝ってもらって1つ1つ包むのに、丸1日かかりましたよ。以前の住まいは27平米でしたから、それこそ1cmの隙間もないくらい、壁一面に飾っていました。そこに対する友達の反応ですか? 上々でしたよ!」

今は飾るべき壁がたくさんあることも、エヴ=マリーさんには喜びです。額を飾るコツを聞くと、壁に飾る前にまず床に平置きして、全体のバランスを見るのだそう。どこに何を置くか配置が決まったら、しっかり採寸して壁に穴を開けて釘を打ち、飾っていきます。こうすれば失敗を未然に防ぐことができるわけですが、もし失敗したときは「後で壁を塗り替えればいい」と頭を切り替え、やり直します。

「モダンな額と、ナポレオン3世スタイル(19世紀中頃のフランスで流行した建築様式、室内装飾様式。第二帝政期スタイルとも呼ばれる)が好きで、額はこのモダンスタイルとナポレオン3世スタイルの2タイプに統一しています。アンティークの額はeBay(主に中古品を売る転売サイト)や蚤の市で見つけることが多いです。まだまだたくさん飾りますよ、せっかく広い壁があるのですから! 以前の住まいのように、1cmの隙間もないくらい飾りたいです。それからグリーンも大好きなので、自然光がたっぷり入る今の環境は最高ですね」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

白い壁と白い家具、モダンな額とナポレオン3世スタイルの額、そしてグリーン。このベースにそってインテリアを整えているので、たくさんのアートを飾っても、雑然とせず統一感があります。そしてそれはキッチンやサロンだけでなく、廊下も、子ども部屋も、家の中すべてに言えることなのでした。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どものころからアートを生活に取り入れて

エミール君の部屋は、9歳の男の子の部屋とは思えないシックなインテリア。モダンな額とナポレオン3世スタイルの額が壁を覆い、家具はやはり白が基調です。額の中の絵や写真をよく見ると、自分が小さかったころに描いた絵や顔写真などがあって、ああ、やっぱり子ども部屋なんだと気付かされる感じ。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「エミールの部屋に飾るものは、もちろん本人の意見を反映していますよ。彼自身、自分がつくり上げた飾り付けを誇りに思っているようです。私が何かを飾るときに、どちらにしようか悩んだりすると彼に意見を聞くこともあります。子どもの意見を聞くことは重要ですし、アートについて考える機会を与えることも大切だと思っています。私が幼かったころ両親がしてくれたように、人生の中でアートは重要だということを、ごく自然に学んでくれたら」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

エミール君はお小遣いができると、近所の園芸店へ植物を買いに行くのだとか。アートとグリーンを愛する心は、しっかりと育まれているようです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あれ? でもちょっと待ってください。エミール君の部屋はありますが、エヴ=マリーさんの寝室がありません! 

「私はリビングのソファベッドに寝ています。70年代建築のこの物件はよくできていて、玄関からの廊下に沿ってまずバスルーム、その向かいに子ども部屋、その先にリビング、キッチン、と続き、リビングを通らずにキッチンやバスルームに行ける間取りになっています。つまり、リビングのドアを閉めてしまえば、ここは独立した私の部屋。実はさっきまで、私の母がキッチンでエミールの宿題を見てくれていました。その間、私はこうしてプライバシーを確保しながら、お客様と話ができます。この間取りのおかげで、あと10年はここに住めそうです。引っ越しはとても大変な作業なので、しばらくは動きたくありませんから!」

リビングからもキッチンにアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングからもキッチンにアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新しい生活と共に始まる、これからの豊かな暮らし

理想の間取りとバルコニー、そして収納力たっぷりの地下物置のある住まい。そして、以前は知らなかった郊外の街。そのどちらにも大満足しているエヴ=マリーさんを見ながら、決断の大切さを思いました。外出制限中の「パリ暮らしにさよならする」決断があったからこそ、現在の暮らしがあるのです。

「この街には、私が大好きなアムステルダムを思わせるレンガ建築の一角があったり、オーガニックやヴィーガンの食材店が充実していたり、住んでみて嬉しい発見がたくさんありました。朝は車の騒音ではなくて、小鳥のさえずりと共に目覚めます。ほんとうに、パリのすぐそばなのに。この街そのものの暮らしの魅力と、パリへのアクセスの良さと、その両方が得られたのはラッキーだったと思います」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック専門店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック専門店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ラッキー」は、自分の基準がはっきりわかっている、ということなのかも知れません。基準さえ明確なら、あとは何を決めるのも早いし、失敗も少ないはずですから。
引越してから2年目になる今年の夏も、エヴ=マリーさんは友達を自宅に招待し、自慢のバルコニーでアペリティフを楽しむことでしょう。自分の基準、重要ですね。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
エヴ=マリー・ブリオラさん
著書
動物好きのエヴ=マリーさんがボランティアをしている動物保護非営利団体Truffes Sans Toit

漫画家・山下和美さん「世田谷イチ古い洋館の家主」になる。修繕費1億の危機に立ち向かう

東京都世田谷区豪徳寺にある、推定およそ築130年の洋館。「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる政治家・尾崎行雄の旧居と伝えられてきた邸宅だ。1年前、取り壊しの危機にあった洋館は、保存を望む有志によって買い取られ、今なお往時の姿を留めている。ただ、一時的に解体を免れたものの今後も建物を維持し続けるための課題は山積み。当面の補修費用だけでも、およそ1億円がかかるという。

そうまでして、なぜこの洋館を守りたいのか? その思いやこれまでの紆余曲折、これからについて、2019年にスタートした「旧尾崎邸保存プロジェクト」発起人の漫画家・山下和美さん、笹生那実さんに聞いた。

世田谷イチ古い洋館に惹かれて

――山下さんが最初に洋館に出合った時のことを教えてください。

山下和美(以下、山下):13年前、家を建てる土地を探していた時に豪徳寺を訪れ、初めてこの洋館を見ました。水色の外観は清里高原(山梨県)にあるペンションみたいなかわいらしさがありながら、時を重ねた建物にしか出せない品のある古さが感じられる。一目で惹かれましたね。この街に家を建てたのも、洋館の存在があったからです。近くに住み始めてからはより愛着が湧き、散歩をする度に眺めていました。

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――それがじつは、世田谷区内に現存する「最も古い洋館」だったと。

山下:界隈では「旧尾崎行雄邸」と呼ばれていましたが、建てたのは尾崎行雄の妻テオドラの父親である尾崎三良男爵で、明治21年築という説が有力のようです。つまり、築130年以上。鹿鳴館(明治16年築)とあまり変わらない時期に建てられ、世田谷区に移築された洋館と知った時には、なおさら残す価値があると思いました。ちなみに、三良男爵の日記には、新築時に伊藤博文ら政府要人を招いたという記述もあります。

――笹生さんは、この洋館の存在をどうやって知りましたか?

笹生那実(以下、笹生):山下さんが洋館の保存活動をしていることを知って興味を持ち、一人でこっそり見に行ったんです。想像以上に大きくて、風格があって圧倒されました。また、立派だけどかわいくもあり、とても魅力的な建物だなと感じましたね。

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

――笹生さん、山下さんはもともと洋館がお好きだったのでしょうか?

笹生:洋館には子どものころから憧れがありました。私は横浜出身で、山手の西洋館エリアを見て育ちましたから。きれいな建物と広い庭、大きな犬を連れて散歩している住人。とても華やかで、本当に外国にいるような気持ちになりましたね。

――山下さんも、多くの古い洋館が残る小樽で幼少期を過ごしたそうですね。

山下:小樽(北海道)には明治維新のころにたくさんの洋館が建てられて、私が暮らしていた1960年代にはあちこちにまだ残っていました。その一部は父が勤めていた小樽商科大学の宿舎としても使われていて、職員であれば安く住むことができたんですよ。実際、私が赤ん坊のころに円柱形の不思議な洋館に住めることになり、母と姉が見学にも行ったらしいんですけど、「押入れがないと布団が仕舞えない」と母が反対して断念したそうです。当時はベッドを買うという発想がなかったみたいで。残念ながら、憧れの洋館に住むチャンスを失いました。ちなみに、今はもうその建物は取り壊されてしまったそうです。

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

解体工事の2週間前に始めた「ネット署名」が流れを変える

――現在は山下さんたちが所有し、保存されている洋館ですが、一時期は取り壊し寸前までいったそうですね。

山下:3年前に近所の人から「洋館が取り壊されるらしい」という話を聞きました。跡地に建売住宅を作る計画があって、すでに土地と建物は不動産会社を通じて工務店に売却済みという状況だったんです。私たちが買い戻すとなると、3億円はかかるという話でした。

正直、私も借金して自宅を建てたばかりで、とてもそんなお金はない。それでも、何とか残す手はないかと2019年に保存プロジェクトを始めたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――お金のこと以外に、何が特に大変でしたか?

山下:不動産会社との交渉がうまく進まず、1年近くも膠着状態になってしまったのは辛かったですね。不動産会社の言い値や契約内容に不明瞭な点があっても、私たちにそれを確かめるすべはありません。その時には前オーナーである家主さんとの接触も、不動産会社側によって完全にシャットアウトされていましたから。そうこうしているうちに解体工事の日程も決まってしまい、もはや絶望的な状況でした。

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

――そんな絶望的な状況から、潮目が変わったきっかけは何だったのでしょうか?

山下:解体工事の予定日まで2週間を切ったギリギリのタイミングで(保存を求める)ネット署名を集め始めたのですが、そこから少しずつ流れが変わっていきました。たくさんの賛同者が集まってくれて、多くの人に保存プロジェクトのことを知ってもらえたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

また、世田谷区議会議員の神尾りささんからもご連絡をいただき、協力してもらえることになりました。神尾さんはもともとワシントンを拠点に仕事をしていて、尾崎行雄に対して特別な思い入れがあったというんです(※編集部注:尾崎行雄は東京市長時代、ワシントンD.C.のポトマック河畔に3000余本の桜の苗木を寄贈し、日米友好に努めた)。

――それは心強い。

山下:神尾さんは、私たちが立ち上げたネット署名を海外に発信することを提案してくれました。アメリカ側からも“日米友好の象徴”である旧尾崎行雄邸保存の動きを起こそうと、英訳までやってくれたんです。

それからは本当に目まぐるしく、短期間でいろんなことが起こりましたね。さまざまなメディアにもこの一件が取り上げられ、世間的な関心が高まったこともあって、解体工事だけは延ばしてもらえました。

――工事を延ばしつつ交渉を進め、最終的には強力な支援者が現れて一時的に洋館を買い取る形になったそうですね。

笹生:はい。金額が金額だけに大変でしたが、、最終的には「取り壊しを防ぐための一時所有なら」ということで支援してくれたんです。

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

1億円の補修費用、どう捻出?

――所有が保存プロジェクトに移り、取り壊しは回避されました。ただ、このまま維持していくのは大変ですよね?

笹生:そうですね。一時的に解体は免れましたが、次はこれをどう維持・活用していくかという問題があります。当初は洋館を曳家(ひきや/建物をそのままの状態で移動させる手法)で移動し、広くなった土地を分譲して資金を得ることも考えましたが、なかなか買い手は見つかりませんでした。

山下:それに、既存の建物として今の場所にあるぶんには仕方ないけど、場所を移動するなら現在の建築基準法等の法令に合わせなくてはいけないんです。その後、世田谷区にも相談してさまざまなアイディアもうまれましたが、時間がかかりそうでした。

現在は、洋館を使いたい民間企業とテナント契約を結び、収益を得ながら有効活用する道を探っています。

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

――現時点での手応えはいかがですか?

山下:さまざまな企業が興味を示してくれましたが、最終的には都内の有名コーヒー店が本店を洋館に移したいと名乗り出ていただきました。しかも、洋館自体はそのままにして、昔の建物の雰囲気を大事にしたいと言ってくれて。厨房などは、洋館の横にある朽ちかけた小屋を改装してつくるということでした。今は具体的な詰めやスケジュールの調整を行なっているところです。

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

――ただ、築130年の建物は老朽化も進んでいて、補修費用だけでも莫大な額になると思います。家賃収入だけで賄うことは難しいのでは?

山下:当面の補修費用だけでも、およそ1億円はかかります。大家となるからには耐震工事は必須ですし、現在の古い建物のままでは寒すぎるので、暖房器具も入れなくてはいけない。ただ、普通にエアコンを入れてしまうと、せっかくの雰囲気が台無しになってしまいます。外観だけでなく中身も明治を感じさせる趣を残すには、通常よりさらにハイレベルな工事や技術が必要になるんです。他にも、窓のつくりがものすごく複雑だったりするので、修繕できる業者も限られてきます。そうなると、どうしても費用はかさんでしまう。

笹生:正直、家賃収入だけではとても足りません。そこで、保存プロジェクトでクラウドファンディングによる寄付を募り、約1800万円のご支援をいただくことができました。他にも、知人の漫画家など支援の声を挙げてくださる方がいますので、当面はお借りできるところからお借りして、家賃収入で少しずつ返していければと考えています。

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

――とりあえず取り壊しを免れたものの、保存への取り組みはまだまだ続いているわけですね。

山下:そうですね。ずっと進行中です。一番の悩みは、私たちがこの世からいなくなった後のことです。その時には絶対にまた同じ問題が起こりますよね。私たちの願いは洋館を後世にも残し続けることなので、いずれは永続的に所有してもらえるところに譲りたいと考えています。

笹生:いくつか目星はつけているので、私たちが元気なうちに何とか道筋をつけたいです。これからテナントが入り、洋館が活用されている様子を発信できれば、周囲の見方も変わってくると思います。ですから、まずは目の前の計画をしっかり進めていきたいですね。

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
旧尾崎邸保存プロジェクト(Twitter)
旧尾崎行雄邸保存プロジェクト(Facebook)
『世田谷イチ古い洋館の家主になる』(グランドジャンプ)※試し読みあり

埼玉県民も驚いた!? 人口8000人の横瀬町が「住み続けたい街」に選ばれた理由

埼玉県の北西部、秩父郡に属する横瀬町。県内でも知名度が高いとはいえない街だが、「2021年 住み続けたい街(自治体/駅)ランキング首都圏版」(SUUMO調べ)でTOP50位以内にランクインした。埼玉県下に限れば、なんと4位! 人口8000人の横瀬町が、「なぜ住み続けたい」と思われているのか? どんな魅力が隠されているのか? その謎を紐解くべく、横瀬町で生まれ育ち、街づくりに関わる田端将伸さん(横瀬町役場まち経営課)に聞いてみた。

「横瀬町で何かやりたい人」をバックアップする仕組み

――さっそくですが、地域住民が投票した「住み続けたい街ランキング」にて、なぜ横瀬町が上位にランクインしたと思いますか?

田端将伸(以下、田端):じつは横瀬町では、数年前から官民が連携した街づくりプロジェクトを進めてきました。今回の埼玉県下で4位という結果は、それが少しずつ実を結びはじめている証ではないかと思います。

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

――どのような取り組みなのですか?

田端:まちづくりのアイデアを形にできるプラットフォーム「よこらぼ」を使い、さまざまなプロジェクトを行っています。個人、団体・企業を問わず、「横瀬町で何かをやってみたい」という熱意を持つ人が、「よこらぼ」を通じて、さまざまなことにチャレンジできるんです。

――なるほど。具体的なプロジェクトについて伺う前に、そもそも「よこらぼ」はどういった経緯で生まれたのですか?

田端:きっかけは富田町長と、ある起業家の立ち話からでした。「サービスのアイデアはあっても、それを実証する場がなかなかない。ぜひ、横瀬町でやらせてもらえないか?」という提案があったんです。当時、東京都内には数多くのベンチャー企業が台頭していましたが、同じような悩みを抱えている起業家は多かったようで。そのとき、これはチャンスかもしれないと考えたんです。

――なぜですか?

田端:どこの自治体も企業誘致を試みています。しかし、横瀬町のような山間地域に来てくれる企業って、なかなか見つからないんですよ。そこで、企業そのものを誘致するのは難しくても、「プロジェクト」を誘致することならできるかもしれないと考えました。

横瀬町を実証実験の場として積極的に活用してもらえば、人、物、お金、情報がどんどん入ってくるのではないかと。そこで、そのための窓口として2016年に「よこらぼ」を立ち上げました。そして、企業の実証実験だけでなく、個人にも「自分のやりたいこと」「横瀬町をよくすること」などを提案してもらうことにしたんです。

「小さな行政」の利点を生かし、ハイスピードでプロジェクトを回す

――立ち上げ当時の反響はいかがでしたか?

田端:最初に想定していた通り、都内のベンチャー企業による実証実験の応募が多かったです。例えば、「廃校など町の遊休スペースを貸し出すプロジェクト(採択No.02)」や「被写体中心の360度自由視点映像サービスの実証(採択No.20)」、都内のクリエイターたちがチームで挑んだ「中学生を対象としたキャリア教育プログラム(採択No.08)」などですね。応募が集まることで新聞やWebメディアなどでも紹介され、記事を見た企業が「うちもやりたい」と声を挙げてくれる、いい循環ができていました。ちなみに、現在までに189件の応募があり、そのうち108件を採択しています(2022年3月1日時点)。

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

――採択率およそ6割と、けっこう高いですね。「よこらぼ」に寄せられたアイデアはどのようなフローで採択しているのでしょうか?

田端:毎月、審査会を開き、町民代表や役場の職員らで審査をしています。早ければ、応募から約一ヶ月という早いスピードで各プロジェクトをスタートできるように心掛けています。このペースはずっと守り続けてきました。これは、小さな町、小さな行政だからこそできる強みといえるかもしれません。

――だから、5年で100件以上のプロジェクトを実行できたんですね。

田端:そうですね。また、スピードだけでなく横瀬町の「コミュニティの強さ」も、プロジェクトを進める上でプラスに働いていると思います。ここで何かしらのサービスの実証実験をやろうとすると、住民が積極的に協力して、実証のサービスや商品を使ってくれようとするんです。リアルな住民に使ってもらい、フィードバックを得られるのは、企業側にとっても魅力なのではないでしょうか。他にも、Wi-Fiなどが使える現地オフィスの提供、行政権限を生かした法的なサポートも行っています。

――手厚いですね。最近では、どんなプロジェクト事例がありますか?

田端:最近では「電動アシスト付きの手押し一輪車による、運搬労力の削減プロジェクト(採択No.107)」という事案がありました。そこで、農園と建設作業場に手押し一輪車を持っていき、実証を行ったんです。一見すると、どこででも実験可能な内容に思えますが、このような実証実験をしてくれる自治体は、ほぼないでしょう。

また、地方では農園も建設現場も、最近は労働力不足が深刻化しています。そこで、電動の手押し一輪車で重い荷物を運べるようになるだけでも、多少なりとも生産性は上がるはずです。地方の課題を解決しつつ、企業にとっても良いフィードバックが得られる。なおかつ、町民のためになり、横瀬町の知名度も上がる。こうした良いサイクルを生むプロジェクトが多いように思います。

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

――ただ、毎月の審査会でどんどん新しいプロジェクトが採択されるとなると、町民の協力を得るのも大変な気がしますが。

田端:そこは私たちのほうでも意識していて、いつも同じ町民ばかりにお声がけして負担が偏らないよう、案件ごとにご協力いただく方を調整しています。ただ、今は基本的にみなさん快く協力してくださいますね。確かに、最初は説明するのが大変だった時期もありました。例えば、「シェアリングエコノミーのプロジェクトです」と言っても、特にご高齢の方には伝わりづらいですよね。ですから、噛み砕いて分かりやすい言葉で丁寧に伝えることは意識していましたし、「よこらぼ」の冊子をつくるなどして、活動そのものへの理解を深めるように努めていました。

――それは根気が必要ですね……。

田端:ただ、全員に完璧に理解してもらってからやろうとすると、いつまでたっても前に進みません。ですから、そこにばかりエネルギーを注ぎすぎず、同時並行でプロジェクトを次々と回し、参加してもらうことで理解してもらいました。すると、結果的に町民が他の町民を巻き込むような形になり、「よこらぼ」自体の認知度や理解も深まっていったように思います。最近では、「何をやっているかは未だにわからないけど、この街を変えているんだよね」と言ってくださる人も多いです(笑)。

――町民も街の変化に気づいているんですか?

田端:そう思います。だからといって、今のところ暮らしが豊かになったとか、幸せになったかとか、具体的な何かがあるわけではありません。それは、まだまだ先の話。でも、隣町や少し離れた街の人から「横瀬を褒められる」ことがあり、嬉しかったという声はいただいています。そうした周囲からの評価を聞いて、改めて横瀬に誇りを持ってくださる人もいたのではないでしょうか。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

町民一人一人の「やりたい」を起点に、街を活性化していく

――企業以外の団体や個人のプロジェクトにはどんなものがありますか?

田端:企業以外の団体では、大学と連携することが多いです。例えば「介護における、転倒リスクを予防する」プロジェクトなどがあります。また、「よこらぼ」の認知度向上に伴い、個人の応募も増えてきましたね。最近も、地元の人が「横瀬の材料を使ったお菓子をつくりたい」というプロジェクトを応募してくれたんです。横瀬町のPRにもつながると考え、すぐに採択しました。はじめに、販売先の紹介などの支援をしましたが、今ではしっかり自走しています。けっこう売り上げも良いみたいですよ。

――それは素晴らしいプロジェクトですね。

田端:そのプロジェクトは、自身が小さいころから思い描いていた夢だったそうで。その夢を「よこらぼ」のおかげで叶えることができたと、嬉しそうでした。こうした、「自分がやりたいこと」を起点にプロジェクトを立ち上げ、結果的に街づくりの担い手になってくれるような町民が、これからも増えていってくれるといいですね。

――そうした「街づくりの気運」みたいなものは高まっているのでしょうか?

田端:そうですね。高まりつつあると思います。例えば、「よこらぼ」をきっかけに作られた「Area898」というコミュニティスペースがあるのですが、これも町民のみなさんの提案でした。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

田端:「よこらぼ」がスタートしてから、地域外からも多くの人が訪れるようになり、新しい出会いやコミュニティも生まれました。しかし、せっかく交流が生まれたのに、横瀬町には人と人が交わる“リアルな場所”がなかったんです。そこで、ある町民団体から「よこらぼ」を通じて「新しいコミュニティ・イベントスペースをつくりたい」という提案があり、JA旧直売所跡地を使って「Area898」を整備することになりました。

――確かに、駅前などには日常的に交流できそうな場所が見当たりませんでした。

田端:そうなんです。だから、よく見る商店街の光景で「あら、〇〇さん。こんにちは」というシーンも生まれない。それってすごくもったいない気がしたんです。そこで「集まりたくなる場」を町民と行政でつくったわけです。

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

――「Area898」の利用状況はいかがですか?

田端:横瀬町民はもちろん、横瀬に関わる町外の人たちも集まるようになりました。自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいこと、共有したいことを軸に「Area898」に人が集い、新しい活動が生まれるようになりましたね。かなり、面白い場所だと思いますよ。私が会議をしている横で、お年寄りがスマホ相談会を受けていたり、中学生が勉強をしていたり。誰でも無料で利用できることで、多くの住民が集まりやすい環境ができたと思います。

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

田端:また、2022年の3月からは「よこらぼ」「Area898」と並ぶ、新たな試みもスタートさせています。それが「ENgaWAプロジェクト」。横瀬の中心部にあった給食センターの跡地に作った、“チャレンジキッチン”です。

――「エンガワ」。どんな場所なんでしょうか?

田端:町内でとれる農作物を使った、新しい商品の開発などを町民と一緒に考えるスペースです。コロナ禍で農作物が売れずに余ってしまったため、新たな活用方法を模索する場所として誕生しました。商品開発だけでなく、食のイベントなどを通した町民同士の交流スペースとしても活用していきたいと考えています。最近も、地元の大豆を使ったイベントを開催しました。

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

――地産地消だけでなく、地域の人がメニューまで開発してしまうというのは面白いですね。

田端:ありがとうございます。ちなみに、「ENgaWA」のメンバーは農作業のお手伝いもしています。農家さんの負担を少しでも軽減し、その見返りとして収穫した農作物をおすそ分けしてもらっているんです。

――本当に、助け合いの心が根付いていますね。そして、それが見事に街づくりの源泉になっている。

田端:それもこれも、「よこらぼ」というベースがあったからだと思います。とはいえ、当たり前ですが全ての町民が積極的に街づくりに関わりたいわけではありません。ですから、決して無理な呼びかけや、ましてや強制などはしません。あくまで、興味がある人がガッツリやればいい。そうでもない人は基本スルーでいいし、なんとなく興味が出てきた時だけ参加してくれればいい。そういう、ゆるさが大事だと思うんですよね。行政は環境だけを整えて、あとは町民の意思に委ねる。このやり方が、今のところはうまくいっているのではないかと感じます。

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「閉鎖的な田舎」からの脱却を

――お話を伺っていて、横瀬町が「住み続けたい街」として評価されている理由がなんとなくわかりました。町民自らが「街をよくしよう」と活動しているわけですから、愛着も生まれますよね。

田端:だとすれば、嬉しいことですね。今も人口は減り続けていますが、“何か面白いことをやりたい人”は確実に増えていると感じます。ですから、今後はさらにいろんなチャレンジができそうな気がしますね。また、「よこらぼ」で実証実験に来た人が、プロジェクト終了後も遊びに来てくれたり、二拠点居住のような形で頻繁に訪れてくれることも増えてきました。こんなふうに、移住とまではいかなくても横瀬町を第二の故郷のように思ってくれるのは、とても嬉しいことですね。

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

――今後も横瀬が「住み続けたい街」であり続けるためには、何が必要だと思いますか?

田端:「関わりしろのある街の可能性」を示し続けることじゃないかと思います。街がチャレンジし続けていれば、若い人にもきっと「この街だったら、まだやれることがあるんじゃないか」と思ってもらえるでしょうから。

ただ、チャレンジには失敗がセットです。だから、横瀬町では失敗を咎めません。それに、チャレンジといっても、別に大きなことでなくていいんです。例えば、ウォーキングだっていいし、盆栽だっていい。それが直接的に街づくりにはつながらなくても、一人ひとりがやりたいことをやっている。そんな街でありたいです。そのためにも、私たちが率先して、チャレンジしている姿を見せ続けていきたいですね。

(写真撮影/藤原葉子)

(写真撮影/藤原葉子)

●取材協力
よこらぼ
Area898
ENgaWA

谷根千エリアを地元目線で取材! 街の見方が変わるローカルメディア「まちまち眼鏡店」がスタート

谷根千「谷中・根津・千駄木」を拠点に、活動を続ける一級建築事務所HAGI STUDIOが、2022年3月末に谷根千のローカルWebメディア「まちまち眼鏡店」をローンチした。おもしろいところは、情報を発信するだけでなく、谷根千に住んでいる人、この街を愛する人なら誰でも参加できるという、街全体を巻き込もうとしているところ。メディアを通じて、どのようにコミュニティをつくっていくのか、その想いや背景を取材した。

地元密着の建築事務所だからこそ、メディア発信が必要左から、千十一編集室の影山裕樹さん、『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さん、副店長の柳スルキさん、HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん(写真撮影/片山貴博)

左から、千十一編集室の影山裕樹さん、『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さん、副店長の柳スルキさん、HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん(写真撮影/片山貴博)

「HAGI STUDIO」は、ちょっと変わった建築事務所だ。例えば「宿(まちやど hanare)」を運営しているし、「教室・イベント(まちの教室KLASS)」も開く。さまざまなジャンルの「食(HAGI CAFE、TAYORI等)」のお店や、カフェやギャラリーなどの「複合施設(HAGISO)」も運営している。ただし、場所は谷根千エリアが主軸。活動範囲は狭く、そして深い。
「事務所から自転車で行ける範囲で7件ほどの拠点があります。それらの運営をするなかで、自然と街の人々と関わることが増え、自分たちで発信するローカルメディアの必要性を感じていたんです」と代表取締役の宮崎晃吉さん。とはいえ、本業が忙しく、なかなか重い腰を上げられなかったという。
「そんななかコロナ禍で、遠くに行けない事態になり、地元への関心が高まりました。谷根千は、観光地であり住宅街であり、寺町であり職人の街であり、商業地でもあります。生まれも育ちもココという人もいれば、最近はマンションが増え、新しい住民も増えています。同じ街でも、違う人が見れば、違ったふうに見える。人の目線を借りることで、街の魅力を再発見するのは、街の豊かさにつながる。それでメディアをつくろうと思いました」(宮崎さん)。

HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん。学生時代に住んでいた木造アパート「萩荘」を改修し2013年『最小文化複合施設HAGISO』として生まれ変わらせる。以来、谷根千エリア内での建物再生と運営、全国での建築設計を手掛ける(写真撮影/片山貴博)

HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん。学生時代に住んでいた木造アパート「萩荘」を改修し2013年『最小文化複合施設HAGISO』として生まれ変わらせる。以来、谷根千エリア内での建物再生と運営、全国での建築設計を手掛ける(写真撮影/片山貴博)

背景にはステレオタイプな谷根千イメージへの危機感が

こうしたローカルメディアを考えた背景には、既存メディアで谷根千が「昭和」「レトロ」というステレオタイプに扱われていることに、一種の危機感があったそう。
「あまりにもイメージが定着しすぎると、街がそれを追いかけるようになる。“昭和レトロな店しかこの街らしくない”とか。それでは街の解像度が粗い。実際はもっと複雑です。分かりやすいほうが消費しやすいのも分かりますが、複雑さは街の豊かさにつながるもの。複雑なものをそのまま享受するのは、分かりやすさを優先する既存のメディアでは難しいだろうと思ったんです」(宮崎さん)

では、手掛けるローカルメディアの柱とはなんだろうか?
「まず、観光客向けではなく、暮らす人に軸足を置くこと。読み手もつくり手になるような参加するメディアであること。このメディアを媒体にして、さまざまな属性を持つ人々のコミュニティ化が出来たら理想的だと考えました。これは単身者、ファミリー、高齢者、暮らす人働く人と、多様性のある谷根千ご近所エリアだからこそできることです」とはメディア監修を行う、千十一編集室の影山裕樹さん。

千十一編集室代表の影山裕樹さん。全国各地でローカルメディアや地域プロジェクトのディレクション、コンサルティング、制作を行う。今回はメディアのプロとして監修を行う(写真撮影/片山貴博)

千十一編集室代表の影山裕樹さん。全国各地でローカルメディアや地域プロジェクトのディレクション、コンサルティング、制作を行う。今回はメディアのプロとして監修を行う(写真撮影/片山貴博)

誰かの目線の「眼鏡」に見立てたウェブメディアがコンセプト

メディア名は「まちまち眼鏡店」。といっても眼鏡を売っているのではない。「誰かの目線で暮らしが深まるローカルメディア」をコンセプトに。多様な視点を”眼鏡”に見立て、まちを紹介する試みだ。
いわゆる観光客向けの情報サイトではない。具体的には、Web上で特集や、インタビュー、エッセイ、動画、ラジオ音源を掲載し、まちに関わる人たちが、どんな見方でまちを見ているのかを追体験できるメディアを考えている。「眼鏡店」と名付けたWebだから、運営するスタッフは「店長」「副店長」と、ちょっと変わった肩書にした。

「まちまち眼鏡店」という名は「ひとの数だけまちの見方がある」という気づきをもとに、まちを見る目を眼鏡に見立てたことから(画像提供/HAGI STUDIO)

「まちまち眼鏡店」という名は「ひとの数だけまちの見方がある」という気づきをもとに、まちを見る目を眼鏡に見立てたことから(画像提供/HAGI STUDIO)

コンテンツ例(画像提供/HAGI STUDIO)

コンテンツ例(画像提供/HAGI STUDIO)

軒先、塀の上などで思い思いに園芸を楽しむ路地裏の風景は谷根千ではおなじみ。「“路上園芸鑑賞家”の村田あやこさんとまち歩きをした際、その家の個性、最近の流行まで分かったんです。その気づきがメディアづくりのきっかけにもなりました」(宮崎さん)(写真撮影/片山貴博)

軒先、塀の上などで思い思いに園芸を楽しむ路地裏の風景は谷根千ではおなじみ。「“路上園芸鑑賞家”の村田あやこさんとまち歩きをした際、その家の個性、最近の流行まで分かったんです。その気づきがメディアづくりのきっかけにもなりました」(宮崎さん)(写真撮影/片山貴博)

読み手がつくり手にもなる。制作過程が目的にもなるメディア

収益面でも挑戦がある。
通常のメディアは、媒体でもWebでも、広告収入でまかなうのが普通だ。しかしローカルメディアは対象が限られているため、こうしたマスメディアの広告ありきのスキームは限界がある。
そこで、目指すのは「当事者たちによる自立した収益モデル」。地域の事業者で構成されるパートナー会員に加え、個人のメンバー会員も募集。「編集会議」と「まちの作戦会議」に参加する権利が得られる。メンバーについては現状、オープン記念につき10月末まで無料で登録ができるとのこと。

読み手がつくり手も担うことで、制作物であるWebメディアとその制作過程(ビハインド)の両方がコミュニティの場となるのだ。

「毎月の編集会議はリアルとオンラインの併用を想定。未定ですが、それぞれの興味あるものをフックに、地域に関われるリアルな場を設けたいと考えています。イメージは部活。例えば写真部、カレー部、猫部、お茶部など。引越して、いきなり町内会はハードルが高いけれど、例えば、一見では入りにくいお店に、地元の常連さんと一緒に入ってみるのが、地元での関わりのきっかけになるかもしれません」(宮崎さん)

編集会議の様子(画像提供/HAGI STUDIO)

編集会議の様子(画像提供/HAGI STUDIO)

メディアを活用することで、リアルの場の活性化も期待

ローカルメディアの登場によって、現在実施している「リアルな場」も良い影響を与えることも期待を寄せている。

例えば、「HAGI STUDIO」が手掛ける「まちの教室 KLASS」は、地域の方が教え、教わることができる学び場だ。
「ただし多くは単発で、なかなか継続的な流れにならないのが残念でした。集客がままならないケースもありました。コロナ禍でオンラインも試みたのですが、“初めまして”でいきなりネット上は難しいと感じていました」と、HAGI STUDIOのKLASS担当、柳スルキさん。
「例えば、メディアが発信し続けることで、ゆるくつながる場になります。また、部活的なチームのようなものができれば、先生役も希望者がリレーでまわすこともできます。知り合いの中でなら、教える側になるのもハードルが低く、継続的な活動ができやすくなります。またチームとして顔見知りになればオンライン上のやり取りもスムーズになると思います」(柳さん)

柳スルキさん。韓国生まれ日本育ち。KLASS担当のスタッフで、ローカルメディア『まちまち眼鏡店』副店長(写真撮影/片山貴博)

柳スルキさん。韓国生まれ日本育ち。KLASS担当のスタッフで、ローカルメディア『まちまち眼鏡店』副店長(写真撮影/片山貴博)

コロナ前のKLASSの教室の風景。アイランドカウンターのキッチンがあり、料理教室が人気。地域の方を講師に迎え、近所の大工さんによる箸づくりや金継ぎ教室なども(画像提供/HAGI STUDIO)

コロナ前のKLASSの教室の風景。アイランドカウンターのキッチンがあり、料理教室が人気。地域の方を講師に迎え、近所の大工さんによる箸づくりや金継ぎ教室なども(画像提供/HAGI STUDIO)

また、取材をするという名目の上、普段つながりがないような街の人々から思わぬ話が聞け、街への理解が深まる面も。『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さんは、宿泊施設「まちやど hanare 」では、ゲストの要望に合わせた街の情報を提供したり、案内したりする「まちのコンシェルジュ」としても働いている。
「私は、生まれも育ちも谷中。だからよく知っていると思っていたのですが、取材となると、消費者の私では気付けない面を知る機会を得ます。例えば、子どものころからよく買い物にいった魚屋さんに思わぬ物語があることを知ったり、寺の住職からは“こんな話、聞かれるまで忘れていた”なんてエピソードを聞いたり。逆に、ホテルの宿泊ゲストと街歩きを一緒にしたときは、自分がまったく気付いていなかった街頭ランプの美しさを教えてもらいました。メディアでの取材と、コンシェルジュの両方の業務で、街への解像度が上がってきたことを実感しています」

坪井美寿咲さん。「私は、地元、谷中の工務店の娘で、今も街のあちこちに知り合いが(笑)。街の皆さんに見守っていただきながら幼少期を過ごしました」(写真撮影/片山貴博)

坪井美寿咲さん。「私は、地元、谷中の工務店の娘で、今も街のあちこちに知り合いが(笑)。街の皆さんに見守っていただきながら幼少期を過ごしました」(写真撮影/片山貴博)

どこか懐かしいモダンなデザインの街灯ランプ。「ホテルのお客様が写真を撮られていました。私はいつもこの下を通っているのに、特別視をしたことがなかった。人の数ほど、街の見方があると実感した出来事でした」(坪井さん)(写真撮影/片山貴博)

どこか懐かしいモダンなデザインの街灯ランプ。「ホテルのお客様が写真を撮られていました。私はいつもこの下を通っているのに、特別視をしたことがなかった。人の数ほど、街の見方があると実感した出来事でした」(坪井さん)(写真撮影/片山貴博)

取材したのは4月の発行前の3月初旬。地元の人、編集者・ライターといった書くプロ、音楽家や料理家の専門家による「寄稿」をベースとして考えているとのこと。街の目利きによる、編集のプラットフォームだ。 
「通常、広告で成り立つネットの世界では、“PV(ページビュー)をいくら稼げるか”みたいなことが重要視されますが、今や単体でメディアを成立するにはもう難しい時代にきているのかなと。このローカルメディアは、地域に関わりたい人たちにとって、この街で暮らす上で必要なツールになることができれば成功だと思っています」(影山さん)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
・まちまち眼鏡店
・HAGI STUDIO

空き家を日替わりで活用。地域住民によるコーヒー店から結婚式場まで 東京都調布市深大寺

東京都調布市深大寺で空き家問題に取り組むコミュニティ「空き家をスナックする会」。「まずやってみる」をコンセプトに、メンバー自らが空き家のDIY改装を行い、工作や料理のワークショップ、間借りでの店舗運営、さらには結婚式など、さまざまな形で活用している。発起人の薩川良弥さんに、活動の背景やこれまでの事例、今後の展望について聞いてみた。

地域の人たちと空き家の活用方法を模索

――はじめに「空き家をスナックする会」とはなんですか?

薩川良弥(以下、薩川):空き家を活用することによって、街の活性化につなげることを目的としたコミュニティです。メンバーはオンラインでつながり、アイデアを出し合いながら企画を固め、みんなで実践していくチャレンジ型のチームですね。2018年3月に立ち上げて、現在の会員数は70名ほどです。

「空き家をスナックする会」の運営者、薩川良弥さん(写真撮影/松倉広治)

「空き家をスナックする会」の運営者、薩川良弥さん(写真撮影/松倉広治)

薩川:現在、主に運営している元空き家のスペースは2箇所。調布の深大寺エリアにある「いづみや」と「COMORI」です。「空き家をスナックする会」のメンバーであれば利用が可能で、それぞれが企画を発案して自ら協力者を募り、これまでにさまざまな形で利用されています。

――「いづみや」、「COMORI」はどんな施設ですか?

薩川:「いづみや」は元お蕎麦屋さんでした。10年ほど空き店舗だった建物を改装し、今は地域に住むメンバーに間借りしてもらって日替わりのお店を運営しています。リアルな店舗で思い思いの“商売”ができるということで、人気の施設になっていますね。現在、月の半分は埋まっていますよ。

もう1つの「COMORI」は、一般的な二階建ての一戸建て住宅なのですが、静かに1人の時間を過ごす、お一人様向けの宿として運営しています。深大寺の自然を感じながら集中したり、何も考えずに過ごしていただくことができます。

――薩川さんはなぜ「空き家をスナックする会」をつくろうと思ったんですか?

薩川:私はもともとコミュニティマネージャーの仕事をしていて、場の運営とコミュニティづくりをメインに活動してきました。そのなかで「いづみや」の存在を知り、私なりに活用方法を模索してみたんです。

外観や看板は現在もそのまま使用している(写真撮影/松倉広治)

外観や看板は現在もそのまま使用している(写真撮影/松倉広治)

薩川:一般的な空き家活用って、フルリノベーション後に貸すか売るか、もしくは自分で運営するかじゃないですか。でも、私の場合は地域住民に“参加”してほしかったんです。住民のみなさんに改装や運営にも加わってもらい、空き家活用を体験してもらうことで長期的に街に愛される場所になるのではないかと思ったんです。そこで、空き家とコミュニティをセットにしたオンラインサロンとして「空き家をスナックする会」を開くことにしました。

――空き家問題という街の課題について、住民自らが考えるきっかけにもなりますね。

薩川:そうですね。自分自身も、そうやって住民たちが自ら盛り上げていくような街で暮らしたいと思いますし、メンバーも同じような気持ちで参加してくれているように感じます。

――なるほど。ちなみに、「空き家をスナックする会」の“スナック”の由来って?

薩川:以前、(芸人で著作家の)西野亮廣さんが「これからは産業がスナックする」と話されていたんですよね。スナックに集まるお客さんって美味しいお酒やツマミというよりは、コミュケーションを求めていると。だから、ママに「片付けといて」と言われたら、お客さんも働く。つまり、商品を提供して消費するだけではなく、一緒につくり上げることがこれからは重要なんじゃないかというお話で、まさにそのとおりと思ったんです。その象徴がスナックなんです。

――たしかに。みんなで場をつくっている感じがします。

薩川:だから、空き家もオーナーさん、地域住民、行政、地域の企業、みんながフラットな関係でつくれたらいいなと思い、スナックという言葉を用いました。

壁面のペイントや置物はお蕎麦屋さん時代からのもの(写真撮影/松倉広治)

壁面のペイントや置物はお蕎麦屋さん時代からのもの(写真撮影/松倉広治)

空き家のオーナーさんへ飛び込み提案のはずが……なぜか「茶飲み仲間」に

――活動を始めるにあたって、最初はどんな課題がありましたか?

薩川:一番大変だったのは、そもそも空き家が見つからないことでした。いや、空き家自体はあるんですけど、安く借りられて、自由にリノベーションして活用できるような“都合のいい空き家”なんて、実際にはそうそうない。建物自体は魅力的でも、オーナーさんの意向であまり大掛かりなことはしたくないというケースもありますからね。そこで、いい感じの建物を見つけるたびに、手紙を出していました。100件くらいには投函したと思います。

――100件! すごい行動力ですね。

薩川:そんなことを半年ほど続けましたが、実際にオーナーさんと出会えた数でいうと7~8人でしたね。そんな時に「いづみや」の賃貸情報が出たんです。不動産会社を介して物件を見学させてもらい、オーナーさんともお話しすることができました。ただ、不動産会社が設定した賃料が高くて……。当時、とてもそんな予算はありませんでした。

「いづみや」のオーナーさん(右)と話し込む薩川さん(画像提供/薩川良弥)

「いづみや」のオーナーさん(右)と話し込む薩川さん(画像提供/薩川良弥)

――どうされたんですか?

薩川:とにかく、必死に熱意を伝えました。「いづみや」でやりたい事業プランを持っていき、「現状の家賃では難しいのですが、ただただチャレンジしたいんです」と。当時のプランは、1階はコミュニティースペースとして運営し、2階は民泊として外国からの観光客向けに貸し出す、みたいなものでしたね。

――想いは伝わりましたか?

薩川:もちろん、すぐに結論は出ませんでした。ただ、オーナーさんには「信用できるやつだな」と認識していただけたようで、連絡を取り合うようになったんです。気付いたら、一緒にお茶をする関係になっていましたね。

――なんと……!

薩川:それから2~3カ月後くらいですかね、「1日だけお試しで営業してみる?」というようなことを言っていただきまして。僕はそこで「いづみやで何かしたい人は、きっといっぱいいます。僕が地域住民を集めるので、どのように生まれ変わらせるのがいいか、みんなで考える会を開きたいです」と提案しました。

オーナーさんは半信半疑でしたが、告知したところ一瞬で40席が埋まったんです。空き家の活用に興味がある人は多いだろうと思っていたけど、正直、ここまでの反応は予想していませんでしたね。オーナーさんも、ここまで人が集まるならと、私が管理することを条件にしばらく使わせてもらえることになりました。

地域住民と一緒に「いづみや」の活用方法を話し合った時の様子(画像提供/薩川良弥)

地域住民と一緒に「いづみや」の活用方法を話し合った時の様子(画像提供/薩川良弥)

――事業の内容云々の前に、薩川さん自身を認めてもらえたような感じですね。

薩川:そうであれば嬉しいですね。オーナーさんとは今も月に一度、活動の報告会をさせていただき一緒にお茶を飲んでいます。私はもちろん、オーナーさんも楽しそうで、良好な関係を築くための大切な時間になっていると思います。

ちなみに、「いづみや」の運営が始まってから4年が経った今も賃貸借契約は結んでおらず、オーナーさんのご好意で月額の家賃ではなく、その都度安価で貸していただいています。お金だけではなく、人と人との関係性によって成り立っているんです。「いづみや」でやりたいのも、まさにそれ。この場所で地域住民がつながることで、さまざまな街の課題を解決していきたいと思っています。

特に何もしなくても、人と人が自然につながるコミュニティが理想

――「いづみや」では、当初どんな活動をしましたか?

薩川:当初から今のような「間借り」で運用することを考えていたので、まずは飲食許可を取得するための改装を行いました。資金はクラウドファンディングで募り、最終的に200万円ほどのご支援をいただくことができました。

クラウドファンディング前の「いづみや」のキッチン(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディング前の「いづみや」のキッチン(画像提供/薩川良弥)

メンバーとキッチンを改装(画像提供/薩川良弥)

メンバーとキッチンを改装(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディングで支援を受け、生まれ変わったキッチン(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディングで支援を受け、生まれ変わったキッチン(画像提供/薩川良弥)

――間借りをする人はどうやって集めましたか?

薩川:口コミもありましたが、多くは実際に「いづみや」に来たお客様ですね。その日に入っているお店の人と話すなかで「私は木曜日だけ借りているんですよ」みたいな会話から少しずつ増えていきました。大々的に告知をしているわけではないので一気に借り手が増えることはありませんが、このゆるやかなスピード感と、こぢんまりとした規模感が逆に良いと思っています。

なぜなら、そのほうが関わるメンバー全員に当事者意識が生まれます。実際、掃除もみんなでやるし、お店の使い方も私が決めるのではなく、みんなで話し合っています。そうやって、みんなで少しずつ意見を出し合いながら運営していくスタイルが理想的だと思うんです。

――新しく加わる人もネットの情報だけではなく「場の雰囲気」を見て決めているから、ギャップを感じることも少なそうです。

薩川:そうですね。空き家活用ってなんとなくイケてる!お洒落!みたいなイメージだけが先行して、現場の実態を知らないまま来られてしまうと、ちょっと難しいように思いますね。正直、古い空き家って隙間風もすごいし、不便なところもたくさんあります。それに対して「ちゃんと管理して直してくれないと困るよ!」と言われてしまうと、少し辛いかなと。そんな部分も含めて、この場所を愛してくれる人と一緒にやっていきたいです。

――現在、どんな店舗が入られていますか?

薩川:今日(取材日)のコーヒー屋さんをはじめ、壺の焼き芋屋さん、バリ料理屋さん、薬膳カレー屋さん、チャイ屋さん、グルテンフリーカフェ、ほかにも単発でそば打ち体験イベントなどを開催しています。基本的には地域住民が多く、何かチャレンジしてみたい、この場を活用してみたい、という方々にご利用いただいています。

毎週木曜日に出店している自家焙煎コーヒー「みよし珈琲(344coffee)」。コーヒー豆は「いづみや」で焙煎している(写真撮影/松倉広治)

毎週木曜日に出店している自家焙煎コーヒー「みよし珈琲(344coffee)」。コーヒー豆は「いづみや」で焙煎している(写真撮影/松倉広治)

――薩川さんも毎日いるわけじゃないですよね? それでも問題なく運営できていますか?

薩川:そこは入居いただいているみなさんのおかげですね。本当に人柄が良い方ばかりで、私がここにいられない時でも安心して場を任せられます。それに、最近は私がいなくても、自然と人と人のつながりが生まれているんですよ。今日のコーヒー屋さんでも、ここでお客さん同士が出会い、ランチ仲間になったりしています。そうやって、こちらが特に何もしなくても勝手につながりが生まれていくのがコミュニティの本質だと思います。そういう意味では、順調に場が育ってくれているのかなと。

――過去にはここで結婚式もやられたそうですね。

薩川:はい。といっても、私の結婚式なんですが。いづみやで食事を提供し、裏の駐車場にミュージシャンを呼んで、野外パーティーみたいな結婚式でした。我ながら良い式だったなと思うので、次は他のカップルの結婚式もやりたいですね。

薩川さんの結婚式。オーナーさんもとても喜んでくれたそう(画像提供/薩川良弥)

薩川さんの結婚式。オーナーさんもとても喜んでくれたそう(画像提供/薩川良弥)

街の人たちの力を結集し、完成した「森の宿」

――もう一つのスペース「COMORI」の経緯も教えてください。

薩川:こちらも「いづみや」と同じオーナーさんの所有物件で、何年も空き家でした。そこで、サロンのメンバーだけでなく、「いづみや」で出会った方々と一緒につくり上げたんです。例えば、WEBデザイナーのメンバーにサイトをつくってもらったり、コーディネーターに家具を選定してもらったり。企画の段階からみんなで考え、みんなの力を借りながら一緒に形にしていきました。そのぶん、完成した時の喜びも大きかったですね。最初から理想としていた「空き家という課題を、街のみんなで解決する」ことができたのは、とても感慨深かったです。

深大寺の小さい森の中にある、お一人様用の宿「COMORI」(写真撮影/松倉広治)

深大寺の小さい森の中にある、お一人様用の宿「COMORI」(写真撮影/松倉広治)

茶室をイメージした和室(画像提供/薩川良弥)

茶室をイメージした和室(画像提供/薩川良弥)

空き家を通じて、街と街をつなげたい

――4年にわたり「いづみや」を運営してきて、街の人たちからの反応は変わってきていますか?

薩川:少しずつ「いづみや」の存在を認知していただいていると感じます。当初は深大寺という場所柄、観光客の方が中心だったのですが、最近は地域住民のお客様が増え、近所のお蕎麦屋さんなども世間話がてらお茶を飲みに来てくださるようになりました。大きなことではないかもしれませんが、4年かけて街の人が気軽に立ち寄ってくれる場所になったことは、素直に嬉しいですね。

今では地域の交流の場にもなっている(写真撮影/松倉広治)

今では地域の交流の場にもなっている(写真撮影/松倉広治)

――街に「いづみや」のような場所があるだけで、街がどんどん面白くなっていく気がします。今後はどんな展開を考えていますか?

薩川:「いづみや」も「COMORI」も古い建物なので、2階の積極的な活用は避けてきました。とはいえ、せっかくスペースがあるので、なんとか活用したいです。これもメンバーや街のみなさんと一緒に模索していきたいと思います。また、これからは他の空き家の活用も手がけていきたいですね。

オンラインサロンを通じて、それぞれのスタンスで空き家活用に関われる仕組みづくりも模索している(写真撮影/松倉広治)

オンラインサロンを通じて、それぞれのスタンスで空き家活用に関われる仕組みづくりも模索している(写真撮影/松倉広治)

――調布以外での活動も考えていますか?

薩川:そうですね。今は調布でコミュニティとして活動させてもらっていますが、空き家を通じて「街」と「街」がつながっていくようなことができたら面白いと思います。「空き家をスナックする会」がハブとなって人や情報をつなぐことで、姉妹都市のような関係性が生まれるかもしれません。そして、もしかしたら調布からそこに移住するメンバーも出てくるかもしれないですよね。

理想は、空き家を軸に他の街のコミュニティともつながっていき、その輪をどんどん広げていくこと。そのためにも、これからもチャレンジしていきたいですね。

全国的に増え続けている「空き家問題」。しかし、オーナーさんとつながることで、地域にとって意義のある場所へ変化させることができるかもしれない。今後、薩川さんが手がける空き家が楽しみだ。

●取材協力
空き家をスナックする会
深大寺いづみや
COMORI

名もなき名建築が主役。歩いて楽しむアートフェス「マツモト建築芸術祭」 長野県松本市

2022年1月29日~2月20日、長野県松本市で「マツモト建築芸術祭」が開催されました。市内20カ所の”名建築”を会場に、17名のアーティストによる作品を展示するというもの。各地でさまざまな芸術祭が開催される中でも、「建築」にフォーカスした芸術祭は珍しいものです。建築旅がライフワークの筆者がイベントの様子をレポートします。

日本初の建築芸術祭で楽しむ、有名無名の名建築

江戸時代、城下町として発展した長野県松本市。全国で12箇所しかない、江戸時代以前からの天守が現存する国宝・松本城を筆頭に、江戸時代以来の町割(城郭を中心に据えた区画整備)、戦前の建築物など歴史の名残が色濃く感じられる松本は、街歩きが楽しい人気の観光スポットです。建築を目的にあちこちを旅してきた筆者としては、建築が観光資源になっている地域には、新しく建てられる建築物もまた、優れたものが生まれやすい土壌があると感じます。その最たるものが建築家・伊東豊雄氏の設計で2004年にオープンした「まつもと市民芸術館」。松本城の石垣を意識して外壁のパターンを、伊東氏らしさ全開の軽やかで柔らかなデザインに昇華させたこの建物は、現代日本建築随一の名作として世界的にも広く知られています。

国宝・松本城。無駄な要素が削ぎ落とされた実戦的な城郭建築。黒と白のコントラストが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国宝・松本城。無駄な要素が削ぎ落とされた実戦的な城郭建築。黒と白のコントラストが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

江戸~大正期以来の蔵を改修した商店が建ち並ぶ「蔵通り」こと中町通り。城下町として栄えていたころから、商人の町だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

江戸~大正期以来の蔵を改修した商店が建ち並ぶ「蔵通り」こと中町通り。城下町として栄えていたころから、商人の町だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館。石垣をイメージしたパターンが有機的で軽やかに連続する様子には、竣工から20年近く経った今でも新鮮な印象を受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館。石垣をイメージしたパターンが有機的で軽やかに連続する様子には、竣工から20年近く経った今でも新鮮な印象を受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2Fロビー。壁面に穿たれた大小さまざまなガラス窓が輝き、ハレの空間を演出している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2Fロビー。壁面に穿たれた大小さまざまなガラス窓が輝き、ハレの空間を演出している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また明治期の開国後、西洋の建築デザインを取り込もうと全国で流行した「擬洋風建築」と呼ばれる様式の代表格として、あらゆる日本建築史の教科書に登場する旧開智学校もまた必見の建築物です。

建築・デザイン関係者ならずとも一度は訪れたい松本で開催された「マツモト建築芸術祭」
芸術祭をたっぷり楽しんだ筆者が、総合ディレクターを務めたグラフィックデザイナーのおおうちおさむさんにイベントに込めた想いを伺いました。

生活の中に入り込むアートが、建物を美しく輝かせる国宝・旧開智学校には現代美術家・中島崇氏の作品が展示された。多数の細い糸が建物の前面に張り渡され、鑑賞者が建物に近づけない現状が強調されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国宝・旧開智学校には現代美術家・中島崇氏の作品が展示された。多数の細い糸が建物の前面に張り渡され、鑑賞者が建物に近づけない現状が強調されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「アートがあることで建物が美しく感じられる、そんな関係をつくりたかったんだよね。僕は美術館に展示するために作品をつくっているアーティストはほとんどいないと思っていて。人々の暮らしの中にあって、その人の生活や空間を素敵に魅せるのがアートの本来の役割なんじゃないかな。松本は民藝の聖地でもあって、生活の中に美を見出す民藝の思想と、僕の思うアートの価値が完全につながっていて。日本各地でいろんな芸術祭が開かれているけど、松本だからこそやる意味があることはなんだろうって考えた時に、松本にしかない建築に、そこに展示するからこそ輝く作品・作家を選んでいこうと思った。松本には戦前から大切に使われてきた建築や、いろんな人の手にわたって使われ方も変わりながら引き継がれてきた建築がたくさんある。そういうストーリーをもった生活の中にアートが入り込んでいくのを想像したらすごくワクワクしたんだよね」

池上邸 土藏に展示された、磯谷博史氏の写真作品。線の細い照明は、作家の要望を受けおおうちさんがデザインしたもの(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

池上邸 土藏に展示された、磯谷博史氏の写真作品。線の細い照明は、作家の要望を受けおおうちさんがデザインしたもの(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、芸術祭の会場として選ばれたのは松本城を中心に約800m圏内にある、有名無名の建築物で、おおうちさんの言うように、ほとんどは、筆者も知らないものでした。「名建築」の基準が独自に設定されていて、会場を訪れてみれば、どれも個性豊かで味わいのある建物ばかり。アート作品の解説以上に建物のストーリーが詳しく説明されていることも、この芸術祭の特徴です。

国登録有形文化財のかわかみ建築設計室。取り壊しの相談を受けた設計事務所が、壊すのは忍びないと自ら事務所として借り、後に所有することになった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国登録有形文化財のかわかみ建築設計室。取り壊しの相談を受けた設計事務所が、壊すのは忍びないと自ら事務所として借り、後に所有することになった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

もともと病院として設計された名残が、エントランスの受付スペースに。現在は事務所の作業スペースとして使われており、芸術祭の最中も事務所スタッフの方が忙しく作業していた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

もともと病院として設計された名残が、エントランスの受付スペースに。現在は事務所の作業スペースとして使われており、芸術祭の最中も事務所スタッフの方が忙しく作業していた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階の旧応接室に展示されたロッテ・ライオン氏の作品。幾何学的な作品が、建築を構成する要素と呼応するよう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階の旧応接室に展示されたロッテ・ライオン氏の作品。幾何学的な作品が、建築を構成する要素と呼応するよう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2階はなんと和室になっている。この芸術祭を通じて、外部からは想像も付かない内部空間を体験することが幾度もあった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2階はなんと和室になっている。この芸術祭を通じて、外部からは想像も付かない内部空間を体験することが幾度もあった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここでしか見られない、建築とアートのマッチング

「僕も何回も松本には来ていたんだけど、そんなに建築に詳しいわけじゃなくて。もともと市役所に勤めていた米山さんっていう、とんでもない建築マニア、それこそ松本にある建築で知らないものはないみたいな人がいて。その人に、今回のビジョンを話したら次の日に膨大なリストをつくって持ってきてくれたんだよね。そこから気になったものをピックアップして話を聞いたり、実際に見に行った。その中で、あぁ、この建築にはこんな作品が置かれると良いだろうなぁ、ってインスピレーションが湧いた建築を選んでいって、最終的に60箇所くらいの候補のなかから絞り込んで20会場に落ち着いたんだ」

擬洋風の看板建築、下町会館。一般的な看板建築では建物のメインの立面のみデコレーションすることが多いなか、四周余念なくデザインされている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

擬洋風の看板建築、下町会館。一般的な看板建築では建物のメインの立面のみデコレーションすることが多いなか、四周余念なくデザインされている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここに展示されたのは土屋信子氏の作品。普段は共有のオフィスとして公開され、誰でも申し込めば使うことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここに展示されたのは土屋信子氏の作品。普段は共有のオフィスとして公開され、誰でも申し込めば使うことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回の目玉のひとつ、国登録有形文化財の割烹 松本館。昭和十年ごろの建設時に太田南海が腕を振るった精巧な装飾があふれる空間に、小畑多丘氏の彫刻が展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回の目玉のひとつ、国登録有形文化財の割烹 松本館。昭和十年ごろの建設時に太田南海が腕を振るった精巧な装飾があふれる空間に、小畑多丘氏の彫刻が展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松本館の外観からは、とても内部が想像できない。地元民でさえ、芸術祭を通して初めてその魅力に触れた人も多いことだろう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松本館の外観からは、とても内部が想像できない。地元民でさえ、芸術祭を通して初めてその魅力に触れた人も多いことだろう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「たとえばまつもと市民芸術館は、伊東さんが石垣をイメージしてデザインした壁の隙間から差し込んでくる光に(井村)一登さんの作品を合わせたいなっていう、すごく単純な発想。たくさんの人が行き来するあの階段に置いてあったら、見ようによっては空間ごと彼の作品に見えてくるんじゃないかとか、想像が広がっていくよね。どの建築にどの作家の作品を展示してもらうか、っていうのは全部僕が決めていて、建築の空間と普段どんな使われ方をしているかってとこからイメージしていった」

まつもと市民芸術館、エントランスから2Fへ上がる大階段。左手の台に展示されているのが井村一登氏の作品(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館、エントランスから2Fへ上がる大階段。左手の台に展示されているのが井村一登氏の作品(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「旧念来寺の鐘楼は、お墓が並ぶところに建っていて、隣がショッピングモールになってるでしょ。人の日常的でささいな営みと、死後の世界とが共存しているなかに、他愛ないやり取りを作品化した山内(祥太)さんの映像が入り込んでいったら面白いなと思って。映像の世界観も新しくて、忘れていた記憶を引っ掻き回されるような不思議なアンリアルが、あの場所だからこそ生まれてる。アートを美術館から人の生活の中に引きずり出してあげることで、建築もアートも今までと違って見えてくる。誰にでも分かりやすい作品は選んでないから、見た人は本当に良いと思えるか、自分の眼で判断しなきゃいけない。ステートメントなんか読まなくても魅力が伝わる作品を選んでるつもりだけど、わからないな、つまんないなって人も当然出てくる。そうすることでこびりついた価値観を引き剥がしてフラットにものを見る力が養われていくことも期待してる。市は松本をアートの街に、っていう構想をもってるんだけど、本気でやるならそれくらいオリジナルなことをやらなきゃいけないと思ってて。既存の評価軸とか、過去の成功事例に乗らずに自分たちでなにが本当に価値があるのか、判断してくのはものすごくハードルが高いことで、すごくチャレンジングなことだけど、この芸術祭はその一端になったんじゃないかな」

墓地の真ん中に建つ旧念来寺鐘楼。左手側奥にショッピングモールがある(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

墓地の真ん中に建つ旧念来寺鐘楼。左手側奥にショッピングモールがある(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

なにも変えなくても、違う体験になる

ひとつひとつ建築を読み解いて、この空間にどんな作品を展示するとその場所が輝くのか。実際に足を運んで建物を選んでいくおおうちさんの熱意は相当なものです。その熱意が建物のオーナーさんにも伝わったようで。

「普通こうやって建築を活用するイベントだと、なかなか使用許可が下りないケースが多いんだけど、今回ネガティブな理由で使えなかった建物はひとつもなかった。やっぱり松本の人たちも、古い建物を守っていきたいという想いがある一方で、なかなか良い使い方ができていないってジレンマがあったんじゃないかな。新しい使い方を拓く可能性に賭けてくれたんじゃないかなって思ってる。あとはやっぱり齊藤社長の存在。彼の松本に対する貢献って本当に大きくて、松本をアートで盛り上げていきたいっていう想いが今回の芸術祭に関わった人たちの姿勢に影響を与えてる。集まってくれたボランティアの人たちも、運営に携わった実行委員会の人たちも本当に熱意があって、だからこそ良いイベントになったと思うね」

齊藤社長とは、芸術祭の実行委員長で扉ホールディングス株式会社 代表取締役の齊藤忠政氏のこと。扉ホールディングスは、創業90年の歴史をもつ老舗旅館「扉温泉 明神館」や今回の会場にもなった、古民家を改修した高級レストラン「レストラン ヒカリヤ」など、松本の観光業をまさに建築体験を通じて盛り上げてきた立役者です。かく言うおおうちさん自身も、齊藤社長の熱意に動かされてきたひとり。

会場の一つで、写真家・石川直樹氏の作品が展示されたレストラン ヒカリヤ。国登録有形文化財に登録されている明治時代の建築。奥に建つ蔵が会場となった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

会場の一つで、写真家・石川直樹氏の作品が展示されたレストラン ヒカリヤ。国登録有形文化財に登録されている明治時代の建築。奥に建つ蔵が会場となった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ヒカリヤの展示会場へは母屋の隣に建つ建物を抜けて向かう。作品へ至るアプローチも芸術祭を楽しむ仕掛けになっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ヒカリヤの展示会場へは母屋の隣に建つ建物を抜けて向かう。作品へ至るアプローチも芸術祭を楽しむ仕掛けになっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

普段はフレンチレストランとして使われているヒカリヤ。最低限の手入れによって、文化財が美しく活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

普段はフレンチレストランとして使われているヒカリヤ。最低限の手入れによって、文化財が美しく活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もう十何年も前、それこそ僕がヒカリヤのアートディレクションをやらせてもらって齊藤社長と知り合ったころから、ずっと、松本に残る古い建築をどうにかして残していきたいって話は聞かされてたんだよね。だけど、保存して置いておくだけじゃどんどん朽ちていって命が失われていくから、使い続けることを考えた方が良いって話をずっとしてた。やっぱり時代時代の使われ方に応じてこそ、生きた建築って言えると思う。芸術祭ではいわゆる保存とはアプローチが違うけど、新しい使い方を気づかせてあげられたんじゃないかな。旧宮島肉店なんか、ボロボロのまま長いこと放置されてたのを片付けるところから始まったんだけど、芸術祭が始まってから何件もあそこを使いたいって相談が来てる。実は僕も、今後の芸術祭準備のための拠点として使おうと思っているんだけどね(笑)」

旧宮島肉店外観。コンパクトながら均整の取れたプロポーションが特徴的。それにしてもよく見つけてきたなと思わされる、素朴な建物だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧宮島肉店外観。コンパクトながら均整の取れたプロポーションが特徴的。それにしてもよく見つけてきたなと思わされる、素朴な建物だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、旧宮島肉店に作品を展示するにあたり、壁紙を剥がすなど大胆に手を入れた。老朽化が進む建物を事務所として使うためには、それなりの改修が必要になる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、旧宮島肉店に作品を展示するにあたり、壁紙を剥がすなど大胆に手を入れた。老朽化が進む建物を事務所として使うためには、それなりの改修が必要になる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「今回、建築やアーティストとじっくり向き合ったからこその成功だったと思ってるから、この規模感は守っていきたい。なにも変えなくても、使う会場や展示する作家が変わるだけで全然違うイベントになるからね。これだけコンパクトだからこそ、街歩きもしながら1日で全部の会場を回れて、楽しみやすい芸術祭になってるし。少し数を減らして、1棟まるごと使った展示も考えてみたいかな」

鬼頭健吾氏の作品が外壁窓、中庭へ抜ける通路の天井と中庭に展示された、NTT東日本松本大名町ビル(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

鬼頭健吾氏の作品が外壁窓、中庭へ抜ける通路の天井と中庭に展示された、NTT東日本松本大名町ビル(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中庭にはカラフルなアクリル板でかたちづくられた舟型の作品が。単体で展示されるのと、ビル全体を使った展示のひとつとして見るのとではまた印象が変わってきそうだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中庭にはカラフルなアクリル板でかたちづくられた舟型の作品が。単体で展示されるのと、ビル全体を使った展示のひとつとして見るのとではまた印象が変わってきそうだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「次は蔵通りに会場を必ず設けたい。実はもう次回に使いたい建物は決まってて、ひとつは看板建築の古い薬局で、もうひとつは旧開智学校を手掛けた大工が建てた蔵。あとはどうにかして松本城を会場にできないかなっていうのは考えてる。この時期いろんなイベントが重なってて、今回は断念したんだけど。旧開智学校も耐震工事を終えたらお披露目をしたいね。規模は守りつつ、単発のイベントでサテライト会場として中心部から少し離れた場所を使ってみる、みたいなやり方にもチャレンジしたいな」

いまも薬局として使われているミドリ薬局。装飾から立体感が感じられる看板建築だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

いまも薬局として使われているミドリ薬局。装飾から立体感が感じられる看板建築だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

立石清重が晩年に手掛けた蔵。立石は旧開智学校の設計・施工にも携わった、明治期の松本で活躍した大工として知られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

立石清重が晩年に手掛けた蔵。立石は旧開智学校の設計・施工にも携わった、明治期の松本で活躍した大工として知られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

会場を変え、作家を変え、継続していく建築芸術祭。実現すれば、そのたびに建築やアートの新しい楽しみ方が見つかるに違いありません。

人と建築の関係に転換を迫る、アートの力

筆者が今回の芸術祭を通して感じたことは、建築の見方をほんの少し変えてみることで、こんなにも豊かな世界が広がっているのかということでした。会場に指定されていなければ、決して中に入ることも注目することもなかっただろう建物に、芸術祭をきっかけに出会うことができたことは、参加者皆の財産になっていることだと思います。実際に中に入ってみると、外観からはまったく想像がつかない魅力にあふれた建築をいくつも訪れることとなりました。それもそのはずで、おおうちさんがアートは人の生活のためにあるものと言うように、建築もまた人々の生活のためにあるものです。生活とともにある建築の姿を知って初めて、その建築の魅力も知ることができるのだと思います。

総合ディレクターのおおうちおさむ氏。隣の井村一登氏の作品は、おおうち氏所蔵のものから出品した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

総合ディレクターのおおうちおさむ氏。隣の井村一登氏の作品は、おおうち氏所蔵のものから出品した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中に足を踏み入れて、普段どのような使われ方をしているのか想像してみる、あるいはそこに置かれたアートと対峙することで、自分だったらこの建築にどんな価値を見出すことができるか考えてみる。そのような建築との向き合い方がデザインされていました。

そのような視点で日々の生活で触れる建築を見てみることで、いままで見過ごしていた可能性や価値を発見することができるかもしれません。松本ではいまもたくさんのお店が古い建物をリノベーションし、営業していますが、これからよりオリジナルな使われ方が模索されていくのではないかと期待が膨らむきっかけとなりました。さらに、そこにしかない建築に、その空間に合った作品を展示するマツモト建築芸術祭の枠組みは、全国どんな場所であっても実践可能だと、おおうちさんは語っていました。松本ではじまった建築活用の新しい取り組みが、全国さまざまな名建築を舞台に広がっていくことを夢見させてくれる、幸せな芸術祭でした。

●取材協力
m.truth 株式会社

佐賀県庁の食堂は県民集まるおしゃれカフェ! 住民向けイベントも。デザインはOpenA

セルフサービス方式のカフェの受付、木材の貼られたカウンターの脇にはランチやスイーツの品書きの黒板が。スチールパイプと木のシンプルなテーブルや椅子が並ぶラウンジ。ランチの混み合う時間を終えると、一角ではセミナーのためにプロジェクターを設置して、それに合わせてテーブルを並べ替えしている人々の姿が見える。洒落た大学キャンパスのカフェラウンジのようにも見えるが、ここは「県庁の地下食堂」(佐賀県佐賀市)だという。

県庁の職員食堂を、市民に開かれたカフェラウンジに

「放課後の時間になると、ライトコートに面したテーブルで近所の県立高校の生徒が自習している姿が見られます。役所の暗い地下食堂……から明るく開放的に一新され、職員だけでなく市民が訪れてくれる空間に生まれ変わりました」と話してくれたのは、佐賀県庁・総務部人事課の佐藤優成さんだ。

きっかけは、テナントとして入居し、県庁職員向けの食堂を経営していた事業者の経営不振からの撤退だった。県庁職員の昼食の受け皿である大切な食堂だが、佐藤さんによると「中小企業診断士に調査してもらったところ、職員の昼食需要だけでは採算が取れず経営が成り立たないという結果でした」という。そこで「県庁に訪れる市民や周辺住民にもランチ需要だけでなくホテルラウンジ的なカフェとして利用していただく方針とし、プロポーザル方式で事業者を募りました」(佐藤さん)と説明してくれた。

カフェのメニューやイベントなどの提案内容から、運営事業者としてサードプレイスが選定された。2018年3月に客席部分のみ整備してプレオープン、その後、厨房スペースの改修を行い、同年9月に佐賀県庁地下ラウンジ「SAGA CHIKA」がフルオープンした。
カフェはセルフサービス方式で、ラウンジは誰もが自由に出入りできる。職員や市民にとって、持ち込んだ飲み物やお弁当を食べることもできる、パブリックな空間という位置づけだ。

「SAGA CHIKA」の一角、セルフサービス方式のカフェ「CAFE BASE」。カウンター脇の黒板に、日替わりのランチ、スイーツのメニューが並ぶ(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」の一角、セルフサービス方式のカフェ「CAFE BASE」。カウンター脇の黒板に、日替わりのランチ、スイーツのメニューが並ぶ(写真撮影/村島正彦)

ラウンジには、誰もが自由に出入りでき、飲み物やお弁当を持ち込むことも可能だ。地下だがライトコートからの視線を遮らないことで、外光を感じられる空間となっている(写真撮影/村島正彦)

ラウンジには、誰もが自由に出入りでき、飲み物やお弁当を持ち込むことも可能だ。地下だがライトコートからの視線を遮らないことで、外光を感じられる空間となっている(写真撮影/村島正彦)

会議やセミナーにも使える柔軟な利用、県産食材の売り場スペースも

「SAGA CHIKA」の改修・インテリアなどを担当したのは、OpenA(オープン・エー)だ。
OpenAは、建築設計を中心にリノベーション、公共空間の再生、地方都市の再生、本やメディアの編集・制作などまで、幅広く行っている。
企画・デザインを担当したOpenAの加藤優一さんは、「既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子などを設けることで、様々な活用ができる緩やかな空間にしました」と話す。間仕切りやカウンター、ロングベンチなどには、佐賀県産のスギ材を用いた。

「SAGA CHIKA」の一角のカフェ「CAFE BASE」を運営するのは、サードプレイスの清田祥一朗さんだ。県庁も立地する佐賀城内地区にある県立博物館のカフェの運営も行っている。
清田さんは、隣県の福岡県出身で、オーストラリアで経験したカフェ文化に触れたことで、カフェ経営に夢を描いたのだという。その後、学生時代を過ごした佐賀に住まいを移し、現在は佐賀市内で3店舗を経営している。
県内の農家との繋がりを大切にして、県産の食品を使った料理を提供するとともに、ラウンジ内では佐賀県産の小麦粉や野菜、醤油・味噌など加工食品の販売も行っている。

既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子で構成した(写真撮影/村島正彦)

既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子で構成した(写真撮影/村島正彦)

間仕切りフレームやテーブル・椅子には県産材のスギ材を活用した(写真撮影/村島正彦)

間仕切りフレームやテーブル・椅子には県産材のスギ材を活用した(写真撮影/村島正彦)

カフェカウンターの脇では、佐賀県産の小麦粉がレシピカード付きで販売されている(写真撮影/村島正彦)

カフェカウンターの脇では、佐賀県産の小麦粉がレシピカード付きで販売されている(写真撮影/村島正彦)

羊羹、醤油、味噌など、佐賀県の名産品が販売されている。会計は、カフェカウンターで(写真撮影/村島正彦)

羊羹、醤油、味噌など、佐賀県の名産品が販売されている。会計は、カフェカウンターで(写真撮影/村島正彦)

ワークショップ、イベント開催で市民が足を運び親しまれる県庁に

2022年3月現在、「SAGA CHIKA」フルオープンから約3年半が経つ。
清田さんは「2020年春からの新型コロナウイルスの蔓延で、当初考えていたイベントなど満足に行えない状況ではあります。これまで、コーヒーセミナーや味噌づくりワークショップ、お酢のメーカーのトークイベントなど、地域の食関連の会社と連携しながら、市民の方にSAGA CHIKAに足を運んでもらうきっかけづくりを行っています」と話す。

また、カフェラウンジは、職員で混み合う昼休み以外は県庁内や外部の会議やセミナーにも場所貸しをしている。ラウンジのスペースを4つのブロックとして、事業者が県と協力してイベントなどを開催することは予約制で利用できる。取材で訪れた日には、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた。

人事課の佐藤さんは「旧来の職員食堂は、主に昼休みに職員だけが利用する場所になっていました。刷新されてオープンなスタイルになったSAGA CHIKAには、市民の方が足を運んでくれるようになり、施設の利用価値も高まり、県の発信する情報に触れていただく機会も増えたと思います」と話す。

エレベーターホールから「SAGA CHIKA」の入り口部分に当たる空間は、2021年4月に「SAGA TRACK」というスポーツ情報発信スペースとしてオープンした。2024年開催の「SAGA2024(佐賀国民スポーツ大会)」を市民にアピールする施設だ。佐賀県出身の柔道家、故・古賀稔彦氏のバルセロナ五輪のメダルや、「SAGA2024」のために整備が進められている「SAGAサンライズパーク」の模型展示など、「SAGA CHIKA」へ訪れる市民への広報にも一役買っている。

カフェを運営するサードプレイスでは、地元の食材関連の会社と連携してワークショップなど企画・開催している。写真は、お酢メーカーのトークイベントの様子(写真撮影/清田祥一朗)

カフェを運営するサードプレイスでは、地元の食材関連の会社と連携してワークショップなど企画・開催している。写真は、お酢メーカーのトークイベントの様子(写真撮影/清田祥一朗)

この日は、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた(写真撮影/村島正彦)

この日は、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」のエントランス脇には、2021年4月に「SAGA TRACK」が整備、オープンした。これは、2024年開催の「SAGA2024」のPR施設という位置づけだ。空間デザイン監修をOpenAが行った(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」のエントランス脇には、2021年4月に「SAGA TRACK」が整備、オープンした。これは、2024年開催の「SAGA2024」のPR施設という位置づけだ。空間デザイン監修をOpenAが行った(写真撮影/村島正彦)

用事がないと訪れない、市民には馴染みの薄い県庁。「SAGA CHIKA」は、リノベーションによって、職員の昼食利用のニーズに応えると共に、地域に開かれ、ランチやコーヒーを楽しむ市民の憩いの場に。「お堅い印象、入りづらい」をデザインの力と、カフェ事業者の企画・運営力による、市民に親しみやすい公共空間づくりの成功例と言えるだろう。

●取材協力
・佐賀県総務部人事課
・OpenA
・サードプレイス

「SUUMO住みたい街ランキング2022関西版」、大阪市中心部人気が高まる。郊外は明石などが再開発+子育て施策で人気アップ

リクルートは関西圏(大阪府・兵庫県・京都府・奈良県・滋賀県・和歌山県)に居住している20歳~49歳の4600人を対象に実施した「SUUMO住みたい街ランキング2022関西版」を発表した。今年はどんな順位になったのだろう。

昨年から順位逆転。1位は「梅田」、2位は「西宮北口」

まず「2022年の住みたい街(駅)」ランキングの結果を紹介しよう。
TOP3では4年連続1位を堅守していた「西宮北口」と2位の「梅田」が逆転。トップになったのは関西ナンバーワンの大都市「梅田」だった。
神戸市の中心地「神戸三宮」は今年も3位に。

住みたい街(駅)ランキング1位~20位

本年度より、集計方法を変更しており、上記の表の見方および、注意点については本記事末に表示。

4年ぶりに1位となった「梅田」。周辺ではJR大阪駅北側「うめきた2期地区開発プロジェクト」が進み、関空に直結するJR新駅が2023年に誕生予定など、再開発とともに将来への期待感の高まりが感じられる。

梅田駅周辺の風景(写真/PIXTA)

梅田駅周辺の風景(写真/PIXTA)

一方、盤石の人気を誇ってきた「西宮北口」だが、約10年ほど前から駅周辺の人口増加が落ち着いていた。対して梅田駅のある大阪市北区は5年で1割増程度のペースで人口増加を続けている。そのことからも人気の逆転現象がうかがえる。

若い世代の支持を集め、大阪市内中心部の人気が顕著に

TOP20に注目すると、「本町」「心斎橋」が初トップ20入りを果たした。
得点を見ても、「なんば」(+90点)「梅田」(+79点)「福島(22位)」(+66点)「本町」(+41点)など大阪市の中心部が昨年より急上昇。都心人気の高まりが顕著な結果となった。
ちなみに「梅田」は男女ともに20代で1位。「本町」は20代女性でベスト10に入るなど、若い世代からの支持が高いことがわかる。

梅田エリアに隣接する「福島」は「うめきた2期」の波及効果で人気が上昇。初トップ20入りした「本町」は、西区と中央区のほぼ境目。両区ともタワーマンションの相次ぐ誕生や靭(うつぼ)公園、大坂城公園など都心部でも緑豊かな環境とあって、子育て層が流入。このため「本町」のある中央区は15歳未満人口が大幅に増加している。

本町の街並み(写真/PIXTA)

本町の街並み(写真/PIXTA)

一方、「岡本」(8位→12位)「芦屋川」(13位→19位)などブランドイメージの強い阪神間の住宅地がやや順位を下げている。
共働き世帯率が上がり、新築マンションを中心とする大阪市内の住宅供給が増えたことから、大阪市内中心部の居住ニーズが高まった結果だろう。

関西圏はコロナ禍でも郊外より都市部

2年前から続くコロナ禍で、郊外への注目度が上がったことは報道でも伝えられている。首都圏の住みたい街ランキングは郊外人気が顕著な結果となった。
ところが、関西では逆に都市部への注目度が一層増す結果に。なぜか。
関西は首都圏に比べてテレワーク率が低いことが理由のひとつにあげられる。また、生まれ育った地域に住み続けている人が多いことや、通勤時間が首都圏ほど長くないことなどから、コロナ禍でも生活スタイルを変える人が少なかったためではないだろうか。

「明石」がランクアップした理由とは?

一方、都心部以外で大きくランクアップし、初のベスト20入りしたのが「明石」(27位→16位)。
「住みたい自治体」でも明石市は過去最高の6位となり、関西全体で最も得点を伸ばした(+123点)。

住みたい自治体ランキング(1位~20位

明石がこれほどランクアップしたのはなぜだろう。
明石市は神戸市など周辺エリアからファミリー層が流入し、2020年の国勢調査では人口増加率が全国62中核市で1位になっている。
明石駅周辺で長年進められていた再開発が完成し、大型商業施設や子育て支援などの公共施設、タワーマンションが整備されたことに加え、子ども医療費の無料化、第2子以降の保育料無料化、中学校の給食の無償化など市が子育て支援の施策を次々に打ち出し、ファミリー層を引きつけているようだ。
投票した理由として、駅周辺のショッピングモールや商店街の利便性、緑豊かな明石公園など、派手ではないが暮らしやすさを評価する人が多かった。
また、明石市に投票した人のうち、神戸市・明石市以外の兵庫県に住む人が半数近くを占めた。子育て支援の取り組みなど、市民目線の自治体の施策が、他都市から新住民を呼び込む大きな要因となっていることがわかる。

明石市(写真/PIXTA)

明石市(写真/PIXTA)

「住みたい自治体」では、草津市(+43点)、姫路市(+58点)も得点が急上昇した。
草津市の中心部である「草津」や「南草津」は、再開発により大型商業施設を整備。両駅を核とする地域発展への期待に加えて、琵琶湖畔の景観に恵まれた住宅地の美しさや、JRで大阪と直結する交通アクセスの良さなどにより、不動産価値上昇への期待などが高支持の理由だろう。
「姫路市」も駅周辺の再整備で駅前に大型商業施設が整備。大ホールのある姫路市文化コンベンションセンターやはりま姫路総合医療センターなどの大型施設のオープンが相次ぎ、駅周辺が目覚ましい発展を見せている。

明石市、草津市、姫路市はいずれも再開発・大型整備が完成したことで街が美しく整備され、生活の利便性を増した。さらにJR新快速電車の停車駅で大阪や神戸、京都への通勤が可能なことなどが、共通した魅力といえる。

再開発で変化した姫路駅前(写真/PIXTA)

再開発で変化した姫路駅前(写真/PIXTA)

ブランドより実利性が重視される傾向

住みたい街2022を見ると、若い世代の都心部人気の高まりとともに、郊外でも子育てしやすい住環境や自治体の施策が評価に影響していることを感じた。
明石市がその典型だが、高槻市(+40点)も医療施設や教育環境の充実が支持を集めており、姫路市も文化・娯楽施設や学びの施設充実で評価を高めている。
従来からのイメージやブランド力だけでなく、実利面でも住みやすさに注目が集まっている印象をもつ。今後、西宮北口のような住みたい街ランキング上位の常連となる街が新たに登場するかもしれない。今後の結果が楽しみだ。

■関連ページ
>「SUUMO住みたい街ランキング2022 関西版」
>住みたい街ランキング トップページ

■記事中に紹介しているランキング表について
・調査対象は関西2府4県(大阪府・兵庫県・京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県)に住む20代~40代の男女4600人。調査は2022年1月に実施。最も住みたい街(駅・自治体)から3位までを投票し、最も住みたい街を3点、2番目に住みたい街を2点、3番目に住みたい街を1点として集計している。
・本年度より、集計方法を「※注」のように変更している。
※注:本年度より、「駅すぱあと路線図」において、複数の駅が、地下通路や連絡通路でつながっている場合には同じ駅として集計している。表中の※印は本年度より得点を合算している駅で、先頭に表記している駅を代表して表示している。以下が合算している対象駅
※1:梅田 大阪 大阪梅田 東梅田 西梅田 北新地
※2:神戸三宮 三ノ宮 三宮 三宮・花時計前
※3:なんば 難波 大阪難波 JR難波
※4:天王寺 天王寺駅前
※5:神戸 高速神戸 ハーバーランド
※6:烏丸 四条
※7:明石 山陽明石
※8:心斎橋 四ツ橋

ニューヨーカー、日本に魅了され自宅を「Ryokan(旅館)」にリノベ! 日本の芸術家は滞在無料

ニューヨーク・マンハッタンの繁華街にある、8階建てのビル。エレベーターで上階に上がるまで、このビルの中に「和の空間」が存在しているなんて誰が想像できるでしょう?
持ち主は、26年前の訪日以降、日本の大ファンになり日本の文化に敬意を表すニューヨーカーの男性です。一体彼はなぜ、自宅を和室空間にリノベーションしたのでしょうか? お部屋を見せてもらいました。

訪日で日本文化に魅了され、自宅を和の空間に大改造

ニューヨーク・マンハッタンのダウンタウン地区。地下鉄ユニオンスクエア駅から徒歩5分の便利な場所に、煉瓦造りのコンドミニアム(日本でいう分譲マンションにあたるもの)があります。この辺ではよく見かける 歴史的なヨーロッパ建築の8階建てビルです。

エレベーターで7階に上がり、廊下の奥のドアを開けると、なんと2間の「和室」が広がっています!

京都から取り寄せた畳以外の和の素材は、アメリカ現地で調達したもの。全部で約700スクエアフィート(65平米)(写真撮影/安部かすみ)

京都から取り寄せた畳以外の和の素材は、アメリカ現地で調達したもの。全部で約700スクエアフィート(65平米)(写真撮影/安部かすみ)

持ち主は、スティーブン・グローバス(Stephen Globus)さんというマンハッタン生まれ・育ちの生粋のニューヨーカーです。彼は26年前、出張で初めて日本を訪れ、京都・龍安寺の冬景色の美しさに息を呑んだと言います。その後も、東京・新宿の友人の日本家屋に滞在する機会が幾度かあり、「畳の生活」に魅了されたそうです。

ニューヨークに戻ってからも「畳の間が恋しい」と思うようになり、当地にある日系の施工会社、MiyaSに相談したところ、ニューヨークでも和の空間をつくることができると知り、早速自宅の大改築を依頼。2004年に完成したのが、この和室空間なのです。

茶会用に水屋も備わっている(写真撮影/安部かすみ)

茶会用に水屋も備わっている(写真撮影/安部かすみ)

床の間(写真撮影/安部かすみ)

床の間(写真撮影/安部かすみ)

「日本人はチェックアウトの際、必ず来た時よりも綺麗に掃除して出発しますね」と感心する、家主のグローバスさん。お気に入りの浴衣を羽織って(写真撮影/安部かすみ)

「日本人はチェックアウトの際、必ず来た時よりも綺麗に掃除して出発しますね」と感心する、家主のグローバスさん。お気に入りの浴衣を羽織って(写真撮影/安部かすみ)

構想の段階では、ただ「自分のために和室を」いうコンセプトでしたが、完成すると噂は瞬く間に広がっていき、「茶室として利用できないか?」という周囲のリクエストが多く集まったそうです。それに応え、せっかくなので茶室として一般向けに、スペースの提供を始めました。そうして茶会イベントが徐々に増え、日本人や日系の人々、日本文化が好きな地元の人の間で「話題の場所」になりました。

ただ、ここはそもそも茶室専用に つくったわけではなかったため、茶道口(点前をするときの亭主用の出入り口)や炉(ろ)がない状態です。本格的な茶会イベントが頻繁に行われると、どうしても不便が生じてしまうようになりました。

そこでグローバスさんは、今度は8階の別の自室スペースとペントハウスのスペースを利用して、本格的な茶室にリノベをしたのです。そうして誕生したのが「グローバス和室」(憩翠庵)でした。

現在は、7階を「グローバス旅館」としてアーティスト向けのゲストハウスにし、8階とペントハウスの「グローバス和室」を、当地在住の茶の講師(表千家流、上田宗箇流)に使ってもらい、一般向けに茶会を定期的に催しています。

8階は茶室スペースの「グローバス和室」。写真は昨年12月に行われた着物の展示イベント(写真撮影/安部かすみ)

8階は茶室スペースの「グローバス和室」。写真は昨年12月に行われた着物の展示イベント(写真撮影/安部かすみ)

「グローバス旅館」について特筆すべきは、ここはアーティストであれば「無料」で滞在できる場所ということです。その理由をグローバスさんに聞いてみると、「私は芸術が好きなので、日本とアメリカの文化交流の場をつくりたいのです。才能ある日本人アーティストにニューヨークで夢を叶えてほしい」と言います。

「予算が限られた中で活動をしている芸術家が多く、いざニューヨークでアート活動と言っても滞在費用はかさみますから、才能ある芸術家のサポートができたら嬉しいです」。つまり、ここで芸術活動をしてもらう代わりに、無料でこの和室空間を彼らの滞在先として提供したい、ということなのです。

これまで滞在したアーティストやパフォーマーの数は100人を優に超え、茶会、絵の展示会やライブ・ドローイング・パフォーマンス、生け花、舞踊、琴や三味線などの演奏会、着物の展示会などさまざまなイベントが行われてきました。

例えば2016年、当地在住の日本人カップルのために、福岡県の宮地嶽神社から宮司や巫女を招き、神前結婚式を行っています。「その時は6人の巫女さんが当旅館に滞在しました」(グローバスさん)。

グローバス旅館の奥の部屋(写真撮影/安部かすみ)

グローバス旅館の奥の部屋(写真撮影/安部かすみ)

2部屋にある布団は3人分なので、それ以上のグループでは過去に、寝袋で滞在した人もいたそうです。「私の提供しているものは、カルチュラル・グッドウィル(文化に絡んだ親善活動)です。つまり私がトップアーティストを支援したいという気持ちによるものですから、(通常の)ホテルやホテルのようなサービス、アメニティがここにあるわけではないことをご理解ください」。そして、「ニューヨークで夢を叶えてもらって、私が日本に行った時に彼らのプログレス(進化)を見るのを楽しみにしているんですよ」と、目を輝かせながらグローバスさんは言います。

ここでの芸術イベントおよび滞在に興味があれば、下のウェブサイトの「Contact」から問い合わせてみてください。

障子の外は、ニューヨークの日常の景色が広がっている。室内は外界の音が遮断され、ここがマンハッタンというのを忘れてしまうほど静か(写真撮影/安部かすみ)

障子の外は、ニューヨークの日常の景色が広がっている。室内は外界の音が遮断され、ここがマンハッタンというのを忘れてしまうほど静か(写真撮影/安部かすみ)

2年に及ぶコロナ禍。年の大半をビーチで過ごす

普段はベンチャー・キャピタリストとして活動するグローバスさん。2020年春、ニューヨークで新型コロナウイルスの感染が大拡大し、人々の間ではリモートワークがニューノーマルとなりました。これを機に州外や国外に居住地を移した人も多いです。

グローバスさんも人口密度が高く、ウイルスが蔓延する市内に留まることをやめ、2020年と2021年はそれぞれ5月から11月の間、セカンドハウスのある郊外のロングアイランド(ニューヨーク州南東部に広がる 地域)にある、車の通行が禁止されている島、ファイアーアイランドのビーチハウスで生活しました。

また今年頭まで、家族の住むフロリダやヨーロッパ、そしてハワイにも滞在。「仕事をしている以外は、人の密度が低いビーチを散歩するような生活でした」と、すっかり大自然の中で充電してきた模様です。

州民の大多数がワクチン接種を完了し、感染状況が落ち着きつつあるニューヨークには、2月に戻ってきたばかりです。避難生活中も着物の展示イベントなどを開催し、そのようなイベントを行うたびに、スーツケースを抱えて、戻って来ていました。

久しぶりに故郷であるニューヨークに戻り、アメリカ用につくられたやや深めの堀ごたつに腰掛けてくつろぐグローバスさん。「やっぱり和の空間は心が落ち着きますね」と言いながら、心底リラックスしているようでした。

●取材協力
グローバス和室
グローバス旅館(ゲストハウス)
889 BroadwayNew York, NY 10003

パリの暮らしとインテリア[13] アーティスト河原シンスケさんが暮らす、狭カッコいいアパルトマン

パリを拠点に活動するアーティストの河原シンスケさんは、若者に人気のエリア、バスティーユに暮らしています。話題のレストランやショップが次々と誕生するそばで、庶民の市場やおじさんたちのカフェが健在しているミックス感が、とても居心地良いのだそう。アーティスト・河原シンスケ(かわはら・しんすけ)さんの住まいにおじゃましました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

今の自分に合わせて選んだ、コンパクトな住まい

ヨーロッパ、アメリカ、アジアの、さまざまな都市を舞台に活動するアーティスト、河原シンスケさん。日本に生まれ、武蔵野美術大学を卒業し、アーティスト活動を始めてからはパリに暮らしています。

河原さんのアートに頻繁に登場する動物、うさぎ。うさぎをモチーフにしたオブジェが室内のあちこちに点在している。うさぎの黒いキャンバス画は河原さんの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんのアートに頻繁に登場する動物、うさぎ。うさぎをモチーフにしたオブジェが室内のあちこちに点在している。うさぎの黒いキャンバス画は河原さんの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

その生活は文字通り移動の連続で、フランスでエルメスとのコラボレーションを続けつつ、東京都南青山にあるギャラリーSCÈNEや宮城県仙台市の仙台うみの杜水族館、ブリュッセルの@elevensteens 等で展覧会を開催する、といった具合。フットワークの軽さは引越しにも影響するのか、パリ暮らしの約30年の間に、なんと7回も住居を変え、そのたびに改装を重ねたそうです。

「パリで最初に住んだワンルームは、レピュブリック広場近く、今人気の北マレにある小さな住まいでした。そのあとでエッフェル塔の正面にある住まいや、90平米もある歴史的なアパルトマンなど、広さも、建築年代も、さまざまな住居に暮らしました。8年前に引越してきた今の住まいは、日本式でいう1階(海外では日本の2階部分を1階と数える)にあります。日本やフランスの地方都市への移動が多くなったころに、生活をコンパクトにしたいと思って、これまで住んだことがない20平米のワンルームを買いかえました」と、河原さん。

住まいの目の前は車の入らない路地。通行人の行き来もあまり激しくなく、若者エリアにありながらエアポケットにいるよう。古き良きパリの風情の中に、若者に人気のレストランが点在している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

住まいの目の前は車の入らない路地。通行人の行き来もあまり激しくなく、若者エリアにありながらエアポケットにいるよう。古き良きパリの風情の中に、若者に人気のレストランが点在している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

20平米はともかく、フランスでは1階の物件は人気がありません。集合住宅の入り口の階なので、人が出入りするたびにドアを開閉する音が響いたり、窓の目の前を通行人が行き来したり。都市の喧騒がそのまま住空間の中に入ることが、敬遠される理由です。日当たりも良くありません。住みにくいことが大前提になっている証拠に、かつて建物の入り口脇の1階は、管理人が暮らすスペースの定番でした。そこをなぜあえて、河原さんは選んだのでしょう?

「移動が多い私にとって、スーツケースを簡単に出し入れできる1階の住まいは何より楽です。段差がないので、作品の搬出の際も便利。そしてコンパクトな住まいは戸締まりが簡単で、セキュリティ面の心配も少ないでしょう。以前、90平米に住んでいた時は、出張のたびにチェックポイントが多くてなかなか面倒でした。今は東京からパリに戻って荷物を置いて、そのままブリュッセルへ出張、ということもとても楽にできます」

あえて暗く演出した室内はひっそりとしたムードがあり、とても落ち着く。壁画アートに見える木製の壁は、全て収納の扉(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あえて暗く演出した室内はひっそりとしたムードがあり、とても落ち着く。壁画アートに見える木製の壁は、全て収納の扉(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階には1階のメリットがある。これは意外な発見でした。でも、日当たりや通行人による騒音はどうでしょう?

「もちろん日当たりの良い住まいの方が、悪い住まいよりはいいですよね。でも住まいというのは、その時その時の予算の中で、自分が何を優先するかで決まると思うのです。これから先また変わるとしても、今の私にとっての優先順位はまず、移動が楽な1階であること、そしてコンパクトであること。その優先順位の中で納得のいく物件を選び、そしてその中で、自分にとって暮らしやすい空間づくりに挑戦したいと思いました」

「狭くて落ち着く大人な場所」を表現

「自分にとって暮らしやすい空間」をつくる! そう明確な意図があった河原さんは、物件を購入するや否や大改装に着手しました。入り口のドアを塞ぎ、逆に塞がれ使われていなかったほうのドアを開け、こちらを入り口に変更。リビング側から住まいに入るつくりに変えました。リビングの奥に続く細長い空間は、キッチン兼バスルームに。システムキッチンは、奥行きをリビングとの仕切りになった入り口の開口に合わせてオーダーメイドしたものです。そのおかげでシステムキッチン全体が壁面のようにペタンと空間に収まり、全く圧迫感がありません。

リビングの開口に合わせて、ペタンと平面になるようデザインしたシステムキッチン。その向かいにバスタブが設置されている。洗濯機とトイレも、バスタブの延長に並列(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングの開口に合わせて、ペタンと平面になるようデザインしたシステムキッチン。その向かいにバスタブが設置されている。洗濯機とトイレも、バスタブの延長に並列(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オーダーメイドのシンクは奥行き約30cmとコンパクト。収納扉の取っ手は、バーナーを使って自分で焼き色を入れ加工した。河原さんは料理の腕前も有名。シンプルでおいしいおしゃれなレシピを日本の雑誌で連載中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オーダーメイドのシンクは奥行き約30cmとコンパクト。収納扉の取っ手は、バーナーを使って自分で焼き色を入れ加工した。河原さんは料理の腕前も有名。シンプルでおいしいおしゃれなレシピを日本の雑誌で連載中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンに立った時に、背の側になる壁面がバスタブとトイレです。こちらも、リビングからの開口部の幅に合わせた奥行きにそろえて、スッキリと造り付けました。なんと、今バスタブが置かれている壁面が、以前の入り口ドアの場所だというのですから、河原さんの大改装がどれだけ抜本的なものだったのか想像できるというものです。白いパネル式のスライドドアでトイレや洗濯機をカバーして、1枚の壁にして隠す仕組みも、河原さんの考案によるオーダーメイドです。

「一人暮らしだからこんなことも可能」と、大胆な場所に設置したバスタブ。なんと今はタイルで覆われている壁が、物件購入時にはドアだった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「一人暮らしだからこんなことも可能」と、大胆な場所に設置したバスタブ。なんと今はタイルで覆われている壁が、物件購入時にはドアだった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンの向こうは小さな中庭。リビングの窓と合わせて、窓はトータル2カ所ある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンの向こうは小さな中庭。リビングの窓と合わせて、窓はトータル2カ所ある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「小さな住まいだからといって、学生の一人暮らしみたいな場所にはしたくありませんでした。これまでもずっとそうでしたが、ここでも『真似できない独特の空間をつくる』ことをポリシーに、住まいづくりをしています。もし家族がいたら20平米は狭すぎるでしょうし、予算は同じでも優先したいこと、しなければならないことは他にあったでしょう。でも私は今一人で、自分が満足するための空間づくりに集中することができるのです。ここには『狭くて落ち着く大人な場所』をつくりたいと思いました」

居心地の良さに必要な条件は、どうやら広さや日当たりにあるとは限らないようです。河原さんの住まいに居ると、確かにそう感じます。今の自分が満足するには何を優先するべきか、そこがカギになる、とスッと納得できるのです。では、1階にあるこの20平米がなぜ心地よいのか、そのポイントを探っていきましょう。

キッチンとリビングの間の開口部上に、トレーニング用のバーを設置。ジムの役割も備え、今の自分にとって必要な全てを装備した空間に。2カ月間続いたコロナ禍のロックダウン中も、この住まいのおかげで快適に過ごすことができた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンとリビングの間の開口部上に、トレーニング用のバーを設置。ジムの役割も備え、今の自分にとって必要な全てを装備した空間に。2カ月間続いたコロナ禍のロックダウン中も、この住まいのおかげで快適に過ごすことができた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

床暖房と、暗い照明

まず、住空間の快適さのために、河原さんは床暖房を取り入れました。床暖房は暖房装置としての性能が優れていることに加え、もし暖房器具を取り付けるとなった場合に必要な、気に入ったデザインを見つける時間や労力をまるまるカットすることができます。多忙な人ならなおのこと、この素早いジャッジは参考にしたいところです。さらには、暖房器具そのものを住空間に取り付けなくて済む、という大きなメリットもあります。小さい住まいにとって、電気機器等の家電の出っ張りは、できればない方がありがたい!

暖房器具としても、装飾のオブジェとしても、活躍している暖炉。暖炉はもともとあったものを残した。来客のあった時などにムードづくりも兼ねて使用するとか。暖炉の奥行きと窓の開口に合わせて、壁面収納をオーダーした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

暖房器具としても、装飾のオブジェとしても、活躍している暖炉。暖炉はもともとあったものを残した。来客のあった時などにムードづくりも兼ねて使用するとか。暖炉の奥行きと窓の開口に合わせて、壁面収納をオーダーした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そして照明。1階であるが故の暗さをカバーするために、天井にスポットを付ける、という発想が一般的なところですが、河原さんはその反対。できるだけ暗くする目的で、アンティークやヴィンテージのライトを採用しました。

うさぎモチーフのネオンを照明に。明るさを抑えた照明をいくつも組み合わせるのが、心地よさのポイント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

うさぎモチーフのネオンを照明に。明るさを抑えた照明をいくつも組み合わせるのが、心地よさのポイント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ライティングはくつろぎの演出にとってとても重要な要素です。落ち着きやリラックス感を得られるよう、できるだけ暗い照明にしたいと思いました。ライトの他に、キャンドルも毎日の生活に取り入れています」

『狭くて落ち着く大人な場所』は、床暖房の快適さと、抑えた照明がポイントであると言えそうです。実は、リビングにある唯一の窓の前には、屏風が置かれています。自然光をさえぎるのはもったいない、と多くの人が思うところですが、こうすることで窓の前を歩く通行人の存在が気にならず、なんとも言えない隠れ家的ムードが生まれるのでした。

窓の前の屏風は、河原さんの作品。ここにもうさぎが登場している。花は河原さんの生活に欠かせない大切なディテール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓の前の屏風は、河原さんの作品。ここにもうさぎが登場している。花は河原さんの生活に欠かせない大切なディテール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

既製品に手を加えて、自分だけのオリジナル家具に

あえて照明を暗くして、心地よさを演出した小さな住まい。コンパクトだからこそ、空間を最大限に生かすために、システムキッチンや収納をオーダーすることが不可欠だったことがわかりました。照明と、造り付けのオーダー家具の他はどうでしょう? 他の部分の、心地よさのポイントは? そう思って河原さんの住まいを眺めて気づくのは、目に入る全てが河原さん流だということです。

「コンパクトな生活をしたくて決めた20平米の暮らしでしたから、持ち物も厳選して、徹底的にミニマムにしました。ここには必要なもの、気に入っているもの、実際に使うものしかありません。小さい子どものいる家だったら、お客さん用の食器と普段使いのものを使い分けた方が安心です。でも、ここはそうではない。気に入っていて、使う食器だけがあれば十分で、たくさん持つ必要がないのです」

リビングのベッドは毎朝布団を収納に片付け、毎晩眠る前にベッドメイキングしている。毎日きちんとやるのは大変だ、と思ってしまうが「日本の布団だってそうでしょう?」と言われてみれば確かにそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングのベッドは毎朝布団を収納に片付け、毎晩眠る前にベッドメイキングしている。毎日きちんとやるのは大変だ、と思ってしまうが「日本の布団だってそうでしょう?」と言われてみれば確かにそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そのように厳選されたものが集まっているから、目に入る全てが河原さん流なのでしょう。壁のペイントや、作品のインスタレーション、そして既製品にバーナーで焼き色をつけた家具など、河原さんの手によるものと、アンティークのベッドや椅子、ヴィンテージの照明といった河原さんが選んだお気に入りが混在し、『真似できない独特の空間』がつくられているのでした。

イケアのテーブルと椅子は、バーナーで焼き色を入れて自分で加工した。このテーブルで6人が着席するディナーを振る舞うことも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イケアのテーブルと椅子は、バーナーで焼き色を入れて自分で加工した。このテーブルで6人が着席するディナーを振る舞うことも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バーナーで焼き色を入れた収納家具と壁面。ここが入り口のドア(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バーナーで焼き色を入れた収納家具と壁面。ここが入り口のドア(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アールデコのカトラリーホルダーも日常使いの小物。そしてこれも、やはりうさぎ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アールデコのカトラリーホルダーも日常使いの小物。そしてこれも、やはりうさぎ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんのお話を伺いながら、いつか取材した女性内装デザイナーの話を思い出しました。家づくりは洋服選びと違って経験値が少ない分、失敗が怖くて冒険ができません。そう彼女に伝えると、「あなたの住まいなのですから、あなたが好きなようにすればいいのです。第一、外科の手術ではなくてインテリアです、失敗したらやり直せばいい。もし誰かに悪趣味だと言われたとしても、あなたの家はあなたのためのものですよ」との言葉。自分にとっての優先順位を明確にして、自分がいいと思うものを選ぶ、という河原さんのお話と、核心は同じです。そして同時に思うのです、自分が選ぶこと、自分が決めることに、なんと私たちは不慣れなことか! そう河原さんに伝えると、そっと背中を押してくれる言葉が返ってきました。

「予算や、家族等の条件や、色々を含めて、その中で最大限に楽しもうと考えてはどうでしょう? せっかく自分で、住まいづくりができるのですから」

河原さんのように、セオリーではなく、自分を優先してみる! そう考えるだけでプレッシャーから解放され、気が楽になります。住まいづくりを自由に楽しむことができそうです。

自分のバッグのオリジナルペイントは、フランスのファッション&アクセサリーブランドである「ピエール・アルディ」とのコラボの楽しみとして始めた。その後オーダーが殺到し、4月中ごろからピエール・アルディのサイトにも登場することに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分のバッグのオリジナルペイントは、フランスのファッション&アクセサリーブランドである「ピエール・アルディ」とのコラボの楽しみとして始めた。その後オーダーが殺到し、4月中ごろからピエール・アルディのサイトにも登場することに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

個性的なドクロのドアノブは、道端で拾ったもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

個性的なドクロのドアノブは、道端で拾ったもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の高さを生かして設置したインスタレーション。鏡の額装を兼ねている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の高さを生かして設置したインスタレーション。鏡の額装を兼ねている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのパリ暮らし。そしてこれから。

フランス人が敬遠する1階のワンルーム、しかもコンパクトな20平米をあえて選んで、自分のための快適な空間づくりに挑戦し、それを実現した河原さん。住まいがあるエリアもお気に入りで、19世紀から続くアリーグルの市場や、目利きが選ぶアンティークショップ、おしゃれなカフェやベトナムレストランなど、庶民の活気と最新アドレスが混ざり合うパリならではの環境を、一人のパリジャンとして日々、満喫しています。朝ちょっと外に出てテラスでカフェを飲む。そんななんでもないことが当たり前にできるのも、パリ暮らしの魅力だ、と。

天気がいい時、気分転換したい時、打ち合わせの時、ふらりと活用できるカフェはパリジャンにとって第2のリビング(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天気がいい時、気分転換したい時、打ち合わせの時、ふらりと活用できるカフェはパリジャンにとって第2のリビング(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんがよく立ち寄るヴィンテージのショップ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんがよく立ち寄るヴィンテージのショップ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリジャンの暮らしに花は欠かせない。庭は無くとも、新鮮な切花が部屋にあればフレッシュな季節感を感じられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリジャンの暮らしに花は欠かせない。庭は無くとも、新鮮な切花が部屋にあればフレッシュな季節感を感じられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

19世紀から続くアリーグル市場はいつでも庶民の活気に満ちている。河原さんのお気に入りスポットの一つ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

19世紀から続くアリーグル市場はいつでも庶民の活気に満ちている。河原さんのお気に入りスポットの一つ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「でも実は、そろそろ次を考え始めているのですよ。気に入っていても、飽きるので(笑)。次の住まいは、広々とした郊外もいいかもしれませんし、コロナ禍以降人気の上がっている地方都市も面白いかもしれません。ヨーロッパのほかの都市という選択肢だってあり得ます。いろいろな考えが浮かんでは消えてゆき、まだ確定していません。というのも、ギャラリーや美術館の多いパリの暮らしがやっぱり好きですし、世界中どこへ行くにもここは便利ですから」

新しい住まいづくりは新しいチャレンジ! そう捉えている河原さんだからこそ、暮らし変えを躊躇せず、常に前に進んで行けるのだなあと実感しました。

(文/角野恵子)

●取材協力
河原シンスケさん
HP
Instagram
●関連サイト
ピエール・アルディ

ランニングして朝食を楽しむ、ゆるコミュニティがじわじわ増殖中! コロナ禍で仲間づくりどうしてる?

長引くコロナ禍で、運動不足に悩む人が増えました。屋外で取り組めるランニングは、コロナ禍にもおすすめのスポーツ。とはいえランニングにはストイックなイメージがあり、少しハードルが高く感じることもあるでしょう。今回はランニングを楽しく気軽にできると人気のコミュニティ、「ランニングと朝食」の活動を深掘りします。ランニングでまちを知り、朝食でコミュニケーションを楽しむユニークな活動の内容とは? 主宰者の林 曉甫(はやし・あきお)さんに聞きました。

仲間と「はじまりの時間」を共有し、心地よい休日をスタートする「ランニングと朝食」は国内外に全27チーム(2022年3月4日時点)あり、イベントにはフェイスブックのグループページにて参加表明をすることが必要(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」は国内外に全27チーム(2022年3月4日時点)あり、イベントにはフェイスブックのグループページにて参加表明をすることが必要(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」は、フェイスブックの承認制グループを軸にしたランニングチーム。登録者900人超えの、このランニングサークルの活動内容は至ってシンプル。それは「走って、食べて、おしゃべりする」ことです。

グループに参加すると、メンバーの各地での活動の様子や、「東京チーム」「東横線チーム」や「中央線チーム」「シアトルチーム」「鎌倉チーム」など国内外で活動する27チームの、週末ランニングの予定と参加者募集情報が流れてきます。

実際にチームランに参加しているメンバーは、フェイスブックグループのなかの一部ですが、個人で走って美味しい朝食を食べたことをシェアする人も目につきます。また自ら投稿をせずとも、フェイスブックの「ランニングと朝食」グループに休日に流れてくる投稿――各地のメンバーのランニング風景や美味しい朝食の写真を見るだけでもOK。刺激を受けて、良い休日を過ごそうというモチベーションが高まりそうです。

主宰者の林 曉甫さんは、実は「大切なのは、走ることそのものではない」と言います。

「初期メンバーが『ランニングと朝食』について、『それって、はじまりの時間を共有することだね』と指摘してくれたのですが、それが正にこの活動を言い当てていると思います。週末の朝に走ることと朝食を食べることで、はじまりの時間を共有することが大切。ポイントは走る、ではなく共有することなんです」(林 曉甫さん)

フェイスブックの承認制「プライベートグループ」が活動のハブ。基本的に走る意欲や朝食が好きであれば承認しているそう。メンバーの数は1000人に迫る(フェイスブックより)(写真提供/ランニングと朝食)

フェイスブックの承認制「プライベートグループ」が活動のハブ。基本的に走る意欲や朝食が好きであれば承認しているそう。メンバーの数は1000人に迫る(フェイスブックより)
(写真提供/ランニングと朝食)

「ランニングと朝食」主宰者の林 曉甫(はやし あきお)さん(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」主宰者の林 曉甫(はやし あきお)さん(写真撮影/蜂谷智子)

走らずに朝食を食べるだけでも歓迎のランニングチーム

ランニングコミュニティというと、運動が得意な人、意識が高い人でないと付いていけない気がして、参加に勇気が要ることも。でも「ランニングと朝食」には、そんな心配は無用です。

走る距離も決まっていないし、目標タイムもありません。速く走れなくても、途中で歩いてしまってもOK。朝食を食べるだけの参加だって歓迎です。

「この活動自体のユニークネスをあげるとしたら、徹底してハードルを設けないこと。そもそも僕がこの活動を始めたのが、『独りだと走り続けられないから、誰かと走りたい』という動機だったりします。タイムの向上とか、距離を走れるようにとか、そういうことは全く考えてなかったんですね。

活動開始からもうすぐ6年。周囲の友人だけだったメンバーも今や1000人に迫る勢いですが、『共にやる』という軸はブラさずにいます。参加者が子どもであっても、遠方に住んでいても、参加して欲しい。ランニングスタイルもそれぞれで、途中歩いてもいいし、走らないで朝食会場で合流したっていいのです」(林さん)

「誰かと一緒に楽しく体を動かして、美味しいものを食べたい」というのは誰もが抱くシンプルな欲求。そんな願いを気負わずにかなえられるからこそ、「ランニングと朝食」が、これだけのメンバーを集めているのかもしれません。

コロナ禍においては、マスク着用でソーシャルディスタンスを取り、感染対策を取りながら活動している(写真撮影/蜂谷智子)

コロナ禍においては、マスク着用でソーシャルディスタンスを取り、感染対策を取りながら活動している(写真撮影/蜂谷智子)

走ることでまちの解像度が上がり、体の経験値として積み重なっていく

27もチームがあると、自分の地元とは違う地域の「ランニングと朝食」チームに参加する楽しみもあります。

「旅先で地元のチームに参加することもできます。僕自身は東京チームが家から近いのですが、東横線沿線の東横線チームで走ったり、京都や鎌倉のチームにジョインしたり。そうやって『ランニングと朝食』つながりで知らない者同士が時間を共有したり、知らないまちを走ったりということが、楽しいですね。

走ったり朝食を食べたりしながらしゃべることで、知らない人とも距離が縮まりますし、走ることでまちの解像度も上がります。例えば東京だと移動は基本電車です。なかでも地下鉄に乗ってしまうと身体感覚があやふやなまま隣のまちに移動しているということが往々にしてあります。そこを走ってみることで体の経験値として、まちの記憶が積み重なっていくのではないでしょうか」(林さん)

軽いランニングの距離が5kmだとして、家から5km圏内にどんな風景があるのか、5km走るとどんな場所へ行けるのか、実は私たちはよく知りません。いつもは電車で移動してしまう5kmを自分の足で走ることで、素敵な風景やおいしい朝食のお店を発見することもありそうです。

「ランニングと朝食」では、メンバーが見つけた、休日にモーニングを食べられる店をマップにアーカイブしているそう。その履歴が積み重なって、今や登録されている朝食スポットは国内外で500件以上。「はじまりの時間を共有する」ための、貴重なデータです。

各地の朝ごはん情報。朝食を出すお店の多彩さに、驚く(写真提供/ランニングと朝食)

各地の朝ごはん情報。朝食を出すお店の多彩さに、驚く(写真提供/ランニングと朝食)

「ランニングと朝食」が、“アート”になる理由

「ランニングと朝食」はフェイスブックのシステムを有効活用したコミュニケーションの設計で、気軽さと親密さの程良いバランス。林さんは、本業ではNPO法人インビジブル理事長/マネージング・ディレクターという肩書きを持っています。仕事でアートによる地域活性化に携わる林さんは、実は「ランニングと朝食」の運営でも、アートや地域活性化の手法を参考にしているそうです。

「ランニングとアートにどんな関係があるのかと疑問に思われるかもしれませんが、アートとは額装して飾るような作品だけを指すのではありません。1990年代後半ぐらいから世界各地で行われているリレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲージド・アートと言われる分野があります。それは、特定の活動やアクションによって社会を巻き込んでいくプロセスも含めて、ひとつの作品として見せていくものです。

『ランニングと朝食』は、我々にとって他者との関係性をつくるということはどういうことなのだろう……ということを、問いながらできる活動であり、ゆるやかなコミュニティであり、アートプロジェクトです。また社会的な寄与という点でも、このコロナ禍において週に一度でも誰かと走ったり話したりすることによる、精神的肉体的な影響があると思います。

林さんが参加するアーティスト支援を行う社会彫刻家基金は、書籍発行のためのクラウドファンディングを実施中だ※2022年5月31日まで(写真提供/社会彫刻家基金 撮影:丸尾隆一)

林さんが参加するアーティスト支援を行う社会彫刻家基金は、書籍発行のためのクラウドファンディングを実施中だ※2022年5月31日まで(写真提供/社会彫刻家基金 撮影:丸尾隆一)

僕は本業の方でも、アートが単に作品を体験したりモノをつくったりする場を超えて、例えば人のメンタルヘルスなどのウェルビーイング(身体、心、社会的に健康であること)にどう寄与するのかということについて、研究者を交えて調査ができたらいいなと思っています。

そういった本業で考えていることが、この『ランニングと朝食』でのコミュニケーションと、リンクしている部分がありますね」(林さん)

アートの概念は多様ですが、関係性に注目したリレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲージド・アートの世界では、何かを生み出したり、ある状況をつくったりする過程での「人々の関係性」そのものに斬新さや美しさを見出します。

ランニング中に見た美しい風景を誰かとシェアしたり、朝食の会話で気づきがあったりといったことも、アートなのだと考えると、ワクワクしませんか?

主宰としてプロジェクトを運営しつつ、「参加する時はいち個人として楽しみたい」と林さん(撮影時のみマスクを取っています)(写真撮影/蜂谷智子)

主宰としてプロジェクトを運営しつつ、「参加する時はいち個人として楽しみたい」と林さん(撮影時のみマスクを取っています)(写真撮影/蜂谷智子)

ある日の「ランニングと朝食」、東横線チーム編走り出す前のミーティング。10分程度で軽く自己紹介をして、ルートの説明を聞きます(写真撮影/蜂谷智子)

走り出す前のミーティング。10分程度で軽く自己紹介をして、ルートの説明を聞きます(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」のリアルな活動は週末の朝に始まります。東京だけでも10チームがあるのですが、今回は東横線沿線を走る「東横線チーム」を取材しました。

まず各チームマネジャーが集合場所と朝食を食べる目的地を決めて、フェイスブックのグループで呼びかけます。コース選びや朝食会場選びは、チームマネジャーの個性が出るところ。東横線チームのチームマネジャーは小嶋一平さん。本業では化粧品会社のSNSマーケティングを担当する小嶋さんは、朝食のお店の洗練されたチョイスに定評があります。今回の東横線チームは中目黒駅から駒沢公園までの約4kmのラン。駒沢公園に接した景色の良いカフェで朝食を食べるコースです。

目黒川沿いを走って駒沢まで4km、約60分のランニング(写真撮影/蜂谷智子)

目黒川沿いを走って駒沢まで4km、約60分のランニング(写真撮影/蜂谷智子)

ランナーに人気の駒沢公園の周辺にはモーニングの選択肢が多い(写真提供/ランニングと朝食)

ランナーに人気の駒沢公園の周辺にはモーニングの選択肢が多い(写真提供/ランニングと朝食)

集合後に軽くミーティングをして、自己紹介をします。お互いが初めての方や、久しぶりの方もいました。その後はランニング。ペースはゆっくりめで、お互いの近況報告をしながら走れるくらいのペース。途中で立ち止まったりしても大丈夫。チームから外れてしまっても、朝食会場で待ち合わせればいいという考え方です。ランナーはマラソン大会に出場しているような、走り慣れている方も、初心者の方もいたようです。

朝食のカフェに着く頃には、体が温まってお腹も空いてきます。取材した日も、朝食だけ参加の方が数人いました。違うルートを走って、朝食だけ参加ということも可能とのこと。朝食の際に話してみると、参加者は年齢も仕事も多種多様でした。

ランチ会場のKOMAZAWA PARK CAFÉは野菜たっぷりのブッダボウルやフルーツをトッピングしたフレンチトーストが人気(写真提供/ランニングと朝食)

ランチ会場のKOMAZAWA PARK CAFÉは野菜たっぷりのブッダボウルやフルーツをトッピングしたフレンチトーストが人気(写真提供/ランニングと朝食)

最近から参加するようになった20代女性は、去年地方から東京に転勤してきたそう。転勤してからリモートワークでなかなか知り合いができないのが悩みでした。今ではこのサークルが人との出会いのきっかけになっているとのこと。また、30代の男性は船舶勤務から地上の勤務になって、運動不足を感じたのが参加のきっかけだそうです。

キャリアの話や最近見た映画の話、家族の話など、それぞれに会話を楽しみながら1時間程度で朝食は終了。解散時間は朝の9時半で、まだ一日は始まったばかりです。まさに「はじまりの時間を共有する」活動だと感じました。

走って、食べて、おしゃべりする。その時間がアート!

2021年に新型コロナウイルスが蔓延してからというもの、体験を共有する機会や、たわいのない会話が失われがちになりました。そんななかで走って、食べて、おしゃべりする時間をアートだと捉えて慈しむことができれば、日常がより輝くものになるかもしれません。

●取材協力
ランニングと朝食
林 曉甫さん
>NPO法人インビジブル
>アーティスト支援を行う社会彫刻家基金のクラウドファンディング
●撮影協力
KOMAZAWA PARK CAFÉ

月額5000円でお迎えから目的地まで乗り放題! 新交通サービス「mobi」はじまる 渋谷や名古屋市など

呼べばすぐ専用車がお迎えに来てくれる。そんな定額乗り放題のAIオンデマンドサービス「mobi(モビ)」が、昨年7月から東京都の渋谷エリアで始まりました。現在は、愛知県名古屋市千種区と京都府京丹後市、海外でも展開されています。子どもの送迎や買い物に便利そうですが、具体的にはどんなサービスなのでしょう。同サービスを運営しているウィラーの広報担当である清水美帆さんに伺いました。

乗りたいと思ったときにすぐお迎えにきてくれる

「自分専属の運転手を持つように、日常生活の中で乗りたいだけ乗れるサービスだ」。「mobi(モビ)」サービスを知るために体験してみた、私たち取材班の素直な感想です。

利用した区間は渋谷駅から渋谷区松濤にある小さな公園まで。スマートフォンの専用アプリを操作して車を手配し、すぐ近くにある規定の乗降場所へ移動。そこで待つこと約5分で、最大7名まで乗れる車両が現れました。

乗降場所で待っていると、約5分で車両が迎えに来てくれた(写真撮影/片山貴博)

乗降場所で待っていると、約5分で車両が迎えに来てくれた(写真撮影/片山貴博)

この車体のロゴが目印(写真撮影/片山貴博)

この車体のロゴが目印(写真撮影/片山貴博)

あとは目的地近くにある乗車場所まで、AIが提示する最適なルートに沿って運転手が車を走らせるだけ。この時は他に相乗りしてくる利用者がいなかったため、あっという間に目的地まで到着しましたが、タイミングによっては途中で他の利用者を乗せていくこともあります。そのため自家用車やタクシーと比べて、目的地までの到着時間がかかることを想定して利用する必要があります。また、運行エリアは渋谷区内に設定された半径2km圏内となっています。

足元も広々(写真撮影/片山貴博)

足元も広々(写真撮影/片山貴博)

車内でスマートフォンの充電も出来る(写真撮影/片山貴博)

車内でスマートフォンの充電も出来る(写真撮影/片山貴博)

とはいえ1人あたり月額(30日間)5000円。同居する家族を会員として追加することもでき、追加料金は1人につき500円。例えば、家族3人で利用しても月々6000円ですから自家用車の購入費や維持費などと比べても、遙かに割安です。

一方で「相乗り」ならではのメリットもあります。渋谷エリアでサービスが始まってから半年以上が経ちましたが、子どもの通学や習い事の送迎などに使う親子は、当然同じ時間帯に利用します。そのため車内で母親同士が顔なじみになり、ママ友に発展するケースが珍しくないそうです。「運転手も何人かの固定メンバーで運用していますから、運転手とも顔なじみになり、安心して子ども一人だけでも塾の送迎に使える、という声もいただいております」と清水さん。

さらに「mobiを利用するようになってから『朝食を食べに街中のカフェへ行くのが楽しい日課になった』というように、ライフスタイルが変化し、日常に溶け込んでいる様子が窺えるコメントもいただいています」

渋谷の街を走るmobi(写真撮影/片山貴博)

渋谷の街を走るmobi(写真撮影/片山貴博)

ラストワンマイルを解決する1つとして登場

最寄り駅やバス停から、自宅をはじめとした最終目的地までのちょっとした区間のことを、交通の「ラストワンマイル」と言います。このラストワンマイルの移動手段として、最近は都市部なら電動キックボードや電動アシスト自転車、車を使ったシェアリングサービスがあります。この定額乗り放題サービスもその1つに挙げられます。

しかしmobiは電動キックボードや電動アシスト自転車と違い、自ら運転する必要がありませんし、雨の日も気軽に利用できます。

またカーシェアリングサービスは(当たり前ですが)運転免許を持った人が利用しなければなりません。しかしmobiなら、子どもだけ乗せて塾への送迎に使う、なんて使い方もできます。また自家用車やカーシェアリングと違い、目的地周辺で駐車場を探す必要もありません。

渋谷区といえば「ハチ公バス」と呼ばれるコミュニティバスもありますが、それとの大きな違いは乗降場所(公共バスで言うバス停)が圧倒的に多いこと、また決まった路線や時刻での運行ではないことです。例えば渋谷エリアでは、半径約2kmのエリア内に約150箇所もの乗降場所が用意されています。この範囲は、渋谷区の面積に対して約8割。ですから、さすがに全ての人の自宅前とはいかないにせよ、自宅周辺で乗り降りができるのです。

買い物や通勤などで渋谷駅との往復で利用するという使い方もある(写真/PIXTA)

買い物や通勤などで渋谷駅との往復で利用するという使い方もある(写真/PIXTA)

さらにママ友ができたり、運転手と顔なじみになることなんて、他のラストワンマイルサービスやコミュニティバスでは、なかなかありえません。このような地域のコミュニティを形成しやすいということも、大きな特徴と言えそうです。

現在mobiは渋谷以外にも名古屋市千種区と京都府京丹後市、さらにシンガポールとベトナムでも展開されています。エリア内定額乗り放題で、アプリや電話で配車を依頼し、AIを使って最適なルートを走るというサービスの根本は同じなのですが、地域によって利用者の年齢や属性、利用目的に多少の差はあるそうです。

「例えば京丹後市は車がないと通勤や買い物にも不便で、そのため家族1人に車が1台あるようなエリアです。しかし子どもの送迎や買い物などをmobiで行えるようになり、家族での所有台数を減らしてもよいかもいう考えをお持ちの方もいらっしゃいます。『車にかかる維持費が減ったから、その分を別の費用に充てることができる』『マイカーを使う頻度が減った』と喜ばれています」

京丹後市(写真/PIXTA)

京丹後市(写真/PIXTA)

京丹後市で活動中の車両。エリア特性等によって使用する車両は変わる(写真提供/WILLER)

京丹後市で活動中の車両。エリア特性等によって使用する車両は変わる(写真提供/WILLER)

また免許返納を考えているけれど、買い物などに車が手放せない、という高齢者の背中も押してくれるサービスのようです。

さらにmobiには、法人会員制度も設けられており、エリア内の飲食店や病院、塾などでお客さまや従業員の送迎にも活用されているとのこと。このようにエリアのニーズに沿ってサービス内容をアレンジすることも可能だそうです。

今後の課題は到着時間の短縮と、アプリの使いやすさの向上

現状の課題としては、先述したように「1. 目的地までの到着時間が読みにくいことと2. スマートフォンに馴染みのない高齢者へのサポートが挙げられます」と清水さん。

1. の到着時間、つまり乗降している時間を縮める対策ですが、そもそも「mobi」では相乗りする際に車が向かう順番や運行ルートなどを、AIを使って最適化しています。AIは日々学習していくのが特徴の1つですから、利用者が増えるほど最適化ルートの提案が進歩し、時間短縮を図れます。

また「お客さまの声などをもとに、よりスムーズに乗り降りしてもらえる場所や、最適なルートをたどる場合にどこで乗ってもらえばよいかなど、乗降場所の微妙な位置修正といった最適化も常に行っています」

アプリ上に表示された乗降場所の中から行き先と出発地を指定(操作画面より)

アプリ上に表示された乗降場所の中から行き先と出発地を指定(操作画面より)

所要時間等や配車状況も確認できる(操作画面より)

所要時間等や配車状況も確認できる(操作画面より)

さらに利用者が多い時間帯は、車を増やすことで相乗りする人数を減らし、その結果として乗降時間を短くするなどの調整も随時行っているそうです。

もう一つの課題、2. の高齢者へのサポートですが、高齢者を含めてスマートフォンに不慣れな方のために、現在でもアプリだけでなく電話による配車応対も行っています。「また誰でも扱いやすいよう、アプリのユーザーインターフェースの改善を日々行っています」

アプリを用いるメリットは、改良されたらすぐにアップデートされること。いずれ高齢者でも簡単に操作できるようになる日も近そうです。少なくとも、スマートフォンに慣れている世代は、現状でも戸惑うことはありません。

KDDIとの協働で、サービスエリアの拡大も

昨年末、ウィラーはKDDIと共同で今後のサービスを全国へ展開していくことを発表しました。

高速バス運行事業者、そして京都丹後鉄道の運営事業者でもあり、すでにこの事業を国内3エリア・海外2エリアで展開し、独自のITマーケティングシステムを持つウィラー社。

そこに全国の地方自治体とつながりが深く、大量の人々の移動データを所有し、その活用に長けたKDDIが加われば、サービスエリアが加速的に増えていことも期待できそうです。将来的には自動運転による自動運行も既に検討が始まっているのだとか。

既に同社では東京都豊島区や愛知県名古屋市などで自動運転の実証実験を行っている(写真提供/WILLER)

既に同社では東京都豊島区や愛知県名古屋市などで自動運転の実証実験を行っている(写真提供/WILLER)

そうなると、例えば渋谷区のサービスエリアが拡大、例えば隣の港区へもこのサービスで行き来できるようになるのでしょうか。

「渋谷区とは別に港区でも展開することはあり得ますが、両区の行き来は行いません(設定した2kmが区をまたぐ場合はある)。サービス提供エリアがどんどん増えていくイメージです。例えば渋谷から港区六本木に行く場合、渋谷駅から地下鉄や公共バスが利用できます。mobiはその渋谷駅までのラストワンマイルの移動を自由にすることが目的ですから」

もし鉄道やバスで移動するような広い範囲をサービスエリアにすると、車の移動距離が増えてしまい、呼んでも到着まで時間がかかるようになります。それでは「呼べばすぐ迎えに来る」というサービスのメリットが薄れてしまいます。ちなみに1マイルは約1.6km。同社では半径約2kmを目安に運営しています。

一方自治体としては、地元エリア内で人々の移動が増えるということは、買い物に行くことや、駅やバスなどの公共交通の利用につながる外出のきっかけづくりをはじめとする行動が増えるため、地域の活性化に繋がります。また近隣住民同士のコミュニティが形成されることは、安心安全な街づくりにもメリットです。さらに高齢者は家でじっとしているより、積極的に外に出掛け、交流を持つなど、動いたほうが心身ともに健康になりますから、自治体としては医療費の抑制にもつながります。

子どもの塾への送迎から開放され、自治体も地域が活性化するなど、たくさんの人々がWin-Winの間柄になれるサービス。都心部、地方都市など今後たくさんの街でサービスが始まり、ラストワンマイルの課題が解決していくことを期待したいです。

●取材協力
mobi

「松本十帖」で“二拠点生活”。温泉街再生プロジェクトで共同湯文化に浸る【旅と関係人口2/浅間温泉(長野県松本市)】

コロナ禍を背景に、開放感と地域への共感、貢献感など心が満たされる場所(心のふるさと)へのニーズが高まっている。従来の観光を目的とせず、現地の暮らしを体験したり、文化に触れたり、現地の人々と交流する旅である。地域のファンとなり、何度も訪れることで、結果的に関係人口が増えた地域も。旅からはじまる地域との新しい関係とは。これからの旅の在り方のヒントとして、長野県松本市の浅間温泉リノベーションプロジェクト「松本十帖」を紹介する。

宿泊客以外も利用できるカフェを併設。開かれた宿が街歩きの起点に

長野県松本市の浅間温泉は、飛鳥時代から約1300年続くとされ、温泉街から車で10分の距離に松本城があり、安曇野や上高地、白鳥など信州全域への観光拠点になっている。いま、時代の変化に置いて行かれ、歴史があっても廃れていく温泉街が後を絶たないが、浅間温泉街も例外ではない。城下町の奥座敷という恵まれたロケーションにありながら、全盛期に比べ、温泉街を歩く人の姿は減少していた。

そこで、温泉街再興の起爆剤として2018年3月に始まったのが、貞享3(1686年)創業の歴史を持つ老舗旅館「小柳」の再生プロジェクト「松本十帖」だった。ホテル単体の再建ではなく、温泉街を含む「エリアリノベーションのきっかけ」になることを目指した画期的な取り組みだ。

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

4年の歳月をかけて2021年5月に誕生した複合施設「松本十帖」は、宿と街の関係を深める新しいモデルとして注目を集めている。もともと老舗旅館「小柳」が建っていた敷地内に、「HOTEL松本本箱」と以前の名前を冠したまったく新しい「HOTEL小柳」がオープン。ホテル内には、ブックストア、ベーカリー、レストランなどがあり、宿泊者以外も利用できるように入口を4か所設けて、地域に閉じていた旅館を「解放」。2軒のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」「哲学と甘いもの。」は、“温泉街を人々が回遊すること”をイメージして、あえて敷地外につくった。

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

古民家を借り受けて改装した「Cafeおやきとコーヒー」は、ホテルのレセプションを兼ねている。そもそもホテル敷地内には駐車場がない。宿泊者の駐車場はホテルまで徒歩2、3分のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」の横にあるのだ。宿泊者は、まず、カフェでチェックインし、おやきとコーヒーのウェルカムサービスをいただいてから、温泉街を歩いて、歴史ある温泉街を訪れたという気持ちを高めながら、ホテルへ向かう。ホテルに着くと、Barを兼ねたフロントでは、スタッフが温泉街の成り立ちや文化を紹介してくれる。

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

ホテルから温泉街全体へ波及させ、地域活性化を目指す「松本十帖」は完全な民間プロジェクト。一般的に公的資金を投入して行うようなプロジェクトを引き受けた株式会社自遊人代表取締役でクリエイティブディレクターの岩佐十良(いわさ・とおる)さんに、プロジェクトにかける想いを伺った。

「私が思い描くのは、メインストリートに人があふれるほどにぎわう浅間温泉街の姿。『松本十帖』が、その呼び水になれば。『地域に開かれた宿』と注目されていますが、私にとって地域に開かれた宿が当たり前という感覚です。そもそも温泉街は、街歩きを楽しむ場所としても発展してきました。しかし、昭和30年代以降、観光バスでやってきて宿の中で楽しむ団体旅行が主流になり、街なかにあったラーメン屋やカラオケ、バーまでも施設内に取り込んで、大型化していきました。宿泊施設の中で完結するようになった結果、温泉街が廃れてしまったのです。でも、そういう時代は終わりました。宿に来てもらうだけでなく街に出てもらう。『松本十帖』は、双方向から仕掛けをつくっています」(岩佐さん)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

また食べたい! もっと知りたい! 旅の心残りがリピートのきっかけ

温泉街に人を呼び戻すには、まずは、「行ってみたい」と思わせる宿がいる。雑誌「自遊人」を発行する出版社の経営者である岩佐さんは、新潟県大沢山温泉の「里山十帖」など地域の歴史や文化を体験・体感でき、ライフスタイルを提案する複合施設としてのホテルをプロデュース、そして自ら経営してきた。「HOTEL松本本箱」「HOTEL小柳」の設計を依頼したのは、注目の建築家、谷尻誠氏と吉田愛氏が率いるサポーズ デザイン オフィスと、長坂常氏が代表を務めるスキーマ建築計画など。サポーズ デザイン オフィスが「HOTEL松本本箱」を手掛け、スキーマ建築計画が敷地内の「小柳之湯」や「浅間温泉商店」「哲学と甘いもの。」などを手掛けた。小柳旅館解体時に現れた鉄筋コンクリートの躯体やもともとの内装を活かしながら、洗練されたホテルに生まれ変わった。

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

ユニークなのは、昔からある地域住民のコミュニティ「湯仲間」で管理し利用する共同浴場を、あえて「松本十帖」の中に復活させたこと。「Cafeおやきとコーヒー」の2階席の階下には、湯仲間しか入れない共同浴場「睦の湯」がある。地域住民しか入浴できない温泉を、観光客が出入りする「松本十帖」に取り入れた狙いはどこにあるのだろうか。

「従来の考え方では、観光客が入れないんだったら意味がないじゃないかと思われるかもしれませんが、私はこういった見えない文化も観光資源だと思っているんです。『睦の湯』など、浅間温泉各所にある共同浴場には、地元のタンクトップ姿のおじさんが、四六時中温泉街を歩いて温泉に入りに来ます。これこそが、生活に根付いた温泉街の姿ですよね。観光客も『入れない風呂があるなんて面白そうだ』と感じてくれます。そこで、観光客と湯仲間のおじさんの間に『どんなお風呂なんですか』『めちゃくちゃいい湯だよ』といったような会話が生まれるかもしれません」(岩佐さん)

それが、岩佐さんが「生活観光」と呼んでいる地域の風土・文化・歴史を体感できる新しい旅。「睦の湯」を通して、偶発的な会話が生まれるように「松本十帖」という場所がデザインされているのだ。観光客用には、「松本十帖」の敷地内に「小柳之湯」を用意している。設備は「睦の湯」と同じく、シャンプーやボディーソープはなく、脱衣所と半露天のシンプルな浴槽のみ。源泉かけ流しの小さな湯舟に浸かれば、生活の中に息づく温泉街を感じられる。

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

ホテルにはリピーターも多いが、大きな理由は“食”にある。ホテルの夕食は、地域の「風土・文化・歴史」を表現した料理で、レストラン名は、「三六五+二(367)」。三六七(三六五+二)は信州をS字に流れる日本一の大河、千曲川(信濃川)の総延長が367kmであることに由来する。365日の風土と歴史、文化(+二)を感じてもらいたいという思いが込められている。食材は地場の野菜や千曲川・信濃川流域と日本海でとれた魚が中心。キャビアなどの豪華食材を使うことはなく、季節のものを厳選し、いつ来ても違う味に出会える。ほかに、1万冊を超える蔵書を誇るブックカフェ「松本本箱」のとりこになり、リピーターになる人もいる。料理と本で「また食べたい」「もっと知りたい」という「旅の心残り」を誘う。松本十帖は、コロナ禍による閉塞感からの解放にとどまらず、自分の感性を磨いたり、思考を整理したり、ポジティブな目的を持って訪れる人が多いそうだ。

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

日常でも非日常でもない「異日常」へ もう一人の自分に会いに帰る旅

岩佐さんが手掛けたホテルを何度も訪ねている鈴木七沖さん(すずき・なおき、57歳・編集者)に魅せられる理由を伺った。25年間、本づくりに携わり、現在は映像制作も手掛けている鈴木さんは、神奈川県茅ケ崎市在住で、「箱根本箱」には6回、新潟の「里山十帖」には3回、「松本十帖」にはオープン直後に訪れている。「松本十帖」の敷地外のカフェでチェックインした鈴木さんは、細い温泉街の道を歩いて宿まで移動しながら、気持ちが整っていく感じがしたという。本をゆっくり読むため外出することは少ないが、温泉に入ったり、食事をしたりするのがいいリセットになる。

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

「僕の場合は、観光する目的ではなく、自分の考えを整理したり、発想力を豊かにするために宿泊しています。何回も通っている理由は、なんていうか、自分の‘‘残り香‘‘がする場所になっているからなんです」(鈴木さん)

‘‘残り香‘‘とは何かたずねると、鈴木さんは、「日常ではない場所にいるもう一人の自分」だと答える。

「『松本十帖』だけでなく岩佐さんの手掛けたホテルでは、日常ではなかなか出会えないもう一人の自分に出会えるんです。旅行に行くというより『帰る』という感覚。自分と対話できる時間と空間がたっぷりある。僕にとって魔法が生まれる場所です」

普通の観光であれば、南の島に行ってきれいな海で泳ぐなど非日常を楽しむのが目的だ。鈴木さんの体験は、日常でも非日常でもない「異日常」という表現がしっくりくる。鈴木さんは街づくりのオンラインサロンを運営しているが、「異日常」は二拠点生活の感覚に近いという。

「異日常は、日常では思いもよらないアイデアだったり、もう一つの感性だったりを気付て「ぜひ出店したい」と「cafeおやきとコーヒー」の目の前におしゃれなパン屋さんができた。岩佐さんは、「浅間温泉街を起点に松本市内にいろんなマップマークが出てくれば、大きなうねりが起きる可能性がある」と期待を寄せる。宿から街に人の流れができれば、地域のファンになり、関係人口として関わる人も増えるはず。新しい旅の形には、人口減少問題解決の鍵となる地方再生の可能性が秘められている。

●取材協力
・松本十帖
・鈴木七沖さん

金物のまち・新潟県三条市が人気NO1移住地に! スノーピークなど若者が熱視線の4事例

新潟県三条市が、人気移住地域ランキング「SMOUT移住アワード2021上半期ランキング」(面白法人カヤック発表)でNo.1に輝いた。その評価ポイントは、「市内のエリア特性を見事に生かし、移住関心者の心を掴んだこと」。「移住関心者の心を掴む」として挙げられているのが、三条市に本社を構えるスノーピーク。敷地内にキャンプ場を併設している、アウトドア業界を牽引する企業だ。
そのほかにも、一大金物産地である燕三条地域を成す三条市には、人口比あたり日本一社長が多いと言われるほど多くの企業が存在している。人気の理由を深堀りするため、「スノーピーク」と、話題の金物づくり企業「庖丁工房タダフサ」と「諏訪田製作所」、そして工場と工場、クリエイターをつなぎ文化の継承を担う「三条ものづくり学校」を訪れてみた。

「スノーピーク」アウトドアは趣味かつ仕事!全国から集まる若者が永久保証品質の担い手

国内外でアウトドア関連事業を幅広く展開するスノーピークは、三条市を代表する企業だ。「人生に、野遊びを。」をスローガンとする同社の製品は、多くのキャンパーから支持されている。

本社の地下にあるスノーピークミュージアム。創業からの歴史とこれまでの製品が展示されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

本社の地下にあるスノーピークミュージアム。創業からの歴史とこれまでの製品が展示されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

創業は1958年。三条市で山井幸雄(やまい・ゆきお)さんが金物問屋を立ち上げ、趣味の登山用に本格的なギアをつくりだしたのが始まりだ。

幸雄さんが開発した、雪山登山時に靴に装着するアイゼンと、岩にボルトを打ち込むハンマー(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

幸雄さんが開発した、雪山登山時に靴に装着するアイゼンと、岩にボルトを打ち込むハンマー(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

その後、息子の太(とおる)さんが2代目社長に就任し、オートキャンプ領域を切り開いた(現在会長職)。
キャンプ用品はバックパッカーやクライマー向きのものが中心だった時代。欲しいものを自らつくり現場で試すという信念を父親から受け継ぎ、誰もが気軽にアウトドアを楽しめる上質な用品を、次々と産み出していった。

山井太さん(左)は三条市生まれ。東京の大学で学び、外資系商社を経て2代目社長に就任した。2020年に娘の梨沙さんが3代目となり、2021年4月より代表取締役会長。執行役員でもある妻の多香子さん(右)とは商社で同期入社だったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

山井太さん(左)は三条市生まれ。東京の大学で学び、外資系商社を経て2代目社長に就任した。2020年に娘の梨沙さんが3代目となり、2021年4月より代表取締役会長。執行役員でもある妻の多香子さん(右)とは商社で同期入社だったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

暴風雨にさらされてもテントを守る頑丈なペグ。焚火のような強い直火に耐えうる鍋。室内で使用する以上に堅牢さを求められるアウトドア製品づくりは、燕三条の職人の技術が支えている。
「たとえば鍋は、大きさによりコンマミリ単位で板厚を変えねばなりません。どのくらいの厚さがベストなのか職人の経験に頼りながら、試作を繰り返します。同時に使いやすさ、美しさを追求しますから『お前が持ってくる依頼はめんどくさいものばっかりだ』と言われながらも、『こんなの無理ですよね、できないですよね』と職人魂を焚き付ければ焚きつけるほど(笑)、こちらの要求を超えてくるのが燕三条の職人です。『試作品つくるために機械もつくっちゃったよ』なんて、びっくりさせられることもよくありました」(太さん)。
高品質を誇りに、「キャンプ製品に永久保証をつけたのは我々が世界初です」と太さんは胸を張る。そんなスノーピークは2011年に、本社をキャンプ場・店舗・工場・オフィスが一体となった「Headquarters」へと進化させ、三条市街地から山を身近に望む丘稜地帯に移転した。

取材当日は大雪。雪中テント泊を楽しみにするキャンパーが関東から訪れていた(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

取材当日は大雪。雪中テント泊を楽しみにするキャンパーが関東から訪れていた(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「社員もみんなキャンパー、自然の中で過ごすのが大好きなことが入社の条件のひとつです」と語るのは、執行役員の吉野真紀夫(よしの・まきお)さん。自身も釣りとキャンプの愛好家だ。「山も川も海も近いこの場所は、アウトドア体験から製品をつくり試すのにふさわしい、素晴らしい場所です」

「これを眺めながら仕事だなんて、最高でしょ?」と雪景色にはしゃぐ吉野さん。晴れたときには広大なキャンプ場とその奥の山並みが本社屋から一望できる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「これを眺めながら仕事だなんて、最高でしょ?」と雪景色にはしゃぐ吉野さん。晴れたときには広大なキャンプ場とその奥の山並みが本社屋から一望できる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

アウトドア愛好者の憧れの会社となったスノーピークには、全国から入社希望者が殺到する。「今や社員のほとんどは新潟県以外の出身。私も東京出身です」(吉野さん)
「社員たちのアイデアは、地元の工場の職人さんたちに、それこそ打たれ研磨されて世界に誇れる商品になっていきます。新人のうちは不勉強を嘆かれつつもモノづくりへの熱い気持ちは同じ。心に火をつけて最高のギアをつくっていくのです」(吉野さん)

キャンパーであることを優とするスノーピークの採用基準と、常にキャンパーでいられるフィールド、そして、そのフィールド体験をカタチにできる燕三条のモノづくり。そんな吸引力が、若者をスノーピークに惹き寄せているようだ。

社員が自由に使える打ち合わせスペースはまるでキャンプサイト。「これからは衣食住働遊の全領域で、自然と触れ合える生活を提供していきます」(山井太さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

社員が自由に使える打ち合わせスペースはまるでキャンプサイト。「これからは衣食住働遊の全領域で、自然と触れ合える生活を提供していきます」(山井太さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「庖丁工房タダフサ」世界のバイヤーが認める鍛冶仕事は子どもたちの憧れ

庖丁工房タダフサは、世界中のバイヤーが注目する話題の企業だ。創業は1948年。現在は3代目となる曽根忠幸(そね・ただゆき)さんが経営を担う。
タダフサの主力製品はその名の通り包丁だ。手作業でつくられる鋼の包丁は極上の切れ味。例えば家庭用の万能三徳包丁は9000円(税別・取材当時)と高額だが、生産が間に合わないほどの人気を誇っている。

工場併設のショップ。鋼製包丁はオールステンレスに比べると手入れが必要だが、その重力だけで固い人参が切れる体験をすると、買わずにはいられない。研ぎ直しサービスもあるので安心(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

工場併設のショップ。鋼製包丁はオールステンレスに比べると手入れが必要だが、その重力だけで固い人参が切れる体験をすると、買わずにはいられない。研ぎ直しサービスもあるので安心(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

会社ロゴには、鋼材をつかむ、つかみ箸をデザインした。以前は鍛冶職人が最初に修行としてつくるならわしがあったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

会社ロゴには、鋼材をつかむ、つかみ箸をデザインした。以前は鍛冶職人が最初に修行としてつくるならわしがあったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「祖父の寅三郎(とらさぶろう)が大工道具の曲尺づくりを始めたのが創業のきっかけです。腕利きが認められるようになって、農具や漁業用具などさまざまな刃物を手掛けました。家庭用の包丁も問屋から注文が入るようになり、その後父・忠一郎(ちゅういちろう)に工場を引き継ぎました。職人が全工程を手作業で行うのは、創業当時と同じです」と曽根さん。

曽根忠幸さん。東京の大学卒業後3年間の会社勤めを経験し、鍛冶職人に。2012年代表取締役に就任。会長職に就いた忠一郎さんは伝統工芸士に認定されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

曽根忠幸さん。東京の大学卒業後3年間の会社勤めを経験し、鍛冶職人に。2012年代表取締役に就任。会長職に就いた忠一郎さんは伝統工芸士に認定されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の数も少しずつ増え、やがて時代のニーズとともにホームセンターからの注文も入るようになった。「ホームセンターは納期が厳しかったです。長時間労働を強いられ利益も薄いのですが、売上が大きいので断れませんでした」(曽根さん)。

2011年に中川政七商店の中川政七さんに工場経営を相談したことが転機となった。
当時の市長が三条市の活性策として「モノづくり」に道を求め、中川さんにコンサルティングを依頼。多くの金物工場の中からまず1社、タダフサが先鞭をつけるべく選抜されたのだ。

中川さんと打ち合わせを重ねて気がついたのは「自分たちで何をつくるべきか考えてこなかった」ということだった。ユーザーや問屋、ホームセンターのオーダーに応え続けた結果、当時は900種もの商品数があり、その材料や資材などの在庫を抱えていたのだそう。

検討の結果、ユーザーが選びやすい「基本の3本」包丁と、料理の腕が上がったときの「次の1本」に主力商品を整理。利益に見合わない大量発注は請け負わない決断をした。
「特殊な刃物は受注製造制にして、出来上がりまで少し待ってもらうことにしました。ウチの包丁はちゃんと研げば数十年使えますからね、買い替えも数十年に一度です」と曽根さん。

左から「基本の3本」パン切り、万能三徳、万能ペティ、「次の1本」牛刀、出刃、小出刃、刺身(写真提供/庖丁工房タダフサ)

左から「基本の3本」パン切り、万能三徳、万能ペティ、「次の1本」牛刀、出刃、小出刃、刺身(写真提供/庖丁工房タダフサ)

曽根さんは、工場見学者を受け入れて作業と技術を見てもらうことにもこだわっている。
「品質はむしろ海外から評価されていて、2021年の売り上げのうち3割以上が海外関連を占めています。こういった事実は、職人の励みにもなりますね」(曽根さん)

タダフサの包丁ができるまでは大まかに21行程。材料の切断、鋼材の鍛造、焼入、研磨、歪み取りといった工程を職人が1丁1丁作業していく。その様子を見学してもらうことで製品の確かさが伝わり、「この値段ならむしろ安い」と購入してくれる。「モノづくりの背景を知ってもらうことで、価値がより高まります」(曽根さん)

工場見学には、海外のバイヤーも多かった。新型コロナ拡大状況などによる見学可否はHPで確認を(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

工場見学には、海外のバイヤーも多かった。新型コロナ拡大状況などによる見学可否はHPで確認を(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

また、タダフサの“工房心得”には「三条の子どもたちの憧れとなるべき仕事にすること」が刻まれている。「自分も父の仕事をしている姿を見るのが大好きでした」と曽根さん。「鍛冶職人のカッコ良さを見てもらい、技巧の素晴らしさに触れてもらうことで三条が産地として継続するはずです」(曽根さん)

三条市の小学生は社会科見学で工場に訪れる。「息子が『鍛冶屋になる!』と言ってくれているのがものすごく嬉しい」(曽根さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

三条市の小学生は社会科見学で工場に訪れる。「息子が『鍛冶屋になる!』と言ってくれているのがものすごく嬉しい」(曽根さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

曽根さんは、燕三条の工場を一斉にオープンする「燕三条 工場(こうば)の祭典」を2013年初代委員長として開催した、立役者でもある。2020年はオンライン開催となったが、2019年には4日間で5万人の来場者があり、職人仕事に熱い視線が集まった。

「商品を絞り、高品質を伝えることで売り上げは倍以上、利益率も上がりました。憧れの職業となるよう働く環境も整えています。うちは週休二日制、勤務時間は8時間。残業も多少ありますが、残業代は当然支払います。月に1回、会社負担でマッサージも受けられるようにして、仕事の疲れも癒してもらっています」(曽根さん)

実際、タダフサには職人に憧れる若者の入社希望が増えている。2011年の社員数は12人だったが、2022年1月時点で33人。憧れの現場には、女性の職人も4名、オーストラリアから移住してきた若者も働いている。

「職人希望者が増えて嬉しいのですが、鋼を扱う作業は冬は寒いし夏は暑い。過酷な環境で作業に没頭して技巧を磨いていけるかどうかには、向き不向きがあります。ただ、三条の鍛冶職人は世界一。しっかりと家族を養うことができる収入も得られますし、手に職をつけることにより一生涯の仕事ともなります」(曽根さん)

世界基準の技術を持つ。プライベートも大切にできる収入を得る。若者がプライド高く励む鍛冶の現場が、庖丁工房タダフサにあった。

「諏訪田製作所」はオープンファクトリーの先駆者。進化を続ける創業95年企業

「工場の祭典」は職人の後継者不足と製品の低価格化を解決する一策として、燕三条エリアの工場が一斉に工場見学を開放し、一般見学者が地図を片手に思い思いの工場を巡る一大イベント。画期的な取り組みで、全国的にも話題を集めている。
開催の先駆けとなったのが、2011年に「オープンファクトリー」として工場を刷新し、見学者を迎え入れた諏訪田製作所だ。

諏訪田製作所は材料の仕入れから製造、修理まで一貫して自社で行っている。主力商品はニッパー型のつめ切り。「創業96年を迎えます。以前から地元の愛用者が、修理などの相談でフラッと工場に来ることが多かったそうですよ」と、諏訪田製作所の水沼樹(みずぬま・たつき)さん。

来場者の受け付け体制を整えたほうがお互いに良い、ということと、3代目代表取締役・小林知行(こばやし・ともゆき)さんが「生産工程を見せることで商品価値を上げたい、そして職人にプライドを持ってもらいたい」と決断したことが工場を公開する「オープンファクトリー」のきっかけだった。

のどかな田園地帯に建つ諏訪田製作所。2019年に新築された工場はひときわ異彩を放つ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

のどかな田園地帯に建つ諏訪田製作所。2019年に新築された工場はひときわ異彩を放つ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

正面ドアを入ると、つめ切りの端材を使ったアートが迎えてくれる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

正面ドアを入ると、つめ切りの端材を使ったアートが迎えてくれる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

インテリアにこだわったカフェレストランとショップも併設されていて、工場というより美術館を訪れたような感覚に陥る(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

インテリアにこだわったカフェレストランとショップも併設されていて、工場というより美術館を訪れたような感覚に陥る(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

黒と赤で統一された工場スペースでは、職人たちの様子を間近に見ることができる。オープン前は「見学者を受け入れるなんてとんでもない。集中できない」と反対の声があったそうだが、一流の職人こそ作業に没頭している。そんな心配は無用だった。
直接ユーザーから製品の良さを聞く機会が増え、精緻な技巧を誉められることで、職人たる誇りが醸成されることにも繋がった。

見学コースと作業場所は仕切られていて安全性も保たれている。集塵機がある工場は冷気が吸い込まれてしまうためエアコンをつけないことも一般的だそうだが、諏訪田製作所では倍の数のエアコンを設置して働きやすい環境を維持(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

見学コースと作業場所は仕切られていて安全性も保たれている。集塵機がある工場は冷気が吸い込まれてしまうためエアコンをつけないことも一般的だそうだが、諏訪田製作所では倍の数のエアコンを設置して働きやすい環境を維持(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の家族もオープンファクトリーに訪れる。そのカッコいい姿に子どもたちは憧れて、また職人になることを目指す(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の家族もオープンファクトリーに訪れる。そのカッコいい姿に子どもたちは憧れて、また職人になることを目指す(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

見学コースを抜けると、職人技に感動した逸品が並ぶショップに繋がる。1万円のつめ切りも、もはや高いとは感じない。自宅用に、大事な人へのプレゼント用にと、お買い物が進む。その後はスイーツが自慢のカフェレストランで休憩し、SNSで情報共有したくなる。そんな仕掛けも巧妙だ。

「刃と刃の境目がわからない」ことで高品質がわかる諏訪田製作所のつめ切り(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「刃と刃の境目がわからない」ことで高品質がわかる諏訪田製作所のつめ切り(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

水沼さんは、第1回「工場の祭典」に参加して諏訪田製作所を見学し、入社を決めたうちのひとり。出身は山口県、東京の大学に進み中小企業経営を学んでいて、燕三条エリアには製造から販売まで一貫して行う工場・企業が多いことに魅力を感じていたのだそう。
「モノづくりって、人類が原始からやっていることですよね。石包丁とか土器とか。残念ながら自分は器用ではないので現場仕事には向いていないのですが、モノをつくる過程でデザインも必要だし、広報や営業も大切です。大企業とは違って職人にも経営者にも近い中小企業の工場で、いろいろなことを学びたいと考えていました」(水沼さん)

「三条に来たのは、諏訪田製作所があったから。妻は花屋を経営しています。彼女も大阪からの移住者で、燕三条で出会いました」と水沼さん(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「三条に来たのは、諏訪田製作所があったから。妻は花屋を経営しています。彼女も大阪からの移住者で、燕三条で出会いました」と水沼さん(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

実は、水沼さんは代表取締役 小林さんの大学スキー部の後輩。「工場の祭典」の前にスキー部のOB会で出会っていた。小林さんはその時にロン毛で登場。「多くの先輩がいらっしゃる中で社長にはとても見えず、ナニモノ?と強く印象に残りました(笑)」(水沼さん)。
その後ゼミ仲間と「工場の祭典」に行くことになり、小林さんに再会。経営者としての手腕と諏訪田製作所のモノづくりに惚れ込んで入社を決めた。

取材の最後に小林さん(右)にお会いできた。この日は金髪。左は取材に同行したSUUMO編集長(写真撮影/池上香夜子)

取材の最後に小林さん(右)にお会いできた。この日は金髪。左は取材に同行したSUUMO編集長(写真撮影/池上香夜子)

諏訪田製作所の社員は約60人。熟練の職人も多いが、会社の成長にともない若者の入社が増えて、今は全体の半数が20代と30代。男女比はほぼ半々なのだそう。
その若い世代にも、モノづくりを極めたくて入社してきた人が多い。「他の工場と距離が近いのも燕三条エリアの特徴だと思います。自社製品以外に、お互いの得意技術を活かしたモノづくりができる近さは魅力的です。世界に誇れる技術がたくさんあり、販路も世界中。競争意識はありますよ。まさに切磋琢磨できる、理想のモノづくり環境です」(水沼さん)。

完璧な使い心地のつめ切り、芸術作品のようなその商品でさえ、時代に合わせてモデルチェンジを繰り返す諏訪田製作所。地域を超えて日本の工場を先導する諏訪田製作所には、未来を切り拓いていく若者の姿があった。

工場と工場、そしてクリエイターを繋ぐ「三条ものづくり学校」。職人技の継承と新たな繋がりを産み育てる

燕三条エリアの特筆すべきところは、各企業が優れた商品を生み出しているだけではなく、企業間の連携も図れている点だ。そのなかで、工場と工場、そしてクリエイターをつなぎ、文化の継承を担う役割を果たしているのが、閉校した小学校をリノベーションした「三条ものづくり学校」。東京都世田谷区のIID世田谷ものづくり学校を運営する株式会社ものづくり学校が三条市から委託を受けて2015年4月に開校した。

「燕三条エリアのモノづくりの技術やアイデアを育み、地域に貢献することが設立の目的です」と三条ものづくり学校の斎藤広幸(さいとう・ひろゆき)さん。「教室だったところを小規模のクリエイターなど事業者にオフィスとして貸し出すほか、一時的に利用可能なレンタルスペースもあります」(斎藤さん)

小学校当時そのままの外観(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

小学校当時そのままの外観(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

オフィス入居の応募条件は「ものづくりに関わる事業を行う法人もしくは個人事業主であること」。30室はほぼ満室状態だ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

オフィス入居の応募条件は「ものづくりに関わる事業を行う法人もしくは個人事業主であること」。30室はほぼ満室状態だ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「三条市の工場は規模が小さいところがほとんど。組合も専門分野ごとにバラバラで、連携が乏しいという弱点がありました。職人の技術と伝統を絶やさぬよう光を当て、時代にあった商品開発に繋がる役目を果たしたい。そのため、最初はデザイナーやクリエイターに入居を促すことから始めました」(斎藤さん)

斎藤さんは開校以来200社を超える工場に出向いている。「工場、職人の技術や経営ノウハウについてインタビューして、他の工場で参考にしてもらえるようHPなどで紹介しています。直接相談を受けることも増えていて、それが新しい商品に結びつくこともあります」(斎藤さん)

例としてあげてくれたのが、「鉛筆切出(えんぴつきりだし)」。創業から60年、鍛造技術を親子二人で守り、大工道具である切出し小刀を専門につくっている増田切出工場と、ものづくり学校にオフィスを構えるカワコッチという任意団体のデザイナーが共同開発し、ステーショナリーに仕上げた。

従来の切出小刀に窪みを加えることで鉛筆が削りやすくなった。荷物の開梱など生活のちょっとした場面で幅広く使える。IDSデザインコンペ2019準大賞を受賞(写真提供/三条ものづくり学校)

従来の切出小刀に窪みを加えることで鉛筆が削りやすくなった。荷物の開梱など生活のちょっとした場面で幅広く使える。IDSデザインコンペ2019準大賞を受賞(写真提供/三条ものづくり学校)

三条ものづくり学校ではワークショップや交流会などがたびたび開催され、入居者同士のコミュニケーションも活発だ。「全て把握することはできませんが、大小のアイディアが飛び交っているようです」(斎藤さん)。

工場に眠っていた廃材や廃盤となった製品、クリエイターが廃材からつくった作品などを事業者自身が販売する「工場蚤の市」。2019年4月は2日間の開催で約2万人が訪れた。マニアックな部品が並ぶが、「地域の工場や技術が可視化できて、一般の人も出展者もいろんな発見があったと思います」(斉藤さん)

2019年「工場蚤の市」。職人による体験教室も大人気だった。2020年・2021年は「Factory Piece Market」と題し規模を縮小して開催(写真提供/三条ものづくり学校)

2019年「工場蚤の市」。職人による体験教室も大人気だった。2020年・2021年は「Factory Piece Market」と題し規模を縮小して開催(写真提供/三条ものづくり学校)

斉藤さん。自身も三条ものづくり学校での活動を事務局内に引き継ぎ中(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

斉藤さん。自身も三条ものづくり学校での活動を事務局内に引き継ぎ中(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

日本の多くの地方工業都市では、若者の流出が課題となることが多い。その流出を止めるには魅力的な働く場所・企業と、その環境の整備が有効なのではないだろうか。
三条市を訪れてみると、世界で戦えるモノづくりを基盤に、働きたくなるよう職場を洗練して勤務環境を整えた企業と、地元産業の職人に光を当てて繋ぐ自治体の取り組みが見えてきた。
今回訪問した企業の共通項は「高単価」「世界水準」。成し遂げていたのが、2代目・3代目だったことも共通点だった。創業者とは違う経験を通して、自社の発展と、地域・国・産業の発展とを地続きで見渡す視野の広さに感銘を受けた。

●取材協力
・スノーピーク
・庖丁工房タダフサ
・諏訪田製作所
・三条ものづくり学校
●関連リンク
・燕三条 工場の祭典

災害時に雨水タンクが活躍!? 家庭設置には補助金、スカイツリーや国技館にも設置 東京都墨田区

実は貴重な水資源である「雨」を活用する方法として、じわりと広がりつつあるのが雨水タンクです。話を聞いた墨田区だけでなく、さまざまな自治体で購入補助などの助成制度を設けています。今回は雨水活用の方法と水資源、住まいでの導入方法について取材しました。

30年以上前から雨水活用に取り組む東京都墨田区。その理由は?

乾燥して寒~い冬が終わり、空気がゆるみはじめると雨の日が増えます。「春の長雨」といわれるように春、そして梅雨になれば雨の日が続くことも少なくありません。近年では、「ゲリラ豪雨」のように短時間に激しく降ることも珍しくなくなりました。そんな身近な雨を、官民挙げて「水資源」として活用をしているのが墨田区です。でも、なぜ墨田区なのでしょうか。特定非営利活動法人「雨水市民の会」の笹川みちる理事に聞きました。

「雨水市民の会」の笹川みちる理事

「雨水市民の会」の笹川みちる理事。墨田区の取り組みは世界中から視察が来るそう(写真撮影/片山貴博)

雨水市民の会が運営する雨水カフェ

事務所では淹れたてのコーヒーを楽しめる「雨カフェ」も営業中。※現在は不定期営業のため営業日については雨水市民の会にお問い合わせください(画像提供/雨水市民の会)

「墨田区は海抜ゼロメートル以下の場所が区内のあちこちにある地帯なんです。また、40年以上前から豪雨と水被害に悩まされてきました。錦糸町駅前なども一面、水びたしになったこともあったとか。都市で起きる浸水には、降った雨が河川に排水できずに発生する『内水氾濫』、河川から水が堤防をこえて発生する『外水氾濫』があります。下水道は都市に降った『内水の排除』という役割を果たしていますが、近年では、この下水道の排水能力を超えてしまうゲリラ豪雨が頻発しています。浸水被害を防ぐために、貯留浸透施設、つまり小さなダムを街なかに造る必要がある。その小さなダムこそ、『雨水タンク』なんです」とその背景を教えてくれました。

墨田区の公園にある海抜マイナス表記の案内板

墨田区の公園では海抜のマイナス表記が。ひとたび河川が氾濫すれば被害は甚大(写真撮影/片山貴博)

東京の下水道は、高度経済成長期の急速な都市化に伴って整備されたもの。現在のような人口密度や豪雨、コンクリート化が想定されておらず、昨今のゲリラ豪雨に見舞われると下水道では処理しきれないといいます。そのため、ダムのように一時的に雨水を貯め、ゆるやかに流す取り組みが必要なのです。雨水処理のバッファを大規模なダムだけでなく、地上のあちこちにつくると思うとイメージがつかみやすいかもしれません。

「現在、墨田区では条例を制定し、大規模な建造物やマンションなどには雨水タンクの設置を義務付けています。例えば、両国国技館、墨田区役所、東京スカイツリータウン®、オリナス錦糸町などにも大規模な雨水タンクが設置されていますし、大規模な分譲マンションにも地下に雨水タンクが設置されているはず。現在、区内には大小あわせて731カ所のタンクがあるんですよ」

こうしてタンクで雨の流出抑制を行うことで、下水道への負荷を軽減し、内水氾濫を防いでいるのです。また、墨田区では、一般家庭が雨水タンクを設置する際にも助成金(価格の半分まで、最大5万円)を出しているそう。言われてみないと気がつきませんが、街を守るための地道な取り組みがなされてきたんですね。

墨田区の路地にある路地尊(ろじそん)

墨田区の路地にある路地尊(ろじそん)は、建築家の隈研吾氏が「新・東京八景」として選んだ、風景のひとつ。隣接する建物の屋根に降った雨を地下タンクに貯め、災害時の水資源として手押しのポンプと組み合わせている。地域のシンボル(写真撮影/片山貴博)

貯めた雨水は散水、洗車や掃除、打ち水、非常時のトイレ用水に

では、貯めた雨水はどのようにして活用できるのでしょうか。

「貯めた雨水は、木々に散水したり、洗車などに使ったり、トイレ用水として活用する人が多いですね。規模の大きい建物ほど水も貯まりますので、マンションでは緑地の散水に使ったり、スーパーではトイレ用水として活用しているところもあります。また災害発生時には初期消火に役立ちますし、生活用水、手を加えれば飲水としても活用できるんですよ」

なるほど、日常、災害時と雨水が利用できる幅は思ったより広いようです。一般家庭で設置しやすいサイズは140~200L程度、金額にして5万~6万円程度で、さらに自治体によっては助成金を設けていることもあるとか。ただ、日本の水道代は非常に安いだけに、コスト面だけでメリットがあるかというと悩ましいところだそう。一方で、近年、災害が頻発していることや、普段の掃除に使えるとあれば、導入を考える人も多いことでしょう。

「洗車に使うのであれば、車庫やカーポートの屋根の雨を集められる場所、ガーデニングに使うのであれば庭に近い竪樋にタンクを接続すると使いやすいでしょう。ただ、タンクで貯めた水をトイレ用水にする場合は、屋外からだと配管やポンプの設置が必要だったり、雨水が足りなくなったときには水道水を補給する設備が必要なので、かなり大掛かりなリフォームになります」

市販されている外付けの雨水タンクはドラム缶程度の大きさです。トイレ用水に使用する場合はさらに容量の大きなものがオススメです。雨水タンクを置きたい場合は、新築時やリフォーム時にあらかじめ設置場所を考えておくのがよさそうです。

一般的なサイズ(200L)の雨水タンク。通常の色は紺色ですが、外壁にあわせて色を塗れば目立ちません(写真撮影/片山貴博)

一般的なサイズ(200L)の雨水タンク。通常の色は紺色ですが、外壁にあわせて色を塗れば目立ちません(写真撮影/片山貴博)

雨樋と鉢を組み合わせた雨水活用のイメージ

とある軒先の雨水活用の例。雨樋と鉢を組み合わせることで、貯水機能を果たしています。雨水タンクの貯水量は80L~500Lと幅がありますが、一戸建てでは120~200Lがひとつの目安に(写真撮影/片山貴博)

気になるのは雨水タンクを設置すると虫、特にボウフラなどが湧きそうなことです。注意点などはあるのでしょうか。
「虫対策としては、(1)フタをすること、(2)竪樋から直接雨水を取水すること、(3)雨水を日常的に使って回転させること、を徹底すれば問題ありません。雨水は純水に近いため栄養分が少なく、もともと虫が湧きづらいですしね」。どうやら虫は十分に対策できそうです。

公園に設置された雨水タンク

公園に設置された雨水タンク(左)。上部にあるフタをはずしたところ(右)。竪樋から直接雨を貯めているため不純物が入りにくく、虫が湧くことはありません(写真撮影/片山貴博)

成熟した都市に必要なのは雨水タンクのようなグリーンインフラ

一つ、気になるのが雨のきれいさです。飲料として活用することはできるのでしょうか。
「雲から降る雨って、天然の蒸留水ですごくきれいな状態なんです。ただ、混じり気の少ない超軟水なので大気中の窒素化合物などの汚れを吸収して大地に降りてきます。よく雨水は汚いといわれますが、汚れているのは都市の空気なんです。ただそうやって汚れを吸収して降ってくるため、残念なことにそのままでは飲み水には適さないといわれています」

雨上がりの空がきれいなのは、雨が大気中の汚れを拭ってくれるからだそう。また、もともと空気がきれいなエリアでは、雨を飲水としている地域は少なくないそうで、オーストラリアでは「ピュアレインウォーター」として発売しているところもあるといいます。都市だからこそ、雨が飲水にならないというのは少し寂しい気もしますが、仕方がないことなのかもしれません。

雨水タンクに貯まったきれいな水

雨水タンクの水は見た目は驚くほどきれいで生活用水には十分。汚れているのは都市の大気……(写真撮影/片山貴博)

ここまでの話を整理すると、雨水タンク普及のカギとなりそうなのは、費用というより認知拡大や設置場所といえそうです。では、なぜ今、雨水活用なのでしょうか。

「日本は水道料金も安いですし、降雨量も多いので、水資源が豊かな国という印象の人は多いと思いますが、1人あたりの水資源は、世界平均よりも少ないんです。都市部に人口が密集している、川の勾配が急で滝のように流れていく、というのがその理由です。また、高度成長期に整備された上下水道のインフラは老朽化しつつあり、かつてのように大規模なダムや、貯水池をつくるということも難しくなっています。自然の持つ機能を活用して、地域の魅力・居住環境の向上や防災・減災につなげる取り組みを『グリーンインフラ』といいますが、雨水活用はその一つ。災害が頻発する今こそ大切な取り組みだと思っています」

確かに高齢化が進み、人口が減り始めている現在の日本では、今までの上下水道や貯水ダム、貯水池のような巨大なインフラを新たにつくるどころか、維持するのが精一杯でしょう。ただ、ゲリラ豪雨が頻発していることを考えると、既存にある住まいの一部に工夫を加えて対応するのがいちばんリアルで、有効な対策なのかもしれません。

「いきなり大きな雨水タンクを導入する必要はないので、少しずつ、できることからやってみよう、の精神で始めてみるのがいいと思います。雨水タンクがあると、雨が降るのも楽しみになりますし、台風がくるからタンクを空にしておこう、など意識するようになります。何より雨が貯まるのは楽しいですよ」と話します。

白鬚神社に設置された雨水タンク

白鬚神社にも雨水タンクがありました(写真撮影/片山貴博)

そういえば、神社仏閣など、昔ながらの日本建物には、鎖樋(くさりとい)と水鉢といった工夫があります。雨水を排水しつつ、水の流れを風景として楽しみ、貯まった水は打ち水として使う。日本の暮らしになじみ、受け継がれてきた智慧、それが雨水活用。今こそ、取り入れてみてはいかがでしょうか。

●取材協力
雨水市民の会

「吉祥寺かるた」の地元愛がすごい!「中央特快とまってよ~」「サンロード 猛ダッシュしたら60秒」など

2021年度グッドデザイン賞を受賞した「吉祥寺かるた」。「中央特快とまってよ~」「吉祥寺というお寺はありません」の吉祥寺あるあるネタに加え、「どれだけあるの?三舟のメニュー」「漬物バーでうずらのキムチ」など、SNSで集まった、地元民しかわからない読み札が大きな話題に。今回はその仕掛人に「吉祥寺かるた」が生まれた経緯や目的、新たな試みについてお話を伺った。

自分たちがつくるラブレター。送る相手は慣れ親しんだ「吉祥寺」

「吉祥寺かるた」の仕掛け人、徳永健さん。本業はクリエイティブディレクターだ。

吉祥寺のデザイン会社・クラウドボックスの代表でもある徳永さん。「吉祥寺かるた」は2021年度グッドデザイン賞を「コミュニティづくりの取り組み・活動」カテゴリーで受賞。写真は吉祥寺駅北口のサンロード前にて(写真撮影/片山貴博)

吉祥寺のデザイン会社・クラウドボックスの代表でもある徳永さん。「吉祥寺かるた」は2021年度グッドデザイン賞を「コミュニティづくりの取り組み・活動」カテゴリーで受賞。写真は吉祥寺駅北口のサンロード前にて(写真撮影/片山貴博)

「長年、僕たちは多くのお客様の広告をはじめとした、“表現”のお手伝いをしてきました。それを僕たちは“ラブレターの代筆屋”と呼んでいて、ユーザーに思いを届けることを念頭においています。吉祥寺にオフィスを構えて10年経ったタイミングで、“自分たちのラブレターを書こうよ。その相手は吉祥寺がいいよね”という話になったんです」
吉祥寺に関するプロダクトはどんなものがいいか考えていた2019年の秋、たまたまご当地かるたで遊ぶイベントを開催。
「ご当地かるたをすると、そこに旅したくなるよね、だったら吉祥寺を題材にしたかるたもいいんじゃない、って話になったんです。そこに地元のタウン新聞の編集長がいて、“来年の正月号の見開きで特集しましょうか?”って言ってくれたことで、急遽、制作スケジュールが決まりました(笑)」

「吉祥寺の魅力」「吉祥寺の名所・名物」「吉祥寺あるある」などを46枚の言葉とイラストで表現した、吉祥寺の「ご当地かるた」(2200円 送料・税込)(写真撮影/片山貴博)

「吉祥寺の魅力」「吉祥寺の名所・名物」「吉祥寺あるある」などを46枚の言葉とイラストで表現した、吉祥寺の「ご当地かるた」(2200円 送料・税込)(写真撮影/片山貴博)

読み札はSNSで募集。偏愛にあふれたネタが300超集まる

ご当地かるたは読み札が肝心だ。
「吉祥寺のみんなでつくって、みんなで遊びたい」という思いもあり、広くSNSで募集することに。応募方法は「#吉祥寺かるた」をつけるだけでOK。匿名で良し、とした。
「かるたって日本人なら誰でも知っているゲームじゃないですか。だからひと言”かるたの読み札を考えて”っていうだけで説明できちゃうのが強かったですよね。文字数のイメージもつきやすい。ネタは300以上集まりました。これがもう面白くて。めちゃくちゃニッチだけど絶妙に面白い“それ君だけの経験だろ”みたいな投稿もあって(笑)。これって、採用された人には謝礼とか、大賞に賞金、という設定にしてしまうと誰もが正解を書こうと狙ってしまうから、ここまでバリエーション豊かなネタにならなかったと思うんです。とにかく参加のハードルを下げたことで、偏愛に満ちたネタがいっぱい届きました」
また「かるたの札を考えること」は自分のなかにある地域愛に向き合うこと。それを言語化することで、その愛がはっきりして、深まっていく。「46の読み札によって、街の姿が46面体で浮かび上がってくる。他にはない、リアルで個性的な街のガイドブックになるんです」

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

選ぶときに気をつけたのは、取り上げる対象に優劣をつけず、偏愛を大事にすること。そして自虐はあってもいいが、それを読んで傷つく人がいないことだ。
「例えば、吉祥寺からかなり離れた場所に住む人も『吉祥寺在住です』と言いがち、というネタを描いた”ええじゃないか関町南も吉祥寺”という読み札があるんですが、これがもし”関町南は吉祥寺とは呼べないでしょ”みたいな札だったら、そこに住む吉祥寺大好きな人はがっかりするじゃないですか。そういうところは誰でも笑える表現になるよう気をつけました」

さらに選定した読み札は、内容が真実かどうかの検証実験も。
例えば「サンロード 猛ダッシュしたら60秒」は、早朝の誰もいない商店街を走って検証。「まゆげスワンが一羽だけ」は実際に井の頭池まで行き、スワンボートを確認。「闇太郎のシメは大将がくれるリンゴ」は、実際のお店で飲み食いをして実証した。

採用するネタは可能な限り、調査、実証。「ただし商店街ダッシュは真似しないでください」(写真撮影/片山貴博)

採用するネタは可能な限り、調査、実証。「ただし商店街ダッシュは真似しないでください」(写真撮影/片山貴博)

吉祥寺好きなら一度は疑問に思うアレコレも読み札に(写真撮影/片山貴博)

吉祥寺好きなら一度は疑問に思うアレコレも読み札に(写真撮影/片山貴博)

ハモニカ? ハーモニカ?(写真撮影/片山貴博)

ハモニカ? ハーモニカ?(写真撮影/片山貴博)

誰もがルールのわかる「かるた」は、世代を超えて遊べる強み

そうして2019年の年末に「吉祥寺かるた」が完成。翌年にはイベントも開催した。
「かるた」は、老若男女問わず参加できるのが強みだ。かるたで遊ぶと、世代を超えて「吉祥寺が好き」という共通の感情で場が盛り上がり、ある意味「ファンミーティング」状態が生まれる。また、吉祥寺をよく知らない人が参加しても問題はない。「これってどういうこと?」「へー、面白い」と会話のきっかけにもなるからだ。

吉祥寺のスペインバル「PEP」で開催された新年会の様子。吉祥寺在住の人も、ほとんど吉祥寺を知らない人も、かるたによって吉祥寺の話題で盛り上がっていたそう(画像提供/吉祥寺かるた製作委員会)

吉祥寺のスペインバル「PEP」で開催された新年会の様子。吉祥寺在住の人も、ほとんど吉祥寺を知らない人も、かるたによって吉祥寺の話題で盛り上がっていたそう(画像提供/吉祥寺かるた製作委員会)

しかし、すぐにコロナ禍になってしまい、予定していたイベントはほとんどが中止になった。
「残念ですが、なかなか会えないので、かえってリアルで早く会ってしゃべりたい、まるで“早くライブに行きたい”みたいな高揚感が生まれています。ステイホームで大好きな吉祥寺に行けないから、日めくりカレンダーのように毎日かるたをめくって楽しんでいるという方もいらっしゃいました」

街の変化とともに「かるた」も進化する

さらに、この「吉祥寺かるた」の大きな特徴は変化すること。例えば閉店する飲食店がでたら、その場合はその札だけ変えられるよう、読み札と取り札のペアを1音分だけでも販売している。そのネタも再度SNSで募集した。
「街が変わるのは当たり前。だったら街の変化に合わせてかるたも進化していくべきかなと。人によっては”ゆ”の札は2セットあるわけです。こうした上積みが街の時間軸になっていくのもいいなと思っています」

吉祥寺かるた進化パック2021 ゆの札セット400円(送料・税込)。「でも実はまた閉店してしまったお店もあるので、また募集しなきゃいけないんですよね……」(写真撮影/片山貴博)

吉祥寺かるた進化パック2021 ゆの札セット400円(送料・税込)。「でも実はまた閉店してしまったお店もあるので、また募集しなきゃいけないんですよね……」(写真撮影/片山貴博)

「吉祥寺かるた」の手法を活用した「企業かるた」も手掛けている。写真は、ナッツ&ドライフルーツの「小島屋かるた」。ECで人気を集めるショップが、3万件のショップのレビューとメルマガ会員の応募、店員のウンチクをもとにかるたをつくった。ファンの愛が集まるところならなんでも「かるた」になりうる(写真撮影/片山貴博)

「吉祥寺かるた」の手法を活用した「企業かるた」も手掛けている。写真は、ナッツ&ドライフルーツの「小島屋かるた」。ECで人気を集めるショップが、3万件のショップのレビューとメルマガ会員の応募、店員のウンチクをもとにかるたをつくった。ファンの愛が集まるところならなんでも「かるた」になりうる(写真撮影/片山貴博)

新たな試み「まちカタルカ」。初対面同士のトークを手助け

一方で、「『住みたい街ランキング』(リクルート)で毎年1位、2位を争う吉祥寺みたいな街だからファンがいて、ネタが集まるんでしょ?うちの街じゃとても」といった意見も多く聞こえてきた。

それに対する答えのひとつとして新しく手掛けたのが「まちカタルカ」。「まち」についておしゃべりする「トークテーマカード」だ。

はじめにどこの「まち」についておしゃべりをするかを決めて、「〇〇(街の名前)で~」といいながらカードを引き、そこに書かれたトークテーマでおしゃべりするというもの。いわば「お題」カード。カードに書かれているのは「いちばんよく行くお店」「美味しいパンが食べられるところ」などのスポット情報や「このまちに住んだ(来た)理由」などパーソナルなこと、さらには「市長(町長・村長)になったらこれをやる!」などちょっと想像力が必要なものなど多岐にわたる。

「まちカタルカ」1520円(送料・税込)。トランプとしても使え、ババ抜きでひと組揃って捨てるときに、そのカードのどちらかのテーマについてひと言話してから捨てるなど、トランプとトークテーマを組み合わせることもできる(写真撮影/片山貴博)

「まちカタルカ」1520円(送料・税込)。トランプとしても使え、ババ抜きでひと組揃って捨てるときに、そのカードのどちらかのテーマについてひと言話してから捨てるなど、トランプとトークテーマを組み合わせることもできる(写真撮影/片山貴博)

想定しているシチュエーションは、はじめましての保護者会、プレママ学級、移住を考える人と地元民の交流の場、大規模マンションの入居時のウェルカムパーティ、学校の寮に入るときの歓迎会、地元のスナック、同窓会など「地域」を共有するさまざまなコミュニティ。
「いきなり初対面の人にあれこれ質問するのって難しいでしょう。でもこのカードを引くことで、半ば強制的にトークテーマが決められるので、お互いはじめましての場面でも自然と会話が生まれます。地域の情報交換の場になるし、知らない者同士でも地域を共有しているという実感がもてて連帯感が生まれるんです。これなら吉祥寺以外でも展開できます」

「まちカタルカ」のカードを使って、それぞれ「自分ならどう答えるか」を付箋に書いて貼ってもらうという参加型イベントを開催。暮らす街、好きな街なら、おのずと自分なりの答えをもっているもの (画像提供/吉祥寺かるた製作委員会)

「まちカタルカ」のカードを使って、それぞれ「自分ならどう答えるか」を付箋に書いて貼ってもらうという参加型イベントを開催。暮らす街、好きな街なら、おのずと自分なりの答えをもっているもの (画像提供/吉祥寺かるた製作委員会)

「吉祥寺かるた」も「まちカタルカ」も、共通するのは地域に対する「愛」だ。
「このフォーマットはあらゆる街で対応可能ですよね。例えば、街づくりのワークショップで自己紹介を兼ねて「まちカタルカ」で遊んでもいいし、自分が暮らす街や働く会社でかるたの読み札を考えるのも面白い。一見何の特徴がないように感じる街や会社でも、かるたひとつ分くらいの語れることはあるものです。ただ条件は、そのコミュニティに対して愛があること。まあ実は、愛憎入り混じってる感情のほうが面白かったりもするんですが(笑)」

どんな街でも、そこに暮らす人にはなにかしら理由、愛着があるはず。そして世代や性別、属性も違う人々が、かるたやカードというプラットフォームの上で「地域愛」を語り合える世界は、きっと多幸感に満ちているはず。そんな幸せな「場」が生まれる街には、きっと誰もが住み続けたいと思うはずだ。

●取材協力
株式会社クラウドボックス
ぺろきち商店(「吉祥寺かるた」販売サイト)
吉祥寺かるた製作委員会 公式ツイッター

寂れていた街がAIやビッグデータ活用で蘇った! バルセロナに学ぶ市民参加型のまちづくりとは?

ビッグデータやICTを活用したまちづくりで注目されるスペイン・バルセロナ。データを活用して、市民と行政がともにまちづくりへの意見交換をして、さまざまな政策実現に結びつけているという。20年前からバルセロナで都市計画に携わった経験を持つ、東京大学特任准教授の吉村有司さんに話を聞いた。

デジタルテクノロジーを市民生活の向上に役立てる(写真提供/吉村さん)

(写真提供/吉村さん)

吉村有司
東京大学先端科学技術研究センター特任准教授
愛知県生まれ、建築家。2001年より渡西。ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部 博士課程修了。バルセロナ都市生態学庁、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年より現職。ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザーを兼任

バルセロナ(写真/PIXTA)

バルセロナ(写真/PIXTA)

――先生はアーバンサイエンスというデジタルテクノロジーやビッグデータを都市計画・まちづくりに活用するという研究に取り組まれています。

吉村 バルセロナでは、デジタルテクノロジーをうまく活用して、市民生活を向上させよう、公共空間の再生を図ろうという試みを行っています。データを公開することによって、市民一人ひとりに街の現状を認識してもらって、街をどのように変えていったらよいか考えてもらおうとしています。
バルセロナ市では、Decidim(デシディム)という、参加型のプラットフォームをオープンソースで開発して、運用しています。まちづくりの分野に、市民参加を積極的に促すための仕組みです。市民に気軽に意見を書き込んでもらって、対話や議論をしてもらい、都市の施策に反映しようというものです。

このDecidimについては、市役所では大々的に広告するなどして、市民の認知度も高く、PCやスマホなどから、高齢者などのデジタルが苦手な人達でも、できるだけ使いやすくし、書き込みや投票など誰もが参加しやすくしています。また、オンラインだけでなく、実際の対面でのグループディスカッションでの話し合いで補完もしています。
選挙による市長や議員の選出、議会での議論の末の予算執行という間接的な民主主義から、地域の市民一人ひとりが意思決定のプロセスに参加できる「民主主義のアップデート」と言えるでしょう。つまり、市民自身が、提案を行い、議論し、優先順位を決め、決断を下すのです。
Decidimは実験的な段階ですが、2016年から2019年にかけて行われた第1段階では、約4万人の市民が参加して、約1500の施策に落とし込まれました。
また2020年からの第2期の取り組みでは、住民からの提案について議論され、2021年6月に投票が行われました。これには、参加型予算として、市の予算のうち3~5%に当たる使い方を、Decidimで得られた市民の意見をもとに決めようというものです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

Decidimは、バルセロナ市以外では、ニューヨーク市やヘルシンキ市など、300以上の公的機関や団体などで使われています。日本でも、兵庫県加古川市や東京都渋谷区などで取り組みがはじまっています。

―― まちづくりへの市民参加は、日本の自治体などでもこれまでさまざまに取り組まれてきました。ICTなどデジタルツールを用いて、市民の意見を採り入れ、議論し、決断までしていくという仕組みは画期的と思いました。ただ、公の場で個人の意見を表明することが苦手だったり、文化的な背景も違う日本でもDecidimを使いこなすことができるのでしょうか?

吉村 昨年(2021年)、渋谷でDecidimによる「ママチャリプロジェクト」を行いました。電動自転車の利用者が街を移動するGPS情報や環境情報などで、危険な箇所などを探り、快適なママチャリのための環境整備を行おうというものです。
ここでは、行政が行うワークショップは平日の昼間で時間的にキビシイ……、まちづくりの会合は男性ばかりで発言しづらい……。子育て中のママさん、パパさんたちからは、オンラインだと時間に縛られない、デジタルツールであれば家で子どもと居ながら参加できるといったメリットがあるという声が聞かれました。

(画像/渋谷区「親子にやさしいまちづくり」HPより)

(画像/渋谷区「親子にやさしいまちづくり」HPより)

19世紀半ばからデータに基づく都市計画に先鞭をつける

――バルセロナ市が、世界に先駆けてデジタルを駆使した取り組みに挑戦しているのはどうしてなのでしょうか?

吉村 スペインでは1930年代に始まった内戦、1975年までの長い独裁体制が敷かれた暗い歴史があります。一方で、独裁体制の後、1978年に新憲法を制定して以降、市民の民主化や自治に対する意識がとりわけ高いことが挙げられるかもしれません。
さらに、データを用いた都市計画・まちづくりについての取り組みは、実は19世紀にまでさかのぼります。
1850年代、イルデフォンソ・セルダ(1815~76年)という、土木技師がバルセロナの近代都市化に重要な役割を果たしました。セルダは、住戸一軒一軒を訪問調査し、人々の暮らしや家族構成などに関するデータを集め、それを分析することで、これをバルセロナの都市拡張の都市計画に活かしたと言われています。セルダが示した都市計画案は、1859年に承認されました。直感ではなく、データという根拠をもとに理論を構築して、バルセロナの都市づくりに応用したのです。つまりアーバンサイエンスという考え方が150年前からあったわけです。

―― 先生の経験を通して、バルセロナの都市計画・まちづくりのあり方ついて教えてください。

吉村 バルセロナには2001年に渡り、バルセロナ都市生態学庁やカタルーニャ先進交通センターなど行政系の機関に所属していました。モノ、ヒト、クルマなどの動きを通して、都市の分析をする仕事をしてきました。
都市生態学庁には、建築家や都市計画家だけでなく、数学者や物理学者など多様な専門家が集まっていて、都市のデータをもとに議論を行い政策に反映させていました。
また、市民の意見を聞くことも大切です。バルセロナには自分の街に愛着とプライドを持っている住民が多く、建築家・都市計画家なりがデザインをトップダウンだけで決めていくことには抵抗がある市民が多いと感じました。
ただし、いまの都市は大きくなりすぎました。また多様な人が暮らしていて、そうした状況で市民の意見を聞くことはたいへんです。そこで、市民にデータを公開しながら、デジタル技術を活用して意見を聞く仕組みを整備していきました。

スーパーブロック(歩行者空間化)を市民と自治体担当者が輪になって議論している様子(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)を市民と自治体担当者が輪になって議論している様子(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)された街路の現在の使われ方(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)された街路の現在の使われ方(写真提供/吉村先生)

吉村さんが2005年に担当していたグラシア地区の歩行者空間化(スーパーブロックの実証実験)の現在の姿。死んでいた街が蘇った(写真提供/吉村先生)

吉村さんが2005年に担当していたグラシア地区の歩行者空間化(スーパーブロックの実証実験)の現在の姿。死んでいた街が蘇った(写真提供/吉村先生)

歩いて楽しい街には経済波及効果があることが分かった

――ビッグデータの分析から、人々が歩いて楽しめる都市空間が街の経済に効果があることが分かったそうですね。

吉村 都市においてクルマ中心の道路空間を、歩行者に解放する動きが世界的に進められています。また、新型コロナによって、道路空間をオープンカフェなどに転用することが注目を集めています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ところが、道路に面する小売店や飲食店の店主などから「これまでクルマで買い物に来ていたお客さんが来なくなって、売上げが落ちる」という言い分がありました。
都市計画に関わるわれわれは、歩行者数が増えると、売上げは上がるはずだと考えていました。ただ、これを経済学的に裏付けるデータや論文は見当たりませんでした。
そこで、バルセロナ市やスペイン全土の都市の歩行者空間にされている道路をオープンストリートマップ(OSM)から自動抽出して、個人情報などに十分に注意しながらもその道路に面している事業者の売上情報との比較を行いました。すると、レストランやカフェなど飲食店については、歩行者空間にした後には、売上増に結びついているという結果が出ました。(*)データサイエンスにもとづく、まちづくりの可能性を示した成果と言えるでしょう。
*:東京大学先端科学技術研究センター+マサチューセッツ工科大学+ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行の共同研究

バルセロナ等の都市で歩行者空間の分布(画像/東京大学先端科学技術研究センター)

バルセロナ等の都市で歩行者空間の分布(画像/東京大学先端科学技術研究センター)

日本でもデータ活用によるまちづくりの可能性が広がる

――ビッグデータの解析や研究が、まちづくりのあり方やその効果検証に使えるのですね。

吉村 日本においても、国にはデジタル庁が創設され、東京都でも昨年4月にデジタルサービス局ができ、ビッグデータの収集や公開などの環境整備がはかられつつあります。
東京都の「デジタルツイン実現プロジェクト」は、センサーなどから取得したデータをもとに、建物や道路などのインフラ、経済活動、人の流れなど様々な現実空間の要素を、コンピューターやコンピューターネットワーク上の仮想空間上に「双子」のように再現しようというものです。
これまでの平面の地図上だけでなく、3次元空間の中で、従来は重ね合わせることが難しかったデータを可視化し、AIによって高度な分析・シミュレーションが可能になるでしょう。まちづくりや防災、交通、エネルギーなど、様々な分野で活用が期待されています。

東京都が行う「デジタルツイン実現プロジェクト」ウェブサイト(画像/東京都ホームページ)

東京都が行う「デジタルツイン実現プロジェクト」ウェブサイト(画像/東京都ホームページ)

これからのまちづくり・都市計画は、トップダウン型の一人のヒーローではなく、市民を中心としたボトムアップ型の取り組みが求められると考えています。
そのために、データはとても重要です。そのデータに基づいて、みんなで議論することが可能になります。
市民や行政、専門家を含めて、自分たちの街をみんなで良くしていける時代が訪れることを期待しています。

――市民も身近にまちづくりに参加できる時代が訪れているということですね。今日はありがとうございました。

●取材協力
・東京大学先端科学技術研究センター 
●関連サイト
・デジタルツイン実現プロジェクト
・渋谷区「親子にやさしいまちづくり」

「沼垂テラス商店街」シャッター通りが人気スポットに! 県外客まで呼び込んだ大家の手腕とは 新潟県新潟市

新潟県新潟市の沼垂(ぬったり)テラス商店街には、昭和レトロな長屋にセンスあふれるショップが並んでいる。昭和には市場通りとして栄えたもののシャッター通りとなっていた長屋一帯が2015年に生まれ変わり周辺エリアにもにぎわいを広げる、その商店街を訪れてみた。

商店街のコンセプトは「ここでしか出会えないモノ・ヒト・空間」

沼垂地域は新潟駅から徒歩で20分ほどの、寺社や酒や味噌などの醸造工場に囲まれたエリア。
かつては市場通りとして栄え、昭和の時代には日用品や食料品の店舗が立ち並んでいた長屋一帯をリノベーションし、再生されたのが沼垂テラス商店街だ。

4軒の寺院と並行して長屋の沼垂テラス商店街が並んでいる(2016年4月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

4軒の寺院と並行して長屋の沼垂テラス商店街が並んでいる(2016年4月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

商店街のコンセプトは「ここでしか出会えないモノ・ヒト・空間」。チェーン店は1軒もなく個人経営が主体の、オリジナルな店舗が並ぶ。
ハンドメイドのアクセサリー店、一点ものの家具や雑貨が買える店。ショッピングの合間に食事やスイーツを楽しめる飲食店も豊富だ。30近くある店ごとに営業日時が違うのは商店街らしいといえば商店街らしいが、ショッピングモールとは違うゆったり時間を感じさせてくれる。「そんな自由さも店主それぞれのライフスタイルに合っているようで、出店のハードルが低いのかと思います。」と、商店街を管理・運営するテラスオフィスの専務取締役・統括マネージャー高岡はつえ(たかおか・はつえ)さん。

「代わりに、4月から11月にかけて月に1回ずつ開催している朝市や冬季の冬市には、基本的にいっせいに営業してもらって、商店街全体で集客しています」(高岡さん)

「Ruruck Kitchen」の「沼ネコ焼」は商店街の看板スイーツ。新潟県産コシヒカリを配合したもっちり生地に、餡やカスタードなどが詰まっている(写真提供/沼垂テラス商店街)

「Ruruck Kitchen」の「沼ネコ焼」は商店街の看板スイーツ。新潟県産コシヒカリを配合したもっちり生地に、餡やカスタードなどが詰まっている(写真提供/沼垂テラス商店街)

管理会社テラスオフィス併設の「ひとつぼし雑貨店」。目が合うと家に連れて帰りたくなるモノがいっぱい(写真撮影/池上香夜子)

管理会社テラスオフィス併設の「ひとつぼし雑貨店」。目が合うと家に連れて帰りたくなるモノがいっぱい(写真撮影/池上香夜子)

この地で50年以上になる佐藤青果物店は、いまも元気に営業中(写真提供/沼垂テラス商店街)

この地で50年以上になる佐藤青果物店は、いまも元気に営業中(写真提供/沼垂テラス商店街)

朝市には常設の店舗に加えて市内外からも出店があり、多くの人でにぎわう。規模を縮小した冬市や夜市も開催(感染予防対策としての中止、変更についてはHPで要確認)(写真提供/沼垂テラス商店街)

朝市には常設の店舗に加えて市内外からも出店があり、多くの人でにぎわう。規模を縮小した冬市や夜市も開催(感染予防対策としての中止、変更についてはHPで要確認)(写真提供/沼垂テラス商店街)

再生への躍進は、シャッター通りを丸ごと買い取ったことから始まった

時代が進むにつれて郊外に大型ショッピングセンターができ、さらに店主の高齢化も進み、地元住民が行き交っていた商店街は2010年ごろにはシャッター通りとなっていた。

かつての長屋(2013年3月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

かつての長屋(2013年3月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

再生の始まりは、かろうじて営業していた店舗のひとつ、大衆割烹「大佐渡たむら」の2代目・田村寛(たむら・ひろし)さんが長屋の一角に惣菜とソフトクリームの店「Ruruck Kitchen」を2010年にオープンしたことだった。
翌年隣に家具と喫茶の「ISANA」、さらに翌年陶芸工房「青人窯」がオープン。シャッター通りに若者たちが次々と店を構えたことが話題となり、人通りも増えたことから、出店希望も相次ぐようになったという。

出店希望に応えて商店街を再生するべく田村さんは奔走したが、当時の管理・所有者だった市場組合の新規出店規約が大きな壁となった。
協議を重ねた末、田村さんが一大決心。2014年に「株式会社テラスオフィス」を設立して長屋一帯を買い取り、店舗の入居と管理を運営することとなった。

テラスオフィス代表取締役・田村さん(右)。商店街再生当初からお店を構えるハンドメイドアクセサリー「nemon」にて(写真提供/沼垂テラス商店街)

テラスオフィス代表取締役・田村さん(右)。商店街再生当初からお店を構えるハンドメイドアクセサリー「nemon」にて(写真提供/沼垂テラス商店街)

運営実務を買って出たのが田村さんの姉、高岡さんだった。「大衆割烹と惣菜店の両方で経営者と料理人を勤めながら商店街再生だなんて、弟の身体が持たないと思いました。自分たちが育った町に恩返しをしたい気持ちも強かったですね」(高岡さん)

市場通りは2015年に「沼垂テラス商店街」と名前を変えて正式オープンした。レトロな街並みと魅力的な店舗が注目を集め、あっという間に沼垂テラス商店街は人気のスポットに。新潟県外からも多くの観光客が訪れるようになった。

高岡はつえさん。「脱サラして大衆割烹を創業した父が『卵焼きとソフトクリームの店、やれや』と私たち姉弟に放ったひと言が『Ruruck Kitchen』開店のきっかけ。もしかしたら商店街の未来を見据えていたのかもしれません。そこから怒涛の日々でした」(写真撮影/平田未来)

高岡はつえさん。「脱サラして大衆割烹を創業した父が『卵焼きとソフトクリームの店、やれや』と私たち姉弟に放ったひと言が『Ruruck Kitchen』開店のきっかけ。もしかしたら商店街の未来を見据えていたのかもしれません。そこから怒涛の日々でした」(写真撮影/平田未来)

コロナ禍では地元への宣伝を強化。いろいろな世代が立ち寄る場所になった

コロナ禍による緊急事態宣言下では、時短営業やイベント中止など、沼垂テラス商店街もかつてとは違う状況に置かれている。

「観光客が減ったのは痛手でしたが、地元を見直すきっかけにもなりました」と高岡さん。
商店街オープン当初から、商店街の広報・宣伝にSNSをフル活用していた。そのおかげもあって来客の中心は感度の高い30代・40代だったが、地元周辺の住民には告知が足りていないことに、ふと気がついた。「『名前は聞くようになったけど、どういう店があるのか知らないし。自分たちの暮らしには関係なさそう』と思われていたようです」(高岡さん)

そこで、沼垂テラス商店街のオープン以来、初めて新聞の折り込み広告を利用し、近所にはチラシを撒くことにした。「費用対効果を考えてチラシ広告は避けていましたが、地元の年配の方が足を運んでくれるようになりました。遠出をせず地元を見直すタイミングともマッチしたんでしょうね」(高岡さん)

入居している店舗とのつながりも集客に効果を発揮した。
朝8時からの「沼垂モーニング」イベントには6店が協力してくれた。商店街誕生当初からの店主が提案した「LINEスタンプラリー企画」に力を貸したのは、コワーキングスペース「灯台-Toudai-」の個室部分をオフィスにしていた「点と線プロダクツ」だ。

「『沼垂グルメスタンプラリー』なども企画しました。店舗と協力して小さなイベントを重ねて行うことで、集客を絶やさないように工夫しています」(高岡さん)

配布した「沼垂グルメMAP」チラシ。普段はモーニング提供していない店舗にも協力してもらい、「沼垂モーニング」を開催(2020年8月)(資料提供/沼垂テラス商店街)

配布した「沼垂グルメMAP」チラシ。普段はモーニング提供していない店舗にも協力してもらい、「沼垂モーニング」を開催(2020年8月)(資料提供/沼垂テラス商店街)

沼垂テラス商店街の成長が、周辺地域にもにぎわいを呼んでいる

休業・撤退せざるを得ない店舗もあるが、沼垂テラス商店街では間を空けずに新たな店舗がオープンしている。募集をかけることはほとんどなく、「ここに店を出したい!」と出店の機会を待つ希望者が多いのだそう。「いま入居している皆さんは、沼垂エリア、新潟を盛り上げていこうと頑張っている方ばかり。いい関係がずっと続いています」(高岡さん)

また、商店街のにぎわいは近隣にも拡大している。空き家や空き店舗を借り受けてリノベーションし、サテライト店舗として管理・運営する取り組みを積極的に行っているのだ。

商店街から1ブロックほど離れた路地にある「なり-nuttari NARI-」は、2016年にサテライト店舗として開業したゲストハウス。宿泊客以外も利用できるバーやイベントスペースを提供する交流の拠点でもある。
「ここでイベントに参加した人が沼垂を気に入ってくれて、新しいサテライト店舗に菓子工房をオープンすることになりました」(高岡さん)

築90年以上の古民家を改修した「なり-nuttari NARI-」(写真提供/沼垂テラス商店街)

築90年以上の古民家を改修した「なり-nuttari NARI-」(写真提供/沼垂テラス商店街)

コワーキングスペース「灯台-Toudai-」。利用する社会人や学生が平日に商店街に人通りをつくってくれる。個室部分に入居していた「点と線プロダクツ」はスタッフ増加に伴い移転、新オフィスに選んだ先も沼垂テラスのサテライト物件だ(写真提供/沼垂テラス商店街)

コワーキングスペース「灯台-Toudai-」。利用する社会人や学生が平日に商店街に人通りをつくってくれる。個室部分に入居していた「点と線プロダクツ」はスタッフ増加に伴い移転、新オフィスに選んだ先も沼垂テラスのサテライト物件だ(写真提供/沼垂テラス商店街)

沼垂テラス商店街はさまざまな地域再生の賞を受賞しており、2021年度経済産業省・中小企業庁主催「はばたく商店街30選」にも選定された。「はばたく商店街30選」は「地域の特性・ニーズを把握し創意工夫を凝らした取り組みによって、地域の暮らしを支える生活基盤として商店街の活性化や地域の発展に貢献している商店街」を選出した賞。

「長屋市場を一括購入することでスピーディーにテナントを埋め、再生を果たした点が特に評価されました。商店街は一般的に建物ごとに所有者が違い、また住居と併用していることもあり、いったん店を閉めると次の運用がなかなか進まないという問題がありますから」(高岡さん)
そして、各店や来街者のSNS発信で「#沼垂テラス商店街」「#沼垂テラス」など、ハッシュタグにより情報拡散して商店街の認知度を高めている点も高評価だったそう。「今のご時勢、普通だと思っていましたが、広告宣伝ツールをほぼSNSだけにしている商店街は珍しいのだそうです」(高岡さん)

オープンから7年経ったいまも人通りが絶えない沼垂テラス商店街には、県内外からの視察や講演依頼が絶えない。学生のフィールドワークにもできる限り協力しているそうで、田村さん、高岡さんの「商店街の力で地域に恩返しをする」意志は強くてあたたかい。
地域とともに発展していく沼垂テラス商店街に、またゆっくりと訪れてみたい。

●取材協力
・沼垂テラス商店街

更地だらけの温泉街が再生! 移住者や二拠点生活者が集まる理由とは【旅と関係人口1/長門湯本温泉(山口県長門市)】

今、コロナ禍で帰省できない人や、都会で生まれ育った‘‘ふるさとを持たない‘‘人たちが多い。そんななか、従来の観光だけを目的にしていない、新しい旅のスタイルが生まれている。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」。その結果、地域と関わりを深める人が現れているのだ。それを裏付ける事例が、リピーターを巻き込んだ街づくりで温泉街を復活させた山口県長門市、長門湯本温泉だ。実際に観光などで訪れたことから、移住や二拠点生活で関わることになった人々の想いも紹介する。

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

新しい旅のスタイル。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」

働き方改革や新型コロナウイルス感染症の影響で人々の価値観が変わり、旅のニーズも変化している。都市部のふるさとを持たない人の中には、田舎に憧れを持ち、関わりを求める動きがある。求められているのは、従来の観光ではなく、現地の暮らしを体験し、滞在することを目的にした旅のかたち。その結果、地元の人や土地への愛着が生まれ、‘‘第二のふるさと‘‘ができる人が増えているという。

観光庁では、2022年度の概算要求で掲げた新規プロジェクト「第2のふるさとづくり」を始動させた。「何度も地域に通う旅、帰る旅」という新たなスタイルを定着させる取り組みだ。それぞれの地域も地域活性化を図るため、受け入れる体制を整えている。リピート型の新しい旅は、本格的な地域貢献につながる可能性があるのだ。

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

観光客が減り、老舗旅館廃業も……。苦境の温泉街を地元×リピーターで復活させた!

長門湯本の温泉街は、2020年3月にリニューアルオープンしたばかり。新設された高台の駐車場から竹林の中の階段を降りると音信川に出る。旅館が並ぶ川沿いには、おしゃれなカフェや雑貨屋をのぞきながらそぞろ歩く女子旅の人、川辺に張り出したテラスからは、川床や親水公園で遊ぶ子どもたちが見える。立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」では、地元の人と一緒に観光客が入浴する様子も。ライトアップや季節ごとに行われるイベントを楽しみに何度も訪れる人も増えた。

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

今の活況からは想像できないが、長門湯本の温泉街は、2014年に大きな危機に見舞われていた。当時の様子を、長門市役所に勤めたのち、現在は長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーをしている木村隼斗さんに伺った。

「人口約3万3000人の長門市にある湯本の温泉街は、600年の歴史がある山口県最古の温泉です。昭和50年代のピーク時には、宿泊者数40万人もの歓楽街でした、しかし、その後は訪れる人が減り続け、ついに、2014年に150年続いていた老舗旅館が廃業になりました。温泉街の中心部には複数の老朽化した施設が残り、公費での解体が必要なまでに。すっかり更地が多くなった温泉街を見て、このままでは誰もいない街になってしまうと危機感を募らせていました」(木村さん)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

長門市役所は、2016年に温泉街の再生計画をスタート。誘致したリゾートホテルと提携してマスタープランをつくり、街全体をリノベーションするプロジェクトが始まった。

「長門湯本に限らず、大型バスで宿泊施設に滞在し、施設内で飲食して帰る団体旅行から、個人旅行がトレンドになりました。川沿いの温泉街は全国で珍しくはありません。この土地にしかない魅力をつくり出すのはどうしたらいいか。箱となる施設をつくるのではなく、小さくても、個人的な思いや魅力が伝わる街にしたいと考えました」(木村さん)

プロジェクトの出発点は、長門湯本温泉の立ち寄り湯「恩湯」だった。施設の老朽化や利用客の減少により、2017年5月に公設公営での営業を終了していた温泉施設を民間で再建するプロジェクトが始まる。さらに、2017年8月から2019年にかけて、温泉街で3つの「社会実験」を実施。川床や置き座で「川を楽しむ」、道路の一部を出店ブースや休憩スペースに活用し「道を楽しむ」、湯本提灯やライトアップで「夜を楽しむ」ことをテーマとした。

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

「伝統ある立ち寄り湯を残したい! という思いで地域の若手有志が集まり、年配の旅館経営者も応援してくれました。いきなり理念や絵を見せるだけで『やります』と言っても、地元の賛同は得られません。『社会実験』イベントは、うまくできるかの実証実験で、将来目指すところを仮設で実現してみて課題を洗い出すために行いました。イメージや問題点を共有した上で、観光客の反応や地元の方々の受け止めを見て改善していったのです」(木村さん)

温泉街衰退の危機から6年が経った2020年3月に、リニューアルした「恩湯」と隣接する飲食施設「恩湯食」がオープン。冬季には、長門市出身の童謡詩人「金子みすゞ」の詩をテーマにしたライトアップ「音信川うたあかり」を行うなど季節ごとにさまざまなイベントを行っている。

「イベントを通じて、長門湯本で新しいことが始まっていると知り、山口県内や近県から訪れる人が増えました。宿泊者数はコロナの影響できびしいものの、宿泊費の単価がやや上がり、温泉街の満足度を高めることで宿泊事業にプラスの効果を生み出せる可能性を感じる兆しもあります。一人旅や女子旅で訪れる人が増え、温泉街に人が戻ってきていると実感しています」(木村さん)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

地元の人や川への愛着が決め手。温泉通いから移住してカフェやバーを経営へ

イベントの出店者選びでは、ただ商売をするだけでなく、ものづくりや地域への思いがある出店者や、居心地のいい場所をつくるサービスを選んだ。結果として、イベントや長門湯本に出店する人は、長門湯本につながりがある人や何度も観光で訪れている人が多い。

「売れ行きだけじゃなくて、自分たちが楽しめるかどうかを大事に感じる出店者さんも多い。ここなら関わってもいいなと思える未来を共有して一緒に実現したいと思っています」と木村さん。イベント出店をきっかけに移住・二拠点生活を始めた人もいる。

音信川沿いにあるカフェギャラリー、cafe&pottery音の店長、横山和代さんもそのひとり。約400年続く萩焼・深川窯の若手作家の器と自家焙煎コーヒーのカフェが女性観光客に人気だ。横山さんが長門湯本に関わるようになったきっかけは、家族と訪れた温泉だった。静岡出身の横山さんは、岡山で家族と暮らしていたが、夫の転勤で山口県山口市に移住。釣りと温泉好きな夫と娘を連れて、山口市から毎週末、長門湯本の温泉に通うようになった。

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「川沿いの温泉街がとても気に入りました。山口市内から車で1時間ほどかかりますが、月2、3回日帰り旅行で訪れるようになりました。当時入浴料が200円だった恩湯は地元の人が日常で使う温泉で、洗い場でおばあちゃんがまだ1歳だった娘を見てくれるなど、あたたかな交流をしてもらいました。仕事の都合でいったん山口を離れたのですが、あまりに居心地がよかったので、1年半後、また山口に戻ってきたんです」(横山さん)

そのころ、温泉街では、社会実験のイベント「おとずれリバーフェスタ2018」が催されていた。楽しそうな出店者の様子を見て、横山さんは、自分も出店してみることに。イベントに関わることで、木村さんをはじめとする街づくりに携わる人との出会いもあった。そして、イベント後に、長門湯本でカフェをしてみないかと誘われる。

「みなさん長門湯本をよくしようと熱い人たちで、いつも楽しそうに仕事をしているんです。いつの間にかいい意味で巻き込まれていました。旅館の方々や萩焼の若手作家さんからお声掛けいただき、とりあえず1年間だけやってみようとカフェを始めました。」(横山さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

娘と一緒に山口市内から長門湯本に通う生活が始まった。本格的に移住を決めた理由は、娘の存在が大きい。

「私がカフェで忙しいと、木村さんや近所の人が娘の面倒をみてくれました。娘にとって、長門湯本がいちばん楽しい場所、大好きな場所になっていたんです。ついには、『長門の保育園に行きたい』と言い出して。長門市役所もとても協力的で、住まいの相談にも乗ってくれました。紹介してもらったのは、庭に果樹や栗の木がある古民家。2021年6月に移住することになりました」(横山さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

カフェを訪れるのは、地元の人と観光客が半分ずつ。店内は、萩焼のギャラリーになっている。萩焼は、山口県萩市一帯でつくられている陶器で、長門市にも窯元がある。その窯元の作家の器を常設。地元の人でも「長門にこんないいものがあったのか」と驚く人もいるという。不定期に催される展示会目当てに訪れる人も増え、cafe&pottery音が地元と観光客をつなぐ場所になっている。

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

夕暮れの温泉街に浮かび上がる「THE BAR NAGATO」のマスター、黒田大介さんは、大阪との二拠点生活をしながら週末3日間経営するスタイルで、長門湯本と関わっている。バーテンダーとして30年の経験を持つ黒田さんは、長年大阪の北新地でバーを営んできた。

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「もともと、温泉街のライトアップイベントのデザイナーと知り合いで、長門湯本でバーをやらないかと誘われたんです。それは無理だけど、イベントだけならと、2017年と2018年の『おとずれリバーフェスタ』に出店者として参加することに。ところが、地元の人ととても気が合って。人のつながりがどんどん増えていきました。街づくりに携わっている市役所の人、イベントのデザイナー、出店者がみんなプロフェッショナルで、自分も携わることに魅力を感じました」(黒田さん)

2回目のイベントに参加したとき、市役所から築70年の長屋を紹介された黒田さん。「改装したら、絶対いい場所になる」と夢が膨らんだ。長屋をリノベーションして2021年3月に「THE BAR NAGATO」をオープン。大阪から長門湯本へは新幹線を使いドアツードアで片道6時間ほどかかるが、毎週来るのが楽しみだという。

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

長屋の2階にある「THE BAR NAGATO」の店内は、映画のセットのような空間にデザインされ、こだわりのウィスキーやカクテルが飲める。バーを訪れる人にリピーターも増えて来た。

「日帰りや旅館に素泊まりの人が来てくれますね。湯本を拠点にして長門市内へ足を伸ばしているようです。私がなぜここでバーを経営することになったか、聞かれることもあります。長屋のリノベーションを手がけたオーナーの木村大吾さんが店を訪れたとき、街づくりについてお客さんと盛り上がることもありました。『来るたびによくなるね』と驚くリピーターのお客さんも多いです」(黒田さん)

旅で訪れた人を引き付けているのは、温泉だけでなく、街全体に長門湯本をよくしたいという熱い想いが込められているから。地元の人と訪れた人で一緒につくる新しいふるさと。「これから始まる街にいるわくわく感があるんです」という横山さんの言葉がとても印象的だった。

●取材協力
・長門湯本温泉
・cafe&pottery音
・THE BAR NAGATO

パリの暮らしとインテリア[12] 陶芸作家が暮らすアール・デコ様式のアパルトマン

陶芸作家ソン・ヨンヒさんは、サンマルタン運河沿いのアール・デコ様式のアパルトマンに住んでいます。2年前から画家や写真家などのアーティスト仲間とリニューアル工事に着手し、現在も手を加えながら暮らしています。モノトーンを基調にした空間に、鮮やかな色合いの家具やアンティークの家具を配置して、パリ・シックを見事に体現したおうちです。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

ノスタルジックな下町の雰囲気が残るグルメなおしゃれエリア10区で暮らす

ヨンヒさんは、レースなどの繊細なモチーフにこだわったセラミック作品を生み出す陶芸作家で、絵画も手掛けています。彼女が住むのは10区の主役ともいえるサンマルタン運河沿い。さまざまな小説の舞台になり、名画にも登場しています。とりわけ有名なのはマルセル・カルネ監督の映画『北ホテル』映画『アメリ』など。パリの庶民の暮らしぶりを撮り続けたロベール・ドアノーの写真にも多く登場するフォトジェニックな界隈です。パリのおしゃれなボボ(ブルジョワ・ボヘミアンの略。裕福で高学歴、オーガニックやエコロジーに関心があり、自由なボヘミアンスタイルを好む人々)に好まれる地区で、運河の両サイドには、いまのパリの空気を感じられるようなバーやカフェ、雑貨店がひしめき合っています。もっとも、こうしたエリアも昔は下町で、歩いて数分でインド、オリエンタル、アフリカやアラブ人街があるさまざまな文化が交差しています。

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

特にシャトー・ドー(Château d’eau)界隈やフォブール・サン・ドニ通り(rue du faubourg Saint Denis)は活気があり、チーズ専門店、エピスリー(食材店)、炭火焼きサンドイッチの店などの新店が次々と誕生しています。ヨンヒさんのおうちの周辺は、パリきってのブランジュリーの激戦地区。古代小麦やオーガニックにこだわった「マミッシュ(Mamiche)」や「サン・ブランジュリー(Sain Boulangerie)」、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」といった、いまパリで最も注目を集める店が軒を並べています。「私は食に興味があるので、さまざまな国の料理や食材に囲まれている、この界隈での生活にとても刺激を受けています」とヨンヒさんは語ります。週末の朝はフレッシュな食材が勢ぞろいする「マルシェ・ヴィレット」に行くのが日課。このあたりはパリで第二の中華街ともいわれるベルヴィル街で、懐に優しい中華料理店、新鮮なお豆腐屋、北アフリカ名物クスクスの店など、食の宝庫。ベルヴィルは、19世紀末から移民が移り住み、現在、アジア系、北アフリカ系、ユダヤ系の集まる、コスモポリタンなパリを象徴する地区となっています。

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

心地よい暮らしを求めてリノベーション

ヨンヒさんが渡仏した2000年当初は、パリ郊外の住宅街サン=モール=デ=フォセの友人宅に3カ月間お世話になった後、パリ16区の高級住宅街ジャスマンに3カ月、パリの東ヴァンセンヌ城から目と鼻の先のワンルームに2年間ちょっと暮らしていました。その後、家族の介護のために日本とフランスを行き来していましたが、2005年にフランスに戻り、彫刻家の故・藤江孝さんが生前に住んでいた南郊外ヴァンヴのアパルトマンに1年間居住。その翌年、渡仏直後に出会い、ずっと心の支えになってくれた後の夫の持ち家であるアパルトマンに引越し、現在で16年になります。

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

このアパートは1930年代に建てられたアール・デコ様式の建築で、直線的で機能的なデザインに特徴があります。後に夫となるピエール・リシアンさんは、フランス映画界の重鎮でした。ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末に始まったフランスの映画運動)の金字塔『勝手にしやがれ』の助監督を経て、映画宣伝として世界で初めてプレスブックをつくった後、アメリカやアジアの新しい才能を世界に発信し続けた筋金入りの映画人。カンヌ映画祭を長きにわたって影で支えた立役者であるリシアンさんの世界各地の旅に同行し、ヨンヒさんも年の3分の1はパリを不在にする日々が始まります。映画に関するさまざまな雑貨やオブジェのコレクターであった夫は、映画のみならず文学、絵画に関する書籍や何万単位のDVDなど所有量が半端ではありません。まるで映画博物館のようで、「人を招待できる場所ではなかった」とヨンヒさんは述懐します。当時、二人は1階下に35平米のワンルームも所有し、友人知人をもてなしていました。フランスでは自宅に招き合って交流を深める習慣があります。ヨンヒさんはとびきりの料理上手。頻繁に招き招かれの生活を送りながら、夫と世界各国の映画人が深い関係を築いていくのに何役も買いました。
ところが2018年の春、夫が急逝します。ヨンヒさんは失意の時を過ごしますが、1年としばらく経ってから決意をします。「これから生きていく上でより快適に、心地よく暮らせる空間を」とリノベーション工事に着手。その上での絶対条件が「夫の思い出を散りばめた空間」にすることでした。

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

ところが、リニューアルは最初から難題に突入。“フランスあるある”で、夏のバカンス前から始める工事には困難がつきまといました。まずは工事の始まる数カ月前からアパートの管理組合の許可を取り、準備を粛々と進めなければいけないことが後になって判明します。バカンス前には工事が殺到するため、職人の確保も困難を極めます。リニューアルの第一歩はガス工事をする必要があるのに、当初来てくれる人たちのキャンセルが相次ぎました。しかもフランスではさまざまな部品がすぐに届かないことも大きな要因。「このままでは(“完成しない建築”とも言われる)サグラダ・ファミリアのようになってしまう!?」という不安がよぎったそうです。

そこで、2019年6月からヨンヒさんは業者の手を借りずに、画家、写真家などのアーティスト仲間と、一つ一つのディテールにこだわり抜きながら、唯一無二の空間づくりを開始することにしました。
現場監督は室内装飾家であり画家でもある鈴木出さん。彼は壁の質感や色に徹底的に気を配り、丁寧な作業を続けてくれました。元はパリでアンティーク店を営んでいたパク・ソンジンさんは、水道、電気、内装などでマルチな才能を発揮。花瓶をランプに変身させたり、古い家具を加工したりすることはお手の物です。いまはベルリンに居を移して写真家として活躍するパクさんは、工事のためにパリとベルリン間を往復する生活を2年以上も続けました。サックス奏者の北学さんは、アール・デコ様式の古くなった黒いボロボロのドアを溶接し、10日かけて丹精込めて修復しました。サッカーの指導者でジュエリー作家でもある向和孝さんは、強靭な体格を活かして壁を壊したりしたほか、ペンキ塗りを担当。そのほかにも随時、友人知人の手を借りて、一つ一つを丁寧につくり上げていきました。

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

試行錯誤のなかで始めた工事ですが、いろいろな気づきもありました。85平米でサロンと2つの寝室がある間取りのアパルトマンは、最初はやたらにドアが多いことや部屋の形がデコボコしていることなどを不思議に思ったそうですが、実は、どの部屋にも窓があってもプライバシーが守られる機能的な設計だったことが分かりました。リビング、お風呂、トイレの壁は左官技法によって、その空間にぴったりとくる質感の壁をつくり上げました。砂の割合などを緻密に計算してつくる左官による仕事は水回りの水分を早く吸収してくれます。現場監督の鈴木さんは画家の本領を発揮して、表面を美しく整えてくれました。

アンティークを日常生活に溶け込ませて、格調高く

内装は白、黒、グレーのモノトーンを基調に、イエロー、青、赤といったカラフルな色を差し色にした、クラシックとモダンが調和した現代的なパリ・シック。「古いものだけだと重たい印象になるので、明るいトーンの差し色や、少しだけラグジュアリーなものを融合してメリハリがあるように心掛けました」

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

パリでは一つの年代に統一するのではなく、「クラシックとモダンの調和」が好まれる傾向にあります。古いものを現代的なものと融合させてこそ「センスのある人」とみなされます。
かねてからのアンティーク好きのヨンヒさんは、外国を旅行すればその国の骨董街を訪ねて、日常的にアンティークを取り入れてきました。彼女の週末の楽しみの一つは「蚤の市散策」。クリニャンクールの蚤の市(マルシェ・オ・ピュス・サントアン)では、がらくたの山からアンティークのステンドグラスを発見。ドアノブや蛇口も蚤の市の“戦利品”です。

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

4回も旅行で訪れたポルトガル北部ポルトへの目的の一つも、本物のアンティークのタイル探し。昨今、ポルトガルですら本物は希少価値が高く、市場に出回っているものの多くはレプリカだそうです。

ヨンヒさんがポルト中心部のアンティーク街でたまたま入った店では、鮮やかな黄色のタイルに熱狂。高めのものでは1枚100ユーロのタイルも珍しくない中、25枚で400ユーロにまけてもらいました。値段交渉の駆け引きもアンティーク品や掘り出し物探しの醍醐味です。
サロン入り口のステンドグラスの横に配置された人形は、パリ7区のアンティークの老舗店で一目惚れ。高額でしたが、「こんなに優しい表情の人形はかつて見たことがない」と3回も通った末に、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで購入しました。1700年代につくられたこの人形は、フランス語ではサントン、英語圏ではサントスと呼ばれ、クリスマスに飾る装飾で「小さな聖人」を意味します。

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんが一日で最も多くの時間を過ごすサロンには、「タベルナクル」と呼ばれる、祈りのための装飾的な祭壇があります。「大切な人を身近に感じるために、サロンの一番見晴らしのいい場所に置きました」

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

サロンでのくつろぎの時間こそ、最高の贅沢

彼女が一日のうち、一番くつろげるのは、夕方の黄昏時。「風通しのいい窓際でアペリティフをしながら、静かに過ごすのが至福の時間です」。日差しがさんさんと降り注ぐ窓辺には植物や花を配し、都会にいながらも自然を愛でる暮らしを送っています。窓からはサンマルタン運河が一望でき、四季折々の、胸にしみるような美しさを見せます。

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夫が亡くなった後も、彼女の周りには友人が集います。フランスでは女主人が席につかないと食事を始められない、という暗黙のルールがあります。食事とおしゃべりを楽しみながら交流を深めていくのがフランス流。女性がキッチンで料理にかかりっきりは、良しとされない文化があるのです。そこで今回のリノベーションでは、サロンにつながる食堂の奥にオープンキッチンを設置。「料理をしながら和気あいあいとしたおしゃべりが楽しいのです」。フランスの食事はスタートから終了までがとても長いため、長時間座っていても座り心地のいい椅子を探すために苦心したヨンヒさん。古い椅子を8脚そろえるために時間をかけて、決して妥協を許しませんでした。テーブルは長方形だと端に座った人たちがコミュニケーションを取れないので、正方形を選択しました。

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

寝室とゲストルームは白い壁にシンプルでリラックスできる空間を演出。

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

それぞれの部屋には310cm×320cmのタンスを設置し、ここにほとんどの衣類やモノを収納できるようにしました。このタンスは長年の友人である、93歳のアルジェリア人の家具職人によるものです。彼は13歳の時に故郷アルジェリアからフランスに渡って以来、80年もの間、家具一筋で生きてきた熟練の職人。仕事にシビアで、こだわりの強さは半端ではありません。フランスの木を購入し、車で南仏マルセイユ港まで運び、船でアルジェリアに渡り、そこのアトリエで制作し、パリに持ってくる事をなんども繰り返してくれたのです。「今は使い捨ての家具が多いが、家具を接着剤で貼るのではなく、全部組み合わせる方法でつくったから何百年も使えるんだ」と誇らしげに話すのが彼の口癖だったそう。

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんは今のアパルトマンが気に入っているので、引越しは考えていませんが、将来は田舎で生活をするのが夢です。「花や野菜を育てたりしながら、創作活動を続けたいです」とヨンヒさん。

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

友人知人のアーティストや職人たちの、確かな「手」によってつくり上げた、唯一無二のパーソナルな空間。サンマルタン運河を眺めながら、ゆったりと心地よく暮らす、本当の贅沢を垣間見た気がしました。

(文 / 魚住桜子)

パリの暮らしとインテリア[12] 陶芸作家が暮らすアール・デコ様式のアパルトマン

陶芸作家ソン・ヨンヒさんは、サンマルタン運河沿いのアール・デコ様式のアパルトマンに住んでいます。2年前から画家や写真家などのアーティスト仲間とリニューアル工事に着手し、現在も手を加えながら暮らしています。モノトーンを基調にした空間に、鮮やかな色合いの家具やアンティークの家具を配置して、パリ・シックを見事に体現したおうちです。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

ノスタルジックな下町の雰囲気が残るグルメなおしゃれエリア10区で暮らす

ヨンヒさんは、レースなどの繊細なモチーフにこだわったセラミック作品を生み出す陶芸作家で、絵画も手掛けています。彼女が住むのは10区の主役ともいえるサンマルタン運河沿い。さまざまな小説の舞台になり、名画にも登場しています。とりわけ有名なのはマルセル・カルネ監督の映画『北ホテル』映画『アメリ』など。パリの庶民の暮らしぶりを撮り続けたロベール・ドアノーの写真にも多く登場するフォトジェニックな界隈です。パリのおしゃれなボボ(ブルジョワ・ボヘミアンの略。裕福で高学歴、オーガニックやエコロジーに関心があり、自由なボヘミアンスタイルを好む人々)に好まれる地区で、運河の両サイドには、いまのパリの空気を感じられるようなバーやカフェ、雑貨店がひしめき合っています。もっとも、こうしたエリアも昔は下町で、歩いて数分でインド、オリエンタル、アフリカやアラブ人街があるさまざまな文化が交差しています。

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

特にシャトー・ドー(Château d’eau)界隈やフォブール・サン・ドニ通り(rue du faubourg Saint Denis)は活気があり、チーズ専門店、エピスリー(食材店)、炭火焼きサンドイッチの店などの新店が次々と誕生しています。ヨンヒさんのおうちの周辺は、パリきってのブランジュリーの激戦地区。古代小麦やオーガニックにこだわった「マミッシュ(Mamiche)」や「サン・ブランジュリー(Sain Boulangerie)」、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」といった、いまパリで最も注目を集める店が軒を並べています。「私は食に興味があるので、さまざまな国の料理や食材に囲まれている、この界隈での生活にとても刺激を受けています」とヨンヒさんは語ります。週末の朝はフレッシュな食材が勢ぞろいする「マルシェ・ヴィレット」に行くのが日課。このあたりはパリで第二の中華街ともいわれるベルヴィル街で、懐に優しい中華料理店、新鮮なお豆腐屋、北アフリカ名物クスクスの店など、食の宝庫。ベルヴィルは、19世紀末から移民が移り住み、現在、アジア系、北アフリカ系、ユダヤ系の集まる、コスモポリタンなパリを象徴する地区となっています。

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

心地よい暮らしを求めてリノベーション

ヨンヒさんが渡仏した2000年当初は、パリ郊外の住宅街サン=モール=デ=フォセの友人宅に3カ月間お世話になった後、パリ16区の高級住宅街ジャスマンに3カ月、パリの東ヴァンセンヌ城から目と鼻の先のワンルームに2年間ちょっと暮らしていました。その後、家族の介護のために日本とフランスを行き来していましたが、2005年にフランスに戻り、彫刻家の故・藤江孝さんが生前に住んでいた南郊外ヴァンヴのアパルトマンに1年間居住。その翌年、渡仏直後に出会い、ずっと心の支えになってくれた後の夫の持ち家であるアパルトマンに引越し、現在で16年になります。

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

このアパートは1930年代に建てられたアール・デコ様式の建築で、直線的で機能的なデザインに特徴があります。後に夫となるピエール・リシアンさんは、フランス映画界の重鎮でした。ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末に始まったフランスの映画運動)の金字塔『勝手にしやがれ』の助監督を経て、映画宣伝として世界で初めてプレスブックをつくった後、アメリカやアジアの新しい才能を世界に発信し続けた筋金入りの映画人。カンヌ映画祭を長きにわたって影で支えた立役者であるリシアンさんの世界各地の旅に同行し、ヨンヒさんも年の3分の1はパリを不在にする日々が始まります。映画に関するさまざまな雑貨やオブジェのコレクターであった夫は、映画のみならず文学、絵画に関する書籍や何万単位のDVDなど所有量が半端ではありません。まるで映画博物館のようで、「人を招待できる場所ではなかった」とヨンヒさんは述懐します。当時、二人は1階下に35平米のワンルームも所有し、友人知人をもてなしていました。フランスでは自宅に招き合って交流を深める習慣があります。ヨンヒさんはとびきりの料理上手。頻繁に招き招かれの生活を送りながら、夫と世界各国の映画人が深い関係を築いていくのに何役も買いました。
ところが2018年の春、夫が急逝します。ヨンヒさんは失意の時を過ごしますが、1年としばらく経ってから決意をします。「これから生きていく上でより快適に、心地よく暮らせる空間を」とリノベーション工事に着手。その上での絶対条件が「夫の思い出を散りばめた空間」にすることでした。

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

ところが、リニューアルは最初から難題に突入。“フランスあるある”で、夏のバカンス前から始める工事には困難がつきまといました。まずは工事の始まる数カ月前からアパートの管理組合の許可を取り、準備を粛々と進めなければいけないことが後になって判明します。バカンス前には工事が殺到するため、職人の確保も困難を極めます。リニューアルの第一歩はガス工事をする必要があるのに、当初来てくれる人たちのキャンセルが相次ぎました。しかもフランスではさまざまな部品がすぐに届かないことも大きな要因。「このままでは(“完成しない建築”とも言われる)サグラダ・ファミリアのようになってしまう!?」という不安がよぎったそうです。

そこで、2019年6月からヨンヒさんは業者の手を借りずに、画家、写真家などのアーティスト仲間と、一つ一つのディテールにこだわり抜きながら、唯一無二の空間づくりを開始することにしました。
現場監督は室内装飾家であり画家でもある鈴木出さん。彼は壁の質感や色に徹底的に気を配り、丁寧な作業を続けてくれました。元はパリでアンティーク店を営んでいたパク・ソンジンさんは、水道、電気、内装などでマルチな才能を発揮。花瓶をランプに変身させたり、古い家具を加工したりすることはお手の物です。いまはベルリンに居を移して写真家として活躍するパクさんは、工事のためにパリとベルリン間を往復する生活を2年以上も続けました。サックス奏者の北学さんは、アール・デコ様式の古くなった黒いボロボロのドアを溶接し、10日かけて丹精込めて修復しました。サッカーの指導者でジュエリー作家でもある向和孝さんは、強靭な体格を活かして壁を壊したりしたほか、ペンキ塗りを担当。そのほかにも随時、友人知人の手を借りて、一つ一つを丁寧につくり上げていきました。

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

試行錯誤のなかで始めた工事ですが、いろいろな気づきもありました。85平米でサロンと2つの寝室がある間取りのアパルトマンは、最初はやたらにドアが多いことや部屋の形がデコボコしていることなどを不思議に思ったそうですが、実は、どの部屋にも窓があってもプライバシーが守られる機能的な設計だったことが分かりました。リビング、お風呂、トイレの壁は左官技法によって、その空間にぴったりとくる質感の壁をつくり上げました。砂の割合などを緻密に計算してつくる左官による仕事は水回りの水分を早く吸収してくれます。現場監督の鈴木さんは画家の本領を発揮して、表面を美しく整えてくれました。

アンティークを日常生活に溶け込ませて、格調高く

内装は白、黒、グレーのモノトーンを基調に、イエロー、青、赤といったカラフルな色を差し色にした、クラシックとモダンが調和した現代的なパリ・シック。「古いものだけだと重たい印象になるので、明るいトーンの差し色や、少しだけラグジュアリーなものを融合してメリハリがあるように心掛けました」

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

パリでは一つの年代に統一するのではなく、「クラシックとモダンの調和」が好まれる傾向にあります。古いものを現代的なものと融合させてこそ「センスのある人」とみなされます。
かねてからのアンティーク好きのヨンヒさんは、外国を旅行すればその国の骨董街を訪ねて、日常的にアンティークを取り入れてきました。彼女の週末の楽しみの一つは「蚤の市散策」。クリニャンクールの蚤の市(マルシェ・オ・ピュス・サントアン)では、がらくたの山からアンティークのステンドグラスを発見。ドアノブや蛇口も蚤の市の“戦利品”です。

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

4回も旅行で訪れたポルトガル北部ポルトへの目的の一つも、本物のアンティークのタイル探し。昨今、ポルトガルですら本物は希少価値が高く、市場に出回っているものの多くはレプリカだそうです。

ヨンヒさんがポルト中心部のアンティーク街でたまたま入った店では、鮮やかな黄色のタイルに熱狂。高めのものでは1枚100ユーロのタイルも珍しくない中、25枚で400ユーロにまけてもらいました。値段交渉の駆け引きもアンティーク品や掘り出し物探しの醍醐味です。
サロン入り口のステンドグラスの横に配置された人形は、パリ7区のアンティークの老舗店で一目惚れ。高額でしたが、「こんなに優しい表情の人形はかつて見たことがない」と3回も通った末に、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで購入しました。1700年代につくられたこの人形は、フランス語ではサントン、英語圏ではサントスと呼ばれ、クリスマスに飾る装飾で「小さな聖人」を意味します。

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんが一日で最も多くの時間を過ごすサロンには、「タベルナクル」と呼ばれる、祈りのための装飾的な祭壇があります。「大切な人を身近に感じるために、サロンの一番見晴らしのいい場所に置きました」

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

サロンでのくつろぎの時間こそ、最高の贅沢

彼女が一日のうち、一番くつろげるのは、夕方の黄昏時。「風通しのいい窓際でアペリティフをしながら、静かに過ごすのが至福の時間です」。日差しがさんさんと降り注ぐ窓辺には植物や花を配し、都会にいながらも自然を愛でる暮らしを送っています。窓からはサンマルタン運河が一望でき、四季折々の、胸にしみるような美しさを見せます。

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夫が亡くなった後も、彼女の周りには友人が集います。フランスでは女主人が席につかないと食事を始められない、という暗黙のルールがあります。食事とおしゃべりを楽しみながら交流を深めていくのがフランス流。女性がキッチンで料理にかかりっきりは、良しとされない文化があるのです。そこで今回のリノベーションでは、サロンにつながる食堂の奥にオープンキッチンを設置。「料理をしながら和気あいあいとしたおしゃべりが楽しいのです」。フランスの食事はスタートから終了までがとても長いため、長時間座っていても座り心地のいい椅子を探すために苦心したヨンヒさん。古い椅子を8脚そろえるために時間をかけて、決して妥協を許しませんでした。テーブルは長方形だと端に座った人たちがコミュニケーションを取れないので、正方形を選択しました。

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

寝室とゲストルームは白い壁にシンプルでリラックスできる空間を演出。

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

それぞれの部屋には310cm×320cmのタンスを設置し、ここにほとんどの衣類やモノを収納できるようにしました。このタンスは長年の友人である、93歳のアルジェリア人の家具職人によるものです。彼は13歳の時に故郷アルジェリアからフランスに渡って以来、80年もの間、家具一筋で生きてきた熟練の職人。仕事にシビアで、こだわりの強さは半端ではありません。フランスの木を購入し、車で南仏マルセイユ港まで運び、船でアルジェリアに渡り、そこのアトリエで制作し、パリに持ってくる事をなんども繰り返してくれたのです。「今は使い捨ての家具が多いが、家具を接着剤で貼るのではなく、全部組み合わせる方法でつくったから何百年も使えるんだ」と誇らしげに話すのが彼の口癖だったそう。

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんは今のアパルトマンが気に入っているので、引越しは考えていませんが、将来は田舎で生活をするのが夢です。「花や野菜を育てたりしながら、創作活動を続けたいです」とヨンヒさん。

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

友人知人のアーティストや職人たちの、確かな「手」によってつくり上げた、唯一無二のパーソナルな空間。サンマルタン運河を眺めながら、ゆったりと心地よく暮らす、本当の贅沢を垣間見た気がしました。

(文 / 魚住桜子)

自宅を銭湯にして、震災後のまちに集う場を 熊本市「神水公衆浴場」

熊本地震のあと、県庁そばの中心部一帯は、一時ゴーストタウン化した。地名でいうと熊本県熊本市中央区神水。神の水と書いて「くわみず」と読む。ここで生まれ育った黒岩裕樹さんは、まちに少しでも前向きな空気を生み出せたらと、自宅のお風呂を公衆浴場にすることを思い立つ。2020年8月、熊本市でおよそ20年ぶりに新しい銭湯「神水公衆浴場」が誕生した。

自宅のお風呂を銭湯に

まちづくりの世界では「人と人のつながり」や「コミュニティ」が大事といったことがよく言われる。だがコワーキングスペースなど交流施設としてつくられた場所が、いつまでたっても閑散としている…なんて話も多い。それはそうだ。場所だけ人工的に用意されても、そう都合よく人と人の関係が生まれるものではないからだ。

その点、銭湯は少し前提が違っている。誰でもお風呂には日常的に入るので、まず必然性がある。リピート性もある。常連さん同士、言葉を交わすうちに顔見知りになり、おのずと人間関係ができていく。そんな営みが自然に起こる。

東バイパスに面した、神水公衆浴場の入口(写真撮影/野田幸一)

東バイパスに面した、神水公衆浴場の入口(写真撮影/野田幸一)

熊本地震の後、まちが閉塞的な空気に覆われていたとき、新しい拠点としてお風呂をつくろうと考えたのが、構造設計士の黒岩さんだった。黒岩さんは、職業柄、神水の地盤下には、阿蘇の伏流水が流れていることを知っていたそうだ。

「何百年も前に阿蘇山が噴火して、溶岩がこの辺りまで飛んできているんです。その岩盤を貫通した下に阿蘇の水が流れています。地名が神水というだけあって、水質は温泉に近い。震災の後は、やっぱりこの辺りも人が減って閑散としていたので。空気を少しでも変えたかったんです」

黒岩さんが住んでいたマンションは、地震で大規模半壊の状態になった。子どもの校区を考えると遠くに離れない方がいいと、近くに新しい家を建てることにした。

「もともとうちは小さな子どもが4人いるので、子どもたちをお風呂に入れるのも一苦労。ユニットバスにはおさまらないので、どうせ広い風呂をつくるなら、周囲の友人家族も使えるような銭湯にしたらどうかと考えました。あとはこの土地の資源である水を活かして、まちに開放的な場をつくれたらと思ったんです」

神水公衆浴場を始めた、黒岩構造設計事ム所代表の黒岩裕樹さん(写真撮影/野田幸一)

神水公衆浴場を始めた、黒岩構造設計事ム所代表の黒岩裕樹さん(写真撮影/野田幸一)

どんなお客さんが?

神水公衆浴場は、交通量の多い東バイパスに面している。白木の木造の入り口にはまだ新しいのれんがかかっていた。

いまは本業に無理がかからないよう、週に4日、16時~20時の4時間のみ営業している。週末は黒岩夫妻が番台に座るが、平日は黒岩さんの両親が手伝ってくれている。お客さんの8割は常連さん。多くは歩いてか、自転車で通える範囲に暮らすご近所さんで、仕事帰りに立ち寄る人も多い。

「想像していたより若い人も来てくれます。20代の単身者や30代のファミリー層、それに高齢の方も。始めてみて驚いたのは、お客さんにありがとうって言われることです。客商売なので、本来こちらがありがとうございます、なんですけど。お年寄りは家のお風呂を洗うのも大変みたいで『助かるわ』と言われます」

この地域にもかつては2軒の銭湯があったが、震災後、廃業してしまった。20年ぶりに開業した銭湯だった。

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

開店の16時になると、さっそく常連さんらしい年配の女性が入ってきた。料金は350円。

「いまお湯、熱い? 私熱いのだめなんよね~」と、女性はのんびり言いながら、女風呂の方へゆっくり歩いていった。間を置かず、今度は若い男性の二人連れが入ってくる。日に15~20人。一週間に述べ100人ほどのお客さんが訪れる。

なぜ、銭湯だったのか?

直接的なきっかけは、やはり2016年の熊本地震だった。黒岩さん自身、2~3カ月の断水を経験したという。

「九州は温泉も多いので、車で20~30分も走れば温泉があるし、近くには健康ランドもあります。でも当時はどこもすごい行列で。洗い場までお湯があふれていたんです。それが数日ではなく数カ月続きました」

ここ数年の間に起きたほかの災害の現場でも、断水やお風呂に入れないことは、人びとを疲弊させる要因の一つだった。地下水を汲み上げるしくみがあれば、電力が復旧し次第、お風呂も提供できる。

そして、銭湯をつくろうと思った理由にはもうひとつ。黒岩さんは構造設計士として、多くの仮設住宅をつくる現場を目の当たりにしたのだった。

「できていく仮設住宅は窓が小さくて閉鎖的な空間で。窓の面積が少ない方がコストが抑えられるからそうなるんですが。余震が続いて、精神的にも落ち着かないのに、そんな仮設に住む人たちのことを考えると、やりきれなくて」

少しでもほっと落ち着ける開放的な場所を提供できたら。さらにまちの閉塞的な空気を前向きに変えられたら。そう願って始めた銭湯だった。

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

銭湯は、防災拠点にもなる

神水公衆浴場は、建物の1階部分が銭湯で、2階が黒岩さん家族の住居になっている。一階脇の木の螺旋階段をのぼると、居住空間であるドーム状の空間に出た。

細長いカウンターキッチンに広々としたリビング。子どもたちの遊び場でもある。右は妻のヒロ子さん(写真撮影/野田幸一)

細長いカウンターキッチンに広々としたリビング。子どもたちの遊び場でもある。右は妻のヒロ子さん(写真撮影/野田幸一)

1階の外は交通量の多い道路だが、2階の窓の外には街路樹の緑しか見えない(写真撮影/野田幸一)

1階の外は交通量の多い道路だが、2階の窓の外には街路樹の緑しか見えない(写真撮影/野田幸一)

天井の高い空間が仕切られていて、リビングの裏手が寝室。居住空間の真下が銭湯にあたるため、広い一間でもあたたかかった。

黒岩さん夫妻は二人とも、構造設計士。内装や意匠は手がけないため、設計はワークヴィジョンズの西村浩さんに依頼した。居住スペースの天井に用いたCLT同士の継ぎ手、バタフライ構造などは黒岩さんたちの提案によるものだ。

「自宅なので少しでもコストを抑えられたらと思って、金物を使わない施工法にして、自分も大工の一人になって一緒に工事しました。職人をやっている友人も多いので、幼稚園のころの同級生から大学時の友人たちまで総動員で手伝ってもらいました」

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

この建物の設計デザインは、2021年のグッドデザイン賞で、大賞に次ぐ金賞を取った。グッドデザイン賞のページにはこんな記載が掲載されている。設計士の西村さんによる解説だ。

「災害頻度が年々高まる状況に、行政頼みの防災対策には限界が見える。小さくても地域全体に数多く散らばる拠り所が必要で、住宅の基本機能を開く・シェアする災害支援住宅を目指した」

お風呂は人びとの憩いの場であると同時に、災害時にはよりどころにもなる。黒岩さんの妻、ヒロ子さんはこう話した。

「防災とまで言えるかはわからないですけど、結果的にそうなったらいいなと思っています。実際震災のときに不安だったのは、知らない人同士が、防災拠点である学校や体育館に集まって寝泊まりしなきゃいけなかったこと。そのなかに一人でも知り合いが居れば、ぜんぜん気持が違うと思うんです。

熊本市は比較的都会なので、田舎のような人づきあいがあるわけでもない。でも銭湯があることで、近所の方と挨拶したり、顔見知りができると、非常時に違ってくるのかなと思います」

黒岩さんも続けて言う。

「熊本の震災だけでなく、記憶にあるだけでも雲仙の噴火や、大雨による水害など、災害って数年に一度は起こっていますよね。だからそう稀(まれ)な話ではないのかなと思います」

ただ、いくら自宅の延長とはいえ、お風呂は家のなかでもっともプライベートな空間。一般開放することに抵抗はなかったのだろうか。そう聞くと、ヒロ子さんは言った。

「大賛成でもなかったですが、絶対反対ってほどでもなくて。私も建築をやってきたので、考え方としてはわかるなと。ただ、いまは子どもがまだ小さいので、正直それどころではなくて。反対もしなかったけど、いまはお風呂より子育てが大変(笑)。それが落ち着いたらもう少し日常生活のルーティンのなかに、銭湯の仕事も自然と組み込めるようになると思います」

結局、被災後の建設ラッシュに奔走するうちに自宅の建設は後回しになり、銭湯のオープンは地震から5年後の2020年8月になった。だが震災前に比べて店が減り、マンションなどの増えた街並に、銭湯は新しい風を入れた。

お風呂を共同で使うのはあたりまえの文化だった

取材で訪れた日、番台に座っていたのは黒岩さんのお父さん。当初は銭湯を始めることには大反対だったのだそうだ。

「突然風呂屋をやると言うもんだから。そりゃあもう家族どころか親戚一同びっくりでした。風呂屋といえばいまは厳しい産業でしょう。危ないんじゃないかと思ったけど、本人の意思がかたいもんだから。でもまぁオープンして1年半過ぎましたし、徐々にではありますが成果が出ているかなと。いいお風呂でしたと言って帰られるお客様の反応からそう思いますね」

黒岩さんのお父さん、重裕さん (写真撮影/野田幸一)

黒岩さんのお父さん、重裕さん (写真撮影/野田幸一)

黒岩さんは言った。

「もともと共同浴場って九州には普通にあった文化なんです。みんなで管理費を出し合って共同でお風呂を使っていた。いまも小国や鹿児島のほうには残っていますが、それと同じ話だと思えば、それほど特別なことではないのかなと」(黒岩さん)

帰りぎわ、肝心のお風呂に入らせてもらった。浴室は天井が高く広々としていて開放感があって気持いい。何といっても、お湯がよかった。温泉の水質に近いと黒岩さんが話していただけあって、骨の髄まで緩めてくれるようなお湯だった。

脱衣所のようす(写真撮影/野田幸一)

脱衣所のようす(写真撮影/野田幸一)

洗い場の壁には、グラフィックデザイナー・米村知倫さんに描いてもらった絵(写真撮影/野田幸一)

洗い場の壁には、グラフィックデザイナー・米村知倫さんに描いてもらった絵(写真撮影/野田幸一)

時間になって、お父さんと交代するためにお母さんもやってきた。お母さんはこんな話をしてくれた。

「いろんなお客さんが来られるけど、こちらもちゃんと目を見て話すから、変な人は来ないですよ。『ゆっくり入ってきてね~』とか『いま一人だから泳げるよ~』とか冗談を言ったりしてね。

最初は反対しましたけど、いまは楽しんでやらせてもらっています。歳を取ると人と出会うことも減って、世界が狭くなるでしょう。だからむしろこうして人と話す機会をくれてありがとうねって、今は息子たちに言っているんです」

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

●取材協力
神水公衆浴場

24歳女子、大家になる。築40年超エレベーターなしマンションが人気物件になるまで 東京都荒川区

東京都荒川区東尾久の下町。エレベーターなしの築44年の賃貸マンション「トダビューハイツ」。
実は現在は常に満室の不思議物件で、しかも、当時24歳のデザイナーの女性が、祖母の跡を継いで大家になり、10カ月で満室にしたというから驚きだ。
人気の秘密は何なのか? さらに彼女が大家になる決意をした理由、満室にするまでの道のり、今後の展望など、あれこれお話を伺った。

左から、入居者の安谷屋貴子さん、大家の戸田江美さん、新しい賃貸住宅「ロジハイツ」のカフェオーナーになる竹前さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

左から、入居者の安谷屋貴子さん、大家の戸田江美さん、新しい賃貸住宅「ロジハイツ」のカフェオーナーになる竹前さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

24歳のとき祖母の跡を継ぎ、「トダビューハイツ」の大家に

大学生のころに母を亡くし、祖母と2人暮らしだった戸田江美さんが、「トダビューハイツ」の運営を祖母から引き継いだのは6年前、24歳の時だ。

6年前当時の部屋の様子(写真提供/戸田江美さん)

6年前当時の部屋の様子(写真提供/戸田江美さん)

「当時、周囲にマンションが増え、だんだん空き室が目立つようになったんです。もろもろトラブルがあったこともあり、祖母は元気をなくしていきました。もっと祖母のそばにいようと、多忙だった会社を辞め、転職を考えました。そんなとき、フリーのデザイナーとして単発の仕事を受けるようになり、フリーランスのデザイナーとして在宅で仕事をするなら、大家業も兼業できるのではと思ったんです。もちろん素人なので祖母の助けをもらいながら。“これはどうするの”“誰にお願いすればいいの?”と頼りにすることで、祖母も元気になってきました」

現在は30歳の戸田さん。結婚し、大家業とともに、フリーランスのデザイナー、イラストレーターをしている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

現在は30歳の戸田さん。結婚し、大家業とともに、フリーランスのデザイナー、イラストレーターをしている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

また、美大を出てデザイナーとして働いてきた自分だからこそのスキルを活かした「デザイン×不動産」の掛け合わせも面白そうだとも感じていた。最初に取り掛かったのが、物件のサイトづくり。「築年数の古さ」がネックになり集客できないなら、自分でやってみようと思ったのだ。

現在のトダビューハイツのサイトからも、その工夫が伝わってくる。
トダビューハイツを「築40年のおっちゃん物件」と擬人化しつつ、街の様子もレポート。

クリエイティブな大家が自ら手掛ける主観と愛あるサイトは読みものとしても秀逸(HPより)

クリエイティブな大家が自ら手掛ける主観と愛あるサイトは読みものとしても秀逸(HPより)

(HPより)

(HPより)

築年数の古さを逆手にとって「DIY可能」も打ち出した。壁棚の造作や壁の塗装など、内容や箇所を事前に相談しておけば、原状回復義務はないというもの。
さらに、また次の入居者のためにリフォームするならと、「ふすま紙とトイレの床を無料でリフォームサービス」を実施。その相談もフォトショップを使って提案できるのもデザイナー大家ならではだ。

過去のDIY例(写真提供/戸田江美さん)

過去のDIY例(写真提供/戸田江美さん)

入居者の方が好きな本の装丁に合わせた色を職人技で再現してもらって塗ったドアの色(写真提供/戸田江美さん)

入居者の方が好きな本の装丁に合わせた色を職人技で再現してもらって塗ったドアの色(写真提供/戸田江美さん)

襖の柄や色は事前に戸田さんがPC上で再現。家具や好みに合わせて提案している(画像提供/戸田江美さん)

襖の柄や色は事前に戸田さんがPC上で再現。家具や好みに合わせて提案している(画像提供/戸田江美さん)

(画像提供/戸田江美さん)

(画像提供/戸田江美さん)

「顔の見える」大家女子として、自ら広報活動。それが功を奏した

とはいえ、順調だったわけではない。当初は12部屋のうち3室が空室。サイトから見学を申し込む人は若い人が多いが、古さや設備など、いわゆるスペックで評価されがちなことがネックになり、なかなか契約に至らなかったのだ。
そんななか、「20代女子の大家さん」という目新しさから、Webサイト「物件ファン」に取り上げられた。そのサイトから内見メールがいくつも届いた。大家である戸田さんが自ら案内をする。街や物件に愛着を持つ「顔の見える」大家――。特に意識したわけではなく、自分ができることをしていたら、そうなっていた。

24歳のときにふすま貼りを習いに行ったときの写真。その後、「大家女子の日記」という連載も開始し、問い合わせも増えた(画像提供/戸田江美さん)

24歳のときにふすま貼りを習いに行ったときの写真。その後、「大家女子の日記」という連載も開始し、問い合わせも増えた(画像提供/戸田江美さん)

入居者に聞いた「トダビューハイツの魅力とは?」

サイトを通して、新たな入居者となってくれた1人が、福島県でコミュニティ支援の仕事をしていた安谷屋貴子さんだ。
「もう帰って寝るだけの1人暮らしは嫌だなと思ったんです。そんなとき、大家さんに直接内覧を申し込めるこの物件に、ピンとくるものがありました。江美さんには、入居前にふすま紙とトイレの床を何にするか一緒に選んでもらったり、街案内をしてもらったり、まったく地縁のない私には、ありがたかったんです」(安谷屋さん)

戸田さんにとって、のちに単に入居者という以上のサポーターになってくれたという安谷屋貴子さん(写真撮影/ジャーナル編集部)

戸田さんにとって、のちに単に入居者という以上のサポーターになってくれたという安谷屋貴子さん(写真撮影/ジャーナル編集部)

とはいえ、入居後半年間は最低限の連絡事項のやり取りで、頻繁なお付き合いがあったわけではなかった。そのあたりのこと戸田さんに質問してみた。
「私、大家業をしているので勘違いされがちなのですが、人見知りなんですよ。安谷屋さんが入居したころはまだ入居者の方との距離感を探っていたところでもありました。また、シェアハウスではないので、ほどよい距離感は必要だなと思っているんです」
入居1年後に、安谷屋さんは戸田さんの地元の知り合いとの花見に参加。顔見知りができたことで、その後の街歩きやワークショップなどのイベントにも参加しやすくなり、自然と安谷屋さんの尾久コミュニティの輪は広がった。

2018年、当時のお花見の様子。最初は6人だったけれど、ご近所さんが声をかけてみんなで集合写真。「江美さんのお友達の輪に入れてもらえたようで、すごく楽しかったです」(安谷屋さん)(写真提供/戸田江美さん)

2018年、当時のお花見の様子。最初は6人だったけれど、ご近所さんが声をかけてみんなで集合写真。「江美さんのお友達の輪に入れてもらえたようで、すごく楽しかったです」(安谷屋さん)(写真提供/戸田江美さん)

「子どもがいたら別でしょうけど、地縁のない独身の社会人にとって地元に知り合いをつくるってなかなかハードルが高いもの。でも大家の江美さんを通じて、人とまちと少しずつ知り合える実感がありました。特にコロナ禍はそれを実感しましたね。買い物途中に知り合いと立ち話をしたり、江美さんと偶然会って一緒にお弁当を買いに行ったり。知り会いがいない街で、一人暮らしで在宅ワークになっていたら、誰とも会話しないままだったかも」(安谷屋さん)

また戸田さんのほうも、社交的な安谷屋さんというサポーターを得たことで、新しい入居者の方とのウェルカムごはん会なども企画し、ゆるやかにつながれるように。

「いきなり大家とサシでごはん……ちょっと抵抗感あるでしょう。でも入居者の安谷屋さんがいてくれたら、誘いやすい。入居者の数人で韓流ドラマ『愛の不時着』を観たこともありました」(戸田さん)
その後、入居者でもある落語家さんによる落語会も開催。昔から暮らしている入居者と新しい入居者が自然と知り合う、またとない機会になった。

落語会の前には、戸田さんのお知り合いが三味線で出囃子を弾く贅沢さ(画像提供/戸田江美さん)

落語会の前には、戸田さんのお知り合いが三味線で出囃子を弾く贅沢さ(画像提供/戸田江美さん)

入居者の交流の場となる部屋は、戸田さんの仕事場でもある。一部DIYを行い、トダビューハイツの「レトロで和む」雰囲気の味わい場所に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

入居者の交流の場となる部屋は、戸田さんの仕事場でもある。一部DIYを行い、トダビューハイツの「レトロで和む」雰囲気の味わい場所に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

共用廊下には回覧板とともに、庭でとれた柿をおいて。「どうぞ自由にもっていってください」とメッセージ付き。みんなで干し柿をつくる小さなイベントも(写真提供/戸田江美さん)

共用廊下には回覧板とともに、庭でとれた柿をおいて。「どうぞ自由にもっていってください」とメッセージ付き。みんなで干し柿をつくる小さなイベントも(写真提供/戸田江美さん)

新たなプロジェクト始動。その名も「想像建築」

そして、このトダビューハイツとは別に祖母が所有し、長く借地として貸し出していた荒川区町屋の土地が、住人が退去して更地になって戻ってきたことを契機に、新たな活用法を考えることに。
そこに何を建てようか想像することから始めようというのが、「想像建築」プロジェクト。

「売却したり、業者さんに丸投げして賃貸マンションを建てれば簡単だって分かっているんですけど、それは祖母が大切にしてきた地域との関わりを絶つような感じがして、違うかなと。もっと街に愛着が持てるような場所にしたかったんです」
そこで戸田さんがとった方法は「すぐに住宅を建てない」方法だ。
「荒川区が古い建物を取り壊し、更地にして空き地を保全している間は固定資産税を安くする制度があったんです。だったらまず空き地であれこれ利用しているうちに、方向性が出てくるかなと考えたんです」
例えば、屋台村は保健所からのNGが出て実現できなかったが、マルシェ、街歩き、トークイベントを開催し、この場所に興味を持ってもらえるような仕掛けだ。

2019年に行った、路地裏マルシェ&トークイベント。「ご近所の大好きなお店に出店して頂き、さらに発起に至った経緯や、個人的に感じている荒川区の課題などを話しました」(戸田さん。画像提供も)

2019年に行った、路地裏マルシェ&トークイベント。「ご近所の大好きなお店に出店して頂き、さらに発起に至った経緯や、個人的に感じている荒川区の課題などを話しました」(戸田さん。画像提供も)

地元の建築家を招いて荒川区の街歩きイベントも(画像提供/戸田江美さん)

地元の建築家を招いて荒川区の街歩きイベントも(画像提供/戸田江美さん)

そのうち、荒川区役所に勤める人、荒川好きのご夫妻、荒川区に住みたい区外の人、ご近所の人など、自然につながりが生まれた。
「そうしているうちに、やっぱり売るはナシだなと実感。街を愛してくれる人が増えてくれる住まいにしたい。よし賃貸住宅を建てようと思うようになりました」

さらにワークショップを行い、地元住民やこの土地に興味のある未来の住人さんたちにアイデアをプレゼンし、方向性は間違えていないかを探った。
 
その結果、「屋上菜園」と「カフェ」を持つ賃貸住宅を新築することに。コンセプトは“この街に長く住みたくなる賃貸マンション”だ。
会員制の「屋上菜園」は地域住民も登録可能。1階に「カフェ」を設けることで、地域に開かれた住まいを目指している。

新しい賃貸住宅「ロジハイツ」の模型。東京スカイツリーの見える屋上には菜園を設ける予定。「すでに近隣住民の方から申し込みがあり、地域と住民のゆるやかな交流の場になったらいいですね」(戸田さん)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

新しい賃貸住宅「ロジハイツ」の模型。東京スカイツリーの見える屋上には菜園を設ける予定。「すでに近隣住民の方から申し込みがあり、地域と住民のゆるやかな交流の場になったらいいですね」(戸田さん)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なかでもキーポイントとなるカフェのオーナーは、なんと戸田さんの大学時代の同級生の竹前さん。同じ荒川区に生まれ育ち、「いずれお店を持ちたい」と喫茶店で働いていた。物件が建つエリアは周囲に飲食店が少ないため、地域住民度の期待は大きい。

「荒川区のような下町の飲食店のオーナーって、とにかく人柄がすごく大事なんですよ。老若男女と仲良くできて、程よい距離感が保てる人。単にテナントとして貸すのではなく、人柄もよく分かっていて信頼している彼女にお願いすることで、暮らす人、地域の人から愛される、そんな気持ちのいい物件を目指したいんです」(戸田さん)

「モーニング営業もしたいし、大きな公園も近いので、ピクニックができるようなメニューも考えたいって夢が広がっています」(竹前さん)。カフェは今年4月オープン予定(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「モーニング営業もしたいし、大きな公園も近いので、ピクニックができるようなメニューも考えたいって夢が広がっています」(竹前さん)。カフェは今年4月オープン予定(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「大家さん」は大好きな街に人を呼び込むシゴト

戸田さんのこうした活動のモチベーションは、子どものころの記憶とも紐づいている。
「トダビューハイツができた当初から40年以上住んでいるご夫婦もいて、“江美ちゃん、すっかり大きくなって”と毎回言われる(笑)。ほぼ親戚のような存在ですよね」

戸田さんの好きな落語の世界では、「大家と言えば親も同然、店子(たなこ)と言えば子も同然」が決まりセリフで、大家は困ったことがあれば顔を出してくる中心的存在だ。

「祖母もそうでしたね。大変だけど面白いですよ。この前、テレビが映らなくなったって、1階の外で入居者さんと話していたら、他の方も上のベランダから、”ウチも映らないよ“って顔だしてきて(笑)。 “どーしても日本シリーズが観たいんだ”っていう入居者さんがいて、慌てて近所の電気屋さんに電話したら、“気持ちが分かる、大変だ”ってすぐ自転車でやって来てくれたんです。街を歩いていると、誰かから、”おかえり”って言われて、”ただいま”って答えるし(笑)。地図を見ながら歩いていたトダビューハイツに遊びに来たご夫妻が、自転車で通りかかったおじさんに声をかけられて美味しい中華屋さんを教えてもらったって言っていました(笑)」

そんな下町らしい距離感の住まいに、付加価値を感じて入居を決めてくれる人は多い。
築年数や設備などのネット検索でははじかれてしまうかもしれない物件でも、そこに大きな愛がある。
「ちょっと窮屈に感じることはあっても、街全体が自分のホームタウン。そんな大好きな街に新たに人を呼びこめる”大家”という仕事はとっても面白いと思います」

「もしランチ営業で人手が足りなかったら手伝いにいくよ」「グループラインでヘルプ出したらいいんじゃない」と、大家さん、入居者、新物件のテナントのオーナーと立場の違う3人が楽しく話す雰囲気が、トダビューハイツの魅力を証明しているかもしれない(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「もしランチ営業で人手が足りなかったら手伝いにいくよ」「グループラインでヘルプ出したらいいんじゃない」と、大家さん、入居者、新物件のテナントのオーナーと立場の違う3人が楽しく話す雰囲気が、トダビューハイツの魅力を証明しているかもしれない(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

トダビューハイツ(写真提供/戸田江美さん)

トダビューハイツ(写真提供/戸田江美さん)

●取材協力
トダビューハイツ
想像建築

空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

「がもよん」の愛称で親しまれる大阪の下町が、2021年度グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。昭和の風情が今なお息づく庶民的な街がいったいなぜ、ここにきて注目を集めているのでしょう。それはこの街が日本中の市区町村が頭を抱える「空き家問題」「古民家再生」に対し先鋭的な取り組みをしてきたからなのです。

「がもよんモデル」と呼ばれる、その方法とは? 実際に「がもよん」の街を歩き、キーパーソンをはじめ関わった人々にお話を伺いました。

街をむしばむ「空き家問題」に悩まされた「がもよん」

「がもよん」。まるでドジな怪獣のような愛らしい語感ですが、これは大阪府大阪市城東区の蒲生(がもう)四丁目ならびにその周辺の愛称。「がもう・よんちょうめ」略して「がもよん」なのです。

大阪城の北東に位置する「がもよん」には住宅がひしめいています。蒲生四丁目交差点を中心として半径2kmに広がるエリアに約7万もの人が暮らしているのです。かつては大坂冬の陣・夏の陣の激戦地。現在は大阪きっての住宅密集地となっています。

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

大阪メトロ長堀鶴見緑地線と同・今里筋線が乗り入れる「がもよん」は、副都心「京橋」まで地下鉄でわずか3分で着く交通利便性が高い場所。それでいて昭和30年(1955年)ごろに発足した城東商店街や入りくんだ路地など、のんびりした下町の風情がいまなお薫るレトロタウンなのです。

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

そんな「がもよん」は下町ゆえの問題もはらんでいました。旧街道に沿う蒲生四丁目は第二次世界大戦の空襲を逃れたため戦前に建てられた木造の古民家や長屋、蔵が多く残っていたのです。住民の少子高齢化とともに築古の空き家が増加し、住む人がいない建物は日に日に朽ちてゆきます。街は次第に寂れたムードが漂い始めていました。

2000世帯以上の流入を成し遂げた「がもよんにぎわいプロジェクト」

そんな下町「がもよん」が2021年10月20日、グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

約5800件から選ばれたのは、一般社団法人「がもよんにぎわいプロジェクト」の事業。「がもよんにぎわいプロジェクト」とは閉業した昭和生まれの商店や老朽化した古民家などの空き家を事業用店舗に再生する取り組みのこと。これが「住民が地域活性化に参加できる“エリア全体のリノベーション”を実現した」と高く評価されたのです。

「“がもよんにぎわいプロジェクト”を始めて13年。今回の受賞が全国で増加する空き家問題を解決する一手となり、活動を支えてくれた地域の人が、街を誇りに感じてもらえたらうれしいですね」

そう語るのは「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事であり、建設・不動産業を営む会社R-Play(アールプレイ)の代表取締役、和田欣也さん(56)。

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは無人物件の所有者と事業オーナーとのマッチングによって空き家問題を解決し、「貸す人も借りる人も地域も喜ぶ」三方よしの新たなビジネスモデルを打ち立てています。しかも公的な補助金はいっさい受け取らず、民間の力だけで。「経済自立したエリアマネジメント」を成立させたのです。

「この5年間で、がもよんは2030世帯も住民が増えたんです(令和2年 国勢調査)。『にぎわう』という当初の目標は達成できているんじゃないかな」

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

地道な「街歩き」で人々と接してきた効果は絶大

和田さんがこの10余年に「がもよん」内にて手掛けた空き家再生の物件は40軒以上。そのうち店舗は33軒。刮目すべきは、再生した物件のほぼすべてがしっかり収益を上げ、成功していること。家庭の事情で閉業した一例を除き、業績の不振によって撤退したケースはなんと「ゼロ」なのだそう。コロナ禍の渦中ですら一軒も潰れることなく営業していたのだから感心するばかり。

成功の秘訣は、自らの足で街を巡り、路地に立ち、街の空気を感じること。和田さんが「がもよん」を歩くと、皆が声をかけてくる。いわば「街の顔」なのです。

「僕の顔、み~んな知っています。街を歩けば、近所のおばちゃんから『あそこに新しい店ができたなー。こんど連れて行ってーや』と声をかけられる。サービス券を渡したら、『孫も連れて行くから、もう一枚ちょうだい』って」

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

「ここは“がもよん”や。梅田とちゃうぞ」と敬遠された

そんな和田さんには他のまちおこしプランナーにはない大きな特徴があります。それは「耐震診断士の資格」を取得していること。過去に「あいち耐震設計コンペ最優秀賞」「兵庫県耐震設計コンペ兵庫県議長賞」を受賞している和田さん。実はこの耐震診断士資格こそが「がもよんにぎわいプロジェクト」の発端といえるのです。

「がもよんにぎわいプロジェクト」が誕生したきっかけは、2008年6月、築120年以上の米蔵をリノベーションしたイタリアンレストラン「リストランテ・ジャルディーノ蒲生」(現:リストランテ イル コンティヌオ)の開業でした。

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

老朽化したまま放置された米蔵の扱いに悩んでいた現スギタハウジング株式会社の代表取締役、杦田(すぎた)勘一郎さん。「古い米蔵が醸し出す温かな雰囲気を残したい」と、当初は「そば屋」をイメージしてテナントを募集しました。しかしながら、反応がありません。「先代から引き継いだ古い建物を守りつつ、次の世代へ良い形で残したい」と願うものの、和食という固定観念にとらわれていた様子。

そこで杦田さんは、耐震のエキスパートである和田さんに参加を呼びかけ、古民家再生プロジェクトがスタートしました。そして和田さんは「蔵だから和食、では当たり前すぎる」と、「柱や梁を残し、蔵の装いをそのまま活かしたイタリアンレストラン」への転用を提言したのです。

「フルコースでイタリアン。一番安いコースを3000円くらいで食べられる。そういうタイプの予約制の店は、がもよんにはなかった。ないからこそ、やりたかったんです」

しかし、蔵の所有者は「そんなワケのわからんものにするくらいなら更地にせえ」と猛反対。周囲からも「がもよんでイタリアンなんか流行るわけがない」と奇異な目で見られ、理解が得られませんでした。

「めちゃくちゃ敬遠されました。13年前はまだ外食の際に予約を取る習慣ががもよんにはなかったんです。ジャージにつっかけ履きのままで、ふらりとメシ屋の暖簾をくぐるのが当たり前やったから。『予約がないと入れない? はぁ? なにスカシとんねん。ここをどこやと思っとんのじゃ。がもよんやぞ。梅田ちゃうで』と、訪れた客から捨て台詞まで吐かれる。梅田に比べて破格に安い値段設定にしたのですが、それでも受け入れてもらえませんでした」

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「失敗したらギャラはいらん」と覚悟の姿勢を見せて所有者を説得。建築のみならず腕利きの料理人のスカウトまで担ったのです。

古い物件ゆえに耐震や断熱の工事に時間がかかります。蔵は天井が低く、地面を掘り下げる必要が生じるなど工事は困難を極めました。周囲は「失敗を確信していた」といいます。

ところが結果は……オープンと同時にテレビをはじめマスコミが「下町に不似合いなイタリアンの店が誕生」と報じ、噂を聞きつけて他都市からわざわざ訪れる客やカップル、家族連れなどで予約が取れぬほどの盛況に。街のランドマークとなり、がもよんの外食需要が掘り起こされたのでした。

このイタリアンの件を機にタッグを組んだ和田さんと杦田さん。杦田さんは「自分は空き家を数多く所持している。一軒の店の再生という“点”で終わらず、地域という“面”で活性化に取り組まないか」と提案し、これが「がもよんにぎわいプロジェクト」へと発展していったのです。

目の当たりにした阪神淡路大震災の悲劇

和田さんが古民家を再生するにあたり、もっとも重要視するのが「耐震」。

「耐震にはうるさいので、疎ましがられます。『和田さんはさー、耐震野郎なんだよ』とよくからかわれました。喜ばしいことですよ。それくらい耐震を考えて街づくりをしている人が少ないということです」

和田さんが耐震に重きを置く背景には1995年に発生した阪神・淡路大震災がありました。

「震災でお亡くなりになった約7000人のうち、圧死したのはおよそ3000人。多くの人が自分の家につぶされて亡くなっている。最も安心できるはずのわが家に殺されるって、なんて悲しいんだろうと」

和田さんは震災の後、ブルーシートや水を車に積んで被災地へボランティアへ出かけました。そこで見た光景は「忘れることができない」悲壮なものだったのです。

「雪がちらつく寒い夜、公園に被災した人が集まっている。けれども誰も眠っていないんです。『襲われるんじゃないか』と不安になって眠ることができない。みんな殺気立っていました」

生き残った人たちまで疑心暗鬼に駆られる悲劇を二度と繰り返したくない。そのため耐震の重要性を説くものの、当初はなかなか理解してもらえませんでした。

「古民家改修の耐震設計は一から行うより大変なんです。どうしてもお金と時間がかかる。そのわりに目に見えた効果がない。お店に入って『耐震がしっかりしているか』なんて、わからないじゃないですか。そもそも地震が来るかどうかすらわからない。耐震を軽んじれば時間も予算も削減できる。なので、所有者の説得には何度も心が折れそうになりましたよ」

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「ちょっと背伸びして」味わえるフードタウンへ

イタリアンの店「ジャルディーノ蒲生」のヒットをきっかけに旗揚げされた「がもよんにぎわいプロジェクト」。このプロジェクトはいったい、なにをテーマとするのか。これが和田さんに課せられた最初の命題でした。

同じころ、大阪の各所では「古い街を活性化させようとする動き」が起こっていました。先駆事例を挙げるなら、北区の中崎町は「雑貨」、天王寺区の空堀(からほり)町は「アート」といったように。

そこで和田さんが選んだプロジェクトのテーマは「ごはん」。

「雑貨はお客さんが『店に入っても何も買わない』選択ができてしまう。アートは『自分には縁がない』と考える人がいる。けれども誰しも必ず食事はする。月に一度は外食をするでしょう。なので、人口密度が高くファミリーが多いがもよんを『フードタウンにしようやないか』と」

食べ物でのまちおこし。下町なら「B級グルメ」が定番。しかし和田さんは、あえてB級を選びませんでした。

「がもよんでB級グルメって、そのまんまでしょう。ギャップがない。目指したのは“地元の高級店”。お祝いごととか、正月に娘や息子が帰ってくるとか。そういうときに『ちょっと、ごはんを食べに行こうや』となりますよね。でもファミレスでは『ざんない』(しのびない)。とはいえオータニはさすがに高い。そのあいだくらいの、“ちょい背伸びする料金”でおいしいものが食べられる街にしましょうよ、と提案しました」

こうして古民家の趣を大切に残しつつ、一店舗一店舗オリジナリティに溢れる飲食店の誘致が始まったのです。

「古民家再生」の気概に触れ、腕のいい料理人が集結

「和田さんと杦田さんから、『がもよんには本格的な和食割烹がない。店をやっていただけませんか』とお誘いをいただいて」

そう語るのは、オープン5年目を迎えるカウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん。

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんたちからの出店の依頼を引き受けた最も大きな理由は「古民家の再生プロジェクト」という点が琴線に触れたから、なのだそう。

「空き家って、どの街でも大きな問題になっているじゃないですか。私も微力ながら問題解消のために協力できるのでは、と思いまして」

紹介された空き家は「93年前までの資料しか残っていない」という、築100年越えの可能性がある四軒長屋の一棟。もともとは大きな邸宅で、一軒を四軒に分離させた異色の建築です。恐るべきことに、工事前はなんと「耐震措置ゼロ」というつくりでした。

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

「和田さんにしっかり耐震工事をやっていただきました。それでいて、できるかぎり元の建物の情緒を残してもらって。なので、とても気に入っています。欄間は当時の家のまま。ガラスも今ではつくる職人さんがいない、割れたら終わりという貴重なものなんです」

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

再生した古民家に「満足している」という多羅尾さん。さらに気に入ったのは「がもよんにぎわいプロジェクト」に加盟している店同士の「仲の良さ」でした。

「ミナミや北新地って各店がライバル関係なんです。けれども、がもよんは店舗さん同士の仲が良くて。一緒に飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり。皆さんで協力し合ってまちおこしをしている。『自分もその輪に入って力になれたら』という気持ちが湧いてきましたね」

古民家に惹かれUターンする人も

かつての「がもよん」の住人が、古民家再生の取り組みに惹かれ、再びこの街へ転入してきた例もあります。

そのうちの一軒が2021年6月にオープンしたイタリアンカフェ『amaretto(アマレット)』。エスプレッソのみならず抹茶やほうじ茶のティラミスなど絶品のイタリアンスイーツが楽しめるお店です。

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

店主の脇裕一朗さんは他都市でさまざまな飲食関係の業務を経験したのち独立。故郷であるがもよんへ帰ってきました。そうして初めての個人店を開いたのです。

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

「イタリアの田舎町にある雰囲気の店にしたかったので、古民家を探していたんです。そんなときに以前に住んでいたがもよんが古民家再生でまちおこしをしていると知り、『それはちょうどいいな』と思って和田さんにお願いしました」

吹抜けに建て替えた古民家は、天井はそのまま。梁も玄関戸があった位置も往時の姿を今に残しています。

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

さらに脇さんが気に入ったのは、街を包む活気でした。

「がもよんは、いい意味で雰囲気は昔っからの下町のまんま。けれども人口が増え、『新しいお店がいっぱいできているな』という印象です」

プロジェクトが生みだす店同士の連帯感

「がもよんにぎわいプロジェクト」は店舗物件の保守管理にとどまらず、マネジメントの一環として、店舗同士が集うコミュニティも運営しているのが特徴。割烹『かもん』の多羅尾さんがプロジェクトに関心を抱いたのも、この点にありました。

コミュニティの本拠地は元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。ここで毎週木曜日に店主ミーティングが開かれているのです。

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクトは加盟金などない非営利団体。鬼ごっこと同じです。『入りたい』と思ったら入っていい。『もういやや』って感じたら抜けていい。ミーティングも任意参加。そんな気楽な関係やけど、参加してくださる方はとても多いんですよ」(和田さん)

ミーティングではハード面での相談はもちろん、経営ノウハウの共有、情報交換や共同イベント企画など、店主さんたちが腹を割って話し合います。そうすることで店同士が経営動向を把握し、悩みを解消し合い、連帯感を生む。支え合い、ひいては、がもよん一帯の魅力を押し上げているのです。

「お店の周年記念には、花を贈り合う。そんな温かな習慣が生まれています。お店同士の仲がいいと、お客さんにもそれが伝わる。常連客が『あっちの店にも行ってみるわ』と他店へも顔を出すようになり、経済が回るんです」

店主同士、仲がいい。この良好な関係を築くため、和田さんには決めている原則があります。それは「同じ業態の店舗はエリア内で一つだけ」というルール。

「例えばラーメン屋さんやったら一軒だけ。同業者がお客さんを奪い合って共倒れになったらプロジェクトが持続できない。それに大家さんも、店子と店子がライバルになったら悲しいでしょう」

「競争ではなく共闘できる環境づくり」。それが和田さんのモットーなのです。

「空き家の活用は普通、物件の契約が済んだら関係は終わる。でも、がもよんにぎわいプロジェクトは“契約からがスタート”なんです。『がもよんに店を開いて良かった』と思ってほしいですから。そのために、やれるサポートはやっていくつもりです」

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

こうして和田さんたちの取り組みは「売り上げ」という目に見える形で効果を表し、いつしか「がもよんモデル」と呼ばれ、評価され始めました。

赤と黒が織りなす戦乱のゲストハウス

成功のノウハウを蓄積し、発起から10年を過ぎて地域密着型まちづくりモデルとして成熟してきた「がもよんにぎわいプロジェクト」。その手法は次第に飲食店というワクを超え、他分野へ応用されるようになってきました。

例えば2018年に「戦国の世」をイメージしてオープンしたゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。

がもよんが戦国武将「真田幸村」ゆかりの地であることから、幸村のイメージカラーである赤と黒を基調として内装。寝室には人気アニメ『ワンピース』とのコラボでも話題の墨絵師・御歌頭氏が描く大坂・冬の陣が壁全面に広がっており、大迫力。

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

「『民泊ブームの逆路線を行こう』。そんな発想から生まれた宿です」

そう語るのは、和田さんの右腕として働くアールプレイ株式会社の宅建士、田中創大(そうた)さん。

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

確かに、野点を再現した居間、黒で囲まれた和の浴室など、民泊ではありえない非日常感があります。

「もともとは大きな住宅でした。『せっかく広々とした場所があるのだから、旧来のホテルや旅館とは違う、がもよんに来ないと体験できないエンタテインメントを感じてもらおう』。そのような気持ちから、見てのとおりの設えになりました」

ブッ飛んだ発想は海を越えて口コミで広がり、コロナ禍以前は英語圏や中華圏から宿泊予約が殺到したのだそう。

改修不能な空き家が「農園」に生まれ変わった

古民家の再生によりまちおこしを図る「がもよんにぎわいプロジェクト」。とはいえ古民家のなかには改修不能な状態に陥った物件もあります。そこで和田さんたちが始めたのが貸農園「がもよんファーム」。

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

2018年、平成最後の年に大阪に甚大な被害をもたらした「平成30年台風第21号」。風雨にさいなまれた空き家4棟は屋根瓦が崩れ落ちるなど倒壊の危険性をはらんでいました。

「がもよんファーム」は、そんな空き家が連なっていた住宅密集地にあります。「え! ここに農園が?」と驚くこと必至な、意外な立地です。

案内してくれた田中さんは、こう言います。

「台風の被害に遭った空き家を修復しようにも、当時は大阪全体の業者さんが多忙で、工事のスケジュールが押さえられない状況でした。『このまま放置はできない』と、仕方なく解体し、更地にしたんです」

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風の被害が大きかった建物を解体撤去して拓いた貸農園「がもよんファーム」。令和元年(2019)5月、新元号の発表とともに開園。全29区画。1区画が5平米(約2.5平方m)。1 区画/月に4000円という手ごろな賃料。

開園に先立ち、設置したのが農機具を預けられるロッカー。

「住宅街なので鍬(くわ)を持参するのはハードルが高い。『手ぶらで来られる農園』をアピールしました」

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

それにしても、いったいなぜ「農園」だったのでしょう。

「街の空き地はコインパーキングにするのが一般的です。けれども、夜中にエンジンの音が聴こえたり、狭路なので事故につながったり。『駐車場では、近隣の人々に喜んでもらえないだろう』と。それで地域のかたが利用できる農園を開きました。これまで農園という発想がなかったです。なんせ畑がぜんぜんない地域だったので。初めての経験で、手探りでしたね」

反応が予想できず、恐る恐る始めた「がもよんファーム」。ところが開園後1カ月で全区画が埋まる人気に。しかも8割以上のユーザーが開園当時から現在まで利用を継続しているというから驚き。いかに貸農園のニーズが潜在していて「待望の空間」だったかがうかがい知れます。

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

さらに幸運だったのが、がもよん在住歴13年という元・農業高校の教師、加藤秀樹さんが退職直後に区画の借主になってくれたこと。加藤さんが他の利用者に栽培のアドバイスをするなどし、おかげで世代間交流が盛んに。農園から新たなコミュニティが生まれたのです。

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「週に3回、夏は週に4回は『がもよんファーム』へ来ます。自宅から歩いて13~14分なので近いですし。『がもよんファーム』の存在はホームページで知りました。この辺で『がもよんバル』(※)というのをやっていて、『今年もあるのかな』と思ってホームページを見てみたら、たまたま農園が開かれるニュースを見つけたので」(加藤さん)

※がもよんバル……和田さんたちが開催する飲食イベント。店と地域の人をつなぐ取り組み

「加藤さんは一般の人ではわかりにくい病気を発見してくれて、『気をつけたほうがいいですよ』とアドバイスをしてくださるので助かります」(田中さん)

加藤さんの助言によりキュウリがたくさん実り「ご近所に配って喜ばれたのよ」とほほ笑むご婦人も。

さらに『がもよんファーム』は新たなニーズを開拓しました。

「趣味で園芸を楽しんでいる利用者だけではなく、アロマのお店がハーブを育てていたり、クラフトビールの工房がホップを育てていたりします」(田中さん)

ゆくゆくは、がもよん生まれの地ビールがこの街の名物になるかもしれません。住宅密集地に誕生した貸農園が商業利用の需要を発掘したのです。これもまた、街全体を活気づけるエリアリノベーションであり、「古民家再生」の姿といえるでしょう。

「がもよんモデル」を世界へ

こうして文字通り「にぎわい」を創出し、「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよん」。和田さんが考える今後は?

「喫茶店でお茶を飲んでいたらね、後ろの席で女性が『昔はな、がもよんに住んでるって言うのが恥ずかしかった。なので、京橋に住んでるねんって言ってた。でも今は『がもよんに住んでるって自慢してるねん』と話していたんです。思わず『よしっ!』って小さくガッツポーズしましたよ。自分が住む街を誇りに思えるって、素敵じゃないですか。こんな気持ちを日本中、世界中の人に感じてほしい。がもよんモデルには、それができる力があると思うんです。なので、ほかの街でも展開していきたいですね」

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

空き家問題への対策から誕生した新たなビジネスモデル「がもよんモデル」。地域のお荷物だった空き家が収益を生み、「わが街の自慢」にイメージチェンジする。和田さんはその方法論を全国に広げたいと考えています。

これからますます深刻になってゆく空き家問題。しかしながら、空っぽだからこそ、新しい価値観を芽生えさせるチャンスでもある。がもよんが、それを教えてくれた気がします。

●取材協力
がもよんにぎわいプロジェクト

住民主体で渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

指先ひとつで渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

災害時の大停電、切り札は「地域マイクログリッド」。電気の地産地消は進むか?

気候変動の影響で、災害が頻繁に発生しているなか、「地域マイクログリッド」が注目されています。これは「既設の送配電ネットワークを活用して電気を調達し、非常時にはネットワークから切り離して電気の自給自足をする柔軟な運用が可能なエネルギーシステム」(資源エネルギー庁「地域マイクログリッド構築のてびき」より)のことで、現在各地域に導入推進をしています。一体どのような仕組みなのか、資源エネルギー庁の担当者にお話を聞きました。

エネルギーは中央集権型から分散型へ

2018年の北海道胆振東部地震や2019年に発生した台風15号の被害により大規模停電被害が発生し、“インフラ断絶“が大きな課題になったことは、多くの人にとって記憶に新しいと思います。これは、エネルギーのシステムが中央集権型システムで、電気が一括供給されていることが原因でした。通常、電力は各地域の大手電力発電所で大量につくられ、そして送電線からその地域の施設や住宅に供給されます。この中央の送電システムが断絶すると、一気に全体のライフラインが絶たれてしまいます。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

そこで着目されたのが、リスク分散が期待できる分散型エネルギー。従来の大規模・集中型エネルギーとは違い、集中型エネルギーを使いつつも、各地域の特徴も踏まえ、小規模かつさまざまな方法や地域からの分散型エネルギーも上手に活用することで、「電力レジリエンス強化」をすることができるのです。「レジリエンス(resilience」とは、「弾力」「回復力」「強靭」といった意味で使われ、防災分野においては、災害発時にその影響を強くしなやかに乗り越え、速やかに回復できる状態を指しています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

分散型エネルギーの好活用「地域マイクログリッド」

さらに分散型エネルギーは、地域のエネルギーをその地域で消費することによる省エネ効果を見込むことも。そのために国が推進しているのが「地域マイクログリッド」です。

「地域マイクログリッドは、平常時は下位系統の潮流を把握し、災害等による大規模停電時には自立して電力を供給できるエネルギーシステムです。平常時は地域の再生可能エネルギーを有効活用しつつ、電力会社などとつながっている送配電ネットワークを通じて電力供給を受けますが、非常時には事故復旧の一手段として送配電ネットワークから切り離され、その地域内の再生可能エネルギー電源をメインに、他の分散型エネルギーと組み合わせて自立的に電力供給可能なシステムです」(担当者)

このモデルは、都市部・郊外・離島では、送配電ネットワークの密集度や非常時に期待される役割がそれぞれ異なるため、対象エリアの特性に合わせ、その仕組みも最適化していきます。

経済産業省 資源エネルギー庁が2021年4月に公表した「地域マイクログリッド 構築のてびき」によると、地域におけるマイクログリッドのシステムモデル例が次のように示されています。

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

このモデル図では、平常時と非常時の電気の流れが異なることを示しています。非常時には大型の発電所との送配電ネットワークを切り離し、再エネ電源等から直接の送電を受けることで、生活復旧に必要最低限の電力が確保できるようになっているのです。

なぜ今マイクログリッドなのか?

なぜ今、マイクログリッドが注目されているのでしょうか? それはマイクログリッドによって「分散型電源」である再生可能エネルギーを効率よく活用できるからです。そもそも、電力はエネルギーの状態で貯めておくことはできない上に、送電の間にその一部が失われる「送電ロス」があります。電力を生み出すところと使うところが離れるほどそのロスは大きく、本来地域で電力を作って地域内で消費する分散型モデルの方が無駄なく使えるのです。近年、太陽光発電など再生可能エネルギーを普及させる取り組みが進み、分散型電源を活用しやすいマイクログリッドというエネルギーシステムが注目を集め始めました。そうしたなか、国は地域マイクログリッドの構築を後押しするために、補助事業も行っています。2018年度と2020年度には、それぞれ10組を超える民間企業や地方自治体などが参画したマスタープランが採択されました。これから徐々に取り入れようとしている企業や団体も増えてきているようです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

地域マイクログリッドでプラン採択された団体は多くありますが、事業完成という実例はまだない状況です。一方で、自営線を活用する事例としては、宮城県大衡村の第二仙台北部中核工業団地にある『F-グリッド』(2015年開始)が挙げられます。

宮城県大衡村の、第二仙台北部中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

宮城県仙台市大衡村の、第二仙台中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

「F-グリッド」が導入された地域内では、日頃から蓄積しているエネルギーをF-グリッド内各工場へのエネルギー供給のみならず、余剰電力は東北電力を通じて近隣の地域防災拠点である大衡村役場などへ供給し、さらにはプラグインハイブリッド車と、充放電システムを拠点に配置をしているため、有事の際にすぐに災害支援活動ができる体制を備えています。

その一方で、「地域マイクログリッド」の構築には技術的にもクリアしなければならない点やビジネスモデルとして収益を確立することに課題点があり、これをクリアすることが普及の鍵となるようです。

あらゆる地域で安定稼働するまで、まだ少し時間がかかりそうですが、地域にこうした安心材料が一つでも増えると、市民にとってはとても嬉しいですね。

また補助事業とは別の制度を利用する形で、マイクログリッドの仕組みを導入している事例もあります。千葉県木更津市にある、広さ30ヘクタールの農場で食や農業体験ができるサステナブルファーム&パーク「クルックフィールズ」では、2021年2月に蓄電池システムを導入しました。「クルックフィールズ」では、2019年9月の台風15号による停電を経験して、長期停電時でも家畜のいる牛舎等への電力の安定供給や、地域住民の避難所として電力供給を自前で行えるようにしたいと思い導入に踏み切ったとのこと。自立したライフラインだけではなく、何かあったときには地域との人たちと助け合える、今後こうした施設は増えていきそうです。

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている。(写真提供/クルックフィールズ)

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている(写真提供/クルックフィールズ)

地域マイクログリッドによる期待と効果とは?

地域マイクログリッドは、対象エリアの分散型エネルギーを活用します。こうした分散型エネルギーの活用によって、災害時や非常時のレジリエンス強化だけではないメリットがあると期待されています。それは環境負荷削減と、エネルギーの高効率での地産地消ということです。地域マイクログリッドに取組むことそのものが地域に新たな産業振興をもたらす可能性もあります。エネルギー課題と街づくりを一体化して取組むことで、地域の活性化につながるかもしれません。
こうした災害や非常時に強い、そして自分たちだけで自立した暮らしを営むことができる街づくりというのは、生活する人としては安心感があり、住みやすいのではないでしょうか。今後住まいを選ぶ一つのキーワードとして、マイクログリッドを取り入れるエリアは、注目ポイントになりそうです!

●取材協力
・資源エネルギー庁
・(株)KURKKU FIELDS

コロナ禍のNYで高級物件ニーズ高まる!「4億円超アパート」に潜入 米国ニューヨークよりレポート

新型コロナウイルスによるパンデミックで、一時は冷え込んだニューヨーク(アメリカ)の不動産業界も、昨年春から再び以前のような活気が市場に戻ってきました。今、新築物件もどんどん建設されています。
そんななか、マンハッタンの高所得者が多く住むアッパーウエストサイド地区で建設が進められている新築物件をのぞいてみる機会がありました。ニューヨークの高級アパートメント(日本でいう高級マンション)での暮らしってどんな感じなのでしょうか?「4億円超」の新築物件を特別に内見させてもらいました 。

国内外から注目されている高級エリアの新規物件

高級エリアであるアッパーウェストサイド地区は、ニューヨークの中でも比較的治安が良いとされています。同地区は、コロンビア大学やアメリカ自然史博物館があるなど文化的施設に恵まれ、落ち着いた雰囲気です。

今回内見に来たブティックビルディング「212 West 93rd Street」は93丁目で現在建設が進められていて、最寄りの地下鉄駅から徒歩1分。セントラルパークやリバーサイドパークまで数ブロック。もし近くに住んだら毎朝早起きして、セントラルパークにジョギングや犬の散歩をしに行ってみたい、そんな想像が膨らみます。

また、近所には日本食レストランや人気スーパー、Trader Joe’sやWhole Foods Marketなどもあり、都心から地下鉄で15分と少し離れた落ち着い生活、楽しく充実したニューヨーク生活が送れそうです。

セントラルパークもすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

セントラルパークもすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

人気スーパーの、Trader Joe's(写真撮影/Kasumi Abe)

人気スーパーの、Trader Joe’s(写真撮影/Kasumi Abe)

最寄りの駅もすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

最寄りの駅もすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

「212 West 93rd Street」は14階建てで、中には20のコンドミニアム(20家族分の住居)があります。

ロビーには24時間ドアマンが常駐し、ペット可の物件です。犬や猫を飼っているニューヨーカーはとても多いので、大切なポイントでしょう。またほかにもこの物件の「あるポイント」が高く評価され、現在多くの問い合わせが国内外からきているということです。

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

コロナ禍で専用エレベーターや屋外テラスへの需要高まる

「コロナ禍を乗り切りパンデミックから何とか抜け出そうとしているニューヨークではこの数カ月、高級不動産物件の需要が非常に高まり、市場は再び活気に満ちています」と説明するのは、ヘンリー・ハーシュコウィッツさん。この物件の独占販売およびマーケティングエージェントをしている米大手不動産情報サイト「Compass」の不動産ブローカーです。

「物件購入者は新たな優先順位を設けて物件を探しています。この5階にある5Bのコンドミニアムのような、専用エレベーターや屋外テラスが完備した物件です」とハーシュコウィッツさん。これらはコロナ以前は「贅沢なプラスアルファ」だったのが、パンデミックで『必要なもの』という評価が付くようになったそうです。一時はロックダウンしたニューヨーク。感染拡大防止のため、密を避けソーシャルディスタンスが求められる中、そのようなプライベートが守られた自分専用のエレベーターや、テラス、バックヤードなど自分専用の「屋外スペース」の需要が高まっているとのことです。

さっそく、5Bの物件を見せてもらいました。

5Bは、2048スクエアフィート(約190平米)の面積に、4ベッドルーム(寝室)、3バスルーム(浴室とトイレ)、リビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む全8室が完備されています。

5Bの間取り(画像提供/212 West 93rd Street)

5Bの間取り(画像提供/212 West 93rd Street)

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

ロビーから専用エレベーターに乗ると、5階の5Bで止まりました。専用エレベーターと言えば、フロア直結のタイプや住居直結のタイプなどがありますが、この物件の5Bのタイプはエレベーターと居住スペースが直結していて、扉が開くと目の前に「ギャラリー」と呼ばれる、広くて長いスペースが広がります。壁にお気に入りのアートを飾ると、お招きしたゲストに鑑賞してもらいながら奥のリビングルームにご案内できる素敵なウェルカムスペースになりそうです。

お気に入りの絵を飾ったりアートを置いたりできそうなギャラリースペース(写真撮影/Kasumi Abe)

お気に入りの絵を飾ったりアートを置いたりできそうなギャラリースペース(写真撮影/Kasumi Abe)

リビング兼ダイニングルームや、それぞれのベッドルームは自然光で明るく、天井も高く広々とした印象です。大きなカウチやキングサイズのベッドを置いてもゆとりがあるスペースで、「おうち時間」をゆっくりくつろげそうです。

ビルの設計はODA、内装や家具、照明などのインテリアはGRADE New Yorkによるもの(※モデルルームのため、インテリアは販売物件についてきません)(写真撮影/Kasumi Abe)

ビルの設計はODA、内装や家具、照明などのインテリアはGRADE New Yorkによるもの(※モデルルームのため、インテリアは販売物件についてきません)(写真撮影/Kasumi Abe)

以下の写真が、コロナ禍で需要が伸びている、リビング兼ダイニングルームに隣接したテラススペースです。このビルの70%のコンドミニアムに、このような広々とした屋外テラスを完備されています。「中には、平均的なマンハッタンのスタジオアパートよりも広いテラスもありますよ」とハーシュコウィッツさん。

また、このような屋外テラス付き物件はマンハッタンではそれほど多くないということ。確かに街中を見て回っても、自分の住宅にテラスやベランダがあるのは「ほんの一部の特別な物件」ということがわかります 。

テラスだけで250スクエアフィート(約23.2平米)あり、大きなチェアやテーブルを     置いても十分ゆとりがあるほど(写真撮影/Kasumi Abe)

テラスだけで250スクエアフィート(約23.2平米)あり、大きなチェアやテーブルを置いても十分ゆとりがあるほど(写真撮影/Kasumi Abe)

向かいには高層ビルが立っていますが、大きな通りを挟んでいるのでご近所との圧迫感などは感じません(写真撮影/Kasumi Abe)

向かいには高層ビルが立っていますが、大きな通りを挟んでいるのでご近所との圧迫感などは感じません(写真撮影/Kasumi Abe)

5Bの気になるお値段ですが、販売価格は419万5000ドル(約4億8000万円超)。これに加えて3288ドル(約33万円)の共益費と3148ドル(約32万円)の税金が毎月かかります。共益費はドアマンや共有部の清掃、光熱費などで、この物件だけが特別なわけではなく、ニューヨークの高級物件を購入した場合は通常これくらいになります(支払い方法は、契約内容次第)。

ピンからキリまでさまざまな物件があるニューヨークでは数億円単位の物件は決して珍しくありませんが、その中でもこのビルは、(設備や周りの環境も含めた)物件自体の価値を総合的に判断すると、かなりラグジュアリーな物件と言えるでしょう。

また5Bの隣のユニット、5Aも同様に専用エレベーターがついています。

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

1562スクエアフィート(約145平米)の面積に、3ベッドルーム(寝室)、2.5バスルーム(浴室とトイレ)、リビングルーム、ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む全6室が完備されています。

5Aの購入価格は290万ドル(約3億3000万円超)。こちらの物件にも共益費と税金が毎月かかります。

5Aのベッドルーム(写真撮影/Kasumi Abe)

5Aのベッドルーム(写真撮影/Kasumi Abe)

バーベキューグリルも完備の眺望の良い屋上(完成予想図)。私だったらラップトップ(ノートパソコン)を持参し、マンハッタンの景色を見ながら執筆仕事をしたり、天気の良い日は日向ぼっこしたり、友人を招待してバーベキューパーティーをしたりしたいです(写真提供/212 West 93rd Street)

バーベキューグリルも完備の眺望の良い屋上(完成予想図)。私だったらラップトップ(ノートパソコン)を持参し、マンハッタンの景色を見ながら執筆仕事をしたり、天気の良い日は日向ぼっこしたり、友人を招待してバーベキューパーティーをしたりしたいです(写真提供/212 West 93rd Street)

そのほか、住民専用のスポーツジム、ビル自体にキッズルーム、ロッカーや倉庫スペースなども完備されています。ロビーなどの共有部分は2020年に工事がスタートし、今年の第1クオーター(1~3月)にすべての共有部分が完成予定です。

お問い合わせは、プライベートをより重視した人、中心地ではなく少し離れた落ち着いた環境をお求めになられている高所得者層の人(国内、国外)からあるようです。内見を終え、コロナ以降もこのようなプライベート空間が充実したアパートの需要が高まっていくと思いました。

■取材協力
212 West 93rd Street

※記事中の部屋情報
#5B – 212 West 93rd Street
$4,195,000 ↓
8 rooms, 4 beds3 baths約190平米

#5A – 212 West 93rd Street
$2,900,000 6 rooms, 3 beds2 baths, 1 half bath
約145平米

駅遠の土地が人気賃貸に! 住人が主役になる相続の公募アイデアって?

祖父がなくなり不動産を相続することになった相続人の安藤勝信さんは、納税のため所有する賃貸アパートの隣地を売却。土地を継承し、地域のために活用してくれる売却先をプロポーザルで公募し、結果もともとの賃貸アパートの住人と新たな住人が温かなコミュニティでつながる地域になった。現地で話を聞いた。

借りる人の希望を聞きながら建築する新スタイル「賃貸コーポラティブ」

最寄駅から徒歩30分、バス便の立地に2戸の一戸建てと11戸の長屋住宅から成る13戸の賃貸コーポラティブ区画が、2021年5月に東京都世田谷区に誕生した。

コーポラティブハウスとは、入居予定者が建設組合をつくり、主体となって建築する集合住宅のこと。通常は事業主が集合住宅の概要を計画し、購入予定者が区分所有部分のプランを建築士とつくりあげていく形態で、賃貸での例はほとんどない。

「賃貸なのだけど、持ち家のような不思議な感覚です」と話してくれたのは、ここの賃貸コーポラティブに住む川浪さん。一戸建ての室内は、デザインを仕事とする川浪さんのこだわりにあふれている。

(写真撮影/片山 貴博)

(写真撮影/片山 貴博)

玄関ドアを開けるとモルタル仕上げの土間、そこに大きなテーブルを置いて仕事用のスペースにしている。本棚も川浪さんのオーダー(写真撮影/片山 貴博)

玄関ドアを開けるとモルタル仕上げの土間、そこに大きなテーブルを置いて仕事用のスペースにしている。本棚も川浪さんのオーダー(写真撮影/片山 貴博)

「コロナ禍になって、できる限り自分にとって居心地の良い空間で過ごしたいと思うようになりました。でもこの変化の時代に、一生の選択をして家を持っても同じ場所に住み続けるかはわかりません。賃貸は気軽だけれど、空間の自由度が低くて限界があるし、事務所利用可能な住居物件自体がほとんどないんですよ。そんなとき、カスタマイズ可能な戸建て賃貸を見つけたんです」(川浪さん)

オーナーの田畑至誠(たばた・しじょう)さんが用意していた建物オプションは壁紙や床材の選択などだったが、「エアコンを埋め込んでもらったり、床はオプション外の少し特殊な素材でお願いしたり。できる限りの希望を聞いてもらえました」(川浪さん)
基本計画以上のコストアップは、入居者が負担することになっている。「工期の期限と躯体への影響がない範囲で、と限度があるとはいえ、一般的な賃貸では考えられないことです」と川浪さんは笑顔で話す。

夫妻とふたりの子どもとの4人家族。1階は仕事用スペースとキッチンダイニング、2階は居室(写真撮影/片山 貴博)

夫妻とふたりの子どもとの4人家族。1階は仕事用スペースとキッチンダイニング、2階は居室(写真撮影/片山 貴博)

賃貸にDIYとコミュニティを解放したら好循環が生まれた

この賃貸コーポラティブ区画の敷地一帯には、もともと賃貸アパートと駐車場があった。誕生するまでは、「奇跡のような出会いがあった」と祖父の土地の相続人だった安藤勝信(あんどう・かつのぶ)さん。賃貸コーポラティブの隣地の、賃貸アパートの経営者でもある。

安藤さんの祖父母は、世田谷区で都市農場と賃貸アパートを経営していた。
「祖父は賃貸アパートの入居募集に苦労していました。東京では駅から遠い物件は人気がなく、さらに古くなるごとに賃料を下げざるを得ない。下げても満室になるとは限りません」(安藤さん)
そんな状況を見かねて、賃貸アパートの経営を安藤さんが法人をつくって買い受けたのが8年ほど前。一度内装を取り壊し、入居者の希望を内装に反映する形で募集を開始したところ、あっという間に満室になった。
さらに、敷地でのBBQや家庭菜園、焚き火台を使った小さな焚き火といった住民の要望を叶えるうちにコミュニティも深まり、居心地のいい人気物件として生まれ変わらせることができたのだ。

住人共用の菜園(写真撮影/片山貴博)

住人共用の菜園(写真撮影/片山貴博)

「賃貸経営はよくクレーム産業と言われがちです。設備不具合のクレームや住民同士のトラブルにオーナーや管理会社が追われがちなのです。ですが本当は、少しだけお互いを知る機会があれば、生活音が『苦情』から『お疲れさま』に変わることもあるのではないでしょうか。
DIYもできますから、好きな壁紙を貼ればいいし、前の住人と好みが合えば新しい人にそのまま入居してもらうこともできる。前に住んでいた住人と次に住む住人が会うこともあります。募集して待っている立場から、入居者を探せるようになりました」(安藤さん)

相続発生。プロポーザルで売却後も土地の継承を図る

アパート経営から8年ほど経ち、祖父の相続を経験した安藤さん。アパートが建つ敷地の一部、駐車場部分を納税のために手放さざるを得なかった。
「土地は先祖から授かったものではなく未来から預かったもの。亡くなった祖父がよく言っていた言葉です。
アパートのコミュニティの延長でもある土地を、将来にも良い形でバトンを渡したい」と安藤さんが相談したのは、不動産コンサルタントの田中歩(たなかあゆみ)さん。購入希望者から土地利用についてプロポーザル(提案)を受けた上で、共感できる人に売却することを提案してくれたのだそう。

安藤さんは田中さんの伴走のもと「未来へのバトンプロポーザル説明会」を開催し、思いを共有してくれる売却先を探すこととなった。

未来へのバトンプロポーザル説明会(写真提供/安藤勝信)

未来へのバトンプロポーザル説明会(写真提供/安藤勝信)

開催場所は安藤さんが納税資金を借り入れた東京中央農業協同組合のホール。銀行勤務の経験がある田中さんが「通常、相続税は10カ月内に納めねばなりません。プロポーザルからの売却では間に合わないので、納税資金を借り入れる提案をしたんです。延滞税より金利が低いですから」と教えてくれた。
「農協は地域の事業を協同組合の立場で助けてくれる仲間です。とはいえ、担当の安藤也侑(あんどう・あつむ)さん(以降、也侑さん)が自分達に共感して頑張ってくれなかったら、この協同事業に行き着けなかったかもしれません。説明会から売却、融資返済までを上司に取り付けてくれたんですから」(安藤さん)

元の敷地図。左側の駐車場部分が説明会の対象だった(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

元の敷地図。左側の駐車場部分が説明会の対象だった(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

売却部分と所有部分を一体化。コミュニティが繋がる区画に

説明会には不動産会社や投資家など数十人が集まった。

その中でもうひとり、この土地の未来に熱くなる人物が現れた。分譲コーポラティブマンションの企画やコンサルティングに携わる藤田弘之(ふじた・ひろゆき)さんだ。
「同業者から説明会の情報を得て参加したのですが、説明を聞いてびっくり。自宅の近所で、なんと借りている駐車場の売却計画でした。駐車場がなくなると困る、という思いもあって計画にのめり込みました(笑)」

説明会は、一方的に安藤さんが説明するのではなく、参加者がアイデアを出し合うワークショップの体をなした。
借りる人の好みを反映する賃貸アパートの成功例を知り、地域コミュニティへの思いを聞いた藤田さんは「入居予定者と一緒に建物仕様を決めていく、コーポラティブの手法がぴったりだと思いました」と語る。
「当初想定されていた一戸建ての分譲ではなく、中長期でオーナーの思いを引き継ぎやすい賃貸にすべき、とも提案して採用されました。先にコミュニティが醸成されていたアパート部分との繋がりも大事にしたかった。そのため、以前から信頼していた不動産投資家の田畑さんに購入を持ちかけました」(藤田さん)

敷地配置は、右上のアパート敷地と一体で書き換えられた。A、Bの一戸建てとC1~D1までの長屋が新築された賃貸コーポラティブ。「道を通して区画全体に統一感を持たせたいと、そのために売却部分を変更してもらいました。借入先の農協の也侑さんは大変だったでしょうし、新オーナーの田畑さんの共感がなければ実現できませんでした」(藤田さん)(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

敷地配置は、右上のアパート敷地と一体で書き換えられた。A、Bの一戸建てとC1~D1までの長屋が新築された賃貸コーポラティブ。「道を通して区画全体に統一感を持たせたいと、そのために売却部分を変更してもらいました。借入先の農協の也侑さんは大変だったでしょうし、新オーナーの田畑さんの共感がなければ実現できませんでした」(藤田さん)(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

田畑さんは全国で不動産を運用している投資のプロフェッショナル。賃貸物件であれば利益のためコスト効率を重視するところだが、藤田さんから紹介された安藤さんのコミュニティ重視型の賃貸経営に深く共感した。

田畑さんが土地の購入を決め、入居募集を始めてみると多くの応募があった。田畑さんは、「初期費用がかかっても好きに住みたいというニーズ」「転職歴などでローンが組めない高収入層」「オフィスと自宅を賃貸住宅で併用したい個人事業者」の多さに改めて気付かされたという。

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

安藤さんが経営する賃貸アパート(右側)と田畑さんが新オーナーとなった賃貸コーポラティブD棟(左上)。小道と植栽の統一で区画に一体感が生まれている(写真撮影/片山 貴博)

安藤さんが経営する賃貸アパート(右側)と田畑さんが新オーナーとなった賃貸コーポラティブD棟(左上)。小道と植栽の統一で区画に一体感が生まれている(写真撮影/片山 貴博)

コーディネーターの立場からプロジェクトを担当したのは、渡邉友紀(わたなべ・ゆうき)さん。「用意していたオプションは限られたものでしたが、実際は分譲コーポラティブと同じようにこだわる人が多く、キッチンセットだけで100万円かけた人もいました」(渡邉さん)

賃貸コーポラティブの契約は、一般的な賃貸借契約と同様の2年で更新。原状回復については住戸ごとの仕様に合わせて入居者と話し合い、詳細に取り決めている。
「住みながらのDIYも原則自由です。こだわりがある入居者によるリフォームは、建物の劣化ではなく価値アップに繋がりますし。また、普通の賃貸にはないようなコミュニケーションが入居者とも生まれて、経営のモチベーションにもなっています」(田畑さん)

前列左から安藤さん(アパート経営者・土地の相続人)、川浪さん(入居者)、田畑さん(隣地新オーナー) 後列から也侑さん(農協)、田中さん(不動産コンサルタント)、渡邊さん(コーポラティブコーディネーター)、藤田さん(コーポラティブコンサルタント)(写真撮影/片山 貴博)

前列左から安藤さん(アパート経営者・土地の相続人)、川浪さん(入居者)、田畑さん(隣地新オーナー)
後列左から也侑さん(農協)、田中さん(不動産コンサルタント)、渡邊さん(コーポラティブコーディネーター)、藤田さん(コーポラティブコンサルタント)(写真撮影/片山 貴博)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

「自分好みの家はとても快適。家族もこの家と環境にすっかり馴染んでいます。初期費用もかけているので、愛着も湧きますし、その分長く丁寧に住みたいと思うようになります」という川浪さんの言葉に、笑顔になった田畑さん。
「考え方の近い人と暮らせることで、監視しあうような緊張感が生まれにくくて、むしろお互いにより豊かになるようなアイデアを持ち寄れるようなオープンな雰囲気があります」(川浪さん)

「今回大変なこともありましたが、やってみて本当によかったです。このような形が今後どこかで、ゆっくり広まってくれたらいいなと思っています」(安藤さん)

自分に合う住まいで暮らすこと、隣人を大切にできること。この事例をヒントに、理想に叶う賃貸がもっと増えることを期待していきたい。

●取材協力
安藤勝信さん(株式会社アンディート)、田中歩さん(あゆみリアルティーサービス)、藤田弘之さん(トライク・コンサルティング)、田畑至誠さん(グレープEQ)、渡邉友紀さん(NENGO)、安藤也侑さん(東京中央農業協同組合)、川浪さん(入居者)

房総半島の小屋で二拠点生活。都会と地方を行き来する新しい生き方

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

コロナ禍で「小屋で二拠点生活」が人気! 廃校利用のシラハマ校舎に行ってみた 千葉県南房総市

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

明治大学(和泉キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

新年度が始まる4月に合わせて、そろそろ引越しを考えている人も増える時期。進学を機に大学の近くで一人暮らしを始める予定の学生もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は明治大学 和泉(いずみ)キャンパスの最寄駅である明大前駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方がおすすめする、和泉キャンパスに通う学生が住む街もご紹介していきたい。

明大前駅まで電車で15分以内の家賃相場が安い駅TOP15(17駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 調布 6.40万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
2位 三鷹台 6.50万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/13分/0回)
2位 久我山 6.50万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
4位 仙川 6.55万円(京王線/東京都調布市/11分/0回)
5位 富士見ケ丘 6.60万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
6位 つつじケ丘 6.70万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
7位 成城学園前 6.90万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/15分/1回)
8位 松原 6.97万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/8分/1回)
9位 井の頭公園 7.00万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/15分/0回)
9位 永福町 7.00万円(京王井の頭線/東京都杉並区/2分/0回)
11位 下高井戸 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/1分/0回)
11位 千歳烏山 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/7分/0回)
11位 西永福 7.10万円(京王井の頭線/東京都杉並区/4分/0回)
14位 経堂 7.20万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/13分/1回)
15位 宮の坂 7.30万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/12分/1回)
15位 桜上水 7.30万円(京王線/東京都世田谷区/2分/0回)
15位 高井戸 7.30万円(京王井の頭線/東京都杉並区/8分/0回)

「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山本泰史さんおすすめの駅
ランク外 明大前駅 7.80万円(京王線/東京都世田谷区/0分/0回)
ランク外 千歳烏山駅 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/10分/1回)
ランク外 下北沢駅 8.40万円(京王線/東京都世田谷区/1分/0回)

大学名を冠した「明大前駅」周辺は生活する街としても魅力的

東京都内を中心に、4キャンパス・10学部を抱える明治大学。なかでも東京都杉並区にある和泉キャンパスは、主に法学部や商学部といった文系学部の1・2年生が通っている。大学から徒歩5分ほどの最寄駅はその名も「明大前駅」。明治大学予科(当時)が移転してきたのを機に1935年から、この駅名になったのだとか。

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅は新宿駅まで京王線の特急で1駅・最短約5分、渋谷駅まで京王井の頭線の急行で2駅・最短約6分という好立地。2022年春のダイヤ改正により京王線特急の停車駅が増えて明大前駅から新宿駅まで2駅になるものの、便利さほど変わらない。駅ビル「フレンテ明大前」が併設され、スーパーや書店、飲食店などがある点も魅力の一つだ。駅周辺は細い路地に沿ってコンビニや100円ショップ、ファストフード店やラーメン店といったリーズナブルな飲食店が建ち並び、学生にも愛用されている。大型の商業施設はなく、駅前から少し離れると住宅街。また、明治大学以外にも日本女子体育大学の付属高校など学校が点在しており、通学時間帯の駅周辺は学生の姿でにぎわっている。

明大前駅周辺で住まい探しをする学生は実際に多く、「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山本泰史さんもイチオシだそう。

「大学生の住まい探しは、キャンパスまでドア・トゥ・ドアで30分以内、もしくは電車で2~3駅圏内がおすすめ。近年は自転車でも通える距離内でお探しになる方が増えています。また、住む街を選ぶ際はアルバイトや部活動など、授業以外の利便性も考慮したいところ。その点、明大前駅は渋谷駅や新宿駅に乗り換えなしでアクセスできて非常に便利。駅前商店街に飲食店も多く、コンパクトながら生活に必要な施設はそろっています」

そんな明大前駅から徒歩15分圏内にある、シングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場は7万8000円。便利な街だけあって、学生の一人暮らしにとって安くはない。もう少し家賃相場がお手ごろで魅力的な街として山本さんがおすすめしてくれたのが、今回調査したランキングの11位にも入っている京王線・千歳烏山駅だ。

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

家賃相場は明大前駅より7000円低い7万1000円となっており、「家賃を抑えたい方におすすめです」とのこと。「風情あふれる商店街があり、ドラッグストアや定食屋さんなど日常使いできる店が多数、建ち並んでいます。また、家具や工具を買いたい場合はホームセンターが隣駅の仙川にありますので、カーシェアなどを利用すれば20分程度で行くことが可能です」と山本さん。千歳烏山駅から明大前駅までは、京王線の準特急で1駅・約7分。先ほど述べた2022年春のダイヤ改正で準特急は廃止されるが、特急の停車駅として新たに加わり明大前駅から1駅で行ける点は同様だ。駅前には韓国発のフライドチキン専門店や家系ラーメン店といった若者に人気の飲食店や、昭和レトロな喫茶店、行列のできるベーカリーもある点も魅力だろう。

明大前駅まで乗り換えなし&15分以内の駅でも家賃相場は1万円以上も下がる

続いてランキング上位になった駅も見ていこう。明大前駅まで電車で15分圏内にある、家賃相場が最も安かった駅は京王線・調布駅。家賃相場は6万4000円で、明大前駅より1万4000円も下がる。調布駅は明大前駅と同様に、各駅停車から特急まですべての列車が停車する京王線を代表する駅の一つで、準特急や特急に乗れば約12分で明大前駅に到着する。

調布駅前(写真/PIXTA)

調布駅前(写真/PIXTA)

駅のホームは地下にあり、地上部分には2017年にオープンした駅ビル「トリエ京王調布」が建っている。3館に分かれたこの商業施設には、ファッション店や食品フロア、レストラン、家電量販店に映画館までそろい、日々の買い物から休日の息抜きにまでお役立ち。ほかにも駅周辺には「調布パルコ」をはじめ商業施設が充実し、大いににぎわっている。調布は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげる氏ゆかりの地でもあり、駅北側の「布多天神社」の参道に連なる「天神通り商店会」には鬼太郎や妖怪たちのモニュメントが点在している点も注目だ。

2位は京王井の頭線・三鷹台駅で家賃相場は6万5000円。明大前駅までは各駅停車で7駅・約13分で行けるほか、若者にも人気の街・吉祥寺駅に2駅・約3分で到着する。駅周辺は線路と沿うように神田川が流れており、川の北側にあるドラッグストアとコンビニの先には立教女学院の敷地と住宅地が広がる。商店が多いのは川と線路の南側。スーパーやコンビニのほか、三鷹台駅前通り沿いの商店街を中心にラーメン店や宅配ピザなどの飲食店も点在している。1駅隣には9位・井の頭公園駅があり、駅名通りに緑豊かな井の頭恩賜公園の最寄り駅なので電車や自転車で足を延ばしてもいいだろう。

三鷹台駅前周辺(写真/PIXTA)

三鷹台駅前周辺(写真/PIXTA)

京王井の頭線・久我山駅も、三鷹台駅と同じ家賃相場6万5000円で2位にランクイン。三鷹台駅から井の頭公園駅とは逆方向、明大前・渋谷方面に1駅進むと久我山駅に到着する。駅舎と一体になったビルには朝から営業しているベーカリーやファミレス、書店があるほか、駅の北側と南側それぞれにスーパーやドラッグストア、コンビニも備わっている。気軽に利用できる持ち帰り弁当店やコーヒーショップにラーメン店、居酒屋もあり、食事には困らないだろう。三鷹台駅前を流れる神田川は久我山駅前にも続いており、川沿いには緑地や「都立高井戸公園」「宮下橋公園」などほっと寛げる場所もある。

流行に敏感な人には、新スポット目白押しの下北沢駅も要チェック!

さて、明治大学の学生が住む街として前出の山本さんはもう1駅、おすすめしてくれた。それは京王井の頭線・下北沢駅。

「バンド、サブカル、古着の聖地。駅前商店街はいつも20代の若者でにぎわっており、学生さんにとても人気がある街です。そのぶん少々、家賃は高いですが……」と話す山本さん。家賃相場を調べてみると8万4000円で、明大前駅よりもアップしてしまう点は確かにネックかもしれない。しかし明大前駅までは京王井の頭線の各駅停車で3駅・約3分、そして渋谷駅までは急行で1駅・約4分、各駅停車でも4駅・7~8分。小田急線も乗り入れているので、通勤急行や快速急行に乗って2駅・約9分で新宿駅にも出られるアクセスのよさが魅力的。

「reload」(写真撮影/相馬ミナ)

「reload」(写真撮影/相馬ミナ)

「BONUS TRACK」(写真撮影/相馬ミナ)

「BONUS TRACK」(写真撮影/相馬ミナ)

下北沢の街自体も山本さんがおすすめするように若者に人気があり、わざわざ遠方から遊びに来る人も少なくない。小田急線の地下化により生まれた線路跡地の開発が進められ、2020年4月には飲食店や物販店、コワーキングスペースなどが立ち並ぶカルチャー発信地「ボーナストラック」ができたほか、2021年6月~9月には下北沢駅と東北沢駅の中間エリアに商業空間「reload(リ・ロード)」や都市型ホテル「MUSTARD HOTEL SHIMOKITAZAWA(マスタードホテル 下北沢)」、エンタメカフェ「ADRIFT(アドリフト)」が相次いで誕生。この線路跡地一帯「下北線路街」では2022年1月にもミニシアターや宿を備えた商業施設が開業予定なので、今後はますます下北沢の注目度が高まりそうだ。話題の施設が集まる刺激的な街で暮らしてプライベートを充実させたい人に、下北沢はうってつけかもしれない。

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下北沢は開発でどう変貌した? 全長1.7km「下北線路街」がすごかった!

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている明大前駅まで15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月1日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

パリの暮らしとインテリア[11] 内装建築家が郊外の集合住宅をエコリノベーション

内装建築家のカミーユ・トレルさんは、エコ建築が専門です。1年半前に購入したフランスのパリ郊外にある住まいを訪ねると、得意のエコ建築でフルリノベーションを行っている真っ最中でした。ここにパートナーと17歳の長女、6歳の長男と、家族4人で暮らしています。そしてもうすぐ5人に! なぜ郊外なのか、そしてなぜエコ建築なのか? 魅力を探りました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

緑の多い環境と広々とした住まいを求めて、郊外へ

遠くヴェルサイユの森からビエーヴル川が流れ、そのほとりに木々が連なる静かな街、ヴェリエール・ル・ブイソン。ここはかつてフランス国王の狩猟のための森でした。緑豊かな環境は今も守られ、保存の行き届いた石畳の市内は、古いフランス映画のような可愛らしさがあります。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

内装建築家のカミーユさんは1年半前、この街の中心部にある集合住宅の2階を購入し、引越してきました。子どもたちが通うシュタイナーの学校があること、そしてパートナーの前妻が住む街なので家族みんなが近くに暮らせることが、決断の理由でした。もちろん、緑の多い環境であることも。

築年数約200年の集合住宅2階とその上の屋根裏部分が、カミーユさんの住まい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

築年数約200年の集合住宅2階とその上の屋根裏部分が、カミーユさんの住まい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが通うシュタイナー学校(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが通うシュタイナー学校(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「子どものころは、セーヌ川で船上生活をしていました。父が選んだ船暮らしでしたが、自然を身近に感じられる毎日が私は本当に好きで。当時の経験が今も大きく私に影響を与えていると感じます」と、カミーユさん。
実は、この住まいに引越す前も、パリ郊外に暮らしていたといいます。そのくらい緑豊かな環境は、カミーユさんにとって不可欠なのです。
「パリへのアクセスが便利な郊外は、美術館や文化施設など都市の豊かさを享受できます。それでいてパリ暮らしよりもずっと静かで、ずっと広い住まいに暮らせるのですから、コロナ禍の外出制限を機にパリ市民が大勢引越してきたというのも頷けます」

グラン・パリ構想が着々と実現される郊外エリア。住み心地は?

2016年 、パリ市とその周辺の131の市町村を1つの大都市とする「メトロポーム・デュ・グラン・パリ」が発足しました。現在、周辺地域を結ぶメトロ「グラン・パリ・エクスプレス」の建設工事が進んでいます。カミーユさんが暮らすヴェリエール・ル・ブイソンにも、メトロ18線(注:現在パリには14の路線が存在する)の駅が建設される予定です。今の所、パリへ出るには車か列車で約30分の道中になりますが、メトロ18線が登場すれば移動はぐっと楽になるでしょう。この街に引越してくるパリジャン・パリジェンヌも、よりいっそう増えそうです。

グラン・パリ開発が進む街の一つ、クレムラン・ビセトルに建設予定の集合住宅。MEFエドワー・フランソワ建築事務所が手掛ける(MEF - Kremlin bicetre)

グラン・パリ開発が進む街の一つ、クレムラン・ビセトルに建設予定の集合住宅。MEFエドワー・フランソワ建築事務所が手掛ける(MEF – Kremlin bicetre)

「グラン・パリに関しては、個人的に良い面と悪い面があると考えています。良い面は、郊外が近くなることで、より多くの人々が緑豊かな環境の広い住まいに暮らせるようになることです。コロナ禍を体験し、多くの人が暮らしの質を考え直した今、これは本当に歓迎すべきことだと思います。悪い面は、石造りの建物が取り壊されてビルに変わってしまうこと。まだあと100年は使える住居を壊すなど誰も望んでいませんし、私も同じ考えですから」
カミーユさんの心は複雑ですが、オルリー空港からも近いヴェリエール・ル・ブイソンが、今後注目の高まる街であることは間違いありません。

エコ建築は、今を生きる自分たちのため。そして将来の環境のため。

集合住宅の2階を購入し、その後屋根裏も買い足して、築年数約200年の物件を得意のエコ建築でリノベーションしているカミーユさん。カミーユさんにとってエコ建築は、環境を考慮した持続可能なアプローチで住まいやオフィスをリノベートすること。例えば、フランスのエコ認証の付いたペンキを選ぶことはもちろんですし、その認証が信頼できるものであるかどうかを調べることにも手を抜きません。また、エコ認証のないものでも、例えば無垢材の木の中古家具を採用することは、環境インパクトを最小限に抑えるという意味で持続可能なアプローチであり、エコであると捉えています。

玄関を入ったフロアに広々としたリビングとキッチンがあり、さらにシャワー、トイレ、長女の部屋があります。上階の屋根裏に行くと、長男の部屋と夫妻の寝室。夫妻の寝室には、バスタブとシャワーもつけました。

住まいはトータルで104平米(写真撮影/Manabu Matsunaga)

住まいはトータルで104平米(写真撮影/Manabu Matsunaga)

以前は映画業界で働いていたカミーユさんらしく、ポスターや電飾を使って暮らしを楽しく演出している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

以前は映画業界で働いていたカミーユさんらしく、ポスターや電飾を使って暮らしを楽しく演出している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2匹いる犬たちも広い暮らしをのびのび満喫中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2匹いる犬たちも広い暮らしをのびのび満喫中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コンパクトなキッチンも、オープンにして広々と(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コンパクトなキッチンも、オープンにして広々と(写真撮影/Manabu Matsunaga)

クライアントの仕事を優先しているため、自分の住まいは後回しになり、仕上がりのスピードはゆっくりです。今もまだペンキを塗っていないファイバーボードの壁が、剥き出しになっていたりします。しかも、エコ素材のペンキは、通常のものよりも乾くのに時間がかかるので、工事を急ぐ現代人には敬遠されがちなのだそう。金額が高いことも障害になります。それでもエコ建築を選ぶのは、なぜでしょうか?

天井の断熱材には綿・麻・ジュートでできたナチュラルファイバーを使用。暖房のエネルギーを節約するために断熱は入念に。その厚みのため天井の梁が隠れてしまったが、味わいがあるので可能な限り残すようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の断熱材には綿・麻・ジュートでできたナチュラルファイバーを使用。暖房のエネルギーを節約するために断熱は入念に。その厚みのため天井の梁が隠れてしまったが、味わいがあるので可能な限り残すようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

屋根裏の仕切りにはフランスのエコ基準をクリアしたファイバーボードと石膏ボードを使用。軽量素材なので上層階のリノベートに適している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

屋根裏の仕切りにはフランスのエコ基準をクリアしたファイバーボードと石膏ボードを使用。軽量素材なので上層階のリノベートに適している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「建築素材のなかには、そこに含まれる有害物質が人間の身体に悪影響を及ぼすことは、今や誰でも知っています。そして自分の住空間が汚染されていると思いながら暮らすのは、気分のいいものではありません。この仕事を始める前、私は映画のセットをつくる仕事をしていました。それが妊娠をきっかけにヘルシーな住空間について考えるようになり、産休を利用して住まいをD I Yでエコリノベして……自然と、今の仕事につながりました」
つまり、エコ建築を選ぶ理由の核には、家族の健康への思いがある、ということ。
「私のクライアントも、生まれてくる赤ちゃんの健康のためにエコ建築を選ぶ人がほとんどです。仕事では個人宅以外にも、オフィスやレストランも手がけますが、『以前よりずっと快適に感じる』とか『アレルギーが治まった』など、住空間であれ仕事空間であれ、反響はとてもポジティブですよ」と、カミーユさん。
加えて、人の身体に優しいエコ建築は、持続可能でもあります。未来を生きる子どもたちの世代のために、せめて負の遺産を残さない努力はしたいという想いも、カミーユさんは強くお持ちでした。

床、階段、本棚などなど、いたるところに木の無垢材を多用(写真撮影/Manabu Matsunaga)

床、階段、本棚などなど、いたるところに木の無垢材を多用(写真撮影/Manabu Matsunaga)

味わいのある天井の梁はあえて剥き出しにして、エコ基準をクリアしたペンキで白く塗り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

味わいのある天井の梁はあえて剥き出しにして、エコ基準をクリアしたペンキで白く塗り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

中古品のリサイクルは、2つのエコとおしゃれな暮らしの味方

開放感があって、温もりも感じられて。カミーユさんの住まいの心地よさは、エコ建築以外からももたらされている気がする……そう思いながら住まいの中を1つ1つ見てゆくと、家具や雑貨のほとんどが木や自然素材をベースにしたもの、そしてレトロなデザインのものであることに気づきます。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングのダイニングコーナーの一角に置かれたピアノは、パートナーの仕事道具。なんと彼は、フランスを代表するミュージシャンたちとコンサートを行う著名なピアニスト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングのダイニングコーナーの一角に置かれたピアノは、パートナーの仕事道具。なんと彼は、フランスを代表するミュージシャンたちとコンサートを行う著名なピアニスト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「チャリティーショップや蚤の市で見つけたものがほとんどです。つまり中古品。家具や雑貨をリサイクルすることは、環境へのインパクトを抑える効果的なアクションの一つなのですよ。私のクライアントたちも、中古品の再利用をとても歓迎してくれます。質の良い魅力的なオブジェを、安く購入できる、と」
エコノミックでエコロジック。2つのエコが、おしゃれなインテリアづくりのカギだったとは!
新品のもの、例えばキッチンツールやバスまわりのグッズは、パリの生活雑貨セレクトショップ「ラ・トレゾルリ」(La Trésorerie)で購入することが多いとのこと。ここへ行けば自然素材ベースのタイムレスなデザインのものがそろっているので、カミーユさんの趣味にぴったり。さらに言うと、ヨーロッパで生産された伝統的な品々が厳選されているため、サスティナビリティーや輸送のCO2の配慮面も安心です。こうして選んだものを長く愛用すれば、ここでもエコノミックでエコロジックな2つのエコが実現できると言うわけです。しかもこんなにおしゃれに!

藤の棚は、今やインスタ映えの必須アイテム! チャリティーショップで格安で見つけた。棚に並べた食器も同様(写真撮影/Manabu Matsunaga)

藤の棚は、今やインスタ映えの必須アイテム! チャリティーショップで格安で見つけた。棚に並べた食器も同様(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁の絵画もチャリティーショップで購入した中古品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁の絵画もチャリティーショップで購入した中古品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

古いものこそ最先端?

特注でつくり付けた木の無垢材の階段をのぼって、屋根裏へ。階段の突き当たりの踊り場がデスクコーナーになっています。デスクコーナーも中古品の寄せ集めでつくられていますが、それがなんとも可愛らしい!

中古品を集めて作ったデスクコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

中古品を集めて作ったデスクコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「タイプライターは飾り? いえいえ、もちろん使っています! なぜかはわかりませんが、私は古い素材の質感と古いデザインに、とても魅力を感じるのです。手触りも良く使いやすい。今は新しいものが安く簡単に買えますが、遠い国でどんな手段で作られていることか……品質も疑問です。安いものを買ってすぐにゴミにしてしまうよりも、古いものを長く使った方が心地いいと私は思います」
その古いものが、今やヴィンテージとしてもてはやされ、インスタグラマーの間では引っ張りだこになっているのですから、面白いものです。カミーユさんの考えに共感する人は、きっと多いはず。そう思い、カミーユさんのインスタアカウントをチェックしたところ、17,511人のフォロワーが! やはり、そうでしたか。

木の無垢材のクローゼットはオーダーメイド。上にカゴを並べ、小物を収納している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

木の無垢材のクローゼットはオーダーメイド。上にカゴを並べ、小物を収納している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

長男の部屋にも天窓をつけ、自然光をたっぷりと取り入れるようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

長男の部屋にも天窓をつけ、自然光をたっぷりと取り入れるようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

仕事もプライベートも、自分ペースがいちばん贅沢

「私がインスタグラムに上げているのは、子どもと一緒に森を散歩したり、日常のコーナーを飾ったり、そんな写真ばかりです。それに共感してくれる人が大勢いるということは、贅沢の基準や優先順位がとても個人的なものになってきているということかも知れません。若い世代は環境問題に敏感ですし、自分にとって何が大切かをよく考えています。そしてそんな人たちは、どんどん増えていると感じます」
こう語るカミーユさんが自分のために大切にしているとっておきの時間は、バスタイム。毎週1回、自然光の注ぐ天窓下のバスタブにゆっくり浸かって、「心と身体の大掃除」を楽しむのだそうです。市内にあるアーユルヴェーダのサロンでヨガをしたり、オーガニック食材店でアロマオイルを買ったりするのも、お気に入りの自分時間とのこと。自分ペースで豊かに暮らす、カミーユさんの生活のひとコマを垣間見てしまったら、誰でもこの街に引っ越したくなりますね。

ラ・トレゾルリで購入したバス小物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ラ・トレゾルリで購入したバス小物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック食材店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック食材店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
カミーユさん
Instagram
●関連サイト
「ラ・トレゾルリ(La Trésorerie)」

早稲田大学(早稲田キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

引越しをするタイミングで多いのは、進学や就職など新生活を始めるとき。この春から大学に進学し、初めての一人暮らしをスタートさせる人もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は早稲田大学・早稲田キャンパスの最寄駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方から、早稲田キャンパスに通う学生が住む街としておすすめの駅について教えてもらった。ではさっそく見ていこう。

早稲田キャンパス最寄駅まで電車で20分以内の家賃相場が安い駅TOP10

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 小竹向原 6.9万円(東京メトロ副都心線/東京都練馬区/11分/0回/西早稲田(東京メトロ副都心線※以下略))
1位 野方 6.9万円(西武新宿線/東京都中野区/12分/0回/高田馬場(JR・西武新宿線※以下略))
3位 下井草 7万円(西武新宿線/東京都杉並区/15分/1回/高田馬場)
3位 千川 7.0万円(東京メトロ副都心線/東京都豊島区/9分/0回/西早稲田)
5位 都立家政 7.2万円(西武新宿線/東京都中野区/14分/0回/高田馬場)
5位 阿佐ケ谷 7.2万円(JR総武線/東京都杉並区/11分/0回/高田馬場)
7位 東長崎 7.3万円(西武池袋線/東京都豊島区/15分/1回/高田馬場)
7位 沼袋 7.3万円(西武新宿線/東京都中野区/8分/0回/高田馬場)
7位 鷺ノ宮 7.3万円(西武新宿線/東京都中野区/10分/0回/高田馬場)
10位 新桜台 7.35万円(西武有楽町線/東京都練馬区/14分/1回/西早稲田)

「ハウスメイトショップ新宿店」店長の大堀智史さんおすすめの駅
ランク外 和光市 6.50万円(東武東上線/埼玉県和光市/23分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))
ランク外 朝霞台 5.25 万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/27分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))
ランク外 朝霞 5.70万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/26分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))

複数の駅に囲まれた早稲田キャンパス周辺は学生が集う街

2022年に創立140周年を迎える早稲田大学を代表するキャンパスと言えば、国の重要文化財に指定された大隈講堂が建つ東京都新宿区の早稲田キャンパス。6つの学部生が通うキャンパスは、JR山手線と西武新宿線、東京メトロ東西線が通る高田馬場駅から東へ歩いて20分ほど。駅から早稲田キャンパスに向かう通りは「早稲田通り」と呼ばれている。数多くの飲食店に加えて古書店も建ち並んでいる点は、さすが大学お膝元の街といった趣だ。またこの一帯には早稲田大学のほかに学習院女子大学もあるほか、高校や専門学校、学習塾も多いので、学生らしき若者の姿もよく見かける。

早稲田キャンパスのすぐ近くにはサークル活動の拠点である学生会館を備えた戸山キャンパスがあるほか、高田馬場駅から徒歩15分ほどの場所には西早稲田キャンパスも。各キャンパスの近くには東京メトロ東西線・早稲田駅や東京さくらトラム(都電荒川線)早稲田駅、東京メトロ副都心線・西早稲田駅もあり、そちらを利用する学生も少なくない。

そこで今回は高田馬場駅(JR・西武新宿線)をはじめ、早稲田駅(東京メトロ東西線・都電荒川線)、西早稲田駅(東京メトロ副都心線)のいずれかの駅の20分圏内にある駅を調査対象とし、それぞれの駅から徒歩15分圏内にあるシングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場が安い駅を順位付けした。その結果が上記のランキングというわけだ。

ちなみに高田馬場駅の家賃相場は8万7000円。同じくキャンパス最寄駅の早稲田駅(東京メトロ東西線・都電荒川線)と西早稲田駅はどちらも8万9000円。都心部だけあり学生にとっては手ごろとは言いがたい金額だが、早稲田大学の学生たちは実際、どんな場所に住んでいるのだろう。早稲田大学の学生にも利用されている、「ハウスメイトショップ新宿店」店長の大堀智史さんにお話を伺った。

「特に早稲田大学の方は、大学周辺で物件を探していらっしゃるように感じます」と話す大堀さん。「どこに住むとよいかは人それぞれで、例えば学業に専念したいなら移動時間を極力減らすために早稲田駅周辺、大学以外にもアクセスしやすいほうがよければJR山手線も通る高田馬場駅周辺や、高田馬場駅まで2駅のターミナル駅・新宿駅周辺などがよいでしょう」。早稲田駅の周辺は高田馬場駅ほどの繁華街ではないので、落ち着いて暮らせる住環境のよさを求める人にもおすすめだそう。

高田馬場駅(写真/PIXTA)

高田馬場駅(写真/PIXTA)

東京メトロ東西線 早稲田駅周辺(写真/PIXTA)

東京メトロ東西線 早稲田駅周辺(写真/PIXTA)

通学時間を短く、家賃も抑えたい場合はランキングがお役立ち

通学時間をなるべく短縮するなら大学の近くに住むのがいいし、実際にそうしている学生も多い様子。とはいえ、広さなどそのほかの条件も加味した家賃が自分の予算と合わなければ、近さだけを重視して住まいを決めるのは難しい。そんな場合は、今回調査した家賃相場が安い駅のランキングを参考にするのもいいだろう。ランキングトップ10の駅は家賃相場が6万円台~7万円台なので、家賃相場が8万円後半だった早稲田キャンパスの徒歩圏内と比べるとだいぶ負担を抑えることができる。

最も家賃相場が低かったのは、東京メトロ副都心線・小竹向原(こたけむかいはら)駅の6万9000円だ。早稲田キャンパスの最寄駅の一つである西早稲田駅までは、5駅・約11分。西早稲田駅に向かう途中には都内屈指の繁華街・池袋駅もあり、遊びに出るにも便利な立地と言える。また、池袋駅からJR山手線に乗り継ぐと、小竹向原駅から計約15分で高田馬場駅に行くことも可能だ。そんな小竹向原駅周辺の様子はというと、大型商業施設はない住宅街。コンビニやドラッグストア、スーパーに100円ショップなどはあるので、日々の暮らしには困らないだろう。気軽に利用できるチェーン系の飲食店はファミレスが1軒ある程度だが、持ち帰り弁当店があるので自炊が面倒なときに役立ちそうだ。

小竹向原駅前(写真/PIXTA)

小竹向原駅前(写真/PIXTA)

小竹向原駅と同じく家賃相場が6万9000円で1位となった、西武新宿線・野方駅は東京都中野区に位置。1駅下り方面に5位の都立家政駅、1駅上り方面には7位の沼袋駅があり、いずれも西武新宿線1本で高田馬場駅に行くことができる。野方駅を出ると北口側の北原通り、南口側の駅前通りをはじめ5つの商店街が続いている。通りに並ぶ商店は飲食店からスーパー、食料品関係の個人商店、雑貨店など約320店! 大学帰りや休日に商店街をめぐるのも楽しそうだ。

野方駅周辺(写真/PIXTA)

野方駅周辺(写真/PIXTA)

トップ10の駅で大学最寄駅までの所要時間が最も短かったのは、東京都中野区にある7位の西武新宿線・沼袋駅で家賃相場は7万3000円。前述の通り1位の野方駅の隣に位置し、高田馬場駅へは4駅・約8分で到着する。沼袋駅周辺の商店は駅北側に多く点在しており、駅前にラーメン店などの飲食店やベーカリー、さらに北へ進むと100円ショップやドラッグストアも。大型スーパーは見当たらないが、小型のスーパーやコンビニはあるので、学生の一人暮らしなら日常生活に必要なものはそろえられそう。駅南口から2分も歩くと、「中野区立平和の森公園」へ。広大な園内は緑豊かで、池や滝のある水辺の広場や草地広場、林間を通るジョギング・ウォーキングコース、バーベキューサイトなどがあるので、友達と遊びに訪れるのもいいだろう。

高田馬場駅から25分前後の東武東上線沿線なら家賃相場は5万円台~6万円台に

トップ10にランクインした駅の家賃相場は早稲田キャンパス周辺に比べると下がってはいる。だけど「さらに安く住める街はないか?」と考える学生もいるだろう。そこで「ハウスメイトショップ新宿店」店長・大堀さんに、家賃を抑えたい人向けのおすすめの街を教えてもらった。

「東武東上線の和光市駅がいいでしょう」と大堀さん。和光市駅から東武東上線で池袋駅に出て、そこからJR山手線に乗れば高田馬場駅までは計約23分で行ける。「東武東上線の急行に加えて快速急行の停車駅でもあり、快速急行なら池袋駅まで1駅・最短約12分です。さらに和光市駅は東京メトロの有楽町線・副都心線の始発駅でもあり、副都心線1本で早稲田大学近くの西早稲田駅までも約24分で到着できます」

和光市駅 南口(写真/PIXTA)

和光市駅 南口(写真/PIXTA)

そんな和光市駅は埼玉県和光市にあり、東京メトロの駅としては最北端かつ最西端に位置している。2020年3月には駅ビル「エキア プレミエ和光」が全館開業した。改札階である地下1階から地上3階にかけてレストランや食料品店、さらにユニクロなど多彩な店舗がずらりと並び、4階~7階部分は「和光市東武ホテル」となっている。また、駅南口には書店やファストフード店などが並ぶ専門店街を併設した「イトーヨーカドー和光店」もあるなど、大型のスーパーも点在している。暮らしやすそうな街並みながら、埼玉県という立地からか家賃相場は6万5000円。ランキングトップ10の駅と比べてもだいぶリーズナブルになっている。

さらに家賃を抑えたい人に向け、大堀さんは和光市駅と同じ東武東上線の沿線で、埼玉県朝霞市にある朝霞台駅と朝霞駅もおすすめしてくれた。

朝霞台駅は東武東上線の急行停車駅で、家賃相場は5万2500円。「急行なら池袋駅まで3駅、最短約17分で到着。東京メトロ副都心線直通の東武東上線に乗れば、乗り換えせずに西早稲田駅まで約32分で行くことができます」と話す大堀さん。また、「朝霞台駅の駅前ロータリーをはさんでJR武蔵野線の北朝霞駅があり、2つの路線を利用できる点も便利ですよ」とのこと。高田馬場駅までは池袋駅からJR山手線に乗り換え、計約27分で行ける。朝霞台駅は改札前コンコースにファストフード店やベーカリー、書店などがあり、駅前には複数のコンビニや気軽に入れる飲食店も。すぐ近くにスーパーもあるので、日常の買い物には困らない環境だ。池袋など都内へのアクセスのよさから、首都圏のベッドタウンとして人口を増やしている。

北朝霞・朝霞台駅 駅前広場(写真/PIXTA)

北朝霞・朝霞台駅 駅前広場(写真/PIXTA)

朝霞駅は朝霞台駅の隣に位置しており、家賃相場は5万7000円。「こちらは準急が利用でき、池袋駅まで3駅・最短約16分です」と大堀さん。朝霞台駅と同様に池袋駅で乗り換えて、高田馬場駅までは約26分。また、副都心線直通の東武東上線に乗ると、西早稲田駅まで約28分だ。朝霞駅には駅ビル「エキア朝霞」が併設されており、ラーメン店やハンバーガー店、カフェといった飲食店に、服飾雑貨店、書店やドラッグストアなど23店舗が利用できる。駅前にも複数の飲食店が点在するほか、安さを売りにしたスーパーもあるのは自炊派で食費を節約したい人にもうれしいポイントだろう。

朝霞駅 南口(写真/PIXTA)

朝霞駅 南口(写真/PIXTA)

大堀さんおすすめの3つの駅は高田馬場駅まで25分前後ほど離れている半面、家賃相場は5万円台~6万円台におさまっている。一方で早稲田キャンパスの徒歩圏内にある、高田馬場駅や早稲田駅、西早稲田駅は家賃相場が8万円後半だ。そして今回調査したランキングトップ10の駅は高田馬場駅まで20分以内、家賃相場は6万円台~7万円台前半という結果だった。都心にあるキャンパスに近いと家賃は高く、離れると安くなるものの通学に時間と費用がかかる、と一長一短である。冒頭で大堀さんがアドバイスしてくれた通り、「どこに住むとよいかは人それぞれ」。何よりも通学時間が短いことを重視するか、家賃の安さをとるか……。まずは自分がどんな学生生活を送りたいのかをよく考えてから、住む街を選ぶことが大切だろう。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている高田馬場駅、西早稲田駅、早稲田駅(メトロ、都電)まで20分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※早稲田駅については、メトロ、都電を最寄りとする物件両方の中央値を掲載しています
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

「ひばりが丘団地」50年の歴史に新展開! マルシェなど住民主体の新しいエリアマネジメント

高度経済成長期に建設された団地の建て替えが続くなか、旧ひばりが丘団地エリア(東京都西東京市/東久留米市)でのUR都市機構(以下、UR)と民間事業者間の垣根を超えた住民主体のエリアマネジメントに注目が集まっています。まちづくりからエリアマネジメントまで取組む日本初の事例として団地再生事業を機にスタート、2014年にエリアマネジメント組織「(一社)まちにわ ひばりが丘」(以下、まちにわ)が発足し、関係事業者でエリアマネジメントを実施してきましたが、2020年6月末からは活動主体が住民主体に移行しました。
2014年から今まで、特に住民主体になってからの様子について、ひばりが丘のエリアマネジメントをリードしてきた「まちにわ」の岩穴口康次(いわなぐち・こうじ)さん、若尾健太郎さん、渡邉篤子さんにお話を聞きました。

「街全体ににぎわいを」と複数のスポットでイベント開催団地の西側、「ひばりテラス118」脇の公園では「にわマルシェ」が開催された(写真撮影/片山貴博)

団地の西側、「ひばりテラス118」脇の公園では「にわマルシェ」が開催された(写真撮影/片山貴博)

2021年12月11日と12日、ひばりが丘パークヒルズ(建て替え後の団地名称)では「STAY HIBARI(ステイひばり)」というイベントが行われました。もともと33.9ha、184棟もの公団住宅が立っていた広大な敷地。団地内の北集会所エリア、南集会所エリア、5番街広場、ひばりテラス118エリアの4カ所それぞれでマルシェやフリーマーケット、ボーネルンド社の提供する屋外の遊び場「PLAY BUS(プレイバス)」などが展開されたのです。その中の1つ「にわマルシェ」をステイひばりの主催者であるURとともに企画・運営したのが住民主体のエリアマネジメント組織、まちにわです。

2日間で飲食店やハンドメイド雑貨を扱う店など約30店が出店(写真撮影/片山貴博)

2日間で飲食店やハンドメイド雑貨を扱う店など約30店が出店(写真撮影/片山貴博)

団地の南集会所近くにはキッチンカーが出現(写真撮影/片山貴博)

団地の南集会所近くにはキッチンカーが出現(写真撮影/片山貴博)

マルシェのほか、集会所内では団地自治会が主催する親子で楽しめる「むかしあそび」コーナーも(写真撮影/片山貴博)

マルシェのほか、集会所内では団地自治会が主催する親子で楽しめる「むかしあそび」コーナーも(写真撮影/片山貴博)

青空の下、数々の商品が広げられたマルシェやフリーマーケット、広大な芝生の上に現れた遊び場には、子ども連れの家族を中心に多くの人びとが集まっていました。また各スポットを巡るスタンプラリーが行われ、団地内を回遊する子どもたちの姿を目にすることができました。

当日、団地の北集会所前で開催されたフリーマーケット「たんぽぽマーケット」の様子(写真撮影/片山貴博)

当日、団地の北集会所前で開催されたフリーマーケット「たんぽぽマーケット」の様子(写真撮影/片山貴博)

団地中央に広大な芝生が広がる5番街広場ではボーネルンド社の「PLAY BUS(プレイバス)」の遊具に多くの家族連れが集まった(写真提供/UR都市機構)

団地中央に広大な芝生が広がる5番街広場ではボーネルンド社の「PLAY BUS(プレイバス)」の遊具に多くの家族連れが集まった(写真提供/UR都市機構)

ひばりが丘団地は近年、どう変わった?

ひばりが丘団地は、約60年前の1959年、東京都市圏の住宅難に対応するため、全184棟、2714戸を有する首都圏初の大規模住宅団地として建設されました。建設から数十年の歳月を経て、緑豊かな団地へと成長した一方で、生活スタイル・居住者ニーズの変化への対応が求められるようになりました。そこで、URは1999年から団地の再生事業に着手したのです。

1960年代のひばりが丘団地の空撮画像(資料提供/UR都市機構)

1960年代のひばりが丘団地の空撮画像(資料提供/UR都市機構)

江戸東京博物館で復元展示されたひばりが丘団地の一室(資料提供/UR都市機構)

江戸東京博物館で復元展示されたひばりが丘団地の一室(資料提供/UR都市機構)

4階建てと2階建てだった団地の建物を高層化して建て替えたことで生まれた広大な土地には、高齢者や子育てを支援する公共公益施設を誘致した他、約7haは、民間の事業者に住宅を整備してもらうことにしました。その際、URと民間事業者の開発エリアが分断されることがないように、開発からエリアマネジメントまで継続的にまちづくりを進めるため、URで初めて取り入れられたのが「事業パートナー方式」です。エリア全体の価値を向上させるために、URと連携・協議しながら開発を進められる民間事業者を募ったのです。

開発後(2017年)のひばりが丘団地の土地利用状況(資料提供/UR都市機構)

開発後(2017年)のひばりが丘団地の土地利用状況(資料提供/UR都市機構)

この街はURの建物と民間事業者の開発した建物が混在する形で美しく整備されており、一見してどちらの建物かは素人目には簡単に判別できません。民間事業者の発想・ノウハウを活用しながら、調和したまちづくりを目指したというURの意図がしっかりと反映された結果と言っていいでしょう。

左手前がUR、右手側が民間事業者の集合住宅。エリア全体で一体感が出るように調和が図られている(写真提供/UR都市機構)

左手前がUR、右手側が民間事業者の集合住宅。エリア全体で一体感が出るように調和が図られている(写真提供/UR都市機構)

ランドマークとして残された当時の建物も

建て替えによって誕生したURの新しい賃貸住宅は、「ひばりが丘パークヒルズ」と名付けられました。近年のライフスタイル・ライフステージに合わせて選択できる広さや間取りの住宅は全部で1504戸、30棟に。ペットと快適に暮らせるよう、足洗い場やエレベーターにペットボタンなどを設けたペット共生住宅も1棟あります。

ひばりが丘パークヒルズ一帯の様子(写真撮影/片山貴博)

ひばりが丘パークヒルズ一帯の様子(写真撮影/片山貴博)

一方で、ひばりが丘団地の団地再生にあたっては、古い建物を全て解体して建て替えるのではなく、歴史を継承し、資源を有効活用する観点から、3つの異なるタイプの住棟を1棟ずつ残す形で活用が図られています。

例えば、三方に広がる星型の形状をした「スターハウス」は、管理サービス事務所として使用。前面の広場には上皇ご夫妻が皇太子・皇太子妃時代に訪問したバルコニーが移設され、ウッドデッキと一緒にメモリアル広場として整備されました。

上空から見ると星型をした「スターハウス」は団地のシンボル。写真右下に見えるバルコニーや広場は、当時の皇太子ご夫妻が立ったバルコニーを移設してメモリアル広場としたもの(写真撮影/片山貴博)

上空から見ると星型をした「スターハウス」は団地のシンボル。写真右下に見えるバルコニーや広場は、当時の皇太子ご夫妻が立ったバルコニーを移設してメモリアル広場としたもの(写真撮影/片山貴博)

また、「にわマルシェ」の舞台となった「ひばりテラス118」はもともと6世帯が住むことができた長屋形式の2階建て住宅(テラスハウス)。リノベーションされたこの建物は、現在、カフェやコミュニティースペース、お花屋さんや近隣で創作活動を行う作家が作品を販売するシェアスペースになっています。

「ひばりテラス118」は長屋形式のテラスハウスだった旧118号棟をエリアマネジメントセンターとしてリノベーション(写真撮影/片山貴博)

「ひばりテラス118」は長屋形式のテラスハウスだった旧118号棟をエリアマネジメントセンターとしてリノベーション(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

2014年から本格的にスタートしたひばりが丘団地の「エリアマネジメント」

さらにURが開発計画を練るなかで、注力したポイントが「エリアマネジメントの推進」でした。地域の環境やエリア全体の価値向上に向けて住民が主体的に取り組む組織をつくるため、事業パートナーと共にエリアマネジメントの仕組みを考え、2014年に「一般社団法人まちにわ ひばりが丘」を設立したのです。

現在、事務局長を務める若尾さんは、設立当初から関わってきました。「当時の事務局長が人を巻き込むのが上手な人で、イベントに参加しているうちに手伝うように言われて運営側にまわるようになった」(若尾さん)のだそう。代表理事の岩穴口さん、スタッフの渡邉さんも最初はボランティアとして2015年ごろからまちにわの活動に参加するようになりました。

以来、地域の文化祭的なイベント「にわジャム」や、ハンドメイド雑貨とフード・ドリンクを提供するお店が集まる「にわマルシェ」といったイベント、講座・サークル活動などを定期的に行ってきました。そしてコロナ禍でイベントの開催が難しくなった最中の2020年、それまでは民間の開発事業者と開発街区の各管理組合を正会員として運営してきたまちにわは、住民主体の組織へと生まれ変わったのです。既存のUR賃貸住宅の自治会や地域の関係者とは、設立当初から連携して活動しています。

住民主体になる前、2017年のまちにわの組織図。正会員は開発事業者と地域住民からなり、理事会は開発事業者の社員で構成、UR職員が監事を務めていた。(資料提供/UR都市機構)

住民主体になる前、2017年のまちにわの組織図。正会員は開発事業者と地域住民からなり、理事会は開発事業者の社員で構成、UR職員が監事を務めていた。(資料提供/UR都市機構)

コロナ禍を経て、住民主体のエリアマネジメント組織へ

「まちにわは、もともと設立後5年を目処に住民主体の組織となることを目指して設立されたので、組織変更は決まっていたのです。予定外だったのは新型コロナウィルス感染症の流行・拡大。当初から人と人との接点をどうつくっていくか、ということを目的に活動してきた中で、接すること自体がNGになり、戸惑いもありました。
コロナ以後の2年間はイベント等の開催ができなくなり、それまでの5年間で培ってきたつながりをどうつなぎとめていくか、ということを一生懸命に考えてきました」(岩穴口さん)

2018年には2~3カ月に1回の頻度で開催していたマルシェも、2019年の緊急事態宣言発令以後は中止に。2020年は10月下旬から12月中旬まで9週間、毎週末の土日に芝生入口にゲートを設け、3~4店舗ずつ、入場制限を行いながら開催したそう。

今回、URが主催する「STAY HIBARI(ステイひばり)」と同時開催された「にわマルシェ」は1年ぶりの開催。「URと調整しながら一緒に企画・開催できたことが嬉しい」(岩穴口さん)と語る(写真撮影/片山貴博)

今回、URが主催する「STAY HIBARI(ステイひばり)」と同時開催された「にわマルシェ」は1年ぶりの開催。「URと調整しながら一緒に企画・開催できたことが嬉しい」(岩穴口さん)と語る(写真撮影/片山貴博)

「ひばりが丘のエリアマネジメントに主体的に関わる人(まちにわ師)を育てる『まちにわ師養成講座』の開催なども経て、住民が自ら何かをやる空気が少しずつできていました。例えば『ひばりンピック』というスポーツ大会を住民発のイベントとして開催しようと準備していました。結果的にはコロナで開催中止となってしまいましたが、住民が発案したものを実行に移せる土壌が整ったのです」(渡邉さん)

「まちにわ師養成講座」の様子(写真提供/UR都市機構)

「まちにわ師養成講座」の様子(写真提供/UR都市機構)

他にも、住民がつくった「まちにわ組」というLINEのオープンチャットには、現在110人ほどが登録しているそう。誰でも入れて、個人アカウントを明かさなくても入れるが、「いざというときのためにも、できれば本名で登録してほしい」と投げかけています。

「先日、地震があったときにもオープンチャット内で頻繁にやりとりがありました。『インターネットがつながらない』『ガスが止まりました。どうしたらいいですか』といったSOSに対し、詳しい人が具体的な解決方法を示してくれました。普段は『この店おいしいよ』という、他愛ないコミュニケーションにも使われています」(若尾さん)

今後まちにわでは、LINE等がうまく使えない人のために、スマホ講座なども企画しているそうです。

住民の「やりたいこと」を支援する場所として

このような広がりを受け、岩穴口さんは「これまではまちにわが水先案内人として先導する役目だったが、これからは住民の方がやりたいことを後押し、支援をしていく立場へと変わっていく」と言います。

「僕たちが施す、ということではなく、やりたい人たちができる場所を用意する、ということに主眼を置きつつあります。少しずつコロナとの付き合い方が見えてきて、今後リアルなつながりが増えてくると思いますし、やはり『つながりづくり』を重視したい。

一方で、一部の人だけが集まる状態では、他の方を阻害してしまうことになりかねません。これまでは新しいマンションの住人に向けての取り組みが多かったのですが、今後は高齢者の方も含めて、どのように取り組んでいくか、そのバランスが重要だと思います。社会問題はこれからもどんどん出てくると思うので」(岩穴口さん)

2019年まで、3000人を超える人が集まるバルやマルシェを出店した「にわジャム」は今年、オンライン形式でつながりづくりを意識した交流会やワークショップを実施(写真提供/UR都市機構)

2019年まで、3000人を超える人が集まるバルやマルシェを出店した「にわジャム」は今年、オンライン形式でつながりづくりを意識した交流会やワークショップを実施(写真提供/UR都市機構)

(写真提供/UR都市機構)

(写真提供/UR都市機構)

実際に、昔から住まわれているUR賃貸住宅の自治会から「まちにわと一緒に取り組みを考えさせてほしい」といった連携のオファーも出てきたのだそう。

「僕たちは昔のひばりが丘団地エリアで民間事業者が開発したマンションに住む各世帯から月300円をいただいて運営をしています。その対価をどういう風に提供していくか、それは常に考えるべきことです。子育て世帯、高齢者と、世代も異なる全ての人が、小さな取り組み一つひとつに全て賛成をしてくれるという状態は現実的にはありえません。ただ、まちにわの大きな世界観に共感してもらい、まち全体がよくなっていくことを一緒に目指せればいい。そのためにコンセプト、ビジョン、ミッションといったものを共有できるよう常に発信しています」(若尾さん)

今回お話を聞かせてくれたまちにわ事務局長の若尾健太郎さん(左)、代表理事の岩穴口康次さん(中央)、渡邉篤子さん(右)(写真撮影/片山貴博)

今回お話を聞かせてくれたまちにわ事務局長の若尾健太郎さん(左)、代表理事の岩穴口康次さん(中央)、渡邉篤子さん(右)(写真撮影/片山貴博)

「普段は楽しく、いざというとき助け合える」がまちにわのコンセプトだそう。普段から住民の「やりたいこと」を支援しながら、付き合いのある関係、顔が見える関係を築いておくことで、非常時の助け合いにもつながる、という考えがそこにはあります。

「みんなで情報共有しながら、つくり上げる過程こそが面白い」と言う若尾さんの言葉通り、人と人とのつながりこそが、まちが生む最大の価値なのかもしれません。

●取材協力
・UR都市機構
・一般社団法人まちにわ ひばりが丘

京都らしい街並みが消えていく…。1年に800件滅失する京町家に救世主?

古都・京都の風情を残す「京町家」。 筆者もある種の憧れを感じてきたが、このたび「京町家等の不動産情報ポータルサイトが公開された」という報道を見て、そのサイトをのぞいてみた。そこには、実際に賃借や購入ができる京町家の物件情報に加え、京町家を活用した事例の紹介もされていた。このサイトを見ているだけでも面白いのだが、サイト公開に至る経緯などの詳しい話を聞きに行くことにした。

1日に2軒の京町家がなくなっている!京町家を保全する活動が盛んに

ポータルサイトの名前は、「MATCH YA(マッチヤ)」だ。 文化的価値を持つ京町家や古民家、近代和風住宅などの歴史的建造物に特化して、マッチングのための“不動産情報”や活用したい企業や起業家の参考になる“活用事例”が紹介されている。運営するのは、経済、不動産、建築、金融、法律、市民活動、行政の団体で構成され、所有者や居住者と協力して京町家などの保全・継承を担う「京町家等継承ネット」(事務局:公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター)だ。

今回、取材に対応していただいたのは、事務局の京都市景観・まちづくりセンター(以下、まちセン)の西井明里さん、網野正観さん、京町家等継承ネットに協力する株式会社フラット・エージェンシーの寺田敏紀さん、浜田幸夫さんの4名だ。

「MATCH YA」公開に至る経緯には、いくつか要因がある。

直近の要因は、新型コロナウイルスの影響だ。京町家への関心は、日本全国あるいは海外へと広がっているが、コロナ下でテレワークが普及したり、京都への来訪が難しくなったりしたことで、インターネットを活用した京町家の物件や活用事例の紹介の重要性が高まった。

そして、より根源的な要因は、京町家が年々減少していることだ。京都市が行った2016(平成28)年の調査によると、その時点の京町家は約4万軒(うち約5800軒が空き家)あり、7年前と比べて約5600軒の京町家が滅失しているという。1日当たり2軒が取り壊された計算になり、空き家率も高まっている。

京町家は建物や街並みというだけでなく、京都の生活文化を残すものでもある。京町家には、京都の暮らしの文化、建築が持つ空間の文化、職住共存を基本として発展してきたまちづくりの文化が息づいている。そこで、20年ほど前から京町家を残そうという活動が盛んになるが、「MATCH YA」開設も、この京町家の保全・継承を目指すビッグプロジェクトの取り組みの一つにすぎなかった。

20年以上にわたる「京町家を残そう」という活動

「MATCH YA」を運営する「京町家等継承ネット」の事務局であるまちセンは、住民・企業・行政が連携してまちづくりを推進する橋渡しをしようと、1997年に設立した。京町家が街から姿を消していく現状を目の当たりにして、2001年から「京町家なんでも相談」を、2005年から「京町家まちづくりファンド」を始めた。

ちなみに、今回の取材場所として指定されたのは、取材時点で「MATCH YA」に賃貸物件として掲載されていた京町家だ。ここは、京町家なんでも相談に所有者が改修の相談に来て、「京町家まちづくりファンド」で外観改修助成を行った物件だという。地道で長期的な活動が、成果を生んでいる事例ということだろう。

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

京都市も、京町家の保全・継承に本腰を入れるようになる。2007年に「京町家耐震改修助成制度」を設け、2012年には「京都市伝統的な木造建築物の保存及び活用に関する条例」を制定し、2013年には新たに鉄筋コンクリート造等の非木造建築物も対象に加え、名称も「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」に改正した。さらに2017年に「京都市京町家の保全及び継承に関する条例(京町家条例)」を制定した。

こうしたなか、2014年にはまちセンを事務局として「京町家等継承ネット」が設立された。京町家の保全継承には、公的な支援制度も必要なうえ、伝統技術の継承、法律等の専門知識、改修費用のための金融支援、利活用を促す市場流通のための不動産業の協力や経済界の支援など、幅広い領域のサポートが不可欠であることから、31の関係団体が会員となったネットワークで京町家の継承に当たろうという組織だ。

「京町家を守りたい」という京都の“ホンキ度”がすごい!

実は、筆者自身も東京で、歴史ある建物の保全活動をする団体の会員になっている。ただし、とてつもなく高いハードルを感じている。歴史ある建物を保全しようとすると、安全性や意匠性を担保するための改修費用がかなり掛かり、建て替えた方が安く済むということが多い。たとえ所有者が愛着ある建物を保全したいと思っても、次の代に相続が発生すると、相続人たちの話し合いで売却されてしまうことも多い。行政側も、よほど著名な建築家が設計したり著名な人が住んでいたりしない限り、保全に動くことは少ない。

ところが、京町家の場合は、行政も含めて、あの手この手で可能な手を打ち続けている。保全継承の“ホンキ度”がハンパないと感じた。たとえば、京都市ではすでに紹介したように、現実的に京町家の保全継承を支援する条例を定めている。

まず、京町家であるという認識がなく、単なる古い家と思っている所有者も多い。そこで、条例で京町家について定義をした。
〇京町家の主な定義
築年:昭和25年以前に建築
構造:伝統的な構造で建てられた、平入り屋根の木造一戸建て(長屋建て含)など
形態・意匠:通り庭、火袋、通り庇などの京町家特有の形態を1つ以上有すること

典型的な京町家の改修事例

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、京町家条例では京町家を個別にあるいは地区を指定して、保全継承のために相談対応や補助金などの支援をする一方で、解体をする場合は着手する1年前までに届け出をすることを定めている。解体までに保全継承の手立てはないかを検討する時間が1年生じることで、保全継承につなげたい狙いだ。

一方、条例で法律の制限を緩和する策を講じた。建築基準法が制定された昭和25年より前の伝統的な構造で建てられた家は、建築基準法に合致していない。こうした家を増築したり、住宅から飲食店や宿泊施設などに変更したりすると、現行の建築基準法に適合させなければならない。となると、壁や筋交いなどの構造材を補強するなどで、京町家らしい文化的な意匠や形態を保全することができない事例も出てくる。

そのため、景観的・文化的に特に重要なものとして位置付けられた建築物について、建築物の安全性の維持向上を図ることにより、建築基準法の適用を除外して、改修が行えるようになった。2017年からは、「包括同意基準」(一定の構造規模・安全基準・維持管理の方法の基準からなる技術的基準)を制定して、一般的な京町家の改修手続きの簡素化なども図っている。

京都では、京都市内の京町家の調査を継続して行っている。調査によって、典型的な京町家だけでなく、長屋や看板建築などの見た目ではそうとはわかりづらい京町家の存在も明らかになった。京都市と立命館大学、まちセンが2008・2009年度に実施した大規模調査では、専門調査員とボランティアの市民調査員が、京都市内の約5万軒の京町家について外観調査とアンケート調査を行い、京町家の実態を把握した。2016年にも追跡調査により、京町家の滅失状況などを捕捉している。

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、まちセンでは京町家の価値を客観的に把握してもらうために、文化的価値や建物の基礎情報などをまとめた「京町家カルテ」などの作成等も行っている。

京町家を「保全継承したい人」と「活用したい人」をマッチング

しかし、このように行政・民間を問わず京町家の保全継承に取り組んでいるとはいえ、個々の京町家の所有者が補助金等の支援を受けて改修工事を実施し、自ら活用者を探すことは難しい。所有者の相談などに応じて、活用計画を立てて活用してくれる人を探してくれる存在が必要だ。

そこで、京都市やまちセンでは、「マッチング制度」によって、不動産会社などの登録団体が活用の提案や助言をする仕組みを整えている。

改修費用についても、公的な補助制度のほか、地元不動産会社の働きかけなどにより地元金融機関において京町家向けのローンが提供されたり、賃貸の場合に所有者(貸主)と活用事業者(借主)の費用分担で、借主が全額負担して家賃を低減する方法なども提案している。

冒頭のポータルサイト「MATCH YA」は、こうしたマッチングの取り組みのひとつでもある。同サイトに京町家の掲載を依頼できるのは、事前に登録した不動産会社のみで、申請された物件をさらにまちセンで「MATCH YA」の要件に合うかどうか審査したうえで物件情報として掲載するなど、厳しい運用をしている。京町家に興味のある個人だけでなく、店舗やオフィスなどとして活用したい企業にもアピールしたいとしている。

京町家の保全継承とひとくちにいっても、所有者だけではなく、多方面の専門家の知恵を絞らないと実現できない。京町家の保全継承には生活スタイルに合わせた改修が不可欠だが、取材時に「京町家を健全に改修する」という言葉を何度か聞いた。建築基準法のような同じルールに従うのではなく、個別の京町家の構造体がどんな状態か把握し、伝統的な構造に適した耐震補強や意匠を保持しながら防火性能を高める方法を検討して、京町家として健全に改修をすることで、こうした改修技術を引き上げることも必要となる。多方面での地道な努力によって、ようやく京町家の保全継承が実現するというわけだ。

とはいえ、京町家はあくまで個人の所有財産だ。所有者側に京町家を保全継承しようというマインドや環境が整わなければ、実現するには至らない。ここまであの手この手を尽くしても、残念ながら滅失してしまう京町家も相当数あるだろう。

京町家の長い奥行きの敷地を生かした通り庭や奥庭、大戸、出格子など季節を取り込む工夫や独特のデザインは、ぜひ守ってほしいと思うが、所有者や関係者だけで保全継承を担うのは難しい。ファンドに寄付をしたり活用に手を挙げたりなど、多くの人たちが京町家の保全継承に長く関心を払うことが大切だろう。

●関連サイト
京都市、京町家等の不動産情報ポータルサイトの公開について
「MATCH YA」未来と町家をマッチするポータルサイト
京町家等継承ネット

慶應義塾大学(日吉&三田キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

間もなく訪れる新年度より、大学進学を機に慣れない土地での生活が始まる人も多いはず。そんな人の参考になるように、今回は慶應義塾大学で学部数の多い三田キャンパスと日吉キャンパスに通いやすく、家賃相場が安い駅を調査! 各キャンパスの最寄駅である田町駅、三田駅、赤羽橋駅いずれかまで電車で20分圏内、日吉駅まで電車で15分圏内に位置し、家賃相場が安い駅のランキングをご紹介する。さらに、不動産会社の方に聞いた各キャンパス周辺にある学生が住む街としておすすめの駅についても見ていこう。

三田キャンパス最寄り:田町駅、三田駅、赤羽橋駅いずれかまで20分以内の家賃相場が安い駅TOP20

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 昭和島 7.2万円(東京モノレール/東京都大田区/19分/1回/田町(JR山手線・京浜東北線※以下略))
2位 流通センター 7.8万円(東京モノレール/東京都大田区/18分/1回/田町)
3位 大森町 8.1万円(京浜急行本線/東京都大田区/18分/1回/三田(都営地下鉄浅草線・三田線※以下略)
4位 平和島 8.2万円(京浜急行本線/東京都大田区/13分/0回/三田)
4位 武蔵小杉 8.2万円(JR横須賀線/神奈川県川崎市中原区/18分/1回/田町)
6位 川崎 8.25万円(JR東海道本線/神奈川県川崎市川崎区/16分/1回/田町)
7位 大岡山 8.3万円(東急目黒線/東京都大田区/16分/0回/三田)
7位 田園調布 8.3万円(東急目黒線/東京都大田区/20分/0回/三田)
9位 梅屋敷 8.35万円(京浜急行本線/東京都大田区/19分/1回/三田)
10位 洗足 8.4万円(東急目黒線/東京都目黒区/16分/0回/三田)
10位 糀谷 8.4万円(京浜急行空港線/東京都大田区/20分/0回/三田)
12位 西馬込 8.5万円(都営浅草線/東京都大田区/14分/0回/三田)
12位 馬込 8.5万円(都営浅草線/東京都大田区/12分/0回/三田)
14位 旗の台 8.51万円(東急大井町線/東京都品川区/18分/1回/田町)
15位 中延 8.6万円(都営浅草線/東京都品川区/11分/0回/三田)
15位 緑が丘 8.6万円(東急大井町線/東京都目黒区/17分/1回/三田)
15位 荏原町 8.6万円(東急大井町線/東京都品川区/18分/1回/田町)
18位 大森 8.7万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/10分/0回/田町)
18位 戸越公園 8.7万円(東急大井町線/東京都品川区/15分/1回/田町)
18位 西大井 8.7万円(JR横須賀線/東京都品川区/12分/1回/田町)

「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんオススメの駅
10位 洗足
15位 中延
ランク外 武蔵小山 9.0万円(東急目黒線/東京都品川区/11分/0回/三田)

日吉キャンパス最寄り:日吉駅まで15分以内の家賃相場が安い駅TOP15(16駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 白楽 5.7万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/11分/0回)
2位 高田 5.9万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
3位 妙蓮寺 6.0万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/9分/0回)
3位 東白楽 6.0万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/13分/0回)
5位 大口 6.3万円(JR横浜線/神奈川県横浜市神奈川区/13分/1回)
6位 日吉本町 6.4万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/2分/0回)
7位 大倉山 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/4分/0回)
7位 日吉 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/0分/0回)
7位 東山田 6.5万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市都筑区/7分/0回)
7位 菊名 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
11位 小机 6.55万円(JR横浜線/神奈川県横浜市港北区/14分/1回)
12位 綱島 6.9万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/1分/0回)
13位 元住吉 7.0万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/1分/0回)
14位 中川 7.13万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市都筑区/15分/1回)
15位 平間 7.2万円(JR南武線/神奈川県川崎市中原区/11分/1回)
15位 武蔵新城 7.2万円(JR南武線/神奈川県川崎市中原区/12分/1回)

「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんオススメの駅
12位 綱島
13位 元住吉
ランク外 武蔵小杉 8.2万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/3分/0回)

慶應義塾大学を代表する2つのキャンパス周辺の環境&家賃相場は?

慶應義塾大学の主なキャンパスといえば、多くの学部の1・2年生が通う日吉キャンパスと、同様に複数の学部の2~4年生や大学院生が通う三田キャンパス。特に東京都港区にある三田キャンパスは慶應義塾の原点といえる地だ。最寄駅である田町駅にはJRの山手線や京浜東北・根岸線が乗り入れており、駅周辺はビジネス街として発展。駅から大学へと向かう通り一帯はリーズナブルな飲食店がひしめく学生街としても愛されている。田町駅のすぐ近くには都営三田線と浅草線が通る三田駅が位置。キャンパスから北へ徒歩8分ほどの場所にある都営大江戸線・赤羽橋とあわせて、この3駅が主に大学の最寄駅として利用されている。

田町駅前(写真/PIXTA)

田町駅前(写真/PIXTA)

三田駅(写真/PIXTA)

三田駅(写真/PIXTA)

赤羽橋駅周辺(写真/PIXTA)

赤羽橋駅周辺(写真/PIXTA)

そんな田町駅周辺のシングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。駅から徒歩15分圏内。以下同)の家賃相場は11万1000円、三田駅の家賃相場は11万3000円、赤羽橋駅の家賃相場は12万2000円。大学への通いやすさなら最寄駅周辺に住むのが一番だろうが、学生にとってこの家賃相場は相当高めに思える。実際、今回お話をうかがった「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんによると、「徒歩で通える三田周辺は家賃が高めのため、電車を使ってドア・トゥ・ドアでキャンパスまで30分以内にある物件を探す方が多い印象です」とのこと。上記ランキングで記載している所要時間は「電車の乗車時間(乗り換え時間含む)」であり「物件~駅~大学間の所要時間」は含まないので、その点は物件探しの際に考慮したい。とはいえ家賃相場に注目するとトップ20の駅は7万円台~8万円台で、田町駅や三田駅、赤羽橋の周辺よりも2万5000円~5万円ほど費用をおさえることが可能だ。

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

神奈川県横浜市港北区に位置する日吉キャンパスの最寄駅は、東急東横線と東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインが乗り入れている日吉駅。駅を出るとまず見事なイチョウ並木に目を奪われる。この並木沿いを進むと敷地面積約10万坪という広大なキャンパスにたどり着く。駅周辺にはにぎやかな商店街があり、学生が日常使いできる飲食店も多彩。駅直結の「日吉東急アベニュー」には食料品店からユニクロなどの服飾・雑貨店、家電量販店までそろっており、日常生活に必要な買い物はすべて駅周辺でまかなえそうだ。駅前の商店街を抜けると静かな住宅地が広がっており、住む街としても魅力的だ。

日吉駅周辺(写真/PIXTA)

日吉駅周辺(写真/PIXTA)

7位にランクインし、起点駅でもある日吉駅周辺の学生向け賃貸物件の家賃相場は6万5000円。都心に位置する三田キャンパスに比べれば、学生にも手が届きやすい価格帯だろう。実際、「日吉駅もしくは、近隣駅の徒歩圏内で探される学生が多いですね」と「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長の高橋良平さん。日吉キャンパスは単位取得のため学校に行く機会が多い1・2年生時に通う人が多いので、特にキャンパスへの近さが重視されるようだ。

高橋さんは「近すぎると友人のたまり場になり、遠すぎると通うのが面倒になるので、学校から20分ほどの範囲で探すのもいいですよ」とアドバイスをくれた。友達と過ごすばかりでなく一人の時間も大事にしたいタイプや、大学がある街以外での生活も楽しみたいなら、最寄駅とは別の場所に住むのがいいかもしれない。

とにかく家賃が安いことを望むなら、駅からの距離や広さを妥協するのもよいだろう。しかし一度住まいを決めたらそう簡単には引越しするわけにもいかないので、安さばかりではなく住みやすい街かどうかも気になるところ。そこで先に登場したお2人に、三田・日吉の各キャンパスに通う学生の住む街としておすすめの駅を教えてもらった。

三田キャンパスに通う学生の住まいとしておすすめの駅3選

まずは三田キャンパスに通う学生も利用するという、「ハウスメイトショップ目黒店」須田さんがおすすめする街を紹介しよう。住む街を選ぶ際のポイントは、「交通の利便性が高い駅であること」と話す須田さん。「三田キャンパスを利用する3・4年生は、アルバイトや就職活動など学校外での活動が増えてくる時期。そのため学校への行きやすさをふまえた上で、他の場所へのアクセスの利便性も高い駅を選ぶのがよいでしょう。特におすすめは東急目黒線の沿線。都営三田線と相互直通運転されていてキャンパスがある三田駅まで乗り換えせずに行けること、目黒駅に出れば都内の主要駅に行きやすいJR山手線に乗り換えられる点が魅力です」

武蔵小山駅前の様子(写真/PIXTA)

武蔵小山駅前の様子(写真/PIXTA)

なかでも須田さんイチ押しは、急行停車駅でもある東急目黒線・武蔵小山駅。大学最寄りの三田駅までは都営三田線直通の東急目黒線なら約11分で行くことができる。家賃相場は9万円と少々高めで、今回のランキングでは27位だった。「開発が進み、近年は家賃相場が上がった点はネック。ですが、東京で最も長いアーケード商店街があって、買い物や外食にたいへん便利な環境です。にぎわいのある街なだけに適度に人目があり、治安の面でも安心感があると評判で、学生の一人暮らしでも安心でしょう」。都内最長だというアーケード商店街「武蔵小山商店街パルム」は、全長約800m! 店舗数は約250軒にのぼり、例年は夏の納涼市や秋のサンバパレードなどイベントも豊富。あちこちの街へ出かけにくいコロナ禍では、自分の住む街自体にこうした楽しみがあることが特に魅力的に思える。

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

もう少し家賃相場をおさえたいなら、「東急目黒線の東京都区間内では比較的に家賃相場が安い、洗足(せんぞく)駅もおすすめです」と須田さん。洗足駅の家賃相場は8万4000円で10位にランクインしており、三田駅までは約16分でたどり着く。「駅前にスーパーやドラッグストアがそろっていて買い物に便利な環境です。駅周辺は閑静な住宅街で落ち着いた印象です。ただ、人通りが少ない点が心配なら、住まい探しの際に駅までの道のりチェックも忘れずにしましょう」。この洗足駅前には美しいイチョウ並木が続き、並木通り沿いを中心に商店街が広がっている。日々の食事に役立つ惣菜店もあるほか、神保町に本店がある欧風カレーの名店「ボンディ」の支店も。商店街をめぐり、自分のお気に入りの店を探すのも楽しそうだ。

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

須田さんがもう1駅、おすすめしてくれたのが15位の都営浅草線・中延(なかのぶ)駅。家賃相場は8万6000円で、三田駅までは約11分。「都営浅草線と東急大井町線が利用できて便利。若者に人気の自由が丘駅までも1本で行くことができます。駅近くには商店街が3つあり、八百屋さんや精肉店などが並んでいるので食費をおさえる助けにもなるかも。駅前にユニクロがあるのもうれしいところです」。商店街のなかでも注目は、「なかのぶスキップロード」と呼ばれる中延商店街。中延駅から北に延びており、東急池上線の荏原中延駅まで約330mも続くアーケード商店街だ。買い物に利用できる商店街独自のポイントシステムも用意されているので、ポイントを貯めつつお得に買い物が楽しめる。

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

日吉キャンパスに通う1・2年生が住むなら、こちらの駅がおすすめ!

続いて日吉キャンパスに通う学生におすすめの街を、「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長の高橋さんに伺った。先述した通り、日吉キャンパスに通う学生は日吉駅や近隣駅に住むことが多いのだそう。「日吉駅や日吉近隣の東急東横線沿線は、飲食店をはじめ商業施設が充実している駅も多く、初めての一人暮らしでも安心して居住できる環境ですよ」と話す高橋さん。なかでも特におすすめの駅を3つ、教えてくれた。

おすすめ度1位は日吉駅の隣、東急東横線と東急目黒線が通る元住吉駅で、家賃相場は7万円で家賃相場ランキングでは13位に登場している。「駅を挟んで東西2つの商店街があり、チェーン系の店舗・地元の個人商店も含め約270店舗の商店が立ち並んでいます。主にファミリー層が住むエリアなので、落ち着いた住環境を求められる方には非常におすすめできる駅です」。また、駅から徒歩7分ほどの場所に広大な「川崎市中原平和公園」があったり、駅前を流れる渋川沿いに約2kmにわたる桜並木が続いていたりと、自然を感じられる環境なのも魅力だという。気軽に遠出しづらいコロナ禍において、近所にリフレッシュできる場所があるのはうれしいものだ。

元住吉駅(写真/PIXTA)

元住吉駅(写真/PIXTA)

続いておすすめしてくれたのは東急東横線と東急目黒線、JR南武線が乗り入れている武蔵小杉駅。日吉駅までは2駅・約3分、家賃相場は8万2000円だ。「家賃の価格帯は少し上がりますが、住みたい街ランキングでも上位に入る、人気が高いエリアです。『ららテラス 武蔵小杉』や『グランツリー武蔵小杉』など大型商業施設も充実。乗り入れ路線も多く、都内への玄関口として非常に利便性が高い駅です」。

武蔵小杉駅東口の様子(写真/PIXTA)

武蔵小杉駅東口の様子(写真/PIXTA)

「SUUMO住みたい街ランキング2021 関東編」(リクルート調べ)で14位にランクインした武蔵小杉駅は神奈川県川崎市にあるが、駅東側を流れる多摩川を越えると東京都大田区に。東急東横線の通勤特急に乗れば、自由が丘駅まで1駅・約5分、渋谷駅まで3駅・約15分で行くことができる。日吉キャンパスまでの近さはもちろんのこと、せっかく進学で上京するならば都内までの近さも重視したい人にとっては、うってつけの環境といえるだろう。また、武蔵小杉駅は今回調査した「三田キャンパス」周辺の家賃相場が安い駅ランキングで4位にランクインしてもいる。1・2年次は日吉キャンパス、3年次以降は三田キャンパスに通う予定の学生なら、進級後も引越しせず済み続けられる点も便利そう。

高橋さんおすすめの3つ目の駅は、12位にランクインしている東急東横線・綱島駅。元住吉駅とは逆側、日吉駅から下り方面へ1駅目に位置しており、家賃相場は6万9000円。「スーパーやドラッグストア、飲食店など、駅周辺には幅広いジャンルの店舗がとても豊富。2022年度には東急新横浜線の新綱島駅が開業予定で、ますます利便性が高まる点も注目です!」と高橋さん。

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

東急新東横線は日吉駅~新横浜駅を結ぶ路線として開業予定で、同じく開業準備が進む新横浜駅~羽沢横浜国大駅・西谷駅を結ぶ相鉄新横浜線とともに、相鉄・東急直通線の連絡線としての役割を担う。開業したあかつきには相鉄線と東急線との相互直通運転が可能となる。新しく誕生する新綱島駅は綱島駅から100mほどの位置なので、この辺りに住むと将来的には2駅2路線が利用できるわけだ。

さて今回はランキング調査に加え、これまで多くの学生を新生活へと送り出してきた不動産会社のお話を参考に、学生におすすめの街をご紹介した。安さ重視でランキングの駅を参考に探すもよし、環境重視でおすすめに挙げてもらった街で探すのもよし。自分好みの街に住んで、ぜひ楽しい新生活を送ってほしい。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている田町駅、三田駅、赤羽橋駅まで20分以内、日吉駅まで電車で15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

認知症になっても住める街へ。街全体で見守る「ふくろうプロジェクト」始動 栃木県下野市

2021年、高齢者人口は3640万人(※1)と過去最多となりました。みなさんの身のまわりでも、年齢を重ねた父母や祖父母が高齢者だけ、または一人で暮らしているというご家庭は多いのではないでしょうか。高齢者、また認知症になった人を見守る、栃木県で地域ぐるみのユニークな「ふくろうプロジェクト」がはじまりました。その試みと街への影響をご紹介します。

ゴミ収集をしつつ、ひとり歩きの高齢者の足元を確認

今年11月、栃木県下野(しもつけ)市ではじまったのが、「ふくろうプロジェクト」です。この取り組みは、認知症になっても暮らしやすい街を目指すというもので、その内容はゴミ収集車とスタッフが通常のゴミ回収を行いつつ、歩いている高齢者の足元をさりげなく気にするというもの。認知症になると、街を徘徊してしまい、徘徊中に自宅に帰れなくなってしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりすることもあるといいます。

そこで大切になるのが、徘徊の早期発見です。このプロジェクトではまず街を縦横に走るゴミ収集車に着目し、清掃員がゴミを回収しながらまちゆく高齢者の足元を見て、気になる人がいれば警察や地域包括支援センターに連絡するという仕組みが考案されました。

では、なぜ高齢者の「足元」なのでしょうか。このプロジェクトの発案者である、横木淳平さんに聞いてみました。

「もともと、靴を見るのは私の職業病みたいなものなんです。街を歩いていても、ついつい高齢者の足元を見てしまう。それは、徘徊している人は、状況やサイズにあっていない履物を履いていることが多いことから。スリッパやサイズのあわない靴、子どもの靴など、明らかに違和感のある靴を履いていること多いんですね。高齢者も徘徊しようと思って徘徊しているのではなくて、ご自身は目的があって出かけたけれど、家がわからない、何が目的だったかわからないなどの理由で歩いてしまう。だから靴に違和感があるんです」

ゴミ収集車につけられた「ふくろうプロジェクト」のステッカー(写真提供/ふくろうプロジェクト)

ゴミ収集車につけられた「ふくろうプロジェクト」のステッカー(写真提供/ふくろうプロジェクト)

なるほど、確かにその違和感は人間の目だからこそ気付ける観点ですね。今回のプロジェクトは、ゴミの回収という通常業務にあたりつつ「さり気なく」気にするというのもポイントです。

「今、できることから、ちょっとだけ世の中を良くしようというのが今回のプロジェクトの趣旨です。だから、気になる人を見つけたら、警察や地域包括支援センターに引き継いで、その後は通常業務にあたってもらいます」と横木さん。大切なのは、できるだけ多くの人に、無理なく、継続的に協力してもらう仕組みだといいます。

高齢者を取り巻く環境は悪化する。だからこそ視線を増やすことが大切

「今回はゴミ収集車と清掃員に協力してもらいましたが、運送会社、新聞や郵便、飲料の配達など、街のなかに今にいる人達にちょっとだけ、視線という機能を貸してもらえるだけで、高齢者が街にずっと住み続けていくことができるようになります。今後も高齢者人口、認知症の人口は増え続けていきます。まちなかには空き家も増えますし、ゲリラ豪雨、熱中症の増加のように、命の危険を感じるような天候も増えています。超高齢化社会の到来を考えると、もともとある高齢者施設だけでは受け皿になりきれない。だからこそ、普段の生活のなかで、ちょっとだけ助けてもらう、そんな仕組みが大切なんです」と話します。

認知症は一度発症すると進行を遅くすることはできても、治すことはできないといわれています。また高齢者の数に対する施設の受け入れ数など、高齢者をとりまく環境は厳しくなる一方です。であれば、プロの介護事業者だけでなく、周囲の人のちょっとした「見守り」があることで、高齢者が安心して暮らせるようにというのは納得の発想です。

プロジェクト発案者である横木さん(右)と廃棄物収集運搬業を営み、今回プロジェクトをともに行うことになった有限会社国分寺産業の田村友輝さん(左)(写真提供/ふくろうプロジェクト)

プロジェクト発案者である横木さん(右)と廃棄物収集運搬業を営み、今回プロジェクトをともに行うことになった有限会社国分寺産業の田村友輝さん(左)(写真提供/ふくろうプロジェクト)

「やさしい視線が多い街って、やっぱり住みやすいと思うんですよ。認知症だから、高齢者だから、家や施設で寝ていてもらえばいい、そんなことは絶対にないはず。生きる希望に満ちた暮らしをかなえてあげたい。徘徊を問題行動だと考えるのではなく、地域に居場所がある、役割がある、そんな街が住みやすい街と言えるのではないでしょうか。こうした視線が行き届いた街は、地方創生・復活のコンテンツにもなり得ると思っています」(横木さん)

筆者自身、母親になってわかったことですが、親になると子どもや子ども連れの人に助けられたり、助けたりということが格段に増えます。そして多くの人は、「少しおせっかいかもしれないけれど、助けたい」と思っているのだとしみじみ思います。まだ介護は経験していませんが、多くの人は子育てと同様、どこかみんなで助けたい/助けられたいと思っているはず。今回は、そんな「相互の思い」をかたちにした事業といえるでしょう。

発見はゼロでいい。できることからはじめてみよう

今回は「仕組み」として整えることで「発見」や「おせっかい」がしやすくなるのもポイントです。
「運用にあたって、できる限り本業に支障をきたさない、気楽に参加しやすようにと、極限までハードルを下げ、誰でも参加できる仕組みを考えました。それは、街にヒーローをつくりたいから。介護やゴミ収集の仕事は、やはり敬遠されがち。特に、コロナ禍でその過酷さが注目されました。しかし今回のプロジェクトのように『人助けができる』『まちの目線になる』ということで、仕事の価値をさらに広げ、関心をもつ人を増やしていけたらいいですよね」と横木さん。

「街にヒーローをつくりたい」と話す横木さん。徘徊を見つけてもらえたら、それこそご家族にとってはヒーローですよね(写真提供/ふくろうプロジェクト)

「街にヒーローをつくりたい」と話す横木さん。徘徊を見つけてもらえたら、それこそご家族にとってはヒーローですよね(写真提供/ふくろうプロジェクト)

極限までハードルを下げたというだけあって、ゴミ収集のほかに新聞配達などの企業からも声がかかっているそう。確かに街を駆け巡っているという点は同じですから、親和性は高そうです。

「はじまってまだ半月なので、今のところ、徘徊に気がついたという報告はあがってきていません。でも、いいんです、結果ゼロ件でも想像以上に多かったでも。やってみないとわからない。できることからはじめて、ちょっとだけ社会を、地域を良くしたい、そういう思いを共有できる仲間が増えていくことが大事ですし、広がっていくことが大切だと思っています」(横木さん)

思いは通じているようで、今のところ、行政や地域の人からも好評で、「応援しているよ」と声をかけてもらえることが多いといいます。そもそも、「靴を見る」という今回のプロジェクトそのものが、じんわりと認知症への理解へとつながります。

またテレワークが普及した昨今では、住んでいる街で1日の多くの時間を過ごす人が増えたことになります。単に「いる」だけではなく、「関心」や「かかわり」「やさしい視線」が増えていけば、今住んでいる場所も、より住みやすい街となっていくことでしょう。

高齢者や認知症だけでなく、障がいがある人、子どもたち。社会で暮らしているのは、健康な成人だけではありません。誰しも居場所があって、役割がある。「理解する」「ちょっとだけ気にかけてみる」「行動をほんのりと見守る」というあたたかい視線こそが、2020年代の住みやすい街に必要なのかもしれません。

※1総務省統計局より

●取材協力
横木淳平さん 
介護3.0

人口3200人の小さな町で惣菜店なぜ始めた? ”地域内循環”の挑戦から1年 北海道下川町

都会に暮らしていると想像しにくいけれど、地方では1軒の店の存在が大きい。人口減や高齢化によって個人商店が閉店したり、チェーン店も撤退したり……といった状況が起き始めている。1軒でも「近くの街で買い物する」選択肢を増やし、地域内でお金がまわることが人びとの暮らしを左右する。まさにそれを体現するような事例が、北海道下川町で矢内啓太さんが始めたお惣菜屋「ケータのケータリング」である。小さな町で新しい店をオープンしようと決めた経緯と、矢内さんの背中を押した「地域内循環」の考え方にもふれてみたい。

「ケータのケータリング」の販売風景(写真提供/矢内啓太さん)

「ケータのケータリング」の販売風景(写真提供/矢内啓太さん)

「地域資本のお店があった方がいいのかな」と

北海道下川町へは、札幌から車で約3時間、旭川からは2時間かかる。お世辞にも便利とはいい難い場所だがそんな町ならではの、暮らしを維持していこうとする人びとの強い意思や工夫がある。自治体の画期的な施策もあって、いま移住者に人気のある町でもある。

人口3200人のこの町に2020年6月にオープンしたのが「ケータのケータリング」。矢内啓太さんが始めた弁当・惣菜のお店だ。矢内さんはおじいさんが創業した菓子・パン屋「矢内菓子舗」で家族や親戚とともに働いていた。

ところが2年前、町が開催した勉強会に参加して「域内経済循環」の考え方を知る。

「正直に言えば、こんな田舎の町内でお金をまわすなんて無理だと思っていました。外資本で全然いいんじゃないかって。でも地域内経済やレジリエンスの話を聞いて、それじゃいけないかもしれないと思うようになったんです。100%は無理でも、地元資本のお店を少しでも使うことで、自分たちの暮らしが豊かになったり、維持できるとしたら。地域でお金をまわすって案外大事なんじゃないかなって」

矢内啓太さん(写真提供/矢内さん)

矢内啓太さん(写真提供/矢内さん)

「域内経済循環」とは、地域内でどれくらいお金がまわっているかを示す言葉だ。

たとえば観光や産業で町外からお金を稼いでも、コンビニなど外部資本の店や、ネットで買い物する割合が高ければ、せっかく稼いだお金が町内にまわらず外に出ていってしまう。ひいては、地元のお店が成り立たず、雇用も減り、ますます人口減や町の衰退につながり……といった悪循環に陥る。

さらにレジリエンスとは、災害など地域が困難な状況、危機的な課題に遭遇した際に、立ち直ることのできる力。とくに食やエネルギーの分野では自給率が高いほど地域のレジリエンスは高まる。

そんな考え方を知り、矢内さんは心を動かされた。

「ちょうどそのころ、町のスーパーが1店舗閉店することになって。みんなその店で買い物していたのに、お弁当や惣菜など買えなくなっちゃうねと話していて。コンビニはあるから弁当が買えなくなるわけじゃないけど、田舎なので会合とか総会とか、いろんなお弁当需要があって。全部その1店舗でまわっていたのが外部資本や町外に流れると。小さな町だけどそれって結構な額なんですよ。地域でお金をまわそうと考えると地域資本のお店があった方がいいのかなと」

これが矢内さんの背中を押した。

エネルギー自給率100%をめざす、下川町というユニークなまち

もともと下川町は、地域内循環の考え方をもとに経済施策を進めてきた自治体でもある。1960年代の最盛期には1万5000人いた人口が、主産業の鉱山が閉山になるなど、30年間で激減。町は経済を立て直すために、より効果的な施策を打とうと、地域から漏れ出ているお金の実態を知るための調査を行った。

冬の下川町(写真撮影/甲斐かおり)

冬の下川町(写真撮影/甲斐かおり)

一般的に企業では、何にお金を使って、何で売上を上げているかを把握するのは当たり前のことだろう。だが自治体単位になると、地域内に数多くの事業者や住民が存在するので、どの分野でお金が外に出て、何でお金をどれくらい稼いでいるか、実態が見えにくい。

そこで下川町では研究機関の協力を得ながら、町内の主要な事業者に調査をして町の収支表をつくった。結果わかったのは、町のGDP(域内生産額)は約215億円あること。黒字部門は製材・木製品(約23億円)と農業(約18億円)で、赤字部門はエネルギー(約13億円)。その内訳は石油・石炭製品(約7.5億円)、電力(約5.2億円)といったものだった。

下川町は森に囲まれ、森林率が9割と林業の盛んな地域である。そこで、漏れ出ているエネルギーコストを町内でふさごうとエネルギー自給率を高める施策「下川町バイオマス産業都市構想」(2013~2022年度)が始まった。

その結果、2020年3月時点で町内には11基のバイオマスボイラーができ、公共施設の熱自給率が64.1%を達成。約1億円以上の流出を止め(2020年時点)、加えてカフェ、木工事業、トドマツ精油、エゾシカ加工、ボイラー熱を利用した菌床しいたけの栽培など小規模の産業・起業が起こり、年7000万円のビジネス創出、移住者の増加につながっている。

つまり、やみくもに事業を起こすのではなく、何に住民がお金を使っているかを把握した上で、そこをふさぐ新事業を起こしたという順番がポイントだ。

循環型の林業を行っていた下川町では木材が豊富(写真撮影/甲斐かおり)

循環型の林業を行っていた下川町では木材が豊富(写真撮影/甲斐かおり)

バイオマス熱を活用した菌床しいたけの栽培も(写真撮影/甲斐かおり)

バイオマス熱を活用した菌床しいたけの栽培も(写真撮影/甲斐かおり)

家計調査の結果が、惣菜屋を始めるきっかけに

次に町によって行われたのが、一般家庭の家計調査だった。家庭内で、何をどこからどれくらい買っているか。それによって、町に残るお金、何の項目で外に漏れ出ているのかが大まかにわかる。漏れ出ている分野がわかれば、そこに新たな事業をあてがうことも考えられる。

2019年11~12月にかけて行われた下川町の「買い物調査」結果。回収調査票数308通(下川町役場提供)

2019年11~12月にかけて行われた下川町の「買い物調査」結果。回収調査票数308通(下川町役場提供)

結果を見ると、パンは比較的自給率が高い。町に人気のパン屋さんが3軒あるのが理由だ。ほか生鮮や弁当・惣菜類などの食品分野での漏れが大きい。
海のない下川町で「魚介類」が少ないのは仕方がないとしても「弁当・惣菜類」の分野で50%近くが町外のお店に漏れている。

この調査結果を知り、お惣菜屋を始めることを考えたのが、矢内啓太さんだった。

「数字だけではなくて、この時のアンケートで、惣菜屋がほしいといった声が少なくないと知りました。もちろんすべてを小さな地域内でまかなうのは無理。それを否定する気はないんです。

でもできることからやっていくのが重要かなと。僕がお惣菜だけでもチャレンジしてみるよって。そしたら、誰かが反応してほかの分野も立ち上がる可能性もある。全部じゃなくても、未来のためのお店が少しずつ増えていって、あれもこれも地域内でまわしてますって言えたら、下川の新しいインパクトになる可能性があると思ったんです」

「ケータのケータリング」のお弁当(写真提供/矢内さん)

「ケータのケータリング」のお弁当(写真提供/矢内さん)

「ケータのケータリング」はどんな店か?

矢内さんは、もともと下川町の生まれ育ち。子どものころから、父親や叔父が働いていたパン屋で一緒に働きたいと思ってきた。札幌での修行期間を終えて、子育てが始まるタイミングでUターン。願い通り、父や叔父と一緒に「矢内菓子舗」で9年間働いた。

その後の惣菜屋としての独立だった。独学でオペレーションをつくり、妻と2人で店を運営している。地元の野菜を多く使ったお弁当は人気で、お惣菜も買える。お客さんは8~9割が地元のリピーター。週3回来てくれる人もいて、年配者も多い。日に平均すると20~30人。周囲の人たちに支えられて何とかやっている、と矢内さんは話す。

「コンビニで弁当買うくらいならうちのをと思うので、できるだけ温かいものを出したいと思ってやっています」

夏は野菜を仕入れる必要がないほど、近所の人たちからのおすそわけがある。家庭菜園にしては広い畑をもつ人が多いため、おすそわけも量が多い。先日は春菊を買い物かごに5つ分もらったという。

「この野菜をいただいたから献立をこれにしようとか。その都度工夫したり、下ごしらえして保存したり。おすそわけが多い夏と少ない冬とでは仕入れ額が数万円も差があるほど助かっています」

町内の農家からもらった春菊を使ったレモンサラダ。下川産のミニトマトも(写真提供/矢内さん)

町内の農家からもらった春菊を使ったレモンサラダ。下川産のミニトマトも(写真提供/矢内さん)

タッパーを持参してもらうと50円引きになるサービスもある。お客さんの約1割はタッパー持参。よく知るお客さんだと、名前を書いてタッパーを貸したりもする。ご近所ならではの関係性だ。週の後半は、お母さんたちがお惣菜を買っていく頻度も高い。

「本来お弁当に求めるものって何より利便性だと思うんです。ぱっと買える手軽さとか。でも、うちがやっているのは真逆で。注文受けてつくるので待つ時間も少しかかるし、タッパーも洗う手間が発生する。不便を感じてる人もいると思うんだけど、あえてそうしているところもあって。でも小さな地域なので、弁当以外のニーズも多い。それにはできるだけ応えたいと思ってやっています」

地区の総会、ビールパーティーなど、まとまったオードブルの注文も入る。これからさらにテーブルスタイリングなども含めたサービス展開を考えている。

オードブルやお弁当の大量注文にも応じる(写真提供/しもかわ観光協会)

オードブルやお弁当の大量注文にも応じる(写真提供/しもかわ観光協会)

「森の寺子屋」が町内で新しいことを始めたい人を支援する場に

矢内さんがケータリングの店を始める直接的なきっかけになったのは、役場に勤める和田健太郎さんが始めた「森の寺子屋」という勉強会だった。

「和田はもともと幼馴染で、町でいろんな新しいことが始まっていることを時々教えてくれていたんです。下川には移住者も増えて面白い人たちが集まっていて、それぞれやりたいことをいろんな形で始めていて。地元出身者として刺激を受けたところがあります」

「森の寺子屋」の様子。下川町内で「何かしたい」「新しいチャレンジを始めたい」と思っている方が有志で集い、月に1回学び合う試み(写真提供/和田さん)

「森の寺子屋」の様子。下川町内で「何かしたい」「新しいチャレンジを始めたい」と思っている方が有志で集い、月に1回学び合う試み(写真提供/和田さん)

森の寺子屋は、新しいことを始めたい人たちを支援する有志による勉強会。「森のようちえん」や、バイオマスの灰・下川の植物を使用した染めもの事業など、新しいサービスが次々に生まれる起点にもなっている。

お店を始める1年前、矢内さんはこの会に参加したことでパン屋をやめて惣菜屋を始める気持が強くなったのだという。

「最初はパン屋で新規事業を始められたらな、くらいの気持ちで参加したんです。でも家計調査の結果を見たり、レジリエンスの考え方を知ったりするうちに、地元の店が閉店することになって。すぐに買い物の手段がなくなるわけではなかったけど、地元のなかでまわるほうがいいんだろうなって、ごく自然に自分ごとにできたというか」

和田さんの話によれば、矢内さんは周囲からの「巻き込まれ力」があるのだそう。パン屋のころからイベント出店の機会も多く、地元の他の店とコラボレーションしたり、同級生と一緒に地産の食材をつかったイベント活動も行ってきた。

同級生と町内の食材、ハルユタカ小麦とフルーツトマトを使ってオリジナル揚げパン「グラーボ」をイベントで販売。2日で1000個売り切ったことも(写真提供/矢内さん)

同級生と町内の食材、ハルユタカ小麦とフルーツトマトを使ってオリジナル揚げパン「グラーボ」をイベントで販売。2日で1000個売り切ったことも(写真提供/矢内さん)

「そういうことを地元の人たちに見てもらっていた上での惣菜屋なので、周りが応援してくれているんだと思います。地元だし、自分自身、下川が好きなので。家族で住み続けたいと思ったら、町が残り続けないといけない。できるだけ長く、子どもたちも、学校も残ってほしいし。できることはしたいなと思っています」

矢内さんが思っていた「小さな地域内で経済をまわすなんて無理だ」という考えは、ある意味で真実だろう。自分の生活をかえりみても、スマートフォンは手放せず、輸入された珈琲や大豆を日々消費して暮らしている。けれど地域内でお金がまわることは、同時にそこに仕事があり、多くの人の活躍の場があることを意味する。

ローカルで生き生きと暮らせる地域づくりをしていこうとする人が増えている今、欠かせない視点ではないかと思う。

●取材協力
ケータのケータリング

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケードの最期

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

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●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケード

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

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共悦マーケットが取り壊される際に入居していた店舗の図面。IBASHOメンバーで建築士の久米良寛さんが作成した(写真/吉澤卓)

●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO

JR中央線(東京都内)32駅の家賃相場が安い駅ランキング 2021年版

東京駅から日本最大級の繁華街・新宿を経て、住みたい街人気の高い駅の数々を経由していくJR中央線。長野を経て愛知まで延びる沿線のうち、東京都内にある32駅の最新の家賃相場ランキングをリサーチ。ワンルーム・1K・1DKの物件を対象に、ねらい目の駅やエリア、その特徴を探ってみた。

JR中央線、都内32駅の家賃相場が安い駅ランキング

順位/駅名/駅の所在地/家賃相場
1位 高尾(八王子市) 4.30万円
2位 西八王子(八王子市) 4.50万円
3位 日野(日野市) 5.10万円
4位 豊田(日野市)5.20万円
5位 西国分寺(国分寺市)5.30万円
6位 八王子(八王子市)5.50万円
6位 国立(国立市)5.50万円
8位 国分寺(国分寺市)5.90万円
9位 東小金井(小金井市)6.20万円
9位 武蔵小金井(小金井市)6.20万円
11位 武蔵境(武蔵野市)6.90万円
12位 三鷹(三鷹市)7.20万円
12位 阿佐ヶ谷(杉並区)7.20万円
14位 西荻窪(杉並区)7.40万円
15位 吉祥寺(武蔵野市)7.50万円
16位立川(立川市)7.70万円
16位高円寺(杉並区)7.70万円
18位荻窪(杉並区)7.75万円
19位中野(中野区)8.00万円
20位東中野(中野区)8.30万円
21位大久保(新宿区)9.50万円
22位信濃町(新宿区)10.95万円
23位代々木(渋谷区)11.00万円
24位飯田橋(千代田区)11.30万円
25位御茶ノ水(千代田区)11.40万円
25位新宿(新宿区)11.40万円
25位東京(千代田区)11.40万円
25位水道橋(千代田区)11.40万円
29位神田(千代田区)11.52万円
30位市ヶ谷(千代田区)12.00万円
31位千駄ヶ谷(渋谷区)12.10万円
32位四ツ谷(新宿区)12.20万円

ランキング上位駅が多い八王子市は、国際都市への飛躍が期待

JR中央線は、「SUUMO住みたい街(駅)ランキング関東版」住みたい沿線ランキングに2019年、2020年に続いて4位に入る人気の路線。沿線の吉祥寺、立川、三鷹は、住みたい街ランキングのそれぞれ3位、25位、27位にも入っている。

高尾駅(写真/PIXTA)

高尾駅(写真/PIXTA)

上位19駅はすべて快速が停車するが(一部平日のみ)、1位の高尾駅は通勤特快や成田エクスプレス、2位の西八王子駅は中央特快も停車する。所在地は、東京都の市部では最大の八王子市。6位にも市のターミナル駅である八王子駅がランクインしている。

高尾駅は、同名の人気観光地、高尾山の印象が強い。八王子市はそんな高尾山のイメージ同様、自然が豊かな地域だが、同市を中心にした地域は実は製造業も盛んだ。中央大学多摩キャンパスや東京薬科大学、創価大学など大学や大手企業の研究機関も多く、八王子駅前には都の産業振興やインバウンド振興策の一環であるMICE(※)を目的とした東京都立多摩産業交流センターが2022年10月に開業予定。国際会議・学会など世界から人が集まる国際的な都市としての飛躍が期待されている。
※MICEとは、Meeting( 会議やセミナー )、Incentive travel( 研修・報奨・招待旅行 )、Convention( 国際会議・学会 )、Exhibition または Event( 展示会・イベント )の総称。国際的な会議やイベントを観光と絡めて招致し、周辺の産業を活性化していく取り組み

3位の日野駅、4位の豊田駅はともに中央特快の停車駅で、所在地は日野市。多摩川などの河川や湧水といった水辺や自然環境に恵まれた日野市は、「水都日野」を掲げ、それらを生かした街づくりを目指している。市から社名をとった日野自動車やGEヘルスケア・ジャパンなど、同市に本社を置く大手企業も多いが、のどかな雰囲気もただよう。

日野宿本陣(写真/PIXTA)

日野宿本陣(写真/PIXTA)

日野駅近くにある市の指定文化財、江戸時代の宿場「日野宿本陣」は、都内に現存する唯一の本陣で一般公開もされている。また日野市は、土方歳三や井上源三郎など著名な新選組隊士の出身地であり、彼らが剣術を学んだのも、日野駅のすぐ近く。その縁で、「新選組のふるさと」としても知られている。

豊田駅は、東京方面への始発になる列車も運行されており、通勤や通学時に座って利用できるのが利点。駅周辺は飲食店なども多く、大型の商業施設「イオンモール多摩平の森」があり、日常生活の味方として心強いだろう。

住み続けたい自治体トップ武蔵野市の駅は

2021年10月に発表された、実際に住んでいる人に聞いた「SUUMO 2021年住み続けたい街(自治体/駅)ランキング関東版」によると、住み続けたい自治体のトップは武蔵野市だった。その武蔵野市にある駅は、11位に武蔵境駅、15位に吉祥寺駅がランクインしている。ちなみに12位の三鷹駅は、駅の南口は所在地が三鷹市だが、北口は武蔵野市と、出口で自治体が異なっている。

武蔵野市は、全域が市街化区域に区分されている一方で、吉祥寺を中心に文化や商業が集積している。成蹊大学や武蔵野美術大学吉祥寺校など大学が多いほか、センスの良い作品ラインアップで人気の吉祥寺シアターなどの劇場もある。また、武蔵野八幡宮など由緒ある寺社や歴史的建造物も数多い。

武蔵境駅(写真/PIXTA)

武蔵境駅(写真/PIXTA)

武蔵境駅はJR青梅線に乗り入れしており、西武多摩川線も利用できる。沿線の大学に通う学生に向けた物件も多いため学生街の面も持つ。クイーンズ伊勢丹などが入った駅直結の商業施設「nonowa武蔵境店」や、駅前にはカルディコーヒーファームなども入った大型スーパー「イトーヨーカドー武蔵境店」がある。駅北口にはチェーン系飲食店も充実した商店街もあり、日常の買い物には非常に便利だ。

駅前にある図書館「武蔵野プレイス」は、ミニコンサートなどのイベントも数多く開催。生涯学習支援なども行っており、カフェも併設。市民の出会いの場も提供している。

三鷹駅南口周辺(写真/PIXTA)

三鷹駅南口周辺(写真/PIXTA)

駅の立地がユニークな三鷹駅は、JR総武線や東京メトロ東西線も始発として乗り入れている。スタジオジブリの「三鷹の森ジブリ美術館」があることで知られているが、街並みも閑静だ。

駅前の中央通りでは、歩行者天国や、手づくり品を売る「M-マルシェ」などのイベントが定期的に開かれている。周辺には農業を営む人も多いため、街中で野菜などの直売所を見かけることもあり、ジブリ作品から連想される豊かな自然や穏やかな生活の期待を裏切らない街といえるだろう。

JR中央線はビジネス街や繁華街、少し“尖った”住みたい街などを経由するため、個性的なイメージもある。しかし沿線は都内であっても、自然豊かでのんびりした街も数多い。刺激的な生活と穏やかな日常を両立できる、素敵な部屋がみつけられそうだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている中央線沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/7~2021/9
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

音楽で生きていくため10代で移住。国立音楽院で学び、宮城県加美町が支援

田んぼに囲まれた宮城県加美町の国立音楽院宮城キャンパスで、他地域から移住してきた若者たちが演奏技術、楽器の製作・リペアや音楽療法などを学んでいる。
「好きな音楽を一生の仕事に活かす」を謳う国立音楽院の本校があるのは、話題のカフェが集まる都会、東京都世田谷区三宿エリア。音楽による地方創生を目指す加美町からの提案が、宮城分校のきっかけだった。

音楽資源を見直した町の創生キャンパス周辺に広がる田畑。冬には雪が降り積もり真っ白な光景となる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

キャンパス周辺に広がる田畑。冬には雪が降り積もり真っ白な光景となる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「この町には、もともと暮らしに音楽が馴染んでいました」と教えてくれたのは加美町ひと・しごと推進課 菅原敏之さん。
東北新幹線仙台駅の隣駅の古川駅から車で20分ほどの加美町中心部には、1981年に開設された中新田バッハホールがある。パイプオルガンを備え、国内外から音響の素晴らしさが評価されている本格的クラシック専用ホールだ。市町村合併などの事情で利用が低迷していた時期もあったが、2011年に猪股洋文加美町長が就任し、中新田バッハホールを核とした音楽によるまちづくりに注力。無料コンサートが毎月開催され、小中学校の音楽活動も支えてきた。中新田バッハホールを拠点とする市民オーケストラも創設されている。

「上多田川小学校の廃校決定と合わせて、地域の方に利用の方法を検討していただきました。その中で教育施設としての提案があり、音楽関連の人材育成ができる機関を誘致して再利用する、という計画が作成されたのも自然な流れでした」(菅原さん)

国立音楽院は学校法人ではなく、音楽に関連する技術や資格への学びを提供する、いわば音楽関連職育成スクール。東京にある本校は50年以上の歴史があり、2021年度は360人ほどが学んでいる。
「国立音楽院はミュージシャン向けのカリキュラムも充実していますが、それ以上に楽器製作者や修繕をするリペアラー、育児教育につながる幼児リトミック指導員、介護を担う音楽療法士を育成している点が魅力でした。移住促進策としても、楽器製作者にふさわしい場所提供など必要な支援をイメージしやすく、また、音楽を用いた育児と介護は、住民の住み心地に直結します」(菅原さん)

町の中心部にある中新田バッハホール。加美町の音楽でのまちづくりは、2017年に地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

町の中心部にある中新田バッハホール。加美町の音楽でのまちづくりは、2017年に地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院東京本校。高校生は通信高校と提携して卒業資格を得られる。音楽大学に通いながらのダブルスクール生、社会人学生も多い。宮城キャンパスのほか鳥取県にも分校がある(写真提供/国立音楽院)

国立音楽院東京本校。高校生は通信高校と提携して卒業資格を得られる。音楽大学に通いながらのダブルスクール生、社会人学生も多い。宮城キャンパスのほか鳥取県にも分校がある(写真提供/国立音楽院)

若い移住者を支援する町と学校のセッション

加美町では、地域再生戦略交付金などを活用して旧校舎のリフォームと机などを準備。国立音楽院は加美町に使用料を支払う形で、2017年4月に宮城キャンパスが開校した。

町外からの移住者に対して、加美町では年間6万円(最長5年、30歳未満)の家賃補助を行なっている。希望者にはアルバイト先を紹介していて、「未成年の学生の代わりに、応募電話をすることもあります」(菅原さん)と、加美町の移住支援は親戚同様の温かさ。
その支援を軸に、国立音楽院も東京校以外の選択肢として宮城キャンパスへの移住を提示している。「音楽を学ぶうえで、生活コストが安いのはいいことです。また、当校はもとより不登校の生徒も受け入れています。都会より自然の中での学びの方が合う子どももいますから」(国立音楽院代表 新納智保さん)

学生の住まいは、町中心部の民間アパートを国立音楽院が紹介しているが、2022年度は中古で購入した社員寮を新たに学生寮としてオープンする予定だ。町の中心部からキャンパスまではバスで20分程度。学生は通学バスに加えて上多田川地区と市街地を結ぶ地域バスも利用できるようになっており、地域が学生の受け入れと応援に力を入れていることがわかる。

2021年度の生徒は61名。新型コロナ感染拡大の影響を受けて前年の80名より減少したが、次年度は増加を見込んでいる。
「生徒のうち約半数、29名は全国各地からの移住者です。国立音楽院のスタッフも含めて、町全体では2015年~2020年累計で244人が移住してくれました。人口減少傾向がすぐに増加に転じるわけではありませんが、移住者に10代が多いのは特筆すべき結果です」(菅原さん)

国立音楽院宮城キャンパス。草刈りなどを地元が協力してくれ、敷地内は綺麗に整備されている。学舎としてだけではなく、地域のコミュニティの場でもある(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院宮城キャンパス。草刈りなどを地元が協力してくれ、敷地内は綺麗に整備されている。学舎としてだけではなく、地域のコミュニティの場でもある(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

旧校舎をそのまま活用したキャンパスで伸びやかに学ぶ

旧上多田川小学校の校舎は1998年に建て替えられた。もともと児童数が少なく、複式学級(児童数が少ない学校で取り入れる2つ以上の学年を一つにした学級)を前提にした校舎だったため教室は3つのみだった。「柱、床、壁の状態はよく、ほとんどそのまま利用できました。学年別授業のための間仕切りも有効活用しています」(菅原さん)

エントランスホール。薪ストーブを設置した以外、建具は元の小学校のまま。エントランスホールで開く「月イチライブ」には地元の聴衆が駆けつける(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

エントランスホール。薪ストーブを設置した以外、建具は元の小学校のまま。エントランスホールで開く「月イチライブ」には地元の聴衆が駆けつける(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国家資格であるピアノ調律技能士育成のための教室。防音ブースを置いただけだそう。東京本校には防音ブースがないが、宮城キャンパスでは他からの音に干渉されず繊細な音に没頭できる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国家資格であるピアノ調律技能士育成のための教室。防音ブースを置いただけだそう。東京本校には防音ブースがないが、宮城キャンパスでは他からの音に干渉されず繊細な音に没頭できる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ヴァイオリン製作科ではヴァイオリン、ヴィオラなど擦弦楽器(さつげんがっき)の製作・修理・調整を生徒たちが学んでいる。ヴァイオリン製作を本格的に教える学校は、日本では2校のみとのこと(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ヴァイオリン製作科ではヴァイオリン、ヴィオラなど擦弦楽器(さつげんがっき)の製作・修理・調整を生徒たちが学んでいる。ヴァイオリン製作を本格的に教える学校は、日本では2校のみとのこと(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ギターの製作室。各教室の窓外には豊かな自然が広がっている(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ギターの製作室。各教室の窓外には豊かな自然が広がっている(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

管楽器のリペア室では授業が行われていた。この日はティンパニーが題材。あらゆる楽器をリペアできる人材の育成を目指している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

管楽器のリペア室では授業が行われていた。この日はティンパニーが題材。あらゆる楽器をリペアできる人材の育成を目指している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

音楽を身体で表現し感性や表現力を養う「幼児リトミック」の実習は、宮城キャンパス内や町内外の幼稚園・保育所・カルチャーセンターなどで行われている。福祉関係として、高齢者施設での音楽療法士を育成するコースもある(写真提供/国立音楽院)

音楽を身体で表現し感性や表現力を養う「幼児リトミック」の実習は、宮城キャンパス内や町内外の幼稚園・保育所・カルチャーセンターなどで行われている。福祉関係として、高齢者施設での音楽療法士を育成するコースもある(写真提供/国立音楽院)

スタッフも生徒も音楽演奏が大好き。バンド練習室は元校長室だった(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

スタッフも生徒も音楽演奏が大好き。バンド練習室は元校長室だった(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

21歳移住者「学んだ音楽の力で地域への貢献が実感できます」

北川日香里さん(21歳)は高校卒業後、国立音楽院東京校で管楽器のリペアを2年間学んだのち、2020年に加美町へ移住してきた。
「リペアを学び続けながら働きたいと考えていました。東京校で知った加美町の移住セミナーに参加してみて、地域の人と交流できる環境に興味を持ちました」と北川さん。加美町の地域おこし協力隊隊員に採用され、音楽による地域振興活動と、その活動の一環として宮城キャンパスでのリペア作業に携わる日々を送っている。

「地域おこし協力隊」は、国からの地域振興予算をもとに地域振興を担う人材を3年間登用し、給与を支払う制度。楽器の修理事業を根付かせたいという町の期待に対し、リペアラー修業を続けながら地域貢献を目指す北川さんは打ってつけの人材だった。

コロナ禍で苦戦した場面はあったが、北川さんは全世帯に配布される町内広報誌の作成や、「真夏の畑でライブ」を主催。地元の人から声を掛けられることも多いそう。「親しみを込めて話しかけてくれるのが嬉しいです。ライブ演奏も楽しんでもらえたし、自分の活動で音楽でのまちづくりが広がる実感が持てるのも、加美町の規模だからかも」(北川さん)

北川日香里さんは長崎県五島列島出身。中学校・高校の吹奏楽部時代に楽器修理が島内でできず、輸送費と待ち時間に悩まされたのがリペアラーになったきっかけ。ゆくゆくは地元の長崎で開業するのが夢(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

北川日香里さんは長崎県五島列島出身。中学校・高校の吹奏楽部時代に楽器修理が島内でできず、輸送費と待ち時間に悩まされたのがリペアラーになったきっかけ。ゆくゆくは地元の長崎で開業するのが夢(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「宮城キャンパスでも、東京校と同じレベルの授業を提供しています」と宮城キャンパス長の宮内佳樹さん。「各学科の講師は、専門分野のプロフェッショナルです。東京校講師による出張講義もあり、オンライン授業の仕組みもコロナ禍以前から整備しています。都会では勉強以外の誘惑も多いので、学びに向き合う環境としてはこちらの方がまさっていると思います」(宮内さん)

宮城キャンパス長の宮内さん。さまざまなバンドやライブに参加するギタリストでもある。東京だけが音楽の場ではないと気づき、家族とともに東京から加美町に移住してきた(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

宮城キャンパス長の宮内さん。さまざまなバンドやライブに参加するギタリストでもある。東京だけが音楽の場ではないと気づき、家族とともに東京から加美町に移住してきた(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「住まいのある町の中心地はスーパーもコンビニもあって、生活にはまったく支障がない」と話すのは管楽器リペア科講師の土生啓由さん。土生さんも東京校からの転勤組だ。「楽器店が身近にないのは残念な点です。高級品も含め完全に整備された楽器に触れる機会が少ないですから。ですが、生徒の数が東京校より少ない分、身近に生徒の成長を感じられるのが嬉しいです」

講師の土生さん。仕事に没頭すると昼食を抜くことも多いそうだが、「月に1回程度、地元の方が主宰してくれる交流ランチ会を生徒もスタッフも楽しみにしています。給食室で調理してくれる地元産の野菜が美味しいです」(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

講師の土生さん。仕事に没頭すると昼食を抜くことも多いそうだが、「月に1回程度、地元の方が主宰してくれる交流ランチ会を生徒もスタッフも楽しみにしています。給食室で調理してくれる地元産の野菜が美味しいです」(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院宮城キャンパスで定期的に行われている幼児リトミック教室は、親同士が子育ての悩みを相談できる大事な場。中高年を対象とした「若返りリトミック®」は楽しみながら運動イベントとして好評で、そのほか「地元とのランチ会」「月イチライブ」「クリスマスコンサート」は地域コミュニケーションの活性に繋がっている。

集客が制限されるなどコロナ禍の打撃は大きかったが、国立音楽院宮城キャンパス開校は、音楽による生き生きとした暮らしを実現しつつある。

加美町の菅原さんは、「これからは、卒業後の就労先を増やして移住を定着させていくことを頑張らなければなりません。楽器のリペア事業者の支援や、介護の音楽療法士・幼児リトミック指導員の活躍の場を広げていきたいです」と語る。

国立音楽院宮城キャンパスは2021年度で5年目を迎え、2022年3月で卒業する生徒(3年コース生)は3期生となる。
おうち時間に楽しむ楽器への需要が増え、2021年はショパンコンクールでの日本人上位入賞が話題となった。音楽に関連する仕事への気運が高まるなか、音楽での地域創生もますます期待していきたい。

●取材協力
・加美町
・国立音楽院宮城キャンパス

築80年めざす「いなさん団地」。建て替え計画の頓挫から逆転、マンション長寿命化へ 千葉県千葉市

有名建築家が手掛けたり、DIYやリノベを取り入れたり、若い世代を呼び込んだり……この数年、さまざまな「団地」の取り組みが脚光を集めています。ただ、その多くは賃貸で企業や自治体、URなどが所有し、大家さんとして取り組んでいるものですが、区分所有者が多数いる分譲「団地」ではどのような取り組みがされているのでしょうか。千葉県千葉市の稲毛海岸三丁目団地・通称「いなさん団地」を取材しました。

外壁、玄関やサッシを一新し、空き家対策としてDIY賃貸も

広々とした空に美しい芝生、ツートンカラーの外壁、美しい植栽……。「稲毛海岸三丁目団地」、通称「いなさん団地」を見た人なら、「えっ!築50年以上なの!?」と驚くのではないでしょうか。エレベーターこそないものの古さを感じさせず、むしろ今の建物にない「余裕」や「ゆとり」を感じさせる建物が並んでいます。独特の味わいに惹かれて、若い人が転居してくるというのも納得です。

敷地には桜や松、藤など季節の木々が植えられている(写真撮影/土屋比呂夫)

敷地には桜や松、藤など季節の木々が植えられている(写真撮影/土屋比呂夫)

団地内の公園。遊具を塗り替える際、子どもたちがデザインした絵をもとにしたという(写真撮影/土屋比呂夫)

団地内の公園。遊具を塗り替える際、子どもたちがデザインした絵をもとにしたという(写真撮影/土屋比呂夫)

この「いなさん団地」は、1968(昭和43)年から分譲され、8万4000平米の広大な敷地に5階建て27棟が配置されています。京成線京成稲毛駅から徒歩12分、京葉線稲毛海岸駅から徒歩約14分でアクセスでき、周囲には近年でも新築マンションの分譲が続くなど、住宅街として根強い人気を感じさせるエリアです。

「2016年に大規模修繕工事を終え、外壁塗装やサッシ交換、玄関などの共用部の工事をしました。NPO法人と管理会社、団地で連携し、空き家対策としてDIY可能な賃貸住戸をつくり、若い世代に住んでもらう取り組みもはじめています」と話すのはこの団地で理事長を務める草刈徹さん。理事長になってからは、管理組合を法人化するなど、住民の住みやすさのために日夜奔走しています。

いなさん団地で理事長を務める草刈徹さん(写真撮影/土屋比呂夫)

いなさん団地で理事長を務める草刈徹さん(写真撮影/土屋比呂夫)

大規模改修工事で交換した玄関扉。耐震枠、ダブルディンプルキー、A4サイズが入る郵便受けなど、細かな点まで配慮されている(写真撮影/土屋比呂夫)

大規模改修工事で交換した玄関扉。耐震枠、ダブルディンプルキー、A4サイズが入る郵便受けなど、細かな点まで配慮されている(写真撮影/土屋比呂夫)

断熱性・防音性を考え、全戸二重サッシに交換し、「驚くほど静かで部屋も暖かくなりました」(左)。サッシ上部には、通風孔も設けてある(右)

断熱性・防音性を考え、全戸二重サッシに交換し、「驚くほど静かで部屋も暖かくなりました」(左)。サッシ上部には、通風孔も設けてある(右)

専有部の給排水管の交換工事は、床を剥がさずに新たに給排水管を敷設することでコストと住民の負担を削減(写真撮影/土屋比呂夫)

専有部の給排水管の交換工事は、床を剥がさずに新たに給排水管を敷設することでコストと住民の負担を削減(写真撮影/土屋比呂夫)

このように現在、共用部も専有部も美しく手入れされている団地ですが、誕生して半世紀、現在に至るまでは、さまざまなできごとがありました。

無償で1.5倍の広さの新築マンションに!? 団地を揺るがした建て替え計画

「築20年を超えたころでしょうか、ちょうどバブル期、自己負担ゼロで1.5倍の広さの新築マンションに建て替えるという話がありました。当然、多くの住民が賛成にまわりました。当時、私は会社員でしたが、賛成にまわりましたよ」と述懐します。

「いなさん団地」のように敷地にゆとりがあり、駅から平坦、子育て世代に人気のエリアであれば、こうした建て替え計画が浮上するのは不思議なことではありません。ただ、建て替えをするのであれば、それが確定するまでの間、外壁や給排水設備の交換などの大規模修繕工事はできませんし、何をするにも「宙ぶらりん状態」となります。当然、メンテナンスをしなければ、建物は傷んでいきます。住民のみなさんには「新しい建物にタダで住みたい」「住宅ローンの残債が残っている」「スラム化させたくない」と、さまざまな思いがあったことでしょう。

しかし、バブル経済崩壊とともにこの建て替え計画も二転三転。2005年、最終的なプランでは、各住戸で約200万円程度負担し、さらに各人で引越し費用や引っ越し先を確保する必要が出てきました。それでも、建て替え決議では82.3%の賛成が得られたのですが、棟別に見たときに賛成4/5に達しない棟が8棟あり、当時の区分所有法で必要だった、「全棟について同一の建て替え決議」をクリアできず、建て替え問題はここでいったん終了となりました。

団地の歴史をまとめた冊子。50年の歴史と人々の思い出がつまっています(写真撮影/土屋比呂夫)

団地の歴史をまとめた冊子。50年の歴史と人々の思い出がつまっています(写真撮影/土屋比呂夫)

「やっぱりみなさん、この団地に愛着があるし、より良いものにしたいんですよね。建て替えをするとなると工事期間中の仮住まいと戻るのとで2回の引っ越しが必要になるし、心身ともに大きな負担になるでしょう。だから、ひと言で賛成/反対とは言い切れないものがあるんですよね」と草刈さんは解説します。

管理会社まかせにしない。できることは自分たちで

その後、築40年の節目となる2009年、最終的に「いなさん団地は、修繕・改修でいく」ということが決まり、それからは住民が一丸となって、『長寿命化を目指そう』で意見がまとまったと言います。

「建築やコンクリートの専門家に話を聞きましたが、『コンクリートは100年持つ』というので、じゃあ『築80年をめざそう』『ビンテージマンションをめざそう』ということで住民の意向がかたまりました。建物のメンテナンスはもちろん、住民の住みやすさを考えて、この10年、さまざまな対策を講じているんです」といいます。

外壁工事の際に提示されたサンプル。見本とパースを頼りに、住民で色彩を最終決定したのだそう(写真撮影/土屋比呂夫)

外壁工事の際に提示されたサンプル。見本とパースを頼りに、住民で色彩を最終決定したのだそう(写真撮影/土屋比呂夫)

冒頭にあげた大規模修繕工事などのさまざまな試みは、この「長寿命化」の一つだったのです。また長寿命化のために資金面での裏付けとして、修繕費積立金は月額平均4000円を値上げし、現在に至っています。

「現在、清掃や管理業務は管理会社に委託していますが、管理会社まかせにせず、馴れ合うことのない、緊張感が必要だと思います。また、住民ができることは自分たちでやっていて、20カ所の花壇や芝生などは、団地の『植栽会』が担っています」(草刈さん)といい、その甲斐もあって、建物を囲む芝生は青々として美しい姿を保っています。また、住民同士で電球の交換や日頃の不便を解消しあったりと、コミュニティ活動も盛んなのだそう。

団地の花壇。少しずつ個性があるので見て歩くのも楽しい(写真撮影/土屋比呂夫)

団地の花壇。少しずつ個性があるので見て歩くのも楽しい(写真撮影/土屋比呂夫)

いなさん団地にお住まいの女性。分譲開始時に入居し、定年まで勤務したのち、現在は植栽会などに参加し、団地での人脈を広げて暮らしを楽しんでいるそう(写真撮影/土屋比呂夫)

いなさん団地にお住まいの女性。分譲開始時に入居し、定年まで勤務したのち、現在は植栽会などに参加し、団地での人脈を広げて暮らしを楽しんでいるそう(写真撮影/土屋比呂夫)

大規模修繕工事を終え、次は住民の利便性を高めようと、宅配ロッカーや自動販売機などを導入。さらに管理棟に太陽光発電パネル、AEDを設置するなど、できることは次々と取り入れています。

敷地内に新設された宅配ロッカー(左)とAED装置。着々と設備を新しくしています(写真撮影/土屋比呂夫)

敷地内に新設された宅配ロッカー(左)とAED装置。着々と設備を新しくしています(写真撮影/土屋比呂夫)

「受け取り用の宅配ロッカーは、各社比較検討して、団地の住民だけでなく、周囲の住民も利用できるようにしました」といいます。さらに住民では車を手放したり、免許返納している人が増えていることから、カーシェアやシェアサイクルサービスの導入も検討しているとか。敷地に余裕がある分、こうした設備面でのアップデートは容易なのかもしれません。

もちろん、課題がないわけではありません。団地内には数十戸の空き家がありますし、全戸数768戸に対してはごくわずかとはいえ、管理費や修繕積立金の滞納もあるといいます。

「住民の意識が高いからか、管理費や修繕積立金の滞納はほとんどないんです。ただ、数戸あって、そのうち数件は『相続絡み』ですね。こればかりは粛々と弁護士と対応していくしかないですね」といいます。また、現在、団地内の空き家は70弱。こちらも多くはありませんが、冒頭に紹介した通り、管理会社と元千葉大の教授が主宰するNPOと連携して、DIY可能な賃貸が4戸誕生し、いずれも4組の若いペアが住み始めているなど、新しい試みがうまくまわりはじめています。

「千葉市では新婚カップルを対象に、高経年化した団地に住むと30万円補助金が出るんですが、当団地もこの制度の対象になっています。NPOと連携したリノベーションプロジェクトをして、若い人に住んでもらえたらうれしいですね」と草刈さん。人生100年が言われるようになった最近では、うまくいけば団地も築100年も見えてくるかもしれません。

「それは私たちが決めることではないので、次の世代の住民におまかせすることになると思います。まずは築80年まで、決められた計画通りに、メンテナンスしていければ」と話します。スクラップからストックの時代へ。いなさん団地の取り組みは、マンション長寿命化の時代の道しるべとなることでしょう。

●取材協力
いなさん団地

「東急東横線」沿線の中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2021年版

渋谷駅(東京都)と横浜駅(神奈川県)を結ぶ東急東横線は、通勤・通学にも休日のお出かけにも愛用される便利な路線。リクルート住まいカンパニーが調査した「SUUMO住みたい街ランキング2021 関東版」でもトップ20に沿線から5駅がランクインし、同調査「住みたい沿線ランキング」部門では3位に選ばれている。そんな人気の路線・東急東横線全21駅の価格相場を調査! 人気があるだけに価格相場も高そうに思えるが、実際はどうなのか? さっそく見ていこう。

東急東横線沿線の中古マンションの価格相場が安い駅ランキング

順位/駅名/価格相場(所在地)
1位 妙蓮寺 3580万円(神奈川県横浜市港北区)
2位 菊名 4350万円(神奈川県横浜市港北区)
3位 日吉 4485万円(神奈川県横浜市港北区)
4位 大倉山 4494万円(神奈川県横浜市港北区)
5位 綱島 4780万円(神奈川県横浜市港北区)
6位 反町 4980万円(神奈川県横浜市神奈川区)
6位 横浜 4980万円(神奈川県横浜市西区)
8位 新丸子 5140万円(神奈川県川崎市中原区)
9位 元住吉 5730万円(神奈川県川崎市中原区)
10位 武蔵小杉 6580万円(神奈川県川崎市中原区)
11位 自由が丘 7380万円(東京都目黒区)
12位 都立大学 7480万円(東京都目黒区)
13位 学芸大学 7750万円(東京都目黒区)
14位 祐天寺 7980万円(東京都目黒区)
15位 中目黒 8980万円(東京都目黒区)
16位 渋谷 1億515万円(東京都渋谷区)
17位 代官山 1億910万円(東京都渋谷区)
※田園調布駅・多摩川駅・白楽駅・東白楽駅は掲載物件数が調査条件に満たないためランク外

東急東横線沿線でリーズナブルな物件を探すなら横浜市港北区に注目

今回、価格相場を調査した物件はそれぞれの駅から徒歩15分圏内にある専有面積50平米以上~80平米未満の中古マンション。カップルやファミリー向けの広さがある物件と考えてもらうといいだろう。

妙蓮寺駅(写真/PIXTA)

妙蓮寺駅(写真/PIXTA)

最も価格相場が安かったのは、横浜市港北区にある妙蓮寺駅で価格相場は3580万円。駅のすぐ目の前には駅名の由来になった妙蓮寺の境内が広がっている。お寺がある駅東側はスーパーのほかに飲食店がぽつぽつとある程度で、静かな住宅街が大半を占めている。一方で駅の正面口がある西側は多彩な店舗が並ぶ商店街。昔ながらの個人商店やファストフードをはじめとする飲食店にスーパー、おしゃれなカフェなどが細い路地やアーケード商店街に軒を連ね、買い物がしやすい環境だ。駅から徒歩5分ほどの場所には「菊名池公園」があり、広々とした園内にはブランコなどの遊具に加えて春は桜に彩られる池や、夏季オープンのプールも。休日に家族で散歩に出かけてもよさそうだ。

菊名池公園(写真/PIXTA)

菊名池公園(写真/PIXTA)

2位は妙蓮寺駅から1駅横浜方面に位置する、横浜市港北区の菊名駅で価格相場は4350万円。JR横浜線も乗り入れており、こちらに乗ると1駅で新幹線駅でもある新横浜駅に到着する。東急東横線側の駅舎にはスーパーの「東急ストア 菊名店」が、JR側の駅舎にはミニスーパーとベーカリーを備えた「シァル菊名」がそれぞれ併設されている。さらに駅の東口側にも西口側にも商店街があり、買い物は駅周辺で済ませられる。地域の人に愛される食事処やベーカリーもあるので、住まいを構えた際はお気に入りの店を探して歩くのも楽しそうだ。そんな菊名駅は谷底のような低地に位置し、駅周辺には上り坂が多い地形。起伏があると駅の行き帰りが少々面倒ではあるが、高台の住宅地に狙いを定めて見晴らしのいい物件を探すのもアリだろう。

3位・日吉駅も1位、2位と同じ横浜市港北区からランクイン。駅の位置関係としては妙蓮寺駅(1位)~菊名駅(2位)~大倉山駅(4位)~綱島駅(5位)~日吉駅(3位)という並び順だ。ランキングを見てみると人気エリアの横浜駅とその隣の反町駅の価格相場が高く(6位)、そこから都内方面に進んだ横浜市内の駅は少し価格相場が下がり(1位~5位)、さらに都内に近づいて川崎市内に入ると少し上がり(8位~10位)、都内目黒区の駅(11位~15位)はより上昇、そして渋谷区の駅(16位・17位)が最も価格相場が高い、という結果になっている。駅の並び順とランキング順位とで多少の入れ替わりはあるが、おおむねイメージ通りの価格相場だろう。

日吉駅西口前の様子(写真/PIXTA)

日吉駅西口前の様子(写真/PIXTA)

さて3位・日吉駅に話を戻そう。価格相場は4485万円で、東急東横線のほかに東急目黒線と横浜市営地下鉄グリーンラインも利用できる。駅には「日吉東急アベニュー」が併設され、地下1階から地上3階の4フロアにまたがって食料品街やファッション・雑貨のフロア、家電量販店や書店、ドラッグストアなどが営業中。駅周辺のランドマークといえるのは慶應義塾大学の日吉キャンパスだろう。駅東側は大学のキャンパスや運動競技場が広大な面積を占めているので、住宅街や商店は主に駅西側に位置している。リーズナブルな飲食店がそろっている点も、学生街ならではの魅力である。

東京都内を走る区間にも、個性的で魅力ある駅がいっぱい

11位以下には東京都内の駅が並ぶ。そのうち最も価格相場が安かったのは目黒区にある自由が丘駅で、価格相場は7380万円。東急東横線とクロスするように線路が走る、東急大井町線も利用可能だ。駅には改札の内外に飲食店や自然食品の店、期間限定でさまざまなスイーツ店が入れ替わり出店する店舗などを展開するショッピングセンター「エトモ自由が丘」が併設されている。ショッピングエリアとしても知られた街だけあって、駅周辺にも多彩な商業施設がずらり。複数のショッピングモールや無印良品などの雑貨店、話題の和栗モンブラン専門店やパンケーキ店などの飲食店……と、日常使いできる店から休日に訪ねたいところまでさまざまにそろっている。

自由が丘駅 正面口周辺の様子(写真/PIXTA)

自由が丘駅 正面口周辺の様子(写真/PIXTA)

「SUUMO住みたい街ランキング2021 関東版」では自由が丘駅(今回調査の価格相場の安さランキング11位)が住みたい街17位にランクインしたほか、中目黒駅(同15位)が10位、渋谷駅(同16位)が11位、と都内の駅が数々上位に入っている。そうしたなかで住みたい街トップ100にも入らなかったのは、今回の価格相場ランキングで12位の都立大学駅と14位の祐天寺駅。知名度としては自由が丘や中目黒ほどではない分、「住みたい街」としては名前が挙がらなかったようだが、実際はどんな街なのだろう。

都立大学駅前の様子(写真/PIXTA)

都立大学駅前の様子(写真/PIXTA)

12位・都立大学駅は自由が丘駅から1駅目。かつては東京都立大学の最寄駅だったことが駅名の由来で、大学が移転した後も長年親しまれた駅名はそのまま残された。周辺には桜修館中等教育学校をはじめ、トキワ松学園、八雲学園などの学校が多く、学生が多い街という点も以前と変わりはない。駅の高架下には商業施設「ToritsuNade(トリツナード)」が2015年に整備され、カフェやバル、老舗精肉店などが軒を連ねる。スーパーも併設された駅を離れて少し歩くと緑道が延びており、近隣住民の憩いの場になっている。緑道の周辺にもおしゃれな飲食店やショップが点在し、7480万円という価格相場からしてもちょっと近づきがたい街というイメージを抱く人もいるだろう。しかし実際に街を歩くと古くからの商店や自然を感じられる場所もあり、都心に位置していながらも親しみやすさを感じる街並みだ。

祐天寺駅前の様子(写真/PIXTA)

祐天寺駅前の様子(写真/PIXTA)

14位・祐天寺駅が位置するのは学芸大学駅と中目黒駅の間。2018年にはスーパーやドラッグストア、カフェなどを備えた駅ビルが誕生した。ビル2階には保育園、3階~6階にはスモールオフィス20区画とワークラウンジがある。駅周辺に幼稚園や保育園、小中高校が多く点在し、子どもや学生の姿をよく見かける街だ。駅東側を中心に複数の商店街も広がっており、食料品関係のお店からドラッグストア、100円ショップなどさまざまな店舗が並んでいる。特に飲食店が豊富にそろい、人気のカレー店にフランス料理店、イタリアン、ペルー料理店にメキシコ料理店……とバラエティ豊か。外食好きな人でも、飽きずにいろんなお店との出合いが楽しめるだろう。

人気かつ知名度も高い渋谷駅と横浜駅、そして都内の駅の価格相場が高い傾向が見られた今回のランキング。しかし最も安かった妙蓮寺駅でも横浜駅まで4駅・約6分とアクセス良好で、住宅地として魅力的な環境が整っている。知名度だけにこだわらず、その他の駅にも視野を広げて探してみると自分に合った物件を見つけるチャンスが増えそうだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東横線沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2021/7~2021/9
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

池袋がリビングに!? 大通りの電源付きベンチでテレワークやおしゃべりが日常に

ここ数年、「池袋」のまちが劇的に変わっていることに気がついている人も多いのではないでしょうか。2016年の南池袋公園のオープンを機に、4つの公園を核として、継続的にマルシェなどのイベントが行われるようになることでまちのイメージが変化してきました。そして今、イベントだけでなく日常的に屋外でリビングのように過ごすような動きが始まっています。
ポストコロナの新しい暮らし方に伴い、まちなかの風景はどのように変化していくのか、池袋グリーン大通り・南池袋公園を中心に「IKEBUKURO LIVING LOOP」というプログラムの企画運営を担っているnestの飯石藍(いいし・あい)さんに話を聞きました。また、取材陣も存分に楽しんだ当日の様子を画像とともに紹介します。

2017年から開催してきた「IKEBUKURO LIVING LOOP」

2017年から池袋駅の東口にあるグリーン大通りをメイン会場として年に1回開催されてきた「IKEBUKURO LIVING LOOP」。2021年は「スペシャルマーケット」という形で、11月5日から7日の3日間で開催されました。開始時刻となる午前11時、隣接する南池袋公園に私たち取材陣が着いたときには、すでに多くの人たちが秋空の下、思い思いに楽しんでいる姿が見られました。

当日午前中の南池袋公園の風景。取材が終わった午後にはさらに人が増えていた(写真撮影/相馬ミナ)

当日午前中の南池袋公園の風景。取材が終わった午後にはさらに人が増えていた(写真撮影/相馬ミナ)

当日は音楽隊が街を練り歩き、路上ライブなども開催され、音楽もまちを彩っていた(写真撮影/相馬ミナ)

当日は音楽隊が街を練り歩き、路上ライブなども開催され、音楽もまちを彩っていた(写真撮影/相馬ミナ)

訪れる人が、まるで自宅のリビングのようにくつろいだり、食事や会話を楽しむ風景を新しい日常にしていきたい。その想いで今年から『IKEBUKURO LIVING LOOP』という名前を、イベントの名称からプロジェクト全体のコンセプトへと昇華させる形で変更したそうです。

「毎年、このイベントを開催するなかで生まれてきた、まちで過ごすことの居心地の良さや、まちなかのあちこちでくつろぐ風景がとても印象的でした。こんな風にまちなかでの過ごし方を年に1度のイベントの時だけではなく、日常的なものにしていきたい、今年はそんな想いで企画をしてきました」(飯石さん、以下同)

実際にイベントの開催期間中だけではなく、10月から来年の1月まで、電源付きのストリートファニチャーをグリーン大通り内の3カ所に設置するという実験を行っています。飯石さんによれば、スーツを着た人がパソコンを開いて座っていたり、子どもを連れたお母さん同士がおしゃべりをしていたりと、少しずつ日常的に使われつつあると言います。

日常的に使われつつあるストリートファニチャー(写真提供/株式会社nest )

日常的に使われつつあるストリートファニチャー(写真提供/株式会社nest )

「何をしてもいい、ただいるだけでもいい、そんな風に感じられる空間の余白がまちの中あるといいな、と思っています。思い思いに過ごせる自分の居場所がある、ということがまちに暮らす人にとって大切なことなのかなと思うんです」

IKEBUKURO LIVING LOOPの看板の脇にはかわいいワーゲンバスのキッチンカー(写真撮影/相馬ミナ)

IKEBUKURO LIVING LOOPの看板の脇にはかわいいワーゲンバスのキッチンカー(写真撮影/相馬ミナ)

屋外リビングの家具の一つにはハンモックも。当日は多くの子どもたちが競い合って座っていた(写真撮影/相馬ミナ)

屋外リビングの家具の一つにはハンモックも。当日は多くの子どもたちが競い合って座っていた(写真撮影/相馬ミナ)

ストリートファニチャーには電源も設置。雨対策にコンセント部分には蓋がついている。区のWi-Fiも利用できるため、仕事中と思われる会社員風の人が利用する姿もよく見られるのだと言う(写真撮影/相馬ミナ)

ストリートファニチャーには電源も設置。雨対策にコンセント部分には蓋がついている。区のWi-Fiも利用できるため、仕事中と思われる会社員風の人が利用する姿もよく見られるのだと言う(写真撮影/相馬ミナ)

ここ数年で池袋が変わった!何がどう変わった?

このような風景は、数年前に多くの人が描いていたと思われる“池袋のイメージ”とはちょっとギャップがあるかもしれません。今回のIKEBUKURO LIVING LOOPの会場にもなっている南池袋公園の魅力的な風景やその使われ方は、全国の自治体の中でも、民間と連携して取り組む公民連携事業のお手本としてたびたび紹介されるほど。

この数年で一体、池袋に何が起きたのでしょうか?

池袋を中心に位置づける豊島区に大きな衝撃が走ったのは、2014年5月のこと。東京23区内で唯一の「消滅可能性都市」に豊島区が選ばれてしまったのです! これは将来推計人口において、2040年には20~39歳の若年女性が半減し、人口を維持することができないということ。これを受け、豊島区は翌年の2015年には「豊島区国際アート・カルチャー都市構想」を策定、若い世代にも訴えるまちづくりがスタートしたのです。

2015年に策定された「豊島区国際アート・カルチャー都市構想」の図(資料/豊島区)

2015年に策定された「豊島区国際アート・カルチャー都市構想」の図(資料/豊島区)

以降、2019年にはサンシャイン通りに大型シネコン「グランドシネマサンシャイン」を擁する「キュープラザ池袋」が、11月には「東京建物ブリリアホール(豊島区立芸術文化劇場)」と「としま区民センター」がオープンしました。同年にはこれらのスポットを巡る「イケバス」も運行を開始。2020年7月の「ハレザタワー(オフィス棟)」と新ホール棟の開業により、8つの劇場を有するハレザ池袋として完成し、目覚ましく発展しました。

ハレザ池袋のオフィス棟(左)と新ホール棟(中央)、としま区民センター(右)(写真/PIXTA)

ハレザ池袋のオフィス棟(左)と新ホール棟(中央)、としま区民センター(右)(写真/PIXTA)

そして、もう一つの目玉が池袋駅周辺にある東西合わせて4つの公園の再整備事業です。
2016年の南池袋公園のリニューアルオープンを皮切りに、2019年には中池袋公園、劇場公園として生まれ変わった旧池袋西口公園もリニューアル。2020年には造幣局地区防災公園(IKE・SUNPARK(イケサンパーク))が完成し、4つ全ての公園がそれぞれ個性を持った公園として多くの人を惹きつける魅力を持った場所になったのです。

世界中から人を惹きつける国際アート・カルチャー都市のメインステージ(資料/豊島区)

世界中から人を惹きつける国際アート・カルチャー都市のメインステージ(資料/豊島区)

「オールとしま」でまちに関わっていくという想い

飯石さんが豊島区のまちづくりに関わるようになったのもそのころでした。

「2016年に南池袋公園がオープンするときに、公園内のカフェ『racines farm to park』を運営するグリップセカンドから相談をいただき、オープニングイベントを企画したのがこの公園に関わるようになった最初のきっかけです。

グリップセカンドが南池袋公園の活用提案をした際の企画書に「オールとしま」をコンセプトに掲げていて、まさにその空気が伝わるような1日にしたいと考えました。公園が完成したことがゴールではなく、これからこの場所がどう変わっていくかを提示できるイベントをやろう、この場所を起点にチャレンジが出来るような場所にしたいという思いを込めて、オープニングイベントを企画しました」

2016年のオープン時から南池袋公園とグリーン大通りの活性化に注力をしてきたnestの飯石藍さん(写真撮影/相馬ミナ)

2016年のオープン時から南池袋公園とグリーン大通りの活性化に注力をしてきたnestの飯石藍さん(写真撮影/相馬ミナ)

飯石さんによれば、まちに人が集まるためのきっかけづくりのために、多様な過ごし方、楽しみ方ができるような仕掛けを作っています。

「2021年の取り組みとして、このエリアにくると何らかのアクティビティが継続的にある状態を意識してラシーヌでは週1回、お花や野菜のマルシェ、月に1回はたくさんの出店者が集まるマルシェを開催、そして年に1回、大規模なスペシャルマーケットを開催しています。それに加えて、イベントがない時でも日常的に過ごせる場所を、というテーマでストリートファニチャーを数ヶ月の間設置しています。」

「池袋文化圏」のハブとしての役割

改めて飯石さんに池袋はどんなまちかと尋ねると、「乗降客数が世界でも上位に来るほどのターミナルシティである一方、池袋から1駅離れると、個性のあるお店が立ち並び、お店の人と会話が始まるような下町っぽさがあります。暮らしがすぐそばにある町ですね」という答え。ぐるっとまちをめぐり、屋台を覗いてきましたが、たしかに今回のスペシャルマーケットに出店をしている人たちもそんな池袋の面白さを表現しているような、個性にあふれた、明るく気持ちの良い方ばかりでした。

雑司が谷と早稲田に店舗がある「都電テーブル」の梶谷さん。「外で食事を提供することは提供側も本当に楽しい」と語る(写真撮影/相馬ミナ)

雑司が谷と早稲田に店舗がある「都電テーブル」の梶谷さん。「外で食事を提供することは提供側も本当に楽しい」と語る(写真撮影/相馬ミナ)

南池袋公園内にはけん玉の専門店「KENHOL(ケンホル)」が出店しており、多くの家族連れが体験中。定期的にけん玉ワークショップを開催しているそう(写真撮影/相馬ミナ)

南池袋公園内にはけん玉の専門店「KENHOL(ケンホル)」が出店しており、多くの家族連れが体験中。定期的にけん玉ワークショップを開催しているそう(写真撮影/相馬ミナ)

「マルシェへの出店について、出店要項にはマルシェをはじめとしたグリーン大通りでの取り組みで大切にしていること等を記載しているのですが、そこにはこのまちを一緒に面白がってくれるか、ということが出店の条件になるという案内をしています。単純に売上を上げられるかどうかということだけではなく、池袋東口というエリアを一緒に盛り上げていくという視点を持つ方と一緒にマルシェを育てていきたいと思っています。

池袋は多くの路線のハブになっている駅です。1駅行けば住宅街があり、さらにその沿線には練馬・埼玉のまちとつながり、そこにも個性的な農家やお店がたくさんあります。私たちは池袋をハブとした周辺エリアを「池袋文化圏」と呼んでいて、それぞれのエリアから面白い出店者が集まることで、沿線やエリアの情報をより多くの人に届けることができると考えています。池袋単体が盛り上がるということではなく、周辺エリアの人たちとも一緒に盛り上げていきたい。例えば池袋文化圏では『食の循環』を生み出せないかと考えています。池袋には畑がないのでできませんが、近郊の練馬や草加などには農地も多いし農家さんも多い。顔の見える人から作られたものを買うという循環が生まれてくると、関わる人がもっと豊かな暮らしを実感することができるんじゃないかなと考えています。」

草加市で農園を営む「Chavi Pelto(チャヴィペルト)」で働く山北泰功さん。地元産の安心で、おいしい採りたて野菜を販売している(写真撮影/相馬ミナ)

草加市で農園を営む「Chavi Pelto(チャヴィペルト)」で働く山北泰功さん。地元産の安心で、おいしい採りたて野菜を販売している(写真撮影/相馬ミナ)

その可能性を広げることに、豊島区とも密に連携しながら進めています。

腰ほどの高さがあった均一的な植栽を、背の低い寄せ植えに変更することで雰囲気のある一角に(写真撮影/相馬ミナ)

腰ほどの高さがあった均一的な植栽を、背の低い寄せ植えに変更することで雰囲気のある一角に(写真撮影/相馬ミナ)

消費する側も提供する側も、もっと役割が溶け合っていい

いま池袋では、この南池袋公園やグリーン大通り周辺に限らず、至るところでこのようなまちを盛り上げるイベントや取り組みが行われるようになったといいます。実際、このスペシャルマーケット開催期間中も、「サンシャインマルシェ」や「ひがいけマルシェ」「美久仁小路バル」「ファーマーズマーケット」「Visca!! IKEBUKURO -KAKULULU 7.5th Anniversary Live-」といったイベントが行われていました。

今年度は、nest、racines farm to parkほか数店舗を経営するグリップセカンド、良品計画、サンシャインシティの4社共同パートナーとして事業を進めています。このまちを地元とする会社が、それぞれの得意なことを持ち寄りながらまちに関わることが、まち全体としての広がりにつながっていくはず。そしてその取り組みがまた別の人たちに緩やかにつながっていくと感じています」

2021年にリニューアルしたIKEBUKURO LIVING LOOPのホームページ内でも、主催のイベントだけでなく、周辺のさまざまなイベントや取り組みを紹介できるような形にしました。

さらには、池袋にやってきてこれらの取り組みに触れて楽しんだ人が「自分もお店を出店してみたい」とマルシェ応募したり、近所に暮らす人がcast(ボランティア)として参加してくれたり、出店していた人が運営にも関心を持ってcastに回ったりと、利用する側、提供する側、どちらか一方ではないことも大切なポイントのようです。

IKEBUKURO LIVING LOOPには多くのロースターが出店しており、屋外リビングでゆったりとコーヒーを楽しむことができる(写真撮影/相馬ミナ)

IKEBUKURO LIVING LOOPには多くのロースターが出店しており、屋外リビングでゆったりとコーヒーを楽しむことができる(写真撮影/相馬ミナ)

この日はお得な料金で複数のロースターのコーヒー、ティーを飲み比べできるチケットを1000円で販売(写真撮影/相馬ミナ)

この日はお得な料金で複数のロースターのコーヒー、ティーを飲み比べできるチケットを1000円で販売(写真撮影/相馬ミナ)

「特に都会だとサービスの提供と消費って役割が明確に分かれていますよね。でもその役割が曖昧で、溶け合っていていいと思うんです。そうすることで関わりの余地が増えていく。それがまちへの愛着の高まりにつながると思います」

関わりの余地が広がっていくことを体感できた池袋のまち。これからももっと気持ちのいいまちになる予感(写真撮影/相馬ミナ)

関わりの余地が広がっていくことを体感できた池袋のまち。これからももっと気持ちのいいまちになる予感(写真撮影/相馬ミナ)

コロナ禍で一時イベントができなくなった時に、飯石さんはかつてのマルシェ出店者の販路を少しでも支えるためのオンラインマルシェやトークイベントの開催などを積極的にやっていたと言います。全国各地でマルシェをやっている人たちとも話し合いを重ねることで気づいたことが、「イベントとして大きく人を動かしたり大量消費をさせたりするようなものよりも、私たちがずっと大切にしてきた日常・暮らしの延長線上にあるもの、顔の見える関係性を構築していくことで、有事の時に支え合えるんだなぁと改めて気づけたし、そういった場やコミュニティを育みたいんだ」ということだったそう。

コロナで改めて屋外の価値が見直され、公共空間の活用の仕方にも注目が集まっていますが、屋外空間が多くの人にとって自分の居場所として過ごしやすい場所になれば、まちは魅力的になるでしょう。まさに住まいにおけるリビングのような空間が屋外にある、それが日常になっていく流れの発端を感じた1日でした。

●取材協力
・IKEBUKURO LIVING LOOP
・nest

地域貢献をゲーム感覚で! イベント参加や特産品購入でポイントがたまる「アクトコイン」

観光地として捉えるのではなく、地域の持続性を高めるイベントやボランティア活動に興味を持ち、実際に参加したり、中には主体者となって取り組んでいる人も増えています。でも活動による効果が見えづらく、周囲の理解を得ながら継続していくのが難しいという声もあります。そこで、社会貢献活動を独自のコインで可視化する「actcoin(アクトコイン)」のサービスを活用し、地域活動を「見える化」する新しい取り組みを紹介します。

地域貢献活動を「見える化」。結果がわかるので継続しやすくなる(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

都市部と地方を行き来する多拠点生活者だけでなく、イベントなどを通じて好きな地域に通う人が増えています。このように、地域に住む人や観光で訪れるだけの人ではない地域外の人で、その地域に関わる人々を、「関係人口」といいます。

「関係人口」は、地域の担い手としての活躍や将来的な移住者の増加につながる存在として期待されていますが、取り組みのなかで見えてきた課題も。いちばんの課題は、「関係人口」の統計手法が確立されていないことです。社会の動向を調査研究し、問題解決に取り組んでいるNTTデータ経営研究所のマネージャー古謝玄太さんにたずねました。

「『関係人口』には、地域のイベントの参加者に加えて、特産物を定期的に購入するようなライトなファンも含まれますが、正確な数や行動を把握できていません。そのため地域サイドは、イベントやPR活動でターゲット設定が難しい面があるのです。さらに、『関係人口』が担う地域の持続性に関わる活動は、社会貢献の意味もあるのですが、参加することがどのような成果につながっているのか個人にはわかりにくい。持続的な関係人口創出には、統計的な把握と地域貢献度の可視化が重要と考えました」(古謝さん)

そこで、課題解決の切り札として注目したのが、2019年2月にサービスを開始していたアクトコインでした。

(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

アクトコインの企画・設計に携わるソーシャルアクションカンパニーCOO薄井大地さんは、アクトコインのサービスを、「社会貢献が循環する仕組み」といいます。

「アクトコインは、日常のなかの個人の社会貢献活動に対してオンライン上の独自コインを付与します。一人一人のソーシャルアクション履歴がダッシュボードに残り、貯まったコインが『見える化』されます。コインによって自分の活動が価値をもつものになり、自分にも『ちょっと嬉しいもの』になる。『やっても自分にいいことなんてない』『一部の物好きな人がやるもの』という社会貢献活動のネガティブな面を変えるものになればと開発しました」(薄井さん)

NPOなどが主催するイベントやボランティア活動に参加することでコインが貯まる。活動履歴が一目でわかるようになっている(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

NPOなどが主催するイベントやボランティア活動に参加することでコインが貯まる。活動履歴が一目でわかるようになっている(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

アクトコインサービス開始から2年後の2021年3月より、NTTデータ経営研究所とソーシャルアクションカンパニーが協働でプロジェクトを開始。プロジェクトは、内閣府の「令和3年度関係人口創出・拡大のための中間支援モデル構築に関する調査・分析業務」として採択され、「関係人口可視化」に取り組む「あなたと地域のつながりプロジェクト」がはじまりました。コンセプトは、「見える化で支える持続可能な地域づくり」。2021年10月17日にキックオフイベントが開催されました。

「地域にとっては、自らの地域への関心層、愛着層を分析することができ、個人にとっては、さらに地域とつながりたいという意欲が喚起されます。関係人口関連施策の構築のための羅針盤としてアクトコインを活用していきたいと考えています」(古謝さん)

アクトコインからイベント参加。コインは次の社会貢献活動に使える

アクトコインの使い方は、アプリをダウンロードしたあと、特設サイトから地域のイベント・取り組みに参加することでコインを獲得。アクションごとの獲得コインが提示されます。日常生活のなかでできるアクションとして、地域情報の発信や地域産品の購入など日々の地域とつながる行動も登録できます。どのプロジェクトの参加者がその後の「発信」「購入」をしているかなどの分析が可能で、アクティブなユーザーには、地域発の商品の特典を予定しています。

2030億枚のアクトコインがオンライン上ある設定で、そのコインを社会貢献活動でイベントパートナーから参加者に配っていきます。2030億枚のアクトコインを配り終わったとき未来が変わるという想定で企画されています。アクトコインの登録者数は、2021年10月時点で1万2500ユーザーを突破。2000万~3000万コインが流通中です。

「アクトコインはお金に交換することはできません。直接自分のために換金はできないけど、コインを貯めることでソーシャルグッドな商品がもらえたり、無料でイベントに参加できたりする特典が少しずつ生まれてきています。いずれは、ボランティア保険に入れるようにしたいです。社会貢献活動をすると、いいことがあると実感できれば持続しやすいでしょう」(薄井さん)

「あなたと地域のつながりプロジェクト」では、19イベントを掲載しています(2021年11月現在)。現在は、「関係人口」創出に積極的に取り組んでいる3地域(千葉県南房総地域、新潟県長岡市川口・山古志地域、福井県高浜地域)を対象に実証中です。

(画像提供/高浜町)

(画像提供/高浜町)

「地域は、イベントの費用対効果がわかることで、大勢にPRするのではなく、アクションしたい人と個別のつながりを密につくることができます。アクトコインを地域貢献活動のインフラにできれば」と古謝さん。現在、掲載しているイベントには、約70名がアクトコインを登録しています。イベント後も継続的に登録してもらえるかが今後の課題です。

フードロス酒場やトゥクトゥクで巡るマルシェでコインがもらえる!

「あなたと地域のつながりプロジェクト」の実証地域のうち、千葉県南房総地域のアクトコイン活用の状況を、南房総市公認プロモーターであり、移住支援や地域課題事業に取り組んでいるヤマナハウスの永森昌志さんに聞きました。

農村漁村に都会の人を送り込むプロジェクト「ちょこっと先の暮らし方研究所」という農林水産省の事業をNTTデータ経営研究所と連携し、南房総地域全体のコーディネートをしてきた永森さん。南房総地域の具体的なイベント開催者の紹介をするなどNTTデータ経営研究所と南房総地域との橋渡しをしています。

もともと、「関係人口」について、南房総地域の抱える課題はどのようなものがあったのでしょうか。

「2拠点生活者は増えていますが、どういうふうに地域に貢献しているかつながりは個々にお任せの状態です。必ずしも住民票異動をともなわない『関係人口』については、数値化しづらかった。自由でいい面もありますが、行政にとっては可視化したほうが効果的な施策を打てます。2021年8月に古謝さんから依頼を受け、SDGsをテーマにしている南房総地域と相性がいいと思いました。電話で密に連絡を取り合いながら、8月下旬にはイベントページを作成しました」

地球に優しい電動の三輪EVトゥクトゥクに乗って地域の農家を巡る。直接こだわりの農産物を買ったり農業体験ができる(画像提供/永森昌志)

地球に優しい電動の三輪EVトゥクトゥクに乗って地域の農家を巡る。直接こだわりの農産物を買ったり農業体験ができる(画像提供/永森昌志)

(画像提供/永森昌志)

(画像提供/永森昌志)

10月に開催されたサーキットマルシェでの参加者の様子。トゥクトゥクは三人乗り。窓がないので開放感たっぷり(画像提供/永森昌志)

10月に開催されたサーキットマルシェでの参加者の様子。トゥクトゥクは三人乗り。窓がないので開放感たっぷり(画像提供/永森昌志)

SDGsをメインテーマに活動している南房総市観光協会が9月に主催したイベント。参加者はアート創作を楽しみながら「海洋プラスチックごみ問題」を学んだ(画像提供/南房総市観光協会)

SDGsをメインテーマに活動している南房総市観光協会が9月に主催したイベント。参加者はアート創作を楽しみながら「海洋プラスチックごみ問題」を学んだ(画像提供/南房総市観光協会)

規格外で廃棄されている農産品や水産品、捕獲したイノシシをおいしく提供。フードロスとなる食材を救いながら南房総の恵みが楽しめる。ヤマナハウスで新たに始まる自給自足スキル講座「ヤマナアカデミー」ではアウトドアや野草の講座を予定している(画像提供/永森昌志)

規格外で廃棄されている農産品や水産品、捕獲したイノシシをおいしく提供。フードロスとなる食材を救いながら南房総の恵みが楽しめる。ヤマナハウスで新たに始まる自給自足スキル講座「ヤマナアカデミー」ではアウトドアや野草の講座を予定している(画像提供/永森昌志)

アクトコインを活用した1回目のイベント「サーキットマルシェ@南房総~EVトゥクトゥクで農家を巡る、新しい様式のマルシェ」が10月30日に開催されました。農産物を買ったり、収穫体験したりするイベントで、参加すると4000コインを獲得できます。

11月20日には、ヤマナハウスによる「ヤマナフードロス酒場episode-1~地域・生命と幸せにつながる未来の居酒屋」が開催されました。次回は来年3月12日予定です。

「もっと都会でアクトコインの知名度が上がるとアクトコイン経由の参加者が増えると思います。何がもらえるかではなく、関係自体が価値なんです。アクトコインが入り口になって、地域をお試しでき、その後に続く地域貢献活動の道筋をつくれたらいいですね」(永森さん)

あなたと地域とのつながりを可視化することで見えてくる、新たな地域との関わり方。「地域の知合いに連絡をとった」などこんなものまで!?」と思うような日常の小さなアクションでもコインがもらえます。まずは、現在のあなたの社会や地域への貢献活動を可視化してみてはいかがでしょう。

●取材協力
・株式会社NTTデータ経営研究所
・ソーシャルアクションカンパニー株式会社
・ヤマナハウス
・あなたと地域のつながりプロジェクト
・アクトコイン

空きビル「アメリカヤ」がリノベで復活! 新店や横丁の誕生でにぎわいの中心に 山梨県韮崎市

山梨県韮崎市の名物ビル「アメリカヤ」。かつて地元で親しまれていたものの、閉店して15年間、抜け殻になっていました。しかし2018年にリノベーションされ復活したことで街に訪れる人が増え、新しいお店が次々とオープン。きっかけをつくった建築家の千葉健司さんにお話を伺うとともに、活性化する「アメリカヤ」界隈の“今”をお届けします。

15年間、閉店して廃墟となっていたかつてのランドマークが復活

JR甲府駅から普通列車に揺られること約13分の場所にある山梨県韮崎市。韮崎駅のホームに降り立つと、屋上に「アメリカヤ」と看板を掲げた建物が見えます。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

1階から5階まで多種多様な店舗が入るこのビルは地元の人気スポット。しかし2018年に再オープンするまでの15年間は、閉店して廃墟と化していました。復活の立役者は、建築事務所「イロハクラフト」代表の千葉健司さんです。

建築家の千葉健司さん。子どもの頃からの夢を実現するべく大学を1年で辞め、京都府の専門学校で建築を学んだ後、地元・山梨県にUターン。「アメリカヤ」4階に建築事務所「イロハクラフト」を構えています(写真撮影/片山貴博)

建築家の千葉健司さん。子どもの頃からの夢を実現するべく大学を1年で辞め、京都府の専門学校で建築を学んだ後、地元・山梨県にUターン。「アメリカヤ」4階に建築事務所「イロハクラフト」を構えています(写真撮影/片山貴博)

子ども時代に祖母の住む和風住宅や、修学旅行で京都府に訪れるなどした経験から「持ち主の想いが宿り、使い込まれた古い家屋」に魅力を感じていた千葉さん。建築家として工務店に勤務し、はじめて一戸建てをリノベーションしたとき、既存の家の劇的な変化を施主が喜んでくれたことに感動。日本で空き家問題が深刻化しているのもあり「古い建物をリノベーションで甦らせていく」ことに注力してきました。

2010年に独立してからは、築70年の農作業機小屋を店舗にしたパンと焼き菓子のお店「asa-coya」、築150年の元馬小屋にハーブやアロマ・手づくり石けんを並べる「クルミハーバルワークス」を改修。若者に人気を博したことから、手応えを感じたと言います。

山梨県出身で韮崎高校に通っていた千葉さんにとって「アメリカヤ」は高校生のときに通学電車から見ていたビル。独自の空気感に魅了され、存在がずっと頭の片隅にありました。

あるときふと知人に「あのビルを再び人の集まる場所にできたら」と話したところ、相続した家族と会えることに。「もう取り壊す予定」だと聞き、たまらず自分たちでリノベーションし、管理・運営まで担うことを提案。二代目「アメリカヤ」が誕生しました。

1967年に開業した後、オーナーの星野貢さんの他界に伴い2003年に閉店した初代「アメリカヤ」。貢さんが戦時中シンガポールで見た文化や、アメリカから帰還した兄の話を参考にした独自のデザインが魅力(写真提供/アメリカヤ)

1967年に開業した後、オーナーの星野貢さんの他界に伴い2003年に閉店した初代「アメリカヤ」。貢さんが戦時中シンガポールで見た文化や、アメリカから帰還した兄の話を参考にした独自のデザインが魅力(写真提供/アメリカヤ)

1階はレストラン「ボンシイク」、2階はDIYショップ「AMERICAYA」。店内には工具を貸し出すワークルームを併設していて、気軽にDIYを楽しめます(写真撮影/片山貴博)

1階はレストラン「ボンシイク」、2階はDIYショップ「AMERICAYA」。店内には工具を貸し出すワークルームを併設していて、気軽にDIYを楽しめます(写真撮影/片山貴博)

5つの個人店が入る3階「AMERICAYA FOLKS」。初代「アメリカヤ」は、1階がみやげ屋と食堂、2階が喫茶店、3階がオーナー住居、4・5階が旅館でした(写真撮影/片山貴博)

5つの個人店が入る3階「AMERICAYA FOLKS」。初代「アメリカヤ」は、1階がみやげ屋と食堂、2階が喫茶店、3階がオーナー住居、4・5階が旅館でした(写真撮影/片山貴博)

5階には街を一望するフリースペースのほか、「アメリカヤ」のロゴやウェブデザインを担当した「BEEK DESIGN」のオフィスが。フリースペースは誰でも自由に使うことができ、小学生から大学生・社会人まで幅広い層が訪れます(写真撮影/片山貴博)

5階には街を一望するフリースペースのほか、「アメリカヤ」のロゴやウェブデザインを担当した「BEEK DESIGN」のオフィスが。フリースペースは誰でも自由に使うことができ、小学生から大学生・社会人まで幅広い層が訪れます(写真撮影/片山貴博)

建物単体からまちづくりに視点を変え、飲み屋街や宿を手がける

かつては静岡県清水と長野県塩尻を結ぶ甲州街道の主要な宿場町として栄えた韮崎市。1984年に韮崎駅前に大型ショッピングモールが、2009年に韮崎駅北側にショッピングモールができたことで、とくに駅西側の韮崎中央商店街は元気を無くしていました。しかし名物ビルの再生により、県内外から人が訪れるように。
それまでは建物単体で捉えていた千葉さんですが、想像以上にみんなに笑顔をもたらしたことで、「あれもこれもできるのでは」と街全体を見るようになります。
「あるとき地域の人から、建物の解体情報を聞いたんです。訪ねてみると、築70年の何とも味のある木造長屋。壊されるのが惜しくて、『修繕と管理を含めてうちにやらせてください』とまた直談判しました」(千葉さん)

「夜の街に活気をつけたい」という発想から、今度は個性豊かな飲食店が入居する「アメリカヤ横丁」としてオープンさせます。

「アメリカヤ横丁」は、「アメリカヤ」正面の路地裏に。日本酒場「コワン」、居酒屋「藁焼き 熊鰹」、ラーメン酒場「藤桜」が入ります(写真撮影/片山貴博)

「アメリカヤ横丁」は、「アメリカヤ」正面の路地裏に。日本酒場「コワン」、居酒屋「藁焼き 熊鰹」、ラーメン酒場「藤桜」が入ります(写真撮影/片山貴博)

人との出会いが生まれるなかで、地元の有志と協働する話が持ち上がります。「横丁で食事をした後に泊まれる宿があったら言うことなし」とできたのがゲストハウス「chAho(ちゃほ)」です。
韮崎市は鳳凰三山の玄関口で、登山者が前泊する土地。ここでは「登山者はもちろん、そうでない人も山を感じて楽しめること」をテーマにしています。

お茶と海苔のお店だった築52年の3階建てビルを改修したゲストハウス「chAho」。名前はかつてのビル名「茶舗」に由来。駅から徒歩約3分の商店街にありながら、物件価格は500万以下とリーズナブル(写真撮影/片山貴博)

お茶と海苔のお店だった築52年の3階建てビルを改修したゲストハウス「chAho」。名前はかつてのビル名「茶舗」に由来。駅から徒歩約3分の商店街にありながら、物件価格は500万以下とリーズナブル(写真撮影/片山貴博)

「chAho」は韮崎市出身のトレイルランナー、山本健一さんのプロデュース。登山者向けに下駄箱を高めに作るなど工夫がされていて、共有リビングではアウトドアグッズを陳列。「アメリカヤ」2階で購入できます(写真撮影/片山貴博)

「chAho」は韮崎市出身のトレイルランナー、山本健一さんのプロデュース。登山者向けに下駄箱を高めに作るなど工夫がされていて、共有リビングではアウトドアグッズを陳列。「アメリカヤ」2階で購入できます(写真撮影/片山貴博)

各部屋は地蔵岳・観音岳など地元を代表する山の名前に。「chAho」は甲府市でゲストハウスを営む「バッカス」が運営。オーナーはJR甲府駅近くの観光地、甲州夢小路を運営する「タンザワ」の会長、丹沢良治さんが担っています(写真撮影/片山貴博)

各部屋は地蔵岳・観音岳など地元を代表する山の名前に。「chAho」は甲府市でゲストハウスを営む「バッカス」が運営。オーナーはJR甲府駅近くの観光地、甲州夢小路を運営する「タンザワ」の会長、丹沢良治さんが担っています(写真撮影/片山貴博)

リノベーションをする際は、古い浄化槽を下水道に切りかえるほか、配線や水道管といったインフラを一新し、適宜、耐震補強。トイレは男女別にするなどして、現代人が使いやすい形に変えています。しかし何より大事にしているのは「建物の価値を生かす」こと。手を加えるのはベースの部分に留め、大工の思いが込められた、趣いっぱいの床やドア・サッシなどは、そのままにしているのが特長です。

「古い建物はところどころで職人の“粋”を感じます」(千葉さん)。利用するうえで支障がない限り、躯体は汚れを落とす程度に。写真はアートのような「アメリカヤ」のらせん階段(写真撮影/片山貴博)

「古い建物はところどころで職人の“粋”を感じます」(千葉さん)。利用するうえで支障がない限り、躯体は汚れを落とす程度に。写真はアートのような「アメリカヤ」のらせん階段(写真撮影/片山貴博)

仲間たちと和気あいあいと楽しく仕事ができる、それが地元のよさ

もともと千葉さんが山梨県に事務所を構えたのは、地元特有の緩やかな空気のなかで、仲間と和やかに仕事がしたかったから。それだけに自分たちのしたことで人のつながりが生まれるのは、何よりの喜びです。

「かつてのビルを知る人がお店にやってきて、懐かしそうに昔話を聞かせてくれることがあるんです。がんばっている下の世代を見て、ご年配の方も応援してくれていると感じます。古い建物の復活は昭和を生きてきた人には懐かしいだろうし、世代間の交流が促されるといいですね」(千葉さん)

「アメリカヤ」を契機にまちづくりの実行委員をつくり、「にらさき夜市」などのイベントを開催。SNSを利用しない高齢の人にも情報が届くよう、ときにチラシを配り歩きます。

こうした取り組みをする千葉さんの元には、SNSや市役所を通じて物件の問い合わせが入ることが少なくありません。そんなときはサービス精神で紹介し、“空き家ツアー”を企画。オーナーと入居者の中継地点になっています。

街の活性化の兆しは、行政や地元のオーナーにとっても喜ばしいこと。韮崎市では補助金制度を拡充し、50万円の修繕費、及び1年まで月5万円の家賃を補助する「商店街空き店舗対策費補助金」を、市民のみならず転入者も対象とするように。「新規起業準備補助金」の限度額を条件次第で200万円まで引き上げるなど、柔軟な対応をするようになりました。
活動に共感し、もっと人が増えて街がにぎわうようになるならと、良心的な賃料にしてくれるオーナーもいるといいます。

「アメリカヤ」のある韮崎中央商店街。「築50~60年の建物が多いのですが、高度経済成長期に建てられたためか1つひとつが個性的で面白いです」(千葉さん)。街歩きしては風情ある建物を心に留めています(写真撮影/片山貴博)

「アメリカヤ」のある韮崎中央商店街。「築50~60年の建物が多いのですが、高度経済成長期に建てられたためか1つひとつが個性的で面白いです」(千葉さん)。街歩きしては風情ある建物を心に留めています(写真撮影/片山貴博)

「アメリカヤ横丁」を宣伝するため、韮崎駅ホームの正面にあるビルに最近、看板が取りつけられました。3分の2を山梨県と韮崎市が出資してくれています(写真撮影/片山貴博)

「アメリカヤ横丁」を宣伝するため、韮崎駅ホームの正面にあるビルに最近、看板が取りつけられました。3分の2を山梨県と韮崎市が出資してくれています(写真撮影/片山貴博)

名物ビルの復活から3年。商店街には新しいスペースが続々と登場

さまざまな動きが後押しとなり、韮崎市では空き家を使って活動をはじめる人が次々と見られるように。既存のスポットも変化を遂げています。

2020年4月に「PEI COFFEE(ペイ コーヒー)」をオープンした谷口慎平さんと久美子さんご夫妻は、東京都千代田区の「ふるさと回帰支援センター」で韮崎市を勧められ、市が運営する「お試し住宅」に滞在。そこで自然の豊かさや人のやさしさを感じ、東京都からの移住を決めました。

近隣のニーズに応えるべく8時からオープン。お店の一角では慎平さんの兄が営む「AKENO ACOUSTIC FARM」の野菜やピクルスなどを販売しています(写真撮影/片山貴博)

近隣のニーズに応えるべく8時からオープン。お店の一角では慎平さんの兄が営む「AKENO ACOUSTIC FARM」の野菜やピクルスなどを販売しています(写真撮影/片山貴博)

「PEI COFFEE」は「chAho」の2軒隣。料理もクッキーもケーキも、すべて丹精込めて手づくり。コーヒーは幅広い年齢層に親しまれるよう深煎りの豆をメインに使っています(写真撮影/片山貴博)

「PEI COFFEE」は「chAho」の2軒隣。料理もクッキーもケーキも、すべて丹精込めて手づくり。コーヒーは幅広い年齢層に親しまれるよう深煎りの豆をメインに使っています(写真撮影/片山貴博)

「オーナーは何かに挑戦する人に好意的な方で、自由にやらせてもらえているのでありがたいです。マイペースに長く続けていけたらと思っています」(慎平さん)

2021年2月には「アメリカヤ横丁」と同じ路地のビルの2階に、中村由香さんによる予約制ソーイングルーム「nu-it factory(ヌイト ファクトリー)」が誕生。

月1回、裁縫のワークショップが行われるほか、各種お直しやオーダーメイド服の制作などをしています(写真撮影/片山貴博)

月1回、裁縫のワークショップが行われるほか、各種お直しやオーダーメイド服の制作などをしています(写真撮影/片山貴博)

「以前は甲府市にアトリエがあったのですが、北杜市からもお客さんを迎えられる韮崎市にくることに。のどかでいて文化的なムードがあるのがいいなと思います」(中村さん)

明るく広々としたアトリエ。「この辺りは駅近でも5万円前後の賃料の物件が多いので、都会からくる人はメリットが高いでしょう」(千葉さん)(写真撮影/片山貴博)

明るく広々としたアトリエ。「この辺りは駅近でも5万円前後の賃料の物件が多いので、都会からくる人はメリットが高いでしょう」(千葉さん)(写真撮影/片山貴博)

2021年5月に韮崎中央商店街の北側にオープンした「Aneqdot(アネクドット)」は、テキスタイルデザイナーの堀田ふみさんのお店。スウェーデンの大学院でテキスタイルを学んだ後、10年ほど同国で活動していましたが、富士山の麓で郡内織を手がける職人たちと出会い、山梨県に住むことに。にぎわいあるこの通りが気に入り、ブランドショップを構えました。

堀田さんがデザインし、職人が手がけた生地を使った洋服・カバン・財布・アクセサリーのほか、生地単体も販売。「かつては養蚕業が盛んで製糸工場があり、今も織物産業が根づく山梨にこられたことに縁を感じます」(堀田さん)(写真撮影/片山貴博)

堀田さんがデザインし、職人が手がけた生地を使った洋服・カバン・財布・アクセサリーのほか、生地単体も販売。「かつては養蚕業が盛んで製糸工場があり、今も織物産業が根づく山梨にこられたことに縁を感じます」(堀田さん)(写真撮影/片山貴博)

「あたたかで個性豊かな職人とのめぐり合いがここにきた理由です」と堀田さん。複数の織元と協働しており、錦糸を使ったものもあれば、綿・ウール・リネン・キュプラなどの生地も(写真撮影/片山貴博)

「あたたかで個性豊かな職人とのめぐり合いがここにきた理由です」と堀田さん。複数の織元と協働しており、錦糸を使ったものもあれば、綿・ウール・リネン・キュプラなどの生地も(写真撮影/片山貴博)

奥のアトリエにはスウェーデン製の手織り機が。壁の塗装・床のワックス塗りなど、内装は堀田さんと友人たちでDIY。「オーナーに理解があったからこそできました」(堀田さん)(写真撮影/片山貴博)

奥のアトリエにはスウェーデン製の手織り機が。壁の塗装・床のワックス塗りなど、内装は堀田さんと友人たちでDIY。「オーナーに理解があったからこそできました」(堀田さん)(写真撮影/片山貴博)

「周辺の方はみなさんオープンで、気さくにおつき合いさせてもらっています。お客さんにきてもらえるよう少しずつでも輪を広げ、長く続けていきたいです」(堀田さん)

「アメリカヤ横丁」の木造長屋裏側の民家には2020年春に「鉄板肉酒場 ニューヨーク」と「沖縄酒場 じゃや」、2021年2月に「ゴキゲン鳥 大森旅館」がオープン。2022年4月にはクラフトビールのバーができる予定です。

手前1階が「和バル ニューヨーク」、2階が「沖縄酒場 じゃや」、突き当たりが「ゴキゲン鳥 大森旅館」(写真撮影/片山貴博)

手前1階が「和バル ニューヨーク」、2階が「沖縄酒場 じゃや」、突き当たりが「ゴキゲン鳥 大森旅館」(写真撮影/片山貴博)

表通りから見えるこの提灯の下をくぐると、「アメリカヤ横丁」の木造長屋の裏手小道に入れます(写真撮影/片山貴博)

表通りから見えるこの提灯の下をくぐると、「アメリカヤ横丁」の木造長屋の裏手小道に入れます(写真撮影/片山貴博)

日本酒場「コワン」の店主、石原立子さんは「アメリカヤ横丁」がオープンした当初からのメンバー。横丁での日々をこう語ります。

「地元に縁のある人がやってくることが多いので、何十年ぶりの感動の再会を目の当たりにすることも。いろいろな人がきて毎日が面白いです」(石原さん)

燗酒と燗酒に合う料理を届ける日本酒場「コワン」。ベルギー産のビールも人気です(写真撮影/片山貴博)

燗酒と燗酒に合う料理を届ける日本酒場「コワン」。ベルギー産のビールも人気です(写真撮影/片山貴博)

“リノベーションのまち、韮崎”のために、できることは無限大

千葉さんは、今では行政や商工会に対し、空き家の活用を進めるうえで何が現場で妨げになっているか発信する役割も果たしています。

「昔は職住一体だった家に住んでいるご年配の場合、いくら店舗部分だけ貸して欲しいと言っても、ひとつ屋根の下でトラブルにならないか心配になります。出入口を2つに分ける、間仕切り壁を立てるなどすれば解決することもあるのですが、状況に即した提案に加え、工事費を助成金で賄えたらハードルはぐんと下がるでしょう。借主だけでなく貸主のメリットも打ち出し、『受け皿』をつくっていくことが大事だと感じます」(千葉さん)

あくまで本職は建築業。まちづくりを生業にするつもりはないという千葉さんですが、「面白そう」というアイデアが次々と湧いてくるよう。最近では休眠している集合住宅をリノベーションして移住者を増やせたら、と想像を膨らませているのだとか。

「誰もが親しんでいた『アメリカヤ』が復活して、イヤな思いをした人はいないと思うんです。地元の人もお客さんも、市長まで関心を寄せてくれました。『みんなにとって良いことは、おのずとうまくいく』と実感しています」(千葉さん)

常にわくわくすることに気持ちを向けている千葉さん。その原動力によって「リノベーションのまち、韮崎」が着々とつくり上げられています。

●取材協力
アメリカヤ
パンと焼き菓子のお店asa-coya
クルミハーバルワークス
BEEK DESIGN
chAho
トレイルランナー 山本健一さん
PEI COFFEE
nu-it factory
Aneqdot
鉄板肉酒場 ニューヨーク
沖縄酒場 じゃや
ゴキゲン鳥 大森旅館
コワン

「失敗は学び、思いやりは通貨」離島に移住して知識ゼロからのDIYを楽しむ素潜り漁師マサルさんは語る

素潜り漁師マサルさんをご存じですか? 海に潜ってモリで魚を突く素潜り漁をなりわいとするかたわら、ちょっと変わった海の生き物を捌(さば)いて調理して食べる話題のYouTuber。メインチャンネルの「【素潜り漁師】マサル Masaru.」は、90万人以上の登録者を誇ります(2021年11月現在)。

マサルさんは、2017年に特技を活かした「魚突き&魚捌き」のYouTubeチャンネルを開設。東京海洋大学卒業を控えた2019年末には東京を離れて鹿児島の離島に移住し、就職する代わりに「素潜り漁師」として活動を始めます。2020年3月から島の大きな古民家を借りて住み、DIYの知識がほぼゼロの状態から古民家を大胆にリノベーションする様子を、サブチャンネルの>「【離島移住生活】マサル」で配信しています。

マサルさんはなぜ離島に住むことにしたのでしょうか? そして、古民家のリノベーションにはどんな苦労があってどういった楽しさがあるのでしょうか? 今回はリモートインタビューでお話を伺いました。

あのテレビ番組に憧れて魚突きがライフワークに

――本日はよろしくお願いします。最初に自己紹介をしていただけるでしょうか。

素潜り漁師としてのマサルさん(2021年2月6日配信の動画「カジキの角で錬成した『モリ』で魚を無双」より)

素潜り漁師としてのマサルさん(2021年2月6日配信の動画「カジキの角で錬成した『モリ』で魚を無双」より)

素潜り漁師のマサルです。YouTuberとして「魚突き」や「魚捌き(料理)」の動画を配信することを中心に活動しています。

――魚料理はまだしも「魚突き」をされる方はそういないと思いますが、どんなきっかけで始めたのでしょう?

『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)というテレビ番組がありましたよね。濱口優(よゐこ)さんがモリを手に海に入って魚を獲っているのを見て、小さなころでしたがすごく憧れたんです。親に頼み込んで、子どもでも魚を突くことができるイベントに連れて行ってもらったり。

それからずっと魚突きをライフワークにしています。YouTuber名の「マサル」も濱口さんにあやかって付けましたし、大学では「魚突きサークル」で月に何度かどこかの離島に行っては魚を突く生活を送ってました。

海と人が好きで離島に移むことを決めた

――そもそもなんですが、離島に魚を突きに行くだけでなく、なぜわざわざ移住したのでしょう?

マサルさんが移住した沖永良部島にはこんな海がある

マサルさんが移住した沖永良部島にはこんな海がある

僕は海が好きなので、離島は東京に住んでいたときから好きでした。どっちの方向に行ってもすぐ海があるのはいいですね。魚突きをしてますから、いつでも海に入れるのもうれしいです。
あと移住したことには「YouTuberとして生きていく」という決意もあります。僕は大学在学中からYouTuberとして活動していましたが、卒業後の進路を考えたとき、普通に企業に就職する道もあったのですが、こちらにかけても面白いのかな、と思ったんです。

――マサルさんが移住した島はどんなところでしょう。

鹿児島にある沖永良部島ですが、沖縄の那覇からフェリーで7時間かけて来るのが一般的な交通手段ですね(編集注:費用はかかるが鹿児島などから飛行機もある)。

地理的にはかなり隔離されていて、人口は13,000人くらい。車で1時間もあれば1周できます。スーパーやホームセンターもありますから、DIYに必要な材料や道具もだいたいはそろいます。

――数ある離島のなかでもなぜ沖永良部島に?

学生のころにはいろいろな離島に行きました。お金がなくてSNSで知り合った現地の人に泊めてもらったりしていたんですが、そのつながりで沖永良部島に友達が何人かできてたんです。これが大きかったですね。
観光開発もほぼされていなくて、実際に(コロナ以前も)観光客がほとんど島にいないところも僕にとっては魅力です。何より住んでる人たちが良くって、のんびりしているようで仕事はきっちりとする。一緒に何かするのも気持ちがいいです。

不動産屋さんがないので住む場所は自分で見つける

――現在の拠点にされている古民家は、築50年の5LDK。人が住まなくなって20年にもなるそうですが、どうやって見つけたのでしょうか?

マサルさんが借りている古民家(家賃は月額2万円)

マサルさんが借りている古民家(家賃は月額2万円)

そもそも離島には、基本的に不動産屋さんがないんです。だから家を借りるとなると、まず現地を歩いて「空き家」を見つけるところからです。

空き家が見つかったら、今度は持ち主を探し出さなくてはいけません。知り合いの漁師に聞き込んだり、商店街の顔役に聞いたり。それでもわからなかったら、地番を割り出して謄本を取れば持ち主はわかります。いま住んでいる古民家はそこまでしなくてもよかったんですが、いずれにせよかなり大変ですね。

――不動産屋さんがないということは、持ち主が見つかっても個人間の交渉ということになりそうですが……。

マサルさんが借りている古民家の敷地には2棟の倉庫と牛小屋に馬小屋も

マサルさんが借りている古民家の敷地には2棟の倉庫と牛小屋に馬小屋も

そうなりますね。僕は知り合いにつないでもらいました。そう簡単に貸してくれるものかなと思っていたのですが、意外とすんなりいきました。島の地主は高齢者が多いのですが、若い世代の僕たちの話もちゃんと聞いてくれます。

地主といってもその土地でお金を稼がないといけないわけではないので、めちゃくちゃ仲良くなれたりしたらただで貸してくれるかもしれません。ただ、そうすると人間関係がちょっと濃厚になり過ぎるような気がして、僕はきちんと賃料を払ってます。

――実際に住んでみて、古民家はどうでした?

マサルさんが拠点としている古民家の大まかな間取図(リフォームの番号は下記の一覧表を参照)

マサルさんが拠点としている古民家の大まかな間取図(リフォームの番号は下記の一覧表を参照)

内装や家具もまとめて好きにしていいということだったんですが、想像以上に傷んでました。床も壁も天井も腐っていて、全部壊して張り替えなくてはいけないところもあります。

――古民家をDIYでリノベーションするサブチャンネル「【離島移住生活】マサル」でも、さまざまなプロジェクトに取り組んでますね。動画も30本近くになっています。

※マサルさんは古民家でこんなリノベーションを実施

リフォーム1. キッチン編(全12本)
以前からの什器をすべて廃棄し、壁や床も張り替えてリフォーム。水まわりも配管し直してアイランド型に。全長1メートル以上の大型魚にも対応できるキッチンスタジオとして、毒々しすぎる巨大魚、グロテスクすぎる巨大エビ、深海から上がってパンパンの魚(いずれも動画タイトルより)などの調理に大活躍。2020年3月から2カ月かけて完成した後、防音シートや、ワニを捌く設備の増設なども。

リフォーム2. 五右衛門風呂編(全11本)
屋外に放置されていたお風呂を生き返らせて露天風呂を楽しむ計画が、風呂釜そのものが朽ちているなどほぼ全面的なつくり直しとなり、薪をくべる炉の耐熱施工などで苦心も多く、10カ月かかる大プロジェクトとなった。なお、釜全体が鋳鉄製なので正しくは長州風呂と呼ばれるそう。

リフォーム3. 和室編(2本、進行中)
物置き状態だった6畳の和室を片付け、腐っていた床や壁もまるごとリフォームして、音楽の部屋に変貌させるプロジェクト。2021年7月から現在進行中のリノベ企画シーズン3。
当初はそこまでたくさん配信する予定はなくて、片付けの様子を1本か2本くらい配信すればいいかなと思ってたんですが、とてもそんな「片付け」程度では住めない状態でしたね。

――壁や床をはがす動画を見ました。白アリがたくさんいたのが衝撃的でした。

腐っている壁を張り替える(2020年3月26日配信の動画「キッチンが汚すぎるので破壊してみた」より)

腐っている壁を張り替える(2020年3月26日配信の動画「キッチンが汚すぎるので破壊してみた」より)

あそこまで白アリがいるとは、本当に予想外でした。倉庫の床に本を1カ月ほど置いておくと、食い破られてダメになっているんです。それに白アリは年に1度、羽が生えて飛ぶんです。光に向かう習性があって、家の照明にハリケーンのように群がって、終わると死骸だらけ(編集注:羽アリになった白アリは新しい住処を求めて移動する)。これは、しんどいですね。

今になって思えば、白アリは絶対に確認すべきでした。なんとか耐えましたけど、白アリがいる家に住むべきではないと思います。

――かなり辛い状況ですが、引越しは考えなかったんですか?

僕はもともとサバイバルが好きで、YouTubeでもサバイバル企画の動画を出してるように、屋外でも寝られるタイプではあるんです。ましてや古民家には屋根もあるし、一応は大丈夫だったんですが、ショックは大きかったですね。

ただ、3カ月ほど住んでみるとトイレやお風呂も使えなくなってきたので、寝るためだけの家を別に借りてます。築20年程度の2LDKで、デスクワークにも使えますし。

――それならもう最初に借りた古民家は解約してもいいような……。

古民家は物がたくさん置けるところもいいんですよね。漁師をやってるのでその荷物もありますし、車も3台は余裕で停められます。

それに、自分で好きなように何でもいじれる家ってなかなかないですから。リノベーションのために、借りた家の壁を壊すって普通はできないじゃないですか。

知識ゼロから始めたDIY。失敗も学びになる

――かなり本格的にDIYされていますが、そういった知識や技術はどこから得ているのでしょうか?

リノベーションにはインパクトドライバーも活躍(2021年3月20日配信の動画「遂に五右衛門風呂に『えんとつ』を装着!!」より)

リノベーションにはインパクトドライバーも活躍(2021年3月20日配信の動画「遂に五右衛門風呂に『えんとつ』を装着!!」より)

DIYの知識は本当にゼロだったんです。やったことあるのは家具量販店の組み立て家具くらいで、インパクトドライバー(電動ドライバーの一種)を使ったこともなかった。ただ、とりあえずやってみて、その様子を動画にして配信すると、視聴者の方がコメントで全部教えてくれるんです。みんなでつくり上げてるようなものですね。

とはいえ最初に動画を出したときは「素人にリノベーションなんかできるわけないだろ」「やめておけ」みたいなコメントはやっぱり多かったですね。

――DIY知識がない人が「自分でリノベーションをしてみよう」と発想すること自体がすごいと思います。

自己評価が高いのかもしれないですね。「失敗もするだろうけど、やれるだろ」って思っちゃうんです。大工さんも自分も同じ人間だし、調べれば、やれることにそこまで違いはないはず。もちろん、技術では相当劣ることにはなると思うんですが、大まかにならやれるはずだと。

――動画を見ていると、やり方を知らずに失敗して、作業が手戻りしている箇所がたくさんあるのが印象的でした。もっとやり方や技術について勉強してからDIYに取り組んだほうがよかった、とは思わなかったですか?

試行錯誤の繰り返しだった風呂の炉づくり(2021年1月30日配信の動画「五右衛門風呂をぶち壊して生き返らせたい」より)

試行錯誤の繰り返しだった風呂の炉づくり(2021年1月30日配信の動画「五右衛門風呂をぶち壊して生き返らせたい」より)

それはまったく思いません。うまくいかなくて手戻りしたとしても「失敗パターン」を学べているので、失敗ではないんです。だから、落ち込むことも後悔することもないですね。そういう気持ちさえもっていれば「やり続ければ作業はいつか終わる」ことになります。

――マサルさんのモチベーションのよりどころを見た思いです。動画では最初の2カ月で「キッチン」のリノベーションを済ませていましたが、気に入っているところはどこですか?

アイランドキッチンの全景

アイランドキッチンの全景

キッチンはアイランド型にしました。正面でコンロを使っていても、後ろを向けば壁側に作業台もあってまな板と包丁がすぐに使える。この動線はかなり気に入っています。

――リノベーションしたキッチンに自分で点数を付けるとしたら何点ですか?

※↑ 完成したアイランドキッチンでは巨大な魚も調理できる(2021年7月18日配信動画「40kg越えのアカマンボウを解体したら家が大惨事に。。。」)

かなりうまくいったと思っていて、80点ですね。アイランドキッチンなら調理風景を正面からも撮れますから、YouTubeの動画を撮影するときにかなり便利です。

欲を言えばキッチンの床板をはがして、コンクリートを流し込んで「土間」にできたら最高だったと思います。それならデッキブラシで掃除ができますから。実はキッチンのリノベーションを始めたときに考えたんですが、さすがにDIY未経験でそこまでするのは腰が引けてしまって。

あとは、フライヤーやオーブンを置くところをつくっておけばよかったとか、カーテンで隠してる古い窓を壁にリフォームしておけばよかったとか、そういうことは思いますね。

――キッチンの次に取り組んだのは、屋外の五右衛門風呂(編集注:動画でも説明されているが様式としては長州風呂)ですね。動画を見ると、かなり手戻りもあって1年近くかかったようでしたが、実感としてはどういったところが大変でした?

お風呂を覆うガジュマルの木(2020年7月24日配信の動画「五右衛門風呂を覆う巨木を伐採しました。」より)

お風呂を覆うガジュマルの木(2020年7月24日配信の動画「五右衛門風呂を覆う巨木を伐採しました。」より)

もう全部大変ではあるんですが……。まずお風呂のそばに生えているガジュマルの木が邪魔でしたね。あれを短く切っていくのがメチャクチャに面倒くさくて。

それから炉の耐熱に関して、耐火モルタルの扱いには苦労しました。どう使えばいいのか島の誰に聞いてもわからない。かなり試行錯誤しました。

――お風呂に点数を付けるとしたら?

完成した五右衛門風呂(長州風呂)の全景

完成した五右衛門風呂(長州風呂)の全景

あれは50点くらいですかね。入るのは最高なんですが、沸かすのが大変です。薪を入れる炉の容量が小さくなってしまってお湯がなかなか沸かないことと、その炉を掃除できるようにつくらなかったことが残念ですね。

あとは母屋からつながる屋根があれば本当にいいお風呂だと思います。つくりたいとは思っているんですが、ほかにもやることがいろいろあって優先順位は低めになっています。

――リノベーションをしてみて、どういうところに楽しさがあると思いましたか?

自分の思い通りの部屋が実現できるところですね。例えば、キッチンにかなり大きなシンクを取り付けました。これだけのシンクがある部屋を探すのは、なかなか大変だと思います。

それから家の構造がどうなっているかって、僕たちは全然知りませんよね。壁をはがして、床をはがして、こういうつくりになっているんだと初めて理解できる。それが何の役に立つかはちょっとわからないのですが、毎日住んでいる家ですから、構造も知っていたほうが健全だと思うんです。魚を食べるだけじゃなく、捌き方も知ってるように。

――ということは、みんな一度はDIYをやってみたほうがいいですね。

環境が許すならやってみたほうがいいと思います。僕もリノベーションをやる前と後では世界の見え方が変わりました。家や建物を見るときにも、細部に目が行くようになったり、「ちょっと雑かもな」なんてことがわかるようになったりします。

人とのコミュニケーションで生活が成り立っていく

――離島の暮らしについてもお伺いしたいです。以前に住んでいた東京とは違うなと感じたことなどあれば。

言い方が悪いかもしれませんが、東京だったら「お金があれば何でもできる」と思うんです。例えば、家事が面倒になったら家事代行サービスを呼んでみたり。

ところが、離島ではお金を持っていたとしても、まずサービスがないんですね。家事代行サービスなんてないですし、さっき話したように不動産屋さんもない。だから、お金じゃない価値が大切になってくるんです。

例えば「あの人にこれをしてもらったから、あの人にこれをしてあげよう」みたいに、人への思いやりが通貨のようになっているんです。こういうコミュニケーションは東京では味わえないですね。

――なるほど……。離島で暮らす上で必要になってくるものは何でしょうか?

やはりコミュニケーション能力でしょうね。野菜をつくっている人と仲良くなれば、野菜をもらえます。もっと仲良くなれば「晩ご飯食べていきなよ」なんて誘われるかもしれません。

島での暮らしに軽トラがあるととても便利

島での暮らしに軽トラがあるととても便利

僕も島の人から軽トラをかなり安く譲ってもらいました。これを島の外で購入して輸送してもらおうとしたら、輸送代だけでも相当高くつきます。島では逆に、お金はあまり必要ないかもしれませんね。

――ただ、都会から来た人は、そういったコミュニケーションがおっくうになってしまいそうです。

確かに、慣れないうちは大変かもしれません。でも多分、みんなが思っているほどではないですよ。僕も忙しいと思われているのか、飲み会は月に一度誘われるかどうかというくらいです。

――マサルさんはコミュニケーション能力ありそうです。

いや、実は全然そういうタイプじゃないんです。気合いでなんとかしている部分もありますね。ただ、離島で暮らす以上、基本的にそういったコミュニケーションは楽しむようにしたほうがいいです。いろいろな人とつながりをもつ世界を知ると、逆に以前の東京の暮らしの生きづらいところを感じるようにもなりました。

離島の人に恩返しをしていきたい

――これから離島でやってみたいことはありますか? 古民家のリフォームは「和室」編に突入してますね。

現在リノベーションしている和室は、ピアノを置けるようにしたいんです。そこまで得意というわけではないんですが、中学校のときに合唱コンクールで伴奏したこともありますし、置いてあったらきっと弾きたくなるはずです。そのため、部屋にどのくらいまで防音の機能をもたせられるかにもチャレンジしたいですね。

あとは、囲炉裏やバーベキュー場をつくりたい。友達が遊びに来たときに時間を共有できるような場所をつくっていきたいと思っています。

――島の人とのかかわりにおいてはどうでしょうか?

この島に来て、水産関係の人たちにものすごくお世話になりました。僕は漁協に入っていますが、それには漁師の保証人が必要なんです(編集注:条件は地域による)。だから「マサルを漁師にしてあげよう」という漁師さんがいなかったら、僕は今の活動ができていません。

それから、YouTubeで珍しい魚を捌く動画も上げていますが、全てが自分が突いたわけではなく、一般の人が買えないような魚もあります。それは仲買の人が僕に買ってきてくれるんですね。

でも、水産関係でお金を稼ぐのは今なかなか難しいんです。特に漁師を専業で続けていくのは厳しいです。さらに最近は新型コロナウイルスの流行で、魚の価格が大幅に下がってしまっています。

マサルさんが実施したクラウドファンディングでは1,000万円が集まった

マサルさんが実施したクラウドファンディングでは1,000万円が集まった

そこで、クラウドファンディングで資金を集めて、水産加工場を立ち上げるプロジェクトを立ち上げました。最終的には水産物の販路をつくって、離島の人たちに恩返しをしたいですね。

――最後に、このインタビューで離島に興味をもった人がいたら、どういったメッセージを送りますか?

興味があって悩んでいるのなら、やってみたらいいと思います。うまくいかないこともあるかもしれませんが、やってみてから考えたらいいんじゃないでしょうか。やらないで後悔するより、そのほうがずっといいと思います。

――マサルさんに言われると納得感がすごいです。本日はありがとうございました。

●取材協力
素潜り漁師マサル
●Twitter: @masarumoritsuki
●YouTube(メイン): 【素潜り漁師】マサル Masaru.
●YouTube(サブ): 【離島移住生活】マサル
●クラウドファンディング: 【素潜り漁師マサル】島の漁師たちが稼げるようにしたい!

サブスク「DOME住む」で東京ドームシティに住める! 定額でホテルや温泉、遊園地を使い放題

東京ドームを中心に遊園地や温泉、ホテルまでそろった東京ドームシティ。なんと、定額でホテル暮らしや温泉、遊園地で遊び放題のまるごと「住める」サブスクリプション(サブスク)プラン「DOME住む」が人気を集めています。三井不動産と東京ドームホテルが贈る、働く、遊ぶ、リラックスもまるごとできる、新しい暮らし方をご紹介しましょう。

東京ど真ん中で展開される「DOME住む」は破格の15泊15万円!

2021年は多くのホテルが「ホテルのサブスク」を打ち出しましたが、夏にはなんとホテルだけでなく周辺の遊園地や温泉、食事、ホテル宿泊も含めた、一大エンターテインメント”シティ”に住めるサブスクが登場しました。

「DOME住むプラン」は、東京ドームシティ内の東京ドームホテルに15連泊または30連泊できるというものです。
住むというだけあって、連泊中は敷地内の「東京ドーム天然温泉 スパ ラクーア」に入館無料でお風呂に入り放題、東京ドームシティ内のアトラクションは乗り放題、東京ドームホテルのレストランなどの施設を利用できるレジャーチケット「得10(とくてん)チケット」も付いてきて、東京ドームシティに暮らす楽しさを存分に満喫できます。当たり前ですが室内は清潔感があり、得10チケットを使えばホテルレストランで食事もできる(当たり前ですが調理も片付けも不要……!)それでいて15連泊で15万円、ちょっと贅沢すぎるのではないでしょうか。夏には30連泊プランを販売したところ、なんとあっという間に完売だったといいますが、それも納得です。

「DOME住む」で利用できる東京ドームホテルの客室(写真撮影/相馬ミナ)

「DOME住む」で利用できる東京ドームホテルの客室(写真撮影/相馬ミナ)

窓のむこうには都内の風景(写真撮影/相馬ミナ)

窓の向こうには都内の風景(写真撮影/相馬ミナ)

夜はこんな夜景が眼下に(写真提供/東京ドームホテル)

夜はこんな夜景が眼下に(写真提供/東京ドームホテル)

筆者は今まで「ホテルライク」を売りにしたマンションをたくさん見てきましたが、まさか本物のホテルに住める日がくるとは……。
テレワークが当たり前になった今、仕事もできて、遊べて、気分転換もできて、ホテルにこんな使い方があったのか!とまさに目からウロコです。

「ホテルライクなマンション」ならぬ、「リアルホテルライフ」でテレワーク(写真撮影/相馬ミナ)

「ホテルライクなマンション」ならぬ、「リアルホテルライフ」でテレワーク(写真撮影/相馬ミナ)

ホテル最上階にあるレストランからの眺め(写真撮影/相馬ミナ)

ホテル最上階にあるレストランからの眺め(写真撮影/相馬ミナ)

アーティスト カフェ「パノラマランチ」(写真提供/東京ドームホテル)

アーティスト カフェ「パノラマランチ」(写真提供/東京ドームホテル)

ホテルサブスクは好調、暮らし方の新しい選択肢に

東京ドームホテルがあるのは東京都文京区。「住み続けたい自治体ランキングTOP50」(2021年、SUUMOリサーチセンター)では3位にランクインしたほど人気の街ですが、分譲価格にしても家賃にしてもやはりお高く、なかなか手がでるエリアではありません。そんな文京区に住めるというのも、貴重な体験です。
では、このプランがはじまった経緯はどこにあるのでしょうか。

「ご存じのようにコロナ禍で暮らしが大きく変わり、ホテルの宿泊需要が蒸発してしまいました。そこでホテルの活用法としてサブスクリプションサービスを打ち出し、三井不動産グループが展開するザ セレスティンホテルズ、三井ガーデンホテルズ、sequenceで利用可能な『サブ住む HOTELどこでもパス』『サブ住む HOTELここだけパス』を2月に発売したところ、これが大好評でした。そこで早い段階で、連携している東京ドームホテルでもできないか企画を練っていました」と話すのは三井不動産ホテル・リゾート本部ホテルリゾート運営一部運営企画グループの江連沙織さん。

左から、東京ドームホテル総支配人室営業企画課広報 渡辺友紀さん、三井不動産ホテルリゾート本部の名塚旭さん(リモート参加)、江連沙織さん(写真撮影/相馬ミナ)

左から、東京ドームホテル総支配人室営業企画課広報 渡辺友紀さん、三井不動産ホテルリゾート本部の名塚旭さん(リモート参加)、江連沙織さん(写真撮影/相馬ミナ)

ちなみに、はじめに発売したホテルサブスク「サブ住む」には、全国各所にある三井不動産グループが展開しているホテルに連泊できる「HOTELどこでもパス」と、お気に入りのホテルにじっくり連泊できる「HOTELここだけパス」の2種類ありますが、それぞれ利用者の傾向が異なるといいます。

「どこでもパスのほうは、20~30代で、仕事もテレワーク中心で、仕事と旅がシームレスな方が多いですね。一方で、ここだけパスは40~60代で、自宅近くのホテル、または会社近くのホテルを確保し、出勤しつつ、仕事をするというスタイルが多いように見受けられます。また家の近くのホテルを借りて、ホテルを仕事部屋にしたり、会社近くに借りたホテルから出勤するという使われ方もされていました」(名塚さん)

東京ドームのすぐ隣に立つ東京ドームホテル。遊園地があるからでしょうか、どこか街全体にワクワク感が漂っています(写真撮影/相馬ミナ)

東京ドームのすぐ隣に立つ東京ドームホテル。遊園地があるからでしょうか、どこか街全体にワクワク感が漂っています(写真撮影/相馬ミナ)

セカンドハウスやホテルに缶詰仕事と聞くと、文豪や大金持ちという別世界の使われ方を想像してしまいましたが、今回のコロナ禍を受け、わりと身近に使えることがわかったように思います。東京ドームホテルの『DOME住む』は、この「サブ住む」での反響を受け、夏前に販売しましたが、それまでとは違った使われ方をしていたといいます。

ホテルと住まいはもっと気軽で近い存在に!

「夏に『DOME住む』を利用した方にアンケートを取りましたが、東京都内や近郊にお住まいのご利用者が多く、ご家族連れで30連泊している方もいらっしゃいました。周辺にはレジャー施設もたくさんあるので、お子さまは遊んで、大人は仕事をして、夜はゆっくりお食事を楽しむ、そのように自由に時間を使って過ごしていると30日があっという間なのではないでしょうか」(渡辺さん)

東京ドームシティのアトラクション。「DOME住む」なら乗り放題(写真撮影/相馬ミナ)

東京ドームシティのアトラクション。「DOME住む」なら乗り放題(写真撮影/相馬ミナ)

東京ドームシティは、いってみれば「遊園地」なわけで、「遊園地に住む」というのは子どもにとっても夢のよう。ホテル住まいなら親もごはんづくりなどの家事をお休みできますもんね。近くに美術館や博物館も多数あるので、勉強もできますし、コロナ禍で遠出はできないけれど「夏休みを楽しみたい」という使われ方をしていたようです。

アトラクションだけでなく、イベントやショップもたくさんあるので、15連泊できても時間は足りないだろうな(写真撮影/相馬ミナ)

アトラクションだけでなく、イベントやショップもたくさんあるので、15連泊できても時間は足りないだろうな(写真撮影/相馬ミナ)

現在も15連泊と30連泊のプランを販売していますが、好調とのこと。また、住まいと異なり、ホテルは契約が簡素で初期費用が不要といった実利的な点を評価されているといいます。

ただ、気になる今後ですが、どうなるかは未定だそうです。テレワークは普及しましたが、一方で、「定着するか」どうかは見えないところもあるため、確かにホテルとしては難しい判断になるのかもしれません。

とはいえ、今回のような“街のサブスク”が今後も展開されるとしたら、引越し前や移住を検討している地方など住んでみたい街のホテルでお試し居住をしてみたりするという使い方もできそうです。ほかにも、高齢になったので身軽にホテルで暮らしたり、テレワークで旅をしながら各地を巡って暮らす、なんていう使い方は大いにアリなのではないでしょうか。街のサブスクをきっかけに、新しい街との出合いや、暮らしに対する発見があるかもしれません。

2021年は帝国ホテルをはじめ、さまざまなホテルが「ホテルに住む」「ホテルでテレワーク」という新しい活用法を打ち出し、ホテルサブスクもいろんな種類が登場しています。これからの「ちょい住み」「気軽な住まい」の場所としての「ホテル」は、もっと普及していくかもしれません。

●取材協力
東京ドームホテル
三井不動産

コロナ禍で見えた「買い物難民」。全都道府県で売り上げ増の移動スーパー社長に聞いた

新型コロナウイルスの影響で、スーパーやドラッグストアの店頭から商品が消えたとき、「スーパーは私たちの命綱なんだな」と痛感した人も多いはず。とはいえ、今、買い物にいけない高齢者が、日本各地で増えているといいます。インターネットを使いこなせない世代に「買い物」というインフラをどう提供するのか、移動スーパー「とくし丸」の新宮歩社長にお話を伺いました。

週2日、家の前にスーパーがやってくる。

移動スーパー「とくし丸」は、軽トラックに生鮮食品や日用品の約400品目、1200点ほどをトラックに積み込み、民家の軒先で商品を販売する移動販売サービスです。2012年、徳島県で事業が始まり、2021年10月時点で、全国のスーパー140社と提携し、47都道府県でサービスを提供、毎日900台以上のトラックが稼働しています。

買い物客のニーズに対応したたくさんの生鮮食品や日用品が積まれている(写真提供/とくし丸)

買い物客のニーズに対応したたくさんの生鮮食品や日用品が積まれている(写真提供/とくし丸)

筆者の暮らす横浜郊外の住宅街でも、先日とくし丸のトラックが近所で移動販売を行っているのを見かけました。地方・郊外・都心を問わず広がるとくし丸のサービス、利用者にとってはどんなメリットがあるのでしょうか?

高齢者にとっては自宅の目の前に週2日、いつものドライバーが商品を持ってきてくれるので、好きなものを選びつつ買えるほか、見守りにもつながっているとか。
この1年半は、コロナウイルスの影響で(1)子ども世代が親の家を訪れて買い物の手伝いができなくなった、(2)人の集まるスーパーを高齢者が敬遠するようになった、(3)コンビニの代わりに利用するようになった、といった理由で利用が加速し、1台あたりの売り上げも増えているといいます。トラック1台あたりの売り上げは1日10万円ほどだそう。

コロナ禍にあっても、売り上げは堅調に推移しているといいます。
「爆発的に売り上げが伸びているわけではありませんが、前年比でプラス成長を続けていて、堅調に推移していると思っています。ただ、売り上げはドライバーごとの個人差もあり、まだまだ改善と工夫の余地はあると考えています」(新宮社長)

とくし丸・新宮歩社長(写真提供/とくし丸)

とくし丸・新宮歩社長(写真提供/とくし丸)

コロナ禍で顕在化した「買い物難民」は都市部にも

さらに興味深いのは、人口や店舗の減少が進む地方・郊外だけでなく、都心部でも売り上げを伸ばしている点です。確かに個人商店は少なくなっていますが、都心部や近郊にはスーパー、コンビニエンスストア、ドラッグストアなどが点在し、買い物先には困らない印象です。

「もともとは創業者が、山間部に住む親が買い物に苦労していることに気が付き誕生した業態です。ただ、全国展開をしていることからもわかるように、買い物難民は、それこそどこにでも、東京都心にも郊外にも確実にいます。例えば、都心部に住んでいて、家の前にスーパーがある人でも、買い物に行けないことはあります。ある程度幅のある道路を渡らなければいけない場合、足の不自由な方だと、青信号の時間内に横断歩道を渡りきれないからです。さらに、今の高齢者は責任感が強い方が多い。子ども世代が休日に親の買い物を手助けしても、親からすると、『子どもに迷惑をかけている』と心の負担になっていることもあるんです」と新宮社長。

「コロナ禍により拍車がかかった面はありますが、高齢者や交通弱者が買い物に困っているのはコロナにかかわらない問題です」(新宮社長)

ここから見えてくるのは、現在のまちや移動インフラが、単身高齢者の増加や核家族化の進行を前提に設計されてこなかったということ。コミュニティバスやタクシーなどの移動手段はあっても、高齢者にとってはその日の体調や天候などを考える必要があり、なかなか便利とは言い難いものです。また、スーパーが近所にあったとしても、そこまでの道に坂があったり、歩道が狭かったりすれば、それだけで買い物はしづらくなります。そのため、ひとたび歩行や運転が不自由になると、とたんに買い物が難しくなる、それが日本各地で起きているのです。

筆者が暮らす住宅街は、大手スーパーマーケットがしのぎを削る「激戦区」といわれています。コンビニもドラッグストアもたくさんあると思っていたのですが、近所で「とくし丸」を見かけるということは、既存の店舗では買い物ができない人が少なからずいるということです。「買い物に困らない」と思っているのは、今、筆者が健康だからなのでしょう。なかなか見えてこないけれども、「買い物難民」はどこにでもいる、という言葉はとても重く感じます。

お客さまを協力者として巻き込む。持続可能なシステム

ただ、新宮社長からみると移動販売というスタイルは、昔でいうところの「御用聞き」で、高齢者世代にとってはお馴染みの方法だといいます。

「酒屋さんが注文を取って商品を積み込み配送する、八百屋や魚屋、お豆腐屋さんが商品を積み込んで販売する形は、昭和ではよく見られた光景でした。それが、小売業の発展、自動車の普及にともなって収益がでなくなり、廃れていってしまったのです」(新宮社長)

それを現代に蘇らせ、ビジネスモデルとして再構築したのが、「とくし丸」というわけです。面白いのはそのビジネスモデルで、商品を提供するのはスーパーですが、ドライバーは個人事業主で、販売委託という形を取っているため雇用関係はありません。商品は1点につき、店頭価格よりいくらか上乗せして販売し、その売り上げはドライバーと「とくし丸」で分け合います。スーパーは車両や人材確保をせずとも新規の売り上げが見込め、ドライバーは地方での雇用創出にもなり、高齢者にとっては買い物場所ができる、とかかわる人すべてが得をする「三方よし」の仕組みです。また、既存のスーパーと共存するために店舗300m以内の場所では営業しないのだとか。

(画像作成/SUUMO編集部)

(画像作成/SUUMO編集部)

「スーパーや小売店からすると、店頭価格に上乗せして、お客さまに負担してもらうのはとても難しいのでは、と言われていたそうです。ただ、実際、始めてみると、タクシー代やバス代と思えば安いよと言われて、この形になったといいます。お客さまを協力者として巻き込むことで成り立っているのです」といい、現在、盛んに言われている「持続可能な仕組み」になっているのも興味深いところです。

「高齢者の買う楽しみ」をネットとあわせて進化させる

高齢者の多くは、まわりに迷惑をかけないよう、ひっそりと暮らしているといいます。そこに「とくし丸」が行くことで人が集まってきて、ご近所の人と会って会話が盛り上がって……と活気がなくなったコミュニティの再生にもつながっているそう。「見守り」という面で自治体と連携していることもあります。

「週2日、とくし丸に来るのが唯一の楽しみという人も多いんです。買い物中も当然、『元気にしてた?』『好きなお団子、持ってきたよ』という、会話が交わされるようになり、そこから親戚のようなつながりが生まれます。見守りにもつながりますし、実際、あってほしいことではないですが、まさかの事態にドライバーが気が付いた例もあります」(新宮社長)

2019年撮影(画像提供/とくし丸)

2019年撮影(画像提供/とくし丸)

とくし丸で買い物を楽しむ人たち。2019年撮影。(写真提供/とくし丸)

とくし丸で買い物を楽しむ人たち。2019年撮影。(写真提供/とくし丸)

地域再生やコミュニティ活性といっても、結局は雑談や何気ない会話から生まれるもの。また、直接、話すことで、伝えられることも多いといいます。

「2020年の春ごろは、新型コロナウイルスといっても、都会の出来事でどこか他人事で、地方在住の高齢者はマスクをしていない人がほとんどだったんです。そこでドライバーがマスクや消毒をするように促し、『マスクをしたほうがいいですよ』『予防が大事ですよ』、と繰り返し伝えたことも。現在、『とくし丸』の利用者は約15万人。これだけの高齢者に直接、情報を伝えられる、高齢者の声を直接、メーカーなどに伝えられるのは、弊社の強みだと思っています」と新宮社長は言います。

日本の人口は減少に転じていますが、高齢者、特に単身世帯はまだまだ増え続け、貴重な「成長マーケット」という側面もあります。
「これまでの高齢者はインターネットが使えない人が多数でしたが、これからはインターネットを使いこなせる高齢者も増え、今までの10年以上に大きな変化が社会全体に起きると思っています。買い物でいうと、ネットで注文できるものは前もって注文しておき、トラックが届けるという使い方はなされるのではないでしょうか。一方で、今日のランチなどはその日の気分に合わせて、リアルで選びたいですよね。会話しつつ選ぶ楽しみ、買い物の楽しみも届けたいと思っています」(新宮社長)

住まいだけあっても、人の暮らしは成り立ちません。毎日の買い物は、暮らしを支えるインフラであると同時に、人と会ったり、話したりするつながりの場でもあります。移動スーパー・とくし丸が支えているのは、実は私たちのこれからの「暮らし」や「人生」なのかもしれません。

●取材協力
とくし丸

日の里団地を「ひのさと48」で再生。ビールやDIY工房、保育園などでにぎわう

福岡県宗像市にある、日の里団地は、1971年に日本住宅公団(現・UR都市機構)が“九州最大級の団地”として開発。憧れのニュータウンだった場所だが、他エリアの団地と同様、建物の老朽化や住民の高齢化などが進んでいる。しかし日の里団地は団地の再生プランを立て、新しい団地のあり方「宗像・日の里モデル」を提案できるように歩み始めている。今回はその象徴となる48号棟「ひのさと48」を訪れた。

50歳を迎えた「日の里団地」48号棟が「ひのさと48」に。ワクワク虹色の未来を描く(写真撮影/笠井鉄正)

(写真撮影/笠井鉄正)

最寄駅となるJR鹿児島本線・東郷駅は、博多駅まで快速列車で約30分の距離。福岡市の都心部に通勤するのにほどよいベッドタウンだ。その東郷駅から広がる丘陵地に開かれた日の里団地は、開発された1971年当初、全65棟に次々と入居者が決まり、最盛時は約2万人もの人々が暮らしていた。

そして50年後の2021年。住民数は10分の1の2000人程度となり、65歳以上人口の割合である高齢化率は4割前後。宗像市全体の高齢化率3割前後を超えている。

そんななか、日の里団地のいちばん奥まったエリアにある、48号棟に注目が集まっている。2017年に閉鎖された10棟のうちの1棟で、住民はもちろん宗像市や周辺エリアのコミュニケーションのハブとなるよう2021年3月、「ひのさと48(よんじゅうはち)」という場所として動き始めた。

虹色のバルコニーパネルや木のテラスは2021年3月末に「ひのさと48」に関わる人が集まってペイントした(写真撮影/笠井鉄正)

虹色のバルコニーパネルや木のテラスは2021年3月末に「ひのさと48」にかかわる人が集まってペイントした(写真撮影/笠井鉄正)

虹色のカラーリングをほどこされた「ひのさと48」の見た目はもちろん、その中身もワクワクしたものがあふれだし始めているようだ。これからこの場所で何が起こり、日の里団地はどのように変わっていくのか。

お話を伺うために、「ひのさと48」のディレクター・吉田啓助(よしだ・けいすけ/東邦レオ株式会社)さんとスタッフの谷山紀佳(たにやま・のりか/同社)さんを訪ねた。

「ひのさと48」ディレクター・吉田啓助さん。ご自身も日の里団地内に分譲の物件を購入している(写真撮影/笠井鉄正)

「ひのさと48」ディレクター・吉田啓助さん。ご自身も日の里団地内に分譲の物件を購入している(写真撮影/笠井鉄正)

ふたつのエリアが融合しながら里山的な暮らしをつくる

下の写真の広々とした更地は「ひのさと48」と隣接したエリアにある。かつて10棟の団地が存在していたが、そのうち9棟は取り壊されて2022年、64戸の新築戸建てが建設される「戸建てエリア(むなかた さとのは hinosato)」が誕生する予定だ。新築の戸建てエリアが築50年の団地に挟まれている風景にも興味が湧く。

「ひのさと48」の3Fベランダから、日の里団地58・59号棟を方面を眺めた風景。「ひのさと48」と団地の間の土地に新しく「戸建てエリア」が出現する(写真撮影/笠井鉄正)

「ひのさと48」の3Fベランダから、日の里団地58・59号棟を方面を眺めた風景。「ひのさと48」と団地の間の土地に新しく「戸建てエリア」が出現する(写真撮影/笠井鉄正)

上の写真の逆向きバージョン。日の里団地58・59号棟から「ひのさと48」を眺めた風景(写真撮影/笠井鉄正)

上の写真の逆向きバージョン。日の里団地58・59号棟から「ひのさと48」を眺めた風景(写真撮影/笠井鉄正)

「戸建てエリア」の開発を担うのは、ハウスメーカーなど8社からなるJV(ジョイントベンチャー。特定目的会社)で、里山をイメージした街づくりが進められている。木々のなかに戸建てがゆったりと並び、大人も子どもも自由に伸びやかに散歩にでかけ、小さな自然を楽しむ。そんなイメージだ。

「戸建てエリア」に隣接する「生活利便施設エリア」として位置づけられているのが、かつての48号棟「ひのさと48」である。

現在、1階にはクラフトビールのブリュワリー&ショップ「ひのさとブリュワリー」、最新の木工加工機が設置された「じゃじゃうま工房」、コミュニティカフェ「みどり TO ゆかり」、シェアキッチン「箱とKITCHEN」、「ひかり幼育園 ひのさと分園」が入居。取材に訪れた日も子どもたちの声が響いていた。

(写真撮影/笠井鉄正)

(写真撮影/笠井鉄正)

(写真撮影/笠井鉄正)

(写真撮影/笠井鉄正)

この「戸建てエリア」と「生活便利エリア」を合わせて「宗像・日の里モデル」と呼ばれる団地再生プロジェクトとなっている。

クラフトビールを足がかりに、人と地域が交わり、広がる

2021年3月から本格的に稼働し始めた「ひのさと48」で今、何かと話題をふりまいているのがブリュワリー&ショップ「ひのさとブリュワリー」だ。団地の1階にクラフトビール工房というシチュエーション。聞いただけでワクワクするし、ここを目指してふらりと訪れる人も多い。

2021年10月までに、第7弾まで発売されている(写真撮影/笠井鉄正)

2021年10月までに、第7弾まで発売されている(写真撮影/笠井鉄正)

「ひのさとブリュワリー」の醸造タンクは2つ。東邦レオ株式会社の社員が醸造長となり、クラフトビール界で有名な「インターナショナル・ビアカップ2021」で賞を獲得した。すごい!(写真撮影/笠井鉄正)

「ひのさとブリュワリー」の醸造タンクは2つ。東邦レオ株式会社の社員が醸造長となり、クラフトビール界で有名な「インターナショナル・ビアカップ2021」で賞を獲得した。すごい!(写真撮影/笠井鉄正)

訪れた人が「おもしろいことをやっている団地がある」と周りの人に伝え、よい循環もできている。
「宗像市の離島・大島のみなさんも『日の里がビールとかつくるんなら、私たちにもなにかできるかも?』と独自の地域活性に取り組もうと動き出したり。周辺の活性化にもいい影響があるといいですね」と吉田さん。

お隣の福津市でクラフトビールづくりを始めたいという男性が、買い物&リサーチに訪れていた(写真撮影/笠井鉄正)

お隣の福津市でクラフトビールづくりを始めたいという男性が、買い物&リサーチに訪れていた(写真撮影/笠井鉄正)

また、「ビールを買いに来てくれたご夫婦が『私たち、実は、この48号棟に住んでいたのよ。懐かしいわ!』なんて打ち明けてくれたり。日の里団地との関係性が切れた方も、ビールをきっかけに思い出してくれて、さらに足を運んでくれるって素敵ですよね」と谷山さんもうれしそう。

おいしいアルコール飲料であるのはもちろん、人と人、人と地域を楽しくさせるコンテンツでもある。「ひのさとブリュワリー」はそんな役割も担っている。

ちなみに「ひのさとブリュワリー」のビール「さとのBEER」には、宗像での栽培が盛んな大麦が使われている。自分たちの足元にそんな農産物があるという、情報を知るきっかけにもなっている。

「ひのさとブリュワリー」のショップで大麦を見せてくれた谷山さん(写真撮影/笠井鉄正)

「ひのさとブリュワリー」のショップで大麦を見せてくれた谷山さん(写真撮影/笠井鉄正)

お金のつながりだけでないことが、持続していくこと

「ひのさとブリュワリー」「じゃじゃうま工房」などは吉田さんたちが運営している施設だが、2021年の春からそれ以外のテナントもぼちぼちと入居をし始めている。ウクレレの工房や就労継続支援のオフィスなど「ひのさと48」のコンセプトに賛同してくれた人ばかりだ。

「みなさんテナントさんであるし、もっと増えてほしいです。ただ、お金をもらったからスペースを貸すよ、という関係性は目指していません。みんなでこの場所を、この地域をどう楽しみ、どうしていくのか。一緒に考えられる関係性でいたいなと思っています」。そう話してくれた谷山さんは、入居者のことを「さとの仲間」と呼んでいる。「『ひのさと48』担当になって最初のころ、ついつい『さとの仲間』のことをお客さんだと思いそうになっていました。でもそうじゃないんですよね。日の里に一緒にコトを起こす仲間になりたいんです」

今はスタートしたばかりの「ひのさと48」だが、今後、持続的に活動を続け、10年後には運営を地域にバトンタッチしていく予定だ。それまでに仲間たちで何ができるのか、次代へ何を手渡せるのか、これからの課題でもある。

「ひのさと48」の一角には野菜畑があり、入居者やご近所さんがゆるやかに協力し合いながら育てている。もうすぐさつまいもの収穫(写真撮影/笠井鉄正)

「ひのさと48」の一角には野菜畑があり、入居者やご近所さんがゆるやかに協力し合いながら育てている。もうすぐさつまいもの収穫(写真撮影/笠井鉄正)

日の里団地の子どもたちがドミノ大会を開催。「ひのさと48」でお化け屋敷をやりたいという声もあがり、スペースを提供する予定(写真撮影/笠井鉄正)

日の里団地の子どもたちがドミノ大会を開催。「ひのさと48」でお化け屋敷をやりたいという声もあがり、スペースを提供する予定(写真撮影/笠井鉄正)

テーブルの足は、団地のベランダにあった物干し竿かけを再利用(写真撮影/笠井鉄正)

テーブルの足は、団地のベランダにあった物干し竿かけを再利用(写真撮影/笠井鉄正)

10年後も変わらないもの、変わっていくものはなんだろう?(写真撮影/笠井鉄正)

10年後も変わらないもの、変わっていくものはなんだろう?(写真撮影/笠井鉄正)

「ひのさと48」と2022年に完成する戸建てエリアのコンセプトは「サスティナブル・コミュニティ」である。そして「ひのさと48」持続可能にしていくものは、地域であり、人々であり、里山の自然である。

先日は地域の子どもたちのリクエストに応えて、クラウドファンディングで資金をつくり、団地の壁にクライミングのホールドを設置した。これからも多様な切り口で活動することで、人々に多様なワクワクをプレゼントしていく。

●取材協力
ひのさと48
UR都市機構

自宅の1階に酒屋&角打ちを誘致!会社員が夢をかなえた店舗付き住宅

「自宅の1階に好きなお店があったらいいのに」「家賃収入のある大家さんになりたい」、そんな妄想や夢想をした人もいるのではないでしょうか。今回は、賃貸でも購入でもなく、自宅の1階に好きな酒店「いまでや清澄白河」を誘致するという夢と愛のある「大家暮らし」を叶えた小島雄一郎さんにインタビューしました。

分譲も賃貸も経験。行き着いたのは好きな街・清澄白河で「店舗併用住宅」

コーヒーとアートの街として知られる清澄白河(東京都江東区)。この街の一角に今年2021年8月、酒屋「いまでや 清澄白河」が誕生しました。店のコンセプトは「はじめの100本」。お酒に詳しくない人でも、日本各地の日本酒やワインなどに詳しくなっていけるという、お酒のセレクトショップです。10月22日から「角打ち」(酒を酒屋の一角で立ち呑みすること)もできるようになりました。

住宅街の一角にできた「いまでや 清澄白河」(写真撮影/相馬ミナ)

住宅街の一角にできた「いまでや 清澄白河」(写真撮影/相馬ミナ)

日本酒やワインを知るための「はじめの100本」がコンセプト(写真撮影/相馬ミナ)

日本酒やワインを知るための「はじめの100本」がコンセプト(写真撮影/相馬ミナ)

「これはどんなお酒?」と手に取りやすく、会話もうまれやすい仕掛けがしてある(写真撮影/相馬ミナ)

「これはどんなお酒?」と手に取りやすく、会話もうまれやすい仕掛けがしてある(写真撮影/相馬ミナ)

店舗付き住宅の場合、オーナーが自宅で商売をする、または、不動産会社にテナント誘致を任せることが多いのですが、今回の家はそれとはまったく事情が異なります。この家の所有者は、広告代理店に勤務し、「若者研究」などで知られる小島雄一郎さん。自身で酒店を口説いて誘致し、「自分の家の1階に大好きな酒屋が入る」という酒飲みの夢のような家を建てた、というのがそのあらましです。とはいえ、いきなり店舗併用住宅という結論に至ったのではなく、実は「賃貸or購入」という、30代の住まいの「命題」について考え抜いた結果だったといいます。

「もともと、清澄白河近くの賃貸住宅で暮らしていましたが、コロナ騒動前は年間100日ほど出張があって、自宅にいないのに家賃を支払うという状況だったんです。だったら、買うにしても借りるにしても、『家』に“働いて”もらったほうがいいんじゃない?というのがそもそものはじまりなんです」と話します。

キッチンからリビングをのぞむ。どこを切りとってもスタイリッシュ(写真撮影/相馬ミナ)

キッチンからリビングをのぞむ。どこを切りとってもスタイリッシュ(写真撮影/相馬ミナ)

ただ、賃貸物件であっても、分譲物件であっても、集合住宅ではAirbnbなど民泊の時間貸し、部屋の貸し出しは、規約で禁じられていることが多いもの。「集合住宅で家に働いてもらう」のは、すぐに厳しいと気がついたそうです。

「次に考えたのが中古物件+リノベです。ただ、下町で流通する中古物件は、建ぺい率(敷地面積に対する建物の建築面積)がオーバーしているなど、現在の法律だと違法建築だったり、既存不適格だったりするため、住宅ローンが使えないこともあるようです。そのため、結果として新築の注文住宅、しかも店舗併用住宅という発想に至りました」といいます。こうして小島さんの「借りるor買う」からはじまった住宅問題は、「大家になって稼ぐ家をつくる」という判断になったのだといいます。

小島さん宅の間取り1、2階(画像提供/須藤剛建築設計事務所)

小島さん宅の間取り1、2階(画像提供/須藤剛建築設計事務所)

小島さん宅の間取り3、PH階(画像提供/須藤剛建築設計事務所)

小島さん宅の間取り3、PH階(画像提供/須藤剛建築設計事務所)

建築、食、酒、アートなどに触れる暮らし。家を建てたことで、「自分の文化度」が上がった

ただ、東京の人気エリアで、土地を買って、新築で店舗併用住宅を建てるとなれば、金額的にも大きな決断になることには違いありません。

「土地を買ってこの建物を建てたのですが、建物の建築面積は90平米程度、建物は3階建てで、2階と3階、屋上が住まいになります。東京都内の新築マンション価格はあがる一方なので、結果としては新築マンションを買ったのと同程度の価格帯におさまりました」といいます。毎月の住宅ローン収支でいうと、家賃収入を返済額に充てれば、ご自身で支払う返済額は賃貸に住んでいたころの賃料の半額程度といいます。ただ、自宅にはサウナがあったり、屋上でバーベキューや流しそうめんができたりと、暮らしの満足度、充実度は比較になりません。

リビングを横から。つるされたグリーン&ギターが素敵(写真撮影/相馬ミナ)

リビングを横から。つるされたグリーン&ギターが素敵(写真撮影/相馬ミナ)

2階の寝室&仕事スペース。手持ちの和箪笥もなじんでいます(写真撮影/相馬ミナ)

2階の寝室&仕事スペース。手持ちの和箪笥もなじんでいます(写真撮影/相馬ミナ)

2階にはサウナも! 建築家もサウナ好きだったそう(写真撮影/相馬ミナ)

2階にはサウナも! 建築家もサウナ好きだったそう(写真撮影/相馬ミナ)

屋上。目の前は寺社で、遮るものがなく、大きな空が広がる(写真撮影/相馬ミナ)

屋上。目の前は寺社で、遮るものがなく、大きな空が広がる(写真撮影/相馬ミナ)

「建築家と建てた家なので、インテリアをはじめ、好みのテイストで統一できていて、暮らしの満足度は比べ物になりません。ただ、電気配線工事の依頼や各種手続きなどは自分ですべてやらなくてはいけなくて、手間はかかりました。新築マンションや賃貸だと、ぜんぶセットアップされているので、決められた手続きをしていけば暮らしがはじめられますが、注文住宅なので一つひとつ自分がやらなくてはいけない。大変でしたが、家を建てるなかで、建築やインテリア、食、地域やコミュニティへの理解など、自分の暮らしの『文化度』があがった気がします」と家を建てた経験を振り返ります。

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

また、家について考えていたこの1年は、コロナ禍でリモートワークが導入され、働き方や家の価値、街との関わり方について考えることも増えたといいます。

「在宅時間が増え、家や街のことをより考えるようになり、単なる収入ではなく、大家として自分にも、街や地域にもよい影響があったらいいなと考えるようになりました。当初、店舗部分はワークシェアスペースやレンタルスペースも考えましたが、コロナ禍で先が見えないし、カフェやギャラリーはすでにある店と競合する……と考えを整理していき、最終的に酒屋、しかも角打ちもできる店がよいだろうと。そこまで考えたあとで、自分で酒店を見学してまわり、誘致することにしたんです」といいます。

大家として土地や不動産を所有し、テナントや店子の管理はすべて不動産管理会社にまかせて「収入を得るだけ」という人はたくさんいますが、企画から開発まで、自分で考え、行動に移すのはさすがとしかいいようがありません。

勝ち馬に乗るのではなく、街を盛り上げた結果としての「資産」に

とはいえ、自宅の1階を店にするには、やはり覚悟と手間が必要だったといいます。

「自宅の一部で店をはじめるので、街や周辺住民との関わり方、当事者意識がまったく異なります。周辺にも、はじめる前もあいさつをしに行きました。清澄白河は、下町ということもあり、飲食店や商店、町内会などの横のつながりがあります。地域との関わりは、今までの賃貸や分譲マンションでは考えられないほど、深くなりましたね」と小島さん。

夕方、暗くなりはじめて明かりが灯ると、独特の風情が漂う(写真撮影/相馬ミナ)

夕方、暗くなりはじめて明かりが灯ると、独特の風情が漂う(写真撮影/相馬ミナ)

無事に開店。近所の人がふらりと立ち寄っていくのがおもしろい(写真撮影/相馬ミナ)

無事に開店。近所の人がふらりと立ち寄っていくのがおもしろい(写真撮影/相馬ミナ)

いわゆる不動産を所有することで、「資産を形成する」「所得を得る」だけということは、したくなかったといいます。
「清澄白河は今、盛り上がっている街ですが、だからといって何をやってもうまくいくわけではありません。自分が当事者として地域や街を盛り上げていった結果として、地価や資産が守られたらいいなとは思いますが、勝ち馬に乗って売り抜けるようなことは考えていませんでした」といいます。自分が当事者として地域に関わり、地元愛が盛り上がった結果として、資産が維持できたらいいというのは、不動産本来のあり方といえるでしょう。

今回、小島さんが声をかけたことで、住宅街の一角に店を出すことになった、株式会社いまでやの専務取締役の小倉あづささんは、どのように考えているのでしょうか。

小島さんもこの1年でだいぶお酒に詳しくなったとか(写真撮影/相馬ミナ)

小島さんもこの1年でだいぶお酒に詳しくなったとか(写真撮影/相馬ミナ)

左がいまでやの小倉さん、右が小島さん。大家と店子って本来、こんな感じだったのでしょうか(写真撮影/相馬ミナ)

左がいまでやの小倉さん、右が小島さん。大家と店子って本来、こんな感じだったのでしょうか(写真撮影/相馬ミナ)

「昨年の秋ごろでしょうか、突然、出店しないかというメールが会社に来て、おもしろそうな人だから会ってみようというのが、はじまりでしたね。当初は店を出すつもりはなくて、2回目に会ったときも出店する意向はなかったのですが、小島さんが家賃を含めて、本気で関わろうという姿勢を見せてくれたんですよね。そこではじめて覚悟や思いを感じたというか。何度も場を設けて、弊社の社員にはない知識や経験をもらって……を繰り返していくうちに、結局、出店することになりました」と1年を振り返ります。

小島さんがはじめにIMADEYAさんに送ったプレゼン資料(画像提供/小島雄一郎さん)

小島さんがはじめにIMADEYAさんに送ったプレゼン資料(画像提供/小島雄一郎さん)

ただ、この1年はお酒や外食産業にとって、先の見通せないつらい時期でもありました。緊急事態宣言が続き、お酒を飲み交わす場はすっかり精彩を欠いていたように思います。

「弊社は酒を販売するだけでなく、飲食店にも卸しているのですが、まさかこんなに長くコロナ禍が続くとは思ってなかったな」とぐちる小倉さん。
「ご近所の人は暖かくて、店の工事をしていると『今度は何屋ができるの?酒屋?楽しみだね』と言ってもらったり、『酒器も売っているんだね、今度来るから』と言ってもらえたり。期待度や関心度を実感していました」(小倉さん)

一方で、家飲み需要が高まっているという手応えもあり、小島さんと小倉さんとで店のコンセプト「はじめの100本」の完成度を高めていったそう。そして、デジタルを活用しつつ、お酒が好きな人も、すでに詳しい人も楽しめる仕掛けをして、今年8月、無事、お店がオープンとなりました。

「この酒をオススメする人の名前、顔、理由」がおもしろい。全部飲みたい(写真撮影/相馬ミナ)

「この酒をオススメする人の名前、顔、理由」がおもしろい。全部飲みたい(写真撮影/相馬ミナ)

グラスにいれると色がわかって、またきれい(写真撮影/相馬ミナ)

グラスにいれると色がわかって、またきれい(写真撮影/相馬ミナ)

お酒って話ながら選ぶのがおもしろいんですよね。貴重な交流の場に(写真撮影/相馬ミナ)

お酒って話ながら選ぶのがおもしろいんですよね。貴重な交流の場に(写真撮影/相馬ミナ)

「お酒は川の流れと同じで、常に人の暮らしに寄り添ってきたんです。今回、感染症対策で、飲食店で呑むのは難しい時期が続きましたが、だからこそ家では、美味しいお酒を飲んでほしいという思いは強くなりました。それと、美味しいものはなぜ美味しいのか、知識があるともっと楽しくなる。また、お酒の知識は人との会話で得るのが一番、記憶に残るんです。角打ちは、そういうお酒の楽しさを学ぶ場であり、サロンにもなる。人とお酒とが盛り上がる、豊かな場所にしていけたらいいですよね」と小倉さん。

「『お店なんて、よくできたね』と言われるんですが、3階建てのうち1階を自動車の車庫にしている家はよくありますよね。それと同じ感覚で、車庫部分にお店を誘致してきただけ。会社員でも、十分、ありえる方法だと思いますよ」と小島さん。1階に車庫があれば交流は生まれませんが、酒屋があることで、お客さんや地域と交流がうまれます。小島さん自身は、まだ家を所有している感覚はないといいますが、暮らしや地域に根ざしている感覚があるといいます。これも家の完成までに、多くの人とやりとりしたからこそかもしれません。

単に住む街、眠る街から、商いの当事者として関わる街へ。関わりが増えれば、手間や煩わしさも増えることでしょう。でも、それ以上に豊かに、得るものはきっとあるはず。買うor借りる、の発想を超えて、新しい暮らし方へ。すでに流れは変わっているのかもしれません。

静かに光る「いまでや」の看板。新しい光ですね(写真撮影/相馬ミナ)

静かに光る「いまでや」の看板。新しい光ですね(写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
小島雄一郎さん
・note
・Twitter
IMADEYA(いまでや 清澄白河)

ご近所お抱え農家Vege House 。野菜の直販を“お客以上友だち未満”の距離感で

採れたて野菜を畑のすぐそばで購入できる野菜の直販サービス「Vege House」。始めたのは、小金井市の阪本農園の阪本さんはじめ幼馴染3人組。お客さんはLINEで注文しておいた野菜を農園でピックアップできる。24時間以内に収穫された新鮮な野菜が手に入るのが魅力で、まさに地産地消のサービスだ。

採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい

近所に畑があっても、そこで直接野菜を買えるわけじゃない。ああ立派なピーマンだな、里芋だなと気になっても、野菜はスーパーで買うのがあたりまえの社会に私たちは生きている。収穫された野菜は市場に出され、流通にのってまた地元のスーパーに並ぶ。その間、収穫からゆうに4~5日が経ってしまう。

「せっかく住宅街のそばで新鮮な野菜を収穫しているのに、直接お客さんに届けられないのはもったいないと思ったんです。採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい」と、農園のすぐそばで野菜を売り始めた人たちがいる。同級生3人組、阪本大悟さん、佐藤友樹さん、小嶋英郎さんによる野菜の直販サービス「Vege House」だ。

野菜は新鮮であるほどおいしい。畑のそばで買えるのであれば、それだけで嬉しいサービスになるはずだ。詳しい話を聞きに、新小金井にある阪本農園に向かった。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

住宅街の中に広がる農園

西武多摩川線の新小金井駅から徒歩8分。コンビニエンスストアの脇の道を入っていくと、阪本農園の畑が見えてくる。周囲はまさに住宅街。1ヘクタールほどの畑が広がり、ハウスも10ほど並んでいる。阪本大悟さんが迎えてくれた。

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園は、この土地に350年も続いてきた農家。大悟さんのお父さんの啓一さんは早い時期から有機農法に取り組んできた熱心な農家だ。

主にサラダ野菜を5種類、スイスチャード、ルッコラ、サラダホウレンソウなどを栽培して、大手宅配サイトや飲食店に野菜を卸している。お母さんやお兄さんも一緒に働く家族経営で、ナスやキュウリ、ネギなどの一般的な野菜もつくっている。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

「Vege House」は、そんな阪本農園の野菜と、近隣の農家の野菜をご近所さんに直販するサービスだ。

しくみはこう。ほぼ毎日、阪本さんたちはインスタグラムやLINEで、登録者向けに販売できる野菜をお知らせする。お客さんは受取の2日前までにほしい野菜をLINEで注文。注文受けた野菜を阪本さんたちは収穫して、受取時間までに用意しておく。お客さんは農園に直接取りにくるか、もしくは配送料300円を支払って届けてもらうことができる(配達範囲は主に小金井市と武蔵野市の一部)。

「配送するより、取りに来てくださるお客さんの方が圧倒的に多いです。なので本当にご近所さん向けのサービスといった感じですね。いま登録数は600ほどですが、1日に取りに来られるのは多いときで20人くらい、少ない日は2人なんて時もあります」

基本、平日の9時半~13時、13~20時は毎日受取可能。買い物や仕事帰り、保育園の送り迎えついでにピックアップする人が多い。しかも注文を受けてから収穫するため、24時間以内に採れた野菜が食べられるのが、最大の嬉しいポイントだ。

Vege Houseのinstagram

Vege Houseのinstagram

「採れたての野菜ってこんなにうまいのか」

Vege Houseは昨年(2020年)の5月、阪本さんと子どものころから仲の良かった同級生、佐藤さん、小嶋さんと3人で始めた。当時はみなまだ大学生だった。
なぜこのサービスを始めることになったのだろう?

「僕は卒業したら農業を手伝うことを決めていました。うちの野菜の9割はずっと大地を守る会(現「オイシックスラ・大地」)に卸しているんです。なのでコロナ禍の影響はほとんどありませんでした。でも売り先が一つしかないのは不安だなと思うようになったんです。自然災害も増えているし、売り先はいくつかある方がいいのではと」

そこで通販プラットフォームを使って、オンラインでの販売を始めてみた。ところがそれほど数が出るわけでもなく、顔の見えないお客さんに野菜を送る仕事は面白く感じられなかった。

せっかく新しいことをやるなら、もっと面白いことができないかと、2人の友人に相談した。

「帰りにお土産にキュウリを渡したんです。それをかじった小嶋が『何これ!こんなうまいキュウリ、初めて食べた』って。採れたての野菜ってこんなにうまいのかって言うんです。野菜はスーパーで買うのが当たり前だと思っているから、東京でこんなおいしい野菜が食べられるってみんな知らないよねって話になって。だったら地元の人たちにアピールしてみたらどうだろうって」

友人2人が興味をもったことで、Vege Houseの構想が生まれた。ご近所さんが野菜を通じて農家や畑を身近に感じるようになる。そこに生まれるささやかな地域コミュニティ。そんな像をめざしてVege Houseは始まった。

その後3人とも大学を卒業し、佐藤さんと小嶋さんは会社員に。以前に比べると忙しくなり、毎日携わるのは難しくなったが、家も近いため月に2~3回は必ず3人で集まり相談し合っているという。

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

農園が身近な場所になっていく

オンラインでの広がりでお客さんは徐々に増えているが、お客さんというより友だちが増えていく感覚に近いと阪本さんはいう。子育て中の若いお母さんや働く主婦、年配者などさまざま。

「家族連れで取りに来られる方もいます。小さなお子さんが、公園公園っていう感覚で『のうえんのうえん』って言ってくれるらしくて。農園行こうねって。そう聞くとほんとに嬉しいんですよね」

子どもにとっては、スーパーに並ぶ野菜だけでなく、食べものの育つ現場を知る、いい機会なのかもしれないと思う。
だが農作業の合間に野菜を渡したり、配達にまわるのは負担ではないのだろうか。

「だいぶ慣れました。ただやっぱり、家族の理解は大きい。畑で作業していてもお客さんが受取にくる15分前には携帯のバイブが鳴るようにしていて、『行ってくるわ』っていうと『行ってらっしゃい』って言ってくれるので」

畑も受け渡し場所も同じ敷地内なので、それほど時間はかからない。ただし、お客さんの都合で受取時間が変わるなど、手間も多いだろう。

「そうですね。でも僕にとっては友だちみたいな感覚なので。ほぼ名前も覚えているし。『子どものお迎えを先に行ってきてもいいですか』と連絡がきて『はいじゃあ3時半にお待ちしますね』って感じのやり取りです。そのぶん野菜が美味しかったとか、ほかではもう買えないっていうような言葉をいただいて。その方がすごく嬉しい」

野菜の収穫体験をお客さんにプレゼントしたこともある。1000円以上買っていただいた方に、大根を1本直接畑から抜いてくださいというサービス。お客さんにとっては新鮮な遊びや体験になる。
そうしてどんどん近くの畑や農家が身近な存在になっていく。

(写真提供/Vege House)

(写真提供/Vege House)

仕入れ先もご近所さん

Vege Houseでは阪本農園だけでなく、近所の農家の野菜も合わせて販売している。各農家も注文に応じて収穫。それを阪本さんが毎朝集荷にまわる。

「車で10分かからないところばかりなので。例えば荻原農園さんに9時に仕入れにいって、ほかいくつかまわっても9時半にはうちに戻れます」

値段は各農家が決めるため、同じナスでもA農家とB農家で値段は違っていたりする。それはお客さんが選んでくれればいい。Vege Houseで多少の手数料を取っているが、値段は良心的。買う側からしても新鮮な野菜が安価に手に入る。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

新しいお客さんを獲得するための、ゲリラ販売も

8月中旬の土曜日には、ゲリラ販売が行われた。「インスタを見てはいるけどまだ試したことがない」という人たちに来てほしいと行われたイベントだった。

農作業の後、ということで開始は16時半。時間になると、農園の前にぞくぞくと人が集まり始めた。
軽トラックの荷台に野菜を広げて販売する。若い夫婦や、子ども連れのお母さん、年配者など20人ほどが列をつくった。

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

「ホウレンソウくださ~い」という子どもの声。「じゃあまた~」と笑顔で帰るお年寄り。そのたびに阪本さんは「ありがとうございます、またお願いします!」「とれたて野菜、楽しんでくださいね」と言葉を返す。

野菜がどんどん売れていく。これほどお客さんが訪れるとは思っていなかったそうだ。
30分もしないうちに野菜はほぼなくなり、わずか1時間ほどで完売。

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日訪れたお客さんの半分は、新規のお客だったそう。ほとんどがご近所さん。「その日の気分で買うので、なかなか数日前の予約は難しくて」と話すお客さんもいた。毎日、ここで販売する予定はないのだろうか。

「やっぱり予約して買っていただきたいんですよね。いつでも買えると八百屋と変わらなくなってしまう。欲しいから事前に頼む。お抱え農家みたいになりたいといいますか」

「売り手と買い手」である前に、「つくり手と買い手」の関係性が先にある。お客さんから見れば、阪本さんはあくまで“農家さん”。だからいい。それが違いかもしれない。
食べることはもっとも身近な行為。行きつけの美容院や飲食店と同じように、生活圏に“いつもの農家さん”がいるのは、安心で嬉しいことのように思う。

「自分の暮らす身近に農家があるといいですよね。都会にこそ、本当は農地が増えてほしい」

Vege Houseで扱う野菜はとくにオーガニックに限っているわけではないため価格も控えめ。「ただ新鮮でおいしい」に特化した直販サービスは珍しいかもしれない。

“お客以上友だち未満”の距離感で野菜を販売してくれるVege Houseのようなサービスが増えれば、畑や農業がもっと身近になるだろう。

●取材協力
Vege House
instagram:@vege_house_

ご近所お抱え農家Vege House 。野菜の直販を“お客以上友だち未満”の距離感で

採れたて野菜を畑のすぐそばで購入できる野菜の直販サービス「Vege House」。始めたのは、小金井市の阪本農園の阪本さんはじめ幼馴染3人組。お客さんはLINEで注文しておいた野菜を農園でピックアップできる。24時間以内に収穫された新鮮な野菜が手に入るのが魅力で、まさに地産地消のサービスだ。

採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい

近所に畑があっても、そこで直接野菜を買えるわけじゃない。ああ立派なピーマンだな、里芋だなと気になっても、野菜はスーパーで買うのがあたりまえの社会に私たちは生きている。収穫された野菜は市場に出され、流通にのってまた地元のスーパーに並ぶ。その間、収穫からゆうに4~5日が経ってしまう。

「せっかく住宅街のそばで新鮮な野菜を収穫しているのに、直接お客さんに届けられないのはもったいないと思ったんです。採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい」と、農園のすぐそばで野菜を売り始めた人たちがいる。同級生3人組、阪本大悟さん、佐藤友樹さん、小嶋英郎さんによる野菜の直販サービス「Vege House」だ。

野菜は新鮮であるほどおいしい。畑のそばで買えるのであれば、それだけで嬉しいサービスになるはずだ。詳しい話を聞きに、新小金井にある阪本農園に向かった。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

住宅街の中に広がる農園

西武多摩川線の新小金井駅から徒歩8分。コンビニエンスストアの脇の道を入っていくと、阪本農園の畑が見えてくる。周囲はまさに住宅街。1ヘクタールほどの畑が広がり、ハウスも10ほど並んでいる。阪本大悟さんが迎えてくれた。

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園は、この土地に350年も続いてきた農家。大悟さんのお父さんの啓一さんは早い時期から有機農法に取り組んできた熱心な農家だ。

主にサラダ野菜を5種類、スイスチャード、ルッコラ、サラダホウレンソウなどを栽培して、大手宅配サイトや飲食店に野菜を卸している。お母さんやお兄さんも一緒に働く家族経営で、ナスやキュウリ、ネギなどの一般的な野菜もつくっている。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

「Vege House」は、そんな阪本農園の野菜と、近隣の農家の野菜をご近所さんに直販するサービスだ。

しくみはこう。ほぼ毎日、阪本さんたちはインスタグラムやLINEで、登録者向けに販売できる野菜をお知らせする。お客さんは受取の2日前までにほしい野菜をLINEで注文。注文受けた野菜を阪本さんたちは収穫して、受取時間までに用意しておく。お客さんは農園に直接取りにくるか、もしくは配送料300円を支払って届けてもらうことができる(配達範囲は主に小金井市と武蔵野市の一部)。

「配送するより、取りに来てくださるお客さんの方が圧倒的に多いです。なので本当にご近所さん向けのサービスといった感じですね。いま登録数は600ほどですが、1日に取りに来られるのは多いときで20人くらい、少ない日は2人なんて時もあります」

基本、平日の9時半~13時、13~20時は毎日受取可能。買い物や仕事帰り、保育園の送り迎えついでにピックアップする人が多い。しかも注文を受けてから収穫するため、24時間以内に採れた野菜が食べられるのが、最大の嬉しいポイントだ。

Vege Houseのinstagram

Vege Houseのinstagram

「採れたての野菜ってこんなにうまいのか」

Vege Houseは昨年(2020年)の5月、阪本さんと子どものころから仲の良かった同級生、佐藤さん、小嶋さんと3人で始めた。当時はみなまだ大学生だった。
なぜこのサービスを始めることになったのだろう?

「僕は卒業したら農業を手伝うことを決めていました。うちの野菜の9割はずっと大地を守る会(現「オイシックスラ・大地」)に卸しているんです。なのでコロナ禍の影響はほとんどありませんでした。でも売り先が一つしかないのは不安だなと思うようになったんです。自然災害も増えているし、売り先はいくつかある方がいいのではと」

そこで通販プラットフォームを使って、オンラインでの販売を始めてみた。ところがそれほど数が出るわけでもなく、顔の見えないお客さんに野菜を送る仕事は面白く感じられなかった。

せっかく新しいことをやるなら、もっと面白いことができないかと、2人の友人に相談した。

「帰りにお土産にキュウリを渡したんです。それをかじった小嶋が『何これ!こんなうまいキュウリ、初めて食べた』って。採れたての野菜ってこんなにうまいのかって言うんです。野菜はスーパーで買うのが当たり前だと思っているから、東京でこんなおいしい野菜が食べられるってみんな知らないよねって話になって。だったら地元の人たちにアピールしてみたらどうだろうって」

友人2人が興味をもったことで、Vege Houseの構想が生まれた。ご近所さんが野菜を通じて農家や畑を身近に感じるようになる。そこに生まれるささやかな地域コミュニティ。そんな像をめざしてVege Houseは始まった。

その後3人とも大学を卒業し、佐藤さんと小嶋さんは会社員に。以前に比べると忙しくなり、毎日携わるのは難しくなったが、家も近いため月に2~3回は必ず3人で集まり相談し合っているという。

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

農園が身近な場所になっていく

オンラインでの広がりでお客さんは徐々に増えているが、お客さんというより友だちが増えていく感覚に近いと阪本さんはいう。子育て中の若いお母さんや働く主婦、年配者などさまざま。

「家族連れで取りに来られる方もいます。小さなお子さんが、公園公園っていう感覚で『のうえんのうえん』って言ってくれるらしくて。農園行こうねって。そう聞くとほんとに嬉しいんですよね」

子どもにとっては、スーパーに並ぶ野菜だけでなく、食べものの育つ現場を知る、いい機会なのかもしれないと思う。
だが農作業の合間に野菜を渡したり、配達にまわるのは負担ではないのだろうか。

「だいぶ慣れました。ただやっぱり、家族の理解は大きい。畑で作業していてもお客さんが受取にくる15分前には携帯のバイブが鳴るようにしていて、『行ってくるわ』っていうと『行ってらっしゃい』って言ってくれるので」

畑も受け渡し場所も同じ敷地内なので、それほど時間はかからない。ただし、お客さんの都合で受取時間が変わるなど、手間も多いだろう。

「そうですね。でも僕にとっては友だちみたいな感覚なので。ほぼ名前も覚えているし。『子どものお迎えを先に行ってきてもいいですか』と連絡がきて『はいじゃあ3時半にお待ちしますね』って感じのやり取りです。そのぶん野菜が美味しかったとか、ほかではもう買えないっていうような言葉をいただいて。その方がすごく嬉しい」

野菜の収穫体験をお客さんにプレゼントしたこともある。1000円以上買っていただいた方に、大根を1本直接畑から抜いてくださいというサービス。お客さんにとっては新鮮な遊びや体験になる。
そうしてどんどん近くの畑や農家が身近な存在になっていく。

(写真提供/Vege House)

(写真提供/Vege House)

仕入れ先もご近所さん

Vege Houseでは阪本農園だけでなく、近所の農家の野菜も合わせて販売している。各農家も注文に応じて収穫。それを阪本さんが毎朝集荷にまわる。

「車で10分かからないところばかりなので。例えば荻原農園さんに9時に仕入れにいって、ほかいくつかまわっても9時半にはうちに戻れます」

値段は各農家が決めるため、同じナスでもA農家とB農家で値段は違っていたりする。それはお客さんが選んでくれればいい。Vege Houseで多少の手数料を取っているが、値段は良心的。買う側からしても新鮮な野菜が安価に手に入る。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

新しいお客さんを獲得するための、ゲリラ販売も

8月中旬の土曜日には、ゲリラ販売が行われた。「インスタを見てはいるけどまだ試したことがない」という人たちに来てほしいと行われたイベントだった。

農作業の後、ということで開始は16時半。時間になると、農園の前にぞくぞくと人が集まり始めた。
軽トラックの荷台に野菜を広げて販売する。若い夫婦や、子ども連れのお母さん、年配者など20人ほどが列をつくった。

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

「ホウレンソウくださ~い」という子どもの声。「じゃあまた~」と笑顔で帰るお年寄り。そのたびに阪本さんは「ありがとうございます、またお願いします!」「とれたて野菜、楽しんでくださいね」と言葉を返す。

野菜がどんどん売れていく。これほどお客さんが訪れるとは思っていなかったそうだ。
30分もしないうちに野菜はほぼなくなり、わずか1時間ほどで完売。

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日訪れたお客さんの半分は、新規のお客だったそう。ほとんどがご近所さん。「その日の気分で買うので、なかなか数日前の予約は難しくて」と話すお客さんもいた。毎日、ここで販売する予定はないのだろうか。

「やっぱり予約して買っていただきたいんですよね。いつでも買えると八百屋と変わらなくなってしまう。欲しいから事前に頼む。お抱え農家みたいになりたいといいますか」

「売り手と買い手」である前に、「つくり手と買い手」の関係性が先にある。お客さんから見れば、阪本さんはあくまで“農家さん”。だからいい。それが違いかもしれない。
食べることはもっとも身近な行為。行きつけの美容院や飲食店と同じように、生活圏に“いつもの農家さん”がいるのは、安心で嬉しいことのように思う。

「自分の暮らす身近に農家があるといいですよね。都会にこそ、本当は農地が増えてほしい」

Vege Houseで扱う野菜はとくにオーガニックに限っているわけではないため価格も控えめ。「ただ新鮮でおいしい」に特化した直販サービスは珍しいかもしれない。

“お客以上友だち未満”の距離感で野菜を販売してくれるVege Houseのようなサービスが増えれば、畑や農業がもっと身近になるだろう。

●取材協力
Vege House
instagram:@vege_house_

不動産会社が便利屋さん「ベンリー」を始めた理由。街の高齢化にも対応

少子高齢化をはじめとする社会の変化は、不動産業界に変化をもたらし、新たなサービスを打ち出す企業も出てきました。
不動産の分譲・賃貸・仲介を手がける小田急不動産株式会社は、生活支援サービス(いわゆる便利屋さん業)をチェーン展開するベンリーコーポレーションとフランチャイズ契約を交わし、2017年に、ベンリー小田急鶴川店(東京都町田市)を設立、生活支援サービスに乗り出しました。開業から4年が経った今、まちの変化や課題などを振り返ります。

住宅購入者との継続的な接点として機能する

小田急不動産が生活支援サービス(以下ベンリー事業)に乗り出したのは、仲介やリフォームの商機を増やすフックにすることと、住宅を販売し、アフターサービスを終了した後も顧客との接点を得られるというメリットを考えてのことでしたが、当初想定していなかった、地域の高齢化によって生じた新たな課題も見つかりました。

60年近くにわたり、小田急沿線を中心に26,000戸以上の住宅を供給するなかで、沿線の65歳以上の世帯は全体の10%以上(男性10.9%、女性13.0%)と、少子高齢化、共働き世帯の増加が進んでいることが課題になっていました。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

住宅営業に25年以上携わった後、小田急沿線ベンリー事業を運営管理する生活サポートグループのグループリーダーになった望月直美さんは、ベンリー事業を通して気付いた街の変化をこう話します。
「一つは家族形態、家族観の変化です。例えば30年前、お子さまも含めた4、5人家族のお客さまが住宅購入をするとき、将来、お子さまの誰かがこの家に戻って同居し、老後の自分たちの面倒をみるだろうと想定していました。ところが今見ると、誰も戻っていません。そうなると、家の手入れや庭仕事などでもご夫婦だけではできないことが増えてきます」
30年ほど前の家族観は今とかなり違います。これは団塊の世代を見るとよくわかります。この世代は兄弟姉妹が多く、地方出身者の比率も高いのが特徴で、いわゆる跡取り(ほとんどは長男)が親と同居し、面倒をみるのは普通のことでした。大都市圏に出て家庭をつくり、住宅を持ったのは二男以降の子供たちでしたが、彼らもこの文化の中で育ちましたから、将来、自分の子供の誰かが同居して老後の面倒をみるだろう、少なくとも近居して助けてくれるだろう、と漠然と考えていました。こうした家族観は薄まりながらも今の60代くらいまで引き継がれています。

前提条件も違いました。「当時のお客様の妻はほとんどが専業主婦。また充実した介護施設のある今と違い、『老人ホーム』と言えば、身寄りのない人の行く場所、というイメージがあった時代です」(望月さん)。もちろん介護保険もありません。

そのすべてがこの30年で変わった結果、当時、住宅を購入した人々は今、“子供の助けなしに長い老後生活を過ごす”という想定外の状況にいるわけです。

もう一つは、同じ住宅でも、高齢化によって、若い時には気にもかけなかった点が課題になることです。「階段の昇降が大変、小さな段差が危険、といったことが起きてきます。長く住宅を販売してきた私にとっても、老いと住宅の関係はかなりの衝撃でした」

生活支援サービスを提供する企業は数多くありますが、サービスメニューが特定分野に偏らず、豊富であること、従業員教育が充実しているベンリーコーポレーション(以下ベンリー)との提携を決めたといいます(写真提供/小田急不動産)

生活支援サービスを提供する企業は数多くありますが、サービスメニューが特定分野に偏らず、豊富であること、従業員教育が充実しているベンリーコーポレーション(以下ベンリー)との提携を決めたといいます(写真提供/小田急不動産)

現在、ベンリー小田急鶴川店(以下小田急鶴川店)では、小田急不動産の分譲住宅に限らず、地元のニーズに応えています。小田急不動産によると、おおまかに言えば約8割は小田急不動産の分譲住宅エリア以外からの依頼とのことです。

お知らせも手描きで温かみがある(写真提供/小田急不動産)

お知らせも手描きで温かみがある(写真提供/小田急不動産)

(写真提供/小田急不動産)

(写真提供/小田急不動産)

1カ月あたり180件ほどの依頼があり、計10名のスタッフで対応しています。(※要チェック2)

店長を務める松浦一彦さんは、もともとリフォーム営業をしていましたが、ベンリー事業をはじめるにあたって、2カ月合田にわたるベンリーの宿泊研修を受け、技術面や、サービスにおける心得や接遇マナーといった面を学んだといいます。「その先は場数を踏むことでスキルを上げていきました。この4年間で修繕や故障対応など多くの仕事を単独でできるようになりました。プロの職人さんの協力、知識も得て、根本原因を突き止められるようになったことが大きいと思います」(松浦さん)
松浦さんは第二種電気工事士と福祉住環境コーディネーター2級の資格を持ち、また他のスタッフは造園業、自動車整備、家具職人、栄養士、SEなどさまざまな資格や経歴を持ち多士済々。しかも社員全員が認知症サポーター養成講座を受講済です。これは高齢者への対応力を高めようという配慮でしょう。

店長の松浦一彦さん(写真提供/小田急不動産)

店長の松浦一彦さん(写真提供/小田急不動産)

(写真提供/小田急不動産)

(写真提供/小田急不動産)

提供しているサービスは、ハウスクリーニング、庭の手入れ(草刈り、害虫退治など)、引越し手伝い、エアコン関連、不用品処理の手伝い、修繕、防災・防犯などと多種多様ですが、年間を通じて安定的に需要があるのは、ドアの建て付けの調整などの小修繕や草刈りなどの植栽関連です。「高齢化でお客さまには手が回らなくなった作業が多いですね。ベンリーの本部の統計でも、サービスを利用されるお客さまの平均年齢は60代から80代です」(松浦さん)

壁紙貼り(写真提供/小田急不動産)

壁紙貼り(写真提供/小田急不動産)

庭の手入れ(写真提供/小田急不動産)

庭の手入れ(写真提供/小田急不動産)

顧客の視点、価値観を大切にしてサービス提供

なかには、日常生活のお手伝いにとどまらないものもあったといいます。
例えば、夫を亡くされた女性から、遺骨の粉骨を頼まれたこと。「樹木葬を希望されていたため、粉骨が必要だったからです。しかし調べてみると粉骨は条件が難しく、最終的には専門業者の方にお願いすることになりましたが」(松浦さん)
高齢の女性から墓を探してほしいという依頼もありました。既に家としての墓はお持ちでしたが、かなり遠い地域にあって墓参が大変なため、住宅の近くに良い墓(墓地)はないかというご依頼でした。地域密着サービスという強みを発揮して、松浦さんは地縁のあるスタッフのツテなども利用しながら、墓地探しに奔走、この要望に応えたそうです。
若い層の事例では、夫婦ゲンカをして結婚指輪を妻が川に投げ捨ててしまい、探してほしいと言われたことも。「川に膝まで入って、『えーと、どのあたりに投げましたか』と確認しながら川底をさらい、なんとか見つけることができました(笑)」(松浦さん)

指輪を探すのに3時間ほどかかったとか(写真/PIXTA)

指輪を探すのに3時間ほどかかったとか(写真/PIXTA)

いずれも、通常の不動産会社には依頼されないような内容です。ときには家族の死や大切な思い出の品を探すという人生の一大事に寄り添うこともあって、松浦さんは「単なる作業やお手伝いではなく、相談されたり、客観的な視点での判断を期待されたりするなど、人間的な意味でも地域とつながる仕事だと感じています」と話します。

今では地域からも頼りにされる松浦さんですが、サービスを始めて1年ほどたったころに大きな失敗をし、気付かされたことがあるといいます。
「サービスが始まり、数年経って慣れてくると業者(サービス提供者)だけの視点になりやすいものです。あるとき、いわゆるゴミ屋敷化したお宅に片付けを頼まれてうかがったら、高く積み上がった品々を前に、お客さまは『このどれ一つとしてゴミじゃないんだ』と言われ、お客様の視点に立つことの大切さにあらためて気付かされました。松浦さんにとっては、空間を占領し、整理・処分しなければならないモノとして見えても、お客様にとっては思い出や大切な記憶の証となる品々でした。それからは仕事をする前のヒアリングに時間をかけ、お客さまのご希望を正確に把握するように努めています」(松浦さん)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

高齢化社会と地域を守る役割にも期待

小田急鶴川店は、地域の福祉作業所、ケアセンター、商店会などと連携した地域貢献も行っています。

「小田急鶴川店は、地域の行事に参加したり、福祉作業所のつくった製品をノベルティにすることもしています。こうした姿勢は予想以上に地域に受け入れられ、小田急不動産への信頼にもつながっていると思います」(望月さん)

例えば、ケアセンターにとっては、ベンリーの仕事は個人宅に訪問するため、ベンリーを通じて高齢者の情報が分かることが助けになります。もちろんプライバシーや個人情報保護の面を厳守してのことですが、結果的に地域の目としての役割を果たしています。
「想像以上に一人暮らしの方、引きこもる方は多いですね。高齢の方にとって、小田急鶴川店のメンバーは子どものような存在なのかもしれません。その意味ではこの店は地域の見守り役も期待されていると思います」(望月さん)

地域の方々と一緒に花壇の花の植え替えを行った時の写真(写真提供/小田急不動産)

地域の方々と一緒に花壇の花の植え替えを行った時の写真(写真提供/小田急不動産)

その一つの証として松浦さんは、従業員が住民から、「小田急さん」や「ベンリーさん」でなく、個人名で呼ばれることをあげます。「作業の合間に、家族、住まい、テレビ番組などの話に花が咲くこともあって、それが親近感につながっている気もします」(松浦さん)

社会と社内に貢献できる事業に育てたい

小田急鶴川店では、不動産事業の顧客数の拡大には限界がある中で、地域密着を高め、リピート率を高めることをめざしています。そのために、今後はより収益性を高めるため、この事業に携わる人員の増員や店舗数の拡大を模索しています。加えて小田急グループの他部署の仕事への波及効果にも期待しています。「ベンリー事業を通してわかってきた高齢化の実情を、これからの住宅の設計やサービスに反映させ、本当に長く住み続けられる住宅ができればうれしいですね」(望月さん)
 
小田急鶴川店のサービスが、地域から歓迎されている背景には、少子高齢化があることは明らかです。しかしそれは出生率や寿命の延びという数の問題以上に、家族に対する考え方や価値観の変容という文化の問題であることがわかります。伝統的な家族観や三世代同居という住み方は、ごく一部を除いて復活することはないでしょう。とすれば、人間的温もりを含めて提供される生活支援サービスは今後、ますます求められるのではないでしょうか。

●取材協力
小田急不動産株式会社 生活サポートグループ
ベンリー小田急鶴川店
ベンリー小田急鶴川店 店舗日記

今「ローカル飲食チェーン」が熱い。元 『秘密のケンミンSHOW』リサーチャーが注目する7社

全国的な知名度はないけれど、局地的に絶大な支持を受ける「ローカル飲食チェーン」が今、注目されています。その理由とは? 元『秘密のケンミンSHOW』 リサーチャーであり、全国7都市を取材した新刊『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』の著者・辰井裕紀さんに、愛される秘訣を伺いました。

なぜ今「ローカル飲食チェーン」が注目されるのか

このところ、「ローカル飲食チェーン」がアツい盛り上がりを見せています。「ローカル飲食チェーン」とは、全国展開をせず限定したエリアのなかだけで支店を広げる飲食店のこと。マクドナルドや吉野家のように全国的な知名度はありません。けれども反面「地元では知らぬ者なし」なカリスマ的人気を誇ります。

この局地的なフィーバーぶりは人気テレビ番組『秘密のケンミンSHOW 極』(読売テレビ・日本テレビ系)でたびたびとりあげられ、紹介されたチェーン店はもれなくSNSでトレンド入り。さらに注目度が高まり、雑誌はこぞって「全国ローカル飲食チェーンガイド」を特集するほど。

(画像/イラストAC)

(画像/イラストAC)

そのような中、ついに決定打とおえる書籍が発売されました。それが『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』(PHPビジネス新書)。豚まんやカレーライス、おにぎりなどなど、創意工夫を積み重ねた味とサービスで地元の期待に応え、コロナや震災などの逆境にも耐え抜いた全国7社の経営の秘密を明らかにした注目の一冊です。

地元に愛される7社を解剖した話題の新刊『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』(PHPビジネス新書)(写真撮影/吉村智樹)

地元に愛される7社を解剖した話題の新刊『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』(PHPビジネス新書)(写真撮影/吉村智樹)

著者はライターであり、かつてテレビ番組「秘密のケンミンSHOW」のリサーチャーとして全国各地のネタを集めた千葉出身の辰井裕紀さん(40)。

話題の新刊『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』著者、辰井裕紀さん(写真撮影/吉村智樹)

話題の新刊『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』著者、辰井裕紀さん(写真撮影/吉村智樹)

夢かうつつか幻か。わが街にはいたるところにあるのに、一歩エリア外へ出れば誰も知らない。反対に自分の県には一軒もないのに、お隣の県へ行けば頻繁に出くわす、不思議なローカル飲食チェーン。この謎多き業態の魅力とは? 地元に愛される秘訣とは? 著者の辰井さんにお話をうかがいました。

前代未聞。 「ローカル飲食チェーン」の研究書が登場

――辰井さんが初めて上梓した新刊『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』は実際に自らの足で全国を巡って取材した労作ですね。この書籍の企画が生まれたいきさつを教えてください。

辰井裕紀(以下、辰井):「以前からTwitterで“飲食チェーンに関するツイート”をよくしていたんです。『こんなにおいしいものが、こんなに安く食べられるなんて』など、外食にまつわる喜びをたびたびつぶやいていました。それをPHP研究所の編集者である大隅元氏がよく見ていて、『ローカル飲食チェーンの本を出さないか』と声をかけてもらったんです」

――Twitterで食べ物についてつぶやいたら書籍の書き下ろしの依頼があったのですか。夢がありますね。しかし全国に点在する飲食チェーンですから、実際の取材や執筆は大変だったのでは。

辰井:「大変でした。資料を参考にしようにも、ローカル飲食チェーンについて考察された本が、過去にほぼ出版されていなかったんです。あるとすればサイゼリヤや吉野家のような全国チェーンにまつわる本ばかり。類書どころか先行研究そのものが少ないので引用ができず、苦労しました」

――確かに全国のローカル飲食チェーンだけに絞って俯瞰した書籍は、私も読んだ経験がありません。では、どのように事前調査を行ったのですか。

辰井:「国会図書館やインターネットで文献や社史にあたったり、取り寄せたり。地元でしか得られない文献は現地まで行って入手しました」

一次資料を得るためにわざわざ全国各地へ足を運んだという辰井さん(写真撮影/吉村智樹)

一次資料を得るためにわざわざ全国各地へ足を運んだという辰井さん(写真撮影/吉村智樹)

――現地まで行って……。ほぼ探偵じゃないですか。骨が折れる作業ですね。

辰井:「調べられる限り、ぜんぶ調べています」

自ら選んだ「強くてうまい!」7大チェーン

――新刊『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』では北海道の『カレーショップインデアン』 、岩手『福田パン』、茨城『ばんどう太郎』、埼玉『ぎょうざの満洲』、三重『おにぎりの桃太郎』、大阪『551HORAI』、熊本『おべんとうのヒライ』の計7社にスポットライトがあたっています。この7社はどなたが選出なさったのですか。

 『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』に選ばれた全国7社(写真撮影/辰井裕紀)

『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』に選ばれた全国7社(写真撮影/辰井裕紀)

辰井:「自分で選びました。【お店として魅力があるか】【行けばテンションが上がるか】【独自のサービスを受けてみたいか】、そういった『秘密のケンミンSHOW』で取り上げるようなポップな面と、ビジネス的に注目できる面とがうまく両輪で展開している点で、『この7社だ』と」

――メニューやサービスのユニークさと経営の成功を兼ね備えた、まさに「強くてうまい!」企業が選ばれたのですね。

辰井:「その通りです」

客が鍋持参。 「車社会」が生みだした独特な食習慣北海道・十勝でチェーン展開する『カレーショップインデアン』(写真撮影/辰井裕紀)

北海道・十勝でチェーン展開する『カレーショップインデアン』(写真撮影/辰井裕紀)

――この本を読んで私が特にビックリしたのが、北海道・十勝を拠点とする『カレーショップインデアン』(以下、インデアン)が実施している「鍋を持ってくればカレーのルー※1が持ち帰られる」サービスでした。どういういきさつで生まれたサービスなのですか。

※1……インデアンではカレーソースのことを「ルー」と呼ぶ

『カレーショップインデアン』のカレー。年間およそ280万食が出るほどの人気(写真撮影/辰井裕紀)

『カレーショップインデアン』のカレー。年間およそ280万食が出るほどの人気(写真撮影/辰井裕紀)

鍋を持参すればカレーのルーをテイクアウトできる(写真撮影/辰井裕紀)

鍋を持参すればカレーのルーをテイクアウトできる(写真撮影/辰井裕紀)

辰井:「鍋持参のテイクアウトは約30年前から始まったサービスです。お客さんから『容器にくっついたカレーのルーがもったいないから鍋を持参してもいいか』と要望があったのがきっかけだとか。加えて当時はダイオキシンが社会問題となり、なるべくプラスチック容器を使わない動きがありました。そこで誕生したのが、インデアンの鍋持参システムです」

――鍋持参のテイクアウトは30年近くも歴史があるんですか。十勝にそんな個性的な習慣があったとは。

辰井:「おそらく、十勝が鍋を持っていきやすい車社会だから、定着したサービスなのでしょうね」

農地が広がる十勝は車社会。だからこそ「鍋持参」の習慣が定着したと考えられる(写真撮影/辰井裕紀)

農地が広がる十勝は車社会。だからこそ「鍋持参」の習慣が定着したと考えられる(写真撮影/辰井裕紀)

――なるほど。さすがに電車やバスで鍋を持ってくる人は少ないでしょうね。そういう点でも都会では実践が難しい、ローカルならではの温かい歓待ですね。

辰井:「インデアンはほかにも『食べやすいようにカツを小さくして』と言われたカツカレーが、極小のひとくちサイズになって定番化するなど、お客さんの声を吟味して取り入れます。ローカル飲食チェーンは商圏が狭いからこそ、お客さんに近い存在ですから」

総工費1億5000万円の屋敷で非日常体験お屋敷のような造りの『ばんどう太郎』。駐車場も広々(写真撮影/辰井裕紀)

お屋敷のような造りの『ばんどう太郎』。駐車場も広々(写真撮影/辰井裕紀)

店内にはなんと精米処があり、炊きあげるぶんだけ毎日精米している(写真撮影/辰井裕紀)

店内にはなんと精米処があり、炊きあげるぶんだけ毎日精米している(写真撮影/辰井裕紀)

――車社会といえば、茨城の『ばんどう太郎』にはド肝を抜かれました。ロードサイドに忽然と巨大なお屋敷が現れ、それが和食のファミレスだとは。

辰井:「『ばんどう太郎』の建物は車の運転席からも目立つ造りになっています。総工費は一般的なファミレスの倍、およそ1億5000万円もの巨費を投じているのだそうです。さらに店の中に精米処があり、新鮮なごはんを食べられますよ」

――夢の御殿じゃないですか。

具だくさんな看板商品「坂東みそ煮込みうどん」(画像提供/ばんどう太郎 坂東太郎グループ)

具だくさんな看板商品「坂東みそ煮込みうどん」(画像提供/ばんどう太郎 坂東太郎グループ)

辰井:「看板商品の『坂東みそ煮込みうどん』は旅館のように固形燃料で温められた一品です。生たまごを入れ、黄身や卵白に火が通ってゆく過程を楽しみながら味わえます。旬の野菜から肉、キノコまでたっぷりの具材が入っていて、褐色のスープですから『鍋の底にはなにがあるんだろう?』と、闇鍋のように掘り出す楽しさまであります」

――ファミレスというより、非日常を体感できるテーマパークのようですね。

辰井:「駐車場が広くて停めやすく、店内のレイアウトがゆったりしていますし、接客のリーダー『女将さん』がいるのもプレミアム感があります。広々と土地を使えるロードサイド型のローカル飲食チェーンならではのお店ですね」

割烹着姿の「女将さん」と呼ばれる接客のリーダーが客に安心感を与える(写真撮影/辰井裕紀)

割烹着姿の「女将さん」と呼ばれる接客のリーダーが客に安心感を与える(写真撮影/辰井裕紀)

――『ばんどう太郎』で食事する経験自体がドライブ観光になっているのですね。楽しそう。ぜひ訪れてみたいです。

辰井:「坂東みそ煮込みうどんは関東人に合わせた絶妙な味わいで、私は何度でも食べたいです」

お弁当屋さんの概念をくつがえす店内の広さ

――ロードサイド展開といえば、熊本『おべんとうのヒライ』にも驚きました。お弁当屋さんとは思えない、大きなコンビニくらいに広い店舗で、スーパーマーケットに迫る品ぞろえがあるという。この業態は駐車場があるロードサイド型店舗でないと無理ですよね。

コンビニなみに品ぞろえ豊富な『おべんとうのヒライ』(写真撮影/辰井裕紀)

コンビニなみに品ぞろえ豊富な『おべんとうのヒライ』(写真撮影/辰井裕紀)

辰井:「自家用車での移動がひじょうに多い街に位置し、広いお総菜コーナーがあります。なので、『ついでに買っていくか』の買い物需要に応えられるんです。さらに店内にはその場で調理したものが食べられる食堂もあります。地方には実はこんな中食(なかしょく)※2・外食・コンビニが三位一体となった飲食チェーンが点在しているんです」

※2中食(なかしょく)……家庭外で調理された食品を、購入して持ち帰る、あるいは配達等によって、家庭内で食べる食事の形態。

――お弁当屋さんの中で食事もできるんですか。グルメパラダイスじゃないですか。

辰井:「特に『おべんとうのヒライ』の食事は安くてうまいんですよ。なかでも“大江戸カツ丼”がいいですね。一般的なカツを煮た丼と違い、揚げたてのカツの上に玉子とじをのせるカツ丼で。衣がサクサク、玉子はトロトロで食べられます。『この価格で、こんなにもハイクオリティな丼が食べられるのか』と驚きました。たったの500円ですから」

カツを煮込まず玉子とじをのせる独特な「大江戸カツ丼」(写真撮影/辰井裕紀)

カツを煮込まず玉子とじをのせる独特な「大江戸カツ丼」(写真撮影/辰井裕紀)

――安さのみならず、独特な調理法で食べられるのが魅力ですね。

辰井:「そうなんです。小さなカルチャーショックに出会えるのがローカル飲食チェーンの醍醐味ですね。どこへ行っても同じ食べ物しかないよりも、『あの県へ行ったら、これが食べられる』ほうが、おもしろいですから」

「あの県へ行ったら、これが食べられる」。このエリア限定感がローカル飲食チェーンの醍醐味だと語る辰井さん(写真撮影/吉村智樹)

「あの県へ行ったら、これが食べられる」。このエリア限定感がローカル飲食チェーンの醍醐味だと語る辰井さん(写真撮影/吉村智樹)

旅先で出会える「小さなカルチャーショック」が魅力愛らしい桃太郎のキャラクターが迎えてくれる『おにぎりの桃太郎』。ただいまマスク着用中(写真撮影/辰井裕紀)

愛らしい桃太郎のキャラクターが迎えてくれる『おにぎりの桃太郎』。ただいまマスク着用中(写真撮影/辰井裕紀)

混ぜごはんのおにぎり、その名も「味」(写真撮影/辰井裕紀)

混ぜごはんのおにぎり、その名も「味」(写真撮影/辰井裕紀)

――カルチャーショックを受けた例はほかにもありますか。

辰井:「ありますね。たとえば三重県四日市の飲食チェーン『おにぎりの桃太郎』には『味』という名の一番人気のおにぎりがあります。『味』は当地で“混ぜごはん”を意味しますが、そのネーミングがまず興味深いですし、地元独特の味わいが楽しめました」

――おにぎりの名前が「味」ですか。もうその時点で全国チェーンとは大きな感覚の違いがありますね。

辰井:「ほかにも『しぐれ』という、三重県北勢地区に伝わるあさりの佃煮を具にしたおにぎりも、香ばしくて海を感じました」

ご当地の味「あさりのしぐれ煮」のおにぎり(写真撮影/辰井裕紀)

ご当地の味「あさりのしぐれ煮」のおにぎり(写真撮影/辰井裕紀)

――ローカル飲食チェーンが「地元の食文化を支えている」とすらいえますね。

辰井:「そんな側面があると思います」

ローカル飲食チェーンに学ぶ持続可能な社会

――カルチャーショックといえば『おべんとうのヒライ』の、ちくわにポテトサラダを詰めて揚げた「ちくわサラダ」は衝撃でした。

ちくわの穴にポテトサラダを詰めた「ちくわサラダ」(写真撮影/辰井裕紀)

ちくわの穴にポテトサラダを詰めた「ちくわサラダ」(写真撮影/辰井裕紀)

辰井:「もともとはポテトサラダの廃棄を減らす目的で生まれた商品ですが、いまでは熊本で愛されるローカルフードになりましたね。ワンハンドで食べやすく、一本でも充分満足感があります」

――おいしそう! 自分でもつくれそうですが、それでもやはり熊本で食べたいです。食品の廃棄を減らすため、一つの店舗のなかで再利用してゆくって、ローカル飲食チェーンはSDGsという視点からも学びがありますね。

辰井:「ありますね。たとえば大阪の『551HORAI』ではテイクアウトで売れる約65%が豚まん、約15%が焼売なんです。どちらも“豚肉”と“玉ねぎ”からつくるので、2つの食材があれば合計およそ80%の商品ができます。一度に大量の食材を仕入れられるからコストが抑えられる上に、ずっと同じ商品をつくっているので食材を余らせません」

『551HORAI』の看板商品「豚まん」(写真撮影/辰井裕紀)

『551HORAI』の看板商品「豚まん」(写真撮影/辰井裕紀)

「豚まん」に続く人気の「焼売」(写真撮影/辰井裕紀)

「豚まん」に続く人気の「焼売」(写真撮影/辰井裕紀)

――永久機関のように無駄がないですね。

辰井:「一番人気の豚まんがとにかく強い。『強い看板商品』の存在が、多くの人気ローカル飲食チェーンに共通します。看板商品が強いと供給体制がよりシンプルになり、食品ロスも減る。質のいいものをさらに安定して提供できる。いい循環が生まれるんです」

地元が店を育て、人を育てる

――ローカル飲食チェーンには「全国展開しない」「販路を拡げない」と決めている企業が少なくないようですね。コッペパンサンドで知られる岩手の『福田パン』もかたくなに岩手から手を広げようとしないようですね。

多彩なコッペパンサンドが味わえる『福田パン』(写真撮影/辰井裕紀)

多彩なコッペパンサンドが味わえる『福田パン』(写真撮影/辰井裕紀)

辰井:「『福田パン』は岩手のなかでは買える場所が増えていますが、他県まで出店するつもりはないようです。これ以上お店を増やすと製造する量が増え、『機械や粉を替え変えなきゃならない』など、リスクも増えますから」

――全国進出をねらって失敗する例は実際にありますものね。

辰井:「とある丼チェーン店は短期間に全国へ出店したものの、閉店が相次ぎました。調理技術が行き渡る前にお店を増やしすぎたのが原因だといわれています。地元から着実にチェーン展開していった店は、本部の目が行き届くぶん、地肩が強いですね」

――『福田パン』のコッペパンサンド、とてもおいしそう。食べてみたいです。けれども、基本的に岩手へ行かないと買えないんですね。それが「身の丈に合ったチェーン展開」なのでしょうね。

『福田パン』は眼の前で具材を手塗りしてくれる(写真撮影/辰井裕紀)

『福田パン』は眼の前で具材を手塗りしてくれる(写真撮影/辰井裕紀)

ズラリ一斗缶に入って並んだコッペパンサンドの具材(写真撮影/辰井裕紀)

ズラリ一斗缶に入って並んだコッペパンサンドの具材(写真撮影/辰井裕紀)

辰井:「社長の福田潔氏には、『その場でしか食べられないものにこそ価値がある』というポリシーがあるんです。福田パンは一般的なコッペパンより少し大きく、口に含んだときに塩気と甘さが広がる。とてもおいしいのですが、目の前でクリームをだくだくにはさんでくれるコッペパンは現地へ行かないと食べられない。やっぱり岩手で食べると味わいが違います」

――ますます岩手へコッペパンを食べに行きたくなりました。反面、埼玉の『ぎょうざの満洲』は関西進出を成功させていますね。京都在住である私は『ぎょうざの満洲』の餃子が大好物でよくいただくのですが、他都市進出に成功した秘訣はあったのでしょうか。

「3割うまい!!」のキャッチフレーズで知られる『ぎょうざの満洲』(写真撮影/辰井裕紀)

「3割うまい!!」のキャッチフレーズで知られる『ぎょうざの満洲』(写真撮影/辰井裕紀)

餃子のテイクアウトにも力を入れる(写真撮影/辰井裕紀)

餃子のテイクアウトにも力を入れる(写真撮影/辰井裕紀)

辰井:「関西進出はやはり初めは苦戦したそうです。『ぎょうざの満洲』は関東に生餃子のテイクアウトを根付かせた大きな功績があるのですが、関西ではまだ浸透していなかった。加えて店員と会話せずスムーズに買えるシステムを構築したものの、その接客が関西では『冷たい』と受け取られ、なじまなかった。そこで、できる限り地元の人を雇用し、店の雰囲気を関西風に改めたそうです」

――やはり地元が店や人を育てるという答に行きつくのですね。いやあ、ローカル飲食チェーンって本当に業態が多種多彩で、かつ柔軟で勉強になります。

辰井:「企業ごとにいろんな考え方がありますから、それぞれから学びたいですね」

――そうですよね。私も学びたいです。では最後に、全国のローカル飲食チェーンの取材を終えられて、感じたことを教えてください。

辰井:「ローカル飲食チェーンは地元の人たちにとって、地域を形作る屋台骨であり、アイデンティティなんだと思い知らされました。私は千葉出身なんですが、私が愛した中華料理チェーン『ドラゴン珍來』を褒められたら、やっぱりうれしいですよ。もっと地元のローカル飲食チェーンを誇っていいんだって、ホームタウンをかえりみる、いい機会になりました。読んでくださった方にも、地元を再評価してもらえたらうれしいです」

――ありがとうございました。

「ローカル飲食チェーンを通じて、地元を再評価してもらえたらうれしい」と語る辰井さん(写真撮影/吉村智樹)

「ローカル飲食チェーンを通じて、地元を再評価してもらえたらうれしい」と語る辰井さん(写真撮影/吉村智樹)

辰井裕紀さんが全国を行脚し、自分の眼と舌で確かめた「ローカル飲食チェーン」の数々。それぞれの企業、それぞれの店舗が、その土地その土地の地形や風習、地元の人々の想いに添いながらひたむきに営まれているのだと知りました。そこで運ばれてくる料理は「現代の郷土料理」と呼んで大げさではないほど地元LOVEの気持ちが込められています。

ビジネス書でありながら、故郷やわが街を改めて愛したくなる、あたたかな一冊。ページを閉じたとたん、当たり前に存在すると思っていたローカル飲食チェーンに、きっと飛び込みたくなるでしょう。

強くてうまい! ローカル飲食チェーン』(PHPビジネス新書)●書籍情報
強くてうまい! ローカル飲食チェーン
辰井裕紀 著
1,210円(本体価格1,100円)
PHPビジネス新書

あなたのマンションは大丈夫? 国交省が長期修繕計画、修繕積立金に関するガイドラインを改定

2021年9月28日、国土交通省がマンションの長期修繕計画作成や修繕積立金に関するガイドラインの改訂版を公表した。ガイドラインの内容は来年4月からスタートするマンション管理計画認定制度の認定基準となる予定でもあり、マンション所有者も購入予定者もその概要は知っておきたい。改訂のポイントを見ていこう。

長期修繕計画、修繕積立金は適切なのか

快適なマンション居住のためには、長期修繕計画や修繕積立金が重要であることはいまさら説明する必要もないだろう。しかし、自分の住む(購入しようとする)マンションの長期修繕計画が適切なものなのか、修繕積立金が十分なのかを判断することは難しい。
仮に判断できたとしても、計画の見直しや修繕積立金額の変更には他の所有者の合意を得る必要がある。所有者の多数が賛成しないと話が前に進まない。これがマンション管理の難しい点だ。
これらの問題解決の一助とすべく、長期修繕計画の考え方や作成方法を示したものが「長期修繕計画標準様式・作成ガイドライン・コメント(以下、長期修繕GL)」であり、修繕積立金額を判断するための参考資料が「マンションの修繕積立金に関するガイドライン(以下、修繕積立金GL)」だ。

長期修繕計画GLと、修繕積立金GL。国土交通省HPより

長期修繕計画GLと、修繕積立金GL。国土交通省HPより

改訂点3つのポイント

これらガイドラインの活用により、長期修繕計画や修繕積立金額の設定についてマンション所有者の間で合意形成を行いやすくなり、適切な修繕工事を行うことが期待される。長期修繕GLは平成20年(2008年)に、修繕積立金GLは平成23年(2011年)に策定されたが、築古のマンションの増加や社会情勢の変化を踏まえ、今回、改訂が行われた。
改訂点は多々あるが、ここでは3つのポイントを紹介したい。自分の居住するマンションの長期修繕計画が、これらの改訂点を踏まえたものになっているのか。チェックしてみる価値はあるはずだ。

1、計画期間は30年以上となっているか
今回の改訂では、長期修繕計画の期間を「30年以上で大規模修繕工事が2回以上含まれる」期間とした。従来は「中古マンションは25年以上・新築は30年以上」となっていたため、25年で長期修繕計画を立てているマンションも少なくないはずだ。
ところで、外壁の塗装や屋上防水などを行う大規模修繕工事の周期は一般的に12~15 年程度とされる。30年以上の計画であればこれらの工事が2回含まれることになる。エレベーターの改修も検討に入ってくるだろう。計画期間が30年以上であれば、これら多額の工事費を見込んだ計画となる。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

一方、2回の大規模修繕工事が含まれていない計画では、計画期間直後に大幅な資金不足になるという事態も起こりかねない。
また長期修繕計画は一度つくったら終わりではない。状況の変化に応じて見直していく必要がある。このことは従来から指摘されていたが、今回の改訂では「5年程度」という表現が各所に追記された。見直しをお題目にすることなく、実行していくことが望まれるのだ。
居住するマンションの長期修繕計画が、「30年以上で大規模修繕工事が2回以上」含まれているのか、「5年程度」で見直すことが考慮されているのかはまず確認したいポイントだ。

2、省エネ性能の向上
改訂では、マンションの省エネ性能向上の改修工事も考慮するよう追記された。古いマンションでは省エネ性能が低い水準にとどまっているものが多い。屋上の断熱改修は比較的実績も多いが、外壁の外断熱改修はまだまだ少ない状況だ。窓サッシの改修も断熱性を高める。大規模修繕を契機に、これらの改修工事を行うことは、所有者の光熱費負担を低下させるとともに脱炭素社会の実現にも貢献することになる。築年の古いマンションであれば、この点も考慮した修繕計画となっているかも気になるところだ。

3、エレベーターの点検は?
エレベーターの点検に際し、国土交通省が平成28 年2月に策定した「昇降機の適切な維持管理に関する指針」に沿った点検の重要性も述べられている。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

この指針では、エレベーター保守点検契約に盛り込むべき事項のチェックリストや業者の選定に当たって留意すべき事項など、エレベーターの適切な維持管理に必要な事項があげられている。法定点検をないがしろにしては、修繕計画も立てられない。指針に即した法定点検を行うことは長期修繕計画作成の前提条件だ。

それぞれのマンションにあった計画を立てる

マンションの維持管理を考える際、忘れてはならないことがある。マンションは個別性が強い、ということだ。規模、形状、仕様、立地、所有者の意向などさまざまな条件により維持管理の内容も異なってくる。
長期修繕計画も建物や設備の劣化状況の調査・診断に応じたオリジナルなものが作成されるべきなのだ(現実にはそこをいい加減にして、どのマンションに対しても同じような長期修繕計画を提案している「専門家」も少なくない)。
国土交通省が示している修繕工事項目や修繕周期は一つのモデルだ。これと違う部分があるからといってダメな計画と決めつけるのは早計だ。なぜ違いがあるのか、その確認が大切なのだ。マンションの個別性を踏まえた結果、異なるのであれば問題はない。むしろ良い長期修繕計画だ、ということになる。

修繕積立金の目安は

長期修繕計画が適切なものであっても、それを実施する修繕積立金が不足しては、必要な工事を実施できないし、実施しなければならなくなった場合は多額の一時金を徴収することになる。必要な修繕積立金を考える上で参考となるのが修繕積立金GLだ。
長期修繕計画GLの改訂とともに、修繕積立金GLが示す修繕積立金額の目安も見直されており、少し高くなった。
具体的には以下の金額だ。

(図表は修繕積立金GL)

(図表は修繕積立金GL)

上記の図表は、従来の長期修繕計画GLにおおむね沿って作成された長期修繕計画の事例(366事例)を収集・分析し、計画期間全体に必要な修繕工事費の総額を、計画期間で積み立てる場合の専有面積1平米あたりの月額単価を示している。長期修繕計画GLに沿った工事を行うために費用な積立金額の目安と考えてよいだろう(マンションの個別性があるため、必要な費用に幅が出る)。
例えば、20階建て以上の高層マンションでは、「平均値」は338円/平米、「事例の3分の2が包含される幅」が240円/平米~410円/平米となっている。自分のマンションの修繕積立金がこの「3分の2が包含される幅」に入っていないのであれば、その理由を確認しておきたい(この幅の下限より安いからといって、修繕積立金が不足すると決めつけることはできないし、上限より高いからといって、安心と言い切れるわけでもない)。なお、機械式駐車場がある場合は加算が必要となる(もう少し高くなる)。

「均等積立方式」と「段階増額積立方式」

また上記の金額は、「修繕積立金会計収入の平米単価」であることに注意が必要だ。「各住戸から集める修繕積立金の平米単価」ではない。1階住戸についている庭や駐車場など、使う世帯が負担する専用使用料等を修繕積立金に繰り入れ、含めた額となっている(専用使用料等の収入がある分だけ、各住戸の負担額は少なくなる)。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

つまり「各住戸から集める修繕積立金の平米単価」がGLで示されている金額より少ないからといって、直ちに不足が懸念されるわけではない。とはいえ、東日本不動産流通機構(東日本レインズ)の調査によれば、2020年度に同機構を通して成約した首都圏中古マンションの修繕積立金の平均平米単価は169円/平米だ。長期修繕計画GL沿った計画修繕には不足する管理組合も多いと思われる。
注意すべきは積立金額だけでない。積立方法が「均等積立方式」なのか「段階増額積立方式」なのかにも注意したい。「均等積立方式」とは計画作成時に長期修繕計画の期間中の積立金の額が均等となるように設定する方式だ。これに対し、当初の積立額を抑え、段階的に増額する方式が「段階増額積み立て方式」だ。後者であれば、将来の負担が増加することになる。

専門家は今回の改訂をどうみているのか

今回のGL改訂について、マンションの大規模修繕のコンサルタントとして豊富な実務経験がある明海大学不動産学部准教授の藤木亮介(ふじき・りょうすけ)先生にお話を伺った。……というと他人行儀だが、筆者の大学の同僚だ。研究室も真向いにある。マンション学会で今回のガイドラインについて報告されるなど実務と理論の双方に通じた専門家だ。

(写真提供/中村喜久夫)

(写真提供/中村喜久夫)

「今回の長期修繕GL改訂は、マンション管理適正化法改正に伴い来年4月より施行される『管理計画認定制度』とも関連しています。『管理計画認定制度』とは、良好に管理されているマンションを認定し、価値あるストックを増やしていこうとする制度です。中古マンションの売買価格には、管理の質が反映されているとは言い難い現状がありますが、この制度が浸透すれば、良好な管理が行われているマンションが、市場で評価される時代が来ると考えます。
この認定基準の一つに『計画期間が30年以上・大規模修繕2回以上』などといった長期修繕計画標準様式に準拠する内容が含まれます。したがって、マンションをお持ちの方には、是非、ご自分の資産を守るためにもこの長期修繕GLを読んでいただき、自分のマンションの長期修繕計画と見比べてもらいたいと思っています」(藤木先生)

確かに現状では管理の質が適切に評価されているとは言い難い。今後は、修繕積立金の多寡や計画修繕の実施状況も価格形成の要因となるのだろう。藤木先生は、『マンションの成長』という視点も提示される。

「一般的な理解として、長期修繕計画はマンションを『直す(修繕)ための計画』と捉えられていますが、これからのマンションには、『良くするための計画』という視点が必要になります。築浅のマンションであっても時代遅れにならないように、長期修繕GLを参考にして、省エネ化などマンションが成長していくような改良を見込んだ計画を立てておくことが重要になります」(藤木先生)

マンションを所有する以上、管理の問題は避けられない

マンションの良好な住環境を維持保全することは、資産価値の維持だけでなく地域の住環境の向上にもつながる。その実現には、日常の維持管理とともに計画的な修繕工事の実施が不可欠だ。マンション所有者の一人ひとりが、管理に関心を持ち、長期修繕計画やそれを支える修繕積立金についてもチェックしていくことが重要となる。
さらに今回の改訂では、マンション購入予定者に対する長期修繕計画等の管理運営状況の書面開示も望まれる、としている。マンション所有者はもちろん、購入予定者もしっかり学ぶべき問題であるといってよいだろう。

●関連資料
・「長期修繕計画標準様式、長期修繕計画作成ガイドライン・同コメント」及び「マンションの修繕積立金に関するガイドライン」の見直しについて
・長期修繕計画標準様式・作成ガイドライン・コメント
・マンションの修繕積立金に関するガイドライン
・昇降機の適切な維持管理に関する指針

コロナ禍で「居心地が良く歩きたくなる」まちに注目。横浜元町地区を歩いてみた

「居心地が良く歩きたくなる」まちなかの実現へ向けて、2021年6月、国土交通省が「グランドレベル(街路、公園、広場、民間空地、沿道建物の低層部など、まちなかにおいて歩行者の目線に入る範囲)」の基本的な考え方や優れた事例を発表しました。

コロナ禍を経て地元で過ごす時間が増え、地域を元気にしようという動きも生まれているなか、「居心地がよく歩きたくなる」まちなかとはどのようなものなのでしょうか。冊子「居心地が良く歩きたくなるグランドレベルデザイン」を作成した国土交通省の椎名大介さん、宮川武広さん、諏訪巧さんと、掲載事例のひとつ横浜元町地区のうち元町通り地区を整備する元町エスエス会の加藤祐一さん、打木豊さんに話を聞きながら、実際にまちなかを歩いてみました。

いま注目される「グランドレベルデザイン」とは?

まず、そもそも「グランドレベル」という言葉にあまり馴染みがない人も多いのではないでしょうか。グランドレベルとは、英語の「1階」、まちなかにおいては街路や公園、広場など、『歩行者の目線に入る範囲』を指します。別の言葉では、人々が感じるまちの雰囲気や魅力、居心地を決定づける場所と言い換えられるでしょう。先のグランドレベルデザインの冊子では、その考え方やポイントを整理し、国土交通省により着目された全国の98事例を紹介しています。

「居心地が良く歩きたくなるグランドレベルデザイン」冊子。グランドレベルデザインの考え方やポイントとあわせて全国の98もの事例が掲載されている。国土交通省のホームページからもダウンロード可能(資料/国土交通省)

「居心地が良く歩きたくなるグランドレベルデザイン」冊子。グランドレベルデザインの考え方やポイントとあわせて全国の98もの事例が掲載されている。国土交通省のホームページからもダウンロード可能(資料/国土交通省)

「紹介している事例は、大きく6事例と92事例に分けられます。各事例は全国のさまざまな取り組みを5つのポイントに着目して整理したものですが、前者の6事例はその5つのポイント全てが満たされるかなり完成度の高い事例です。ある種の理想の形だと考えてもいいかもしれません」(椎名さん)

グランドレベルデザインの要素として「ビジョン」「体制」「空間デザイン」「アクティビティの誘発」「育成・管理」の5つが挙げられ、このポイントから全国の事例を紹介している(資料/国土交通省)

グランドレベルデザインの要素として「ビジョン」「体制」「空間デザイン」「アクティビティの誘発」「育成・管理」の5つが挙げられ、このポイントから全国の事例を紹介している(資料/国土交通省)

98事例という数の多さにも驚きますが、その中でも特に評価された事例がどのようなものなのかが気になります! さらに1つか2つピックアップするとしたら……?と相談して宮川さんから紹介してもらったのが「横浜元町地区」(神奈川県)と「豊田市都心地区」(愛知県)です。

「横浜元町地区の事例は、地元商店の発意によってつくられた街のルールが秀逸です。豊田市都心地区の事例は『使う視点』を大切にして計画をつくり、さらに使う人たちを巻き込んで広場の管理や運営を行っている点に注目しています」(宮川さん)

実際に、横浜の元町通りを歩いてみた!

6事例の中でも特に注目すべきものとして1番目に紹介されている「横浜元町地区」。街づくりを主導してきた打木さんと、組合事務局の加藤さんにまちづくりのポイントを聞いて、実際に歩いてみました!

左から、元町エスエス会の打木豊さん、加藤祐一さん(写真撮影/片山貴博)

左から、元町エスエス会の打木豊さん、加藤祐一さん(写真撮影/片山貴博)

まず、現地に着いて最初に目に入るのがシルバーのモニュメントです。元町のシンボルとなっているフェニックスのオブジェが、元町通りの東西両端で来訪者を歓迎しています。

東西の入り口にはシンボルであるフェニックスのモニュメントがある。数年に一度はメンテナンスのために不在になることもあるそう(写真撮影/片山貴博)

東西の入り口にはシンボルであるフェニックスのモニュメントがある。数年に一度はメンテナンスのために不在になることもあるそう(写真撮影/片山貴博)

通りを少し歩くと、歩道の両脇には座り心地の良さそうな木製の素敵なベンチが! これは待ち合わせやひと休みなど、誰もが利用できるオープンスペースとして設けられた「元町パークレット」と呼ばれるものです。

「もともと多くの買い物客や地元の人から『休憩できる場所が欲しい』という声が多く寄せられていたため、2019年に通り内の3カ所に設置しました。パークレットとは、車道の一部をパブリックな空間として利用することで、サンフランシスコが発祥と言われます。元町通りでは車道内の駐車スペースに縁石を設けて歩道と一体化したつくりにしました。気候の良いときはパラソルを立てたり、夜には照明を活かした雰囲気のある空間にして、訪れる皆さんに憩いの場所として使っていただいているんですよ」(打木さん)

車道側からパークレットの下部分を見ると、もともとは駐車スペースだった石畳の上に白い縁石が乗せられ、さらにその上に花壇やベンチが乗っていることがわかる(写真撮影/片山貴博)

車道側からパークレットの下部分を見ると、もともとは駐車スペースだった石畳の上に白い縁石が乗せられ、さらにその上に花壇やベンチが乗っていることがわかる(写真撮影/片山貴博)

元町通りを訪れる人が休憩できるスペースとして設けられた「元町パークレット」。取材当日も多くの人が座ってまちの風景やおしゃべりを楽しんでいた(写真撮影/片山貴博)

元町通りを訪れる人が休憩できるスペースとして設けられた「元町パークレット」。取材当日も多くの人が座ってまちの風景やおしゃべりを楽しんでいた(写真撮影/片山貴博)

パラソルも立てられる(写真撮影/片山貴博)

パラソルも立てられる(写真撮影/片山貴博)

細部にまで配慮された「歩車共存」のストリート

実際に歩いていると、パークレットで休憩をしたり、なごやかにおしゃべりをしている人たちの姿が頻繁に見られます。ベンチのデザイン自体もオシャレですが、通りの至るところに花やグリーンがあり、優しく歩道やベンチを彩っています。

通りには至るところに花やグリーンの演出が。緑のある景観は歩行者に「居心地が良く歩きたくなる」通りだと感じさせるポイントの一つだろう(写真撮影/片山貴博)

通りには至るところに花やグリーンの演出が。緑のある景観は歩行者に「居心地が良く歩きたくなる」通りだと感じさせるポイントの一つだろう(写真撮影/片山貴博)

しばらく歩きながら見ていると、なんと!それらが植えられているフラワーポット、駐車スペースの精算機、果てにはポストまでが深みのある紺色で統一されていることに気がつきました!

案内板や街灯など通りに設置されるものは「元町ブルー」で統一。ベンチには元町の「M」マークのあしらいが入っているこだわりよう! 果てには駐車スペースの精算機やポストまでこの色(写真撮影/片山貴博)

案内板や街灯など通りに設置されるものは「元町ブルー」で統一。ベンチには元町の「M」マークのあしらいが入っているこだわりよう! 果てには駐車スペースの精算機やポストまでこの色(写真撮影/片山貴博)

「これは『元町ブルー』という色を設定して統一しています。色で街としての一体感を出しているほか、店舗の正面の壁を見ると、すべての店舗の1階が歩道から少し下がって2階が張り出したような形でそろっていることがおわかりいただけるでしょう。2階の下の部分を歩行者の方が通ることで、雨の日でも濡れずに歩いてもらえる構造になっているんですよ」(加藤さん)

通りに並ぶ店舗はすべて1階部分が2階に対して約1.8m下がっているという。横断歩道にもひさしが設けられ、雨の日でも歩きやすい(写真撮影/片山貴博)

通りに並ぶ店舗はすべて1階部分が2階に対して約1.8m下がっているという。横断歩道にもひさしが設けられ、雨の日でも歩きやすい(写真撮影/片山貴博)

確かに、横断歩道の上にまで雨除けが! 打木さんによると、歩く人に優しい配慮を各所に施しているそうです。

「車道には『歩車共存』ができる道路を目指して自動車の通行速度を抑える工夫をちりばめています。風情を演出しながらあえて凹凸のあるピンコロ石を敷き詰めたり、道路は直線にせず、途中に駐車スペースやクランク、ハンプを設けることで車がゆっくり走る道になるよう意識しています。逆に元町の『M』マークの所は歩道との段差が少ないフラットな石畳を使用し、ベビーカーや車いすが通りやすいバリアフリーエリアになっているんですよ」(打木さん)

一定間隔で「M」のマークの入ったフラットな石畳が出現! 道路はあえて一方通行にすることで、交通量を最小限に抑えている(写真撮影/片山貴博)

一定間隔で「M」のマークの入ったフラットな石畳が出現! 道路はあえて一方通行にすることで、交通量を最小限に抑えている(写真撮影/片山貴博)

さらに子ども連れにも優しいスペースとして、通りの中ほどには専用の授乳スペースが確保されています。「オアシス」と名付けられたパウダールームで、鏡やイスはもちろん、個室のドアがついた授乳スペースやソファ、オムツ替えスペース、調乳用の給湯器も備え付けてありました!

通りから脇道を入ったビルの2階にはパウダールーム「オアシス」が。完全個室のドアがついた授乳スペースや広々としたソファもある(写真撮影/片山貴博)

通りから脇道を入ったビルの2階にはパウダールーム「オアシス」が。完全個室のドアがついた授乳スペースや広々としたソファもある(写真撮影/片山貴博)

アパレル店の前にはレトロなコカ・コーラの自動販売機が! ちょっとした遊びゴコロが随所に見られるところも「歩きたくなる」ポイントの一つだろう(写真撮影/片山貴博)

アパレル店の前にはレトロなコカ・コーラの自動販売機が! ちょっとした遊びゴコロが随所に見られるところも「歩きたくなる」ポイントの一つだろう(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

見えないところもスゴイ!歩きたくなるまちを支える仕組み

ここまで見てきただけでも“至れり尽くせり”な通りだと感じますが、元町の凄さは見えるところだけではなく、見えないところでまちの魅力を下支えする仕組みがあることです。多くの店舗があるにもかかわらず、通常、よくお店の前で見かける搬入・搬出用の大きなトラックが通りには全く見当たりません。

「大きなトラックが駐車していないのは、ショッピングストリート単独では希少な『共同配送』の仕組みを設けているからです。近隣に『共同配送集配センター』を設置し、各運送会社からの配送貨物はすべて1カ所に集まります。そこで荷物を共同配送専用の車両『エコトラック』に積み替えて各店舗へと配送するんです。その際には、通りの一つ脇を流れる堀川沿いにある共同配送車専用の駐車スペース『エコカーゴステーション』を利用するので、トラックが通りを歩く人の目に触れることはほとんどありません」(加藤さん)

2004年に社会実験として開始した元町SS会オリジナルの共同配送の仕組み。専用車両やスペースを確保することで大きなトラックが見えない通りに(資料/元町SS会)

2004年に社会実験として開始した元町SS会オリジナルの共同配送の仕組み。専用車両やスペースを確保することで大きなトラックが見えない通りに(資料/元町SS会)

また、元町SS会では「元町通り街づくり協定」を策定し、5年ごとに横浜市に承認を得ながら、この通りで営業する商店に対して「元町公式ルールブック」というまちづくりと店舗設計の指針を示しているそう。多くの店舗がこのルールに則ったお店づくりをすることで、元町の歩きたくなる、美しく快適な街並みが維持されているのでしょう。

新しく元町通りに店舗がオープンするときには、店主に「横浜元町まちづくり憲章」や「元町まちづくり協定」等をまとめたルールブックを渡すという(資料/元町SS会)

新しく元町通りに店舗がオープンするときには、店主に「横浜元町まちづくり憲章」や「元町まちづくり協定」等をまとめたルールブックを渡すという(資料/元町SS会)

さらに見えないところでまちを支えているのが、行政や周囲の組織との連携です。加藤さんは「常日ごろから頻繁に連絡を取ることによって風通しの良い関係を築き、前向きな取り組みにつなげられている」と言います。

「周辺には元町SS会のほかにも、中華街、馬車道、関内、山手の各商店会があり、横浜というまち全体を盛り上げるようなイベントや取り組みを行っています。また、元町には住民の方で組織された自治会もありますが、住む人と商店ではまちに求める機能や環境が異なりますよね。そのギャップを埋めるために『商店が栄えることで街がきれいに維持できている』ということを共有して、周辺に住む方にも理解と協力を得ながらまちをつくっている感じです」(加藤さん)

近年はコロナの影響で開催できていないが、例年、ハロウィンやクリスマスなどのイベントには多くの人で通りがにぎわう(資料/元町SS会)

近年はコロナの影響で開催できていないが、例年、ハロウィンやクリスマスなどのイベントには多くの人で通りがにぎわう(資料/元町SS会)

実際に2019年6月~2020年3月の間に行われた、パークレットの整備を含む改修作業においても、この密な連携が欠かせなかったと言います。

「行政や警察と何度も事前協議を行い、日々、相談・連絡をしながら計画・実施をしていきました。例えば、パークレットはもともと駐車スペースだった道路の一部を使用しているのですが、道路活用にはさまざまな法規制があり、そのままでは利用できませんでした。横浜市や警察、土木事務所と協議を重ねた結果、縁石を設けて歩道の一部とすれば使えることになり、縁石の上やその歩道側にベンチを設けたのです」(打木さん)

「つくる」ではなく、「使う」目線のまちづくりを

確かに、国土交通省の皆さんに話を聞いたときにも「地域の人がまちづくりを主導することが大きな成功要因になる」という言葉がありました。印象的だったのは、「これまでは『何をつくるか』という視点で行政が主導してきたまちづくりだが、現在、好事例として取り上げているまちは『どう使うか』の視点で住民や民間事業者が参画している」という点です。

「元町の事例もそうですが、豊田市都心地区の新とよパークの事例も、行政だけでなく地元の人たちも主体的に動いているからこそ、魅力的なまちづくりができていることをよく示すものだと思います。実際に空間を使う人たちの『使う視点』を大切にして計画をつくり、多くの関係者と『共有する』ということを大事にしているんです」(宮川さん)

新とよパーク(左)、新とよパークパートナーズの会議(右)(画像提供/国土交通省)

新とよパーク(左)、新とよパークパートナーズの会議(右)(画像提供/国土交通省)

「住民や民間企業が行政に対してまちを『こんな風に使いたい』という意見を積極的に発信していけば、それが多くの方に支持されるまちづくりにつながると思います。住民の方のかかわりが、そのまちのビジョンの核になっていくのです」(諏訪さん)

さらに椎名さんは、「都市の機能が多様化していくなかで『人』中心のまちづくりを進めていくと都市の価値が向上し、多くの人の『QOL(クオリティーオブライフ、生活価値)の向上につながる』といいます。

「多くの人にとって歩きたいと思える街になることで、多様な人が集まります。いろいろな人が集まれば、ダイバーシティーの発想で街にイノベーションが起こります。新しい発想は地域課題の解決につながり、日々の暮らしが快適なものになり、経済が活性化していきます。経済が回れば、まちに投下される資金も増えるので、まちはいっそう快適で、美しいものになるでしょう。この好循環を生み出すことが重要なポイントなのです」(椎名さん)

日本でも地方創生が叫ばれて久しいですが、まちづくりを住民・民間で主体的に行っていこう、という流れは数年前から世界的な流れとして起こっています。コロナ禍も経て、改めて歩けるまちの良さを理解できた、という声も多いそうです。

多くの人が新しい生活様式を模索しているいまこそ、まちに興味を持ち、積極的に声を上げ、関わっていくチャンスかもしれません。私たち一人ひとりがまちをつくる主体の一人だという気持ちで「自分の好きなまちがもっと魅力的になるには」を考えていきたいですね。

●取材協力
・国土交通省
・元町SS会事務局

シェア商店「富士見台トンネル」で街に眠る才能を発掘。郊外を刺激的でおもしろく

富士見台トンネルは、バーやお味噌汁専門店、おはぎ屋さん……と曜日時間によって個性的な店が營業する、シェア商店。郊外の団地であっても、子育てしながらでもクリエイティブな仕事ができる。個の才能をいかす場をつくりたいという、ある建築家の思いから始まった。

20代のころ、引越し先を探していて、郊外の団地を見に行ったことがある。すぐにここには住めない、と思ってしまった。スーパーはあるが、夜までやっていそうな飲食店がほとんど見当たらない。一人でふらりと立ち寄れそうなカフェもなかった。

歳を重ねた今なら団地の住みやすさも分かるが、当時は仕事からの帰りも遅く、毎晩料理するのは無理だと思っていたし、何より夜が早いまちはつまらないと思った。

一方、結婚して子育てする時期になると、多くの働く女性がこうした郊外から都心に通う。子どもの送り迎えに満員電車での通勤、帰ってから買い物に家事……などが続くと疲れてしまい、離職や不本意ながらキャリアを捨てて近場への転職を考えるようになる。私にもそうした友人がいた。

同じような状況に直面する人は案外たくさんいるのではないか。そう考えた人がいた。建築家の能作淳平さん。郊外での暮らしをより面白い刺激ある場所に。かつ、住むまちに魅力的な働く場をつくる試みとして。
「富士見台トンネル」はそうして始まった。

(写真提供/富士見台トンネル)

(写真提供/富士見台トンネル)

団地の可能性

JR南武線の谷保駅(東京都)より歩くこと5分。白いアパートが立ち並ぶURの団地が見えてくる。その手前にあるのがむっさ21富士見台名店街。電気屋や文房具屋の並びに、ガラス張りでおしゃれな暖簾のかかった一見何屋さんか分からない店が目に入った。

(写真提供/富士見台トンネル)

(写真提供/富士見台トンネル)

ここが「富士見台トンネル」。能作淳平さんが始めたシェアする商店である。

訪れたのは朝の10時。おそるおそる店の戸を開けると、白いカウンターが奥のほうまで伸びていて、その日営業する「Cafe Himmel」の2人が開店準備中だった。カウンターの奥がオフィススペースでもあり、能作さんが迎えてくれた。

建築家で「富士見台トンネル」の能作淳平さん(写真撮影/甲斐かおり)

建築家で「富士見台トンネル」の能作淳平さん(写真撮影/甲斐かおり)

さっそく、なぜ谷保だったのか、から聞いてみた。

「もともと、都心のあちこちに賃貸で住んでいて楽しかったんですけど、結婚して子育てするとなると不便もあって。妻の実家があきる野市なので三鷹から立川の間くらいがちょうどよかったんです。でも35年ローンで家を買うのは、僕にとっては自由度もないし時代錯誤な気がしたんです。それでリフォームできる賃貸を探していたら、この近くの団地に見つかって」

URが提案している「DIY住宅」の企画。これを本格的にフルリノベーションを行うことに。建築家の本分を活かし、自主施工で団地の部屋とは思えないような空間をつくりあげた。

白いカウンターは店内奥にいくほど幅広く設計されていて、打ち合わせにも使いやすいようになっている(写真提供/富士見台トンネル)

白いカウンターは店内奥にいくほど幅広く設計されていて、打ち合わせにも使いやすいようになっている(写真提供/富士見台トンネル)

「住み始めてみると、団地ってすごく住みやすいんです。緑が多いし空気もいい。クリエイティブな仕事をするには最適で。都心に住む友人たちにもこっちに住めばって声をかけたんですが、誰一人移り住もうって人はいなかった(笑)」

自身もその理由に気付き始める。

「サロンがないのが大きいんだなって。都心に住んでいたころは、生活らしい生活ではなかったけど、外で食事して、毎晩そこに集まる人たちとクリエイティブな話をしていたんです。そこで受ける刺激って大きかったんだなと。郊外では新しい人や考え方に出会う場が生活の中に少ないことに気付きました」

富士見台トンネルの周囲にはアパートの並ぶURの団地が広がっている(写真撮影/甲斐かおり)

富士見台トンネルの周囲にはアパートの並ぶURの団地が広がっている(写真撮影/甲斐かおり)

「子育てか、仕事か」の二択は、何かがおかしい

さらに、富士見台トンネルを始める直接のきっかけになったのが、妻の転職だった。能作さんの妻は、もとはワインの輸入販売の会社に勤めていて、店長を任されるほどの主戦力として働いていた。
ところが団地に移り住んだことで、毎日都心へ、満員電車で通わなければならなくなった。

「一人目の出産の後は頑張って通っていたんですけど、二人目の時、さすがにもう辞めようと。体力的にも負担が大きかったし、時間をかけて通勤する効率の悪さが本人も嫌になったんだと思います。

近くに事務職の仕事が見つかって転職しました。でもせっかくワインの知識も豊富で、築いてきたスキルがあるのにそれを活かせないのは僕から見てももったいない。社会にとっても損失じゃないかと思ったんです」

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

ゆったりしようと思って郊外に住んだのに、自由度がなくなり体力にも負荷がかかってより大変になっている。子育てもとても大事な仕事だけれど、そもそも「仕事を取るか、子育てを取るか」の二択を迫られるのはおかしいのでは、と思えた。

「僕らの悩んでいることって、明らかに都市の構造の問題だなって気付いたんです」

妻のスキルを活かす場として、家から近い場所に店を出そうと考え始める。能作さんのオフィスを兼ねれば、週末だけなどマイペースに営業すればいい。ところがこうも思った。「僕らと同じような人って、ほかにもけっこう居るんじゃないかって」

それならシェア型にしてやってみるかと、2019年11月、シェア商店「富士見台トンネル」をオープンする。

能作さんの妻、根来香奈さんが始めたゆるりとしたワインバー、wine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

能作さんの妻、根来香奈さんが始めたゆるりとしたワインバー、wine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

個性的な店にお客さんがつくスタイル

いま、富士見台トンネルには、さまざまなお店が出店している。公募をしたわけではないが、口コミなどで自然と広まった。創作おはぎの店「おはぎびより」、朝だけお味噌汁を出す「御御御(おみお)」、マカロン専門店、クナーファという中東のお菓子に特化した店、など個性的な店が多い。

朝だけ營業のお味噌汁専門店「御御御(おみお)」(写真提供/富士見台トンネル)

朝だけ營業のお味噌汁専門店「御御御(おみお)」(写真提供/富士見台トンネル)

富士見台トンネルのインスタグラムを開くと、月間スケジュールが表示される。
例えば水曜の午後はクナーファの店、金曜のランチはカフェヒンメル、土曜午後はおはぎびより……といった具合。

定期的に出店する店が優先的に日時を決め、それ以外の店が空いている日時を選ぶ。使用した分だけ時間制で場所代がかかる。売上マージンは一切取っていないため、売上はすべて各店に入る。

「富士見台トンネル」のinstagramより。中央の写真が、中東のお菓子クナーファ

「富士見台トンネル」のinstagramより。中央の写真が、中東のお菓子クナーファ

訪れた日に営業していたのが、「カフェヒンメル(Cafe Himmel)」。すでにファンがついているのか、ランチの時間になると、次々に女性客が入ってきた。

定番メニューはグリッツという、トウモロコシの粉でつくる、卵の入ったおかゆのような料理。滋味深く優しい味で美味しい。そのほか食べごたえのある野菜のおかずで満足感がある(写真撮影/甲斐かおり)

定番メニューはグリッツという、トウモロコシの粉でつくる、卵の入ったおかゆのような料理。滋味深く優しい味で美味しい。そのほか食べごたえのある野菜のおかずで満足感がある(写真撮影/甲斐かおり)

客足が落ち着いたころに、店長の松尾さつきさんに声をかけてみた。
なぜ、ここでお店を?

「近くで妹が店をやっていて、そちらがヒンメルの本店なんです。私は本業が薬剤師で土曜日だけ妹の店を手伝っているんですが、ここのスタイルを知って、自分でもやってみようかなと。個人的にアフリカンアメリカンの料理に興味があって、お客さんに食べてもらえるのがすごく楽しくて。月に2回、お昼だけですが、楽しんでやっています」

いま出店者の約半分は松尾さんのように本業とは別で楽しみながらお店をやっている人たち。もう半分は、ゆくゆくこの道で独立したいと頑張っている人たちなのだとか。

ワインバーwine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

ワインバーwine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

まちのタレントを発掘してつなぐ

富士見台トンネルの名前には、このまちに眠るタレント(才能)を“掘ってつなぐ”という思いが込められている。

インスタグラムに並ぶ写真、お店のラインナップを見ていると、それぞれが個性的な、魅力あるお店ばかり。そして、並んだときに違和感のない世界観が感じられる。

こうした複数の人や店が同じ場を共有して使うとき、最も問われるのは、そのキュレーション力ではないかと思う。

「ある程度、各お店に僕からも意見を言うようにしているんです。お店を始めるとき、ブランドとして完成されているところの方が声をかけやすいしお客さんを集めやすいと思ったんですけど。それだと、マルシェなどどこへ行っても同じいつものメンバーになっちゃう。それじゃつまらないと思って。まだ知られていない新しい店だけで始める方が面白い。その分まだ方向性が確立されていないところが多いので、一緒に話し合いながらブラッシュアップしていくスタイルを取っています」

例えば今人気の「おはぎびより」。最初からとても美味しかったけれど、よりオーソドックスなおはぎが多かった。価格設定を少し高めに、レシピももっと目新しいものにと能作さんのアイデアも加わって、洗練された見た目にもかわいいおはぎ屋さんができた。

オープン初期から營業している「おはぎびより」。富士見台トンネルでのみ買える人気の店(写真提供/富士見台トンネル)

オープン初期から營業している「おはぎびより」。富士見台トンネルでのみ買える人気の店(写真提供/富士見台トンネル)

ノンアルコールバーによるスナック營業も(写真提供/富士見台トンネル)

ノンアルコールバーによるスナック營業も(写真提供/富士見台トンネル)

中に入れば開放的でオープンだが、入口はあえて何の店だか分かりにくいように工夫されている。少し怪しげなくらいがサロンとして魅力的。個性的な店と感性の合うお客さんだけが自然と入ってくるような工夫だ。

いま、全国的にシェアと名のつくサービスはたくさんある。シェアハウスやシェアオフィス、シェア店舗。スペースやコストを物理的に分かち合う意味での“シェア”が大半。それはそれで利にかなっているのかもしれないが、ただのシェアでは分かち合う以上の価値は生まれない。

「富士見台トンネルでは、分かち合うシェアではなくて、持ちよるシェアを目指していて。会員さん同士も仲がいいですし、カウンターの内側でクリエイティブな発想がどんどん生まれたらいいなと思っているんです。先日も、ノンアルコールバーをやったんですが、マカロンの専門店に、おつまみマカロンを出してほしいと依頼したらあっという間にコラボが成立して。そういうのが楽しいなって思うし、お客さんもそういう店のほうが楽しいと思うんです」

そうしたコラボがぱっと成立する状況を、「ウォーミングアップできているメンバーがそろっている」と能作さんは表現した。

まちに眠るタレントを発掘して、いつでも発揮できるよう、日々技を磨くことのできる場。都市郊外でも、もっと地方であっても、こうした個人のスキルを活かせる場が、いま各地に求められているように思う。

●取材協力
富士見台トンネル
instagram:@fujimidaitunnel

神奈川県大磯の”本気の防災”! 3000人参加の避難訓練など首都圏屈指の共助力とは?

地震や台風、豪雨豪雪や火山の噴火など、災害につながるさまざまな自然現象が起きる日本。複数の場所で同時に災害が発生することもあるでしょう。そんななか、大磯町では行政と住民が手を結び、さまざまな対策を行っています。その理由と取り組みを聞いてみました。

人口3.2万に対し町役場職員は260人。災害発生時の公助は苦しい

大磯町は神奈川県中央南部に位置し、相模湾に面した風光明媚な別荘地としても知られる町です。人口は約3万2000人で、東海道線、湘南新宿ラインを使えば東京都心部にもダイレクトにアクセスできるとあって、住宅地としても根強い人気を誇ります。この大磯駅、今年3月に発表された住民が回答する街の共助力調査(「『住民の共助力』に関する実態調査」2021年3月10日発表(リクルート))でも首都圏2位にランクインするなど、「住民の助け合い」が自然に息づいているといいます。その背景について、大磯町の政策総務部危機管理課・竹内愛純さんに話を聞きました。

「大磯町では行政が仕切るというよりも、『住民と行政が協働サイクルを回す』という立ち位置で、防災に取り組んでいます。というのも、町の人口は3万2000に対し町職員は260人。そのうち半数以上が町外に居住しています。町職員も災害時には怪我をすることもあるでしょう。そのため、災害発生時に即応できる職員となると、ほんとうに少数なのではないでしょうか。町民のみなさんにまずこの話をすると、『そうだろうな。共助は欠かせないな』と理解してくれます」と竹内さん。

もちろん、地元自治体だけでなく、県や国の公助に期待したいところですが、被害状況の把握や支援要請など、基本拠点となるのは町役場です。それだけに町民人口と職員の人数を聞くと、厳しいというのは大変現実味があります。また、大磯町はその地形や特性から、さまざまな災害が想定されるといいます。

「地震発生時は地震と津波、漁港に近い住宅密集地では火災も想定されます。台風では高波、大雨が降れば川沿いで浸水が起きるおそれがあります。丘陵地では大雨による土砂災害もありえるでしょう。加えて、富士山が噴火すれば町内全域が被災することになります」と話すのは大磯町災害救援ボランティアの会の伊藤勇さん。自身でもSL災害ボランティアネットワークに加入し、地域の防災講座などを積極的に行っています。

大磯町災害救援ボランティアの会の伊藤勇さん(左)と、大磯町の政策総務部危機管理課の竹内愛純さん(右)

大磯町災害救援ボランティアの会の伊藤勇さん(左)と、大磯町の政策総務部危機管理課の竹内愛純さん(右)

大磯駅前にあった町の案内図。観光名所に加えて、避難所やトイレ、海抜の表記があり、町全体での防災意識の高さがうかがえます(写真撮影/嘉屋恭子)

大磯駅前にあった町の案内図。観光名所に加えて、避難所やトイレ、海抜の表記があり、町全体での防災意識の高さがうかがえます(写真撮影/嘉屋恭子)

大磯中学校3年生の前で防災講演する伊藤さん(写真提供/伊藤勇さん)

大磯中学校3年生の前で防災講演する伊藤さん(写真提供/伊藤勇さん)

危機感を町民と共有。津波土砂防災訓練には3000人が参加

冒頭にあげた竹内さん、伊藤さんたちが抱く危機感、防災意識は大磯町全体にも浸透し、津波土砂避難訓練にはなんと町民約3000人が参加するといいます。

こうした、町民の当事者意識・防災意識の高まりにつながっているのが、町が主催する年3回実施の「大磯防災ミーティング」です。自治会や学校、病院、ボランティア、消防、警察など70以上の組織から毎回約100名が参加し、訓練の計画・実行・振り返りを通して意見を出し合い、各組織に持ち帰り、また行政にフィードバックし、改善していくといいます。

「それまでは、どこの市町村でもやっている防災訓練を行っていたんですが、町主体の訓練だと防災力があがらないと気がつき、住民のみなさんで意見を出し合う方法へと変化させました。実は『土砂避難訓練』を行うようになったのもこの数年です。開始したのも、高台に住んでいるみなさんの意見を反映した結果です。お互いの意見を出すことで、住民の当事者意識、防災意識が高まっていくんだなと感じます」と竹内さん。なるほど、住民と行政の顔が見えていることで、良好な協働のサイクルに入っているようです。

続々と避難場所である体育館に入っていきます。防災訓練開催は2011年(写真提供/大磯町)

続々と避難場所である体育館に入っていきます。防災訓練開催は2011年(写真提供/大磯町)

高台に避難する馬場地区の避難訓練の様子。こちらも開催は2011年(写真提供/大磯町)

高台に避難する馬場地区の避難訓練の様子。こちらも開催は2011年(写真提供/大磯町)

町への愛着と日ごろの防災訓練が「共助」を可能にする

ただ、大磯町以外にも災害多発地域はたくさんあります。ここまで防災の協働意識が高まった背景には何があるのでしょうか。
「大磯には相模国総社の六所神社があり、また、昔から漁業が盛んであったこともあり、もともとお祭りが盛んな地域です。この2年はコロナ禍で実施できていませんが、夏になると毎週、どこかの神社でお祭りが行われている。子どもが担ぐ『こどもみこし』もあり、地域の行事に住民が参加することで交流が深まって、町への愛着を生んでいるように思います。加えて、防災訓練をすることで災害発生時に人を助けられる。地域への愛着と、日ごろの防災訓練。この両輪が備わってはじめて『共助』が実現できるのではないでしょうか」と、30年以上も大磯の町内会や地域の防災に携わってきた伊藤さんは分析します。

もともとお祭りが盛んな大磯。防災の取り組みの、根っこにあるのは「地元愛」(写真提供/伊藤勇さん)

もともとお祭りが盛んな大磯。防災の取り組みの、根っこにあるのは「地元愛」(写真提供/伊藤勇さん)

大磯を含め「湘南」は、地域愛・地元愛が強い印象でしたが、実はこうした草の根の活動、人々の思いが「湘南愛」の土壌になってきたのかもしれません。また、町内自治会とは別に『自主防災会』を組織するところも増えてきたといいます。

「防災に特化した組織が『自主防災会』で現在町では26の組織が活動しています。この数年、自治会役員は任期で交代してしまうため、防災力の継続を目的として役員OB等により、自治会とは別に、自主防災会を組織するところもだいぶ増えてきています。私の所属する馬場地区の自主防災会では、災害発生時に黄色い安否確認旗を家の前に掲示してから一時避難場所へいく安否確認訓練にも力を入れています。回覧板をまわす程度の近所を『組』とし、安否チェック表や要支援者情報を可視化した地図をつくりました。自分と家族の身の安全を確認したら、組長が近所をまわり、要支援者に声をかけてほしいと伝えています」(伊藤さん)

馬場地区で使われている「黄色い安否確認旗」。組単位でチェック表を使用して各世帯の安否状況を記載し、地区全体でとりまとめられるようにしている(写真提供/伊藤勇さん)

馬場地区で使われている「黄色い安否確認旗」。組単位でチェック表を使用して各世帯の安否状況を記載し、地区全体でとりまとめられるようにしている(写真提供/伊藤勇さん)

馬場自主防災会の要支援者訓練の写真。地図を使って逃げ遅れた人はいないか確認しています(写真提供/伊藤勇さん)

馬場自主防災会の要支援者訓練の写真。地図を使って逃げ遅れた人はいないか確認しています(写真提供/伊藤勇さん)

また、自主防災会では、地元にある高齢者施設と合同防災訓練を行い、リヤカーを使って高齢者を搬送する避難訓練も行っているといいます。

この要支援者への取り組み、高齢者の避難訓練については、「住民がそこまでしないダメなの?」という声もあることでしょう。障がいや身体の状況を知られたくないという方もいるでしょうし、ひとくちに住民が「助け合う」といっても、その実現は本当に難しいことが分かります。ただ、乳幼児、高齢者、障がい者など、どの街にも必ず「災害で困る人・避難に困る人」がいます。そして、弱い人たちほど被害が大きくなるものです。その対処法を災害が発生してから考えるのではなく、あらかじめ考えておく、ベストではなくともベターな案を平時に考えておくことは非常に重要だなと痛感します。

馬場地区青年会員が訓練に参加、リヤカーを使って救助する。大磯町で青年会があるのは馬場地区のみだそう(写真提供/伊藤勇さん)

馬場地区青年会員が訓練に参加、リヤカーを使って救助する。大磯町で青年会があるのは馬場地区のみだそう(写真提供/伊藤勇さん)

防災の告知はお祭りや盆踊りでも掲示。楽しく巻き込むことが大切

ただ、防災訓練は義務感や危機感だけでは長続きしません。そこで伊藤さんが心がけているのが、お楽しみイベントと組み合わせることだといいます。

「文化祭やお祭りで販売するお餅のパッケージに、『防災餅』と名付けて、防災の心構えを印刷して販売しています。炊き出しもそうですが、胃袋を掴むのは重要です(笑)。防災訓練の一番の課題は、1人でも多くの人に防災について知ってもらうこと、参加してもらうことです。人が集まるイベント、お祭りの一角に、自然と目に入るところに「家具転倒防止の方法」「消火方法」と掲示しておく。はじめはおっかなびっくり見ているけれど、『どうぞ~』と声をかけると見ていってくれますよ」と話します。

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手づくりした餅を「防災餅」と名付けて100円で販売。収益は防災訓練の費用に充当します。上の写真の防災の掲示など、楽しいことと組み合わせて、啓発するのがポイントだそう(写真提供/伊藤勇さん)

手づくりした餅を「防災餅」と名付けて100円で販売。収益は防災訓練の費用に充当します。上の写真の防災の掲示など、楽しいことと組み合わせて、啓発するのがポイントだそう(写真提供/伊藤勇さん)

この10年で東日本大震災をはじめ熊本地震、西日本豪雨と立て続けに大きな災害が多発しています。ただ、興味関心があっても、「地域の防災訓練に参加するほどでも……」という温度感の人は多いはず。そうした人に対して、自然と知ってもらう・啓発するというのはとても大切なようです。また、伊藤さんがカギになると話しているのが女性です。

「もし平日の昼間に災害が起きたら、町内に居る確率が高いのは女性や子ども、高齢者です。特に、避難生活での女性視点は重要です。訓練の場に子どもと女性がいれば、男性も参加するようになります。女性の意識を高めることが、町の防災力向上につながるはずです」と伊藤さん。その声を受け止めた大磯町では、女性を対象にした災害救援ボランティア養成講座助成事業を、今年実施しました。

取材中、「1人も取り残さない」と繰り返し力説していた伊藤さん。さまざまな災害が発生するから無力なのではなく、たとえ何度、災害が起きたとしても、「必ず助ける」「ともに助け合って生き延びる」という強い意思が、今の私たちに一番、必要なのかもしれません。

空き家に住み込んでDIY! 家がない人に住まいと仕事を「Renovate Japan」

住まいがなく、仕事に困っている人が、住み込みのアルバイトとして空き家のリフォームに参加し、一時的に住居と収入を得ることで生活の立て直しを図ってもらうソーシャルビジネスが登場。“誰もが生きやすい社会”のために会社を立ち上げた「Renovate Japan(リノベートジャパン)」の甲斐隆之さんに起業のきっかけや現状のお話をインタビューするとともに実際に利用した方にも感想を伺いました。

住まいのない人と日本の空き家を結びつける新発想(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

日本の相対的貧困率(その国の大多数の人々の文化・生活水準と比べて貧しい状態にある人の割合)は15.7%(2018年 厚生労働省 国民生活基礎調査の概況)と、国民の約6人に1人。先進国を中心に38カ国が加盟するOECD諸国の中でも高い数値になっています。ホームレス状態の人の数は、全国で3824人(2021年 厚生労働省 ホームレスの実態に関する全国調査結果)。ネットカフェなどで生活する住居喪失者は都内で推定約4000人(2018年 東京都 住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査報告書)と推計され、住居と収入に困難を抱える方の問題とどう向き合っていくかは、日本の重要な課題と言えるでしょう。

東京都国分寺市を拠点にする「リノベートジャパン」は、総住宅数に占める割合が13.6%、全国に846万戸(2018年 総務省 住宅・土地統計調査)もある日本の空き家問題に着目し、“余っている住まいと、住まいのない人”を結びつけ、困難の解決を図る会社です。

その仕組みはこう。
同社が空き家のオーナーに物件を賃貸化してもらえるよう交渉。ライフラインの整備や基本的なリフォームを行った後、生活困窮者とされる方がアルバイトとして加わり、DIYで内装を整えます。作業中はその物件に住めるようにし、シェルターとしても機能します。スタッフが仕事に就くための話を聞いたり、セーフティネットを紹介したりして支援。一定期間、家と仕事が確保される状況をつくり、次のステップに進みやすくなるのです。さらに改修した物件は、主に外国人や性的少数者といったマイノリティの方を対象にしたシェアハウスとして運営することで、作業にかかった費用を回収します。

(資料提供/リノベートジャパン)

(資料提供/リノベートジャパン)

学生時代と前職での経験を糧に“生きやすい社会”に取り組む

起業したのは、まだ20代の甲斐隆之さん。
大学時代は海外インターンシップ事業や国際学生寮の学生団体で活動し、大学院では開発経済学を専攻。卒業後は日系大手のシンクタンクに就職し、インフラ政策をはじめとした公共コンサルタントに携わってきました。

左から3番目が代表の甲斐隆之さん(左から「リノベートジャパン」のメンバーの吉田佳織さん、池田大輝さん、甲斐さん、木村剛瑠さん、元メンバーの杉浦悠花さん)(写真提供/リノベートジャパン)

左から3番目が代表の甲斐隆之さん(左から「リノベートジャパン」のメンバーの吉田佳織さん、池田大輝さん、甲斐さん、木村剛瑠さん、元メンバーの杉浦悠花さん)(写真提供/リノベートジャパン)

社会人になって約5年での挑戦は、これまでの経験が実を結んだからと言えますが、根底には甲斐さんならではの深い想いがあります。

小学生のころに父親を亡くし、母子家庭で育った甲斐さんは、遺族年金などの社会のセーフティネットに支えられてきました。一方で家庭の事情により中学1年生までの数年間をカナダで過ごした帰国子女。いわゆる“普通”のあり方とは違っていただけに、レッテルを貼られて偏見を感じたり、家庭を気づかって周囲と違う選択をしたりすることが少なくなく、アイデンティティの葛藤から自分は社会に馴染めないのではと思っていたそう。
そんななか、大学生のときにある気づきがあります。

「ある授業で貧困問題を学んだときのこと。機会に恵まれないために社会的な安定から外れてしまう人がいると知ったんです。自分はたまたまセーフティネットなどに救われましたが、ともすると同じだったかもしれません。
その人の望んでいることが、置かれている事情で左右されることがあってはいけない。道を狭められることのない“生きやすい社会”をつくりたいと強く思うようになりました」

大学3年生の時に、インド・ムンバイのNGOでインターンしていた時にスラム街を訪れた際の甲斐さん(2015年)(写真提供/甲斐さん)

大学3年生の時に、インド・ムンバイのNGOでインターンしていた時にスラム街を訪れた際の甲斐さん(2015年)(写真提供/甲斐さん)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

前職の経験から、「公的機関の役割は大きいが、限界がある。個々のニーズを満たす福祉を民間でつくっていけたら」と思うようになっていた甲斐さん。とくに住居も仕事も失っている人が一時的に利用する宿泊場所は、公的なものだと相部屋になったり規則が厳しかったりして、ストレスになりがちと聞いていました。1人ひとりが満足する空間を考えたとき、「空き家を宿泊場所にして、生活の立て直しを考えている人と結びつけられないか」と着想したそう。

甲斐さんのアイデアのポイントは、リフォームで付加価値をつけた物件をシェアハウスにし、資金回収ができるようにしたところ。助成金に頼り切らない、企業として自走できる体制だからこそ、自由な取り組みをしていけるのだと話します。

「幸い学生時代や前職で、ゼロからイチをつくるプロジェクトに関わってきたため、ビジネスをはじめるイメージはついていました。加えて事業内容は1軒1軒の空き家の改修というシンプルなもの。大がかりな構想や資金を立てなくてもスモールステップで進めてゆけて、負担が少ないことにも背中を押されました」

支援団体とも提携。包括的なサポート体制で入居者を迎える

仲間たちに声をかけ、2020年10月に事業をスタート。物件は自治体の「空き家バンク」を活用するほか、地元の不動産会社に相談したり、まちづくりの場で情報収集したりして選定しています。国分寺市・小平市の建物がまもなく完成予定で、現在は3件目となる東久留米市の物件を改修中です。

物件は住居と仕事に困った人の宿泊場所として需要が見込まれる都心に近いエリアが中心。一軒家のほかアパートも対象です(写真提供/リノベートジャパン)

物件は住居と仕事に困った人の宿泊場所として需要が見込まれる都心に近いエリアが中心。一軒家のほかアパートも対象です(写真提供/リノベートジャパン)

「空き家のオーナーの理解を得るのが一番大変なところです。正直、生活を立て直そうとしている人が利用すると聞くと、どんな人か分からないことから不安に感じる人や、近隣へ特別な配慮が必要ではないかと懸念されることもあります。宿泊場所になるのは改修を終えるまでの期間であることや、その後の利用についてのプランを説明すると、なかには『社会貢献になる』と喜びを感じていただけることも。積極的なオーナーに出会えるとありがたいです」

会社のスタッフ以外に、住み込みでアルバイトをするメンバーは“リノベーター”と呼び、支援団体と連携して募るようにしています。物件の規模が小さいため、1軒で受け入れられるのは1~2名。さまざまなケースが想定されるため、対応に配慮の必要を感じたときはスタッフから心理士に相談したり、公的な窓口につないだり、包括的にサポートしています。

(資料提供/リノベートジャパン)

(資料提供/リノベートジャパン)

「ここが各種の相談窓口につながったり、アクセスしたりするときの拠点となり、ハブのような役割を果たせたらと思うんです。そうした場所に相談役がいたら安心だと思っていて、私たちはそれを目指しています」

空き家のDIYにはスタッフも参加。スタートから約1年で、これまで3名(9月27日現在)のリノベーターを迎えました。

「本人のやる気を促し、仲間として応援するスタンスでいます。ただ心理的な負担をかけないことも大事にしていて、時間のあるときに入れて気兼ねなく帰りもできる、出入り自由なアルバイトになるようにしています」

DIYを楽しみながら自然とスタッフと関り、前向きにステップ

今夏、リノベーターを経験したSさん(20代女性)にお話を伺いました。

家に居場所がない人たちの力になりたい、と10~20代の若者に向けた支援団体でボランティアをしていたSさんは、自身も家に居づらいと感じることがあり、一時期、ネットカフェなどを転々と生活していました。そんなときに支援団体を通して「リノベートジャパン」を知り、思い切って連絡。リノベーターをすることになります。

「参加したのは安心できる環境で生活を立て直したいのもありましたが、何かをイチからつくる過程が好きなのと、事業内容が新しくて興味が湧いたのが大きいです。
壁のペンキを塗ったり養生テープを貼ったりする作業に週2時間・2カ月間ほど参加。ものができあがっていく達成感を味わえましたし、作業している間に住む部屋としてもとても快適でした」

DIY中のスタッフとの関わりも、プラスになったと言います。

「私は気分に波があったり、不眠などに悩んだりしていたのですが、そういうことはもちろん、些細なことも気にかけていただき、定期的に相談に乗ってもらいました。
これまでは『自分なんかが助けを求めてはいけない』『もっと大変な人がいるのだから我慢をしなくては』と思いがちでした。でも、辛さは比べられるものではなく、辛いかどうかは自分が決めるものだと気づけたし、困っているときはまわりがどう思おうが関係なく、いろんなところを頼ろうと思えるようになりました。
スタッフにはいろいろな人がいますが、自分の話をちゃんと聞いて、サポートしていただける本当にいい方々です」

DIY中の様子。楽しく作業をすればスタッフとの垣根が低くなります(写真提供/リノベートジャパン)

DIY中の様子。楽しく作業をすればスタッフとの垣根が低くなります(写真提供/リノベートジャパン)

リノベーターが入居する前に、スタッフらで宿泊場所にする部屋やベースの改修を行います(写真提供/リノベートジャパン)

リノベーターが入居する前に、スタッフらで宿泊場所にする部屋やベースの改修を行います(写真提供/リノベートジャパン)

左/改修前の1F和室 右/完成してきれいになった部屋(写真提供/リノベートジャパン)

左/改修前の1F和室 右/完成してきれいになった部屋(写真提供/リノベートジャパン)

DIYを終えてSさんは現在、以前からアルバイトをしているNPO法人で正社員になることを目標に働いているそう。今回の経験は、未来への想いを強くすることにつながっています。

「生きづらさを抱えている若者たちを、私がしてもらったように上手く巻き込んで居場所をつくっていきたいです。『1人で何とかしなきゃ』と思わず、困ったときは『こうした団体もあるよ』『見知らぬ人についていくならここにまず頼ってみよう!』と伝えていきたいです」

若者を支援する意欲を高まらせているSさん。その1つひとつの言葉に希望が感じられました。

この活動を社会に広めたい! 1年で得たノウハウを公開予定

「1軒1軒、質を重視して手がけている分、リノベーターの方から『こういう場所があってよかった』と言ってもらえるとありがたいです。スタッフからは『社会問題を学びつつ、現場でDIYを楽しめるのがいい』と言ってもらえます」

週一回ほど定例のミーティングで状況を報告。今後どういうステップを踏むかなどを話し合います(写真提供/リノベートジャパン)

週一回ほど定例のミーティングで状況を報告。今後どういうステップを踏むかなどを話し合います(写真提供/リノベートジャパン)

今後は、新規開拓をいったん休んで、これまで得てきたノウハウをマニュアル化し、外部に公開することを考えているそう。

「自分たちの実績を重ねるのも大事ですが、『同じことがしたい』という人が、すぐはじめられるようにしたいんです。課題解決のひとつの形として社会に浸透させていきたいと思っています」

この活動は誰かのためになるのはもちろん、自分のためになると語る甲斐さん。そのぶれない姿勢と仲間たちがある限り、着実に広がりを見せてゆくことでしょう。

●取材協力
リノベートジャパン
●厚生労働省
ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)結果について
●東京都
住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査報告書(18ページ)
●総務省
平成30年 住宅・土地統計調査
住宅数概数集計
●国土交通省
平成30年住宅・土地統計調査の集計結果
(住宅及び世帯に関する基本集計)の概要

デザインの祭典ミラノサローネ、2021年は異例の秋開催。日本からサローネを楽しむ!

毎年4月に開催されるミラノ・デザイン・ウィーク。その中核イベントが「ミラノサローネ国際家具見本市(Salone del Mobile.Milano・通称ミラノサローネ)」です。昨年はパンデミックにより中止になりましたが、今年2021年は9月に特別展「スーパーサローネ(supersalone)」と形を変えて開催にこぎつけました。デザイン大国イタリアにとって、ミラノサローネは生命線。現地に行けなかった私ですが、その熱意と行動力に敬意を表しながら、今年はデジタルプラットフォームを活用し、在宅サローネ視察にトライします。

デジタルプラットフォーム充実、会場はサステナブルに

今年の「スーパーサローネ」では、会場も運営も新形式によるチャレンジを見せてくれました。4パビリオン(6万8520平米)に出展ブランド425社、会期6日間の来場者数は6万人超と、規模は従来の5分の1程度に縮小されましたが、閉幕後に主催者は「勇気と、ビジョンと、団結力が勝利を飾った」と達成感のあるコメントを出しました。

「surpersalone」デジタルプラットフォームで見ることができる会場風景のムービー。ロー・フィエラ見本市会場入口からパビリオン内の展示ブースへ。建築家やアーティスト、起業家、政治家などが登壇したイベント「open talk」の様子なども(画像提供/Salone del Mobile.Milano)

感染対策として、欧州で運用されている「Green pass」などのCOVID-19グリーン証明書の提示、加えて即席抗原検査ステーション(22ユーロ)も設けるなどして入場者を管理。マスク装着は映像で見る限り、同時期開催の全米オープンテニス会場より多い様子。

新たな展示形式はオープンな仕切りで来場者の密を避ける工夫がなされ、100%リサイクルされた木材でつくられたパネルを使用。利用後のリサイクル含め、サステナブルな運営(画像提供/Andrea Mariani by Salone del Mobile.Milano)

新たな展示形式はオープンな仕切りで来場者の密を避ける工夫がなされ、100%リサイクルされた木材でつくられたパネルを使用。利用後のリサイクル含め、サステナブルな運営(画像提供/Andrea Mariani by Salone del Mobile.Milano)

カーボンニュートラルへの取り組みでは、紙媒体のパンフレットや資料を作成せずQRコードでデジタル化するなど大胆に転換。カタログの重さに疲弊したころが懐かしい……。

porro社:家具プロダクトの背景壁面に映像を展開する、アート・ディレクターのピエロ・リッソーニによるインスタレーション。映像では生産工程や環境への取り組みなども紹介。今年porroの38歳女性社長マリア・ポッロがSalone del Mobile.Milano新代表に就任(画像提供/porro)

porro社:家具プロダクトの背景壁面に映像を展開する、アート・ディレクターのピエロ・リッソーニによるインスタレーション。映像では生産工程や環境への取り組みなども紹介。今年porroの38歳女性社長マリア・ポッロがSalone del Mobile.Milano新代表に就任(画像提供/porro)

Molteni&C社:飛行機内のような展示で、アテンダントの女性が「アテンションプリーズ」とアナウンス、窓の外には雲の合間に家具プロダクトが浮かんで流れる映像が流れている。座席は1954年に巨匠ジオ・ポンティによってデザインされたアームチェアの復刻デザインの新作「Round D.154.5」。自由に旅できる日が待ち遠しいと思わせるような、ロン・ジラッドらしいウィットに富んだインスタレーション(画像提供/Diego Ravier by Salone del Mobile.Milano)

Molteni&C社:飛行機内のような展示で、アテンダントの女性が「アテンションプリーズ」とアナウンス、窓の外には雲の合間に家具プロダクトが浮かんで流れる映像が流れている。座席は1954年に巨匠ジオ・ポンティによってデザインされたアームチェアの復刻デザインの新作「Round D.154.5」。自由に旅できる日が待ち遠しいと思わせるような、ロン・ジラッドらしいウィットに富んだインスタレーション(画像提供/Diego Ravier by Salone del Mobile.Milano)

従来の新作を大空間にセットアップして見せる展示とは趣向が違う各社の展示ですが、実際の会場はどんな様子だったのでしょうか?

いつも現地でお世話になっている、ミラノサローネ広報日本担当の山本幸さんに伺いました。
「各社ブースのレイアウトを通路平行に並べたライブラリー型展示は、間口幅6~30mで規模の違いを出すだけだったので、従来の複雑なコマ割りレイアウトより、来場者的には見やすく効率が良かったようです。小さいブランドも見つけられた、と大好評。出展側も声がかけやすいメリットもありました」とのこと。
日本企業やデザイナーへの注目も高かったようで、山本さんが紹介してくれました。

ミラノサローネ広報山本幸さん、日本から初出展のポータブル照明ブランドAmbientec社の前で (画像提供/山本幸)

ミラノサローネ広報山本幸さん、日本から初出展のポータブル照明ブランドAmbientec社の前で
(画像提供/山本幸)

Ambientec(アンビエンテック)社は横浜にある2009年設立のポータブル照明ブランド。水中撮影機材のメーカーだけあって、独自の高い技術開発力を持つ企業。それを活かすデザイナーを招聘し、魅力的なプロダクトを発表してきました。
2015年からMilan Design Weekで、著名なRossana Orlandiギャラリーへの出展を果たして好評価を得、今年は本格的に世界を相手にビジネスをするべくサローネ参画に到ったようです。

「TURN+(ターン・プラス)」デザイナー田村奈穂。ブラス・ステンレス・ブラックアルミニウムの3種類。新開発のオリジナル光源、アウトドアからバスルームもOKのポータブルランプ。磨き上げられた金属加工の高いクオリティに欧州人も絶賛(画像提供/Ambientec)

「TURN+(ターン・プラス)」デザイナー田村奈穂。ブラス・ステンレス・ブラックアルミニウムの3種類。新開発のオリジナル光源、アウトドアからバスルームもOKのポータブルランプ。磨き上げられた金属加工の高いクオリティに欧州人も絶賛(画像提供/Ambientec)

また、ミラノ在住の日本人アーティスト後藤司の作品を、サローネ主催者が「木工とガラス瓶の作品展示“alla Modigliani(モディリアーニへ)”は、日常生活の中で職人の忍耐強い作業によってモデル化された美の有用性を広める」とフィーチャー。

Tsukasa Gotoの作品を熱心に撮影する来場者。「Makers Show」というアーティストや職人たちを中心にしたカテゴリーへ出展(画像提供/Diego Ravier by Salone del Mobile.Milano)

Tsukasa Gotoの作品を熱心に撮影する来場者。「Makers Show」というアーティストや職人たちを中心にしたカテゴリーへ出展(画像提供/Diego Ravier by Salone del Mobile.Milano)

後藤司:1981年東京生まれ、2004年からミラノで活動。2014年のサローネではSaloneSatelliteで作品を発表。写真左/「Daydream」(ガラス瓶に手触りのあるテクスチャーを与え幻想的なオブジェに) 写真右/「Proximity」(丸い木の棒が3次元で接合して構成された木工作品)(画像提供/Tsukasa Goto)

後藤司:1981年東京生まれ、2004年からミラノで活動。2014年のサローネではSaloneSatelliteで作品を発表。写真左/「Daydream」(ガラス瓶に手触りのあるテクスチャーを与え幻想的なオブジェに) 写真右/「Proximity」(丸い木の棒が3次元で接合して構成された木工作品)(画像提供/Tsukasa Goto)

「without hearing, touching what we can understand? So I try to feel, to touch. (聞かずに、触れずに、何が理解できるでしょう?だから私は触れて、感じるようにするのです)」
という彼のメッセージは、まさしくサローネをリアル開催に踏み切った、主催者の閉幕メッセージと同じものでした。
「やはり実際に目で見て、触って、人と会って話すということが、いかに大切だったか。スーパーサローネを訪れた人が皆、それを再認識しました。この感動はリアルでしか体感できないのです」

東京2020からミラノへと、日本代表の活躍が続く!

ミラノ・デザイン・ウィークでは、見本市会場以外の街中でさまざまな展示やイベントが開催される「fuorisalone(フオリサローネ)」も必見。インテリア以外の業界も含め今年は655ブランドが参加。ほとんどが無料入場できるので、学生や一般人も多く来場し、デザインやアートを楽しみます。

その一つ、フランスを代表するクチュールメゾンのDiorが開催した「THE DIOR MEDALLION CHAIR」展。17人のアーティストを招待して、メゾンの象徴的なエンブレムの1つであるメダリオン・チェアを再解釈するプロジェクトです。

ディオールメゾンの象徴的なエンブレムの1つであるメダリオン・チェアは、創業者クリスチャン・ディオールが愛した18世紀のルイ16世スタイル(写真撮影/©Alessandro Garofalo)

ディオールメゾンの象徴的なエンブレムの1つであるメダリオン・チェアは、創業者クリスチャン・ディオールが愛した18世紀のルイ16世スタイル(写真撮影/©Alessandro Garofalo)

18世紀の建造物Palazzo Citterio(ミラノ・ブレラ地区)での開催。ゲストデザイナーは、フランス、イタリア、レバノンや韓国など世界的に活躍する17人(写真撮影/©Alessandro Garofalo)

18世紀の建造物Palazzo Citterio(ミラノ・ブレラ地区)での開催。ゲストデザイナーは、フランス、イタリア、レバノンや韓国など世界的に活躍する17人(写真撮影/©Alessandro Garofalo)

日本からは二人の人気デザイナー、吉岡徳仁と佐藤オオキ(nendo)が招待されていました。
この二人、ミラノサローネでは毎年注目されていますが、今年は何と言っても東京オリンピック・パラリンピックでの活躍に触れなければなりません。

吉岡徳仁デザインの聖火リレートーチ(左) 佐藤オオキデザインの聖火台(右)(画像提供/©Tokyo 2020)

吉岡徳仁デザインの聖火リレートーチ(左) 佐藤オオキデザインの聖火台(右)(画像提供/©Tokyo 2020)

日本を代表するデザイナーとして選出され、お二人らしい見事なデザインで全うされた仕事ぶりに、長らくファンである私は感銘を受けました。

さて、デザイン界の日本代表とも言える両氏の「THE DIOR MEDALLION CHAIR」展ですが、こちらも各々の感性やキャラクターが反映された作品となっています。

”Medallion of Light” 「不規則な光を生み出す自然のように、人間の感覚を超越する偶然性を持ったものを表現したいと思いました。光に近い素材を用いて、歴史的でありながら未来的な椅子を生み出すことを考えました」(吉岡徳仁)(画像提供/THE DIOR MEDALLION CHAIR)

”Medallion of Light” 「不規則な光を生み出す自然のように、人間の感覚を超越する偶然性を持ったものを表現したいと思いました。光に近い素材を用いて、歴史的でありながら未来的な椅子を生み出すことを考えました」(吉岡徳仁)(画像提供/THE DIOR MEDALLION CHAIR)

364個の樹脂プレートをランダムに積層した椅子は、光を素材としてつくられたよう。目の錯覚と共に時空間の境界をぼかすような作品となって見る人を魅了します。

“Chaise Medaillon 3.0” 「メダリオンというクラシカルなチェアを先端技術を用いて再解釈することにしました。背もたれは楕円形に切り抜かれていることで、メダリオン・チェアの特徴が軽やかに空中に浮遊しているかのような表情が生まれました」(佐藤オオキ)(画像提供/THE DIOR MEDALLION CHAIR 撮影/©Yuto Kudo)

“Chaise Medaillon 3.0” 「メダリオンというクラシカルなチェアを先端技術を用いて再解釈することにしました。背もたれは楕円形に切り抜かれていることで、メダリオン・チェアの特徴が軽やかに空中に浮遊しているかのような表情が生まれました」(佐藤オオキ)(画像提供/THE DIOR MEDALLION CHAIR 撮影/©Yuto Kudo)

実はこの素材、強化ガラス。1800×1100mmの一枚板は厚みわずか3.0mmで、C字型まで深く曲げられる手法を新たに開発し実現したフォルムなのです。

この2作品、デザインはお二人らしさが出ていて、一方、素材はいつもと逆!?な意外性もあり興味深かったです。こういうプロジェクトは、やはり雰囲気のある会場で見ると感動がより深かったに違いありません……。

サステナブル社会の実現に向けて、技術とデザインが融合

インテリア業界以外の日本企業がミラノで企画展をすることも少なくないなか、今年初出展したのがNitto(日東電工)。スマホ用偏光フィルムや、工業用粘着テープなどなどを提供する高機能材料メーカーで、グローバルビジネスへのブランディングを強化しています。

クリエイションパートナーは面出薫(建築照明デザイナー)。透明な「RAYCREA(レイクレア)」フィルムをガラスやアクリル板に貼り光源を組み合わせることで、フィルムを貼った面だけが光る。光の迷宮のような会場(画像提供/Nitto)

Nitto(日東電工):「Search for Light」(ミラノ・トルトーナ地区)
クリエイションパートナーは面出薫(建築照明デザイナー)。透明な「RAYCREA(レイクレア)」フィルムをガラスやアクリル板に貼り光源を組み合わせることで、フィルムを貼った面だけが光る。光の迷宮のような会場(画像提供/Nitto)

新しい光の表現を可能にする光制御技術「RAYCREA」をミラノで披露し、デザイン界からユーザー視点での生の声を多く得られたようです。

最後にぜひ紹介したいのは、著名ギャラリーオーナー・Rossana Orlandi(ロッサーナ・オルランディ)が2019年から推進している「Ro GUILTLESSPLASTIC(罪のないプラスチック)」プロジェクト。
“プラスチックが罪なのではありません、私たちは習慣を変える必要があるのです”とロッサーナは呼びかけ、使用済みのプラスチックとゴミにデザインの力で新しい生命を与え、生まれ変わらせるデザインコンペを世界に向けて発信。
「Ro Plastic Prize」として毎年、Milan Design Week期間中に応募作品を展示し、表彰しています。

「Ro GUILTLESSPLASTIC」の会場はロッサーナのギャラリー近くにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館。中庭に設けられたステージのデザインも目を引く。期間中にはデンマーク王女も訪れた(画像提供/Galleria Rossana Orlandi)

「Ro GUILTLESSPLASTIC」の会場はロッサーナのギャラリー近くにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館。中庭に設けられたステージのデザインも目を引く。期間中にはデンマーク王女も訪れた(画像提供/Galleria Rossana Orlandi)

「廃棄物についての意識を高めるには、持続可能性と責任について話すだけではもはや十分ではありません。私たちは感情を刺激する必要があります」とロッサーナ、デザインコンペ「Ro Plastic Prize」に新たに設けた “Emotion on Communication”賞。その受賞作品に度胆を抜かれました!

受賞作はオランダ人アーティストのMaria Koijckの動画作品「this is the waste of one operation , my operation…. (これが一度の手術で出る廃棄物、私の手術……)」。自身の乳がん手術に使われた医療器具などの廃棄物を回収し、自分の周りに並べるという斬新な構想(画像提供/RO PLASTIC PRIZE 2021)

Maria Koijckはプラスチック廃棄問題に取り組んできたアーティストとして、自分の手術に使用される医療材料の60%が使い捨てであることに愕然とし、このプロジェクトに取り組みました。そして、病の回復に感謝しつつも、こう投げかけます。
「人間は常に“良くなる”ことを目指していますが、私たちの環境にかかるコストはどれくらいですか?」
医療関連のプラスチックもリサイクルできるように技術革新を続けることが重要と訴えています。

持続可能な社会に向けた取り組みは、「surpersalone」会場のブランドからもリサイクル率や素材開発など多く発信されていました。
アーティストはデザインで人の心に訴え、企業は技術開発に挑む。そんな活動の広がりを日本に居ながらにして垣間見ることのできたMilan Design Week/ミラノサローネ2021@ホームでした。

ミラノサローネ国際家具見本市「Salone del Mobile.Milano」
2021年9月5日(日)~10日(金)
場所:ロー・フィエラ ミラノ 入場料:15ユーロ
「surpersalone」デジタルプラットフォーム
※2022年4月5日~10日開催予定(60周年記念ミラノサローネ国際家具見本市&キッチン・バスルーム見本市併催)

徳島県神山町で最先端の田舎暮らし!子育て世代が主役の「大埜地の集合住宅」

徳島県徳島市から車で約40分。豊かな自然に囲まれた神山町は、アーティストが滞在し創作活動を行う「神山アーティスト・イン・レジデンス」や、”地産地食”を合い言葉に農業を育てる「フードハブ・プロジェクト」、また企業のサテライトオフィス誘致の成功など、先進的な取り組みで「奇跡の田舎」と呼ばれる。そんな神山町に、町内外から子育て世代が移り住むための住宅「大埜地(おのじ)の集合住宅」が誕生した。環境や地域産業にも寄与できるという最先端の技術を取り入れた住まいの今を探ってみた。

子育て世代が集える町営住宅を目指して山々に囲まれ清流・鮎喰川が町の中心を流れる神山町。写真中央にあるのが大埜地の集合住宅(写真提供/神山町)

山々に囲まれ清流・鮎喰川が町の中心を流れる神山町。写真中央にあるのが大埜地の集合住宅(写真提供/神山町)

大埜地の集合住宅がある大埜地地区は、神山町役場から徒歩約15分。小学校と中学校も徒歩圏内にあり、子育て世代が生活するには便利な文教エリアだ。ここにはかつて町内の遠方から中学校へ通う学生のための寄宿舎「青雲寮」があった。しかし少子化のあおりを受け2005年に閉寮。その場所の活用方法が長年議論されていた。

大埜地の集合住宅がある場所にあったかつての青雲寮(写真提供/神山町)

大埜地の集合住宅がある場所にあったかつての青雲寮(写真提供/神山町)

一方で町内に企業のサテライトオフィスの開設や東日本大震災の影響、加えてNPO法人グリーンバレーが運営する移住交流支援センターによる支援により、移住者が増えつつあった神山町にとって、住居の確保やその情報提供は手薄な状態だった。町内には不動産会社もなく、空き家となった古民家を紹介するとなっても、移住交流支援センターの取り組みだけでは、住みたいと思う人たちの希望に全て沿えるわけではない。家を建てる土地や借家を見つけるには困難が伴っていた。

また、既に町内の各所に住んでいる子育て世代にとっても、広い町域にゆえに、近所に同世代の子どもが少なく、普段の生活の中で互いに遊び、触れ合うことで、成長や学びに繋がる機会が損なわれつつあった。子育て世代が近所で暮らすことは、子どもだけでなく親同士が支え合えるメリットもある。

そんな状況を打開する方策のひとつとして浮かび上がってきたのが、新たな集合住宅の建設。そこで白羽の矢が立ったのが大埜地地区の青雲寮跡だった。

住居と駐車場が隔離された歩車分離の敷地では、子どもたちも安心して遊ぶことができる(写真提供/神山町)

住居と駐車場が隔離された歩車分離の敷地では、子どもたちも安心して遊ぶことができる(写真提供/神山町)

快適な住環境が地域に貢献する家づくり

2015年、入居者のための「大埜地住宅」と、広場や文化施設がある「鮎喰川コモン」からなる拠点づくりが決定。翌年から2021年までをめどに、工期を4期に分け、少しずつ開発を進めてきた。大埜地住宅は全20戸、子育て世代のための住宅18戸と単身者用シェアユニット2戸で構成。鮎喰川コモンは多世代の人が交流できる施設だ。

鮎喰川沿いに広がる大埜地住宅。住宅の周囲には神山町産の樹木が植栽されている(画像提供/神山町)

鮎喰川沿いに広がる大埜地住宅。住宅の周囲には神山町産の樹木が植栽されている(画像提供/神山町)

建築を担ったのは大工など町内のつくり手たち。工事が長期間に及んだのは、大工が小規模ゆえに、一度に大規模な工事はできないのもあった。その反面、この工事をきっかけに、担い手不足に悩まされていた町内の建築業に新陳代謝が起こり、若手大工の活躍の場が広がっていった。

住宅の建材には町内産の木材を使用。さらに給湯や暖房などの暮らしに必要なエネルギーとして、製材所から出るおがくずなどを原料にした木質ペレットを燃料とした、木質バイオマスボイラーを採用。ボイラーが設置されたエネルギー棟から各戸へ熱を送る。町内の森林資源を利用することで、経済を回し、間伐による健全な森づくりにも寄与できる。

また、冬は屋根で温めた空気で補助暖房。夏は夜間の冷気を取り込む仕組みを設置。これらの先端技術だけでなく、窓の位置や形状などの設計上での工夫も凝らし、エアコンやストーブなどに頼り切らない、快適な住環境を実現した。木質バイオマスボイラーを使用することで、毎月平均1万円の「熱料金」が発生するものの、ガスや電気を利用した一般住宅の光熱費より財布に優しい試算結果も出ている。

家族・夫婦用ユニットのメゾネットタイプとバリアフリー対応のフラットタイプ、そして単身用ユニットの3戸で一棟になっている集合住宅。2戸1タイプもある(写真撮影/生津 勝隆)

家族・夫婦用ユニットのメゾネットタイプとバリアフリー対応のフラットタイプ、そして単身用ユニットの3戸で一棟になっている集合住宅。2戸1タイプもある(写真撮影/生津 勝隆)

南向きのリビングダイニング。川沿いの涼しい風を取り入れる設計になっている。コンクリートタイル仕立ての床は、冬の昼間は太陽の熱を蓄熱。さらに温水式床下暖房で室内全体を温める(写真撮影/生津 勝隆)

南向きのリビングダイニング。川沿いの涼しい風を取り入れる設計になっている。コンクリートタイル仕立ての床は、冬の昼間は太陽の熱を蓄熱。さらに温水式床下暖房で室内全体を温める(写真撮影/生津 勝隆)

メゾネットタイプの2階の室内。室内の壁は調湿性能のある珪藻土や、健康に配慮した自然由来の塗装剤で仕上げている(写真撮影/生津 勝隆)

メゾネットタイプの2階の室内。室内の壁は調湿性能のある珪藻土や、健康に配慮した自然由来の塗装剤で仕上げている(写真撮影/生津 勝隆)

メゾネットタイプの間取り。1階は北にある玄関から南のダイニングまで、土間が段差なく続く。2階は子どもの成長に合わせて仕切りを設けることも可能(画像提供/神山町)

メゾネットタイプの間取り。1階は北にある玄関から南のダイニングまで、土間が段差なく続く。2階は子どもの成長に合わせて仕切りを設けることも可能(画像提供/神山町)

敷地内にあるエネルギー棟。木質バイオマスボイラーを使って、ここから各戸へ熱を供給する(写真撮影/生津 勝隆)

敷地内にあるエネルギー棟。木質バイオマスボイラーを使って、ここから各戸へ熱を供給する(写真撮影/生津 勝隆)

アフターコロナで期待される交流の活性化

2021年春、無事竣工を迎えた大埜地住宅は現在満室。入居者の数は総勢67人となり、約80人だった大埜地地区の本来の人口からほぼ倍増したわけだ。入居者は、町内出身者のUターン、町外からのIターン、あるいは町内からの引越しと顔ぶれはさまざま。仮に「都市部からの引越し」を「移住者」と定義するなら、移住者の割合が多い。

徳島市内への通勤者もいるが、リモート勤務も含め、入居者の大半が町内で働く。出身地は異なれど、同じ子育て世代で、普段から親同士、あるいは子ども同士の交流も活発だ。LINEグループでの情報交換、また月に一度の自治会の例会では、周辺の草刈りや敷地内での交通安全などの議題を話し合う。都市部からの移住者にとってこの交流は、新鮮であり、安心できる要素のようだ。

入居者の中には、もともと神山町出身者もいるため、近くに住む祖父母が孫を訪ね大埜地住宅に足を運ぶことも多い。現在はコロナ禍の影響もあり、なかなか地元との交流の場が設けられることがないものの、コロナ収束後は地域の祭りなど通じて、多世代の人たちとの交流の機会を設けていく。

これらの交流を通して、町民はもとより町外の人にも、地元の資源を使った家づくりの大切さや新しい木造住宅の素晴らしさを再認識してもらう狙いもあるようだ。

「地域の植生を活かしながら、楽しい原っぱを育ててゆくこと」を目標に、入居者や鮎喰川コモンの利用者である町内外の人たちと行う除草作業も大切な交流のひとつ(写真提供/神山町)

「地域の植生を活かしながら、楽しい原っぱを育ててゆくこと」を目標に、入居者や鮎喰川コモンの利用者である町内外の人たちと行う除草作業も大切な交流のひとつ(写真提供/神山町)

住み継ぐことで次世代が担っていくまちの将来像

順風満帆でスタートを切った大埜地住宅は、これからどのようにして維持・運用していくかがポイントとなってくる。主な入居条件が、50歳以下で高校生以下の子どもがいる家族、または今後子どもが生まれる可能性のある夫妻となっているため、子どもが高校を卒業し進学等で家を出ると、親も退去し新たな住まいを探す必要がある。

海外ではライフスタイルに合わせて、その都度家を住み替えていくことが一般的だが、日本人は親から引き継いだ家や自分が買った家を住み替えずに守っていくという思考の人が多く、大きな家に一人で高齢者が暮らすことも多い。そのため昨今問題が表面化してきているのが、同世代が一斉に入居し、その何十年後に高齢夫妻だけが残された「ニュータウンの限界集落化」だ。

神山町は大埜地住宅を軸にした「住み替え文化」の形成を目指す。課題は大埜地住宅を退去した親世代の生活に適した住居の確保だ。幸いにしてまだ時間が残されているため、現在は既存の町民を対象に空き家相談会など実施して、課題解決に向け取り組んでいる。

また、東京の工学院大学と提携し、大埜地住宅の各住居に内外の気温差、消費電力、換気状況などがモニタリングできるシステムを設置予定。木質バイオマスボイラーや環境に配慮した構造がどのような効果を上げているかをデータとして積み重ね、国内でも数少ない設備を持つ最新鋭の住宅を検証し、さらに快適な住環境の整備へと繋げていく。

自然豊かで快適な住環境を備えた大埜地住宅に、また新たな世代が入居し、親となり、その後も神山町に住み継いでいく……。そんな理想的なまちの姿が数十年後に見えてくるかもしれない。

●取材協力
神山町

「街に居場所を!」リタイヤ世代が立ち上がった。ベッドタウン「東千葉住宅地」で参加500名の大防災訓練を実現した共助力とは

九州・広島を襲った大雨と河川の氾濫、熱海での土砂崩れなど、日本各地で災害が多発している昨今ですが、こうした自然災害発生時、大きく影響するのが地域の人と助け合う「共助」です。ただ、「共助といっても何をするの?」「何ができるのか分からない」と戸惑う人がほとんどではないでしょうか。今回は千葉県千葉市中央区の東千葉で、地域コミュニティを支える人の声を聞きました。

街に「自分」の居場所がない…! すべては危機感からはじまった

東千葉住宅地は、総武本線東千葉駅から徒歩15分ほどの場所にある一戸建てとマンション、あわせて約1000世帯5つの町内自治会で構成されています。住宅地が完成したのは1978(昭和53)年で、現在は高齢世帯や独居世帯が増えているほか、新しい住民との入れ替わりが始まった過渡期だといいます。

東千葉地区の住宅街。区画も広く、成熟した住宅地の印象(写真撮影/嘉屋恭子)

東千葉地区の住宅街。区画も広く、成熟した住宅地の印象(写真撮影/嘉屋恭子)

一見すると、典型的な郊外のベッドタウンに見えますが、この東千葉地区は非常に地域コミュニティ活動が活発。一般的な町内自治会活動と委員会活動のほかに、「ハッピータウンの会※1」「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」「くるま座の会」などの福祉活動・親睦活動が行われ、地域で自然に助ける・助けられる「共助」が育まれています。

ただ、最初から現在のような地域活動が活発だった訳ではなく、住民が手探りで活動をするなかで、現状に行き着いたのだといいます。

「私は79歳になりますが、自分が定年退職をしたあと、地域にまったくなじみがないことに気が付き、愕然としたんです。そこで会社人間から社会人間に変わろうと『仲間づくりの会』という飲み会を企画し、知り合いをつくることからはじめました」と振り返るのは、地域の町内会をとりまとめる東千葉地区自治会連絡協議会の元会長・村井克則さんです。

村井さんは飲み会で出身地や趣味などを通じて、地域にとけこむよう試みました。すると回数を重ねるうちに、地域に顔見知りや知人、趣味友達ができ、次第に自分たちが暮らしている街の課題について話すことが増えたといいます。

「東千葉地区には5つの町内自治会がありますが、会長など役職者の任期は1年で、毎年入れ替わります。日常的な業務、例えば回覧板を回すなどは問題なくできますが、防犯・防災、高齢化の健康や介護、独居世帯への対応などの中長期で取り組むべき課題には答えを出していけない。これはまずいよね、地域で支え合えないかということで、自分たちにできる活動をはじめました」(村井さん)

お話を伺った東千葉地区のみなさん。手には安否確認訓練時に自宅の軒先に掲げて「無事」を伝えるタオルを持っています(写真撮影/嘉屋恭子)

お話を伺った東千葉地区のみなさん。手には安否確認訓練時に自宅の軒先に掲げて「無事」を伝えるタオルを持っています(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会活動と福祉・親睦活動があることで、住みやすい街になる

町内自治会で行うのは、前述したような日常業務のほか、地域の防犯・防災、お祭りなどの恒例行事や町内自治会が所有する建物の建て替え準備などになります。自治会費の予算があり、地域のルールを決める権限があります。一方で、「ハッピーボランティア東千葉」「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」「くるま座の会」などは、地域の福祉・親睦を主目的とした活動です。扱う内容は、地域の見守りやあいさつ運動、多世代との交流、高齢者の健康づくりなどさまざまですが、自由な集まりに近く、予算や権限・拘束力などはありません。

東千葉地区自治会連絡協議会で会長を務める大内信幸さんによると、この既存の町内自治会と福祉・親睦活動の2つの軸があることで、地域コミュニティが立体的・有機的になるのだといいます。

「自治活動と福祉・親睦活動を地域づくりとしてトータルで行っていかないと、住みやすい街にならないと思うんです。そのため、両者の交流を促進する『地域づくり懇談会』を設けています。さまざまなテーマで情報交換するなかで、地域の課題や関心が見えてくるんですね。今はコロナの影響で集まることはできませんが、地域の福祉を担う社会福祉協議会、民生委員児童委員協議会(民児協)、小中学校とも連携しています」と話します。

「自分」の興味を大切に。無理なく楽しく参加できる仕組み

東千葉地区ではリタイヤ世代の男性だけでなく、女性の活躍も目立ちます。また活動を担う人たちが楽しそうに、そして強制ではなく主体的に動いているのが印象的です。

「どの活動も、人のため、地域のためというだけでなく、自分たちが楽しく続けられることを行っています。健康、介護、将来の相続など、興味・関心のあるテーマで講演会を企画したり、多世代が楽しめる季節ごとのイベントを開催したり。『できる範囲で、ちょっとボランティアがしたい』『こんな講座があったら参加してみたい』。そうやって企画していると、人が集まって顔見知りができて、新しい動きが生まれる。その繰り返しだったような気がします」と話すのは村井さんの妻の早苗さん。社会福祉協議会の東千葉地区部会の部会長、千葉市立都賀中学校の学校評議員を務めています。

東千葉地区は、もともと専業主婦が多かったこともあり、女性が地域活動の中心だったといいます。ただ、現代は共働き世帯が主流。昔のように地域の交流に参加できない人も多いそうです。
「新しい世帯や若い世代に、地域コミュニティに入ってと強制できません。ただ、地域活動が活発なのを知って引越してきてくれる人もいるようで、とてもうれしいですね。子どもたちといっしょに参加しやすい七夕、ハロウィン、お祭り、防災訓練などを通して顔見知りになり、『いつか(企画側で)やってみたいな』と思ってもらえたら十分ではないでしょうか」と話すのは大内さんの妻の公子さん。社会福祉協議会・東千葉地区部会の副部会長、千葉市立千草台東小学校・都賀中学校の学校評議員などを務めています。

地元の民生委員・児童委員を務める高畑宏子さんは、「東千葉も高齢世帯や独居世帯が増えてきていますが、町内自治会や地域のみなさんに寄り添っていただき、さり気なく見守られているのを感じます。また私のような民生委員も、地域のみなさんと普段からおしゃべりすることで、精神的にも助けられています」と話します。民生委員や児童委員になる人の負担を減らすという意味でも、横のつながりは重要なのかもしれません。

健康や在宅介護などの講座やイベントは、「今、自分たちが興味・関心のあること」をテーマにしているそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

健康や在宅介護などの講座やイベントは、「今、自分たちが興味・関心のあること」をテーマにしているそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

大規模な防災訓練も、日ごろのあいさつの延長上にある

東千葉地区が、この10年もっとも力を入れてきたのが、防災訓練をはじめとした防災対策です。住民の高齢化により負担を軽減するため、2018年から5つの町内自治会が合同で防災訓練を実施しています。自治体や学校、警察、消防、地元企業などが共催し、老若男女約500人が参加するという大掛かりなイベントです。また、近所の旧家にあった井戸を防災井戸として使えるよう行政に働きかけて指定を受け、35名以上の「くるま座の会」有志メンバーが協力して、日々の清掃や機器の維持管理をしています。

防災訓練が行われる公園。500人が集まる大規模な訓練が行われるのは驚き(写真撮影/嘉屋恭子)

防災訓練が行われる公園。500人が集まる大規模な訓練が行われるのは驚き(写真撮影/嘉屋恭子)

地元の中学生が参加し、防災井戸から水を運ぶ、運搬訓練をするそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

地元の中学生が参加し、防災井戸から水を運ぶ、運搬訓練をするそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

「防災訓練では、できるだけ現実に即したリアルな訓練ができるよう呼びかけています。まず、防災訓練を行う日の午前中に各町内自治会の防災備品のチェック、そして各家庭では家族が無事である証拠として自宅前に安否確認タオルを掲示してもらっています。これは実に75%の世帯が参加してくれています。午後には地元の中学生が防災井戸から水を汲んでリアカーで運ぶ訓練をし、その水を炊き出し訓練に使っています。災害時、高齢者では、重い水を汲んだり運んだりするのは難しいですから。ほかにも、起震車による地震体験、煙体験、救命救助の仕方やブルーシートでテントをつくる、チェーンソーで木を切るなど、さまざまな訓練をしてきました」と大内さん。

こうした参加型の訓練内容が地域住民の関心を呼び、年々、参加者が増えていたのだとか。ただ、東千葉町内自治会のみなさんから見ると、まだまだ課題は目につくようです。

「高齢者から見て、行政が指定した避難場所や避難所が遠くて行きにくい。そこで、町内自治会集会所を地震後の一時避難場所として使用できるよう、行政にはたらきかけました。ただ、実際には地震が起きても在宅避難になるのではないでしょうか。現在、町内自治会集会所を拡張して一時的な避難所、防災倉庫として活用できよう機能の拡充を計画しています。この地域から誰も取り残したくないですよね」と大内さん。そう話すみなさんが、年1回の防災訓練と同じように大切だと位置づけているのが、日々のあいさつです。

町内自治会集会所は有事の際一時避難所、防災倉庫としての機能も果たせるよう、行政や関係機関と協議しているといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会集会所は有事の際一時避難所、防災倉庫としての機能も果たせるよう、行政や関係機関と協議しているといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

「あいさつをすれば打ち解けるし、顔見知りになれる。すると、いざというときに顔が浮かぶし、声がかけられるのではないでしょうか。ただ、日本人はシャイなので、なかなか自然にあいさつできないでしょう(笑)。だから、地区を横断する約800mのメイン通りを『東千葉あいさつロード』と名付けて、山のように看板を設置し、すれ違う人と気軽にあいさつをしましょうという運動をしています。「あいさつロード」が世代を超えたつながりを育むといいねと期待しています」と口をそろえます。

「東千葉あいさつロード」の名は、以前からメイン通りであいさつ運動をしていた「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」が中心となって行政に働きかけたことで、千葉市制100周年記念事業の一環として正式に市から認められたそうです。

町内自治会集会所始めあちこちに「東千葉あいさつロード」の看板が見られます(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会集会所始めあちこちに「東千葉あいさつロード」の看板が見られます(写真撮影/嘉屋恭子)

街ですれ違っただけでは印象に残らなくても、一度あいさつをすれば、「……近所で見かけたことのある人かな?」に格上げされるから、人は不思議だなと思います。こうした日常も、災害という非日常も地続きであって、特別なことではありません。取材後、筆者は自宅周辺で「あいさつ」を意識してみましたが、みなさん感じのよい返事が返ってきました。ちょっとした世間話にもなり、お互いの体調を気遣う会話にもつながりました。「あいさつ一つ」だと思っていたのに、不思議なものです。まずはあいさつから。できることからコツコツと続けてみたいと思いました。

※1 現在は社協と一緒になり「ハッピーボランティア東千葉」として活動

学生と地域住民が共助力で災害にそなえる。東京・神田「ワテラス」のエリアマネジメントがすごい!

若い世代、なかでもひとり暮らしだと、「近所にどんな人が住んでいるか知らない」という人は多いのではないでしょうか。しかし、災害時の「共助」という視点では不安ですよね。千代田区神田淡路町では、地域のコミュニティ活動をプロデュースするエリアマネジメント組織があり、学生と住人が一体となって地域活性化をはかっています。事務局の方と学生に話を聞きました。
「淡路エリアマネジメント」が中長期で街づくりに携わる

2013年、東京都千代田区神田淡路町の小学校統跡地を含む一帯が再開発され、区立公園に隣接する2棟構成の「ワテラス( WATERRAS )」が完成しました。テナント40店舗、オフィス入居約20社、分譲住宅333戸に加えて、コミュニティ施設と学生用住戸が36戸あるのが特徴です。ここでは、ワテラスの主要権利者である安田不動産が事務局を務める「淡路エリアマネジメント」が地域活動のプロデュースを担い、その会員として学生用住戸に暮らす学生や活動を支援する地域の法人・個人が参加。自治会などの地域団体や行政と連携してさまざまな活動を行っています。

近年、東京ではあちこちで大規模複合再開発が行われ、竣工後の地域活性化を目的にしたエリアマネジメント(※)が注目を集めています。淡路アリアマネジメントの成り立ちを、エリアマネージャーを務める堂前武さんに聞きました。

※エリアマネジメント/地域における良好な環境や地域の価値を維持・向上させるための、住民・事業主・地権者等による主体的な取り組み(国土交通省の定義)

新御茶ノ水駅と直結。2013年に竣工したワテラスタワー(写真撮影/嘉屋恭子)

新御茶ノ水駅と直結。2013年に竣工したワテラスタワー(写真撮影/嘉屋恭子)

「この再開発事業は1993年、少子化のために小学校が統廃合され、跡地をどう活用していくかからはじまりました。学校が閉校になった地域住民の危機感は強く、単なる開発行為ではなく、開発後の街づくりを見据え、長期的に施策を実施する事が重要であるとの考えのもと、開発段階よりエリアマネジメント組織による活動が構想されておりました」と振り返ります。

淡路エリアマネジメントの活動は、1地域交流活動、2学生居住推進活動、3地域連携活動、4環境共生/美化活動の主に4つにわけられます。2の学生居住については、1の地域活動に参加することが条件で、相場より割安の家賃でワテラスの「ワテラスアネックス」で暮らすことができます。全36戸ありますが、都心の好立地、手ごろな家賃ということもあってか、毎年希望者が殺到し、倍率は4~5倍(!)にもなるといいます。

2013年のワテラス完成以降、マルシェや音楽祭、防災フェア、江戸三大祭りのひとつである「神田祭」などさまざまなイベントに学生が参加することで、街に活気が生まれています。

「ワテラスに学生が住んでいて地域活動しているというのは、周囲の地域や町会の方々にもだいぶ知られるようになり、手を貸してほしいと依頼が来るようになりました。学生たちも受け身で地域活動をするのではなく、主体的に地域住民と交流する機会をつくるなど、方法もアップデートしています」(堂前さん)

地域活動に取り組むと「神田が好きになる」「街への解像度があがる」

学生のみなさんは、勉強に遊びにと、やりたいことが盛りだくさんの年代だと思うのですが、地域活動についてどのように考えているのでしょうか。

「私は現在入居4年目、大学3年次進級にともなって、ワテラスへ引越してきました。もともと子どもと交流するなどボランティア活動をしていたので、地域活動をしみたかったというのが入居理由の一つです。ワテラスに越してきてからも児童館でアルバイトしたり、その活動がワテラスでの地域活動に活きたりと、有意義に過ごせています」と話すのは大学院生の長谷大輔さん。ワテラスで暮らす学生は、長谷さんのように「家賃が安い」という理由だけではなく、明確に「地域活動がしたい」と意欲を抱いている人がほとんどだそう。

学生が企画して2019年から開催しているブックフェスの様子。子どもはもちろん、学生たちも楽しそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

学生が企画して2019年から開催しているブックフェスの様子。子どもはもちろん、学生たちも楽しそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

「ここに来る前ひとり暮らしをしていたころは、家は寝に帰るためのハコで、どの街に誰と暮らしているという意識は持ちづらかったです。でも、ここでの地域活動が楽しくて、街に対して、人に対して愛着がもてました。『神田に住んでいる』という実感が湧いて、一住民として街への解像度が上がり、日々、気づいた魅力や課題をエリアマネジメント活動に還元できています」と話すのは、赤尾将希さん。

若い世代でも、「街と関わりたい、でもきっかけがない」と思っている人は、実は多いのかもしれません。今年度、リーダーとして中心的に学生会員をまとめる井戸川茉央さんも、同じように感じていました。

「私も入居して4年目で、高校卒業後、大学進学にともなって上京し、初めてのひとり暮らしがココでした。勉強だけでなく、地域活動がしてみたい、他大学の人と交流したいというのが入居のきっかけです。1~2年生のときは楽しく活動に参加していましたが、年次が上がるにつれて関わり方も深いものとなりました。ここで暮らすみんなに神田を好きになってもらいたいと思いますし、私自身、ぐっと地域の人との距離が縮まったように思います」

ワテラスコモンでの打ち合わせの様子。学生たちもアイデア出し、企画から参加できるよう、進め方を変えたそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

ワテラスコモンでの打ち合わせの様子。学生たちもアイデア出し、企画から参加できるよう、進め方を変えたそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

属性も立場も異なる。だからこそ「防災に巻き込む」仕掛けが大切

ワテラスでは、年2回の防災訓練のほか、千代田区の帰宅困難者対応訓練も秋葉原協力会の一員として実施。災害時の共助の拠点として大きな役割を担っています。
もちろん学生会員も参加し、分譲マンション住人の避難誘導や安否確認訓練、広場でのトイレ設置訓練などを行います。

「複合施設なので、マンション住人、オフィスワーカー、管理組合、管理会社、行政とさまざまな人が関わっていますし、属性も違い、当然、温度差もあります。土日と平日では、滞在している人も異なりますし、防災への意識も異なります。ですから、神田消防署とも連携して、より多くの人が参加しやすいように遊び心を加えて、『防災フェア』『防災ワークショップ』などを開催し、「火の話(紙芝居)」や防災サバイバル術を紹介するなど工夫しています。こうした地道な活動が、帰宅困難者対応訓練のような、大規模な防災訓練の土台となっています」と堂前さん。

消防訓練に学生会員も参加。いざというときに備えます(写真提供/安田不動産)

消防訓練に学生会員も参加。いざというときに備えます(写真提供/安田不動産)

消防訓練の様子。平日昼間に行われているので、オフィスワーカーが中心になります(写真提供/安田不動産)

消防訓練の様子。平日昼間に行われているので、オフィスワーカーが中心になります(写真提供/安田不動産)

なるほど、関係者も規模も大きいだけに、「共助」のハードルが高いのは事実のようです。ただ、そこでいきてくるのが日ごろの活動、信頼関係です。

「地域住民の高齢化は進んでいて、青年会では50代が若手になっていることも(笑)。そこに20歳前後の学生が入ることで、潤滑油になっている側面もあります。今はコロナ禍で活動ができないですが、例えば飲み会に参加して顔をあわせているだけでかわいがってもらえる。地域の人から『スマホの使い方教えてよ』と盛り上がることだってあるんですよ」(堂前さん)というと、「自分たちには当たり前のことも、相手にとっては価値があることだったりする。そのギャップがおもしろいですよね」と赤尾さん。

こうした日々の活動を通し、学生たちには「神田が特別な街」という思いが育まれていくのでしょう。

普段からともに活動している仲間がいるから、助けにいける

学生住戸のあるフロアには共有ラウンジがあり、普段から共に地域活動に取り組んでいるため、単なる友人というよりも、「仲間」という結束・連帯感があるようです。

「例えば、災害発生時に自分ひとりで動くのは勇気がいる。1人だったら助けにはいけないと思う。でも、ここには日ごろからいっしょに活動している仲間がいる。仲間がいれば、一緒に地域の人を助けにいけると思う」と長谷さん。

その言葉通り、コロナ禍でコミュニティ活動が休止した昨年、街のために何か行動を起こしたいとリレームービーを企画。ワテラスに入居する企業や店舗で働く従業員、自治会長や住民など総勢60名に出演を依頼し、撮影から編集まで全工程を学生が行いました。動画サイトで公開されたムービーには、「会えなくてもつながっている」「思いはひとつ」というメッセージが込められています。それぞれの得意を活かして地域をつなぐ、学生ならではの活動といえるでしょう。

昨年作成した動画の一部。みなさん、自由に会える日を待ちわびています(写真提供/安田不動産)

昨年作成した動画の一部。みなさん、自由に会える日を待ちわびています(写真提供/安田不動産)

「お祭りができなくなり、飲食店が大変ななか、神田を元気づけたい、活性化したいという思いで動画製作をしました。コロナ禍で中止になったこと、できなかったことも多かったのですが、反対に動画はコロナ禍があったからできた。作業はすごく大変だったんですが……やってよかったです」と井戸川さん。

新型コロナという感染症の流行も、見方を変えれば、一種の災害のようなものです。そんななかで、人々を元気づけたいと仲間と一緒に行動できたのは、やはり今までの「淡路エリアマネジメント」の活動があってこそ。また、卒業していった学生会員のOB/OGのメンバーは、2021年時点ですでに100名近くいて、OB/OG会も年1回ほど実施しているとか。

「学生はそれぞれの大学を卒業して就職し、北海道から鹿児島まで幅広い場所で活躍していますが、年に1度『神田っ子』として集まり、思い出を語らっています。将来、またこの街にもどってきてくれたらうれしいですね」と堂前さん。

人と人の絆は一朝一夕にはできず、年々、紡がれて豊かになっていくものでしょう。若い世代が地域のエリアマネジメントに自主的に参加できる仕組みは、災害時の街全体の共助力を底上げしてくれるはず。この神田の取り組みは、他の街でもきっと参考になるのではないのでしょうか。

◆ワテラス
◆ワテラス ライン会員

商店街のシェアハウスで “街×人”の化学反応はじまる!「寿百家店」で北九州市黒崎が再燃中

福岡県北九州市黒崎の「寿通り商店街」を、“ニューノーマルな商店街”に生まれ変わらせるプロジェクト「寿百家店」。商店街の一部区画をフルリノベーションし、店舗とシェアハウスを創出するこの取り組み。シェアハウス「三角フラスコ」の入居もスタートして、これまでにない化学反応が起こりつつある。
シャッター通りが、なごやかでにぎわいのあるアーケードにJR黒崎駅からアーケードまでは雨に濡れずに移動できて便利(写真撮影/加藤淳史)

JR黒崎駅からアーケードまでは雨に濡れずに移動できて便利(写真撮影/加藤淳史)

北九州市内で小倉に続く規模の街・黒崎。JR黒崎駅前から扇のカタチのように広がる黒崎商店街は、1901年の官営・八幡製鐵所の創業をきっかけに発展してきた。1970~80年代に黒崎で青春時代を過ごした人々は「小倉や博多よりにぎわいのある街だった」とも語る。

昭和~平成~令和と時代は流れて、JR黒崎駅から徒歩約6分の「寿通り商店街」はシャッター通りと化していた。2016年時点で13店舗中8店舗が空き店舗。そのうち3店舗分(174.83平米/52.88坪)をリノベーションし、1階にテナント11区画、2階にシェアハウス4室+LDKをつくったプロジェクトが「寿百家店」だ。

シャッター通りと化していた「寿通り商店街」(写真提供/田村晟一朗さん)

シャッター通りと化していた「寿通り商店街」(写真提供/田村晟一朗さん)

2020年5月にスタートした「寿百家店」プロジェクトの中心人物はPR・企画会社「三角形」代表の福岡佐知子(ふくおか・さちこ)さんと、建築事務所「タムタムデザイン」代表の田村晟一朗(たむら・せいいちろう)さん。その想いやプロジェクトの経緯はこちらの記事で詳しく紹介されている。

2021年8月時点で、1階のテナント11区画はすべて入居が決まり、取材で訪れた日は子どもたちが参加するワークショップも開催中。集まった人々の楽しそうな声であふれていた。

飲食店やショップ、サロンが入居する「寿通り商店街」(写真撮影/加藤淳史)

飲食店やショップ、サロンが入居する「寿通り商店街」(写真撮影/加藤淳史)

黒崎商店街のお店や住民たちによるコミュニティが運営する無人の古本屋も登場(写真撮影/加藤淳史)

黒崎商店街のお店や住民たちによるコミュニティが運営する無人の古本屋も登場(写真撮影/加藤淳史)

「寿百貨店」が運営する無添加ラーメンと人形焼の店「あんとめん」(写真撮影/加藤淳史)

「寿百貨店」が運営する無添加ラーメンと人形焼の店「あんとめん」(写真撮影/加藤淳史)

「あんとめん」のラーメンのかまぼこに「寿」の文字が(写真撮影/加藤淳史)

「あんとめん」のラーメンのかまぼこに「寿」の文字が(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウス開業の狙いは、街の密度を高かめたかったから

商店街の2階にイベントスペースなどではなく、シェアハウスを選択したのは「街の中心部における“人”や“暮らし”の密度を高めたかったから」と田村さんは話す。かつて商店街の2階には店主ファミリーが暮らすのが定番だった。しかし時代の変化で2階はオフィスや倉庫になるパターンが増えていった。

「夜の商店街に灯りがともったら人の気配があり、何より安心です。 またいろいろな人が商店街に暮らすことで多様性が生まれ、可能性も広がる。ですからシェアハウスがいいねと決まったんです」

福岡県行橋市の商店街にもアーケードハウスを立ち上げたことがある田村さんの経験も活きた。

ただ田村さんも福岡さんも口をそろえて「どんなシェアハウスがいいのか、なかなかイメージが固まらなかった。そもそも黒崎にシェアハウスの需要があるのか?とも考えていた」という。1階のテナント誘致が好調だったが、2階に関してはモヤモヤしたまま日々が過ぎていった。

シェアハウス「三角フラスコ」の一室。右側の窓は古い木枠のまま。採光のため右側の小窓2つを新設した(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウス「三角フラスコ」の一室。右側の窓は古い木枠のまま。採光のため右側の小窓2つを新設した(写真撮影/加藤淳史)

部屋の窓から眺めるアーケードの景色。明るくて想像していたよりも圧迫感がない(写真撮影/加藤淳史)

部屋の窓から眺めるアーケードの景色。明るくて想像していたよりも圧迫感がない(写真撮影/加藤淳史)

地元・黒崎出身者が入居して、商店街を少しずつ変えていく

そんな折、「寿百家店」のInstagramにメッセージが届いた。第1号の入居者となる堀 加奈恵(ほり・かなえ)さんからだ。北九州市内で働く堀さんは、ひとり暮らしをいったん終えて黒崎の実家に戻り、また新たに一人暮らしができる住まいを探していた。

「多様な人と出会えるシェアハウスに住んでみたくて、北九州市内で探していました。情報収集するうちに発見したのが『寿百家店』。メッセージを送った翌日には福岡さんのところへ会いに行き、街づくりから人生についてまで初対面とは思えないほど濃い内容の話をしたんです」と堀さん。

「寿百家店」についてワクワク感いっぱいに話す福岡さんと出会い「こんなに人生を楽しんでいる人が運営しているシェアハウスなら間違いない!」と入居を即決。古い木枠の窓を残した部屋を選び、LDKの壁のクリーム色もお気に入りになった。

写真右から田村さん、福岡さん、入居者の堀さん、奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

写真右から田村さん、福岡さん、入居者の堀さん、奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

店舗3店分をつなげているので、奥に長いシェアハウスに(写真撮影/加藤淳史)

店舗3店分をつなげているので、奥に長いシェアハウスに(写真撮影/加藤淳史)

「もっとコミュニケーションを」と入居者が入居者を連れてくる

LDKが充実していて他の入居者とコミュニケーションが取れるシェアハウスであることも、決め手となった。「他のシェアハウスでは、あえて入居者同士が接触しないようにしているところも。私の場合、シェアハウスに住むのなら、ぜひいろんな人と交流したいと考えていたんです」と堀さんは続ける。

そんなある日、堀さんは高校の同級生で近くの美容室「cococara-hair」の1階店長を務める奥迫響子(おくさこ・きょうこ)さんをシェアハウスに招いた。すると奥迫さんもこの場所にひと目惚れ。奥迫さんが一人暮らしをしようと思いはじめたタイミングも重なり、2人目の入居者となった。

奥迫さんも入居を即決したそうで「この場所にはなにか吸引力があるのかも」と堀さん。「寿通り商店街は実家からも勤務先からも歩いてすぐの場所だし、幼いころから知っている場所。でも“住む”となると、ときめくし、とても新鮮ですよね」と話す。

左が1人目の入居者・堀さん、右が奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

左が1人目の入居者・堀さん、右が奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんが店長を務める美容室は歩いて4分の職住近接(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんが店長を務める美容室は歩いて4分の職住近接(写真撮影/加藤淳史)

堀さんの個室は木の窓枠が残っているタイプ。全4部屋あり、1部屋あたりの広さは6畳(写真撮影/加藤淳史)

堀さんの個室は木の窓枠が残っているタイプ。全4部屋あり、1部屋あたりの広さは6畳(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんの部屋の出窓には、商店街内にある花屋さんから贈られた観葉植物があった(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんの部屋の出窓には、商店街内にある花屋さんから贈られた観葉植物があった(写真撮影/加藤淳史)

商店街を昔に戻すのではなく、今の姿にバージョンアップすればいい

堀さん・奥迫さんの親は黒崎の全盛期を知っている世代。ふたりは幼いころから「自分たちが若いころ、アーケードを歩くと人と人の肩がぶつかり合うほどにぎわっていた」というエピソードを聞かされていた。でも「私たちは黒崎がその時代に戻ってほしいわけじゃない」と口をそろえる。

「どんな商店街でも、活性化したい、若者に来てもらいたいと言うけれど、若者の人口自体が減っている。だからそこにこだわらなくていいんじゃないかな?」と堀さん。福岡さんも「一過性のものでなく今の時代にあった、本当の新陳代謝が必要だよね?」と相槌を打つ。

2021年7月の入居から1カ月。「この場所で人と街、人と人との化学反応が起きるといいな」と願う堀さんは自ら発案し、みんなと相談しながらシェアハウスをネーミング。決まった名前は「三角フラスコ」だ。フラスコ内で起こる化学反応をイメージし、福岡さんの事務所「三角形」をプラスした。

堀さんが中心となり、みんなで決めた「三角フラスコ」のネーミング(写真撮影/加藤淳史)

堀さんが中心となり、みんなで決めた「三角フラスコ」のネーミング(写真撮影/加藤淳史)

20代のふたりが商店街の風景になじんでいる(写真撮影/加藤淳史)

20代のふたりが商店街の風景になじんでいる(写真撮影/加藤淳史)

商店街のシャッター前で趣味のダンスを踊ってInstagramで発信している(写真撮影/加藤淳史)

商店街のシャッター前で趣味のダンスを踊ってInstagramで発信している(写真撮影/加藤淳史)

商店街から見上げたシェアハウス。ここに灯りがともる(写真撮影/加藤淳史)

商店街から見上げたシェアハウス。ここに灯りがともる(写真撮影/加藤淳史)

20代の堀さん・奥迫さんが持つ「商店街をにぎわっていた時代に無理やり巻き戻すのではなく、今の時代にそった新しいにぎわいを生み出したらいい」という感覚。これは今後さらなる少子化と人口減が進む日本において、共有されるべきものではないだろうか。余談ではあるが堀さんは「三角フラスコ」入居によって出会った福岡さんのもとで働くことになったそうだ。もちろん「寿百家店」にも関わっていく。自ら「三角フラスコ」の中心となり、化学反応を起こしていく。これからも「寿百家店」と黒崎の街に注目したい。

●取材協力
・寿百家店
・cococara-hair

築100年の長屋のまち「墨田区京島」にクリエイターが集結中! いま面白い東京の下町

戦時中、奇跡的に戦火を免れたことから長屋が多く残り、豊かな風景をつくっている東京都墨田区の京島。歴史ある建物と、下町のコミュニティに魅せられ、ここ10年ほどで定住するクリエイターが増えています。古い家屋を現代に生かし、2008年から人と人を結ぶ活動を続けてきたまちづくりの立役者と、このまちで活動する方々に話を伺いました。
築約100年の長屋と働く人たちに魅了され、地元に根差して奮闘

東武スカイツリーライン「曳舟駅」、京成電鉄「京成曳舟駅」の南東の50万平米に満たないエリアに、約6900の世帯が集まる東京都墨田区京島。もともと一帯は水田と養魚場でしたが、1923年の関東大震災を境に急速に宅地化。新潟からきた大工衆「越後三人男」が、家を失った人々に向けて長屋を建て、賃貸住宅にしていったのがその理由です。
戦時中は近隣の線路や川・道路が防火提の代わりになったのに加え、住人の懸命な消火活動もあって戦災を免れ、それらの家屋がそのまま残存。昔懐かしい風景を引き継いでいます。

至るところにある長屋はすべて関東大震災後に大工衆「越後三人男」が建てた築約100年のもの(写真撮影/内海明啓)

至るところにある長屋はすべて関東大震災後に大工衆「越後三人男」が建てた築約100年のもの(写真撮影/内海明啓)

奥は千葉大学の学生らが手がけたシェアハウス「すみだアカデミックハウス」。収益性を見込みにくい長屋の課題を払拭した画期的なケース(写真撮影/内海明啓)

奥は千葉大学の学生らが手がけたシェアハウス「すみだアカデミックハウス」。収益性を見込みにくい長屋の課題を払拭した画期的なケース(写真撮影/内海明啓)

映画制作をしていた後藤大輝さんがはじめて京島の魅力に触れたのは、知人から聞いて訪れた2008年のこと。味わい深い家屋はさることながら、木工・樹脂・板金・切削・プレス加工などあらゆる町工場が存在。地元に根差し、支え合いながら働く人たちのあり方に“ものづくりのまち”としてのポテンシャルを感じ、「とことん引き込まれた」と言います。

京島のまちづくりの立役者である後藤大輝さん。職人が話す文化的な言葉と“土着”する姿に惹かれたそう(写真撮影/内海明啓)

京島のまちづくりの立役者である後藤大輝さん。職人が話す文化的な言葉と“土着”する姿に惹かれたそう(写真撮影/内海明啓)

築96年になる後藤さんの事務所。向かいの建具屋の方が植樹してくれた葡萄のツルが風情を加えています(写真撮影/内海明啓)

築96年になる後藤さんの事務所。向かいの建具屋の方が植樹してくれた葡萄のツルが風情を加えています(写真撮影/内海明啓)

新しい住人と既存コミュニティがものづくりを通してつながる土壌

13年前から京島で暮らし、アートイベントの開催や空き家の発掘・再生・運営など、あらゆる京島のまちづくりに携わっている後藤さん。ものづくりをする人にとって、着想を得やすい環境や、近くに助け合える人がいることは何よりの財産。京島にそうした可能性を感じたクリエイターらが、徐々に集まるようになりました。古い家屋をDIYでアトリエにしたり、ギャラリー・ショップを開いたりと、動きが広がります。

軒先は格好の作業場であり作品の展示スペース。シェアアトリエ「京島共同木工所」の前で木材をカットする「すみだ向島EXPO」実行委員会の山越栞さん(写真撮影/内海明啓)

軒先は格好の作業場であり作品の展示スペース。シェアアトリエ「京島共同木工所」の前で木材をカットする「すみだ向島EXPO」実行委員会の山越栞さん(写真撮影/内海明啓)

作品づくりのために問屋や職人が近くにいる京島にアトリエを構えた「totokoko(トゥートゥーコッコ)」デザイナーの工藤智未さん。「何かをするときに協力してくれる人がたくさんいるのがいいですね」(写真撮影/内海明啓)

作品づくりのために問屋や職人が近くにいる京島にアトリエを構えた「totokoko(トゥートゥーコッコ)」デザイナーの工藤智未さん。「何かをするときに協力してくれる人がたくさんいるのがいいですね」(写真撮影/内海明啓)

地域に新しい人が来たとき、ともすると古くからいる人たちとの間で温度差ができそうですが、ここでは逆に職人たちが力を貸してくれるのだと言います。

「そのきっかけは、例えば展示会の準備でのこと。大抵のクリエイターは趣ある会場にしたいので、職人にそれを相談します。すると教えてもらいながら一緒につくることになるケースが少なくありません。自分たちの活動に関心を持ってもらえますし、コミュニケーションも取りやすい。完成した空間を喜んでもらえると、こちらもうれしさがこみ上げます」

午後の休憩中の建具職人の方々と後藤さんが談笑。「家屋は長く大事に使うもの」という共通の思いが、新旧の住人をつないでいます(写真撮影/内海明啓)

午後の休憩中の建具職人の方々と後藤さんが談笑。「家屋は長く大事に使うもの」という共通の思いが、新旧の住人をつないでいます(写真撮影/内海明啓)

ものづくりのまちでは自分の表現したいものをさらけ出すことが自己紹介になる――。
後藤さん自身も京島にきた当初、子どもたちの施設で撮影をしたり、ワークショップの手伝いをしたりして地元の人と親睦を深めてきたからこそ、実感を込めて言います。

空き家を知ったら大家のもとへ。防災性も備えた長屋を住人につなぐ

地域に新しい人が定着するには、受け皿となる住居が欠かせません。大家と住人をつなぐことが後藤さんのライフワークになっています。

「歴史を重ねた家屋には、入居者が建物にどう関わってきたかが現れているもの。使い込まれた床や梁・柱などにあたたかみが宿り、アイデンティティを感じます。
空き家が出たとき、黙っていると駐車場やマンションになってしまいかねません。『価値ある物件がまちで生かされて欲しい』その一心で大家に交渉します」

1925年に建てられたかつてのブリキ職人の家屋の内部(現後藤さんの事務所)。屋根裏の目隠しの屏風がユニーク(写真撮影/内海明啓)

1925年に建てられたかつてのブリキ職人の家屋の内部(現後藤さんの事務所)。屋根裏の目隠しの屏風がユニーク(写真撮影/内海明啓)

かつてのブリキ職人が洋風建築をモチーフに手がけた装飾的な雨どい(写真撮影/内海明啓)

かつてのブリキ職人が洋風建築をモチーフに手がけた装飾的な雨どい(写真撮影/内海明啓)

大家へのアプローチは、はじめこそ上手くいかなかったものの、2010年に長屋を一軒、リノベーションしてシェアカフェにしたのを足がかりに「まちで活用されるのなら」と、受け入れてくれるように。
今では大家が親しくしている不動産会社とも関係が築かれ、率先して空き家の情報を教えてもらえるまでになったそう。

「後々トラブルにならないよう、『こんなふうにDIYしたい』『家賃はこのくらいがいい』といった入居者の要望と、大家の許容範囲をすり合わせ、不動産会社にしっかり契約書をつくってもらっています」

日替わりでカレーや洋食などの飲食店が入るシェアカフェ「爬虫類館分館」。京島の長屋に興味のある方は後藤さんに直接、連絡を入れれば紹介してもらえることも(連絡先は記事末の取材協力リストに)(写真撮影/内海明啓)

日替わりでカレーや洋食などの飲食店が入るシェアカフェ「爬虫類館分館」。京島の長屋に興味のある方は後藤さんに直接、連絡を入れれば紹介してもらえることも(連絡先は記事末の取材協力リストに)(写真撮影/内海明啓)

長屋は現代の建築基準法に合わせて建てられていないため、耐震性や耐火性にも注力。墨田区の「木造住宅耐震改修促進助成」を利用したり、現場の施工会社の判断を仰いだりしながら、改修のタイミングで筋交い・柱・耐力壁を入れるなどして耐震補強。
防火のために古い配線や、既存のブレーカー・照明を撤去。耐火性能の高い石膏ボードを入れるなどの試みをしています。

仲間を迎えて古い家屋を現代に蘇らせ、さらに表現を楽しめるまちへ

「京島の長屋を借りた場合の家賃は、近隣の賃貸アパートとほぼ一緒。むしろ築古だからこそ、大家も住人も育てる気持ちで労力をかけていかないと、維持できないと言えるでしょう。たとえ面倒に思えても、この歴史的な建物がベースにあるからこそ、自己表現の場としての懐の深さ・創作の伸びしろ・地域のつながりが生まれるのだと。このまちで得られる豊かさを、多くの人に体験してもらいたいです」

これまでも自身で長屋を借り、レンタルスペースやシェアハウスなどを企画・運営してきた後藤さん。今後は、滞在制作の後押しなど、まちと表現したい人をつなげる活動を、さらに推し進めたいと考えています。

約2年前から京島のプロジェクトに関わるようになったヒロセガイさんは、大阪で住宅をリノベーションしたり、全国の芸術祭で企画・制作したりして活躍してきたアーティスト&ディレクター。

京島で建物の再生を手がけるヒロセガイさん。自身が芸術監督を務める街なか芸術祭「すみだ向島EXPO」がこの10月から開催(写真撮影/内海明啓)

京島で建物の再生を手がけるヒロセガイさん。自身が芸術監督を務める街なか芸術祭「すみだ向島EXPO」がこの10月から開催(写真撮影/内海明啓)

「もともと東京には“最先端”のイメージがありましたが、約20年前、アートプロジェクトをきっかけに向島エリア(京島を含む墨田・東向島などの地区)でものづくりをする人たちと出会い、よい意味で遠慮がない『下町つき合い』に触れ、『本当の東京って、こういうことでは』と心を打たれたんです」

以来、現代美術の分野で向島エリアの仲間とつながってきたヒロセさん。約2年前、後藤さんから声をかけられたのを機に、古い家屋と人々が連帯する京島に身を置き、活動していくことにしました。

今、手がけているのは「京島駅」と名づけたまちの駅。京島に来たら訪れるべきところで、旅立つところです。
ここはかつて米屋でしたが約2年前に店主が他界。相続した親族は当初、駐車場にする予定でしたが、後藤さんが「賃貸にして欲しい」とかけ合い、ヒロセさんが企画・監督。コミュニティづくりに役立つ施設へと蘇らせました。

もとは「小倉屋」という米屋だった「京島駅」。1階の一角にはネパールレストラン「Art & Nepal」(「すみだ向島EXPO」に合わせて10月1日に オープン予定)があります(写真撮影/内海明啓)

もとは「小倉屋」という米屋だった「京島駅」。1階の一角にはネパールレストラン「Art & Nepal」(「すみだ向島EXPO」に合わせて10月1日に オープン予定)があります(写真撮影/内海明啓)

一歩入ると懐かしい空気に包まれる「京島駅」ですが、それだけでなく、あちこちにアーティストの仕かけが隠されているのがポイント。1階は田舎に帰って家族とくつろぐ空間、2階は祭りを眺める客席をイメージし、レストランやイベントスペースを設けています。

「墨田の人たちには“江戸っ子”の気風があって、私からすると未だ江戸時代を生きているように見えるんです。この場所が、現代とは違う未来につながれば面白いなと思っています」

「京島駅」の壁をセメントモルタルで装飾するのは、左官アーティストの村尾かずこさん(写真撮影/内海明啓)

「京島駅」の壁をセメントモルタルで装飾するのは、左官アーティストの村尾かずこさん(写真撮影/内海明啓)

2階のイベントスペース。家屋に合わせて入れ替えた建具が雰囲気をアップ。天井にはタコとエビの絵を描いています(写真撮影/内海明啓)

2階のイベントスペース。家屋に合わせて入れ替えた建具が雰囲気をアップ。天井にはタコとエビの絵を描いています(写真撮影/内海明啓)

家屋の構造上、水道の配管が露出されること、昔の銅管の質感のよさに着目し、配管で文字を描いたアート作品を制作。「配管工がさながら伝統工芸士になり、その場を感じてこうした作品をつくったらいいなと思い、手がけました。“配管グラフィティ”と名づけています」(写真撮影/内海明啓)

家屋の構造上、水道の配管が露出されること、昔の銅管の質感のよさに着目し、配管で文字を描いたアート作品を制作。「配管工がさながら伝統工芸士になり、その場を感じてこうした作品をつくったらいいなと思い、手がけました。“配管グラフィティ”と名づけています」(写真撮影/内海明啓)

ヒロセさんにかかると廃材さえ場をつくるための材料。家屋のところどころで感じるエピソードに着想を得て、人々がワクワクとするものへと昇華させてゆきます。

「決して取り残されたものではなく、建物側から広がる風景を大事にしたいと思っています。お祭りのアイデアを浮かべるのも好きなので、商店街でも面白いことをしていきたいです」

京島を代表するスポット「キラキラ橘商店街」。コッペパン専門店「ハト屋パン店」をはじめ、趣あるお店が並びます(写真撮影/内海明啓)

京島を代表するスポット「キラキラ橘商店街」。コッペパン専門店「ハト屋パン店」をはじめ、趣あるお店が並びます(写真撮影/内海明啓)

下町文化の魅力は国籍を超えて。まだまだ進化する京島に期待

この5月には、京島にフランス出身のギヨームさんとクロエさんによるワインショップ「アペロ」がオープンしました。

ワインショップ「アペロ」は、京島の玄関ともいえる商店街入口にある長屋に(写真撮影/内海明啓)

ワインショップ「アペロ」は、京島の玄関ともいえる商店街入口にある長屋に(写真撮影/内海明啓)

東京都港区南青山で7年間、ワインバーを営んできた2人。以前から下町のコミュニティに親しみを感じていて、2号店の場所を京島に定めました。

「フランス人は、古いものやオールドスタイルだと感じられるものが大好き。旧来の価値観や伝統をどう“今”に生かすか、いつも考えているところがあって、その感覚とまちがリンクしたんです。いつかゆったりワインを楽しむ時間を、地域の人たちとつくっていけたらと思っています」

「アペロ」スタッフの猿田知子さん。ワインはビオがほとんど。フランスのあらゆる地域と種類をそろえます(写真撮影/内海明啓)

「アペロ」スタッフの猿田知子さん。ワインはビオがほとんど。フランスのあらゆる地域と種類をそろえます(写真撮影/内海明啓)

メキシコ出身の建築家、ラファエル・バルボアさんは約1年前からオフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を構え、一角にフリースペース「UNTITLED SPACE」を設けています。

「ここでは誰もが住む人の顔を知っていて、そのことで面白さが生まれている。コミュニティのセンスがあるまちだと感じます。
私はパブリックとプライベートスペースの役割に興味があって、週末にギャラリーとして使ったり、卓球台を置いたりして、仕事場を開放しているんです。今後はさまざまなクリエイターとのコラボレーションにも挑戦してみたいですね」

「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を主宰する建築家のラファエル・バルボアさん。日本の建築に関心があったのが、来日のきっかけです(写真撮影/内海明啓)

「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を主宰する建築家のラファエル・バルボアさん。日本の建築に関心があったのが、来日のきっかけです(写真撮影/内海明啓)

フリースペース「untitled space」兼オフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」の入口。地元の人がくつろげるよう軒先にベンチを置き、週末は三角スペースまでをまちに開いています(写真撮影/内海明啓)

フリースペース「untitled space」兼オフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」の入口。地元の人がくつろげるよう軒先にベンチを置き、週末は三角スペースまでをまちに開いています(写真撮影/内海明啓)

さまざまな動きのなかで、古さが今に生かされるまちへと進化していった京島。豊かさに触れるには、まず訪れてみるのが一番。それがこのまちとつながり、自分らしい表現をする一歩になるのかもしれません。

●取材協力
すみだ向島EXPO
キラキラ橘商店街
アペロワインショップ
STUDIO WASABI ARCHITECTURE

後藤大輝さん
090-4164-8383
info@himatoumejii.co.jp

生まれ育った町田山崎団地の駄菓子屋が閉店危機に! 継承を決意させた「心揺さぶられる光景」

東京都、町田山崎団地の商店街にある「ぐりーんハウス」は、1968年に創業したおもちゃ&駄菓子店。存続が危ぶまれるなか、インテリアデザイナーの除村千春(よけむら・ちはる)さんがお店を継ぎ、昨年6月にリニューアルオープン。新しい試みも功を奏し、子どもだけでなく大人にも親しまれるようになっているという。
原体験に刻まれた懐かしのお店の閉店を知り、引き継ぐことを決意

「町田山崎団地」は1968年から1969年にかけて建設された総戸数3920戸の大規模な住宅団地。空き店舗が点在する、ひっそりした商店街の中で、親子連れや小学生・近隣のビジネスパーソンなどが引っ切りなしに訪れ、にぎわいを見せているのが、おもちゃ&駄菓子店「ぐりーんハウス」です。

東京都町田市を代表する住宅団地「町田山崎団地」。丘陵地に116棟が建ち並びます(写真撮影/中村晃)

東京都町田市を代表する住宅団地「町田山崎団地」。丘陵地に116棟が建ち並びます(写真撮影/中村晃)

団地まではJR東日本・小田急電鉄「町田駅」からバスで約15分。商店街はバスを降りてすぐ。店舗には飲食店・接骨院・美容室などが入っています(写真撮影/中村晃)

団地まではJR東日本・小田急電鉄「町田駅」からバスで約15分。商店街はバスを降りてすぐ。店舗には飲食店・接骨院・美容室などが入っています(写真撮影/中村晃)

「ぐりーんハウス」の味わいのある看板は2代目が使っていたままのもの。面影を残しつつ、内外装はすべてリニューアルしました(写真撮影/中村晃)

「ぐりーんハウス」の味わいのある看板は2代目が使っていたままのもの。面影を残しつつ、内外装はすべてリニューアルしました(写真撮影/中村晃)

除村千春さんは、2020年6月に再オープンしたこのお店の3代目店主。本業は店舗やオフィス・住宅を手がけるインテリアデザイナーで、以前は神奈川県横浜市にオフィスを構えていましたが、今は町田山崎団地に拠点を移し、「駄菓子屋×設計事務所」を営んでいます。
一風変わったスタイルを取ることにした理由には、もともとこの団地で小学校2年生まで生まれ育った原体験があります。

「『ぐりーんハウス』は町田山崎団地が創設された当初からあって、私が小学生のころはまさに子どもたちの聖地。流行りのカードを買いにきたり、友だちの誕生日プレゼントを探したり。家族と商店街を訪れたときは用事がなくても立ち寄る、心のよりどころのようなお店でした。
店主はただ優しいだけでなく、子どもが悪さをしたときは叱ってくれる、懐の深い人だったのを覚えています」

店主の除村千春さん(写真撮影/中村晃)

店主の除村千春さん(写真撮影/中村晃)

その後、初代は2010年に閉店。同じ商店街で飲食店を営んでいた方が名乗りをあげ、2012年に2代目としてオープンします。

その間に社会人となり、関東圏で仕事をしていた除村さん。団地の近くにきたときはお店をのぞくなどして、いつも頭の片隅に存在がありました。そんなある日、ニュースサイトで2代目「ぐりーんハウス」が畳まれるのを知ります。

「そのときは『ああ、やめちゃうのか』くらいの気持ちで、閉店の日にお店に訪れたのも、たまたま予定が合ったからでした。しかしそこで目にした光景が、あまりに心を揺さぶるものだったんです」

店先でにぎわう子どもたちと、閉店を惜しみ、懐かしんでやってくる大人たち――。幸せに満ちた世界を目の当たりにして「ここを絶やしてはいけない」と強く思ったと言います。偶然、後継者を探していると聞き、数時間後には「3代目として受け継ぎたい」と、ほぼ思いを固めていました。

2代目「ぐりーんハウス」の店内。おもちゃと駄菓子のほか、ゲーム機も置かれていました(写真提供/除村さん)

2代目「ぐりーんハウス」の店内。おもちゃと駄菓子のほか、ゲーム機も置かれていました(写真提供/除村さん)

訪れる人の交流が促され、化学反応が起きるようコンセプトを一新

初代と2代目がお店を畳んだ背景には、おもちゃと駄菓子の販売だけで経営を続けていくことの壁がありました。除村さんの場合は設計士の顔を持つ強みがあるものの、やはりそこは重要な課題。
しかし長年、キャリアを重ね、あらゆる業態・業種の店舗を手がけてきたからこそ見えていたこともあったと言います。

「今は駅周辺の大型ショッピングモールを便利に使いながら、小さな個人商店の魅力も味わえる時代。2つが共生しているからこそ、ここにしかないことが光るし、それをしてみたいと思いました。
この商店街は車が入ってこないし、敷地にゆとりがあって、親御さんがお茶をしながら安心して子どもを遊ばせておける環境なんです。
ここに来たらあの人と話せる、くつろいで人と関われる。無理して何かをひねり出すのではなく、もともとあった景色に戻していけたらと思いました」

店舗の隣は広場。向かいにはベンチがあり、買いものの合間にホッとひと息つけます(写真撮影/中村晃)

店舗の隣は広場。向かいにはベンチがあり、買いものの合間にホッとひと息つけます(写真撮影/中村晃)

2020年3月にクラウドファンディングで資金を募り、2カ月後に目標の150万円に達成。入口の看板以外、すべてリニューアルした店舗は、創業時のスピリットはそのままに新しいコンセプトが息づいています。

「かつての自分がそうだったように、子どもたちの“サード・プレイス”にできたらと。しかし一方で、子どもと大人って、大人の心がけ次第では対等だとも思うんです。
そうした気持ちから『年齢に関わらずすべての人の交流が促され、化学反応が起きる場所』を意識しました」

まずポイントとなるのが、商品をゆったり陳列し、回遊できるようにした店内のレイアウト。クラウドファンディングで得た資金でコーヒースタンドにもなるオープンなシェアキッチンをつくり、ちょっとした休憩ができるテーブル席を設置しました。

以前はオープンでしたが、壁と窓を設けて居心地をアップ。内部が見えやすく、はじめてでも入りやすい雰囲気(写真撮影/中村晃)

以前はオープンでしたが、壁と窓を設けて居心地をアップ。内部が見えやすく、はじめてでも入りやすい雰囲気(写真撮影/中村晃)

メインの陳列台はお店の真ん中。商品数をぐんと減らし、回遊しながらゆっくり見られるように(写真撮影/中村晃)

メインの陳列台はお店の真ん中。商品数をぐんと減らし、回遊しながらゆっくり見られるように(写真撮影/中村晃)

店舗の面積の約半分はシェアキッチンとテーブル席。コロナにより現在、テーブル席は閉じていますが、ワークショップやミニ上映会・作家の展示会など構想を広げています(写真撮影/中村晃)

店舗の面積の約半分はシェアキッチンとテーブル席。コロナにより現在、テーブル席は閉じていますが、ワークショップやミニ上映会・作家の展示会など構想を広げています(写真撮影/中村晃)

知人のグラフィックデザイナーの力を借り、初代に使われていたテープや看板のロゴとキャラクターをブラッシュアップ。Tシャツやステッカー・マグカップといったオリジナルアイテムを制作しました。

右端は初代「ぐりーんハウス」で使われていたもので唯一、残っている貴重なテープ(写真撮影/中村晃)

右端は初代「ぐりーんハウス」で使われていたもので唯一、残っている貴重なテープ(写真撮影/中村晃)

お店が親しまれ、未来の懐かしい風景になってゆくよう制作したオリジナルアイテム。かつての常連が買って行くほか、お土産としても好評(写真撮影/中村晃)

お店が親しまれ、未来の懐かしい風景になってゆくよう制作したオリジナルアイテム。かつての常連が買って行くほか、お土産としても好評(写真撮影/中村晃)

気軽に使えるシェアキッチンが、地域参加への足がかりをつくる

様子が一変した3代目「ぐりーんハウス」に、最初は戸惑いを隠せない地域の方も多かったそう。それでも第一のお客さまである子どもたちに実直に向き合ううちに、顔なじみの子が母親と来るようになり、その母親が友だちを連れてきて、と認知が広がっていきました。

「おのずとシェアキッチンも活用されるようになり、仲のよいご家族が集まってクッキーをつくったり、『地域で何かしたい』と模索中の定年後の男性が、試しにチーズケーキを焼いたり。今は週一回、マフィンやスコーン・ドリンクをテイクアウトできる菓子店が出店しています」

「いろいろな方のチャレンジの場になってほしい」と、シェアキッチンは曜日替わりでさまざまな店舗に入ってもらいたいと考えています(写真撮影/中村晃)

「いろいろな方のチャレンジの場になってほしい」と、シェアキッチンは曜日替わりでさまざまな店舗に入ってもらいたいと考えています(写真撮影/中村晃)

今は週一回、ほぼ金曜に「ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん」が出店中。「お客さまの反応を見られるのが嬉しいです」と店主の永山裕子さん(写真撮影/中村晃)

今は週一回、ほぼ金曜に「ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん」が出店中。「お客さまの反応を見られるのがうれしいです」と店主の永山裕子さん(写真撮影/中村晃)

この6月にはこんなエピソードがありました。

「いつも娘さんと遊びにきてくれるお父さんがいたのですが、ふとした会話からラーメンをつくるのが趣味だと分かったんです。『やってくださいよ』と軽いノリから盛り上がり、1周年記念の『ぐりハfes』のときに出店することに。結果は長蛇の列ができるほどの大盛況でした」

何かをはじめるハードルを下げてくれるのが「ぐりーんハウス」のシェアキッチン。思いがけない発見と出会いをもたらしています。

子どもが主体のお店づくりを通して、マインドの大切さに気づく

「かつてはオフィスで独り図面を描くことが多かったのですが、日常的にお客さまと接するようになり、よりのびやかな気持ちでデザインができるようになりました。会話から発想のヒントを得ることも少なくありません」

オープンから1年2カ月、除村さんと子どもたちの関係も深まりを見せています。

「子どもたちの感性を育むような、文化的なお店であれたら」と除村さん。クラウドファンディングでは地域の方からも資金が寄せられたそう(写真撮影/中村晃)

「子どもたちの感性を育むような、文化的なお店であれたら」と除村さん。クラウドファンディングでは地域の方からも資金が寄せられたそう(写真撮影/中村晃)

「子どもたちから学ぶことは本当に多くて、それは端的に言えば『秩序』なのかなと。『ゴミは持ち帰ろう』『扉は閉めてね』など最低限のルールを示しつつ、後は自由でいいよという姿勢でいると、かえって節度が守られ、ざっくばらんに付き合える気がします。逆に急きょ、打ち合わせが入って休業すると次の日に『せっかくきたのに困るよ』などと言われ、背筋が正されることも。不特定多数の人が出入りする大型商業施設であれば、かなわなかったでしょう」

商品は大型店や量販店にないものや、心くすぐるデザインのものを意識して仕入れています(写真撮影/中村晃)

商品は大型店や量販店にないものや、心くすぐるデザインのものを意識して仕入れています(写真撮影/中村晃)

お店の奥の本棚の裏がオフィスですが「子どもの興味のきっかけになれば」と資料となる建築の専門書を店側に並べています(写真撮影/中村晃)

お店の奥の本棚の裏がオフィスですが「子どもの興味のきっかけになれば」と資料となる建築の専門書を店側に並べています(写真撮影/中村晃)

変わらぬ姿勢でお店を開け続けることが、まちづくりにつながる

昨年は、「コロナ禍でもできることを」と、お店への入場制限や手指の消毒など対策を取ったうえで「縁日」「ハロウィン」のイベントを実施。子どもが主体となるお店であることを何より大事にし、子どもたちの期待を裏切らないことを心がけています。

「愛されてきたお店を継ぐのは責任があるし、これからも地域に根差していきたい。そのためには相手に合わせることなく、店主としてのスタンスを保つことは、存続していくためにも必要なのかなと思っています」

お店を出た後にベンチでくつろぐ、微笑ましい親子の光景も(写真撮影/中村晃)

お店を出た後にベンチでくつろぐ、微笑ましい親子の光景も(写真撮影/中村晃)

最近では近隣の大学生がイベントを手伝ってくれたり、シェアキッチンを使いたいという人が増えてきたり。
強い思いと行動力がお店のクオリティを上げ、人々の輪を広げ、地域をどこまでも活気づけています。

●取材協力
ぐりーんハウス
マーチアンドストア
ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん

「洪水被害をうけた熊本県人吉市にもう一度、光を」。倒産寸前の川下りを新名所にした「HASSENBA」のドラマ

2020年7月の豪雨で大規模な洪水災害にあった熊本県人吉市。被災した地域復興のシンボルとして球磨川くだりの新名所「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」ができました。災害復興に立ち上がったのは、天草クルーズ事業経営者の瀬崎公介さんを中心とした九州の実業家たち。SUUMO編集長が現地に向かい、プロジェクトにかけた想いを取材しました。
地元から相談されて、倒産寸前だった球磨川下りの経営再建を決意

「洪水災害復興の面白いプロジェクトがある」と聞き、2021年7月、熊本県人吉市へ。プロジェクトにより生まれた人吉球磨の新しいランドマーク「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」のオープニングパーティーをたずねました。

「HASSENBA」とは、船が発着する「発船場」のこと。日本三大急流のひとつに数えられている球磨川の川くだりは、100年以上の歴史があります。2020年7月に豪雨被害を受けた「球磨川くだり人吉発船場」をリノベーションし、「ツアーデスク」「カフェ」「ショップ」の機能を兼ね備えた観光拠点「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」として生まれ変わりました。

瓦屋根を使い、モダンだが和を感じさせる「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」。テラスは大屋根を開口してつくった川を感じることができる。水害から逃れた人をヘリコプターがピックアップする避難場所にもなるよう設計された(写真提供/タムタムデザイン)

瓦屋根を使い、モダンだが和を感じさせる「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」。テラスは大屋根を開口してつくった川を感じることができる。水害から逃れた人をヘリコプターがピックアップする避難場所にもなるよう設計された(写真提供/タムタムデザイン)

建物のエントランスを入ると、ガラス越しに、青空と岸辺の緑を映した球磨川が望め、見学者から思わず歓声が上がりました。川くだりやラフティングの受付窓口のほか、川べりのテラス席で美味しいパンケーキを食べることができます。

2階の窓からは、球磨川周辺の景色が一望できる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2階の窓からは、球磨川周辺の景色が一望できる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

日本初のクルーズトレインで有名な「ななつ星in九州」のデザイナー水戸岡鋭治氏がデザインした会議室(写真提供/タムタムデザイン)

日本初のクルーズトレインで有名な「ななつ星in九州」のデザイナー水戸岡鋭治氏がデザインした会議室(写真提供/タムタムデザイン)

乗船券売り場とラフティングやサイクリングツアーの受付を兼ねたHASSENBAツアーデスク(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

乗船券売り場とラフティングやサイクリングツアーの受付を兼ねたHASSENBAツアーデスク(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

デザイナー水戸岡鋭治氏が手掛けたミーティングルームで、プロジェクトチームへ話を伺いました。プロジェクトを率いた球磨川くだり株式会社代表取締役の瀬崎公介さんは、経営再建や洪水被害復興の道のりを苦難の連続だったと振り返ります。

瀬崎さんが、地元の金融機関から、「球磨川くだり」の経営について相談を受けたのは、2018年8月。当時、「球磨川くだり」は第三セクター(地方自治体が民間企業と共同出資して経営する事業のこと)で運営されていましたが、長期にわたり経営難が続いていました。
「やり方次第で再建できると思い、改善点をA4レポート用紙3枚にまとめたのが8月末。それを見た関係者からぜひ再建をしてほしいと嘆願されたのです」(瀬崎さん)

水害前の球磨川くだりの様子。船頭の熟練の技で舟の舵をあやつって急流をくだる。(写真提供/球磨川くだり)

水害前の球磨川くだりの様子。船頭の熟練の技で舟の舵をあやつって急流をくだる。(写真提供/球磨川くだり)

そこで、10年分の経営指標をみると3年にわたって債務超過の状態。瀬崎さんは、もともと上天草市にある株式会社シークルーズで、いるかウォッチングなどのクルーズ事業を展開していました。負債を抱えた「球磨川くだり」を引き受けるのは、シークルーズにとって大きなリスクです。「球磨川くだり」は球磨の人にとって、なくてはならないものと思うものの踏み切れずにいました。悩んだ瀬崎さんは、シークルーズの幹部職員に相談。すると意外な言葉が返ってきました。

「社員は、『ぜひ、やりましょう!』と背中を押してくれたのです。シークルーズの業績もよかったですし、常日ごろ、私が伝えてきた、企業は地域に貢献するのが使命だという会社の理念をみんなが理解してくれていたからだと思います」(瀬崎さん)

就任前に全社員が退社するも、改革が功を奏しV字回復

こうして、「球磨川くだり」の経営再建に乗り出した瀬崎さんですが、代表就任前、もともといた社員全員が方向性の不一致で退社してしまう事態に。残ったのは船頭10名、だけでした。

球磨川くだりは、陸の孤島である人吉盆地の物流を担う舟運が起源。人吉球磨の歴史に、球磨川くだりはかかせない(写真提供/タムタムデザイン)

球磨川くだりは、陸の孤島である人吉盆地の物流を担う舟運が起源。人吉球磨の歴史に、球磨川くだりはかかせない(写真提供/タムタムデザイン)


「船頭は、『自分の代で球磨川くだりを終わらせたくない』という強い気持ちがありました。全社員が辞め、困ることもたくさんありましたが、ゼロになればむしろ改革はしやすい。地元で募集したところ、『球磨川くだりを残したい』という想いをもつ人が来てくれました」(瀬崎さん)

2019年1月に球磨川くだり株式会社の代表取締役に就任すると、瀬崎さんは次々と改革に乗り出します。

「それまでは、乳幼児にまで乗船料があったのを廃止し、WEB予約ができるようにホームページを作成、水戸岡さんに船のデザインを依頼しました」(瀬崎さん)

2019年7月に大雨による11日間の全便運休を経験しましたが、9~11月の秋季乗客数は前年度比150%。12~翌2月の冬季乗客数は過去10年間で最高に。しかし、2020年1月にコロナウィルスの感染が拡大すると3月から休業が増え、緊急事態宣言が出た4月から完全に休業状態になりました。

「川くだりは、大雨はもちろんですが、渇水で水深が足らなくても欠航になります。海以上に自然の要素に左右される商売だなと思いました。船が欠航すると船頭も社員もほとんどやることがありません。このままではまずいと、経営を多角化する必要性を痛感しました。また人吉の地域には新しく話題となる観光拠点がないかもと。そこで、そのころから、レストランを含む複合施設をつくろうと動き始めました。何人かの観光施設経営者に現地を見てもらいましたが、『どんないいものをつくってもこの場所では人が来ない』と断られてしまいました。そんななか、九州パンケーキの村岡さんだけが違いました」(瀬崎さん)

九州の素材でつくられた“ふわもち”の食感が特徴の九州パンケーキ。村岡さんは、「ONE KYUSHU」を掲げ、九州ブランドの商品開発をしている(写真提供/タムタムデザイン)

九州の素材でつくられた“ふわもち”の食感が特徴の九州パンケーキ。村岡さんは、「ONE KYUSHU」を掲げ、九州ブランドの商品開発をしている(写真提供/タムタムデザイン)

九州パンケーキは、村岡浩司さんが代表取締役を務める株式会社一平ホールディングスが手掛ける商品です。九州の食文化を世界に売り込もうと、九州の素材にとことんこだわったパンケーキを開発し、多くの自治体、経営者を巻き込み、九州ブランドの確立に尽力してきました。村岡さんの目には、当時の球磨川くだり発船場はどのように映ったのでしょうか。

「確かにブランドを展開するのは、一等地の方がよいでしょう。いわゆる繁華街の一等地の方が売り上げは上がりますが、店舗の維持コストも高く、継続的に発展できる場所とはいえません。球磨川の素晴らしい景色を見たとき、ピンときました。みんな、いちばん居心地のいいところに身を置きたいんです。居心地のいいところが一等地という時代が来ます。簡単ではないが、いい場所だから、うまくやればいけると確信していました」(村岡さん)

ところが、村岡さんが、九州パンケーキカフェの経営者・鬼束文士さんを連れて現地の視察に訪れた1週間後の2020年7月、豪雨で球磨川が氾濫。球磨川くだり発船場は壊滅的被害を受けてしまいます。

九州のプロを結集したチームを発足。必ず全体に貢献してみせる!

豪雨により発船場の事務所は、床上1.5mの浸水、球磨川くだりの船12隻すべてが流出し、数隻を除いて使用不可能になりました。運搬用の車もすべて水没。社員の3人が被災し、首まで水に浸かって生き延びた人もいました。

2020年7月4日の豪雨災害で壊滅的被害を受けた人吉エリア。街の半分以上が浸水した。ショベルカーで汚泥を撤去している様子(写真提供/球磨川くだり)

2020年7月4日の豪雨災害で壊滅的被害を受けた人吉エリア。街の半分以上が浸水した。ショベルカーで汚泥を撤去している様子(写真提供/球磨川くだり)

当時、出張で大阪にいた瀬崎さんは、大雨の知らせを受けると即座に社員に避難指示を出し、社員全員の無事を確認するとすぐに復旧作業に取り掛かりました。水害で、まち中に泥やがれきが蓄積している状態でしたが、天草からブルドーザーやショベルカー、ダンプ十数台を手配し、水害から4日後には、泥の撤去作業を開始。市内のほかの場所では、10月ころまで泥の撤去作業が続くなか、発船場は7月20日にすべての片付けが終わっていました。

「水害の直後は、街が壊滅状態で旅館はだめ、飲食店もだめ。川もめちゃくちゃ。会社をどう閉じようかと考えていました。もともと債務超過だったところの洪水被害。誰がどう頑張っても無理だろうと思いました」

諦めかけた瀬崎さんですが、熊本県なりわい再建支援補助金の活用に、複合施設建設の望みをつなぎます。行政書士の中山達さんに書類作成を依頼し、申請作業を進めるなか、村岡さんがキーマンになり、九州の飲食・物販、建築のプロフェッショナルが集まるプロジェクトチームが形成されていきました。設計担当の株式会社タムタムデザイン田村晟一朗さん、施工のアスター中川正太郎さんからなる建築チームができ、ブランディングには、プレオデザイン合同会社古庄伸吾さんが加わり、HASSENBA RENOVATION PROJECTチームが立ち上がりました。

「みなさんには、被災直後から、何か手伝えることがあればと声をかけていただいていました。この時点では補助金が出るかどうかも分かりません。出なければ計画していたことはゼロになってしまいます。それでもいいですかとお伺いしたら、『こんな緊急事態にそんなことを気にしないでいいから』と寛大な言葉をかけていただきました。『同じ九州の仲間』それだけの理由で、協力を申し出てくれたのです」(瀬崎さん)

11月にリノベーション費用の概算を出すため、被災した建物の一部を解体したあと、古庄さんから3つのブランドコンセプトが上がってきました。それが、「発見」「発信」「発展」というキーワードでした。地元の人すら見落としていた川の価値を発見する場所、人吉球磨の新しい魅力を発信する場所、観光や地域の在り方を発展させる場所にしたいという想いが込められています。「HASSENBA」のロゴデザインが決まったのもこのころでした。

「コンセプトは、まさにこれだ!と、チームの思いにバシッとはまりました。チームの方向性、やるべきことが明確になった瞬間でした。そのタイミングで設計の田村さんから建物のデザインが上がってきて、これはかっこいいものができるぞ!とみんなで盛り上がりました」

12月中旬に申請が完了し、1月にプレスリリースを発表、オープンに向け急ピッチで復興作業が進み、7月に無事オープニングパーティーが開かれました。

ゆったりと流れる球磨川を眺めながら、川沿いのテラスでパンケーキをいただく(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ゆったりと流れる球磨川を眺めながら、川沿いのテラスでパンケーキをいただく(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

来場者が、川を背景に料理撮影するシチュエーションを考えて建物がデザインされている(写真提供/タムタムデザイン)

来場者が、川を背景に料理撮影するシチュエーションを考えて建物がデザインされている(写真提供/タムタムデザイン)

熊本県初出店となる九州パンケーキカフェ。九州の素材を中心に人吉球磨地方の地産地食メニューがそろう(写真提供/タムタムデザイン)

熊本県初出店となる九州パンケーキカフェ。九州の素材を中心に人吉球磨地方の地産地食メニューがそろう(写真提供/タムタムデザイン)

HITO×KUMA STOREのネーミングには、熊本の人や物が集まる場所になってほしいという想いが込められている(写真提供/タムタムデザイン)

HITO×KUMA STOREのネーミングには、熊本の人や物が集まる場所になってほしいという想いが込められている(写真提供/タムタムデザイン)

人吉球磨の新しいシンボル「HASSENBA」が完成

瀬崎さんの思いを受け、飲食・物販・設計・施工のプロフェッショナルが集結し、完成させた人吉球磨の新しい観光拠点「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」。オープニングパーティーで再び顔を合わせたプロジェクトチームメンバーに、これからのHASSENBAへの想いを語ってもらいました。

「人吉単体ではなく、九州全体で盛りあげるんだという意識で、全員が自分事になれたのが大きかったですね。このドリームチームはこの先も面白い。今日より明日、今年より来年をよくしようと考え続けるのが大事」とチーム組成に尽力した村岡さんはいいます。

「人吉球磨の人の川への思いは特別で、水害があっても川を恨んでいない。また川を楽しむ場になれば」と設計担当の田村さん。施工を担当したアスターの中川さんも「観光複合施設だけど、地元の人が日常的に気軽に使える場所になってほしい」と続けます。

さまざまな障壁があるなか、瀬崎さんをここまで夢中にさせた理由は何だったのでしょうか。

球磨川くだり株式会社代表取締役の瀬崎公介さん。2019年1月に就任し、改革を行ってきた(写真提供/球磨川くだり)

球磨川くだり株式会社代表取締役の瀬崎公介さん。2019年1月に就任し、改革を行ってきた(写真提供/球磨川くだり)

「とにかくやらないといけないという使命感ですね。水害を受けて地域が明らかに活力を失い、街の人の目が死んでいました。誰かが光を見せないとこの街はだめになってしまうと思いました。球磨川くだりの社員、プロジェクトチームみんなが、『新しい人吉球磨のシンボルをつくるんだ』というひとつの思いでやったからできたことだと思います」(瀬崎さん)

最後に、瀬崎さんに、プロジェクトを振り返っていちばん印象に残っていることをたずねました。

「去年の夏、船頭と社員を集めて、話し合ったときのことです。補助金が出るかどうかわからないが、出たとしても、社員がやりたくないなら無意味です。社員ひとりひとりに思いを聞くと、全員が『やります』と言ってくれました。私も船頭と社員を裏切りたくないという思いは大きかったです」(瀬崎さん)

オープンして1カ月が経ち、にぎわいを見せる「HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA」。川くだりの運航は、航路の安全が確保できず延期になりましたが、発船場から人吉城址の区間を遊覧する「梅花の渡し」の運航が開始されました。以前は、船の乗り降りだけだった発船場ですが、乗船前後にカフェに立ち寄るなど相乗効果が生まれています。

「球磨川くだりを残したい」という船頭や地域の声に応えた瀬崎さん。伝統文化を守るには、船頭などの技術者を守る必要があります。最近、球磨川くだりの求人に、若者の応募が増えているそうです。志望動機は、「被災したからこそ復興に携わる仕事がしたい」から。若い人たちの雇用をつくることは、地域を守ることにつながっています。

●取材協力
・球磨川くだり株式会社

下北沢は開発でどう変貌した? 全長1.7km「下北線路街」がすごかった!

「サブカルの聖地」と呼ばれた下北沢。ここ数年、駅付近の開発が行われていた。注目は小田急線の地下化で生まれたスペースを利用した全長1.7kmの「下北線路街」。そこには新しいスタイルの商店街、互いに学び合う居住型教育施設、東京農業大学のアンテナショップ、水タバコ専門店も入る個店街などが続々とオープンしている。下北沢はどう変わったのか。そして、新しい顔とは? 注目のスポットをぐるりと巡ってみた。
「開かずの踏切」がなくなり、車の渋滞が解消された

小田急線の下北沢駅、世田谷代田駅、東北沢駅が地下化されたのは2013年3月。同エリアに9カ所あった「開かずの踏切」がなくなり、車の渋滞が解消された。

駅東側の踏切も今となっては懐かしい風景。写真は2013年3月のもの(写真提供/小田急電鉄)

駅東側の踏切も今となっては懐かしい風景。写真は2013年3月のもの(写真提供/小田急電鉄)

現在の下北沢駅(写真撮影/相馬ミナ)

現在の下北沢駅(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/石原たきび)

(写真撮影/石原たきび)

この街によく来ていた僕にとっては、駅が地下にあることも、踏切がないことも不思議な感覚だ。

下北沢駅の南口改札も廃止され、南口商店街という名称のみ残った(写真撮影/相馬ミナ)

下北沢駅の南口改札も廃止され、南口商店街という名称のみ残った(写真撮影/相馬ミナ)

その南口には僕がよく仕事をしている、お気に入りのカフェがあります。テラス席が心地いいのです(写真撮影/石原たきび)

その南口には僕がよく仕事をしている、お気に入りのカフェがあります。テラス席が心地いいのです(写真撮影/石原たきび)

5軒の飲食店を営むオーナーに下北沢の今昔物語を聞く

さて、今回の取材で最初に向かったのは、開放感のあるテラスが売りの飲食店、「ARENA 下北沢」。

カレーとチキンオーバーライスが名物(写真撮影/石原たきび)

カレーとチキンオーバーライスが名物(写真撮影/石原たきび)

テラスのベンチでは矢吹ジョーが出迎えてくれる(写真撮影/石原たきび)

テラスのベンチでは矢吹ジョーが出迎えてくれる(写真撮影/石原たきび)

なぜ、この店を訪れたかというとオーナーの山本秀教さん(48歳)に下北沢の今昔を聞きたかったからだ。

ここを含めて下北沢に5軒の飲食店を展開(写真撮影/相馬ミナ)

ここを含めて下北沢に5軒の飲食店を展開(写真撮影/相馬ミナ)

山本さんに初めて会ったのは、1号店の「BUDOKAN」だった。10年ぐらい前だろうか。

鈴なり横丁の向かいにある小さなバーだ(写真撮影/石原たきび)

鈴なり横丁の向かいにある小さなバーだ(写真撮影/石原たきび)

「古着屋、ラーメン屋、ガールズバーがめちゃめちゃ増えました」

というわけで、名物の「元祖シモキタカレー」と「シモキタラッシー」のセット(1100円)をいただきながら話を聞きましょう。

「下北沢カレー王座決定戦2019」で準優勝を獲得(写真撮影/相馬ミナ)

「下北沢カレー王座決定戦2019」で準優勝を獲得(写真撮影/相馬ミナ)

山本さんが「BUDOKAN」を出したのは13年前。それ以前から下北沢にはよく飲みに来ていたそうだ。

「当時のシモキタは、飲み屋の客がおっちゃんばっかり。今は本当に若者が多い。あと、鈴なり横丁のあたりはちょっと柄が悪かったんですが、平和になりました。さらに、古着屋、ラーメン屋、ガールズバーがめちゃめちゃ増えましたね」

山本さんは言う。

「懐かしい街が変わっていくのはちょっと寂しい部分はありますが、悲観的には考えてないですよ。むしろ、若者とかがいっぱい来てくれたら盛り上がるんで、僕としてはありがたいです」

そう言われてみれば増えた気がします(写真撮影/石原たきび)

そう言われてみれば増えた気がします(写真撮影/石原たきび)

東北沢、下北沢、世田谷代田の3つのエリアが「下北線路街」で繋がる

そんななか、小田急電鉄は東北沢駅~世田谷代田駅間の地上に生まれた1.7kmのエリアを「下北線路街」として整備してきた。

ほとんど交流がなかった3つのエリアが「下北線路街」で繋がる(画像提供/小田急電鉄)

ほとんど交流がなかった3つのエリアが「下北線路街」で繋がる(画像提供/小田急電鉄)

このエリアは道が狭く、入り組んでいるため、この直線による新しい動線は街の姿を大きく変えつつある。

山本さんと別れ、次に向かったのは下北沢駅の「南西口」改札方面。

今、駅のこちら側に注目が集まっている(写真撮影/石原たきび)

今、駅のこちら側に注目が集まっている(写真撮影/石原たきび)

というのは、こちらの方面に下北線路街で注目されている「BONUS TRACK」があるからだ。オープンは2020年4月で、緑に包まれた遊歩道沿いにユニークなテナントたちが入居している。

新しいスタイルの“商店街”が誕生した(写真撮影/石原たきび)

新しいスタイルの“商店街”が誕生した(写真撮影/石原たきび)

そのテナントとは、世界の発酵調味料を扱う「発酵デパートメント」、食材にこだわり抜いたコロッケが食べられる「恋する豚研究所 コロッケカフェ」、古今東西の日記関連本が購入できる「日記屋 月日」などの14店舗だ。

開放感に満ちた中庭を囲むように店舗が並ぶ(写真撮影/相馬ミナ)

開放感に満ちた中庭を囲むように店舗が並ぶ(写真撮影/相馬ミナ)

「『サブカルの街』というイメージは徐々に変わりつつあります」

下北沢の開発は、どのような想いのもと行われたのだろうか。ここの会議スペースで小田急電鉄の開発担当者、向井隆昭さん(31歳)に話を聞いた。

まず今の下北沢を、向井さんは「以前は若者の街、『サブカルの街』というイメージでしたが、徐々に変わりつつあります」と話す。
「実際に街に住んでいる人に着目すると、子育て世帯やシニア層も多く、文化が根付くだけでなく住宅街である側面が分かります。家賃の高騰もあり、住んでいる若い人の属性も変化しており、夢を追うアーティストというよりは、ちょっとお金に余裕がある学生や社会人にスライドしており、より多様な人々が街にいるイメージと捉えています」

週の半分は下北沢に通い詰める日々を送っている(写真撮影/相馬ミナ)

週の半分は下北沢に通い詰める日々を送っている(写真撮影/相馬ミナ)

線路跡地を活用しようという動きは2013年の時点で始まっていた。そして、2018年には現在の「下北線路街」としてのプランが明確になる。

「コンセプトは『BE YOU.シモキタらしく。ジブンらしく。』です。この街は低層の建物が多く、路地裏も歩きやすい。また、飲食、音楽、演劇、古着、雑貨、本、映画など、さまざまなジャンルで、いろんな個性を持った人が活動しています。それをさらに引き出すのが開発の役目だと思っています」

なお、「BONUS TRACK」に入居するテナントは30代のオーナーが多い。床面積は1、2階あわせて計10坪で2階は住居スペース。これで賃料は15万円とのことで、若い世代が挑戦しやすい設定にしたという。

今まで下北沢にはなかったようなテイスト。新しい潮流を感じた。駅からちょっと離れているだけに、下北沢という街のエリアが広がった気がする。

全寮制プログラムを受けられる「SHIMOKITA COLLEGE」

さて、ここからは街に出て向井さんが勧めてくれた“注目スポット”を巡ることにする。

まずは、2020年12月に下北線路街で開業した「SHIMOKITA COLLEGE」から。下北沢の街をキャンパスとして活用しながら、高校生、大学生、若手社会人らが暮らす居住型教育施設だ。

明るい光が差し込む1階の共用スペース(写真撮影/相馬ミナ)

明るい光が差し込む1階の共用スペース(写真撮影/相馬ミナ)

居室への動線上に食堂やラウンジなどの共用スペースを配置(写真撮影/相馬ミナ)

居室への動線上に食堂やラウンジなどの共用スペースを配置(写真撮影/相馬ミナ)

高校生は1学期間(3カ月)の共同生活体験プログラム、大学生・社会人は2年間の全寮制プログラムを受けられる。実際の入居者に話を聞いてみよう。

左から江口未沙さん(25歳)、州崎玉代さん(21歳)、岩田健太さん(27歳)(写真撮影/相馬ミナ)

左から江口未沙さん(25歳)、州崎玉代さん(21歳)、岩田健太さん(27歳)(写真撮影/相馬ミナ)

江口さんはIT企業の営業職。大学4年生のときから下北沢に住んでいたが、リモートワークになったこともあり、シェアハウスへの入居を考え始めた。

「たまたま小田急さんのリリースを見て、こんなに面白そうな学びの場があるのなら絶対に入りたいと思いました。ここでの生活はめちゃくちゃ楽しいです。専門分野や背景が違ういろんな人と話せるので、自分へのフィードバックが進みます」

江口さんのお気に入りの店「ADDA」

江口さんのお気に入りの店「ADDA」

カレーがおいしい

カレーがおいしい

「街も人も商店もエネルギーがすごいと感じています」と話す岩田さんは、まちづくり系の仕事をしている。

「私はいち消費者として街や人に関わることに興味がありました。シモキタにはあまり来たことがなかったんですが、実際に住んでみて街も人も商店もエネルギーがすごいと感じています。街を“自分ごと”として捉えている人が多いというか」

岩田さんが今気になっているのは、下北線路街の施設の一つとして2020年9月に開業した温泉旅館「由縁別邸 代田」。35室の客室、露天風呂付き大浴場、割烹、茶寮などを備えている(写真提供/小田急電鉄)

岩田さんが今気になっているのは、下北線路街の施設の一つとして2020年9月に開業した温泉旅館「由縁別邸 代田」。35室の客室、露天風呂付き大浴場、割烹、茶寮などを備えている(写真提供/小田急電鉄)

大浴場では箱根から運んだ温泉が楽しめる(写真提供/小田急電鉄)

大浴場では箱根から運んだ温泉が楽しめる(写真提供/小田急電鉄)

最後は洲崎さん。東京大学で都市計画を専攻している。大学に登校する日が激減した状況下で寮生活を満喫している。

「シモキタはたくさんのカルチャーが混じり合う街。いろんな人が歩いていますよね。『多様性が際立っているというイメージ』ですね。お気に入りのお店は『BONUS TRACK』の中の『恋する豚研究所』。店員さんと連絡先を交換したりして、人と人の距離が近いです」

「恋する豚研究所」

「恋する豚研究所」

「恋する豚研究所」のコロッケ

「恋する豚研究所」のコロッケ

東京農大の学生がつくった食品が買える「世田谷代田キャンパス」

続いて訪れたのは、2019年4月にオープンした「世田谷代田キャンパス」。同じ世田谷区内にメインキャンパスを持つ東京農業大学とのコラボでオープンカレッジが開講されている。

1階は農大ショップ(写真撮影/相馬ミナ)

1階は農大ショップ(写真撮影/相馬ミナ)

ここでは、農大の卒業生が醸造した日本酒や味噌などが購入できる。話を聞かせてくれたのは施設の統括マネージャー、土橋潤二さん(65歳)。

土橋さんも農大の卒業生なのだ(写真撮影/相馬ミナ)

土橋さんも農大の卒業生なのだ(写真撮影/相馬ミナ)

「私、以前は造り酒屋をやっていたんですが、この施設を出す際に『手伝ってくれ』と言われまして」

置いている商品はすべて東京農大関連のもの写真撮影/相馬ミナ)

置いている商品はすべて東京農大関連のもの写真撮影/相馬ミナ)

お勧めの商品はどれですか?

「農大の学生がつくったジャムが美味しいですよ。材料の栽培から製造までを一貫して担当しています」

さらに、「こんな面白いものもありますよ。うちでは一番人気です」と土橋さん。なんと、農大オホーツクキャンパスで育てたエミューの卵で生地をつくったどら焼きだという。

いただいてみましょう。

北海道産小豆の粒あんを使った餡はちょっとピンクがかっている。エミューどら焼き324円(税込)。後ろにあるのは農大生がつくったジャム(写真撮影/相馬ミナ)

北海道産小豆の粒あんを使った餡はちょっとピンクがかっている。エミューどら焼き324円(税込)。後ろにあるのは農大生がつくったジャム(写真撮影/相馬ミナ)

おお、生地がモチモチで美味しい!

2階はオープンカレッジスペース(写真撮影/相馬ミナ)

2階はオープンカレッジスペース(写真撮影/相馬ミナ)

2階では、定期的に市民講座、子ども向け講座が開催されるほか、サークル団体などに会議室やイベント会場としても貸し出している。

「地元の方もいらっしゃるし、ちょっと離れた下北沢駅から歩いて来る若者や家族連れも多いですね。農業を通じてさまざまな人が繋がる場になれば」と土橋さんは言う。

下北沢の穴場見つけたり、という感じだ。

個性的かつハイクオリティな店舗が並ぶ個店街「reload」

最後に訪れたのは、2021年6月、下北沢駅にほど近い立地にオープンした「reload」。全24店舗がが入居予定の個店街だ。

モダンなエントランス(写真撮影/相馬ミナ)

モダンなエントランス(写真撮影/相馬ミナ)

施設名には、もともと線路が走っていた場所が新しくなったので「リ・ロード」、また完成することなく変わり、更新し続ける場という2つの意味が込められている。

施設内には、京都の老舗“小川珈琲”のフラグシップ店「OGAWA COFFEE LABORATORY」、三軒茶屋から移転オープンしたセレクト文房具・雑貨の専門店「DESK LABO」など、個性的かつハイクオリティな店舗が並ぶ。

まず、我々が訪れたのはシーシャ、いわゆる水タバコの専門店「chotto」だ。

26歳の若きオーナー、小澤彩聖さん(写真撮影/相馬ミナ)

26歳の若きオーナー、小澤彩聖さん(写真撮影/相馬ミナ)

「こういう施設にシーシャ屋が入るのは、今までなかったはず。従来のイメージと違って、店の雰囲気を明るくしています。ちなみに、シモキタは日本におけるシーシャ発祥の地と言われているんです」

料金は専用のガラスボトル1台にオリジナルノンアルドリンクが付いて3000円(写真撮影/石原たきび)

料金は専用のガラスボトル1台にオリジナルノンアルドリンクが付いて3000円(写真撮影/石原たきび)

「うちは初心者や非喫煙者も吸いやすいノンニコチンのフレーバーを推しています。これを置いている店はあまり多くないんです」

左からオレンジ、ブルーベリー、ピスタチオのフレーバー(写真撮影/相馬ミナ)

左からオレンジ、ブルーベリー、ピスタチオのフレーバー(写真撮影/相馬ミナ)

「まるで心ときめく恋の味」(写真撮影/石原たきび)

「まるで心ときめく恋の味」(写真撮影/石原たきび)

小澤さんは「シーシャはひとつのコミュニケーションツール、会話の間を取り持ってくれるような存在」だと言う。

「仲間内でも初めましての人同士でも、ゆったりとのんびりと話せます。ボトル1台で2時間弱持つから、カフェとかより長く滞在できる。そこでの会話を通して、新しい縁も生まれます」

楽しそうに煙を吐く店長の航平さん(25歳)。(写真撮影/石原たきび)

楽しそうに煙を吐く店長の航平さん(25歳)。(写真撮影/石原たきび)

下北沢の人々の交流の場が、またひとつできた。「今までシモキタで遊んでたけど、大人になって遊ぶとこなくなったよねという人たちに来てほしい」と小澤さんは言っていた。

さあ、下北巡りラストの1軒は立ち飲みスタイルの「立てば天国」だ。

オーニングの下にはちょっとした外飲みスペースも(写真撮影/相馬ミナ)

オーニングの下にはちょっとした外飲みスペースも(写真撮影/相馬ミナ)

対応してくれたのはオーナーの福家征起さん(42歳)。これまで、下北沢に「下北沢熟成室」「カレーの惑星」「胃袋にズキュン」「胃袋にズキュン はなれ」という4つの飲食店を展開してきた。

かわいらしい店名は「10分で決めた」とのこと(写真撮影/相馬ミナ)

かわいらしい店名は「10分で決めた」とのこと(写真撮影/相馬ミナ)

「個店街の2階というロケーションが面白いし、広い空が見える立ち飲み屋もなかなかないでしょう」

フードメニューはひと捻りもふた捻りもあるものばかり(写真撮影/石原たきび)

フードメニューはひと捻りもふた捻りもあるものばかり(写真撮影/石原たきび)

お一人様にもうれしい小皿料理がメイン。居酒屋料理にアジアの調味料やハーブなどのフレイバーを加えているという。完全にニュースタイルの立ち飲み屋だ。ホッピーは三冷、ビールは赤星で酒飲みの心をガッチリと掴む。

「今のシモキタですか? 昔と変わって来たなあという感じはありますね。老舗のたこ焼きやさんとか、掘っ建て小屋みたいなとこでやってた居酒屋さんがなくなって、ここもそうですが、きれいな建物が増えましたね」

個人的には下北沢っぽくないお洒落な空間に、こういう本気の立ち飲み屋が入っているのはうれしい。

未来の下北沢を盛り上げる人々にバトンが渡った

かくして、“新生”下北沢ツアーは終了。随所にオシャレな要素が垣間見えたが、一方で“実力”も伴う施設、店舗ばかりだった。

以前は、駅の北口に戦後の闇市がルーツのレトロな一画が存在感を放っていた。その中に好きな飲み屋があり、下北沢に来ると必ず立ち寄ったものだ。もちろん、今はない。

寂しくもあるが、街は生きている。今回の「下北線路街」巡りでも感じたが、未来の下北沢を盛り上げる人々にバトンが渡ったというわけだ。

●取材協力
下北線路街

現代版「トキワ荘」に訪問! 漫画家志望35人の夢いっぱいのシェアハウス

『ワンピース』や『ドラゴンボール』『スラムダンク』、最近では『鬼滅の刃』『呪術廻戦』など、多くの作品が世界中の人々を夢中にさせてきた日本の漫画。その「漫画の聖地」といえば、1952年から1982年にかけて豊島区椎名町(現・南長崎)に存在した「トキワ荘」。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などの漫画家らが切磋琢磨しながら共同生活を送っていたアパートだ。

そんな「トキワ荘」に想いを託して始まったのが「トキワ荘プロジェクト」。漫画家を目指す若者たちに活動拠点となるシェアハウスを貸し出し、プロデビューのサポートを行う事業だ。シェアハウスに住む彼らはどんな暮らしを送っているのか。実際に見に行ってみた。

35人の漫画家志望者が切磋琢磨をしながら住んでいるりえんと多摩平内にある「多摩トキワソウ団地」。2011年のフルリノベーションを経て現在に至る。以前は小規模の「トキワ荘プロジェクト」のシェアハウスが最大で15棟が東京近郊に点在していたが、現在は棟数を6棟まで減らして、規模を大きくした(写真提供/NPO法人NEWVERY)

りえんと多摩平内にある「多摩トキワソウ団地」。2011年のフルリノベーションを経て現在に至る。以前は小規模の「トキワ荘プロジェクト」のシェアハウスが最大で15棟が東京近郊に点在していたが、現在は棟数を6棟まで減らして、規模を大きくした(写真提供/NPO法人NEWVERY)

今回訪れたのは、2021年6月に誕生した「多摩トキワソウ団地」。所在地は東京都日野市で、最寄駅のJR豊田駅には新宿駅から約35分。そこから徒歩5、6分で到着する。

入居者募集開始とともにすぐに満室になり、現在は計35人の漫画家志望者が切磋琢磨をしながら住んでいる。都市再生機構(UR)が手がける物件で、高度経済成長期の1960年に建てられた。奇しくも元祖「トキワ荘」の漫画家らがヒット作を連発していた時代だ。

いわゆる団地の一部を利用したシェアハウスで、もちろん一般の人も住んでいる。エントランスを入るとさっそく「トキワ荘」感満載のお出迎え。

35人が“仲間”として暮らしているということか(写真撮影/片山貴博)

35人が“仲間”として暮らしているということか(写真撮影/片山貴博)

漫画家になりたくても、どう動いていいか分からない人が多い

「トキワ荘プロジェクト」を運営するのは、NPO法人NEWVERY(ニューベリー)。2002年に設立後、中学生・高校生を対象にした文芸教室から活動をスタート。2006年に「トキワ荘プロジェクト」を立ち上げた。

取材に協力してくれたNEWVERYの菊池さんに「なぜ、漫画家を目指す若者を支援しようと思ったのか」と聞いてみた。

プロジェクトの責任者である菊池さん(写真撮影/片山貴博)

プロジェクトの責任者である菊池さん(写真撮影/片山貴博)

「じつは、私も漫画家を目指して専門学校に通っていたんです。小学生のころに毎週読んでいた『週刊 少年ジャンプ』では『封神演義』が好きでした。漫画を描き始めたきっかけは、雑誌に付いてきた漫画家セットの付録。とにかく早く家に帰って漫画が描きたかったですね(笑)」

菊池さんが専門学校時代に描いたという漫画も見せてもらった。

予想以上のクオリティです……(写真提供/菊池さん)

予想以上のクオリティです……(写真提供/菊池さん)

「いえいえ、出版社の方々にたくさんダメ出しをもらった作品なので。でも、久しぶりに読み返したら懐かしいです(笑)」

納得しました。同じ体験をしているから、漫画家志望の若者たちを本気でサポートしたいと思えるんですよ。

「そうでしょうね。私と同じで、漫画家になりたくても、どう動いていいか分からない人が多いんです。そんな若手漫画家のために住居の提供を軸に、漫画家として活躍するための支援ができればと思い始まったプロジェクトです」

この15年間で実績も出してきた。累計入居者565名のうち、プロ漫画家としてデビューした人が123人もいるというのだ(2021年8月4日時点)。その中には、現在『魔入りました!入間くん』がアニメ化している西修さん、『こぐまのケーキ屋さん』などの代表作で知られるカメントツさんなどもいる。

気になる家賃は3万7000円~4万2000円

いい話が聞けたところで、内部を見せてもらった。まずは、1階の共用ラウンジ。

入居者同士で漫画論を語るもよし、飲食を楽しむもよし(写真撮影/片山貴博)

入居者同士で漫画論を語るもよし、飲食を楽しむもよし(写真撮影/片山貴博)

集中してプロットを考えたり、ネームを描いたりするワークスペースもある。

一人暮らしの部屋では、なかなかこうはいかない(写真撮影/片山貴博)

一人暮らしの部屋では、なかなかこうはいかない(写真撮影/片山貴博)

漫画もいたるところに置いてあった。

こうした刺激をもらえるのも共同生活ならでは(写真撮影/片山貴博)

こうした刺激をもらえるのも共同生活ならでは(写真撮影/片山貴博)

「成長サポートとしては、プロの漫画家や編集者による講座を定期的に開催しています。最近はリモートが多いんですが」(菊池さん)

最近行った漫画講座には「多摩トキワソウ団地」からも数名が参加した(写真提供/NPO法人NEWVERY)

最近行った漫画講座には「多摩トキワソウ団地」からも数名が参加した(写真提供/NPO法人NEWVERY)

気になる家賃は3万7000円~4万2000円(居室による)。管理費は1万2000円。管理費が同レベルの家賃の賃貸に比べ、少々高いかなと思ったが、これには水道・光熱費、ネット代、消耗品の一部が込みとのことなので、都内で一人暮らしをするよりはずいぶん安いといえる(他のハウスは消耗品が込みではない)。

外に一歩出れば、シェア畑、食堂、レンタカーのある暮らし

訪れたときに感じたのは、空間が広々としていて、緑も豊富だということ。団地の周囲も案内してもらった。

「敷地内には住人が自由に使える『シェア畑』があって、専門スタッフが管理してくれるので、専門知識がなくても野菜をつくる楽しさが味わえます」

根を詰めて漫画を描いた後の息抜きにもってこいだろう(写真撮影/片山貴博)

根を詰めて漫画を描いた後の息抜きにもってこいだろう(写真撮影/片山貴博)

すぐ隣には「ゆいま~る食堂」。多摩の自然に囲まれながら食事ができる。

「からだに優しく美味しい食事を、心を込めて提供」がモットー(写真提供/NPO法人NEWVERY)

「からだに優しく美味しい食事を、心を込めて提供」がモットー(写真提供/NPO法人NEWVERY)

駐車場にレンタカーが停まっていたことにも驚いた。

料金は相場並だが、敷地内のためピックアップと返却がラクすぎる(写真撮影/片山貴博)

料金は相場並だが、敷地内のためピックアップと返却がラクすぎる(写真撮影/片山貴博)

小学4年生のときの作文で「将来の夢は漫画家」

さて、ここからはいよいよ入居者の部屋にお邪魔して、熱い漫画トークを聞くことにしよう。まずは、広島県安芸高田市出身の松村皇輝さん(21歳)。

おお、きれいじゃないですか(写真撮影/片山貴博)

おお、きれいじゃないですか(写真撮影/片山貴博)

いつごろから漫画家という職業を意識し始めたんですか?

「一番古い記憶は小学4年生のときに、将来の夢というテーマで書いた作文に『漫画家』と書いたこと。当時は『ワンピース』に夢中で、好きなキャラはウソップ。休み時間も授業中も、ずっと絵を描いていました」

本棚には『スラムダンク』や『僕のヒーローアカデミア』などのジャンプコミックがズラリ(写真撮影/片山貴博)

本棚には『スラムダンク』や『僕のヒーローアカデミア』などのジャンプコミックがズラリ(写真撮影/片山貴博)

本格的に漫画を描き始めたのは高校生のときからだという。担任の教師に「漫画家になりたい」と相談したところ、地方から東京に行くのが大変な人向けに集英社が「出張編集部」というのをやっていると教えてくれた。

「名刺をもらう=担当が付く」というセオリーを知らなかった

松村青年は気合いを入れて30ページの読み切り漫画を描き、岡山の会場に持参する。人生で初めて描いた漫画をプロに見てもらうわけで、ガチガチに緊張したそうだ。

こちらが初めて描いた漫画(写真提供/松村皇輝さん)

こちらが初めて描いた漫画(写真提供/松村皇輝さん)

おお、高校生の時点ですごい画力!

「いや、今見るとクッソつまんないです。たしか、飛行機を落とそうとしているテロリストの電波をハッキングして平和を守るという内容でした」

とはいえ、集英社の月刊漫画雑誌『ジャンプSQ.』の編集者からは「高校生でこれだけ描き切ったのはすごい」と褒められたそうだ。

「その人から名刺をもらったんですが、それが漫画界では『担当になること』というセオリーを知らなくて。のちに、上京してから住んでいた西高島平の『トキワ荘』で先輩から教えてもらいました。持ち込みは結局、それっきり」

松村さんは漫画を描くときにペンタブを使う派(写真撮影/片山貴博)

松村さんは漫画を描くときにペンタブを使う派(写真撮影/片山貴博)

部屋にテレビはないが、YouTubeなどからインスピレーションを得ているそうだ。

『少年マガジン』に持ち込んだ読み切り漫画が月例賞に

松村さんは高校卒業後、地元で働くか、漫画家になるために上京するかで迷った。最終的には、「貯金もないのに東京に行ったら、バイト生活で漫画がなあなあになる」という両親の意見に納得し、地元の野菜の選果場で働くことにした。

「地元の人がつくった野菜を工場に集めて、袋やダンボールに詰めてトラックに乗せて出荷するという作業です。100万円ちょい貯めてから上京。仕事はせずに、1年間ぐらい引き籠って漫画を描きました」

こうして描き上げた読み切り作品を講談社の『週刊少年マガジン』に持ち込んだところ、見事、月例賞を獲得する。

日々描き溜めた構想ノート(写真撮影/片山貴博)

日々描き溜めた構想ノート(写真撮影/片山貴博)

何気なく冷蔵庫の中を見せてもらった。「お茶とチョコレートしかないっすよ。キットカットとアルフォートが好きで」。ストイックな生活である(写真撮影/片山貴博)

何気なく冷蔵庫の中を見せてもらった。「お茶とチョコレートしかないっすよ。キットカットとアルフォートが好きで」。ストイックな生活である(写真撮影/片山貴博)

最後に松村さんが言った。

「昼前に起きて、夕方過ぎまで描いて、ご飯食べて、また深夜まで描いて寝る生活。
でも、シェアハウスのみんなでご飯に行ったり、銭湯に行ったり、映画を観に行ったりすることもあって、それは楽しいですね。また、いつでも漫画関係の話題が出るので、地元の友達と遊ぶのとは違った刺激があります。

いろんな作風、画風、思考の人と会えるので『それ面白いな、取り入れてみようかな』と次の作品に対するモチベーションがすごく上がります。一方で、『その年でこんな絵ぇ描くのかよ……』と衝撃を受けることもあるのですが、個人的にはその瞬間が一番ワクワクします。同世代がバケモンみたいな絵や漫画を描いていたら、負けたくないというスイッチが入って燃えるんです。

正直、25歳までにデビューできなかったら、あきらめようかなと思っています。でも、やれるだけ頑張りたい」

表札の苗字と番地が合っているかをチェックする仕事を副業に

次は近藤十和佳さん(21歳)。よく笑う人だ。

女の子らしい部屋だ(写真撮影/片山貴博)

女の子らしい部屋だ(写真撮影/片山貴博)

近藤さんは仕事をしながら漫画を描いている。

「地図の調査の仕事です。表札の苗字と番地が合っているかをチェックします。家って、なんかそれぞれの空気があるんです。すごく幸せそうな家とか、外観を見るだけで暮らしを妄想できます」

ナスのピエールが主人公の4コマ漫画がはじまり

というか、これDIYでつくる棚ですよね。すごい。

「5時間ぐらいかかりました」と笑う(写真撮影/片山貴博)

「5時間ぐらいかかりました」と笑う(写真撮影/片山貴博)

本棚のラインナップが渋すぎる。10年ほど前に人気が爆発した中国のSF、『三体』が目を引く(写真撮影/片山貴博)

本棚のラインナップが渋すぎる。10年ほど前に人気が爆発した中国のSF、『三体』が目を引く(写真撮影/片山貴博)

「子どものころから趣味が偏っていて。『聖☆おにいさん』は小学生のころに地元・山梨の図書館で読んで、面白いなと思いました。田舎なので、図書館の漫画が唯一の娯楽でしたね」

小学校3年生ぐらいのときから、将来の夢は漫画家だと公言していた。

「とくに好きだったのは、少女漫画家で心霊劇画家の黒田みのるさん。母がアシスタントの人と仲が良くてお会いできたんです。何も考えていない小学生だったので、ご本人に向かって『先生みたいになりたいです』とか言っちゃって(笑)」

当時の写真と先生の書は室内の一等地に飾ってあった(写真撮影/片山貴博)

当時の写真と先生の書は室内の一等地に飾ってあった(写真撮影/片山貴博)

小学生のころから絵を描くのが好きで、それを漫画にし始めたのは中学生から。

「最初は4コマ漫画から始めたんです。ナスのピエールというキャラクターが恋をしたりする話で。ちょこんと突起があるナスを見て、鼻みたいだなと思ってキャラクターにしました。実家にあるので撮影してきましょうか」

ぜひ、お願いします。ピエール見たい。

これがピエール。シュールな作風で続きが気になる(写真提供/近藤十和佳さん)

これがピエール。シュールな作風で続きが気になる(写真提供/近藤十和佳さん)

頭の上でぼーっとしているイメージをストーリーに落とし込む

漫画は完全に独学。iPadなどのデジタル機器を使ったこともあるが、サイズが大きい紙の方が伸び伸びと描きやすいという。

「今、構想を練っているのは、石像がたくさんある標高5000mぐらいにある世界遺産が舞台の作品。そこに暮らす姉妹の物語を描きたいんです」

近藤さんの場合は、頭の上でぼーっとしているイメージをストーリーに落とし込むというやり方だ。

ペン入れがうまくいったときが一番充実感がある(写真撮影/片山貴博)

ペン入れがうまくいったときが一番充実感がある(写真撮影/片山貴博)

「ラウンジに行ったら誰かしらいるので、たまにご飯の味見をさせてもらったり。皆さんがそれぞれ持っている癖とか表情とかキャラとか、そういうものが全部面白くて、漫画のキャラづくりに役立っています。

特に印象に残っている出来事は、すごくかわいがってくださった先輩が退居された時のことです。送別会のあと、その方が描いた漫画をたくさん見せていただいて、漫画のこともいろいろ教えてくれました。その方は社会人をしながら漫画を描いていて、仕事も大変そうなのに作品にかける熱意に刺激をもらいました。最後に、『徹夜するときはこれを飲んでね』とエナジードリンクをもらったのはいい思い出です。

入居者で連載が始まる方がいると聞くと、めでたい!と思う一方で、私も頑張らないと、と思います。以前は持ち込みはちょっと苦手だったのですが、積極的になりました。本当に、早くデビューして連載したいです!!」

シェアハウスとはひと味違う緊張感も伴う

2人のインタビューを終えてラウンジに戻ると、住人らによるたこ焼きパーティーの最中だった。

しかし、皆さん仲がいい(写真撮影/片山貴博)

しかし、皆さん仲がいい(写真撮影/片山貴博)

取材を終えて思ったこと。シェアハウスで暮らす面白さはもちろんある。しかし、ここトキワ荘プロジェクトは「漫画家になりたい」という共通の夢を、全員が持っていることが大きな違いだ。お互いがライバル、緊張感も伴う。それは、60年前にあった元祖「トキワ荘」も同じだったのではないだろうか。

●取材協力
トキワ荘プロジェクト
松村皇輝さん

パリの暮らしとインテリア[10]元テニスプレイヤー、マラットさんの高層マンションで本に囲まれた暮らし

幼少のころからテニス中心の生活を送り、世界中をまわっていたマラットさん。プロのテニスプレイヤーだった16年前からパリに移り住み、このアパルトマンは4軒目。バルコニーがなくても開放感のあるおうちにお邪魔しました。連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

パリでは珍しい眺めの良いアパルトマンを購入

一般的にパリのアパルトマンは、狭くてエレベーターがない、日当たりが悪い、ベランダ付きは珍しいという特徴があります。パリに住むのは便利だけれど、そこが難点と言われてきました。このコロナ渦で家で過ごす時間が増え、パリで暮らす私たちは、自分たちの暗い部屋での暮らしと、郊外のベランダや庭から空が見える暮らしとの違いを痛感。住まい選びの基準も大きく変化したと実感しています。

そんななか、パリを見渡せて開放感のある“高層マンション”の人気が急上昇しているそうです。マラットさんが5年前から住む14階からも、パリの街並みと空が眼前に広がっています。

マラットさんが住んでいるのは、22階建ての高層マンションの14階。3棟同じデザインが並ぶ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

マラットさんが住んでいるのは、22階建ての高層マンションの14階。3棟同じデザインが並ぶ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリでは、アパルトマンの標準は5、6階建てで、その3、4倍のいわゆる“高層マンション”は建てていい地区が決められています。中心部に近いモンパルナスタワー近辺、13区の中華街近辺、自由の女神とセーヌ川を見渡せる15区の元ホテル街、ミッテラン図書館近辺の個性的な高層マンション街、新凱旋門のあるデファンスのオフィス街、そしてマラットさんとパートナーが二人で住むパリ北東のヴィレット近辺です。

ヴィレット通り付近は近年、パリで最も人気の地区のひとつとされています。特徴のある小さなお店や美味しいレストランもたくさんあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヴィレット通り付近は近年、パリで最も人気の地区のひとつとされています。特徴のある小さなお店や美味しいレストランもたくさんあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの住まい探しは口コミ&大家に交渉、がコツ

ノルウェー人の父とポーランド人の母を持つマラットさんは、以前はノルウェーやポーランドに住んでいて、16年前にパリに移住しました。今まで4軒の物件に住んできましたが、いずれも知り合いの口コミで見つけたそうです。「パリでは不動産会社に空き部屋の情報が出る前にクチコミで見つけ、大家と直接交渉できることが多いんです。その方が安く借りることもできるので得ですね」とマラットさん。

実は、今住んでいる14階の部屋の前には、同じ建物の4階に住んでいたそう。

「4階だと向かいのビルが風景を遮っていて、窮屈な感じがしていました。遠くを眺められる住まいが重要と気付き、上層階の空き部屋が出るのを待っていたんです」

同じマンションに住んでいれば、上層階の空き情報をいち早くキャッチできる。それは「サンディカ(住民の組合)」の集会などで話題になることがほとんどで、大家への直接交渉が可能なのだそう。

「地平線と空が私にとって不可欠です。そして街を見下ろして景色を眺めながら自分の内面に目を向けるひと時が大切」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「地平線と空が私にとって不可欠です。そして街を見下ろして景色を眺めながら自分の内面に目を向けるひと時が大切」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

75平米の部屋を購入し、セルフリノベ

現在の14階の部屋を購入した当時、1970年代に建てられた時のままで、壁紙などが時代遅れな印象だったとか。それでもサロンの二面のガラス窓や各部屋からの眺めは格別で、パリによくある部屋とは違った明るい空間が、新しい暮らしへのイメージを膨らませてくれたと言います。

「内装がとても傷んでいたので、パリに住む叔父とパートナーと一緒に工事を始めました」

工事にあたり、内装を自分でデザイン。床や壁のほとんどを取り除き、気に入った素材などを集めながら、少しずつ作業していったそう。フランスでは、改装工事は高額で時間がかかるのはよくあること。セルフリノベをしたことで業者の4分の1ほどの出費に抑えられたとか。何より、「達成感を味わえた」と満足そう。

キッチンから見たサロンの様子。二面に窓があり、特に明るい場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンから見たサロンの様子。二面に窓があり、特に明るい場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

白色で統一された収納たっぷりのキッチンは、仕切りなしでサロンとつながっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

白色で統一された収納たっぷりのキッチンは、仕切りなしでサロンとつながっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一番のお気に入りの場所はサロンのソファー

こだわったのは、二面の大きな窓ガラスのあるサロンとオープンキッチンをシームレスにつなげたことと、寝室を2部屋つくったこと。

サロンは、すべての壁を真っ白に塗り、そのうちの一面に凹凸のある石をはめ込みました。

「暮らす前から、このサロンの壁際にソファーを置こうと決めていました。自分が一番長く過ごす場所になるだろうというイメージもわいていました。読書をしたり、映画を見たり、窓から夕焼けを眺めたり……」

サロンでくつろぐマラットさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンでくつろぐマラットさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「X」のオブジェはアーティストの1点ものでランプが取り付けられています。ソファーのクッションはいろいろな国で購入したもの。赤と白のクッションは2年前にマダガスカルで(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「X」のオブジェはアーティストの1点ものでランプが取り付けられています。ソファーのクッションはいろいろな国で購入したもの。赤と白のクッションは2年前にマダガスカルで(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「私は花が大好きで、パリにいるときは週に1回は自分でブーケをつくるようにしています。特に、珍しい形、明るい色、紫、緑、黄色、赤の花が大好きです」。 黒いコーヒーテーブルはフランスの建築家でありデザイナーのジャン・プルーヴェの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「私は花が大好きで、パリにいるときは週に1回は自分でブーケをつくるようにしています。特に、珍しい形、明るい色、紫、緑、黄色、赤の花が大好きです」。 黒いコーヒーテーブルはフランスの建築家でありデザイナーのジャン・プルーヴェの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

テニスコーチとなった今もトレーニングを欠かせない。サロンにマシーンを設置(写真撮影/Manabu Matsunaga)

テニスコーチとなった今もトレーニングを欠かせない。サロンにマシーンを設置(写真撮影/Manabu Matsunaga)

世界中で知り合った友達を迎え入れるためのゲストルームも

子どものころから世界中を旅していたマラットさんは、各地で知り合った友達がパリに来た時に泊まれるように寝室を2部屋つくりました。サロンにある大テーブルも最大10名が座れます。まさに、友達の集まる家なのです。
「コロナ禍で友達を迎えることはできていませんが、外出制限の時には私の仕事部屋として使っていました」と言います。

ここには、マラットさんが繰り返し読みたい本、新しく買った本を置くメインライブラリーもあり、本を読んだり、絵を描いたりと集中できる空間になっています。

客室にはテーブルを設置し、現在は仕事部屋として使用。窓際にはたくさんの本がしまわれています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

客室にはテーブルを設置し、現在は仕事部屋として使用。窓際にはたくさんの本がしまわれています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

客室のメインライブラリー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

客室のメインライブラリー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分たちの寝室はグレーで統一。「整頓された空間で眠るのが好きなので、私の部屋は常に整理されています」とマラットさん。やはりこの部屋の窓際にも本が収納されていました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分たちの寝室はグレーで統一。「整頓された空間で眠るのが好きなので、私の部屋は常に整理されています」とマラットさん。やはりこの部屋の窓際にも本が収納されていました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドテーブルには、デザイナーもののランプとB&Oスピーカーがあり、夜寝る前に音楽を聴きながら読書をするのが日課だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドテーブルには、デザイナーもののランプとB&Oスピーカーがあり、夜寝る前に音楽を聴きながら読書をするのが日課だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の中には好きなものしか置かない主義

「本に囲まれて生活するのが好きで、どの部屋にも本棚があるんです」

サロン、キッチン、寝室2部屋、バスルームにまで本が置いてあります。

飾り方もとてもおしゃれ。本棚やキッチンの棚などに飾っているほか、装丁もサイズもバラバラな本を横に積むように置いたりして、インテリアの一部のように演出しています。

サロンの窓際にある本棚。本棚に収まりきらない本はカーヴ(地下の倉庫)に保管しています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの窓際にある本棚。本棚に収まりきらない本はカーヴ(地下の倉庫)に保管しています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンのお茶コーナーにはレシピ本を飾ってあります。「私はお茶が大好きで夢中!」とマラットさん。 旅行では最高の緑茶を探し歩くそう。お茶は彼にとって小さな儀式のようなもので、少なくとも1日1回は飲み、リラックス、熟考を楽しむとか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンのお茶コーナーにはレシピ本を飾ってあります。「私はお茶が大好きで夢中!」とマラットさん。 旅行では最高の緑茶を探し歩くそう。お茶は彼にとって小さな儀式のようなもので、少なくとも1日1回は飲み、リラックス、熟考を楽しむとか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オスロのフリーマーケットで小さな赤い銅の鍋を購入。本は非常に質の高い版のアートブックで知られるファイドン出版が編集した日本料理の本。「これは私の心に強く訴える料理の聖書です」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オスロのフリーマーケットで小さな赤い銅の鍋を購入。本は非常に質の高い版のアートブックで知られるファイドン出版が編集した日本料理の本。「これは私の心に強く訴える料理の聖書です」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

本のほかにも、アーティストものやデザイナーもののインテリアや雑貨などが飾られた部屋からは、マラットさんの「好きなもの以外は部屋に置かない」というこだわりが伝わってきます。

自分たちの寝室の壁には、アメリカ人の映像作家、詩人、活動家のジョナス・メカスが撮影したピエル・パオロ・パゾリーニの写真が飾ってありました。花瓶には3、4カ月ごとにパリで今流行りのドライフラワーで活け直すそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分たちの寝室の壁には、アメリカ人の映像作家、詩人、活動家のジョナス・メカスが撮影したピエル・パオロ・パゾリーニの写真が飾ってありました。花瓶には3、4カ月ごとにパリで今流行りのドライフラワーで活け直すそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドの金の箱には絵の具を収納。客室は普段使われていなかったので収納場所としても活用。絡み合う二人のオブジェは友人からの贈り物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドの金の箱には絵の具を収納。客室は普段使われていなかったので収納場所としても活用。絡み合う二人のオブジェは友人からの贈り物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

こけしは東京と京都で見つけたもので1960年代のこけしと現代的こけし。マラットさんは日本が大好きだそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

こけしは東京と京都で見つけたもので1960年代のこけしと現代的こけし。マラットさんは日本が大好きだそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「木製のスツールは友人から贈られたアート作品ですが、アーティストの名前は覚えていません。でもとても気に入っています」 窓際に置かれた物はすべて旅行先で見つけて持ち帰った大切な思い出だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「木製のスツールは友人から贈られたアート作品ですが、アーティストの名前は覚えていません。でもとても気に入っています」 窓際に置かれた物はすべて旅行先で見つけて持ち帰った大切な思い出だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

漆塗りの木のアルバムは、1960年代に彼の祖父が日本に旅行したときのもの。艶を失わず大切にしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

漆塗りの木のアルバムは、1960年代に彼の祖父が日本に旅行したときのもの。艶を失わず大切にしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

また、機能的でリラックスしやすい空間づくりにも工夫がたくさん。選手生活中に旅先でさまざまなホテル暮らしをしてきたことが、現在のライフスタイルにも影響しているといいます。

今もパリにいないことが多く、数カ月ぶりに帰ってきた時にささっと埃を掃除できる設計にしていて、大量の本も半分以上は引き戸の付いた本棚に収納するなどして、お茶の道具とナイフ以外は全てしまわれています。

「今のところ引越しは考えていません、今よりも良い条件の物件を探すのは難しい」とマラットさん。現在の住まいの界隈が、パリで一番好きな場所だそう。

また、フォンテヌーブローの近くには庭付きの広い別荘もあり、気持ちいいテニスコートでテニスや乗馬などをして自然に触れながらトレーニングをしているのだとか。

コロナ禍ではテニスの大会も制限があったようですが、選手と同行することが多く、今でもホテル暮らしも多いマラットさん。そんな彼が、遠征生活とコロナ禍を経て自分の住まいとして行き着いたのは、ホテルのような機能的で快適な生活空間と見晴らしの良い環境。そして街での暮らしと自然のバランスがとれた生活でした。

ビュットショーモン公園は、パリ中でマラットさんの一番のお気に入りの場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ビュットショーモン公園は、パリ中でマラットさんの一番のお気に入りの場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(文/松永麻衣子)

「シェアキッチン」発の“濃いお店”で地元をおもしろく! コロナ禍で人気

東京都・東小金井の高架下に、洋菓子、パン、おにぎり・惣菜……いつも売っているモノが違うお店がある。実はこちら、複数のメンバーが店舗、厨房を共同で使う「シェアキッチン」。初期投資の費用を抑えられるメリットから、ここ数年、新たな形態として注目を集めている仕組みだ。さらにこのコロナ禍で、「シェアキッチン」を始めたい人が増加しているという。2014年に小平の「学園坂タウンキッチン」でシェアキッチンスタイルを確立し、今では都内4カ所に独自のブランド「8K」をはじめとしたシェアキッチンを運営する株式会社タウンキッチンの代表・北池智一郎さんにお話を伺った。
地域がつながる場づくりには、「食」が一番

「飲食業をしたいわけではない」と語る北池さんがシェアキッチンを始めたのは、「地域につながる場を提供したい」という想いから。
「例えば、昔は、お醤油が切れていたらお隣さんに借りに行ったりしていたんですよね。お互い助けあうことが、生活を円滑にすすめるために不可欠なことだったから。しかし、今はコンビニがあるから、そんなお願いをしなくていいでしょう。便利さと引き換えに失った、地域の『つながり』を再生したい。そのための『場』を提供するには、まず『食』を媒体とすることがいいと考えたことが始まりです」

株式会社タウンキッチン代表・北池智一郎さん(写真提供/タウンキッチン)

株式会社タウンキッチン代表・北池智一郎さん(写真提供/タウンキッチン)

保健所からの許認可を受けたキッチンを「所有」でなく、複数人で「共有」することで創業のハードルを低くできる。利用料は月額料金で、開業コストを大きく抑えられるのも特徴だ。食品衛生責任者の資格は必要だが、看板やショップカード、ラベルなどそれぞれのオリジナル屋号で営業できる。また、開業前からマーケティング、商品開発、経理、補助金などについて個別相談ができる仕組みや、先輩利用者にアドバイスをもらえるなど他の利用者と交流できる定期的な勉強会もある。

趣味を活かし、週に1度もしくは隔週なら子育てを優先しつつも挑戦できると始める人や、会社勤めの傍ら休日のみ営業する人など、自分なりのペースで営業が可能だ。土日は子育てで稼働できない人と、平日は本業がある人と、営業日も分散できているそう。現在、タウンキッチンが直接運営しているシェアキッチンは都内4カ所。商店街の空き店舗、住宅街、高架下、大規模マンションの敷地内など、立地条件は異なるが、近所のリピーター、遠方から来るファンなど固定客をつかんでいる。

第1号店は、西武多摩湖線一橋学園駅の商店街に面した「学園坂タウンキッチン」(写真提供/タウンキッチン)

第1号店は、西武多摩湖線一橋学園駅の商店街に面した「学園坂タウンキッチン」(写真提供/タウンキッチン)

シェアキッチンでは、厨房をシェアする店主同士のつながりも。お互い情報交換したり、イベントやコラボ商品などへ発展することも(写真提供/タウンキッチン)

シェアキッチンでは、厨房をシェアする店主同士のつながりも。お互い情報交換したり、イベントやコラボ商品などへ発展することも(写真提供/タウンキッチン)

2017年に開業した武蔵境のシェアキッチン「8K musashisakai」(写真撮影/Ryoukan Abe)

2017年に開業した武蔵境のシェアキッチン「8K musashisakai」(写真撮影/Ryoukan Abe)

「むさしの創業サポート施設開設支援事業」の選定を受け、女性をターゲットとした創業支援施設でもある (写真撮影/Ryoukan Abe)

「むさしの創業サポート施設開設支援事業」の選定を受け、女性をターゲットとした創業支援施設でもある (写真撮影/Ryoukan Abe)

東小金井にある「MA-TO」のシェアキッチンは現在16店舗がシェアしており、すでに満員。イートインスペースもある(写真撮影/本浪隆弘)

東小金井にある「MA-TO」のシェアキッチンは現在16店舗がシェアしており、すでに満員。イートインスペースもある(写真撮影/本浪隆弘)

西武池袋線ひばりヶ丘駅から徒歩17分、大規模マンションの敷地内にある「HIBARIDO」。シェアキッチンの他、ショップやワークスペースもある(写真撮影/Ryoukan Abe)

西武池袋線ひばりヶ丘駅から徒歩17分、大規模マンションの敷地内にある「HIBARIDO」。シェアキッチンの他、ショップやワークスペースもある(写真撮影/Ryoukan Abe)

10年前にオープン。しかし当初の目的とはずれてしまった現実

しかし、すべてが順調だったわけではない。

2010年11月に開設した「学園坂タウンキッチン」は、地域に住む女性たちが家庭料理を総菜として提供するお店としてスタート。“地域がつながるおすそわけ”がコンセプトで、一人暮らしの高齢者や、働くお母さんたちに喜ばれたとか。

しかし、いったん店をクローズし、2014年大幅な方向転換、リニューアルをすることになる。どうしてだろうか?

「当初は、どちらかというとボランティア的な、地元主婦によるお店でした。しかし、人前に立つことが苦手な方も多く、地域での窓口はだいたい私。私自身は地域に知り会いがたくさんできたけれど、それって、本来の目的とは違うなと違和感を持ち始めたんです。私が現場にいることも多く、店長とスタッフみたいな関係性になってしまうのでは意味がないんじゃないかなぁって。だったら、私みたいな人間がたくさんいることのほうが大切なんじゃないかと、思い切って方針を変えたんです」

2010年当時の「学園坂タウンキッチン」。「〇〇さんのサバの味噌煮」「□□さんの唐揚げ」などの家庭料理を提供しファンも多かったが、ひとつのお店として味を管理することの難しさも(写真提供/タウンキッチン)

2010年当時の「学園坂タウンキッチン」。「〇〇さんのサバの味噌煮」「□□さんの唐揚げ」などの家庭料理を提供しファンも多かったが、ひとつのお店として味を管理することの難しさも(写真提供/タウンキッチン)

リニューアル後は、主婦以外の人も含めて「個人がつくりたいものやこだわりのものを提供する」シェアキッチンへ。
「自分が本当にいいと思ったものを食べてほしい」――そんな強い思いをもった人たちは、当然、自分自身が発信者になり、横とのつながりも生まれる。
「自分で何かしたい、発信したいという人は、人を惹き付けるもの。自然とつながりも生まれますし、当事者意識が高い。そんな地域のハブとなるような人を増やすことが、地域の魅力につながるんじゃないかと思ったんです」

創業ハードルが低い分、自分の「好き」を突き詰めたコンセプトに

シェアキッチンでお店を営む利用者についても話を伺った。

意外にも、「飲食店勤務から独立して自分の店舗を持ちたい」という明確な目標があった人は少数派で、趣味・好きの延長線上にお店を始める人が多いという。

「例えば自分のお子さんがアレルギーだったことから、グルテンフリーのお菓子を手づくりしているうちに、ママ友から頼まれるようになり、週に1度ならできるかもと、シェアキッチンを始めた方もいます」

ほかにも、会社員の傍ら月に数日のみ焼き菓子のお店を始めた方、チョコ好きが高じてカカオ豆からチョコづくりをしている方など、経緯は千差万別。空いた時間を使って、自分のこだわりを貫きながら商品をつくっている利用者は多い。

例えば、学園坂タウンキッチン内の「やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)」は、子育てをきっかけに、マクロビオティックを学んだ店主が、「アレルギーのある人やベジタリアンの人でも安心して食べられるお菓子やお惣菜を提供したい」という想いからスタート。化学調味料不使用、旬の野菜をたっぷり使ったデリやおやつは“身体にやさしく元気になれる“と大人気。天然色素中心のアイシングクッキーはオーダー販売もしている。

「やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)」。「自分のお店を持つために卒業していく方もいますが、古き良き学園坂商店街が大好きなので、私はここでお店を続けています。赤ちゃん連れのママからご近所のお年寄りまで、おしゃべりが目的で来てくださる常連さんも多いです。地域のサードプレイスになれたら」と店主さん(写真提供/miel*)

「やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)」。「自分のお店を持つために卒業していく方もいますが、古き良き学園坂商店街が大好きなので、私はここでお店を続けています。赤ちゃん連れのママからご近所のお年寄りまで、おしゃべりが目的で来てくださる常連さんも多いです。地域のサードプレイスになれたら」と店主さん(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

ただし、多くのお店が、1人体制で、仕込み・調理・販売まで手掛けるため、売り切れ次第閉店で、営業時間も限られる。「いつ開いているか分からない」という声も少なくない。
「自分のライフバランスを大切にしながら、本当に美味しいもの、自分がこだわったものを提供しようとするとおのずとそうなると思うんです。もちろんデメリットもある。でも、商品力があるから、twitterやインスタなどでフォローし、買いに来る固定客の方たちは多いんです」

MA-TOで人気のパン屋では開店前から行列も(写真提供/タウンキッチン)

MA-TOで人気のパン屋では開店前から行列も(写真提供/タウンキッチン)

個人のお店の充実が、街の魅力を底上げする

こうした“小さくとも濃い商い”は、飲食チェーンのいわばアンチテーゼだ。

飲食チェーンは、マーケティングに裏付けられた商品展開、徹底した商品管理、いつでもいつもの味を提供してもらえる安心感がある。
ただ、そのためには人通りの多い人気の場所に出店せざるを得ず、テナント料も高い。早朝から夜まで商品をつくって売り続けるには人件費もかかる。当然、利益を追求せざるを得ない。

「シェアキッチンは逆。駅から遠い立地も多く、店舗・厨房をシェア、人件費も最小限です。でも、商品にはこだわっている方ばかりで、正直、原価率は高い利用者さんが多いと思います」

また、最初は好き・趣味ベースでもシェアキッチンで営業を続ける中で手ごたえを感じ、シェアキッチンをやめて実店舗を開く“卒業生“も多い。

「普通に考えれば人気店がやめてしまうのは痛手ですけれど、当社ではウェルカム。いいお店がまた街に増えるわけですから。循環も大切です」

個人のお店が増えることは、その街の個性になり、暮らす人の愛着を生む。その循環こそが、地域を活性化させる理想形のひとつといえるだろう。

「日用品とお菓子の店 sofar」は、MA-TO卒業生が2020年11月に東小金井駅から徒歩2分の場所にオープン。2人の子育てをしながら、水曜と金曜、月1度の土曜に営業をしている(写真提供/sofar)

「日用品とお菓子の店 sofar」は、MA-TO卒業生が2020年11月に東小金井駅から徒歩2分の場所にオープン。2人の子育てをしながら、水曜と金曜、月1度の土曜に営業をしている(写真提供/sofar)

お店の空間は、カメラマンの夫のスタジオとしても活用。また、夫が取材先等で出会うつくり手さんのコトやモノも紹介・販売している(写真提供/sofar)

お店の空間は、カメラマンの夫のスタジオとしても活用。また、夫が取材先等で出会うつくり手さんのコトやモノも紹介・販売している(写真提供/sofar)

「街に開いたお店を目指して、今後は作家さんとのコラボやスタンドカフェなど、子どもたちの成長に合わせたお店でづくりを楽しんでいけたら」と店長(写真提供/sofar)

「街に開いたお店を目指して、今後は作家さんとのコラボやスタンドカフェなど、子どもたちの成長に合わせたお店でづくりを楽しんでいけたら」と店長(写真提供/sofar)

コロナ禍きっかけで「シェアキッチン」を始めたい人が増加

コロナ禍を受けて、地元で過ごす人が増え、シェアキッチンで買い物をする人が増加。さらにお店を始めたいという問い合わせも急増しているそうだ。

「例えば、普段は飲食店で働いているけれど、短縮営業になったことを機に、副業として休日にだけシェアキッチンでお店をやりたい、と考えている方からの問い合わせが増えました。今、飲食業は大変です。だからこそ、自分のやりたかったことをやってみようと、発想を変えてみるチャンスなのかもしれません」

さらに、タウンキッチンでは、シェアキッチン「8K」の開設をサポートするプロデュース事業をスタート。これまでのノウハウを活かし、企画から開設後の運用までトータルにサポートしていくという。例えば集合住宅、商業施設、オフィス、公共空間などにシェアキッチンが導入されることで、地域コミュニティの拠点となり、街ににぎわいが生まれる。こうした取り組みを通して、より広く、より深く、「地域のハブとなる場づくり」を目指していく。

東小金井高架下には、KO-TO、PO-TO、MA-TOの3つの創業支援施設が立ち並ぶ。オフィス・工房・教室・ショールーム等として利用できる場所も。コロナ前には、各スペースが連携したイベントも開催していた(写 真提供/タウンキッチン)

東小金井高架下には、KO-TO、PO-TO、MA-TOの3つの創業支援施設が立ち並ぶ。オフィス・工房・教室・ショールーム等として利用できる場所も。コロナ前には、各スペースが連携したイベントも開催していた(写真提供/タウンキッチン)

何でもそろう大型ショッピングモールは便利で快適だ。しかし、自分のホームタウンだと実感できるのは、その街でしか味わえない食、手に入らないモノ、体験できないコトだったりする。コロナ禍で、家の周りで過ごす時間が増え、暮らす地元を再発見しようという動きはさらに加速するはず。そんななか、オリジナリティを発信でき創業のハードルが低い「シェアキッチン」は、今後さらに期待が高まるはずだ。

●取材協力 
タウンキッチン
シェアキッチン「8K」
やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)
日用品とお菓子の店 sofar(Instagram)

新店ラッシュの千葉県館山市で何が起きてる? 一人の大家から“自分ごと化できるまち” へ

自分のまちが静かに寂れていく。やるせない気持ちになるけれど、どうしようもない。道路ができて便利になった。そのぶん駅前の店は1軒減り、2軒減り。ふと気づけば私たちはたくさんの居場所を失っている。同じような状況が日本各地にある。

ところがそれに逆行して、新しい店が次々に生まれているまちがある。千葉県館山市。中心街に今年新たに4軒、ここ2年でみれば7軒の店がオープンした。マイクロデベロッパーを称する漆原秀(うるしばら・しげる)さんの働きかけで“まちを自分ごと化する”という流れが形になり始めている。いま館山で起きていること、これまでを聞いた。
tu.ne.Hostel隣の「常そば」は、夏の間、期間限定で「SOMEN BAR」に(写真撮影/ヒロタケンジ)

tu.ne.Hostel隣の「常そば」は、夏の間、期間限定で「SOMEN BAR」に(写真撮影/ヒロタケンジ)

初めてのご近所づきあいで知った、心強さ

東京湾の青い海をアクアラインで横切り、濃い緑の山々を抜けて房総半島を南下する。新宿からバスで1時間半。海まですぐの立地だけあって、館山は潮風の吹く明るいまちだった。あちこちに残るレトロで小洒落た風の建物は、ここがリゾート地だった名残でもある。

駅から10分ほど歩くと、漆原さんの運営する「tu.ne.Hostel」の白い壁が見えてくる。元診療所だった建物をリノベーションしたゲストハウス。
それ以外にも、お隣の立ち食いそば屋「常そば」。向かいのビル2階にはtu.ne.の別館。図書室やシェアハウスなど、徒歩10分圏内に新しい施設や店をオープンさせてきた漆原さん。
周囲から “ウルさん”と呼ばれるこの男性、いったい何者なのだろう?

マイクロデベロッパー、漆原秀さん(写真撮影/ヒロタケンジ)

マイクロデベロッパー、漆原秀さん(写真撮影/ヒロタケンジ)

「浅井診療所」だった痕跡をそのまま残す、ゲストハウス「tu.ne.Hostel」(写真撮影/ヒロタケンジ)

「浅井診療所」だった痕跡をそのまま残す、ゲストハウス「tu.ne.Hostel」(写真撮影/ヒロタケンジ)

漆原さんの称するマイクロデベロッパーとは、大きな開発ではなく、リノベーションによって小さな拠点を再生し、その点と点をつなぐことで人の営みを取り戻し、エリアの価値をあげていこうとする事業者のこと。

(写真撮影/ヒロタケンジ)

(写真撮影/ヒロタケンジ)

初めて手がけたのは、賃貸住宅「ミナトバラックス」だった。

「館山に移住してきたのは4年半ほど前です。以前は都内のIT系企業に勤めていたんですが、仕事のストレスでパニック障害になってしまって。子どもも小さかったし、違う生き方を考えないといけないなって。もともと趣味だったDIYと不動産投資をかけ合わせて仕事にできないかと、本気で勉強しました。館山には両親のために建てた家とアパートがあって、その隣の官舎をコミュニティ型賃貸住宅にできたらいいなと思ったのが始まりです」

もと公務員宿舎だった、団地のような外観の「ミナトバラックス」(写真撮影/ヒロタケンジ)

もと公務員宿舎だった、団地のような外観の「ミナトバラックス」(写真撮影/ヒロタケンジ)

DIYで共用スペースを改修し、「DIY自由、原状回復義務なし」の物件として入居者を募集したところ、全13戸のうち11戸はすぐに埋まった。県北からの移住者が多く、映像クリエイターや翻訳者などの自営業者、勤め人など、単身者から子育て世帯までさまざまな人たちが暮らしている。
漆原さんも大家として、妻と当時8歳だった娘さんと3人ですぐそばの家に暮らし始めた。

(写真撮影/ヒロタケンジ)

(写真撮影/ヒロタケンジ)

隣の空き地にはミナトバラックス住民向けの「ミナ畑」も。(写真撮影/ヒロタケンジ)

隣の空き地にはミナトバラックス住民向けの「ミナ畑」も(写真撮影/ヒロタケンジ)

このミナトバラックスの入居者との交流が、漆原さんにとって人生で初めてのご近所付き合いになった。

「七夕や夏祭り、ハロウィーン、バーベキューなど、しょっちゅうみんなで集まってイベントしたり、食事したり。これが想像以上に楽しくて居心地がよかったんですよね。うちの娘は一人っ子ですけど、一気に妹や弟、親戚のおじちゃんおばちゃんができたみたいで」

コミュニティを運営するには、入居者のやりたいことをサポートするのが一番だと気付いた。子育て中の女性の提案から美容師を呼んで出張ヘアカット会を開いたり、月に一度はマッサージ会を行ったり。共用スペースで入居者の作品展を行ったこともある。

「令和元年の房総半島台風の時には、停電の不安な夜を、ろうそくを囲んでみなで過ごしました。水も止まったので、隣のアパートのシャワーを使えるようにしてあげて。冷蔵庫の食材がいたむ前にみんなで食べようってバーベキューをしたり」

親戚のようなご近所の存在が、心強く感じられた体験でもあった。

ミナトバラックスの共用スペース。漆原さんがDIYで改修した(写真撮影/ヒロタケンジ)

ミナトバラックスの共用スペース。漆原さんがDIYで改修した(写真撮影/ヒロタケンジ)

大家さんからマイクロデベロッパーへ

こうして暮らすうちに、不動産投資に対する考え方も変わっていったという。

「“ミナバラ”で起こっていることがもう少し広い、まちの規模で起これば、館山全体が変わるんじゃないかと思ったんですよね。お金だけの投資が目的じゃなくなってきて。もちろん物件を購入する時は多額の借入をします。だけど収支計画を立てて回収できる絵を描けば銀行も融資してくれますし、それほど怖いことではないんです」

そうしてミナトバラックスに続いてtu.ne.Hostelを開業後、今度は元薬局だったまちのシンボルのような建物「CIRCUS」のリノベーションに着手。1階は大量に残っていた戦時中の蔵書を活かした戦争資料館「永遠の図書室」を2020年3月に、2階以上はシェアハウスとして2021年5月にオープンした。図書室の取り組みはNHKなど広くメディアでも取り上げられた。

「私利私欲じゃなく、公的な意味でやっている面が初めてまちの人たちにも伝わったのではないかと思います。たまたま見に来てくれた女性が働いてくれることになって。戦争という少し重いテーマなんだけど、若い人がフロントに居ることで、気軽に立ち寄ってお茶を飲んだり、勉強するようなサードプレイスとしても活かしてもらえるんじゃないかと」

(写真撮影/ヒロタケンジ)

(写真撮影/ヒロタケンジ)

(写真撮影/ヒロタケンジ)

(写真撮影/ヒロタケンジ)

台風の後、まちの中心部が真っ暗だったときには、CIRCUSの屋外にイルミネーションを灯し続けた。それを見てほっとしたと言ってくれる人もいた。

例えばシェアハウスの住人がまちの床屋へ出向く。お金を落とすだけでなく、床屋のご主人と言葉を交わす。そんな小さなアクションの連続でまちは成り立っていて、建物が空き家のままでは何も生まれない。

もと薬局だった建物。1階が「永遠の図書室」、2階はシェアハウス(写真撮影/ヒロタケンジ)

もと薬局だった建物。1階が「永遠の図書室」、2階はシェアハウス(写真撮影/ヒロタケンジ)

面白い大家さんが増えれば、まちは楽しくなる

「まちって、土地建物の所有者のつながりでできているんだなって気付いたんです。だから物件オーナーや大家さんにもっと新しい挑戦をする人が増えれば、まちも楽しくなるんじゃないかなと」

漆原さんには、いつか館山で開催できたらと思い描くプロジェクトがあった。全国80カ所近くで行われてきた「リノベーションスクール」。空き家や空き店舗を活かすためのアイデアを参加者が考え、オーナーに提案して実現をめざす実践型の遊休不動産再生事業である。

「でもリノベーションまちづくりに取り組んでいるのは、全国でも数十万人規模の、都道府県の代表か中堅にあたるような市町村がほとんど。人口4万5000人の館山では難しいだろうなぁと思っていました」

ところが物件のリノベーションを進めるうちに、同じような想いをもつ人たちと知り合っていった。地元の有力企業の後継者や行政職員、NPO従事者などさまざまな顔ぶれ。そうしたメンバーと合宿や視察を重ね、ついに市の主催でリノベーションスクールが開催できることになった。漆原さんは実行委員として尽力した一人。後に地域おこし協力隊として担当者になった大田聡さんに「突然だけど、館山に来ない?君しかいない」と、公募情報を提供したのも漆原さんだった。

2020年1月に第1回目のリノベーションスクールが開催され、その後1年半で館山に新しい店が3軒も生まれたことを考えれば、漆原さんがつないだ縁は大きい。

tu.ne.Hostelの向かいのビル1階には大田さんが開いた明るく開放感のある「CAFE&BAR TAIL」、その奥にはクラフトジンの製造所ができた。少し離れた場所には内装の9割が古材でつくられ、10年来そこにあったような雰囲気を醸すナイトバー「WEEKEND」がオープン。これもリノベーションスクールで結成したチームが手がけた。

そして、やはりまちづくりリノベーションの講演会を聞いて、「自分も実家があるのだから、まちの当事者だと気付いた」という都内勤務の男性が、退職後に自宅の一部を改装してカフェ&ガーデン「MANDI」をオープンさせた。

いま、館山では、2年前には想像もつかなかった開店ラッシュが起きている。

2021年7月半ばにオープンしたばかりのナイトバー「WEEKEND」(写真撮影/ヒロタケンジ)

2021年7月半ばにオープンしたばかりのナイトバー「WEEKEND」(写真撮影/ヒロタケンジ)

この建物のリノベーションを進めたWEEKENDオーナーの上野彰一さん(右)と、合同会社すこっぷの白井健さん(左)(写真撮影/ヒロタケンジ)

この建物のリノベーションを進めたWEEKENDオーナーの上野彰一さん(右)と、合同会社すこっぷの白井健さん(左)(写真撮影/ヒロタケンジ)

庭の緑がきれいな、カフェ&ガーデン「MANDI」(写真撮影/ヒロタケンジ)

庭の緑がきれいな、カフェ&ガーデン「MANDI」(写真撮影/ヒロタケンジ)

こうして店の増えているエリアは、古くからの地名「六軒町」をもじって「ROCK‘N’CHO」とも記される面白いエリアになりつつある。

かっこいいパパで居るために

それにしてもなぜ、生まれ故郷でもないまちにそこまで深くコミットできるのか。

「子どもが生まれた時、この子が20歳になるまで、僕はなんとしても生きて、稼ぎ続けなきゃいけないんだなって思ったんですね。それも家賃収入でまったり暮らせればいいとかじゃなくて、やっぱりかっこいいパパでありたい。かっこいいって、挑戦し続けることじゃないかなって思ったんです。

さらに言えば、シャッター街を横目に、このまちに未来があるとは、子どもたちにとても言えない。それで変な責任感がわいてきたところもあります」

いまtu.ne.Hostelでは、漆原さんのあとを担う、二代目マネージャーを募集中。ゲストハウスはその人に任せて、漆原さんはもう少し広い視野で館山の駅周辺を活性化する事業を手がけていきたいと考えている。駅前の空きテナントビルを活用するために、仲間とともにリノベーションまちづくりを進める家守会社を新たに立ち上げた。

漆原さんとともにリノベーションまちづくりを進めてきた一人、地場企業の後継者の一人でもある本間裕二さん(右)。駅前の空きテナントビルを利活用するプロジェクトを進める(写真撮影/ヒロタケンジ)

漆原さんとともにリノベーションまちづくりを進めてきた一人、地場企業の後継者の一人でもある本間裕二さん(右)。駅前の空きテナントビルを利活用するプロジェクトを進める(写真撮影/ヒロタケンジ)

「僕自身、今しかできないこと、僕にしかできないことをやろうと思っていて。
関わる相手の『居場所』と『出番』を用意することを意識しています。安心していられる居場所と、その人が自分の役割を見出して、ここなら役に立てるという出番。

それをつくるのも今の自分ができること。そこに自分自身の居場所と出番もあると思う。いまの仕事は、その対価がお金だけじゃなくて、信用とか、感謝とか、別の形でかえってくるのが、とても心地いいんです」

取材の間、どこへ行っても「ウルさん」と親しげに声をかけられていた漆原さん。暮らすまちに自分の居場所と出番があれば、人は何より幸せを感じられるのかもしれない。

■連載【生活圏内で豊かに暮らす】
どこにいても安定した同じものが手に入る今、「豊かな暮らし」とは何でしょうか。どこかの知らない誰かがつくるもの・売るものを、ただ消費するだけではなく、日常で会いに行ける人とモノ・ゴトを通じて共有する時間や感情。自分の生活圏で得られる豊かさを大切に感じるようになってきていませんか。ローカルをテーマに活動するライター・ジャーナリストの甲斐かおりさんが、地方、都市部に関わらず「自分の生活圏内を自分たちの手で豊かにしている」取り組みをご紹介します。

●取材協力
tu.ne.Hostel

「中銀カプセルタワービル」2022年に取り壊しへ。カプセルユニット保存へ向けて挑戦はじまる

2021年夏。世界の建築ファンが注目する建築が、いま取り壊しへのカウントダウンを刻みつつあるという。東京都・銀座8丁目に建つ、建築家・黒川紀章の代表作「中銀カプセルタワービル」(1972年)だ。丸窓を有するキューブ状のユニット140個が塔状に張り付くユニークな建築は、世界ではじめてのカプセル型の集合住宅と言われている。その住戸であるカプセルユニットの保存を、クラウドファンディングの資金援助によって行おうとしているグループの代表いしまるあきこさんに話を聞いた。
目標150万円を大きく上回る400万円の支援金を獲得

「2カ月間のクラウドファンディングの期間(5月30日~7月28日)に、延べ300人を超える方々から、当初目標とした150万円を超えて、約400万円の支援をいただきました」と「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるさんはその支援・共感の手応えを話してくれた。

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービル(以下、中銀カプセル)は建築関係者だけでなく、一般の建築ファンやかつての未来感に共感を寄せる人々、しかも、若い方から建設された1970年代に子ども時代を過ごして懐かしむ方まで、幅広い世代に関心を寄せていただきました」(いしまるさん)と支援者の幅広さを強調する。

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

この独創的なカプセル建築は、建築家・黒川紀章(1934~2007年)の設計によるものだ。「中銀カプセル」は、黒川が参画した建築運動「メタボリズム」(※1)のもと、1969年に黒川が提唱した「カプセル宣言」に端を発し、1970年の大阪万博での未来型カプセル住宅の仮設パビリオンに続く、恒久的な建築として、銀座という一等地に燦然とその姿をあらわした。
日本はもとより世界で、黒川の建築思想と斬新な意匠とあいまって注目される建築となった。
ただし、黒川氏の構想ではカプセルをそれぞれ個別に25年毎に交換するアイデア(建築の新陳代謝)だったものの、現実的には建物の構造上これが難しく、結果的にカプセルはひとつも、一度も交換されないまま老朽化を迎えることになった。(※2)
また、その後には、カプセルホテルでおなじみのカプセルベッドの開発(1979年)という別の形のカプセルとしても実現した。黒川氏の60年代末に提唱した「カプセル」というコンセプトは、いまも私たちの暮らしの中の一隅に生き続けている。

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※注1:メタボリズムとは「新陳代謝」を意味し、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を目指すという、1960年代から70年大阪万博にかけての前衛建築運動だった。
※注2:建物の構造体となる階段室シャフトに対して、カプセルユニットを下から順番に引っかけて固定しており、また、カプセル同士の隙間が30cm程度しかないため、1つのカプセルを外すときに周囲のカプセルに干渉しやすく、設備配管を外すことも難しかった。棟ごとでカプセルを交換することで、ようやく実現できる。さらに、法的には一般的な分譲マンションと同様の区分所有建物であり、多くのカプセル交換は大規模修繕にあたるため所有者の大多数の合意がないと建物を改修できないという制約もカプセル交換を阻む壁となった。

黒川氏のカプセル建築は、50年のときを経て老朽化が進んでいる。
その一つ、別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(1973年・長野県御代田町)は、黒川の子息である黒川未来夫氏が取得して、同じくクラウドファンディングで資金の一部を調達して改修され、21年秋ごろには民泊として、誰もが宿泊体験できる予定だ。(黒川紀章の「カプセル建築」が再注目される理由)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

古い建物好きが高じて、中銀カプセルタワービルにたどり着く

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表で一級建築士のいしまるさんは、大学の建築学科の学生のころから新しいピカピカの建築よりも、歴史を重ねて年月の深みを刻んだ住宅や建築に心を引かれてきたという。
例えば、関東大震災(1923年)の復興住宅である同潤会青山アパート(※3)について、解体前年の2002年から「同潤会記憶アパートメント展」を計7回主宰し開催してきたという。(2012年に「Re1920記憶」と改称したのちも、計5回開催)最初の開催時には、大学院生だった。
また、自ら古い住宅や店舗をデザイン・リノベーションする設計やDIY活動も行ってきた。
いずれも「古い建物を使うことで残すことにつなげたい、建築を体感してもらうことでその記憶を未来につくりたい」と取り組んできたのだという。

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※注3:震災義援金をもとに1924年に設立された財団法人同潤会が、34年までに東京・神奈川の16箇所に鉄筋コンクリート造の集合住宅、いわゆる同潤会アパートを建設した。青山アパートは1926-27年建築。2003年解体。現在跡地には安藤忠雄設計の表参道ヒルズが建つ

そんないしまるさんが、中銀カプセルにたどり着いたのは、2013年のことだという。偶然見つけたカプセルの賃貸だったが、「身軽なうちに名建築に住んでみたい」と思い、お湯も出ず、キッチンも洗濯機置き場もないが、借りて住むことにした。中銀カプセルは分譲マンションで、140個のカプセルそれぞれにオーナーがいる。当時から、建て替えや保存について管理組合で議論されていたが、保存派の所有者からB棟の1室を借りて1年ほど住み、2019年まではシェアオフィスにしていた。2017年からは、B棟のシェアオフィスでの取り組みが評価されて、保存派の所有者から別のカプセルA606号室を借り受け、シェアオフィスとして企画・運営することになったという。現在は、自身を含む8人の会員とともにA606号室を活用している。(シェアオフィスの利用は8月末で終了し、退去予定)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんは「私が、中銀カプセルに住み始めた2013年には、すでにカプセルでさまざまなリフォームが行われていました。雨漏りや経年劣化で傷みがひどいところも多く、もとのカプセルのオリジナルパーツを残すのも難しかったようです。オリジナルが残っているものは、できる限りそのまま残したい、竣工時の空間をもっとちゃんと知りたいと思うようになりました」と語る。
「そこで私たちは、もともとオリジナルの棚などが多く残っていたA606を、1972年の建てられた当時の状態に“レストア”することにしました。レストア(restore)とは、クルマなどの古い乗り物を販売当初の姿に修復して使えるように復活させるときによく使われる言葉です。当初のカプセルユニットには、当時最先端の機器類がオプションで設置できました。ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオ、電卓、電話、冷蔵庫などです。これらを竣工時の状態にレストアして、A606号室では全て使えるように直しました。カメラマンの副代表が設備機器の修復、メンテナンスを担っています」(いしまる)と説明してくれた。円形のブラインドについては、竣工時の写真などをもとに工夫して復元したのだという。
いしまるさんは「セカンドハウスという位置づけでカプセルは生まれました。黒川紀章さんが1人1カプセルと謳った思想は現代にも通用すると思います。ユニットバスを含めた全部で10平米(壁芯で2.5m×4m)のコンパクトな空間ですが、直径1.3mの大きな丸窓のおかげで閉塞感も無く、過ごしているうちにちょうど良い大きさで快適だと感じていきます」と話してくれた。

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという。(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという。(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

クラウドファンディングを手がかりに「3つの保存」に取り組む決意

「わたしたちは、カプセルを借りているに過ぎないので、保存や解体などに直接的な権利はありません。このような意思決定は区分所有者の話し合いに委ねられています。解体に向けて2018年に大きく舵は切られ、私たちにA606号室を貸してくれていた保存派のオーナーも2019年には『買い受け企業』にA606を売却しました」ということだ。
いしまるさんは、その「買い受け企業」と弁護士を通しての粘り強い交渉の末、「1.A606住戸ユニットを譲り受けること、2.全カプセルの学術調査、3.それら費用のクラウドファンディング実施、4.見学会等の実施」を認めてもらうよう裁判所での調停で合意を取り付けたという。

7月28日に終了したクラウドファンディングを呼びかけのサイトから、いしまるさんたちの「保存」についての考え方を引用してみよう。

####(引用はじめ)
残念ながら、2022年3月以降に中銀カプセルタワービルの解体が予定されています。解体にあたって、私たちは「3つの保存」に取り組み、未来にカプセルをシェアしていきたいと考えています。

1. 記録保存  中銀カプセルタワービルの全戸調査による記録保存
2. カプセル保存 カプセル躯体とオリジナルパーツの保存
3. シェア保存  動くモバイル・カプセルとして多くの方とシェアして残す

1. 記録保存
中銀カプセルタワービル全戸の学術的調査(実測調査、写真撮影、Theta撮影、ドローン撮影など)をおこない、解体されたら消えてしまう中銀カプセルタワービルのさいごの姿を、記録を残すことで後世に伝えます。

2. カプセル保存
A606オーナーである中銀カプセルタワービルの「買い受け企業」から譲り受けるカプセルユニットと、取り外す予定のカプセルのオリジナル家具・機器類を、のちに組み合わせることでカプセルのオリジナルを保存します。オリジナルパーツが消えてしまう前に救って、再度オリジナルのカプセルユニットと組み合わせます。

3. シェア保存
「使うことで残す」ことを実践してきた私たちは、使い続けながらより多くの方とカプセルをシェアしていけるようにします。
カプセルを動かせるようにすることで、たとえば、建築学科のある大学や美術館・博物館に移動して、多くの方とオリジナルのカプセルユニットをシェアできるような仕組みをつくっていきたいと考えています。どこかに移築保存するやり方もあるとは思いますが、私たちはカプセルを移動できるようにすることがふさわしいと考えました。動くカプセルは黒川紀章氏の「カプセルは、ホモ・モーベンス(=動民)のための建築である」、「動く建築」の思想の実現でもあるからです。
####(引用終わり)

いしまるさんによると「カプセルの保存にあたって、一番問題なのはアスベスト(石綿)がカプセルに使われていることです。建設時には合法でしたが、壁の内側にある鉄骨の吹き付けアスベストと外壁にもアスベスト含有塗料が用いられています」。
かつてアスベストは柔軟性、耐熱性、耐腐食性などに優れ、さらに安価のため「夢の建材」と言われ、断熱材、耐火材、塗料などにあらゆる建材に多用された(※4)。現在では、吸入することで中皮腫・肺ガンの原因となり死に至る毒性が明らかになったことから、取り壊しなどの際には飛散防止など慎重な取り扱いが法的に義務づけられている。
建物解体時のアスベスト除去作業によって、オリジナルパーツが廃棄されてしまうのを避けるために、自分たちでアスベスト対策をした上で、オリジナルパーツを取り外して救い出すのだという。このため、いしまるさんらは自ら「石綿取扱作業従事者特別教育」を受け、更に「石綿作業主任者講習」などを受けてアスベスト関連作業を取り扱うことができるようになったという。自分たちで取り組むことでコストダウンになるが、それでもアスベスト環境下の内装解体作業だけで約100万円はかかりそうだという。そのためにクラウドファンディングを行っていた。
##
※注4:アスベストによる建材等は1990年ころまでは当たり前に使われており、日本では2006年全面禁止された

このほか、黒川氏は「カプセル宣言」のなかで、カプセルそのものを動かすことを謳っていることから、いしまるさんらは、移築保存ではなくこれを「牽引化(=車で引っ張って動かせるようにする)して動くモバイルカプセル」にすることで、動かして使いながらの保存を目標としている。
また、50年を経て傷んでいるカプセル外壁の処理などを考えると、牽引化のための特殊な台車と合わせてさらに約500万円がかかるだろうと試算している。

いしまるさんは「中銀カプセルタワービルが取り壊されるのは残念ですが、老朽化や修繕の費用負担を考えると致し方ない状況だと思っています。建物が解体されるのであれば、黒川紀章さんの当初の想いを継承して、1つのカプセルをオリジナルに近い状態で保存して、多くの方とシェアしながら使って残していくことが私たちのやるべきことだと考えています。どうやって、どこで使うのか……など、まだまだ決まっていないことだらけです。今回のクラウドファンディングで寄せられた支援金や、暖かい励ましのメッセージを受け止めて、私たちのやり方で、しっかり取り組みたいと思います」と決意を語ってくれた。

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

最後に筆者の個人的な思いについても、少し紹介しておきたい。
いしまるさんによる同潤会アパートの記憶の展示や、オリンピックの舞台となった新国立競技場近く千駄ヶ谷の古いRC造マンションをコツコツとセルフ・リノベーションしていたお住まい等でお会いしたのは、かれこれ10年以上前のことだ。筆者は、かつて、日本の近代建築を大学・大学院で専攻していたこともあって、いしまるさんの地に足がつき、なおかつ継続的な取り組みに共感するところは大きい。
このたびの取材においても、いしまるさんの小さな身体から、このエネルギーはどんなふうに湧いてでているのだろうと、お話しになる姿をたのもしく拝見したものだ。今後のカプセル保存までには幾つもの困難が待ち受けているだろうが、応援したい。

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

●取材協力
・中銀カプセルタワービルA606プロジェクト/カプセル1972 
・READYFOR中銀カプセルタワービルA606プロジェクト(クラウドファンディングは終了) 
・いしまるあきこWebサイト