キャンピングカーをリノベで「動く別荘」に! 週末バンライフで暮らしながら家族と九州の絶景めぐり

キャンピングカー、バンライフなど、車と住まいが一体化したライフスタイルが注目を集めています。そんなトレンドの影響もあってか、リノベーションオブ・ザ・イヤー2023で特別賞を受賞したのがキャンピングカーをリノベした「動く家」です。キャンピングカーをリノベしたら、一体どのような住まいになったのでしょうか。施主と設計を担当した建築士に話を聞いてみました。

中古のキャンピングカーをリノベしてできた「動く家」

今回の「動く家」プロジェクトの施主・川原一弘さんは、サーフィンやキャンプを趣味としていて、もともとハイエースを所有していました。ただ、コロナ禍もあって自由に移動できず不便さを感じていたため、別荘またはハイエースへの買い替えを検討していましたが、偶然、中古のキャンピングカーを発見しました。

もともと、熊本を中心にリノベーションや店舗デザインなどを幅広く手掛けていた会社ASTERの社名を知っていた川原さんは、すぐに会社宛にメールを送り、相談したといいます。

「状態のいいキャンピングカーがあるのですが、これをリノベできますか」。すると、わずか10分後にメールで「できますよ!」と即答が。このレスポンスに後押しされ、キャンピングカーを購入したのです。2022年3月3日のことでした。

30年前に製造されたキャンピングカー。横顔がりりしい!(写真提供/ASTER中川さん)

30年前に製造されたキャンピングカー。横顔がりりしい!(写真提供/ASTER中川さん)

車は1993年製造、建物でいうと築30年、広さは8平米のワンルーム。キッチン・バス・トイレと運転席がついていて、昨今、都心部で話題になっている「激狭ワンルーム」と同程度といってもいいかもしれません。

「せっかくのキャンピングカーなので、単なる改装で終わらせるのは惜しいと思いました。居住性を高めて『動く家』にするのはどうだろう、という案を川原さんに提案したところ『よいですね』と話がまとまりました。キッチン・トイレ・シャワーは十分に動くためそのままで、位置などの変更も行っていません」と話すのは、設計を担当したASTERの中川正太郎さん。

既存の駆体のギミック、良さは残しつつ、価値を高めるのは「リノベ」の得意とするところです。車の改装では終わらせずに「家」「別荘」のように使える空間をつくる、そんなプランニングが固まりました。

居住性を高めるのは素材感。住宅用の無垢材、家具屋のソファを採用

「動く家」にするということは、すなわち「居住性を高める」こと。そのため、プランニングでは手触り、心地よさなど素材感を活かすことにしようと思い至ったといいます。

リノベ前の写真。これはこれで味があります(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。これはこれで味があります(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。室内から運転席を見たところ(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。室内から運転席を見たところ(写真提供/ASTER中川さん)

「内装の雰囲気の参考にするため、キャンピングカーショーを訪れるなどし、かなりの数のキャンピングカーを見学しました。そのなかで気がついたのは、家らしさというのは、やはり素材ということ。自動車改装用パーツで木っぽい見た目にするのは容易ですが、やっぱりどこか工業用部品なんです。ですから、今回は住宅用の建材を使おうと。床や壁にはたくさん木材を使っていますが、突板(スライスした天然木をシート状にして加工したもの)を貼っていますし、塗装も住宅用、照明はダウンライトです。ソファなども車用ではなくて家具屋さんに依頼しました」と中川さん。

ソファベッドは折りたたみ式で、ベッドのように広げたところ。間接照明がおしゃれ(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドは折りたたみ式で、ベッドのように広げたところ。間接照明がおしゃれ(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドをソファとテーブルを囲む椅子にした状態(左)とベッドにした状態(右)の間取図。バス・キッチン・トイレ。動線も考えられた、まさに家(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドをソファとテーブルを囲む椅子にした状態(左)とベッドにした状態(右)の間取図。バス・キッチン・トイレ。動線も考えられた、まさに家(写真提供/ASTER中川さん)

狭い空間だからこそ、目に入るもの、手や足で触れるものの素材感が大事というのは、わかる気がします。また、空間がコンパクトになることから、省スペースで小さく作られていることが多い船舶用パーツを採用したとか。

「施工に関しては、普通の住宅のリノベとほぼ同様の工程です。残せる部分は残しつつ、施工する床やソファなど既存のものは剥がしています。床はヘリンボーン(角が90度になっている貼り方)なので、座席と接する面など、細かな部分は職人さんも苦労したと思います」(中川さん)

床のヘリンボーンを貼っているところ。車だと思えないですね(写真提供/ASTER中川さん)

床のヘリンボーンを貼っているところ。車だと思えないですね(写真提供/ASTER中川さん)

こうしてみると手仕事でできているのがわかります(写真提供/ASTER中川さん)

こうしてみると手仕事でできているのがわかります(写真提供/ASTER中川さん)

施工にかかったのは約1カ月半、費用は130万円ほど。通常、リノベーションでは職人さんが現地に赴いて作業を行いますが、そこは車なので、なんと職人さんの庭に移動してきて作業をしたそう。大工さんも家ではなく車に施工するとは、きっと貴重な機会になったことでしょう。

車内に船舶用の照明を採用するなど、狭くても快適に暮らせる工夫が凝縮(写真提供/ASTER中川さん)

車内に船舶用の照明を採用するなど、狭くても快適に暮らせる工夫が凝縮(写真提供/ASTER中川さん)

窓の景色が移ろう、動く城のような最強の可動産が完成!

完成した住まいは、常に移動して窓から景色が動いていく「動く城」のよう。出来上がりについて施主の川原さんは、「最強の可動産ができた!」と表現します。

この車からの眺め、そのままロードムービーに使えそう(写真提供/ASTER中川さん)

この車からの眺め、そのままロードムービーに使えそう(写真提供/ASTER中川さん)

「動線がスムーズなので、寝る、着替える、くつろぐ、収納からモノを出す、といった行動が家と同じ感覚でできています。目的地についてもキャンプ設営は不要ですし、着替えやシャワー、トイレの場所を探すといった行動にストレスがなく、滞在時間を思う存分、アクティビティに使えます。運転席にロールスクリーンがあるので、下ろして映画を見たりもしています。2人の子どもたちはゲームをしたり、家となんら変わらないくつろぎ方をしていますね。窓から景色がキレイなんですけど、まったく見ていないという……」(川原さん)

キッチンでコーヒーを淹れるだけで、至福のひととき(写真提供/ASTER 中川さん)

キッチンでコーヒーを淹れるだけで、至福のひととき(写真提供/ASTER 中川さん)

ロールスクリーンを下ろしてゲーム中。川原家のお子さんになりたい(写真提供/川原さん)

ロールスクリーンを下ろしてゲーム中。川原家のお子さんになりたい(写真提供/川原さん)

こうして動く城に家族を乗せて、サーフィンや釣り、キャンプに行ったり、初日の出を屋根の上で見たりと、すっかり家族の居場所になっているといいます。ご近所にも評判で、同級生が内見(?)するということも多いとか。

生活に必要なインフラでいうと、電気は大型のポータブルバッテリーを搭載、上水は大きめの給水タンク、下水も汚水タンクがあるため、「家」と変わらない快適さをキープ。断熱材はもともと入っているため今回は手をつけていませんが、現状、エアコン1台で冬も夏も快適に過ごせるといいます。そこはさすが断熱先進国ドイツ製!といったところでしょうか。

一方で、キャンピングカーはそのものが大きいので運転では注意が必要なこと、事前に駐車するスペースを調べておくこと、目的地までの道路が細すぎないか、という点に注意しているそう。もう一つ、気を付けている点として、家の生活感を持ち込まないことをあげてくれました。

お子さんたちのものは極力、厳選して持ち込んでいます(写真提供/川原さん)

お子さんたちのものは極力、厳選して持ち込んでいます(写真提供/川原さん)

「子どもがいるとどうしても、住空間に生活感がにじみでてしまいますよね。せっかくおしゃれにつくってくれたので、この世界観を壊さないように、大人のインテリア空間にするよう、努めています」(川原さん)

ああ、わかります、その気持ち。子どもと一緒の空間は好きなんだけれども、たまには生活感のない大人の空間にいたい……。「動く家」はそんな大人の切なる願いも叶えてくれたようです。

家や住宅ローンのように「動かせないもの」に囚われない生き方を提案したい

今回の「動く家」、現在、乗れているのはほぼ週末といいますが、川原さんがもっとも魅力を感じたのは、「家が自分についてくる、自分本意の生き方ができること」だといいます。

「私たちが暮らす九州は、風光明媚な場所が多くて、阿蘇、天草、鹿児島、大分、宮崎など、自然そのもの、移動そのものが楽しいことが多いんです。『動く家』があれば、ドライブに出かけてそのまま夜空を眺めたり、美しい景色を見て、気に入ったら長く滞在したりと、自由に暮らすことができる。時間通りに動くというより、自分に合わせて家がついてくる、そんな生き方を可能にすると思いました」

窓の向こうに広がる絶景! キャンピングカーで九州を巡るのを夢見ている人は多いのでは(写真提供/川原さん)

窓の向こうに広がる絶景! キャンピングカーで九州を巡るのを夢見ている人は多いのでは(写真提供/川原さん)

動く家。ドライブだけでもしてみたい(写真提供/ASTER中川さん)

動く家。ドライブだけでもしてみたい(写真提供/ASTER中川さん)

設計を担当した中川さんも、手応えを感じているようです。
「弊社の『マンション』『一戸建て』『賃貸』というメニューに『車』という領域を増やしたいくらい。一軒家+離れや応接間のような感覚で、車の空間を使ってみたいという人は多いと思います」と話します。確かにテレワークスペース、家族の避難場所などとして、十分に「ほしい」という人はいることでしょう。

ともすると、私たちは、家や住宅ローンという「重いもの」に縛られがちですが、「動く家」はそうした重たさや、「動かせない」という思い込みを追い払ってくれる存在です。

「老後のためにと今まで積み立ててきた有価証券を取り崩さず、担保に入れて資金調達するスキームを組むことで月々の返済負担をなくし、目先を楽しむことを実現しています。今、老後や将来のためにといって貯蓄や投資にまわす人は多いですが、死ぬときにお金はもっていけません。やりたいことを我慢するのではなく、きちんと暮らしとやりたいことは両立できるんだよという、事例になっていけたらいい」と話す川原さん。

キャンピングカーやバンライフが広がりはじめたものの、「いいなあ」「やってみたい」という人は多いはず。ただ、移動する車窓のように、人生は移ろいゆき、変化していくもの。「定年後に」「ゆくゆくはキャンピングカーで」と憧れるのではなく、実はすぐにでも動き出すことが大切なのもしれません。

●取材協力
ASTER
ASTERのInstagramアカウント

保証人がいなくても賃貸探しに選択肢を。入居困難の壁にぶつかった人同士、互いに見守り、一人にしない「やどかりサポート鹿児島」の取り組み

やどかりサポート鹿児島は、住まい探しのなかで保証人の確保ができないために入居が困難となった人たちに保証を提供しているNPO法人です。さらに2019年からは保証制度の利用者で互いに支え合う仕組みを提案し、居住支援を続けています。これらの支援はどのようにして成り立っているのか、また始めた背景などを、やどかりサポートの理事長である芝田淳さん、社会福祉士の中芝あすかさん、そして実際にこの新しい連帯保証制度を利用する人に話を聞きました。

やどかりサポート鹿児島が取り組む「地域ふくし連帯保証」とは

入居の際に必要な「連帯保証人の確保」は、賃貸借契約に必ず必要なことです。昨今は多くの物件が、「家賃保証会社」を使用することが入居の条件となっていて、入居者は保証会社に一定の料金を支払う代わりに滞納等があった場合は、保証会社が立て替えるという仕組みになっています。

個人で連帯保証人を立てる必要は少なくないのですが、高齢者・外国人・低所得者・障がい者・ひとり親世帯などにおいては、保証会社の審査に通りにくかったり、自身で連帯保証人を立てようにも、頼める親族や知人がいなかったりで、さらに困難な問題に直面することが少なくありません。

「居住支援とは、全ての人がその人らしい生活を営むための拠点となる住居を確保できるよう支援を提供するものです。私たちは、保証人となってくれる親類や知人がいない、審査で保証会社に断られてしまう人たちも入居できるよう、連帯保証を提供しています」(芝田さん)

特徴的なのは、ただ保証を提供するだけでなく、それぞれの利用者に支援者を配置して、生活全般について見守り、何か困ったことがあれば相談に乗る支援を一緒に行っていること。

「連帯保証とともに必要なのは、困っている人たちを社会から孤立させない支援です。そこで、私たちは、保証と同時に地域で福祉に関わっている人たちが『支援者』として制度利用者の日々の生活を継続的に見守る『地域ふくし連帯保証(地域ふくし連携型連帯保証提供事業)』のスキームを考えました」(芝田さん)

やどかりサポート鹿児島は、鹿児島県全域で、支援者の配置と2年間で2万円の利用料を支払うことを条件に、収入や過去を問うことなく連帯保証しています。スタッフ数21名(連帯保証部門11名、相談支援部門10名)の NPO法人ですが、行政や協力機関と連携し、2022年現在、年代も事情もさまざまな約400名の利用者がいるそうです。

ただ保証するだけでなく、支援者が見守り、支援することで利用者が「つながり」のなかで安定した地域生活を送れるようにすることを目指す。滞納などの金銭や法的問題が起こった場合の保証はやどかりサポート鹿児島が担うのが特徴(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

ただ保証するだけでなく、支援者が見守り、支援することで利用者が「つながり」のなかで安定した地域生活を送れるようにすることを目指す。滞納などの金銭や法的問題が起こった場合の保証はやどかりサポート鹿児島が担うのが特徴(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

利用者が互いに助け合う、当事者主体の居住支援

連帯保証するということは、何かあったら債務を負うことでもあります。利用者が孤独死してしまったり、仕事が続かずに家賃を滞納してしまったりするケースもありますが、「支援者による利用者の暮らしの見守りで、事前に防ぐことができる」と芝田さんは言います。

「保証すると同時に支援者による見守りや支援を基本としていますが、どうしても支援者が見つからない場合があります。そこで、利用者が同じような境遇の者同士、支え合っていく『やどかりライフ』というスキームを考えました。これに応える形で、利用者の方々が互助会を作ってくれました」

利用者が企画した交流会をやどかりサポート鹿児島のスタッフがサポートする。利用者が互いを支え合う「やどかりライフ」(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

利用者が企画した交流会をやどかりサポート鹿児島のスタッフがサポートする。利用者が互いを支え合う「やどかりライフ」(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

役所への手続きをサポートしたり、病院の入退院に付き添ったり、足の悪い人の買い物を手伝ったりと、日々の暮らしを、同じ利用者内でできる人が助けます。また、身寄りのない人も多いので、亡くなったときにはほかの利用者が見送りもするそうです。

やどかりサポート鹿児島と互助会のメンバーで行った、亡くなった利用者の初盆の様子(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

やどかりサポート鹿児島と互助会のメンバーで行った、亡くなった利用者の初盆の様子(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

トラブルは当然起こる。それでも同じ目線で見守ることが大事

当事者同士で見守る仕組みはとても画期的なものに思えますが、人と人との付き合いのなかでトラブルが起こることなどはないでしょうか。

「トラブルはたくさん起こります。しかし、トラブルを恐れてつながることができないのなら、トラブル覚悟でつながったほうがいいというのが、私の考えです」(芝田さん)

難しいのは、どこまで関わればよいのか。なかにはプライベートなことにあまり関わってほしくない人もいます。考えの違いから利用者同士で揉めることもあるのだそう。5人程度のグループならコミュニケーションが取れても、10人以上の規模になるとうまくまとまらないことも。「ルールで縛るのではなく、自主性を重んじるほうがうまくいく」というのは、互助会メンバーの感想です。

1日に1回、ラインで発言することで、見守られるだけでなく、見守る役目をそれぞれが担う。一方で人数が多くなると、発言しない人やプライベートに関わられることを嫌がる人もいて、うまくいかないという気付きも得られたそう(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

1日に1回、ラインで発言することで、見守られるだけでなく、見守る役目をそれぞれが担う。一方で人数が多くなると、発言しない人やプライベートに関わられることを嫌がる人もいて、うまくいかないという気付きも得られたそう(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

利用者同士が中心になって支え合うものの、やどかりサポートは困ったことがあればいつでも相談に乗り、バックアップしていく体制を取っています。

支援の考え方について、事務局スタッフの一員でもある社会福祉士の中芝さんは、こう話してくれました。

「社会福祉士としては、トラブルを起こさないために、あらかじめ対策を取るべきなのかもしれません。しかし、やどかりサポート鹿児島は、互助会の人たちと一緒に歩んでいく関係です。トラブルに対して、介入したり指導するのは違うと思うのです。相談されたことに対しては真摯に答えますが、相談を受けない限りはそばで見守るという距離感が大事で、そうすれば自ずと本人同士でトラブルを解決することが多いと感じます」
この言葉に、利用者と同じ目線で関わっていく、やどかりサポートの支援の本質が表れています。

やどかりサポートの連帯保証とやどかりライフがもたらした変化とは

やどかりライフの取り組みは、当事者同士の連帯感が生まれただけでなく、やどかりサポートの運営者と利用者の関係にも変化をもたらしました。利用者に別の利用者へのサポートをお願いすることで、支援する側と受ける側という関係から、共に支え合う対等な立場で向き合えるようになったといいます。

「あくまで私の意見ですが、役割をもち、活躍の場ができることで、前向きに生きる意欲を取り戻し、互助会も盛り上がっていくのだと思います。ですから、何かをしてあげるのではなく、時には、こちらから利用者に対して手伝ってほしいと頼むことも大事なんです」(芝田さん)

引きこもりがちな人や、人の温もりに触れたことがあまりなく尖っていた人も、根気強く接してくれた仲間とのふれあいを通じて心を開き、今では互助会に積極的に参加するまでになったそうです。

「自分は、役割ができたことがすごく嬉しかったです。仕事をしていない人も多いので、家に一人でいることが多くなるのですが、頼み事をされたり、頼られたりするとやる気が湧きました」(利用者)

役割をもつことで責任感が芽生え、利用者同士の連帯感も生まれる(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

役割をもつことで責任感が芽生え、利用者同士の連帯感も生まれる(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

連帯保証事業から賃貸管理へ。広がりを見せることで支援に幅ができる

やどかりサポート鹿児島は21名のスタッフで、さまざまなトラブルや問題にも対処しています。

「連帯保証事業では、過去に何かトラブルが起きた際に物件のオーナーとの連携が密でないと、私たちスタッフは何も動けないという事例が多くありました。解決方法の一つとして、よりオーナーから任される範囲の大きいサブリース型に興味をもったのですが、やどかりサポートはあくまでNPO法人。直接、サブリース業を営むことは難しいと判断しました」(中芝さん)

そこで、芝田さん個人が地元の不動産会社と組んで、賃貸管理業を行う合同会社を設立しました。

マンションの一般の入居者と建物の管理はプロの不動産会社が行い、空き部屋が出た場合のやどかりサポート利用者への貸し出しと、利用者が入居している部屋の管理は合同会社が行います。芝田さんの合同会社は利用者の継続的な見守りや相互の関わりなどをバックアップします。そしてその管理料がやどかりサポートの収入源となります。賃貸管理業ですが、やどかりサポート利用者にとっては「大家さん」みたいな役割です。

「さらに大家さんになることで、入居者との関係を密にすることができ、また、何かあった際には、シェルターとして部屋を提供するなど、支援の幅も広がりました。現在、管理会社として関わっているサブリースが約40件、管理物件は約120件。うち、やどかりサポートの利用者は60名ほどになりました」(芝田さん)

「やどかりライフ」に参加する仲間たちが、一人では手続きが難しい人のために、銀行に同行するなどのサポートも行っている(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

「やどかりライフ」に参加する仲間たちが、一人では手続きが難しい人のために、銀行に同行するなどのサポートも行っている(画像提供/やどかりサポート鹿児島)

金銭的にも、マンパワー的にも、小さなNPO法人が居住支援を継続していくには多くの協力が必要です。支援したくとも、身近に支援者がいない、鹿児島市以外の地域の方は、断腸の思いで断らざるを得ないこともあるのだとか。

それでも、「より多くの入居の連帯保証に困っている人たちを支援するために「やどかりライフ」のような互助の取り組みを鹿児島市以外の地域でも志のある組織が行えるような流れをつくっていきたい」と話す芝田さん。このような取り組みを全国的に広めていくには、行政や公的機関、企業などとの連携も必須だと言います。

「支援をしてあげるのではない、共に考え、行動していくのだ」という芝田さんの言葉は、私たちに多くの気付きを与えてくれるのではないでしょうか。

●取材協力
やどかりサポート鹿児島

驚異のリサイクル率80%超! ”ごみ革命”で悪臭の埋立処分場が激変 ―鹿児島県大崎町の挑戦

家族が家で過ごす時間が長くなり、家庭ごみの量は増える一方。なんとかならないものだろうか。鹿児島県曽於(そお)郡大崎町は、ごみの焼却施設を持たず、ごみのリサイクル率日本一の記録を更新しているという画期的な自治体だ。世界的に見てもゴミ分別の最先端をいく、「大崎リサイクルシステム」を取材し、ごみ問題を考えた。
焼却施設がない町で、埋立処分場がピンチに!

人口12,831人、世帯数6,720世帯、面積は100平方キロメートル。農業が主幹産業の美しい町、それが鹿児島の東南部に位置する大崎町だ。日本有数のシラスウナギ漁の産地で、うなぎやマンゴー、パッションフルーツの生産が盛ん。市町村別のふるさと納税で日本一に輝いた実績もある。そんな「凄いけど大人しいまち」を自負する大崎町だが、何よりすごいのが、ごみのリサイクル率が83.1%! このリサイクル率は2006年以降12年連続日本一で、2020年度も見事13回目の日本一に輝いた(2021年3月31日環境省発表)。

7kmに及び美しい松林が続く大崎海岸。潮干狩りができ、競走馬の調教も行われている(写真提供/大崎町役場)

7kmに及び美しい松林が続く大崎海岸。潮干狩りができ、競走馬の調教も行われている(写真提供/大崎町役場)

大崎海岸は、産卵のためウミガメが上陸することでも知られる(写真提供/大崎町役場)

大崎海岸は、産卵のためウミガメが上陸することでも知られる(写真提供/大崎町役場)

「大崎リサイクルシステムの始まりは、焼却施設がなかったことでした」と話してくれたのは、大崎町役場職員の松元昭二さんだ。大崎町のリサイクル事業を前任者から引き継ぎ、牽引している。

「それまでごみは全て、大崎町と志布志(しぶし)市で管理している埋立処分場へ集まっていました。日本の他の地域では焼却場が増えていった時期ですが、大崎町では燃やせるごみの概念がないため、家庭で排出されたごみの全てが混載で、埋立処分場に運び込まれていたんです」

平成12年から29年までの、大崎町と志布志市のごみの埋立処分量(画像提供/大崎町役場)

平成2年から29年までの、大崎町と志布志市のごみの埋立処分量(画像提供/大崎町役場)

高度経済成長期を経て、日本の廃棄物は増大の一途を辿る。1995年に政府により容器包装リサイクル法が制定され、1997年に一部施行。2000年に完全施行となった。

このタイミングで、多くの自治体は国の補助金を受け、焼却場を建設した。

「当時、1990年から2004年まで使用する計画だった大崎町と志布志市の埋立処分場は、急ピッチで埋まりつつありました。分別が始まった1998年の数年前から、『このままでは計画期間内までもたない』という状況に。これを打開するため、大崎町では3つの選択肢の中から方法を選ぶことになりました」

計450回の説明会で住民と危機感を共有

3つの選択肢とは、1.焼却炉の建設、2.新たな埋立処分場の建設、3.既存の埋立処分場の延命化だった。

「焼却場の建設には、建設費と維持費がかかります。大崎町と志布志市(合併以前)の人口から見ると、建設コストは30億~40億円。それが国からの補助でなんとかまかなえたとしても、大崎町の維持管理費が約1億5000万円ほどかかる計算になります。これは、それまでのごみ処理にかかっていた金額の1.5倍でした。それに、焼却炉は建設したら30年は使い続けなければなりません。次世代への負担を考えると、この選択肢は諦めることになりました」

新たな埋立処分場の建設には、住民が反対。
「当時は生ごみからプラスチックまで全てのごみが、黒いビニール袋に入れられて埋立処分場へ集まっていたわけですから、ニオイがすごかった。ガスが発生していたので、その場へ行くと服にニオイがついてしまい、しばらく食欲がわかないほど。空はカラスの大群で黒く、一度車を降りたら、次はハエが数匹は一緒に乗り込むという状況でしたから」

3つの選択肢の中から、必然的に「既存の埋立処分場の延命化」が選ばれた。具体的には、住民総出のリサイクルで、ごみを大幅に減量するしかない。

分別スタート時の、大崎町役場の担当者による説明会の様子。現在も年に1度、150の地域のリーダーへの研修会を行っている(写真提供/大崎町役場)

分別スタート時の、大崎町役場の担当者による説明会の様子。現在も年に1度、150の地域のリーダーへの研修会を行っている(写真提供/大崎町役場)

分別スタートにあたり、最も重要な役割を担う地域のリーダーからなる「大崎町衛生自治会」を設置した。それから当時の大崎町役場の担当者たちは、大崎町衛生自治会と協議しながらリサイクルのシステムを整備し、分別品目を定め、収集したゴミの出口となる最終処分先を確保していった。

「大崎リサイクルシステムは、住民主導。住民の皆さんと、説明や指導する行政、ごみを回収する企業の三者による協働と連携、信頼によって成り立ちます。住民の皆さんが分けてくれないと始まりません」と松元さん。

「大崎町衛生自治会は、地域の有識者に理解をいただき、以前から地域活動などで信頼を集めていた方々の賛同を得て組織しました」という。小学校区ごとに数名ずつ理事を決め、合計15名をメンバーとして、それぞれの地域の住民と連携をとってもらった。

「埋立場が、せめて計画当初の2004年までもつように」と、まずは3品目のごみの分別がスタート。その後1998年から2年ほどの準備期間を経て、2000年には、分別品目は16品目に。

準備期間には、役場担当課で大崎町内約150の集落を回り、1カ所につき3回ずつ、計450回もの説明会を行った。

「焼却場の維持管理費なども皆さんと情報共有しました。行政だけの課題でなく住民の課題として、危機感を持ってもらったのです」

当然ながらさまざまな意見が噴出したが、住民が納得して協力しないことには、16品目ものごみの分別は成り立たない。話し合いを重ね、ようやく住民主導の「大崎リサイクルシステム」がスタートした。

大崎町と志布志市の埋立処分場。分別開始前の1998年には、計画期間内の2004年までもたない状況に。ニオイなども酷かったという(写真提供/大崎町役場)

大崎町と志布志市の埋立処分場。分別開始前の1998年には、計画期間内の2004年までもたない状況に。ニオイなども酷かったという(写真提供/大崎町役場)

27品目を、住民が家庭内とごみ収集場で分別

大崎町のごみ分別品目はさらに細かくなり、現在では27品目に。ビンであれば「生きビン(リターナブルビン)」「茶色ビン」「無色透明ビン」「その他のビン」で4品目。紙類は8品目、蛍光灯類で1品目、陶器類で1品目などといった具合だ。

ホームページ内で調べられる「大崎町の分別ルール」(画像提供/大崎町役場)

ホームページ内で調べられる「大崎町の分別ルール」(画像提供/大崎町役場)

大崎町のホームページ内「大崎町の分別ルール」を見ると、27品目1190種類のモノについて、例えば「ボールペンは何ごみになるか」といった分類と、資源として出すための洗い方などが、日本語、英語、ベトナム語で詳しく書かれている。

かつては黒くて中身が見えなかったごみ袋は、半透明で赤が「資源ごみ」、青が「一般ごみ」の2種類となり、さらにそれぞれには各家庭の名前を書く必要がある。

「記名式にしたのは16品目にして間もない時期です。すると分別の精度がグンと上がりました。自分で出したごみに自分で責任を持つ。ごみの出し方を間違えたら、その人が持ち帰り再度分別をし直すという“排出者責任”の考え方です」

大崎町の家庭でのごみの分別の様子。赤の袋が資源ごみ(写真提供/大崎町役場)

大崎町の家庭でのごみの分別の様子。赤の袋が資源ごみ(写真提供/大崎町役場)

写真はある家庭で、紙以外のごみを仕分けている分別の様子。「一般ごみ」である青の袋は使用済みティッシュや肌着、ガラスの破片など、リサイクルできずに埋立処分場へ持ち込まれるもので、「これをできるだけ減らすために分別しています」と松元さん。

生ごみの回収は週3回、一般ごみの回収は週1回、資源ごみの回収は月1回だ。

住民は衛生自治会に入会し、各収集場に一世帯500円で登録。収集場では管理者の指示に従い、共同で分別を行う。

月に1度、ステーションでの資源ごみ回収の様子。青いカゴに住民が自ら仕分ける(写真提供/大崎町役場)

月に1度、ステーションでの資源ごみ回収の様子。青いカゴに住民が自ら仕分ける(写真提供/大崎町役場)

上は月に1度の資源ごみ回収の様子。一時保管した使用済みの乾電池や割り箸、蛍光灯など、微量な資源ごみは、各自がこの日に持っていき、青いカゴに仕分ける。奥に見えるのは資源ごみの赤い袋だ。

また、生ごみは生ごみ回収容器へ。この後、家庭から出る草木剪定くずと混ぜて、約5カ月かけて堆肥をつくり、一般家庭向けに販売している。

生ごみは十分に水切りを行い、ビニール類の異物混入がないか確認した後、収集場の生ごみ回収容器へ(写真提供/大崎町役場)

生ごみは十分に水切りを行い、ビニール類の異物混入がないか確認した後、収集場の生ごみ回収容器へ(写真提供/大崎町役場)

「分別開始当初は、職員が研修を受けてから各自治会に割り当てられ、分別指導を行いました。それでも、想定していないものが捨てられることがあります」といい、分類が分からないものは職員が持ち帰り、担当課に行って調べてから、「これは何ごみになります」と返答。「それらを繰り返して、今の27品目になりました」とのことだ。

こうして回収された資源ごみは、町内に誕生した民間企業の「有限会社そおリサイクルセンター」で仕分け、検査され、「商品」としてリサイクル事業者へ出荷される。

「大崎町の資源ごみは常にAAA評価。住民の皆さんが各家庭で汚れを洗い、乾かし、素材を間違えずに分別できているからです。評価が高いと有価物はより高く売れ、処理費のかかるものは費用が安くなります」とのこと。

ほかにも「菜の花エコプロジェクト」の一環として、家庭で使用後の食用油を回収。これらは不純物を取り除いて生成され、「そおリサイクルセンター」でゴミ収集車のリサイクル燃料などに生まれ変わらせている。これらの売買益金も町の歳入となる仕組みだ。

ごみのリサイクル率83.1%のまちは、すごかった。

「そおリサイクルセンター」の誕生で、住民の雇用も生まれた(写真提供/大崎町役場)

「そおリサイクルセンター」の誕生で、住民の雇用も生まれた(写真提供/大崎町役場)

さまざまな思いで住民が協力し、大きなメリットを生んだ

想像するだけで手間が掛かると分かる「大崎リサイクルシステム」。住民の反応を尋ねると、「メディアのインタビューでも『最初は大変でしたが、今では慣れてそうでもないですよ』という声が返ってきます」と松元さん。

住民と行政の頑張りなしでは成り立たないが、得られるものも大きい。

「メリットの1つ目は、当初の目的である埋立処分場の延命化です。始める前の1998年と2018年の比較では、埋立ごみは85%減っていて、当初は2004年まで使用の計画でしたが、現状まだ使っている状況です。あと35年から45年は大丈夫という状態になりました。また、埋立処分場に有機物が捨てられることがなくなったため、かつてのようなニオイはなく、視察に来た人をご案内できるようになりました。

大幅なごみの削減により、当初の目的であった埋立処分場の延命化を達成(画像提供/大崎町役場)

大幅なごみの削減により、当初の目的であった埋立処分場の延命化を達成(画像提供/大崎町役場)

2つ目は、1人当たりにかかる焼却や埋立て、リサイクルといったごみ処理事業経費の大幅な削減です。2018年度のごみのリサイクル率の全国平均は19.9%ですが、大崎町では83.1%。国民1人当たりのごみ処理事業経費が年間1万6400円であるのに対して、大崎町では1万500円です(一般廃棄物処理実態調査結果/環境省)。すると、大崎町では年間約7700万円を節約できていることになり、その分を財源として、教育や福祉など他の分野に使えているともいえます。これは焼却場を持たないことと、住民の皆さんの分別によって、行政コストが下がったという結果です。

大崎リサイクルシステムによる、1人当たりのごみ処理経費の削減率(画像提供/大崎町役場)

大崎リサイクルシステムによる、1人当たりのごみ処理経費の削減率(画像提供/大崎町役場)

3つ目は、大崎町にそおリサイクルセンターという企業が生まれたことで、約40人の雇用が生まれたことです。ここで働く人たちは地元から採用しています。

4つ目は、分別で資源を商品にしたことで、2000年から今までで、1億4000万円もの益金が発生したことです。これを町の子どもたちのための基金として積み上げ、『大崎町リサイクル未来創生奨学金制度』をつくりました。大崎町には大学がないので、進学する子は外に出て一人暮らしをすることになります。そこで奨学金を借りた子たちが、卒業後、大崎町に帰ってきて居住したら、奨学金の返済と同額のお金を支援するというプロジェクトで、大崎町と鹿児島相互信用金庫、慶應義塾大学SFC研究所の連携により生まれました。これにより、優秀な子どもたちが大崎町に戻り、故郷の活性化を担う“人財の循環”ということができれば、大きなメリットとなります」

子どもたちも「大崎リサイクルシステム」に取り組む。写真は大崎小学校の全校生徒が校区のごみを拾い、学校に持ち帰ってごみの分別や洗浄を行った「大崎ピカレンジャー大作戦」の様子(写真提供/大崎町役場)

子どもたちも「大崎リサイクルシステム」に取り組む。写真は大崎小学校の全校生徒が校区のごみを拾い、学校に持ち帰ってごみの分別や洗浄を行った「大崎ピカレンジャー大作戦」の様子(写真提供/大崎町役場)

世界標準で、人材も資源も循環型の社会へ

鹿児島大学とインドネシア大学の学術交流の際、大崎町が紹介されたことをきっかけに、2012年度から大崎町では、インドネシア・デポック市のごみ問題にも取り組んでいる。

「インドネシアは世界的に見ても海洋プラスチックごみが多い国です。また、焼却炉がなく、埋立処分場のひっ迫という点で大崎町と似ていました。そこで、インドネシア・デポック市の要請を受けて、廃棄物の減量化と環境教育を支援しました」

支援はJICA(国際協力機構)の「草の根技術協力事業」として3 年間行われ、デポック市の生ごみの堆肥化施設を指導。分別収集やごみの資源化によって埋立処分場の減量化に貢献した。このデポック市の支援が評価され、現在はバリ州でも同様の支援を進めており、ジャカルタ特別州では「ジャカルタリサイクルセンター」の設置を目指している。

「焼却場がなく埋立処分場がひっ迫している、アジアの国の大半は同じ問題を抱えています。住民が協力してくれれば、それらの国でも大崎リサイクルシステムは実現できます」

「今、大崎リサイクルシステムはフェーズ2(第2段階)に入りました」と松元さんは言う。
2018年12月には「第2回ジャパンSDGsアワード」内閣官房長官賞を受賞。2019年には「SDGs未来都市」と「自治体SDGsモデル事業」にも選定された。

「第2回ジャパンSDGsアワード」でSDGs副本部長(内閣官房長官賞)を受賞し、東靖弘町長が授賞式に出席(写真提供/大崎町役場)

「第2回ジャパンSDGsアワード」でSDGs副本部長(内閣官房長官賞)を受賞し、東靖弘町長が授賞式に出席(写真提供/大崎町役場)

2020年には「リサイクルの町から、世界の未来を作る町ヘ」を合言葉に、「大崎町SDGs推進協議会」の設立を発表。大崎リサイクルシステムを事業化して、企業や団体、学校、研究機関とも連携し、世界に発信している。

プラスチックごみの増加など地球規模の問題に対しては、大手メーカーと一緒に、ごみを出さない商品づくりに取り組んでいく。日本政府にも、「途上国に焼却炉を販売する際は、大崎リサイクルシステムとのパッケージ化を」と提言しているという。

また、大崎町で埋立てられているごみの約1/3を占める紙オムツに関しては、大崎町と志布志市、ユニ・チャーム株式会社、有限会社そおリサイクルセンターで協力して、再生オムツをつくるプロジェクトの実証実験をしているところだ。

「今、『世界標準。大崎町』というキャッチフレーズを使っています」と話す、松元さんの表情は明るかった。

「いつか大崎町に、世界中から人々がリサイクルを学びに来れば、街全体が国際大学のようになるかもしれません。留学生たちが大崎町を行き交い、人々が国際交流をする。それを見て子どもたちの国際感覚が磨かれ、海外で活躍するようになる。そしていずれは地元に帰ってきて、大崎町をよりよくしてくれる…。人も町も、循環する町。大崎町はサーキュラーヴィレッジ構想を実践します」とのことだ。

大崎町のサーキュラーヴィレッジ構想(画像提供/大崎町役場)

大崎町のサーキュラーヴィレッジ構想(画像提供/大崎町役場)

今すぐ、ごみ袋に名前を書いて出せるか?と問われたら、正直ドキッとしてしまう。分別品目が多ければ、手間はもちろん、家の中にごみ袋やごみ箱の数も増えるだろうし……。自分ごとに置き換えて考えるほど、住民主導の「大崎リサイクルシステム」には胸を打たれる。

小さな町だからできたのでは?と思われるかもしれないが、京都市でも、ごみの減量化により5基あった焼却処分場を3基に減らしているとのこと。「大都市の京都でできることなら、どの地域でもできるはず」と松元さんは力を込めた。

ごみの出し方、リサイクルや買い物への日常的な意識など、一人ひとりにできることがまだまだあるはず。可能性を感じ、思いを新たにした。

●取材協力
大崎町役場

保育園の中に総菜屋さん!? 商店街みんなで子育て「そらのまちほいくえん」

新生活が始まる人も多い春。なかでも、産休や育休が明け、職場復帰を控えた園児の保護者は、期待と不安で胸がいっぱいなのではないだろうか。今回は、鹿児島県鹿児島市の繁華街・天文館の商店街にある、総菜店を併設した保育園「そらのまちほいくえん」の取り組みを紹介。「あったらいいな」を実現した保育園の副園長・柳元正広さんにお話を聞いた。
変化の時代を生き抜くために。根本の力を身につける保育園

総菜店が併設されたユニークな企業主導型保育園「そらのまちほいくえん」。どのような背景で立ち上げられたのだろうか。

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「『そらのまちほいくえん』は、今年3年目を迎えた保育園です。僕たちはその前に、霧島市で『ひより保育園』という保育園を立ち上げました。ここは郊外の自然豊かな地にあり、広い園庭でのびのびと園児たちが遊べる保育園です。食育などの取り組みでも注目され、首都圏からも視察に来る人がいました」

「ひより保育園」はいわゆる“のびのび系”の園。給食には地域の農家の野菜を使い、おやつも手づくり。広い園庭があるほか、高齢者施設も隣接しており、幼少期に親以外の多くの大人と関わることができる。園児は包丁を握って料理し、お客さんをもてなすこともある。

「視察をした人たちからは度々、『理想的だけれど、この場所だからできることだよね』という声が聞こえてきました。でも僕たちは、『この場所じゃなくてもその土地ならではのやりかたで人が育つ園がつくれるはずだ』と思っていました。だから都市部に『そらのまちほいくえん』をつくることは、自分たちにとってもチャレンジだったのです」

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

両保育園は、「保育業界の外にいた人が同じ考えに共鳴し合い、集まってつくった」という園だ。柳元さん自身も以前は関西で小売業をしていて、そらのまちほいくえんの立ち上げで鹿児島にUターンしてきた。

「仲間には、ビジネスの世界で活躍していた人もいれば、新卒者向けのコンサルタントをしていた人もいます。今は変化が求められている時代。生きにくさや閉塞感を感じる人が多く存在します。コンサルタントをしていた仲間は、『働くことの意味が分からない』という若者の声を耳にしました。現代社会が抱える問題を、自分たちでどう変えていくかを考えたときに、会社の前に大学があり、高校、中学校、小学校、そして幼児期がある。0歳から5歳までの時期に、人としてしっかり生きる力を身につけるという、根本が大事なんじゃないかという思いがあって、これに対する一つの方法が、保育園をつくるというものでした」

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の立ち上げで、人と街へ2つの問題解決

天文館という都市部の商店街に保育園をつくるにあたり、柳元さんたちは、大きく2つの目標を定めた。
「1つは、都市部でも郊外と同じように、現代の子どもたちがこれからの社会を生き抜いていく力を育むこと。もう1つは、今寂しい状況にある地方都市の商店街に、にぎわいを呼び戻すということです。保育園が起点となった街づくりができないかと考えました」

柳元さんたちは、「幼少期に、親以外の大人とどれほど多く、どれほど深く関われたかということは、その子の人生に大きな影響を与える。地域の人たちと日常的に交流することで、より充実した園生活を送ることができる」と考えている。

そんなそらのまちほいくえんの特色の一つが、総菜店が併設されているという点だ。

仕事帰りに保育園へ子どもを迎えに行き、それから夕飯の準備のために、空腹の子どもを連れてスーパーへ行くのは、日々のことながら辛い。

「僕も小学生と年長児の父親ですし、子育て中のスタッフも多いです。これまで、保育園へ迎えに行った帰り、その場でお総菜が買えたら便利だなと考えることがよくありました。時間がなく疲れているからといって、毎回スーパーやコンビニでお弁当を買うのは子どもに対して罪悪感がありました。保育園の食事と同じように、地元農家さんが育てた旬の野菜を使って、丁寧に調理したおかずやお弁当が買えたら安心なのではと考えました」

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

誰もが「罪悪感なく」買って帰ることができるお総菜を

3階建てのビルの1階から3階に入居している「そらのまちほいくえん」は、1階に入り口が2つあり、向かって右側が保育園、左側が「そらのまち総菜店」になっている。

ショーケースに並ぶのは、園の給食で出しているおかずもあれば、店頭オリジナルの総菜もある。近郊の農家による旬の野菜を豊富に使い、季節を感じられるラインアップだ。「見た目も楽しくなるように」と調理法もアイデアを凝らしているという。園児の親子にとっては、「これおいしいよ」という共通の話題もできるし、入園前の幼児を持つ近隣の保護者にとっては、園の給食の試食感覚で購入することもできる。

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

総菜は「春巻き」や「菜の花の入ったオムレツ」など、300円~600円の価格帯が常時12種類ほど。ほかに、650円~850円の価格帯のお弁当を4~5種類そろえている。園児に人気のメニューを聞いてみると、「今なら季節野菜の白和えですね」とのことだ。

「コロナ禍の影響もあって、お弁当を買う人は増えています。お昼は商店街にあるお店で店番をしている人が買いに来られることが多いです。『同じ釜の飯を食う』と言いますが、街の人と園児が同じものを食べているということには意味があると思います。また、園児の保護者の中にも、日常的にリピートしてくださる方がいて、やはり『園の帰りに子どもを別の場所に連れていかなくていいのが助かる』と喜ばれますね」という。保育士やスタッフも子育て世代なので、仕事が終わると総菜や野菜を購入して帰っていくそうだ。

「鹿児島の郷土料理である『がね』も好評です。これはサツマイモやニンジンなどのパリッとしたかき揚げで、昔はどの家でもつくられていた家庭料理ですが、今はつくる人が減っているようです」と柳元さん。
若い世代へ、地元に伝わる味や旬の豊かさを伝える役割も果たしている。

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

子育て世帯が行き来し、寂れかけた商店街に変化が

天文館商店街はどう変わったのだろうか。
「そらのまちほくえんは、元は本屋だった空きビルを使っていますが、柳元さんたちがこの場所に保育園をつくることを検討しはじめたころは、ここの前の通りは人通りがありませんでした。路面に10以上の空き店舗があって目立つような、寂しい通りだったんです。でもそこに、約50人の園児がいる保育園が入ることにより、朝夕、50組の子育て世帯が通ることになります。0から、少なくとも50×2往復の人通りが生まれたわけです。すると、そこをターゲットにしたお店もできてきます。今はほとんどのテナントが埋まっている状態になりました」

「周辺のお店の方から『人通りが増えて街に活気が出てきた』と喜ばれたり、『飲み屋が多く夜のイメージが強かったが、保育園ができてからは明るい昼のイメージに変わった』と言われたりすることも。地域の方に、『街が子どもを育てるとよく言うが、ここは子どもが街を育てているね』と言われたのはうれしかったですね」

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

街なかの保育園だから分かる「持たないことの豊かさ」

「豊かさってなんだろう」。保育園をつくるにあたり、柳元さんたちスタッフは改めて考えたという。

「郊外型の保育園であれば、自然の豊かさを感じることができる。でもそれだけじゃなくて、街には街の豊かさがあるはずです。さまざまな世代や立場の人と日常的に関わり、交流できることが、街の保育園で得られる豊かさなんじゃないかと考えました」

八百屋に花屋、団子屋、美容室……。園児たちが商店街を散歩すると、いろいろな店の人たちとのふれ合いが生まれる。かわいらしい園児たちの姿を見に、店先へ出てくる人も多い。

3年目を迎え、0歳で入園した子も3歳に。「みなさん、子どもたちに『大きくなったね。もう歩けるの?』などと声を掛けてくれます。核家族が増えた時代に、家族や同年代の子だけに関わるのと、日常的に商店街のいろんな世代の人たちと話すのとでは、関わる人の幅が全く違います」

食育の一環で子どもたちが料理をするために、子どもたち自身が保育士と買い物へ行き、店の人と話して、使用する野菜を選んで買うこともある。

「選んだジャガイモをマッシュポテトにするかコロッケにするかなど、どうやって食べるかも子どもたちが決めます」と柳元さん。ちなみに、こちらの園児たちは包丁で根菜を切り、火や油を使って玉子焼きを巻き、唐揚げも揚げる(!)。園児は年齢を問わず参加し、手掴みができる子なら、1歳前後からプチトマトを洗ったり、しめじをほぐしたりして役割をこなす。

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街のビルの中にある「そらのまちほいくえん」には園庭がない。
「街なかでは子どもが遊ぶところがないのでは?と言われることがあります。でも、近くには公園がいくつもあるので、『今日は芝生がきれいな公園に行こうか、それともジャングルジムで遊べる公園にしようか』と、子どもたちが話し合って行き先を決めます」

1番大事なのは、子どもたちが生きていく力を身につけることだと柳元さんは強調する。
「子どもたち自身が『今日は走りたいから広い公園に行こう』などと自分で考えて、自分で行動することができています。園庭を持たないからこそ、目的に合わせて行き先を選ぶことができる。持たないことの豊かさもあるんじゃないでしょうか」

子どもたちは、近くにある水族館まで歩いて、イルカのトレーニングの様子を見るのも大好きだという。
「これらも、街なかにある保育園の特権ですね。郊外型保育園ではなくても、子どもたちが色々な経験をすることはできます」と柳元さん。

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

地域交流が防犯や防災の役割も担う

商店街での交流が、地域の防犯や防災の面でも機能していると感じるという。
「子どもたちは商店街のみなさんと顔なじみなので、連れ去りなどの犯罪も未然に防ぐことができると思います。その子の様子が何か違うということは、街の人が普段の様子を知っているからこそ分かるものですから。
以前、火災報知器が誤作動で鳴ってしまったことがあるのですが、近所の人たちがタオルを持って駆けつけてくれました。体格のいいお兄さんが、子どもたちを抱っこしてすぐに避難させてくれて……。何事もなくホッとしましたが、あの時は、街の皆さんに守られているなと感じました」

園でも、地域の備蓄品として常温で長期保存できる焼き芋をストックしているほか、非常時に給食室で炊き出しができるようにと考えている。

「たくさんの方にお力を借りているので、私たちも地域に貢献したいと思っています」

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

今後は、保育園と関わる人や店舗に地域全体で子どもが育つ場をつくっていることが可視化できるステッカーなどのツールを配布し、街との関わりを見える化することで、より関係性を深めていきたいという。

また、いずれは系列の小学校や中学校の設立も視野に入れているそう。「そらのまちほいくえん」と同じように、軸はもちろん、子どもが生きる力を育むことだ。

「学校設立となるとハードルはグッと上がりますが、注目していただいている以上、応えていきたい。さまざまな方の知恵やお力を借りながら、実現に向けて動いていきたいですね」というから楽しみだ。

保育園へ迎えに行き、給食と同じお総菜を買って帰ることができるなんて理想的!
筆者も保育園児の母を経験した。仕事帰りの疲れた体で迎えに行くと、我が子の園では「今日の給食」が展示されていて、「お昼においしそうな魚の竜田揚げを食べたなら、夕飯は簡単でも大丈夫」などと思ったもの……。
バタバタな日々の中、子どもの1日のうちの1食を保育園が担ってくれることで、どれだけ気持ちが救われたことか。総菜店がある「そらのまちほいくえん」なら、さらに親子で夕飯を素早く囲める幸せも付いてくる。

保育園に総菜店を併設する。小さくも思える日々の問題を解決することが、街を変えるほどの大きなパワーに繋がっていた。

●取材協力
・そらのまちほいくえん

暖かい地方の家は“無断熱”でいい? 実は鹿児島県は冬季死亡増加率ワースト6!

夏は涼しく冬は暖かい。そんな快適な暮らしに欠かすことのできない「断熱」。今や、“家づくり”を考える人たちが最も重要視すると言っても過言ではないが、実は地域によってその意識はさまざま。今回は、南国・鹿児島から、その重要性を訴え、断熱の輪を広げる株式会社大城の大城仁さんにお話を伺った。
南国だって冬は寒い!「冬季死亡増加率上位県」鹿児島のこれまでの実態

“南国”として知られる鹿児島県が、冬季死亡増加率ワースト6位(※1)だという事実を、一体どれだけの方がご存じだろうか。

※1:厚生労働省:人口動態統計(2014年)都道府県別・死因別・月別グラフ参照

※1:厚生労働省:人口動態統計(2014年)都道府県別・死因別・月別グラフ参照

“南国”と言われる鹿児島県(写真/PIXTA)

“南国”と言われる鹿児島県(写真/PIXTA)

確かに、年間の平均気温は他県と比べると若干高めであるが、実は冬場の最低気温は関東や関西と変わらず、厳しい寒さをみせる。
暖かい部屋から寒い部屋への移動など急激な温度差により、血圧が大きく変動することで起きる脳梗塞や心筋梗塞などのリスクを防ぐための手段として重要視されているのが、外気温からの影響を最小限に抑える「断熱」であるが、鹿児島県には必要ない、そんな間違った常識が生み出した悲劇こそが、先に述べた結果なのだ。
ここ数年、全国で断熱の重要性が認知されるようになってきているが、「鹿児島は南国という意識を強く持っている人も多いこともあって、その重要性を感じていない人も少なくありません」と大城さん。
断熱とはその名の通り、“熱を断つ”こと。つまり、外の冷気だけでなく、夏の熱気を遮断することも忘れてはいけない。
近年の新築住宅でこそ、“高断熱高気密”はもはや当たり前となっているが、築年数の古い既存住宅では未だに断熱不足や無断熱のものが多い。賃貸住宅に関してはその比率はさらに高いのが現状だ。

経験から学んだ、性能向上の重要性

これまでリノベーションは、デザイン性重視の風潮が強く、 “いかにカッコよく仕上げるか”を競い合う傾向にあった。しかし、大城さんが着目したのは『断熱リノベーション』だった。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

『断熱リノベーション』とはその名の通り断熱性能を上げるリノベーションのことで、室内の温度を一定に保つ効果が期待できる。その他にも、省エネや遮音などさまざまなメリットがあるのだ。
「私自身も、無断熱のRCマンションで生活していました。同じ家で生活しているのに、妻や子どもたちが寝ている南向きの部屋と、私が寝ている北向きの部屋では明らかに温度が違いました。寒さの厳しい冬場になると、私だけ厚着をし、布団も一枚多くかぶらないと寝られないくらい過酷な状況。同じ家に暮らしながら何故こんなにも環境が違うのだろう?と疑問を持ったのがそもそもの始まりです。デザイン性だけではなく断熱性能を向上させることで、もっと快適な暮らしが出来るのではないか?と、断熱の重要性に気づかされました」と当時を振り返る。

学びから実践へ

「断熱」の重要性に着目した大城さんが、さまざまな学びの場を探して出合ったのが「エネルギーまちづくり社」が開催する『エコリノベーションプロフェッショナルスクール』だった。

(写真提供/エネルギーまちづくり社)

(写真提供/エネルギーまちづくり社)

これはエネルギーまちづくり社の代表取締役である竹内昌義さんと、スタジオA建築設計事務所代表の内山章さんら講師のもと、3日間という短い時間で熱の基本や、断熱リノベーションの進め方を学ぶ実践型ワークショップを行うというもの。ここでの経験が現在の活動へと繋がる大きなきっかけとなった。
このワークショップは、学びを学びで終えず、「全国各地で断熱の正しい知識を広めていこう」という趣旨だったこともあり、鹿児島に戻った大城さんは一例目となる『鹿児島断熱賃貸~エコリノベ実証実験プロジェクト~』に施工業者として参加することとなった。対象となったのは築37年のRCマンション『ルクール西千石』。このマンションを所有するのは鹿児島市にある日本ガス株式会社。省エネと住環境の向上の実現を目指しタッグを組んだ。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

断熱施工で最も重要なポイントは、熱がどのように伝わるかをしっかりと把握した上でその熱を断つこと、一番熱損失が大きいのは壁や天井ではなく、実は窓だという。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

今回はRC造の共同住宅であったため、残念ながら窓の交換はできなかったが、樹脂枠を用いた内窓、または木製枠の内窓を設置することで、断熱性と遮音性を高めた。
日本ではアルミ製、スチール製の窓枠を採用していることが多く、金属は樹脂や木に比べ熱伝導率が高いため断熱性が低いことが問題だ。
次に重要となるのは、外気に面する天井・壁・床に断熱材を隙間なく充填し、気密シートで密閉すること。ただ断熱材を敷き詰めるだけでは足りず、室内と外部の空気をしっかり遮断することが求められる。いくら性能の良い断熱材を用いても、気密性が悪ければその性能は発揮できず、断熱と気密は必ずセットで考えることが重要なのだそう。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

今回の実証対象となった2部屋は、北海道・東北地方の次世代省エネ基準と同等の性能を確保するため、UA値0.46(九州地区の次世代省エネ基準を大きく上回るHEAT20 G2グレード相当)を基準とし、温熱計算によって断熱材の種類や厚みを選定した結果、天井には60mm、壁には30 mm、床には45 mmの厚みの高性能断熱材(熱伝導率0.02W/(m・k))を採用した。(実際の温熱計算によって出された本物件のUA値は0.41と、目指していた0.46より高い省エネルギー性を示した)。
施工後、断熱施工を行った部屋と同じ間取りの無断熱既存空室を対象に、同一機種のエアコンを用いた温度測定と電気使用量のデータ測定を鹿児島大学の協力の下で行った結果、無断熱の部屋は外気からの影響を大きく受け室内温度の低下が見られたが、断熱施工された部屋の室内温度は外気に左右されることなく、体感温度は3.1度上昇。電気使用量は30%減というデータを得た。この実証実験で、暖かく快適に過ごしながらも電気代は今までよりも30%程度安くなるということが証明されたのだ。

(写真提供/大城さん)

(写真提供/大城さん)

今回の試み『鹿児島断熱賃貸~エコリノベ実証実験プロジェクト~』は高い評価を受け、1年を代表するリノベーション作品を価格帯別に選別するコンテスト、リノベーション・オブ・ザ・イヤー2019 総合グランプリを受賞。
南国に「断熱」は必要ないというこれまでの間違って広がっていた意識を大きく払拭する事例となった。

“断熱リノベ”の今後の動き

賃貸マンションで実証した「性能向上リノベーション」が日本一(リノベーション・オブ・ザ・イヤー2019 総合グランプリ)の称号を得たことは、周囲に大きなインパクトを与えた。
「『断熱が大事なのは分かるけど、コストも掛かるしなかなか踏み出せない』と言っていた同業種の仲間たちも、『今回の実証実験を機に断熱について真剣に取り組んでみたいと思うようになった』と声を上げ始めてくれた」(大城さん)
実証実験の結果を示すことができたおかげで、“高断熱施工は暮らしに必要なもの”と理解してもらえるようになったそうだ。 他にも断熱DIYワークショップの相談を受ける機会が増え、着実に南国鹿児島にも断熱の輪が広がっていると手応えを感じているそうだ。

(写真提供/頴娃おこそ会)

(写真提供/頴娃おこそ会)

「このような取り組みが全国的に広がることを祈りつつ、今後の既存住宅、建物の活用の一つの事例となればと願っています。断熱は、“特別なもの”ではなく、“当たり前のもの”と定着するよう、これからも活動していきたい」と話してくれた。
これまでの住宅は、デザイン性を一番に求められがちだったが、大城さんのように、冬は暖かく夏は涼しい快適な住まいの提案を行う工務店が増えることで、目に見えない性能価値を求められる時代へと移り変わっていくのではないだろうか。

●取材協力
大城

鹿児島発「こどものけんちくがっこう」って? 未来の地域づくりに種をまく!

数学や英語、プログラミングなどは学校以外で子どもが学べる場があるけれど、「建築」について子どもが学べる場は聞いたことがなかった。鹿児島県鹿児島市が拠点の「こどものけんちくがっこう」は、自分たちが暮らす地域の環境や住まいについて学べる学校だ。2020年度には日本建築学会教育賞(教育貢献)や第14回キッズデザイン賞のキッズデザイン協議会会長賞・奨励賞も受賞している。大学に建築学科があるのだから、国語や算数のように、小さなころから建築に意識を向けるのは良いことに違いない!「こどものけんちくがっこう」を立ち上げた鹿児島大学准教授の鷹野敦先生にお話をお聞きした。
日本の子どもたちに、一般教養として建築を学ぶ場を

まず、2016年の「こどものけんちくがっこう」立ち上げの背景について。
「私は鹿児島大学に着任して5年目になりますが、その前はフィンランドの大学に研究員として勤めていました。向こうで木造建築に関する研究をしながら暮らし、子育ても経験しました。

フィンランドの人たちは、街や建物への意識や関心がとても高いんです。多くの人が、それらを『自分のこと』として考えていて、それって大事だなと。日本ではなかなかないことなので、感銘を受けました」

フィンランド・ヘルシンキの児童向けの建築学校の様子(写真提供/鷹野先生)

フィンランド・ヘルシンキの児童向けの建築学校の様子(写真提供/鷹野先生)

では、フィンランドの人たちは、具体的にはどんな風に街と関わっているのだろう。

「例えば公共の建物をつくる場合、日本ではプロポーザル方式で委託先を選んで進めることが多く、その決定に至るまでのプロセスの中で、実際にその建物を使う一般の住民との接点はあまりありませんよね。一方、フィンランドでは情報をオープンにして、住民投票を行うこともあるし、住民が反対したら建設自体を止めることもあります。それに、大人も子どもも長い夏休みがあるので、コテージなどのセカンドハウスを持っている家が多く、親子で自宅やそれら住まいのメンテナンスをすることも日常的なのです」

確かに日本では、気づいたら空き地で工事が始まっていて、施設が建っていることが多いし、そういうものだと思っていた。建物の建設に住民が関わる場がないまま物事が決まっているので、賛否に関わらず、活動に参加する機会があまりない。

「だから、自分が日本に帰ることがあれば、子どもたちへの一般教養として、塾やピアノやそろばんのように、建築を学べる場をつくりたいと思っていたんです」と鷹野先生。2016年に帰国することとなり、鹿児島大学の准教授に着任してから、知り合いだった地元の工務店「ベガハウス」に声をかけ、わずか1カ月で「こどものけんちくがっこう」を立ち上げたという。

薩摩藩の「郷中教育」に習い、先輩が後輩へ伝える

以来、鹿児島大学構内で、月に2回、毎回5コマの授業を実施してきた。生徒は小学3年生から中学生まで。コロナ禍でオンライン授業となる前までは、学年ごとのクラス制で授業を行っていた。

「授業内容は、ものづくりが中心です。2~3コマで完成するような、住まいの模型や家具づくりなどを行います」(鷹野先生)

レベル別に3段階の内容があり、
小学3・4年生は「建築を楽しむ!をテーマに、簡単な木工や模型づくり」
小学5・6年生は「建築を考える!をテーマに、環境や森の座学から少しハイレベルなものづくり」
中学生は「建築を深める!をテーマに、建物の構造や日当たり、通風など屋内環境などの座学からハイレベルなものづくり」
といった具合だ。

木材だけでつくる(金物無し)橋の製作授業。2019年の定期授業(5年生クラス)の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

木材だけでつくる(金物無し)橋の製作授業。2019年の定期授業(5年生クラス)の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

子どもたちには、ノコギリやインパクト、金槌、メジャー、直角定規といった“マイ道具”を毎回持参してもらうというから本格的だ。

マイ道具をそろえることで、道具の使い方を覚え、モノづくりに愛着がわき、また日ごろから建築への興味を深めることができるそうだ。実際に、木工で余った端材を持ち帰り、家庭でも親と一緒に工作に挑戦する子たちがいるという。

そして最大の特徴は、鷹野先生は裏方に回るということ。代わりに大学生が1年間、生徒たちの「担任の先生」として教壇に立つ。「担任は、年間の授業計画や材料費の見積もりなど、お金のマネジメントも行います。子どもたちに建築を教えつつ、学生本人のためにもなるという取り組みなのです」

2019年の定期授業(中学生クラス)で、大学生である担任の先生から、日本の木造建築の多くを占める在来軸組の仕組みに関して学ぶ子どもたち(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2019年の定期授業(中学生クラス)で、大学生である担任の先生から、日本の木造建築の多くを占める在来軸組の仕組みに関して学ぶ子どもたち(写真提供/こどものけんちくがっこう)

先生役の大学生は、鷹野先生の研究室所属生だけでなく、やりたいと申し出た学生たち。やる気があれば学年も問わないという。

「かつて薩摩藩には、郷中教育(ごじゅうきょういく)という伝統の縦割り教育がありました。先生を立てずに、先輩が後輩に伝えていくという教育方法です。『こどものけんちくがっこう』を、現代版の郷中教育の場にしたいと考えました」

子どもたちが持つ建築への興味をさらに引き出す授業

では、受講生はどんな子どもたちなのだろう。子どもか、もしくはその親が、かなり建築に対し意識が高いのでは?!

「そもそも、子どもたちは建築への興味が高いものですよ」と鷹野先生。「受講者の親御さんも、もちろん興味を持っている方たちが大半ですが、子ども自身が建築や建物に関心を持っているということが多いのです。また、申し込んだのは親でも、子どもがどんどんのめり込むというケースが多いです」

そういえば我が家の子どもも、幼児期から木工などのイベントを楽しんでいるし、道を歩くと景色の変化によく気がつく。木や自然も大好きだ。子どもたちはもともと、建築への“意識高い系”だったのだ。

街並み見学や製材所、建設現場の見学、森へ連れて行くこともあるそうだ。「括りは『建築』ではなく、『環境に対してどう意識を持つか』だと思うのです。家だけでなく、街全体を自分たちが住む場所だと考えれば、森も家も関係なく、自分を取り巻くエリアが住まいだといえます。子どもたちにそう思ってもらうことは、地域の貢献にも繋がると思います」と話す。

また、毎年夏休みには、2日間かけて特別授業を実施。「工務店の大工さんにサポートしてもらいながら、実際の建物を子どもたちが建設します」

アイデア出しも、もちろん子どもたち自身で。夏期特別授業に向けて、担任の学生と一緒に子どもの遊び場を考案中(写真提供/こどものけんちくがっこう)

アイデア出しも、もちろん子どもたち自身で。夏期特別授業に向けて、担任の学生と一緒に子どもの遊び場を考案中(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2017年の夏期特別授業で、鹿児島市内の商業施設「マルヤガーデンズ」の屋上「ソラニワ」に、子どもの遊び場「ソラニワモッキ」を建設。大人はボランティアで、サポートに入る工務店も「子どもたちに建築を教えることは、ビジネス抜きで重要」と考えているそう(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2017年の夏期特別授業で、鹿児島市内の商業施設「マルヤガーデンズ」の屋上「ソラニワ」に、子どもの遊び場「ソラニワモッキ」を建設。大人はボランティアで、サポートに入る工務店も「子どもたちに建築を教えることは、ビジネス抜きで重要」と考えているそう(写真提供/こどものけんちくがっこう)

「こどものけんちくがっこう」を受講する子どもたちは、「街にこんな建物があったよ」「なんで窓がここにあるんだろう?」と、自分が住む地域や住まいを見る目が変わる。自分の家を新築するタイミングがあった生徒は、「プロの大工仕事を手伝った」と喜んでいたという。

受講した子どもたちが、将来建築の道に進んでも進まなくても、どちらでもいいと考えているという鷹野先生。「衣食住の中の住に目を向けてもらえればいいと思っています」

それでも受講生の中には、すでに工業高等専門学校の建築学科に進んだ女の子もいるという。「建築への興味に男女差もないですね」とのことだ。

身の回りのことから街を住みやすく変える意識を

これまでも、鹿児島大学の農学部など他の学部や、行政ともコラボレーションして活動してきた。
「コラボレーションする側の大人にも、環境や建築に関して『やはり子どもたちへの教育が大事だ』という機運が広がったと感じます」という鷹野先生。

「本来、住む建物や街は他人事ではありません。『家は製品のように買うもの』『壊れたら誰かに直してもらおう』といった意識を変えていかなければ。これは、地域や年代に関わらず、国内全体に対して言えることです」

そして鷹野先生から、「日本の建築教育は世界でもトップクラスなのに、日本の街並みは統一感やビジョンがなく、あまりキレイではないですよね」とドキリとするような指摘が。

「住む街を自分たちのものだと思わないと、住環境は変わっていきません。専門家の考えだけではなく、一般の方々が何を求めるのかということです。行政の人も住民ですから、そういった人も含めて、一人ひとりが危機感を持たなければ。市井の人が『ここはもっとこうならないの?』と街を意識しなければいけません」

それでは、専門知識がない私たち住民が、街への意識を持つためには、何をしたらいいのだろうか。

「例えばみんなで地域を掃除するとか、そういった身の回りのことからでもいいのです。こどものけんちくがっこうの活動も、まだ“点”ではありますが、自分たちの住む街を変化させようと、子どもたちと取り組んでいるところです」

子どもの読書スペースのアイデアを出す、2018年の夏期特別授業の様子。子どもたちは皆真剣な表情(写真提供/こどものけんちくがっこう)

子どもの読書スペースのアイデアを出す、2018年の夏期特別授業の様子。子どもたちは皆真剣な表情(写真提供/こどものけんちくがっこう)

これまでも前述の夏期特別授業で、鹿児島市内の商業施設の屋上に、子どもたちが考えた居場所をつくるなどの取り組みを行ってきた。

「これは商業施設とのタイアップによるものでしたが、若いファミリーが多く訪れる施設ですので、子どもも行きたくなる遊び場をつくってはどうかとみんなで考えました」

翌年は、同じ商業施設の「ジュンク堂書店」児童書コーナーに、子どもの読書スペースを制作。靴を脱いで座ったり、柱にもたれたり。子どもたちの「こんな場所で自由に本が読みたい」というアイデアが表現された、秘密基地のようなスペースだ。こちらは現在も利用することができる。

2018年の夏期特別授業でつくった子どもの読書スペース(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2018年の夏期特別授業でつくった子どもの読書スペース(写真提供/こどものけんちくがっこう)

そして今年は、同じ商業施設の授乳室に小さい子の遊び場を制作中とのこと。赤ちゃんの授乳時、上の子の待ち時間などに重宝しそうだ。

「街歩きをするときには、『ゴミ拾いをしながらやろう』と子どもたちに呼びかけて実施してきました。そのほうが、街のことや環境のことなどがいろいろと目に入ってくるんですよ」と鷹野先生。子どもたちの純粋な気持ちとキラキラした好奇心が、活動の原動力だ。

時間と場所を飛び越え、「オンラインだからできる建築」を模索中

今年はコロナ禍で、「こどものけんちくがっこう」も思うように現場で活動ができなくなり、代わりにオンライン授業をスタートした。

「オンラインだからこそできることもありますよね。まず、時間や場所を飛び越えられます」と鷹野先生は前向きに捉えている。実際、これまでの受講生は鹿児島県内在住の子どもたちだったが、今年は全国の子どもたちが受講する機会を得た。

「また、各自が家で過ごす時間が長くなり、『家の中を調べてきて』などと、より住まいを教材にしやすくなりました。これまで以上に、自分の住まいに目を向けていくこと。それを探索するのが今年だと思います」

2020年のオンライン授業「○○家」の様子。子どもたちが思い思いの小さな住宅を製作した(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2020年のオンライン授業「○○家」の様子。子どもたちが思い思いの小さな住宅を製作した(写真提供/こどものけんちくがっこう)

例えば、「世界の住まいを学ぼう」という授業では、フィンランドやスウェーデンに住む知人とオンラインでつなぎ、約7時間の時差を超え、ライブ配信で北欧の住まいや街を知る授業を実施したという。

2020年のオンライン授業「世界の住まいを学ぼう フィンランド/スウェーデン編」の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

2020年のオンライン授業「世界の住まいを学ぼう フィンランド/スウェーデン編」の様子(写真提供/こどものけんちくがっこう)

「今後は状況を見ながらですが、来年からは、オンサイトでの授業とオンライン授業を並行し、規模や内容を広げていきたいと思います。また、全国で同じ志を持つ人たちと連携し、こどものけんちくがっこうの全国展開も考えています」

すでにフィンランド・ヘルシンキやイタリアにある建築学校とも繋がりを持っているといい、オンラインを活用して世界はますます広がっていく。

大人も受講してみたいと話すと、「保護者の方からそういった声もあがっているので、いずれはオンラインで大人向けの『けんちくがっこう』も考えています」とのことだ。

子どもたち目線で暮らしやすければ、親目線でも子育てしやすい環境であり、もちろん大人も暮らしやすいはず。そうなると街に愛着を持つ人が増え、定住率が高まっていく……。これからの新しい街づくりにも活かされそうだ。

今後全国に広がるであろう「こどものけんちくがっこう」の卒業生たちが、建築だけでなく行政や街づくりに関わる仕事についたら、未来の街並みも変わるかもしれない。

市民講座でも「こどものけんちくがっこう」として鷹野先生が授業を行った(写真提供/こどものけんちくがっこう)

市民講座でも「こどものけんちくがっこう」として鷹野先生が授業を行った(写真提供/こどものけんちくがっこう)

「建築」と難しく捉えなくても、自分たちの住まいや街・地域から気づきが得られ、還元できる学問だと考えれば、深めるほど毎日が楽しくなりそう。それに、子どもが住まいのことに興味を持ってくれれば、家のメンテナンスや大掃除がラクになるかも……!? 子にも親にもいいことばかりだ。

オンラインの「こどものけんちくがっこう」は、ZOOM環境があれば受講可能(小学校低学年は保護者の同席が望ましい)。ホームページのメールフォームから申し込み、授業料(1講座1000円~2500円)を振込む形なので、気になるテーマから選ぶことができる。

公園でゴミ拾いを始めた我が子を、「ダメ!」と制した記憶が蘇った筆者……。今週末は子どもと一緒に街を歩いてみよう。改めて、自分が住んでいる地域を見つめ直してみようと思った。

鷹野敦さん●取材協力
鷹野敦さん
1979年生まれ。Doctor of Science (Tech.) / 一級建築士、鹿児島大学大学院修了。アアルト大学木質材料学修士・博士課程修了(フィンランド)。2016年度より鹿児島大学大学院理工学研究科准教授。
建築設計、木質材料・構法、環境評価、児童向け建築教育など、幅広く実践・研究活動を行っている。
受賞歴に2020年日本建築学会教育賞(教育貢献)、第14回木の建築賞(活動賞)、ウッドデザイン賞2019優秀賞(林野庁長官賞)、第14回キッズデザイン賞(キッズデザイン協議会会長賞・奨励賞)、2020年度かぎん文化財団賞(学術)など(写真提供/鷹野先生)
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