買い物を自動運転車でサポート! 東広島市の“小売MaaS”プロジェクト始動

本格導入に向けて全国各地で実証実験が行われている「MaaS(マース・Mobility as a Service)」。バス、電車、タクシー、近年増えているシェアサイクルといったあらゆる交通機関を、アプリ等のIT技術を用いてルートを一括検索し、うまく接続したり、予約・決済もできるようにするものだ。いま広島県東広島市で、子育て世代や高齢者などに向けたMaaS×買い物支援サービスの取り組みが進んでいる。プロジェクトを運営するMONET Technologies株式会社の阿部 陸さんにお話を伺った。
環境にも人にもやさしい、新たな交通サービスの実現に向けて

自動車業界は今、大きな変革期を迎えている。地球温暖化が問題となるなか、車の排ガスは大きな社会問題の一つとなり、CO2排出量を減らすべく、電気や水素で走るエコカーが数多く登場している。さらに、都心部を中心に車を持たない暮らしを選ぶ人が増えている一方で、電車やバス路線がない、もしくは減便・廃止され、車なしでは生活できないという地域が少なくないのも事実だ。「MaaS」が注目されるのには、こうした背景がある。

そんななか、内閣府により「SDGs未来都市」に選定された東広島市では、長く住み続けられる街づくりの推進と、自動運転時代を見据えた、一歩先を行く国際学術研究都市の実現に向けて、今回のプロジェクトを立ち上げた。
将来的に東広島市全域で子育て世代や高齢者などのお買物を支援するサービスを行っていくことを目指して、まずは広島大学の学生および教職員や近隣の住民を対象として、広島大学東広島キャンパス周辺を中心としたエリアにおいて、段階的に「自動運転車による小売りMaaS」の実証に取り組んでいく。

広島大学の東広島キャンパスは、約249haという広大な敷地。その中に学部ごとに多くの施設が点在し、構内の移動にはかなりの時間を要することも(画像提供/広島大学)

広島大学の東広島キャンパスは、約249haという広大な敷地。その中に学部ごとに多くの施設が点在し、構内の移動にはかなりの時間を要することも(画像提供/広島大学)

プロジェクトの全体像。プロジェクトは2021年2月から始まり、現在は上の図の自動運転シャトルの実証までの部分を進めている(画像提供/MONET Technologies)

プロジェクトの全体像。プロジェクトは2021年2月から始まり、現在は上の図の自動運転シャトルの実証までの部分を進めている(画像提供/MONET Technologies)

構内の車移動を減らし、地域の交通空白地域解消への一助にも

広島大学は鉄道路線から離れた場所に存在する。JR西条駅や新幹線東広島駅から路線バスによる移動は可能なものの、交通利便性が高いとは言い難く、周辺地域での移動はもっぱら自動車に頼っているのが現状だ。広島大学構内にも多くの自動車があふれ、さらに、広い構内移動のための自転車利用者も多い。
そこでまずプロジェクトの第一段階として導入されたのが有人のオンデマンドバスだ。広島大学構内や、ゆめタウン学園店といった商業施設、さらには大学職員の職員住宅、学生アパートが多いエリアなどを巡るオンデマンドバスで、「利用者層や数を把握することと、運行ルートのデータを蓄積しながら、利用者への認知を進めることなどが目的でした」と阿部さん。
このオンデマンドバスは現在も運行中で、周辺住民を含む多くの人が利用している。

東広島市で実際に運行されているオンデマンドバス(画像提供/MONET Technologies)

東広島市で実際に運行されているオンデマンドバス(画像提供/MONET Technologies)

「車がない=買い物できない」という不便を解消する商品配送サービス

商業施設に行く手段ができても、重い荷物を抱えての移動は大変。そこで利用者が提携する商業施設に電話し、必要な商品を注文すると、利用者の指定した日時・場所にその商品を配送する実証実験も実施している。
利用者からは、「水のペットボトルを20本、といった大きな買い物の時に重宝しています」という声があるという。

有人のオンデマンドバスの運行から、自動運転シャトル運行へ

そして、このプロジェクトの大きなポイントの一つが「自動運転」だ。近年、一般に販売される車に自動運転支援機能が付くなど、自動運転自動車の実用化への動きは加速している。さらに、「世界的に見れば、アメリカではすでに無人の自動運転車による商用運行が実現しているところもあります」と阿部さんは話す。
プロジェクトでも、前述のオンデマンドバスのほかに、広島大学の構内を走る自動運転シャトルの運行が始まっている。シャトルバスに運転手は乗務するが、あくまでもしものときの保険的な意味合い。基本的には運転手はハンドルに触れない。あらかじめプログラムされたルートに沿って走行し、決められたバス停に止まっていく仕組みだ。

走行中、運転手がハンドルに触れることはほぼない。その分、学生たちと会話するなどコミュニケーションも進んでいる(画像提供/MONET Technologies)

走行中、運転手がハンドルに触れることはほぼない。その分、学生たちと会話するなどコミュニケーションも進んでいる(画像提供/MONET Technologies)

(画像提供/MONET Technologies) 

(画像提供/MONET Technologies) 

運行は平日朝10時から16時半までの間(13時半からの1時間は休憩)。決められたルート1往復あたり30分かかるため、1日11往復の運行となっている。乗客の定員は4名。3月から始まったシャトルバス運行で、コロナによる休業期間があったにもかかわらず、現在までに550人の利用があったという。

「自動運転に慣れない利用者からは、最初のうちこそ『ちょっと怖いかも』という正直な声もあったものの、最近では、『今では普通に足として利用している』『最初のころより運転がずいぶんスムーズになったと感じる』といった声も上がっています」。同乗する運転士の声を聴きながら、カーブの減速タイミングや、バス停への近づき方など細かいところまで調整を重ねることで、サービスは日々進化しているようだ。

次のステップは、台数増や公道を含むルート設計へのチャレンジ

「次の課題はいよいよ公道利用です」と阿部さん。秋以降には、自動運転シャトルで大学構内を出て、近隣の商業施設・ゆめタウン学園店を含めた新たな運行ルートを検討中だ。比較的状況の把握がしやすい大学構内とは異なり、公道は予想外のことへの対応が増えることになる。「周辺住民への周知を進め、理解を得るとともに、より安全な運行を目指して、プログラム開発に努めたいと思います」

さらに、車両の台数を増やして、運行本数を増やすことも予定しているという。「運行本数が増えれば、次の授業への移動がスムーズにでき、構内の車移動などを減らすことに現実的に貢献できるはず」と意気込む。
「このプロジェクトは、東広島市や広島大学など、かかわるたくさんの人たちからの期待を背負っています。関係先との調整や技術開発を重ねながら、大きな一歩を踏み出したいですね」

東広島市では、持続可能な社会の実現に向けて、耕作放棄地を活用した「農育」や、賛同する企業による環境改善活動など、さまざまな取り組みを進めている。今回の取り組みもその一つだ。便利なだけでなく、人にも環境にも優しい社会の実現のための取り組みに、今後も注目していきたい。

●取材協力
MONET Technologies

子どもがまちづくりに積極的に参加する理由とは? 「SDGs未来都市」長崎県壱岐市の挑戦

長崎県壱岐市で暮らす人々は自分の子どもはもちろん、地域の子どもたちの活動に対してもとても興味関心が高いそうだ。それゆえ「SDGs未来都市」の取り組みの一員として子どもたちをしっかりと迎え入れ、独自性の高い活動を続けている。今回はその壱岐市を訪れて、どのような取り組みを行っているのか、そしてこれからを生きる壱岐市の子どもたちが何を感じ、どう行動しているのかを探ってきた。
可能性と課題が混在する壱岐市は「25年後の日本」の姿長崎空港から飛行機で30分、福岡市から高速船で1時間5分、美しい海、雄大な景色を満喫できる壱岐市(写真撮影/笠井鉄正)

長崎空港から飛行機で30分、福岡市から高速船で1時間5分、美しい海、雄大な景色を満喫できる壱岐市(写真撮影/笠井鉄正)

2015年9月、国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)。その達成へ向けて優れた取り組みを提案し、国から事業として選定された地方自治体が「SDGs未来都市」だ。2021年現在、国内のSDGs未来都市は124都市。2022年~2024年は毎年30都市程度を選定予定で、その数はさらに増加する。

つまり「SDGs未来都市」は国がそれだけ重視している事業なのだ。そのなかで長崎県壱岐市の取り組みは、「自治体SDGsモデル事業(2018年~)」にも選ばれ、SDGsに対して先導的な役割を果たしてきた。

壱岐市役所総務部SDGs未来課篠原一生(しのはら・いっせい)さんによると「壱岐市の人口は現在、約2万6000人です。気候は温暖で過ごしやすく、高速船に乗れば福岡県福岡市へ約1時間でアクセスできる便利な島なんです。全島に光ファイバー(光回線)が張り巡らされているので、今話題のワーケーションや二拠点生活の場にも適しています」。移住者からも注目を集めているそうだ。

ただ、同じくSDGs未来課の中村勇貴(なかむら・ゆうき)さんが「その一方で、少子高齢化が進み、基幹産業である1次産業の担い手は不足しているんですよね」と話すように、課題もある。「日本の25年後の姿」というのも壱岐市の横顔のひとつだ。

壱岐市役所総務部SDGs未来課の篠原一生さん。ワークスペース「フリーウィルスタジオ」の業務も担当している(写真撮影/笠井鉄正)

壱岐市役所総務部SDGs未来課の篠原一生さん。ワークスペース「フリーウィルスタジオ」の業務も担当している(写真撮影/笠井鉄正)

壱岐島内を案内してくださった壱岐市役所総務部SDGs未来課の中村勇貴さん。壱岐生まれの壱岐育ち(写真撮影/笠井鉄正)

壱岐島内を案内してくださった壱岐市役所総務部SDGs未来課の中村勇貴さん。壱岐生まれの壱岐育ち(写真撮影/笠井鉄正)

AIやIoTで壱岐市の課題を解決しながら、経済を発展させる

壱岐市の「自治体SDGsモデル事業」は「壱岐活き対話型社会『壱岐・粋・なSociety5.0』」と名付けられている。この事業には2つの柱があり、そのひとつは「先進技術を取り入れ、少子高齢化などの社会問題解決と、1次産業を中心とした経済発展を両立すること」である。

代表的な例はAIやIoTのチカラで課題を解決するスマート農業だ。壱岐市名産のアスパラ栽培の中で大変な作業の水やりをAIに管理させ、省人化と生産性向上を図っている。また、規格外アスパラをピエトロプロデュースの料理キットと一緒にWEBで販売して収益アップを目指しながら、食品ロスの問題解決にも着手。TOPPANと組んでECサイト用商品の開発を行っている。

ほかにもエネルギーの自給自足、高齢者の島内移動手段など課題は多い。島内の知恵・情報・人材には限りがあるため、外部の企業と手を取り合ってスピード感を高めているのが特長と言える。

「事業としてうまく進まない場合もあるが、行政も柔軟な姿勢を心がけ、めげずにトライ&エラーを続けられるのも壱岐市の強みですね」とSDGs未来課の篠原さん、中村さんは話す。

アスパラ栽培は水やりが命。かん水量・かん水時間・かん水頻度・土壌水分量・日射量・温度湿度などのデータを基にしてAIモデルを作成する(画像提供/壱岐市役所総務部SDGs未来課)

アスパラ栽培は水やりが命。かん水量・かん水時間・かん水頻度・土壌水分量・日射量・温度湿度などのデータを基にしてAIモデルを作成する(画像提供/壱岐市役所総務部SDGs未来課)

低塩分トラフグ陸上養殖事業(株式会社なかはら)では、再生可能エネルギーの活用に取り組む。太陽光発電で得た電力を活用して、水を電気分解し、酸素は水槽へ、水素はタンクに貯蔵。その後、水素と酸素を反応させて燃料電池で発電する仕組み(写真撮影/笠井鉄正)

低塩分トラフグ陸上養殖事業(株式会社なかはら)では、再生可能エネルギーの活用に取り組む。太陽光発電で得た電力を活用して、水を電気分解し、酸素は水槽へ、水素はタンクに貯蔵。その後、水素と酸素を反応させて燃料電池で発電する仕組み(写真撮影/笠井鉄正)

低塩分(地下水)で育てたトラフグは成長が早く、身も上質(写真撮影/笠井鉄正)

低塩分(地下水)で育てたトラフグは成長が早く、身も上質(写真撮影/笠井鉄正)

高校生、壱岐市の人々、島外者がつながり、イノベーションが起きる

「壱岐活き対話型社会『壱岐・粋・なSociety5.0』」のもうひとつの柱は、「現実・仮想においてさまざまな人や情報がつながることで、イノベーションが起こり続け、あらゆる課題に対応できるしなやかな社会をつくり、一人ひとりが快適で活躍できる社会をつくること」。すでにいくつかのプロジェクトが進行している。

そのなかでSUUMOジャーナルが特に注目したのは「壱岐なみらい創りプロジェクト」だ。東京大学OBを中心にイノベーション教育を全国に広げる団体「i.club(アイクラブ)」と壱岐市がタッグを組み、次代を担う高校生に対するイノベーション教育とみらい創りのための対話会を行っている。

その目的は、イノベーション教育を通して高校生やその周囲の人々の「地域に対する誇りや愛着」を醸成すること。それと同時に課題解決につながる高校生の「イノベーションアイデア」を創出することだ。さらに壱岐市内に「コミュニケーション・インフラ」を構築することも図る。

「壱岐なみらい創りプロジェクト」の対話会には高校生も多数参加。大人も高校生の意見に耳を傾けている(画像提供/壱岐市役所総務部SDGs未来課)

「壱岐なみらい創りプロジェクト」の対話会には高校生も多数参加。大人も高校生の意見に耳を傾けている(画像提供/壱岐市役所総務部SDGs未来課)

「壱岐なみらい創りプロジェクト」で対話を重ねることで、参加者たちは年齢を問わず自ら動き出す。そして周囲の壱岐市民、島外からの移住者や長期滞在者、また一周回って行政を巻き込んでいく。SDGsを「自分ごと」と捉えて、実行に移してマインドが少しずつ対話会で育まれていく。

ちなみに壱岐市は、郷ノ浦町・勝本町・芦辺町・石田町の4町が合併して2004年に誕生した。そのため旧4町の間にはまだボーダーラインが存在する。しかし最近、壱岐市にやってきた移住者たちはいい意味でボーダーラインを軽く超えていく。旧4町の潤滑油そして刺激になっているという。

壱岐で仕事を生み出す人や移住者、ワーケーション中の人が集まる「フリーウィルスタジオ」(写真撮影/笠井鉄正)

壱岐で仕事を生み出す人や移住者、ワーケーション中の人が集まる「フリーウィルスタジオ」(写真撮影/笠井鉄正)

「フリーウィルスタジオ」は今から2000年前に栄えた「一支国」の王都の遺跡「原の辻遺跡(国宝・国特別史跡)」の中にある。史跡の国宝の中で働けるのは、日本で唯一、壱岐だけだ(写真撮影/笠井鉄正)

「フリーウィルスタジオ」は今から2000年前に栄えた「一支国」の王都の遺跡「原の辻遺跡(国宝・国特別史跡)」の中にある。史跡の国宝の中で働けるのは、日本で唯一、壱岐だけだ(写真撮影/笠井鉄正)

高校生たちが考えた「食べてほしーる。」で食品ロスを削減したい!

このように進められている「壱岐なみらい創りプロジェクト」のなかの取り組みのひとつ「イノベーション・サマープログラム」で、壱岐高校の生徒と大学生のメンバー計8名で考案したものがある。それは賞味期限が間近の食品の購入を促すシール「食べてほしーる。」だ。

開発のきっかけは壱岐市内にあるスーパーマーケット「スーパーバリューイチヤマ」をメンバーが訪問したこと。賞味期限が切れた食品はまだ食べられる状態でも廃棄せざるを得ないという課題を掘り起こし、少しでも食品ロスを減らすための手段として「食べてほしーる。」を考案した。シールを貼ることで、賞味期限が近い商品から購入してもらうように促すという作戦だ。ただ、促すだけではすぐには浸透につながらなかった。

そこで「スーパーバリューイチヤマ」の店長はメンバーと同学年の生徒の父親でもあったので「子どもたちが頑張っているんだ。なんとか応援してあげたい!」と、「食べてほしーる。」にポイントを付与することを決定。啓蒙だけでなく、ポイント付与で顧客メリットを高めることでシールへの注目度もUPさせた。

壱岐高校の生徒が描いたイラストがかわいい「食べてほしーる。」。シールを貼るだけでなくスーパーのポイントをつけることで、興味を持ってくれるお客さんが増えた(写真撮影/笠井鉄正)

壱岐高校の生徒が描いたイラストがかわいい「食べてほしーる。」。シールを貼るだけでなくスーパーのポイントをつけることで、興味を持ってくれるお客さんが増えた(写真撮影/笠井鉄正)

「スーパーバリューいちやま」の寺田久(てらだ・ひさし)店長は自身の子どもと同級生でもあるメンバーたちの活動を「とにかく応援してあげたかった!」。シール印刷などのコストはかかるが現在も協力を続けている(写真撮影/笠井鉄正)

「スーパーバリューイチヤマ」の寺田久(てらだ・ひさし)店長は自身の子どもと同級生でもあるメンバーたちの活動を「とにかく応援してあげたかった!」。シール印刷などのコストはかかるが現在も協力を続けている(写真撮影/笠井鉄正)

この「食べてほしーる。」の活動は、壱岐高校ヒューマンハート部探求チームの後輩たちに引き継がれ、少しずつ壱岐市民の認知度もあがっている。また「食品ロス削減推進大賞」(消費者庁主催)で内閣府特命担当大臣賞に次ぐ消費者庁長官賞も受賞した。

「食べてほしーる。」は「SDGs未来都市」であり「島」だからできた活動?

2021年現在、「食べてほしーる」のメンバーだった高校生は島外へと進学し、大学生活を送っている。自炊用に自分で食材を購入するようになった今、賞味期限が近い食材に自然と手が伸びるという。

大学で知り合った友達に「食べてほしーる。」の話をするとほぼ全員から「そんな活動は体験したことがない」と言われるそうだ。自分たちの取り組みは「SDGs未来都市」の壱岐市だからできた貴重な機会だったと実感もしている。

2019年度に「食べてほしーる。」を考案した壱岐高校生は大学生となり島外で暮らしている。普段の暮らしのなかでも自然とSDGsを意識した行動をとっている(写真撮影/SUUMOジャーナル)

2019年度に「食べてほしーる。」を考案した壱岐高校生は大学生となり島外で暮らしている。普段の暮らしのなかでも自然とSDGsを意識した行動をとっている(写真撮影/SUUMOジャーナル)

ただ、都市に暮らす今、「壱岐市は『島』だし、のんびりしていて、人々が温かく、顔見知りも多い。それに大人たちは子どもの活動にすごく興味を持ってくれているので『食べてほしーる。』の活動が有効だったのかもしれない」とも感じている。

「スーパーバリューイチヤマ」も地元のスーパーだから、気軽に相談に乗ってくれた。大学生となったメンバーが現在住んでいる島外の街には、大規模なショッピングモールがある。地元のスーパーでなくても実現できるのか?と考える時もあるそうだ。

子どもから大人へ、小さな街から大きな都市へ、SDGsを伝える

だからといって学生たちは「食べてほしーる。」の可能性をあきらめているのではない。

これまで世の中の出来事の多くは、大きな都市から小さな街へと伝えられた。しかしこれからは、小さな街での出来事を大きな都市に発信していくことが、新しい発想や今までなかったアイデアを生み出すと考えている。

「利益にとらわれず、誰かのため、地球のため、行動を起こすこと。これがSDGsの基本にあります。だからむしろ、小さなコミュニティからスタートした方が行動を起こしやすいのかな」と学生たちは前を向いている。

先輩たちから「食べてほしーる。」の活動を引き継いだ4名のチーム。「食べてほしーる。」の認知度をいかに高め、地域の人々に気づいてもらえるかがこれからの課題(写真撮影/長崎県立壱岐高等学校 ヒューマンハート部探求チーム)

先輩たちから「食べてほしーる。」の活動を引き継いだ4名のチーム。「食べてほしーる。」の認知度をいかに高め、地域の人々に気づいてもらえるかがこれからの課題(写真撮影/長崎県立壱岐高等学校 ヒューマンハート部探求チーム)

今、壱岐市では「壱岐なみらい創りプロジェクト」のほかにも、中学校では環境ナッジ「住み続けたいまちづくり運動」、小学校では「海洋教育プロジェクト」、各小学校区で「まちづくり協議会」の設立と、自分たちが暮らす街とSDGsがクロスした学び・活動が繰り広げられている。

そして、子どもたちがその活動を家庭で話題にすることで、大人もSDGsへの興味を高めていることが、大人たちが子どもに高い関心を持つ壱岐市ならではの展開だと言えるだろう。市民全員がSDGsを「知っている」から「興味・関心を持っている」に変わる。それこそが最たるイノベーションだと感じられた。

今回、取材に加わったSUUMO編集長とリモートで対話する高校生たち。「壱岐のきれいな海を残したい」「ジェンダー差別について気になる」「動物の殺処分を減らしたい」など興味のある課題をそれぞれが持っていた(写真撮影/長崎県立壱岐高等学校 ヒューマンハート部探求チーム)

今回、取材に加わったSUUMO編集長とリモートで対話する高校生たち。「壱岐のきれいな海を残したい」「ジェンダー差別について気になる」「動物の殺処分を減らしたい」など興味のある課題をそれぞれが持っていた(写真撮影/長崎県立壱岐高等学校 ヒューマンハート部探求チーム)

高校生・大学生へのインタビューでは「親や祖父母はSDGsという名称は知っているけれど、その中身には興味がなさそう」「SDGsはみんなのためにあるものなのに、壱岐市にとってのメリットが基準になっている大人もいる」などのジレンマともいえる言葉も聞こえた。裏を返せばこれは未来の主役でありSDGsの担い手である子どもたちが、想像以上にしっかりとSDGsを見つめているということ。壱岐市の子どもたちは、高校卒業後に島を離れる割合が高いが、どこにいようとも壱岐市で体感したSDGsを伝える存在になってくれることだろう。

●取材協力
・長崎県 壱岐市役所総務部SDGs未来課
・一般社団法人 壱岐みらい創りサイト
・長崎県壱岐市 壱岐-粋-なSociety 5.0パビリオン(welcomeページ公開中/2021年8月27日本公開予定)

まちの「公園」が進化中! 治安を激変させた南池袋公園など事例や最新事情も

いま、公園がちょっとした休憩や散歩をする場所から地域コミュニティの要へ進化しつつあります。おしゃれなカフェが併設されていたり、泊まれたり、イベントが開催されたりと、地域の特徴を活かした魅力的な公園が続々と登場しています。国土交通省都市局公園緑地・景観課の秋山義典さんに話を伺い、事例を踏まえながら紹介します。
治安すらも激変させた! 南池袋公園の芝生広場とカフェ

ここ数年で、民間と協業したり、空間に工夫が凝らされるなどした公園が、各地でみられるようになってきました。美しい景観に、カフェやレストラン、アパレルショップなどが設置された公園は、以前にも増してにぎわいを見せ、新しい観光地として注目されるようになりました。

新しい公園のモデルのひとつとなったのが、東京都豊島区の南池袋公園です。場所は、JR池袋駅東口から徒歩5分ほどの繁華街の中にあり、周囲にはサンシャイン60などの超高層ビルが立ち並んでいます。約7800平米の広さがある南池袋公園の魅力は、開放的な芝生広場です。休日には、ピクニックをする人、ごろんと寝転ぶ人、多くの人が思い思いに楽しんでいます。公園の敷地内に設けられたおしゃれなカフェレストランには、地域の人だけでなく、遠方からも人が訪れています。

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

1951年に開園した南池袋公園が現在の姿にリニューアルしたのは、2016年でした。手入れされた緑の芝生広場とカフェレストランの組み合わせのセンスがよく、話題を呼んで多くの人を惹き付けました。

リニューアル前の南池袋公園は、樹木がうっそうと生い茂り、暗い印象で利用者は限られていました。当時から公園の活用について、何度も話し合いが行われていましたが、なかなか意見がまとまらなかったのです。

「公園周辺の商店街の人から、もっと公園を活用したいという声がありましたが、隣接するお寺はなるべく静かに使ってほしいと要望していました。意向が相対し、話し合いは遅々として進みませんでした。そんなころ、豊島区新庁舎のランドスケープデザインをやっていた、平賀達也さんに南池袋公園の設計を依頼したところ、ニューヨークのブライアントパークを参考とした、誰もが魅力を感じる素晴らしい公園の設計が出来上がりました。また、東京電力から南池袋公園の地下に変電所を設置したいという申し出がありました。そのためには公園の施設を一度すべて取り払い再整備を行う必要があります。これらのことをきっかけにリニューアルの話が進展したということです」(秋山さん)

豊島区も、「都市のリビング」というリニューアルコンセプトの下、公園へカフェレストランの導入を決め、民間と協力して地域に根ざした持続可能な公園運営を目指すことになったのです。

その後の都市公園法改正の参考例になったのが、地元町会や商店街の代表者、隣接する寺の関係者、豊島区、カフェレストランの事業者による協議会の発足です。この取組みは、リニューアルオープン後に「南池袋をよくする会」と名付けられ、引き続き、地元関係者が南池袋公園の運営に携わっています。休日には近隣の商店街や地域の人が出店するマルシェも催され、公園は地域コミュニティの拠点となりました。

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

官民連携の新しい公園が全国65カ所へ拡大中

公園の管理について定めている法律は、都市公園法といい、1956年に制定されました。
「施行されたのは、戦後復興が収束していないころ。都市開発が進むにつれ、身近な自然がなくなることが問題になっていました。また、公園で闇市が催されたり、勝手に建物を建てられて私有地化されてしまったりすることも。そこで、都市公園法で、公園内の施設の設置や管理に必要なルールを設けたのです。しかし、時代が経つにつれ、規制ばかりで『何もできない公園』というイメージを持つ方も多くなりました。行政主導による公園管理と地域社会が求める公園機能との剥離が著しくなってきたのです」(秋山さん)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

時代のニーズの変化を踏まえ、そのたびに都市公園法は改正されてきましたが、直近の2017年の改正では、官民連携等による公園の整備・管理を推進するため、南池袋公園が事例となった協議会制度を含むさまざまな改革がなされました。

「2017年の改正においては、公募設置管理制度(Park-PFI)が創設されたことも目玉の一つです。南池袋公園での、カフェレストランの売り上げの一部が『南池袋をよくする会』の活動資金に充てられているという仕組みや、大阪市天王寺公園での民設民営によって公園の再整備された事例を基に、これらの取組を行いやすくし、他の地域でも行ってもらうためにつくられた制度です」(秋山さん)

公募設置管理制度(Park-PFI)は、公募により公園施設の設置・管理を行う民間事業者を選定する仕組みで、民間事業者が設置する施設から得られる収益の一部を公共部分の整備費に還元することを条件に、設置管理の許可期間の延長や建蔽率(土地面積に対する建築面積の割合)の緩和などを特例として認めるものです。

「特例は民間事業者の参入をうながすためです。現在は、65公園でPark-PFIの活用がされています。オープンした施設は30施設。107カ所の施設で検討が進んでいるところです。民間事業者にとっては、公園という緑豊かで開放的な空間で施設を設置でき、公共としても管理費用の一部にその収益を充てられ、お互いにメリットがあります」(秋山さん)

参入する施設の選定は、まず公園管理者である公共が、マーケットサウンディングを行います。どういう施設が求められているか、地域の自治会、現状の管理者等にリサーチし、民間事業者に個別のヒアリングを行っています。例えば、愛知県名古屋市の久屋大通公園では、市街地の中心にあるため、ブランドなどを扱うアパレルショップを選定。今までの公園になかった都心ならではのにぎわい創出に成功しました。

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

パークツーリズムで各地の公園・庭園が観光地へ

近年では、公園そのものが旅の目的地になるパークツーリズム(ガーデンツーリズム)が、話題を集めています。

「各地に知る人ぞ知る、素晴らしい庭園や植物園がたくさんあります。ところがPR不足や庭園同士の連携不足などで、そうしたポテンシャルが活用しきれていないケースも多いんですね。北海道のガーデン街道のように、複数の庭園・植物園が共通のテーマに沿って連携してアピールすれば、魅力が広く伝わり、観光ルート化されるなど波及効果が期待できます」(秋山さん)

テーマには、地域ごとの風土、文化が反映されています。目指しているのは、魅力的な体験や交流を創出することを促すことで、継続的な地域の活性化と庭園文化の普及を図ることです。現在は、10のエリアにおいて協議会が設立され計画が進行中で、さまざまな取組が進められています。

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

誰でも公園づくりに参加できる中間支援組織の活動

各地に新しい公園が生まれていくなか、地域に根ざした公園管理を進めるため、公共とボランティア団体、住民や地元の事業者などの間に入り橋渡し役を担う中間支援組織が活動の幅を広げています。東京都では、中間支援組織でもあるNPO法人NPObirth(バース)に公園の指定管理を任せています。中間支援組織という存在は、もともと、アメリカ、イギリスでスタートし、日本に浸透してきた取組みです。タイムズスクエアとグランド・セントラル駅の中間に位置する、ニューヨークの代表的な公園、ブライアントパークも一例です。1980年代に治安の悪化で使われていなかった公園を、周辺の店舗や近隣住民が出資して中間支援組織を設立。公園の管理を行い、今では、観光客も訪れる魅力的な公園になっています。

「日本でも、かねてから、公園の管理、整備に携わりたい地域住民の方はいましたし、そういう声は今でも増えています。公園愛護会等のボランティア団体がその例ですが、活動したくてもとりまとめる人がいなかったり、行政としてもボランティアにどう接したらいいか悩んでいました。NPObirthのような中間支援組織が間に入り、公園を拠点としたプラットホームができたことで、地域の人、行政、民間の事業者が関わりやすくなりました」(秋山さん)

NPObirthは、野川公園や葛西海浜公園などの都立公園、西東京市の公園など72の公園の管理をしています。公園の自然について伝えるパークレンジャー、地域の魅力を引き出すパークコーディネーターが、イベントやボランティア活動を企画運営することで、公園を拠点に地域コミュニティが育まれています。

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

コロナ禍でストレス発散や運動の場を求めて公園の利用者は増加しており、魅力的な公園が増えることでさらに利用者が増えることが予想されます。

「QoLの向上のため公園づくりに携わりたいと考える人も増えていくのでは。それぞれの地域で公園管理に関わっている人や求められているニーズが違うので、成功事例をそのままほかに使うことはできません。色々な方の意見をくみ取って、公共側との調整なども担うノウハウがある中間支援組織が、公園の活性化に大きな役割を果たしています」(秋山さん)

身近な公園で進められている行政と民間の力を合わせた新たな取組みを紹介しました。今までの使い方に加え、公園を拠点にさまざまな活動ができるようになっています。私自身も、地域活動のひとつとして気軽に公園の管理に携わったり、各地の公園を訪ねて旅に出かけたりしたいと感じました。

●取材協力
・国土交通省
・豊島区
・NPObirth

若者が団地に住み込んで世代間を橋渡し。「鶴川団地」の”コミュニティビルダー”が魅力発信

「実際に団地に住んで、その良さを発信してみませんか?」。今年2月、YADOKARI株式会社の こんな呼びかけに応じて、鶴川団地に「コミュニティビルダー」として住みはじめた若者2人がいます。では、実際にどんな活動をしているのでしょうか。団地での様子を取材しました。
応募数90組以上。若い世代は団地・コミュニティ再生に興味津々鶴川団地商店街(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地商店街(写真撮影/田村写真店)

1967年 入居開始、現在1682戸の賃貸住戸を有するUR(都市再生機構)の鶴川団地。小田急線鶴川駅からバスで約8分の距離に位置します。 団地内にはスーパーをはじめ、ケーキ屋や蕎麦屋、美容院のほかに図書館、郵便局などもあり、現在もにぎわいを見せています。この鶴川団地で今年、新しいプロジェクトが始動しました。その名前も「未来団地会議 鶴川団地プロジェクト」。「コミュニティビルダー」として、2人の若い世代に団地で暮らしてもらい、団地の新しい魅力を発信してもらうという試みです。

このプロジェクト、今年2月にYADOKARIが公式サイト上で募集したところ、なんと半月のうちに90組以上の応募があったといい、若い世代の「団地」や「コミュニティ」に関わりたいという関心の高さが伺えます。

「スキルを提供することで1年間、家賃の代わりとする条件で、弊社サイトやSNSでの告知をしたのですが、地域活性化や団地、コミュニティ再生に関心の高い人たちからエントリーが多かったですね。年代と職業でいうと20代~40代、フリーランスが多いですが、会社勤めの人もたくさんいらっしゃいました」(YADOKARIの担当者の伊藤幹太さん)

鶴川団地に描かれた“鶴”のイラストが味わい深い。住棟番号の文字も団地感満点(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地に描かれた“鶴”のイラストが味わい深い。住棟番号の文字も団地感満点(写真撮影/田村写真店)

ただ、『コミュニティビルダー』といっても、職業ではありませんし、ピンとこない人も多いでしょう。その点、なにか決めていたことはあったのでしょうか。
「業務内容は団地に暮らして魅力を発信すること、イベントに関わることのほかには、決まっていなくて。ただ、町田や鶴川に思い入れを持ってくれて、今まで団地に住んできた方々と気持ちよくコミュニケーションをとり、歩幅をあわせてくれる人がよいと思っていました。今のコミュニティビルダーのお二人はまさに理想的で、数多くの応募をいただき大変悩んだ末ではありますが『この人たち是非住んでもらいたい』と思いました」(伊藤さん)

鶴川団地のセンター街区     広場にて。左からコミュニティビルダーの鈴木真由さん、石橋竣一さん、YADOKARIの伊藤幹太さん(写真撮影/田村秀夫)

鶴川団地のセンター街区 広場にて。左からコミュニティビルダーの鈴木真由さん、石橋竣一さん、YADOKARIの伊藤幹太さん(写真撮影/田村秀夫)

そう、お話を聞いているとまるで昔からの友だちのように、自然と会話が盛り上がります。言葉のはしばしから鶴川団地と町田に対して、強い思い入れがあるのが分かります。

石橋さんが「団地を内覧したのは今年4月、入居したのが5月末になります。今回のプロジェクトは期間が1年と決まっていますが、プロジェクトが終わってもすぐに去るつもりはなくて、この団地で根づいて活動していきたい、というのは決めていました」と話す通り、早くも団地とその暮らしに対して、想いを抱いているようです。

団地の快適さ、キラキラとした青春時代を追体験

とはいえ、鈴木さんも石橋さんも、鶴川団地は今回のプロジェクトで初めて訪れた場所。それまでは東京都心部に暮らしていたといいます。

「鶴川団地の第一印象は、初めてなのにすごく懐かしかったですね。もともと祖母が団地住まいだったこともあって、思い出の場所というか。アジアのようでもあり、レトロ感があって落ち着くなあと。都心と違って、時間がゆっくり流れているんですよね。自然とリラックスできるし、帰ってきたなって感じます」と鈴木さん。

鶴川団地の商店街。広場があって、子どもたちの笑い声が響く(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地の商店街。広場があって、子どもたちの笑い声が響く(写真撮影/田村写真店)

「僕は大学が小田急線沿線だったこともあって、鶴川はなんとなくは知っていましたが、暮らしてみると想像以上に居心地がいいですよね。2人とも通勤は大変になりましたが、それでも楽しいですよ」と石橋さん。

今、2人が生活している住戸はリノベ済みですが、洗濯機置き場のサイズが通常の賃貸物件と違っていて、動線が分かりにくかったりするそう。
「この団地ができたころって、洗濯機が二槽式だったり、洗面台のサイズが違ったりするんでしょうね。友人の家に行ったりして違いに気がつくと『なるほど~』『今の家って便利だな』って実感しています(笑)」(石橋さん)はにこやかですが、こうした建物のひとつひとつに発見があり、ご近所づきあいもとても新鮮なようです。

「団地を歩いていると『こんにちは』『おかえり』って自然とあいさつがあるんですよ。コミュニティビルダーとしてはまだまだですが、『いい人に来てもらえてうれしいわあ』って歓迎してもらえて。やっぱり住んでいる人同士の距離感がいいです」(石橋さん)

鶴川団地は住民同士、自然とあいさつが出るそう(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地は住民同士、自然とあいさつが出るそう(写真撮影/田村写真店)

コミュニティビルダーとして、長年暮らしてきた人たちに鶴川団地の良さを取材しているといいますが、その思い出ひとつひとつが輝いていて、まさに団地と住民たちの青春時代を教えてもらっている感覚だといいます。

「団地ができたばかりのころ、入居が抽選だったり、子どもたちが駆け回っていたりしていた話を、みなさんすごく楽しそうに話すんです。こちらも知らないことばかりで、本当に新鮮です。こうやって取材して発信することで、鶴川団地の魅力を再認識してもらえたらいいですよね。それに団地史や住民史としても貴重です。今、自分たちがお役にたてるのであれば、ぜひ、こき使ってほしいなあと思っています(笑)」(石橋さん)と力強く話します。若い世代がこうして地域に関心をもってくれるのは、従来の住民のみなさんにとってもうれしい限りでしょう。

餅つきにお祭り、防災、もともと今までの活動を次世代につなげるために

そもそもこの鶴川団地、団地の商店街が元気で、地域のむすびつきが維持されている貴重な団地だといいます。ただ、住民の高齢化が進む中にコロナ禍が直撃。今まで開催してきたあらゆるイベントが中止となり、今後、どうコミュニティ活動を維持・次世代につないでいくのがよいのか、模索していたといいます。

団地の一角にある鶴川図書館(写真撮影/田村写真店)

団地の一角にある鶴川図書館(写真撮影/田村写真店)

「今までの活動はよかったけれど、新しい世代が入ってこない」「新しく引越してきた人、若い世代と会話したい、助けたいけれど、どこに行けばいいか分からない」。これは、筆者の住んでいる町内会の人たちからもよく聞く話です。若い世代は共働きが増えていることもあり、地域コミュニティと関わりたいけれど、時間が減って、どうしたらいいか分からないジレンマ。どの地域でも抱えている課題かもしれません。

今回「コミュニティビルダー」が団地で暮らすことで、こうした「今までの活動」と「これから」の橋渡しになれば、という狙いがあるようです。

取材時の6月末、「コミュニティビルダー」の2人による七夕会を兼ねたイベント・読み聞かせの会に取材陣も午後の部に参加してきました。今はコロナ禍ということもあり、大勢で集まったり、遠出したりすることができません。それでも、少しでも子どもに季節の思い出を残してあげたいというのが親心というもの。取材時 には団地周辺に暮らす、数組の家族連れが訪れ、静かに読み聞かせを楽しんでいました。普段、読まない本でも、読み聞かせだと真剣に聞いてしまうのは、不思議ですよね。

短冊に願いを込めて。いつの時代も変わらない風景です(写真撮影/田村写真店)

短冊に願いを込めて。いつの時代も変わらない風景です(写真撮影/田村写真店)

(写真撮影/田村写真店)

(写真撮影/田村写真店)

石橋さんによる読み聞かせ。すごく上手で思わず子どもたちも聞き入ってしまいます(写真撮影/田村写真店)

石橋さんによる読み聞かせ。すごく上手で思わず子どもたちも聞き入ってしまいます(写真撮影/田村写真店)

子どもたちと会話するなかで、笑顔になる鈴木さん。フレンドリーな人柄で子どもたちとあっという間に打ち解けていきます(写真撮影/田村写真店)

子どもたちと会話するなかで、笑顔になる鈴木さん。フレンドリーな人柄で子どもたちとあっという間に打ち解けていきます(写真撮影/田村写真店)

地元で読み聞かせ活動を精力的に行われている鶴川図書館大好き!の会の鈴木さんも参加し、紙芝居を披露。子どもたちを惹きつけます(写真撮影/田村写真店)

地元で読み聞かせ活動を精力的に行われている鶴川図書館大好き!の会の鈴木さんも参加し、紙芝居を披露。子どもたちを惹きつけます(写真撮影/田村写真店)

ガラポンをしてお土産をもらいます。初夏の思い出になったね(写真撮影/田村写真店)

ガラポンをしてお土産をもらいます。初夏の思い出になったね(写真撮影/田村写真店)

地域活性化、地域コミュニティ活性化といっても、主役であるのはあくまでも住民自身のはず。今まで暮らし、活動してきた鶴川団地のみなさんに敬意を払いつつ、団地の未来はどこにあるのか、未来図を描く試みがこのプロジェクトといえるもしれません。今回、コミュニティビルダーとなった2人は、YADOKARIのプロジェクトが終わったあとも、鶴川団地と関わる意思と覚悟を持って参加していきたいといいます。予定されている任期は1年とのことですが、1年と限らず、3年5年と続けることで、より明るい未来地図が描かれていくことを期待したいと思います。

●取材協力
未来団地会議 鶴川団地プロジェクト
UR都市機構

「品川駅」まで60分以内、新築&中古一戸建ての価格相場が安い駅ランキング 2021年版

一戸建て住宅を購入する際、暮らしやすさを左右する周辺環境は気になるところ。また、通勤時やおでかけにあたって交通の便がよい立地かどうかも選ぶ決め手の一つだろう。とはいえ職場がある都心周辺だと物件の価格帯が高いし、テレワークが普及した今、職場への近さばかりでなく落ち着いて住める住環境も重視したい……。そんな人に向け、今回は「品川駅まで60分以内」のエリアに絞って一戸建て住宅の価格相場を調査してみた。さまざまなオフィスが集まる品川駅は、山手線をはじめとするJR各線に加え京浜急行本線、東海道新幹線が通り、さらに将来的にはリニア中央新幹線の開業も予定されている。そんな品川駅までアクセスしやすく、さらにリーズナブルに住める街はどこなのか? 新築&中古それぞれの一戸建て住宅の価格相場が安い駅トップ10を一挙ご紹介!
●品川駅まで60分以内の価格相場が安い駅

【新築一戸建て編】TOP11駅
順位/駅名/価格相場/土地面積中央値/建物面積中央値
(主な路線/所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 北小金 3140万円 土地108.92平米 建物96.67平米
(JR常磐線/千葉県松戸市/48分/1回)
2位 相模大塚 3285万円 土地70.66平米 建物104.83平米
(相鉄本線/神奈川県大和市/50分/2回)
3位 北柏 3290万円 土地114.98平米 建物100.60平米
(JR常磐線/千葉県柏市/51分/1回)
3位 天王台 3290万円 土地130.05平米 建物106.66平米
(JR常磐線/千葉県我孫子市/53分/0回)
5位 上尾 3380万円 土地105.34平米 建物90.67平米
(JR高崎線/埼玉県上尾市/54分/0回)
5位 新田 3380万円 土地95.54平米 建物102.22平米
(東武伊勢崎線/埼玉県草加市/49分/2回)
7位 薬園台 3399万円 土地110.15平米 建物104.33平米
(新京成電鉄/千葉県船橋市/52分/1回)
8位 さがみ野 3480万円 土地84.67平米 建物99.36平米
(相鉄本線/神奈川県海老名市/51分/2回)
8位 新井宿 3480万円 土地100.05平米 建物90.99平米
(埼玉高速鉄道/埼玉県川口市/54分/1回)
8位 追浜 3480万円 土地87.63平米 建物96.45平米
(京浜急行本線/神奈川県横須賀市/45分/1回)
8位 飯山満 3480万円 土地110.00平米 建物103.58平米
(東葉高速鉄道/千葉県船橋市/50分/2回)

【中古一戸建て編】TOP11駅
順位/駅名/価格相場/土地面積中央値/建物面積中央値
(主な路線/所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 みずほ台 3390万円 土地103.69平米 建物98.27平米
(東武東上線/埼玉県富士見市/55分/2回)
2位 南太田 3400万円 土地61.44平米 建物93.97平米
(京浜急行本線/神奈川県横浜市南区/34分/1回)
3位 踊場 3490万円 土地104.00平米 建物95.71平米
(横浜市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市泉区/37分/1回)
4位 西大宮 3590万円 土地121.23平米 建物100.92平米
(JR川越線/埼玉県さいたま市西区/58分/1回)
5位 上星川 3680万円 土地107.14平米 建物98.54平米
(相鉄本線/神奈川県横浜市保土ケ谷区/35分/2回)
6位 竹ノ塚 3898万円 土地88.29平米 建物85.91平米
(東武伊勢崎線/東京都足立区/41分/2回)
7位 北綾瀬 3930万円 土地67.91平米 建物89.41平米
(東京メトロ千代田線/東京都足立区/41分/1回)
8位 京成立石 3980万円 土地63.82平米 建物79.90平米
(京成押上線/東京都葛飾区/37分/0回)
8位 希望ヶ丘 3980万円 土地107.09平米 建物96.39平米
(相鉄本線/神奈川県横浜市旭区/42分/1回)
8位 弘明寺 3980万円 土地66.83平米 建物96.05平米
(横浜市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市南区/40分/1回)
8位 鉄道博物館 3980万円 土地95.00平米 建物104.74平米
(埼玉新都市交通伊奈線/埼玉県さいたま市大宮区/55分/1回)

「新築」編は商業施設充実の街から緑豊かな街まで多彩な顔ぶれ

「新築一戸建て」ランキングの1位は、千葉県松戸市に位置するJR常磐線各駅停車・北小金駅で価格相場は3140万円。4駅先の松戸駅でJR上野東京ライン直通のJR常磐線快速に乗り換えると、品川駅まで乗り換え1回・計約48分で行ける。北小金駅周辺は水戸街道の宿場町・小金宿として江戸時代から栄え、一帯には歴史ある建物も残されている。駅から北へ10分ほど歩くとアジサイの美しさで知られる「本土寺」が、そして南へ7分ほど歩いた小学校の裏手には樹齢約320年と言われるしだれ桜が迎える「東漸寺(とうぜんじ)」がたたずんでおり、どちらの古刹も紅葉が見事なことでも評判だ。

本土寺(写真/PIXTA)

本土寺(写真/PIXTA)

北小金駅南口側にはペデストリアンデッキ(高架歩道)が整備され、複合商業ビル「ピコティ北小金」の西館・東館に直結。西館には保育所や飲食店があり、東館はスーパーの「イオン北小金店」を核として日用品に服飾品、100円ショップやスポーツクラブなど多彩な店舗をそろえている。駅北口前にもスーパーがあるほか、「本土寺」へ向かう参道沿いに米や酒の個人商店や飲食店も点在。また、駅の半径約500m圏内に小学校が3軒あるのも特徴的。それだけ子育て世代が住む街なのだろう。北小金駅を通るJR常磐線各駅停車は終点の北千住駅から先は東京メトロ千代田線に直通運転されており、大手町駅や赤坂駅、表参道駅などへ乗り換えせずに行ける点も魅力だ。

2位は神奈川県大和市に位置する相鉄本線・相模大塚駅で、価格相場は3285万円。1駅隣の大和駅で特急に乗り換えて横浜駅に行き、さらにJR東海道本線に乗ると品川駅まで乗り換え2回・計約50分。所要時間が多少は増えるものの、相模大塚駅から相鉄本線の急行で直に横浜駅へ向かい、そこからJR東海道本線を利用する乗り換え1回のルートでも品川駅まで1時間以内にアクセスできる。また、隣接する大和駅には新宿方面へ向かう小田急線も通っており、大和駅経由で乗り換え1回、1時間前後で新宿駅に行くことも可能だ。

さがみ野駅(写真/PIXTA)

さがみ野駅(写真/PIXTA)

相模大塚駅から大和駅とは反対方面に1駅行くと8位・さがみ野駅がある。価格相場から予想されるように、さがみ野駅には駅ビルもあり相模大塚駅よりも買い物環境は整っているようにも思える。しかし相模大塚駅も徒歩5分圏内にドラッグストアとスーパーがあるので、日常の買い物には困らない。もう少し歩くとJAの直売所もあり、新鮮な野菜を手に入れることもできる。駅から北に10分ほど歩くと「泉の森」へ。引地川源流域の大和水源地を中心にした広大な森には多彩な植物や野鳥が息づき、園内にはキャンプ場や郷土民家園も。この「泉の森」から引地川沿いに南下すると、滝が流れる親水広場や花木園を備えた公園「ふれあいの森」が広がっている。自然を身近に感じながらのびのびと暮らせる魅力的な環境と言えるだろう。ただ、駅の北側にはこうした広大な森があり、そして駅の南側は米軍基地が大きな面積を占めているため、駅近辺の住宅地は限られている。

上尾駅東口の風景(写真/PIXTA)

上尾駅東口の風景(写真/PIXTA)

1位は千葉県、2位は神奈川県の駅だったが、トップ10には埼玉県の駅もランクイン。価格相場が3380万円で5位になったJR高崎線・上尾駅は埼玉県上尾市の中心地で、駅からまっすぐ伸びる通りを8分ほど歩いた場所には市役所も。品川駅に行くには、JR上野東京ライン直通のJR高崎線に乗ると約54分で到着する。また、JR高崎線は新宿方面に向かうJR湘南新宿ラインとの直通運転もされており、上尾駅から新宿駅まで乗り換えることなく約45分で行くことも可能だ。

上尾駅の周辺は商業施設が充実している。100円ショップと飲食店が入った駅ビル「イーサイト上尾」があるほか、駅東口のペデストリアンデッキはスーパーやドラッグストアなどの店舗と公共施設・住宅の複合ビル「A-Geo タウン」や、「丸広百貨店 上尾店」に直結。駅西口側にはイトーヨーカドーを核とするショッピングモール「ショーサンプラザ」や総合病院もあるなど、日常生活に必要なものは駅周辺に備わっている。駅を中心にした商業エリアを越えると、一戸建てや集合住宅の合間に学校や幼稚園が点在する住宅街。そして住宅街を越えた駅から車で10分圏内には、プールや釣り堀を備えた「さいたま水上公園」や、ショッピングモールの「イオンモール上尾」と「アリオ上尾」、ホームセンター、家電量販店までそろう便利な環境だ。

「中古」編は品川駅まで40分前後の駅も多数ランクイン

「中古一戸建て」ランキングの1位は、埼玉県富士見市に位置する東武東上線・みずほ台駅。価格相場は3390万円で、「新築一戸建て」編の1位よりも250万円高かった。東武東上線の池袋駅を経由して、JR埼京線とJR山手線を乗り継ぐと品川駅までは約55分。池袋駅までは東武東上線の準急に乗って約26分で行くことができる。みずほ台駅は東口にも西口にもスーパーが入った駅ビルがあるうえ、駅周辺にもスーパーが複数。そして東口の駅ビルにはファストフード店やカフェ、西口の駅ビルには100円ショップが入っており、駅前には飲食店もあるので、コンパクトな範囲で買い物も食事も楽しめる。そんな駅前からしばらく歩くと住宅街へ。高層の建物はあまりなく、農地も点在する落ち着いた街並みだ。住宅の合間には複数の小中学校や幼稚園、保育園、学習塾もあるので、子育て世代のファミリーが多く住んでいるようだ。

常照寺(写真/PIXTA)

常照寺(写真/PIXTA)

2位は神奈川県横浜市南区の京浜急行本線・南太田駅で、価格相場は3400万円。京浜急行本線で横浜駅までは4駅・約8分、そこからJR東海道本線に乗り換える。すると品川駅までの所要時間はトップ10で最短の約34分だ。南太田駅の北側には「太田の鬼子母神さま」と呼ばれる「常照寺」の境内が広がっている。ここの鬼子母神像は8代将軍徳川吉宗のころには大奥に祀られていたものだそうで、現在その本尊を祀る大本堂の見事な造りも見ものだ。駅西側には市立横浜商業高校と県立横浜青陵高校があり、駅から北東へ歩いて3分ほどの「ドンドン商店街」で例年の夏に開催される縁日では、両高校の生徒も手伝いとしてひと役買っているのだそう。この商店街に青果店や精肉店、手づくりおむすび店や飲食店が並んでいるほか、駅南側にもスーパーやドラッグストア、飲食店がある。また、駅前を通る県道218号・平戸桜木道路を東へ進むと、自転車なら15分ほどで横浜のみなとみらいエリアへ。見どころ豊富な人気エリアまで気軽に行ける立地も魅力だ。

トップ10を見てみると埼玉県または神奈川県の駅が大半を占めていたが、東京都の駅も3駅ランクインしている。その一つ、東京都葛飾区に位置する8位の京成押上線・京成立石駅は品川駅まで乗り換えせずに、約37分で行くことができる。品川駅に京成押上線は通っていないが、京成立石駅を出た京成押上線は4駅先の押上駅で都営浅草線に、さらにそこから13駅先の泉岳寺駅で京成急行本線に、それぞれ直通運転されているため乗り換え不要というわけだ。道中の都営浅草線区間内にある浅草駅や日本橋駅、新橋駅へも1本で行くことが可能だ。そんな京成立石駅周辺にはかつて多くの町工場があり、そこで働く人に向けた居酒屋や食堂が密集していた。現在も駅前の立石仲見世通りの商店街では、昭和レトロな風情を漂わせる飲食店が営業中だ。商店街には手づくりの餃子や揚げ物など、それぞれに個性豊かな品を扱う総菜店も点在し、日々の食事の支度をサポートしてくれる。

立石仲見世(写真/PIXTA)

立石仲見世(写真/PIXTA)

こうしたどこか懐かしさ漂うこの街も、変化の時を迎えている。京成立石駅を中心にした四ツ木駅~青砥駅間では2023年3月の完成を目指して連続立体交差事業が進行中で、工事にともなって飲み屋街の一部店舗は閉店に。しかし駅の高架化により高架下空間が有効活用できるほか、11カ所の踏切がなくなることで線路が分断していた市街地が一体化する効果も見込まれている。さらに駅の北口と南口、両方の再開発にも着手。北口には駅前広場が整備され、広場の西側には住宅と商業施設からなる35階建ての複合ビル、東側には公共・公益施設や商業施設が入る13階建てのビルが2028年度内に誕生予定だ。さらに南口には地上125mにおよぶ住宅・商業施設の複合ビルが2024年度に竣工予定だそう。今後の数年間で世帯数がぐっと増え、街の活気も高まっていくだろう。

●調査概要
【調査対象駅】品川駅まで電車で60分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数40年未満、敷地権利は所有権のみ
■新築戸建て:新築物件(築1年以上の未入居物件を含む)
■中古戸建て:築15年以内
【データ抽出期間】2021/2~2021/4
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年5月31日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

実家や我が家、これからどうする? 空き家にせず地域で活かした2家族の物語

地方の集落や郊外住宅地、都市部など、あちらこちらで「空き家かな?」と思われる住まいが増えてきました。みなさんの中にも親や祖父母が暮らしていた住まいをどうしようか?と悩んでいる人は多いことでしょう。今回はそんな悩ましい実家問題を「地域に開く」という方法で解決し、建物にも地域にも、そして自身にもプラスになっている2事例をご紹介します。
親が死去して相続した思い出の古民家。取り壊すのはしのびない

あなたが生まれ育った家に、現在、住んでいる人はいるでしょうか。両親が元気に暮らしているという人もいれば、老親が1人で暮らしている、家族が他界、施設に入っているため空き家になっているという人も少なくないはず。本格的な人口減少社会を迎えた今、日本各地でじわりと「空き家」が増えつつあります。

東京都郊外、東村山市にあった日本家屋もそんな建物のひとつでした。1958(昭和33)年に建てられた古き良き日本の住まい、離れの2棟ありましたが、2014(平成26)年にこの建物で暮らしていた主が亡くなり、空き家となっていました。受け継いだのは、川島昭二さん。東村山駅から徒歩10分圏内、府中街道沿いということもあり、建て替えて、不動産投資にしないかという話も多く寄せられたといいます。

昔の離れの写真(写真提供/川島さん)

昔の離れの写真(写真提供/川島さん)

「私は今も近くに暮らしているので、月に数回、庭の草取りなどに通い、どうしようかと迷っていました。この家で生まれ育って、隣は天王森不動尊。懐かしく、思い出がつまった建物と風景を、壊してしまうのはどうにもさみしくて、決めかねていたんです」(川島さん)

そんな川島さんが相談を持ちかけたのが、地元の工務店・大黒屋の袖野伸宏さん。
「まずは築30数年の離れとなっていた建物をリノベーションして貸し出そうという計画になりました。ただ、築年数60年経過した母屋には風情もあって、取り壊すのはもったいない。川島さんご両親が残したモノもたくさんおいてある。どうしたものかと不動産や建築関連の友人・知人と相談していたんです」と話します。

とはいえ、築年数が経過し、敷地を囲むようにつくられていたブロック塀は地震で崩れてしまう恐れもあり、建物も放置するほどに傷んでいきます。どうしようか決めかねていた袖野さんは、思い切って川島さんにある提案をします。
「まだどうするか活用方法は何も見えないけれど、もし大黒屋で借りたいといったら、貸してくれますか? と話したんです。弊社も事務所が手狭になってきたし、社員が使ってもいいなあくらいの考えでした。川島さんは、『いいよ』って気軽に言うんです(笑)」

思いがけない展開に、川島さんはどう思っていたのでしょうか。
「やっぱり地元の会社で長く続けている工務店なので、安心感や信頼感があり、建物を残してもらえればいいよとおまかせすることにしました」とにこやかに請け負ったといいます。

アトリエ、コーヒースタンド、シェアキッチンなどの複合施設に

その後、大黒屋の袖野さんが地域の人たちに「借りたい人はいない?」という声をかけていき、プロジェクトとして本格的にスタートします。和紙造形作家のにしむらあきこさんや編集やデザインをしているハチコク社さんたちと出会うことで、母屋は「OFF/DO BOOK LOUNGE」「アトリエ&ギャラリー 紙と青」、それにハチコク社のオフィス、離れはシェアキッチンの「木づつみのえん」となることが徐々に決まっていきます。そして、2019年5月には複合施設「百才(ももとせ)」として、地域にひらかれた場所としてお目見えしました。

百才に携わるみなさん。左から木づつみのえんの松本千栄さん、大黒屋の袖野伸宏さん、建物の大家である川島昭二さん、ハチコク社の勝股芳樹さん(写真撮影/片山貴博)

百才に携わるみなさん。左から木づつみのえんの松本千栄さん、大黒屋の袖野伸宏さん、建物の大家である川島昭二さん、ハチコク社の勝股芳樹さん(写真撮影/片山貴博)

築30年と築60年の建物をあわせて『百才』。母屋の縁側から庭を眺める。これぞ日本の風景。最高です! (写真撮影/片山貴博)

築30年と築60年の建物をあわせて『百才』。母屋の縁側から庭を眺める。これぞ日本の風景。最高です! (写真撮影/片山貴博)

建物はもとの建物の良さを活かしつつ、大幅リノベーション! 建具一つひとつに味わいがあります(写真撮影/片山貴博)

建物はもとの建物の良さを活かしつつ、大幅リノベーション! 建具一つひとつに味わいがあります(写真撮影/片山貴博)

もとからあった井戸(奥)。染色と縁の深い「アトリエ&ギャラリー 紙と青」に(写真撮影/片山貴博)

もとからあった井戸(奥)。染色と縁の深い「アトリエ&ギャラリー 紙と青」に(写真撮影/片山貴博)

気楽に立ち寄れるコーヒースタンドOFF/DO COFFEE(写真撮影/片山貴博)

気楽に立ち寄れるコーヒースタンドOFF/DO COFFEE(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスとして入居する「ハチコク社」が編集する東村山の“わ”を伝える「むらのわ」と百才の歩みをまとめた冊子(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスとして入居する「ハチコク社」が編集する東村山の“わ”を伝える「むらのわ」と百才の歩みをまとめた冊子(写真撮影/片山貴博)

家を「地域に開く」というのは、まだまだ新しい考え方です。そのため、お二人とも「家を開く」という考え方はご存じなかったようですが、「建物を残したい」「どうやって建物を有効活用できるか」「モノをつくる人や地域の人が集まる場所にしたい」などと考え抜いた結果、今のかたちになりました。シェアキッチンなどの利用は予約が必要ですが、ふらりと寄れるおばあちゃんの家の庭のような「ゆるく開かれた場所」になっています。

近所の子どもたちはこの庭で、泥だらけになって遊んでいるといいます。
「あまりにも泥だらけになるので、手洗いだけでなくて、足洗い場をつくったんですよ。子どもは木の葉一枚で楽しい。遊びの天才です」と袖野さん。

百才のお庭は、「おばあちゃんの家のお庭以上、公園未満」という地域に開かれた使われ方をしています(写真撮影/片山貴博)

百才のお庭は、「おばあちゃんの家のお庭以上、公園未満」という地域に開かれた使われ方をしています(写真撮影/片山貴博)

「建物が完成して、周囲にお披露目会をして驚いたのが、地域の関心の高さです。ご近所に住む人から市長まで、どんな場所になるのか楽しみにされていて、期待を寄せていただいているのが分かりました。プロジェクトを動かすなかで、東村山に眠っていた価値に改めて驚かされましたし、建物や不動産の持つ可能性、工務店ができることを再発見できました」と袖野さん。

「今も散歩がてら庭の手入れに来ていますが、子どもたちが遊ぶ姿は、かつての自分たち家族の風景を見るようです。建物を残すことで、ふるさとへの愛着や思い出を残していけたら、こんなに幸せなことはないですよね」と川島さん。

府中街道沿いにある離れ。リノベーションをして、現在はシェアキッチンとして活用している(写真撮影/片山貴博)

府中街道沿いにある離れ。リノベーションをして、現在はシェアキッチンとして活用している(写真撮影/片山貴博)

今はコロナ禍で、多くの人が集まることはできませんが、時期を見計らって庭や母屋を使って、「流しそうめん」「すいか割り」「わらべうた」「餅つき」「コマ遊び」など、日本の暮らしや遊びを伝えていけたらとスタッフのみなさんは考えているそう。現代の子どもたちがこうした建物と遊びふれることで、「日本にかつてあった暮らし」の思い出をつくっていけるのは、本当に幸せなことですよね。自宅を地域に開くことで、自分も周囲も豊かになる、そんなすてきなケースといえるでしょう。

鎌倉にある自宅をコワーキングスペースに。人とつながるうれしい“想定外”も

自身と家族が住んでいた家を手入れして、そのまま地域に開いた人もいます。コワーキングスペース、イベントスペース、シェアキッチンとして使われている「ハルバル材木座」です。

鎌倉市材木座の住宅街にできた「ハルバル材木座」(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉市材木座の住宅街にできた「ハルバル材木座」(写真撮影/桑田瑞穂)

1階のコワーキングスペース。この絶妙なオシャレと落ち着いた風情がたまりません(写真撮影/桑田瑞穂)

1階のコワーキングスペース。この絶妙なオシャレと落ち着いた風情がたまりません(写真撮影/桑田瑞穂)

シェアキッチンの「ハルバルキッチン」。料理イベントでも使われている(写真撮影/桑田瑞穂)

シェアキッチンの「ハルバルキッチン」。料理イベントでも使われている(写真撮影/桑田瑞穂)

2021年3月、会社を早期退職した伊藤賢一さんが立ち上げた場所で、現在、コロナ禍でもありますが、「イチゴについて雑談する会」「さくら貝をつかったスマホケース製作」「お茶会」などさまざまなワークショップが開催されています。内容を聞くだけでも、おもしろそうですよね。

ワークショップやイベントの告知。タイトルだけでもおもしろそうな内容です(写真撮影/桑田瑞穂)

ワークショップやイベントの告知。タイトルだけでもおもしろそうな内容です(写真撮影/桑田瑞穂)

イベントの様子。コロナ対策をしつつ、盛り上がっているのが分かります(写真撮影/桑田瑞穂)

イベントの様子。コロナ対策をしつつ、盛り上がっているのが分かります(写真撮影/桑田瑞穂)

「単なるイベントスペースは味気ないことが多いですが、この場所は住まいだったこともあって、ぬくもりがあり、そうした点を気に入ってくれる人が多いようです。昨今、コワーキングスペースは増えていますが、多くは企業が運営していて、仕事をする場所。会話や雑談がしにくいところが多いですよね。でも、ここは、利用者の方が許せば『私が少しばかりお節介を焼いてお手伝い』することにしています。雑談するなかで、人と人を引き合わせることができたり、新しい発見があったり。コロナ禍だからこそ、人と話すことの価値が見直されている気がするんです」と話します。

伊藤賢一さん(写真撮影/桑田瑞穂)

伊藤賢一さん(写真撮影/桑田瑞穂)

伊藤さんは、もともと「退職後にやってみたいこと」として、地域で人と人の繋がりを創り出す仕組みづくりを考えていたそう。
「今回、『家を開く』にあたって、ご近所にあいさつに伺いましたが、前向きな言葉をいただくことが多かったですね。人が地域に集まることにおおらかというか、鎌倉や材木座という地域に愛着がある人が多いように思います」と話します。伊藤さんの語り口調は本当に穏やかで、紳士。仕事というよりも、伊藤さんと話したくなる気持ちになります。利用者の女性に話を伺いました。

他愛ないおしゃべりから人との繋がりがうまれ、それが地域との繋がりになっていく。気負いなく話せる時間と場所って貴重です(写真撮影/桑田瑞穂)

他愛ないおしゃべりから人との繋がりがうまれ、それが地域との繋がりになっていく。気負いなく話せる時間と場所って貴重です(写真撮影/桑田瑞穂)

「住まいと勤務先は東京ですが、鎌倉のヨガスタジオに通っていて、どこかひと息つける場所をということで、この場所を見つけました。伊藤さんとのお話も楽しいし、鎌倉という街が好きで、鎌倉に自分の居場所を見つけられたように思っています。東京も楽しいし、鎌倉にも拠点がほしい、私にはぴったりの場所でした」といいます。

オープンして半年も経過していませんが、こうした声は少なくないようで、鎌倉との接点を探していた人や、人や人との出会い、新しい発見につながっているよう。

「長野県茅野市にある両親が住んでいた家が空き家になっていました。実はこの『ハルバル材木座』での出会いがきっかけで、『ハルバル茅野』という形で活用してもらえる人が見つかったんです。この場所が海の家なら、茅野は山の家。どちらも所有したかったし、理想の形で活用できています」と話します。

「ハルバル材木座」はこの春、はじまったばかり。コロナ禍もあり、「順調に見えるけれど、これからどうなるか分からない(笑)」と笑う伊藤さんですが、先が見通せない時代だからこそ、新しいチャレンジを楽しんでいるようです。

川島さんと伊藤さん、お二人ともに寛容で、「所有」と「利用」を分けて考える、柔軟な考え方をなさっています。そして、縁の下の力持ちというか、若い人や地域のために何かをしたいと考えていたすえに、「家を開く」という結果になっていました。
ただ、家を地域に開くことが、結果としてご自身の人生を豊かにしているというのが不思議です。今まで「住まい」だった場所が、人を呼び、縁を紡ぎ、にぎわいをつくっていく。「家を開く」という選択は、人口が減る時代にかなった有意義な活用法なのかもしれません。

●取材協力
百才
大黒屋
ハチコク社
ハルバル材木座

「品川駅」まで60分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2021年版

山手線をはじめとするJR各線、京浜急行本線、東海道新幹線も通っている品川駅は、都内屈指のターミナル駅。さらに今後は、品川駅を起点にして名古屋駅や大阪駅へと結ばれるリニア中央新幹線の開業も予定されている。そんな品川駅周辺にはオフィスビルが林立し、通勤にもよく利用されている。品川に会社がある場合、これまではなるべく近辺に住みたいと考える人が多かっただろうが、テレワークが広まったことにより、そうした意識にも変化がみられる。出社する頻度が高くないならば品川までの近さばかりを重視する必要性も低下し、より広範囲なエリアが住まいの候補地として浮上する。そこで今回は品川駅まで60分圏内にある、中古マンションの価格相場が安い駅を調べてみた。ランキングトップ10をご紹介しよう。
●品川駅まで60分以内の価格相場が安い駅TOP10

順位/駅名/価格相場(主な路線/所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 北柏 1520万円(JR常磐線/千葉県柏市/51分/1回)
2位 天王台 1580万円(JR常磐線/千葉県我孫子市/53分/0回)
3位 みずほ台 1730万円(東武東上線/埼玉県富士見市/55分/2回)
4位 北小金 1985万円(JR常磐線/千葉県松戸市/48分/1回)
5位 常盤平 2039万円(新京成線/千葉県松戸市/51分/1回)
6位 新田 2040万円(東武伊勢崎線/埼玉県草加市/49分/2回)
7位 上本郷 2080万円(新京成線/千葉県松戸市/43分/1回)
8位 松戸新田 2100万円(新京成線/千葉県松戸市/45分/1回)
9位 船橋法典 2135万円(JR武蔵野線/千葉県船橋市/47分/2回)
9位 薬園台 2135万円(新京成線/千葉県船橋市/52分/1回)

1位は価格相場が品川駅の7分の1! 再開発も楽しみな北柏駅

今回、価格相場を調査した物件は、間取りが3K、3DK、3LDKタイプ(2sLDKを含む)以上の広さがあるファミリー向けの中古マンション。調査の基点にした品川駅の価格相場は1億800万円! この価格帯の物件に住める人は限られてくるはず……。品川駅から60分圏内に範囲を広げて探すと、どれくらい価格相場が変わってくるのか、さっそく見ていこう。

北柏駅(写真/PIXTA)

北柏駅(写真/PIXTA)

1位はJR常磐線・北柏駅で価格相場は1520万円。品川駅と比べると、約7分の1の価格で同程度の広さの物件が見つかることになる。JR常磐線はほとんどの便が綾瀬駅から先は東京メトロ千代田線と直通運転をしており、北柏駅で乗車すると東京メトロ千代田線の西日暮里駅や大手町駅、日比谷駅、赤坂駅、表参道駅などへ乗り換えずに行くことも可能だ。

そんな北柏駅が位置するのは千葉県柏市の北部。駅の徒歩15分圏内にはスーパーや、子ども用品店「西松屋」なども。駅から南へ歩いて10分ほどの「北柏ふるさと公園」は、水遊びできるじゃぶじゃぶ池や芝生広場を備えた家族連れの憩いの場だ。駅の南側には大学病院、北側には市立病院があるので、もしもの際も安心だろう。のびのびと暮らすにはいい環境に思える一方、駅前は北側・南側ともにバスロータリーをはさんでコンビニがあるものの飲食店などはほとんどない。特に駅北口側は空き地が広がり、閑散とした印象を受ける。これは現在、駅北口で土地区画整理事業が進行中であるため。より住みよい街づくりのため2025年度の完了を目指して、駅前広場や公園、道路、宅地などの開発が進められているのだ。現状では仮設の駅前広場や宅地の一部の整備が終わった段階で、今後はスーパーなどの商業施設の誘致も行われるそう。再開発が完了した後は北柏駅エリアの人気が高まり、価格相場にも変化があるかも。いまのうちによい物件を確保しておくのもいいかもしれない。

天王台駅(写真/PIXTA)

天王台駅(写真/PIXTA)

2位はJR常磐線・天王台駅で価格相場は1580万円。1位の北柏駅からJR常磐線で2駅目だが、天王台駅にはJR常磐線の快速も停車する。駅の周辺には住宅地で、スーパーは徒歩10分圏内だけでも数軒あり、徒歩15分圏内に範囲を広げるとさらにあることからも、住民の多さがうかがえる。駅南口には商店街も広がり、コロナ禍を受けてかテイクアウトメニューを用意している飲食店も複数点在しているので、「今日は料理する余力がない」なんてときにも便利そう。駅周辺には「柴崎台中央公園」「天王台西公園」「天王台東公園」といくつか公園があるほか、駅から南へ車で10分少々進んだ手賀沼のほとりには「手賀沼公園」も。天王台駅が位置する千葉県我孫子市では、子育て支援施設のスタッフが公園に出向いて体操や親子遊び、絵本の読み聞かせなどを行なう出前保育「るんるんパーク」を不定期で開催している。2021年度は「手賀沼公園」と「天王台西公園」が会場となっているので、子どもと訪れても楽しいだろう。

みずほ台駅から車で約10分ほどで行ける秋ヶ瀬公園(写真/PIXTA)

みずほ台駅から車で約10分ほどで行ける秋ヶ瀬公園(写真/PIXTA)

3位は東武東上線・みずほ台駅で価格相場は1730万円。1位と2位は品川駅の北東方面、千葉県に位置していたが、みずほ台駅は品川駅の北西方面、埼玉県富士見市にある。乗り換え2回・約55分で品川駅に行けるだけではなく、東武東上線の準急1本で池袋駅まで約26分という点も魅力だろう。みずほ台駅は東口にも西口にもスーパーが入った駅ビルがあり、東口の駅ビルにはファストフード店やカフェ、西口の駅ビルには100円ショップも。駅周辺にもスーパーが点在し、住宅の合間には複数の小中学校や幼稚園、保育園、学習塾もあり、子育て世代のファミリーが多く住む街のようだ。駅周辺に大小の公園があるほか、駅から北東方面へ車で10分少々走ると荒川の河川敷へ。川沿いには複数の公園が整備されており、その一つ「秋ヶ瀬公園」にはBBQ場も。住まいの近くで息抜きしやすい環境だ。

JR上野東京ラインのおかげで各方面から品川駅までのアクセスが便利に

トップ10の駅を見てみると路線も立地もさまざまに思えるが、実は10駅中7駅には共通点がある。それは品川駅へ向かう経路で、1位と2位、4位~8位の7駅は「JR上野東京ライン」を利用している点。JR上野東京ラインとは2015年に開業した路線。上野駅~東京駅間に新たな線路を設置したことにより、上野駅から北へ伸びる路線(JR宇都宮線、JR高崎線、JR常磐線快速)と、東京駅から南に伸びるJR東海道本線の直通運転が行われるようになった。JR宇都宮線・高崎線の場合は北から南進して上野駅~東京駅を経てさらに南にある品川駅、横浜駅などまで1本で行けるのに対し、JR常磐線快速は上野駅~東京駅を経て品川駅が直通運転の終点となっている。

このJR上野東京ラインのおかげで、アクセス性が向上した駅がトップ10には7つあるわけだ。例えば1位の北柏駅の場合、JR常磐線各駅停車で1駅隣の柏駅に行き、そこからJR上野東京ライン直通のJR常磐線快速に乗ると上野駅・東京駅を経由してそのまま品川駅なので乗り換えは1回、計約52分で品川駅に行くことができる。しかしJR上野東京ラインを利用しない場合、北柏駅~松戸駅はJR常磐線各駅停車、松戸駅~上野駅はJR常磐線快速、上野駅~品川駅はJR山手線またはJR京浜東北・根岸線……、と乗り継ぐことになり、乗り換えは計2回、所要時間は1時間以上となってしまう。

JRの駅ではない、5位の新京成線・常盤平(ときわだいら)駅も品川駅に向かう過程でJR上野東京ラインを利用する。常盤平駅から新京成線で松戸駅に出て、そこからはJR上野東京ライン直通のJR常磐線快速に乗車。すると乗り換え1回、計約51分で品川駅にたどり着く。

常盤台のさくら通り(写真/PIXTA)

常盤台のさくら通り(写真/PIXTA)

そんな5位・常盤平駅は、現在はUR賃貸住宅となった常盤平団地の造成とともに1960年代から発展してきた住宅地。駅前には線路に並行して桜並木が続く「さくら通り」と、その通りに交差して駅から南へ伸びる「けやき通り」が整備され、緑の景観が目を和ませてくれる。さくら通りとけやき通りの交差点には、100円ショップやドラッグストア、飲食店やクリニックを備えた「セブンタウン常盤平店」と、食料品をはじめ日用品や衣料品、電化製品や書籍などのフロアも備えた「西友常盤平店」が建っている。ほかにも駅周辺には複数のスーパーやドラッグストアがあり、総合病院も駅から徒歩10分圏内に。また、総合病院の裏手側には、東京ドーム11個分ほど(約50.5ha)の面積を誇る総合公園「21世紀の森と広場」が広がっている。森に包まれた園内には水鳥が訪れる池やBBQ広場、松戸市立博物館などを擁し、2021年7月には大型遊具をそろえた「あそびのすみか」も誕生。休日に家族で遊びに出かけるのにぴったりな公園だろう。

今回の調査基点にした品川駅は多数の路線が通っているため、「品川駅から60分圏内」に範囲を絞ったとしても候補の駅は膨大な数に上る。さらに路線図を見ただけでは分かりにくいJR上野東京ラインまで考慮するとなると、どの駅なら品川駅にアクセスしやすく、安く住める街なのかを自力で探すのは難しい。ぜひ今回のランキングや、不動産ポータルサイトの通勤検索機能などを、住まい探しに活用してほしい。

●調査概要
【調査対象駅】品川駅まで電車で60分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数40年未満、敷地権利は所有権のみ、間取り3K、3DK、3LDKタイプ(2sLDKを含む)以上
【データ抽出期間】2021/2~2021/4
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出
(2021年5月31日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載”

空き家のマッチングサービスが始動!「やりたい」を叶える物件をリコメンドする「さかさま不動産」

空き家の借り手・買い手が見つからず、増え続ける一方……。そんな問題が深刻化するなか、物件を世に出してアピールするのではなく、まず借り手の「やりたい想い」を聞き、そこに共鳴して物件を貸してくれる大家を探すという逆転の発想で解決しようという、ユニークなサービスが誕生した。従来のやり方を“さかさま“に進める「さかさま不動産」の取り組みについて取材した。
“借り手の想い”から空き家をマッチング

「自分のお店を持ちたい」という場合、物件はどうやって探すだろうか。まず、不動産仲介業者を介して物件の情報を得て、内見などをしてから契約し、そうしてやりたいことをスタートさせる。これが一般的な流れだ。

ただ、これは空き家自体の情報が不動産仲介業者に開示されていなければ、選択肢から抜け落ちる。

そんな従来のやり方を「さかさま」にし、借り手の需要に合った空き家を探してマッチングさせるサービスが「さかさま不動産」だ。運営するのは、東海エリアを中心に空間プロデュースなどを行う株式会社On-Co(三重県桑名市)で、メンバーは代表取締役水谷岳史さんと共同代表の藤田恭平さん、執行役員で広報を担当する福田ミキさんの3名だ。

地域の未解決問題を今までにない手法で解決することを目指した企画やディレクションも行うOn-Coのメンバー(写真提供/さかさま不動産)

地域の未解決問題を今までにない手法で解決することを目指した企画やディレクションも行うOn-Coのメンバー(写真提供/さかさま不動産)

「まずはじめに、やりたいことがあるプレイヤーの想いを聞き出し、それをオープンにすることで、『この人に貸したい、この人を応援したい』と共鳴したオーナーさんが物件を貸してくれる、というやり方です。僕たちがそのマッチングのお手伝いをしています」と水谷さん。

広報の福田さんは、「やりたいことや出会いがベースなので、空き家のあるエリアを特定せず、物件の場所は全国どこでもいいというフットワークの軽いプレイヤーが多いですね」と、借り手の傾向を話す。

シニア世代の大家側にも分かりやすいシンプルな仕組み

前提にはまず、増加する空き家問題がある。総務省統計局の住宅・土地統計調査によると、日本の住宅のうち空き家の割合は13.6%を占め、846万戸と過去最高に (2018年10月)。さらに、この空き家率が2040年には43%に達すると見られている(2003年のペースで新築約120万戸を造り続けた場合、野村総合研究所)。

背景には、高齢化が進み住む人がいなくなってしまうということと、所有者自身が空き家の管理や活用方法をうまく見出せていないということがある。

「『空き家バンク』などの空き家情報のポータルサイトは以前からありますが、それらは総じて築年数や間取り、広さなどの情報が羅列されただけのもの。そういった情報は若い借り手の心には響きにくいと感じています。また、多くの大家はシニア世代で、彼らにとって、インターネットサイトに掲載すること自体がハードルなんです。『Webに掲載すると(個人情報をさらすようで)不用心だ』と考える人や、『(所有物件を空き家にしてしまうなんて)あの人は身内との意思疎通ができてないと思われる』と親戚やご近所の目を気にする人もいます」と水谷さん。

「一方で、大家が借り手を選ぶこの方法であれば、所有物件のことはインターネットに情報を掲載しなくてすみますし、あらかじめ借り手の顔や考え方を知ることができることで、親戚、ご近所に対しても説得・説明したりすることもできます。実際、相手が安心できる相手だと事前に分かることで貸したくなる、というデータも出ていて、物件の流通を促進する効果もあります」

さかさま不動産のホームページには、物件を探すさまざまな人の「やりたい想い」が並ぶ(写真提供/さかさま不動産)

さかさま不動産のホームページには、物件を探すさまざまな人の「やりたい想い」が並ぶ(写真提供/さかさま不動産)

熱意や人柄など、やりたい人の情報をインタビューしてWeb上で可視化できるように

「さかさま不動産」の立ち上げは、水谷さんたち自身の体験がもとになっている。
「2011年、僕らは名古屋駅から半径1km以内の場所で空き物件を探し、大家さんに交渉して借り、自分たちで改装してシェアハウスを運営していました。なぜ半径1km以内かというと、地道に交渉するのにほどよい距離だったからです。借りた後も、台風が来たら借りた建物を自分たちで補修したり、時には大家さんにお土産を渡したりして、いい関係が続きました。

そんな物件の一つで飲食店を経営した時に、若い人から『自分もこんなことをやってみたい。どうやって物件を探したの?』といった質問を受けることがありました。何かをやりたい人って、想いはあるけれど、人に伝える場がなかなかないんですよね。こういった子たちの面白い物語をなんとか大家さんに伝えたいと思い、彼らの情報を発信しようと考えました」

On-Coが空き家を活用した飲食店(写真提供/さかさま不動産)

On-Coが空き家を活用した飲食店(写真提供/さかさま不動産)

具体的には、さかさま不動産のメンバーが、「やりたい想い」を持つ借り手にインタビュー。想いや理由を可視化して記事にしたものをさかさま不動産のWebサイトなどに掲載したり、記事をSNS等でシェアしたりすることで、周囲が応援したくなるような仕組みをつくった。

それを見た物件所有者が、さかさま不動産側に問い合わせる。借り手は、物件所有者と直接会って、改めて想いを伝えることができるのもメリットだ。

さらには、物件を所有していない人が、自分が住む地域で条件に合う空き家を見つけて、その大家さんへ情報を伝えるというケースにも期待している。

「例えば近所の喫茶店のオーナーが高齢で店を閉めざるを得ないというようなケースでは、近所の人が『さかさま不動産に、このエリアでカフェをやりたい若者が掲載されていたよ』と情報を持ってくる……ということも考えられます」

借り手と貸し手だけでなく、その人たちを応援したい人、地域を盛り上げたい人など、関わる誰もが地域を良くするために考え、参加することができる。物件の所有者以外もマッチングに参加できる仕組みだ。

空き家に人の想いと地域性をプラスして、新たなコミュニティが生まれる

「さかさま不動産」の正式なサービス開始は2020年6月で、2021年6月現在までに愛知県名古屋市の本屋「TOUTEN BOOKSTORE」など、登録された「借りたい側」累計66件中6件がマッチング。現在もホームページを見ると、個性豊かな「借りたい人」の情報や想いが綴られている。

コンセプトデザイナー、知覚材料研究者、調香師の浅井睦さんは、自身の研究ラボ兼、誰でも出入りできる公民館のような場所をつくる「ニューコウミンカン構想」を実現するため、奈良県吉野市の空き家とマッチング。浅井さんは大阪府出身だが、知人がいて、バイクで出かけたこともある吉野エリアに親しみを感じていたことから、活動の拠点を吉野にしたいという想いがかなった。

奈良県吉野市の空き家。コンセプトデザイナーの浅井睦さんが、現在東屋のような施設に改装中(写真提供/浅井さん)

奈良県吉野市の空き家。コンセプトデザイナーの浅井睦さんが、現在東屋のような施設に改装中(写真提供/浅井さん)

コンセプトデザイナーとして、フリーランスで研究や制作を続けている浅井睦さん(写真提供/浅井さん)

コンセプトデザイナーとして、フリーランスで研究や制作を続けている浅井睦さん(写真提供/浅井さん)

「鍵は開けっ放しで、使いたい人がいつでも使える東屋のような秘密基地をつくりたかったんです。空き家を安く借りられないかと考えて、当初は知り合いのつてで遠方の物件をあたっていましたが、なかなか進まず断念しました。2020年11月にさかさま不動産の藤田さんと出会い、この面白いマッチングサービスのことを知りました。12月に掲載してもらいましたが、エリアを吉野に限定していたので、そううまくはいかないだろうなと思っていました」

ところが間もなく、吉野市に古民家を所有する人からメッセージが届いた。

物件のオーナーは、建築・改装業と不動産業を営む大阪府堺市の岡所さんだった。岡所さんは、
「もともと空き家の活用法について考えていて、これまでは古民家を購入して自分で改修し、レンタルスペースなどにしていましたが、別の方法で地域を活性化できないかと考えていたところでした。吉野の古民家を借りたい人なんているのかな?と思いながら、さかさま不動産のサイトをのぞいたら、偶然、浅井さんを見つけました」と振り返る。

岡所さんが「とりあえず物件を見てみて」と提案し、ふたりは一緒に改修前の物件を見学し、そのまま契約に至った。「もともと自分もものづくりをしているので、クリエイティブな人を応援したいという気持ちと、古い物件を守りたいという想いが重なり、浅井さんに貸したいと思いました」と岡所さん。

浅井さんは家の構造を知りたいという思いもあり、自分で改修を行うことにしたので、家賃も月2万円ほどに抑えられた。

他府県から駆けつけてくれた友人も改修を手伝ってくれ、開業前から仲間が集まるように(写真提供/浅井さん)

他府県から駆けつけてくれた友人も改修を手伝ってくれ、開業前から仲間が集まるように(写真提供/浅井さん)

現在も改修中で、「ニューコウミンカン」のオープンは2021年10月ごろ、改修完了は年内を想定している。

「岡所さんもたびたび見にきて改修のアドバイスをしてくれたり、端材を持ってきてくれたりするので助かっています」と浅井さん。岡所さんは「完成したら、自分もこのエリアに立ち寄るスペースができるから楽しみです」と話す。

浅井さんは、地域の人からの期待や応援も感じているという。「地元の工務店さんがいい材木屋さんを紹介してくれ、その人のつてで、廃棄される予定だった軽トラックを10万円で譲ってもらいました。改修には吉野の材木を使うようにしています。また、通りすがりのご近所さんから話しかけられることも多く、『30年来の空き家に、あなたのような人が入ってくれてうれしい』と言われたこともあります」

作業する中で、浅井さんは歴史や自然に恵まれた吉野エリアの良さを再認識したという。「空き家だったところに自分がやりたいことの想いを乗せて、さらにその地域ならではの要素が加わって、人が集まり、でき上がることは何か。僕自身がそれを見届けたいと思います」

今後、「ニューコウミンカン」が各地から新たな人を誘引すれば、エリアの活性化にもつながるだろう。

「壁や床の裏側がどうなっているかなどを知ることができるいい機会」と、自ら空き家改修を進めている(写真提供/浅井さん)

「壁や床の裏側がどうなっているかなどを知ることができるいい機会」と、自ら空き家改修を進めている(写真提供/浅井さん)

借り手と大家、地域が良好な関係を築けるシステムへ

さかさま不動産のメンバー藤田さんは、愛知県瀬戸市「ライダーズカフェ瀬戸店」の物件所有者でもあり、シャッター化が進んでいた商店街にプレイヤーを誘引した実績がある。
「物件の大家として当たり前の感情ですが、関係性を構築できる人が借主になってくれたらうれしいし、お店が今後どうなっていくか自分自身が楽しみでもあります。借り手のことは、コミュニティを共有しているパートナーだと思っています」と藤田さん。

せと銀座通り商店街に位置する「ライダーズカフェ瀬戸店」。名古屋・大須に1号店を構えていた借り手を、藤田さんが瀬戸市へ誘引した(写真提供/ライダーズカフェ瀬戸店)

せと銀座通り商店街に位置する「ライダーズカフェ瀬戸店」。名古屋・大須に1号店を構えていた借り手を、藤田さんが瀬戸市へ誘引した(写真提供/ライダーズカフェ瀬戸店)

水谷さんも「やりたいことベースだと、契約までの話が早く、その後もいい関係が続きやすいんです。貸し手と借り手の関係性ができているし、お互いに顔を出したりしてコミュニケーションが取れているので、契約後も『自分の家にこんなリフォームはしてほしくなかった』などの齟齬が生まれません」と話す。

最近では若い人が副業で不動産のオーナーをしているケースも多いといい、「先に借りたい人を決めて、その人のやりたいことに合わせて改装した方がいい」と考える場合も。そんな時も「さかさま不動産」が活用されているという。

実はこの「さかさま不動産」のサービスに関して、これまでOn-Coでは仲介手数料などを一切もらっていない。

「今後の課題は、借りたい人にこのサービスをもっと知ってもらうことと、マッチングの質を大切にしていくことです。これからは『このエリアでこんな人を求めています』という具体像を出していきたい。また、シニアなどWebを見ない層である物件オーナーへの直接的なアプローチも課題です。その地域でやりたいことがある人の情報を貼り紙で掲載することや、紙媒体をカフェや銀行の支店に置いてもらう方法、協力者が直接物件所有者の家を回ることなども考えています。

まずは情報を集め、プレイヤーの想いを聞き出すインタビュアーを各地域に増やそうと思います。地域に新しく仲間入りして活躍するかもしれない人のニーズを聞き出すことは、そのエリアにとっても大切なことです。そして、もともと地域に根付いた活動をしている人にもメリットが生まれるといいなと考えています。今後は誰もが利用しやすいようにシステムを広げていきたいと思います」

「さかさま不動産」の運営メンバーは20代から30代で、登録者も20代、30代が多いという。若い人たちが新しい取り組みをしているようにも見えるが、実は仲介者と地域住民、登録者による世代を超えた対人コミュニケーションがサービスの核であり、温もりを感じる。

海洋プラスチックゴミ問題解決を目指して製作活動をしている元航海士のアーティストは、マッチングした三重県鳥羽市内の空き倉庫で地域の海洋プラスチックを使ったアート活動を本格始動(写真提供/さかさま不動産)

海洋プラスチックゴミ問題解決を目指して製作活動をしている元航海士のアーティストは、マッチングした三重県鳥羽市内の空き倉庫で地域の海洋プラスチックを使ったアート活動を本格始動(写真提供/さかさま不動産)

福田さんは「空き家を、街の“余白”であり“関わりしろ”だという目線で前向きに見ているのが、このサービスのいいところです」と話してくれた。

柔軟な頭で、くるりと反対側から物事を考えたら、深刻な空き家問題の解決策が浮かぶのかもしれない。

●取材協力
・さかさま不動産

いま話題の「商い暮らし」って? 自宅でお店を開いて地元とつながる2家族の物語

コロナ禍で暮らし方を見直し、テレワークや副業を始めたという人が増えている。そんななか、店舗付き住宅や、自宅に店舗機能を持たせた物件などの住まいの選択肢が注目を集めているようだ。店舗付き物件に特化した不動産Webサイト「商い暮らし」を2016年から正式に運営を始めた建築不動産業・株式会社G.U.style代表の小薬順法さんに、最新事情や”商い暮らし”をする人々の話を聞いた。
1階で商いをして2階に住む、昔からある暮らし方

小薬さんが言う「商い暮らし」とは、1階の土間で小さな商いをして、2階で暮らすライフスタイルのこと。
「商いの場で暮らし、暮らしの場で商うという意味で、いわゆる店舗付き住宅の賃貸物件や売買物件を集めて約5年前からWebに掲載してきました。商いをしながら暮らす店舗付き住宅というのは昔からありますが、今は一周回って、若い人が注目しているのかもしれませんね」と話す。

店舗付き住宅というと、通勤時間の短縮や賃料・交通費の節約、空いた時間の有効活用、家族との時間を長くとれることなどがメリットとして考えられる。そういえばテレワークのメリットにも通じる。

一級建築士、宅地建物取引士である小薬順法さん(写真提供/G.U.style)

一級建築士、宅地建物取引士である小薬順法さん(写真提供/G.U.style)

このサイトを立ち上げたきっかけは、建築士である小薬さんが独立を考えていたある日、目に止まった勤務先近くの店舗付き住宅の空き物件だった。

「眺めていて、ふと想像したんです。こういった物件を自宅兼事務所にしたら、当時小学生だった僕の子どもが帰ってくるのが窓から見えて、手を振って出迎えたり、事務所兼カフェにして近所の人を招いたり……そんなライフスタイルが送れるかも、って」

しかしいざ動き出してみると、希望条件に合う物件も、それを貸してくれるオーナーも、探すための情報も見つからなかった。

「自分以外にもきっとニーズがある。ないなら自分で情報発信の場をつくろうと思ったんです」

ニーズに対して情報が少ない。店舗付き物件の現状

5年経った今も、依然として店舗付き物件を見つけるのは難しいという。

「管理会社の理解不足や物件の状態の関係などで、情報が公開されにくいことや、店舗付き物件にはお風呂がないケースが多く、改装費にオーナー側がハードルを感じることなどが理由です。

「商い暮らし不動産」と「カフェいろは堂」が入る店舗付き住宅の改装前の様子(写真提供/G.U.style)

「商い暮らし不動産」と「カフェいろは堂」が入る店舗付き住宅の改装前の様子(写真提供/G.U.style)

改装後の外観。1階の「カフェ いろは堂」はキッチン付きのレンタルスペースに(写真提供/G.U.style)

改装後の外観。1階の「カフェ いろは堂」はキッチン付きのレンタルスペースに(写真提供/G.U.style)

この5年ほど、貸す側の意識はあまり変わっていないのが現状で、供給は不足しています。不動産会社やオーナーが物件の価値を高めるためにイチから建て替えたり、店舗か住宅のどちらかにしてしまったりと、店舗付き住宅の個性が理解されていないうちは、物件数が増えるどころか減ってしまいます」

一方で「ここ数年で、借りる側から『具体的なことは決まっていないけど、何かできそうな余白のある物件はある?』という問い合わせが増えてきました。さまざまな住まい方を知り始めたことが背景にあるように思います」と小薬さん。

このコロナ禍ではどんな変化があったのだろうか。

人や地域との繋がりに重きを置く生活へ

「コロナ禍の初期は少し問い合わせが増えましたが、現在は特に伸びているわけではないです。ただ、身近な人と気軽に会えなくなったこの期間に、家族や仲間、地域の人との繋がりをより大切にしたいという空気は感じます。
店舗開業にまでは至っていなくても、『”商い暮らし”のようなスタイルっていいね』と、共感してくれる人が増えたように思います」

小薬さんの事務所はタバコ屋を改装し、1階をカフェ、2階を事務所に(写真提供/「商い暮らし」)

小薬さんの事務所はタバコ屋を改装し、1階をカフェ、2階を事務所に(写真提供/「商い暮らし」)

サイトには、「美容室+暮らし」「DJ bar+半暮らし」などの事例が並ぶが、問い合わせ内容の多くは飲食。「『本業が休みの日に、好きなコーヒーと本を置いたお店を始めたい』などの相談もありました」

お店を通して好きなことで自己実現をしながら、自分が住む地域に貢献したいという思いも感じられるそうだ。

「問い合わせは単身者か子どもがいない夫婦が大半で、お子さんがいる方は家の近くで空き店舗物件を探すことが多いですね。
はじめは下に店舗があって上に住まいがあることを”商い暮らし”と定義していましたが、さまざなな声を聞いているうちに、家の近くに店舗を構え、その地域で商売をしながら暮らしていたら、それも”商い暮らし”だなと思うようになりました」

「商い暮らし」を始めた人たちの声

ここで、実際に”商い暮らし”をしている人たちを紹介しよう。

1組目は、自宅の1階で「カナバカリズ建築設計事務所」(埼玉県戸田市)を経営する下田さん・正木さんご夫妻。

1階の土間オフィスで横並びで作業する「カナバカリズ建築設計事務所」の4名。スタッフ2名は大学時代からの仲間で、ここに通勤してくる。左から2人目が正木さん、一番右側が下田さん(写真提供/「商い暮らし」)

1階の土間オフィスで横並びで作業する「カナバカリズ建築設計事務所」の4名。スタッフ2名は大学時代からの仲間で、ここに通勤してくる。左から2人目が正木さん、一番右側が下田さん(写真提供/「商い暮らし」)

建築会社(サンクジャパン株式会社)の本社事務所だった建物にユニットバスを新設するなどして改装して貸しに出していたところ、夫妻が物件とオーナーの魅力に惹かれて入居を決断。

2階の自宅スペース。しっかり補強された小屋組で、壁面にはマガジンラックが。奥は寝室(写真提供/「商い暮らし」)

2階の自宅スペース。しっかり補強された小屋組で、壁面にはマガジンラックが。奥は寝室(写真提供/「商い暮らし」)

もともと浴室と洗面台、洗濯機置き場がなかったが、新設した(写真提供/「商い暮らし」)

もともと浴室と洗面台、洗濯機置き場がなかったが、新設した(写真提供/「商い暮らし」)

(写真提供/「商い暮らし」)

(写真提供/「商い暮らし」)

二人とも、通勤していた時よりも自分の時間が増え、自由に仕事の時間を設定できるところにも魅力を感じている。

夫の下田さんは、商い暮らしならではのこんな楽しみ方も見出したようだ。
「1階の仕事場の道路に面する窓に、ショーウィンドウのように建築模型や趣味の植物を並べているのですが、朝の通勤時間や昼過ぎの下校時間、夕方の帰宅時間などに、いろいろな層の人が通りすがりに見て行ったり感想をつぶやいたりする様子が、毎日楽しみなんです」。妻の正木さんも、「道路や歩道から中が見えるので、これまで以上に家をきれいにしなければならないのですが、通りすがりの方にも私たちの仕事に興味を持ってもらえるように、仕事関係のものをディスプレイして、逆にメリットになるように工夫しています」と続ける。

「コロナ禍前後での生活の変化も驚くほどありません。そういう意味では、さまざまな社会の変化に柔軟に対応できる生活であり、働き方のかたちかもしれません」(下田さん)

もとは施工会社の事務所だった2階の手前の部屋に自作の家具を配し、落ち着いた雰囲気のリビングダイニングに。既存の壁面収納は本棚として活用(写真提供/「商い暮らし」)

もとは施工会社の事務所だった2階の手前の部屋に自作の家具を配し、落ち着いた雰囲気のリビングダイニングに。既存の壁面収納は本棚として活用(写真提供/「商い暮らし」)

ベッド側にはオープンクローゼットが。正木さんが自作した作業台は趣味のミシンのスペースでもある(写真提供/「商い暮らし」)

ベッド側にはオープンクローゼットが。正木さんが自作した作業台は趣味のミシンのスペースでもある(写真提供/「商い暮らし」)

また、通常の賃貸物件を探すこととは「勝手が違ってくる」と二人は声をそろえる。
「自宅としてだけでなく仕事場としても使う上で、オーナーや仲介の方と、何かあったときに相談できる関係性をつくっておくのは大きな安心になります。実際に会って話す機会を大切に」と正木さん。
下田さんは「最低限必要な広さや賃料、エリアなどの条件もきちんと整理を。とはいえ、条件に多少合わない物件でも『キッチンが素敵』『土間の感じが気に入った』『この間取りはこう使えるかも』などの魅力が見つかる場合があります。僕たちも当初は東京都内で探していたのに、この物件に決めましたから」と教えてくれた。

2組目は、実家の庭の一角にある古い小屋を改装し、カフェとレンタルスペース「YOICHI(ヨイチ)」(東京都大田区)を始めた主婦の吉澤さん。

吉澤さん(右から2人目)。39.75平米の平屋をカフェとレンタルスペースにした「YOICHI」。約14平米(8畳)の土間と、キッチンを含む約21平米(13畳)の床の間がある(写真提供/YOICHI)

吉澤さん(右から2人目)。39.75平米の平屋をカフェとレンタルスペースにした「YOICHI」。約14平米(8畳)の土間と、キッチンを含む約21平米(13畳)の床の間がある(写真提供/YOICHI)

リノベーションを小薬さんに相談し、吉澤さん自身も塗装をしたり、知人のアーティストが絵を描いたりと、自分たちでも多くのDIYをしてつくりあげた。現在、金・土曜は料理が得意な吉澤さんがカフェとしてランチやドリンクを提供し、その他の曜日はレンタル古民家&キッチンとして貸し出す。日曜にはマルシェなども開催。

吉澤さんが小薬さんに予算や手順を相談しながら、専門的な設備関係以外は仲間と一緒にDIYした(写真提供/YOICHI)

吉澤さんが小薬さんに予算や手順を相談しながら、専門的な設備関係以外は仲間と一緒にDIYした(写真提供/YOICHI)

日曜にはマルシェも(写真提供/YOICHI)

日曜にはマルシェも(写真提供/YOICHI)

「祖母の持ち物だった、この築70年近い木造の平屋は、ずっと物置として使われていました。住居として使用できる状態ではありませんでしたが、取り壊すのはもったいない、自分の新たな人生にも繋がるのではという想いから改築を決めました。父も『壊す前に何かチャレンジしたら』と背中を押してくれました」(吉澤さん)

現在は自転車で通っているが、いつかは庭を挟んだ母屋に暮らすことを視野に入れている。

「実家の敷地内なので、いつか家族と同居した時、無理のない範囲でやりたいことを叶える場所にできればと、ゆるゆると実験的に始めました。時が来たら、自分が暮らす街を楽しめるように、よりアンテナを張ることもできるでしょう」

1957年に祖父母が購入した木造の平屋を改装。庭では柚子や椿など、祖母が植えた四季折々の植物が花を咲かせ実を結ぶ(写真提供/YOICHI)

1957年に祖父母が購入した木造の平屋を改装。庭では柚子や椿など、祖母が植えた四季折々の植物が花を咲かせ実を結ぶ(写真提供/YOICHI)

現在でも、地域とのつながりを日々感じている。

「狭い店内なので、いつの間にかお一人さま同士が会話をしていることがあります。みなさん、家に遊びに来たお友達のような感覚になるのか、心の壁が取り払われるようです。
またこのコロナ禍では、休まずお店を開けていたことで、お客さまから『久々に人と話せた』などと言ってもらって、皆さんの息抜きの場所をつくることができたとうれしく思いました。昨年末からは、このエリアに関する情報を書き込む『大鳥居情報交換ノート』を始めました。まだまだひよっこですが、地域を育て、地域に育てられていけたらと考えています」

昭和期の建物で趣があり、天井や梁、土壁など見どころが多い(写真提供/YOICHI)

昭和期の建物で趣があり、天井や梁、土壁など見どころが多い(写真提供/YOICHI)

吉澤さんがつくるスパイスカレーランチを目当てにする人も多い(写真提供/YOICHI)

吉澤さんがつくるスパイスカレーランチを目当てにする人も多い(写真提供/YOICHI)

週1度の「商い暮らし」スタイルもおすすめ

「“商い暮らし”をするみなさんには、多くのドラマが生まれています。暮らしの中に商いがプラスされることで、会話ややりとりが生まれ、居場所が確立するものです」とにこやかに話す小薬さん。紹介する側としても、借主と密なやり取りが派生しやすく、また、お互いに共感しやすいため、末永いお付き合いになりやすいのだという。

「賃貸アパートやマンションに住んでいても、街とのつながりがなく、挨拶をする人もいないというケースは多いと思います。都会であればなおさら、商い暮らしでご近所との繋がりを変えることができるはずです」

また小薬さんは、「一気に何かを変えるのは難しくても、副業のように、週1度だけやりたいことにトライするライフスタイルは、アリなのでは」と提案する。

「借金と脱サラをして、いきなり知らない土地でお店を始めるのは少し怖い。一歩手前で商い暮らしを試し、商売や地域のことを知るのもいいでしょう。ファンをつくってから本格始動することもできますから。その間、時間貸しや曜日貸しなどの多様な物件を用意して、グラデーションを埋める場を提供するのが、我々の仕事なのではないかと感じます」

小薬さん自身も、今年8月に「商い暮らし不動産」の事務所の移転を予定。大田区東雪谷から池上の店舗付き物件へと移る。

「商い暮らし不動産」が移転予定の、大田区池上にある三角角地の建物(写真提供/「商い暮らし」)

「商い暮らし不動産」が移転予定の、大田区池上にある三角角地の建物(写真提供/「商い暮らし」)

「これまでも店舗付き物件の2階を事務所にして、1階を『いろは堂』というレンタルカフェを運営していました。次は、2階を事務所として1階はシェアキッチンに。菓子製造業の許可を取得し、曜日極めで7人に貸し出して、自分たちを入れた8チームで運営します。副業をしたい方や、空き時間だけ働きたい主婦・主夫の方など、みんなが共有できるスペースをつくりたいと思います」

自分にできることで収入を得て、住む地域に貢献する。そして、毎日挨拶する人が増えていく。「商い暮らし」のスタイルがある街は面白くなりそうだ。

子どものころ、自宅が喫茶店などで「商い暮らし」だった同級生に憧れたのは、地域と関わりながら働く、その子の親が眩しかったからかも。子どもがいる家庭なら、仕事をする大人の姿を見せられる場でもある。

私が貸しスペースを借りられるなら、週末に子ども向けの作文教室を開きたいな……。夢が膨らむ。

「働く」と「暮らす」を繋ぐ商い暮らしは、一周回って今、新しい可能性を秘めている。

●取材協力
・商い暮らし
・カナバカリズ建築設計事務所
・YOICHI(ヨイチ)

子どもだけでまちづくり!? 大人は口出し厳禁の「こどものまち」全国に広がる

子どものつくる「まち」が、全国にあることを知っていますか。それは、数年に1度、子どもたちが遊びでつくる理想の街。仕事体験をするテーマパークとの違いは、実際の街を舞台にしているところ。一体どんな街なのでしょうか。千葉県佐倉市と千葉市それぞれの「こどものまち」を取材しました。
全国で子どもがつくる「こどものまち」って?

「こどものまち」のモデルは、ドイツのミュンヘンで20年以上の歴史を持つ「ミニミュンヘン」という取組みです。ミニミュンヘンは、子どもたちが好きな仕事を選んで働き、稼いだ給料を自由に使い、市議会や市長選も行う“子どもの街”です。ミニミュンヘンには本物の街のようにさまざまな機能があります。巨大な体育館とその周囲に街並みがつくられ、開催中、毎日2000人の子どもたちが参加している大きなイベントになっています。

後述のNPOこどものまち理事長・金岡香菜子さんが高校生のころに訪れたミニミュンヘン(画像提供/NPO子どものまち)

後述のNPOこどものまち理事長・金岡香菜子さんが高校生のころに訪れたミニミュンヘン(画像提供/NPO子どものまち)

日本での「こどものまち」の導入に尽力した中村桃子さんは、ドイツを訪れた際に感動し、自身の生まれ育った佐倉市でぜひやりたいと2002年に仲間たちとおやこ劇場の流れをくむ(特)NPO佐倉こどもステーションのメンバーで千葉県佐倉市のこどものまち「ミニさくら」をはじめました。その後、日本各地にさまざまな「こどものまち」ができ、それぞれ独自に活動をしています。それらの交流のために2007年から行われている「全国こどものまちサミット」では、全国の団体が参加しています。

「ミニさくら」の清掃局。道具が用意されていなくても子どもたちのアイデアで、ホウキやチリトリもカレンダーの裏で手づくり。愉快に音楽をかき鳴らしながら、会場をゴミ拾い(画像提供/NPO子どものまち)

「ミニさくら」の清掃局。道具が用意されていなくても子どもたちのアイデアで、ホウキやチリトリもカレンダーの裏で手づくり。愉快に音楽をかき鳴らしながら、会場をゴミ拾い(画像提供/NPO子どものまち)

「ミニさくら」にはコロナ前の2019年開催時には、延べ760人の子どもたちが参加。職業は、市議会・警察署などの行政機関、手打ちうどん、サンドイッチなどの飲食店、新聞社・デパートなど40種以上。自分たちで手づくりしたお店で、好きな仕事をする子どもたちの顔は生き生き。働くと独自の通貨(時給600モール)の給料がもらえます。稼いだモールで食事やショッピングを楽しんだり、モールを貯めて起業したり、結婚もできます。自分でつくった街の市民として活動ができるのです。

紙幣(モール)は100モール、1000モールなど全部で4種類。所得税・消費税もある。ブース収入に応じて売上税も徴収。画像提供/NPO子どものまち)

紙幣(モール)は100モール、1000モールなど全部で5種類。所得税・消費税もある。ブース収入に応じて売上税も徴収。画像提供/NPO子どものまち)

コロナ禍の2021年3月には、オンラインで「こどものまち」を開催。Zoomのブレークアウトルームの機能を利用し、受付、お菓子屋さん、放送局などをオープン。子どもたちは、画面越しに交流をしました。

2021年のオンライン開催の様子。子どもたちはすぐに打ち解けた(画像提供/NPO子どものまち)

2021年のオンライン開催の様子。子どもたちはすぐに打ち解けた(画像提供/NPO子どものまち)

オンラインの放送局では、物語の朗読が行われた(画像提供/NPO子どものまち)

オンラインの放送局では、物語の朗読が行われた(画像提供/NPO子どものまち)

一見、職業体験を通じて社会の仕組みを学習する試みと思われがちですが、それは「こどものまち」の一面にすぎません。ミニさくらを主催するNPO子どものまち理事長の金岡香菜子さんは、「こどものまち」で一番大事なことは「遊び」だといいます。

「コロナ禍でも、『危ないからやめよう』ではなく、地域に何ができるか考えて活動しています」と金岡さん(画像提供/NPO子どものまち)

「コロナ禍でも、『危ないからやめよう』ではなく、地域に何ができるか考えて活動しています」と金岡さん(画像提供/NPO子どものまち)

「『こどものまち』は、子どもたちが主役になって、1つの街をつくる“遊び”です。ミニミュンヘンが掲げている理念は、『遊びは学びに通じる』。ミニさくらの『こどものまち』では、まず、思い切り楽しんで、遊んでもらうことが第一優先。結果的に学びにつながれば」

「遊び」は、その行為から得られる楽しさ面白さを目的として自発的に行われるもの。大人の考える学習効果を優先して子どもが心から楽しめなければ、学ぶ楽しさも伝わらないという考えです。

大人は子どもたちの自由な活動を見守ります。常に運営に関わっている大人サポーターは10人ほどですが、こどものまち開催時は60人が裏方になります。小学校3年生~18歳までの子どもスタッフも半年前の準備段階から会議に参加しています。

金岡さんが会議の際に心がけているのは、「おとなの提案を受け入れすぎないこと」。ミニさくらでは、親や運営に携わる大人に対し、「見守ること、忍耐すること、指図しないこと、口出ししないこと、楽園天国!(頭文字をとって『ミニさくら』のあいうえお作文)」を伝えています。スタッフは、主役のこどもたちの自由な発想を引き出すためのサポートをします。

商店街でのこどものまち、理解を得るまでには苦労も

ミニさくらの「こどものまち」の開催場所は、地元の中志津中央商店街。商店街は、遊歩道になっていて、商店の前面は2mほどのアーケードになっています。アーケード下の空き店舗の前にブースを設置し、「こどものまち」を行います。活動には、商店会をはじめ、自治会、佐倉商工会議所、佐倉市観光協会、下志津小学校、佐倉市教育委員会が協力しています。

店の売り上げを上げようと、子どもたち自ら商店街に繰り出し、商品をアピール(画像提供/NPO子どものまち)

店の売り上げを上げようと、子どもたち自ら商店街に繰り出し、商品をアピール(画像提供/NPO子どものまち)

金岡さん自身、小学校5年生のときに「こどものまち」に参加し、面白さの虜になった子どもでした。翌年に子どもスタッフとして運営に関わるようになり、高校在学中にNPO子どものまちの高校生理事に就任。卒業後は大人サポーターとして関わり、現在は理事長として運営を率いています。

「私が子どもスタッフをしていた10年前は、近隣住民の方から時には厳しいご意見をいただくこともありました。地元のお祭りに積極的に参加したことや、ミニさくらの開催を重ねるうちにだんだん理解を深めてもらい、受け入れていただけたのかなと思います。今では、『商店街でも何かをしたい』と言ってくださり、子どもたちが投票した気に入ったお店を表彰するトロフィーをつくっていただきました」

商店街の広場で行われる市長を決める選挙。候補者を真剣に見つめる子どもたち(画像提供/NPO子どものまち)

商店街の広場で行われる市長を決める選挙。候補者を真剣に見つめる子どもたち(画像提供/NPO子どものまち)

子どもスタッフの集合写真。笑顔がはじける(画像提供/NPO子どものまち)

子どもスタッフの集合写真。笑顔がはじける(画像提供/NPO子どものまち)

「『ミニさくら』で警察を担当した子どもが『警察官はどんな仕事をしているのか知りたい』と、近くの駐在所に聞きに行ったこともありました。商店街だからこそ、いろんな人と交流でき、自分で課題に気付いて解決することも体験できます」(金岡さん)

街の仕組みをつくり、働くことで社会を動かす体験は、自分の街へ関心を持つきっかけになります。

「成人式の記念誌に『商店街のこどものまちが面白かった』と書いてあるのを見かけて、とてもうれしかったです」と笑顔を見せる金岡さん。活動を通じ、佐倉の街を好きになってくれたらと願っています。

参加していた小学生がユーススタッフとして子どもをサポート千葉市のこどものまちは、官民複合ビル「Qiball(きぼーる)」が会場。親は、会場を見下ろせるカフェで子どもたちを見守る(画像提供/こどものまちCBT)

千葉市のこどものまちは、官民複合ビル「Qiball(きぼーる)」が会場。親は、会場を見下ろせるカフェで子どもたちを見守る(画像提供/こどものまちCBT)

千葉市こどものまちCBT実行委員会が運営する「千葉市こどものまちCBT」は、「誰もが主体的に、自由な発想で関われるまち」をテーマにしています。2009年に「こども環境学会・千葉大会」のワークショップとして開催。その後、実行委員会形式の大人ボランティアを中心に、千葉市役所こども企画課職員、千葉市子ども交流館の職員も参加し、協働で取り組んでいます。子どものころに参加した小学生が、大学生や社会人になって大人スタッフとして関わり続けているのも特徴です。こども部会長を務める水野敬一朗さんも、大学院生のころ、ユーススタッフ(学生などによるボランティア)として関わったのをきっかけに、地域活動のひとつとして10年以上関わっています。

「地域活動がライフワーク」と語る水野さん。「NPO法人全国てらこやネットワーク」や「てらこやちば」などでも地域教育の活動を行っている(画像提供/こどものまちCBT)

「地域活動がライフワーク」と語る水野さん。「NPO法人全国てらこやネットワーク」や「てらこやちば」などでも地域教育の活動を行っている(画像提供/こどものまちCBT)

毎年9月に開催され、会期は3日間。延べ1000人ほどの子どもが訪れる。コロナ禍の今年は、例年開催している9月のイベントの是非をオンライン会議で話し合い、リアルとオンラインを組み合わせて行う予定(画像提供/こどものまちCBT)

毎年9月に開催され、会期は3日間。延べ1000人ほどの子どもが訪れる。コロナ禍の今年は、例年開催している9月のイベントの是非をオンライン会議で話し合い、リアルとオンラインを組み合わせて行う予定(画像提供/こどものまちCBT)

子どもと離れるのを不安に思う親には、子どもの自主性を尊重する会の主旨を説明し、見守りをお願いする(画像提供/こどものまちCBT)

子どもと離れるのを不安に思う親には、子どもの自主性を尊重する会の主旨を説明し、見守りをお願いする(画像提供/こどものまちCBT)

高学年の参加者が、低学年をリードする。会場の配置計画をボードに描いて動線を確認。会場の配置計画や設営など、活動の最初から子どもたちが参加している(画像提供/こどものまちCBT)

高学年の参加者が、低学年をリードする。会場の配置計画をボードに描いて動線を確認。会場の配置計画や設営など、活動の最初から子どもたちが参加している(画像提供/こどものまちCBT)

コアスタッフという運営側に登録すると、年間を通した会議に参加することができます。小学校低学年は、飲食店など自分のなりたい職業で店長となり、ユーススタッフと大人の支援を受けながら、商品開発、仕入れ(材料吟味)、人員シフト(バイト管理)、宣伝などを考えていきます。

小学校高学年と中高生は、まちの仕組みを考えていく「公共」という役割を担うことが多く、市役所や警察、銀行、お仕事紹介センター、清掃、選挙管理委員会などを担います。

「こども市長選挙の際には、候補者からさまざまなマニフェストが出ます。『大人の社会の投票率には負けたくない!』『見た目の可愛さ・かっこよさで選んじゃうから、仮面をかぶり、政策だけで選んでもらう選挙にしよう』などの意見が印象に残っています。今年は、『選挙権・被選挙権は、小学校5年生以上が良いのでは?』ということが子どもたちから議題に上がりました」(水野さん)

実際の投票箱を使って、自分の「まち」のトップにしたい人へ初めての一票(画像提供/こどものまちCBT)

実際の投票箱を使って、自分の「まち」のトップにしたい人へ初めての一票(画像提供/こどものまちCBT)

こども市長選挙の演説会には、毎年、千葉市長が応援に訪れる。熊谷俊人千葉市長(2011年当時)と候補者(画像提供/こどものまちCBT)

こども市長選挙の演説会には、毎年、千葉市長が応援に訪れる。熊谷俊人千葉市長(2011年当時)と候補者(画像提供/こどものまちCBT)

開票結果発表の様子。候補者にとって緊張の瞬間(画像提供/こどものまちCBT)

開票結果発表の様子。候補者にとって緊張の瞬間(画像提供/こどものまちCBT)

大人がつくった現実の街をただ模倣するのではなく、理想の街を目指して、自由な発想でつくり上げていくのが特徴です。過去には、税金や未就学児の支援として保育所を導入したこともあります。

「学校や家庭とは違った経験ができる貴重な場所になれば。いわゆる第3の居場所『サードプレイス』的な役割でしょうか。成長するにつれて、子どもたちは、自分のお店から、街全体(みんな)を考えるようになっていきます。そして、子どもからユーススタッフになると、サポートする役割を学ぶことができるのです」(水野さん)

「こどものまちCBT」で労働の対価として支払われる紙幣(カフェ)(画像提供/こどものまちCBT)

「こどものまちCBT」で労働の対価として支払われる紙幣(カフェ)(画像提供/こどものまちCBT)

子どもたちを見守る樫浦実行委員長。発足時から、「こどものまち」の活動に携わってきた(画像提供/こどものまちCBT)

子どもたちを見守る樫浦実行委員長。発足時から、「こどものまち」の活動に携わってきた(画像提供/こどものまちCBT)

現在、ユーススタッフとして運営に関わっている大矢和樹さん(19歳・大学生)は、小学校4年生のときに「こどものまちCBT」に参加。5年生からコアスタッフに、現在はユーススタッフとして活動をしています。
「中学校1年生のとき、友達と『こどものまち』に起業できる制度をつくりました。この時の体験で、自分たちで調べて主体的に関わることを学びました。ここで育ててもらったと思っています」(大矢さん)

菅沼直樹さん(23歳・社会人)は、自身が発案した「税金制度」を導入しました。高校生のとき、「こどものまちCBT」でも実社会と同じようにお金(カフェ)がもらえるのに、所得税や法人税、消費税といった実社会での仕組みがなく「なぜ?」と考えました。ほかのスタッフや大人のスタッフの力を借り、3年をかけて形にしていきました。集めた税金は、起業したお店への資金サポートや公共グループで働く人の給与、閉店するお店を手伝ってくれた子どもたちへの「ありがとうギフト」に還元しました。

「このときの経験から心がけているのは、子どもたちの状況に応じて見守ること。さまざまな事態を子どもたちの力で解決することが、彼らにとって大きな成長につながると感じているからです」(菅沼さん)

こどものまちではトラブルも発生します。危険な行為については大人が毅然とした態度で注意しますが、それ以外のことは子ども同士で話し合い、解決や新たな気付きがあるようにサポートします。

現在は子どもに携わる仕事についている小林美実香さん(23歳・保育士)は、参加に立派な理由がなくてもいいと語ります。
「私は子どものころ、こどものまちCBTに参加して、世界の景色が変わりました。子どもたちには、難しいことを考えず、楽しんでもらえたら。大人スタッフになった今、まちづくりをやりやすくするだけじゃなくて、時には壁になってあげるのもいいと思っています」(小林さん)

さまざまな職業・立場の人が集まる場所で、協力したり、ぶつかったりしながら、話し合い、理想の街をつくりあげていくのは、実際の街づくりと同じ。「こどものまち」の経験を通じて育まれた自己肯定感は、子どもの将来の夢や希望へとつながっています。

●取材協力
・ミニさくら(NPO子どものまち)
・千葉市こどものまちCBT

神戸の洋館「旧グッゲンハイム邸」裏の長屋の暮らしが映画に! 塩屋をおもしろくする住人が集う理由

兵庫県神戸市の海辺に美しい姿を見せる古い洋館。その裏の長屋で共同生活を送る若者たちの日常を描いた映画『旧グッゲンハイム邸裏長屋』が神戸市内の映画館で公開され、話題を呼んでいる。主要な登場人物は当時の住人。たわいない会話のやりとりと古びた長屋、海と山が間近にせまる小さな街・塩屋の風景。いま、コンセプチュアルでおしゃれなシェアハウスが人気を呼ぶなか、このノスタルジックな共同生活に多くの人が心惹かれるのは何故なのか。リアルな姿を知りたいと、長屋を訪ねてみた。
共同リビングルームで何気ない会話を日々つむぐ

神戸の中心地、JR三ノ宮駅から普通電車で約20分。穏やかな瀬戸内海が車窓から見えてきたら塩屋駅に到着する。小さな改札口を抜け、細い路地を通り、踏切を越えて石段を上がると白壁の洋館「旧グッゲンハイム邸」が現れる。

線路のすぐそばまで山が迫る塩屋。明治の名建築・旧グッゲンハイム邸はこの街のランドマークだ(写真撮影/水野浩志)

線路のすぐそばまで山が迫る塩屋。明治の名建築・旧グッゲンハイム邸はこの街のランドマークだ(写真撮影/水野浩志)

明治41年に建てられたとされる「旧グッゲンハイム邸」は現在、イベントスペースとして使われており、黒沢清監督の映画『スパイの妻』のロケ地にもなったところ。そんな瀟洒(しょうしゃ)な洋館と対比するような質素な外観で裏庭に建っているのが、今回訪ねる長屋だ。

住人が集うリビングにはソファやテーブル、冷蔵庫、本、楽器などが所狭しと置かれる。映画の中で、日々の生活を記録するのが日課の“せぞちゃん”、裏山に登ることが好きな“としちゃん”、料理上手な“あきちゃん”、仕事に恋に忙しい“づっきー”たちが、食卓を囲み、時には恋愛のことや将来の悩みを打ち明け、セッションを楽しんだ場所だ。
「旧グッゲンハイム邸」の管理人、森本アリさんと、住人で映画の主人公の清造理英子(せぞちゃん)さん(※清は旧字体)、元住人で森本さんと共に塩屋の魅力を発信する「シオヤプロジェクト」を手掛ける小山直基さんの3人に、リビングでお話をうかがった。

取材は映画に登場する長屋のリビング、通称“グビング”で(写真撮影/水野浩志)

取材は映画に登場する長屋のリビング、通称“グビング”で(写真撮影/水野浩志)

ヨーロッパで見た「空き家リノベ×共同生活」スタイルを神戸に実現

そもそも森本さんが旧グッゲンハイム邸の管理人になったのは2007年のこと。老朽化し、解体の危機に立たされていた旧グッゲンハイム邸をなんとか存続させようと、森本さんの両親が同館を購入したことがきっかけだ。

旧グッゲンハイム邸の管理人、森本アリさん(写真撮影/水野浩志)

旧グッゲンハイム邸の管理人、森本アリさん(写真撮影/水野浩志)

洋館の裏に立つ長屋は、もとの所有者が寮として使っていた場所。洋館を多目的スペースとして使用することになり、裏の長屋を共同生活の場とした。
「僕が留学していたベルギーをはじめヨーロッパでは空き家を再利用して友だちと一緒に住むのはよくあること。共同で住むスタイルに違和感はありませんでした。ヨーロッパで見てきたことを、日本でも実現できないかと思ったんです。本音を言えば、『イベントスペース+長屋』として運営しながら、僕の音楽仲間が集まって活動ができる場にしたかった。自分自身が楽しみたかったんですね」

白壁に緑色のアクセントが美しい旧グッゲンハイム邸。その左奥に見える建物が、映画が撮影された長屋だ(写真撮影/水野浩志)

白壁に緑色のアクセントが美しい旧グッゲンハイム邸。その左奥に見える建物が、映画が撮影された長屋だ(写真撮影/水野浩志)

現在は同館の運営に携わっている小山さんは、2007年に長屋が始まった時から8年間住んでいた。まだシェアハウスという言葉もあまり浸透していなかったころだ。
「たまり場が欲しかったんです。高校時代から友だちの家に集まっては夜中までゲームしたり、音楽を聞いたり。ただただ仲間と同じ空間にいて時間を浪費しているだけ(笑)。でも私にとっては居心地がよかった。大人になっても、そんな場所が欲しかったし、自分でつくりたかった。でも、当時はワンルームのマンションやアパートが主流で、不動産屋を回っても全く分かってもらえなかったんです」

シオヤプロジェクトのメンバーで元住人の小山直基さん(写真撮影/水野浩志)

シオヤプロジェクトのメンバーで元住人の小山直基さん(写真撮影/水野浩志)

そんなときに塩屋が地元の高校時代の友人からこの長屋を紹介された。「たまり場にできる十分なスペースがあって、大音量で音楽を聞いても怒られない(大家のアリさんが一番音量を上げる)し、DIYもOK! 僕の希望を全部叶えてくれる場所でした」
入居後、小山さんはグビングに毎夜のように住人や友人を誘って一緒に食事をし、映画鑑賞会を開いたり、管理人の森本さんらと楽器演奏をして盛り上がったり。同じく住人だった女性と結婚した後も長屋を離れがたくて、しばらく2部屋で住んでいた。子どもが産まれる直前になってやっと引越したが、現在住んでいる家も長屋の近くだ。
映画の主人公を務めた清造さんは入居5年目。現在10人いる住人のうち最も古くからの入居者だ。音楽活動を通して森本さんと知り合い、長屋の存在を知った。

映画の主人公になった清造理英子さん(写真撮影/水野浩志)

映画の主人公になった清造理英子さん(写真撮影/水野浩志)

「(長屋に住まないかと聞かれたとき、)ここに住んだら楽しいだろうな、とは思っていましたが、既に同居している人たちの中に飛び込むことも、知らない人たちと共同生活を送ることにも多少の不安はありました。でも、シェアハウスに住む機会って人生で1回あるかないかだろうし、と思って。その結果、もう5年も住んでいますが(笑)」

清造さんが今も引越さない理由は「今のところはまだ、ここ以上の場所が見つからないから」
「夜中に誰かが突然テーブルに網を張って卓球大会を始めたり、プロジェクターを出して大画面でゲームをしたり、突発的に何かが起こるのも面白いです。気分が乗らないときは参加しないこともありますが、それで気まずくなったりはしないし、住人同士の付き合いは気楽です。他の人が料理をするのを見て知らなかったスパイスの使い方を覚え、キャンプにも一緒に行き、知らない世界を知ることができる。一人暮らしだったら経験していなかったであろうことがたくさんあります」

リビングの前のテラスで朝ご飯を食べたり、七輪で肉を焼いたり(写真撮影/水野浩志)

リビングの前のテラスで朝ご飯を食べたり、七輪で肉を焼いたり(写真撮影/水野浩志)

住人同士のクラブ活動も盛ん。トランペットバンドや手芸部、山登りクラブなども。「もちろん自由参加なので、大勢集まることもあれば、蓋を開けてみれば一人だけ、なんていうこともあります(笑)」(清造さん)(写真撮影/水野浩志)

住人同士のクラブ活動も盛ん。トランペットバンドや手芸部、山登りクラブなども。「もちろん自由参加なので、大勢集まることもあれば、蓋を開けてみれば一人だけ、なんていうこともあります(笑)」(清造さん)(写真撮影/水野浩志)

リビングの奧が共同キッチン。お皿や調理器具はシェアして使い、食事は各自でつくって食べている(写真撮影/水野浩志)

リビングの奧が共同キッチン。お皿や調理器具はシェアして使い、食事は各自でつくって食べている(写真撮影/水野浩志)

代々の住人たちが日々の思いや出来事、連絡事項などを書き綴ったノート(写真撮影/水野浩志)

代々の住人たちが日々の思いや出来事、連絡事項などを書き綴ったノート(写真撮影/水野浩志)

奧に個室が並ぶ。2階建てで現在10人が入居している(写真撮影/水野浩志)

奧に個室が並ぶ。2階建てで現在10人が入居している(写真撮影/水野浩志)

住人たちが塩屋に住み続ける理由

音楽を核とする居場所、仲間が集まる居場所。今から15年ほどまえに、森本さんらが自分の理想の暮らしを求め、“居場所”をつくった。
当初、森本さんは荒れた長屋を自分で改修しながらシェアハウス化しようと決め、居室を入居者が自らDIYすることを条件に募集。退去時も「原状回復」の必要なし。手のかかる改築作業を楽しみ、前の住人がつくった個性的な部屋に面白みを感じるクリエイティブな人が次々と住人になっていった。イラストレーターやレゲエ好きの料理人、街づくり担当の行政マン、地元の漁師までと、仕事はさまざまだが、クリエイティブな感覚を持ち合わせている人たちが口コミで集まる。
今回の映画『旧グッゲンハイム邸裏長屋』の監督・前田実香さんもこの長屋出身だ。
イベントスペースとして活用している旧グッゲンハイム邸本館の存在も大きい。

例えばシンガーソングライターの曽我部恵一氏の音楽会や、神戸関連の本を出版しているライター・平民金子氏らのトークショーなど、話題の人たちのイベントが開かれており、住人は身近に新しいアートや文化を感じることができる。
ほかにも、塩屋のリノベーションに特化したイベントや、無声コメディ映画の弁士と楽士付きの上映会(子どもの食いつきがすごい)や神戸ロケの映画を深く掘り下げるイベントなどもあり、実にバラエティー豊か。また、住人が自然発生的に始めた“グビング”でのクリスマス会や餅つき大会などの行事が発展して、本館でのイベントになったケースもある。

流しそうめんの様子(写真撮影/片岡杏子)

流しそうめんの様子(写真撮影/片岡杏子)

それにしても驚くのは、卒業した人の多くが塩屋にとどまり、クリエイティブな感覚を活かして、街の活性化の一端を担っていることだ。
それだけ、塩屋の街自体に大きな魅力があるのだと感じる。

海と山が間近に迫る塩屋は、街中に狭い道幅の坂道が走る。細い急な坂を登ると、眼下には塩屋の街の家々が広がる。建ち並ぶ住宅の中に古い洋館が点在する様子も、かつて多くの外国人がこの景色に惹かれて住んだ街らしい華やぎを添える。
「長屋の窓を開けると目の前に海が見えて、裏にすぐ登れる山があって。でも三宮まで電車で20分で行ける。私もそろそろ別の場所に引越そうかなと思うのですが、ここ以上に魅力的なロケーションはなかなかないんですよね」(清造さん)

目の前に海が広がり、時折船の汽笛が聞こえてくる。旧グッゲンハイム邸の2階から(写真撮影/森本アリ)

目の前に海が広がり、時折船の汽笛が聞こえてくる。旧グッゲンハイム邸の2階から(写真撮影/森本アリ)

大切なのは街のサイズ感。人との距離が近く街ごと自分の“居場所”に

阪神・淡路大震災以降、神戸の多くの街で復興事業と再開発が進んだ。そのなかで、比較的被害が少なく、昔ながらの街の姿が残ったことが塩屋の価値につながっていると森本さん。
「僕が留学先のベルギーから帰国したのは大震災の翌年でしたが、塩屋は区画整理がなされていなかった。他の街の駅前にロータリーができ、大きな商業施設や高いマンションが次々建つ様子に、薄っぺらさを感じました。塩屋は山にへばりつくように家が建つ狭い谷間の街。坂道がある、道が狭くて車が通れないなど、住むのにはややこしい。ややこしくても住みたいと思う人が住めばいいと思う」

駅前の商店街に昔ながらの豆腐店や魚屋が並ぶ。小さな個人商店が愛され続けているのも塩屋の魅力だ(写真撮影/水野浩志)

駅前の商店街に昔ながらの豆腐店や魚屋が並ぶ。小さな個人商店が愛され続けているのも塩屋の魅力だ(写真撮影/水野浩志)

では、「ややこしい街」にあえて住む理由は何か。
その答えとなる象徴的なエピソードを小山さんが教えてくれた。
小山さんの妻はニュータウンで育ち、20代で長屋の住人となった。塩屋の開発について住民の意見交換の場で、塩屋についての思いを伝えた。「私、思うんです。毎日魚屋さんで魚を買い、豆腐屋さんで豆腐を買う。そのたびに会話があります。道が狭いからいつの間にか知らない人と顔見知りになり、会話をするようにもなる。スーパーしか知らない私にとって、そういった日々の生活は新鮮で楽しい」と。
森本さんは「そのとき、再開発を進めるよう声を上げていた地元のお年寄りたちが、水を打ったようにシーンとなった。この言葉で話し合いの潮目が変わりました」と振り返る。
清造さんも同じ印象を持つ。「住み始めて1週間も経たないのに、商店街の人が『おかえり』と声をかけてくれたり、今日はみんなでごはんを食べることを伝えたら『これも持っていき!』とおまけをつけてくれたり。なんだか嬉しいですよね」
「清造が豆腐屋の作業場で昼飯食べているのを見たときは、笑った」と森本さん。

塩屋商店会と「シオヤプロジェクト」が協力して制作した塩屋のイラストマップ。「塩屋中を歩き回ったなぁ」と森本さんと小山さん(写真撮影/水野浩志)

塩屋商店会と「シオヤプロジェクト」が協力して制作した塩屋のイラストマップ。「塩屋中を歩き回ったなぁ」と森本さんと小山さん(写真撮影/水野浩志)

小さな街だから、同じ人と出会う回数も多く、出会えば声を掛け合うし仲良くもなる。人と人が繋がるハードルが都心部よりずっと低く、知り合いがいることで街に愛着が生まれる。街が丸ごとその人の“居場所”になる。それが「ややこしさ」ゆえの魅力であり、長屋の元住人が卒業しても塩屋に住み続ける理由ではないだろうか。

森本さんは、旧グッゲンハイム邸の管理人をしながら塩屋をテーマにした本『塩屋百年百景』等の出版や塩屋のイラストマップを制作するなど多彩な活動を継続的に行ってきた。2014年には「シオヤプロジェクト」を立ち上げ、アーティストたちとともに展覧会や街歩き、新しい地図を制作するワークショップを行うなどして、塩屋の魅力を発信している。

旧グッゲンハイム邸裏長屋の住人がキッチンでつくる個性あふれる料理をレシピ本に。映画のパンフレット代わりとしても販売され、好評。こういった共同作業が絆を深める(写真撮影/水野浩志)

旧グッゲンハイム邸裏長屋の住人がキッチンでつくる個性あふれる料理をレシピ本に。映画のパンフレット代わりとしても販売され、好評。こういった共同作業が絆を深める(写真撮影/水野浩志)

長屋の元住人が駅前の商店街にオープンしたカレーショップが「行列ができる店」になり、次第に古民家カフェやピザ店ができるなど、旧グッゲンハイム邸の復活をはじめとする森本さんたちの取り組みによって、塩屋は休日に人が散策を楽しみに訪れる街に生まれ変わっていった。
街に“新しい風”が吹き込まれたことで、次第に若い世代の流入が進み、車が入らない細い道は「ベビーカーを安心して押せる道」と考える、子育て世代のファミリーたちの姿も目に付くようになった。

コロナ禍で注目度高まり、移住者が増加

今、コロナ禍の塩屋で新たな動きが起こっていると森本さん。
「昨年から塩屋商店会の加盟店舗に10店舗が増えています。古着屋、台湾カフェ、おしゃれな花屋。人が少なく商売が難しい街なのに、そのリスクを覚悟してオープンしているのだから、気骨を感じる店ばかり」
遠方への外出が難しい中、生活が徒歩圏で日常も休日の楽しみも完結できる塩屋への注目度は高まり、移住者が増えているそうだ。
「とはいえ、あんまり人が多くならん方がええかな」と森本さんは本音もぽろり。

海と山の距離が神戸市内で最も近いと言われる塩屋。駅の北側はどこを歩いても坂道ばかり(写真撮影/水野浩志)

海と山の距離が神戸市内で最も近いと言われる塩屋。駅の北側はどこを歩いても坂道ばかり(写真撮影/水野浩志)

森本さんが「塩屋の尾道」と呼ぶ、洋館に導く細い階段(写真撮影/森本アリ)

森本さんが「塩屋の尾道」と呼ぶ、洋館に導く細い階段(写真撮影/森本アリ)

六甲山全山縦走の西側の起点でもある旗振山を望む(写真撮影/森本アリ)

六甲山全山縦走の西側の起点でもある旗振山を望む(写真撮影/森本アリ)

昔ながらの商店街は活気があり、おしゃれなカフェや個性的な専門店などで今の時代のクリエイティブな空気感にも浸れる。通勤も便利だし、在宅ワークに疲れたときにはふらりと外に出て山や海を眺めれば気分爽快だ。
「塩屋のようなポテンシャルの高い街は神戸にたくさんあります。例えば長田区や兵庫区など、神戸はどこも街が山に溶け込むその境目付近に、とても魅力的な住宅地があるんです。塩屋的な街の見つけ方ですか? 街が狭いこと、開発されていないこと、家賃が安いこと!」(森本さん)
実際、森本さんも若い世代や、フリーランスのクリエーターたちが誰でも住めるよう、長屋の家賃を3万円代から上げるつもりはない。
清造さんは、いずれは地元に戻る予定だという。「でも塩屋を離れても、長屋みたいに人と人とが関われる場をつくっていけたら」と話す。
「旧グッゲンハイム邸裏長屋」のように、住人たちが自分の住む街を気にかけて、街のためにできることを語り合って模索していく。ポストコロナの時代には、そんな動きが広がっていくかもしれない。

●取材協力
旧グッゲンハイム邸 
シオヤプロジェクト

●映画の公開情報
『旧グッゲンハイム邸裏長屋』

空き家DIYをイベントに! カフェなど地域の交流の場に変える「solar crew」

増え続ける空き家が、社会問題化した昨今。そんななか、「空き家再生のDIYに地域住民を巻き込んでいく」プロジェクトに挑戦し続けている、小さなリフォーム会社がある。「solar crew」と名付けられたこのプロジェクトの仕掛け人、太陽住建 代表取締役の河原勇輝さんに、スタートした経緯や反響、今後の展開について、お話を伺った。
DIYイベントで地域の交流の場づくりの土台に

空き家リノベーションのDIYをイベント化するというプロジェクト「solar crew」。2020年からスタートしたこの事業は、再生された空き家は、オフィスやコワーキングスペース、一部は地域の交流の場として開放され、つくって終わりではなく、使うことで継続的な地域のつながりの場となり、新たな空き家活用法として注目されている。

条件は、Facebookのプライベートグループ「空き家でつながるコミュニティsolar crew」に参加することだけ。参加理由は「DIYに興味がある」「何かしら社会貢献できるようなことがしたい」「子どもの体験として」とさまざま(画像提供/太陽住建)

条件は、Facebookのプライベートグループ「空き家でつながるコミュニティsolar crew」に参加することだけ。参加理由は「DIYに興味がある」「何かしら社会貢献できるようなことがしたい」「子どもの体験として」とさまざま(画像提供/太陽住建)

太陽光発電設置のDIYイベントでは、パネルを貼る工事にも参加できる(画像提供/太陽住建)

太陽光発電設置のDIYイベントでは、パネルを貼る工事にも参加できる(画像提供/太陽住建)

プロジェクトを始めたきっかけは、河野さんが1日限定のDIYのワークショップに初めて行った時の、参加者の意外な反応だったという。
「最初の空き家再生事業で、地域住民の方を対象に、お披露目も兼ねて開催したんです。壁を塗ったり、テーブルをつくったりする簡単なものでしたが、参加者の方から、“解体もやってみたかった””デザインの仕事をしているので、プランを考えてみるところから参加してみたかった”という感想をいただいたんです。こちらとしては、ほぼ出来上がったものを提供するほうが負担がないと考えていましたが、でき上がるまでのストーリーのほうに関心のある人が増えているんだと、新たな発見でした」

共同作業をしながら自然と会話。愛着が生まれる

その後、単発のワークショップではなく会員制(2021年6月末時点で184名)にすることで、DIYのイベントをきっかけに、継続的な関わりが生まれている。
「参加者は、家族で参加している3歳のお子さんから、腕に覚えのある70代の方まで。普段は接点がないような方が、作業をしていると、自然と会話が生まれて、楽しそうなんですよ。特に、普段は何かと会話の外にいるお父さんたちが仲を深めている様子はよく見ます」

自ら工事を手掛けることで、その拠点に愛着がわき、自分のサードプレイスになりやすい利点もある。

DIYイベントの1コマ(画像提供/太陽住建)

DIYイベントの1コマ(画像提供/太陽住建)

(画像提供/太陽住建)

(画像提供/太陽住建)

現在、「solar crew」で再生された空き家は5件。
完成した家は、町内会のイベント、ママたちのランチ会、趣味のワークショップなど、さまざまな使い方がされている。カフェ、シェア型の畑、宿泊もできる施設など、スタイルもさまざま。会員は、その土地のエリア特性に合ったコンセプトづくりから参加できる。
「例えば、このあたりは公園が少ない、子ども連れでも気兼ねしなくていいカフェがほしい、テレワークスペースのニーズがあるなど、その地域の課題を解決できる場でもあってほしいと考えています」

空き家にある畑も活用して拠点へ(画像提供/太陽住建)

空き家にある畑も活用して拠点へ(画像提供/太陽住建)

地域の料理会の様子(画像提供/太陽住建)

地域の料理会の様子(画像提供/太陽住建)

露天風呂のある箱根町のペンションも、昨年末からDIYをし、地域の拠点に。「オーナーさんが、地域のためになるならと賛同していただきました」(画像提供/太陽住建)

露天風呂のある箱根町のペンションも、昨年末からDIYをし、地域の拠点に。「オーナーさんが、地域のためになるならと賛同していただきました」(画像提供/太陽住建)

大家も利用者も“Win-Win”な収支システムを実現

ここまで「solar crew」のメリットに関して解説してきたが、“収支”も気になる。
「空き家のリノベーション費用は当社が負担し、大家さんへは、ほぼ固定資産税程度の賃料を支払っています。このシステムなら、空き家を持て余していた方も参画しやすいでしょう。大家さんの“使わないけれど手放したくない”という切実な思いに応えたいんです」

個人会員は一部のイベント開催は別として、参加費は無料。法人会員は協賛金を支払い、ワークスペースやイベントの開催、ショールームとして使用することもできる仕組みだ。

また、いわば社会問題でもある空き家を活用する事業として、区役所、地域ケアプラザ、社会福祉協議会、町内会からなる「運営協議会」を設け、空き家の活用方法を協議している。
「地域に密着した事業を行う企業は、この場がマーケティングの場となっています。例えば、地元で数店舗の美容室を経営するオーナーの方が、ファンづくりをする場としてイベントを開催するなど、うまく機能していました」

ほかにも、「プレゼンが苦手」という職人気質の個人事業主さんに、大手IT企業勤務の会社員の男性がパワーポイントで資料を作成する業務を副業として請け負ったりと、新たなビジネスのきっかけになることも。
「最初は、大工仕事をしてみたいなぁとか、親子で遊べる場として利用してみようかなぁなどのささいなことがきっかけでも、思わぬ出会い、発見があります。最近では、DIYに興味があると参加した大学生が、どっぷり『solar crew』にハマり、当社にインターンとしてやってくる予定なんです」

地元の美容室による「子ども向けヘアサロン」のイベント。販促の場として活用されている(画像提供/太陽住建)

地元の美容室による「子ども向けヘアサロン」のイベント。販促の場として活用されている(画像提供/太陽住建)

さらに「地域交流の場」だけでなく、耐震シェルター、太陽光発電システムでオフグリッドの発電と、「防災の拠点」の役割も担っている(画像提供/太陽住建)

さらに「地域交流の場」だけでなく、耐震シェルター、太陽光発電システムでオフグリッドの発電と、「防災の拠点」の役割も担っている(画像提供/太陽住建)

倒産の危機を乗り越え、たどり着いたのは“地域に貢献したい”という想い

このように順調に見えるが、実は河原さん、2009年に創業した会社は、2年目には倒産の危機にあったそう。
「当時は、マンションやアパートの原状回復、細々とした修繕など、施工を首都圏全域でやっていました。しかし、遠方へは時間も交通費もかかる。さらに、DIYブーム、大型ホームセンターの盛況から、単純な工事を請け負うだけではまわらなくなると、相当な危機感を感じました」
そんな、河原さんが目指したのは、とことん「地元に愛される」会社になること。
「最初は街のゴミ拾いから。半年続けました。その後、街のお祭りに声を掛けられたり、町内会に呼ばれるようになったり……。そのうち自然と、地域の人、行政の人とつながりができ地域の課題が見えてきた。これが現在の空き家活用事業につながっていると思います」

弱冠24歳で、会社を創業。本業のほか、さまざまなNPOや一般社団法人に所属。さらに地域の消防団にも加入、子どもの通う小学校のPTA会長も担うなど、地域コミュニティに貢献している。「地元の人に喜ばれることで、働く側もモチベーションがあがり、幸せな循環が生まれています」(画像提供/太陽住建)

弱冠24歳で、会社を創業。本業のほか、さまざまなNPOや一般社団法人に所属。さらに地域の消防団にも加入、子どもの通う小学校のPTA会長も担うなど、地域コミュニティに貢献している。「地元の人に喜ばれることで、働く側もモチベーションがあがり、幸せな循環が生まれています」(画像提供/太陽住建)

「空き家を地域の交流の場として再生する」「その過程から地域住民にも参加してもらう」「地域の課題を解決するための場とする」の3つを目的とする「solar crew」は、SDGsの観点からも注目されており、「第8回 グッドライフアワード 環境大臣賞」(環境省)を受賞。
テレビ、雑誌などに取り上げられることも多く、空き家に悩む方からの問い合わせも急増。コロナ禍でリアルのイベントを休止していたが、現在は、人数を制限し、感染対策をしたうえで、少しずつ再開している。

「地域循環型共生圏」の取り組みが評価され受賞(画像提供/太陽住建)

「地域循環型共生圏」の取り組みが評価され受賞(画像提供/太陽住建)

「コロナ禍で地元で過ごす時間が増え、地域コミュニティに関心が高まっている人も多いはず。そんなとき、『solar crew』が地域のプラットフォームになれたら。どんな街でも、暮らす人がいれば、必要な機能があるはず。現在は神奈川県が中心ですが、今後は、浅草など都心の案件にも挑戦していくつもりです」

次回は7月25日(日)「床の造作・カウンターづくりDIYイベント」(in真鶴)。気になる人はチェックを。

●取材協力
株式会社太陽住建
Facebook「空き家でつながるコミュニティ『solar crew』」
(25日のイベント参加等の問い合わせはFacebookまで)

シェア菜園やDIY工房つき! 暮らしは自分たちの手でつくる新しい団地ライフ

生活音に気をつかいつつ、狭い部屋でじっとリモートワーク。隣人とは会釈程度、近所のコンビニに出かけたものの、誰とも会話もせずに1日が終わる……。新型コロナウイルスの影響で、自宅で過ごす時間が増えたことにより、住まいや暮らしについて「これでいいんだっけ……?」と考えていませんか。今回はそんな人の「答え」になりそうな、リノベ団地とゆるくつながる暮らしについてご紹介しましょう。
1964年築の団地をリノベ。DIYやペット可、交流アリの住まいに

今から50年以上前にできた、東綾瀬団地。多くの建物が解体・再建築されていくなか、約5800平米の敷地に立つ2棟・48戸をリノベーションして、2020年、「いろどりの杜-hands-on-village」が誕生しました。築50年以上経過しているため上下水管は入れ替え、設備は現在のライフスタイルにあわせてあり、快適な暮らしができるようになっています。特徴は団地リノベ、DIYができること、2匹までペット可(1棟のみ)、広場でBBQやDIY教室、さまざまなイベントが開催されることなどで、いわば、今どきの賃貸のトレンドの「全部のせ物件」となっています。

1964年築の団地ですが、外壁を白くし、アクセントカラーが入るとぐっとオシャレになります(写真/片山貴博)

1964年築の団地ですが、外壁を白くし、アクセントカラーが入るとぐっとオシャレになります(写真/片山貴博)

団地の敷地内にはテラスのほか、BBQスペース、シェア農園、DIY工房などが。近々、ピザ窯もできる予定(写真/片山貴博)

団地の敷地内にはテラスのほか、BBQスペース、シェア農園、DIY工房などが。近々、ピザ窯もできる予定(写真/片山貴博)

取材時に空室となっていた部屋。床には屋久杉の無垢材、キッチンは二口ガスコンロなど、今の暮らしにあわせた設備が採用されています(写真/片山貴博)

取材時に空室となっていた部屋。床には屋久杉の無垢(むく)材、キッチンは二口ガスコンロなど、今の暮らしにあわせた設備が採用されています(写真/片山貴博)

取材時に空室だった部屋。DIYができるため、前の住民がペイントしたもの。オシャレ&このまま住みたい…(写真/片山貴博)

取材時に空室だった部屋。DIYができるため、前の住民がペイントしたもの。オシャレ&このまま住みたい……(写真/片山貴博)

4階建ての建物、2棟のうち1棟にはエレベーターはついていませんが、若い世代が中心となっているためか、まったく気にならないとか。むしろ建物と建物の間隔が広く、その抜け感・開放感が新鮮にうつっているようです。

住居部分とは別に、団地の設備である宅配ロッカー(左)と住民専用のBBQグッズのある「いろどりキャビン」(右)とが設けられ、共用施設が充実している(写真/片山貴博)

住居部分とは別に、団地の設備である宅配ロッカー(左)と住民専用のBBQグッズのある「いろどりキャビン」(右)とが設けられ、共用施設が充実している(写真/片山貴博)

「2020年2月から入居がはじまりましたが、感染対策を行いながら、団地に住んでいる住民自身のみなさんが企画し、運営するさまざまな交流をうむイベントが行われていて、私たちも驚いています」と話すのは、建物の維持・管理などを行うフージャースアセットマネジメントの石村穂乃佳さん。この1年だけでも、住民のプロ大工さんによる月に1回のシェア工房、住民交流BBQ、竹×サステナブルをテーマにした納涼会、シェア窯プロジェクトなどを行い、団地リノベのコンセプトである、”つくる暮らしを育てる団地”がかなっているとか。

BBQスペース、シェア農園、DIY工房など、いわばハコ(設備)をつくることはできますが、イベントを企画・実施していくのは簡単ではありません。では、どのようにして企画が生まれ、行われているのでしょうか。取材日、開催されていた「団地パンまつり」の様子から理由をさぐっていきましょう。

対価はお金ではなくつながり。大人が楽しんで参加できるスタイル足立区近隣にある人気パン屋・6店のパンをそろえた「団地パンまつり」。11時のオープン前から行列ができ、45分で全商品が完売するという人気ぶりです(写真/片山貴博)

足立区近隣にある人気パン屋・6店のパンをそろえた「団地パンまつり」。11時のオープン前から行列ができ、45分で全商品が完売するという人気ぶりです(写真/片山貴博)

「団地パンまつり」は足立区近隣にある人気パン屋・6店から、よりすぐったパンをそろえて販売するというもの。広場には焚き火があって、子どもたちが焼きマシュマロを食べられたり、木工あそびができたりと、パンを買ったあとも滞在できる仕掛けもなされています。広場に集うのは、団地の住民だけでなく、近隣で暮らしている人たち。訪れたこの日、開店前にもかかわらず、多くの人が集まっていて、注目度の高さがうかがえます。

パン屋との出店交渉、どのパンを仕入れるのか、設営、販売まで住民が行います。大人の本気です!(写真/片山貴博)

パン屋との出店交渉、どのパンを仕入れるのか、設営、販売まで住民が行います。大人の本気です!(写真/片山貴博)

「パンを並べているケースも、屋久杉の床材を使ったもので、住民の手づくりなんですよ。贅沢でしょう(笑)。スタッフのTシャツもそろえて、オリジナルのロゴをいれています」と話すのは、団地の住民でもあるデザイナーの下出さん。今回はロゴの作成や、フライヤーデザインを担当しました。こうしたイベントへの参加は一切、強制ではなく、参加したい人が自分たちの得意なスキルをあわせつつ、楽しんで行っているとのこと。

焚き火(中央)に木工あそび(左)。コロナ禍で遠出できないからこうしたイベントは貴重(写真/片山貴博)

焚き火(中央)に木工あそび(左)。コロナ禍で遠出できないからこうしたイベントは貴重(写真/片山貴博)

「この団地って、人が対価として受け取るのは『お金』だけではなく、経験やさまざまなものがあるという考え方の人が集まっているんです。自分ももともとそう考えるタイプだったので、住んでより考え方が確立した感じですね」と話します。自分が得意なスキルを提供して、周囲の人を笑顔にしたり、いいね、と言われたり。長い間、人類はこうやってコミュニティをつくってきたんだなと実感します。

団地に住み、イベントをしかけている株式会社はじまり商店街の辻さん(左)とフージャースアセットマネジメントの石村さん(右)(写真/片山貴博)

団地に住み、イベントをしかけている株式会社はじまり商店街の辻さん(左)とフージャースアセットマネジメントの石村さん(右)(写真/片山貴博)

「こうしたイベントの中核を担っているのは、団地に暮らしている辻さんたちです。私たちは辻さんたちの企画を見て、いいね! と後押ししてるだけ」と解説するのは石村さん。

辻さん自身、「団地だけの閉鎖的な集いではなく、イベントを通じて地域とつながることを意識しているんです。団地を通してパン屋さん、地域の方々がつながり、暮らしが豊かになるキッカケづくりになればいいな、と。何よりこの1年で、住民のみなさんが楽しみつつ、ご近所や街の人とつながり、暮らしが豊かになっていくのを実感しています。私自身、以前は普通の賃貸アパートに住み、近隣づきあいもありませんでしたが、ここに引越してきて、『私がしたかったのはこういう暮らし~!』だと思っているんです」とうれしそうに話します。

つい先日、入居1年で転勤のため退去した人がいたそうですが、なんと住民同士で涙、涙の送別会を行ったとか。大人の住民同士が1年でそこまで仲良くなる!? と驚きますが、和気あいあいとしたイベントを見ていると、確かに仲良くなるかもなと頷いてしまいます。大人が楽しいフェスを毎月、実施している感じなのかもしれません。

つくる暮らし、交流のある暮らしをしたくて団地へ! その住心地は?ベッドを加工し、作業机に。本棚にはお気に入りの漫画を並べています(写真撮影/片山貴博)

ベッドを加工し、作業机に。本棚にはお気に入りの漫画を並べています(写真撮影/片山貴博)

ここでもうひとり、団地で暮らしている人にその住み心地を聞いてみました。
「もともとは交流のある暮らしをしたくて、シェアハウスに暮らしていたのですが、住民同士の交流があまりなくて(笑)、求めていた暮らしができなかったんです。DIYにも興味があったし、思い切ってこの団地に引越してきました」というのは朱 志剛さん。台湾出身で日本企業にお勤め、団地でお友だちをつくり、今の暮らしを満喫しています。

朱さん初めてのDIY作品となったのがパソコンを置いてある作業デスク。奥はベッドで空間を有効活用(写真撮影/片山貴博)

朱さん初めてのDIY作品となったのがパソコンを置いてある作業デスク。奥はベッドで空間を有効活用(写真撮影/片山貴博)

自作したテレビラック。DIY初心者からここまで上達するの? とびっくりです(写真撮影/片山貴博)

自作したテレビラック。DIY初心者からここまで上達するの? とびっくりです(写真撮影/片山貴博)

朱さんは、転居してきたころはDIY初心者だったといいますが、作業棚、テレビラック、本棚などさまざまなモノを自作しています。先生はもっぱらYouTube(!)だといいますが、団地のテラスで木材を加工していると、「朱さん、何をつくっているの?」と話かけられることも多く、住民のみなさんと自然に会話・交流できているそう。取材後は「団地パンまつり」に参加して、他の住民と会話していましたが、笑顔がとてもまぶしく、「本当にいいなあ」としみじみ思いました。

ご近所さんと交流したい人もいれば、そうでない人もいることでしょう。実際、この団地でイベントに積極的に参加しているのは3割程度。基本的には住民自身の都合や気分で、ご自由にというスタンスだそうです。でも、ご近所さんといっしょにBBQをしたり、ピザを焼いたりと交流していると、音がしたり、匂いがしたり、気配があるのが「当たり前」「心地よい」と感じられることでしょう。

自分の得意を交換して、助けあって、笑い合って……。こうした団地の暮らしの良さは、コロナ禍を経て、今後、いっそう評価されるような気がします。

●取材協力
いろどりの杜

「品川駅」まで30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2021年版

山手線をはじめとするJR各線に加え京浜急行本線、さらに東海道新幹線も通っている品川駅は、都内屈指のターミナル駅。JR駅では改良工事が進められており、2022年には山手線外回りと京浜東北線(大宮方面)の乗り換えがしやすくなる予定だ。また、現在は高架駅である京浜急行本線・品川駅の地上化計画も進行中で、工事が完了するとJR線と京浜急行線の乗り換えもぐっと楽になるのだとか。
そこで今回は、これからの発展も楽しみな品川駅までアクセスしやすい街にある中古マンションの価格相場を調査した。品川駅まで30分以内かつ、中古マンションの価格相場が安い駅をランキング。シングル向け物件(専有面積20平米以上~50平米未満)とカップル&ファミリー向け物件(専有面積50平米以上~80平米未満)、それぞれのTOP10を見ていこう。

●品川駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(主な沿線/所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 関内 1765万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/28分/1回)
2位 石川町 1850万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/30分/1回)
3位 鶴見 2235万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市鶴見区/15分/1回)
4位 京急鶴見 2290万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/21分/1回)
5位 新宿御苑前 2470万円(東京メトロ丸ノ内線/東京都新宿区/23分/2回)
6位 尾久 2480万円(JR東北本線/東京都北区/21分/0回)
7位 大森町 2580万円(京浜急行本線/東京都大田区/13分/1回)
8位 馬込 2730万円(都営浅草線/東京都大田区/15分/1回)
9位 三ノ輪 2780万円(東京メトロ日比谷線/東京都台東区/28分/1回)
10位 三河島 2789万円(JR常磐線/東京都荒川区/22分/0回)
10位 住吉 2789万円(都営新宿線/東京都江東区/25分/1回)

【カップル&ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(主な沿線/所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 鶴見小野 2935万円(JR鶴見線/神奈川県横浜市鶴見区/22分/2回)
2位 三ッ沢下町 2980万円(横浜市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市神奈川区/27分/1回)
3位 保土ヶ谷 2990万円(JR湘南新宿ライン/神奈川県横浜市保土ケ谷区/24分/1回)
4位 生麦 2999万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/26分/2回)
5位 花月総持寺 3080万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/24分/2回)
6位 国道 3140万円(JR鶴見線/神奈川県横浜市鶴見区/20分/2回)
7位 大口 3280万円(JR横浜線/神奈川県横浜市神奈川区/28分/2回)
8位 子安 3285万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/27分/2回)
9位 小田栄 3300万円(JR南武線/神奈川県川崎市川崎区/24分/2回)
10位 鶴見市場 3385万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/20分/1回)

「シングル向け」トップ4は横浜市の駅。5位以下には都内の駅が登場

まずはシングル向け中古マンション(専有面積20平米以上~50平米未満)のランキングをチェック。ちなみに調査の基点にした品川駅の価格相場は5480万円! 交通の利便性が高く、都心部にあるため価格相場もやはり高いようだ。しかし品川駅へ30分圏内にまで範囲を広げて探せば、ぐっとリーズナブルな住まいが見つかることがランキングを見ると分かる。

関内駅(写真/PIXTA)

関内駅(写真/PIXTA)

最も価格相場が安かったのはJR京浜東北・根岸線の関内(かんない)駅。2駅先の横浜駅に出て、そこからJR東海道本線に乗り換えれば約28分で品川駅に到着する。価格相場は1765万円で、品川駅よりも3715万円も低いという驚きの結果だ。リーズナブルでありながら、関内駅は横浜市の中心地の一角。駅の東側には横浜スタジアムがあり、南側にはショップが立ち並ぶ伊勢佐木町が広がっている。また、JR京浜東北・根岸線のほかに横浜市営地下鉄ブルーラインも利用可能。この2つの路線の乗り継ぎには改札外を少々歩く必要があるが、ファッションや飲食の店舗が並ぶ地下街「マリナード」を通っても行けるので、雨の日も楽に移動できる。地下街ばかりではなく、駅周辺は地上部分も飲食店やコンビニ、スーパーなど、日常生活に必要な商業施設が軒を連ねている。

山下公園など(写真/PIXTA)

山下公園など(写真/PIXTA)

2位はJR京浜東北・根岸線の石川町駅。関内駅の1駅隣なので、価格相場も関内駅から大きくは変わらない1850万円だった。駅の北東側には日本最大の中華街である横浜中華街が広がり、中国料理店の老舗からリーズナブルなテイクアウトグルメ店、雑貨店までがひしめいている。中華街を抜けてさらに進むと、横浜港に面した山下公園へ。公園の周辺には動く実物大ガンダムを2022年3月までの期間限定で展示中の「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」をはじめ、観光客に人気の施設が点在。横浜中華街の周辺と聞くと観光地というイメージだが、石川町駅前にはスーパーがあり、大通り沿いにはマンションも。また駅南側の元町・山手エリアは「フェリス女学院」をはじめ学校が多く、閑静な住宅地としても知られている。駅南口(元町口)から横浜港方面に伸びる元町商店街には、地元の人に愛される老舗も数多い。そして商店街の先には、みなとみらい線の元町・中華街駅がある。石川町駅からは徒歩10分ほどだ。

鶴見駅東口(写真/PIXTA)

鶴見駅東口(写真/PIXTA)

3位はJR京浜東北・根岸線の鶴見駅で価格相場は2235万円。1位、2位と同じJR京浜東北・根岸線だが両駅よりもだいぶ東京方面に位置しており、川崎駅でJR東海道本線に乗り換えれば品川駅までは約15分だ。しかし乗り換えずにJR京浜東北・根岸線に乗ったままでも、20分前後で品川駅まで行くことが可能だ。そんな鶴見駅の周辺は商業施設が充実。駅西口にはスーパーも備えた「鶴見フーガ」や、飲食店や書店が並ぶ「ミナール鶴見」といったショッピングビルがある。東口に直結する駅ビル「シァル鶴見」には、食料品店からファッション・雑貨店、レストランまでがそろう便利な環境。また、東口のロータリーをはさんだ向かい側には4位にランクインした京浜急行本線・京急鶴見駅があり、周辺住民は2路線を利用できる。駅の東口、西口ともに個人商店が並ぶ商店街もあり、暮らしやすそうな街並みだ。

トップ4は横浜市の駅だったが、5位~10位には東京都の駅がランクインした。なかでも最も品川駅までの所要時間が短かったのは、7位の京浜急行本線・大森町駅だ。京浜急行本線の普通列車で1駅隣の平和島駅に出て、そこからエアポート急行に乗り換えると約13分。普通列車1本でも、8駅・約22分で品川駅に到着する。駅周辺は住宅地なだけあって、生活に欠かせないスーパーが駅の東西南北いずれにもある。駅西側には惣菜店に飲食店、100円ショップなどが約700mにわたってひしめく商店街「大森町共栄会」も。また、駅から東へ15分ほど歩くと京浜運河に面した「大森ふるさとの浜辺公園」へ。園内には白砂の浜辺が広がっており、日常を忘れてほっとひと息つけそうだ。

「カップル&ファミリー向け」を探すなら横浜市鶴見区を要チェック鶴見小野駅(写真/PIXTA)

鶴見小野駅(写真/PIXTA)

カップル&ファミリー向け中古マンション(専有面積50平米以上~80平米未満)のランキング1位は、JR鶴見線・鶴見小野駅で価格相場は2935万円。2駅先の鶴見駅へ出て、そこから品川駅までは「シングル向け」3位の鶴見駅で紹介したのと同じ経路。すると乗り換え2回・計約22分で到着する。ちなみに鶴見小野駅の隣が6位の国道駅、その次が鶴見駅という並び順だ。さて、鶴見小野駅は基本的に駅員が不在の無人駅で、駅ビルなどはない。駅の南側は工業エリアで、さらにその先には東京湾が広がっている。駅西側には鶴見川が流れているので、住宅地は主に駅の北東方面。駅前には個人経営の飲食店やおむすび店、コンビニなどがあり、5分ほど歩くと鮮魚店や精肉店も。商店街というほどには商店が集中していないが、あれこれまとめて買うなら駅から10分弱のスーパーを利用してもいい。

2位は横浜市営地下鉄ブルーライン・三ッ沢下町(みつざわしもちょう)駅。1駅隣の横浜駅でJR東海道本線に乗り換えると、品川駅までは計約27分だ。横浜駅まで1駅で行ける立地ながら、価格相場は2980万円と抑えめ。横浜駅は4480万円だったので、だいぶリーズナブルに思える。駅の北側一帯は「ガーデン山」と呼ばれる丘陵地。大正時代にこの一帯を所有していた資産家が、私邸に隣接して大規模な植物園を開いたことが名前の由来だとか。戦火を経て広大な土地の大半は売りに出され、現在はマンションや一戸建て住宅が建ち並ぶ住宅地になっている。商店は駅前に飲食店のほかコンビニやミニスーパー、精肉店や青果店が点在しており、ガーデン山一帯の住宅の合間にもスーパーやドラッグストアがある。

3位はJR湘南新宿ライン・保土ヶ谷駅で価格相場は2990万円。1駅・約3分の横浜駅からJR東海道本線に乗り換えると、川崎駅の次が品川駅だ。品川駅まで約24分で行けるうえ、商業施設が豊富な横浜駅や川崎駅にアクセスしやすい点も魅力だろう。保土ヶ谷駅からJR横須賀線1本でも、5駅・約30分で品川駅に到着する。保土ヶ谷駅自体も買い物に便利な環境で、「ビーンズ保土ヶ谷」と「シァル保土ヶ谷」が駅に直結。この駅ビルでは100円ショップやドラッグストア、レストラン、スーパーなどが営業中だ。駅周辺にもスーパーがあるほか、学習塾も点在しているところが子育て世代が住む住宅地らしさを漂わせている。

さて、「シングル向け」ランキングでは神奈川県と東京都の駅がトップ10入りしていたが、「カップル&ファミリー向け」のトップ10はいずれも神奈川県の駅だった。東京都内の駅はランキング最上位が20位(JR京葉線・潮見駅、価格相場3780万円)で、トップ30内でも5駅しかランクインしなかった。品川駅周辺で住まいに広さとリーズナブルさを求めるならば、東京都外で探したほうがよさそうだ。ちなみに調査の基点にした品川駅の「カップル&ファミリー向け」価格相場は7130万円! こう聞くとランクインした駅のリーズナブルさが引き立ち、より魅力的に思えてくるようだ。

「カップル&ファミリー向け」でトップ10入りした駅を改めて見てみると、神奈川県のなかでも横浜市鶴見区の駅が半数を占めていた。区の中心地である鶴見駅の価格相場は3790万円と少し高くなってしまうが、中心部にこだわらず鶴見区内に的を絞って探すと、効率よくリーズナブルな物件が見つけられるかもしれない。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている品川駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2021/2~2021/4
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年5月31日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

日本最大規模の大津波の脅威…あきらめムードから逆転!最先端の「防災のまち」へ進む高知県黒潮町

2011年の東日本大震災を契機に、全国各地の自治体ではさまざまな防災対策を講じてきた。なかでも高知県黒潮町では、その取り組みで全国にも先進的な「防災のまち」として知られる。「防災」をキーワードに、地域のコミュニティづくりから地域産業の振興へと繋げ、新しい形のまちづくりを推進している同町を訪ねた。
大津波の憂慮を糧に「犠牲者ゼロ」を目指して

高知県の南西部に位置し、太平洋の美しい海岸線には全国屈指のカツオの一本釣りの漁港を有する黒潮町。人口は10,782人(2021年4月現在)、そのうち約40%が65歳以上という、高齢化が進むまちのひとつだ。

東日本大震災後の2012年、そんなまちに衝撃なニュースが飛び込んできた。内閣府の発表で、震度7の地震が起きた場合、最大で34.4mの大津波が押し寄せるというのだ。その規模は日本最大と言われ、太平洋沿岸に主な居住地域が広がる同町は、壊滅的な被害を受けることになる。

また、町外への転出増加も懸念された。これまで出生数を死亡数が上回る自然減が、住民が他地域へ転出することで人口が減る社会減を上回る状態だった同町は、2013年には社会減が自然減を上回り、過疎化が進んでいる町に追い打ちをかけ、住民たちに大きなショックを与えた。それにより町のあちらこちらで「逃げても無理、逃げない」という声が聞こえ、あきらめムードすら漂い始めた。

状況を重く見た同町は、さっそく対策に乗り出すことになる。それは日本最大の津波が襲うまちで「犠牲者ゼロを目指す」という取り組み。その旗振り役を担うのが、2012年に新設された黒潮町役場情報防災課だ。「2021年現在、ハード面の整備はほぼ完了し、防災を通じたコミュニティの活性化など、ソフト面の充実に取り組んでいます」と語るのは、同課南海地震対策係長の宮上昌人さん。

海抜21mの高台に5年前完成した庁舎の前に立つ宮上さん(写真/藤川満)

海抜26mの高台に3年前完成した庁舎の前に立つ宮上さん(写真/藤川満)

3つのステップで防災活動を「文化」に育てる

古くは684年の白鳳南海地震にさかのぼり、およそ100年に一回のペースで地震に襲われてきた黒潮町。防災に対する意識は低くなかったものの、東日本大震災以前まで同役場には、総務課に消防防災係が存在するのみだった。

「ステップ1として、『避難空間の検証と計画』と『組織体制の整備』を行いました。その一環が、私の所属する情報防災課の立ち上げです」と宮上さん。情報防災課は来たる南海トラフ地震への対策の本丸・南海地震対策係、情報発信をする情報推進係、それ以外の防災を担う消防防災係の3つの係で組織される。

しかし10人にも満たない情報防災課だけでは、十分な対応ができないこともある。そこで役場職員約180人が通常業務に加え、町内の61地区へ赴き、地域の問題の洗い出しや住民とのパイプ役を担う「職員地域担当制」も導入。「黒潮町の防災対策が大きく進捗したのは、この職員地域担当制の導入が大きな役割を果たしました」

この制度を通じて、各地域で住民とワークショップを実施。これが同じステップ1の「避難空間の検証と計画」だ。ワークショップでは「近くに高台がない」「高台は近いが斜面が険しい」など避難場所や避難道の見直しや点検を行い、避難城の地形・物理的課題を図面に整理していった。

住民を交えたワークショップでは、地域の地図を囲み、周辺の避難上の問題点を書き込んでいった(写真提供/黒潮町)

住民を交えたワークショップでは、地域の地図を囲み、周辺の避難上の問題点を書き込んでいった(写真提供/黒潮町)

ハード面の整備と具体的な対策で意識の変化を促す

ワークショップを通じて表面化した避難上の問題点を、より具体的な対策として構築していくのがステップ2。ハード面では「避難空間の整備」、ソフト面では「課題の対策をカルテや処方箋で具体化」をすることだ。

避難空間の整備では、ワークショップで提案され、後に計画された避難道が実際に整備され、2019年度には全ての路線が完成。さらに津波到達予測時間内に高台まで避難できない地区(避難困難区域)の解消を目的に、町内6カ所に津波避難タワーを建設した。

新たに整備された避難道は213路線にも及ぶ(写真提供/黒潮町)

新たに整備された避難道は213路線にも及ぶ(写真提供/黒潮町)

黒潮町で最も高い佐賀地区津波避難タワーは海抜25.4m、収容人数230人を誇る(写真/藤川満)

黒潮町で最も高い佐賀地区津波避難タワーは海抜25.4m、収容人数230人を誇る(写真/藤川満)

ほかにも約120カ所の備蓄倉庫や約900カ所の津波避難誘導標識の設置など、住民では補いきれないハード面での整備を黒潮町が主体となって実施してきた。一方で住民が主体となった取り組みがカルテづくりだ。

ステップ1で表面化した避難上の課題に対するカルテや処方箋とは、家族や個人にあわせた具体的な避難計画づくり。そのために津波浸水が予想される全世帯の避難行動調査が行われた。「世帯別津波避難行動記入シート」を制作し、家族構成や連絡先はもちろん自力で避難できるかどうか、徒歩や自動車などの避難方法などを、まさにカルテのように細部にわたって目に見える形にしていった。

集まったカルテは、津波浸水の可能性がある40集落の全世帯3791世帯分。これらをもとに、地域の人たちによる地区防災計画をつくることで、『我がこととして感じられる手づくりの防災計画』として意識してもらうのが狙いだ。

処方箋である地区防災計画には、屋内での避難訓練、地区一斉での家具固定、世帯ごとの避難場所への備蓄、学校と連携した防災お年寄り訪問なども検討され、地域の特性に合わせた計画が盛り込まれていった。

地元の学校と連携したお年寄り訪問なども行い、コミュニティの世代間の交流を生んでいる(写真提供/黒潮町)

地元の学校と連携したお年寄り訪問なども行い、コミュニティの世代間の交流を生んでいる(写真提供/黒潮町)

住民の主体性を喚起し、防災活動を日常に

「現在はステップ3の段階です。ステップ2を契機に、徐々に行政主体から住民主体の取り組みへとシフトチェンジをしているところです」と宮上さんは現状を語る。これまで行政の呼びかけによって実施されてきた取り組みを、住民が自主的に行っていくことがステップ3の最終目標だ。

今後も引き続き防災教育や訓練を徹底し、さらに住民主体の防災活動の活発化を促すことで、地域にタテとヨコの連携が生まれる。「現在すでにこれまでの防災活動を通じて、コミュニティが目に見えて活性化してきているようです。あきらめムードだった雰囲気が変化してきています」と宮上さんも手応えを感じている。

現在黒潮町では、認知症や障がいのある人、つまり要配慮者の避難支援に向けての対策にも乗り出している。宮上さんは「住民にお願いするだけでなく、福祉・防災・まちづくりという部署の枠を越えた、支援のあり方を検討しています」と次の課題に向かって日々汗を流す。

防災を通じたまちづくりに取り組む黒潮町。それは新たな産業を生み出すことにも繋がっている。次に足を運んだのは、同町の防災対策の取り組みのなかで生まれた黒潮町缶詰製作所だ。

人口減少を食い止める一助としての新産業

過疎が深刻化していく黒潮町では、2012年、前町長肝いりで「WE CAN PROJECT」が立ち上がった。その立ち上げメンバーのひとりが、当時同町職員で、現在黒潮町缶詰製作所で営業・広報を担当する友永公生さんだ。友永さんは東日本大震災発生の1週間後に現地へ足を運んだ経験を持つ。「これまでの日本の防災対策がいかに甘かったかを痛感した」と、その風景を目の当たりにした時を振り返る。

同プロジェクトは、「34.4mの大津波来襲予想」のニュースを機に、あきらめムードが蔓延していた町内で、その考えを改め「自分たちがやるんだ」という思いを込めて、さらに事業の実現性を高めるため、町長と担当職員に加え、食や地域おこしの専門家を交えてプロジェクトチームを組織化。「もしもの防災時に役立つもの」をつくることで産業と雇用を生み出し、人口減少を少しでも食い止めることが命題だ。

黒潮町缶詰製作所の青い看板には、「34m」と書かれた旗がシンボルマークになっている(写真撮影/藤川満)

黒潮町缶詰製作所の青い看板には、「34m」と書かれた旗がシンボルマークになっている(写真撮影/藤川満)

商品として白羽の矢が立ったのが缶詰。防災食品で安定して保存・保管できることが決め手となった。2013年には前町長が社長となり第三セクター方式で同製作所を設立。フードプロデューサーや小売りのプロなどのアドバイスをもとに商品の開発を目指した。「アドバイザーの方以外は、全員が素人。なにもかもが手探りでした」と設立当時の様子を語る友永さん。

試行錯誤を繰り返していた商品開発は、被災地での食物アレルギー対応の難しさを東日本大震災の現地で耳にしたことで、「7大アレルゲン(食品表示法で表示が義務付けられている「特定原材料7品目」。乳・卵・小麦・そば・落花生・えび・かに)不使用」へと舵を切ることになる。しかも美味しさも求めるというハードルの高さ。

大学の機関とも連携し生み出された缶詰は、前町長のトップセールスで高知県内全自治体へ売り込みをかけた。備蓄食でありながら、日常でも楽しめるそれらは400円以上するものが中心。「『高い』という批判はありましたよ」と苦笑する友永さん。とはいえ、味の良さ、洒落たラベルデザインで話題となり、メディア露出も増え、売上げは右肩上がりに。

右から「土佐はちきん地鶏ゆず塩仕立て」(650円、以下すべて税込)、「トマトで煮込んだカツオとキノコ」(475円)「カツオの和だし生姜煮こごり風」(475円)(写真/藤川満)

右から「土佐はちきん地鶏ゆず塩仕立て」(650円、以下すべて税込)、「トマトで煮込んだカツオとキノコ」(475円)「カツオの和だし生姜煮こごり風」(475円)(写真/藤川満)

例えば人気商品の一つ「土佐はちきん地鶏ゆず塩仕立て」は、缶詰めでありながら、しっかりとした地鶏の歯応えがあり、噛むほどに旨みが広がる。さらにユズの爽やかさがほんのり後を引く。そんな手の込んだ味わいが成城石井、無印良品などの有名量販店の目にもとまり、現在は全国100店舗以上で販売されるほどになった。

商品の缶詰を前にする友永さん。現在は黒糖など地元特産品を使ったスイーツの缶詰にも取り組む(写真/藤川満)

商品の缶詰を前にする友永さん。現在は黒糖など地元特産品を使ったスイーツの缶詰にも取り組む(写真/藤川満)

当初4人だった従業員は現在17人まで増え、直近の生産量は年間25万個を達成。「ある程度の雇用は生み出せた。次はメーカーとしてさらにお客様をワクワクさせるような取り組みをして行きたい」と抱負を語る友永さん。安心安全はもちろん、美味しさまで兼ね備えた新しい備蓄食の答えの一つがここにあるようだ。

引き続き少子高齢化による緩やかな人口減は進んでいるものの、2018年には転入者が転出者を上回る社会増を達成した黒潮町。防災対策だけでなく、「防災」を媒体として地域の活性化を成し遂げつつある。逆境を見事に逆手に取った成功例として、今後も取り組みに注目していきたい。

●取材協力
黒潮町
黒潮町缶詰製作所

アートで防災!? まちをつなげて災害にそなえる「東京ビエンナーレ」のプロジェクトがおもしろい!

2021年7月10日からスタートする「東京ビエンナーレ2020/2021」で進行中の「災害対応力向上プロジェクト」。一見、アートから遠いように思える防災に国際芸術祭が取り組むと言います。その理由などを建築家でこのプロジェクトチームの一色ヒロタカさんに伺いました。
江戸の町火消しに着目、アートで地域コミュニティを創出したい

東京を舞台に開催する国際芸術祭、東京ビエンナーレ(開催期間:2021年7月10日~9月5日)。世界中から60組を超える幅広いジャンルの作家やクリエイターが東京に集結し、市民と一緒につくり上げていく芸術祭です。

テーマの「見なれぬ景色へ」は、「アートの力で都市の街並みに変化を起こしたい」という思いが込められている。栗原良彰《大きい人》2020 千代田区丸の内 Photo by ただ(YUKAI)(画像提供/東京ビエンナーレ)

テーマの「見なれぬ景色へ」は、「アートの力で都市の街並みに変化を起こしたい」という思いが込められている。栗原良彰《大きい人》2020 千代田区丸の内 Photo by ただ(YUKAI)(画像提供/東京ビエンナーレ)

アーティストの力で、「あ、この景色は何だ?」と思わせる。セカイ+一條、村上、アキナイガーデン《東京型家》完成イメージ図 2019 ©セカイ(画像提供/東京ビエンナーレ)

アーティストの力で、「あ、この景色は何だ?」と思わせる。セカイ+一條、村上、アキナイガーデン《東京型家》完成イメージ図 2019 ©セカイ(画像提供/東京ビエンナーレ)

ビルの壁一面に描かれた絵画。古いオフィス街に出現した巨大なアートへの違和感は、街に対する意識の変化につながる。Hogalee《Landmark Art Girl》2020 神田小川町宝ビル Photo by YUKAI ©東京ビエンナーレ(画像提供/東京ビエンナーレ)

ビルの壁一面に描かれた絵画。古いオフィス街に出現した巨大なアートへの違和感は、街に対する意識の変化につながる。Hogalee《Landmark Art Girl》2020 神田小川町宝ビル Photo by YUKAI ©東京ビエンナーレ(画像提供/東京ビエンナーレ)

そのコンテンツのひとつ、「災害対応力向上プロジェクト」は、アートから災害にアプローチする新たな取組み。芸術祭で災害や防災をテーマしたのはなぜでしょうか。
「アートを通じて、新しい地域コミュニティを生み出すことが目的です。地域コミュニティは、災害時の コミュニティにつながります。『火事と喧嘩は江戸の華』と謳われたように、江戸の町は火事がとても多かったんです。火事の被害を食い止める消防組織である町火消しは、町人が自主的に設けたもの。江戸の防災は、地域コミュニティと深く関わっていたのです」(一色さん)

上左から時計回りに、一色ヒロタカさん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさん。2年間、街のフィールドワークや催事に参加し、住民の声を集めながら、プロジェクトに携わってきた(画像提供/オンデザイン)

上左から時計回りに、一色ヒロタカさん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさん。2年間、街のフィールドワークや催事に参加し、住民の声を集めながら、プロジェクトに携わってきた(画像提供/オンデザイン)

東京都が区ごとに作成しているハザードマップを見ると、地震だけでなく、洪水・浸水・土砂災害などさまざまな災害が予想されています。

さらに、2019年12月には新型コロナウイルスが発生し、東京ビエンナーレは2020年夏の開催が延期に。2018年の発足時から掲げてきた東京ビエンナーレのコンセプトのひとつである「回復力」が、より切実なテーマとしてアーティストに突き付けられたのです。

「地震・雷・火事・水害等を対象にしてきましたが、コロナという大災害をふまえて、現在もプロジェクトをアップデートしようと模索を続けています。コロナ禍で自分と向き合う時間が増え、リモートワークなどで生活環境も大きく変わりました。災害が起きたとき、住んでいる街で、自分がどう行動するのか意識されるようになったのです。ところが、街全体の防災計画はあっても、個人レベルの細かい対策は、分からないことが多いんですね。そこで住民一人ひとりの悩みや不安に向き合ったアプローチをしようと考えました」(一色さん)

アーティストの視点で、街の課題・関係性を「見える化」

このプロジェクトを統括する事務局は、一色さん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさんによるチームで企画・運営しています。4人は東京ビエンナーレの全会場計画を担当している設計事務所オンデザインに所属する建築家です。オンデザインでは、住宅や各種施設の設計のほか、街づくりにも積極的に取り組んできました。

なかでも3.11のあと宮城県石巻市のまちづくり団体ISHINOMAKI2.0の立ち上げに関わった経験は、今回のプロジェクトに活かされています。

ISHINOMAKI2.0は、2011年5月に設立。震災前より今より街をバージョンアップしようと活動を続けている(画像提供/オンデザイン)

ISHINOMAKI2.0は、2011年5月に設立。震災前より今より街をバージョンアップしようと活動を続けている(画像提供/オンデザイン)

「震災前の元の街に戻すのではなく、石巻を世界でいちばん面白くて新しい街にしよう! という思いで会社として取り組んでいます。地域住民と対話しながら、津波で閉じてしまったシャッター街を、新しい街につくり変えるなど10年間拠点づくりをしてきました。街は地域住民の生活の器です。建築物をつくるだけでなく、地域の課題や関係性をふまえて街全体を設計するのも建築家の役割だと考えています。地域住民の不安を発掘し、課題を『見える化』するプロセスは、アートを手掛かりに街の課題を考えていく今回のプロジェクトに通じます」(一色さん)

そこで、災害対応力向上プロジェクトでは、災害対策ではなく、「災害を受け止められる地域のコミュニティをつくる」ことを最終目標に挙げています。

2019年8月に、フィールドサーベイを神田エリアで実施し、地域住民とフィールドワークをしながら、災害につながる危険な場所をリサーチ。リスクを『見える化』する取組みがスタートしました。

一色さんほかプロジェクトメンバーが同行して行われた神田エリアフィールドサーベイの様子 2019年8月実施(画像提供/オンデザイン)

一色さんほかプロジェクトメンバーが同行して行われた神田エリアフィールドサーベイの様子 2019年8月実施(画像提供/オンデザイン)

「わたし」の不安に「わたしたち」が答えるVOICE 模型

東京ビエンナーレは千代田区・中央区・文京区・台東区を中心に、周辺の区へも滲み出しながら開催されますが、災害対応力向上プロジェクトは、千代田区を中心に展開します。住民やこのエリアを活動拠点としている方々から、ヒアリングによって拾い上げた声を視覚化した「VOICE模型&MAP」を展示の軸として制作が進んでいます。

VOICE模型&MAPには、ヒアリングから得られた課題を「 VOICE」として表出させ、展示を見に来たさまざまな方々からの「アンサー」により、参加型で課題解決を図るアプローチを試みる(画像提供/オンデザイン)

VOICE模型&MAPには、ヒアリングから得られた課題を「 VOICE」として表出させ、展示を見に来たさまざまな方々からの「アンサー」により、参加型で課題解決を図るアプローチを試みる(画像提供/オンデザイン)

「今はヒアリングの段階で、千代田区の社会福祉協議会や五軒町の町内会など、地域のさまざまな人から声を集めている最中です。個人の不安・課題(VOICE)に、地域の資産(人・スキル・物)を集め、シェアできる場になれば。どこにどんな声があるかMAPで分かるようにして、具体的な解決を模型で表現しています。例えば、『庭を囲んでいる塀が倒れたら?』という不安には、『避難路に崩れたブロックをどかす軍手が必要だ』『前回の地震で、夜間の避難は、懐中電灯があって助かった』というアドバイスが集まります。家の模型やグッズで示し、具体的に解決する手段を伝える試みです」(渡邉さん)

「地震で塀が壊れたらどうしよう」という一人の不安に対し、「歩行者を守る修繕なら区からの補助金で直せるよ」「もしもの時、足元が悪いから懐中電灯を備えておくと安全だよ」など皆からアドバイスが集まる(画像提供/オンデザイン)

「地震で塀が壊れたらどうしよう」という一人の不安に対し、「歩行者を守る修繕なら区からの補助金で直せるよ」「もしもの時、足元が悪いから懐中電灯を備えておくと安全だよ」など皆からアドバイスが集まる(画像提供/オンデザイン)

無印良品計画とのコラボ「いつものもしも、市ヶ谷」

開催中、神田五軒町と市ヶ谷に2カ所の仮設防災センターを設置する予定です。「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、民設民営のアートセンター3331Arts Chiyoda前のビル1階のテナントスペースに期間限定の仮設拠点として設けられ、VOICE模型&MAPの展示や防災の知識を学ぶワークショップ等が行われる予定です。

「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、空きテナントを利用し、会期中に設置される予定(画像提供/オンデザイン)

「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、空きテナントを利用し、会期中に設置される予定(画像提供/オンデザイン)

神田五軒町と市ヶ谷の2拠点で開催(画像提供/オンデザイン)

神田五軒町と市ヶ谷の2拠点で開催(画像提供/オンデザイン)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、MUJI com武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス店内に特設します。 良品計画では、毎月11日から17日までを『くらしの備え。いつものもしも。』期間とし、防災に役立つ商品をコラムと共に紹介しています。そのノウハウを活かし、東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの展示や販売を行います。

人によって必要な防災グッズは異なる。東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの販売のほか、それぞれに合った防災セットのつくり方を提案する予定(画像提供/良品計画)

人によって必要な防災グッズは異なる。東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの販売のほか、それぞれに合った防災セットのつくり方を提案する予定(画像提供/良品計画)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、良品計画の店舗内に設置が予定されている。市ヶ谷には、学校やオフィスが多い。店舗を訪れる様々な年齢層が参加できる場をつくろうと企画中(画像提供/良品計画)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、良品計画の店舗内に設置が予定されている。市ヶ谷には、学校やオフィスが多い。店舗を訪れる様々な年齢層が参加できる場をつくろうと企画中(画像提供/良品計画)

「個人の声にとことん向き合うことで、街を変えていきたい。マンションに住んでいて地域コミュニティへの参加が難しいなど、自分と同じような声と出会い、『わたし』から『わたしたち』へ街を見る目が変わっていきます。東京ビエンナーレのキャッチフレーズは、『見なれぬ景色へ』。当たり前だった街の景色を変えられたとしたら、それはアートの力です。関係性によって生まれる街の魅力は、不動産価値だけではかれない街の価値です。建築家としての視点で、人や都市にアプローチして、見えないものを表出していきたいと思っています」(一色さん)

オンデザインの自主メディア「BEYOND ARCHITECTURE」では、プロジェクトに携わる人へのインタビューなど活動内容を発信している(画像提供/オンデザイン)

オンデザインの自主メディア「BEYOND ARCHITECTURE」では、プロジェクトに携わる人へのインタビューなど活動内容を発信している(画像提供/オンデザイン)

東京ビエンナーレは、今後、2年に1度開催される予定です。アートで復元・出現した地域コミュニティに関わることで、新たな「わたし」を発見できる。アートのための催事に終わることなく、市民レベルの体験を生み出そうとチャレンジが続いています。

●関連記事
無印良品の“日常”にある防災、「いつものもしも」とは

●取材協力
・東京ビエンナーレ
・オンデザイン
・BEYOND ARCHITECTURE

フランスは食品ロス対策の最先端! コロナ禍で大流行のアプリ「Too Good To Go」を4店舗で使ってみた

環境問題に関心が高いヨーロッパ、食品ロスは日本よりもずっと以前から問題視されてきましたが、コロナ禍でさらに関心が高まっています。外出規制やマスク着用という不自由で不安な生活がすでに1年3カ月続いているなかで、自分の生き方や地球環境に目を向ける時間が増えたからです。そんななか、ヨーロッパ全土で食品レスキューアプリ「Too Good To Go」が大流行中。筆者が暮らすフランスから、食品ロス対策の最前線をお伝えします。
地球温暖化を身をもって体験したパリジャン&パリジェンヌが動き始めた!

10年前、パリの住宅にはクーラーはほとんどありませんでした。毎年夏でも寝苦しい日は数日、日差しは強くても日陰は涼しく心地が良かったのです。しかし、数年前から30度以上の暑い日が続き、扇風機の売り上げがグッと伸び、冷風機(水を機械に入れて冷風を出す仕組みで、エアコン・クーラーのように室外機を設置しなくて良いタイプ)というものまで販売されるようになりました。さらに、去年の冬は雪がほとんど降らなくなり、12月になってもダウンジャケットを着なくても過ごせるように。パリの人々も身をもって地球温暖化を体験しています。
そんな危機感を募らせるフランスの人々が起こした行動が、本来食べられる食品が捨てられてしまう「食品ロス問題」に立ち向かうこと。現在、生産された食品の3分の1が廃棄されているといわれ、これは世界規模で膨大なコストがかかるだけでなく、気候変動にも大きな影響を与えているのです。自分たちの毎日の生活に深く結びついている「食」からならなんとかしていけるかも!と考えたのです。

フランス政府が世界でいち早くしたこと

2016 年 2 月、フランス政府は世界でいち早くスーパーマーケットの食品廃棄を禁止する法律をつくりました。スーパーマーケットはこれらの食品を慈善団体やフードバンクに提供をすることで、食べることに苦労している人々に毎年さらに何百万もの無料の食事を提供できるようになりました。SDGs(持続可能な開発目標)の「目標2:飢餓をゼロに」にも効果を発揮しています。

本来ならスーパーマーケットの食品は賞味期限が切れたら次の日には捨てられてしまう(写真撮影/松永麻衣子)

本来ならスーパーマーケットの食品は賞味期限が切れたら次の日には捨てられてしまう(写真撮影/松永麻衣子)

ほかにも、こんなことも行われています。

■国連気候変動会議COP 21は、約 100 のレストランに 対して100,000 個の「持ち帰り用」ボックスを配布し、客が食事の残り物を持ち帰ることができるように。SDGsの「目標12:つくる責任、つかう責任」を推進

■フランスでは、学校の食堂で準備された食事の 3 分の 1 は食べられないままです(フランスの給食はビュッフェスタイルなため、子どもたちは好きなものだけをよそいます)。この無駄をなくすためにパリ市では学校に対して、「学校それぞれでドレッシングを手づくりにすることでサラダをもっと美味しく食べられるようにしたり、果物を切り分けて食べやすくしたりするなど、子どもたちに給食を好きになってもらう努力が必要」と食品管理を呼びかけています。

■パリ市は、家庭での食品廃棄物をリサイクルすることを推奨しています。リサイクルボックスを配布するなどし、分別ゴミとして収集された後は、肥料に変換されるか、熱と電気、またはバス用のバイオ燃料に変換されます。

フランスのスーパーマーケットやマルシェでは、以前からエコマインドがあった

日本ではレジ袋が有料化したのは昨年7月からですが、フランスは数年前からすでに取り組んでおり、スーパーオリジナルのエコバッグの販売に力を入れています。特に、「MONOPRIX」のエコバッグは、定期的に新作を出しており、コレクターアイテムにもなっています。

1~1.5ユーロのMONOPRIXのエコバッグ。日本でも大人気。お土産にも喜ばれています(写真撮影/松永麻衣子)

1~1.5ユーロのMONOPRIXのエコバッグ。日本でも大人気。お土産にも喜ばれています(写真撮影/松永麻衣子)

食品ロスが話題になる前から日常的に行われていたことも、食品ロスを減らすのに効果的だと見直されるようになりました。
例えば、パリのマルシェでは1ユーロプレートをよく目にします。屋台の端に、まだ美味しく食べられるけれど鮮度がこれから落ちてしまう野菜や果物が1ユーロプレートに並べられています。例えば、ラディッシュ2束1ユーロ/葉は枯れてしまっているけれど、実はまだまだ美味しい。ライム6個1ユーロ/皮の部分がちょっとしぼんできているけれど、果汁は十分美味しい。キウイ8個1ユーロ/熟して柔らかいけれど、ジャムにしたりジュースにするには美味しい。などなど。

店頭でも食品ロス削減運動。見た目は悪いけれど、まだまだ美味しく食べられる食品の“福袋“(写真撮影/松永麻衣子)

店頭でも食品ロス削減運動。見た目は悪いけれど、まだまだ美味しく食べられる食品の“福袋“(写真撮影/松永麻衣子)

フランスの食品を量り売りするシステムは、パックやブーケなどとは違って余分に買いすぎてしまうことを避けられます。フランスの値札はほとんどが<1kgいくらか>と表示されていますし、マルシェではもちろんスーパーでもバナナ1本から買うことができます。

ヨーロッパで食品レスキューアプリ「Too good To Go」が大流行! 使ってみました

フランス政府がスーパーマーケットの食品廃棄を禁止する法律をつくった2016年と同年3月、「too bood to go」 というフードレスキューのアプリがリリースされました。2015年にデンマークで創業、現在15カ国で展開され、3900万人以上のユーザーを抱えています。2016年から今までに7650万食がレスキューされました。
レストランやスーパーマーケットなどで賞味期限切れ間近だったり、パッケージが破損してしまったりといった“捨てるにはもったいない食品/食べるには問題ない食品”が元の販売価格の3分の1程度で手に入ります。

食品レスキュー・アプリ「Too good To Go」の画面(写真/アプリ画面より)

食品レスキュー・アプリ「Too good To Go」の画面(写真/アプリ画面より)

アプリをインストールしたら、国を選び、自分がいる場所から加盟店を表示し、食品ロスのある店舗を探します。半径3km以内、5~30kmなど範囲を指定して検索できます。筆者は徒歩圏内で利用したいということで、3km半径に設定しました。

レスキューして欲しい食品があると“緑の●”、残り1袋だと“黄色い●”、ないときは”グレーの●”と一目瞭然。お気に入りのお店をまとめて見られたり、アプリがオススメしてくれたり、とても使いやすいです。
予約をした後はネット支払い、指定時間に店で受け取り、アプリで受け取り確認をして終了。“食品ロス福袋”は何が入っているか分からないので、サプライズ感もあって楽しかったです。
ただ、中身はヨーグルト4個パックなど一人暮らしでは食べきるのが難しいものもあり、食品ロスにつながってしまう可能性がある点は注意が必要です。筆者は5人家族、食べ盛りの子どもが3人いるので3分の1の価格で食品が手に入るのはとてもありがたいです。何が入っているか分からなくても、週に1回の利用なら、さまざまなメニューに工夫して使ってみることができ、楽しみながら食品ロス削減に貢献できそうだと思いました。

お気に入りのお店の”今日のレスキュー”のオファー画面。12ユーロ相当の食品が3.99ユーロだったり、とにかくオトク。決められた時間帯に取りに行きます(写真撮影/松永麻衣子)

お気に入りのお店の”今日のレスキュー”のオファー画面。12ユーロ相当の食品が3.99ユーロだったり、とにかくオトク。決められた時間帯に取りに行きます(写真撮影/松永麻衣子)

この様に”●”でお店が表示されます。高齢者も多く使っているそう(写真撮影/松永麻衣子)

この様に”●”でお店が表示されます。高齢者も多く使っているそう(写真撮影/松永麻衣子)

4店舗で“食品レスキュー”した結果は?

加盟店には大型スーパーの「カルフール」や「モノプリ」、人気パン屋の「ポール」や「エリックカイザー」、Bioショップの「ナチュラリア」などのチェーン店が多いのも魅力です。

今回はスーパーを2軒、新しいスタイルのデリバリー専門スーパー1軒、Bioショップ1軒の計4軒で“食品レスキュー”を試してみました。

まずは食品レスキューを率先して行っている「カルフール」。我が家から徒歩圏内になんと5軒もあるので、使い勝手も抜群です。

レジに並ぶことなくレジでスマホを見せると担当者が奥へ。5分ほど待ち、福袋をゲットしました(写真撮影/松永麻衣子)

レジに並ぶことなくレジでスマホを見せると担当者が奥へ。5分ほど待ち、福袋をゲットしました(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

15ユーロ相当の食品を3.99ユーロで購入できました。
中身は、賞味期限ギリギリのお菓子、鶏ささみ(下味をつけて次の日に調理)、マーシュ(サラダにするとおいしい野菜・次の日に完食)、食パン、クロワッサン、パン・オ・ショコラ、ブレッツェル(全て次の日に完食)。ちょっと乾いたフヌイユ(野菜・冷蔵庫で保管して1週間以内に完食)、傷のあるりんご(当日美味しく食べました)、ちょっと傷んだメロン(当日食べましたが美味しくなかった)という結果でした。

次は我が家のお気に入りのスーパー「SUPERU」。行くたびに、店員がレスキュー商品らしきものをマジックバッグにかなりの品目を詰めているのが気になっていました!

シンプルな袋は、持つとずっしり重かった(写真撮影/松永麻衣子)

シンプルな袋は、持つとずっしり重かった(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

15ユーロ相当の食品が3.99ユーロ。25ユーロ分あるのでは?と思う充実の内容でした。
全てが賞味期限ギリギリで、ハム2パック(次の日に完食)、七面鳥(当日スープに)、生ソーセージの盛り合わせ(冷凍して3日後に白いんげんと煮込みました)、キッシュ(冷凍して後日完食)、ムサカ(東地中海沿岸の伝統的な野菜料理・当日完食)、サンドイッチ(次の日に完食)、ヨーグルト類(次の日完食)。肉類が多かったのでとても満足でした。

3軒目は、新しいスタイルのデリバリー専門スーパー「Dija(ディジャ)」。通常は商品を購入すると配達人が商品を届けてくれますが、食品レスキュー商品は消費者が特定の場所に取りに行きます。倉庫のようなところに自転車が数台、配達人が待機していました。

紙袋にはあらかじめパンドゥカンパーニュと食パンが入っていて、お客が来るとそこに冷蔵食品を詰めて渡してくれます。受け渡しがとてもスピーディーです!(写真撮影/松永麻衣子)

紙袋にはあらかじめパンドゥカンパーニュと食パンが入っていて、お客が来るとそこに冷蔵食品を詰めて渡してくれます。受け渡しがとてもスピーディーです!(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

こちらも15ユーロ相当の食品が3.99ユーロ。賞味期限当日だったリヨンソーセージ(冷凍庫で保管し、週末のバーベキューで完食)とフムス(ひよこ豆のペースト状の中東の料理・3日間ぐらいで完食)、と前述のパンが入っていました。パンは賞味期限ギリギリということもありかなり硬く、手を加えないと食べられない状態でした。

ラスト4軒目は、食への意識が高いBioショップ「ナチュラリア」です。Bioショップは全体的にアプリと提携しているお店が多いようです。また、以前からレジ袋や野菜の包みに再生紙を使ったり、ジュースなどの瓶を返却すると瓶代が返金されたりと、食品ロス削減とゴミを減らす呼びかけがされていました。ドライフルーツの量り売りのために入れ物を持参するお客さんも多く、カルチャーが根付いているように感じます。

再生紙のバッグにズッシリと入っていました。買い物客と同じように列に並び、順番が来たらレジでスマホを見せます。“福袋”はレジの横の冷蔵庫に保管してありました(写真撮影/松永麻衣子)

再生紙のバッグにズッシリと入っていました。買い物客と同じように列に並び、順番が来たらレジでスマホを見せます。“福袋”はレジの横の冷蔵庫に保管してありました(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

(写真撮影/松永麻衣子)

15ユーロ相当の食品が3.99ユーロ。エシャロット(まだまだ美味しく食べられる状態)、パン(硬くて食べるのを諦めました)、バナナ(ケーキに使いました)のほか、賞味期限切れ当日の鶏肉(次の日にオーブン焼きにして完食)、カマンベールチーズ(1週間ぐらいで完食)、フルーツ入りヨーグルト(2日間で完食)、プリン(次の日に完食)が入っていました。Bio食品は価格が高いので、これだけのものが入っていたら週に1回ぐらいの割合でレスキューしたいと思いました。

デリバリーショップも食品

食品レスキューは、デリバリー業界にも浸透しつつあります。

今パリは、コロナ禍による外出制限解除の2段階目の状態です(6月4日現在)。夜の帰宅は19時から21時に伸び、商店と映画館や美術館は全て開き(入場制限があります)、カフェとレストランはテラスのみ営業可能になりました。

コロナ禍でUber Eatsの利用がうなぎ上り、個人事業主登録したドライバーが街にあふれました。しかし、人気レストランの前ではUber Eatsのドライバーがたむろしている雰囲気だったり、ヘルメットをかぶらずに事故を起こしたり、保冷バッグが使い古されて汚かったりと、なんとも雑なイメージが定着してしまっています。

そんな中、「gorillas(ゴリラ)」は“オーダーしてから10分以内でお届け!”を謳い文句にした新しいスタイルのデリバリー専門スーパーです。オーダーが入ったら倉庫で待機している職員が商品を袋詰めし、オールブラックの制服(転んだときのための膝などのプロテクト付き)にヘルメットをかぶり自転車でデリバリーします。

筆者がオーダーしてみると、4分後に商品が届きました。23時までやっているので、21時の外出制限のときに買い忘れなどあっても安心。一人暮らしで病気のとき、ご老人の買い物、などこれからも需要は伸びそうです。
そんな「ゴリラ」の食品ロス削減へのアプローチは、ただ賞味期限切れや鮮度が少々落ちた野菜や果物を安く販売するのでなく、福袋にしたり、素敵なおまけにしてみたりと、ちょっとした工夫で食品ロス削減に楽しく参加できる、というものです。

今回は、バナナとりんご(ゴリラにちなんで(?))でした。

手書きの「ご注文ありがとうございます」カードとエコバッグが付いてきました。こんなスタイルもかっこいいのです(写真撮影/松永麻衣子)

手書きの「ご注文ありがとうございます」カードとエコバッグが付いてきました。こんなスタイルもかっこいいのです(写真撮影/松永麻衣子)

このように、フランス内で食品ロスをめぐる対策はどんどん広がってきています。我が家では、子どもたちと話し合った結果、週に一度はこのアプリを利用して食品ロスを無くすことに貢献しようということになりました。日本でも、食品ロスアプリが登場してきています。みなさんもぜひ使ってみてください!

“ごみ”を学べるホテル? 徳島県「上勝町ゼロ・ウェイストセンター(WHY)」が前代未聞のユニークさ!

徳島県徳島市から車で約40分。勝浦川沿いの山間部に広がる上勝町は、「ゼロ・ウェイスト(ごみゼロ)宣言」や「葉っぱビジネス」など、ユニークな取り組みで注目を集めているまちだ。2020年5月、このまちにゴミステーションと宿泊棟等が併設された環境型複合施設「上勝町ゼロ・ウェイストセンター(WHY)」がオープンした。ごみゼロを体感できるホテルとは、果たしてどんな施設なのだろうか?
「ゼロ・ウェイスト」を発信して、人の交流を生む

上勝町を貫く県道16号沿いにベンガラ色の建物が目を引く「上勝町ゼロ・ウェイストセンター(WHY)」が突如現れる。上空から見ると「?」マークの形状。「WHY?(なぜ?)」という疑問符を持って、ごみから学び、ごみのない社会を目指す、いわばこの施設の理念を表現しているのだ。「?」の上部はごみの分別所やフロント機能、交流ホール等になっていて、「・」の部分が宿泊施設「HOTEL WHY」だ。

画像提供/上勝町ゼロ・ウェイストセンター

画像提供/上勝町ゼロ・ウェイストセンター

2003年に国内の自治体として初めて「ゼロ・ウェイスト宣言」を行った上勝町。それ以来、ごみ収集を行わず、生ごみは各家庭がごみ処理機で堆肥化、そのほかのごみは45種類以上に分別して、ごみステーションに持ち寄っていた。2018年、その取り組みによりリサイクル率は80%を達成した。

「ここは残りの20%を解決するための拠点としての役割も担っています」と語るのは、同施設の運営・管理を行う株式会社BIG EYE COMPANY CEOの大塚桃奈さん。その20%には、オムツ、使い捨てカイロ、靴など、リサイクルの難しいごみが多数含まれている。「そのためには生産者にもアプローチが必要です。例えば花王とタッグを組んで、詰め替え用パウチから遊具用ブロックをつくったのもその一つです」

「この取り組みを通じて、生産者と消費者、県内外の人々の交流の場としての機能も充実させていきたい」ともう一つの目的を語る大塚さん。他の自治体同様に過疎が進む上勝町では、この地域に関わる交流人口の増加が、活性化の必須条件だ。「オープンして間もないですが、教育の一環として福島の高校生の宿泊研修を始め、関東や関西から環境問題に敏感なファミリーなどに利用していただいています」

ごみの分別所に掲げられたパネルで、上勝町の取り組みや施設の紹介をしてくれる大塚さん(写真撮影/藤川満)

ごみの分別所に掲げられたパネルで、上勝町の取り組みや施設の紹介をしてくれる大塚さん(写真撮影/藤川満)

施設案内ツアーを通じて取り組みを学ぶ

それでは宿泊利用者同様にチェックインから始めていこう。フロントには、町民が中古品を持ち込み、町内外の訪問者が持ち帰り可能な物品が並ぶ「くるくるショップ」が併設されている。持ち帰りは無料だが、ぜひカンパをしておきたい。ここでは年間約9トンもの品々が持ち帰られ、新たな持ち主のもとで再利用されている。

フロントに併設されたくるくるショップ。床にはここに集まった古い陶器の破片が敷き詰められている(写真撮影/藤川満)

フロントに併設されたくるくるショップ。床にはここに集まった古い陶器の破片が敷き詰められている(写真撮影/藤川満)

一升瓶のケースを積み上げたフロントでは、必要に応じて無添加の石鹸の切り分け、プラスチックを使用していない竹歯ブラシの販売も行う。またウェルカムドリンクとして、循環型能栽培に取り組む農園の豆をローストしたコーヒーも提供してくれる。

フロントにはくるくるショップで前月に持ち帰られた中古品のキロ数が掲げられている。取材時(2021年5月)は4月に491kgの実績があった(写真撮影/藤川満)

フロントにはくるくるショップで前月に持ち帰られた中古品のキロ数が掲げられている。取材時(2021年5月)は4月に491kgの実績があった(写真撮影/藤川満)

使い残しがないように石鹸は必要な量だけ切り分けて提供される。石鹸は無添加で昔ながらの釜焚き製法でつくる神戸の「無添加石鹸本舗」のもの(写真撮影/藤川満)

使い残しがないように石鹸は必要な量だけ切り分けて提供される。石鹸は無添加で昔ながらの釜焚き製法でつくる神戸の「無添加石鹸本舗」のもの(写真撮影/藤川満)

受付が終わると、施設案内を通じて上勝町の「ゼロ・ウェイスト宣言」の取り組みを学べる「STUDY WHY」ツアー。普段は町民のみに開放されているごみ分別所から順番に施設を巡っていく。

ごみ分別所に回収用のコンテナがずらりと並ぶ姿は壮観だ。各コンテナにはごみの種類がイラストと共に表示され、分別方法を正確に記憶せずとも分かりやすい。またそれぞれに「1kg○○円」と書かれているのも興味を引く。「リサイクル業者が買い取ってくれるものはその入金額、処理に費用がかかるものは出費額として表示しています」と大塚さん。入出金額を表示することで、意識に変化をもたらしそうだ。

「?」の上部にあたるごみ分別所。ごみの種類により区画され、車でも移動しやすい動線になっている(写真提供/Transit General Office Inc. SATOSHI MATSUO)

「?」の上部にあたるごみ分別所。ごみの種類により区画され、車でも移動しやすい動線になっている(写真提供/Transit General Office Inc. SATOSHI MATSUO)

町民自ら持ち込み45種類に細かく分別されるごみ(写真撮影/藤川満)

町民自ら持ち込み45種類に細かく分別されるごみ(写真撮影/藤川満)

町内外の人たちの交流の場となるラーニングセンター&交流センターは、上勝町産の杉の温もりと両側から差し込む温かい日差しが印象的なスペース。杉の柱は「太鼓落とし」と呼ばれる工法で、丸太を二つの材に切り離し、一本のボルトで接合している。つまり余計な材料を使用せず、端材の発生も少なくて済む。しかもメンテナンスもしやすい。

「窓は町内から集まった廃材の窓枠540枚を利用しています。過疎化が進み窓に映る光が少なくなったこの地域を、再び明るく照らす意味も込めています」と大塚さんはその狙いを語る。

ラーニングセンター&交流ホールをはじめ、施設内の構造は廃材が出ない無駄のない工法がとられている(写真撮影/藤川満)

ラーニングセンター&交流ホールをはじめ、施設内の構造は廃材が出ない無駄のない工法がとられている(写真撮影/藤川満)

ラーニングセンター&交流ホールにある遊具のブロックは、花王とのコラボで、詰め替え用プラスチック容器をリサイクルして生まれた(写真撮影/藤川満)

ラーニングセンター&交流ホールにある遊具のブロックは、花王とのコラボで、詰め替え用プラスチック容器をリサイクルして生まれた(写真撮影/藤川満)

コラボレーティブラボラトリーの壁一面にある本棚はシイタケを詰めるコンテナを再利用している(写真撮影/藤川満)

コラボレーティブラボラトリーの壁一面にある本棚はシイタケを詰めるコンテナを再利用している(写真撮影/藤川満)

取材時はあいにくの雨。しかしあえて雨樋(あまどい)を設けず、雨のカーテンと雨音を楽しむ仕掛けを体験することができた(写真撮影/藤川満)

取材時はあいにくの雨。しかしあえて雨樋(あまどい)を設けず、雨のカーテンと雨音を楽しむ仕掛けを体験することができた(写真撮影/藤川満)

リユースの工夫が詰まった客室でゆったり過ごす宿泊体験施設の外観。「HOTEL」の看板も、廃材の農機具などが利用されている(写真提供/Transit General Office Inc. SATOSHI MATSUO)

宿泊体験施設の外観。「HOTEL」の看板も、廃材の農機具などが利用されている(写真提供/Transit General Office Inc. SATOSHI MATSUO)

宿泊体験施設「HOTEL WHY」は全4室で最大16人収容のコンパクトな造り。環境教育プログラムや研修など団体の一棟貸しにも対応してくれる。室内はメゾネットタイプで、窓からは上勝町の山並みやダム湖などを望むことができる。

リビングにあるソファは、かつて上勝町役場が使用していたもの。クッションにはカーテン生地をカバーにしてリユースしている。窓に掛かるカーテンも端切れをつなぎ合わせたもの。説明を受けなければ新品と見間違う出来映えだ。

メゾネットタイプの室内。ウッドデッキが設けられ、外でお茶を楽しむこともできる。テレビはない(写真撮影/藤川満)

メゾネットタイプの室内。ウッドデッキが設けられ、外でお茶を楽しむこともできる。テレビはない(写真撮影/藤川満)

端切れをつなぎ合わせたカーテンは、独特の風合いを醸し出している(写真撮影/藤川満)

端切れをつなぎ合わせたカーテンは、独特の風合いを醸し出している(写真撮影/藤川満)

夕食は「ゼロ・ウェイスト」を実践している町内のマイクロブルワリー「RISE & WIN Brewing Co. 」やそのほかの飲食店へ出向いて楽しむのが基本。ただしお酒を伴う場合は、公共交通機関がほぼないため、「白タク特区」でもある同町の有償ボランティアタクシーを利用したい。

朝食は「RISE & WIN Brewing Co. 」から運ばれてくるベーグルまたはイングリッシュマフィンのセット。パティとなるフィッシュカツは徳島名物で、ほんのりカレー味がする魚のすり身。これにネパールのスパイス・アチャールと上勝名産・柚香(ゆこう)を加えたマヨネーズで味わおう。

徳島名物「フィッシュカツ」をベーグルに挟んで楽しむ朝食例(写真提供/Transit General Office Inc. SATOSHI MATSUO)

徳島名物「フィッシュカツ」をベーグルに挟んで楽しむ朝食例(写真提供/Transit General Office Inc. SATOSHI MATSUO)

各部屋に置かれているごみ分別ボックス。チェックアウトの際に利用者自ら分別を行う(写真撮影/藤川満)

各部屋に置かれているごみ分別ボックス。チェックアウトの際に利用者自ら分別を行う(写真撮影/藤川満)

環境教育の場として確立を目指していく

「ここでの宿泊体験をさらに充実するべく、さまざまなプログラムの開発にも取り組んでいます」と大塚さん。例えば目の前に広がるダム湖でのSUP体験、ブナ原生林の散策などは、上勝町の自然を手軽に楽しめ、ここを訪れる人の間口を拡げるプログラムだ。

また、大塚さんが「このまちの取り組みの解像度がさらに高まる」と語るプログラムとして、「ゼロ・ウェイスト」に詳しい有償ボランティアタクシードライバーによるガイドツアーなども実施している(3時間7200円)。「このまちには100~700mの間に55の集落があります。なかには日本の里山百選に選ばれた棚田もあり、その保全活動の体験なども考えています」

「ゼロ・ウェイスト」達成と同時に、プログラムの充実によってさらに関係人口の増加を目指す「上勝町ゼロ・ウェイストセンターWHY」。「広島と長崎が『平和教育の場』なら、上勝は『環境教育の場』として、ごみを通じた多様なコミュニケーションを育み、ゼロ・ウェイストに向けたアイデアを上勝に集めていきたい」と大塚さんは意気込んでいる。

●取材協力
上勝町ゼロ・ウェイストセンター
有償ボランティアタクシー

ご近所をつなぐ小さな本屋を増やしたい。シェア型本屋「せんぱくBookbase」の願い

自分の暮らすまちには本屋がない。「それがこんなにつらいことだったとは」と話すのは、絵ノ本桃子さん。自ら千葉県松戸市の八柱にシェア本屋「せんぱくBookbase」を開いたのも、近くに本屋が増えたらいいなとの思いからだった。本ならネット通販で買えばいいじゃない、という人もいるだろう。でもオンラインとは違って、本屋に足を運ぶことで思いもよらない世界との出会いがあったり、子どもにとっては自分の好きなことを見つけるきっかけになったり。本屋は可能性を秘めた場所でもある。「暮らしの延長上で本に出会えるように」という、絵ノ本さんに話を聞いた。■連載【生活圏内で豊かに暮らす】
どこにいても安定した同じものが手に入る今、「豊かな暮らし」とは何でしょうか。どこかの知らない誰かがつくるもの・売るものを、ただ消費するだけではなく、日常で会いに行ける人とモノ・ゴトを通じて共有する時間や感情。自分の生活圏で得られる豊かさを大切に感じるようになってきていませんか。ローカルをテーマに活動するライター・ジャーナリストの甲斐かおりさんが、地方、都市部に関わらず「自分の生活圏内を自分達の手で豊かにしている」取り組みをご紹介します。

新しい本屋が生まれるきっかけに

芝生の上に大きく「本」と一文字書かれた看板が置かれている。そっとガラスの戸を開くと、こぢんまりとした、でも愛情をたっぷりそそがれていることが伝わってくる本屋さんだった。絵本あり、文芸あり、実用書あり。古本だけでなく、新刊も扱っている。

8名の「店守(たなもり)さん」と呼ばれる店主が本箱を共有しているシェア型の本屋である。海外童話ばかりを置く棚や、絵本の専門店、こだわりの出版社の本だけを扱う棚など、特徴ある本棚が並ぶ。全体を切り盛りしているのが、店長の絵ノ本さんだ。

「本屋をやることに興味のある人たちにここで経験を積んでもらって、新京成沿線に新しく本屋が増えたらいいなと思って始めたんです。実際この店を卒業した方が、新京成線沿いの初富と新鎌ヶ谷の間に新しい本屋さんをオープンされました。私もゆくゆくは自分の本屋をやれたらいいなと思っています」

せんぱくBookbase店長の絵ノ本桃子さん(写真撮影/甲斐かおり)

せんぱくBookbase店長の絵ノ本桃子さん(写真撮影/甲斐かおり)

それぞれの店守さんが月2回、シフト制でお店に入る。これまでに学生、販売員、学校図書館勤務、ミュージシャン、デザイナーと幅広い年齢や職業の人たちが携わってきた。中には現役の書店員もいて、本業では叶わない、自分の好きな本を思い切り紹介しているという。店守の日は、告知も含めて自分のお店のように自由にやってくださいというのが店の方針。そのためルールは最小限に。

さまざまな店守さんの本棚が並んでいる様子(写真提供/せんぱくBookbase)

さまざまな店守さんの本棚が並んでいる様子(写真提供/せんぱくBookbase)

絵ノ本さんが本屋を始めた理由はいくつかあるが、一番の動機は、冒頭に書いたように自分の暮らすまちに本屋がなかったこと。

「大人一人なら隣町にも行けるし、いろいろ選択肢があると思うんですけど、子育て中は、子どもを抱えてベビーカー押しながらとか、雨の日なんかきつくて。本屋さんって思っていたより自分にとって大きな存在だったんだなと気づきました。たまたま手にした本からモヤモヤ悩んでいたことのヒントをもらったり、刺激を受けたり。子どもにとっても、徒歩圏内に一人で寄れる本屋があるかは大きいなと。親から離れて自分で本を選ぶ力を得ることにもなったり。図書館とはちょっと違います。そう思う人ってほかにもいるんじゃないかなって」

(写真提供/omusubi不動産)

(写真提供/omusubi不動産)

探し始めて出会った、一風変わった不動産会社

「せんぱくBookbase」は新京成線の八柱駅から歩いて10分ほどの場所にある。はじめは絵ノ本さん自身が暮らす二和向台付近で物件を探していたが、同じ沿線の八柱に「せんぱく工舎」というシェアアトリエ&店舗があることを知って、「まずはここで始めてみよう」と決めた。

せんぱく工舎がほかにない面白い物件だったからだ。八柱、常盤平エリアの物件を中心に扱うomusubi不動産という一風変わった不動産会社があり、DIYできる賃貸物件やユニークな企画の賃貸物件を扱っている。せんぱく工舎もomusubi不動産のサブリース物件だった。入居者には個性的なお店やクリエイターが多く、自転車屋、スコーンの店、スペインバルなどのお店や工房が入居している。

「表が芝生なので子どもがばっと飛び出していっても安心ですし、入居者同士のイベントがあったり、omusubiさん主催の田植えに参加したり。お隣の店でコーヒーなど買ってうちの店に持ち込んでいただいてもOKにしているんです。今年でオープンから丸3年経つんですけど、子ども連れの若いお母さんや年配の方までいろんな方に来ていただいています」

開店資金は、クラウドファンディングで97人から100万円近くが集まった。

せんぱく工舎の入り口(写真撮影/加藤甫、川島彩水)

せんぱく工舎の入り口(写真撮影/加藤甫、川島彩水)

せんぱくBookbaseがある八柱エリアには、近年個性的な店が増えている(写真撮影/甲斐かおり)

せんぱくBookbaseがある八柱エリアには、近年個性的な店が増えている(写真撮影/甲斐かおり)

じわじわと、まちの人たちとつながって

手づくりの木製の棚には、ほどよく空間を交えながら多彩な本が並んでいる。各店主の棚以外は、店長の絵ノ本さんの選書がメイン。装丁の美しい本、定番の絵本。店の奥には和室があり、小さな子どももベビーカーから降りてくつろぐことができる。

店守のコースは月に5000円と7000円。店主の中には、会社勤めで新刊の取り扱いにまで手がまわらない人も多いため、7000円のコースでは、絵ノ本さんがリクエストを受けて新刊の手配を代行する。さらには企画展やフェアなど、店守さんの企画を実施するまでをサポートしたり、絵ノ本さんが各店横断型のフェアを開催したりもする。

「喫茶と読書ひとつぶ」のカードとともに陳列されている(撮影/甲斐かおり)

「喫茶と読書ひとつぶ」のカードとともに陳列されている(撮影/甲斐かおり)

「喫茶と読書ひとつぶ」と書かれたカードに目がとまった。ひとつぶは、常盤平の駅近くにある喫茶店。

「本好きな人が好みそうな本がたくさん置いてある素敵な喫茶店で、私も大好きなんですけど、そこで本を買えるわけではないので、この店で買えたらいいなと思って置いています。うちの店でひとつぶさんを知る人もいるかもしれないですし」

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

大型書店では扱っていないリトルプレス(少部数の出版物)を「この店なら取り寄せてくれるのでは」と訪ねてくるお客さんもいる。実際、そのシリーズ全巻を注文したところ反響があった。今年1月には店守さんの発案で『老犬たちの涙』という犬の殺処分をテーマにした写真展を開催。各店主から推薦書を出してもらい「卒業・入学フェア」も行った。最近は、大学生のボランティア7~8人がイベントの際の店内装飾を手伝ってくれるようにもなった。近くの聖徳大学の学生さんによる取材が縁で、この店で卒業作品の展示を行ったこともある。

「卒業・入学フェア」の様子(写真提供/せんぱくBookbase)

「卒業・入学フェア」の様子(写真提供/せんぱくBookbase)

そんな風に、お客さんのリクエストに応えながら、近所の人や店と連携し、新たな企画が持ち上がるような動きが生まれている。この地域のシンボリックな建物である「せんぱく」を店名に入れたのも、「せんぱくの本屋さん」と覚えてもらえれば十分だと思ったから。そんな風にして「せんぱくBookbase」はじわじわ地域に根付いてきた。

絵ノ本さんが伝えたイメージを、学生さんが描いてくれた手書きのフェアの装飾案(写真提供/せんぱくBookbase)

絵ノ本さんが伝えたイメージを、学生さんが描いてくれた手書きのフェアの装飾案(写真提供/せんぱくBookbase)

大型書店では、その時売れている本、話題の本を眺めて世の中のトレンド、情勢を知ることができる。一方「せんぱくBookbase」のような小さなまちの本屋では、新旧ランダムに置かれた中から、これはと思う本を見つけて、こっそり自分だけの本を見つけたような気持になる。その時の自分の関心事に気付いたり、思わぬところではっとしたり、知らなかった世界を知ってワクワクしたり。

いまオンライン書店や大規模書店におされて、まちの本屋はどんどんなくなっている。全国の書店数は、20年前に比べて半分になった。ただ、けして数は多くないけれど、パン屋や喫茶店と同じように、小さな個性ある本屋が各地に誕生し始めているのも事実だ。

近所のことを何も知らない

絵ノ本さんが本屋をつくろうと思ったのには、もうひとつ理由があった。いま暮らす二和向台は、結婚して初めて暮らすことになったまち。知り合いがほとんど居なかった。

「家で子育てしているだけでは、町につながりができなくて。家の前の八百屋さんで毎日のように買い物したり、娘が店の座敷で遊ばせてもらったりしていたんですけど、ある日、品物がなくなっていて、明日には閉店するんだって知ったんです。目の前の店なのに、何も知らなかったことに愕然として。でも年配の方たちの中にはネットワークがあったらしくみんな知っていたんですよね。その時すごく孤独を感じて。知らない人だらけのまちで子育てしていることが怖くなったんです」

絵ノ本さんの家の前にあった八百屋さん。今は更地になっている(写真提供/せんぱくBookbase)

絵ノ本さんの家の前にあった八百屋さん。今は更地になっている(写真提供/せんぱくBookbase)

まちの人たちともっとつながりたい。そういう場所がほしいと思った。さらに、絵ノ本さんと娘さんが気に入っていたもう一つのお店、近所のせんべい屋も閉店したことが背中を押した。

「いつも女将さんや近所の年配の皆さんが座っておしゃべりしていて。このおせんべい屋さんと八百屋さんが、私たちがこの町で暮らしていると感じられる数少ない、まちとのつながりだったんです」

子どもを排除しない働き方

絵ノ本さんは、以前、本を流通する取次の会社で働いていた。書店や本のつくり手を応援したい気持で就いた仕事だったけれど、既存の取次のしくみには融通が効かないルールも多く、出版社や書店を困らせることも少なくなかった。個人の力ではどうすることもできず、仕事に疑問と違和感を感じ、辞めた後も図書館に勤めたり、ライターの仕事をするなど本との関わり方を模索してきた。

今は、オンラインで小中学生の学習支援の仕事をしながら、シェア本屋をライフワークとして続けている。

「もちろんしっかり売上は立てていきたいんですが、お金を稼ぐ手段としてだけではなく、ここで私が働いている姿を子どもにも見せたい思いもあったんです。在宅でネットを活用して働くのは便利ですが、仕事している間、どうしても子どもを排除することになっちゃう。でも、ここに居れば子どもも一緒にお客さんや店と関わっていけるのがいいなって。いろんな大人と関わる機会になるし、地域の人たちと関係性ができていく過程を見てもらえる。家にこもって仕事しているだけでは広がらないので」

(写真提供/せんぱくBookbase)

(写真提供/せんぱくBookbase)

都市に暮らし、絵ノ本さんと同じように感じる人は多いのではないだろうか。それでも心の声に正直に、一歩を踏み出すのは案外難しい。絵ノ本さんはお店を立ち上げ、子育てをしながら店守のみんなと店を運営してきた。いいことばかりだったわけでなく、店主にもいろんな考え方の人がいて、時には意見が食い違うこともある。それでも続けてきた跡に、ご近所さんとのゆるやかなつながりが数多く生まれている。

●取材協力
せんぱくbookbase

「池袋駅」まで30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2021年版

JR各線をはじめ東武東上線、西武池袋線、東京メトロの丸ノ内線・有楽町線・副都心線が乗り入れる一大ターミナル・池袋駅。新宿や渋谷に並ぶ都内屈指の繁華街として知られ、駅周辺には多彩な商業施設がひしめいている。そんな池袋駅まで30分以内で行くことができるうえ、中古マンションの価格相場が安い駅を調査した。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル&ファミリー向け」、それぞれの中古マンションの価格相場が安い駅TOP10をご紹介しよう。
●池袋駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(主な沿線/所在地/池袋駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 川口 1875万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/15分/1回)
2位 志村坂上 2080万円(都営三田線/東京都板橋区/18分/1回)
3位 ときわ台 2289.5万円(東武東上線/東京都板橋区/9分/0回)
4位 中板橋 2380万円(東武東上線/東京都板橋区/8分/0回)
4位 大山 2380万円(東武東上線/東京都板橋区/6分/0回)
6位 板橋区役所前 2390万円(都営三田線/東京都板橋区/13分/1回)
7位 荻窪 2440万円(JR総武線/東京都杉並区/21分/1回)
8位 下板橋 2474.5万円(東武東上線/東京都豊島区/3分/0回)
9位 板橋本町 2480万円(都営三田線/東京都板橋区/15分/1回)
9位 西川口 2480万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/18分/1回)

【カップル&ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(主な沿線/所在地/池袋駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 みずほ台 1730万円(東武東上線/埼玉県富士見市/26分/0回)
2位 柳瀬川 1980万円(東武東上線/埼玉県志木市/24分/0回)
3位 西浦和 2189万円(JR武蔵野線/埼玉県さいたま市桜区/27分/1回)
4位 新座 2190万円(JR武蔵野線/埼玉県新座市/27分/1回)
5位 鶴瀬 2330万円(東武東上線/埼玉県富士見市/29分/0回)
6位 扇大橋 2480万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区/27分/1回)
6位 高野 2480万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区/29分/1回)
8位 南与野 2539万円(JR埼京線/埼玉県さいたま市中央区/26分/1回)
9位 足立小台 2599万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区/25分/1回)
10位 新高島平 2680万円(都営三田線/東京都板橋区/28分/1回)

「シングル向け」は池袋から15分前後で行ける街が上位に

シングル向け中古マンション(専有面積20平米以上~50平米未満)の価格相場が最も安かったのは、JR京浜東北・根岸線の川口駅。価格相場は1875万円で、トップ10で唯一の2000万円以下だった。1駅上り方面に位置する赤羽駅に出て、JR埼京線に乗り換えると計約15分で池袋駅に到着する。川口駅は名前通り埼玉県川口市を代表する駅で、埼玉県内でも大宮駅や浦和駅に次いで多くの人に利用されている。駅前には川口市の駅前行政センターや中央図書館といった公共施設と、スーパーや「無印良品」などの商業施設が集まった複合施設「川口キュポ・ラ」をはじめ、大型施設が建ち並んでいる。

川口駅前 キュポ・ラ広場(写真/PIXTA)

川口駅前 キュポ・ラ広場(写真/PIXTA)

川口駅周辺は2000年代に入って以降の再開発にともなってマンションの建設も進められ、商業の街としてのみならずベッドタウンとしても人気。そう考えるとランキング1位になるほど価格相場が安いのは意外な気も。川口駅に隣接し、価格相場2480万円でランキング9位になった西川口駅と比べても安い結果に。また、今回調査した専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル&ファミリー向け」ランキングだと川口駅は価格相場3590万円(41位)で、特別に安いという印象ではない。物件の広さは20平米~50平米ほどでよい、と考える人にとっては、池袋までアクセスしやすく街の施設も充実した川口駅は注目の穴場と言えるだろう。

2位は都営三田線・志村坂上駅で価格相場は2080万円。都営三田線に乗って新板橋駅へ行き、そこから歩いて約8分の板橋駅でJR埼京線に乗り換えると1駅目が池袋駅だ。都営三田線は志村坂上駅から都心に向かって2駅目が9位・板橋本町駅、3駅目が6位・板橋区役所前駅という位置関係になっている。新板橋駅~板橋駅の徒歩移動を避けるならば、所要時間は少々増えるが志村坂上駅から都営三田線で巣鴨駅、そこからJR山手線に乗り換えて計約21分で池袋駅に行くことも可能だ。

さて志村坂上駅周辺の様子を見てみると、大型の商業施設は見当たらず住宅街といった雰囲気。ランドマークと言えるのは総合病院で、地域医療を支えてくれている。駅前にはコンビニが点在するのみだが、徒歩6分ほどの場所にショッピングモール「セブンタウン小豆沢」がある。スーパーとホームセンター、そしてドラッグストアや「ユニクロ」などが並ぶ専門店街で構成されており、ほとんどの日用品はここで買いそろえられるだろう。ショッピングモールを通り過ぎた先には新河岸川が流れ、水上バスの小豆沢発着所がある。ここから乗船すると浅草やお台場、葛西臨海公園に行くことができるので、休日にぶらりと水上散歩をするのも楽しそうだ。

ときわ台駅 北ロ周辺の様子(写真/PIXTA)

ときわ台駅 北ロ周辺の様子(写真/PIXTA)

3位は東武東上線・ときわ台駅で価格相場は2289万5000円。池袋駅までは乗り換えなし、約9分で到着する。駅北口には2019年にオープンした5階建ての商業施設「EQUiA(エキア)ときわ台」があり、駅を出てすぐにスーパーやレストランに立ち寄ることが可能だ。1935年の開業当初の姿へと2018年にリニューアルしたというレトロスタイルな駅舎を出た北口側は、昭和初期に宅地開発された古くからの住宅地。コンビニやスーパーがある駅前の区画を過ぎると商店はほぼなく、静かな住宅街が広がっている。一方で駅南口側には小さな商店がひしめく商店街が、約380m先の川越街道まで続いている。地域の人に愛用されている鮮魚店やベーカリー、ドラッグストアや飲食店などが並び、2021年秋には現在改装休業中のスーパー「よしや 常盤台店」もリニューアルオープン予定だ。

「カップル&ファミリー向け」は首都圏のベッドタウンがランクイン

次はカップル&ファミリー向け中古マンション(専有面積50平米以上~80平米未満)のランキングを見ていこう。1位は東武東上線・みずほ台駅で価格相場は1730万円。シングル向けランキング1位の川口駅は価格相場が1875万円だったので、みずほ台駅はそれよりも広くて安い物件に出合いやすいわけだ。池袋駅までの所要時間は川口駅が乗り換え1回で約15分、一方でみずほ台駅は約26分かかるものの乗り換え不要なので、一長一短というところか。

みずほ台駅周辺(写真/PIXTA)

みずほ台駅周辺(写真/PIXTA)

そんなみずほ台駅はどんな駅かというと、東口にも西口にもスーパーが入った駅ビルがある買い物に便利な環境。東口の駅ビルにはファストフード店やカフェ、西口の駅ビルには100円ショップもあるほか、駅周辺にもスーパーが点在している。住宅の合間には複数の小中学校や幼稚園、保育園、学習塾もあり、子育て世代のファミリーが多く住む街のようだ。水遊び場を備えた「みずほ台中央公園」をはじめ大小の公園が点在する街には農地も広がっており、喧騒を離れてのんびりと生活したいファミリーにはよさそうだ。

2位には1位のみずほ台駅よりも1駅、池袋方面に位置する東武東上線・柳瀬川駅がランクイン。価格相場は1980万円だった。駅北側には駅名の由来になった柳瀬川が流れている。春は土手の桜並木が咲き誇り、例年の夏は川を舞台にした花火大会やいかだラリー、冬は渡り鳥の飛来……、と四季折々に楽しめる憩いの場だ。駅西口側には大規模マンション街「志木ニュータウン」があり、柳瀬川駅はこの宅地開発に合わせて開業した歴史をもつ。ニュータウンが広がるエリアにはマンションあり、スーパーや飲食店などの商店あり、さらに小中学校や幼稚園、市立図書館に公園までそろっている。駅東口側は柳瀬川沿いに農地が広がり、商業施設はあまりない。こちら側にも小中学校が建っており、一戸建てを中心とした住宅地となっている。

新座団地と志木ニュータウン(写真/PIXTA)

新座団地と志木ニュータウン(写真/PIXTA)

3位はJR武蔵野線・西浦和駅で価格相場は2189万円。1駅隣の武蔵浦和駅でJR埼京線に乗り換えると、計約27分で池袋駅にたどり着く。駅の南側には現在はUR賃貸住宅である田島団地が広がり、団地が並ぶ区画にはスーパーや100円ショップ、郵便局や小学校などもある。駅の北側、東側にもスーパーがあるので、食料品の買い出しには困らないだろう。駅西側の国道17号・新大宮バイパス沿いには、埼玉県に本社を置く県民ご愛用のうどんチェーン「山田うどん」やファミレスも。バイパスの上には首都高が通っていて、南進するとほどなくして外環道に入ることもできる。マイカーがあると、より生活しやすい環境かもしれない。

ちなみに今回の調査の基点にした池袋駅の中古マンションの価格相場は、「シングル向け」が3385万円、「カップル&ファミリー向け」が5789万5000円。そんな池袋駅から30分圏内にもかかわらず、各ランキングトップ10の駅は価格相場がだいぶ抑えられていた。また、「シングル向け」「カップル&ファミリー向け」ともに、トップ10には池袋駅に乗り入れている東武東上線沿線の駅が多くランクイン。池袋駅から乗り換え不要で行ける駅であってもリーズナブルな物件が見つけやすいと分かる、うれしい調査結果と言えるだろう。

池袋駅までの所要時間をもう少し細かく見てみると、「シングル向け」だと池袋駅まで最短で約3分(8位・下板橋駅)、最長でも約21分(7位・荻窪駅)と、比較的に近隣の駅がトップ10入りを果たした。一方で「カップル&ファミリー向け」だと池袋駅まで30分圏内ギリギリである、所要時間約24分~29分の駅がランクイン。広さを求めるならやはり、池袋駅から遠のくことになりそうだ。しかし都心部から離れるぶん、「シングル向け」トップ10よりも物件の価格相場は低い傾向が見られる。

コロナ禍によって平日は在宅ワーク、休日も遠出せずに近所や家で過ごす……、といったように「おうち時間」が増加する生活スタイルへの変化がみられる。そのため「長く過ごすなら家は広いほうがよい、たまに行く程度の池袋など都心部までは30分くらいで行ければ十分だ」と考える人もいるはず。そんな場合は一人暮らしの人であっても、今回の「カップル&ファミリー向け」ランキングを参考にして住まい探しをするのもよいだろう。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている池袋駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2020/1~2021/3
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年3月31日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

災害時、賃貸でお隣さんは助けてくれる? 住民同士で防災計画をつくる「高円寺アパートメント」

突然ですがこの1年、自宅で防災計画を考えたり、防災訓練をしたりしましたか? 学校で行っているならいざしらず、大人になり、特に賃貸住宅で暮らしていると防災訓練を一度もしたことがない……という人も珍しくないことでしょう。でも、賃貸で住民が主体となり、防災計画を立案しているところもあるとか。今回は「高円寺アパートメント」(東京都杉並区)のワークショップの様子を取材しました。
分譲マンションでは耳にするけれど、賃貸物件ではレアな「防災計画」

地震に台風や洪水、大雪など、災害大国・日本に暮らす私たちにとって、「防災訓練」「防災計画」はおなじみの存在です。ただ、住まいが「賃貸住宅」になると、住民の参加者が少ない、設備点検で終わってしまうなどと、とたんに手薄になりがちです。地域防災計画などに携わる百年防災社の葛西優香さんによると、同社に防災計画やコンサルティングを依頼する85%は分譲住宅、つまり住民が所有している物件だといいます。

そんななか、住民が主体となって避難訓練をしようと試みをはじめたのが「高円寺アパートメント」です。もともとはJR東日本の社宅でしたが、2017年にリノベーションして賃貸住宅に。全50戸、住宅だけでなく、1階部分は店舗にもなっている建物です。

高円寺アパートメント外観。もともとJR東日本の社宅をリノベーションして誕生(写真提供/高円寺アパートメント)

高円寺アパートメント外観。もともとJR東日本の社宅をリノベーションして誕生(写真提供/高円寺アパートメント)

ジェイアール東日本都市開発がオーナーのこの物件は、運営をまめくらしが行い、住人同士の交流など関係性が育まれている住宅です。物件のコンセプトに賛同して引越してきた住民が多く、また近隣住民も利用するショップがあるため住民同士の交流も盛んで、過去にはマルシェや流しそうめん、花見などのイベントも行ってきたといいます。

高円寺アパートメントで行われた花見会の様子。コロナ前の風景ですね、なんとも平和で涙が出てきます(写真提供/高円寺アパートメント)

高円寺アパートメントで行われた花見会の様子。コロナ前の風景ですね、なんとも平和で涙が出てきます(写真提供/高円寺アパートメント)

ただ、交流があっても、持ち家に比べ住民の入れ替わりが早い賃貸住宅で、住民が主体となって防災計画を立てるというのは非常にレア。前出の葛西さんも、「賃貸住宅で防災計画を立案するのは、独立行政法人が運営する団地などでしょうか。主体者も大家さん・管理会社などで、賃貸の住民が主体になるケースは非常に珍しいです」といいます。

はじまりは「地震、大丈夫だった?」。みんな防災に関心があった!

では、なぜ住民が主体となって防災に取り組もうと思ったのでしょうか。
「はじまりは、今年2月に起きた地震(東京都杉並区は震度4)でした。当日もLINEで『大丈夫だった?』と複数の人とやりとりして、後日、対面したときにも『地震は怖かったね、何かあったときに協力したいね』という声があがったんです」と同物件の住民であり、住民同士の交流サポートなどを行うまめくらしの宮田サラさん。

普通ならそこで話が終わってしまうところですが、住民の広瀬圭太郎・志津香夫妻が声をあげ、年間のイベントとして防災のワークショップを行うことを提案します。

任意の住民が参加した作戦会議の様子(写真提供/高円寺アパートメント)

任意の住民が参加した作戦会議の様子(写真提供/高円寺アパートメント)

志津香さん自身は、「もともと私個人として防災に興味・関心があり、社会人向けの講座に参加していました。サラさんに声をかけたら思いのほか感触もよく、ほかの住民の方も興味があるようだったので、『実はみんな気にしていたんだな』と思いました」と話します。そこで縁あって百年防災社の葛西さんに声をかけ、今年5月から全3回のワークショップを開催することになったそう。

第1回目となった5月2日には発災前の防災計画、第2回目となった5月22日は発災直後の防災計画をテーマとして話し合いをオンラインで実施。同じ建物内にいながらにして、オンラインミーティングというのも不思議な気もしますが、実になごやかに行われていました。

1回目と2回目のワークショップの様子をまとめた「グラレコ」。どんなことを話したのかはひと目で分かります(写真提供/高円寺アパートメント)

1回目と2回目のワークショップの様子をまとめた「グラレコ」。どんなことを話したのはひと目でわかります(写真提供/高円寺アパートメント)

筆者も住民のみなさんにご承諾いただき、オンラインで見学させていただきましたが、「普段からはゆるふわの付き合いが大事」「被災直後の初動をどうするか」「班長など、役割を考えておこう」「子どもたちは1カ所にいると安心なのでは」「フェーズにわけて考えよう」「地域との連携はどうするか」などとアイデアが次々と出てきてびっくり。こうやって考えておくだけでも、今から備えられること/課題などが浮き彫りになり、有意義だなと痛感します。

「とはいえ、参加した世帯でいうと3割程度です。仕事や用事があって参加できない人もいらっしゃいますが、ただ、興味関心があると答えてくれたのは約9割。住民のみなさんの関心度合いの高さがうかがえます」(宮田さん)

ワークショップに参加した住民のみなさん。同じ建物内にいるのにオンラインミーティング。今どき!(写真提供/高円寺アパートメント)

ワークショップに参加した住民のみなさん。同じ建物内にいるのにオンラインミーティング。今どき!(写真提供/高円寺アパートメント)

当たり前ですが、同じ建物に住んでいるもの同士、いざというときは助けたいし・助けてほしいという関係でありたいというのは自然な感情でしょう。

「義務感のない防災」が理想!住民の入れ替わりを前提にマニュアルに

葛西さんは、今回の高円寺アパートメントの防災計画のことをこう話します。「すごい点は、住民同士の関係ができていることです。どんな人が住んでいて、職業や得意なことを把握していらっしゃるので、『こうしたらいいんじゃない?』『○○さんはどう思います?』という会話が自然に出てくる。こうした普段の関係性が防災計画にも、非常時にも大きな差になると思います」

確かに人間関係ができているからこそ、一歩進んで「助け合いたい」という気持ちになるのかもしれません。もし、賃貸で防災計画を立案しようとなっても『めんどくさい』『誰が住んでいるかよく分かからない』といった気持ちの面でのハードルが高くなりがちですよね。今回、企画に携わった広瀬圭太郎さんもその点をよく考えていて、以下のように話します。

「防災訓練や防災計画って、大切だと思っていても、どうしても『受け身』で義務感や参加している感になりがちです。でも、マルシェや流しそうめんと同じようにお楽しみ企画のなかの一つとして、防災計画があれば参加しようかなという気持ちになるはず。特別なことではなく、みんなでいっしょに・ゆるふわで考えていこうよ、というスタンスで進めていけたら」

マルシェの様子(写真提供/高円寺アパートメント)

マルシェの様子(写真提供/高円寺アパートメント)

ちなみに、ワークショップの開催費用は、住民からの任意募金を充てているそう。なんでもそうですが、今はゆるく・楽しくないと続けられないですものね。今回のワークショップは6月に3回目を実施予定ですが、その後はマニュアル化も、見据えているとか。

「2017年の初期から住み続けている人も多いですが、やはり賃貸なので住民が入れ替わることを前提に、マニュアル化して誰がきても分かるようにしておきたい。幸い、住人にはイラストが描ける人や、ライティングができる人、建築に知見のある人がいるので、より分かりやすい形で自分たちでつくっていければ」と宮田さん。

もちろん、防災計画を考えたり、わざわざワークショップに参加したりするのは面倒くさいという人も多いことでしょう。今回の高円寺アパートメントのように、賃貸住宅でも義務感なく、明るく・スマートな防災計画・防災訓練がもっともっと広まったらなあと心から願っています。

●取材協力
高円寺アパートメント
百年防災社
まめくらし

【明治大学 和泉キャンパス】「明大前駅」まで電車で15分以内、家賃相場が安い駅ランキング&おすすめ学生街 2021年版

新年度が始まる4月に合わせて引越しをする人が増える春。進学を機に大学の近くで一人暮らしを始めた学生も、徐々に新生活に慣れてきたころだろう。しかし先行きが見えにくいコロナ禍の現状、引越しを決めかねている人もいるはず。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は明治大学・和泉(いずみ)キャンパスの最寄駅である明大前駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方がおすすめする、和泉キャンパスに通う学生が住む街もご紹介していきたい。
明大前駅まで電車で15分以内の家賃相場が安い駅TOP11駅

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 調布 6.70万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
2位 つつじヶ丘 6.80万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
2位 成城学園前 6.80万円(小田急線/東京都世田谷区/15分/1回)
4位 三鷹台 6.90万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/13分/0回)
5位 久我山 7.00万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
5位 仙川 7.00万円(京王線/東京都調布市/11分/0回)
7位 井の頭公園 7.20万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/15分/0回)
8位 松原 7.25万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/8分/1回)
9位 上北沢 7.30万円(京王線/東京都世田谷区/6分/0回)
9位 千歳烏山 7.30万円(京王線/東京都世田谷区/7分/0回)
9位 浜田山 7.30万円(京王井の頭線/東京都杉並区/6分/0回)

大学名を冠した「明大前駅」周辺は生活する街としても魅力的

東京都内を中心に、4キャンパス・10学部を抱える明治大学。なかでも東京都杉並区にある和泉キャンパスは、主に法学部や商学部といった文系学部の1・2年生が通っている。大学から徒歩5分ほどの最寄駅はその名も「明大前駅」。1935年に明治大学予科(当時)が移転してきたのを機に、この駅名になったのだとか。

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅は新宿駅まで京王線の特急で1駅・最短約5分、渋谷駅まで京王井の頭線の急行で2駅・最短約6分という好立地。駅ビル「フレンテ明大前」にはスーパーや書店、飲食店などがある。駅周辺は細い路地に沿ってコンビニや100円ショップ、ファストフード店やラーメン店といったリーズナブルな飲食店が建ち並び、学生にも愛用されている。大型の商業施設はなく、駅前から少し離れると住宅街。また、明治大学以外にも日本女子体育大学の付属高校など学校が点在しており、通学時間帯の駅周辺は学生の姿でにぎわっている。

明大前駅周辺で住まい探しをする学生が多く、「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山本泰史さんもイチオシする。

「大学生の住まい探しは、キャンパスまでドア・トゥ・ドアで30分以内、もしくは電車で2~3駅圏内がおすすめ。近年は自転車でも通える距離内でお探しになる方が増えています。また、住む街を選ぶ際はアルバイトや部活動など、授業以外の利便性も考慮したいところ。その点、明大前駅は渋谷駅や新宿駅に乗り換えなしでアクセスできて非常に便利。駅前商店街に飲食店も多く、コンパクトながら生活に必要な施設はそろっています」

そんな明大前駅から徒歩15分圏内にある、シングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場は8万円。便利な街だけあって、学生の一人暮らしにとって安くはない。もう少しお手ごろな家賃相場の街として山本さんがおすすめしてくれたのが、今回調査したランキングの9位にも入っている京王線・千歳烏山駅だ。

千歳烏山駅付近(写真/PIXTA)

千歳烏山駅付近(写真/PIXTA)

家賃相場は明大前駅より7000円低い7万3000円となっており、「家賃を抑えたい方におすすめです」とのこと。「駅前商店街は庶民の風情あふれる街並みで、ドラッグストアや定食屋さんなどが多数、建ち並んでいます。また、家具や工具を買いたい場合はホームセンターが隣駅の仙川にありますので、カーシェアなどを利用すれば20分程度で行くことが可能です」と山本さん。千歳烏山駅から明大前駅までは、京王線の準特急で1駅・約7分。駅前には韓国発のフライドチキン専門店や家系ラーメン店といった若者に人気の飲食店や、昭和レトロな喫茶店、行列のできるベーカリーもある点も魅力だ。

明大前駅まで乗り換えなし&15分以内の駅でも家賃相場は1万円以上下がる

続いてランキング上位になった駅も見ていこう。明大前駅まで電車で15分圏内にある、家賃相場が最も安かった駅は京王線・調布駅。家賃相場は6万7000円で、明大前駅より1万3000円も下がる。調布駅は明大前駅と同様に、各駅停車から特急まですべての列車が停車する京王線を代表する駅の一つで、準特急に乗れば約12分で明大前駅に到着する。

調布駅の駅前の風景(写真/PIXTA)

調布駅の駅前の風景(写真/PIXTA)

駅のホームは地下にあり、地上部分には2017年にオープンした駅ビル「トリエ京王調布」が建っている。3館にわかれたこの商業施設には、ファッション店や食品フロア、レストラン、家電量販店に映画館までそろい、日々の買い物から休日の息抜きにまでお役立ち。ほかにも駅周辺には「調布パルコ」をはじめ商業施設が充実し、大いににぎわっている。調布は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげる氏ゆかりの地でもあり、駅北側の「布多天神社」の参道に連なる「天神通り商店会」には鬼太郎や妖怪たちのモニュメントが点在している点も注目だ。

つつじヶ丘駅(写真/PIXTA)

つつじヶ丘駅(写真/PIXTA)

2位は京王線・つつじヶ丘駅で家賃相場は6万8000円。明大前駅までは急行に乗って約12分で行くことができる。明大前駅方面に各駅停車に乗って1駅目が5位・仙川駅、2駅目が9位・千歳烏山駅という立地だ。そんなつつじヶ丘駅の北側駅舎には駅ナカ商業施設「京王リトナードつつじヶ丘」があり、地上1階から3階にかけてスーパーにドラッグストア、書店やベーカリー、ファミレスなどが並んでいる。駅の北口側には「つつじヶ丘商店街」が広がっており、総店舗数は100軒以上! 駅近くには小学校や幼稚園、保育園も点在し、ファミリー層も多く住む住宅地だ。

成城学園前駅(写真/PIXTA)

成城学園前駅(写真/PIXTA)

小田急線・成城学園前駅も、つつじヶ丘駅と家賃相場が同額の6万8000円で2位にランクイン。小田急線の通勤急行で下北沢駅に出て、京王井の頭線に乗り換えると計約15分で明大前駅にたどり着く。下北沢駅で乗り換えず、そのまま通勤急行に乗っていれば新宿駅まで約15分で行くこともできる便利な立地だ。学校法人・成城学園の招致により1927年に開業した歴史をもつ駅で、現在は駅北側の同学園敷地に大学や小中高校が展開されている。駅ビル「成城コルティ」にはスーパーやドラッグストア、雑貨店や書店、レストランなどが並び、屋上階には緑が茂る憩いの場も。駅周辺の一帯は静かな住宅地で、学生も利用しやすいようなチェーン店の飲食店はあまりない。駅北口前にはプライベート商品も好評なスーパー「成城石井」の本店と言える成城店があるので、食材を買って自炊に励むのもいいだろう。

開発が進む下北沢も見逃せない

さて、明治大学の学生が住む街として前出の山本さんはもう1駅、おすすめしてくれた。それは京王井の頭線・下北沢駅。

下北沢駅(写真/PIXTA)

下北沢駅(写真/PIXTA)

下北沢(写真/PIXTA)

下北沢(写真/PIXTA)

「バンド、サブカル、古着の聖地。駅前商店街はいつも20代の若者でにぎわっており、学生さんにとても人気がある街です。そのぶん少々、家賃は高いですが……」と話す山本さん。家賃相場を調べてみると8万6000円で、明大前駅よりもアップしてしまう点は確かにネックかもしれない。しかし明大前駅までは京王井の頭線の各駅停車で3駅・約3分、そして渋谷駅までは急行で1駅・約4分、各駅停車でも7~8分。小田急線も乗り入れているので、通勤急行や快速急行に乗って2駅・約9分で新宿駅にも出られるアクセスのよさが魅力的。

下北沢の街自体も山本さんがおすすめするように若者に人気があり、わざわざ遠方から遊びに来る人も少なくない。小田急線の地下化により生まれた線路跡地の開発が進められており、6月16日には下北沢駅と東北沢駅の中間エリアに商業空間「reload(リロード)」が誕生。まずはカレーとアパレルの複合店舗など全24区画中の10区画が開業し、その後もかき氷も提供する日本茶専門店や京都発のコーヒースタンドなどが順次オープンしていく。この線路跡地一帯「下北線路街」ではほかにも多彩な施設の開業準備が進行中で、今後はますます下北沢の注目度が高まりそうだ。話題の施設が集まる刺激的な街で暮らしてプライベートを充実させたい人に、下北沢はうってつけかもしれない。

●取材協力
ハウスメイトパートナーズ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている明大前駅まで15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/1~2021/3
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年3月31日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

驚異のリサイクル率80%超! ”ごみ革命”で悪臭の埋立処分場が激変 ―鹿児島県大崎町の挑戦

家族が家で過ごす時間が長くなり、家庭ごみの量は増える一方。なんとかならないものだろうか。鹿児島県曽於(そお)郡大崎町は、ごみの焼却施設を持たず、ごみのリサイクル率日本一の記録を更新しているという画期的な自治体だ。世界的に見てもゴミ分別の最先端をいく、「大崎リサイクルシステム」を取材し、ごみ問題を考えた。
焼却施設がない町で、埋立処分場がピンチに!

人口12,831人、世帯数6,720世帯、面積は100平方キロメートル。農業が主幹産業の美しい町、それが鹿児島の東南部に位置する大崎町だ。日本有数のシラスウナギ漁の産地で、うなぎやマンゴー、パッションフルーツの生産が盛ん。市町村別のふるさと納税で日本一に輝いた実績もある。そんな「凄いけど大人しいまち」を自負する大崎町だが、何よりすごいのが、ごみのリサイクル率が83.1%! このリサイクル率は2006年以降12年連続日本一で、2020年度も見事13回目の日本一に輝いた(2021年3月31日環境省発表)。

7kmに及び美しい松林が続く大崎海岸。潮干狩りができ、競走馬の調教も行われている(写真提供/大崎町役場)

7kmに及び美しい松林が続く大崎海岸。潮干狩りができ、競走馬の調教も行われている(写真提供/大崎町役場)

大崎海岸は、産卵のためウミガメが上陸することでも知られる(写真提供/大崎町役場)

大崎海岸は、産卵のためウミガメが上陸することでも知られる(写真提供/大崎町役場)

「大崎リサイクルシステムの始まりは、焼却施設がなかったことでした」と話してくれたのは、大崎町役場職員の松元昭二さんだ。大崎町のリサイクル事業を前任者から引き継ぎ、牽引している。

「それまでごみは全て、大崎町と志布志(しぶし)市で管理している埋立処分場へ集まっていました。日本の他の地域では焼却場が増えていった時期ですが、大崎町では燃やせるごみの概念がないため、家庭で排出されたごみの全てが混載で、埋立処分場に運び込まれていたんです」

平成12年から29年までの、大崎町と志布志市のごみの埋立処分量(画像提供/大崎町役場)

平成2年から29年までの、大崎町と志布志市のごみの埋立処分量(画像提供/大崎町役場)

高度経済成長期を経て、日本の廃棄物は増大の一途を辿る。1995年に政府により容器包装リサイクル法が制定され、1997年に一部施行。2000年に完全施行となった。

このタイミングで、多くの自治体は国の補助金を受け、焼却場を建設した。

「当時、1990年から2004年まで使用する計画だった大崎町と志布志市の埋立処分場は、急ピッチで埋まりつつありました。分別が始まった1998年の数年前から、『このままでは計画期間内までもたない』という状況に。これを打開するため、大崎町では3つの選択肢の中から方法を選ぶことになりました」

計450回の説明会で住民と危機感を共有

3つの選択肢とは、1.焼却炉の建設、2.新たな埋立処分場の建設、3.既存の埋立処分場の延命化だった。

「焼却場の建設には、建設費と維持費がかかります。大崎町と志布志市(合併以前)の人口から見ると、建設コストは30億~40億円。それが国からの補助でなんとかまかなえたとしても、大崎町の維持管理費が約1億5000万円ほどかかる計算になります。これは、それまでのごみ処理にかかっていた金額の1.5倍でした。それに、焼却炉は建設したら30年は使い続けなければなりません。次世代への負担を考えると、この選択肢は諦めることになりました」

新たな埋立処分場の建設には、住民が反対。
「当時は生ごみからプラスチックまで全てのごみが、黒いビニール袋に入れられて埋立処分場へ集まっていたわけですから、ニオイがすごかった。ガスが発生していたので、その場へ行くと服にニオイがついてしまい、しばらく食欲がわかないほど。空はカラスの大群で黒く、一度車を降りたら、次はハエが数匹は一緒に乗り込むという状況でしたから」

3つの選択肢の中から、必然的に「既存の埋立処分場の延命化」が選ばれた。具体的には、住民総出のリサイクルで、ごみを大幅に減量するしかない。

分別スタート時の、大崎町役場の担当者による説明会の様子。現在も年に1度、150の地域のリーダーへの研修会を行っている(写真提供/大崎町役場)

分別スタート時の、大崎町役場の担当者による説明会の様子。現在も年に1度、150の地域のリーダーへの研修会を行っている(写真提供/大崎町役場)

分別スタートにあたり、最も重要な役割を担う地域のリーダーからなる「大崎町衛生自治会」を設置した。それから当時の大崎町役場の担当者たちは、大崎町衛生自治会と協議しながらリサイクルのシステムを整備し、分別品目を定め、収集したゴミの出口となる最終処分先を確保していった。

「大崎リサイクルシステムは、住民主導。住民の皆さんと、説明や指導する行政、ごみを回収する企業の三者による協働と連携、信頼によって成り立ちます。住民の皆さんが分けてくれないと始まりません」と松元さん。

「大崎町衛生自治会は、地域の有識者に理解をいただき、以前から地域活動などで信頼を集めていた方々の賛同を得て組織しました」という。小学校区ごとに数名ずつ理事を決め、合計15名をメンバーとして、それぞれの地域の住民と連携をとってもらった。

「埋立場が、せめて計画当初の2004年までもつように」と、まずは3品目のごみの分別がスタート。その後1998年から2年ほどの準備期間を経て、2000年には、分別品目は16品目に。

準備期間には、役場担当課で大崎町内約150の集落を回り、1カ所につき3回ずつ、計450回もの説明会を行った。

「焼却場の維持管理費なども皆さんと情報共有しました。行政だけの課題でなく住民の課題として、危機感を持ってもらったのです」

当然ながらさまざまな意見が噴出したが、住民が納得して協力しないことには、16品目ものごみの分別は成り立たない。話し合いを重ね、ようやく住民主導の「大崎リサイクルシステム」がスタートした。

大崎町と志布志市の埋立処分場。分別開始前の1998年には、計画期間内の2004年までもたない状況に。ニオイなども酷かったという(写真提供/大崎町役場)

大崎町と志布志市の埋立処分場。分別開始前の1998年には、計画期間内の2004年までもたない状況に。ニオイなども酷かったという(写真提供/大崎町役場)

27品目を、住民が家庭内とごみ収集場で分別

大崎町のごみ分別品目はさらに細かくなり、現在では27品目に。ビンであれば「生きビン(リターナブルビン)」「茶色ビン」「無色透明ビン」「その他のビン」で4品目。紙類は8品目、蛍光灯類で1品目、陶器類で1品目などといった具合だ。

ホームページ内で調べられる「大崎町の分別ルール」(画像提供/大崎町役場)

ホームページ内で調べられる「大崎町の分別ルール」(画像提供/大崎町役場)

大崎町のホームページ内「大崎町の分別ルール」を見ると、27品目1190種類のモノについて、例えば「ボールペンは何ごみになるか」といった分類と、資源として出すための洗い方などが、日本語、英語、ベトナム語で詳しく書かれている。

かつては黒くて中身が見えなかったごみ袋は、半透明で赤が「資源ごみ」、青が「一般ごみ」の2種類となり、さらにそれぞれには各家庭の名前を書く必要がある。

「記名式にしたのは16品目にして間もない時期です。すると分別の精度がグンと上がりました。自分で出したごみに自分で責任を持つ。ごみの出し方を間違えたら、その人が持ち帰り再度分別をし直すという“排出者責任”の考え方です」

大崎町の家庭でのごみの分別の様子。赤の袋が資源ごみ(写真提供/大崎町役場)

大崎町の家庭でのごみの分別の様子。赤の袋が資源ごみ(写真提供/大崎町役場)

写真はある家庭で、紙以外のごみを仕分けている分別の様子。「一般ごみ」である青の袋は使用済みティッシュや肌着、ガラスの破片など、リサイクルできずに埋立処分場へ持ち込まれるもので、「これをできるだけ減らすために分別しています」と松元さん。

生ごみの回収は週3回、一般ごみの回収は週1回、資源ごみの回収は月1回だ。

住民は衛生自治会に入会し、各収集場に一世帯500円で登録。収集場では管理者の指示に従い、共同で分別を行う。

月に1度、ステーションでの資源ごみ回収の様子。青いカゴに住民が自ら仕分ける(写真提供/大崎町役場)

月に1度、ステーションでの資源ごみ回収の様子。青いカゴに住民が自ら仕分ける(写真提供/大崎町役場)

上は月に1度の資源ごみ回収の様子。一時保管した使用済みの乾電池や割り箸、蛍光灯など、微量な資源ごみは、各自がこの日に持っていき、青いカゴに仕分ける。奥に見えるのは資源ごみの赤い袋だ。

また、生ごみは生ごみ回収容器へ。この後、家庭から出る草木剪定くずと混ぜて、約5カ月かけて堆肥をつくり、一般家庭向けに販売している。

生ごみは十分に水切りを行い、ビニール類の異物混入がないか確認した後、収集場の生ごみ回収容器へ(写真提供/大崎町役場)

生ごみは十分に水切りを行い、ビニール類の異物混入がないか確認した後、収集場の生ごみ回収容器へ(写真提供/大崎町役場)

「分別開始当初は、職員が研修を受けてから各自治会に割り当てられ、分別指導を行いました。それでも、想定していないものが捨てられることがあります」といい、分類が分からないものは職員が持ち帰り、担当課に行って調べてから、「これは何ごみになります」と返答。「それらを繰り返して、今の27品目になりました」とのことだ。

こうして回収された資源ごみは、町内に誕生した民間企業の「有限会社そおリサイクルセンター」で仕分け、検査され、「商品」としてリサイクル事業者へ出荷される。

「大崎町の資源ごみは常にAAA評価。住民の皆さんが各家庭で汚れを洗い、乾かし、素材を間違えずに分別できているからです。評価が高いと有価物はより高く売れ、処理費のかかるものは費用が安くなります」とのこと。

ほかにも「菜の花エコプロジェクト」の一環として、家庭で使用後の食用油を回収。これらは不純物を取り除いて生成され、「そおリサイクルセンター」でゴミ収集車のリサイクル燃料などに生まれ変わらせている。これらの売買益金も町の歳入となる仕組みだ。

ごみのリサイクル率83.1%のまちは、すごかった。

「そおリサイクルセンター」の誕生で、住民の雇用も生まれた(写真提供/大崎町役場)

「そおリサイクルセンター」の誕生で、住民の雇用も生まれた(写真提供/大崎町役場)

さまざまな思いで住民が協力し、大きなメリットを生んだ

想像するだけで手間が掛かると分かる「大崎リサイクルシステム」。住民の反応を尋ねると、「メディアのインタビューでも『最初は大変でしたが、今では慣れてそうでもないですよ』という声が返ってきます」と松元さん。

住民と行政の頑張りなしでは成り立たないが、得られるものも大きい。

「メリットの1つ目は、当初の目的である埋立処分場の延命化です。始める前の1998年と2018年の比較では、埋立ごみは85%減っていて、当初は2004年まで使用の計画でしたが、現状まだ使っている状況です。あと35年から45年は大丈夫という状態になりました。また、埋立処分場に有機物が捨てられることがなくなったため、かつてのようなニオイはなく、視察に来た人をご案内できるようになりました。

大幅なごみの削減により、当初の目的であった埋立処分場の延命化を達成(画像提供/大崎町役場)

大幅なごみの削減により、当初の目的であった埋立処分場の延命化を達成(画像提供/大崎町役場)

2つ目は、1人当たりにかかる焼却や埋立て、リサイクルといったごみ処理事業経費の大幅な削減です。2018年度のごみのリサイクル率の全国平均は19.9%ですが、大崎町では83.1%。国民1人当たりのごみ処理事業経費が年間1万6400円であるのに対して、大崎町では1万500円です(一般廃棄物処理実態調査結果/環境省)。すると、大崎町では年間約7700万円を節約できていることになり、その分を財源として、教育や福祉など他の分野に使えているともいえます。これは焼却場を持たないことと、住民の皆さんの分別によって、行政コストが下がったという結果です。

大崎リサイクルシステムによる、1人当たりのごみ処理経費の削減率(画像提供/大崎町役場)

大崎リサイクルシステムによる、1人当たりのごみ処理経費の削減率(画像提供/大崎町役場)

3つ目は、大崎町にそおリサイクルセンターという企業が生まれたことで、約40人の雇用が生まれたことです。ここで働く人たちは地元から採用しています。

4つ目は、分別で資源を商品にしたことで、2000年から今までで、1億4000万円もの益金が発生したことです。これを町の子どもたちのための基金として積み上げ、『大崎町リサイクル未来創生奨学金制度』をつくりました。大崎町には大学がないので、進学する子は外に出て一人暮らしをすることになります。そこで奨学金を借りた子たちが、卒業後、大崎町に帰ってきて居住したら、奨学金の返済と同額のお金を支援するというプロジェクトで、大崎町と鹿児島相互信用金庫、慶應義塾大学SFC研究所の連携により生まれました。これにより、優秀な子どもたちが大崎町に戻り、故郷の活性化を担う“人財の循環”ということができれば、大きなメリットとなります」

子どもたちも「大崎リサイクルシステム」に取り組む。写真は大崎小学校の全校生徒が校区のごみを拾い、学校に持ち帰ってごみの分別や洗浄を行った「大崎ピカレンジャー大作戦」の様子(写真提供/大崎町役場)

子どもたちも「大崎リサイクルシステム」に取り組む。写真は大崎小学校の全校生徒が校区のごみを拾い、学校に持ち帰ってごみの分別や洗浄を行った「大崎ピカレンジャー大作戦」の様子(写真提供/大崎町役場)

世界標準で、人材も資源も循環型の社会へ

鹿児島大学とインドネシア大学の学術交流の際、大崎町が紹介されたことをきっかけに、2012年度から大崎町では、インドネシア・デポック市のごみ問題にも取り組んでいる。

「インドネシアは世界的に見ても海洋プラスチックごみが多い国です。また、焼却炉がなく、埋立処分場のひっ迫という点で大崎町と似ていました。そこで、インドネシア・デポック市の要請を受けて、廃棄物の減量化と環境教育を支援しました」

支援はJICA(国際協力機構)の「草の根技術協力事業」として3 年間行われ、デポック市の生ごみの堆肥化施設を指導。分別収集やごみの資源化によって埋立処分場の減量化に貢献した。このデポック市の支援が評価され、現在はバリ州でも同様の支援を進めており、ジャカルタ特別州では「ジャカルタリサイクルセンター」の設置を目指している。

「焼却場がなく埋立処分場がひっ迫している、アジアの国の大半は同じ問題を抱えています。住民が協力してくれれば、それらの国でも大崎リサイクルシステムは実現できます」

「今、大崎リサイクルシステムはフェーズ2(第2段階)に入りました」と松元さんは言う。
2018年12月には「第2回ジャパンSDGsアワード」内閣官房長官賞を受賞。2019年には「SDGs未来都市」と「自治体SDGsモデル事業」にも選定された。

「第2回ジャパンSDGsアワード」でSDGs副本部長(内閣官房長官賞)を受賞し、東靖弘町長が授賞式に出席(写真提供/大崎町役場)

「第2回ジャパンSDGsアワード」でSDGs副本部長(内閣官房長官賞)を受賞し、東靖弘町長が授賞式に出席(写真提供/大崎町役場)

2020年には「リサイクルの町から、世界の未来を作る町ヘ」を合言葉に、「大崎町SDGs推進協議会」の設立を発表。大崎リサイクルシステムを事業化して、企業や団体、学校、研究機関とも連携し、世界に発信している。

プラスチックごみの増加など地球規模の問題に対しては、大手メーカーと一緒に、ごみを出さない商品づくりに取り組んでいく。日本政府にも、「途上国に焼却炉を販売する際は、大崎リサイクルシステムとのパッケージ化を」と提言しているという。

また、大崎町で埋立てられているごみの約1/3を占める紙オムツに関しては、大崎町と志布志市、ユニ・チャーム株式会社、有限会社そおリサイクルセンターで協力して、再生オムツをつくるプロジェクトの実証実験をしているところだ。

「今、『世界標準。大崎町』というキャッチフレーズを使っています」と話す、松元さんの表情は明るかった。

「いつか大崎町に、世界中から人々がリサイクルを学びに来れば、街全体が国際大学のようになるかもしれません。留学生たちが大崎町を行き交い、人々が国際交流をする。それを見て子どもたちの国際感覚が磨かれ、海外で活躍するようになる。そしていずれは地元に帰ってきて、大崎町をよりよくしてくれる…。人も町も、循環する町。大崎町はサーキュラーヴィレッジ構想を実践します」とのことだ。

大崎町のサーキュラーヴィレッジ構想(画像提供/大崎町役場)

大崎町のサーキュラーヴィレッジ構想(画像提供/大崎町役場)

今すぐ、ごみ袋に名前を書いて出せるか?と問われたら、正直ドキッとしてしまう。分別品目が多ければ、手間はもちろん、家の中にごみ袋やごみ箱の数も増えるだろうし……。自分ごとに置き換えて考えるほど、住民主導の「大崎リサイクルシステム」には胸を打たれる。

小さな町だからできたのでは?と思われるかもしれないが、京都市でも、ごみの減量化により5基あった焼却処分場を3基に減らしているとのこと。「大都市の京都でできることなら、どの地域でもできるはず」と松元さんは力を込めた。

ごみの出し方、リサイクルや買い物への日常的な意識など、一人ひとりにできることがまだまだあるはず。可能性を感じ、思いを新たにした。

●取材協力
大崎町役場

【早稲田大学】「高田馬場駅」まで電車で15分以内、家賃相場が安い駅ランキング&おすすめ学生街 2021年版

引越しをするタイミングで多いのは、進学や就職など新生活を始めるとき。この春から大学に進学し、初めての一人暮らしをスタートさせた人もいるだろう。一方でコロナ禍によるオンライン授業の多さから、大学の近くに引越すかどうかまだ悩み中という人もいるのでは? そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は早稲田大学・早稲田キャンパスの最寄駅である高田馬場駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方から、早稲田キャンパスに通う学生が住む街としておすすめの駅について教わった。ではさっそく見ていこう。
●高田馬場駅まで電車で15分以内の家賃相場が安い駅TOP10(11駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 千川 7.0万円(東京メトロ有楽町線/東京都豊島区/12分/1回)
1位 野方 7.0万円(西武新宿線/東京都中野区/12分/0回)
3位 下井草 7.1万円(西武新宿線/東京都杉並区/15分/1回)
3位 小竹向原 7.1万円(東京メトロ有楽町線/東京都練馬区/15分/1回)
5位 都立家政 7.3万円(西武新宿線/東京都中野区/14分/0回)
6位 十条 7.4万円(JR埼京線/東京都北区/15分/1回)
6位 沼袋 7.4万円(西武新宿線/東京都中野区/8分/0回)
8位 東長崎 7.5万円(西武池袋線/東京都豊島区/15分/1回)
8位 阿佐ヶ谷 7.5万円(JR総武線/東京都杉並区/11分/0回)
10位 落合南長崎 7.7万円(都営大江戸線/東京都新宿区/15分/1回)
10位 西荻窪 7.7万円(JR総武線/東京都杉並区/15分/0回)

複数の駅に囲まれた早稲田キャンパス周辺は学生が集う街

2022年に創立140周年を迎える早稲田大学を代表するキャンパスと言えば、国の重要文化財に指定された大隈記念講堂が建つ東京都新宿区の早稲田キャンパス。6つの学部生が通うキャンパスは、JR山手線と西武新宿線、東京メトロ東西線が通る高田馬場駅から東へ歩いて20分ほど。すぐ近くにはサークル活動の拠点である学生会館を備えた戸山キャンパスがあるほか、高田馬場駅から徒歩15分ほどの場所には西早稲田キャンパスも。各キャンパスの近くには東京メトロ東西線・早稲田駅や東京さくらトラム(都電 荒川線) 早稲田駅、東京メトロ副都心線・西早稲田駅もあり、そちらを利用する学生も少なくない。

高田馬場駅から早稲田キャンパスに向かう通りは「早稲田通り」と呼ばれている。数多くの飲食店に加えて古書店も建ち並んでいる点は、さすが大学お膝元の街といった趣だ。またこの一帯には早稲田大学のほかに学習院女子大学もあるほか、高校や専門学校、学習塾も多いので、学生らしき若者の姿もよく見かける。

高田馬場駅前(写真/PIXTA)

高田馬場駅前(写真/PIXTA)

そんな高田馬場駅から徒歩15分圏内にあるシングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場は8万9000円。同じくキャンパス最寄りの早稲田駅と西早稲田駅はどちらも9万円。都心部だけあり学生にとっては手ごろとは言いがたい金額だが、早稲田大学の学生たちは実際、どんな場所に住んでいるのだろう……? 早稲田の学生にも利用されている、「ハウスメイトショップ新宿店」店長の大堀智史さんにお話を伺った。

「特に早稲田大学の方は、大学周辺で物件を探していらっしゃるように感じます」と話す大堀さん。「どこに住むとよいかは人それぞれで、例えば学業に専念したいなら移動時間を極力減らすために早稲田駅周辺、大学以外にもアクセスしやすいほうがよければJR山手線も通る高田馬場駅周辺や、高田馬場駅まで1駅のターミナル駅・新宿駅周辺などがよいでしょう」。早稲田駅の周辺は高田馬場駅ほどの繁華街ではないので、落ち着いて暮らせる住環境のよさを求める人にもおすすめだそう。

通学時間を短く、家賃も抑えたい場合はランキングがお役立ち

通学時間をなるべく短縮するなら大学の近くに住むのがいいし、実際にそうしている学生も多い様子。とはいえ家賃が自分の予算と合わなければ、近さだけを重視して住まいを決めるのは難しい。そんな場合は、今回調査した高田馬場駅から15分圏内にある家賃相場が安い駅のランキングを参考にするのもいいだろう。ランキングトップ10の駅は家賃相場が7万円台なので、家賃相場が9万円前後だった早稲田キャンパスの徒歩圏内と比べるとだいぶ負担を抑えることができる。

最も家賃相場が低かったのは東京都豊島区に位置する東京メトロ有楽町線・千川駅の7万円だ。千川駅は東京メトロの有楽町線に加えて副都心線も通っている。副都心線に乗れば早稲田大学の最寄駅の一つである西早稲田駅まで、4駅・約9分で行くこともできる便利な立地。駅前にはチェーン店の飲食店やコンビニ、100円ショップといった学生も利用しやすい店舗が並んでいる。スーパーも駅の近くにあり、大通りを離れると静かな住宅街が広がっている暮らしやすそうな街並みだ。有楽町線または副都心線に乗って2駅・約5分で都内屈指の繁華街である池袋駅に行くこともでき、遊びに出かけやすい点も魅力だろう。

野方駅前(写真/PIXTA)

野方駅前(写真/PIXTA)

同じく家賃相場が7万円だった西武新宿線・野方駅は東京都中野区に位置。1駅下り方面に5位の都立家政駅、1駅上り方面には6位の沼袋駅があり、いずれも西武新宿線1本で高田馬場駅に行くことができる。野方駅を出ると北口側の北原通り、南口側の駅前通りをはじめ5つの商店街が続いている。通りに並ぶ商店は飲食店からスーパー、食料品関係の個人商店、雑貨店など約190店! 大学帰りや休日に商店街をめぐるのも楽しそうだ。

トップ10の駅で高田馬場駅までの所要時間が最も短かったのは、東京都中野区にある6位の西武新宿線・沼袋駅で家賃相場は7万4000円。前述の通り1位の野方駅の隣に位置し、高田馬場駅へは4駅・約8分で到着する。沼袋駅周辺の商店は駅北側に多く点在しており、駅前にラーメン店などの飲食店やベーカリー、さらに北へ進むと100円ショップやドラッグストアも。大型スーパーは見当たらないが、小型のスーパーやコンビニはあるので、学生の一人暮らしなら日常生活に必要なものはそろえられそう。駅南口から2分も歩くと、中野区立平和の森公園へ。広大な園内は緑豊かで、池や滝のある水辺の広場や草地広場、林間を通るジョギング・ウォーキングコース、バーベキューサイトなどがあるので、友達と遊びに訪れるのもいいだろう。

高田馬場駅から25分前後の東武東上線沿線なら家賃相場は5万円台~6万円台に

トップ10にランクインした駅の家賃相場は早稲田キャンパス周辺に比べると下がってはいる。だけど「さらにもっと安く住める街はないか?」と考える学生もいるだろう。そこで「ハウスメイトショップ新宿店」店長・大堀さんに、家賃を抑えたい人向けのおすすめの街を教わった。

「東武東上線の和光市駅がいいでしょう」と大堀さん。和光市駅から東武東上線で池袋駅に出て、そこからJR山手線に乗れば高田馬場駅までは計約23分で行ける。「東武東上線の急行に加えて快速急行の停車駅でもあり、快速急行なら池袋駅まで1駅・最短約12分です。さらに和光市駅は東京メトロの有楽町線・副都心線の始発駅でもあり、副都心線1本で早稲田大学近くの西早稲田駅までも約24分で到着できます」

和光市駅(写真/PIXTA)

和光市駅(写真/PIXTA)

そんな和光市駅は埼玉県和光市にあり、東京メトロの駅としては最北端かつ最西端に位置している。2020年3月には駅ビル「エキア プレミエ和光」が全館開業した。改札階である地下1階から地上3階にかけてレストランや食料品店、さらにユニクロなど多彩な店舗がずらりと並び、4階~7階部分は東武ホテルとなっている。また、駅南口には書店やファストフード店などが並ぶ専門店街を併設した「イトーヨーカドー和光店」もあるなど、大型のスーパーも点在している。暮らしやすそうな街並みながら、埼玉県という立地からか家賃相場は6万4000円。ランキングトップ10の駅と比べてもだいぶリーズナブルになっている。

さらに家賃を抑えたい人に向け、大堀さんは和光市駅と同じ東武東上線の沿線で、埼玉県朝霞市にある朝霞台駅と朝霞駅もおすすめしてくれた。

朝霞台駅前(写真/PIXTA)

朝霞台駅前(写真/PIXTA)

朝霞台駅は東武東上線の急行停車駅で、家賃相場は5万4000円。
「急行なら池袋駅まで3駅、最短約17分で到着。東京メトロ副都心線直通の東武東上線に乗れば、乗り換えせずに西早稲田駅まで約32分で行くことができます。また、朝霞台駅の駅前ロータリーをはさんでJR武蔵野線の北朝霞駅があり、2つの路線を利用できる点も便利ですよ」
高田馬場駅までは池袋駅からJR山手線に乗り換え、計約27分で行ける。朝霞台駅は改札前コンコースにファストフード店やベーカリー、書店などがあり、駅前には複数のコンビニや気軽に入れる飲食店も。すぐ近くにスーパーもあるので、日常の買い物には困らない環境だ。池袋など都内へのアクセスのよさから、首都圏のベッドタウンとして人口を増やしている。

朝霞駅(写真/PIXTA)

朝霞駅(写真/PIXTA)

朝霞駅は朝霞台駅の隣に位置しており、家賃相場は5万5000円。「こちらは準急が利用でき、池袋駅まで3駅・最短約16分です」と大堀さん。朝霞台駅と同様に池袋駅で乗り換えて、高田馬場駅までは約26分。また、副都心線直通の東武東上線に乗ると、西早稲田駅まで約29分だ。朝霞駅には駅ビル「エキア朝霞」が併設されており、ラーメン店やハンバーガー店、カフェといった飲食店に、服飾雑貨店、書店やドラッグストアなど23店舗が利用できる。駅前にも複数の飲食店が点在するほか、安さを売りにしたスーパーもあるのは自炊派で食費を節約したい人にもうれしいポイントだろう。

大堀さんおすすめの3つの駅は高田馬場駅まで25分前後ほど離れている半面、家賃相場は5万円台~6万円台におさまっている。一方で早稲田キャンパスの徒歩圏内にある、高田馬場駅や早稲田駅、西早稲田駅は家賃相場が8万円台後半~9万円だ。そして今回調査したランキングトップ10の駅は高田馬場駅まで15分以内、家賃相場は7万円台という結果だった。都心にあるキャンパスに近いと家賃は高く、離れると安くなるものの通学に時間がかかる、と一長一短である。冒頭で大堀さんがアドバイスしてくれた通り、「どこに住むとよいかは人それぞれ」。何よりも通学時間が短いことを重視するか、家賃の安さをとるか……。まずは自分がどんな学生生活を送りたいのかをよく考えてから、住む街を選ぶことが大切だろう。

●取材協力
ハウスメイトパートナーズ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている高田馬場駅まで15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/1~2021/3
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年3月31日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

村民総出でおもてなし!空家が客室、村がリゾート!? 島根「日貫一日プロジェクト」

中国山地の山あいにある島根県邑南(おおなん)町「日貫(ひぬい)」地区。のどかな田園風景が広がるこの場所に、新しいスタイルの宿泊施設が2019年に誕生した。地方の空き家率増加や人口減が課題となっているなか、それらを逆手に取って、「関係人口」という形であたたかなつながりを育む「日貫一日(ひぬいひとひ)プロジェクト」。その立ち上げの中心人物、一般社団法人弥禮の代表理事・徳田秀嗣さんに話を聞いた。
地域ゆかりの建築家の旧家を、1日1組限定の“籠もれる”宿に

中国山地を貫く山道を車で走ると、川沿いにのどかな田園風景が広がる小さな村、日貫に辿り着く。緑の山々が重なり、そのふもとには水を張り始めた田んぼや、住人たちが日々の糧にと育てる畑。赤褐色の石州瓦を葺いた民家が点々と続く、のんびりした村だ。

山々の間に田んぼと畑と民家。のどかな日貫の遠景(写真撮影/福角智江)

山々の間に田んぼと畑と民家。のどかな日貫の遠景(写真撮影/福角智江)

その風景に溶け込むように、村の古民家をリノベーションした宿泊棟「安田邸」がある。どこか懐かしい日本の家。その雰囲気をそのままに、緑の中にひっそりたたずむその建物は、日貫にゆかりの建築家・安田臣(かたし)氏が暮らした旧家だという。
ここは1日1組限定の宿。宿泊者は滞在中、この「安田邸」を1棟丸ごと利用することができる。建物内には、寝室はもちろん、ゆっくりくつろげる和室、キッチンやダイニング、のんびりしたテラスや、木の香りが心地よいヒノキ風呂までそろう。

(写真撮影/福角智江)

(写真撮影/福角智江)

「日貫一日」の宿泊棟「安田邸」(写真撮影/福角智江)

「日貫一日」の宿泊棟「安田邸」(写真撮影/福角智江)

のれんをくぐって建物の中に入ると、広い土間にキッチンとダイニングテーブル。大きな窓の向こうには、のどかな村の風景が広がる(写真撮影/福角智江)

のれんをくぐって建物の中に入ると、広い土間にキッチンとダイニングテーブル。大きな窓の向こうには、のどかな村の風景が広がる(写真撮影/福角智江)

土間からリビングスペースとなる和室、さらにその奥には寝室が続く。一棟貸しならではの贅沢な空間でくつろげる(写真撮影/福角智江)

土間からリビングスペースとなる和室、さらにその奥には寝室が続く。一棟貸しならではの贅沢な空間でくつろげる(写真撮影/福角智江)

浴室も驚くほどの広さ。壁も天井も木張りで、ほのかな木の香りに包まれる(写真撮影/福角智江)

浴室も驚くほどの広さ。壁も天井も木張りで、ほのかな木の香りに包まれる(写真撮影/福角智江)

日貫での一日をゆっくりと、という願いを込めた「日貫一日」

「もともとこの地域には建てられた当時のままの風情を残した古民家がいくつもあって、それを何とか地域の活性化のために活かせないかと考えたのが、このプロジェクトの始まりでした」と徳田さん。当初、自治体で観光関係の仕事をしていた徳田さんが、この地区に残る「旧山崎家住宅」の活用提案に手を挙げたのがその第一歩。残念ながらその提案は不採用となったが、その後も古民家活用の模索を続けるなかで出会ったのが「安田邸」だった。
農林水産省の農泊推進事業など、地域・産業活性のために国や行政が用意したスキームを活用するため、思いを共有できる地元の仲間たちと一般社団法人を設立。宿泊施設を計画した。「幸いにもさまざまな人とのつながりに恵まれて、建築家はもちろん、ロゴなどのデザインを手掛けるデザイナーや、フードディレクターなど、たくさんの方と一緒にプロジェクトを進めてきました」

日貫は人口440人ほどの小さな村だ(写真撮影/福角智江)

日貫は人口440人ほどの小さな村だ(写真撮影/福角智江)

しかし、一番の課題は「どうやって人を呼ぶか」。客室を区切って複数の宿泊客を受け入れるゲストハウスのような構想も挙がったなかで、徳田さんが一番しっくり来たのが、「籠もれる宿」というコンセプトだったという。「1日1組のお客様が朝から夜までのんびりと心豊かに過ごせる、そんな空間づくり、おもてなしを目指しました」。「日貫一日」という名前も、そんな想いで名づけられたものだという。

日貫という地域の魅力をじんわり味わう、心温まるおもてなし

例えば料理。通常、ホテルでは調理された料理がテーブルに並ぶが、日貫一日では宿泊者自身が料理を楽しめるように、設備が充実したキッチンが用意されている。しかも、「日貫は農業が盛んで新鮮な野菜がたくさん採れますし、石見ポークや石見和牛も有名です。せっかくなので、そうした食材を存分に味わってもらえるように、こだわりの3種類のレシピを準備しました」。事前に依頼しておけば、必要な食材を冷蔵庫などに準備しておいてくれるしくみだ。

近所の農家さんから仕入れることも多いという新鮮な野菜(写真撮影/福角智江)

近所の農家さんから仕入れることも多いという新鮮な野菜(写真撮影/福角智江)

豚本来のヘルシーさと脂の美味しさを併せ持つ石見ポーク(写真撮影/福角智江)

豚本来のヘルシーさと脂の美味しさを併せ持つ石見ポーク(写真撮影/福角智江)

自分たちで料理して食べるのも楽しい「へか(日貫伝統 すき焼き)」。味噌が効いた甘辛いお出汁で、素材のおいしさを満喫。ごはんが止まらない!(写真撮影/福角智江)

自分たちで料理して食べるのも楽しい「へか(日貫伝統 すき焼き)」。味噌が効いた甘辛いお出汁で、素材のおいしさを満喫。ごはんが止まらない!(写真撮影/福角智江)

ほかにも、室内には日貫や周辺地域のものを多く備えてある。「独特の風合いの食器類は、邑南町の森脇製陶所のもの。香りもいい野草茶は、近所に住んでいる80歳のおばあちゃんが育てているもので、今朝、煎りたてを分けていただきました」。新鮮な野菜も、近所の農家さんから買い取っているものが多いという。和室のちゃぶ台の上には、「せいかつかのじかんにつくりました」とメッセージ付きで、地元の小学生による「日貫の生き物」の手づくり図鑑も置かれている。

地元の小学生が手描きでつくった日貫の生き物図鑑(写真撮影/福角智江)

地元の小学生が手描きでつくった日貫の生き物図鑑(写真撮影/福角智江)

安田邸で使われている茶器と、ご近所さんお手製の野草茶(写真撮影/福角智江)

安田邸で使われている茶器と、ご近所さんお手製の野草茶(写真撮影/福角智江)

時間が合えば、日貫を流れる川沿いにある荘厳な滝や、かつての庄屋さんの住まいだという立派な茅葺の住宅を案内してもらえることもある。田んぼのあぜ道をのんびり歩けば、畑仕事をしている住民たちと気軽に言葉を交わせる。「これ、持って帰りんさい!」とたくさんの野菜をもらったと、うれしそうに話してくれた宿泊者の人もいたという。
のんびり過ごすほどに味わいが増す、そんな場所だ。

大きな田んぼをトラクターで耕していたのは住人の草村さん。徳田さんの姿を見るとみんな笑顔で話しかけてくれる(写真撮影/福角智江)

大きな田んぼをトラクターで耕していたのは住人の草村さん。徳田さんの姿を見るとみんな笑顔で話しかけてくれる(写真撮影/福角智江)

宿から車で10分ほどのところにある「青笹滝の観音」。普段はもっと水流が多く迫力もあるそうで、角度によって観音様のように見えるのだとか(写真撮影/福角智江)

宿から車で10分ほどのところにある「青笹滝の観音」。普段はもっと水流が多く迫力もあるそうで、角度によって観音様のように見えるのだとか(写真撮影/福角智江)

日貫の庄屋を務めた旧家・旧山崎家住宅。立派な茅葺屋根が見事(写真撮影/福角智江)

日貫の庄屋を務めた旧家・旧山崎家住宅。立派な茅葺屋根が見事(写真撮影/福角智江)

フロント「一揖(いちゆう)」は住民との交流の場。人の集まるイベントも

「この場所に宿泊施設をつくるという話をしたとき、近所の人たちの多くは半信半疑のようでした。こんなところに泊まりに来る人が居るのか?と(笑)。しかし、プレオープンで試泊を受け付けていた半年ほどの間に、ほぼ毎日明かりがともるのを見ていた人も多いようで、少しずつ、興味を持ってくれる人も増えてきました」
カフェやイベントスペースとしても利用できる日貫一日のフロント「一揖」は、近所の人が集まることも多く、地域の人が気軽に集まっておしゃべりできる社交場にもなっている。かつて電子部品工場だったという建物をリノベーションし、「会釈する」という意味の「一揖」と名付けた。現在は、宿泊者の朝食場所になっているほか、日貫にコーヒーの焙煎所ができたことで、スタッフが焙煎した豆でコーヒーを淹れる、カフェ営業も定着してきている。

カフェやイベントスペースとしても利用できるフロント「一揖」。かつての部品工場時代を知っていて「なつかしい!」という人も(写真撮影/福角智江)

カフェやイベントスペースとしても利用できるフロント「一揖」。かつての部品工場時代を知っていて「なつかしい!」という人も(写真撮影/福角智江)

「一揖」のカウンターは、日貫一日のフロントであり、カフェのキッチンでもある(写真撮影/福角智江)

「一揖」のカウンターは、日貫一日のフロントであり、カフェのキッチンでもある(写真撮影/福角智江)

丁寧に淹れられるコーヒーの豊かな香りにも癒される(写真撮影/福角智江)

丁寧に淹れられるコーヒーの豊かな香りにも癒される(写真撮影/福角智江)

最近では、日貫に移住してきた若者が「食で繋がる 日貫の台所」と銘打って、「一揖」に集まって、地域のみんなでご飯をつくり、一緒に食べる、そんなイベントも定期開催。「今後は宿泊者も巻き込みながら、住人と宿泊者が交流できる場にもなればいいですね」(徳田さん)

地域の住人の皆さんが関わりやすい、「お仕事」スタイルで笑顔の循環

「日貫一日では、木製のお風呂の掃除や、朝食の支度など、地元のお母さんたちにお給料を払ってお手伝いしてもらってるんです。このプロジェクトを長く続けていくためには、地域の方を巻き込みながら、いかに楽しく運営していけるかが大切だと思うんです」と徳田さん。
地域おこしというと、ボランティアという形で関わるケースも少なくない。しかし、徳田さんたちがこだわるのは、興味をもってくれた人にあくまで「仕事」として、何らかの形で関わってもらえる機会をつくるということ。「きちんと報酬があるということが強いやりがいと人のつながりを生み、ひいては日貫全体を盛り上げていく力になると信じています」
朝食の支度にやってきては、「ええなぁ」と満足そうにテーブルに並んだ料理を眺めるお母さん。宿泊者の方から「野菜がおいしい!」という感想を聞いて、畑仕事にも力が入るお父さん。「日貫一日に関わることで、地域のみなさんの笑顔が増えるとうれしいですね」

日貫に縁を持つ次世代の若者たちをスタッフに迎え、持続可能な施設運営を

最近、日貫一日のスタッフに新たに2人が加わり、計3人になった。立ち上げメンバーである夫と一緒に日貫にやってきたという湯浅さん。邑南町に住むおじいちゃんと一緒に暮らすために京都の大学を卒業後に日貫に来たという倉さん。そして、以前は公務員をしていたが、日貫一日に興味をもって関わるようになったという、地元出身の上田さん。それぞれが不思議な縁をたどって、今は日貫一日で働いている。
「日貫を盛り上げたいという想いを継いで活動してくれる次の世代の存在はとても重要です。このスタッフがそろったことで、その布石ができました。今後は彼女たちも一緒に、プロジェクトを盛り上げていけたらいいですね」

日貫一日で働くスタッフのみなさん(左から2番目が徳田さん)。みんなそれぞれの縁で、このプロジェクトに関わっている(写真撮影/福角智江)

日貫一日で働くスタッフのみなさん(左から2番目が徳田さん)。みんなそれぞれの縁で、このプロジェクトに関わっている(写真撮影/福角智江)

取材の最後に、「今度は施設のすぐ裏にある神社の境内でマルシェを企画しているんですよ」と教えてくれた徳田さん。「昔のお宮さんのお祭りみたいな雰囲気で、フリーマーケットとかをしてもいいかな~」。そう話す徳田さんは笑顔満面。日貫に新たな人の笑顔が満ちるのが目に見える、そんな素敵な笑顔だった。

●取材協力
日貫一日

DIYで部屋をアート作品に! クリエイターが集う名物賃貸「MADマンション」

若手のクリエイターが東京に拠点を持ちたいと思っても、家賃が高く、借りられる部屋がない……。それならば、東京よりも家賃相場が低く、アクセスのいい郊外にクリエイターが集まる街をつくろう。こう考え、まちづくり会社のまちづクリエイティブが2013年ごろから松戸に展開しているのが「MAD City(マッドシティ)」です。そのランドマークとも言えるマンション「MADマンション」に住み、製作活動をつづける小野愛さんの住まいにお邪魔しました!
「30歳になってしまう」焦りから上京を決意

都市の規制やクレームの発生などによってクリエイターの活動が制限されることが多いなか、「地域住民とコミュニケーションを図りながらクリエイターが活躍できる『まちづくり』をしたい」という想いでまちづくりプロジェクトを行っているまちづクリエイティブ。千葉県松戸市にある拠点「MAD City Gallery」から半径500mの範囲を核とした「MAD City」は、そのモデルケースとなる街です。これまで、まちづクリエイティブを通じてこの街に住んだクリエイターの数は570人以上。いまも170人以上のクリエーターがこの街に住んで、さまざまな分野の創作活動に取り組んでいます。

玄関に通された瞬間、あっ! と思わず息をのむような、奥行きのある白い空間と白い作品たち。小野さん(32歳)の住まいは、まるで部屋全体が一つの作品のようにも感じられる、静かで神秘的な雰囲気を醸し出しています。

(撮影/嶋崎征弘)

(撮影/嶋崎征弘)

小野さんの作品たち。石膏像のように見えるが、すべて白い布を用いて手縫いでつくられている(撮影/嶋崎征弘)

小野さんの作品たち。石膏像のように見えるが、すべて白い布を用いて手縫いでつくられている(撮影/嶋崎征弘)

キッチンの窓辺に飾られている瓶や植物ですら、小野さんの作品の一部のように見える(撮影/嶋崎征弘)

キッチンの窓辺に飾られている瓶や植物ですら、小野さんの作品の一部のように見える(撮影/嶋崎征弘)

小野さんがそれまで住んでいた大分県別府市から首都圏に活動拠点を移して、本格的に制作活動を行う決意をしたのは2019年のこと。「30歳を目の前に控えて、焦りもあった」と言います。

「もともとは、福岡のファッション系の専門学校を卒業しました。卒業後、布を使用した立体作品をつくるようになり、地元である大分県に戻ってアルバイトをしながら7~8年ほどは別府で活動を続けていました。29歳のころに美術家として生きていく覚悟を決めて、東京に拠点を移そうと考えたんです」(小野さん、以下同)

美術家の小野愛さん。にこやかに、穏やかに話してくれた(撮影/嶋崎征弘)

美術家の小野愛さん。にこやかに、穏やかに話してくれた(撮影/嶋崎征弘)

松戸を拠点にクリエイターが集う「MAD City」に住みたい

ところが、いざ東京都内で住居兼アトリエとして制作ができるだけの広さを確保しようとすると家賃が高くなり、なかなか予算に合う物件が見つけられなかったそう。そこで同郷のまちづクリエイティブのスタッフに相談をしたのが、入居のきっかけでした。

「都内の家賃は払えないので、もう少し郊外で、と思ったときにMAD Cityのことを知り、松戸で探すことにしました。関東での生活が初めてなので、同じようなクリエイターさんと知り合えたらいいなと。このマンションはひと目で気に入りました。広いワンルームのように使える間取りであること、そしてマンション内に他のクリエイターさんも多く住んでいることが何よりの決め手です」

以前の部屋の様子。現在の小野さんの部屋の雰囲気とは全く異なる(画像提供/まちづクリエイティブ)

以前の部屋の様子。現在の小野さんの部屋の雰囲気とは全く異なる(画像提供/まちづクリエイティブ)

小野さんの部屋を見ると、以前は2DKとして使われていたのだろうと思われる引き戸の溝があります。実際に内見をしたときには襖があったのだそうです。

もともと2DKだったと思われる間取り。DIYをする前は、中央のスペースにもクッションフロアが張られていた(資料提供/まちづクリエイティブ)

もともと2DKだったと思われる間取り。DIYをする前は、中央のスペースにもクッションフロアが張られていた(資料提供/まちづクリエイティブ)

DIYで、住まいが独特の空気感をもつアート作品に!

MADマンションは、全20室中、15室をまちづクリエイティブが借り上げています。見逃せない大きなポイントが“DIY可能”で、さらに退去時の“原状回復が不要”なこと。マンション内の1室はDIY作業が可能な共有スペースとして確保され、住人たちが道具を保管する物置として、また作業部屋として自由に使えるそう。

504号室はまちづクリエイティブが、住人のために確保している共有スペース(撮影/嶋崎征弘)

504号室はまちづクリエイティブが、住人のために確保している共有スペース(撮影/嶋崎征弘)

共有スペースの床にはところどころ物が置かれているが、作業部屋としても使えるくらい広く、がらんとしている(撮影/嶋崎征弘)

共有スペースの床にはところどころ物が置かれているが、作業部屋としても使えるくらい広く、がらんとしている(撮影/嶋崎征弘)

別府にいたころからDIYができる賃貸物件に住んでいた、という小野さん。「なぜかは分からないけど、白が好きで」自分好みの空間になるよう、手を入れてきました。

「奥の部屋はもとから床の板がむき出しになっていましたが、ダイニングと中央の部屋はクッションフロアでした。試しにめくったところ、簡単にはがれたので、中央の部屋も床の板をむき出しにして白く塗りました。梁やキッチンの扉、引き戸も白くしています」

中央のスペースとダイニングキッチンとの床の境目。今は白く塗った中央のスペースの床にも、もともとはダイニングキッチン同様のフローリング調のクッションフロアが張られていた(撮影/嶋崎征弘)

中央のスペースとダイニングキッチンとの床の境目。今は白く塗った中央のスペースの床にも、もともとはダイニングキッチン同様のフローリング調のクッションフロアが張られていた(撮影/嶋崎征弘)

もともと押入れだったと思われる収納上部の引き戸も白く塗った(撮影/嶋崎征弘)

もともと押入れだったと思われる収納上部の引き戸も白く塗った(撮影/嶋崎征弘)

もともと付いていた茶色のカーテンレールがあまり好みでなかったため、取り外し、白く塗った窓枠の手前に白いワイヤーを渡してカーテンを通した(撮影/嶋崎征弘)

もともと付いていた茶色のカーテンレールがあまり好みでなかったため、取り外し、白く塗った窓枠の手前に白いワイヤーを渡してカーテンを通した(撮影/嶋崎征弘)

空間全体が白くなり、光がよく入る5階の部屋は曇りの日でも明るく、「制作に向かう環境としてとても贅沢な空間」だと言います。

「私の動画作品の一部としても、この空間を活用しています。このマンションに住んでいたダンサーの方を紹介してもらい、撮影したんです」

小野さんの映像作品の1カット。今回話を聞いた、まさにこの部屋で撮影されている(画像提供/小野さん、出演/永井美里、撮影/鈴木ヨシアキ)

小野さんの映像作品の1カット。今回話を聞いた、まさにこの部屋で撮影されている(画像提供/小野さん、出演/永井美里、撮影/鈴木ヨシアキ)

なんと! 住まいやアトリエとしてのみならず、部屋の空間が作品にもなったんですね! それだけ小野さんのセンスを刺激する物件だったということでしょう。

住人同士や地域とのコミュニケーションも盛ん

「先日まで個展を開催していたのですが、その会場にもこのマンションに住む人たちをはじめ、MAD Cityの人たちが足を運んでくれました。いろいろな人と知り合いたいと思って関東に出てきたわけですが、コロナ禍でイベントなどが少なくなり、出会える機会もなく……。それだけに、まちづクリエイティブさんが、このマンションに住む他のクリエイターさんを紹介してくれて、少しずつ輪が広がってきたことがとてもうれしいんです」

MADマンションの外観。古いが味のある建物は、どことなくクリエイティブなにおいを放っている(撮影/嶋崎征弘)

MADマンションの外観。古いが味のある建物は、どことなくクリエイティブなにおいを放っている(撮影/嶋崎征弘)

小野さんが話してくれたように、まちづクリエイティブはクリエイター同士の交流も促進してきました。現在、その活動は物件や人の紹介だけにとどまらず、地元企業と連携した仕事の創出や、クリエイターとの商品開発などにまで及んでいます。

昨年には、松戸駅エリアでは20年ぶりとなる全長4mの新しいスタイルの商店街「Mism」を発足させて回遊性を高めるプロジェクト行ったり、松戸で唯一のクラフト瓶ビール「松戸ビール」の商品ブランディングや販売を行ったりしているそう。

若い才能を発揮できる環境が整っているからこそ、個性的な魅力を宿す住まいや新しい作品、商品が生まれるのでしょう。かくいう筆者も小野さんの作品・空間を体感して、すっかりファンになりました! 一層盛り上がっていきそうなMAD Cityと、そこに住むクリエイターさんのつながり。これからの展開にも期待がふくらみます!

●取材協力
・小野愛さん
・まちづクリエイティブ

パリの暮らしとインテリア[9]家具は古材でDIY! テキスタイルデザイナーが暮らす市営アパルトマン

パリ市が運営するOffice Public de l’Habitat (OPH・市営住宅)に入居して4年目になる、ニット作家兼テキスタイルデザイナーのメゾナーヴ・シリルさん。彼のアパルトマンは、工業廃材や木材に彼が手を加えたオリジナルな家具に囲まれています。小さなアパルトマンで快適に生活するために欠かせないものとは? そんなヒントが見つかりました。連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

10年待ってやっと条件の合うOPH(市営住宅)に入居

シリルさんが住む市営住宅の最大の魅力は、不動産屋や大家から直接借りる物件よりも家賃が安いということ。
入居希望の場合は事前にOPH(市営住宅)のサイトで登録が必要です。どの地区に住みたいか、部屋の数、住む人数、1年間の収入、などの情報を書き込みます。 「更新手続きは毎年でパズルのように複雑です。入居者を抽選で市が決め、当選すると連絡が来るのですが、場所や間取りなど気に入らなかったので数回断りました。条件の合った物件に巡り合うには忍耐が必要です」とシリルさん。彼は14年前に登録してから10年目にしてやっと自分たちの条件に合う物件に巡り合ったそう。

市営住宅の事情を調べてみると、パリの古いアパルトマンにはベランダがないことが多いのですが、最近建てられるほとんどの市営住宅にはベランダがあるそう。バルコニーで食事をしたり、ベランダ菜園をしたり、このように現代のライフスタイルに合わせて設計されているため、人気はうなぎ登りだそうです。「なかなか入居できなくても、将来のことを考えて登録だけはしておく」という若い人たちも多いそう。

シリルさんのアパルトマンはベランダはないが窓の外に植木鉢が置けるスペースがある古いタイプの間取り。広いリビングではないけれど、長方形を区切ってさまざまなコーナーをつくった。窓際から順番に、書斎、ソファーのあるくつろぎの場、一番奥は作品や小物を収納した本棚を置いたスペースにしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シリルさんのアパルトマンはベランダはないが窓の外に植木鉢が置けるスペースがある古いタイプの間取り。広いリビングではないけれど、長方形を区切ってさまざまなコーナーをつくった。窓際から順番に、書斎、ソファーのあるくつろぎの場、一番奥は作品や小物を収納した本棚を置いたスペースにしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓際の左手の書斎の本棚。古い木の扉を仕切りにして、細々としたものを隠したりライトを取り付けたりしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓際の左手の書斎の本棚。古い木の扉を仕切りにして、細々としたものを隠したりライトを取り付けたりしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バタフライテーブルは使っていないときには畳めるので「省スペースの優れ家具の代表」とシリルさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バタフライテーブルは使っていないときには畳めるので「省スペースの優れ家具の代表」とシリルさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分たちの身の丈に合った部屋選びが重要

このアパルトマンは、パリの東にあるナション駅に近い静かな通りにあります。周りには木が多く、寝室とサロンが大きな公園に面していて、彼が幼少のころに住んでいた街を思わせる庶民的な雰囲気が魅力だそう。住宅街ではあるけれど、買い物にも便利なカルチェ(地区)で、シリルさんが「アイデアの宝庫!」と絶賛するホームセンターも近くにあります。
また、間取りがリビングと寝室の2部屋というこの51平米のアパルトマンが、パートナーと3匹の猫と暮らすのに十分の広さだと考えたそう。
「パリのアパルトマンは小さいので、スペースを節約して暮らすことが重要課題です。私たちは年齢とともに必要でないものは手放し、大事なものだけに囲まれて生活することが幸せということも知っているから、私たちにぴったりな物件でした」とシリルさん。
4年前の引越し当初は、壁や天井が真っ白に塗られたとても明るい部屋でした。シンプルな空間がまっさらなキャンバスのようで、これからどんな風に部屋を自分たちらしくしようかとワクワクしたそうです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

寝室とサロンから見える公園「Square Sarah Bernhardt (スクエア・サラ・ベルナール)」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

寝室とサロンから見える公園「Square Sarah Bernhardt (スクエア・サラ・ベルナール)」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家具のDIYに欠かせない、シリルさん行きつけのホームセンター「castorama(カストラマ)」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家具のDIYに欠かせない、シリルさん行きつけのホームセンター「castorama(カストラマ)」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分でDIYしたインテリアに囲まれて暮らす幸せ

シリルさんは料理人、菓子職人、フローリストを経て現在のニット作家とテキスタイルデザイナーなりました。「手で何かをつくり上げる仕事は、常に前進する喜びと学びがあり、私の人生そのものなのです」とシリルさん。
そんな彼がインテリアで大切にしていることは、やはり手でつくり上げていく制作過程だそう。落ち着いた装飾、空間のアレンジ、それによって出来上がった部屋で過ごすのは何ものにも変えられない喜びだそう。
引越してきてからの4年間は“木の温もりや手づくり感があふれるものに囲まれた生活”をコンセプトとして、部屋づくりをしてきました。
彼は成形された材木を買ってくるのではなく、廃棄されてしまうようなものを積極的に再利用しています。例えば、“パリの胃袋”と呼ばれるランジス市場からもらってきたいくつもの木箱を使って本棚にしたり、ランジス市場で荷物を運ぶリフト用の板をベッドヘッドにしたり。そうすることによって想像もつかないオリジナルなインテリアができ上がったそうです。

市場でりんごを入れて運ぶための木箱を本棚にして廊下へ。ホームセンターで購入したグリーンのコードのライトは、本来庭やカフェのテラスよく使われている防水性のもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

市場でりんごを入れて運ぶための木箱を本棚にして廊下へ。ホームセンターで購入したグリーンのコードのライトは、本来庭やカフェのテラスよく使われている防水性のもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

陽光がたくさん入るベッドルームは公園に面していてとても静か。ベッドの土台はたっぷり収納ができる引き出し付き(写真撮影/Manabu Matsunaga)

陽光がたくさん入るベッドルームは公園に面していてとても静か。ベッドの土台はたっぷり収納ができる引き出し付き(写真撮影/Manabu Matsunaga)

廃材を利用したベッドヘッド。これからここに棚を取り付ける予定(写真撮影/Manabu Matsunaga)

廃材を利用したベッドヘッド。これからここに棚を取り付ける予定(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

両ベッドサイドにはお店で購入した軍の放出品の救急箱を置いて。猫の毛はすみに溜まるから、掃除がしやすいように底にローラーを付けて可動式に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

両ベッドサイドにはお店で購入した軍の放出品の救急箱を置いて。猫の毛はすみに溜まるから、掃除がしやすいように底にローラーを付けて可動式に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

どの部屋にも植物を欠かさない。鉢植えにもテーマを

シリルさんのインテリアへの想いは、引き出しや鏡にも。これらは子どものころに家族が使っていたものです。「古いものには物語があり、私が知らない過去を教え語ってくれているようにも思います。画家が創作時期によって色に偏りがでるように、私も以前は赤で統一した少しエキセントリックなインテリアをつくったり、緑に偏っていた時期は洋服まで緑のコーディネートにしていたこともあります」と語ります。
一方で、切り花のブーケをはじめとする全ての植物が好きだということは変わりませんでした。このアパルトマンでも「品種を混ぜ合わせた寄せ植えの鉢をつくっています。自分が温室や森に住んでいるのだと想像しながら」とシリルさん。中でも天井に届きそうな背の高いサボテンは25歳になり、引越しのたびに一緒に移動してきた家族のような存在。将来、地方に移住したとしてもこのサボテンだけは連れて行くそう。
ものや植物とテーマを決めて対話をし、ひとつひとつに愛情を注ぐことが大事だと話してくれました。

暖炉の上に置かれた“赤時代”の鏡。写真左のチェストは古くから家族の家にあったもの。その上はサボテンコーナーになっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

暖炉の上に置かれた“赤時代”の鏡。写真左のチェストは古くから家族の家にあったもの。その上はサボテンコーナーになっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

25年も一緒に暮らしている背の高いサボテン(写真左)。右の台に乗せられているのは寄せ植えの観葉植物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

25年も一緒に暮らしている背の高いサボテン(写真左)。右の台に乗せられているのは寄せ植えの観葉植物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「この一角だけで森をイメージしてしまう」というシリルさん。白い円柱の台を使って山の斜面のような高さを演出(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「この一角だけで森をイメージしてしまう」というシリルさん。白い円柱の台を使って山の斜面のような高さを演出(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あちこちに取り付けられている木の格子は、バラやクレマチスなどを絡ませるためのもの。本来は庭やベランダで使うものだが、木の質感が気に入り、友達から譲り受けたそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あちこちに取り付けられている木の格子は、バラやクレマチスなどを絡ませるためのもの。本来は庭やベランダで使うものだが、木の質感が気に入り、友達から譲り受けたそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

明るいバスルーム。この棚にも植物をもっと置く予定だ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

明るいバスルーム。この棚にも植物をもっと置く予定だ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バスルームの洗面台の上の壁に取り付けた棚にも観葉植物が(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バスルームの洗面台の上の壁に取り付けた棚にも観葉植物が(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンのランプシェードにポトスを絡ませるアイデアが素敵。窓辺にはハーブ類を鉢に植えて料理に使っているそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンのランプシェードにポトスを絡ませるアイデアが素敵。窓辺にはハーブ類を鉢に植えて料理に使っているそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

今後の夢は海の見える家で暮らすこと

シリルさんの夢は、海の見える庭のある家で暮らすことだそう。今の候補は、パリからTGVで2時間ほど離れている、昔実家のあったフランス西部の学園都市のナント周辺。現在、ナントで週に一度大学でテキスタイル・デザインと編み物を教えていて、この街の良さを再確認したそう。
「そこでは、私の一番大切にしている思い出が詰まったオブジェだけを置き、シンプルな世界をつくってみたいです」とシリルさん。
魂を感じられない量販店の装飾などよりも、海を毎日見ることを大切にしたいそう。
「海の風景は、日の出や夕焼けも素敵ですが、雨でも美しいですし、潮の満ち引きや季節によっても大きく変化します。嵐が来た時の波が荒れる海の表情が大好きでなんです! 自然に勝るデコレーションはありません」

廊下の壁の一部に古い木材を立てかけて、お気に入りのベルエポック時代の骨董品を飾っています。色合いがシリルさんの作品と共通してナチュラル(写真撮影/Manabu Matsunaga)

廊下の壁の一部に古い木材を立てかけて、お気に入りのベルエポック時代の骨董品を飾っています。色合いがシリルさんの作品と共通してナチュラル(写真撮影/Manabu Matsunaga)

りんご箱に飾ったシリルさんのニットの作品。りんご箱は窓辺に置いていて、時には椅子としても使うそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

りんご箱に飾ったシリルさんのニットの作品。りんご箱は窓辺に置いていて、時には椅子としても使うそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シリルさんの作品は使い込まれた木の風合いによく似合う(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シリルさんの作品は使い込まれた木の風合いによく似合う(写真撮影/Manabu Matsunaga)

現在、「パリ市内は高すぎてアパルトマンを買うことはできない」と、郊外へ脱出をする人が増えています。一方で、仕事の都合や、子どもの学校関係、それに「やっぱりパリに住みたい!」など、いろいろな理由でパリ市内を希望する人も少なくありません。そんな人たちにとって、市営住宅はとても魅力的です。
市営住宅自体は個性的ではないけれど、シリルさんのように自分たちにとって心地よい、唯一無二の空間をつくっていくこともできます。
何を選択するかは人それぞれ。このコロナ禍で、パリでも住まいの選び方がますます多様化してきています。それぞれの暮らしに何を望み、それをどう実現していくか。小さなアパルトマンという制限のある空間でも、本人次第で暮らしを楽しむことができるのだということが伝わってきました。

(文/松永麻衣子)

「私の庭に寄ってって」! 個人宅の『秘密の花園』を自由に楽しむ「こだいらオープンガーデン」

個人の庭を一般に公開する取り組み「オープンガーデン」。丹精込めた庭をお披露目し、庭を通して地域の人々、同じ趣味を持つ人々との交流を楽しむ場でもあり、英国の慈善団体がチャリティーの一環として始めたものとされている。
まだまだ日本では馴染みのないカルチャーだが、東京都小平市では14年前から、「こだいらオープンガーデン」としてまとめてPR、市がバックアップしている。 

個人宅とは思えないほどの規模のイングリッシュガーデン

今回は登録されている27カ所の庭のうち、市の取り組みがスタートする前からご自身の庭を開放していた「森田オープンガーデン」の森田光江さんにインタビュー。そもそもご自身がオープンガーデンを始めた経緯、どんな取り組みをしているのか、実際にお庭にお邪魔して、お話を伺った。

「森田オープンガーデン」を訪れると、その規模感に圧倒される。1000坪の庭には、カモミール、菜の花、コデマリ、つつじの花々が咲きみだれていた。テーブルやチェアも設置されているなど、まるでフランシス・ホジソン・バーネットの童話『秘密の花園』のよう。これが個人の庭なのが驚きだ。
イメージは“手入れしすぎない、日常の中のガーデン”。こぼれた種をそのままに、自然のサイクルを活かした庭づくりを心掛けている。とはいえ、小道の手前には背の低い花を、奥に行くにしたがって花・樹木の高さが高くなるよう植物を配置し、花々が咲く季節をずらしながら植えられており、散策が楽しくなるように計算もされている。

奥にある玉川上水の並木道も借景にするイングリッシュガーデン。どこからかピーターラビットが現れそうな雰囲気(写真撮影/片山貴博)

奥にある玉川上水の並木道も借景にするイングリッシュガーデン。どこからかピーターラビットが現れそうな雰囲気(写真撮影/片山貴博)

庭にはテーブルやイスがあちこちに。友人から“森田さんのお庭に似合うと思って”と譲り受けることもあるそう(写真撮影/片山貴博)

庭にはテーブルやイスがあちこちに。友人から“森田さんのお庭に似合うと思って”と譲り受けることもあるそう(写真撮影/片山貴博)

撮影は4月下旬。可憐なカモミールの花が満開な季節。「まだまだ、花のトップシーズンはこれから。もうすぐバラが満開になります」と、笑顔で案内してくれるオーナーの森田さん。まるで我が子のように、慈しみ育てている。
「春から秋まではほとんどお庭にいますね。水やり、草むしり、植え替えとやることはいっぱい。今日は朝4時半起きなんです。続けてこれたのは“とにかく花が好き”ということと、喜んでくれる人たちがいるということですね」

奥には家庭菜園もあり、トマトやエンドウ豆の苗が育ち、収穫の楽しさも(写真撮影/片山貴博)

奥には家庭菜園もあり、トマトやエンドウ豆の苗が育ち、収穫の楽しさも(写真撮影/片山貴博)

コデマリ、チューリップ、カモミール、シャクナゲと咲き誇る花々に癒やされる(写真撮影/片山貴博)

コデマリ、チューリップ、カモミール、シャクナゲと咲き誇る花々に癒やされる(写真撮影/片山貴博)

お手製の花時計も自慢の場所(写真撮影/片山貴博)

お手製の花時計も自慢の場所(写真撮影/片山貴博)

庭を開放し、花を愛でる喜びをみんなでシェア

幼いころからずっと花が好きだった森田さん。「14年前に亡くなった夫とはとっても仲良しで、唯一の揉めごとが私の花畑と夫の野菜畑の境界線争いだったほど(笑)。彼が亡くなって本当に悲しくて、泣いてばかりだったけれど、せっかく彼が残してくれた場所なんだからと、花づくりにどんどん精を出すようになったんです」
そして、丹精込めて育てた花々をご近所さんとも共有したいという想いから、庭園を開放するように。そのうち、「もっとゆっくり腰を落ち着けてお庭を見ていただきたい」とテーブルやイスを置いたり、お茶をふるまうように。
定期的に訪れるご近所の常連さんも多いが、玉川上水沿いの緑道に接しているため、「ウェルカム」の看板に誘われ、ふらっと足を運ぶ人も。花の話題で、初対面でも話が盛り上がることも多い。撮影は晴天の4月ということもあり、平日の午前中から、たくさんの人がお庭を散策。なかには森田さんの同級生たちの姿も。
「コロナ禍で、なかなかみんなで集まることが難しいけれど、屋外のこの場所ならと、友人たちが顔を出してくれるんです」

モッコウバラの棚の木陰でお茶をふるまう森田さん。ちょっとしたおしゃべりも気分転換に(写真撮影/片山貴博)

モッコウバラの棚の木陰でお茶をふるまう森田さん。ちょっとしたおしゃべりも気分転換に(写真撮影/片山貴博)

カモミールティーとクッキーのセット(200円)。売上はすべて福祉団体へ寄付している。「最初は無料でふるまっていたらお礼にお土産をいただくようになり、かえって申し訳なくなったんです」(写真撮影/片山貴博)

カモミールティーとクッキーのセット(200円)。売上はすべて福祉団体へ寄付している。「最初は無料でふるまっていたらお礼にお土産をいただくようになり、かえって申し訳なくなったんです」(写真撮影/片山貴博)

手づくりの花籠やボタニカルアートも友人の手によるもの。友人たちにとってもかけがえのない場所になっているのかもしれない(写真撮影/片山貴博)

手づくりの花籠やボタニカルアートも友人の手によるもの。友人たちにとってもかけがえのない場所になっているのかもしれない(写真撮影/片山貴博)

オーナーの森田光江さん。フレンドリーで明るい森田さんの人柄にも惹かれて訪問する人も多い。「今日はひ孫の幼稚園のお迎えに行ってきたばかりなんです」とアクティブ(写真撮影/片山貴博)

オーナーの森田光江さん。フレンドリーで明るい森田さんの人柄にも惹かれて訪問する人も多い。「今日はひ孫の幼稚園のお迎えに行ってきたばかりなんです」とアクティブ(写真撮影/片山貴博)

複数のオープンガーデンを包括することで“花の小平”をPR

こうした自分の庭園を個人的に開放していた森田さんだが、2007年、市から「小平市内のオープンガーデンとしてPRしたい」という打診があったときには、「もちろん大丈夫です」と即答。これまでは、ご近所さん限定だったのが、春には市内外から訪れる人気スポットに。オープンガーデンの登録数も当初12カ所から現在は27カ所となっている(コロナ禍で休園している場所もあり)。
そもそも「こだいらオープンガーデン」とは、それより先に開催されていた「花と緑のこだいらガーデニングコンテスト」から「年間通して展開できないだろうか」という発想から始まったもの。玉川上水、野火止用水、狭山・境緑道、都立小金井公園と、ぐるりと散歩道が一周する約21kmの「小平グリーンロード」とあわせて、散策したくなる街の魅力をPRすることも狙いだ。森田さんのようなイングリッシュガーデンもあれば、開放が期間限定のバラ園、日本庭園もある。

現在の運営団体である、一般社団法人こだいら観光まちづくり協会の若林さち代さんにも話を伺った。「肥料代などの補助金もなければ会費もない、ゆるやかなものです。こうしたマップやパンフレットを作成することで、すべてのお庭を知っていただけたら。登録者のみなさんで情報交換など横のつながりも生まれています。今後は専門家を呼んで勉強会をするなどの取り組みも考えていきたいです」
丹精こめた庭や花を、オーナーと訪れた人がシェアする。地元で過ごすのは週末だけという人が多かったなか、コロナ禍で地元での暮らしを見直す人たちにとって、「オープンガーデン」は格好の癒やしの場、繋がりの場となるはずだ。

「こだいらオープンガーデン」に参画している庭は、この看板が目印(写真撮影/片山貴博)

「こだいらオープンガーデン」に参画している庭は、この看板が目印(写真撮影/片山貴博)

ちなみに数あるオープンガーデンのうち、森田さんのお庭はかなり例外的。通常は飲食禁止、オーナーの対応はあるとは限らない。あくまでも「お庭を楽しむだけの場所」で、生活をしている方の邪魔にならないよう配慮が必要。敷地外からの見学のみの庭もある(写真撮影/片山貴博)

ちなみに数あるオープンガーデンのうち、森田さんのお庭はかなり例外的。通常は飲食禁止、オーナーの対応はあるとは限らない。あくまでも「お庭を楽しむだけの場所」で、生活をしている方の邪魔にならないよう配慮が必要。敷地外からの見学のみの庭もある(写真撮影/片山貴博)

個人のお宅以外にも、レストランの庭、教会の庭園なども「こだいらオープンガーデン」のひとつ。例えば、 教会であるベタニア館のバラ園では、テラスで一休みもできる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

個人のお宅以外にも、レストランの庭、教会の庭園なども「こだいらオープンガーデン」のひとつ。例えば、
教会であるベタニア館のバラ園では、テラスで一休みもできる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

自然派レストラン、カフェ・ラグラスの庭園もオープンガーデンのひとつ。店舗利用せずとも庭園を見学できる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

自然派レストラン、カフェ・ラグラスの庭園もオープンガーデンのひとつ。店舗利用せずとも庭園を見学できる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

ご夫妻ふたりで手掛けた庭「アトリエ絵・果・木(えかき)」。解体工事などで出る廃材などでプランターや椅子がつくられているのが特長 (画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

ご夫妻ふたりで手掛けた庭「アトリエ絵・果・木(えかき)」。解体工事などで出る廃材などでプランターや椅子がつくられているのが特徴(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

●取材協力
一般社団法人こだいら観光まちづくり協会

「空家スイーツ」でニュータウンを盛り上げたい! 埼玉の高齢化NO1の街に新土産

高度経済成長期、都市近郊に多数造成され、数多の家族が思い出を築いた「ニュータウン」。巣立った子どもたちは戻ってこず、近年では「高齢化」「過疎化」「限界集落」など、ネガティブな文脈で語られることが多くなっています。そんな流れを打破するような動きが、埼玉県の鳩山ニュータウンで起きています。今回は担い手となっている生活芸術家でアーティスト・レトロ系YouTuberの菅沼朋香さんと焼き菓子作家の山本蓮理さん、彼女たちを支える人々の話をご紹介します。
高齢化と過疎化が進むニュータウンに新名物「空家スイーツ」

池袋駅から電車で1時間弱、高坂駅からバスで15分ほどの場所にある「鳩山ニュータウン」は、1区画60坪程度、ゆったりとした街並みが保たれた美しい街です。昭和40年代から平成にかけて開発され、埼玉県を代表するニュータウンのひとつと言われていますが、近年の都心回帰現象によって、「高齢化・過疎化・空き家の増加」といった課題が山積しています。

電柱なども埋設され、空を広く感じる「鳩山ニュータウン」(撮影/片山貴博)

電柱なども埋設され、空を広く感じる「鳩山ニュータウン」(撮影/片山貴博)

メインストリートには商店なども立ち並びますが、シャッターも多く、ものさびしい印象を受けます(撮影/片山貴博)

メインストリートには商店なども立ち並びますが、シャッターも多く、ものさびしい印象を受けます(撮影/片山貴博)

筆者は昭和52年生まれ、横浜のはずれの分譲住宅地で育っているだけに、空は広くて大きな歩道があって、街路樹が並ぶ様子を見ると「初めてだけど、懐かしいなあ」という思いがこみ上げます。

今、この「鳩山ニュータウン」でつくられ、一躍、脚光を集めているのが「空家スイーツ」です。ニュータウンの民家の庭に植えられたはっさくやゆず、金柑など、さまざまな果樹の実をジャムにし、ロシアケーキの材料として、「空家スイーツ」と名付けて商品化、発売したところ、大注目となっているのです。

ニュータウンで採れた果実のジャムを型抜きしたクッキーに入れ、オーブンで焼いて「ロシアケーキ」に。生地には鳩山町の地粉を使っている。超地産地消!(撮影/片山貴博)

ニュータウンで採れた果実のジャムを型抜きしたクッキーに入れ、オーブンで焼いて「ロシアケーキ」に。生地には鳩山町の地粉を使っている。超地産地消!(撮影/片山貴博)

空き家や民家の庭で実ったフルーツをジャムにして、クッキーの型に置いていきます(撮影/片山貴博)

空き家や民家の庭で実ったフルーツをジャムにして、クッキーの型に置いていきます(撮影/片山貴博)

ニュータウン土産として商品化した「空家スイーツ」。レトロなパッケージ&リボンがかわいい!(撮影/片山貴博)

ニュータウン土産として商品化した「空家スイーツ」。レトロなパッケージ&リボンがかわいい!(撮影/片山貴博)

ニュータウンの印象は「息苦しい」「近未来」。住んだ実感は?!

この空家スイーツを生み出したのは、生活芸術家でアーティスト・レトロ系YouTuberの菅沼朋香さんと焼き菓子作家の山本蓮理さんという2人の女性です。もともとまったく鳩山ニュータウンには縁がなかったものの、2016年、鳩山町のまちおこし拠点である「鳩山町コミュニティ・マルシェ」の立ち上げメンバーとして携わることになったのが、すべてのはじまりだといいます。

左から、菅沼朋香さん、山本蓮理さん(撮影/片山貴博)

左から、菅沼朋香さん、山本蓮理さん(撮影/片山貴博)

もともと、愛知県出身で名古屋近郊のニュータウン育ちの菅沼さんは、ニュータウンそのものに対し「画一的でどこか息苦しい」とあまり良い印象を持っていませんでした。一方、山口県出身の山本さんは、「地方にある町や村の区画とも違うし、東京の大都会とも違う。まっすぐの道路、区画……。見たことのない風景で、近未来!って思いました」。近未来! そういえばアニメや映画など、昭和に描かれた近未来の風景とニュータウンの風景って、近しいかもしれません。

ただ、コミュニティ・マルシェで働き鳩山ニュータウンの一戸建てで実際に暮らすようになった菅沼さんは、アーティストとして町を観察したことで、あらためて良さが再発見できたといいます。

「引越してきた当初、庭付き一戸建ては大きくて持てあますと思っていたんですが、実際に暮らしてみると庭の草木の手入れだって季節を感じられて楽しい。ニュータウンって空も広いし、緑も豊かで心地よいんです。私は1980年代生まれなんですが、物心ついてからずっと不況で、大学卒業がリーマン・ショックと、高度経済成長を知らない世代なんです。かつて、こんなに豊かな暮らしがあったんだなあって。今、見落としていただけで、緑や夢などがつまった暮らしがあることに気が付きました」とその良さに気が付いたそう。それをさっそく歌にして、レコーディングしたというからさすがアーティストです。

一方で、周辺にお店がないことに気がついた菅沼さん、2017年に鳩山町に中古の一戸建てを借り、2019年に購入、1階部分をセルフリノベーションし「ニュー喫茶 幻」をつくることを企画。資金はクラウドファンディングで募り、2019年2月にオープンさせました。ここまでの発想と行動力、ただただ脱帽です。

一戸建てを改装して、住まいのその一角を「ニュー喫茶 幻」に(撮影/片山貴博)

一戸建てを改装して、住まいのその一角を「ニュー喫茶 幻」に(撮影/片山貴博)

不思議と落ち着く空間で、お酒が飲みたくなります。名物は「宇宙コーヒー」です(撮影/片山貴博)

不思議と落ち着く空間で、お酒が飲みたくなります。名物は「宇宙コーヒー」です(撮影/片山貴博)

2人の女性と町の人の架け橋になったのは、地元のサポーター

とはいえ、若い2人の女性の活動は、高齢化が進む鳩山ニュータウンでは、異質の存在だったようです。
「20から30代女性って、この町に一番いない層なんです。だから若い2人で何かしようとすると、目立ってしまう。はじめは、遠巻きに見られている印象でした」と振り返ります。

ただ、試行錯誤するなかで、2人ががんばっている様子が徐々に受け入れられるようになったといいます。
「スーパーに行くと、驚くほどたくさん人がいて、暮らしているんだなって思ったんです。ただ、遊んだり、息抜きする場所がないから、ガランとしてしまう。他にも、イベントで昭和歌謡ライブをしたときはすごく盛り上がったことがあって、やっぱり年代問わず外で遊べる場所を求めていたことに気がついたんですよ」と山本さんが話します。

確かにニュータウンは名前の通り、ベッドタウン、つまり、眠る&子育ての機能面を重視されて造成されているため、大人が食事をしたり、遊んだり楽しめる場所は少ないもの。今でいう「多様性」が欠けていたことに気がついたといいます。

また、「ニュー喫茶幻」を通じて、近隣住民との架け橋になってくれる存在が生まれました。菅沼さんが鳩山ニュータウンに引越してきたあとに、移住してきた江幡正士(まさお)さん(70代男性)です。

「2人の取り組みを見ていて、これは面白いかもしれないって。できることをはじめてみようと思いました」(江幡さん)と、応援することを決めたそう。2020年に「空家スイーツ」の話が持ち上がると、果樹のある家を見つけては声をかけ、収穫させてもらったといいます。やはり「楽しく」「おもしろく」取り組んでいると、人は自然と集まってくるのかもしれません。

江幡さんの家の隣家に住むおじいちゃん(90代)の庭に生った梅の実。時期がきたら収穫して梅ジャム→「空家スイーツ」に変身(撮影/片山貴博)

江幡さんの家の隣家に住むおじいちゃん(90代)の庭に生った梅の実。時期がきたら収穫して梅ジャム→「空家スイーツ」に変身(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

おじいちゃんがお庭の手入れが難しくなったため今は少し寂しくなってしまいましたが、かつては藤の花なども咲き誇る見事なものでした(撮影/片山貴博)

おじいちゃんがお庭の手入れが難しくなったため今は少し寂しくなってしまいましたが、かつては藤の花なども咲き誇る見事なものでした(撮影/片山貴博)

シェアハウスにシェアアトリエ…、若い人が呼び合うように!

「まち起こしのきっかけとしてコミュニティ・マルシェができ、2020年には空き家を活用した『国際学生シェアハウスはとやまハウス』で町内に学生が暮らすようになりました。また、はとやまハウスの卒業生が中心となって、2021年4月に「シェアアトリエniu(ニュウ)」が誕生しました。おもしろいことをしていると、人が人を呼び合っている感じです」と菅沼さん。

「はとやまハウス」(写真撮影/永井杏奈)

「はとやまハウス」(写真撮影/永井杏奈)

ちなみに「はとやまハウス」住人の学生さんは『鳩山町コミュニティ・マルシェ』で月32時間働けば家賃が無料になる仕組みで、仕事の一貫として『空家スイーツ』の作成を手伝ってくれることも。町は関係人口が増えるし、学生は家賃が抑えられると双方にメリットのある施策ですね。

シェアアトリエniuは、東京藝術大学の大学院を卒業した人、在籍する院生などが活動の拠点にしています。アートや建築、デザインに携わる若い世代が移住しつつ、1階で展覧会やワークショップを企画/開催する予定だとか。

「シェアアトリエniu」(撮影/片山貴博)

「シェアアトリエniu」(撮影/片山貴博)

庭付きの一戸建てをシェアアトリエに。花岡美優さん(写真)を含めた3人が活動の拠点にしている。花岡さんは日本画・現代アートを専攻する(撮影/片山貴博)

庭付きの一戸建てをシェアアトリエに。花岡美優さん(写真)を含めた3人が活動の拠点にしている。花岡さんは日本画・現代アートを専攻する(撮影/片山貴博)

はじめは菅沼さんや山本さんなど数名だった鳩山ニュータウンの活性化の試みですが、今、新しい波として広がっている印象です。

「今まで、コミュニティ・マルシェ、ニュー喫茶幻、空家スイーツ、シェアハウスと毎年、さまざまな動きをしているのですが、今後は自分が前に出ていくというよりも、今、集まってきている人を応援するスタンスになると思います。あと、アーティストとして、『世界中のレトロ可愛い』を見たり、集めたりしたいな」と菅沼さん。

豊かさは金銭だけではなく、心、時間、人とのつながりなど、さまざまなことを通して実感できるものなのでしょう。高度経済成長期は戻ってきませんが、若い世代を魅了する「ニュータウン」が持っている豊かさや可能性は、今後、もう一度、評価される気がします。

●取材協力
空家スイーツ
シェアアトリエniu

「空家スイーツ」でニュータウンを盛り上げたい! 埼玉の高齢化NO1の街に新土産

高度経済成長期、都市近郊に多数造成され、数多の家族が思い出を築いた「ニュータウン」。巣立った子どもたちは戻ってこず、近年では「高齢化」「過疎化」「限界集落」など、ネガティブな文脈で語られることが多くなっています。そんな流れを打破するような動きが、埼玉県の鳩山ニュータウンで起きています。今回は担い手となっている生活芸術家でアーティスト・レトロ系YouTuberの菅沼朋香さんと焼き菓子作家の山本蓮理さん、彼女たちを支える人々の話をご紹介します。
高齢化と過疎化が進むニュータウンに新名物「空家スイーツ」

池袋駅から電車で1時間弱、高坂駅からバスで15分ほどの場所にある「鳩山ニュータウン」は、1区画60坪程度、ゆったりとした街並みが保たれた美しい街です。昭和40年代から平成にかけて開発され、埼玉県を代表するニュータウンのひとつと言われていますが、近年の都心回帰現象によって、「高齢化・過疎化・空き家の増加」といった課題が山積しています。

電柱なども埋設され、空を広く感じる「鳩山ニュータウン」(撮影/片山貴博)

電柱なども埋設され、空を広く感じる「鳩山ニュータウン」(撮影/片山貴博)

メインストリートには商店なども立ち並びますが、シャッターも多く、ものさびしい印象を受けます(撮影/片山貴博)

メインストリートには商店なども立ち並びますが、シャッターも多く、ものさびしい印象を受けます(撮影/片山貴博)

筆者は昭和52年生まれ、横浜のはずれの分譲住宅地で育っているだけに、空は広くて大きな歩道があって、街路樹が並ぶ様子を見ると「初めてだけど、懐かしいなあ」という思いがこみ上げます。

今、この「鳩山ニュータウン」でつくられ、一躍、脚光を集めているのが「空家スイーツ」です。ニュータウンの民家の庭に植えられたはっさくやゆず、金柑など、さまざまな果樹の実をジャムにし、ロシアケーキの材料として、「空家スイーツ」と名付けて商品化、発売したところ、大注目となっているのです。

ニュータウンで採れた果実のジャムを型抜きしたクッキーに入れ、オーブンで焼いて「ロシアケーキ」に。生地には鳩山町の地粉を使っている。超地産地消!(撮影/片山貴博)

ニュータウンで採れた果実のジャムを型抜きしたクッキーに入れ、オーブンで焼いて「ロシアケーキ」に。生地には鳩山町の地粉を使っている。超地産地消!(撮影/片山貴博)

空き家や民家の庭で実ったフルーツをジャムにして、クッキーの型に置いていきます(撮影/片山貴博)

空き家や民家の庭で実ったフルーツをジャムにして、クッキーの型に置いていきます(撮影/片山貴博)

ニュータウン土産として商品化した「空家スイーツ」。レトロなパッケージ&リボンがかわいい!(撮影/片山貴博)

ニュータウン土産として商品化した「空家スイーツ」。レトロなパッケージ&リボンがかわいい!(撮影/片山貴博)

ニュータウンの印象は「息苦しい」「近未来」。住んだ実感は?!

この空家スイーツを生み出したのは、生活芸術家でアーティスト・レトロ系YouTuberの菅沼朋香さんと焼き菓子作家の山本蓮理さんという2人の女性です。もともとまったく鳩山ニュータウンには縁がなかったものの、2016年、鳩山町のまちおこし拠点である「鳩山町コミュニティ・マルシェ」の立ち上げメンバーとして携わることになったのが、すべてのはじまりだといいます。

左から、菅沼朋香さん、山本蓮理さん(撮影/片山貴博)

左から、菅沼朋香さん、山本蓮理さん(撮影/片山貴博)

もともと、愛知県出身で名古屋近郊のニュータウン育ちの菅沼さんは、ニュータウンそのものに対し「画一的でどこか息苦しい」とあまり良い印象を持っていませんでした。一方、山口県出身の山本さんは、「地方にある町や村の区画とも違うし、東京の大都会とも違う。まっすぐの道路、区画……。見たことのない風景で、近未来!って思いました」。近未来! そういえばアニメや映画など、昭和に描かれた近未来の風景とニュータウンの風景って、近しいかもしれません。

ただ、コミュニティ・マルシェで働き鳩山ニュータウンの一戸建てで実際に暮らすようになった菅沼さんは、アーティストとして町を観察したことで、あらためて良さが再発見できたといいます。

「引越してきた当初、庭付き一戸建ては大きくて持てあますと思っていたんですが、実際に暮らしてみると庭の草木の手入れだって季節を感じられて楽しい。ニュータウンって空も広いし、緑も豊かで心地よいんです。私は1980年代生まれなんですが、物心ついてからずっと不況で、大学卒業がリーマン・ショックと、高度経済成長を知らない世代なんです。かつて、こんなに豊かな暮らしがあったんだなあって。今、見落としていただけで、緑や夢などがつまった暮らしがあることに気が付きました」とその良さに気が付いたそう。それをさっそく歌にして、レコーディングしたというからさすがアーティストです。

一方で、周辺にお店がないことに気がついた菅沼さん、2017年に鳩山町に中古の一戸建てを借り、2019年に購入、1階部分をセルフリノベーションし「ニュー喫茶 幻」をつくることを企画。資金はクラウドファンディングで募り、2019年2月にオープンさせました。ここまでの発想と行動力、ただただ脱帽です。

一戸建てを改装して、住まいのその一角を「ニュー喫茶 幻」に(撮影/片山貴博)

一戸建てを改装して、住まいのその一角を「ニュー喫茶 幻」に(撮影/片山貴博)

不思議と落ち着く空間で、お酒が飲みたくなります。名物は「宇宙コーヒー」です(撮影/片山貴博)

不思議と落ち着く空間で、お酒が飲みたくなります。名物は「宇宙コーヒー」です(撮影/片山貴博)

2人の女性と町の人の架け橋になったのは、地元のサポーター

とはいえ、若い2人の女性の活動は、高齢化が進む鳩山ニュータウンでは、異質の存在だったようです。
「20から30代女性って、この町に一番いない層なんです。だから若い2人で何かしようとすると、目立ってしまう。はじめは、遠巻きに見られている印象でした」と振り返ります。

ただ、試行錯誤するなかで、2人ががんばっている様子が徐々に受け入れられるようになったといいます。
「スーパーに行くと、驚くほどたくさん人がいて、暮らしているんだなって思ったんです。ただ、遊んだり、息抜きする場所がないから、ガランとしてしまう。他にも、イベントで昭和歌謡ライブをしたときはすごく盛り上がったことがあって、やっぱり年代問わず外で遊べる場所を求めていたことに気がついたんですよ」と山本さんが話します。

確かにニュータウンは名前の通り、ベッドタウン、つまり、眠る&子育ての機能面を重視されて造成されているため、大人が食事をしたり、遊んだり楽しめる場所は少ないもの。今でいう「多様性」が欠けていたことに気がついたといいます。

また、「ニュー喫茶幻」を通じて、近隣住民との架け橋になってくれる存在が生まれました。菅沼さんが鳩山ニュータウンに引越してきたあとに、移住してきた江幡正士(まさお)さん(70代男性)です。

「2人の取り組みを見ていて、これは面白いかもしれないって。できることをはじめてみようと思いました」(江幡さん)と、応援することを決めたそう。2020年に「空家スイーツ」の話が持ち上がると、果樹のある家を見つけては声をかけ、収穫させてもらったといいます。やはり「楽しく」「おもしろく」取り組んでいると、人は自然と集まってくるのかもしれません。

江幡さんの家の隣家に住むおじいちゃん(90代)の庭に生った梅の実。時期がきたら収穫して梅ジャム→「空家スイーツ」に変身(撮影/片山貴博)

江幡さんの家の隣家に住むおじいちゃん(90代)の庭に生った梅の実。時期がきたら収穫して梅ジャム→「空家スイーツ」に変身(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

おじいちゃんがお庭の手入れが難しくなったため今は少し寂しくなってしまいましたが、かつては藤の花なども咲き誇る見事なものでした(撮影/片山貴博)

おじいちゃんがお庭の手入れが難しくなったため今は少し寂しくなってしまいましたが、かつては藤の花なども咲き誇る見事なものでした(撮影/片山貴博)

シェアハウスにシェアアトリエ…、若い人が呼び合うように!

「まち起こしのきっかけとしてコミュニティ・マルシェができ、2020年には空き家を活用した『国際学生シェアハウスはとやまハウス』で町内に学生が暮らすようになりました。また、はとやまハウスの卒業生が中心となって、2021年4月に「シェアアトリエniu(ニュウ)」が誕生しました。おもしろいことをしていると、人が人を呼び合っている感じです」と菅沼さん。

「はとやまハウス」(写真撮影/永井杏奈)

「はとやまハウス」(写真撮影/永井杏奈)

ちなみに「はとやまハウス」住人の学生さんは『鳩山町コミュニティ・マルシェ』で月32時間働けば家賃が無料になる仕組みで、仕事の一貫として『空家スイーツ』の作成を手伝ってくれることも。町は関係人口が増えるし、学生は家賃が抑えられると双方にメリットのある施策ですね。

シェアアトリエniuは、東京藝術大学の大学院を卒業した人、在籍する院生などが活動の拠点にしています。アートや建築、デザインに携わる若い世代が移住しつつ、1階で展覧会やワークショップを企画/開催する予定だとか。

「シェアアトリエniu」(撮影/片山貴博)

「シェアアトリエniu」(撮影/片山貴博)

庭付きの一戸建てをシェアアトリエに。花岡美優さん(写真)を含めた3人が活動の拠点にしている。花岡さんは日本画・現代アートを専攻する(撮影/片山貴博)

庭付きの一戸建てをシェアアトリエに。花岡美優さん(写真)を含めた3人が活動の拠点にしている。花岡さんは日本画・現代アートを専攻する(撮影/片山貴博)

はじめは菅沼さんや山本さんなど数名だった鳩山ニュータウンの活性化の試みですが、今、新しい波として広がっている印象です。

「今まで、コミュニティ・マルシェ、ニュー喫茶幻、空家スイーツ、シェアハウスと毎年、さまざまな動きをしているのですが、今後は自分が前に出ていくというよりも、今、集まってきている人を応援するスタンスになると思います。あと、アーティストとして、『世界中のレトロ可愛い』を見たり、集めたりしたいな」と菅沼さん。

豊かさは金銭だけではなく、心、時間、人とのつながりなど、さまざまなことを通して実感できるものなのでしょう。高度経済成長期は戻ってきませんが、若い世代を魅了する「ニュータウン」が持っている豊かさや可能性は、今後、もう一度、評価される気がします。

●取材協力
空家スイーツ
シェアアトリエniu

トラックで家を運ぶ!移動しながら好きな空間で暮らすSAMPOの新提案

住まいは土地から離れられないものゆえ、『動かせない』を意味する「不動産」と言われてきました。でも、もしかしたら「住まいは動く」「人とともに動く」のは、今後、当たり前になるかもしれません。新しい暮らしとして最近注目されている、タイニーハウス、DIY、バンライフをはじめとする移動する暮らしの、“いいとこ取り”がぎゅっとつまった建築集団「SAMPO」の「モバイルハウス」などの取り組みをご紹介しましょう。
移動できて、コンパクト、その人らしい住まいをつくる試み

おしゃれな人が集う三軒茶屋の住宅街の一角、味わいのある一軒家と隣接するコンテナと緑の建造物が目を惹きますが、ここが建築集団「SAMPO」のハウスコアです。

一戸建ての住宅街に現れるハウスコア。普通の住まいとは異なる趣があり、思わずと足を止めたくなるはず(写真撮影/嶋崎征弘)

一戸建ての住宅街に現れるハウスコア。普通の住まいとは異なる趣があり、思わずと足を止めたくなるはず(写真撮影/嶋崎征弘)

左部分のコンテナと手前の緑の個室(モバイルセル)は移動できて居住できる部屋。茶色と黒が建物でハウスコア。内部は窓や通路でつながっていて、行き来可能です(写真撮影/嶋崎征弘)

左部分のコンテナと手前の緑の個室(モバイルセル)は移動できて居住できる部屋。茶色と黒が建物でハウスコア。内部は窓や通路でつながっていて、行き来可能です(写真撮影/嶋崎征弘)

「SAMPO」が提案するのは、軽トラックに搭載できるサイズの個室「MOC(モバイルセル)」で、一つの場所にとらわれない暮らしです。キッチンやバス、トイレといった水まわりは「HOC(ハウスコア)」に接続することで対応します。三茶のケースでは、写真の右側の一戸建て(茶色・黒の建物)がハウスコアにあたります。このハウスコアに住民票をおいて、郵便物などを受け取ることも可能です。モバイルセルは所有者の個性を大切にしたデザインで、コンパクトながらも快適な空間をDIYで一緒につくり出します。この暮らし方であれば、人も住まいも、いつでも心地よく、自由に動くことが可能になります。

コンテナ側から見た接続したモバイルセルの様子。コンテナに小さなドアがついていて、開閉します(写真撮影/嶋崎征弘)

コンテナ側から見た接続したモバイルセルの様子。コンテナに小さなドアがついていて、開閉します(写真撮影/嶋崎征弘)

モバイルセルの内部。大人2人が眠れて暮らせるサイズ。用途はさまざまで、音楽スタジオにした例も。これが軽トラに搭載できるってすごい!(写真撮影/嶋崎征弘)

モバイルセルの内部。大人2人が眠れて暮らせるサイズ。用途はさまざまで、音楽スタジオにした例も。これが軽トラに搭載できるってすごい!(写真撮影/嶋崎征弘)

コンテナ内部の住まい。こちらはSAMPOを主宰する村上さん夫妻が暮らしている部屋。おしゃれ!!(写真撮影/嶋崎征弘)

コンテナ内部の住まい。こちらはSAMPOを主宰する村上さん夫妻が暮らしている部屋。おしゃれ!!(写真撮影/嶋崎征弘)

考え方はシェアハウスと同じ。動く住まいの構想は100年以上前から

ちょっと今までの住まい方とあまりにも異なるのでびっくりしてしまいますが、このSAMPOの主宰者の一人の塩浦一彗さんによると、何も難しいことはないですよ、と言います。

塩浦一彗さん(写真撮影/嶋崎征弘)

塩浦一彗さん(写真撮影/嶋崎征弘)

「シェアハウスは個人が過ごす部屋と、バス・トイレ・キッチンなどの共用部分から成り立っていますよね。その部屋が『DIYでつくって、可動する』だけ。ごくごくシンプルなんですよ」と笑いながら解説します。そのため、ハウスコアの建物提供者となる大家さん、モバイルセルとの所有者の不動産契約なども、すべてシェアハウスと同様の手続きをとっているといいます。そうか……部屋が動くシェアハウスといえば理解も早いですね。

現在、拠点となるハウスコアは日暮里など都内に複数箇所あり、モバイルセルは今まで40人以上とつくってきたといいます。

日暮里のハウスコア(写真提供/SAMPO)

日暮里のハウスコア(写真提供/SAMPO)

(写真提供/SAMPO)

(写真提供/SAMPO)

「2016年に移動できる住まいの構想を僕と村上で考えていた当初はなんのコネもなかったのですが、おもしろい人がおもしろい出会いをつくって、またそれが人を呼んで、翌日にまた違う展開があって……というかたちで広がっていきました」(塩浦さん)
もともとイギリスの大学で建築を学んでいた塩浦さんによると、住まいをコンパクト&移動するという発想は自動車が誕生した直後から、主に米国で提唱されてきたといいます。

「今までは技術的に可能であっても、人々の住まい方や思想がついて来ませんでした。ただ、世界中の都市部の地価が高騰し、若い世代ほど暮らすことが難しくなっている。そのため、モバイルな暮らし、タイニーハウスが世界中の都市部で脚光を集めています。建築というより思想が先に変わりはじめたと言ったほうがいいかもしれません」(塩浦さん)

アトリエにあるキッチンとDJブース。食や音楽などライフスタイルや文化を大切にする塩浦さんたちの個性があふれています(写真撮影/嶋崎征弘)

アトリエにあるキッチンとDJブース。食や音楽などライフスタイルや文化を大切にする塩浦さんたちの個性があふれています(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

モバイルセルは、“共につくる体験”を売っている

「モバイルセルは世界の都市部の住宅難に対する一つの答えでもあります。日本でも35年の住宅ローンを背負うというのは人生の足かせになってしまうし、何より幸せそうに見えない。経済的に豊かになったはずなのに、幸せを感じられないのはなぜかと、依然からずっと疑問に思っていました。もっと身軽であれば、決断できること、チャレンジできることもあるはず」と力説します。

そのために大切なのは、住まいを買う・借りるという、消費者のスタンスから脱却して、「つくる」ことが大切だと考えているそう。

「現在、村上と他の会社で “キャラメルポッド”という名称で500万円のキャラメルのおまけにコンテナハウスとモバイルセルがドッキングしているタイプのものを販売していますが、キャラメルを買うくらいの感覚で部屋を買ってほしいからという意味も含めて名前をつけたんですよ。ただ、販売するとはいえ、完全なできあがったパッケージ商品を売るという感覚ではありません。所有希望者と対話しながら、一緒に空間を模索していく感じでしょうか。一人ひとり、モバイルのなかで何がしたいのか、最小限の空間で何ができるのか、その過程が大事なんです」と話します。
これは……「家を売る」というよりも、「家をつくる」という共同体験を販売しているのかもしれません。

シンガポール政府と共にSAMPOを支援している会社から依頼があり、商業施設とモバイルの生活空間の可能性を追求するプロジェクトに参画しています(写真撮影/嶋崎征弘)

シンガポール政府と共にSAMPOを支援している会社から依頼があり、商業施設とモバイルの生活空間の可能性を追求するプロジェクトに参画しています(写真撮影/嶋崎征弘)

災害の多い日本だからこそ広がる、モバイルセルの可能性

「それにモバイルセルを自分たちの手でつくれるようになると、すごく生き抜く自信がつくんですよ。軽トラと数十万円あれば、とりあえず家で雨露がしのげるって思うと、不確実な時代のサバイバルスキルとしてはとても有効だと思うんです」と塩浦さん。ここまで思うようになったのには、理由があります。

「モバイルセルの原点は、3.11の東日本大震災の体験にあります。当時、日本にいることに危険を感じ、震災発生の2日後にイタリアに渡ることになって、そこで高校を卒業しました。その後ロンドンの大学で学んで、日本に帰国。日本は小さいものを愛でる文化、茶室もあるし、モバイルな住まいととても相性がいいんです。現在も、モバイルセルのワークショップ形式でイベントを企画したり、学生と話す機会も多いんですが、今後はもうちょっと災害発生時の可能性を広げていけたら」と話します。

確かに災害発生時にモバイルセルがあったら、被害の甚大な場所に必要な台数分、配置すればいいですし、安全な場所に移動・避難ができます。建設にも解体にも時間とお金のかかる現状の仮設住宅よりも、こうした「モバイルセル」のほうが機動力もあり、有効な気がします。

また、個人としても、非常時に安心できる「巣」「家」をつくるスキルがあるって、それだけで、こう心強い気持ちになるのは、分かる気がします。すごく原始的な活力で、生き抜く力なのかもしれません。ただ、もともと、塩浦さん自身は、DIYの経験もほとんどなかったといい、やるなかでスキルを身に着けていったそう。
「DIYのほかに、料理やアクセサリーもつくりますし、音楽環境を整えたり、本を出版したり……、いろんなスキルを持つ人が周囲にいるので助けたり、助け合ったりして、今に至ります。やっぱり経験することで何かが生まれるし、触発される。何かをつくりたい、生み出したいって、本能に近いんだと思います」(塩浦さん)

アクセサリー工房の一角。建築にアクセサリー、音楽とちょっと才能があふれすぎ(写真撮影/嶋崎征弘)

アクセサリー工房の一角。建築にアクセサリー、音楽とちょっと才能があふれすぎ(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

一方、現在のアトリエは、7月に予約制の店舗(古着・骨董・アクセサリーのスタジオ)としてもオープンするそう。職住融合、モバイルハウスといっても、少し前までは絵に描いた餅だと思っていましたが、若い世代は、時代に即したかたちで適切にアップデートしていくんですね。自然災害や住まいの領域でも課題は山積みですが、若い才能が世界をより良く変えていくのかもしれません。

●取材協力
SAMPO

転倒必至な床で「生きる!」を実感。賃貸物件『三鷹天命反転住宅』の暮らし

凸凹の床に傾斜した天井。球状の部屋があれば、まっすぐ立てない洗面所もある。一般的な住まいとはどこもかしこも違うが、れっきとした住居であり、芸術作品でもあるのが、ここ「三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー」(東京都三鷹市)だ。なぜ、このようなつくりなのだろう? 入居者はどんな暮らしをしているのだろうか?
足で踏み、手で触れ、音を聴く。感覚も身体も、楽しめる空間

「カラフル」という形容詞以上の言葉を探してしまうほど、色使いが目を引く建物。色だけではなく造形も独特で、円と角を組み合わせて積み上げた形に、一体、中はどうなっているのだろうかと好奇心が掻き立てられる。幹線道路に面していて、道ゆく人は二度見ならぬ三度見もするし、駅から歩いてくれば、かなり遠くからでもその存在が目に入るだろう。「三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー(以下 三鷹天命反転住宅)」は、それくらい印象的な外観だ。

円と角が重なった外観。色使いはもちろん、窓の組み合わせからも楽しい雰囲気が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

円と角が重なった外観。色使いはもちろん、窓の組み合わせからも楽しい雰囲気が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

竣工は2005年。芸術家/建築家の荒川修作+マドリン・ギンズによって設計された。2人が手がけた作品は国内は岐阜県(『養老天命反転地』)と岡山県(『「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫』)にも存在するが、ここが他と異なるのは「住居である」ということ。鑑賞や体感を目的とした作品とは違い、住まいとして使うことを考えられて設計された9戸の集合住宅なのだ。うち5戸は実際に賃貸であり、2戸は見学用や別の用途に使われているという。

共用部の廊下を歩いていくと、外部の配管や手すりまでこだわって色がつけられていることが分かる(写真撮影/相馬ミナ)

共用部の廊下を歩いていくと、外部の配管や手すりまでこだわって色がつけられていることが分かる(写真撮影/相馬ミナ)

外観や内装に使われているのは14色。
「よく色の意味について聞かれるのですが、例えば『窓枠にはこの色』というような単色には特別な意味がありません。どこから見ても一度に6色以上が視界に入るように計算されているので、視覚が色そのものを単体としてでなく、“環境”として認識するんです。身の回りの自然の風景を思い浮かべてほしいのですが、そこにはたくさんの色が使われていますよね。それと同じことなんです」と、支配人の松田剛佳さんが教えてくれる。

部屋は2LDKと3LDKがあり、3LDKの部屋の奥は和室。円形の畳が見える。左にははしごが備え付けられていて、どう使うかは住民次第。本棚にする人もいれば、棚の脚として活用する人も(写真撮影/相馬ミナ)

部屋は2LDKと3LDKがあり、3LDKの部屋の奥は和室。円形の畳が見える。左にははしごが備え付けられていて、どう使うかは住民次第。本棚にする人もいれば、棚の脚として活用する人も(写真撮影/相馬ミナ)

3LDKの間取図(画像提供/三鷹天命反転住宅)

3LDKの間取図(画像提供/三鷹天命反転住宅)

目を凝らし、視線を動かさないようにして色を数えてみれば、確かに9色認識できた。無秩序のように見えて、実は計算され尽くされていて、荒川+ギンズが考え出した仕掛けに、無意識のうちに影響されていることが分かってきた。見学用の部屋に入ると、その仕掛けの多さに圧倒されてしまう。

メインの床は凸凹になっていて、足裏をほどよく刺激する。あえて山を踏んだり、谷間を縫うように歩いたり(写真撮影/相馬ミナ)

メインの床は凸凹になっていて、足裏をほどよく刺激する。あえて山を踏んだり、谷間を縫うように歩いたり(写真撮影/相馬ミナ)

室内の中心にあるリビング部分はどこにも平らな場所がない。ざらりとしたコンクリートでランダムに凸凹(でこぼこ)がある。土踏まずをほどよく刺激される時もあれば、思わぬ出っ張りに足を取られることもある。中央には一段低くなったキッチンがあり、その周りを囲むように球状の部屋や、丸い畳と砂利が敷かれた和室が配され、どこも当たり前のようにカラフルだ。カプセル型のシャワーの手前には洗面台があり、「試しに顔を洗う動作をしてみてください」と松田さんに言われてやってみると、かなり踏ん張らなければならない。床が傾いていて、屈む姿勢を保つのが難しいのだ。見上げると天井にはたくさんのフックがついていて、ハンモックがかかっていたり、バーが吊るされていたりする。収納はこれで増やせばいいということだろう。

天井にはたくさんのフックが。長いS字フックをかければ簡易的な収納になる。ワイヤーで棚板を吊るすこともできれば、ブランコを設置することもできる(写真撮影/相馬ミナ)

天井にはたくさんのフックが。長いS字フックをかければ簡易的な収納になる。ワイヤーで棚板を吊るすこともできれば、ブランコを設置することもできる(写真撮影/相馬ミナ)

あちこち歩きながら細部の楽しさに夢中になっていると、「床に高低差があるのは気がつくと思うのですが、じつは天井も傾斜しているんです」と松田さんが教えてくれる。床が傾いているのは、歩き回ると実感できることだが、天井までとは分からなかった。実際、住民の中には、気がつかずに数年間過ごしていた人もいるという。

球状の部屋からの眺め。ここの中心で声を出すと、全方位からの不思議な響き方を体感できる(写真撮影/相馬ミナ)

球状の部屋からの眺め。ここの中心で声を出すと、全方位からの不思議な響き方を体感できる(写真撮影/相馬ミナ)

この空間に身を置いていると、なんとも不思議な気持ちになってくる。今、自分はどこにいるのか、ここはなんという場所なのか。そもそも、自分が思っていた「住まい」とは何だったのだろう。その疑問を見透かしたように松田さんが答えてくれる。「『押し入れはどこですか?』『どこで寝るのですか?』と聞かれることも多いです。どこに収納スペースをつくってもいいし、どこで寝てもいい。実際に球状の部屋で寝ていた人もいらっしゃるし、この凸凹の床が涼しくていいと教えてくれた方もいました。みなさまの自由な発想でお住まいいただきたいです」

室内のインターホンはあえて斜めに。どう映るかはあえて現場で確かめてみてほしい(写真撮影/相馬ミナ)

室内のインターホンはあえて斜めに。どう映るかはあえて現場で確かめてみてほしい(写真撮影/相馬ミナ)

「部屋は四角いもの」という既成概念は見事に打ち砕かれている。さらに凸凹の床を歩いているうちに、その感覚がクセになっているし、球状の部屋で聴く自分の声の響きに心地よくなってくる。身体がこの空間を楽しみ、おもしろがっているのだろう。

DIYを繰り返し、進化し続ける住まいと暮らし

実際に、ここでの暮らしを見せてもらうことになり、住民である岡本さんのお宅へお邪魔した。入った瞬間、見学用の部屋との違いに驚かされた。凸凹の床のはずが、そこにきちんと棚が置かれて収納場所になっているし、キッチンには天井から天板が吊るされ、グリーンや雑貨があってなんとも楽しい。球状の部屋はベッドが置かれ、居心地の良さそうな寝室に。他の部屋にもぴったりのサイズの棚や机があり、集中できそうな空間になっている。

岡本さん宅では、凸凹の床でも過ごしやすいようマットレスを自作。スピーカーやミラーボールが吊るされ、この空間を存分に楽しんでいる様子が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

岡本さん宅では、凸凹の床でも過ごしやすいようマットレスを自作。スピーカーやミラーボールが吊るされ、この空間を存分に楽しんでいる様子が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

そもそも、なぜ岡本さんはこの物件を選んだのだろう?
「東京だからこそ住める場所に、と思ったんです。こんな空間、他にはありませんよね。実際に住んでいる方に話を聞いていたこともあって、意外と住むのは大丈夫そうだなと思っていました」と笑う。

もともと備え付けられているはしごを活用して棚にし、音響機材をまとめている。下は食材などの収納に(写真撮影/相馬ミナ)

もともと備え付けられているはしごを活用して棚にし、音響機材をまとめている。下は食材などの収納に(写真撮影/相馬ミナ)

とはいえ、最初は大変だったとも振り返る。引越し当初、運んできた段ボールが壊れて崩れそうになってしまった。床が凸凹ゆえに、だ。「引越してから3カ月くらいは大変で、身体も部屋に慣れなくてきつかったですね。でも、少しずつ収納を増やし、マットレスを駆使し、あれこれ工夫することで暮らしやすくなってきたと思います。引越し当時はハイハイしていた娘も、今は元気に走りまわっています」

本棚を移動させて空いた壁には、愛娘の作品を。ランダムに貼り付けている様がこの空間にマッチしている(写真撮影/相馬ミナ)

本棚を移動させて空いた壁には、愛娘の作品を。ランダムに貼り付けている様がこの空間にマッチしている(写真撮影/相馬ミナ)

つい先日、寝る場所を和室から球状の部屋に移動させた。「移動」といっても、ただ布団を運べばいいわけではない。丸くくぼんでいる床部分を木材を駆使して水平にし、さらにスペースに合わせてマットレスを円形に切って縫ったという。「球状の部屋は丸いまま使うものだという思い込みをやめたんです。おかげでスペースが広い和室に本棚を移すことができて、部屋全体が広く感じられるようになりました。球体の部屋は夜は落ち着くし、東向きなので朝も気持ちがいいし」

球状の部屋に床を自作して寝室に。DIYでつくったという右奥の棚は、凸凹の床でも水平にできるよう、アジャスターで調整している(写真撮影/相馬ミナ)

球状の部屋に床を自作して寝室に。DIYでつくったという右奥の棚は、凸凹の床でも水平にできるよう、アジャスターで調整している(写真撮影/相馬ミナ)

引越してから、毎週末DIYで何かをつくり、試行錯誤しながら住みやすいように整え続けている。「常に進化している感じです」と岡本さんは笑う。工夫のしがいがあることだろうし、快適になるほどに唯一無二な空間になっていくのだろう。

空間に身を置き、体感するからこそ分かること

現在、賃貸部分は満室で募集はないが、定期的に見学会が開催され、宿泊できるプランもある。春にはテレワークプランも始まり、このなんともいえない不思議な空間を体験するにはまたとない機会が増えている。「この空間には、言葉では伝えきれないところがたくさんあります。説明できないからこそ、荒木とギンズはこの建物をつくったんですから」と松田さんは言う。

取材時に特別に屋上へ登らせてもらった。遠くに青い空や街並み、公園の緑などが見えると、確かにこの建物の色数の多さは気にならなくなる(写真撮影/相馬ミナ)

取材時に特別に屋上へ登らせてもらった。遠くに青い空や街並み、公園の緑などが見えると、確かにこの建物の色数の多さは気にならなくなる(写真撮影/相馬ミナ)

実際に、目で見て、歩いて、触れてほしい。足の感触や座り心地、歩いたときの身体の傾きや、部屋での声の響き方は、人それぞれだろう。身体が違えば、受け取る感覚も変わるからだ。
きっと、実感すれば、住まいについてさらに深く考えたくなるはずだ。自分の身体は今の住まいを楽しんでいるだろうか。楽しむために、もっと進化できる、工夫できることがあるように思えてくるのだ。

(C)2005 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.

●取材協力
三鷹天命反転住宅

コロナ禍で二拠点生活がブーム? “先駆け”千葉県南房総市の今と課題

コロナ禍で地方移住や二拠点生活の熱が高まるなか、首都圏からのアクセスがよく、里山と海、両方を楽しめる地域として人気が高まっている千葉県の南房総エリア。2018年12月に取材した南房総市を再訪し、ヤマナハウスの変化や当時は二拠点生活をしていた川鍋宏一郎さんのその後と、南房総市の二拠点生活者、移住支援に関わってきた市、民間団体に、現状や課題について伺いました。
二拠点生活から南房総市に家を建築、また一歩移住に近づく

2016年ごろから東京に本社のある外資系IT企業に勤めながら、家族で住む横浜市と南房総市で二拠点生活をしてきた川鍋宏一郎さん。以前、取材をした際には、二拠点生活や移住を支援するヤマナハウスに週末通いながら、DIYスキルを学んでいました。その後、ヤマナハウスの近くに借りていた家と土地を購入し、2020年に家を新築。横浜との二拠点生活は継続しているものの、自身の生活の比重は南房総市が大きくなっています。
「コロナによるテレワークで都内に出社するのは月1回程度になり、週末は南房総市で過ごすようになりました。金曜日に横浜市内の綱島から高速を使って車で約1時間20分ほどかけて来ますが、日曜日の夜に家族が帰った後に、1週間ひとりで生活することもあります。南房総市は光回線が整っているので、仕事に不便はありませんし、とても静かで集中できます」

1500~2000坪の敷地の母屋を壊して家を建てた。「30年先でも暮らせる家」をイメージしてBESSというブランドで建てた家。カタログから開放的なデザインのWONDER DEVICEのFRANKを選んだ(写真撮影/片山貴博)

1500~2000坪の敷地の母屋を壊して家を建てた。「30年先でも暮らせる家」をイメージしてBESSというブランドで建てた家。カタログから開放的なデザインのWONDER DEVICEのFRANKを選んだ(写真撮影/片山貴博)

川鍋さん一家。子どもたちは裏山を駆け回ったり、川辺で遊んだり、自然と触れ合って過ごしている(写真撮影/片山貴博)

川鍋さん一家。子どもたちは裏山を駆け回ったり、川辺で遊んだり、自然と触れ合って過ごしている(写真撮影/片山貴博)

当初から土地には母屋と納屋がふたつありました。週末に母屋をDIYで修理しようと考えていた川鍋さんでしたが、床を剥がして基礎を確認するなどした結果、自分ひとりで直すのは困難だと分かりました。二拠点目に家を建てることに不安はなかったのでしょうか。

「もともと移住を見据えて二拠点生活をしていますが、横浜の自宅と南房総の家の二重ローンになってしまうので、悩みました。古い母屋は住居として整っていなかったので、以前は家族があまり来たがらなくて。長女は現在10歳で、小学校高学年~中学生になると習い事が始まり、このままでは少ししか田舎暮らしを体験させてあげられない。DIYしている時間はないなと思いました。それに、子育てはあと10年ほど。10年後に引越さない理由がありません。いつか移住したいと思っていても、年を重ねてからDIYや農業の知識を習得するよりも、今から準備を進めた方が良い。多少コスパが悪くても36歳の今、建てようと決めました」

納屋の中は、DIYするときの作業場になっている。いずれ納屋をきれいにして友人と一緒にくつろげる場にする予定(写真撮影/片山貴博)

納屋の中は、DIYするときの作業場になっている。いずれ納屋をきれいにして友人と一緒にくつろげる場にする予定(写真撮影/片山貴博)

知人から譲り受けたパワーショベルで裏山の開墾にひとりで挑む(写真撮影/片山貴博)

知人から譲り受けたパワーショベルで裏山の開墾にひとりで挑む(写真撮影/片山貴博)

キャンプ場をつくろうとパワーショベルで傾斜をならし平地に(写真撮影/片山貴博)

キャンプ場をつくろうとパワーショベルで傾斜をならし平地に(写真撮影/片山貴博)

現在は、二拠点目に本格的に居住することで、自身や家族、周囲の理解が変化しました。

「週末にキャンプやバーベキューを楽しみに来る一時的な場所ではなく、10年後にはここに住むんだとはっきりイメージできるようになりました。よく別荘と勘違いされるんですが、私にとって、南房総市は生活の場所。子どもたちも喜んで来るようになり、妻も草刈りなどを手伝ってくれます。地元の人にも本気だと伝わり、より親切にしてもらっています。地区の賛助会員になり、共同作業をする機会も増えました」

5年間、南房総市に関わりながら、平日は仕事、週末は裏山の整備や地域の作業があり、休みがなく大変な面も。とはいえ、好きなことを思い切りできる環境が気に入っています。

「これから、伐採した木を丸太にしてウッドデッキをつくろうと思っているんです」と川鍋さんは笑顔で語っていました。

アイランドキッチンのあるリビング。経年変化が楽しめる木の床材や壁材をふんだんに使っている(写真撮影/片山貴博)

アイランドキッチンのあるリビング。経年変化が楽しめる木の床材や壁材をふんだんに使っている(写真撮影/片山貴博)

「金曜の夜に車で来て、薪ストーブをつけてビールを開けると、1週間が終わったなとほっとします」と川鍋さん(写真撮影/片山貴博)

「金曜の夜に車で来て、薪ストーブをつけてビールを開けると、1週間が終わったなとほっとします」と川鍋さん(写真撮影/片山貴博)

自然豊かな場所で暮らせる一方で、仕事や家探しに課題も

内房の東京湾、外房の太平洋に面した海岸エリアと里山のある丘陵エリアがある南房総市。豊かな自然に惹かれ、移住先として注目されていますが、二拠点生活や移住の状況はどうなっているのでしょうか。移住支援を行っている南房総市役所企画財政課の山口幸弘さんに伺いました。

「住民票で確認できない二拠点生活者の把握は難しいのですが、Uターン、Iターンの移住が増えています。なかでも30、40代のIターンが多い印象です。移住前に登録してもらっている空き家バンク協議会の希望者は昨年の2倍以上。興味のある人は確実に増えていると感じています」

市として、無料でお試し移住ができるトライアルステイを実施。海が見えるエリア、里山エリア、都心から好アクセスなエリアの3地区に分かれて滞在するなかで、南房総市を肌で感じてもらう取り組みです。例えば、農業に関心のある参加者の場合、地域おこし協力隊員が同行し、地元の農家で農作業が体験できます。昨年は20家族を受け入れました。

丘陵エリアにあるヤマナハウス。春を迎えて草木が動き出した里山(写真撮影/片山貴博)

丘陵エリアにあるヤマナハウス。春を迎えて草木が動き出した里山(写真撮影/片山貴博)

移住者を受け入れるなかで、南房総市が課題とするのが、就労と住宅についてです。

「移住するためには仕事が大事ですが、農業は最初に畑整備や農機具をそろえるなどの投資が必要ですし、自然災害のリスクもあります。南房総市は事務職の求人が少ないので、工事関係や介護、配送等に就職する場合が多いようです。場所を選ばず仕事ができるIT系のフリーランスの方など職業によっては、支障のない方もいますが、サラリーマンの方は、理想を描いて移住してきても現実の生活とのギャップを感じてしまう人もいます。市として起業をする人を支援する取り組みをしていますが、なかなか難しい面があります」

住宅については、賃貸アパートが少なく、中古住宅が人気ですが、実際に貸したり売ったりできる物件が少ない現状があります。持ち主の高齢化で片付けができない、家を継いだ人が都心にいて管理できないという問題があるのです。

「高齢化が進む南房総市は住民がお互いに支え合って成り立っています。若い世代には、海岸清掃・生活道路の草取りなどの維持管理等地域の共同作業に参加してほしいです。それは、早くコミュニティに馴染んで、楽しく長く暮らせるコツでもあります。地域の活動に参加する以外には、若い世代は子育て、年配の方は釣りや庭づくりなどの趣味を通じて、地元に溶け込んでいます」

二拠点生活者や移住希望者を受け入れてきたヤマナハウスの現在

南房総市と業務提携して、移住支援に取り組んでいるのが、シェアオフィス運営を手掛けるHAPON新宿の創始者の一人、永森昌志さんです。HAPON新宿では、南房総市と一緒にイベントを行うほか、移住について相談できる「南房総2拠点サロン」やオンラインカフェを運営してきました。
なかでも、二拠点生活者や移住希望者が集まる場となっているのが、南房総市三芳にあるヤマナハウスです。
永森さんが「シェア里山」と呼ぶヤマナハウスは、約3500坪の里山にある古民家を改修し、希望者で古民家改修や畑仕事、裏山の整備などを行う場所。2018年に取材に訪れた際には、週末に年齢も職業もさまざまな人が集まり、田舎暮らしを楽しんでいました。二拠点生活や移住に対する関心が高まるなか、ヤマナハウスはどのような変化をしているのでしょうか。新緑が芽吹き始めた4月はじめのヤマナハウスを訪ねました。

築300年以上のヤマナハウス。都心から訪れた参加者に、里山ツアーや狩猟体験など1泊2日のプログラムが行われた(写真撮影/片山貴博)

築300年以上のヤマナハウス。都心から訪れた参加者に、里山ツアーや狩猟体験など1泊2日のプログラムが行われた(写真撮影/片山貴博)

月数回の寄り合いや、地ビールやジビエを楽しむイベントも(写真撮影/片山貴博)

月数回の寄り合いや、地ビールやジビエを楽しむイベントも(写真撮影/片山貴博)

訪れた時は、希望者にヤマナハウスや周辺の里山を体験してもらう見学ツアーの真っ最中。プログラムには、狩猟の講習会やヤマナハウスの裏にある里山探検、イノシシの解体があり、東京から来た参加者は、バーベキューでヤマナハウスのメンバーとの交流を楽しんでいました。

土間にコンクリートを打ってコミュニケーションスペースに。使っていない梁でつくったロングテーブル。かまどもワークショップで自作(写真撮影/片山貴博)

土間にコンクリートを打ってコミュニケーションスペースに。使っていない梁でつくったロングテーブル。かまどもワークショップで自作(写真撮影/片山貴博)

裏山での狩猟体験で罠を仕掛けるヤマナハウス副代表の沖さん(写真撮影/片山貴博)

裏山での狩猟体験で罠を仕掛けるヤマナハウス副代表の沖さん(写真撮影/片山貴博)

里山の植物や生き物に参加者は興味津々。水辺にはトウキョウサンショウウオの卵も(写真撮影/片山貴博)

里山の植物や生き物に参加者は興味津々。水辺にはトウキョウサンショウウオの卵も(写真撮影/片山貴博)

「2018年の取材時から3年が経ち、問い合わせは3倍以上になりました。週末だけ来ていた人が、都心に部屋を借りたまま、南房総市に移住し、都心へ月に何回か通う逆二拠点生活を始める人も増えてきました。コロナ禍で都心での自由度が減り、ストレス発散やリフレッシュできる田舎暮らしに関心が高まっているのでしょう」

永森さん自身、2007年から東京と南房総市との二拠点生活を経て、移住を経験しています。永森さんが仲間との共同運営でヤマナハウスをスタートしたのは2015年。古民家を遊び場にして仲間とDIYでリノベーションをするうちに、メディアに取り上げられるようになり、問い合わせが来るようになりました。

車座になり、ヤマナハウスや南房総の地域の課題についての講演を受ける参加者(写真撮影/片山貴博)

車座になり、ヤマナハウスや南房総の地域の課題についての講演を受ける参加者(写真撮影/片山貴博)

「私が南房総市に通うようになった当時、二拠点生活という言葉すらなく、情報も支援もありませんでした。田舎暮らしはしたいと思っていても、いきなりひとりで始めるのはハードルが高いと思います。そこで、改修した古民家をシェアして、二拠点生活や移住希望者の拠点をつくろうと考えたのです。家を借りなくても、週末にヤマナハウスに通うことで、二拠点生活や移住の助走期間にしてもらえれば」

さらに、移住へのハードルを下げてもらおうと始めたのが、南房総市に3カ月通いながら、狩猟を学べる「南房総2拠点ハンターズハウス」です。趣味を入り口にして南房総市を知ってもらう取り組みのひとつで、6回の狩猟講座に参加しながら、民宿に30泊できて15万円。募集を開始したところ、10名の定員はあっという間に埋まり、最終的に15名が参加しました。

ヤマナハウスのメンバーによるイノシシの解体。狩猟講座で学び、皮なめしなどのスキルも身につけた(写真撮影/片山貴博)

ヤマナハウスのメンバーによるイノシシの解体。狩猟講座で学び、皮なめしなどのスキルも身につけた(写真撮影/片山貴博)

「自活力、自給自足力をつけ、自分でサバイバルしていきたい欲求が高まっていると感じています。お金で買うのと同等かそれ以上に、自分でつくったものやその過程に価値を置く人が増えているんです」

とはいえ、都心からの参加者が多いこともあり、緊急事態宣言下では、地域での活動に悩んだことがあったといいます。

「地元の方へ自粛した方がよいか相談に行ったのですが、むしろぜひ作業に参加してほしいとお願いをされました。地域は70、80代の高齢者が多く、作業の担い手が不足しています。野山を放置すれば、道が通れなくなったり、田んぼの水路が埋まったりしてしまいます。草刈りなどを行い、とても感謝されました。こういった地元の活動に一人で出るのは気後れしても、ヤマナハウスに参加しながら、自分のペースで出られる時に出る形で無理なく馴染んでいってほしいと思っています」

飲食店の営業許可をとるため改修中のキッチン(写真撮影/片山貴博)

飲食店の営業許可をとるため改修中のキッチン(写真撮影/片山貴博)

見はらしのよい高台にウッドデッキを制作中。デッキの上にゲル(円形テント)を置く予定(写真撮影/片山貴博)

見はらしのよい高台にウッドデッキを制作中。デッキの上にゲル(円形テント)を置く予定(写真撮影/片山貴博)

ハーブ園ではミント、パクチーが元気に育っていた。これから藍染に使う蓼(たで)も栽培する(写真撮影/片山貴博)

ハーブ園ではミント、パクチーが元気に育っていた。これから藍染に使う蓼(たで)も栽培する(写真撮影/片山貴博)

「二拠点生活は、けっこう大変ですよ」と笑顔で話す川鍋さんに、苦労とそれ以上の充実を感じました。二拠点生活や移住対策について、ほかの自治体では模索中のところも多いですが、南房総市のように成功事例もあります。コロナ禍での価値観の変化を経て高まる需要と、受け皿となる市やヤマナハウスの取り組み。川鍋さんのように充実した暮らしを手に入れるための道のりは険しいですが、さまざまな支援をうまく利用することで、最初の一歩を踏み出せそうです。

●関連記事(2018年取材時の記事)デュアルライフ・二拠点生活[1] 南房総に飛び込んで生まれた、新しい人間関係や価値観

●取材協力
HAPON新宿

人気落語家・柳家花緑が二拠点生活をはじめた理由。窓一面に富士山の見えるお気に入りの空間

筆者は落語や歌舞伎が趣味なので、たびたび劇場や寄席を訪れている。好きな落語家の一人が、人間国宝五代目柳家小さんを祖父に持つ「柳家花緑」師匠だ。
YouTubeの「柳家花緑チャンネル」を正月に見ていて、花緑師匠が二拠点生活を始めたことを知った。落語会で全国を飛び回る落語家が二拠点生活とは意外な気がするが、なぜその決断をしたのだろう。

寄席に落語会、全国を飛び回る落語家がなぜ?

人気落語家・柳家花緑が二拠点生活を実践する“デュアラー”になった!

早速取材を申し込んで快諾いただいてから、実現するまでに時間がかかってしまった。新型コロナウイルスの影響だ。それでも、2度目の「緊急事態宣言」解除後、東京の「まん延防止等重点措置」が適用される前に、取材に伺うことができた。

花緑師匠は現在、母親が暮らす目白の実家(師匠で祖父の五代目柳家小さんの家)近くの賃貸住宅を1拠点目とし、静岡県内の富士山の麓に2拠点目を構えている。その2拠点目に取材に伺った。

お宅に入ると、花緑師匠が気さくに迎えてくれた。このシーン、どこかで見たことがあると思ったら、三鷹市の古民家で開催される「井心亭寄席」で見慣れたシーンだと思い当たった。落語会が終わると壁にその日の落語の演目が貼られるのだが、花緑師匠はその横の窓から顔を出して、観客が演目を撮影する際に一緒に写るというサービスをしてくれる。筆者が知る限り、最もフレンドリーな落語家さんだ。

玄関ホール横の壁の穴から取材陣を笑顔で迎える花緑師匠(撮影:片山貴博)

玄関ホール横の壁の穴から取材陣を笑顔で迎える花緑師匠(撮影:片山貴博)

定席の寄席は都内に4カ所(浅草、上野、池袋、新宿)あるが、いずれも都心にある。名前の知られた落語家は全国の落語会にも呼ばれるので、首都圏内や地方への移動が多い。都心部に拠点を構えて移動するのが効率的、というのが一般的な考え方だろう。

「それではなぜ、二拠点居住をするのか?」この疑問を花緑師匠にぶつけてみた。ところが「当初は二拠点の生活を考えていなかった」と、予想に反した答えが返ってきた。

二拠点生活のきっかけ、実は「家を建てたかった」から

花緑師匠は2014年に「無印良品の家」の仕事で、倉敷の無印良品の施工事例を取材した。すると、すっかりその家が気に入ってしまい、「家を建てたい」と思うようになった。それからは、無印良品の家シリーズや他のハウスメーカーの家を見て回り、最終的に倉敷で見た「窓の家」を建てようと決断したという。

「妻にとっては裏切り行為です。10年前に結婚したときには、生涯賃貸で暮らそうねと話し合っていたのに、いきなり家を建てたいと言い出したんですから」と花緑師匠。それほど建てたいと思った家だが、目白で土地を探すと土地代だけで何億にもなる。かといって、狭い土地に小さな家を建てたいわけではない。実家である小さんの家は剣道の道場があるほど広かったので、家は広いものという感覚がある。それに、弟子を10人抱える花緑師匠には、一門が集まれる広い家が必要、という落語家ならではの事情もあった。

インタビュー中の花緑師匠。話が止まらないことでも有名(撮影:片山貴博)

インタビュー中の花緑師匠。話が止まらないことでも有名(撮影:片山貴博)

解決策が見いだせないまま、5年ほどたった。そんなときに、花緑師匠は、以前から関心のあったスピリチュアルで世界的に有名な方に相談する機会を得た。将来の家について「建っているのは、木々が多いところ。人はあまり通らない。都心へのアクセスはよい」というサジェスチョンを聞いて、「都心にこだわらなくてよいのだ」と気づいたという。

となると、どこに家を建てるか。思いついたのが、自身のTwitterに写真を何枚もアップするほど「富士山が好きだ」ということ。飲む水も、富士山の水を選んでいた。そんなときに静岡県の落語会で、富士山の麓には湧き水が豊富にあると聞いた。水道水が富士山の地下水という自治体もあるほどだという。花緑師匠は俄然、富士山の麓に興味を持ち、静岡県に住む知人にあちこち案内してもらったりした。そして今の場所にたどり着いたのだ。

家のテラスからは美しい富士山が見える(写真提供/柳家花緑師匠)

家のテラスからは美しい富士山が見える(写真提供/柳家花緑師匠)

二拠点居住に、初め妻は反対だった

妻の承諾は得られたのだろうか?「私は、実際に設計図ができるまで、反対していました」と花緑師匠の妻。それまでの花緑師匠は、「休みの日があると罪悪感にかられる」ほどワーカーホリックだった。休みもないのに、離れた場所に家を建てて、実際に行く機会があるのかと懸念したからだ。

ほかにも心配の種はあった。東京で生まれ育った花緑師匠に、田舎暮らしができるのか。行き来するための移動手段はどうするのか。妻は生活に根差したことを考えて、安易に賛成できなかったが、設計図ができた段階で、諦めて腹をくくったという。

花緑師匠も初めは、東京と同じ暮らしをイメージしていたので、駅からバスで行けばいいと思っていた。しかし、妻の心配を聞き、買い物のことなどを考えるとそうもいかないと思い直し、ペーパードライバー教習を受けるなどして車の運転をするようになった。

そして念願の家は2019年に竣工し、ようやく二拠点生活を始めることになったのだが、そこへ新型コロナウイルスが襲撃した。

花緑師匠の担当マネージャーは「コロナ禍だからこそ、二拠点生活ができてよかったと思います」と語る。最初の緊急事態宣言では、寄席や落語会がほぼ中止になった。今も以前より落語会が開かれる数は減っている。仕事が激減して精神的につらい時期に、東京から離れて豊かな自然の中で生活できたことが、心身ともによかったというのだ。しかも、コロナ禍だからこそ、時間をかけて2拠点目の新生活をスタートさせることができた。妻の懸念は、幸いにも解消されることになった。

大好きな空間で寛ぎ、庭仕事に勤しむ

では、富士山の麓で、花緑師匠はどんな暮らしをしているのだろう。
まずは、好きな空間をつくった。以前からあった家具に加え、“TRUCK FURNITURE”の家具などを新たに買いそろえて、ダイニング、リビング、2階の書斎とお気に入りの空間をつくっていった。

お気に入りの場所の一つ、2階から見たリビング。上部が吹抜けなので開放感がある。テーブルとブーメランチェア、オットマンなどをTRUCK FURNITUREで新たに購入した(撮影:片山貴博)

お気に入りの場所の一つ、2階から見たリビング。上部が吹抜けなので開放感がある。テーブルとブーメランチェア、オットマンなどをTRUCK FURNITUREで新たに購入した(撮影:片山貴博)

庭の手入れにも目覚めた。隣家に芝刈り機を借りるなど、庭を通じて近居づきあいも始まった。周囲に温泉が多いので、行きつけの温泉もできた。買い物は、JA(農業協同組合)の野菜市場で新鮮な野菜が安く買えるし、スーパーマーケットやホームセンターも大型な店舗があり、かえって東京より品ぞろえが豊富だという。

「普段の生活は東京とあまり変わりません。東京でも静岡でも落語の稽古をしますが、ここなら隣家と離れているので、夜に大声で稽古ができるくらいの違いです」。ただし、「余暇は一変しました。東京では、演劇や映画を見に行ったりしていましたが、ここでは自然を楽しんでいます」と花緑師匠。

二拠点生活には課題もあるが、窓の中の富士山には代えられない

敢えてデメリットを挙げるとしたら、どんなことかを聞いた。

ひとつは「田舎暮らしには、自然と付き合う必要があること」。東京に行っている間に蛾が大量発生して、庭の芝が枯れてしまったこともあった。また、虫がいると鳥がそれを食べにきて、その鳥を蛇が食べにくるといった食物連鎖で、庭の木に蛇が現れたこともあった。一方で、小鳥を餌付けできる楽しみもあり、ヒマワリの種を置いておくと小鳥が食べにくるそうだ。

庭の木に設置した小鳥の餌台。下に吊るしているのはライト入りのランタン(撮影:片山貴博)

庭の木に設置した小鳥の餌台。下に吊るしているのはライト入りのランタン(撮影:片山貴博)

また「地元のご近所付き合いも課題」だという。ごみの捨て方が違っていて、家までゴミ袋を返されたこともあったが、それが縁で仲良くなった。花緑師匠は妻がそうした付き合いが上手だというが、妻は静岡の人はフレンドリーだから付き合いやすいのだという。

ほかに、経済的な課題もある。浅草演芸場で10日間のトリ(寄席の目玉として最後に高座に上がる落語家)を取ったときに、毎日静岡から通ったら交通費だけでかなりかかったそうだ。また、目白の拠点を以前の半分程度の広さの賃貸住宅に住み替えてもいる。「要するに、何にお金を掛けるかのバランスが課題です」と花緑師匠。

最後に、花緑師匠が最も気に入っている空間を紹介しよう。2階の書斎には、無印良品の「窓の家」の特徴である、壁と一体化した窓がある。風景を絵画のように切り取る窓に目を向けると、そこには我が家だけの富士山がある。その富士山は、季節や時間、天気によって刻々と姿を変える。いつ見ても飽きることがないその姿に、花緑師匠は魅了されているという。

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上:コンランのソファに座る花緑師匠がお気に入りの空間。この日は曇っていたので富士山が顔を見せてくれなかった(撮影:片山貴博)。下:天気が良い日に撮影した写真を花緑師匠に提供してもらった

上:コンランのソファに座る花緑師匠がお気に入りの空間。この日は曇っていたので富士山が顔を見せてくれなかった(撮影:片山貴博)。下:天気が良い日に撮影した写真を花緑師匠に提供してもらった

2階の書斎横には大きなテラスがあり、テラスからも大きな富士山が見える。気候によっては屋外テラスで富士山を眺めることもあるという。

実は、天気予報を見ながら取材日を決めたのだが、残念ながらこの日は一日中曇りで、富士山が雲に隠れていた。いつもはこんな風に見えると、花緑師匠がiPadで撮影した写真を見せてくれた。花緑師匠によると「東京からお客様が来ると、いつも富士山が見えないんです。地元の知人が来るときはきれいに見えるんですけど」。どうやら、柳家花緑宅の富士山は、人見知りのようだ。

安澤太郎氏「TAICOCLUBでは地域に何も残らなかった」。次は“LPK”で新しい日常をつくる

2018年に惜しまれつつも幕を下ろした野外音楽フェス「TAICOCLUB」。オーガナイザーの安澤太郎さんは「一時的な熱狂の繰り返しでは、その土地に何も残らなかった」と反省し、千葉県北部のとある場所で新たな取り組みを始めていた。彼が掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、フェスのような「非日常の演出」とは異なる、「日常と非日常の距離を近づける」ものだそう。安澤さんが試みる、田舎暮らしとも二拠点居住とも異なる新しい暮らし方とは?
「フェスのときだけテンションが上がる」のは健全なのか?(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

音楽ファンの間で13年にわたり愛された野外音楽フェス「TAICOCLUB」は、2006年に長野県木曽郡で生まれた。毎年1万人近くを動員し、地方創生にも一役買っていたのは間違いないが、その歴史に幕を下ろしたのは、発起人である安澤さん本人だった。

なぜ、「TAICOCLUB」は終わらなくてはならなかったのか? 安澤さんは当時の思いを次のように語る。

「『TAICOCLUB』では、みんなが一年に一回、瞬発力的に盛り上がる場所をつくってきました。もちろんその良さはあったけれども、単に『イベントを始めて終える』繰り返しでは、その土地に何かが残るわけではないと気づいたんです。

そもそも僕は『TAICOCLUB』を始めたとき、そこにいる人たちが自分たちでカルチャーを積み上げていけるような場所をつくりたかったんです。でも、実際はそうなっていない。やりたかったことと現実の乖離が見えてきてしまいました」

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤さんは「TAICOCLUB」の来場者の様子を眺めながら、なぜ人々がこれほどまでに楽しんでいるのか、考えを巡らせていたという。

「都市って人が多くて密集しているので、どうしても周りを気にしながら生活せざるを得ませんよね。例えばベランダでバーベキューをしたら隣の部屋に煙がいってしまうかもしれないし、楽器を演奏したら音が響いてしまうかもしれない。物理的にも精神的にもすぐに影響してしまう環境だからこそ、やりたいことがあっても、『迷惑かもしれないからやめておこう』と自分で自分を締め付けていると思うんです。

でも『TAICOCLUB』では、知らない人とも自然と話したり遊んだりしながら、大好きな音楽を心から楽しんでいる。それを見て、みんな日常で解放できないものを発散できる場所を求めているんだろうなと思いました」

(写真撮影/Mariko Kurose)

(写真撮影/Mariko Kurose)

フェスでの盛り上がりは、それだけ日常生活でたまったものがあることの証拠。だとしたら、都市生活者の非日常と日常の間には、あまりにも大きな乖離がある。安澤さんはその問題に気づいた。

「非日常体験で一気にテンションが上がって、日常でガクッと落ちてしまうのって、血糖値が急上昇して健康に良くないのと同じことだと思うんです。例えば結婚でも、結婚したあとの日常生活こそ楽しくあるべきなのに、結婚式のときがピークってきついですよね?

僕は非日常だけじゃなく、そのあとの日常生活もちゃんと楽しめるようにしたい。非日常に全部の楽しみがあるんじゃなくて、もう少し非日常を日常に組み込む暮らし方を考えてみたいと思ったんです」

そんな安澤さんが、知人の紹介を通じて知ったのが千葉県北部の土地だった。

非日常を求めて自然が豊かな場所を求めようとすると、忙しい日常との両立は難しい。しかし、千葉なら都心部から車で約1時間で来られるうえ、ひらけた土地が気持ちいい。日常と非日常を近づけた暮らしを実験するのに、これ以上ぴったりの土地はないのではないか?―― 安澤さんの新たな挑戦の地がここに定まった瞬間だった。

「もう一つの自分の場所」が、非日常と日常の距離を近づける(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんが掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、まるで公園の中で住むように暮らし、創り、表現する空間をつくることで、利用者や参加企業による主体的かつ継続的な活動を促すものだという。

「あまり運営側から『これをやります』とは言いたくないんです。そういう一方的なアプローチだと、僕らの考えている範囲のものしか生まれない。それはつまらないと思うんです。用意されたもので楽しむ機会は、すでに大型テーマパークなどで大資本が提供していますよね。

僕らの役割は、この土地で実現したいことがある人に、それができる箱やインフラを提供すること。その結果、みんなのクリエイティビティやこだわりがいっぱい集まった場所になればいいなと思っています」

(画像提供/安澤太郎さん)

(画像提供/安澤太郎さん)

その暮らし方は、「パソコンに外付けハードディスク等を装着する拡張のようなイメージ」だと、安澤さんは続ける。

「都市は狭くて行動が制限されたり、ものを置けなかったりするので、自分の趣味を思いっきりできる場所を外に大きく持ってもらうんです。例えば料理が趣味の人なら、ここに来れば他の人と一緒に好きなだけ料理ができる、というように。

都市は便利なので、住んでいると『ここでいいや』って思うようになってくるんですが、その中だけで暮らすのって、本当は面白くない。住んでいる場所とは別に自分の居場所を求めることで、その人の内部の均衡が保たれることがあると思うんです」

そのイメージはその場所である光景を目にした際、より確かなものになった。

「先日、東京に住んでいる知り合いが大きな犬を連れてきたんです。リードを離した瞬間、その犬がものすごい勢いでダーッと走っていって、もう全然帰ってこなくて(笑)。その犬は普段、ドッグランや家の近くの散歩で自分を満足させようとしていたけれども、本当はそれぐらい走りたかったんだろうなと。人間にも同じことが言えますよね。もう一つの自分の場所は、精神面だけでなく、身体面にも大きな変化をもたらすと感じています」

(写真提供/安澤太郎さん)

(写真提供/安澤太郎さん)

また、安澤さんは「もう一つの自分の場所」の必要性について、都市生活者の不動産の選び方が生み出している面もあると語った。

「そもそも不動産って、日々の暮らしを営む場所として生まれたはずです。ところが今は、『いかに良く暮らせるか』よりも、『こちらの方が将来高く売れそう』というように、資産価値で判断される傾向にある。日常生活は我慢して、売れた瞬間という非日常だけに喜びがあるのって、ちょっと偏っていますよね? 日常を豊かに過ごす上で最適な場所を住居に選べていないのなら、なおさら『もう一つの自分の場所』は必要だと思います」

「田舎暮らし」や「二拠点居住」とも異なる、新しい暮らし方を提案

安澤さんがLPK構想で目指す暮らしは、「田舎暮らし」や「二拠点居住」とは少し異なるようだ。

「僕は都心部が好きなので、東京での暮らしを捨てることはできません。そういう人にとって、田舎暮らしは現実的ではないと思います。また、二拠点居住だと、子どもにどちらの学校へ通わせるかなどのシビアな問題が絡んでくるので、そう簡単に決断できない人も多いのではないでしょうか。
でも、週末に車を1時間走らせるだけで簡単にアクセスできる場所があれば、都心部で過ごしながらも自分を自由に解放できる。そういう暮らし方があってもいいと思うんです」

(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんの提案する暮らしは、新たな刺激をもたらすものとして、地元の人々からも歓迎されているという。都市部からほどよい距離でひらけた土地を持つ地域は全国に存在する。都市部で暮らす人と地方で暮らす人の両方に受け入れられる新しい暮らし方が、そこから広がっていく可能性は大いにあるだろう。

現在千葉県北部にある土地が、LPK構想の舞台。まずは安澤さんの知人を中心に実験を進めていく。将来的には一般の人からの応募を受け付ける予定だが、時期は未定だ。

安澤さんは、LPK構想をどのように進めていくつもりなのだろうか?

「それは変な話、僕らもまだ分からないんです。でも、それでいいと思っています。共感してくれる方と一緒に、ゆっくり積み上げていけたらいいなと。今の世の中、最初にどーんと大きくつくったものが長く続いていくとは思えません。変えたいなと思ったときにソフトウェアのように柔軟に変えられる場所にしたほうが、結果的に長く残るものが生み出せるんじゃないかと思います」

かつては「TAICOCLUB」という「非日常」を築き上げた。その安澤さんが提案する新しい「日常」を早く見てみたいが、価値あるものこそ形成するのには時間がかかるもの。安澤さんの言葉をヒントに「日常」と「非日常」のバランスを見直しつつ、その街の変化を気長に見守りたい。

●取材協力
安澤太郎(やすざわ・たろう)
オーガナイザー。
2006年より13年間にわたり長野県木曽郡木祖村にて開催された野外ミュージックフェスティバルTAICOCLUBを主催。
TAICOCLUBは、コンセプトやジャンルにとらわれず、そのときに聴きたいアーティストが集まることで、感度のよいフェスティバルとして知られるようになった。その後、来場者数1万人の日本を代表する音楽フェスティバルの一つへと成長させ、2018年にその幕を降ろした。
現在は、クリエイティブと拘りが集まる多拠点居住空間や、そこでしか体験できない「物語のある音楽」をつくるプロジェクト「SOUND TRIP」等に取り組む。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科中退。

TAICOCLUB
SOUND TRIP

安澤太郎氏「TAICOCLUBでは地域に何も残せなかった」。次は“LPK”で新しい日常をつくる

2018年に惜しまれつつも幕を下ろした野外音楽フェス「TAICOCLUB」。オーガナイザーの安澤太郎さんは「一時的な熱狂の繰り返しでは、その土地に何も残らなかった」と反省し、千葉県北部のとある場所で新たな取り組みを始めていた。彼が掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、フェスのような「非日常の演出」とは異なる、「日常と非日常の距離を近づける」ものだそう。安澤さんが試みる、田舎暮らしとも二拠点居住とも異なる新しい暮らし方とは?
「フェスのときだけテンションが上がる」のは健全なのか?(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

音楽ファンの間で13年にわたり愛された野外音楽フェス「TAICOCLUB」は、2006年に長野県木曽郡で生まれた。毎年1万人近くを動員し、地方創生にも一役買っていたのは間違いないが、その歴史に幕を下ろしたのは、発起人である安澤さん本人だった。

なぜ、「TAICOCLUB」は終わらなくてはならなかったのか? 安澤さんは当時の思いを次のように語る。

「『TAICOCLUB』では、みんなが一年に一回、瞬発力的に盛り上がる場所をつくってきました。もちろんその良さはあったけれども、単に『イベントを始めて終える』繰り返しでは、その土地に何かが残るわけではないと気づいたんです。

そもそも僕は『TAICOCLUB』を始めたとき、そこにいる人たちが自分たちでカルチャーを積み上げていけるような場所をつくりたかったんです。でも、実際はそうなっていない。やりたかったことと現実の乖離が見えてきてしまいました」

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤さんは「TAICOCLUB」の来場者の様子を眺めながら、なぜ人々がこれほどまでに楽しんでいるのか、考えを巡らせていたという。

「都市って人が多くて密集しているので、どうしても周りを気にしながら生活せざるを得ませんよね。例えばベランダでバーベキューをしたら隣の部屋に煙がいってしまうかもしれないし、楽器を演奏したら音が響いてしまうかもしれない。物理的にも精神的にもすぐに影響してしまう環境だからこそ、やりたいことがあっても、『迷惑かもしれないからやめておこう』と自分で自分を締め付けていると思うんです。

でも『TAICOCLUB』では、知らない人とも自然と話したり遊んだりしながら、大好きな音楽を心から楽しんでいる。それを見て、みんな日常で解放できないものを発散できる場所を求めているんだろうなと思いました」

(写真撮影/Mariko Kurose)

(写真撮影/Mariko Kurose)

フェスでの盛り上がりは、それだけ日常生活でたまったものがあることの証拠。だとしたら、都市生活者の非日常と日常の間には、あまりにも大きな乖離がある。安澤さんはその問題に気づいた。

「非日常体験で一気にテンションが上がって、日常でガクッと落ちてしまうのって、血糖値が急上昇して健康に良くないのと同じことだと思うんです。例えば結婚でも、結婚したあとの日常生活こそ楽しくあるべきなのに、結婚式のときがピークってきついですよね?

僕は非日常だけじゃなく、そのあとの日常生活もちゃんと楽しめるようにしたい。非日常に全部の楽しみがあるんじゃなくて、もう少し非日常を日常に組み込む暮らし方を考えてみたいと思ったんです」

そんな安澤さんが、知人の紹介を通じて知ったのが千葉県北部の土地だった。

非日常を求めて自然が豊かな場所を求めようとすると、忙しい日常との両立は難しい。しかし、千葉なら都心部から車で約1時間で来られるうえ、ひらけた土地が気持ちいい。日常と非日常を近づけた暮らしを実験するのに、これ以上ぴったりの土地はないのではないか?―― 安澤さんの新たな挑戦の地がここに定まった瞬間だった。

「もう一つの自分の場所」が、非日常と日常の距離を近づける(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんが掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、まるで公園の中で住むように暮らし、創り、表現する空間をつくることで、利用者や参加企業による主体的かつ継続的な活動を促すものだという。

「あまり運営側から『これをやります』とは言いたくないんです。そういう一方的なアプローチだと、僕らの考えている範囲のものしか生まれない。それはつまらないと思うんです。用意されたもので楽しむ機会は、すでに大型テーマパークなどで大資本が提供していますよね。

僕らの役割は、この土地で実現したいことがある人に、それができる箱やインフラを提供すること。その結果、みんなのクリエイティビティやこだわりがいっぱい集まった場所になればいいなと思っています」

(画像提供/安澤太郎さん)

(画像提供/安澤太郎さん)

その暮らし方は、「パソコンに外付けハードディスク等を装着する拡張のようなイメージ」だと、安澤さんは続ける。

「都市は狭くて行動が制限されたり、ものを置けなかったりするので、自分の趣味を思いっきりできる場所を外に大きく持ってもらうんです。例えば料理が趣味の人なら、ここに来れば他の人と一緒に好きなだけ料理ができる、というように。

都市は便利なので、住んでいると『ここでいいや』って思うようになってくるんですが、その中だけで暮らすのって、本当は面白くない。住んでいる場所とは別に自分の居場所を求めることで、その人の内部の均衡が保たれることがあると思うんです」

そのイメージはその場所である光景を目にした際、より確かなものになった。

「先日、東京に住んでいる知り合いが大きな犬を連れてきたんです。リードを離した瞬間、その犬がものすごい勢いでダーッと走っていって、もう全然帰ってこなくて(笑)。その犬は普段、ドッグランや家の近くの散歩で自分を満足させようとしていたけれども、本当はそれぐらい走りたかったんだろうなと。人間にも同じことが言えますよね。もう一つの自分の場所は、精神面だけでなく、身体面にも大きな変化をもたらすと感じています」

(写真提供/安澤太郎さん)

(写真提供/安澤太郎さん)

また、安澤さんは「もう一つの自分の場所」の必要性について、都市生活者の不動産の選び方が生み出している面もあると語った。

「そもそも不動産って、日々の暮らしを営む場所として生まれたはずです。ところが今は、『いかに良く暮らせるか』よりも、『こちらの方が将来高く売れそう』というように、資産価値で判断される傾向にある。日常生活は我慢して、売れた瞬間という非日常だけに喜びがあるのって、ちょっと偏っていますよね? 日常を豊かに過ごす上で最適な場所を住居に選べていないのなら、なおさら『もう一つの自分の場所』は必要だと思います」

「田舎暮らし」や「二拠点居住」とも異なる、新しい暮らし方を提案

安澤さんがLPK構想で目指す暮らしは、「田舎暮らし」や「二拠点居住」とは少し異なるようだ。

「僕は都心部が好きなので、東京での暮らしを捨てることはできません。そういう人にとって、田舎暮らしは現実的ではないと思います。また、二拠点居住だと、子どもにどちらの学校へ通わせるかなどのシビアな問題が絡んでくるので、そう簡単に決断できない人も多いのではないでしょうか。
でも、週末に車を1時間走らせるだけで簡単にアクセスできる場所があれば、都心部で過ごしながらも自分を自由に解放できる。そういう暮らし方があってもいいと思うんです」

(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんの提案する暮らしは、新たな刺激をもたらすものとして、地元の人々からも歓迎されているという。都市部からほどよい距離でひらけた土地を持つ地域は全国に存在する。都市部で暮らす人と地方で暮らす人の両方に受け入れられる新しい暮らし方が、そこから広がっていく可能性は大いにあるだろう。

現在千葉県北部にある土地が、LPK構想の舞台。まずは安澤さんの知人を中心に実験を進めていく。将来的には一般の人からの応募を受け付ける予定だが、時期は未定だ。

安澤さんは、LPK構想をどのように進めていくつもりなのだろうか?

「それは変な話、僕らもまだ分からないんです。でも、それでいいと思っています。共感してくれる方と一緒に、ゆっくり積み上げていけたらいいなと。今の世の中、最初にどーんと大きくつくったものが長く続いていくとは思えません。変えたいなと思ったときにソフトウェアのように柔軟に変えられる場所にしたほうが、結果的に長く残るものが生み出せるんじゃないかと思います」

かつては「TAICOCLUB」という「非日常」を築き上げた。その安澤さんが提案する新しい「日常」を早く見てみたいが、価値あるものこそ形成するのには時間がかかるもの。安澤さんの言葉をヒントに「日常」と「非日常」のバランスを見直しつつ、その街の変化を気長に見守りたい。

●取材協力
安澤太郎(やすざわ・たろう)
オーガナイザー。
2006年より13年間にわたり長野県木曽郡木祖村にて開催された野外ミュージックフェスティバルTAICOCLUBを主催。
TAICOCLUBは、コンセプトやジャンルにとらわれず、そのときに聴きたいアーティストが集まることで、感度のよいフェスティバルとして知られるようになった。その後、来場者数1万人の日本を代表する音楽フェスティバルの一つへと成長させ、2018年にその幕を降ろした。
現在は、クリエイティブと拘りが集まる多拠点居住空間や、そこでしか体験できない「物語のある音楽」をつくるプロジェクト「SOUND TRIP」等に取り組む。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科中退。

TAICOCLUB
SOUND TRIP

みんなでつくる、みんなのまち「ミナガルテン」始動。ガーデン、キッチンなどをシェア

広島市佐伯区は、市内中心部と世界遺産の地・宮島の中間に位置するベッドタウン。昔ながらの人のつながりも残りつつ、約50年前に開通したバイパスと共に住宅地として発展した、新旧の顔が入り混じる街だ。そんな佐伯区・皆賀(みなが)エリアに、新しい試みを行う街づくりが始動している。街の名前は“minagarten(ミナガルテン)”。企画プロデュースを行う株式会社真屋の谷口千春さんにお話を伺った。
園芸関係の卸売業を営んでいた会社の温室や倉庫跡地が、街づくりの舞台

minagartenの街づくりが進む敷地の全体面積は約3100平米。谷口さんの祖父・父の代に稼業として営んでいた園芸事業会社の跡地だ。観葉植物や、土や鉢などの園芸資材の卸売や、初期のころには球根や苗の栽培も行っていたという。しかし、2017年夏、惜しまれながら事業を閉じることとなり、当時東京で働いていた谷口さんには、「残された土地や建物をどうするか」という課題が突き付けられることになった。
「谷口家の長女として、また仕事を通じて他県のまちづくりに関わってきた身として、いつかはこの地で何かすることになるかも知れないという漠然とした思いはありましたが、事業の閉鎖が急だったこともあり実感が持ちきれないままプロジェクトはスタートしました。2年近くの間、1~2カ月に1回程度、週末を使って東京と広島を行き来する日々。いよいよ身体が現地にないと進まないという段階まできて、ようやくこの4月に広島に戻ってきました」と振り返る谷口さん。
「皆賀は江戸時代には水長と書き、山からの水が滞留する場所でしたが、住民らが力を合わせて行った治水工事で改善。それを祝って、皆が賀す(祝う)という意味の現在の表記になったといいます。そのことを知ったとき、これは歴史からのメッセージだと思いました。この地につくるのは、地域の人々と社会とのさまざまなつながりを後押しする、そんな施設がいい。そう感じたんです」

(画像提供/minagarten)

(画像提供/minagarten)

(画像提供/minagarten)

(画像提供/minagarten)

まちづくりの核となるコミュニティ施設のリノベーション前の状態(画像提供/minagarten)

まちづくりの核となるコミュニティ施設のリノベーション前の状態(画像提供/minagarten)

社会とのつながりを育む「みんなの庭、わたしの庭、皆賀の庭」

「激しく変化する時代の中で、みんな新しい幸せの形を模索しているように思います。minagartenのメインコンセプトは『人と暮らしのウェルビーイング』。まずは体が健康であること、次に心が健康であること、そして、社会的に健康であること。その3つが満たされてこそ、本当の意味でウェルビーイング(幸福)な状態と呼べるのではないでしょうか。
今の時代、みんな会社や学校、家や家族など、たくさんのものを背負って生活をしています。その中での役割や立ち位置を縛られ、気づかないうちに疲弊してしまったり、本当の自分らしさが分からなくなってしまう人も多い。だからこそ、肩書きを脱ぎ捨て、一個人として趣味や興味・関心を通じてもっとフラットに人や社会とつながることのできる、サードプレイス的な居場所が必要だと思うのです」
minagartenは造語で、この地域の名前である「皆賀(みなが)」と、庭という意味のドイツ語「garten(ガルテン)」を組みあわせたものだ。英語ではなくドイツ語にしたのは、市民が農園をシェアして家庭菜園などを楽しむ「クラインガルテン」や、子どもたちの個性の芽を育む幼稚園「キンダーガルテン」にヒントを得たから。さらに、「ミナ」という音は、フィンランド語では「わたし」「個人」といった一人称を指すといい、日本語の「みんな」とは一見真逆の意味を持つ。「でも、その両方の幸せが同時に成立する世界をつくりたいと思いました。自分の大切な人が幸せじゃないと、自分一人だけが幸せということはありえない。そうやって自分のことのように思いやれる対象を拡張させて行った先にしか、世界平和はありえないんじゃないかと。皆賀という地域の庭であり、みんなの庭であり、誰にとっても私の庭であると感じられる。そんな場所にしたいと考えています」と、命名の経緯を語ってくれた。

17戸からなる住宅エリアと、シェアキッチンやカフェを備えた「みんなの場所」

minagartenの計画は、14区画の分譲地と3戸の賃貸住宅からなる住宅エリアと、住民だけでなく誰もが利用できるシェアキッチンやカフェを備えたコミュニティエリアから成る。コミュニティエリアは、かつての園芸資材倉庫を段階的にリノベーション。10月には先行して2階部分のシェアキッチンとレンタルスタジオがオープンを迎え、1階もイベントスペースとしての利用がスタートしている。
構想としては、1階にリーシング中のカフェは、コインランドリーを備えた「ランドリーカフェ」にしたいという。「子育てに家事にと忙しい人が、洗濯を理由に気軽に出かけられる。そこで出会う人との会話を通じて気分転換や情報交換ができる。そんな場所にしたいと思っています」と谷口さん。3階部分に計画中の2部屋の民泊ルームでは、一般の旅人以外にも、国内外のアーティストが長期滞在して作品制作する「アーティスト・イン・レジデンス」の仕組みも取り入れる。
中央の吹抜けを挟んで、2階のシェアキッチンの向かい側にはビューティーサロンの計画が進んでいる。「所有と使用を切り離して考えるスタイル。例えばトリートメントルームをネイルや美容鍼などフリーランスの事業者に貸し出すなど、空間シェアを進めていきたいですね」
さらに、隣接する木造倉庫もリノベーションし、ベーカリーを誘致する予定だという。

全体配置イメージ(画像提供/Minagarten)

全体配置イメージ(画像提供/Minagarten)

コミュニティスペースの配置イメージ(画像提供/minagarten)

コミュニティスペースの配置イメージ(画像提供/minagarten)

各種イベントや講座、研究会活動など。まずは新たなコミュニティの構築から

10月17~18日には、minagarten第1期オープンを記念したアートイベント「STAMP! STAMP! STAMP!」が開催された。大人も子どもも100人を超える参加者たちは、リノベーション前の1階の緑の床に、いろんな形のスポンジでつくったスタンプを押して、思い思いに個性の花を咲かせた。「minagartenはこれからもっともっと変わっていく。園芸倉庫だったBeforeの姿をなるべくたくさんの人に覚えていて欲しかった」と谷口さん。吹抜けのホール空間ではライブイベントも開催。多くの人が訪れ、特別な時間を過ごした。
シェアキッチンでは、すでにフラワーアレンジメントの教室や料理教室などが行われているほか、パティシエやコーヒーロースターの方が臨時カフェを営業するなど、新たな人の流れが生まれつつある。今後は住宅エリアの案内会や入居予定者の交流会なども開催予定だ。
さらには、かつての園芸事業関係者や、新たに集った園芸に興味のある人たちと一緒に「園芸研究会」を立ち上げ、建物裏のシェアガーデンをみんなでつくっていくプランも進行中。DIYでピザ窯も設置された。他には読書会などを主催する「ブック研究会」、地域や自らのルーツを解きほぐす「ルーツ研究会」なども。
「まずは小さなコミュニティをたくさんつくっていくこと。選択肢の多さは、そのままコミュニティの豊かさや、風通しの良さにも繋がります。人との出会いを通じて新たな道は開かれるものだと思います。みんなで楽しみながら、これからの人と暮らしの幸せを一緒に創っていける仲間を増やしていけたらいいですね」

「STAMP! STAMP! STAMP!」イベントの様子(画像提供/minagarten)

「STAMP! STAMP! STAMP!」イベントの様子(画像提供/minagarten)

【STAMP!STAMP!STAMP! 皆賀の庭に花が咲く】minagartenオープニングアートイベント

1階のイベントスペースで行われたライブイベントの様子(画像提供/minagarten)

1階のイベントスペースで行われたライブイベントの様子(画像提供/minagarten)

「皆賀の庭で花あそび スケカワミワの10月のスワッグづくり」の様子(スワッグとは花や葉を束ねて壁にかける飾りのこと)(画像提供/minagarten)

「皆賀の庭で花あそび スケカワミワの10月のスワッグづくり」の様子(スワッグとは花や葉を束ねて壁にかける飾りのこと)(画像提供/minagarten)

一戸建て住宅地でありながら、共用の庭を中心にした街づくりへ

一方、住宅エリアに関しては2020年11月時点で、宅地造成がほぼ終わった状態だ。街づくりの計画に賛同した、家づくりのパートナーである広島のハウスメーカー「イワキ」が、個々の家づくりを進めている。
minagartenの住宅地は、通常の宅地開発とは一味違う。アスファルトの道路の代わりに、分譲14世帯が区分所有する私有地に豊かな植栽を施した「みんなの庭」を設け、全世帯が共同で使用・運営するルールを定めている。家々を仕切るようなフェンスは極力排除するなど、建築や外構に一定のルールを設けることで、ゆとりと統一感のある街並み形成を可能にする計画だ。
「限られた面積の『わたしの家』から、広がりのある『わたしたちの街』へ……。緑とコミュニティの成長が何よりの資産。そんな街を住民一体となって育んでいきたいと思います」
住宅エリアには、14棟の注文住宅と、3戸の賃貸住宅が誕生する。モデルハウスの完成と、新たな街の街開きは2021年初夏を予定している。

minagarten住宅エリアのイメージ(画像提供/minagarten)

minagarten住宅エリアのイメージ(画像提供/minagarten)

minagartenはみんなで一緒に楽しみながらつくり上げていく街だ。この街の主役は、この街に関わる全ての人。パワフルに人生を楽しもうとする人が集まり、そのパワーがどんどんほかの参加者に伝染していく。人が人を呼び、活動は進化を続ける。谷口さんを見ていると、そのことを実感する。
今年初夏に街びらきを迎えるこの新しい街がどんな風に育っていくのか。谷口さんのお話を伺って、今から楽しみで仕方ない。

●取材協力
minagarten

コロナ禍のシェアハウス暮らし「毎日の“おはよう”が心を平穏に」。ニーズに変化

2005年前後からブームになったシェアハウス。ここ数年で、1000冊以上の本を備える団地「ジェイヴェルデ大谷田」や商店街の空き店舗を活用した「寿百家店」など、バリエーションが見られるようになりました。コロナ禍で人々の住まい方や働き方が変化している今、新たな動きはあるのでしょうか。シェアハウス専門ポータルサイト「ひつじ不動産」、「ヨコスカシェアロッヂ」オーナー、入居者、それぞれに話を聞きました。
法改正を追い風に、個性派の物件が地方で次々と登場

シェアハウス専門ポータルサイト「ひつじ不動産」北川大祐さんは、「2013年に『違法貸しルーム通知』が出されてからの行政の地道な取り組みが、重要な役割を果たした」と言います。

「2013年9月6日に国土交通省から、いわゆる“脱法ハウス”の是正指導を強化する『違法貸しルーム通知』が出され、法適用が極端に厳格化されました。しかしその後、継続して行われてきたさまざまな関連法規の改正の結果、小規模の建物をシェアハウスに転用する際の法的基準が大幅に緩和・明確化。一方で、特定のシェアハウスへの不正融資が発覚した2019年の『スルガショック』により、粗雑なシェアハウス投資の危険性が広く認知されました。こうした流れのなかで中長期のていねいな運営を見据えた、小規模で良質なシェアハウスをつくるオーナーが再び増加しはじめたのです。

企画・設計・運営を個人、あるいは少人数の会社が行い、建築が特殊、あるいは作家性のある物件が多いのが特徴です」(北川さん)

コロナ禍以降はリモートワークで遠方でも仕事が出来る人が増えたことで、「都市部」「駅近」といった便利さより「落ち着いた環境」を優先。ある程度、社会人経験のある世代が、都心に通勤可能な郊外の物件を選ぶようになっています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

「シェアハウスはもともと『人との触れ合い』を持てる住居形態ですが、郊外エリアではコロナ禍でもその点がプラスに働いているケースがあるようです。『在宅勤務に最適な郊外型の豊かな環境』『個性的な小規模物件』、これに付随して生まれた『コミュニティの魅力』の3つが、コロナ以降に目を向けられている物件のポイントと言えます。都心から離れた小規模のシェアハウスであれば、一般家庭と感染リスクは大きく変わらないと考え、都心で押さえ込まれるような生活を送るよりはよいと考える方が、一定数おられるということでしょう」(北川さん)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

例えば、池のほとりに立つ木々に囲まれた「すいれん館」(大阪府・東大阪市)は「静かな場所で過ごしたい」と希望する入居者が増加し、アトリエスペースやアウトドア用品のレンタルを行っている「ARTdoor’s(アートドアーズ)」(大阪市)では、入居者同士で趣味の時間を分かちあっているそう。ホテル調にリノベーションされた「MOTENA PLEASE(モテナプリーズ)」(大阪府豊中市)は、ヒノキを一部に使った大浴場などがゆったり過ごせて好評と言います。

入居者の暮らしぶりが、今にも見えてきそうな物件。コロナ禍で変わりつつあることが、事例に現れているようです。

都心から電車で約1時間でも自然がある「ヨコスカシェアロッヂ」

同じような変化が見られるのが、昨夏オープンした定員4名・女性限定のシェアハウス「ヨコスカシェアロッヂ」。東京駅から電車で約60分、横須賀中央駅から徒歩約5分。駅に大型ショッピングモールが隣接し、周辺には商店街やカフェ・コンビニ・ドラッグストアなどが充実。それでいて小高い丘に立つため見晴らしがよく、驚くほど静寂な環境です。

築約100年の長屋を活用した「ヨコスカシェアロッヂ」。関東大震災の廃材が使われており、味わいを活かしたデザインが特長です(写真撮影/五十嵐英之)

築約100年の長屋を活用した「ヨコスカシェアロッヂ」。関東大震災の廃材が使われており、味わいを活かしたデザインが特長です(写真撮影/五十嵐英之)

リビングの向かいには海を望む大きなデッキが。「朝、ここでコーヒーを飲むと自分のペースをつくれます」(H.Iさん)(写真撮影/五十嵐英之)

リビングの向かいには海を望む大きなデッキが。「朝、ここでコーヒーを飲むと自分のペースをつくれます」(H.Iさん)(写真撮影/五十嵐英之)

オーナーの多久和洋平さんは会社員時代、DIYでセカンドハウスをつくったのを機に「空き家をデザイン・改修・賃貸する」事業をスタート。三浦半島で4つのシェアハウスを運営しています。

「コロナで在宅勤務になり、住まい方の自由度が上がったことから、それまで横須賀と無縁だった方に入居を検討してもらえるようになりました。なかには山形や沖縄から来られる方も。就職で上京する方が、都心の密
集を避けるためにあえて横須賀を選ぶ例もあります。

物件への問い合わせは20代半ばから30歳前後の方が多いです。一人暮らしを体験して住まいへの価値観が定まり、プラスαを求めている年代なのかもしれません」(多久和さん)

リモートワークの閉塞感を抜け出すべく暮らしをチェンジ

はるさん(仮名・29歳)が「ヨコスカシェアロッヂ」に越して来たのは昨年8月。東京都中野区にあるワンルーム・賃貸アパートで一人暮らしをしながら、都心のオフィスで内勤の仕事をしていましたが、昨年3月にフルリモートに切り替わり、心境に変化が訪れたそう。

「誰にも会わない日々が続いて、引きこもりのような状態になってしまって。丁度、部屋の更新が迫っていたのですが、リモートが長引くことが予想できたので、『ほどよく人と関わりながら生活したい』と、シェアハウスを思いつきました」(はるさん)

一般的な賃貸アパートでは見られない「むき出しの梁」や「古材の床」が、何とも贅沢。アンティーク調の椅子も雰囲気たっぷりです(写真撮影/五十嵐英之)

一般的な賃貸アパートでは見られない「むき出しの梁」や「古材の床」が、何とも贅沢。アンティーク調の椅子も雰囲気たっぷりです(写真撮影/五十嵐英之)

海外へ留学していた時にルームシェアの経験があるはるさん。住まい方が変わることに、抵抗はありませんでした。
物件探しは、通勤が再開したときを考え「会社までドアツードアで約1時間以内」であること、「入居者が少人数で女性限定なこと」、以前の勤務地で親しみがあったことから「神奈川エリア」を条件に。
最終的に逗子の物件と「ヨコスカシェアロッヂ」に絞られましたが、駅周辺に何でもそろっている後者を選びました。

シェアハウスから坂を下ると5分ほどで商店街に。「徒歩圏内で日常の必要なものを何でもそろえられて、とても便利です」(はるさん)。横須賀には日本とアメリカンな雰囲気が融合した「どぶ板通り商店街」(写真)のようなユニークな商店街も(写真撮影/五十嵐英之)

シェアハウスから坂を下ると5分ほどで商店街に。「徒歩圏内で日常の必要なものを何でもそろえられて、とても便利です」(はるさん)。横須賀には日本とアメリカンな雰囲気が融合した「どぶ板通り商店街」(写真)のようなユニークな商店街も(写真撮影/五十嵐英之)

「中野区にいたのは通勤がしやすいというだけの理由なんです。都内にもシェアハウスはありますが、狭いし、家賃が高いので、私にとってメリットはありませんでした」(はるさん)

二段ベッドなので下部にものが置けるほか、すき間を有効活用したオープン棚も。ディスプレイを楽しみながら、しっかり収納できます(写真撮影/五十嵐英之)

二段ベッドなので下部にものが置けるほか、すき間を有効活用したオープン棚も。ディスプレイを楽しみながら、しっかり収納できます(写真撮影/五十嵐英之)

そんなはるさんの平日は、始業の少し前に起床。その後、身支度が完璧でないときや集中したいときは自室、音楽をかけながらタスクをこなしたいときなどは共用のリビングと、内容や気分で仕事をする場所を分けています。

「ただ、誰かが先にリビングを使っていたら部屋に戻ります。4人いる入居者のうちテレワークをしているのは2人だけなので、今のところ困ることはありません。互いに何となく譲り合い、たまたま休憩が合ったときは一緒にコーヒーを飲んだり、ランチに出かけたり。ゆるく心地いい関係を築いています。もともと満員電車がとてもストレスだったので、ここに来て『自分は在宅勤務の方が合っているな』としみじみ感じますね」(はるさん)

気持ちに開放感が生まれ、料理・ヨガ・海と毎日が充実

昨年7月から入居しているH.Iさん(30歳)は、都内の会社で総務をする会社員。以前は横浜市の1K・賃貸マンションで一人暮らしをしていましたが、契約の更新が近づいて来たのと、単身住まいを10年続け、家電のほとんどが耐用年数を迎えたことから心機一転、引越すことにしました。

各部屋に大きな窓があり、採光も十分。身支度がしやすいよう、すべての部屋に洗面台がついています(写真撮影/五十嵐英之)

各部屋に大きな窓があり、採光も十分。身支度がしやすいよう、すべての部屋に洗面台がついています(写真撮影/五十嵐英之)

「そのころ、仕事がテレワークに切り替わり、週1回出社すれば済むようになったんです。遠方でも構わないので、環境のよいところにしようと思いました」(H.Iさん)

「一から家電をそろえるのはもったいない」と、家具・家電つきのシェアハウスを選択肢に入れたH.Iさん。しかし他人と住むことに不安もありました。そのため賃貸マンションも考えますが、内見するうちにシェアハウスへの思いが高まっていきます。

キッチンのカウンターは作業台とテーブルを兼ねていて、仕事をしたり、入居者同士でおしゃべりしながら料理をしたり、過ごし方の幅が広がります(写真撮影/五十嵐英之)

キッチンのカウンターは作業台とテーブルを兼ねていて、仕事をしたり、入居者同士でおしゃべりしながら料理をしたり、過ごし方の幅が広がります(写真撮影/五十嵐英之)

「外出自粛とリモートワークが重なって家にこもりがちになっていたため、メンタルの疲れを感じていたんです。『適度に人と触れ合える暮らしっていいな』と、ひかれました。

最初に男女混合・100人規模のシェアハウスを見学したのですが、入居者の顔が見えにくく、コミュニティが完全に出来上がっているのが難しそう。少人数・女性限定の『ヨコスカシェアロッヂ』を選びました。
同じ条件の下だとおのずと似た性格が集まるのか、お互い干渉しない人ばかりで、楽しく過ごせています。人数が少ないと逆に目が届きやすく、厳格なルールがなくても共用スペースをきれいに保てるんですね」(H.Iさん)

平日は午前中にメールやチャットを返し、13時から14時まではランチ休憩。午後はデータ作成やオンライン会議などをして、19時にはプライベートタイムです。

「以前は窓を開けても味気ない風景でしたが、今は木々が多くて海も見えて、四季を感じられます。自室のほかに広いリビングが使えるので、気分転換がしやすいです」(H.Iさん)

「自室で仕事をするのは主に午前中ですが、集中したいときにも使います。今は週一度の出勤が、ほどよいペースです」(H.Iさん)(写真撮影/五十嵐英之)

「自室で仕事をするのは主に午前中ですが、集中したいときにも使います。今は週一度の出勤が、ほどよいペースです」(H.Iさん)(写真撮影/五十嵐英之)

H.Iさんの部屋は窓に向かってデスクが置かれており、開けると清々しい緑が広がります(写真撮影/五十嵐英之)

H.Iさんの部屋は窓に向かってデスクが置かれており、開けると清々しい緑が広がります(写真撮影/五十嵐英之)

往復約2時間半の通勤時間がなくなったことで「ゆとり」が生まれ、同時に郊外型シェアハウスならではの「仲間」と「自然」を手に入れ、ライフスタイルも大きく変化したそう。

「料理をするようになって、最近はよくパンを焼いています。入居者同士で誘い合ってヨガをすることも。休日は缶酎ハイを持って散歩がてら海へ。公園感覚でふらりと行けるのが最高だなと思います」(H.Iさん)

日常で何気なく人と関われる幸せをコロナ禍で気づく

職場にあった何気ないコミュニケーションがコロナによって断たれたものの、シェアハウスでそれを取り戻す結果となり、H.Iさんもはるさんも「人と接すること」の大切さを実感しています。

「壁越しに生活音を聞いたり、『おはよう』の挨拶を交わしたり、軽いノリでご飯を食べにいったり。たわいもないことが、心を平穏にしてくれているものだなと。『シェアハウスって面倒そう』と思う人がいるかもしれませんが、全然そんなことはなくて、私はおすすめです」(H.Iさん)

「ヨコスカシェアロッヂ」が上手くいっているのは少人数だからで、もしテレワークをする人が増えれば、さらなる工夫が求められるかもしれません。ただ、心地よさの理由はそれだけでなく、前提としてはるさんとH.Iさんが自分に最適なシェアハウスを選び、共同生活のなかで人とのつながりを大事にする思いを持てているからではないでしょうか。コロナ禍で価値を見つめ直したことが、より自分らしい暮らしをもたらす結果になったよう。シェアハウスとは何かを考えるうえで、参考にできる好例といえそうです。

●取材協力
ひつじ不動産
ヨコスカシェアロッヂ
すいれん館
ARTdoor’s(アートドアーズ)
MOTENA PLEASE(モテナプリーズ)

ツリーハウスのある空間「椿森コムナ」が素敵!不動産会社が宅地計画を中止した理由

千葉駅から徒歩9分、千葉公園沿いに「ツリーハウスカフェ&コミュニティスペース 椿森コムナ」があります。運営しているのは地元千葉をメインに展開する不動産会社・株式会社拓匠(たくしょう)開発です。同社は千葉県内にもコミュニティ活動を目的としてパン屋をはじめとした複合商業施設も運営しています。なぜ不動産会社がコミュニティスペースを運営するのか、その想いを聞きました。
本物のツリーハウスと吊り橋に子どもも大人も思わず笑顔に! (写真撮影/片山貴博)

おしゃれで居心地よく、何より楽しい!「椿森コムナ」(写真撮影/片山貴博)

千葉を代表するターミナル千葉駅から10分ほど歩くと、住宅街に突然、木製の階段とデッキ、ツリーハウスが見えてきます。何もしらない人であれば、「えっ?なに?ココ?」と驚くことでしょう。木製の階段を登ると、一面にウッドチップが敷き詰められ、おしゃれなキッチンカーがあり、さまざまな人々がコーヒーを片手に思い思いに過ごしています。

階段を登るとそこはカフェスペース。取材日は月に1度の「農の市」が開催されていて出店も多く、より和やかな雰囲気に(写真撮影/片山貴博)

ツリーハウスとそれをむすぶ吊橋。子どもはもちろん、大人もはしゃいでしまう(写真撮影/片山貴博)

2021年1月に拡張してできた「椿森コムナ」のテラス席。施工を担当したのはなんと宮大工。拡張した場所と既存の建物に違和感がない(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

とはいえ、不動産会社である拓匠開発には、カフェなどの飲食店の企画運営経験のある人はおらず、施設運営のカギとなる人物を求めて、千葉県内のカフェを巡っていたそう。

「おしゃれなカフェがあるという噂を聞いてそのお店を訪ねたところ、たまたま出会えたのがジーザスさんでした。実はそのカフェにいらっしゃったのはお手伝いに来ていた3日間だけ、出会った日が最終日だったんです。その場でコムナの企画を説明し、施工中の現地を見学。木々を見てもらって、その場で話がまとまりました」と振り返ります。

執行役員の湯浅さん、中央がジーザスさん。右は椿森コムナを知り拓匠開発に入社したという経営企画部の石井友美さん(写真撮影/片山貴博)

(写真提供/拓匠開発)

場所をつくるきっかけとなった木々も、変化したといいます。
「サクラも当初は元気がなくて、申し訳なさそうに花をつける程度でしたが、年々、人に見られるようになって、樹勢を増してきたように思います。春のサクラ、新緑のカシ、秋の紅葉したイチョウ、キンモクセイなど、季節ごとに風景もうつろっていく。夏は池をあがってくる風が心地よいし、四季折々の発見があるんですよ」とジーザスさんは解説します。

オープンエアだからこそ、雨の日、寒い日などの苦労は絶えませんが、何よりもこの場所で「大人も子どもも笑い声が絶えない」ということに喜びを感じるそう。

月に1度、日曜朝は7時から営業し、マルシェを開催(写真撮影/片山貴博)

月に1度、日曜朝は7時から営業し、マルシェを開催(写真撮影/片山貴博)

千葉の新鮮野菜や岡山のしょうゆ、オリーブオイルなどさまざまな美味しいものが並ぶ(写真撮影/片山貴博)

千葉の新鮮野菜や岡山のしょうゆ、オリーブオイルなどさまざまな美味しいものが並ぶ(写真撮影/片山貴博)

初めてでも常連でも! また来たくなる居心地のよさ

利用者はどう思っているのでしょうか、訪れていた人に聞いてみました。

「私は何度も来ていて、今日は知り合いと来ました。今日のような昼間もいいですが、夏の夜、仕事終わりにビールを一杯、飲んで帰るのが幸せです。向かいの公園には池があるので、風が心地よいんですよ」と地元在住の女性が教えてくれました。一緒にいた若い女性は、「今日、初めてきました。あのツリーハウスや吊橋って、大人も登っていいんですか? ワクワクします。あとで絶対、登ろう(笑)」と楽しそう。

こちらのカフェは常時開店している。左の小屋はポートランドのタイニーハウスに着想を得たもの(写真撮影/片山貴博)

カフェで提供され、椿森コムナの名物となっている「BAMBIバーガー」。肉の焼ける匂いが食欲をそそります(写真撮影/片山貴博)

同じグループの男性も「大人も登れるなら、ツリーハウスに登りたいですよね(笑)。自分はキャンプが好きなんですが、今回、初めて訪れました。まさか近所にこんな場所があるとは思わず。すごく居心地がいいですねえ、またぜったい来ると思います」とにこやかです。

来場者には、ジーザスさんの人柄、センスのファンもいるそうだとか。
「駅を歩いていてジーザスさん!って声をかけられることもあります。この1年、コロナ禍でしたが、屋外ということもあって、人が途絶えることはありませんでした。運営では大変なことも多かったけど、はっきりとコムナの存在価値が見えてきたなあと思っています」とジーザスさん。

この場所に『あったらいいな』と思う空間をつくる。それが仕事

椿森コムナはファンや常連客に愛される場所となり、採算も確保して継続的に運営できる状態だとか。
「イベント開催や飲食の売上などで、無事に運営できてきます。地元のご高齢の方々が、毎朝、千葉公園を散策されるのですが、コムナでコーヒーを飲んで、無人販売の野菜を買っていってくださいます。また、コムナの運営は、弊社を知っていただくきっかけになり、採用にも良い影響を与えています。会社の取り組みや想いを体感してもらえる場所として、価値のある活動だと思っています」と湯浅さん。

イマドキ仮設住宅は快適?移動式コンテナや木造住宅が進化

東日本大震災から10年。その後も日本は多くの災害を経験してきた。避難所生活から新しい暮らしを再建するにあたり、重要な存在となるのが仮設住宅だ。従来プレハブのイメージが強かったが、最近はその形態も多様化してきているそう。
近年多くの災害を経験した熊本県、首都直下型地震に備える東京都、避難所や被災者用住宅に設備を提供しているLIXILの担当者へ話を聞いた。
トラックで移動できるコンテナサイズの住宅「トレーラーハウス」

2016年の地震、2020年の豪雨災害と、近年災害が続いた熊本県。2016年の地震ではプレハブ及び建設型の木造仮設住宅が活用されたが、2020年の豪雨災害では、仮設住宅として初めて球磨村でトレーラーハウスが導入された。

球磨村で導入したトレーラーハウス外観(写真提供/熊本県)

球磨村で導入したトレーラーハウス外観(写真提供/熊本県)

トレーラーハウスとは、工場で生産されるコンテナサイズの住宅だ。解体せずに基礎から建物を切り離してトラックで輸送することができる。既に建物としては完成しているため、準備期間を短縮できることが特徴だ。

背景として、被災規模が大きかった球磨村は、賃貸住宅がほとんどない地域だった。高齢者も多く、避難所での生活を長期間強いることは避けたいが、建設型の仮設住宅を建てるとなると1.5~2カ月ほどかかってしまう。
そこで、北海道胆振東部地震等で導入実績があるトレーラーハウスに目を付けた。発災から2週間で発注を決定し、さらにその2週間後には33戸のトレーラーハウスが球磨村に到着。その後追加で35戸が到着し、68世帯が新たな生活を開始した。

熊本県でトレーラーハウスを導入するのは初めてのこと。居住性がどの程度のものか判断しかねた健康福祉部健康福祉政策課すまい対策室 課長補佐 緒方雅一さん(以下、緒方(雅)さん)は、実際に使用されている岡山県倉敷市まで実物を見に行ったそう。
「もともと北海道でつくられたものということもあり、気密性・断熱性に優れており、温度が安定して保てること、遮音性も高く、まわりの音があまり聞こえないことなどが分かりました。
さらに室内はフラットで、バリアフリーに近い状態で使える。これは良い、と判断し、導入を決めました」(緒方(雅)さん)
実際に、利用者からは快適と声が届いているそうだ。

球磨村で導入したトレーラーハウス、内部の様子(写真提供/熊本県)

球磨村で導入したトレーラーハウス、内部の様子(写真提供/熊本県)

建設型木造仮設住宅の居住性も進化

2020年の豪雨災害では、現地でイチから組みたてる建設型の木造仮設住宅も740個用意された。スピード感を持って準備できるトレーラーハウスやフレームを工場生産するプレハブ住宅に対し、時間はかかるものの「居住性に優れている」と評価されているのが建設型の木造仮設住宅だ。
「県産の木材や畳を使用し、温かみがあるものになっています。木や畳の香りが良い、という評価も多くいただいています。そうした素材のぬくもりが、被災者の心の傷を癒やしてくれることを願ってつくっています」と土木部建築住宅局住宅課 主幹 緒方慎太郎さん(以下「緒方(慎)」さん)。

球磨村で建設された木造仮設住宅(写真提供/熊本県)

球磨村で建設された木造仮設住宅(写真提供/熊本県)

熊本県において、建設型の木造仮設住宅がつくられるのは3度目だ。2012年の熊本広域大水害、2016年の熊本地震、そして2020年の豪雨災害だ。災害のたびに知見を蓄積し、進化してきたという。

例えば、建設型の木造仮設住宅は「9坪でつくる」というルールがある。ゆえに収納スペースを取ることが難しい。そこで編み出されたのが「屋根裏収納」だ。専用のはしごがあり、屋根の裏側にモノを収納できる。

仮設住宅に設置された屋根裏収納。2016年、熊本地震の仮設住宅から導入された(写真提供/熊本県)

仮設住宅に設置された屋根裏収納。2016年、熊本地震の仮設住宅から導入された(写真提供/熊本県)

また、かつては洗濯機を置くスペースが屋内になく、玄関ポーチに設置し屋外で洗濯するしかなかった。そこで、玄関ポーチを屋内に取り込んだ設計とし、畳一畳分のスペースをつくることで、屋内で洗濯までできるようにした。

新たに生まれた洗濯機の設置スペース(写真提供/熊本県)

新たに生まれた洗濯機の設置スペース(写真提供/熊本県)

高齢者の多い地域での被災も続いた。バリアフリーに配慮し、現在では玄関~室内全ての部屋と水まわりまで、段差をなくしている。2020年の豪雨災害では、全戸数の1割には、車いすの方が入りやすいよう玄関横にスロープもつけた。今後、高齢者が多い地域で被災した場合はスロープつきの割合を増やす可能性が高いという。
こうした工夫によって、「もともと住んでいた家より良い」なんていう声まであるそうだ。

スロープつきの仮設住宅(写真提供/熊本県)

スロープつきの仮設住宅(写真提供/熊本県)

「適材適所」の配置と、避難所の密回避が課題

数多くの災害を乗り越えたからこそ、見えてきた課題や今後改善していきたい点についても聞いてみた。
「木造仮設住宅は、建設回数を重ね、一つの集大成ができたと感じています」と語る緒方(慎)さん。
熊本地震で使用された木造仮設住宅は、約4割がそのまま現地で被災者の一般住宅として使用されており、約3割が移設し別の場所で住宅や公民館等の施設として利活用されている。「雨が降るとスロープがすべりやすくなる」など、実際に建設して見えてきた細かな課題は今後も改善していく予定だが、既に完成形に近い、という手応えを感じている。

一般住宅として再活用されている仮設住宅(写真提供/熊本県)

一般住宅として再活用されている仮設住宅(写真提供/熊本県)

一方でトレーラーハウスについては、まだ工夫の余地があるという。
「例えば、現在の居室はトレーラーのような長方形ですが、正方形に近い形で仕切ることもできるので、通常の住まいに近い形とすることでより暮らしやすくできるのではないかと考えています」(緒方(雅)さん)
準備されている個数が少ない、という課題もある。設置する際の浄化槽整備や砂利の調達など基盤づくりもまだスムーズではない。地元業者との連携をスムーズにしていきたい、と語る。

「いち早く数を用意する意味では、従来からのプレハブ型も強いです。熊本地震のように被災者数の多い震災の場合は、やはりプレハブも活用しなくてはいけないでしょうね」と緒方(慎)さん。地域や災害規模を踏まえて、適材適所で使い分けていくことが求められるようだ。

コロナ禍においては、避難生活で「密」を避けることも重要だ。
「いちはやく密を解消するという意味では、今回、トレーラーハウスを早めに導入したのも対策のひとつです。
避難所については、段ボールや布での仕切りは熊本地震の際にも設置しており、プライバシーを守る観点での備蓄は進んでいますが、今後はテントのように1世帯ずつを囲むような設備も必要になりますね。
避難所の数自体も増やす必要があり、結果、対応する職員の数もより多く必要になります。そういった点は、今後の大きな課題です」(緒方(雅)さん)

球磨村の仮設住宅全体像(写真提供/熊本県)

球磨村の仮設住宅全体像(写真提供/熊本県)

ひとりひとりの自衛意識向上が最重要

人口密度、建物密度が高い都市部ではどうだろうか。首都直下型地震に備える東京都 住宅政策本部 住宅企画部にも話を聞いた。
「東京都の場合、大きな課題は、人数に対する『住戸数』の確保をいかに速く行うかということです。特にコロナ禍のような状況では、長期間、避難所で密をつくることは避けたい」と住宅施策専門課長の吉川玉樹さん。

熊本県と異なり、中心となるのは民間賃貸住宅を借り上げて仮設住宅とするスタイルだ。公的住宅を含め、現在も空き家がかなりの数存在するため、それらを有効活用していく想定だという。
「不足する場合には、建設型も適宜使用していきます。そのためにいくつかの団体と協定を締結しています。ただし、用地が限られるため、やはり空き家活用を中心とした対策が現実的ではあります」(吉川さん)

人口の多さに対し、仮設住宅を新たに建設できる用地は限られる。未曾有の災害となった場合、空き家の活用にも限界があるかもしれない。だからこそより重要なのが、ひとりひとりが自衛する意識だ。

「それぞれが自宅に留まれる状態が一番望ましく、自宅の耐震強化や防災意識を高める呼びかけも行っています」と吉川さん。大学と連携し、リーフレットなどを作成しているが、まだまだ平均的な都民の防災意識は高いとは言えず、課題も感じているという。

東京都が作成したリーフレット(写真提供/東京都)

東京都が作成したリーフレット(写真提供/東京都)

避難所の密を避け、プライベート空間をつくる設備も登場

メーカーが提供する住宅設備や避難所設備も年々進化している。
LIXILでは、2020年に熊本で発生した豪雨災害の際、避難所内でプライベート空間をつくることができる可動式ブース「withCUBE」を提供した。
夜泣きが続く乳児と保護者の宿泊スペースとして、また、発熱のあった幼児の療養室として活用され、避難所を管理する球磨村役場の職員から多くの感謝の言葉が届いたという。
避難生活で課題となるプライバシー確保が簡単に実現できるものとして、利用者からも高い評価を得た。
現在、災害支援を終え、熊本赤十字病院に移設されているが、球磨村役場職員から防災備蓄にしたいという要望も届いているそうだ。

被災者の避難先で活用されたwithCUBE(写真提供/LIXIL)

被災者の避難先で活用されたwithCUBE(写真提供/LIXIL)

役目を終えた仮設住宅建材の二次活用も進んでいる。東日本大震災から10年が経過し、多くの仮設住宅が解体されている。「仮設住宅に関わった方々の想いをつなぐ」という目的のもと、仮設住宅の窓などを再利用し、東京オリンピック・パラリンピックの聖火トーチやモニュメントへ生まれ変わらせる取り組みも行われた。

前述の熊本県のケースのように、解体するのではなく、建物そのものを恒久住宅や集会所として二次利用するケースもある。2011年に6000戸の木造仮設住宅が供給された福島県では、その一部を災害公営住宅として再構築した。躯体や間取りはそのままに、屋根・サッシ・設備などを一新、屋根や外壁に断熱材を補強するなどし、居住性を高めている。

設備の進化を活かしながら、ひとりひとりが「自衛」する

災害は、いつ起こるか分からない。各自治体等でもさまざまな準備が行われており、日々進化している。一方で、どれだけ進化しても、やはり一番重要なのはひとりひとりの自衛意識だ。
住宅・設備メーカーでも、震災の教訓を活かし、災害に強い商品が日々開発されている。各自治体の災害対策について知ると同時に、自身の住まいを選ぶ際には、そうした設備や地区の情報を調べながら、必要な備えをぜひ、行ってほしい。

●取材協力
熊本県
東京都
LIXIL

人口1000人の限界集落に「未来コンビニ」! “世界一美しいコンビニ”が徳島・木頭を変える?

人口約1000人の山間地域の村、徳島県那賀町木頭地区に、昨年4月誕生した「未来コンビニ」。
「未来」といっても最新技術を駆使したコンビニ、という意味ではなく、「未来を担う子どもたちのために」という想いから名付けられたもの。過疎化が進み、買い物難民が社会問題とされている地方の試みとして注目されている。今回は、誕生した経緯とともに、新たなコミュニティの場として動き出した、その後についてインタビューした。

名前の由来は、未来を担う子どもたちのための場でありたい想いから

徳島県と高知県をつなぐ国道195号を車で走っていると、突如現れる、スタイリッシュな建物。それが「未来コンビニ」だ。その存在を知らない人は、夜の暗闇に突如現れる光り輝く近未来な建物に驚くことだろう。

“世界一美しいコンビニ”のキャッチフレーズに違わぬ外観。自然の中にたたずむモダンなコントラストが美しい。オープン後、訪れる人々の口コミやSNSの拡散で、徐々に知名度を上げている(写真提供/ワキ・タイラー)

“世界一美しいコンビニ”のキャッチフレーズに違わぬ外観。自然の中にたたずむモダンなコントラストが美しい。オープン後、訪れる人々の口コミやSNSの拡散で、徐々に知名度を上げている(写真提供/ワキ・タイラー)

誕生したのは1年前。最寄りのコンビニまで車で1時間もかかるという地域に暮らす人々の、利便性を向上させる目的で生まれたもの。

徳島市と高知市の市街地からそれぞれ車で2時間程度の木頭地区。剣山など標高1000mを超える山々に囲まれ、村の中心に那賀川の清流が流れる。 この神々しい日本の原風景の魅力は、いつしか“四国のチベット”とも表現されるようになった(写真提供/ワキ・タイラー)

徳島市と高知市の市街地からそれぞれ車で2時間程度の木頭地区。剣山など標高1000mを超える山々に囲まれ、村の中心に那賀川の清流が流れる。 この神々しい日本の原風景の魅力は、いつしか“四国のチベット”とも表現されるようになった(写真提供/ワキ・タイラー)

左/定番のソフトクリームにゆず塩をかけて。右/ご近所で育てているミントをカフェメニューに(写真提供/未来コンビニ)

左/定番のソフトクリームにゆず塩をかけて。右/ご近所で育てているミントをカフェメニューに(写真提供/未来コンビニ)

「単に買い物をするだけでなく、子どもたちが自然と集まり、何かしらの刺激を受け、自分の将来への気づきを与えられる場所がコンセプトなんです。子どもたちは未来を担う“宝”ですから」(KITO DESIGN HOLDINGS 経営企画室長 仁木基裕さん)
例えば、本棚では、過疎地では手に入りにくい雑誌、小説、漫画、アート本、小説などを取りそろえたり、大きなモニターで子ども向けのオンラインイベントをしたり、海を知らない子どもたちに、周辺の海辺の町との交流会を行ったり……。「木頭地区の小中学生は約30人。ともすれば、赤ちゃんの時からずっと同じ顔触れなんです。だけど、この場ができることで、さまざまな経験ができていると思います」

子どもや高齢者が商品を手に取りやすいよう、商品棚は低めに設定。木頭ゆずのオリジナル商品も販売(写真提供/ワキ・タイラー)

子どもや高齢者が商品を手に取りやすいよう、商品棚は低めに設定。木頭ゆずのオリジナル商品も販売(写真提供/ワキ・タイラー)

図書館のように自由に手に取ることができる、クリエイティブな本棚を設置。店内で絵本の読み聞かせもできる。これも“本との出会いは子どもたちの将来の道しるべのひとつになる”という考えから(写真提供/未来コンビニ)

図書館のように自由に手に取ることができる、クリエイティブな本棚を設置。店内で絵本の読み聞かせもできる。これも“本との出会いは子どもたちの将来の道しるべのひとつになる”という考えから(写真提供/未来コンビニ)

海沿いの徳島県牟岐町との交流イベント「木頭に海がやってきた!」。徳島県は海沿いと山間地域では環境もまったく違うので、お互いの地元を知ろうということから企画されたもの(写真提供/未来コンビニ)

海沿いの徳島県牟岐町との交流イベント「木頭に海がやってきた!」。徳島県は海沿いと山間地域では環境もまったく違うので、お互いの地元を知ろうということから企画されたもの(写真提供/未来コンビニ)

森の中のインパクトあるデザインで、日本中、世界中に拡散される

この未来コンビニは、地域住民の暮らしを支えると同時に、遠方からのゲストも楽しめる交流の場だ。
秋にはすぐ近くの紅葉の名所「高の瀬峡」を訪れる観光客でにぎわい、コンビニ利用者は1日最大400人に。人口約1000人の村に、だ。これまでは国道を素通りするだけだった木頭地区に、この未来コンビニができることで、足を止める観光客が増え、名産の木頭ゆずの知名度もアップ。大きな経済効果を生んでいる。

(写真提供/ワキ・タイラー)

(写真提供/ワキ・タイラー)

名産の木頭ゆず(写真提供/黄金の村)

名産の木頭ゆず(写真提供/黄金の村)

「誰もが足を止める。そのためにはデザインワークも大切でした。木頭ゆずを思わせるイエロー。Y字型の幾何学的なデザインの柱は、ゆずの果樹がモチーフです。山の中というロケーションもあいまって、SNSで発信をしてくださる方も多いんです」(仁木さん)

内装デザイン、店名のフォント、ロゴデザインすべてのデザインがモダンで洒落ている。一方、「自然との共生」をコンセプトに、建物の周りに土に還ることのできる樹皮チップが敷き詰められるなど、サステナブルな設計に(写真提供/未来コンビニ)

内装デザイン、店名のフォント、ロゴデザインすべてのデザインがモダンで洒落ている。一方、「自然との共生」をコンセプトに、建物の周りに土に還ることのできる樹皮チップが敷き詰められるなど、サステナブルな設計に(写真提供/未来コンビニ)

SNS投稿する人も多数(写真提供/未来コンビニ)

SNS投稿する人も多数(写真提供/未来コンビニ)

実業家の“故郷への恩返し”から始まったもの

そもそもこの未来コンビニは、“すべての人が笑顔になれる、奇跡の村を創る”、そのために“木頭を世界へ向けてデザイン・発信する”をミッションとするKITO DESIGN HOLDINGS株式会社の取り組みのひとつだ。ほかにも、3年前には元村営のキャンプ場をフルリノベーションして生まれ変わらせた「山の中のリゾート CAMP PARK KITO」や、名産品の木頭ゆずの生産加工・販売・店舗展開をする「黄金の村」事業など、さまざまなプロジェクトを手掛けている。
スタート地点は、IT会社、株式会社メディアドゥ代表の藤田恭嗣氏(KITO DESIGN HOLDINGSの代表も兼任)が、出身地である木頭地区に、恩返しをしようと始めたもの。
「寄付という形ではお金を出して終わり。地域が自立して、経済が循環していかないと意味はないんです。初期投資と最初のコンセプトワークをパッケージ化できれば、全国の同じように過疎化・高齢化に悩む地方でも、民間のチカラで同じように地方を盛り上げることが可能なんじゃないかと考えています。限界集落と呼ばれるこの小さな村に、そういった動きを導く場所があるんだという驚き、物語は、その証明になるはず。未来コンビニというフィールドを通して、ネットでもリアルでも世界とつながることができる、そこに存在意義があると思っています」(グループ執行役員 堀新さん)

未来コンビニを含む木頭プロジェクトで移住者も増加中

実際、木頭ではプロジェクトをきっかけに移住者も増えている。

現在、未来コンビニの店長である小畑賀史さん自身も、徳島県徳島市からの移住者。長年関西のカフェでバリスタとして働き、2年前に出身地である徳島市にUターン。「徳島でも、百貨店撤退など地方経済の落ち込みを目の当たりにしました。地元である徳島県が元気になるにはどうしたらいいかを考えたとき、徳島の中でも地方と呼ばれる地域の盛り上がりが不可欠だと感じました。神山や上勝をはじめ徳島の地方の取り組みを調べていく過程で木頭のプロジェクトを知り、他の地域よりもっとハンディのある場所だからこそ、ここを元気にすることが出来たら面白いと思い木頭にやってきました」(小畑さん)

小畑さん(写真提供/未来コンビニ)

小畑さん(写真提供/未来コンビニ)

カフェでの経験を活かし、小畑さんはカフェメニューも開発(写真提供/未来コンビニ)

カフェでの経験を活かし、小畑さんはカフェメニューも開発(写真提供/未来コンビニ)

一方、地元の特産品「木頭ゆず」の栽培・加工・販売を手掛ける関連会社、株式会社黄金の村で営業部長として働く岡田敬吾さんは、木頭地区出身のUターン者だ。
「私が子どものころは、将来は木頭を出ていくのが普通でした。私は、いつか地元に戻りたいと思っていたけれど、このKITO DESIGN HOLDINGSの取り組みがなければ、たぶん戻ってこれなかったと思います。その点、今の木頭の子どもたちは、違うんですよ。木頭での取り組みを通じて親以外のさまざまな職種の大人を目の当たりにすることで、とても刺激を受けているようです。それこそ代表の藤田のような木頭出身の上場企業の創業経営者という存在と触れ合って身近に感じることも、私の子ども時代ではまずないことでしたから」(岡田さん)

高校まで那賀町木頭で過ごした後、大阪や東京で音楽・IT関係の仕事をしていた岡田さん。2年前に木頭に家を建て家族で移住した(写真提供/黄金の村)

高校まで那賀町木頭で過ごした後、大阪や東京で音楽・IT関係の仕事をしていた岡田さん。2年前に木頭に家を建て家族で移住した(写真提供/黄金の村)

また、ノルウェー出身の音楽クリエイターのAlrik Fallet(アルリック・ファレット)さんは1年前に移り住み、木頭の村の美しさや文化に日々刺激を受けながら制作活動に打ち込んでいる。
アルリックさんは、未来コンビニへ朝コーヒーを飲みに行ったり、ワーキングスペースとして活用したりしている。「地元の人同士がおしゃべりしているのを見ているのが好きです。地元のおじいちゃんやおばあちゃんは、すごく気軽に話しかけてくれるのも素敵だと思っています。今後は自分自身もこのスペースを使って、子ども達になにかクリエイティブなことを教えたりできたらいいですね」(アルリックさん)

未来コンビニ内にある「YUZU CAFÉ」で仕事をすることも多いアルリックさん。友人のアメリカ人クリエイターに誘われた夏休みの日本旅行の途中で木頭を訪れたことが移住のきっかけ。また、未来コンビニのモニターで流れている映像の音楽は全てアルリックさんによるものだ(写真提供/未来コンビニ)

未来コンビニ内にある「YUZU CAFÉ」で仕事をすることも多いアルリックさん。友人のアメリカ人クリエイターに誘われた夏休みの日本旅行の途中で木頭を訪れたことが移住のきっかけ。また、未来コンビニのモニターで流れている映像の音楽は全てアルリックさんによるものだ(写真提供/未来コンビニ)

地域住民と創る。かけがえのない集いの場所へと発展

未来コンビニが誕生して1年。オープン当初こそ、地元の人も様子を見ながらという雰囲気だったが、徐々に毎朝来てくれるようになったり、休憩に顔を出してくれたりするように。
地元農家さんの野菜直売マルシェを設置し、毎週火曜日は鮮魚の日、金曜日は精肉の日と、通常のコンビニでは扱わない商品も展開し、今では地域住民にとってなくてはならない生活インフラや社交場になっている。

木頭の農家さんから商品を仕入れる「きとうマルシェ」も定期的に開催。山間にある村だけあり鮮魚は人気が高く、現在は予約制(写真提供/未来コンビニ)

木頭の農家さんから商品を仕入れる「きとうマルシェ」も定期的に開催。山間にある村だけあり鮮魚は人気が高く、現在は予約制(写真提供/未来コンビニ)

「驚いたのは、積雪の日に雪かきを地域の方々が手伝ってくれたこと。雪に不慣れな移住者のスタッフも多く、みなさんが助けてくれなかったら、大変なことになったでしょう。台風の日は看板が飛ばされないよう、ブロックを持ってきてくださいました。みなさん、自分たちの場所だと大切にしてくださっているんだなとうれしかったです」(仁木さん)

積雪の日の雪かきは大変。クリスマスのモミの木も地元の方が山から伐採してきてくれたもの(写真提供/未来コンビニ)

積雪の日の雪かきは大変。クリスマスのモミの木も地元の方が山から伐採してきてくれたもの(写真提供/未来コンビニ)

今後は、なかなか買い物が難しい高齢者のために移動販売や宅配事業を行ったり、子どもたちに向けてクリエイティブな学びの場をもっと提供するなど、新たなアイデアが次々と生まれているという、未来コンビニ。

今はお祭りや宴会の開催も難しく、一日誰とも会わない・話さないという高齢者は多いはず。木頭でも夏の風物詩「木頭杉一本乗り大会」や、八幡神社の秋祭りなど、毎年地域総出で行っていたイベントも昨年は中止となった。しかし、このような”場“があることで、昔馴染みに偶然出会っておしゃべりしたり、スタッフと笑いあったりする一日になる。この点でも、未来コンビニの存在感は大きいといえるだろう。

買い物ついでにおしゃべり。誰もが足を運ぶ場なら自然と交流の場に。家にいる時間が長い今だからこそ、こうした場は大切だ(写真提供/未来コンビニ)

買い物ついでにおしゃべり。誰もが足を運ぶ場なら自然と交流の場に。家にいる時間が長い今だからこそ、こうした場は大切だ(写真提供/未来コンビニ)

●取材協力
未来コンビニ
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「親以外から生き方学べる場所を」。稲村ヶ崎を地域で子育てするまちに

江ノ島電鉄の「稲村ヶ崎駅」目の前にある「IMAICHI」(神奈川県鎌倉市)は、60年近く続いた駅前のスーパーマーケット跡地に2019年にできたコミュニティスペースだ。憧れの移住地としても注目される鎌倉市だが、少子高齢化問題や商店街の衰退などの難しさを抱える地域もある。地元の老舗幼稚園の次期園長である河井めぐみさんと、夫で造園業を営む亜一郎さんは、「子どもを守ってくれる地域づくりをしたい」と、異業種の世界に飛び込んだ。
地元のスーパーが、生き残りではなく生まれ変わりを選んだ

鎌倉駅から江ノ電で11分の場所にある稲村ヶ崎は、緑に囲まれた海辺の閑静な住宅地だ。サザンオールスターズの桑田佳祐さんが監督した映画『稲村ジェーン』の舞台となった場所としても知られる。人口3000人ほどが住んでおり、数世代前からこの地で生活を続けている人も多い。

「スーパー今市」は、そんな地域で60年間商いをしてきた。戦前・戦後は魚商だったが、地域のニーズに合わせて生鮮食料品から生活雑貨まで幅広い商品を扱うようになり今に至る。しかし、近所に大きなチェーンスーパーができたり、ネットショッピングが台頭する中で、小売業の競争はますます厳しくなり、2018年に注文を受けた分だけ仕入れて販売するという「御用聞き」の仕事に専念することに。19代目となる現在の店主の今子博之さんは、駅前の店舗を閉め、事業規模を縮小することに決めた。

まさに、稲村ヶ崎駅の目の前(写真提供/IMAICHI)

まさに、稲村ヶ崎駅の目の前(写真提供/IMAICHI)

「スーパーという形でなくてもいいから、誰か店舗を引き継いでくれる人はいないだろうか」

今市さんが相談した相手が、この街で長年幼稚園を営んでいる聖路加幼稚園の次期園長である河井めぐみさんだった。今市さんのお子さんとめぐみさんの弟さんが幼稚園の同級生だったことから、同じ地域に長年住む者として、家族ぐるみの付き合いをしていた。

思い当たる人たちに声を掛けてみたものの、地域の人以外は集まりにくいこの場所を借り受けたいという人はなかなか現れなかった。そんな時、めぐみさんの夫・亜一郎さんの「それなら自分たちで何かやってみようじゃないか」というひと言で、この空間を引き継ぐことに決めたという。

河井さん夫妻は、めぐみさんの故郷である稲村ヶ崎で2人のお子さんの子育て真っ最中(写真提供/河井めぐみさん)

河井さん夫妻は、めぐみさんの故郷である稲村ヶ崎で2人のお子さんの子育て真っ最中(写真提供/河井めぐみさん)

多目的なスペースだから地域の実情やニーズが見えてくる

河井さん夫妻は、改めて「スーパー今市」の存在意義を考えたとき、“日用品の買い物をする場所”という以上に、地域の中での存在感の大きさに気づいたという。駅前の店ゆえに、駅を利用する際に買い物ついでに立ち寄って、接客のため店頭に出ている奥さんと長々とお喋りしている人や、海側にしかないコンビニの代わりに、駅前立地の便利さから、食料品から生活雑貨を買っていく若者までが訪れた。

「店番しているおばあちゃん(現店主のお母さん)の顔を見て、外出先から稲村に帰ってきたと感じていた」とめぐみさんは話す。

こうしたことから、利用客を制限しがちな専門的なお稽古ごとの教室やお店にせず、誰でも立ち寄りやすい場所という「スーパー今市」の存在意義を引き継げる、誰でも利用可能な環境にしたいと、多目的に活用できる「コミュニティスペース」にたどり着いた。利用目的の制限をしないことで、幼稚園との連携や、そこで学んできたことを相互に活かせるのではないかと考えたという。

例えば、「ねいばぁず」というプログラムもその一つ。もともとは、地域のお母さんたちが稲村ヶ崎自治会館で、鎌倉市から補助を受けて運営していたプログラムを、IMAICHIで開催することになった。プログラムの内容は、野菜ハンコ制作やクリスマスリースづくりなど。

参加対象を、親子連れに限らず「近隣の住民」なら誰でもOKとすることで、地元のシニアたちへも参加を呼びかけているという。地域の交流の場所になるように、という思いでつくられたこの場所だからこそ、多くの人に参加を促すことができる。また月2回開かれている古典ヨガ教室には、年齢も性別もさまざまな人が参加しているという。

月に2回、月曜に開かれている古典ヨガ教室の様子(写真提供/IMAICHI)

月に2回、月曜に開かれている古典ヨガ教室の様子(写真提供/IMAICHI)

また、稲村ヶ崎町内には遊具のある公園がないうえ、スポーツ系のお稽古先も選択肢が少ない。こうした背景から“身体を動かせる場所”をつくりたいと考えた河井さん夫妻は、店内にボルダリングウォールを設置した。設置費用にかかった300万円の一部は、クラウドファンディングを利用した。

ボルダリングウォールは子どもから大人までゲーム感覚で挑戦できる(写真提供/IMAICHI)

ボルダリングウォールは子どもから大人までゲーム感覚で挑戦できる(写真提供/IMAICHI)

とはいえ、まだまだ完成形ではない。多目的スペースだからこそ、地域のニーズが見えてくると考えている。そのなかで、少しずつ形を変え、より地域に寄り添えるようになればいい。「私自身、この地域で幼稚園をやっていく上でもこのIMAICHIを通じて地域の実情やニーズなどを知ることができることは役立っています。IMAICHIでの知見を生かして、地域の幼稚園として子育て環境を充実させていきたいですね」とめぐみさんは話す。

まちの人のニーズを受けて、体験学習教室を開催

IMAICHIを通じて、幼稚園という垣根を越えて地域と交流するようになっためぐみさんが始めた活動の一つに、「体験学習教室」がある。昨年9月に開始したこの活動は、地域の幼稚園児や小学生の「学童保育」に当たる活動で、年齢の違う子どもたちが一緒になり、先生と一緒に町に出てさまざまな体験をする。例えば、地域の商店を訪れ、店主などに話を聞いた情報をもとに子どもたちと一緒に稲村ヶ崎の地図やガチャガチャゲームづくりをするといった活動だ。

(写真提供/IMAICHI)

(写真提供/IMAICHI)

(写真提供/IMAICHI)

(写真提供/IMAICHI)

「今の子どもたちは、親以外の大人に何かを教えてもらうという経験値が乏しい子が多い。仕事などで忙しい親たちの代わりに、愛情を注いでくれる大人は地域にもたくさんいることを感じて欲しい」とめぐみさん。また、子どもとの遊び方が分からないと話す親が増えるなか、こうした体験学習を通じて、大人が子どものやりたいという気持ちを汲み取ることができれば、自宅でも子どもたちがリードする形で、親子の活動にも広がりができるに違いない。

子どもたちと海に行き、磯遊びをすることも体験教室の一環(写真提供/IMAICHI)

子どもたちと海に行き、磯遊びをすることも体験教室の一環(写真提供/IMAICHI)

この活動を通じて町内を出歩くようになったことで、「これまで直接話しをしたことがなかった大人である町の商店の人たちにも、子どもたちが積極的に話しかけるようになった」と話すめぐみさん。

「子どもたちの“やりたい!”をとにかく手助けすることが私の役目。先日は、稲村ヶ崎の情報番組をつくりたいと意気込み、iPad片手に商店街に飛び出して行く小学生を見守りました。私はこの教室を通じて、むしろ子どもたちから学ぶことも多い。大人としては一人の子どもの失敗に対して思わず責めてしまいそうになるシーンでも、子どもたちは誰も責めず、笑ってのける。そんな関係を、IMAICHIを通じて地域の中で築けていきたいですね」と続ける。

地域のハブとしてできること

町の商店が徐々になくなっていく中で、地域住民同士の交流も次第にか細くなっていく傾向は否めない。そんななか「IMAICHI」を通じて子どもが地域の大人と交わる機会をつくろうと奮闘している。こうした活動が広まれば、この地域がより「住みやすいエリア」になっていくだろうと河井さん夫妻は話す。

「夜に電車で帰宅して、稲村ヶ崎に降り立ったら、駅前のIMAICHIにこうこうと電気がついていてホッとした」と立ち寄ってくれた住民がいる、と話すめぐみさん。経営は楽ではないが、この場所からはまだ多くの何かもっとできることがあるように感じているそうだ。

 店内からは、到着する江ノ電が見える(写真提供/IMAICHI)

店内からは、到着する江ノ電が見える(写真提供/IMAICHI)

昨年11月には、地域住民からのリクエストもあり、コーワーキングスペースとしてデスクの設置やWi-Fiを完備させたという。子どもと一緒にリモートワークのために訪れた人は、「子どもも自分も充実した時間が過ごせた」と喜んでいたとのこと。こうしたサービスの導入で、「今後は町を訪れる観光客やリモートワークの滞在者などにも利用してもらいたい」とめぐみさん。過疎化や高齢化が進む稲村ヶ崎の住民として、この地を気に入り、移り住みたいと思う人がもっと増えてほしいという思いもあるという。

こうしたIMAICHIの現在の様子を、スーパー今市の店主だった今子さんは「駅前の立地で子どもが出入りする場所になるのは、地域にとってとても良いことだと思う。安心できる場所、頼れる場所にしてもらえてうれしい」と話す。

「地域が見守ることで、子どもたちが安心して暮らせる街になれば」と河井さん夫妻は思いを馳せる。商店街や地元のお店が元気を失うなかで、IMAICHIという場所が、地域上の役割はそのままに、時代にあわせた新しい価値を与えらえたことで、今後稲村ヶ崎の活気を生む原動力になっていけることを願う。

●取材協力
IMAICHI

東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング発表!選ばれる場所のポイントは「身近さ」と「住むイメージのつきやすさ」

リクルート住まいカンパニーが「移住」「二拠点居住」に焦点を当てて、その大票田となる東京都在住者に対して、どのエリアに拠点を持ちたいかを聞いた。票を集めたエリアをランキングした結果、意外に近いエリアがトップになった。詳しく見ていこう。【今週の住活トピック】
「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」を公表/リクルート住まいカンパニー【東京都】八王子・奥多摩エリア と【神奈川県】鎌倉・三浦エリアが2トップ

東京一極集中が指摘されるなか、新型コロナウイルスの影響で東京都からの転出超過が続いている。また、働き方の変革が急速に進み、テレワークを導入する企業が増えたことで、地方への「移住」や都心と地方の二地域に拠点を持って行き来する「二拠点居住」がしやすくなり、いま注目が集まっている。

リクルート住まいカンパニーの調査では、東京駅から50km以上離れたエリアを「地方」と定義して、東京都在住の20代~60代に居住したいエリアを聞き、希望する順位に応じた得点を算出して、ランキングした。その結果は次のようになった。

「移住したい」エリアランキング 上位10

「二拠点居住したい」エリアランキング 上位10

「移住したい」「二拠点居住したい」エリアランキング 上位10(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

「移住したい」「二拠点居住したい」ランキングでは、順位は異なるが、「【東京都】八王子・奥多摩エリア」 と「【神奈川県】鎌倉・三浦エリア」が1位と2位になった。いずれも首都圏のエリアだ。

3位以降は顔ぶれが少し変わり、「移住したい」ランキングでは、3位「【北海道】石狩エリア」、4位「【沖縄県】離島・諸島エリア」 、5位「【福岡県】福岡エリア」といずれも東京から離れたエリアとなった。

一方、「二拠点居住したい」ランキングでは、3位「【神奈川県】湘南エリア」、4位「【静岡県】伊豆エリア」と東京から行き来しやすい距離のエリアが続き 、5位の「【沖縄県】那覇エリア」以降に遠方のエリアが入る結果となった。移住と違って、二拠点居住のほうが東京と行き来する頻度が多くなるからだろう。

さて、移住支援などを行っている「ふるさと回帰支援センター」への窓口相談者が選んだ移住希望地ランキング(2021年3月5日公表)では、「1位:静岡県 2位:山梨県 3位:長野県」となっている。調査対象者が同センターを訪れて相談をした人なので、積極的に情報提供や窓口相談を行っている自治体が上位に挙がる傾向がある。

そのため、リクルート住まいカンパニーの調査と結果に違いはあるが、リクルート住まいカンパニーの調査でも、静岡県の伊豆エリアの人気が高いことに加え、「移住したい」ランキングで18位~20位は長野県のエリアが占め、「二拠点居住したい」ランキングで7位と18位に長野県と山梨県のエリアが入るなど、その人気ぶりがうかがえる。

都民に身近な八王子・奥多摩エリアが人気なのはなぜ?

さて、筆者は東京生まれ・東京育ちのバリバリの東京都民だ。「都民の日」の10月1日は全国どこでも学校が休みだと思っていて、大学に入学して休みじゃないことに驚いたほどだ(小中高が公立だったので休みなだけだった)。そんな筆者にとって「八王子・奥多摩エリア」は、通勤圏の範囲でもあり、遠足やキャンプに行く場所でもある。そんな身近な場所が、移住や二拠点居住の場所として上位になるのはなぜか、筆者は疑問に思った。

この疑問をSUUMO副編集長の笠松美香さんにぶつけたところ、その謎が解明された。
SUUMOでは、2019年のトレンド予測キーワードとして「デュアラー=デュアルライフ(二拠点生活)を楽しむ人」を挙げた。この際の調査で、全国を対象に二拠点居住したい場所を選んでもらったところ、おおむね6割~7割が自分の住む都道府県を挙げた。この結果を笠松さんは、「近くて愛着があり、イメージしやすい場所に二拠点目を持って行き来したいというニーズが強いのではないか」と分析したという。

また、今回の調査では、「地方移住または二拠点居住を検討している・強い関心がある」層と「関心あり」層が対象になるように調査対象者を絞っているため、なんとなくというより、具体的に移住先や二拠点目を考えてエリアを選択した人が多いという背景もある。

その結果、住むイメージがつきやすいエリア、家族が住んでいたりレジャーなどで何度も行ったりしたエリアが上位に挙がったというのだ。「八王子・奥多摩エリア」や「鎌倉・三浦エリア」、「湘南エリア」、「伊豆エリア」はまさにそうしたエリアなのだろう。

ほかにも、遠方でありながら、札幌を擁する「【北海道】 石狩エリア」や「【福岡県】 福岡エリア」などの地方の大都市や、「【沖縄県】 離島・諸島エリア」などの人気リゾートエリアが上位に入るのも理解できる結果だ。

レーダーチャートで分かる、エリアが人気な理由

さて、調査では地図を示すなどして具体的な自治体名を挙げているが、「八王子・多摩エリア」に含まれるのは「八王子市、青梅市、あきる野市、日の出町、奥多摩町、檜原村」だ。またリリースでは上位エリアのレーダーチャートを紹介している。これを見ると、そのエリアがどう見られたかがよく分かる。

「八王子・多摩エリア」では、車の移動がしやすく、住居費が安いこと、子育て環境が良いことが高く評価されている。高尾山や秋川渓谷、奥多摩湖などの豊かな自然が評価を上げる要因のようだ。都心部に行きやすい点も安心材料になっているのではないか。

【東京都】八王子・奥多摩エリア(八王子市、青梅市、あきる野市、日の出町、奥多摩町、檜原村)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

【東京都】八王子・奥多摩エリア(八王子市、青梅市、あきる野市、日の出町、奥多摩町、檜原村)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

一方、古都鎌倉や海のイメージが強い「鎌倉・三浦エリア」のレーダーチャートを見ると、「エリア内に賑わいがある街がある」点が特出して高い。エリアのイメージの良さや街に個性があることが人気を集めた要因だ。

【神奈川県】鎌倉・三浦エリア(鎌倉市、逗子市、横須賀市、三浦市、葉山町)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

【神奈川県】鎌倉・三浦エリア(鎌倉市、逗子市、横須賀市、三浦市、葉山町)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

さらに、「【沖縄県】 離島・諸島エリア」では、自然の豊かさが高く評価され、「【北海道】 石狩エリア(札幌市、江別市、千歳市、恵庭市、北広島市、石狩市、当別町、新篠津村)」では、医療施設の充実と食べ物がおいしいことなどが、「【静岡県】 伊豆エリア」では、気候の穏やかさやエリアの発展性などが、それぞれ高く評価されている。

60代の1位は「【静岡県】伊豆エリア」。リタイア後にはリゾート地が人気

次に、回答者の年代による違いを見ていこう。

20代、30代、40代、50代が「移住・二拠点居住したいエリアランキング」で1位と2位に「【東京都】八王子・奥多摩エリア」 と「【神奈川県】鎌倉・三浦エリア」を挙げたのに対して、60代では「【静岡県】伊豆エリア」、2位「【神奈川県】鎌倉・三浦エリア」、3位「【神奈川県】箱根・足柄エリア」と、静岡県・神奈川県のリゾート・温泉地が上位を占めた。リタイア後の生活を想定して選んだ場合、八王子・奥多摩ほど近くなくていいが、東京近郊でリラックスできる場所を選んだということだろう。

さて、笠松副編集長は、移住・二拠点居住の「子育て環境が良いから」ランキングにも注目していた。1位「【栃木県】宇都宮エリア」、2位「【香川県】高松エリア」など、適度に都市圏で生活と教育環境のバランスが取れている街が上位になったと言う。テレワークの普及で親たちの働く場所の自由度は広がったが、次は子どもの学ぶ場所の自由度が広がることを期待したい。

顔見知りになることで孤立・孤独をなくす防災を。渋谷でつながりの輪広がる【わがまち防災4】

2011年の東日本大震災、いわゆる「3・11」からちょうど10年。各地域で防災への関心が高まり、取り組まれるようになった。いま「地域の防災」はどうなっているのだろうか。
第4回にご紹介するのは、東京都渋谷区の「渋谷おとなりサンデー」。2017年から毎年6月を中心に開催される交流機会で、“ふだん話す機会の少ない近隣の人ともっと顔見知りになる”ことを目的にしている。こうした地域コミュニティの活性化は防災時にも役立つだろう。

世界で約800万人が参加するパリ発の「隣人祭り」

ヒントにしたのは1999年にパリで始まった「隣人祭り」。高齢者の孤独死を防ぐために住民たちがアパートの中庭に集まり、ワインやチーズを持ち寄って交流するというものだ。現在ではヨーロッパ29カ国、約800万人が参加する市民運動となっている。

渋谷区役所・区民部地域振興課の山口啓明さん(53歳)は言う。
「渋谷版の『隣人祭り』を開催しようと発案したのは現・長谷部健区長。渋谷区議時代から地域のいろんなコミュニティで“仲間を増やしたい”という共通課題があることを感じていたなかで、パリの『隣人祭り』を知り、地域内で交流の輪を広げる機会として導入したようです」

他の都心部のまちと同様、渋谷区も人口・世帯数が増加する一方で核家族化が進んでいる。転入者の多くは20代~40代で、そのほとんどが集合住宅(賃貸マンション・アパート)で暮らす。

(出典:東京都監察医務院で取り扱った自宅住居で亡くなった単身世帯の者の統計)

出典:東京都監察医務院で取り扱った自宅住居で亡くなった単身世帯の者の統計

いわば、周囲との繋がりがない状況で、結果として「家と会社との往復だけで身近に知り合いがいない若者」や「周りに相談できる知り合いがおらず、子育てに悩む夫婦」のような人々が増えているという。
「『渋谷おとなりサンデー』は、孤独死という悲しい出来事が起きる前段階の、孤独・孤立している人、もしくは孤独・孤立のリスクの高い人に向けて、まずは“誰かと知り合うきっかけを提供する”ことを目的に実施しています」(山口さん)

非常食のリゾットを食べながら防災について学ぶ

初年度は、6月第一日曜日にカフェでボードゲーム、公園でピクニック、オフィス前の道路でチョークアート、地域の清掃活動など、区内の39カ所で交流機会が開かれた。その後、年を経るごとに交流機会の数は増えている。

(写真提供/ファイヤー通りバーチャル町会)

(写真提供/ファイヤー通りバーチャル町会)

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

防災面では、東京消防庁や陸上自衛隊の協力のもとで災害体験や消化体験などをVRで体験できる「渋谷防災フェス」と連動する形で、「渋谷おとなりサンデー~防災編~」を開催。2019年度は非常食のリゾットを食べながら防災について学んだ。

(写真提供/渋谷区危機管理対策部防災課)

(写真提供/渋谷区危機管理対策部防災課)

しかし、2020年度は新型コロナウイルスの影響で人が集まるイベントは軒並み中止。代わりに、オンライン会議ツールZoomを通じて、子育て、高齢者福祉、グルメなどについての情報交換が行われた。

マルシェの開催を機に地域の飲食店を救う動きも

なお、渋谷区が主催するのは6月のみ。その他は「おとなりサンデー」の旗印さえ掲げれば誰でも自由に交流機会を主催できる。山口さんが強く印象に残っているのは、2019年度に開かれた「代々木深町フカマルシェ」だという。

(写真提供/代々木深町フカマルシェ実行委員会)

(写真提供/代々木深町フカマルシェ実行委員会)

「富ヶ谷の代々木深町小公園で、生産者とつながりを持つ地域のお店が出店し、住民が集うというマルシェで、子育て中の母親たちが『身近な地域でつながりをつくりたい』という思いから、地域のお店、子育てサークル、企業、町内会などに声をかけて実現した交流機会です」
渋谷区が行ったのは、企画内容の相談対応と、保健所や公園使用許可の申請サポートのみで、それ以外は主催者任せだ。

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

さらに、このマルシェの開催で“知り合いの輪“が広がり、コロナ禍で苦境に立たされている地域の飲食店を支えるための、代々木・富ヶ谷・上原エリアのテイクアウト・デリバリーMAPの立ち上げにもつながった。さまざまな意味で「渋谷おとなりサンデー」のモデルケースだと山口さんは振り返る。
「渋谷おとなりサンデーを実際に始めてみて、一番関心が高かったのが小さな子どもを持つ世帯。子育て世帯を中心に、いかに参加しやすい仕組みにしていくかが今後の課題ですね」

昨年末から長崎版「隣人祭り」もスタート

今年の6月はコロナを巡る状況を見ながら、リアルとオンライン両方の交流機会の開催を呼びかけるそうだ。いずれにせよ、集まって交流することがためらわれるなか、各地で「人とのつながりの希薄化」や「関係性の分断」が起きているのも事実。
「生活や子育ての悩みなどを誰にも相談できず、不安や孤独を感じる人がいる一方で、新しい生活様式に合わせて新たな活動を始める人もいます。『渋谷おとなりサンデー』では、コロナ禍におけるそのようなコミュニティ活動を引き続きサポートしていく予定です」
なお、今年で5年目を迎える「渋谷おとなりサンデー」だが、全国の自治体から問い合わせが来ている。その中のひとつ、長崎市では昨年から「ながさき井戸端パーティー」という長崎版「隣人祭り」を始めた。こうして、地域のコミュニティづくりのノウハウは広がっていく。
山口さんによれば、「渋谷区は意外と町内会の活動が盛んで、笹塚、初台、千駄ヶ谷あたりはイベントやお祭りがすごく盛り上がる」という。とくに千駄ヶ谷は商店街と町内会のタッグが強力で、オンラインで盆踊りを開催するなど、柔軟な思考でコロナ禍を乗り切ろうとしている。

(写真提供/千駄ヶ谷大通り商店街振興組合)

(写真提供/千駄ヶ谷大通り商店街振興組合)

渋谷区のような都心部はマンションに住む単身者や核家族が多く、人が孤立しやすいイメージがある。しかし、一方でつながりづくりへの感度も高いことが伝わってきた。どこに住んでいても、災害時に頼りになるのは“隣人”。自分が住む街でのつながりも、関わり方ひとつで見え方が変わってくるかもしれない。

●取材協力
渋谷区役所・区民部地域振興課

保育園の中に総菜屋さん!? 商店街みんなで子育て「そらのまちほいくえん」

新生活が始まる人も多い春。なかでも、産休や育休が明け、職場復帰を控えた園児の保護者は、期待と不安で胸がいっぱいなのではないだろうか。今回は、鹿児島県鹿児島市の繁華街・天文館の商店街にある、総菜店を併設した保育園「そらのまちほいくえん」の取り組みを紹介。「あったらいいな」を実現した保育園の副園長・柳元正広さんにお話を聞いた。
変化の時代を生き抜くために。根本の力を身につける保育園

総菜店が併設されたユニークな企業主導型保育園「そらのまちほいくえん」。どのような背景で立ち上げられたのだろうか。

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「『そらのまちほいくえん』は、今年3年目を迎えた保育園です。僕たちはその前に、霧島市で『ひより保育園』という保育園を立ち上げました。ここは郊外の自然豊かな地にあり、広い園庭でのびのびと園児たちが遊べる保育園です。食育などの取り組みでも注目され、首都圏からも視察に来る人がいました」

「ひより保育園」はいわゆる“のびのび系”の園。給食には地域の農家の野菜を使い、おやつも手づくり。広い園庭があるほか、高齢者施設も隣接しており、幼少期に親以外の多くの大人と関わることができる。園児は包丁を握って料理し、お客さんをもてなすこともある。

「視察をした人たちからは度々、『理想的だけれど、この場所だからできることだよね』という声が聞こえてきました。でも僕たちは、『この場所じゃなくてもその土地ならではのやりかたで人が育つ園がつくれるはずだ』と思っていました。だから都市部に『そらのまちほいくえん』をつくることは、自分たちにとってもチャレンジだったのです」

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

両保育園は、「保育業界の外にいた人が同じ考えに共鳴し合い、集まってつくった」という園だ。柳元さん自身も以前は関西で小売業をしていて、そらのまちほいくえんの立ち上げで鹿児島にUターンしてきた。

「仲間には、ビジネスの世界で活躍していた人もいれば、新卒者向けのコンサルタントをしていた人もいます。今は変化が求められている時代。生きにくさや閉塞感を感じる人が多く存在します。コンサルタントをしていた仲間は、『働くことの意味が分からない』という若者の声を耳にしました。現代社会が抱える問題を、自分たちでどう変えていくかを考えたときに、会社の前に大学があり、高校、中学校、小学校、そして幼児期がある。0歳から5歳までの時期に、人としてしっかり生きる力を身につけるという、根本が大事なんじゃないかという思いがあって、これに対する一つの方法が、保育園をつくるというものでした」

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の立ち上げで、人と街へ2つの問題解決

天文館という都市部の商店街に保育園をつくるにあたり、柳元さんたちは、大きく2つの目標を定めた。
「1つは、都市部でも郊外と同じように、現代の子どもたちがこれからの社会を生き抜いていく力を育むこと。もう1つは、今寂しい状況にある地方都市の商店街に、にぎわいを呼び戻すということです。保育園が起点となった街づくりができないかと考えました」

柳元さんたちは、「幼少期に、親以外の大人とどれほど多く、どれほど深く関われたかということは、その子の人生に大きな影響を与える。地域の人たちと日常的に交流することで、より充実した園生活を送ることができる」と考えている。

そんなそらのまちほいくえんの特色の一つが、総菜店が併設されているという点だ。

仕事帰りに保育園へ子どもを迎えに行き、それから夕飯の準備のために、空腹の子どもを連れてスーパーへ行くのは、日々のことながら辛い。

「僕も小学生と年長児の父親ですし、子育て中のスタッフも多いです。これまで、保育園へ迎えに行った帰り、その場でお総菜が買えたら便利だなと考えることがよくありました。時間がなく疲れているからといって、毎回スーパーやコンビニでお弁当を買うのは子どもに対して罪悪感がありました。保育園の食事と同じように、地元農家さんが育てた旬の野菜を使って、丁寧に調理したおかずやお弁当が買えたら安心なのではと考えました」

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

誰もが「罪悪感なく」買って帰ることができるお総菜を

3階建てのビルの1階から3階に入居している「そらのまちほいくえん」は、1階に入り口が2つあり、向かって右側が保育園、左側が「そらのまち総菜店」になっている。

ショーケースに並ぶのは、園の給食で出しているおかずもあれば、店頭オリジナルの総菜もある。近郊の農家による旬の野菜を豊富に使い、季節を感じられるラインアップだ。「見た目も楽しくなるように」と調理法もアイデアを凝らしているという。園児の親子にとっては、「これおいしいよ」という共通の話題もできるし、入園前の幼児を持つ近隣の保護者にとっては、園の給食の試食感覚で購入することもできる。

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

総菜は「春巻き」や「菜の花の入ったオムレツ」など、300円~600円の価格帯が常時12種類ほど。ほかに、650円~850円の価格帯のお弁当を4~5種類そろえている。園児に人気のメニューを聞いてみると、「今なら季節野菜の白和えですね」とのことだ。

「コロナ禍の影響もあって、お弁当を買う人は増えています。お昼は商店街にあるお店で店番をしている人が買いに来られることが多いです。『同じ釜の飯を食う』と言いますが、街の人と園児が同じものを食べているということには意味があると思います。また、園児の保護者の中にも、日常的にリピートしてくださる方がいて、やはり『園の帰りに子どもを別の場所に連れていかなくていいのが助かる』と喜ばれますね」という。保育士やスタッフも子育て世代なので、仕事が終わると総菜や野菜を購入して帰っていくそうだ。

「鹿児島の郷土料理である『がね』も好評です。これはサツマイモやニンジンなどのパリッとしたかき揚げで、昔はどの家でもつくられていた家庭料理ですが、今はつくる人が減っているようです」と柳元さん。
若い世代へ、地元に伝わる味や旬の豊かさを伝える役割も果たしている。

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

子育て世帯が行き来し、寂れかけた商店街に変化が

天文館商店街はどう変わったのだろうか。
「そらのまちほくえんは、元は本屋だった空きビルを使っていますが、柳元さんたちがこの場所に保育園をつくることを検討しはじめたころは、ここの前の通りは人通りがありませんでした。路面に10以上の空き店舗があって目立つような、寂しい通りだったんです。でもそこに、約50人の園児がいる保育園が入ることにより、朝夕、50組の子育て世帯が通ることになります。0から、少なくとも50×2往復の人通りが生まれたわけです。すると、そこをターゲットにしたお店もできてきます。今はほとんどのテナントが埋まっている状態になりました」

「周辺のお店の方から『人通りが増えて街に活気が出てきた』と喜ばれたり、『飲み屋が多く夜のイメージが強かったが、保育園ができてからは明るい昼のイメージに変わった』と言われたりすることも。地域の方に、『街が子どもを育てるとよく言うが、ここは子どもが街を育てているね』と言われたのはうれしかったですね」

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

街なかの保育園だから分かる「持たないことの豊かさ」

「豊かさってなんだろう」。保育園をつくるにあたり、柳元さんたちスタッフは改めて考えたという。

「郊外型の保育園であれば、自然の豊かさを感じることができる。でもそれだけじゃなくて、街には街の豊かさがあるはずです。さまざまな世代や立場の人と日常的に関わり、交流できることが、街の保育園で得られる豊かさなんじゃないかと考えました」

八百屋に花屋、団子屋、美容室……。園児たちが商店街を散歩すると、いろいろな店の人たちとのふれ合いが生まれる。かわいらしい園児たちの姿を見に、店先へ出てくる人も多い。

3年目を迎え、0歳で入園した子も3歳に。「みなさん、子どもたちに『大きくなったね。もう歩けるの?』などと声を掛けてくれます。核家族が増えた時代に、家族や同年代の子だけに関わるのと、日常的に商店街のいろんな世代の人たちと話すのとでは、関わる人の幅が全く違います」

食育の一環で子どもたちが料理をするために、子どもたち自身が保育士と買い物へ行き、店の人と話して、使用する野菜を選んで買うこともある。

「選んだジャガイモをマッシュポテトにするかコロッケにするかなど、どうやって食べるかも子どもたちが決めます」と柳元さん。ちなみに、こちらの園児たちは包丁で根菜を切り、火や油を使って玉子焼きを巻き、唐揚げも揚げる(!)。園児は年齢を問わず参加し、手掴みができる子なら、1歳前後からプチトマトを洗ったり、しめじをほぐしたりして役割をこなす。

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街のビルの中にある「そらのまちほいくえん」には園庭がない。
「街なかでは子どもが遊ぶところがないのでは?と言われることがあります。でも、近くには公園がいくつもあるので、『今日は芝生がきれいな公園に行こうか、それともジャングルジムで遊べる公園にしようか』と、子どもたちが話し合って行き先を決めます」

1番大事なのは、子どもたちが生きていく力を身につけることだと柳元さんは強調する。
「子どもたち自身が『今日は走りたいから広い公園に行こう』などと自分で考えて、自分で行動することができています。園庭を持たないからこそ、目的に合わせて行き先を選ぶことができる。持たないことの豊かさもあるんじゃないでしょうか」

子どもたちは、近くにある水族館まで歩いて、イルカのトレーニングの様子を見るのも大好きだという。
「これらも、街なかにある保育園の特権ですね。郊外型保育園ではなくても、子どもたちが色々な経験をすることはできます」と柳元さん。

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

地域交流が防犯や防災の役割も担う

商店街での交流が、地域の防犯や防災の面でも機能していると感じるという。
「子どもたちは商店街のみなさんと顔なじみなので、連れ去りなどの犯罪も未然に防ぐことができると思います。その子の様子が何か違うということは、街の人が普段の様子を知っているからこそ分かるものですから。
以前、火災報知器が誤作動で鳴ってしまったことがあるのですが、近所の人たちがタオルを持って駆けつけてくれました。体格のいいお兄さんが、子どもたちを抱っこしてすぐに避難させてくれて……。何事もなくホッとしましたが、あの時は、街の皆さんに守られているなと感じました」

園でも、地域の備蓄品として常温で長期保存できる焼き芋をストックしているほか、非常時に給食室で炊き出しができるようにと考えている。

「たくさんの方にお力を借りているので、私たちも地域に貢献したいと思っています」

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

今後は、保育園と関わる人や店舗に地域全体で子どもが育つ場をつくっていることが可視化できるステッカーなどのツールを配布し、街との関わりを見える化することで、より関係性を深めていきたいという。

また、いずれは系列の小学校や中学校の設立も視野に入れているそう。「そらのまちほいくえん」と同じように、軸はもちろん、子どもが生きる力を育むことだ。

「学校設立となるとハードルはグッと上がりますが、注目していただいている以上、応えていきたい。さまざまな方の知恵やお力を借りながら、実現に向けて動いていきたいですね」というから楽しみだ。

保育園へ迎えに行き、給食と同じお総菜を買って帰ることができるなんて理想的!
筆者も保育園児の母を経験した。仕事帰りの疲れた体で迎えに行くと、我が子の園では「今日の給食」が展示されていて、「お昼においしそうな魚の竜田揚げを食べたなら、夕飯は簡単でも大丈夫」などと思ったもの……。
バタバタな日々の中、子どもの1日のうちの1食を保育園が担ってくれることで、どれだけ気持ちが救われたことか。総菜店がある「そらのまちほいくえん」なら、さらに親子で夕飯を素早く囲める幸せも付いてくる。

保育園に総菜店を併設する。小さくも思える日々の問題を解決することが、街を変えるほどの大きなパワーに繋がっていた。

●取材協力
・そらのまちほいくえん

スーパーマーケットの軒先をまちに開く!“ご近所さん”とつながる地域改革

食料品や日用品をそろえるスーパーマーケットは、老若男女問わず人が行き交い、実は公共施設以上に公共的な存在です。そんなスーパーマーケットの軒先に「誰もが自然と居られるコミュニティスペース」をつくる取り組みが千葉県千葉市のスーパーマーケット、マックスバリュおゆみ野店ではじまりました。誕生までのエピソードと変わりはじめたスーパーマーケットと地域との関係について聞いてきました。
スーパーマーケットの広い軒先を人が居られる場に再生

「大型商業施設」「スーパーマーケット」の軒先と聞いて、思い浮かべるのは、店舗の外壁と使い終わった買い物カート置き場、自転車置き場のような空間ではないでしょうか。お世辞にもおしゃれとは言い難い空間ですし、滞在する、ましてやくつろぐ場所だとは思えない人がほとんどでしょう。

そんなスーパーマーケットの軒先空間にヒューマンスケールのパーゴラ(棚)を建て、その中にベンチやテーブル、カウンターや屋台、黒板や水場なども配置した「Cafe&Dine(カフェダイン)」というスペースが誕生しました。屋台ではコーヒーが販売されていますが、買い物に来た人も、通りがかった人も、誰もが自由にくつろげる場所です。

改装前(左)と改装後(右)。通りがかる人々が、フラッと腰をかけていき、スーパーマーケットの軒先にはいつも人の気配があります。以前の姿はもう想像できません(写真提供/グランドレベル)

改装前(左)と改装後(右)。通りがかる人々が、フラッと腰をかけていき、スーパーマーケットの軒先にはいつも人の気配があります。以前の姿はもう想像できません(写真提供/グランドレベル)

軒先からのアングル。ガランとしていた空間が、誰もが気軽に立ち寄りたくなる場所に(写真提供/グランドレベル)

軒先からのアングル。ガランとしていた空間が、誰もが気軽に立ち寄りたくなる場所に(写真提供/グランドレベル)

軒下の中央に新たに設置した黒板。子どもたちが落書きをしはじめると、スタッフとの会話が自然とはじまります(写真提供/マックスバリュ関東)

軒下の中央に新たに設置した黒板。子どもたちが落書きをしはじめると、スタッフとの会話が自然とはじまります(写真提供/マックスバリュ関東)

コーヒーを移動式の屋台で販売しています。黒板をしつらえた屋台の側面にも子どもたちが集まります(写真提供/マックスバリュ関東)

コーヒーを移動式の屋台で販売しています。黒板をしつらえた屋台の側面にも子どもたちが集まります(写真提供/マックスバリュ関東)

ビフォー・アフターの写真を見ただけでも、「これがスーパーマーケットの軒先……?」と驚くことでしょう。コーヒーもサービス価格で、利益を生み出す場所とは言いにくそうですが、なぜこのような場をつくることになったのでしょうか。このプロジェクトの責任者・マックスバリュ関東株式会社の黒田覚さんと、企画・デザイン監修を行った株式会社グランドレベル代表の田中元子さんに話を聞いてみました。

スーパーマーケットを買い物だけでなく、人々にとって価値ある場所に

「今までのスーパーマーケットのイートインスペースは、店舗運営の内側からの発想でつくられてきたものでしたが、それでも優先順位が高いものではありませんでした。今回、店舗を大きく改装するにあたり、弊社ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス(以下、U.S.M.H)は、『1階づくりはまちづくり』をモットーに人々のためのさまざまな居場所を手がける会社・グランドレベルの田中元子さんにアドバイスをいただくなかで、軒先に買い物目的の人だけではなく、まちに暮らす誰もが気軽に訪ねたくなる場所をつくるべきだという提案をいただきました。それがすべてのはじまりでした」と黒田さんが舞台裏を明かしてくれます。

近年、スーパーマーケットは価格競争が激化し、そのブランド、あるいは店舗ならではの魅力、価値が厳しく問われているようになってきているといいます。その新しい価値のひとつとして、地域に暮らす人々にとって、スーパーマーケットをもっと愛される、豊かな場所にできないか、その答えが、ただのイートインスペースではない、人々が自由に思い思いに過ごせる場所(コミュニティスペース)だったというわけです。

小さな子どもから、お年寄りまで、まちに暮らす誰もがさまざまに利用しています。スーパーで買ったご飯を食べる人もいれば、コーヒーで一息つく人、ただ座って休んでいるだけの人も(写真提供/グランドレベル)

小さな子どもから、お年寄りまで、まちに暮らす誰もがさまざまに利用しています。スーパーで買ったご飯を食べる人もいれば、コーヒーで一息つく人、ただ座って休んでいるだけの人も(写真提供/グランドレベル)

広い軒先は、地域の人たちが自由に予約をして借りることもできます。この日は地元の人が教えるパンフラワー(粘土細工)教室が開催されていました(写真提供/マックスバリュ関東)

広い軒先は、地域の人たちが自由に予約をして借りることもできます。この日は地元の人が教えるパンフラワー(粘土細工)教室が開催されていました(写真提供/マックスバリュ関東)

犬用のフックも設置して、犬の散歩の人も温かく迎え入れてくれます。犬の散歩で通りがかる人も増えているそうです(写真提供/グランドレベル)

犬用のフックも設置して、犬の散歩の人も温かく迎え入れてくれます。犬の散歩で通りがかる人も増えているそうです(写真提供/グランドレベル)

改装後のオープンは2020年10月16日でしたが、すぐに自然と人々が利用しはじめ、狙い通り、軒先でくつろぐ姿が増えていったといいます。これは奈良県生駒市の「ごみ捨て」を切り口に地域のコミュニティを活性化させる「こみすて」(設計アドバイス:グランドレベル)でも感じたことですが、それまで殺風景だった場所もきちんとデザインの手が加えられれば、人が自然と集まりやすい場所を再生できる。そして、興味深いのは、そこにアクセスし、関わる人たちは、はじめは戸惑っていても、その表情はどんどん柔らかくなっていくということです。

スタッフが変わり、お店とお客さんとの関係も変わっていく

「カフェダインの運営には、店舗のサービスカウンターで働いていた人たちに担当してもらうことになりました。周辺で暮らしている主婦が多く、学校や町会など地域の事情にも精通しているスタッフです。ただ、今までのマニュアルがあるサービスとはまったく異なりました。グランドレベルさんが提唱する『自由なくつろぎを提供する』といわれてもイメージがわかなかったようで、最初は戸惑いや不安もありました。その後、グランドレベルさんが運営する喫茶ランドリーに研修へうかがうことになりました」と黒田さん。

大手スーパーに限らず、多くのサービス業にはマニュアルがあり、それを憶えて実行することが良しとされてきました。しかし、「カフェダイン」が目指した市民の誰もが自由にくつろぐ場所は、それまでのような画一的なオペレーションではつくり出すことができません。

カフェダインを通じてスタッフのマインドにも変化が(写真提供/マックスバリュ関東)

カフェダインを通じてスタッフのマインドにも変化が(写真提供/マックスバリュ関東)

「自然と知らない人同士が出会ったり、コミュニケーションを取りはじめる場を運営していくには、空間などのハードのデザイン、何をする場所か、何が許される場所かというソフトのデザインと同じくらい、どのように人と接するかというコミュニケーションのデザインが大切になります。そこを学んでいただくために、私たちはプロジェクトに関わる人には必ず、『喫茶ランドリー』でのスタッフとしての研修をお願いしています。喫茶ランドリーは、奥に洗濯機やミシンを備えた「まちの家事室」を備えたまちの喫茶店です。スタッフは、店員とお客さんという関係ではなく、“○○さん”という一人の人間として立ち、誰にも人間らしく自分らしく接しています。そうすることで、誰もが自由に過ごせる空気を生み出せます。オープンから数週間後、マックスバリュおゆみ野店を訪れると、黒田さんもサービスカウンターの皆さんも、確実に変わりはじめていることが分かりました。お客さんからのアイデアを柔軟に受け入れながら、また自分たちのアイデアも次々と実現させていて、想像以上に手ごたえを感じました」とグランドレベル田中さん。

黒田覚さん自身も、大きな変化や手ごたえを感じていました。
「先日、カフェダインに小さなお子さんを連れたお父さんがいらっしゃったんです。お子さんは店内を走り回っていたのですが、スタッフが声をかけて絵本の読み聞かせをしたところ、自然と立ち止まって、目を輝かせて聞いてくれて……。今までだったら『注意』して終わっていたと思います。それを、あえて本を読むという行動に変えただけで、私たちとお客さんとの関係が変わり、それが小さな出会いと思い出になりました。こういうことが積み重なっていけば、地域の中におけるスーパーマーケットの存在価値は、変わっていくなと思いました」と感慨深い様子です。

アフターコロナを見据えたスーパーマーケットが果たす新たな役割

リニューアルオープンが、コロナ禍の2020年10月となりましたが、感染予防対策をしながらも、クリスマスや年越し、節分やバレンタインなど、さまざまなイベントが開催されていったそう。すべてスタッフの発案によるものだったそうです。

コロナ禍で、さまざまな制限があるなかでも、常に自分たちでその距離感を考えながら、さまざまなイベントを開催しています(写真提供/マックスバリュ関東)

コロナ禍で、さまざまな制限があるなかでも、常に自分たちでその距離感を考えながら、さまざまなイベントを開催しています(写真提供/マックスバリュ関東)

スタッフやお客さんたちの好きなモノの写真であふれていた室内側の掲示板は、お正月には一新し、お客さんたちが書いた『私の一文字』でいっぱいに。この多様さが、また人を引きつけていったといいます(写真提供/マックスバリュ関東)

スタッフやお客さんたちの好きなモノの写真であふれていた室内側の掲示板は、お正月には一新し、お客さんたちが書いた『私の一文字』でいっぱいに。この多様さが、また人を引きつけていったといいます(写真提供/マックスバリュ関東)

「カフェダインの半分は、半屋外の軒先にあるので、コロナ禍においては密室が避けられるので良いというお声もいただいています。公民館などの施設が閉まっていることが多いので、カフェダインの場所を借りたいというお声も多くいただいています。実際、フラワーアレンジメント教室や英会話教室など、さまざまにご利用いただくことも増えてきました」と黒田さん。

一方、新型コロナウイルスの流行によって在宅勤務が増えたことで、「自宅以外の、『気楽にいられる場所への需要』が高まっている」と田中さんは別の側面も指摘します。

「特に働き盛りの世代や独身の世帯は、自宅以外に地域の居場所を持っていない人が少なくありません。こうやってスーパーの軒先が、買い物目的でなくても立ち寄れる、まちに暮らす多様な人が居られる場所になれれば、孤独な人でも、何かの拍子に知らない人と顔見知りになったり、話しかけられる状況も生まれやすくなったりします。スーパーマーケットは公共的な存在だからこそ、そうやって小さなコミュニティを生み出せる場所になるべきだと思います」」と田中さん。

実際のところ、カフェダインのスタッフとお客さんとの間には、これまでにない新しい関係が生まれていて、「アレ、今日は●●さんは?」という会話もよく交わされているそう。新型コロナウイルスの流行で失われた、「約束もなく自然と人と会って、何気ないことを会話する」を埋める場所として、また、これからのスーパーマーケットのあり方として、カフェダインは大きな存在価値を発揮するに違いありません。

●取材協力
株式会社グランドレベル
ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社
マックスバリュ関東株式会社

梅田駅まで30分以内・中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2021年版

関西屈指の主要駅と言えば梅田駅。3月17日に発表された「SUUMO住みたい街ランキング2021 関西版」で総合2位になった駅でもある。「梅田駅」自体は大阪メトロ御堂筋線1本しか通っていないが、ほぼ同じ場所にJRの一大ターミナルである大阪駅、阪急電鉄、阪神電鉄の大阪梅田駅、大阪メトロの谷町線・東梅田駅と四つ橋線・西梅田駅、さらにはJR東西線の北新地駅が密集しており、さまざまな方面へアクセスしやすいロケーションだ。そんな梅田駅周辺は多彩な商業施設がそろう繁華街でもあり、暮らすには便利だけど物件価格が高い点は気になる。そこで梅田駅から30分圏内にある、中古マンションの価格相場が安い駅を調査した。さっそくトップ10を見ていこう。●梅田駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10
順位 駅名 価格(主な沿線/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
【シングル向け】
1位 西大橋 1580万円(大阪メトロ長堀鶴見緑地線/大阪市西区/11分/1回)
2位 天王寺 1585万円(大阪メトロ御堂筋線/大阪市阿倍野区/16分/0回)
3位 南方 1590万円(阪急京都本線/大阪市淀川区/10分/0回)
4位 西中島南方 1600万円(大阪メトロ御堂筋線/大阪市淀川区/4分/0回)
5位 谷町四丁目 1687.5万円(大阪メトロ谷町線/大阪市中央区/12分/0回)
6位 阿波座 1690万円(大阪メトロ中央線/大阪市西区/11分/1回)
7位 摂津本山 1740万円(JR東海道本線/兵庫県神戸市東灘区/26分/1回)
8位 大阪上本町 1780万円(近鉄奈良線/大阪市天王寺区/17分/1回)
8位 谷町九丁目 1780万円(大阪メトロ千日前線/大阪市天王寺区/15分/1回)
8位 天満橋 1780万円(大阪メトロ谷町線/大阪市中央区/10分/0回)

【カップル・ファミリー向け】
1位 出来島 1580万円(阪神なんば線/大阪市西淀川区/20分/1回)
1位 千船 1580万円(阪神本線/大阪市西淀川区/13分/0回)
3位 伝法 1680万円(阪神なんば線/大阪市此花区/21分/1回)
4位 住道 1739万円(JR片町線/大阪府大東市/25分/1回)
5位 尼崎センタープール前 1750万円(阪神本線/兵庫県尼崎市/21分/1回)
6位 河内小阪 1780万円(近鉄奈良線/大阪府東大阪市/27分/1回)
7位 福 1824万円(阪神なんば線/大阪市西淀川区/22分/1回)
8位 住之江公園 1834万円(大阪メトロ四つ橋線/大阪市住之江区/23分/1回)
9位 大和田 1839万円(京阪本線/大阪府門真市/27分/2回)
10位 千鳥橋 1880万円(阪神なんば線/大阪市此花区/19分/1回)

梅田駅から15分ほど離れるだけで1000万円以上も安くなる!

今回は梅田駅から30分圏内にある、「シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)」と「カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)」の中古マンションの価格相場が安い駅を調査した。梅田駅のすぐ近くには他路線の駅も複数あると先ほど述べたが、「梅田駅からまず徒歩で大阪駅や東梅田駅に行き、そこから列車に乗車(して30分圏内にある駅)」といった経路も今回の「梅田駅から30分圏内」という判定に含まれている。

そうして調査した結果、まずは「シングル向け」のトップ10からチェックしていこう。最も安かった駅は、梅田駅から約11分の大阪メトロ長堀鶴見緑地線・西大橋駅。「キタ」と呼ばれる繁華街の中心地である梅田まではタクシーでも15分弱、「ミナミ」と呼ばれる道頓堀や心斎橋、難波も歩いて20分圏内、という好立地に位置している。繁華街の近くながら西大橋駅周辺はゴミゴミとはしておらず、街路樹が彩る大通りを外れて裏道に入ると静かな住宅街。駅に近い北堀江エリアはしゃれたカフェや雑貨店が多いとの評判もある。日々の暮らしに欠かせないスーパーやコンビニも点在しており、快適に暮らせそうな街と言える。

西大橋駅近くの風景(写真/PIXTA)

西大橋駅近くの風景(写真/PIXTA)

2位は大阪メトロ御堂筋線・天王寺駅。梅田駅からは乗り換え不要、約16分で到着する。地下鉄のほかにJR各線も通っており、阪堺電気軌道上町線・天王寺駅前停留所と近鉄南大阪線・大阪阿部野橋駅もほぼ同じ場所にあるため多数の路線が利用できる。駅ビル「天王寺ミオ」をはじめ駅周辺には大型商業施設が建ち並んでおり、高さ日本一のビル「あべのハルカス」があるのもここ。キタ、ミナミに次ぐ大阪市内屈指の繁華街とも言える天王寺エリアが、2位というのは驚きだ。ただ、天王寺駅の北西部は大阪市立美術館や天王寺動物園を有する「天王寺公園」が大きな面積を占めており、商業施設も多いために駅周辺の中古マンションの物件数はあまり豊富ではなさそう。気に入る物件を見つけたら、早めに確保したほうがいいかもしれない。

天王寺公園とあべのハルカス(写真/PIXTA)

天王寺公園とあべのハルカス(写真/PIXTA)

3位は阪急京都本線・南方駅で、すぐそばに4位の大阪メトロ御堂筋線・西中島南方駅がある。南方駅から阪急京都線で大阪梅田駅にでて梅田駅に行くのも、南方駅から西中島南方駅に歩いて向かい、そこから大阪メトロ御堂筋線に乗り梅田駅に行くのもどちらも乗り換え0回だが、ランキング表ではシミュレーション上での時間が短い前者の所要時間で記載している。さて、南方駅や西中島南方駅の周辺の様子に目を向けると、駅の南側に淀川が流れており、橋を越えると梅田エリア。淀川の河川敷は「淀川河川公園」として整備されており、駅近くの一角には春から秋に利用できるBBQ広場も。例年の夏に河川敷で開催される「なにわ淀川花火大会」も楽しみだ。コンビニなどの商店は駅の北側のほうが多い。10分ほど歩くと、目玉商品の「1円」特売があるなど激安スーパーとして知られる「スーパー玉出」の淀川店にたどり着く。このエリアに住んだ際には、お世話になることだろう。

さて今回の調査の基点にした梅田駅の「シングル向け」中古マンションは、残念ながらSUUMO掲載物件数が調査条件(掲載11件以上)に満たなかったため価格相場を算出できていない。しかしほぼ同じ立地にある「大阪梅田駅」の価格相場は2780万円だったため、梅田駅もそれとさほど違いはないと思われる。

一方でトップ10にランクインした駅の価格相場は1位が1580万円で、最高値の駅(同額8位)でも1780万円となっており、大阪梅田駅と比べて1000万円以上も低い。また、トップ10の梅田駅までの所要時間は、7位のJR東海道本線・摂津本山駅は約26分かかるものの、それ以外の駅は15分前後。「シングル向け」の物件なら梅田駅からそれほど離れずとも、梅田駅よりも大幅に安い物件を見つけやすいことがランキング結果から判明した。

「カップル・ファミリー向け」は梅田駅の西方、淀川周辺が狙い目

「カップル・ファミリー向け」ランキングの1位は、阪神なんば線・出来島駅。大阪市の北西部に位置し、駅北側を流れる神崎川(中島川)を越えると兵庫県尼崎市へ。駅南側には淀川が流れており、南北を流れる川は駅の西側で合流して大阪湾へと注がれる。大阪湾に面した駅西側の一帯には工業地帯や小学校、公園などがあり、住宅は駅の東側のほうが多い。大型マンションよりもどちらかというと一戸建て住宅や小規模な集合住宅が目立つ昔ながらの住宅地で、駅周辺には複数のスーパーが点在している。1駅隣にある7位の福駅は歩いても15分ほどで、福駅前にあるユニクロや総合病院も生活圏内と言えるだろう。また、出来島駅の南方にある「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」まで車なら約15分。年間パスを買って、家族で通いつめるのも楽しそう。

出来島駅(写真/PIXTA)

出来島駅(写真/PIXTA)

出来島駅と同額1位の阪神本線・千船(ちふね)駅は、出来島駅と直線距離で1kmほどしか離れていない。出来島駅の北に浮かぶ、神崎川と左門殿川に囲まれた中洲にある駅だ。この中洲一帯は古くから「佃」という地名で呼ばれており、江戸時代にこの地から移住した人々によって開かれたのが東京都中央区の佃島なのだとか。そんな歴史ある千船駅周辺エリアの現在はというと、左右2.5kmほどの中洲内に交番や郵便局あり、小学校2つと中学校1つ、保育園もあり……とさまざまな施設がそろっている。100円ショップや複数のコンビニも点在しているが、スーパーは川を越えていく必要がある。とはいえ駅から歩いて10分ほどなので、利用しやすいだろう。

3位は阪神なんば線・伝法駅。この駅を含めて阪神なんば線沿線から4駅がトップ10にランクインしており、出来島駅(1位)~福駅(7位)~伝法駅(3位)~千鳥橋駅(10位)、という順に連続している。1位の出来島駅と7位の福駅の南側を流れる淀川を越えると、3位の伝法駅という位置関係だ。伝法駅の周辺には小中学校や幼稚園が点在し、子ども用品店「西松屋」もテナントに入った「イオン 高見店」など複数のスーパーやショッピングセンターも。子どもがいるファミリー層も暮らしやすそうな街並みだ。駅から5分ほど歩くと、645年の創建と伝わる「西念寺」がたたずんでいる。門前には「大阪道 右てんま 左あまがさき」と記された石柱の道しるべがあり、かつてここを通っていた尼崎方面と大阪を結ぶ重要な街道、尼崎街道の面影をしのばせている。

さて専有面積20平米以上~50平米未満の中古マンションを対象にした「シングル向け」トップ10の駅は大半が梅田駅から15分前後の立地だったが、専有面積50平米以上~80平米未満の中古マンションを対象にした「カップル・ファミリー向け」のトップ10はどうだろう。梅田駅から約13分の千船駅以外は、20分以上かかる駅が多かった。専有面積50平米以上の物件の場合は、シングル向け物件を探すエリアよりも梅田駅から離れたほうが安い物件が見つけやすいようだ。

また、出来島駅(1位)~福駅(7位)~伝法駅(3位)~千鳥橋駅(10位)が連続する駅であり、さらに千船駅(同額1位)は出来島駅と近い立地のため、トップ10のうち5駅は密接したエリアにあることになる。梅田駅に近くて安い「カップル・ファミリー向け」の中古マンションを探す際はこの5駅が位置する、梅田駅西方の淀川近くのエリアに注目するといいだろう。

ちなみに梅田駅周辺の「カップル・ファミリー向け」中古マンションの価格相場は5135万円。10位の駅と比べても2.7倍以上も価格相場が高い。「カップル・ファミリー向け」トップ10は「シングル向け」よりは梅田駅から離れた駅が多いとはいえ、いずれも30分圏内。これほど価格相場が下がるなら、トップ10の駅周辺に住むという選択肢はアリだろう。

関東住みからするとうらやましい!? 梅田の近隣は意外と安く住める

中古マンションの価格相場を紹介する当連載は東京都内の駅を基点にすることが多いが、今回は大阪屈指の繁華街・梅田駅を基点に調査した。すると都内と比べ、基点とした主要駅から30分圏内の価格相場が意外と安い印象を受けた。そこで過去の記事を見返したところ、「新宿駅まで30分圏内」の中古マンション価格相場ランキング(2020年7月~9月調査)は「シングル向け」が1位・2080万円~10位・2399万円、「カップル・ファミリー向け」が1位・2485万円~10位・2880万円。「渋谷駅まで30分圏内」の同ランキング(2020年4月~6月調査)だと「シングル向け」が1位・1990万円~10位・2499万円、「カップル・ファミリー向け」が1位・2380万円~10位・3490万円だった。

価格相場を算出した調査時期が異なるため一概には比較できないとはいえ、都内の新宿や渋谷から30分圏内で探すよりも、やはり梅田駅から30分圏内のほうが広さは同じ物件でも価格相場が安い様子。また、基点にした駅の価格相場を比べてみると、「シングル向け」物件は今回調査の大阪梅田駅が2780万円で、過去に調査した新宿駅が3980万円、渋谷駅が4590万円。同様に「カップル・ファミリー向け」物件は梅田駅が5235万円で、新宿駅が6580万円、渋谷駅に至っては8490万円! 「大阪は便利な都市部であっても、東京よりもだいぶ安く住めるらしい」というウワサは関東民の間でも語られ、うらやまれてきたことではある。今回の調査は、それは単なるウワサではなく本当のことなのだと証明していると言えるだろう。

●調査概要
【調査対象駅】梅田駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2020/11~2021/1
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2020年12月25日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

西千葉ではDIYが日常?「工作室」を図書館のように街中に

総武線西千葉駅から徒歩10分、一戸建て中心の住宅街のこぢんまりとした3階建てビル1階にある「西千葉工作室」。ここは、ものづくりのためのスペースと道具をシェアする場所で、西千葉を拠点に地域活性を行う企業が6年前から運営しているもの。 “ものづくり×地域活性”について、店長の高橋鈴佳さんにお話を伺った。
モノづくりの必要な場所と道具をシェアする「まちの工作室」

西千葉工作室のコンセプトは、「生活に根ざすものづくり」にチャレンジする、まちの工作室。例えば、「壊れてしまったから直そう」「今あるものを自分好みにつくりかえてみよう」「こんなものがほしいからつくろう」という生活に根差したニーズに合わせて、スペースを提供、工具類の貸し出しもしている。必要とあらば、専門知識のあるスタッフのアドバイスを受けることもできる。

料金は2時間までは500円(大人会員)、1カ月フリーパスは5000円だ。レーザー加工機、3Dプリンターなどの専門機材も10分単位で利用可能(有料)(写真提供/西千葉工作室)

料金は2時間までは500円(大人会員)、1カ月フリーパスは5000円だ。レーザー加工機、3Dプリンターなどの専門機材も10分単位で利用可能(有料)(写真提供/西千葉工作室)

基本的にはスペースを貸し出し、各自個人で作業をするが、ワークショップなどのイベントも行う。夏には子どもの自由研究向けの相談室を開催、2・3月には入園グッズを作成するママたちの姿が多い。自分でデザインしたものを3Dプリンターを使って形にする人もいる。

イベント「家電をなおす会」でスタッフに聞きながらオイルヒーターを直すお客さん(写真提供/西千葉工作室)

イベント「家電をなおす会」でスタッフに聞きながらオイルヒーターを直すお客さん(写真提供/西千葉工作室)

外部の専門家を招いて、手持ちの服を持参しての藍染めイベントも(写真提供/西千葉工作室)

外部の専門家を招いて、手持ちの服を持参しての藍染めイベントも(写真提供/西千葉工作室)

ごはんをつくるようにものをつくり、直す。あたり前の人の営みに気づく場所に

しかし、ものづくりが最終目的ではない、と高橋さん。
「例えば、私たちスタッフが代行してものづくりや修理をすることはありません。いわゆる先生が生徒に教える教室でもありませんし、最終的にクリエイターを育成したいと思っているわけでもないんです」
そもそも、この西千葉工作室ができたのも、運営会社であるマイキーの”自分の暮らしを自分で創る”という企業理念の延長線上にあるもの。

(写真提供/西千葉工作室)

(写真提供/西千葉工作室)

「今は多くのモノが溢れているので、何か手に入れたいものがあると、ついつい“買う”という選択肢に偏りがちですが、場合によっては、『今あるものを“なおす”方が自分の暮らしにフィットするかもしれない』『値段も形も理想ぴったりのものがないものを妥協して買うのではなく、“つくる”ことで、より理想に近い暮らしが手に入るかもしれない』。そういう発想とスキルが得られる場を提供しようと思っています」

例えば、園準備のため子どもの名前判子を手づくりしたママ、木製のおもちゃをつくる親子、木材に加工して看板をつくった八百屋さんetc.この工作室がなかったら、自分でつくるではなく、“買う”を選択しただろう人達だ。「もちろんものづくりが趣味という方もいらっしゃいますが、ここではじめてつくってみたら、案外つくれるんだと気付いて、必要になったら足を運んでくださる方も多いんです」

結婚を機に近所に引越してきた20代のIさん夫妻は、工作室で相談しながら、自作のクローゼットを完成。その後、何度か足を運ぶように。「粉塵が出るやすりがけは工作室、塗装は家のベランダでなど、工作室と家での作業を使い分けて効率的に使っています」(Iさん)。

木材パネルとパイプを組み合わせてAさん夫妻がDIYしたクローゼット。「ほかにもトイレットペーパー収納もつくりました。今後は暮らしの中で必要な小物をつくってみたいと思っています」(Iさん)(写真提供/西千葉工作室)

木材パネルとパイプを組み合わせてAさん夫妻がDIYしたクローゼット。「ほかにもトイレットペーパー収納もつくりました。今後は暮らしの中で必要な小物をつくってみたいと思っています」(Iさん)(写真提供/西千葉工作室)

卓球の配球マシーン。中学校に入学して卓球部に入った男の子が、レギュラー選手になることを目指して、自宅で練習するためにつくった(写真提供/西千葉工作室)

卓球の配球マシーン。中学校に入学して卓球部に入った男の子が、レギュラー選手になることを目指して、自宅で練習するためにつくった(写真提供/西千葉工作室)

最初は試行錯誤。今は幅広い属性を持つスタッフと利用者に

ただ、最初からうまくいっていたとは言えなかったという高橋さん。2013年のオープン当初は、ちょうど若者向け、クリエイター向けのスペースのムーブメントが起きていて、同様の場所と思われていたという。

「店内にかけるBGMを誰もが違和感を持たないラジオにする、フラットな接客にする、内輪の感じを出さないなど、細かな軌道修正をしました。また、スタッフも幅広い世代に。すごくスキルのある60代のエンジニアの方、建築やデザインを専攻する大学生、パタンナーだった主婦の方、フリーランスのデザイナー、独学で洋裁を習得した会社員の方、家具デザインの専門知識がある土日だけの会社員の方など、さまざまな得意分野を持つスタッフがいます」

そうした軌道修正や、スタッフの充実度に伴い、今、利用者は小学生から90代までと幅広い。
「ちょっとだけ使う人も利用しやすいよう、機材は10分単位で100円、300円の価格設定に。たくさん使う人からすればコスパが悪いかもしれませんが、うちには少しだけ使う人が多いので、10分単位の価格設定がちょうどいいんです。置いてある機材も当初はデジタル系が中心でしたが、ミシンを増やすなどアナログなものも増えてきました」

ミシンが得意なスタッフに質問をすることもできる。マンツーマンでのアドバイスや専門知識がかなり必要なサポートは事前予約制(有料)(写真提供/西千葉工作室)

ミシンが得意なスタッフに質問をすることもできる。マンツーマンでのアドバイスや専門知識がかなり必要なサポートは事前予約制(有料)(写真提供/西千葉工作室)

地域活性=コミュニティではない。大切なのは一人ひとりの暮らしの豊かさ

では、ものづくりの拠点ができることで、どのように地域が活性化するのだろうか。
ココで地域とのつながりができ、コミュニティができるということだろうか、という質問に、高橋さんは「実はそれが目的ではないんです」と回答。
「もちろん、何度も通ううちに、顔見知りにはなりますが、内輪のコミュニティができることで、もしかしたら他の誰かを排除しているかもしれない。なるべく特定のコミュニティがベースにならないような場をつくりたいなと思っています。地域活性とひとことで言っても目的はさまざま。人が集まってにぎわいを生み出すのもひとつですが、もともと西千葉は郊外のベッドタウンで人は多い。私たちは、この工作室があることで、一人ひとりの暮らしを豊かに、楽しくなれば、その集合体である”街”も豊かに、楽しくなり、街のカルチャーが形づくられるはず。それが、私たちの目指す地域活性だと思っています」
 
例えば、主婦業の傍ら、趣味を活かして、地域のイベントに焼き菓子屋として不定期に出店していたKさん。せっかくなら、お店の看板をつくろうと、工作室で自作。その後、オリジナルのクッキー型、子どもの自由研究工作、オリジナルTシャツと、次々と自分で手掛けるように。

Kさんが手掛けたクッキー型は3Dプリンターで制作(写真提供/Kさん・西千葉工作室)

Kさんが手掛けたクッキー型は3Dプリンターで制作(写真提供/Kさん・西千葉工作室)

オリジナルの木の看板も、自分で手掛ければ、リーズナブルに(写真提供/Kさん)

オリジナルの木の看板も、自分で手掛ければ、リーズナブルに(写真提供/Kさん)

「こんなものがつくりたいと頭の中で想像だけして終わっていたものを自分の手で創作できるようになり、オリジナルを形にする楽しみが増えました。またつくるだけではなく、壊れてしまったものを直すこともできるので、諦めて捨ててしまっていたものを再生できることも、新しい発見です」(Kさん)

コミュニティが目的ではないとはいえ、この場でしかありえないつながりも生まれている。例えばお互い名前を知らなくても、利用者同士でちょっと教えあったりして、手を差し伸べたりしているそうだ。なかには素敵なエピソードも。
「プログラミングなどのデジタル知識が豊富な小学生の男の子がいまして。多分、彼は同い年の友達とでは、そうした部分を持て余しているんですよね。工作室でベテランのエンジニアのスタッフからサポートを受けたことで、彼の頭の中にあった点と点の知識が一気につながったようで、とても楽しそうでした。そこは、年齢差を超え、共通の言葉を持つ者同士のフラットな関係性が、とても素敵で……。なんだか胸が熱くなりました」

毎年、自分で電話をかけてきて自由研究の相談に来る男の子。共通の趣味を持ち、共通の言語があることで、年齢も性別など属性を超え、共感を得られる場であることも喜び(写真提供/西千葉工作室)

毎年、自分で電話をかけてきて自由研究の相談に来る男の子。共通の趣味を持ち、共通の言語があることで、年齢も性別など属性を超え、共感を得られる場であることも喜び(写真提供/西千葉工作室)

今後は比較的利用の少ない高校生向けにオンラインでの「進路相談会」をする企画も進行中だ。「ものづくりを仕事にする面白さを伝えたり、普段はなかなか出会えない、社会に生きる親や先生以外の等身大の大人と接点を持つきっかけの場になったらと考えています」

コロナ禍のため席数を減らしたため事前予約制にしたところ、新規の利用者が増えたそう。「ああ、決してここは不要不急の場ではなかったんだ、こうしたモノづくりの場所をみんな求めているんだなと実感しました」
例えば、図書館のように、誰もが自由に気軽に訪れることができ、知的好奇心を、想像力と創造力を、生きる術を手に入れる場所として、街の至るところにあるような存在に「工作室」がなったら素敵だ。――西千葉工作室がそのモデルケースになるかもしれない。

●取材協力
西千葉工作室

近所に雑貨店や包丁研ぎサービスなどが「やってくる」! 不動産に“移動”で価値付けする時代へ

新型コロナウイルスの影響で移動が制限されるようになり、早1年が経過しようとしています。一方、マンションの入居者向けに次世代モビリティサービス「MaaS(マース)」事業や、マンションの敷地や多種多様なスペースにさまざまな移動商業店舗がやってくるサービスなど、「移動」をカギにした暮らしをより豊かにする取り組みもスタートしようとしています。今回は、2021度中にこれらのサービスの本導入を予定している三井不動産に話を聞きました。
お出掛けを楽しく便利にする「MaaS(マース)」、近所にお店が来る「移動商業店舗」

「駅徒歩●分」などと言われるように、不動産と移動は密接な関係にあります。ところが、テクノロジーが発達したことで「働く」「学ぶ」「買い物」も自宅でできるようになりつつあり、「移動」そのものの考え方が大きく変わりそうです。 そんななか、“不動産デベロッパー”である三井不動産が、今、モビリティ構想を掲げています。不動産事業はいわば、出発地となる「住まい」や目的地となる「オフィスビル」「商業施設」などの開発が主な領域のはず。なぜ、モビリティ構想を掲げるのでしょうか。

「弊社は不動産会社ですが、時代が大きく変化、変貌している昨今、不動産という『箱』を提供しているだけでは、競争力を維持できないのではという危機感があります。マンションと商業施設、あるいは勤務先を結ぶ『移動』の新サービスを提供することによって、住む人や働く人に新たな価値を提供できればと思っています」と話すのは三井不動産 ビジネスイノベーション推進部の門川正徳さん。

「弊社のモビリティ構想は街と人、サービスをつなぐものです。お出かけ、つまり“行く”の『MaaS』サービス、お店が自宅近くに“来る”の『移動商業店舗』は、いわば“行く”と“来る“のセット、分かりやすく2本柱といってもよい存在です」とビジネスイノベーション推進部の後藤遼一さんも続けます。

なるほど、不動産まわりの“行く”と“来る“を楽しくするということですね。

20年9月から、柏の葉をはじめ日本橋、豊洲でMaaSの実証実験を実施。手応えは?

まず、“行く”の「MaaS」について解説してもらいましょう。

「MaaSは移動のために必要な検索、予約、決済をひとつのアプリケーションで完結する仕組みです。移動の利便性が格段にあがり、ライフスタイルに大きな変革をもたらすと言われています。今回、私どもの実証実験では、月額定額制(サブスクリプション)サービスで、カーシェアリングやシェアサイクル、バスなどを自由に組み合わせて簡単に利用できるようにしました。マンションから身近な目的地へのお出かけが手軽に、かつ楽しくなることを狙っています」門川さん。

三井不動産が始めたMaaSの実証実験のサービス概要。カーシェアリング、シェアサイクル、バス等の検索・予約・決済がまとめてできるというもの(図版提供/三井不動産)

三井不動産が始めたMaaSの実証実験のサービス概要。カーシェアリング、シェアサイクル、バス等の検索・予約・決済がまとめてできるというもの(図版提供/三井不動産)

MaaSによって、移動手段の検索、予約、決済ができ、なおかつサブスクだとしたら相当、便利&おトクですね。今回の実証実験では、カーシェアリングだけでなく、シェアサイクルやバス、タクシーと移動手段が多岐に渡っているため、時間や目的、気分にあわせて、サクサク選べるようになっているといいます。個人的には、子どもや高齢者などを連れての移動って、検索と下調べ、決済の一つひとつが大変なんですよね……。こうしたアプリが普及すれば、移動のストレスが軽減され、お出かけを楽しむ余裕もできそうです。

このMaaS、アプリの開発は数年前から行い、2020年9月から千葉県の柏の葉キャンパス、東京の日本橋、豊洲で実証実験を実施しています。新型コロナウイルスの影響下ではありますが、現在のところ、ポジティブな声が集まっているとか。

(写真提供/三井不動産)

(写真提供/三井不動産)

「日本橋は都心、豊洲は準都心、柏の葉キャンパスは都市近郊と、それぞれ利用者層が異なるのですが、概ね好評をいただいています。一番うれしいのは『下車したことのないバス停で降りて発見があった』『気軽に移動できるようになった』という声でしょうか」と門川さん。

エリアによって利用状況は異なるそうですが、日本橋や豊洲エリアではタクシーを利用する人が多かった一方で、柏の葉キャンパスではカーシェアリングの利用頻度が高く、「自分の車のように使える」と好評だったとか。確かに、移動で公共交通機関を利用するのは感染症対策を考えると少しナーバスになるもの。タクシーにしてもカーシェアリングにしても、気楽に利用できるのであれば「使ってみたい」という需要にマッチしているのでしょう。課題はあるのでしょうか。

マンションに住民専用のカーシェアリングやシェアサイクルを導入。稼働率が高く好評だったそう(写真提供/三井不動産)

マンションに住民専用のカーシェアリングやシェアサイクルを導入。稼働率が高く好評だったそう(写真提供/三井不動産)

「MaaSという言葉や仕組みがまだまだ知られていないので、知ってもらい、利用してもらって次につなげることが課題だと思っています。また今回の実証実験で得られた知見を活かして、他のエリアでどう展開するかは、今後の取り組みになりますね」と率直に教えてくれました。

リアルなお店があなたの近くに「来る」!移動商業店舗の実験とは

MaaSが住まいから移動するための“行く”試みであれば、住まいの近くに“来る”試みといえるのが、もうひとつのモビリティ構想の取り組みである「移動商業店舗」です。

移動商業店舗のプロジェクト概要。みなさんが生活する近く(住宅・ビル・公園等)に新しい店舗やサービスが来たら、楽しくなりますよね(図版提供/三井不動産)

移動商業店舗のプロジェクト概要。みなさんが生活する近く(住宅・ビル・公園等)に新しい店舗やサービスが来たら、楽しくなりますよね(図版提供/三井不動産)

移動商業店舗は購入率も高く、「また出店したいです!」と事業者、利用者ともに好意的な反応が多かったとか(写真提供/三井不動産)

移動商業店舗は購入率も高く、「また出店したいです!」と事業者、利用者ともに好意的な反応が多かったとか(写真提供/三井不動産)

12月に、掲載した記事、マンション×キッチンカーでは飲食を中心としたフードトラックがマンションに行くという試みをご紹介しましたが、この「移動商業店舗」は飲食に限らず、物販やサービスなどの全ての店舗を車両に乗せて、人々の身近な生活圏内に“来る”というものなのです。ちなみに展開するエリアは三井不動産が手がける施設や敷地内に留まらず、社外も含めた多種多様なスペースも活用し出店場所を広げていく予定。なぜまた、“来る”だったのでしょうか。

「社会の変化するスピードが早くなったことで周辺のニーズと提供コンテンツにギャップが生まれたり、人々の価値観も多様化しています。、さらに、利用者って時間帯や曜日によって、異なる買い物やサービスのニーズを抱いているはずなんです。だからこそお客さんのところに、週替りや日替わり、時間帯ごとに必要なリアル店舗が“来る”ようにすれば不動産では提供しきれなかった幅広く変化するコンテンツを提供できるのではないかと思ったのがはじまりです。これまで不動産会社は動かない床を貸してきましたが、今回は動く床を貸します。つまり『移動産』と言っています」(ビジネスイノベーション推進部の後藤遼一さん)

「不動産」ならぬ「移動産」! 確かに利用者から見れば、利用したい店は時間によって異なりますし、お店が「近くに来てくれるのであれば行きたいな」という店舗は多いもの。また、店舗事業者から見れば「出店コスト」がぐっと抑えられて、集客が見込めるのであれば、これはうれしいマッチングですよね。ちなみに、20年9月~12月に東京都の豊洲、日本橋、晴海、板橋、そして千葉市という5エリアで10業種11店舗の事業者とともにトライアルイベントを実施したそう。

マンション下にマッサージ店舗が来てくれたら行きたいですよね(写真提供/三井不動産)

マンション下にマッサージ店舗が来てくれたら行きたいですよね(写真提供/三井不動産)

包丁研ぎのお店も(写真提供/三井不動産)

包丁研ぎのお店も(写真提供/三井不動産)

「今回は包丁研ぎ、健康器具や雑貨、コスメ、お香、オーダースーツなどさまざまな店舗にご出店いただきましたが、特に包丁とぎやマッサージなどは予想通り好評で、色んな店舗で手ごたえを感じましたね」と話します。一方“移動”“屋外”ならではの大変さもあったとか。

「お天気がいい日は良いのですが、秋の台風シーズンだったものですから(笑)、屋外は大変で、これは今後の課題でもあります。自分もほぼ、イベント会場にいたので、テナントさんのスタッフとも仲良くなって、乗り切った達成感がありました」と振り返ります。

ちなみに、子育て世代は夕飯づくりが落ち着いてから自分の時間があるようで、物販のアクセサリーが夜7~8時に売れるなどの予想外の出来ごともあったとか。思わぬ時間帯に思わぬモノが売れたりするんですね……。今後は、こうした時間帯や曜日によって異なる店舗やサービスのマッチング精度を高めていきたいと思っているそう。

なんと缶詰の専門店も登場。確かに今、缶詰っておいしくておもしろいですもんね! (写真提供/三井不動産)

なんと缶詰の専門店も登場。確かに今、缶詰っておいしくておもしろいですもんね! (写真提供/三井不動産)

利用者からは、「共働きや子育てで忙しい日常の楽しみができた」「コロナ禍のなか、店舗が来てくれるのが便利」という声が寄せられているとか。それは、そうですよね。お店ってやっぱり単なる商売じゃなくて、コミュニケーションの場でもあるので、気持ちが落ち込みがちな時期だからこその「楽しみ」になったのではないかと推察します。

今回の「行く」と「来る」によって促されるのは、人やモノ、風景との「出会い」だと思っています。モビリティ構想というとなかなかイメージしにくいですが、人の「行く」とモノ・サービスの「来る」を楽しくする試みだというと、とても分かりやすいですよね。思うように出会えない・移動できないコロナ禍だからこそ、より価値ある実験となるのではないでしょうか。

●取材協力
三井不動産

「家賃だけでお店が持てる」! 夢を叶えた3人のユニーク賃貸暮らし

コロナ禍の影響で、副業や、テレワークが普及しつつある昨今、住まいと職場がともにある“職住融合”な暮らしに興味を持つ人も多いのではないでしょうか。今回は、住まいの中にお店も持てる賃貸物件「ナリ間ノワプロジェクト 欅の音terrace」(東京都練馬区)でお店を始めた3人にインタビュー。別にも仕事を持ちながら、本業や副業として夢を叶えた、その暮らしぶりを拝見しました。
自分の店を持ちたい! ゆる~く夢を叶えた「はと工房。」 

東京都練馬区の住宅街の一角に建つ「ナリ間ノワプロジェクト 欅の音terrace」(以下、欅の音terrace)は、住まいと生業(商い)が一体となった職住融合の住まいです。かつて日本の住まいでよく見られた軒先が店舗、奥が住居という暮らし方を現代版にアップデートし、築38年の鉄骨造2階建てアパートを、2018年、リノベーションして誕生しました。1階は店舗兼住宅の「しっかりナリワイ」、2階は商品を飾れるディスプレイ窓のある「ちょこっとナリワイ」の全13戸。よりお店感が強い1階、不定期で営業する店舗やギャラリーがある2階というとイメージがつかめるかもしれません。

店舗兼住宅の「しっかりナリワイ」の1階の間取り。軒先が店舗、奥が住居。画像提供/つばめ舎建築設計)

店舗兼住宅の「しっかりナリワイ」の1階の間取り。軒先が店舗、奥が住居。画像提供/つばめ舎建築設計)

商品を飾れるディスプレイ窓のある「ちょこっとナリワイ」の2階の間取り(画像提供/つばめ舎建築設計)

商品を飾れるディスプレイ窓のある「ちょこっとナリワイ」の2階の間取り(画像提供/つばめ舎建築設計)

まず1階の「はと工房。」さんを訪れてみました。フェルトでつくったバッジやヘアゴム、雑貨などを販売しているほか、クリームソーダやこどもアイス、コーヒーやホットサンドなどの軽食もあり、子どもも大人もうれしい雑貨屋さんです。近所にあったらぜったいうれしい、こんなお店……。

見るからに楽しそうな店構えの「はと工房。」さん(写真撮影/片山貴博)

見るからに楽しそうな店構えの「はと工房。」さん(写真撮影/片山貴博)

ユーモアたっぷり手芸作品が並んでいます(写真撮影/片山貴博)

ユーモアたっぷり手芸作品が並んでいます(写真撮影/片山貴博)

クリームソーダは300円。めっちゃかわいい(写真撮影/片山貴博)

クリームソーダは300円。めっちゃかわいい(写真撮影/片山貴博)

「もともと手芸をずっとやってきていて作品をイベントやネットで販売をしていたんですが、どうしてもお店がやりたくて。でも、お店を持つのはお金も手間もかかる。それに私はとても面倒くさがり屋だから、出勤したくなくなると思っていたんです。そんなときに、店舗+住居というものがあると知ったんです。これなら家だから面倒くさくならないし!かかるのは家賃だけだし!と思ってはじめました。賃貸だから、成り立たなかったら引越せばいい!って。最初は自分の好きな街から動きたくなかったんですが、いざ引越してきたら『まあ楽しい!!!』と思いながら生活しています」と、はと工房。店主(30代女性)は話します。

お店のディスプレイも手づくり(写真撮影/片山貴博)

お店のディスプレイも手づくり(写真撮影/片山貴博)

店内の天井にはカラーボールが250個も吊るしてあります(写真撮影/片山貴博)

店内の天井にはカラーボールが250個も吊るしてあります(写真撮影/片山貴博)

長年の夢である「お店」を叶えた店主(写真撮影/片山貴博)

長年の夢である「お店」を叶えた店主(写真撮影/片山貴博)

始まる前から「家とお店が別だと出勤したくなくなる」や「成り立たなかったら引越せばいい」などと、考えるあたりがとてもリアルです!! 引越してからの一番の変化は、“ご近所づきあい”だとか。

「東京での一人暮らしだと、ご近所づきあいはほとんどないですよね。ここの欅の音terraceは入居1カ月後のタイミングで入居者が集まる食事会があって、みんなでご飯を食べてすぐになじみました。コロナが流行する前は、共同のシェアスペースでたこ焼きとか、チーズフォンデュとか、焼き肉とか、プロジェクターでライブ映像を観たりといったゆるいパーティーを毎週のようにしている感じです。飲んで帰ってきて、10秒で家に着けるってサイコーじゃないですか。友だちと仲良くなって一緒に暮らしている感じです。一人になりたいときは家にいればいいだけなので、気が楽です」

(写真提供/はと工房。)

(写真提供/はと工房。)

ああ、大人が夢を叶え、のびやかに暮らしているってそれだけで楽しそうでいいですね。人間関係が重くなく心地よいのが、やはり一番なのかもしれません。こうした職住融合の住まい、楽しそうですが、向いていない人はいるのでしょうか。

「仕事と暮らしのオン・オフを入れたいという人は向かないと思います。あと、駄菓子を販売していて思ったのですが、ほとんど利益が出ない(笑)。家賃などはもう一つの別の仕事でまかなっている感じです」といい、二足三足のわらじを履いていることがメリットになっている様子。とにかく無理せず、力まず、やりたい延長上で商いを始めてみる。「はと工房。」さんはそんな暮らしをしているようです。

自分やつくり手のペースで暮らしを彩るものを届けたい「ちゃらっぽこ」

次に訪れたのは2階にある「ちゃらっぽこ」さんです。こちらは日本各地の暮らしの雑貨を集めたお店で、器や染織物などが並んでいます。アート作品もよいですが、日々使うもの、暮らしから生まれた手仕事の品って、本当に心を豊かにしますよね。店舗は2019年に誕生し、現在は不定期で営業中。オープン日は看板が下がっているので、ひと目で分かるようになっています。でも、なぜ今、リアルな店舗なのでしょうか。

2階で「ちょこっとナリワイ」を営む「ちゃらっぽこ」さん。お店にならぶ商品も店主も「素敵」のひとことです(写真撮影/片山貴博)

2階で「ちょこっとナリワイ」を営む「ちゃらっぽこ」さん。お店にならぶ商品も店主も「素敵」のひとことです(写真撮影/片山貴博)

「もともとネットで店舗を構えていて、商品を実物で見たい、話を聞いてみたいという声を多くちょうだいしていました。どこかで実店舗をできたらいいなというときに、ここを知り、自分のペースで営業している感じです。実店舗という固定したくくりではなく、アトリエショップとして、あくまでも自分のペースとつくり手の製作ペースに合わせて営業できることが一番の魅力です」と話します。

「はと工房。」さんも言っていましたが、ここでかかるのは家賃のみです。固定費を最低限に抑えられることで、自分やつくり手のペースで商いができるというのは、大きなメリットといえるでしょう。もう一つ、暮らしの品を扱っていることならではの良さもあるようです。

ひとつずつ表情の異なる手編みのかご(写真撮影/片山貴博)

ひとつずつ表情の異なる手編みのかご(写真撮影/片山貴博)

店主の私物のこけしさんも愛らしい!(写真撮影/片山貴博)

店主の私物のこけしさんも愛らしい!(写真撮影/片山貴博)

「商品は基本的に自分で使ってみて、体感してから販売しています。だから、実際に自分が使用しているものの経年変化や使い方、シチュエーションなど、すぐにお客様の目の前で提案できるのは強みですね。店舗と同じ空間に私物や生活のものを取り入れることで、自分自身が心地よく過ごすことができます」

作家・ツキゾエハルさんのヘリンボーン スープマグは大きめのサイズで、具だくさんスープやたっぷりカフェオレなどを楽しむのにぴったり(写真提供/ちゃらっぽこ)

作家・ツキゾエハルさんのヘリンボーン スープマグは大きめのサイズで、具だくさんスープやたっぷりカフェオレなどを楽しむのにぴったり(写真提供/ちゃらっぽこ)

看板は店主お手製(写真提供/ちゃらっぽこ)

看板は店主お手製(写真提供/ちゃらっぽこ)

確かに店舗とはいえ、お部屋にお邪魔したような心地よさ、マネしたくなるようなセンスのよさ。インテリアとも一体になっているのは、扱っている商品の特性にも合っているのでしょう。また、コロナ禍以前では、全戸が一体となって地元の住民の方に喜んでもらえるようなイベントなどを企画するなど、集客力も高められるのも、魅力として感じていたそう。

一方で、注意点として教えてくれたのは、「はと工房。」さんと同様に、オン・オフの切り替えがつきにくいこと、決めごとや他の住居への配慮が必要となる点でした。集合住宅では、ほどよい温度感を保つための配慮は大なり小なり、必要なもの。ここでは住人同士、顔が見えるからこそ、より大切にしたいと思うのかもしれません。

“住み開き”を実践し、本を届ける「tsugubooks」

最後に訪れたのは、「個人で本をお届けする活動」をしている「tsugubooks」さん。そういえば、以前取材をした「読む団地」の選書にも携わっていらっしゃいました。 現在は新型コロナウイルスの影響もあり、自宅の一部を開ける活動を行っていませんが、もともとカフェや美容院の本棚を間借りし本を販売する「間借り本屋」をしていて、「欅の音terrace」は自宅の一部が、ちいさな本屋さんになっています。

本が並んでいるお部屋が目印ギャラリーのよう(写真撮影/片山貴博)

本が並んでいるお部屋が目印ギャラリーのよう(写真撮影/片山貴博)

背表紙を見ているだけでも楽しいですよね、本って(写真撮影/片山貴博)

背表紙を見ているだけでも楽しいですよね、本って(写真撮影/片山貴博)

今回は、取材で本屋さんにおじゃましましたが、ずらりとならんだ本を見ると、やっぱりいいなって思います。「tsugubooks」さんは「住み開き」を実践したいという思いでここで暮らすことになりました。でも、なぜ住み開きだったのでしょうか。

「社会人として働くようになって、一人暮らしをすると、家と会社との往復で地域とまったく接点を持たないんですよね。これじゃ良くないと思っていたところ、自宅の一部を開放して地域と交流する『住み開き』を知って、実践してみたくて。清澄白河に住んでいたころはオートロックの物件で自宅を地域に開けなかったので、カフェの本棚を借りて『間借り本屋』をしていました。この物件を知って、私が暮らしたかったのはココだ! と引越してくることにしました。住人同士も仲良く、今は漫画の貸し借りが流行っているんですよ(笑)」

同年代の女性が多いということもあり、まるで学校のような伸びやな環境で暮らしているとのこと。個人的には住み開きというと、とても活発な人・アクティブな人という先入観があったのですが、「tsugubooks」さんは、おだやかで、はじめましてですがここにいても良いよ、受け入れるよ、という優しい空気で迎えてくれました。

本棚の反対側の壁はキッチンになっています(写真撮影/片山貴博)

本棚の反対側の壁はキッチンになっています(写真撮影/片山貴博)

お店からは見えないようになっている居住スペース(写真撮影/片山貴博)

お店からは見えないようになっている居住スペース(写真撮影/片山貴博)

「商いと住まいが一体というと、特別な印象はあるかもしれませんが、それらは別々のものではないと思うんです。いいなと思う本を置いてみる。それを“いいね”と受け取ってくれる地域の人たちがいる。そうすると、こんな本も好きかも?とその人たちを思い浮かべて選書する。その繰り返しです。
本屋という商いをしているけど、自分だけなら出合えなかった本や物事を知ることができて、世界が少しずつ広がっている気がします。自身の本棚も住まいも少しずつ変わってきて豊かになっているのを感じます。商いと住まいはつながっているんです」(tsugubooks)さん。

「本も面白いけど、お客さんから聴くその本の感想がもっと面白いんです」tsugubooksさん(写真撮影/片山貴博)

「本も面白いけど、お客さんから聴くその本の感想がもっと面白いんです」tsugubooksさん(写真撮影/片山貴博)

なるほど、お店といっても暮らしと切り離されたものではなく、どちらも“自分”の延長にあると思うと、とても自然な流れなのかもしれません。

今回、ご登場いただいた3人は別にも仕事を持っており、本業、あるいは副業として“生業、商い”を成立させていますが、三者三様、魅力的な暮らし方・生き方をされています。また、本来、生きることと働くことに境目はなかったことを再発見しました。欅の音terraceは、練馬で後続のプロジェクトが予定されています。そこではどんな暮らしが実現して、どんな才能が花開くのか。今から楽しみで仕方がありません。

庭にはたくさんのみかんがなっていて、入居者におすそわけも(写真撮影/片山貴博)

庭にはたくさんのみかんがなっていて、入居者におすそわけも(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
ナリ間ノワプロジェクト 欅の音terrace

「家賃だけでお店が持てる」! 夢を叶えた3人のユニーク賃貸暮らし

コロナ禍の影響で、副業や、テレワークが普及しつつある昨今、住まいと職場がともにある“職住融合”な暮らしに興味を持つ人も多いのではないでしょうか。今回は、住まいの中にお店も持てる賃貸物件「ナリ間ノワプロジェクト 欅の音terrace」(東京都練馬区)でお店を始めた3人にインタビュー。別にも仕事を持ちながら、本業や副業として夢を叶えた、その暮らしぶりを拝見しました。
自分の店を持ちたい! ゆる~く夢を叶えた「はと工房。」 

東京都練馬区の住宅街の一角に建つ「ナリ間ノワプロジェクト 欅の音terrace」(以下、欅の音terrace)は、住まいと生業(商い)が一体となった職住融合の住まいです。かつて日本の住まいでよく見られた軒先が店舗、奥が住居という暮らし方を現代版にアップデートし、築38年の鉄骨造2階建てアパートを、2018年、リノベーションして誕生しました。1階は店舗兼住宅の「しっかりナリワイ」、2階は商品を飾れるディスプレイ窓のある「ちょこっとナリワイ」の全13戸。よりお店感が強い1階、不定期で営業する店舗やギャラリーがある2階というとイメージがつかめるかもしれません。

店舗兼住宅の「しっかりナリワイ」の1階の間取り。軒先が店舗、奥が住居。画像提供/つばめ舎建築設計)

店舗兼住宅の「しっかりナリワイ」の1階の間取り。軒先が店舗、奥が住居。画像提供/つばめ舎建築設計)

商品を飾れるディスプレイ窓のある「ちょこっとナリワイ」の2階の間取り(画像提供/つばめ舎建築設計)

商品を飾れるディスプレイ窓のある「ちょこっとナリワイ」の2階の間取り(画像提供/つばめ舎建築設計)

まず1階の「はと工房。」さんを訪れてみました。フェルトでつくったバッジやヘアゴム、雑貨などを販売しているほか、クリームソーダやこどもアイス、コーヒーやホットサンドなどの軽食もあり、子どもも大人もうれしい雑貨屋さんです。近所にあったらぜったいうれしい、こんなお店……。

見るからに楽しそうな店構えの「はと工房。」さん(写真撮影/片山貴博)

見るからに楽しそうな店構えの「はと工房。」さん(写真撮影/片山貴博)

ユーモアたっぷり手芸作品が並んでいます(写真撮影/片山貴博)

ユーモアたっぷり手芸作品が並んでいます(写真撮影/片山貴博)

クリームソーダは300円。めっちゃかわいい(写真撮影/片山貴博)

クリームソーダは300円。めっちゃかわいい(写真撮影/片山貴博)

「もともと手芸をずっとやってきていて作品をイベントやネットで販売をしていたんですが、どうしてもお店がやりたくて。でも、お店を持つのはお金も手間もかかる。それに私はとても面倒くさがり屋だから、出勤したくなくなると思っていたんです。そんなときに、店舗+住居というものがあると知ったんです。これなら家だから面倒くさくならないし!かかるのは家賃だけだし!と思ってはじめました。賃貸だから、成り立たなかったら引越せばいい!って。最初は自分の好きな街から動きたくなかったんですが、いざ引越してきたら『まあ楽しい!!!』と思いながら生活しています」と、はと工房。店主(30代女性)は話します。

お店のディスプレイも手づくり(写真撮影/片山貴博)

お店のディスプレイも手づくり(写真撮影/片山貴博)

店内の天井にはカラーボールが250個も吊るしてあります(写真撮影/片山貴博)

店内の天井にはカラーボールが250個も吊るしてあります(写真撮影/片山貴博)

長年の夢である「お店」を叶えた店主(写真撮影/片山貴博)

長年の夢である「お店」を叶えた店主(写真撮影/片山貴博)

始まる前から「家とお店が別だと出勤したくなくなる」や「成り立たなかったら引越せばいい」などと、考えるあたりがとてもリアルです!! 引越してからの一番の変化は、“ご近所づきあい”だとか。

「東京での一人暮らしだと、ご近所づきあいはほとんどないですよね。ここの欅の音terraceは入居1カ月後のタイミングで入居者が集まる食事会があって、みんなでご飯を食べてすぐになじみました。コロナが流行する前は、共同のシェアスペースでたこ焼きとか、チーズフォンデュとか、焼き肉とか、プロジェクターでライブ映像を観たりといったゆるいパーティーを毎週のようにしている感じです。飲んで帰ってきて、10秒で家に着けるってサイコーじゃないですか。友だちと仲良くなって一緒に暮らしている感じです。一人になりたいときは家にいればいいだけなので、気が楽です」

(写真提供/はと工房。)

(写真提供/はと工房。)

ああ、大人が夢を叶え、のびやかに暮らしているってそれだけで楽しそうでいいですね。人間関係が重くなく心地よいのが、やはり一番なのかもしれません。こうした職住融合の住まい、楽しそうですが、向いていない人はいるのでしょうか。

「仕事と暮らしのオン・オフを入れたいという人は向かないと思います。あと、駄菓子を販売していて思ったのですが、ほとんど利益が出ない(笑)。家賃などはもう一つの別の仕事でまかなっている感じです」といい、二足三足のわらじを履いていることがメリットになっている様子。とにかく無理せず、力まず、やりたい延長上で商いを始めてみる。「はと工房。」さんはそんな暮らしをしているようです。

自分やつくり手のペースで暮らしを彩るものを届けたい「ちゃらっぽこ」

次に訪れたのは2階にある「ちゃらっぽこ」さんです。こちらは日本各地の暮らしの雑貨を集めたお店で、器や染織物などが並んでいます。アート作品もよいですが、日々使うもの、暮らしから生まれた手仕事の品って、本当に心を豊かにしますよね。店舗は2019年に誕生し、現在は不定期で営業中。オープン日は看板が下がっているので、ひと目で分かるようになっています。でも、なぜ今、リアルな店舗なのでしょうか。

2階で「ちょこっとナリワイ」を営む「ちゃらっぽこ」さん。お店にならぶ商品も店主も「素敵」のひとことです(写真撮影/片山貴博)

2階で「ちょこっとナリワイ」を営む「ちゃらっぽこ」さん。お店にならぶ商品も店主も「素敵」のひとことです(写真撮影/片山貴博)

「もともとネットで店舗を構えていて、商品を実物で見たい、話を聞いてみたいという声を多くちょうだいしていました。どこかで実店舗をできたらいいなというときに、ここを知り、自分のペースで営業している感じです。実店舗という固定したくくりではなく、アトリエショップとして、あくまでも自分のペースとつくり手の製作ペースに合わせて営業できることが一番の魅力です」と話します。

「はと工房。」さんも言っていましたが、ここでかかるのは家賃のみです。固定費を最低限に抑えられることで、自分やつくり手のペースで商いができるというのは、大きなメリットといえるでしょう。もう一つ、暮らしの品を扱っていることならではの良さもあるようです。

ひとつずつ表情の異なる手編みのかご(写真撮影/片山貴博)

ひとつずつ表情の異なる手編みのかご(写真撮影/片山貴博)

店主の私物のこけしさんも愛らしい!(写真撮影/片山貴博)

店主の私物のこけしさんも愛らしい!(写真撮影/片山貴博)

「商品は基本的に自分で使ってみて、体感してから販売しています。だから、実際に自分が使用しているものの経年変化や使い方、シチュエーションなど、すぐにお客様の目の前で提案できるのは強みですね。店舗と同じ空間に私物や生活のものを取り入れることで、自分自身が心地よく過ごすことができます」

作家・ツキゾエハルさんのヘリンボーン スープマグは大きめのサイズで、具だくさんスープやたっぷりカフェオレなどを楽しむのにぴったり(写真提供/ちゃらっぽこ)

作家・ツキゾエハルさんのヘリンボーン スープマグは大きめのサイズで、具だくさんスープやたっぷりカフェオレなどを楽しむのにぴったり(写真提供/ちゃらっぽこ)

看板は店主お手製(写真提供/ちゃらっぽこ)

看板は店主お手製(写真提供/ちゃらっぽこ)

確かに店舗とはいえ、お部屋にお邪魔したような心地よさ、マネしたくなるようなセンスのよさ。インテリアとも一体になっているのは、扱っている商品の特性にも合っているのでしょう。また、コロナ禍以前では、全戸が一体となって地元の住民の方に喜んでもらえるようなイベントなどを企画するなど、集客力も高められるのも、魅力として感じていたそう。

一方で、注意点として教えてくれたのは、「はと工房。」さんと同様に、オン・オフの切り替えがつきにくいこと、決めごとや他の住居への配慮が必要となる点でした。集合住宅では、ほどよい温度感を保つための配慮は大なり小なり、必要なもの。ここでは住人同士、顔が見えるからこそ、より大切にしたいと思うのかもしれません。

“住み開き”を実践し、本を届ける「tsugubooks」

最後に訪れたのは、「個人で本をお届けする活動」をしている「tsugubooks」さん。そういえば、以前取材をした「読む団地」の選書にも携わっていらっしゃいました。 現在は新型コロナウイルスの影響もあり、自宅の一部を開ける活動を行っていませんが、もともとカフェや美容院の本棚を間借りし本を販売する「間借り本屋」をしていて、「欅の音terrace」は自宅の一部が、ちいさな本屋さんになっています。

本が並んでいるお部屋が目印ギャラリーのよう(写真撮影/片山貴博)

本が並んでいるお部屋が目印ギャラリーのよう(写真撮影/片山貴博)

背表紙を見ているだけでも楽しいですよね、本って(写真撮影/片山貴博)

背表紙を見ているだけでも楽しいですよね、本って(写真撮影/片山貴博)

今回は、取材で本屋さんにおじゃましましたが、ずらりとならんだ本を見ると、やっぱりいいなって思います。「tsugubooks」さんは「住み開き」を実践したいという思いでここで暮らすことになりました。でも、なぜ住み開きだったのでしょうか。

「社会人として働くようになって、一人暮らしをすると、家と会社との往復で地域とまったく接点を持たないんですよね。これじゃ良くないと思っていたところ、自宅の一部を開放して地域と交流する『住み開き』を知って、実践してみたくて。清澄白河に住んでいたころはオートロックの物件で自宅を地域に開けなかったので、カフェの本棚を借りて『間借り本屋』をしていました。この物件を知って、私が暮らしたかったのはココだ! と引越してくることにしました。住人同士も仲良く、今は漫画の貸し借りが流行っているんですよ(笑)」

同年代の女性が多いということもあり、まるで学校のような伸びやな環境で暮らしているとのこと。個人的には住み開きというと、とても活発な人・アクティブな人という先入観があったのですが、「tsugubooks」さんは、おだやかで、はじめましてですがここにいても良いよ、受け入れるよ、という優しい空気で迎えてくれました。

本棚の反対側の壁はキッチンになっています(写真撮影/片山貴博)

本棚の反対側の壁はキッチンになっています(写真撮影/片山貴博)

お店からは見えないようになっている居住スペース(写真撮影/片山貴博)

お店からは見えないようになっている居住スペース(写真撮影/片山貴博)

「商いと住まいが一体というと、特別な印象はあるかもしれませんが、それらは別々のものではないと思うんです。いいなと思う本を置いてみる。それを“いいね”と受け取ってくれる地域の人たちがいる。そうすると、こんな本も好きかも?とその人たちを思い浮かべて選書する。その繰り返しです。
本屋という商いをしているけど、自分だけなら出合えなかった本や物事を知ることができて、世界が少しずつ広がっている気がします。自身の本棚も住まいも少しずつ変わってきて豊かになっているのを感じます。商いと住まいはつながっているんです」(tsugubooks)さん。

「本も面白いけど、お客さんから聴くその本の感想がもっと面白いんです」tsugubooksさん(写真撮影/片山貴博)

「本も面白いけど、お客さんから聴くその本の感想がもっと面白いんです」tsugubooksさん(写真撮影/片山貴博)

なるほど、お店といっても暮らしと切り離されたものではなく、どちらも“自分”の延長にあると思うと、とても自然な流れなのかもしれません。

今回、ご登場いただいた3人は別にも仕事を持っており、本業、あるいは副業として“生業、商い”を成立させていますが、三者三様、魅力的な暮らし方・生き方をされています。また、本来、生きることと働くことに境目はなかったことを再発見しました。欅の音terraceは、練馬で後続のプロジェクトが予定されています。そこではどんな暮らしが実現して、どんな才能が花開くのか。今から楽しみで仕方がありません。

庭にはたくさんのみかんがなっていて、入居者におすそわけも(写真撮影/片山貴博)

庭にはたくさんのみかんがなっていて、入居者におすそわけも(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
ナリ間ノワプロジェクト 欅の音terrace

新築マンション購入で水害が心配! 入居前の防災対策が画期的【わがまち防災3】

2011年の東日本大震災、いわゆる「3・11」からちょうど10年。各地域で防災の取り組みが生まれ、取り組まれるようになった。いま「地域の防災」はどうなっているのだろうか。

第3回にご紹介するのは新築マンションの「イニシア日暮里テラス」「イニシア日暮里アベニュー」。防災対策に取り組む管理組合が発足するのは入居開始から約半年後だが、同マンションではディベロッパーが音頭を取って“まちとの共生”を含めた防災対策を進めている。果たして、その内容とは?
防災対策を担当する管理組合の発足を待たずに始動

「イニシア日暮里アベニュー」は2021年1月、「イニシア日暮里テラス」は2021年2月、それぞれ竣工した新築マンション。JR山手線・日暮里駅の東側の近接するエリアに建つ。

イニシア日暮里テラス 完成予想図(画像提供/コスモスイニシア)

イニシア日暮里テラス 完成予想図(画像提供/コスモスイニシア)

4駅8路線が利用可能で、日暮里の繊維街や下町情緒あふれる「夕焼けだんだん」も近い。計99戸は順調に販売が進み、「イニシア日暮里アベニュー」は2月から入居を開始しており、「イニシア日暮里テラス」は3月下旬から入居が始まる。

これまでも、ディベロッパーがマンション内に共用の備蓄倉庫を設けたり、各戸に防災グッズを配布したりといった事例はある。しかし、管理組合の発足を待たずに防災対策を進めるケースや地区防災計画の作成をディベロッパー主導で行うのは珍しい。

ディベロッパーは東京都港区に本社を置くコスモスイニシア。同物件を担当する田脇みさきさんに、今回の取り組みの背景を聞いた。

田脇みさきさん(写真提供/コスモスイニシア)

田脇みさきさん(写真提供/コスモスイニシア)

「モデルルームのご来場者様と接していると、頻発する未曾有の災害に対して不安視する声が多いんです。とくに、台風や豪雨による水害はハザードマップも公表されていて、2018年の西日本豪雨もハザードマップ通りに浸水したというニュースも目にしました」

荒川区のハザードマップ。「イニシア日暮里テラス」「イニシア日暮里アベニュー」は浸水深0.5m~3.0m未満(1階の床から1階の天井までつかる程度)想定地域(荒川区HPより)

荒川区のハザードマップ。「イニシア日暮里テラス」「イニシア日暮里アベニュー」は浸水深0.5m~3.0m未満(1階の床から1階の天井までつかる程度)想定地域(荒川区HPより)

とはいえ、マンションの購入を考えている人々は、こうした不安を漠然と抱えているしかない。その対策を明確に提示するのが、「イニシア日暮里テラス」「イニシア日暮里アベニュー」の取り組みの目的だという。

田脇さん自身も社内の防災セミナーに参加して防災に対する意識が変わった。「備えることの重要性は分かっているが、災害なんてそうそう身近に起こるものじゃない」。そう思っていたが、セミナーを通じて災害時の具体的な状況を学んだことによって、当事者意識が芽生えたそうだ。非常用ライトや簡易トイレも鞄に入れて持ち歩くようになった。

契約者向けの「防災セミナー」をオンラインで開催

では、「イニシア日暮里テラス」「イニシア日暮里アベニュー」の防災対策とはどのようなものか。まず、エントランスの共用部分には防災倉庫があり、そこには「簡易トイレ」「救急箱」「トランシーバー」「発電機」「カセットガス」「レインポンチョ」「備蓄ラジオ」などの防災備品が入っている。

百年防災社にも防災倉庫の中身をチェックしてもらい、準備を進めた(写真提供/コスモスイニシア)

百年防災社にも防災倉庫の中身をチェックしてもらい、準備を進めた(写真提供/コスモスイニシア)

さらに、揺れを感じるとセットした収納扉に自動でロックがかかり、収納スペースの中身が落ちてこないようにする「耐震ラッチ」や、地震の際にドアが変形して開かなくなることを避けるため、ドアに接触しないように枠が変形する「耐震枠」も各戸に導入している。

耐震ラッチ(写真提供/コスモスイニシア)

耐震ラッチ(写真提供/コスモスイニシア)

耐震枠の玄関ドア(画像提供/コスモスイニシア)

耐震枠の玄関ドア(画像提供/コスモスイニシア)

しかし、これは他社を含む従来のマンションでもやってきたこと。ここ独自の取り組みとはどのようなものだろうか。

「まず、昨年11月にご契約者様向けの『防災セミナー』をオンラインで開催しました。内容については地域の防災計画を作成する百年防災社様に監修を依頼しています」

19世帯、31人が参加したというセミナーの内容は「マンション防災〇×クイズ」「荒川区の被災想定」「マンション防災のポイント」「グループディスカッション」など。

被災想定に関しては、荒川区の地域防災計画による推測データを引用した。それによれば、冬の18時に震度6強の首都直下型地震が起きた場合の荒川区の被害は以下のようになる。

倒壊家屋7217棟、地震火災5521棟、停電率48.7%、断水率58.3%、通信不通15.1%、ガス支障率52.5%。さらに、荒川氾濫時は0.5~3mの浸水を想定している。

「マンションの場合は在宅避難が基本です。こうしたデータを踏まえて、7日分の食料・水、生活必需品の備蓄、電力などの確保の重要性をお伝えしました。グループディスカッションでは、4~5人のグループに別れていただき、セミナーの感想や在宅避難で取り組みたいことなどを共有しています」

さらに、マンション防災にあたっては「住民同士や地域とのつながり」が重要だということも入居予定の住民に訴えた。今後は、町内会とマンション住民が共同で地区防災計画も作成する予定だ。町内会の賛同はすでに得ており、あとは進めるだけ。作成会議は4月から始まるが、セミナー参加者の76.9%が「地区防災計画の作成に参加したい」と回答した。

まちとつながっておくことで助かる命がある

新たに街に入ってくる分譲マンションの住民、のちにマンション管理組合となる側が、元から住む町内会を巻き込んで防災対策を考える試みもなかなか珍しい。マンション住民は在宅避難が基本なのに、なぜ町内会とのつながりが重要なのだろう。

「例えば、行政から地域への支援物資はすべて避難所に届けられます。でも、マンションにお住まいの方はその情報を得る術がありません。それに、避難所を運営しているのが町会の役員の方が多く、特に切羽詰まった状況下では限られた物資をどうしても顔見知りに優先して渡したい心情が働くものです。日ごろから接点をつくっておかないと、足を運んだところで、『あなた、誰?』となってしまいます。大げさに言えば、町とつながっておくことで助かる命があるということです」

「イニシア日暮里テラス」の共用ラウンジイメージ写真(写真提供/コスモスイニシア)

「イニシア日暮里テラス」の共用ラウンジイメージ写真(写真提供/コスモスイニシア)

管理組合が発足後には「マンション防災マニュアル」の作成に取り掛かる予定だ。在宅避難となるマンションは住民同士の共助がより必要となる。その際の役割分担や初期行動について協議するという。

「この取り組みが成功したら、今後の新築マンションでも取り入れたい」と田脇さん。

まちとマンションがつながることで、防災対策の強度は大きく増すだろう。マンションの住民は災害時の安心材料を得られる。高齢化が進む町内会に若い住民が加わることは地域の活性化につながる。まちとマンションのあり方を考える良い事例となりそうだ。

●取材協力
イニシア日暮里プロジェクト(株式会社コスモスイニシア)
百年防災社

「被災地の復興の記憶を風化させたくない」。『東北復興文庫』立ち上げ“本”に

東日本大震災の発生から約10年、東北の片隅で、地域の復興・再生に向けて地道に挑戦し闘い続けている人がいる。コワーキングスペースの運営やNPOの支援など行う一般社団法人グラニー・リデトの代表理事・桃生和成さんは、10年経った今だから語れる東北の復興後の事業のモデルやそこで得た知見を、全国の被災地復興に取り組む方々へ向けて伝えたいと、東北の復興をテーマにした出版レーベル「東北復興文庫」を立ち上げた。桃生さんと「東北復興文庫」第1弾の著者である亀山貴一(たかかず)さんに話を聞いた。
被災地の経験を残す出版レーベルを立ち上げた

東日本大震災の発生から約10年が経つ2021年2月13日、23時過ぎに福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、福島と宮城では最大震度6強の揺れを観測した。東日本大震災の余震とも伝えられ、SNSでは「東日本大震災の記憶が蘇った」「震災を忘れるな、という警告のように思った」という声がいくつも見られた。

記憶が風化しつつある東日本大震災から得た教訓、取り組みを次世代にしっかり残したい。そんな思いで出版レーベル「東北復興文庫」を立ち上げた桃生和成さんは、大学を卒業した2008年にNPO法人せんだい・みやぎNPOセンターに入職。多賀城市市民活動サポートセンターのスタッフを約8年間務める間に東日本大震災が発生。多賀城市は市の面積の約1/3が浸水し、250人が亡くなった。桃生さんは避難所の調査をしたり、市外・県外から来る支援のコーディネートやボランティア受け入れセンターのバックアップなど、震災復興に関わる仕事をしていた。

2016年に退職し、一般社団法人Granny Rideto(グラニー・リデト)を立ち上げる。Granny Ridetoは、桃生さんが好きな宮沢賢治が良く使っていたエスペラント語で「おばあちゃんの笑顔」、Grannyには「おせっかい」という意味もあり、「地域のおせっかいをしよう」という思いを込めた。

一般社団法人グラニー・リデト代表理事の桃生和成さん。宮城県で生まれ、3歳から18歳まで福島県いわき市で育ち、岩手大学に進み、東北の被災3県に住んで38年。「東北に貢献したい思いをずっと持っていた」という(写真撮影/佐藤由紀子)

一般社団法人グラニー・リデト代表理事の桃生和成さん。宮城県で生まれ、3歳から18歳まで福島県いわき市で育ち、岩手大学に進み、東北の被災3県に住んで38年。「東北に貢献したい思いをずっと持っていた」という(写真撮影/佐藤由紀子)

グラニー・リデトは、フードバンクの立ち上げのバックアップや、NPO法人の相談やサポート、フリーランスで働くクリエイターの新しい仕事をつくるなど、相談を受けて社会的意義があると判断したことを請け負う。また、宮城県宮城郡の「利府町まち・ひと・しごと創造ステーション tsumiki」、仙台市にあるシェア型複合施設「THE6」のディレクターとして施設運営にも関わる。

「出版事業はグラニー・リデトを立ち上げるときに、事業の柱として考えていました。震災直後は、震災の経験を記録した本も出版されましたが、8年、9年経つと少なくなり、また、商業的に売れないため大手出版社が発行するのは難しくなります。それでも、東北に生まれ育った者として、商業ベースではなく社会的に意味があると強く感じていて、いつか出版したいという想いは強くありました」

被災地と被災地をつないで復興のノウハウやスキルを発信したい

2016年ごろから構想があった東北の復興をテーマにした出版レーベルは2020年2月、クラウドファンディングを実施して形になった。「知り合いにも個別に声をかけて支援を頼みましたが、思いがけない人や、九州から北海道まで全国各地の方に支援をいただき、東北の動きに感心がある人がいるんだと分かりました」

経験談などはインターネットでも発信できるが、あえて印刷物、書籍化したのは、確実に長く残したいからだという。「Webでは記録が残っても発見されにくくなります。一方で書籍ならISBN(書籍出版物を識別するコード)を取れば国立国会図書館も含め図書館に納めることができ、100年先、200年先も残すことができます。単純に本が好きということもありましたけれどね。

東北には、震災復興のために事業を継続的に行っている人たちがたくさんいるのに、ノウハウやスキルが個人に蓄積されたままではもったいない、全国の被災地で同じような問題を抱えている人、復興を目指す人々に活用してほしいと立ち上げたのが『東北復興文庫』です。

コロナ禍の影響で計画通りにはいきませんでしたが、NPOの仕事を通じて全国各地の被災地ともネットワークができていたので、当初は、著者と一緒に本を抱えて九州の豪雨地帯や新潟の中越地震の被災地などへ行って、復興従事者の人たちとディスカッションをしながら本を販売しようと考えていました」

東北の被災地から全国の災害被災地へ。著者を選定する条件は「震災から約10年が経とうとしても何らかの形で取り組みを継続し、今後も持続する可能性があること。著者自身が印刷物の書籍をだしたことがない、の2点」とのこと(画像提供/グラニー・リデト)

東北の被災地から全国の災害被災地へ。著者を選定する条件は「震災から約10年が経とうとしても何らかの形で取り組みを継続し、今後も持続する可能性があること。著者自身が印刷物の書籍をだしたことがない、の2点」とのこと(画像提供/グラニー・リデト)

被災地で起こりうる課題を現場からリアルに

1冊目の本「豊かな浜の暮らしを未来へつなぐ -蛤浜再生プロジェクト-」は、石巻市蛤浜(はまぐりはま)でカフェ「はまぐり堂」などの事業を展開している、一般社団法人はまのね・代表理事の亀山貴一さんの、東日本大震災の発生から約9年間の取り組みをまとめた本だ。

築100年の亀山さんの持ち家を協力者とともに改装したはまぐり堂の店内。現在は、コロナ禍のためオンラインショップでお菓子や鹿の皮のアクセサリーの販売などを行っている(画像提供/亀山貴一さん)

築100年の亀山さんの持ち家を協力者とともに改装したはまぐり堂の店内。現在は、コロナ禍のためオンラインショップでお菓子や鹿の皮のアクセサリーの販売などを行っている(画像提供/亀山貴一さん)

「亀山さんのことは以前から知っていて、活動に注目していましたし、はまぐり堂に行ったこともありました。宮城県の震災復興関係では名前の通った方ですが、亀山さん自身の言葉で語られた記録がなかったので、3、4年前から声をかけていました」と桃生さん。

桃生さんが亀山さんに書いてほしかったのは、復興活動を進める上で表に出にくい、報道されない現実、課題だった。

「僕が復興支援事業に従事していたときから感じていた違和感、課題があり、例えば、たくさんの補助金・助成金が投入されても資金が途切れたら事業ができなくなったり、お店を開いてメディアに注目されるのはありがたくても、人が来過ぎて地元の人たちのストレスになったり、地元の人がお店に足を運べなくなったり。そういったことがあると、本末転倒です。

蛤浜は災害危険区域に指定され住宅は建てられません。亀山さんは『人口は少なくても、地域資源を活かした産業で交流人口を増やし、まちを活性化したい。まずはバラバラになった地元の方が集まりお茶を飲みながら集える場所を提供したい、外部にまちの魅力を発信する場所としてカフェをつくろう』と考えたのです。自己資金では足りなかったので寄付金や助成金にエントリーしましたが、災害危険区域であることや費用対効果の面で実現が難しいだろうと助成金が下りませんでした。

当初やろうとしていたことと違う方向に進んだり、助成金が下りないなどは、どこの被災地でも起こりうることだと思いますが、なかなか拾いきれない話だと思います。亀山さんがどう乗り切ったのかなどをぜひ書いてほしいと思いました」

桃生さん、亀山さん、編集者らで何度もやりとりしながら書籍をまとめあげた(写真提供/グラニー・リデト)

桃生さん、亀山さん、編集者らで何度もやりとりしながら書籍をまとめあげた(写真提供/グラニー・リデト)

壊滅的な被害の中、一人で始めた「蛤浜再生プロジェクト」石巻市の東の先端、牡鹿半島の付け根にある蛤浜全景。蛤浜は豊かな山と海にかこまれた小さな集落だ(画像提供/亀山貴一さん)

石巻市の東の先端、牡鹿半島の付け根にある蛤浜全景。蛤浜は豊かな山と海にかこまれた小さな集落だ(画像提供/亀山貴一さん)

亀山さんは生まれてから高校2年まで、石巻市の小さな集落、蛤浜で暮らし、その後は街なかに引越した。同級生は地元を離れることが多いなか、亀山さんは大好きな蛤浜に戻り宮城県水産高校で教員として働き、結婚後もそのまま蛤浜で妻と暮らしていたが、大震災で妊娠中の妻と親族3人を亡くした。震災前は9世帯が住んでいたまちは、震災後はわずか3世帯になり、建物も集会所と民家が4戸残るのみという壊滅的な被害を受けた。

亀山貴一さん。「この9年間、新しいことに取り組み、常に突っ走っていましたが、震災から10年、コロナ禍もあり、執筆が一つの区切りになりました」(画像提供/亀山貴一さん)

亀山貴一さん。「この9年間、新しいことに取り組み、常に突っ走っていましたが、震災から10年、コロナ禍もあり、執筆が一つの区切りになりました」(画像提供/亀山貴一さん)

震災後、亀山さんは「もうここには住めない」と再び市内に引越したが、1年後に漁業に熱い思いを持つ区長さんと話をしたことで「震災前にあった豊かな暮らしを後世に残していきたい」「ボランティアの方々に支援してもらうばかりでなく、自分も地域のために何かしたい」という想いが沸き起こり、2012年にたった一人で蛤浜再生プロジェクトを立ち上げた。

当時、亀山さんは持続可能な浜をつくりたいと、一枚の絵を描いた。カフェでコミュニティを育むのはもちろん、浜で獲れた季節の食材を提供するレストラン、浜の暮らしを体験できる宿、海に親しむためのマリンレジャーや自然学校、ギャラリーなどをつくり、交流人口を増やすことを目指した。その絵を基に地区を離れた住民や浜の出身者、行政やNPO、大学などたくさんの人に自ら会いに行って話をしたという。また、FacebookなどSNSで情報を拡散すると、ボランティアや応援してくれる人が増えた。

震災1、2年目は瓦礫も片付かない状態だったが、いい仲間やボランティア、支援してくれる人との出会いがあり、瓦礫撤去作業は一段落した。震災から丸2年経った3月、人が集まる場所、コミュニティの基点として「はまぐり堂」をオープン。「はまぐり堂」は、たくさんの人の応援の証であり、復興のシンボルのひとつとして形になることでさらに応援する人が増えて、次のステップが広がった。そして、自然学校の開催、海の結婚式など、この浜ならではの魅力を活かしたイベントや地域資源を有効活用した狩猟、山林再生、漁業、観光プログラムなど、できることを増やしていった。

石巻市では鹿が急増し猟友会に頼るだけでは駆除が追いつかない、捕獲しても処理できないという問題を抱えていた。はまぐり堂では、2014年ごろから、鹿肉を使ったカレーを提供(写真)、人気メニューとなっている。副業として猟を始め、スタッフや地元の作家が鹿革の小物などに加工して販売(画像提供/亀山貴一さん)

石巻市では鹿が急増し猟友会に頼るだけでは駆除が追いつかない、捕獲しても処理できないという問題を抱えていた。はまぐり堂では、2014年ごろから、鹿肉を使ったカレーを提供(写真)、人気メニューとなっている。副業として猟を始め、スタッフや地元の作家が鹿革の小物などに加工して販売(画像提供/亀山貴一さん)

本を読んで分かるのは、亀山さんが事業を展開する上で、たくさんの人の協力や支援があったことだ。自分の構想を周りの人にも語り、多くの人に声をかけている。

「やはりカフェを開業できたのは、人との出会いやつながりが大きいです。諦めずに熱意とビジョンを持つと、協力者が自然と集まってくると感じています。本でも、感謝を伝えたくて、一部の方の個人名や企業名を入れましたが、名前を書ききれないほどたくさんの人にお世話になり、全員の名前を挙げられなかったのが心苦しいです。

補助金や助成金が得られず、資金が少なかったため、築100年の自分の持ち家をカフェに改装することにしましたが、その分、家族や地元の人、震災後に出会った方が寄付をしてくれたり、設計事務所の方、大工さん、ボランティアといった多くの人が知恵や労力を手注いでくれて、改装することができたのも結果的に良かったと思います」と亀山さん。

本の第5章の「交流人口から関係人口へ」と、最終章の桃生さんと亀山さんの対談では、震災後5年以降の取り組みや、振り返って思うこと、情報を伝える難しさなど、復興事業に取り組む方の参考になる内容だ。

東北だからこそできることから、東北の新しい価値を見出す

2020年10月、クラウドファンディングの協力者に本を発送。2020年12月には仙台市内の書店でトークイベントを行った。

参加者からは「はまぐり堂はオシャレなカフェだと思っていたら、オープンまで紆余曲折があったんだ」といった声も。「身近な人には、はまぐり堂を立ち上げた背景や開業までの過程などを深く理解してもらえるようになりましたが、まだまだ届けきれていません。震災から10年で何ができて何ができていないか、11年目にどうすればいいか、そういう議論をもっと活発に行いたい」と桃生さん。

トークイベントの模様。「同級生や同級生のお母さんも来てくれて、激励の言葉をかけてくれました」と亀山さん(画像提供/亀山貴一さん)

トークイベントの模様。「同級生や同級生のお母さんも来てくれて、激励の言葉をかけてくれました」と亀山さん(画像提供/亀山貴一さん)

「亀山さんはいい仲間に出会えていますが、共感する人が集まるのは、強烈なリーダーシップがあるからではなく、秘めた強い思いを持っているからだと思います。先が見えない、予測がつかない時代に求められる、環境に適合する柔軟さ、しなやかさを持っています。

東北は東京などの大きな経済圏のことを踏襲するやり方ではうまくいかないと思います。東北人の血が流れている自分は、東北だからこそできること、東京にないものをどうつくっていくかを意識しています。それを実践している亀山さんは、同世代として尊敬しています」と桃生さん。

グラニー・リデトでは、インターネットラジオで、震災後に生まれた知恵や技術などを共有するプログラム「10年目を聞くラジオ」を月1回配信し、震災10年目の手記を募集している。「震災から10年を節目と捉えるか、通過点と捉えるか、いろいろだと思います。僕は今後も東北に住み続けて震災の跡に寄り添いながら、東北に新しい価値を見出すことをやっていきたい」(桃生さん)

『東北復興文庫』の第1弾、「豊かな浜の暮らしを未来へつなぐ -蛤浜再生プロジェクト-」を、鉛筆を手に
読んだ。心に響いた箇所には鉛筆で線を引き、後で読み返したいところには付箋を貼った。本棚に置いて、本棚にその本があることを見て安心し、必要なときにまた手に取って読み返したいと思った。本が好きな人には分かる、書籍ならではの楽しみかもしれない。

『東北復興文庫』は、全部で5冊発行する計画。2冊目は2020年度中に発行予定だ。
災害から立ち上がろうとする人たちのヒントや希望がぎっしりと詰まった同書は、復興事業に関わらない人にとっても、立ち止まって自分の足元を見直し「人生で何が大切か」「何のために生きるのか」「どう生きるか」を考えさせられる貴重な本を、ぜひ手に取ってほしいと思う。

●取材協力
一般社団法人 Granny Rideto
東北復興文庫
浜の暮らしのはまぐり堂

愛する地元は自分たちで守る! 防災エキスパートの育成が亀有で始まる【わがまち防災2】

2011年の東日本大震災、いわゆる「3・11」からちょうど10年。このタイミングで「地域の防災」をテーマに具体的な活動事例を取材した。

第2回にご紹介するのは「亀有共助プロジェクト」。これは、葛飾区亀有エリアでアロマや健康や育児に関する講座を主宰していた小西昭美さん(37歳)が“防災エキスパートパパ・ママ”を育成しようと立ち上げたものだ。

本格的なスタートは今年の4月になるという。今回は、そんな小西さんに亀有への愛と「防災の輪」の広げ方について聞いた。

ママ向けの講座を始めたのは「子どもが大好きだったから」

今回のプロジェクトのテーマは100%、「防災」。小西さんは亀有エリアのママたちに向けてアロマや環境に関する講座を開いていたが、同時に多くの人から防災に対する不安の声も聞いていた。

小西さんがママたちを対象とした講座を始めたのは、「子どもが大好きだったから」。独身時代に「子育てアドバイザー」の資格を取るほどの情熱で、当時も子どもができた今も、人生のテーマは「子どもの発達と親子関係」だという。

西亀有にあるGreenroom&Kitchen茶々というカフェスペースで開催していたアロマ講座の様子(画像提供/亀有共助プロジェクト)

西亀有にあるGreenroom&Kitchen茶々というカフェスペースで開催していたアロマ講座の様子(画像提供/亀有共助プロジェクト)

そんなタイミングで出会ったのが、前回の記事にも登場した百年防災社代表の葛西優香さん(34歳)だ。地域の防災計画を推進する、いわば“防災のプロ”だ。

葛西さんは、かつしかFMの『かつぼうそなえチャオ!』という防災番組のパーソナリティーを務めている。この番組に小西さんが出演したのは昨年7月。

「番組の最後に、葛飾区民がリレー形式で感想を話す『防災の輪』という枠があって、私のお友達からバトンが回ってきたんです。それがきっかけで葛西さんと防災トークをするようになり、防災は地域との連携が大事だなと感じるようになりました」

ラジオで防災のプロとしてトーク中の葛西さん(画像提供/百年防災社)

ラジオで防災のプロとしてトーク中の葛西さん(画像提供/百年防災社)

避難所を運営するカードゲームを体験して気付いたこと

その後2020年12月に、小西さんは百年防災社が開発中のカードゲームの会に誘われた。

「内容は、みんなで協力し合って避難所を運営するというもの。まず、鍵がないのでいろんなツテをたどって町内会の会長から鍵を受け取るところから始まり、押し寄せる避難者に対応するんです。みなさんと一緒に頭をフル回転させてとても楽しかったです。同時に、地域や町内会と連携する『共助』の重要性にも気付かされました。その日のうちに『亀有deみんなで守る共助』というLINEグループをつくり、自分たちにできることは何かと考え始めることになりました」

カードゲームは今年の4月末に完成予定(画像提供/百年防災社)

カードゲームは今年の4月末に完成予定(画像提供/百年防災社)

自分たちにできること――それは例えば、備蓄。小西さんの防災に対する意識は高いものの、まだいざというときの備蓄態勢は整っていない。今後、葛西さんの備蓄品を参考にしながら買いそろえたいという。

現在の防災備蓄は水、食料、簡易トイレのみ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

現在の防災備蓄は水、食料、簡易トイレのみ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

一方、防災の専門家である葛西さんは「いつも鞄に入れて持ち歩くもの(ヘッドライト、ビニール袋、トイレ、マウスピース、非常笛など)」、「車での移動が多いので車載用」、「逃げる際のリュック(背負って走れる重さ)」と、いつ災害が起きても対応できる万全の態勢を取っている。

こちらは「鞄に入れて持ち歩く防災グッズ」(画像提供/百年防災社)

こちらは「鞄に入れて持ち歩く防災グッズ」(画像提供/百年防災社)

葛西さんとの出会いを機に、防災活動は地域との繋がりが大事だと気付いた小西さん。近い将来、地元の町会に入るつもりだ。

愛する町だからこそ、防災への意識を高めておきたい

小西さんは、地元・亀有を愛している。

「妊娠したタイミングで引越してきたんですが、本当に子育てがしやすい。遊具が充実している公園が近くにいっぱいあって、スーパーに行けば、素材にこだわったちょっと意識の高い商品が並んでいます(笑)」

亀有を代表する商店街「ゆうろーど」(画像/PIXTA)

亀有を代表する商店街「ゆうろーど」(画像/PIXTA)

災害時の広域避難所にも指定されている上千葉砂原公園(画像/PIXTA)

災害時の広域避難所にも指定されている上千葉砂原公園(画像/PIXTA)

お隣の足立区だが「お散歩圏内」の大谷田南公園(画像/PIXTA)

お隣の足立区だが「お散歩圏内」の大谷田南公園(画像/PIXTA)

また、同じエリアで出会ったパパ・ママたちは、自然派の子育て、現在の政治、そして防災について熱心に語り合える貴重な存在だ。

「防災について言えば、それぞれが問題意識を持って考えていましたが、それらを繋げる場所がなかった。さっきのLINEグループもそうですが、まずは顔見知りになっておくことが重要だと思います」

全講座を受講した人は「防災エキスパートパパ・ママ」に認定

4月からは「自助力」「共助力」という2つのテーマでさまざまな防災講座を開催する予定だ。申し込みは先着順で、密を避けるために1回あたり会場に5名ずつという制限も設けた。

ここに「公助力(行政との連携)」も加わる予定だ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

ここに「公助力(行政との連携)」も加わる予定だ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

小西さんの専門分野であるアロマ講座も(画像提供/亀有共助プロジェクト)

小西さんの専門分野であるアロマ講座も(画像提供/亀有共助プロジェクト)

「ママたちに向けてアロマ講座をやってきた経験から、例えば避難所でアロマを体験してもらえれば傷や火傷に対応できたり、除菌もできますし、リラックス効果もあるので、感情の切り替えもできる。6月から8月にかけて予定している講座は、そのシミュレーションなんです」

防災の準備に必要な備蓄品について知ることから始まり、最終的には町会や地域の高齢者も一緒になって避難所運営を学ぶプログラムとなっている。

1年をかけて全講座を受講した人は「防災エキスパートパパ・ママ」に認定。ここで培った「自助力」「共助力」のノウハウは別のパパ・ママたちに伝えられるとともに、そこからさらに拡散してゆく。

「テーマ縁」で形成されるパパ・ママ友コミュニティ

小西さんとともに講座を企画する百年防災社の葛西さんは言う。

(画像提供/亀有共助プロジェクト)

(画像提供/亀有共助プロジェクト)

「近所のコミュニティ、すなわち縁が生まれる背景には、地縁、テーマ縁、血縁、学校縁があると思います。小西さんの『亀有共助プロジェクト』は、まさに防災というテーマでつながる“テーマ縁”で形成されるパパ・ママ友コミュニティですね」

アロマ縁、環境縁、そして葛西さんのラジオに出演したことを機に生まれた防災縁。各エリアにいるというパパ・ママ友コミュニティに加えて、今後、町会との繋がりも深くなれば防災講座もより深く、実践的になるだろう。

いろんな縁を結んでいた小西さん。それが、結果的に地域を守る防災につながろうとしている。ちょっとした縁をきっかけに起こした行動から新しい防災の芽が生まれる。これは、どの地域にも起こり得ることかもしれない。

●取材協力
亀有共助プロジェクト
百年防災社

海抜0m地帯に住む親だから。助け合える地域のつながりづくりを【わがまち防災1】

2011年の東日本大震災、「3・11」からちょうど10年。各地域で防災の取り組みが生まれ、取り組まれるようになった。いま「地域の防災」はどうなっているのだろうか。

第1回に紹介するのは「ハハモコモひろば」。東京の葛飾区を中心に江戸川区、江東区と広いエリアで親子コミュニティを形成している。いずれも海抜0m地帯ゆえ、防災意識が高いパパ・ママが多い。今回は、代表のナオさん(42歳)にいざというときに周りの人と助け合う“共助”にもつながる、知り合いづくりの取り組みについて聞いた。

3・11で困ったのは乳児用のミルクをつくるための水問題

「3・11といえば、金町浄水場の水道水から1kmあたり210ベクレルという高い放射性ヨウ素が出たんです。それまで、乳児のミルクをつくるのに水道水を使っていたんですが、当時は焦ってミネラルウォーターを探し回りました」

葛飾区、江戸川区、江東区の全域に給水する金町浄水場(画像提供/pixta)

葛飾区、江戸川区、江東区の全域に給水する金町浄水場(画像提供/pixta)

区が備蓄していた水を配布したり、西日本の親戚が送ってくれたりと、結果的には何とか乗り切った。しかし、災害に備えること、そしていざというときに助け合えるような知り合いを日ごろからご近所でつくっておくことの重要性を知った経験だったという。

その知り合いづくりのきっかけになればと、ナオさんは地域でやっているイベントに参加してみることにした。

「ハハモコモひろば」の前身は2009年に発足した「母の会」である。ナオさんは2010年に出産したタイミングで、保健所が主催する乳児の会に出席。そこで知り合ったママさんに「母の会」の存在を教えてもらい、さまざまなイベントに参加するようになった。
「母の会」は2015年に『ハハモコモひろば』に名称を変更し、2012年からスタッフ加入したナオさんが昨年から代表を務めている。

オンラインで人気だった「おうちプレようちえん」2012年、「母の会」時代に開催したクリスマスイベント(写真提供/ハハモコモひろば)

2012年、「母の会」時代に開催したクリスマスイベント(写真提供/ハハモコモひろば)

「主な活動内容は、ママ向けや親子向けの教室を開催したり、親子で楽しめるワークショップを集めたフェスのようなイベントを行ったりしています。文字どおり、“母も子も”楽しめるイベントが多く、もちろんパパさんも参加可能です」

スタッフとイベント参加者(画像提供/ハハモコモひろば)

スタッフとイベント参加者(画像提供/ハハモコモひろば)

内容は必ずしも防災につながることばかりではなく、地域の防災に重要なのは、“いざ”というときに助け合えるように関係性を高めておくこと。そのため、コロナ禍でもオンラインイベントを途切れさせることはなかった。

昨今は会議やミーテイング、保育園・幼稚園の説明会、塾の保護者会などもオンラインツールのZoomで行われているが、使い方が分からないというママも多い。そんなママたちと楽しくお喋りをしながら「Zoomの使い方」をやさしく教えるイベントだ。

2020年4月から「Zoom」を使ってさまざまなオンライン講座を開催

2020年4月から「Zoom」を使ってさまざまなオンライン講座を開催

また、2020年6月からZoomを使って毎月開催している「おうちプレようちえん」。2~3歳の子どもが入園前に体験する「プレ幼稚園」の雰囲気を家で体験してもらおうと、幼稚園ママのスタッフと元保育士のママで企画したものだ。

子どもの名前を呼んで出席も取る「おうちプレようちえん」(画像提供/ハハモコモひろば)

子どもの名前を呼んで出席も取る「おうちプレようちえん」(画像提供/ハハモコモひろば)

「スタッフは、“年齢がバラバラ”“子どもの学校も別々”“同じ町内に住んでいるわけでもない”と、本来であれば出会わなかったかもしれない人達。奇跡的な繋がりだと思っています。地域やパパ・ママたちに何か貢献したい!という、共通の思いを持って参加しているので、時には本気でディスカッションすることもあります。大人になって出会えた“最高の仲間”だと思います」(ナオさん)

葛飾区は防災イベントに若いパパ・ママを呼び込みたかった

こうしたゆるやかなつながりづくりのなかで、防災の講座やイベントも行っている。

2016年からは葛飾区と組んで「パパママ防災講座」「パパママ水害講座」などを実施してきた。ナオさんが「かつしかFM」の番組に出演したことをきっかけで危機管理課の職員と繋がったという。

「予想に反して防災意識が高いパパさんは多くて、『パパママ水害講座』もパパさんしか参加しなかった年があります」

2018年に行った「パパママ水害講座」の様子(写真提供/ハハモコモひろば)

2018年に行った「パパママ水害講座」の様子(写真提供/ハハモコモひろば)

「葛飾区としては防災イベントに年配の方は来るけど、子育て中のパパ・ママ世代がなかなか来てくれないという悩みがあったようです。こちらも防災や水害時の対応に関する区の取り組みを聞きたかったので、需要と供給がちょうどマッチしました」

葛飾区、江戸川区、江東区の多くは海抜0m地帯。豪雨の際の水害が気になるところだ。

「2019年の台風(令和元年東日本台風)の時は避難したスタッフもいました。パパママ水害講座で、避難の考え方を葛飾区危機管理課の方に教えていただいていたので、自治体からの情報を確認しながら判断することができました」

荒川が氾濫すると葛飾区の西部地域に水が流れ込む(画像提供/葛飾区)

荒川が氾濫すると葛飾区の西部地域に水が流れ込む(画像提供/葛飾区)

行政と協働しようとする姿勢に“防災のプロ”も注目

防災に関する情報を発信し続けている“防災のプロ”、百年防災社。代表の葛西優香さん(34歳)も「ハハモコモひろば」の活動に注目している。

「さまざまな防災講座を設けるとともに、行政と積極的に関わって協働しようとする姿勢も感度が高いと思います。代表のナオさんは思いついたことをすべて行動に移す推進力を持っており、その後も地域と積極的に繋がっていくパパ・ママさんたちを輩出してきたコミュニティですね」

ナオさんたちは、先日も葛飾区主催の「(女性のための防災講座」災害時のトイレ・衛生対策」に広報協力したうえで、講座にも参加した。自宅に災害時用の簡易トイレはあるが使ったことはない。実際に使用してみることで、具体的なイメージができたという。

「災害時のトイレ・衛生対策」(画像提供/葛飾区)

「災害時のトイレ・衛生対策」(画像提供/葛飾区)

こうした活動を通じて、ナオさんをはじめ、参加者のママさんたちの防災意識はさらに高まっていった。防災対策に関する知識も養われたという。

例えば、実際に、ナオさんも簡易トイレ以外に「非常食はローリングストック法で備蓄」「上着は、普段から防水力のあるレインウェアにする」「外でバッテリーが切れたときのために、携帯電話は2台持ちにしてモバイルバッテリーも常に持ち歩く」などの防災態勢を整えた。

簡易トイレもそうだが、トイレットペーパーも備蓄しておくに越したことはない。ナオさん宅では、通常より数倍長い「長巻きトイレットペーパー」を何ロールか常備している。昨年、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で店からトイレットペーパーが消えたときも、とくに困らなかったそうだ。

これらの商品は生協などで買っている(画像提供/ハハモコモひろば)

これらの商品は生協などで買っている(画像提供/ハハモコモひろば)

長く続けるコツは「自分たちが楽しむ」こと

実は、こうした地域コミュニティは「できては消え、できては消え」ていくそうだ。長く続けるコツをナオさんに聞いた。

「コミュニティをつくるのは簡単ですが、継続させるのが難しい。一番大事なのは、自分たちが楽しむことを忘れず、やりたいことをやるということじゃないでしょうか。例えば、ママたちの間で流行しているハンドメイド講座があっても、私たちがピンとこなかったときには、無理に手を出しませんでした。スタッフはみんなボランティアでやっていて、本業もあったり、子育てもしているママです。楽しさを失ってしまうとバランスが崩れて続かないと思います」

ナオさんたちの活動の軸は「ママたちを元気づけたい!」という思い。さまざまなイベントを通じてママたちが元気になり、地域が活性化し、そして防災意識が高まる。この好循環が、心地よいコミュニティづくりへとつながっている。

防災をメインとしていなくても、こうしたつながりづくりが結果的に地域の防災につながる。自分の住む街にどんな自治会や地域のコミュニティがあるか、見直してみてもいいかもしれない。

●取材協力
ハハモコモひろば
百年防災社

二拠点生活で小・中学校はどうする? コロナ禍で高まるニーズ受けて

コロナで2回目の緊急事態宣言が発令されて始まった2021年。今回は休校や休園などの事態は免れたものの、テレワークなどの新しい生活様式の推奨に伴って、郊外への引越しや地方移住、二拠点生活を検討する人が増えていると言います。

2019年から二拠点生活を始めて2年、小学校・中学校への進学を控える子ども2人を持つ筆者が、改めて二拠点生活の「学校どうするか」問題について考えます。

コロナで地方移住や二拠点生活の志向が高まっている!?

1月29日、総務省が2020年の住民基本台帳に基づく人口移動報告を発表し、東京都からの転出者が全国で唯一増加となったことが話題になりました。転出先は神奈川・埼玉・千葉の近隣3県が55%を占めることに。コロナの影響でリモートワークが普及し、都心から通勤圏内の郊外へ移り住む流れが進んでいると言われます。

また、リクルート住まいカンパニーが発表した調査でも同様の傾向が見られます。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を2020年1月と8月で比較した伸び率をランキングすると、伸び率1位となったのは中古マンションでは神奈川県三浦市、中古一戸建てでは千葉県富津市でした。さらにいずれもトップ5は都心から100キロメートル圏内の郊外エリアだったのです。2拠点生活意向者も2018年11月と比べ、2020年7月時点では13.4ポイント増加し、二拠点生活を志向する人が約2倍に増えていることを示しています。

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

二拠点生活をするとき、学校の選択肢は?

これまで二拠点生活の実現を阻むと言われてきた二大要素が「仕事」と「子どもの就学」でした。そのうち、「仕事」については、WEB会議システムをはじめとしたテレワーク化の流れによって、地方に住みながら今の仕事を続けられるかも、と二拠点生活をイメージできる人が増えたのではないでしょうか。

そして、もう一つの困難が「子どもの就学」問題です。二拠点生活をするときの通学形態には、いくつかの選択肢があります。公立の小・中学校に通学する場合、大体次の3つに分けられるでしょう。

1)いずれか主となる住所地に住民票と学籍を置き、その学校にのみ通学する
・現在の学校に引き続き通学
・転校する(親子留学制度などを利用する場合も含む)

2)デュアルスクール制度のある自治体(徳島県、長野県塩尻市、秋田県など)で区域外就学制度(後述)を活用し、都心部に住民票と学籍を置いたまま、地方の学校にも通学する

3)主となる住所地に住民票と学籍を置き、別拠点に滞在中はフリースクールや家庭教師など任意の教育で補う

山梨県や長野県に移住した友人からは、それらの県の一部地域で募集されている「親子留学」制度が、コロナによって問い合わせが増えていると聞きます。この親子留学制度も上の1)の住民票と学籍を移す形になります。

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

「区域外就学制度」が使える? 自治体や教育委員会に問い合わせてみた!

古くから各地方自治体には「区域外就学」の制度があります。これは具体的な事情が相当と認められる場合に、住民票と学籍のない自治体の公立学校に通うことが可能となる制度です。

実は、地方移住や二拠点生活などのニーズを反映し、2017年7月に文部科学省からこの区域外通学に関する通達が出されました。この通達には、「相当と認めるとき」に「地方への一時的な移住や二地域に居住するといった理由」も含まれることが記載されています。二拠点でこの制度を活用することに文科省のお墨付きを得ている、とも言えるこの通達ですが、文部科学省教育制度改革室の松岡将さんによると「実際の運用と認められるかどうかの判断は、各地方自治体の教育委員会の判断に委ねられている」と言います。

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

そこで、筆者は現在、東京の拠点である品川区と住民票を置いている佐賀県佐賀市にこの制度が活用できるかを尋ねてみることにしました! それぞれの自治体のホームページには、学期の途中で転出した場合などに加え、「その他教育委員会が特に必要と認めた場合」に区域外就学制度を利用できる旨の記載があります。

「コロナ」という“特別な事情”が、加味される可能性も

ところが、実際に各自治体に相談してみると、筆者のように1回あたり数日~1週間程度の滞在では申請が認められることは難しく、一つの目安として「一定期間(2~3週間程度)以上、居住していること」が必要であることが判明しました。

また、自治体によっては、主に海外赴任で一時的に帰国している場合などに、住民票がなくとも一定期間居住していることを条件に「体験入学」できる制度を設けているところもあります。この制度を活用する場合においても、居住期間2~3週間以上の場合の申請が一般的ということでした。

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

ただ、品川区学務課の篠田英夫さんによると「コロナによって区内に住む人から、地方の祖父母宅など一時的に他のエリアで子どもを通学させることができないか、といった相談が出てきている」といいます。

「『コロナのような特別な事情』があれば、受け入れ側の自治体との調整によっては可能になる場合もあるかもしれません。個別事情によって判断することになるので、詳細は各自治体や教育委員会などの窓口に相談してほしいと思います」(篠田さん)

意外と「デュアルスクール」を望んでいない子どもも!?

子ども2人がそれぞれ小学校、中学校に進学するのにともない、筆者の中では改めて“学校どうしよう”問題が湧き上がりました。特に1カ月に1~2回、3~7日ほどの東京・佐賀の行き来が日常になっていた長男には、区域外就学制度が活用できたらよかったのにな……という思いも拭えません。

ところが、いざ息子にその話をしてみると「小学校は佐賀だけでいい。2つも学校行くのは面倒だから」と言います。中学校に進学する長女に聞いても同様の返答です。

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

実は、私たちの二拠点生活も最初から全てが順調だったわけではなく、佐賀に引越して最初の半年ほどの間は、よく保育園の園長先生から長男の様子について話がありました。息子が移動中のバスの中でお友達を叩いたり、体操の時間にみんなで走っているときに前の子を押したりすることが頻発したのです。

園長先生から聞いたのは息子が「怒っているように見える。お母さんが仕事で東京に行って不在のときは、特にイライラしている様子」だということ。半年ほど経って息子の様子が落ち着いてきたことを園長先生と話したとき、「生活に慣れて、いつもの安心できる環境になったんでしょうね」と言われて、気付かされた思いでした。子どもにとっては“いつもの安心できる環境”が第一なのだな、と。

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

国も自治体も、そして親も「子どもの教育環境」を第一に

松岡さんに話を聞いたときにも印象的だったのは「子どもの教育環境が大切」という言葉が繰り返し使われたことです。また、篠田さんは「学級運営や他の子どもたちの学習環境にも影響するので、区域外就学も安易には認められない」と言っていました。

親としては生活の選択肢を増やす意味で、また子どもの将来にとって良かれと思って、二拠点生活に活用できる就学制度があれば、と思わずにいられません。実際、都会育ちの子どもが、デュアルスクールを体験し、かけがえのない経験や、自分の居場所はどこにでもつくれるという強い自信を得た、といった素晴らしい話も聞きます。一方で、二拠点生活を考える際に子どもの学校をどうするのか、本当に子どもにとって2つの学校に通うことが必要なのかどうかは、それぞれの家庭の事情にあわせて慎重に検討する必要があると感じました。

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

二拠点生活を始めた当時、小学4年生だった長女が転校して現在の小学校にすんなり馴染めたのも、既に顔見知りの同級生がいたことが大きいと思っています。実は、娘は東京・品川区の小学校に入学した6歳のころから4年間、毎年冬休みには佐賀の祖父母宅に一人で2週間ほど滞在し、現在の住まいの近所に住む子どもたちと一緒に遊んできたのです。

デュアルスクール制度、区域外就学制度、体験入学制度、親子留学制度など、二拠点生活の広まりに応じて活用できそうな就学制度が出てきました。また、コロナの今だからこそ、活用できる可能性もありそうです。

“子どもの教育環境”という簡単には答えの出ない問題だからこそ、まずは親子で休暇を利用して一時的に滞在してみる、「子連れワーケーション」を実践してみるなど、“試しに”から始めて子どもの様子を見るのも一手かもしれませんね。

●取材協力
・文部科学省
・東京都品川区
・佐賀県佐賀市

二拠点生活で小・中学校はどうする? コロナ禍で高まるニーズ受けて

コロナで2回目の緊急事態宣言が発令されて始まった2021年。今回は休校や休園などの事態は免れたものの、テレワークなどの新しい生活様式の推奨に伴って、郊外への引越しや地方移住、二拠点生活を検討する人が増えていると言います。

2019年から二拠点生活を始めて2年、小学校・中学校への進学を控える子ども2人を持つ筆者が、改めて二拠点生活の「学校どうするか」問題について考えます。

コロナで地方移住や二拠点生活の志向が高まっている!?

1月29日、総務省が2020年の住民基本台帳に基づく人口移動報告を発表し、東京都からの転出者が全国で唯一増加となったことが話題になりました。転出先は神奈川・埼玉・千葉の近隣3県が55%を占めることに。コロナの影響でリモートワークが普及し、都心から通勤圏内の郊外へ移り住む流れが進んでいると言われます。

また、リクルート住まいカンパニーが発表した調査でも同様の傾向が見られます。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を2020年1月と8月で比較した伸び率をランキングすると、伸び率1位となったのは中古マンションでは神奈川県三浦市、中古一戸建てでは千葉県富津市でした。さらにいずれもトップ5は都心から100キロメートル圏内の郊外エリアだったのです。2拠点生活意向者も2018年11月と比べ、2020年7月時点では13.4ポイント増加し、二拠点生活を志向する人が約2倍に増えていることを示しています。

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

二拠点生活をするとき、学校の選択肢は?

これまで二拠点生活の実現を阻むと言われてきた二大要素が「仕事」と「子どもの就学」でした。そのうち、「仕事」については、WEB会議システムをはじめとしたテレワーク化の流れによって、地方に住みながら今の仕事を続けられるかも、と二拠点生活をイメージできる人が増えたのではないでしょうか。

そして、もう一つの困難が「子どもの就学」問題です。二拠点生活をするときの通学形態には、いくつかの選択肢があります。公立の小・中学校に通学する場合、大体次の3つに分けられるでしょう。

1)いずれか主となる住所地に住民票と学籍を置き、その学校にのみ通学する
・現在の学校に引き続き通学
・転校する(親子留学制度などを利用する場合も含む)

2)デュアルスクール制度のある自治体(徳島県、長野県塩尻市、秋田県など)で区域外就学制度(後述)を活用し、都心部に住民票と学籍を置いたまま、地方の学校にも通学する

3)主となる住所地に住民票と学籍を置き、別拠点に滞在中はフリースクールや家庭教師など任意の教育で補う

山梨県や長野県に移住した友人からは、それらの県の一部地域で募集されている「親子留学」制度が、コロナによって問い合わせが増えていると聞きます。この親子留学制度も上の1)の住民票と学籍を移す形になります。

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

「区域外就学制度」が使える? 自治体や教育委員会に問い合わせてみた!

古くから各地方自治体には「区域外就学」の制度があります。これは具体的な事情が相当と認められる場合に、住民票と学籍のない自治体の公立学校に通うことが可能となる制度です。

実は、地方移住や二拠点生活などのニーズを反映し、2017年7月に文部科学省からこの区域外通学に関する通達が出されました。この通達には、「相当と認めるとき」に「地方への一時的な移住や二地域に居住するといった理由」も含まれることが記載されています。二拠点でこの制度を活用することに文科省のお墨付きを得ている、とも言えるこの通達ですが、文部科学省教育制度改革室の松岡将さんによると「実際の運用と認められるかどうかの判断は、各地方自治体の教育委員会の判断に委ねられている」と言います。

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

そこで、筆者は現在、東京の拠点である品川区と住民票を置いている佐賀県佐賀市にこの制度が活用できるかを尋ねてみることにしました! それぞれの自治体のホームページには、学期の途中で転出した場合などに加え、「その他教育委員会が特に必要と認めた場合」に区域外就学制度を利用できる旨の記載があります。

「コロナ」という“特別な事情”が、加味される可能性も

ところが、実際に各自治体に相談してみると、筆者のように1回あたり数日~1週間程度の滞在では申請が認められることは難しく、一つの目安として「一定期間(2~3週間程度)以上、居住していること」が必要であることが判明しました。

また、自治体によっては、主に海外赴任で一時的に帰国している場合などに、住民票がなくとも一定期間居住していることを条件に「体験入学」できる制度を設けているところもあります。この制度を活用する場合においても、居住期間2~3週間以上の場合の申請が一般的ということでした。

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

ただ、品川区学務課の篠田英夫さんによると「コロナによって区内に住む人から、地方の祖父母宅など一時的に他のエリアで子どもを通学させることができないか、といった相談が出てきている」といいます。

「『コロナのような特別な事情』があれば、受け入れ側の自治体との調整によっては可能になる場合もあるかもしれません。個別事情によって判断することになるので、詳細は各自治体や教育委員会などの窓口に相談してほしいと思います」(篠田さん)

意外と「デュアルスクール」を望んでいない子どもも!?

子ども2人がそれぞれ小学校、中学校に進学するのにともない、筆者の中では改めて“学校どうしよう”問題が湧き上がりました。特に1カ月に1~2回、3~7日ほどの東京・佐賀の行き来が日常になっていた長男には、区域外就学制度が活用できたらよかったのにな……という思いも拭えません。

ところが、いざ息子にその話をしてみると「小学校は佐賀だけでいい。2つも学校行くのは面倒だから」と言います。中学校に進学する長女に聞いても同様の返答です。

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

実は、私たちの二拠点生活も最初から全てが順調だったわけではなく、佐賀に引越して最初の半年ほどの間は、よく保育園の園長先生から長男の様子について話がありました。息子が移動中のバスの中でお友達を叩いたり、体操の時間にみんなで走っているときに前の子を押したりすることが頻発したのです。

園長先生から聞いたのは息子が「怒っているように見える。お母さんが仕事で東京に行って不在のときは、特にイライラしている様子」だということ。半年ほど経って息子の様子が落ち着いてきたことを園長先生と話したとき、「生活に慣れて、いつもの安心できる環境になったんでしょうね」と言われて、気付かされた思いでした。子どもにとっては“いつもの安心できる環境”が第一なのだな、と。

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

国も自治体も、そして親も「子どもの教育環境」を第一に

松岡さんに話を聞いたときにも印象的だったのは「子どもの教育環境が大切」という言葉が繰り返し使われたことです。また、篠田さんは「学級運営や他の子どもたちの学習環境にも影響するので、区域外就学も安易には認められない」と言っていました。

親としては生活の選択肢を増やす意味で、また子どもの将来にとって良かれと思って、二拠点生活に活用できる就学制度があれば、と思わずにいられません。実際、都会育ちの子どもが、デュアルスクールを体験し、かけがえのない経験や、自分の居場所はどこにでもつくれるという強い自信を得た、といった素晴らしい話も聞きます。一方で、二拠点生活を考える際に子どもの学校をどうするのか、本当に子どもにとって2つの学校に通うことが必要なのかどうかは、それぞれの家庭の事情にあわせて慎重に検討する必要があると感じました。

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

二拠点生活を始めた当時、小学4年生だった長女が転校して現在の小学校にすんなり馴染めたのも、既に顔見知りの同級生がいたことが大きいと思っています。実は、娘は東京・品川区の小学校に入学した6歳のころから4年間、毎年冬休みには佐賀の祖父母宅に一人で2週間ほど滞在し、現在の住まいの近所に住む子どもたちと一緒に遊んできたのです。

デュアルスクール制度、区域外就学制度、体験入学制度、親子留学制度など、二拠点生活の広まりに応じて活用できそうな就学制度が出てきました。また、コロナの今だからこそ、活用できる可能性もありそうです。

“子どもの教育環境”という簡単には答えの出ない問題だからこそ、まずは親子で休暇を利用して一時的に滞在してみる、「子連れワーケーション」を実践してみるなど、“試しに”から始めて子どもの様子を見るのも一手かもしれませんね。

●取材協力
・文部科学省
・東京都品川区
・佐賀県佐賀市

ごみ捨て場が憩いのサロンに! 奈良県生駒市「こみすて」が面白い

日々、何気なく行っている「ごみ捨て」を切り口として、地域のコミュニティを活性化させる「こみすて」という取り組みが奈良県生駒市の萩の台住宅地ではじまりました。どんな取り組みで、まちにどんな変化があったのでしょうか。中心となっている自治会や行政、企業に話を聞きました。
ごみ捨てしながらおしゃべり。子どもも大人も楽しめる場所に!

一戸建てやマンション、住まいの種別によっても異なりますが、日々、行う「ごみ捨て」。ご近所の人や同じマンションの人が自然と集まるため、すれ違えば軽く会釈をする、あいさつをするという人も多いことでしょう。このごみ捨ての「自然と人が集まる」特性を利用してはじまったのが、「こみすて」という取り組み。「こみすて」は、「ごみすて」と「コミュニティステーション」をかけて名付けられた愛称です。

「こみすて」をはじめた奈良県生駒市の萩の台住宅地自治会。加入している世帯は700世帯ほどで、大阪からのアクセスが良い郊外の住宅街です。ここでは、自治会館脇の入り口付近に資源ごみ回収ボックスを設置し、家から出る生ごみや廃油、小型家電、ベルマークやペットボトルキャップ、廃トナー、使用済み切手が持ち込めるようになっています。

ごみ捨てをきっかけにした地域活性化の取り組み。宮城県南三陸町でアミタが行った実証実験がベースになっている(写真提供/アミタ株式会社)

ごみ捨てをきっかけにした地域活性化の取り組み。宮城県南三陸町でアミタが行った実証実験がベースになっている(写真提供/アミタ株式会社)

この「こみすて」の最大の魅力は、この場に行けばコーヒーを飲みながらご近所の誰かに会えて話しができたり、思い思いに過ごせたりする点でしょう。特に現在は新型コロナウイルスの影響で、なかなか大勢の人が一度に集まることは難しくなっていますが、ここでは子どもから高齢者まで自然と会話が生まれ、少しずつ距離を縮めて、顔なじみになっていくといいます。

訪れた人にコーヒーがふるまわれることもある(写真提供/中垣由梨さん)

訪れた人にコーヒーがふるまわれることもある(写真提供/中垣由梨さん)

マルシェでは子どもたちが活躍する姿も(写真提供/アミタ株式会社)

マルシェでは子どもたちが活躍する姿も(写真提供/アミタ株式会社)

実証実験時はリユース市も常設されていた(写真提供/アミタ株式会社)

実証実験時はリユース市も常設されていた(写真提供/アミタ株式会社)

2019年12月に「日常の『ごみ出し』を活用した地域コミュニティ向上モデル事業(※)」の実証実験として始まったこの「こみすて」の運営を担っているのは、現在は自治会長の山下博史さん、佐藤郁代さん、大谷良子さん、木村文穂さんはじめ、地域住民のみなさん。最初に社会実験としての立ち上げに携わったのは、アミタ株式会社の社会デザインPJチーム(当時)、設計のアドバイスを行ったのが株式会社グランドレベルの大西正紀さんです。

アミタの、ごみ出しという誰もが日常的に必要な行為をきっかけに、誰もが参画・協働できる持続可能なコミュニティを形成したいという想い。ごみ捨てに来てコーヒーを飲めるなどさまざまな要素が集まる、生駒市の複合型コミュニティづくりを推し進めていきたいという想い。それらが重なり、実証実験を経て、2020年度からは、「複合型コミュニティづくり」という施策のひとつとして進めています。また、地域新電力会社であるいこま市民パワー株式会社がコミュニティサービスの一環で「こみすて」をはじめとする「複合型コミュニティづくり」支援をしています。

「何するの?」からスタート。すると思わぬ出会いが!

とはいえ、そもそも「ごみ捨て」で地域活性化といっても、今までの世の中にはない仕掛けです。仕掛ける側、地域の方々ともに戸惑いはなかったのでしょうか。

「実証実験開始前にアミタさんや行政から話を聞いたときには、『具体的に分からん、何するの?』と質問しましたね(笑)。ただ、環境問題解決や地域の活性化になるのであれば、これは正しいし、やったほうがいいだろうと。幸い、現在の自治会のメンバーは助けてくれる人も多く、まあなんとかなるだろうと始まりました」と自治会長の山下さんは振り返ります。何をするのか分からなかったのは、自治会の大谷さんも同じだったと述懐します。

「取り組みをなかなか十分に理解ができていなかった部分がありますね。特に、緑道に生ごみの資源化装置が運び込まれたときは驚きました。民家も近いので、物音や話し声、ニオイなど、周辺に迷惑がかからないよう気を使いました」と話します。

生ごみ資源化装置、通称「めたん君」。ここで生ごみはガスと液体肥料になる(写真提供/アミタ株式会社)

生ごみ資源化装置、通称「めたん君」。ここで生ごみはガスと液体肥料になる(写真提供/アミタ株式会社)

ただ、こうした「こみすて」の取り組みにいち早く反応した人がいました。萩の台住宅地で育ち、現在は働きながら子育てをしている真下藍さんです。

「2019年11月に、生駒市主催のイベントでグランドレベルの田中元子さんの講演を聞いていて、自分の好きなまちで自分の好きなことをやる“自家製公共(マイパブリック)”や、まちの目の高さの風景(グランドレベル)をいかにつくるか ということが気になっていたんです。そのあと、資源ごみステーションをつくるために、アミタさんとグランドレベルさんがこの街に視察に来られていた現場に、偶然出くわしたのです。『これは面白くなりそう。きっと思いもよらない景色が生まれるはず……!』と直感して、立ち上げのタイミングから、ここで生まれる風景を記録して共有したいと思いました」といいます。

真下さんの直感は当たり、住民の自主的なDIYでベンチができたり、今まで自治会活動とは関わりなかったような若い世代が積極的に関わるようになっていったとか。また、ロゴをつくったり、真下さんがSNS「こみすてノート」 で発信していくことで、生駒市内外にも取り組みが知られるように。このときは実証実験ということで、アミタのスタッフが常駐し、地域交流のイベントを計画し実行することも多かったとのこと。こうして地域に「こみすて」が徐々に浸透していったといいます。

「こみすて」に「子どもスタッフ」の登場! 地域に笑顔が生まれる

取り組みで大きかったのは子どもたちの存在です。
「アミタのスタッフさんに子どもたちがよくなついて集まるように」(大谷さん)といい、ついには“こみすて子どもスタッフ”として自主的に関わるように。

(写真提供/アミタ株式会社)

(写真提供/アミタ株式会社)

子どもスタッフの名刺。子どもたちの活躍がこみすての起爆剤に(写真提供/こみすてノート)

子どもスタッフの名刺。子どもたちの活躍がこみすての起爆剤に(写真提供/こみすてノート)

地域の子どもたちにペイントしてもらったこみすての壁画。ほかにも、DIYで作成したものが多数(写真提供/こみすてノート)

地域の子どもたちにペイントしてもらったこみすての壁画。ほかにも、DIYで作成したものが多数(写真提供/こみすてノート)

確かに子どもの字で書かれたお知らせやごみの分別の仕方を見ていると、これは大人が守らねばという気持ちになります。こうしてワイワイと楽しんでいることで、高齢者も積極的に参加するようになり、仲間が増えていったといいます。

おえかきボードの設置や現地掲示物を作成する子どもスタッフたち(写真提供/アミタ株式会社)

おえかきボードの設置や現地掲示物を作成する子どもスタッフたち(写真提供/アミタ株式会社)

「記憶に残っているのは、ご高齢のおばあちゃんかな。『こみすて』に来るのが日課になって、人に会って会話をすることで気持ちのうえでも、足腰の健康のうえでも張り合いになったようで。通ううちに、記憶もしっかりしていったのが印象に残っています」と山下会長は言います。

実利的な側面として、家庭から出るごみの量が減るという効果もありました。ただ、新型コロナウイルスの影響もあり、実証実験はいったん2カ月で終了となりました。それでも2020年12月に、自治会が主体となって、小さくとも再スタートをきることに。

「予算やスタッフなど、実証実験中のようにはいきませんが、とにかく身の丈で楽しく続けていこうと」(山下会長)。とはいえ、萩の台住宅地の自治会も、高齢化や自治会の担い手不足などとは無縁ではありません。それでも、取り組む理由はどこにあるのでしょうか。

「『こみすて』も自治会活動も、継続がいちばん難しい。年齢的にもどこまでできるか分からないけれど、続けていくには、楽しく取り組んでいる姿を見せるのが一番なんじゃないかな。さきざき、どうやっていくかは若い人たちにまかせて(笑)、できることを楽しそうに続けていくことがいいと思っています」。また、大谷さんも、「継続していくことで今は無関心な人も、遠くから見ている人も参加してくれると思います」と話します。

初対面同士がベンチに座って談笑。実証実験ではこのような光景が随所で見られた(写真提供/アミタ株式会社)

初対面同士がベンチに座って談笑。実証実験ではこのような光景が随所で見られた(写真提供/アミタ株式会社)

現役世代の真下さんはどのように感じているのでしょうか。
「私自身、出産直後に住んでいた所では、慣れない子育てで孤独を感じていた経験があり、近所に『こみすて』のような場所があれば毎日行っただろうなと思います。地域にどうやって溶け込んでいけばいいのか悩んでいる人にも、『こみすて』の魅力を知ってもらえたらうれしいですね。ただ、無理をして人を集めるのではなく、自分たちがここでやりたいことを思いっきり楽しむことが、人をひきよせるエネルギーになればいいなと思っています」と言います。実際、引越して間もない子育て中のお母さんが、再開後の『こみすて』に1歳の娘さんを連れてくるようになり、自治会館で実施されていた『いきいき100歳体操』に参加してくれたこともありました。

緑道を整備した時の切り株で、2020年12月にコミュニティバス停前にDIYでベンチを設置。写真は色塗りの様子(写真提供/アミタ株式会社)

緑道を整備した時の切り株で、2020年12月にコミュニティバス停前にDIYでベンチを設置。写真は色塗りの様子(写真提供/アミタ株式会社)

萩の台住宅地自治会の取り組みはまだはじまったばかりです。地域の中でできることややりたいことを、一人ひとりが少しずつ発揮していくことで、より住みやすく楽しいまちへと変わっていけるのかもしれません。

●取材協力
アミタホールディングス株式会社
アミタ株式会社(自治体、地域向けサイト)
奈良県生駒市
いこま市民パワー株式会社
株式会社グランドレベル
こみすてノート
Facebook
Instaglam
イコマカメラ部(中垣由梨さん)
生駒市萩の台住宅地自治会

●参考資料
「日常の『ごみ出し』を活用した地域コミュニティ向上モデル事業」

祖母の思い出の家を“住み開き”! 地域で子育て・防災できる住まいに

長らく住宅不足が続いてきた日本ですが、2010年代に入って住宅が余りはじめ、昨今は空き家が問題となっています。築年数の経過した祖父母・父母の思い出がつまった住まいをどうするのか、今から考えておきたい人も多いことでしょう。今回は東京・下町で思い出の場所を現代の暮らしにあわせて、コワーキングスペース&シェアキッチン付き住宅へと建て替えた鈴木亮平さんに話を伺いました。
まるで朝ドラ! 祖父母の行政書士・税理士事務所兼住まい

2020年4月、とうきょうスカイツリー駅のすぐそばに、コワーキングスペース・シェアオフィス、シェアキッチン、住居などが一体となった「PLAT295」が誕生しました。働く場所、勉強場所を探している人はもちろん、多目的に使えるキッチンがあり、動画撮影などのスタジオとしても活用されているとか。複合型の施設のため、地元の人はもちろん、検索してわざわざ訪れる人まで、さまざまな利用者がいるといいます。

PLAT295のコワーキングスペース。テレワークとして時間利用もできるほか、事務所登記もできるので、起業も可能に(撮影/片山貴博)

PLAT295のコワーキングスペース。テレワークとして時間利用もできるほか、事務所登記もできるので、起業も可能に(撮影/片山貴博)

2階(撮影/片山貴博)

2階(撮影/片山貴博)

「もともとこの場所は僕の祖父母が暮らしていた住まいがあったんです。1棟は築40年超、1棟は築60年超。建物が隣接していて、ベランダで行き来できるような建物でした」と話すのは、PLAT295の立案者であり、NPO法人バルーンでアーバン・デザイナーとして活躍する鈴木亮平さん。

聞くと、暮らしていたのは鈴木さんの母方の祖父母。祖母は東京大空襲で焼け野原となったこの場所で、6人の弟妹を養うために進駐軍の事務手続きの仕事をはじめ、その後、日本の女性ではまだ珍しかった行政書士の資格を取得。この場所で行政書士事務所を始めたそう。のちのち縁あって税理士の夫と結婚、税理士業とあわせて仕事を行うなかで土地と建物を買い増して、成功を収めていたといいます。

昭和40年ごろの写真(写真提供/鈴木さん)

昭和40年ごろの写真(写真提供/鈴木さん)

日ごろから「ちまちま稼いでも儲からない、不動産を買わないと」というような、下町っ子らしい毒舌(!)で気風のよい人だとか。とはいえ、築60年超の建物は老朽化し、ネズミが出る、漏電や耐震面でも不安があり、暮らしやすいとはいい難い状況でした。

左/建て替え前。1棟は築40年超、1棟は築60年超(写真提供/鈴木さん)、右/建て替え後(撮影/片山貴博)

左/建て替え前。1棟は築40年超、1棟は築60年超(写真提供/鈴木さん)、右/建て替え後(撮影/片山貴博)

建物の模型。1階・2階が地域に開いたスペース。3階からうえが賃貸ほか、鈴木さん家族の居住スペース(撮影/片山貴博)

建物の模型。1階・2階が地域に開いたスペース。3階からうえが賃貸ほか、鈴木さん家族の居住スペース(撮影/片山貴博)

安全性、防災、まちづくり、子育てなどを考慮して建て替えへ

建物の老朽化を懸念していたころ、この場所で暮らしてきた祖母が施設に入ることが決まりました。鈴木さん夫妻は、既存の建物を壊して、ここで建て替えることを決断します。

「建物の老朽化、子育てしやすい間取りで暮らしたいという理由もありますが、大きいのは、長くじっくりとまちづくりに関わっていきたいと考えたこと。仕事柄、地域活性化といっても2~3年でプロジェクトが終わってしまうのですが、もうすこし長いスパンでまちづくりに携わりたいと考えました。もう一つは防災面です。災害が起きたとき、近所の誰かに助けてもらえる、気にかけてもらえることが運命を大きく変える気がするんです。祖母は東京空襲に遭ったとき、近所のおじちゃんに火から身を守るため泥を全身に塗られて生き延びられたと言っていました。私は仕事柄、出張も多いので、不在にしていることも多い。そんなときに被災したら、妻と子どもを気にかけ、守ってくれるのは地域の人だなと思い、地域の人とつながれるスペースが必要だと感じました」(鈴木さん)

以前撮影した家族写真(写真提供/鈴木さん)

以前撮影した家族写真(写真提供/鈴木さん)

まさか戦争のエピソードが出てくるとはちょっとびっくりしますが、戦火をくぐり抜けた人が語るコミュニティの大切さは実感がこもっていて、言葉に重みがあります。

にこやかに話す鈴木亮平さん。福島や千葉でもまちづくりに携わるほか、東京大学大学院新領域創成科学研究科で非常勤講師も務める。若き才能という言葉がぴったりです(写真撮影/片山貴博)

にこやかに話す鈴木亮平さん。福島や千葉でもまちづくりに携わるほか、東京大学大学院新領域創成科学研究科で非常勤講師も務める。若き才能という言葉がぴったりです(写真撮影/片山貴博)

「本所吾妻橋駅周辺はアクセスも最高で、庶民的で本当に住みやすいんです。ただ、人口密集地域ですし、海抜ゼロメートル地帯。地震、台風など防災のことは常に考えておかないといけません。また、仕事柄、さまざまな人と出会って刺激を受けたいといった実利的な側面も考慮しました。この下町って、職住近接が当たり前なんですよ。印刷や建築、職人さんなど、路地から仕事の音やニオイ、気配がする。この土地で暮らすうちに、自然とこういう街並みを守っていきたいと思うようになりました」(鈴木さん)

東京は利便性が高く、日々、目まぐるしく変貌している街です。でも、経済合理性が優先されるがゆえに、その街ならではの良さがどんどん失われている側面もあります。鈴木さんが選んだのは、単に新しい住宅を建てることではなく、街の良さを活かすために、時代に合わせた設備を備えた建物にするという答えでした。

住まいから見上げる東京スカイツリー。子どもたちもご近所顔なじみに!

「PLAT295」の誕生と同時に、妻は転職し、現在はPLAT295などの管理や運営の仕事をしています。1階が仕事場、4・5階が鈴木さん一家の自宅というかたちになりました。暮らしはどのように変わったのでしょうか。

鈴木さん夫妻のご自宅。お子さん2人と家族4人暮らし。「今日(取材日)のために片付けました!」とおっしゃいますが美しいです(撮影/片山貴博)

鈴木さん夫妻のご自宅。お子さん2人と家族4人暮らし。「今日(取材日)のために片付けました!」とおっしゃいますが美しいです(撮影/片山貴博)

鈴木さん宅のベランダから見る東京スカイツリー。近すぎて全体がカメラに収まらない程の“足元”。ベランダではライムやハーブを栽培しています(撮影/片山貴博)

鈴木さん宅のベランダから見る東京スカイツリー。近すぎて全体がカメラに収まらない程の“足元”。ベランダではライムやハーブを栽培しています(撮影/片山貴博)

「ここで働くようになり通勤がなくなったので、子どもと過ごせる時間が増え、気持ちのうえでもゆとりが生まれました。子どもは4・5階の居室スペースだけでなく、1階のシェアオフィスも家だと思っているようで、よく訪れています。シェアオフィスがオープンした当初はそれこそ大人と一緒に店番していました(笑)」と妻のすみれさんは話します。

1階のシェアキッチンで遊ぶ子どもたち(写真提供/鈴木さん)

1階のシェアキッチンで遊ぶ子どもたち(写真提供/鈴木さん)

働く大人、働く親の姿を見られるのって貴重ですよね。子どもにとっては一番よい学びの場所になる気がします。

「そうですよね、1階にいれば誰かしらいて、アイスをもらったりと遊んでもらえて、親もうれしいですね。あとはシェアキッチンには大型オーブンを入れたので、本格的なピザなどが焼けるのが楽しいですね」といいます。キッチンのコーディネートを担当したのもすみれさんで、インスタグラムや動画撮影で使われることも意識し、照明のデザインなども工夫したのだとか。

(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

「本当は小さいお子さんを連れたママたちの子ども会やパーティーなどにも使ってほしいんですが、コロナ禍でなかなかできず……、そこは今後に期待ですよね」。確かに。でも近所にこんなシェアキッチンがあれば、自然と持ち寄りパーティーなどもできそうですし、じわじわと利用も増えていくに違いません。

「下町はお祭りがあるので、地域のつながりが今もあるんですよ。ただ、それだけだと、いつものメンバーに偏ってしまう。会社員の人や単身赴任の人など、普段はワンルームに暮らしている人も、地元の人と顔なじみになれることが大事かなあと。シェアオフィスがあることで、そのきっかけになれたらいいなと思っています」と鈴木さん。

この場所のはじまりとなった祖母は、コロナの影響でまだ施設から外出することができず、建物を見ていないそう。

「この『PLAT295』という名前は、おばあちゃんの名前、ふくこ(295)から取りました。建物ができあがった姿を見たら? そうですね、儲からなそうだな、って言うんじゃないでしょうか(笑)」(鈴木さん)

もちろん、既存の建物を残す選択肢もありましたが、「建物の質がよくなかったこともあって、残せるものではなかったことを考えて」、建て替えを決断した夫妻。残すことだけが、住み継ぐことではありません。時代にあわせて変化をさせ、思いを残すにはどうしたらいいのか。「地域とつながる」「人をつなげる」場所にした夫妻の決断を、きっとおばあちゃんも誇らしく思うのではないでしょうか。

●取材協力
PLAT295

不動産屋さんが家事代行!? 電球交換、虫駆除などのお悩みに5分100円で

「礼金ゼロ・敷金ゼロ・退室時修繕義務なし」「入居者向け食堂・トーコーキッチンの運営」といった入居者本位の不動産仲介・管理サービスで知られる神奈川県相模原市の東郊住宅社が、新たに家事代行サービス「ゴーヨーキーキー」を開始したと聞いて、淵野辺の同社に赴きました。「5分100円から」という破格のサービス料に驚きますが、どんな思いから開始したサービスなのか、現状はどうなのか、詳しく伺いました。
5分100円から。ちょっとした困りごとに駆けつけてくれる不動産屋さん

家の中のちょっとしたことだけれど、誰かの手を借りたい。そんなときに駆けつけてくれる人がいたら……。こうした状況は誰にでもあるのではないでしょうか。気軽に頼める家族や近くに住む友人、親戚がいればいいのですが、そうではない限り、便利屋さんに依頼するほどでもないし……ということで、対処せず我慢してしまうようなことも。

東郊住宅社が2020年秋から始めた「ゴーヨーキーキー」は、頼みたいときに駆けつけてくれて、一緒に対応してくれる家事代行サービス。「サービス内容は本当にちょっとしたことばかりなんですよ」と担当の輿水泰良さんは微笑みます。

やさしい笑顔が印象的な東郊住宅社常務取締役の輿水泰良さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

やさしい笑顔が印象的な東郊住宅社常務取締役の輿水泰良さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

【サービスのメニュー例】
■1人作業の場合:5分100円(30分以降は5分300円)
電球交換、買い物代行、パソコンのお手伝い、花木への水やり、簡単な清掃作業、粗大ゴミ処分手伝い、家具の移動、家具の組み立て、部屋の片付け
■2人作業の場合:5分300円(30分以降は5分500円)
引っ越し手伝い、清掃作業、粗大ゴミ処分手伝い、家具の移動、家具の組み立て、部屋の片付け
■管理物件以外(入居者からの紹介があれば、出張料500円をプラスして誰でも利用可能)
上記と同じメニュー、草刈り、庭掃除、共用部の清掃(他社管理物件以外)、空き家の風通し、留守宅の外からの見回り、新聞回収

利用者にとっては、花木への水やりや留守中の見回りをしてもらえれば、旅行や出張の際に安心。また、大きな粗大ゴミを出すのは一人暮らしでは難しいので、必要なときに5分10分、手を貸してもらえると助かる。そんな、ちょっとしたことでも気持ちよくやってくれる人がいるというのは心強いことです。しかも、1人で行える作業の場合、5分100円、10分200円、20分400円(30分以降は5分300円)という格安料金。

同社にとって大きな利益が生じる価格ではありませんが、それでもあえて有料にすることには意味があると言います。

「あるとき、弊社まで家賃を持参くださった入居者にお困りごとはないかと聞いたら『電球を交換してほしい』ということがあったんです。足を悪くされたお年を召された女性で、電球は買ったものの自分では交換できず、暗いまま過ごしていたそうです。もっと早く気軽に言っていただけたらすぐ駆けつけたのにと思ったのですが、ご本人は電球交換のためだけに来てもらうのは心苦しい……と思われたようなのです」

家賃支払いのときまで、暗いまま過ごしていたという入居者さん(イラスト/てぶくろ星人)

家賃支払いのときまで、暗いまま過ごしていたという入居者さん(イラスト/てぶくろ星人)

「そのとき、『無料だと逆に気を遣ってしまって頼みにくい』と感じる方々が意外と多くいるのではないかと気付いたんです。有料にすることで対等な関係となって、遠慮せずに頼みやすくなるのではないかと考えました」(輿水さん・以下同様)

巨大蜘蛛の駆除からワックス掛けまで、御用聞き事例あれこれ

そうして始まったゴーヨーキーキー。利用者として想定していたのは、主に高齢者、小さな子どものいる人でしたが、意外に若い世代の利用が多く、学生が半分くらいを占めているそうです。そのほか、賃貸物件オーナーや同社取引会社も対象とのこと。総計3000人ほどがサービスの対象者になっています。

「ご高齢の方からの依頼では、インターネットやプリンターの接続、携帯電話の操作など、デジタル関係が多いですね。あとは賃貸物件オーナーさんからのご依頼も多いです。草刈り、ゴミ処理、買い物代行、換気扇フィルターの取り付け、土地面積の計測などのお手伝いをしました。
若い世代の入居者さんからはさまざまなご依頼が舞い込みます。例えば、フローリングのワックス掛けを一緒にして欲しいとか、巨大な蜘蛛が部屋にいるので何とかして欲しいというようなことがありました。ワックス掛けの依頼は『部屋の同じ場所に座り続けていたら床が汚れてしまったので、汚れ落としとワックス掛けを一緒にしてほしい』ということで、たまたま洗剤などが会社にあったので、それを持って伺いました。蜘蛛駆除は10cmくらいの本当に大きな蜘蛛でびっくりしました」

虫嫌いの人にとっては恐怖! すぐに助けが必要です(イラスト/てぶくろ星人)

虫嫌いの人にとっては恐怖! すぐに助けが必要です(イラスト/てぶくろ星人)

一緒にやってくれる人がいると心強いですし、集中できますね(イラスト/てぶくろ星人)

一緒にやってくれる人がいると心強いですし、集中できますね(イラスト/てぶくろ星人)

「何か困ったことはない?」から始まるコミュニケーション

一般的な不動産管理会社であれば、虫が出たから・汚れたから助けてなどの依頼が来るような関係にはなりにくいのではないでしょうか。しかし東郊住宅社の場合、入居者は困ったときに「東郊さんに相談してみよう」と相談先として思い浮かぶ存在となっています。しかし、一足飛びにこうした関係を築けたわけではありません。

まず、呼ばれたらすぐに駆けつけることができるのは、「地元の不動産屋さん」だから。同社が管理する物件は約1800戸あり、その物件のほとんどが半径5km以内に立地しています。

さらに、物理的に身近というだけでなく心理的にも身近であることが、このサービスを使いやすくさせている要因になっています。それは、同社スタッフが入居者に対して常に声掛けをして、“顔見知り”になっているということ。例えば、以前SUUMOジャーナルでも紹介した入居者向け食堂「トーコーキッチン」。朝食100円、昼・夕食500円という低価格でサービスを提供しているだけではなく、同社スタッフが、入居者とその家族や友人、賃貸物件オーナーや関係者とのコミュニケーションを培う場所になっています。

1日150~200人(コロナ禍前)が利用する入居者向け食堂「トーコーキッチン」(写真撮影/金井直子)

1日150~200人(コロナ禍前)が利用する入居者向け食堂「トーコーキッチン」(写真撮影/金井直子)

トーコーキッチンで食事をしているとき、淵野辺の街を歩いていてすれ違うとき、あるいは入居者が家賃を同社へ持参するとき、同社のスタッフは「何かお困りごとはないですか?」と積極的に話し掛けているそうです。

「淵野辺という街はぜひここに住みたいという積極的な理由で選ばれることは少なく、大学や職場があるからという理由で住んでいる方が多いんです。そうであってもせっかくのご縁なので、淵野辺でより楽しく安全に、快適に過ごしていただきたいと常に考えています。
ゴーヨーキーキーは今はまだ慣らし運転中で、徐々に浸透しつつある状況です。サービス開始を知った入居者さんや物件オーナーさんと道で会って挨拶した際に、『そういえば新しいサービスを始めたらしいね。便利でうれしいよ。ちょっとお願いしたいんだけど……』なんて声をかけられるようになりました」

街の不動産屋さんという雰囲気の東郊住宅社のオフィス。窓辺の「000」は敷金0、礼金0、退室時修繕費0(通常利用の場合)を表しています(写真提供/東郊住宅社)

街の不動産屋さんという雰囲気の東郊住宅社のオフィス。窓辺の「000」は敷金0、礼金0、退室時修繕費0(通常利用の場合)を表しています(写真提供/東郊住宅社)

退室時に「ゴーヨーキーキーがあって良かった」と思ってもらえれば

現在、トーコーキッチンをきっかけに同社に直接物件を探しに来店する人が圧倒的に増え、自社集客の強力なツールとなっているとのこと。一方、今回のゴーヨーキーキーに関しては、これで集客アップを狙っているわけではないと言います。

「ゴーヨーキーキーは、実際に体験していただかないと良さは伝わらないと思います。どちらかというと、退室時に『このサービスがあって良かった』と感じていただければいいですね。さらに、これがあることで、『やっぱり引越しをやめる』『次の家も淵野辺で探す』となっていただければもっとうれしいです。
私たちは『お困りごと』をきっかけに、入居者さんとの関係性をより深めていきたいと思っています。困ったときに真っ先に当社を思い浮かべていただくとしたら、何よりうれしいことです」

サービスを担当するのは、アルバイトさんを含め、同社の全スタッフ15人。通常業務の一環としてサービス対応にあたっています。

専門的な知識が必要とされる内容についてはスタッフで対応できないこともありますが、「引退された地域の方などにも参加していただき、培ってこられた技術や知識をゴーヨーキーキーに活かしていただければとも考えています」と輿水さん。
「元花屋さんという入居者さんから植物への正しい水やり方法を聞いて、植木を枯らすことがなくなったという当社スタッフがいるのですが、そんな風に、ゴーヨーキーキーで助け合って、友だちの友だちは、みな友だちだ(笑)となれればいいですね」

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ウィズコロナ時代、心を支えるツールとしても役立てたい

現在、コロナ禍で外出や人と会う機会がぐっと減り、気持ちも沈みがちという方は多いと思いますが、そうした場合にも利用して欲しいサービスだと輿水さんは言います。

「ゴーヨーキーキーが一番理想とするご依頼は『話し相手をする』です。お金がかかってもいいから話し相手になってというのは、それだけ身近に感じていただいているということではないでしょうか。5分だけでも毎日顔を見せに来てほしいといったご要望もあるかもしれません。心の面でも入居者さんを支えていくことができればいいですね」

ウィズコロナでなくとも、ゴーヨーキーキーでご自宅にお伺いしたり交流を持ち続けたりすることで、何らかの問題……例えば生活苦の早期発見や孤独死リスクの回避にもつながるのではないか、と輿水さん。

それ以外にも、入居者同士の隣人トラブルなど解決が難しい問題も相談事項として発生することが想定されますが、「無理ですと対応するのは簡単ですが、そうではなく、間に入って何とか解決に向けて努力するのが私たちの役割なのではないかと考えています」と輿水さん。

あたふたしつつ一緒に悩む、そんな人間くささに温もりを感じる

サービス内容が決まり切っておらず、内容によってフレキシブルに対応するというゴーヨーキーキーですが、「あたふたと一緒に悩むという人間くささ」がひとつの魅力でもあると感じます。「想定外のハプニングというのは工夫を生みますね。人と人との関係性も深めてくれます」

輿水さんは「当社のような地域密着の小さい会社だからこそできるサービスではないかと思います。私たちは、入居者さんの淵野辺ライフがより快適になるお手伝いをするのが、本当にうれしいんです」と話します。

「デジタル化が進みすぎると人恋しくなりますよね。ゴーヨーキーキーは人と人とが相対するアナログのコミュニケーション。人の温もりを感じる、そんな安心感を持っていただければと思います」

電話1本で駆けつけてくれる安心・快適なサービス。お話を聞いて、淵野辺以外の街にもゴーヨーキーキーが広がってほしいと感じました。

●取材協力
東郊住宅社
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山手線30駅、家賃相場が安い駅ランキング! 2021年版

東京の大動脈といえば、JR山手線。交通利便性の高さもあいまって、部屋探しの際にはぜひとも検討したい路線だろう。よく知っているようでも、住まい選びとなると視点は変わってくるもの。そこで、ワンルーム・1K・1DKの物件を対象にした全30駅の最新の家賃相場をチェック。どんな駅があるのか、その特徴を、改めて考えてみた。山手線30駅の家賃相場が安い駅ランキング!2021年版
順位/駅名/家賃相場/(駅所在地)
1位 田端 8.50万円(北区)
1位 目白 8.50万円(豊島区)
1位 西日暮里8.50万円(荒川区)
4位 日暮里 8.60万円(荒川区・台東区)
5位 駒込 8.80万円(豊島区)
5位 高田馬場 8.80万円(新宿区)
7位 大塚 8.90万円(豊島区)
7位 池袋 8.90万円(豊島区)
9位 新大久保 9.10万円(新宿区)
9位 鶯谷 9.10万円(台東区)
11位 巣鴨 9.15万円(豊島区)
12位 大崎 9.60万円(品川区)
13位 五反田 9.90万円(品川区)
13位 高輪ゲートウェイ9.90万円(港区)
15位 品川 10.30万円(港区)
16位 目黒 10.70万円(品川区)
17位 上野 10.95万円(台東区)
18位 神田 11.00万円(千代田区)
19位 代々木 11.10万円(渋谷区)
20位 東京 11.20万円(千代田区)
21位 新宿 11.25万円(新宿区・渋谷区)
22位 田町 11.30万円(港区)
23位 秋葉原 11.40万円(千代田区)
24位 浜松町 11.65万円(港区)
25位 御徒町 11.70万円(台東区)
26位 恵比寿 12.40万円(渋谷区)
27位 有楽町 12.50万円(千代田区)
28位 新橋 12.55万円(港区)
29位 渋谷 12.80万円(渋谷区)
30位 原宿 13.50万円(渋谷区)

文学、緑豊か。都心であっても閑静な街、田端が同率1位に

1位は、山手線で唯一北区に所在する、田端駅。山手線と同じく東京の主要交通路線であるJR京浜東北線の、快速運転も停車する。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

山手線沿線というと都心の街並みを連想するが、田端は落ち着いた住宅街の印象が強い。5位の駒込駅との中間ほどに位置する「田端銀座商店街」は、昔ながらの下町情緒を感じることができる。

また田端は大正時代、まだ若いころの芥川龍之介や室生犀星、萩原朔太郎などの文人たちが集い、互いに刺激を受けあいながら執筆に精を出した文学の街という一面を持つ。駅北口すぐにある「田端文士村記念館」では、田端で活躍した文士や芸術家らの草稿など貴重な資料や作品が展示されており、講演会なども無料で開催されている。街中には彼らの邸宅跡の碑などが点在しており、文学ファンなら心にとどめておく価値がありそうだ。

同率1位の目白駅は、2020年の同率3位からランクアップした。学習院大学の所在地のイメージが強いが、ほかにも日本女子大学や川村学園女子大学の目白キャンパスの最寄駅で、文教地区に指定されているところも多いエリア。幼児教育などの進学塾が多いことでも知られる。

学生が多い地域であるが大きな商業施設などがなく、街の雰囲気は落ち着いていて、閑静な住宅街でもある。都会でありながら緑が多く、駅近くには大きな日本庭園の「目白庭園」がある。池の周囲を散策しながら自然に親しみ、数寄屋造りの庵では伝統文化にも親しむことができるスポットで、緑豊かな印象の一助になっている。

目白庭園(写真/PIXTA)

目白庭園(写真/PIXTA)

せっかく山手線沿線に住むならとにかく繁華街に住みたい、という人にとっても、意外だが目白はチェックしておきたい駅。東京の主要繁華街といえば渋谷、新宿、池袋。この中で7位の池袋駅だけが10万円を切る価格でねらい目といえそうだが、目白はその池袋とは隣駅で、駅間距離は1.5km弱。物件の場所によっては、両駅とも利用可能だろう。目白寄りのエリアで部屋を探してより家賃を抑え、穏やかな住宅環境とにぎやかな繁華街の両方を楽しむ、という工夫もしてみたい。

変化する街も見逃せない

13位の五反田駅は、東急池上線、都営地下鉄浅草線が乗り入れている。かつては歓楽街のイメージがあったが、近年はITベンチャーの街としての側面を強めている。

これまでITベンチャーやスタートアップの進出地といえば渋谷がよく知られていたが、小規模オフィスの家賃の高騰などから五反田に注目が集まった。その先陣を切った有力なITベンチャーらが協力して2018年には「一般社団法人五反田バレー」を設立、五反田や品川区など地域の活性化につながる事業も行っている。変化する街の雰囲気をリアルに体験できるのは、魅力といえるだろう。

2020年春には、JRの駅に直結した商業施設「アトレ五反田2」「JR東日本ホテルメッツ 五反田」が開業。東急線に直結した商業施設も「五反田東急スクエア」に改称し、新たな専門店業態になった。また、かつてはバレエ公演の一大拠点であり2015年に閉館したゆうぽうとホールの跡地に、地上21階建ての高層複合ビルが2023年以降開業予定。五反田エリア唯一の高層階ホテルになるほか、文化公演からビジネスまで利用できるホールも入る予定で、街並み自体も変わりつつある。

高輪ゲートウェイ駅(写真/PIXTA)

高輪ゲートウェイ駅(写真/PIXTA)

2020年3月に49年ぶりに山手線に開業した新駅、高輪ゲートウェイ駅は五反田と同率の13位だった。港区に所在する駅では最高位のランクイン。世界へ向けた国際拠点として再開発がすすむ品川エリアの象徴である駅だが、街の本開業は2024年ごろの予定で、周辺はまだ開発の真っ只中。新型コロナウイルスの影響もあり、街を楽しむ……というのはまだ少し先のことになりそうだが、その分、期待が募るとも言えそうだ。

人々が生活する以上、街も建物も変わりゆくもの。しかしその中でも、大事に守られ継がれ
てきたものもある。大都市・東京は移り変わりのスピードも速いが、部屋探しの際には、変わるものと変わらないもの、その未来を見越して決めることも大切なように思う。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている山手線沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2020/9~2020/11
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

熱海をまるごと“家”に!? 高齢化と人口減少進む観光地で「まちごと居住」始まる

コロナ禍の影響で移住先として検討している人も多く、脚光を集めている静岡県熱海市。一方で、人口減少や空室率、中心部の空洞化など、日本の“課題先進地”でもあるのだとか。その熱海の不動産やまちづくりに携わり、「まちごと居住」を提唱する「マチモリ不動産」に話を聞きました。
空き家率50%以上。なのに借りられる物件がほとんどない!

東京から東海道新幹線で約40分、別荘地・旅行地としても定番の熱海。訪れるたびに「暮らせたらいいのに……」と思い描く人も多いのではないでしょうか。特にこの1年はコロナ禍でテレワークが普及したことを追い風に、熱海の不動産需要は高まっているといいます。とはいえ、「熱海で住まいを見つけることは容易ではないんですよ」と話すのは熱海の市街地を中心に不動産管理やリフォーム企画を手掛けるマチモリ不動産の三好明さん。

熱海の街並み(写真/PIXTA)

熱海の街並み(写真/PIXTA)

「熱海の空き家率は52.7%(2018年3月時点「平成30年住宅・土地統計調査結果」(総務省統計局)調べ)で、なんと建物の半分以上が空き家です。ところが、家を借りたいと思っても、物件も多くないのが現実です。試しにSUUMOで検索しても、たくさん選択肢があるとは言い難い状況なのでは」といいます。空き家があり、借りたいという人がいるのに、借りられないのはとても不思議ですが、なぜそんなことが起きるのでしょうか。

「事情はさまざまですが、不動産の所有者が、まったく知らない人には部屋を貸したくない、貯蓄や年金があり困っていないのでわざわざ賃貸にまわさなくてもいい、物件が古くて風呂なし・トイレ共同などで貸しにくい、といった理由があります。熱海で働く人にとって住みたい物件が少なく、お手ごろな物件が出回りにくく、近隣の市町村に暮らして出勤せざるをえない方も多いのです」と話します。

また、熱海の固有事情として昭和25年(1950年)に熱海大火が発生しているため、鉄筋コンクリート造の集合住宅が中心市街地に多数あり、経年劣化・権利関係の複雑化によって貸し出しにくくなっているのだとか。そのため、市街地の空洞化、建物と人の高齢化などが同時進行で、しかも急激に進んでいるのだといいます。日本の地方都市はどこも似た課題を抱えていると思いますが、まさに熱海はそうした課題を凝縮した「課題先進地」でもあるのです。

熱海でしかできない暮らしを提案する、「まちごと居住」

こうした熱海の不動産需給ギャップを解消しようと、三好さんがはじめたのが、「マチモリ不動産」です。不動産仲介会社が空き家のままで募集しても決まらず、熱海という街の再生・活性化にはつながりません。そこで掲げたのが「まちごと居住」という考え方で管理会社の立場での取り組みです。

「東京や大阪など、都市部のどこででもできる便利な暮らしではなく、熱海ならではの暮らし方、生活を提案しないと、人は集まらないし、熱海が盛り上がらない。そこで考えたのが、まちを1つの大きな家と見立てた『まちごと居住』というライフスタイル。海に山、温泉、スナック。熱海の環境をまるで自宅のリビングやダイニング、お風呂、ワークスペースといった家の延長のように住んでみようと提案しています」(三好さん)

ここ数年で再注目されている、どこかレトロな雰囲気が漂う熱海銀座商店街(写真提供/若月ひかる)

ここ数年で再注目されている、どこかレトロな雰囲気が漂う熱海銀座商店街(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

ゲストハウスMARUYAには地元の人や観光客が集うカフェバールもある(写真提供/若月ひかる)

ゲストハウスMARUYAには地元の人や観光客が集うカフェバールもある(写真提供/若月ひかる)

1階の八百屋さんでは伊豆富士山麓の農薬不使用栽培野菜、加工品、雑貨などを販売。2階のREFS Kitchenでは1階の野菜や食材を使った料理を提供する「REFS熱海」(写真提供/若月ひかる)

1階の八百屋さんでは伊豆富士山麓の農薬不使用栽培野菜、加工品、雑貨などを販売。2階のREFS Kitchenでは1階の野菜や食材を使った料理を提供する「REFS熱海」(写真提供/若月ひかる)

熱海七湯「小沢の湯」は、蒸気で温泉卵をつくって食べることができる名所(写真提供/若月ひかる)

熱海七湯「小沢の湯」は、蒸気で温泉卵をつくって食べることができる名所(写真提供/若月ひかる)

熱海の市街地は非常にコンパクトで、駅から徒歩15分圏内で飲食店や温泉、スナック、コワーキングスペース、スーパーなどが集結しています。自室だけでなく、街ごと自分たちの暮らせる場所のようにしてしまおう、というのが三好さんの狙いだったのです。

では、そのまちごと居住の住み心地はいかがでしょうか。熱海に移住してきた石橋和夏子さんに聞いてみました。

まちなかに住めば車も不要。歩いて行ける範囲で暮らしが完結する

「2020年3月に埼玉県から引越してきました。もとは群馬県出身で、それまで熱海といえば観光地という印象が強く、住む街として考えたことはなかったのです。暮らしてみると、海や山が間近にあり、気候も温暖で、時間がゆったり流れている。普通に住めるじゃん!という印象です(笑)」(石橋さん)

コロナ禍の影響で、現在は週3日のリモートワーク、週2日は片道1時間30分ほどかけて、東京都内に出社しているそう。

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

「通勤時間ですが、実は埼玉にいたころと大きく変わっていません。新幹線を利用しているので、むしろ、現在のほうがラクになっています。大きな違いはテレワークでしょうか。以前の住まいは1Kで、テーブルのすぐ横にベッドがあるような小さい部屋だったので、自宅ではなかなか仕事に集中できなかったと思います。今は、住まいも広くなりましたし、何より、近所にコワーキングスペースがあるので、家の外でも仕事がしやすい。昼休みには、近所のカフェに行って他愛ない会話をしたり、仕事帰りに温泉へ立ち寄ったり。徒歩圏内にいくつも温泉があり、海を一望できる絶景露天風呂にも気軽に行け、本当に飽きないです」と夢の熱海生活を満喫しています。それは……いいなあ、本気で憧れます!

よく行くというコーヒーショップとジェラート店が併設しているスペースで(写真提供/若月ひかる)

よく行くというコーヒーショップとジェラート店が併設しているスペースで(写真提供/若月ひかる)

コワーキングスペースで仕事をすることも(写真提供/若月ひかる)

コワーキングスペースで仕事をすることも(写真提供/若月ひかる)

移住で気になるのが、地元の人との交流、コミュニケーションです。

「地元の商店で、買物がてらお店の人とお喋りして、まちの情報を教わることもしばしば。コワーキングスペースのメンバーと会話したり、地域のイベントに参加したりしているうちに、だんだんと顔見知りも増えました。熱海って自然を大切にする人も多くて、『チーム里庭(さとにわ)』『熱海キコリーズ』など、おもしろい活動をしている人が多いんですよ」(石橋さん)

「チーム里庭」の活動にて(写真提供/若月ひかる)

「チーム里庭」の活動にて(写真提供/チーム里庭)

ちなみに「チーム里庭」は耕作放棄地を活用して無農薬野菜を栽培し、週末農業体験ができる団体で、「熱海キコリーズ」は週末に複業で木こりとして活動したり、間伐材でワークショップを開催したりするNPO法人です。石橋さんはもともとトレイルランニングが趣味で、体を動かすのは大好き。そういった活動に参加して、多様な人とつながりができたら、と考えているそう。
もう一つ、熱海の魅力は「食」にもあるそう。

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

「熱海って、古き良き飲食店もいっぱいあって、キッチンが街の至るところにある感じですね。和菓子や洋菓子の店も充実してて、おやつにも困りません(笑)。ただ、意外と飲食店は閉店が早いんですよ。夜8時には閉店するお店も多いので、夕飯難民にならないよう注意しています(笑)」(石橋さん)

また、今住んでいるフロアで、料理が上手なパティシエの人とつながりができたことで、思わぬ「おいしい体験」ができているのだとか。

「スイーツの試食をさせてもらったり、たくさんつくったからと、ご飯をおすそ分けしてもらったり……。がっちり胃袋をつかまれています(笑)。今まで、平日は仕事、休日は山へ行ったりと、自分が住む街の外に出てばかりだったので、住まいは、寝に帰る場所としか思っていなかったのですが、こうやって同じ街に住む人とつながれることで、街自体にも愛着がわく感覚でしょうか」と満足げです。

引越してきて1年、気が向いたときに、気の合う人がそばにいる心強さ、気楽さは、かけがえのないものでしょう。人はもしかして、こうして徐々に街になじんでいくのかもしれません。

ちなみに、都心から離れて暮らすことに興味を持つ友人や同僚も増えたそうで「熱海の物件の相場は?」「通勤、大変じゃない?」などと聞かれるのだとか。そうですよね、気になる気持ち、よく分かります。熱海の市街地は、徒歩圏内にひと通りの商業施設、飲食店、温泉、コワーキングスペースなどがそろっているため、車は不要だそう。遠出をして山のアクティビティを楽しむときはレンタカーを手配しているといいます。

家具を入れる前の石橋さん宅。1LDK、築66年(写真提供/岡田良寛)

家具を入れる前の石橋さん宅。1LDK、築66年(写真提供/岡田良寛)

窓からはオーシャンビューが!(写真提供/若月ひかる)

窓からはオーシャンビューが!(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

古い建物の良さを活かす。建物と街を再生し、自由度を高めたい

熱海の住まいは、築60年超のコンクリート造の建物が複数、点在しているといいます。日本のコンクリート造の集合住宅は、およそ50年で取り壊され、建て替えられることが多いものですが、この集合住宅をどうやって住み継いでいくか、寿命がどうなのか、気になる人は多いのではないでしょうか。

「確かに築年数は経過していますが、耐震診断をはじめ、適切なメンテナンスをすることで建物として活用できると思います。まだまだよいコンクリートの状態の建物も多くありますし、天井高があるため、リノベをすると開放的な空間ができます。これは現在の不動産にはない良さですよね。古いもの、街の特徴を活かして、再開発をする。これが再開発の生命線だと考えています」と三好さんは話します。

築年数が経過したビルは、独特の味わい・風合いがあります。リノベで室内が大きく化けるのも楽しみのひとつではないでしょうか(写真提供/若月ひかる)

築年数が経過したビルは、独特の味わい・風合いがあります。リノベで室内が大きく化けるのも楽しみのひとつではないでしょうか(写真提供/若月ひかる)

エレベーターがない、トイレが共同など、建物が現在のライフスタイルに合っていない部分も多々あるかもしれませんが、それはマチモリ不動産が不動産・建築の知見を活かして、最適化し、住み手と物件所有者に提案することで、解決できるといいます。

「マチモリ不動産では、単に空き家を埋めるのではなくて、住みたいという人と、住まいを結びつける、適切なリノベを行う、定期的な修繕計画を立てる、大家さんとの信頼関係を築くという意味で、不動産管理の本来の意味での仕事を果たせればと思っています。シェアハウス、週末2拠点、ゲストハウス、熱海住み放題など、住まい方はもっと自由でいいはず。その日の気分にあわせて、部屋を選ぶようにできれば自由度も高くなり、もっと豊かな暮らしができると思うのです」(三好さん)

空き家ツアーをして修繕前の建物を見学。原則的に入居希望者を先に見つけ、リノベーションプランを提示してから、改修工事を行う流れになるといいます(写真提供/若月ひかる)

空き家ツアーをして修繕前の建物を見学。原則的に入居希望者を先に見つけ、リノベーションプランを提示してから、改修工事を行う流れになるといいます(写真提供/若月ひかる)

毎月実施されている物件ツアーの様子(写真提供/熱海経済新聞)

毎月実施されている物件ツアーの様子(写真提供/熱海経済新聞)

現在、マチモリ不動産では部屋を希望する人が増えてきて、物件のリノベなどが間に合わないという状況が続いているそう。ただ、こうして若い世代が楽しそうに新しい試みを続けていることで、不動産を所有する世代の意識もきっと変わってくるはず。熱海での取り組みは、きっと日本中の都市で参考になるのではないでしょうか。いいなあ、熱海。できるなら私も……住んでみたいです!

●取材協力
マチモリ不動産

「山手線」沿線、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2021年版

東京都を代表する路線といえば、30駅を環状に結ぶJR山手線。JR山手線の環の内側か外側かで地価や物件の価格相場が大きく変わるとも言われ、住まい探しの際にも一つの基準になっている。価格相場が高いのはJR山手線の内側、そして沿線駅と言われるが、30駅もあるので駅によっても価格にばらつきがあるはず。では、実際のところはどうなっているのか調べてみた。「シングル向け」と「カップル・ファミリー向け」、それぞれの中古マンションの価格相場ランキングを見ていこう。●JR山手線の中古マンション価格相場が安い駅ランキング
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場/駅の所在地
1位 日暮里 2870万円 台東区・荒川区
2位 田端 2999万円 北区
3位 鶯谷 3044.5万円 台東区
4位 西日暮里 3099万円 荒川区
5位 田町 3180万円 港区
6位 池袋 3280万円 豊島区
7位 巣鴨 3315万円 豊島区
8位 大塚 3480万円 豊島区
8位 御徒町 3480万円 台東区
10位 上野 3499万円 台東区
10位 駒込 3499万円 豊島区
12位 新大久保 3690万円 新宿区
12位 高田馬場 3690万円 新宿区
14位 目白 3700万円 豊島区
15位 五反田 3735万円 品川区
16位 秋葉原 4124.5万円 千代田区
17位 代々木 4180万円 渋谷区
17位 新宿 4180万円 新宿区・渋谷区
19位 浜松町 4280万円 港区
20位 大崎 4480万円 品川区
21位 品川 4880万円 港区
22位 渋谷 4980万円 渋谷区
22位 神田 4980万円 千代田区
24位 目黒 5040万円 品川区
25位 恵比寿 5140万円 渋谷区
26位 新橋 6480万円 港区
※有楽町(千代田区)、高輪ゲートウェイ(港区)、原宿(渋谷区)、東京(千代田区)は調査対象物件11件以下のためランク外

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場/所在地
1位 西日暮里 4880万円 荒川区
2位 田端 4980万円 北区
2位 鶯谷 4980万円 台東区
4位 日暮里 5299万円 台東区・荒川区
5位 御徒町 5680万円 台東区
6位 上野 5765万円 台東区
7位 池袋 5980万円 豊島区
8位 巣鴨 6080万円 豊島区
9位 大塚 6180万円 豊島区
10位 高田馬場 6280万円 新宿区
11位 駒込 6289万円 豊島区
12位 秋葉原 6300万円 千代田区
13位 新大久保 6600万円 新宿区
14位 代々木 6980万円 渋谷区
15位 品川 6990万円 港区
16位 目白 7080万円 豊島区
17位 新宿 7180万円 新宿区・渋谷区
18位 原宿 7440万円 渋谷区
19位 田町 7480万円 港区
20位 五反田 7580万円 品川区
21位 目黒 7980万円 品川区
22位 大崎 8080万円 品川区
23位 神田 8580万円 千代田区
24位 浜松町 9230万円 港区
25位 渋谷 9480万円 渋谷区
26位 恵比寿 9780万円 渋谷区
27位 新橋 1億1800万円 港区
※有楽町(千代田区)、高輪ゲートウェイ(港区)、東京(千代田区)は調査対象物件11件以下のためランク外

「シングル向け」「カップル・ファミリー向け」ともTOP4は同じ顔ぶれ

今回は専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの中古マンションの価格相場を調査してみたところ、ランキング順位は多少入れ替わりつつも「シングル向け」と「カップル・ファミリー向け」大きな違いはない様子。トップ4に関しては両ランキング共に、日暮里駅、田端駅、鶯谷駅、西日暮里駅の4駅がランクインした。この4駅はいずれもJR山手線の北東部に位置し、田端駅(シングル向け2位/カップル・ファミリー向け2位)~西日暮里駅(同4位/1位)~日暮里駅(同1位/4位)~鶯谷駅(同3位/2位)の順に連続して並んでいる。田端駅(写真/PIXTA)

田端駅(写真/PIXTA)

4駅中で最も北側にある田端駅は南口と北口で様相が異なる。南口は駅舎も小さく、周囲には商店も見当たらない。一方で北口の駅舎は駅ビル「アトレヴィ田端」と一体になっており、3フロアにわたって食料品店や雑貨店、カフェ、レストラン、書籍や雑誌をそろえた「TSUTAYA」などが軒を連ねている。北口から線路をまたいだ駅の北東部には広大な車両基地が広がり、電車内から一見しただけだと住宅があまりないように感じるかもしれない。しかし駅を出て歩くと高低差のある街には一戸建て住宅からマンションまで建ち並び、小学校や幼稚園、保育園も点在しており、れっきとした住宅街だと分かる。また、田端駅にはJR京浜東北線も通っており、快速に乗ればJR山手線の停車駅である西日暮里駅~鶯谷駅を飛ばして上野駅まで停まらずに到着。上野駅周辺で働く人や、上野駅から東京メトロ銀座線や日比谷線などに乗り換える場合、田端駅は住まいとして狙い目だろう。

駅周辺のにぎやかさなら、田端駅よりも西日暮里駅や日暮里駅のほうが上だろう。この2つの駅は駅間が約500mしか離れておらず、西日暮里駅を出て飲食店やコンビニなどを横目に歩くと10分もかからず日暮里駅にたどり着く。西日暮里駅にはJR京浜東北線と東京メトロ千代田線、さらに日暮里・舎人ライナー、日暮里駅にはJRの京浜東北線と常磐線(快速)、そして京成本線、日暮里・舎人ライナーも通っており、両駅共に多くの人に利用されている。また、この両駅周辺に住むなら、ぜひ利用したいのが「谷中銀座商店街」。やや日暮里駅寄りにあるこの商店街には、170mほどの通りに和洋の菓子店から飲食店、食料品店に雑貨店まで約60店舗がひしめいている。駅周辺にはまとめ買いに便利なスーパーもあるが、商店街でお気に入りの個人商店を探すのも楽しいものだ。

谷中銀座商店街(写真/PIXTA)

谷中銀座商店街(写真/PIXTA)

さてトップ4のうち残る1駅、鶯谷駅はどんな駅だろうか。線路を挟んで駅の西南側には徳川家の菩提寺として知られる寛永寺の敷地が広がり、その先には東京国立博物館や東京藝術大学、さらに国立科学博物館や上野の森美術館を抱える上野公園といった文化施設が集まっている。鶯谷駅はJR山手線の駅の中だと最も乗車人数が少ない(2019年調べ)。とはいえ線路の北東側には住宅も建ち並んでおり、区立小学校や幼稚園も。昔ながらの一戸建て住宅も多く下町風情が漂う街並みではあるが、中古マンションを探す選択肢が豊富というわけではないかもしれない。

物件の広さによって価格相場が大きく違う駅も!

「シングル向け」「カップル・ファミリー向け」で各駅のランキング順位はそんなに大きく違いがないと先ほど述べたが、なかには順位の開きが大きかった駅も。最も差があったのは田町駅で、「シングル向け」では5位と価格相場が安いほうだったが、「カップル・ファミリー向け」では19位にランクイン。「シングル向け」に比べると「カップル・ファミリー向け」の価格相場は、4300万円もアップしている。2つのランキングの各駅の価格相場の差(「カップル・ファミリー向けの価格相場」-「シングル向けの価格相場」)の中央値はプラス2795万円だったので、田町駅の価格差がいかに大きいか分かるだろう。

田町駅 東口・芝浦口側(写真/PIXTA)

田町駅 東口・芝浦口側(写真/PIXTA)

そんな田町駅の様子はというと、JR山手線の他にJR京浜東北線も乗り入れており、大井町駅へも1本で行くことができる。駅の西口・三田口側には慶應義塾大学や戸板女子短期大学、中学や高校などの学校と、大手企業のオフィスが多数あり、通勤・通学客向けの飲食店も豊富。住宅地というよりは商業エリアの趣が強いだろう。また、駅の東口・芝浦口側は大半が埋め立てられてできた地で、運河が張りめぐらされた先には東京湾が広がっている。2020年9月には駅直結の複合施設「ムスブ田町(ショップ&レストラン)」がグランドオープン。9月の商業施設全体開業に先立つ2018年10月にはホテル「ブルマン東京田町」も開業しており、このエリア一帯は再開発によりがらりと一新。高層マンションも建設され、住む街として注目が集まっている。

田町駅周辺の様子からすると中古マンションの価格相場が高いのも納得いくので、むしろ「シングル向け」が思いのほか安いことに驚かされる。地図で見ると「シングル向け」トップ10はほとんどが、環状になったJR山手線の北半分に集中しているのに、5位の田町駅だけがぽつりと南半分に位置している。便利な都心部のにぎやかな街でシングル向け物件を探すなら、田町駅はエリアの価値よりもお得に住める狙い目の街と言えそうだ。

もう1駅、新橋駅もピックアップしたい。新橋駅は2つのランキングどちらも最下位、つまり最も価格相場が高い結果となった。「シングル向け」は6480万円、そして「カップル・ファミリー向け」は1億1800万円! 新橋駅周辺はオフィス街として知られており、住宅(中古マンション)の数自体がさほど多くはない。物件数は多くないけれど便利で人気の街なので、需要と供給の関係で物件の価格もはね上がっていくのかもしれない。実際に購入するかと言われるとあまり現実味のない価格だが、どんな物件があるのかは気になるところ……。どんな物件があるのか、調べてみるのも楽しいだろう。

新橋駅(写真/PIXTA)

新橋駅(写真/PIXTA)

JR山手線各駅の価格相場を調査した今回のランキングを見ると、同じ路線とはいえ価格の開きが大きいことが分かった。1位と最下位の価格相場を比べると、「シングル向け」は3610万円、「カップル・ファミリー向け」は6920万円もの開きがあった。街によって特徴が大きく異なり価格差があるが、都内屈指の便利な路線である「JR山手線」沿線という点でいえばどの駅も同じである。今回の価格相場を参考にしつつ自分のこだわりや予算と相談しながら探すと、JR山手線沿線に住むという夢も叶うかもしれない。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている山手線沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2020/9~2020/11
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

商店街を百貨店&シェアハウスに!? 北九州「寿百家店」がつくる商店街の新スタンダード

全国で“シャッター商店街”が増え続ける一方、さまざまな工夫により再生し、注目を集める商店街もある。福岡県北九州市黒崎の「寿通り商店街」でも、“ニューノーマルの商店街”を目指す新たなプロジェクトが始まった。商店街を“百家店”に、を掲げる「寿百家店」プロジェクトだ。商店街の一部区画をフルリノベーションし、店舗とシェアハウスに生まれ変わらせるという。取り組みの詳細を伺った。
シャッター通りを、店舗+シェアハウスにリノベーション

黒崎は、北九州市内でも小倉に続く中心街だ。しかし、2020年7月には駅前の百貨店「井筒屋」が閉店。まちのにぎわいに陰りが出ている。
寿通り商店街は、そんな黒崎駅からほど近くにあり、戦後間もないころから続いている。長らく地元の人々の暮らしを支えてきたが、2016年時点では13店舗中8店舗が空き店舗となり、シャッター通りと化していた。

そんな寿通り商店街の“ニューノーマル”をつくろうと2020年5月から始まったのが、「寿百家店」プロジェクトだ。
商店街の一角にある3物件、合計174.83平米(52.88坪)の1階部分をテナント11区画に、2階部分を4室+LDKのアーケードシェアハウスへと変化させる、という。シェアハウスの住民と商店街の人々が相互に関わり合い、まちを活性化させることを目指す。計画はコロナ禍以前から始まっていたが、オンラインマーケットの構想もあり、注目を集めている。

寿通り商店街(写真撮影/加藤淳史)

寿通り商店街(写真撮影/加藤淳史)

完成予想図。1階が店舗、2階がシェアハウス(画像提供/株式会社寿百家店)

完成予想図。1階が店舗、2階がシェアハウス(画像提供/株式会社寿百家店)

テナント誘致には“起爆剤”がいる

プロジェクトをリードするのは、PR・企画会社「三角形」代表の福岡佐知子さんと、建築事務所「タムタムデザイン」代表の田村晟一朗さん。二人とも、寿通り商店街との付き合いは長い。

福岡佐知子さん(写真撮影/加藤淳史)

福岡佐知子さん(写真撮影/加藤淳史)

はじまりは、福岡さんのもとへ当時の商店街の組合長から「寿通り商店街を活性化したい」という依頼があったことだ。当初はイベントの企画・運営などを行っていたが、「イベントをやっても、一時的に盛り上がるだけで終わってしまう」ことに課題を感じていたという。
「本格的な活性化に取り組むためには、“中心人物”が必要です。でも、当時の商店街は高齢の方も多く、なかなか先頭に立って進められる方がいなかった。ならば自分がと思い、商店街に事務所を移転することにしたんです」(福岡さん)

その後、商店街に、自身でワインバー「TRANSIT」や総菜店「コトブキッチン」をオープン。それまで飲食店経営の経験はなかったというから驚きだ。
「飲食店があることで、さまざまな人が集まって言葉を交わしたり、お金を落としてもらったりすることができる。“まちづくり”に興味を持つ方は限られますが、飲食店を介してなら、多くの方に自然な形で“まちづくり”に参加してもらうことができると思うんです」(福岡さん)

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旬の素材を使った総菜が並ぶコトブキッチン。取材当日も、常連客が次々とやってきた(写真撮影/加藤淳史)

旬の素材を使った総菜が並ぶコトブキッチン。取材当日も、常連客が次々とやってきた(写真撮影/加藤淳史)

さらに、まちの人たちを巻き込み、空き店舗のシャッターを塗り替える「トム・ソーヤ大作戦」などさまざまなプロジェクトも仕掛けていった。
並行し、テナントを誘致する活動も行ってきたが、「このままでは限界がある」と感じるようになったという。
「家賃が安いからと見に来てくれた方がいても、シャッターを開けてボロボロの建物を目にすると、すっと引いていってしまう。このままの状態で待つのではなく、こちらで場を整えて待つ必要がある、何か起爆剤がいる、と考えるようになりました」(福岡さん)

シャッターの色を塗り替え、空き店舗の暗い印象を変えたトム・ソーヤ大作戦(画像提供/株式会社寿百家店)

シャッターの色を塗り替え、空き店舗の暗い印象を変えたトム・ソーヤ大作戦(画像提供/株式会社寿百家店)

商店街と住宅の共存関係をつくる

「TRANSIT」の常連客として福岡さんと知り合い、「コトブキッチン」の設計を担当したのが田村さんだ。
二人が会話を重ねる中で、「寿百家店」の構想は生まれた。

田村晟一朗さん(写真撮影/加藤淳史)

田村晟一朗さん(写真撮影/加藤淳史)

2階をシェアハウスに、というのは田村さんのアイデアだ。実は、田村さん自身が手掛けた先行事例が福岡県行橋市に存在する。「アーケードハウス」と呼ばれるその住まいは、同じく衰退していた商店街に灯りをともした。テナント入居のポテンシャルを失った空き店舗の優れた利活用方法として、リノベーション・オブ・ザ・イヤー2016で総合グランプリを受賞している。

「暗いシャッター街に、街灯ではなく住宅の灯りがあることで、安心感が生まれます。寿通り商店街でも、商店街と住宅の共存関係をつくっていきたいんです」(田村さん)

行橋市のアーケードハウス。2階部分が住まい(画像提供/タムタムデザイン)

行橋市のアーケードハウス。2階部分が住まい(画像提供/タムタムデザイン)

寿百家店、2階シェアハウス部分のスケッチ(画像提供/タムタムデザイン)

寿百家店、2階シェアハウス部分のスケッチ(画像提供/タムタムデザイン)

住んでもらいたいのは「1階の店主やまちづくりに関心がある方など、一緒にプロジェクトに関わってくれる方」、そして「学生や若い世代」という。
「大人が頑張っている姿を間近で見て、『このまちって面白いな』と思ってもらえたら理想ですよね。それは将来的なUターンにもつながると思うんです」(田村さん)

田村さん自身は、実は高知県の出身だ。
「自分は若いころにふるさとの魅力に気づけず、北九州で事務所を立ち上げました。北九州のまちがすごく気に入ったからですし、後悔もしていません。ですが、地域にとって理想は、若い方が地元の魅力に気づいた上で一度外に出て、地元に無いものを持ち帰ってくることだと思うんです」(田村さん)

寿百家店2階のシェアハウス。既存の建物を活かしながら、新たに窓を設けることで明るさを足した(写真撮影/加藤淳史)

寿百家店2階のシェアハウス。既存の建物を活かしながら、新たに窓を設けることで明るさを足した(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウスからの風景(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウスからの風景(写真撮影/加藤淳史)

1物件につき3店舗のテナントが入れるようコンパクトに区切り、さまざまな店舗を誘致するアイデアは福岡さんから生まれた。1店舗ずつのスペースをコンパクトにして水まわりなどを共有することで家賃を抑え、入居ハードルを下げている。

誘致する店子についても、二人には明確なイメージがあった。
「自分で生み出せる方。自身で技術を持っている方、自身で表現ができる方。誰にでもできる商売ではなく、専門性を持った店・人があつまることで、商店街全体の価値が上がる。ここでしか得られない体験をつくることが重要だと考えています」(田村さん)

1階部分のスケッチ。入居店舗のイメージも記載されている(画像提供/株式会社寿百家店)

1階部分のスケッチ。入居店舗のイメージも記載されている(画像提供/株式会社寿百家店)

一人ではできない「面白いこと」を、一緒に

現在、2021年5月までの全店オープンを目指し準備を進めている。シェアハウスの入居者は募集中だが、1階は約半年で全テナントが決定したという。
「ネイルサロン」「ガラス細工のお店」「アートギャラリー」「地元野菜を売る八百屋」「地元の飲食店に役立つ本屋」「アパレル販売店」「ラーメンと甘味の店」、そしてドライヘッドスパとハーブティの販売をする「To me…」が開業予定だ。

「To me…」店主の豊東久美子さんは、これまで店舗を持った経験がない。地元の北九州で店を開きたいと考え、物件を探していたときに、たまたま寿百家店のことを知った。入居説明会を聞き、即決したという。

「福岡さんと田村さん、お二人の話を聞いて、『北九州で、こんな面白いことができるのか!』とわくわくしました。
一人で『面白いこと』を仕掛けるには、アイデアの面でも費用の面でも限界があります。新規開業ということもあり、孤独感、不安感もありました。この場所なら、一緒に面白いことを仕掛けていけるのではないかと思ったんです」と語る。

ドライヘッドスパをもっと身近なものにしたい、という思いにもマッチする場所だった。
「仕事の合間や買い物のついで、家事育児の合間に寄れるような場所にしたいんです。この場所なら、美容室や飲食店、いろんなお店のついでに立ち寄ってもらえるのではないかと思いました」(豊東さん)

商店街ならではの、「お隣さん」との関係も魅力と語る。かつて商業施設内のテナントに勤めていたこともあるが、近隣店舗との交流はほとんど無かったという。
「既に田村さんや福岡さん、学生スタッフの方々にもたくさんサポートしていただいています。
先日も1日限定のマルシェに参加しましたが、その時も商店街の方はじめ、たくさんの方とつないでいただきました」(豊東さん)

オープン後は、アロマやハーブを使ったワークショップもやりたい、と意気込みを語る豊東さん。
「大人だけでなく、例えば夏休みの宿題に合わせたものなど、子どもたち向けのイベントもやりたいと考えています。地域に根差していけたら」(豊東さん)

豊東久美子さん(写真撮影/加藤淳史)

豊東久美子さん(写真撮影/加藤淳史)

オフラインとオンラインが同居する商店街へ

寿通り商店街の目指す姿について、田村さん、福岡さんはこう語る。
「『あそこに行ったら何かやっている』という期待感がないと、人は集まらないですよね。昭和40年代~50年代は、商店街がそういう場所だったと思うんです。それが無くなったから衰退している。ワクワク感、期待感をつくっていくことが大切だと考えています」(田村さん)
「用事がなくても行ってみよう、ちょっと遠回りして帰ろう、と思ってもらえるような場所にしていきたいですね」(福岡さん)

コロナ禍の影響で、当初の計画に狂いも出た。しかし、田村さんはこう語る。
「前提として、寿通り商店街はロケーションが良いです。換気も良いし、アーケードだから雨が降っても大丈夫。内でもあり外でもある、特別な空間です。それはコロナ禍においても武器になるはず」

さらにコロナ禍において特に中国で活発になった、ライブ動画を見ながら商品を購入できるライブコマースからもヒントを得た。5月の全店オープンに合わせ、オンラインマーケットのオープンも準備中だ。
「オンラインで買い物する場合も、リアルと同じように店主と会話したり、他の客と店主の話を聞いたりできるよう、システムを整えていく予定です。海外のお客さんにも来てもらえるように、ゆくゆくは店主の皆さんに英語を習得してもらう必要もありますね」(田村さん)

寿百家店は、商店街の11区画中3区画を使用したプロジェクトだ。今後、残りの区画にも着手していくのだろうか。
「まずは今の区画でモデルケースをつくるつもりです。それをもとに、寿通り商店街内だけでなく、全国に広めていけたら、と考えています。
『前例』がないので、テナントやシェアハウス入居者の集め方、オープン後の集客の仕方も、自分たちでイチから試さなければいけない。それはとても苦労している点ですが、周囲の方々がさまざまな形で後押ししてくれていますし、ここで事例をつくれたら、全国の同じような商店街の方々にとっても意味があると思うんです」(田村さん)

寿通り商店街にて(写真撮影/加藤淳史)

寿通り商店街にて(写真撮影/加藤淳史)

全国へと広がる商店街の“ニューノーマル”になるか

シェアハウスと店舗が共存する商店街。ただでさえ前例のないプロジェクトに、コロナ禍が重なり、難易度は増した。苦労を重ねる一方で、オンラインが広く浸透したこの時勢を、二人はチャンスとも捉えている。
寿百家店の取り組みは、全国の商店街に展開できる“ニューノーマル”となるか。5月のオープンを、楽しみに待ちたい。

●取材協力
株式会社 寿百家店

コロナ禍でクリエイターが石巻に集結?空き家のシェアハウスで地域貢献

宮城県石巻市で、空き家を新たな発想で活用する取り組みを行ってきたクリエイティブチーム「巻組」。2020年6月、コロナ禍で困窮したクリエイターに住む場所と発表の場を提供し、地域とつながりながら「お互いさま」の関係をつくるプロジェクト「Creative Hub(クリエイティブハブ)」をスタートさせた。その取り組みは、単なる空き家問題解消にとどまらず、地域の活性化にも大きな影響を与えている。
震災ボランティアの住まいを確保するために立ち上げた「巻組」

東日本大震災の津波被害が大きかった宮城県石巻市で「Creative Hub」を企画、運営する「巻組」を立ち上げた、渡邊享子(きょうこ)さんに話を聞いた。

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

2011年、埼玉県出身の渡邊さんは学生ボランティアとして石巻市を訪れた。石巻市は住宅地が津波に飲み込まれ、2万2000戸の家屋が全壊。もともと賃貸物件は少ないが、既存の賃貸物件は被災者や復興需要で埋まり、ボランティアが住む場所が足りなかった。

渡邊さんは、仲間のボランティアが石巻市に残って支援を続けられるように、空き家を探し、住めるようにリノベーションをして貸し出そうと考えた。2012年から始めて何軒か手掛けるうちに、事業化できるのではと思い始めた。当時、渡邊さんは東京で就職活動をしていたが、震災不況で決まらず、「やることがある所に住もう」と移住した。

「2018年の住宅土地統計調査によると、石巻市内の空き家は1万3000戸、全家屋の約20%です。賃貸物件は、一般的にPLACE(立地)、PRICE(家賃)、PLAN(間取り・設備)の『3P』を基準に選ばれますが、私たちが扱うのは『3P』が絶望的な空き家です。敷地が公道に接していない立地や、給水設備が未整備のもの、築60年を超える廃屋など、持ち主が“ただでももらってほしい”という空き家、不動産会社も扱いづらく困っているような建物を買い上げています」(渡邊さん、以下同様)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

「リノベーションで苦心しているのは、予算内でどこまでできるか。素材などお金をかけるべきところにはかけますが、できるだけ物件の持ち味を活かし、住む人自身が自らカスタマイズする余地を大事にしています」

巻組は、この空き家を活用した住宅支援や事業開発プログラムの提供などを行い、2015年に3人のメンバーで合同会社として法人化。これまで、空き家を買い上げて自社で改修した物件が35軒、そのうち、自ら運営するシェアハウスや賃貸住宅、民泊が11軒、すでにのべ約100人が居住した。

クリエイティブ人材を活用した「Creative Hub」のスタート

「不動産会社が扱いにくい廃屋、一般的には絶望的な条件も、視点を変えてプラスの価値に転換する、大量生産、大量消費とは真逆の価値観です。悪条件も、ものづくりや芸術活動などのクリエイティブな活動をする人は『かえっていいね』『おもしろい』とポジティブに受け止めてくれました。

例えば、音を出してパフォーマンスしたい人は、静かな環境で思いきり声を出すことができるし、ものづくりをするために壁や床を汚してしまう、壊してしまう恐れがあるという人には、自由に創作できるキャンバスのようなものになります。また、都会では難しい広いアトリエや作品を保管する倉庫が確保できます。

狩猟用の猟銃を所持している場合、賃貸物件を借りるときは大家さんの許可が必要で、嫌がられる場合があります。そういった、一般の賃貸住宅を借りにくい住宅難民、規格におさまりきらないニーズを持った人が喜んで使ってくれるのです」

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

2020年はコロナウイルスの感染が拡大するなか、活動や発表の場を奪われたアーティストが増えた。「アーティスト活動ができず、生活費を稼ぐためのアルバイトすらできなくなったクリエイターを支えたい。クリエイティブ系の人材を石巻に集めたら、使われていない地方の資源を活用できるのではないか」と、巻組は「Creative Hub(クリエイティブハブ)」プロジェクトを計画。クラウドファンディングで応援してくれる人を募り、倉庫のリノベーションなどの準備費用の寄付・協力を呼びかけた。

老若男女が出会い支え合う場をつくる

2020年6月に立ち上げたこのプロジェクトは、どんな仕組みなのか。

活動の場、働く場を失ったアーティストの卵に、巻組が運営するシェアハウスやアトリエ倉庫を一定期間無償で提供する。食料や家電など、生活に必要なものは、寄付で集めた「ギフト」をギフトバンクに集め、入居者にマッチするものを提供する。

生活の拠点と生活資材の提供を受けたアーティストは、クリエイティブな活動に集中しながら、次へのステップの準備ができる。そしてギフトのお返しとして、製作のプロセスや製作物を地域の方に公開する。また、ギフトバンクに届いた「掃除や草取り、雪かきを手伝ってほしい」「農作業の一部を手伝ってほしい」といった「ちょっとした手伝いのSOS」に対して、労働力などのお金以外の形でお返しをする。こうして、アーティストと地域住民のコミュニケーションが生まれる。

昭和以前の田舎にあった「助け合い」「おすそ分け」「お互いさま」のような関係性を再構築したのだ。

また巻組は、アーティストと地域住民の交流の場として、石巻市と連携し月1回、第4日曜日に「物々交換市」を開催している。「Creative Hub」の倉庫などを利用して、アーティストが制作物を出品したり、パフォーマンスをしたりする。地域住民は、出店するものが気に入れば、持ち寄ったものと交換したり、投げ銭などを行う。ワークショップブースでは、絵の具や木材などを使って、アーティストと一緒に制作活動が楽しめる。「物々交換市」は、3カ月間で、のべ120名が参加、約280人が市外から寄付などを通してこの仕組みを応援している。

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

「石巻ではアートのイベントを頻繁に行っていますが、地域にアーティストが定着するためには参加者も双方向的な仕組みをつくれると良いと思いました。アーティストの作品を見に来てください、と誘うとハードルが高くなりますが、物々交換なら地域の高齢者が楽しみに来てくれますし、若い人の役に立ちたいと、家にある食器類、古着、端材、農産物などを持ってきてくれます。アーティストにとっては、作品が売れたり、人の目に触れて反響があったり、応援してもらうことはとても大事なこと。首都圏のアーティストは孤立しがちですが、ここで共同生活をすることで他の人から刺激を受けることも、力になると思います。

一方で、地域の高齢者は、人の役に立つことで自己肯定感が高まります。マンション住まいの子どもたちは、家ではできないような絵の具を使って壁に絵を描いたりして、クリエイティビティな感性が育ちます。子どもから高齢者までがリアルに触れ合い、支え合い、元気になれるコミュニティがつくられる、それが重要だと思っています」。市の来場者アンケートによると「新しい人と出会えた」という意見が多く寄せられるという。

「Creative Hub」に参加して「人のための演劇」にシフト

ここで「Creative Hub」の入居者の声を紹介する。よしだめぐみさんは、東京都出身のパフォーミングアーティスト。東日本大震災のときは中学2年生、高校時代に東北を訪れる機会があったが、まさか東北に住むとは思っていなかったという。

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

小学生のときから児童劇団に所属し、演劇を続け、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科に進んだが、他の世界を知らないことが不安になり、大学2年生のときに中退。さまざまな仕事を経験し、石巻市の食・アート・音楽の総合芸術祭「REBORN ART FESTIVAL(リボーンアート・フェスティバル)」でアルバイト運営スタッフとして働く。そのときに演劇をつくれるスキルを現地に滞在し制作するアーティストに面白いと言われて、演劇を再開しようと決意。

「2020年は都内でイベントの仕事をする予定でしたが、コロナの影響でイベントはできず、制作費を稼ぐのも大変になってきました。東京にいる理由がなくなり、自分を求めてくれる人、味方になってくれる人がたくさんいる石巻で活動することにしました」

住むところがなかったよしださんは、巻組を紹介され、5月からシェアハウスに入居。まもなく「Creative Hub」が始まった。

「家賃なしでクリエイターに住まいを提供してくれる、全国でもない取り組みです。全国から集まる入居者、街の人たちとも仲良くなりました。

外に出れば出会い、発見があります。街の人はお米や牡蠣、飲み物などをくれて『ちゃんと食べなさい』と言ってくれる。大きなファミリーに見守られている感じで、都会とは違った人のつながりがありますね。関係が濃密なので、人が好きな人には合っているし、やりたいことがある人には、やりやすい場所だと思います」

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

演劇の脚本を書き、演じ、演出もする。福祉施設のコミュニケーション教育のワークショップや高校の演劇部の指導、イベントや撮影のアシスタントも。さらに石巻、仙台、女川など、宮城県の地域のイベントやアーティストのマネジメントと、仕事の幅を広げている。

「『Creative Hub』に参加して、知らない世界を知る人たちに出会い、影響を受けました。東京にいたときは、自分ががむしゃらに演劇をやりたいと思ってきましたが、ここに来て『誰から、どんなニーズがあるから、こういう演劇をつくりたい』と、自己満足ではなく、仕事にする方向で演劇を考えられるようになりました。人のために自分のスキルを活用したいと考え、視野が広がりました。

ここを原点に、いずれは拠点を選ばずに演劇活動ができるように、発展させていきたい。石巻で必要とされなくなるまで活動していきたい」と声を弾ませる。

創作意欲が高まり、日々出会いがある

次に紹介するのは、「みち草工房」の菅原賀子(よしこ)さんと、阿部史枝(ふみえ)さん。巻組の賃貸物件を工房として借りて2人でシェアしている。菅原さんは、大阪府大阪市出身で、神戸の木材の会社に勤めていたが、交際相手が住んでいる宮城県へ移住したことをきっかけに、石巻に惹かれた。コワーキングスペースをもつ石巻のカフェを訪れ、そこで働く阿部さんと出会った。

木を使ってモノづくりをしていた菅原さん、布を使って洋服の直しやオーダーメイドを請け負っていた阿部さんは、お互いの取り組みを面白いと感じた。そして一緒に活動するべく借りたシェアオフィスが手狭になり、いったん解散しようと思ったが、巻組のシェアハウスが気に入り、作業場として二人で借りた。

「石巻のまちなかにありながら、山際に立ち、植物に囲まれ、まるで山奥にいるよう。魅力的な物件です」と菅原さん。

「ここは広いので、たくさんの端材を置けるし、庭で植物を育てたりして、家ではできないことができます。

家とは別の空間を持つ面白さもあり、癒しの場所でもあります。また、ここは誰でも気軽に立ち寄れるオープンな物件なので、巻組が連れてくる見学者、デザイナー、アーティストなど、いろいろな人が遊びに来るのも楽しい」

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「釘を打ったり、棚をつけたりとDIYをすることは賃貸では難しいですが、ここは自分たちの好きなように自由に変えられるし、原状回復も必要ありません。この場所にいるだけで、何かをつくりたくなるような気持ちになりました。

『どうしてそんな目立たない所に引越したの?』と言う人もいましたが、一度遊びに来た人は『隠れ家みたい』と気に入って、何度も気軽に来てくれます。今は震災に関係なくここの取り組みに惹かれて移住した人が増えている感じがします」と阿部さん。

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人のコラボ作品の第一弾は、猫用のハンモック「にゃんもっく」。「物々交換市」では、住民が持ってきたものと交換、または投げ銭で物を交換する「クルクルフリマ」という物々交換の店を出している。「普通のマーケットと違って、パフォーマンスもあり、活気があります。幅広い年齢層の方がのぞいてくれますね」(阿部さん)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「最先端の考え方をする人が集まってきて、もともとの住民と移住した人、古さと新しさが同居する面白いまちになっていると思います」(菅原さん)

アーティストの支援にとどまらない、社会の課題解決のモデルとして

巻組は、2020年12月、築70年の古民家を改築した「OGAWA(おがわ)」を開設。密集を避けて仕事をしたい人のためのワーケーションの拠点として、都心などから人を呼び込み、石巻と関わる「関係人口」を増やすことが目的だ。

「少子高齢化、人口の減少、孤立化などは全国的な問題。空き家問題が進む地域にアイデアとして何か転化していければと思います。空き家を活用して、ただカッコいい場所をつくろうとか、クリエイティブ人材を市内外から連れてくるだけでもありません。

現在の取り組みは、反響もありますが、こういう形がどれだけ広がり、一般化していくか、課題と制約のなかで、いかに価値を出すかが、クリエイティブやアートにとって大事なところだと思います。そして、アーティストがこういう場所で生み出したものを、どう売り出していくかを考えて、形として見えやすいものにしていく必要があると思います。見逃されがちなものを、空き家を活用して、さまざまな問題にどうコミットできるかを考えていきたいです」(渡邊さん)

若いアーティスト人材の居場所をつくり、呼び込んで育てながら、地域を活性化する、巻組の取り組み。多世代のコミュニケーションが生まれ、誰も孤立させずみんなで幸せになる地域社会をつくる。人材、資材を活用しアイデアを加える、人も経済も元気になる「良循環」といえるだろう。

震災後、外から多くのアーティストやクリエイター、ボランティアなど優れた人材が出入りしたことも変化につながった。都会の便利さはない田舎だからこその懐の大きさとポテンシャルの高さ。豊かな人材、資材、アイデアが流入して変化していく石巻は面白いまちだ。

●取材協力
・巻組

テレワークだからこそ「半育休」を取得。新米パパの挑戦 私のクラシゴト改革9

今年の新春ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』では、IT企業に勤める星野源演じる平匡さんが男性育児休暇を取るくだりがあり、大きな話題に。しかし、厚生労働省の2019年度調査によると、男性育児休暇取得率は7.48%と1割にも満たないのが実情だ。今回はフルリモート勤務という特性を活かして、「育児休暇。たまに仕事」という方法を選んだエンジニア、土屋貴裕さんにインタビュー。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。

育休取得は当然の流れ。ただし、たまに仕事をする余地も残すことに

Web開発などを担当するエンジニアという仕事柄、在宅ワークが可能な土屋さん。フルリモートで働ける企業「キャスター」に転職したのが2年前。偶然にも転職の内定を承諾した翌日に妻の妊娠が判明。新しい職場で育児休暇を取るのは自然な流れだったそう。
「フルリモートをはじめ、もともと自由な働き方を応援している企業。男性の育児休暇も自然な流れでした。”予定日は8月下旬なので9月1日より育児休暇を取りたいんです”と、伝えたら、”おめでとう。了解しました”というリアクションでした」
実際、キャスターでは、自由な働き方を実現することを企業ミッションやビジョンに掲げていることもあり、男性が育児を取ることは特別視されないという。
「育児休暇を取るのは自然なことでした。制度としてあるなら取らないのはもったいないですから」

ただし仕事を100%休みにせず、緊急時には対応するなど、臨時的に仕事をすることも。「とはいえ、ほとんど育休でしたよ。”半育休”という表現もありますが、育休中に仕事をするのは本来推奨されないことですし。僕自身が仕事をしたいと望んだことも大きかったです」
どうして土屋さんは完全に仕事をシャットアウトせず、仕事をする余地を残しておいたのだろうか。
「入社して半年で、仕事が面白くなってきたフェーズだったんですよね。チャットだけでもいいので内部の様子を共有しながら育休とりたかったんです。ずっとベンチャーのエンジニアをしていて、トレンドの流れが早い業界。完全に離れると勘がにぶる恐れもありました」

現在は仕事復帰し、自宅でリモートワーク中。スタンディングで仕事をするのは集中力が増すので効率的だそう(画像提供/土屋さん)

現在は仕事復帰し、自宅でリモートワーク中。スタンディングで仕事をするのは集中力が増すので効率的だそう(画像提供/土屋さん)

怒涛の新生児育児、2人が担い手になることで乗り切る

そして2019年8月予定日ぴったりに第一子誕生。9月から11カ月間の育児休暇を取得した。
「育児休暇を妻と同時に取ったのは、オムツ替えもミルクも寝かしつけも最初から夫婦2人で子育てをしたかったから。育休も妻→僕の順番になると、僕が教わる立場になり、妻が育児のメインの担い手になってしまうでしょう。そうしたら、僕が甘えてしまいそう。どちらか仕事で不在でも育児がまわっていけるようにしたかったんです」
とはいえ、最初からすべてがスムーズだったわけではない。最初のうちは、夜中に子どもが泣いてもどうしても起きることができず、夜中の3時間おきのミルクは100%妻担当に。当然、叱られた。
「二人で育児をするんだ! と意気込んでいたけれど、やはり当初はどこかで当事者意識が足りなかったと反省しています」

新生児のころ。ドラム式洗濯乾燥機、お掃除ロボット、食器洗浄乾燥機など、家事時短の家電に投資。「特に、ミルクづくりにウォーターサーバーは本当に便利。みんなにオススメしています」(画像提供/土屋さん)

新生児のころ。ドラム式洗濯乾燥機、お掃除ロボット、食器洗浄乾燥機など、家事時短の家電に投資。「特に、ミルクづくりにウォーターサーバーは本当に便利。みんなにオススメしています」(画像提供/土屋さん)

育児は大変だったが、我が子との時間は宝物に。「毎日、いろいろな成長がみられました。仕事をしていたら、毎日数時間しか触れ合う時間がなかったと思うので、育休を取って良かったと思います」

ママじゃなきゃダメ、ということがない土屋さんファミリー。過ごしてきた時間の長さゆえに息子との絆は強い(画像提供/土屋さん)

ママじゃなきゃダメ、ということがない土屋さんファミリー。過ごしてきた時間の長さゆえに息子との絆は強い(画像提供/土屋さん)

育児ストレスが仕事をすることで解消されるメリット

育休中の試行錯誤の育児の苦労の中、「仕事がいい気分転換になった」という土屋さん。
「結局仕事が好きなんですよね。自分がずっと関わってきたプロジェクトに思い入れも強かったですし」
土屋さんだけでなく、妻もたまにヘルプで職場に呼ばれることがあったが、むしろ仕事に行ってリフレッシュした顔をして帰ってきたとか。
昨年秋には、子どもを保育園に預け、夫婦ともに仕事復帰。夫婦2人で仕事と育児を両立させる生活がスタート。「育児休暇中も同僚と情報共有していたので、復帰はスムーズ。いわゆる育休明けに感じる”疎外感”とも無縁でした」
仕事を再開してからも、育児も家事も2人で、が大原則。「育児・家事の役割分担も細かく決めず、片方が朝ごはんをつくったから、片方が晩御飯をつくる。片方が寝かしつけをしてるから、片方がお風呂掃除するなど、自然な流れで、負担を分散するようにしています」
そのため、使えるICT(情報通信技術)はフル活用。新生児のころのミルクや睡眠時間はアプリ「ぴよログ」、復帰後の仕事や休みなどお互いのスケジュールはGoogle カレンダー、ちょっとした情報共有はSlackを活用するといった具合だ。

育児休暇中に料理の腕が上がったとか。「もともと凝り性なので、カレーは彼のほうが上手。鯛めし、蛸めしも美味しいですよ」と妻(写真提供/土屋さん)

育児休暇中に料理の腕が上がったとか。「もともと凝り性なので、カレーは彼のほうが上手。鯛めし、蛸めしも美味しいですよ」と妻(写真提供/土屋さん)

積雪の日の外遊び。今は岐阜市在住。都会の名古屋へも実は車で30分圏内。かつ自然豊かな環境も身近で、子育てしやすい(画像提供/土屋さん)

積雪の日の外遊び。今は岐阜市在住。都会の名古屋へも実は車で30分圏内。かつ自然豊かな環境も身近で、子育てしやすい(画像提供/土屋さん)

「育児は、母親の私がメイン、夫はサブ。そんな関係にならなくてすんだ」と妻も証言

ここまで、土屋さんの奮闘ぶりについてお話を伺ったが、妻の立場からはどう見えていたのか、土屋さんの妻にもお話を伺った。
「最初から一緒に育児スキルを上げていったので、私が教える手間がなかったのはとてもありがたかったです。もちろん完璧じゃなくて、実は彼、子どもと遊ぶのは苦手なほうだったと思うんですよ。子どもの面倒を見るってテレビを観せることじゃないよって正直思ったこともあります(笑)。でも、今では外遊びは彼のほうが得意。息子と楽しそうです。特に生まれてすぐのときは私が赤ちゃんの世話でいっぱいいっぱいで、夫が家事全般をやってくれたのは助かりました」(妻)

現在新居を建築中。新生活も間近(画像提供/土屋さん)

現在新居を建築中。新生活も間近(画像提供/土屋さん)

ママ友や友人と話していて、「あ、ウチとは違うな」と思うことはあるだろうか。
「みなさん、パパの帰りが遅く、ほとんど平日には子どもと触れ合えない家庭が多いよう。だから、寝かしつけがママじゃないとだめだったり、ママへの後追いがひどいという話を聞くと、ウチとはずいぶん違うなと思います。子どもが病気のときも当然母親の方が休むものと思われていることも多いですが、ウチは2人で調整しています。そうそう、保育園の抽選のとき父親は夫1人で、周囲は母親ばかりで“完全アウェイだったよ”と聞いたときは笑いました」(妻)

男性のための育休本を出版~後輩パパたちの背中を押したい

確かに土屋さんの勤務先は男性育休を取りやすい雰囲気があり、フルリモートで受け入れられやすかったのも事実だ。恵まれていると感じる人もいるだろう。しかし、自分も育休を取りたいと考えているパパとその予備軍はもっともっと多いはずだと考えた土屋さん。自分自身の育休体験を基にした書籍を、友人と共著で自主出版した。

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『迷ったら読みたい 育休はじめてガイド』。現在は電子書籍版を販売している。そもそもの制度の話から、実践編までリアルな話が満載だ(画像提供/土屋さん)

『迷ったら読みたい 育休はじめてガイド』。現在は電子書籍版を販売している。そもそもの制度の話から、実践編までリアルな話が満載だ(画像提供/土屋さん)

「もともとエンジニア界隈で技術やマネジメントに関する本を出すのが流行っていて、僕も年に1回のペースで出していました。そんななか、学びの多い育休を、何かの形でアウトプットしたいと考えたんです。自分たち自身が育休を取得して良かったと実感しているから、迷っている方の背中を押したいと思いました」
Twitterで反響になり、取材を受けることも。そのなかで感じたのは、男性の育児休暇の取得が少ない理由のひとつが、単純に「前例がないから」ということ。「こうした実例があるよ、という情報発信を僕がしていくだけで、育児休暇を取るという選択をする人が増え、雇用者側も対応しやすくなることもあるのかなと思っています。育児休暇中に雇用者に支払われるお金は雇用保険から。雇用主側が負担するものではないんです。そのことから勘違いしている人も多いと実感しました」

コロナ禍で男女ともにテレワークをする人が増え、通勤時間に縛られにくくなる中で、男性も育児休暇を取るというケースは今後増えるかもしれない。土屋さん自身は、“半育休=在宅だから育児もしながら仕事できるでしょう”と雇用主側が拡大解釈をすることには警鐘を鳴らしつつ、育児に軸足をおいて、「たまに」仕事をするスタイルが、男女どちらにも、メリットの多い働き方であると実感している。
また、コロナ禍で里帰り出産や親が手伝いにやってくるといったケースが難しく、はじめての育児を女性1人がワンオペで担うのは本当に大変だ。男性の育児休暇取得率の増加に期待したい。

●土屋さんのnote
「迷ったら読みたい 育休はじめてガイド」を発売します!|ころちゃん|note

コロナ禍で高まる移住熱。『田舎暮らしの本』編集長が注目する地域と特徴って?

近年、地方移住に関心を持つ人が増えるなか、コロナ禍がさらにその後押しとなっている。地域の選択肢は多数あるが、どう選んでいくのがよいのだろうか。
「2021年版 第9回 住みたい田舎ベストランキング」を発表した情報誌『田舎暮らしの本』柳順一編集長に、上位にランクインしているまちの特徴や、移住先を考える際のポイントについて聞いてみた。あわせて、同ランキングで9年連続ベスト3入りし、移住・定住支援施策に力を入れる豊後高田市の担当者と、実際の移住者からも話を聞いた。

幅広い世代が「田舎暮らし」に関心を持つように

『田舎暮らしの本』は1987年に創刊。現在に至るまでの約34年で、「田舎暮らし」を志向する層、受け入れる自治体側ともに大きく変化してきたという。

「1990年代まで、『田舎暮らし』と言えば『老後に悠々自適の暮らしをしたい』シニアの方がほとんどでした。自治体側の受け入れ体制も整備されていませんでしたが、2000年代に入り、地域おこし協力隊や空き家バンクなどの制度が登場しています。同時に、2008年のリーマンショックの影響など、価値観の変化もあったのでしょう。若い方が『田舎暮らし』『地方移住』に反応し始め、今では幅広い世代の方が関心を持つようになっています。また、このコロナ禍で弊誌の反響も高まっており、その傾向が顕著になっていると感じています」(柳編集長)

『田舎暮らしの本』編集長 柳 順一氏(画像提供/宝島社)

『田舎暮らしの本』編集長 柳 順一氏(画像提供/宝島社)

コロナ禍で、具体的に行動を起こす人が増えた

『田舎暮らしの本』では毎年、全国の自治体を調査し、移住・定住に関する施策への取り組み状況を基に「住みたい田舎ベストランキング」を発表している。
2021年版の調査は645市町村を対象とし、「移住者歓迎度」「住宅支援」「交通」「日常生活」などさまざまな観点から、272項目に及ぶアンケートを実施。例えば「移住者歓迎度」は「首長が定住促進を公約にしている」「土日や祝日にも移住相談を受け付ける窓口を常設している」「区費やゴミ処理の方法など地域のルールを移住相談者に知らせて、トラブルを未然に防ぐよう努めている」など22項目で測る。

2013年から続くランキングだが、コロナ禍による変化はあったのだろうか。
「2021年版の調査は2020年4月~10月の実績を基に回答いただいており、まさにコロナの影響を大きく受けた期間。そのなかで、『前年に比べ移住者数が増えている』と回答した自治体が27%、『同程度』が43%、『減っている』が20%。移住相談件数に関しては『増えている』38%、『同程度』39%、『減っている』19%。
移住に関心を持ち、実際にアクションを起こす方が増えているようです。
『20代からの問い合わせ』『県外や遠方の検討者』『相談内容が具体的で、真剣に考えている検討者』が増えたという声もありました」と柳編集長は語る。

『田舎暮らしの本』2021年2月号(画像提供/宝島社)

『田舎暮らしの本』2021年2月号(画像提供/宝島社)

デジタルに強い自治体へ注目集まる

一方、コロナ禍で地域間の移動が難しくなるなか、移住支援施策にもオンライン化が求められている。
「今回の調査では、移住相談会や就職相談会など移住関連施策のオンライン対応実施有無もアンケート項目に追加しました。ランキング上位に入った自治体は、オンライン化にしっかり対応できているところがほとんどです。相談を受けるだけでなく、空き家見学などもオンラインでできるようにしている。こうした背景を受け、現地に行かずに移住を決定するケースも出てきています」(柳編集長)

デジタル活用で注目される自治体の筆頭が長崎県五島市だ。離島ということもあり、以前から遠隔医療・ドローン・IOTなど技術活用が進んでいる。近年、新たな事業や雇用が生まれ続けており、5年間で672人が移住、うち7割以上が30代以下だという。
現在、常設のオンライン移住相談を月3回開催しており、XRを活用した移住イベントも予定している。

長崎県五島市(画像提供/五島市)

長崎県五島市(画像提供/五島市)

「大きな市(人口10万人以上)」で1位を獲得した愛媛県西条市もデジタル活用が盛んなまちだ。児童数の少ない学校同士をつないでオンラインで共同ホームルームを行うなど、先進的な取り組みを実施してきた。シェアオフィス活用やローカルベンチャー育成にも積極的で、新たに移住検討を始めた働き盛りの世代からも支持される素地がある。2020年4月~10月の移住相談件数は前年同時期の5倍という。

西条市のコワーキングスペース「紺屋町dein」(画像提供/西条市)

西条市のコワーキングスペース「紺屋町dein」(画像提供/西条市)

「もともと上位の自治体は、新しいことにどんどん取り組むマインドがあります。
デジタルに強くて順位が上がった自治体もありますが、どちらかというと『移住・定住に真剣に取り組んできた自治体は、デジタルへの対応も早い』という印象です」(柳編集長)

「住みたい田舎」9年連続ベスト3、豊後高田市の取り組み

同ランキングで9年連続ベスト3入りし、今回は「小さな市(人口10万人未満)」で1位になった大分県豊後高田市を例に、移住対策が評価されている自治体の取り組みを具体的に見てみよう。

柳編集長は「自治体主導で『赤ちゃんから高齢者まで暮らしやすいまちづくり』に本気で取り組んでいる。施策を常に見直し、アップデートし続け、広く伝えることを怠らない」と評する。

豊後高田市では現在168項目におよぶ移住・定住支援策を準備しており、同ランキングでは「総合」「若者世代」「子育て世代」「シニア世代」の全4部門でトップに輝いた。
0~5歳児の保育料・幼稚園授業料、中学生までの給食費、高校生までの医療費は全て無料。さらに無料の市営塾「学びの21世紀塾」を開設するなど手厚い子育て支援のほか、シニア世代のニーズにあった商品販売やイベント開催・気軽に集える場の創出に取り組む「玉津プラチナ通り」など、シニア世代が楽しく暮らせるまちづくりにも力を入れている。

玉津プラチナ通りでおこなわれた寄席(画像提供/豊後高田市)

玉津プラチナ通りでおこなわれた寄席(画像提供/豊後高田市)

成功理由は「20年の積み重ね」

豊後高田市 地域活力創造課の大塚さんは9年連続高評価の要因を「20年ほど前から『暮らしやすいまちづくり』に取り組んできたこと」と分析する。
「例えば『学びの21世紀塾』は、学校が週5日制になった際、学力低下を懸念し始めたことがきっかけです。市内数カ所の拠点からスタートし、今は各小中学校で実施、対象年齢も広げていきました。
都市部に比べると個人年収が低いからこそ、共働きを前提に仕事と子育てを両立しやすい環境づくりにも早くから取り組んできました」(大塚さん)

市が運営する「学びの21世紀塾」(画像提供/豊後高田市)

市が運営する「学びの21世紀塾」(画像提供/豊後高田市)

今では全国に広がる「空き家バンク」への取り組みも早かった。しかし2006年の開始当初は登録数も利用も少なかったという。
「紹介できる空き家がなければ利用も増えません。大家さんの中には『荷物があるから』『リフォームが必要だから』などの理由で登録を躊躇されている方も多いです。そうした方々と対話を重ね、例えばリフォームの補助金を用意するなど、登録のハードルを下げていきました」(大塚さん)

結果、登録数は大幅に増え、今では多くの移住者が空き家バンクを活用している。さらに空き家活用だけでなく、新築という選択もしやすいよう、土地代無償の宅地の提供も開始した。

土地代無償の宅地を42区画用意(画像提供/豊後高田市)

土地代無償の宅地を42区画用意(画像提供/豊後高田市)

時勢を踏まえた新しい取り組みにも積極的だ。2020年には市が運営する「長崎鼻ビーチリゾート」で「ビーチ・ワーケーションプラン」の提供を開始した。ビーチに面した施設等で、景色を楽しみながら仕事ができる環境を整えている。

ワーケーション環境を整えた長崎鼻ビーチリゾート(画像提供/豊後高田市)

ワーケーション環境を整えた長崎鼻ビーチリゾート(画像提供/豊後高田市)

「最初から大きな成果が出たものはありません。20年間、トライ&エラーで少しずつ施策を改善・充実させていった結果、注目頂く機会が増えたと感じます」と大塚さん。
『田舎暮らしの本』の柳編集長も、「豊後高田市の成功理由は、仕事づくりや教育の充実など『既に暮らしている人にとって住みよい街づくり』という基盤をつくった上で、移住支援施策をはじめたこと」と語る。

最近では、IターンだけでなくUターンも増えているという。
「『学びの21世紀塾』に通っていた子どもたちが成長して戻ってきて、今は講師としてサポートしてくれたり、子育て支援施設を活用していた方々が今度はスタッフ側で働いてくれたりと、循環が生まれ始めています。今後は『子どもたちが残れる環境づくり』も考えていきたいですね」(大塚さん)

子育て支援施設「花っこルーム」。過去の利用者が今はスタッフとして参加(画像提供/豊後高田市)

子育て支援施設「花っこルーム」。過去の利用者が今はスタッフとして参加(画像提供/豊後高田市)

支援施策を活用し、「夢の暮らし」を手に入れた

2019年、福岡県から豊後高田市に移住した橋本早織さんは、7歳・5歳・2歳の子どもと夫の5人家族だ。漠然と「自然豊かなところで子育てがしたい」と考えていたなか、テレビ番組で豊後高田市の移住支援施策を知った。その後すぐに同市の空き家バンクツアーに参加。「憧れだけでなく、大変なことや不便なことも理解した上で判断しました」と語る。

他の自治体もいくつか比較検討したが、豊後高田市の支援策がとびぬけて魅力的に思えたという。
「保育料で給料が飛んでいく状況だったので、保育料や給食が無料というのはありがたかったです。空き家バンクの登録数が多く、住まいを選べることも大きかったですね」(橋本さん)

移住後、橋本さんは市内で転職、夫はしばらく福岡との二拠点生活を送っていたが、その後リモートワークができるようになり、完全移住。今は市内の会社に転職している。
現在の住まいは空き家バンクで見つけた物件だ。「大家さんは売却を希望されていましたが、市の担当者を通して相談し、まずは賃貸で住んでいます。気に入ったので、今後購入させていただく予定です」と橋本さん。
「こちらに来て、子どもの遊び場がビルやマンションに囲まれた公園から海や山、川、田んぼになりました。自然豊かな場所で子育てを、という夢が叶ったと同時に、親である私たちもその環境に癒やされています。今の暮らしにとても満足しています」(橋本さん)

豊後高田市での暮らしを楽しむ橋本さんご家族(画像提供/橋本早織さん)

豊後高田市での暮らしを楽しむ橋本さんご家族(画像提供/橋本早織さん)

心が動かなければ、住民票は動かない

柳編集長は、移住先の選び方についてこう語る。
「ランキングというある種の判断材料と矛盾するかもしれませんが、移住を決断できるかどうかは『心が動くかどうか』。心が動かなければ、住民票は動きません。
そして多くの移住者は、『人との出会い』に心を動かされたと話します。先輩移住者や役場担当者、地域の方など、『話が合う』『頼りになる』『落ち着く』と感じる方に出会えたら、そのまちが第一候補になりうると思います。

良いまちは全国にたくさんあります。私たちのランキングは『移住定住に熱心なまちは取り組み施策数も多い』前提で作成していますが、上位のまちはあくまで『いろんな方に薦められる』ということ。施策の『数が多い』ことが、必ずしも個々人にとって良い訳ではないですよね。

今は実際にまちを訪れることも難しいですが、逆にオンラインだからこそ、家族そろって気軽に自治体に相談することもできます。そのなかで、『話が合う人』を見つけられるかもしれません。

そうして興味を持ったまちがあれば、そこではじめて支援制度などを確認するのが良いと思います。
『こんな支援をしてくれるなら移住する』という『お客様気分』だと失敗しやすい。『移住大歓迎』なまちでも、『行ってやる』意識でいるのは間違いです。例えば特にこの時勢であれば、窓口を訪れる前にアポを入れる、オンラインで相談するなど先方への配慮も当然必要でしょう。
自治体は『自分たちの仲間になってくれる人』を探しています。そんな人なら、喜んでサポートしてくれると思いますよ」

オンラインの移住相談風景(画像提供/豊後高田市)

オンラインの移住相談風景(画像提供/豊後高田市)

まちと自分の「相性」を試し、良い選択を

都市圏一極集中への懸念が生まれ、働き方が変わり、暮らす場所の選択肢が広がった。まちにはそれぞれ特性があり、人とまちには相性がある。時勢を受け、オンラインでの相談対応等を行うまちも増えている。今は難しいかもしれないが、お試し移住やワーケーションなど、気軽に「相性」を試せる機会も増えている。地方移住に関心を持ったなら、まずはそうした場を利用することから始めてみてはいかがだろう。

●取材協力
『田舎暮らしの本』編集部
豊後高田市

「横浜駅」まで60分以内、新築・中古の一戸建て価格相場が安い駅ランキング 2021年版

テレワーク(リモートワーク)が昨年から急激に広まったことで、「通勤に便利な都市部」という立地にこだわらない住まい探しをする人も増えている様子。そこで今回は横浜駅まで「60分圏内」にある、一戸建ての価格相場を紹介したい。横浜駅まで30分圏内ではなく60分圏内という区切りだと、「職場までちょっと遠いかな……」とこれまで注目していなかった街もあるはず。しかしそうしたエリアにも、自分好みの街があるかもしれない。さっそく築1年未満の「新築編」と築1年以上・築15年未満の「中古編」、それぞれの価格相場が安い駅TOP10をチェックしていこう。●横浜駅まで60分以内の価格相場が安い駅TOP10
【新築一戸建て編】
順位/駅名/価格相場/土地面積中央値/建物面積中央値
(沿線/所在地/横浜駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 入谷 2480万円 土地100.32平米 建物95.58平米
(JR相模線/神奈川県座間市/39分/1回)
2位 衣笠 2890万円 土地109.61平米 建物96.05平米
(JR横須賀線/神奈川県横須賀市/48分/0回)
3位 寒川 2930万円 土地108.54平米 建物95.33平米
(JR相模線/神奈川県寒川町/39分/1回)
3位 香川 2930万円 土地106.44平米 建物94.39平米
(JR相模線/神奈川県茅ヶ崎市/36分/1回)
5位 かしわ台 3180万円 土地103.69平米 建物96.39平米
(相鉄本線/神奈川県海老名市/29分/1回)
5位 三浦海岸 3180万円 土地116.92平米 建物99.35平米
(京急久里浜線/神奈川県三浦市/45分/0回)
7位 宮山 3235万円 土地169.78平米 建物102.05平米
(JR相模線/神奈川県寒川町/42分/1回)
8位 桜ヶ丘 3280万円 土地100.11平米 建物93.98平米
(小田急江ノ島線/神奈川県大和市/26分/1回)
9位 座間 3285万円 土地121.70平米 建物99.34平米
(小田急小田原線/神奈川県座間市/36分/1回)
10位 さがみ野 3480万円 土地100.12平米 建物98.53平米
(相鉄本線/神奈川県海老名市/26分/1回)

【中古一戸建て編】
順位/駅名/価格相場/土地面積中央値/建物面積中央値
(沿線/所在地/横浜駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 かしわ台 3030万円 土地104.93平米 建物96.13平米
(相鉄本線/神奈川県海老名市/29分/1回)
2位 港南中央 3380万円 土地85.70平米 建物86.75平米
(横浜市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市港南区/15分/1回)
3位 東林間 3444万円 土地104.57平米 建物97.44平米
(小田急江ノ島線/神奈川県相模原市南区/31分/1回)
4位 小田急相模原 3494万円 土地100.10平米 建物99.91平米
(小田急小田原線/神奈川県相模原市南区/40分/2回)
5位 上大岡 3655万円 土地65.90平米 建物94.13平米
(京急本線/神奈川県横浜市港南区/8分/0回)
6位 上星川 3775万円 土地109.54平米 建物96.75平米
(相鉄本線/神奈川県横浜市保土ケ谷区/10分/1回)
7位 三ツ境 3780万円 土地109.29平米 建物99.14平米
(相鉄本線/神奈川県横浜市瀬谷区/19分/0回)
7位 弘明寺 3780万円 土地64.46平米 建物93.02平米
(京急本線/神奈川県横浜市南区/13分/0回)
9位 二俣川 3790万円 土地91.20平米 建物97.45平米
(相鉄本線/神奈川県横浜市旭区/12分/0回)
10位 小田栄 3880万円 土地54.23平米 建物89.66平米
(JR南武線/神奈川県川崎市川崎区/23分/2回)

新築一戸建てのトップ10にはJR相模線沿線が4駅ランクイン

ランキングを見て分かる通り、横浜駅まで60分以内の条件でランキングしたものの、所要時間が50分を超える駅は一つも入ってきておらず、中古に至ってはすべて40分以内、20分以下の駅も多く登場している。東京都心の場合、同心円状に価格が安くなっていくのに対して、横浜駅を起点に価格で検討すると、さまざまなエリアに選択肢があるということだ。
「新築一戸建て編」の1位はJR相模線・入谷(いりや)駅。東京都内にも同名の駅があるが、こちらは神奈川県座間市に位置している。田園風景の中にぽつんとある無人駅で、1駅隣にある海老名駅の駅前の発展ぶりに比べると「1駅しか違わないのに、こんなにのどかなの!?」と驚かされる。しかし線路をまたぐ県道46号を北東へ進み、駅から徒歩7~8分ほどの座間警察署あたりまで出ると商業エリアに。スーパーやドラッグストア、書店、ディスカウントストアの「ドン・キホーテ」、休日の癒やしにうれしい温浴施設などが集まっている。

海老名駅(写真/PIXTA)

海老名駅(写真/PIXTA)

さらに座間警察署から10分ほど歩くと、9位にランクインした小田急小田原線・座間駅へ。1位・入谷駅~9位・座間駅間は歩いて15分少々といった近さながら、価格相場は入谷駅のほうが805万円も安い。先ほど述べた通り入谷駅周辺には田園風景が広がっているため“駅近”物件の数自体が少なく、その点が価格相場の安さにつながっているのかもしれない。しかし入谷駅に加え座間駅も利用しやすく、自然を身近に感じる環境でもあると考えると、入谷駅周辺で住まい探しをするのもアリだろう。入谷駅から横浜駅に向かうにはまず海老名駅に行き、相鉄本線の特急に乗り換えると計39分で到着する。相鉄本線の海老名駅~横浜駅間には、5位・かしわ台駅、10位・さがみ野駅も含まれている。

トップ10には、1位・入谷駅を含めてJR相模線の駅が4駅ランクインしていた。JR相模線はJR横浜線や京王相模原線も通る橋本駅から南へ延び、海近くの茅ヶ崎駅まで18駅を結ぶ路線。入谷駅から南に進むと海老名駅、厚木駅があり、厚木駅から4駅隣が7位・宮山駅、続いて3位・寒川駅、同額3位・香川駅という順に続いている。香川駅から2駅隣が茅ヶ崎駅で、そこからJR東海道本線に乗って約35分で横浜駅に到着する。

香川駅(写真/PIXTA)

香川駅(写真/PIXTA)

ランクインしたJR相模線の駅のうち、最も南側に位置する3位・香川駅の周辺はどんな様子だろうか。駅周辺は住宅街で、駅西側の駅前通りには個人商店がある。その先にはスーパーや、子育て支援センターを併設した香川市役所出張所も。保育園や幼稚園もあるので、小さな子どもがいるファミリー層にもうれしい環境だ。駅から西に歩くこと5分ほど、小出川を越えて中原街道に出るとディスカウントストアや飲食店、コンビニが並んでいる。さらに西には田畑が広がっており、全体的に見ると駅周辺は静かに暮らせる街といった趣だ。

香川駅から2駅隣の茅ヶ崎駅まで行けばショッピングモールや観光客にも人気の飲食店などがあり、茅ヶ崎駅を出てサザン通り商店街を南下すると夏は海水浴客でにぎわう浜辺「サザンビーチちがさき」にたどり着く。このあたりはサーファーにも人気がある湘南エリア。サーフィンが趣味の人や、海を身近に感じて過ごしたい人に、香川駅は住まいの候補地としていいかもしれない。

茅ヶ崎の海(写真/PIXTA)

茅ヶ崎の海(写真/PIXTA)

中古一戸建てを探すなら、新宿にも出やすい相鉄線沿線に注目

「中古一戸建て編」の1位は相鉄本線・かしわ台駅。「新築一戸建て編」の5位にもランクインした駅だ。特急は停まらないが、急行、通勤急行、快速などは停車する。急行なら乗り換えせずに横浜駅まで8駅・33分。より急いで横浜駅に向かいたい場合は、3駅先の大和駅で特急に乗り換えると29分で到着できる。

線路を挟んでかしわ台駅の北側には海老名市立の中学校、南側には小学校があるほか、消防署や総合病院も駅の近く。駅から5分ほど歩くとスーパーのほかにドラッグストアや100円ショップ、衣料品店の「しまむら」にスーパー銭湯、さらに保育園が集まるエリアがあり、一度にいろいろと用事を済ませたり、一日楽しんだりすることができそうだ。遊べる広場に加えて屋内プールやトレーニング室も備えた「海老名市北部公園」をはじめ、周辺には大小の公園も点在。両隣の駅、海老名駅やさがみ野駅ほどには駅前に商業施設が多くはないが、生活環境は十分に整っている。

1位・かしわ台駅を含め、トップ10には相鉄本線の駅が4駅ランクイン。かしわ台駅から横浜駅方面に向かって乗車すると、7位・三ツ境駅、9位・二俣川駅、6位・上星川駅という順で駅が並んでいる。この相鉄本線は2019年よりJR線との相互直通運転が開始した。二俣川駅の2駅隣、上星川駅の1駅前に位置する西谷駅よりJR直通線(相鉄新横浜線)に分岐し、そのまま乗っていると大崎駅や恵比寿駅、渋谷駅、新宿駅まで1本で行くことができる。1位・かしわ台駅、7位・三ツ境駅、9位・二俣川駅はJR直通の列車も停車するため、この3駅は横浜駅のみならず新宿駅にも乗り換えせずに行けるというわけだ。さらに相鉄本線は2022年度中に東急東横線・目黒線との相互直通運転も開始予定。ますます便利になる相鉄本線の沿線は、住む街として今後の注目度がアップしそうだ。

上大岡駅(写真/PIXTA)

上大岡駅(写真/PIXTA)

さてトップ10のうち、5位の京急本線・上大岡駅も取り上げたい。注目ポイントは、横浜駅まで1本なうえに特急に乗れば8分という近さ。「横浜駅まで60分圏内」という条件で調査したにもかかわらず、これほど横浜駅に近い駅が物件の価格相場の安さで5位になるとは少々意外だろう。価格相場が安いのは、横浜駅に近くても不便だからということもない。上大岡駅に直結して京急百貨店や家電量販店があり、駅前にはショッピングモールや映画館も。繁華街と言えるにぎわいだ。しかし駅前の商業エリアを越えると住宅地が広がり、日常使いできるスーパーやドラッグストア、小中学校や保育園もあり、住む街としても申し分ない。自然の豊かさを望む人にとっては好みから外れるかもしれないが、「やっぱり便利な環境がいい」という場合は注目の駅といえるだろう。

2つのランキングを振り返ってみると、「新築一戸建て編」は価格相場が約2500万円~約3500万円で横浜駅までの所要時間は40分前後のエリアが多かった。「中古一戸建て編」は価格相場が約3000万円~約3900万円で横浜駅までの所要時間は最短で8分(5位)、最長でも40分(4位)で、思いのほか近場のエリアがランクインしていた。

横浜駅の近隣エリアはすでに宅地として利用されていて新築を建てるスペースの確保も難しいだろうし、中古物件を視野に入れて探すと好みの物件を見つけやすいかもしれない。一方で横浜駅から40分ほど離れたエリアなら、新築物件を建てる土地が残されており、郊外のため価格相場が下がるというメリットもある様子。横浜駅から離れるものの価格相場が安めのエリアの新築一戸建てか、横浜駅に近いぶん価格相場は高めの中古一戸建てか……、どちらも魅力的で悩ましいが、自分たちの暮らし方や好みに応じて探していきたい。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている横浜駅まで電車で60分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数40年未満、敷地権利は所有権のみ
■新築戸建て:新築物件(築1年以上の未入居物件を含む)
■中古戸建て:築15年以内
【データ抽出期間】2020/8~2020/10
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された一戸建て価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2020年11月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

縄文人さん、「竪穴住居」でどんな暮らしを送っていたんですか?

1万年以上も平和が続いたとされる縄文時代。人々は狩猟、採集、漁労を生業とし、竪穴住居を建てて集落単位の定住生活を始めた。この「竪穴住居(我々の時代は「竪穴式住居」と習ったが、現在は「竪穴住居」という表記が一般的らしい)」、社会の教科書で見たことはあるが、一体どんな家だったのだろうか。

調理場は? 収納スペースは? ベッドは? 山梨県北杜市の梅之木遺跡で竪穴住居の復元にあたっている21世紀の“縄文人”を訪問して詳しい話を聞いた。

縄文ガールは「使いやすい複式炉」がお好き

ある日、面白いフリーペーパーを見つけた。その名も『縄文ZINE』。縄文時代のあれやこれやをさまざまな角度から取り上げている。しかも、デザインワークから記事の切り口まで何しろポップなのだ。

この編集長なら竪穴住居での暮らしについて何か知っているに違いない。

最新号の表紙はラップユニットの「ENJOY MUSIC CLUB」(写真撮影/石原たきび)

最新号の表紙はラップユニットの「ENJOY MUSIC CLUB」(写真撮影/石原たきび)

「(架空の)縄文人同士のガールズトーク」という記事では「『一緒に貝塚をつくろう』と言われたらグッときちゃうかな」「集落のいちばん日当たりのいい場所にふたりだけの可愛い竪穴住居をつくって」などの発言が飛び出す。

「炉は使いやすい複式炉」がいいそうです(写真撮影/石原たきび)

「炉は使いやすい複式炉」がいいそうです(写真撮影/石原たきび)

このイカしたフリーペーパーをつくっているのは、株式会社ニルソンデザイン事務所代表の望月昭秀さん(48歳)。縄文関連の書籍も何冊か出版している。

手にしているのは最新刊の『縄文人に相談だ』(写真撮影/石原たきび)

手にしているのは最新刊の『縄文人に相談だ』(写真撮影/石原たきび)

望月さん、なんでまた縄文時代なんですか?

「僕は静岡県生まれで、子どものころから近くの登呂遺跡を自転車で見に行ったりしていて。当時から遺跡は身近な存在だったんです。決定的だったのは、10年ぐらい前に長野をドライブしている途中でふらっと入った尖石縄文考古館。そこで、縄文の土器や土偶が持つ造形の面白さを再認識しました」

「竪穴住居を復元している人をご紹介しましょうか?」

すっかり縄文にハマった望月さんは、2015年から『縄文ZINE』をつくり始める。現在、11号目を配布中だ(不定期刊行)。

公式サイトでは縄文グッズも販売している(写真撮影/石原たきび)

公式サイトでは縄文グッズも販売している(写真撮影/石原たきび)

そうそう、今回は縄文時代の家について聞きに来たのだ。いわゆる、竪穴住居ですよね。

「竪穴住居の屋根は茅葺のイメージでしたが、最近の研究では土盛りが多かったという説が有力になりました。当時の庶民の生活って記録が残っていないから、分からないことだらけなんですよ」

残念ながら、『縄文ZINE』では竪穴住居の特集を組んだことがないという。しかし、ここから意外な展開が待っていた。

「山梨県で竪穴住居を復元している人がいるので、ご紹介しましょうか? 何度か現場を見学しましたが、山を背景に炊事の煙が上がっていたりして、かなりいい雰囲気ですよ」

おおお、21世紀の縄文人だ。よろしくお願いします。

縄文時代中期の環状集落跡「梅之木遺跡」

12月上旬、新宿駅から特急あずさに乗り込んだ。約1時間半で山梨県の韮崎駅に到着。

山から吹き降ろす風が冷たい(写真撮影/石原たきび)

山から吹き降ろす風が冷たい(写真撮影/石原たきび)

ここから車で20分ほどの場所に目指す「梅之木遺跡」がある。

約5000年前、縄文時代中期の環状集落跡で北杜市が管理運営している(写真撮影/石原たきび)

約5000年前、縄文時代中期の環状集落跡で北杜市が管理運営している(写真撮影/石原たきび)

標高は約800m。気温はさらに下がった。敷地内は公園として整備され、自由に見学できる。正面には標高3000mに迫る甲斐駒ヶ岳を含む南アルプスの連山を望む。

斜面に点在しているあれが竪穴住居?(写真撮影/石原たきび)

斜面に点在しているあれが竪穴住居?(写真撮影/石原たきび)

肌寒いが冬の日差しは柔らかい。聞こえるのはとカラスの鳴き声のみ。のどかだ。まさしく縄文日和ではないか。

北杜市が立ち上げた竪穴住居復元プロジェクト

縄文人はすぐに見つかった。

満を持してご登場(写真撮影/石原たきび)

満を持してご登場(写真撮影/石原たきび)

こちらは東京・杉並区で造園業の「熊造園」を営む黒田将行さん(44歳)。現代美術作家という別の顔も持つ。

ちなみに、いかにも縄文スタイルのコートは猟師が獲った鹿の皮を黒田さんがなめして毛皮にしたものだ。

2016年、北杜市は梅之木遺跡内の竪穴住居を復元するプロジェクトを立ち上げた。復元にあたっての条件は、できるだけ縄文の道具と資材だけで建てること。そこで白羽の矢が立ったのが、造園技術に長けていて木と石を使った立体物の制作も得意な黒田さんだ。

挨拶もそこそこに、まずはガイダンス館を案内してもらった。

遺跡の解説パネルや遺跡出土品が展示されている(写真撮影/石原たきび)

遺跡の解説パネルや遺跡出土品が展示されている(写真撮影/石原たきび)

1万年以上続いたとされる縄文時代。この遺跡でも長期にわたって人々が生活したのだろう。

「いえ、じつはここで人が暮らしたのは500年間ぐらい。150軒ほどの住居跡が見つかっていますが、縄文時代中期に地球規模の気候変動が起こったことで、ちょっと先にあるエリアに移動したようです」

カナダの先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目

竪穴住居の中からは土器や石器も出土した。

調理のための深鉢型土器や伐採用の石斧など(写真撮影/石原たきび)

調理のための深鉢型土器や伐採用の石斧など(写真撮影/石原たきび)

出土品の中でも最も貴重なのは香炉型土器だという。

縄文時代特有の文様で装飾が施された香炉型土器(写真撮影/石原たきび)

縄文時代特有の文様で装飾が施された香炉型土器(写真撮影/石原たきび)

「焦げた跡があることから、燭台として使っていたんじゃないかと言われています。ロウのように加工した鹿の油とかを入れてから、真ん中のふちに縄を通して火を灯していたんだと思います」

なお、竪穴住居の復元にあたってはカナダ・ブリティッシュコロンビア州の先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目した。日本とほぼ同じ緯度に位置し、狩猟・採集で暮らしていた彼らの住居は、縄文人の住居を考える際に参考になるのだ。

ちょっと広めのワンルームといった風情

黒田さんはこれらの情報をもとに現代版の設計図を作成した。

円錐形の土屋根で、排煙・採光用の天窓を設けるのが特徴(写真提供/黒田将行)

円錐形の土屋根で、排煙・採光用の天窓を設けるのが特徴(写真提供/黒田将行)

東京で造園業の仕事をしながら、週末は梅之木遺跡に通う生活が1年半続いた。何しろ、住居を建てるための縄や石斧をつくるところから始めたのだ。数々の苦労を経て竪穴住居は完成した。

さて、室内を拝見しよう。

予想以上に広かった(写真撮影/石原たきび)

予想以上に広かった(写真撮影/石原たきび)

「30平米ぐらいですね。中央の炉の灰の中に土器を立てます。ここで料理をしたりお茶を飲んだりしていたと思われます。周囲の段差はいわゆる収納スペースです」

床は土に石灰とにがりを混ぜて固めたもの。

排煙・採光用の天窓もちゃんとある(写真撮影/石原たきび)

排煙・採光用の天窓もちゃんとある(写真撮影/石原たきび)

木と木をつなぎ止めるのは藤の蔓でつくった縄だ(写真撮影/石原たきび)

木と木をつなぎ止めるのは藤の蔓でつくった縄だ(写真撮影/石原たきび)

玄関、キッチン、収納、天窓。ちょっと広めのワンルームといった風情だ。ところで黒田さん、肝心のベッドはどこですか?

「あくまでも推測ですが、枝や丸太を横に渡して、その上に寝ていたんじゃないでしょうか。それだけだと背中が痛くて無理でしたが、さらに草やゴザを敷いたら寝心地は結構よかったです」

体を張って試行錯誤中です(写真撮影/石原たきび)

体を張って試行錯誤中です(写真撮影/石原たきび)

収納スペースには手づくりの石斧があった。

握りやすいようにグリップを削っている(写真撮影/石原たきび)

握りやすいようにグリップを削っている(写真撮影/石原たきび)

「明日、ジビエを食べながら土器を焼くイベントがあるんですよ。だから、今日は薪をたくさん割っとかないと。やってみます?」

案内されたのは資材や道具類を保管している「事務所」。

竪穴を掘らない“平地式”タイプ(写真撮影/石原たきび)

竪穴を掘らない“平地式”タイプ(写真撮影/石原たきび)

「薪はこの辺りから伐り出してくるコナラ、カエデ、クヌギなどです」

一発で仕留める黒田さん(写真撮影/石原たきび)

一発で仕留める黒田さん(写真撮影/石原たきび)

なお、石斧では時間がかかりすぎるため、イベント用の薪割りはさすがに文明の利器に頼るそうだ。

へっぴり腰ながら僕も何度目かで成功(写真撮影/石原たきび)

へっぴり腰ながら僕も何度目かで成功(写真撮影/石原たきび)

樹皮を土で覆う屋根で断熱性アップ

現在、遺跡内には計4棟の竪穴住居がある。順番に見せてもらった。まずは、2棟目(1棟目はタイトル画像のもの)。

こちらも1棟目と同様、樹皮を敷いた上にこれから土を被せて土屋根にする(写真撮影/石原たきび)

こちらも1棟目と同様、樹皮を敷いた上にこれから土を被せて土屋根にする(写真撮影/石原たきび)

3棟目の屋根は樹皮の上から土で覆う構造。

これによって断熱効果が高まるそうだ(写真撮影/石原たきび)

これによって断熱効果が高まるそうだ(写真撮影/石原たきび)

入口の高さの感覚が分からず、頭をぶつけるのでのれんを下げた(写真撮影/石原たきび)

入口の高さの感覚が分からず、頭をぶつけるのでのれんを下げた(写真撮影/石原たきび)

縄文人は我々と比べて身長もずいぶん低かったのだ。

4棟目は現在建築中。初期の骨組みがよく分かる。柱の根元を焦がすのは腐食防止のためだという。

奥に見えるのは子どもたち用の竪穴住居製作体験キット(写真撮影/石原たきび)

奥に見えるのは子どもたち用の竪穴住居製作体験キット(写真撮影/石原たきび)

きれいなサークル状の敷石はサウナ跡?

敷地内には国指定天然記念物の「山高神代ザクラ」の子孫樹もあった。春になると花を付ける。

樹齢2000年の古木の種子から育てた1本(写真撮影/石原たきび)

樹齢2000年の古木の種子から育てた1本(写真撮影/石原たきび)

地球を4100周して還ってきた種子(写真撮影/石原たきび)

地球を4100周して還ってきた種子(写真撮影/石原たきび)

同じ囲いの中では「ツルマメ生育実験」も行われていた。植物性タンパク質が豊富なツルマメはダイズの原種で、縄文時代から食用として利用されていた。ここでは、その利用の実態を解明するために育てられている。

最後に、遺跡のすぐ下の小川に連れて行ってくれた。「面白いものがあるんですよ」と黒田さん。

きれいなサークル状の敷石を復元したもの(写真撮影/石原たきび)

きれいなサークル状の敷石を復元したもの(写真撮影/石原たきび)

小川の脇でも縄文人が使っていたと思われる遺跡がいくつか発見された。このサークル状の敷石もそのひとつだ。

「ここで何が行われていたかは分からないんです。儀式や出産のための場所とも言われていますが、個人的な妄想としてはサウナだったらいいなあと(笑)。下が土だと汗をかいてドロドロになるので石を敷いた。このスペースで火を焚くとかなり熱いでしょ。限界がきたら下の小川の水で体を冷やす。縄文時代の交互浴ですよ(笑)」

火が点く日と点かない日は半々ぐらい

縄文ツアーもいよいよクライマックス。そう、ラストを飾るのは竪穴住居内での焚き火だ。黒田さんが説明する。

「着火剤はよく揉んだよもぎの葉っぱと麻縄。あとは、全力で棒を回転させます」

しかし、苦戦する黒田さん(写真撮影/石原たきび)

しかし、苦戦する黒田さん(写真撮影/石原たきび)

「バトンタッチしましょうか」の一言で、初の火起こし体験。

これはかなりしんどいぞ(写真撮影/石原たきび)

これはかなりしんどいぞ(写真撮影/石原たきび)

15分ほど挑戦したのちに「今日はあきらめましょう。火が点く日と点かない日は半々ぐらいですね。ゲストの日ごろの行いに左右されます(笑)」。黒田さんは潔くライターで点火した。パチパチという心地よい音、枝の水分が蒸発するジューという音が竪穴住居の中に響く。

縄文人もこうして同じ光景を見ていたのだろう(写真撮影/石原たきび)

縄文人もこうして同じ光景を見ていたのだろう(写真撮影/石原たきび)

屋根の角度「30度」は山の傾斜とほぼ同じ

「竪穴住居をつくっているうちに分かってきたことですが」と前置きして黒田さんが語り出す。

「『め』『き』『て』といった単音節、つまりひとつの音節だけでできた言葉に縄文語が潜んでいるんじゃないかと思うんです。例えば住まいは『す』で、つまりは巣。竪穴住居の天井を見上げると蜘蛛の巣みたいでしょう」

さらに、「光(ひかり)」は「火(ひ)」と「狩(かり)」ではないかという持論も飛び出した。

それ、すごい発見なんじゃないですか(写真撮影/石原たきび)

それ、すごい発見なんじゃないですか(写真撮影/石原たきび)

なお、今日見た竪穴住居の屋根の角度は約30度。これが高さを確保しながらも土が崩れにくい最適な角度なんだそうだ。

「山の傾斜もだいたい30度なんですよ。土砂が崩れない角度が自然にできているんだと思います。縄文人もそういうところからヒントを得て住居をつくっていたのでは」

週末限定の縄文人として暮らす中で見えてきた縄文人の生活や価値観。今回の取材では、その片鱗に触れることができた。

炎が安定してきた(写真撮影/石原たきび)

炎が安定してきた(写真撮影/石原たきび)

そういえば、望月さんからは「せっかくなので泊まっていってはいかがですか?」と言われた。黒田さん、ぶっちゃけ泊まれますか?

「冬の朝は軽く氷点下になるし、一晩中火の番をしなければいけなくなるのでやめたほうがいいですね。そもそも、施設自体が17時に閉まってしまいます(笑)」

とはいえ、竪穴住居の中でぼんやりとたたずむだけで縄文人の感覚に少し近付けた気がした。

●取材協力
北杜市埋蔵文化財センター
『縄文ZINE』

震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と

全国で大規模な自然災害が増えている。時間と共に関心が薄れてきている震災の記憶を風化させまいと、被災地では伝承施設の建設が相次いでいる。また、震災で失われたものをプラスに活かす取り組みも。各地で進められている「震災の記憶を残し、後世に確実に伝える取り組み」のうち、2020年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した宮城県亘理郡山元町、福島県相馬郡飯舘村、熊本県熊本市の3つの事例を紹介する。
伝承が難しい状況でも震災を風化させない。復興へ向けた取り組み

東日本大震災からもうすぐ10年。震災を振り返るテレビ番組や報道は3月11日前後以外はあまり見なくなった。被災地では、子どもから高齢者までの震災経験者による語り部ガイドツアーは継続しているが、ガイド役の子どもたちが成長して忙しくなったり、高齢化で担い手が減少しつつあったりするという。また、震災を知らない子どもたちも増えた。

一方で、国土交通省が2017年に「震災を風化させないプロジェクト~震災の記録・記録の見える化への取り組み~」を発表し、震災情報の発信、震災遺構・追悼施設等のマップ化、震災メモリアル施設等の整備などに力を入れている。被災地では、震災の事実を伝える施設が続々と計画、誕生している。

被害状況を保存建築物にした「山元町立中浜小学校」

山元町立中浜小学校は、宮城県沿岸部、海から約400mに位置する。2011年3月11日、東日本大震災の大津波で校舎は2階天井近くまで浸水した。避難場所まで歩いて避難することは不可能と判断し、児童と教職員ら90人は、校舎屋上の倉庫で一夜を過ごし、翌朝自衛隊のヘリコプターで全員が無事救助された。

中浜小学校は2013年に内陸の小学校と統合されて閉校、沿岸部の自治体では被災した建築物を保存するか解体するか議論されたが、山元町は宮城県南地域で唯一残る被災建築物である校舎を防災教育施設として保存することを決めた。「大津波の痕跡をできるだけ残したまま整備し、教訓を風化させず、災害に対する備え、意識の大切さを伝承する震災遺構」として、2020年9月から一般公開している。整備を担当した山元町教育委員会生涯学習課の八鍬智浩(やくわ・ともひろ)さんに案内してもらった。

校舎南側の1階は窓がサッシごと失われた。2階は窓枠は残るが、窓枠は歪みガラスが破壊されている(写真撮影/佐藤由紀子)

校舎南側の1階は窓がサッシごと失われた。2階は窓枠は残るが、窓枠は歪みガラスが破壊されている(写真撮影/佐藤由紀子)

学校のシンボル的存在だった時計台は、根元から押し倒され、津波の甚大さを物語っている。校庭だった場所はメモリアル広場として整備され、救助のヘリが着陸した場所の近くには震災モニュメント「3月11日の日時計」が新たにつくられた。

文字盤に埋め込まれてた石は地震発生時刻の14時46分を指している。中央の方位盤には国内外で起きた大規模地震の発生時期と方位や距離が記されている。「東日本大震災だけではなく、繰り返し起きる災害に対してどう構え、どう備えるべきかを広い視点で捉えてほしい」と八鍬さんは話す。

メモリアル広場には、津波の高さと襲来した方角を示す国旗掲揚塔や、「地震があったら津波の用心」と刻まれた明治・昭和三陸地震津波の石碑も置かれている。県道沿いにたくさんあったクロマツのうち唯一残った1本は、周辺の道路工事で伐採される予定だったものを移植して残した。

校舎の児童玄関は窓枠ごと流され、下駄箱も流されていた。本来外側に開く教職員用の玄関の扉が内側に開いているのは、津波の引き波によるもの。それでも、校舎の西側に体育館があり、引き波の威力が弱められたという。盾となった体育館は引き波から校舎を守り、現在は取り壊されている。

校舎入口に建つ学校のシンボルだった時計台は津波で根元から倒され、そのまま残されている(写真提供/山元町教育委員会)

校舎入口に建つ学校のシンボルだった時計台は津波で根元から倒され、そのまま残されている(写真提供/山元町教育委員会)

震災の翌朝、自衛隊のヘリコプターが着陸した位置の近くに設けられた「日時計の丘」。3月11日に誤差なく時間を示すようにつくられているほか、さまざまな工夫が施されている(写真提供/山元町教育委員会)

震災の翌朝、自衛隊のヘリコプターが着陸した位置の近くに設けられた「日時計の丘」。3月11日に誤差なく時間を示すようにつくられているほか、さまざまな工夫が施されている(写真提供/山元町教育委員会)

「校舎1階は、被災したままの状態を保存し、津波の甚大さを知ってもらうための場所として整備しています。被災した状態の校舎の中をそのまま保存し見学できるようにすることは、本来、建物が守るべき建築基準法とは相反します。津波の被害状況をなるべくそのまま見てもらいたい、体感してもらいたいという思いがあり、山元町では新たに条例を制定したうえで、建築基準法の適用を除外する手続きをとりました。天井から落ちてきそうな部材や配管類はワイヤーや接着剤で固定したり、倒れ掛かっている壁は裏から鉄骨で支えるなど、安全に維持・見学するために必要な補修、保存手法を目立たないように施しています」(八鍬さん)

1階の多目的ホールのモニュメントは、津波により押し倒されている。曲がった机や椅子が積み重なり、防潮林だったクロマツが校舎内に流れついている(写真撮影/佐藤由紀子)

1階の多目的ホールのモニュメントは、津波により押し倒されている。曲がった机や椅子が積み重なり、防潮林だったクロマツが校舎内に流れついている(写真撮影/佐藤由紀子)

中庭に面した窓ガラスはほとんどが破壊されたが2階の窓ガラスやステンドグラスは一部が残っている(写真撮影/佐藤由紀子)

中庭に面した窓ガラスはほとんどが破壊されたが2階の窓ガラスやステンドグラスは一部が残っている(写真撮影/佐藤由紀子)

校舎の窓ガラスは破壊され、天井などは大きくはがれ落ち、配管類がむき出しになっている。窓枠のサッシはめくれ上がり、津波で運ばれた大量の瓦礫や木などが積み重なっている。遺構のさまざまな被害状況から、津波の威力や高さ、方向などをうかがい知ることができる。

教室と仕切りで区切られたワークスペース(廊下)も天井が剥がれ落ちている。木の床板は雨風が吹き込んで徐々に反り、剥がれていった(写真提供/山元町教育委員会)

教室と仕切りで区切られたワークスペース(廊下)も天井が剥がれ落ちている。木の床板は雨風が吹き込んで徐々に反り、剥がれていった(写真提供/山元町教育委員会)

柱に巻き付いている鉄骨は学校にあったものではなく、どこからか流されてきたもの。津波はいろいろなものを巻き込んで襲ってきた(写真撮影/佐藤由紀子)

柱に巻き付いている鉄骨は学校にあったものではなく、どこからか流されてきたもの。津波はいろいろなものを巻き込んで襲ってきた(写真撮影/佐藤由紀子)

90人が寒さと余震に耐え、いつくるか分からない救助を待ち続けた屋上倉庫。震災当時のまま残され、その状況を見学できる(写真提供/山元町教育委員会)

90人が寒さと余震に耐え、いつくるか分からない救助を待ち続けた屋上倉庫。震災当時のまま残され、その状況を見学できる(写真提供/山元町教育委員会)

90人が一夜を過ごした屋上の倉庫へは、狭く急な階段を昇る。明かりのないこの倉庫は、学習発表会の衣装や模造紙に書かれた絵などが当時のまま残されている。食べ物も飲み物もなく、氷点下の外気温の中、屋上倉庫の中にあるもので寒さをしのぎ、余震の恐怖に耐えながら一夜を過ごした。

災害を自分のこととして考える校舎の壁に見える青いプレートの高さまで津波が達した。津波が押し寄せて水没した校舎は「まるで船になって海に漕ぎ出したような感覚」だったという(写真提供/山元町教育委員会)

校舎の壁に見える青いプレートの高さまで津波が達した。津波が押し寄せて水没した校舎は「まるで船になって海に漕ぎ出したような感覚」だったという(写真提供/山元町教育委員会)

体育館により引き波から守られたことで被害が比較的少なかった2階の旧音楽室は当時の状況を色濃く残したまま映像室に改修され、当時の様子などを教職員や保護者のリアルな声と共に知ることができる。震災前は集落が見えていた旧音楽室の窓からは、黄色いハンカチが風にたなびくのが見える。被災地に対する支援への感謝や、全国から寄せられた復興を願うメッセージなどがハンカチに書かれている。地元で伝承活動を続ける「やまもと語りべの会」によるプロジェクトのひとつだ。

2階の旧図書室は展示室として改修され、ジオラマ、ドキュメントパネル、震災前の映像などを見ることができる。震災前の街並みを再現した模型は、地域住民らとのワークショップを通じて製作された「記憶をカタチに残す」取り組みだ。また、震災前の中浜小学校の模型は、縁が津波の高さに合わせてつくられており、同じ高さの視線で覗き込むといろいろなことが見えてくる。

「この震災遺構は、津波の被害状況や甚大さを知ってもらうだけではなく、災害を『自分のこと』として捉えることが大事だと考えて整備しました。例えば、展示物もただ模型を見るだけではなく、『津波はどの方向から襲ってきたのだろう』『たった一日で日常生活が変わってしまうのはどんな気持ちになるだろう』など問いかけのカードを多く用意しており、その問いかけを通じて、見学者自身にもし自分の生活環境で災害が起きたらどうするかについて考えさせるためのさまざまな工夫しています」と八鍬さんが話すように、答えを与えるのではなく、見て、考えて、想像できるような展示内容になっている。

震災前の町を再現したジオラマは住民も参加して製作され、地域住民の記憶回帰の場にもなっている(写真撮影/佐藤由紀子)

震災前の町を再現したジオラマは住民も参加して製作され、地域住民の記憶回帰の場にもなっている(写真撮影/佐藤由紀子)

児童ら90人の命が無事に守られたことには「事前の備え」がいくつもある。中浜小学校は震災前から津波や高潮の危険性があったことから、1989年の建て替え時に敷地全体が2m程度かさ上げされた。そのため、屋上は津波の被害を逃れた。また、地域住民が学校が開いていない時間帯でも校舎2階まで避難できるように設けられた3つの外階段のひとつが翌朝に脱出ルートとして利用できた。

「学校が海に近いため、先生方は津波の浸水域であるという危機感を常に持っていて、震災当日の2日前の3月9日に発生した津波注意報の発表を伴う地震(このとき山元町では津波は観測されていなかった)を受け、津波が発生した場合の防災・避難行動をしっかりと考え直しています。いろいろな偶然や幸運が重なりましたが、事前に避難マニュアルを確認し、児童には災害に対する意識の大切さを促していたので、パニックにならず落ち着いて行動ができました」(八鍬さん)

児童の心のケア、転入・転出の手続き、年度末の会計処理、支援物資の分配など、学校再開に向けた多岐にわたる取り組みを整理するため模造紙に書かれたマインドマップ。仕事や勉強などさまざまなものに応用できるという(写真撮影/佐藤由紀子)

児童の心のケア、転入・転出の手続き、年度末の会計処理、支援物資の分配など、学校再開に向けた多岐にわたる取り組みを整理するため模造紙に書かれたマインドマップ。仕事や勉強などさまざまなものに応用できるという(写真撮影/佐藤由紀子)

震災遺構として2020年9月に中浜小学校が公開され、約2カ月で来訪者は8000人を超えた。修学旅行の小・中学生も多く訪れており、展示室のノートには「津波の破壊力にびっくりした」「こんな災害が二度と起こらないように願う」「深く考えさせられ、多くの学びを得られる場所だった」などの感想が綴られている。

震災遺構中浜小学校は、被災したままの状態での公開を法的に可能とした手法や、住民らとの意見交換を重ねて整備したプロセス、時の流れを感じながら震災について考える日時計モニュメントなどによる統合的なデザインが評価され、「震災の脅威を示すにとどまらない学びの場を提供しており、柔軟な発想が出来上がった空間の質を格段に高めている。この種の施設を整備する際の、ひとつのモデルを提示したプロジェクトである」として、グッドデザイン・ベスト100のほか、特別賞に該当するグッドフォーカス賞(防災・復興デザイン)も受賞した。

福島県のログハウス型仮設住宅を再利用した「大師堂住宅団地」2020年度グッドデザイン賞を受賞した福島県相馬郡飯舘村の「大師堂住宅団地」(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

2020年度グッドデザイン賞を受賞した福島県相馬郡飯舘村の「大師堂住宅団地」(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

次に紹介するのは、仮設住宅にまつわる取り組み。

2011年、福島県は応急仮設住宅を、通常のプレハブ建築ではなく、木造住宅で約6000戸以上を建設・供給した。(過去記事)仮設住宅は一定期間を過ぎると役割を終えるが、撤去されると同時に大量のゴミが発生し、処分費用もかかる。そこで、福島県は資源を有効活用しようと2016年に応急仮設住宅の再利用を呼び掛けた。

「大師堂住宅団地」が生まれた背景を福島県飯舘村建設管理係に聞いた。「2017年3月に、福島県第1原発事故で全村が計画的避難区域指定が、一部を除いて解除されました。そこで、避難していた住民が戻ってきて住めるように災害公営住宅を新築したり、もともとの公営住宅を改修・改善して整備していましたが、当時、仮設住宅に住める期間終了が当時迫っていて、年内に住宅を供給するために工期を短縮する必要がありました。

そこで、福島県が提案する『仮設住宅の移築・再利用事業』とも相まって、県内で使われていたログハウス型の仮設住宅を移築・再利用しようという流れになりました。

そして、仮設住宅を解体・廃棄処分ではなく恒久住宅とし、一時的な仮設住宅を恒久住宅として再構築したのが『大師堂住宅団地』です。仮設住宅が集会所などに再利用された話は聞いていましたが、災害公営住宅に変わったのは福島県で初めてでした」

建築・設計は、福島県から委託された設計事務所「はりゅうウッドスタジオ」と打ち合わせて進めた。躯体、間取りの壁の位置などはそのまま、屋根や外壁、基礎外周部に断熱材を補強して断熱・気密性を高め、冬は床下のエアコンひとつで暖かく、夏は涼しく過ごせるようにした。外壁に鉄板サイディングを施し、屋根、サッシ、設備などは一新。また、南側を広くし、軒下に外部デッキ・軒下空間を加えて外とつながり、交流する場を設けた。

16戸の仮設住宅の間取りを広げて12戸として再利用した(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

16戸の仮設住宅の間取りを広げて12戸として再利用した(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

内部は木の温かみ、ぬくもりを活かしログ材を極力そのまま見せるデザインにした。「ログ材は積み上げた後に丸太の重量と収縮で下がる現象があるため、断熱材の連続と気密を連続させることが難しかった」と話す(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

内部は木の温かみ、ぬくもりを活かしログ材を極力そのまま見せるデザインにした。「ログ材は積み上げた後に丸太の重量と収縮で下がる現象があるため、断熱材の連続と気密を連続させることが難しかった」と話す(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)

県産の木を使い、地元の工務店の職人が建てた、地域の財産ともいえるログハウス型仮設住宅に新しい可能性を示した「大師堂住宅団地」は、緻密で丁寧な設計と同時に、資材の循環という地球環境にやさしい社会的な意義が評価された。

被災した特別史跡の復旧工事を公開する新たな手法「熊本城特別見学通路」「熊本城特別見学通路」。やわらかな弧を描く通路は全長350m、高低差21m(画像提供/益永研司写真事務所)

「熊本城特別見学通路」。やわらかな弧を描く通路は全長350m、高低差21m(画像提供/益永研司写真事務所)

最後に紹介するのは、2016年4月の熊本地震により甚大な被害を受け、石垣が崩れ、復旧工事に約20年が必要になった熊本城の事例。

「一般的に復旧工事はクローズで行われますが、熊本市の観光のメインで市民のシンボルに20年も入れないことは観光経済に大きな打撃です。そこで、発想を転換して開かれた工事にしようと、被災した城内に入り復旧する過程を安全、間近に見られる観光資源をつくり出すことを熊本市に提案し、実現にいたりました」と話すのは、日本設計のアーキテクト、塚川譲さん。

国の特別史跡内に建築をつくって見学通路を設ける、という初の試みだが、厳しい条件が重なった。「地震などが起きれば石垣が崩落する危険がある。復旧中の現場に新築の建物をつくるという通常では考えられないプロセスを進める必要がありました。また、熊本城の敷地は文化財保護法で定められた特別史跡で、掘ったり削ったりができないため、地中に杭を打つことができず、コンクリートの塊を置いた基礎としました。文化財に配慮しながら建物を支える建築手法をとりました」

見学ルートとなる空中歩廊。基礎を置ける範囲が制限されるため、石垣を飛び越える約50mのロングスパンアーチ構造を採用した(画像提供/益永研司写真事務所)

見学ルートとなる空中歩廊。基礎を置ける範囲が制限されるため、石垣を飛び越える約50mのロングスパンアーチ構造を採用した(画像提供/益永研司写真事務所)

来場者の視線、熊本城の景観に配慮して構造躯体はできるだけ小さく見せるよう工夫。生い茂る木々や植物と一体になった熊本城の景観が楽しめる(画像提供/益永研司写真事務所)

来場者の視線、熊本城の景観に配慮して構造躯体はできるだけ小さく見せるよう工夫。生い茂る木々や植物と一体になった熊本城の景観が楽しめる(画像提供/益永研司写真事務所)

2019年10月から特別公開第1弾を開始。2020年6月に第2弾として見学通路が開通した。コロナ禍の影響もあったが、10月下旬には見学者が10万人を突破した。「近くで見ることができてうれしかった」「まだ震災の傷跡が残っていることに悲しみや驚きを感じた」などの感想が届いているという。以前は地面から熊本城を見ていたが、地上6mから見られるのも新鮮で、緑豊かな城内では行くたびに違った景色を見ることができる。

「通常であれば新築の建物を建てることが許されない場所に建物を建てているため、20年間のみの公開で、その後は解体するということで文化庁の許可を受けています。前例のない試みの建築が、今回初めて実現したことで、文化財と建築の在り方が大きく見直されたのではないかと思います。入れない場所に安全に入って修復過程を見学するといった手法は、震災遺構の見学でも応用できる可能性があると、建築の有識者から評価をいただきました」(塚川さん)。「熊本城特別見学通路」は、安全性、機能性とあわせて美しいデザインも高く評価されている。

2020年度グッドデザイン賞を受賞した3つの事例に共通するのはリアルに災害を肌で感じ、広い視点で考え、「学ぶ」「生かす」「考える」機会を与えているという点だ。地域の復興にも役立ち、未来の災害への備え、対応を強く訴えかける。

前例がない特殊な状況や環境だらけだった「震災を伝える取り組み」はまだ始まったばかりだが、未来に生きるすべての人のために、これからも進化させながら100年、200年先まで伝え続けていく必要がある。

●取材協力
震災遺構中浜小学校の一般公開について
熊本城
●グッドデザイン賞
震災遺構 [山元町震災遺構中浜小学校]
住宅団地 [大師堂住宅団地]
建築 [熊本城特別見学通路]

大好きすぎて移住した! 『水曜どうでしょう』の札幌、ふなっしーの船橋へ

「○○が好きすぎて、○○のそばに引越したい」。そう考えたことがある人は少なくないだろう。ただ、家賃や職場へのアクセスなどさまざまな条件との兼ね合いで諦めた、という人も多いはず。しかし、実際にそれをやってのけた方はどのように引越して、どんな生活を送っているのか?

今回は、好きすぎて「好きなものがある街へ引越した、移住してしまった」人たちに、お話を伺った。

水曜どうでしょう&TEAM NACS好きで北海道へ移住

「水曜どうでしょう」や、出演する大泉洋を擁する演劇集団・TEAM NACSが大好きなあまりに、北海道へ引越してしまった夫婦がいる。竹岡和行さんと、竹岡紗希さんだ。

大泉洋らTEAM NACSが所属する事務所、CREATIVE OFFICE CUEが行うイベントのTシャツ(写真撮影/竹岡紗希さん)

大泉洋らTEAM NACSが所属する事務所、CREATIVE OFFICE CUEが行うイベントのTシャツ(写真撮影/竹岡紗希さん)

関西で生まれ育った2人は、京都建築大学校で知り合った。紗希さんが学校で北海道旅行のおみやげをついでに渡したのがきっかけだ。

「どうでしょうに出てきた『四国八十八箇所』の話になったとき、『水曜どうでしょう知ってる?』って聞かれて。人からそう聞かれたのが初めてだったので。そこから話すようになりました」

いま2人が住む部屋にある多数のグッズ(写真撮影/竹岡紗希さん)

いま2人が住む部屋にある多数のグッズ(写真撮影/竹岡紗希さん)

当時から紗希さんは水曜どうでしょうのDVDを全部持っている大ファンで、和行さんは「普通に好きで見たことがある」程度だったが、DVDの貸し借りから仲は深まった。

「(大泉洋らが出演する)『おにぎりあたためますか』も京都で放送していたので、彼らが行った全国のお店へ、2人で一緒に食べに行っていました」

(画像提供/竹岡紗希さん)

(画像提供/竹岡紗希さん)

紗希さんは専門学校時にも移住を考え、就活で札幌へ4度行ったが、内定をもらえずに関西で就職。国家資格である一級建築士を取ったことと、会社の業績悪化が重なり、入社4年目ごろには移住を本格的に考えた。

「つらい事があった時に、大泉洋さんの主演映画『しあわせのパン』を久しぶりに観たんです。そこで東京から洞爺湖に引越してパン屋を始めた夫婦の『好きな暮らしがしたいって思ったんです。好きな場所で。好きな人と。』ってセリフがあって。その言葉が移住の決め手ですかね」

移住後に訪れた洞爺湖の姿(画像提供/竹岡紗希さん)

移住後に訪れた洞爺湖の姿(画像提供/竹岡紗希さん)

紗希さんとともに彼らのファンになっていった和行さん。だいぶ前から一緒に移住する話をしていた。
「僕も水曜どうでしょうを見て、北海道に行きたい気持ちもありました」

お手製のマグカップ(写真撮影/竹岡紗希さん)

お手製のマグカップ(写真撮影/竹岡紗希さん)

もっと近くで彼らを追える生活

2人は北海道への引越しを決意。土日祝日にイベントへ行くための時間を確保できる仕事を探したが、大阪時代と同じ住宅業界への就職は厳しく、ビルなどを手掛ける設計事務所へ移った。

同じ理由で、和行さんは公務員として事務の仕事に勤めた。

場所は大泉洋たちが学生時代に住みイベントにも行きやすい札幌だった。

水曜どうでしょうの”ミスター”こと鈴井貴之の冠番組『ドラバラ鈴井の巣(HTB)』に札幌の白石区を守るヒーローがいたことから、白石区へ(写真撮影/竹岡紗希さん)

水曜どうでしょうの”ミスター”こと鈴井貴之の冠番組『ドラバラ鈴井の巣(HTB)』に札幌の白石区を守るヒーローがいたことから、白石区へ(写真撮影/竹岡紗希さん)

2018年の2月に内定をもらって、ちょうど予定していた北海道旅行の時間を現地での不動産探しに充てた。

「雪道に慣れない人は駅から5分以内がいいそうですが、条件面で難しくて、最終的には7分以内で探してもらいました」

まさに駅から7分ぐらいほどの2DKのマンションに決定。家賃は管理費込みで7万6000円で、寝室はもはやグッズ置き場になった。

当時の家のリビングダイニングで、この入居前の画像が唯一の写真。なお1室まるごとをグッズ部屋にしていた(写真撮影/竹岡紗希さん)

当時の家のリビングダイニングで、この入居前の画像が唯一の写真。なお1室まるごとをグッズ部屋にしていた(写真撮影/竹岡紗希さん)

北海道に移住したのは2018年4月下旬。そこからチェックできるテレビ・ラジオ番組が増えた。特にTEAM NACSが全員出演する『ハナタレナックス』が毎週見られるほか、水曜どうでしょうの新作もいち早く見られる。

夜の放送はできるだけ早く帰って見るが、難しい場合でも1週間全チャンネルを録画するレコーダーとSNSを駆使して、スポット出演ですら見逃さないようにする。

森崎博之のジャンジャンジャンプ!(HBC北海道放送)の収録風景(写真撮影/竹岡紗希さん)

森崎博之のジャンジャンジャンプ!(HBC北海道放送)の収録風景(写真撮影/竹岡紗希さん)

大泉洋主演でオール北海道ロケの映画『こんな夜更けにバナナかよ』や、TEAM NACSが出演するドラマ『チャンネルはそのまま!(HTB)』のエキストラに参加するなど、彼らと一緒に楽しめる場も広がった。

大泉洋主演映画「こんな夜更けにバナナかよ」を見に来た際の写真(写真撮影/竹岡紗希さん)

大泉洋主演映画「こんな夜更けにバナナかよ」を見に来た際の写真(写真撮影/竹岡紗希さん)

ちなみに、地元の北海道民に水曜どうでしょうや大泉洋らはどう受け止められているのか。

「同世代だと、『”水曜どうでしょう”ってタイトルは聞くけど、内容は知らない』って人が割といて。本当にリアルタイムだったのは40代以上の方なんです」

確かに今でも再放送が全国のUHF系列局で流れるから気づきにくいが、最盛期はレギュラー放送のあった1996~2002年だ。

「40代以上の人にとっては、大泉さんたちは親戚みたいな存在です。でも番組ファンにはおなじみの車やバイクの水曜どうでしょうステッカーは道外より見なくて、『ファンですアピール』は少ない。でも水曜どうでしょうの新作の占拠率(テレビをつけている人の中で、どれだけの人を集めているかという数字)は50%を超えてまでいるし、やっぱり道民に愛されていると思いますね」

(写真撮影/竹岡紗希さん)

(写真撮影/竹岡紗希さん)

「TEAM NACSは森崎リーダー以外はたぶん東京の方に住んでいるので、彼らの活動を『追いかけるなら東京じゃない?』っていう人もいるんですけど、やっぱり彼らのホームは北海道だと思うので。どれだけ東京の方で忙しくなっても、収録のたびに帰ってきてまでレギュラー番組を続けていますから」

雪まつりで、HTBの旧社屋をつくった

2019年2月にはさっぽろ雪まつりで、水曜どうでしょうでもおなじみだったHTBの旧社屋の雪像をつくった。建築の技術を活かしてCADで図面を書き、短い製作時間の中で2人だけでつくり上げた。

実質3日でつくり上げた、水曜どうでしょうの聖地(写真撮影/竹岡紗希さん)

実質3日でつくり上げた、水曜どうでしょうの聖地(写真撮影/竹岡紗希さん)

「本来は横長の建物ですけど、雪像は2×2×2メートルって決められているので、それでもHTBに見えるように工夫しました」

後ろの通用口は、水曜どうでしょうで企画発表などをやる、ある種の“聖地”なので丁寧につくり、ロケ車も置いた。

(写真撮影/竹岡紗希さん)

(写真撮影/竹岡紗希さん)

「気付く人は、『うわ、こんな所までつくってる』って思ってくれました」
それをHTBの記者が見つけて、夕方の情報番組で取り上げられた。TwitterではHTBのマスコットキャラクターonちゃんのアカウントも引用リツイートしてくれた。

大泉さんと同じところで、結婚式を挙げたい

いま大泉洋が披露宴をしたと公表する式場で、式を挙げようと準備をしている。披露宴をおこなったのは2010年8月29日。ふとその10年後である2020年の8月29日を調べると、土曜日で大安だった。

「運命だと思って決めました」
コロナ禍で延期になったが、新たな式の日付も来年の8月29日にしている。

(写真撮影/竹岡紗希さん)

(写真撮影/竹岡紗希さん)

現在は、水曜どうでしょうでも行われた「カントリーサインの旅」を決行中だ。

こういった市町村の境界線にあるカントリーサインで記念撮影していく旅(写真撮影/BATACHAN)

こういった市町村の境界線にあるカントリーサインで記念撮影していく旅(写真撮影/BATACHAN)

「さすがにどうでしょうみたいに、カードの出た順にまわるのは厳しいので(笑)、並んだ自治体を効率よくまわっています。3~4連休を使ってレンタカーで走りますね」

今は179市町村中の175を制覇し、奥尻町、礼文町と利尻町、利尻富士町の離島の自治体4つを行けばクリアだ。

住んで3年目の北海道。どう思っているのか。

「北海道で最初にびっくりしたのは、水道水がすごく美味しいんです。地域によって全然特産品が違うし、美味しいものが多すぎます」

スープカレーのマジックスパイス、ラマイ、ジンギスカンの成吉思汗 なまらなど、庶民的で通いやすいTEAM NACSゆかりのお店にもよく行く。

TEAM NACSのメンバーが大学時代から通い続ける、カリー軒(写真撮影/竹岡紗希さん)

TEAM NACSのメンバーが大学時代から通い続ける、カリー軒(写真撮影/竹岡紗希さん)

紗希さんに聞く。彼らを追って北海道に来て、今どう思いますか?

「日々充実して、移住して良かったと思います。住んでいると、たぶん悪いところも見えてくると思うんですけど、それを含めてもっと北海道を知っていきたい」

もし大泉洋さんやTEAM NACSに、今メッセージを送るとしたら。

「もうTEAM NACSと出会っていない人生が想像できない。人生楽しませてもらって感謝ですね」(紗希さん)

「嫁と一緒に来てすごく楽しいですし、見れば見るほどハマらせていただいています。NACSメンバーに言いたいのは……結婚式に来てください!(笑)」(和行さん)

2020年の雪まつりでつくった、「チャンネルはそのまま!」の主人公・雪丸花子の雪像と(写真撮影/竹岡紗希さん)

2020年の雪まつりでつくった、「チャンネルはそのまま!」の主人公・雪丸花子の雪像と(写真撮影/竹岡紗希さん)

ふなっしーが大好きで、船橋へ引越し。

ふなっしーが好きなあまりに、船橋への引越しを決めたのがりささん(@funafunarin)。長野から上京し、南砂町(東京都江東区)で過ごした後に船橋へ引越した。

イベントで記念撮影(写真撮影/りさ)

イベントで記念撮影(写真撮影/りさ)

それほどまでに、ふなっしーが好きになったのはなぜか。

「最初は『何だこれは』って思ったんですけど(笑)、どんどんかわいく見えてきたのと、一生懸命で人を笑顔にしたいエネルギーであふれているし、知れば知るほどすごく尊敬できるキャラだと思いました」

「船橋発、日本を元気に!」をテーマに、一生懸命に体を張ってアピールしつつ楽しませて、実は船橋の地域貢献につながるキャラ使用には版権料をもらわず、被災地には多額の寄付などもひそかに行うふなっしー。そんな彼の活動の源である船橋へ住みたい気持ちは日ごとに高まった。

だからこそ最初は船橋駅近くを希望していたが、予算オーバーでかなわず、津田沼駅から徒歩圏内の「ギリギリ船橋市」の地域に決めた。

(画像提供/りさ)

(画像提供/りさ)

「船橋市に必ず住みたい」。その思いが伝わったか、不動産会社は一生懸命にピッタリの部屋を探してくれた。1カ月ほどそうした末に見つかったのは、1Kで4万5000円のアパート。新京成線の線路沿いで、電車の走行音がする分安かった。

部屋は6畳、ロフト部分が別に3畳ある部屋だった。ロフトがある部屋にしたのは、ちょっとしたふなっしー部屋をつくるためだ。

たくさんのふなっしーで彩られたロフトの一角(写真撮影/りさ)

たくさんのふなっしーで彩られたロフトの一角(写真撮影/りさ)

「引越してから、ふなっしーを身近に感じられることがすごく増えました。転入届を出しに船橋市役所へ行ったら、地元のこどもたちがつくったふなっしー人形があったし、道行く人のかばんにもふなっしーのキーホルダーが付いていて」

ふなっしーが船橋の魅力を教えてくれた

船橋に溶け込めたのも、ふなっしーがきっかけだった。

「船橋にずっとお住まいの“梨友”(ふなっしーファンの愛称)の方と友だちになれて、地元ならではのお話を聞かせていただいたり、市民祭りへ一緒に参加してくれたり。とてもうれしかったです」

船橋のお店も、ふなっしーの景品がもらえるスタンプラリーなどが目当てで行ったおかげで、たくさんのお気に入りができた。

「ひとりなら絶対に入らなかったお店も、ふなっしーのどんぶりやコースターをもらうために入れたんです。ふなっしーを通じて、船橋とお店の開拓ができて本当に楽しかった」

船橋の飲食店・小売店30店舗でコースターがもらえる企画。ぜんぶ行った(画像提供/りさ)

船橋の飲食店・小売店30店舗でコースターがもらえる企画。ぜんぶ行った(画像提供/りさ)

新京成線沿線を飛び回り、2カ月でラーメンを24食。どんぶりとレンゲのセットを2つもらった(画像提供/りさ)

新京成線沿線を飛び回り、2カ月でラーメンを24食。どんぶりとレンゲのセットを2つもらった(画像提供/りさ)

「例えばふなっしーが紹介していた居酒屋の『フナバシ屋』さんも、ファンがイベントの後に集まるような場所ですが、私も大好きで行っていました」

ふなっしーのサインとともにお酒も飲んだ(画像提供/りさ)

ふなっしーのサインとともにお酒も飲んだ(画像提供/りさ)

ふなっしーグッズが買えるショップ、ふなっしーLANDへもよく行った。

「来ている方々はふなっしーが好きな人ですし、お店も手づくりのPOPから何から、ふなっしー愛にあふれているような、すごくあたたかい場所です」

そんな船橋の街を振りかえって。

「何よりふなっしーのホームタウンであるだけで魅力的だけど、純粋に街としても、ららぽーとやIKEAがある一方で梨園や畑もあるし、海で潮干狩もできるし。そのバランスが落ち着きましたね。地元のお野菜や貝を使ったおいしいお店もたくさんありました」

(画像提供/りさ)

(画像提供/りさ)

船橋を離れる日

船橋に住んで4年目の2019年、ふなっしーともうひとり大切な人ができた。

「彼とは福祉の仕事の関係で知り合いました。告白されて、付き合い始めた日がたまたま2月7日だったんです。2と7ってファンにとっては特別な数字で、「ふなの日」って。それってファンじゃない人ならささいなことですけど、彼は「すごい」って一緒に盛り上がってくれました」

彼とはふなっしーLANDへも行った。「俺もグッズが欲しい」とキーホルダーやマグカップを買ったという。代わりにこの年は彼が好きなラグビーのワールドカップがあり、一緒に見て熱くなった。

そうして愛を育んで、結婚を決めたときのこと。彼の親御さんの具合が悪く、実家の近くへ住むために船橋を離れざるを得なかった。

「私も彼の実家の近くに住んだ方が良いと思っていました。それでも彼は、ふなっしー好きの私の想いを汲んではじめに船橋で新居を探してくれたんです。彼にとっては何の縁もゆかりもないし、職場も船橋じゃ遠かったんですけど、その気持ちに感謝しています」

船橋を発つ日、津田沼駅で(画像提供/りさ)

船橋を発つ日、津田沼駅で(画像提供/りさ)

「船橋を発つとき、船橋の思い出の場所を回りたかったんですが、結婚式の準備もあってなかなか行けませんでした。でも海老川沿いは歩きました。ふなっしーが初期のころYoutubeで一人でおどっていた海老川にかかる鷹匠橋。そこがふなっしーのスタートの地でしたから」

(画像提供/りさ)

(画像提供/りさ)

そして2人は親御さんの家へ通いやすい、川崎へ住むことになった。そして結婚の日取りを考えているころの話。

「私たちは『いいふなの日で11月27日とかどうだろう』って冗談で言ってたら、ちょうどその日が大安だったんですよ。そこでまた盛り上がって、本当にいいふなの日(11月27日)にふなっしーの柄の婚姻届で、船橋市役所へ行って入籍しました」

船橋市役所で2人で婚姻届を提出(写真撮影/りさ)

船橋市役所で2人で婚姻届を提出(写真撮影/りさ)

「そして川崎市に住んでからも、よく船橋には行っています。ふなっしーLANDもイベントも行って、梨園で梨も2度買いました」

安くておいしい梨をたくさん持って帰る(画像提供/りさ)

安くておいしい梨をたくさん持って帰る(画像提供/りさ)

「ふなっしーが私の世界を広げてくれて、生活や心を彩ってくれました。いつも元気や癒やしをくれて、存在してくれて感謝です」

結婚式はコロナで延期になった(画像提供/りさ)

結婚式はコロナで延期になった(画像提供/りさ)

「船橋への愛から、生まれてきてくれたふなっしー。その愛ある街でふなっしーを身近に感じながら応援できて、4年弱でしたがとても幸せでした。ふなっしーと同じ市民だったことは一生の思い出だし、誇りです。
これからもずっとふなっしーのことが大好きだし、離れても船橋という街とも縁を持ち続けていきたいですね」

何よりも「好き」を優先して引越す。そうすれば、好きなものにもっと近くでふれ合えて、その過程で街をどんどん好きになれる。一生の思い出をつくれる、いい選択肢かも知れない。

震災で無人になった南相馬市小高地区。ゼロからのまちおこしが実を結ぶ

福島第一原子力発電所から半径20km圏内のまち、福島県南相馬市小高区。一度ゴーストタウン化した街だが、2016年7月12日に帰還困難区域(1世帯のみ)を除き避難指示が解除5年以上が経過し、小高区には新たなプロジェクトや施設が次々と誕生した。小高地区の復興をけん引してきた小高ワーカーズベース代表取締役の和田智行さんや、街の人たちに話を聞いた。
避難指示解除後人が動き、小高駅など交流の拠点が生まれた

2011年3月11日の福島第一原発事故の影響により小高地区には避難指示が出て全区民が避難した。一時、街から人がいなくなったが、避難指示解除以降住民の帰還が徐々に進み、2020年10月31日現在で居住率は52.89%。「すぐに元どおりとはいかないが、本格的に戻り始める人が出てきた」と街の人が話すように、着実に動き始めている。そして、避難指示の解除後に、各地から小高区に移住した人は600人ほどいるという。

上は、避難指示解除後に小高地区に新たに誕生した代表的な店舗・施設だ。特に2019年以降は、復興の呼び水となる新施設のオープンが相次いでいるが、ほかにもJR小高駅から西へ真っすぐ伸びる小高駅前通り沿いを中心に、新しい施設や店が誕生している。いくつか紹介しよう。


JR常磐線の小高駅の西側、福島県道120号浪江鹿島線を中心とした地図(記事で触れている施設やお店はチェック付き)

復興の呼び水となった新施設が続々と

まず、まちの玄関口となる駅。JR小高駅の駅舎は東日本大震災による津波で浸水したが、流されずそのまま残った。震災後は営業を休止していたが、避難指示解除後の2016年7月に再開、2020年3月にJR常磐線が全線開通した。小高駅は無人駅になったが、駅舎は木をふんだんに使った明るい空間にリニューアルされ、Wi-fi環境やコンセントを備え、打ち合わせや仕事場として利用が可能だ。

駅員が利用していた事務室はコミュニティスペースとして活用し、開放時に常駐するコーディネーターは、駅をハブとした魅力的なまちづくりプロジェクトの核となる予定。

駅舎のリニューアルと同時に駅に新たな役割を持たせ、人材を発掘するこの試み。JR東日本スタートアップと一般社団法人Next Commons Labが協同で取り組む「Way- Wayプロジェクト」の第一弾で、全国に先駆けて実証実験が行われたものだ。

JR小高駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

JR小高駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

常磐線は1~2時間に1本。駅舎のコミュニティスペースでは下校途中の高校生が勉強しながら常磐線を待つ。利用者が多い時間帯(平日は16時~19時、土・日・祝は12時~16時30分)に開放(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

常磐線は1~2時間に1本。駅舎のコミュニティスペースでは下校途中の高校生が勉強しながら常磐線を待つ。利用者が多い時間帯(平日は16時~19時、土・日・祝は12時~16時30分)に開放(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

次は、JR小高駅から歩いて約3分のところにある、芥川賞作家・劇作家の柳美里さんが2018年にオープンした本屋「フルハウス」。この店を目当てに全国からファンが訪れている。柳さんは、震災後にスタートした臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」(2018年3月閉局)で2012年2月から番組「ふたりとひとり」のパーソナリティを担当し、番組のために週1回通っていた。2015年4月に鎌倉市から南相馬市に転居。2017年7月、下校途中の高校生や地元の人たちの居場所にもなる本屋を開きたいと、小高区の古屋を購入して引越した。旧警戒区域を「世界で一番美しい場所に」との思いで、クラウドファンディングで資金を募り、2018年4月、この自宅を改装してオープンさせた。

柳美里さんの小説にちなんで名づけたブックカフェ「フルハウス」。裏に倉庫をリノベーションしてつくった演劇アトリエ「La MaMa ODAKA」を併設し、柳さんが立ち上げた演劇ユニット「青春五月党」の復活公演を2018年9月に上演。福島県立ふたば未来高校演劇部の生徒が出演し、チケットは完売(写真撮影/佐藤由紀子)

柳美里さんの小説にちなんで名づけたブックカフェ「フルハウス」。裏に倉庫をリノベーションしてつくった演劇アトリエ「La MaMa ODAKA」を併設し、柳さんが立ち上げた演劇ユニット「青春五月党」の復活公演を2018年9月に上演。福島県立ふたば未来高校演劇部の生徒が出演し、チケットは完売(写真撮影/佐藤由紀子)

写真は副店長の村上朝晴(ともはる)さん。店内には約3000冊の本が並ぶ。作家の村山由佳さん、角田光代さん、歌人の俵万智さんらにそれぞれ20冊の本を選んでもらい、手書きのメッセージを添えて販売するコーナーも。小説家が営む本屋ならではの他に類を見ない企画だ(写真撮影/佐藤由紀子)

写真は副店長の村上朝晴(ともはる)さん。店内には約3000冊の本が並ぶ。作家の村山由佳さん、角田光代さん、歌人の俵万智さんらにそれぞれ20冊の本を選んでもらい、手書きのメッセージを添えて販売するコーナーも。小説家が営む本屋ならではの他に類を見ない企画だ(写真撮影/佐藤由紀子)

旧警戒区域に移住して本屋を開き、芝居を上演する柳さんに、友人・知人は「無謀過ぎる」と止めたそうだが「帰還者が3000人弱の、半数が65歳以上の住民のみでは立ち行くことはできない。他の地域の人と結合し呼応し共歓する場所と時間が必要。無謀な状況には無謀さを持って立ち向かう」と柳さん。「フルハウス」は、本や人、文化に触れ、若者の未来と夢が広がる、“こころ”の復興に欠かせない要地となっている。

南相馬市が復興拠点として整備し、2019年1月に誕生した「小高交流センター」には、多世代が健康づくりができる施設や、フリーWi-fiに対応する交流スペース、起業家向けのコワーキングスペース、飲食店などがそろう。こちらにも地元の人が多く訪れており、日常的な憩いの場になっていることがうかがえた。

小高交流センター(写真撮影/佐藤由紀子)

小高交流センター(写真撮影/佐藤由紀子)

小さな子ども向けの遊び場「子育てサロン」。授乳スペースやキッチンコーナーも併設。2人の子どもを連れた母親は「幼稚園の帰りに毎日寄って、子どもたちを遊ばせています」と話していた(写真撮影/佐藤由紀子)

小さな子ども向けの遊び場「子育てサロン」。授乳スペースやキッチンコーナーも併設。2人の子どもを連れた母親は「幼稚園の帰りに毎日寄って、子どもたちを遊ばせています」と話していた(写真撮影/佐藤由紀子)

農業を再開した方の新鮮な朝採り野菜など生産者の顔が見える安全・安心の野菜を中心に、地産のものを販売する「小高マルシェ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

農業を再開した方の新鮮な朝採り野菜など生産者の顔が見える安全・安心の野菜を中心に、地産のものを販売する「小高マルシェ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ゼロから新しいことに挑戦する人たち。名産品のトウガラシも誕生

筆者は2019年3月以来の再訪だが、上記で紹介した施設以外にも、小高地区の駅前通りに新しい個人経営の店舗がぽつりぽつりと増えているのを発見した。話を聞くと、ほとんどが避難区域解除後に地元に帰還して、店を開き新たな分野に挑戦していた。

震災前にスーパーで働いていた鈴木一男さんは、2019年2月、同じ場所に家族とともに食事処「Diner Bonds(ダイナーボンズ)」を開いた。ランチは、カツカレー、かつ丼、生姜焼き定食など、どれもボリュームがありリーズナブル。お客が次々訪れ活気にあふれていた。「駅前の通りは車が増えて、にぎわっていると感じます」(写真撮影/佐藤由紀子)

震災前にスーパーで働いていた鈴木一男さんは、2019年2月、同じ場所に家族とともに食事処「Diner Bonds(ダイナーボンズ)」を開いた。ランチは、カツカレー、かつ丼、生姜焼き定食など、どれもボリュームがありリーズナブル。お客が次々訪れ活気にあふれていた。「駅前の通りは車が増えて、にぎわっていると感じます」(写真撮影/佐藤由紀子)

「小高工房」は、2017年3月オープン。畑でイノシシの被害がないトウガラシに着目、3人で栽培を始め、現在は80人以上の住民を巻き込んだプロジェクトに成長、新たな特産品に。写真はオーナーの廣畑裕子さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「小高工房」は、2017年3月オープン。畑でイノシシの被害がないトウガラシに着目、3人で栽培を始め、現在は80人以上の住民を巻き込んだプロジェクトに成長、新たな特産品に。写真はオーナーの廣畑裕子さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2019年12月、ここで以前呉服屋を営んでいた鈴木さんが娘さんと開いた「コーヒーとたべもの 鈴木屋」。実家の秋田や青森の食材を使ったメニューが特徴で、淹れたてのドリップコーヒー、手づくりケーキなどを提供。「人は少しずつ戻ってきていますし、若い人が増えています」とオーナー(写真撮影/佐藤由紀子)

2019年12月、ここで以前呉服屋を営んでいた鈴木さんが娘さんと開いた「コーヒーとたべもの 鈴木屋」。実家の秋田や青森の食材を使ったメニューが特徴で、淹れたてのドリップコーヒー、手づくりケーキなどを提供。「人は少しずつ戻ってきていますし、若い人が増えています」とオーナー(写真撮影/佐藤由紀子)

「Odaka Micro Stand Bar(オダカマイクロスタンドバー)~オムスビ~」はスペシャリティコーヒーが看板。移住者やUターンした若者が「小高で地域と若い人が変わるきっかけをつくりたい」と、小高駅付近でキッチンカーから始めて2018年に開店(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Odaka Micro Stand Bar(オダカマイクロスタンドバー)~オムスビ~」はスペシャリティコーヒーが看板。移住者やUターンした若者が「小高で地域と若い人が変わるきっかけをつくりたい」と、小高駅付近でキッチンカーから始めて2018年に開店(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

地域の課題を解決するための事業に取り組む起業家を支え育成する「小高パイオニアヴィレッジ」外観(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「小高パイオニアヴィレッジ」外観(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

復興の潮流をここまで見てきたが、なかでも大きな位置を占めるのが、2019年3月に誕生した「小高パイオニアヴィレッジ」(過去記事)と、その運営を担う一般社団法人パイオニズム代表理事の和田智行さんの存在だ。

「小高パイオニアヴィレッジ」は、起業家やクリエイターの活動・交流の拠点としても活用できるコワーキングスペースとゲストハウス(宿泊施設)、共同作業場(メイカーズスペース)を含む施設。和田さんは、このコワーキングスペースを拠点に、人と人、人と仕事を結びつけ、コミュニティやビジネスを創出する手助けをしている。

小高区(旧小高町)生まれの和田智行さん(写真撮影/佐藤由紀子)

小高区(旧小高町)生まれの和田智行さん(写真撮影/佐藤由紀子)

「小高パイオニアヴィレッジ」を立ち上げ運営を担う和田さんが代表取締役を務める小高ワーカーズベースは、地域の協力活動に取り組む「地域おこし協力隊」を活用して地域の課題の解決や資源の活用を目指すプロジェクトを進める「ネクストコモンズラボ(以下、NCL)」の事業を、南相馬市から受託している(NCL南相馬)。NCLは全国14カ所で行われている。

和田さんは「1000人を雇用する1社に暮らしを依存する社会ではなく、10人を雇用する多様な100社が躍動している自立した地域社会を目指す」ため、2017年から、南相馬市の職員と共に、NCL南相馬の事業をスタートさせた。

「私たちが地域の課題や資源を活用して案をつくり、実際に事業化したい人を募集し、企画書を提出してもらって採用を判断します。そして、起業家が自走できるように活動や広報をサポートし、地域や他企業とつないだりしながら、育成していきます。最終的には、経済効果が生まれ、関係人口が増えて、その人たちが定住することも目的のひとつです」(和田さん)

現在進めているプロジェクトは、先に説明した小高駅を活性化する「Way- Wayプロジェクト」、南相馬市で千年以上前から続いている伝統のお祭り「相馬野馬追」のために飼われている馬を活用した「ホースシェアリングサービス」、セラピストが高齢者の自宅や福祉施設、病院などを訪問してアロマセラピーで癒やしを届ける「移動アロマ」、地方では手薄になりがちな地域の事業者や商材に対して広報・販促支援などを行う「ローカルマーケティング」を含む7つ。以下、全国各地からプロジェクトの募集を見て移住したラボメンバーの3人を紹介。

横浜市生まれの水谷祐子さんは、英国IFA認定アロマセラピストの資格を持ち、アロマセラピストとして高齢者に施術をしてきた。「移動販売プロジェクト」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

横浜市生まれの水谷祐子さんは、英国IFA認定アロマセラピストの資格を持ち、アロマセラピストとして高齢者に施術をしてきた。「移動販売プロジェクト」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

東京都生まれ、馬の調教師・馬術選手だった神瑛一郎(じん・よういちろう)さん。年1回の相馬野馬追のために飼育されている馬の活躍の場をつくる「ホースシェアリング」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

東京都生まれ、馬の調教師・馬術選手だった神瑛一郎(じん・よういちろう)さん。年1回の相馬野馬追のために飼育されている馬の活躍の場をつくる「ホースシェアリング」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

南相馬市生まれ、仙台、北海道で旅行領域の営業職に就いた高田江美子さん。地元にUターン、前職を通じ広報・販売活動の重要さを感じて「自由提案プロジェクト」にローカルマーケッターとして参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

南相馬市生まれ、仙台、北海道で旅行領域の営業職に就いた高田江美子さん。地元にUターン、前職を通じ広報・販売活動の重要さを感じて「自由提案プロジェクト」にローカルマーケッターとして参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

2021年に本格的に始まる新たなプロジェクトでは、民家を改装した酒蔵で、日本酒にホップを用いた伝統製法や、ハーブや地元の果物などを使ってCraft Sakeをつくる「haccoba(ハッコウバ)」がある。2021年春には新しいコミュニティ、集いの場を目指し、酒蔵兼バーがオープンする予定で、地域住民の期待も高い。

「haccoba(ハッコウバ)」完成予想図((c)Puddle Inc.)

「haccoba(ハッコウバ)」完成予想図((c)Puddle Inc.)

酒瓶イメージ(写真提供/haccoba, Inc.)

酒瓶イメージ(写真提供/haccoba, Inc.)

「小高パイオニアヴィレッジ」は、移住してきた起業家の共同オフィスとして活用されているが、「知らないまちで起業することは意欲的な人でも難易度は高く、壁にぶつかることもあると思います。けれども、起業家が集まる場があれば、自然と連携ができて、情報交換を行い、協力し切磋琢磨し合える、そんなコミュニティが生まれるきっかけにもなっています」。地元出身の和田さんは、孤独になりがちな起業家を地域とつなげるハブのような役割も担っている。

小高パイオニアヴィレッジのコワーキングスペース。ひな壇にはコンセントや暖房も装備されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小高パイオニアヴィレッジのコワーキングスペース。ひな壇にはコンセントや暖房も装備されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小高パイオニアヴィレッジのゲストハウス。長期滞在者や仕事をしながら宿泊する人に便利(写真提供/小高ワーカーズベース)

小高パイオニアヴィレッジのゲストハウス。長期滞在者や仕事をしながら宿泊する人に便利(写真提供/小高ワーカーズベース)

パイオニアヴィレッジのメーカーズルームには、老舗の耐熱ガラスメーカーHARIOが職人技術継承のために立ち上げた「HARIOランプワークファクトリー」の生産拠点のひとつとしてスタート。2019年3月には、「HARIOランプワークファクトリー」の協力のもと、オリジナルのハンドメイドガラスブランド、iriser(イリゼ)をリリース。地元の自然などをモチーフにした他にないデザインが特徴だ。

5人の女性ガラス職人がアクセサリーを製作・販売する施設内の「アトリエiriser(イリゼ)」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

5人の女性ガラス職人がアクセサリーを製作・販売する施設内の「アトリエiriser(イリゼ)」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

老舗の耐熱ガラスメーカーHARIO の生産拠点としてスタートし、2019年3月にオリジナルのハンドメイドガラスブランドをリリース。地元の自然などをモチーフにしたものも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

老舗の耐熱ガラスメーカーHARIO の生産拠点としてスタートし、2019年3月にオリジナルのハンドメイドガラスブランドをリリース。地元の自然などをモチーフにしたものも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

起業することが当たり前の風土をつくりたい

2020年春のコロナウイルス感染拡大により、小高パイオニアヴィレッジでは、夏休みの地域留学プログラム、大学生や高校生、リモートワーカーの利用が増えたという。また、NCL南相馬の起業家を募集すると、オンライン説明会の参加者が増えた。

「どこでも仕事ができるようになったことで地方に目を向けたり、ライフスタイルが変わったことで自分のキャリアに不安を感じて一から地方で力試しをしたい、という考え方が出てきたのかもしれません。また、避難生活を経験して心機一転、もともとやりたかったことを始めたケースもあるのかもしれません。前向きな人たちが増えて街が面白くなっていくといいと思います。

便利で暮らしやすいまちではなくても、ここじゃないと味わえない、わざわざ訪れたくなるまちになるためには、地域の人たちが自ら事業を立ち上げてビジネスをやっていることが当たり前になっていることが重要。いろいろな分野でリーダーが出てくると、もっと多彩なプロジェクトが生まれるはずです。

それに、そういう風土をつくっていかないと、課題が発生したときに解決する人が地域に存在しないことになってしまう。行政や大きな企業に解決してもらうのは持続的ではない。100の企業をつくることで、さまざまな課題が解決できるようになる。私たちはこれからも事業をひたすらつくっていきます」と、和田さんの軸はぶれない。

今回、紹介した施設や店舗はあくまで一例。ほかにも長く地元の人に親しまれてきた個人商店の再開や、住民一人一人の努力の積み重ねや人と人のつながり、協力があるからこそ前に進んでいる。

5年以上のブランク期間があった小高区。新しくユニークな施設、店が誕生し、震災前の常識、既成概念がなくなり、人間関係が変わった。だからこそ、フロンティア精神にあふれるエネルギッシュで面白い人が集まる。目指すところが同じだから、自治体と住民の連携も良好だ。

2021年度、政府は地域の復興再生を目指し、福島第一原発の周辺12市町村に移住する人に最大200万円の支援金を出すこと、またさらに移住後5年以内に起業すると最大400万円を支給するなどの方針をかためたという。一から何かに挑戦したいと考える人の呼び水になるか。

「平凡な自分でも、何かできるかもしれない、やりたいことに挑戦してみたい」そんなチャレンジ精神が刺激され住んでみたいと思わせる小高区の変化を見に、また数年後も訪れたいと思う。

●取材協力
小高パイオニアヴィレッジ
小高ワーカーズベース
小高交流センター

“さいたま都民”の地元愛に火を付ける「サーキュレーションさいたま」【全国に広がるサードコミュニティ11】

都内へのアクセスがよく、暮らしやすいこともあって毎年1万人ほど人口が増加している埼玉県さいたま市。しかし、東京に通うばかりで地元を顧みない「埼玉都民」も多く暮らしています。そんなさいたま市民向けに、地元の魅力を掘り起こし発信するワークショップが開催されました。
 

連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。

埼玉―東京の縦の移動だけでなく、市内の“横”の循環を

JR京浜東北線、JR埼京線、JR宇都宮線、埼玉高速鉄道線などが乗り入れ、東京都心部へのアクセスが良く、転入超過数で毎年上位にランクインする埼玉県さいたま市。特にファミリー層の転入が多く、浦和や大宮などには商業施設が集積し、暮らしやすいイメージがあります。

しかし実際のところ、平日は都内へ通勤・通学のため通い、休みの日も都内で遊び、地元には寝に帰るだけ、な人も多いです。そんな人々のことを「埼玉都民」と呼ぶこともあります。実際、遊びに出かけようとしても、東京―さいたまの“縦”の移動はたやすいけれど、さいたま市内の“横”のアクセスは難しく、バスか車、自転車など移動手段が限られているのが現状です。緑豊かな見沼エリアや全長2kmもある大宮氷川参道など、さいたま市内には数多くの観光スポットがあるにもかかわらず、そのことを知らない人も多いのではないでしょうか。

大宮氷川参道の鳥居(写真提供/サーキュレーションさいたま)

大宮氷川参道の鳥居(写真提供/サーキュレーションさいたま)

見沼区の自然あふれる風景(写真提供/サーキュレーションさいたま)

見沼区の自然あふれる風景(写真提供/サーキュレーションさいたま)

まさに、こうしたさいたま市内の“横の回遊”を促進するコミュニティや市民活動を生み出す、一般市民向けのワークショップ「サーキュレーションさいたま」が2019年にスタートしました。「サーキュレーション」とは聞き慣れない言葉ですが、「循環」という意味で、さいたま市の内側でぐるぐる人が循環するような状況を生み出したいという思いで名づけられました。

地域の文化的遺伝子を掘り当てることで、その地域らしい活動が生まれる

2019年9月のキックオフを経て、建築家、会社員、公務員から学生まで、世代も職業も異なる約30人の市民が集まり、市内の公共空間を活用したイベントなどを考える「公共空間」、市内の新しい人の流路を生み出す「モビリティ」、排除のない関係を生み出す「ソーシャルインクルージョン」の三つのテーマに分かれ、今年11月の最終プレゼンテーションに至るまで、実に1年以上にわたって活動を続けてきました。

サーキュレーションさいたまメインビジュアル

サーキュレーションさいたまメインビジュアル

僕はこのプロジェクトのディレクターとして全体の企画・運営に携わりました。また、神戸で介護付きシェアハウス「はっぴーの家」を運営する首藤義敬さん、日本最大級のクラウドファンディングプラットフォームmotion gallery代表の大高健志さんをはじめ、多彩なゲストを招聘し月に2回ほどレクチャーを開催するほか、レンタサイクリングサービスHELLO CYCLINGさん、浦和美園駅始発の埼玉高速鉄道さんなど企業のメンターの協力のもと、グループごとに自主的に集まってもらい、プレゼンテーションに向けたプランを構想していきました。

ワークショップの流れとしてはまず、さいたま“らしさ”を見つけるところから始まります。地域で部活を立ち上げたり事業を生み出したりするのに、どこにでもあるカフェやゲストハウスをつくっても面白くない。そこで、その地域ならではの「文化的遺伝子」を見つけるレクチャーを行いました。

グループごとに分かれてワークショップを進めていく(写真提供/サーキュレーションさいたま)

グループごとに分かれてワークショップを進めていく(写真提供/サーキュレーションさいたま)

その中で、例えば公共空間を考えるチームは、さいたまには江戸時代「農民師匠」と呼ばれる人がたくさん存在していたことを突き止めました。お坊さんだけでなく農民自身が、土地を読み自ら考え行動する、「生きるための力」を授ける寺子屋が広く存在していたそうなのです。メンバーの一人・福田さんはこう語ります。

「今のさいたまをみてみると、子どもたちはみな受験戦争に駆られ、週末の大宮図書館には場所取りのための行列ができるんです。学ぶ目的も学ぶ場も画一化されてしまった現代のさいたまで、のびのびと生きた学びを受け取れる場をつくりたい。農民師匠ならぬ『市民師匠』を集め、市内の公共空間のさまざまな場所でイベントを開催していきたいと考え、Learned-Scape Saightamaというチームを立ち上げました」(「Learned-Scape Saightama」チーム・福田さん)

自習する場所取りのための行列ができる図書館(写真提供/「Learned-Scape Saightama」チーム)

自習する場所取りのための行列ができる図書館(写真提供/「Learned-Scape Saightama」チーム)

地元企業の後押しを受けて社会実装を目指す

2019年12月には、一般の市民に開かれた公開プレゼンテーションを行いました。そこでもう一つの公共空間チームが、埼玉スタジアム2002でのサッカーの試合の日以外、主に混雑時緩和のため使用される埼玉高速鉄道の浦和美園駅の3番ホームを開放し、マルシェを開催するプランを発表。名づけて「タツノコ商店街」。「2020年春に実際に開催します!」と発表された際は大きな歓声が上がりました。

サーキュレーションさいたま公開プレゼンテーションの様子(photo:Mika Kitamura)

サーキュレーションさいたま公開プレゼンテーションの様子(photo:Mika Kitamura)

しかし、折しも新型コロナウイルスの影響で中止に。「タツノコ商店街」チームに埼玉高速鉄道の社員として参加していた大川さんは、当時を振り返りこう語ります。

「開催のせまった2020年春の段階はみんな熱量があったのですが、その後コロナで中止、チームの雰囲気も停滞。でも、メンターを務めてくださった公・民・学連携拠点であるアーバンデザインセンターみそのさんの計らいで、浦和美園の住人の方々との縁をつないでいただきました。依然コロナの影響はありますが、2021年の開催に向けて、浦和美園の人たちとの関係を育んでいきたいと考えています」(「タツノコ商店街」チーム、大川さん)

(画像提供/「タツノコ商店街」チーム)

(画像提供/「タツノコ商店街」チーム)

自発的な市民の構想が公共政策に影響を与える可能性

しかし、立ちはだかるのはコロナだけではありませんでした。ソーシャルインクルージョンがテーマのチームは、大宮氷川参道にかつてあった闇市「参道仲見世」をリサーチし、そこには混沌としながらも排除のない「おたがいさま」の精神があったことを突き止めました。しかし、そんな社会包摂をテーマとするチームにもかかわらず、メンバー間で軋轢がおこり、一時期は不穏な空気もながれました。

それもそのはず、2001年に浦和市、大宮市、与野市、岩槻市の4市が合併した比較的新しい行政区分である「さいたま市」には、地域ごとの特色が微妙に異なります。例えば、浦和と大宮にそれぞれあるサッカーチームを応援する人が同じチームに投げ込まれ、一年以上も一緒にいる。その中で、普通に生活していたら意識することのない地域間の文化や暮らしの違いが可視化され、その違いを乗り越え融和する「時間」もワークショップの醍醐味でした。

2019年の夏にキックオフしたサーキュレーションさいたま(写真提供/サーキュレーションさいたま)

2019年の夏にキックオフしたサーキュレーションさいたま(写真提供/サーキュレーションさいたま)

普段出会わない人々が同じ空間に存在し、互いに理解を示し合う機会をつくることは市民活動を続けるうえでとても重要です。結果として、チームの結束は強まり、現在も活動を続けています。さきほど紹介した「Learned-Scape Sightama」チームは2020年夏、発酵ジンジャーエールの事業化を目指す株式会社しょうがのむし代表の周東さんを「市民師匠」に見立て、発酵ジンジャエールをつくるワークショップを開催。また、12月には「たつのこ商店街」チームが、一般社団法人うらわclipが主催するイベント「うらわLOOP」に参加。それぞれ仕事や学業で忙しいなか、無理をせず仲間同士で自主的に集まって、さいたまらしい文化をつくっていく。とても頼もしいメンバーたちです。

うらわLOOPに出展した「たつのこ商店街」チーム(写真提供/「Learned-Scape Saightama」チーム)

うらわLOOPに出展した「たつのこ商店街」チーム(写真提供/「Learned-Scape Saightama」チーム)

また、モビリティをテーマにしたチームは、シェアサイクリングのアプリ上にツアーコンテンツを仕込み、自転車とセットで予約してもらうシステムを考案し社会実装を目指す「ヌゥリズム」というプランを発表しました。

アプリ上で乗り物とツアーコンテンツを同時に予約(画像提供/「ヌゥリズム」チーム)

アプリ上で乗り物とツアーコンテンツを同時に予約(画像提供/「ヌゥリズム」チーム)

コロナウイルスの影響で、電車通勤に抵抗を感じ、シェアサイクルをいつもより長距離利用する人が増えたというデータもあります。いまこそ、子育て世代の親御さんが、休日に近隣のスポットにシェアサイクルを利用して行きたくなるようなコンテンツが必要だと言えるでしょう。例えば、芋掘り体験だったり、紅葉ツアーだったり。このチームでメンターを務めてくださった、HELLO CYCLINGの工藤智彰さんはこう語ります。

「弊社はさいたま市スマートシティ推進コンソーシアムに参画しており、シェア型マルチモビリティのサービスを企画しております。このモビリティの用途の一つとしてこのプランを紹介したところ、関係者からとても良い反応を得られました。大宮・さいたま新都心地区でのスマートシティ推進事業は国交省の先行プロジェクトとして採択されており、今後『ヌゥリズム』を実現するインフラも実現できそうです。利害関係のない市民の自発的な構想には、行政を動かす説得力があるのだと気付かされたワークショップでした」(工藤さん)

(画像提供/「ヌゥリズム」チーム)

(画像提供/「ヌゥリズム」チーム)

地域振興にはコミュニティの持続可能性が問われている

サーキュレーションさいたまは、2020年に開催された「さいたま国際芸術祭2020」のプログラムの一つとして生まれました。「さいたま国際芸術祭2020」キュレーターの一人で、さいたま市でまちづくりNPOを運営する三浦匡史さんは、サーキュレーションさいたまを開催した目的についてこう話します。

「2016年の『さいたまトリエンナーレ2016』で、さいたまスタディーズというプログラムを開催しました。外部の研究者による連続講座を開催し、さいたま市がもともと海だったことなど、普通に暮らしていては意識されない歴史を掘り起こしました。第二回目の今回の芸術祭では、識者やアーティストの話を受け身で聞くのではなく、市民自身が表現し発信するプログラムを入れたかったんです」(三浦さん)

多額の予算を計上し大規模に開催される行政主導の芸術祭が2000年ごろより全国各地で開催されることが増えてきました。そうした芸術祭に関わってきた僕自身、作家が作品を発表し、期間が終わると街に何も残らないことに問題意識を持ってきました。やはりそこに暮らす市民が、アーティストに触発され自らクリエイティブな活動を起こす、そんな機会をつくり、会期後も継続的なコミュニティや事業として残っていくこと。そこにアートを活用した地域振興の可能性があるのではないか。そんな思いで、サーキュレーションさいたまというプログラムを考案したのです。

さいたま国際芸術祭2020での展示風景(写真提供/サーキュレーションさいたま)

さいたま国際芸術祭2020での展示風景(写真提供/サーキュレーションさいたま)

地域を元気にするのは、必ずしも経済的な面だけではないと思います。地元を愛し、地元を楽しめる市民を増やすこと。そのための仲間たちを増やすこと。いわば、“サードコミュニティ”を生み出すことが大事でしょう。東京に通い、埼玉には寝に帰るだけ。そんな「埼玉都民」が地元を好きになり、鉄道網がないエリアも自転車や車に乗って縦横無尽に循環し、互いに親睦を深めること。その地道な交流が5年後10年後の地域を形づくっていくのだと思います。

LOCAL MEME Projectsのロゴ

LOCAL MEME Projectsのロゴ

僕は今、全国各地で同様のワークショップを開催しており、それらはLOCAL MEME Projectsというサイトにまとまっています。MEME(ミーム)とはちなみに、「文化的遺伝子」という意味です。地域ならではの文化的遺伝子を掘り起こし、未来へと引き継ぐ、がコンセプト。このサイトではサーキュレーションさいたまを含む、過去のプログラムから生まれた活動や、公開プレゼンテーションの動画リンクもまとまっておりますので、興味のある方はぜひご覧ください。

●参考
CIRCULATION SAITAMA
LOCAL MEME Projects

東京23区の家賃相場が安い駅ランキング 2021年版

部屋を探すときに一番頭を悩まされるのは、立地の利便性と家賃の兼ね合いだろう。東京23区内に住みたいけれど、ねらい目の場所はないだろうか。そこで、東京23区内の家賃相場が安い駅の最新ランキングをチェック。ワンルーム・1K・1DKの物件を対象に、気になる街をピックアップして紹介する。東京23区内の家賃相場が安い駅TOP10
順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅所在地)
1位 葛西臨海公園 6.00万円(JR京葉線/江戸川区)
2位 京成金町6.20万円(京成金町線/葛飾区)
2位 金町 6.20万円(JR常磐線/葛飾区)
4位 江戸川 6.30万円(京成本線/江戸川区)
5位 喜多見 6.35万円(小田急線/世田谷区)
6位 一之江 6.40万円(都営新宿線/江戸川区)
7位 お花茶屋 6.45万円(京成本線/葛飾区)
7位 新柴又 6.45万円(北総線/葛飾区)
7位 柴又 6.45万円(京成金町線/葛飾区)
10位 上井草 6.50万円(西武新宿線/杉並区)
10位 亀有 6.50万円(JR常磐線/葛飾区)
10位 京成小岩 6.50万円(京成本線/江戸川区)
10位 北綾瀬 6.50万円(東京メトロ千代田線/足立区)
10位 堀切菖蒲園 6.50万円(京成本線/葛飾区)
10位 小岩 6.50万円(JR総武線/江戸川区)
10位 小菅 6.50万円(東武伊勢崎線/足立区)
10位 瑞江 6.50万円(都営新宿線/江戸川区)

23区内にありながら野菜の生産も盛んな葛飾区

1位の葛西臨海公園駅、同率2位の京成金町駅、金町駅は2019年版と同じ結果になった。
京成金町駅と金町駅はそれぞれ、京成金町線、JR常磐線と路線は違うが、駅間距離は約150m。またJR常磐線は東京メトロ千代田線と直通運転しているため、実質3路線が利用可能だ。

この交通利便性の高さから都心部へのアクセスも良いが、周辺には下町風情も色濃い。2つの駅付近には、2013年に開校した東京理科大学葛飾キャンパスの名前を冠した「金町理科大商店会」など、商店街も数多い。単身生活の学生にはうれしい、安くボリュームある飲食店もそろう。そうした味わい深いお店がある一方で、駅前には大型スーパーなども充実している。
所在地である葛飾区は、23区内でありながら野菜の生産も盛ん。区内のあちこちに野菜の直売所があり、とれたての野菜を誰でも手軽に購入することが可能だ。また葛飾区は、東京理科大と協力した、大学敷地を囲む広大な公園「葛飾にいじゅくみらい公園」や体験型の科学教育センター「未来わくわく館」など、地元住民が自然や学術に親しめる施設も設けており、都心への近さとのどかさの両立を望む人にとってはうってつけといえそうだ。

葛飾にいじゅくみらい公園は2位の金町が最寄駅(写真/PIXTA)

葛飾にいじゅくみらい公園は2位の金町が最寄駅(写真/PIXTA)

ランキングの大半を葛飾区と江戸川区が占める中で目を引くのが、世田谷区に所在する5位の喜多見駅。19年版にはランクインしておらず、急上昇してきた。小田急線の沿線駅で、各駅列車のみの停車駅だが、18年のダイヤ改正で東京メトロ千代田線の直通列車も利用が可能になった。

周辺は閑静な住宅街で、駅の近くには地域住民の交流も盛んな「喜多見商店街」がある。駅隣の高架下にはファストフード店や保育施設などが入る複合施設「小田急マルシェ喜多見」、近くには深夜まで営業しているスーパーやホームセンターなどもある。

同じくランキングで唯一、杉並区からランクインしているのが、10位の上井草駅。西武新宿線の沿線駅で、各駅列車のみが停車する。

駅の前には、人気アニメ「機動戦士ガンダム」の像が立つ。杉並区はアニメーションの制作会社が多く、上井草駅には同アニメシリーズの制作会社の本社があることで知られる。その縁で、駅の発車音にも同アニメの主題歌が使用されている。

駅付近には24時間営業のスーパーなどのほか、サンバカーニバルなどイベントも数多く開かれる「上井草商店街」がある。この商店街でも、「アニメタウン上井草」を掲げたガンダムとのコラボが多数行われている。ガンダムといえば湾岸エリアの巨大像がよく話題になるが、“聖地”の魅力に常に触れられるという意味では上井草にも注目すべきだろう。

上井草商店街(写真/PIXTA)

上井草商店街(写真/PIXTA)

駅近くには、ほかにも絵本作家いわさきちひろのアトリエ跡にできた美術館「ちひろ美術館・東京」がある。また、早稲田大学ラグビー部の練習拠点の最寄駅でもあり、強豪校である選手たちの練習や試合風景が見られるとあって、ファンの集う街でもある。アニメからスポーツまで、多彩な文化が間近にあることは、生活のうるおいにもなりそうだ。

緑豊かな環境が満喫できる江戸川区

10位はなんと同じ相場額で8駅がランクインしている。その一つ、瑞江駅は都営新宿線の沿線。所在地である江戸川区は半世紀以上、全区的な緑化運動に注力しており、区内の公園面積と街路樹本数は23区随一。そのため瑞江駅付近にも親水公園や親水緑道があちこちにみられる。

瑞江駅前(写真/PIXTA)

瑞江駅前(写真/PIXTA)

ランキングは江戸川区の駅が多く、緑が豊かなのは先述の通りだが、その中でも特に買い物施設も充実しているのが瑞江駅付近の特徴と言えるかもしれない。駅前にはスーパー、安売り店の「ドン・キホーテ」、100円ショップなどが入る商業施設などがあるほか、付近には24時間営業のスーパーもある。飲食店なども集中しているため、駅近くで日常のほとんどの用事を済ませられそうだ。

23区内というと、日本でも最も賃料の高い地域。とかく家賃や都心へのアクセスばかりに目が行ってしまいがちだが、街にはもちろん、それぞれ特色があり、地元の人が大事にしている文化がある。それを探すのもまた、部屋探しの楽しみのひとつのはずだ。自戒も含めて、新しい年に、新しい街と部屋との、素敵な出会いを見つけたいものだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京23区内にある駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2020/9~2020/11
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

東京23区、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2021年版

東京23区内かつ駅から近いという条件を満たしつつ、安く住まいが探せる駅を調査。駅徒歩15分圏内にある中古マンションの価格相場を、シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)とカップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)に分けてランキングした。そのトップ15の駅を紹介しよう。●東京23区内の価格相場が安い駅TOP15
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地)
1位 梅島 1589.5万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
2位 馬込 1990万円(都営浅草線/東京都大田区)
3位 板橋本町 2210万円(都営三田線/東京都板橋区)
4位 板橋区役所前 2280万円(都営三田線/東京都板橋区)
5位 下板橋 2290万円(東武東上線/東京都豊島区)
6位 十条 2294.5万円(JR埼京線/東京都北区)
7位 大山 2380万円(東武東上線/東京都板橋区)
8位 大森町 2420万円(京急本線/東京都大田区)
9位 上野毛 2430万円(東急大井町線/東京都世田谷区)
10位 蒲田 2530万円(JR京浜東北・根岸線、他/東京都大田区)
11位 三河島 2630万円(JR常磐線、他/東京都荒川区)
11位 中村橋 2630万円(西武池袋線/東京都練馬区)
13位 西巣鴨 2640万円(都営三田線/東京都豊島区)
14位 亀戸 2680万円(JR中央・総武線(各駅停車)、他/東京都江東区)
15位 ときわ台 2685万円(東武東上線/東京都板橋区)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地)
1位 西高島平 2328.5万円(都営三田線/東京都板橋区)
2位 見沼代親水公園 2399万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
3位 柴又 2430万円(京成金町線/東京都葛飾区)
4位 舎人 2539.5万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
5位 小菅 2580万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
6位 小台 2635万円(都電荒川線/東京都荒川区)
7位 高野 2639.5万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
8位 京成高砂 2680万円(京成本線、他/東京都葛飾区)
9位 竹ノ塚 2690万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
10位 扇大橋 2699万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
10位 足立小台 2699万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
12位 四ツ木 2740万円(京成押上線/東京都葛飾区)
13位 大師前 2780万円(東武大師線/東京都足立区)
14位 谷在家 2790万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
15位 北綾瀬 2799万円(東京メトロ千代田線/東京都足立区)

シングル向け1位は、銀座駅まで乗り換えせずに行ける梅島駅

人口が集中する東京23区内には、JR各線をはじめ東京メトロに私鉄、都電……とさまざまな路線が走っている。2020年にはJR山手線に高輪ゲートウェイ駅、東京メトロ日比谷線に虎ノ門ヒルズ駅と、新駅が誕生したのも、まだ記憶に新しいところだろう。そんな鉄道網が充実した東京23区内なら、駅の近くに住まいがあればマイカーがなくても日常生活に困らないのは利点。とはいえ「駅近」だと物件価格は高くなりがちだ。

そんななか、シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)の中古マンションの価格相場が最も安かったのは、東武伊勢崎線・梅島駅。普通列車(各駅停車)のみの停車駅で、この普通列車は3駅先の北千住駅からは東京メトロ日比谷線と直通運転している。そのため乗り換えなしで日比谷線の銀座駅や日比谷駅、霞ケ関駅、恵比寿駅などに行くことが可能だ。北千住駅で改めて東武伊勢崎線の普通列車または区間準急に乗り換えると終点の浅草駅へ。また、北千住駅から準急または急行に乗ると、押上駅から先は東京メトロ半蔵門線に乗り入れしており、大手町駅や永田町駅、渋谷駅に行くことができる。都心部の銀座、浅草、渋谷と各方面にアクセスしやすい駅でありつつ、物件の価格相場は2位よりも400万円以上安い1589.5万円だった。

梅島駅周辺には一戸建てとマンションが混在して建ち並び、公立の小中高校や、保育園、幼稚園が複数点在。駅高架下の東武ストアに加え、駅の北側と南側にもスーパーがあり、住民の多さがうかがえる。駅から北に徒歩10分ほどの場所には、オーストラリア・ベルモント市との友好親善のシンボルとして開設されたという異国情緒漂う「ベルモント公園」も。ほかにも住宅街の合間に公園が点在し、子どもたちの憩いの場となっている。

ベルモント公園(写真/PIXTA)

ベルモント公園(写真/PIXTA)

2位は都営浅草線・馬込(まごめ)駅。ここから都営浅草線で五反田駅まで約5分、三田駅まで約12分、大門駅まで約16分、新橋駅まで約18分。五反田駅からJR山手線や東急池上線に、三田駅から都営三田線、歩いてJR山手線やJR京浜東北線に、大門駅からは東京メトロ大江戸線に、新橋駅からは各種JR線、東京メトロ銀座線に、それぞれ乗り換えることもできる。地下鉄である馬込駅の地上出口周辺は商店街という感じではない。とはいえ小型スーパーの「まいばすけっと」やコンビニは点在しており、駅から歩いてすぐの環七沿いにはホームセンターも。そこから東に環七沿いを10分ほど歩くとスーパーもあるので、単身者ならば日ごろの買い物にはさほど困らないかもしれない。商店が少ないぶん、静かな住宅地といった趣ではある。

3位は都営三田線・板橋本町駅。ここから約7分の巣鴨駅でJR山手線に、約13分の春日駅で都営大江戸線や東京メトロ丸ノ内線、南北線の後楽園駅に連絡している。そのまま都営三田線に乗っていると、板橋本町駅から大手町駅まで約20分で到着する。駅周辺の様子を見てみると、帝京大学の板橋キャンパスや大学付属病院、帝京中学校・高校、さらに都立高校もあるため、若者の姿も多い。駅直結の「東京腎泌尿器センター大和病院」をはじめ、大学病院や総合病院など医療機関が充実している点も特徴だ。学校が多いけれど安い飲食店が建ち並ぶような学生街という印象ではなく、大小のアパートやマンション、一戸建てがひしめく住宅街。大型の商業施設はなく、地域住民向けのスーパーが点在している。

都営三田線・板橋本町駅(写真/PIXTA)

都営三田線・板橋本町駅(写真/PIXTA)

カップル・ファミリー向け物件を探すなら足立区に注目!

カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)のランキング1位は都営三田線・西高島平駅。都営三田線の終着駅で、前出のシングル向け3位・板橋本町駅から下り方面に8駅・約14分という立地だ。板橋区の駅では最北端、さらに東京の地下鉄駅でも最北端に位置しており、10分も歩けば埼玉県和光市へ。ぎりぎり「東京23区内の駅」というわけだ。

西高島平駅の北側には物流倉庫群が広がり、さらに北には荒川が流れている。住宅地は駅の南側だが、コンビニは点在しているものの、商店街らしきものは見当たらない。2駅先の高島平駅に行けば駅近くにスーパーもあるが、日ごろの買い物環境としては充実していると言いがたい。その点が価格相場に反映されているのか、隣接する新高島平駅は2840万円、2駅先の高島平駅は3480万円だったのに対し、西高島平駅は2328.5万円とぐっと安い結果が出ている。

西高島平駅の駅前(写真/PIXTA)

西高島平駅の駅前(写真/PIXTA)

2位は日暮里・舎人ライナーの終着駅、見沼代(みぬまだい)親水公園駅。1位の西高島平駅は「東京の地下鉄駅で最北端」だが、こちらは東京23区内で最北端の駅で、駅のすぐ北側には埼玉県の川口市と草加市が広がっている。日暮里・舎人ライナーは日暮里駅~見沼代親水公園駅の13駅を所要時間約20分で結んでおり、途中の西日暮里駅でJR山手線・京浜東北線と東京メトロ千代田線に、日暮里駅でJR山手線・京浜東北線・常磐線(快速)や京成線に乗り換え可能だ。駅前にはかつての農業用水路を全長約1.7kmの親水路として整備した「見沼代親水公園」があり、春は親水路沿いに約70本の桜が咲き乱れる。駅北側にはスーパーや100円ショップ、飲食店を併設したホームセンターが、駅南側にもスーパーがあるので、買い物環境はよさそうだ。

3位は京成金町線・柴又駅。京成金町線は京成高砂駅~柴又駅~京成金町駅のわずか3駅を結ぶ路線で、京成高砂駅から先は日暮里方面に向かう京成本線、押上方面に向かう京成押上線へと分岐している。柴又駅といえば「寅さん」の愛称で親しまれた映画・ドラマシリーズ『男はつらいよ』の舞台。駅前から柴又帝釈天へと続く参道沿いには団子屋さんをはじめとした飲食店や土産物店がひしめいており、歩くだけでも楽しい雰囲気。帝釈天を過ぎると「葛飾柴又寅さん記念館」があり、さらにその先には江戸川が流れている。この川を越えて行き来する住民のために江戸初期から運航していた渡船「矢切の渡し」は、現在も帝釈天裏手の川岸から乗船可能だ。下町情緒漂う観光地に思えるが、古くからの住民が多く駅周辺には地域住民向けのスーパーやドラッグストアもある。

帝釈天参道(写真/PIXTA)

帝釈天参道(写真/PIXTA)

ここまではシングル向け、カップル・ファミリー向けそれぞれのトップ3についてふれたが、トップ15全体に目を向けてみよう。シングル向けはトップ15のうち4駅が板橋区の駅であり、路線別に見ると都営三田線と東武東上線が3駅ずつランクインしている。ではカップル・ファミリー向けも板橋区の駅が優勢かというとそんなことはなく、なんとトップ15のうち10駅が足立区の駅という結果に。路線では日暮里・舎人ライナーが6駅もランクインしていた。

区によって駅の数が異なるので、「区内に駅自体が多いから、板橋区や足立区がランキング上位にも多かったのでは?」という見方もあるだろうが、結論から言うとそうではなかった。今回の調査条件(駅徒歩15分圏内にSUUMO掲載物件が11件以上ある)に適う駅は、シングル向けが189駅、カップル・ファミリー向けが386駅あった。そのうちシングル向けランキングに登場した駅が最も多かったのは港区で全18駅、しかしトップ15入りした駅はゼロ。一方、板橋区の駅は189駅中に全8駅で、そのうち半数の4駅がトップ15以内にランクインしていたのだ。また、カップル・ファミリー向けランキングの調査対象となった駅が最多だったのは、港区・大田区・世田谷区が同数の各27駅だが、トップ15にはいずれの区もランクインしていない。しかし足立区の駅は調査対象駅が全22駅、そのうち10駅がトップ15入りしていた。

つまり23区内で安い中古マンションを探すなら、シングル向けは「(ほかにもあるものの)都営三田線や東武東上線の沿線、板橋区あたり」、カップル・ファミリー向けなら「断然、足立区! 路線は日暮里・舎人ライナー」が見つけやすいと言えるだろう。安さを重視しつつ効率よく住まい探しをするならば、ぜひ今回のランキングを参考にしてほしい。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京23区内にある駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2020/9~2020/11
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

コロナ禍のテレワークだからこそ家族と暮らす選択を 私のクラシゴト改革8

2020年の1年間で、浅草→鎌倉→神戸と拠点を目まぐるしく変えた、会社員の小林冬馬さん。「“テレワーク前提”だからこそ暮らす街は自由に選べる」と、このような暮らし方を決断した。さらに居住地を変えたことで、副業もスタートするなど、働き方も変化した彼に、この暮らしを選んだ経緯や変化など、あれこれ伺った。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。テレワーク前提の企業に転職。憧れの街、鎌倉へ住み替え

元は広告代理店で人事の職に就いていた小林さん。「デジタルマーケティングの仕事をしたい」「自由度の高い働き方がいい」という理由から、2020年4月に転職。「新しい職場は、テレワーク(リモートワーク)前提の環境だったので、せっかくなら、憧れていた鎌倉で暮らしてみたいと思いました」

そうして5月に浅草から鎌倉へ引越し。住まいは、材木座海岸、由比ガ浜海岸からほど近い物件。のんびりしたローカルな商店街、海沿いにはサーフショップやスクールが立ち並び、サーフボードを抱えた自転車が行き交う街だ。
「海まで徒歩5分ほど。鎌倉といっても、観光客は少なく、ほどよく田舎。引越し当初は、平日朝早くおきて、海にサーフィンをしに行っていました。でもサーフィン後の仕事は眠くなるので、サーフィンはすぐ週末限定に(笑)。平日は、朝、夕にのんびり山や海を散歩するのが日課になりました」

大学時代は徳島で、山も海も近い環境に親しんでいた小林さん。サーフィンが趣味になったのも、徳島での暮らしがきっかけだ。「前の職場の社長が鎌倉在住で、何度か遊びにいく機会があり、憧れの街になりました。でも当時は週5日出社だったので、通勤は大変とあきらめていました」(画像提供/小林さん)

大学時代は徳島で、山も海も近い環境に親しんでいた小林さん。サーフィンが趣味になったのも、徳島での暮らしがきっかけだ。「前の職場の社長が鎌倉在住で、何度か遊びにいく機会があり、憧れの街になりました。でも当時は週5日出社だったので、通勤は大変とあきらめていました」(画像提供/小林さん)

鎌倉在住時に撮影した長谷寺のアジサイの写真(画像提供/小林さん)

鎌倉在住時に撮影した長谷寺のアジサイの写真(画像提供/小林さん)

コミュニティ重視のコワーキングスペースを選択

小林さんが鎌倉に住まいを移す際、こだわったのがコワーキングスペースだ。「自宅で仕事もできますが、地域とのつながりも求めていたので、交流もできる地域の仕事場スペースを別に持っておこうと思ったんです」
選んだのは、地域密着の起業支援拠点。地元ビジネスのスタートアップ拠点として利用する人、フリーランスで働く人が多数ながら、小林さんのように会社員をしながらリモートワークをする人もいる。
「他のコワーキングスペースも4件ほど見学したのですが、どちらかというと”各自がもくもくと仕事をするだけ”という場所も。選んだ『HATSU鎌倉』は、神奈川県からの委託を受け、面白法人カヤックという鎌倉に本社のあるIT企業が運営するところで、コミュニティマネージャーと呼ばれる世話人が、なにかと声をかけてくれて人をつなげてくれるんです。だから自然とネットワークが広がりました」

HATSU鎌倉(写真提供/HATSU鎌倉)

HATSU鎌倉(写真提供/HATSU鎌倉)

鎌倉愛にふれるにつれ、自分自身の故郷に思いをはせるように

そんな鎌倉でのリモートワークをするにつれ、小林さんの心境にも変化が。
「鎌倉は、本当に地元愛が強くて、何かしら地元に貢献したいという人が多いんですよね。コワーキングスペースでそうした地域のキーパーソンと呼ばれる人たちとつながることで、自分が生まれた神戸でも、何かしらできることはないかなと思い始めたんです」
そんななか、鎌倉でルームシェアしていた友人が地方移住することをきっかけに、故郷の神戸にUターンすることを決意した。
8年ぶりの神戸は、地元とはいえ、新鮮な体験がいっぱいという小林さん。「高校生までの僕は、使えるお金も限られるし、車は運転できないし、実は行動範囲がかなり狭かったんですよね。特に中・高校と僕は部活にどっぷりで、家と学校の往復の毎日。社会人になって暮らす神戸は、”こんなところがあるんだ”と発見の連続でした」

神戸でもコワーキングスペースを利用。紙媒体やWEBサイトを制作するデザイン会社が運営する拠点だけあって、クリエイターが多く、こちらも、交流イベントがさかんな“コミュニティ重視”のコワーキングスペースだ。
「みんなでボジョレー・ヌーヴォーを飲む会や、地域コミュニティの仕事をしている人向けのパネルディスカッションのセミナーに参加するなど、硬軟合わせたイベントが豊富なんです。学生インターンもいて、彼らが企画した”韓流コンテンツ基礎講座”も、モノは試しと受けてみて、面白かったですよ」

三宮にあるコワーキングスペース「ON PAPER」。24時間365日利用可能で、パーテーションに囲まれた専用デスクで集中もできるプレミアム会員に。月額は3万8000円(税別)(写真提供/ON PAPER)

三宮にあるコワーキングスペース「ON PAPER」。24時間365日利用可能で、パーテーションに囲まれた専用デスクで集中もできるプレミアム会員に。月額は3万8000円(税別)(写真提供/ON PAPER)

「実家暮らしになり家賃が不要になった分、働く場には投資しておきたいと考えました」(写真提供/小林さん)

「実家暮らしになり家賃が不要になった分、働く場には投資しておきたいと考えました」(写真提供/小林さん)

ボジョレー・ヌーヴォーを会員で飲む、コワーキングスペースのイベントのひとつ(写真提供/小林さん)

ボジョレー・ヌーヴォーを会員で飲む、コワーキングスペースのイベントのひとつ(写真提供/小林さん)

家族との時間に喜び。念願の地方副業も楽しみに

神戸へUターンし、久しぶりに親と一緒に暮らす生活になった小林さん。料理や洗濯などをしてもらう代わりに、食品の買い出しや力仕事などサポートをしたり、Wi-fi環境を整えるなど実家のシステム化も担うなど、親との関係性も10代のころとは違うものに。大阪に暮らす祖父母の元を訪れる機会も増えた。「実は兄もコロナ禍で実家に戻ってきて、10年ぶりに家族が勢ぞろい。アラサーの男2人が家にいるのはちょっとおかしいけれど、両親は喜んでいてくれています」

さらに、当初の目的だった“地元に貢献する副業”も、2020年秋からスタート。友人が所属する企業が手掛けるふるさと兼業のサイトから応募し、兵庫県加古川市にある老舗の下着メーカーでマーケティングに関わることになったのだ。「防寒下着として有名で、僕も愛用していた商品。若い3代目が、ブランド力やECを強化したいと、リモート副業限定で募集があったもの。小さな会社だからこそ、商品を実際につくっている職人さんともつながり、みんなの想いを肌で感じることができるのは、本業のクライアント業務では味わえない感覚です」
副業に関わる時間は平日の18時以降と土日のみと決めている。「プライベートな時間は少なくなりますが、好きでやっていることだと思い、苦になりません」

ワシオ社独自の起毛素材を使用したインナーや靴下などを手がけるニットブランド『もちはだ®』を中心としたマーケティングを担当。写真は兵庫県加古川市の工場にて、3代目・鷲尾岳さんと (画像提供/ワシオ)

ワシオ社独自の起毛素材を使用したインナーや靴下などを手がけるニットブランド『もちはだ®』を中心としたマーケティングを担当。写真は兵庫県加古川市の工場にて、3代目・鷲尾岳さんと (画像提供/ワシオ)

将来的には、拠点を首都圏に戻すことも想定しているという小林さん。「本業のクライアントがやはり首都圏に多いので、コロナの状況次第でまた首都圏に戻る予定です。また、パートナーの彼女が長く海外赴任中で、彼女の職業柄、日本なら東京が拠点にならざるを得ないので、神戸にUターンは、” 今帰らないといつ帰る”というタイミングでした。コロナ禍で会いたい人に会えない状況が続くなか、家族と過ごせる時間を大切にしたいと改めて考えました」

リモートワークを前提に生活を変えた小林さん。期せずしてその後のコロナ禍はあらゆる人の生活を一変させたが、本当に大切にしたいものに改めて気付くきっかけになった人も多いのではないだろうか。
小林さんもこの1年で得た気付きを活かし、これからのライフスタイルの変化の中でも、しなやかに挑戦を続けていくのだろう。

暖かい地方の家は“無断熱”でいい? 実は鹿児島県は冬季死亡増加率ワースト6!

夏は涼しく冬は暖かい。そんな快適な暮らしに欠かすことのできない「断熱」。今や、“家づくり”を考える人たちが最も重要視すると言っても過言ではないが、実は地域によってその意識はさまざま。今回は、南国・鹿児島から、その重要性を訴え、断熱の輪を広げる株式会社大城の大城仁さんにお話を伺った。
南国だって冬は寒い!「冬季死亡増加率上位県」鹿児島のこれまでの実態

“南国”として知られる鹿児島県が、冬季死亡増加率ワースト6位(※1)だという事実を、一体どれだけの方がご存じだろうか。

※1:厚生労働省:人口動態統計(2014年)都道府県別・死因別・月別グラフ参照

※1:厚生労働省:人口動態統計(2014年)都道府県別・死因別・月別グラフ参照

“南国”と言われる鹿児島県(写真/PIXTA)

“南国”と言われる鹿児島県(写真/PIXTA)

確かに、年間の平均気温は他県と比べると若干高めであるが、実は冬場の最低気温は関東や関西と変わらず、厳しい寒さをみせる。
暖かい部屋から寒い部屋への移動など急激な温度差により、血圧が大きく変動することで起きる脳梗塞や心筋梗塞などのリスクを防ぐための手段として重要視されているのが、外気温からの影響を最小限に抑える「断熱」であるが、鹿児島県には必要ない、そんな間違った常識が生み出した悲劇こそが、先に述べた結果なのだ。
ここ数年、全国で断熱の重要性が認知されるようになってきているが、「鹿児島は南国という意識を強く持っている人も多いこともあって、その重要性を感じていない人も少なくありません」と大城さん。
断熱とはその名の通り、“熱を断つ”こと。つまり、外の冷気だけでなく、夏の熱気を遮断することも忘れてはいけない。
近年の新築住宅でこそ、“高断熱高気密”はもはや当たり前となっているが、築年数の古い既存住宅では未だに断熱不足や無断熱のものが多い。賃貸住宅に関してはその比率はさらに高いのが現状だ。

経験から学んだ、性能向上の重要性

これまでリノベーションは、デザイン性重視の風潮が強く、 “いかにカッコよく仕上げるか”を競い合う傾向にあった。しかし、大城さんが着目したのは『断熱リノベーション』だった。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

『断熱リノベーション』とはその名の通り断熱性能を上げるリノベーションのことで、室内の温度を一定に保つ効果が期待できる。その他にも、省エネや遮音などさまざまなメリットがあるのだ。
「私自身も、無断熱のRCマンションで生活していました。同じ家で生活しているのに、妻や子どもたちが寝ている南向きの部屋と、私が寝ている北向きの部屋では明らかに温度が違いました。寒さの厳しい冬場になると、私だけ厚着をし、布団も一枚多くかぶらないと寝られないくらい過酷な状況。同じ家に暮らしながら何故こんなにも環境が違うのだろう?と疑問を持ったのがそもそもの始まりです。デザイン性だけではなく断熱性能を向上させることで、もっと快適な暮らしが出来るのではないか?と、断熱の重要性に気づかされました」と当時を振り返る。

学びから実践へ

「断熱」の重要性に着目した大城さんが、さまざまな学びの場を探して出合ったのが「エネルギーまちづくり社」が開催する『エコリノベーションプロフェッショナルスクール』だった。

(写真提供/エネルギーまちづくり社)

(写真提供/エネルギーまちづくり社)

これはエネルギーまちづくり社の代表取締役である竹内昌義さんと、スタジオA建築設計事務所代表の内山章さんら講師のもと、3日間という短い時間で熱の基本や、断熱リノベーションの進め方を学ぶ実践型ワークショップを行うというもの。ここでの経験が現在の活動へと繋がる大きなきっかけとなった。
このワークショップは、学びを学びで終えず、「全国各地で断熱の正しい知識を広めていこう」という趣旨だったこともあり、鹿児島に戻った大城さんは一例目となる『鹿児島断熱賃貸~エコリノベ実証実験プロジェクト~』に施工業者として参加することとなった。対象となったのは築37年のRCマンション『ルクール西千石』。このマンションを所有するのは鹿児島市にある日本ガス株式会社。省エネと住環境の向上の実現を目指しタッグを組んだ。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

断熱施工で最も重要なポイントは、熱がどのように伝わるかをしっかりと把握した上でその熱を断つこと、一番熱損失が大きいのは壁や天井ではなく、実は窓だという。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

今回はRC造の共同住宅であったため、残念ながら窓の交換はできなかったが、樹脂枠を用いた内窓、または木製枠の内窓を設置することで、断熱性と遮音性を高めた。
日本ではアルミ製、スチール製の窓枠を採用していることが多く、金属は樹脂や木に比べ熱伝導率が高いため断熱性が低いことが問題だ。
次に重要となるのは、外気に面する天井・壁・床に断熱材を隙間なく充填し、気密シートで密閉すること。ただ断熱材を敷き詰めるだけでは足りず、室内と外部の空気をしっかり遮断することが求められる。いくら性能の良い断熱材を用いても、気密性が悪ければその性能は発揮できず、断熱と気密は必ずセットで考えることが重要なのだそう。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

今回の実証対象となった2部屋は、北海道・東北地方の次世代省エネ基準と同等の性能を確保するため、UA値0.46(九州地区の次世代省エネ基準を大きく上回るHEAT20 G2グレード相当)を基準とし、温熱計算によって断熱材の種類や厚みを選定した結果、天井には60mm、壁には30 mm、床には45 mmの厚みの高性能断熱材(熱伝導率0.02W/(m・k))を採用した。(実際の温熱計算によって出された本物件のUA値は0.41と、目指していた0.46より高い省エネルギー性を示した)。
施工後、断熱施工を行った部屋と同じ間取りの無断熱既存空室を対象に、同一機種のエアコンを用いた温度測定と電気使用量のデータ測定を鹿児島大学の協力の下で行った結果、無断熱の部屋は外気からの影響を大きく受け室内温度の低下が見られたが、断熱施工された部屋の室内温度は外気に左右されることなく、体感温度は3.1度上昇。電気使用量は30%減というデータを得た。この実証実験で、暖かく快適に過ごしながらも電気代は今までよりも30%程度安くなるということが証明されたのだ。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

今回の試み『鹿児島断熱賃貸~エコリノベ実証実験プロジェクト~』は高い評価を受け、1年を代表するリノベーション作品を価格帯別に選別するコンテスト、リノベーション・オブ・ザ・イヤー2019 総合グランプリを受賞。
南国に「断熱」は必要ないというこれまでの間違って広がっていた意識を大きく払拭する事例となった。

“断熱リノベ”の今後の動き

賃貸マンションで実証した「性能向上リノベーション」が日本一(リノベーション・オブ・ザ・イヤー2019 総合グランプリ)の称号を得たことは、周囲に大きなインパクトを与えた。
「『断熱が大事なのは分かるけど、コストも掛かるしなかなか踏み出せない』と言っていた同業種の仲間たちも、『今回の実証実験を機に断熱について真剣に取り組んでみたいと思うようになった』と声を上げ始めてくれた」(大城さん)
実証実験の結果を示すことができたおかげで、“高断熱施工は暮らしに必要なもの”と理解してもらえるようになったそうだ。 他にも断熱DIYワークショップの相談を受ける機会が増え、着実に南国鹿児島にも断熱の輪が広がっていると手応えを感じているそうだ。

(写真提供/頴娃おこそ会)

(写真提供/頴娃おこそ会)

「このような取り組みが全国的に広がることを祈りつつ、今後の既存住宅、建物の活用の一つの事例となればと願っています。断熱は、“特別なもの”ではなく、“当たり前のもの”と定着するよう、これからも活動していきたい」と話してくれた。
これまでの住宅は、デザイン性を一番に求められがちだったが、大城さんのように、冬は暖かく夏は涼しい快適な住まいの提案を行う工務店が増えることで、目に見えない性能価値を求められる時代へと移り変わっていくのではないだろうか。

●取材協力
大城

京都の“近所付き合い”を現代に。生活の一部をシェアするコレクティブハウスの暮らしって?

ご近所づきあいが希薄になりつつある一方で、シェアハウスや定額で多拠点に宿泊可能なサブスクリプション住居など、違う形でのコミュニティが活発化している昨今。京都の八清(ハチセ)が運営するコレクティブハウスは、一人暮らし以外に、子育て世代や高齢者にも注目されている。京都の特性を活かした住まいとはどのようなものか。その住まい方を紹介したい。
コミュニケーションのさじ加減。人との距離感は自分で調整路地でひと際目立つ2トーンの外観。大きなガラス戸が「ウェルカム」の意思表示に(写真提供/八清)

路地でひと際目立つ2トーンの外観。大きなガラス戸が「ウェルカム」の意思表示に(写真提供/八清)

京都の賀茂川近く、車も通れないような路地を入ると、古い街並みのなかに、板張りの塀に囲まれた、グレーと白の2トーンの外観が目を引く。ガラス戸を開けると、テーブルとキッチンカウンターのあるカフェのようなスペース。隣には中庭が広がり、そのまわりに5つの玄関が並んでいる。ここが、新築コレクティブハウス「coco camo」だ。そもそも、コレクティブハウスって?

「水まわりやLDKを共用するシェアハウスとは違い、それら生活に必要なスペースは専用でありながら、みんなで使ういくつかの共用スペースもある。生活の一部を共同化しながら生活する住まいのことです」と、コレクティブハウスを運営する株式会社八清の小山由美さん。

八清がコレクティブハウスを運営するのは、これで4つ目。これまでの3棟は、既存のワンルームマンションの一部を共用部に改装し、「面白い暮らしがしたい!」という人たちが好んで集まったという。共用部にはソファや広いキッチンを完備。それぞれの生活を送りながら、ひとたび集まれば、仕事が生まれたり、イベントを開催したり、山登りサークルができたり。集まったときのポテンシャルが高く、とにかく楽しそう!

シェアハウスとの一番の違いは、「人との距離感を自分で調整できることではないでしょうか」と小山さんは教えてくれた。「基本的に、コレクティブハウスはそもそも独立した住宅なので、個人の生活が確立しています。その上で、自分のスタンスに応じて、共用部をうまく使いながら、人と交流するイメージです。また、シェアハウスは年齢やライフスタイルの違いによる価値観の違いから起きるトラブルを回避したいと、年齢制限を設けたり、一人暮らしに限定していたりといった制限があることも多いのですが、コレクティブハウスはシェアハウスの楽しいところはそのまま、カップルや子どものいる世帯、高齢者など多様な人が住まえるところにも魅力があります」

自然素材に囲まれた2号室。ステンレス×木のキッチンはミニマルなシンプルデザイン(写真撮影/出合コウ介)

自然素材に囲まれた2号室。ステンレス×木のキッチンはミニマルなシンプルデザイン(写真撮影/出合コウ介)

床はオーク、土壁風クロスやシナベニヤなどを使って落ち着いた雰囲気に。アンティークな建具を再利用しているあたりは、町家リノベの実績の多い八清ならでは(写真撮影/出合コウ介)

床はオーク、土壁風クロスやシナベニアなどを使って落ち着いた雰囲気に。アンティークな建具を再利用しているあたりは、町家リノベの実績の多い八清ならでは(写真撮影/出合コウ介)

遠方からの移住者とコレクティブハウス。実はとても相性がいいシンボルツリー「ソヨゴ」があるコモンテラス。このテラスに面して各戸の玄関が配置されている。玄関のライトがコロンとしてかわいい(写真提供/八清)

シンボルツリー「ソヨゴ」があるコモンテラス。このテラスに面して各戸の玄関が配置されている。玄関のライトがコロンとしてかわいい(写真提供/八清)

「coco camo」はワンルームマンションからの発展形。「コレクティブハウス」を目的として建てた、一戸建てのような集合住宅だ。これまでの3棟は、ワンルーム=一人暮らしを想定していたが、「coco camo」の各住戸は初のメゾネットタイプ。一人でも、カップルでも暮らせるフレキシブルさがある。自然素材に囲まれた住戸は落ち着いた雰囲気で、住まう人の色に染められるよう、限りなくシンプルにデザインしている。これまでに手掛けたコレクティブハウスは内部の共用部のみだったが、中庭=コモンテラスという外部にある共用部は、本を読んだりお茶したりと自分の庭として使えるのが最大のメリット。バーベキューなどアウトドアを通してよりオープンに人とつながれる魅力も増えた。

入居者みんなが利用できるコモンリビングには団らんできるようカウンターを設置(写真撮影/出合コウ介)

入居者みんなが利用できるコモンリビングには団らんできるようカウンターを設置(写真撮影/出合コウ介)

入居者が飲んだビールの空き瓶もオブジェのようにズラリ。エントランスホールの可動棚とピクチャーレールはみんなと共有したいものを置いて、住まう人たちの情報交換の場に(写真撮影/出合コウ介)

入居者が飲んだビールの空き瓶もオブジェのようにズラリ。エントランスホールの可動棚とピクチャーレールはみんなと共有したいものを置いて、住まう人たちの情報交換の場に(写真撮影/出合コウ介)

実はこのコロナ禍の影響で、完成前の現地見学会をオンラインで行うことを余儀なくされた「coco camo」だが、逆にそれが功を奏して遠方の方とつながることができ、コレクティブハウスの特徴とマッチした。

「単身でお住まいの60代女性は、埼玉からの移住者です。セカンドライフは京都に住みたいと賃貸から探し始めたところ、八清のHPを発見。オンラインイベントに2回参加し、入居を決められました。知らない土地に住むには不安もあったようですが、コレクティブハウスというスタイルは、入居者同士での交流が大前提。遠方から移住=コレクティブハウスがぴたりとハマりました」と小山さん。

ソーシャルディスタンスを保ちつつ交流できる。時勢にマッチした住まい方株式会社八清 プロパティマネジメント部の小山由美さん。八清は京町家・中古住宅をリノベーションにより上質な空間へとプロデュースする京都の不動産会社(写真撮影/出合コウ介)

株式会社八清 プロパティマネジメント部の小山由美さん。八清は京町家・中古住宅をリノベーションにより上質な空間へとプロデュースする京都の不動産会社(写真撮影/出合コウ介)

一方、30代のご夫妻は、立地と共用部を見て決めた例。「このご夫婦は、コーヒーを入れるのがお好きなようで、共用部でコーヒーイベントやフリーマーケットなどをやりたいとおっしゃっていました」。入口が共用部というオープンなつくりから、内部との交流はもちろん、外部との交流も可能。住まう人次第で、可能性が広がるのが面白い。

友達以上、家族未満。近所付き合いを大切にする京都では、地蔵盆など地域のコミュニティも活発で、家と家との距離も近く、路地も生活の一部。顔を合わせたら挨拶をし、井戸端会議に花を咲かせる。だけど、互いの「距離感」は大切に。信頼はするけど、パーソナルスペースには踏み込まない。

コレクティブハウスは、そんな京都独特の住まい方の延長線上にある。要は、大人なさじ加減。そしてまた、面白いコミュニティをつくることができるコレクティブハウスは、密なイメージがあるかもしれない。しかし、独立した住居スペース+共用部という生活スタイルは、外出を自粛しがちになる中でソーシャルディスタンスを保ちつつコミュニケーションが図れる、この時勢にぴったりな、次世代の住まい方ではないだろうか。

こちらは広いタイプの5号室。1回は中庭=コモンテラスと大きなガラス戸でつながっている(写真撮影/出合コウ介)

こちらは広いタイプの5号室。1回は中庭=コモンテラスと大きなガラス戸でつながっている(写真撮影/出合コウ介)

2階は屋根の形状そのままの天井なので、天井高も高く、とても開放的(写真撮影/出合コウ介)

2階は屋根の形状そのままの天井なので、天井高も高く、とても開放的(写真撮影/出合コウ介)

●取材協力
株式会社 八清

「ゴミには人間の本性が出る!」ゴミ清掃芸人・マシンガンズ滝沢さんインタビュー

賃貸でも分譲でも、住まい探しのときには「共用部のゴミ置き場をチェック」という話を聞いたことはありませんか? その大切さを多分、日本で最も痛感している芸人さんが、マシンガンズの滝沢秀一さんです。今回はゴミ清掃芸人の滝沢さんにコロナ禍のゴミと住まい、街のコミュニティのあり方まで聞いてきました。
ゴミ置き場は“伝染”する? ゴミ収集の目線で見た街と人の関係

お笑いコンビ・マシンガンズで活躍している滝沢秀一さん。2012年、妻の妊娠をきっかけに、「出産費用を稼ぐため」としてゴミ収集会社の仕事に携わり、そこで見た風景・人間模様を『このゴミは収集できません~ゴミ清掃員が見たあり得ない光景~』(白夜書房)にまとめて出版し、これが大ヒット。ゴミ清掃員の日常をつぶやき風にしたり、ゴミからみるお金もち世帯とそうでない世帯の違い、物件の見分けかた、回収できるゴミとそうでないゴミなど、おもしろくてためになる内容がぎっちりとつまっています。現在も芸人活動の傍ら、週2日のゴミ収集の仕事、著作の執筆に大忙しの日々を送っています。

緊急事態宣言下で何が起きたのかをまとめた、滝沢さんの最新の著作『やっぱり、このゴミは収集できません~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと~』(白夜書房)(写真撮影/片山貴博)

緊急事態宣言下で何が起きたのかをまとめた、滝沢さんの最新の著作『やっぱり、このゴミは収集できません~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと~』(白夜書房)(写真撮影/片山貴博)

「2020年、コロナ禍で緊急事態宣言が出されたときは、本当にすごい量の家庭ゴミが出されて大変でした。通常、年末年始は大量のゴミが出るんですが、それが2~3カ月続く感じです。ゴミ収集はインフラなので行わないわけにはいきませんし、休めない。キツかったですね」と振り返ります。滝沢さんによると、ゴミ出しには住まいや街、人間の暮らしそのものが反映されるのだといいます。

「ゴミって、人間の本性が出るんですよね。人が見ていないと思うと、人は“なんでもアリ”になるんだなって思います。そうですね、ゴミ置き場のなかでも、目安になるのがペットボトル資源です。ペットボトル資源がキレイに出されている集積場はいつもキレイ。ペットボトル資源が荒れているところは、可燃・不燃ともに汚れています」と驚きの事実を教えてくれます。

たしかにペットボトルは中身を出してゆすぎ、キャップをはずして、ラベルを剥がし、分別すると手間がかかります。「めんどくさいし、ま、いっか」と時には分別もせずに捨てたくなる気持ち、身に覚えがありますよね。また、ゴミ集積所には「ある法則」があるのだとか。

「清掃員同士でよく話題になるんですが、ゴミ置き場の美しさ・汚さって、伝染するんですよ。汚い集積所があるとだんだん汚くなっていくし、反対にキレイな集積所があると周囲もキレイになっていく。これってつまり人の目やコミュニティがあるからなんだと思います」(滝沢さん)

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『やっぱり、このゴミは収集できません~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと~』(白夜書房)より(画像提供/白夜書房)

『やっぱり、このゴミは収集できません~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと~』(白夜書房)より(画像提供/白夜書房)

よい街はみんなでつくる。人とのつながりが街を、地域を変えていく

滝沢さんは、ゴミ置き場が荒れているところは、人の目の行き届かないため、街に無関心な人が多くなって乱雑になる。一方、ゴミ置き場がキレイなところはご近所同士が助け合い、美しさを保っているのではないか……と長年の観察から推測します。そのため、ある程度、ご近所付き合い、地域への関心が必要だと考えるようになりました。

「人の目があると、やっぱり『○○班のゴミ』のように特定されるので、あまり乱雑にはできないのが人情ですよね。あと、ゴミの分別は、面倒くさいだけでなく、知らない・分からないという人も多いんです。そのため、自治体もチラシ類をつくってPRしているんですが、やっぱり人同士の会話・コミュニケーションにまさるものってないんですよ。教えてもらえれば、みんな分別するようになりますから。地域によっては清掃員に声をかけてくれる人がいたり、やっぱりよい街はみんなでつくるものだなあと思うようになりました」(滝沢さん)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

まさかゴミの話から地域コミュニティの話まで行くとは、すごい展開です……。でも、ゴミの分別って分かりにくいですもんね。もちろん、行政からの告知も大事ですが、やはりご近所同士のなかで、聞ける・教えてもらえるのが一番であり、ゆるやかなコミュニティがあるほうが、人は住みやすいのではないでしょうか。

ただ、清掃の仕事をはじめたばかりのころは不燃ゴミのなかにアイスピックや包丁、かみそりが入っていて、怖い思いをしたこともあるそう。
「それに比べたら包丁や刃物をくるんで捨ててくれるなど、今はだいぶよくなりました。分別やゴミがひどいという話をしょっちゅうしているんですが、実は2000年以降、ゴミはゆるやかに減っていて、2001年度には5210万トンあったものが、直近では4272万トンにまで削減されました。分別も浸透し、若い世代は環境教育が浸透しているからだと思います」(滝沢さん)

環境省のゴミ総排出量のグラフの変化。こうして見ると、じわじわとゴミの排出量が減っているのが分かります(出典/環境省)

環境省のゴミ総排出量のグラフの変化。こうして見ると、じわじわとゴミの排出量が減っているのが分かります(出典/環境省)

今、気になるのは食品ロス。分別も家族全員で取り組むように

ゴミだけに限りませんが、小さなことだからいいや、1人くらいならいいやと軽く考えがちです。
「いやいや1人ひとりの積み重ねってすごいことですよ。可燃ゴミの中にビン・缶などの不燃ゴミが混ざっていると投入口の燃やす所が詰まってしまい、焼却炉の火を消して、詰まりを解消しなくちゃいけないんです。焼却炉の再点火にはなんと350万円もかかる。再点火の費用は、もちろん税金です! 小さな行動が大きく影響する例ですよね」といいます。今は一人ひとりの行動が街や地域を変えていくんだなと実感しているそうです。

2020年はコロナウィルス感染症、そしてレジ袋有料化と、ゴミ界隈にも大きな変化がありましたが、それ以上に今、滝沢さんが気になっているのが、「食品ロス」の問題です。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

「お米とか、魚、野菜……。ほんとにびっくりするほど、食べものが捨てられているんです! 食品ロスの46%は家庭からって言われているんですが、その実感はありますね。大型連休明けやお中元やお歳暮の時期に手つかずの食べ物を回収するのはやっぱりつらいです……。足りないから買おうではなく、冷蔵庫にあるものでつくる、賞味期限や消費期限をチェックするなど、まだまだ、家庭でできることはあると思うんです。ぜひ、みなさんには知ってほしいですね」と力説します。

そのため、滝沢さん自身も今では自宅の冷蔵庫を小まめにチェックするようになり、消費期限・賞味期限を確認し、手元にある食材で調理するというスタイルに変わったそう。
「家族はチームなので、冷蔵庫を誰かがチェックすればいいわけです。『今日は○○の料理をつくろう』ではなくて、小松菜とたまごからできるものを考えるほうがよいでしょう。食材がなくても、お味噌汁とごはんだって立派な献立です。あと、子どもって大人や親の姿をよく見ていて、マネをするんですよね。だから、大人が分別していれば、子どもは自然と真似するようになる。うちの子どももしっかり分別できように育ちました(笑)」

家庭ゴミは1回3~4袋を目安に!

「年末年始は、大掃除・片付けしたゴミなどがでると思いますが、家庭から出せるのは1回3~4袋が目安です。それ以上出すなら、有料になる地域もあるので注意してください。ゴミ収集車の回収できる量は決まっているんです! あと、ゴミ袋の口はしっかり縛ってくれるとうれしいです! なぜか、“オレ流”を貫いて閉じてくれない人がいるんですよ……。口を縛ってないと、そこら辺にゴミが散乱して大変なんですよ、ぜひしっかり縛って出してください!」と、ゴミのネタはつきない滝沢さん。

ゴミ問題は教科書のような内容になりがちですが、そこはプロの芸人のトークで「宅配ピザのダンボールは油を吸っているから燃えるゴミです」「ごま油の容器に串を入れて燃えるゴミに捨てている人がいた。あれはさすがだった!」「永久保存版のビデオが捨てられていた。永久保存じゃないんかいっ」と自然と盛り上がります。そして現在、引越しを検討している人は、やっぱりゴミ置き場をチェックしましょう。滝沢さんのアドバイスだと「ペットボトルの日」のゴミがよさそうです。ぜひ、役立ててくださいね!

『やっぱり、このゴミは収集できません ~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと』(滝沢秀一 著、白夜書房刊)●取材協力
滝沢 秀一さん
ゴミ清掃員、お笑い芸人
1976年、東京都生まれ。1998年に西堀亮とお笑いコンビ「マシンガンズ」を結成。「THE MANZAI」2012、14年認定漫才師。2012年、定収入を得るために、お笑い芸人の仕事を続けながらもゴミ収集会社に就職。ゴミ収集中の体験や気づきを発信したツイッターが人気を集め、話題を呼んでいる。
Twitter
『やっぱり、このゴミは収集できません ~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと~』(滝沢秀一 著、白夜書房刊)

パリの暮らしとインテリア[8] 壁のカラーリングで狭くて暗い部屋が大変身! 建築家のアパルトマン

女性の建築家、カミーユ・エチヴァンさんは、パリによくある陽の光があまり入らないアパルトマンに住んでいます。部屋ごとに壁の色や壁紙を変えることで、見事に明るい印象のアパルトマンに変身させました。壁に手を加えることでここまで素敵になるというお手本のようなおうちです。連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。人気が出ることを予想して20年前に20区に引越し

パリの住宅価格の高騰のため、今では「パリで家が買えるとしたらもうこのあたりしかない!」と注目度のとても高いカルチェ(地区)の19区と20区。カミーユさんのアパルトマンは20区の坂の多いメニールモンタン地区にあります。
パリ中心部へのアクセスはメトロで10分程度、それなのに20年前は、とても静かで、お店もそれほどありませんが、特に物価が安くて住みやすい地域でした。しかしカミーユさんは、きっとここは人気になるだろうと予想してアパルトマンを探し始めたそう。
近くには大きなベルヴィル公園があったり、あまり知られていないパヴィヨン・ボードインという18世紀の美しい石造りの邸宅もあり、散歩をしたり、くつろいだりすることができる場所がたくさんあるのも、この地区でアパルトマンを借りる決め手となったとか。
最初は友人と共同でアパルトマンを借り、今はカミーユさんと11歳と14歳の息子さん、雄の子猫“SUN”という家族構成で暮らしています。

年に3回描き変えられるパヴィヨン・ボードイン邸宅の壁のストリート・アート。壁の向こう側には、公園と、今はミュージアムになっている邸宅がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

年に3回描き変えられるパヴィヨン・ボードイン邸宅の壁のストリート・アート。壁の向こう側には、公園と、今はミュージアムになっている邸宅がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

20年前は静かだった通りも、色々なお店ができてにぎわっている。このパン屋&サロン・ド・テがカミーユさんのお気に入り(写真撮影/Manabu Matsunaga)

20年前は静かだった通りも、色々なお店ができてにぎわっている。このパン屋&サロン・ド・テがカミーユさんのお気に入り(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁紙で部屋を明るい印象に

「このあたりに住みたいと漠然と思っていた時、たまたま通りかかった建物の管理員が”アパート貸します”と、張り紙をしていたんです」とカミーユさん。そのころは子どももいなかったので、65平米で寝室2部屋、サロン、ダイニングのあるこのアパルトマンは、友人と2人で住むのにちょうどよかったそうです。
「契約者が2人で連名契約ができる、パリでも珍しい物件でした。何年か後に友達が出ることになったので、通常の1名契約に切り替えて住んでいます」
仕切りなどは入居当時のままで、自分と子どもたちだけになったことを機に大改装をしたそう。フランスでは、賃貸物件でも引越す時に元に戻せば自由に壁に色を塗ったり、壁紙を張ったりしてもいいというのもお国柄。パリではありがちな光のあまり入らないアパルトマンを、建築家の専門知識を活かして明るい雰囲気に仕上げました。

3人暮らしになった事を知人に知らせるポストカード。改装前の部屋の写真を見るとやはり暗いアパルトマンだったことが分かる(写真撮影/Camille Etivant)

3人暮らしになった事を知人に知らせるポストカード。改装前の部屋の写真を見るとやはり暗いアパルトマンだったことが分かる(写真撮影/Camille Etivant)

「この壁紙を貼っ他ことによって、部屋の雰囲気がガラッと変わりました」とカミーユさん。これによって部屋を変えていくアイディアがつぎつぎと浮かんできたそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「この壁紙を張ったことによって、部屋の雰囲気がガラッと変わりました」とカミーユさん。これによって部屋を変えていくアイデアがつぎつぎと浮かんできたそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

まずはアパルトマンの部屋の中で一番目を引く植物柄の壁、「通路の壁で家具を置くことができなかったところを、植物の雰囲気のある“強い”パターンの壁紙を張りました」とのこと。

ペリカンのクチバシの黄色に合わせて、寝室の扉と壁の一部を黄色にしようと思いついたそう。これによって、ただの白壁だった空間が奥行きのあるものになり、アパルトマンの印象が大きく変わりました。

ハビタ(Habitat)で見つけた籐ランプ。アームチェアはイームズ。チェストの上には植物を欠かさない(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ハビタ(Habitat)で見つけた籐ランプ。アームチェアはイームズ。チェストの上には植物を欠かさない(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ブルーの壁のダイニングはペンキ選びにこだわった

「L字型のサロンには大きなテーブルが置けるスペースがあり、ダイニングとしてどうにか活用したかったのです」とカミーユさんは言います。もともと陽の光が入らない間取りだったけれど、この空間を心地よいものにしたかったそう。
そこで一面だけ壁をブルーに塗ることで空間にメリハリが出るのでは?と思いついたそう。自分でペンキを塗ったという壁は、フランスのペンキの高級ブランドRessourceのSarahLavoineという色を選びました。
フランスでは、ペンキの色だけではなくブランドにこだわる人が多いのです。
このブランドのブルーは、微妙な風合いの“強い”色。ブルーは冷たい印象になりがちだけれど、逆に温かみも持ち合わせているそう。それによって開放感も出て、明るいイメージになったようです。
ここに置いたテーブルで、食事をするだけではなく、子どもたちは勉強をしたり、時にはゲームをしたりするそうです。

「ブルーの壁で動植物の宇宙をつくりたかった」とカミーユさん。ドライフラワー、ゼブラの写真、サボテンなどの観葉植物で演出 (写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ブルーの壁で動植物の宇宙をつくりたかった」とカミーユさん。ドライフラワー、ゼブラの写真、サボテンなどの観葉植物で演出 (写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダイニングとサロン。左にあるチェストはバタフライ式で、机を広げるとカミーユさんの仕事場になるこだわりのミッドナイトブルーのペンキで自分で塗り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga) 濃紺なので黒に見えてしまいますが、これがミットナイトブルーのチェストです。

ダイニングとサロン。左にあるチェストはバタフライ式で、机を広げるとカミーユさんの仕事場になるこだわりのミッドナイトブルーのペンキで自分で塗り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)
濃紺なので黒に見えてしまいますが、これがミットナイトブルーのチェストです。

家族が多くを過ごすサロンは飾るための部屋

「サロンはこの家で唯一白い壁にしています」とカミーユさん。サロンはくつろぐための部屋であると同時に、飾るための部屋でもあります。壁には絵が飾られ、チェストの上の壁には小さな鏡が数個吊るされています。
カミーユさんはソファからダイニングのブルーの壁を眺めるのが好きなのだとか。ダイニングでも家族は集うけれど、サロンで過ごす時間が一番多く、子どもたちも自分の部屋にいるよりも大好きだそう。
「このサロンで自分の好きなものに囲まれながらくつろいでいると幸せを感じます」と言います。
このサロンも陽の光があまり入らないので、窓際には大きな鏡を置き、光を部屋の中に取り込む工夫をしています。

ソファとローテーブルをグレーで統一。通路の壁紙がインパクトあるので家具は抑えめの色をチョイス(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ソファとローテーブルをグレーで統一。通路の壁紙がインパクトあるので家具は抑えめの色をチョイス(写真撮影/Manabu Matsunaga)

60年代につくられた本棚は、無垢材に丁寧にニスが塗られた良いものをeBay(個人間売買サイト)で購入。 彼女の祖母が使っていたアームチェアをフランスの生地メーカー『ピエール・フレイ』の生地で再装飾(写真撮影/Manabu Matsunaga)

60年代につくられた本棚は、無垢材に丁寧にニスが塗られた良いものをeBay(個人間売買サイト)で購入。
彼女の祖母が使っていたアームチェアをフランスの生地メーカー『ピエール・フレイ』の生地で再装飾(写真撮影/Manabu Matsunaga)

祖母からゆずり受けた鏡はleboncoin(個人売買サイト)で購入したレコード入れの棚の上に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

祖母からゆずり受けた鏡はleboncoin(個人売買サイト)で購入したレコード入れの棚の上に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

小さい棚も取り付けた。左から、インドの旅で見つけた写真、昔の写真機に使われていた鏡、50年代のビーチの写真、サイン入りのイタリア人作家のリトグラフ、パリの小さいギャラリーで出会った写真。ここでも鏡が効果的に飾られている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

小さい棚も取り付けた。左から、インドの旅で見つけた写真、昔の写真機に使われていた鏡、50年代のビーチの写真、サイン入りのイタリア人作家のリトグラフ、パリの小さいギャラリーで出会った写真。ここでも鏡が効果的に飾られている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス人デコレーターのピエール・グアリッシュのキャビネットの上には、3つの鏡のほかにフランス人デザイナーのイオナ・ヴォートリンによるゴールドのランプや、デンマークの家具ブランド「フリッツ・ハンセン」の「IKEBANA JAIMEHAYON(花瓶)」が飾られている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス人デコレーターのピエール・グアリッシュのキャビネットの上には、3つの鏡のほかにフランス人デザイナーのイオナ・ヴォートリンによるゴールドのランプや、デンマークの家具ブランド「フリッツ・ハンセン」の「IKEBANA JAIMEHAYON(花瓶)」が飾られている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子ども部屋と寝室は壁を2色に塗り分けることで、広々とした印象に

子ども部屋にも彼女の職業の知識がふんだんに活かされています。天井が3mくらいと高かったので、メザニン(中二階)をつくって息子たちのベットを配置しました。以前はとても狭かった床が広々としたそう。
「自分で設計して、できるだけお金もかけないようにしたから、木の素材はむきだしのまま。そのかわり、壁はペンキにこだわって自分たちで塗りました」
下の方は明るいブルーに、メザニンの高さより上と天井は白にすることによって、さらに広々と明るい空間を演出しました。

メザニンのベッドは「秘密基地みたいでうれしい」と二人。それぞれのベッドの間は薄い板で仕切られているのでプライバシーを保つことができる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

メザニンのベッドは「秘密基地みたいでうれしい」と二人。それぞれのベッドの間は薄い板で仕切られているのでプライバシーを保つことができる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シングルベッドを2台置くと狭いけれど、メザニンをつくってからは子ども部屋が広く使えるようになり、子どもたちも満足している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シングルベッドを2台置くと狭いけれど、メザニンをつくってからは子ども部屋が広く使えるようになり、子どもたちも満足している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「私の寝室は白と薄いグレーのツートーンにして落ち着いた雰囲気に仕上げました。壁の2色とカーテンの薄い紫のグラデーションが好きです。季節によってベッドカバーを変えると、部屋の印象が変わるんです」
家具は中古品を個人で売買するwebショップのleboncoin(個人売買サイト)やブロカント市(アンティークまで古くない物を売る露天市)で購入。新しい物よりも古い物の方が味があって、人と違った空間をつくることができるから好きなのだそう。

サロンから見た寝室「この全ての色のバランスが私にとってパーフェクトなんです」と語る(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンから見た寝室「この全ての色のバランスが私にとってパーフェクトなんです」と語る(写真撮影/Manabu Matsunaga)

寝室の窓際に置くことによって光が拡散して明るくなる。鏡は古い洋服ダンスから鏡だけを外したもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

寝室の窓際に置くことによって光が拡散して明るくなる。鏡は古い洋服ダンスから鏡だけを外したもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンに置いてあるバタフライ式の仕事机と同じミッドナイトブルーのペンキを塗ったチェスト。鏡の近くにランプを置くことによって光が広がる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンに置いてあるバタフライ式の仕事机と同じミッドナイトブルーのペンキを塗ったチェスト。鏡の近くにランプを置くことによって光が広がる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「このアパルトマンにバルコニーがついていたらパーフェクトなんですけどね。でも、このカルチェ(地区)から離れたくないという気持ちの方が今は上です」とカミーユさん。20年間でこの地区が変わっていくのを目の当たりにして、よりいっそう愛着が湧いたと語ります。

カミーユさんのアパルトマンは壁の色使いや、鏡の効果が最大限に活かされていました。部屋に入ったときに暗いとは感じず、むしろ生き生きとした空間が広がっていました。そして、建築家の知恵が散りばめられた一つの作品のようにも思えたのです。
今ではないけれど、引越すとしたら陽の光がたくさん入るアパルトマンを選びたいとのこと。このカルチェを始め、パリが大好きなので田舎や郊外で住むことはないと話していました。
外出制限が続くパリ。だれもが太陽の光を求めています。

(文/松永麻衣子)

レオナルド・ダ・ヴィンチの”最後の館”。クリエイティブが息づく住まい 偉人のお宅訪問1

イタリア・ルネッサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼が晩年を過ごしたクロ・リュセ館がフランス中部の町アンボワーズにあります。現在はカルチャーパークになっていて、生前の暮らしぶりと、天才的な創造力を体感できることができます。連載名:偉人のお宅訪問
長い歴史のなかで、多くの芸術家たちを生み出してきたフランス。この国には、その歴史の分だけ偉人たちが暮らした痕跡がそこかしこに残っています。なかには、彼らが暮らした「住まい」がそのまま残されている場合も少なくありません。この連載では、そんな偉人たちの住まいに訪問し、作品の背景にあった暮らしや人柄に迫ります。外出制限中のルーブル美術館で、ダ・ヴィンチ作品に会いに行った

今、パリは2回目の外出制限中です。劇場や美術館は徐々に開かれていくようですが、12月中旬まで飲食店以外は全て閉鎖が続く予定です。
数カ月前、1回目の外出制限後の6月に、例年は海外からの観光客でにぎわう美術館がすいているというので、ルーブル美術館のへ数回足を運びました。ダ・ヴィンチの<モナ・リザ>をゆっくり鑑賞したかったから。いつも<モナ・リザ>は人だかりで、押し合いながら絵の前にみんなが行こうとし、ごった返していました。しかし、コロナ対策でロープで仕切られた列に並び、先頭まで来ると<モナ・リザ>と自撮りできる距離(2mぐらい)でゆっくりと見ることができるのです。
この他にも、ルーブル美術館には<聖アンナと聖母子><洗礼者聖ヨハネ>が展示されて、映画化もされた小説『ダ・ヴィンチ・コード』や、去年の「ダ・ヴィンチ没後500年記念展」の大盛況も記憶に新しく、ダ・ヴィンチはルーブル美術館になくてはならない画家の代表なのです。

人がまばらなルーブル美術館の館内(写真撮影/Maiko Matsunaga)

人がまばらなルーブル美術館の館内(写真撮影/Maiko Matsunaga)

パリからダ・ヴィンチ最後の3年間を過ごした王家の館へ

イタリア・ルネッサンスの巨匠の絵が、しかも代表作中の代表<モナ・リザ>が、なぜフランスにあるのだろう?そういえばダ・ヴィンチの晩年住んだ館があったはず!と思い立ち、ロワール川畔りの街アンボワーズのクロ・リュセを訪ねることにしました。

パリ・オーストリッツ駅からTERという長距離郊外電車に乗ります。フランスの新幹線TGVはサン・ピエール・デ・クロップ駅で乗り換えがあるので、アンボワーズ駅まで直通のTERがオススメです。パリを出発して15分もすると景色は畑ばかりになります。この景色を見るたびに、フランスは農業大国なんだと実感するのです。季節が春ならば一面黄色の菜の花畑が続きます。乗っている時間は2時間あまりですが、TERは運が良ければ客席がコンパートメントタイプ(車内が個室のように仕切られており向かい合わせに席が設置されている)の列車に乗ることができ、昔にタイムトリップしたような錯覚を覚え、ますます気分が盛り上がります。

オーストリッツ駅を出発して数十分で畑一面の景色に(5月春の景色)。延々と続く畑の中を南下してフランスの真ん中に向かう(写真撮影/松永麻衣子)

オーストリッツ駅を出発して数十分で畑一面の景色に(5月春の景色)。延々と続く畑の中を南下してフランスの真ん中に向かう(写真撮影/松永麻衣子)

国王フランソワ一世に迎えられ、過ごした町アンボワーズアンボワーズは雄大に流れるロワール川のあたり。この眺めをダ・ヴィンチも見たかと思うと不思議な気持ちになる(写真撮影/松永麻衣子)

アンボワーズは雄大に流れるロワール川のあたり。この眺めをダ・ヴィンチも見たかと思うと不思議な気持ちになる(写真撮影/松永麻衣子)

アンボワーズ駅に到着し、岩山を見上げると歴代のフランス王が住んでいた「アンボワーズ城」がそびえています。約500年前の1516年、フランソワ1世がダ・ヴィンチを「王の最高の画家、エンジニア、建築家」として迎え入れました。その時のイタリアからの荷物に<モナ・リザ><聖アンナと聖母子><洗礼者聖ヨハネ>今ではルーブル美術館に展示されているその3点が入っていたのです。
その後3年間、ダ・ヴィンチは人生の幕が降りるまで、クロ・リュセで王のために発明などの多くの仕事をしていきます。
そこには、彼から現代の私たちへの問いかけや、生活のヒントがちりばめられていました。
あの名画を描いた巨匠は一体どんな館に住んでいて、どんな偉業を成し遂げたのか?と、ダ・ヴィンチに想いを馳せながら、駅からクロ・リュセへ続く細い坂道を登って行きます。坂の頂上に門があり、そこをくぐって敷地内に入るとなだらかな下り坂の芝生の庭園が広がり、左手にダ・ヴィンチが住んだ館、右手にカフェやミュージアムグッズの売られているショップと自家菜園があります。

駅からレストラン街を抜けると長い塀が現れます。しばらく坂を登るとクロ・リュセの入り口(写真撮影/Manabu Matsunaga)

駅からレストラン街を抜けると長い塀が現れます。しばらく坂を登るとクロ・リュセの入り口(写真撮影/Manabu Matsunaga)

古いヨーロッパ建築の例にもれず、城塞として使われたこともあるクロ・リュセ。回廊から入り口を見張ることができるようになっている。館内の見学はこの回廊からダ・ヴィンチの寝室に入っていく(写真撮影/Manabu Matsunaga)

古いヨーロッパ建築の例にもれず、城塞として使われたこともあるクロ・リュセ。回廊から入り口を見張ることができるようになっている。館内の見学はこの回廊からダ・ヴィンチの寝室に入っていく(写真撮影/Manabu Matsunaga)

当時のルネッサンス様式のインテリアを再現

もともと王のお気に入りの料理人のために整えられた館であり、その後王家のサマーハウスとして使われていたクロ・リュセ。その後、迎え入れられたダ・ヴィンチの寝室は2階にあって、その窓からはアンボワーズ城を眺めることができます。部屋の配置一つ取っても、フランソワ1世はダ・ヴィンチを父のように慕っていたという二人の絆の強さを感じることができます。
高い天井や、部屋の壁には冷気を防ぐために掛けられたというタピ(絨毯)も他のシャトーでよく見かける当時の特徴や工夫です。ダ・ヴィンチの寝室は外壁と同じ赤レンガの壁、床や家具も同系色でまとめられ、ルネッサンス様式の天蓋付きベッドやシンメトリーのデザインのチェストなどが置かれています。当時を再現しているそう。
私にとって、ここでダ・ヴィンチを理解することは高貴な娯楽。約500年も前なのに、とてもダ・ヴィンチを近くに感じ、理解することができるこの空間にいると、「最も高貴な娯楽は、理解する喜びである」という言葉が胸に迫ってきます。そして、ここで生活をし息を引き取ったことをリアルに感じることができるのでした。

ダ・ヴィンチの寝室からは、岩山の頂上にそびえる王の住む城が見える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダ・ヴィンチの寝室からは、岩山の頂上にそびえる王の住む城が見える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1519年5月2日、この寝室で67年の生涯を閉じた。天蓋付きベッドやシンメトリーの家具などダ・ヴィンチが暮らしていた当時をしのばせるルネッサンス様式の物が置かれている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1519年5月2日、この寝室で67年の生涯を閉じた。天蓋付きベッドやシンメトリーの家具などダ・ヴィンチが暮らしていた当時をしのばせるルネッサンス様式の物が置かれている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

寝室と同じ2階にはダ・ヴィンチが多方面の多くの作品のアイデアを生んだ部屋もある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

寝室と同じ2階にはダ・ヴィンチが多方面の多くの作品のアイデアを生んだ部屋もある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階に降りると子どもを亡くしたアンヌ・ド・ヌーブ(王シャルル8世の妻)のためにつくられた礼拝堂がある。ブルーのアーチの天井にはダ・ヴィンチの弟子による4つのフレスコ画が描かれている。その中の一つが<Virgo Lucis/光の聖母>(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階に降りると子どもを亡くしたアンヌ・ド・ヌーブ(王シャルル8世の妻)のためにつくられた礼拝堂がある。ブルーのアーチの天井にはダ・ヴィンチの弟子による4つのフレスコ画が描かれている。その中の一つが<Virgo Lucis/光の聖母>(写真撮影/Manabu Matsunaga)

現在のBIOブームはダ・ヴィンチの予言だったのか?

ベジタリアンだったダ・ヴィンチの言葉<少しの飲酒、健康的な食事、そして適切な睡眠はあなたの健康を保つでしょう>は、まるで現在の空前のBIOブームを予言していたよう。フランスで暮らし、現状目の当たりにしている私も、深く頷くことができる言葉です。

ここ数年、フランスでは健康への意識がものすごく高くなり、BIO食品しか口にしない人、肉や魚を食べないベジタリアンやヴィーガンがとても増えています。外出制限中のパリは、家から半径1km以内、1時間以内の必要な買い物は許されていました。私の家の周りを見回してみたら、半径1km以内にBIOショップが8軒もできていて、増え続けている状態です。

ベジタリアンやヴィーガンは、化学調味料(ブイヨンなどの旨味)や白い砂糖などは使わない代わりに、スパイスをとても上手に使います。ダ・ヴィンチも、コショウやカカオやシナモンといったスパイスを、薬効を考慮しながら食事に使っていたそう。ほかにも、館の庭に畑をつくり、ハチ蜜をつくり、といったふうに、健康や食へのこだわりも相当なものだったようです。

キッチンの大きなテーブルの上にはワインキャラフや香辛料が置かれ、暖炉の横にはイタリアのテラコッタ(素焼き)を連想させるポットがたくさん並べられていて、とっても素敵。私ならこのポットに何を入れるだろう?お米かな?と想像するのも楽しかったです。

1471年に国王ルイ11世の料理人のための館だったため、キッチンがとても広く機能的だったそう。食に対しての意識が高かったレオナルド・ダ・ヴィンチは改装なしでここを使い続けた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1471年に国王ルイ11世の料理人のための館だったため、キッチンがとても広く機能的だったそう。食に対しての意識が高かったレオナルド・ダ・ヴィンチは改装なしでここを使い続けた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

香辛料を好んだダ・ヴィンチ、キッチンの物は当時を忠実に復元しいてる。「スープが冷めるから」という理由で、キッチンの暖炉の近くで食事をとることも多かった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

香辛料を好んだダ・ヴィンチ、キッチンの物は当時を忠実に復元しいてる。「スープが冷めるから」という理由で、キッチンの暖炉の近くで食事をとることも多かった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

発明家としてのダ・ヴィンチを体験できる野外博物館と植物園

クロ・リュセの庭では、画家だけではなく発明家、建築家でもあったダ・ヴィンチを知ることができます。彼の発明品の実物大が置かれていて、実際に乗ったり手に取ったりすることができるカルチャー・ランドにもなっています。

植物園の木に吊るされた半透明の布にはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた解剖学デッサンが印刷されている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

植物園の木に吊るされた半透明の布にはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた解剖学デッサンが印刷されている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

こちらは建築家と都市工学の設計図。この他にモナ・リザや自画像なども半透明の布に印刷されて木に吊るされている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

こちらは建築家と都市工学の設計図。この他にモナ・リザや自画像なども半透明の布に印刷されて木に吊るされている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

その横には林と庭園があり、木の枝には彼の世界観を薄布の垂れ幕で飾ってあったり、どこからか彼の格言が音声で聞こえてきたりします。例えば「猫科の一番小さな動物、つまり猫は、最高傑作である」「目は魂の窓である」「質素であることは最も素敵なことだ」「最も高貴な娯楽は、理解する喜びである」「このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ」など、心に響く言葉がたくさん。その中で最も有名であり、私も好きな彼の格言が「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす」です。そんなふうに生きてみたいと思いながら、駅までの帰り道、ダ・ヴィンチが眠るチャペルがあるというアンボワーズ城を見上げました。

館の地下室にはダヴィンチが発明した設計図や模型が展示されている。空を飛ぶためのプロペラや戦車の軍事模型や発明など、見れば見るほど精密に設計されている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

館の地下室にはダヴィンチが発明した設計図や模型が展示されている。空を飛ぶためのプロペラや戦車の軍事模型や発明など、見れば見るほど精密に設計されている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

野外博物館にあるプロペラ機の実物大模型は、ぶら下がってうんていのように回って遊ぶことができる(写真左)軍事関係の実物大模型の戦車。中に入って取っ手を回すと回転する仕組み(写真右)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

野外博物館にあるプロペラ機の実物大模型は、ぶら下がってうんていのように回って遊ぶことができる(写真左)軍事関係の実物大模型の戦車。中に入って取っ手を回すと回転する仕組み(写真右)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭園内の川で足こぎボートも体験できる。後ろ手で舵を取り、水車と同じ原理で設計された足こぎはかなり疲れました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭園内の川で足こぎボートも体験できる。後ろ手で舵を取り、水車と同じ原理で設計された足こぎはかなり疲れました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そびえ立った山の上にある村に物資を運ぶための都市開発の発明品。重いものを巻き上げることができ、大きな石も簡単に持ち上げられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そびえ立った山の上にある村に物資を運ぶための都市開発の発明品。重いものを巻き上げることができ、大きな石も簡単に持ち上げられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

館から野外博物館へ行く途中にある橋。小川の下を船が通るときに橋が移動するような設計(写真撮影/Manabu Matsunaga)

館から野外博物館へ行く途中にある橋。小川の下を船が通るときに橋が移動するような設計(写真撮影/Manabu Matsunaga)

植物園の池に架けられたレオナルド・ダ・ヴィンチ設計の二重橋は、イタリアのペスト流行を受けて発明された。家畜用の通路と人間用の通路と分けて衛生面を強化するためだったとか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

植物園の池に架けられたレオナルド・ダ・ヴィンチ設計の二重橋は、イタリアのペスト流行を受けて発明された。家畜用の通路と人間用の通路と分けて衛生面を強化するためだったとか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(文/松永麻衣子)

Le Château du Clos Lucé シャトー・クロ・リュセ 
住所 2, rue du Clos Lucé 37400 Amboise Val de Loire
電話 +33(0)2 47 57 00 73

高齢者も障がい者も“ごちゃまぜ”に暮らす。空き家を活用した街「輪島KABULET」

社会福祉法人「佛子園(ぶっしえん)」が手掛けるまちづくりの特徴は、温泉やカフェ、レストラン、農園など、地域住民が集える場所をつくり、高齢者、障がい者が地域と自然に交われるよう、多様性に富んでいること。なかでも、既存の空き家や空き地を再利用した「輪島KABULET(わじまかぶーれ)」は、全国どの地方でも直面する人口減に対する解決策のひとつとして注目されている。
今回は、「佛子園」理事長の雄谷良成さんに、その経緯や開発の裏側、今後の展開についてお話を伺った。

「生涯活躍のまち」モデルで福祉の街×空き家対策を目指す

「輪島KABULET」が展開するエリアは、室町時代からの歴史がある石川県輪島市の中心部。かつてから漆器の輪島塗を生業としていた家も多い街だ。輪島塗の小売店や漆ギャラリー、輪島朝市など観光名所も多い。しかし郊外の大型ショッピンモールに車で出掛ける生活スタイルの増加から、最盛期に比べると人口は2万人弱が減少。かつてはにぎわいのあった街の中心部でも増加する空き家が課題となっていた。 

伝統的な街並みが美しい輪島市街。朝の連続ドラマ小説『まれ』の舞台にも(写真撮影/イマデラガク)

伝統的な街並みが美しい輪島市街。朝の連続ドラマ小説『まれ』の舞台にも(写真撮影/イマデラガク)

そこで、雄谷さんがアプローチしたのは、ハブとして新たに大型の施設をつくるのではなく、既存の建物を活かして福祉施設+地域住民が集う場を街なかにいくつもつくりだす手法。具体的には、大正から昭和にかけてつくられた既存の木造住宅を改修し、高齢者ケアハウス、障がい者グループホーム、ママカフェ、温泉、蕎麦屋さん、ゲストハウスへと次々と生まれ変わらせた。
費用は復興庁の交付金、国土交通省の空き家対策の交付金などを活用。「高齢者、障がい者、子育て世代、若者、観光客、誰もが行き交う、ごちゃまぜの街にする」という社会福祉法人「佛子園」のコンセプトはそのままに、既存の街を生まれ変わらせるプロジェクトに。2018年には、内閣府による「生涯活躍のまち」モデルの先駆けとして全国に紹介され注目を浴びている。

温泉、食事処、住民自治室、生活介護、放課後等デイサービスが入っている拠点施設「B’s WAJIMA」。中庭を挟んだ向かい側には高齢者デイサービスと訪問介護ステーションもあり、街の中心になっている(写真撮影/イマデラガク)

温泉、食事処、住民自治室、生活介護、放課後等デイサービスが入っている拠点施設「B’s WAJIMA」。中庭を挟んだ向かい側には高齢者デイサービスと訪問介護ステーションもあり、街の中心になっている(写真撮影/イマデラガク)

「GUEST HOUSEうめのや」は、築70年余りの町家をリノベーションしたもの。漆や白漆喰などを活かしたノスタルジックな空間に(写真撮影/イマデラガク)

「GUEST HOUSEうめのや」は、築70年余りの町家をリノベーションしたもの。漆や白漆喰などを活かしたノスタルジックな空間に(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

空き地だった場所に、温泉・レストランを開設。写真は近隣住民が自由に使える住民自治室での「肌に優しい洗い方」教室の一コマ(写真撮影/イマデラガク)

空き地だった場所に、温泉・レストランを開設。写真は近隣住民が自由に使える住民自治室での「肌に優しい洗い方」教室の一コマ(写真撮影/イマデラガク)

既存の街だからこそ、「街の記憶」を尊重したまちづくりに

ちなみに社会福祉法人「佛子園」といえば、この「輪島KABULET」以前から、「生涯活躍のまち」政府認定モデルとして、1万坪超の敷地にイチからダイナミックな街づくりをした金沢市の「シェア金沢」が有名だ。では「輪島KABULET」のような既存の街の枠組みを活かしたまちづくりとの違いは何だろうか?

「シェア金沢のような大掛かりなものをつくるのは、土地の確保や資金面などクリアする課題は多く、どこでもできるわけではありません。一方、すでに街にあるものを再利用し、福祉の施設だけでなく地域の人に求められる場所を点在させる手法なら、少しずつ手掛けることができ、その取り組みを街全体に拡大させられます」(雄谷さん)

社会福祉法人「佛子園」理事長の雄谷良成(おおや・りょうせい)さん。住職という一面も持つ(写真提供/佛子園)

社会福祉法人「佛子園」理事長の雄谷良成(おおや・りょうせい)さん。住職という一面も持つ(写真提供/佛子園)

ただし、金銭面でのメリットがある一方、すでに地域住民がいて「街が変わること」に誰もが賛成ではない難しさもある。街の開発には賛成でも、自分の家を貸す、改修することには抵抗感のある人も少なくない。
そんな時、雄谷さんが実践しているのは、一軒一軒、1人1人の話に耳を傾けること。
「例えば、空き家でも事情はそれぞれ。息子さん夫婦が年に数回帰省するための家だったり、今は使っていないけれど思い入れがあったり。この路地、あの家で昔はよく遊んだもんだと話してくれる住民の方がいたり……。既存の街の再開発は、街の在りようがすでに自分事で、当事者意識がある。実は、それは強みでもあるんです。だから、当初は一番反対していた住民の方が、のちに一番の応援団になってくださることも多いですよ。反対しているということは、自分に暮らす街に思い入れがあるということですから。当初は空き家を貸すことを断られた方も、時とともに承諾してくださることもあります」

既存の街だからこその苦労もある一方、うれしさもある。
例えば、現在はカフェとなった建物は、元は診療所。「ここを訪れた若いママさんが“私が子どものころ熱を出して夜遅くに駆け込んだんです”という思い出を話してくれました。ひと言で“空き家”といっても、その土地、家には歴史があり、街の人の想いがあるということ。そのひとつひとつが宝物。その街の記憶を継承していく大切さを実感しました」

ママカフェ『カフェ・カブーレ』。「“生涯活躍のまち”というと、どうしても高齢者向けの施設と思いがちですが、意外と子育て世代も多く、こうした施設が必要と考えました」(写真撮影/イマデラガク)

ママカフェ『カフェ・カブーレ』。「“生涯活躍のまち”というと、どうしても高齢者向けの施設と思いがちですが、意外と子育て世代も多く、こうした施設が必要と考えました」(写真撮影/イマデラガク)

親子で楽しめるクッキング教室やパパ・ママ同士が集まるイベントも実施している(画像提供/佛子園)

親子で楽しめるクッキング教室やパパ・ママ同士が集まるイベントも実施している(画像提供/佛子園)

子どもからお年寄り、障がいの有無に関わらず利用できる「ゴッチャ!ウェルネス輪島」。地域に密着し、誰もが顔見知りだからこそ、一般的なジムに比べて退会する人が少ない、地域のたまり場のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

子どもからお年寄り、障がいの有無に関わらず利用できる「ゴッチャ!ウェルネス輪島」。地域に密着し、誰もが顔見知りだからこそ、一般的なジムに比べて退会する人が少ない、地域のたまり場のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

街は現在進行形。ガレージの改修が“気軽なリノベ”のモデルケースに

事業がスタートして2年。蔵を改造したコワーキングスペースや、軒先で無添加の中華そばを食せるお店も開業。さらに、佛子園が手掛ける施設以外にも、体験や見学のできる輪島塗の工房ができるなど、相乗効果が生まれている。「輪島周辺は小さなゲストハウスが増えたので、シーツの洗濯を一気に引き受けるクリーニング店があってもいいねという話から事業化につながったり、拠点の近所の割烹のご主人が食事を終わった後、お客さんをまとめてうちの温泉に連れてきてくださったり、街全体でいい影響をもらいあっています」

ゲストハウス「umenoya」内にあるコワーキングスペース。ワーケーションに利用する人も多いそう(写真撮影/イマデラガク)

ゲストハウス「umenoya」内にあるコワーキングスペース。ワーケーションに利用する人も多いそう(写真撮影/イマデラガク)

空き家になっていた民家を活かした「蕎麦やぶかぶれ」。みんなが気軽に集える場所で、蕎麦はフェアトレードによってブータン蕎麦を輸入したもの(写真撮影/イマデラガク)

空き家になっていた民家を活かした「蕎麦やぶかぶれ」。みんなが気軽に集える場所で、蕎麦はフェアトレードによってブータン蕎麦を輸入したもの(写真撮影/イマデラガク)

そして、最近新しく加わったのが、空き店舗を改修したオートバイや自転車専用のガレージだ。「このあたりはツーリングをする人が多いので、自分の愛車をとことんメンテナンスできる場所があってもいいのでは、というアイデアから生まれました。工事期間は2週間ほど。無理のない範囲で新しいことができるという、モデルケースになったと思います。基本は無人で、鍵は隣のゲストハウスが管理しているので、ランニングコストもさほどかからない。今後は、せっかくなら、愛車を眺めながらお酒でも飲みたいねって、お洒落な冷蔵庫を置く計画も話しています。お金をかけてカフェバーをつくらなくても、これなら気軽にできるでしょう」

輪島市は、2019年「ライダーを笑顔で歓迎する都市」を宣言。この「うめのやガレージハウス」は能登へのツーリング客の拠点のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

輪島市は、2019年「ライダーを笑顔で歓迎する都市」を宣言。この「うめのやガレージハウス」は能登へのツーリング客の拠点のひとつに(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

(写真撮影/イマデラガク)

働く場としての多様性も。そこにあるのは原始的な幸せ

もちろん、福祉の街としての役割もある。「障がい者のなかには突発的に声を上げたりする人もいます。それにはひとつひとつ理由があるわけなのですが、街の人は慣れていて、振り返りもしないくらいです。認知症、障がい者が身近に自然にすごしていることで、懐の広い街になっていると思います。毎日のやり取りの中で化学反応が起こり始めています」

障がい者も、ウェルネスの受付、インストラクター、機器の清掃、点検など多岐にわたって活躍している(写真撮影/イマデラガク)

障がい者も、ウェルネスの受付、インストラクター、機器の清掃、点検など多岐にわたって活躍している(写真撮影/イマデラガク)

頼りになるのは、“かぶれ人”という何でも屋のスタッフ。福祉事業に携わりながら、それぞれの得意分野を活かして、まちづくりをサポート。雄谷さんが会長を勤める青年海外協力協会のOB・OGたち「JOCA」のメンバーも多い。「まちづくりは想定外、問題発生の連続。常に手探り状態。そんなとき、JOCAの面々は、発展途上国に赴き、それこそ”なんでも屋”であったわけで、なんでもやるマルチタスクに慣れています。そのうち、地域の人たちに頼りにされたり、彼らが頼りにしたり、つながりが生まれ、街を盛り上げてくれています」

“かぶれ人”と呼ばれるスタッフたち。青年海外協力隊を経験したメンバーや輪島出身メンバーなどさまざま。それぞれ専門分野もありつつ、フレキシブルに働いている(写真撮影/イマデラガク)

“かぶれ人”と呼ばれるスタッフたち。青年海外協力隊を経験したメンバーや輪島出身メンバーなどさまざま。それぞれ専門分野もありつつ、フレキシブルに働いている(写真撮影/イマデラガク)

「多様性に満ちた自主的なまちづくり。理想的ですね」という筆者の感想に、「いえいえ理想じゃないですよ。喧嘩もするし、大変なことも多いですから」と雄谷さん。「まちづくりには、そもそもゴールも100点満点も完成品もないんです。それでも、誰かに相談事をしていると、人が人をつなげれてくれたりするし、こんな角度の考えがあるんだと気づくことも多いです。最初から完成品を目指すわけじゃなくて、想定外の出会いが想定外のものをつくり出していくための“場”を提供するのが我々の役目です」

いろんな人を巻き込みながら、変化し続ける「輪島KABULET」。「蔵に眠ったままの輪島塗を使ってみようとか、輪島移住を考えている女優の中尾ミエさんとなにかできないだろうかとか、実はたくらみもまだまだあるんです」と雄谷さんは楽しそう。既存の空き家などを利用しながら取り組みを拡大していくというスタイルは、同様の状況にある自治体は多く、横展開もしやすい。今後の展開が楽しみだ。

●取材協力
雄谷良成(おおや りょうせい)さん
社会福祉法人佛子園理事長。幼少のころから、家業のひとつとして運営されていた障がい者施設で、障がい者とともに暮らし、大学では障がい者心理を研究。青年海外協力隊員としてドミニカ共和国にも赴き、現在は公益社団法人 青年海外協力協会 会長、日蓮宗 普香山 蓮昌寺住職も務める。
佛子園
輪島カブーレ

「横浜駅」まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング 2020年版

首都圏屈指の観光地で、ロマンチックな港町のイメージのある横浜。リクルート住まいカンパニーによる「住みたい街(駅)ランキング関東版」の調査では3年連続で住みたい街の1位に輝く、住みたい場所としても人気の街だ。そこで、ワンルーム・1K・1DKの物件を対象に、横浜駅まで30分以内で行ける家賃相場の安い駅ランキングを紹介する。横浜駅まで電車で30分以内、家賃相場の安い駅TOP10駅
順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅の所在地/横浜駅までの所要時間(乗り換え時間を含む)/乗り換え回数)
1位 かしわ台 4.10万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/29分/1回)
2位 安針塚 4.25万円(京急本線/横須賀市/30分/1回)
3位 桜ヶ丘 4.50万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市/26分/1回)
3位 羽沢横浜国大 4.50万円(JR東海道線・相鉄新横浜線/横浜市神奈川区/13分/1回)
5位 三ツ境 4.55万円(相鉄本線/横浜市瀬谷区/19分/0回)
6位 京急田浦4.75万円(京急本線/横須賀市/27分/1回)
7位 鶴間 4.80万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市/28分/1回)
8位 舞岡 4.90万円(ブルーライン/横浜市戸塚区/16分/1回)
9位 成瀬 5.00万円(JR横浜線/東京都町田市/30分/0回)
10位 さがみ野5.10万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/26分/1回)

3位の桜ヶ丘駅は厚木基地への離発着を間近で

1位は相鉄本線のかしわ台駅。駅の所在地は神奈川県海老名市だが、駅周辺は綾瀬市や座間市と入り組んでいるベッドタウンだ。

閑静な住宅街で、一戸建て住宅も目立つ。緑が多く、公園も充実。駅から少し行くと、体育館や屋内プール、テニスコートなどを備えた北部公園などがあり、アクティビティーが好きな人には静かな暮らしと趣味との両立がかないそう。また、国道246号線の大和厚木バイパスが通っており、圏央厚木インターチェンジや海老名インターチェンジも近いため、車で遠出が好きな人にとっても生活しやすそうだ。

3位の桜ヶ丘駅は、小田急江ノ島線の各駅列車の停車駅。のどかな住宅地で、ノスタルジックな雰囲気も漂う。

大きな商業施設はないが、生活に必要なスーパーのほか、個人商店が豊富。駅から少し離れると公園施設も充実している。引地台公園は、アスレチック施設や芝生広場、温水プールなどの設備もあり、小さな子どもがいる世帯には心強い。大和ゆとりの森は、広大な敷地に大規模な遊具施設やバーベキュー設備があるほか、地元のプロサッカーチーム、横浜F・マリノスによるフットサル教室などの企画も開催。また厚木航空基地に近いため、飛行機の離発着が間近で見られるスポットとしても知られている。

大和ゆとりの森(写真/PIXTA)

大和ゆとりの森(写真/PIXTA)

桜ヶ丘駅と同じく3位の羽沢横浜国大は、2019年11月30日にできたばかりの新駅。従来は鉄道の整備が不十分な鉄道空白地帯だったが、JRと相鉄の直通に伴った整備で、周辺の交通利便性は大幅に向上した。横浜駅までの所要時間も、ランキング中で最短。品川駅など都心の主要駅までの時間も短い。

駅の開業にあわせ、周辺は横浜国立大学の研究チームや自治体などによる開発が進められている。同大学の最寄駅であり、学生向けの単身者住宅が多いこともランクインの一因にもなっているが、開発計画では商業施設や子育て支援施設などの建設も予定されているとのこと。結婚や出産などでライフステージが変化しても長く住める街になる期待が持てそうだ。

相鉄沿線は買い物にも便利

5位の三ツ境駅は、相鉄の急行、通勤急行、快速、各駅停車の停車駅。乗り換えなしで所要時間20分以内と、横浜駅へのアクセス利便性なら1位と言えるかもしれない。緑豊かな環境のほか、天気に恵まれれば富士山が見えることでも知られる。

三ツ境駅(写真/PIXTA)

三ツ境駅(写真/PIXTA)

駅ビルの「相鉄ライフ 三ツ境」はスーパーのほか、スターバックスや「WIRED CAFE with フタバフルーツパーラー」などのカフェがある。周辺にも大きなスーパーや家電量販店、安売り店などが点在するほか、駅の所在地である瀬谷区の区役所が駅徒歩圏内なのも便利だ。区役所と隣接する公会堂では、モノづくり体験やスポーツ講座なども随時開かれている。

10位のさがみ野駅も、相鉄本線沿線で、同じく急行、通勤急行、快速、各駅停車の停車駅。駅ビルも三ツ境駅と同じように「相鉄ライフ さがみ野」がある。

駅周辺に大きなスーパーが充実している点も同様だが、さがみ野は人気の大規模小売店舗「コストコ」があるのが大きな魅力かもしれない。同店の特徴である大ボリュームの商品は単身者には使い勝手が難しいかもしれないが、アメリカのスーパーのような雰囲気もまたコストコの楽しさの一つ。好きな人にはたまらないだろう。

例年、年末年始のイベントで、横浜にひときわ魅せられる人は多いだろう。残念ながら遠出して遊びに、とは難しい昨今だが、地元民なら話は少し違ってくる。緑豊かな環境と、少し出かけるだけで洗練された都会の雰囲気の双方を楽しめるような部屋探しができるのも、横浜エリアの魅力といえそうだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている横浜駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2020/8~2020/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2020年11月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

第2土曜に船橋でいっせいに掲げられる「無事ですタオル」。コトの経緯を聞きに行った

先日、飲みの席で興味深い話を聞いた。

「友だちが千葉県の船橋市に引越したんだけど、毎月第2土曜日に『無事です』と書かれたタオルを家の外に掲げるというルールがあるんだって」

町中に住人の無事を告げるタオルがはためく光景。見てみたい。さっそく、現地に行ってこの目で確かめてきた。
「掲げる地区」に入ったが一向に現れない

調べてみると、同じ船橋市でもこれを実践しているのは咲が丘地区だけらしい。


1丁目から4丁目まである

新宿駅から電車を乗り継いで、約1時間。最寄りの新京成線二和向台駅に到着した。

船橋市の北西部に位置し、次の駅は鎌ケ谷市になる(写真撮影/石原たきび)

船橋市の北西部に位置し、次の駅は鎌ケ谷市になる(写真撮影/石原たきび)

さっそく歩き出す。

皆さん無事かな(写真撮影/石原たきび)

皆さん無事かな(写真撮影/石原たきび)

すぐに咲が丘地区に入ったが、「無事ですタオル」は一向に現れない。あれ?

無事じゃないの?(写真撮影/石原たきび)

無事じゃないの?(写真撮影/石原たきび)

タオルを掲げるスタイルは多種多様

歩くこと数分。あった。「無事ですタオル」。無事だった。

無事です(写真撮影/石原たきび)

無事です(写真撮影/石原たきび)

無事です(写真撮影/石原たきび)

無事です(写真撮影/石原たきび)

無事です(写真撮影/石原たきび)

無事です(写真撮影/石原たきび)

無事です(写真撮影/石原たきび)

無事です(写真撮影/石原たきび)

ハンガーにかけて玄関に掲げるスタイルが主流のようだが、それ以外のバリエーションもあった。

前面に押し出すパターン(写真撮影/石原たきび)

前面に押し出すパターン(写真撮影/石原たきび)

高さで勝負するパターン(写真撮影/石原たきび)

高さで勝負するパターン(写真撮影/石原たきび)

発案者は防災部会会長の内田さん

「無事ですタオル」がある風景を堪能したのちにお会いしたのは、咲が丘中央自治会防災部会会長で、この試みの発案者・内田祐至さん(82歳)。

なんと、同地区中央自治会町会長の門倉忠克さん(66歳)と防災部会副部会長の小林雅人さん(59歳)も呼んでくれていた。

左から小林さん、内田さん、門倉さん(写真撮影/石原たきび)

左から小林さん、内田さん、門倉さん(写真撮影/石原たきび)

内田さんが言う。

「防災を意識した一番最初のきっかけは1995年に起きた阪神・淡路大震災。私、川崎重工で働いていて、あっちには工場がいくつもある。東京から何度も救援に行きましたよ」

その後、咲が丘中央自治会の中に防災部会を立ち上げ、2017年から防災用品会社の案内書で知った「無事ですタオル」を導入する。

自治会費で製作し、185世帯すべてに配布した(写真撮影/石原たきび)

自治会費で製作し、185世帯すべてに配布した(写真撮影/石原たきび)

「茨城県常総市では市全体で採用しており、NHKで大々的に放映されました。この取り組みを始めるか否かは、ひとえに防災部会長の熱意によって決まります」

この活動は咲が丘地区の中央自治会のみ

そういえば、内田さん。咲が丘エリアに入っても「無事ですタオル」になかなかお目にかかれなかったんですが。

「咲が丘にはいくつかの自治会があるけど、これをやってるのは中央自治会だけだから(笑)」

なるほど、そういうことか。

消火訓練で各自治体が集合した際の写真(写真提供/咲が丘中央自治会)

消火訓練で各自治会が集合した際の写真(写真提供/咲が丘中央自治会)

なお、この試みは有事の際に備える“訓練”だ。実際に震度5弱以上の地震が起きた際、「無事ですタオル」を掲げることによって外部から安否確認がしやすくなり、救出作業もスムーズに行える。

内田さんが作成したマニュアル(写真撮影/石原たきび)

内田さんが作成したマニュアル(写真撮影/石原たきび)

「もともと、狭い町内だから顔を知らない人はいないけど、この活動を始めたことで助け合いの精神がさらに強くなったと思う」

内田さんは防災リーダーの全国大会に千葉県代表で出場したことも(写真撮影/石原たきび)

内田さんは防災リーダーの全国大会に千葉県代表で出場したことも(写真撮影/石原たきび)

「命の笛」は800m先まで聞こえるらしい

昨年の台風で風害に見舞われると、すぐに防災マニュアルをつくって配布した。

風で吹き飛ばされた物置(写真提供/咲が丘中央自治会)

風で吹き飛ばされた物置(写真提供/咲が丘中央自治会)

「今年は建物の下敷きになったり、閉じ込められたときに自分の存在を知らせる『命の笛』も配布しました。アメリカの沿岸警備隊が使っているモデルで800m先まで聞こえるんだよ」

船橋北エリアの地域新聞に掲載された(写真提供/咲が丘中央自治会)

船橋北エリアの地域新聞に掲載された(写真提供/咲が丘中央自治会)

地区内には小学校がひとつあるが、その学校だよりに載っている情報も共有する。

船橋市立八木が谷小学校の学校だより(写真提供/咲が丘中央自治会)

船橋市立八木が谷小学校の学校だより(写真提供/咲が丘中央自治会)

今年はコロナの影響で開催されなかったが、地域には昔から続くお祭りもある。例えば、自治会主催の夏祭り盆踊り大会では船橋市の現市長・松戸徹さんも太鼓を叩いた。

子どもたちに混じって太鼓を叩く市長(写真提供/咲が丘中央自治会)

子どもたちに混じって太鼓を叩く市長(写真提供/咲が丘中央自治会)

カレンダーに印を付けているから出し忘れはない

その後、内田さんらはふだん第4土曜日に行っている防犯パトロールに出発。以前は年に数回、ひったくり事件などが起きたが、今はまったくないそうだ。

我ら「無事です3銃士」(写真撮影/石原たきび)

我ら「無事です3銃士」(写真撮影/石原たきび)

小林さんが言った。

「親の代からこの辺に住んでいるから、やっぱり愛着はありますよ。内田さんは80歳を超えても一生懸命やっているでしょ。その姿を見て、私ぐらいの世代がこういう活動をちゃんと引き継がないと、と思っています」

3人は1軒の家の前で立ち止まった。あ、「前面に押し出すパターン」の家だ。インターホン越しに呼びかけると、ご主人が出てきた。

「おお、皆さんおそろいで(笑)。『無事ですタオル』? カレンダーに印を付けているから出すのを忘れることはないですよ。僕は朝6時に出すんだけど、それを見た他の家がぽつぽつ出し始める感じですね」

中央自治会では避難誘導班長を担当する長島さん(写真撮影/石原たきび)

中央自治会では避難誘導班長を担当する長島さん(写真撮影/石原たきび)

空き巣狙いから住民を守るため、タオルは16時に取り込む。帰宅がそれより遅くなる家は掲示しないことになっているそうだ。

門倉さんが「ここ、ウチです」(笑)

再び歩き始めると、またもや「前面に押し出すパターン」の家を発見。すると、門倉さんが「ここ、ウチです(笑)」

さすが、意識が高い(写真撮影/石原たきび)

さすが、意識が高い(写真撮影/石原たきび)

そんな門倉さんが、とある建物を紹介してくれた。

「私らを含む3つの自治会の役員や班長が会議をする咲が丘三稜会館です。決まったことは回覧板に記して回す。この建物は私が引越してきた昭和50年代半ばに建ったものだから、かなり古いです」

40年ほど前に建てられたようだ(写真撮影/石原たきび)

40年ほど前に建てられたようだ(写真撮影/石原たきび)

この訓練が無駄になるのが一番

というわけで、船橋市の一画には毎月第2土曜日に「無事ですタオル」をいっせいに掲げるエリアがあった。

最後に小林さんが、「一番いいのは、何も起こらなくてこの訓練が無駄になることです」と言った。

今日も無事です(写真撮影/石原たきび)

今日も無事です(写真撮影/石原たきび)

子育てはふるさとで。二拠点生活でお試し移住スタート 私のクラシゴト改革7

生まれ故郷である静岡で地域おこし協力隊の活動をしながら、クリエイティブディレクターとしてフリーランスで活躍する小林大輝さん。「いつかはUターン」という漠然とした思いが現実化したきっかけは、1歳半になる長男の子育て環境を考えてのこと。ふるさと副業を経て、現在の東京と静岡に分かれての二拠点生活、そして将来の家族3人完全移住計画。そんなステップで着々と基盤固めを進める小林さんに、二拠点生活の実態、お仕事感、移住への率直な思いなどを伺った。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。東京で働きながら、ボランティア、副業、地域おこし協力隊と段階的に静岡比重を高める

地域おこし協力隊として、2020年10月から「静岡市のテレワーク推進」をミッションに取り組んでいる小林大輝さんは、現在32歳。同時に、勤務していた東京の会社を退職してフリーランスのクリエイティブディレクターとなり、静岡と家族が住む東京を行き来する二拠点ライフを実践中だ。

静岡での仕事は、主にコワーキングスペースを利用。個人ワークするだけでなく、地元ネットワークづくりができるのも魅力。写真はお気に入りの静鉄のコワーキングスペース「=ODEN(イコールオデン)」で(画像提供/小林さん)

静岡での仕事は、主にコワーキングスペースを利用。個人ワークするだけでなく、地元ネットワークづくりができるのも魅力。写真はお気に入りの静鉄のコワーキングスペース「=ODEN(イコールオデン)」で(画像提供/小林さん)

静岡で生まれ育ち、東京の大学に進学してからも両親や大好きな祖父母に会うために頻繁に帰省していたという小林さん。一年間の海外留学後は東京の企業に就職し、クリエイティブディレクター・アートディレクターとして企業のブランディングやデザインなどを幅広く手がけ、寝る暇も惜しんで働いた。「競争も激しい世界で、スピート感やクオリティの高さが刺激的でした」

一方で漠然といつかは地元に戻って暮らしたいという思いもあり、静岡での基盤固めも少しずつステップを踏んで進めていた。帰省のタイミングを利用して、友人や知人からの紹介でプロモーションの相談に乗ったり、依頼されたデザインの仕事を「将来の種まき」と考えて請け負ったりして、静岡のネットワークを広げてきた。

静岡県内企業の生産性向上サービスに取り組む「いちぼし堂」も、代表である北川氏と中学・高校の先輩という縁。静岡での人脈づくりに少しずつ手ごたえや実績も現れ始め、静岡に関わる頻度が高くなってくると、時間的に本業との両立が厳しくなってきた。そこで、小林さんは2018年に勤務先企業と退職も視野に交渉し、給料・勤務時間・ノルマ全て7割という条件で副業認定第一号に。「いちぼし堂」が行うふるさと副業支援にも参加して、静岡Uターンへの一歩を踏み出した。

「いちぼし堂」の施設。1階は子どもを預けて働ける保育園、2階はコワーキングスペース、3階は県内外企業向けのレジデンス付きテレワーク拠点。レジデンスはワンルーム6室で、小林さんのほか東京の企業やインターン生が入居中(画像提供/いちぼし堂)

「いちぼし堂」の施設。1階は子どもを預けて働ける保育園、2階はコワーキングスペース、3階は県内外企業向けのレジデンス付きテレワーク拠点。レジデンスはワンルーム6室で、小林さんのほか東京の企業やインターン生が入居中(画像提供/いちぼし堂)

本業7割、副業3割ということで、静岡には週2~3回新幹線を利用して通う生活に。地元企業の抱えている課題をヒアリング、比較的年代の近い事業承継した若手経営者との仕事など、とにかく地元での実績づくりに励んだ。運よく関わった新規事業コンペの提案が通ると、そこから新たな顧客を紹介してもらえるなど具体的な成果や拡がりもあり、副業をメインにする実感がわいてきた。

地域おこし協力隊の話があったのは、ちょうどそんなタイミング。地域おこしというと、山間部に入って木を切ったりする地域貢献のイメージが強いが、「テレワーク推進」という得意分野のミッションだった。任期は一年単位で最長三年、これはとても副業の範囲では実現しないと判断し、ついに2020年10月末付けで本業であった東京の企業を退社。静岡の地域おこし協力隊を本業として活動しながら、副業でフリーランスのクリエイティブディレクターとして働く、という新たなステップを踏んだのだ。

子育てはのんびりした環境で。家族のいる東京のマンションとのお試し二拠点生活

プライベートでは、2017年に結婚し、2019年夏には長男も誕生して3人家族に。結婚当初は新宿から少し西の街、東中野に住んでいたが、フルタイムで働く妻の妊娠をきっかけに、品川駅から山手線で一駅の大崎のマンションに転居する。共働きの二人の職場に通勤しやすく、静岡にも行きやすい大崎は絶好の立地。立地がいい分家賃も高くつくため、思い切って2019年2月に中古マンションを購入した。内装のリノベーションは、建築学科卒業で空間デザインなども仕事にしている小林さんはお手のもの。小林さんがデザイン、設計し、建築学科時代の同期の大工に工事を手伝ってもらい、自分たちの手でセルフリノベーション。こうして愛着ある、明るく広々した東京の新居が完成し、長男を迎えて3人の暮らしがスタートした。

一般的な2LDKの間取りの中古マンションを購入(工事前)(画像提供/小林さん)

一般的な2LDKの間取りの中古マンションを購入(工事前)(画像提供/小林さん)

窓右手の隣の部屋との壁を取り払うという個人のDIYを超えた大胆な工事を自ら行えるのは建築学科卒業ならでは(工事中)(画像提供/小林さん)

窓右手の隣の部屋との壁を取り払うという個人のDIYを超えた大胆な工事を自ら行えるのは建築学科卒業ならでは(工事中)(画像提供/小林さん)

完成したLDKは、便利なキッチンのカウンターを新設、ガラスを通じて隣の部屋からも日差しと風が入る開放感ある個性的な空間に(工事後)(画像提供/小林さん)

完成したLDKは、便利なキッチンのカウンターを新設、ガラスを通じて隣の部屋からも日差しと風が入る開放感ある個性的な空間に(工事後)(画像提供/小林さん)

この時、すでに小林さんは副業で静岡に通う日々を送っていた。「子どもができると、子育ては自分が育ったような自然豊かでのんびりした環境でしたい、と思いました。満員電車に乗って学校に通わせるなんて、嫌で」。いつかは、と考えていた静岡へのUターンが、一気に現実味を帯びたのだ。

東京クオリティの仕事をゆったりとした環境で。完全移住で仕事と暮らしの理想を追求静岡の実家近くの海で長男と。「子育ては自分が育ったようなのんびりした環境でしたい」と小林さん(画像提供/小林さん)

静岡の実家近くの海で長男と。「子育ては自分が育ったようなのんびりした環境でしたい」と小林さん(画像提供/小林さん)

共働きの妻も、出産後の現在は職場復帰。仕事にもやりがいを感じていて今後も働き続ける予定だが、「住む場所にはこだわらない」と静岡移住にも前向き。コロナ禍で完全リモートワークのタイミングを利用して、3カ月間の親子3人静岡お試し移住も体験済みだ。

現在は子育てサポートもあるため、東京6割、静岡4割くらいの滞在比率で小林さんが週2回往復する二拠点生活中。静岡での小林さんの拠点は、副業支援で関わった「いちぼし堂」の施設のほか、実家も利用。「どうしても移動時間が多いので、いずれは家族で完全移住するつもりです。いまは東京での子どもの世話に時間をとられますが、徐々に静岡の比率を高めていきたいですね」

ふるさと副業を支援する「いちぼし堂」のコワーキングでのワークショップ風景。小林さんはここの3階にあるワンルームを借りて静岡での拠点にしている(画像提供/小林さん)

ふるさと副業を支援する「いちぼし堂」のコワーキングでのワークショップ風景。小林さんはここの3階にあるワンルームを借りて静岡での拠点にしている(画像提供/小林さん)

漠然と故郷に戻りたいと思っていながら、地元の企業に入って働くイメージがなかったという小林さん。小林さんの話を聞いていると、静岡の企業の課題を聞き、企業ブランディングやプロモーション戦略など「出来ること」を活かしながら「求められること」を増やし、新しい仕事を自ら創り出しているのが印象的だ。地域おこし協力隊として、静岡市のテレワークを推進するという本業にたどり着いたのも、まさにその象徴だ。

「東京は、案件や競争の多さからくる仕事のスピード感、質の高さで刺激になります。一方静岡の魅力は、高い建物も少なく自然豊かで、人も気分もゆったりしているところ。東京でできることは基本的に静岡でもできるので、東京の仕事もしているからこその第三者の目線を持って、東京クオリティの仕事を愛着あり競合少ない静岡で提供できたら最強ですからね」

段階的に静岡比率を高め、最終的には完全移住を考えているという小林さん。「地域おこし協力隊は1年契約、最長で3年。そのころには、完全移住していたいですね。アウトドアも好きなので、山間部にゲストハウスを建てるのも面白そうだな、と」

「いちぼし堂」近くのお気に入りの老舗おでん屋さん。メニューはおでんと大学いものみというシンプルさ(画像提供/小林さん)

「いちぼし堂」近くのお気に入りの老舗おでん屋さん。メニューはおでんと大学いものみというシンプルさ(画像提供/小林さん)

東京でのクリエイティブディレクターとしての仕事、妻の静岡での仕事、静岡での家族の住まい、東京のマンションを貸すか売るか、実家で子どもをみてもらえるか……完全移住に向けて沢山課題はあると話す小林さん。暮らしも仕事も無理なく着実にチャレンジとステップを重ね、いままでにない理想の形をつくり上げていっている小林さんの3年後が、実に楽しみだ。

●取材協力
・いちぼし堂

「地域通貨」がコロナ禍で再注目! 釣った魚やお悩み解決でポイントがもらえる!?

2000年ごろに脚光を浴びた「地域通貨」が、コロナ禍で再び注目されている。どのように活用され、地域に新しい動きをもたらしているのか、専修大学デジタルコミュニティ通貨コンソーシアムラボラトリー(通称、グッドマネーラボ)代表理事の西部忠さんに話を伺った。
地域通貨とは、そもそもどんなもの?

地域通貨とは、限定した地域(ローカルな場所として市町村、地元商店街など)やコミュニティ(価値や関心を共有するコミュニティとしてのNPO、SNS、人の集まりなど)の中で流通する通貨のこと。紙幣を流通させる「紙幣(発行)型」、利用者同士が通帳を持ち記入して管理する「通帳(記入)型」、小切手を印刷して発行する「小切手型」、ICカードを発行する「電子カード型」などがある。

「かつての地域通貨は円に換えることはできませんでしたが、2000年代以降の地域通貨は地域商品券のように事業者のみ換金できるものが増えてきました。そのため地域通貨は、地域の中で、贈与や支援、サービスとの交換、地域内の経済圏の活性化、さらに地域コミュニティづくりなどに使われています」と西部さんは説明する。

地域通貨は2000年代に一気に全国で広まったが、当時は行政やNPO法人が始めて、助成金の終了や管理の手間などから持続できずに終了するケースも少なくなかった。しかし5年ほど前から、スマートフォンやネットの普及によって管理や運営の手間が軽減したこともあって、民間発の地域通貨が増えてきている状況だ。

今の地域通貨の代表格は「さるぼぼコイン」と「アクアコイン」

では、現在の地域通貨の最新事情はどうなっているのだろうか。

「デジタルを活用したことで、地域へ浸透させることに成功した事例としてぜひ注目したいのが、『さるぼぼコイン』(岐阜県高山市)と『アクアコイン』(千葉県木更津市)です」と西部さん。ともに電子地域通貨で、スマホ決済アプリと同様、QRコード(2次元コード)決済が可能だ。

さるぼぼコインの使い方についての画像。2020年11月13日現在、ユーザー数 約17000名、加盟店数約1500店舗と、地域の生活に浸透している(画像提供/飛騨信用組合)

さるぼぼコインの使い方についての画像。2020年11月13日現在、ユーザー数 約17000名、加盟店数約1500店舗と、地域の生活に浸透している(画像提供/飛騨信用組合)

「『さるぼぼコイン』は、金融機関が発行母体となる電子地域通貨の草分けとして、2017年からスタートしました。さるぼぼコインで決済することで、電気料金の9%が還元されるのが特徴で、現金をチャージしたり、イベントに参加したりすることでポイントがもらえます。電気代のほか水道料金などの公共料金、国民健康保険料、税金の納入などの支払いにも使用可能です。もちろん地域の店舗でも使えます」(西部さん)

12月4日には、飛騨・高山の事業者と連携して開発した「裏メニュー(新商品・新サービス)」を購入できる情報サイト「さるぼぼコインタウン」をオープン。掲載の裏メニューは、すべてさるぼぼコインでのみ購入できる。

例えば、飛騨高山の山が購入できる「山、売ります!」(1座/300000さるぼぼコイン)や、職人から建築技法が聞ける「大工が『古代の建築技法』のひみつ、教えます!」(1ひみつ/2500さるぼぼコイン)などの、ユニークな裏メニューがある。

現在さるぼぼコインは、高山市民の約20%が使用する地域の新しい決済環境として定着しつつあると、「さるぼぼコイン」を運営する飛騨信用組合も声をそろえる。クローズドな地域でここまでの密度でキャッシュレス環境が浸透している地域は極めて珍しく、全国から注目されている地域通貨だ。

アクアコインのステッカー。2020年11月3日現在、インストール件数 13,276件、加盟店 617店舗とこちらも地域への浸透率の高さがうかがえる(画像提供/君津信用組合)

アクアコインのステッカー。2020年11月3日現在、インストール件数 13276件、加盟店 617店舗とこちらも地域への浸透率の高さがうかがえる(画像提供/君津信用組合)

『アクアコイン』は、君津信用組合、木更津市、木更津商工会議所が連携し、2018年10月から取り組んでいる電子地域通貨だ。官民一体となり、「アクアコイン」を通して地域経済の活性化やコミュニティの活性化を図っている。

アクアコインのチャージ機。「アクアコイン」のチャージ方法は、君津信用組合窓口のほか、全国のセブン銀行ATM、プリペイドカード、市内5カ所にあるチャージ機など、さまざまな方法がある(画像提供/君津信用組合)

アクアコインのチャージ機。「アクアコイン」のチャージ方法は、君津信用組合窓口のほか、全国のセブン銀行ATM、プリペイドカード、市内5カ所にあるチャージ機など、さまざまな方法がある(画像提供/君津信用組合)

観光案内所にあるチャージ機でチャージができるため、地域住民だけではなく、観光客でも「アクアコイン」が利用しやすくすることで、地域経済の活性化を目指している。

「アクアコイン」の取り組みとして、ボランティア活動などに対し、市から行政ポイント『らづポイント』を付与し、地域における支え合いなどを促進することにより、地域コミュニティの活性化。そのほか、1日8000歩で1ポイントが付与される歩数連動ヘルスケア機能「らづFit」、連携している3社職員の給料支払いの一部をアクアコインで支給(本人の申し出による)、住民票等の手数料の支払い、公民館施設等の使用料の支払い、アクアコインで電気料金を支払える「アクアコインでんき」サービスの運用などを行っている。

君津信用組合によると、給料の支払いを地域通貨にすることで、「定期的にアクアコインのチャージがされ、利便性が向上するとともに、利用できる地域を限定することで、地元で利用している実感・地域愛が生まれてくる」のだという。

コロナ禍で新たに生まれた地域通貨も。地域コミュニティづくりに大活躍

地域通貨が再び広がりを見せているのは、デジタル化によって管理や運用がしやすくなったからだけではない。先程、西部さんが触れた「地域通貨の地域コミュニティづくり」の側面に大きな動きがあるためだ。

それは、「このコロナ禍で地域コミュニティが見直されていることと無関係ではない」と西部さんは言う。
コロナ禍で地元で過ごす時間が増え、人とのつながりを感じることが難しい状況下で、地域通貨が持つ「地域コミュニティづくり」の特徴を活かそうという流れは自然なことなのだろう。

そこで西部さんに、地域コミュニティづくりに重きを置いた興味深い3つの事例を伺った。注目すべきは、3つのうち2つはアナログな地域通貨が選択されている点だ。コミュニティづくりに重きを置いた地域通貨にはデジタルではなくアナログなものが多いところも、人と人の繋がりもオンライン化している今、人のぬくもりを感じられる要素になっているように感じる。

サンセットコインの会員カード。カード型とアプリ型から選べる(画像提供/静岡県西伊豆町役場)

サンセットコインの会員カード。カード型とアプリ型から選べる(画像提供/静岡県西伊豆町役場)

「例えば今年10月には、提携する釣り船で釣った魚を、地域通貨『サンセットコイン』と交換できる『ツッテ西伊豆』という制度が、西伊豆町(静岡県)で始まりました。
受け取った地域通貨は、お店や旅館などでも使えますし、釣った魚は町内外へ流通する商品として活用され、うまく循環する仕組みになっています。
地域通貨で商品が購入できても、そのお店が円で商品を仕入れている以上、地域通貨の循環は滞ります。そのため、地域通貨がお店で買い物をするときだけではなく、店側が商品の仕入れ時にも使えると、地域通貨がまわりやすくなる。漁師不足を解消すると同時に、観光客と地域住民との交流を促しているのです」(西部さん)

「コロナ禍で菌のイメージがすっかり悪くなってしまいましたが、私たちの身体や自然界は菌によって活性化されていくという側面もあります。“菌”という名前には、地域の文化を発酵させていくという願いのほか、私たちにできることをしつつ、新型コロナウイルスに立ち向かっていこう、という思いも込めています」(運営のCafe & Bar「麻心」森下さん)(画像提供/相模湾地域通貨「菌」)

「コロナ禍で菌のイメージがすっかり悪くなってしまいましたが、私たちの身体や自然界は菌によって活性化されていくという側面もあります。“菌”という名前には、地域の文化を発酵させていくという願いのほか、私たちにできることをしつつ、新型コロナウイルスに立ち向かっていこう、という思いも込めています」(運営のCafe & Bar「麻心」森下さん)(画像提供/相模湾地域通貨「菌」)

「相模湾地域通貨『菌』は、今年6月4日に鎌倉市(神奈川県)で生まれた紙幣型の地域通貨です。こちらも民間人が中心となって運営され、お店やバー、イベントなどで使用できます。各地で開催される説明会に参加して会員になると、10000菌を受け取れます(入会金3000円)。Webサイト上に会員のみがやりとりできる掲示板があって、困りごとを相談することで地域通貨がもらえるという、おもしろい仕組みです」

掲示板では、「衣、食、住、農、暮らし、海、山……」と多岐にわたる項目に関する困りごとを投稿ができるようになっている(画像引用元/相模湾地域通貨『菌』)

掲示板では、「衣、食、住、農、暮らし、海、山……」と多岐にわたる項目に関する困りごとを投稿ができるようになっている(画像引用元/相模湾地域通貨『菌』)

あえてアナログの良さを活かした地域通貨も再注目

既存の地域通貨だが、西部さんが「ぜひ知ってほしい」と最後に紹介してくれたのが、2012年に生まれた東京都国分寺市の地域通貨「ぶんじ」。カフェ『クルミドコーヒー』『胡桃堂喫茶店』の店主である影山知明さんなど20人ほどのメンバーが中心となって運営。国分寺エリアのさまざまなお店の他、個人間でもメッセージカード代わりに使える地域通貨で、お店で買い物をしたときにおつりとしてもらったり、イベントやボランティアに参加したりすると受け取れるものだ。

「国分寺地域通貨 ぶんじ」表面(画像提供/影山知明さん)

「国分寺地域通貨 ぶんじ」表面(画像提供/影山知明さん)

「国分寺地域通貨 ぶんじ」裏面(画像提供/影山知明さん)

「国分寺地域通貨 ぶんじ」裏面(画像提供/影山知明さん)

「紙幣の裏にメッセージを書く欄があって、贈り手のことを想像してメッセージを記していくという、コミュニケーションを重視した地域通貨です。
この地域通貨のすごいところは、多くの人を巻き込む力の強さ。例えば、2018年から始まった地域通貨だけでも利用できる「ぶんじ食堂」は、最初の2年半は常設ではなく、まちのいろいろな場所で開催され、その会場も料理や片づけをする人も食材も、まちの人々の持ち寄りで運営されています。影山さんもキッチンに立つし、まちの子どもたちも料理を手伝うんです。年齢の垣根を越えた交流が、地域通貨によって生まれているんですね」(西部さん)

さらに2020年11月からは、家賃の一部を地域通貨「ぶんじ」で支払える“まちの寮”「ぶんじ寮」がオープン。旧社員寮を改修した建物を利用しており、入居者が畑仕事や掃除、ごはんづくりなどを行うことで、家賃は3万円(試算額)に。ぶんじ寮のキッチン/食堂は、「ぶんじ食堂」としても運営する予定だ。

「人とのつながりを感じられる場所で暮らすことを考えたときに、地域通貨があることで、新しく入った人も、地域の一員として溶け込みやすいのではないでしょうか」と西部さんは語る。

このコロナ禍で移住や多拠点生活への興味関心が高まっている。一方で、「うまく地域に溶け込めるだろうか」という心配は誰もが抱くこと。だからこそ、これらのような人のつながりをつくり、促してくれる地域通貨があれば、自然と地元の人と交流が生まれやすくなりそうだ。

グッドマネーラボ 代表理事 西部忠さん●取材協力
グッドマネーラボ 代表理事 西部忠さん
1962年生まれ。進化経済学者、専修大学経済学部教授、北海道大学名誉教授、進化経済学会会長。1990年代から地域通貨の研究・実践に取り組んできた。2018年4月、専修大学デジタルコミュニティ通貨コンソーシアムラボラトリー、通称、グッドマネーラボ を設立、その代表理事。2019年9月、岐阜県高山市でアジア初の地域通貨国際会議RAMICSを主催、世界約20カ国から地域通貨の研究者や実践家が参加。(画像提供/西部忠さん)
グッドマネーラボ

・さるぼぼコイン
・アクアコイン
・サンセットコイン
・国分寺地域通貨ぶんじ
・相模湾地域通貨「菌」

会社員だけど毎日サーフィンする暮らし。ワーケーションで“プチ欝”脱出 私のクラシゴト改革6

メルカリでプロダクトマネジャーとして働くEさんは、現在25歳。コロナ禍をきっかけに、知人とともに神奈川県小田原市や長崎県・五島列島でのワーケーションに挑戦した。趣味のサーフィンを楽しみつつ、今までどおり仕事もするという暮らしを経験したEさんが学んだこととは?連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。鎌倉、小田原、五島列島。住む場所を変えて「コロナ鬱」を克服

東京都内に住み、都内の職場に出勤していたEさん。コロナ禍の広がりにより、2月末から自宅でテレワークを始めたものの、程なくして「プチ鬱」のような状態になってしまったという。

「生活圏が自宅から半径500m以内になり、アウトドア好きな自分にはかなりきつかったです。また、毎日誰とも会わずに生活するようになってから、会社で人と会っていたのは、自分にとって大事な時間だったんだと気づかされました」

会社のメンバーとはオンライン会議で頻繁に話していたものの、Eさんの会社では、他者の時間を重んじているため、なかなか雑談がしづらかった。今までは職場で自然と行われていた雑談の機会がゼロになってしまったことも、メンタルの落ち込みに拍車をかけた。

環境を変える必要性を感じたEさんは、3月に鎌倉の実家に帰省。趣味のサーフィンをする生活を始めることを思い立った。

(写真提供/Eさん)

(写真提供/Eさん)

(写真提供/Eさん)

(写真提供/Eさん)

「毎朝サーフィンをしてから、仕事を始めるようにしました。体を動かすので健康になりましたし、仕事への士気も高まりました。自分の一番好きな趣味を毎朝できるのは、すごく幸せでしたね」(Eさん)

健康的な暮らしで心身ともに調子を整えたEさんは、5月に入ると、民泊サービスAirbnbで見つけた小田原の一軒家で、2カ月間のワーケーションに挑戦する。かつての自分と同じように、家にこもって仕事をしていた同僚らに声をかけ、生活を共にした。

「一緒に暮らす人がいたことによって、生活にメリハリが生まれました。みんな普段はかなり遅くまで働いてしまうタイプなんですが、平日の夜は早めに切り上げて食事をしたり、週末も予定を立てて一緒に出かけたりして。ダラダラと仕事ばかりしてしまうことはなかったですね」

Eさんの“新しい暮らし”への試行錯誤はまだ続く。7月からは会社の先輩や同期を誘い、さらに遠方でのワーケーションを企画した。サブスプリクション住居サービスのHafHを利用して物件を選定し、大自然の中、五島列島のシェアハウスで2カ月間暮らすことに。今回は、HafH会員の初対面の3人とも同じシェアハウスで過ごすことになった。

「初対面の方たちとも、一緒にご飯を食べたり、週末に外出をしたりして過ごしました。動画編集の仕事をしているフリーランスの人もいて。会社員の自分たちとは全然違う働き方をしているんだと知り、とても新鮮でした」

五島では、海でスノーケルや海水浴を楽しんだ(写真提供/Eさん)

五島では、海でスノーケルや海水浴を楽しんだ(写真提供/Eさん)

そして10月に入り、再び東京の自宅に戻ってきたEさん。サーフィンも仕事もする生活を経験した今、ワーケーションのメリットは「自分が好きなことや、大切にしているものの近くで、今までと変わらず仕事に打ち込めること」だと話す。

今後については、サーフィンができる暮らしを続けるべく、東京から湘南エリアへの移住を計画中だ。今まではテレワークを続行するか否かなどの会社の方針が固まっていなかったために、単発的なワーケーションを繰り返していたものの、最近ようやく「月1回出社推奨」という方針が決まり、新しい暮らし方の見通しを立てられたという。

Eさんは、今年さまざまな暮らし方を試せたのは、会社のカルチャーによる面も大きかったと振り返る。

「今年、ワーケーション先で出会った人の中には、会社に隠れてこっそりワーケーションしている人もいて、息苦しそうでした。自分の場合は『こういう生活をやってみたいんです』と言うと、会社のメンバーが『いいね!』と後押ししてくれたのがありがたかったです」

ワーケーションの壁「時間・距離」をどう克服する?

働きながらサーフィンのできる生活を経験したEさんは、東京から離れて働く上で、課題に感じたことが2つあったと話す。

五島のシェアハウスで同僚と共同生活。写真は一緒に朝食をつくっている様子(写真提供/Eさん)

五島のシェアハウスで同僚と共同生活。写真は一緒に朝食をつくっている様子(写真提供/Eさん)

1つ目は、時間の使い方に関する問題だ。サーフィンをしている間や、その移動時間は仕事ができないため、仕事で関わるメンバーなど周囲に迷惑をかけない工夫が求められる。

「五島列島にいたときは、夕方に来るいい波に乗ってサーフィンをするために、17時には一旦仕事を終えて海に向かうようにしていました。ただ、まだほとんどのメンバーが働いているので、そのあと自分への確認事項が発生して業務が滞ってしまうことのないように、人とのやりとりが発生する仕事はできるだけ日中に済ませるようにしました。サーフィンをするからといって、仕事で手は抜きたくはありません。今まで通りのアウトプットを出すために、時間の使い方はかなり意識しました」

2つ目は、五島列島で感じた「ユーザーとの距離」に関する問題だ。Eさんが開発に携わっているWEBサービスは全国に展開されているものの、五島列島にはそのサービスを導入している店舗は見当たらなかった。Eさんの業務に直接影響があったわけではないが、自分たちのサービスが目に入らなくなったことで、店舗でのカスタマーの行動観察ができなくなってしまったという。

この問題については、解決策はないものの、「自分たちのサービスを地域に浸透させるにはどうしたらいいかと考えるきっかけになりました」と、Eさんは前向きに捉えている。

長崎の古民家で、同僚と一緒にワーケーション(写真提供/Eさん)

長崎の古民家で、同僚と一緒にワーケーション(写真提供/Eさん)

「どこで暮らすか」だけでなく、「誰と暮らすか」が大事

東京を離れる上でいくつかのハードルはあったものの、Eさんは「『もはや東京で暮らす必要はない』と実感した」と話す。

「地方で暮らしてみて、自分は東京に住んでいること自体を幸せに感じているわけではないんだなと気づきました。例えば、大衆居酒屋とか、クラブとか、バーとか、そういう東京らしい場所で遊びたい欲求は、今はまったくありません。さらに地方を巡ると、東京はいかに家賃が高いかを思い知らされました」

五島のシェアハウスにて。同居人と東京から遊びにきた友人たちと一緒にタコスづくり(写真提供/Eさん)

五島のシェアハウスにて。同居人と東京から遊びにきた友人たちと一緒にタコスづくり(写真提供/Eさん)

会社に通勤しなくて良いのなら、東京に住み続ける必要はない。頭では分かっていたことでも、実際にワーケーションを体験したことで、Eさんはその理由をはっきりと認識した。

最後に、地方でテレワークをする上で1つ大切なポイントがあると、Eさんは付け加えた。

「五島列島に住んでいたときに、一緒に住んでいた人が仕事の都合で先に帰ってしまい、自分一人になった時期があったんです。そのときはさすがに寂しくて。五島列島は確かに自然は豊かですし、景色は綺麗です。サーフィンはできるし、仕事にも集中して取り組める。でも、そういう環境があるだけで幸せになれるわけではありません。どこに住んでいたとしても、大事なのは一緒にいる人です。自分がワーケーションを楽しめたのは、気の置けない仲間がいたからだと、気づかされました」

大事なのは「どこで暮らすか」だけでなく、「誰と暮らすか」。サーフィンを楽しむためにワーケーションに挑戦したEさんが知ったのは、好きなことを毎日できる幸せと、同じ場所で過ごす人がいることの大切さだった。

人と人が「つながるバス停」? 福岡・八女市でライブラリー併設のバス停が誕生!

日本各地の自治体が、人口減少や山間部の過疎問題に直面しています。課題解決に取り組む福岡県八女市は、コミュニティ通貨が利用できるライブラリーを併設した「つながるバス停」の運用を開始しました。日本初の本で人をつなげるユニークなバス停と、人と人をつなげるコミュニティ通貨「まちのコイン」は、地域にどのような影響を与えているのでしょうか。八女市とプロジェクトを企画した面白法人カヤックに話を聞きながら、新しい地域のまちづくりについて、お伝えしたいと思います。
人と人をつなげる、ライブラリー併設のバス停とは?

福岡県南西部に位置する人口約6万2000人の八女市。市街地の玄関口、西鉄バス福島停留所にできた新しいバス停は、市町村として日本初の取り組みであるコミュニティ通貨が利用できるバス停です。八女杉と漆喰の白壁を使ったぬくもりのある建物の中に、ライブラリーがあります。地域の高校生が選んだ本が並び、減農薬で栽培された八女茶を楽しむことができます。マイボトルを持参し、通勤前にお茶を入れるリピーターも多いそうです。

福岡県立八女農業高等学校の学生が栽培から製造まで一貫して行ったこだわりの八女茶(水出し)をコミュニティ通貨50ロマンで提供(画像提供/面白法人カヤック)

福岡県立八女農業高等学校の学生が栽培から製造まで一貫して行ったこだわりの八女茶(水出し)をコミュニティ通貨50ロマンで提供(画像提供/面白法人カヤック)

「つながるバス停」のオープニング式典で企画の趣旨を説明する八女市長と面白法人カヤック代表の柳澤大輔さん(画像提供/面白法人カヤック)

「つながるバス停」のオープニング式典で企画の趣旨を説明する八女市長と面白法人カヤック代表の柳澤大輔さん(画像提供/面白法人カヤック)

地元の高校生や地域で活躍している人がおすすめする本などがずらり(画像提供/面白法人カヤック)

地元の高校生や地域で活躍している人がおすすめする本などがずらり(画像提供/面白法人カヤック)

内装には八女杉も使用。天井高は4m以上あり、開放感がある(画像提供/面白法人カヤック)

内装には八女杉も使用。天井高は4m以上あり、開放感がある(画像提供/面白法人カヤック)

ライブラリーには、「今月のセレクター」というコーナーがあり、地域の魅力ある「八女人」が月ごとに紹介されていく予定です。屋根とベンチしかなかったバス停が、通勤通学の利用者だけでなく、お年寄りや観光客も立ち寄れる地域内外に開かれた場所に生まれ変わりました。

地域コミュニティを創り出す! 「関係人口」を増やす試み

山間部が多くを占め、八女杉を産出する自然豊かな八女市では、人口減少や過疎問題を抱えていました。
「八女市では、地域コミュニティの機能低下による悪循環をなくすために、『関係人口創出事業』の取り組みを行ってきました。民間の知恵を借りようと2020年6月にプロポーザルを実施。バス停をコミュニティライブラリーにするというユニークな発想によって乗降客のコミュニケーションの場とすることで地域内外の交流を促進させる点を評価し、『つながるバス停』が採用となりました。本をフックにするというのは、IT関係の会社の提案としては意外で、面白い発想だと感じました」と話すのは、八女市役所定住対策課町並み景観係の溝尻竜夫(みぞじり・たつお)さんです。

古いバス停を取り壊した跡地に建築(画像提供/面白法人カヤック)

古いバス停を取り壊した跡地に建築(画像提供/面白法人カヤック)

外壁を木製の縦格子にすることで、圧迫感がなく、ぬくもりのある雰囲気に(画像提供/面白法人カヤック)

外壁を木製の縦格子にすることで、圧迫感がなく、ぬくもりのある雰囲気に(画像提供/面白法人カヤック)

「関係人口」とは、移住による「定住人口」でも、観光による「交流人口」でもない、地域や地域の人と多様に関わる人を指す言葉です。若者を中心とした地域外の人材が、地域づくりの新しい担い手となることが期待されています。

「つながるバス停」を提案した面白法人カヤックの地域プロデューサー長田拓さんは、企画の背景を次のように語ります。

「八女市には、別の事業で頻繁に訪れておりますが、広く知られていないだけで、ポテンシャルが高いと感じていました。八女茶のほかにも、八女手漉和紙や八女提灯、八女福島仏壇などの伝統工芸も盛んですし、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている江戸時代から続く白壁の町並みも美しい。そんな八女の魅力をしっかりと発信したいと考えたんです。本というアナログのものに着目したのは、八女の魅力を支えている人を起点にしたい、そのために人のつながりを可視化したいと考えたから。高校生が選んだ本や八女に関わる本、八女出身の作家の本などを置くことで、地域内外の人に興味を持ってもらい、会話のきっかけをつくる。読んだ人は、本にしおりをはさめるようになっているんですよ。しおりには、名前やニックネーム、SNSのアカウントやよく行くお店を記入できます。昔の図書貸し出しカードのように、人とゆるくつながれるアイテムとして役立ててもらえたらと考えました」

人とのつながりを実感してほしいと、30種類の人の形のしおりを作成。仲良くなるきっかけに(画像提供/面白法人カヤック)

人とのつながりを実感してほしいと、30種類の人の形のしおりを作成。仲良くなるきっかけに(画像提供/面白法人カヤック)

高校生など地元の人が集まり、にぎわうオープニング式典時のバス停内(画像提供/面白法人カヤック)

高校生など地元の人が集まり、にぎわうオープニング式典時のバス停内(画像提供/面白法人カヤック)

室内には、八女茶の香りが漂う(画像提供/面白法人カヤック)

室内には、八女茶の香りが漂う(画像提供/面白法人カヤック)

使えば使うほど仲良くなる!? コミュニティ通貨「まちのコイン」

「つながるバス停」での八女茶のボトリングサービス等、加盟店が提供する特別なサービスを受けるときに使える地域通貨が、「まちのコイン」です。「まちのコイン」は、面白法人カヤックが、2018年に開発を開始したコミュニティ通貨サービスで、神奈川県の「SDGsつながりポイント事業」に採択され、2019年11月に鎌倉市で実証実験を行い、現在は神奈川県小田原市や民間のデベロッパー主導で山手線大塚駅周辺の地域で導入が開始されています。八女市の通貨名は「ロマン」。コミュニティ通貨のテーマは、「大自然や歴史、伝統をつないでにぎわうまち八女」です。

アプリをダウンロードすれば、面白法人カヤックが提供するコミュニティ通貨導入地域が選択でき、どこでも利用ができる(画像提供/面白法人カヤック)

アプリをダウンロードすれば、面白法人カヤックが提供するコミュニティ通貨導入地域が選択でき、どこでも利用ができる(画像提供/面白法人カヤック)

「従来の地域通貨は、お金の代わりですが、コミュニティ通貨は、人と人のつながりが生まれたときに、交換するためのものです。当社では、地域固有の魅力を資本価値と捉える『地域資本主義』を発信しています。まちのコインの流通量を増やしていくことが、地域の魅力の増加につながります」(長田さん)

「まちのコイン」アプリの操作画面。通帳から、貯まったロマンと使用頻度に応じた自分の八女レベルが分かる(画像提供/面白法人カヤック)

「まちのコイン」アプリの操作画面。通帳から、貯まったロマンと使用頻度に応じた自分の八女レベルが分かる(画像提供/面白法人カヤック)

「クラフトコーラづくり」など地域の商店が発行するおもしろチケット

「まちのコイン」導入にあたり、チケットを発行する加盟店から戸惑いの声はなかったのでしょうか。
「市として前例がなく、参考になるものがないので、説明会などでは、『これは八女市のファンをつくるための事業です』と必ずお伝えしていました。皆さん、『面白いですね!』『八女の魅力を伝えるためなら!』と、すぐに理解してくださいました。個人事業主の方は、柔軟でチャレンジ精神も旺盛ですし、我々が思いつかないような面白いアイデアを出してくださいます」(溝尻さん)

例えば、薬膳料理の店「八女サヘホ」では、子どもと一緒にコーラシロップづくりを体験できるチケットを発行。講習では、中に入れるスパイスの紹介があるなど、なかなかできない体験が好評でした。ほかにも、醤油屋さんの若旦那とお話ができるチケットやお店の裏メニューを注文することができるチケットも。
「それらは、コインを払うチケットですが、お店にとってありがたいSNSでの発信に協力したり、八女の『町歩きツアー』に参加するだけで、コインをもらえるチケットもあります。アプリでは、活動履歴が残るようになっています。仕事とボランティアの間にあるお手伝いごとの動機付けとして、また、少しハードルが高いSDGs(持続可能な開発目標)に関係する地域活動を身近に感じるきっかけになっています」(長田さん)

「コーラの材料にスパイスがあったとは」と、参加者も驚いていた(画像提供/面白法人カヤック)

「コーラの材料にスパイスがあったとは」と、参加者も驚いていた(画像提供/面白法人カヤック)

筆者も「まちのコイン」のアプリをダウンロードしてみましたが、地域ごとにおもしろいチケットがあり、ゲーム感覚で操作できるのも楽しい! 神奈川県小田原市や山手線大塚駅周辺など「まちのコイン」導入地域同士の連携や関係イベントを今後、検討していくとのことなので、最寄りを訪ねた際は、チェックして使ってみるのも良いと思います。

今後は、「つながるバス停」を交流拠点だけでなく、人材が活躍できる場所として活用していくそうです。同じ八女市が運営するコワーキングスペース「南仙荘」を中心に展開する地域仕事づくり支援事業と連携し、起業希望者に期間限定のチャレンジショップとして役立ててもらう予定です。

地域のにぎわいを生み出す「つながるバス停」と「まちのコイン」。「まちのコイン」は、人と人とのつながりを可視化し、地域をひらいていくコミュニティ通貨です。多様な人に地域に関わってもらう取り組みが続いています。

●取材協力
・面白法人カヤック

テレワークで会社勤めと多拠点居住を両立!“生き方の見本市”な人々との暮らし 私のクラシゴト改革5

コロナ禍の影響でテレワークへ移行し、「どこに住んでもいいんじゃないか」と考えた人は多いのでは?実際に、毎日通勤しないなら、と郊外に住み替えるケースもあるそう。なかには、それをさらに発展させ、日本各地の多拠点暮らしを始めた会社員も。今回は、そんな新しい暮らし方を実践している定塚仰一さんにインタビュー。
「実は会社に承諾をもらうのが大変だった」というエピソードをはじめ、多拠点居住を選んだ経緯、各拠点での暮らし方、今後の展望など、あれこれ聞いてみた。

連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。テレワークで都心居住に疑問。住み放題サービス「ADDress」を活用

インタ―ネットの広告会社で働く社会人3年目の定塚さんが、多拠点居住を始めたのは今年6月。利用しているのは、定額住み放題サービス「ADDress」。全国にある空き家・空き別荘を活用した拠点に、どこでも好きな時に暮らすことができるシステムだ。

もともと学生時代から、世界各国をホームスティしながら旅をしたり、地方活性化のサークル活動もしていた定塚さん。当然、この新しい暮らし方には興味をひかれていたそう。ただ、当時利用できる拠点に、郊外が多く、通勤という観点から二の足を踏んでいたそう。

「面白そうだなとは思っていたものの、会社員のうちは無理かなと。とにかく満員電車が苦手だから、新宿にある会社に徒歩通勤もできる距離の住まいに、友人とルームシェアをしていました」

そんななか、緊急事態宣言を受け、会社はテレワークとなり「ほぼ自宅で引きこもり生活に。『別に新宿に住んでいる意味ないな』と感じちゃったんです。今だったら、どこにでも暮らせる。多拠点もアリじゃないか!と俄然現実味を帯びてきました」

会社へ多拠点居住を交渉。平日はメイン拠点の習志野で

ただし、大きなハードルも。会社の就労規則から、特定の自宅を持たない働き方は規則に違反してしまうことになっていたのだ。
「僕は顔や名前を出して、何かしら発信していきたかったし、会社に嘘をついたり、規約違反するのは嫌だった。そこで会社の人事と話し合い、ルール内で運用出来るように、特定のメイン拠点で住民票を取得できるしくみを利用し、平日のテレワークは常にその拠点で行うという形に。週末だけを他の拠点を利用するスタイルとなりました」

平日にテレワークをしている習志野の拠点にて。他のメンバーが使っている6部屋のほか、リビング、ダイニング、縁側や小さな庭もある。電気代・ガス料金・水道代・ネット回線料金はすべて会員料金に含まれている(写真撮影/嶋崎征弘)

平日にテレワークをしている習志野の拠点にて。他のメンバーが使っている6部屋のほか、リビング、ダイニング、縁側や小さな庭もある。電気代・ガス料金・水道代・ネット回線料金はすべて会員料金に含まれている(写真撮影/嶋崎征弘)

交渉した結果、特定のメイン拠点で住民票を取得できる仕組みを利用し、平日のテレワークはその拠点で行うという形に。週末だけ他の拠点を利用するというスタイルになった。

開放感とおこもり感、両方を感じられる庭のワークスペースは「家守(やもり)さん」と呼ばれる物件の管理者のDIYによるもの。「家守さん」は、物件の管理だけでなく、ローカルな体験や交流の機会を提供してくれる独自の存在(写真撮影/嶋崎征弘)

開放感とおこもり感、両方を感じられる庭のワークスペースは「家守(やもり)さん」と呼ばれる物件の管理者のDIYによるもの。「家守さん」は、物件の管理だけでなく、ローカルな体験や交流の機会を提供してくれる独自の存在(写真撮影/嶋崎征弘)

メイン拠点のドミトリーには自分専用の固定ベッドがある。メイン拠点では住民票登録もでき、郵便物も受け取れる(別途追加料金が必要) 別拠点に行くときは、着替えなどの荷物は置いたまま(写真撮影/嶋崎征弘)

メイン拠点のドミトリーには自分専用の固定ベッドがある。メイン拠点では住民票登録もでき、郵便物も受け取れる(別途追加料金が必要) 別拠点に行くときは、着替えなどの荷物は置いたまま(写真撮影/嶋崎征弘)

そして驚くべきは、実は定塚さん、この多拠点暮らしと同時に、結婚をしたというのだ。
「彼女は今実家に暮らしていて、一緒に暮らすのは年明けの予定。彼女には“いいんじゃない”と賛成してもらいました。実はこのADDressは、契約者と同伴なら、家族一緒に追加費用なしで利用できるので、週末は彼女と別拠点で過ごしているんです」

メイン拠点として習志野を選んだのは、週に2回出社する必要があること、彼女の実家に近いことから。日本大学が近くにあり、近くの商店街は学生向けの美味しい定食屋がたくさん(写真撮影/嶋崎征弘)

メイン拠点として習志野を選んだのは、週に2回出社する必要があること、彼女の実家に近いことから。日本大学が近くにあり、近くの商店街は学生向けの美味しい定食屋がたくさん(写真撮影/嶋崎征弘)

行きつけのカフェ「Star Cafe」では「なつかしオムライス」(820円・税込)がお気に入り。ランチや夜にタイミングが合えば習志野拠点の仲間たちと外食も(写真撮影/嶋崎征弘)

行きつけのカフェ「Star Cafe」では「なつかしオムライス」(820円・税込)がお気に入り。ランチや夜にタイミングが合えば習志野拠点の仲間たちと外食も(写真撮影/嶋崎征弘)

週末は旅行気分で日本全国の拠点へ。日常が特別な時間に

一方、休日はあらゆる場所に足を運んでいる定塚さん。南伊豆の温泉のある家、海が目の前にある元は民宿だった南房総の家、歴史ある街にたたずむ鎌倉の家etc.
そこにあるのは、高揚感だ。「やはりテンションが上がります。森に囲まれた家なら、ベランダでコーヒーを飲みながら朝ごはんを食べたいなと考えたり、知らないまちを探検したり。今週末はどこに行こうか考えるのが楽しい。場所を変えるだけで、何気ない日常そのものが新鮮に感じられます」 

ホテルのように1泊ごとの費用がかからず、気軽に利用できるのもメリットで、自然豊かな郊外や地方の拠点だけでなく、日本橋や品川など都心のゲストハウス拠点を利用することもある。

ある休日には妻と鎌倉の拠点へ。元は著名な学者の方の自邸で、本棚にはブックコーディネーターがセレクトした本が並び、まるで図書館のような趣(写真提供/定塚さん)

ある休日には妻と鎌倉の拠点へ。元は著名な学者の方の自邸で、本棚にはブックコーディネーターがセレクトした本が並び、まるで図書館のような趣(写真提供/定塚さん)

南房総の拠点は、すべての個室とコワーキングスペースから海を一望できる。シュノーケリングや釣り、SUPなどのマリンスポーツがすぐに楽しめる贅沢な立地だ。家守でもあるプロカメラマンの横山 匡さんとワイングラス型の夕陽を眺めに行ったことも(写真撮影/横山 匡さん)

南房総の拠点は、すべての個室とコワーキングスペースから海を一望できる。シュノーケリングや釣り、SUPなどのマリンスポーツがすぐに楽しめる贅沢な立地だ。家守でもあるプロカメラマンの横山 匡さんとワイングラス型の夕陽を眺めに行ったことも(写真撮影/横山 匡さん)

下賀茂温泉近くにある南伊豆の拠点は、なんと温泉付き。春は菜の花や桜、夏にはひまわりが咲く名所があり、温泉メロンも収穫されるなど草花が生い茂る自然豊かな土地(写真提供/定塚さん)

下賀茂温泉近くにある南伊豆の拠点は、なんと温泉付き。春と菜の花や桜、夏にはひまわりが咲く名所があり、温泉メロンも収穫されるなど草花が生い茂る自然豊かな土地(写真提供/定塚さん)

各拠点で出会う人は”生き方の見本市”。気づきを与えてくれる

さらに、定塚さんの多拠点生活で得られたのは、人との出会いだ。20代から50代まで、さまざまな人たちと出会うことで、常に刺激を得られる。
例えば、習志野をメイン拠点にしているのは、大手メーカーの経営企画室で働く家守さんの20代男性と、登録者数1万人以上の飲食系ユーチューバーなど、個性豊かな顔ぶれ。ほかにも、数日だけ利用する人が入れ替わり立ち替わりやってくる。北海道から来た元・保育士さん、キャンピングカーで鉄塔のメンテナンス業をしながら旅する夫婦、次の仕事が始まる前の合間にやってくるビジネスパーソン、モラトリアム期間の仮住まい、実家とは別の住まいとして選ぶ人もいる。もちろん、自分が週末に訪れる習志野以外の家でも、また新しい出会いがある。
「まるで働き方、生き方の見本市。こうした新しい暮らし方を選ぶ人って、自由で面白い人が多くて、話をしていて楽しいです。それに、自分の人生に迷ったり悩んでいる人もいて、どこか自分探しの側面も。いろんな人と話すことで、自分の仕事の意外な面白さを再発見したり、今、社会で求められていることを肌で感じたり、とても刺激的です」

色紙に今年の抱負を書いて、拠点のみんなで撮った記念写真(写真提供/定塚さん)

色紙に今年の抱負を書いて、拠点のみんなで撮った記念写真(写真提供/定塚さん)

色紙には個人の目標やポリシーを書いて飾っている(写真は定塚さんの目標)(写真撮影/嶋崎征弘)

色紙には個人の目標やポリシーを書いて飾っている(写真は定塚さんの目標)(写真撮影/嶋崎征弘)

リビングのテレビボードの上には、拠点のみんなでやりたいコトを付箋に貼る。「流しそうめんは実現しました」(写真撮影/嶋崎征弘)

リビングのテレビボードの上には、拠点のみんなでやりたいコトを付箋に貼る。「流しそうめんは実現しました」(写真撮影/嶋崎征弘)

みんなで楽しんだ夏の花火も大切な思い出(写真提供/定塚さん)

みんなで楽しんだ夏の花火も大切な思い出(写真提供/定塚さん)

コロナ禍が生き方の原点に立ち戻るきっかけに

今まで、学生時代に、世界22カ国の家族と共同生活をした記録を書籍化したり、副業で、旅の中で知り合った農家や職人さんのPR動画を企画・制作するなど、常に旅と人との出会いを大切にしていた定塚さん。エネルギッシュな生き方をするアクティブな自由人という印象を持つが、新卒として就職して以来は「ずっと会社と家の往復の3年間でした」と意外な発言も。
「少し縮こまった生活をしていましたね。それでいて飛び出すのが怖い。コンフォートゾーン(心地よいゾーン)にいた感じでした」
そんな毎日の中、新型コロナウイルスが直撃。「否応なしに働き方、暮らし方を考えざるをえない状況になりました。また、今回、多拠点暮らしを会社に交渉したことで、社会のほうも変化を余儀なくされていると実感。会社員でもフリーランスでも変わらず、変化に順応し新しい事に進んで取り組んで、個人の力をどれだけ強められるかが大事だと再認識しました」
消費行動も変わった。この多拠点居住の開始とともに、持っていた家具や家電はほぼインターネットのフリマサイトで譲渡や売却をした。もともと古着好きで洋服もたくさん持っていたが、思い切って断捨離を敢行した。
「完全に捨てる前に、最小限のモノで暮らせていけるか1週間ほど生活をしたら、案外大丈夫だったんですよ。モノを持たないから買わないで済み、ミニマムな暮らしを実践できています」

別の拠点に移動するときは、リュックと携帯するボストンバックの2つのみ(写真撮影/嶋崎征弘)

別の拠点に移動するときは、リュックと携帯するボストンバックの2つのみ(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

結婚後は、夫婦ふたりの拠点の部屋を借りつつ、今のサービスを利用し、ふたりでさまざまな場所に旅したいと考えているという。いつかは自分の家を提供するホストファミリーにもなってみたいという野望も。常に自分にフィットした暮らし方を軽やかに変えていきたい定塚さん。今後の活動がどうなるか楽しみだ。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

●取材協力 
全国 定額住み放題「ADDress」
・Twitter
・YouTube
・定塚さんが作成した南伊豆拠点の紹介動画

かつての小学校が“まち”になる! 「那須まちづくり広場」始動

国土交通省、地域づくり活動の優良事例を表彰する「地域づくり表彰」で、廃校となった小学校を再生した「那須まちづくり広場」が最高位の国土交通大臣賞に選出された。これは、市場、カフェ、アート教室等へリノベーションされ、再び地域住民が集う場所へと生まれ変わったプロジェクトで、2022年にはサービス付き高齢者住宅(以下、サ高住)を中心としたリニューアルも予定されている。
今回、計画にあたって重視していること、今後の展開などを、那須まちづくり広場株式会社の近山恵子さんと鏑木孝昭さんにお話を伺った。

かつて学校だった記憶を尊重した改修で、誰もが集う場所に

「那須まちづくり広場」は、2016年に廃校となった旧朝日小学校を再生利用した複合施設で、行政の建物を民間主導で運営する取り組み。2022年の完成を目指し、現在は先行して旧校舎を改修し、地元の食材を中心とした地産地消のマルシェ「あや市場」や、地域の住民たちが腕を振るう「コミュニティカフェ ここ」などを運営。今後は校庭に、サ高住が新築される予定だ。

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

厳選された地元の新鮮野菜や自然食品が並ぶ「あや市場」。所狭しと商品が並び、宝探しをしているような気分に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

厳選された地元の新鮮野菜や自然食品が並ぶ「あや市場」。所狭しと商品が並び、宝探しをしているような気分に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

周辺の農家さんから直売される新鮮な野菜。つくり手自ら加工した食品も。「サ高住が完成した将来は、こうした直売以外にも、提供する食事に使うために地元農家さんと契約していきたいと考えています」(鏑木さん) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

周辺の農家さんから直売される新鮮な野菜。つくり手自ら加工した食品も。「サ高住が完成した将来は、こうした直売以外にも、提供する食事に使うために地元農家さんと契約していきたいと考えています」(鏑木さん) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「大切にしているのは、学校本来の機能・雰囲気を活かすこと。今でもこの学校は、地域の運動会や敬老会が開催されるなど、地域のみんなが集う場所です。かつての思い出、記憶、継続している活動を尊重したいと考えています」(近山さん)
例えば、カフェのある場所は元家庭科室、鍼灸・マッサージ・整体などができる「こころと体の健康室」は、元は放送室。給食調理室は、今はオリジナルブランドの人気アイスキャンデー工場だ。玄関入ってすぐの下駄箱は、色を塗りなおし、街のチラシあれこれを入れたインフォメーションコーナーに。

本や絵本がずらりと並び図書館機能も持つ「コミュニティカフェ ここ」。Wi-Fi完備でコワーキングスペースにも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

本や絵本がずらりと並び図書館機能も持つ「コミュニティカフェ ここ」。Wi-Fi完備でコワーキングスペースにも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

スパイスの利いた特製豆カレーは定番の人気ランチ。サラダ、スープ付きで800円(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

スパイスの利いた特製豆カレーは定番の人気ランチ。サラダ、スープ付きで800円(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関の靴箱には地域のお知らせなどのチラシを置いて。課外活動の一環として見学にくる地元の小学生も多く、子どもたちによるポスターも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関の靴箱には地域のお知らせなどのチラシを置いて。課外活動の一環として見学にくる地元の小学生も多く、子どもたちによるポスターも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「リノベーションの過程で、近所の住民の方が小学生のころに書いた“大きくなったら自分の家を継ぎます”と書いた画用紙も見つかりました。かつて自分自身や自分の子どもが何度も足を運んだ場所だからこそ愛着がある。“みんなで作る生涯活躍のまち”事業において、学校を再利用するのはとても意義があると思います」(近山さん)

かつての面影を最も色濃く残している図工室はアート教室に。隣のギャラリーで展覧会を開くことも可能(画像提供/那須まちづくり広場)

かつての面影を最も色濃く残している図工室はアート教室に。隣のギャラリーで展覧会を開くことも可能(画像提供/那須まちづくり広場)

パイプオルガン、チェンバロなど歴史ある楽器が並ぶ「音楽工房LaLaらうむ」。緩和ケアのための音楽を取り入れる試みも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

パイプオルガン、チェンバロなど歴史ある楽器が並ぶ「音楽工房LaLaらうむ」。緩和ケアのための音楽を取り入れる試みも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

子育て世代、高齢者、障がい者など多様な人々が1人でもふらりと立ち寄るのもよし、グループで集う場所として利用することもできる(写真提供/那須まちづくり広場)

子育て世代、高齢者、障がい者など多様な人々が1人でもふらりと立ち寄るのもよし、グループで集う場所として利用することもできる(写真提供/那須まちづくり広場)

屋上に太陽光発電設備を設置し、環境共生・防災時の備えにも取り組んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

屋上に太陽光発電設備を設置し、環境共生・防災時の備えにも取り組んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

住民自身が担い手になることで、暮らしはもっと豊かになる

さらに重視しているのが、地域住民が当事者であること。
例えば、カフェで料理をしてくれるのは、地域に住む方々。料理自慢が通常営業のほかにも、例えば毎週木曜日はワンプレートで雑穀ごはんと6種の惣菜をのせた木曜ランチの日、月に1回はタイカレーの日と、それぞれその日に料理を担当する人の事情に合わせたメニュー構成に。お菓子づくり名人によるオリジナルケーキはかなりの評判だそう。

「自身の“得意”と“時間”を提供していただいています。こうした“場”があることで、みなさんの才能を掘り起こすことができました。自分のお店をオープンするのはハードルが高いけれど、ここでなら自分のできる範囲で才能を発揮できる。それをマッチングさせるのが私たちの役目ですね」(近山さん)

カフェで働くのは地元の主婦の方々ばかり。「スタッフはすぐに集まって、スタートすることができました」(鏑木さん)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

カフェで働くのは地元の主婦の方々ばかり。「スタッフはすぐに集まって、スタートすることができました」(鏑木さん)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

アート、音楽、映像などの多種多様な講座が行われるプログラム「楽校」は、地域の人たちが先生役となることも少なくない(画像提供/那須まちづくり広場)

アート、音楽、映像などの多種多様な講座が行われるプログラム「楽校」は、地域の人たちが先生役となることも少なくない(画像提供/那須まちづくり広場)

住民自ら街づくりに参画する取り組みは、現在進行形の街づくりプロジェクトでも実践中。ワークショップの「人生100年・まちづくりの会」は住民参加型。街にどんな機能が必要か意見交換をしたり、住む、働く、食べるといったテーマ別でアイデア出しをしたり。さらには、自治体や介護の分野で注目されている「誰もが従業員で経営者」という働き方「ワーカーズコープ」の勉強会も開かれている。

「また、これからできるサ高住は暮らしたいと思う人のコミュニティづくりからスタート。中の設計も自由にカスタマイズ可能など、高齢者向けのコーポラティブ住宅のような取り組みをしています」(近山さん)

「人生100年・まちづくりの会」の様子。「参加者には移住された方が多いですね。最近はオンラインによる参加の方もいます」(近山さん)(画像提供/那須まちづくり広場)

「人生100年・まちづくりの会」の様子。「参加者には移住された方が多いですね。最近はオンラインによる参加の方もいます」(近山さん)(画像提供/那須まちづくり広場)

超高齢化社会の受け皿をワンストップで集約させるべく計画中

今後の課題、目標として「那須まちづくり広場」が掲げるのが「地域包括ケアの推進」だ。
自立型のサ高住、通所型のデイケアサービス、24時間対応の訪問介護サービス、看取り対応の高齢者住宅など、あらゆるニーズに対応する機能をワンストップに集約させる計画となっている。
「積極的に治療せず病院からの退院を余儀なくされるケース、病院で死にたくないけれど自宅介護は困難なケースなど、医療難民、介護難民となる人は多い。そうした局面での受け皿となる場所を目指しています」(鏑木さん)
そのためには現状で足りないものを優先。「例えば、今回の計画にはいわゆる通常の保育所はありませんが、障がい者児童向けの放課後デイケアサービスはあります。周辺地域に十分足りている施設については、あえて入れていないんです」(近山さん)

那須まちづくり広場2022年の完成予想パース。校舎やプールを改修、校庭に新たにサ高住を供給。全体で事業化することでコスト課題を解消する予定(画像提供/那須まちづくり広場)

那須まちづくり広場2022年の完成予想パース。校舎やプールを改修、校庭に新たにサ高住を供給。全体で事業化することでコスト課題を解消する予定(画像提供/那須まちづくり広場)

さらに「福祉の産直」も狙っている。
「サ高住含め、住戸100戸を供給予定。そのスケールメリットを活かして、地域の雇用を生み出すことができ、経済を活性化させていくことも目標です」(鏑木さん)
合わせて住宅の確保が困難な方向けのセーフティネット住宅や低価格の簡易宿泊所も併設。ここで暮らしながら、介護を勉強、資格を取得し、生活を立て直すこともできる。
「例えば、簡易宿泊所に泊まりながら、質のいいリハビリやヘルパーの研修プログラムに参加することも。目指すのは、福祉の産直と地消地産。社会的弱者と呼ばれる人たちの経済的、精神的自立を図ることも大きな目標のひとつです」(近山さん)

フロアマップ予想図。セーフティネット住宅には、住宅の確保が困難な高齢者、障がい者、子育て世代、外国人向けの住宅。また、移住、定住前のお試し住居として利用できる予定。サ高住の居室は1坪当たり約110万円で検討中(画像提供/那須まちづくり広場)

フロアマップ予想図。セーフティネット住宅には、住宅の確保が困難な高齢者、障がい者、子育て世代、外国人向けの住宅。また、移住、定住前のお試し住居として利用できる予定。サ高住の居室は1坪当たり約110万円で検討中(画像提供/那須まちづくり広場)

那須まちづくり代表の近山さん(左)と鏑木さん(右)。「我々が目指すのは地産地消ならぬ、地消地産。地域で消費するものをなるべく自分たちで生み出していくことが目標。理念を可視化するために、実践しながら共有していく。そのための”場”がここなんです」(近山さん)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

那須まちづくり代表の近山さん(左)と鏑木さん(右)。「我々が目指すのは地産地消ならぬ、地消地産。地域で消費するものをなるべく自分たちで生み出していくことが目標。理念を可視化するために、実践しながら共有していく。そのための”場”がここなんです」(近山さん)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

生きる、働く、そして死ぬことーーあらゆる局面で必要となる場を含んだまちづくりは、高齢化社会が加速する日本においては急務の課題。その舞台として、かつてコミュニティの場であった学校の跡地を利用するのは他の自治体でも挑戦可能な手段といえる。今後の「那須まちづくり広場」の挑戦をウォッチしていきたい。

●取材協力
那須まちづくり広場
MINSURU[みんする] :那須まちづくり広場・事業構想プロジェクト

副業・多拠点生活・田舎暮らし、会社員でもやりたいことはあきらめない! 私のクラシゴト改革4

民間気象会社に勤めながら副業でカメラマンの仕事をしつつ、東京・京都・香川での3拠点生活を実現している其田有輝也(そのだ・ゆきや)さん。最初から柔軟な働き方が可能な職場だったのかと思いきや、其田さんの入社時点では、副業自体が認められていない環境だったそう。其田さんはどのように会社を説得し、現在の働き方・暮らし方を手に入れたのか?連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今、私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。副業を認めてもらうために、入社一年目で会社と交渉

其田さんは大学生時代、フリーランスのフォトグラファーとして活動する夢があった。

一年間休学して世界を旅しながら写真を撮ったり、ファミリーフォトやウェディングフォトの仕事を請けるなどして、独立の可能性を探っていた。しかし、単価の低い仕事を多く受けるスタイルから抜け出せず、フリーランスへの道は断念。卒業後は、大学で学んだ気象予報の知識を活かせる民間気象予報会社に就職した。

プロモーション関連の部署を希望していたものの、配属されたのは希望とは異なる部署。其田さんは、「これでは自分のやりたいことが全然できない生活になってしまう」と感じ、副業でフォトグラファーの仕事を始めることを思い立つ。

当時、其田さんの会社では、副業は認められていなかった。しかし、其田さんは諦めることなく、約半年かけて交渉を重ねた末、会社に副業を認めてもらったのだ。一体どのように会社を説得したのだろうか?

「会社で副業が認められていないからといって、社内の全ての人が反対しているわけではありませんでした。本当に大変でしたが、若手に対して柔軟な姿勢を持っていて、かつ人事系の要職に就いている方に、直接相談して、少しずつ自分の味方になってくれる人を増やしていきました」

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

其田さんは入社から2、3カ月を待たずして、会社と交渉を始める。新人の立場から会社に制度変更を訴えるのは勇気がいるはずだが、すぐに動いたのには理由があった。

「勤続年数が経ってから相談をすると、交渉のハードルがさらに高くなってしまうと思ったんです。副業で得たスキルや経験をどれぐらい会社にフィードバックできるのかを定量的に示さなければ、認めてもらえない気がして。でも一年目なら、そこまでシビアな要求はされないのではと思い、早めに行動しました」

それでも、説得する際には、副業で得られるスキルを会社に還元できる旨を、会社側にはっきりと伝えたという。

「副業を始めてしばらく経ってから、気象予報士のキャスター名鑑作成の仕事や顧客Webサイトのデザインリニューアルを任せてもらったんです。キャスターの写真撮影にも、冊子やWebサイトのデザインにも、副業で得られたスキルが活きています。『副業は本業にも役に立つ』と口で言うだけでなく、少しずつ地道に行動で示したことで、会社の信頼を獲得してこれたのではないかと思います」

コロナ禍で分かった、会社員でいることの価値

其田さんのInstagramやnote、TwitterなどSNSのフォロワー数の合計は約5万人。カメラメーカーのキヤノンや定額住み放題サービスのHafH、バンシェアのCarstayのプロモーションを請け負うなど、フォトグラファーとしての活動の場を広げている。撮影するだけでなく、SNSでの発信に力を入れたり、自分のWebサイトを検索サイトの検索結果で上位表示させるなどの努力も地道に重ねてきた結果だ。

キヤノンのプロモーションに利用した写真(写真提供/其田さん)

キヤノンのプロモーションに利用した写真(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

これだけの実力があるならば、会社員を辞めて、フリーランスになったとしても十分にやっていけそうだ。しかし其田さんは、「自分は副業としてフォトグラファーの仕事をすることが独自化や差別化、リスクヘッジになると思っています」と強調する。

「副業を始めたてのころは、外国人観光客の写真を撮る仕事を中心に手掛けていたんですが、その仕事はコロナ禍の影響でほとんどゼロになってしまいました。今は企業からプロモーションの仕事をいただけるようになったので、副業の収入は徐々に回復していますが、もし会社員でなかったら一時的に収入がゼロになっていたことを思うと、やっぱり会社員をやっていてよかったと思います」

収入だけでなく、メンタルの面でも、副業のメリットは大きいという。

「平日に通勤して、土日に副業をしていると、休みがないので体がきつくなることもあります。でも、副業は好きなことなので、どんなに忙しくても精神的な辛さはないですね。会社でストレスを感じる出来事があったとしても、副業でリフレッシュできるので、心のバランスを保つ上でも、副業は効果があるなと感じました。ただ、自己管理がちゃんとできていないと体調を崩してしまい、会社や取引先に迷惑をかけてしまうこともあり得るので、その点には注意が必要です」

築100年の古民家を購入。東京・京都・香川の多拠点生活へ

もともと、東京と京都を拠点にフォトグラファーとして活動していた其田さん。コロナ禍によりテレワークが認められると、同じくフォトグラファーとして働く妻が暮らしている香川県高松市を含めた、3拠点での暮らしを始めた。

(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

其田さんが利用している、HafH加盟ホステルのWeBase高松(写真提供/其田さん)

其田さんが利用している、HafH加盟ホステルのWeBase高松(写真提供/其田さん)

HafHに加盟しているNINIROOM(京都)ラウンジでテレワーク中の其田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

HafHに加盟しているNINIROOM(京都)ラウンジでテレワーク中の其田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ところが、其田さんが始めたのはただの多拠点生活ではない。香川県でも街の中心部ではなく、田舎の築100年の古民家を購入し、田舎暮らしも同時に実現しようとしている。

仕事や暮らしに効率を求めるなら、拠点の場所は駅近がベストなはず。其田さんはなぜ、都心から遠く、しかも駅からも離れた場所に3拠点目を構えたのだろうか?

「都会でずっといそがしく働いていると、心がすり減ってしまう気がして。でも、田舎だけだと副業の単価がどうしても低くなってしまいがち。田舎と都会を行き来することで、心のバランスだけでなく、収入のバランスも保っていけるのではないかと考えました」

新たに物件を所有する場合、固定資産税や光熱費などの費用が発生する。多拠点生活において、こうした固定費は重くのしかかってくるのではないだろうか?

「香川県の古民家は、シェアハウスやゲストハウスとしての運営を視野に入れています。せめてランニングコストだけでも利用者と分担しあえる仕組みをつくれば、この暮らしを長く続けていけるのではないかと考えました。妻が現在もシェアハウスの経営をしているので、そのノウハウも活かしながら力を合わせてやっていければ。また、こんな変わった物件には、自分たちと共通する価値観を持った人たちが訪れてくれると思っています。ここで新しいコミュニティが生まれると思うと、今からすごく楽しみですね」

其田さん夫妻が自らの手でリノベーションを進めている香川県の古民家(写真提供/其田さん)

其田さん夫妻が自らの手でリノベーションを進めている香川県の古民家(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

コロナ禍が追い風となって実現した現在の暮らしのメリットを、其田さんは次のように語る。

「時間を柔軟に使えることですね。以前は週5日出勤しなければならなかったので、地方へ出られるのは週末だけでした。でも今は、テレワークで会社の仕事をした後、すぐに副業やリノベーションの作業に移れます。1日の時間を無駄なく使えるようになり、この一年でガラッと生活は変わったなと感じています」

古民家の屋根を瓦から鉄の板に張り替える作業をしている。「これを土日だけやって東京と行き来していたら、全然終わらないんですよ(笑)。移動時間を挟まずに作業に取りかかれるから、働きながらリノベーションができるんです」(写真提供/其田さん)

古民家の屋根を瓦から鉄の板に張り替える作業をしている。「これを土日だけやって東京と行き来していたら、全然終わらないんですよ(笑)。移動時間を挟まずに作業に取りかかれるから、働きながらリノベーションができるんです」(写真提供/其田さん)

会社員をしながら、どこまでやりたいことをできるか挑戦中

フォトグラファーとしての副業、多拠点生活、田舎暮らし……と、次々と新しい挑戦をしてきた其田さん。今後については、「会社員をしつつ、地道にコツコツどこまでやりたいことを実現できるのか挑戦してみたい」と、意気込みを語る。

「今は働き方の選択肢が増えただけに、今後のキャリアについて悩んでいる方は多いと思うんです。そんな中で自分は、会社員とフリーランスを組み合わせながら新しいことに挑戦しつつ、テレワークや複業、多拠点の魅力を自身のSNSやメディアを通じて発信していきたいですね。もちろん、大変なことや辛いことも本当にたくさんあります。大切なのは諦めずに少しずつ前に進むこと。ちいさくはやく、行動に移すことが大切だと感じています。自分もまだ、もがきつつチャレンジしているフェーズなので、こんなやり方もあるんだと面白がってもらえたらうれしいです」

自分のやりたいことに向かって臆せず前進し続ける其田さん。その背中は、働き方や暮らし方に迷う私たちに、「会社員だからって、やりたいことをあきらめる必要なんてない」と、語りかけているように見える。

拠点の一つ、京都の東山での写真撮影をしている様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

拠点の一つ、京都の東山での写真撮影をしている様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

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親子ワーケーションで旅も働き方も自由に! 子どもの成長にも変化 私のクラシゴト改革3

いま注目を集めている、働きながら旅をする「ワーケーション(ワーク+バケーションの造語)」。それを子ども連れで実践している、フリー編集者の児玉真悠子さんにお話を伺った。子どもたちの思わぬ反応もあったようで・・・・・・。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。仕事をしながら暮らすように旅ができる。山口県萩の10日間

とにかく旅好きな児玉さん。しかし出産、育児でなかなか旅行ができない状態が続き、もやもやしていたそう。
「そもそも、夫と長期休暇が合わず、子ども2人を連れての家族旅行は、スケジュール調整だけでひと苦労。結局、PCを持ち込んで旅先で仕事をしていました」
そんな時、山口県の萩市から、所属する一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会宛に、“ワーケーションを自ら実践してパンフレットをつくってほしい”という依頼が。“子連れなら行けます”と返答したのが、親子ワーケーションを意識した最初だった。

そして昨年の夏に、当時小5の息子と小1の娘を連れ、山口県萩市で10日間過ごすワーケーションの旅に。日中は子どもと遊び、早朝や夜は集中的に仕事。4日目で夫が合流すると、子どもの見守りを分担した。
「とにかく予定を詰め込みがちな通常の旅行と違い、腰を落ち着けてその土地で生活する楽しさがありました。萩市は吉田松陰や高杉晋作など明治維新の立役者の生家が徒歩圏内なんです。感動しましたね。場所の力に刺激を受け、夫と今後についてゆっくり話し合う時間もありました。ああ、こういう過ごし方もありなんだと発見でした」

ただし、正直、子どもが同じ場にいながらの仕事は困難も。外に連れ出す際は、私も同行しなければならず、フルには稼働できないジレンマもあったそう。

萩市のお試し暮らし住宅(#梅ちゃんち)に10日間1万円で滞在。古民家だが、中はリノベーション済みで快適(画像提供/児玉さん)

萩市のお試し暮らし住宅(#梅ちゃんち)に10日間1万円で滞在。古民家だが、中はリノベーション済みで快適(画像提供/児玉さん)

吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作などの生家、世界遺産の松下村塾など名所が街のあちこちに(画像提供/児玉さん)

吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作などの生家、世界遺産の松下村塾など名所が街のあちこちに(画像提供/児玉さん)

メール返信や、アイデア出し、情報収集といった仕事は、児童館の横のスペースがぴったり(画像提供/児玉さん)

メール返信や、アイデア出し、情報収集といった仕事は、児童館の横のスペースがぴったり(画像提供/児玉さん)

子どもを地元の小学校に通わせつつ、長崎県五島列島でワーケーション

その課題から、2度目の親子ワーケーション先として選んだのは、子どもたちが地元の小学校に通える長崎県五島市のプログラム「GOTO Workation Challenge 2020」。

「最初は、島に行くことに子どもたちは不安だったみたいです。娘は『東京に戻ってきたら、習っていない漢字があるのが不安』って泣いてしまったので、『大丈夫だよ、事前に先生に何を習うか聞いておくから』と安心させました。一方、息子の第一声は『そこって、Wi-Fiある?』。デジタルネイティブだな~と思いました(笑)」

当初は不安だった2人も、入学初日で「楽しかった!」とイキイキとした表情で帰ってきたそう。「『掃除の仕方が違ってた』『牛乳がびんじゃなくて紙パックだった』『給食にくじらの肉が出たよ』とか、たくさん話してくれました。娘はあやとりが好きなのですが、島の子とつくる作品が違っていたみたいで、お互いに“すごいね”って言いあいながら仲良くなったようでした」

地元の小学校へ登校する2人。「ドキドキ、不安だったのは初日だけ。日に日に登校時の表情が明るくなって、短期間でも子どもたちの成長を感じました」(画像提供/児玉さん)

地元の小学校へ登校する2人。「ドキドキ、不安だったのは初日だけ。日に日に登校時の表情が明るくなって、短期間でも子どもたちの成長を感じました」(画像提供/児玉さん)

地元の子どもたちがくれた、お手製の観光ガイトの小冊子(画像提供/児玉さん)

地元の子どもたちがくれた、お手製の観光ガイトの小冊子(画像提供/児玉さん)

最後に色紙をくれたのもいい思い出に。「子どもたちの関係は本当にフラットで、すぐ仲良くなれるのはすごいなぁと思いました」(画像提供/児玉さん)

最後に色紙をくれたのもいい思い出に。「子どもたちの関係は本当にフラットで、すぐ仲良くなれるのはすごいなぁと思いました」(画像提供/児玉さん)

五島市では1階にコワーキングスペースが併設されているホテルに宿泊。「子どもが学校に行っている間は東京と同じように仕事ができました」(画像提供/児玉さん)

五島市では1階にコワーキングスペースが併設されているホテルに宿泊。「子どもが学校に行っている間は東京と同じように仕事ができました」(画像提供/児玉さん)

知らない世界に飛びこむアウェイ体験は、将来の生きる力に

「一番、印象的だったのが、息子が『まるで、違う人の人生を生きたみたいだった』と言ったこと。また、『いろんな教え方をする先生がいるんだ』とか、『どっちの学校も面白いことと、そうじゃないことがある』って気付けたようで、どこか自分自身を俯瞰で見るような、貴重な体験ができたみたいです。子どもの世界ってどうしても狭くなりがち。でも、いつもの学校とは違う”パラレル”な世界をちょっとだけ経験したことで、自分が所属している社会がすべてじゃないと知ったよう。この体験は、子どもたちが今後何かでつまずいたときに、生きる力になるんじゃないかと思います」

五島市のプログラムに参加していた子どもたちと。「こうして子どもたちに地縁のある場所をひとつずつ増やしていきたいです」(画像提供/児玉さん)

五島市のプログラムに参加していた子どもたちと。「こうして子どもたちに地縁のある場所をひとつずつ増やしていきたいです」(画像提供/児玉さん)

児玉さんが子どもたちに体験入学をさせたかった理由は、ご自身の子どものころの体験が大きい。
「私は親の仕事の都合で転校が多く、ドイツやフランスで過ごしたことも。そこでは既存のコミュニティの輪の中に飛び込まないといけず、いろんなことに挑戦しなきゃいけなかった。でも、それって社会人になれば当たり前のことですよね。異世界での刺激が自分を成長させてくれたと思うから、子どもたちにも、そうしたアウェイ経験をさせてみたかったんです」

コワーキングスペースの片隅でゲーム中。「東京の友達とオンラインゲームで遊んでいました。今は離れていてもこうやってつながることができるのもいいですね」(画像提供/児玉さん)

コワーキングスペースの片隅でゲーム中。「東京の友達とオンラインゲームで遊んでいました。今は離れていてもこうやってつながることができるのもいいですね」(画像提供/児玉さん)

会社員でもテレワークが浸透。ワーケーションや二拠点暮らしも視野に

今年秋には、ワーケーションのモニターとして、栃木県那珂川町で2泊3日、下の娘さんを連れて滞在。地元の小学校で体育の授業を一緒に受けたり、川遊び、そば打ち体験、竹細工づくり、栗拾いをしたり、普段とは違う刺激を受けたようだ

「娘は栃木で、子どもを預かってくれた地元のスタッフさんと昔遊びをしたのがすごく楽しかったようで、『もっと森とか川が近くにある場所に住みたい』って言っていました。そんなふうに、小さい時から、自分にフィットする環境を意識することは大切だと思います。そんな娘のために、これからは山で暮らす機会を増やしてあげたいです。こうした経験の積み重ねが、将来、都市以外で暮らす選択肢にもなるのではないかと。それこそ、職業選択の幅も広がると思っています」

もちろん、こうした長期のワーケーションができるのも、児玉さんがフリーランスだからだが、コロナ禍の影響でテレワークが増え、会社員でも可能な選択になっているといえるだろう。
「実際、かつては毎日出社していた会社員の夫も、現在はほぼリモート。東京から離れて暮らすのも全然アリだと言っています。ただ、私は実家が都内にあり、東京の住まいをなくすことは考えていません。ゆくゆくは二拠点暮らしができたらいいね、と夫と話しています」

民家の庭先で栗拾い中。「モニターに参加した同級生の男の子ともすっかり仲良しに。今回、初めて合ったとは思えないくらい!」(画像提供/児玉さん)

民家の庭先で栗拾い中。「モニターに参加した同級生の男の子ともすっかり仲良しに。今回、初めて合ったとは思えないくらい!」(画像提供/児玉さん)

観光マインドからひとつ抜け出すことがワーケーション浸透のカギ

現在、ワーケーションに関するモニター参加や、ワーケーションに関するイベントなどを通して、ワーケーションを推進したい自治体の関係者とも話をする機会の多い児玉さん。課題は何だろうか。

「受け入れ側がまだ観光マインドが抜けないことが大きいですね。例えば、オフシーズンの夏のスキーゲレンデを訪れた時、『このゲレンデの芝を滑って遊べたら、子どもたちがすごく喜びそうだし、このスキー場内の施設で仕事ができたらいいですね。Wi-Fiがあって、見守りしてくれる大人がいたら、みんな来たいですよ』と言ったら、『そんなのでいいのですか』と言われました。地域を観光資源としてだけ見ていて、生活する上での何気ない魅力に気が付いていない人が多いんです。ほかにも、子ども向けの地元のワークショップが、親も参加がマストならワーケーションには向かないけれど、●歳以上は子どもだけの参加でOKとか、親子が別々に過ごせる時間がつくれるならワーケーション向きになります。ワーケーション先を探すとき、今は親がそれぞれ自分で生活環境や子どもの受け入れについて情報収集をしていますが、受け入れる自治体が親子向けのワーケーション先としての魅力を発信するだけでも違ってくるんじゃないでしょうか」

ビジネス系出版社の書籍編集者から、2014年に編集者・ライターとして独立。一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の「フリパラ編集部」、地方創生チームに所属。親子向けワーケーションの普及に向けて、企画や発信を行う事業を展開。現在、小6男児、小2女児の母。夫もマスコミ勤務。写真は10月に参加した兵庫県新温泉町のワーケーション視察後に訪れた鳥取砂丘にて(写真提供/児玉さん)

ビジネス系出版社の書籍編集者から、2014年に編集者・ライターとして独立。一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の「フリパラ編集部」、地方創生チームに所属。親子向けワーケーションの普及に向けて、企画や発信を行う事業を展開。現在、小6男児、小2女児の母。夫もマスコミ勤務。写真は10月に参加した兵庫県新温泉町のワーケーション視察後に訪れた鳥取砂丘にて(写真提供/児玉さん)

子どもがいるから、仕事があるから、と旅がままならない人たちも、テレワークの浸透で働き方はぐっと自由に。実は、思春期になる前の小学生の時期は、乳幼児ほど目が離せないわけではなく、ワーケーションや二拠点生活に向いている。
また、ワーケーションとひとくくりにしても、仕事重視か、休暇重視かで滞在場所や期間も変わる。“プライベートの旅行のときに仕事を持っていく”という段階からひとつ超えた、新たな旅のスタイル、働き方の広がりに期待したい。

●取材協力
・萩市お試し暮らし住宅(#梅ちゃんち)
・「GOTO WORKATION CHALLENGE 2020」
・創生なかがわ株式会社

ドローンが離島にアイスを運ぶ!未来を変えるドローン活用の最前線を追いかけた

コロナ禍による巣ごもり需要を受け、宅配サービスはどこも大忙し。しかし、コロナ以前からネットショッピングの急成長や人材不足などで、物流サービスは悲鳴を上げていました。
こうした状況下において、ネットショッピングなど、70以上の事業を展開する楽天が、約4年前からドローンを使った新しい物流サービスの構築・提供を試みています。将来、場所を問わず荷物をすぐに受け取れるようになれば、私たちはますます住む場所を自由に選べるようになります。どのようなサービスなのか、楽天のドローン・UGV事業部のジェネラルマネージャー向井秀明さんに伺いました。
7年後には配送ドライバーが24万人も不足する!?

「ハーゲンダッツのアイスクリームを、猿島で食べられるとは思わなかった」。
これは神奈川県横須賀市にある離島の「猿島」において、2019年7月~9月に提供されたドローン配送サービスで、利用者から思わず出た言葉です。この時のサービス内容は、猿島のバーベキュー場を訪れた人が専用アプリで注文すると、海の向こうおよそ1.5km先にある横須賀市の西友からドローンを使って商品を届けるというもの。通常西友から猿島までは船で30分ほどかかりますが、ドローンならおよそ10分で配達完了。配送料は500円ですが、品物の価格は店頭と変わらず、数人分の買い物を同時に済ませられると考えれば、あっという間に元はとれます。例えばバーベキューに必要な焼き肉のタレを「忘れた!」なんてときも諦めずにすみ、あるいは往復1時間以上かけて定期船で買いに行く必要もなくなります。溶けやすいアイスクリームも、ドローンで買い物ができるなら、離島で食後に美味しく食べることができます。

実はこうしたドローンの実証実験は、国を挙げての取り組みとして注目されているのです。その大きな理由は、数年前から顕在化してきた「物流クライシス」であると向井さんは言います。
「2010年の時点では約7.8兆円だったネットショッピング市場は、2019年には約19兆円と、約2.4倍の規模に成長しています。一方で少子高齢化や、労働環境による不人気からドライバー不足が問題になっていて、ある調査では2027年には配送ドライバーが24万人不足すると指摘されています」(楽天・向井さん)

こうした課題を解決するために、国は、官民協議会の「過疎地域等におけるドローン物流ビジネスモデル検討会」を設置。また経済産業省はドローン物流をスムーズに実現するために欠かせない技術推進や法的整備について話し合う官民協議会「小型無人機に係る環境整備に向けた官民協議会」において、ロードマップを作成。その2020年版「空の産業革命に向けたロードマップ2020~我が国の社会的課題の解決に貢献するドローンの実現~」では、「2022年以降に有人地帯での目視外飛行(レベル4)を目指す」としています。

国を挙げてドローン活用へと向かう現在、物流クライシスはネットショッピング事業の成長に向けて解決すべき課題です。

「ドローンのようなイノベーションを利活用して物流クライシスを解決しようと考えたのです。こうしてドローン事業が立ち上がりました。主要な目標は、物流クライシスの回避と、地域エンパワーメントです。また、3つのミッションを掲げています。

1. こんな所に荷物が届く、という新たな利便性の提供
2. 物流困難者(買い物弱者)の支援
3. 緊急時の物流インフラの構築

我々はネットショッピング事業者として、ドローンを活用した物流サービスをパッケージ化し、民間企業や自治体等に提供することを目標に掲げています」(同)

誰でもすぐに扱えるドローン物流サービスを目指す

では、同社が挑んでいる「ドローンを活用した物流サービス」とはどんなものなのでしょうか。まず使用するドローンを見てみましょう。

「ドローンというと「操縦が難しそう」と思う人もいると思いますが、使用しているドローンは完全自律飛行タイプです。飛行開始ボタンを押せば、設定した飛行ルートをドローンが自動で飛行してくれます。メーカーと連携しながら、実証実験を通してさまざまな改善を図っていき将来的には、ボタン一つで誰でもすぐにドローンを飛ばせるサービスにすることを目指しています」(同)

猿島での飛行の様子。現在楽天は最大積載量2kgの小型機と、同5kgの大型機を使用している(写真提供/楽天)

猿島での飛行の様子。現在楽天は最大積載量2kgの小型機と、同5kgの大型機を使用している(写真提供/楽天)

「完全自律飛行をするためには、配送する側には飛行ルートを設定しドローンにその情報を与えるシステムがなくてはなりません。また、配送してもらう側にはスマートフォンで簡単に注文できるアプリが必要です。こうしたドローン配送に必要なソフトウェアやアプリ等も我々楽天で開発しています。

サービス開始の際には、着陸地点の設定などを運用者が任意に定めることを想定しています。楽天はリモート会議や遠隔操作などを通してサポートし、運行状況はリアルタイムで楽天側でも確認できます」(同)

これが楽天の考えているドローンを活用した物流サービスの概要です。従来の物流とくらべて遙かに人手がかからず、またドローンが離着陸できる場所さえあればどこでも荷物を運ぶことができます。

「ドローンを活用したオンデマンド配送はお客様が希望する時間と場所にピンポイントで荷物を届けることができるようになります。配送時間が約10~20分程度の短時間であれば、昨今のオンラインデリバリーサービスの様に、お客様が荷物の到着を待つことを考えると、再配達の心配もグッと減ることが考えられます」(同)

標高2800mへも、家の前の畑へも荷物が届く

冒頭で紹介した神奈川県横須賀市の猿島の他にも、これまでに同社では全国13県で、さまざまな利用シーンを想定して実証実験やサービス提供を行っています。例えば2020年9月には長野県白馬村において、山小屋への物資配送の実験が行われました。

白馬村での実証実験の様子(写真提供/楽天)

白馬村での実証実験の様子(写真提供/楽天)

離陸地点は麓の登山口、標高1250m地点にある「猿倉荘」。届け先である「白馬山荘」は標高2832mと、標高差は約1600mもありましたが、国内で初めてドローン配送に成功しました。人が山を登って運ぶと片道・約7時間かかるところを、わずか15分で5kgの物資を届けることができたのです。

白馬山荘までの登山ルート(写真提供/楽天)

白馬山荘までの登山ルート(写真提供/楽天)

また2020年2月には、岩手県下閉伊郡岩泉町において、買い物弱者の支援や、災害対策など緊急時の実用化を目的とした実験を行いました。過疎地と高齢化が進んでいる地域ですが、実験を通して、同様の問題を抱える地域でのドローン配送サービスが成り立つということが分かりました。

「地域によっては、ドローンの離着陸の場所として公民館の駐車場などを活用していましたが、例えば家の前の畑などを利用できれば、住民が荷物を受取に公民館等へ出掛けなくてもすみます。ドローンが活用されれば、高齢者も買い物に困らずに済むと考えています。
また同町は2016年に台風による豪雨で甚大な被害を受けたことのある地域ですが、そのような災害時でも緊急物資をドローン配送できることを目指しています」(同)

機体の安全性向上が今後の課題

一方で、まだ新しい技術・サービスですから課題もあります。
「まず一つの課題は、バッテリー容量と飛行距離です。現在のバッテリー性能では、約5kgの荷物を搭載すると、飛行距離は片道約5km程度。物流サービスの一翼を担うには、片道20kmは飛びたいところです。もう一つの課題は、機体の信頼性です。飛行機やヘリコプターのように、ドローンが日常で人々の上空を飛行しても安全かどうか、という点です。もちろん年々機体の信頼性は高まってきていますが、まだまだ高い安全レベルを満たすための実験検証データがそろっていません。そのためこれまでの実証実験では、海や川の上、あるいは人のいない山岳部を飛んでいました。どうしても道など人のいるところを横切らなければならない場合は、第三者の侵入を防ぐなどさまざまな対策を講じています。今後、人々が暮らす上をドローンが飛んでも、決して落下しないという安全性が確認できることもドローン配送サービスを拡大するうえで重要となってきます。機体の信頼性が向上すれば、飛行機やヘリコプターのように人や住宅の上を飛べるようになるでしょう。

楽天は、これまでの実証実験の通り、人の上空を飛ばさずに範囲を限定することでドローン配送の実証やサービスを重ねてきています。こうした実験の成功を着実に積み重ねることが、他企業の機体開発参入など、機体の進化を促すことに繋がるのではないでしょうか」(同)

ドローンを使った物流サービスが、地方や世界を助ける日

「オペレーションの仕組みなどは、将来的にはパソコンが使えて、運行前の点検が出来る人が扱えるレベルでの実装を目指しています。ただ高齢化の進む過疎地域では、やはりパソコンやドローンの扱いに不慣れな人が多いと思います。そのためにも、地域人材の育成が重要だと考えています。できれば、IoTなど先端技術に明るい、若い人に担ってもらうことが理想です。若い人が過疎地で地域人材として活躍すれば、その地域も活性化され、ひいては、その地域への移住者が増えるかもしれません」(同)

このように地方創生の可能性も秘めた「ドローンを使った新しい物流サービス」。同社は実際にサービスを開始する時期の目標を、「2021年」を目途として定めています。楽天はドローン配送というソリューションを各地域と連携しながら展開し、「ドローンが当たり前のように飛んでいる社会をつくっていきたい」とコメントしています。

さらに同社は、その先も見ています。「猿島のような活用法は、法律などさまざまな事を鑑みなくてはいけないが、例えば離島の多いフィリピンでも応用・転用できると考えています。世界には離島も山岳地帯も、交通網の貧弱な地域も、たくさんあります」(同)

近い将来、世界各地でドローンの実用が始まった際、国内・国外に同社のソリューションを提供するというビジョンのためにも「まずは日本で、きちんとカタチにしたい」と向井さん。日本中のさまざまな地域で、この恩恵を受けられる日が来るのは、そう遠くないようです。

商店街やスナックに泊まる!? ホテルが懐かしのまちの風景を守る

古き良き街の景色が惜しまれつつもなくなる一方、空家化やシャッター街化が問題になっている昨今。そんな問題を解決し、新たな価値を生み出す試みが、あちこちで始まっている。商店街にある空家やスナック街にあるビルをホテルとしてリノベーション、そこから地域を元気にしたい。大阪と青森に始まった、そんなムーブメントを紹介しよう。
コンセプトは「旅先の日常に飛び込もう」。コミュニケーションを楽しむ「SEKAI HOTEL」

布施駅(大阪府東大阪市)から商店街を歩きながら、「SEKAI HOTEL」を探していた。「あれ、このへんのハズだけど」と一度スルー。そして、来た道を戻ると、開口部がどーんと広がったカフェのようなホテルを発見した。でも、上の看板はリノベーションする前の「Ladies shop キヨシマ」のまま。だから、見逃したのか!

「そう。ここは以前、婦人服店だったんです。『SEKAI HOTEL』は、看板は昔のまま、店舗部分だけリノベーションしています」と、「SEKAI HOTEL」を経営するクジラ株式会社の三谷昂輝さん。

「地域とつながりたいから」と、大きな開口部を設けた「SEKAI HOTEL」のフロント。町工場をコンセプトに、照明など東大阪のプロダクトを採用し、インダストリアルな雰囲気に。カフェ&バーの営業時間は13~22時(写真撮影/出合コウ介)

「地域とつながりたいから」と、大きな開口部を設けた「SEKAI HOTEL」のフロント。町工場をコンセプトに、照明など東大阪のプロダクトを採用し、インダストリアルな雰囲気に。カフェ&バーの営業時間は13~22時(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「SEKAI HOTEL」は、大阪の下町・布施商店街のいくつかの空家をリノベーション。フロントをベースに、商店街のアチコチに6棟の宿泊施設が点在する「まちごとホテル」だ。まずゲストはフロントでチェックイン(現在は3密回避のため、客室にてチェックイン)。ガイドが商店街を案内しながら、宿泊棟へと案内してくれる。宿泊時に渡される「食べ歩きチケット」を使えば、商店街のお店で商品と交換(食べ歩きチケット付きのプランでの予約が必要)。「ああ、SEKAI HOTELに泊まっているのね」と気さくに声をかけてくれるので、会話も弾む。そう。このホテルの「宿泊」はサイドメニュー。メインディッシュは「コミュニケーションを楽しむ」なのだ。

商店街の中に、宿泊棟N2~5が連なる。ちなみに、NとはNext doors(隣の家)のN。N4はもともと整骨院だったが空き地になっていたのでここだけ新築。川田菓子店がN3、喫茶店モアの1階がN2、2階がN5となっている。看板は昔のママ、店舗部分だけリノベーション。商店街に馴染んでいる(写真撮影/出合コウ介)

商店街の中に、宿泊棟N2~5が連なる。ちなみに、NとはNext doors(隣の家)のN。N4はもともと整骨院だったが空き地になっていたのでここだけ新築。川田菓子店がN3、喫茶店モアの1階がN2、2階がN5となっている。看板は昔のママ、店舗部分だけリノベーション。商店街に馴染んでいる(写真撮影/出合コウ介)

取材当日、徳島出身の女性2人組がちょうど宿泊棟に案内されているところに遭遇!「社員さんのSNSでこのホテルを知りました。ローカルディープが魅力で、人とか食べ物とか行けば楽しい事がいっぱいありそうだと思って予約しました。大阪はいつも日帰りだったのに、泊まるのは今回が初めて!」とその魅力を語ってくれた。

「『SEKAI HOTEL』は西九条(大阪市)に続き、布施が2拠点目となります。西九条の時点ではまだコンセプトが固まっていなかったのですが、ゲストが来て地元を案内すると宿泊客が喜ぶ。朝食が出せないデメリットも、近くの喫茶店で食べていただくと、これまた宿泊客が喜ぶ。そこで、地元との交流が観光資源として有効だと学びました」

黒門市場といった観光地化した商店街がある一方、布施の商店街は大阪の下町の良さが残っていた。シャッター街化が進んでいるからこそ、布施に「SEKAI HOTEL」をつくることで、地域を活性化したい。そんな想いからのスタートだ。

「ホテルのフロントを立ち上げると同時に、宿泊施設として使える空店舗を探しましたが、なかなか見つかりませんでした」と三谷さん。地域外からいきなり参入したため、すんなり借りる事ができず、どうしても時間がかかった。だが、地道に地域とのつながりを深めることで交渉も進み、宿泊棟も最初の1棟から6棟に拡大。「立ち話も業務」との言葉どおり、商店街の方々ととにかくコミュニケーションをとることで、協力してもらえるようなってきた。現在では、スタッフの努力も実り、優待割引のある「SEKAI PASS」に10店舗、「朝食銭湯プラン」に2店舗+1軒、「食べ歩きプラン」に6店舗と、提携店も増えつつある。

「SEKAI HOTEL」に勤務するクジラ株式会社の三谷昂輝さん。当初は遠くに住んでいたが、「地域の人々とのつながりを大切にしたいから」と近くに引越したそう(写真撮影/出合コウ介)

「SEKAI HOTEL」に勤務するクジラ株式会社の三谷昂輝さん。当初は遠くに住んでいたが、「地域の人々とのつながりを大切にしたいから」と近くに引越したそう(写真撮影/出合コウ介)

スタッフはみな、布施マスター。「布施のことなら、私たちに聞いてください!」

「SEKAI HOTEL」に宿泊すると、付いてくるのが食べ歩きチケット(6店舗5枚)。各店舗で100円相当の商品と交換できるシステムだ。その提携店を紹介しよう。まずは、「三ツ矢蒲鉾本舗」の井上美鈴さん。「SEKAI HOTEL」オープン当初からのおつきあいだ。

レトロな雰囲気のある布施の商店街。看板に歴史を感じる(写真撮影/出合コウ介)

レトロな雰囲気のある布施の商店街。看板に歴史を感じる(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「SEKAI HOTELさんが来て2年、街が一体化して活気が出て来ました。若い学生さんや外国の方も増えましたね。そうそう。私はよくSEKAI HOTELさんに遊びに行くんですよ。スタッフさん、みんな若くていい人ばかり。お茶したり、おしゃべりしたり。ネットのこと教えてもらったり、外国人スタッフのアンネさんに英語教えてって頼んだり。すごく刺激をもらってますし、これからが楽しみです」とニコリ。

「三ツ矢蒲鉾本舗」の井上美鈴さん(写真撮影/出合コウ介)

「三ツ矢蒲鉾本舗」の井上美鈴さん(写真撮影/出合コウ介)

名物の玉ねぎ天。玉ねぎの甘さがたまらなく美味しい!一盛7個で440円がチケットなら玉ねぎ天2個と交換できる(写真撮影/出合コウ介)

名物の玉ねぎ天。玉ねぎの甘さがたまらなく美味しい!一盛7個で440円がチケットなら玉ねぎ天2個と交換できる(写真撮影/出合コウ介)

ドイツから留学で日本にやって来たアンネさん。「求人を見て応募しました。地域創生、社会に貢献しているのが気に入って。新しい試みも面白い!」と流暢な日本語で話してくれた(写真撮影/出合コウ介)

ドイツから留学で日本にやって来たアンネさん。「求人を見て応募しました。地域創生、社会に貢献しているのが気に入って。新しい試みも面白い!」と流暢な日本語で話してくれた(写真撮影/出合コウ介)

次にうかがった、鳥からあげ店「Kitchen friend怜」は、「店の名前は僕の名前から取りました(笑)」という店長・山尾怜司さん。実はお母様が30年前ここで総菜店を営んでいたという地元の方。そのお母様がつくる家庭の味・からあげが近所でも評判で、からあげのお店を開く決心をしたという。

「地元の商店街がどんどん活気を失って、このままじゃいかん、地元活性化の手助けになればという想いから、お店をオープンしました。実はSEKAI HOTELさんと提携すると、ホテルに一泊宿泊体験させていただけるのですが、扉を開けると、外観からは想像できない世界感が広がっていてびっくり。地元材を使っているのもいいなあと思いました。SEKAI HOTELさんのお客さまは、目新しさを求めてやってくる、若くてフレンドリーで明るい人が多いですね。商店街もまとまれば観光力があがる。SEKAI HOTELさんが起爆剤になってくれればと思います」

「Kitchen friend怜」の店長・山尾怜司さん(写真撮影/出合コウ介)

「Kitchen friend怜」の店長・山尾怜司さん(写真撮影/出合コウ介)

チケットを鶏皮チップスor鳥のからあげと交換。「ハーフ&ハーフも人気です。多めにサービスしておきますよ」(写真撮影/出合コウ介)

チケットを鶏皮チップスor鳥のからあげと交換。「ハーフ&ハーフも人気です。多めにサービスしておきますよ」(写真撮影/出合コウ介)

現在は、コロナの影響でゲストは少ない分、スタッフは「何かできないか」と地域の方とのコミュニケーションに軸足を置き、子ども連れに人気の「和菓子づくりプラン」、地元の人たちと仲良くなれる「飲み歩きプラン」など、商店街の方と相談しながらプランをつくっていく。最初は「布施にしては、カッコよすぎ」と敬遠されていたフロントにも、商店街の人が遊びにくるようになり、「隣のスナックのママさんがそうめんとか差し入れしてくれるんです」とスタッフもうれしそう。今後の目標は?

「地元の人がゲストに対して明るく接してくれるから、『SEKAI HOTEL』を通じて会話が広がるのがうれしい。宿泊棟数を増やしていく、というよりは、『SEKAI HOTEL』と関わる提携店をどんどん増やし、ますます活気が出てくるといいですね。最終目的は、布施の人口を増やすこと。観光地ではない布施のローカルな魅力を、もっと多くの方に知ってもらいたいです」と三谷さん。

布施の暑苦しさ(笑)=コミュニケーション、人情、そして粋な人々。そんな地域独特のオーディナリー(日常)をゲストに届けるのが、ここ布施の役目。そして、「SEKAI HOTEL」の3拠点目に予定されているのが、富山県高岡市。高岡市のどんなオーディナリー(日常)をゲストに届けるか、「SEKAI HOTEL」から目が離せない。

N3などの宿泊棟は「町工場」をコンセプトに、グレー・黒・シルバーを基調に、剥き出しの床はそのまま、無機質な素材でインダストリアルな雰囲気を演出 (写真撮影/出合コウ介)

N3などの宿泊棟は「町工場」をコンセプトに、グレー・黒・シルバーを基調に、剥き出しの床はそのまま、無機質な素材でインダストリアルな雰囲気を演出(写真撮影/出合コウ介)

ベッドとの間仕切り壁のエキスパンドメタルや照明は地元・東大阪の工場でオーダーメイドしたもの(写真撮影/出合コウ介)

ベッドとの間仕切り壁のエキスパンドメタルや照明は地元・東大阪の工場でオーダーメイドしたもの(写真撮影/出合コウ介)

ノスタルジックな泊まれるスナック街「GOOD OLD HOTEL」看板が建ち並ぶスナック。これがホテルなんて!夜は看板にライトがついて妖艶な雰囲気(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

看板が建ち並ぶスナック。これがホテルなんて!夜は看板にライトがついて妖艶な雰囲気(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

一方、青森の「GOOD OLD HOTEL」は、スナックをリノベーションした、非接触型ホテル(コロナ対応で非対面チェックインに対応)。昭和40年代の弘前市・鍛冶町に誕生したグランドパレス。バブル時代に若者が集ったこの場所も、時代とともにすっかり寂しいビルに。

「うちは大阪の不動産会社なのですが、自社で競売落札したのが、このグランドパレス。最初は使えるかどうかもわからず、ネガティブな印象しかなかったのですが、現地に行ってみると、鍛冶町は弘前市屈指の歓楽街。近くには歴史のある大正レトロなビルも立ち並び、弘前城や現代美術館『弘前れんが倉庫美術館』(2020年オープン)もすぐそば。街のポテンシャルが高い。当時民泊が盛んだった事もあり、『街に泊まる』をコンセプトに、スナックを活かしたホテルにしたら面白いんじゃないかと」(キンキエステート野村昇平さん)

「地元の人たちにも懐かしんでもらいたい」と、当時の古き良きたたずまいはそのままに、泊まれるスナック街にリノベーションした。「想い出映えする、というかノスタルジック×映える=ノスタルジェニックな時間を過ごしていただきたいと思いました」とコンセプトワークを担当した、有限会社odoru取締役中田トモエさん。外装やドア、看板はそのまま(一部除く)。青森の雰囲気が感じられる「ニューうさぎ」や「プードル」、スナック感の強い「DEN」「スナックターゲット」など、コンセプトが異なるレトロなお部屋を11室用意している。「もう文化遺産です」と中田さんは笑う。

「ニューうさぎ」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「ニューうさぎ」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「ニューうさぎ」は青森の特産品であるリンゴをイメージした内装。外観がリンゴの木っぽいような緑色なところからインスピレーションを受け、部屋の中はリンゴの実の色である赤・黄色・茶でまとめた(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「ニューうさぎ」は青森の特産品であるリンゴをイメージした内装。外観がリンゴの木っぽいような緑色なところからインスピレーションを受け、部屋の中はリンゴの実の色である赤・黄色・茶でまとめた(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「オープンは2020年7月。コロナの影響もあり、客足はまだまだ。地元の方の認知度もこれからだと思います」と、運営スタッフの木村深雪さん。今後の展望は?

「SNSでは、一夜で2万件のいいね、ツイートの反響も400件あり、若い人もレトロなスナック文化に興味を持っていることが分かりました。鍛冶町といえばスナック文化。それこそ、『SEKAI HOTEL』さんみたいに、もっと街ぐるみで連携して、このホテルに泊まる=コミュニケーションと、ハシゴ酒などをしながら、街を楽しんでもらえたらいいなと思います」(キンキエステート野村さん)

「プードル」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「プードル」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

もともとの造作が木っぽいつくりだったのと、照明が土器っぽかったので、青森にある三内丸山遺跡をイメージしたお部屋(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

もともとの造作が木っぽいつくりだったのと、照明が土器っぽかったので、青森にある三内丸山遺跡をイメージしたお部屋(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「Den」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「Den」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

スナック感が強い部屋。タバコのヤニで琥珀色になったシャンデリアがポイント(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

スナック感が強い部屋。タバコのヤニで琥珀色になったシャンデリアがポイント(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

今回紹介した、「SEKAI HOTEL」と「OLD GOOD HOTEL」は、商店街の空家やスナック街のビルをリノベーションしてホテルとして再出発。ただ、ハードの整備ももちろんだが、それ以上にスタッフとゲスト、ゲストと地域の人々、地域の人々とスタッフといった3者の「コミュニケーション」がうまくいって初めて、魅力ある街に、活気ある街へと変化していく。ハードの魅力<ソフトの魅力。その努力こそが、街の風景を守る、有効な方法ではないだろうか。

●取材協力
SEKAI HOTEL
OLD GOOD HOTEL

住民主導の「街そだて」とは?グッドデザイン受賞の幕張ベイパークを訪ねてみた

新型コロナウイルスの感染防止対策として、外出自粛やテレワークの増加など生活が大きく変化した。自宅周辺の“わが街”で過ごす時間が長くなり、街の魅力を再確認した人も多いだろう。そんな自宅周辺の街を住民自身が育てる取り組みで、2020年度のグッドデザイン賞を受賞した事例があると聞いて、訪ねてみた。
地域コミュニティにもグッドデザイン!?

グッドデザイン賞の公式ホームページによれば、「デザインによって私たちの暮らしや社会をよりよくしていくための活動」とある。特定の商品や建築物での受賞作品は数多くあるが、「地域・コミュニティづくり」のような形のないものも、「人が何らかの理想や目的を果たすために築いたものごとをデザインととらえ、その質を評価・顕彰する」のだという。

今回受賞したのは、一般社団法人幕張ベイパークエリアマネジメント(以下、B-Pam)および東京都や千葉県のデベロッパー7社だ。売り主であるデベロッパー側だけでなく、その街を拠点とする住民や店舗が主体となって「街そだて」をする仕組みが評価されての受賞となった。

ここで、受賞対象の街である「幕張ベイパーク」について説明しておこう。

JR京葉線・海浜幕張駅徒歩15分くらいの場所に、開発面積約17.5ヘクタール(東京ドーム約3.7個分)の広大な土地がある。2015年に開発事業者が決定し、ここに約4500戸の住宅及び生活するうえで必要となる商業施設や保育・教育施設、医療施設、運動施設などを、時間をかけて整備し、将来的には約1万人が暮らす街づくりの計画が立てられた。A街区とB-1~7街区の8区画に分かれ、中心に位置する楕円形の公園を取り囲むように、6棟の超高層マンションや生活関連施設が段階的に開発されていくミクストユースの街づくりを目指しているとのことである。

幕張ベイパーククロスポートに設置された模型

幕張ベイパーククロスポートに設置された模型

筆者が取材した段階では、A街区にイオンスタイルの商業施設が、B-7街区に「幕張ベイパーククロスタワー&レジデンス(497戸)」(写真手前)と保育・学童施設やコワーキングスペース、コンビニなどが、B-1街区に「ZOZOPARK HONDA FOOTBALL AREA」があり、それぞれ稼働している。B-2街区には「幕張ベイパークスカイグランドタワー(826戸)」(写真右奥)とクリニックモールやスポーツ施設などが間もなく竣工予定で、B-3街区で超高層住宅の工事が着手されたところだ。

街そだての仕組みである「B-Pam」とは?

さて、街そだての役目を担う「B-Pam」に取材するために、街の公民館のような存在という「幕張ベイパーククロスポート」を訪れた。当日はちょうど、「謎解きトレジャーハント」というイベントが開催されていた。イオンスタイル幕張ベイパークで配布する「宝の地図」に記載された14カ所の店舗を回ってクイズを解き、12文字の暗号を伝えるとB-Pamの活動拠点である幕張ベイパーク クロスポートで宝物をもらえるというもので、筆者が見ている間に次々と親子が問題を解きに来ていた。宝物は足りるかと心配するほどの勢いだ。

B-Pamが拠点を置く幕張ベイパーククロスポート。謎解きトレジャーハントの謎を解いて、宝物をもらいにきた子どもたちが次々と訪れていた(画像提供:B-Pam)

B-Pamが拠点を置く幕張ベイパーククロスポート。謎解きトレジャーハントの謎を解いて、宝物をもらいにきた子どもたちが次々と訪れていた(画像提供:B-Pam)

取材に対応してくれたのは、B-Pam代表理事で住民でもある遠藤峰志さんと、事務局長でマンション管理会社三井不動産レジデンシャルサービスの社員でもある吉野公二さん、開発担当者である三井不動産レジデンシャルの柳谷剛弘さん。まず、B-Pamの役割を聞いた。

■B-Pamの役割
(1)自治会機能
(2)商店会機能
(3)管理組合の横連携機能
(4)エリアマネジメント機能

B-Pamの主な役割は上記の4つがあるという。まず、町内会のような住民組織である自治会としての機能(1)、ここで営業する商店主による商店会としての機能(2)がある。また、街区ごとにマンション管理組合が組織化されるが、幕張ベイパーク内には今後も段階的にマンションが建設されていくため、将来必要になる管理組合相互の横の連携を図る機能(3)もB-Pamの役割となる。

(1)~(3)は相互連携がテーマだが、(4)のエリアマネジメントは、街の価値を維持・向上させるための活動である。B-Pamでは、住民や店舗などが参加しやすいイベントの企画運営、街の景観を維持するためのルールづくりや清掃活動、安全安心な地域づくりのための防災訓練実施などのさまざまな活動の企画と実施を担っている。

デザインガイドラインを設け、街の中の商業施設に関しても、街並みの統一感を図っている。写真はイオンスタイル幕張ベイパークで、外観は落ち着いたトーンになっていた

デザインガイドラインを設け、街の中の商業施設に関しても、街並みの統一感を図っている。写真はイオンスタイル幕張ベイパークで、外観は落ち着いたトーンになっていた

B-Pamの活動拠点は、次の2つ。
■B-Pamの活動拠点
・幕張ベイパーククロスポート(街のコミュニティ拠点)
・B-Pam WEB(インターネット上の交流サイト)

「幕張ベイパーク クロスポート」には、B-Pamの活動拠点であるほか、貸し出しできるフリースペース(キッチン付きパーティールームもあり)があり、パーティーや趣味のサークルなど多様に利用ができるようになっている。一方「B-Pam WEB」では、イベントなどの告知や参加申し込み、管理組合からのお知らせ、店舗などの情報提供、フリースペースやマンションの共用施設の予約などもできるようになっている。

また、B-Pamはどういったメンバーで構成されるかというと(下図参照)、住民による「居住会員」とエリア内の商業施設の事業者による「店舗会員」、街を開発するデベロッパーによる「開発会員」などで構成され、それぞれの代表が役員を務める「理事会」を事務局がサポートしながら活動し、正会員による「総会」で決議していく形だ。

B-Pam組織図(画像提供:B-Pam)

B-Pam組織図(画像提供:B-Pam)

正会員のほかに、居住会員の家族による「ファミリー会員」や商業施設の従業員による「ワーカー会員」を「準会員」としているほか、B-Pamの活動を支援する企業や団体による「パートナー会員」や幕張ベイパークに居住していないが関わりたい個人による「オープン会員」なども設定している。

会員になるのは任意で強制ではない。会費も支払うことになる。居住会員の会費は、1世帯あたり月300円で、店舗会員は店舗の広さに応じで会費が変わる。現在、居住会員は居住者の約7~8割が加入しており、店舗会員は13店舗が全て加入している。

また、現在の理事会は幕張ベイパークの居住者4名、店舗事業者2名、デベロッパー社員3名の役員で構成しており、任期は2年。居住者による役員は、マンションの管理組合との連携を図る意味合いから、管理組合の理事と兼任を図っているとのことだ。代表理事の遠藤さんも、管理組合の第1期理事を務めていた。

重要なのは継続していくこと、参加者の主体性がカギに

さて、幕張ベイパークは2019年4月に「街びらき」イベントを開催している。街びらきイベント自体は、入居者の親睦のためでもあるが、お披露目としての宣伝効果もあり、デベロッパーが力を入れることで盛大に実施することはできる。問題となるのは、その後だ。大勢が参加する多様なイベントを、数多く継続して開催できるかどうかが課題だ。

デベロッパーが用意した活動の場があっても、事務局などの限られた人たちだけがいくらがんばっても、継続して活動してくれる住民たちがいなければ続かないものだ。そうした担い手をどう集めるかが最も難しい点だ。

B-Pamでは、マンションの入居が始まる前からこのコミュニティづくりにいち早く取り組み、契約者が入居するまでに、どういった活動をするかを詳しく説明し、街づくりに関心を持つ人を育てていった。遠藤さんもそこで関心を持った一人だ。こうした人を中心に、「B-Pamサポーター」を募集して、どんなことをやったら楽しいか、どんなことがやれるかをブレストして、アイデアを紙に張り出すといったこともしている。あくまで住民がやりたいことを吸い上げて具現化する「街の住民の主体性」を重視する発想だ。
例えば、2019年のハロウィーンのイベントは、4、5人の住民有志が手を挙げて企画実行したが、有料でも人が集まるか、チラシを打って人を集めるだけの期待を得られるような企画になっているか、協力してくれるボランティアは集まるかなど、多くの不安を抱える中で試行錯誤して実施したという。その結果、「ハロウィーンハント」という、昼間にはシールを集めたり、公園に隠された宝を探したりするイベントを有料先着順で開催し、夜間には公園に夕食を持ち寄って集まるオープンイベントを開催したが、予想を超える300人以上の参加があり、大盛況だったという。

左)ハロウィーンハントの手づくりチラシ 右)ジャック・スパロウ船長に扮して、仮装大会で優勝した遠藤さん。右隣のダース・ベイダーは事務局の吉野さん、左隣は柳谷さん(画像提供:B-Pam)

左)ハロウィーンハントの手づくりチラシ 右)ジャック・スパロウ船長に扮して、仮装大会で優勝した遠藤さん。右隣のダース・ベイダーは事務局の吉野さん、左隣は三井不動産レジデンシャルのは柳谷さん(画像提供:B-Pam)

また、間を空けずに継続して、イベントなどを開催していくことも大切だという。というのも、継続することで「つながる場」を多くつくることになり、住民同士が顔見知りになる機会も増えて、次のイベントの参加を誘い合ったり、興味を持って新たに企画実行のメンバーになったりする。結果として、間口が広がって担い手を育てる効果もあるからだ。

B-Pamでは、街のイベントとして、七夕や夏祭り、夏の早朝ラジオ体操、秋の運動会、ハロウィーン、クリスマス、餅つきといったイベントも開催していった。さらに、フリースペースでは、店舗スタッフの協力によるコーヒーセミナー・各種の料理レッスンや、住民がそれぞれに企画した料理やアート、教養の教室などが多様に開かれている。

なかには、小学生の女の子が「クレープを焼きたい」とB-Pamに相談したことで、パーティールームを使ったクレープパーティーが開かれたこともあった。「子どもたちが企画したり、協力してくれたりということが意外に多く、かなりの戦力になっています」(遠藤さん)という。

悩ましいコロナ禍でのイベント。知恵を絞って継続

しかしそこへ、このコロナ禍だ。密になるイベントが難しいこともあって、1周年記念イベントが開催できなかった。そこで、これまで住民が取り溜めた街の写真の「フォトコンテスト」とおうち時間を使って子どもが描いた絵画の「絵コンテスト」を実施して、住民が参加できるイベントを工夫して継続していった。

加えて、コロナ禍で営業が厳しい近隣の店舗を応援しようと、住民の発案による「宅配ごはん」推奨の企画も実現した。B-Pam会員割引を設定してもらい、チラシ作成も住民が行って、テイクアウトの利用を促進したという。

こうして、街びらきから1年半近く経った今は、さまざまな活動が定着しつつある。
・毎月の公園清掃活動
・防災勉強会
・ハロウィーンやクリスマスなどの大型季節イベント
・ソフトボール部、サッカー愛好会等の部活動
・店舗支援企画

清掃活動の様子。インスタグラムやFacebookで清掃活動のボランティアを呼び掛けたところ、幕張に拠点を置くアメリカンフットボールチームIBM BIG BLUEの選手も参加してくれた(画像提供:B-Pam)

清掃活動の様子。インスタグラムやFacebookで清掃活動のボランティアを呼び掛けたところ、幕張に拠点を置くアメリカンフットボールチームIBM BIG BLUEの選手も参加してくれた(画像提供:B-Pam)

ソフトボール部が誕生した話というのも面白い。ある日突然、住民の一人が数日後に開催されるソフトボールの大会に出場したいとB-Pam事務局に相談してきた。「まだソフトボール部がない」のに、である。急遽、部員募集の告知をしたり、言い出しっぺの部長が朝のバス停でチラシを配ったりして、何とか人数をかき集めて大会に出場できた。しかし、練習不足で予選敗退。ところが、1年後の大会では見事に準優勝に輝いた。

こうした多様なイベントが継続する要因は、企画自体が住民の発案によるものだからだという。理事会は、街そだてに意味がある企画かどうかを判断し、事務局で自治体などの外部との交渉や予算管理などをサポートする。例えば景品の調達に企画実行チームの住民が駅周辺の商業施設に直接交渉したり、必要なボランティアを集めたりして、自主的に動いている。

「プロに外注できる予算を確保していますが、住民の皆さまが自治会としての金銭感覚で工夫してくれるので、予算を節約できています。イベントで司会が必要だとなると、住民のあの人なら上手にできそうと人選して、想定どおりにとても盛り上がる司会ぶりを発揮してくれたといったこともありました。」(吉野さん)

WEBで情報提供するだけでなく、イベントの開催やメンバー募集などを呼び掛けるチラシも手づくりしている

WEBで情報提供するだけでなく、イベントの開催やメンバー募集などを呼び掛けるチラシも手づくりしている

2020年のハロウィーンは小規模な開催となったが、クリスマスイベントは感染予防対策をしたうえで4週続けて土曜日に開催する予定だ。これまでの経験からそろいのアイテムを身に着けるとイベントが盛り上がるということが分かったので、今年はB-Pamオリジナルのクリスマスマスクを発売することにした。

遠藤さんが付けているのが、今回用意したオリジナルマスク

遠藤さんが付けているのが、今回用意したオリジナルマスク

2019年のクリスマスイベントの様子(画像提供:B-Pam)

2019年のクリスマスイベントの様子(画像提供:B-Pam)

B-Pamでは、イベントを開催するグループやサークル活動などの「街そだて」に貢献する活動に対して、支援金制度(最大5万円)を設けている。活動のための費用を負担することも大切だが、最も重要なのは住民の「熱い思い」だろう。にぎわいのある街を育てるには、その担い手が必要だ。更地だったこの街に住もうという住民たちには、街の成長に期待し、新しいつながりを築こうとする人が潜在的に多いのだと思う。

だからこそ、活動の場や仕組みに乗じて、ボトムアップで楽しみながらイベント等を企画実行する担い手が登場し、持続可能なエリアマネジメントが可能になるのではないか。それにしても、この街に暮らす住民たちはオールシーズン楽しいだろうと羨ましくなった。

テレワークで生まれた時間で地元貢献!会社員が仕掛ける「うらわパーティ」 私のクラシゴト改革2

会社員として働きつつ、テレワークで生まれた時間で、地元の埼玉県浦和エリアを応援する活動「うらわパーティ」プロジェクトを始めた長堀哲也さん。長堀さんに、その経緯や、新しい暮らし方、働き方についてインタビューした。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。コロナ禍でテレワークに。通勤時間は地域活動の時間にあてた

大手メーカーのIT系グループ会社で営業として働く長堀さんは、新型コロナウイルスの影響で今年3月からフルリモートワークに。働き方が劇的に変わった。「これまで制度としてリモートワークはあったものの、営業という職種から、ほとんど利用したことはありませんでした。現在は、週に1度ほどクライアントに足を運ぶ以外は、ほぼ在宅です」
そして、テレワークで往復二時間半かけていた通勤時間が減り、地元で過ごす時間が圧倒的に増えたことで、長堀さんが新たに取り組んだのが、地域活動「うらわパーティ」プロジェクト。ネットでのワークショップや飲み会、テラスを無料開放した屋台など、オンラインとリアルの両輪で、ゆるいコミュニティをつくりながら、浦和を盛り上げようという活動だ。

JR浦和駅西口前のカフェ「OkiOki Café」では、「うらわパーティ」の一環で誰でも自由に使えるパーティテラスを無料で貸し出し。テイクアウトのお弁当を売る屋台になったり、県内の作家手づくりのマスク店を出店したり (画像提供/長堀さん)

JR浦和駅西口前のカフェ「OkiOki Café」では、「うらわパーティ」の一環で誰でも自由に使えるパーティテラスを無料で貸し出し。テイクアウトのお弁当を売る屋台になったり、県内の作家手づくりのマスク店を出店したり (画像提供/長堀さん)

屋台で販売する宅版専門の焼肉弁当屋(薫巻)さん (画像提供/薫巻さん)

屋台で販売する宅版専門の焼肉弁当屋(薫巻)さん (画像提供/薫巻さん)

「コロナ禍の自粛生活の中、地元の飲食店が苦境に立たされているのを実感し、『自分で何か応援できないか』と考えたのがきっかけでした。もともと、パパ友たちとイベントを開催する『うらわClip』という活動していて、地元には知り会いがたくさんいたので、何かしら始めることは自然な流れでした。これはスピード感が大事ですから、知り会いのWebデザイナー、フリーの動画編集者など、機動力のあるメンバーを巻き込んで、自粛期間中に一気に立ち上げました。一時期は毎日のようにオンラインで打ち合わせをしていましたね」

「うらわパーティ」で、オンラインでゲスト講師を招いて折り紙ワークショプも実施。他にも華道家による生け花のレッスン、元浦和レッズ選手のオンライン飲み会など、幅広いターゲットのコンテンツに (画像提供/長堀さん)

「うらわパーティ」で、オンラインでゲスト講師を招いて折り紙ワークショプも実施。他にも華道家による生け花のレッスン、元浦和レッズ選手のオンライン飲み会など、幅広いターゲットのコンテンツに (画像提供/長堀さん)

全国的にも有名なクラフトビールバー「BEERNOVA URAWA(ビアノヴァ ウラワ)」は、浦和レッズのサポーターの間でもよく知られているお店。「うらわパーティ」ではオーナーによるオンラインイベントを後方支援。「正直、オンラインの集客は苦労していますが、コンテンツが強ければ集客できる成功例になりました」 (画像提供/長堀さん)

全国的にも有名なクラフトビールバー「BEERNOVA URAWA(ビアノヴァ ウラワ)」は、浦和レッズのサポーターの間でもよく知られているお店。「うらわパーティ」ではオーナーによるオンラインイベントを後方支援。「正直、オンラインの集客は苦労していますが、コンテンツが強ければ集客できる成功例になりました」 (画像提供/長堀さん)

重視したのは、オンラインとリアルの場の両方があるということ。「自粛期間中でも、スーパーへの買い物やお昼ごはんをテイクアウトしたりと、外に出るでしょう。コロナ禍でさまざまなイベントがオンライン化しましたが、地元だからこそ、リアルな体験にこだわりたかったんです。何かあったらすぐ集まれて、すぐ対応できるのが強みですから」

浦和の街を盛り上げようと、浦和の街への応援メッセージを書いてもらった花の折り紙を、リースにして、街のあちこちに飾るプロジェクトも「うらわパーティ」で実施 (画像提供/長堀さん)

浦和の街を盛り上げようと、浦和の街への応援メッセージを書いてもらった花の折り紙を、リースにして、街のあちこちに飾るプロジェクトも「うらわパーティ」で実施 (画像提供/長堀さん)

子どもの誕生とともに人の輪が広がり、リアルイベントの活動も

長堀さんは浦和生まれ、浦和育ち。とはいえ、会社員として多忙な毎日を過ごし、以前は地元に関わる活動をそこまでしていたわけではなかったそう。きっかけは子どもが生まれたこと。「幼稚園のパパたちと、『“パパ会”なる飲み会でもしましょうか』と話したのが最初のスタートでした」。そのうち、「せっかくなら何か地元でやりたいね」と、2018年に始めたのが「うらわClip」。”うらわ圏に属する人々が、うらわ圏に愛着を持ち、魅力的で誇れるものとして、次世代にその価値をつなぐこと”をコンセプトに、主にリアルなイベントを中心に活動している。
「僕と、デベロッパーで働く会社員、公認会計士兼税理士、司法書士の4人のパパを中心に、さいたま市役所の職員のパパもオブザーバーになってもらいました。さらに、地元の飲食店はもちろん、浦和PARCOさん、行政の方などともリレーションができ、それが現在の『うらわパーティ』の土台のひとつになっています」

現在は、「うらわパーティ」と「うらわClip」の両方の活動を行っている。「うらわClip」ではリアルにこだわり、12月には感染対策を講じつつ、ドライブインライブという新しい形に挑戦 (画像提供/長堀さん)

現在は、「うらわパーティ」と「うらわClip」の両方の活動を行っている。「うらわClip」ではリアルにこだわり、12月には感染対策を講じつつ、ドライブインライブという新しい形に挑戦 (画像提供/長堀さん)

ホームタウンという実感が、毎日の暮らしをハッピーに

「うらわClip」が、どこか非日常なお祭り的なイベントの“場”であるのに対し、「うらわパーティ」はもっと日常的。テラス、シェアオフィス、遊び場、カフェなど、街のあちこちに、つながれる場を誰もが持っていることが理想だ。
ステイホーム期間中は家にこもりがちになる人が多いなか、長堀さんは、逆に知り会いが増え、世界が広がったそう。「だから、街を歩いていると、知り会いに会いまくりです(笑)。在宅しているということは、圧倒的に地元にいるってことじゃないですか。だから、人と人とがゆるやかにつながるような、街の縁側のような場をつくりたいと思っています」
さらに、街中に知り合いが増えるということは、子どもたちにとっても好影響だと長堀さんは実感。「ほんとみなさん、いい人ばっかりなんです! 街のあちこちに、知っている大人がいるというのは安心感があるんですよね。みなさんの仕事もバックグラウンドも多種多様。知らない間に“こういう仕事があるんだ”と子どもたちが多様性を学ぶ機会になるんじゃないかと思います」

長堀さんの2人の息子さんとうらわClipのメンバーたち。うらわパーティで5月5日の子どもの日に折り紙ワークショップイベントを開催し、息子さんたちが家で折った作品を、屋台で飾るために直接届けに来てくれた。街のいたるところに彼らのことを見守ってくれる大人がいるのは心強い (画像提供/長堀さん)

長堀さんの2人の息子さんとうらわClipのメンバーたち。うらわパーティで5月5日の子どもの日に折り紙ワークショップイベントを開催し、息子さんたちが家で折った作品を、屋台で飾るために直接届けに来てくれた。街のいたるところに彼らのことを見守ってくれる大人がいるのは心強い (画像提供/長堀さん)

コロナ禍で大々的なイベントが難しくなっている今、ステイホームで地元にいる時間が長くなった人も多いはず。長堀さんのような主催者側ではなくても、参加者として地元との接点を増やしてみるのもよさそうだ。「地域活動をされているシニア世代の方たちとも交流を持っていますが、みなさんイキイキとしていらっしゃいます。子どもたちの幼稚園や学校の集まりなどで、パパたちは所在なさげにひとりで立っていることが多いけれど、もったいない。行きつけのお店でもいいですし、道で会ったらちょっと立ち話程度の交流をする人が増えるだけで、自分の生活圏がぐっと豊かになるんじゃないかと思います」

●取材協力
・うらわパーティ
・うらわClip

韓国文学好きの“仲間”が集う出版社「クオン」とカフェ「チェッコリ」【全国に広がるサードコミュニティ10】

近年、日本でも人気の韓国文学の翻訳書を多数発行する出版社・クオンは、カフェの運営や翻訳コンクールの開催など、出版にとどまらない取り組みで韓国文学好きのコミュニティを育んでいます。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。韓国語圏の本、文化を日本に紹介する出版社・クオン

映画化もされ、韓国国内で130万部の大ヒットとなった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が日本でも話題をさらったのは記憶に新しいですが、2010年ごろから、韓国の小説を積極的に紹介してきた出版社が神保町にある“クオン”です。名作から気鋭の作家の短編小説、コロナ禍に立ち向かった市民や医療関係者の声を集めた本など、韓国の文化にまつわる本を出版するほか、ブックカフェ「チェッコリ」には、連日韓国文学好きが訪れます。(現在カフェは休止し、書籍のみ販売)

コロナ禍にあってリアルイベントの開催は難しくなっていますが、文学のみならず映画やドラマなど、韓国コンテンツ好きの仲間たちが集まるイベントや、翻訳者を養成する翻訳スクールも人気です。またクオンではリアル店舗の運営以外にも翻訳コンクールを主催するなど、韓国文学ファンや韓国文学を紹介する人々の裾野を広げる活動を続けています。

クオンの刊行物「新しい韓国の文学」シリーズ第一弾として出版された、イギリスのブッカー賞を受賞したハン・ガンの『菜食主義者』(中央)など(写真撮影/影山裕樹)

クオンの刊行物「新しい韓国の文学」シリーズ第一弾として出版された、イギリスのブッカー賞を受賞したハン・ガンの『菜食主義者』(中央)など(写真撮影/影山裕樹)

ホ・ヨンソン詩集『海女たち』(姜信子・趙倫子訳、新泉社刊行)の刊行記念イベント(画像提供/クオン)

ホ・ヨンソン詩集『海女たち』(姜信子・趙倫子訳、新泉社刊行)の刊行記念イベント(画像提供/クオン)

広告代理店を経て出版業界に参入

クオンを立ち上げた金承福(キム・スンボク)さんは、韓国・全羅南道霊光出身。ソウル芸術大学卒業後に留学生として来日し、日本大学を卒業後、日本のインターネット関連の広告代理店に就職します。当時、金さんは『韓国.com』という、韓国の芸能、スポーツ、文化を紹介するポータルサイトを担当。そのうち、海外の取引先とやりとりしながら多言語対応のウェブサイトを制作するなど、さまざまな仕事を受けるようになっていました。

「3年くらい仕事をした後、その会社が韓国部門の仕事を辞めることになって。でもクライアントからは辞めないで欲しいと言われ、結局私がその部門を引継いで別会社を立ち上げることになったんです。不思議なことに、同じ会社の中に机もあるんだけど、別会社。当時、2000年ごろの日本はインターネット関連の仕事がどんどん増えていく時代だったので寝る暇もないほど忙しかったですね。とても儲かりましたけど(笑)」(金さん)

金承福さん(画像提供/クオン)

金承福さん(画像提供/クオン)

次第にウェブだけでなくイベントや展示会、ショールームのデザインなど大規模な仕事が増えていきました。そんな働き詰めだった2008年、リーマンショックが起こります。

「今考えれば、(本のように)在庫も抱えず返品もないわけですから、その分心配することも少ないし仕事は楽しくて仕方なかった。けれどリーマンショックで仕事が激減して、外的な要因に左右されるクライアントありきの仕事に疑問を持ち始めました。景気に翻弄されず、自分の努力次第で経営が成り立つ仕事がしたい。そこで、ウェブの会社をたたんで出版社を立ち上げました。実はずっと出版に関わる仕事がしたかったんです」(金さん)

出版社が書店を経営する理由とは?

そんな中、未経験で飛び込んだ出版業界に、金さんは戸惑いを覚えました。それまでは主に外国の取引先との仕事が多かったのですが、出版業界は印刷会社も、取次会社も書店もみんな日本人。「そのとき初めて、自分は日本にいる」と金さんは感じたそうです。そこで、いきなり出版物を刊行し始めるよりも、まずは業界との関係づくりからスタートしました。

「韓国コンテンツはどんどん盛り上がっていたので、当初は翻訳エージェントの仕事をメインで活動を続けていました。前の仕事も言ってみればウェブエージェンシーだったわけで、編集プロダクションに近いんですよ。仕事を引き受けて、校正して、翻訳をして、ウェブに載せるという仕事。私の中では繋がっているんです」(金さん)

全羅南道 羅州市にある東新大学漢医学部教授キム・ソンミン先生による3回講座「韓方的な生き方」(画像提供/クオン)

全羅南道 羅州市にある東新大学漢医学部教授キム・ソンミン先生による3回講座「韓方的な生き方」(画像提供/クオン)

2010年に入って、「新しい文学シリーズ」の刊行をスタート。当時は折しも、2002年の日韓ワールドカップ、2003年の「冬のソナタ」の大ヒット、K-POP……韓流コンテンツは追い風になっていました。でも、文学はまだちゃんと紹介されてなかった。良い作品を紹介すればきっと受け入れられると金さんは信じていました。

「韓国では有名な作家でも日本ではほとんど知られてない。読者に興味を持ってもらうため、本を出すだけではなく、日本の著名作家との対談を行ったり、読書会もたくさん開きました。でも常にスペースの問題にぶち当たるんです。そこで2015年に神保町に引越してブックカフェを開きました。書店を自分たちでやれば、好きな時にイベントができるし、読者の顔も見えるじゃないですか」(金さん)

翻訳コンクールの開催と書店のシナジー

チェッコリでは自社の本を売るだけでなく、他の出版社の本も販売しています。運営元がクオンだと知らずに来店するお客様も多いそうです。

また、チェッコリの棚の大多数は韓国の本で占められています。その数約4000冊! 文学だけでなく、絵本、漫画、人文、実用書まで幅広く扱っています。

お坊さんに学ぶ韓国の茶道―そして茶談(画像提供/クオン)

お坊さんに学ぶ韓国の茶道―そして茶談(画像提供/クオン)

「最初チェッコリを始めようと思ったとき、『誰が韓国語の本を読むんだ』って言われました。でもチェッコリでは韓国語の本が売れます。しかも、日本の本と違って海外の本は売り値を自分たちで付けられる。出版というよりは輸入販売業に近い。話題になっている本だけでなく、自分たちが紹介したいものを選んで仕入れる楽しさもあります」(金さん)

韓国関連の書籍の棚を広げたかった

ほかにも金さんは、韓国書籍が日本国内で広く翻訳されることを目指す「K-BOOK振興会」という団体を立ち上げ、おすすめ本に関する情報発信をしたり、韓国文学翻訳院との共催で翻訳コンクールを毎年開催しています。この翻訳コンクールでは、毎回2本の短編が課題として出されます。それにしても、短編2本とはなかなかハードルが高い。

「翻訳者の発掘も大切なので始めたのですが、第一回目で200人以上の応募があったんですよ。短編2本って結構なボリュームなのに、これだけチャレンジしてくれる人がいるのはすごいことです。潜在的なニーズを感じました。私たちの翻訳コンクールでは最優秀賞作はクオンで出版することにしています。課題となる短編の原書を書店で販売し、優れた翻訳を出版し販売する、出版、書店、コンクールの関係がうまく機能しています」(金さん)

第2回日本語で読みたい韓国の本―翻訳コンクールの受賞式(審査員と受賞者のトーク)(画像提供/クオン)

第2回日本語で読みたい韓国の本―翻訳コンクールの受賞式(審査員と受賞者のトーク)(画像提供/クオン)

そのうち、翻訳コンクールに応募した人たちがツイッター上で情報交換を始めます。「これ。みんなどういうふうに訳している?」などなど。この様子を見た金さんは、翻訳スクールの開講を思いつきます。

「世の中に韓国語会話のスクールはいっぱいありますが、翻訳専門のスクールってあまりないな、と閃いたんです。私たちのお客さんには韓国語教室の先生が多くいますが、翻訳専門の教室であれば先生たちと競合することもないじゃないですか」(金さん)

翻訳スクールの優れた生徒やコンクールの受賞者を、他社に紹介することもします。
金さんは繰り返し、「ニーズをつくることが大事」と語っていました。書店で「海外文学」の棚に少し紹介されるだけだった韓国文学を、それだけで棚ができるようにしたい、だから韓国語の本を翻訳する仲間を増やしたいんだ、と金さんは語ります。

文学ツアーで“仲間たち”との親睦をさらに深める

他にも、今年はコロナの影響で行けませんでしたが、金さんは「文学で旅する韓国」というツアーを毎年開催しています。30人ほどのメンバーで小説に出てくる舞台を訪れたり、作家に会いに行ったりなど、3泊4日にわたる贅沢なツアーです。

「半数くらいはリピーターで、もはやクオンや韓国文学のファンというよりは仲間ですね。そのなかのお一人は写真が趣味でいつも素敵なツアー写真を撮ってくれるのですが、韓国で写真展を開くのが夢だったそうなんです。私たちのツアーに参加した際、現地のギャラリーのオーナーと話をつけて、写真展を開くことができました」(金さん)

第一回目の「文学で旅する韓国」統営編―大河小説『土地』の作家パク・キョン二記念館の前で(画像提供/クオン)

第一回目の「文学で旅する韓国」統営編―大河小説『土地』の作家パク・キョン二記念館の前で(画像提供/クオン)

この話はもちろん、チェッコリで報告会というかたちで話してもらいました。他にも、最近ではソウル大学に留学された方が、オンラインで大学生活について話してくれたり。このように、チェッコリで開催するイベントでは “仲間”たちがホストを務めることも多いそうです。

「心がけていることがひとつあって、偉い人を呼んで聞いてもらうだけのイベントにはしない。“お客様”扱いはしない。その代わり、みなさんにも韓国にまつわる得意なことをイベントでシェアしてもらう。当日は椅子を並べるのを手伝ってもらったり、飲み物を運んだりという作業を手伝ってもらうこともあります。みなさん喜んでやりますよ。“仲間”ですから」(金さん)

今回の取材で、金さんが、「誰も損しない、みんなが幸せになる仕組みをつくるのが好き」とおっしゃっていたのがとても印象に残りました。出版社と読者、作家とファンという非対称な関係ではなく、みんなが等しく韓国の文化を盛り上げようとする“仲間”であるという感覚は、コミュニティを資産とした事業運営を考えている人にはとても大事なポイントだと思います。クオンの場合、ひとりひとりのお客さんだけでなく、書店、他の出版社、韓国の政府機関など、さまざまなステークホルダーと競合することなく協働するところにその姿勢が見て取れます。

クオンやチェッコリは、韓国と日本の文化交流を促進するうえで貴重な場だと思いますし、そこに集う“仲間”たちの結びつきは今後もさらに強まっていくことでしょう。韓国ドラマやK-POPから韓国カルチャーに興味を持った人はぜひ、一度チェッコリに訪れて文学にもハマってみませんか?

●取材協力
CUON

リモート副業×東京で秘書!長野ではまちづくりに参加 私のクラシゴト改革1

新型コロナウイルスで社会の在り様が大きく変化した現在、新たな働き方が注目されている。都市部で働く人材が、地方企業の仕事にも関わる新しい働き方「ふるさと副業」もそのひとつ。
今回は東京で会社員として働きつつ、長野県塩尻市で外部ブレーンを務める千葉憲子さんにインタビュー。経緯や仕事内容、さらに二児のママとして実感など、あれこれお話を伺った。

連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。ふるさと副業を考えたのは、働き方自由な会社だったから新卒で入社したのは大手メーカーのグループ商社。国内海外転勤、出張が当たり前の世界で、出産、育休を経て復帰したものの、時間=会社への貢献度になってしまうことに疑問を抱き、転職。「前職とガイアックスとではカルチャーがまったく違うので最初は驚きました」。現在は社長秘書の業務とともに、オンラインコミュニティの運営など、社内でも兼業している(写真撮影/スーモジャーナル編集部)

新卒で入社したのは大手メーカーのグループ商社。国内海外転勤、出張が当たり前の世界で、出産、育休を経て復帰したものの、時間=会社への貢献度になってしまうことに疑問を抱き、転職。「前職とガイアックスとではカルチャーがまったく違うので最初は驚きました」。現在は社長秘書の業務とともに、オンラインコミュニティの運営など、社内でも兼業している(写真撮影/スーモジャーナル編集部)

千葉さんは、東京都のIT企業「ガイアックス」の社長室で働きつつ、今年の5月より長野県塩尻市と業務委託を結び、地域課題の解決に取り組んでいる。それは、塩尻市が推進する「MEGURUプロジェクト」の一環で、副業限定の地域外のプロフェッショナル人材が地方と協働で地域の課題に取り組んでいくというもの。その中で、千葉さんはCCO(Chief Communication Officer)に就任。地域外の人と塩尻をつなぎ、関係人口を拡大していくミッションのもと、さまざまな企画立案やイベントを仕掛けている。
本業、副業ともに、「〇時~〇時まで働く」という取り決めはなく、基本成果主義。主に塩尻の業務は週末や夜などにすることが多いが、その境界線はあいまいだ。それができるのも、本業も副業も、業務はほぼリモートだから。東京で塩尻の仕事、塩尻で東京の仕事をすることもある。

「もともと、ガイアックス自体がとにかく働き方が自由な会社で、休日も自分で決めていいし、どこで働いてもいい。もちろん副業もウェルカム。リモートワークが大前提で、会社に出勤するのも週に1度程度。だから、副業を始める前も、実家のある長野県松本市に子ども2人と帰り、1カ月間実家で仕事をしていたこともあります。実際、副業、二拠点、完全リモートをしている社員も多く、私が今の働き方を選ぶのも自然な流れでした」
さらにガイアックスではライフバランスを考えて、仕事半分、報酬も半分といった交渉も可能。千葉さんの場合も、副業ありきで業務量も報酬も上司に交渉している。「トータルで考えると収入は上がりました。夫は会社員をしており、首都圏から離れることは難しく、転職や移住はハードルも高い。しかし、リモート副業なら、私の判断で挑戦できるし、自分のキャリアアップのためにも良かったと思います。夫もこの働き方を応援してくれています」

「息子たちに田舎暮らしを体験させたい」。最初はあくまでも個人的な話から

このプロジェクトに応募した理由のひとつに、子育てで抱いた疑問が大きいという千葉さん。
「私自身は長野の大自然で育ちました。それなのに、息子たち2人を、親が都会で働いているからという理由だけで、都会でしか育てられないなんて変だなと考えていました。移住はさすがに無理だけれど、リモートで副業をすることは現実的な選択だと思いました」

そこで、当初は地元、長野県松本市で地域に貢献できるような仕事はないか考えていたところ、高校時代の友人から、塩尻で外部の人材を募集している話を聞く。
「塩尻は、観光都市の松本や諏訪に挟まれた、人口6万人超のコンパクトなまち。“このままでは人口減。関係人口を増やしたい”という危機感がある分、モチベーションも高かった。規模の大きいコワーキングスペースがそろっていたり、一人の生徒が複数の学校に就学できる”デュアルスクール制度”があったり、ソフト面でもハード面でも受け入れ態勢が整っていました」

塩尻のシビックイノベーション拠点「スナバ」にて。「プロジェクトが始まってみると、市役所の人も、商工会議所の人も、いわゆる”お役所”っぽくなくて驚きでした」(画像提供/スナバ)

塩尻のシビックイノベーション拠点「スナバ」にて。「プロジェクトが始まってみると、市役所の人も、商工会議所の人も、いわゆる”お役所”っぽくなくて驚きでした」(画像提供/スナバ)

今年の夏休み、長野で過ごした子どもたち(画像提供/千葉さん)

今年の夏休み、長野で過ごした子どもたち(画像提供/千葉さん)

自分のなかの「普通」の経験が、想定以上に地域で役立つ場面も

ちなみに、外部のプロフェッショナル人材は、千葉さんのほか6人。その顔触れは国内の大企業の一線で働くビジネスパーソンばかりで、起業家として著名なインフルエンサーもいる。しかも、驚くべきは、千葉さんはお隣の松本市出身だが、他の6人は、長野県にはまったく地縁のない人なのだ。
「地方だからこそできることがあり、その地域の課題に自分の経験やスキルで貢献できたらと考える人材はたくさんいるんだなと改めて思いました。例えば観光促進のために、コンサルタントを外部の企業に依頼すれば、多額のコストがかかる上、多くの企業は契約期間が終了したらいなくなってしまう。そういう痛い体験をしている自治体は多いと思います。でも、移住ではなくリモートで副業という形なら、こうした人的財産をフル活用できるのではないでしょうか」

しかし、多くの人は「そんなに華々しいキャリアもスキルも自分は持っていないから無理」と尻込みしてしまうのでは? という質問に、千葉さんは「そんなことはありません」と即答。
「私だって普通の会社員です。でも自分が通常の業務と思っていたことも、案外、地方や役所では有難がられることも多いです。例えば、私は限られた時間で最大限の効果を出すために、自分の業務を分散し、アウトソーシングすることも多いんです。それは、私には当たり前だと思っていたのですが、地方では個人に業務が集中し、「〇〇さんにしか分からない」「〇〇さんが動けないのでそれはストップしている」という事態になることも多いんです。そんなとき、「この業務のこの部分は別にこの人でなくてもいいのでは?」と整理し、スピードを上げていくのも私の役目。本業での、なに気ない仕事のアレコレが思いのほか役立つことが多いと実感しています。もちろん、逆に塩尻での気づきが本業に役立つことも多々あります」

(写真提供/千葉さん)

(写真提供/千葉さん)

コロナ禍の不自由も逆手にとる。オンラインでのコミュニティづくりが進んだ

募集自体はコロナ禍の前で、現在は、当初の予定とは変更を余儀なくされた部分も大きい。
「今はオンライン上でのコミュニティが主です。もともと塩尻にはなんの縁もなかった人が、トークイベントのゲスト目的で参加し、興味を持ってもらうなど広がりを見せ、今では塩尻市の「関係人口創出・拡大事業」でのオンラインコミュニティ『塩尻CxO Lab』という形に。さらに、実際に地元の中小企業で複業するなどのもっとコアに地域課題に参加していただく有料会員も定員以上の応募が集まりました。この状況下で制約は多いけれど、リモートやオンラインの動きが一気に加速し、距離を感じなくなったことはプラスですね」

千葉さん本人にも副産物はあった。「オンラインイベントでのファシリテーションを何度も務めるうち、スキルが上がったと思います。参加してくださる方には、こうしたオンライン上に慣れていない方もいます。本業とは違うデジタル環境のなか、場数を踏んだことで突発的なトラブルに対応できるようになりました」。その結果、現在は、本業、副業とは別に、こうしたファシリテーションを仕事として引き受けることもあるそう。

オンラインイベントの様子。「いつかはみんなで塩尻ツアーをしたいですね」。今はオンラインだけど、いつかリアルで会えたらどんなに楽しいか、今からワクワクしています」(写真提供/千葉さん)

オンラインイベントの様子。「いつかはみんなで塩尻ツアーをしたいですね」。今はオンラインだけど、いつかリアルで会えたらどんなに楽しいか、今からワクワクしています」(写真提供/千葉さん)

毎年秋に行われる「木曽漆器祭」は、今年はオンラインで。リアルなワークショップが実施できないからこそ、普段は入ることができない各工房の中の様子を配信。千葉さんはレポーター役として活躍(写真提供/千葉さん)

毎年秋に行われる「木曽漆器祭」は、今年はオンラインで。リアルなワークショップが実施できないからこそ、普段は入ることができない各工房の中の様子を配信。千葉さんはレポーター役として活躍(写真提供/千葉さん)

ワーケーションがもっと進めば、暮らしはもっと豊かになる

もちろん課題もある。「私が長野で仕事をする間、子どもたちは松本の実家の両親たちが預かってくれましたが、それができない人も多いはず。子どもがいる人でも二拠点生活が可能なように、預け先の確保は課題です。また小学校に入ると子どもたちも長野に行けるのは長期の休みだけ。親も二拠点で働き、子どもも二拠点で学ぶことができれば、二拠点や副業がもっとスムーズになるのではと思います」
特に、首都圏からのアクセスのしやすさから、山梨、長野は二拠点目としてのポテンシャルが高い。「例えば甲府から松本までのエリアが“ワーケーションベルト”として、コワーキングスペースを充実させて、旅をしながら仕事をしてもらえるなど、相乗効果で盛り上がったらいいですね」
今後は、地域外の人材を地域に活用するこの塩尻の試みを、他の自治体へ広げていきたいと考えているそう。
「同じような課題を持つ地方は多いはず。何かしら地域に貢献したいと考えている人は多いので、受け入れ側の意識が変われば、塩尻のフォーマットが他の地方自治体にも応用可能だと思います。それが今のところの野望です」

●取材協力
株式会社ガイアックス
MEGURUプロジェクト

「東京駅」まで60分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2020年版

「新しい日常」への移行を一気に迫られた2020年。テレワーク化が進み、通勤しない日が増えたという人も多いだろう。生活様式が変わったことで住まいに対する考え方にも変化が起き、「通勤時間が多少かかっても、広さを重視して住まい探しをしたい」という人も増えているようだ。
そこで、いつもは「主要駅まで30分以内」の価格相場を調べている当連載「中古マンション相場ランキング」においても、今回は調査範囲を広げて「東京駅まで60分以内」にある駅の価格相場を調査してみた。駅徒歩15分以内にある、ファミリータイプの中古マンションの価格相場が安かった駅のトップ10を紹介したい。
●東京駅まで60分以内の価格相場が安い駅TOP10
1位 七里 1050万円(東武野田線/埼玉県さいたま市見沼区/51分/1回)
2位 桶川 1385万円(JR高崎線/埼玉県桶川市/50分/0回)
3位 北本 1400万円(JR高崎線/埼玉県北本市/55分/0回)
4位 白井 1515万円(北総線/千葉県白井市/50分/2回)
5位 元山 1535万円(新京成線/千葉県松戸市/47分/1回)
5位 天王台 1535万円(JR常磐線/千葉県我孫子市/43分/0回)
7位 三郷 1580万円(JR武蔵野線/埼玉県三郷市/45分/2回)
7位 流山 1580万円(流鉄流山線/千葉県流山市/56分/2回)
9位 北柏 1590万円(JR常磐線/千葉県柏市/44分/1回)
10位 村上 1730万円(東葉高速鉄道/千葉県八千代市/53分/1回)

コロナ禍で住まいの選択肢が広がった(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

リクルート住まいカンパニーでは今年5月、住宅の購入・建築・リフォームを考えている人に対し、検討する物件に関する調査を実施(「コロナ禍を受けた『住宅購入・建築検討者』調査(首都圏)」)。今回と前回(2019年12月実施)の調査結果を比べてみると、意識の変化が浮かび上がってくる。通勤時間に対する意向を尋ねた設問では「徒歩・自転車で15分以内」と回答した割合が前回より7ポイント減少し(35%→28%)、「公共交通機関で31分超60分以内/60分超」と回答した割合が10ポイント増加(24%→34%)。また、「住まいの広さと駅からの距離、どちらを重視するか」では、広さ重視派が10ポイント増加(42%→52%)。つまり、住まいから駅や勤務先まで離れていてもいいと考える人や、住まいの広さを重視する人が増加していたのだ。

ということで、これまでなら都内に勤務することを考えると「ちょっと遠いな」と住まい探しの選択肢から外していた「東京駅まで60分以内」のエリアを、検討対象にする人も増えたのではないか。そんな考えのもとで行った今回のランキング結果は上記リストの通り。ランクインした駅について見ていこう。

大宮まで4駅、再開発が進行中のさいたま市の駅が1位に

1位は埼玉県さいたま市に位置する、東武野田線・七里(ななさと)駅。価格相場は1050万円で、2位以下よりもぐっとリーズナブルな結果となった。東京駅へ向かうには東武野田線で4駅・約10分の大宮駅に行き、そこからJR上野東京ライン直通のJR高崎線またはJR東北本線に乗り換えると計50分少々で到着する。この経路の列車は7時・8時台に加え9時台にも何本も走っており、時差通勤が推奨されている状況でも比較的無理なく乗ることができるだろう。

七里駅は現在、駅舎の改修が進行中。2023年度中の完成を目指して、橋上駅舎化と、駅北側からのアクセス性が向上する南北自由通路の整備が行われている。また、駅北側の再開発も進められており、将来的には北口駅前広場ができるほか、公園や幹線道路の整備も計画されている。

七里総合公園(写真/PIXTA)

七里総合公園(写真/PIXTA)

現在の七里駅周辺はというと、商店は主に駅南側に集中。駅から徒歩約15分圏内に、スーパーにドラッグストア、ホームセンターのほか、子ども用品を扱う「西松屋」も。芝生広場や花畑があり野菜の朝市も開かれる駅北側の「さいたま市春おか広場」や、大型遊具やアスレチックを備えた駅南側の「七里総合公園」など、子どもがのびのびと遊べて大人の息抜きにもぴったりな公園も点在している。のんびりと暮らすにはいい街だろう。

JR上野東京ラインで東京駅まで1本で行ける駅にも注目

2位以下の駅は埼玉県と千葉県からランクイン。そのうち東京駅まで乗り換えせずに行けるのは、2位のJR高崎線・桶川駅と3位のJR高崎線・北本駅、5位のJR常磐線・天王台駅。この3つの駅に共通するのは、JR上野東京ラインへと乗り入れるJR高崎線またはJR常磐線の停車駅だという点だ。JR上野東京ラインは東京駅と上野駅を経由した後、JR高崎線・宇都宮線・常磐線の各線に分岐していく。そのため埼玉県、栃木県、千葉県と都心部がダイレクトにアクセス可能になり、2015年の開業時は話題を集めたものだ。

2位の桶川駅と3位の北本駅はJR常磐線の隣り合う駅。桶川駅のほうが東京駅寄りで、東京駅までは約50分で行くことができる。桶川はかつて中山道の宿場町として栄えた歴史ある街であり、今も残る古い土蔵や蔵造りの商家といった宿場町の面影を訪ねて観光客もやって来る。

春の城山公園(写真/PIXTA)

春の城山公園(写真/PIXTA)

桶川駅西口とペデストリアンデッキで結ばれたショッピングセンター「おけがわマイン」など、暮らしを支える施設も充実。同ショッピングセンター3階には、中央図書館、書店、カフェ、イベントスペースで構成された文化・交流施設「OKEGAWA hon プラス+」も備わっている。春は「城山公園」でお花見を楽しみ、夏は「桶川祇園祭」の御輿や山車を眺め……と、季節ごとの楽しみも多彩なので、単に住みやすい街としてだけではなく「楽しめるお気に入りの地元」として住民に愛されている。また、桶川市には中古マンションを含む住宅購入資金の貸付制度があるので、興味のある人は調べてみてはいかがだろう。

千葉県の駅で最も安かったのは4位の北総線・白井(しろい)駅で、価格相場は1515万円。東京駅へのアクセス方法は、京成本線(特急)に直通の北総鉄道(特急)に乗り、青砥駅で京成本線(通勤特急)に乗り換えて日暮里駅へ、そこからJR上野東京ライン直通のJR常磐線に乗車。すると乗り換え2回、計50分ほどで東京駅にたどり着く。2回も乗り換えるのを避けたい場合は、所要時間が10分ほど増えるものの乗り換え1回で東京駅まで行ける経路も選択できる。

白井駅は千葉ニュータウンとの呼び名で宅地開発された区域の一角をなす、千葉県白井市に位置。駅を中心に計画的に整備されただけあり、整然とした街並みが広がっている。駅から北に徒歩10分ほどの市役所には警察署の分庁舎が併設され、周辺には病院や消防署など生活に欠かせない施設が集結。広大な芝生広場や散策路、遊具広場がある「白井総合公園」と、図書館と郷土資料館、プラネタリウム館、さまざまなイベントが行われる文化会館を備えた「白井市文化センター」も、市役所に隣接している。

千葉ニュータウンの様子(写真/PIXTA)

千葉ニュータウンの様子(写真/PIXTA)

白井市は「住みやすく・子育てしやすい街」を目指して街づくりに取り組んでおり、今年4月には複合型保育施設「白井市幼稚園等送迎ステーション」を開設した。これは幼稚園の開所時間と保護者の就労時間のミスマッチを解消するための施設だそう。保護者に送り届けられた子どもたちは、幼稚園開所時間外の朝夕は送迎ステーションで過ごし、日中は幼稚園バスの送迎で通っている幼稚園へ。さらに、子どもが幼稚園にいる日中の送迎ステーションは、保育所や幼稚園に通っていない子どもでも利用可能な一時預かり、小規模保育施設としても機能している。また、この保育施設がある一帯は複合商業エリア「フォルテ白井」として整備され、スーパーにドラッグストア、100円ショップ、衣料品店、クリーニング店とコインランドリーが建ち並び、先日の「カレーパングランプリ2020」で最高金賞を受賞したベーカリー「ピーターパン」の支店もある。

今回ランクインした駅は東京駅まで50分前後の立地が多く、都心へのアクセスを重視して住まい探しをする場合は候補地から外される場合もあるだろう。しかし、それぞれの街について見てみると、のびのびと暮らしやすそうだったり子育て支援に力を入れていたりと、生活の質という面からすれば魅力的な特徴も備えている。

これまでとは生活様式がガラリと変わったことで、人々の意識にも変化が生じている。住まいに対する考え方、価値観も例外ではない。今の自分にとって真に心地よい住環境とはどんなものか、改めて考えてみてはいかがだろう。そうすることで、よりしっくりとくる住まいが見つかるかもしれない。

●調査概要
【調査対象駅】東京駅まで電車で60分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数40年未満、敷地権利は所有権のみ、間取り3K、3DK、3LDKタイプ(2sLDKを含む)以上
【データ抽出期間】2020/6~2020/8
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2020年8月31日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

コロナ禍の「オンライン祭り」仕掛け人に聞いた!お祭りの未来はどうなる?

コロナ禍により、日本中のほとんどのお祭りが中止を余儀なくされた2020年。年に一度のハレの日のイベントを失い、地域住民は意気消沈……。そんな状況を何とかしようと、全国のお祭り支援を手掛けるオマツリジャパンは今年の8月、「オンライン夏祭り2020」を開催した。前代未聞のオンライン祭りは、地域に何をもたらしたのか? お祭りの未来は一体どうなる? オマツリジャパン営業担当の加藤さんと、「オンライン夏祭り2020」参加団体の一つである、宝龍会の上林さんにお話を伺った。
祭りの中止が続々と決定。手探りで始めたオンライン配信

新型コロナの感染が日本で広がり始めた2~3月、音楽ライブなどの大型イベントは軒並み中止に。地域のお祭りも、残念ながらその例に漏れることはなかった。そんな中、お祭り支援団体のオマツリジャパンは、徳島県の阿波踊りや、熊本県の牛深ハイヤ、沖縄県のエイサーなどの8つのお祭り団体とともに「オンライン夏祭り2020」を開催。お祭り動画の視聴や踊りの体験など、自宅にいながらお祭りの魅力を味わえる企画を2日間にわたりYoutubeで生配信した。

開催に至るまでの経緯を、オマツリジャパンの加藤さんはこう語る。

「年に一度のハレの日のイベントが失われ、ショックを受けている地域住民の方は多いのではないかと思いました。コロナ禍が落ち着くのを待つのではなく、今できることを模索する中、僕らは『かなまら祭り』の試みで突破口を見出しました」

オマツリジャパン営業部長・加藤匠さん(写真提供/オマツリジャパン)

オマツリジャパン営業部長・加藤匠さん(写真提供/オマツリジャパン)

かなまら祭りとは、神奈川県川崎市で毎年4月に行われる、男性の局部をかたどったお神輿が有名なお祭り。毎年多くの観光客が訪れるが、コロナ禍の影響を免れず中止が決定。肩を落とす主催者に、オマツリジャパンはSNSを利用した発信を提案した。

神奈川県川崎市で昨年行われた「かなまら祭り」の様子(写真提供/オマツリジャパン)

神奈川県川崎市で昨年行われた「かなまら祭り」の様子(写真提供/オマツリジャパン)

「お神輿は担げないけれど、普段公開していない神事の様子をライブ配信すれば、興味を持ってくれる人がいるかもしれないと思ったんです。実際にやってみると反響は想像以上で、オンラインのお祭りでも喜んでいただけるんだと、非常に可能性を感じました」

「オンライン夏祭り2020」を開催すると決めた加藤さんたちが最初に声をかけたのは、日本三大音頭の一つである泉州音頭(大阪府)の担い手、宝龍会だった。

「宝龍会さんは、メンバーの自宅をオンラインで繋いで稽古している様子をYoutubeで配信していました。お祭りの担い手は高齢者が多く、ITに抵抗がある方も少なくない中、宝龍会の皆さんはむしろ率先してデジタルを取り入れていた。オンライン祭りにもきっと楽しんで参加してくださるはずと思いました」

例年大阪南西部の泉州エリアで催される「泉州音頭」(写真提供/泉州音頭 宝龍会)

例年大阪南西部の泉州エリアで催される「泉州音頭」(写真提供/泉州音頭 宝龍会)

コロナ禍によりオンラインで稽古を行った様子(写真提供/泉州音頭 宝龍会)

コロナ禍によりオンラインで稽古を行った様子(写真提供/泉州音頭 宝龍会)

宝龍会が毎年稽古場として利用していた公民館は、コロナ禍で使えなくなってしまった。それでも週に一度の稽古を続けるために、メンバーの家からでもセッションができるよう、オンラインで音を遅滞なく届ける専用のソフトを各々が購入したという。メンバーの年齢は45~70代。環境構築は簡単ではなかったのではないだろうか。そう聞くと、宝龍会の上林さんは、「なかなか面白かったですよ」と笑顔で答えてくれた。

「最初は、『バラバラな場所から演奏するなんて、つまらないんじゃないか』と思ってたんです。でも、やってみたら意外に面白かった。みんな乗り気で、機材に10万円使った人もいるぐらい(笑)。今回整えたオンライン稽古の環境は、今後も使えると思いましたね」

お祭り団体の交流、全国への配信……オンラインならではの良さも

「本物のお祭りと比べて満足感が低かったり、物足りなく感じてしまうことのないように気を配った」と話す加藤さん。特に、視聴者を飽きさせないように、さまざまな工夫を凝らしたという。

その1つが、オンライン祭り専用の短時間プログラムの制作だ。例えば、宝龍会の泉州音頭は、本来であれば歌い手が約20分ずつ歌いつなぎ、何時間も音頭が続いていく。しかし、それをそのまま動画で配信すると飽きられてしまうため、今回は歌い手一人あたりの歌う時間を20分から3分に短縮。オンライン祭り専用の30分のプログラムを用意してもらった。

また、個々のお祭りの動画を配信するだけではなく、複数のお祭り団体が共演する企画も実施した。徳島県の阿波踊りのルーツが熊本県の牛深ハイヤ節にあると言われていることから、2つの団体の踊り手が一緒に踊りながら、曲調や踊りの似ている点や異なる点を見つけ合う「阿波踊り×牛深ハイヤ教室」の開催だ。

「阿波踊り×牛深ハイヤ教室」では、それぞれの祭りの踊り手が一堂に会した。© Omatsuri Japan / © kiCk inc.(写真提供/オマツリジャパン )

「阿波踊り×牛深ハイヤ教室」では、それぞれの祭りの踊り手が一堂に会した。© Omatsuri Japan / © kiCk inc.(写真提供/オマツリジャパン )

さらに、東京のスタジオでは、カメラを3台設置。ずっと同じカメラの映像を流していると視聴者が退屈してしまうため、引きの画、よりの画、動きのある画を撮影し、随時切り替えを行った。

オマツリジャパンの加藤さんは、初めてのオンライン祭りを終えての感想を次のように語る。

「ストレスなく楽しめるコンテンツをつくるのは、こんなに大変なんだと痛感しました。でも、ちゃんと体制を整えて配信すれば、お祭りの楽しさや空気感を映像を通じて伝えられることも分かった。本物のお祭りに及ばない部分はありますが、オンラインだからこそできることもあるんだと、非常に勉強になりました」

一方、お祭りの担い手側は、どのような感想を抱いたのだろうか?

「楽しませてもらいましたよ。短い時間でしたが、やりきった感があった。終わったあとは魂が抜けたようになりましたね(笑)。特にうれしかったのは、配信した動画をいろんな地域の人が見てくれたことです。東京の人や東北の人がコメントしてくれて。まさか自分たちの祭りを遠くの地域の人が楽しんでくれるなんて、やってみるまでは思いもしませんでしたから」(宝龍会・上林さん)

初めての観客不在のお祭りに、寂しさは拭えなかったはず。しかしオンライン配信によって、今まで接触する機会のなかった人に自分たちのパフォーマンスを見てもらえたことは、担い手の方たちの新たなやりがいにつながっていた。

来年以降のお祭りは、オンラインとオフラインのハイブリッド型に

日本のお祭りはこれからどうなるのだろうか? 加藤さんは、「オンラインの良さを取り入れつつ、オフラインに戻していくのが大きな流れになる」と説明する。

「オンライン祭りの良さは、確かにあります。先ほどお話ししたような、オンラインだからこそ実現できる企画がありますし、高齢の方など現地に来られない方がお祭りに参加する手段にもなる。さらに、遠くの人たちにお祭りを知ってもらうプロモーションの機会にもなります。

その一方で、オンライン祭りだけではオフラインのお祭りほど地域経済に貢献できないのも実情です。例えば徳島県では今年、阿波踊りの中止によって多くの宿泊施設が廃業の危機に追い込まれました。年に一度の大きなお祭りで経済が成り立っている地域があることを踏まえると、『お祭りはこれからもずっとオンラインで』というわけにはいきません」

例年開催されている徳島県内の阿波踊り(写真提供/オマツリジャパン)

例年開催されている徳島県内の阿波踊り(写真提供/オマツリジャパン)

オンライン夏祭りで全国配信された阿波踊り(写真提供/オマツリジャパン)

オンライン夏祭りで全国配信された阿波踊り(写真提供/オマツリジャパン)

そこでオマツリジャパンは現在、内閣官房の関係各省、日本青年会議所と連携し、アフターコロナのお祭りガイドラインの作成を進めている。どのような安全対策が適切なのかが明確になれば、オフラインのお祭り復活に向けた目処が立ちそうだ。

とはいえ、どんなに体制が整ったとしても、お祭りをやる人たちの意欲が削がれてしまっては意味がない。例年通りのお祭りを開催できなかったために、肝心の担い手のモチベーションが落ちてしまってはいないだろうか? そんな筆者の心配をよそに、宝龍会の上林さんは来年に向けた意気込みを力強く語ってくれた。

「逆に火がついていますよ。僕たちの勢いが止まることはありません。今年のオンライン祭りで僕たちの祭りに興味を持った方が直接見に来てくれるようなことがあったら、すごくうれしいですしね。それから、来年はお祭り中の櫓(やぐら)の中の様子も配信できたら面白いと思うんですよ。舞台裏のドタバタ劇を楽しんでもらうのもいいかもしれません」

取材に対応してくれた宝龍会の上林さん(写真提供/オマツリジャパン)

取材に対応してくれた宝龍会の上林さん(写真提供/オマツリジャパン)

今年のオンライン祭りをきっかけに、新しいアイデアも広がっている様子。来年以降はオンライン配信という新しい武器とともに、全国のお祭りが今まで以上の盛り上がりを見せてくれることを願いたい。

●取材協力
オマツリジャパン
泉州音頭 宝龍会

鹿児島発「こどものけんちくがっこう」って? 未来の地域づくりに種をまく!

数学や英語、プログラミングなどは学校以外で子どもが学べる場があるけれど、「建築」について子どもが学べる場は聞いたことがなかった。鹿児島県鹿児島市が拠点の「こどものけんちくがっこう」は、自分たちが暮らす地域の環境や住まいについて学べる学校だ。2020年度には日本建築学会教育賞(教育貢献)や第14回キッズデザイン賞のキッズデザイン協議会会長賞・奨励賞も受賞している。大学に建築学科があるのだから、国語や算数のように、小さなころから建築に意識を向けるのは良いことに違いない!「こどものけんちくがっこう」を立ち上げた鹿児島大学准教授の鷹野敦先生にお話をお聞きした。
日本の子どもたちに、一般教養として建築を学ぶ場を

まず、2016年の「こどものけんちくがっこう」立ち上げの背景について。
「私は鹿児島大学に着任して5年目になりますが、その前はフィンランドの大学に研究員として勤めていました。向こうで木造建築に関する研究をしながら暮らし、子育ても経験しました。

フィンランドの人たちは、街や建物への意識や関心がとても高いんです。多くの人が、それらを『自分のこと』として考えていて、それって大事だなと。日本ではなかなかないことなので、感銘を受けました」

フィンランド・ヘルシンキの児童向けの建築学校の様子(写真提供/鷹野先生)

フィンランド・ヘルシンキの児童向けの建築学校の様子(写真提供/鷹野先生)

では、フィンランドの人たちは、具体的にはどんな風に街と関わっているのだろう。

「例えば公共の建物をつくる場合、日本ではプロポーザル方式で委託先を選んで進めることが多く、その決定に至るまでのプロセスの中で、実際にその建物を使う一般の住民との接点はあまりありませんよね。一方、フィンランドでは情報をオープンにして、住民投票を行うこともあるし、住民が反対したら建設自体を止めることもあります。それに、大人も子どもも長い夏休みがあるので、コテージなどのセカンドハウスを持っている家が多く、親子で自宅やそれら住まいのメンテナンスをすることも日常的なのです」

確かに日本では、気づいたら空き地で工事が始まっていて、施設が建っていることが多いし、そういうものだと思っていた。建物の建設に住民が関わる場がないまま物事が決まっているので、賛否に関わらず、活動に参加する機会があまりない。

「だから、自分が日本に帰ることがあれば、子どもたちへの一般教養として、塾やピアノやそろばんのように、建築を学べる場をつくりたいと思っていたんです」と鷹野先生。2016年に帰国することとなり、鹿児島大学の准教授に着任してから、知り合いだった地元の工務店「ベガハウス」に声をかけ、わずか1カ月で「こどものけんちくがっこう」を立ち上げたという。

薩摩藩の「郷中教育」に習い、先輩が後輩へ伝える

以来、鹿児島大学構内で、月に2回、毎回5コマの授業を実施してきた。生徒は小学3年生から中学生まで。コロナ禍でオンライン授業となる前までは、学年ごとのクラス制で授業を行っていた。

「授業内容は、ものづくりが中心です。2~3コマで完成するような、住まいの模型や家具づくりなどを行います」(鷹野先生)

レベル別に3段階の内容があり、
小学3・4年生は「建築を楽しむ!をテーマに、簡単な木工や模型づくり」
小学5・6年生は「建築を考える!をテーマに、環境や森の座学から少しハイレベルなものづくり」
中学生は「建築を深める!をテーマに、建物の構造や日当たり、通風など屋内環境などの座学からハイレベルなものづくり」
といった具合だ。

木材だけでつくる(金物無し)橋の製作授業。2019年の定期授業(5年生クラス)の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

木材だけでつくる(金物無し)橋の製作授業。2019年の定期授業(5年生クラス)の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

子どもたちには、ノコギリやインパクト、金槌、メジャー、直角定規といった“マイ道具”を毎回持参してもらうというから本格的だ。

マイ道具をそろえることで、道具の使い方を覚え、モノづくりに愛着がわき、また日ごろから建築への興味を深めることができるそうだ。実際に、木工で余った端材を持ち帰り、家庭でも親と一緒に工作に挑戦する子たちがいるという。

そして最大の特徴は、鷹野先生は裏方に回るということ。代わりに大学生が1年間、生徒たちの「担任の先生」として教壇に立つ。「担任は、年間の授業計画や材料費の見積もりなど、お金のマネジメントも行います。子どもたちに建築を教えつつ、学生本人のためにもなるという取り組みなのです」

2019年の定期授業(中学生クラス)で、大学生である担任の先生から、日本の木造建築の多くを占める在来軸組の仕組みに関して学ぶ子どもたち(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2019年の定期授業(中学生クラス)で、大学生である担任の先生から、日本の木造建築の多くを占める在来軸組の仕組みに関して学ぶ子どもたち(写真提供/こどものけんちくがっこう)

先生役の大学生は、鷹野先生の研究室所属生だけでなく、やりたいと申し出た学生たち。やる気があれば学年も問わないという。

「かつて薩摩藩には、郷中教育(ごじゅうきょういく)という伝統の縦割り教育がありました。先生を立てずに、先輩が後輩に伝えていくという教育方法です。『こどものけんちくがっこう』を、現代版の郷中教育の場にしたいと考えました」

子どもたちが持つ建築への興味をさらに引き出す授業

では、受講生はどんな子どもたちなのだろう。子どもか、もしくはその親が、かなり建築に対し意識が高いのでは?!

「そもそも、子どもたちは建築への興味が高いものですよ」と鷹野先生。「受講者の親御さんも、もちろん興味を持っている方たちが大半ですが、子ども自身が建築や建物に関心を持っているということが多いのです。また、申し込んだのは親でも、子どもがどんどんのめり込むというケースが多いです」

そういえば我が家の子どもも、幼児期から木工などのイベントを楽しんでいるし、道を歩くと景色の変化によく気がつく。木や自然も大好きだ。子どもたちはもともと、建築への“意識高い系”だったのだ。

街並み見学や製材所、建設現場の見学、森へ連れて行くこともあるそうだ。「括りは『建築』ではなく、『環境に対してどう意識を持つか』だと思うのです。家だけでなく、街全体を自分たちが住む場所だと考えれば、森も家も関係なく、自分を取り巻くエリアが住まいだといえます。子どもたちにそう思ってもらうことは、地域の貢献にも繋がると思います」と話す。

また、毎年夏休みには、2日間かけて特別授業を実施。「工務店の大工さんにサポートしてもらいながら、実際の建物を子どもたちが建設します」

アイデア出しも、もちろん子どもたち自身で。夏期特別授業に向けて、担任の学生と一緒に子どもの遊び場を考案中(写真提供/こどものけんちくがっこう)

アイデア出しも、もちろん子どもたち自身で。夏期特別授業に向けて、担任の学生と一緒に子どもの遊び場を考案中(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2017年の夏期特別授業で、鹿児島市内の商業施設「マルヤガーデンズ」の屋上「ソラニワ」に、子どもの遊び場「ソラニワモッキ」を建設。大人はボランティアで、サポートに入る工務店も「子どもたちに建築を教えることは、ビジネス抜きで重要」と考えているそう(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2017年の夏期特別授業で、鹿児島市内の商業施設「マルヤガーデンズ」の屋上「ソラニワ」に、子どもの遊び場「ソラニワモッキ」を建設。大人はボランティアで、サポートに入る工務店も「子どもたちに建築を教えることは、ビジネス抜きで重要」と考えているそう(写真提供/こどものけんちくがっこう)

「こどものけんちくがっこう」を受講する子どもたちは、「街にこんな建物があったよ」「なんで窓がここにあるんだろう?」と、自分が住む地域や住まいを見る目が変わる。自分の家を新築するタイミングがあった生徒は、「プロの大工仕事を手伝った」と喜んでいたという。

受講した子どもたちが、将来建築の道に進んでも進まなくても、どちらでもいいと考えているという鷹野先生。「衣食住の中の住に目を向けてもらえればいいと思っています」

それでも受講生の中には、すでに工業高等専門学校の建築学科に進んだ女の子もいるという。「建築への興味に男女差もないですね」とのことだ。

身の回りのことから街を住みやすく変える意識を

これまでも、鹿児島大学の農学部など他の学部や、行政ともコラボレーションして活動してきた。
「コラボレーションする側の大人にも、環境や建築に関して『やはり子どもたちへの教育が大事だ』という機運が広がったと感じます」という鷹野先生。

「本来、住む建物や街は他人事ではありません。『家は製品のように買うもの』『壊れたら誰かに直してもらおう』といった意識を変えていかなければ。これは、地域や年代に関わらず、国内全体に対して言えることです」

そして鷹野先生から、「日本の建築教育は世界でもトップクラスなのに、日本の街並みは統一感やビジョンがなく、あまりキレイではないですよね」とドキリとするような指摘が。

「住む街を自分たちのものだと思わないと、住環境は変わっていきません。専門家の考えだけではなく、一般の方々が何を求めるのかということです。行政の人も住民ですから、そういった人も含めて、一人ひとりが危機感を持たなければ。市井の人が『ここはもっとこうならないの?』と街を意識しなければいけません」

それでは、専門知識がない私たち住民が、街への意識を持つためには、何をしたらいいのだろうか。

「例えばみんなで地域を掃除するとか、そういった身の回りのことからでもいいのです。こどものけんちくがっこうの活動も、まだ“点”ではありますが、自分たちの住む街を変化させようと、子どもたちと取り組んでいるところです」

子どもの読書スペースのアイデアを出す、2018年の夏期特別授業の様子。子どもたちは皆真剣な表情(写真提供/こどものけんちくがっこう)

子どもの読書スペースのアイデアを出す、2018年の夏期特別授業の様子。子どもたちは皆真剣な表情(写真提供/こどものけんちくがっこう)

これまでも前述の夏期特別授業で、鹿児島市内の商業施設の屋上に、子どもたちが考えた居場所をつくるなどの取り組みを行ってきた。

「これは商業施設とのタイアップによるものでしたが、若いファミリーが多く訪れる施設ですので、子どもも行きたくなる遊び場をつくってはどうかとみんなで考えました」

翌年は、同じ商業施設の「ジュンク堂書店」児童書コーナーに、子どもの読書スペースを制作。靴を脱いで座ったり、柱にもたれたり。子どもたちの「こんな場所で自由に本が読みたい」というアイデアが表現された、秘密基地のようなスペースだ。こちらは現在も利用することができる。

2018年の夏期特別授業でつくった子どもの読書スペース(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2018年の夏期特別授業でつくった子どもの読書スペース(写真提供/こどものけんちくがっこう)

そして今年は、同じ商業施設の授乳室に小さい子の遊び場を制作中とのこと。赤ちゃんの授乳時、上の子の待ち時間などに重宝しそうだ。

「街歩きをするときには、『ゴミ拾いをしながらやろう』と子どもたちに呼びかけて実施してきました。そのほうが、街のことや環境のことなどがいろいろと目に入ってくるんですよ」と鷹野先生。子どもたちの純粋な気持ちとキラキラした好奇心が、活動の原動力だ。

時間と場所を飛び越え、「オンラインだからできる建築」を模索中

今年はコロナ禍で、「こどものけんちくがっこう」も思うように現場で活動ができなくなり、代わりにオンライン授業をスタートした。

「オンラインだからこそできることもありますよね。まず、時間や場所を飛び越えられます」と鷹野先生は前向きに捉えている。実際、これまでの受講生は鹿児島県内在住の子どもたちだったが、今年は全国の子どもたちが受講する機会を得た。

「また、各自が家で過ごす時間が長くなり、『家の中を調べてきて』などと、より住まいを教材にしやすくなりました。これまで以上に、自分の住まいに目を向けていくこと。それを探索するのが今年だと思います」

2020年のオンライン授業「○○家」の様子。子どもたちが思い思いの小さな住宅を製作した(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2020年のオンライン授業「○○家」の様子。子どもたちが思い思いの小さな住宅を製作した(写真提供/こどものけんちくがっこう)

例えば、「世界の住まいを学ぼう」という授業では、フィンランドやスウェーデンに住む知人とオンラインでつなぎ、約7時間の時差を超え、ライブ配信で北欧の住まいや街を知る授業を実施したという。

2020年のオンライン授業「世界の住まいを学ぼう フィンランド/スウェーデン編」の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2020年のオンライン授業「世界の住まいを学ぼう フィンランド/スウェーデン編」の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

「今後は状況を見ながらですが、来年からは、オンサイトでの授業とオンライン授業を並行し、規模や内容を広げていきたいと思います。また、全国で同じ志を持つ人たちと連携し、こどものけんちくがっこうの全国展開も考えています」

すでにフィンランド・ヘルシンキやイタリアにある建築学校とも繋がりを持っているといい、オンラインを活用して世界はますます広がっていく。

大人も受講してみたいと話すと、「保護者の方からそういった声もあがっているので、いずれはオンラインで大人向けの『けんちくがっこう』も考えています」とのことだ。

子どもたち目線で暮らしやすければ、親目線でも子育てしやすい環境であり、もちろん大人も暮らしやすいはず。そうなると街に愛着を持つ人が増え、定住率が高まっていく……。これからの新しい街づくりにも活かされそうだ。

今後全国に広がるであろう「こどものけんちくがっこう」の卒業生たちが、建築だけでなく行政や街づくりに関わる仕事についたら、未来の街並みも変わるかもしれない。

市民講座でも「こどものけんちくがっこう」として鷹野先生が授業を行った(写真提供/こどものけんちくがっこう)

市民講座でも「こどものけんちくがっこう」として鷹野先生が授業を行った(写真提供/こどものけんちくがっこう)

「建築」と難しく捉えなくても、自分たちの住まいや街・地域から気づきが得られ、還元できる学問だと考えれば、深めるほど毎日が楽しくなりそう。それに、子どもが住まいのことに興味を持ってくれれば、家のメンテナンスや大掃除がラクになるかも……!? 子にも親にもいいことばかりだ。

オンラインの「こどものけんちくがっこう」は、ZOOM環境があれば受講可能(小学校低学年は保護者の同席が望ましい)。ホームページのメールフォームから申し込み、授業料(1講座1000円~2500円)を振込む形なので、気になるテーマから選ぶことができる。

公園でゴミ拾いを始めた我が子を、「ダメ!」と制した記憶が蘇った筆者……。今週末は子どもと一緒に街を歩いてみよう。改めて、自分が住んでいる地域を見つめ直してみようと思った。

鷹野敦さん●取材協力
鷹野敦さん
1979年生まれ。Doctor of Science (Tech.) / 一級建築士、鹿児島大学大学院修了。アアルト大学木質材料学修士・博士課程修了(フィンランド)。2016年度より鹿児島大学大学院理工学研究科准教授。
建築設計、木質材料・構法、環境評価、児童向け建築教育など、幅広く実践・研究活動を行っている。
受賞歴に2020年日本建築学会教育賞(教育貢献)、第14回木の建築賞(活動賞)、ウッドデザイン賞2019優秀賞(林野庁長官賞)、第14回キッズデザイン賞(キッズデザイン協議会会長賞・奨励賞)、2020年度かぎん文化財団賞(学術)など(写真提供/鷹野先生)
・こどものけんちくがっこう
・FaceBookページ
・Instagramページ

“タイニーハウス”が災害時の避難場所に!? 山梨県小菅村で「ルースターハウス」誕生

地震や台風、風水害、豪雪などの自然災害が多発する日本。しかも2020年は新型コロナウイルスが流行し、災害発生時の避難場所、仮設住宅をどう備えるのかが課題となっています。今回、そんな感染症流行下の避難場所としても活躍しそうな「タイニーハウス」が、山梨県小菅村に誕生しました。その背景や思いを聞いてきました。
山梨県小菅村で、災害発生時に避難場所になるタイニーハウスが誕生

人口約700人、多摩源流の山間にある小菅村は、10~25坪の小さな小屋が次々と誕生している「タイニーハウス村」として、以前、SUUMOジャーナルでも紹介しました。

山あいにある小菅村。多摩川の源流の村でもあります(写真提供:SUUMOジャーナル編集部)

山あいにある小菅村。多摩川の源流の村でもあります(写真提供:SUUMOジャーナル編集部)

小菅村のタイニーハウスのひとつ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小菅村のタイニーハウスのひとつ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

この小菅村で今年10月に誕生したのが、感染症対応をしつつ、災害発生時に避難場所として活躍するタイニーハウスの「ルースターハウス」です。

2020年10月にお披露目となった「ルースターハウス」。見た目はかわいいが、避難所になる(写真提供/小菅村)

2020年10月にお披露目となった「ルースターハウス」。見た目はかわいいが、避難所になる(写真提供/小菅村)

ちなみに、「ルースター」は英語で、雄鶏という意味のほか、とまり木、ねぐらという意味があるとか。災害時のひとときの住まいという意味で、「ルースターハウス」と名付けたといいます。

このルースターハウスの特徴は、災害時、感染症対策をしながらの避難場所になるだけでなく、(1)軽トラ一台で持ち運べる、(2)4m×4mのスペースに、ドライバーとレンチがあれば大人2~3人で、1時間程度で組み立てられ、(3)山梨県の木材を活用する、といった点にあります。トイレやシャワーなどの水まわりはありませんが、家族4人程度のプライバシーを保ちながら仮住まいすることが可能です。

地元の間伐材を加工して集成材とし、建物の骨組みにしている。避難場所、資源の有効活用、地元の産業振興と一石三鳥にもなる(写真提供/小菅村)

地元の間伐材を加工して集成材とし、建物の骨組みにしている。避難場所、資源の有効活用、地元の産業振興と一石三鳥にもなる(写真提供/小菅村)

(写真提供/小菅村)

(写真提供/小菅村)

ルースターハウスの原型は、「タイニーハウスコンテスト」の応募作品

このルースターハウスの仕掛け人となったのは、前回の取材でも登場してくれた一級建築士・技術士の和田隆男さんと小菅村村長の舩木直美さんの2人です。

「小菅村では毎年、タイニーハウスコンテストを開催しているのですが、2019年に最優秀賞を獲得していた、滝川麻友さんの『森を浴びる家』のアイデアはすばらしく、なんとかかたちにしたいと思っていました」と和田さん。

『森を浴びる家』の応募時の模型。当初は好きな場所で組み立てることができ、自然の明かりで目覚める住まいを考えていて、防災用の用途は考えていなかったといいます(写真提供/小菅村)

『森を浴びる家』の応募時の模型。当初は好きな場所で組み立てることができ、自然の明かりで目覚める住まいを考えていて、防災用の用途は考えていなかったといいます(写真提供/小菅村)

しかし、今年はコロナウイルスの流行もあり、サンプルをつくるのは難しいと考えていたところ、舩木村長から「組み立て式の建物でポータブル。これは、感染症流行下の避難場所として活用できるのではないか。費用はなんとか工面するので、かたちにしてみよう」と提案があり、サンプルづくりを進めたそう。

そもそも、災害発生時に自治体が設置する避難所は、学校などの公共施設に開設されることが多く、多数の人が避難生活を送るため、プライバシーが確保できない、感染症の集団感染が起きるといった問題点が指摘されてきました。

「災害はいつ、どこで発生するかわかりません。しかも今年はコロナウイルス対策として、避難場所の受け入れ人数を半分以下とせざるを得ないため、国も地方自治体も頭を悩ませています。このルースターハウスは組み立て式で持ち運べる。ひょっとしたら避難場所になるのでは、という思いがありました」(舩木村長)

ちなみに、東日本大震災発生時には、「まわりに迷惑がかかると感じた」「設備面で滞在に支障があった」といった理由で避難所から退所していった人が多かったそう(平成25年「避難に関する総合的対策の推進に関する実態調査結果報告書」内閣府)。特に小さな子どもや高齢者・障がいがある人にとっては、避難所での大きな場所が区切られていない、集団生活は大きなストレスとなることでしょう。

また、小菅村では2019年台風19号で被災し、道路が寸断された経験があることから、災害時に空輸・持ち運びしやすさを考え、組立前の重量350kg以内、一つのパーツの長さ1.8m、重さ10kg未満など、軽トラに乗せられる「持ち運びやすさ」にもこだわったといいます。

材料は軽トラック一台で運べる(写真提供/小菅村)

材料は軽トラック一台で運べる(写真提供/小菅村)

「地方の山間の集落は道路も細く、大型トレーラーが入れないことがあります。機動力のある軽トラで持ち運べることというのはサンプルをつくるのにあたって何度も言われました」と和田さん。被災経験があり、地方の実情を知っているだけに、その説得力は十分です。

船木さんは、「このルースターハウスがあれば、周囲の目を気にせずに避難生活が送れます。感染症が流行する心配もなく、自宅とまではいかなくとも、多少なりともくつろげることでしょう」といいます。

タイニーハウスの表彰式での和田さん(左)、デザインした滝川さん(中央)、村長の舩木さん(右)(写真提供:小菅村)

タイニーハウスの表彰式での和田さん(左)、デザインした滝川さん(中央)、村長の舩木さん(右)(写真提供:小菅村)

ちなみに、このルースターハウスの原型となった『森を浴びる家』をデザインした滝川麻友さんは、応募当時、高校生でしたが(!)、現在は早稲田大学建築学科に進学したといいます。
「今回のサンプルを拝見して、自分が空想していたことが現実になったのが、いちばんの驚きでした。私の妄想が大人のみなさんの力でかたちになっていき、貴重な経験をさせていただいたと思っています」と話します。若い着想と大人の力が組み合わさって新しいタイニーハウスができる。まるでドラマのような展開ですね。

気になる価格は80万円程度? 平時はグランピングとして活用!

今回のルースターハウスはまだサンプルの段階ですが、実用化にあたっての課題、今後の活用法についても聞いてみました。

「骨組みは木材ですが、タイニーハウスの外側はポリエステル樹脂を使っていて、通気性や断熱性などの居住性を高めつつ、耐久性も確かめたいですね。また、デジタルファブリケーションを使って加工しているので、1基を生産するのに5日間かかりました。量産化するのであればこのペースアップ、1基の価格設定でしょうか」と和田さん。ちなみに現在だと外皮を含めて一基80万円ほどかかりますがこれからコストダウンを考えますとの事。舩木村長からも、もう少し安く、早くできるようにプッシュされているとか。

デジタルファブリケーションを用いて木材を加工している(写真提供/小菅村)

デジタルファブリケーションを用いて木材を加工している(写真提供/小菅村)

「ルースターハウスは、平時はグランピングやキャンプなどの宿泊施設としてお金を稼ぎ、非常時には仮設住宅、避難場所として活用することを考えています。小屋もしまっておくのではなく、平時も非常時も活用できるのが理想ではないでしょうか」(舩木村長)

グランピングやキャンプなど宿泊施設としての活用も検討中(写真提供/小菅村)

グランピングやキャンプなど宿泊施設としての活用も検討中(写真提供/小菅村)

移動可能な小さな住まいにはモンゴルの伝統家屋「パオ」、避難場所として受け継がれてきた日本の「板倉小屋」がありますが、ルースターハウスは「パオ」や「板倉小屋」のいいとこ取りをしています。もちろん、自然災害が起きないに越したことはありませんが、世界中で気候変動が進む今、日本のみならず各国で住まいの備えが必要になりつつあります。もしかしたらルースターハウスは、日本発の持ち運べる避難場所として世界に広まっていくかもしれません。

●取材協力
小菅つくる座
小菅村 ルースターハウス
タイニーハウス小菅プロジェクト

大田区「池上」が進化中!リノベで街の魅力を再発掘

日蓮宗の大本山「池上本門寺」が13世紀に建立されて以来、門前町としてにぎわってきた東京都大田区池上。2019年ころから、地域の持続的な発展を推進する「池上エリアリノベーションプロジェクト」が進行中で、歴史ある街の各所に新たな感性が芽吹いている。大田区と共同で同プロジェクトに取り組む東急株式会社の磯辺陽介さんの案内で、魅力を増す池上の街歩きをしてみよう!
街リノベは目的ではなく手段、プロジェクトで池上のポテンシャルを引き出す

3両編成の電車がコトンコトンと行き交う東急池上線。五反田と蒲田という二つの繁華街を繋いでいるにも関わらず、沿線はローカル感が漂う。もともと池上本門寺の参拝客のために生まれた路線で、池上はその中心的存在だ。

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

池上のシンボル、池上本門寺。宗祖日蓮聖人の命日に行われる法要「お会式(おえしき)」は毎年10月11~13日の3日間執り行われ、30万人にも及ぶ参詣者で街がにぎわう(写真撮影/相馬ミナ)

池上のシンボル、池上本門寺。宗祖日蓮聖人の命日に行われる法要「お会式(おえしき)」は毎年10月11~13日の3日間執り行われ、30万人にも及ぶ参詣者で街がにぎわう(写真撮影/相馬ミナ)

2020年7月に生まれ変わった池上駅構内には、木がふんだんに使われ、電車を降りると木の香りがする。池上本門寺の参道に繋がるようなイメージでデザインされたという自由通路を抜け、駅北口から池上本門寺方面に向かおう。駅前には、池上名物・くず餅の老舗「浅野屋 」が店を構える。

「池上は、くず餅発祥の地とも言われていて、老舗のくず餅屋さんが何軒もあるんですよ」と磯辺さんが教えてくれた。池上が地元の方には当たり前の風景かもしれないが、コンパクトなこの街の中に数百年続くお店が点在しているのは、すごいことではないだろうか。

池上駅前。駅舎は構内踏切がある平屋から、地上5階建てのビルに生まれ変わった。駅ビルのエトモ池上は2021年春に開業予定(写真撮影/相馬ミナ)

池上駅前。駅舎は構内踏切がある平屋から、地上5階建てのビルに生まれ変わった。駅ビルのエトモ池上は2021年春に開業予定(写真撮影/相馬ミナ)

「池上は「池上本門寺」に約700年寄り添ってできた街です。もともと街はありますし、 “まちづくり”という単語がおこがましいと思っているんですが……」と磯辺さんは前置きしつつ、「『池上エリアリノベーションプロジェクト』は、人や場所、歴史、文化などの地域資源を、再発掘・再接続・再発信によって活かすまちづくりの取り組みです」と説明してくれた。

2017年3月、池上で東急主催のリノベーションスクール(※)を実施したことをきっかけに、プロジェクトが始動した。数ある東急線沿線の街の中から池上を選んだ理由を尋ねると、「池上駅をリニューアル予定だったこともあるのですが、池上のヒューマンスケールというか、こぢんまりとしていて血が通っている感じが、リノベーションスクールの世界観と合いそうだと感じたんです」と磯辺さん。

※全国各地で開催される、まちなかに実在する遊休不動産を対象とし、エリア再生のためのビジネスプランを提案し実現させていく実践型スクール

場をつくって終わりではなく、まちづくりに取り組む人をサポート池上駅北口から池上本門寺へ向かって延びる池上本門寺通り商店会。旧参道にあたり、「SANDO(サンド)」(写真右側の建物)はその入り口にある(写真撮影/相馬ミナ)

池上駅北口から池上本門寺へ向かって延びる池上本門寺通り商店会。旧参道にあたり、「SANDO(サンド)」(写真右側の建物)はその入り口にある(写真撮影/相馬ミナ)

磯辺さんの案内でまず訪れたのが、「SANDO BY WEMON PROJECTS(サンド バイ エモン プロジェクツ、以下SANDO)」。池上エリアリノベーションプロジェクトの一環として誕生した、“コーヒーのある風景”をコンセプトに活動するアーティストユニット「L PACK.(エルパック)」と、建築家の敷浪一哉さんが運営する、カフェでありプロジェクトの拠点だ。

「『SANDO』のことを普段僕らは、“カフェを装っている”と言っているんです」と磯辺さん。どういうことか尋ねると、「お客さんとの会話から地域資源を見つけたり、外から訪れた人とマッチングをしたり、カフェ以外の役割も担っているんです」という答えが返ってきた。

「SANDO」の店内。カウンターではテレワークをする若者、テーブル席ではゆったり腰掛けて談笑する年配の方など、幅広い世代が思い思いに過ごしていた(写真撮影/相馬ミナ)

「SANDO」の店内。カウンターではテレワークをする若者、テーブル席ではゆったり腰掛けて談笑する年配の方など、幅広い世代が思い思いに過ごしていた(写真撮影/相馬ミナ)

「パウンドケーキセット」(900円・税込)でひと息(写真撮影/相馬ミナ)

「パウンドケーキセット」(900円・税込)でひと息(写真撮影/相馬ミナ)

「SANDO」は、東急と大田区による街づくり勉強会の会場にもなっている。ウィズコロナや事業継承などをテーマに、ゲストを招き、参加者である若手事業者へヒントや気づきの場になればと不定期に開催。場をつくって終わりではなく、池上エリアが持続的に発展するためのサポートの在り方を模索しているそう。

「SANDO」では、フリーペーパー「HOTSANDO」を月に1回発行。情報発信だけでなく、取材を通して地域資源を発掘する役割も(写真撮影/相馬ミナ)

「SANDO」では、フリーペーパー「HOTSANDO」を月に1回発行。情報発信だけでなく、取材を通して地域資源を発掘する役割も(写真撮影/相馬ミナ)

「池上エリアリノベーションプロジェクト」開始からわずか約1年半にも関わらず、すでにリノベーション物件が3事例開業。「ここまで早く事業が動いたのは、池上が歴史ある街であることが大きいのでは」と磯辺さんは分析する。続いてはその3事例を見せてもらおう。

多才な夫婦が目指す、地域と人とが繋がる拠点「つながるwacca」

1軒目は「池上本門寺通り商店会」を進んで、「つながるwacca」へ。介護福祉士の社交ダンサー・井上隆之さんと、管理栄養士のヨガインストラクター・千尋さん夫妻が運営する多目的スタジオだ。

池上本門寺通り商店会の様子。呉服店や煎餅店など、古くからあるお店が今も元気に営業している(写真撮影/相馬ミナ)

池上本門寺通り商店会の様子。呉服店や煎餅店など、古くからあるお店が今も元気に営業している(写真撮影/相馬ミナ)

地場の不動産会社が所有するスペースを題材に、街への思いを持つ開業希望の人たちとマッチングさせる企画「KUMU KUMU」に、自分・人・地域がつながる場として井上さん夫妻が提案。大人向けはもちろん赤ちゃん と一緒にできるヨガをはじめ、食イベントや親子カフェマルシェなどが行われている。

コインランドリー横の空きスペースをリノベーションして誕生した「つながる wacca」。取材に訪れた際は「ちょこっとカフェ」の営業中(写真撮影/相馬ミナ)

コインランドリー横の空きスペースをリノベーションして誕生した「つながる wacca」。取材に訪れた際は「ちょこっとカフェ」の営業中(写真撮影/相馬ミナ)

2020年春に開業予定だったが、コロナの影響で8月に延びた。それでも「その分ゆっくりしたペースで準備を積み上げられたかな」と隆之さん。「夫がポジティブなので私も前向きになれました」と千尋さんも笑う。

とにかく笑顔が素敵なお二人で、話しているとこちらも気持ちが明るくなる。そんな井上さん夫妻の元にふらっと集まるご近所さん同士が、自然と繋がれる、そんな空気感に包まれた場だ。

娘さんを抱っこする井上隆之さんと千尋さん。「池上の“人”が好きです。人と繋がりやすいのもいいですね」と千尋さん(写真撮影/相馬ミナ)

娘さんを抱っこする井上隆之さんと千尋さん。「池上の“人”が好きです。人と繋がりやすいのもいいですね」と千尋さん(写真撮影/相馬ミナ)

池上愛が偶然マッチして生まれたシェアスペース「たくらみ荘」

続いては、池上本門寺通り商店会の一本お隣、池上本通り商店会の乾物店「綱島商店」2階に入る「たくらみ荘」。探究学習塾を軸としたシェアスペースだ。新しい学びをプロデュースするa.school(エイ スクール)が運営している。

誕生のきっかけは、先ほどご紹介した「SANDO」が発行するフリーペーパー「HOTSANDO」の別企画で「綱島商店」を取材したことから。プロジェクトについて話す中で、「綱島商店」の方が「実はうちの2階が空いているから、街のためなら」と空間を提供してくれたのだそう。

(画像提供/東急)

(画像提供/東急)

「たくらみ荘」のビフォーアフター。天井や壁を取り払って、さまざまな使い方ができる開放的な空間に(画像提供/東急)

「たくらみ荘」のビフォーアフター。天井や壁を取り払って、さまざまな使い方ができる開放的な空間に(画像提供/東急)

「SANDO」の一角で時折開講していたしていたエイスクールが、池上で本格出店を検討していたところ、条件がマッチ。ある職業になりきりってさまざまなプロジェクトに取り組む「なりきりラボ」や仕事で使われる 生きた算数を学ぶ「おしごと算数」といった街を題材にした小学生向けの授業を中心に、多世代が学ぶ機会を提供している。

池上本門寺近くを流れる呑川。散歩コースや小学校の通学路になっていて、駅から少し距離があるものの人通りは多い(写真撮影/相馬ミナ)

池上本門寺近くを流れる呑川。散歩コースや小学校の通学路になっていて、駅から少し距離があるものの人通りは多い(写真撮影/相馬ミナ)

本を媒介にした社交の場「ブックスタジオ」

最後に訪れたのは、呑川沿いの「ブックスタジオ」。池上に本屋がなかったことからつくられたシェア本屋で、本棚の一枠分をそれぞれひとつの小さな本屋と見立て、各棚店主が当番制のような形で店番も担当し運営にも関わる 仕組みだ。

池上エリアリノベーションプロジェクトでは、本を媒介にした地域の交流促進の場をつくろうと、吉祥寺にある「ブックマンション」でこのシステムを運営していた中西功さんに協力を依頼。
「ブックスタジオ」は、同時期に 立ち上げの動きがあった、「ノミガワスタジオ(ギャラリー&イベントスペース)」のコンテンツのひとつとしてオープンした。

ノミガワスタジオは、動画配信スタジオ「堤方4306」とランドスケープデザイン設計事務所「スタジオテラ」 の共同事業。堤方4306の安部啓祐さんとスタジオテラの石井秀幸さんが、「ブックマンション」の趣旨に賛同したために、マッチングに至った。

30cm×30cmの棚ひとつ一つが、店主の個性溢れる小さな本屋。運営を始めて2カ月ほど、お客さんや場に合わせて     本     を     セレクトする棚店主がいたり、棚店主同士の交流もあったりするそう(写真撮影/相馬ミナ)

30cm×30cmの棚ひとつ一つが、店主の個性溢れる小さな本屋。運営を始めて2カ月ほど、お客さんや場に合わせて 本 を セレクトする棚店主がいたり、棚店主同士の交流もあったりするそう(写真撮影/相馬ミナ)

2020年9月にオープンして、取材日時点では約2カ月が経過したところ。金・土曜日の週2回しか営業していないにも関わらず、40ある本棚の半分ほどが埋まり、すでにリピーターの姿が見受けられた。

「コロナの影響で準備期間が延びたんですけど、その間、お店の前を通る方が“ここはなんぞや”と気になっていてくれたようで」と、石井さん。客層は、お散歩されている年配の方がふらっと訪れたり、親子が中でゆっくり過ごしたりというのが多いそう。無料で気軽に利用することができるのが魅力だ。

左から、堤方4306の安部啓祐さん、スタジオテラの石井秀幸さん、野田亜木子さん。「地元の人間ではありませんが、地域の人からフラットに接してもらえますし、その緩さが住みやすさに繋がっていると思います」と石井さん(写真撮影/相馬ミナ)

左から、堤方4306の安部啓祐さん、スタジオテラの石井秀幸さん、野田亜木子さん。「地元の人間ではありませんが、地域の人からフラットに接してもらえますし、その緩さが住みやすさに繋がっていると思います」と石井さん(写真撮影/相馬ミナ)

「店番を担当している店主さんは、テーブルを使って展示や販売、ワークショップなど1DAYギャラリーとして利用していただけることもあって、本以外の表現の場となって楽しんでくれているんじゃないですかね 」(石井さん)

安部さんも「僕らは本業のデザイン、動画配信、建築設計事務所の傍「ブックスタジオ」を運営しています。100%営利目的での運営ではないことが、ここの空気感に繋がっているのかもしれません。また、長く続けられるように、自分たちもなるべく無理をしないように心がけています。合言葉は“無理をしない”です」と話す。

「ブックスタジオ」そして運営の皆さんもすっかり街に溶け込んでいて、インタビュー中も通りかかる人々から次々と声を掛けられていた。

取材日には棚店主の息子さんが子ども店長となり、好きな鉄道をテーマにした展示を開催(写真撮影/相馬ミナ)

取材日には棚店主の息子さんが子ども店長となり、好きな鉄道をテーマにした展示を開催(写真撮影/相馬ミナ)

子ども店長が制作した池上駅の変遷をまとめた本。彼の池上駅への愛に感動した磯辺さんが第1号の購入者に(写真撮影/相馬ミナ)

子ども店長が制作した池上駅の変遷をまとめた本。彼の池上駅への愛に感動した磯辺さんが第1号の購入者に(写真撮影/相馬ミナ)

「池上エリアリノベーションプロジェクト」にとても影響を受けたと話す石井さん。仕事でいろんな街の地域交流の場をつくったりしているものの、自分が住む街は平和で問題ないと思っていたというが、「住む街が楽しかったらもっといいんじゃないのと最近は思うようになりました。コロナ禍の影響と相まって、例えば街の歴史を学んだり、お店を開拓したりして”自分の街の解像度”をどう上げていくか、楽しさが長く続く方法などを同時に考えるようになって。磯辺さんたちは池上にどんな人がいるかというのを顕在化してくれていると思うんです。困ったらあの人と繋がろうかなと思えますし、この街で暮らす楽しさが増しました」

池上を案内してくださった磯辺さん。街歩きが大好きで、コロナの影響が出る前は、池上の街歩きを企画していたそう(写真撮影/相馬ミナ)

池上を案内してくださった磯辺さん。街歩きが大好きで、コロナの影響が出る前は、池上の街歩きを企画していたそう(写真撮影/相馬ミナ)

訪れた先々で感じたのは、利用者が子どもからお年寄りまで世代に偏りがなく、「池上エリアリノベーションプロジェクト」が幅広い層に受け入れられていること。ぽっとできた新しいものではなく、街の資源をパッチワークしてつくられたお店や施設なので、池上の人々に馴染んでいるのだと感じた。

そして何より重要なのは、街を想う人々の存在。紹介した「池上エリアリノベーションプロジェクト」のリノベーション事例以外にも、池上には街を愛する人々による古民家カフェなど 個性豊かな店が存在している。休日にふらりとまち歩きをしてみてはいかがだろうか。

●取材協力
・東急株式会社/大田区
・池上エリアリノベーションプロジェクト
・SANDO
・つながるwacca
・ノミガワスタジオ

パリの暮らしとインテリア[7]18世紀築のアパルトマンを大改装! 2度目の外出禁止令のお家時間

2度目のロックダウンになる前に訪問した、パリの中心部にも近いサン・ドニ門近くに住むファッション小物ブランド「MAISON N.H PARIS」代表、紀子さんのアパルトマンをご紹介。外出禁止令が出てからのお家時間についても伺いました。連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。アパルトマン購入のきっかけと決め手になった条件

紀子さんは雑誌や広告のファションコーディネーター、プロデューサーとして活躍し、並行して6年前から始めたラフィアのバック、帽子スカーフなどのファッション小物のブランドMAISON N.H PARIS代表でもあります。娘で22歳のマヤさんはすでに独立し、息子のリュアン君18歳はロンドン留学中、レイ君14歳は父親(元夫)のところと紀子さんのアパルトマンを1週間おきに行き来しています。
20年前、このアパルトマン購入を決意したのは、マヤさんが生まれて3人家族になり、パリ18区にあった50平米のアパルトマンが手狭になったから。「当時、彼(元夫)の仕事場に向かう郊外列車の駅が北駅で、徒歩で通える範囲で探しました」と紀子さん。
メトロの駅にも歩いて行けて、日当たりが良く、大きな浴槽を置くことができる物件を、広さ80平米という条件で探していましたが、18世紀に建てられた130平米のこのアパルトマンをとても気に入ってしまったそう。パリの住宅事情では、明るい部屋を探すのはとても大変ですが、このアパルトマンの日当たりの良さが購入の決め手となりました。「全てを得るのは難しいので、どこで折り合いをつけて、その中で幸せを見つけるかが私の人生のテーマ」 (紀子さん)。パリの古い建物にはよくありがちなエレベーター無し、階段で5階まで上り下りをすることにも躊躇しなかったそうです。

4部屋に区切られていた壁を全部取り払い、日当たりの良い広いサロンに改装(写真撮影/Manabu Matsunaga)

4部屋に区切られていた壁を全部取り払い、日当たりの良い広いサロンに改装(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サン・ドニ門の商店街に面するアパルトマン

パリの中心地にも近い10区にあるサン・ドニ門の商店街はもともとコスモポリタン的な街です。紀子さん家族が移り住んだ2001年ころは、中近東インドをはじめオリエンタル系、アフリカ雑貨のお店がほとんどを占めていたそう。
ここ6、7年でおしゃれなカフェやレストランなどが増えたため、集まる人たちも多様になりつつあります。BOBO(ボボとはブルジョワ・ボヘミアンの略で、中流階級で高学歴、自由に生きている人々。ファッション業界や自由業が多いとされている)と呼ばれる人々が物価の安かったころに物件を買って住み始めたのも影響しているそう。
近くにはヘアサロン用のヘアカラーやウィックなどプロの卸問屋が軒を連ねたり、小さなテアトルがあったり「にぎやかな地区でお店もいろいろあって生活にはとても便利です」と紀子さんは話します。

紀子さんのアパルトマンから見下ろした商店街。外出制限の時もこの窓辺で過ごすことが多かったそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

紀子さんのアパルトマンから見下ろした商店街。外出制限の時もこの窓辺で過ごすことが多かったそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自宅からこのサン・ドニ門をくぐればパリの中心地へ、毎日必ず見る光景(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自宅からこのサン・ドニ門をくぐればパリの中心地へ、毎日必ず見る光景(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パッサージュ・ブランディはインドのレストランや雑貨、食材の店が並んでいる。「よくここで香辛料などを購入して自宅で料理します」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パッサージュ・ブランディはインドのレストランや雑貨、食材の店が並んでいる。「よくここで香辛料などを購入して自宅で料理します」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

Chez Janetteは紀子さんは子どもを学校へ送り届けた後に、ママンたちとお茶をして情報交換をする場所。今は仕事帰りやひと息つきたいときにカウンターでカフェを飲むそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

Chez Janetteは紀子さんは子どもを学校へ送り届けた後に、ママンたちとお茶をして情報交換をする場所。今は仕事帰りやひと息つきたいときにカウンターでカフェを飲むそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

18世紀築のアパルトマンを大改装

2000年の購入当時、扉や天井が歪んでいたりして全てがボロボロだったため、大規模な改装工事を物件の購入価格の1/6の工事費をかけて行いました。物件は洋服関係の作業場だったらしく、130平米に何部屋も小部屋があり、床にはボタン類が散らばっていたそう。今の大きなサロンはもともと4つの部屋に分かれていて、まずは壁を取り除くことから始まりました。キッチンをサロンの一角に設置し、お風呂場、ベッドルームを4部屋つくるという大工事です。そのうちの2部屋はバスルーム&トイレを真ん中に置く設計で、両部屋から入ることができ、扉の鍵を締めればプライバシーが保てる仕組みになっています。「引越しした時は長女も小さくまだ3人家族だったので、この使わない2部屋には小さなキッチンもつけて部屋貸できるようにしました。工事費用の足しになるように考えたのです」と紀子さん。

部屋貸しできるよう設計された部屋は、今はレイ君の部屋に。スケートボードに夢中の男の子14歳の部屋(写真撮影/Manabu Matsunaga)

部屋貸しできるよう設計された部屋は、今はレイ君の部屋に。スケートボードに夢中の男の子14歳の部屋(写真撮影/Manabu Matsunaga)

階段やファサードなどの日本では「共用部」と呼ばれる部分の改装工事や修理代、時には壁の中の配管や防湿剤など直接隣接していない工事に関してもアパルトマンの全住人がお金を出して直していきます。興味深いのがフランスの建物のシステム。その金額は住んでいる家の大きさによって何%払うかが決められるといいます。紀子さんの家は広いので、工事費の10%を支払う義務があり、この19年間で1000万円ぐらい支払ったそう。
18世紀築の古い建物なので、日常的に修繕が行われ、住民同士が助け合って、大切にこの後も住み続けていくことになります。

大きなサロンの5つの役割

大工事の末にでき上がった大きなサロンは55平米あり、玄関、キッチン、大きなテーブルのあるダイニング、ソファーとローテーブルのあるくつろぎのスペース、そして、思いがけずコロナの外出制限のときにはとても重要な場所になった窓辺の5つのスペース。

冬でも季節関係なく使っているMAISON N.H PARISの籠バッグ。北マレの人気ブロカント市で購入したチェストと棚。一輪挿しや旅から持ち帰った物が飾られている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

冬でも季節関係なく使っているMAISON N.H PARISの籠バッグ。北マレの人気ブロカント市で購入したチェストと棚。一輪挿しや旅から持ち帰った物が飾られている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

まずは家の中に入ると、友達から譲り受けたベンチがあり、ここでコートを脱いだり靴を履いたりする玄関コーナーがあります。サロンへ続く壁際のチェストには鍵やマスクや郵便物を置いた、生活の流れを感じることができる配置。
「天井はちょっと低いけど、広いサロンがバスルームと同じぐらい好きな場所。高級な家具はないけどお気に入りばかり」と紀子さん。ほとんどがヴィンテージ家具で、蚤の市や友人から譲り受けたり、道で拾ったりしたもの。
離婚して1人になった時に、大人は自分しかいない家になったから「好きな物だけに囲まれたい」と思ったのが今のライフスタイルの原点だそう。
サロンの窓に向かって右側がダイニング。最大15人座れる大きなテーブルも友達から譲り受けたもの。食事以外でもこの大きなテーブルで仕事をしたり、子どもたちと話たり、時には仕事のミーティングもする場所。

写真右奥にはNYのイサムノグチ美術館で購入したグリーンの版画と赤いイケアの引き出しがある「ファッションは黒っぽい格好が多いけど、インテリアはJoyeuse Bordel(明るく雑然とした感じ?というような意味)が好み」と紀子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

写真右奥にはNYのイサムノグチ美術館で購入したグリーンの版画と赤いイケアの引き出しがある「ファッションは黒っぽい格好が多いけど、インテリアはJoyeuse Bordel(明るく雑然とした感じ?というような意味)が好み」と紀子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この本棚はイケア製。テーブルには花を活けることが多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この本棚はイケア製。テーブルには花を活けることが多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

くつろぎのソファーコーナーと窓際

サロンの窓に向かって左側のスペースの日の差し込み方が好き、と紀子さんが言うように、購入の決め手となるのも頷けるほどとても明るい。そこはくつろぎのコーナーで大きなソファーは、なんと紀子さんが道で見つけてきたもの。こういうときは力が出てしまうと、5階の家まで担いできたといいます。
フランスでは古いものを大切に使うし使えるものは拾ってきてしまう、これはとても一般的。粗大ゴミをネットで回収日と時間を決めて道に出しても、必要と思う人が持って行ってしまうことも多いのです。拾うことに抵抗がない国民性なのかもしれません。たしかに100年経っていない、でも古いものを売る”ブロカント市”は全国的に人気で、紀子さんも年に2回開かれる北マレのブロカント市の常連です。フランスにはさらに「ヴィッドグルニエ」という家庭の不用品を売る市もここ数年人気を博しています。紀子さんもサイト情報をチェックしているそう。

道で拾ってから家のメンバーになったソファ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

道で拾ってから家のメンバーになったソファ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「前はサロンにテレビとゲームがあったのですが、子どもたちも大きくなってどかしました。そうしたら子どもたちとの会話が増えたような気がします」と紀子さん。ラグはインドのハンドメイド」ハンドメイドというものが好きと言う紀子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「前はサロンにテレビとゲームがあったのですが、子どもたちも大きくなってどかしました。そうしたら子どもたちとの会話が増えたような気がします」と紀子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ラグはインドから持ち帰ったハンドメイド(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ラグはインドから持ち帰ったハンドメイド(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓から見えるのはコロナ前と変わりのない普通の景色。けれど、ロックダウンで外を眺めてコーヒーを飲む癖がついてしまったそうです。「テーブルと椅子を窓辺に置いて朝食を食べたり、今は第二の外出制限中。不要な外出を避けて自宅窓際カフェで我慢するしかないようです」(紀子さん)今では一人のときは窓際で多くの時間を過ごす、重要な場所になったそう。

天井を真っ直ぐつけると窓が開かなくなるので、実は湾曲している。古い建物ばかりのパリではそんな事がよくあるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井を真っ直ぐつけると窓が開かなくなるので、実は湾曲している。古い建物ばかりのパリではそんな事がよくあるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓と窓の間に置かれたチェストの上にある個性的な花瓶は、実は60年代の北欧のDANSK社のワインクーラー (写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓と窓の間に置かれたチェストの上にある個性的な花瓶は、実は60年代の北欧のDANSK社のワインクーラー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

日のよく当たる窓際の隅には大きな籠を置いてひざ掛けやテーブルクロス。紀子さんの見せる収納術(写真撮影/Manabu Matsunaga)

日のよく当たる窓際の隅には大きな籠を置いてひざ掛けやテーブルクロス。紀子さんの見せる収納術(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「植木類を育てるのは苦手だけれどサボテンはぐんぐん伸びるので面白い」と紀子さん。伸びすぎた部分をカットして今乾かし中で、もう少ししたら土に植えるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「植木類を育てるのは苦手だけれどサボテンはぐんぐん伸びるので面白い」と紀子さん。伸びすぎた部分をカットして今乾かし中で、もう少ししたら土に植えるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンにあるオープンキッチンは見せるスタイル

元夫はミニマルなシステムキッチンにして全てを収納しようと思っていたといいますが、バスルームにお金をかけすぎてしまったため、28年前に救世軍で買ったビュッフェ(食器棚)を置いてオープンキッチンにしたそうです。「いつか工事と思いながら仮の姿でそのまま20年経ちました(笑)。
ビュッフェはもともと黄色にペイントされていて、フランス北部の街アミアンのアパートから18区のアパートを経てこの定位置に落ち着きました。ハゲていても全然気になりません」と紀子さん。
「見えるところに調味料など置いてあった方が使いやすいし、カゴを使ってラップなどのキッチン消耗品を入れたり、そんなスタイルの方が好きだし自分らしい」。ミニマルや超モダンなものに疲れてしまう自分を発見したと話します。
家のいろいろなところに食器が飾られている紀子さんのアパルトマン「私は食器は使ってなんぼと思っているので、身の丈に合わないものは買わないようにしているんです。毎日の日常生活を彩ってくれるので、割れても後悔しないくらいの金額」というのが紀子さんのバランスです。

28年前に5000円ぐらいで買った黄色いビュッフェでキッチンとダイニングコーナーを仕切っています。この裏が流し台調理台になっている。花を活けることが好きで、たくさんの花瓶を持っている紀子さん。特に一輪挿しが好きで、気に入ったものがあれば買ってしまうほど(写真撮影/Manabu Matsunaga)

28年前に5000円ぐらいで買った黄色いビュッフェでキッチンとダイニングコーナーを仕切っています。この裏が流し台調理台になっている。花を活けることが好きで、たくさんの花瓶を持っている紀子さん。特に一輪挿しが好きで、気に入ったものがあれば買ってしまうほど(写真撮影/Manabu Matsunaga)

豚の籠の中にはビニール袋、調味料はガラス瓶に入れて中身が分かるように。<SIMPLE>という料理本はエスニックな調味料を上手に使っていてとても美味しいレシピばかりだそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

豚の籠の中にはビニール袋、調味料はガラス瓶に入れて中身が分かるように。<SIMPLE>という料理本はエスニックな調味料を上手に使っていてとても美味しいレシピばかりだそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

日本茶、中国茶、ハーブティー、紅茶。お茶というお茶が大好きな紀子さんは、いろいろなポットを持っている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

日本茶、中国茶、ハーブティー、紅茶。お茶というお茶が大好きな紀子さんは、いろいろなポットを持っている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一番こだわったバスルームへ続く寝室

前に住んでいたアパルトマンいは小さなシャワー室しかなく、それがストレスだった紀子さん。だから、絶対に大きなバスタブにしたかったそう。そして、フランス式に溜めたお湯の中で体を洗うのではなく、バスタブとは別にシャワーを設置して、シャワーとバスタブは行き来できるようにセメントのブロックで階段をつけました。
当時インターネットも普及しておらず、今ほどおしゃれなパーツが売っていなかったそう。探しに探してたどり着いた蛇口は一目惚れしたVolaシリーズ、デザインはアルネヤコブセン。洗面器は木の上に置けるようなタイプが見つからず、イタリアからお取り寄せというこだわりぶり。
「家で一番好きなバスルームで本を読んだり、スマホをいじりながらお風呂に入るのがワーカホリックな私の唯一無二のリラックスタイムです」と紀子さん。

バスルームもたくさんの光が入る。床はフローリングのままというのが紀子さんらしい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バスルームもたくさんの光が入る。床はフローリングのままというのが紀子さんらしい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バスソルトはハーブやエッセンシャルオイルをミックスして楽しんでいるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バスソルトはハーブやエッセンシャルオイルをミックスして楽しんでいるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バスルームへ直接アクセスできる紀子さんの寝室は、小さな中庭に面していてとても静か。
「家で過ごす土曜日がこんなに好きなのはお昼寝できるから。家でずっと過ごすからこその至福の時」。外出制限中のおうち時間も苦ではないそう。
ベッドカバーは季節ごとに変えるようにしているとか。夏はカラフル、冬になったらメキシコの市場で購入した白黒に模様替え。インドのSerendipity Delhiのランプシェードは苦労して持ち帰った旅の思い出。

寝室は中庭側、サロンは光の入る道路に面した側、というのがフランス式(写真撮影/Manabu Matsunaga)

寝室は中庭側、サロンは光の入る道路に面した側、というのがフランス式(写真撮影/Manabu Matsunaga)

帽子好きな紀子さんは、旅で見つけたものもコレクションに。自分のブランドでもつくっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

帽子好きな紀子さんは、旅で見つけたものもコレクションに。自分のブランドでもつくっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

年々パリの物件価格は上昇していて、不動屋に見積もってもらったところ、購入金額の4倍にもなっていたとか。このアパルトマンは、すでにローンも払い終わっていますが、子どもたちもほとんど家にいない時間が多くなり、紀子さん一人で住むには広すぎると言います。「この際ここを売って新たに物件を探そうかと考えているところです。パリ市内にこだわっていませんが、コロナ以降は、比較的アクセスがよく、もっと自然と寄り添える、周辺環境が静かな地区で、庭などの空間があったらいいなと漠然と考えています。広さは今の半分で十分」。コロナはまだまだ猛威を振るっていますが、考えや価値観を見直すきっかけになり、得ることも多かったのも確かなようです。

●取材協力
MAISON N.H PARIS

団地にできた1000冊の本がある「シェアハウス」。暮らしをのぞいてみた!

昭和40年代、50年代に多くつくられた団地では、建物の高経年化や住民の高齢化が進む中、新しい活気を生みだそうと、さまざまな試みがなされています。今年3月、足立区に誕生した「読む団地」ジェイヴェルデ大谷田は、そのなかでもひときわユニークです。使われていなかった1階の空間をリノベーションしてシェアハウスとし、共同リビングには1000冊以上の本を配置、また、団地の居住者や地域の方と交流を図れる場としてコミュニティラウンジ『BOOKMARK』もつくりました。住み心地と暮らしぶり、狙いを運営会社とシェアハウス入居者に聞いてきました。   
築43年の大規模団地の一角に「シェアハウス」が誕生

漫画、料理、旅、エッセイ、推理小説など、さまざまなジャンルがあり、共通の関心があれば会話が広がったり、貸し借りをしたりと、人と人とをつないでくれる「本」。「あなたのイチオシは?」と聞かれたら、思わず語りたくなってしまうことでしょう。

そんな本を1000冊以上もそろえたシェアハウスが、今年3月、足立区大谷田一丁目団地に誕生しました。その名前も、「読む団地」ジェイヴェルデ大谷田。なんだか名称だけでもワクワクしますが、コロナ禍にめげず、すでに多くの入居希望者が集い、暮らしています。でも、なぜ団地の一角にブックリビング付きのシェアハウスをつくったのでしょうか。企画・運営をした日本総合住生活株式会社に聞いてみました。

2020年度グッドデザイン賞を受賞しました(写真提供/日本総合住生活株式会社)

2020年度グッドデザイン賞を受賞しました(写真提供/日本総合住生活株式会社)

「大谷田一丁目団地は昭和52年築、全10棟、1374戸からなる大規模団地です。シェアハウスの場所は足立区が保有し、もともとは保育士の寮でしたが、足立区が利活用事業として事業者を公募していたため、弊社が手をあげたのです」と話すのは、日本総合住生活株式会社の奥寺高清さん。

お話を伺った奥寺高清さん(写真提供/日本総合住生活株式会社)

お話を伺った奥寺高清さん(写真提供/日本総合住生活株式会社)

日本総合住生活株式会社は、UR都市機構の団地の管理などを手掛けている会社で、現在は団地のリブランディング、魅力を知ってもらう取り組みにも力を入れています。
「もともとは寮だったこともあり、リノベしてシェアハウスにし、若い世代に団地暮らしの楽しさを知ってもらいたいという観点から、若者向けシェアハウスにコンセプトが決まりました。どこの団地もそうですが、建物・居住者ともに高齢化が進んでいます。若い世代が外から入ってくることで、コミュニティを活性化したいという狙いがあったのです」(奥寺さん)

シェアハウスとコミュニティラウンジに置いた「本」が交流を生む

ただ、シェアハウスをつくるだけでは、シェアハウスに住んでいる人同士の交流は生まれても、団地居住者や地域の方との交流は生まれないものでしょう。そこできっかけになるのが「本」です。

「本はシェアハウスの共用リビングに1000冊ほど常時そろえ、入れ替えを行います。選書は、カフェや美容室など、本屋にこだわらず広く本に触れる場をつくり親しんでもらう活動をしている個人のtsugubooksさん。また、コミュニティラウンジ『BOOKMARK』は、本や食をテーマにしたイベントなどをきっかけに団地居住者や地域の方、シェアハウスの入居者が交流を図れる場としてつくりました。コロナウイルスの影響で自粛していましたが、9月にやっとイベント初開催となりました」(奥寺さん)

シェアハウスの共用リビングにある本棚。テーマごとにゆるやかにまとまっていいて、眺めているうちに自然と興味の範囲が広がっていきます(写真提供/日本総合住生活株式会社)

シェアハウスの共用リビングにある本棚。テーマごとにゆるやかにまとまっていいて、眺めているうちに自然と興味の範囲が広がっていきます(写真提供/日本総合住生活株式会社)

取材に訪れた10月3日は、「食」をテーマにした本のイベントが開催されていました。団地の方々、地域の方々も気になっていたようで、「ココ、気になっていたの、立ち寄っていい?」「今日は何をしているの~?」とさっそく、交流が生まれていました。集まる人の年齢も性別もそれぞれですが、本を手に話がはずんでいるのを見ると、「本ってこんなに人を結びつけるんだ」と感慨がわいてきます。

団地の一角にできたコミュニティラウンジ『BOOKMARK』で開催されたイベントの様子(写真提供/日本総合住生活株式会社)

団地の一角にできたコミュニティラウンジ『BOOKMARK』で開催されたイベントの様子(写真提供/日本総合住生活株式会社)

コミュニティラウンジで開催されるイベントの参加はシェアハウス入居者、団地居住者、地域の方など誰でもOK。「食」に関するオススメの本を持ち寄り、コメントを書いて並べます(写真提供/日本総合住生活株式会社)

コミュニティラウンジで開催されるイベントの参加はシェアハウス入居者、団地居住者、地域の方など誰でもOK。「食」に関するオススメの本を持ち寄り、コメントを書いて並べます(写真提供/日本総合住生活株式会社)

「本は持ち運びもしやすくて、人の物でも抵抗なく触ることができるもの。本の気軽な貸し借りから緩やかな人づきあいが育まれるのでは」というアイデアから、今回の「読む団地」がはじまったといいますが、まさに狙い通りといえそうです。

その住み心地は?「テレワークもしやすくて、たいくつしない」

それでは、シェアハウス内での交流や暮らしはどのようなものなのでしょうか。6月からこのシェアハウスで暮らしている川上望さん(26歳)に聞いてみました。

川上望さん(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

川上望さん(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「本があるシェアハウスなので、本や読書が大好きな人ばかりが集まっているのかと思っていましたが、そうではなく、仲良くなってからさらりと『何の本を読んでいるの?』と会話することが多いですね」とあかしてくれます。では、シェアハウスの住み心地はいかがでしょうか。

「建物はリノベ済みで、きれいで住みやすいですね。セキュリティも行き届いていて、家具家電も備え付けなので、身軽でいられます。仕事はテレワークが多いんですが、部屋ではなく共用リビングでもでき、本もあるのでよい気分転換になります。ここにいれば退屈しません」とそのメリットを話します。

川上さんがシェアハウスに住むようになったきっかけ、団地のイメージについても聞いてみました。
「身軽で暮らしたいこと、働き方を考えて、仕事する場所とくつろぐ場所をわけたかったので、シェアハウスを探していて、この物件に出会いました。見学したときの第一印象で『ここだな!』と思ったことを覚えています。団地には特段イメージがなく、真っ白い箱という印象でした。シェアハウスは、何もないと交流が生まれないのは分かっていたので、『本』のようにコミュニケーションのきっかけがあるのはよいなと思いました。団地の居住者と交流はまだできていませんが、多様な世代、年代の人と触れあいたいな、というのはあります」(川上さん)

就職活動などの経験を振り返ったときに、その当時、多様な世代の人たちと接する機会があれば、「どんな企業や働き方があるのか、もっと早く知ることができた」というのがその理由だそうです。確かに多様な世代、生き方に触れたい、というニーズは若い世代ほどあるかもしれません。

川上さんが暮らすAタイプの部屋。ベッドや机、椅子は備え付けのもの(画像提供/川上望さん)

川上さんが暮らすAタイプの部屋。ベッドや机、椅子は備え付けのもの(画像提供/川上望さん)

各自の部屋の扉の外にあり、お気に入りを紹介できる自分専用本棚「マイブック図書館」(画像提供/川上望さん)

各自の部屋の扉の外にあり、お気に入りを紹介できる自分専用本棚「マイブック図書館」(画像提供/川上望さん)

新婚生活をシェアハウスで「居心地の良さを実感しています」

もう一組、シェアハウスで暮らしているカップルにお話を伺いました。実はそれぞれ、このシェアハウスの別の部屋で暮らしていたものの、秋に結婚の運びとなり、10月から2人暮らしできる部屋でともに暮らし始めたばかりだといいます。新婚生活をシェアハウスで、というのも今どきですね。

佐古田慎さん(右)、佐古田羽蘭さん(左)夫妻(画像提供/佐古田慎さん)

佐古田慎さん(右)、佐古田羽蘭さん(左)夫妻(画像提供/佐古田慎さん)

「このシェアハウスに来る前は、別々の場所でひとり暮らしをしていたんですが、僕がどうしてもシェアハウスで暮らしてみたくて、結婚したら難しいだろうと、思い切ってココを見つけて、暮らしたいと言ったのが始まりです」(佐古田慎さん)

それなら「私も暮らす!」ということで妻の羽蘭さんも続き、シェアハウス内の別々の部屋で暮らすこととなったとか。ちなみにシェアハウスの住民には、2人の関係性は隠していたものの、すぐにつきあっていることがバレてしまったそう。では、2人からみたシェアハウスや団地の良さはどこにあるのでしょうか。

「実は前も団地で生活していたのですが、想像以上に住みやすいんですよね、団地って。スーパー、病院がそろっていて、敷地にもゆとりがある。生活しやすいのは分かっていたので、不安はありませんでした」と羽蘭さん。慎さんは念願のシェアハウス生活が楽しいようです。

「ひとり暮らしをしているとワンルームの部屋に帰って、ごはんつくって食べて、寝ての繰り返しになるでしょう。それがしんどくて。ここには『マイブック図書館』という、自分のお気に入りの本を置いておける場所があるんですが、料理本をおいていたところ、声をかけてもらえて。みんなでスパイスカレーをつくって食べたりしています。シェアハウスの入居者と、話して食べるのが楽しいですね」(慎さん)といいます。

佐古田夫妻が住むCタイプの部屋。2人で住むことが可能です(画像提供/佐古田慎さん)

佐古田夫妻が住むCタイプの部屋。2人で住むことが可能です(画像提供/佐古田慎さん)

団地のもつ良さと課題。「本」が解決のいとぐちになる?

最後に、団地の良さと課題について、奥寺さんに聞いてみました。

「団地は住んでもらうと良さが分かるというお声をよく聞きます。ここは最寄りの北綾瀬駅から徒歩14分と距離はありますが、公園や医療施設、スーパー、コンビニ、郵便局などが近くにあって、不便はありません。大谷田一丁目団地内でランニングできるくらい、今どきの建物にはないゆとりがあり、暮らしやすさを考えぬいて設計された良さがあると思っています。今回のようなシェアハウスをきっかけにして、団地の良さを体験してもらい、シェアハウス卒業後に団地の一室で暮らしてもらう、そんな循環ができたらいいなと思っています」(奥寺さん)

課題にはどのような点があるのでしょうか。
「今まで、団地居住者同士で交流はあっても、地域の方と団地居住者との交流の場がなかなかなかったんですね。しかも高齢化していくと、余計に団地内コミュニティも活発になりにくくなってしまう。だからこそ、『BOOKMARK』のように、団地の中、さらには地域の方とのゆるやかなつながりの場所をつくり、交流の場所になれたらいいなと思っています」(奥寺さん) 

新型コロナウイルスの影響で、『BOOKMARK』は計画時に思い描いていたような活用が今は難しいかもしれません。ただ、取材中、本を片手に人が会話したいというのは、実に自然な気持ちなのだなと痛感しました。どのようなかたちになるかは分かりませんが、本をきっかけに、シェアハウスや団地、地域の関係がより豊かなものになってほしい。本好きの一人として、そう願うばかりです。

●取材協力(※50音順)
日本総合住生活株式会社 住生活事業計画部事業計画課
読む団地