【京都】再建築不可の路地裏の長屋が子育てに理想すぎる住まいに! 子育て家族の家賃優遇、壁に落書きし放題など工夫もユニーク

都市部に多い路地物件は再建築不可とされているものが多い。リフォームはできても新築ができず、利便性の良い土地なのにうまく活用されていない場合がある。その問題に官・民・専が一体となって取り組み、子育てファミリーに向けて新しく建築した、京都の長屋プロジェクトを取材。実際に路地裏で子育てをしているファミリーにも話を伺った。

再建築不可の物件は実はポテンシャルが高い

再建築不可物件とは、建っている建物を解体して更地にしてしまうと、新たに建物を新築することができない土地のこと。主に建築基準法上の道路と2m以上接道していない場合や、路地や通路(非道路)のみにしか接していない場合も、原則、再建築不可となる。全国的にいうと総戸数6240万7400戸のうち、道路に接していない住戸は129万5500戸、幅員2m以内が292万3600戸あり(総務省統計局 平成30年度調査)、約7%近くが更地にしてしまうと新たに建物を建てることができない。

再建築不可物件の概念

再建築不可物件の概念

路地裏(写真/PIXTA)

路地裏(写真/PIXTA)

ところが基本的に再建築不可物件があるのは都市計画区域内、しかも昔から人々が暮らしていた都市部が中心で、今も人気の高いエリアが多い。再建築不可の物件を上手に活用することは、そのまちの魅力を保つ大きな要素になるはずだ。

東京では、一帯を大規模開発して、まったく違う景色にしてしまう手法が中心だが、京都では路地文化を活かしたまま再構築している例が見られる。リノベーションの技術が進み、どんなに古くても柱や梁など必要な建物の基礎さえ残っていれば、修繕・改修することは可能だが、火事などで建物自体が残っていない場合は、この手法が使えない。

しかし、乗り越えなければならないハードルも高い。京都では、この問題に官・民・専が三位一体となって取り組んでいると聞いた。一部が火事で焼失してしまい残されていた路地(袋路)を他の物件と一緒に再建することを可能にした例は、非常に興味深く、同様の課題に悩む街にとっても参考になると思う。

官・民・専が三位一体となって進める路地再生プロジェクト

京都の魅力の1つに、幅員の狭い細街路と約4,300本以上もあるといわれる行き止まりの通路、袋路(ふくろじ)の存在がある。もともとは人々の生活のために誕生した路地だが、隠れ家のような雰囲気と、京都のローカルな生活を感じられて、最近では、わざわざそういった場所に店舗を持つ場合も増えている。

門や扉がある路地も多い(画像提供/八清)

門や扉がある路地も多い(画像提供/八清)

ところが安全面や市場性という点では、課題を抱えていることが多い。路地奥の家は再建築不可の場合が多く、リフォームはできても、原則建て替え・増改築はできない。プロジェクトを進めるにあたり、山積する問題をひとつずつ解決していく必要がある。

現在、京都市では再建築不可物件の再生を図るために「路地カルテ」という取り組みを行っている。いわゆる再建築不可の敷地であっても、建築基準法の許可を受けることで建て替え等ができる場合があるが、接道許可を受けるまで許可の可否は判断できない。そのため「路地カルテ」を発行すれば事前に許可が可能な路地であることが確認でき、流通の促進になり、早い段階から住宅ローン審査にも応じてもらえる環境づくりを目指せるというものだ。

くわえて驚くことに、京都では「路地の再活用」という取り組みに、官・民・専が三位一体となって一緒に取り組んでいる。1994年に誰もが住みやすい京都のまちづくりをめざしてスタートした建築、不動産、建築行政等専門家のネットワークで構成する「都市居住推進研究会(都住研)」の存在が大きい。

30年以上、まちづくりの観点から路地再生に取り組んできた都市居住推進研究会

都市居住推進研究会(以下、都住研)が主体として「袋路内子育て支援住環境事業」に取り組んできたのが、下京区中堂寺前田町路地長屋再生プロジェクトだ。

今回お話を伺った都住研のメンバーは、京都美術工芸大学教授・京都大学名誉教授の髙田光雄氏(会長)、京都光華女子大学准教授でスーク創生事務所代表の大島祥子氏(事務局)、不動産会社 八清の会長の西村孝平氏(以下、運営委員)、京都女子大学准教授の是永美樹氏、京都美術工芸大学教授の森重幸子氏だ。

(前列左より)運営委員の西村孝平氏、会長の髙田光雄氏、(後列左2番目より)運営委員 森重幸子氏、事務局 大島祥子氏、運営委員 是永美樹氏(画像提供/八清)

((前列左より)運営委員の西村孝平氏、会長の髙田光雄氏、(後列左2番目より)運営委員 森重幸子氏、事務局 大島祥子氏、運営委員 是永美樹氏(画像提供/八清)

「もともとは2014年ごろに京都市から『20 数年前の火災で空き地になっている土地の焼け跡の始末・撤去に持ち主の相談に乗ってほしい』と相談されたことから始まりました。すでに消失しているのでリノベーションで再生するという手法は使えません。問題の解決には、周辺の建物の所有者との協働、さらに行政と一緒になった取り組みが不可欠でした」(運営委員 西村氏)

空き家化が進んでいた袋路内の6区画の土地を集約し、長屋建て住宅4戸を供給する取り組み。4戸の住宅は子育て世帯が快適に住めるように、住戸内、路地空間をその仕様で計画・デザインした。

「2016年から行政も交えて研究を重ね、2018年から国のモデル事業に採択。2方向避難が確保できるなら、特例許可により建設が可能ではないかという話になりました。子育て空間として再生・継承することが、都市課題を緩和することもできるとモデル事業として実施、その知見を他の路地の再生でも使えるようにしたいと考えました」(事務局 大島氏)

しかし、プロジェクトを進めるにあたり、山積する問題をひとつずつ解決していく必要があった。

「所有者が不明になっている土地や国有地(水路跡)も含まれていました。行政との協働なしには進められなかったと思います。また特例許可に必要な『路地・まち防災まちづくり整備計画』の作成や近隣の方々の通路の維持に関するご理解も必要でした。そのために新しく居住する子育て世帯、そして近隣住民が安心して快適に暮らせるための協定書も締結しました」(事務局 大島氏)

このような路地裏がどのように変身するのか(画像提供/八清)

このような路地裏がどのように変身するのか(画像提供/八清)

なぜ路地空間が子育てに適しているかも聞いてみた。

「もともと日本の都市ではいろいろな生活行為が道空間で行われてきました。道がコミュニケーションの場だったのです。私が子どものころだって道で遊ぶのはあたりまえでした。モータリゼーションが進んだ現在、路地は子育ち、子育てという点からも極めて重要な存在だと思っています」(会長 髙田氏)

建築行政というのは自治体がそれぞれカスタマイズしていることが多いが、京都では再建築不可物件を含めすべての建物に手を入れられる可能性がある状況だそう。

「行政の手も届き始め、うまく住みこなす人たちも増えてきました。その人たちに聞くと『路地空間に住んでみたら、結構いいと感じる』と評価が高いのです。子どもが家の前で遊べるのは、目が届くし、他の人にあいさつもできる、意外に使い勝手がいいという意見も聞かれました」(運営委員 森重氏)

「2012年に東京から京都に引越してきて、まず驚いたのは、路地の再活用という取り組みに、行政だけでなく研究者や建築家といった専門家と不動産業者が一緒に取り組んでいることです。東京ではあまり見られない気がします。一般的に路地を活かした事業は大規模にならないので、そんなに収益性がいいわけではありません。八清さんのような地元密着型の事業者さんだからこそ可能となる期待感があります」(運営委員 是永氏)

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完成した「あさひ長屋」は子育てに適した工夫がいっぱいの空間あさひ長屋。LDKと路地が一体になる設計。格子の扉が美しい(画像提供/八清)

あさひ長屋。LDKと路地が一体になる設計。格子の扉が美しい(画像提供/八清)

下京区中堂寺前田町路地長屋再生プロジェクトは「あさひ長屋」として、2024年完成した。そこで路地空間がどう活かされているか見せてもらった。入口はまったく目立たないが、小さな通路をくぐると驚くほど開放的な空間が広がっている。もともと6軒の家が建っていたという場所は、各住戸が建っていた位置から大きくセットバックしたことで3mの幅員を確保した明るく開放感のある路地に生まれ変わった。

あさひ長屋の敷地配置図(画像提供/八清)

あさひ長屋の敷地配置図(画像提供/八清)

外観は4棟の長屋として設計されているが、それぞれの柱は独立しているので、柱を共有している長屋と比べると強度と防音性が高い構造。これはリノベーションではなく新築物件だから実現した大きなポイントだ。

一角には、住人用の駐輪スペースが設けられているうえに、宅配ボックスも設置され、現代生活に対応した設備も整えられている。

あさひ長屋のA号地。LDKから見た路地空間(画像提供/八清)

あさひ長屋のA号地。LDKから見た路地空間(画像提供/八清)

あさひ長屋のB号地。LDKはタイル貼りで床下暖房が設置されている(画像提供/八清)

あさひ長屋のB号地。LDKはタイル貼りで床下暖房が設置されている(画像提供/八清)

各住戸の間取りは、引戸による大開口が用意されていることがまず第一の特徴だ。1階には風通しが良く路地に開けたLDK(DK)があり、家族だけではなくご近所とのつながりが生まれやすい設計になっている。

1階部分の床はA・C号地が暖かみのある木のフローリングで設えられ、B・D号地がスタイリッシュなタイルと2パターンで仕上げられている。タイルの場合は床暖房を設置しており、冬の底冷え対策もされている。

また2階は和室と洋室を要したプライベートな空間、和室のふすま紙は各戸によって色を変えており、個性を楽しめるようになっている。

更に全戸モニター付インターフォンにすることで、安心して子どもと過ごすことができるように防犯性にも配慮している。

B号地の2階の和室。襖の色は各住戸で異なる(画像提供/八清)

B号地の2階の和室。襖の色は各住戸で異なる(画像提供/八清)

C号地の2階。ロフトスペースもあり、季節外のものなどを置ける(画像提供/八清)

C号地の2階。ロフトスペースもあり、季節外のものなどを置ける(画像提供/八清)

子育て家族には家賃を安くするシステム。実際に路地空間で子育てをしている方に話を伺った

「路地が子育てに向いている」というテーマで開発された中堂寺前田町の「あさひ長屋」。同じように八清プロデュースで路地奥を改修した「さらしや長屋」で暮らしているSさんに、路地でのくらしについて聞いてみた。

さらしや長屋に設置された黒板ボード。子どもたちが思いきり落書きできる(画像提供/八清)

さらしや長屋に設置された黒板ボード。子どもたちが思いきり落書きできる(画像提供/八清)

さらしや長屋の路地にはパーゴラ(※)のあるスペースも(画像提供/八清)※ツタや籐などのつる植物をからませるためにつくられた、棚形あるいはトンネル形の構築物のこと(画像左奥)

さらしや長屋の路地にはパーゴラ(※)のあるスペースも(画像提供/八清)
※ツタや籐などのつる植物をからませるためにつくられた、棚形あるいはトンネル形の構築物のこと(画像左奥)

さらしや長屋は入口の扉をリノベーション後も残している(画像提供/八清)

さらしや長屋は入口の扉をリノベーション後も残している(画像提供/八清)

「マンション住まいのときには経験できなかったような、ご近所とのおつきあいができました。路地の入口には扉があり、そのため用事のない人は立ち入ることはありません。中に入ると顔見知りの人しかいないので、子どもも安心して遊んでいます。子育てを一人でしているのではない、という気持ちになれました。自分の家族だけでなく、周りの方に見守られながら子どもたちが育つのはいいことだと思いますし、私自身、以前よりストレスを感じなくなりました。」

路地裏の長屋には、入口に扉があることもある。リノベーションで取り払ってしまわずに残している。子育て中の家族には、毎月の家賃を抑えるシステムもオーナーの協力で導入している。

「うれしいシステムですね。路地部分には、子どもたちが好きに落書きしてもいいお絵かきスペースがあって、のびのびと落書きができます。賃貸でこんなに子育てのことを考えて作られた物件は他にないと思い、すぐに入居を決めました」

Sさんは入居から約7年、路地空間での子育てに満足して暮らしているようだ。

路地に多い再建築不可物件は、都市部の利便性のいい場所に存在することが多い。その隠れた価値に日を当ててて再活用することは、京都だけではなく全国的に必要とされているはず。今回のプロジェクトは地域に合ったカタチでの解決策を探す、いいきっかけになると思う。

賃貸の中に店や路地のユニーク長屋! 中国福建省伝統の”朱紫坊”インスパイア系 「ドラゴンコートビレッジ」愛知県岡崎市

愛知県岡崎市にあるスタイリッシュな「Dragon Court Village(ドラゴンコートビレッジ)」は、竜美丘コートビレジという賃貸住宅です。2014年の開業以来、居住者に、敷地の一部を地域の人とのつながりの場に開放したり、小商いしたりできる環境を提供してきました。これらの賃貸住宅における店舗兼住宅化は、コロナ禍で人とのつながりが見直されて以降、特に注目されていますが、当時はまだ珍しいものでした。最先端の住まいの先駆けともいえるこの物件は、住む人の暮らしにどのような影響を与えているのでしょうか。設計者で、一級建築士事務所 Eurekaを共同主宰する稲垣淳哉さんに取材しました。

居住者は「自宅でお店を開く」夢がかない、カフェやネイルサロンに地域の人が訪れる軒下や中庭でかつて月1回のペースで催されていたマルシェ「スミビラキ」は、たくさんの人でにぎわっていた(画像提供/Eureka)

軒下や中庭でかつて月1回のペースで催されていたマルシェ「スミビラキ」は、たくさんの人でにぎわっていた(画像提供/Eureka)

小商いという生活形態が話題になったのは2012年ごろ。コロナ禍では、テレワークや副業を始めたいという人が増えました。店舗付き住宅や自宅に店舗機能をもたせた物件が人気を集め、『小商い建築』『商い暮らし』という言葉が注目されています。2010年ごろから設計が始まった「Dragon Court Village」は、小商いできる賃貸集合住宅の先駆けといえるものでした。

「30年ほど前まで、職住近接は身近にありました。例えば、駄菓子屋さんの奥が畳敷きになっていて家族が住んでいたり、八百屋さんの2階部分を賃貸アパートにしていたり。かつての日本では珍しくなかったんですね。設計の早い段階から、一般的な2階建てのアパートと差別化を図るため、アネックス(離れ)、軒下、中庭などを取り入れた集合住宅を構想していました」(稲垣さん)

通路に面して、さまざまなタイプのアネックスがあり、小商いができる(画像提供/Eureka)

通路に面して、さまざまなタイプのアネックスがあり、小商いができる(画像提供/Eureka)

「住みながら商う」暮らしが、新しい生き方につながる

「Dragon Court Village」は、特徴的な外壁をもつ「箱」型の住戸で構成されており、スタイリッシュな印象を与えます。シンプルなデザインですが、路地や中庭で住戸とアネックスをつないだ複雑な構成の建物です。

縦格子や板張り、モルタルを組み合わせた外壁が印象的な外観(画像提供/Eureka)

縦格子や板張り、モルタルを組み合わせた外壁が印象的な外観(画像提供/Eureka)

長手断面図。住戸やアネックスは、「箱」の集合体で、随所に軒下空間を取り入れている(画像提供/Eureka)

長手断面図。住戸やアネックスは、「箱」の集合体で、随所に軒下空間を取り入れている(画像提供/Eureka)

敷地の配置図(向かって上が北、右が東)。駐車スペースは、東にある道路(グレー)側ではなく、敷地境界線に沿って縦列に配置。車路兼通路(茶色)で敷地内を回遊できる(画像提供/Eureka)

敷地の配置図(向かって上が北、右が東)。駐車スペースは、東にある道路(グレー)側ではなく、敷地境界線に沿って縦列に配置。車路兼通路(茶色)で敷地内を回遊できる(画像提供/Eureka)

住宅街に佇む「Dragon Court Village」(画像提供/Eureka)

住宅街に佇む「Dragon Court Village」(画像提供/Eureka)

敷地の境界線に沿ってアパートを囲むように駐車スペースが設けられ車路兼通路で、敷地内を歩いて回遊できます。住戸と住戸の間は、路地や中庭になっています。車路兼通路に面した住居の軒下とアネックス(離れ)が、小商いのために活用できるスペース。9戸ある住居の広さは、40平米から60平米位の差があり、シングルからファミリーが選択して住めるつくりです。希望する居住者は、デザインの異なる5つのアネックスから選んで借り増しができます。

向かって右側が居住者の駐車スペースで、軒下が小商いできるスペース。中央のグレーの砂利敷きの車路兼通路には、イベント時キッチンカーが出店したこともある(画像提供/Eureka)

向かって右側が居住者の駐車スペースで、軒下が小商いできるスペース。中央のグレーの砂利敷きの車路兼通路には、イベント時キッチンカーが出店したこともある(画像提供/Eureka)

「賃貸収入を得るだけなら、高容積で建てれば効率的です。しかし、何十年と住みつないでもらうためには、ほかの賃貸集合住宅にはない魅力が必要です。職住近接といっても、ただ単に昔の住まいに戻ろうというのではありません。私が子ども時代には、自宅のリビングで塾などを開いている例もありましたが、現代にはそぐわないでしょう。住戸から独立し、開放的なアネックス(離れ)が、新しい暮らしの提案になると考えたのです」(稲垣さん)

アネックス(離れ)では、八百屋さんや花屋さん、カフェなどが開業し、月に1度開催されていたマルシェは、地域の人でにぎわいを見せていました。現在、主催していた居住者が転居したためマルシェは中止されていますが、ネイルサロンや英会話教室、エステルーム、オフィスの打ち合わせスペースとして使われています。

左側のモルタル部分がアネックスで、デザイン事務所の打合せスペースとして使われている(画像提供/Eureka)

左側のモルタル部分がアネックスで、デザイン事務所の打ち合わせスペースとして使われている(画像提供/Eureka)

設計の基になったのは中国福建省の伝統的住居

「Dragon Court Village」は、一般的な2階建てアパートにある共用の廊下や階段などがなく、通路や路地から直接住戸へ出入りできる長屋住宅です。江戸の庶民のイメージがある長屋ですが、意外にも稲垣さんが参考にしたのは、中国の伝統住宅地でした。「Dragon Court Village」を設計していたころ、稲垣さんは、一級建築士事務所Eurekaの活動をしながら、大学の研究員として、東・東南アジアの集落や都市空間の調査に携わっていました。

視察時に撮影した朱紫坊の様子。日本の坪庭より広い中庭がある(画像提供/Eureka)

視察時に撮影した朱紫坊の様子。日本の坪庭より広い中庭がある(画像提供/Eureka)

「2011年の東日本大震災を境に、住宅のサステナビリティ(持続可能性)やレジリエンス(回復力※)が、重要なテーマになっていました。日本では、近代化に伴い、住宅の個々に完結したプロダクト(製品)としての性能が重視されました。その結果、コミュニティを育む力が弱まり、子どもの教育、高齢者の介護など皆で助け合っていた場もなくしてしまったのです。研究は、昔の暮らしにノスタルジックに憧れるのではなく、近代化で失われてしまった叡智、例えば、自然と融合したような暮らしがもつ災害に対する備えなどを学ぼうとするものでした」(稲垣さん)

※レジリエンス:「弾力」「回復力」「強靭」という意味。ここでは、ハード(フィジカル)な住宅のレジリエンスだけでなく、自然環境(ランドスケープ)や地域・近隣コミュニティを含んだ「地域防災力」を備える住宅のレジリエンスを指している。

稲垣さんが、特に感銘を受けたのは、中国福建省福洲市内にある朱紫坊という都市部の伝統的住居でした。道路の一辺に敷地が接しており、建物が奥に延びていく京都の町家のようなつくりで、中庭を備えていました。

「朱紫坊の中庭は、ひとりだけのものではなく、みんなが使える空間で、イベントを催したり、ゲストを招いたりする社交の場として機能していました。外部や自然環境につながっている中庭には、風が流れて、おおらかな暮らしぶりがうかがえました。建物が出来上がったときが快適性のピークではなく、ある場所をシェアして皆でより快適な場所につくり上げていくスタイルは、大きな学びとなりました」(稲垣さん)

車路兼通路から見る中庭と路地(画像提供/Eureka)

車路兼通路から見る中庭と路地(画像提供/Eureka)

賃貸集合住宅に設けた中庭や路地という「余白」。居住者で耕しつくり上げる空間に

研究で得た成果を日本での集合住宅設計に応用したいと考えた稲垣さん。「Dragon Court Village」では、建物と建物の間に中庭や路地を設け、軒下空間で緩やかに住戸をつないでいます。中国の伝統的住居のようなシェアスペースを賃貸集合住宅の中にもたせ、豊かなコミュニティを生み出せるように設計しました。

路地の風景。路地に面したデッキやテラスで家族や友人と食事を楽しむ居住者も(画像提供/Eureka)

路地の風景。路地に面したデッキやテラスで家族や友人と食事を楽しむ居住者も(画像提供/Eureka)

難しかったのは、風をデザインすること。風のシミュレーションをして、季節ごとの風の流れを検証するなど試行錯誤し、時には設計をやり直すことも。一見、アトランダムに見える住戸やアネックスの配置は、それらシミュレーション結果を反映した入念な設計で、風が通り抜ける心地よい軒下空間が生まれました。

シミュレーションで、夏場の風の流れを確認。南北に風が流れる設計に(画像提供/Eureka)

シミュレーションで、夏場の風の流れを確認。南北に風が流れる設計に(画像提供/Eureka)

住戸やアネックスは、路地や中庭につながっている(画像提供/Eureka)

住戸やアネックスは、路地や中庭につながっている(画像提供/Eureka)

「家族構成や社会情勢が変わったときに、余白があれば、使い方を工夫しながら、快適性を持続することができます。最初は与えられたものであっても、居住者が耕していき、自分たちでつくり上げた空間になればという思いです」(稲垣さん)

当初は、「アネックスなんて借りる人がいるのだろうか」とオーナーも心配したと言いますが、「Dragon Court Village」が認知されるにつれ、「やりたいことをかなえるならここに住みたい!」という人が集まるようになりました。コロナ禍では、「息が抜ける空間があり、テレワークも快適」「軒下で食事をするのが楽しみ」という声が寄せられているそうです。完成品に住むのではなく、住みながら暮らしをつくり上げていく。8年がたってもなお「Dragon Court Village」は、新しい人生が始まる場所であり続けています。

●取材協力
・一級建築士事務所 Eureka
・「Dragon Court Village」(竜美丘コートビレジ)

地味だった大阪の下町・昭和町、“長屋の活用”で人口増!「どこやねん」から「おもろい街」へ

建物の老朽化、空き家問題、高齢化、人口流出。都市の多くが頭を抱える問題です。そのようななか大阪の下町「昭和町」では、長い歴史を誇る長屋をローコストで再活用し、街に活気をもたらしています。成功に導いたのは、代々続く地元の不動産会社。三代目社長の「気づき」がきっかけでした。「長屋の保存活動ではない。やっているのは長屋の“活用”だ」。そう語る三代目社長に、奏功の秘訣をおうかがいしました。

「私は長屋の保存活動はしていない」

「誤解されるのですが、私は長屋の保存活動はしていないんです」

「丸順不動産」代表取締役、小山隆輝さん(57)はそう言います。

「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。電動アシスト自転車と首からさげたカメラがトレードマーク(写真撮影/出合コウ介)

「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。電動アシスト自転車と首からさげたカメラがトレードマーク(写真撮影/出合コウ介)

大阪府大阪市阿倍野区(あべのく)「昭和町」。大阪メトロ御堂筋線の巨大ターミナル駅「天王寺」から南へ一駅くだった場所にある細長いエリアです。

「昭和町」はその名のとおり昭和時代の面影を感じさせてくれる、のんびりした雰囲気に包まれた街。あべのハルカスがそびえる大都会、天王寺のそばだとは信じがたい印象。近年はテレビをはじめとしたメディアがこぞって「下町レトロ散歩」特集の舞台に昭和町を選ぶようになりました。

昭和町のゆったりムードに大きく貢献しているのが「長屋」。現在ではあまり見かけない長屋ですが、昭和町には築100年前後という貴重な長屋が奇跡的に数多くのこっています。

昭和町の随所にのこる長屋。古風で落ち着いた雰囲気を活かし、ヨガサロンを開く例もある(写真撮影/出合コウ介)

昭和町の随所にのこる長屋。古風で落ち着いた雰囲気を活かし、ヨガサロンを開く例もある(写真撮影/出合コウ介)

なかでもおしゃれなお店が6軒ずらり並ぶ「桃ケ池長屋」は昭和町エリアのランドマーク的存在。桃ケ池長屋をはじめ古い家屋のリノベーション計画が功を奏し、国勢調査によると1995年(平成7年)から2020年(令和2年)までのあいだに965人(大阪市における住民基本台帳人口数)が増加しました。大阪市の多くの街が人口流出や高齢化による人口減にあえぐなか、これは快挙です。

昭和町の長屋に新たな命を吹き込んだエキスパートが、大正13年(1924年)創業の「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。

小山「昭和町5丁目で生まれ、昭和町4丁目で育ちました。57年の人生を昭和町の徒歩5分圏内で過ごしています」

小山さんは生粋の昭和町っ子。先述の「桃ケ池長屋」や、大正14年築という長屋をリノベーションして大阪古民家カフェブームの先鞭をつけた「金魚カフェ」など、数々の物件をブレイクさせた立役者です。電動アシスト自転車をこぎながら日々、昭和町の風景を撮影しSNSで発信し続ける。そんな不動産界のインフルエンサーとしても知られています。

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

ただ、活躍ゆえに“誤解”が生じている様子。

小山「ときどき“長屋再生人”と紹介されます。いいえ、違うんです。長屋を文化財として保存したいわけじゃない。元通りにしたいわけでもない。やりたいことは“長屋の活用”です。だって、長屋だけきれいになってもしゃあないやないですか。そうではなく、長屋など既存の建物を活用し、エリアの価値を向上させたいんです。目指すは“上質な下町”。そのためにも、いいプレイヤーを昭和町に集めたい。それが私のメインテーマですわ」

長屋の保存ではなく、再生でもない。メインテーマは「長屋の活用」と「エリアの価値向上」。その言葉の真意をさぐるべく、先ずは小山さんが手がけ、いまや大阪の人気スポットとなった「桃ケ池長屋」を案内していただくことにしましょう。

「昭和町ってどこやねん」と言われた知名度の低さ

「桃ケ池長屋」へ向かう道すがら、長屋が注目される以前の昭和町の姿はどんなものだったのかを、小山さんは語ってくれました。

小山「とにかく街の知名度が低かった。こんな話があるんです。昭和町でBarをやっていた男性がミナミやキタにいる友達のところへ遊びに行った。友達に『昭和町で店をやってるから、遊びに来てな』と言ってショップカードを渡した。するとそのカードを見た友達が、こう言ったんです。『昭和町って、どこやねん』。同じ大阪市内、同じ御堂筋線沿線にもかかわらずですよ。それくらい地味で目立たない街でした」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

現在ではメディアの人気コンテンツとなり、憧れの気持ちを抱いて訪れる若者も多い昭和町にも、そんな無名時代があったのです。

小山「私が二十代のころは少子高齢化が進み、人口は減少。『昔はにぎやかな商店街やったのに誰一人として歩いていない』。そんな寒々とした風景でした。このままではあかん。昭和町をなんとかしなければならない。最初にそう思ったのが25年くらい前。子どものころから通っていた散髪屋さんのおっちゃんが私に、『あんたら不動産屋ががんばらなんだら、街がようならへんやんか。人もお店も増えへんやないか』と言ったんです。それ以来、“不動産屋ができる、街をよくする方法”を考えるようになりました」

街の人が危機感を抱くほどさびれていた昭和町。それを解決する糸口の一つが、長屋だったのです。

「上質な下町」のシンボルとなった「桃ケ池長屋」

やってきた「桃ケ池長屋」。「昭和4年(1929)の資料が残っている」という、大正時代と昭和のはざまに誕生した4軒長屋と近隣の2軒の計6軒。「焼き菓子カフェ」「洋裁工房」「おばんざい(お惣菜)」など6つのお店が並んでいます。年に1、2回、不定期で長屋総出のイベントを行い、その日はたくさんのお客さんでにぎわいます。小山さんが目指す「上質な下町」と呼べる空間づくりに大いに貢献しています。

桃ケ池長屋(写真撮影/出合コウ介)

桃ケ池長屋(写真撮影/出合コウ介)

かつての桃ケ池長屋(2003年撮影)(写真提供/小山さん)

かつての桃ケ池長屋(2003年撮影)(写真提供/小山さん)

そのうちの一軒、平成23年(2011年)に入居した「カタルテ」は器と雑貨のお店。注目すべき作家の一点ものをはじめ、店主の宮倉さんが焼き物の産地である信楽や丹波立杭などに足を運んで選んだ逸品が並びます。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

実は「桃ケ池長屋」という名称は、「昔からあったものではない」のだとか。

宮倉「桃ケ池長屋という名前は長屋のみんなでつけました。勝手にね(笑)。『長屋でイベントをするときに呼び名をつけたいね』『じゃあ近くに桃ケ池公園があるし、桃ケ池長屋にしようか』って。そうして勝手に名前を呼んでいたら、だんだん定着してきたんです」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

店舗兼住居のこの「カタルテ」、梁など昭和の趣を残しながらも無理やりな懐古趣味はなく、見事に現代と調和しています。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

宮倉「アルミサッシなど、古い長屋と雰囲気が合わない建具は入れたくなかったので、大家さんによい方法はないかと相談しました。大家さんがとても理解がある方で、ご自身がお持ちの取り壊す古い建物から『要るものがあるなら持っていっていいよ』と言ってくださって。大工さんと一緒にメジャーを持って計りに行き、使えそうな建具を運んできました」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「カタルテ」は、古い長屋に別の古い建具を継ぐという、ありそうで意外とない方法で新しいスペースをデザインしていたのです。

小山「この物件は家主さん、借主さん、大工さん、三者の美意識が合致した好例です。私が長屋に着手しはじめた当時はまだ大工さんは“きれいにするのが当たり前”でした。『あそこを残して。ここを残して』と言っても理解してもらえなかった。ひたすら、闘いでしたね」

「桃ケ池長屋」が好評を博した秘訣、それは小山さんのトータルプロデュース力にありました。

宮倉「小山さんが、世代が近い人を横並びでつないでくださったんです。世代が近いから相談できるし、『イベントを一緒にやろうよ』という動きになっていきました。長屋が一つのカラーをもっているおかげで続けられているのかな。小山さんのはからいがなかったら、何年かで店を辞めちゃっていたかもしれない」

小山「一軒一軒で考えるのではなく、世代をできるだけ合わせていく。いいプレイヤーを揃える。それが『長屋が街を変える』第一歩やと思うんです。ぜんぜん違うテイストのものを並べても、街としておもろくないですから。そやから僕はしっかりとお話をして人となりを見ます。『どんな人か』が大事やから」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

お話を聞くにつけ、いいこと尽くしのように感じる長屋のリノベーション。とはいえ、およそ100年も前の建物の再利用です。不便はないのでしょうか。

宮倉「気になる点は物音でしたね。壁が共有なので。お隣さんの会話の内容がわかっちゃうくらい筒抜け。『こちらが出した音も向こうに聞こえているんだろうな』と思って、電話する場合はわざわざお風呂場で話をしていました」

決して厚くない壁。しかも共有。長屋は言わば一つの大きな家。共同体だからこそ両隣との関係性が重要になってきます。

宮倉「お互いにお店をしていて、一緒にイベントをする仲間。人柄がわかっているから許容できました。『お互い様だよね』って。ときにはお隣の物音に安心感をおぼえる日もありました。まったく見知らぬ人だったら『うるさいよ』ってなっていたかもしれません」

一軒一軒ではなく、長屋全体をどうするかをトータルで考える。小山さんの発想と手腕はトラブル回避にも活かされていたのです。さらに、長屋での商いは物音などのリスクを超えた大きなメリットがあると宮倉さんは言います。

宮倉「広さに対する家賃の安さは魅力ですね。プラス、この雰囲気。ピカピカじゃなくって、歴史があるものにしか出せない温かな雰囲気が得られるのはとてもありがたいです」

タウン誌などにもたびたび採りあげられる桃ケ池長屋。「やりたいことは長屋の保存や再生ではなく“活用”」「長屋の活用によるエリアの価値向上」。小山さんの信条は、「桃ケ池長屋」というかたちではっきりと可視化されていたのです。

長屋の雰囲気になじんでいる看板猫のエモンちゃん(写真撮影/出合コウ介)

長屋の雰囲気になじんでいる看板猫のエモンちゃん(写真撮影/出合コウ介)

「長屋が文化財なら、昭和町はお宝だらけや」

そもそも、なぜ昭和町には昭和初期の長屋が多く残っているのでしょう。理由は大正時代にさかのぼります。

小山「大正時代から昭和のはじめにかけて大阪市は経済が大きく発展しました。“大大阪”“東洋のマンチェスター”と呼ばれるほどだったんです。そのため人口が急増した。かつての東京市(1943年/昭和18年に廃止)よりも多かった。結果、たちまち住宅難が起きました。各地から続々と転入してくるため、住む人を吸収できなくなってきたんです」

サラリーマン家庭の住居の用意に急を要した大阪市。そこで建てられたのが、長屋でした。大阪市は特有の土地区画整理計画「長屋建築規則」を制定。長屋という名のニュータウン開発事業に乗り出したのです。

小山「大正時代までこのあたりは畑やったんですけれども、区画整理をして、長屋の寸法に街割をしたんです。そやから当時は長屋がザーッと並んでいました。言わば元祖ベッドタウンです。区画整理がスタートしたのが昭和のあたま頃やったんで、“昭和町”という地名になったんです」

なんと、昭和町という地名自体が、長屋の開発が由来だったとは。そんな深い縁がある長屋に再びスポットが当たる出来事がありました。それが「寺西家阿倍野長屋の再評価」。

「寺西家阿倍野長屋」とは昭和7年(1932年)に建築された近代的な4軒長屋。戦前の庶民の都市住宅としての様式を今に残す貴重な建築であることが評価され、平成15年(2003年)、長屋としては全国初となる「登録有形文化財」に指定されたのです。

寺西家阿倍野長屋(写真提供/丸順不動産)

寺西家阿倍野長屋(写真提供/丸順不動産)

小山「登録文化財になったという新聞記事を見て、『そんな文化財になるような長屋なんかあったか?』と探しに行ったところ、そこにあったのはどこにでもある普通の長屋。『これが文化財になるんやったら町中が文化財だらけや。これを使わない手はないやろ』と思いました」

現場へ行って寺西家阿倍野長屋を見上げた小山さん。そのとき「散髪屋のおっちゃん」から言われた「あんたら不動産屋ががんばらへんかったら、街がようならへん」のひと言が蘇ってきたのだそう。

小山「昭和町の長屋は、確かに質が高い。『京都では町家のリノベーションを当たり前にやっている。だったら昭和町は、長屋でそれができるんやないか』。そうひらめいたんです。意識して素敵なテナントを誘致したり、古い建物のよさを残したりすれば、街が元気になるんじゃないかと。散髪屋のおっちゃんのあの一言と長屋が頭の中でピタッとくっついた瞬間でしたね」

日本建築の粋を集めた「お屋敷長屋」

このように長屋や既存の古い建物およそ30軒を蘇らせてきた小山さんに、もう一軒のケースを見せていただきました。「水回り以外は昭和初期の雰囲気のまま」という、5戸が連なる長屋です。

2019年より家族3人で居住している建築士、城田研吾さんはこう言います。

城田「物件を見る前は、『長屋をDIYしたい』と考えていました。部屋を自由に改造できる条件で物件を探していたんです。けれどもこの長屋を初めて内見したとき、『このまま住みたい』と思いました。手を入れる必要がない、理想の住まいだったんです」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

屋内は丸窓の「灯りとり」、欄間、土壁、漆喰など、惚れ惚れとするほど昭和の意匠が遺されています。特に立派な床の間が印象的。

玄関(写真撮影/出合コウ介)

玄関(写真撮影/出合コウ介)

キッチンとリビングをつないで広々とした空間をつくりだしている。段差を考慮したテーブルをオーダーメイドし、二間をまたぐように設置した(写真撮影/出合コウ介)

キッチンとリビングをつないで広々とした空間をつくりだしている。段差を考慮したテーブルをオーダーメイドし、二間をまたぐように設置した(写真撮影/出合コウ介)

小山「フルサイズの床の間が、この長屋の特徴です。床の間は無駄と言えば無駄なんですけれども、当時は『床の間のない家なんて家やない』という文化があり、必須の設えだったんでしょう。ほかにも門があり、庭があり、燈籠が建てられている。大きなお屋敷の様式を全部きゅっと詰め込んである。だから“お屋敷長屋”と呼ばれる場合もあります。しっかりした邸宅で、落語に出てくる、八っつあん熊さんがいるような庶民の長屋とはずいぶん違いますね」

寝室(写真撮影/出合コウ介)

寝室(写真撮影/出合コウ介)

書斎(写真撮影/出合コウ介)

書斎(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

棚は城田さん自身が造作(写真撮影/出合コウ介)

棚は城田さん自身が造作(写真撮影/出合コウ介)

取材時、中庭には赤い桃の花が咲いていました。城田さんはこの家を「もものきながや」と名づけ、風流な景色を楽しんでいます。いやあ、若くしてこの長屋を気に入るとは、シブいご趣味ですね。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

城田「僕らの世代は原体験がないぶん、逆に昔の趣が残っている家って好きなんじゃないですかね」

小山「新車に乗りたい人がいれば旧車に乗りたい人もいる。新しいジーンズが好きな人がいれば、リーバイスのヴィンテージを好む人もいる。それと同じとちゃいますか」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

長屋はジーンズに例えるならばヴィンテージ。長屋の魅力がさらに鮮明になってきました。

昭和町の住民と店とをつなぐ「バイローカル」活動

小山さんの取り組みで刮目(かつもく)すべきもう一つの軸、それが昭和町の住民と地元の商売人との縁をつなぐ「buy-local(バイローカル)」という活動。具体的には昭和町にある素敵な商店およそ80軒が掲載されたマップつきの小冊子を年に一回発行し、PRしてゆく行いです。小山さんは2013年4月から、街の有志とともにバイローカル活動をはじめました。

小山「バイローカルとは、そもそもはアメリカのコロラド州で生まれた『小さな商店の雇用を守ろう』という運動でした。コロラド州のバイローカルは大資本に立ち向かう抗議活動やけど、昭和町はそこまで好戦的やない。志だけを継いで、街の“よき商い”を昭和町に住む人にもっと知ってほしい、そんな気持ちでやっています。理想は“内発的発展”。地域の人たちが自分の街にある店を選択し、守り、昭和町の中で365日、経済が循環する環境を整えていきたいんです」

小冊子のほか、使いやすいMAPも配布している

小冊子のほか、使いやすいMAPも配布している

マップを見ていると、新旧の魅力的な個人商店が満載。「少し歩くとこんなにたくさんのオリジナリティと出会えるのか。昭和町カルチャーすごい!」と驚かされます。

バイローカルマップを配布する大事なイベントが、長池公園にて開催される年に一度のマーケット。出店数は50店舗前後。あまりの人手に昨年は平日開催にせざるをえなかったというから、いかにバイローカルという理念が昭和町に根付いたかがうかがい知れます。

小山「人を寄せて儲けるのが目的ではない。マーケットを開くことで、地元の人とお店の人とでコミュニケーションをとってもらいたいんですよ。『あんたんとこのお店、どこやの? 今度遊びに行くわ』『あんたのお店、前から知ってたんやけど、どんなお兄ちゃんがやってるかわからへんかったから、行くん怖かってん。なんや~、あんたかいな~。ほんならこれから行くわ~』みたいな。バイローカルのマーケットを通じて知らないお店と出会ってほしいんです。ゆっくり話をしてほしいから、本音は、あんまりたくさんの人に来てほしくない(笑)」

2020年開催時の様子(写真提供/小山さん)

2020年開催時の様子(写真提供/小山さん)

自分が住む街にどんなお店があるのか、意外と知らないものです。バイローカルは住民と店とのマッチングの機会をつくり、街がよい商いを支える地盤をつくりました。おかげで、こんな利点があったのだそうです。

小山「2020年の夏はコロナでしんどい時期でしたけれども、街の人がテイクアウトでお店を支えた。お店も必死やけど、街の人たちも必死でした。『この店がつぶれたら絶対に困る』ってね」

昭和町なら駅から離れていても商売が成立する。それが理想

「長屋なんて更地にしてアパートを建てましょう」「コインパーキングにしてしまいましょう」が当たり前ななか、あえて古い建物の活用で街を衰退から救った小山さん。今後の展望は。

小山「これまでの経験で得た知見を活かし、おもろいエリアをさらに広げていきたい。街のはずれにも素敵なお店があって、周遊しながら楽しめる。そういうふうにならんと街ってしまいに廃れると思うんですよ。駅前でないと商売が成り立たん、そんなんではあかん。『昭和町なら住宅地でも商売が成立するんですよ』と伝えていかなければ。駅前一極集中ではなく、歩いて行ける場所、あるいは自転車でまわれるエリアに、自分の暮らしを豊かにしてくれるお店がいくつも点在している。それが街の理想形かなって思うんです」

確かに、バイローカルのマップを見ていると、点々とあるすべてのお店をぐるりと回遊したくなります。そうしてきょろきょろしているうちに、きっとさらに街が好きになる。

バイローカル会議の様子(写真提供/小山さん)

バイローカル会議の様子(写真提供/小山さん)

小山「象徴的な出来事がありました。駅前のいい場所に店舗が空いたので、お客さんをご案内したんです。けれども、そのお客さんが言うには、『すっごいええ場所やねんけれども、ここだと家賃を払うために仕事をせなあかん。ちゃんとていねいに商いをしたいから、もっとさびしい場所でいいです』と。その感覚なんです、昭和町は」

昭和町を訪れないと出会えない素敵な個性がある。希少となった長屋も、現代でいえば個性的な存在です。小山さんは今日も電動アシスト自転車で街を駆け抜けながらええもんを見つけ、昭和町をさらに「おもろい街」にすべく奮闘しています。

「私はただの不動産屋さん。けれども、街のことを考える不動産屋さんです。そやから、なんでもします。街の不動産屋はなんでもやりますよ」

●取材協力
丸順不動産株式会社
Facebook:@marujunfudousan
暮らしと商いの不動産(丸順不動産の物件ブログ)
丸順不動産の三代目は毎日なにをしてるんや?(公式ブログ)
Twitter:@KoyamaTakateru
Instagram:@takaterukoyama
365日バイローカルライフ
昭和なまちのバイローカル
器と暮らしの雑貨 カタルテ
Mono architects モノ アーキテクツ(城田研吾さんの設計事務所)

「沼垂テラス商店街」シャッター通りが人気スポットに! 県外客まで呼び込んだ大家の手腕とは 新潟県新潟市

新潟県新潟市の沼垂(ぬったり)テラス商店街には、昭和レトロな長屋にセンスあふれるショップが並んでいる。昭和には市場通りとして栄えたもののシャッター通りとなっていた長屋一帯が2015年に生まれ変わり周辺エリアにもにぎわいを広げる、その商店街を訪れてみた。

商店街のコンセプトは「ここでしか出会えないモノ・ヒト・空間」

沼垂地域は新潟駅から徒歩で20分ほどの、寺社や酒や味噌などの醸造工場に囲まれたエリア。
かつては市場通りとして栄え、昭和の時代には日用品や食料品の店舗が立ち並んでいた長屋一帯をリノベーションし、再生されたのが沼垂テラス商店街だ。

4軒の寺院と並行して長屋の沼垂テラス商店街が並んでいる(2016年4月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

4軒の寺院と並行して長屋の沼垂テラス商店街が並んでいる(2016年4月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

商店街のコンセプトは「ここでしか出会えないモノ・ヒト・空間」。チェーン店は1軒もなく個人経営が主体の、オリジナルな店舗が並ぶ。
ハンドメイドのアクセサリー店、一点ものの家具や雑貨が買える店。ショッピングの合間に食事やスイーツを楽しめる飲食店も豊富だ。30近くある店ごとに営業日時が違うのは商店街らしいといえば商店街らしいが、ショッピングモールとは違うゆったり時間を感じさせてくれる。「そんな自由さも店主それぞれのライフスタイルに合っているようで、出店のハードルが低いのかと思います。」と、商店街を管理・運営するテラスオフィスの専務取締役・統括マネージャー高岡はつえ(たかおか・はつえ)さん。

「代わりに、4月から11月にかけて月に1回ずつ開催している朝市や冬季の冬市には、基本的にいっせいに営業してもらって、商店街全体で集客しています」(高岡さん)

「Ruruck Kitchen」の「沼ネコ焼」は商店街の看板スイーツ。新潟県産コシヒカリを配合したもっちり生地に、餡やカスタードなどが詰まっている(写真提供/沼垂テラス商店街)

「Ruruck Kitchen」の「沼ネコ焼」は商店街の看板スイーツ。新潟県産コシヒカリを配合したもっちり生地に、餡やカスタードなどが詰まっている(写真提供/沼垂テラス商店街)

管理会社テラスオフィス併設の「ひとつぼし雑貨店」。目が合うと家に連れて帰りたくなるモノがいっぱい(写真撮影/池上香夜子)

管理会社テラスオフィス併設の「ひとつぼし雑貨店」。目が合うと家に連れて帰りたくなるモノがいっぱい(写真撮影/池上香夜子)

この地で50年以上になる佐藤青果物店は、いまも元気に営業中(写真提供/沼垂テラス商店街)

この地で50年以上になる佐藤青果物店は、いまも元気に営業中(写真提供/沼垂テラス商店街)

朝市には常設の店舗に加えて市内外からも出店があり、多くの人でにぎわう。規模を縮小した冬市や夜市も開催(感染予防対策としての中止、変更についてはHPで要確認)(写真提供/沼垂テラス商店街)

朝市には常設の店舗に加えて市内外からも出店があり、多くの人でにぎわう。規模を縮小した冬市や夜市も開催(感染予防対策としての中止、変更についてはHPで要確認)(写真提供/沼垂テラス商店街)

再生への躍進は、シャッター通りを丸ごと買い取ったことから始まった

時代が進むにつれて郊外に大型ショッピングセンターができ、さらに店主の高齢化も進み、地元住民が行き交っていた商店街は2010年ごろにはシャッター通りとなっていた。

かつての長屋(2013年3月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

かつての長屋(2013年3月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

再生の始まりは、かろうじて営業していた店舗のひとつ、大衆割烹「大佐渡たむら」の2代目・田村寛(たむら・ひろし)さんが長屋の一角に惣菜とソフトクリームの店「Ruruck Kitchen」を2010年にオープンしたことだった。
翌年隣に家具と喫茶の「ISANA」、さらに翌年陶芸工房「青人窯」がオープン。シャッター通りに若者たちが次々と店を構えたことが話題となり、人通りも増えたことから、出店希望も相次ぐようになったという。

出店希望に応えて商店街を再生するべく田村さんは奔走したが、当時の管理・所有者だった市場組合の新規出店規約が大きな壁となった。
協議を重ねた末、田村さんが一大決心。2014年に「株式会社テラスオフィス」を設立して長屋一帯を買い取り、店舗の入居と管理を運営することとなった。

テラスオフィス代表取締役・田村さん(右)。商店街再生当初からお店を構えるハンドメイドアクセサリー「nemon」にて(写真提供/沼垂テラス商店街)

テラスオフィス代表取締役・田村さん(右)。商店街再生当初からお店を構えるハンドメイドアクセサリー「nemon」にて(写真提供/沼垂テラス商店街)

運営実務を買って出たのが田村さんの姉、高岡さんだった。「大衆割烹と惣菜店の両方で経営者と料理人を勤めながら商店街再生だなんて、弟の身体が持たないと思いました。自分たちが育った町に恩返しをしたい気持ちも強かったですね」(高岡さん)

市場通りは2015年に「沼垂テラス商店街」と名前を変えて正式オープンした。レトロな街並みと魅力的な店舗が注目を集め、あっという間に沼垂テラス商店街は人気のスポットに。新潟県外からも多くの観光客が訪れるようになった。

高岡はつえさん。「脱サラして大衆割烹を創業した父が『卵焼きとソフトクリームの店、やれや』と私たち姉弟に放ったひと言が『Ruruck Kitchen』開店のきっかけ。もしかしたら商店街の未来を見据えていたのかもしれません。そこから怒涛の日々でした」(写真撮影/平田未来)

高岡はつえさん。「脱サラして大衆割烹を創業した父が『卵焼きとソフトクリームの店、やれや』と私たち姉弟に放ったひと言が『Ruruck Kitchen』開店のきっかけ。もしかしたら商店街の未来を見据えていたのかもしれません。そこから怒涛の日々でした」(写真撮影/平田未来)

コロナ禍では地元への宣伝を強化。いろいろな世代が立ち寄る場所になった

コロナ禍による緊急事態宣言下では、時短営業やイベント中止など、沼垂テラス商店街もかつてとは違う状況に置かれている。

「観光客が減ったのは痛手でしたが、地元を見直すきっかけにもなりました」と高岡さん。
商店街オープン当初から、商店街の広報・宣伝にSNSをフル活用していた。そのおかげもあって来客の中心は感度の高い30代・40代だったが、地元周辺の住民には告知が足りていないことに、ふと気がついた。「『名前は聞くようになったけど、どういう店があるのか知らないし。自分たちの暮らしには関係なさそう』と思われていたようです」(高岡さん)

そこで、沼垂テラス商店街のオープン以来、初めて新聞の折り込み広告を利用し、近所にはチラシを撒くことにした。「費用対効果を考えてチラシ広告は避けていましたが、地元の年配の方が足を運んでくれるようになりました。遠出をせず地元を見直すタイミングともマッチしたんでしょうね」(高岡さん)

入居している店舗とのつながりも集客に効果を発揮した。
朝8時からの「沼垂モーニング」イベントには6店が協力してくれた。商店街誕生当初からの店主が提案した「LINEスタンプラリー企画」に力を貸したのは、コワーキングスペース「灯台-Toudai-」の個室部分をオフィスにしていた「点と線プロダクツ」だ。

「『沼垂グルメスタンプラリー』なども企画しました。店舗と協力して小さなイベントを重ねて行うことで、集客を絶やさないように工夫しています」(高岡さん)

配布した「沼垂グルメMAP」チラシ。普段はモーニング提供していない店舗にも協力してもらい、「沼垂モーニング」を開催(2020年8月)(資料提供/沼垂テラス商店街)

配布した「沼垂グルメMAP」チラシ。普段はモーニング提供していない店舗にも協力してもらい、「沼垂モーニング」を開催(2020年8月)(資料提供/沼垂テラス商店街)

沼垂テラス商店街の成長が、周辺地域にもにぎわいを呼んでいる

休業・撤退せざるを得ない店舗もあるが、沼垂テラス商店街では間を空けずに新たな店舗がオープンしている。募集をかけることはほとんどなく、「ここに店を出したい!」と出店の機会を待つ希望者が多いのだそう。「いま入居している皆さんは、沼垂エリア、新潟を盛り上げていこうと頑張っている方ばかり。いい関係がずっと続いています」(高岡さん)

また、商店街のにぎわいは近隣にも拡大している。空き家や空き店舗を借り受けてリノベーションし、サテライト店舗として管理・運営する取り組みを積極的に行っているのだ。

商店街から1ブロックほど離れた路地にある「なり-nuttari NARI-」は、2016年にサテライト店舗として開業したゲストハウス。宿泊客以外も利用できるバーやイベントスペースを提供する交流の拠点でもある。
「ここでイベントに参加した人が沼垂を気に入ってくれて、新しいサテライト店舗に菓子工房をオープンすることになりました」(高岡さん)

築90年以上の古民家を改修した「なり-nuttari NARI-」(写真提供/沼垂テラス商店街)

築90年以上の古民家を改修した「なり-nuttari NARI-」(写真提供/沼垂テラス商店街)

コワーキングスペース「灯台-Toudai-」。利用する社会人や学生が平日に商店街に人通りをつくってくれる。個室部分に入居していた「点と線プロダクツ」はスタッフ増加に伴い移転、新オフィスに選んだ先も沼垂テラスのサテライト物件だ(写真提供/沼垂テラス商店街)

コワーキングスペース「灯台-Toudai-」。利用する社会人や学生が平日に商店街に人通りをつくってくれる。個室部分に入居していた「点と線プロダクツ」はスタッフ増加に伴い移転、新オフィスに選んだ先も沼垂テラスのサテライト物件だ(写真提供/沼垂テラス商店街)

沼垂テラス商店街はさまざまな地域再生の賞を受賞しており、2021年度経済産業省・中小企業庁主催「はばたく商店街30選」にも選定された。「はばたく商店街30選」は「地域の特性・ニーズを把握し創意工夫を凝らした取り組みによって、地域の暮らしを支える生活基盤として商店街の活性化や地域の発展に貢献している商店街」を選出した賞。

「長屋市場を一括購入することでスピーディーにテナントを埋め、再生を果たした点が特に評価されました。商店街は一般的に建物ごとに所有者が違い、また住居と併用していることもあり、いったん店を閉めると次の運用がなかなか進まないという問題がありますから」(高岡さん)
そして、各店や来街者のSNS発信で「#沼垂テラス商店街」「#沼垂テラス」など、ハッシュタグにより情報拡散して商店街の認知度を高めている点も高評価だったそう。「今のご時勢、普通だと思っていましたが、広告宣伝ツールをほぼSNSだけにしている商店街は珍しいのだそうです」(高岡さん)

オープンから7年経ったいまも人通りが絶えない沼垂テラス商店街には、県内外からの視察や講演依頼が絶えない。学生のフィールドワークにもできる限り協力しているそうで、田村さん、高岡さんの「商店街の力で地域に恩返しをする」意志は強くてあたたかい。
地域とともに発展していく沼垂テラス商店街に、またゆっくりと訪れてみたい。

●取材協力
・沼垂テラス商店街

築100年の長屋のまち「墨田区京島」にクリエイターが集結中! いま面白い東京の下町

戦時中、奇跡的に戦火を免れたことから長屋が多く残り、豊かな風景をつくっている東京都墨田区の京島。歴史ある建物と、下町のコミュニティに魅せられ、ここ10年ほどで定住するクリエイターが増えています。古い家屋を現代に生かし、2008年から人と人を結ぶ活動を続けてきたまちづくりの立役者と、このまちで活動する方々に話を伺いました。
築約100年の長屋と働く人たちに魅了され、地元に根差して奮闘

東武スカイツリーライン「曳舟駅」、京成電鉄「京成曳舟駅」の南東の50万平米に満たないエリアに、約6900の世帯が集まる東京都墨田区京島。もともと一帯は水田と養魚場でしたが、1923年の関東大震災を境に急速に宅地化。新潟からきた大工衆「越後三人男」が、家を失った人々に向けて長屋を建て、賃貸住宅にしていったのがその理由です。
戦時中は近隣の線路や川・道路が防火提の代わりになったのに加え、住人の懸命な消火活動もあって戦災を免れ、それらの家屋がそのまま残存。昔懐かしい風景を引き継いでいます。

至るところにある長屋はすべて関東大震災後に大工衆「越後三人男」が建てた築約100年のもの(写真撮影/内海明啓)

至るところにある長屋はすべて関東大震災後に大工衆「越後三人男」が建てた築約100年のもの(写真撮影/内海明啓)

奥は千葉大学の学生らが手がけたシェアハウス「すみだアカデミックハウス」。収益性を見込みにくい長屋の課題を払拭した画期的なケース(写真撮影/内海明啓)

奥は千葉大学の学生らが手がけたシェアハウス「すみだアカデミックハウス」。収益性を見込みにくい長屋の課題を払拭した画期的なケース(写真撮影/内海明啓)

映画制作をしていた後藤大輝さんがはじめて京島の魅力に触れたのは、知人から聞いて訪れた2008年のこと。味わい深い家屋はさることながら、木工・樹脂・板金・切削・プレス加工などあらゆる町工場が存在。地元に根差し、支え合いながら働く人たちのあり方に“ものづくりのまち”としてのポテンシャルを感じ、「とことん引き込まれた」と言います。

京島のまちづくりの立役者である後藤大輝さん。職人が話す文化的な言葉と“土着”する姿に惹かれたそう(写真撮影/内海明啓)

京島のまちづくりの立役者である後藤大輝さん。職人が話す文化的な言葉と“土着”する姿に惹かれたそう(写真撮影/内海明啓)

築96年になる後藤さんの事務所。向かいの建具屋の方が植樹してくれた葡萄のツルが風情を加えています(写真撮影/内海明啓)

築96年になる後藤さんの事務所。向かいの建具屋の方が植樹してくれた葡萄のツルが風情を加えています(写真撮影/内海明啓)

新しい住人と既存コミュニティがものづくりを通してつながる土壌

13年前から京島で暮らし、アートイベントの開催や空き家の発掘・再生・運営など、あらゆる京島のまちづくりに携わっている後藤さん。ものづくりをする人にとって、着想を得やすい環境や、近くに助け合える人がいることは何よりの財産。京島にそうした可能性を感じたクリエイターらが、徐々に集まるようになりました。古い家屋をDIYでアトリエにしたり、ギャラリー・ショップを開いたりと、動きが広がります。

軒先は格好の作業場であり作品の展示スペース。シェアアトリエ「京島共同木工所」の前で木材をカットする「すみだ向島EXPO」実行委員会の山越栞さん(写真撮影/内海明啓)

軒先は格好の作業場であり作品の展示スペース。シェアアトリエ「京島共同木工所」の前で木材をカットする「すみだ向島EXPO」実行委員会の山越栞さん(写真撮影/内海明啓)

作品づくりのために問屋や職人が近くにいる京島にアトリエを構えた「totokoko(トゥートゥーコッコ)」デザイナーの工藤智未さん。「何かをするときに協力してくれる人がたくさんいるのがいいですね」(写真撮影/内海明啓)

作品づくりのために問屋や職人が近くにいる京島にアトリエを構えた「totokoko(トゥートゥーコッコ)」デザイナーの工藤智未さん。「何かをするときに協力してくれる人がたくさんいるのがいいですね」(写真撮影/内海明啓)

地域に新しい人が来たとき、ともすると古くからいる人たちとの間で温度差ができそうですが、ここでは逆に職人たちが力を貸してくれるのだと言います。

「そのきっかけは、例えば展示会の準備でのこと。大抵のクリエイターは趣ある会場にしたいので、職人にそれを相談します。すると教えてもらいながら一緒につくることになるケースが少なくありません。自分たちの活動に関心を持ってもらえますし、コミュニケーションも取りやすい。完成した空間を喜んでもらえると、こちらもうれしさがこみ上げます」

午後の休憩中の建具職人の方々と後藤さんが談笑。「家屋は長く大事に使うもの」という共通の思いが、新旧の住人をつないでいます(写真撮影/内海明啓)

午後の休憩中の建具職人の方々と後藤さんが談笑。「家屋は長く大事に使うもの」という共通の思いが、新旧の住人をつないでいます(写真撮影/内海明啓)

ものづくりのまちでは自分の表現したいものをさらけ出すことが自己紹介になる――。
後藤さん自身も京島にきた当初、子どもたちの施設で撮影をしたり、ワークショップの手伝いをしたりして地元の人と親睦を深めてきたからこそ、実感を込めて言います。

空き家を知ったら大家のもとへ。防災性も備えた長屋を住人につなぐ

地域に新しい人が定着するには、受け皿となる住居が欠かせません。大家と住人をつなぐことが後藤さんのライフワークになっています。

「歴史を重ねた家屋には、入居者が建物にどう関わってきたかが現れているもの。使い込まれた床や梁・柱などにあたたかみが宿り、アイデンティティを感じます。
空き家が出たとき、黙っていると駐車場やマンションになってしまいかねません。『価値ある物件がまちで生かされて欲しい』その一心で大家に交渉します」

1925年に建てられたかつてのブリキ職人の家屋の内部(現後藤さんの事務所)。屋根裏の目隠しの屏風がユニーク(写真撮影/内海明啓)

1925年に建てられたかつてのブリキ職人の家屋の内部(現後藤さんの事務所)。屋根裏の目隠しの屏風がユニーク(写真撮影/内海明啓)

かつてのブリキ職人が洋風建築をモチーフに手がけた装飾的な雨どい(写真撮影/内海明啓)

かつてのブリキ職人が洋風建築をモチーフに手がけた装飾的な雨どい(写真撮影/内海明啓)

大家へのアプローチは、はじめこそ上手くいかなかったものの、2010年に長屋を一軒、リノベーションしてシェアカフェにしたのを足がかりに「まちで活用されるのなら」と、受け入れてくれるように。
今では大家が親しくしている不動産会社とも関係が築かれ、率先して空き家の情報を教えてもらえるまでになったそう。

「後々トラブルにならないよう、『こんなふうにDIYしたい』『家賃はこのくらいがいい』といった入居者の要望と、大家の許容範囲をすり合わせ、不動産会社にしっかり契約書をつくってもらっています」

日替わりでカレーや洋食などの飲食店が入るシェアカフェ「爬虫類館分館」。京島の長屋に興味のある方は後藤さんに直接、連絡を入れれば紹介してもらえることも(連絡先は記事末の取材協力リストに)(写真撮影/内海明啓)

日替わりでカレーや洋食などの飲食店が入るシェアカフェ「爬虫類館分館」。京島の長屋に興味のある方は後藤さんに直接、連絡を入れれば紹介してもらえることも(連絡先は記事末の取材協力リストに)(写真撮影/内海明啓)

長屋は現代の建築基準法に合わせて建てられていないため、耐震性や耐火性にも注力。墨田区の「木造住宅耐震改修促進助成」を利用したり、現場の施工会社の判断を仰いだりしながら、改修のタイミングで筋交い・柱・耐力壁を入れるなどして耐震補強。
防火のために古い配線や、既存のブレーカー・照明を撤去。耐火性能の高い石膏ボードを入れるなどの試みをしています。

仲間を迎えて古い家屋を現代に蘇らせ、さらに表現を楽しめるまちへ

「京島の長屋を借りた場合の家賃は、近隣の賃貸アパートとほぼ一緒。むしろ築古だからこそ、大家も住人も育てる気持ちで労力をかけていかないと、維持できないと言えるでしょう。たとえ面倒に思えても、この歴史的な建物がベースにあるからこそ、自己表現の場としての懐の深さ・創作の伸びしろ・地域のつながりが生まれるのだと。このまちで得られる豊かさを、多くの人に体験してもらいたいです」

これまでも自身で長屋を借り、レンタルスペースやシェアハウスなどを企画・運営してきた後藤さん。今後は、滞在制作の後押しなど、まちと表現したい人をつなげる活動を、さらに推し進めたいと考えています。

約2年前から京島のプロジェクトに関わるようになったヒロセガイさんは、大阪で住宅をリノベーションしたり、全国の芸術祭で企画・制作したりして活躍してきたアーティスト&ディレクター。

京島で建物の再生を手がけるヒロセガイさん。自身が芸術監督を務める街なか芸術祭「すみだ向島EXPO」がこの10月から開催(写真撮影/内海明啓)

京島で建物の再生を手がけるヒロセガイさん。自身が芸術監督を務める街なか芸術祭「すみだ向島EXPO」がこの10月から開催(写真撮影/内海明啓)

「もともと東京には“最先端”のイメージがありましたが、約20年前、アートプロジェクトをきっかけに向島エリア(京島を含む墨田・東向島などの地区)でものづくりをする人たちと出会い、よい意味で遠慮がない『下町つき合い』に触れ、『本当の東京って、こういうことでは』と心を打たれたんです」

以来、現代美術の分野で向島エリアの仲間とつながってきたヒロセさん。約2年前、後藤さんから声をかけられたのを機に、古い家屋と人々が連帯する京島に身を置き、活動していくことにしました。

今、手がけているのは「京島駅」と名づけたまちの駅。京島に来たら訪れるべきところで、旅立つところです。
ここはかつて米屋でしたが約2年前に店主が他界。相続した親族は当初、駐車場にする予定でしたが、後藤さんが「賃貸にして欲しい」とかけ合い、ヒロセさんが企画・監督。コミュニティづくりに役立つ施設へと蘇らせました。

もとは「小倉屋」という米屋だった「京島駅」。1階の一角にはネパールレストラン「Art & Nepal」(「すみだ向島EXPO」に合わせて10月1日に オープン予定)があります(写真撮影/内海明啓)

もとは「小倉屋」という米屋だった「京島駅」。1階の一角にはネパールレストラン「Art & Nepal」(「すみだ向島EXPO」に合わせて10月1日に オープン予定)があります(写真撮影/内海明啓)

一歩入ると懐かしい空気に包まれる「京島駅」ですが、それだけでなく、あちこちにアーティストの仕かけが隠されているのがポイント。1階は田舎に帰って家族とくつろぐ空間、2階は祭りを眺める客席をイメージし、レストランやイベントスペースを設けています。

「墨田の人たちには“江戸っ子”の気風があって、私からすると未だ江戸時代を生きているように見えるんです。この場所が、現代とは違う未来につながれば面白いなと思っています」

「京島駅」の壁をセメントモルタルで装飾するのは、左官アーティストの村尾かずこさん(写真撮影/内海明啓)

「京島駅」の壁をセメントモルタルで装飾するのは、左官アーティストの村尾かずこさん(写真撮影/内海明啓)

2階のイベントスペース。家屋に合わせて入れ替えた建具が雰囲気をアップ。天井にはタコとエビの絵を描いています(写真撮影/内海明啓)

2階のイベントスペース。家屋に合わせて入れ替えた建具が雰囲気をアップ。天井にはタコとエビの絵を描いています(写真撮影/内海明啓)

家屋の構造上、水道の配管が露出されること、昔の銅管の質感のよさに着目し、配管で文字を描いたアート作品を制作。「配管工がさながら伝統工芸士になり、その場を感じてこうした作品をつくったらいいなと思い、手がけました。“配管グラフィティ”と名づけています」(写真撮影/内海明啓)

家屋の構造上、水道の配管が露出されること、昔の銅管の質感のよさに着目し、配管で文字を描いたアート作品を制作。「配管工がさながら伝統工芸士になり、その場を感じてこうした作品をつくったらいいなと思い、手がけました。“配管グラフィティ”と名づけています」(写真撮影/内海明啓)

ヒロセさんにかかると廃材さえ場をつくるための材料。家屋のところどころで感じるエピソードに着想を得て、人々がワクワクとするものへと昇華させてゆきます。

「決して取り残されたものではなく、建物側から広がる風景を大事にしたいと思っています。お祭りのアイデアを浮かべるのも好きなので、商店街でも面白いことをしていきたいです」

京島を代表するスポット「キラキラ橘商店街」。コッペパン専門店「ハト屋パン店」をはじめ、趣あるお店が並びます(写真撮影/内海明啓)

京島を代表するスポット「キラキラ橘商店街」。コッペパン専門店「ハト屋パン店」をはじめ、趣あるお店が並びます(写真撮影/内海明啓)

下町文化の魅力は国籍を超えて。まだまだ進化する京島に期待

この5月には、京島にフランス出身のギヨームさんとクロエさんによるワインショップ「アペロ」がオープンしました。

ワインショップ「アペロ」は、京島の玄関ともいえる商店街入口にある長屋に(写真撮影/内海明啓)

ワインショップ「アペロ」は、京島の玄関ともいえる商店街入口にある長屋に(写真撮影/内海明啓)

東京都港区南青山で7年間、ワインバーを営んできた2人。以前から下町のコミュニティに親しみを感じていて、2号店の場所を京島に定めました。

「フランス人は、古いものやオールドスタイルだと感じられるものが大好き。旧来の価値観や伝統をどう“今”に生かすか、いつも考えているところがあって、その感覚とまちがリンクしたんです。いつかゆったりワインを楽しむ時間を、地域の人たちとつくっていけたらと思っています」

「アペロ」スタッフの猿田知子さん。ワインはビオがほとんど。フランスのあらゆる地域と種類をそろえます(写真撮影/内海明啓)

「アペロ」スタッフの猿田知子さん。ワインはビオがほとんど。フランスのあらゆる地域と種類をそろえます(写真撮影/内海明啓)

メキシコ出身の建築家、ラファエル・バルボアさんは約1年前からオフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を構え、一角にフリースペース「UNTITLED SPACE」を設けています。

「ここでは誰もが住む人の顔を知っていて、そのことで面白さが生まれている。コミュニティのセンスがあるまちだと感じます。
私はパブリックとプライベートスペースの役割に興味があって、週末にギャラリーとして使ったり、卓球台を置いたりして、仕事場を開放しているんです。今後はさまざまなクリエイターとのコラボレーションにも挑戦してみたいですね」

「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を主宰する建築家のラファエル・バルボアさん。日本の建築に関心があったのが、来日のきっかけです(写真撮影/内海明啓)

「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を主宰する建築家のラファエル・バルボアさん。日本の建築に関心があったのが、来日のきっかけです(写真撮影/内海明啓)

フリースペース「untitled space」兼オフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」の入口。地元の人がくつろげるよう軒先にベンチを置き、週末は三角スペースまでをまちに開いています(写真撮影/内海明啓)

フリースペース「untitled space」兼オフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」の入口。地元の人がくつろげるよう軒先にベンチを置き、週末は三角スペースまでをまちに開いています(写真撮影/内海明啓)

さまざまな動きのなかで、古さが今に生かされるまちへと進化していった京島。豊かさに触れるには、まず訪れてみるのが一番。それがこのまちとつながり、自分らしい表現をする一歩になるのかもしれません。

●取材協力
すみだ向島EXPO
キラキラ橘商店街
アペロワインショップ
STUDIO WASABI ARCHITECTURE

後藤大輝さん
090-4164-8383
info@himatoumejii.co.jp

ローカルで長屋暮らし。福岡県八女市で賃貸住宅「里山ながや・星野川」を選んだ人たちに起きたこと

福岡の山どころとも呼ばれる八女市。お茶の産地として有名だが、特によい茶葉が取れるエリアとして人気の高い上陽町に2018年7月に誕生したのが、この賃貸住宅「里山ながや・星野川」だ。自然あふれるローカルエリアに突如できた長屋にどのような人たちが移り住み、生活しているのだろうか。現地の暮らしぶりをリサーチしてきた。
民間企業が運営。移住前のお試し居住として、長屋の暮らしを提供

上陽町久木原は近隣にスーパーなど日用品をそろえる施設がなく、八女の市街地からも車で20分と、ローカル中のローカル、という声が地元でもちらほら聞こえるエリアだ。

もともと小学校跡地のグラウンドを民間会社が土地を借り利活用、建築設計事務所アトリエ・ワンの塚本由晴氏が設計を手掛けている。施工は地元の若手大工が行い、全8戸がつながった長屋様式の建物は、ほぼ全てが八女産の木材を使用して造られている。

この場所に賃貸の長屋を構えることを決めたのは、この住宅の管理会社でもある八女里山賃貸株式会社。自然資源の活用と、無理のない移住生活へのステップを創出しようという想いから、あえてこの田舎で長屋建築を計画実行した。

地域おこし協力隊で八女移住。夢を形にする助走期間として住まう山内淳平さん(28歳)は、福岡県小郡市出身。新卒で大手家電メーカーに就職後、2018年9月から八女の地域おこし協力隊に就任。地元企業のIT指導や広報支援を行う(写真撮影/加藤淳史)

山内淳平さん(28歳)は、福岡県小郡市出身。新卒で大手家電メーカーに就職後、2018年9月から八女の地域おこし協力隊に就任。地元企業のIT指導や広報支援を行う(写真撮影/加藤淳史)

まずお話をお聞きしたのは、会社員時代は営業職を担当していたという山内淳平さん。東京、大阪、福岡と転勤を繰り返すなかで、今はローカルが時代の最先端だと感じ、地域おこし協力隊の求人を一年かけて探したという。全国的にも珍しい、商工会に配属されるという募集要項を見て、八女への移住を決めた。「この建物はSNSで見て一目惚れ。地域資源を使って地元の若手大工がつくったというコンセプトもとても良くて、絶対ここに住もうと思っていました」と、協力隊就任とともに入居を開始した。大学時代を含めると、ひとり暮らしは4拠点目になるが、今が最も心にゆとりがあるという。

部屋はメゾネットタイプの2階建て。天井、柱、家具、格子などは全て八女杉を使用。1階は土間空間で、ひんやりと涼しい空気が流れる。写真はモデルルーム。どの部屋も同じ間取りとなる(写真撮影/加藤淳史)

部屋はメゾネットタイプの2階建て。天井、柱、家具、格子などは全て八女杉を使用。1階は土間空間で、ひんやりと涼しい空気が流れる。写真はモデルルーム。どの部屋も同じ間取りとなる(写真撮影/加藤淳史)

同じく八女杉を使ったキッチン。通常、八女杉を素材に使ったキッチンはほぼないそう。木の良い香りが漂う(写真撮影/加藤淳史)

同じく八女杉を使ったキッチン。通常、八女杉を素材に使ったキッチンはほぼないそう。木の良い香りが漂う(写真撮影/加藤淳史)

キッチン裏は浴室とトイレ、ランドリースペースと水まわりが1カ所にまとめられている。小屋の先には元ランチルームがあり、それが程よい目隠しに。日光が差し込んで開放感あふれる空間が広がる(写真撮影/加藤淳史)

キッチン裏は浴室とトイレ、ランドリースペースと水まわりが1カ所にまとめられている。小屋の先には元ランチルームがあり、それが程よい目隠しに。日光が差し込んで開放感あふれる空間が広がる(写真撮影/加藤淳史)

「室内は木材がいっぱいで、玄関をくぐるたびにふわっと森林の香りがします。朝には鳥のさえずりが聴こえます。星野川は星が綺麗な地域なので、空を見上げると満天の星空が望めますし、目の前にある清流の音も心地いい。空間や家具に木が使われていることでおだやかな気持ちになり、料理や入浴の時間とかも、ひとつひとつを丁寧に過ごせるようになりましたね」と話すように、飲み会の多かった会社員時代と比べて自宅でゆっくりと過ごす時間が増えたそうだ。

当初は、八女でなくてもどこでも構わないと思っていたが、至るところに野菜の直売所があり、どれを食しても美味しいことや、長屋暮らしを通じて隣人や地元の人たちとも程よい交流ができたおかげで、暮らしを通じて、この土地に住む人のあたたかさや生活環境の良さが分かってきた山内さん。特に八女の星空と山の景色に魅せられ、地域おこし協力隊の任期を終えたあとは、この地形を活かし体験型のアクティビティをメインにした事業を起こそうと計画中だ。

「地域を盛り上げることを目標とするより、八女にいる自分がどう幸せになれるかを考えた方が地域にとって良くなりそうな気がするんです」と語る。自分の生活像も将来のことも八女に来た当初はぼんやりとしか持っていなかったが、自分の環境を変えたことで少しずつ考えがクリアになってきたそうだ。

「自身のステップの場としてこの環境があることに満足しています」と最後、爽やかに答えていただいた。

「長屋暮らしだからか周囲に人がいなくて寂しいと感じたことはないです。地域の方とは年に数回、近くの公民館で親睦会を開いてお酒を飲みながら交流するのが楽しいです」(写真撮影/加藤淳史)

「長屋暮らしだからか周囲に人がいなくて寂しいと感じたことはないです。地域の方とは年に数回、近くの公民館で親睦会を開いてお酒を飲みながら交流するのが楽しいです」(写真撮影/加藤淳史)

夫婦生活のはじまりの場として。職場は変わらずとも気持ちに変化が桜木愼也・有希子さんご夫妻。お互い理学療法士で、同じ病院に就職したことがきっかけで知り合い、昨年結婚。初めての同居生活をこの里山賃貸でスタートさせた。仕事は結婚後も継続中(写真撮影/加藤淳史)

桜木愼也・有希子さんご夫妻。お互い理学療法士で、同じ病院に就職したことがきっかけで知り合い、昨年結婚。初めての同居生活をこの里山賃貸でスタートさせた。仕事は結婚後も継続中(写真撮影/加藤淳史)

次にお話を聞いたのは、里山賃貸住宅の利用者第一号となった桜木愼也・有希子さんご夫妻。「八女のロマン」という地元の移住ポータルサイトを見て竣工式から完成まで何度も足を運び、入居開始と同時に二人暮らしを始めた。
お互いアウトドア好き、また、夫が柳川、妻が筑後から職場のある八女の中心街まで通っていたということもあり、もともと3,40分の通勤時間が発生していたことから、星野川から勤務地まで車で20分という距離もさほど気にならず、それよりも自然に囲まれた環境が良いということで、長屋生活を選んだ。

「最初は、キャンプのコテージに泊まっているような気分でしたね。春は家の窓から桜並木を眺めたり、夏は目の前にある川に足を浸して涼んだり、冬はストーブで暖をとったりと、四季を生活のなかで楽しんでいます」

そう話す愼也さんは、この物件に移り住んでからドライフラワーの制作に目覚めて、趣味でつくった花々を壁に吊るして飾っている。

ドライフラワーは愼也さんの趣味。「いつの間にか始めてましたね」とコメント。中には結婚式のブーケで使った花もあるそう(写真撮影/加藤淳史)

ドライフラワーは愼也さんの趣味。「いつの間にか始めてましたね」とコメント。中には結婚式のブーケで使った花もあるそう(写真撮影/加藤淳史)

日用品などの買い物については市街地の病院で働いていることもあり、仕事帰りに済ませているので田舎暮らしに不便は感じていない。むしろ、周囲に店が少ないことで、なるべく自宅にあるもので済ませるうちに、物を買うことへの意識が変わってきたとのこと。ひとつひとつを吟味して買うようになったので、無駄遣いがなくなり貯金ができるようになったそうだ。また、家庭菜園を始めたことで、病院に来るおじいちゃん、おばあちゃんと肥料の種類など、野菜の栽培についての話が盛り上がるようにったという。

「接客業という仕事柄、ストレスを溜めることもあります。しかし、夫への悩み相談は通勤中にするようになったので、家に帰ると自然とスイッチが切り替わって、全く仕事のことは考えなくなりますね」とにこやかに話す有希子さん。外出してもすぐに家に帰りたくなるくらい、自分の住まいが好きなんだそう。

(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

「以前は、せかせかして時間にゆとりが持てていなかったんだろうな、と思うときがあります。自分たちは、職場は変わらず、ただ住環境を変えただけなのですが、木のお風呂に浸かったり、2階のスペースで横になって休んだり、そういう暮らしが手に入ったことで変わってきたような気がしますね」と有希子さん。場所の力をひしひしと感じているようだ。

長屋の住人たちとの軽い挨拶や日常会話は毎日。「さっきイタチを見たよ」など気軽に話せる相手が近くにいることが生活の安心・安定感にもつながっている(写真撮影/加藤淳史)

長屋の住人たちとの軽い挨拶や日常会話は毎日。「さっきイタチを見たよ」など気軽に話せる相手が近くにいることが生活の安心・安定感にもつながっている(写真撮影/加藤淳史)

愼也さんも「もともと意識下にあった自分の好きなことや物が引き出された感じがありますね」というように、住まいによってご夫婦それぞれの行動や心境にポジティブな変化が生まれたようだ。

「子どもが生まれても生活的に問題なければずっとここにいたいですね。それ位この自然環境と木の生活は気に入ってます」と話す桜木さんご夫婦は最後、顔を見合わせて穏やかに微笑みあっていた。

シンプルに心地よい暮らしを求めたら、たまたま移住につながった(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

今回取材した山内さん、桜木さんはともに都市部からの移住。一般的にはそのように環境の大きく異なる地域への移住は、うまく生活していけるかなどの不安で、ハードルが高く感じるものだ。しかしこの2組の場合は、いきなり完成形を求めるのではなく、まずは里山賃貸住宅の暮らしに惹かれてコンパクトな長屋暮らしを始め、そこから少しずつ自分たちの好きなことや、やってみたいことに出会え、将来的にもここに住み続けるという「移住」という思いに至った。

全く違う環境に飛び込んでいく「移住」を大げさにとらえずに、こんな暮らしをしてみたいな、とか、単に住まい環境を変えたい、他者のコンセプトや物に惹かれた、という心のままにローカルでの暮らしを始めるのもいいのかもしれない。特にこの八女里山賃貸住宅では、同じ感覚で集まった人同士がつながることによって、それぞれが良い方向へと進んでいるようだった。

継続的な生産性は、無意識レベルでの「好き」から始まるのかもしれない。

取材当日に地域住民の有志で植えた芝生。今後はここでBBQや星空観察などを計画中だ(写真撮影/加藤淳史)

取材当日に地域住民の有志で植えた芝生。今後はここでBBQや星空観察などを計画中だ(写真撮影/加藤淳史)

●取材協力
>八女里山賃貸住宅ホームページ