沖縄のホテルがゴミ拾いを始めた理由。宿泊客・地元民と共に人や街のつながりつくる、観光地のオーバーツーリズムの新たな解決策

人気の観光地、沖縄県。コロナ禍が収束し、本格的に観光需要が戻り始めています。そんな沖縄県・那覇市の観光エリア「国際通り」そばに、2023年6月、「サウスウエストグランドホテル(Southwest Grand Hotel)」が開業しました。運営するのはPlan・Do・See(東京都中央区)。「6th」(東京都・麻布台に移転)、任天堂本社社屋を活用した安藤忠雄氏設計監修の「丸福樓(MARUFUKURO)」など、全国各地で数々の人気ホテルを手掛けてきた同社ですが、今回は宿泊客だけでなく地元の人たちも巻き込んだ、ユニークな取り組みをしているといいます。エコツーリズム型ホテルとはどんなものなのか、取材しました。

地域住民と宿泊客で「ゴミ拾い」

2023年12月17日、少し肌寒い日曜日の朝8時。サウスウエストグランドホテルのエントランス前には、緑色のビブス着用した人々が集まっていました。総勢約25人。参加者は20~40代の男女で、ボランティア団体「グリーンバード沖縄チーム」のメンバーや、サウスウエストグランドホテルの従業員、沖縄県内の大学に通う大学生など、年齢も立場もさまざま。

ゴミ拾い出発前に気合いを入れます(写真撮影/島袋常貴)

ゴミ拾い出発前に気合いを入れます(写真撮影/島袋常貴)

ゴミを捨てるための袋。拾いながらきっちり分別します(写真撮影/島袋常貴)

ゴミを捨てるための袋。拾いながらきっちり分別します(写真撮影/島袋常貴)

彼らは、これからおよそ1時間にわたり、国際通り周辺のゴミ拾いに出発するといいます。「那覇 CLEAN GREEN MORNING(以下、那覇CGM)」と名付けられた、日曜朝のゴミ拾いは、今回が第2回目の開催で、今後は月に一度開催される定番イベントになるとのこと。11月18日に開催された第1回から、同ホテルの宿泊客も参加したといいます。
いったいなぜ、このようなツアーをホテルが開催しているのでしょうか。

ホテル前を出発し、国際通りへ(写真撮影/島袋常貴)

ホテル前を出発し、国際通りへ(写真撮影/島袋常貴)

「サウスウエストグランドホテルは、ここで出会った方々のハブになることを目指しています。那覇を旅して当ホテルを訪れたお客様だけでなく、ここで暮らしたり、働いたりしている全ての人々が交わりながら、街をより良くしていく。その活動の一環と捉えて毎月第3日曜日に開催しています」。同ホテルのキャスティング室・江口美沙さんはこう語ります。

近年、観光地で問題になっているのが「オーバーツーリズム」です。オーバーツーリズムとは、特定のエリアに観光客が集中することによって生まれる、さまざまな弊害のことを指します。例えば、騒音や交通渋滞、環境破壊などがその一例ですが、那覇の国際通りで近年、目につくのがそのゴミの多さだといいます。

那覇のメインストリート「国際通り」(写真撮影/島袋常貴)

那覇のメインストリート「国際通り」(写真撮影/島袋常貴)

歩道のそこかしこに見受けられるゴミたち(写真撮影/島袋常貴)

歩道のそこかしこに見受けられるゴミたち(写真撮影/島袋常貴)

確かに、観光客の多い国際通りでは、空き缶や何かが入ったコンビニ袋、空っぽになったお菓子の袋など、多種多様なゴミが目につきます。こうしたゴミを、集まったボランティアやホテルの従業員、宿泊客が一緒に拾うことで、街を綺麗にするとともに、新たな交流の場も生み出す仕組みです。海外ではクリーン活動に観光客が飛び入りすることも多く、今後は同じように、さらに参加者の輪を広げていきたいとのこと。

ホテルの従業員も参加し、率先してゴミ拾い(写真撮影/島袋常貴)

ホテルの従業員も参加し、率先してゴミ拾い(写真撮影/島袋常貴)

グリーンバード特製ゴミ袋(写真撮影/島袋常貴)

グリーンバード特製ゴミ袋(写真撮影/島袋常貴)

空き缶やフライパンなど、さまざまなゴミが見つかります(写真撮影/島袋常貴)

空き缶やフライパンなど、さまざまなゴミが見つかります(写真撮影/島袋常貴)

国際通り近くにある市場本通りや牧志公設市場などでもゴミ拾い(写真撮影/島袋常貴)

国際通り近くにある市場本通りや牧志公設市場などでもゴミ拾い(写真撮影/島袋常貴)

実際に活動に参加しながら、参加者の声を聞いてみました。

コロナ禍を機に沖縄県浦添市に移住したという女性は「ここで生まれるコミュニティに参加することが楽しみのひとつです」と笑顔を見せました。

21歳の男子大学生は、日曜日の早起きは苦にならないといいます。「この活動に参加することで、ゴミを拾いながら普段話せない社会人の方たちともいろいろな話をできる。僕はファッション関係に進みたいんですが、沖縄県外から参加されている方たちから、ファッションビジネスの話を聞けるのがとても勉強になります」と目を輝かせていました。

ホテルから数分歩くと、国際通りに突き当たります。そこからは2つのグループに分かれて、周辺のゴミを回収。たばこの吸い殻や割れたガラス瓶、はたまたフライパンなど、回収できたゴミは大型のゴミ袋7袋にものぼりました。

燃えるゴミ、燃えないゴミなどゴミの種類によって袋のデザインが異なる(写真撮影/島袋常貴)

燃えるゴミ、燃えないゴミなどゴミの種類によって袋のデザインが異なる(写真撮影/島袋常貴)

回収したゴミを整理するボランティアのメンバー(写真撮影/島袋常貴)

回収したゴミを整理するボランティアのメンバー(写真撮影/島袋常貴)

学生と社会人の交流の場にも

終了後、参加者には、ホテルのレストランで飲み物がふるまわれます。参加した人々が、笑顔で談笑する姿が印象的でした。

ゴミ拾いを終えて談笑中(写真撮影/島袋常貴)

ゴミ拾いを終えて談笑中(写真撮影/島袋常貴)

参加者にはホテルのオールデイダイニング「A LONG VACATION.」     でドリンクを1杯サービス。コーヒーや紅茶、フルーツジュースなどから選べる(写真撮影/島袋常貴)

参加者にはホテルのオールデイダイニング「A LONG VACATION.」 でドリンクを1杯サービス。コーヒーや紅茶、フルーツジュースなどから選べる(写真撮影/島袋常貴)

グリーンバード沖縄チームのリーダーは、沖縄県名護市にある公立大学、名桜大学4生の山下寛人さん。サッカー推薦で名桜大学に入学した山下さんですが、新型コロナウイルスの流行中は、サッカーに打ち込むのが難しい環境だったといいます。

グリーンバード沖縄     チームのリーダー山下寛人さん(写真撮影/島袋常貴)

グリーンバード沖縄 チームのリーダー山下寛人さん(写真撮影/島袋常貴)

「それでも、早朝に地元のビーチをランニングしていると、地元のおじいやおばあが、ビーチのゴミを拾っているんです。自分も沖縄に貢献したいと思って、2021年の6月ごろから少しずつ活動を始めました」

卒業後は、国際協力団体のJICAに就職し、ソロモン諸島のとある国のサッカー代表チームの助監督を務める予定です。

「次のリーダーも、なるべく大学生にバトンを渡したいですね。社会貢献は継続が大切。継続するためには、僕ら運営側が、ボランティアの参加メンバーにメリットを提供できるかどうかも大切なことです。今回のサウスウエストグランドホテルさんのように、地域の企業に認知していただくことで、参加する学生にとっても、キャリアや人生について大人の方に相談できるような場になっていけたらいいなと考えています」

ゴミ拾い後、ホテルでランチを楽しんでいく参加者も少なくないとか。写真はホテル名物のオリジナルビーフバーガー+フライドポテト2400円(税込)(写真撮影/島袋常貴)

ゴミ拾い後、ホテルでランチを楽しんでいく参加者も少なくないとか。写真はホテル名物のオリジナルビーフバーガー+フライドポテト2400円(税込)(写真撮影/島袋常貴)

ふわふわのオリジナルパンケーキも人気、「6th PANCAKE」1700円(税込)(写真撮影/島袋常貴)

ふわふわのオリジナルパンケーキも人気、「6th PANCAKE」1700円(税込)(写真撮影/島袋常貴)

至近距離で沖縄の三線を聞ける「ゆんたくSUNSET」

サウスウエストグランドホテルでは、もうひとつユニークな取り組みがあります。夕日を眺めながら、ホテルのバーで提供されるカクテル1杯を片手に、沖縄のカルチャー、エンタテインメント、スポーツなどを通じて宿泊客や地元住民が“ゆんたく(沖縄の方言でおしゃべりという意味)”を楽しむイベント「ゆんたくSUNSET」です。

翌18日の17時15分からは、同ホテル11階のダイニング&サンセットバー 「The Sailor’s Club」で三線のライブを開催。ホテルの宿泊者およそ20人が、1時間15分にわたって、三線とカチャーシーを楽しみました。三線とは、沖縄の伝統的な弦楽器、カチャーシーとは沖縄民謡に合わせて、両手を頭上で左右に振りながら踊る伝統的な踊りのこと。

当日は、三線奏者・波平宇宙さんの演奏に合わせて、参加者が沖縄の伝統音楽を味わいました。

三線奏者・波平宇宙さん(写真撮影/島袋常貴)

三線奏者・波平宇宙さん(写真撮影/島袋常貴)

演奏中の様子(写真撮影/島袋常貴)

演奏中の様子(写真撮影/島袋常貴)

ゆんたくSUNSETでふるまわれるドリンク、(左)グアバとマンゴーのトロピカルカクテル、(右)自家製レモネードとクランベリーをソーダで割った「ロングバケーション」(写真撮影/島袋常貴)

ゆんたくSUNSETでふるまわれるドリンク、(左)グアバとマンゴーのトロピカルカクテル、(右)自家製レモネードとクランベリーをソーダで割った「ロングバケーション」(写真撮影/島袋常貴)

イベントでは三線を触ってみる貴重な体験も(写真撮影/島袋常貴)

イベントでは三線を触ってみる貴重な体験も(写真撮影/島袋常貴)

沖縄の伝統的な楽器、三線(写真撮影/島袋常貴)

沖縄の伝統的な楽器、三線(写真撮影/島袋常貴)

東京都から旅行に来た50代の夫妻は「こんなにすぐそばで、三線を聞けたのは初めて。国際通りで民謡居酒屋を予約したことがあったんだけど、お客さんの声で良く聞こえなかったの」と笑顔に。

那覇市在住で、一家3人で宿泊しているという40代男性は「沖縄に住んでいても、こういった伝統芸能に触れる機会は多くありません。子供にも良い体験になったと思います」と話していました。

演奏終了後は、ゆんたくタイムに。演奏をした波平さんは、普段は沖縄芸術劇場などで演奏していますが「お客様とここまで近くで交流できる場は少ないです。伝統芸能の演者は年々減少していますが、自分もよい演奏をして頑張っていきたい」と意気込みを語っていました。

今後の「ゆんたく SUNSET」では、地域住民からもイベント企画を募集し、沖縄の文化や歴史の発信・共有を通じて、那覇で暮らす・旅する・働く全ての人々の“社交場”を目指していくといいます(那覇CGMやゆんたくSUNSETのイベント参加は、サウスウエストグランドホテルのInstagramで申し込み可能)。

ライブのシメは全員でカチャーシーを楽しんだ(写真撮影/島袋常貴)

ライブのシメは全員でカチャーシーを楽しんだ(写真撮影/島袋常貴)

沖縄の「目的地」になるホテルを目指す

サウスウエストグランドホテルで最も部屋数が多いグランドツインルームは45平米とぜいたくな造りです。ゆったりくつろげるソファから見える大型テレビは画面の角度を自由に動かすことができ、室内のミニバーも無料。ホテル内には全天候型の室内プールやジャグジー、最上階にはサウナも備え、ゆったりとホテルステイができます。

その反面、価格帯は1泊約5万円から。観光客はともかく、地元の人々が気軽に宿泊できる価格帯とは言えません。しかし、他の高価格帯ホテルとは一線を画した工夫で地元沖縄への貢献を試みています。それは従業員の雇用や、はたまたホテルのインテリアにも表れています。

グランドツインルーム(写真撮影/島袋常貴)

グランドツインルーム(写真撮影/島袋常貴)

洗面台には「女優ライト」が備え付けられメイクもしやすい(写真撮影/島袋常貴)

洗面台には「女優ライト」が備え付けられメイクもしやすい(写真撮影/島袋常貴)

館内には目に優しい暖色ライトが使用されている(写真撮影/島袋常貴)

館内には目に優しい暖色ライトが使用されている(写真撮影/島袋常貴)

沖縄県出身の同ホテルのゼネラルマネージャー・宮﨑健太さんはこう話します。

「これまで、富裕層のお客様は恩納村などの北部まで足を延ばして、ビーチやゴルフを楽しまれることがほとんどでした。でも、このホテルを目的地に『那覇でいいじゃん』と思っていただきたい。そして、地元・那覇の人たちにとっても気軽に来館していただける、街と繋がるホテルで在り続けたいですね」(宮﨑さん)

折しもクリスマスシーズンでしたが、サウスウエストグランドホテルのロビーはクリスマスの雰囲気はありつつも、クリスマスツリーが飾られていませんでした。

宮﨑さんいわく「沖縄には、もともとツリーを飾る習慣はなかったんですよ。これも沖縄らしさの一つです(笑)」とのこと。筆者には、その空間もとても居心地よく感じられました。

ホテルフロント(写真撮影/島袋常貴)

ホテルフロント(写真撮影/島袋常貴)

エコツーリズム型ホテルは、宿泊の場を提供するだけではなく、さまざまな場所に住む、老若男女の出会いを生み出します。早朝のゴミ拾いは参加した学生にとっては、社会勉強の場に。移住者や観光客にとっては、この場を通して沖縄のローカルな文化を感じたり、地元の参加者と交流したりすることができます。ホテルにとっても、地域に貢献することができ、結果的に那覇の街も綺麗になります。

沖縄の中でも、さまざまな人が行き交う街、那覇。観光で数日訪れるだけではなかなか体験できない「人とのつながり、街とのつながり」を生み出せるのが、エコツーリズム型ホテルの醍醐味といえるでしょう。

サウスウエストグランドホテルの外観(写真撮影/島袋常貴)

サウスウエストグランドホテルの外観(写真撮影/島袋常貴)

●取材協力
サウスウエストグランドホテル
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グリーンバード沖縄チーム

「観光客への宣伝やめる」オーバーツーリズム問題へのデンマーク流解決。美しい港町ニューハウンの決断とは コペンハーゲン

多くの観光客やビジネス関連の人々が訪れる、デンマークの首都・コペンハーゲン。人気の場所は数あれど、ほとんどの人が必ず足を運ぶエリアがカラフルな港町「ニューハウン」ではないでしょうか。所狭しと並ぶレストランやカフェの椅子に座って、人々がのんびり食事をしたりビールを飲んだりする様子は、最もコペンハーゲンらしい風景のひとつ。ところが、2019年からコペンハーゲンは「宣伝することをやめる」などの新しい動きも……。今回は、そんなニューハウンについてのお話です。

ニューハウンとはどんなところ?

色とりどりの建物が立ち並ぶ特徴的な風景。たくさんのレストランやカフェが立ち並び、目の前の運河には停泊している船やカナルツアーの観光ボートがゆったりと行き来しています。そして、通りには一年中そぞろ歩きの人が絶えない場所。それがニューハウンです。
デンマーク、コペンハーゲンといえばここ、というアイコン的な場所なので、私も日本や各国からのゲストを連れて、またはテレビ番組の撮影や取材で何度も訪れています。みなさんも「みなさん、こんにちは!私たちは今、デンマークの首都、コペンハーゲンに来ていまーす!」というテレビの番組の中継などを、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

(写真撮影/ニールセン北村朋子)

(写真撮影/ニールセン北村朋子)

デンマークの2022年の延べ宿泊数は約6,270万人泊(人泊/宿泊人数×宿泊数)。このうちコペンハーゲンは約1,500万人泊。おそらく、そのほとんどの人たちが、滞在中に一度はニューハウンを訪れていることでしょう。日が長い夏の間は、お昼から冷たいビールや白ワインを飲んだり、昼食を食べた後に、ワッフルやアイス屋さんをはしごしてデザートを食べたり。デンマークを代表する伝統的なメニューである、Smoerrebroed(スモアブロ)と呼ばれるオープンサンドイッチや、港町らしくニシン料理や西洋ガレイのムニエル、ムール貝のワイン蒸しなども人気です。

スモアブロ(写真撮影/ニールセン北村朋子)

スモアブロ(写真撮影/ニールセン北村朋子)

ニューハウンからコンゲンスニュトー広場を臨む夕陽はとても美しく、マジックアワー(※)を堪能できます。少し肌寒い季節にも、外のテラス席にはヒーターやブランケットが用意されるので、道行く人を眺めながら、のんびりコーヒーを飲んで過ごす人も。クリスマスの時期には、ニューハウンの通りにたくさんのクリスマスマーケットの屋台が並び、グリュック(ホットワイン)と甘い香りのエーブルスキーバ(小さな丸いパンケーキのようなもの。粉砂糖やジャムをつけて食べる、クリスマスの時期の伝統的デザート)を楽しみながら散策する人でにぎわいます。

※日没や日の出の前後に空が幻想的な色に染まる限られた時間帯のこと

ニューハウンの夕暮れ。ゆっくり日が沈み、マジックアワーを堪能できる(画像/PIXTA)

ニューハウンの夕暮れ。ゆっくり日が沈み、マジックアワーを堪能できる(画像/PIXTA)

老舗のレストランやホテルもあり、コンゲンスニュトー広場やアマリエンボー宮殿、ロイヤルシアターにも近いこのエリアは、一年中人通りが絶えずにぎわいを見せています。

Nyhavn=新しい港!? かつては新しかった、歴史的な港町

ニューハウンはデンマーク語でNyhavnと書きます。英語ならNew Portという意味。つまり「新しい港」という意味なんです。その歴史は1673年まで遡ります。この運河が開港した当時は、国王フレデリック三世の息子であったウルリク・フレデリック・ギュルデンローヴにちなんで「ギュルデンローヴ運河」と名付けられましたが、コペンハーゲンっ子にこの名前が馴染まず、1682年から”Dend Nye Hafn”と呼ばれるようになり、そこから”Nyhavn”(ニューハウン)という名前に落ち着きました。

開港当初は、世界中から船が集まり停泊する商業港として名を馳せ、海運と貿易の中心地となり、大勢の船乗りや彼らを相手にする酒場、居酒屋、売春宿で活況を呈しました。余談ですが、コペンハーゲンはデンマーク語ではKoebenhavnと言いますが、これは「商港」を意味します。コペンハーゲンの歴史とニューハウンとの関係が垣間見えますね。

昔のニューハウンの様子(画像/Koebenhavns Museum)

昔のニューハウンの様子(画像/Koebenhavns Museum)

やがて、時代の流れとともに船乗りも去り、売春宿も閉鎖されましたが、いくつかの歴史的な宿やレストランは、18世紀の多くの大火からも生き残り、数百年経った今も歴史を留めて存続し続けています。ニューハウンの絵画のように美しい家のほとんどは 17 世紀後半から 18 世紀に建てられたものです。 ニューハウンで最も古い家は Nyhavn9番地で、運河の開通からわずか 8 年後の1681 年に建てられました。以降、何の変更も増築も行われていません。ニューハウンは、裕福な商人が自分の船を家のすぐ前に停泊させる、にぎやかな港となりました。 当時は港全体がロープとタールのにおいだったそうです。
例えば、1900年代初頭にニューハウン5番地にあったホワイト・スター・ラインではタイタニック号のチケットを安く買うことができたそうですが、その建物は現在は「Nyhavns Faergekro」というレストランに改装されています。今でも、大きな古い木製の窓に、当時のタイタニック号の行き先が記されたものが残っています。

オーガニックレストラン「Cap Horn」のあるNyhavn21番地を含む、ニューハウンの多くの地下室や裏の建物は、1940年代の抵抗運動の隠れ家として使用されていました。また、同じく1940年代にはニューハウンで大作映画がいくつか撮影されたこともあり、デンマーク全土からニューハウンへの関心が高まるきっかけになりました。そこから観光に活況をもたらし、それが今日まで続いています。

この年代には、当時のコペンハーゲン市の社会民主党勢力は、ニューハウンを取り壊し、新しい住宅を建設し、さらにはクリスチャンハウンとをつなぐ高速道路のランプにする計画を立てていたというのだから驚きです。しかし、1943年にニューハウンはそのまま存続する決定がなされたのは幸いでした。
そして、このころから海運の様相も変化し、より少ない船員で運行するコンテナ船が主流になり、港での滞在時間も短くなって、船乗りの町、ニューハウンも現在の形に少しずつ変貌を遂げていったのです。

そして、もう一つ忘れてはならない歴史が、童話作家として知られるアンデルセンとニューハウンの関係です。
HC アンデルセンはニューハウン20番地で5年間暮らし、ここで「火打ち箱」、「小クラウスと大クラウス」、「エンドウ豆の上のお姫さま」を書きました。その後、彼はニューハウン67番地で16年間、18番地で2年間暮らしました。

これからは、ニューハウンは宣伝しません!?

このように国内外の人々の観光地として大人気のニューハウン。
しかし、2019年、コペンハーゲンの観光団体、Wonderful Copenhagenは、ニューハウンを主要な観光地のひとつとして宣伝することをやめることを決めました。ハイシーズンには、多すぎるほどの観光客でにぎわうニューハウン。Wonderful Copenhagenは年間を通じて、コペンハーゲンを訪れる観光客が一極集中ではなく、よりまんべんなくコペンハーゲンを体験してほしいとの願いからの新たな方針です。日本でも京都や鎌倉などで問題になっているオーバーツーリズムの緩和が目的です。

チボリ公園もコペンハーゲンの有名観光地(c)Martin Auchenberg

チボリ公園もコペンハーゲンの有名観光地(c)Martin Auchenberg

アマリエンボー宮殿(c)Daniel Rasmussen

アマリエンボー宮殿(c)Daniel Rasmussen

Wonderful Copenhagenの調査によれば、アムステルダム、バルセロナ、ドゥブロヴニク、ヴェネツィアなど、市民が観光客に対し否定的で大きな課題を抱えているヨーロッパのいくつかの都市とは異なり、コペンハーゲン市民は、80%以上が旅の目的地としてコペンハーゲンが宣伝されることを支持しており、世界中の人々がコペンハーゲンを選んでいることを誇りに感じているということがわかっています。
また、観光業が売上高や雇用という形で経済的価値を生み出すだけでなく、例えば幅広いレストランや文化体験の基盤を形成することによっても経済的価値を生み出すということを、市民の間で強く認識しているということも示されています。しかし、だからこそ、これからさらに増え続けることが予想される観光客と地元住民が相互に良好な関係を保ち続けることができるよう、できるだけ観光客がコペンハーゲン全体に訪れることができて、人が良い形で分散される方向に前もって手を打っていこう、というのがWonderful Copenhagenの考え方です。

現在は、観光マーケティングのコンテンツの大部分がニューハウンを含む、コペンハーゲン市中心部以外の地域に関するものになっています。 同時に、Wonderful Copenhagenのデジタルマーケティングの75%は、ハイシーズン以外の秋、冬、春の旅行先としてコペンハーゲンに焦点を当てています。

彼らの分析によると、旅行者は大都市と都市以外での体験を両方経験することに興味を持っているのだそう。 同時に、訪問する地区が増えるほど満足して旅を終えていることもわかっています。

クリスマスのチボリ公園(c)Daniel Rasmussen

クリスマスのチボリ公園(c)Daniel Rasmussen

Wonderful Copenhagenでは、2019年以来「TOURISM FOR GOOD」という、2030年をターゲットに据えたサステナブル・ツーリズム戦略を策定。「コペンハーゲン大都市圏での観光が地域と世界の持続可能な開発によい影響を与える」という目標のもと、さまざまなプロジェクトが行われてきています。

例えば、ひとつの訪問先に観光客が集中しない工夫として、Visit Copenhagenのウェブサイトで「A sustainability guide to Copenhagen」「A guide for going on daytrips outside of the city’s boundaries 」「A Comprehensive guide to exploring Copenhagen’s different neighbourhoods」といった情報を提供し、自転車や公共交通を使ってコペンハーゲン郊外や周辺都市への訪問を促すなど、コペンハーゲンの中心部以外の興味深い訪問先を一年を通じて観光客に提供しています。

Wonderful CopenhagenのKPIとして、コペンハーゲン市を含まない首都圏の延べ宿泊数は、2025年までに 2,738,157人泊 (2019年レベル)と同等かそれ以上である必要がある、と設定していますが、2022年の首都圏(コペンハーゲン市を除く)の延べ宿泊数は2,801,534人泊で、目標値をすでに上回るという結果が出ています。

ちなみに、2019年の第1四半期、首都圏の延べ宿泊数は 372,729人泊でした(コペンハーゲン市を除く)が、今年2023年第1四半期の延べ宿泊数は383,185人で、こちらも順調な伸びを示しています。

日本でも、人気の観光地で、観光客を受け入れる地元住民との確執は多いと聞きます。
より持続可能な観光を考える上で、一大観光地、コペンハーゲンの決断は参考にできる考え方かもしれません。

でも、ニューハウンはデンマークに来るなら一度は訪れてほしい場所に変わりありません。
夏は人が多すぎるのも確かなので、春先や秋にゆったり時間を過ごしたり、12月の冬の時期に、外は寒いけれど、クリスマスを楽しみに待つ人々の温かな表情や、美しく飾られたクリスマスデコレーションを楽しみに、ニューハウンを訪れるのもいいものです。
あなたの次の旅の計画のひとつに、ぜひ入れてみてくださいね!

●取材協力
Wonderful Copenhagen
Visit Denmark

倉敷がいま若者に人気の理由。廃れない街並みの背景に地元建築家と名家・大原家の熱い郷土愛

江戸情緒あふれる町並みが魅力の観光地・岡山県倉敷。観光の中心地点となる美観地区を流れる倉敷川に沿って、江戸時代から残る木造の民家や蔵を改装したショップやカフェ、文化施設などが立ち並びます。空襲を免れたことで旧家が残り、観光資源として活用されている倉敷ですが、それだけではなく、印象派絵画のコレクションで知られる「大原美術館」や、工場跡をホテルにコンバージョンした「倉敷アイビースクエア」など、決して広くはないエリアに国内有数の観光施設が点在しています。
古い建物が残る地域は日本各地に見られる中で、倉敷にこれほど魅力的なスポットが集中する理由はどこにあるのでしょうか。
倉敷で生まれ育ち、すみずみまで知り尽くす建築家の楢村徹さんに、長年倉敷の古民家再生にかかわってきたからこそ見えてきたまちの魅力を伺いました。

倉敷の土台を築いた名士、大原家近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷はまちも人も恵まれた場所ですね。古いものが残っていて、常に新しいことを仕掛けていこうというエネルギーがある。一朝一夕ではない、時間をかけて育まれた文化が根付いています」
建築家として全国のまちを訪れてきた楢村さん。自身の出身地であることを差し引いても、倉敷は面白いまちだといいます。
伝統的な町並みの印象が強い倉敷のまちに対し「新しい」というワードも不思議な気がしましたが、確かに倉敷を代表する建造物は建設当時の最先端を行くものです。大原美術館に採用されているヨーロッパの古典建築を再現するデザインは、建築家の薬師寺主計がヨーロッパ各国の建築を学び設計したもの。文化の面でも欧米列強を追いかけていた当時の日本において、芸術の殿堂と古代ローマ建築をモチーフとするデザインとの組み合わせは、ここでしか見られないオリジナルなアイデアです。蔦で包まれた外壁が特徴のアイビースクエアも、産業遺産である工場をホテルに転用する、日本でも先駆け的なプロジェクトでした。

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

伝統を崩さず、新しさを採り入れる

さらに總一郎は、建築家の浦辺鎮太郎とともに市と連携して倉敷市民会館や倉敷市庁舎、倉敷公民館など市民の生活を支える施設を整備していきます。
大原美術館と並び倉敷観光の中心を成す倉敷アイビースクエアも、もともと倉敷紡績の工場だったものを浦辺の設計でコンバージョンして蘇らせた文化複合施設です。

「倉敷には江戸時代以来の商人のまちとしての歴史があって、時代ごとに築きあげてきたものが積み重なっていまの倉敷をつくっているんです。空襲にもあいませんでしたから。ドイツに中世につくられた道や建物がそのまま残っているローテンブルクというまちがあるんですが、總一郎さんが倉敷をドイツのローテンブルクのようなまちにしようと呼びかけた。そこからいろんな人たちが協力して古いまち並みを残してきた結果、一周遅れのトップランナーといった感じで注目されるようになってきた。いま我々がやっているのはそれを生かして新築ではできない魅力をさらに積み重ねていく、新しいエッセンスを加えて次の世代にわたしていくと、こういうことです」

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷は町家造りの建物が並んでいて、広場になるような場所がないんです。だけど建物の正面から一歩奥に入ると、細い路地がポケットパーク的に点在しています。日常的に使わないから物置として放置されていたりもするんですが、大きなテーマとして、そういった本来裏の空間である路地空間を表の空間として皆が入ってこられる場所にすることと、それらをつないでいくことでまちに奥行きをつくりだして歩いて散策できるまちにすること、このふたつに取り組んでいます」

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もともと私は古民家が好きとか、古い建物が好きとかそういうわけでもないんです。新しいデザインを追求した結果、古民家がもっている歴史の積み重ねに新しい要素を加えることを考えました。若いころに読んでいたヨーロッパの建築雑誌には、石造りの古い建物をリノベーションした建築が載っていて、これが非常にモダンで格好良いんです。そういうものを見て、自分もやってやろうというモチベーションでしたから、一番新しいデザインだと思ってやっています。長い年月を朽ちることなく耐え抜いてきた古民家に使われているのは、選びぬかれた本物の材料です。いまでは手にはいらないような貴重な材料でつくられているから、時間が経っても古びない、むしろ味わいが増していく魅力があると思います」

いいものをつくることが、保存への近道

楢村さんは建築家として独立した30年以上前に同世代の建築家たちと「古民家再生工房」を立ち上げ、全国の古民家を改修する活動を続けてきました。当時はバブル真っ只中。建築業界では次々に建て変わる建物の更新スピードと並走するように、目まぐるしくデザインの傾向が変わっていきました。そんななか、地道に古民家の改修を続ける楢村さんたちの活動はどのように受け止められたのでしょうか。

「建築の設計に携わっている専門家ほど、『お前らそんな仕事しかないのか』と見向きもしない傾向はありました。でも建物を建てるのは一般の人なんだから、専門家からどう言われようが自分たちが信じたことをやっていけば良いとは思っていました。
地元のメディアに働きかけてテレビやラジオ、雑誌に取り上げてもらったり、講演会や展覧会を自分たちでずっと継続してきて、一般の人たちに建築デザインの魅力や古民家再生の良さを知ってもらおうと活動してきました。
それまでは古民家というと保存する対象で、古い建物を東京の偉い先生が見に来てこれは残すべきだとか、大切に使ってほしいとかそういうことを言ってきたわけです。でも建物の持ち主からすれば、歴史的な価値がどうとか言われてもよくわからないですよね。
それを我々はアカデミックな見方ではなくて、現代の目で見て良いデザインに生まれ変わらせようという視点で設計してきたから受け入れられたんだと思います。若い人たちがここに住みたいと思うようなものにしてしまえば、保存してほしいなんて言わなくても使い続けてもらえるわけですからね」

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「そんなことを十年以上やっていたら、倉敷で中心市街地の活性化事業がスタートしたときに声をかけてもらって。もう十五年以上、倉敷の町家再生に携わっています。といっても単に建物を改修するだけではダメで、そこをどんな場所にするのか、お店をやるならどんな内容にするのかとか、どうしたらちゃんと事業として回っていくのかとか、中身のことも一緒に考えていくから設計の仕事は全体の3割位ですね。
なにかお店を入れようと思ったら周りとの調整も必要だし、1つの建物を生まれ変わらせるのに4、5年かかるのが普通です。その間はお金にもならないし、思うようにいかないことばかりで大変ですが、誰かがやらなくちゃいけないことですから。本当はなにも描いていないまっさらな白紙に、倉敷がこんなまちになったら良いななんてイメージを描いていくのが一番楽しいんですが、実現しないとなんの意味もない。思い描いたうちの8割でも7割でも、かたちにして次につないでいくことが、我々がいますべきことだと思っています」

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「理想は観光客に対してではなく、倉敷に住む人にとって良いまちにしていくこと、その結果、外の人が来ても楽しめるまちになるといいなと思ってやってきました。最近は若い人たちが倉敷のまちづくりに関わるようになってきています。私の事務所から独立して町家の改修をやっている人もいるし、頑張って新築をつくっている人も。
そうやって若い人たちが集まってきて、やりたいことを実現できる土壌があって、それがちゃんと経済的にも成り立つだけのポテンシャルがある。これまで倉敷が積み重ねてきた文化の地層に、新しい要素を付け加えながら、次の倉敷をつくっていってほしいですね」

●取材協力
楢村徹さん

まちの「公園」が進化中! 治安を激変させた南池袋公園など事例や最新事情も

いま、公園がちょっとした休憩や散歩をする場所から地域コミュニティの要へ進化しつつあります。おしゃれなカフェが併設されていたり、泊まれたり、イベントが開催されたりと、地域の特徴を活かした魅力的な公園が続々と登場しています。国土交通省都市局公園緑地・景観課の秋山義典さんに話を伺い、事例を踏まえながら紹介します。
治安すらも激変させた! 南池袋公園の芝生広場とカフェ

ここ数年で、民間と協業したり、空間に工夫が凝らされるなどした公園が、各地でみられるようになってきました。美しい景観に、カフェやレストラン、アパレルショップなどが設置された公園は、以前にも増してにぎわいを見せ、新しい観光地として注目されるようになりました。

新しい公園のモデルのひとつとなったのが、東京都豊島区の南池袋公園です。場所は、JR池袋駅東口から徒歩5分ほどの繁華街の中にあり、周囲にはサンシャイン60などの超高層ビルが立ち並んでいます。約7800平米の広さがある南池袋公園の魅力は、開放的な芝生広場です。休日には、ピクニックをする人、ごろんと寝転ぶ人、多くの人が思い思いに楽しんでいます。公園の敷地内に設けられたおしゃれなカフェレストランには、地域の人だけでなく、遠方からも人が訪れています。

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

1951年に開園した南池袋公園が現在の姿にリニューアルしたのは、2016年でした。手入れされた緑の芝生広場とカフェレストランの組み合わせのセンスがよく、話題を呼んで多くの人を惹き付けました。

リニューアル前の南池袋公園は、樹木がうっそうと生い茂り、暗い印象で利用者は限られていました。当時から公園の活用について、何度も話し合いが行われていましたが、なかなか意見がまとまらなかったのです。

「公園周辺の商店街の人から、もっと公園を活用したいという声がありましたが、隣接するお寺はなるべく静かに使ってほしいと要望していました。意向が相対し、話し合いは遅々として進みませんでした。そんなころ、豊島区新庁舎のランドスケープデザインをやっていた、平賀達也さんに南池袋公園の設計を依頼したところ、ニューヨークのブライアントパークを参考とした、誰もが魅力を感じる素晴らしい公園の設計が出来上がりました。また、東京電力から南池袋公園の地下に変電所を設置したいという申し出がありました。そのためには公園の施設を一度すべて取り払い再整備を行う必要があります。これらのことをきっかけにリニューアルの話が進展したということです」(秋山さん)

豊島区も、「都市のリビング」というリニューアルコンセプトの下、公園へカフェレストランの導入を決め、民間と協力して地域に根ざした持続可能な公園運営を目指すことになったのです。

その後の都市公園法改正の参考例になったのが、地元町会や商店街の代表者、隣接する寺の関係者、豊島区、カフェレストランの事業者による協議会の発足です。この取組みは、リニューアルオープン後に「南池袋をよくする会」と名付けられ、引き続き、地元関係者が南池袋公園の運営に携わっています。休日には近隣の商店街や地域の人が出店するマルシェも催され、公園は地域コミュニティの拠点となりました。

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

官民連携の新しい公園が全国65カ所へ拡大中

公園の管理について定めている法律は、都市公園法といい、1956年に制定されました。
「施行されたのは、戦後復興が収束していないころ。都市開発が進むにつれ、身近な自然がなくなることが問題になっていました。また、公園で闇市が催されたり、勝手に建物を建てられて私有地化されてしまったりすることも。そこで、都市公園法で、公園内の施設の設置や管理に必要なルールを設けたのです。しかし、時代が経つにつれ、規制ばかりで『何もできない公園』というイメージを持つ方も多くなりました。行政主導による公園管理と地域社会が求める公園機能との剥離が著しくなってきたのです」(秋山さん)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

時代のニーズの変化を踏まえ、そのたびに都市公園法は改正されてきましたが、直近の2017年の改正では、官民連携等による公園の整備・管理を推進するため、南池袋公園が事例となった協議会制度を含むさまざまな改革がなされました。

「2017年の改正においては、公募設置管理制度(Park-PFI)が創設されたことも目玉の一つです。南池袋公園での、カフェレストランの売り上げの一部が『南池袋をよくする会』の活動資金に充てられているという仕組みや、大阪市天王寺公園での民設民営によって公園の再整備された事例を基に、これらの取組を行いやすくし、他の地域でも行ってもらうためにつくられた制度です」(秋山さん)

公募設置管理制度(Park-PFI)は、公募により公園施設の設置・管理を行う民間事業者を選定する仕組みで、民間事業者が設置する施設から得られる収益の一部を公共部分の整備費に還元することを条件に、設置管理の許可期間の延長や建蔽率(土地面積に対する建築面積の割合)の緩和などを特例として認めるものです。

「特例は民間事業者の参入をうながすためです。現在は、65公園でPark-PFIの活用がされています。オープンした施設は30施設。107カ所の施設で検討が進んでいるところです。民間事業者にとっては、公園という緑豊かで開放的な空間で施設を設置でき、公共としても管理費用の一部にその収益を充てられ、お互いにメリットがあります」(秋山さん)

参入する施設の選定は、まず公園管理者である公共が、マーケットサウンディングを行います。どういう施設が求められているか、地域の自治会、現状の管理者等にリサーチし、民間事業者に個別のヒアリングを行っています。例えば、愛知県名古屋市の久屋大通公園では、市街地の中心にあるため、ブランドなどを扱うアパレルショップを選定。今までの公園になかった都心ならではのにぎわい創出に成功しました。

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

パークツーリズムで各地の公園・庭園が観光地へ

近年では、公園そのものが旅の目的地になるパークツーリズム(ガーデンツーリズム)が、話題を集めています。

「各地に知る人ぞ知る、素晴らしい庭園や植物園がたくさんあります。ところがPR不足や庭園同士の連携不足などで、そうしたポテンシャルが活用しきれていないケースも多いんですね。北海道のガーデン街道のように、複数の庭園・植物園が共通のテーマに沿って連携してアピールすれば、魅力が広く伝わり、観光ルート化されるなど波及効果が期待できます」(秋山さん)

テーマには、地域ごとの風土、文化が反映されています。目指しているのは、魅力的な体験や交流を創出することを促すことで、継続的な地域の活性化と庭園文化の普及を図ることです。現在は、10のエリアにおいて協議会が設立され計画が進行中で、さまざまな取組が進められています。

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

誰でも公園づくりに参加できる中間支援組織の活動

各地に新しい公園が生まれていくなか、地域に根ざした公園管理を進めるため、公共とボランティア団体、住民や地元の事業者などの間に入り橋渡し役を担う中間支援組織が活動の幅を広げています。東京都では、中間支援組織でもあるNPO法人NPObirth(バース)に公園の指定管理を任せています。中間支援組織という存在は、もともと、アメリカ、イギリスでスタートし、日本に浸透してきた取組みです。タイムズスクエアとグランド・セントラル駅の中間に位置する、ニューヨークの代表的な公園、ブライアントパークも一例です。1980年代に治安の悪化で使われていなかった公園を、周辺の店舗や近隣住民が出資して中間支援組織を設立。公園の管理を行い、今では、観光客も訪れる魅力的な公園になっています。

「日本でも、かねてから、公園の管理、整備に携わりたい地域住民の方はいましたし、そういう声は今でも増えています。公園愛護会等のボランティア団体がその例ですが、活動したくてもとりまとめる人がいなかったり、行政としてもボランティアにどう接したらいいか悩んでいました。NPObirthのような中間支援組織が間に入り、公園を拠点としたプラットホームができたことで、地域の人、行政、民間の事業者が関わりやすくなりました」(秋山さん)

NPObirthは、野川公園や葛西海浜公園などの都立公園、西東京市の公園など72の公園の管理をしています。公園の自然について伝えるパークレンジャー、地域の魅力を引き出すパークコーディネーターが、イベントやボランティア活動を企画運営することで、公園を拠点に地域コミュニティが育まれています。

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

コロナ禍でストレス発散や運動の場を求めて公園の利用者は増加しており、魅力的な公園が増えることでさらに利用者が増えることが予想されます。

「QoLの向上のため公園づくりに携わりたいと考える人も増えていくのでは。それぞれの地域で公園管理に関わっている人や求められているニーズが違うので、成功事例をそのままほかに使うことはできません。色々な方の意見をくみ取って、公共側との調整なども担うノウハウがある中間支援組織が、公園の活性化に大きな役割を果たしています」(秋山さん)

身近な公園で進められている行政と民間の力を合わせた新たな取組みを紹介しました。今までの使い方に加え、公園を拠点にさまざまな活動ができるようになっています。私自身も、地域活動のひとつとして気軽に公園の管理に携わったり、各地の公園を訪ねて旅に出かけたりしたいと感じました。

●取材協力
・国土交通省
・豊島区
・NPObirth

“月に住む”が現実に!「月面都市ムーンバレー構想」って?

夜空を見上げればいつもそこにある月。古来より信仰の対象で、宇宙飛行士たちが探索に挑み続けてきた、人類にとって身近であり、“憧れ”の存在でもあります。しかし、人間を月面に着陸させることに成功したのは、2020年現在、1969年のNASAのアポロ計画のみで、それ以降、人類は月に立っていません。その月に、近い未来、人類の住める街をつくろうという壮大なプロジェクトが、「月面都市ムーンバレー構想」です。プロジェクトに取り組む宇宙スタートアップ企業、株式会社アイスペースに話を聞き、月に人が住む未来の世界と宇宙開発の最前線を伝えます。
住民1000人、訪問者1万人! ムーンバレー構想とは

ロケット打ち上げコストの大幅な低減を可能にしたテクノロジーの進歩や、宇宙船、着陸船、ロボット等の技術発展により、近年、世界各国の宇宙活動が活発になっています。
例えば、アメリカのNASA が、2024年には宇宙飛行士を月面に送り込もうと進めている有人月探査計画「アルテミス計画」で月面固定式住居を含む月面でのインフラについて明らかにしたほか、2019年にロケット打ち上げ数1位となった中国は、国際月面研究ステーションの構想を進めています。さらに、日本でも、JAXAとミサワホームが宇宙の極限環境下での住宅システム構築の実証実験を南極の昭和基地で行っています。スイスの銀行UBSは、現在約40兆円の宇宙産業規模が2030年には倍増すると試算しており、宇宙産業の中心として、宇宙資源開発が注目されているのです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

2023年に民間として日本初の月探査機を送り込もうと開発を進めているのが、アイスペースです。月資源開発の先に、月に人類が住める街をつくろうという壮大なビジョンを掲げています。月面都市ムーンバレー構想が生まれたきっかけを取締役COO中村貴裕さんに聞きました。

「そもそも、月資源開発が活発化しているのは、近年の研究で、月に貴重な鉱物資源だけでなく、およそ60億トンもの水が存在していると分かったためです。水は水素と酸素に分解できます。人類の活動に必要なのはもちろん、ロケットの燃料になるため、将来の宇宙開発に欠かせない資源として注目されています。当社で月面資源開発に取り組むにあたり、未来像を明確に持つことが重要であると考えました。2016年ごろ、社外の識者を集め、2040年に世界がどうなっているか、会議を重ねていたんです。月資源開発を進めれば、住民1000人、年間1万人が訪れる街を月につくることは可能だと考えました。まず、氷が地下にある可能性が高い月の南極に研究者らがムーンバレーをつくり、そこに新婚旅行などで地球から人々が往来する世界です」(中村さん)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

月に実際に住むとしたら、どんな生活ができるのでしょうか。
「いちばんの魅力は、宇宙空間が近いので、星が大変美しく観測できることでしょう。とくに月から地球の眺めは素晴らしいはずです。実は、月は人類にとって、住むには過酷な環境なんです。放射線量は地球の数百倍、寒暖差は280度もあり、マイナス170度の極寒と110度の凄まじい暑さが交互に訪れます。マイクロメテオライトという隕石も降り注ぎます。そのため、未来の月面住居は、耐熱、断熱でつくられたドーム型になるかもしれませんね。月には地下に空洞があるので、放射線や隕石を避けられる地下都市になる可能性もあるでしょう」(中村さん)

「開発当初は、代表の袴田武史さんと二人だけだった」と話すCOOの中村さん(画像提供/アイスペース)

「開発当初は、代表の袴田武史さんと二人だけだった」と話すCOOの中村さん(画像提供/アイスペース)

2022年に派遣する月面探査機は宇宙資源開発への第一歩

中村さんは、月面都市実現に向けた月資源開発のためには、次の3つのステップがあるといいます。
1.ロケットを使って、地球から脱出する。
2.ロケットから切り離した月着陸船(ランダー)を降行させ、月面に着陸する。
3.月面探査機(ローバー)で探査する。

クレーターや縦孔など、将来、有人基地の候補となる探査を行う(画像提供/アイスペース)

クレーターや縦孔など、将来、有人基地の候補となる探査を行う(画像提供/アイスペース)

「ロケットについては、イーロン・マスク氏のスペースX等が安定供給されていますが、着陸船に関しては、民間による月面探査一番乗りを各チームが競い合っている状況です。当社では、月面着陸、月面探査の2つのミッションを行うプログラム『HAKUTO-R』を発表し、2022年月面着陸、2023年月面探査に向け、開発を進めています。2021年中にも、月着陸船の組み立てに着手する予定です」(中村さん)

アイスペースが運営していたチームHAKUTOは、月面探査レースGoogle Lunar XPRIZEに、日本から唯一参加していました。HAKUTOは、日本で古くから月を象徴する動物とされている白いうさぎ(白兔)という意味です。HAKUTO-RのR(Reboot)には、道半ばで終えたGoogle Lunar XPRIZEの挑戦を継承し、民間として初めての月面探査を「再起動」するという想いが込められています。

最終的な目標は、地球~月間の輸送サービス構築です。着陸船または探査機に顧客のペイロード(荷物)を搭載し、月へ輸送するほか、要望に応じて、月面のデータを取得する等のミッションを行っていく予定です。

現在、ペイロードを月へ輸送する商業サービスを民間企業などから公募するNASAのCLPS(クリプス)プログラムのコンペに日本で唯一参加しており、JAXAやルクセンブルク政府とも月資源開発で連携して、日本、ルクセンブルク、アメリカの3拠点で活動しています。

2020年7月に最終デザインが完成した月着陸船(ランダー)。着陸脚を広げた状態で、幅約2.6m、高さ約2.3m、重さは約340kg。ランダーの上部に約30kgの重さのペイロード(貨物)が搭載できる(画像提供/アイスペース)

2020年7月に最終デザインが完成した月着陸船(ランダー)。着陸脚を広げた状態で、幅約2.6m、高さ約2.3m、重さは約340kg。ランダーの上部に約30kgの重さのペイロード(貨物)が搭載できる(画像提供/アイスペース)

民間の参入で拡大する宇宙産業

アイスペースが、NASAのCLSPプログラムに採択された2018年末は、これまで国主導だった月探査が国際協力をベースに民間主導に切り替わる分岐点になりました。NASAが大きく舵を切ったことは、日本をはじめ各国に大きな影響を与えています。日本政府は、2020年6月に今後10年間の宇宙政策をまとめた新たな「宇宙基本計画」を閣議決定。現状で約1兆2000億円ある国内の宇宙産業の規模を2030年代早期に倍増させること、官主導だった宇宙開発への民間参入や宇宙ビジネスの拡大方針を打ち出しました。

高まる宇宙産業への期待が追い風となり、アイスペースでは、企業とのパートナーシップの締結が多くなっているそう。民間の力を活かした新しい宇宙ビジネスが注目を集めており、その背景を中村さんはこう語ります。
「官主導は、税金を使うため国民への説明責任があり、リスクを最小限にすることが優先されます。民間は、無駄を削いだ上で、制約なくルールをつくれますし、ビジネス的な観点から、企業に対してマーケティングやブランディングの提案ができます。今回のプロジェクトに、航空、通信、放送、自動車、建設、広告代理店、印刷などさまざまな業種の企業がパートナーシップにご賛同いただきました。これから20年の挑戦を共にしていだだきたいとの思いから、技術協力を積極的に行っています」(中村さん)

将来、月に住む未来が、夢物語ではなく、リアリティのある世界として近づいてきているのを感じます。

360度の視野を持つ高画質カメラを搭載した探査機(ローバー)。機体には、パートナーシップ企業名が記されている(画像提供/アイスペース)

360度の視野を持つ高画質カメラを搭載した探査機(ローバー)。機体には、パートナーシップ企業名が記されている(画像提供/アイスペース)

宇宙開発で広がる人類の生活圏

現在、地球での豊かな生活は、通信、農業、交通、金融、環境維持に至るまで、さまざまな産業が人工衛星を中心とした宇宙インフラにより、成り立っています。インターネットや自動運転が発展すれば、ますます、インフラの重要性は高まり、宇宙資源開発が今後の鍵となっていきます。ポテンシャルマーケットとして注目されている月面探査ですが、「月をゴールとは考えていない」と中村さん。
「住みやすさでいえば、月より、大気のある火星の方が良いとされています。しかし、地球から火星に直接行くには輸送コストが高い。月でロケット等の燃料である水素を補給すれば、10分の1のコストで済むのです。月は宇宙開発のハブ(中継地点)となり、人類の生活圏はますます広がっていくでしょう」(中村さん)

コロナ禍により、地球上がさまざまな困難に直面した2020年。一方で、宇宙をステージに、さまざまな企業が全く想像もつかない未来を描き、計画を進めています。これから人類の夢がかなっていくのか、注目していきたいです。

●取材協力
・株式会社アイスペース

歌舞伎町一丁目の再開発計画、国土交通省が認定

国土交通省は5月31日、都市再生特別措置法の規定に基づき、東京急行電鉄(株)および(株)東急レクリエーションから申請のあった民間都市再生事業計画「(仮)歌舞伎町一丁目地区開発計画」について認定した。事業地は、新宿区歌舞伎町一丁目29番1、29番3の11,433.74m2。地上48階・地下5階・塔屋1階の複合ビル(ホテル、物販店舗、飲食店、劇場、映画館、遊技場等)を建設し、歌舞伎町の集客力を強化する。

また、広場と一体となったにぎわい空間を形成することで、新たな都市観光拠点を創出。バス乗降場も整備し、歌舞伎町へのダイレクトなアクセスを可能とする空港連絡バスルートを形成する。さらに、西武新宿駅前通りのリニューアルや広場に連続する歩行者ネットワークを形成し、まちの回遊性とにぎわいを創出する計画。

着工は2019年8月1日、竣工は2022年8月31日を予定している。

ニュース情報元:国土交通省