PROFILE: 岩田真吾/三星グループ代表PROFILE: 1887年創業の素材メーカー「三星グループ」の五代目アトツギ。慶應大学を卒業後、三菱商事、ボストンコンサルティング グループ(BCG)を経て2010年より現職。欧州展開や自社ブランド立ち上げ、ウール再生循環プロジェクトReBirth WOOL、産業観光イベント「ひつじサミット尾州」、アトツギ×スタートアップ共創基地「タキビコ(TAKIBI & Co. )」などを進める。2019年ジャパン・テキスタイル・コンテスト経済産業大臣賞(グランプリ)を、2022年「フォーブス ジャパン」 起業家ランキング特別賞をそれぞれ受賞。個人としてAB&Company(東証GRT9251)社外取締役、認定NPO法人Homedoor理事、神山まるごと高専起業家講師、フィンランド政府公認サウナ・アンバサダー等も務める。PHOTO:KANA KURATA
「ひつじサミット尾州」立ち上げのきっかけと背景
WWD:オープンファクトリーを軸とした産業観光イベント「ひつじサミット尾州」を企画した背景は?
岩田: きっかけはコロナ禍です。それまでも「産地のみんなが協力した方がいい」ということは頭では理解していましたが、心の奥では、それぞれの企業が自己責任で経営し、自社の収益最大化を目指すものだと考えていたため、産地全体ではバラバラな状態でした。僕自身も例外ではありません。ただ、コロナ禍で産地全体の売り上げが半減し、危機感が現実のものになりました。たとえ自社が生き残っても、糸屋がなくなればモノづくりはできない。染工所がなくなれば、やはり製品は作れない。他の機屋(はたや)が減れば、糸屋や染工所の仕事も減って共倒れしてしまう。産地全体がつながっていることを、初めて心理的にも実感しました。
しかし、百年以上別々に存在してきた会社同士が、いきなり合併して共同事業を始めるのは現実的ではありません。だからこそ、まずはお互いをもっとよく知る機会を作ろうと考えました。せっかくなら内輪だけで終わらせず、実際に生地を使ってくださるお客様、つまり「使い手」と「作り手」がつながる場にしたいと考え、「オープンファクトリーを開こう」という話に至りました。
WWD:関係を取り戻す、“ほぐし”の感覚があったのでしょうか?
岩田: それは非常に重要だったと考えています。遠回りに見えるかもしれませんが、産地を一つにまとめ、DX(デジタルトランスフォーメーション)を進めるうえでも不可欠なプロセスでした。振り返れば、この取り組みが最短ルートだったと思います。
WWD:なぜそう思えたのですか?
岩田: 2015年に自社ブランドを始めたことがきっかけです。海外のラグジュアリーブランドに生地を使ってもらう中で、「自分たちの生地には価値がある」と手応えを感じていましたが、同時に「使い手はどんな思いで使っているのか」を知りたくなり、工場を案内するようになりました。すると、自社工場だけを見てもらうのはもったいないと感じ、協力してくれている糸屋にも声をかけるようになりました。
点ではなく面で見てもらう方が使い手にとって良いと気がつき、お客さんを自社に囲い込むのではなく、「他の機屋に行ったとしても三星のファンが減るわけではない」、「産地全体への関心が広がるはずだ」と考えが変わりました。そのタイミングで、コロナの直撃です。
三星毛糸の生産体制、元食堂で社内での織りを再開
本社内での工場 PHOTO:KANA KURATA
三星毛糸の歴史資料を紐解く展示。高祖母・志まさんが1887(明治20)に和服に使われる綿と絹の織物を艶やかにする「艶付け業」から始め、文明開化に伴ってウールの生地作りへと変化してきたPHOTO:KANA KURATA
サブスク方式の製品「ReBirth WOOL」といった取り組みも行っている PHOTO:KANA KURATA
ミュージアムのような本社ショールーム PHOTO:KANA KURATA
アーカイブを見ながら商談が進む。スワッチブックが歴史を物語る PHOTO:KANA KURATA
WWD:オープンファクトリーにより提供できる価値がある、とまずは自社のビジネスを通じて実感があったのですね。その三星毛糸のモノづくりについて教えてください。
岩田: 三星毛糸はその名の通り、もともと紡績の会社でした。そこから織りに進出し、自社で全量を織るようになりましたが、時代とともに専属の協力工場に織ってもらうスタイルに移行し、企画に特化する体制を築きました。僕が社長に就いた2010年頃には、すでに100%が業界用語で言うところの出機(でばた)さん、つまり協力工場での生産となっており、高齢化が進み、小規模なところが多いため自社で若手を採用・育成するのは難しい状況でした。
弊社で雇用した社員を協力工場に派遣して支援する取り組みも行いましたが、コロナ禍で一段と厳しくなり、協力工場だけに頼るのは限界が見え始めました。この状況を受け、空いていた元食堂スペースを活用して社内での織りを再開する決断をしました。最初はサンプル工場程度の規模で考えていました。織れるか不安だったので、試しに織機を3台だけ導入しましたが、生産計画を見直し、現場でコミュニケーションを密に取ることで、意外と量産が可能だという手応えを得ました。
たった3台から始めた取り組みが、今では主力工場の一つとなり、欧州ラグジュアリー向けの生地も織るレベルに成長しています。今後はこの社内工場をさらに強化していく方針です。
WWD:スタッフはどのように採用したのでしょうか。
岩田: 協力工場から来てもらう場合もあれば、自社採用して育てる場合もあります。
WWD:使用しているレピア織機は高速織りが可能ですが、作業風景からは職人による手作業のように見えました。
岩田: レピア織機はションヘルやシャトルに比べれば高速ですが、実際はほとんど手織りに近いスピードで織っています。ウールの糸はそのくらい丁寧に織った方が風合いが良くなる。尾州にはションヘルのイメージを持つ方も多いですが、レピアを丁寧に使って生地を織るのも非常に良いやり方だと考えています。
WWD:製品の何パーセントを自社内で織っていますか?
岩田: 今は生地の3割ほどと、増えてきました。これは現場のメンバーが機械の知識を熱心に学び、生産効率向上に精力的に取り組んでくれた結果です。さらに、長年支えてくれた協力工場の方々も協力してくれていて、工場を辞めた方が技術を教えに来てくれるなど、支え合いによって自社生産比率がここまで伸びています。
「ひつじサミット尾州」の成果
WWD:持続可能な産地をめざして2021年にスタートした「ひつじサミット尾州」ですが、昨年の成果を振り返ると?
岩田: 集客人数は少し減り、約1万2000人でしたが、売り上げは2000万円近くまで伸びました。人数が減ったのは天候不良で駅前イベントが中止になった影響ですが、各工場を訪れた人の数は増え、本気で生地や糸、製品を求めてくれる方が確実に増えました。ファンが着実に増えていると実感しています。4年続けてきて本当に良かったです。
WWD:YouTubeで公開している振り返りムービーが印象的でした。参加企業の言葉をつなぐ中、岩田さんは登場していませんでしたね。そこがまた良かったです。
岩田: 成果物を通して消費者に親近感を持ってもらうことが大切です。同時に、当初から掲げていた「産地内をつなぐ」という目標にも確実に貢献できたと思っています。
WWD:「つないだ」成果はどこに出ていますか?
岩田: たとえば今年の「ひつじサミット尾州」の実行委員長を務める伴染工の伴昌宗社長とは、これまで取り引きがありませんでしたが、今回新たに取り引きが始まりました。
WWD:今までなかったことが、外から見ると意外です。
岩田: 産地内でも全員が知り合いというわけではなく、名前は知っていても話したことがない相手は多くいますよ。競合関係というより、互いに話しかけるきっかけがなかっただけで、心理的なハードルがあったのが実情。「ひつじサミット尾州」のような場があることで、雑談ベースで「実はこんなことを考えている」と気軽に相談できるようになり、そこから具体的なビジネスの話が生まれやすくなっています。
また、経済的な効果に加えて、最近は企業が社会課題に向き合うこともますます重要になっていますが、産地でもこうした動きが進んでいます。今年6月6日には「ひつじサミット尾州」として産地全体の勉強会を開催する予定です。テーマはサステナビリティ認証で、オーガニック繊維の国際基準であるGOTSや、ウールのRWS(レスポンシブル・ウール・スタンダード)などについて、認証取得の窓口担当者を招き、学び合います。これらの認証は機屋だけでは取得できず、糸屋や染屋との連携が不可欠なため、産地全体で取り組む意義があります。イベントを賑やかに開催するだけではなく、こうした実践的なアクションを積み重ねることで、経済的な価値にも確実につなげています。
WWD:勉強会の対象は?
岩田: 「ひつじサミット尾州」参加企業が中心ですが、産地に関わる人なら誰でも参加できるようにします。他地域の参加も歓迎です。カジグループの梶政隆社長とは、北陸と尾州で連携して総合的な勉強会をやろうと話しています。こうして産地間のつながりが広がってきているのを実感しています。
WWD:産地の課題である後継者不足にもイベントは生かせそうですか?
岩田: 最近は採用にも各社で少しずつ効果が出てきています。ただ、3年経つと入社した若手が辞めてしまうケースも出てきており、産地全体で課題意識が高まっています。一社で採れる人数が少ないため、同期がいないことで孤立感が生まれやすく、また小規模なため十分な研修制度も整えにくい状況です。そこで、たとえば繊維品質管理士の資格取得を目指し、産地内で横断的に教え合う仕組みを作ろうとしています。
また、実際の製品づくりだけでなく、働き方の面でも総務や人事といった管理部門の強化にも力を入れ、勉強会を開くなど地道な取り組みを続けています。まだ土曜日勤務が多い現状を見直し、TOYOTAカレンダーのような土日休みを基本とする形に近づけようとしています。今年のひつじサミット実行委員会を務めている企業とも、そうした取り組みを共有しながら進めています。
いたるところに羊。キッズルームは「ヘラルボニー」と協業したPHOTO:KANA KURATA
PHOTO:KANA KURATA
開放的なこのスペースに人が集まる。日々ワークショップやトークイベントなどが開かれている PHOTO:KANA KURATA
補助金に頼らない運営による自由度と課題
WWD:補助金はどのように活用していますか?
岩田: 「ひつじサミット尾州」はボランティア組織でして、初年度の一宮市100周年の補助金をのぞき、現在は補助金に頼らず運営しています。僕らが“マジックタイム”を使っていて時々「これ、部活かな?」みたいな冗談を言っています。
毎年予算500万円の規模で開催していますが、同規模のイベントは通常800万〜1000万円ほどの補助金を受けて運営しているものが多い中で、僕たちは参加企業からの参加費と、一部企業からの協賛金だけでやりくりしています。参加費は企業規模に応じて5万〜15万円で、協賛は豊島、瀧定名古屋、モリリン、今年はタキヒヨーも加わり、さらに地銀からも支援を受け、ようやく成り立っている状態です。
WWD:地域活性は補助金ありき、と思い込んでいました。
岩田: 普通、そう考えますよね。最初に立ち上げた時は、コロナ禍で「お金をかけずにつながろう」という想いが強く、プロジェクトを通して産地内の仲間をつなぐことを重視したので、代理店に依頼する形にはしたくありませんでした。最初のプレ開催のときは経産省や愛知県、岐阜県、一宮市から後援は受けていて、それは公式な後ろ盾があることで参加者や工場側が安心できるだろうと考えたためです。
もし補助金をもらっていたら、コロナの緊急事態宣言下で開催を中止せざるを得なかったかもしれませんし、今のようにオープンファクトリーからデジタル支援や認証取得支援などに自由に発展させることも難しかったと思います。自由度の高い現在の運営形式は、結果的に良かったと考えています。ただ、回を重ねるごとに運営メンバーの疲労も見えてきており、今後サステナブルな形にするにはどうすべきかをみんなで議論しているところです。
WWD:福井県鯖江市で15年に始まったオープンファクトリーイベント「RENEW(リニュー)」は、実行委員会形式から社団法人化する流れがありますよね。
岩田: そういった形も参考にしながら検討していく必要があります。
WWD:官と民の連携についてどう考えますか?
岩田: 行政との連携も重要だと考えています。例えば富士吉田市の成功事例を見ると、官の側にもメリットを作り出し、自然に巻き込んでいくことが必要です。僕たちも、たとえばFDC(ファッションデザインセンター)との連携を通じて、一宮市、羽島市から参加費を、地銀からも協賛金をいただくなど、少しずつ官側との関係を築いてきました。ただ、全体を運営する補助金はもらっていないので、自由度の高い活動ができています。
これからも無理に税金を使うのではなく、地域にとって本当にメリットがあると認められるような活動を続けることが大切だと考えています。
WWD:山梨県富士吉田市の「ハタオリマチフェスティバル」は観光課である富士山課がリードしています。産業観光としての可能性は?
岩田: 特に尾州の場合は観光誘致よりも、地域産業の活性化と雇用創出の方が重要で、働く人口を増やし、地域の税収に貢献することが本質的な目標だと思っています。強い地域産業があることはシビックプライドにもつながる。だからこそ、今後は観光だけでなく、地域産業全体を巻き込む総合連携をさらに強めていきたい。
アトツギとして。コンサルでの経験が生かされる
WWD:岩田さんご自身のリーダーシップについて伺います。三菱商事やボストンコンサルティンググループでの経験は、今回の地域プロジェクトにどう生きていますか?
岩田: コンサルやビジネスの現場で培ったスキルは確実に役立っています。たとえば、資料作成やプレゼンテーション、プロジェクトマネジメント、目標設定、タスク割り振り、定例ミーティングの運営、議事録作成といった基本スキルです。「ひつじサミット尾州」の初年度はコロナ禍で時間もあったため、しっかりと運営の「型」を作ることができました。これらは過去の経験を活かした結果です。
「ひつじサミット尾州」を立ち上げるにあたって、富士吉田「ハタオリマチフェスティバル」や鯖江「リニュー」や新潟・燕三条「工場の祭典」、大阪・八尾「ファクトリズム」、京都・五条坂など、他地域のオープンファクトリー事例を事前に徹底的に調査しました。各地でどのくらいの人数を動員し、どのくらいコストをかけ、どんな運営体制を敷いているかをインタビューし、情報を整理してから立ち上げに臨みました。何もないところから始めたわけではなく、成功事例をベンチマークしたうえで、自分たちに合ったやり方を抽出して進めたプロジェクトです。
跡継ぎとしての覚悟と物語の継承
WWD:「アトツギ」について、どのように考えていますか?三星の跡継ぎとしての覚悟や希望を教えてください。
岩田: 僕がカタカナで「アトツギ」と書くのは意図的です。昔ながらの「跡継ぎ」というと、親の七光りやボンボンというイメージ、あるいは借金を引き継ぐかわいそうな存在というネガティブな印象がありました。でも今、カタカナの跡継ぎは、積極的に家業や地域の資産を新しい視点で再編集し、新たな価値を生み出していく存在だと思っています。偶然この立場にいるなら、それをポジティブに捉え、明るく堂々と発信していきたい。
正直、悩みながらやってきました。僕は社長になって15年になりますが、その間に事業の一部撤退も経験しました。いろいろなことがありましたが、仲間たちと話していると、事業が変わること自体はむしろ正しいアクションだと思うようになりました。時代の変化に応じて事業を変えていかなければ、逆に生き残ることはできない。例えばトヨタも、もともとは織機の会社だったのが、自動車産業に進出し、今ではまちづくりにも取り組もうとしています。僕たちも、繊維という軸そのものは変わらないかもしれませんが、大量生産・大量消費型のものづくりから、適時適量のものづくりへとシフトしていく必要があります。事業とは変わり続けるものだと考えています。
僕は、事業や社員、資本そのものではなく、「物語」を継ぐことが跡継ぎの本質だと考えています。事業は時代に合わせて変わるし、社員も変わる。会社の名前や株主も変わるかもしれない。でも、創業から続く精神や価値観、積み重ねてきた歴史や文化こそが継ぐべきものです。1887年創業の三星毛糸の場合、創業者が女性だったことは、今でいうダイバーシティの精神につながっているし、上皇陛下が来訪されたことは、開かれた姿勢を象徴しています。そうした物語を未来につなぎ、さらに豊かにしていくことが、跡継ぎとしての自分の役割だと考えています。もちろん、残せるものは残したいですが、変わること自体を恐れるべきではない。
業界の若い世代がプライベートで行きたくなるイベントに
PHOTO:KANA KURATA
入り口にはファクトリーストアを構える PHOTO:KANA KURATA
岩田家の家紋「丸に三つ星」が社名の由来に PHOTO:KANA KURATA
WWD:業界関係者の多くが週末にプライベートで参加していたのが印象的でした。
岩田: 「ひつじサミット尾州」はアパレル業界の人たちにまだまだその存在を知られていません。BtoBの産地なので、商売につなげたい気持ちは当然ありますが、それ以上にまずは見て欲しい。昔は尾州にも多くのアパレル関係者が訪れていました。父親の時代には、頻繁に足を運んでいたと聞きますが、消費の縮小とともに来訪者が減ってしまいました。
しかし、実際に来てもらうと違います。例えば、テキスタイル展示会に行っても生地サンプルは数百点しか触れませんが、三星毛糸のテキスタイルライブラリーには6000点以上もの生地が揃っていて、じっくり話をしながらアイデアを広げることができる。染色工場に行けば「こんな加工ができるならこうしてみよう」という新たな発想も生まれます。
出張費を増やすのは難しいかもしれません。それもありアパレル業界の若い世代がプライベートでも行きたくなるようなイベントを目指しています。BtoCで評価されるなら、アパレルの人にも自然と足を運んでもらえるはず。そういう時の方が、学びも深くなると感じています。
WWD:産地に足を運んだことがないアパレル関係者の方が今は多い。
岩田: そもそも普段から国内の生地を使っていなければ、わざわざ見に行こうとはならない。だからこそ、国内生地への関心そのものを増やしていかないといけない。現状、多くのアパレルは商社や卸を通して尾州の生地を仕入れていますが、アパレルの担当者が直接工場を見に来て、現場で指名買いする流れが生まれれば、尾州の地位はもっと上がっていくはずです。
潜在的には「尾州の生地を使ってみたい」と思っているアパレルやデザイナーはかなりいる感触です。ただしアポを取って工場訪問するのは心理的なハードルが高い。だからこそ、公式ホームページなどを見て直感的に「ここに行ってみたい」と思ってもらい、気軽に見学できるような仕組みを用意するべきです。
名刺交換ができる場も設ければ、初めての人でも自然に関係を築ける。そもそも尾州の生地を使っていない人たちにとって、そうしたカジュアルなきっかけをつくることが重要です。
WWD:潜在的なニーズは感じている?
岩田: はい。「オーラリー(AURALEE)」のようなブランドが海外バイヤーからも評価されていることで、尾州の認知度も着実に高まっています。まだまだ尾州が役立てる余地は多い。とはいえ、普通にしているだけではメーカーが急に生地を買ってくれるわけではないので、きっかけづくりを意図的に設計することが必要です。
WWD:若い人たちが働き場所として尾州に来て得られることとは?
岩田: ウールの生地を作りたいなら、尾州ほど環境が整った場所はありません。もちろん、シルクなら桐生ほか、コットンなら遠州や泉州、デニムなら福山など、それぞれ適した産地はありますが、ウールへの愛着があるなら尾州は最適です。アクセスも良く、日本のほぼ中央に位置しているので、全国の産地とのつながりも作りやすい。もちろん東京に住んでいれば情報量は多いかもしれませんが、さまざまな地域とつながる拠点として、尾州はとても有利な立地で産地の結節点になりつつあります。繊維の道を志す若い人たちにとって、尾州はキャリアを築くうえで非常に良い場所です。
まず日にちを決めてイベント実施を宣言してしまおう
WWD:これから同じような取り組みを目指したいと思っている他の産地に向けたアドバイスは?
岩田: まずは現状を正しく把握して理解すること。そして、もう一つ必要なのは強いリーダーシップです。この二つは欠かせません。そのうえで、僕はとにかく一度やってみることが大事だと思う。難しいことは考えず、まず日にちを決めて「この日にオープンファクトリーをやります」と宣言してしまうのがいい。ホームページを一つ作るだけでもいいし、インスタグラムでアカウントを立ち上げるだけでもいい。工場は一つよりも複数で参加した方が来場者にとっても魅力的になるので、できれば何工場かで連携してオープンにすると効果的です。
動いてみて初めて「何が足りなかったのか」「何を整えればよかったのか」が具体的に見えてきます。もしもう一歩踏み込むなら、既存のオープンファクトリーイベントを一度訪れてみることを勧めます。異業種の事例でも十分学びがあります。とにかく一度、実際に足を運んでみること。そして、一度やってみること。コロナ禍は、そうした行動のハードルを一段下げてくれたと思っています。
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