高齢者、障がい者、外国人など、住まいの配慮が必要な人たちへの支援の最新事情をレポート。居住支援の輪広げるイベント「100mo!(ひゃくも)」開催

2023年11月30日、SUUMO(リクルート)では“百人百通りの住まい探し”をキャッチコピーとした居住支援の輪を広げるプロジェクト「100mo! (ひゃくも)」のイベントを開催しました。これまでもSUUMOでは当プロジェクトの一環として高齢者、外国人、障がい者、ひとり親、LGBTQなど、住まいの確保に配慮が必要な人たちへ向けた取り組みを行う団体や企業を特集記事で紹介してきました。

記念すべきその第1回目のイベントとなった今回は、賃貸住宅業界で居住支援をリードする4社の表彰を行い、各社の取り組みの共有や、パネルディスカッションを通じて「これからの居住支援」について考える会になりました。日々、取り組みを続ける人たちのアツい想いが渦巻いた当日の様子を、詳しく紹介します!

百人百通りのお部屋探しを。賃貸住宅業界が一丸となって目指すためのイベント

「100mo!」というプロジェクト名には、「あなたも。私も。みんなも。」、つまり部屋探しをする人も、部屋を提供する不動産会社も、賃貸オーナーさんも、住まいにかかわる全ての人が、満足のできる住まい探しを応援し、実現する社会を目指す、という想いが込められています。

「100mo!」のカラフルなロゴの上には、「あなたも。私も。みんなも。百人百通りの住まいとの出会いを♪」のキャッチコピー(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

「100mo!」のカラフルなロゴの上には、「あなたも。私も。みんなも。百人百通りの住まいとの出会いを♪」のキャッチコピー(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

いまの日本の社会には「住宅確保要配慮者」といわれる、高齢者、外国人、障がい者、ひとり親世帯、LGBTQ、生活保護受給者など、住まい探しや入居中・入居後に配慮が必要な人たちがいます。家賃滞納や入居中・入居後のトラブルを懸念するオーナーさんや管理会社の判断によっては入居を断られたり、入居審査に通らないことがあります。また、入居してからもこれらの配慮が必要な人たちが安心して暮らせるように、管理会社やオーナーさんが安心して貸せるように、見守りや日々の生活におけるサポート、コミュニケーションが欠かせません。これらを避けずに、むしろ積極的に取り組んでいくことが「居住支援」です。

この「居住支援」を行う企業や団体のメンバーを中心として、当日のイベントの会場には約80名が出席。さらにオンラインでの参加も含め、多くの人がスピーカーの話に耳を傾け、言葉を交わしました!

当日の会場の様子。約80名の出席者以外にも多くの人がオンラインで参加した(撮影/唐松奈津子)

当日の会場の様子。約80名の出席者以外にも多くの人がオンラインで参加した(撮影/唐松奈津子)

住まいの確保に配慮が必要な人たちへの取り組みで業界をリードする、4社を紹介!

会の冒頭でイベント開催に込めた想いを共有した後は、「居住支援」をリードする4社の表彰と取り組み内容の紹介から始まりました。4社に共通するのは住まいを貸す側(オーナー)の偏見や不安を取り除き、借りる側(入居者)の暮らしに伴走し続けていること。仲介業や賃貸管理業という仕事において、私たちが見ている「貸す」「建物を管理する」という部分はほんの一部であることに気づかされます。

愛知県名古屋市で賃貸住宅の仲介と9万1000戸の管理を行うニッショーは、高齢者が安心できる見守りサービス「シニアライフサポート」を提供しています。2013年にサービス付き高齢者向け住宅が社会的な話題となり、建築ラッシュとなった際に、賃貸住宅を探す高齢者に紹介できる物件が少ないことに気づき、社内で起案。電話での安否確認やセンサーなどの機器も活用した見守りで、高齢者とその家族が安心して暮らせるサービスを提供しています。(関連記事)

ニッショーの佐々木靖也さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

ニッショーの佐々木靖也さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

「シニアライフサポート」の紹介(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

「シニアライフサポート」の紹介(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

「入居者ファースト」で、あらゆる人の「入居を拒まない」取り組みを続ける京都府京都市の長栄。国内外から多くの観光客が訪れる京都市では提供できる賃貸住宅が限られ、身寄りのない高齢者や外国人は入居を断られるケースが多くありました。そこで、コールセンターやセキュリティー会社、家賃保証会社などとの連携により見守りや生活サポートサービスを提供。また、外国人スタッフを採用するなどして、外国人の入居や生活をサポートしています。(関連記事)

長栄の奥野雅裕さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

長栄の奥野雅裕さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

外国人向けの取り組みを紹介するスライド(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

外国人向けの取り組みを紹介するスライド(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

福岡県を中心に15店舗、4万4000戸を管理する三好不動産は、高齢者、外国人、LGBTQなど、あらゆる人の住まい探しに寄り添っています。それぞれの人たちが抱える問題や事情に違いはあっても「すべての人に快適な住環境の提供をしたい」という基本姿勢のもと、店舗を訪れる人たちのさまざまなニーズにいち早く応えてきました。NPO法人の設立や外国人スタッフの採用、LGBTQの専任担当者の設置など、その取り組みは賃貸住宅全体をリードしているといっても過言ではありません。(関連記事)

三好不動産の原麻衣さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

三好不動産の原麻衣さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

三好不動産では「すべての人に快適な住環境の提供をしたい」という想いで日々の業務に取り組んでいる(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

三好不動産では「すべての人に快適な住環境の提供をしたい」という想いで日々の業務に取り組んでいる(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

東京都足立区にあるメイクホームは、障がいのある従業員の部屋探しが難しかった原体験から、高齢者や低所得者、精神障がいのある人や車椅子の人などのお部屋探しに取り組むように。自身も視覚障がいのある社長や、障がいのある家族をもつスタッフが中心となって伴走しています。特徴的なのは、築古で空室になっているアパートなどを投資家から預かった資金でリフォームして提供する「完全管理システム」。日頃のサポートや万一のときの対応も、ノウハウのある同社が全て対応することでオーナーの不安とリスクを軽減しています。(関連記事)

メイクホームの石原幸一さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

メイクホームの石原幸一さん(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

「完全管理システム」の仕組み(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

「完全管理システム」の仕組み(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

居住支援の取り組みの裏側、収益化の方策も惜しみなく。真剣に本音を語るセッション

4社の代表者がそろって登壇したパネルディスカッションは、登壇者もその話を聞く参加者も、全員が真剣な面持ちで臨んだ時間になりました。サービス提供の裏側のリアルな話や、ビジネスとして成立、継続し続けるためにどのようにしているのかなど、ここでしか聞けない、率直な疑問への答えも。

当日のパネルディスカッションの様子。ゲストたちが真剣な面持ちで取り組みの裏側を語った(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

当日のパネルディスカッションの様子。ゲストたちが真剣な面持ちで取り組みの裏側を語った(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

「ソーシャルビジネスとしての位置づけで収益を追いかけていない。グループ会社10社の中で、儲かる会社で儲けて、儲からない会社はそのままでいい」(メイクホーム・石原さん)

「高齢化社会で入居する人が減る中で9万1000戸の管理物件をどう収益化するか、活用するかを考えた結果。高齢者の方にとって有益なサービスを追求したところ、仲介手数料に加え、空室率が上がれば管理収入も上がり、付帯サービスの手数料が加わった。さらには会社のブランド力や知名度も上がった」(ニッショー・佐々木さん)

さらに質問者からの「アイデアを具体的な一歩にするためのきっかけは?」という質問には、「チームのスタッフのマインドが一つの方向に向いていると、スタッフが自主的に動くようになり、お客さまからも感謝の声をもらったりすることで一層推進された」(長栄・奥野さん)、「最近ようやく、LGBTQのイベントなどで感謝の声をいただけるように。取り組みの効果を実感するまでには長い時間がかかる」(三好不動産・原さん)、「最初の説明会で『これはいいね』と良い反応をもらえたことで改めて社会に必要とされていることを認識し、プロジェクトを推進する後押しになった」(ニッショー・佐々木さん)など、温かいエピソードとともに笑顔がこぼれる場面もありました。

真剣な話の中でも、心が温まるエピソードに笑顔がこぼれる場面も(撮影/唐松奈津子)

真剣な話の中でも、心が温まるエピソードに笑顔がこぼれる場面も(撮影/唐松奈津子)

今日のイベントを起点に「大きなムーブメント」へ。これからに期待が高まる

国土交通省 住宅局 安心居住推進課の津曲共和さんは「民間の賃貸住宅ストックを活用する上で大家さんの不安はしっかりとらえた上で、どういう対応をすれば住まいを求める人とのニーズをマッチさせることができるのか、各地域でいわばwin-winの関係をつくっていくにはどうしたらいいか、国でも考え続けながら制度や予算を検討していきたい」と言います。

国土交通省 住宅局 安心居住推進課の津曲共和さんは「まだ具体的な話ができる段階ではないが、複数の省をまたいで検討を重ねているので、これからの国の動きも注視してもらえれば」と語った(撮影/唐松奈津子)

国土交通省 住宅局 安心居住推進課の津曲共和さんは「まだ具体的な話ができる段階ではないが、複数の省をまたいで検討を重ねているので、これからの国の動きも注視してもらえれば」と語った(撮影/唐松奈津子)

ゲストスピーカーとして登壇したNPO法人抱樸 代表、全国居住支援法人協議会 共同代表の奥田知志さんは「親子や親族が助け合って暮らす古い家族のモデルを前提とした現在の制度」と「単身世帯が38%を占める現状」との隙間やギャップを埋める仕組みとして、居住支援の必要性を訴え続けます。

奥田知志さんは、当日のゲストスピーチの中でも多くの課題の提起と解決策の提言をしていた(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

奥田知志さんは、当日のゲストスピーチの中でも多くの課題の提起と解決策の提言をしていた(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

参加者からは「マイノリティにしっかり目を向けていこうとする、住宅・不動産業界の姿勢みたいなものを感じた」「住まいは生活のスタートライン。一番大事な土台なので、このようなイベント・取り組み共有の場があることで、よりたくさんの人が生活しやすく、生きやすくなるといい」という社会や業界へ向けたエールの声が。会場参加者に一言を求めたメッセージボードにも、「今日のイベントから大きなムーブメントを」「より優しい業界の初めの一歩に」といった“これから”を感じさせる言葉が並んでいました。

会場に掲示された「100mo!」メッセージボードには、未来への期待を感じさせる言葉が並んだ(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

会場に掲示された「100mo!」メッセージボードには、未来への期待を感じさせる言葉が並んだ(画像/SUUMO「100mo!」プロジェクト)

ゲストスピーチの中で奥田さんは多くの提言をしていました。住宅確保要配慮者と呼ばれる、住まいの確保が困難な人たちへ向けた住宅の確保には、「セーフティネット住宅の基準の見直しによる拡大」「民間賃貸住宅だけではない、公営住宅など公的賃貸住宅の積極的な活用」「地域における居場所(サードプレイス)の確保」。大家さんがより貸しやすくするための「家賃債務保証制度の充実」や「住宅扶助の代理納付の原則化」や「残置物処理等の負担を軽減できる仕組み」の必要性などです。

登壇した4社も社会の抱える課題に一つひとつ向き合い、解決策を模索し続けた結果、ビジネスに結びつけています。日々、居住支援に取り組む人たちが集まった会、この場に集まる人たちの想いとアイデアを束ねて大きなムーブメントにしていくことで、国や自治体を巻き込んでより多くの人が安心して暮らせる住みやすい社会になる、そんな可能性を感じさせる時間でした。

●取材協力
・株式会社ニッショー
・株式会社長栄
・株式会社三好不動産
・メイクホーム株式会社
・全国居住支援法人協議会
・認定NPO法人抱樸
・国土交通省

”障がい者も入居可”ではなく”入居したい”部屋の選択肢を。賃貸の負に挑む小さな不動産屋さん エステートイノウエ・岡山県倉敷市

家とは、生活の拠点であり、自分の心と体を休める場所。誰にでも住まい探しにはいろいろな要望があります。住まい探しに苦労が多い住宅確保要配慮者と呼ばれる人たちのサポートに積極的に取り組む岡山県倉敷の街の小さな不動産屋さん、LIXIL不動産ショップエステートイノウエでは、住まい探しに加え、自立・社会復帰のサポートにも力を入れています。支援を必要とする人に「入居できる」という最低限の選択肢ではなく「入居したいと思える」ような部屋を(複数の選択肢の中から)紹介する取り組みとその意義とは? 同店の曽我敬子さんに、話を聞きました。

「入居できる」ではなく、「入居したい」家に至ったきっかけとは

LIXIL不動産ショップエステートイノウエは、桃や白壁が多い街としても知られる岡山県倉敷市にある、従業員4名の小さな不動産屋さん。そして住まい探しに困っている人たちに賃貸物件を紹介して、地域社会に貢献している会社でもあります。

きっかけは、およそ10年前に地域の生活支援センターから依頼を受け、住まい探しに困っている人のお部屋探しをサポートしたことでした。住宅確保要配慮者とは、障がい者や高齢者、一人親世帯、外国人など、住まい探しで不当な偏見や差別を受けたり、住宅そのものに特別な配慮が必要だったりと、一般の人に比べ、住まい探しに大変な思いをすることが多いのです。担当の曽我さんは月に約60件以上の相談をほぼ一人で対応しているそう。そして、2012年以来、住宅の確保に配慮が必要な人たちに住まいを仲介した実績は600件以上に上ります。

(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

LIXIL不動産ショップエステートイノウエで居住支援を担当している曽我さんが、何人もの入居希望者と話していて感じたのは、「あなたに貸せる部屋はここしかない」と言われるのと、いくつかの選択肢の中から自分が選んだ部屋に住むのでは、入居した後の暮らし方が全然違うということです。

「住まい探しに困って相談にいらっしゃる人が希望されることは、例えば『職場に近い部屋が良い』だったり『ウォシュレット付きのトイレがある物件が良い』だったり。一般の人と変わりはありません。自分で気に入って選んだ部屋ならば、そこに長く住みたいと思うので、近隣とのトラブルは起きにくくなります。ですから、希望の部屋を選べるよう、少なくとも2件以上の物件をご紹介することを心掛けています」(LIXIL不動産ショップエステートイノウエ 曽我さん、以下同)

2023年には、地域の協力者とともに行うLIXIL不動産ショップエステートイノウエの居住支援スキームが高く評価され、国土交通省の「第1回 地域価値を共創する不動産業アワード」で優秀賞を受賞しました。住みたいと思える部屋の提供を目指すとともに、生活の立ち上がりの支援なども行って入居者の負担を軽減することが、高い入居率やトラブル発生防止につながると、曽我さんは話しています。

国土交通省の第1回地域価値を共創する不動産業アワードの居住・生活支援部門で優秀賞を獲得したLIXIL不動産ショップエステートイノウエの曽我さん(右から二人目)(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

国土交通省の第1回地域価値を共創する不動産業アワードの居住・生活支援部門で優秀賞を獲得したLIXIL不動産ショップエステートイノウエの曽我さん(右から二人目)(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

低家賃でも「住みたい部屋」を叶えるための支援

多くの場合、住まい探しに困っている人たちが払える家賃には上限があります。その中で入居したいと思えるような、設備が充実した部屋を紹介するのは、なかなか困難です。

「倉敷市では、築浅の賃貸物件はハウスメーカー施工・管理のものが多いのですが、生活保護を受けている人の入居がOKなものがほとんどありません。オーナーさんがOKだとしても、入居後のトラブルを懸念する管理会社の判断でNGとなってしまうケースがあるのです。オーナーさんや管理会社に対して、支援者によるサポート体制があることやトラブルのリスクが一般の入居者と変わらないことを何度も説明し、お願いしていますが、どうしても受け入れてもらえないことがあります」

そのような人たちも入居でき、さらに快適に暮らせるよう、同社では自社で物件を購入してリフォームを施し、入居を希望する人に選択肢をつくる取り組みもしているとのこと。所有している物件は現在では9棟になるそうです。

自社でオーナーとなってリフォームを行い、外壁塗装など手を加え、見た目もキレイに(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

自社でオーナーとなってリフォームを行い、外壁塗装など手を加え、見た目もキレイに(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

「私たちのような小さな会社が自社で物件を購入して保有し続けるには、多額のお金も必要になるため勇気のいることです。しかし、これだけ理解を得られるよう頑張って説明しても入居が難しい人たちに住まいを提供するには、もう私たちがオーナーになるしかないと社長が決断しました。

低所得の人が多く、家賃を低く設定せざるを得ない分、利益は少なくなるかもしれませんが、気に入っていただければ長期で借りていただけることが多いので、事業として成立しています」

実際、購入時は30室中10室が空室だった中古の1棟物件が3カ月で満室に。そして全9棟(計80室)のうち、現在、空室はわずか2室のみだとか。その2部屋も、急きょ入居が必要な人が現れたときのための戦略的空室なのだそうです。

家賃を抑えつつ、住宅確保要配慮者が住みたいと思える部屋を実現。選択肢を増やす取り組みを行っている(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

家賃を抑えつつ、住宅確保要配慮者が住みたいと思える部屋を実現。選択肢を増やす取り組みを行っている(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

家財道具を持たない人にも設備の充実した住まいを。その仕組みとは

支援を必要としている人たちは、さまざまな事情を抱えています。なかには家財道具を一切持たず、着の身着のままで部屋を探す人も。そのような状況でも入居者が安心して暮らせるよう、曽我さんたちはいろいろな工夫をしながら支援を充実させています。

その一つが、家財道具の提供です。入居する物件によっては、カーテンや照明器具がついていない部屋もあります。同社では、事業の一環で残置物(※)をそのままの状態で家ごと買取をすることがあり、ある一定の手順を踏んで、有用なものを社会福祉法人に声掛けをして、使えるものを渡したり、生活支援を必要とする入居者に提供したりしているそうです。

※入居者が貸主の許可のもと自らの負担で設置した設備や、家を売却する際に家具など使用していたものをそのまま撤去せず残していったもの

リユース可能な残置物や不要品は、社会福祉施設への寄付や生活保護者への再販のほか、社内で保管をして、必要な入居者に提供することもあるという(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

リユース可能な残置物や不要品は、社会福祉施設への寄付や生活保護者への再販のほか、社内で保管をして、必要な入居者に提供することもあるという(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

その手順とは、以下のとおり。
1. 残置物のうち売主(物件のオーナー)や親族が引き取れるものは引き取ってもらう
2. 古物店やリサイクルショップを紹介して買い取ってもらう
3. 最終的に誰もいらないとなったものを支援団体に渡す

この方法は、それぞれの関係者によってニーズが異なることがポイントです。支援で必要としているのは、カーテンやタオル、石鹸など日々の生活で使うもので、売主や親族が必要とする貴金属類などではありません。また、古物店はアンティークのものを探していて、リサイクルショップは使用年数が約3年以内の比較的新しい中古品のみを引き取ってくれます。それ以外の中古品は引き取ってくれないので、結果的に残ったもののなかに支援に使えるものがあるというわけです。

オーナーや売主から不要なものを引き取り、活用していく仕組み。電気店や古物店など、協力者の存在も大きい(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

オーナーや売主から不要なものを引き取り、活用していく仕組み。電気店や古物店など、協力者の存在も大きい(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

「例えば、中古のエアコンを素人が取り外すのは大変です。そこで、協力してくれる電気店に依頼して取り外してもらって、必要とする人に提供します。基本的に現在ご協力いただいている電気店さんはその作業を無償でやってくださるのですが、生活保護を受けている人は家具什器(じゅうき)代が倉敷市から支給されます。そのため、必要とする人に安く再販売することで、そこから電気店にわずかでも費用を支払うことができるという仕組みです」

支援が必要な人とオーナー、両面からのアプローチが必要

曽我さんのところには、社会生活に困難を抱えている人たち(生活困窮者やひきこもりなど)の相談窓口である倉敷市の「生活自立相談支援センター」や、一時的避難施設であるシェルターを運営する「倉敷基幹相談センター」のほか、数々のNPO法人や同業の不動産会社からも入居できる物件がないか、相談が寄せられるそう。

居住支援では、支援が必要な人の不安を取り除くことと、オーナーや管理会社の不安を取り除くことの両面からのアプローチが必要だと、曽我さんは話します。

「支援が必要な人の不安を取り除くためには『気持ちに配慮した距離感』が必要です。住まいのご希望や転居理由などについては詳しくヒアリングしますが、住まいのマッチングに必要のないことにはできるだけ触れないようにしています。ヒアリングでは必ず各センターの支援員さんを通して話すようにし、直接相談者さんに連絡することはありませんし、お申し込みに至るまで、私から相談者のお名前や障がいの内容、借金の有無などを聞くこともありません」

親身に住まいの希望を聞くが、プライベートな話には立ち入らないように配慮して、相談者の不安を和らげることが大切(画像/PIXTA)

親身に住まいの希望を聞くが、プライベートな話には立ち入らないように配慮して、相談者の不安を和らげることが大切(画像/PIXTA)

「一方、入居後の近隣とのトラブルや滞納などを不安視するオーナーさんや管理会社に対しては、きちんと説明をしないと、後からだまされたと感じてしまわれたり、一度でもトラブルなどの対処で失敗してしまったりすると、二度と協力していただけない可能性があります。安心して任せていただくためにも、家賃保証会社の利用は必須です。そして、Face to Faceのコミュニケーションを大事にしています」

正しい知識を持ってより詳細な情報を伝えられるよう、曽我さん自身、FP(ファイナンシャルプランナー)や不動産コンサルティングマスターの資格を取得して知識向上にも努めてきたそうです。

「私がやらなければ困る人がいる」10年以上にわたる支援で見えてきた成果

街の小さな不動産会社が住まいだけでなく、家財道具やメンタル面にも踏み込んだ居住支援を行うのは簡単なことではないでしょう。曽我さんは「私がやらなければ、誰もやる人がいない。私がやらなければ、困る人たちがいる」という思いに突き動かされ、気がつけば10年以上が過ぎていたと言います。そして、曽我さんの周りの支援環境は少しずつ変わってきているようです。

「ここ数年で大きな支援団体だけでなく、大小さまざまな団体や、市の職員の方から直接お問い合わせをいただくことが多くなっています。支援は私一人ではとてもできることではありません。行政や地域の企業、オーナーさんなどさまざまな方たちとの連携によって、住宅確保が困難な人たちにも住み心地に配慮した住まいの提供が持続的に可能となったのです」

支援者やオーナーと密に連絡を取り、要支援者の暮らしをサポートしている(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

支援者やオーナーと密に連絡を取り、要支援者の暮らしをサポートしている(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

さらに、ほかにもいろいろな成果があると曽我さんは話します。

「オーナーさんへの説得や不安解消にと勉強したことが、今とても役立っていると思います。
建築の知識が身につき、お部屋を見に伺ったときにアドバイスなどもするようになった結果、自社管理物件以外の物件のオーナーさんにも顔を覚えていただき、直接、外壁塗装やリフォーム工事の依頼を受けるようになりました。2022年にはリフォームだけでおよそ1000万円を売り上げています。不動産売買のご相談も増え、自社所有物件については、ほぼ満室が続く状態です」

居住支援を継続していくには、収益についても考えていかなくてはなりません。
「そこが本当に大変なのですが、これら居住支援以外の事業収益とトータルでなんとかバランスをとっている」そうです。

「私がやらなかったら誰もやる人がいない、私がやらなければ困る人たちがいる」という想いに突き動かされて、10年以上居住支援に携わってきたという(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

「私がやらなかったら誰もやる人がいない、私がやらなければ困る人たちがいる」という想いに突き動かされて、10年以上居住支援に携わってきたという(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)

2012年に生活困窮者への住まい斡旋(あっせん)を始め、2019年には家財道具の提供や自社物件への入居と居住支援に幅を持たせてきたLIXIL不動産ショップエステートイノウエ。街の不動産屋さんや電気屋さん、古物商など、私たちの近くにもありそうな普通のお店がタッグを組むことで「ここまでできるんだ」ということを見せられた気がします。

そもそも、入居できる部屋がなかなか見つからないからといって、どんな部屋でもいいわけではないのは当然のこと。入居を検討する人の希望が叶う「住みたいと思える部屋」は長期入居につながり、空室の解消や近隣とのトラブル回避だけでなく、入居する人の前向きな気持ちを引き出すことにも大きく貢献できるのだと感じました。

●取材協力
LIXIL不動産ショップエステートイノウエ

障がい者の部屋探しの苦労を知るからこそ伴走したい、社長・従業員の家族が障がいのある不動産会社。病院付き添いなど入居後もサポート 足立区・メイクホーム

障がいのある人(精神障がいのある人や車椅子の人)が賃貸物件に入居したいと考えたときには、物件探し、入居手続き、そして入居後の生活にも多くの壁があるようです。これらの壁を乗り越えるため、住まい探しから、保証人対応、物件の改修、病院の付き添いまでさまざまなサービスを提供する不動産会社があります。メイクホーム(東京都足立区)の障がいのある人への取り組みについて紹介します。

障がいのある人がぶつかる壁とは

障がいのある人とひと言で言っても、その状態は人によってさまざま。住まい探しには、その人の特徴に合った条件が求められます。視覚障がいのある人であれば、駅から近く、歩いていても事故に遭う心配がないよう歩道があり、道幅の広い道路に面した物件が良いでしょう。また、聴覚障がいのある人であれば、玄関のインターホンの音が聞こえないので、来訪者があることを目で確認できるライトなどの機器を設置する必要があります。

「車椅子でも暮らせるバリアフリーの物件は、場所や条件によりますが、都心であれば最低でも14万円ほどすることが多いです。しかしその家賃が払える人ばかりではありません。障がいのある人で、家族もおらず、生活保護を受けている人は、家賃補助の上限金額である53,700円(東京都一人世帯の場合、また車椅子利用者など特別に部屋探しが困難と認められた場合は69,800円)よりも低い家賃で借りられる物件を探さなくてはならないので、物件は限られます」(メイクホーム石原幸一さん、以下同)

ほかにも内見の際、車椅子を利用する人は一人もしくは二人の介助者が必要だったり、車椅子が物件の床や壁を傷つけないように養生をしなければならなかったりと手間がかかります。障がい者が暮らしていくには、オーナーや近隣に住む人の理解も必要で、一つひとつ状況を説明していくことも欠かせません。
必要とされる対応を知らないことでトラブルに発展する可能性がある上に、仲介手数料や管理費は法や相場から外れた金額にはできないため、対応できる不動産会社が限られているのが現状です。

障がいがある人も、その特徴はさまざま。住まい探しも、その人に合った物件を探す必要がある(画像/PIXTA)

障がいがある人も、その特徴はさまざま。住まい探しも、その人に合った物件を探す必要がある(画像/PIXTA)

社長自身や従業員の家族に障がいがあるからこそ、親身になれる

石原幸一さんが代表を務めるメイクホームは、障がい者や高齢者など、住まい探しが困難な人たちの住まい探しに特化した不動産会社。利用者は約50%が障がいのある人たち、そして残りの50%は高齢者や低所得者など、住宅確保に何かしらの困難を抱えた人たちです。

「不動産会社を始める前から別の事業で障がい者を雇用していたのですが、事業の縮小に伴い、従業員の次の仕事や住まいを探す必要がありました。仕事はすぐに見つかっても、障がいのある従業員が住めるところを見つけるのは大変でした。それがきっかけで障がい者や住宅確保に配慮が必要な人たちの住宅事業に取り組むようになったのです」

石原さん自身も、3年ほど前から視覚障がいがあります。そしてメイクホームで働くスタッフのなかには、石原さんのSNSでの発信や講演会で話を聞いて、集まってきた人も。小さいころから弟に障がいがある人や親戚が発達障がいでなかなかグループホームが見つからない人、また自身ががんを患っていたり、外国人だったりなど、メイクホームに相談に来る人たちと近い立場にいるスタッフが多いそうです。だからこそ、相談者の痛みがわかるのだと、石原さんは言います。

石原さん(左)と盲導犬を連れてメイクホームを訪れた視覚障がいのあるお客さま(右)。自身や家族との体験があるからこそ、抱える痛みや必要なサポートがわかり、相談に来る人たちに寄り添うことができる(写真提供/メイクホーム)

石原さん(左)と盲導犬を連れてメイクホームを訪れた視覚障がいのあるお客さま(右)。自身や家族との体験があるからこそ、抱える痛みや必要なサポートがわかり、相談に来る人たちに寄り添うことができる(写真提供/メイクホーム)

「楽な仕事ではないし、私も従業員に厳しいことも言いますよ。でも辞める人はほとんどいません。障がいによってできることが限られていてもいいんです。人を憎んだり、暴言を吐いたりするような人でないこと。そしてコツコツと努力をする人であれば、仕事はできます」

「壁を乗り越えるには」を追求して広がったサービス

石原さんは「メイクホームの事業の中心は不動産業ではなく、福祉や生活支援」だと言います。自立したいと願う障がい者や、住まい探しに困っている人、一人ひとりに対応していくためにできることをやっていった結果、不動産、リフォーム、引越し、トラブル解決……と、さまざまな事業につながっていったそうです。

居住支援法人でもあるメイクホームは、生活保護を受ける人にも必要なサービスをワンストップで受けられる事業を展開している(画像提供/メイクホーム)

居住支援法人でもあるメイクホームは、生活保護を受ける人にも必要なサービスをワンストップで受けられる事業を展開している(画像提供/メイクホーム)

「私たちが大事にしていることは、何か連絡があったら、断らずに必ず駆けつけるということです」

例えば、DV被害者の人が大阪から東京に逃げてきても、東京に住民票がないので東京都のDV被害センターでは受け入れができません。そこで、石原さんたちが一時的に受け入れをしたこともあったそう。国や地方自治体が法律に縛られてできないことにも支援の手を差し伸べています。

「入居者が倒れて動けなくなったときに備え、室内に赤外線システムを活用した機器を取り付けたり、従業員が1都3県の管理物件を定期的に回ったりするなど、早期発見の策を講じています。家賃保証会社を利用する際に必要になる緊急連絡先のなり手がいない人には、家族などの代わりに連絡を受けて対応する『緊急連絡先協会』も立ち上げました。また、有料で葬儀保険や万一の場合の残置物処理も行っています」

家賃の連帯保証人に代わり、家賃保証会社を利用するケースが増えているが、緊急連絡先が必須となることがほとんど。頼める家族がいない人の入居促進のために、緊急連絡先協会の立ち上げが必要だった(画像提供/メイクホーム)

家賃の連帯保証人に代わり、家賃保証会社を利用するケースが増えているが、緊急連絡先が必須となることがほとんど。頼める家族がいない人の入居促進のために、緊急連絡先協会の立ち上げが必要だった(画像提供/メイクホーム)

そして今後は行政とも協力し、入居者が倒れる前に人感センサーで異常を察知して救出する仕組みをつくろうと準備をしている最中。メイクホームの事業はますます広がりを見せていくようです。

事業として成立させるため、リスク回避のために

数多くのサポートやサービスを整え、必要な居住支援を行うには手間もかかります。会社として事業は成り立つのでしょうか。

「私たちが居住支援を行う不動産会社として事業を継続するために取り入れている特徴的なスキームは『完全管理システム』です。築古などで空室になっているアパートを、投資家から預かった資金でバリアフリーにしたり、手すりを付けたりしてリフォームし、住まいを必要としている人に提供します。

入居者から家賃を回収したり、何かトラブルがあったとしても全ての対応は当社が行い、オーナーさんには入居者がどのような人か、障がいの内容や詳しい事情については一切伝えません。その代わり、確実に家賃としての収入を確保するというものです」

住宅の確保に配慮が必要な人たちは、ひんぱんに引越すことは少なく、一度入居したら長く住み続けることが多いそう。例え空室が出ても、住まいを確保できずに困っている人はたくさんいるので、すぐに次の入居者が見つかるのもオーナーにとってのメリットだと石原さんは言います。

半面、家賃滞納や孤独死、近隣とのトラブルなど、オーナーが不安に思うリスクは全てメイクホームが負います。この方法で、空室率は2%以下を保っているそうです。

「一見、サブリース(不動産会社などが、土地や建物のオーナーから不動産を一括して借り上げて事業展開する形態)のように見えますが、サブリース物件はほとんどありません。事業者が収益をコントロールしやすいサブリース契約よりも管理費のみをいただく管理委託契約のほうが、一般的にはオーナーの収入が増えることが多く、ひいてはより多くの入居者を受け入れることにつながると考えています」

メイクホームの完全管理システム。メイクホームが利用者とオーナーの間に入り、入居者の募集と契約、家賃回収、建物の原状回復やリフォーム、さまざまなトラブルの解決と管理業務の全てを代行する(画像提供/メイクホーム)

メイクホームの完全管理システム。メイクホームが利用者とオーナーの間に入り、入居者の募集と契約、家賃回収、建物の原状回復やリフォーム、さまざまなトラブルの解決と管理業務の全てを代行する(画像提供/メイクホーム)

住宅・不動産業界全体に支援の輪を広げる

メイクホームは、1都3県を対象エリアとして事業を展開していますが、全国のあらゆる地域でこのようなサポートを望む声は多くあります。そこでより多くのエリアに取り組みを広げるため、志を同じくする仲間を募集し、フランチャイズ事業を始めました。研修を行った上で、行政から直接相談を受けられる体制を整え、メイクホームが提供してきたサービスを展開します。石原さんによれば「必要なのは、優しさとお客さまを思いやる気持ち、そして共感する心」だそう。

一方、地方では空室率が30%を超える地域もあり、このままではアパート経営が続けられなくなるかもと不安を抱えるオーナーも増えています。今や3人に1人は高齢者という時代。さらに高齢化は進むと考えられ、高齢者や障がい者など、これまでオーナーが入居を敬遠しがちだった人たちをも受け入れることが必要になっていくでしょう。

「今後、住まいは箱、ハードとしての問題よりも、入居する人たちを支える福祉などのサービス、ソフトの問題が大きくなってくる」と石原さんは考えます。介護・看護や見守りが必要な人たちへのケアと不動産事業が合体したメイクホームのような事業展開が全国規模で必要なのです。

自治体からの要望を受け、オーナー向けの講演を行うことも。石原さんは「これまで培ってきたノウハウを積極的に広めていきたい」と話す(写真提供/メイクホーム)

自治体からの要望を受け、オーナー向けの講演を行うことも。石原さんは「これまで培ってきたノウハウを積極的に広めていきたい」と話す(写真提供/メイクホーム)

そして、石原さんの訴えは、少しずつ社会にも変化をもたらしているようです。

「各メディアから出演依頼が定期的にあり、地方自治体のセミナーの参加者も年々増えています。オーナーさまからもどのようなリフォームをしたら障がい者の受け入れがしやすくなるのか、などの質問が多く寄せられるようになりました。私たちの居住支援の取り組みを知り、自分も取り組もうという意志のある方や活動に共感していただける方が増えてきていると感じます」

これまでにメイクホームに相談して住まいを見つけた人は、精神疾患のある人、聴覚障がい者、視覚障がい者、車椅子生活者など、さまざま。「多くの不動産会社から断られたが、メイクグループに相談をして希望通りの部屋を見つけてもらった」「携帯電話や住民票の手続きをサポートしてくれ、引越しも引き受けてくれた」「車椅子で生活できるよう、段差の少ない物件を探してくれた。内見の際も毎回車椅子を積んで病院まで迎えにきてくれた」など、感謝の声がたくさん寄せられています。

相談した人たちの「寄り添って共に取り組んでくれた。本当に心強い味方だ」という言葉に、メイクホームの居住支援の本質が表れているのでしょう。

メイクホームでは、SUUMOと協力して視覚・聴覚障がい者がネットで内見できる動画を作成するなどして新しい物件紹介の方法を模索したり、スマートウォッチの装着によって入居者に異常があった際に自動通知を行う仕組みづくりを検討したりしています。さらに大手企業や行政とも連携してバリアフリーや点字ブロックの設置を進めるなど、障がい者や高齢者も暮らしやすいコンパクトな街づくりを目指していきたいと考えているそうです。

しかし、住まいの確保には物理的な問題、何かトラブルが起きた際の対応だけでなく、未だ差別や偏見も存在するとのこと。石原さんは、子どものころから、障がいのある人とそうでない人が一緒に学べる、インクルーシブ教育が必要だと言います。人間の多様性を尊重し、障がいがある人もない人も、自然に近くにいることが当たり前だと思える社会をつくることこそが真のバリアフリーな社会につながるのかもしれません。

「広く大勢を助けることは難しくとも、せめて目の前にいる困った人は助けたい」。これが石原さんが常に持ち続ける思いです。私たち一人ひとりがこのような思いを少しずつでも共有できれば、世の中はもっと優しくなれるのではないでしょうか。

●取材協力
メイクホーム株式会社

岡山の不動産屋さん母娘、障がい者の住宅確保に奔走! 住まい探しの難しさに挑む責任と覚悟

社会生活に困難を抱える人たちに対し、住まいや暮らしのサポートをする不動産会社として全国的にも注目されている会社があります。創業者である母・阪井ひとみさんと、娘の永松千恵さんが共に運営する、阪井土地開発(岡山県岡山市)です。障がいがある人をはじめ、住宅確保に配慮が必要な人たちの住まい探しの難しさ、住まいにかかわる者が担うべき責任や覚悟について、娘の千恵さんに話を聞きました。

みんなに“住む家”を。困難を抱える人へ住まいを提供してきた母・ひとみ

岡山駅前の中心部からほど近い場所にある、阪井土地開発。母の阪井ひとみさんを代表として、娘の永松千恵さんとともに、少人数で営んでいます。主に市内のマンションやアパート、一戸建ての仲介や管理をする創業32年の不動産会社で、社会的に住宅の確保が難しいとされる人に、住宅のあっせんや賃貸提供をしています。

(画像提供/阪井土地開発)

(画像提供/阪井土地開発)

ひとみさんが住宅困窮者のサポートを始めることになったきっかけは、26年前。管理をしている物件に長く入居していた人がアルコール依存症を患ったことに始まります。その人をサポートする精神科医と接するようになり、社会的に生活が困難な人たちの住宅確保問題を知ったそうです。

「健康で仕事に恵まれた人は稼ぎがあって、連帯保証人の確保ができる。けれども、社会生活に困難を抱える人たちには連帯保証人の確保が難しい人が多い。そうなると住宅を借りること自体が一気に難しくなるということを母は知ったそうです」(千恵さん、以下同)

そこでひとみさんは、自社で管理する賃貸物件をあっせんして、住宅確保に困難を抱える人たちが段階的に自立した生活ができるようにサポートし始めます。しかし入居できる物件を探すなかで、オーナーさんの理解を得ることにハードルの高さを感じ、とうとう自社で1棟のマンションを購入し、貸主となって賃貸する決断をします。

「社会的に困窮している人たちに入居してもらい、自分たちが日々のくらしをサポートすることで、彼らの社会復帰につなげたい。自分らしく人生を生きた末に、自分の布団の上で最後の幕引きができるように、という母の使命感でした」

阪井土地開発が所有する、住まいの確保に困難を抱える人たちが入居するマンション「サクラソウ」(画像提供/阪井土地開発)

阪井土地開発が所有する、住まいの確保に困難を抱える人たちが入居するマンション「サクラソウ」(画像提供/阪井土地開発)

当初は精神障がいのある人のサポートから始まりましたが、現在、入居する人たちの幅は広くなっています。高齢者、避難先を必要としているDV被害者などの入居も受け入れるようになりました。

しかし、ひとみさんたちは不動産会社であるため、できることにも限界があります。例えば、当事者の権利擁護や、お金の工面法などについては弁護士さんや福祉事務所と連携してサポートをしているそう。さまざまな困難を抱える人たちを支えるために、相談支援専門員やケースワーカー、ケアマネジャーなどさまざまな人がかかわり、互いに協業をしているのです。

阪井土地開発をはじめとした、社会的困窮にある当事者の暮らしを支えるネットワーク(画像提供/阪井土地開発)

阪井土地開発をはじめとした、社会的困窮にある当事者の暮らしを支えるネットワーク(画像提供/阪井土地開発)

「その人の抱える課題の背景や程度に応じて、かかわる専門家や支援員が変わってきます。多くの方の支援をしていくなかで “住宅確保要配慮者”とひと言にいっても、それぞれのニーズがあり、一概には括ることができない、と感じました」

住まいに限らない、当事者たちを包括的に支えるネットワークをつくりたい

そのことに気づいたひとみさんは、住まいに直接関係する支援だけではなく、より包括的な支援を行うため、2015年にNPO法人「おかやまUFE(ウーフェ)」を立ち上げました。疾患や障がいがある人びとが安心して暮らせる地域づくりを目指し、障がいなどがある人や家族のためのカフェ「よるカフェうてんて」の運営や、シェルター事業などを始めます。

現在「よるカフェうてんて」は「うてんて」と名を変え、障がいのある人や生活困窮者などがサポーターとともに自ら運営する拠点となった。フードバンク拠点事業や「おかず」配布事業などを行っている(画像提供/NPO法人おかやまUFE)

現在「よるカフェうてんて」は「うてんて」と名を変え、障がいのある人や生活困窮者などがサポーターとともに自ら運営する拠点となった。フードバンク拠点事業や「おかず」配布事業などを行っている(画像提供/NPO法人おかやまUFE)

さらに、2017年には岡山県内にある空き家の活用と、住宅確保要配慮者を支援する機能を担う「住まいと暮らしのサポートセンターおかやま」の運営を始めました。

「社会生活に困難を抱える人たちは住まいを確保するだけではなく、自分らしく生きていくためにも、自立した生活をしていかなければなりません。そのために働く場所、地域の人たちと交流する場所が必要です。NPOではこの場所や機能を提供しています」

「“いいこと”をしているとわかっていても」葛藤する娘の気持ち

ここまで紹介したように、これまでひとみさんが行ってきたことは、社会生活に困難を抱える人たちの人生にかかわることであり、並大抵の想いや覚悟でできることではないでしょう。さらにいえば、ひとみさんが住宅確保要配慮者のサポートを始めた30年近く前の日本は、“普通”から外れた人に社会がもっと厳しかった時代。多様性を謳うここ数年の社会と比較すると、ひとみさんの取り組みはいっそう理解されにくかったことが想像できます。

幼いころからひとみさんの活動を目の当たりにしてきた千恵さんは、当時の日本で“普通”とされてきたことから離れた想いや行動に、娘として葛藤を感じていたといいます。

「知り合いの不動産屋さんに『お前のオカン、大丈夫なんか』って心配されるのです。そのことで、母にとっての当たり前は普通じゃないんだって知りました。不動産屋ならば、いわゆる“普通”のお客さんだけを入居させればいいのに何で?という思いでしたね」(千恵さん)

時には「やりすぎ」と感じた母・ひとみさんの取り組みを今は「やりたいならやればいいよ、と一歩引いて見ながら一緒に活動している」と語る千恵さん(写真撮影/SUUMO編集部)

時には「やりすぎ」と感じた母・ひとみさんの取り組みを今は「やりたいならやればいいよ、と一歩引いて見ながら一緒に活動している」と語る千恵さん(写真撮影/SUUMO編集部)

やがて千恵さんは社会人となり、さまざまな経験と社会の実情を知ることで、なぜ母が熱意を込めて住宅確保に配慮が必要な人たちのサポートをしてきたのか、理解を深めていきます。そして”母の取り組みは社会に必要なことなんだ”と感じて、ひとみさんの手伝いをするようになりました。

「一緒に活動をする弁護士や社会福祉士、行政組織などから『ひとみさんの活動は、さまざまなところで必要なんだよ』と言ってもらえることも多く、社会的に間違ってないんだな、と自信になりました」

“誰か”の突出した取り組みではなく、“誰でも”できるように展開する

今後、ひとみさんの情熱的な思いはどのように受け継がれていくのか。千恵さんはまだ先のことはわからないといいます。ただ一つだけはっきりと話してくれたことがありました。

「私たちの取り組みは、“ひとみさんだからできる”で終わりにしちゃダメなんです。岡山に限らず、全国にはたくさんの社会的困窮者がいて、住まいの確保に悩んでいます。さらに多様な時代になり、高齢化が進むなかで、困難を抱える人の数は増えています。多くの要配慮者への支援を継続していくためには、支援の選択肢を増やすべきであり、私たちの活動をもっと伝えていく必要があると思っています」

こうした思いから、現在千恵さんはこれまでの事例や自社の取り組みをより多くの人たちに知ってもらうため、全国で講演を行っています。また、入居者が家賃を支払えなくなった際に、保証会社が一定の家賃を立て替える「家賃債務保証」。住宅確保要配慮者の契約においても、多くの不動産会社がこの仕組みを導入できるよう保証の“平準化”を期待しながら具体的な活用例を伝えているといいます。

住宅確保要配慮者の入居までに必要な支援において、家賃債務保証の果たす役割は大きい(画像提供/NPO法人おかやまUFE)

住宅確保要配慮者の入居までに必要な支援において、家賃債務保証の果たす役割は大きい(画像提供/NPO法人おかやまUFE)

なにより、居住後の入居者支援やコミュニケーションにおいては「手を出さないで、目をかける」を合言葉に、管理会社として携わることの距離感を探っているそうです。

「のちのち大事にならないよう、入居する人たちのシグナルを初期の段階でキャッチするためのコミュニケーションは大切です。しかしながら、全てに手を出していては当事者の自立を妨げてしまいます。より多くの人・企業にサポートの輪を展開していくためにも、不動産会社が本当にやるべきことのラインを見極め、支援する度合いのベストな位置を探っていくことは大切だと思います」

住宅の確保が困難な人への居住支援を継続していくことは簡単なことではありません。収益や利回りを確保する視点だけでは行えない事業であることは確かです。

「いま、住宅確保要配慮者への支援に乗り出したいと考える会社からお声掛けいただく機会が増えています。私たちが提供できる情報やノウハウを惜しむことなくお伝えします。その人の生活を支える覚悟を持って取り組んでほしいです。住宅供給の担い手である不動産会社は、住まいを求めるすべての人がお客さんであり、すべての人が住まいを確保できるようにサポートしていく必要があると思います」

●取材協力
・阪井土地開発株式会社
・NPO法人おかやまUFE

障がい者と健常者がともに働き、助けあう草分け的存在「わっぱの会」。街のパン屋から多事業展開へ40年の軌跡

「障がいをもつ人も、もたない人も共に生き、働ける場を」というコンセプトを掲げ、1971年から活動を開始したわっぱの会。その事業の一つである「わっぱん」は共働事業所で働く人たちがつくる無添加のパンです。
わっぱの会が障がいのある人とない人が共に生きていく世界を目指し、活動を続ける理由やその取り組み、住まいに関わる支援について、わっぱの会の斎藤縣三さんに話を聞きました。

障がいのある人たちがつくる、無添加国産小麦のパン「わっぱん」って?

「わっぱん」とは、名古屋を拠点に展開しているパン屋さんです。手作業を重視し、材料にはなるべく添加物を使用せず、遺伝子組換えではないものなど、自主基準を設けこだわっています。

もちろん、使用するカスタードクリームやジャム、つぶあんなどもすべて手づくり。自分たちが信頼できるもの以外は入れない、お手ごろな価格で安心安全なおいしいパンを届ける。そんなパンに込めるつくり手の姿勢は、わっぱんの事業を開始して以来、地域の人々に支持され、愛され続けています。

体に悪いものは入れない。安心でおいしい「わっぱん」のパンは地域の人に長く愛されている(画像提供/わっぱの会)

体に悪いものは入れない。安心でおいしい「わっぱん」のパンは地域の人に長く愛されている(画像提供/わっぱの会)

わっぱんのもう一つの大きな特徴は、障がい者と健常者が一緒に働くパン屋であること。今ではそのような業態はたくさんありますが、わっぱんの事業を開始した1984年当時としては大変珍しく、先駆けでした。わっぱんの誕生について、経営母体である「わっぱの会」の斎藤さんはこう話してくれました。

「わっぱんの事業を始めるまでは内職や移動販売などの仕事をしていましたが、収入は限られたものでした。事業として成立する形で障がいのある人に仕事を提供したいと考えたとき、手作業を活かせて、自立して生活できるだけの収入を得られる仕事として行き着いたのがパン屋だったのです。当時は全国で初めて障がい者と健常者が一緒にパンをつくって地域の人たちに買ってもらうという、時代に先駆けた取り組みでした」

手仕事にこだわった丁寧なパンづくり(画像提供/わっぱの会)

手仕事にこだわった丁寧なパンづくり(画像提供/わっぱの会)

地域の中で地域と共に。「ソーネおおぞね」の誕生

わっぱの会では、これまでの福祉サービスの域を超えて、地元の人たちとの交流や社会参加を重視した、地域に根付いた取り組みを大切にしています。その一つのモデルケースとなる施設が「ソーネおおぞね」です。リサイクルセンター、ショップ、ダイニングカフェ、フリースペース、住まいをはじめ小さなことから相談できる「相談所」の五つの機能をもつ複合施設になっています。

ソーネおおぞね内のショップ。わっぱんのパンや愛知の特産品、有機野菜などの幅広い品揃え(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞね内のショップ。わっぱんのパンや愛知の特産品、有機野菜などの幅広い品揃え(画像提供/わっぱの会)

大曽根団地の中にあったスーパーの跡地を利用してつくられたソーネおおぞね。団地の過疎化が進み、空き部屋がたくさんある状況下で、団地の荒廃を食い止め、地域の人たちも参加できる施設にしたいという思いがあった(画像提供/わっぱの会)

大曽根団地の中にあったスーパーの跡地を利用してつくられたソーネおおぞね。団地の過疎化が進み、空き部屋がたくさんある状況下で、団地の荒廃を食い止め、地域の人たちも参加できる施設にしたいという思いがあった(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞねでは、地域と連携して、団地内の空き部屋を借り受けて改修を行い、住宅弱者に貸し出したり、障がい者のグループホームの運営も行っている(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞねでは、地域と連携して、団地内の空き部屋を借り受けて改修を行い、住宅弱者に貸し出したり、障がい者のグループホームの運営も行っている(画像提供/わっぱの会)

地域住民が一緒に参加する夏祭りを開催したり、キッズスペースをつくって子育て世帯も気軽に訪れることができるようにしたりと工夫を凝らしました。リサイクルセンター「ソーネしげん」での資源の買取にはポイント制を導入し、敷地内のダイニングカフェでそのポイントを利用できるようにしたりしたところ、ソーネしげんの会員は現在4000人を超えるまでに増えています。遠くからも車でやってくるほど、地域を超えて多くの人に受け入れられるようになりました。

ソーネおおぞね内にあるリサイクルセンター「ソーネしげん」。分別した資源を持ち込んで買い取ってもらうことができる(画像提供/わっぱの会)

ソーネおおぞね内にあるリサイクルセンター「ソーネしげん」。分別した資源を持ち込んで買い取ってもらうことができる(画像提供/わっぱの会)

リサイクルセンターとカフェにポイント制を取り入れた仕組み(画像提供/わっぱの会)

リサイクルセンターとカフェにポイント制を取り入れた仕組み(画像提供/わっぱの会)

障がい者と健常者の共生・共働を目指し、「一人で暮らしたい」「働きたい」に寄り添う

障がい者の「自立して暮らしたい」「社会の一員として働きたい」という想いに寄り添いつつ、障がい者と健常者のスタッフの生活を成り立たせていくのは簡単ではありません。現在、わっぱの会は事業による収入のほか、寄付や助成金などで運営を持続している非営利法人組織となりました。展開する事業の数は33に及び、年間の事業高は15億円にのぼります。それらは全て、今困っている人たちには何が必要かを考えて、発展していった取り組みです。

ほかにも、企業への就労支援や職業訓練、生活支援、居住支援なども積極的に行ってきました。年間に200名以上の就職を実現し、その実績が評価されて、ハローワークから就職先を探す依頼を受けることも多いそう。

「障がい者は『働きに行く』という意識が芽生え、お金を稼ぐ実感を得られるようになり、一緒に働く健常者は、新たな気づきや生きがいを見出している人が多いようです」

障がい者と健常者がともに働く場はパン屋、リサイクルセンター以外にも多岐にわたる。障がいがあっても働けることを理解してもらい、就職先を開拓する取り組みも行っている(画像提供/わっぱの会)

障がい者と健常者がともに働く場はパン屋、リサイクルセンター以外にも多岐にわたる。障がいがあっても働けることを理解してもらい、就職先を開拓する取り組みも行っている(画像提供/わっぱの会)

生活・仕事・福祉のお悩みも気軽に相談できる地域の相談所を運営(画像提供/わっぱの会)

生活・仕事・福祉のお悩みも気軽に相談できる地域の相談所を運営(画像提供/わっぱの会)

障がい者だけにとどまらない、わっぱの会の居住支援

2010年代の後半には居住支援法人制度の認定を受け、住まい探しの専門センターを設立。障がい者以外の生活困窮者からも多くの相談が寄せられています。

児童養護施設を18歳で退所した若者や、家族関係によって自宅が安心できる環境にない学生に寮として提供している建物(画像提供/わっぱの会)

児童養護施設を18歳で退所した若者や、家族関係によって自宅が安心できる環境にない学生に寮として提供している建物(画像提供/わっぱの会)

「最初は住まいを紹介するだけでしたが、障がいのある人の入居は大家さんも二の足を踏むことが多く、今は連帯保証人がいても保証会社がつかないとなかなか貸してもらえません。そこで私たちは、債務保証会社と協定を結び、わっぱの会が支援する人には、保証会社を付けられるようにしました」

それでも、家賃の滞納や近隣へのトラブルがあるのではないかなど、障がい者への偏見から部屋を貸したがらないオーナーは未だ多く存在するそうです。対策として、わっぱの会がオーナーから部屋を借り受けてリフォームし、貸し出すことにも取り組んでいます。また、わっぱの会が間に入って身元の保証や定期的な安否確認、死後事務まで行うことで、オーナーさんの不安を軽減しているのです。

障がい者やサポートを必要とする人たちへの事業は多岐にわたっている(画像提供/わっぱの会)

障がい者やサポートを必要とする人たちへの事業は多岐にわたっている(画像提供/わっぱの会)

わっぱの会が目指すもの。地域共生の未来とは

斎藤さんが学生だった1970年ごろ、障がい者は山奥の施設など、まちなかとは離れて社会と接しにくい場に置かれるれることが多くありました。その現実に疑問と憤りを覚え、健常者も障がい者も共に暮らし、働ける場所をつくろうと立ち上げたのが、わっぱの会です。

「共生・共働という考え方は、以前と比べて普通に使われるようになってきました。しかし、世の中で広く使われている言葉の意味は、私たちが考えるものとはズレがあるように思います。介護福祉事業への企業参入も増えてきましたが、障がい者に寄り添うことが目的ではなく、行政から補助金を得たり、利益を生み出すための手段として利用しているのではと疑わざるを得ないケースが増えています。

私たちの地域相談窓口に来る人には、障がい者以外の人たちも増えていて、かつては地域の中の支え合いで解決していたことも回らなくなって、今まで以上に地域が疲弊していると感じます。障がい者、健常者、生活困窮者といった枠を超えた福祉が今こそ必要で、そのためには地域をつなぎながら新しく地域を再編していく覚悟が欠かせません」

わっぱんでは、健常者と障がい者合わせて70名近くが同じ仲間として働いている(画像提供/わっぱの会)

わっぱんでは、健常者と障がい者合わせて70名近くが同じ仲間として働いている(画像提供/わっぱの会)

わっぱの会では職員と利用者といった、提供する側と享受する側に分けるような、従来の福祉サービスからの脱却を目指しています。障がい者もただサービスを受けるのではなく、関わる誰もが等しく会費を負担し、共同運営していく、生活と共働を支えるような組合のような組織。そして、成果主義ではなく、みんなで成果を分かち合っていく関係の構築を考えているそうです。

さらに、今後も支え合いを実践しながら活動を持続していくには、障がい者も健常者も生活できる事業として成立するだけのお金が巡る仕組みも欠かせません。枠にとらわれない支援の仕組みづくりと普及が急務とされるなか、わっぱの会の取り組みは一つのモデルケースになりそうです。

●取材協力
わっぱの会
わっぱん
ソーネおおぞね

少子高齢化でも社会保障費に頼らないまち目指す民間企業 仙台市「OpenVillageノキシタ」の挑戦

宮城県仙台市の被災者が多く暮らす新興住宅地にある「Open Villageノキシタ」は、「コレクティブスペース」「保育園」「障がい者サポートセンター」「障がい者就労支援カフェ」 の4つの事業所が集まる小さなまち。高齢者、障がい者、子ども、子育て中の親たちが横断的に交流し、補助金や助成金に過度に頼らずに、「つながりと役割で社会課題を解決する」ことを目指した全国でも珍しい取り組みが行われている。その「Open Villageノキシタ」が生まれた経緯や、オープンから約3年間で見えてきたこと、今後の展望について、施設を統括する株式会社AiNest(アイネスト)代表取締役社長の加藤清也さん、取締役の阿部恵子さんに話を聞いた。

被災者のコミュニティづくりと社会保障費の削減を目指す小さなまち

もともと農地だった仙台市宮城野区田子西地区に「Open Villageノキシタ(以下、ノキシタ)」ができたきっかけは、1994年に遡る。当時、地権者らが土地区画整理事業を検討し始め、AiNest(以下、アイネスト)の親会社である国際航業が専門家の立場で携わることになった。

造成工事が始まって間もなく東日本大震災が発生。多くの被災者が家を失ったため、急きょ仙台市と協議をして集団移転用地に変更し、「災害に強く環境にやさしいまちづくり」をテーマにしたまちづくりが始まった。

仙台市は震災時の長期停電を教訓として、エネルギーの地産地消を目指した「エコモデルタウン推進事業」を実施した。複数の民間企業からなる運営事業法人の責任者となったのが、当時国際航業の技術士として、防災まちづくりに取り組んでいた加藤清也さんだ。

加藤さんは、事業を推進する過程でのさまざまな気づきから、新たな構想が芽生えたという。

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタがある田子西地区には、沿岸部の住み慣れた広い家で被災し、初めてアパートタイプの市営住宅に移住した方々などが住んでいます。話を聞くと新しい環境で知り合いがいない、集まる場所もない、おしゃべりの輪に入れない。まるでお母さんたちの公園デビューのよう問題があるとわかり、コミュニティづくりが必要だと思ったんです」

加藤さんはどんなコミュニティをつくるべきかと並行して、以前から疑問に思っていた福祉行政の問題もあわせて考えた。

「障がい者と子どもと高齢者を社会が支える社会の仕組みはすべて縦割りで、横のつながりがほとんどありません。横のつながりをつくろうと取り組んでいる所も、ベースになるのは補助金や助成金です。

今後ますます高齢化が進み、行政の税収入は減ります。福祉事業を補助金や助成金に頼るやり方が継続できるのか。財源がなくなったときに困るのは、福祉サービスを受けている高齢者や障がい者です。お金の流れを根本的に変えて、増税ではなく社会保障費を削減するような仕組みをつくらないといけない、試しにつくってみようと思いました」

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

こうして全国的にも珍しい、民間企業とNPO法人、社会福祉法人の3法人の共同運営による、高齢者、障がい者、子どもや親ら多世代がボーダーレスに集まる小さなまち「ノキシタ」が誕生した。

人とつながり、役割をもつことの健康効果&経済効果を検証する場に

「ノキシタ」設立は、加藤さんの経験に基づく気づきも大きい。

「プライベートでの経験ですが、軽度の認知症の父に重度知的障がい者の息子をお風呂に入れてほしいと頼んだら、父は孫をお風呂に入れることが楽しくて認知症が和らいだのです。一般的に高齢者や障がい者に対して周りは何でもやってあげようとして、その人自身でやることが失われてしまいますが、自らやってもらう効果の大きさを目の当たりにしたんです。

世代や障がいを超えて人と人がつながり、社会に支えられる立場と考えられがちな人が、人を支える役割を持つことで健康寿命がのびて、認知症や寝たきり、要介護の期間が減れば、社会保障費を削減できるのではないか、と思ったんです。

調べてみると、人と人がつながる大切さを裏付けるデータもありました。要介護認定を受けていない一人暮らしの男性の例で、一人で食事をする(独食)のは、誰かと食事をする(共食)より約2.7倍もうつ状態になりやすい(「日本老年学的評価研究(JAGES)」による研究プロジェクト ※1)。また運動も、一人で運動をしているより、スポーツグループに参加して誰かと一緒に行う方が抑うつにいたる率が低い(※2)といったデータもあります。

コロナ禍になって、配食サービスやオンラインフィットネスなど家にこもって一人で何かをすることが増えて、人と交流する大切さや効果が忘れられていく。人と人のつながりと役割が持つ効果を実証・検証する場がノキシタです」

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

高齢者、障がい者、子ども、親たちが丸ごとつながる開かれたまちづくり

敷地内には、“ふたご山”と呼ばれる緑に覆われた築山を囲むように4つの施設が配置されている。庭はボランティアの力も借り、季節ごとの花に彩られている。

社会福祉法人仙台はげみの会が運営する障がい者サポートセンター、グループホーム「Tagomaru」では、重度の障がいがある方の短期入所(ショートステイ)、日中一時支援事業(単独型)、共同生活援助(日中サービス支援型)などが行われている。

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

NPO法人シャロームの会が運営する「シャロームの杜ほいくえん」は0歳児~2歳児を対象に、地域、保育者、保護者、ノキシタに集う多様な方々とのコミュニケーションを大切にしたダイバーシティ保育園(地域全員参画型保育園)を目指している。

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

同じくNPO法人シャロームの会が運営している「ノキシタカフェ・オリーブの小路(こみち)」は、障がい者の就労支援も行うカフェで、畳のキッズスペースを含め定員は30名位。むく材がふんだんに使われた店内には明るい日差しが射し込む。

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

食事はオリジナルスープカレーやランチプレートなど野菜がたっぷりのメニュー。障がい者や高齢者、子ども連れ、誰でも周りに気兼ねなく利用でき、昼どきは人気のスープカレーを目あてに近所の会社員や遠くから足を運ぶ人も多い。

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

補助金や助成金に頼らない交流スペースは「実家のようにほっとする居場所」

そして、ノキシタの交流の要となるのが、アイネストが運営する「コレクティブスペース・エンガワ」という会員制の交流スペースだ。効果を検証する場であることから利用者の年齢や特性を把握する目的もあって会員制(会費は無料)で、現在の登録会員数は約900人。1回の利用料は400円と利用しやすい設定だ。

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

「ここでは、何をして過ごしてもいいし、何もしなくてもいいんです。カフェのメニューをテイクアウトして食べることもできます。お茶を飲んでスタッフと話をするだけの方、毎日ピアノを弾きに来てくださる方もいます。自然と利用者同士で話したり、誰かと楽器でセッションしたり。スタッフが何かをしましょうと声をかけるのではなく、それぞれの方が何に関心を持つか、どう過ごしたいかを距離を置いて見守っています」と取締役の阿部恵子さん。

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「エンガワ」では、さをり織り機、楽器、キッチンなど、施設内の設備に自由にふれることができる。天井の梁に架かるきれいな布は、世界一簡単な手織りといわれる「さをり織り」でつくられたもの。スタッフが丁寧に教えてくれるので、初めての人や小さな子どもも好きな糸を選んで自分だけの作品を簡単につくれる(予約制、有料)。

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

シェアキッチンでは自由に料理ができるので、お昼ご飯をつくって食べる人もいる。子育て中のお母さんも隣接する和室で小さい子どもを遊ばせたり、交代で面倒を見ながら料理教室やパンづくり教室に参加できる。

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

中庭を望むライブラリーではゆっくり読書ができる。子ども用のドラムやギター、ウクレレなどの楽器も自由に演奏できる。ここでは「〇〇をしてはいけない」などとルールで縛るよりも、そのとき一緒にいる人と気持ち良く過ごすために、互いを尊重し合いながら時間と場所を共有することを重視しているという。

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

エンガワの別棟「ハナレ」もガラス張りの明るい空間で、ギャラリーやレンタルスペースとして活用できる。「ここで何をしようか」という想像がふくらむ。

三角屋根が目印のハナレの外観。幹線道路からもわかりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

三角屋根が目印のハナレの外観幹線道路からも分かりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

入口に掲示してある「ノキシタは実家のような場所」と利用者が書いたコメントが印象的だった。「年齢層が幅広く、実家に帰ってきたような感覚で来てくださる方もいます。人生の先輩に家族に話せないようなことも相談したり、素直に助言を聞くことができるようです。心に重いものを抱えていた方がどんどん健康になったり表情が明るくなり、演奏する音色まで変わっていく利用者さんを見るのが嬉しいです」と阿部さんは話す。

社会課題解決の新しい居場所をつくったことで見えてきた本当のニーズ

オープンして3年余りがたち、計画当初の想像と違うことや新たな課題がたくさん見えてきたと加藤さんは話す。「交通の便が良くないので、計画時は半径1、2km圏程度の近所の方の利用を想定していましたが、ふたを開けてみたら仙台市外など遠くからも、多くの方が会員登録をしていたんです。話を聞いてみると、近所の方にはあまり知られたくないような悩みや困りごともここだと本音で話せるそうです。

また、利用者は当初予想していた高齢者に限らず、幅広い年齢層となっています。特に子育て中のお母さんが孤立していたり、気軽に使える場所がないという声があり、子ども連れのイベントを増やしました。人は自分の経験からさまざまなことを想像しがちですが、自分とは違った経験を持つ人々と交流することで、想像を超えたニーズに気づけるのがノキシタの強みです」(加藤さん)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

エンガワでは、月に10回程度のイベントを開催している。当初はさをり織りやパンづくり教室、高齢者のIT教室など、スタッフが企画したイベントが中心だったが、これを呼び水に、利用者が提案・企画するイベントが自然に増えたという。なかでも、プロにメイクをしてもらいプロのカメラマンが写真を撮る女性向けのおしゃれ企画や自ら発表するミニコンサートなどは高齢者に人気が高く、驚くほど表情がイキイキするそうだ。

「コロナ禍で人が集まるイベントは減っていますが、楽しみを持つことが大切。コロナ禍で最初に緊急事態宣言が出たときにエンガワを約1カ月間休業したんです。すると、障がい者のサポートするのが楽しくて毎日通ったことで、支援されずに再び一人で歩けるようになったおばあちゃんが、1カ月後に車椅子になってしまいました。そこで感染対策も必要だけど、大切なことを失う問題もあると気づいて、感染対策に留意しながらできるだけ多くの方に継続的にご利用いただけるように取り組んでいます」

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

2021年4月から「ノキシタ」を、多くの方に知ってもらいたいとアイネストの企画でクラフトビールづくりを始めた。近くの農家が所有する休耕田で、宮城県石巻市を拠点とするイシノマキ・ファームの指導を受けて地域の方と障がい者が一緒にホップを栽培している。そのホップと地域で採れたお米を原料に、岩手県の世嬉の一(せきのいち)酒造が醸造と販売を行う。ラベルの絵は知的障がいがあるノキシタ関係者が描いた。そして多くの方々の協力を得て、2022年3月に第一号の「Sendaiノキシタビール」が誕生した。

高齢化社会に向けた前例がないまちづくり「ノキシタ」は、まだ効果を検証している試行段階だ。「現在は、親会社の国際航業の支援を受けて運営していますが、いつまでもその支援に甘えてはいられません。近い将来に黒字化することを目標に、利用料収入などではないアウトカムビジネスでのサスティナブル経営(ESG経営)を目指しています」と収益の確保を前向きに考えている。

「こんな施設が自宅の近くにあったらうれしい」と思う人は多いだろう。「ノキシタの1カ所でいくら効果を上げても社会的インパクトは小さいと思っています。例えば、高度成長期にできて今は高齢者が増えて若者が減っているニュータウンといわれる団地や、子どもが減って廃校になった学校や空き家などを活用して、この仕組みを広く展開したいと考えています。

今はまだ試行して、効果を見せて、共感や賛同する方を増やす第一段階。次は、補助金に頼らずに持続するシステムを確立させて、行政や他の企業とも連携していきたい。3年たって、この取り組みへの関心も高まっていると感じますし、取材等を受けることで新たな広がりも期待します。その先は無謀な夢かもしれませんが、仙台市内、宮城県、日本全国、世界に展開して、社会を変えていきたい」と加藤さん。

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

社会課題を解決に導く地域共生型の事業モデルを全国、世界へ

障がい者も高齢者も、孤立しがちな子育て中の親も、すべての世代の人たちがお互いに支え合い、丸ごとつながり、地域の課題解決を試みる地域共生型まちづくり「ノキシタ」。少子高齢化が進むなかで生まれるさまざまな問題を、他人事ではなく我が事としてとらえ、本気で取り組んでいる。

まだ試行錯誤の段階だが、すでに世代や分野といった枠を超えた広がり、良い化学反応が生まれている。目の前の利益や前例にとらわれない新たな視点と柔軟な活動、ゴールを目指しできることから一歩ずつ積み上げていく事業モデルは、高齢者が健康寿命を延ばし、お母さんたちが楽しく子育てができて、災害弱者と呼ばれる方々を支える仕組みをつくるヒント、呼び水となるのではないか。

筆者も話を聞いて、見て、カフェで食事をしてみて「何かできることはないか」という思いが込み上げた。何もできないまでも、関心を持ち共感し利用し協力する人が増えれば、「地域が共生するまちづくり」事業化の後押しになるに違いない。

●取材協力
Open Villageノキシタ

知的障がい者の一人暮らしをサポート。24時間体制の介助「パーソナルアシスタンス」とは?

重度の知的障がいと自閉症をもちながらも、都内でアパートを借り、1人暮らしをする岡部亮佑さん。自分らしい生活ができる理由は、公的な制度の利用に加え、本人の自己選択に基づき、24時間体制でサポートするパーソナルアシスタントの存在。とある平日に同行し、アシスタントチームのマネージャーである中田了介さんと、亮佑さんの父親で社会福祉学者の岡部耕典さんにお話を聞きました。

将来の自立を考え、11歳から介助者のいる暮らしをスタート

日本の人口の7.4%(936.6万人)に当たる障がいがあるとされる人のなかで、知的にハンディを負う人は108.2万人。障害者手帳を有する65歳未満の知的障がい者は96.2万人ですが、そのうち81%が親や兄弟・姉妹をはじめとした同居者、また14.9%がグループホームといった施設に住んでおり、1人暮らしをする人は、わずか3%にとどまっています(2016年 厚生労働省 生活のしづらさなどに関する調査)。
そんななか、岡部亮佑さん(以下、亮佑さん)は重度の知的障がいと自閉症をもちながら24時間体制で介助者の力を借り、自立した生活をしています。

通所施設から帰宅中の岡部亮佑さん(右)とパーソナルアシスタントの中田了介さん(左)(写真撮影/田村写真店)

通所施設から帰宅中の岡部亮佑さん(右)とパーソナルアシスタントの中田了介さん(左)(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは赤い洋服が好きで、自分で選ぶことも。休日は自立生活センターの仲間とプールや川で遊んだり、パーソナルアシスタントと公園や銭湯に行ったりして過ごします(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは赤い洋服が好きで、自分で選ぶことも。休日は自立生活センターの仲間とプールや川で遊んだり、パーソナルアシスタントと公園や銭湯に行ったりして過ごします(写真撮影/田村写真店)

今年28歳になる亮佑さんが、実家を離れて1人暮らしを始めたのは、学校生活を終える18歳のときのこと。しかし、それ以前から介助者が身近にいる日々を送っていました。背景には、ご両親の考えがあります。
「常に見守りが必要で、集団生活でストレスを抱えがちな息子の将来を思えば、早い段階で自立を支えてくれる人を見つけ、環境を整えたほうがいい」と、小学校5年生のときから平日は放課後から夕食までの約4時間、休日は丸1日を介助者と過ごしてきたのです。
常時8人ほどが交代で訪れていたため、大人に差しかかるころには、本人の意思をくんだ上で適切に対応できるチームがつくられていました。
ハンディを負う当事者が、主体性をもって生活するべくアシスタントを育て、サービスを利用していくことを“パーソナルアシスタンス”といい、北欧やイギリス・カナダなどでは一般的です。亮佑さんは、まさにその概念を日本で体現しているといえます。

本人の意思を尊重しつつ、リスクを回避するのもアシスタントの役割

平日は通所施設、土日はプライベートの時間を過ごす亮佑さん。現在、かかわっているパーソナルアシスタント(以下、アシスタント)は、全て当初から契約している自立生活センター「特定非営利活動法人 グッドライフ」のスタッフです。
「自立生活センター」とは、障がいのある当事者が中心になり、地域生活をかなえるための各種サービスや情報提供などを行う民間機関のこと。中田了介さんが亮佑さんのアシスタントチームのマネージャーとなり、自身もアシスタント業務に入りながら、全体のスケジュール調整や課題解決を図っています。
中田さんは、亮佑さんが介助者利用を開始したころからのメンバー。付き合いは17年にもなると言います。
ある平日の2人に同行させてもらいながら、お話を伺いました。

高校時代の同級生が介護の専門学校に通っていたことから関心をもち、介護福祉士になった中田さん。最初は老人ホームでキャリアを積んでいましたが、先輩に誘われ自立生活センターで仕事をするように(写真撮影/田村写真店)

高校時代の同級生が介護の専門学校に通っていたことから関心をもち、介護福祉士になった中田さん。最初は老人ホームでキャリアを積んでいましたが、先輩に誘われ自立生活センターで仕事をするように(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんの日常でアシスタントがつかないのは、通所施設の間だけ。この日は施設終了時間の16時に中田さんが訪れ、ともに自宅に向かいました(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんの日常でアシスタントがつかないのは、通所施設の間だけ。この日は施設終了時間の16時に中田さんが訪れ、ともに自宅に向かいました(写真撮影/田村写真店)

自閉症には「言葉のやりとりの難しさ」「特定のものごとへの強いこだわり」といった、共通して見られがちな傾向があるものの、一人ひとりで個性や人となりはさまざまです。亮佑さんの場合は好きなことが明確で、常にやりたいことがいっぱい。中田さんはパーソナルアシスタントとして、本人の自己決定に基づいてサポートしていきますが、ただ、時としてそうでない場面が出てくると言います。

「例えば本人の嗜好のまま食事をすると、ソースを大量にかけたり、甘いジュースをとことん飲んだりしてしまうことが。『健康を害しても好物だから構わない』と納得しているならよいですが、そうではありません。ぎりぎりまで尊重しますが、『これは止めておこう』と促すこともあります」(中田さん)

帰り道が、毎回同じだと執着が生まれてしまうことや、その時々で調子に違いがあるため、アシスタントが臨機応変に変えます。亮佑さんが中田さんに腕を添えるのは比較的、状態が優れないときですが「この人は大丈夫」と感じている証しでもあります(写真撮影/田村写真店)

帰り道が、毎回同じだと執着が生まれてしまうことや、その時々で調子に違いがあるため、アシスタントが臨機応変に変えます。亮佑さんが中田さんに腕を添えるのは比較的、状態が優れないときですが「この人は大丈夫」と感じている証しでもあります(写真撮影/田村写真店)

自動販売機の前で清涼飲料水の見本を指さし、飲みたいことを示す亮佑さん。何本も欲しいと伝えますが、促されて1本に。リュックから財布を取り出し、中田さんがお金を払います(写真撮影/田村写真店)

自動販売機の前で清涼飲料水の見本を指さし、飲みたいことを示す亮佑さん。何本も欲しいと伝えますが、促されて1本に。リュックから財布を取り出し、中田さんがお金を払います(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんには感覚が繊細なところがあり、人の騒がしい声などを聞くと、調子が傾いて行動が落ち着かなくなることが。また、マンホールを踏んだり、水に触れたりするのを好むため、道端で見掛けると突進しそうになることもあります。放っておくと社会生活の輪から外れてしまうため、これを制して周囲の人と調和できるようにすることもアシスタントの役割です。

公園は、帰りによく立ち寄る場所。この日はたまたま居合わせたお子さんとともにブランコをこぎました(写真撮影/田村写真店)

公園は、帰りによく立ち寄る場所。この日はたまたま居合わせたお子さんとともにブランコをこぎました(写真撮影/田村写真店)

「行動の傾向が目立ちやすく、変わった人に映るかもしれませんが、『やりたいな』と思うことをしているのはみんなと同じ。亮佑さんの場合は『赤信号で渡らない』など、基本的なルールをわかっていますが、障がいの内容は本当に人それぞれです」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

「行動の傾向が目立ちやすく、変わった人に映るかもしれませんが、『やりたいな』と思うことをしているのはみんなと同じ。亮佑さんの場合は『赤信号で渡らない』など、基本的なルールを分かっていますが、障がいの内容は本当に人それぞれです」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

今日は公園に約40分滞在。最後は中田さんもブランコに参加。自閉症の人は「同調」を好むところがありますが、「合わせなくては」と苛立ちになり得るため、偏り過ぎないことが大切と言います(写真撮影/田村写真店)

今日は公園に約40分滞在。最後は中田さんもブランコに参加。自閉症の人は「同調」を好むところがありますが、「合わせなくては」と苛立ちになり得るため、偏り過ぎないことが大切と言います(写真撮影/田村写真店)

公園を出たら、手袋とゴミ袋を買いにホームセンターへ。亮佑さんが要求しなくても生活のなかで必要になる日用品は、前日のアシスタントがノートに書き込み、翌日の担当者が買うようにしています(写真撮影/田村写真店)

公園を出たら、手袋とゴミ袋を買いにホームセンターへ。亮佑さんが要求しなくても生活のなかで必要になる日用品は、前日のアシスタントがノートに書き込み、翌日の担当者が買うようにしています(写真撮影/田村写真店)

時間をかけてきたからこその、当事者とアシスタントの心地いい関係

当事者の身の回りでできないことに対し、介助者がどうかかわっていくかは、事業所によって考えが異なります。自立の一環として一緒に取り組む人もいますが、亮佑さんのアシスタントチームでは、本人が関心の無いことは無理強いしない方針。例えば食事は基本的に食べたいものがあるのでそれに沿いますが、掃除や洗濯・日用品の買い足しは、完全にアシスタントが行います。

「ただ、はっきり『する・しない』の線引きをしているわけではなく、そのときの状況を見た上で長年の感覚に頼ることが多いです。毎日の洋服選びや休日に出掛けるスポットなどは、日ごろから本人の親しんでいるものがわかるので、自然と答えが落ち着きます」(中田さん)

これは亮佑さんとアシスタントチームが17年の月日のなかで、心地よいあり方を育んできたからこそ。
一方で、入所施設やグループホームだと、こうはいかないと話します。

本人の好みで自炊をすると味つけが偏りがちなため、最近は外食が中心。「食事、何にしようか」と中田さんが聞くと「うどん、ポテト」と亮佑さんが言い、これらがそろう回転寿司店へ(写真撮影/田村写真店)

本人の好みで自炊をすると味つけが偏りがちなため、最近は外食が中心。「食事、何にしようか」と中田さんが聞くと「うどん、ポテト」と亮佑さんが言い、これらがそろう回転寿司店へ(写真撮影/田村写真店)

「施設ではどうしても複数の入居者を1人のスタッフで見るため、後回しになることが出てきます。以前いたグループホームで、たまたま1対1で入居者を見るようになった時期があるのですが、自由に過ごせることで穏やかになり、知らなかった一面が見えてきた方がいました。異動の多い施設だとなおさら、一人ひとりとじっくり向き合い、理解していくのは難しいでしょう。一概に1人暮らしがよいとは言いませんが、違いはあると思います」(中田さん)

築約30年・2DKのアパートは自分名義で借りたもの。お茶を入れ、絵を描き、音楽を聴き、ゲームをしてと、帰宅後もやりたいことがたくさん。ただ本人ができることが必ずしも安全とは限らないため、中田さんは常に注意をめぐらせています(写真撮影/田村写真店)

築約30年・2DKのアパートは自分名義で借りたもの。お茶を入れ、絵を描き、音楽を聴き、ゲームをしてと、帰宅後もやりたいことがたくさん。ただ本人ができることが必ずしも安全とは限らないため、中田さんは常に注意をめぐらせています(写真撮影/田村写真店)

頸椎損傷やALSの人の在宅介護をしたこともある中田さん。亮佑さんが就寝中、隣で横になりますが、少しの気配で起きることができると言います(写真撮影/田村写真店)

頸椎損傷やALSの人の在宅介護をしたこともある中田さん。亮佑さんが就寝中、隣で横になりますが、少しの気配で起きることができると言います(写真撮影/田村写真店)

各種制度の利用に加え、息子のよき支援者をつくることに尽力

1人暮らしがすっかり板についている亮佑さんですが、どうやってここまでの土台を築いてきたのでしょう。
父親であり、社会福祉学者でもある岡部耕典さんにお話を聞きました。

早稲田大学教授で福祉社会学・障害学を専門とする岡部耕典さん。これまで障がい者政策・制度改革にも携わっていました(写真提供/岡部さん)

早稲田大学教授で福祉社会学・障害学を専門とする岡部耕典さん。これまで障がい者政策・制度改革にも携わっていました(写真提供/岡部さん)

現在、亮佑さんの生活支援は夜間を含む介護(重度訪問介護)と施設への通所(生活介護)、生計は「障害年金」「特別障害者手当」「東京都重度心身障害者手当」で成り立っています。岡部さんご夫妻は、自分では環境を整えられない息子の親として、資金面の基盤を用意するだけでなく、自立を支えてくれる支援者をつくることに力を入れてきました。
重度訪問介護とは、重度の肢体不自由者もしくは行動上著しい困難がある知的障がい者および精神障がい者が、生活全般にわたる介護を受けられる制度のこと。認定された事業所であればどこでも利用できますが「パーソナルアシスタンスの考えに理解があること」「丸1日のサポートに対応できること」を重視すると、おのずと見えてきたのは自立生活センターだったと言います。
ただ、長時間の重度訪問介護制度を使うのは、地域によっては壁が高いのだとか。

「自治体によって姿勢が異なるため、きちんとコミュニケーションを取り、利用する側の意志を伝えていくことが必要です。例えば依頼する予定の事業所と、一緒に相談や申請に行くのもよいでしょう。自立生活センターなど、重度訪問介護の制度を熟知し、手続きに慣れている事業所もあります」(岡部さん)

いずれにしても地域で暮らすようにしたいとなったら「うちの子どもにできるはずがない」と思い込まず、重度訪問介護を利用した自立生活を選択肢に入れてみたらよいのでは、と話します。

「まずは、できるだけ早い段階から短時間でも介助者を利用してみて、本人が慣れていくこと。当事者を理解し、相談に乗り、ともに励んでくれるアシスタントを事業所と一緒につくり上げていくことが大事ではないでしょうか」(岡部さん)

思いがけないことを経験しながらも、自分らしい生活を営んでいく

今、亮佑さんが住むのは1人暮らしを始めて2軒目の物件。通所施設に近く、より静かな環境を求めて住み替えを決めたものの、希望するエリアで不動産会社から紹介してもらえたのは2軒だけ。部屋探しには、ままならない現実があると言います。また、道端などで人と接触したとき、一方的に非があるとされるケースも少なくないそうです。

「だからといって特別扱いされるのも違っていて、仮に迷惑をかけたならほかの人たちと変わらない対応をしてほしいと思うんです。そうすることで当たり前のように社会になじんでいけるのではないでしょうか」(中田さん)

中田さん自身、自閉症の人と接したのは亮佑さんが初めてで、言葉の少ないところに最初は躊躇したとか。しかし、今では意思疎通が図れないとは、まったく思わないと言います。

「たまに『何でこんなことにこだわるの?』と思って『あっ、そうか』と気付くんです。そのくらい自閉症であることを忘れています(笑)。
当事者と介助者は相性がありますし、もちろん役割を担っているので大変な場面もあります。でも1人と長く付き合うと、よく知った仲になるだけにラクでいられるんです。いろいろなところに出掛けると楽しいですし、『気持ちが通じ合った』『うれしいことが伝わった』と思える瞬間があるのが、この仕事のよさ。亮佑さんからたまに新しい言葉を聞けることがあり、日々の発見も面白いです」(中田さん)

亮佑さんは絵が得意で、国立新美術館で作品を展示するほか、都内のアート展で佳作を取ったことも。「フリーハンドで正確な直線や真円を描けるのですが、直に目にすると本当にすごいと感じます」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは絵が得意で、国立新美術館で作品を展示するほか、都内のアート展で佳作を取ったことも。「フリーハンドで正確な直線や真円を描けるのですが、直に目にすると本当にすごいと感じます」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

「自閉症や知的障がいとされる人は、街のあちこちにいます。確かに触れたことのない言動を目の当たりにすると、驚いて『何かされるのでは』と感じるかもしれませんが、アシスタントが一緒であればまず大丈夫でしょう。どうあるべきかの答えはないかもしれません。でも、まずは知ってほしいと思います」(岡部さん)

最後に、これからの亮佑さんの暮らしの課題を問うと、中田さんは「今は十分な生活ができていて、これ以上はないほどだと思うので、現状維持かなと。この状態を長く続けられたらと、切に願います」と話しました。

ただただ自分らしく暮らしを営む。そうであることの意味がここにあるのかもしれません。

賃貸物件を「借りられない」。障がい者や高齢者、コロナ禍の失業など住宅弱者への居住支援ニーズ高まる

コロナの影響で失業して住まいを追われる人、引越しをしようにも賃貸住宅を借りられない人が増えていると言います。また、障がいや高齢など、さまざまな理由から住宅の確保が難しい人が年々増え、いわゆる『住宅弱者』が社会問題になっています。

例えば、家を借りたくても連帯保証人がたてられない場合や、家賃が払えずに滞納してしまった場合など、連帯保証人の代わりや立て替え払いなどのサービスを提供する組織として「家賃保証会社」があります。また、各都道府県では、国が定める「居住支援法人制度」に沿って冒頭の“住宅弱者”といわれる人たちを支援する団体を「居住支援法人」に指定。各法人の得意な分野で居住支援活動を行っており、家賃保証をはじめ、賃貸物件を借りるうえで困りごとを抱えている人と、家賃滞納のリスクを避けたいオーナーさんの双方をサポートし、「安心」を提供することで、居住支援を行う法人があります。

この家賃保証会社と居住支援法人の両方の顔を持ち、千葉県を拠点に活動している会社が船橋市にある株式会社あんどです。あんどの共同代表である西澤希和子さんと友野剛行さん、そして現在、あんどの提供する「居住支援付き住宅」に入居しているまっちゃんさん(仮名)にお話を聞きました。

月1回の訪問が「うれしい」。住まいの提供にとどまらない居住支援

千葉県内の駅から徒歩8分ほど、築35年のマンションの2階にまっちゃんさんは住んでいます。もともと軽度の精神障がいを抱えながら、会社員として勤めていました。ところが、父親が亡くなってから家庭内のDVトラブルが勃発。3年ほど前にあんどに相談し、「トラブル解決にはまず家族との別居が必要」との判断から、転居を決意。いくつかの物件見学を行い、あんどの居住支援付き住宅に住むようになりました。

まっちゃんさんの部屋はワンルームタイプ。3年以上住んでいるとは思えないほど、綺麗でこざっぱりとした明るい住まい(撮影/片山貴博)

まっちゃんさんの部屋はワンルームタイプ。3年以上住んでいるとは思えないほど、綺麗でこざっぱりとした明るい住まい(撮影/片山貴博)

「これまでのトラブルをふまえ、家族には、当日まで引越すことを知られないようにして入居しました。しばらくは家族と離れたことによる安心と不安とが入り混じった状態。あんどの相談員さんに『まずは自分のことを優先した方がいい』とアドバイスをもらい、毎日の生活を整えることに集中したことで最近はようやく落ち着いて過ごすことができています」(まっちゃんさん)

あんどの相談員は月に1回の訪問。まっちゃんさんは「来てもらえるのがうれしいから、ついいろいろな話をしてしまう」と言います。部屋の隅には「緊急」と「相談」の大きなボタンのあるインターホンのようなものを発見。これは「HOME ALSOKみまもりサポート」の機器で、緊急時のガードマンの出動依頼ボタンのほかに、いつでも相談できるヘルスケアセンターにも繋がるそう。さらに、面談の上あんどの福祉担当者(相談支援専門員資格保有者)が必要と判断した顧客には、より手厚い見守り機器プランを提案します。そのプランでは、トイレのドアにセンサーをつけ、一定期間ドアが開閉されなければホームセキュリティ会社(ALSOK)のスタッフが異常事態と判断し、駆けつける仕組みになっているのです。

まっちゃんさんの部屋の隅に取り付けている「HOME ALSOKみまもりサポート」の機器(撮影/片山貴博)

まっちゃんさんの部屋の隅に取り付けている「HOME ALSOKみまもりサポート」の機器(撮影/片山貴博)

「入居者さんの安心」と「オーナーさんの安心」の両方を守る

これらの見守りサービスが付いていることで「入居者さんの安心はもちろん、オーナーさんの安心も守られる」と西澤さんは言います。

「近年、ここ1年はコロナ禍の影響も重なって『借りられない人』が増えています。家賃の滞納や孤独死などのトラブルを回避するために、オーナーさんが家賃保証会社との契約を必須にしている物件が多いのです。借りたいと思って入居の申し込みをしても審査に通らない。私たちはそのような人に対して、家賃保証とセットで見守りなどのサービスを提供しています。このサービスがあることで、オーナーさんにも安心して貸していただけるのです」(西澤さん)

このように賃貸物件を借りづらい人のことを、国の制度などでは一言で「住宅確保要配慮者」と表現しますが、借りられない理由はさまざまです。障がいがあることや高齢であることが背景にあれば、それぞれの状況に応じて生活上のサポートが必要になることもあるでしょう。

「私たちは家賃保証や見守りとともに、身元保証などの引き受けや、場合によっては入居する方のお金の管理をお手伝いすることもあります。パルシステム生活協同組合連合会さんと連携し、食材の配達時に安否確認をしてもらったり、さらに今年の5月からは万一の孤独死などの際にオーナーさんが抱える家賃損失や残置物の撤去、原状回復などのリスクに対応する保険を提供します」(友野さん)

パルシステムの利用料金は家賃と一緒にあんどから引き落とし。週1回の配達時に配達員が安否確認を行う(画像/PIXTA)

パルシステムの利用料金は家賃と一緒にあんどから引き落とし。週1回の配達時に配達員が安否確認を行う(画像/PIXTA)

「家賃保証」から始まったあんどの取り組み

このように、貸す人・借りる人両方の安心のために、サービスを提供しているあんどですが、会社の設立には共同代表である西澤さんと友野さんのバックグラウンドが大きく関係しています。

「私は不動産会社を経営しており、認知症を抱える人のためのグループホームなどを運営してきました。そのなかで、意思決定に困難を抱えて入居する方の権利擁護のために『後見』が必要であることを感じたんです。地域後見推進プロジェクトの市民後見人講座を受講した後、講師として活動。家賃保証がネックで借りられない人が増えていることを年々感じて各所に相談していた時に、友野と出会いました」(西澤さん)

西澤さんはあんどのほか、不動産会社の役員や全国住宅産業協会の後見人制度不動産部会としても活動している(撮影/片山貴博)

西澤さんはあんどのほか、不動産会社の役員や全国住宅産業協会の後見人制度不動産部会としても活動している(撮影/片山貴博)

友野さんは20数年前から福祉の仕事に携わり、知的障がいや精神障がいを抱えているにも関わらず社会福祉法人の施設に入れない人、退去を余儀なくされてしまう人を無認可施設で支える活動をしてきました。

友野さんはふくしねっと工房の代表として、障がいのある人の自立・就労支援を行ってきた(撮影/片山貴博)

友野さんはふくしねっと工房の代表として、障がいのある人の自立・就労支援を行ってきた(撮影/片山貴博)

「本を何冊か出版した後、全国から相談を受けるようになり、施設の数を増やしても追いつかない状況にありました。そしていつの間にか、自分よりも若いお母さんに『この子のことをよろしくお願いします』と言われていることに気がついたんです。このままだと年長の自分の方が先に老いて死んでしまう、できるだけ『自立できる人』を増やさないと先がないぞ、と感じていた時に、西澤から住宅の確保が困難な人たちが住まいを借りられるよう、家賃保証会社をやらないかと誘われました」(友野さん)

友野さんが代表を務める別会社の障がい者のための就労支援施設(写真提供/ふくしねっと工房)

友野さんが代表を務める別会社の障がい者のための就労支援施設(写真提供/ふくしねっと工房)

全国の居住支援法人や、さまざまな企業との連携がカギ

不動産と福祉という、西澤さんと友野さんの専門分野を活かして連携することで、住宅確保要配慮者向けの家賃債務保証という全国初のあんどのサービスは生まれました。創業後、あんどは千葉県の指定する「居住支援法人」にもなりました。これは、住宅セーフティネット法に基づいて、住宅確保に配慮を要する人たちの支援を行う法人として各都道府県が指定するものです。

居住支援法人制度の概要(資料/国土交通省)

居住支援法人制度の概要(資料/国土交通省)

居住支援法人として、また家賃保証会社としてさまざまな相談を受けるなかで、必要なサービスを付帯する住宅を提供することにしました。それが先に紹介した居住支援付き住宅です。ALSOK千葉と提携した「みまもりサポート」、パルシステム生活協同組合連合会と「安否確認付きの食材配達」、東京海上日動火災保険(株)とはオーナーさんのリスクを回避する保険の提供。実験的な導入として、ソフトバンクロボティクス(株)と感情認識ヒューマノイドロボット「Pepper(ペッパー)」を使った見守りやコミュニケーションの共同研究にも携わっています。

居住支援付き住宅は、オーナーをはじめ、提携団体や企業、ケアマネジャーなど、多くの人の連携によって運営されている(資料/あんど)

居住支援付き住宅は、オーナーをはじめ、提携団体や企業、ケアマネジャーなど、多くの人の連携によって運営されている(資料/あんど)

さらに、西澤さんは全国居住支援法人協議会の研修委員会の委員長として、全国の居住支援法人同士をつなげる活動を行いながら、弁護士や司法書士・行政書士などの士業の人々や東京大学との共同研究にも着手し、一般社団法人全国住宅産業協会にて後見制度不動産部会委員長として不動産後見アドバイザー資格制度の普及に努めています。多くの団体・専門家と連携することで、入居者さん・オーナーさんが現場で本当に必要なサービスを提供し、自社の収益にも繋げて継続できる仕組みを整えてきたのです。

西澤さん(右)が市民後見人養成講座の講師も務めていることで、多くの専門家や団体とのネットワークが構築されている(写真提供/地域後見推進プロジェクト)

西澤さん(右)が市民後見人養成講座の講師も務めていることで、多くの専門家や団体とのネットワークが構築されている(写真提供/地域後見推進プロジェクト)

現在、あんどの活動は全国に広がり、岡山県などにも居住支援付き住宅があるそう。
冒頭で紹介したまっちゃんさんは「コロナが落ち着いたら、亡くなった父との思い出の場所に旅行したい」「いまは簿記2級を取得するために勉強中」だとこれからの希望を語ります。筆者も今回の取材を経て、多くの人が安心して借りる・貸すを実現できるよう、あんどのような取り組みが広がることを改めて強く願いました。

●取材協力
・あんど
・ふくしねっと工房
・地域後見推進プロジェクト

“知的障害”への先入観を福祉×アートで超えていく。「ヘラルボニー」の挑戦

「異彩を、放て。」をミッションに、知的障害のある方のアート作品を、さまざまなアプローチでモノ・コト・バショに展開する福祉実験ユニット「ヘラルボニー」。出発点は自閉症の兄だったという、双子の松田文登さん・崇弥さんに、会社を立ち上げた経緯や、現在の事業展開、今後挑戦してみたいこと、そして「”障害”という言葉のイメージを取り払いたい」という想いについて、お話を伺いました。
障害のあるアーティストの作品を身近なプロダクトに

「ヘラルボニー」では、全国の福祉施設とマネジメント契約を結び、知的障害のある方々が手掛けたアートを使ったプロダクト、プロジェクトを手掛けている。それらは、職人技を駆使したアパレル、工事現場の仮囲いや駅舎を使ったソーシャル美術館、アートと福祉をつなげるワークショップなど多岐にわたる。

最初に手掛けた「ART NECKTIE」。すべてアーティストの名前を冠し、創業明治の紳士洋品の老舗「銀座田屋」の自社工房で織られたもの(写真提供/ヘラルボニー)

最初に手掛けた「ART NECKTIE」。すべてアーティストの名前を冠し、創業明治の紳士洋品の老舗「銀座田屋」の自社工房で織られたもの(写真提供/ヘラルボニー)

普段、なにげなく目にすることが多い建設現場の仮囲いを、期間限定の「ミュージアム」として捉え直す試み「全日本仮囲いアートミュージアム」(写真提供/ヘラルボニー)

普段、なにげなく目にすることが多い建設現場の仮囲いを、期間限定の「ミュージアム」として捉え直す試み「全日本仮囲いアートミュージアム」(写真提供/ヘラルボニー)

茨城県つくば市の福祉施設「自然生クラブ」とコラボし、南青山の「NORA HAIR SALON」を丸ごとギャラリーにしてしまうプロジェクト(写真提供/ヘラルボニー)

茨城県つくば市の福祉施設「自然生クラブ」とコラボし、南青山の「NORA HAIR SALON」を丸ごとギャラリーにしてしまうプロジェクト(写真提供/ヘラルボニー)

知的障害がアートの絵筆になる。そこに弱者のイメージはない

活動内容のすべてに共通するのは、福祉×クリエイティブ。「アート」を入り口に、知的障害のある人のイメージを変えたい想いだ。
「どうしても知的障害の話って重くなるでしょう。講演会なんかでも、”これから重い話が始まるぞ~”と身構えられてしまう。僕たちには、先天性の自閉症の兄がいて、こうした障害に対する可哀想とか大変といったネガタィブな世間のイメージにずっと違和感があるんですよね。彼らが描いた作品には、突き抜けたパワーがある。そこからリスペクトが生まれる。彼らのアートを身近なものに落とし込むことで、世間のネガティブな目線を少しずつ変容させていきたいんです」(文登さん)

実際、知的障害のある方たちの作品は特長的だ。何度も現れるモチーフ、驚くほどの集中力で描いたと思われる緻密さ、自由な発想、独特な世界観。絵のモチーフやタッチを見れば、〇〇さんの作品と分かる。そこにあるのは、“障がい者”とひと括りされがちな人たちの、1人1人の強烈な個性だ。

「多くの自閉症やダウン症の方々に見られる共通項として挙げられる、強いこだわりは、日々のルーティンとなり、それがアートになると、ずっと丸や四角を描くなど、繰り返しの表現に。それは唯一無二の個性になるんです。つまり、”障害”があるからこそ描ける世界があると思います」(崇弥さん)

もちろん創作活動をするのは知的障害のある一部の人たち。急に描くのを辞める人もいれば、突然描き始める人もいる。描く世界が突然変わってしまうこともあるそうだ (写真提供/ヘラルボニー)

もちろん創作活動をするのは知的障害のある一部の人たち。急に描くのを辞める人もいれば、突然描き始める人もいる。描く世界が突然変わってしまうこともあるそうだ (写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

最初は社会的実験からスタート。高品質に振り切ったプロダクトで勝負

ヘラルボニー設立の直接のきっかけは、崇弥さんが故郷の岩手に帰省した際に立ち寄った「るんびにい美術館」。知的障害や精神障害のある作者のアート作品を多く展示している美術館だ。「ものすごい衝撃を受けました。こういう世界があるんだ、僕のやりたいことはこれじゃないかと、興奮気味に文登に電話したことを覚えています」(崇弥さん)

岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」で撮影した写真。アトリエも併設され、作品の制作現場を実際に見て、アーティストたちと交流することもできる(写真提供/ヘラルボニー)

岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」で撮影した写真。アトリエも併設され、作品の制作現場を実際に見て、アーティストたちと交流することもできる(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

当時、文登さんはゼネコン、崇弥さんは広告代理店勤務。会社員生活をしつつ、お互い貯金を出しあって(「といっても、8割は僕ですよ(笑)」と文登さん)、始めたのが、前出のシルクのネクタイ制作だ。価格は2万円超えと決して安くはないが、細い絹糸を高密度で織り上げたネクタイは、その質感、艶、緻密さは、まるでアート作品のよう。

ネクタイは、通常の倍の密度で織り込まれたシルク100%のもの。これを持つことで、ちょっと背筋が伸びるような特別感のある品だ (写真提供/ヘラルボニー)

ネクタイは、通常の倍の密度で織り込まれたシルク100%のもの。これを持つことで、ちょっと背筋が伸びるような特別感のある品だ (写真提供/ヘラルボニー)

「気軽に手を出せない価格でも、最高品質のもの。障害うんぬんを外しても、純粋にほしいと思ってもらえるものをつくってみようと考えていました。例えば、福祉施設で障害のある方が5時間かけてつくったレザークラフト作品が500円で売られていたんです。それでは、材料費の方が高くなってしまう。やはり福祉だけの文脈ではなく、”ビジネス”の枠組みが必要だと感じていました」(崇弥さん)

とはいえ、最初は不安も。「銀行員の父からは”見通しが甘い”と言われてしまいました(笑)。でもこれは、福祉の現場から発信したらどうなるのか、意義のある社会的実験と考えればいいとも。もちろんビジネスとして成り立つことは大切だけれど、自分たちがワクワクしたいから、を軸に考えていましたね」(文登さん)

しかしリリースされてみると、メディアの各媒体に取り上げられ、思っていた以上に反響は大きかった。「本当にびっくりしました。もしかしたら、世の中がこういうのを求めていたのかもしれないと思いました」(文登さん)

ヘラルボニーの挑戦は、自閉症の兄の存在抜きには語れない

アクティブな両親のもと、物心付いたころから、療育の場や福祉の集まりに毎週のように出かけていたふたり。福祉はずっと身近な世界だ。「親以外の大人に遊んでもらって、けっこう楽しかったんですよね。小学校の卒業文集に、“将来の夢は特別支援学級の先生”って書いていましたから。小さな小学校で、僕たちが友達と遊ぶときも兄も一緒で。特に障害とかを大きく意識したことはなかったんです」(崇弥さん)

しかし、中学に入学すると状況は変わった。複数の小学校の学区からなるマンモス中学校で、兄のことを馬鹿にする同級生もいた。「正直、自分の弱さから、中学のときは兄の事を隠していた時期もありました。その時の想いは、今もずっと自分の中で残っています」(文登さん)

子どものころの松田三兄弟。小学生時代はどこへ行くにも一緒だったとか。今もお兄さんの話をするおふたりは楽しそう(写真提供/松田さん)

子どものころの松田三兄弟。小学生時代はどこへ行くにも一緒だったとか。今もお兄さんの話をするおふたりは楽しそう(写真提供/松田さん)

その時の世間の目線への違和感は、現在2人の活動の原動力のひとつといえる。「できないこと」を「できる」ようにするのではなく、障害を「特性」ととらえ、社会が順応していく。それが彼らの願いだ。

「僕たちは双子なので、障害のある兄弟がいることで我慢を強いられることの多い”きょうだい児”の悩みとは、わりと無縁でいられたんです。なんでも2人でシェアしているからでしょうか。僕は就職後も、なにかしら福祉に関わる仕事をするつもりだったし、やるなら文登と2人でと考えていました」(崇弥さん)

会社名となった「ヘラルボニー」は、お兄さんの翔太さんが子どものころ自由帳に書いていた言葉。ネット検索にもひっかからないナゾの言葉は、なぜか何度も登場する(写真提供/松田さん)

会社名となった「ヘラルボニー」は、お兄さんの翔太さんが子どものころ自由帳に書いていた言葉。ネット検索にもひっかからないナゾの言葉は、なぜか何度も登場する(写真提供/松田さん)

「障害=不幸ではない」出産を決めた妊婦さんも

ヘラルボニーへの反響は松田兄弟のモチベーションとなっている。
例えば「ヘラルボニーのネクタイを買ったから、作者に会いたくて、るんびにい美術館に行ってきました」という人がいる。常に応援してくれる福祉の現場のスタッフや熱狂的なファンでいてくれる自閉症を持つ親御さんたちの声も後押しになる。初めての講演会は、子どものころ兄や母と通った岩手の福祉協会。「”あの、翔太くんの双子の弟くんたちが大人になって帰ってきてくれました~”と紹介されました。まさにホームでしたね(笑)」(崇弥さん)。
なかでも、印象的だったのは、出生前診断でおなかの中の赤ちゃんにダウン症の可能性が分かった妊婦さん。「僕たちが取り上げられたテレビのニュースを見て、”この子を産んだら不幸になると考えていたけれど、こんな楽しい未来、素敵な出会いがあるのかもしれない。障害=悲しいことではなかった” という長文のメールをいただきました。産むことを決めた、とおっしゃっていました」(文登さん)

アートワーク「まちといろのワークショップ in 軽井沢」開催時の写真(写真提供/ヘラルボニー)

アートワーク「まちといろのワークショップ in 軽井沢」開催時の写真(写真提供/ヘラルボニー)

いつか実現したいのは、“できない”前提の「変わったホテル」

現在は、コロナ禍でも新しいアートの体験ができるようにと、ZOOMを利用した双方向型のオンライン美術館を企画したほか、9月にはクラウドファンディングで高品質なマスクを販売する予定だ。2021年には岩手県盛岡市で、初のソーシャルホテルをプロデュースする事業も進んでいる。さらに、家で過ごす時間の増加とともに、「おうち消費」に注目。カトラリー、クッション、壁紙など、生活にアートをしのばせる「アートライフブランド」ヘシフトしていこうと計画中だ。“福祉×アート”がより身近になる。

「今後、マスクは眼鏡のように日常生活に不可欠なものになるはず。もっとお洒落になってもいいんじゃないかと考えました」。クラウドファンディングで資金を集めて実現(写真提供/ヘラルボニー)

「今後、マスクは眼鏡のように日常生活に不可欠なものになるはず。もっとお洒落になってもいいんじゃないかと考えました」。クラウドファンディングで資金を集めて実現(写真提供/ヘラルボニー)

少しでも接点をつくりたいと、アート作品をネット解説する「オンライン美術館」を開催。参加者は延べ1000名と大好評。定期的なコンテンツとする予定(写真提供/ヘラルボニー)

少しでも接点をつくりたいと、アート作品をネット解説する「オンライン美術館」を開催。参加者は延べ1000名と大好評。定期的なコンテンツとする予定(写真提供/ヘラルボニー)

無機質だった建設現場を彩る“仮囲いアート”を、リサイクルならぬアップサイクルしてトートバッグとして生まれ変わらせる(写真提供/ヘラルボニー)

無機質だった建設現場を彩る“仮囲いアート”を、リサイクルならぬアップサイクルしてトートバッグとして生まれ変わらせる(写真提供/ヘラルボニー)

そして、「いつかは、自分たちで福祉施設を手掛けてみたい」と考えているそう。
「イメージは、『注文をまちがえる料理店』(※)のホテル版。例えば、”ウチのフロントマンはあいさつができないんです”と言い切ってしまい、ゲストに“あ、本当にあいさつはしないんだ(笑)“って体験してもらうのもおもしろいかなぁって。その代わり、ベッドメイキングや掃除が本当にていねいな人もいる。最初にエクスキューズを入れておくことで、寛容な場となれば、1人1人の個性に合った、就労の形が実現できるんじゃないかと思っています」(崇弥さん)。

※「注文をまちがえる料理店」注文を取るスタッフが、みんな認知症で、頼んだ料理と違うメニューが届くこともある料理店

最後に「今、感じている課題は?」という問いに、迷いながら、「社会貢献がすばらしいと、称賛され過ぎてしまっていることに、とうしてもギャップを感じてしまう」と答えた文登さん。「それは、どうしても障がい者が社会的弱者という目線がぬぐいきれていないからかもしれません。その文脈から脱していくことも、ある意味、僕らの課題といえますね」(文登さん)

「”福祉”というと、どうしても”支援”というイメージが強いかもしれませんが、僕たちと障害をもっているアーティストたちはビジネスの対等なパートナー。今の福祉という場にプロデュースする機能がないゆえに埋もれてしまっているすごい才能に、対価を得る機会を提供するのが僕たちの役目。そのために、社会福祉法人やNPO法人ではなく、”株式会社”という形にこだわっています。福祉の世界でも、きちんと売り上げを上げていくことからできたら最高じゃないですか」(崇弥さん)

昨年夏には、日本の次世代を担う30歳未満のイノベーター「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」に選出されるなど、注目を集めているお二人。その注目のされ方にも戸惑いつつ、常に「ああ、楽しそう」「それ、ワクワクするね」と何度も質問に答えていた様子が印象的。穏やかで、ポジティブで、信念がある。彼ら「ヘラルボニー」の今後の展開に注目したい。

主にクリエイティブは広告代理店出身の崇弥(左)さん、営業や事業計画などビジネス面はゼネコン出身の文登さん(右)と役割分担

主にクリエイティブは広告代理店出身の崇弥(左)さん、営業や事業計画などビジネス面はゼネコン出身の文登さん(右)と役割分担

●取材協力
ヘラルボニー
「アートマスク」のクラウドファンディングページ

住宅弱者に寄り添い続ける幼馴染の二人。官・民組んだ座間市の取組みとは

住居は、生活の安全や安心の根幹となるもの。しかし、高齢者や母子家庭、身寄りがなかったり障害を持っていたりといったさまざまな理由で、住まいを探すことが難しい「住宅困窮者」が存在する。神奈川県座間市にあるNPO法人「ワンエイド」は、そうした住宅困窮者の相談支援や生活サポートを行い、不動産会社「プライム」と連携し、物件が借りられるようオーナーや不動産会社との交渉や、必要に応じて適切な行政窓口にもつないで問題の解決までをサポートしている。NPOと不動産会社が表裏一体となって活動しているのはどうしてなのか。運営する理事長松本篝(かがり)さん、石塚惠さんに聞くとともに、「断らない相談支援」を掲げ、住宅や生活困窮者の自立支援事業に力を注いでいる座間市役所の関係者ら「チーム座間」の皆さんにも、お話をうかがった。
※本記事の撮影は2020年2月に行っています
私は大丈夫、と思っていてもどうなるか分からない

松本さんはワンエイドの理事長、石塚さんはプライムの代表を務めている。高校の同級生だったふたりはともに不動産業界で長く勤務していたが、物件の仲介業務の中で、本当に住宅に困っているにもかかわらず、高齢者や母子家庭であるなどが理由でオーナーに敬遠されてしまい断らざるを得ないケースが数多くあることに胸を痛めてきたという。住宅困窮者の力になりたいとワンエイドを立ち上げ、住まいに関する相談にのっていたが、NPOの活動範囲内ではカバーできない、最終的に入居ができるまでの実務の面に対応するため、不動産会社も設立した。「困っている人を助けたいという福祉の目線と、不動産業務の間には温度差がある。その真ん中をつなげたかった」と松本さんは話す。

NPO法人ワンエイド理事長の松本篝さん

プライムの代表 石塚惠さん

NPO法人ワンエイド理事長の松本篝さん(上)とプライムの代表 石塚惠さん(左)

困窮者たちが物件のオーナーから契約を断られるケースは、「100人いたら100通り」だという。天涯孤独の高齢者であれば亡くなった後の荷物の整理が大家の負担になり、障害者であれば近隣トラブルを懸念されたりといったことも。一般的な不動産会社では、そのフォローをどうしたらいいかが認知されていないため入居のハードルはあがってしまう。ワンエイドでは、ただ困窮者に物件を仲介するだけでなく、オーナーに安心して貸し出してもらえるよう、高齢者などの見守りやゴミ屋敷の掃除などのサポート業務も引き受けている。

不動産の仲介や管理を行うプライムと、住宅困窮者の相談や見守りなど入居者のサポートを行うワンエイドは座間市の県道沿いの隣同士。互いに行き来しながら、相談者の問題解決に取り組んでいる(写真撮影/片山貴博)

不動産の仲介や管理を行うプライムと、住宅困窮者の相談や見守りなど入居者のサポートを行うワンエイドは座間市の県道沿いの隣同士。互いに行き来しながら、相談者の問題解決に取り組んでいる(写真撮影/片山貴博)

50代である松本さんは、子育てを経て現在は親の介護の真っ最中だ。自身の家庭という小さな社会の中で起きる、子どもや親を取り巻く問題や悩みは、置き換えれば、世の中の課題でもある。ワンエイドの相談越しに知ったのは、高齢で配偶者と死別し年金の受給額が減ったことにより住み替えせざるを得なくなったり、病気などで困窮に陥り家賃が払えなくなるといったことは、誰にでも起きうるということ。「私は大丈夫、と思っていてもどうなるか分からないし他人事ではない」(松本さん)

住まいの相談はひと月に約300件寄せられる。1度の電話相談で解決するわけではないため、非常に多忙だが、石塚さんは「成約率は決して高くはない」と明かす。つまり、仲介手数料を中心に生業を立てている不動産業としては、儲けにはなりにくい取り組みということ。一方で、不動産業界にいた経験から、オーナーの気持ちもよく分かるそう。大家にとって物件は、大切な収入源。住宅困窮者とオーナーのどちらかの目線に偏ることなく、双方の立場の尊重を大切にしているという。

ワンエイドでは松本さん、石塚さんのほか3人のスタッフが交代で相談にあたっており、高齢者など入居後の生活にもサポートが必要な人に対してはその相談にも乗っている(写真撮影/片山貴博)

ワンエイドでは松本さん、石塚さんのほか3人のスタッフが交代で相談にあたっており、高齢者など入居後の生活にもサポートが必要な人に対してはその相談にも乗っている(写真撮影/片山貴博)

実際に行われている相談はとにかくケースバイケースで難しいものも多い。身だしなみは普通でスマートフォンを所有していても、通信料を支払えず無料Wi-Fiスポットに行って使用している貧困世帯というように、周囲からは困窮の様子が分からず、行政からのサポートが何も受けられていない人もいる。ほかには、障害者に対する偏見もある。例えば、障害者手帳を取得した相談者と、障害の等級に該当していても手帳を取得していない相談者では、実は手帳がない人の方が入居審査に通りやすい傾向にある。住宅困窮者とオーナーが相互に理解しあい、物件を契約できるようになるまでの問題解決はどれも複雑だ。そのため「ワンエイドが双方の結び役になれればと思う。住まいの相談の中には、生活するうえでのさまざまなほかの問題が見えてくる」(松本さん)。貧困からくる空腹が暴力の問題を生むなど、問題は連鎖する。それらの問題解決の一助のためワンエイドでは、企業や一般の方から食品の寄付を募り、生活に困っている世帯にお渡しするフードバンク事業なども行っている。ふたりを頼って、遠く関西や国外からも、相談が舞い込むこともあるという。

賞味期限月で分類してある事務所内の食品庫。企業や一般の方から協力をいただいて必要な人にお渡ししている(写真撮影/片山貴博)

賞味期限月で分類してある事務所内の食品庫。企業や一般の方から協力をいただいて必要な人にお渡ししている(写真撮影/片山貴博)

座間市役所内と地域をワンストップで連携する「チーム座間」

住まいの相談から見えた住宅困窮者の周辺の問題解決に取り組むワンエイドには、行政からも協力の依頼が寄せられる。ふたりは、座間市の困窮者支援会議にも参加している。

行政といえば、組織の構成は「縦割り」になっている。困ったことがあり相談に行っても、担当窓口が分からなかったり、部署が違うと担当者間でも他部署の制度や状況が分からなかったりなどで、たらい回しにされたりすることが多いのが実態だ。座間市は市役所内の部署を横断しワンストップで連携。市役所内で「つなぐシート」を用い、相談をうけた部署に該当するものでなくても担当となる部署に相談内容をつなげ、そこから相談者が本当に困っていることを探って支援や課題解決にあたる独自の取り組みを行っている。連携するメンバーは社会福祉協議会や弁護士、ハローワーク、そしてワンエイドのような民間団体や生協など幅広く、協力しあう「チーム座間」は、他自治体からも注目されている。

チーム座間のメンバー。官民一体となったこの取り組みは全国でもまだ少なく視察に訪れる自治体も多いそう(写真撮影/片山貴博)

チーム座間のメンバー。官民一体となったこの取り組みは全国でもまだ少なく視察に訪れる自治体も多いそう(写真撮影/片山貴博)

座間市が生活困窮者の自立支援制度を始めたのは2015年。家計改善の助言や、引きこもりの人の就労支援など、多岐にわたる相談を受け付けている。ワンエイドとは、住宅困窮者の根底にある問題解決のため2016年からつながった。

チーム座間は普段から相談者に連携して対応するほか、月に1度集まり、よりスムーズに解決していくために必要な仕組みづくりも整えている(写真撮影/片山貴博)

チーム座間は普段から相談者に連携して対応するほか、月に1度集まり、よりスムーズに解決していくために必要な仕組みづくりも整えている(写真撮影/片山貴博)

この取り組みの中心となる福祉部生活援護課の林星一課長は「例えば就労支援では、なんでもかんでも仕事しなさいということでなく、健康などさまざまな観点からそのひとに寄り添っていく支援が必要」と説明する。お金の相談に来た人から、本人も自覚できていなかった、なぜそうなったかの根本原因にあたる困りごとが顕在化することもあるという。

ある市民の保険料の滞納相談に応対した介護保険課からの連絡で、持ち家を悪徳金融業者にだまし取られそうになっていることが判明。チーム座間のメンバーである神奈川総合法律事務所の西川治弁護士が確認し、債務整理と家計相談に乗ることで、持ち家を残すことができたことも。行政がひととおりの滞納相談の対応で終わっていたら、家は残すことができなかったようなケースだ。「滞納相談に応対した職員からの連絡があと1週間遅かったら危なかった。普段から連携できていたから間に合った」(西川弁護士)

西川治弁護士(左)と福祉部生活援護課の林星一課長(右)

西川治弁護士(左)と福祉部生活援護課の林星一課長(右)

大学進学のために市営住宅に住んでいた児童相談所出身の未成年は、保証人になっていた親族が入院して収入がなくなり、退去を迫られた。引越し費用や学費は手元にあっても未成年であるため契約ができなかったが、社会福祉協議会やワンエイドのフォローのもと本人名義で入居でき、進学がかなったという珍しいケースもあったという。

座間市の生活困窮者自立支援制度は、困っているひとを、いかに相談につなげられるかという仕組みと支援対策、就職支援に加え、居住支援が大きな柱となる。「住まいは生活の基本。家というハードとともに、住み続けるというソフトの部分が必要で、それは生活支援そのもの」と林課長。それらは支援対象者が地域で孤立しないことや、地域自体の協力が不可欠であり、ワンエイドをはじめとするひとたちの尽力があってのものだ。

都市部建築住宅課課長 松尾直樹さん(最左)、福祉部生活援護課 自立サポート担当主任 武藤清哉さん(左から2番目)。公営住宅を担当する都市部と生活保護等の福祉を行う福祉部が連携することも行政では異例で、居住の支援に関するさまざまな取り組みを考えるきっかけにもなっている(写真撮影/片山貴博)

都市部建築住宅課課長 松尾直樹さん(最左)、福祉部生活援護課 自立サポート担当主任 武藤清哉さん(左から2番目)。公営住宅を担当する都市部と生活保護等の福祉を行う福祉部が連携することも行政では異例で、居住の支援に関するさまざまな取り組みを考えるきっかけにもなっている(写真撮影/片山貴博)

正反対のふたりだからこそ、成し遂げられたこと

松本さんたちが困窮者とオーナー双方にそこまで親身に、精力的に活動できるのはなぜなのだろうか。松本さんはその理由を、「私も石塚も好きなことをしているだけ。困った人がいたら放っておけない、そもそもおせっかいなだけなんです。正反対な二人だけどその思いは一緒です」と話す。

二人三脚の石塚さんと、性格は真逆とのこと。明るい松本さんは実は慎重派、石塚さんは行動派。「自分が100個考えても思いつかない1個を彼女は考えつく。そこがすごい」(松本さん)

不動産業に長く携わってきたふたり。石塚さんは所属する地域の不動産業界団体では副支部長を務め居住支援の取り組みについて発信している(写真撮影/片山貴博)

不動産業に長く携わってきたふたり。石塚さんは所属する地域の不動産業界団体では副支部長を務め居住支援の取り組みについて発信している(写真撮影/片山貴博)

今、新型コロナウイルスの影響で、ネットカフェが休業要請を受け、それらを住居代わりにしていた人が多く相談に来ているという。当たり前のように過ごしている自分の家、それをなくすことは、仕事だけでなく、周囲の人間関係など社会とのつながりすべてを失うことになりかねない。政府からは「住居確保給付金」に関しての要件を緩和するなど、さまざまな対応策が発表されているが、それらが周知され、問題に応じたサポートが届けられるには、多くの助けが必要だ。かつては地域社会の中で解決していた問題も、その関係性が希薄な中、福祉と地域社会、不動産業の間に入り、関係する人と制度をつないでいく、ワンエイドおよびチーム座間のような境界を越えた存在がますます必要になっていくだろう。問題を抱えた人に対し、断らずに不動産業を行うプライムの運営について、「始めたころはなかなか理解を得られなかったのですが、最近では協力してくれる同業者の方も増えました。とてもありがたいです」(石塚さん)。事例を伝えることで、住宅困窮者の存在をプラスにとらえてもらえるよう二人で講演依頼を引き受けているという。現在、スタッフも感染予防のため出社は交互とするなどし、雇用を守りつつも最大限答えていこうと活動を続けている。このような取り組みが、松本さん、石塚さんら個人の強い思いで支えられていることに、とにかく頭が下がる思いだ。彼女らの活動を注目し応援するとともに、我々の日常では心が及ばない住宅困窮者への理解と協力を、まだまだすすめていかなければならない。

●取材協力
特定非営利活動法人ワンエイド
座間市役所

”痛み”とともに働く――精神障がい者がテレワークで得た変化

 日本では今、在宅で生活する障がい者約365万3000人のうち、雇用されている人は約56万人と約15%程度にとどまる(※)。また、うまく就業につながっても、職場になじめなかったり、ストレスを抱えて離職してしまうケースも少なくないという。
このような不均衡を解決すべく、企業には障がい者雇用の拡大が求められている。前回の記事「通勤できない精神障がい者に、テレワークで広がる働く機会。在宅雇用支援サービスのいま」では、テレワークが障がい者雇用の推進につながっている動きについて、企業、障がい者両方の視点からお伝えした。

今回お話を聞いたのは、在宅雇用支援サービスを通じて就職し、自宅でテレワークをする岸さん、24歳。テレワークを選択した理由、就職活動、日々の生活について詳しくお話を聞いた。

強い“不安”と、原因不明の痛みがおそう日々

「やっと家族の負担にならないと思える生き方ができるようになりました」

そう笑顔で語る岸さん。幼いころから過ごしてきた湘南エリアの一軒家で両親と同居しており、不安の症状や原因不明の体の痛みを抱えながらもテレワーカーとして働いている。

自宅で取材に応じてくれた岸さん(撮影/片山貴博)

自宅で取材に応じてくれた岸さん(撮影/片山貴博)

高校卒業後に看護師を目指して看護大学に入るも、実習がきっかけで大きく体調を崩してしまった。結果的に進路変更という形で退学を決断したものの、不調が悪化し、抑うつ状態や強い不安の症状が生じ始めた。その翌年には原因不明の痛みが発生する身体症状症も併発し、胸と右足の痛みに常に悩まされるようになった。

テレワークで働き始めて半年が経ち、罹患した当時に比べると大きく落ち込むことは少なくなったものの、未だに不安の症状は強い。

「『出かける30分前に起きる』という友人がいるのですが、私は絶対にできないです(笑)。最低でも外出する2時間前には起きて、忘れ物がないか何度もチェックします。そうしないと気が済まなくて」

岸さんは左手に持った杖に体重を移動しながら、足の痛みを避けるように一歩一歩ゆっくりと歩く。「バスや電車で数駅を移動するだけでも大変です」と、岸さんは表情を歪める。

「私にとっては、出勤自体がかなり消耗することなんです。面接に行って帰ってくるだけでも、疲労感がすごくて、痛みがひどくなってしまうこともありました。だから家で仕事ができるのは、本当にありがたいことなんです」

仕事中は一人だけど、いつでも相談できる自室での仕事中の様子(撮影/片山貴博)

自室での仕事中の様子(撮影/片山貴博)

岸さんが働き始めたのは、昨年8月、カラオケの第一興商だ。カラオケアプリで配信している動画のチェック作業や、競合他社が出している求人など、採用関係の情報の収集と報告を行っている。

1日の労働時間は6時間。朝10時に出勤して、1時間のお昼休憩を挟んで17時に退勤。作業中は1人だが、仕事で分からないことがあればいつでも在宅勤務による雇用に対し支援を行っている企業が提供するオンラインサービスを通じて担当者にチャットで質問できる。

「在宅雇用支援サービスの方が間にいてくれるのは、とてもありがたいです」と岸さん。

「体調が完璧な状態ではないので、どうしても不安になることが多くて。直接会社に聞くのは少し気が引けるような場合でも、担当者の方が仲介してくださることでスムーズに進むこともあり、とても感謝しています。仕事をしているときは1人でも、相談できる人がいつもいてくれるのは、すごく心強いです」

10時出社という条件も、岸さんにとってはありがたい理由がある。

「気温が低い日や少し無理をした日には、夜間に呼吸のたびに胸が痛んで何時間も眠れなくなることがあるんです。痛みが落ち着いてくる朝の4時くらいにようやく眠りにつけるのですが、10時から自宅で業務開始であれば、そこから最低限の睡眠が取れます。テレワークでなければ、こんな風に痛みを抱えながら働くことはできませんでした」

自宅のパソコンから利用する在宅雇用支援サービスのオンラインシステム(撮影/片山貴博)

自宅のパソコンから利用する在宅雇用支援サービスのオンラインシステム(撮影/片山貴博)

薬を服用したり、温めて痛みを和らげたりしながら生活している(撮影/片山貴博)

薬を服用したり、温めて痛みを和らげたりしながら生活している(撮影/片山貴博)

身体は痛い。それでも働きたい

「精神障害の症状が出はじめたころは、抑うつ状態がひどくて、笑うことすらできない状態でした。こんな風に声を出す気力もなかったんです」

学生時代に病気になった岸さんには、職歴がなかった。「最初は1カ月もつかどうかすら不安でした」と、岸さんは笑う。

ところが予想に反して、リラックスした状態で業務ができることで痛みをある程度抑えられた上に、精神面でもプラスの影響があったという。

「病気になったとき、もともと低かった自己肯定感が地に落ちました。『お金ばかりかかっていて申し訳ない、いないほうが良いのでは……』と、本気で考えてしまいました。
でも今は病院代や交通費、食費も自分で払うことができる。そうした“できること”の積み重ねで、少しずつ自信を取り戻せているのだと思います」

しかし、仕事が体に与える負担はゼロではない。1日の業務を終えたあとは横になることが多い。特に痛みの強い日は、休憩時間に横になることで対処している。

「程度の差はありますが、痛みは割と常に生じているので、正直もし働かなくていいのなら働きたくないと思うこともあります。でも……」

岸さんは、“それでも働きたい理由”を続けた。

「私は病気をしたことで、本来かけなくていい心配を両親にたくさんかけてきました。金銭的な負担もかけてしまいました。家でお手伝いをしていても、『本当に申し訳ない……』という思いは、どうしても拭えません。だからこそ、どこか一部だけでも、自立していたい。また、働けていることで過剰な不安や抑うつ感の頻度が以前より落ち着いてきたように思います。自分のためにも、これからも働き続けていきたいと思っています」

(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

現実は厳しい……。難航したテレワーク前提の就職活動

幸運にも岸さんは、テレワークが可能な仕事に就くことができた。しかし、テレワークを前提に精神障がい者を雇用する企業はまだ少ないのが現実だ。岸さんは就職活動を次のように振り返る。

「在宅雇用の求人は、ありそうでなかった。実際に就活を初めてみると、難しさを実感しました。応募しても、『身体障がい者ではない』とか、『重度障がい者ではない』とか、企業側が設定している条件に合わなかったために落ちたり、受けることができなかったりもしました」

在宅で働く選択肢は、当時通っていた就労移行支援施設の卒業生の話を聞いて知った。卒業生は在宅の就職先を見つけるまでに、実に20社以上の面接を受けたという。その話を聞いて覚悟はしていたものの、現実がこれほどまでに厳しいとは……。

在宅にこだわっていては、いつまで経っても働けないかもしれない。それなら体に大きな負担がかかってでも、通勤を伴う求人に応募するべきだろうか――。そう諦めかけたとき、岸さんはネットで偶然、在宅での就労をサポートする会社があるのを見つけた。

「障がい者雇用が専門のエージェントはあっても、在宅の求人があるとは明記されていないことがほとんど。そんななか、在宅雇用支援を全面に打ち出しているサービスはとても珍しかったので、すぐに申し込みました」
企業は障がい者を雇用したくても、働き方について雇用経験が少なかったり、どのようにマネジメントすればいいかわからなかったりなどで、なかなか雇用は進んでいない。そんな中、企業側、働きたい障がい者側とのマッチングや、双方に対して働きやすい環境づくりのサービスとを展開する企業が登場してきている。岸さんはその中で、障がい者の在宅雇用支援サービスを打ち出している株式会社D&Iと出会った。

(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

精神障がい者の在宅勤務の求人はまだ多くはなく、岸さんの元に連絡が来たのは、それから3カ月後だった。

「幸運なことに、面接を受けてすぐに第一興商への入社が決まりました。通勤しなければならない求人に、無理をして応募しなくて本当によかったです」

職歴や障害、求人数などのさまざまなハードルを乗り越えて就職した岸さんは今、痛みを抱えながらも、一歩ずつ、前進している。

今回の新型コロナの影響で、多くの人が経験し、注目を浴びているテレワーク。働きたくても働けない障がい者が、かねてよりずっと求めてきた働き方ながら、ゆっくりとしか進んでこなかったことは、あまり知られていない。
自分にとって働きやすい環境とは?という問いに、皆が向き合っている今は、見方を変えれば、こうした困難を抱える人たちがいきいきと働ける社会の実現を、より加速させるチャンスなのかもしれない。

(注※)障がい者の数字は「令和元年障害者雇用状況の集計結果(厚生労働省)および「令和元年障害者白書(内閣府)」より

通勤できない精神障がい者に、テレワークで広がる働く機会。在宅雇用支援サービスのいま

「日本では今、在宅で生活する障がい者約365万3000人のうち、雇用されている人は約56万人と約15%程度にとどまる(※)。またうまく就業につながっても、職場になじめなかったり、ストレスを抱えて離職してしまうケースも少なくないという。このような不均衡を解決すべく、障がい者の法定雇用率は段階的に引き上げられており、企業には障がい者雇用の拡大が求められている。とはいえ、障がい者雇用の経験が少なかったり、社内のバリアフリー状況も不十分だったりと、雇用したくてもどのようにしたらいいのか戸惑っている企業も多い。

テレワークに注目が集まり誰もが「職住融合」しつつある今。“働きたくても働けない”障がい者と、障がい者を雇いたいけれど雇えない企業、実は多くの人が知らないところで、両者を結びつける手段としてテレワークに注目が集まっている。テレワークの導入が障がい者雇用にもたらす変化とは何か。

身体障がい者に比べ約1/4にとどまる精神障がい者雇用の現状

障がい者を雇用する人数の割合を定めた「法定雇用率」。民間企業では2018年4月に2.0%から2.2%になり、今後も段階的な引き上げが予定されている。

また2018年4月からは、法定雇用率の算定式に精神障がい者が追加された。それまでの法定雇用率の考え方が、身体障がい者や知的障がい者だけを対象としていたのが、本改正以降は精神障がい者の雇用も含まれるようになったのだ。

2019年6月1日現在、障がい者の雇用状況は16年連続で過去最高を更新し、約56万人(※)。そのうち、法定雇用率目標の対象となる民間企業に雇用されている障がい者数と、障がい者の総数(以下カッコ内の数字※)を見ると、身体障がい者が約35.4万人(約436万人)、知的障がい者が約12.8万人(約108万2千人)、精神障がい者が約7.8万人(約419万3千人)となっており、後押しが後発でスタートした精神障がい者の雇用はまだまだ進んでいないことが分かる。適切な環境が整えば働ける精神障がい者は多いが、企業は「どんな仕事を任せられるのか?」「どうマネジメントしたら良いのか?」が分からず、その雇用を自力で進めにくい状況にあった。

そんな、障がい者を雇いたい企業と、働きたい障がい者をつなぐサービスを展開する企業が登場してきている。今回、お話を伺った株式会社D&Iもその一つ。なかでも在宅勤務による雇用に対し支援を打ち出している企業だ。

お話を伺った株式会社D&I 管理本部長の谷口真市さん(撮影/片山貴博)

お話を伺った株式会社D&I 管理本部長の谷口真市さん(撮影/片山貴博)

働きたい”障がい者に対しては、D&Iが求人を紹介し、担当者が面接にも同席。入社後は、業務上のやり取りは、全て自社の在宅支援サポートシステムを通じて行われる。企業側と障がい者の間に入るため、雇用される側は「企業には直接聞きにくい」こともチャットで気軽に質問が可能。さらに毎月のWeb面談では、仕事上の悩みや体調面での不安などを担当者がヒアリングし解決方法を探ることで定着率向上にも取り組んでいる。

管理本部長の谷口真市さんは、このような支援サービスの存在意義について、次のように語る。

「将来的には、僕たちが間に入らずに企業と障がい者の方がスムーズにやり取りできればベストです。でも今は、ひとりひとりの障害に合わせてどんな仕事をお願いしたら良いのかが分からない企業がほとんど。障がい者雇用を促進するためには、当分は私たちがサポートする必要があると思っています」

出典:D&Iホームページより。企業に対し、テレワークに必要な勤怠管理や業務状況把握、担当者とのコミュニケーションなどができるサポートツールを提供することで、雇用を受け入れる体制準備が簡単になる仕組みだ。

出典:D&Iホームページより。企業に対し、テレワークに必要な勤怠管理や業務状況把握、担当者とのコミュニケーションなどができるサポートツールを提供することで、雇用を受け入れる体制準備が簡単になる仕組みだ。

従来の求人では、障がい者雇用を増やせなかった

株式会社第一興商は、このサービスを通じて障がい者雇用を拡大した企業の1つだ。

第一興商は従来より、カラオケ店や飲食店の清掃業務など主に現場で障がい者を雇用していたが、2018年4月の法定雇用率引き上げをきっかけに、新たに12名の障がい者を雇用することとなった。

通勤を伴う業務は、それに対応できない人も多く、求人を出しても、新たな応募は増えなかった。「今までの延長線上で募集をしていても採用や定着の見込みは低い、そう思いながらさまざまなことを模索していました」と、同社で人事を担当する高木俊秀さんは語る。

高木さんたちがテレワークを前提とした障がい者雇用の検討を始めたのは、D&Iからの提案がきっかけだった。2019年春より、障がい者の大量募集に踏み切り、2020年3月時点で、新たに17名の障がい者雇用につながっている。

会社では初となる、テレワーク前提の障がい者雇用に向けて、社内ではそれなりの準備を要した。

「全社にテレワークについて説明し、それぞれの部署で、障がい者の方が自宅でできる業務についてアンケートを取りながら、まとめていきました。働き方にあった社内規則もD&Iに相談しながら整備し、受け入れ体制を整えていきました」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

「業務中の様子が見えないことへの心配はありました。でも、テレワーク専用システムにパソコンのスクリーンショットを確認できる機能がありますし、成果物もきちんと提出されます。何よりもよかったことは、障がい者の方たちが在宅で勤務できることに大きな喜びを感じていることです。成果物にも工夫を凝らすなど、前向きに行動いただいています」

また、いい意味で、”想像と違うこと”もあったそう。
「最初は『テレワーク導入は障がい者雇用のため』と思っていましたが、これをきっかけに、何かあった際には一般の社員も在宅勤務を可能にするなど、全社的に勤務体系を見直す発想にもつながりました」

「通勤がないなら、普通に働けるかもしれない」

一方、障がい者は、テレワークについてどのように感じているのだろうか。テレワークを始めたNさん(34歳)に話を聞いた。

東京都中野区の自宅で両親と同居するNさんは、不安障害を抱えている。今も不安や緊張を和らげる薬や睡眠薬を服用しており、第一興商で働き始めるまでは年金のみで暮らしていた。20代前半でわずかな期間経験した飲食店でのアルバイトを除けば、今回が初めての仕事だ。

自宅で取材に応じてくれた、第一興商で在宅勤務をするNさん(撮影/片山貴博)

自宅で取材に応じてくれた、第一興商で在宅勤務をするNさん(撮影/片山貴博)

「中学生のときに学校に通えなくなってしまったんです。高校も大学も、それが原因で中退しました。定期的に同じところに通うのが私の不安障害の症状ではどうしても難しいんですね。だから、もし通勤しなくて良いのなら、自分でも普通に働けるかもしれないと思いました」

将来を考え、通い始めた就労支援施設でテレワークの存在を知った。ネットで見つけ自ら連絡を取り、紹介された第一興商で働き始めて半年が経つ。

Nさんの仕事は、同業他社のサイトを参照しながら、楽曲の種類や映像の差異を比較したり、カラオケ店に関するネット上の口コミを収集したりなどをエクセルにまとめる、マーケティング業務等の一部。勤務時間は朝10時から17時、休憩は1時間で週5日働く。初めての仕事の感想は?

「すごく自分に合っています。通勤による体への負担が少ないことや、一番気持ちが落ち着く。家にいることでいい意味で肩の力が抜けて、リラックスして働けるのがありがたい。辞めたいという気持ちには、全くならないですね」

また、「職に就いたことで自信にもつながった」と、Nさんは続ける。

「ずっと迷惑をかけてきた両親もすごく喜んでくれましたし、自分で働いた収入があることで、金銭的にも精神的にもだいぶ余裕が持てるようになりました。これからも続けていきたいです」

初めての会社勤めで不安もあるNさんだが、月に1度は、在宅支援ツールを使って、オンラインで体調や業務についてなどの面談を担当者と行っている。面談以外にも、有休申請のやり方や業務に関するちょっとした疑問なども、このオンラインを通じて行われており、言いにくいことや不安に思うことも遠慮なく話せるという。

通勤がない分、自分の時間もしっかりとれるため、生活への満足度は高い。今は体調も比較的落ち着いている。「お金が貯まったら、北海道に美味しいものでも食べに行ってみたいですね」と、Nさんは微笑む。今、自分がこのように働けていることを、1年前には想像もできなかったという。

(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

谷口さんによると、Nさんのように家を出て通勤先に通うことや満員電車に乗ることができないことで、働けていない人はかなりの数、存在するそうだ。人の気配のある緊張感のある場所の方が働きやすい人もいれば、自宅のように、最も安らげる場所だからこそ働けるという人もいる。障がい者かそうでないかに関わらず、自身に合った働き方で収入を得たり、社会と関わりたいと思うのはすべての人の願いだ。テレワークという新しい手段が、閉ざされていた機会を創出し、さまざまな人が、持つ力を発揮できる社会へとつながっていくことに期待したい。

(注※)障がい者の数字は「令和元年障害者雇用状況の集計結果(厚生労働省)および「令和元年障害者白書(内閣府)」より

老・病・死をタブーにしない。福島県いわき市のメディア『igoku(いごく)』の挑戦

『いごく(igoku)』とは、福島県いわき市役所の地域包括ケア推進課が手掛けているメディアで、「老・病・死」をテーマに、地元のクリテイターと手を組み、フリーペーパーとウェブで情報発信している。
これが、お堅いイメージのある行政が関わっているとは思えないほど、独特で、笑えて、“エモい”のだ。
さらに、2019年グッドデザイン賞の金賞を受賞したことも大きな話題に。
「縁起でもない」と敬遠されがちなことに「マジメに不真面目」に取り組んでいるつくり手たちに、『いごく』が始まった経緯、課題の背景、今後の展開などをお伺いするべく、福島まで足を運んでみた。

地域包括ケアとは何ぞや? 一人の職員の行動から始まった取り組み

「やっぱ家で死にてぇな!」「死んでみた!」「パパ、死んだらやだよ」「認知症解放宣言」――。ドキっとするけど、重くない。どこか、クスっと笑えるタイトルが並ぶ。フリーペーパーの「紙のいごく」の特集名だ。
グラビアは「老いの魅力」なる、おじいちゃん、おばあちゃんのポートレート。なんともいえない、いい表情がとらえられていて、「福祉」「介護」から連想する、生真面目なイメージからはほど遠い誌面だ。
ウェブマガジンでも、とにかく楽しそうなおじいちゃん、おばあちゃんの様子が臨場感ある写真とコピーでレポートされている。

ウェブマガジンで各地域のつどいの場をレポート。「いごく」はいわきの方言で「うごく(動く)」の意味。「いごく」人々や取り組みに焦点を当てている(画像/ウェブマガジンより)

ウェブマガジンで各地域のつどいの場をレポート。「いごく」はいわきの方言で「うごく(動く)」の意味。「いごく」人々や取り組みに焦点を当てている(画像/ウェブマガジンより)

コンセプトは、「死や老いをタブーにしないこと」。そして「面白がること」。
「人生の“最期”をどこで、どんなふうに迎えたいか、自分が考えたり、親子で会話するきっかけになったらと思っています」と、『いごく』の発起人であるいわき市役所の職員である猪狩僚さん。

いごく編集長(と、自分で勝手にネーミングしたそう)の猪狩さん。記事方針は明確に伝えるが、「あとはクリエイターたちにお任せ」だそう (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

いごく編集長(と、自分で勝手にネーミングしたそう)の猪狩さん。記事方針は明確に伝えるが、「あとはクリエイターたちにお任せ」だそう (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

そもそも『いごく』が生まれたのは、4年前、猪狩さんが新設の「地域包括ケア推進課」に配属されたことがきっかけ。「僕は福祉の領域は初めて。そもそも”地域包括ケアってなんだ?”というところからのスタートで、ミッションすらまだ定まっていない状態でした。具体的に何をすればいいのか手探りで、とりあえず医療や福祉の現場をのぞかせてもらったんです」(猪狩さん)。

そんななか、猪狩さんが衝撃を受けたのが、医療や福祉の現場スタッフによる勉強会に参加したときだった。
「みんな、仕事終わりですごく疲れているのに、自腹で参加費500円を払って参加しているんです。これにまず驚き。そして、涙ながらに“あのとき、患者さんにまた違ったアプローチをしていれば、利用者さんとそのご家族が幸せな最期を迎えられたんじゃないか”と反省している方がいて……。自分が当事者にならないと介護の現場に触れる機会がないから、多くの人は現場で働く方々の想いを知らない。『この現場の想いを、誰かが発信してもいいんじゃないかな』。それが僕のミッションだと考えたのがスタートでした」(猪狩さん)。

当事者以外に届けるなら、デザインの力が不可欠

そして、自分が望む場所で最期まで暮らせる「選択肢がある」社会にすることが、地域包括ケアの目的ではないかと考えるようになった猪狩さん。

「そのためには、まだ介護や老後、死がまだ身近にない人こそ、“何だろう”“面白そう”と思えるプロダクトや、デザインの力が必要だと思いました」
それからの猪狩さんの行動が驚きだ。
「たまたま、地元のかまぼこメーカーさんの商品“さんまのぽーぽー焼風蒲鉾”のデザインがすごく良くて、”ポスターをつくってほしい!”と押しかけました(笑)」(猪狩さん)
そのデザイナーが、現在「いごく」のメンバーの一人である高木市之助さん。最初は戸惑っていたものの、「だったら印刷も必要だ」と友人に声かけたり、「編集や書いたりできる人もいたほうがいいね」といったふうに、だんだん人が集まっていった。

「いごく」を支えるメンバーの面々。左から、郷土歴史家の江尻浩二郎さん、地域活動家として著作『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞したエディターの小松理虔さん、猪狩さん、メディア全体のプロデューサーの渡邉陽一さん、いわき市の地域包括ケア推進課の瀬谷伸也さん。あの日、突然押しかけられたデザイナーの高木市之助さん、映像カメラマンの田村博之さんは残念ながらこの日は不在(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「いごく」を支えるメンバーの面々。左から、郷土歴史家の江尻浩二郎さん、地域活動家として著作『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞したエディターの小松理虔さん、猪狩さん、メディア全体のプロデューサーの渡邉陽一さん、いわき市の地域包括ケア推進課の瀬谷伸也さん。あの日、突然押しかけられたデザイナーの高木市之助さん、映像カメラマンの田村博之さんは残念ながらこの日は不在(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

毎週木曜日はゆるやかな「編集会議」が。時にふざけつつ、脱線もしつつ、笑い声が絶えない。ノリはまるで男子校だ。「男ばっかりというのはちょっと問題アリだとは思っているんですけど(笑)」(猪狩さん) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

毎週木曜日はゆるやかな「編集会議」が。時にふざけつつ、脱線もしつつ、笑い声が絶えない。ノリはまるで男子校だ。「男ばっかりというのはちょっと問題アリだとは思っているんですけど(笑)」(猪狩さん) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

福祉の素人だからこそ書ける「ありのまま」の一人称メディア

創刊当時のことを、いごくメンバーの1人である小松理虔さんは振り返る。
「当時のメンバーで、おもしろいおじいちゃんやおばあちゃんがいると聞いたら、みんなで取材に行ってましたね。4人でカメラをかかえて、全員がインタビュアー。地元の洋品店の2階で、92歳のヨガの先生のおばあちゃんにヨガを教えてもらったり、シルバーリハビリの先生のおじいちゃんに話を聞きに行ったけど、若いころの話が面白すぎて40分たっても本題に入れなかったり。かなりカオス(笑)。でも面白かった。その驚きとか、面白かったこと、思ったことをそのまま書きました。そのうち、何を面白がるかという『いごく』のコンセプトっぽいものをメンバー全員で共有できた気がします」(小松さん)

ヨガの先生に会いにいった話は、「二ツ箭(ふたつや)と呼吸する日々」というタイトルの記事に。「この時は、まだウェブマガジンにしようとも、まだなんにも決めてなくて。とりあえず会いに行ってみた。そうしたら、とんでもなかった。そのままを小松くんに書いてもらいました」(猪狩さん)(写真提供/いごく編集部)

ヨガの先生に会いにいった話は、「二ツ箭(ふたつや)と呼吸する日々」というタイトルの記事に。「この時は、まだウェブマガジンにしようとも、まだなんにも決めてなくて。とりあえず会いに行ってみた。そうしたら、とんでもなかった。そのままを小松くんに書いてもらいました」(猪狩さん)(写真提供/いごく編集部)

いわき市シルバーリハビリ体操指導士会会長へのインタビュー「体操、中華、わたし」。「体操の話を聞きに行ったつもりが、話がホント面白くって、まったくまとめられなかった」と小松さん(写真提供/いごく編集部)

いわき市シルバーリハビリ体操指導士会会長へのインタビュー「体操、中華、わたし」。「体操の話を聞きに行ったつもりが、話がホント面白くって、まったくまとめられなかった」と小松さん(写真提供/いごく編集部)

以降も、基本的にはメンバー全員で取材に赴き、写真を撮るスタイル。一応、テーマは立てるけど、脱線してばかりいる。でも、その脱線のほうが面白いことも多い。出来上がった記事は、書き手の驚き、感動がそのまま現れる。猪狩さんいわく、私見だらけの「一人称のメディア」だ。(詳しくは、『いごく』のウェブマガジンをご覧ください!)

これは、行政が発信する媒体としては、かなり異質だ。
「チームには、誰も福祉の専門家がいないんです。 “高齢化と過疎化で大変! 協力してください”という媒体だと、もともと福祉に興味のある人しか響かない。だから、この人が面白かった、かっこよかった、この集まりがすごいことになってた!とか、素人の僕たちが感じたことをそのまま伝えたほうが、興味がない人にも届くんじゃないかと思っています」(猪狩さん)。

地元のお母さんたちが食で集う「北二区集会所」でのクリスマス会に、いごくメンバーも参加してレポート。とにかくやってみるがモットー (写真提供/いごく編集部)

地元のお母さんたちが食で集う「北二区集会所」でのクリスマス会に、いごくメンバーも参加してレポート。とにかくやってみるがモットー (写真提供/いごく編集部)

普遍的な課題だからこそ、全国から反響。グッドデザイン賞に

一番反響があったのは「認知症解放宣言」の特集。
「でも僕たちは認知症を知らない。じゃあ、僕と小松くんで介護施設に3、4日通ってみようと、一日中滞在していました。おばあちゃんやおじいちゃんとおしゃべりするだけで、特になにもしない(笑)。そこで毎回ごはんを食べたあとに音楽がかかると、いつも踊るおばあちゃんがいて。すごくいいな~と、ポスター仕様にしました。つい、認知症というと、意思疎通ができないシリアスな状況をイメージしてしまうけれど、認知症ってグラデーションなんですよね。周囲は面倒を見ようと思ってしまいがちだけど、認知症でも本人ができること、したいことを周囲にいる人間が取り上げる必要はないんじゃないか、認知症に対する偏見を外したいという想いが“認知症解放宣言”というコピーになりました。当然、”認知症はきれいごとじゃない”という意見もありましたが、興味を持ってくれる人が多く、病院や介護施設から送ってほしいという問い合わせがたくさんありました」(猪狩さん)。

長い間認識してもらいたい想いから、ポスター仕様に。今では、「紙のいごく」は、全国から”送ってほしい”と問い合わせがあり、いわき市外にも多数配布しているそう (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

長い間認識してもらいたい想いから、ポスター仕様に。今では、「紙のいごく」は、全国から”送ってほしい”と問い合わせがあり、いわき市外にも多数配布しているそう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さらに2019年度のグッドデザイン賞を受賞。応募4772件のグッドデザイン賞のうち、金賞・ファイナリスト第5位という快挙につながった。老病死という重いテーマに対し、”縁起でもない”から”前向きかも”と感じられる取り組みが評価されたのだ。

東京で行われたグッドデザイン賞の授賞式はメンバー全員でおそろいのユニクロのジャケットで。人で埋め尽くされた会場で、猪狩さんが最終プレゼンを行った(写真提供/いごく編集部)

東京で行われたグッドデザイン賞の授賞式はメンバー全員でおそろいのユニクロのジャケットで。人で埋め尽くされた会場で、猪狩さんが最終プレゼンを行った(写真提供/いごく編集部)

今回取材が行われた場所は「みんなのお勝手~いつだれキッチン」(毎週木曜日のみ営業)。寄せられた食材を、客が自分で値段を決める”投げ銭制”の食堂だ。いつだれキッチンのお母さんたちと楽しそうにおしゃべりしている猪狩さん。ここでは食も悩みもシェア(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今回取材が行われた場所は「みんなのお勝手~いつだれキッチン」(毎週木曜日のみ営業)。寄せられた食材を、客が自分で値段を決める”投げ銭制”の食堂だ。いつだれキッチンのお母さんたちと楽しそうにおしゃべりしている猪狩さん。ここでは食も悩みもシェア(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「先祖代々の土地を荒らさないために自分たちでは食べきれない野菜を捨ててしまうのはもったいない」ことからスタートした取り組みが、みんなが集う場所に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「先祖代々の土地を荒らさないために自分たちでは食べきれない野菜を捨ててしまうのはもったいない」ことからスタートした取り組みが、みんなが集う場所に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

野菜中心の家庭料理をビュッフェ形式で。取材日は特別に本格カレーも。これはいわき市の地域包括ケア推進課の鍛治さん作 (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

野菜中心の家庭料理をビュッフェ形式で。取材日は特別に本格カレーも。これはいわき市の地域包括ケア推進課の鍛治さん作(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

看板はいごくメンバーの高木さんがデザイン (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

看板はいごくメンバーの高木さんがデザイン(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

読者や地域を巻き込むリアルなイベントも開催

紙やウェブだけでなく、「情報発信だと頭で考えるだけだから、五感で訴えかけるリアルな体験も必要では」と考え、「いごくフェス」を開催。福祉ラップ、即興劇、葬儀屋さん協力による入棺体験会が行われるなど、型破りな活動をしている。

入棺体験の様子(写真提供/いごく編集部)

入棺体験の様子(写真提供/いごく編集部)

(写真提供/いごく編集部)

(写真提供/いごく編集部)

「いごくフェスって親子3代で参加するケースが多いんです。僕もそうですが、面と向かって自分の親に『人生の最期はどうしたいの』とかあれこれ聞くのってなかなかハードルが高いじゃないですか。でも、踊ったり、歌ったりするお祭りの高揚感の勢いで、孫から”おじいちゃんはどう思う? ”って聞いているのを子どもも一緒になって聞く。そんなきっかけになったらいいと思っています」(猪狩さん)

人と人を取り持つ。行政の強味を最大限活かす

そもそも『いごく』メディアの一番の特徴は、「行政」が行っているということ。そのメリットは大きい。
第一に、介護・医療の現場プレイヤーから「行政が自分たちの頑張りを情報発信をしている」というところに喜び、意義を感じてくれている。それが良いプレッシャーにもなっている。
第二に、「中立的」立場で、複数の企業、事業所が参画しやすいこと。民間企業の手掛けるメディアでは難しいだろう。
第三に、「役所」の立場を利用して、どこへでも誰にでも会いに行き、話を聞けること。
「確かに、役所って縦割りで、偉い人にハンコもらって通さないといけないなど、動きにくかったりもします。でも、すごく恵まれている部分も多いはずなんです」(猪狩さん)

ただし、媒体もフェスもなかなか個性的。役所ゆえに、上司の反対はなかったのだろうか?
「基本的に上司には聞いていません(笑)。当時の上司が、”どうせ反対しても猪狩はやるんだろうし、話を聞いちゃったら、こっちが板挟みになって胃が痛くなるから、報告しないでいい”というスタンスの人で(笑)、面倒なことにならなくてすみました」(猪狩さん)

さらに、現在、『いごく』のクリエイターチームは、介護施設のHPやパンフレット等の制作にも携わるなど、展開に広がりも。「福祉の現場も、自分たちでやるにはマンパワーが足りないけれど、地元のクリエイティブの力を借りることでPRがしやすくなる。いわば地産地消ですね。行政が人と人、企業と企業をつなげる、本来の役割だと思います」(猪狩さん)

医療・介護・福祉に無関係な人は誰一人いないし、高齢化に伴う諸問題は日本中のどの自治体でも抱える課題だ。つまり、どの自治体でも、”『いごく』っぽい”アプローチは可能ということ。最初は一職員の想いからスタートしたのだから。

「例えば、横断歩道でおばあちゃんがのんびり歩いている。前はそれにイライラしていたけど、”いごく”の記事を読んだことある人なら、”あのおばあちゃんのゆっくりした歩き方、かわいい”って思ってくれるかも。それだけでも、『いごく』の意味はあるのかなって思っています」(猪狩さん)

そして、この取材後、発起人だった猪狩さんが別部署へ異動することが判明。「いがりは死すとも、いごくは死なず、です」(猪狩さん)。
市役所の職員ゆえに異動はつきものだ。だからこそ、プレイヤーが変わっても、「いごく」がこれまで伝えてきたメッセージを今後、自治体として、どう維持、発展させていくか、いわき市の今後の挑戦に注目したい。

●取材協力
いわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン