世界の名建築を訪ねて。圧倒的売れっ子建築家ビヤルケ・インゲルス設計の高層集合住宅「イコン集合住宅タワー(Iqon Residential Tower)」/エクアドル・キト

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載16回目。今回は、エクアドルの首都・キトにある高層集合住宅「イコン集合住宅タワー(Iqon Residential Tower)」(設計:ビヤルケ・インゲルス)を紹介する。

「ウーブン・シティ」などを手掛ける世界的建築家・ビヤルケ・インゲルス設計「イコン集合住宅タワー」

ビヤルケ・インゲルスといえば、ニューヨークをベースに活躍する建築家で、現今の世界建築分野では圧倒的なパワーでデザイン活動をしているスター・アーキテクトとして知られている。

その話題の建築家ビヤルケ・インゲルスがデザインした「イコン集合住宅タワー」(Iqon Residential Tower)が、南米エクアドルの首都キトに完成し、話題となっている。建物はキトのカロリーナ公園近くにできた高層ビルで、インゲルス初の南米建築となった。

カロリーナ公園とストリートを挟んで向かい合う32階建ての「イコン集合住宅タワー」は、ファサードがカスケード状になったバルコニーが特徴の建築だ。キトでは最高の高さを誇るタワーで、220戸のアパートメントを擁し、コマーシャル・スペースやオフィス群も併設されている。

(c) copia

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“生物多様性”を建築で表現した

高さ133mのスカイスクレーパー(摩天楼)は特異な外観で、キトのスカイラインに君臨している。ファサードは、現地の樹木や草花を植えこんだコンクリート・ボックス群で覆われている。こうしたデザインにより、キトの都市景観や有名なピチンチャ火山を展望することができる。また時間の経過に連れてグリーンが生育し、カロリーナ公園のグリーンと連携することを目指している。

(c)BICUBIK

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インゲルスが考えたのは、キトのアイコニックな地理学的な条件、すなわち、地球上で最もバイオ・ダイバーシティ(生物多様性)のある国のひとつであるということ。さらに人間や植物にとっては常にエネルギッシュな状態にある赤道直下の国という特徴を、垂直的な形態にデザインしたという。

インゲルスによれば、キトの全てのアイコニックな性質を引き出すことにより、個人住宅群の垂直的コミュニティである「イコン集合住宅」を生みだした。これはカロリーナ公園を建物の頂上まで伸び上がらせた増築というコンセプトをベースにして完成させた。

「イコン集合住宅」は、キトにあるふたつのランドマーク的集合住宅のひとつとしてデザインされたものである。もう一方は、 やはりアメリカのモシェ・サフディ・アーキテクツのデザインによる、彼らの南米初の集合住宅である「コーナー・ビルディング」(Qorner building)である。

インゲルスによる「イコン集合住宅」と、近隣にあるサフディ・アーキテクツの「コーナー・ビルディング」は、キトにおける現代建築ブームを反映しているようだ。ふたつの建物は、キトという都市が、建築、デザイン、イノベーションなどの試金石となり、変貌していくプロセスを表現しているとも言われている。

最初の住民が入居しはじめて、建物内部でのビジネスがスタートし、両ビル間での相互作用により、近隣界隈の繁栄のドライビング・フォース(推進力)になることが期待されている。

先端的なアーバン・ライフを享受できるぜいたくな集合住宅

「イコン集合住宅」は延床面積が55,000平米もあり、220戸のアパート、5店舗の商業施設、36社のオフィスが入居している巨大ビルディングである。住居は1ベッド・ルームから3ベッド・ルームがあり、その中にはキト市街のパノラミックな景観をエンジョイできる、ゴージャスな9戸のペントハウスが含まれている。

(c)Pablo Casals Aguirre

(c)Pablo Casals Aguirre

住戸、オフィス、商業施設に加えて、建物にはパブリック・プラザ、ショップ、野菜ガーデンが併設された大きなグラウンド・フロア・プラザがある。その他のアメニティとしては屋上プール&テラス、スポーツ&スパ施設、ボウリング場、ミュージック・ルームなどがあり、同市における先端的なアーバン・ライフを享受できる施設でもある。

世界の名建築を訪ねて。“曲面テラス” に覆われた超高層集合住宅タワー「アクア・タワー(Aqua Tower)」/アメリカ・シカゴ

世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載3回目は、“曲面テラス”がユニークな超高層集合住宅タワー「アクア・タワー(Aqua Tower)」(アメリカ・シカゴ)を紹介する。

曲面テラスが醸すユニークな超高層集合住宅タワー(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

今日、ニューヨークは超高層ビル群が櫛比(しっぴ)する垂直都市として世界的に知られている。スレンダーなスカイスクレーパー(超高層ビル)群が林立する様は、まさに経済的なシンボルともいわれている。だが摩天楼発祥の地はシカゴなのだ。シカゴにはかつて長らく米国1の高さを誇っていた高さ442mの「ウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)」や、それに続く344mの「ジョン・ハンコック・センター」があり、それらの偉容は、シカゴの超高層都市としてのアーバン・イメージを特徴づけてきた。

そうした中、シカゴをベースに活躍する女性建築家ジーン・ギャングが率いる建築設計スタジオ・ギャングが登場し、ここ20数年、主にユニークな集合住宅タワーを設計し評判になっている。彼女は1997年に事務所をシカゴに開設。女性建築家として世界的に有名であったイギリスのザハ・ハディド亡きあと、徐々にアメリカから世界を視野に収めた活動を展開しているスター・アーキテクトである。

彼女が数年前に発表したマルチ・ファンクショナル(多機能的)な集合住宅タワーが、世界的に評判で話題になっている。82階建て約263mの高さを誇る「アクア・タワー」は、4~18階にホテル、19~52階にレンタル・アパートメント、53~79階にコンドミニアム、80~81階(※)にペントハウスが配されている延床面積176,510m2の大きな超高層建築である。いわゆるブラウンフィールド(古い工場などの廃棄跡地)と呼ばれる約16,700m2の敷地に立つ建物は、敷地の50%をグリーンのオープン・スペースとして開放し、シカゴの標準的なゾーニング基準である25%をはるかに超えている寛大なデザインが人気である。この集合住宅タワーの発表で、彼女は一躍世界的に知られるようになった。
※米国では日本の1階部分をグラウンド0(0階)とするため、82階部分は、81階と呼ぶ

(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

眺望を追求し、最大3.6m突出させたテラス

「アクア・タワー」が一見して他のビルと異なるのは、そのユニークな外観にある。建物が立つエリアはミシガン湖に近いが、周辺には同規模のタワー群が建ち並んでおり、眺望を楽しむビュー・ライン(視線)がところどころで遮られているのが現状だ。そのため近隣に立つビル郡の間隙(かんげき)を縫って眺望視線を獲得するために、テラスに工夫が施されているのだ。

(c) Hedrich Blessing

(c) Hedrich Blessing

建物は各階のプランがコンタ・ライン(等高線)のようにうねっている。特にテラスは曲面となって最大3.6mほど突出している。それは眺望、日影、ルーム・サイズ、居室タイプによって異なっている。建物外壁を見上げると、それらが機能に根ざした非常に彫刻的なヴァーティカル・ランドスケープ(垂直の景観)を呈しているのだ。「アクア・タワー」は強烈なアイデンティティーを生み出し、シカゴ・スカイラインにおける個性的なランドマーク建築として登場したのである。

3階の広いルーフガーデンには多数のアメニティー施設が3階平面図(画像提供/筆者)

3階平面図(画像提供/筆者)

建物はシカゴの建築群の中で、最も広いグリーン・ルーフガーデンのひとつをもつビルとしても知られている。3階の広いルーフガーデンには多数のアメニティー施設があり、住民は自由な時間を楽しく過ごすために、外部に行かなくても十分事足りるようになっている。アメニティーとしては、プールをはじめ、ジム、シアター、ジョギング・コース、室内プール、見晴台、庭園、囲炉裏、禅ガーデン、ヨガ・テラス、バーベキュー・コーナー、脱衣室など、多くのヘルスケア&エンターテイメント施設が充実している。またサスティナブル・デザインとして、自然採光、自然換気、雨水利用をはじめ、開口部まわりには6種類ものガラスが使用されている。特にバード・ストライク(鳥の衝突)予防のために、フリット・ガラスを使用するなど、配慮が行き届いた超高層集合住宅タワーでもある。

●関連サイト
Aqua Tower
スタジオ・ギャング

集合住宅の省エネ対応、ZEHの普及は進んでる? メリット・デメリットは?

ZEH(ゼッチ ※ネット・ゼロ・エネルギー・ハウスの略称)とは、高断熱化と高効率設備の導入により、使うエネルギーを減らしつつ、太陽光発電等でエネルギーをつくり、1年間で消費する一次エネルギー消費量をおおむねゼロ以下にする住宅のことだ。これまで一戸建てを中心にZEHの普及が進んできたが、最近になって分譲マンションや賃貸住宅といった集合住宅のZEH化も始まっている。集合住宅がZEH化すると、入居者にはどんなメリットがあるのか? デメリットは?

そもそも「ZEH」って何? どんな種類やメリットがある?

集合住宅のZEHの状況について説明する前に、まずはZEH(Net Zero Energy House=ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)とは何か?について、おさらいしておこう。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

まず住宅の断熱性能を高め、高効率設備を導入することで、使用するエネルギーを減らす。さらに太陽光発電等の再生可能エネルギーでエネルギーをつくり、1年間で消費する住宅のエネルギー量から創エネルギー量を引くことにより、正味(net=ネット)でおおむねゼロ以下となる住宅のことである。

ちなみに、ここで言うエネルギー量とは一次エネルギー消費量のことで、住宅で使う電気等をつくり出すエネルギー(石油や石炭、天然ガスなど)の量を指す。また、創エネルギーの使い道は太陽光発電を設置した住宅の所有者等にまかされていることから、必ずしも光熱費がゼロになるわけではないが、既にZEHに暮らしている人の中には、1年間の光熱費が実質ゼロになっている人もいるものと考えられる。

ZEHは、屋根や壁、窓等の断熱性能を高め、照明やエアコンといった設備を省エネ性能の高いものにすることで、建築物のエネルギー消費性能基準から一次エネルギー消費量を20%削減することが要件。その上で、都市部狭小地域や多雪地域等の地域的な制約がある場合に限り、太陽光発電がなくても「ZEH Oriented」が認められている。一方、太陽光発電等の創エネ設備を設置して、更に一次エネルギー消費量を削減したものが『ZEH』や「Nearly ZEH」となる(画像提供/経済産業省)

ZEHは、屋根や壁、窓等の断熱性能を高め、照明やエアコンといった設備を省エネ性能の高いものにすることで、建築物のエネルギー消費性能基準から一次エネルギー消費量を20%削減することが要件。その上で、都市部狭小地域や多雪地域等の地域的な制約がある場合に限り、太陽光発電がなくても「ZEH Oriented」が認められている。一方、太陽光発電等の創エネ設備を設置して、更に一次エネルギー消費量を削減したものが『ZEH』や「Nearly ZEH」となる(画像提供/経済産業省)

ZEHで暮らすことには下記のようなメリットがある。
●住宅の省エネルギー化や創エネルギーの活用によって光熱費を抑えられる
●住宅の高断熱化によって、夏は涼しく、冬は暖かい快適な住環境を実現できる
●断熱化により室温を保ちやすくなるので、ヒートショックなどのリスクの低減が期待できる
●太陽光発電の設置によって災害による停電時でも一定程度の生活を営むことができる

このように、光熱費を抑えられて、一年中快適かつ安心安全に暮らせるのがZEHというわけだ。

一方デメリットとしては、高断熱化や太陽光発電等の導入などの初期費用がかかること。そこで国は補助金制度によりZEHの普及促進を図っている。現在は、地域的な制約や政策目的に応じて下記のZEHが普及促進の対象となっている。

一戸建て住宅のZEH

こうした様さまざまな種類のZEHがある理由は大きく二つある。一つは地域や周辺環境によって、どうしても太陽光発電による発電量が比較的少なくなるエリアがあることだ。例えば雪国などは冬の日射量や積雪の影響で発電量は見込めないし、ビルや家々がひしめくように立ち並ぶ都心部などは日陰になりがちだ。

こうしたエリアにおいてはエネルギー収支をゼロ以下にすることが困難であるが、これらのエリアにおいても可能な限り省エネルギー化を図り、再生可能エネルギーを導入していくことが重要であることから「Nearly ZEH」や「ZEH Oriented」が設けられた。これらのZEHもエネルギー収支こそゼロにはならないものの、外皮性能(屋根、天井、壁、開口部、床、基礎など)がZEH基準に達しているため、先に挙げたメリットを享受できる。

もう1つは、ZEHよりもさらに省エネルギー性能を高め、かつ再生可能エネルギーの自家消費率を高めたZEHの普及を政策的に促すためだ。いわばさらに高性能なZEHとして「ZEH+」や「次世代ZEH+」が設定されている。

集合住宅のZEH=ZEH-Mとは? 一戸建てのZEHと何が違う?

上記、一戸建て住宅におけるZEHに加えて、集合住宅のZEHについても説明しよう。集合住宅においても一戸建てのように種類が分けられているので、まずはそちらを見てみよう。

集合住宅のZEH

一戸建てのZEHと比べると、「Ready」という名称がつくZEH-Mが設けられていることがわかる。これは、一戸建てにはなかった「太陽光発電によって集合住宅全体の一次エネルギー消費量の50%以上を削減」しているもの。

なぜ“このようなZEH-Mが設けられているのか”といえば、一戸建てに比べて住戸数に対しての太陽光発電の設置面積が少ない集合住宅では、一次エネルギー消費量を100%以上削減することが現状の技術では難しいからだ。当然、高層になればなるほど難しくなる。

高層になるほど住戸数が増えるが、屋上に設置する太陽光発電の面積は同じ比率では増やせない。そのため高層の集合住宅になるほど太陽光発電による一次エネルギー消費量の削減が難しくなる(画像提供/経済産業省)

高層になるほど住戸数が増えるが、屋上に設置する太陽光発電の面積は同じ比率では増やせない。そのため高層の集合住宅になるほど太陽光発電による一次エネルギー消費量の削減が難しくなる(画像提供/経済産業省)

「集合住宅の場合、創エネルギーで全住戸の消費エネルギーをまかなうことが高層になるほど難しくなります」と資源エネルギー庁の鈴木さん。

とはいえ、外皮性能がZEH基準なら光熱費を削減しやすくなるし、一年中快適かつ安全に暮らしやすくなる。また、全住戸は無理だとしても、太陽光発電の電気を一部の住戸に分配することは可能だ。「集合住宅の場合、住棟単位のZEH-Mとしての評価に加えて、ZEHとして住戸単位で評価することも可能であり、分譲マンションの販売主や賃貸住宅のオーナーの方々にとっては、一部の住戸のみ一次エネルギー消費量を100%以上削減した『ZEH』として資産価値を差別化して販売や賃貸することも可能になっています」

高層の集合住宅における技術的課題については、太陽電池の発電換率の向上や、最近話題になっているフィルム状の太陽電池を壁面に設置するという方法により解消していくことが考えられるが、いずれもこれからの技術開発が待たれる分野だ。

集合住宅のZEH化は、入居者にどんなメリットがあるのか?

ではZEH-Mにすることで、分譲マンションの購入者や賃貸住宅の入居者にとってどんなメリットをもたらすのか。既にあるZEH-Mの中から、積水ハウスが手がけた賃貸住宅「シャーメゾンZEH」を例に見てみよう。

(写真提供/積水ハウス)

(写真提供/積水ハウス)

(写真提供/積水ハウス)

(写真提供/積水ハウス)

2020年度のシャーメゾンZEHの年間受注戸数は2976戸を記録した。これは「2022年までに年間受注数2500戸を達成」という同社の目標を2年前倒しでクリアしたことになる。それだけ賃貸住宅のオーナーからZEH-Mの注目度が高いといえるだろう。なお累計では2021年1月時点で3500戸を突破している。

上記の通りZEH-Mには「ZEH-M「Nearly ZEH-M」「ZEH-M Ready」「ZEH-M Oriented」があるが、シャーメゾンZEHはZEH-M Ready以上、つまり太陽光発電等で一次エネルギーの使用量を50%以上削減できる賃貸住宅となる。

積水ハウスの賃貸住宅「シャーメゾン」ZEH仕様の埼玉県さいたま市の実例。屋根に太陽光発電パネルが搭載されている以外、ZEHのために特殊な形にしているというわけではない(写真提供/積水ハウス)

積水ハウスの賃貸住宅「シャーメゾン」ZEH仕様の埼玉県さいたま市の実例。屋根に太陽光発電パネルが搭載されている以外、ZEHのために特殊な形にしているというわけではない(写真提供/積水ハウス)

住戸の断熱性能を高めるため、窓は全て高断熱窓が採用されている(写真提供/積水ハウス)

住戸の断熱性能を高めるため、窓は全て高断熱窓が採用されている(写真提供/積水ハウス)

各住戸には現在のエネルギー状況が一目でわかるHEMS(ヘムス※ホーム・エネルギー・マネジメント・システム)の端末が置かれている(写真提供/積水ハウス)

各住戸には現在のエネルギー状況が一目でわかるHEMS(ヘムス※ホーム・エネルギー・マネジメント・システム)の端末が置かれている(写真提供/積水ハウス)

同社が入居者に向けたアンケート結果によると、入居後の満足の理由に「光熱費が安くなるから」「太陽光発電があるから」「断熱性能が高いから」が上位にランクインした(下記表参照)。

積水ハウスが行ったシャーメゾンZEHの入居者アンケートより。入居前から大きくランクを、つまり満足度を上げたのはいずれもZEH由来のメリットであることがわかる(資料提供:積水ハウス)

積水ハウスが行ったシャーメゾンZEHの入居者アンケートより。入居前から大きくランクを、つまり満足度を上げたのはいずれもZEH由来のメリットであることがわかる(資料提供:積水ハウス)

いずれも入居前には入居者にとってあまり重要視されていなかったZEH-M化のメリットが、リアルな体験を通して満足度の順位をグンと上げたことになる。

確かに「あれ、今月の光熱費ってこれだけ?」とか「エアコンを切って寝ても朝まで暑くない(寒くない)」など快適な暮らしを体感したからこそ、満足度が高まったのだろう。ちなみに同社の調べでは、年間光熱費が約4割も削減できるという(下記グラフ参照)。

積水ハウスが試算した年間光熱費の比較。約4割の削減はかなり大きいと言えるだろう(資料提供:積水ハウス)

積水ハウスが試算した年間光熱費の比較。約4割の削減はかなり大きいと言えるだろう(資料提供:積水ハウス)

入居者の満足が上がることは、賃貸住宅のオーナーにとってもメリットがある。満足度が高ければ、それだけ長期入居が見込めるため、家賃収入の安定化が図れるからだ。またこれらの高付加価値があれば、周囲より高い家賃設定も可能になる。ZEH-Mの事例が増えるほど、ますます賃貸住宅オーナーからの注目が高まり、普及につながりそうだ。

ZEHの普及についてはまだまだこれから。その課題は?

では今後はどのようにZEHの普及が進んで行くのだろう。

国は、2014年の「エネルギー基本計画」において、「住宅については、2020 年までにハウスメーカー等が新築する注文戸建住宅の半数以上でZEHの実現を目指す」と掲げていた。

「『エネルギー基本計画』における『2020 年までにハウスメーカー等が新築する注文住宅の半数以上でZEH』というのは、数値目標としては新築一戸建ての50%をZEHにすることでした。その進捗ですが、2019年時点で見ると、大手住宅メーカーに限れば約50%ですが、全体ではまだ約20%と、達成とはいえない状況です」と資源エネルギー庁の鈴木さん。

ZEHロードマップフォローアップ委員会が令和3年3月31日に発表した資料より。一般工務店によるZEHがなかなか進んでいないことを示している(画像提供/経済産業省)

ZEHロードマップフォローアップ委員会が令和3年3月31日に発表した資料より。一般工務店によるZEHがなかなか進んでいないことを示している(画像提供/経済産業省)

「こうした状況を踏まえ、昨年8月に国土交通省、経済産業省、環境省の3省合同で開催した『脱炭素社会に向けた住宅・建築物の省エネ対策等のあり方・進め方検討会』で検討が行われ、2030年に目指すべき住宅の姿が定められました」

まず省エネルギーについては「新築される住宅についてはZEH基準の水準の省エネルギー性能」を目指すとされた。一方の再生可能エネルギーについては「新築戸建住宅の6割において太陽光発電設備が導入されること」を目指すとしている。ZEH-Mで説明したように、集合住宅については、現状では太陽光発電の技術開発を待たなければならないということのようだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

これらの目標に対し、既にロードマップもつくられ、ZEH化の促進が図られているが、その際のポイントの一つは、「ZEHの周知」だという。ZEHやZEH-Mの認知度、認識がまだまだ不足しているのが実情だ。施主に求められなければ建てる側も建てようがない。

最後に資源エネルギー庁の鈴木さんは、「まずはZEH・ZEH-Mについて多くの人に知ってもらうことが重要だと考えています。そのためには光熱費の削減といった経済的メリットだけではなく、ZEH・ZEH-Mが快適に暮らせること、安心安全に過ごせること、災害による停電時でも自宅で過ごせるメリットを伝えていくことが大切です」と強調した。

世界的な脱炭素社会への潮流の中、昨年政府から「2050年カーボンニュートラル」が宣言され、その中で2030年代半ばまでに、新車販売で電動車100%を実現するとした。また東京都では新築住宅への太陽光発電の設置義務付けが検討されるという。ほかにも省エネ性能をさらに高めた家電の開発や、太陽光発電以外の再生可能エネルギーの検討など、さまざまな動きが今後もあると思われるが、大事なのは脱炭素社会になることで私たちがどんなメリットを享受できるのか、ということを改めて理解することではないだろうか。

電気自動車に乗ったり、太陽光発電を住宅に載せたりすることが私たちの「メリット」ではない。脱炭素化によって光熱費が抑えられ、暮らしが快適に、安心安全になり、それが地球温暖化の防止につながっていくということが「メリット」であるはずだ。そのメリットを手に入れるにはどんな住宅に暮らせばかなうのか。それを今一度問いなおしてみてほしい。今なら望みさえすれば、すぐに手に入るメリットなのだから。

●取材協力
経済産業省
積水ハウス

徳島県神山町で最先端の田舎暮らし!子育て世代が主役の「大埜地の集合住宅」

徳島県徳島市から車で約40分。豊かな自然に囲まれた神山町は、アーティストが滞在し創作活動を行う「神山アーティスト・イン・レジデンス」や、”地産地食”を合い言葉に農業を育てる「フードハブ・プロジェクト」、また企業のサテライトオフィス誘致の成功など、先進的な取り組みで「奇跡の田舎」と呼ばれる。そんな神山町に、町内外から子育て世代が移り住むための住宅「大埜地(おのじ)の集合住宅」が誕生した。環境や地域産業にも寄与できるという最先端の技術を取り入れた住まいの今を探ってみた。

子育て世代が集える町営住宅を目指して山々に囲まれ清流・鮎喰川が町の中心を流れる神山町。写真中央にあるのが大埜地の集合住宅(写真提供/神山町)

山々に囲まれ清流・鮎喰川が町の中心を流れる神山町。写真中央にあるのが大埜地の集合住宅(写真提供/神山町)

大埜地の集合住宅がある大埜地地区は、神山町役場から徒歩約15分。小学校と中学校も徒歩圏内にあり、子育て世代が生活するには便利な文教エリアだ。ここにはかつて町内の遠方から中学校へ通う学生のための寄宿舎「青雲寮」があった。しかし少子化のあおりを受け2005年に閉寮。その場所の活用方法が長年議論されていた。

大埜地の集合住宅がある場所にあったかつての青雲寮(写真提供/神山町)

大埜地の集合住宅がある場所にあったかつての青雲寮(写真提供/神山町)

一方で町内に企業のサテライトオフィスの開設や東日本大震災の影響、加えてNPO法人グリーンバレーが運営する移住交流支援センターによる支援により、移住者が増えつつあった神山町にとって、住居の確保やその情報提供は手薄な状態だった。町内には不動産会社もなく、空き家となった古民家を紹介するとなっても、移住交流支援センターの取り組みだけでは、住みたいと思う人たちの希望に全て沿えるわけではない。家を建てる土地や借家を見つけるには困難が伴っていた。

また、既に町内の各所に住んでいる子育て世代にとっても、広い町域にゆえに、近所に同世代の子どもが少なく、普段の生活の中で互いに遊び、触れ合うことで、成長や学びに繋がる機会が損なわれつつあった。子育て世代が近所で暮らすことは、子どもだけでなく親同士が支え合えるメリットもある。

そんな状況を打開する方策のひとつとして浮かび上がってきたのが、新たな集合住宅の建設。そこで白羽の矢が立ったのが大埜地地区の青雲寮跡だった。

住居と駐車場が隔離された歩車分離の敷地では、子どもたちも安心して遊ぶことができる(写真提供/神山町)

住居と駐車場が隔離された歩車分離の敷地では、子どもたちも安心して遊ぶことができる(写真提供/神山町)

快適な住環境が地域に貢献する家づくり

2015年、入居者のための「大埜地住宅」と、広場や文化施設がある「鮎喰川コモン」からなる拠点づくりが決定。翌年から2021年までをめどに、工期を4期に分け、少しずつ開発を進めてきた。大埜地住宅は全20戸、子育て世代のための住宅18戸と単身者用シェアユニット2戸で構成。鮎喰川コモンは多世代の人が交流できる施設だ。

鮎喰川沿いに広がる大埜地住宅。住宅の周囲には神山町産の樹木が植栽されている(画像提供/神山町)

鮎喰川沿いに広がる大埜地住宅。住宅の周囲には神山町産の樹木が植栽されている(画像提供/神山町)

建築を担ったのは大工など町内のつくり手たち。工事が長期間に及んだのは、大工が小規模ゆえに、一度に大規模な工事はできないのもあった。その反面、この工事をきっかけに、担い手不足に悩まされていた町内の建築業に新陳代謝が起こり、若手大工の活躍の場が広がっていった。

住宅の建材には町内産の木材を使用。さらに給湯や暖房などの暮らしに必要なエネルギーとして、製材所から出るおがくずなどを原料にした木質ペレットを燃料とした、木質バイオマスボイラーを採用。ボイラーが設置されたエネルギー棟から各戸へ熱を送る。町内の森林資源を利用することで、経済を回し、間伐による健全な森づくりにも寄与できる。

また、冬は屋根で温めた空気で補助暖房。夏は夜間の冷気を取り込む仕組みを設置。これらの先端技術だけでなく、窓の位置や形状などの設計上での工夫も凝らし、エアコンやストーブなどに頼り切らない、快適な住環境を実現した。木質バイオマスボイラーを使用することで、毎月平均1万円の「熱料金」が発生するものの、ガスや電気を利用した一般住宅の光熱費より財布に優しい試算結果も出ている。

家族・夫婦用ユニットのメゾネットタイプとバリアフリー対応のフラットタイプ、そして単身用ユニットの3戸で一棟になっている集合住宅。2戸1タイプもある(写真撮影/生津 勝隆)

家族・夫婦用ユニットのメゾネットタイプとバリアフリー対応のフラットタイプ、そして単身用ユニットの3戸で一棟になっている集合住宅。2戸1タイプもある(写真撮影/生津 勝隆)

南向きのリビングダイニング。川沿いの涼しい風を取り入れる設計になっている。コンクリートタイル仕立ての床は、冬の昼間は太陽の熱を蓄熱。さらに温水式床下暖房で室内全体を温める(写真撮影/生津 勝隆)

南向きのリビングダイニング。川沿いの涼しい風を取り入れる設計になっている。コンクリートタイル仕立ての床は、冬の昼間は太陽の熱を蓄熱。さらに温水式床下暖房で室内全体を温める(写真撮影/生津 勝隆)

メゾネットタイプの2階の室内。室内の壁は調湿性能のある珪藻土や、健康に配慮した自然由来の塗装剤で仕上げている(写真撮影/生津 勝隆)

メゾネットタイプの2階の室内。室内の壁は調湿性能のある珪藻土や、健康に配慮した自然由来の塗装剤で仕上げている(写真撮影/生津 勝隆)

メゾネットタイプの間取り。1階は北にある玄関から南のダイニングまで、土間が段差なく続く。2階は子どもの成長に合わせて仕切りを設けることも可能(画像提供/神山町)

メゾネットタイプの間取り。1階は北にある玄関から南のダイニングまで、土間が段差なく続く。2階は子どもの成長に合わせて仕切りを設けることも可能(画像提供/神山町)

敷地内にあるエネルギー棟。木質バイオマスボイラーを使って、ここから各戸へ熱を供給する(写真撮影/生津 勝隆)

敷地内にあるエネルギー棟。木質バイオマスボイラーを使って、ここから各戸へ熱を供給する(写真撮影/生津 勝隆)

アフターコロナで期待される交流の活性化

2021年春、無事竣工を迎えた大埜地住宅は現在満室。入居者の数は総勢67人となり、約80人だった大埜地地区の本来の人口からほぼ倍増したわけだ。入居者は、町内出身者のUターン、町外からのIターン、あるいは町内からの引越しと顔ぶれはさまざま。仮に「都市部からの引越し」を「移住者」と定義するなら、移住者の割合が多い。

徳島市内への通勤者もいるが、リモート勤務も含め、入居者の大半が町内で働く。出身地は異なれど、同じ子育て世代で、普段から親同士、あるいは子ども同士の交流も活発だ。LINEグループでの情報交換、また月に一度の自治会の例会では、周辺の草刈りや敷地内での交通安全などの議題を話し合う。都市部からの移住者にとってこの交流は、新鮮であり、安心できる要素のようだ。

入居者の中には、もともと神山町出身者もいるため、近くに住む祖父母が孫を訪ね大埜地住宅に足を運ぶことも多い。現在はコロナ禍の影響もあり、なかなか地元との交流の場が設けられることがないものの、コロナ収束後は地域の祭りなど通じて、多世代の人たちとの交流の機会を設けていく。

これらの交流を通して、町民はもとより町外の人にも、地元の資源を使った家づくりの大切さや新しい木造住宅の素晴らしさを再認識してもらう狙いもあるようだ。

「地域の植生を活かしながら、楽しい原っぱを育ててゆくこと」を目標に、入居者や鮎喰川コモンの利用者である町内外の人たちと行う除草作業も大切な交流のひとつ(写真提供/神山町)

「地域の植生を活かしながら、楽しい原っぱを育ててゆくこと」を目標に、入居者や鮎喰川コモンの利用者である町内外の人たちと行う除草作業も大切な交流のひとつ(写真提供/神山町)

住み継ぐことで次世代が担っていくまちの将来像

順風満帆でスタートを切った大埜地住宅は、これからどのようにして維持・運用していくかがポイントとなってくる。主な入居条件が、50歳以下で高校生以下の子どもがいる家族、または今後子どもが生まれる可能性のある夫妻となっているため、子どもが高校を卒業し進学等で家を出ると、親も退去し新たな住まいを探す必要がある。

海外ではライフスタイルに合わせて、その都度家を住み替えていくことが一般的だが、日本人は親から引き継いだ家や自分が買った家を住み替えずに守っていくという思考の人が多く、大きな家に一人で高齢者が暮らすことも多い。そのため昨今問題が表面化してきているのが、同世代が一斉に入居し、その何十年後に高齢夫妻だけが残された「ニュータウンの限界集落化」だ。

神山町は大埜地住宅を軸にした「住み替え文化」の形成を目指す。課題は大埜地住宅を退去した親世代の生活に適した住居の確保だ。幸いにしてまだ時間が残されているため、現在は既存の町民を対象に空き家相談会など実施して、課題解決に向け取り組んでいる。

また、東京の工学院大学と提携し、大埜地住宅の各住居に内外の気温差、消費電力、換気状況などがモニタリングできるシステムを設置予定。木質バイオマスボイラーや環境に配慮した構造がどのような効果を上げているかをデータとして積み重ね、国内でも数少ない設備を持つ最新鋭の住宅を検証し、さらに快適な住環境の整備へと繋げていく。

自然豊かで快適な住環境を備えた大埜地住宅に、また新たな世代が入居し、親となり、その後も神山町に住み継いでいく……。そんな理想的なまちの姿が数十年後に見えてくるかもしれない。

●取材協力
神山町

入居者DIYでアトリエや花屋に! 築古賃貸なのに大人気の「ニレノキハウス」がすごかった

築古の賃貸物件が年々増える中、住み手によるリノベーションが可能な「DIY賃貸」が注目を集めている。しかし、中には退去時の「原状回復」を必須としており、そのメリットが活かされていないケースも多い。
そんな中、「原状回復不要」で住み継がれてきたDIY賃貸の草分け的存在が熊本県熊本市の「ニレノキハウス」だ。オーナーの末次宏成さんと2組の入居者へ、ニレノキハウスの成り立ちと、実際の暮らしについて話を聞いた。

築古マンションに付加価値を

末次さんが元オーナーである両親から3階建・11戸の賃貸マンションを引き継いだのは2011年のこと。
決して条件が良いとは言えないエリアにあり、当時で築27年と古く、全室空室状態だった。そこで末次さんは、従来のような賃貸募集ではなく、入居者が主役になれるような自由に建物をカスタマイズできる賃貸を目指した。
当時は「リノベーション」という言葉もまだ珍しい時代だったが、反響は大きく、オープンハウスには2日間で200名以上が来場。すぐに満室となり、現在に至るまでほぼ満室状態が続いている。
結果的に、リノベーションを通じて入居者・不動産会社・オーナーの親密なつながりが生まれ、ニレノキハウスならではのコミュニティが育ったのだ。

「ニレノキハウス」オーナー、末次デザイン研究所 代表 末次宏成さん。 九州大学職員として都市建築デザイン、まちづくりについて研究。その後地元熊本へUターン、家業の傍ら、空き家再生やリノベーション事業に積極的に取り組む(写真撮影/野田幸一)

「ニレノキハウス」オーナー、末次デザイン研究所 代表 末次宏成さん。
九州大学職員として都市建築デザイン、まちづくりについて研究。その後地元熊本へUターン、家業の傍ら、空き家再生やリノベーション事業に積極的に取り組む(写真撮影/野田幸一)

学生へ、リアルな現場を「教材」として提供

ニレノキハウスのユニークな点はもうひとつある。大学との連携だ。全11戸のうち1戸は熊本大学・熊本デザイン専門学校・九州大学と連携し、学生たちが設計~施工までを行った。階段など共用部の壁画も学生の手によるものだ。

共用部の壁画。黒板部分は住民がメモやイラストなどを描き込んでおり味わいがある(写真撮影/野田幸一)

共用部の壁画。黒板部分は住民がメモやイラストなどを描き込んでおり味わいがある(写真撮影/野田幸一)

大学職員として、もともと産学連携の仕事にも携わってきた末次さん。自身も都市建築デザインやまちづくりを経験してきたことから、「建築を学ぶ学生がリアルな現場を体感できることで、良い教材になる」と感じており、大学との連携が実現した。
学生たちが手掛けた1室もすぐに入居者が決まり、6年にわたり最初の入居者が暮らしていた。その後6年ぶりに空室になると、再び熊本大学の学生たちがリノベーションを実施。現在は次の入居者が暮らしている。

101号室で行われた設計検討の様子(2012年当時)(写真提供/熊本大学大学院先端科学研究部 教授 田中智之さん)

101号室で行われた設計検討の様子(2012年当時)(写真提供/熊本大学大学院先端科学研究部 教授 田中智之さん)

リノベーション作業の様子(写真提供/末次さん)

リノベーション作業の様子(写真提供/末次さん)

学生たちが設計・施工した101号室。「家の中に小さな家と街路をつくる」ことをイメージし、「離れ」のような3つの空間を土間の回廊でゆるやかにつないだ(写真提供/末次さん)

学生たちが設計・施工した101号室。「家の中に小さな家と街路をつくる」ことをイメージし、「離れ」のような3つの空間を土間の回廊でゆるやかにつないだ(写真提供/末次さん)

アトリエ兼住居として活用。入居者同士の交流も魅力

ここで、ニレノキハウスに入居している2組の暮らしを見せてもらった。

園田さんご家族は、2012年のリニューアル当初からニレノキハウスに暮らし続けている。夫妻で花屋を経営しており、1階角部屋・土間付きの約70平米をアトリエ兼住居として使用している。

お話を伺った園田あずささん(写真撮影/野田幸一)

お話を伺った園田あずささん(写真撮影/野田幸一)

以前は店舗での販売を中心に経営していたが、SNSが普及したこともあり、マルシェや注文販売、教室運営をベースに切り替えようと考え、移転先を検討していたところだった。

そんなときに、知人からニレノキハウスの話を聞き、オープンハウスで見た部屋に、一目ぼれしてしまったという。
「当時は『部屋』というより、最低限のリノベーションを施した『箱』という状態でしたが、ショップで使用していた什器や家具類がぴったりはまるイメージを持てました。オーナーの末次さんと会話し、花屋として使用することも歓迎してもらえましたし、幸い子どもの学校区も変えなくてよいエリアだったこともあり、こんな場所は他にない、と即決でした」(園田さん)

花の受け渡しや教室などで人の出入りもある。周囲の理解がなければできないことで、一般的なアパート等だとやはり他の住民に迷惑をかけてしまうだろう、と考えていた園田さん。
「ニレノキハウスはDIYだけでなく、店舗や事務所との併用も歓迎されています。入居者もその方針に共感する方々でしょうから、そんな物件なら安心できる、と思いました」(園田さん)

作業や花の受け渡し、レッスンなどを行うアトリエ。什器類は以前のショップ時代から利用しているもの(写真撮影/野田幸一)

作業や花の受け渡し、レッスンなどを行うアトリエ。什器類は以前のショップ時代から利用しているもの(写真撮影/野田幸一)

入居後は3LDKだった間取りを土間+1ルームにリノベーション。寝室やダイニングスペースはカーテンでゆるく仕切って使用している。アトリエスペースと住居スペースを仕切る扉や玄関扉、外壁もオーナーに許可を得た上でリノベーションを行った。DIYも可能だったが、園田さんの場合は、ショップ時代から付き合いのある大工さんに全て依頼したそうだ。

住居スペース。リビングには、ボクシングに打ち込む息子用に、以前はサンドバックを吊り下げていたそう(写真撮影/野田幸一)

住居スペース。リビングには、ボクシングに打ち込む息子用に、以前はサンドバックを吊り下げていたそう(写真撮影/野田幸一)

玄関扉(写真撮影/野田幸一)

玄関扉(写真撮影/野田幸一)

外壁。アトリエの内装と統一されたトーンに(写真撮影/野田幸一)

外壁。アトリエの内装と統一されたトーンに(写真撮影/野田幸一)

入居者同士の交流も魅力、と語る園田さん。
「昨年はコロナの影響でできませんでしたが、例年、屋外の共有スペースを使ってバーベキューなども行っています。手づくりのチラシで呼びかけて、好きな時間に来て好きな時間に帰る気楽な会です。差し入れだけ持ってきてくれるような方もいますね」(園田さん)

コロナの影響で、園田さんの花屋が他所で出店予定だったイベントが急遽中止になった際には、オーナー末次さんに相談の上、この屋外共有スペースでマルシェを開いたことも。同じイベントに出店予定だったカレー屋やパン屋も招き、行列ができたそうだ。
「入居者の皆さんもご自身の駐車場スペースを貸してくれたり、遊びに来てくれたり、何かと協力してくださり本当にありがたかったです。こうしたイベントのとき以外でも、お花を注文してくれることもありますし、既に退去された方とも交流が続いています」(園田さん)

2021年5月に実施されたマルシェの様子(写真提供/末次さん)

2021年5月に実施されたマルシェの様子(写真提供/末次さん)

部屋の見学に来た方が園田さんのアトリエを訪ね、住み心地や入居者コミュニティについて話を聞いていくこともあるそうだ。リニューアル当初はオーナー主催で実施することが多かったイベントも、今は入居者が企画することが中心になっている。

アトリエ中央のテーブルと、住居スペースのダイニングテーブルはショップ時代に使用していた1枚板のテーブルを分割したものだそう(写真撮影/野田幸一)

アトリエ中央のテーブルと、住居スペースのダイニングテーブルはショップ時代に使用していた1枚板のテーブルを分割したものだそう(写真撮影/野田幸一)

念願の「制作に没頭できる空間」を実現

2組目は、2021年2月に入居したばかりのHさんご家族。Hさん一家は、もともと長く東京で暮らしていた。

「コロナ禍で外に出ることも難しくなり、なぜ東京にいるのだろうという気持ちになりました。だったら、地元である熊本に戻って、陶芸の制作に打ち込みたいと思うようになりました」(Hさん)

美大の出身で、デザインに関わる仕事を続けてきたHさん。移住を機に制作に集中できる空間が欲しい、と考えるようになったそう。 

お話を伺ったHさん(左)とそのご家族(写真撮影/野田幸一)

お話を伺ったHさん(左)とそのご家族(写真撮影/野田幸一)

当初は熊本県内でも阿蘇など自然豊かなエリアで中古戸建てのリノベーションを検討していたものの、なかなか条件に合う物件が見つからず、気候の厳しさにも不安が生まれた。そんなときに、ニレノキハウスの存在を知ったという。
「面白そうな物件があるなと。実際に部屋を見に行ってみて、ここしかない!と思いました。陶芸窯を設置しても良いかとダメ元で相談してみたら、『良いよ』と。オーナーも陶芸をされるということで意気投合して、トントン拍子に入居が決まりました」

陶芸用のアトリエと道具類の置かれた土間。陶芸窯も設置し、日々制作に没頭しているそう(写真撮影/野田幸一)

陶芸用のアトリエと道具類の置かれた土間。陶芸窯も設置し、日々制作に没頭しているそう(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

音や振動などでご迷惑をおかけすることもあるだろう、と入居直後に全入居者のところへ挨拶に行ったというHさん。その後の交流も続いているそう。
「みなさんとても良い方ですし、デザイナーさんなど創作に関心がある方も多く、理解があると感じます」

現在は土間+陶芸用の作業スペースと、1ルームをダイニング・リビング・寝室とゆるやかに区切った居住空間として使用している。寝室と陶芸用スペースの床張り、アトリエの棚、壁面の塗装などは1カ月強をかけてDIY。愛着ある住まいへと仕上げていった。
「今後は自分で焼いたタイルを壁面に貼ったりもしたいですね」と語るHさん。さらに素敵な部屋へと進化していきそうだ。

住居スペース。寝室の床は桜の木を自ら貼った。「徐々に色がなじんでいくのも楽しみ」とHさん(写真撮影/野田幸一)

住居スペース。寝室の床は桜の木を自ら張った。「徐々に色がなじんでいくのも楽しみ」とHさん(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

「賃貸でも自由度を上げる」選択が、価値向上につながった

似た間取りをベースにしながらも、暮らす人によって、それぞれ全く違う個性が発揮されているニレノキハウス。リニューアル以降、実は家賃が上がっている。入居者自身のリノベーションによって価値が上がっており、仲介をしている不動産会社の担当者より、値上げが妥当と提案があった。末次さん自身も、「立ち上げた当初、そこまでは予想していなかった」と語る。
賃貸物件に自由度を与えた結果、9年目の今、不動産としての価値が上がっている。

もちろん、うまくいくことばかりではなかったという。
「住んでいた方の好みやDIYの力量で、次の方に入ってもらうのが難しそうなときもあります。そうした場合には、空室になったタイミングに私が手を入れることもあります」(末次さん)

入居者は20~30代、特に30代前半の夫妻やカップルが多いそう。やはりリノベーションに興味があり、自分でカスタマイズをしたい、という人が多いが、希望するリノベーション内容はさまざま。ほんの少しの人もいれば、間取りから変えたいという人もいる。そうした希望に合った部屋を紹介するため、そして「ニレノキハウス」という場で気持ちよく暮らしていける人か判断するため、入居前に必ず面談を行っている。

駐車場は2-3台分を「誰でも使えるスペース」にしていて、来客用駐車場や、DIYの作業、先述のバーベキューなどのイベントなどに使える。こうした「余白」をつくっているのもコミュニティづくりのポイント(写真撮影/野田幸一)

駐車場は2-3台分を「誰でも使えるスペース」にしていて、来客用駐車場や、DIYの作業、先述のバーベキューなどのイベントなどに使える。こうした「余白」をつくっているのもコミュニティづくりのポイント(写真撮影/野田幸一)

今後の展望について、末次さんはこう語る。
「9年経ち、コミュニティを含めて良いマンションに育ってきたと感じています。
コロナの影響もあり、働き方、ライフワークバランスのあり方などが変わってきたなかで、ニレノキハウスは新しい働き方・暮らし方にマッチする住まいでもあると考えています。
オープン当初から、オフィス兼住宅、店舗兼住宅といった使われ方がされてきましたし、今後、熊本でもそうしたSOHO的な場所、ライフスタイルに合わせてカスタマイズできる場所のニーズは増えていくのではないでしょうか」

賃貸集合住宅の、新しい可能性

ライフスタイルに合わせてカスタマイズできる住まい、一定の共通項を持つ人たちが集まる集合住宅。それはとても魅力的に思えた。
“新築”“築浅”が好まれ、それらの価値が高いとされる傾向にある日本において、築年数を経た物件が、住み継ぐ人の手によって価値を上げていく。「ご近所付き合いが希薄になりやすい」とされる賃貸集合住宅においても、共通項を持つ人々が住民となることで、ゆるやかなコミュニティが育まれていく。「ニレノキハウス」は、賃貸住宅の新しい可能性を示唆してくれているように思う。

●取材協力
ニレノキハウス
末次デザイン研究所「空き家再生スミツグプロジェクト」
ひご.スマイル株式会社

転倒必至な床で「生きる!」を実感。賃貸物件『三鷹天命反転住宅』の暮らし

凸凹の床に傾斜した天井。球状の部屋があれば、まっすぐ立てない洗面所もある。一般的な住まいとはどこもかしこも違うが、れっきとした住居であり、芸術作品でもあるのが、ここ「三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー」(東京都三鷹市)だ。なぜ、このようなつくりなのだろう? 入居者はどんな暮らしをしているのだろうか?
足で踏み、手で触れ、音を聴く。感覚も身体も、楽しめる空間

「カラフル」という形容詞以上の言葉を探してしまうほど、色使いが目を引く建物。色だけではなく造形も独特で、円と角を組み合わせて積み上げた形に、一体、中はどうなっているのだろうかと好奇心が掻き立てられる。幹線道路に面していて、道ゆく人は二度見ならぬ三度見もするし、駅から歩いてくれば、かなり遠くからでもその存在が目に入るだろう。「三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー(以下 三鷹天命反転住宅)」は、それくらい印象的な外観だ。

円と角が重なった外観。色使いはもちろん、窓の組み合わせからも楽しい雰囲気が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

円と角が重なった外観。色使いはもちろん、窓の組み合わせからも楽しい雰囲気が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

竣工は2005年。芸術家/建築家の荒川修作+マドリン・ギンズによって設計された。2人が手がけた作品は国内は岐阜県(『養老天命反転地』)と岡山県(『「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫』)にも存在するが、ここが他と異なるのは「住居である」ということ。鑑賞や体感を目的とした作品とは違い、住まいとして使うことを考えられて設計された9戸の集合住宅なのだ。うち5戸は実際に賃貸であり、2戸は見学用や別の用途に使われているという。

共用部の廊下を歩いていくと、外部の配管や手すりまでこだわって色がつけられていることが分かる(写真撮影/相馬ミナ)

共用部の廊下を歩いていくと、外部の配管や手すりまでこだわって色がつけられていることが分かる(写真撮影/相馬ミナ)

外観や内装に使われているのは14色。
「よく色の意味について聞かれるのですが、例えば『窓枠にはこの色』というような単色には特別な意味がありません。どこから見ても一度に6色以上が視界に入るように計算されているので、視覚が色そのものを単体としてでなく、“環境”として認識するんです。身の回りの自然の風景を思い浮かべてほしいのですが、そこにはたくさんの色が使われていますよね。それと同じことなんです」と、支配人の松田剛佳さんが教えてくれる。

部屋は2LDKと3LDKがあり、3LDKの部屋の奥は和室。円形の畳が見える。左にははしごが備え付けられていて、どう使うかは住民次第。本棚にする人もいれば、棚の脚として活用する人も(写真撮影/相馬ミナ)

部屋は2LDKと3LDKがあり、3LDKの部屋の奥は和室。円形の畳が見える。左にははしごが備え付けられていて、どう使うかは住民次第。本棚にする人もいれば、棚の脚として活用する人も(写真撮影/相馬ミナ)

3LDKの間取図(画像提供/三鷹天命反転住宅)

3LDKの間取図(画像提供/三鷹天命反転住宅)

目を凝らし、視線を動かさないようにして色を数えてみれば、確かに9色認識できた。無秩序のように見えて、実は計算され尽くされていて、荒川+ギンズが考え出した仕掛けに、無意識のうちに影響されていることが分かってきた。見学用の部屋に入ると、その仕掛けの多さに圧倒されてしまう。

メインの床は凸凹になっていて、足裏をほどよく刺激する。あえて山を踏んだり、谷間を縫うように歩いたり(写真撮影/相馬ミナ)

メインの床は凸凹になっていて、足裏をほどよく刺激する。あえて山を踏んだり、谷間を縫うように歩いたり(写真撮影/相馬ミナ)

室内の中心にあるリビング部分はどこにも平らな場所がない。ざらりとしたコンクリートでランダムに凸凹(でこぼこ)がある。土踏まずをほどよく刺激される時もあれば、思わぬ出っ張りに足を取られることもある。中央には一段低くなったキッチンがあり、その周りを囲むように球状の部屋や、丸い畳と砂利が敷かれた和室が配され、どこも当たり前のようにカラフルだ。カプセル型のシャワーの手前には洗面台があり、「試しに顔を洗う動作をしてみてください」と松田さんに言われてやってみると、かなり踏ん張らなければならない。床が傾いていて、屈む姿勢を保つのが難しいのだ。見上げると天井にはたくさんのフックがついていて、ハンモックがかかっていたり、バーが吊るされていたりする。収納はこれで増やせばいいということだろう。

天井にはたくさんのフックが。長いS字フックをかければ簡易的な収納になる。ワイヤーで棚板を吊るすこともできれば、ブランコを設置することもできる(写真撮影/相馬ミナ)

天井にはたくさんのフックが。長いS字フックをかければ簡易的な収納になる。ワイヤーで棚板を吊るすこともできれば、ブランコを設置することもできる(写真撮影/相馬ミナ)

あちこち歩きながら細部の楽しさに夢中になっていると、「床に高低差があるのは気がつくと思うのですが、じつは天井も傾斜しているんです」と松田さんが教えてくれる。床が傾いているのは、歩き回ると実感できることだが、天井までとは分からなかった。実際、住民の中には、気がつかずに数年間過ごしていた人もいるという。

球状の部屋からの眺め。ここの中心で声を出すと、全方位からの不思議な響き方を体感できる(写真撮影/相馬ミナ)

球状の部屋からの眺め。ここの中心で声を出すと、全方位からの不思議な響き方を体感できる(写真撮影/相馬ミナ)

この空間に身を置いていると、なんとも不思議な気持ちになってくる。今、自分はどこにいるのか、ここはなんという場所なのか。そもそも、自分が思っていた「住まい」とは何だったのだろう。その疑問を見透かしたように松田さんが答えてくれる。「『押し入れはどこですか?』『どこで寝るのですか?』と聞かれることも多いです。どこに収納スペースをつくってもいいし、どこで寝てもいい。実際に球状の部屋で寝ていた人もいらっしゃるし、この凸凹の床が涼しくていいと教えてくれた方もいました。みなさまの自由な発想でお住まいいただきたいです」

室内のインターホンはあえて斜めに。どう映るかはあえて現場で確かめてみてほしい(写真撮影/相馬ミナ)

室内のインターホンはあえて斜めに。どう映るかはあえて現場で確かめてみてほしい(写真撮影/相馬ミナ)

「部屋は四角いもの」という既成概念は見事に打ち砕かれている。さらに凸凹の床を歩いているうちに、その感覚がクセになっているし、球状の部屋で聴く自分の声の響きに心地よくなってくる。身体がこの空間を楽しみ、おもしろがっているのだろう。

DIYを繰り返し、進化し続ける住まいと暮らし

実際に、ここでの暮らしを見せてもらうことになり、住民である岡本さんのお宅へお邪魔した。入った瞬間、見学用の部屋との違いに驚かされた。凸凹の床のはずが、そこにきちんと棚が置かれて収納場所になっているし、キッチンには天井から天板が吊るされ、グリーンや雑貨があってなんとも楽しい。球状の部屋はベッドが置かれ、居心地の良さそうな寝室に。他の部屋にもぴったりのサイズの棚や机があり、集中できそうな空間になっている。

岡本さん宅では、凸凹の床でも過ごしやすいようマットレスを自作。スピーカーやミラーボールが吊るされ、この空間を存分に楽しんでいる様子が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

岡本さん宅では、凸凹の床でも過ごしやすいようマットレスを自作。スピーカーやミラーボールが吊るされ、この空間を存分に楽しんでいる様子が伝わってくる(写真撮影/相馬ミナ)

そもそも、なぜ岡本さんはこの物件を選んだのだろう?
「東京だからこそ住める場所に、と思ったんです。こんな空間、他にはありませんよね。実際に住んでいる方に話を聞いていたこともあって、意外と住むのは大丈夫そうだなと思っていました」と笑う。

もともと備え付けられているはしごを活用して棚にし、音響機材をまとめている。下は食材などの収納に(写真撮影/相馬ミナ)

もともと備え付けられているはしごを活用して棚にし、音響機材をまとめている。下は食材などの収納に(写真撮影/相馬ミナ)

とはいえ、最初は大変だったとも振り返る。引越し当初、運んできた段ボールが壊れて崩れそうになってしまった。床が凸凹ゆえに、だ。「引越してから3カ月くらいは大変で、身体も部屋に慣れなくてきつかったですね。でも、少しずつ収納を増やし、マットレスを駆使し、あれこれ工夫することで暮らしやすくなってきたと思います。引越し当時はハイハイしていた娘も、今は元気に走りまわっています」

本棚を移動させて空いた壁には、愛娘の作品を。ランダムに貼り付けている様がこの空間にマッチしている(写真撮影/相馬ミナ)

本棚を移動させて空いた壁には、愛娘の作品を。ランダムに貼り付けている様がこの空間にマッチしている(写真撮影/相馬ミナ)

つい先日、寝る場所を和室から球状の部屋に移動させた。「移動」といっても、ただ布団を運べばいいわけではない。丸くくぼんでいる床部分を木材を駆使して水平にし、さらにスペースに合わせてマットレスを円形に切って縫ったという。「球状の部屋は丸いまま使うものだという思い込みをやめたんです。おかげでスペースが広い和室に本棚を移すことができて、部屋全体が広く感じられるようになりました。球体の部屋は夜は落ち着くし、東向きなので朝も気持ちがいいし」

球状の部屋に床を自作して寝室に。DIYでつくったという右奥の棚は、凸凹の床でも水平にできるよう、アジャスターで調整している(写真撮影/相馬ミナ)

球状の部屋に床を自作して寝室に。DIYでつくったという右奥の棚は、凸凹の床でも水平にできるよう、アジャスターで調整している(写真撮影/相馬ミナ)

引越してから、毎週末DIYで何かをつくり、試行錯誤しながら住みやすいように整え続けている。「常に進化している感じです」と岡本さんは笑う。工夫のしがいがあることだろうし、快適になるほどに唯一無二な空間になっていくのだろう。

空間に身を置き、体感するからこそ分かること

現在、賃貸部分は満室で募集はないが、定期的に見学会が開催され、宿泊できるプランもある。春にはテレワークプランも始まり、このなんともいえない不思議な空間を体験するにはまたとない機会が増えている。「この空間には、言葉では伝えきれないところがたくさんあります。説明できないからこそ、荒木とギンズはこの建物をつくったんですから」と松田さんは言う。

取材時に特別に屋上へ登らせてもらった。遠くに青い空や街並み、公園の緑などが見えると、確かにこの建物の色数の多さは気にならなくなる(写真撮影/相馬ミナ)

取材時に特別に屋上へ登らせてもらった。遠くに青い空や街並み、公園の緑などが見えると、確かにこの建物の色数の多さは気にならなくなる(写真撮影/相馬ミナ)

実際に、目で見て、歩いて、触れてほしい。足の感触や座り心地、歩いたときの身体の傾きや、部屋での声の響き方は、人それぞれだろう。身体が違えば、受け取る感覚も変わるからだ。
きっと、実感すれば、住まいについてさらに深く考えたくなるはずだ。自分の身体は今の住まいを楽しんでいるだろうか。楽しむために、もっと進化できる、工夫できることがあるように思えてくるのだ。

(C)2005 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.

●取材協力
三鷹天命反転住宅

東京都、「東京ゼロエミ住宅」新築等の助成事業を開始

東京都は、東京の地域特性を踏まえた省エネ性能の高い住宅を普及させるため、新たに「東京ゼロエミ住宅」の新築等に対する助成事業を開始する。
「東京ゼロエミ住宅」とは、家庭部門のエネルギー消費量の削減を目的としたもので、断熱性能や省エネ性能に優れる住宅のこと。今年度から新たに「東京ゼロエミ住宅」を新築した建築主に対し、その費用の一部を助成する。

助成対象住宅は、都内の新築住宅(戸建住宅・集合住宅)で、床面積の合計が2,000m2未満。助成対象は新築住宅の建築主(個人・事業者)。助成金額は戸建住宅が70万円/戸、集合住宅が30万円/戸。

ほかにも、対象住宅に太陽光発電システムを設置する場合は、10万円/キロワットの追加補助もある(上限100万円)。

ニュース情報元:東京都

話題ドラマ『隣の家族は青く見える』の舞台、コーポラティブハウスのセットをレポート

2018年1月から放送中のドラマ『隣の家族は青く見える』(フジテレビ)。深田恭子さんと松山ケンイチさんが演じる妊活に励む夫婦を中心に、集合住宅で暮らす4世帯の家族の成長と葛藤を描いた物語です。舞台となっている集合住宅は、購入希望者が意見を出し合いながら自由設計する「コーポラティブハウス」。戸建ての注文住宅に近い自由度で決められるとあって、近年注目されています。今回のドラマでは、どのようなところにこだわっているのでしょう? 部屋のセットを見学させていただきました。
登場人物の個性が垣間見られる部屋に。4タイプの部屋の特徴とは?

毎週木曜22時から放送中の『隣の家族は青く見える』。深田さんが演じる主人公の五十嵐奈々(いがらし・なな、35歳)は、スキューバダイビングのインストラクターをしている活発な妻、そして松山さんが演じる五十嵐大器(いがらし・だいき、32歳)は、中堅玩具メーカーに勤める心優しいけどちょっと頼りない夫。そんな二人は、“コーポラティブハウス”を購入したことをきっかけに、子づくりをスタートします。ところが、そう簡単には子どもは授からず、不妊治療の専門クリニックに通うように。

五十嵐家だけではなく、コーポラティブハウスでは、川村家(子どもをつくらないカップル)、広瀬家(男性同士のカップル)、小宮山家(幸せを装う夫婦)、それぞれ他人には言えない秘密を抱えながら暮らしていて……。
主人公の夫役・松山ケンイチさんは、番組公式サイト掲載のインタビューに次のようなメッセージを寄せています。

「コーポラティブハウスに住む人たちはそれぞれに悩みを抱えていますが、それぞれ違った形の幸せも抱えていると思うんです。なので、幸せの形がひとつではないということ、いろんな幸せの形があるということをきちんと表現できたらなと思っています」

キャストのリアルな演技もさることながら、それぞれに個性的な住み手のキャラクターを投影したセットも、みどころのひとつです。

ということで、早速コーポラティブハウスを見学していきたいと思います。今回、セットを案内してくれたのは、美術デザインを担当するフジテレビ美術制作局デザイナーの宮川卓也さん。

【画像1】月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』、『世にも奇妙な物語』他、ドラマからバラエティまで、番組のジャンルを問わず活躍している宮川卓也さん(撮影/末吉陽子)

【画像1】月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』、『世にも奇妙な物語』他、ドラマからバラエティまで、番組のジャンルを問わず活躍している宮川卓也さん(撮影/末吉陽子)

まずは、各部屋のこだわりについて教えてもらいました。

【五十嵐家】
「夫がおもちゃ会社勤務、妻がダイビングスクールの講師ということで、遊び心を感じられる部屋にしました。マリンっぽさを出したり、滑り台があったりと、楽しそうな空間にしています。色味も、ちょっとかわいらしい感じにして、すごくおしゃれではないけど、お互いの趣味がマッチしている雰囲気を狙っています。あとは、友人からもらった結婚祝いの寄せ書きを飾るなど、皆から好かれている夫婦なんだなということが、小物から伝わるようにしています。また、ベッドルームとかもそのまま抜けて奥が見えるんですけど、不妊がテーマのドラマなので、リビングで会話をしていても、あえて奥のほうでベッドがちらつくようにしています」(宮川さん、以下同)

【画像2】ところどころにアクセントのブルーを散りばめたリビング。子どもがはしゃぎそうな滑り台も(撮影/末吉陽子)

【画像2】ところどころにアクセントのブルーを散りばめたリビング。子どもがはしゃぎそうな滑り台も(撮影/末吉陽子)

【画像3】友人たちからの寄せ書きも飾られているベッドルーム。マリンテイストのアイテムもかわいい(撮影/末吉陽子)

【画像3】友人たちからの寄せ書きも飾られているベッドルーム。マリンテイストのアイテムもかわいい(撮影/末吉陽子)

【川村家】
「スタイリストとネイリストのカップルなので、スタイリッシュでおしゃれなデザインにしました。品が良くて、ちょっとエロティックな感じにしたくて、色味はダークトーンに。どっちかというとバブリーなテイストにしています。結婚もしていないですし、子どももいらないという家庭なので、二人が楽しく住めるような、趣味のもので固めているというイメージです。ただ、これから子どもを引き取るかもしれないということで、この状態で、子どもが来てどうなるのかっていうのがこれからの見どころかなと思いますね。このままじゃ、多分、生活できなくなってしまうので、それをどういう風に工夫して、物語がどのように進んでいくのか、注目してもらいたいです」

【画像4】大人感漂うムーディーな雰囲気がすてきな川村家のリビング(撮影/末吉陽子)

【画像4】大人感漂うムーディーな雰囲気がすてきな川村家のリビング(撮影/末吉陽子)

【画像5】調度品はモノトーンで統一されていておしゃれ。ただし、どこを切り取っても生活感はない(撮影/末吉陽子)

【画像5】調度品はモノトーンで統一されていておしゃれ。ただし、どこを切り取っても生活感はない(撮影/末吉陽子)

【小宮山家】
「ごく一般的な夫婦+子ども二人の4人家族ということで、普通のマンションぽいつくりにしています。ただ、妻がちょっと曲者でして、周囲の家族との間に波風を立てるタイプの人。自己顕示欲が強いところがあるので、普通のマンションをベースにしながらも、ところどころ背伸びしている感じを出しています。あとは、やたら子どもの写真を貼っているなど、全体的に子どもがいてこそ本当の幸せという価値観を表現しています。夫は、尻に敷かれているので、自分専用のスペースはありません。高価なL字キッチンがあって、ダイニングテーブルの隅に夫のスペースがある、というイメージです。インテリアは、ナチュラルベースでバリアフリーにしています」

【画像6】子どもたちの絵や写真が目を惹くリビングダイニング(撮影/末吉陽子)

【画像6】子どもたちの絵や写真が目を惹くリビングダイニング(撮影/末吉陽子)

【画像7】やや物が多い気がするものの、きちんと片付けられている(撮影/末吉陽子)

【画像7】やや物が多い気がするものの、きちんと片付けられている(撮影/末吉陽子)

【広瀬家】
「建築士の仕事をしているとあって、洗練されたおしゃれな空間、というよりは、少しユニークなつくりにしたいと思いました。海外のデザイン本や、アーティスティックな写真を飾るなどして、個性的な空間にしています。おしゃれでありつつ、どのようなバックボーンで生活しているのか、一目で分かるように心がけました。また、川村家との違いを色でみせるため、少し明るめのグレイッシュなトーンでまとめています。あとは、珍しい形状のアイランドキッチンを配置して、建築士ならではの『複雑な空間をおしゃれにまとめました』という雰囲気を出しています」

【画像8】デザイン本や模型などが置かれた棚がスペースの仕切りとしても機能(撮影/末吉陽子)

【画像8】デザイン本や模型などが置かれた棚がスペースの仕切りとしても機能(撮影/末吉陽子)

【画像9】すっきりと片付けられているアイランドキッチン。木工製品のようなディテールがおしゃれな照明にもセンスを感じる(撮影/末吉陽子)

【画像9】すっきりと片付けられているアイランドキッチン。木工製品のようなディテールがおしゃれな照明にもセンスを感じる(撮影/末吉陽子)

美術デザイナーが考える、コーポラティブハウスの魅力

住む人の個性を反映した4タイプの部屋のセット。物語同様、その細部にも注目したいところです。宮川さんに、セットをつくる際のセオリーを聞いてみました。

「どこで切り取られても、“この登場人物の部屋なんだな”と分かることを前提にデザインしています。例えば、壁をバックに演じるシーンでも、ただの真っ白な壁にならないように、その登場人物の個性を感じるポイントが映り込むように心掛けています。それは、おそらく美術デザイナーなら誰しも意識しているセオリーではないでしょうか。あとは、役者さんご自身のバックボーンもあるので、どのような生活をしてきたのか、ときに聞いてみたり想像したりしながら、感情移入しやすい空間づくりを心掛けています」

【画像10】コーポラティブハウスの模型(撮影/末吉陽子)

【画像10】コーポラティブハウスの模型(撮影/末吉陽子)

今回のドラマでは、デザイナーズ家具を取り扱う「リグナ」のアイテムがテイストに合うということで、メインに起用しているとのこと。なんでも、「セットをつくりあげるにあたっては、脚本家さんと話して人物のイメージを固めるまでに、かなりの時間を費やします。『この登場人物はこういう人なんだ』とイメージをつくりあげるのは、ドラマの核になるところですから」とのこと。

ちなみに、宮川さんが住むとしたら? 「僕もデザイナーなので住むとしたら広瀬家ですかね。もっと棚をいっぱいつくってデザイン本を置いて、作業台も使いやすくもう少し大きくしたいと思います」

さて、今回コーポラティブハウスという、新しいタイプの住まいをセットに落とし込むにあたっては、入念なリサーチを重ねたといいます。そこで改めて、コーポラティブハウスの良さを感じたと宮川さん。

【画像11】4世帯が暮らすコーポラティブハウスの共有スペースは、ドラマでも度々登場する場所だ(撮影/末吉陽子)

【画像11】4世帯が暮らすコーポラティブハウスの共有スペースは、ドラマでも度々登場する場所だ(撮影/末吉陽子)

「コーポラティブハウスをメインに設計しているメーカーを演出担当者と一緒に3、4社まわり、実際の建物を見学させてもらいました。自分たちで、構造から空間、部屋、床材から壁の色まで決められるのはメリットだと思います。あと、マンションだと隣に誰が住んでいるか分からないことが多いかもしれませんが、ゼロから建てるため、皆で集まって話し合いをするので、顔を見られる安心感があります。

そうした過程を経て、連帯感ができると聞きました。裏を返せば、ちょっとお付き合いしにくい人がいた場合、もめごとの要因にもなってしまう不安もありますが、メーカーさんいわく、普通のマンションのような距離感を保って住むこともできるそうなので、住む人次第なのかなと思います」

現代社会に生きる家族が抱える悩みを、新しい住まいのかたちを舞台にリアルに描いたドラマ。ぜひ物語と一緒に、お部屋のつくりにも目を向けてみてくださいね。

●取材協力
・フジテレビ木曜ドラマ『隣の家族は青く見える』

まるでジブリの世界 「中庭アパルトメント」の美と機能【名物賃貸におじゃまします(1)】

日本のマンションはどうして似たようなデザイン、構造なんだろう。そう考えている人は案外多いのではないでしょうか。しかし、よく探してみれば日本にも、そんな先入観を吹き飛ばす個性的な集合住宅が見つかります。その一つが、中庭をデザインのカギにした集合住宅。今、静かな人気を集めています。【連載】名物賃貸におじゃまします
斬新なデザインや仕掛けをしている賃貸住宅=名物賃貸を毎月紹介する連載です。一見するだけでは分からない中庭の効果

東京・中央線の高円寺駅界隈(杉並区)は、商店街と静かな住宅地がほどよく混在する街。中央線沿線はもともと作家、漫画家、演劇関係者などが多く住むエリアと言われていますが、高円寺も例外ではなく、庶民的なにぎわいと文化の香りのする街です。

この街に中庭を特色とする集合住宅があると聞き、訪ねてみました。設計したのは、地元の建築家で、アトリエボーヌ(ATELIER BEAUNE/丸山保博建築研究所)を経営する丸山保博さん。丸山さんは「中庭アパルトメント」と名付けた中庭を配置した集合住宅をいくつも設計、2004年には、杉並「まち」デザイン賞を受賞しています。

代表的な作品の一つが、「カーサ・デ・アトリオ」。建物脇の通路を通って中へ進んでみましょう。

ありました! そう、これが中庭アパルトメント!

【画像1】「カーサ・デ・アトリオ」の中庭。上部からの光が明るく、開放感がある(写真撮影/織田孝一)

【画像1】「カーサ・デ・アトリオ」の中庭。上部からの光が明るく、開放感がある(写真撮影/織田孝一)

石畳の通路、その両側には植栽、そして全10部屋すべてがこの中庭に面しています。つまり住民が各部屋に出入りするときは、必ずこの中庭を通ることになります。

中庭の上部の屋根部分が円形に空けられ、光が十分に入るため、想像していたよりずっと明るく、開放的な感じです。円形の開口部、らせん階段、ゆるやかにカーブする通路など、曲線を用いたデザインがこの建物に優しい雰囲気を与えています。

基本的には南ヨーロッパの印象を受けますが、輸入してきたような違和感はまったくなく、とても自然。シンプルなデザイン、落ち着いた色彩、植栽、ディテールに取り入れた和のテイストなどがそう感じさせるのでしょう。

しかし丸山さんは、中庭は鑑賞のためのものだけではないと語ります。その機能として、次の3点を挙げます。

「まず、アプローチの機能。従来の日本の賃貸住宅は部屋を一列に並べ、入り口に沿って廊下が付くのが通常のパターンでした。この廊下は北側の場合が多く、暗いのが普通。この廊下を廃し、中庭から直接各部屋に入る方式にすれば、部屋は明るく、開放的になります。部屋を広くできますし、中庭はそれぞれの部屋の庭としても意識されるため、住民は気持ちの面でも広さを感じられます」(丸山さん)。中庭はまた、災害時の避難経路にもなります。

第2に、住民同士が中庭で自然に出会い、言葉を交わすといったコミュニティ機能。現代では、隣人がどんな人なのかまったく知らないほうがいいという人も多いでしょう。しかし、意外と人はゆるやかなつながりを求めることもあるもの。中庭はプライバシーを侵すほど近くなく、かといって完全な孤立にもならない、“ほどよい距離感”を、住む人々に与えてくれるようです。

また中庭という半公共スペースは、他者の目が適度にあるため防犯面でも役立ちます。「カーサ・デ・アトリオ」のオーナーである渡邊さんも、「ここは立地が三方を家に囲まれていたため、外側に部屋の出入りのための廊下や階段を付けるのは防犯上も良くないと思っていました」と振り返ります。

第3は主に、施主側に対するメリットです。「土地の形状にもよりますが、外廊下をつくらないことで建設費が下がります。また中庭が付加価値になり、賃料を高めに設定でき、利回りの点でも有利です」と丸山さんは話してくれました。

しかし、筆者は中庭アパルトメントの魅力は何より、中庭を核とした空間全体が、外界とはちょっと異なる雰囲気をもっていることだと思います。ある居住者は丸山さんに「(中に入ると)空気が変わりますね」と、感想をもらしたそうです。街の喧騒が入らず静かで、外部環境の変化の影響も受けにくい。そんなこともあって、日常生活の場であるのに、異世界に入るようなトキメキがあるのです。

また、建物に関しては素材の力も見逃せません。丸山さんは造形の魅力を最終的に伝えるのは素材だと考え、漆喰、石、土などの自然素材を駆使します(丸山さんは2008年、2009年と連続して、日本漆喰協会作品賞を受賞しています)。そのことで年月がたっても(むしろたつほどに)美しい建物を生み出しています。

【画像2】多くの場合、中庭から上階の部屋へはらせん階段などで入る。曲線や植栽のおかげで自然に抱かれて暮らす感覚もある(写真撮影/織田孝一)

【画像2】多くの場合、中庭から上階の部屋へはらせん階段などで入る。曲線や植栽のおかげで自然に抱かれて暮らす感覚もある(写真撮影/織田孝一)

ヨーロッパの「共同体を支える空間」に学ぶ

建築誌に取り上げられるなど、今は人気の中庭アパルトメントですが、最初はなかなか理解を得られませんでした。丸山さんが初めて中庭のある建築を提案したのは、やはり高円寺にある集合住宅「パラシオ・デ・ヒロ」ですが、当時、不動産会社の担当者からは、これではプライバシーが守れない、入居する人はいない、と反対されたそうです。

しかしオーナーの理解もあり、反対を押し切って建てた中庭付きの「パラシオ・デ・ヒロ」は、2000年に竣工するとすぐ満室に。以後、丸山さんの手法は評判を高めていきます。現在は、丸山さんの設計した集合住宅は高円寺エリアのほか、京都市北区、神奈川県逗子市などにも建てられ、いずれも人気物件となっています。

【画像3】初めて中庭を設けた「パラシオ・デ・ヒロ」。向かって左の通路を通って中庭に入る。外観も美しく、都市景観にも貢献している(写真撮影/織田孝一)

【画像3】初めて中庭を設けた「パラシオ・デ・ヒロ」。向かって左の通路を通って中庭に入る。外観も美しく、都市景観にも貢献している(写真撮影/織田孝一)

では、他に類を見ない丸山さんの発想はどこから生まれたのでしょうか。

丸山さんは高校生のとき、アンコールワットの本を見て建築に興味をもったそう。その後、日本大学理工学部建築学科に進み、卒業後は木村傳建築設計事務所に勤務します。しかし仕事のプレッシャーや人間関係に悩み、仕事ができなくなるような状態に。

「それを克服しようと哲学書を読むなど、試行錯誤しました。やがて、人間の感性や価値観の違いを理解するために、名建築と言われるものを片っ端から見ることを決意しました」

建築を巡る旅は、自分の建築事務所を持ってからも続き、海外へも足を運んだそう。そこで知ったのが、ヨーロッパの広場のある村や街であり、中庭のある建築でした。

「明治以降に日本に入ってきた西洋建築と言えば、駅や官庁など公共建築に多く見られるモニュメンタルなものを思い浮かべることが多いと思いますが、もう一つ、共同体から生まれ、その生活を支えてきた素朴な建築があります」

例えば、映画『ローマの休日』を観ると、グレゴリー・ペック演じる新聞記者が住む庶民的なアパートが出てきます。これがまさに中庭のある集合住宅で、あちらではごく普通に見られるものだそうです。

丸山さんが設計する集合住宅に影響を与えたのは、この共同体を支える建築でした。丸山さんの建築は、ヨーロッパ的な集合住宅を再現することによって、日本の共同体意識を再生しているという見方もできるでしょう。

【画像4】「中庭アパルトメント」という領域を切り開いた丸山保博さん。設計した逗子の集合住宅の模型を手に(写真撮影/織田孝一)

【画像4】「中庭アパルトメント」という領域を切り開いた丸山保博さん。設計した逗子の集合住宅の模型を手に(写真撮影/織田孝一)

生活そのものが楽しみになる空間

「カーサ・デ・アトリオ」のオーナーである渡邊さんは、「入居者さんが出入りに中庭を通る感じがとても良いと思いました。この中庭とデザインのおかげか、あまり空室になったことがありません」とのこと。

居住者の方々も、ここでの生活を楽しんでいるようです。「休日に中庭で歯を磨いている人がいたり、1階にお住まいの方が2階で中庭を眺めていたり……。特に女性の入居者さんには、『まるでジブリ(の作品に出てくる場所)みたいですよね』と言われたことがあります」(渡邊さん)。

確かにここは、『魔女の宅急便』を彷彿させる空間ですね。外界とはちょっと違う世界を感じ、それが日々の生活を楽しむことにもなっている。これが中庭のある建物のすばらしさなのかもしれません。

●取材協力
・アトリエボーヌ 丸山保博建築研究所
・「カーサ・デ・アトリオ」オーナー 渡邊さん