人口6割減・貧困で治安悪化の街、ラストベルトからよみがえりのカギは市街地3分の1の空き家! 農園などに活用する驚きのまちづくりとは? アメリカ・フリント市

地方へ帰省した時や旅先で、「空き家が増えたな……」と思うことはありませんか。人口が減り始めた日本では、空き家や集落をどのようにしていくか、難しい課題が浮き彫りになっています。今回はそんな空き家対策として参考になりそうな、米国のミシガン州郊外フリント市の「グリーンイノベーション地区」の計画について取材しました。

市街地の1/3が空き家に! 治安も悪化、貧困層が取り残された街

今回、お話を伺ったのは横浜国立大学で人口減少と都市の規模の適性化を目指すまちづくりを研究している矢吹剣一准教授。矢吹先生が事例として注目しているのは、米国のミシガン州郊外にあるフリント市の「グリーンイノベーション地区」の計画です。

アメリカ・フリント市(写真提供/矢吹剣一さん)

アメリカ・フリント市(写真提供/矢吹剣一さん)

そもそもフリント市は自動車メーカー・ゼネラル・モーターズ(GM)創業の地で、最盛期の1960年代~70年代には約20万人が暮らし、「全米でもっとも豊かな都市の1つ」とまでいわれた街でした。ただその後、工場の移転と閉鎖にともない人口は激減、2022年には約8万人と半分以下にまで落ち込んでいます。

横浜国立大学 大学院都市イノベーション研究院 准教授・矢吹剣一さん(写真提供/矢吹剣一さん)

横浜国立大学 大学院都市イノベーション研究院 准教授・矢吹剣一さん(写真提供/矢吹剣一さん)

産業の勃興と衰退によって人口の増加・減少が起きたのは、石炭や造船業が盛んだった都市と同様といってよいでしょう。ただ、米国と日本では土地に関する価値観が異なります。

「米国は日本と異なり、土地への執着が低いため、仕事のあるところに引越し・移住をするのが当たり前です。そのため、家賃や税金を滞納したままの状態で、ある日突然、住人がいなくなるということが頻発するんです。当然、残されたのは、税滞納状態となった空き家や空き地、あるいは移住する費用が払えない貧困層という状態になります」

貧しく、行き場のない人だけが取り残されたほか、人種ごとによる居住地域の違いなども問題を複雑化させています。さらに追い打ちをかけたのが、サブプライムローン問題に端を発した2007年の住宅バブルの崩壊です。フリント市内の住宅でも差し押さえが相次いだこともあり、市内の総不動産のうちなんと1/3が遊休地化し、空き地・空き家(しかも荒廃している)だらけだったとか。さすが米国、空き家・空き地問題のスケールもケタ違いです。

ランドバンクを介して土地を利活用。農園が健康や治安の改善にも役立つ

税金などを滞納して差し押さえられた不動産は、行政などに差し押さえられたのち、公的な性格をもつ「ランドバンク」が権利を保有し、再生・利活用の道を探ることになります。

「フリントが位置するジェネシー郡は、2002年に公的なランドバンクを設立しています。差し押さえた空き家は解体されるだけでなく、適切にリフォームして販売や賃貸されたり、土地だけで貸したり、管理、活用の方法を模索します。なかでも注目は、『サイドロットプログラム』。その名前の通り、side-lot(隣地)、つまり、隣の人に低額で貸したり、売却したりというもの。困ったときに頼りになるのは隣の人ということで、隣地を低額で売却または賃貸してもらい、管理してもらうという取り組みです」(矢吹先生)

隣地が管理されておらず、荒れていると困るのはまさに隣の家の住人ですし、日本でも昔から「隣の土地は借金してでも買え」と言われてきたほど。とても合理的な取り組みといえるでしょう。広くなったスペースは庭や子どもの遊び場として活用しているようです。とはいえ1区画は450~500平米超もあり、隣の区画と合わせれば900~1000平米、3区画合わせれば1500平米にもなります。テニスコート(ダブルス)の広さが約261平米なので約6面、こうなってくると家の敷地というより畑ですね……。

「ランドバンクは、土地を隣家に貸す以外にも、地元の住民団体やNPOなどに貸し出して、農園やコミュニティガーデンとしても活用しています。カギになるのは、教会や地域コミュニティ。米国の教会も、日本の寺院でいう檀家さん、つまり信徒さんがいないと成り立たないんですね。ですから、牧師と信徒のみなさん、NPO、地元の学生さんなどがともにコミュニティガーデンで野菜を育て、近隣住民で分け合うという取り組みをしているんです。フリント市や近隣のデトロイト市は全米平均よりも貧困率が高く、日頃の生活にも困っている方も多いのですが、こうした住民の栄養状態を改善し、健康促進をする、という意味でも農園(都市農業)は役立っています」(矢吹先生)

放置された空き家は、行政やランドバンクによってチェックされる。状態によって4段階にわけられ、撤去解体、リノベ、リフォーム、賃貸など、再生の方法が模索される(写真提供/矢吹剣一さん)

放置された空き家は、行政やランドバンクによってチェックされる。状態によって4段階にわけられ、撤去解体、リノベ、リフォーム、賃貸など、再生の方法が模索される(写真提供/矢吹剣一さん)

コミュニティガーデン、農園では、住民たちが一緒になって草刈りや緑の管理、畑作をすることで、治安維持、景観の向上、住民の栄養やメンタルヘルスの改善などに役立つこともわかっているそう。行政としても草刈りなどの空き地を管理するコストが低減でき、住民、行政、双方にメリットのある仕組みです。

「コミュニティガーデンでは野菜を提供するだけでなく、農業に必要な資材を貸し出したり、苗を売ったり配ったりしています。米国でも日本の地域おこし協力隊のような地域に貢献したいと活動する若者がいるのですが、彼らが農業を手伝っていることもあります。教会の牧師さんもまちづくりや都市計画について関心が高く、教会の一角にまちづくりに関する展示パネルもあるほどです」

教会(写真提供/矢吹剣一さん)

教会(写真提供/矢吹剣一さん)

コミュニティガーデンで活動する人たち。緑を手入れすることで、住民の栄養やメンタルヘルスの改善、治安維持できることがわかっている(写真提供/矢吹剣一さん)

コミュニティガーデンで活動する人たち。緑を手入れすることで、住民の栄養やメンタルヘルスの改善、治安維持できることがわかっている(写真提供/矢吹剣一さん)

教会の一角にあるまちづくりに関する展示パネル(写真提供/矢吹剣一さん)

教会の一角にあるまちづくりに関する展示パネル(写真提供/矢吹剣一さん)

重要なのは覚悟と都市計画。住民参加で「合意形成」もなされる

とはいえ、ランドバンクは万能ではありません。フリント市全域で約2万2000区画ある空地に対して、何区画かずつの規模で活用したところで、全体の問題解決にならないからです。問題の本質は、都市がどうあるべきなのか、その設計図である、「都市計画」が機能していること。ここが機能していないと、本質的な人口減への対応は難しいといいます。

「滞納された不動産の個別の利活用をはかったところで、ランドバンクは黒字化はおろか、人件費も出せるかどうかというのが現実です。フリント市は財政難も続いています。そのため、2013年に『マスタープラン』、日本でいうところの総合計画と都市計画マスタープランを合わせたような計画を作成し、この時にはじめて人口減・低密度化をふまえた都市計画を立案しました」(矢吹先生)
これは日米共通のようですが、ふるさとの人口減少に対し、回復することは難しいと認め、受け入れるのは非常に覚悟のいること。希望的観測、こうあってほしいという願望、政治的な意向で「玉虫色の決着」になりがちですが、人口が半分以下と、どん底までいったフリント市はついに覚悟を決めたのです。

「この覚悟を決めた2013年の都市計画では、空き地をコミュニティガーデンなどにしていき緑豊かな住宅地を目指す『グリーン・ネイバーフッド』、できるだけ新たな人が来ることを想定せず、1つ1つの土地そのものを広くする『グリーン・イノベーション』という2種類の地区を設定しました。特に空洞化のひどかった地区は『グリーン・イノベーション』として、できる限り人の流入を抑えて、とにかく土地を合筆、集約化していき、将来の不確実性に備えるとしています。結果的に人の流入は制限出来ませんでしたが、それぞれが使用する1区画あたりの面積を大きくして、なるべく大きな面積を管理してもらう仕組みをつくることができました」

グリーン・イノベーション地区の様子(写真提供/矢吹剣一さん)

グリーン・イノベーション地区の様子(写真提供/矢吹剣一さん)

ポケットパーク(写真提供/矢吹剣一さん)

ポケットパーク(写真提供/矢吹剣一さん)

人口が増え続けている米国では都市「縮小」、「撤退」という概念にまだ拒否感があります。そのため、居住エリアを「縮小」するのではなく「低密度」な状態でも維持することを目指し、同時にさまざまな社会状況に対応できるよう「不確実性に対応する可変性の高さ」というコンセプトを打ち出したのです。
「グリーン・イノベーション地区」はまず、空き地を緑地やコミュニティガーデンとして活用しようと謳います。そして、将来に備えて空いた土地を徐々に合筆集約しておく、そうすれば大規模工場の誘致、農園の誘致など起死回生的なチャンスへの対応も可能で、不確実な情勢に対応しやすいというわけです。いわば「二段構えの施策」といえるでしょう。

赤いエリアが町の中心市街地。周囲の住宅地には、空き家・空き地が多い地区が点在していました。これら(上図・緑部分)を「グリーンイノベーション地区」と名付けました(画像提供/矢吹剣一さん)

赤いエリアが町の中心市街地。周囲の住宅地には、空き家・空き地が多い地区が点在していました。これら(上図・緑部分)を「グリーンイノベーション地区」と名付けました(画像提供/矢吹剣一さん)

もちろん、自分が住む地域が「グリーン・イノベーション地区」になることに難色を示した住民もいました。それはそうですよね、「あなたが住む場所はもう新しい人は来ず、将来は広大な緑地です!」と言われたら、住民が反発するのは必至です。ただ、住民も実際にワークショップに参加していくと、都市計画やまちづくりの必要性としてなによりフリントがおかれた深刻な現状を理解し、納得していくのだとか。
「地価の低さもありますが、自分たちの目で空き家調査をしたこと、自分たちの意見や議論でグリーン・イノベーション地区のエリアを決めたこと、細かい規制内容も住民意見を反映したことが、合意形成の上で非常に大きかったと言えます」

日本は戦後の住宅難もあり、都市でも農村部でも、とにかく土地の分筆が続けられてきました。いわば現在のフリントの真逆状態です。ゆえに所有権者と利害関係者が増えすぎてしまい、合意形成や、現在および将来の全体最適な土地の利活用を難しくしていますが、その意味でもとても示唆に富んでいるように思います。

また、日本の都市計画制度は米国ほど効力をもっていません。例えば、水道・電気などのインフラ保守管理を効率化するために居住地域を厳しく制限する、自治体ごとに用途地域をカスタマイズして望ましい将来像へ都市空間を誘導するなどの制限はできていない状態です。

「米国でも都市部の『縮小』という現実に向き合うのは非常に困難でした。でも、人口が減るという現実を受け入れ、覚悟を決めたところから再生がはじまっているんです。日本でも同様に、厳しい現実に向き合わないといけない。まずはそこからではないでしょうか」(矢吹先生)

もちろん国の成り立ちや価値観が違うので、すべてを真似する必要はありませんが、公的な性格をもつランドバンク、住民参加型のコミュニティ、強力な都市計画、行政の覚悟……など、岐路に立つ日本も見習うべき点は多いのではないでしょうか。

Center for Community Progressによる動画
「How to Use Property Condition Data for Vacant Land Stewardship(空き地管理のための不動産状況データの使用方法)」

●取材協力
横浜国立大学 大学院都市イノベーション研究院 准教授
矢吹剣一さん
専門は都市計画・都市デザイン・まちづくり。主に人口減少時代における土地利用政策(マスタープラン/ゾーニング)、空き家・空き地の政策(利活用および管理・除却)、共創まちづくり(住民参加による計画策定技法/公・民・学連携のまちづくり)に関して研究・実践を行っている。
福島県いわき市生まれ。筑波大学第三学群社会工学類(都市計画主専攻)卒業。東京大学大学院都市工学専攻修士課程修了。株式会社久米設計勤務後、東京大学大学院都市工学専攻博士課程修了。博士(工学)、一級建築士。東京大学特任研究員・アーバンデザインセンター坂井チーフディレクター、神戸芸術工科大学助教、東京大学先端科学技術研究センター特任助教を経て、2022年10月より現職。

東京を”食べられる森”に! 渋谷や新宿などに農園が続々登場している理由「トーキョーアーバンファーミング(Tokyo Urban Farming)」

「アーバンファーミング」という言葉をご存じでしょうか。一般的には、農地ではなく、都市の空きスペースを利用して行う都市型農業を指し、SDGsの観点やコミュニティ創出の場として、世界的に注目されています。ここ数年、東京都内に鑑賞用のグリーン(植物)だけでなく、ビルの屋上や駅構内などのちょっとしたスペースで小さな畑を見かけるようになっています。その背景では、何が起きているのでしょうか?2023年5月に事例をまとめた書籍も発売されました。「Tokyo Urban Farming」の発起人で書籍を監修した近藤ヒデノリさんに、最新事情やその魅力を教えてもらいました。

都市で農的に暮らす「Urban Farming Life」とは武蔵野大学有明キャンパスの屋上菜園(画像提供/Tokyo Urban Farming)

武蔵野大学有明キャンパスの屋上菜園(画像提供/Tokyo Urban Farming)

最近、都内では、さまざまな場所にコミュニティファームができ、 “農”的体験ができるイベントが開催されています。駅で野菜苗が無料配布されていたり、渋谷や新宿の街中で野菜を育てる小さなファームを目にしたことがあるかもしれません。「Tokyoを食べられる森にしよう!」をテーマに掲げた「Tokyo Urban Farming」は、2021年4月に開設されたオープンプラットフォームで、アーバンファーミングをもっと楽しく、美しく、あたりまえにすることをミッションに、コミュニティファームの設置やイベントの実施、情報発信を通じて都市の再生型ライフスタイルの普及を目指しています。

5月に発売された新刊『Urban Farming Life』を読むと、ビルの谷間で野菜を収穫し、土に触れる人たちの姿が。子どもも大人もとっても楽しそう!

新宿駅東口前にあるSinjuku Farmと運営するJR新宿駅の駅員さん(画像提供/Tokyo Urban Farming)

新宿駅東口前にあるSinjuku Farmと運営するJR新宿駅の駅員さん(画像提供/Tokyo Urban Farming)

金融の街、茅場町のEdible Kayabaenは、子どもたちの食育の場に(画像提供/Tokyo Urban Farming)

金融の街、茅場町のEdible Kayabaenは、子どもたちの食育の場に(画像提供/Tokyo Urban Farming)

世田谷区が所有する遊休地を活かしたタマリバタケ(画像提供/Tokyo Urban Farming)

世田谷区が所有する遊休地を活かしたタマリバタケ(画像提供/Tokyo Urban Farming)

「駅前に畑があったり、オフィスビルの屋上に大きな農園ができたり、少し前だったら想像もしなかった風景が東京に広がっています。田舎では昔から当たり前だったことが都会に入ってきて、ウェルビーイングにつながるものとして定着し始めているのです」(近藤さん)

2023年5月に発売された「Urban Farming Life」(画像提供/Tokyo Urban Farming)

2023年5月に発売された「Urban Farming Life」(画像提供/Tokyo Urban Farming)

東京23区内12の事例とキーパーソン、アーバンファーミングの文化や方法をまとめた1冊(画像提供/Tokyo Urban Farming)

東京23区内12の事例とキーパーソン、アーバンファーミングの文化や方法をまとめた1冊(画像提供/Tokyo Urban Farming)

『Urban Farming Life』の冒頭では、アーバンファーミングを、「農家による野菜生産や販売を目的とした農業ではなく、誰もが自宅や市民農園、コミュニティファーム等で仲間と野菜を育てたり、食べたり、学んだりできる農的ライフスタイル」と定義しています。食べ物を共に育てることを通じて都会の人と人、自然をつなぐほか、生ごみをコンポストで堆肥にするなどと都市を再生する役割も。アーバンファーミングの社会的メリットとして以下が挙げられています。

都市に住む人に農的体験の場を提供気候危機を解決していくための意識変革持続可能な街づくり(コミュニティ・防災や治安の向上)地産地消やフードロス解消アーバンファーミング 6つの役割(画像提供/Tokyo Urban Farming)

アーバンファーミング 6つの役割(画像提供/Tokyo Urban Farming)

住宅街の中にある「たもんじ交流農園」は、地域のコミュニティの場(画像提供/Tokyo Urban Farming)

住宅街の中にある「たもんじ交流農園」は、地域のコミュニティの場(画像提供/Tokyo Urban Farming)

■関連記事:
誰でも収穫して食べてOKな農園も!? 公園の一角やビル屋上などに都市型農園が増加中! 『まちを変える都市型農園』新保奈穂美さんに聞く3事例

ニューヨークやロンドンなど世界で都市型農園が拡大中

さまざまなイベントは、近藤さん自らプロデュースするだけでなく交渉、広報、SNSなどほぼすべてを行っています。広告を手掛ける博報堂が、アーバンファーミングのオープンプラットフォームを自ら立ち上げ、イベントを運営しているのは意外な気もしますが、きっかけを教えてください。

「博報堂には、創造性を研究しているUNIVERSITY of CREATIVITY(以下UoC)という機関があります。僕はサステナブル領域のディレクターをしていますが、UoCが立ち上がったのは、ちょうどコロナの時期。地球環境や社会の状況、都市の課題を調べたり、有識者などとトークセッションをする中で見えてきたのが、アーバンファーミングという再生型のライフスタイルだったんです」

近藤さんは、自宅を「地域共生のいえ」KYODO HOUSEとしてアーバンファーミングや様々な文化活動を実践している(画像提供/Tokyo Urban Farming)

近藤さんは、自宅を「地域共生のいえ」KYODO HOUSEとしてアーバンファーミングや様々な文化活動を実践している(画像提供/Tokyo Urban Farming)

コロナ禍やそれにより普及が進んだリモートワークの影響で、屋外の庭や貸農園で野菜を育てる需要が世界的に高まっていました。近藤さんが感銘を受けたのは、ニューヨークにあるブルックリン・グランジという世界最大の屋上農園。国際展示場の2つの屋上に、サッカー場が2つ入るくらいの広さの農場が広がっています。

「ブルックリンに住んでいたことがあるので、あそこに素敵な農園ができたんだ!と驚きました。もともとドイツにはクラインガルテンという都市型農園がありますし、イギリスのロンドンでも次々と創設されていました。日本でも広がりつつあったので、これから来るんじゃないかと。日本では草の根的な個別の活動が多かったので、博報堂が企業や行政を繋いで大きなうねりにできないかなと思って始めたのがきっかけです」

■関連記事:
ベルリンの巨大墓地が農園に!プリンツェシンネン庭園に見る素敵なドイツの墓地文化
コロナ禍のドイツは園芸がブームに。農園でつながりづくり進む

下北沢の駅前や大手町のオフィスビルの屋上にも緑豊かな「のはら」。管理するのは、地元の参加者で構成されたシモキタ園藝部の部員たち(画像提供/Tokyo Urban Farming)

緑豊かな「のはら」。管理するのは、地元の参加者で構成されたシモキタ園藝部の部員たち(画像提供/Tokyo Urban Farming)

「Urban Farming Life」では、行政や企業、大学などが主体となったモデルケースとなる事例がピックアップされています。例えば、小田急線の地下化に伴い空いた敷地を活用した広場「のはら」は、下北沢の駅前に広がる里山の野原のような畑です。レモングラスなどのハーブ類やズッキーニなどの野菜を栽培し、養蜂も行っています。千代田区大手町一丁目にある大手町ビルの屋上にも農園ができました。2022年5月に開設されたThe Edible Park OTEMACHI by growです。巨大ビルの屋上にプランターが並び、ビルの就業者や近隣の人で野菜を育てています。オフィス街で、ウィークデーに土に触れて自然を体感できる場所があるなんて今までは考えられなかったことです。

オフィスビルの屋上にコンテナを並べたThe Edible Park OTEMACHI by grow。木製の棚には植物の種や書籍が並ぶ(画像提供/Tokyo Urban Farming)

オフィスビルの屋上にコンテナを並べたThe Edible Park OTEMACHI by grow。木製の棚には植物の種や書籍が並ぶ(画像提供/Tokyo Urban Farming)

区民農園の隣にある家族向けシェアハウス「青豆ハウス」。地域の人を招いたお祭りも催される(画像提供/Tokyo Urban Farming)

区民農園の隣にある家族向けシェアハウス「青豆ハウス」。地域の人を招いたお祭りも催される(画像提供/Tokyo Urban Farming)

近藤さんが監修する際、意識したのは、今までバラバラに存在していた活動をまとめることで、アーバンファーミングの役割や価値、その魅力を広く伝えることでした。

「取材を進める中で、同じような思いを持っている人が増えていると実感しました。たくさんの仲間に出会えてさらにアーバンファーミングの可能性を感じたし、東京だけでなく、都市とそのライフスタイルを再生型に変えていくバイブルにできればと考えてつくりました。集合住宅での始め方も掲載しているので興味を持った人が真似できるネタ本として使ってもらえたら嬉しいです」

左は、渋谷に4つのコミュニティファームを持つNPOの代表理事小倉崇さん。右は、The Edible Park OTEMACHI by growを運営する三菱地所の担当者。さまざまな人たちがアーバンファーミングで繋がっていく(画像提供/Tokyo Urban Farming)

左は、渋谷に4つのコミュニティファームを持つNPOの代表理事小倉崇さん。右は、The Edible Park OTEMACHI by growを運営する三菱地所の担当者。さまざまな人たちがアーバンファーミングで繋がっていく(画像提供/Tokyo Urban Farming)

■関連記事:
総勢150名「シモキタ園藝部」が下北沢の植物とまちの新しい関係を育て中。鉢植え、野原など、暮らしと共にあるグリーンがあちこちに

都市に住む人の琴線に触れる粋なデザインを

「Tokyo Urban Farming」のプラットフォームや書籍のデザインは、スタイリッシュで、今までの牧歌的な“農”のイメージとは異なる印象を受けます。

「もちろん、牧歌的な農的表現も素敵だし、美しいと思うんですけど、それだと都会の人たちは、距離を感じちゃうかもしれない。ぼくらは、農家ではないし、農業の専門家でもないから、いかに創造性で農的文化をわくわくさせるものにできるかを意識しています」

「Tokyo Urban Farming」のプラットフォーム(画像提供/Tokyo Urban Farming)

「Tokyo Urban Farming」のプラットフォーム(画像提供/Tokyo Urban Farming)

UoCでは単管パイプとLED照明を用いて陽のあたらない屋内空間でも野菜やハーブを栽培できるMicro Farmを実験している(画像提供/Tokyo Urban Farming)

UoCでは単管パイプとLED照明を用いて陽のあたらない屋内空間でも野菜やハーブを栽培できるMicro Farmを実験している(画像提供/Tokyo Urban Farming)

近藤さんがキーワードに掲げているのは、「粋」という江戸時代の美意識です。

「江戸の人は、粋か野暮かを判断基準にしていたそうです。それを現代の東京でアップデートできないかなと。例えば、ゴミを分別しないのは間違っている! と言われるより、ゴミをちゃんと捨てないのは野暮だよねと言われた方が響くような。そうした現代における粋な美意識を育てていけたらなと思っているんです」

「都市の食と農の未来」をテーマに東京駅でフェス「TOKYO ART FARM」を開催

「Tokyo Urban Farming」は、東京の地場に発する国際芸術祭「東京ビエンナーレ2023|に「TOKYO ART FARM」という名の祭典を企画・プロデュースするなどアートシーンにも活動の場を広げています。

(画像提供/Tokyo Urban Farming)

(画像提供/Tokyo Urban Farming)

不要なスーツケースを活用したMOBILE FARMワークショップも開催(画像提供/Tokyo Urban Farming)

不要なスーツケースを活用したMOBILE FARMワークショップも開催(画像提供/Tokyo Urban Farming)

「テーマは、都市の食と農の未来。野菜を通じたアートの力で人工的な東京駅を、繋がりを生み出す場に変えようと。不要なスーツケースを活用したMOBILE FARMであったり、首都圏の水源の森の間伐材で、東京駅グランルーフ2Fに長さ22mのLONG TABLEを制作したり。11月の3、4日には、そこで、食べられるアート体験を行いました。現代美食家のソウダルアさんのイベントで、22mのテーブルに白い紙をブワーッとひいて、その上に東京野菜から作ったソースや料理が広がる。東京のど真ん中で、そんな50人以上での特別な食のアート体験を2回開催しました」

10月8日には、アーティストの諏訪綾子(food creation主宰)さんなどによるイベントやマルシェ・ワークショップ・トークが夜更けまで行われた(画像提供/Tokyo Urban Farming)

10月8日には、アーティストの諏訪綾子(food creation主宰)さんなどによるイベントやマルシェ・ワークショップ・トークが夜更けまで行われた(画像提供/Tokyo Urban Farming)

アーティストの岩切章悟と大丸東京店VMDチームの協働で古着やプラスチックハンガーなどの廃棄物を活用して制作されたKAKASHI ART(画像提供/Tokyo Urban Farming)

アーティストの岩切章悟と大丸東京店VMDチームの協働で古着やプラスチックハンガーなどの廃棄物を活用して制作されたKAKASHI ART(画像提供/Tokyo Urban Farming)

TODOが廃棄野菜を漉き込んだ和紙によるポップアップ茶室でアートユニット花信風が「再生」をテーマにもてなす「東京野菜茶会」も開催(画像提供/Tokyo Urban Farming)

TODOが廃棄野菜を漉き込んだ和紙によるポップアップ茶室でアートユニット花信風が「再生」をテーマにもてなす「東京野菜茶会」も開催(画像提供/Tokyo Urban Farming)

アーティストの山本愛子さんがN高生と共に野菜から染めてつくった人と自然の共生社会を象徴する旗(画像提供/Tokyo Urban Farming)

アーティストの山本愛子さんがN高生と共に野菜から染めてつくった人と自然の共生社会を象徴する旗(画像提供/Tokyo Urban Farming)

「展覧会のフィナーレとなる11月5日には、15人のダンサーがテーブルの上で躍りました。野菜に扮装したり、キャベツに電極をつないで楽器にしたり、駅という移動の場が、東京の食と農の未来を感じる体験に変わる特別な日になりました」

アーバンファーミングの先にあるポジティブな未来

近藤さんは、自らアーバンファーミングを実践し、活動を続ける中で、「未来をポジティブに捉えられるようになった」といいます。

「物価上昇や、異常気象など明るいニュースがあまりない中で、人生100年時代と言われても、先行きが不安になりますよね。環境問題を身近に感じて、何かしたいと思っても、何をしたらいいかわからない。そんな人が多いのではないでしょうか。活動を通じてたくさんの人に会いましたが、皆、希望的な未来を見ていました。やれることをやらないで未来に臨んでいくと、人生後悔しそうだし、自分に嘘つくことになると思うんです。何もしないでいるよりもやれることをやろうと。そういう風に始める人たちが着実に増えています。アーバンファーミングに関わるとマインドがすごくヘルシーで気持ち良くなります。環境にも良いし、いろんな友達ができるし、幸せへの道なのかなと思います」

活動を通じて消費者から生産者へ(画像提供/Tokyo Urban Farming)

活動を通じて消費者から生産者へ(画像提供/Tokyo Urban Farming)

「The Edible Park OTEMACHI by grow」で開催された「Night Farm」の参加者。DJ HIROの音楽とともに、収穫した野菜を素揚げにして食べたり、ハーブを使ったカクテルが提供された(画像提供/Tokyo Urban Farming)

「The Edible Park OTEMACHI by grow」で開催された「Night Farm」の参加者。DJ HIROの音楽とともに、収穫した野菜を素揚げにして食べたり、ハーブを使ったカクテルが提供された(画像提供/Tokyo Urban Farming)

最後に、「Tokyo Urban Farming」の活動をはじめて2年。今、近藤さんが思う「アーバンファーミング」とは?

「自然農法家の川口由一さんの著書の中に、『命の道・人の道・わが道』という言葉があります。別の言い方をすると、環境問題、人間社会、自分の生き方なんですよね。それらが重なっていくのが、アーバンファーミングだと感じています。もちろん、さまざまな課題を解決するすべての答えがアーバンファーミングにあるかといえば、そんなわけでもないし、そう言うと逆に嘘くさいと思いますが、誰でも入りやすいし、意識を変えるきっかけとしては、すごくいいなと思っています」

2050年までには人類の80%が都市に住むといわれています。大量のゴミを排出する消費型の都市から循環型の都市へ転換するためにも、アーバンファーミングの果たす役割は大きいと感じました。スーパーに並んでいるものを買うのではなく、自分で育てて、収穫し、いただく。命の根源ともなる体験は、社会的メリット以上に人生で大切なものを教えてくれそうです。

●取材協力
株式会社博報堂
「UNIVERSITY of CREATIVITY」サステナビリティフィールドディレクター
近藤ヒデノリさん

誰でも収穫して食べてOKな農園も!? 公園の一角やビル屋上などに都市型農園が増加中! 『まちを変える都市型農園』新保奈穂美さんに聞く3事例

都市に暮らしていると感じにくい、大地に根差して「生きている」手ごたえ。今、都市部の農地や公園の一角、ビルの屋上などに、市民が参加し、農体験できる「都市型農園」が増加中だ。「都市型農園は、生の実感を取り戻せる場所」と語るのは、『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)の著者・新保奈穂美さん。都市型農園が増加している背景を事例とともに紹介する。

農園ブームで進む、都市のスキマ活用土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

著書では、アーバンガーデニングや農的活動の場となる自宅外の空間を、都市型農園と呼んでいる。新保さんによると、都市型農園は、コロナ前から需要が増え始め、コロナ後は、利用申し込みが数倍になった農園があったり、民間の貸農園の数が拡大したりなどブームが高まっているという。

「地方移住などで若い世代の田園回帰の意識が高まっており、農を取り入れたライフスタイルが注目されつつあったところに、新型コロナウィルス感染症のパンデミックが起き、比較的安全な屋外の庭や貸農園で野菜や花を育てる需要が高まりました。SDGsや環境問題への関心の高まりから、社会や環境のために何かをやりたい人が増加し、その手段になっている印象です」(新保さん)

世界的にも、都市住民が都市の空間を活用して野菜や花を育てる活動「アーバンガーデニング」の人気が高まっている。日本では、開発により消えつつあった農的空間を、積極的に都市に取り入れようとする動きが出てきた。

日本の市民農園は、大正後期~昭和初期に、ドイツ発祥の区画貸し農園「クラインガルテン」をルーツとして始まり、1960年代ごろから現在のような市民農園が存在していた。従来の市民農園は、都市部の農家が所有する農地を、区画に分けて貸し出している農園を指す。農林水産省の発表によると、調査を開始した2002年以来、2017年~2018年に減少したほかは増加し続けており、2022年3月末時点で、全国に4235農園が存在している。

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

「東京、横浜、神戸、福岡などの大都市で盛んで、農家や民間のスタッフが農を教える体験農園、利用者が自主的に運営するコミュニティガーデンなどバリエーションの幅も広がりました。今、野菜を育てるだけでなく、コミュニティの課題解決や持続可能なまちづくりのアプローチとして、注目されているのです」(新保さん)

●関連記事:
コロナ禍のドイツは園芸がブームに。農園でつながりづくり進む
郊外の空き地で、焚き火や養蜂に住民みんなが挑戦!「“禁止”はNG」が合言葉の「nexusチャレンジパーク 早野」
空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

住宅地内の農地を住民の居場所に。「せせらぎ農園」

ここからは、具体的に全国の事例を見ていこう。

そもそも新保さんが、都市型農園の持つ可能性を強く意識したのは、東京大学の学生だった2009年に、クラインガルテンの研究のためオーストリアのウィーンを訪れた時のことだった。

「首都の都心部に農園があって、のんびり花に水をあげたり、ベンチに寝そべって日向ぼっこをする人々の姿が印象的でした。それまで、私にとって都市の生活は、ぎゅうぎゅうの満員電車で学校や職場に通うイメージでしたから、こんな暮らし方があるんだと、カルチャーショックを受けたのです」(新保さん)

以来、世界の都市型農園を訪れ、「都市における農」の研究に携わってきた。ヨーロッパを研究の舞台としてきた新保さんが、日本の都市型農園の研究に関わるきっかけとなったのは、「せせらぎ農園」との出会いだった。

東京都日野市の住宅地内にある「せせらぎ農園」は、2008年に設立された老舗の都市型農園だ。「せせらぎ農園」の特徴は、地域の生ごみを肥料として活用し、環境保全に貢献しながら、野菜やハーブの栽培が行われていること。設立者である佐藤美千代氏が農園設立以前に、市民団体「ひの・まちの生ごみを考える会」を立ち上げた経緯があり、障がい者支援を行うNPOなど地域のさまざまな主体と連携し、地域住民が集うコミュニティ拠点として成長してきた。利用者は60代が中心で、子育て世帯も参加している。

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

「せせらぎ農園」の農活動は、「援農」という農家の農作業を都市住民が手伝い、無償もしくは謝礼として農作物を得るというスタイルだ。「せせらぎ農園」を視察し、農作業を手伝った新保さんは、都市型農園の持つ可能性を実感したという。

「現代は、あらゆることが私たちの体から、切り離されています。食糧生産の場から離れた都市に暮らし、パソコンで仕事をしていると、自分の手で何ができるんだろう? という気持ちになってきます。草を取って、水やりをすると、だんだん野菜が育っていく。目に見えて成果が分かるのが、とても嬉しくて。都市の中に農と関われる場所がある大切さを再認識しました」(新保さん)

都市型農園の多くは、農家所有の農地を活用している

都市型農園には、公園の一部やビルの屋上を活用する事例もあるが、多くは地元の人が所有する農地を利用している。都市型農園発展の転換期になったきっかけは、生産緑地法の改正と「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」の制定だ。

大きく分けて都市には、市街化を促す市街化区域と市街化を抑制する市街化調整区域がある。従来の市民農園は、土地代が安く、比較的自由に貸し出ししやすい市街化調整区域に多かった。一方、市街化区域の農地では、1974年に生産緑地法が制定され、営農の継続を希望すれば、都市環境を保全するための生産緑地地区(以下、生産緑地)の指定を受けられるようになった。

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

「生産緑地の指定を受ければ、土地に対する課税が安くなるものの制限も多く、生産緑地指定を受ける農地は少なかったのです。ところが、1992年の法改正で、三大都市圏の特定市にある生産緑地指定を受けていない農地に対し、宅地並みの課税が実施されることに。生産緑地の指定を受ければ、固定資産税の軽減や相続税の納税猶予の措置が認められたため、生産緑地の指定を受ける農地が一気に増えました。しかし、指定を受けるには、30年間、所有者自らがそこで農業を続けることが条件。所有者以外の都市住民が耕作する都市型農園に生産緑地を利用するには、『せせらぎ農園』のように、援農が主流でした」(新保さん)

都市型農園の近年の発展は、2018年に「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」が施行されたことが大きい。生産緑地に指定された農地を他人に貸して耕作してもらえるようになり、「援農」の形式に縛られず、多様な活用が可能になったのだ。農家でない市民やNPO、民間企業による市民農園の開設ができるようになり、農園内に、農産物の直売所や農家レストランを設けるなど、都市部の高齢者や子育て世代までさまざまな住民が関わる拠点として、期待が高まっているのだ。

公園の活用や防災・減災への貢献も

最近では、農地以外の土地の活用も始まり、全国には、「ベトナム人住民が創る農園」(兵庫県姫路市)や「金町駅前団地コミュニティガーデン」(東京都葛飾区)など、異文化交流や地域活性化などさまざまな取り組みが行われている。その中からユニークな取り組みを紹介しよう。

公園の一角を再生した「平野コープ農園」

兵庫県神戸市にある「平野コープ農園」は、2021年4月に開設された比較的新しい都市型公園だ。市が管理していた低利用の公園に近隣住民が定期的に訪れる場所をつくろうと、神戸市経済観光局農水産課と建設局公園部が協働し、住民コミュニティの再生を目指す市の実証実験として誕生した。

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

「全国でも珍しい公園を使った都市型農園です。皆のためにある公園を一部の人が主に利用するには、課題が多く、議論を重ねて実現しました。エディブルパーク(食べられる公園)がテーマで、ユニークなのは、誰でも入って収穫できるコミュニティ農園があること。ただ、人通りが少ない場所にあり、コミュニティ農園の利用はまだ少ない状況です。自分で区画を持ち野菜栽培を実践できる『学びの広場』の利用者は、30・40代の女性が多く、商店街の人たちと連携して、イベントを行ったりしています。子育て中は孤独を感じやすいので、地域の人と繋がる大切な場所になっているようです」(新保さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

地域活性化と過密な住宅地の防災に貢献「たもんじ交流農園」

地域活性化のために始めた都市型農園が、地域の防災の場になった事例もある。東京都墨田区の「たもんじ交流農園」だ。

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

「2017年に、現・寺島・玉ノ井まちおこし協議会(以下、てらたま)が、街を盛り上げるため、この地にルーツがある伝統江戸野菜「寺島なす」を活用するプロジェクトを立ち上げ、3年がかりでコミュニティ農園『たもんじ交流農園』をつくりました。約660平米の敷地に12の交流農園があり、農園利用者が使用する毎週日曜日以外にもいつでも誰でも入ることができます。もともと、このエリアは、木造住宅密集地域(木密地域)で、地震・火災の防災・減災対策が課題でした。都市型農園によるオープンスペースの創出が、結果的に、防災・減災対策に繋がりました。災害時には避難スペースになりますし、水やりに使っている雨水タンクは火消しにも役立ちます」(新保さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

そもそも、雨水タンクは、循環型農園を目指し、自然資源を活用した農作業を実現するために他の施設から使わなくなったものを譲り受けたものだが、結果として、防災にも生きている。「たもんじ交流農園」に限らず、続けるうちに、農体験から派生して、活動が複合的になっていくことが多々あるという。「いい感じに有機的につながっていくのが面白いところ」と新保さん。

著書の最後には、研究の原点となった「せせらぎ農園」を訪れた時のエピソードが書かれている。都市型公園の研究を続ける原動力ともなった大切な体験だった。

「『せせらぎ農園』の皆さんは、私が何者かも聞かずに、受け入れてくれました。『ここにいていいんだよ』と救われた気持ちがしたのです。こんないいところが、街のあちこちにあったらなあと。都市型農園が増えれば、私のように救われる人が増えるかもしれません」(新保さん)

新保さんが研究を通じて触れた「農のふところの深さ」。都市型農園がもっと身近になり、地域のハブとして、多世代・多様な人々を繋ぐ日は、そう遠くないのではと感じた。

●取材協力
・新保奈穂美さん
・『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)

農作業ひたすら8時間のボランティアに10・20代が国内外から殺到! 住民より多い600人が関係人口に 北海道遠軽町白滝・えづらファーム

北海道の北東に位置する、遠軽町白滝エリア(旧白滝村)にある「えづらファーム」。地方の過疎化と人材難が深刻な社会課題になるなか、江面暁人(えづら・あきと)さん・陽子(ようこ)さん夫妻が営むこの農園では、農業や農家民宿事業を手助けしてくれるボランティアが次々とやってきます。10・20代を中心に、その数はなんと年間で70人にのぼります。農家民宿の観光客延べ人数を含めると、年間約600人もの人たちが関係人口として、住民500人ほどの地域と関わっていることに。決して便利ではない小さな田舎町へやってくる理由は何なのか?現地で話を聞きました。

農業の魅力・価値をパワフルに掘り起こし、「年に1つの新規事業」に

「えづらファーム」を経営する江面暁人(えづら・あきと)さん、陽子(ようこ)さん夫妻。もともと東京在住で会社員をしていた夫妻は、2010年に新規就農者として遠軽町白滝エリアへ移住。現在の農園にて農業経営継承制度を利用した研修を開始しました。2012年に独立し、新規就農からこの11年で、広大な土地をパワフルに耕すだけでなく、新しい価値を次々と掘り起こしてきました。

2012年の農場経営スタートとほぼ同時に農作物のネット通販を始めたことを皮切りに、2013年には住み込みボランティアを受け入れ始め、その翌年に観光事業の畑ツアー・収穫体験などを提供する農業アクティビティを開始。そのあとも、簡易宿泊所の認可を取得し、企業研修やインバウンドの受け入れ、空き家を活用した農家民宿のコテージ、レストランなど、「農業」を軸とした新規事業を立ち上げ続けています。

ちなみに新規事業は夫婦の経営会議で、毎年1つ、挑戦することを決めているそうです。なるほど、これは日々のアンテナの張り方もちょっと変わってきそうです。

空き家を活用した一棟貸し民泊コテージ。今夏は早々に予約が埋まるほどの人気ぶりです(画像提供/えづらファーム)

空き家を活用した一棟貸し民泊コテージ。今夏は早々に予約が埋まるほどの人気ぶりです(画像提供/えづらファーム)

その結果、人口500人の地域に「えづらファーム」を通じて年間で延べ600人もの人たちが訪れるまでになりました。特に住み込みボランティアは「えづらファーム」最大の特徴と言っていいでしょう。年間70名の、そのほとんどが、10・20代の若者たち。実働8時間、無償であるボランティアに、申込はその3倍近く年間200人から応募が集まるというから驚きです。

農業のやりがい、田舎の豊かさなど、見えない価値を伝えたい

「えづらファーム」は畑作農場を42ha保有しており、これは東京ドーム約9個分の広さに当たります。農業の生産性を示す収量は地域平均を上回っていて、農業だけでも十分な収益を得られるように思います。

広い農場はどこを切り取っても北海道らしい景観。主な栽培作物は、小麦、馬鈴薯、てんさい、スイートコーンなど(画像提供/えづらファーム)

広い農場はどこを切り取っても北海道らしい景観。主な栽培作物は、小麦、馬鈴薯、てんさい、スイートコーンなど(画像提供/えづらファーム)

ではなぜ、このような画期的な取り組みを次々と行っているのでしょうか。

「自分たちは、もともとよそから来たので、なんで農家なんかになるの、田舎つまんないでしょ、と言われることがありました。決して悪気があるわけではないのはわかっていますが、僕らは夢を描いて北海道へやってきたので、寂しいなと感じたことを覚えています。

農業のやりがい、田舎の豊かさ。この地で培われた文化の希少性。それには圧倒的な価値があると確信しています。見えていない価値を、どうしたら伝えることができるだろう。一人でも多くの人に、地域、農業に興味を持ってもらいたい。そして実際に、この地に訪れてもらいたい。そのためにはどうしたらいいかを常に考えて、農業体験、民宿、レストランと、毎年コツコツと挑戦しています。

経営面でみても、新規事業は必要な柱となります。例えば天候不順で農作物収量が計画通りにいかなかったとしても、多角的に事業を運営することで、他の事業でバランスを取りリスク分散ができるという利点があるんです」(暁人さん)

夫の暁人さんは北海道出身、ですが農業一家で育ったわけではありません。北広島市という北海道中部の都市部出身で、遠軽町とは250km以上離れてます。妻の陽子さんは京都市出身。同じく“非農家”の家で育ちました。

夫妻は東京での6年の会社員生活を経て、北海道北見市の畑作法人で農業研修に入る道を選択。遠軽町白滝の農場主で継承者を探していた先代さんと出会い、この縁から、移住することになったといいます。この地で生まれた娘さんは11歳になりました(画像提供/えづらファーム)

夫妻は東京での6年の会社員生活を経て、北海道北見市の畑作法人で農業研修に入る道を選択。遠軽町白滝の農場主で継承者を探していた先代さんと出会い、この縁から、移住することになったといいます。この地で生まれた娘さんは11歳になりました(画像提供/えづらファーム)

夫妻にとっては、移住後の暮らし方、働き方が大きな魅力でした。自然豊かな地域で私生活と仕事がくっついた暮らし。陽が沈んだら家路につき、当たり前のように毎日家族と食卓を囲む。夫妻のように、田舎暮らしに興味がある人は多いかもしれません。ですが、いざ縁もない地方へ仕事を求めていくかというと、やすやすとはいかないもの。

住み込みボランティアの受け入れ、農家民宿やレストランを提供することで、こうした暮らしを味わえるのは、他の地域の人にとって、得難い経験になるでしょう。地域と農業が本来持っているはずの「見えていない価値」に光を当てるため、夫妻は新規事業にチャレンジしています。
根底にあるのは、「人が集まる農場をつくりたい」という想い。だから、損得勘定や合理性だけではなく、「農」と馴染む人肌を感じるような新規事業が育っているのだと感じます。

8年前(2015年)の農家民宿スタート当時の写真。自宅2階を冬レジャー客用として開放したことがはじまりだったそう(画像提供/えづらファーム)

8年前(2015年)の農家民宿スタート当時の写真。自宅2階を冬レジャー客用として開放したことがはじまりだったそう(画像提供/えづらファーム)

21歳と25歳、外国人の住み込みボランティア。“Japan farmstay”で検索してやってきた

夫妻の取り組みの一つ、住み込みボランティアでは、若い世代がやってきて、平均2~3週間ほど滞在します。
ボランティアとはいえ、「ガチ」な農作業。実働8時間です。フルタイム勤務と変わらない時間、毎日汗を流します。筋肉痛で悲鳴を上げそうな農の仕事で、これは観光気分だけでは続かないと想像できます。
実際に6月にボランティアに来ていた2人に話を伺いました。

この時滞在していたのはアメリカから来たヤンセイジさん(21歳)、シンガポールから来たJJさん(25歳)の2人です。

ブロッコリー畑の雑草取り中のセイジさんとJJさん。2人はファームで出会って仲良くなりました(写真撮影/米田友紀)

ブロッコリー畑の雑草取り中のセイジさんとJJさん。2人はファームで出会って仲良くなりました(写真撮影/米田友紀)

筆者が現地に到着してすぐ、偶然2人にお会いし、ご挨拶。日に焼けた顔から白い歯で笑顔をみせてくれ、「お水いりますか?」とペットボトルのお水を差しだそうとしてくださり、初対面から好青年です。

2人はネット検索で“Japan farmstay”と2ワードを叩き、検索結果で表示されたえづらファームのウェブサイトからメールで問い合わせたそうです。

セイジさんはアメリカの大学に通う学生。昨年はアメリカのIT企業でエンジニアのインターンシップに参加し、今年は何か違うことをやってみたい、と日本へやってきました。世界的な食糧問題に関心があり、食の原点として農業を体験したいという想いがあったそうです。

JJさんはシンガポールの大学を卒業し、就職前の期間を利用して日本に滞在中。シンガポールの金融企業に就職予定で、サステナビリティ分野での投資に関心があり、農業を学びたいとえづらファームにやってきました。

「体力的には大変だけど、楽しくて貴重な経験をさせてもらっています。みんなでご飯を食べることが楽しいですし、特にポテトが美味しい。陽子さんがつくったポテトサラダが最高に美味しいです」(JJさん)
「来る前とのギャップは特にないですね。何をできるかなとワクワクしていましたし、イメージ通りです」(セイジさん)

ボランティアの2人は、陽子さんのまかないは最高に美味しい、と口をそろえます(画像提供/えづらファーム)

ボランティアの2人は、陽子さんのまかないは最高に美味しい、と口をそろえます(画像提供/えづらファーム)

セイジさんもJJさんも、ネット検索結果をきっかけに異国の田舎にある農場にポンとやってきてしまうのだから、行動力があります。

夫妻によると、同様の検索ワードでえづらファームのサイトを見つけて応募する人が多いとのこと。食や観光分野での起業、地方創生への関心など、2人のように目的が明確な若者が多いそうです。「未来はきっと明るいぞ」と、日々感じるのだとか。

単なる労働力ではなく、想いを実現する場に

ボランティアの皆さんは夫妻の自宅2階で同居しています。
常時2~4人ほどが住み込み、食事は家族とテーブルを囲みます。お風呂もトイレも共用で、洗濯も家族と一緒にガラガラと洗濯機を回します。さらに休日は、みんなでバーベキューや窯でピザを焼いたり、夜空を見たり。釣りやスキーなどレジャーを楽しみ、衣食住の全てを家族同然に生活しています。

夫妻には11歳になる娘さん、ののかさんがいます。ののかさんにとっては、生まれてからずっと家にボランティアのお兄さん、お姉さんがいることが当たり前の暮らし。世界中からやってくるボランティアさんたちから自然と多様性を学べる環境が、人口500人の地域の自宅にあるわけです。娘さんは逆にボランティアがいない生活を知らないので、もし家族だけになったら寂しいと話しているんだそう。

収穫レストランを手伝うののかさん。娘さんの気持ちに配慮しながら事業に取り組んでいます(画像提供/えづらファーム)

収穫レストランを手伝うののかさん。娘さんの気持ちに配慮しながら事業に取り組んでいます(画像提供/えづらファーム)

毎年来てくれたり、高校生の時にきて、今度は大学に入ってから、と2回、3回とやってくるボランティアさんも多いそうです。
ボランティアさんとは事前にオンライン面談を行います。その時点で必ず声掛けしていることがあります。
「ここにきて、何をしたいのか」
それはやりたいことを叶える場所として、えづらファームを活用してほしい、という想いがあるからだそうです。

「単純に労働力として来てもらえるのは農場にとってはありがたいですが、本人がやりたい何かを実現できる場所として、白滝へ来てもらいたいです。人生に役立てることに一つでも、ここで出会えてもらえたら」(暁人さん)

労働力として考えたら、農繁期に作業に慣れた人を雇う方が効率的だといえます。訪れるボランティアとの出会いを楽しみ、彼らにも「やってみたい」「楽しい」を感じてもらいたい。夫妻にはそんな願いがあります。

建築を学ぶボランティアさんが「つくってみたい!」と建てた小屋。立派すぎるDIYです(写真撮影/米田友紀)

建築を学ぶボランティアさんが「つくってみたい!」と建てた小屋。立派すぎるDIYです(写真撮影/米田友紀)

ドラム缶風呂は「入ってみたい!」を叶えるためにボランティアと一緒につくりました(画像提供/えづらファーム)

ドラム缶風呂は「入ってみたい!」を叶えるためにボランティアと一緒につくりました(画像提供/えづらファーム)

衣食住を共にして、ボランティアがやりたいことを叶えられるように努める。夫妻のおもてなしには舌を巻きます。ですが、ボランティアから自分たちに与えてもらっているものも大きい、と感じているそうです。

「農業って、人と接することが少ないんです。外から人が来てくれること、出会いが刺激になることに感謝しきりです。ここにきて10年経っても、ボランティアの子たちと星空を見て一緒に感動できる。田舎の贅沢さをいつまでも新鮮に感じることができるのは、彼らのおかげです」(暁人さん)

小さな一歩が、新事業のとっかかり

とはいえ、毎年一つの新規事業を始めるというのは労力も勇気も伴います。
失敗が怖くないのかと聞いてみると、陽子さんがこう語ってくれました。

「私たちの事業は始めの一歩が小さいんです。もし上手くいかなかったら撤退できるように、意識的に小さくしています。そして需要があることをかたちにするようにしています。農家民泊も最初はウィンタースポーツに訪れる人がいるのに『地域には宿泊できる場所がなくて困っている』という近所の人の声を聞いたことがきっかけでした。だったらうちの2階に部屋が余っているから宿泊所にしよう、と始めました。最初から何百人もの観光客を呼ぶ、なんて始めたわけではないんです」(陽子さん)

もちろん上手くいかなかったこともある、といいます。例えばボランティアの受け入れではせっかく来てくれると言っているのだから、と最初は面談をせず受け入れていたところ、リタイアする人がいたそうです。

「当時はこちらのケア不足もあると思いますし、想像してたのと違った、とギャップを話す子もいました。せっかく来てくれたのに、上手くいかないことはお互いにとって大変残念なことですので、今では必ず全ての人と事前面談をしています」(陽子さん)

なるほど、ボランティアのセイジさんが話していた「ギャップのなさ」は事前の丁寧な面談の賜物なのですね。
冬レジャーの困り事解決のために始まった民宿は、現在では空き家を活用したコテージに。地域の人による親戚の集まりや、離れて住む子どもや孫が帰省時に泊まるといった機会でも活用されているそうです。

小さな一歩からはじめることは、地域での暮らしでも大切だと陽子さんは言います。
「急に世界中から人を受け入れたいだなんてと宣言したら、きっと地域で理解してもらえないでしょう。大きな目標を立てるより、まずは身近な人にとって役立つことをしたいと思い、ここまでやってきました。小さな一歩をとっかかりに、そこから地道に広げていく。本当にちょっとずつかたちにしてきて、今に至ります」(陽子さん)

新規事業というと大がかりですが、イチかバチかの大勝負に打って出るというより、周りの地域の人たちの困り事や願いに耳を傾けて自分たちにできることは何か、とちょっとずつ軌道修正をしながら広げているようです。

広大な地で軽やかなチャレンジが進んでいます(画像提供/えづらファーム)

広大な地で軽やかなチャレンジが進んでいます(画像提供/えづらファーム)

若者が「やってみたい」を投じる場として

夫妻の昨年の年1チャレンジは、収穫レストラン「TORETATTE」(トレタッテ)オープンでした。レストランでは地元在来種の豆を扱ったティラミス、アイヌネギのキッシュやヨモギのコロッケ、ふきのマリネなど地域に根付く食文化を味わうメニューも期間限定で提供しています。

「きなこと抹茶の植木鉢ティラミス」在来種豆を提供する地元商店の豆を使用し、白滝の春景色の表した一品(画像提供/えづらファーム)

「きなこと抹茶の植木鉢ティラミス」
在来種豆を提供する地元商店の豆を使用し、白滝の春景色の表した一品(画像提供/えづらファーム)

また、地域に戻ってきたい人や新しいことに挑戦する人を後押しすべく、「間借りカフェ」としての活用もスタート。
今年6月と7月には地元出身の若者2人による一日カフェが開かれ、それぞれが得意とするコーヒーやスイーツがふるまわれました。

さまざまな人の挑戦の舞台となる収穫レストラン「TORETATTE」(画像提供/えづらファーム)

さまざまな人の挑戦の舞台となる収穫レストラン「TORETATTE」(画像提供/えづらファーム)

実際に夫妻との出会いをきっかけに遠軽町に移住したり、新規就農をめざしてやってきた人もいるそうです。

「毎年新しいことを立ち上げる」

言葉でいうほどカンタンではないのは、たゆみなく努力する夫妻をみるとよくわかります。ですが近くの困り事に耳を傾け、スモールスタートで自分のできることを進めれば、夫妻のようにワクワクする取り組みができるかもしれません。

新規事業を毎年立ち上げる2人は、農家であり、起業家です。「農」を起点に新しい価値を次々と創造しています。ボランティアや間借りカフェで訪れる次世代の若者にも、そのチャレンジスピリットが伝播しています。
2人はきっとこれからも、白滝から小さな一歩のチャレンジを踏み出していくのでしょう。

●取材協力
えづらファーム

収穫お手伝いで食事・宿を無償提供!? 国内外からサポーター集う「オキオリーブ」関係人口の起点に 高松市

香川県高松市にあるオリーブ農園「オキオリーブ」。「一粒ずつ丁寧に手摘みで収穫したオリーブから、収穫4時間以内で抽出する」という手法でつくられるオリーブオイルは、なかなか手に入らない幻の逸品だとか。そして、この「オキオリーブ」では、「収穫サポーター」なる、ちょっと変わった試みをされていると聞き、現地へ。元・証券マンという異色の経歴を持つ、オキオリーブ代表園主の澳敬夫(おき・たかお)さんにもお話を伺った。

地元・全国から無償で収穫を手伝うサポーターが参加

高松空港から車で約15分、秋晴れの空の下、丘の上のオリーブ畑に到着。すると幅広い世代の男女が、一粒ずつオリーブを収穫し、腰に付けたバスケットに入れている。実はこの方たち、スタッフはほんの一部で、多くは「収穫サポーター」と呼ばれる方々。無償で手伝ってもらう代わりに、園が食事や宿を提供するというもの。地元・香川県だけでなく、県外からやってくる人も多いとか。
「互いに特別の恩恵をはかりあう“互恵”という考え方です。参加される方の理由はさまざま。オリーブという食材、オーガニックなものや農作業に興味を持つ人、この温暖な気候に惹かれた人、旅の一つの選択肢として参加した人、観光では得られない体験を求めている人など。年齢も幅広いです」(澳さん)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

県外からの参加者は、通常は1日1組限定のゲストハウスとして使われている「澳邸」を宿泊施設として利用可能。男女別の相部屋で、まるで合宿所のような雰囲気だとか。「寝食を共にしつつ、農作業の中でも最も楽しい、収穫の喜びも共有してもらえたらと思っています」(澳さん)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。 元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。
元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

収穫サポーターに参加した、ぞれぞれの理由とは? 

撮影当日は今年初めて&2度目という方が多かったが、中にはほぼ毎年訪れている人もいるとか。
そこで、撮影当日に参加されていた方にどうして参加したのか、お話を伺ってみた。
大阪からやってきているというカップル。「もともと2人とも飲食系の仕事をしていて、収穫を自分でできるのはすごく面白いなって。いずれは自分たちのお店をやってみたいという夢もあって、国産オリーブの食材そのものにも興味がありました」

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

ドイツから訪れたという彼の職業はシェフ。「日本の美味しい食材について学びながら日本全国旅をしたいと思っています。まだ日本に着いたばかりで、最初がココなんです」

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

「WWOOF」というシステムを利用して、訪れている人も多い。これはオーガニックな農作物をつくる農家がホストとなり、お金のやりとりなしで、「食事・宿泊場所」と「力」そして「知識・経験」を交換するというもの。中には、こうした働き方をしながら全国旅をしている人も多く、他の現場で顔見知りになっている人もいるそうだ。なかには、耳が不自由ながら、みんなで筆談しながらコミュニケーションをとり「ココの楽しい雰囲気が気に入って、今回は2回目なんです」という方もいた。

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

生活環境、属性も違う面々が非日常を味わいに集う場所

東京、大阪、名古屋といった都市に暮らしながら、年に1回は収穫シーズンに合わせて参加している方もいる。「普段はパソコンに向かっているばかりの毎日だけれど、この環境で身体を動かしてひとつひとつ実を摘んでいく作業はすごく心地いいんです」という声も。何度か訪れているうちに、観光地を訪れるより少し深く、濃く、この場所が特別になっていくのも、この取り組みのメリットだろう。

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

もちろん、香川県在住の方も多い。「地元がここだけれど、普通の会社員だから、こんな場所、こんな取り組みがあるとは知らなくて。私たちが何も知らないのはどうかと思って参加してみたら、楽しくて今回が2回目の参加です」という方もいれば、「もともとは併設のカフェの客だったんです。で、収穫体験できるんだ、と一度経験したら、楽しくて。今回はお友達を誘ってみました」と地元民ならではの気軽さで参加している方もいる。

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

撮影当日は、以前オキオリーブを取材したことのある記者さんが、朝イチの飛行機で東京から参加していた。こうした縁が広がっていくのも面白い。住まい、環境、年齢、属性の違うさまざまな人たちが、同じ空の下、作業をして、休憩して、語らう。美しい光景だ。

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

最初は海外からの旅行者が中心。コロナ禍で変化が

澳さんが、こうした農業サポーターを始めたのは5年前。当初は前述の「WWOOF」で、多くの外国人を受け入れたのがスタートだ。
「最初は、正直いうと、シンプルに収穫に人手がほしかった部分もありました。しかし、ホストファミリーとして、海外の方々を受け入れているうちに、ああ、これは、労働の対価として宿や食事を提供するという単純なものではないなぁと思いました。世界中からいろんな方が来ましたよ。オックスフォードの大学生、医者の卵、建築家、弁護士。お金じゃないんですよね。暮らすように旅をする、日本の食文化を知る、人と人とが繋がる、そういう数字には換算できないものを求めて彼らは来てくれているんだと思いました」(澳さん)

(画像提供/オキオリーブ)

(画像提供/オキオリーブ)

しかしコロナ禍で海外からの渡航者が激減。海外のサポーターの代わりに増えたのが国内の大学生の参加だ。「コロナ禍で学校が休校になったから、と参加してくれるようになったんです。また、海外を旅することはできないから、と国内からの参加も増えましたね」(澳さん)

海外から国内へとシフトする中で、変化も。
「海外の方だと、基本的には1回限り。ココはたくさん旅をする場所のひとつにしか過ぎなかったでしょう。しかし、地元の人やリピーターが増えていくと、少し関わり方も変わってきました。自然と顔見知りは増えますし、リピーターの人が初参加の人に摘み方を教えてあげたり、居住地が近い参加者同士で後日、交流していたり、この場が継続的な、もっと濃い交流の場となっている気がします」(澳さん)

継続的に関わることで生まれる、特別な「場」という意識

そこで、5年前からほぼ毎シーズン参加しているIさんにお話を伺った。最初は娘の秋休みに合わせて親子で参加できる農作業はないか探していたところ、オキオリーブ収穫サポーターを知り、参加したという(現在、収穫サポーターは16歳以上)。

「全国、いや世界中を放浪している若い方たちがいっぱいいたんですよ。娘はお兄さんお姉さんにいっぱい遊んでもらいました。彼らは本当に自由でオープンマインド。私は普通の人生を歩んできた人間なので、ああ、そんな生き方があるんだ、と目からウロコでした」(Iさん)

また、地元の農家さん、澳さんの友人などが顔を出し、一緒にお酒を飲むこともある。そうして何の縁もなかった高松の地が「特別な地」になった。
「地名をいえば、そこで一緒に過ごした方の顔が浮かぶ。子どもにとっても私にとっても繰り返し訪れる地は特別。1回限りの観光で訪れる土地とは、やはり愛着は違います」(Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

音楽やアート。この場でこそ味わえる経験をシェアしたい

ここでの関わり方は収穫などの農作業だけではない。
「大工仕事をやってもらうこともありますし、“こんなことをしてみたい”と提案されることもあります。以前、フランス人のアーティストが、農作業の合間に、壁にオリーブの木を描いてくれたこともありました。あ、こちらのカラフルな壁は地元の大学生の作品。こうした作品も、この青空の下、風を感じる丘の上、といったロケーション込みでアートになるんだなと思っています」(澳さん)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

また、現在このオリーブ畑はキャンプ場、グランピングの場としても利用可能。農作物の栽培という枠組みを超えて、さまざまな人が「関わる余地のある場」となっている。
さらに、敷地内にある小屋のなかには、澳さんの友人の職人による「Sanuki Tekki」の工房があったり、知り会いのミュージシャンによるジャズライブや、地元のシェフを呼んだイベントなども開かれたりしている。

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

場所の力は大きい。オンラインでさまざまなことが可能になったからこそ、その場所に足を運ばなければ体験できないことは特別な意味を持つだろう。それが継続的な体験になり、まったく縁のない人に、この地が特別な所になっていく。
「ゆくゆくは、ギャラリーもつくって、音楽、アート、食、さまざまなカルチャーを媒体に、さまざまな人が交わる場所になったらと思っています。どうしても地方創生というと、移住や住んでもらおうとしがちだけれど、そうではなくて、この土地のサポーターを増やしていけたらいいですよね」(澳さん)

●取材協力
オキオリーブ

収穫お手伝いで食事・宿を無償提供!? 国内外からサポーター集う「オキオリーブ」関係人口の起点に 高松市

香川県高松市にあるオリーブ農園「オキオリーブ」。「一粒ずつ丁寧に手摘みで収穫したオリーブから、収穫4時間以内で抽出する」という手法でつくられるオリーブオイルは、なかなか手に入らない幻の逸品だとか。そして、この「オキオリーブ」では、「収穫サポーター」なる、ちょっと変わった試みをされていると聞き、現地へ。元・証券マンという異色の経歴を持つ、オキオリーブ代表園主の澳敬夫(おき・たかお)さんにもお話を伺った。

地元・全国から無償で収穫を手伝うサポーターが参加

高松空港から車で約15分、秋晴れの空の下、丘の上のオリーブ畑に到着。すると幅広い世代の男女が、一粒ずつオリーブを収穫し、腰に付けたバスケットに入れている。実はこの方たち、スタッフはほんの一部で、多くは「収穫サポーター」と呼ばれる方々。無償で手伝ってもらう代わりに、園が食事や宿を提供するというもの。地元・香川県だけでなく、県外からやってくる人も多いとか。
「互いに特別の恩恵をはかりあう“互恵”という考え方です。参加される方の理由はさまざま。オリーブという食材、オーガニックなものや農作業に興味を持つ人、この温暖な気候に惹かれた人、旅の一つの選択肢として参加した人、観光では得られない体験を求めている人など。年齢も幅広いです」(澳さん)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

それぞれがバスケットを腰に付け、リズミカルに両手で収穫していく。収穫シーズンは10月で、中でも前半がピーク(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

すべての実をひとつひとつ手摘みしていくことで、実を傷つけることなく収穫できるだけでなく、余計な葉や軸を取り除くことができる。その分、余計な雑味や苦みがなくなるのがメリット(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

県外からの参加者は、通常は1日1組限定のゲストハウスとして使われている「澳邸」を宿泊施設として利用可能。男女別の相部屋で、まるで合宿所のような雰囲気だとか。「寝食を共にしつつ、農作業の中でも最も楽しい、収穫の喜びも共有してもらえたらと思っています」(澳さん)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

オキオリーブガーデンのある丘を下った場所にある古民家をリノベーションしたゲストハウス「澳邸」(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

世界的木工デザイナーのジョージナカシマの「コノイドチェア」やイサムノグチの「AKARI」など、高松ゆかりのアーティストの家具が並ぶ「澳邸」の室内(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。 元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

「オキオリーブ」代表園主・澳 敬夫さん。
元は証券会社勤務。高松支店に赴任中の香川県で農業のファンドビジネスに携わる。「お金も出資者もなかなか集まらない。それなら自分で始めてみよう」と、オリーブ園を始めてしまったという経歴の持ち主(写真撮影/内田伸一郎)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

澳さんが目指したのは「とことん和食に似合うオリーブオイル」。今年の2022シーズンオイルは、すでにオンラインでの販売は完売(画像提供/オキオリーブ)

収穫サポーターに参加した、ぞれぞれの理由とは? 

撮影当日は今年初めて&2度目という方が多かったが、中にはほぼ毎年訪れている人もいるとか。
そこで、撮影当日に参加されていた方にどうして参加したのか、お話を伺ってみた。
大阪からやってきているというカップル。「もともと2人とも飲食系の仕事をしていて、収穫を自分でできるのはすごく面白いなって。いずれは自分たちのお店をやってみたいという夢もあって、国産オリーブの食材そのものにも興味がありました」

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

元は同じ高校の同級生。以前参加したことのある彼の誘いで、彼女は今回、初参加。「オリーブを摘むのも面白かったし、普段なら接点のない人と出会うのも良い経験でした」(写真撮影/内田伸一郎)

ドイツから訪れたという彼の職業はシェフ。「日本の美味しい食材について学びながら日本全国旅をしたいと思っています。まだ日本に着いたばかりで、最初がココなんです」

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

彼はその後、澳さんの紹介で、地元の和食料理店で修業中だとか(写真撮影/内田伸一郎)

「WWOOF」というシステムを利用して、訪れている人も多い。これはオーガニックな農作物をつくる農家がホストとなり、お金のやりとりなしで、「食事・宿泊場所」と「力」そして「知識・経験」を交換するというもの。中には、こうした働き方をしながら全国旅をしている人も多く、他の現場で顔見知りになっている人もいるそうだ。なかには、耳が不自由ながら、みんなで筆談しながらコミュニケーションをとり「ココの楽しい雰囲気が気に入って、今回は2回目なんです」という方もいた。

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

「奈良に一応自宅はありますが、これを利用して日本全国旅をしています。こうやって、自分の性に合う場所はないかな、と新しい拠点を探している最中です」という方(写真中央)(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

すでに拠点を持たず、「日本全国、都道府県を制覇したい」という方も(写真撮影/内田伸一郎)

生活環境、属性も違う面々が非日常を味わいに集う場所

東京、大阪、名古屋といった都市に暮らしながら、年に1回は収穫シーズンに合わせて参加している方もいる。「普段はパソコンに向かっているばかりの毎日だけれど、この環境で身体を動かしてひとつひとつ実を摘んでいく作業はすごく心地いいんです」という声も。何度か訪れているうちに、観光地を訪れるより少し深く、濃く、この場所が特別になっていくのも、この取り組みのメリットだろう。

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

東京、横浜からそれぞれ初参加した会社員のお2人。初心者でも澳さんが手摘みの仕方を教えてくれる(写真撮影/内田伸一郎)

もちろん、香川県在住の方も多い。「地元がここだけれど、普通の会社員だから、こんな場所、こんな取り組みがあるとは知らなくて。私たちが何も知らないのはどうかと思って参加してみたら、楽しくて今回が2回目の参加です」という方もいれば、「もともとは併設のカフェの客だったんです。で、収穫体験できるんだ、と一度経験したら、楽しくて。今回はお友達を誘ってみました」と地元民ならではの気軽さで参加している方もいる。

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

地元の香川県の方々。「彼女は、仕事で今は地元を離れているんだけど、帰省している間にちょっと誘ってみたの」と和気あいあい(写真撮影/内田伸一郎)

撮影当日は、以前オキオリーブを取材したことのある記者さんが、朝イチの飛行機で東京から参加していた。こうした縁が広がっていくのも面白い。住まい、環境、年齢、属性の違うさまざまな人たちが、同じ空の下、作業をして、休憩して、語らう。美しい光景だ。

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

朝イチの作業の後、休憩時間。お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。初対面同士の自己紹介も(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

(写真撮影/内田伸一郎)

最初は海外からの旅行者が中心。コロナ禍で変化が

澳さんが、こうした農業サポーターを始めたのは5年前。当初は前述の「WWOOF」で、多くの外国人を受け入れたのがスタートだ。
「最初は、正直いうと、シンプルに収穫に人手がほしかった部分もありました。しかし、ホストファミリーとして、海外の方々を受け入れているうちに、ああ、これは、労働の対価として宿や食事を提供するという単純なものではないなぁと思いました。世界中からいろんな方が来ましたよ。オックスフォードの大学生、医者の卵、建築家、弁護士。お金じゃないんですよね。暮らすように旅をする、日本の食文化を知る、人と人とが繋がる、そういう数字には換算できないものを求めて彼らは来てくれているんだと思いました」(澳さん)

(画像提供/オキオリーブ)

(画像提供/オキオリーブ)

しかしコロナ禍で海外からの渡航者が激減。海外のサポーターの代わりに増えたのが国内の大学生の参加だ。「コロナ禍で学校が休校になったから、と参加してくれるようになったんです。また、海外を旅することはできないから、と国内からの参加も増えましたね」(澳さん)

海外から国内へとシフトする中で、変化も。
「海外の方だと、基本的には1回限り。ココはたくさん旅をする場所のひとつにしか過ぎなかったでしょう。しかし、地元の人やリピーターが増えていくと、少し関わり方も変わってきました。自然と顔見知りは増えますし、リピーターの人が初参加の人に摘み方を教えてあげたり、居住地が近い参加者同士で後日、交流していたり、この場が継続的な、もっと濃い交流の場となっている気がします」(澳さん)

継続的に関わることで生まれる、特別な「場」という意識

そこで、5年前からほぼ毎シーズン参加しているIさんにお話を伺った。最初は娘の秋休みに合わせて親子で参加できる農作業はないか探していたところ、オキオリーブ収穫サポーターを知り、参加したという(現在、収穫サポーターは16歳以上)。

「全国、いや世界中を放浪している若い方たちがいっぱいいたんですよ。娘はお兄さんお姉さんにいっぱい遊んでもらいました。彼らは本当に自由でオープンマインド。私は普通の人生を歩んできた人間なので、ああ、そんな生き方があるんだ、と目からウロコでした」(Iさん)

また、地元の農家さん、澳さんの友人などが顔を出し、一緒にお酒を飲むこともある。そうして何の縁もなかった高松の地が「特別な地」になった。
「地名をいえば、そこで一緒に過ごした方の顔が浮かぶ。子どもにとっても私にとっても繰り返し訪れる地は特別。1回限りの観光で訪れる土地とは、やはり愛着は違います」(Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

子どもなりにできることをやる。今は地元の小学生を除けば、受付年齢は16歳以上となっている。(画像提供/Iさん)

音楽やアート。この場でこそ味わえる経験をシェアしたい

ここでの関わり方は収穫などの農作業だけではない。
「大工仕事をやってもらうこともありますし、“こんなことをしてみたい”と提案されることもあります。以前、フランス人のアーティストが、農作業の合間に、壁にオリーブの木を描いてくれたこともありました。あ、こちらのカラフルな壁は地元の大学生の作品。こうした作品も、この青空の下、風を感じる丘の上、といったロケーション込みでアートになるんだなと思っています」(澳さん)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

併設されたカフェ(現在はメンテナンス休業中)。その横には、オリーブの木のシルエットを壁に描いた小屋がある(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

単なるコンクリート壁だった貯水槽を、カラフルにペインティング。緑の中に唐突に現れ、楽しい気持ちにさせてくれる作品は地元大学生の手によるもの(写真撮影/内田伸一郎)

また、現在このオリーブ畑はキャンプ場、グランピングの場としても利用可能。農作物の栽培という枠組みを超えて、さまざまな人が「関わる余地のある場」となっている。
さらに、敷地内にある小屋のなかには、澳さんの友人の職人による「Sanuki Tekki」の工房があったり、知り会いのミュージシャンによるジャズライブや、地元のシェフを呼んだイベントなども開かれたりしている。

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

職人・槇塚登さんの手による鉄のフライパンは、注文して手元に届くまで1年はかかるといわれる人気とか(写真撮影/内田伸一郎)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

フラメンコが披露されるイベントが開催されたことも。青空の下、オリーブ畑に囲まれた場所で音楽が奏でられる、特別な時間(写真提供/オキオリーブ)

場所の力は大きい。オンラインでさまざまなことが可能になったからこそ、その場所に足を運ばなければ体験できないことは特別な意味を持つだろう。それが継続的な体験になり、まったく縁のない人に、この地が特別な所になっていく。
「ゆくゆくは、ギャラリーもつくって、音楽、アート、食、さまざまなカルチャーを媒体に、さまざまな人が交わる場所になったらと思っています。どうしても地方創生というと、移住や住んでもらおうとしがちだけれど、そうではなくて、この土地のサポーターを増やしていけたらいいですよね」(澳さん)

●取材協力
オキオリーブ

ベルリンの巨大墓地が農園に!プリンツェシンネン庭園に見る素敵なドイツの墓地文化

私たちが住むドイツの農園の営みについて寄稿した前回、ベルリンのコミュニティ農園「プリンツェシンネン庭園」について紹介した。実はその活気あふれる庭園は、もともと荒廃した墓地だったというのだ。日本の嫌悪施設のひとつである墓地が、ドイツのライフスタイルの変化と共に、どのように役割を変化させていったのか。これからの都市での生活やコミュニティ形成において、魅力的でユニークな公共空間の活用事例として、ご紹介したいと思う。
東京ドームの約1.6個分?都市型農園は、まるで巨大な市民公園

プリンツェシンネン庭園は、ベルリンのノイケルン地区ヘルマン通り(Hermannstrasse)駅から徒歩1~2分で、ふらりと立ち寄れる場所にあるコミュニティ農園。農地面積は、7.5ha。基本的に誰でも参加でき、自然に触れ合いながら時間を過ごし、知らない人との共同作業を楽しめる都市の公園のような場所だ。アーバンファーミング(都市型農園)とも言われ、ドイツにはなじみのある光景だ。

さて実際に取材時、農園を利用している人の声を聞いてみた。「野菜を育てることや、知らない人と一緒に作業する点が気に入ってます」、 「近所に住んでいますが、公園のように気軽に足を運べるのがいい。毎日変わる畑の様子を見るのは子どもにとっても面白い」など、暮らしの一部になっているようだ。またこの庭園には、近所の小学校や幼稚園の子どもたちが農作業を体験できる専用プランターも設置されている。

大通りに面しているプリンツェシンネン庭園。庭園の中に入ると、街の喧騒を忘れてしまうほどの、緑と静寂に包まれる (写真撮影/Shinji Minegishi)

大通りに面しているプリンツェシンネン庭園。庭園の中に入ると、街の喧騒を忘れてしまうほどの、緑と静寂に包まれる (写真撮影/Shinji Minegishi)

自宅で植物を育てることはできるが、「収穫する」体験ができるのはここならではの醍醐味。「子どもの時から、自分が食べるものに関心を持つことは大事なこと」と、利用者のリサ(Lisa)さんは語る(写真撮影/Shinji Minegishi)

自宅で植物を育てることはできるが、「収穫する」体験ができるのはここならではの醍醐味。「子どもの時から、自分が食べるものに関心を持つことは大事なこと」と、利用者のリサ(Lisa)さんは語る(写真撮影/Shinji Minegishi)

まず注目したいのは、人々が気軽に農作業を共同で行える場所が、ベルリンのど真ん中にあるということだ。これを日本の首都東京で例えると、中野駅あるいは下北沢駅から歩いて1~2分の場所に、誰でも参加できる面積7.5ha(東京ドーム約1.6個分)のコミュニティ農園がある、ということになる。さすがに東京で似たような例はないだろう。

なぜ、そうしたことがベルリンでは実現できたのだろう? 取材に応じてくれたプリンツェシンネン庭園の広報担当ハンナ・ブルックハルト(Hanna Burckhardt)さんから興味深い話を聞けた。なんと、プリンツェシンネン庭園はかつて、墓地であったということだ。

撮影当日は、畑で共同作業をする日。入れ替わり立ち替わり、20名以上のメンバーが農作業に参加していた。水やり、土おこし、草むしりや収穫などの作業を分担し、終始活気が感じられた(写真撮影/Shinji Minegishi)

撮影当日は、畑で共同作業をする日。入れ替わり立ち替わり、20名以上のメンバーが農作業に参加していた。水やり、土おこし、草むしりや収穫などの作業を分担し、終始活気が感じられた(写真撮影/Shinji Minegishi)

土葬から火葬へ~ライフスタイルの変化による墓地の荒廃

ここでドイツにおける墓地事情について見てみよう。ベルリンの街を散歩していると、都市中央部でもドイツ語でフリードホフ(Friedhof)と呼ばれる墓地を、多く見つけることができる。試しにGoogle Mapsでベルリンの都市部、東京の山手線に相当するリングバーン圏内で「Friedhof」を検索、加えて東京の山手線圏内で「墓地」を検索してみてほしい。東京の検索結果よりも、ベルリンでは墓地がより多く点在していることが視覚的に分かるだろう。

これはヨーロッパ全土におけるキリスト教教会による過去の都市管理のなごりでもあるのだろうが、ベルリンにおける人々の居住区と墓地の距離感は、東京における距離感よりもはるかに近いようだ。例えば、ドイツ人同士のカップルにデートコースを尋ねたら、「今日は一緒に墓地を散歩した。あそこの墓地、とても綺麗なの。行ってみたら?」って答える人も少なくない。また、緑が多く静かで気持ちいい墓地の散歩コースを楽しむドイツ人家族も少なくない。

こうした墓地との距離感は、日本人にとって多少、驚きかもしれない。そこで、今回の記事においてドイツの墓地風景を紹介するため、私たちはベルリン出身の大女優/歌手、マレーネ・ディートリヒのお墓があるシェーネベルク第3市営墓地を訪れた。この墓地は、ベルリンの山手線、リングバーンのブンデスプラッツ(Bundesplatz)駅から徒歩6分、居住区と密接して立地する墓地だ。

日本でいう地下鉄・JRの2本の線が交差する大きな駅から徒歩6分。おしゃれなカフェも隣接する閑静な住宅地に、緑地として静かにたたずんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

日本でいう地下鉄・JRの2本の線が交差する大きな駅から徒歩6分。おしゃれなカフェも隣接する閑静な住宅地に、緑地として静かにたたずんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

十分に手入れが行き届いた公営墓地。撮影当日も2名の庭師が水やりや落ち葉拾いなどの作業をしていた (撮影/Shinji Minegishi)

十分に手入れが行き届いた公営墓地。撮影当日も2名の庭師が水やりや落ち葉拾いなどの作業をしていた (撮影/Shinji Minegishi)

「ここは、この子とよく来るお気に入りの散歩コース」と話してくれた女性。ここ以外にも家族でゆっくり散歩に行くという、ベルリンのお気に入りの墓地も教えてくれた(写真撮影/Shinji Minegishi)

「ここは、この子とよく来るお気に入りの散歩コース」と話してくれた女性。ここ以外にも家族でゆっくり散歩に行くという、ベルリンのお気に入りの墓地も教えてくれた(写真撮影/Shinji Minegishi)

緑が多いドイツの墓地では、墓地を自由に走りまわる野生のリスに出会うことも(撮影/Shinji Minegishi)

緑が多いドイツの墓地では、墓地を自由に走りまわる野生のリスに出会うことも(撮影/Shinji Minegishi)

1930年のドイツ映画『嘆きの天使』で一世を風靡、第二次世界大戦ではナチス党に反発してドイツを去り、アメリカ市民となりハリウッドで女優兼歌手として活躍。波乱万丈な人生を送ったマレーネ・ディートリヒの遺骸は、彼女の故郷ベルリンの墓地に眠っていた。

さて、欧米における典型的なお葬式として、個人の遺骸を棺に納めて土に埋める土葬のシーンを、数々の欧米映画で見た人は多いだろう。過去、宗教上(キリスト教、特にカトリック)の理由からヨーロッパでは土葬が一般的だった。しかし現在ヨーロッパでは、葬儀方法において、土葬から火葬へのシフトが進みつつあるのだ。

特にドイツではそのシフトは急速で、ある土葬/火葬率の比較統計では1960年代、土葬90%、火葬10%であったのに対して、火葬率が急増、2009年には土葬49%に対して火葬が51%と火葬が逆転、2019年時点では火葬が70%、土葬が30%となっている。「個人の遺骸を棺に納めて土に埋める土葬のシーン」は、もう“旧式の文化”となりつつある。実際に私たちがマレーネ・ディートリヒのお墓参りをしたシェーネベルク第3市営墓地にも、ウルネ(Urne、日本の“骨壺”に相当)だけを納めた火葬用の墓もあった。

さて、土葬から火葬への葬儀方法の変化はなぜ、加速しているのか? 火葬して墓地を利用する場合、長期の埋葬に耐えうる高価な棺を買う必要もなく、墓地の利用面積も少ないため遺族にとって経済的。また、墓地を利用しないドイツ人も増えている。これらはドイツ人の教会離れ、キリスト教離脱者の増加とシンクロしている。教会離れの原因のひとつには、キリスト教信者ならば払わなければならない教会税の負担がある。良し悪しは別として、ドイツ人も日本人も、人々が“合理的”に生きざるを得ない世界に生きている。

こうして昨今、利用者の減少にともなう墓地の空き地化/荒廃、墓地の運営者にとって墓地区画の維持コストの負担が、ドイツ全土で問題となっているのである。

ベルリンの名誉墓碑(Ehrengrab)とされるマレーネ・ディートリヒが土葬されているお墓。その近くには写真家のヘルムート・ニュートンのお墓も(撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンの名誉墓碑(Ehrengrab)とされるマレーネ・ディートリヒが土葬されているお墓。その近くには写真家のヘルムート・ニュートンのお墓も(撮影/Shinji Minegishi)

ウルネ(骨壺)が納められている、れんが造りの建物。扉はなく、自由に入ってお参りをすることができる(撮影/Shinji Minegishi)

ウルネ(骨壺)が納められている、れんが造りの建物。扉はなく、自由に入ってお参りをすることができる(撮影/Shinji Minegishi)

かつては墓地だったプリンツェシンネン庭園

ここで、プリンツェシンネン庭園の広報担当ハンナさんの話に戻ろう。彼女の話によると、この庭園が造られた背景には、墓地荒廃問題に悩む教会と、都市部に緑地を造りたいという庭園創始者であるロバート・シャウ(Robert Shaw)さんの願いとの幸せな出会いがあったということだ。

1865年、教会が墓地としての利用を目的に、ベルリンの、当時まだ発展していない地域の農地であったこの土地を購入した。しかし2000年代に入り、この教会でも、墓地利用者の減少に伴う墓地荒廃が問題となっていた。
いまやベルリンの人気地区となったノイケルンのこの土地は、商業目的での利用が認められておらず、デパートやオフィスなどが建設できないという制約もあった。そのため、学校や緑地など、非営利の公共空間として運営維持する必要があり、土地の活用に教会は頭を悩ませていた。

一方ロバートさんは、2009年から別の場所で、「アーバンファーミング」コンセプトの市民公園のような農園を運営していた。当時はベルリン中心部の農業に適さない空き地を使っており、プランターのみで農作業をしていた。当時から、空き地活用の新しいアイデアとして、メディアでも注目を集めていた。すでに数千人規模の利用者がいたにも関わらず、土地の契約は2019年末までで、その後予定されている土地の再開発に伴い、契約更新ができないという苦境に立たされていた。

創始者のロバート・シャウ(Robert Shaw)さん。都市の真ん中で、農作業を通してお互いに教えあったり助け合ったりしながら、自然と人が共存できる場所をつくりたかったと語る(撮影/Shinji Minegishi)

創始者のロバート・シャウ(Robert Shaw)さん。都市の真ん中で、農作業を通してお互いに教えあったり助け合ったりしながら、自然と人が共存できる場所をつくりたかったと語る(撮影/Shinji Minegishi)

2017年、こうした両者が出会い、ロバートさんの市民庭園を現在の場所へ誘致することが決まった。2019年末に移転が行われ、敷地は6000平方mから7.5haに拡大された。移転後、農作業に関する専門知識を持った大学の研究者もパートナーとして加わり、ともに協力して土の質を調べた。このことによって、地植えも可能となった。土壌を汚さないよう使用する農薬なども限定している。

さて、この農園利用者は特に参加費用を支払う必要もない。いったいこの庭園はどのように収益を得ているのだろうか? 「私たちは非営利団体であり、行政支援は受けていません」とハンナさんは答えた。

主な収入源は、屋上農園を設置したいというオフィスビルや、コミュニティ形成を目的とした都市内/外の農園を設置/運営する際のサポート費用から来ているという。農園を設置した後の維持管理には専門知識も必要なため、2週間に一度訪問し、農園所有者にコンサルティングを実施する。

庭園の17名のメンバーはフルタイムの社員ではなく、コンサルティング、広報活動や農園運営などの仕事をワークシェアしている。

7.5haの敷地全体の完成は2035年を目指している。「農地拡大のスピードと、コミュニティーの広がるスピードの歩調をあわせてこそ、サスティナブルな開発ができる」、というハンナさんの言葉が印象的だ(撮影/Shinji Minegishi)

7.5haの敷地全体の完成は2035年を目指している。「農地拡大のスピードと、コミュニティーの広がるスピードの歩調をあわせてこそ、サスティナブルな開発ができる」、というハンナさんの言葉が印象的だ(撮影/Shinji Minegishi)

大量生産をする必要がないため、栽培する品種には多様性を楽しめる工夫している。現在はトマトだけでも17種類を育てているという(撮影/Shinji Minegishi)

大量生産をする必要がないため、栽培する品種には多様性を楽しめる工夫している。現在はトマトだけでも17種類を育てているという(撮影/Shinji Minegishi)

撮影当日は、フランスからのインターン生も農作業に参加していた。一般の参加者とも談笑しながら作業を楽しんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

撮影当日は、フランスからのインターン生も農作業に参加していた。一般の参加者とも談笑しながら作業を楽しんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

プリンツェシンネン庭園のサービスについて尋ねた。
「現時点では、売店、カフェ、野外ワークショップスペースなどを提供しています。今後、採れた野菜を調理したランチの提供も予定しています。

そのほか、使われていない墓石を使ってオブジェを制作する芸術家や、リサイクル・マテリアルで編み物をしている人、本当にいろんな人々、アーティストが活動しています」(ハンナさん)

売店では、ガーデニングに関するグッズや、この庭園で有機栽培された野菜の苗や、プランター栽培で用いられるオーガニック堆肥が配合された土も販売されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

売店では、ガーデニングに関するグッズや、この庭園で有機栽培された野菜の苗や、プランター栽培で用いられるオーガニック堆肥が配合された土も販売されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

農作業を手伝いながら、空きスペースでリサイクル素材を使って機織りをしているテキスタイルアーティスト(写真撮影/Shinji Minegishi)

農作業を手伝いながら、空きスペースでリサイクル素材を使って機織りをしているテキスタイルアーティスト(写真撮影/Shinji Minegishi)

使われなくなった墓石は、石畳用の石として再利用されるのが一般的。新しい使い道を模索する、一般公開のワークショップも開催されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

使われなくなった墓石は、石畳用の石として再利用されるのが一般的。新しい使い道を模索する、一般公開のワークショップも開催されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

墓地から農園へ。プリンツェシンネン庭園の目指すもの

ハンナさんは、スウェーデンとオーストリアで、人間生態学(Human ecology)を学んだ。大学のケーススタディでこの庭園を取材する機会があり、人間と自然、社会のつながりのあり方を発信する場として魅力を感じ、広報担当となった。

「こういった空間で得られる経験や人間関係が、これから社会における豊かさのひとつかもれしれない」と語るハンナさん(写真撮影/Shinji Minegishi)

「こういった空間で得られる経験や人間関係が、これから社会における豊かさのひとつかもれしれない」と語るハンナさん(写真撮影/Shinji Minegishi)

「この庭園は、わざわざ商業的な広告や宣伝をして、より多くの人々に活動に参加してもらう場所ではありません。口コミで存在を知って、自然と近所の人が集まればいい。コミュニティというものは、自然につくられるものだと思うのです。厳しいルールを設けず、時間や場所、作業と農作物をオープンにシェアできればいい、と考えています。

共同作業の日に収穫した野菜は、参加者が持って帰っていいことになっています。農作業に参加せず、野菜だけを取っていく人もいないわけではありません。公共の場所である以上、ある程度はそうしたことも起こるでしょう。しかし、たいていの場合、欲張る人はいないし、みんな必要な分だけ、少しずつ分け合って持ち帰っています。

こういった作業で得られる充足感と喜びを感じ、自律的に畑を運営できるコミュニティが形成できればいいのです。そのための機会と場所を提供し、サポートをするのが、社会における私たちの役目だと考えています」

厳密な作業シフトもなく、自由に作業に参加したり、休憩したり、おしゃべりをしたりしている。まるで公園で過ごすように思い思いの時間を楽しんでいる(写真撮影/Shinji Minegishi)

厳密な作業シフトもなく、自由に作業に参加したり、休憩したり、おしゃべりをしたりしている。まるで公園で過ごすように思い思いの時間を楽しんでいる(写真撮影/Shinji Minegishi)

「ここで取れた野菜は、一緒に農作業をした人と分け合います。農作業の日にぜひ一緒に作業しましょう!」と書かれた看板(写真撮影/Shinji Minegishi)

「ここで取れた野菜は、一緒に農作業をした人と分け合います。農作業の日にぜひ一緒に作業しましょう!」と書かれた看板(写真撮影/Shinji Minegishi)

墓地から農園としての土地再生というアイデアを実現したプリンツェシンネン庭園。創始者が11年前にアーバンファーミングを始めたとき、「なんて、おかしなアイデアだ」と言う人も少なく無かった、とハンナさんは語った。思えば、かつて農地であった土地が、都市部の拡大、墓地の荒廃という歴史を経て、再び農地に戻ったのである。今や、この墓地は、暗く荒れた、悲しい雰囲気の漂う場所ではない。

お墓に供えられる美しい切り花もある。一方では、お墓で新たに育てられた野菜が小さな花をつけている。手入れされ、人でにぎわい花咲く農園の様子を見た墓地参拝者たちにとっても、プリンツェシンネン庭園の誘致は素敵なアイデアであったようだ。

(写真撮影/Shinji Minegishi)

(写真撮影/Shinji Minegishi)

(文/Masataka Koduka)

●取材協力
・Prinzessinnengarten Kollektiv Berlin

コロナ禍のドイツは園芸がブームに。農園でつながりづくり進む

コロナ禍の日本で“おうち時間”を大切にするなどの価値観やライフスタイルの変化があるなか、ベランダ菜園などがちょっとしたブームとなっている。筆者が住むドイツでも同様だが、その動きは少し異なる。コミュニケーションのきっかけづくりを目的に、農園や園芸活動を通して、時間や想いの共有を図ろうという気運が高まっているのだ。その様子をお伝えする。
1. コロナ禍でのドイツでは園芸が生活の楽しみに

“ハムスターの買い物”(Hamsterkauf)。「食べ物が品切れになるかも……」という不安から、人々が食料品/生活用品に買いだめに走る様子を、ドイツ語でそう呼ぶ。コロナ禍、ロックダウン中のドイツにて、最も売れ行きが伸びた商品は、第1位がトイレットペーパー、第2位が園芸用土という。

ベルリンのコミュニティ農園のひとつ、プリンツェシンネン庭園 (写真撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンのコミュニティ農園のひとつ、プリンツェシンネン庭園 (写真撮影/Shinji Minegishi)

ドイツの自然食品チェーンであるBIO COMPANYのイベントマネジメントリーダーのアニカ・ヴィルケ(Anika Wilke)さんは「園芸用土の売れ行きは25パーセントほどアップしました。ロックダウン中、皆さん、庭作業をする時間とゆとりがあったからでしょうね。あるいは、バルコニーで野菜を育てたり。花のタネはもちろん、果物のタネも沢山売れましたよ」と語る。

自宅待機の人にできることは日本もドイツも変わらない。ただ、クラインガルテン発祥の地・ドイツでは、園芸が人々にとって日本よりも身近な存在 だ。(クラインガルテンとは貸し農地のことで、なかには滞在可能な小屋付きのものも。日本では2019年時点で市民農園は2750、”クラインガルテン”などと呼ばれる宿泊可能な滞在型市民農園は66ある(農林水産省HPより))

それに加えてコロナ禍、ベルリンのロックダウン中の行動規制では、飲食店の営業や演劇/音楽活動の制限は厳しかったものの、園芸活動は規制対象に含まれなかった。これらが、園芸用土や果実のタネの売り上げ増の背景となったようだ。

ベルリンの人気地区ノイケルンの住宅街に位置するプリンツェシンネン庭園は、市民公園のように無料開放され、近所の人がふらりと訪れて農作業に参加することができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンの人気地区ノイケルンの住宅街に位置するプリンツェシンネン庭園は、市民公園のように無料開放され、近所の人がふらりと訪れて農作業に参加することができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

コミュニティ農園はビギナー向けの共同農作業デーや養蜂ワークショップ、収穫した野菜を用いた野外ディナーなどのさまざまなイベントも企画・運営し、多くの人が集いにぎわう。コミュニティ農園は、自宅に庭を持たない人々に、趣味としての園芸活動を提供する場所であるが、その他にも園芸を行える選択肢が、ドイツにはふんだんに用意されている。

農家が経営する畑に、一般の人々が参加費を支払いつつ、農家と消費者の垣根なくみんな一緒に土にまみれ、農園で発生するさまざまな問題もみんなで解決する、共同農園もその一つ。これは、趣味的な園芸だけでなく、より自然と触れ合え、かつ食品の自給自足ができるスタイルだ。

2. 自分で野菜をつくり、人とのつながりも広がる

突然だが筆者が所属する会社ASOBU GmbHはドイツでの建築設計に携わっているが、庭などの共用スペースを設計する場合、アスファルトでできた鑑賞用の庭よりも、野菜をつくれる「アクティブな庭」をつくることの方が好まれる。先に書いた共同農園のように、アクティブな庭において育まれる近所付き合いやコミュニティが尊重されているからだ。

誰でも立ち寄れるコミュニティ農園では、物心つかないうちから虫や草花に触れ合う貴重な経験ができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

誰でも立ち寄れるコミュニティ農園では、物心つかないうちから虫や草花に触れ合う貴重な経験ができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

さて、ドイツに住む人々は具体的に、農園とどのように親しんでいるのだろうか? その事例をいくつかご紹介したいと思う。例えば、共同農園に参加する筆者の友人は、農園でのアブラムシ対策にさんざん苦労した。そして害虫問題の解決のため、てんとう虫の幼虫を購入したという。

「薬品を使わないアブラムシ対策をいろいろ試したのですが、効果がなかったのです。そこで、生物農薬としての益虫販売サイトを探して、てんとう虫の幼虫を買いました。効果は抜群でした」

農園のてんとう虫 (写真提供:Natur Pur)

農園のてんとう虫 (写真提供:Natur Pur)

ドイツでは、てんとう虫がインターネット販売されているのだ。化学農薬の利用の拒否感から、生物農薬の購入を決めた。さらには、生態系保護のために、どのてんとう虫を購入すべきか、という点にも十分配慮し、議論したという。

「生態系の保護は、生物多様性を守ることだと思います。てんとう虫を買うといっても、てんとう虫であればなんでもいいわけではないのです。今、ドイツ国内でも、従来は日本とアジアに自生していたナミテントウが外来種として拡大しており、問題になっています。

そのため、ナナホシテントウの幼虫の購入を決めました。ナナホシテントウは、古くからヨーロッパに広く分布しているからです」

木の上にある蜜蜂の巣。近年、蜜蜂の数が少なくなっていることが世界中で問題となっており、自然な状態を維持したまま飼育する工夫が行われている (写真撮影/Shinji Minegishi)

木の上にある蜜蜂の巣。近年、蜜蜂の数が少なくなっていることが世界中で問題となっており、自然な状態を維持したまま飼育する工夫が行われている (写真撮影/Shinji Minegishi)

さらに友人は、自宅の庭でも生物多様性を守るために、さまざまな工夫を凝らしているという。

「てんとう虫をはじめとして、いろんな生物や植物が暮らしたり、冬を越したりできるようにしています。前の自宅の所有者は、庭に砂利を敷き詰めて、石庭と芝生の構成にしていました。まさに、観賞用のお庭ですね。

これを土と、地域に自生する植物に戻したことで、鳥が地面で餌を見つけやすくなりました。こうした鳥が、また一部の害虫を減らすことにもつながります。

「私の子どもが大きくなった時代にも、豊かな自然環境を残したい。多様な生き物の営みが感じられる農園を一緒につくり、楽しみ、大切にする経験から、その目的を理解できる子どもたちが増えると思うのです。この環境で育った子どもたちは、虫を怖がったり気持ち悪がったりしないでしょう」

収穫された野菜に興味津々の子どもたち (写真撮影/Shinji Minegishi)

収穫された野菜に興味津々の子どもたち (写真撮影/Shinji Minegishi)

3.”脱サラ”して農業を始めたドイツ人男性も

人の価値観も変えるアクティブな農園。こうしたドイツの農園を起点としたコミュニティーに魅せられ、他の仕事を辞めて、実際に農業を始めてしまう人もいる。

日本人観光客にとってドイツ観光の定番コースの一つ、ロマンチック街道の起点となるヴュルツブルクから西に40kmほど離れたカールバッハという街で、Natur Purという農家を営むトーマス・ガロス(Thomas Garos)さんもその一人だ。

Natur PurのFacebookページ (画像提供/Natur Pur)

Natur PurのFacebookページ (画像提供/Natur Pur)

ガロスさんは平日、土にまみれて農園で野菜を育てる。そして週末には、その野菜たちや自然食品を屋台(Hofladen)に積み込んで車で近郊の街に出向き、販売して生計を立てている。
そんなガロスさんは、農業を始めたきっかけや、その魅力をこう語る。

ガロスさんの屋台に積み込まれた野菜たち (写真提供/Natur Pur)

ガロスさんの屋台に積み込まれた野菜たち (写真提供/Natur Pur)

「私が住んでいる地域では、野菜を有機栽培する農家が少なかったのです。ですので、自分自身で栽培することに決めました。インターネットやフォーラムで勉強してから、とにかく、始めてしまったのです」とガロスさん。

「農業を営むことの一番の喜びは、自然との一体感ですね。それと、有機野菜を育て、販売する過程で、同じ価値観を持つ人々とのネットワークができたこと。この地球と自然を愛している人たちとのつながりです」

ガロスさんの農園で、野菜づくりに参加する子どもたち (写真提供/Natur Pur)

ガロスさんの農園で、野菜づくりに参加する子どもたち (写真提供/Natur Pur)

しかし、実際に農業を本業とするのは、そんなに簡単ではないだろう。例えば、野菜を海外から輸入し、どんな季節でも豊富な品ぞろえを誇るスーパーマーケットの野菜売り場などは、ガロスさんの商売の競合のはず。だが、この点については、うまく棲み分けができているようだ。

「曲がった野菜、完璧には見えない野菜をお客さんに買っていただいた経験が、私にはあります。私の農園とお店に来る人々は、食べ物を台無しにしたくない人たちですから」

野菜をつくるプロセスや、野菜を販売するマーケットで人々が交わり、有機野菜や環境に関する考え方、価値観を共有できる場所がつくられていることが分かる。

プリンツェシンネン庭園にはカフェが併設され、散歩で訪れた人もおしゃべりを楽しみながら、時間を過ごすことができる(写真撮影/Shinji Minegishi)

プリンツェシンネン庭園にはカフェが併設され、散歩で訪れた人もおしゃべりを楽しみながら、時間を過ごすことができる(写真撮影/Shinji Minegishi)

4. コロナ禍だからこそ農業が人と人をつなぐ

ドイツの農園は人と人をつなぐ。このことは、コロナ禍にも顕著に示された。

ロックダウン状況下、ドイツでも多くのコンサート会場は閉鎖されていたが、記事冒頭で登場したBIO COMPANYのヴィルケさんは、チェーン店各店のビストロ・エリアにて、5月初旬から店内コンサートを実施した。「厳しいロックダウン状況だからこそ、お客様に幸せな気持ちと、コミュニティー感覚を体験できる機会を、少しでも提供したかったのです」と、ヴィルケさんは語る。

Natur Purのガロスさんも同様に、屋台販売するマーケットおよび農園で、6月ベルリンからミュージシャンを招いてコンサートを開催した。自分の野菜を楽しみにしてくれる人たちのために、ロックダウン状況におけるコミュニケーション閉塞感を、いち早く打ち破ろうとした。

ガロスさんが参加するマーケットでのコンサートの様子_(写真提供/Natur Pur)

ガロスさんが参加するマーケットでのコンサートの様子_(写真提供/Natur Pur)

ドイツでもコロナ禍をきっかけに変化したライフスタイルにおいて、住居を中心としたコンパクトな生活圏、「働く・暮らす・半自給型の生活」へのリビングシフトが加速していくのではないかと考えている。アクティブな庭は、“箱庭”としての農園を用意すれば事足りるものではない。アクティブな人と人とのつながり、小さなコミュニケーションの積み重ね、そして価値観を共有できるコミュニティーがアクティブな庭をつくる。

今回紹介したガロスさんは、有機栽培の野菜がないから自分でつくろう、というシンプルな動機から出発し、同じ想いを持つ人々とつながることで農業を自分の仕事にした。このように、個人で農園をコミュニティの場所にしてしまう人も、ドイツでは少なくない。

●取材協力
・Prinzessinnengarten Kollektiv Berlin
・BIO COMPANY
・Natur Pur ‐ Hofladen