空き家がレトロおしゃれな150店舗に大変身! 長野・善光寺周辺にカフェや雑貨店、古着屋など、マッチングでにぎわい生む地元不動産会社の手腕

長野県長野市の善光寺門前エリアは、若い世代を中心に空き家をリノベーションした店が増え、にぎわいを創出しているまちとして、全国的にも注目が集まっています。その立役者として知られるのが、空き家専門不動産会社「MYROOM」の倉石智典さん。事業を始めたい人に空き家を仲介するに至った思い、長年まちを案内している「空き家見学会」のこと、新たな拠点でスタートした“まちづかい”への取り組みについて、お話をうかがいました。

空き家活用で150店舗オープン。空き家専門不動産会社「MYROOM」

長野駅からぶらぶら歩けば30分ほど。古い街並みが残る善光寺門前エリアでは、ここ20年ほどの間、空き家を活用した小さな店舗が次々とオープンし、にぎわいを生み出しています。

観光客でにぎわう善光寺表参道(撮影/新井友樹)

観光客でにぎわう善光寺表参道(撮影/新井友樹)

この界隈で事業を始めたい人と空き家をつないでいるのは、2010年に創業した「MYROOM」代表の倉石さん。MYROOMはいわゆる通常の新築・中古物件は取り扱わない、空き家専門の不動産会社です。設計事務所と建設業も兼ねていて、リノベーションの設計施工や管理までワンストップで行っています。

「空き家の未来をデザインする」をコンセプトにMYROOMを立ち上げた倉石智典さん(撮影/新井友樹)

「空き家の未来をデザインする」をコンセプトにMYROOMを立ち上げた倉石智典さん(撮影/新井友樹)

これまで倉石さんが事業者と空き家をマッチングした事例は、ゲストハウスに雑貨店、ブックカフェなど、およそ150軒にものぼります。そもそも、なぜ空き家専門の不動産会社を始めようと思ったのでしょうか?
「空き家を専門に扱っている不動産会社がなかったからです。なにも、地域活性化とかまちににぎわいを、と考えたわけではなくて、ビジネスとして、ニッチなところを狙ったというわけです」と、倉石さんは穏やかに話します。

創業当初、空き家は全国的に問題になり始めていました。ご多分に漏れず、長野市中心部の善光寺界隈も、使い手のいない古い空き家が増え続けていたころ。「建物って、地理や産業の成立ちを背景に建てられてきたじゃないですか。今は時代が変わって、ライフスタイルも変わった。人生の中で人は移動するし、人口もどんどん減っている。地理も産業も引継ぐ必要性はなくなりましたよね。どこでも住めて誰でも家が手に入る。このままでは、空き家だらけになっていってしまいます」

倉石さんの仲介で、築70年の建物がカフェと古着屋に生まれ変わった(撮影/塚田真理子)

倉石さんの仲介で、築70年の建物がカフェと古着屋に生まれ変わった(撮影/塚田真理子)

「一般的な不動産会社では、不動産価値のない古い空き家は取り扱いません。一方で、空き家バンクなどでは、行政が費用を出して無料でサイトに掲載をしています。いわゆる“1円物件”などもそう。でも、これまで大切に引き継いできた土地や家を使わないからといって使い捨ててしまうようで悲しいし、違和感を感じていました」

空き家は決して単体で存在していたわけではなく、古く長く、地域で引き継がれてきたものです。その大切な建物を、使いたい人が楽しく使わせてもらう、それがまちを引き継いでいくことにつながる。そんな思いが倉石さんのなかにはあったのです。

古さが味わいに。カフェも古着店も客層は幅広いという(撮影/塚田真理子)

古さが味わいに。カフェも古着店も客層は幅広いという(撮影/塚田真理子)

おもしろいのは、小商いをしてみたい事業者と空き家をマッチングするその手法です。倉石さんは事業者の「やりたいこと」をヒアリングし、倉石さんの頭の中にあるまちの地図や歴史や現在地、人の流れなどをもとに、「ここならうまくいくんじゃないか」という相性のいい物件候補を提案してくれます。
「空き家は歩いて見つけて、所有者を調べて訪ねて行って、貸していただけそうなところはストックしています。でも、所有者がわかっても貸さない、貸せないとか、いろいろな事情がありますよ」と倉石さん。そう、大家さんに頼まれて仲介しているわけではないので、順番が逆なのです。その建物はかつてどう使われていたのか、まちのなかでどんな存在だったのか。この家に合うのはどんな人かな、今ここでどんな商売をやったら地域に溶け込めるかな……そんなことを日々妄想している倉石さんだからこそのマッチング方法なのです。

その妄想をみんなでできたらいいな、という思いで毎月開催しているのが、2011年から続く「空き家見学会」です。

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12年続く「空き家見学会」で、まちを歩いて見えてくるもの

MYROOMでは空き家の鍵を数十軒分預かっているといいますが、物件情報はウェブサイトなどに公開されていません。このエリアで空き家を活用して店を開きたいと考える人は、まず「空き家見学会」に参加することからスタートします。

空き家見学会とは、2011年、善光寺西之門にある編集企画室「ナノグラフィカ」とともに始めたもの。現在は、倉石さんが2021年に立ち上げた新拠点「R-DEPOT(アールデポ)」が引き継ぎ、毎月1回行っています。R-DEPOTについてはのちほど紹介するとして、まずは空き家見学会に同行させてもらいました。

現在は、「R-DEPOT」の若きスタッフがまちを案内している(撮影/新井友樹)

現在は、「R-DEPOT」の若きスタッフがまちを案内している(撮影/新井友樹)

見学会の参加者は、半数が長野市内、半数は市外または県外の人だそう。多いときは10名、平均5~6名が参加します。予約制で時間は2時間ほど、参加費は無料です。

R-DEPOTに集合したら、まずは案内人、参加者ともに自己紹介(撮影/新井友樹)

R-DEPOTに集合したら、まずは案内人、参加者ともに自己紹介(撮影/新井友樹)

観光客はなかなか足を踏み入れない路地へ。昔の地形やかつてこの場所にあったものなど、歩きながら紹介してくれる(写真撮影/新井友樹)

観光客はなかなか足を踏み入れない路地へ。昔の地形やかつてこの場所にあったものなど、歩きながら紹介してくれる(写真撮影/新井友樹)

空き家見学会というネーミングですが、いわゆる物件紹介というものとはわけが違います。物件までの道すがら、今駐車場になっているところには昔こういうお店があって、こんなふうににぎわっていて、細い路地にはかつて川が流れていて……といったように、まちの案内も繰り広げられます。建物は3~4件見学するものの、間取りやスペック、家賃の紹介はありません。というか、貸せるかどうかも決まっていないとのこと。
「空き家になる前の暮らしぶりを参加者の方にはお伝えしています。大家さんやご近所さん、大工さんから聞いたエピソードなども交えたりして」(倉石さん)

この日見た建物は3軒。古いガラスのレトロさにグッとくる(撮影/新井友樹)

この日見た建物は3軒。古いガラスのレトロさにグッとくる(撮影/新井友樹)

ここは昔タバコ屋さんだったところ。2階は住居だった模様(撮影/新井友樹)

ここは昔タバコ屋さんだったところ。2階は住居だった模様(撮影/新井友樹)

坂の上に立つだけに、2階の窓を開けると、眺めがいい!(撮影/新井友樹)

坂の上に立つだけに、2階の窓を開けると、眺めがいい!(撮影/新井友樹)

100年前にどうしてここに建物が建ったのか。使われなくなったとき、とっくに壊して駐車場にすることもできた、けれど壊さなかった理由ってなんだろう。代々ご先祖様から引き継いでいる建物だから。街並みが壊れるから。ご近所に申し訳ないから。まちのおかげで商売できていたから――その背景を知ることが大切だと思い知ります。

まちを歩き、実際の建物を見ながらそんな話を聞いていると、当時の風景がよみがえるように想像できました。そしてこれからここをどう使ったら楽しいのだろう?と、これからの“まちづかい”のことも想像できた気がします。これは、画面上ではきっとわかりえなかったことで、現場だからこそ感じられた体験なのでしょう。

大通り沿いに立つ建物。昔の記憶やエピソードがその家ごとに詰め込まれている(撮影/新井友樹)

大通り沿いに立つ建物。昔の記憶やエピソードがその家ごとに詰め込まれている(撮影/新井友樹)

古い農機具のポスターや看板も残されていて、時が止まったかのよう(撮影/新井友樹)

古い農機具のポスターや看板も残されていて、時が止まったかのよう(撮影/新井友樹)

1件目の空き家は築100年くらいで、もともとは篩(ふるい)屋さんだったとか。2軒目は元タバコ屋。玄関横に窓口があって、ここでコーヒースタンドとかやったら楽しいだろうな。3軒目の広い農機具店は、ガラスの掃き出し窓から見える小さな中庭が素敵で、シンボルツリーみたいな木を植えたら映えそう。こんなに広いならシェアハウスがいいかも?と、思わず妄想がふくらんだのも楽しい経験でした。

R-DEPOTに戻ったら、見学会参加者は「門前暮らし相談所」にも参加できます。門前でしたいこと、使いたい空間についてなど、スタッフと個別に相談できます。この日一緒に参加した男性は、学生時代この辺りに通っていたといい、得意な語学を活かして物販の店をやりたいと語っていました。果たして次のステップに進めたのでしょうか。

「同じ場所を見ても、どう受け止めるかは人によって違います。ここを引き継ぎたいと思うかどうか。いい人がいい使い方をしてくれたら、大家さんも、建物も、地域もみんなが喜んでくれます。残したい人と使いたい人の手助けになれればいい。選択肢のひとつを提示できたらいいなと思っています」(倉石さん)

倉石さんがつないだ、若きオーナーと空き家の現在地カフェ「POLKA DOT CAFE」のオーナー・山田大輔さん(右)と、古着店「COMMA」オーナーの駒込憲秀さん(左)(撮影/塚田真理子)

カフェ「POLKA DOT CAFE」のオーナー・山田大輔さん(右)と、古着店「COMMA」オーナーの駒込憲秀さん(左)(撮影/塚田真理子)

実際に倉石さんの紹介で空き家を借り、商いを始めた2組のオーナーさんにも話を聞いてきました。
まず1組目は、1階でカフェ、2階で古着屋を営む幼馴染のふたりです。きっかけは、30歳で東京からUターンし、地元で飲食店を始めたいと思った山田さんが、同級生の駒込さんに声をかけたこと。「彼が、いつか自分で古着屋をやりたいと話していたのを思い出したんです。2人でやれたら家賃も安く済むと思いました。善光寺門前エリアは古い建物をリノベしたおしゃれな店が多いから、若い人たちが来てくれるんじゃないかなと」(山田さん)。

古い建物は山田さんが希望していたレトロポップな雰囲気によく合う。倉石さんに相談しながら、自分たちも壁を塗るなどして改装した(撮影/塚田真理子)

古い建物は山田さんが希望していたレトロポップな雰囲気によく合う。倉石さんに相談しながら、自分たちも壁を塗るなどして改装した(撮影/塚田真理子)

残置物のアイスケースが活躍。「床は知り合いの子どもがペンキのついた靴で歩き回っちゃったので、いっそ、それで行こうか、と」(撮影/塚田真理子)

残置物のアイスケースが活躍。「床は知り合いの子どもがペンキのついた靴で歩き回っちゃったので、いっそ、それで行こうか、と」(撮影/塚田真理子)

翌月の空き家見学会まで待つ時間が惜しく、MYROOMの倉石さんに直接連絡を取り、このまちでやりたいことを語ったふたり。広くて2店舗を仕切れそうな建物を3件紹介してもらい、最初に見たこの2階建ての建物に決めました。
「築70年以上ですかね。昔はそば屋さんだったようですが、物置状態で。住まいだった2階は床が割れていたりして、正直いうと最初はピンときませんでした。でも、1階と2階で店が分けられるのはいいなと思ったし、原状回復不要で好きなようにリノベーションできるから、自分たちの世界観がつくりやすい。MYROOMさんが手がけたほかのリノベ物件もおしゃれだったので、そのままお願いすることにしました」(山田さん)。

費用を抑えるため、自分たちでタイルを貼ったり壁を塗ったりしたことも、愛着が湧く要因に。ちなみに、上の写真のアイスケースは残置物。「これが使えたのもよかった。店でかき氷を出したかったので、アイスストッカーとして大活躍しています」(山田さん)

カフェを通り、奥の階段で2階へ。天井が低いので頭上に注意(撮影/塚田真理子)

カフェを通り、奥の階段で2階へ。天井が低いので頭上に注意(撮影/塚田真理子)

かつて押入れだったところも活用してディスプレイ(撮影/塚田真理子)

かつて押入れだったところも活用してディスプレイ(撮影/塚田真理子)

「地元の成人式で『自分の店を持ちたい』とスピーチしたのを大ちゃん(山田さん)が覚えていてくれて、声をかけてくれたから独立に踏ん切れました」と駒込さん(写真撮影/塚田真理子)

「地元の成人式で『自分の店を持ちたい』とスピーチしたのを大ちゃん(山田さん)が覚えていてくれて、声をかけてくれたから独立に踏ん切れました」と駒込さん(写真撮影/塚田真理子)

敷金・礼金は1カ月ずつ、改装費は1階が500万円、2階が100~200万円ほどかかりました。「家賃は1棟で6万円なので、3万円ずつ。コロナ禍には、なにより固定費が低いことのありがたみを痛感しました」とふたりは声をそろえます。

2018年春に2つの店がオープンしてはや5年。その間、同じ通りには革小物の店、美容室、イラストレーターによるTシャツの店など、同様に空き家を活用した店が次々とオープンしています。「昔から商売しているお隣の店主さんに、最近若い人たちが歩くようになってきたねと言われました。歩いてあちこち店をめぐれたら楽しいし、まちもにぎわいますよね」

3階建ての団地の一室がおしゃれな焼き菓子店にHEIHACHIRO BAKE SHOPオーナーの小渕哲さん。戸隠から車で40分ほどかけて毎日通勤している(撮影/塚田真理子)

HEIHACHIRO BAKE SHOPオーナーの小渕哲さん。戸隠から車で40分ほどかけて毎日通勤している(撮影/塚田真理子)

2019年、築50年ほどの元NTTの社宅だった団地の一室にオープンしたのが、「HEIHACHIRO BAKE SHOP」です。店主の小渕哲さんは、スキー場がある山のリゾート、長野市戸隠で妻とともに焼き菓子店を営んでいましたが、長野市のまちなかにも出店したいと考え、ネットで情報を収集。
「まちづくりにも興味があって、数年前には空き家見学会にも参加したことがあったんです。そのときから、店というのはまちをつくる大事な要素なんだなと考えていました」

MYROOMの倉石さんとも面識があったことから、事業計画書を持参して相談してみることに。そこで紹介してもらったのが、このCAMPiT本郷団地でした。

「駐車場が6台確保できたことが決め手になりました。ここ長野市三輪は門前エリアから車で6~7分と少し離れた住宅街で、調べてみると市内でもかなり人口が多い。地域のお客さまに日常的に利用してもらえたらと思ったのです」

信州大学とのプロジェクトで既に完成していたというウッドデッキ。天気がいい日はパラソルとベンチを設置。ここで焼き菓子を食べることもできる(撮影/塚田真理子)

信州大学とのプロジェクトで既に完成していたというウッドデッキ。天気がいい日はパラソルとベンチを設置。ここで焼き菓子を食べることもできる(撮影/塚田真理子)

もとの間取りは3LDK。「完成させてから入居者を募集するのではなく、住み手や使い手の想いに合わせて自由に使えるようにしたい」という倉石さんの考えから、内装や設備はあえて改装しないまま残されていました。
リノベーションは、雑誌の写真など小渕さんが好きなテイストを提示して、倉石さんやMYROOMの施工担当者と相談しながらつくり上げました。水回りなどは移動させたため、配管工事などに費用がかかったといいます。リノベーションとの総額はおよそ800万円。
現在、この団地にはHEIHACHIRO含め4つの店舗と会社が入っていて、ほかに住宅としても活用されているそうです。

床は工事現場で使っていた足場材を再利用。古道具店で購入した棚に焼き菓子を陳列している。人気はマフィンとスコーン(撮影/塚田真理子)

床は工事現場で使っていた足場材を再利用。古道具店で購入した棚に焼き菓子を陳列している。人気はマフィンとスコーン(撮影/塚田真理子)

さらに小渕さんは、HEIHACHIROの経営が軌道に乗ったころ、かねてからやってみたかったドーナツ店の開業に取り掛かります。善光寺門前エリアにより近い立地で空き家がないか倉石さんに相談したところ、ちょうどR-DEPOTを立ち上げるべく、長野市西後町の元NTTのビルを改装中だったタイミング。
「ビルの離れのようなところに、倉庫だったのか、守衛さんがいたところなのか、6.5坪ほどの空間があったのです。この辺りは官公庁に近く人通りもあるうえ、R-DEPOTにはさまざまな企業も誘致していて、集客も望めそう。そこで、テナントのようなかたちで入居させてもらうことにしました」(小渕さん)。

左がR-DEPOT、右が小渕さんのドーナツ店「LAGOM DOUGHNUT & DRINK(ラーゴム ドーナツアンドドリンク)」(撮影/新井友樹)

左がR-DEPOT、右が小渕さんのドーナツ店「LAGOM DOUGHNUT & DRINK(ラーゴム ドーナツアンドドリンク)」(撮影/新井友樹)

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

こちらはどこか路地裏風の、趣のあるロケーションが魅力。厨房設備を入れてドーナツを製造、窓越しに販売するスタイルです。
長野駅と善光寺を結ぶ中央通りから1本入ったところですが、中央通りと比べると家賃は1/3くらいに抑えられているとか。平日はサラリーマン、週末は観光客と、客層は違うものの日中は常に人の流れがあり、気軽にドーナツを買い求める人の姿でにぎわっています。
「ここ(NTT)で昔働いていたとか、団地の焼き菓子店の方は昔住んでいたとか、そういうお客様も来てくださって、懐かしがってくださるのがうれしいです」

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

路地裏感があってなんだかワクワクする店構え(撮影/塚田真理子)

“まちづかい”の拠点、R-DEPOTが始動R-DEPOTは2022年6月に完成。元電報局で女性の多い職場だったため、1階と3階は女性用トイレのみというのが建物の歴史を物語る(撮影/新井友樹)

R-DEPOTは2022年6月に完成。元電報局で女性の多い職場だったため、1階と3階は女性用トイレのみというのが建物の歴史を物語る(撮影/新井友樹)

最後に、倉石さんが設立した新拠点「R-DEPOT(アールデポ)」について話をうかがいました。R-DEPOTがあるのは、長野駅と善光寺のほぼ中間地点に立つ築50年ほどの3階建てビルで、元NTTの電報局だったところ。5年以上使われていなかったこの建物を一棟丸ごと借り、「移住創業、まちづかいの拠点」というコンセプトのもと活動をスタートしました。

1階は、R-DEPOTが運営する古道具店とカフェ、オフィス。2・3階は、クリエイターやIT企業など10社ほどに転貸しています。なかには長野県庁がサテライトオフィスとして入居して仕事をしていたり、NHK長野放送局がサテライトスタジオとして1階ショップ横で「善光寺monzen studio」と題するテレビ・ラジオの放送も行っていたりしています。

味のある家具や食器などが並ぶR-SHOP(撮影/新井友樹)

味のある家具や食器などが並ぶR-SHOP(撮影/新井友樹)

1階の古道具店「R-SHOP」は、取り壊される建物からレスキューした家具や雑貨などを、次の使い手につなげるための場所。奥には古材のストックルームもあり、リノベーションの際に再利用したりしています。
「たとえば食器も、お祝いのときやお客さんが来たときに使って、またちゃんと保管しておいたような、とっておきのものもあるんです」と倉石さん。代々大切に受け継がれてきたものは、これからも想いを引き継ぎながら使ってほしい。1階は誰でも利用もできるので、ふらりと立ち寄って、気軽に手に取ってみられるのもいいですよね。

この建物と出会ったとき、「新しい拠点にできたらいいな」とインスピレーションがわいたという倉石さん(撮影/新井友樹)

この建物と出会ったとき、「新しい拠点にできたらいいな」とインスピレーションがわいたという倉石さん(撮影/新井友樹)

たとえばこの家具のタイトルは「Rがチャーミングなタンス」。どこから、いつレスキューしてここに来たのかも、商品の魅力とともに伝えている(撮影/新井友樹)

たとえばこの家具のタイトルは「Rがチャーミングなタンス」。どこから、いつレスキューしてここに来たのかも、商品の魅力とともに伝えている(撮影/新井友樹)

カフェも併設。ちなみに、上で紹介した「LAGOM」のドーナツをカフェに持ち込むこともできる(撮影/新井友樹)

カフェも併設。ちなみに、上で紹介した「LAGOM」のドーナツをカフェに持ち込むこともできる(撮影/新井友樹)

一角にはカフェもあります。移住相談をしたい人、新しく事業を始めたい人など、お茶を飲みながらコミュニケーションの入り口になれば、と考えたからです。

R-DEPOTでは移住者交流会も開かれています。既に移住した人、これから移住を考えている人ともに参加でき、先輩移住者からの経験談やアドバイスが聞ける座談会のようなもの。具体的な補助金の話や、移住創業情報、まちのおすすめスポットなども教えてもらえます。

長野駅前で65年ものあいだ営業し、昨年惜しまれつつ閉店した喫茶店の什器なども引き取っている(撮影/新井友樹)

長野駅前で65年ものあいだ営業し、昨年惜しまれつつ閉店した喫茶店の什器なども引き取っている(撮影/新井友樹)

上階にはシェアオフィスやコワーキングスペースも。移住創業を始めた人、地元企業、入居者、R-DEPOTスタッフなどが交流し、仕事につながるきっかけづくりをめざす(撮影/新井友樹)

上階にはシェアオフィスやコワーキングスペースも。移住創業を始めた人、地元企業、入居者、R-DEPOTスタッフなどが交流し、仕事につながるきっかけづくりをめざす(撮影/新井友樹)

キャンプを思わせるパブリックエリア。休憩に使うほか、クリエイターがポップアップイベントを行うことも(撮影/新井友樹)

キャンプを思わせるパブリックエリア。休憩に使うほか、クリエイターがポップアップイベントを行うことも(撮影/新井友樹)

さらに、空き家にまつわるさまざまな取り組みが、R-DEPOTを拠点にスタートしています。長野市の認定事業として始まった「まちの家守(やもり)事業」も、新しい試み。
「空き家を貸したい人と借りたい人をつなぐウェブサイト『まちの掲示板』をつくります」(倉石さん)。まちに引き継ぎたい空き家のストックと、まちで始めたい事業を、サイトでPRできます。
物件については、かつてどのように使われていたか、地域の中の位置付け、改修はいくらくらいかかりそうか、といった話を。事業希望者はどんなマーケットがあって、売り上げはいくらくらい望めそうか、ということを相談できるといいます。

そのなかから、ストック1物件、事業者1組をピックアップして紹介する「まちの寄合会議」を公開開催します。これは、不動産会社、デザイン会社、経営コンサル、金融機関、創業者OBなどがガイドとして参加する、2日間のユニットワーク。
「現地調査やデザインワーク、事業計画など、これまで事業者が自分でやらなくてはならなかったこと、MYROOMが時間をかけてサポートしてきたことを、2日でまとめて、みんなで考えて共有しようという企画です。成約するかどうかは、別の話。お互いにこんなはずじゃなかった、というのを防いで、事業、建物、地域、3つの価値が高まることが狙いです」と倉石さんは話します。

このほかにもR-DEPOTではさまざまなイベント、相談会などが定期的に催されていて、たくさんの交流が生まれています。もちろん、空き家見学会も継続中です。

R-DEPOTの窓も楽しい掲示板。思わず立ち止まって読んでしまう(撮影/新井友樹)

R-DEPOTの窓も楽しい掲示板。思わず立ち止まって読んでしまう(撮影/新井友樹)

取材を通して、「この取り組みは、お見合いのようなもの」という倉石さんの言葉が印象に残りました。入り口はネットでも、顔を見せあって名乗るところが最初のスタートライン。自分の希望だけではダメで、縁やタイミングもあるでしょう。倉石さんたち経験を持った人が仲人になって、お互いに知る期間を設けることも大切。
物件単体の仲介では決してなく、あくまでも“まちを引き継ぐ関係づくり”に重きを置いていることがわかります。
まちなかにR-DEPOTという拠点があることで、建物とまちの魅力が伝わって、それを引き継ぎたい人にバトンを渡せる。結果として楽しい“まちづかい”が実現していくことに、思わず心が躍るようでした。

●取材協力
MYROOM
R-DEPOT
POLKA DOT CAFE
COMMA
HEIHACHIRO BAKE SHOP
LAGOM DOUGHNUT & DRINK

内窓DIYで室温10度も断熱できる省エネ対策。ホームセンターで買えるお手軽キットでも可能

「夏暑く、冬寒い」「結露ができて不快」、こうした住まいの問題を解決するには、どうやら「窓」の改修がいいらしい、ということが知られるようになりました。とはいえ、どのくらい効果があるの?DIYで手軽にできない?などの疑問はつきないはず。そうした疑問や悩みを解消してくれる「断熱改修はじめの一歩」ワークショップが長野県で開催されました。子どもも参加OK、ホームセンターで買える簡易的な内窓キットと最低限の工具だけを使って内窓のDIYをしよう! という一見お手軽な内容にも関わらず完成した内窓をつけたところ、なんと10度も表面の温度差が生まれるという驚きの結果に。その様子をレポートします。

内窓をDIYで自作してみたい!長野県全域から希望者殺到!

「断熱改修はじめの一歩」という講演会とDIYワークショップが開催されたのは、長野県上田市。二部構成で、一部は断熱推進イニシアチブ合同会社の木下史朗さんによる講演、現役の建具職人でもある有限会社クボケイの窪田智文さんのミニレクチャー、二部は市販されている内窓キットを使ってのDIYワークショップというもの。主催は長野県上田地域振興局で、運営にあたるのがNPO法人上田市民エネルギーです。

近年、内窓をDIYで作成できる「内窓キット」がホームセンターなどで購入できるようになっています。今回のワークショップではこの「内窓キット」を用いて、建具職人を講師に招いて、内窓を実際につくるという試みです。ちなみに、必要な道具は差し金や鉛筆、カッターなどの身近なものばかり。DIYの心得がなくとも誰でもできるといいます。

一部の講演会には上田市在住の方だけでなく、長野県内各地から約60名が参加し、二部のワークショップの定員20名はわずか数日で満員になったとか。想像以上の関心の高さに圧倒されますが、長野県上田市は冬の寒さはもちろん、夏はびっくりするほど暑くなるそう。

「全国的に暑かった2023年ですが、上田では全国最高の38.4度を記録したこともあるほど。とにかく夏は暑いんです。さらに冬は寒いため、二酸化炭素削減にも健康面でも、建物の省エネ性能向上が必須なんです」と話すのは上田市民エネルギーで理事長を務める藤川まゆみさん。

長野県はこうした自然の厳しさを背景に、住まいや建物の省エネルギー性向上を推進しており、上田高校や白馬高校など複数の県立高校で高校生が企画運営する断熱ワークショップを支援しています。また、こうした学生の断熱に関する取り組みがニュースになることも多く、それを見聞きした保護者をはじめ、一般世帯にも関心が広がっているようです。すばらしい流れですね。

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断熱改修の初心者に向けて。講演会でしっかりと知識を身に付ける!

まず一部は「断熱改修はじめの一歩」と題して、断熱推進イニシアチブの木下史朗さんが、自宅のサーモグラフィ画像をあげつつ、自宅や軽井沢の高性能賃貸「六花荘」を建てたこと、軽井沢の空き家を性能向上リノベさせたエピソードを紹介。

木下さんが断熱に目覚めるきっかけとなった家の寒さ。室内だが窓枠の表面温度は1度(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

木下さんが断熱に目覚めるきっかけとなった家の寒さ。室内だが窓枠の表面温度は1度(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

高性能賃貸「六花荘」をサーモグラフィカメラで撮影。もっとも冷たいのは牛乳。室温は20度程度に保たれており、裸足でも大丈夫な暖かさに(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

高性能賃貸「六花荘」をサーモグラフィカメラで撮影。もっとも冷たいのは牛乳。室温は20度程度に保たれており、裸足でも大丈夫な暖かさに(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

木下さんが実際に性能向上リノベをした物件。改修前はUa値0.94でしたが改修後は Ua値0.28と大幅に性能向上(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

木下さんが実際に性能向上リノベをした物件。改修前はUa値0.94でしたが改修後は Ua値0.28と大幅に性能向上(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

加えて、日本の既存住宅のうち、1999年の省エネ基準(2025年義務化予定)に達しているのがわずか1割程度しかないこと、建築物が断熱されていないため多くのエネルギーを無駄にしていること、断熱性能をあげるにはまず「窓」が大切であることを説明していきます。実体験+データを交えての話はリアリティがあるうえ、建築士ではなく、ひとりの住まい手としての体験から得た話となっており、非常にわかりやすいものとなっていました。

また、現在は「先進的窓リノベ事業」「長期優良住宅リフォーム推進事業」「信州健康ゼロエネ住宅(リフォーム)」といった助成制度があること、省エネ性能が高いものほど補助額が高いこと、今ある窓の内側にもう一枚窓をつくる工法、今ある窓枠を壊さず新しい窓に交換する工法があることなども紹介されていました。

上田高校の断熱改修ワークショップの施工前

上田高校の断熱改修ワークショップの施工前と施工後(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

上田高校の断熱改修ワークショップの施工前と施工後(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

断熱材を入れたところはオレンジで15度になっているが、入っていないところは紫色で7.6度。表面の温度差7.4度!(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

断熱材を入れたところはオレンジで15度になっているが、入っていないところは紫色で7.6度。表面の温度差7.4度!(画像提供/断熱推進イニシアチブ)

参加者には子育て世帯が多いのかと思いきや、年配世代も多数参加していました。築年数が経過した住まいは無断熱、または断熱性の低い住まいが多いので、当たり前といえば当たり前かもしれません。講演のあとには、断熱材の主な材質とその特徴の違いについての質問が飛び出すなど、講演者・参加者のみなさんの本気度合いに圧倒されます。

建具職人によるDIYのコツ。成否の鍵を握るのは採寸と裁断

その後、二部でも登場する現役の建具職人・窪田智文さんが登壇し、ホームセンターで販売されている内窓キットを使って内窓を作成するコツを話してくれました。窪田さんは2012年の技能五輪全国大会家具部門で銅メダルに輝き、現在でも建具と家具を担当する現役の建具職人です。今までも上田高校などの断熱ワークショップを手伝っているそうですが、地元にこうしたトップクラスの職人さんがいて、協力を得られるのは大変貴重です。

窪田さんによるDIYのミニレクチャー。みなさん熱心にメモをとっていらっしゃいます(写真撮影/嘉屋恭子)

窪田さんによるDIYのミニレクチャー。みなさん熱心にメモをとっていらっしゃいます(写真撮影/嘉屋恭子)

窪田さんによると、ホームセンターでも内窓のDIYキットの取り扱いは増えているとのこと。DIYキットの内容は(1)窓枠に貼るレール、(2)サッシにあたるフレームのセットで、価格は2000~4000円程度。これに加えて、窓ガラスに相当するポリカーボネートを購入し、1窓約1万円程度でできるそう。

既存の窓に加えて、内窓を1枚つけると空気層ができます。空気は熱を伝えにくい性質をもっているため、冬は暖かく、夏は涼しくなる、これが内窓での断熱性が向上する理由です。
内窓のDIYを成功させるにはいくつかコツがあるそうですが、要約すると以下になります。

(1)既存の窓枠をしっかり採寸する
・定規はしっかりした材質で、まっすぐ良いものを使う
・レーザー計測器もあるが、自分でもしっかり確認を
・幅や高さだけでなく、真ん中の高さ、斜めもしっかり測る
(築年数が経過した物件はたわんでいることがあるため、たわんでいたら要補正)

(2)窓にあたるポリカーボネート板をまっすぐ裁断する
・ポリカーボネート板を、計測したサイズどおりに、まっすぐ切ること
・一度に切ろうとするのではなく、表面に筋をつけていき、徐々に裁ち落とす
・自分で切るのが難しい人はホームセンターのカットコーナーで依頼するとよい(ホームセンターにもよるが、1カット100円以内)

また、窓が大きいほど採寸・裁断が難しくなるため、まずは小さな窓からはじめてみて、成功したら次の窓をすすめるとよい、とアドバイスしていました。

温度差10度! 部屋の体感はぐっと暖かくなった

そしていよいよ二部のワークショップへ。今回は上田地域振興局が入る上田合同庁舎3階の会議室の内窓合計14枚を作り、その後も使っていく計画です。市民参加で公共建築物の断熱性が向上できるのは、とても有意義な取り組みですよね。何しろ(1)ワークショップの場として活用でき、(2)設計施工費用を抑えることができる、(3)建物の省エネ性能が高まる、(4)内窓を知らなかった人も目にすることができ、興味が湧く、など一石四鳥にもなるからです。

講師となる窪田さんに加え、木下さん、小さなお子さんはもちろん、高校生、大人など幅広い世代の参加者がいっしょに作業をしていきます。まずは安全のためにラジオ体操を行いますが、同じ空間で体操をするとぐっと気持ちの距離が縮まり、和やかな雰囲気になります。

また、SUUMOジャーナル編集部員も人生初のDIY体験で参加しましたが、「取材じゃなければ、人生で一度もDIYをしないと思う」というタイプだそう。興味はあるものの、なかなか腰が重い。これは、多くの人が同じ気持ちになるのではないでしょうか。

そんなDIYスキルも事情も異なる参加者が力を合わせ、完成したのが14枚の内窓です。まずは完成したところからご覧ください。下の写真でいうと、右の白枠が設置した内窓、左の結露しているのが既存の窓です。

窓にさわって温度の違い感じるお子さん。既存の窓は冷たく結露していますが、内窓はひんやりとせず温かい!(写真撮影/嘉屋恭子)

窓にさわって温度の違い感じるお子さん。既存の窓は冷たく結露していますが、内窓はひんやりとせず温かい!(写真撮影/嘉屋恭子)

完成した14枚の内窓をはめこんだ様子。内窓と既存の窓、その表面温度差10度にも(写真撮影/嘉屋恭子)

完成した14枚の内窓をはめこんだ様子。内窓と既存の窓、その表面温度差10度にも(写真撮影/嘉屋恭子)

内窓をつけたところ。サーモグラフィカメラで撮影すると17度と温かくなっています(写真撮影/嘉屋恭子)

内窓をつけたところ。サーモグラフィカメラで撮影すると17度と温かくなっています(写真撮影/嘉屋恭子)

既存窓を撮影するとなんと7度。そばによるとひんやりとした冷気を感じます(写真撮影/嘉屋恭子)

既存窓を撮影するとなんと7度。そばによるとひんやりとした冷気を感じます(写真撮影/嘉屋恭子)

取材日は最高気温5度、外はみぞれ交じりの天気でしたが、内窓はつけるとその表面温度は17度に。手のひらでさわるとより温かさを実感します。約2時間でここまででき、さらに直後で冷やされていないとはいえ表面温度にこんな変化があるとは。まさに感動!のひとことです。

内窓DIYするなら、ホームセンターのカットサービスを活用すると簡単に!

ここであらためて、どのようなプロセスで進められていったのか紹介します。

<使う道具>
内窓キット 14枚分
ポリカーボネート板 14枚分
軍手、差し金、鉛筆、カッターなど

<ワークショップの流れ>
(1)窓レールにあたるパーツの切り落とし
(2)窓レールにあたるパーツを貼る
(3)フレームパーツを切り落とし
(4)ポリカーボネート板を切り落とす
(5)フレームをはめ、フィルムを剥がす
(6)完成した窓を窓枠にはめる

こうしてみると、特別な道具は使わず、材料を切断して貼ったり、枠にはめていったりと、難しい作業はしていません。ただ、やっぱりそこは初対面の人との共同作業になるので、談笑しつつ手探りで作業を進めていきます。

(1)指示にしたがって窓枠になるパーツを指定のサイズに裁ち落とす(写真撮影/嘉屋恭子)

(1)指示にしたがって窓枠になるパーツを指定のサイズに裁ち落とす(写真撮影/嘉屋恭子)

(2)カットした窓枠を両面テープで貼って固定しているところ(写真撮影/嘉屋恭子)

(2)カットした窓枠を両面テープで貼って固定しているところ(写真撮影/嘉屋恭子)

既存の窓枠の手前、白い樹脂が貼り付けた内窓のレール部分になります(写真撮影/嘉屋恭子)

既存の窓枠の手前、白い樹脂が貼り付けた内窓のレール部分になります(写真撮影/嘉屋恭子)

(4)ポリカーボネート板を規定のサイズに裁断していきます(写真撮影/嘉屋恭子)

(4)ポリカーボネート板を規定のサイズに裁断していきます(写真撮影/嘉屋恭子)

カットできたポリカーボネート板にフレームをはめこんでいきます(写真撮影/嘉屋恭子)

カットできたポリカーボネート板にフレームをはめこんでいきます(写真撮影/嘉屋恭子)

最後にフィルムを剥がして完成(写真撮影/嘉屋恭子)

最後にフィルムを剥がして完成(写真撮影/嘉屋恭子)

白いフレームがDIYで作った内窓です。1面ですが、達成感と充実感が湧き上がります(写真撮影/嘉屋恭子)

白いフレームがDIYで作った内窓です。1面ですが、達成感と充実感が湧き上がります(写真撮影/嘉屋恭子)

参加されたみなさんに感想を聞きましたが、「実際にできるか不安だったが、楽しかった」「プロの技がすごいなと思った」などの感想が。なかには「DIYはあきらめてプロに依頼しようと思いました」「ホームセンターで切断してもらって、はめるだけならできるかも」との声も。確かにホームセンターで「裁断」までしてもらえていれば、ぐっと家庭でも取り入れやすいと思いました。

筆者は窪田さんのキズをつけないコツ、四隅のサイズを少しずつ調整していく仕事の確かさ、身のこなしなどが印象に残りました。なかなか見られない建具職人の仕事ぶりは、まさに眼福です。

さらに今回、DIY初体験だった編集部員はDIYに開眼したらしく、黙々とポリカーボネート板を切り落としていました。「無心になれていい。モノをつくる達成感がふつふつと湧いてくる」とのこと。DIYは無縁と思っていても、目の前で一つの形になっていく、クリエイトする喜びはやっぱり人の心に訴えかけるものがあるようです。

主催した長野県上田地域振興局環境課の上原さんによると、企画の背景を「地球温暖化対策として、やはり窓がよいということを聞いて、今回のワークショップを企画しました。想像以上に反響があり、関心の高さを実感しました。また、実際に手を動かすなかで得られたものは大きいですし、何よりみなさん進むとにこにこしてらして。身近なところから環境負荷を減らすとともに、住まいが快適になればうれしいですね」と話していました。

今回の講演とワークショップ、大きな反響もあったようなので今後、上田だけでなく、長野県全域に広がっていくかもしれません。こうした「断熱改修」の流れが、日本全国の津々浦々に広がっていったらいいのに、そう願わずにはいられません。

●取材協力
・長野県上田地域振興局環境課
・NPO法人上田市民エネルギー
・断熱推進イニシアチブ
・有限会社クボケイ

サラリーマン30代コンビ「週末縄文人」、石斧や土器から竪穴住居まで手づくり。文明ゼロからスタート、人気YouTuberの縄文ぐらしに密着

「現代の道具を使わず、自然にあるものだけでゼロから文明を築く」。そんなテーマで週末、山に籠り、縄文生活を実践してYouTubeで発信する「週末縄文人」。膨大なエネルギーと時間をかけ、竪穴住居までつくり上げた二人には、高度なテクノロジーに支えられた現代の住まいや暮らしはどのように見えているのでしょうか。縄文生活は、現代の生き方にも変化をもたらしたのでしょうか。山の中の活動拠点にお邪魔して話をうかがってきました。

スーツ姿がトレードマークの週末縄文人。縄さん(左)は学生時代、ワンダーフォーゲル部に所属し、多くの時間を山で過ごしていたという。1991年秋田生まれ。文さん(右)は幼少期、アメリカ・ニュージャージー州やアラスカ州で暮らしていた経験をもつ。1992年東京生まれ(写真撮影/嶋崎征弘)

スーツ姿がトレードマークの週末縄文人。縄さん(左)は学生時代、ワンダーフォーゲル部に所属し、多くの時間を山で過ごしていたという。1991年秋田生まれ。文さん(右)は幼少期、アメリカ・ニュージャージー州やアラスカ州で暮らしていた経験をもつ。1992年東京生まれ(写真撮影/嶋崎征弘)

平日サラリーマンであり、週末縄文人というおもしろさ

二人が配信するYouTubeチャンネル「週末縄文人」は現在、登録者数13万人超。8月には初の著書『週末の縄文人』(発行:産業編集センター)を上梓し、話題を集めています。そんな彼らの正体は、ふだんは東京に暮らし、映像制作会社で働くサラリーマン。YouTubeは会社に内緒でスタートしたため、それぞれ顔に「縄」「文」のモザイクをつけて活動しています。

縄文生活を始めたのは、必死に働いている仕事が果たして人や社会の役に立っているのだろうか?と心にモヤモヤを抱えていた文さんが、同期入社の縄さんに「山で遊ばないか」と声をかけられたことがきっかけ。大学時代、ワンダーフォーゲル部にいた縄さんは、映像制作の仕事で「文明が崩壊したらどうなるか」というサバイバル映像を制作したいと考えていたものの、企画が通らず、自分たちでやってYouTubeで発信しようと提案します。
そこで、「どうせ文明を築くなら歴史の教科書に最初に出てくる縄文時代まで遡り、現代の道具を一切使わないところからやってみよう」と、二人で「週末縄文人」を結成。縄さんと文さんのとてつもない冒険がスタートしたのです。

それにしても、現代のサラリーマンが、教科書の一ページ目のような縄文生活を送ったら、現代の暮らしは一体どんなふうに目に映るのでしょう。住まいに求めることは変わったのでしょうか。たくさんの困難が待ち受ける縄文の暮らしを体験して、きっといろいろな発見や心境の変化もあったはず……。とある日の活動を見せてもらいながら、お話をうかがってみました。

縄文人がやっていたであろうことを実践。ひたむきに向き合うその過程が見られることに視聴者はワクワクする(写真撮影/嶋崎征弘)

縄文人がやっていたであろうことを実践。ひたむきに向き合うその過程が見られることに視聴者はワクワクする(写真撮影/嶋崎征弘)

秋まっさかりの週末、取材チームが訪れたのは、長野県某所の山の中。生い茂るススキの間にある小道を通り抜けると、開けた小さな広場のような空間が現れ、そこで野焼き(焚き火で土器を焼くこと)が行われていました。
活動拠点にしている場所は、知り合いのツテで借りている土地。縄文時代の住まいである竪穴住居(竪穴式住居)を建てることを目的に、「平坦で、石ころがなく、砂っぽくないところ」を条件に探したのだそうです。面積は0.5ヘクタール(約5000平米)と広大、まわりに人家はありません。
ちなみに、広場に来るまでに通ってきたススキの小道は二人がつくったのではなく、行き来するうちに自然と道のようになったのだとか。「目的があれば道はできます」。早速深い言葉が飛び出します。

起こした火のまわりに土器を並べて乾燥させ、熾火(おきび)になったところでその上に直接土器を置く。このあと薪をくべて火力を上げ、本焼きに入る。円錐形に尖った「尖底(せんてい)土器」は縄文時代にはメジャーなもので、今回が初挑戦(写真撮影/嶋崎征弘)

起こした火のまわりに土器を並べて乾燥させ、熾火(おきび)になったところでその上に直接土器を置く。このあと薪をくべて火力を上げ、本焼きに入る。円錐形に尖った「尖底(せんてい)土器」は縄文時代にはメジャーなもので、今回が初挑戦(写真撮影/嶋崎征弘)

火にくべられていたのは、土器7、8、9号(粘土に戻ったものも含めこれまで1~6号までつくっている)と、“縄文茶道”のための茶碗2つ。縄文茶道とは二人の造語で、文さんは実際に茶道の経験もあるそうです。この茶碗でお茶を点てたらさぞかしおいしいのだろうな、と妄想が広がります。

この野焼きの段階に来るまでに、果てしない時間がかかっています。まず粘土づくりに丸2日。知り合いの土地から粘土質の土を採取してきて、小石やゴミを取り除きます。その後3~4日かけて捏ね、粘りが出たらようやく粘土が完成。成形するのに1日、文様を入れるのに1~2日。さらに水漏れを防ぐために内側を磨き、3週間ほどかけてゆっくり乾かしていきます。もちろんすべて手作業です。こうした作業ができるのも週末だけ。ゆえに、今回の土器づくりは実に2カ月ほど前から始まっていたといいます。

2カ月かけてつくった縄文土器をいよいよ野焼き。成功を祈る!

これまで何度となく失敗してきた土器づくり。工数が多いため原因がつかめず、懇意にしている考古博物館の館長にわずかな手がかりをもらい、実践を積み重ねてここまで進化してきました。その館長いわく、「自分は答えを知ってしまっているからもう失敗することはできない。君たちは失敗できるからおもしろい。失敗できるということは財産なんだ」。些細なヒントをもとに考え、知恵を絞り、工夫しながら答えを見つけていく。失敗の中にこそ大きな発見があり、そしてそれは土器に限らず、すべてのものに当てはまることなのでしょう。

果たして、今回の野焼きは無事成功するのでしょうか。今日初めてここに来た取材チームも、成功を祈る気持ちで見守ります。

縄文生活の第一歩である火起こしも、もちろん自然にあるものだけを使って行う。今は早ければ30秒で火種がつくれるようになったが、最初は3カ月かかったという(写真撮影/嶋崎征弘)

縄文生活の第一歩である火起こしも、もちろん自然にあるものだけを使って行う。今は早ければ30秒で火種がつくれるようになったが、最初は3カ月かかったという(写真撮影/嶋崎征弘)

落ちている木の枝を集めてきては、火にくべていく(写真撮影/嶋崎征弘)

落ちている木の枝を集めてきては、火にくべていく(写真撮影/嶋崎征弘)

土器の運命は、すべてこの火の中に……(写真撮影/嶋崎征弘)

土器の運命は、すべてこの火の中に……(写真撮影/嶋崎征弘)

自分の手で自分の暮らしをつくる、その豊かさに気づいた

焼き始めて1時間近く経ったころ、「パァン!」と不穏な爆発音が。もしや、7~9号土器あるいは茶碗が割れた音だろうか……? 不安を隠せない取材チームでしたが、二人は倒れ込みながらも気を取り直して声を掛け合い、ポジティブにお互いを励まし合っています。

ここまで時間と手間をたっぷりかけてつくった、愛着のかたまりのような土器。それが割れてしまったときの気持ちは、計り知れません。失敗の原因を分析して、工夫して次につなげる、できるようになるまでやる、その原動力はどこから来ているのでしょう。そしてこうした体験を経て、見えてきたことはあったのでしょうか?

土器が赤く輝きだしたら焼き上がりのサイン。少しばかりの亀裂が入っていても、めげない(写真撮影/嶋崎征弘)

土器が赤く輝きだしたら焼き上がりのサイン。少しばかりの亀裂が入っていても、めげない(写真撮影/嶋崎征弘)

「文が『原始からやろう』と言ってくれて始まった縄文人生活。それは、『自分の手で自分の暮らしをつくること』だったんです」と縄さん。それまでほかの動物と変わらなかった人間が、最初に編み出した発明は、現代にも続く暮らしの基礎の基礎。文明の原点である火起こし。水が汲めて、煮炊きができる土器。布を縫える糸と針。木を切れる石斧……。「革新的な発明ですよね。そのひとつひとつ、できなかったことを少しずつできるようになる。発明した縄文人に想いを馳せ、できたときの達成感を存分に味わっています」。その過程の苦しみを超えるほど、達成したときの喜びが大きいのだなあと感じます。

文さんも、「自分の手で自分の暮らしをつくる“豊かさ”に気づきました」と言います。「料理をするとか、安全に暮らすとか、命をつなぐための本質的なことは、縄文時代も現代の暮らしも同じ。日々の営みを自分でちゃんとすることで豊かな気持ちになれると知って、東京に戻ったときも、野菜を買ってきて料理しようとか、シーツを週1回は洗おうとか、少し丁寧に、営みに時間をかけること。そんなふうに変わってきました」

爆発して割れてしまったものは確認できたようだが、ひび割れや欠けは火が完全に消えて取り出すまではわからない(写真撮影/嶋崎征弘)

爆発して割れてしまったものは確認できたようだが、ひび割れや欠けは火が完全に消えて取り出すまではわからない(写真撮影/嶋崎征弘)

火が消え、姿を現した土器。竹で渦巻文様をつけた8号土器、右奥の7号の円筒土器は成功したように見える(写真撮影/嶋崎征弘)

火が消え、姿を現した土器。竹で渦巻文様をつけた8号土器、右奥の7号の円筒土器は成功したように見える(写真撮影/嶋崎征弘)

焼き上がったばかりの土器は言うまでもなく熱い。そんなとき文さんは、足元の草を素早くちぎって鍋つかみのように使う(写真撮影/嶋崎征弘)

焼き上がったばかりの土器は言うまでもなく熱い。そんなとき文さんは、足元の草を素早くちぎって鍋つかみのように使う(写真撮影/嶋崎征弘)

縄さんの表情が見せられないのがもったいないほど、嬉しそうな笑顔!(写真撮影/嶋崎征弘)

縄さんの表情が見せられないのがもったいないほど、嬉しそうな笑顔!(写真撮影/嶋崎征弘)

このときの縄文土器づくりの動画は「週末縄文人」のチャンネルにアップされているので、ぜひチェックしてみてください!

なにか愛らしいキャラクターにも見える、週末縄文人渾身の住まい(写真撮影/嶋崎征弘)

なにか愛らしいキャラクターにも見える、週末縄文人渾身の住まい(写真撮影/嶋崎征弘)

制作日数30日。自然にあるものだけでつくり上げた、愛すべき竪穴住居

焚き火広場の先には、二人が30日かけてつくり上げた縄文人の住まい、竪穴住居が佇んでいます。ノコギリもトンカチも釘も使わずに、自分たちで一からつくった石斧で木を切り出し、骨組みをつくり、柱と梁をつくり、大量のクマザサで覆う。
クマザサの屋根はいい感じに色褪せ、まわりの木々やススキと同化していました。

入り口には階段を、住居中央には焚き火口を設けた(写真撮影/嶋崎征弘)

入り口には階段を、住居中央には焚き火口を設けた(写真撮影/嶋崎征弘)

竪穴住居の直径は2m、広さは3.5畳ほどでしょうか。中に入らせてもらうと、想像していたよりも広く感じます。深さ50cmほど地面を掘り下げてあり、天井高は中央部分で最高1.7mくらい。立つことも可能です。座れば大人が6~7人は入れそう。穴の中に入り込んだような落ち着ける感覚があり、外よりも2度くらいひんやり。この日は秋にしては暖かかったので、それが心地よく感じられます。

「夏は涼しく、冬暖かい。静かで、最初は暗いけどだんだん目が慣れてきて見えるようになる。不思議な安心感がありますよ。これまで僕たちがつくったものの中でいちばん時間がかかったのが、この竪穴住居です。縄文時代の本物と比べたらだいぶ小ぶりですが、これが今自分たちにできる限界の大きさ。二人で力を合わせて屋根を乗せ終わったときは、今までに経験したことのない達成感がありました」と縄さんは言います。

「これまではここで夜を過ごそうと思ったら、野宿ですよね。雨が降るかもしれないし、動物も来るかもしれない。原っぱの中で寝られる場所を自分たちでつくり出せたというのは、すごい体験です」と文さん。葉っぱを敷けば、二人が寝転ぶこともできます。

この骨組みとササ葺き屋根を、現代の道具を使わずにつくったというのがちょっと信じ難い。柱と梁を結束しているのは、剥いだ木の皮(写真撮影/嶋崎征弘)

この骨組みとササ葺き屋根を、現代の道具を使わずにつくったというのがちょっと信じ難い。柱と梁を結束しているのは、剥いだ木の皮(写真撮影/嶋崎征弘)

現代の住まいと比べて、居心地はどうですか?
「現代の家が外と遮断されているのに対し、この家は外とつながっているという感覚があります。家によく現れる、小さなカナヘビが動くカサカサ、という音や、風が吹き始めて壁のクマザサが揺れる音。一瞬で風だ、とか雨が降り始めた、とわかるんです。そのセンサーがすごいんですよね」と文さん。感覚が研ぎ澄まされる感じ、確かに遮音性や気密性にすぐれた現代の家のつくりでは味わえないものです。

竪穴住居をつくったときの動画は、こちら。二人のすごさ、縄文人のすごさ、現代のテクノロジーのすごさ……いろいろと実感します。

竪穴住居とは切り離せない、火の存在クマザサを使ったのは、この近くに大量に自生していたから。住居の中で火を焚くと、屋根から煙が抜けていく(写真撮影/嶋崎征弘)

クマザサを使ったのは、この近くに大量に自生していたから。住居の中で火を焚くと、屋根から煙が抜けていく(写真撮影/嶋崎征弘)

縄さんは慣れた様子でスムーズにイン。記者はお尻をついてのけぞるようにしてやっとのことで入れた(写真撮影/嶋崎征弘)

縄さんは慣れた様子でスムーズにイン。記者はお尻をついてのけぞるようにしてやっとのことで入れた(写真撮影/嶋崎征弘)

竪穴住居で火を起こすため、野焼きで使った熾火を運ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)

竪穴住居で火を起こすため、野焼きで使った熾火を運ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)

火を焚くと、家の中の空気がたちまち循環する(写真撮影/嶋崎征弘)

火を焚くと、家の中の空気がたちまち循環する(写真撮影/嶋崎征弘)

竪穴住居には、火は欠かせない存在だといいます。家の中央には焚き火口がつくられ、先ほどの野焼きで使った熾火と拾ってきた小枝で、文さんが瞬く間に火をつけてくれました。すると、家の中がほわっと明るく照らされます。
「火があると、家も生き生きとするんです。夏は暑いと思われるかもしれませんが、空気が動くから換気ができて快適です。煙で家中がコーティングされると乾燥してカビも生えない。煙に燻されて虫も追い払えるし、獣も近寄りません」と縄さん。いいことずくめなんですね!焚き火の効力もあって、縄文時代の家は20年持つといわれているそうです。

「火があって初めて家だといえるんです。火は光になり、暖かい温もりがあり、ごはんもつくれ、燻すこともできる」(文さん)

地中50cmほどの深さが、穴の中にこもっているようで落ち着く(写真撮影/嶋崎征弘)

地中50cmほどの深さが、穴の中にこもっているようで落ち着く(写真撮影/嶋崎征弘)

骨組みや柱になる木材は、知人の山から3日かけて切り出したもの。安定した構造がつくれたのが本当にすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

骨組みや柱になる木材は、知人の山から3日かけて切り出したもの。安定した構造がつくれたのが本当にすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

自然の移り変わりを感じながら、非効率なことを楽しめる暮らし

4年目に入った縄文生活は、二人の日々の感じ方に変化をもたらしていました。
「東京での仕事が忙しくて終電帰りが1カ月続いたりすると、家と会社を往復するだけの毎日で、なんだか息苦しい。ふとまわりを見ると、確か夏の終わりだったはずなのに、もうイチョウの葉が落ちていて、冬が始まろうとしていたりする。その変化に気づかなかったことにショックを受けました。週末ここに来ると、町から山にかけて紅葉の色が変わってきて、グラデーションを感じる。デジタル時計とアナログ時計みたいな違いなのかも。環境や自然の変化にとても敏感になります」(文さん)

例えば石を磨くのも、何時間もかけて削れるのはほんの数ミリ。縄文生活の変化の速度はとにかくゆっくり、ゆっくり。
「現代の暮らしと、スピード感がなにもかも違うんです。土器を焼くのも、家をつくるのも。時間がかかることは非効率的といえますが、その分じっくり味わえるということ。各駅停車の旅みたいに」(縄さん)

研いだ石はナイフ、どんぐりはアク抜きをして食べる予定。どんぐりの煮汁はひび割れた土器の目止めにも使える。目止めは現代でも陶器をおろすとき最初にやること。縄文時代から続いていたとは……(写真撮影/嶋崎征弘)

研いだ石はナイフ、どんぐりはアク抜きをして食べる予定。どんぐりの煮汁はひび割れた土器の目止めにも使える。目止めは現代でも陶器をおろすとき最初にやること。縄文時代から続いていたとは……(写真撮影/嶋崎征弘)

血豆だらけの縄さんの手が、現代の道具を使わずになにかをつくる過酷さを物語る(写真撮影/嶋崎征弘)

血豆だらけの縄さんの手が、現代の道具を使わずになにかをつくる過酷さを物語る(写真撮影/嶋崎征弘)

石磨きに没頭すると、感性が研ぎ澄まされていくという文さん。磨き込んだ石を使った二代目の石斧は、縄文人レベルに達するものができたという(写真撮影/嶋崎征弘)

石磨きに没頭すると、感性が研ぎ澄まされていくという文さん。磨き込んだ石を使った二代目の石斧は、縄文人レベルに達するものができたという(写真撮影/嶋崎征弘)

縄文人目線で見ると、現代の文明がまぶしい!

近い将来挑戦したいことは、縄さんは「鉄をつくりたい。鉄で鍬(クワ)をつくって、田んぼを耕したい」。文さんは「衣服づくり。カラムシという植物の茎から糸をつくって布ができるんです。ただ、大人ひとり分の服をつくるのに1年くらい時間がかかると聞いたので、尻込みしてなかなか始められていません(笑)」

では、現代の暮らしから縄文生活に取り入れたいものがあるか聞いてみると、
「『まっすぐ』があったらいいなぁ。この家に、直線のものってないんです。現代の道も床も、まっすぐだからこそ快適なんですよね。まっすぐは偉大です」と文さん。確かに、自然のものは曲がっているのが当たり前。そんな縄文人目線で現代を見ると、人工物が輝いて見えてきそうです。
縄さんが欲しいものは、ひとしきり悩んだ末、「リアルに軽トラかな。遠方から土や木を運んだりするために使いたい。文明の利器ってやっぱりすごいです」

二人がおじいさんになったころ、時代がどれくらい進んでいるのだろうか、楽しみにしたい(写真撮影/嶋崎征弘)

二人がおじいさんになったころ、時代がどれくらい進んでいるのだろうか、楽しみにしたい(写真撮影/嶋崎征弘)

二人でこうして家まで建てられたのだから、リアルな暮らしでも古民家をリノベーションするとか、DIYして住むとか、そういった次のことに興味は出てきたり……?
「それは全然思わないです(笑)。その時間があったら、今の縄文人活動に使いたいので」

現代の暮らしにおいて、原点回帰したいとか、自給自足したいとかいう気持ちが芽生えたわけじゃない。そうやって一見、現代の生活とは切り離している縄文生活ですが、暮らしの本質は変わらず、1万年前から地続きでつながっていることに気づいたと二人は言います。

過酷とも思える縄文人の活動はすべて、自分たちが安全に、豊かに、幸せに暮らすために必要なこと。現代に生きる私たちはなかなか実感しにくいけれど、仕事(労働)と営みが直結していた縄文生活。
その「自分の手で暮らしをつくる」ことの尊さを身をもって知ったからこそ、二人は生きている証のようなものを日々味わい、楽しみ尽くしているように見えました。どう生きたら人生が豊かになるのか、幸せなのか。それはコスパやタイパ※では計れないものなのだと感じました。

※タイムパフォーマンス/時間対効果。かかった時間に対する満足度

この先、何十年か経っておじいさんになっても、文明をつくり出すまでこの活動を続けたいと言う週末縄文人の二人。その悠久とも思える日々を共有してもらえることを楽しみにしながら、私も今度の週末は火起こし、やってみたいな……などと思ったのでした。

●取材協力
週末縄文人
週末の縄文人

『週末の縄文人』(産業編集センター刊)

■関連記事:
縄文人さん、「竪穴住居」でどんな暮らしを送っていたんですか?

転出超過つづきの危機から一転、転入者が10倍以上に!「おしゃれ田舎プロジェクト」の勢い、長野県小諸市が移住者から熱視線

長野県東部に位置し、軽井沢にもほど近い小諸(こもろ)市。3年連続で転入者が転出者を上回り、2021年は16人増、2022年は一気に169人増、2023年は7月末時点で187人増と目覚ましい伸びを見せ、注目を集めています。その理由のひとつは、「小諸のまち歩きが楽しくなってきたから」。若い世代の人たちが出かけたくなるまちをめざしたプロジェクトの立役者のひとり、高野慎吾さんにお話をうかがいました。

小諸市役所の産業振興部商工観光課企業立地定住促進係に勤める高野慎吾さん(写真撮影/窪田真一)

小諸市役所の産業振興部商工観光課企業立地定住促進係に勤める高野慎吾さん(写真撮影/窪田真一)

小諸市は、雄大な浅間山を望む自然豊かなまち。古くは小諸城の城下町として、また北国街道の宿場町として栄え、明治~昭和初期には多くの人が集まる商都としてにぎわいました。しかしながら、時代の流れとともに人は減少。まちには空き店舗や空き家が目立つように。転出者が転入者を上回る社会減は、年間100人を超えるほどになりました。
そんな危機的状況が、ここ数年で一転。2020年からは転入者が転出者を上回る社会増が続き、今年度は200人増に近づく勢いを見せています。さまざまな要因が考えられるなか、高野慎吾さんたちが立ち上げた「おしゃれ田舎プロジェクト」の取り組みが、ひとつの鍵となっているようです。

長野県松本市出身の高野さんは、小諸市役所に勤めるいわゆる行政マン。以前は移住担当の仕事をしていたことがあり、当時移住相談に来た人に「小諸、いいところですよ」と口では言っていたものの、胸を張ってアピールできなかったと本心を明かします。「市役所の周辺にも空き店舗が多く、シャッター通り。地域に元気がないなと感じていました」
そこで2019年秋、市の職員有志で、まちを考える会を開きます。移住促進のその前に、まずは空き店舗を解消し、にぎわいのあるまちにすることが大切だと考えた高野さんたちは、「若い世代が出かけたくなるまち」をめざすことに。それが「おしゃれ田舎プロジェクト」の始まりでした。

「休みの日、小諸の人たちは上田や佐久、軽井沢に買い物に行っていたんですよね。小諸にもっと行きたくなるお店が増えれば、逆に上田や佐久、軽井沢から小諸に来てくれるようになる。車で30分の距離は、十分、商圏になり得ます」
そうしてまちに活気があふれれば、住みたいまちになるはずだ、と考えたのです。

しなの鉄道とJR小海線が利用できる小諸駅。駅前にはコンビニをはじめチェーン店は見当たらない(写真撮影/塚田真理子)

しなの鉄道とJR小海線が利用できる小諸駅。駅前にはコンビニをはじめチェーン店は見当たらない(写真撮影/塚田真理子)

メンバーは、「まちなかで商売をする商人たち」と「少数の行政マン」

「おしゃれ田舎プロジェクト」の具体的な活動内容は、田舎で開業したい人と、空き店舗をマッチングすること。高野さんはじめプロジェクトメンバーは、まちを歩いて物件情報を集めておき、開業希望者に事業内容や要望に合った物件を紹介します。

ただそれだけではありません。プロジェクトでは、お店同士、お店と地域といった横のつながりを最重視。「個」でがんばるのではなく、新規に開業する人と既に商売をしている人たちが「チーム」となって、ともに楽しみながらまちを盛り上げ、経営を軌道にのせて長く続けていく。そのためのサポートに取り組んでいます。

小諸宿が栄えた江戸、明治、大正時代の大きな商家が立ち並ぶ本町の通り(写真撮影/塚田真理子)

小諸宿が栄えた江戸、明治、大正時代の大きな商家が立ち並ぶ本町の通り(写真撮影/塚田真理子)

「おしゃれ田舎プロジェクト」のメンバーは現在18人。市役所職員は高野さんともう1人だけで、施工会社や飲食店経営者、地域おこし協力隊、地元テレビのキャスターなど、小諸で働く“まちのプレイヤー”が大半を占めます。「行政が主導でやると、つまらなく見えてしまうかなと。異動があれば引き継げなくなるし。それよりも、まちの中のプレイヤーたちに混じって課外活動的にやる方が、全力で盛り上げられると思いました」

とはいえ、市役所職員が関わっていると聞けば、開業希望者にとって安心感もあるものです。めぼしい空き店舗は所有者に電話したり、ときには呼び鈴を鳴らして賃貸のお願いをしたりするそうですが、そうした際の信頼度は行政マンの強みといえるでしょう。

新しいこと好きという小諸市長からも公認され、高野さんが「おしゃれ田舎プロジェクト」に関わることは職務の一部としてみなされています。週末に活動することも少なくないそうですが、をモットーに、「できる範囲でやる、おせっかい団体のようなものです」と高野さんは朗らかに笑います。

もちろん、高野さんらプロジェクトの仲間たちは物件をマッチングした際も手数料などは受け取らず、物件の契約は地元の不動産会社に引き継ぎ、そこで仲介業務をしてもらう形をとっています。

それでは、実際に「おしゃれ田舎プロジェクト」を通じて小諸でお店を始めた人たちに話を聞いてみましょう。

高品質な小諸の花を地域から発信したくて、花屋をオープン小諸の冬は寒いけれど、人は本当にあったかいと話す黒木さん夫妻(写真撮影/窪田真一)

小諸の冬は寒いけれど、人は本当にあったかいと話す黒木さん夫妻(写真撮影/窪田真一)

花屋「CAKES(ケイクス) ハナトコモノ」を営むのは、神奈川県から移住してきた黒木幸太さん、可奈さん夫妻。贈り物に、自分へのご褒美に、ケーキを買うように気軽に花を取り入れてほしい、という思いでつけた店名です。

花の専門学校で学び、長年花の仕事に携わってきた幸太さんは、信州の花は色のりが良く持ちがいいことを知り、現地からその魅力を発信できないかと考えました。「コロナ禍で、家で調べる時間がたくさんあって、オンラインで長野県の移住セミナーを受けたんです。その後、レンタカーで佐久市と上田市に行ってみた帰り、小諸市のことはなにも知らなかったんですけど、小諸駅を目的地にして立ち寄ってみたら、駅前に『停車場ガーデン』という緑いっぱいの素敵なガーデンがあって。まちを歩けば通りには古い家並みが残っていて、そのなかに新しいお店もできていて、肌感でおもしろそうなまちだな、と感じました」(幸太さん)

「おしゃれ田舎プロジェクト」のことはネットで知り、「どうせ移住するならおもしろい取り組みをやっているところがいいな」(可奈さん)と、小諸での開業を希望。連絡を取り、高野さんに物件を案内してもらったのです。

色とりどりの生花やドライフラワーが並ぶ。晴れの日が多く、坂があって風が抜ける小諸のまちは、ドライフラワーをつくるのにうってつけの環境だという(写真撮影/窪田真一)

色とりどりの生花やドライフラワーが並ぶ。晴れの日が多く、坂があって風が抜ける小諸のまちは、ドライフラワーをつくるのにうってつけの環境だという(写真撮影/窪田真一)

高野さんには本当によく面倒を見てもらった、と感謝するふたり(写真撮影/窪田真一)

高野さんには本当によく面倒を見てもらった、と感謝するふたり(写真撮影/窪田真一)

地域のつながりを大切に。「小諸に来てくれてありがとう」の言葉が支えに

2022年7月に小諸に移住し、9月に開業。旧北国街道沿いに立つ花屋の物件は、もともと酒屋だったところで、4年間ほど空き店舗になっていました。上下水道が使えて広さは18坪ほど。大きな植物を運ぶのに駐車場が付いているのが気に入った点です。

「高野さんは、物件をただ案内してくれるだけでなく、まちの人たちに『今度花屋を開く方たちです』と紹介してくれて。商工会議所の青年部にもつないでくださり、開業前に横のつながりができたのが本当にありがたかった」とふたりは話します。

特に「CAKES」のある与良(よら)地区は地域の結びつきが強く、古くから住む人も外から移住してきた人も、分け隔てなくお付き合いする文化があるのだそう。2~3カ月に1度開かれる「与良会」という意見交換会のような集まりにも、積極的に参加しているふたり。高野さんは物件を案内する際、そういったまちの輪に溶け込める人なのかどうかも、さりげなく見極めているといいます。

地元の花農家の規格外の花は、低価格で提供してくれる(写真撮影/窪田真一)

地元の花農家の規格外の花は、低価格で提供してくれる(写真撮影/窪田真一)

黒木さん夫妻がもうひとつ小諸でいいなと思ったのは、毎週のようにさまざまなイベントが行われていたこと。「CAKES」もマルシェなどへの出店を重ね、異業種との交流や販路の開拓につなげてきました。昨年12月には、開業3カ月にして、後述する「まちタネ広場」でクリスマスマーケットを初主催。「冬は寒さが厳しいので、どうしても人の流れが止まってしまうと聞いて。自分たちもクリスマスの雰囲気が大好きだし、冬の小諸を盛り上げたいなと企画したところ、1000人近くの方にご来場いただきました。もちろん今年も開催します。一過性のものでなく、恒例にしていけたら」と意気込みます。

「地元の人に、『小諸に来てくれてありがとう』と言われたことが、すごくうれしかった」と話すふたり。現在は「おしゃれ田舎プロジェクト」のメンバーとして名を連ね、地域の人々や新しく小諸で開業したい人たちとのつながりを深めています。

可奈さんと、山梨に住む可奈さんの兄がつくるアクセサリーも販売(写真撮影/窪田真一)

可奈さんと、山梨に住む可奈さんの兄がつくるアクセサリーも販売(写真撮影/窪田真一)

レンガ造りの建物。昔の酒屋の看板はそのまま残している(写真撮影/窪田真一)

レンガ造りの建物。昔の酒屋の看板はそのまま残している(写真撮影/窪田真一)

小諸のメインストリートに、夫婦で営むヘアサロンと量り売りショップが誕生オーガニックにこだわったヘアサロン「parte(パルテ)」と、量り売り専門店「giro by parte(ジーロ バイ パルテ)」(写真撮影/窪田真一)

オーガニックにこだわったヘアサロン「parte(パルテ)」と、量り売り専門店「giro by parte(ジーロ バイ パルテ)」(写真撮影/窪田真一)

「物件は有限だから、いい人に入ってもらいたい。まちの人たちに紹介したとき、福島さん夫妻は気が合いそうだなと感覚で思いました」と高野さんは言う(写真撮影/窪田真一)

「物件は有限だから、いい人に入ってもらいたい。まちの人たちに紹介したとき、福島さん夫妻は気が合いそうだなと感覚で思いました」と高野さんは言う(写真撮影/窪田真一)

小諸市役所の目の前に立つ3階建てビルの2階に、2022年5月、ヘアサロンとオーガニック食材の量り売りショップがオープンしました。店主は、埼玉県で9年間ヘアサロンを営んでいた福島史明さんと智恵美さんです。もともと長野県東信エリアで子どもの教育移住を検討していた福島さんは、山が近くのどかな雰囲気や、車で30分圏内に買い物施設や日帰り温泉がある小諸の住環境が気に入り、2021年、家族5人で移住。その後、サロンの物件を探す際に頼ったのが、智恵美さんがSNSで知った「おしゃれ田舎プロジェクト」でした。

「ここは小諸のメインストリート。最初は1階がいいと思っていたんですが、2階に上がってみたらスケルトンで広々、大きな窓から市役所前の公園の緑と花が見渡せて、開放的でいいなって」と智恵美さん。
リノベーションは「おしゃれ田舎プロジェクト」のメンバーである施工会社に依頼し、埼玉時代の店のテイストと同様、ぬくもりのある心地よい空間が誕生しました。

公園の緑が見える開放感が気に入って、2階を契約。一度量り売りショップを通ってヘアサロンへ(写真撮影/窪田真一)

公園の緑が見える開放感が気に入って、2階を契約。一度量り売りショップを通ってヘアサロンへ(写真撮影/窪田真一)

頭皮&ヘアケアに定評のあるサロン。ヘッドスパの個室も用意している(写真撮影/窪田真一)

頭皮&ヘアケアに定評のあるサロン。ヘッドスパの個室も用意している(写真撮影/窪田真一)

築50年ほどの3階建てビル、空いていた3フロアすべてに借り手が智恵美さんが手がけるバルクショップは、包装をなくしてできる限りゴミを出さない、量り売りの販売スタイル(写真撮影/窪田真一)

智恵美さんが手がけるバルクショップは、包装をなくしてできる限りゴミを出さない、量り売りの販売スタイル(写真撮影/窪田真一)

ドライフルーツや焼き菓子、パスタ、ハーブ、調味料など、オーガニック食材がずらり。必要な分だけ買えるから、フードロス対策にも(写真撮影/窪田真一)

ドライフルーツや焼き菓子、パスタ、ハーブ、調味料など、オーガニック食材がずらり。必要な分だけ買えるから、フードロス対策にも(写真撮影/窪田真一)

屋上部分にビニールカーテンのテントがあるのが、「parte」が入居するビル。1階は弁当屋、3階は別の人が住居として使用(写真撮影/塚田真理子)

屋上部分にビニールカーテンのテントがあるのが、「parte」が入居するビル。1階は弁当屋、3階は別の人が住居として使用(写真撮影/塚田真理子)

福島さん夫妻が内見した時はビルの3フロアとも空いていましたが、この2年で全フロア入居者が決まり、人の流れができました。その活気が後押しとなり、昨年、ビルのオーナーが屋上でビアガーデンをスタート。冬以外は営業を行い、オープンな雰囲気が楽しめるとあって、なかなか盛況のよう。静かだった空きビルが、新たに息を吹き返したのです。

風情ある建物をリノベーションした魅力的な店舗が続々

2020年以降「おしゃれ田舎プロジェクト」が関わって小諸で開業に至った店舗は、上で紹介した2件以外にも、パン屋、イタリアンレストラン、ビストロ、洋裁店、インテリアギャラリーなど30件に上ります。そのうち、プロジェクトが一から十まで携わったのは3年で約15件。第一号は、小諸駅舎内の電源が使えるカフェ「小諸駅のまど」。なんと、みどりの窓口だったスペースを活用したカフェだとか。

また個人経営の店以外にも、企業と空き物件をマッチングさせた例もあるそうです。

「CAKES」の近く、明治時代に旅館として使われていた建物は、コワーキングスペース「合間」に。取材時、1階ではカフェ「エトセトラ」がプレオープン中だった(写真撮影/窪田真一)

「CAKES」の近く、明治時代に旅館として使われていた建物は、コワーキングスペース「合間」に。取材時、1階ではカフェ「エトセトラ」がプレオープン中だった(写真撮影/窪田真一)

コーヒーのほか、日本茶もサイフォンで抽出する「彩本堂」。古民家の奥には移築した土蔵がつながっている(写真撮影/窪田真一)

コーヒーのほか、日本茶もサイフォンで抽出する「彩本堂」。古民家の奥には移築した土蔵がつながっている(写真撮影/窪田真一)

紅葉しかけた蔦が味わい深い、花屋とカフェ「FLORO cafe(フロロカフェ)」。以前の店「スナック夕子」の看板はあえてそのまま(写真撮影/窪田真一)

紅葉しかけた蔦が味わい深い、花屋とカフェ「FLORO cafe(フロロカフェ)」。以前の店「スナック夕子」の看板はあえてそのまま(写真撮影/窪田真一)

駅前の通りから小さなトンネルを抜けたところにある、という立地も、隠れ家感があって素敵すぎる(写真撮影/窪田真一)

駅前の通りから小さなトンネルを抜けたところにある、という立地も、隠れ家感があって素敵すぎる(写真撮影/窪田真一)

極め付けは、蔦の絡まるレトロな建物。これは新築では出せない味わいです。3階建てのビルにはかつてスナックや居酒屋9店が営業していたものの、10年以上空き店舗になっていました。2022年、軽井沢などで花屋とカフェを営む「FLOWER FIELD」が小諸に出店したいという話があり、高野さんが案内したところ、社長がここに一目惚れ。その日のうちに「購入したい」と申し込んだとか。その後、レトロな趣を残しながらセンスよくリノベーション。奥にはウッドデッキのテラス席もあるというギャップもまた魅力的です。

「FLORO cafe」に入ると、ドライフラワーに彩られた空間が広がる(写真提供/FLORO cafe)

「FLORO cafe」に入ると、ドライフラワーに彩られた空間が広がる(写真提供/FLORO cafe)

komoroと描かれたオリジナルドアの先には、開放的なテラス席が(写真提供/FLORO cafe)

komoroと描かれたオリジナルドアの先には、開放的なテラス席が(写真提供/FLORO cafe)

古民家カフェがリノベ中。オープン後は、蕎麦の実や蕎麦茶を使ったスイーツが楽しめるそう(写真撮影/窪田真一)

古民家カフェがリノベ中。オープン後は、蕎麦の実や蕎麦茶を使ったスイーツが楽しめるそう(写真撮影/窪田真一)

小諸城大手門隣の重厚な古民家は、小諸の老舗蕎麦店が手がける「CLOVE CAFE」として来春オープン予定。現在はリノベーション中で、「おしゃれ田舎プロジェクト」を通して市民参加の壁塗りイベントなどが行われています。みんなでこのお店をつくった、なんていい思い出になるに違いありません。

NG事項ナシ! みんなの想いが実現できる「まちタネ広場」が楽しい「おしゃれ田舎プロジェクト」メンバーでもある岡山千紗さんと、高野さん。左の葉っぱ(?)が「こもろ」とくり抜かれているのがわかるでしょうか?楽しい遊び心!(写真撮影/窪田真一)

「おしゃれ田舎プロジェクト」メンバーでもある岡山千紗さんと、高野さん。左の葉っぱ(?)が「こもろ」とくり抜かれているのがわかるでしょうか?楽しい遊び心!(写真撮影/窪田真一)

もうひとつ、小諸でにぎわいを創出しているのが、駅から歩いて3分、大手門公園エリアにある「まちタネ広場」です。まちの“タネ”をつくる広場とは、どんな経緯でできたのでしょうか?
「ここはもともと駐車場だったのですが、駅前という立地、大手門公園という観光資源をもっと有効活用した方がいいのではということで、自由広場のような場所を整備したのです」と高野さん。

でも、ただ遊具を置いただけでは、多くの人には使ってもらえない。どんな仕掛けがあれば市民みんなが楽しめるのか。市民参加の意見交換会やワークショップを重ね、「ルールをつくらないのが唯一のルール」という方針に。
小諸市地域おこし協力隊として横浜から移住し、まちづくりに関わる岡山千紗さんによると、「禁止事項ほぼナシ、ペット連れも、花火も、焚き火も、プロレスも、なんでもやってOKな、社会実験の場なんです」

芝生エリアを中心に、まわりには自転車やスケボーの練習ができる園路、工作などものづくり体験ができるガレージエリアが整備され、可動式のテーブルや日除けタープなども自由に使えます。近くに住んでいるなら、きっと通いたくなってしまうはず。

奥にはステージがあり、ふだんは自由に座ったり寝転んだりする場に。イベント時には、音楽やダンスのステージとしても使える(写真提供/まちタネ広場)

奥にはステージがあり、ふだんは自由に座ったり寝転んだりする場に。イベント時には、音楽やダンスのステージとしても使える(写真提供/まちタネ広場)

これからの楽しいことを伝える掲示板“お知らせウォール”(写真提供/まちタネ広場)

これからの楽しいことを伝える掲示板“お知らせウォール”(写真提供/まちタネ広場)

広場の運営は、総合建設コンサルタント「URリンケージ」と小諸市が共同で行っています。まちのにぎわいづくりの一環として行われているため、広場の占有使用料は受け取っていません。ゆえに、地域の方々のやりたいことの実現からイベントまで、週末を中心になにかしらの取り組みでにぎわいを見せています。
これまでに催されたのは演劇ワークショップ、まちタネシネマ、夕涼み会、焼き芋大会、クラシックカーミーティング、サウナイベントなどなど。規模もさまざまな催しが、年間に約60回も行われています。
「イベントの来訪者の内訳は、小諸が3割、佐久・上田が3割、東京3割。いろいろな方に来てもらえているのがうれしい」と岡山さん。

イベントの合間や帰りには、小諸のまちなかで食事したり、散策したりという人の流れができたそう。まさに、「おしゃれ田舎プロジェクト」がめざす、理想の形が見えてきました。

小諸ボンバイエ×信州プロレスリングによるパフォーマンスも大盛況(写真提供/まちタネ広場)

小諸ボンバイエ×信州プロレスリングによるパフォーマンスも大盛況(写真提供/まちタネ広場)

手持ち花火大会のイベントでは、サプライズでナイアガラの滝が!仕掛け花火が楽しめる広場なんて、なかなかない(写真提供/まちタネ広場)

手持ち花火大会のイベントでは、サプライズでナイアガラの滝が!仕掛け花火が楽しめる広場なんて、なかなかない(写真提供/まちタネ広場)

クラシックカーイベントは、小諸のまちなか回遊・散策を支援するスマートカー「egg」の運転手が主催(写真提供/まちタネ広場)

クラシックカーイベントは、小諸のまちなか回遊・散策を支援するスマートカー「egg」の運転手が主催(写真提供/まちタネ広場)

最後に、小諸のまちなかをぶらり歩いてみた駅近くにはスナック街も。空き店舗で若い世代がスナックを開いてくれたら楽しそう(写真撮影/塚田真理子)

駅近くにはスナック街も。空き店舗で若い世代がスナックを開いてくれたら楽しそう(写真撮影/塚田真理子)

駅から7~8分歩くと、本町・商家の町並みへ。明治時代、小諸銀行だった由緒ある建物も残っている(写真撮影/塚田真理子)

駅から7~8分歩くと、本町・商家の町並みへ。明治時代、小諸銀行だった由緒ある建物も残っている(写真撮影/塚田真理子)

市役所がある一帯に、医療センターや市立図書館、市民交流センターなどが集結(写真撮影/塚田真理子)

市役所がある一帯に、医療センターや市立図書館、市民交流センターなどが集結(写真撮影/塚田真理子)

大きなタンクがあるのは、老舗の味噌蔵。隣には味噌ラーメンの店がオープンし、連日行列だとか。お向かいにはデリカテッセンの店も(写真撮影/塚田真理子)

大きなタンクがあるのは、老舗の味噌蔵。隣には味噌ラーメンの店がオープンし、連日行列だとか。お向かいにはデリカテッセンの店も(写真撮影/塚田真理子)

花屋「CAKES」の黒木さんが、小諸に降り立って真っ先に気に入ったという駅前の「停車場ガーデン」。ライトアップイベントが行われていてきれい(写真撮影/塚田真理子)

花屋「CAKES」の黒木さんが、小諸に降り立って真っ先に気に入ったという駅前の「停車場ガーデン」。ライトアップイベントが行われていてきれい(写真撮影/塚田真理子)

小諸のまちなかを歩いてみると、駅から徒歩15分圏内でぐるりとめぐれて、ほどよいコンパクト感がありました。車を駅前に停めて、ぶらぶら歩いて、若い世代が開いたセンスのいいお店をホッピング。ちなみに、人気のご当地スーパー・ツルヤはここ小諸が創業の地なのだとか。自分がもし小諸に住んでいたら、友達をあちこち案内したくなるなぁ。

今回、高野さんと岡山さんの話で印象的だったのは、まちが元気になってきたことで、古くから地域に住む人の意見もポジティブに変わってきた、ということ。北陸新幹線の停車駅が佐久平に決まった当時は、どこか悔しい思いがあったようですが、いまでは「駅近くの古い家並みが壊されずにこうして残っているから、良かったよ」と話しているとか。地元の方の小諸愛が感じられるエピソードです。

そして現在60代、70代で商売をしている人たちに目を向けてみると、跡継ぎがいなければ、ここ10年ほどの間にいずれは店を閉めることになるでしょう。そのときに、いま「おしゃれ田舎プロジェクト」がまちの人たちとつながっていることで、安心して「店を貸したい」と相談しやすくなるはず。高齢化の波は避けては通れませんが、愛着のある店を、建物を、小諸のまちを、次世代につなげる未来があることは、とても幸せなことだなと感じた1日でした。

●取材協力
・おしゃれ田舎プロジェクト
・CAKES
・parte
・まちタネ広場

世界基準の超省エネ住宅「パッシブハウス」を30軒以上手掛けた建築家の自邸がスゴすぎる! ZEH超え・太陽光や熱エネルギー活用も技アリ

夏涼しく冬暖かい快適さと、世界基準の超省エネを両立した、ドイツ発祥の「パッシブハウス」。これまで30軒以上のパッシブハウス計画に携わってきたパッシブハウス・ジャパン代表理事の森みわさんが、長野県軽井沢町に自ら設計したセカンドハウスをつくったと聞き、お邪魔してきました。
高次元な断熱性能と、斬新な熱供給システム、自然素材や自然のエネルギーを取り入れたデザイン……パッシブハウスの最新の取り組みを見ていきましょう。

似ているようで異なる、パッシブハウスと省エネ住宅軽井沢町追分に完成した「信濃追分の家」。資料が整い次第、パッシブハウス認定の申請を行う予定(写真撮影/新井友樹)

軽井沢町追分に完成した「信濃追分の家」。資料が整い次第、パッシブハウス認定の申請を行う予定(写真撮影/新井友樹)

ルームツアーの前に、パッシブハウスは日本でいう省エネ住宅と何が違うのか、改めて整理してみましょう。
まず、省エネ住宅とは、高断熱・高気密につくられ、エネルギー消費量を抑える高効率設備を備えた住宅のこと。対してパッシブハウスは、太陽や風など自然の持つ力を建物に取り入れて、必要とするエネルギーを最小化。さらに高断熱・高機密、熱ロスの少ない換気システムなどを駆使してエネルギー消費量を抑える、というアプローチの違いがあります。

「ヨーロッパでは、ゼロエネルギーハウス(エネルギー収支をゼロ以下にする家)・プラスエネルギーハウス(プラスにする家)への足掛かりとして、パッシブハウスがあります。少ないエネルギーで快適に暮らせるパッシブハウスの普及がまずあって、その先に創エネハウス(※)があるという位置付けです」と森さん。

※創エネハウス…太陽光パネルなどでエネルギーをつくり出すことができる住宅

省エネルギーを実現するために、高い断熱性能が必要ということは、共通事項です。
国が定める省エネ基準は、2025年以降すべての新築住宅に「平成28(2016)年基準」の適合が義務づけられます。2030年頃までには、さらにZEH(ゼッチ/エネルギー収支をゼロ以下にする家)基準(断熱等級5、一次エネルギー消費量等級6)まで引き上げるとしていますが、それだけでは不十分だと森さんは言います。

パッシブハウス・ジャパン代表の森みわさん。セカンドハウスの場所は、外気温が低くても日射量が豊富で、移住者が多くコミュニティが形成しやすい軽井沢町を選んだ(写真撮影/新井友樹)

パッシブハウス・ジャパン代表の森みわさん。セカンドハウスの場所は、外気温が低くても日射量が豊富で、移住者が多くコミュニティが形成しやすい軽井沢町を選んだ(写真撮影/新井友樹)

「ZEHで地域ごとにUA値(外皮平均熱貫流率)を定めて断熱性能を高めようというのは、家を魔法瓶化するという意味で良い方向に向かっています。ただ、例えば同じ地域にあっても家を180度回してみれば全然条件が違うはずなのに、家の向き、近隣に住宅や樹木があるか、樹木は落葉樹か常緑樹か、夏と冬で日射量がどれだけ違うかは考慮されません。

『太陽と風に素直に設計する』ということを大切にするパッシブハウスでは、PHPP(Passive House Planning Package)というシミュレーションソフトを使って、建設する場所の標高、気象条件、月ごとの日射量、周辺環境、家族構成に給湯需要まで、あらゆる個別の条件を入力して温熱計算をしています。それはもうシビアに。そうやって建物のエネルギー収支を厳密に予測しながら設計して、入居後の実測値とのギャップをなくしているのです」

日本の省エネ基準の数倍もの温熱性能・省エネ性能が求められるパッシブハウスは、その土地の条件に合わせてオーダーメイドで設計され、冷暖房に頼らずとも年中快適に過ごすことができる“究極のエコハウス”というわけです。

階段まわりのアースカラーが木のぬくもりのアクセントに(写真撮影/新井友樹)

階段まわりのアースカラーが木のぬくもりのアクセントに(写真撮影/新井友樹)

今回訪問した森さんの別邸「信濃追分の家」は、これまで森さんが設計を手掛けてきた中での発見を踏まえ、パッシブハウスの進化形をめざしたといいます。コンセプトである「パッシブハウス+α」を実現するための、具体的なメソッドを6つ教えてもらいました。

メソッド1 南から45度振れた敷地で、太陽光を最大限に味方につけるコーナーガラス真南に向いた大きなコーナーガラス。この家の象徴的存在でもある(写真撮影/新井友樹)

真南に向いた大きなコーナーガラス。この家の象徴的存在でもある(写真撮影/新井友樹)

まずリビングに入ると、斜めに向いた階段が目に飛び込みます。実はこの敷地、南から45度振れたロケーション。そこで、階段室を真南に向けて、2階のコーナーガラスの大開口から各方向に光が差し込むようにレイアウトしています。建物角からの日射によって、冬の暖房エネルギーを積極的に取得する工夫です。

階段室の吹き抜けには、照明作家・鎌田泰二さん制作の大きなペンダント照明を。ブラインドがなくても、ほどよい目隠しになった(写真撮影/新井友樹)

階段室の吹き抜けには、照明作家・鎌田泰二さん制作の大きなペンダント照明を。ブラインドがなくても、ほどよい目隠しになった(写真撮影/新井友樹)

蜜蝋仕上げの鉄の手すりがシンプルでかっこいい(写真撮影/新井友樹)

蜜蝋仕上げの鉄の手すりがシンプルでかっこいい(写真撮影/新井友樹)

2階の間取りはこの階段室を中心に、東西にシンメトリーになるよう居室を配しています。1階には間仕切りの壁はなく、軸がずれたようなこの階段室が、玄関、和室、キッチン、リビングといった領域をやんわりと区画し、視線を切る役割を担っています。おかげで、開放的でありながら落ち着いた、居心地のいい空間になっているのですね。

「軽井沢の冬の厳しい外気温にも関わらず、この向きの敷地を選んだのは、“エコハウスの意匠は自由である”というメッセージを放つための挑戦だったかもしれません」と森さん。真南向きじゃなくてもパッシブハウスはつくれるし、自由で堅苦しくないデザインも叶う。そんな証となった実例です。

リビングの大きな開口部は敷地の向きに素直につくり、階段室を真南にレイアウト(写真撮影/新井友樹)

リビングの大きな開口部は敷地の向きに素直につくり、階段室を真南にレイアウト(写真撮影/新井友樹)

メソッド2 バイオマス燃料と太陽熱、太陽光とEV車でエネルギーを地産地消森さんによるスケッチ「信濃追分の家リニューアブル(再生可能エネルギー)・マックスな設備計画」。冷暖房は熱交換換気装置に内蔵され、1台のヒートポンプで全館空調が完結しているため、ペレットストーブは給湯器として位置付けられている(画像提供/KEY ARCHITECTS)

森さんによるスケッチ「信濃追分の家リニューアブル(再生可能エネルギー)・マックスな設備計画」。冷暖房は熱交換換気装置に内蔵され、1台のヒートポンプで全館空調が完結しているため、ペレットストーブは給湯器として位置付けられている(画像提供/KEY ARCHITECTS)

この家の最大の特徴といえるのが、ペレットストーブと太陽熱集熱器による熱供給を取り入れて、給湯と補助暖房に充てていること。ガス給湯器は設置していません。太陽光発電パネルは搭載しているものの、電気を熱に変える割合は大幅に減らしています。

イタリア製のペレットストーブは、玄関スペースにビルトイン(写真撮影/新井友樹)

イタリア製のペレットストーブは、玄関スペースにビルトイン(写真撮影/新井友樹)

Wi-Fi経由で着火操作が可能。冬、太陽熱が足りない場合は夕方着火するようタイマーを入れると、2~3時間でお風呂のお湯が沸き、余力で壁暖房としても放熱(写真撮影/新井友樹)

Wi-Fi経由で着火操作が可能。冬、太陽熱が足りない場合は夕方着火するようタイマーを入れると、2~3時間でお風呂のお湯が沸き、余力で壁暖房としても放熱(写真撮影/新井友樹)

信州らしい熱源を、と選んだペレットストーブ。炎の揺らぎは見ているだけでほっとする。燃料は地域で購入することで、地域内でのエネルギー自活が可能に(写真撮影/新井友樹)

信州らしい熱源を、と選んだペレットストーブ。炎の揺らぎは見ているだけでほっとする。燃料は地域で購入することで、地域内でのエネルギー自活が可能に(写真撮影/新井友樹)

外気温の影響を受けにくい太陽熱集熱器。集熱管の外側が真空になっていて断熱効果に優れている。なかなかインパクトのある佇まい(写真撮影/新井友樹)

外気温の影響を受けにくい太陽熱集熱器。集熱管の外側が真空になっていて断熱効果に優れている。なかなかインパクトのある佇まい(写真撮影/新井友樹)

玄関にビルトインされたペレットストーブは、16畳用エアコン並みのパワーがあり、温水出力に対応。燃焼エネルギーの8割を温水に、残り2割が輻射暖房として放熱されます。庭に設置した太陽熱集熱器は、真空ガラス管内のヒートパイプが太陽光により加熱され、不凍液を温め循環させるもの。
木質バイオマスと太陽光という再生可能エネルギーを温水という熱エネルギーに変えて、キッチンにある300Lのタンクに熱を貯湯していく仕組みです。

ペレットストーブと太陽熱集熱器からの温水を集める貯湯タンク。この家ではあえて見えやすいよう、キッチンに設置(写真撮影/新井友樹)

ペレットストーブと太陽熱集熱器からの温水を集める貯湯タンク。この家ではあえて見えやすいよう、キッチンに設置(写真撮影/新井友樹)

左奥のドアの先が貯湯タンクのスペース。シンクには95℃まで対応の熱湯栓も付いていて、煮炊きに必要なお湯は一瞬で沸いてしまう(写真撮影/新井友樹)

左奥のドアの先が貯湯タンクのスペース。シンクには95℃まで対応の熱湯栓も付いていて、煮炊きに必要なお湯は一瞬で沸いてしまう(写真撮影/新井友樹)

田舎暮らしに欠かせない車は、電気自動車を導入。V2H(Vehicle to Home)を実現している(写真撮影/新井友樹)

田舎暮らしに欠かせない車は、電気自動車を導入。V2H(Vehicle to Home)を実現している(写真撮影/新井友樹)

もうひとつ注目したいのが、電気自動車を蓄電池に見立てていること。屋根の東西に載せた3.8kWの太陽光パネルで発電した電気は、主に照明と冷蔵庫、換気システムに使用します。「それらの消費電力はだいたい400Wとして、15時間で6kWh。EV車のバッテリー40kWhのうち6kWhをまわせばいいのですから、夜間に車から家に送る量としては大した量ではありません」と森さん。冬の夜間に仮に暖房を切っても、翌朝の室温は1~2℃も下がらないパッシブハウスだからこそ実現できるライフスタイル。
「ただし、オフグリッド仕様にはしていません。数日間曇りの日が続けば、発電量は低下します。そういうときは電力会社に頼る。逆に発電して余った分は渡すこともできる」

太陽光・熱エネルギーを最大限活用し、電力系統ともつながりながら、無理のない範囲でエネルギー自立している家なのです。

メソッド3 高性能の家は床暖不要!土壁暖房パネルを日本初導入無垢のフローリングが素足に心地いい(写真撮影/新井友樹)

無垢のフローリングが素足に心地いい(写真撮影/新井友樹)

建物自体の性能が高いパッシブハウスは、床暖房がなくても、窓辺も頭上も室温がほぼ同じ、温度ムラがないのが特徴です。「もう床から温める必要がそもそも無いですし、実は木の床は、床下から温めようとしても断熱してしまうのです。ここはヨーロピアンオークの無垢フローリングを使っていて、木は熱伝導率が低い。だから床暖房にすると放熱の効率が悪いんです」と森さん。
かわりに導入したのが、ドイツ製の土壁暖房パネルによる輻射式暖房です。給湯がメインのペレットストーブですが、余ったお湯はこの土壁暖房の熱源として使われます。パネルは厚みのある自然素材のため、調湿性、蓄熱性も期待できそうです。

立てかけてあるオブジェのようなものは、土を高圧でプレスして製造されたドイツ製の土壁暖房パネル。温水配管を効率よく巡らせるよう掘り込みがついているのが特徴で、これを補助暖房として壁面に埋め込んでいる(写真撮影/新井友樹)

立てかけてあるオブジェのようなものは、土を高圧でプレスして製造されたドイツ製の土壁暖房パネル。温水配管を効率よく巡らせるよう掘り込みがついているのが特徴で、これを補助暖房として壁面に埋め込んでいる(写真撮影/新井友樹)

暖房パネルは1階の北側にある和室と2階の洗面脱衣所の漆喰塗り壁内部に設置。ゲストが宿泊する部屋と、服を脱ぐ脱衣室の室温を、冬場にほんの少し上げられるようにと配慮した設計(写真撮影/新井友樹)

暖房パネルは1階の北側にある和室と2階の洗面脱衣所の漆喰塗り壁内部に設置。ゲストが宿泊する部屋と、服を脱ぐ脱衣室の室温を、冬場にほんの少し上げられるようにと配慮した設計(写真撮影/新井友樹)

メソッド4 信州カラマツのサッシ+仏・サンゴバン社製のガラスで美しく窓断熱トリプルガラスに、信州カラマツの木製サッシ。かなりの厚みがあるのがわかる(写真撮影/新井友樹)

トリプルガラスに、信州カラマツの木製サッシ。かなりの厚みがあるのがわかる(写真撮影/新井友樹)

リビングの大きな窓の先はウッドデッキ。軒の長さも日射に合わせて緻密に計算されている(写真撮影/新井友樹)

リビングの大きな窓の先はウッドデッキ。軒の長さも日射に合わせて緻密に計算されている(写真撮影/新井友樹)

断熱性に優れた木製サッシは、長野県千曲市の山崎屋木工製作所によるもの。長野県産材のカラマツの美しい木目がぬくもりを感じさせます。ガラスは、仏・サンゴバン社製のトリプルガラスECLAZを採用。一般的なトリプルガラスより熱貫流率が低く高断熱、さらにペアガラス並みに日射熱取得率が高い、高性能ガラスです。
「しかも高透過なミュージアムガラスのため、非常に景色が良く見えるという特徴もあります」(森さん)。映り込みの少ないクリアな窓からは、軽井沢のみずみずしい緑が鮮やかに眺められます。

コーナーガラスの左右はサンゴバン社製のトリプルガラス、中央は安曇野市の丸山硝子の技術で実現したガラスコーナーだが、諸事情により日本板硝子のトリプルガラスとなった。中央のガラスだけ少し室内の映り込みがあるのがわかる(写真撮影/新井友樹)

コーナーガラスの左右はサンゴバン社製のトリプルガラス、中央は安曇野市の丸山硝子の技術で実現したガラスコーナーだが、諸事情により日本板硝子のトリプルガラスとなった。中央のガラスだけ少し室内の映り込みがあるのがわかる(写真撮影/新井友樹)

木製サッシが絵画のフレームのよう(写真撮影/新井友樹)

木製サッシが絵画のフレームのよう(写真撮影/新井友樹)

ドイツのヘーベ・シーベ金物の技術により隙間なくぴったり閉まるエアタイトサッシ。空気や熱、音をシャットアウト(動画撮影/塚田真理子)メソッド5 田舎暮らしをより豊かにする“パッシブセラー”ワインや食料の保管庫として活用できるセラーは、待望のスペース(写真撮影/新井友樹)

ワインや食料の保管庫として活用できるセラーは、待望のスペース(写真撮影/新井友樹)

高い断熱性と気密性により、夏季は25℃、冬季は20℃前後と、家中の温度ムラがないのがパッシブハウスのメリットですが、実は保存食の保管が難しいところでした。漬物や味噌などの食品を保管したくても、室温だと傷みが早いので冷蔵庫に入れないといけないと以前クライアントに言われてしまったのです。

でも、田舎暮らしをするとなれば、自分で仕込んだ発酵食品を置きたいとか、たくさん採れた野菜を保管したいという声は多い、と森さんは言います。そこで、基礎の断熱材をあえて取って、自然の温度変化にまかせた“パッシブセラー”を階段下に設けたのが、今回の新たなチャレンジ。

「軽井沢は凍結深度が80cmでこの家は基礎も深いので、建物直下の土中の温度変化が少ないという特徴があります。昔ながらの床下空間のような感覚ですね」。エアコンで温度管理せずとも、室内よりも7℃ほど低い空間が完成しました。ワインセラーとしても活用できそうです。

メソッド6 防音して空気は逃す。プライバシーと換気を叶える、革新的な室内ドアドア下に隙間はなく、かわりに縦のスリットから一定方向に空気を逃す(写真撮影/新井友樹)

ドア下に隙間はなく、かわりに縦のスリットから一定方向に空気を逃す(写真撮影/新井友樹)

2階の寝室と洗面室のドアには、通気機能を持つ革新的なドア「VanAir」を導入しました。従来の室内ドアは、閉めた状態でも換気ができるよう、ドアの下部に1cmほどの隙間を設けているのが一般的。このドアは、表と裏で互い違いに縦のスリット(通気口)があり、空気はドアの芯を経由して反対側へと流れる仕組み。24時間、空気は一定の方向に流れ、においや淀みもしっかり排気してくれるのです。かつ、防音性能を備えており、音漏れの心配もありません。

ドア下に隙間はなく、かわりに縦のスリットから一定方向に空気を逃す(写真撮影/新井友樹)

ドア下に隙間はなく、かわりに縦のスリットから一定方向に空気を逃す(写真撮影/新井友樹)

洗面脱衣室、バスルームの空気もスムーズに排気され、一年中結露やカビとも無縁(写真撮影/新井友樹)

洗面脱衣室、バスルームの空気もスムーズに排気され、一年中結露やカビとも無縁(写真撮影/新井友樹)

クローゼット上の木ルーバーのうしろは、熱交換換気から新鮮空気を各部屋に供給する給気グリル。ここから供給された空気は脱衣室等のウェットエリアの排気口へと流れる(写真撮影/新井友樹)

クローゼット上の木ルーバーのうしろは、熱交換換気から新鮮空気を各部屋に供給する給気グリル。ここから供給された空気は脱衣室等のウェットエリアの排気口へと流れる(写真撮影/新井友樹)

なお、換気システムには、室内の熱をリサイクルしながら室内と室外の空気を入れ替える「Zehnder CHM200」を使用。換気ユニットにヒートポンプを組み込んだもので、熱交換換気、冷暖房、除湿、空気清浄が1台で行えます。
基本的には自動制御ですが、タッチ式パネルで操作も可能です。

取材時(6月下旬)の室温は24.5℃、湿度53%。真価が問われる冬が楽しみ(写真撮影/新井友樹)

取材時(6月下旬)の室温は24.5℃、湿度53%。真価が問われる冬が楽しみ(写真撮影/新井友樹)

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世界基準の“超省エネ住宅”パッシブハウスの高気密・高断熱がすごい! 190平米の平屋で空調はエアコン1台のみ

家族が集う家、ずっといたくなる家新しい挑戦がたくさん詰め込まれた家(写真撮影/新井友樹)

新しい挑戦がたくさん詰め込まれた家(写真撮影/新井友樹)

大きな窓がもたらす開放感、気持ちのよさは、何ものにも変え難い(写真撮影/新井友樹)

大きな窓がもたらす開放感、気持ちのよさは、何ものにも変え難い(写真撮影/新井友樹)

信濃追分の家の設計期間は約1年、施工工事は10ヵ月ほど。初挑戦の取り組みも多く、建築費はおよそ5,500万円。一般的には、パッシブハウスの建築費は新築住宅+1.5~2割というのが目安だそうです。毎月の光熱費は月1万円以内と、ランニングコストはかなり抑えられる見込み。ただ、目に見える数字以上に一年中過ごしやすく、その快適さはプライスレスなもの、と森さんは言います。

「パッシブハウスに住んでいる方のお話を聞くと、朝スッと布団から出られるようになった、冷え性が治ったという声が多いですね。あとは、家があまりにも快適だから家にずっといたくて、会社を辞めて自宅でできる仕事を始めたとか、孫がしょっちゅう遊びに来るようになった、という声も。家族が集う家、といえるかもしれません」
パッシブハウスが心身にいい影響を与えてくれたり、大袈裟ではなく人生が変わったりすることもあるのですね。

信濃追分の家は、今後体験宿泊も受け入れていく予定だそうです。パッシブハウスを検討したい方は、一度この心地よさを体感してみてはいかがでしょうか。

明るいリビングで仕事をすることも多い森さん(写真撮影/新井友樹)

明るいリビングで仕事をすることも多い森さん(写真撮影/新井友樹)

さらに近い将来、太陽光でつくる余剰電力を分解してメタンガスをつくる、Power to Gasにも着目しているという森さん。こちらはまずパッシブタウン(富山県黒部市の集合住宅)での挑戦を見守りたいとのことですが、次々と新たな可能性を追求する森さんの取り組みに注目したいと思います。

●建物概要
在来木造2階建て
【フラット35】S適合(耐震等級3)
建築面積:88.04平米
延床面積:129.58平米
敷地面積:519.61平米

現在、2012年竣工の福岡パッシブハウスでは新オーナーを募集中。価値のわかる方にぜひ引き継いでほしい、と森さんは言う(画像提供/KEY ARCHITECTS)

現在、2012年竣工の福岡パッシブハウスでは新オーナーを募集中。価値のわかる方にぜひ引き継いでほしい、と森さんは言う(画像提供/KEY ARCHITECTS)

(画像提供/KEY ARCHITECTS)

(画像提供/KEY ARCHITECTS)

●取材協力
パッシブハウス・ジャパン
KEY ARCHITECTS

3Dプリンターの家、国内初の実用版は23時間で完成!内装や耐震性は? ファミリー向け一般住宅も登場間近 長野県佐久市

「約300万円で購入できる10平米の3Dプリンター住宅」のプロトタイプが登場したと2022年5月に紹介しましたが、あれから1年、商用日本第一号がついに長野県佐久市で完成しました。その全貌をお届けします。

整骨院の大きな看板があった場所に3Dプリンターの家を設置。今後はこの球体が看板がわりに(画像提供/セレンディクス)

整骨院の大きな看板があった場所に3Dプリンターの家を設置。今後はこの球体が看板がわりに(画像提供/セレンディクス)

10平米の3Dプリンターの家。施工時間は22時間52分!

北陸新幹線が停車する佐久平駅から徒歩7分、大通りに面した整骨院の敷地内に立つ、球体のような白い物体。通りを歩く人も信号待ちの車の人も、興味深そうに眺めています。それもそのはず、数日前までなかった近未来的な物体が、突如現れたのだから。
建物の正体は、商用3Dプリンターハウスの日本第一号棟。施工時間は1日8時間×3日、計24時間を予定していましたが、実際に完成までに要したのはわずか22時間52分でした。

手がけたのは、セレンディクス(兵庫県西宮市)。「30年もの住宅ローンは現代の経済環境に即していない。車を買うような感覚で、ライフスタイルやライフステージに応じて、家を自由に買い替えられる社会を」と、これまでの家づくりの概念を根本から考え直し、低コストで短納期の3Dプリンターハウスの量産をめざす企業です。

令和の一夜城ともいえる3Dプリンターハウス「serendix 10(スフィアモデル)」は、床面積10平米、価格は330万円です。同社COOの飯田國大(はんだ・くにひろ)さんによると、「2022年秋に6棟を一般販売したところ、国内外から大きな反響があり、購入申し込みは30件ほどありました。その完売したうちの1棟が、今回の佐久市の物件です」
夢の日本第一号をもぎとったのは、全国に介護・医療施設を展開するカスケード東京。同社が運営する整骨院の敷地内に建築し、特別な施術を行うプライベートサロンとして利用する予定だといいます。

2日目、施工開始から10時間ほどたったころ。既に完成形が見えています(撮影/塚田真理子)

2日目、施工開始から10時間ほどたったころ。既に完成形が見えています(撮影/塚田真理子)

セレンディクスCOO飯田さん。初回販売数を6棟にしたのは、「かつてトヨタが紡績業から自動車産業に転身したとき初めて販売した車が6台だったそうです。問題点があったら教示してくれる、理解のあるお客様に協力いただいています」(撮影/塚田真理子)

セレンディクスCOO飯田さん。初回販売数を6棟にしたのは、「かつてトヨタが紡績業から自動車産業に転身したとき初めて販売した車が6台だったそうです。問題点があったら教示してくれる、理解のあるお客様に協力いただいています」(撮影/塚田真理子)

NASAの火星移住プロジェクトを手がける建築家がデザイン

serendix 10はスフィアモデルという名前のとおり球体で、直径3.3mで広さ10平米、天井高は4m。NASAの火星移住プロジェクトを進める建築家、曽野正之氏とオスタップ・ルダケヴィッチ氏による、近未来的なデザインが目を引きます。設計は、日本、アメリカ、オランダ、中国の企業コンソーシアム(共同企業体)が手がけました。

「風を逃す球体の建物形状は、風速140mにも耐えうる自然災害に強い構造。火星への移住をめざすNASAのプロジェクトでも採用されており、物理的に最強の形状といえます。従来の工法ではコストがかかるこうした曲線構造に対応できるのも、材料を積み重ねて建設する3Dプリンターの得意とするところです」と、飯田さんは話します。

三角形の窓がこのあと取り付けられます。30cm以上という壁の厚さから、遮音性、気密性も期待できます(撮影/塚田真理子)

三角形の窓がこのあと取り付けられます。30cm以上という壁の厚さから、遮音性、気密性も期待できます(撮影/塚田真理子)

コンクリート壁の厚さは30cm以上、躯体全体の重量は約20tもあり、まるでビルのように頑丈な造り。プロトタイプでは鉄筋などの構造体を使わずとも、十分な安定性と強度を実現しています。ただし、建築基準法で指定された鉄筋などの材料を使わない構造物は、個別に国土交通大臣の認定が必要なため、大臣認定の取得に向けて現在申請に着手しているところだそうです。

鉄筋を組み込んで日本の現行法に準拠

ちなみにserendix 10の実用棟は、当初、政令指定都市から90分のエリア内に設置することを想定していました。冒頭でもふれた、10平米300万円、車を買うように家を所有できるように、というコンセプトゆえ「土地代が安く、かつ必要なときに都市に行きやすい距離」というのがその理由です。
ところが、第一号に決まった佐久市の土地は条件が異なり、都市計画区域内のため建築確認申請も必要です。現段階では大臣認定が未取得だったことから、建築基準法に則り、3Dプリンターで出力したコンクリートの間に鉄筋を入れて構造設計をし直すことに。

躯体には断熱材も組み込み、日本より厳しいオランダの断熱基準をクリア(撮影/塚田真理子)

躯体には断熱材も組み込み、日本より厳しいオランダの断熱基準をクリア(撮影/塚田真理子)

構造設計は、駅やスタジアム、ホテルなどさまざまな規模の建築物を手がけるKAPの桐野康則さんが担当。鉄筋の柱を4本入れ、上に鉄筋の梁をつけることで耐震強度を高め、建築基準法に適合させているといいます。
「KAPを含め、現在205社のコンソーシアムの協力を得て、社会実装を重ねながら研究開発を進めています。セレンディクス1社では到底できませんが、課題ができるたびにさまざまな企業が声を上げてくれ、手を取り合って解決に向けて進んでいけるのです」(飯田さん)

工場で出力して輸送、現地で組み立てるプレキャスト工法を採用

ところで、3Dプリンターハウスはどんな手順で建築しているのでしょうか。
「セレンディクスはデジタルデータをつくる会社です。まず、設計データをつくり、最先端のロボット工学による3Dプリンターにデータを送信。そのプリンターで出力した4つのパーツをプレキャスト素材として輸送し、現場で組み立てて施工しています」と飯田さん。

serendix 10は開発と普及のスピードを速めるため、ヨーロッパ、中国、韓国、日本、カナダの3Dプリンターメーカーに出力を依頼。昨年、世界5カ国で同一データでの同時出力に世界で初めて成功し、ビジネスモデルを確立しつつあります。佐久市をはじめ初回販売した6棟は、それぞれの国で出力したものを建てる場所まで住宅輸送会社が輸送し、施工する計画なのだそうです。

今回使用したのは、中国の工場にある3Dプリンター。あらかじめ4つのパーツに分けて出力します。10平米のserendix 10の出力に要した時間は約14時間(映像提供/セレンディクス)自動で3Dプリンターがすべての作業を行うので人件費が削減できます(映像提供/セレンディクス)

3Dプリンターを現場に運び、出力しながら施工するのかと思っていましたが、「将来的にはそれも可能だと思います。ただ3Dプリンターは精密機械なので、輸送の際に故障してしまうリスクがあります。また現場で雨が降ってしまえば出力したモルタルが乾かず、施工時間が大幅に遅れてしまいます。現段階では、工場で安全に出力したパーツを輸送し、現場で組み立てながら、鉄筋を組み込むという手法をとっています」

今回は、中国WINSUN社の3Dプリンターを使用したとのこと。ところで、プリンターの自社開発も考えているのでしょうか?
「世界の会社と最新情報を共有することが大切だと思っています。汎用化する3Dプリンターは自社でつくらず、競合しないから、情報共有が可能なんです」と飯田さん。日本国内の協力企業では愛知県小牧市をはじめ現在5台の3Dプリンターを導入しており、来年にはさらに12台に増やす予定。今年下半期からは、日本で出力したものをメインに使用していきたいと話します。

20t以上もある躯体パーツを運ぶのには大きな負荷がかかるといい、高い輸送技術が必要。現在は10tトラックで輸送しています(画像提供/セレンディクス)

20t以上もある躯体パーツを運ぶのには大きな負荷がかかるといい、高い輸送技術が必要。現在は10tトラックで輸送しています(画像提供/セレンディクス)

単一素材で複合的な機能を持たせ、資材コストをカット手前に置いてあるのが屋根のパーツ。プロトタイプでは屋根も3Dプリンターで出力し一体成形していましたが、今回の工法ではGRC(ガラス繊維強化セメント)で作成したものをのせる形に(撮影/塚田真理子)

手前に置いてあるのが屋根のパーツ。プロトタイプでは屋根も3Dプリンターで出力し一体成形していましたが、今回の工法ではGRC(ガラス繊維強化セメント)で作成したものをのせる形に(撮影/塚田真理子)

3Dプリンターの活用で人件費が抑えられるのに加え、外壁や内壁、天井、床などを単一素材でつくれることも、資材の大幅なコストカットにつながります。serendix 10には、木材価格の高騰や工期の延長といったウッドショックの影響を受けない、低コストで住環境に適したコンクリートを用いています。「例えば、出力するコンクリートには硬化促進剤を使っているのですが、コンソーシアム企業の中には化学系メーカーも3社協業しており、こうした素材開発にも協力いただいています」(飯田さん)

鉄筋の間にモルタルを入れているところ。このあと屋根を設置し、上棟式も行われました(撮影/塚田真理子)

鉄筋の間にモルタルを入れているところ。このあと屋根を設置し、上棟式も行われました(撮影/塚田真理子)

青空に映えるコンクリートの球体。なだらかな曲線が描けるのは3Dプリンターならでは(撮影/塚田真理子)

青空に映えるコンクリートの球体。なだらかな曲線が描けるのは3Dプリンターならでは(撮影/塚田真理子)

内外装とも、積層痕をあえて残した意匠に(撮影/塚田真理子)

内外装とも、積層痕をあえて残した意匠に(撮影/塚田真理子)

見た目としては、ソフトクリームのような積層痕が3Dプリンターハウスの大きな特徴です。痕を残さずなめらかに均(なら)す技術もあるそうですが、3Dプリンターを象徴するデザインゆえ、あえてそのままにしているのです。
プロトタイプの施工時には、塗装に非常に時間がかかったことから、今回は出力後に塗装を施してから輸送。現場では、組み立てたあと最後に汚れた部分のみ塗装し直し仕上げることで、よりスピーディーな施工が可能になりました。

「すべてにおいて、社会実装を進めながら課題を見つけ、クリアしていく。そのために協業企業にサポートをお願いしています。またお客さまにも協力をお願いしている段階です。3Dプリンターハウスはコンセプトも技術もまったく新しいもの。今回の6棟はそれを理解してくださる方に購入いただけています」と飯田さん。施主も含めみんなで新しいものをつくっている感覚に、こちらもワクワクさせられます。

施工は現場に近いエリアのコンソーシアム会社に依頼するといいます。今回はナベジュウ(群馬県太田市)が担当。ナベジュウ代表の渡辺謙一郎さん(左)と飯田さん(撮影/塚田真理子)

施工は現場に近いエリアのコンソーシアム会社に依頼するといいます。今回はナベジュウ(群馬県太田市)が担当。ナベジュウ代表の渡辺謙一郎さん(左)と飯田さん(撮影/塚田真理子)

内装イメージ。4mの天井高が開放感をもたらします。別途内装工事を経て、プライベートなサロンとしてオープンする予定(© Clouds Architecture Office)

内装イメージ。4mの天井高が開放感をもたらします。別途内装工事を経て、プライベートなサロンとしてオープンする予定(© Clouds Architecture Office)

49平米と70平米の個人向け住宅もまもなく登場

3Dプリンターハウスの今後の展開も気になるところです。
まずはserendix 10の初回販売分残り5棟を順次施工していくといいます。次は岡山県内で、使い道は贅沢にも、飼っているフクロウのための家だとか!どんな空間ができあがるのか楽しみです。

並行して、個人向け3Dプリンター住宅「フジツボモデル」に取り組んでいます。フジツボモデルは、3Dプリント技術の第一人者である慶應義塾大学環境情報学部の田中浩也教授率いる慶應義塾大学KGRI環デザイン&デジタルマニュファクチャリング創造センターとの共同プロジェクト。
グランピング施設や3坪ショップ、離れなどの用途に限られる10平米のserendix 10に対して、49平米のフジツボモデルは水回り設備を完備した「住宅」仕様。3Dプリンターハウスで生活することができるのです。1LDKの平屋で、価格は550万円です。

住居としての役割を担うフジツボモデル。水回りの設備も付いて550万円(慶應義塾大学KGRI環デザイン&デジタルマニュファクチャリング創造センター)

住居としての役割を担うフジツボモデル。水回りの設備も付いて550万円(慶應義塾大学(慶應義塾大学環デザイン&デジタルマニュファクチャリング創造センター))

(慶應義塾大学(慶應義塾大学環デザイン&デジタルマニュファクチャリング創造センター))

(慶應義塾大学KGRI環デザイン&デジタルマニュファクチャリング創造センター)

間取りは1LDK。天井が高く快適なコンパクト平屋は二人暮らしに最適(慶應義塾大学KGRI環デザイン&デジタルマニュファクチャリング創造センター)

間取りは1LDK。天井が高く快適なコンパクト平屋は二人暮らしに最適(慶應義塾大学KGRI環デザイン&デジタルマニュファクチャリング創造センター)

「若いときに購入した2階建て、3階建ての家は年齢を重ねると住みにくくなるし、リフォームするとなると1000万円以上かかってしまう、という声も聞きます。また、賃貸住宅によっては、高齢者の入居をさまざまな理由をつけて断ったりするケースも。フジツボモデルは、そういった60代以上の夫婦2人のニーズに応えられる住宅です」と飯田さん。1LDKのコンパクトな平屋は、子どもが独立して部屋数は必要ない、という人の住み替え先にもぴったりです。既に3000件もの問い合わせがあり、400件を超える購入意向が寄せられているそうで、注目度の高さがうかがえます。

フジツボモデルの出力は、コンソーシアム会社である百年住宅の愛知県小牧工場で行われています(画像提供/セレンディクス)

フジツボモデルの出力は、コンソーシアム会社である百年住宅の愛知県小牧工場で行われています(画像提供/セレンディクス)

さらに年内には、家族で住める70平米の住宅も開発するといいます。こちらの設計はserendix 10と同じ建築家によるもので、デザインはまだ非公開ですが、とても近未来的な佇まいだそう。「電気自動車も、従来のガソリン車とはデザインががらりと変わりましたよね。3Dプリンターの家も、従来の住宅とは一変するのが自然ではないでしょうか」という飯田さんの言葉に大きく納得しました。

こうした社会実装を積み重ね、最終的にめざしているのは、「100平米300万円の家」とのこと。何十年もの住宅ローンを組まずに家を持つ。わずか数年後には、そんな近未来な住まいを実現する可能性に満ちた3Dプリンターハウスに、新しい時代の幕開けをヒシヒシと感じずにはいられません。

●取材協力
セレンディクス

移住相談も課長募集もSlackで!? 長野県佐久市の「リモート市役所」が画期的と話題

移住に興味があるけれど、コロナ禍で情報収集できる機会が減ってしまった……。そんな状況を補うのが、ビジネスチャットツール「Slack」を活用した、長野県佐久市による移住のオンラインサロン「リモート市役所」。日本で初めて自治体が運営する、移住の共創型オープンプラットフォームです。
サービス開始は2021年1月。どんな背景でスタートしたのか、どんなコンテンツがあるのか、市民や移住希望者の反響は? リモート市役所を担当する佐久市役所広報広聴課の垣波さんと、移住交流推進課の森下さんにお話をうかがいました。

移住関心度の高い佐久市の新たなシティプロモーション

長野県の東部に位置する佐久市は、浅間山、蓼科山、八ヶ岳を望む自然豊かなまちです。標高約700mの佐久平駅を中心に市街地が広がり、憧れの避暑地として知られる軽井沢もご近所。東京から佐久平までは新幹線で約75分と、首都圏からのアクセスも良好です。

新幹線が停車する佐久平駅を中心に市街地を形成。山もすぐそこ(写真提供/佐久市役所)

新幹線が停車する佐久平駅を中心に市街地を形成。山もすぐそこ(写真提供/佐久市役所)

人口は10万人弱。日本の地方都市同様、高齢化が進み、2010年をピークに人口は減少に転じています。一方、ほかの地域からの転入者数は転出者数を上回っており、2021年の社会増減数(統計ステーションながの「毎月人口異動調査(2021年)年間人口増減 統計表」より)は長野県で第一位。住みやすい環境などから、移住への関心の高さもうかがえます。

そんな佐久市では、従来から市役所に移住相談窓口を設置していました。さらにリモート市役所を立ち上げたのは、どんな経緯があったのでしょうか。
「移住希望者に向けて、まずは佐久市を知ってもらおう、来てもらおうと活動してきましたが、2020年、コロナ禍に突入。佐久市を実際に訪問してもらうことは難しくなりました。そこで、移住に興味のある方が佐久市民とつながり、情報のやり取りができるコミュニケーションプラットフォームとして、『リモート市役所』を立ち上げました」と垣波さん。
実際に足を運ばずとも、佐久市のリアルな情報や魅力を届けたいと考えたのです。

Slackを活用してインタラクティブなメディアに

「Slack」とは、職場で採用していておなじみの人も多いですが、改めて紹介すると、アプリやWEB上で情報共有、グループチャット、ダイレクトメッセージ、通話などができる、いわゆるコミュニケーションツール。この現代的なツールを活用することで、ホームページのような自治体サイドからの一方的な発信ではなく、移住を考える方が暮らしにまつわる質問を投げかけ、実際に佐久市に住んでいる市民が答えるという、双方向のコミュニケーション環境が生まれました。
Slackは書き込みや閲覧に会員登録が必要で、ホームページと比べると閲覧者は限られる一方で、参加者同士がダイレクトにやり取りできるのがメリット。感じたことに対してすぐに反応が返ってくることや、答える側もかしこまったスタンスではなく、自分の本音を伝えることができるため、より現実味のある情報を交換することができます。
利用者の声を聞いてみても、「気軽に質問できる」「リアルな声を発信できる」と、楽しんで活用している様子。垣波さんたち職員も、いち市民の目線で参加し、質問に答えているそうです。

佐久市役所広報広聴課広報係の垣波竜太さんと、移住交流推進課移住推進係の森下慶汰さん

佐久市役所広報広聴課広報係の垣波竜太さんと、移住交流推進課移住推進係の森下慶汰さん

リモート市役所のトップ画面。のぞいてみたくなる、ワクワクするデザインです(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所のトップ画面。のぞいてみたくなる、ワクワクするデザインです(写真提供/佐久市役所)

現在、リモート市役所にはおよそ10の課(チャンネル)が用意され、「写真課」「魅力はどこ課」「子育て課」など、それぞれのテーマごとに楽しげなやり取りが行われています。「佐久市の写真」チャンネルでは、市民が撮影した写真を気軽に投稿。ちなみに、昨冬の雪の写真はインパクト大でした。実は雪は滅多に降らないエリアのため、「浅間山が3回白くなると里に雪が降るといわれています」「風が吹くとかなり寒い。冬はマイナス10度を下回ることも」「移住を考えている方は、冬に一度訪れるのがおすすめ」など、話のタネになったとか。どんな気候なのかも、移住したい人には気になるところですよね。ちなみに、標高約700mの佐久市では、観測史上、熱帯夜(夕方から翌朝までの最低気温が25度を超える夜)を記録したことがないのだとか。晴天率は全国トップクラス。快適に過ごせそうです……!

雪の日の写真を市民がアップ。冬の寒さや雪の多さも事前に知っておきたいところ(写真提供/佐久市役所)

雪の日の写真を市民がアップ。冬の寒さや雪の多さも事前に知っておきたいところ(写真提供/佐久市役所)

5月の連休には県下最大級の熱気球大会「佐久バルーンフェスティバル」が行われます(写真提供/佐久市役所)

5月の連休には県下最大級の熱気球大会「佐久バルーンフェスティバル」が行われます(写真提供/佐久市役所)

「移住の質問部屋」では、「保育園の入りやすさはどう?」「4月に引越すのだけど、暖房器具は必要?」「自治会費っていくらくらい?」など、かなり具体的な質問が飛び交います。ときにはマイナスな情報も、隠さずに伝えているのが印象的です。
「たとえば、佐久市では家庭ゴミは有料の指定袋に入れ、しかも名前を書かなくてはならない。それが面倒だという市民の声も実際にあるのですが、移住を考えている方にはネガティブなことも含めて、ありのままを知ってほしい。あとで違った、こんなはずじゃなかったと後悔するよりも、わかって納得したうえで、それでもメリットの方が上回るから住みたい、と思ってもらえたら」と森下さんは言います。

「アイデア」チャンネルでは提言、提案も盛んです。「保育園の空き状況を調べるのに一件ずつ見ていくのが大変。今自分が住んでいる自治体のように一覧にしてほしい」など、こんなチャンネルがほしい、こんなアプリがあったら……といった声が上がります。「ここが使いづらい、もっとこうだったらいいのに、と思っても、わざわざ市役所にメールする方はなかなかいませんよね。思いついたら気軽に声が上げられるのも、リモート市役所ならではかな、と思っています」(垣波さん)

移住に興味のある人と市民が情報交換できる「移住の質問部屋」。スレッド機能があり追跡しやすいのもいい(写真提供/佐久市役所)

移住に興味のある人と市民が情報交換できる「移住の質問部屋」。スレッド機能があり追跡しやすいのもいい(写真提供/佐久市役所)

参加者は、開始2カ月半で約800人が登録。その後じわじわと増え続け、2022年7月現在、1900人強が参加しています。垣波さんによると、誰でも無料で参加できるので、特に発信はしない“見る専”の方も多いそう。匿名でも参加可能のため、本音でトークしやすく、ローカルネタで盛り上がることもあるようです。<拍手>や<いいね>といったリアクションスタンプが押せるのもとっても気楽! チャットを眺めているだけでも、佐久市への興味が高まってきます。

投稿をきっかけに始まった、新たな移住支援サービス

リモート市役所内の投稿をもとに、新たな取り組みも始まりました。佐久市への移住を検討している方向けの試住の支援サービス「Shijuly(シジュリー)」です。

試住をサポートするサイト「Shijuly」も生まれました(写真提供/佐久市役所)

試住をサポートするサイト「Shijuly」も生まれました(写真提供/佐久市役所)

「生活環境を確認したい、学校を見学したい、家を探したい、という方たちに、お試しで滞在する『試住』をおすすめしています。その際の宿泊先や、子どもの預け先はどうするか、コワーキングスペースはあるかなど、知りたい情報をまとめたサイトがShijulyです」と森下さん。
試住中の宿泊費や移動費などに最大50%補助金(上限あり)が出るのも魅力です。補助金の申請もオンラインで行えて便利。「補助金の利用上限日数は最大6日分ですが、2泊を2~3回に分けて、という方も結構いらっしゃいます。ぜひ、移住のシミュレーションをしてみてください」

稲荷山公園など、市内で子どもと遊べる公園も紹介しています(写真提供/佐久市役所)

稲荷山公園など、市内で子どもと遊べる公園も紹介しています(写真提供/佐久市役所)

業務はオンライン、副業OK、報酬ありの「リモート市役所課長」が誕生

さらに、リモート市役所の「課長」を広く募集したことも話題を呼びました。リモート市役所課長は原則オンラインでの業務で、月に1度の運用会議に参加するほか、Slack内の投稿やリアクションにも対応する、いわばリモート市役所の盛り上げ役。副業も歓迎、報酬もあります(今年度は、年間で固定給50万円、企画・運用費50万円)。

リモート市役所課長募集のお知らせも、わかりやすくてユニーク(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所課長募集のお知らせも、わかりやすくてユニーク(写真提供/佐久市役所)

2021年度の初代課長には、実際にリモート市役所を活用して佐久市に移住した、伊藤侑果さんが選ばれました。伊藤さんは、子育てしながら起業家として働く女性。移住者視点、ママ視点を活かして、熱量をもってさまざまなプロジェクトに携わったそうです。
そして今年度、二代目課長に任命されたのは、FMヨコハマのラジオディレクター・やのてつさん。番組の企画で佐久市に訪れたのをきっかけに佐久市のファンになり、首都圏在住でありながら、佐久市への愛にあふれた方なのだそうです。

本年度のリモート市役所課長に選ばれたやのてつさん。任期は2023年3月末まで(写真提供/佐久市役所)

本年度のリモート市役所課長に選ばれたやのてつさん。任期は2023年3月末まで(写真提供/佐久市役所)

7月には、初のオンラインイベント「リモート市役所サミット」が開催されました。サミットでは、移住を検討するファミリーに向けて、佐久市の魅力を感じられる移住モデルコースづくりにチャレンジ。2チームに分かれてZOOMでワークショップを行いました。

リモート市役所サミットの風景。当初はオフラインを予定していましたが、新型コロナの感染者増加に伴いオンラインで実施(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所サミットの風景。当初はオフラインを予定していましたが、新型コロナの感染者増加に伴いオンラインで実施(写真提供/佐久市役所)

課長のやのてつさんが審査員となり、優秀チームを決定。後日、やのてつさんがご家族とともに実際にそのモデルコースを訪問・取材し、FMリモート市役所でオンエアする予定です。
「リモート市役所は文字や写真での発信がメインですが、やのてつさんの課長就任を機に、ラジオコンテンツ『FMリモート市役所』を強化中。またポッドキャストなど、新たな音声コンテンツも発信していく予定なので、お楽しみに」(垣波さん)

FMリモート市役所では、Slackでの投稿から抽出した選りすぐりの情報などを音声でお届け(写真提供/佐久市役所)

FMリモート市役所では、Slackでの投稿から抽出した選りすぐりの情報などを音声でお届け(写真提供/佐久市役所)

こうした取り組みが評価され、リモート市役所は
「シティプロモーションアワード2021」金賞・未来創造賞
「PRアワードグランプリ2021」ブロンズ
「第14回日本マーケティング大賞」奨励賞
「PR Awards Asia 2022」2部門でゴールド
「Golden Worlds Awards 2022」パブリック・セクター部門最優秀賞
といった賞に輝いています。

また、全国の自治体から問い合わせやオンラインでの視察申し込みも相次ぎました。今年5月には、福岡県北九州市でもSlackを用いた移住のオンラインサロン「バーチャル北九州市」がオープン。佐久市のリモート市役所がお手本となって開設されたそうです。

PR Awards Asia 2022の盾が輝きます(写真提供/佐久市役所)

PR Awards Asia 2022の盾が輝きます(写真提供/佐久市役所)

市民同士の交流を深め、シビックプライドの向上をめざす

実際にリモート市役所への参加を機に佐久市へ移住したのは、わかっているだけで3人。ちょっと少ない数字に見えますが、Uターンや長野県内からの転入もあり、数の把握が難しいのだとか。「今年度より移住者の実情を把握するため、市民課の窓口に転入届を出す際に、自分の意思で移転したか、5年以上住み続ける意思があるか、というアンケートを取り始めました。その結果にも期待したいです」と森下さんは言います。

今後のリモート市役所は、どうなっていくのでしょう。
「参加者も増えてきていますし、イベントの開催など、もっと定期的にチェックしてもらえるような場にしていきたい。市民にとっても、市民同士の交流の場として使ってもらえることを期待しています。佐久市っていいところだなと、市民のみなさんに誇ってもらえるように」と垣波さん。
移住情報中心のプラットフォームとしてだけでなく、市民と市民、市民と行政をつなぐ場所としての役割も担うリモート市役所。市民が愛着を持てる、誇れるまちであることが、移住のその先、定住の促進へとつながっていくはずです。

●取材協力
佐久市役所
リモート市役所
Shijuly・シジュリー
FMリモート市役所

好きすぎて長野にサウナ移住。The Saunaをつくったら、聖地になり移住希望者も続々で人生が変わった話 野田クラクションべべーさん

サウナは今、空前のブーム。なかでも全国各地の自然や水質を活かしたアウトドアサウナは、その地域にしかない唯一無二であり、サウナーたちにとって欠かせない体験のひとつとなった。そのアウトドアサウナの先駆者である『The Sauna』支配人の野田クラクションべべーさんは、東京生まれの東京育ち。だが5年前、サウナをつくるために長野県信濃町に移住した。サウナに熱狂し、サウナをきっかけに移住したその後の暮らしはどうだろうか。サウナ移住のいきさつと、移住後の暮らしについて話を伺った。

誰に言うでもなかった密かな趣味、サウナを仕事にしようと思い立った

野田さんは、もともとWEBメディアの広告代理店・株式会社LIGを経営する社長のカバン持ちとしてインターンで就業(その後正社員に)。ブログコンテンツの企画のために社長の無茶ぶりに応え、タイで仕入れたTシャツを1ヶ月で200枚を売るために訪問販売したり、海外で野宿生活を送ったりなどもしていた。そんな日々のなか、1年間車中泊をしながら日本全国を回る企画で国内を放浪していた時にハマったのが、サウナ。開眼のきっかけは、高知県田野町にある入浴施設・たのたの温泉だと振り返る。

「その日は、お遍路で100km程度の道程を3日間かけて歩いてたんですよ。日差しの強い中、お風呂も入らずに歩き続けていたので、両手が日焼けでとっても痛かった。なのでまずは、と水風呂に入ったんですよね。で、体が冷たくなったから、そのままサウナへ。するとサウナ室内でのオルゴール調のBGM、夕方の外気浴、目の前で流れる小川の音と、グルービングがバチッとハマって、はー、気持ちいいなってふわっと体が軽くなった。さらに、その日はすごくよく眠れたんです。それがサウナに目覚めたきっかけですね」

それを機に、東京に戻った後もサウナに通うようになった。

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

その後、ラッパー活動(これも仕事)を通じて本気で音楽をやる人たちに出会ったことで、改めて「自分が本気になれることって何だろう」と考え始めた野田さん。誰に話すわけでもない、それでも通い続けていたサウナならやれる。サウナへの道を進む決断をした。

最初は、会社を辞めてサウナ施設へ転職するつもりだった野田さん。昔からお世話になっている編集者の先輩に相談したところ、社長の運営する長野の宿泊施設「LAMP」内でのサウナ建設をすすめられた。

「まだ湖に飛び込むようなサウナは日本にないから、やってみれば?」。その一言で、野田さんの人生は本格的にアウトドアサウナへと舵をきっていく。アウトドアサウナは、フィンランドが本場。それを知った野田さんは早速社長に旅費を借りて現地視察。自然の地形を活かしたサウナを見て、これを野尻湖でやろう!と決心し、その勢いのまま2018年11月に信濃町に移住した。

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

移住するやいなや、自身で損益分岐表をネットなどで調べながら作成。クラウドファンディングで約6カ月で264万円の建設費を集めることに成功した。

そして半年後、The Sauna 第1号棟の「ユクシ」が誕生する。

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

アウトドアサウナは体験がすべて。だから地元の誰とつくるかを大事にした

“ぜんぶ、しぜん。”をコンセプトにしたThe Saunaは、地元の資材を使うことはもちろん意識しながらも、最も大事にしたところは、地元の誰とつながるか、ということだという。

「利用者にストーリーを話せるサウナにしたい」。そう考えた野田さんが声をかけたのは地元のログハウス会社。「これまでつくったことがない」と言われながらも、一緒にサウナをつくりあげた。また、ヴィヒタを長野の白樺の生産者と共同開発したり、フードメニューに信濃町に移住してきた農家さんがつくった無農薬野菜を取り入れたりもした。

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ500円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ400円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

さらに、と、野田さんは続ける。

「アウトドアサウナって、やはり自然だから、天候によって体験が変わるんです。虫が多くて気持ちよくサウナに入れない日が10点だとしたら、雨上がりで水温が低くてむちゃくちゃ水風呂が綺麗な100点の日もある。同じ場所でも同じ体験ができるとは限らないところも醍醐味なんです。

だからこそ、アウトドアサウナにはスタッフのサービスがとても大事。お客さまにとって心地よいサービスができれば150点になる日もある。The Saunaはそこをすごく重要視してますね。うちは、サ室の温度を保つために薪の管理などをする担当者、いわゆる“サウナ番”がいるのですが、特に設けなくてもいいポジションかもしれない。でも、最高の体験になるように演出するためには必要なんです」

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木枝の木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

勢いで移住したが、コロナ禍で信濃町の魅力をかみしめた

とにかくサウナをつくりたい。その一心で長野県信濃町に移住し、最初の1年はただがむしゃらで、当初は楽しむ余裕もなかった。一人でも多くのお客さんを呼ぶことに夢中で、まちを楽しむどころではなかった。

ところが国内で新型コロナが蔓延し、約2カ月の休業を余儀なくされたとき、LAMPの宿で自身が提供していたサービスを経験してみた。その時に初めて信濃町の魅力に気がついたという。

「野尻湖のおかげで釣りが趣味になりました。起きて5分後には釣りができるんですよ。また春と秋には山菜狩りやきのこ狩りが、夏にはカヤックやSUP、冬にはクロスカントリーやスノーシューが楽しめます。新潟県の上越にもアクセスが良くて山へお出掛けもできる。信濃町は長野駅から車で30~40分程度なので、移動もそこまで苦じゃない――その環境の豊かさを初めて知った時に、『なんていい場所だろう』と改めてこの場所が好きになりました」

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

生活も早寝早起きにシフトチェンジし、東京では難しかった健康的な生活を送っているそうだ。

「何より、自然のことを考える機会が多くなりましたね。嫌でもアウトドアで自然に触れるので、SDGsは意識するようになった。以前はそこまで深く考えることはなかったんですけれどね。例えば、木を永続的に残していくためにはどうしたらいいかとか、自分がおじいちゃんになった後もこの環境をどう維持していくかといったことを考えるようになって、先進的なフィンランドの取り組みを積極的に学んだりするようになりました。今はフィンランドや他の国の人と直接対話がしたくて、人生で初めて英語を学びたいなと思うようになりました」

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

The Saunaは、アウトドアサウナ初心者の利用が多い。つまり、信濃町に初めて触れる機会にもなるというパブリックな一面もあることをとても意識しているという。だからこそ、信濃町の暮らしや観光などについての情報もシェアしているとのこと。

「そのためにも、信濃町の良さをどう多くの人たちと共有できるかを考えるようになりました。信濃町の魅力を知ってもらえれば、ゆくゆくは移住者も増えて、地域の活性化につながるかもしれない。そのためには地域の経済成長が大事です。なので、自分たちのサウナやサービスのクオリティを高めることで、もっと地域に人が来てくれるきっかけになればいいなと思いますね」と話す野田さん。

こうして、個人の“好き”からはじまった勢いまかせのサウナ移住は、徐々に地域をどう盛り上げていけるかという視点へと広がっていったのだ。

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

移住はデメリットもメリットもある。どこで判断するかがポイント

野田さんが移住して今年で5年。アウトドアサウナは、野田さんの活動をきっかけに今や他の地域でも増え、その地域でしか体験できないサウナに魅せられて移住する人が少しずつ出てくるまでになった。野田さんのたった一人の決断もまた、多くのサウナ移住検討者たちへ背中を見せる形となった。

「正直、勢いで移住を決めた僕のパターンはあまり参考にならないかもしれないですが、決めるってことが大事な気がします。信濃町でいえば冬は積雪量が多いので雪かきが必要です。田舎だと虫も多かったりするし、それ以外でも嫌なことだってある。でも都会だって嫌なことはある。その嫌な部分も含めて決断するってことが大事だと思うんですよね。

第三者から見た、住みやすさを条件にするのも、良いは良い。けれどどこの部分で移住を決めるかを自分で実際に通ってみて考えることが割と重要かなと思います」と真っ直ぐ前を見て野田さんは語る。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

The Saunaには、全国から「サウナやアウトドアを楽しみたい、学びたい」という人が移住してきて、スタッフとして働いている。移住希望者には、まずはヘルパー制度という期間を設け、まちや季節感などを実際に体験してから判断してもらうそうだ。

「移住は合う人合わない人がいます。まずは自分にとってどうなのか、できれば、地域の春夏秋冬を見てもらった上で判断してもらえたらいいなと思いますね。住んだ後の人との関係も出てくるので、ローカルルールやまちの集会など理解しておくとスムーズかなと思います。役所などのオンライン移住相談で話を聞くなど、まずは自分の条件やイメージに合うかを一次情報で判断していけたらいいですね」

自分の生活の条件だけでなく、何が好きか、何が許容できて、何ができないのかといった、自分の価値観をどこに置くか。その点が決断するポイントの一つかもしれない。

勢いでしたサウナ移住だったが、価値観や人生観、ライフスタイルもガラッと変わったという野田さん。野田さんは今日もまたサウナを通じて、新たな地域の価値を探っていく。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

●取材協力
LAMP野尻湖
The Sauna
野田クラクションべべ―さん

白馬村から雪が消える?! 長野五輪スキー会場も直面の気候変動問題、子ども達の行動で村も変化

スキーやスノーボードをする人、山を愛する人はもちろん、そうでない人にもおなじみのリゾート地、長野県白馬村。長野五輪も開催されたこの村は、サーキュラーエコノミー(循環経済)に本気で取り組み、2021年にはグッドデザイン賞も受賞しました。人口1万人弱の小さな村で今、何が起きているのでしょうか。現地で取材してきました。

スノーリゾートで人気の街が雪不足の年も。気候変動を体感し、危機感連休明けの5月、白馬の人たちは「今が一番いい季節」と口をそろえていました(写真撮影/嶋崎征弘)

連休明けの5月、白馬の人たちは「今が一番いい季節」と口をそろえていました(写真撮影/嶋崎征弘)

“白馬村とサーキュラーエコノミー”と聞いて、その関係にすぐにピンとくる人は少ないかもしれません。また、大変お恥ずかしい話ですが、筆者は「サーキュラーエコノミー」を正しく理解しておらず、「環境問題に関することでしょ?」などとぼんやり捉えていましたし、正直に話すと、環境問題に特に意識の高い人達にしかまだ定着していない言葉なのかなと思っておりました。

植えられたばかりの稲が風にそよいでいます。山の近さがおわかりいただけるでしょうか(写真撮影/嶋崎征弘)

植えられたばかりの稲が風にそよいでいます。山の近さがおわかりいただけるでしょうか(写真撮影/嶋崎征弘)

サーキュラーエコノミーとは、日本語に直訳すると「循環型経済」で、廃棄されてきた製品や原材料を資源ととらえ、限りなく循環させていく経済の仕組みのことをいいます。今まで製品は生産、消費、廃棄が一方通行で大量生産大量消費を繰り返すことで経済を発展させてきましたが「サーキュラーエコノミー」では、使用が終わった製品を廃棄せずに資源と捉えて循環させ、廃棄物と汚染を発生させずに、環境と経済を両立するという考え方です。

欧州を中心に今、急速に世界中に広まりつつある考え方ですが、では、なぜ日本のリゾート地である白馬村でいち早く取り組んでいるのでしょうか。その背景を聞いてみました。

お話を聞かせてくださった白馬村観光局の福島洋次郎さん。真冬でも日課である犬散歩が大好きな愛犬家です(写真撮影/嶋崎征弘)

お話を聞かせてくださった白馬村観光局の福島洋次郎さん。真冬でも日課である犬散歩が大好きな愛犬家です(写真撮影/嶋崎征弘)

「そもそものはじまりは地元の高校生のアクションなんです。この数年、雪不足の年があったと思ったら、ドカ雪の年があったり。『気候変動の影響かね』『スノーリゾートなのに雪がないなんて笑えないよね』なんて私たちも話していたんですが、子どもたちは自分ごととして捉え、2019年、気候変動危機を訴える『グローバル気候マーチ』を起こしたんです」と話してくれたのは、白馬村観光局で働く福島 洋次郎さん。

子どもたちの真剣な意思表示を、白馬村の大人たちは無視しませんでした。2019年、『白馬村気候非常事態宣言』を白馬村の村長が打ち出し、白馬村では持続可能社会のあり方を考える「サーキュラーエコノミー」に取り組むようになったのです。雪の減少による観光客減という背に腹は代えられない面もあったのかもしれませんが、山を愛し、気候変動を肌に感じるからこそのスピード感といえるかもしれません。

5月の白馬の峰々。圧倒的に尊く、「これは次世代に引き継ぐべき宝だ!」という思いに駆られます(写真撮影/嶋崎征弘)

5月の白馬の峰々。圧倒的に尊く、「これは次世代に引き継ぐべき宝だ!」という思いに駆られます(写真撮影/嶋崎征弘)

取材で訪れたのはウィンターシーズンが終わり、新緑が眩しい5月でした。大きく美しい空と山に残る雪、緑に圧倒され、「環境問題はファッションやきれいごとではないんだ」と胸に迫ってきます。「意識高い」などと思っていた自分の浅はかさ、愚かさが心底恥ずかしくなりました。

雪解け水が地下を通り、湧水となってできた青木湖。夏のアクティビティとしてサップ体験が人気です(写真撮影/嶋崎征弘)

雪解け水が地下を通り、湧水となってできた青木湖。夏のアクティビティとしてサップ体験が人気です(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

湧水ならではの透明感と美しさ。都会で薄汚れた心を浄化してくれました(写真撮影/嶋崎征弘)

湧水ならではの透明感と美しさ。都会で薄汚れた心を浄化してくれました(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

断熱改修、自然エネルギー由来の導入など、行動が早い

そこからの動きは素早く、2020年夏には白馬村で初めての「GREEN WORK HAKUBA」が開催されました。これは、白馬村の事業者や村外のパートナー企業がカンファレンス、ワークショップを重ねながら、白馬村の課題を掘り出し、持続可能なリゾートへと変化するために、解決法や取り組みを考えるプロジェクトです。広告会社の新東通信内に設置された「CIRCULAR DESGIN STUDIO.」と協力して立ち上げました。

過去の「GREEN WORK HAKUBA」開催時の様子(写真提供/CIRCULAR DESGIN STUDIO.)

過去の「GREEN WORK HAKUBA」開催時の様子(写真提供/CIRCULAR DESGIN STUDIO.)

「サーキュラーエコノミーを発信する日本のトップ研究者、SDGsに力を入れていて環境保全にも取り組む企業関係者などが白馬村に滞在・宿泊しながら、持続可能な経済、白馬村のあり方について、ディスカッションしたりアイデアを出し合ったりします。山の目の前、大自然・屋外でワークショップするとね、普段は出ないようなアイデア、素直な議論ができるんですよ」と福島さんは続けます。

GREEN WORK HAKUBAのワークショップ会場「白馬岩岳マウンテンリゾート」(写真撮影/嶋崎征弘)

GREEN WORK HAKUBAのワークショップ会場「白馬岩岳マウンテンリゾート」(写真撮影/嶋崎征弘)

自然に囲まれてワークショップをする「GREEN WORK HAKUBA」、今年も7月に開催予定です(写真撮影/嶋崎征弘)

自然に囲まれてワークショップをする「GREEN WORK HAKUBA」、今年も7月に開催予定です(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬三山に向かって漕ぎ出すブランコは、ゼロ・カーボンだけど体験したくなるアクティビティ。発想がすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬三山に向かって漕ぎ出すブランコは、ゼロ・カーボンだけど体験したくなるアクティビティ。発想がすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

すごいのはアイデアを出して終わりだけではなく、行動まで進めてしまうところ。たとえば、課題としてあげられていたのが、白馬南小学校をはじめとした校舎や建物の断熱性能の低さ。2021年秋には、企業やプロの協力をとりつけ、小学生のDIYによって断熱改修が行われたそう。

「企業に断熱材を提供してもらい、建築士の先生、地元の工務店のプロに手ほどきを受けながら、小学生自身が校舎の断熱改修を実施しました。すると教室が大幅に暖かくなり、今まで昼にはなくなっていた灯油が午後まで残り、驚くほど暖かくなったそうです」(福島さん)

(写真提供/白馬村観光局)

(写真提供/白馬村観光局)

「建物の断熱性を高めてエネルギー消費量を減らし、二酸化炭素の排出量を削減しつつ、教室も暖かくなって健康・快適になる」、そんな経験、お金を払ってでもしてみたいです。しかも小学生のうちから経験できるなんて、うらやましい……。そして何よりすばらしいのが、絵に描いた餅だけでなく、行動をしているところ。すばやい取り組みを見ると、みなさん本気なんですね。

リフトは自然エネルギー由来の電力へ切り替え、照明もLED化するなど、省エネや環境への負荷を低くするための投資・修繕を現在進行形で実施中(写真撮影/嶋崎征弘)

リフトは自然エネルギー由来の電力へ切り替え、照明もLED化するなど、省エネや環境への負荷を低くするための投資・修繕を現在進行形で実施中(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

岩岳マウンテンリゾートの自動販売機で販売しているのは瓶入りのコーラ!(写真撮影/嶋崎征弘)

岩岳マウンテンリゾートの自動販売機で販売しているのは瓶入りのコーラ!(写真撮影/嶋崎征弘)

瓶のほうが再利用は容易です。そしてなぜでしょう、大変美味しく感じます(写真撮影/嶋崎征弘)

瓶のほうが再利用は容易です。そしてなぜでしょう、大変美味しく感じます(写真撮影/嶋崎征弘)

エコなスキー場、ゴミ削減、ゼロ・カーボンの移動など、やりたいこと山積み!

とはいえ、サーキュラーエコノミーの取り組みははじまったばかり。やりたいことばかりが出てきて、実現できるものもあれば、追いつかないものもあると、福島さんは苦笑します。

村を見下ろすこの特等席。よい風景があれば実は何もいらないのかもしれません(写真撮影/嶋崎征弘)

村を見下ろすこの特等席。よい風景があれば実は何もいらないのかもしれません(写真撮影/嶋崎征弘)

「白馬も基本的に車社会なので、旅行者もレンタカーを借りる人が多いんです。でも、サーキュラーエコノミーをうたっているのに、自動車頼みでいいの? という意見があって、『人力車で村をめぐる』というアクティビティがうまれました。しかも引き手は白馬在住のプロ山岳ランナー。白馬でしかできない体験です。ただ、選手なので遠征のときは利用できないんですよ(笑)」と明かします。

また、白馬には約500件の宿泊施設があり、年間250万人が訪れているそう。当然、排出されるゴミの量も半端ではなく、当然、人口約9000人の村では処理しきれないので、周辺自治体と広域で運営する焼却施設に廃棄しています。

「排出ゴミの削減は切実な課題なんです。1つのホテル、1つのスキー場だけは限界があるので、連携してなにかできないかという取り組みもはじまっています。たとえば、ホテルのアメニティを協同のブランドにするなどですね。脱プラを進めるためにも、容器がプラスチックの液体ではなく石鹸のように固体のアメニティにしたいなど、アイデアはたくさんでています」といいます。

白馬ノルウェービレッジのカフェでは、出た食品廃棄物をコンポストで肥料にしています。できた肥料を畑で使い、夏には立派な野菜ができます(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジのカフェでは、出た食品廃棄物をコンポストで肥料にしています。できた肥料を畑で使い、夏には立派な野菜ができます(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジ(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジ(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらはコンポストでつくった肥料を使って夏野菜を育てている畑。ナス、きゅうり、トマトなどは併設のカフェでも出しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらはコンポストでつくった肥料を使って夏野菜を育てている畑。ナス、きゅうり、トマトなどは併設のカフェでも出しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬村は耕作放棄地が少なめ。畑や水田を利用希望者へと受け渡すマッチングも促進しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬村は耕作放棄地が少なめ。畑や水田を利用希望者へと受け渡すマッチングも促進しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

また、スキー場の設備の劣化やメンテナンス、季節ごとの閑散期と繁忙期の差や、各施設の収益力アップも課題になっているそう。
「いくら環境にやさしくても雇用を維持できなければ、持続可能とはいえません。白馬のスキー場は高度経済成長期につくられた設備も多いので、当然、メンテナンス・新しい設備投資も必要になる。夏のアクティビティのバリエーションを増やしたり、テレワークの場所としてアピールしたり。リゾートとして注目されるための新規の設備を設けたり、中長期で必要な設備投資をしつつ、暮らしている人の満足度や幸せ度を上げていけたらいいですよね」(福島さん)

将来的には「カーボンニュートラル(二酸化炭素の排出を全体としてゼロにする)」から一歩進んで、「カーボンネガティブ(二酸化炭素を排出せずに、他地域の二酸化炭素を吸収している)」という構想もあるとか。

地球温暖化は世界の問題で、一つの地域で取り組んでも、その効果は限定的かつ、努力した地域に効果が変えるというものでもありません。白馬村のような先進的的取り組みがさらに様々な地域で展開されていく必要があります。環境と地方の観光、経済を両立する。小さな村ではじまった本気の取り組みが、他の町や村にもよい競争として波及し、さらなる好循環(まさにサーキュレーション!)を生み出すことを期待したいです。

●取材協力
白馬村観光局
GREEN WORK HAKUBA
CIRCULAR DESGIN STUDIO.

名もなき名建築が主役。歩いて楽しむアートフェス「マツモト建築芸術祭」 長野県松本市

2022年1月29日~2月20日、長野県松本市で「マツモト建築芸術祭」が開催されました。市内20カ所の”名建築”を会場に、17名のアーティストによる作品を展示するというもの。各地でさまざまな芸術祭が開催される中でも、「建築」にフォーカスした芸術祭は珍しいものです。建築旅がライフワークの筆者がイベントの様子をレポートします。

日本初の建築芸術祭で楽しむ、有名無名の名建築

江戸時代、城下町として発展した長野県松本市。全国で12箇所しかない、江戸時代以前からの天守が現存する国宝・松本城を筆頭に、江戸時代以来の町割(城郭を中心に据えた区画整備)、戦前の建築物など歴史の名残が色濃く感じられる松本は、街歩きが楽しい人気の観光スポットです。建築を目的にあちこちを旅してきた筆者としては、建築が観光資源になっている地域には、新しく建てられる建築物もまた、優れたものが生まれやすい土壌があると感じます。その最たるものが建築家・伊東豊雄氏の設計で2004年にオープンした「まつもと市民芸術館」。松本城の石垣を意識して外壁のパターンを、伊東氏らしさ全開の軽やかで柔らかなデザインに昇華させたこの建物は、現代日本建築随一の名作として世界的にも広く知られています。

国宝・松本城。無駄な要素が削ぎ落とされた実戦的な城郭建築。黒と白のコントラストが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国宝・松本城。無駄な要素が削ぎ落とされた実戦的な城郭建築。黒と白のコントラストが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

江戸~大正期以来の蔵を改修した商店が建ち並ぶ「蔵通り」こと中町通り。城下町として栄えていたころから、商人の町だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

江戸~大正期以来の蔵を改修した商店が建ち並ぶ「蔵通り」こと中町通り。城下町として栄えていたころから、商人の町だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館。石垣をイメージしたパターンが有機的で軽やかに連続する様子には、竣工から20年近く経った今でも新鮮な印象を受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館。石垣をイメージしたパターンが有機的で軽やかに連続する様子には、竣工から20年近く経った今でも新鮮な印象を受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2Fロビー。壁面に穿たれた大小さまざまなガラス窓が輝き、ハレの空間を演出している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2Fロビー。壁面に穿たれた大小さまざまなガラス窓が輝き、ハレの空間を演出している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また明治期の開国後、西洋の建築デザインを取り込もうと全国で流行した「擬洋風建築」と呼ばれる様式の代表格として、あらゆる日本建築史の教科書に登場する旧開智学校もまた必見の建築物です。

建築・デザイン関係者ならずとも一度は訪れたい松本で開催された「マツモト建築芸術祭」
芸術祭をたっぷり楽しんだ筆者が、総合ディレクターを務めたグラフィックデザイナーのおおうちおさむさんにイベントに込めた想いを伺いました。

生活の中に入り込むアートが、建物を美しく輝かせる国宝・旧開智学校には現代美術家・中島崇氏の作品が展示された。多数の細い糸が建物の前面に張り渡され、鑑賞者が建物に近づけない現状が強調されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国宝・旧開智学校には現代美術家・中島崇氏の作品が展示された。多数の細い糸が建物の前面に張り渡され、鑑賞者が建物に近づけない現状が強調されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「アートがあることで建物が美しく感じられる、そんな関係をつくりたかったんだよね。僕は美術館に展示するために作品をつくっているアーティストはほとんどいないと思っていて。人々の暮らしの中にあって、その人の生活や空間を素敵に魅せるのがアートの本来の役割なんじゃないかな。松本は民藝の聖地でもあって、生活の中に美を見出す民藝の思想と、僕の思うアートの価値が完全につながっていて。日本各地でいろんな芸術祭が開かれているけど、松本だからこそやる意味があることはなんだろうって考えた時に、松本にしかない建築に、そこに展示するからこそ輝く作品・作家を選んでいこうと思った。松本には戦前から大切に使われてきた建築や、いろんな人の手にわたって使われ方も変わりながら引き継がれてきた建築がたくさんある。そういうストーリーをもった生活の中にアートが入り込んでいくのを想像したらすごくワクワクしたんだよね」

池上邸 土藏に展示された、磯谷博史氏の写真作品。線の細い照明は、作家の要望を受けおおうちさんがデザインしたもの(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

池上邸 土藏に展示された、磯谷博史氏の写真作品。線の細い照明は、作家の要望を受けおおうちさんがデザインしたもの(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、芸術祭の会場として選ばれたのは松本城を中心に約800m圏内にある、有名無名の建築物で、おおうちさんの言うように、ほとんどは、筆者も知らないものでした。「名建築」の基準が独自に設定されていて、会場を訪れてみれば、どれも個性豊かで味わいのある建物ばかり。アート作品の解説以上に建物のストーリーが詳しく説明されていることも、この芸術祭の特徴です。

国登録有形文化財のかわかみ建築設計室。取り壊しの相談を受けた設計事務所が、壊すのは忍びないと自ら事務所として借り、後に所有することになった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国登録有形文化財のかわかみ建築設計室。取り壊しの相談を受けた設計事務所が、壊すのは忍びないと自ら事務所として借り、後に所有することになった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

もともと病院として設計された名残が、エントランスの受付スペースに。現在は事務所の作業スペースとして使われており、芸術祭の最中も事務所スタッフの方が忙しく作業していた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

もともと病院として設計された名残が、エントランスの受付スペースに。現在は事務所の作業スペースとして使われており、芸術祭の最中も事務所スタッフの方が忙しく作業していた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階の旧応接室に展示されたロッテ・ライオン氏の作品。幾何学的な作品が、建築を構成する要素と呼応するよう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階の旧応接室に展示されたロッテ・ライオン氏の作品。幾何学的な作品が、建築を構成する要素と呼応するよう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2階はなんと和室になっている。この芸術祭を通じて、外部からは想像も付かない内部空間を体験することが幾度もあった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2階はなんと和室になっている。この芸術祭を通じて、外部からは想像も付かない内部空間を体験することが幾度もあった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここでしか見られない、建築とアートのマッチング

「僕も何回も松本には来ていたんだけど、そんなに建築に詳しいわけじゃなくて。もともと市役所に勤めていた米山さんっていう、とんでもない建築マニア、それこそ松本にある建築で知らないものはないみたいな人がいて。その人に、今回のビジョンを話したら次の日に膨大なリストをつくって持ってきてくれたんだよね。そこから気になったものをピックアップして話を聞いたり、実際に見に行った。その中で、あぁ、この建築にはこんな作品が置かれると良いだろうなぁ、ってインスピレーションが湧いた建築を選んでいって、最終的に60箇所くらいの候補のなかから絞り込んで20会場に落ち着いたんだ」

擬洋風の看板建築、下町会館。一般的な看板建築では建物のメインの立面のみデコレーションすることが多いなか、四周余念なくデザインされている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

擬洋風の看板建築、下町会館。一般的な看板建築では建物のメインの立面のみデコレーションすることが多いなか、四周余念なくデザインされている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここに展示されたのは土屋信子氏の作品。普段は共有のオフィスとして公開され、誰でも申し込めば使うことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここに展示されたのは土屋信子氏の作品。普段は共有のオフィスとして公開され、誰でも申し込めば使うことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回の目玉のひとつ、国登録有形文化財の割烹 松本館。昭和十年ごろの建設時に太田南海が腕を振るった精巧な装飾があふれる空間に、小畑多丘氏の彫刻が展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回の目玉のひとつ、国登録有形文化財の割烹 松本館。昭和十年ごろの建設時に太田南海が腕を振るった精巧な装飾があふれる空間に、小畑多丘氏の彫刻が展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松本館の外観からは、とても内部が想像できない。地元民でさえ、芸術祭を通して初めてその魅力に触れた人も多いことだろう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松本館の外観からは、とても内部が想像できない。地元民でさえ、芸術祭を通して初めてその魅力に触れた人も多いことだろう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「たとえばまつもと市民芸術館は、伊東さんが石垣をイメージしてデザインした壁の隙間から差し込んでくる光に(井村)一登さんの作品を合わせたいなっていう、すごく単純な発想。たくさんの人が行き来するあの階段に置いてあったら、見ようによっては空間ごと彼の作品に見えてくるんじゃないかとか、想像が広がっていくよね。どの建築にどの作家の作品を展示してもらうか、っていうのは全部僕が決めていて、建築の空間と普段どんな使われ方をしているかってとこからイメージしていった」

まつもと市民芸術館、エントランスから2Fへ上がる大階段。左手の台に展示されているのが井村一登氏の作品(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館、エントランスから2Fへ上がる大階段。左手の台に展示されているのが井村一登氏の作品(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「旧念来寺の鐘楼は、お墓が並ぶところに建っていて、隣がショッピングモールになってるでしょ。人の日常的でささいな営みと、死後の世界とが共存しているなかに、他愛ないやり取りを作品化した山内(祥太)さんの映像が入り込んでいったら面白いなと思って。映像の世界観も新しくて、忘れていた記憶を引っ掻き回されるような不思議なアンリアルが、あの場所だからこそ生まれてる。アートを美術館から人の生活の中に引きずり出してあげることで、建築もアートも今までと違って見えてくる。誰にでも分かりやすい作品は選んでないから、見た人は本当に良いと思えるか、自分の眼で判断しなきゃいけない。ステートメントなんか読まなくても魅力が伝わる作品を選んでるつもりだけど、わからないな、つまんないなって人も当然出てくる。そうすることでこびりついた価値観を引き剥がしてフラットにものを見る力が養われていくことも期待してる。市は松本をアートの街に、っていう構想をもってるんだけど、本気でやるならそれくらいオリジナルなことをやらなきゃいけないと思ってて。既存の評価軸とか、過去の成功事例に乗らずに自分たちでなにが本当に価値があるのか、判断してくのはものすごくハードルが高いことで、すごくチャレンジングなことだけど、この芸術祭はその一端になったんじゃないかな」

墓地の真ん中に建つ旧念来寺鐘楼。左手側奥にショッピングモールがある(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

墓地の真ん中に建つ旧念来寺鐘楼。左手側奥にショッピングモールがある(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

なにも変えなくても、違う体験になる

ひとつひとつ建築を読み解いて、この空間にどんな作品を展示するとその場所が輝くのか。実際に足を運んで建物を選んでいくおおうちさんの熱意は相当なものです。その熱意が建物のオーナーさんにも伝わったようで。

「普通こうやって建築を活用するイベントだと、なかなか使用許可が下りないケースが多いんだけど、今回ネガティブな理由で使えなかった建物はひとつもなかった。やっぱり松本の人たちも、古い建物を守っていきたいという想いがある一方で、なかなか良い使い方ができていないってジレンマがあったんじゃないかな。新しい使い方を拓く可能性に賭けてくれたんじゃないかなって思ってる。あとはやっぱり齊藤社長の存在。彼の松本に対する貢献って本当に大きくて、松本をアートで盛り上げていきたいっていう想いが今回の芸術祭に関わった人たちの姿勢に影響を与えてる。集まってくれたボランティアの人たちも、運営に携わった実行委員会の人たちも本当に熱意があって、だからこそ良いイベントになったと思うね」

齊藤社長とは、芸術祭の実行委員長で扉ホールディングス株式会社 代表取締役の齊藤忠政氏のこと。扉ホールディングスは、創業90年の歴史をもつ老舗旅館「扉温泉 明神館」や今回の会場にもなった、古民家を改修した高級レストラン「レストラン ヒカリヤ」など、松本の観光業をまさに建築体験を通じて盛り上げてきた立役者です。かく言うおおうちさん自身も、齊藤社長の熱意に動かされてきたひとり。

会場の一つで、写真家・石川直樹氏の作品が展示されたレストラン ヒカリヤ。国登録有形文化財に登録されている明治時代の建築。奥に建つ蔵が会場となった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

会場の一つで、写真家・石川直樹氏の作品が展示されたレストラン ヒカリヤ。国登録有形文化財に登録されている明治時代の建築。奥に建つ蔵が会場となった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ヒカリヤの展示会場へは母屋の隣に建つ建物を抜けて向かう。作品へ至るアプローチも芸術祭を楽しむ仕掛けになっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ヒカリヤの展示会場へは母屋の隣に建つ建物を抜けて向かう。作品へ至るアプローチも芸術祭を楽しむ仕掛けになっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

普段はフレンチレストランとして使われているヒカリヤ。最低限の手入れによって、文化財が美しく活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

普段はフレンチレストランとして使われているヒカリヤ。最低限の手入れによって、文化財が美しく活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もう十何年も前、それこそ僕がヒカリヤのアートディレクションをやらせてもらって齊藤社長と知り合ったころから、ずっと、松本に残る古い建築をどうにかして残していきたいって話は聞かされてたんだよね。だけど、保存して置いておくだけじゃどんどん朽ちていって命が失われていくから、使い続けることを考えた方が良いって話をずっとしてた。やっぱり時代時代の使われ方に応じてこそ、生きた建築って言えると思う。芸術祭ではいわゆる保存とはアプローチが違うけど、新しい使い方を気づかせてあげられたんじゃないかな。旧宮島肉店なんか、ボロボロのまま長いこと放置されてたのを片付けるところから始まったんだけど、芸術祭が始まってから何件もあそこを使いたいって相談が来てる。実は僕も、今後の芸術祭準備のための拠点として使おうと思っているんだけどね(笑)」

旧宮島肉店外観。コンパクトながら均整の取れたプロポーションが特徴的。それにしてもよく見つけてきたなと思わされる、素朴な建物だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧宮島肉店外観。コンパクトながら均整の取れたプロポーションが特徴的。それにしてもよく見つけてきたなと思わされる、素朴な建物だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、旧宮島肉店に作品を展示するにあたり、壁紙を剥がすなど大胆に手を入れた。老朽化が進む建物を事務所として使うためには、それなりの改修が必要になる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、旧宮島肉店に作品を展示するにあたり、壁紙を剥がすなど大胆に手を入れた。老朽化が進む建物を事務所として使うためには、それなりの改修が必要になる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「今回、建築やアーティストとじっくり向き合ったからこその成功だったと思ってるから、この規模感は守っていきたい。なにも変えなくても、使う会場や展示する作家が変わるだけで全然違うイベントになるからね。これだけコンパクトだからこそ、街歩きもしながら1日で全部の会場を回れて、楽しみやすい芸術祭になってるし。少し数を減らして、1棟まるごと使った展示も考えてみたいかな」

鬼頭健吾氏の作品が外壁窓、中庭へ抜ける通路の天井と中庭に展示された、NTT東日本松本大名町ビル(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

鬼頭健吾氏の作品が外壁窓、中庭へ抜ける通路の天井と中庭に展示された、NTT東日本松本大名町ビル(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中庭にはカラフルなアクリル板でかたちづくられた舟型の作品が。単体で展示されるのと、ビル全体を使った展示のひとつとして見るのとではまた印象が変わってきそうだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中庭にはカラフルなアクリル板でかたちづくられた舟型の作品が。単体で展示されるのと、ビル全体を使った展示のひとつとして見るのとではまた印象が変わってきそうだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「次は蔵通りに会場を必ず設けたい。実はもう次回に使いたい建物は決まってて、ひとつは看板建築の古い薬局で、もうひとつは旧開智学校を手掛けた大工が建てた蔵。あとはどうにかして松本城を会場にできないかなっていうのは考えてる。この時期いろんなイベントが重なってて、今回は断念したんだけど。旧開智学校も耐震工事を終えたらお披露目をしたいね。規模は守りつつ、単発のイベントでサテライト会場として中心部から少し離れた場所を使ってみる、みたいなやり方にもチャレンジしたいな」

いまも薬局として使われているミドリ薬局。装飾から立体感が感じられる看板建築だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

いまも薬局として使われているミドリ薬局。装飾から立体感が感じられる看板建築だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

立石清重が晩年に手掛けた蔵。立石は旧開智学校の設計・施工にも携わった、明治期の松本で活躍した大工として知られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

立石清重が晩年に手掛けた蔵。立石は旧開智学校の設計・施工にも携わった、明治期の松本で活躍した大工として知られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

会場を変え、作家を変え、継続していく建築芸術祭。実現すれば、そのたびに建築やアートの新しい楽しみ方が見つかるに違いありません。

人と建築の関係に転換を迫る、アートの力

筆者が今回の芸術祭を通して感じたことは、建築の見方をほんの少し変えてみることで、こんなにも豊かな世界が広がっているのかということでした。会場に指定されていなければ、決して中に入ることも注目することもなかっただろう建物に、芸術祭をきっかけに出会うことができたことは、参加者皆の財産になっていることだと思います。実際に中に入ってみると、外観からはまったく想像がつかない魅力にあふれた建築をいくつも訪れることとなりました。それもそのはずで、おおうちさんがアートは人の生活のためにあるものと言うように、建築もまた人々の生活のためにあるものです。生活とともにある建築の姿を知って初めて、その建築の魅力も知ることができるのだと思います。

総合ディレクターのおおうちおさむ氏。隣の井村一登氏の作品は、おおうち氏所蔵のものから出品した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

総合ディレクターのおおうちおさむ氏。隣の井村一登氏の作品は、おおうち氏所蔵のものから出品した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中に足を踏み入れて、普段どのような使われ方をしているのか想像してみる、あるいはそこに置かれたアートと対峙することで、自分だったらこの建築にどんな価値を見出すことができるか考えてみる。そのような建築との向き合い方がデザインされていました。

そのような視点で日々の生活で触れる建築を見てみることで、いままで見過ごしていた可能性や価値を発見することができるかもしれません。松本ではいまもたくさんのお店が古い建物をリノベーションし、営業していますが、これからよりオリジナルな使われ方が模索されていくのではないかと期待が膨らむきっかけとなりました。さらに、そこにしかない建築に、その空間に合った作品を展示するマツモト建築芸術祭の枠組みは、全国どんな場所であっても実践可能だと、おおうちさんは語っていました。松本ではじまった建築活用の新しい取り組みが、全国さまざまな名建築を舞台に広がっていくことを夢見させてくれる、幸せな芸術祭でした。

●取材協力
m.truth 株式会社

「松本十帖」で“二拠点生活”。温泉街再生プロジェクトで共同湯文化に浸る【旅と関係人口2/浅間温泉(長野県松本市)】

コロナ禍を背景に、開放感と地域への共感、貢献感など心が満たされる場所(心のふるさと)へのニーズが高まっている。従来の観光を目的とせず、現地の暮らしを体験したり、文化に触れたり、現地の人々と交流する旅である。地域のファンとなり、何度も訪れることで、結果的に関係人口が増えた地域も。旅からはじまる地域との新しい関係とは。これからの旅の在り方のヒントとして、長野県松本市の浅間温泉リノベーションプロジェクト「松本十帖」を紹介する。

宿泊客以外も利用できるカフェを併設。開かれた宿が街歩きの起点に

長野県松本市の浅間温泉は、飛鳥時代から約1300年続くとされ、温泉街から車で10分の距離に松本城があり、安曇野や上高地、白鳥など信州全域への観光拠点になっている。いま、時代の変化に置いて行かれ、歴史があっても廃れていく温泉街が後を絶たないが、浅間温泉街も例外ではない。城下町の奥座敷という恵まれたロケーションにありながら、全盛期に比べ、温泉街を歩く人の姿は減少していた。

そこで、温泉街再興の起爆剤として2018年3月に始まったのが、貞享3(1686年)創業の歴史を持つ老舗旅館「小柳」の再生プロジェクト「松本十帖」だった。ホテル単体の再建ではなく、温泉街を含む「エリアリノベーションのきっかけ」になることを目指した画期的な取り組みだ。

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

4年の歳月をかけて2021年5月に誕生した複合施設「松本十帖」は、宿と街の関係を深める新しいモデルとして注目を集めている。もともと老舗旅館「小柳」が建っていた敷地内に、「HOTEL松本本箱」と以前の名前を冠したまったく新しい「HOTEL小柳」がオープン。ホテル内には、ブックストア、ベーカリー、レストランなどがあり、宿泊者以外も利用できるように入口を4か所設けて、地域に閉じていた旅館を「解放」。2軒のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」「哲学と甘いもの。」は、“温泉街を人々が回遊すること”をイメージして、あえて敷地外につくった。

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

古民家を借り受けて改装した「Cafeおやきとコーヒー」は、ホテルのレセプションを兼ねている。そもそもホテル敷地内には駐車場がない。宿泊者の駐車場はホテルまで徒歩2、3分のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」の横にあるのだ。宿泊者は、まず、カフェでチェックインし、おやきとコーヒーのウェルカムサービスをいただいてから、温泉街を歩いて、歴史ある温泉街を訪れたという気持ちを高めながら、ホテルへ向かう。ホテルに着くと、Barを兼ねたフロントでは、スタッフが温泉街の成り立ちや文化を紹介してくれる。

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

ホテルから温泉街全体へ波及させ、地域活性化を目指す「松本十帖」は完全な民間プロジェクト。一般的に公的資金を投入して行うようなプロジェクトを引き受けた株式会社自遊人代表取締役でクリエイティブディレクターの岩佐十良(いわさ・とおる)さんに、プロジェクトにかける想いを伺った。

「私が思い描くのは、メインストリートに人があふれるほどにぎわう浅間温泉街の姿。『松本十帖』が、その呼び水になれば。『地域に開かれた宿』と注目されていますが、私にとって地域に開かれた宿が当たり前という感覚です。そもそも温泉街は、街歩きを楽しむ場所としても発展してきました。しかし、昭和30年代以降、観光バスでやってきて宿の中で楽しむ団体旅行が主流になり、街なかにあったラーメン屋やカラオケ、バーまでも施設内に取り込んで、大型化していきました。宿泊施設の中で完結するようになった結果、温泉街が廃れてしまったのです。でも、そういう時代は終わりました。宿に来てもらうだけでなく街に出てもらう。『松本十帖』は、双方向から仕掛けをつくっています」(岩佐さん)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

また食べたい! もっと知りたい! 旅の心残りがリピートのきっかけ

温泉街に人を呼び戻すには、まずは、「行ってみたい」と思わせる宿がいる。雑誌「自遊人」を発行する出版社の経営者である岩佐さんは、新潟県大沢山温泉の「里山十帖」など地域の歴史や文化を体験・体感でき、ライフスタイルを提案する複合施設としてのホテルをプロデュース、そして自ら経営してきた。「HOTEL松本本箱」「HOTEL小柳」の設計を依頼したのは、注目の建築家、谷尻誠氏と吉田愛氏が率いるサポーズ デザイン オフィスと、長坂常氏が代表を務めるスキーマ建築計画など。サポーズ デザイン オフィスが「HOTEL松本本箱」を手掛け、スキーマ建築計画が敷地内の「小柳之湯」や「浅間温泉商店」「哲学と甘いもの。」などを手掛けた。小柳旅館解体時に現れた鉄筋コンクリートの躯体やもともとの内装を活かしながら、洗練されたホテルに生まれ変わった。

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

ユニークなのは、昔からある地域住民のコミュニティ「湯仲間」で管理し利用する共同浴場を、あえて「松本十帖」の中に復活させたこと。「Cafeおやきとコーヒー」の2階席の階下には、湯仲間しか入れない共同浴場「睦の湯」がある。地域住民しか入浴できない温泉を、観光客が出入りする「松本十帖」に取り入れた狙いはどこにあるのだろうか。

「従来の考え方では、観光客が入れないんだったら意味がないじゃないかと思われるかもしれませんが、私はこういった見えない文化も観光資源だと思っているんです。『睦の湯』など、浅間温泉各所にある共同浴場には、地元のタンクトップ姿のおじさんが、四六時中温泉街を歩いて温泉に入りに来ます。これこそが、生活に根付いた温泉街の姿ですよね。観光客も『入れない風呂があるなんて面白そうだ』と感じてくれます。そこで、観光客と湯仲間のおじさんの間に『どんなお風呂なんですか』『めちゃくちゃいい湯だよ』といったような会話が生まれるかもしれません」(岩佐さん)

それが、岩佐さんが「生活観光」と呼んでいる地域の風土・文化・歴史を体感できる新しい旅。「睦の湯」を通して、偶発的な会話が生まれるように「松本十帖」という場所がデザインされているのだ。観光客用には、「松本十帖」の敷地内に「小柳之湯」を用意している。設備は「睦の湯」と同じく、シャンプーやボディーソープはなく、脱衣所と半露天のシンプルな浴槽のみ。源泉かけ流しの小さな湯舟に浸かれば、生活の中に息づく温泉街を感じられる。

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

ホテルにはリピーターも多いが、大きな理由は“食”にある。ホテルの夕食は、地域の「風土・文化・歴史」を表現した料理で、レストラン名は、「三六五+二(367)」。三六七(三六五+二)は信州をS字に流れる日本一の大河、千曲川(信濃川)の総延長が367kmであることに由来する。365日の風土と歴史、文化(+二)を感じてもらいたいという思いが込められている。食材は地場の野菜や千曲川・信濃川流域と日本海でとれた魚が中心。キャビアなどの豪華食材を使うことはなく、季節のものを厳選し、いつ来ても違う味に出会える。ほかに、1万冊を超える蔵書を誇るブックカフェ「松本本箱」のとりこになり、リピーターになる人もいる。料理と本で「また食べたい」「もっと知りたい」という「旅の心残り」を誘う。松本十帖は、コロナ禍による閉塞感からの解放にとどまらず、自分の感性を磨いたり、思考を整理したり、ポジティブな目的を持って訪れる人が多いそうだ。

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

日常でも非日常でもない「異日常」へ もう一人の自分に会いに帰る旅

岩佐さんが手掛けたホテルを何度も訪ねている鈴木七沖さん(すずき・なおき、57歳・編集者)に魅せられる理由を伺った。25年間、本づくりに携わり、現在は映像制作も手掛けている鈴木さんは、神奈川県茅ケ崎市在住で、「箱根本箱」には6回、新潟の「里山十帖」には3回、「松本十帖」にはオープン直後に訪れている。「松本十帖」の敷地外のカフェでチェックインした鈴木さんは、細い温泉街の道を歩いて宿まで移動しながら、気持ちが整っていく感じがしたという。本をゆっくり読むため外出することは少ないが、温泉に入ったり、食事をしたりするのがいいリセットになる。

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

「僕の場合は、観光する目的ではなく、自分の考えを整理したり、発想力を豊かにするために宿泊しています。何回も通っている理由は、なんていうか、自分の‘‘残り香‘‘がする場所になっているからなんです」(鈴木さん)

‘‘残り香‘‘とは何かたずねると、鈴木さんは、「日常ではない場所にいるもう一人の自分」だと答える。

「『松本十帖』だけでなく岩佐さんの手掛けたホテルでは、日常ではなかなか出会えないもう一人の自分に出会えるんです。旅行に行くというより『帰る』という感覚。自分と対話できる時間と空間がたっぷりある。僕にとって魔法が生まれる場所です」

普通の観光であれば、南の島に行ってきれいな海で泳ぐなど非日常を楽しむのが目的だ。鈴木さんの体験は、日常でも非日常でもない「異日常」という表現がしっくりくる。鈴木さんは街づくりのオンラインサロンを運営しているが、「異日常」は二拠点生活の感覚に近いという。

「異日常は、日常では思いもよらないアイデアだったり、もう一つの感性だったりを気付て「ぜひ出店したい」と「cafeおやきとコーヒー」の目の前におしゃれなパン屋さんができた。岩佐さんは、「浅間温泉街を起点に松本市内にいろんなマップマークが出てくれば、大きなうねりが起きる可能性がある」と期待を寄せる。宿から街に人の流れができれば、地域のファンになり、関係人口として関わる人も増えるはず。新しい旅の形には、人口減少問題解決の鍵となる地方再生の可能性が秘められている。

●取材協力
・松本十帖
・鈴木七沖さん

災害復興の体験型テーマパーク! 楽しみながら有事に備える「nuovo」

地震、台風、大雨、大雪……。近くの街が、大切な人が住む街が被災してしまったら。災害ボランティアとして駆けつけたい思いはあっても、「自分が行っても非力では」と、一歩を踏み出せない人がいます。また実際にボランティアを体験し、現場で力不足を痛感したという人も。
そんな人にぜひ注目してほしいのが、平時を楽しみながら有事に備える、日本初の防災アミューズメントパークです。

台風19号で地元が被災。復興作業には重機オペレーターが不可欠だった

「栗のまち」として知られる長野県小布施町(おぶせまち)に、2020年10月にオープンした「nuovo(ノーボ)」。浄光寺の副住職である林映寿(はやし・えいじゅ)さんが、東日本大震災を機に立ち上げた一般財団法人「日本笑顔プロジェクト」が運営する、体験型ライフアミューズメントパークです。
創設のきっかけは、2019年10月、台風19号により千曲川が決壊し、小布施町をはじめ近隣市町村が甚大な被害を受けたこと。住宅地や農地に大量の泥が流れ込み、ボランティアによるスコップでの泥かきは途方もない作業で、人力での限界を感じたといいます。一方、重機は各所から確保できたものの、オペレーターが圧倒的に不足していたことから、今後災害現場で即戦力となる人材を育成しなければ、と実感したそうです。
「『ディズニーより楽しく、自衛隊より強く』がnuovoのモットー。楽しんでいたら防災力がアップしていた、そんな施設をめざしています」(林さん)

小布施町の広大な遊休農地を活用したnuovo(写真撮影/塚田真理子)

小布施町の広大な遊休農地を活用したnuovo(写真撮影/塚田真理子)

日本笑顔プロジェクト代表の林さん。全国の支部は現在37カ所にまで拡大(写真撮影/塚田真理子)

日本笑顔プロジェクト代表の林さん。全国の支部は現在37カ所にまで拡大(写真撮影/塚田真理子)

農業+防災でノーボ。農エリアは非常時の食料補給に役立つ

nuovo(ノーボ)というネーミングは、農業+防災=「農防」から付けられました。敷地面積は約4000平米で、そのうち1/4が畑として整備されています。ここでは「災害時こそ栄養あるものを」と、炊き出しに使える野菜を栽培。土の中で保存がきくネギや根菜類を中心に、近所の80代のおばあちゃんが管理してくれているそう。災害時に備えつつ、平時にはイベントで収穫体験も楽しめたりします。
そして敷地の3/4が防災エリア。ふだんは、日本笑顔プロジェクトが災害支援経験で役立ったものを集約して常設しています。例えば、緊急時にスピーディに設営できるエアードームは、天井が高く中はゆったり。連結もでき、折り畳めば段ボール1個分とコンパクトに。また災害支援が中長期的になった際、防災本部として機能するトレーラーハウスもあります。屋上付きのため、ここから被災エリアを偵察したり、大勢のボランティアチームに指示を出したりするのに役立ちます。

畑では地元農家さんの手を借りて、ネギや根菜類を栽培している(写真撮影/塚田真理子)

畑では地元農家さんの手を借りて、ネギや根菜類を栽培している(写真撮影/塚田真理子)

広大な果物畑に囲まれたのどかな場所(写真撮影/塚田真理子)

広大な果物畑に囲まれたのどかな場所(写真撮影/塚田真理子)

イベント時には野菜の収穫体験やBBQも(写真撮影/塚田真理子)

イベント時には野菜の収穫体験やBBQも(写真撮影/塚田真理子)

エアードームは重機を収納するスペースにもなる(写真撮影/塚田真理子)

エアードームは重機を収納するスペースにもなる(写真撮影/塚田真理子)

体力を使う災害ボランティアが快適に過ごせるよう、トレーラーハウスはエアコン完備。隣には、水を使わず微生物の力で排泄物を分解・処理するバイオトイレも設置(写真撮影/塚田真理子)

体力を使う災害ボランティアが快適に過ごせるよう、トレーラーハウスはエアコン完備。隣には、水を使わず微生物の力で排泄物を分解・処理するバイオトイレも設置(写真撮影/塚田真理子)

四輪バギーやショベルカーの操縦体験はまるでアトラクション

さて、この防災エリアが実は楽しいアトラクションエリアでもあるのです。いきなり重機の資格を、といってもハードルが高いということで、まずはATV四輪バギーに乗ってみたり、重機の初歩的な操縦をしてみたりする「体験コース」が用意されています。
筆者も今回初めて体験させてもらったのですが、アトラクション感覚で楽しんでしまいました! あらゆる地形を縦横無尽に走る四輪バギーの後部座席に乗車すると、クルーの運転で高低差のあるデコボコ道をずんずんと進みます。スピードも出せますが、要救護者を乗せることも多いということで、慎重に運転しますというクルーの気遣いにジーン。
さらにショベルカーの操縦も初体験。アームを操作して土を掘ってみると、そのパワフルさを実感します。笑顔プロジェクトの思惑通り(?)、自然と笑顔になっていました。そして意外と自分でもできるんだ、と感動していたら、「力の弱い女性こそ、重機を扱えるようになってほしい」と林さん。なるほど、納得です! 実際、重機資格を取得する人の3~4割は女性なのだそうです。

人や物資の運搬、ゴミ回収などに活躍するATV四輪バギー。昨年冬に北陸で発生した雪害の際は、高速道路上の滞留車に支援物資を届ける緊急支援車両として出動した(写真撮影/林映寿さん)

人や物資の運搬、ゴミ回収などに活躍するATV四輪バギー。昨年冬に北陸で発生した雪害の際は、高速道路上の滞留車に支援物資を届ける緊急支援車両として出動した(写真撮影/林映寿さん)

体験コースはファミリーでの参加も可能。働く車好きの子どもと楽しんでいたら親がハマってしまった、というケースも多いそう。四輪バギーは資格取得だけでなく、購入に至った人もこれまでに4人いるとか!(写真撮影/塚田真理子)

体験コースはファミリーでの参加も可能。働く車好きの子どもと楽しんでいたら親がハマってしまった、というケースも多いそう。四輪バギーは資格取得だけでなく、購入に至った人もこれまでに4人いるとか!(写真撮影/塚田真理子)

クルーの手解きで、パワーショベルの操縦も初体験(写真撮影/林映寿さん)

クルーの手解きで、パワーショベルの操縦も初体験(写真撮影/林映寿さん)

重機資格取得コースの休憩時間には、水陸両用バギーの乗車体験も行われた。テーマパークのアドベンチャーのようなワクワク感!(写真撮影/塚田真理子)

重機資格取得コースの休憩時間には、水陸両用バギーの乗車体験も行われた。テーマパークのアドベンチャーのようなワクワク感!(写真撮影/塚田真理子)

マスクで分かりにくいけれど、体験時には誰もが林さんが描いたロゴのような笑顔に(写真撮影/塚田真理子)

マスクで分かりにくいけれど、体験時には誰もが林さんが描いたロゴのような笑顔に(写真撮影/塚田真理子)

打ちっぱなしならぬ掘りっぱなし!? サブスクで重機トレーニング

今回おじゃましたのは、災害現場で役立つ技能を身につける「重機資格取得コース」の2日目。初日の学科を経て、この日は重機を操作し整地や運搬、掘削などを学んでいきます。合間には、クルーの重機隊によるパフォーマンスタイムも。惚れ惚れするような技に、受講者はもれなく動画を撮影。いやぁ、かっこいいです!
ただ、資格を取ったらそれで終わり、ではありません。「いざ災害現場に行ってみると、重機のエンジンすらかけられない人も。資格を取ってもその後使っていなければ忘れてしまうのは当然ですよね」と林さん。そんなペーパードライバーにならないために設けられたのが、日本初の「サブスク会員コース」です。
月額課金制で、月に10日ほどある実施日に重機やバギーのトレーニングが受けられるというもの。「ゴルフの打ちっぱなしならぬ掘りっぱなし」感覚で、休日趣味のように通う人もいれば、小布施観光を兼ねて遠方から受けに来る人も。さまざまな場面での運転、操作の経験を積んで腕を磨くことで、いざというときの即戦力になれるのです。

台風19号の災害ボランティアをきっかけに、介護職から転身し日本笑顔プロジェクトのクルーとなった春原圭太さんによる重機パフォーマンス。華麗な操縦に拍手が湧く(写真撮影/塚田真理子)

台風19号の災害ボランティアをきっかけに、介護職から転身し日本笑顔プロジェクトのクルーとなった春原圭太さんによる重機パフォーマンス。華麗な操縦に拍手が湧く(写真撮影/塚田真理子)

災害現場は足場が悪く、泥沼に入ることも。作業後、キャタピラーについた泥の落とし方を伝授(写真撮影/塚田真理子)

災害現場は足場が悪く、泥沼に入ることも。作業後、キャタピラーについた泥の落とし方を伝授(写真撮影/塚田真理子)

重機資格取得コースの講習風景。災害現場での経験豊富なクルーが指導にあたる(写真撮影/塚田真理子)

重機資格取得コースの講習風景。災害現場での経験豊富なクルーが指導にあたる(写真撮影/塚田真理子)

近隣の倒木現場がサブスクトレーニングの実践の場に

nuovoでは、今回見学した重機資格(パワーショベルでの整地・運搬・積み込み及び掘削)に加え、パワーショベル(解体)、チェーンソー、四輪バギー、普通救命講習と、災害時に役立つ計5種類の資格取得コースを用意しています。日程はそれぞれ別で、講習日数は半日~3日間。
資格取得後のサブスクトレーニングでは、災害現場を想定した10段階の検定が設けられています。いざ災害が発生した際には、日本笑顔プロジェクトからサブスク会員や修了生に声がかかる段取りで、それぞれのレベルに合った現場がコーディネートされるそう。「安全性を重視し、初心者からベテランまで、無理のない支援活動を行えるよう心がけています」(林さん)。
nuovo発足後大きな災害は起きていないため、被災地での活動はまだありませんが、長野市戸隠での川の増水による倒木撤去作業に駆けつけるなど、実践経験が積めるのもサブスクのいいところ。また、重機資格を取得した農家の方が自分の畑の木の抜根を行うなど、実務で活用するケースもあるそうです。

資格講習を終えると、修了証が交付される(写真撮影/塚田真理子)

資格講習を終えると、修了証が交付される(写真撮影/塚田真理子)

nuovoで資格を取得すると、サブスクコースが利用できる仕組み。サブスクは月額1000円(月に30分のトレーニング無料)~。半年間繰越も可能(写真撮影/塚田真理子)

nuovoで資格を取得すると、サブスクコースが利用できる仕組み。サブスクは月額1000円(月に30分のトレーニング無料)~。半年間繰越も可能(写真撮影/塚田真理子)

スキルアップの先は、受講者を指導するクルーへの道も拓ける

レベルごとに災害現場で役立つ技術が学べるサブスクコースですが、経験を積んでレベル1に合格すると、nuovoクルーとして受講者を指導する仕事につながることもあります。四児の母という山本真衣子さんもそのひとり。親しみやすい雰囲気もあり、特に女性受講者にとっては憧れの存在です。
「台風19号のときは育児もあり動けずモヤモヤしていました。道に重機があると見惚れて学校に遅れる子どもだったので、昔から興味はあったものの、お金を出して資格を取っても使うことないなって。でもここでちゃんと習得すれば防災の備えになると知って、行動に移せました」。
nuovoでは、重機オペレーター1000人の育成をめざしていて、現在449人を達成(2021年6月18日現在)。「1000人という数字は、資格取得者10人のうち1人がサブスクでトレーニングを積んでくれたらいいなと。そうして災害時に100人規模の即戦力があれば、自衛隊よりも早く動き出せます」と林さんは言います。

資格取得とサブスクでのトレーニングを経て、クルーの一員となった山本さん。現在では受講者を指導する立場に(写真撮影/塚田真理子)

資格取得とサブスクでのトレーニングを経て、クルーの一員となった山本さん。現在では受講者を指導する立場に(写真撮影/塚田真理子)

大学を休学し、現在事務局長を務める神戸智基さん(右)、代表の林さん、副代表の春原さんをはじめ、常勤クルーは3名。ほか10名の非常勤クルーがnuovoを支えている(写真撮影/塚田真理子)

大学を休学し、現在事務局長を務める神戸智基さん(右)、代表の林さん、副代表の春原さんをはじめ、常勤クルーは3名。ほか10名の非常勤クルーがnuovoを支えている(写真撮影/塚田真理子)

飛び出す絵本のような仕掛けが楽しいフライヤー。nuovoは47都道府県に展開する計画も(写真撮影/塚田真理子)

飛び出す絵本のような仕掛けが楽しいフライヤー。nuovoは47都道府県に展開する計画も(写真撮影/塚田真理子)

今回、もともと重機に興味があって受講したという女性利用者の言葉が心に残りました。「好きでやっていることが、いざというとき役に立てるならうれしい」。まずは楽しんで、力をつけて備えることで、いつか誰かの助けになれる場所がここにはありました。
コロナ禍もあり、全国から災害ボランティアが集まりにくい時代だからこそ、自分たちの街は自分たちで守る、そんな心構えが必要だと強く感じます。
さらに頼もしいニュースが飛び込んできました。6月28日、長野と同じく台風19号の被害を受けた千葉県成田市と、今年4月に山林火災が発生した長野県飯山市に、「nuovo EX(Experience)」という体験版施設が同時オープン。時間が過ぎるにつれ、薄れていきがちな防災意識を高め、維持していくために。nuovoが全国各地に広がって、楽しい防災拠点が増えることを期待しています!

●取材協力
日本笑顔プロジェクト

ドローンが離島にアイスを運ぶ!未来を変えるドローン活用の最前線を追いかけた

コロナ禍による巣ごもり需要を受け、宅配サービスはどこも大忙し。しかし、コロナ以前からネットショッピングの急成長や人材不足などで、物流サービスは悲鳴を上げていました。
こうした状況下において、ネットショッピングなど、70以上の事業を展開する楽天が、約4年前からドローンを使った新しい物流サービスの構築・提供を試みています。将来、場所を問わず荷物をすぐに受け取れるようになれば、私たちはますます住む場所を自由に選べるようになります。どのようなサービスなのか、楽天のドローン・UGV事業部のジェネラルマネージャー向井秀明さんに伺いました。
7年後には配送ドライバーが24万人も不足する!?

「ハーゲンダッツのアイスクリームを、猿島で食べられるとは思わなかった」。
これは神奈川県横須賀市にある離島の「猿島」において、2019年7月~9月に提供されたドローン配送サービスで、利用者から思わず出た言葉です。この時のサービス内容は、猿島のバーベキュー場を訪れた人が専用アプリで注文すると、海の向こうおよそ1.5km先にある横須賀市の西友からドローンを使って商品を届けるというもの。通常西友から猿島までは船で30分ほどかかりますが、ドローンならおよそ10分で配達完了。配送料は500円ですが、品物の価格は店頭と変わらず、数人分の買い物を同時に済ませられると考えれば、あっという間に元はとれます。例えばバーベキューに必要な焼き肉のタレを「忘れた!」なんてときも諦めずにすみ、あるいは往復1時間以上かけて定期船で買いに行く必要もなくなります。溶けやすいアイスクリームも、ドローンで買い物ができるなら、離島で食後に美味しく食べることができます。

実はこうしたドローンの実証実験は、国を挙げての取り組みとして注目されているのです。その大きな理由は、数年前から顕在化してきた「物流クライシス」であると向井さんは言います。
「2010年の時点では約7.8兆円だったネットショッピング市場は、2019年には約19兆円と、約2.4倍の規模に成長しています。一方で少子高齢化や、労働環境による不人気からドライバー不足が問題になっていて、ある調査では2027年には配送ドライバーが24万人不足すると指摘されています」(楽天・向井さん)

こうした課題を解決するために、国は、官民協議会の「過疎地域等におけるドローン物流ビジネスモデル検討会」を設置。また経済産業省はドローン物流をスムーズに実現するために欠かせない技術推進や法的整備について話し合う官民協議会「小型無人機に係る環境整備に向けた官民協議会」において、ロードマップを作成。その2020年版「空の産業革命に向けたロードマップ2020~我が国の社会的課題の解決に貢献するドローンの実現~」では、「2022年以降に有人地帯での目視外飛行(レベル4)を目指す」としています。

国を挙げてドローン活用へと向かう現在、物流クライシスはネットショッピング事業の成長に向けて解決すべき課題です。

「ドローンのようなイノベーションを利活用して物流クライシスを解決しようと考えたのです。こうしてドローン事業が立ち上がりました。主要な目標は、物流クライシスの回避と、地域エンパワーメントです。また、3つのミッションを掲げています。

1. こんな所に荷物が届く、という新たな利便性の提供
2. 物流困難者(買い物弱者)の支援
3. 緊急時の物流インフラの構築

我々はネットショッピング事業者として、ドローンを活用した物流サービスをパッケージ化し、民間企業や自治体等に提供することを目標に掲げています」(同)

誰でもすぐに扱えるドローン物流サービスを目指す

では、同社が挑んでいる「ドローンを活用した物流サービス」とはどんなものなのでしょうか。まず使用するドローンを見てみましょう。

「ドローンというと「操縦が難しそう」と思う人もいると思いますが、使用しているドローンは完全自律飛行タイプです。飛行開始ボタンを押せば、設定した飛行ルートをドローンが自動で飛行してくれます。メーカーと連携しながら、実証実験を通してさまざまな改善を図っていき将来的には、ボタン一つで誰でもすぐにドローンを飛ばせるサービスにすることを目指しています」(同)

猿島での飛行の様子。現在楽天は最大積載量2kgの小型機と、同5kgの大型機を使用している(写真提供/楽天)

猿島での飛行の様子。現在楽天は最大積載量2kgの小型機と、同5kgの大型機を使用している(写真提供/楽天)

「完全自律飛行をするためには、配送する側には飛行ルートを設定しドローンにその情報を与えるシステムがなくてはなりません。また、配送してもらう側にはスマートフォンで簡単に注文できるアプリが必要です。こうしたドローン配送に必要なソフトウェアやアプリ等も我々楽天で開発しています。

サービス開始の際には、着陸地点の設定などを運用者が任意に定めることを想定しています。楽天はリモート会議や遠隔操作などを通してサポートし、運行状況はリアルタイムで楽天側でも確認できます」(同)

これが楽天の考えているドローンを活用した物流サービスの概要です。従来の物流とくらべて遙かに人手がかからず、またドローンが離着陸できる場所さえあればどこでも荷物を運ぶことができます。

「ドローンを活用したオンデマンド配送はお客様が希望する時間と場所にピンポイントで荷物を届けることができるようになります。配送時間が約10~20分程度の短時間であれば、昨今のオンラインデリバリーサービスの様に、お客様が荷物の到着を待つことを考えると、再配達の心配もグッと減ることが考えられます」(同)

標高2800mへも、家の前の畑へも荷物が届く

冒頭で紹介した神奈川県横須賀市の猿島の他にも、これまでに同社では全国13県で、さまざまな利用シーンを想定して実証実験やサービス提供を行っています。例えば2020年9月には長野県白馬村において、山小屋への物資配送の実験が行われました。

白馬村での実証実験の様子(写真提供/楽天)

白馬村での実証実験の様子(写真提供/楽天)

離陸地点は麓の登山口、標高1250m地点にある「猿倉荘」。届け先である「白馬山荘」は標高2832mと、標高差は約1600mもありましたが、国内で初めてドローン配送に成功しました。人が山を登って運ぶと片道・約7時間かかるところを、わずか15分で5kgの物資を届けることができたのです。

白馬山荘までの登山ルート(写真提供/楽天)

白馬山荘までの登山ルート(写真提供/楽天)

また2020年2月には、岩手県下閉伊郡岩泉町において、買い物弱者の支援や、災害対策など緊急時の実用化を目的とした実験を行いました。過疎地と高齢化が進んでいる地域ですが、実験を通して、同様の問題を抱える地域でのドローン配送サービスが成り立つということが分かりました。

「地域によっては、ドローンの離着陸の場所として公民館の駐車場などを活用していましたが、例えば家の前の畑などを利用できれば、住民が荷物を受取に公民館等へ出掛けなくてもすみます。ドローンが活用されれば、高齢者も買い物に困らずに済むと考えています。
また同町は2016年に台風による豪雨で甚大な被害を受けたことのある地域ですが、そのような災害時でも緊急物資をドローン配送できることを目指しています」(同)

機体の安全性向上が今後の課題

一方で、まだ新しい技術・サービスですから課題もあります。
「まず一つの課題は、バッテリー容量と飛行距離です。現在のバッテリー性能では、約5kgの荷物を搭載すると、飛行距離は片道約5km程度。物流サービスの一翼を担うには、片道20kmは飛びたいところです。もう一つの課題は、機体の信頼性です。飛行機やヘリコプターのように、ドローンが日常で人々の上空を飛行しても安全かどうか、という点です。もちろん年々機体の信頼性は高まってきていますが、まだまだ高い安全レベルを満たすための実験検証データがそろっていません。そのためこれまでの実証実験では、海や川の上、あるいは人のいない山岳部を飛んでいました。どうしても道など人のいるところを横切らなければならない場合は、第三者の侵入を防ぐなどさまざまな対策を講じています。今後、人々が暮らす上をドローンが飛んでも、決して落下しないという安全性が確認できることもドローン配送サービスを拡大するうえで重要となってきます。機体の信頼性が向上すれば、飛行機やヘリコプターのように人や住宅の上を飛べるようになるでしょう。

楽天は、これまでの実証実験の通り、人の上空を飛ばさずに範囲を限定することでドローン配送の実証やサービスを重ねてきています。こうした実験の成功を着実に積み重ねることが、他企業の機体開発参入など、機体の進化を促すことに繋がるのではないでしょうか」(同)

ドローンを使った物流サービスが、地方や世界を助ける日

「オペレーションの仕組みなどは、将来的にはパソコンが使えて、運行前の点検が出来る人が扱えるレベルでの実装を目指しています。ただ高齢化の進む過疎地域では、やはりパソコンやドローンの扱いに不慣れな人が多いと思います。そのためにも、地域人材の育成が重要だと考えています。できれば、IoTなど先端技術に明るい、若い人に担ってもらうことが理想です。若い人が過疎地で地域人材として活躍すれば、その地域も活性化され、ひいては、その地域への移住者が増えるかもしれません」(同)

このように地方創生の可能性も秘めた「ドローンを使った新しい物流サービス」。同社は実際にサービスを開始する時期の目標を、「2021年」を目途として定めています。楽天はドローン配送というソリューションを各地域と連携しながら展開し、「ドローンが当たり前のように飛んでいる社会をつくっていきたい」とコメントしています。

さらに同社は、その先も見ています。「猿島のような活用法は、法律などさまざまな事を鑑みなくてはいけないが、例えば離島の多いフィリピンでも応用・転用できると考えています。世界には離島も山岳地帯も、交通網の貧弱な地域も、たくさんあります」(同)

近い将来、世界各地でドローンの実用が始まった際、国内・国外に同社のソリューションを提供するというビジョンのためにも「まずは日本で、きちんとカタチにしたい」と向井さん。日本中のさまざまな地域で、この恩恵を受けられる日が来るのは、そう遠くないようです。

リモート副業×東京で秘書!長野ではまちづくりに参加 私のクラシゴト改革1

新型コロナウイルスで社会の在り様が大きく変化した現在、新たな働き方が注目されている。都市部で働く人材が、地方企業の仕事にも関わる新しい働き方「ふるさと副業」もそのひとつ。
今回は東京で会社員として働きつつ、長野県塩尻市で外部ブレーンを務める千葉憲子さんにインタビュー。経緯や仕事内容、さらに二児のママとして実感など、あれこれお話を伺った。

連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。ふるさと副業を考えたのは、働き方自由な会社だったから新卒で入社したのは大手メーカーのグループ商社。国内海外転勤、出張が当たり前の世界で、出産、育休を経て復帰したものの、時間=会社への貢献度になってしまうことに疑問を抱き、転職。「前職とガイアックスとではカルチャーがまったく違うので最初は驚きました」。現在は社長秘書の業務とともに、オンラインコミュニティの運営など、社内でも兼業している(写真撮影/スーモジャーナル編集部)

新卒で入社したのは大手メーカーのグループ商社。国内海外転勤、出張が当たり前の世界で、出産、育休を経て復帰したものの、時間=会社への貢献度になってしまうことに疑問を抱き、転職。「前職とガイアックスとではカルチャーがまったく違うので最初は驚きました」。現在は社長秘書の業務とともに、オンラインコミュニティの運営など、社内でも兼業している(写真撮影/スーモジャーナル編集部)

千葉さんは、東京都のIT企業「ガイアックス」の社長室で働きつつ、今年の5月より長野県塩尻市と業務委託を結び、地域課題の解決に取り組んでいる。それは、塩尻市が推進する「MEGURUプロジェクト」の一環で、副業限定の地域外のプロフェッショナル人材が地方と協働で地域の課題に取り組んでいくというもの。その中で、千葉さんはCCO(Chief Communication Officer)に就任。地域外の人と塩尻をつなぎ、関係人口を拡大していくミッションのもと、さまざまな企画立案やイベントを仕掛けている。
本業、副業ともに、「〇時~〇時まで働く」という取り決めはなく、基本成果主義。主に塩尻の業務は週末や夜などにすることが多いが、その境界線はあいまいだ。それができるのも、本業も副業も、業務はほぼリモートだから。東京で塩尻の仕事、塩尻で東京の仕事をすることもある。

「もともと、ガイアックス自体がとにかく働き方が自由な会社で、休日も自分で決めていいし、どこで働いてもいい。もちろん副業もウェルカム。リモートワークが大前提で、会社に出勤するのも週に1度程度。だから、副業を始める前も、実家のある長野県松本市に子ども2人と帰り、1カ月間実家で仕事をしていたこともあります。実際、副業、二拠点、完全リモートをしている社員も多く、私が今の働き方を選ぶのも自然な流れでした」
さらにガイアックスではライフバランスを考えて、仕事半分、報酬も半分といった交渉も可能。千葉さんの場合も、副業ありきで業務量も報酬も上司に交渉している。「トータルで考えると収入は上がりました。夫は会社員をしており、首都圏から離れることは難しく、転職や移住はハードルも高い。しかし、リモート副業なら、私の判断で挑戦できるし、自分のキャリアアップのためにも良かったと思います。夫もこの働き方を応援してくれています」

「息子たちに田舎暮らしを体験させたい」。最初はあくまでも個人的な話から

このプロジェクトに応募した理由のひとつに、子育てで抱いた疑問が大きいという千葉さん。
「私自身は長野の大自然で育ちました。それなのに、息子たち2人を、親が都会で働いているからという理由だけで、都会でしか育てられないなんて変だなと考えていました。移住はさすがに無理だけれど、リモートで副業をすることは現実的な選択だと思いました」

そこで、当初は地元、長野県松本市で地域に貢献できるような仕事はないか考えていたところ、高校時代の友人から、塩尻で外部の人材を募集している話を聞く。
「塩尻は、観光都市の松本や諏訪に挟まれた、人口6万人超のコンパクトなまち。“このままでは人口減。関係人口を増やしたい”という危機感がある分、モチベーションも高かった。規模の大きいコワーキングスペースがそろっていたり、一人の生徒が複数の学校に就学できる”デュアルスクール制度”があったり、ソフト面でもハード面でも受け入れ態勢が整っていました」

塩尻のシビックイノベーション拠点「スナバ」にて。「プロジェクトが始まってみると、市役所の人も、商工会議所の人も、いわゆる”お役所”っぽくなくて驚きでした」(画像提供/スナバ)

塩尻のシビックイノベーション拠点「スナバ」にて。「プロジェクトが始まってみると、市役所の人も、商工会議所の人も、いわゆる”お役所”っぽくなくて驚きでした」(画像提供/スナバ)

今年の夏休み、長野で過ごした子どもたち(画像提供/千葉さん)

今年の夏休み、長野で過ごした子どもたち(画像提供/千葉さん)

自分のなかの「普通」の経験が、想定以上に地域で役立つ場面も

ちなみに、外部のプロフェッショナル人材は、千葉さんのほか6人。その顔触れは国内の大企業の一線で働くビジネスパーソンばかりで、起業家として著名なインフルエンサーもいる。しかも、驚くべきは、千葉さんはお隣の松本市出身だが、他の6人は、長野県にはまったく地縁のない人なのだ。
「地方だからこそできることがあり、その地域の課題に自分の経験やスキルで貢献できたらと考える人材はたくさんいるんだなと改めて思いました。例えば観光促進のために、コンサルタントを外部の企業に依頼すれば、多額のコストがかかる上、多くの企業は契約期間が終了したらいなくなってしまう。そういう痛い体験をしている自治体は多いと思います。でも、移住ではなくリモートで副業という形なら、こうした人的財産をフル活用できるのではないでしょうか」

しかし、多くの人は「そんなに華々しいキャリアもスキルも自分は持っていないから無理」と尻込みしてしまうのでは? という質問に、千葉さんは「そんなことはありません」と即答。
「私だって普通の会社員です。でも自分が通常の業務と思っていたことも、案外、地方や役所では有難がられることも多いです。例えば、私は限られた時間で最大限の効果を出すために、自分の業務を分散し、アウトソーシングすることも多いんです。それは、私には当たり前だと思っていたのですが、地方では個人に業務が集中し、「〇〇さんにしか分からない」「〇〇さんが動けないのでそれはストップしている」という事態になることも多いんです。そんなとき、「この業務のこの部分は別にこの人でなくてもいいのでは?」と整理し、スピードを上げていくのも私の役目。本業での、なに気ない仕事のアレコレが思いのほか役立つことが多いと実感しています。もちろん、逆に塩尻での気づきが本業に役立つことも多々あります」

(写真提供/千葉さん)

(写真提供/千葉さん)

コロナ禍の不自由も逆手にとる。オンラインでのコミュニティづくりが進んだ

募集自体はコロナ禍の前で、現在は、当初の予定とは変更を余儀なくされた部分も大きい。
「今はオンライン上でのコミュニティが主です。もともと塩尻にはなんの縁もなかった人が、トークイベントのゲスト目的で参加し、興味を持ってもらうなど広がりを見せ、今では塩尻市の「関係人口創出・拡大事業」でのオンラインコミュニティ『塩尻CxO Lab』という形に。さらに、実際に地元の中小企業で複業するなどのもっとコアに地域課題に参加していただく有料会員も定員以上の応募が集まりました。この状況下で制約は多いけれど、リモートやオンラインの動きが一気に加速し、距離を感じなくなったことはプラスですね」

千葉さん本人にも副産物はあった。「オンラインイベントでのファシリテーションを何度も務めるうち、スキルが上がったと思います。参加してくださる方には、こうしたオンライン上に慣れていない方もいます。本業とは違うデジタル環境のなか、場数を踏んだことで突発的なトラブルに対応できるようになりました」。その結果、現在は、本業、副業とは別に、こうしたファシリテーションを仕事として引き受けることもあるそう。

オンラインイベントの様子。「いつかはみんなで塩尻ツアーをしたいですね」。今はオンラインだけど、いつかリアルで会えたらどんなに楽しいか、今からワクワクしています」(写真提供/千葉さん)

オンラインイベントの様子。「いつかはみんなで塩尻ツアーをしたいですね」。今はオンラインだけど、いつかリアルで会えたらどんなに楽しいか、今からワクワクしています」(写真提供/千葉さん)

毎年秋に行われる「木曽漆器祭」は、今年はオンラインで。リアルなワークショップが実施できないからこそ、普段は入ることができない各工房の中の様子を配信。千葉さんはレポーター役として活躍(写真提供/千葉さん)

毎年秋に行われる「木曽漆器祭」は、今年はオンラインで。リアルなワークショップが実施できないからこそ、普段は入ることができない各工房の中の様子を配信。千葉さんはレポーター役として活躍(写真提供/千葉さん)

ワーケーションがもっと進めば、暮らしはもっと豊かになる

もちろん課題もある。「私が長野で仕事をする間、子どもたちは松本の実家の両親たちが預かってくれましたが、それができない人も多いはず。子どもがいる人でも二拠点生活が可能なように、預け先の確保は課題です。また小学校に入ると子どもたちも長野に行けるのは長期の休みだけ。親も二拠点で働き、子どもも二拠点で学ぶことができれば、二拠点や副業がもっとスムーズになるのではと思います」
特に、首都圏からのアクセスのしやすさから、山梨、長野は二拠点目としてのポテンシャルが高い。「例えば甲府から松本までのエリアが“ワーケーションベルト”として、コワーキングスペースを充実させて、旅をしながら仕事をしてもらえるなど、相乗効果で盛り上がったらいいですね」
今後は、地域外の人材を地域に活用するこの塩尻の試みを、他の自治体へ広げていきたいと考えているそう。
「同じような課題を持つ地方は多いはず。何かしら地域に貢献したいと考えている人は多いので、受け入れ側の意識が変われば、塩尻のフォーマットが他の地方自治体にも応用可能だと思います。それが今のところの野望です」

●取材協力
株式会社ガイアックス
MEGURUプロジェクト

デュアルライフ・二拠点生活[22] 東京と長野県松本市。温泉街の一軒家を家族でセルフリノベ

向井さんは、平日は東京で仕事をし、週末は妻と息子が住む長野県松本市にある浅間温泉で築50年の家をリノベしながら過ごすという、二拠点生活を送っている。その暮らしぶり、二拠点生活を始めた経緯や、始めてからの変化を聞いた。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。「古い家を改装したい」という夢を実現

JR新宿駅から特急あずさで2時間半。長野県のほぼ中央に位置する松本市は、旧城下町らしい歴史的建造物が残る街並みが特徴だ。夏は過ごしやすいものの、冬は氷点下まで下がる厳しい気候だが、古くから温泉街も多く、とりわけ「浅間温泉」は1000年も続く歴史ある温泉街だ。

1000年の歴史を感じさせる浅間温泉の街並み(写真撮影/高木真)

1000年の歴史を感じさせる浅間温泉の街並み(写真撮影/高木真)

向井家の庭先には、干し柿や玉ねぎを保存。生活を大切にしている様子がうかがえる(写真撮影/高木真)

向井家の庭先には、干し柿や玉ねぎを保存。生活を大切にしている様子がうかがえる(写真撮影/高木真)

今から6年前、3年間の中国・大連での駐在生活を終え、日本に帰国した向井さん一家。帰国後に改めて拠点を考えたとき、もともとアウトドアが大好きな家族にとって「東京」は、それほど魅力的に映らなかったのだという。

「住みたい場所に住めばいい」と考え、スキーやキャンプで何度も訪れたことのある信州・松本が自然と候補に挙がったのだという。

信州は、温泉あり、山あり、観光地としても人気のあるエリアなので、東京に住む家族や友人たちが、喜んで足を運んでくれる。またネットショッピングを使えば、買い物にも不便を感じることはない。最近ではおしゃれなカフェやベーカリーも多くできているのだとか。さらに関西出身の向井さんと、東京に実家がある妻・Sさんにとっても、信州は便のよい場所だった。

2年ほど賃貸で生活した後、定住を考えたときに出合ったのが、この築50年の一軒家だった。「ワクワク感を、この家を見たときに感じた」とはSさんの言葉だ。

街角には、温泉水を飲めるスポットが存在する(写真撮影/高木真)

街角には、温泉水を飲めるスポットが存在する(写真撮影/高木真)

広い軒先は、庭と家のつなぎ役として、とても重宝しているそう(写真撮影/高木真)

広い軒先は、庭と家のつなぎ役として、とても重宝しているそう(写真撮影/高木真)

浅間温泉は、松本駅から約4km、車で20分ほどと便がよく、向井さんの家は100坪の土地に40坪ほどの大きさの家が建っている。家も、広すぎず狭すぎずちょうどいい大きさだった。こうして、立地ありきで中古物件を手に入れることになった。

大工だった祖父と、建築関係の仕事をしていた父をもつSさんにとって、古い家を改装して住むというのは昔からの夢だった。その夢を実現するチャンスを、この家を見たときに感じたのだそうだ。なお当時2年近く売りに出されていたにもかかわらず、買い手が付かなかったこの家は、向井さん一家が購入しなければ、2週間後に取り壊しになる運命だったとか。

この家の中心的存在である広いリビングダイニング(写真撮影/高木真)

この家の中心的存在である広いリビングダイニング(写真撮影/高木真)

閃きを実現するセルフリノベ

こうして、実際に購入した家をDIYでセルフリノベーションして住むことにした向井さん一家。夫妻と、当時小学2年生だった息子の3人に加え、Sさんの父に助けを借り、一気にリノベーションを始めたのが今から4年ほど前。

「こんな風にしたいけれど、どうしたらいいだろうか、と考えているうちに、パッとひらめくのです」と話すSさん。向井さんは週末しか松本にいない。そのため、平日はSさんが1人でできる作業だけ進め、週末に家族で大きな作業を行うサイクルが出来上がっていった。

「家づくりのプロが“普通に”考えたらやらないようなことに挑戦してきた」と話す一家。例えば息子の“砦”となっている2階のロフトは、あえて天井を壊し、客間の天井を20cm下げてつくり出したスペース。また、信州らしさが感じられる「漆喰」を取り入れるため、夜な夜なネットで研究した妻は、あちこちから必要な材料を集め、実際に漆喰の壁を見事につくりあげてしまった。

2階の中央の部屋は、押入れをなくして、息子の秘密基地につながる階段を設置(写真撮影/高木真)

2階の中央の部屋は、押入れをなくして、息子の秘密基地につながる階段を設置(写真撮影/高木真)

息子の砦となっているロフト部分は、8畳の客間と同じ広さのスペース(写真撮影/高木真)

息子の砦となっているロフト部分は、8畳の客間と同じ広さのスペース(写真撮影/高木真)

毎日がアウトドア

ところで向井家にはエアコンも暖房もない。あるのは薪ストーブと、客間に用意のある電気ストーブ1つ。冬の寒さには、この家の顔といってもいいこの「薪ストーブ」が活躍する。この薪ストーブのある生活が、一軒家を購入するきっかけになった最大の理由でもある。

この家の顔といえる信州発エイトノットの薪ストーブ(写真撮影/高木真)

この家の顔といえる信州発エイトノットの薪ストーブ(写真撮影/高木真)

薪ストーブのオーブンを利用してつくるメニューの定番はピザ(写真提供/向井さん)

薪ストーブのオーブンを利用してつくるメニューの定番はピザ(写真提供/向井さん)

まるで釜で焼いたような美味しさとのこと(写真提供/向井さん)

まるで釜で焼いたような美味しさとのこと(写真提供/向井さん)

「薪ストーブの生活は、すごく労働が求められる。毎年2~11月の間に、薪となる木材を求めてりんご園などへ出かけています。手伝いをした対価として、いらなくなった木をもらってくるんです」と話す向井さん。こうして集めた木材を、切断して庭の棚で乾燥させておき、冬の間、薪としてストーブに使うという。

すっかり薪割りの名人(写真撮影/高木真)

すっかり薪割りの名人(写真撮影/高木真)

2月から11月の間に、薪ストーブ用の薪を調達し冬に備える向井一家。これだけの薪が、ひと冬でなくなってしまうのだそう(写真撮影/高木真)

2月から11月の間に、薪ストーブ用の薪を調達し冬に備える向井一家。これだけの薪が、ひと冬でなくなってしまうのだそう(写真撮影/高木真)

またリビングの天井の角に通気口を開けたことで、2階にも薪ストーブの暖が伝わる仕組みになっている。これで寒い冬も薪ストーブの柔らかい暖かさが、家中に伝わる。「それでも密閉度が低いので、寒いときは寒いです」と笑う。そんなときは、暖かい温泉に浸かりに行けばいい。

1階の暖かいな空気は、この通気口を通して2階に渡る(写真撮影/高木真)

1階の暖かいな空気は、この通気口を通して2階に渡る(写真撮影/高木真)

「薪の火つけや火加減は息子の仕事」と話す向井さん。リノベ作業でも大活躍した息子は、家づくりから、日々の家のメンテナンスまで、積極的に自分の住む家とかかわっている。

今や薪ストーブの名人となった息子(写真撮影/高木真)

今や薪ストーブの名人となった息子(写真撮影/高木真)

「毎日がアウトドアみたいな生活なので、むしろアウトドアに出かける機会は減りました」とのこと。その代わり、引越しをしてから近所に住むアルピニストや山小屋のオーナーなどの登山にかかわる人と多く知り合い、家族で「登山」を楽しむようになったのだとか。

「入居したころは、周りの家の家主は、80代のおじいちゃんやおばあちゃんばかりでした。でも代替わりしてきて、東京から長野へ戻ってきた家族がいたり、市内から移り住んだ家族がいたり、息子の同級生も増えてきた。いろいろな世代が混ざっているこの街の雰囲気はとてもいいです」と向井さん。

ご近所付き合いも親密で、庭先で一緒にバーベキューを楽しんだり、息子は、近くのお寺でサッカーや野球、バドミントンなどをするようになったのだとか。最近では、近くに借りた小さな田んぼでもち米をつくり、年末には地域の人たちと餅つきを楽しむこともあるという。

家の近くに借りた畑では、もち米を育てている(写真提供/向井さん)

家の近くに借りた畑では、もち米を育てている(写真提供/向井さん)

中古物件の良さは、自由度が高いこと

「中古の家なので、気兼ねなく手を入れて変えられる」と話すSさん。大人3人と子ども1人だけで、梁を付け替え、壁を壊し、床を張り替えるといった作業を全てこなした向井さん家族にとって、引越してきた当初から2年間は、週末のほとんどをDIYに費やしたのだそうだ。プロの手は最低限しか借りず、家族だけで取り組んだプロジェクトゆえに、今ではすっかり愛着ある家が出来上がったという。

客間の上には息子の秘密基地が。天井を20cmほど下げてロフトスペースをつくった(写真撮影/高木真)

客間の上には息子の秘密基地が。天井を20cmほど下げてロフトスペースをつくった(写真撮影/高木真)

「まだ完成まで7割ほど」という向井邸。今は屋根瓦を塗り替えているところだという。今後は、中学生になる息子のための小屋を、庭先につくるつもりなのだとか。「どんな部屋にするか、今家族で相談しているところ」と向井さんはうれしそうに話す。

「日々の生活を大事にして生きているので、正直先のことを考えてはいません。松本の生活は、“別荘”で生活しているみたいな感覚なので、将来東京に戻りたくなったら東京に戻ればいいし、子どもの学校などで移動することになったら移動したらいい、そんな風に考えています」とはSさんの言葉だ。

住みたいところに住む「マルチハビテーション」を体現している向井家からは、日々の生活を大切にしながら、住む家のために、自分たちで考え、手を動かし、守っていることが伝わってくる。家族にとって心地いい場所が何なのか、探りながら行うリノベ作業が、家族の形をつくる上で、とても大切な時と場所なのだ。「“くたボロ”まで作業しても、かけ流しの温泉に入れるだけで生き返る」と話す向井さん。毎週末は温泉で英気を養い、平日は東京での仕事に精を出す二拠点生活は続く。

浅間温泉の街並みが見渡せるサンルームは、ゆったりとした時が流れる(写真撮影/高木真)

浅間温泉の街並みが見渡せるサンルームは、ゆったりとした時が流れる(写真撮影/高木真)

DIYセルフリノベについて書いたSさんのブログ