中央が勝俣美香 富士吉田市経済環境部富士山課観光担当課長。一緒に写るのが「ハタオリマチフェスティバル」を作り上げてきた運営メンバー。左から、赤松智志OULO代表、藤枝大裕 装いの庭代表取締役、土屋誠BEEK DESIGN代表アートディレクター PHOTO:KOHEI SHIKAMA
いま、「地域活性」という言葉が産業のみならず、カルチャーやライフスタイルの文脈でも語られるようになっている。そのなかで、必ずと言っていいほど名前が挙がるのが、山梨県・富士吉田市の「ハタオリマチフェスティバル」だ。織物の産地としての歴史に、観光やデザインを掛け合わせ、街の空気ごとアップデートしてきたこのプロジェクトは、9年目となる2024年、2日間で全国から2万6000人を集めた。その立ち上げと成長の背景には、行政と民間クリエイターによる柔軟な連携があったという。今回は、行政側の視点にフォーカスし、同フェスティバルを主導してきた富士吉田市富士山課・勝俣美香観光担当課長に、プロジェクト誕生から現在に至るまでの道のり、そして行政の立場から見た地域連携の可能性について聞いた。
WWD:「ハタオリマチフェスティバル(以下、ハタフェス)」は富士山課所属の勝俣さんと、山梨にU・Iターンした3人のクリエイターのつながりで生まれ、拡大してきました。その一人であるBEEK DESIGNの土屋誠代代表が甲府で2016年に開いた、富士吉田の織物の魅力を伝えるフリーマガジン「LOOM」の音楽会に足を運び、“ピンときた”のがきっかけだとか。どんな直感が働いたのでしょうか。
勝俣美香 富士吉田市富士山課観光担当課長(以下、勝俣): 実は、私自身も「なぜあの時あんなに惹かれたのか」、今でもはっきりとは分かりません。知り合いがいるわけでもない場所に、自分から飛び込むというのは、当時の私としては珍しいことでした。「なぜ隣町である甲府で富士吉田のイベントをやるんだろう?」と疑問に思いつつも、とにかくその場を自分の目で見てみたくなったんです。その日は東京出張でしたが、東京から直接甲府に向かうほど、なぜか惹かれました。そして実際にイベントを見て「この空間は温かい」と感じました。
WWD:富士吉田の街に響く機織り工場の音をコンセプトにした音楽だったと聞きます。
勝俣: ええ。ただ、当時、富士吉田の機織りに携わる方々が、自分たちの織物をもっと広めていきたいという思いでブランディングを行い、立川のエコキュートを皮切りに、東京の百貨店などでポップアップイベントを開催していましたが、それを知ったのは後のことです。
WWD:本来であれば富士山に関する施策に注力すべきタイミングですよね。
勝俣: 当時は2013年に富士山が世界文化遺産に登録された直後でした。ただ、街中には富士山をベースに商売をしている方が少なく、「やりたいけれど、担い手がいない」という状況でした。観光は、お金を落とす場所や動かす人がいなければ成立しません。
そんな中で、織物業界の方々は「全国的には右肩下がり」と言われている中でも、「もう一度盛り上げたい」とチームを作り、冊子を発行するなど、自発的に動いていらっしゃいました。その活動に観光としても何か一緒にできないかと心を動かされました。観光は結局、「プレーヤー」がいなければ成り立ちません。
WWD:織物に関わる人たちを“プレーヤー”と位置付けるのがユニークです。
勝俣: プレーヤーがいる、ということがとても心強く、だったら「機織りの町を見に来てもらう環境」を作ることが重要だと思いました。中心市街地には飲み屋街などレトロな雰囲気が残っていて、当時の観光ガイドブックにも、吉田のうどんや富士急ハイランド、神社などと並んで1ページだけですが、昭和レトロな街並みが紹介されていました。
「そのレトロなエリアを中心に富士吉田のまちに響くハタオリ工場の音をコンセプトにした心温まる音楽会のようなイベントを開催してほしい」と思い、音楽会を開いた土屋さんに相談しました。この街の物語を描き、イベントとして形にしていただけたら、温かみのある街づくりができ、観光的にも人が訪れてくれるのではないかと考えたんです。
富士吉田には、大きなホテルもありませんし、40人以上が同時に食事できる飲食店も少なく、団体バスツアーには向かない街です。では、どうやって個人旅行者に愛着を持って訪れてもらうか? その答えは、まさに“物語”と“体験”だと思いました。最初は限られた予算でしたが、土屋さんに相談したところ、「機織りの街に来てもらいたい」という私の思いを汲んでいただき、「織物フェスティバル」ではなく、「ハタオリマチ(機織り街)フェスティバル」という名称をご提案いただきました。もし織物だけにフォーカスしていたら、単に「機織りフェスティバル」になっていたかもしれません。
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最初から「産業の活性化」を目的としたわけではない
WWD:確かに、「街」という言葉が入っていることで、場所や人のぬくもりが伝わってきますね。
勝俣: そうなんです。これは“街を表現し、街に来てもらい、街を楽しんでもらう”ためのもので、織物はあくまでそのためのコンテンツのひとつです。最初から「産業の活性化」を目的としたわけではなく、「観光」を起点としたプロジェクトとして始まり、結果として街の活性化につながる形で「ハタフェス」がスタートしました。
WWD:なるほど。「ストーリーを作る」ことが最初から重要だったのですね。そのためには登場人物が必要で、まるで脚本のように展開していくという発想が、勝俣さんの中にあったのでしょうか?
勝俣: 当時の私は富士山課に来たばかりで、それ以前にロードレースのようなイベントの運営経験はありましたが、地域活性化を目的とした街づくりイベントの経験はほとんどありませんでした。なので、最初はそこまで深く考えていたわけではなかったんです。ただ、よくある“ラーメン祭り”的なイベントは、終わったらそれで終わってしまう。その場限りの盛り上がりで終わるイベントではなく、この街の歩みや人の思いが伝わるような、長く記憶に残るイベントを作れたらとは思っていました。
そういう意味で、土屋さんに「この街を好きになってもらえるようなイベントを作れないか」とご相談したところ、土屋さんは本当にプロフェッショナルで、しっかりとした“ストーリー”を描いてくださった。そのおかげで、「街への思い」が形になったと感じています。
富士山課が街の中心地に人を呼び込む
WWD::富士山課に異動した際のミッションが“街の再生”だったとのことですが、具体的にはどのような指示があったのでしょうか?
勝俣: 「女性の視点で、街中に人を呼び込むことを考えなさい」というのが私に与えられたミッションでした。
WWD:富士山課という名称からは、富士山関連の業務が中心のように思えますが。
勝俣: はい、富士山課では観光だけでなく、それまでは登山事業などを主に行ってはいましたが、“街の中心地に人を呼び込む”という観点からの取り組みは、当時の富士山課長や私が異動してきたタイミングで初めてミッションとして掲げられたと思います。
リネンで有名なテンジンファクトリー
羽田忠織物のネクタイ
ハタオリマチと女の子との出会いを描くポスタープロジェクト
WWD:現在は商工振興課と連携して取り組んでいるのですか?
勝俣: 商工振興課としての取り組みである「ハタオリマチのハタ印」というプロジェクトと連携しています。「ハタオリマチのハタ印」として生地販売や「BTAN」事業として傷あり生地の販売や織物屋さんの廃棄される生地などを使ったワークショップなどもやっています。
「行政らしくないイベント」を目指して
WWD:「ハタフェス」の参加者数の推移を教えてください。
勝俣: 初回の2016年は約2000人でした。19年は台風で中止、20年はコロナで開催できませんでしたが、21年以降は徐々に回復し、22年に1万2000人、23年に2万4000人、そして24年に2万6000人と増加しています。22年からは、富士山への登山道でもある中心市街地の「本町通り」を、日曜日だけ歩行者天国にする施策を取り入れたことも来場者数の増加に寄与したと思います。
WWD:2万6000人という数字について、どのように受け止めていますか? 観光客は地元だけでなく、かなり広範囲から来ている印象があります。
勝俣: 沖縄など遠方からも来場があります。フェスの大きな特徴のひとつが「他地域とのコラボレーション」です。たとえば、魅力的なパン屋さんや雑貨店、デザイン会社など、他の地域の出店者と組んでイベントを盛り上げています。こうした出店者たちが、それぞれの地域に戻ってフェスをPRしてくださることで、さらに認知が広がるという好循環が生まれています。最近では他の自治体からの視察も増え、出店者からも「ハタフェス」は売り上げがいいという声を多くいただいています。本当に、最初に想像していた以上に、このイベントは大きく育ちました。
WWD:行政の仕事は異動が多いですが、勝俣さんは今年で10年ですね。
勝俣: 珍しいですよね。正直、自治体の職員というのは、いろんな部署を数年ごとに異動するため、専門性を深めるのが難しい面があります。観光やイベントのように「答えが一つではない」領域では、なおさら判断が難しくなります。だからこそ、信頼できるパートナーとともに進めることが非常に重要だと感じました。3人のクリエイターたちは、行政が何を求めているかを感じ取りながら、自分たちに求められる役割を的確に理解し、常に魅力的なイベントを意識してくれました。
WWD:行政らしくないイベントに思うのですが、気を使っていることはありますか?
勝俣: 専門的なデザインを入れて、魅力的なチラシやHP、SNSを作成したり、フェスでの魅力あるプログラムや出展者を募りました。市のイベントなのに、なぜ市内の事業者が少ないのか?という声もありました。でも、私たちが目指しているのは、各地域の魅力ある出展者に来ていただき、その出展者のファンを富士吉田市に呼び込む。そして、この街の良さを感じてもらい、何度も訪れてもらうことが何よりも大切なんです。
もし市制祭(市民向けイベント)であれば、市内事業者中心でいいと思います。でも富士山課の事業としては、「この街にどう人を呼び込み、リピーターになってもらうか」を重視しているので、観光客がハタフェスのあとも「また行きたい」と思ってくれるような設計をしています。
WWD:つまり、来場者2万6000人という数字よりも、その後1年を通して訪れる人がいて、街でお金を使い、街が元気になるという流れを生むことが、本当の満足につながっているのですね?
勝俣: その通りです。「ハタフェスがきっかけでこの街に来てみました」「フェスで出会った織物ブランドを東京で見かけて嬉しかった」などの声をいただくこともあり、本当にうれしいです。イベントを通じてこの街を知り、好きになってくれる人が増えていると実感しています。
WWD:一年を通じた来訪者数など、データは取っていますか?
勝俣: 感覚的には明らかに人の流れが増えていると感じています。「ハタフェス以降、いろいろと声をかけられることが増えた」といった話は聞こえてきます。山梨県が調査しているデータでは2023年319万人、コロナ前の2019年では627万人です。
移住者が増え、空き家問題解決の一助にも
WWD:空き家の活用も進んでいるようです。
勝俣: :はい、空き家が減ってきているという話も聞きます。私たちが行っているもう一つの取り組みに、今年で4回目になる「フジテキスタイルウィーク」というアートイベントがあり、こちらも中心市街地活性化事業の一環です。イベントでは、普段閉まっている空き家を活用し「ここで商売ができるかもしれない」と思ってもらえる場づくりをしています。「ハタフェス」が終わった後、その空き家が案内所やカフェとして再活用される例も出ています。
WWD:富士吉田は、もともと空き家率が高かったのですか?
勝俣: はい。山梨県は全国でも空き家率が高い地域で、その中でも富士吉田は特に多いと言われています。
WWD:移住者も増えているのでしょうか?
勝俣: 増えています。「ハタフェス」や「フジテキスタイルウィーク」に関わるクリエイターの活動を見たり、富士山が近く、ふもとの豊かな自然に恵まれ、水や空気がおいしいといったこの富士吉田市の環境を感じて移住した方もいらっしゃいます。その方の影響で、さらに別の方が移住してくるという“連鎖”も起きています。
「この街の織物業には力がある」
WWD:勝俣さんご自身は、もともと織物にはそれほど関わってこられなかったと思いますが、ハタフェスを通じて見えてきた織物の魅力について、どう感じていますか?
勝俣: 富士吉田はもともと「裏地」の産地でした。東京から山を越えて来るような立地なので、軽くて質が良い織物が求められ、江戸時代の庶民が「表ではおしゃれできないから裏地でおしゃれを楽しむ」という時代に提案していたのがこの街でした。
ただその後、羽織を着る人が減り、海外から安価な素材が入ってきたこともあり、日本全体の繊維業と同じように衰退してきました。それでも富士吉田ではリネン生地やネクタイ、オーガニックコットン、カーテンなどのインテリア用の織物など、個性ある製品を作る方々が頑張っていて、「この街の織物業には力がある」と思っていました。
たとえば、渡辺竜康さんという若手の織物職人がいらっしゃいます。ハタフェスの初回には参加していなかったのですが、第2回から出展し、自分が想像した織物を発表したところ高評価を得ました。以来、彼の織物は即完売が続き、BtoBの依頼も増えたそうです。彼は使う人の声を聞きながら、どうすれば喜んでもらえるかを常に考えてものづくりをしています。彼のような存在を通じて、今の富士吉田の織物業の力強さを実感しています。
会場ではブランケットなどの商品が大人気だったWatanabe Textileの渡辺竜康さん
綿の高級シャツ地で知られる静岡の遠州産地から参加した古橋織布の4代目、古橋佳織理社長
異動が多い、行政関係者だからこそできること
WWD:「行政だからこそできること」があれば、教えてください。
勝俣: 他の自治体にも共通することだと思いますが、まず制度として、職員が2~3年で異動してしまう仕組みに課題を感じています。せっかく立ち上げた事業が、後任の方の思いとずれると、続かなくなるケースが多くあります。行政が本来持つ力というのは、「民間のやる気ある人をどう応援するか」だと私は思っています。そして、最も分かりやすい支援の形が補助金です。ただし、行政職員が主導してしまうと、その人が異動した途端にプロジェクトが止まってしまうリスクがあるんです。
職員がやりたくないのではなく「その後の責任を取れないからやれない」という人も多い。ですから、行政として事業を立ち上げたなら、しっかり責任を持ち、そのプロジェクトが自走するまで見届ける体制が必要です。
WWD:街づくりは、感覚的にはどれくらいのスパンで取り組むべきですか?
勝俣: 10年は必要だと考えます。ハタフェスも3回目くらいからようやく市民の方々に「面白いイベントが始まった」と認識していただけるようになりました。それまでは模索の連続でしたが定着しつつあります。
WWD:行政が3〜5年支援して、その後民間が主体となり社団法人を立ち上げ、自走型へ移行していく例も増えています。
勝俣: マネタイズの視点を持てる方々であれば、3〜5年ほど行政が支援することで、その後は自立していくケースもあると思います。ただ、地域型のイベントでマネタイズを成立させるのは本当に難しい。たとえば体育館などのクローズドな空間であれば入場料を設定しやすいですが、まち全体で行うフェスでは、通行人から料金を徴収するわけにもいきません。「どうやって収益を得るか」という課題は常に頭にあります。
WWD:行政と民間が協業するうえで、成長につながる大事なポイントとは?
勝俣: 一番大切なのはやはり信頼関係だと思います。これはどの事業にも共通していますが、プレイヤーとの信頼が築けていなければ、協業は難しいと考えます。
WWD:勝俣さんはどのように信頼関係を築いたのでしょうか?
勝俣: 私は、行政として「これをしてはいけない」「あれはやめてほしい」といった制約をあまり設けないようにしてきました。ハタフェスを担う3人の企画を尊重してきたことが成功に繋がってきていると感じています。
「愛されるイベントを作る」
WWD:目標設定はしていますか?
勝俣: 「富士吉田を愛してくれて、リピートしてくれるような雰囲気のあるイベントにしたい」が第一です。
WWD:「愛されるイベントを作る」というのが目標だったのですね。静岡など、他の産地からも出店があり繊維産地の合同展示会のような趣もありましたが、それは狙いでしたか?
勝俣: 地域と産業を盛り上げようと思った時に、地元の人だけでやるのではなく、同じ志をもった仲間といっしょにどう取り組めるかが大事だと思って、他の産地の人も呼んでいます。
外の人にみてもらうことで、織物も街も、地元の人では気づきにくい新しい魅力を見つけてもらえているのがハタフェスの盛り上がりの一因だと思っています。
WWD:なるほど。全国の産地の職人たちが自然に引き寄せられているわけですね。
勝俣: そうですね。出店者がそれぞれの地域の魅力を背負ってきてくださることで、富士吉田という場所を知っていただく機会にもなっていると感じます。
WWD:イベントが産業全体ともう少しつながっていけば、より広がりが生まれそうですね。
勝俣: まさにその通りで、私たちも空き家対策や移住促進など、さまざまな分野でこのイベントを活かせればと思っています。そうした広がりを持たせていくことも、今後の課題であり、可能性です。
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