PROFILE:韓国・ソウル生まれ、米テキサス・オースティン育ち。ロンドンのセント・マーチン美術大学でメンズウエアとウィメンズウエアを学ぶ。2010年にフィービー・ファイロによる「セリーヌ」で3年間アシスタントデザイナーを経験後、フリーランスデザイナーとして「ルイ・ヴィトン」や「クロエ」のデザインを手掛ける。16年に自身のブランド「ロク」を立ち上げ、18年度の「LVMHプライズ」で特別賞を受賞。19-20年秋冬に初のランウエイショーをパリで発表。19年に「ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion)」の“世界を代表するファッション業界人500人”「BoF500」に選ばれる。PHOTO : KO TSUCHIYA
YC:NFTを購入したり、所有したりすることで、私が強調したい経験は3つあります。1つ目は「フォージング(Forging)」。この言葉はゲームからインスピレーションを受けており、RTFKTに関しては、NFTのオーナーがデジタルアイテムをフィジカルアイテムに変換し、両方のバージョンを持つことを意味します。例えば、“RTFKT x ナイキ スペースドリップ エア フォース 1”では、NFT所有者がフィジカルなシューズを手に入れました。
これらはいわゆる“ワールド・マージング NFC”で、フィジカルスニーカーにもNFC(=Near Field Communication)タグが搭載されているため、アイテムを受け取った後、フィジカルとデジタルの世界をつなげることができます。NFCタグとは、アプリの起動やWebページのURLなどの情報を登録しておくことで、スマートフォンをかざすだけで通信や動作を実行できます。
2つ目は「コミュニティーの活性化」。私は「クローン X トーキョー」のオーガナイザーではありませんが、コミュニティーのオーガナイザーとして、資金やコンテンツなど、彼らが必要とするものを全て提供し、サポートしました。ツイッターでバーチャル・コミュニティーを運営したりなど、オンライン上でコミュニティーを形成することも可能ですが、デジタルな関係だけでなく、フィジカルな関係も必要だと私たちは考えています。バーチャルとフィジカルが組み合わさることで、より強力な結束が生まれるのです。それぞれの地域文化、コミュニティーのリーダーやオーガナイザーによって、多様な取り組みが行われています。
YC:NFTを購入したり、所有したりすることで、私が強調したい経験は3つあります。1つ目は「フォージング(Forging)」。この言葉はゲームからインスピレーションを受けており、RTFKTに関しては、NFTのオーナーがデジタルアイテムをフィジカルアイテムに変換し、両方のバージョンを持つことを意味します。例えば、“RTFKT x ナイキ スペースドリップ エア フォース 1”では、NFT所有者がフィジカルなシューズを手に入れました。
これらはいわゆる“ワールド・マージング NFC”で、フィジカルスニーカーにもNFC(=Near Field Communication)タグが搭載されているため、アイテムを受け取った後、フィジカルとデジタルの世界をつなげることができます。NFCタグとは、アプリの起動やWebページのURLなどの情報を登録しておくことで、スマートフォンをかざすだけで通信や動作を実行できます。
2つ目は「コミュニティーの活性化」。私は「クローン X トーキョー」のオーガナイザーではありませんが、コミュニティーのオーガナイザーとして、資金やコンテンツなど、彼らが必要とするものを全て提供し、サポートしました。ツイッターでバーチャル・コミュニティーを運営したりなど、オンライン上でコミュニティーを形成することも可能ですが、デジタルな関係だけでなく、フィジカルな関係も必要だと私たちは考えています。バーチャルとフィジカルが組み合わさることで、より強力な結束が生まれるのです。それぞれの地域文化、コミュニティーのリーダーやオーガナイザーによって、多様な取り組みが行われています。
「トッズ(TOD’S)」は2023年2月、現代のイタリアン・ライフスタイルとその価値観を讃える書籍「アリア・ディタリア(Aria d'Italia)」のインターナショナル版を発売する。食卓から芸術にいたるまで、 あらゆる場面でクオリティ・オブ・ライフを追求するイタリアの才能と情熱、陽気な雰囲気と伝統に対する思いを閉じ込めた。本書は「喜び」や「タイムレス」「想像」「クラフトマンシップ」「情熱」「伝承」「大胆さ」などの8つのキーワードで、イタリアの文化やアイデンティティの本質に情熱を燃やし、それを象徴する若きアーティストやビジネスピープル、職人たちのプライベートや職業の物語を伝える。昨年日本で開催したイベントで、ディエゴ・デッラ・ヴァッレ(Diego Della Valle)会長に「アリア・ディタリア」への思いを聞いた。
WWD:自分らしさを表現するという点でいうと、2023年春夏コレクションは「WHO IS YOUR MUSE?(あなたのミューズは誰?)」をタイトルに掲げていた。提案したスタイルも、「パトゥ」らしさを感じるラッフルやバルーンスリーブが特徴的なルックやソフトなテーラリングから、スポーティーなスタイル、ミニマルなドレスまでが提案され、より幅広い女性像が描かれているようだった。
2019年に個人観光ビザの発給が解禁されるまで、“世界一訪れることが難しい国”といわれていたサウジアラビア。イスラム教やアラブ王国、石油、サッカーなど想像に難くないが、今なおベールに包まれているのがファッションだ。数年前に服装の規制は撤廃されているものの、全身を白や黒で覆う民族衣装のイメージはまだ強い。そんな謎多き国でこのほど行われたスニーカーイベント「スニークミー(SNEAK ME)」に、スニーカーコレクターであり「オールウェイズ アウト オブ ストック(ALWAYS OUT OF STOCK、以下A .O .O.S)」のディレクター、キングマサ(KING -MASA)が参加した。KING-MASAが見たサウジアラビアの現状を聞きながら、中東のファッションの未来を考察する。
――「スニークミー」へはなぜ参加することに?
KING -MASA:友人のティー(ロンドンのクリエイティブ集団「ビジョナリズム(VISIONARISM)」を主宰)がこのイベントのディレクションに関わっていて、彼から連絡が来たんです。「数年前まで渡航がオープンになっていなかったけど(2011〜19年まで観光ビザの発給が停止されていた)、今は逆に国がファッションを盛り上げようとしている。国のバックアップで旅費や宿泊費、輸送費などの経費、ビザの手配などをサポートしてくれるから『A.O.O.S』として出展してくれないか?」というものでした。ただ、会期が2週間と長かったので出展は厳しいと伝えたら、数日間、インフルエンサー枠としてだけでもいいから来て欲しいと。だから僕は今回インフルエンサーとして参加したんです。
――なるほど。サウジアラビアってどんな雰囲気なんですか?
KING -MASA:街はラスベガスかと思うぐらい煌びやかで、めちゃくちゃイケてる。でもファッションを見ても「シュプリーム(SUPREME)」や「ナイキ(NIKE)」のようなブランドを着ている人はいなくて、買う場所もほとんどなかったですね。実際、「ストックX(STOCK X)」のようなリセールサイトでもサウジアラビアへの配送はしていないみたいです。
KING -MASA:会場は屋外で、砂漠のど真ん中でした。昼間は暑過ぎて無理だから、夕方の16時から深夜0時までやるナイトマーケットみたいな感じです。そんな遅い時間にわざわざ人が来るのかなと思っていたら、20時ぐらいまではほとんど人がいないんですけど、逆に21時とか22時とかになったら人がバンバン来て。そういえば、フライトも夜の便で着いたんですけど、そのときも空港に人がたくさんいたし、夜型なんです。
――出展ブースは海外のスニーカーショップですか?
KING -MASA:イベントのメインは、海外のリセールショップでした。リテールは「アシックス(ASICS)」や「ビルケンシュトック(BIRKENSTOCK)」が出ていて、残りはワークショップ。50店以上出ていて、どこも巨大なブースを構えていましたね。イメージとしては、「スニーカーコン」と「コンプレックスコン(COMPLEXCON)」の間みたいな感じです。ちなみに、アジア人で参加していたのは僕だけでした。
――リセールプライスで売られているんですよね?やっぱり高いんですか?
KING -MASA:値付けはまあまあ高かったですけど、それでも売れるんだと思います。“イージー(YEEZY)”や「ディオール(DIOR)」דジョーダン”みたいな分かりやすいものが売れていた印象です。白い民族衣装を着ている人も多いんですけど、足元はスニーカーを履いているんですよね。民族衣装は強制ではないらしく、友人はファッションが好きだから特別なとき以外は着ないと言っていました。興味深かったのは、会場の中央のブースに中東で有名なインフルエンサー2人のスニーカーが数足展示してあったんですけど、中にはフェイクもあって、それも一眼で分かるようなもの。でも、正規店がないからそもそも比べようがないんですよ。海外旅行に行ったときとかにリセールで買うしか手に入れる手段がないので。
――確かに情報がないから、コアなビンテージなんかより、分かりやすいものがいいのかも。
KING -MASA:そうですね。実際、多少は古いスニーカー(数年前に出たもの)もあったんですけど、あんまり反応は良さそうではなかったです。それと、古いスニーカーを持ってきたら急激な温度変化で、突然“エア”(クッショニング性能を持つ踵のソールユニット)の部分が割れたという人もいました。本当に暑いので、そういう環境的な課題はあります。
KING -MASA:それはあるかもしれないですね。思ったよりもネガティブなイメージもないし、何より安全。出展ブースのスニーカーを2週間もどうするの?と聞いたら、一応ロッカーはあるけど、そのまま置いて帰っても大丈夫、と。もし盗難にあっても、そこら中にカメラが付いているから犯人はすぐに捕まるとか。サウジアラビアやドバイは今世界で1番安全な国だと言っていました。
――確かに、アメリカやヨーロッパだとそうはいかないですもんね。
KING -MASA:ファッションやスニーカーは欧米の主要都市では飽和状態ですけど、サウジアラビアも含めて中東はまだまだ進化していくだろうし、自分のブランドにも可能性を感じています。興味深いし、かなり面白かったですね。実際、「ハイプビースト(HYPEBEAST)」がミドルイースト(中東)版を運営していたり、ラスベガスにあるリセールショップ「アーバンネセシティーズ(URBAN NECESSITIES)」がサウジアラビアに近々店をオープンしたり、これからどんどん盛り上がっていくと思います。
三上大進(以下、三上さん):新卒で日本ロレアルに入社して、「ランコム(LANCOME)」と「キールズ(KIEHL'S SINCE 1851)」のマーケティングを担当しました。その後、ロクシタンジャポンに転職。製品開発とマーケティングに携わりました。そこから、2018年にNHKに入局。パラリンピックや、「あさイチ」の美容コーナーで4年ほどレポーターを担当しました。
絢 Aya/「メルト ザ レディ」ブランドディレクター (PROFILE):1996年生まれ、広島県出身。高校卒業後、小井手ファッションビューティ専門学校に入学、同時にモデルとしての活動も始める。2017年にメソニックデザインオフィスで「メルト ザ レディ」をスタートした PHOTO:MELT THE LADY
新宿ルミネエストの地下1階といえば、ヤング向けファッションの殿堂的フロアの1つだ。バロックジャパンリミテッドやマークスタイラーなどのブランドが並ぶ中に、少し毛色が異なるショップ「メルト ザ レディ(MELT THE LADY)」がある。大きな長テーブルが置かれた店頭の内装も販売員のスタイリングも個性的。売れ筋を追求した結果、似た商品が並ぶこともあるフロアの中で異質な雰囲気を放っている。それなのに、ルミネに取材すると好調ブランドとして名前が上がることがよくあり、商品入荷日には実際に女の子たちの行列ができている。
アメリー・フイン 「ドルセー」CEO(以下、フイン):フランスには古きも新しきも数多のフレグランスブランドが存在するが、「ドルセー」はオーナーが変わりながらもずっと続いてきた点に興味を持った。「ドルセー」は、フランスでは誰しも知っているブランドだが、1980年ごろには小規模になっていた。だから私はまるで“眠れる森の美女”を見つけたような気分だった。このまま眠らせておくのはもったいない。そして何より、「ドルセー」の創設者であるアルフレッド・ドルセー(Alfred d’Orsay)伯爵と、マルグリッド・ブレシントン(Marguerite de Blessington)との禁断の愛の物語が、事実に基づいたストーリーであることにも感銘を受け、買収を決意した。
アメリー・フイン 「ドルセー」CEO(以下、フイン):フランスには古きも新しきも数多のフレグランスブランドが存在するが、「ドルセー」はオーナーが変わりながらもずっと続いてきた点に興味を持った。「ドルセー」は、フランスでは誰しも知っているブランドだが、1980年ごろには小規模になっていた。だから私はまるで“眠れる森の美女”を見つけたような気分だった。このまま眠らせておくのはもったいない。そして何より、「ドルセー」の創設者であるアルフレッド・ドルセー(Alfred d’Orsay)伯爵と、マルグリッド・ブレシントン(Marguerite de Blessington)との禁断の愛の物語が、事実に基づいたストーリーであることにも感銘を受け、買収を決意した。
フランス発香水「ニコライ(NICOLAI)」は、家族経営のフレグランスブランドだ。同ブランドの創業者兼マスターパフューマーであるパトリシア・ド・ニコライ(Patricia de Nicolai)は、ゲラン一族で香水に囲まれて育ったが、「ゲラン(GUERLAIN)」を継ぐことはなかった。その代わりに、自己表現として1989年に夫と「ニコライ」を創業。自由につくりたい香りを制作して世界中で販売している。
日本では、ノーズショップが販売を担当。11月に来日したパトリシアの息子であるアクセル・ド・ニコライ(Axel de Nicolai)=ニコライ最高経営責任者に話を聞いた。
イタリア発スパークリングワインのフランチャコルタ(FRANCIACORTA)は11月14日、3年ぶりに、「アンダーズ東京(ANDAZ TOKYO)」でイベントを開催した。“フランチャコルタ”とは、イタリアのコモ湖とガルダ湖の間の地域で生産される発泡ワインのこと。フランチャコルタ協会は、それら生産者による認知度アップ・販売促進目的の協会だ。同イベントを機に来日した、フランチャコルタ協会マウリツィオ・ザネッラ(Maurizio Zanella)=フランチャコルタ協会副会長兼「カ・デル・ボスコ(CA’ DEL BOSCO)」会長へ話を聞いた。
地方専門店の取材で「この店で人気のあるブランドは?」と尋ねると、必ずと言っていいほど上がってくるのが「ダブルスタンダードクロージング(DOUBLE STANDARD CLOTHING)」だ。デザイナー兼代表取締役の滝野雅久氏が1999年にスタートしたブランドである。黒とゴールドを基調とした空間に赤いマネキンが印象的な、モダンとクラシック、カジュアルとフェミニンなど対になる要素がリミックスされたアイテムを展開している。ファン層も幅広く20代から50、60代の方からも支持されている。そんな「ダブルスタンダードクロージング』の魅力にハマり、現在は六本木店のショップマネージャーを務めている藤井麻依さんにその魅力を語ってもらった。
AYAKO:作りたいと考えています。とはいっても今や、ジェンダーを問わずセレブリティがプロデュースするコスメブランドが続々誕生しているので、ここで別のメイクアップブランドを立ち上げても意味はないのかなと思っています。これだけの選択肢がある中で、自分が本当に共鳴できるものでないと消費者の心も動かない時代。ある程度年を重ねていくにつれて、「何を使ったらいいかわからない」「何色を選べばいいのかわからない」なんて声も聞こえますし、YouTuber が発信するコントゥアーやベーキングメイクに対して、「Should I do that?(これ、本当にやらないといけないの?)」なんて思ってる人も実は多い。だからこそ難しいテクニック要らずで、1つのプロダクトでシンプルにプロが施したかのようなメイクができる、そんなブランド作りを考えています。
D2C(Direct to Consumer)事業を得意とするダイレクトテックは、モデルやアーティスト、動画クリエーターなどを起用したD2Cコスメブランドなどを相次いで立ち上げ、ヒットを飛ばしている。7月には成功実績をもとにした独自メソッドを提供し“売れる”D2Cコスメブランドの立ち上げを支援するサービス「ディーツーシーギャラリー(D2C GALLERY)」を開始。同ギャラリーを活用したブランド開発も進み、同社の動向に注目が集まっている。堀ノ内丈史ダイレクトテック取締役にD2Cブランドの可能性を聞いた。
WWDJAPAN(以下、WWD):D2CやP2C(Person to Consumer)のコスメブランドがZ世代を中心に話題となり実績を積んでいる。
菅野沙織(かんの・さおり)/ベアエッセンシャルの社長兼オルヴェオン グローバル日本地区担当ゼネラル・マネージャー:慶應義塾大学卒業後、大手国産ブランドや広告代理店などで海外マーケット向けプランナーに従事。その後、「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」や「ブルジョワ(BOURJOIS)」などでマーケット本部長や営業部長をれきにん。メイクアップからスキンケア、エステティックサロンビジネスまで幅広い経験を持つ。直近では2012年3月からレブロンの代表取締役社長を10年務めたほか、17年に日本輸入化粧品協会の理事に就任した。22年8月から現職
菅野沙織ベアエッセンシャル社長兼オルヴェオン グローバル日本地区担当ゼネラル・マネージャー(以下、菅野):レブロンで社長を10年以上勤めて、コロナ前までは売り上げも好調でリップクリームをヒットさせたり “V字回復”と言っていただくことも多かったり、いろいろな努力の結果が出てやりきった感がありました。レブロンはマスマーケットで展開していましたが、その前は「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」でプレステージやエステティックにも携わり、幅広いチャネルを経験して全部やりきったな、と。年齢も考えてそろそろ引退しようと決めたのが昨年6月で、諸々の調整がついて2月末に社長の職を離れました。
フレッシュグッズ:全10型で、そのうち4型がティーハウスのエクスクルーシブだ。このボタンシャツは、背面に両親が台所で踊っていた思い出をそのまま刺しゅうしているーー“Love is the biggest performance(愛こそが一番のパフォーマンス)”だからね。Tシャツには俺の趣味をそのまま落とし込んでいて、1970~80年代のアイテムを「イーベイ(eBay)」で探すのが好きだから、ビンテージのジョー・フレッシュグッズと「ニューバランス」のコラボTシャツをイメージした。アスレチックな感じもいいでしょ?あとは、俺らしいピンクのヴァーシティージャケットもあって、招待してくれたティーハウスや日本へのリスペクトに応えて背中に日本地図を刺しゅうしているんだ。
“山鹿灯籠まつり”における“千人灯籠踊り”の様子“奉納灯籠(上がり灯籠)”の様子大宮神社に奉納された山鹿灯籠山本寛斎事務所は、2014年のトルコや、2015年の東京で行ったファッションショーでも山鹿灯籠を演出に採用。写真は「日本元気プロジェクト2016 スーパーエネルギー!! ~天下無敵のカラフルBoys&Girls!!~ Produced by KANSAI YAMAMOTO」の様子それまでの交流から、祭りのアンバサダーも務めた。“千人灯籠踊り”を見る山本寛斎山鹿灯籠制作を体験する山本寛斎山本寛斎がプロデュースした山鹿市の観光ポスター2016年夏には、「山鹿元気プロジェクト」の一環として、伊勢丹新宿店本館の屋上で盆踊りも開催ショーウィンドウも山鹿灯籠にショーウィンドウも山鹿灯籠に
そもそも、現代社会を生きていく上で“まとう”ことからは逃れられません。であれば、「好むと好まざるとにかかわらずなんらかの意味を持つものであり、それに対して自分はどういったスタイルを持つべきなのか」ということを10代半ばごろから考えてきました。また同時期には、「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」のデザイナー、川久保玲さんの“自分と社会、または世界が向き合うための一つの考え方であり鎧である”や、“自らを奮い立たせるためのもの”といったコンセプトにとても共感していました。日頃制服を着用する高校生ながら私はそこから徐々にモードの世界へと入り込み、大学進学後、着る服に制限がかからなくなったことで本格的にワードローブとして取り入れるようになりました。
WWD:当時よく着ていたのは?
宮田:「コム デ ギャルソン」のパッチワークのアイテムや、エディ・スリマン(Hedi Slimane)が手掛けていた「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」(現「サンローラン」)。「ヘルムート ラング(HELMUT LANG)」や「ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)」などです。エディ・スリマンの「イヴ・サンローラン」のファーストコレクションで登場したワイドパンツは今でも穿いています。あとは初期の「メゾン マルタン マルジェラ(MAISON MARTIN MARGIELA)」(現「メゾン マルジェラ」)。ファッションの刹那的な側面ではなく、100年の歴史を見通すなかでのスタンダードを考えるというアイデアに斬新さを覚えました。2010年前後にはフィービー・ファイロ(Phoebe Philo)の「セリーヌ(CELINE)」や、リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)の「ジバンシィ(GIVENCHY)」など、ウィメンズ展開の服も着ていました。
宮田:ホワイトブリーチにしたのは5年ほど前からです。その前は黒髪の長髪、さらにその前はアシンメトリーと、もともとエッジが立ったヘアスタイルを好んできました。おそらく日本の多くの皆さんが私を認識してくれたのは、NHK「クローズアップ現代」や日本テレビ「真相報道 バンキシャ!」などの番組出演あたりからだと思います。マスメディアというのは大衆に対しての発信を意図している性質上、少しはみ出したようなことをするとすぐに「それはどうかと思うよ」と言われる空気が強かったりします。私はそれをある程度読みながらも、ある部分では覚悟のもと傾(かぶ)く、という姿勢で続けています。ファッションでもヘアスタイルでも、自分の中のスタンダードを変えるとき、大きく踏み出すと狂気じみた存在になりますよね。私は既に故人となったアレキサンダー・マックイーン(Lee Alexander McQueen)が放っていた狂気も好きですが、スタンダードを考える場合だとある程度のバランスが必要になります。そこで、「WWDJAPAN」や「VOGUE RUNWAY」、あとは当時だと「STYLE.COM」など、モードの過去10年分ほどのアーカイブに目を通し、狂気まではいかず、しかし多すぎて陳腐化しないものは何かとリサーチしました。その中から特に直近3年間で、時折登場してくるものの流行までに及んでいないのがホワイトブリーチだったんです。
宮田:清少納言の「枕草子」と、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)が描いた「モナ・リザ」です。まず「枕草子」ですが、これは私にとってファッションのバイブルです。私のような研究者や新たに事業を興す人物たちは、今後世界でどれが普遍的でスタンダードな存在になるのかを探り、揺るがないものに価値を置きます。それこそマルタン・マルジェラの“100年の歴史を見通す中でのスタンダード”や、メンズならば時計やビンテージデニムをはき続けることにも近く、私も一人の研究者として普遍的な美を大事に思っています。しかしその一方で、変わりゆく一瞬の中にある美しさというのも大切にしたいものになります。
ボイントンCEO:当社が推進するアクティビストワークショップが4店舗増え、日本の全店舗に対し28%のシェアになる。17年にナチュラ & コーの傘下になり、新商品が出続けているがビーガン的な商品や、パッケージもサステナビリティの高いものばかりになっている。8月に主軸のベーシックスキンケアライン“DOY”を刷新し、“エーデルワイス”ラインとして発売したが、今後もフェイシャルスキンケアにはもっと力を入れていく方針だ。もともとユニセックスな商品であるため、男性客が増えているが、さらに男性の使用率を高めたい。そのほか、アクティビズムキャンペーン「BE SEEN. BE HEARD」の取り組みをグローバルに行う中で、日本では若者の政治参画を促す団体NO YOUTH NO JAPANとコラボレーションを進めている。店舗の環境もどんどん良くなってアップグレードが進んでいること、商品のポートフォリオに大きな期待ができること、そして社会的な課題に対しての取り組みが進む。そういう意味で、23年はとてもよい年になると思っている。
しかし07年にアニータが亡くなった後、「自分たちは他とは違う存在である」という方向性を失っていた時期が10年ほどあった。17年にナチュラ& コーが親会社になり新しい経営陣が入り、もう一度アニータの考えに立ち戻り、アニータのレガシィを生かすためにはどうすればいいのかを真剣に考えるようになった。再びゲームチェンジャーになるために、リサイクルの分野でリーダーになることを決心した。さらに処方も自然原料を使いながら有効性も高める。そして社会的な課題である物事にも取り組もうということで「BE SEEN. BE HEARD」も行う。アニータがゲームチェンジャーであるべきと考えたミッションに立ち戻ると決めた。
歌、ラップ、ダンスの三拍子がそろったオールラウンダーのルイチーは、21年12月から自国でソロ活動をスタートし、わずか半年後の22年4月には楽曲「≪燎≫ The Phoenix」で日本デビュー。勢いそのままに、10月にはアーティストの一発撮りのライブを発信する人気ユーチューブチャンネル「ザ・ファースト・テイク(THE FIRT TAKE)」に、史上初の中国人ソロ・アーティストとして出演した。今回、これを記念して彼女の素顔に迫るインタビューを実施。「ガルプラ」へエントリーしたきっかけや、ソロデビューの経緯、好きな日本のアニメについてまで、赤裸々に語った。
日本デビュー曲の「≪燎≫ The Phoenix」。「ザ・ファースト・テイク」の特別バーションとして、日本語と中国語、そしてラップパートでは英語を駆使するオリジナルアレンジを披露した
「Girls Planet 999:少女祭典」出演前にリリースした「≪摘星≫ Seize The Light」
ルイチー:歌詞を書いた時はパンデミックの隔離期間で、ゲームが好きなので、当時はオンラインの試合を観戦していました。誰にもどこにも期待されていなかったチームが優勝し、それが「ガルプラ」でいい結果を得られずに挫折しかけていた私の心に刺さって、その感情を歌詞に落とし込んだのが「≪燎≫ The Phoenix」なんです。ちなみに「リーグ・オブ・レジェンド(League of Legends)」を観戦していました(笑)。
ーー「≪燎≫ The Phoenix」は日本語版もありますが、母国語である中国語と歌い分ける難しさはありましたか?
歌、ラップ、ダンスの三拍子がそろったオールラウンダーのルイチーは、21年12月から自国でソロ活動をスタートし、わずか半年後の22年4月には楽曲「≪燎≫ The Phoenix」で日本デビュー。勢いそのままに、10月にはアーティストの一発撮りのライブを発信する人気ユーチューブチャンネル「ザ・ファースト・テイク(THE FIRT TAKE)」に、史上初の中国人ソロ・アーティストとして出演した。今回、これを記念して彼女の素顔に迫るインタビューを実施。「ガルプラ」へエントリーしたきっかけや、ソロデビューの経緯、好きな日本のアニメについてまで、赤裸々に語った。
日本デビュー曲の「≪燎≫ The Phoenix」。「ザ・ファースト・テイク」の特別バーションとして、日本語と中国語、そしてラップパートでは英語を駆使するオリジナルアレンジを披露した
「Girls Planet 999:少女祭典」出演前にリリースした「≪摘星≫ Seize The Light」
ルイチー:歌詞を書いた時はパンデミックの隔離期間で、ゲームが好きなので、当時はオンラインの試合を観戦していました。誰にもどこにも期待されていなかったチームが優勝し、それが「ガルプラ」でいい結果を得られずに挫折しかけていた私の心に刺さって、その感情を歌詞に落とし込んだのが「≪燎≫ The Phoenix」なんです。ちなみに「リーグ・オブ・レジェンド(League of Legends)」を観戦していました(笑)。
ーー「≪燎≫ The Phoenix」は日本語版もありますが、母国語である中国語と歌い分ける難しさはありましたか?