世界に誇る日本の絞り染め”有松絞り”の魅力 ファッションデザイナー高谷健太と巡る“ときめき、ニッポン。”第7回

 昨年、山梨県西桂町にある機織り企業、武藤を訪問した際に、面白い出来事があった。約束の時間に同社の代表をたずねると、同じ時間に客人がもう一人訪れたのだ。明らかにダブルブッキングである。「あれ?」という空気が漂った後、代表がにこりと笑って「せっかくの機会なので、お二人を会わせたかったんです」と言った。これが、有松絞りの若手作家、藤井祥二さんとの出会いだった。

 藤井さんが手掛ける“有松絞り”とは、愛知県名古屋市の有松・鳴海地域で作られる絞り染めの織物のこと。江戸時代の初め、徳川家康が江戸に幕府を開いて間もない頃に東海道のこの地域に竹田庄九郎らが新しい町を開き、街道を行き交う旅人のために絞り染めの手ぬぐいを作って売り出したことが、有松絞りの始まりとされている。100種以上の絞りや染色の技法から生み出される複雑で繊細な文様は、世界に誇る日本の伝統産業のひとつだ。

 この有松絞りには、寛斎も僕も思い入れがある。2004年、日本武道館の床全面に水を張った「KANSAI SUPER SHOW(寛斎スーパーショー) アボルダージュ」において、有松絞りを施した浴衣姿の女性陣の舞いによって、幽玄で情緒溢れる情景を演出したのだ。ダークブルーの照明と、深い藍の中に艶やかに白地が散った浴衣のコントラストがとても美しかった。

 このシーンに使った浴衣は、有松絞りの研究に一生を捧げた、故・竹田耕三さんに製作してもらったもの。竹田さんは、先述の竹田庄九郎の流れをくむ竹田嘉兵衛商店の旧家に生まれ、有松絞りの可能性を幅広い分野で広げた人物だ。

 そんなことを思い出しながら、藤井さんの作品を見るために有松に赴くと、「竹田嘉兵衛商店の日本間をお借りしているので、是非そこで作品を見て欲しい」と提案を受けた。実に不思議な巡り合わせだ。同商店の日本間は、藤井さんの作品によって、完璧な芸術空間になっていた。昼下がりの日の光をまとった羽衣のようなストールに、竹田嘉兵衛商店の美しい庭園が浮かび上がる。絞り染めが施された生地は、すべて武藤で織られた超極薄のシルクやカシミヤ、麻だ。有松絞りとともに歩んだ同商店の歴史と、先人たちの知恵が、今日の職人の中に息づいていること。そしてその伝統技術が、今なお進化し続けていることを深く感じた。同時に、藤井さんの強いこだわりと美意識、心血を注いだ作品への愛がひしひしと伝わってきた。

 今回は、そんな若き染色家、藤井さんへのインタビューをお届けする。

高谷:藤井さんとお会いするたびに、有松絞りはもちろん、日本の伝統産業の未来に対する考えを聞いてワクワクしています。そもそも、藤井さんはどういった経緯で染色家になったのでしょうか?

藤井祥二カゴノトリ代表(以下、藤井):もともと学生時代に名古屋の大学でプロダクトデザインを学んでいて、地場産業を学ぶ授業で、鳴海の会社と絞り染めの風呂敷を作る機会があったんです。絞りや染めの基礎や歴史を学ぶ中で、「将来は伝統産業やそこで働く人々にフィーチャーをしたものづくりをしたい」と思うようになりました。そこで、まずは実際に全国の現場を見て回る必要があると思い、大学を1年間休学して日本全国の伝統産業を巡る旅を始めました。各地の工房に赴いて、時には半年ほどキャンプ場にテントを張って生活することもありましたね。最終的にどこに根を張って仕事をしようかと考えたときに、何の所縁もない若者を温かく迎え入れてくれた有松という産地の懐の広さに引かれて、ここで仕事を続けています。

高谷:有松との出会いは、藤井さんの運命だったようですね。

藤井:はい。有松絞りの仕事をゼロから始めた当初は、住む家も、作業する場所もなくてとても苦労しましたが、学生時代から交流のあった有松の人々が応援してくれました。その一人が、竹田耕三さんでした。

高谷:そうだったのですか。藤井さんの人柄とバイタリティーが、有松の方々にとっても大きな刺激になったんでしょう。

藤井:そうだとうれしいです。作家を目指した理由は、単純にものづくりに興味があったからではありません。社会との柔軟な関わり方を模索して、作家という道を選んだのです。

高谷:というと?

藤井:社会で生きていくためには、大学や専門学校を出て会社に就職することが一般的ですが、そういった現状に対して違和感がありました。社会ともっと柔軟に関わる方法はないかを考えたとき、有松のような“産地”がその答えになるのではないかと思うようになったんです。

高谷:なるほど。作品はもちろん、 人生の選択肢として“作家としての生き方”を世の中に発信しているのですね。そんな藤井さんが考える、有松絞りの魅力とは?

藤井:布を通して光の陰影を感じられるところでしょうか。どれだけ作品を作っても、毎回新しい発見があります。ほかには、人々の暮らしの中で自然に生まれた民芸品とは異なり、“東海道を行き交う人々のお土産”として生み出されたという点も面白い。売れるためには、時流にあわせて人々の心に刺さるもの作り続けなくていけないから、柔軟な発想で技術が多様化してきたんだと思います。

高谷:絞り染めは、アフリカをはじめインドや東南アジア、紀元前の古代アンデス文明でも行われていたようで、その歴史に比べると、有松絞りの歴史は400年ほどなのに、世界に類を見ない100種以上の技法が編み出されている。それには、“お土産”としてのルーツが大いに関係していそうですね。一方で、技法ひとつひとつが芸術性の高さも備えているし、一人の職人が一生をかけてひとつの技術を極めて受け継いでいく“一人一芸”の考えも素晴らしい。この商売と伝統の2面性が、有松染めの魅力かもしれません。

 そんな藤井さんは、有松絞りをはじめとした伝統産業の未来についてどんなことを考えていますか?

藤井:伝統産業には、技術やものの価値だけでなく、目に見えない価値があります。職人がものづくりにどう向き合うか、どうやって商売を成り立たせるかはもちろん、その地域に根付いた歴史や文化、教育的な価値も含めて、もっと多面的に考えて、いろんな立場の人々が関わるようにしなくてはいけないと思います。

高谷:今、挑戦していることはなんですか?

藤井:10月に開催する個展に向けて、“紙と布のあいだ”をテーマに素材や繊維について研究を重ねています。最近は「参九染太郎(さんきゅうそめたろう)」という事業名で、持ち込まれた古着を絞り染めの技術で好きな色に染め替えるプロジェクトも始めました。 “伝統”という重厚なイメージは置いておいて、気軽に絞り染めを楽しんでもらうために考えたもので、価格は1着あたり3900円。参加者の中には「絞り染めを勉強したい」という人もいるので、こうした取り組みを通して作り手としての第一歩を踏み出してもらえたらうれしいですね。7月30日にスタートする国際芸術祭「あいち2022(有松地区)」では、有松の次世代メンバーを中心に「有松ゆかたまつり」という催しを企画します。会場に、寛斎さんと竹田耕三さんがコラボした有松絞りの浴衣を展示できることも、とても楽しみにしています。


 昨今の有松では、藤井さんや竹田嘉兵衛商店の竹田昌弘さんなど次なる世代の方々が、職人と絞り屋という見えない分断の溝を埋めるべく、積極的に連携事業を重ねている。伝統と革新が互いに刺激し合うことで、今、町そのものが熱気を帯びているのだ。

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【9月23日まで無料公開】アニエスが立ち上げた海洋調査団に聞く海の今【海の危機、私たちはどう動く?】

 デザイナーのアニエスべー(agnes b.)は、海洋探査を目的とした「タラ オセアン(Tara Ocean)」プロジェクトを2003年に立ち上げた。アニエスとその息子で現アニエスベーフランス本社最高経営責任者のエティエンヌ・ブルゴワ(Etienne Bourgois)にとって、海は常に身近な存在だったのだという。海を守ることに情熱を持っていたアニエスとブルゴワは、極地探検などにも用いられたスクーナー船を購入し「タラ号」と名付けた。映画「風と共に去りぬ」の主人公が住んでいた農場の名前からとったもので、アニエスにとっていつでも戻りたくなる故郷を意味する。

 科学調査船「タラ号」は、地球温暖化が海に与える影響や生物多様性、マイクロプラスチック汚染の現状などについて調査を進めている。これまでに世界中で12の海洋科学探査プロジェクトを遂行した。「タラ号」を運営する公益財団法人タラオセアン財団のパトゥイエ由美子日本支部事務局長に、海洋汚染の現状について聞いた。

WWD:海洋汚染の主な原因は?

パトゥイエ由美子(以下、パトゥイエ):大きく言えば人間活動だ。生活および工業廃水やプラスチックごみも汚染の要因だが、特に影響が大きいのは温暖化だ。人間が排出する温室効果ガスが温暖化を進め、海水の温度が上がることで生物多様性が減少し、生態系のバランスが崩れたりしている。海はこれまで大量の温室効果ガスを吸収してくれていたが、余分な二酸化炭素を吸収したことで海洋酸性化が進んでいる。酸性化によっても、海洋の生物多様性が脅かされている。

WWD:海洋プラスチックごみとは具体的にどんなものが流れている?

パトゥイエ:8割が陸からくると言われている。残りの2割は漁網など船舶から発生する。陸のどこから来るかというと、主に川から。タラ号では19年にヨーロッパの大きな9本の河川を調査したところ、川でもすでに大量のマイクロプラスチックが含まれていることがわかった。中には、化学繊維から派生するマイクロファイバーも多く含まれていた。

WWD:マイクロプラスチックによる汚染が特に深刻な地域は?

パトゥイエ:タラ号が14年に調査した地中海は深刻な地域の1つだが、特に日本や東南アジアがホットスポットだ。日本沿岸海域は、マイクロプラスチックの濃度が世界平均よりも27倍高いと言われている。そこでタラ オセアン ジャパンでは、20年に日本のローカルプロジェクトとして「タラ ジャンビオ マイクロプラスチック共同調査」を立ち上げ、調査を進めている。北海道から沖縄までを対象領域とし、海の表層水と海底の堆積物、砂浜の状況を同時に調べる、国内最大規模の調査だ。

WWD:日本の沿岸地域でマイクロプラスチックの濃度が高い原因は?

パトゥイエ:明確な原因はわかっていないが、世界の川由来のプラスチックごみのうち8割以上はアジアから流れている。諸外国が自国で発生したプラスチックごみを輸出した結果、処理しきれなかったものが海に流出しているとも考えられる。日本も輸出する側だったが、海に流れ出たものが海流にのってまた戻ってきているケースも多い。日本沿岸地域で外国語のラベルがついたプラスチックごみが見つかることもあるが、一方で日本からでたごみもどこかの海を汚染している。つまり、海洋プラスチックの問題は、自分たちは被害者でもあり、加害者でもあるということだ。

WWD:日本沿岸の生物多様性の状況は?

パトゥイエ:生物種の約20%が生息すると言われるサンゴ礁は、海の生態系において重要な役割を果たしている。しかし、日本近海でも、沖縄のサンゴ礁の7割近くが温暖化による白化現象で破壊されている。タラ号では16~18年に太平洋のサンゴ礁の調査を行い、サンゴの耐性と適応に関する研究を進めている。また、海面温度の上昇で北上しているサンゴもいるが、このまま温暖化が進み、地球の平均気温が産業革命時と比較し、2℃以上上昇したら、99%のサンゴ礁が喪失すると推計されており、その後の生態系への影響は計り知れない。

WWD:プラスチックごみは実際に海にどんな影響を与えている?

パトゥイエ:海亀の鼻にストローがささっている衝撃的な映像は世界的にも有名だろう。魚がごみを間違えて食べてしまったり、プラスチックでお腹がいっぱいになった生き物たちが餓死してしまったりといった生物への被害は大きい。プラスチックを製造するときに添加する有害物質が海に流れて、魚の体内に蓄積されているとも言われている。人体への影響はまだわからないことも多く、影響がないとも、絶対にあるとも言えないが、科学者たちは警鐘をならしていることは事実だ。

WWD:タラ号にアーティストが乗船する理由は?

パトゥイエ:創設者であるアニエスべーは、アートを愛するデザイナーで長年若手アーティストのサポートにも積極的だ。そんなアニエスの意思をきっかけに、科学やデータだけではリーチできない層に、アートを通すことで問題の大切さを伝えられることがブランドらしいアプローチとして根付いたのである。アーティストにとってインスピレーションがあるだけでなく、タラ号に乗船する科学者にとっても新たな視点を得るきっかけになっている。

言葉だけでなく本気のアクションを

 現在「アニエスべー」は、タラオセアン財団のメインパートナーとしてサポートを続けている。海洋問題の認知を広げるべく、子どもたちを対象としたビーチクリーン活動ビーチクリーンやワークショップ、「タラ号」を題材にしたポスターコンクールなどを定期的に開催する。ローラン パトゥイエ(Laurent Patouillet)=アニエスベー ジャパン代表は、「私たちはサステブルという言葉を一人歩きさせるのではなく、自分たちが率先して行動を起こすことを大切にしている。マイクロファイバー汚染や大量廃棄の問題など、ファッション企業にとってもこの問題は大きく関係している。私たちはそれを自覚し、完璧ではないかもしれないが、大量生産から脱却し、サステナビリティに配慮した商品を少なく作って長く使ってもらうようなビジネスを実践している。業界全体で、言葉だけでなく本気のアクションをトレンドにしていきたい」と話す。


【WWDJAPAN Educations】

【第2期】サステナビリティ・ディレクター養成講座
2022年9月30日(金)開講

 昨年初めて開催し好評を得た「サステナビリティ・ディレクター養成講座」を今年も開講。サステナビリティはこれからの企業経営の支柱や根底となるものであり、実践が急がれる事業の課題である。この課題についてのビジョンを描くリーダーの育成を目的に、必要な思考力・牽引力を身につける全7回のワークショップとなる。前半は各回テーマに沿った第一線で活躍する講師を迎え、講義後にはディスカッションやワークショップを通して課題を明確化し、実践に向けたアクションプランに繋げていく。

 また、受講者だけが参加できるオンライン・コミュニティーでは、「WWDJAPAN」が取り上げるサステナビリティに関する最新ニュースや知っておくべき注目記事をチェックでき、更に講義内容をより深く理解するための情報を「WWDJAPAN」編集部が届ける、まさに“サステナ漬け”の3カ月となる。
講義のみが受講できるオンラインコースも同時に受け付けています。


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【9月23日まで無料公開】アニエスが立ち上げた海洋調査団に聞く海の今【海の危機、私たちはどう動く?】

 デザイナーのアニエスべー(agnes b.)は、海洋探査を目的とした「タラ オセアン(Tara Ocean)」プロジェクトを2003年に立ち上げた。アニエスとその息子で現アニエスベーフランス本社最高経営責任者のエティエンヌ・ブルゴワ(Etienne Bourgois)にとって、海は常に身近な存在だったのだという。海を守ることに情熱を持っていたアニエスとブルゴワは、極地探検などにも用いられたスクーナー船を購入し「タラ号」と名付けた。映画「風と共に去りぬ」の主人公が住んでいた農場の名前からとったもので、アニエスにとっていつでも戻りたくなる故郷を意味する。

 科学調査船「タラ号」は、地球温暖化が海に与える影響や生物多様性、マイクロプラスチック汚染の現状などについて調査を進めている。これまでに世界中で12の海洋科学探査プロジェクトを遂行した。「タラ号」を運営する公益財団法人タラオセアン財団のパトゥイエ由美子日本支部事務局長に、海洋汚染の現状について聞いた。

WWD:海洋汚染の主な原因は?

パトゥイエ由美子(以下、パトゥイエ):大きく言えば人間活動だ。生活および工業廃水やプラスチックごみも汚染の要因だが、特に影響が大きいのは温暖化だ。人間が排出する温室効果ガスが温暖化を進め、海水の温度が上がることで生物多様性が減少し、生態系のバランスが崩れたりしている。海はこれまで大量の温室効果ガスを吸収してくれていたが、余分な二酸化炭素を吸収したことで海洋酸性化が進んでいる。酸性化によっても、海洋の生物多様性が脅かされている。

WWD:海洋プラスチックごみとは具体的にどんなものが流れている?

パトゥイエ:8割が陸からくると言われている。残りの2割は漁網など船舶から発生する。陸のどこから来るかというと、主に川から。タラ号では19年にヨーロッパの大きな9本の河川を調査したところ、川でもすでに大量のマイクロプラスチックが含まれていることがわかった。中には、化学繊維から派生するマイクロファイバーも多く含まれていた。

WWD:マイクロプラスチックによる汚染が特に深刻な地域は?

パトゥイエ:タラ号が14年に調査した地中海は深刻な地域の1つだが、特に日本や東南アジアがホットスポットだ。日本沿岸海域は、マイクロプラスチックの濃度が世界平均よりも27倍高いと言われている。そこでタラ オセアン ジャパンでは、20年に日本のローカルプロジェクトとして「タラ ジャンビオ マイクロプラスチック共同調査」を立ち上げ、調査を進めている。北海道から沖縄までを対象領域とし、海の表層水と海底の堆積物、砂浜の状況を同時に調べる、国内最大規模の調査だ。

WWD:日本の沿岸地域でマイクロプラスチックの濃度が高い原因は?

パトゥイエ:明確な原因はわかっていないが、世界の川由来のプラスチックごみのうち8割以上はアジアから流れている。諸外国が自国で発生したプラスチックごみを輸出した結果、処理しきれなかったものが海に流出しているとも考えられる。日本も輸出する側だったが、海に流れ出たものが海流にのってまた戻ってきているケースも多い。日本沿岸地域で外国語のラベルがついたプラスチックごみが見つかることもあるが、一方で日本からでたごみもどこかの海を汚染している。つまり、海洋プラスチックの問題は、自分たちは被害者でもあり、加害者でもあるということだ。

WWD:日本沿岸の生物多様性の状況は?

パトゥイエ:生物種の約20%が生息すると言われるサンゴ礁は、海の生態系において重要な役割を果たしている。しかし、日本近海でも、沖縄のサンゴ礁の7割近くが温暖化による白化現象で破壊されている。タラ号では16~18年に太平洋のサンゴ礁の調査を行い、サンゴの耐性と適応に関する研究を進めている。また、海面温度の上昇で北上しているサンゴもいるが、このまま温暖化が進み、地球の平均気温が産業革命時と比較し、2℃以上上昇したら、99%のサンゴ礁が喪失すると推計されており、その後の生態系への影響は計り知れない。

WWD:プラスチックごみは実際に海にどんな影響を与えている?

パトゥイエ:海亀の鼻にストローがささっている衝撃的な映像は世界的にも有名だろう。魚がごみを間違えて食べてしまったり、プラスチックでお腹がいっぱいになった生き物たちが餓死してしまったりといった生物への被害は大きい。プラスチックを製造するときに添加する有害物質が海に流れて、魚の体内に蓄積されているとも言われている。人体への影響はまだわからないことも多く、影響がないとも、絶対にあるとも言えないが、科学者たちは警鐘をならしていることは事実だ。

WWD:タラ号にアーティストが乗船する理由は?

パトゥイエ:創設者であるアニエスべーは、アートを愛するデザイナーで長年若手アーティストのサポートにも積極的だ。そんなアニエスの意思をきっかけに、科学やデータだけではリーチできない層に、アートを通すことで問題の大切さを伝えられることがブランドらしいアプローチとして根付いたのである。アーティストにとってインスピレーションがあるだけでなく、タラ号に乗船する科学者にとっても新たな視点を得るきっかけになっている。

言葉だけでなく本気のアクションを

 現在「アニエスべー」は、タラオセアン財団のメインパートナーとしてサポートを続けている。海洋問題の認知を広げるべく、子どもたちを対象としたビーチクリーン活動ビーチクリーンやワークショップ、「タラ号」を題材にしたポスターコンクールなどを定期的に開催する。ローラン パトゥイエ(Laurent Patouillet)=アニエスベー ジャパン代表は、「私たちはサステブルという言葉を一人歩きさせるのではなく、自分たちが率先して行動を起こすことを大切にしている。マイクロファイバー汚染や大量廃棄の問題など、ファッション企業にとってもこの問題は大きく関係している。私たちはそれを自覚し、完璧ではないかもしれないが、大量生産から脱却し、サステナビリティに配慮した商品を少なく作って長く使ってもらうようなビジネスを実践している。業界全体で、言葉だけでなく本気のアクションをトレンドにしていきたい」と話す。


【WWDJAPAN Educations】

【第2期】サステナビリティ・ディレクター養成講座
2022年9月30日(金)開講

 昨年初めて開催し好評を得た「サステナビリティ・ディレクター養成講座」を今年も開講。サステナビリティはこれからの企業経営の支柱や根底となるものであり、実践が急がれる事業の課題である。この課題についてのビジョンを描くリーダーの育成を目的に、必要な思考力・牽引力を身につける全7回のワークショップとなる。前半は各回テーマに沿った第一線で活躍する講師を迎え、講義後にはディスカッションやワークショップを通して課題を明確化し、実践に向けたアクションプランに繋げていく。

 また、受講者だけが参加できるオンライン・コミュニティーでは、「WWDJAPAN」が取り上げるサステナビリティに関する最新ニュースや知っておくべき注目記事をチェックでき、更に講義内容をより深く理解するための情報を「WWDJAPAN」編集部が届ける、まさに“サステナ漬け”の3カ月となる。
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元AKBこじはるが語る「ECで成功していても実店舗を出す理由」 7月30日に「ハーリップトゥ」初の直営店をオープン

 小嶋陽菜が代表取締役CCO(チーフクリエイティブオフィサー)を務めるheart relationは7月30日、小嶋がプロデュースするブランド「ハーリップトゥ(HER LIP TO)」初の直営店「ハウス オブ エルメ(HOUSE OF HERME)」を、東京・神宮前にオープンする。店は表参道から1本入った通りにある2階建てビルの2階で、面積約213平方メートル。“ブティックホテル”がテーマの店内は、大理石の壁に組み木細工やモザイクタイルの床、小嶋自らが世界各国から取り寄せたという什器や照明を組み合わせており、非常に豪華で凝った空間だ。週末の入店はしばらく抽選による予約制で、オープン初日の入店には約3000人の応募があったという。「プロダクトを提案するだけでなく、その先の経験を届けたい」と語る小嶋に、ECで既に影響力を持つブランドが実店舗を持つ狙いや、ブランドの今後について聞いた。

WWD:2018年にブランドを立ち上げて以来、ECを主販路にしつつ、ポップアップストアを定期的に開催する形で成長してきた。常設店出店を決めた背景は。

小嶋陽菜heart relation代表取締役CCO(以下、小嶋):コロナ禍以降、出掛けることや誰かに会うことがすごく特別なものになったと感じています。これまで、ポップアップストアを行う際も妥協することなくブランドの世界観を作り込んできましたが、従来以上に非日常感というか、「せっかくお出掛けするからこその特別感」みたいなものが求められるようになっています。それを感じられる場所を作りたいと思いました。

 今はわざわざ実店舗を持たなくても、ソーシャルで何でもできる時代です。「ハーリップトゥ」もSNS上のクリエイティブが好評だし、ECで買った商品が届いた時の梱包の紙がかわいいって支持されています。そんなふうにオンラインでの体験がどんどん進化している中で実店舗を持つからこそ、オンラインではできないことをやらないと意味がない。オンラインで支持されてきたから、それでも店をやる意味は何かとすごく考えました。「これくらいならオンラインでいい」とは思われないような、わざわざ時間を作って来てもらったからこその意味を感じてもらえる空間を目指しています。

WWD:店内は確かに非日常を感じさせる凝った作り。どこを撮っても“映える”ようになっている。

小嶋:コロナ禍で海外旅行にもなかなか行けなくなって、気分が上がる瞬間が少なくなっています。私の好きなものを詰め込んで、世界中を旅しているような気分になれるようにコーナーごとに作り込みました。例えば今私が座っているコーナーは、イギリスの壁紙とイタリアから取り寄せたビンテージのランプを組み合わせています。ランプは以前からかわいいなと思っていたけど、自宅のインテリアにはちょっと合わなくて購入していなかったもの。でも、お店にはちょうどいいなと思って取り寄せました。他にも、フィンランドのアーティストや家具デザイナーなどにインスタのDMで私が直接連絡して、店内に置きたいものを集めました。内装はやりたいことがたくさんあったので、(特に建築デザイナーなどとは組まず)それをリストに全て書き出して施工の会社に渡しています。

 ドレスルーム(試着室)は5つあって、壁紙や床の組み木模様を1つ1つ変えています。以前パリで泊まったホテルが、部屋ごとに内装イメージが全く違ってワクワクしました。そんなときめきを感じてもらいたくて。スイートルームと呼ぶコーナーでは、ロイヤリティーの高いお客さまに何か特別なプログラムを提供していきたい。コーヒースタンドのコーナーは、私が好きな神宮前のカフェ「ラテスト」と組んでメニュー開発をしています。ブランドのモチーフであるチェリーを使ったオリジナルドリンクも作りました。アパレルの在庫を置くとストックルームのスペースが大きくなってしまうので、服はここでは試着のみにして、ECで購入するショールーミング形式にしています。

購入した“その先”が見えるブランドに

WWD:「気分が上がる体験をデザインする」ことは、今あらゆるブランドが目指しているものだ。

小嶋:お客さまのSNSを見ると、特別な場所に「ハーリップトゥ」を着て行っていただいていることが多いです。服やビューティアイテムを販売するだけでなく、(購入した)その先の自分を想像できるブランドでありたいし、この店もまさにそんな提案をしていくための場所です。立ち上げから最初の2年はリゾートで着るワンピースのブランドというイメージでしたが、コロナ禍以降は「ハーリップトゥ」を着てアフタヌーンティーに行くという声が広がっています。それで期間限定で代官山にカフェをオープンしたり、大阪でホテルと組んだアフタヌーンティーのイベントを行ったりしてきました。そんなふうにお客さまの動向を見ていて気づくことは多いです。

 「ハウス オブ エルメ」のエルメは、herとmeを組み合わせた造語。あなたと私がつながる場所といった意味です。私自身買い物が好きで、これまでさまざまな店で高いホスピタリティーのサービスを受けてきました。その中で、こういう気遣いはすてきだな、粋だなと感じてきたものがあるから、そう感じていただけるようなサービスをこの店からも提供していきたい。

WWD:店ができたことで、イベントもこれまで以上に実施しやすくなった。例えば27日には、一般オープンに先駆けて店を体験できるプレビューイベントも3000円のチケット制で企画しており、抽選で当たった客が入店できる仕組みになっている。

小嶋:27日のストアプレビューパーティーは、一番近いファンの方にいち早く店を見ていただきたいと思って企画しました。どういう形がいいか、考えに考えてこの形にしています。ケータリングを用意し、一部商品は一足早く購入が可能。ブランドのことがより好きな方に来ていただいて、楽しんでいただくために絶妙な金額だと判断して、チケットは3000円としました。お店を完成させることでいっぱいいっぱいだったので、それ以降のイベントなどの計画はこれから。熱量の高いお客さまに、よりエクスクルーシブな体験を提供できるようにしていきたいと思っています。

ブランドはスケールさせればいいわけじゃない

WWD:会社組織の話に移ると、安倉知弘CEOなどIT系企業出身の経営層メンバーが増え、2月に新体制となってパワーアップしている。

小嶋:お店を出し、さまざまな事業を行っていくとなると、人が足りない、私1人では実行できない。それで仲間を増やしてきました。今、社員は約40人です。やりたいことをやり切る力のある、いいチームになってきたと思います。今は毎日が文化祭の前日みたいな感じ。6月は月間売り上げとしても過去最高を記録しました。

 IT系出身メンバーは、それまで「事業をいかにスケールさせるか」という世界で生きてきた人たち。でも、ブランド運営は単にスケールさせればいいわけじゃない。余白とか、アート的感覚みたいなものがブランドを作る上では重要だから、発想としては真逆です。そこの考え方のすり合わせにはものすごく時間をかけました。IT系出身のメンバーは増えましたが、グラフィックデザイナーや動画制作者などクリエイターの方はもっと社内に必要で、クリエイターが働きやすい環境や仕組み作りが大事だなと思っています。

WWD:新事業ではどんなことを考えているか。例えば今は、NFTに大きな注目が集まっている。

小嶋:サプライズを届けることを会社のテーマにしているので、次に何をやるかは秘密です。NFTは2年ほど前に社内で“アメリカのマーケットトレンド共有会”みたいな勉強会を開いたときに知って、何かに取り入れられたら面白いなとは思ってきました。でも、「ハーリップトゥ」のお客さま世代に浸透するにはまだまだハードルがあると感じています。NFTが世の中にどうなじんでいくのかは、個人的な興味としても追っていきたいと思っています。

 “アメリカのマーケットトレンド勉強会”は常にやっているわけではないですが、今は新卒採用で入社したニューヨーク出身の社員もいて、海外のビューティトレンドなどをどんどんシェアしてくれる。そんなふうに、どんどんいろんな情報が出てくるカオスみたいな状態が好きだし、会社としてすごくいい雰囲気だと思います。「自分たちの事業はこれ」って、決めつけないことが大事。アパレルだけ、ビューティだけって決めつけない。私はエンタメ界出身というのもあって、何と何を組み合わせて、どうすれば面白くなるかを常に考えています。

ここから経営として新しいフェーズに

WWD:常設店舗は今後増やしていくのか。

小嶋:まずはこのお店でお客さまとより深いコミュニケーションを取っていきます。それ以降のことはまだ考えていません。ポップアップショップも、いろんな地域のファンの方から「うちのエリアにも来て」と多くの声をいただきます。でも、求められるクオリティーのものを出していくのはものすごく難しい。やりたいけど、まずその体制を作らないといけない。お客さまの熱量が非常に高い分、販売員はそれをさらに超える商品知識やホスピタリティーがないといけません。そういう方を採用するのは非常に大変ですが、それでも一緒にやっていきたいという仲間をぜひ採用したい。

 実店舗を持って、お店と本社というようにロケーションが離れたことで、ここからはまた(経営の)見え方やフェーズが変わってくると思う。そういう中で「みんなで頑張ろう!」という形をどう作るのか。それは私にとっても課題だし、会社としてこれからのチャレンジだなと思います。

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元AKBこじはるが語る「ECで成功していても実店舗を出す理由」 7月30日に「ハーリップトゥ」初の直営店をオープン

 小嶋陽菜が代表取締役CCO(チーフクリエイティブオフィサー)を務めるheart relationは7月30日、小嶋がプロデュースするブランド「ハーリップトゥ(HER LIP TO)」初の直営店「ハウス オブ エルメ(HOUSE OF HERME)」を、東京・神宮前にオープンする。店は表参道から1本入った通りにある2階建てビルの2階で、面積約213平方メートル。“ブティックホテル”がテーマの店内は、大理石の壁に組み木細工やモザイクタイルの床、小嶋自らが世界各国から取り寄せたという什器や照明を組み合わせており、非常に豪華で凝った空間だ。週末の入店はしばらく抽選による予約制で、オープン初日の入店には約3000人の応募があったという。「プロダクトを提案するだけでなく、その先の経験を届けたい」と語る小嶋に、ECで既に影響力を持つブランドが実店舗を持つ狙いや、ブランドの今後について聞いた。

WWD:2018年にブランドを立ち上げて以来、ECを主販路にしつつ、ポップアップストアを定期的に開催する形で成長してきた。常設店出店を決めた背景は。

小嶋陽菜heart relation代表取締役CCO(以下、小嶋):コロナ禍以降、出掛けることや誰かに会うことがすごく特別なものになったと感じています。これまで、ポップアップストアを行う際も妥協することなくブランドの世界観を作り込んできましたが、従来以上に非日常感というか、「せっかくお出掛けするからこその特別感」みたいなものが求められるようになっています。それを感じられる場所を作りたいと思いました。

 今はわざわざ実店舗を持たなくても、ソーシャルで何でもできる時代です。「ハーリップトゥ」もSNS上のクリエイティブが好評だし、ECで買った商品が届いた時の梱包の紙がかわいいって支持されています。そんなふうにオンラインでの体験がどんどん進化している中で実店舗を持つからこそ、オンラインではできないことをやらないと意味がない。オンラインで支持されてきたから、それでも店をやる意味は何かとすごく考えました。「これくらいならオンラインでいい」とは思われないような、わざわざ時間を作って来てもらったからこその意味を感じてもらえる空間を目指しています。

WWD:店内は確かに非日常を感じさせる凝った作り。どこを撮っても“映える”ようになっている。

小嶋:コロナ禍で海外旅行にもなかなか行けなくなって、気分が上がる瞬間が少なくなっています。私の好きなものを詰め込んで、世界中を旅しているような気分になれるようにコーナーごとに作り込みました。例えば今私が座っているコーナーは、イギリスの壁紙とイタリアから取り寄せたビンテージのランプを組み合わせています。ランプは以前からかわいいなと思っていたけど、自宅のインテリアにはちょっと合わなくて購入していなかったもの。でも、お店にはちょうどいいなと思って取り寄せました。他にも、フィンランドのアーティストや家具デザイナーなどにインスタのDMで私が直接連絡して、店内に置きたいものを集めました。内装はやりたいことがたくさんあったので、(特に建築デザイナーなどとは組まず)それをリストに全て書き出して施工の会社に渡しています。

 ドレスルーム(試着室)は5つあって、壁紙や床の組み木模様を1つ1つ変えています。以前パリで泊まったホテルが、部屋ごとに内装イメージが全く違ってワクワクしました。そんなときめきを感じてもらいたくて。スイートルームと呼ぶコーナーでは、ロイヤリティーの高いお客さまに何か特別なプログラムを提供していきたい。コーヒースタンドのコーナーは、私が好きな神宮前のカフェ「ラテスト」と組んでメニュー開発をしています。ブランドのモチーフであるチェリーを使ったオリジナルドリンクも作りました。アパレルの在庫を置くとストックルームのスペースが大きくなってしまうので、服はここでは試着のみにして、ECで購入するショールーミング形式にしています。

購入した“その先”が見えるブランドに

WWD:「気分が上がる体験をデザインする」ことは、今あらゆるブランドが目指しているものだ。

小嶋:お客さまのSNSを見ると、特別な場所に「ハーリップトゥ」を着て行っていただいていることが多いです。服やビューティアイテムを販売するだけでなく、(購入した)その先の自分を想像できるブランドでありたいし、この店もまさにそんな提案をしていくための場所です。立ち上げから最初の2年はリゾートで着るワンピースのブランドというイメージでしたが、コロナ禍以降は「ハーリップトゥ」を着てアフタヌーンティーに行くという声が広がっています。それで期間限定で代官山にカフェをオープンしたり、大阪でホテルと組んだアフタヌーンティーのイベントを行ったりしてきました。そんなふうにお客さまの動向を見ていて気づくことは多いです。

 「ハウス オブ エルメ」のエルメは、herとmeを組み合わせた造語。あなたと私がつながる場所といった意味です。私自身買い物が好きで、これまでさまざまな店で高いホスピタリティーのサービスを受けてきました。その中で、こういう気遣いはすてきだな、粋だなと感じてきたものがあるから、そう感じていただけるようなサービスをこの店からも提供していきたい。

WWD:店ができたことで、イベントもこれまで以上に実施しやすくなった。例えば27日には、一般オープンに先駆けて店を体験できるプレビューイベントも3000円のチケット制で企画しており、抽選で当たった客が入店できる仕組みになっている。

小嶋:27日のストアプレビューパーティーは、一番近いファンの方にいち早く店を見ていただきたいと思って企画しました。どういう形がいいか、考えに考えてこの形にしています。ケータリングを用意し、一部商品は一足早く購入が可能。ブランドのことがより好きな方に来ていただいて、楽しんでいただくために絶妙な金額だと判断して、チケットは3000円としました。お店を完成させることでいっぱいいっぱいだったので、それ以降のイベントなどの計画はこれから。熱量の高いお客さまに、よりエクスクルーシブな体験を提供できるようにしていきたいと思っています。

ブランドはスケールさせればいいわけじゃない

WWD:会社組織の話に移ると、安倉知弘CEOなどIT系企業出身の経営層メンバーが増え、2月に新体制となってパワーアップしている。

小嶋:お店を出し、さまざまな事業を行っていくとなると、人が足りない、私1人では実行できない。それで仲間を増やしてきました。今、社員は約40人です。やりたいことをやり切る力のある、いいチームになってきたと思います。今は毎日が文化祭の前日みたいな感じ。6月は月間売り上げとしても過去最高を記録しました。

 IT系出身メンバーは、それまで「事業をいかにスケールさせるか」という世界で生きてきた人たち。でも、ブランド運営は単にスケールさせればいいわけじゃない。余白とか、アート的感覚みたいなものがブランドを作る上では重要だから、発想としては真逆です。そこの考え方のすり合わせにはものすごく時間をかけました。IT系出身のメンバーは増えましたが、グラフィックデザイナーや動画制作者などクリエイターの方はもっと社内に必要で、クリエイターが働きやすい環境や仕組み作りが大事だなと思っています。

WWD:新事業ではどんなことを考えているか。例えば今は、NFTに大きな注目が集まっている。

小嶋:サプライズを届けることを会社のテーマにしているので、次に何をやるかは秘密です。NFTは2年ほど前に社内で“アメリカのマーケットトレンド共有会”みたいな勉強会を開いたときに知って、何かに取り入れられたら面白いなとは思ってきました。でも、「ハーリップトゥ」のお客さま世代に浸透するにはまだまだハードルがあると感じています。NFTが世の中にどうなじんでいくのかは、個人的な興味としても追っていきたいと思っています。

 “アメリカのマーケットトレンド勉強会”は常にやっているわけではないですが、今は新卒採用で入社したニューヨーク出身の社員もいて、海外のビューティトレンドなどをどんどんシェアしてくれる。そんなふうに、どんどんいろんな情報が出てくるカオスみたいな状態が好きだし、会社としてすごくいい雰囲気だと思います。「自分たちの事業はこれ」って、決めつけないことが大事。アパレルだけ、ビューティだけって決めつけない。私はエンタメ界出身というのもあって、何と何を組み合わせて、どうすれば面白くなるかを常に考えています。

ここから経営として新しいフェーズに

WWD:常設店舗は今後増やしていくのか。

小嶋:まずはこのお店でお客さまとより深いコミュニケーションを取っていきます。それ以降のことはまだ考えていません。ポップアップショップも、いろんな地域のファンの方から「うちのエリアにも来て」と多くの声をいただきます。でも、求められるクオリティーのものを出していくのはものすごく難しい。やりたいけど、まずその体制を作らないといけない。お客さまの熱量が非常に高い分、販売員はそれをさらに超える商品知識やホスピタリティーがないといけません。そういう方を採用するのは非常に大変ですが、それでも一緒にやっていきたいという仲間をぜひ採用したい。

 実店舗を持って、お店と本社というようにロケーションが離れたことで、ここからはまた(経営の)見え方やフェーズが変わってくると思う。そういう中で「みんなで頑張ろう!」という形をどう作るのか。それは私にとっても課題だし、会社としてこれからのチャレンジだなと思います。

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【9月23日まで無料公開】アディダスの海洋ごみ靴誕生秘話【海の危機、私たちはどう動く?】

 アディダスは15年、海洋環境保護団体のパーレイ・フォー・ジ・オ―ション(以下、パーレイ)とパートナーシップを組み、ペットボトルなどの海洋プラスチックごみをアップサイクルした糸“パーレイ・オーシャン・プラスチック”を用いた製品を販売している。14年にパーレイからのアプローチがきっかけで協働が始まったというが、海洋ごみを活用した靴の生産数は17年に約100万足、19年に約1100万足、そして21年には約1800万足にまで拡大。今春発売された「オリジナルス」では“パーレイ・オーシャン・プラスチック”の使用率を50%以上にするなど、アディダスが大きく掲げる「END PLASTIC WASTE プラスチックゴミゼロの未来へ。」に向けた鍵の一つで、海洋ごみを活用した新しいサプライチェーンを構築した点が高く評価されている。メーカーはこれまでの良質な素材を集めて製品を作ることから、廃棄物などをどう活用して製品に生かすか、という視点を持つことが重要になっており、この取り組みはイノベーションが環境問題の解決策につながっている好例でもある。パーレイとの取り組みをマルヴィン・ホフマン(Marwin Hoffman)=ヴァイスプレジデント・アウトドアマーケティングに聞く。

WWD:2015年にパーレイとパートナーシップを結び、アディダスは本格的にサステナビリティに取り組み始めた。わずか数年で数千万足を生産するに至った原動力は?

マルヴィン・ホフマン/ヴァイスプレジデント・アウトドアマーケティング(以下、ホフマン):2015年の国連本部で展示した、漁網をアップサイクルした糸でアッパーを作ったシューズを、多くのアスリートが「ゲームチェンジャー」として取り上げてくれた。そこで当社は、海岸や海沿いの地域で回収されたプラスチックごみを使用した商品生産の実現を目指した。わずか5年で、グローバルなソリューションへと拡大することができた。このシューズは、身に着けることのできる“可能性の象徴”と言えるだろう。ほかにできることはないか、という会話や質問、アイデアのきっかけになるから。

 パーレイはプラスチック廃棄物だけに留まらず、海洋の状態を改善するための新しいイノベーションに着手している。彼らの取り組みが注目を集めるにつれ、その影響力と実行力も増している。そして、共通するゴールに向けたアディダスとパーレイの協力態勢によって、イノベーションのスピードを速め、より効率的に規模を拡大し、よりオーガニックに影響を与えることができると考えている。

WWD:具体的にどのようにサプライチェーンを築いたか。

ホフマン:パーレイと提携した15年以降、“パーレイ・オーシャン・プラスチック”をバージンポリエステルの革新的な代替品として商品生産に使用している。“パーレイ・オーシャン・プラスチック”は、海に到達する前に海岸や海沿いの地域から回収されたプラスチックをアップサイクルして作成される素材だ。パーレイはパートナーと協力して、回収された原材料(主にペットボトル)を収集・分類し、糸を製造するサプライヤーに輸送している。そこで製造された糸は商標登録されており、アディダスはその素材を使用したシューズ、アパレル、アクセサリーなどを、パフォーマンスとライフスタイル両方のカテゴリーで展開している。

WWD:“パーレイ・オーシャン・プラスチック”は、バージン素材に比べて扱いづらい点もあると思うが、どのように解決しているか。

ホフマン:アディダスにとって、アスリートのために最高の製品を作ることが大きなミッションだが、それは地球を犠牲にしてまで行うことではない。25年までに品目の90%にサステナブルな技術、素材、デザインもしくは製造方法を採用するという私たちのゴールで大事なポイントは、ポートフォリオ全体にわたる目標であるということだ。この目標を実現するには、全てのカテゴリーにわたり、綿密な開発プロセスと妥協のないパフォーマンステストが必要となり、また同時に途中で失敗すること、実験を恐れない姿勢も必要となる。パーレイは単一のプロトタイプから始まり、多数のアパレルへと広がった。“メイド・トゥ・ビィ・リメイド(Made to be Remade、以下MTBR)”、(オールバーズと協業する)“フューチャークラフト.フットプリント(FUTURECRAFT.FOOTPRINT)」も同じく、プロトタイプから始まっている。

 アディダスには、200名にも上るエンジニアや技術者、デザイナー、スポーツサイエンスのスペシャリストで構成された強力なイノベーションチームがある。彼らは、アスリートにとって最善のものを生み出すだけでなく、それを再定義し続けるためにも、日々失敗を繰り返している。

WWD:公式サイトで大きく掲げている“END PLASTIC WASTE プラスチックゴミゼロの未来へ。”のメッセージが印象的だ。

ホフマン:サステナビリティにおける当社の大きなミッションは、CO2排出量の削減や、消費者行動の変化促進に焦点を当てたイノベーションとパートナーシップを通じて、プラスチックごみゼロの未来を実現することだ。プラスチックごみは非常に大きな問題であり、一刻を争う状況だ。世界的にも、この問題の緊急性に注目が集まりつつある。国連によってプラスチック汚染の解決に向けた協定が最近承認されたことで、この問題に新たに焦点が当てられている。

 パーレイとのパートナーシップは、このアクションを迅速かつ大規模に実現するための鍵になっている。社内にはない専門分野を持つイノベーターを見つけてパートナーシップを組むことで、より良い解決方法を生み出し、目標を達成することが可能になる。

WWD:アディダスはパーレイ以外にも多くの団体や企業と協働している。

ホフマン:プラスチックごみ問題を解決するには、業界全体のソリューションだけではなく、業界を超えたソリューションも必要だ。また、「Fashion For Good」のような団体を介して、革新的な解決策をもたらすスタートアップ企業を見つけることも非常に重要。もしくは、地球のために競争を脇に置いて、オールバーズ(Allbirds)のような「競合」とも考えられるブランドと協働し、カーボンフットプリントを抑えたシューズを作ることも一例だ。私たちは、ビジネスとイノベーションの方法を再発明しようとしているさまざまなブランドや志を同じくする企業と協力し、可能性を広げることが、業界のリーダーとしての務めだと考えている。

WWD:アスリートや生活者を巻き込んだ“ラン・フォー・ジ・オーシャンズ(Run for the Oceans)”が毎年拡大し、影響力が増している。

ホフマン:ちょうど今年も終了したところだ。6年目となるこの取り組みでは、さまざまな能力とレベルのアスリートやランナーが一つになり、スポーツの力を通じて海洋プラスチック汚染問題への意識を高めることを目的としている。今年は、5月23日~6月8日までの間に670万人以上の参加者(676万161人)が取り組みに参加し、合計7億7100万分以上(7億7122万5511分)の走行時間を記録するなど、世界最大のランニング・ムーブメントの一つとなっている。

WWD:消費者を啓発することは重要だが、非常に難しい。どのようにイベントを企画しているか。ポイントは?

ホフマン:“ラン・フォー・ジ・オーシャン”が効果的に機能している要素として、消費者のアクションと活動が、海岸や海岸地域のコミュニティを保護することに貢献しているという、具体的な体験を提供しているところだと考えている。またその体験を、できる限りアクセスしやすくしているところもポイント。例えば今年は、参加者は幅広いスポーツ、アクティビティー、トレーニングで、このチャレンジに参加することができ、また使用アプリについても、「adidas Runtastic」「Joyrun」「Codoon」「Yeudongquan」「Strava」など、複数用意されていたところも大きいと思う。


【WWDJAPAN Educations】

【第2期】サステナビリティ・ディレクター養成講座
2022年9月30日(金)開講

 昨年初めて開催し好評を得た「サステナビリティ・ディレクター養成講座」を今年も開講。サステナビリティはこれからの企業経営の支柱や根底となるものであり、実践が急がれる事業の課題である。この課題についてのビジョンを描くリーダーの育成を目的に、必要な思考力・牽引力を身につける全7回のワークショップとなる。前半は各回テーマに沿った第一線で活躍する講師を迎え、講義後にはディスカッションやワークショップを通して課題を明確化し、実践に向けたアクションプランに繋げていく。

 また、受講者だけが参加できるオンライン・コミュニティーでは、「WWDJAPAN」が取り上げるサステナビリティに関する最新ニュースや知っておくべき注目記事をチェックでき、更に講義内容をより深く理解するための情報を「WWDJAPAN」編集部が届ける、まさに“サステナ漬け”の3カ月となる。
講義のみが受講できるオンラインコースも同時に受け付けています。


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好業績の陰に「顧客体験」への伴走 ゴールドウインとプレイドの事例

 さまざまなデジタルマーケティングツールが存在する中、数多くのアパレル企業から信頼を得ているのが、プレイドが提供する「カルテ(KARTE)」だ。「ザ・ノース・フェイス」などで知られるゴールドウインは、OMO(オンラインとオフラインの融合)の切り札として「カルテ」を活用し、実績を上げてきた。「カルテ」導入は小売業にどんな変革をもたらすのか。ゴールドウインの梅田輝和氏とプレイドの金井良輔氏が語り合った。

オンライン接客の導入で感じた手ごたえ

WWD:ゴールドウインが「カルテ」を導入した経緯は?

梅田輝和ゴールドウインEC販売部長(以下、梅田):以前から接客ツールの提案をプレイドから受けていた。ただ当社の環境が整っていなかったこともあり、見送っていた。第1回目の緊急事態宣言が出た2020年4月、再び新しいツールの提案があった。コロナ禍での私の問題意識とも一致したため導入を決めた。店舗を休業せざるを得ず、店に行きたくても行けないお客さまがいる。売り上げにも大きな打撃を受けた。ちょうどZOOM接客を始める小売業も出始めていたが、プレイドの提案はさらに進んだものだった。

金井良輔カスタマー・エクスペリエンス・プロデューサー(以下、金井):私たちが提案したのは「カルテ ギャザー(KARTE GATHER)」という店舗スタッフとEC上のお客さまをビデオでつないで接客できるツールだ。ECサイトと店舗スタッフは違う土俵で捉えがちだが、「カルテ ギャザー」を使えばデジタル上で店舗と同じリッチな接客が可能になる。お客さまがECサイトを回遊する中、適切なタイミングでオンライン接客のご案内を提示。店舗スタッフは店頭の端末を通じて、お客さまとコミュニケーションが取れる。店舗スタッフが「カルテ ギャザー」を通じてECの顧客に接客した場合、店舗からお客さまに商品を直送することもできるし、後からECサイト上で購入した場合も、その履歴が分かる。分断されたECと店頭を一体化して、その後の成果検証もできるようにした。

梅田:オンライン接客ツールにつなげるお客さまは、何かしらの商品に興味があり、課題をお持ちだ。「ザ・ノース・フェイス」ならバックパックのサイズ感、あるいはダウンジャケットの暖かさなど、購入前にいろいろ聞きたいことがある。ダウンジャケットの暖かさについて、ECサイトの文字だけで伝えるのは難しい。お客さまから「週末から北海道旅行に行く」と聞いて初めて、「でしたら、これがいいのでは」と具体的な接客ができる。

WWD:顧客データの活用とは具体的にどんなことか。

金井:接客スタッフにも、お客さまのニーズを拾い上げるのが得意な方と、不得手な方がいる。不得意な方でも「カルテ」を使うと、顧客がECサイトでどんな商品に興味を持っていたのか、今はこんなカテゴリーを探しているのでは、ということが分かる。データを集約していけば、過去に店頭で受けた接客も分かる。「以前購入したアウターに合わせるなら、このボトムスがいいと思います」というように、コミュニケーションが洗練されていく。一斉に同じ内容を送っていたメルマガを、顧客に合わせて変えていくことも可能だ。

梅田:デジタルの浸透によって、店舗スタッフの役割が変わった。仕事を再定義する必要性を感じる。店舗での売り上げだけでなく、ECの売り上げに貢献してくれたことを、会社として適切に評価する。インセンティブやモチベーションにつなげることも大切だ。

金井:ゴールドウインはどの部署の人もお客さまのことをすごく考えている。店舗スタッフとECをつなぐというソリューションからスタートしたが、「カルテ」導入から付随するプロジェクトへと取り組みがどんどん広がり、現在は週3回くらいの割合でディスカッションしている。どんな顧客体験を作りたいか、リアル店舗の役割とは何かなど、突っ込んだ議論を重ねてきた。当社がその期待にどれだけ応えられるか、宿題は多い。

WWD:ゴールドウインが考える顧客体験とは?

梅田:難しくは考えていない。お客さまが求めているものを提供する。そのためにお客さまのことを深く知らなければいけない。お客さまをワクワクさせ、お客さまの想像を超える感動を提供できるか。感動によってゴールドウインのファンをいかに増やすか。長い関係性を築いていくか。最高の顧客体験を築く土台にデータがある。

金井:顧客体験というと、漠然としたものになりがち。でも求められる売り上げにも寄与していくことが大前提だ。ゴールドウインがお客さまに対してどんな存在でありたいかなど、抽象的かつ本質的なところから話し合い、ポップアップのメッセージはこんな雰囲気がいいんじゃないか、サイトを訪問したらいきなりクーポンを出すようなことは違うのでは、といった具体的な話を詰める。言語化するのが難しいけれど、ディスカッションを重ねていく中で、ゴールドウインが目指す顧客体験を私たちも理解し、一緒に深めていく感覚だ。

ECサイトの利便性向上に伴い売り上げも伸長

WWD:売り上げも両社で共有しているのか。

梅田:週単位で共有している。やるからには数字を共有して、一緒に成果と課題を考えた方がいい。年間の平均購入単価×平均購入回数というシンプルなLTV(ライフタイムバリュー)の指標も大切にしている。直近ではVOC(お客さまの声)の分析も始めた。

金井:「カルテ」では、お客さまがこの画面でサイトを閉じたなどの行動データが集積できる。そういったアクションとVOCとを合わせて次のコミュニケーションに生かしたい。

梅田:一番大事なのは、デジタルもフィジカルも一つに捉えることだ。これまでは店舗でお客さまと対峙し、ある商品をしっかり売っていればよかった。今は新しいツールを導入することで、店舗スタッフがデジタルに貢献できる。データを活用しながら、人の力をうまく組み合わせるということが非常に大事だ。最近「コトラーのマーケティング5.0」(フィリップ・コトラー著、朝日新聞出版)を読んで、腑に落ちたことがある。情報や知識はAIや機械に置き換えることができるが、知恵を出すとか知見を活かすことは人間の領域であって、機械にはできない。それぞれで線を引くのではなく、データと人の力をうまく組み合わせて、お客さまに新しい価値を提案できるというのが、まさに「カルテ」でやっていることなのかなと。新しい取り組みが、次の新しい取り組みを生む。

金井:まさにそうだ。ゴールドウインにはさまざまなブランドがあるが、「カルテ」はあらゆるケースのお客さまにチューニング可能な設計なので、それぞれ解決策を紹介できる。各社のお客さま一人一人を分析して、どんなソリューションを組み合わせて使っていただくかを提案するのが私たちの仕事。この分野ではどこにも負けない自信がある。

販売に限定しない
「カスタマージャーニー」

WWD:今後の「カルテ」活用の展望は。

梅田:当社のカスタマージャーニーは、販売がゴールではない。特にアウトドアウエアやアウトドア用品は、長く愛用していただけるよう高品質な物作りをしてきた。修理・修繕の仕組みも整っている。膨大なデータの中に、お客さまに喜んでいただけるヒントが潜んでいる。一人一人のデータをしっかり見て、それを積み上げていくことが大切だ。それを磨き上げた結果、当社のファンになってくれる。

金井:ゴールドウインの販売だけでなく、MD、生産のスタッフまでが、僕らの提供するデータを通じて、その向こうにいるお客さまのことを想像し、それを未来につなげていく。「カルテ」を通じて、そんな姿を実現したい。

梅田:金井さん含め、プレイドのチームの皆さんと本音で議論した結果、OMOに本気で取り組む腹を決めることができた。会社は違えども考えているベクトルは同じという安心感がある。週に1回は私と金井さんの2人で話し合っている。現場レベルでも頻繁にコミュニケーションをとる。今も4〜5つの新しいプロジェクトが動いている。スポーツメーカーなので、良い商品を作ればいいと考えがちだった。でもプレイドとの取り組みによって、宝のようなデータを活用すれば、さまざまな可能性が広がっていくことが分かった。長年培ってきたリアル店舗の価値と、デジタルのテクノロジーをうまく組み合わせて顧客体験を磨いていきたい。

PHOTO : KAZUO YOSHIDA
TEXT : MIWAKO ANNEN
問い合わせ先
プレイド
https://karte.io/enterprise/

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7月29日に新規上場 エアークローゼットCEOに聞く「今、上場する理由」

 衣料品レンタルサービスのエアークローゼットは東京証券取引所から承認され、7月29日に東証グロース市場に新規上場する。2014年7月に創業し、翌年2月に月額制レンタルサービス「エアークローゼット」を開始。7年間で会員登録者数70万人超に成長した。創業者でもある天沼聰社長兼CEOに上場の狙いとその後の計画について聞いた。

WWD:上場の目的は?

天沼CEO:社会的な信頼・信用を得ることと、資金調達の2つが大きな目的だ。しっかりと事業成長させていくことが一番大事だと思っている。

WWD:長引くコロナ禍に加え、世界的なインフレなど不安定な情勢が続くが、なぜこのタイミングで?

天沼CEO:市況が悪いことは重々承知で、資金調達価格が下がったり、時価総額もそんなに大きな額にならなかったりという一定のネガティブ要因があり、悩まないわけではなかった。それでも長い目で見たときに、私たちのビジネスモデルが生活に絶対根付くことや、この事業の拡大を見据えると、上場時の時価総額よりも、かねてからの事業計画に沿って、事業基盤ができたタイミングで上場し、その先の成長につなげようと考えた。2007年のZOZOの上場以降、ファッション業界で新しいプラットフォームビジネスでの上場は見当たらないし、コロナ禍によって消費行動も含めて変革が進んでいる。業界を一緒に盛り上げていくと打ち出す意味合いも込めた。

WWD:具体的にどこまで経営基盤ができたタイミングなのか?

天沼CEO:われわれが予定としていたオペレーションコストに達したタイミングだ。

WWD:収益化の目処が立ったということか。21年6月期は売上高が28億円、営業利益は3800万円、純損益は3億4400万円の赤字。22年6月期は売上高が前期比16.1%増の33億円、営業損益は5100万円の赤字、純損益は4億2300万円の赤字を見込んでいる。

天沼CEO:21年6月期に営業黒字を出せたというは一つのマイルストーンだ。当期純利益の赤字は継続しているが、限界利益として黒字を出し、会員数が増えることによって固定費をまかなえれば、持続可能な利益が堅いものとなる。会員数がここまで増えれば大丈夫というラインは割と明確に見えている。計画通りという感じだが、先行投資の状況によって最終的に赤字か黒字かは変動する。

WWD:公募株数は73万3000株で、公開価格は1株あたり800円。調達した資金は何に使う?

天沼CEO:すごい額の資金調達ではないというのもあるが、基本的には今の私たちの事業基盤をさらに強化し、拡大することに投じる。ウィメンズを中心にサービスを展開しているが、まだまだすごく広いポテンシャルがある。ほとんどの方が私たちのサービスを知らない状態なので、まず一つは認知度を高めて、広げていくことが大事だ。具体的には、われわれのレンタル資産である洋服の調達とマーケティング、そして人材採用の3つに充てようと考えている。人材採用はサービス自体が広がっていくので、エンジニアやデザイナー、データサイエンティストのほか、引き続きスタイリストも採用を拡大する。メンズもかねてから計画しているが、また別の機会を考えている。

WWD:まずはウィメンズを拡大し、収益性のあるビジネスモデルを確立することが優先ということか。これまでの知見やネットワーク、物流基盤を生かしてレンタル事業のプラットフォーム展開も始めたが?

天沼CEO:これから本格始動する。これまでコストも時間もすごくかけて物流基盤の構築・改善を続け、独自の倉庫管理システムも開発した。これらを他のブランドやメーカー、セレクトショップ等にプラットフォームとして提供する。自社のレンタルサービスやサブスクサービスとして運用してもらいつつ、われわれが裏方として、洋服を預かり、プラットフォームとして動く。

WWD:「エアークローゼット」事業とは別の大きな柱になりそうだ。

天沼CEO:そのつもりだ。メンズ等のセグメント展開と、プラットフォーム展開は並行して行い、2つの柱にしていく。

WWD:自身がコンサルティング会社や大手IT企業で経験を積んでいるということもあり、上場についても準備万端で、非常に落ち着いているように見える。

天沼CEO:いやいや、コロナ禍でなかなか波瀾万丈だ(苦笑)。ただ、開示こそしていなかったが、事業基盤作りが優先順位として高かったので、数字管理や会計については、社内では情報整理ができていた。上場によって、認知度向上や、お客さまや取引先からの信頼度・信用度の向上加速は期待しているが、経営方針やKPIが変わるようなことはない。上場当日の夜は社内でささやかな祝賀会をして、チームみんなを労いたい。

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雑誌編集とアパレル、巨匠二人からのメッセージとは? 【UA重松理×石川次郎対談 最終回VOL.5】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた雑誌の編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。最終回のテーマは、「過去とこれからのムーブメントの作り方」。二人からこれからを担う若い世代へのメッセージとは?

VOL.4はこちら

――今の流れからすると、これはもう、書籍の第2弾、もしかしたら、第3弾もありそうですね(笑)。

重松:(笑)。自分は本当に、遊び場のこともやりたいし、インフルエンサーの変遷もやりたいんですよね。裏原宿から生まれたインフルエンサーが今のランウェイを引っ張っているなんて、本当に面白いですよね。そこもまとめたいなとか。大変なんですけど、それを全部やってから引退しようかなと思っています。

――今、インフルエンサーの話が出てきましたが、お二人が考えるムーブメントのつくり方とは?

石川:雑誌編集者の立場でいうと、ムーブメントを作ろうと思って仕事をしたことはないんですよ。外国のムーブメントをそのまま紹介することが大切だと。日本で同じようなことを巻き起こしたいといった大それた考えはとくになかったんです。僕たちがやったことをもとに、その道のプロが「じゃあ、日本でもロックコンサートをしよう」とか、「この街をもっと面白くしよう」という動きはありましたけどね。雑誌の編集者はそこまでは考えられないですし、見せちゃったら終わりというか。常に新しいものを探して、知らせて、終わり。そこから先のムーブメントは結果的に起きても、自分たちがやった仕事ではないという思いはどこかにあるんですね。

――意図していなかったけれども、結果としてムーブメントになったということはありますが、それは結果論であって、スタンスは異なる、ということですね。では、特に注目してきたインフルエンサーとは?

重松:たくさんいますよね。今、あげきれないので、一つのものにまとめたほうがいいと思っているぐらいなので(笑)。われわれの時代には、ビートルズもいたし、ジョン・レノンのメガネも買いましたし。だからミュージシャンはかなり多いと思うんです。今はミュージシャンもあると思いますが、女優さんやアイドルグループだったり、多種多様で商業的に売らんかなという仕組みを作る人たちが考えることなので、多岐にわたっていますね。

石川:これまで自分が面白がって取材した人たちは、今でいうインフルエンサーなんだなという気がしますね。僕が興味を持ってアプローチをして、取材させてください、一緒になんかやりましょう、といった人はけっこうインフルエンサーでしたね。自分がインフルエンサーではないから、インフルエンサーと一緒に仕事をしたいんです。編集者になってすぐに会いたかった人は何人かいましたが、その中の一人が伊丹十三さんでした。当時は伊丹一三という名前で。映画はまだ撮っていなかったけれど、書いているエッセーがすごく面白かった。世の中に広く影響を与えはしないかもしれないけれど、この人の面白さはわかる人にはわかるだろうなと。それでいきいなり公衆電話から電話をした。「平凡パンチですが」「取材ですか?」「取材させてもらいたいです」「僕、高いですよ」と。一瞬、えっと思ったけれど、「高くても僕がお金払うわけではないから大丈夫です。いくらでもいってください」みたいな感じで。そうしたらあちらも面白がってくれて、すぐ会ってくれた。案の定、面白い人でしたね。

 小林泰彦さんとは僕が編集者になって1カ月後に、それまで全く知らなかった彼にアプローチをしました。彼が描いたものを見た瞬間に、「この人と仕事がしたい」「この人と一緒に外国に行きたい」と思ったから。それは一種の彼にインフルエンサーとしての要素を感じたんでしょうね。片岡義男さんもテディ片岡という名のコラムニストだったけど、言うことはすごく面白かったし、アメリカの面白い話をたくさん知っていました。言われてみれば、自分の編集者人生はインフルエンサーとのつきあいだったなと思いますね。本当に親しくしていただいた方はその後みんな活躍された。横尾忠則さんもデビューしたばかりでまだ有名ではなかったけど、編集会議で「横尾忠則さんをフィーチャーしたい」と話したら、「俺もそう思う」と手を挙げたいという人が2人いた。同期の編集者の椎根和と今野雄二。それを見て木滑編集長が、「そんな面白いと思うんだったら3人で付き合って、それぞれの視点で取り上げろ」と。それで、横尾さんに「毎週パンチに出てもらいますよ」とお願いして本当に毎週取り上げた。あんな大きな存在になっちゃうとは思わなかったけれど、彼も大変なインフルエンサーですよね。

――インフルエンサーや面白い人の見つけ方とは?

石川:いつもキョロキョロしていましたよ。自分にないものを持っている、自分が逆立ちしても出来ないことをやる人は面白いですよ。小林さんのように絵は描けないし、横尾さんの発想は、僕の中からは絶対に生まれない。編集者というのは真っ白でいいと思っている。そういう人たちといかに付き合うか。自分がお願いしたときに、手伝ってくれる人が何人いるかが、一種の編集者が持つべき力じゃないかなと思っています。

――今回のコラムを書いていただいた方々、イラストを描いていただいた方々、提供いただいた方々もめちゃめちゃ贅沢ですね。小林さんに穂積さん、大橋歩さん、カメラマンの立木義浩さん、片岡義男さん、甘糟りり子さんなどなど。

石川:皆さん、すぐにOKしてくれた。編集者としての財産ですよね。最初はあまり外部の方々の原稿を入れる予定はなくて、編集部で全部書こうと思っていたんですが、このテーマに関してはやっぱりこの人に書かせたいな、という気がどんどん出てきてしまった。

――この本は、ファッションに携わってきた方々や若い方々に、ファッションの歴史を後世に残したい、伝えていきたいという、ある種、お二人の遺言のようなものだととらえています。最後に、改めてメッセージをお願いします。

重松:自分はあんまりないんですよね。若い人にどうだとかこうだとか。でも、もっと勇気をもって、もっと冒険をしてほしいと思っています。そういうことを言うとダサイと言われるかもしれないし、今はそういう時代なのかもしれないけれど、車も欲しくない、海外も行きたくないんだろうから、何したいんだろうなと思いますよね。でも、世代が違うから仕方ないし、否定はしませんが。もう一つ、これまでやり残したこととして、副代表理事を務める日本和文化振興プロジェクトをはじめとしていまいくつか取り組んでいることでもあるのですが、和文化をもっと意識してほしい、興味をもってほしいですね。それだけです。

石川:僕はもう82歳になるのですが、80歳を超えて、しかもコロナ禍真っ最中という大変な時期に、こういった面白い仕事をいただいたのはとてもありがたくて、幸せを感じました。つくづく思ったのは、紙の印刷の本はやっぱり面白い。本を作る仕事をあまりされてきたことがない財団の方々と一緒に仕事をしましたが、校正刷りの段階では順番が滅茶苦茶に出てきて、財団の皆さんもページを見開きごとに順不同でチェックしていた。だから作っている最中は本全体の構成や流れはわかんないわけですよ。でも、それが一冊の本になって出てきたときに、みなさんが驚きを感じられているな、ということがよく伝わってきた。あぁ、本の面白さを感じていただけているな、とすごく嬉しかったですね。本をパラパラとめくっていくと、流れや、本独特の感覚が間違いなく存在しているんです。本や雑誌が古いメディアだととらえられて、デジタルやSNSの時代になっていると言われかもしれないけれど、そんなことはない。これがまた新しく感じる逆転現象が生まれています。僕の一番小さな孫が今11歳で、女の子なんだけれど、生まれたときからスマートフォンがあり、周りはデジタルだらけという環境にいます。取り扱い説明書なんてなくてもスマホもパソコンもタブレットもどんどん触って使っている。それを見ると、じいさんは一種不思議な感覚がするけれど、逆にその子たちからしてみると、紙の本は新しいメディアなんです。本屋に連れていくと、夢中になって本を見ている。アナログな本の方が新しさを感じるという逆転現象が起きているんでしょうね。だから、本や雑誌がただの古臭いメディアになるなんていうことを考えたくない。新しさは出せるはず。「時代が違うから」とか「デジタルにやられている」とか言わないこと。編集者なんだから、雑誌づくりの楽しさを体験してほしいですね。


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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【偏愛コレクターズの世界】アーミーナイフ200本収集、勝見ケイが語る「ビクトリノックス」愛

 コレクターと呼ばれる人たちの物欲は限りない。新連載「偏愛コレクターズの世界」では、その偏愛ぶりに迫るとともに、さまざまな業界で活躍するコレクターたちの思いを探る。

 第1回は、スイスを代表するナイフメーカー「ビクトリノックス(VICTORINOX)」を長年愛する勝見ケイが、190点ものコレクションを披露してくれた。同氏はイラストレーターで、バンド「シェリフ(SHERIFF)」のドラマーでもあり、ナイフとは遠い職業に思える。しかし定番のマルチツールからアーミーナイフ、時計、限定品やノベルティーまで、日本のブランドスタッフも「写真でしか見たことがない」という貴重なアイテムが並ぶ。勝見はこれまでも中学生時代のモデルガンに始まり、「スウォッチ(SWATCH)」1000点、「G-SHOCK」600点などを集めてきた。限定品とあればわざわざ海外へ行き、個数限定ものは2個買いする。物欲を追求し続ける先にあるものとは?

欲しいものなら、標高3466mの高山も登頂!

――日本でも珍しいものがあるそうだが、コレクションについて教えてほしい。

勝見ケイ(以下、勝見):今回持参した190点のナイフは、コレクションするようになってから約15年分のアイテムです。迷彩柄の“スイスチャンプ”は、こう見えて33種類のナイフやはさみが入っているんですよ。実際、どれがどう使えるのか覚えきれないんですけどね(笑)。開く時も順番通りじゃないときれいに広がらない。面白いですよね。“I.N.O.X.メカニカルウォッチ”は木製のストラップが他にないデザインで気に入っています。“レスキューツール”はスイスで買ったもの。当時はまだ日本では販売されていなかったんだけど、通常のモデルにないツールがあったり、暗闇で光る仕様になっていたり、実用性もあってお土産感覚で購入しました。ほかにスイスで買ったものは、標高3466mにあるユングフラウヨッホという山の頂上でしか買えないデザインのマルチツール。これが欲しくてスイスまで行きました。海外の限定品を集めることも、グローバルブランドならではの楽しみ。最近購入したものは、子どもの頃から大好きな「マッハ GoGoGo」とのコラボデザイン。うれしくてすぐに買いに行きました。

――数ある中でも、特に自慢したいアイテムは?

勝見:一番レアなのは、創業125周年記念として、「ビクトリノックス」が1891年にスイス軍に納品した最初のオリジナル・ソルジャーナイフのレプリカを発売したもの。高級素材を使って複製されていて、4シリーズある中の一つで、それぞれ世界で1884個のみ。そのうちの「0756」を証明するシリアルナンバーもついた特製のボックスには、当時の製作図面も入っています。ほかにも、クリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)が手掛けたマルチナイフは男心をくすぐる逸品。スイス軍が使っていたというビンテージの毛布やジャケットの素材を用いたパッケージも大事にしています。双方の価値を見出すコラボレーションはコレクターを魅了してくれますよね。世界でも数量限定の“ダマスカス・ナイフ”は毎年発売されるのが楽しみで、特に2011年と19年のモデルはお気に入りです。「ビクトリノックス」でも珍しく、刃に柄が入っているところがカッコいい。これも職人技が光る一級品ですね。

きっかけはエンライトメントとのコラボデザイン

――「ビクトリノックス」のナイフを集めるようになったきっかけとは?

勝見:「ビクトリノックス」との出合いは実はアパレルから。2005年に青山にあった店舗(現在は表参道ヒルズ店に移転)へアパレルを見に訪れた時、アーティストコラボの限定マルチツールを見つけました。日本人アーティストと組んだ6点で、特に惹かれたのが、女性のイラストが描かれたエンライトメント(ENLIGHTENMENT)のもの。僕が「ビクトリノックス」に魅了されたきっかけです。それ以来、新作をチェックしており、日本限定の商品もたくさんあって、企画力がすごくいいんです。“トモ(TOMO)”という四角いマルチツールも日本からグローバルに採用されています。小さなノベルティーにさえも企業努力が見えるんですよね。

――エンライトメントとのコラボや“レスキューツール”など、同じものが2つあったり、同じモデルを全色持っていたりしますね。使い分けは?また、これほどの数をどのように保管していますか?

勝見:貴重なものや思い入れがあるものは2つ購入していますね。1つはカバンに入れて実際に使って、もう1つは保管用なんです。集めたコレクションは衣装や楽器と同じトランクルームに入れています。ときどきは開いて見ますが、大事なものは大体開けずに保管したままです。今回の取材で初めて開けたものもたくさんありますよ。

――いつも持ち歩いているアイテムはありますか?

勝見:“スイスカード”というカード型のマルチツールです。カードサイズでコンパクトなんですが、つまようじや爪やすり、ボールペンなど8つのツールがあるんですよね。服のほつれを見つければハサミですぐに切ることができるし、小さいから扱いやすい。シンプルなデザインの「ザ・コンビニ(THE CONVENI)」(ジュンのコンセプトショップ)コラボを常にバッグに入れています。

コレクションを止められないのはワクワクさせられるから

――職人技が光る、「ビクトリノックス」のナイフにこだわる理由は?

勝見:使う人やあらゆるシーンを考え抜いた、多機能で実用的なツールが「ビクトリノックス」の認知されているポイントではありますが、僕の場合はファッション性やアート性に惹かれるんです。イラストレーターやアーティストとして活動している点から、見た目の印象や色味、デザインは僕にとって欠かせないポイントです。エンライトメントとコラボしたマルチツールに出合って以来、「ビクトリノックス」の道具としての機能性に加えて、デザイン性を兼ね備えた圧倒的な表現力にいつもワクワクさせられます。ファッションと同じように、常に新しいデザインに出合えることがコレクションを止められない理由ですね。次にどんなデザインが発表されるのかなって待ち遠しくて仕方ない。

――最後に勝見さんにとって、好きなものを追い求めるということとは?

勝見:コレクションすることはゴールまでの道のりが楽しい。ひとつひとつのアイテムに思い出が詰まっている。好きなものを集めてきた歴史は私だけのものです。

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1960’s〜70’sの「ジーンズ」「ロカビリー」「ロンドン」【UA重松理×石川次郎対談 VOL.4】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた雑誌編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。4回目のテーマは、「日本のファッションとジーンズ」。レジェンドの二人の人生を変えたファッションアイテムとは?

VOL.3はこちら

――今日はかれているのも「リーバイス」ですね!? 次郎さんぐらいの世代からですよね。ジーンズをはくようになったのは。

石川:そう。僕はもう「リーバイス」しかはかないようになっちゃった。重松さんより8歳上ですが、この差が大きな違いだと思います。僕は56年かな、中学校から高校に上がる春休みに1本の映画を観て洋服に目覚めました。それが「理由なき反抗」です。ジェームス・ディーンの。何も知らずにあの映画を観て、あんまりにも日本の高校生と違うので驚いて。アメリカでは高校生が車を運転してるんだから。ジャケットなんかを着て。なんかすごいなぁと思って。その時にジェームス・ディーンがはいていた「リー(LEE)」の101のジーンズがものすごいカッコ良かった。でも信じられないだろうけど、その当時、日本ってジーパンを売っていなかったの。あるのは、在日米軍の兵士たちが朝鮮戦争に発つのに置いていった古いジーンズだけ。アメリカのアーミー(陸軍)、ネイビー(海軍)の軍服と一緒に廃品という感じで送られてきたものの中から、一生懸命探してはいていた時代だった。僕も映画の後、すぐジーパンを買いに行きましたよ。そんな時代だったので、ジーンズに対する想い入れが強く本当に憧れていた。「ジーンズは、アメリカの生活そのものだ」と感じたんですね。

――当時、ジーンズを買い物に行ったのは上野のアメ横(アメリカ横丁)だったんですか?

石川:アメ横ですね。古いジーンズの山の中から、自分の体に合いそうなものを探して。あんまりカラダに合わなかったけどね。しかも当時で2000円ぐらいしていたから、母親に「なんでこんな汚いものにお金を使うのか?なんでこんなの欲しいのかわからない?」とまったく理解されなかった。数年後にはでいくらでもジーンズは手に入るようになったけど。それまでいいジーンズは高くて買えなくて。湘南の海で立教大生と喧嘩をしたことがあった。喧嘩相手のことはよく覚えてないんだけど、彼がはいていた「リー(LEE)」の新品のジーンズがカッコ良くてね。羨ましくてそればっかり目についちゃった(笑)。

重松:自分もファッションの転機はたくさんありますね。一番初めにファッションを意識したのがロカビリーで、ジーンズを見たのもロカビリーからでした。映画からもたくさん影響を受けましたね。ジーンズはわれわれの世代のころには学生服屋さんで売られていました。ジーンズの新品に目が入ったのは13歳ぐらい、1961~62年ぐらいの頃でしたね。高校に入った頃には、新しいものは買おうと思えば買えるけれど、ちょっとはき古したようなものが欲しくて。神奈川出身なので、アメ横と同じような機能を担っていた、横浜の(伊勢佐木町と野毛の間の)吉田町にあったジーンズの古着屋に通っていましたね。

 他にもすごいこまごまとたくさんきっかけがありましたね。64年の東京オリンピックを境に、みゆき族も台頭しましたし、当然、先ほども話に出たVANヂャケットの存在が男性の服にものすごい影響力を持っていました。一つのセオリーやオケージョンなど、われわれが「型」と呼んでいる、オーセンティックス、一つの規則が明らかになり、流れができました。ただ、自分たちはちょっと外れていて、古着のパンツや米軍の横流しのものを買っていました。それに比べると、VANは日本ナイズされていて、サイジングなどが少しおかしいんですよ。アメリカの映画で見るような若者の恰好にはならなくて、体にピタッとなって、なんだか真面目な子みたいになっちゃうんですよ。だから、VANの石津謙介さんにはいつも申し訳ないなと思っていたけれど、靴下1足とプルオーバーのシャツ1枚しか買ったことがないんです。あとは全部古着とか、本当のアメリカのものを買って着て育ってきました。

 そして、「平凡パンチ」のファッションページですよね。小林さんのイラストに大きな影響を受けて、「本物が見たい」「本物が欲しい」と熱くなって。当時はまだ海外に行っていなかったですからね。67~68年ぐらいの時期ですかね。ウッドストックもとても衝撃的な出来事で、髪も伸ばしていました。でも、ロンドンやパリに新しいファッションの流れがあることを見て、「これからはアメリカじゃないんじゃないか!?」という感じになって、ロンドンブーツを履いたり(笑)。ロンドンポップなんて完全にロックミュージシャンの恰好、ステージ衣装ですからね。それをロンドンのカーナビ―ストリートなどではみんな普段着で着ていたんですから。「平凡パンチ」の小林泰彦さんのイラストで知り、実際に現地に行き、「ほんとにこういう格好してるんだ~!」って確認ができるわけで。日本で手に入らなければ、そのイラストに合うものをオーダーで作ったりもしていましたね。髪を長くしたり短くしたり、アメリカのローファーを履いていたと思ったらロンドンブーツのハイヒールになっちゃったり。とんでもない流れで、本当に大変な時代でした(笑)。面白い時代でしたけどね。その当時、「ファッションは風俗」と言われていて。風俗といっても今とは全く違う使われ方で、一つの大きな社会の流れと捉えられていたんです。まぁ、本当にその都度その都度影響を受けて、いろいろなものを見て、今に至るわけです。

石川:本当にみんなロンドンブーツを履いていましたからね。ちなみに、ロンドンポップで一番面白いころのロンドンに仲間をみんな連れていったことがあります。加藤和彦の奥さんのミカ(サディスティック・ミカ・バンドのボーカルの福井ミカ)や、(スタイリストの)堀切ミロ、(「オリーブ」「アンアン」「ギンザ」「クウネル」の編集長を歴任した)淀川美代子、イラストレーターの大橋歩、今野雄二など20人ぐらいで団体旅行をした。1970年代初頭の正月に。石坂敬一という有名な音楽プロデューサーは、行きはウグイス色のダッフルコートを着てたのが、帰りはアフガンコートで丸眼鏡をかけて、ジョン・レノンみたいになっちゃって、行きと帰りは大違い。それくらいみんな影響を受けていましたね。行けなかった加藤君用にミカが山ほど服を買ってね。いろいろな店を案内するのが僕の役目だった。

――次郎さんの本にはたくさんの付箋が貼られていますが?

石川:今回、入れられなかったテーマもかなりあって、例えば重松さんも影響を受けたというロカビリーなんかがそうです。山下敬二郎やミッキー・カーチスの恰好などが大きな話題になった日本のロカビリーは入れる必要があったなと思っています。

重松:日劇ウエスタンカーニバルという音楽フェスもありましたね(58~77年)。内容はウエスタンでもなんでもないんだけど(笑)。最初のころはロカビリーがブームになり、その後、グループサウンズが台頭して。その時代時代によってはやりの音楽は変わりましたが、そこからデビューする人たちも多かったですね。アメリカのロックバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドもコンサートを開いたり。ポール・アンカも出ていましたね。

――スターがスターであった時代ですね。ステージ衣装が世の中に大きな影響を与えていたと。

重松:音楽はファッション史、服飾文化史には乗らないけれど、ファッションをつくった音楽はたくさんありましたから。この本では少しだけ触れていますが、欠けてしまったなと反省しています。音楽、というよりも、ミュージシャンがファッションをリードした、まさにインフルエンサーでしたね。

石川:とくにイギリスのミュージシャンは多いですね。エルトン・ジョンから始まって、ジミ・ヘンドリックス、ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイなど。彼らの服を作っていたのが、デザイナーのトミー・ロバーツ(Tommy Roberts)でした。僕は当時「平凡パンチ」で取材したことがあります。ロンドンに着いた日に直行で彼の「ミスター・フリーダム」という店に行った。そしたら偶然トミーがいて、その場で交渉して写真を撮らせてもらうことができた。撮影は長浜治さん。それがp.88の写真です。自分でいうものなんですが、これは貴重ですよ。

重松:そうそう、「平凡パンチ」で見たのを覚えています。この人は天才的なテーラーで、ミュージシャンの服ばっかり作っていたんですよね。サヴィルローの歴史の中でもすごく有名な人です。日本ではあまり報道されませんでしたが、後輩がたくさんテーラーにいましたね。

(vol.5に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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原宿・竹下通りに43年続く「ブティック竹の子」 “竹の子族”やBLACKPINK、レディー・ガガも愛した名店

 原宿・竹下通りでひときわ目を引く、きらびやかな服がひしめく店が「ブティック竹の子」だ。同店は1979年のオープン以来、43年間にわたって婦人服や舞台衣装を販売し、変わりゆく原宿を見てきた。80年代前半には、野外でカラフルな衣装を身に着けて踊る若者たちの文化“竹の子族”の誕生にも大きく関わった。最近では、レディー・ガガ(Lady Gaga)が来店したという噂もある。同店に約30年間務めている黒田店長に、店の歴史から現在のあり方まで聞いた。

72歳の名物オーナーが築いた“竹の子族”文化

WWD:黒田店長はいつから「ブティック竹の子」に勤めている?

黒田店長(以下、黒田):私は30年近く勤めています。もともとはパターンを中心に服の勉強をしていて、デザインから製造、販売までを一貫して行うこの店が面白そうだと思ったんです。私は元竹の子族ではないですし、田舎の出身なのでどういう店なのかは全然知りませんでした。

WWD:創業者の大竹竹則オーナーはどんな人?

黒田:大竹オーナーは現在72歳です。もう店には立っていませんが、今でもデザインを一人で担当していて、店頭に並ぶ商品の半分は彼がデザインしたオリジナルのものです。

 子供の頃は、学校にお弁当を持っていけないほど貧しい暮らしをしていたと聞きました。でも足がすごく速くて、高校時代には地元・北海道の記録のほとんどを塗り替えるような陸上選手だったそうです。その後、ディスコやキャバレーなどの夜の世界に入って、水商売をしている人たちから注文を受けてオーダーメードの服を売り始めた。服作りのノウハウは、文化服装学院を卒業した知り合いに少し教えてもらっただけで、基本的には社員たちと実践しながら身に付けていったみたいです。

WWD:「ブティック竹の子」の始まりは?

黒田:実は1号店は桜上水店で、原宿は5〜6店舗目なんです。水商売の人にオーダーメードの服を売っていた流れで、婦人服を販売する「ブティック竹の子」1号店を桜上水に出店し、千歳烏山や中板橋など東京の住宅街を中心にお店を拡大しました。どこもオープン当初から好調で、月商1500万円を売り上げていたそうです。その後、ファッションの中心地に出店しようと、表参道と原宿にもオープンしました。どちらも小さいお店でしたが、全盛期は2店舗でそれぞれ1日35〜40万円を売り上げるほどになりました。一時は店内がすしづめ状態で、床が抜けたという話も聞きましたよ。

WWD:当時の運営体制は?

黒田:一番多い時で5店舗を運営していて、各店舗に店長の女の子が1〜2人ずついました。スタッフは全体でも10人以下だったはずです。各店舗の営業が終わってからみんなで集まり、売り上げの報告や商品のアイデア出しをしていたみたいですね。

WWD:竹の子族の衣装として親しまれたツーピースはどのようにして生まれた?

黒田:竹の子族の衣装“ハーレムスーツ”が完成したのは、表参道と原宿に店を出す前でした。普通の婦人服を中心に販売していながら、舞台衣装のように華やかなガウンが駆け出しのタレントやディスコに行く若者に売れるようになっていったんです。そんな状況を見て、若者みんなが踊りに行きたくなるような服を作れないかと考え始めたそうです。着心地が良くて動きやすいドルマンスリーブに、日本的な要素として、もんぺや法被の作りを掛け合わせたみたいですね。大竹オーナーは、ほかの人が考えられないようなものを作るんです。服の勉強をしていないからこそ、型にはまらないスタイルなんでしょうね。

WWD:竹の子族はどのように誕生した?

黒田:“ハーレムスーツ”は一着3000〜3500円で販売し、発売日に150着が完売するほど好評でした。表参道と原宿の店でも販売したら、“ハーレムスーツ”を着た若者が徐々に街に増えていき、半年ほどでメディアが彼らを“竹の子族”と呼ぶようになりました。彼らが外で踊り始めたのもきっかけがあります。大竹オーナーと親しくしていた男の子が、高校生だからという理由でディスコに入れてもらえず、店の前で音楽をかけて踊り出すようになっちゃったんです。同じような人がどんどん増えていくうちに、いつの間にか野外で踊る集団が“竹の子族”と呼ばれるようになっていました。大竹オーナーは“竹の子族の仕掛け人”と呼ばれるのが不本意だったみたいですけどね。

BLACK PINKにレディー・ガガ
各年代のスターたちが着用

WWD:竹の子族のブームが落ち着いてから、お店で扱うラインアップも変わった?

黒田:変わりましたね。時代を意識しつつ、変えていったんです。これまでのような独特のデザインは残しつつ、色味を抑えたものが増えました。戦略的に、若者に売れていたものとは逆を行ったんでしょう。また、昔は型数を絞っていたのですが、2000年前後から今ぐらいのバリエーションに拡充しました。ダンサー向けのものから、アイドルがステージで着る衣装、コスプレ要素のあるものまでそろえるようになりました。

WWD:レディー・ガガが来店したという噂も聞いた。

黒田:そうですね。以前からガガさんのスタイリストは来店していましたけど、本人も来日した時に店に来てくれました。当時は別のスタッフが対応しており、私はテレビ局から「ガガは何を買っていった?」と問い合わせを受けて知りました。ガガさんはうちで買った服をステージでも着てくれていたみたいですね。最近では浜崎あゆみさんがうちの衣装をアレンジして着ていたり、BLACKPINKが着ていたり。買ってもらった後はどう使おうがお客さまの自由ですし、うちは干渉しない主義なんです。

WWD:昨今は、どんなお客さんが来店することが多い?

黒田:最近は男女ともにステージ衣装を買いにくる、アイドルのお客さまが多いです。あとは芸人の方ですね。スタイリストが、衣装のスタイリング相談に来たり、若い服飾学生が勉強のために見に来たりすることもあります。みんなから「最初はこの店に入るのも勇気が必要だった」と言われますね。

WWD:歴史がある分、付き合いの長いお客さんも多いのでは?

黒田:そうですね。「昔、竹の子族だったんだよ!」と店に来てくれるおじさんやおばさんもいます。あと、若いお客さまがいつの間にか立派になっているケースもあります。竹の子族として踊っていた人がダンスの先生になり、発表会の衣装を毎年買いに来てくれるというつながりも、店を長く続けているからこそですね。最近では売れなかったアイドルの子がいつのまにか人気者になっていたり、服飾の勉強をしていた子がデザインの賞を取ったりしていました。私は、お客さまみんなを応援しています。

WWD:43年続いてきた「ブティック竹の子」の今後は?

黒田:「ブティック竹の子」一番のポリシーは、夢を売ること。ステージで着る人やそれを見た人、関わったみなさんが少しでも幸せな気持ちになったらいいですね。今後の目標は、それを何十年も続けていくことです。

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トラッドからヒップホップ、そして古着へ 「日本のファッションのルーツと新潮流」【UA重松理×石川次郎対談 VOL.3】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた伝説の編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。3回目の今回は、「日本のファッションのルーツと新しい潮流について」。

VOL.1、VOL.2はこちら

――今、若い層を中心に、トラッドやオーセンティックスなどを通らないで育ってきた人が増えていますよね。それでファッションが大好きという人々もいますし、ファッションに興味がないという人々も増えています。この事象をどう考えますか?

重松:自分はまったく悪いとは思っていません。時代の潮流なので。仕方ないもんね。自分が育った環境というのは、ファッションという文化がまだまだ日本に芽生えたばかりの頃、諸先輩方がいろいろな海外の情報を満たしていって、次の自分たちのファッション文化みたいなものにつなげていけるような素地をもらったと思っているんです。今は情報も溢れているわけで。若い人たちが先輩を見て何も感じなくて、情報は別になくてもいいとか、ファッションなんてふざけんなよ、みたいに思っている人もいると思う。でもその点で一番大きな影響を与えたのは、アップルの創業者のスティーブ・ジョブスだと思います。彼の黒T(「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」のモックネックTシャツ)と、(「リーバイス」の)ジーンズのスタイルは、研ぎ澄まされていて、無駄なものを全部省いていて。企業の規模も技術も生き様もあってのファッションだから、あれは否定できない。みんなが「着飾るよりもカッコイイ!」となるのもよくわかるんです。しょうがないですよね。時代の潮流そのものだと思います。だから、(トラッドやオーセンティックスを通らない人々の増加や、若者のファッション離れなどを)ちっとも悪いと思っていない。ただ、われわれは仕事として残していきたいし、ちゃんと見たら「あぁ、こんなものがあったんだね、世の中には」と感じられるものを残しておかなければならないんです。

石川:面白い現象ですよね。僕は1941年生まれで、45年の終戦後はひどい生活が続くなかでも、だんだん豊かになり、男たちもわりとお洒落に目覚め始めたんですよ。そんなときに「VANヂャケット」が出てきて(1954年開始)、男の服の一種のルールみたいなものを楽しく教えてくれたわけです。男というのは規則じゃないけど着方があるんだよと。こういうジャケットにはこういうシャツを合わせて、こういうタイをするんだよ。パンツはこれくらいの長さで、靴はこういったものを履くんだよと。これがとってもシステムとして感じさせてくれて面白かった。自分の中でお洒落に関心があるとしたら、間違いなく「VAN」なんです。お小遣いを貯めてはボタンダウンシャツを1枚買う、とか。そういったことは僕より上の世代にはあんまりなかったことで、そういう意味では面白い世代に生まれたなと思いますね。そして、そのうちルールを破るヤツが出てくるわけです。規則だらけの服の着方なんてつまらない、これが自分なりの服の着方だ、なんて言い出して、それまでの常識を壊そうとするんです。それに同調する人間の数がジワジワ増えてくると一派となり、知らないうちにメジャーになったりして、皮肉にもある種の権威になったりもする。そうすると、それを壊す連中が出てくるという、一種の繰り返し現象みたいなものがファッションにはあって、そのあたりがすごく面白い。ただ、僕は男の服というのは一種のルールみたいなものがあるというのは、今でもいい話だと思うし、ドレスアップがあって、ドレスダウンがある。それをどう崩すかというのがファッションの醍醐味なんじゃないかな。今の子たちは初めからドレスダウンというか、ルールなんて初めから知らないよという。そのあたりがまたすごいよね。僕の孫は今大学2年生なんだけど、もう古着以外興味を持たない(笑)。でもけっこうな値段の古着を買ってくるんですよ。全部見せてもらっているけれど、「だったらおれのこれを着るか」とタンスから出してくると喜んで着るんです。こんなもの捨てようかなと思っていたようなものなんですけどね。そういう世代が今後どういう大人になっていくのか、とっても興味がある。しかもそんな子が成人式には普通の紺のスーツを着るわけですよ。抵抗もなく。その辺りの感覚が僕たちにはなかったし、面白いなと思いますよ。

――一方で、日本のファッションが世界に認められるようにもなってきています。

石川:日本のファッションは世界的に見ても面白がられていると思いますね。僕たちの世代は「外国のものはいいものだ」と思い込んでいる節があって、なるべく外国から買ってくるし、外国人の着こなしをマネるのが主で、自分らしさを出そうなんて気はあまりなかった。でも、若い世代を見ていると、そんなことお構いないにどんどん自分のものを作って世界的に発信し、それが注目されている。最近ものすごく面白い。日本のストリート出身のクリエイターたちが大きなブランドから頼られてコラボをやってるじゃないですか。あれなんか痛快ですよね。軒並み大きなブランドが日本のサブカルの人々と一緒に商品作りをしているのなんか典型的な例だと思うんですけどね。

重松:もう本当に著名なブランドとね。あれはすごいと思いますよね。堂々とやっているし。彼ら・彼女たちはみんなBボーイ(ヒップホップ系)から始まった人たちなんですよね。それが裏原宿系になって。それに海外の人たちが興味を持ち、文化が融合して。それを自国に持って帰って、欧米でもそれがとても貴重で、人気を博して、逆に一緒にやりたいとオファーされるところまでいった。セレクトショップにはそれはないですからね。最近特に顕著になっていて。すごいと思う。

――キム・ジョーンズなどメゾンで活躍するデザイナーも、若いころから東京や原宿が好きで、藤原ヒロシさんやNIGOさんと交流したり、彼らの緻密なモノ作りやリミックスのデザイン構築に感銘や影響を受けていた人も多いですからね。では、お二人の目から見た、ファッションの節目や転換点となる出来事を教えてください。

石川:人によってとらえ方は違うと思うけれど、僕の場合は、(68年5月に)パリで5月革命があり、次の年(69年8月)にニューヨーク郊外のウッドストックでロックフェスが行われたことで、若者たちのファッションが大きく変わったと思っています。その代表がジーンズであり、この本でもジーンズを取り上げることは必須でした。ただ、その取り上げ方をどうするのかは一番考えましたね。単にジーパンを紹介するページではなく、ジーンズにはもっと違う意味があることを強く言いたかった。なのでp.72にはあえてこの、パリの五月革命のデモで投石している学生の写真を紙面に大きく使いました。間違いなくジーンズをはいているでしょ。2カ月後の7月にパリを訪れた時には、まだ投石の後があり、カルチェラタンにも催涙ガスの匂いが残っていました。街では本当に若者たちがジーンズをよくはいていたし、黒のセーターが一種のユニフォームになっていたこともあわせて、とっても印象に残っていました。だからどうしてもこういうページから入りたくて、これ、という写真をいろいろ探しました。普通のファッション誌だと、ジーンズ、イコール、(「リーバイス」の)501の写真やビンテージ、となると思うけど、この本ではそうじゃないなと思って。象徴的な出来事である五月革命と、ウッドストックの写真を生かしました。僕はこの辺りに若者たちの服に対する考え方を大きく変えた何かがあったという気がしています。

(vol.4に続く)


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1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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全ては「メード・イン・USAカタログ」から始まった!?【UA重松理×石川次郎対談 VOL.2】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた伝説の編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。全5回の2回目の対談をお届けする。

――今の時代、ファッションやトレンドが大きく変わらないとか、ファッションはメインストリームではなく、サブカルチャーになってしまったと言われることも増えていますが、当時はファッションがカルチャーのど真ん中にあったのですね。

重松:生活文化の、そして、衣食住の中でも、自分を表現するというのは衣・ファッションしかない。好みは住まい方などにも反映されますが、個人を表現するにはファッションしかない。今もそう思っています。

石川:僕は編集者だから、外国にイラストレーターと一緒に行って、面白い人間を昆虫採集のように採取して、絵にしてもらって誌面に出せば仕事は終わり。でも、僕たちのレポートの中には、ビジネスのヒントやチャンスがたくさんあったとずいぶん言われました。たとえば、それまで日本人は誰も行っていなかったけれど、僕たちが取材して雑誌に載せると、次に行くと「とんでもなく日本人がたくさん来たよ」と。有名なワークブーツの店では名刺の束を渡されて、「ビジネスをやりたいという人がこれだけ来たけど、どれがいいかわからないから教えて」といわれて、アドバイスしてあげたり。

 その典型が「ハンティングワールド(HUNTING WORLD)」でした。カメラマンの繰上(和美)さんが日本でいち早くそのバッグを持っていて。どこで買ったのか聞くと、「ニューヨークに新しく面白い店が57丁目にできたよ。『ハンティングワールド』っていうから行ってごらん」と教えてもらって。次の機会に訪れてみるといいものを作っていて。それまでバッグは「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」が有名だったけれど、同じ工場で作っていて、モノ作りがしっかりしているなと。オーナーのボブ・リーは嫌味な親父なんだけどモノが面白いなと思って、徹底的に取材して、「メイド・イン・USAカタログ」の2号目あたりに出したら大反響で。本も売れたけど、想像していなかった反応があって。その記事を見て貿易会社や商社、百貨店などがこぞって訪れたらしく、翌年ボブ・リーに会いに行ったら手紙の束を見せられて、「これだけオファーが来たんだけど、どれを選んだらいいのかわからない」と。見たら伊藤忠とか西武百貨店とかどこも知っているところで。そのころ親しかった西武の人を紹介したら本当に決まったりね。

――ある意味、ファッション業界のフィクサーだったんですね!雑誌から流行が生まれていたと。

石川:そんなことが知らないところで発生していたんですよ。ニューヨークには各社とも支社があってバイヤーや特派員もいるだろうに、つかめないニュースというのがあるんですね。商売のネタを探しにいっていたらそんなに簡単にいかなかったと思うけど、商売っ気なしに行っていたから面白いことができたんですね。「LLビーン(LL BEAN)」も当時は日本に入っていなくて。神田の古本屋で買った古いカタログを見て「LLビーンってところに行ってみたいね」「欲しいね」と話していて。次のNY取材時に、カタログに24時間営業と書いてあったので、わざわざ夜中の12時に行ったら本当に店が開いていて。大騒ぎで夜中に取材して、大特集をしたら、やっぱり人気になって。重松さんもビームス時代から、いつも面白いものを探さないといけないという気持ちがあったんでしょ?

重松:もちろん。75年に初めて海外に買い付けに行ったときには、当然、「メード・イン・USAカタログ」を持っていきましたから。アメリカの「ナイキ(NIKE)」もロンドンの「ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIEN WESTWOOD)」も、それを見て買ってきました。そこから始まっているんです。買い付けのバイブルみたいなものでしたね。本に出ているから、圧倒的な説得力があるじゃないですか。しかも、説明も書いているから、店頭に出したらすぐ売れましたからね。ずっとそれの繰り返しでしたね。雑誌が早いか、洋服屋が早いかといえば、雑誌のほうが圧倒的に早いんです。洋服屋が後追いして、雑誌に合わせて品ぞろえしていくという時代でしたね。それで流行がまた出来上っていくという。

石川:僕たちは誌面に出したい、紹介したいだけで。連携プレーしていたわけではないけれど、重松さんたちが活用してくれて。しかも、読者サービスにもなるし。嬉しかったですね。

――「日本現代服飾文化史」の構想を聞いたときの最初の印象は?

次郎:光栄だけど、果たして自分にできるかなと。自分はファッションを専門にやってきた人間ではないので。ただ、世界中を取材してきた中で、どうしてもファッションは同時に報告しなければならない要素だったんです。若者雑誌なので。ファッションは常に意識はしてきましたが、クロニクルという年代記でファッションをまとめることが僕にできるのか考えましたよ。背中を押してくれたのは、重松さんの「サブカルチャーとしてのファッション、あるいは、権威の外にあるファッションでまとめて欲しい」という言葉でしたね。書籍で扱うのが1941年生まれの僕が物心がつき始めたころの45年からということで、僕の人生と重なるということもあって、これも一つのご縁だなと。自分の経験としてまとめることはできるかなと思ったんです。でも、60年代、70年代はわかるけれども、最近のことは若い人々にはかなわないし、現場で取材しているわけではないので、若い世代、違う世代の協力が絶対に必要だなと。うまく少ない人数でチームが作れれば、面白いものができるのではと考えました。

――戦後75年のファッション史をまとめるとなると膨大な内容になりますが、どんな手順や切り口で企画・製作を進めたのですか?

重松:ファッションビジネスにかかわってきた者として、社会で起きた出来事やファッションの流れに基づく年表をメモにして、トピックスを書き出しました。それを財団のメンバーに渡して、年表を完成させていきました。

石川:その年表には、45年から現代までの、世の中で起こったこと、ファッション業界で起こったこと、風俗的なものなどが大変詳細に書かれて、よく整理されたものでした。これをベースに本を作ってほしいと言われて。大変だな、と思いつつ、年表があったからこそ本を作り上げることができました。とくに70年代ぐらいまでは、まさに僕の仕事、現場でバンバンやっていたことがたっぷり入っています。

――テーマを設定し、歴史とともに、その時代の象徴的な事象がコンパクトにまとめられていますね。

石川:限られたページの中になるべくたくさんのことを入れたくて。最初は100のテーマにしたかったけれど、それだと細切れになってしまうし、4ページ、6ページ、中には8ページで紹介するものもあったほうがリズムができるので。65のテーマが精一杯でした。それぞれ一冊の本になるぐらいのものをどう切るか。難しかったけれども、すごく面白かったですね。入りきれないぐらい、まだネタは余っています。それにしてもあの年表はかなり完璧で。ほとんど漏れているものはないでしょ?

重松:そう思っていたのですが、よく考えたら漏れているものがたくさんあって、追加したい項目が出てきてしまいました。なぜかというと、生活文化の中で、ファッションは衣なのですが、食住があってこそ文化なんです。この本には食住がないんですよね。それと、衣といえば、遊び場じゃないですか。遊び場があって、ファッションの流れというものができた。それに全然触れていないし、遊ばせてくれた人にも触れていないんです。どういうお店に、どういう人がいて、そこにどんな人々が集まっていたのか。そういうこともちゃんと残しておいたほうがいいなと。そういうことも含めて、追記したいなという思いが湧いてきました。

石川:実はあの年表は、重松さんのディスコ遍歴から書かれたものなんだとか(笑)!?

重松:そうなんです。もともと、そこから始まったんです(笑)。そこを残さなければならない。

――早速、改訂版や第2弾などの発行がありそうですね(笑)。それにしても、ファッションを社会潮流とリンクして考えることの重要性に改めて気付かされます。UAでも社会潮流からディレクションを行い、シーズンテーマやMDを組み立てることを長く行ってきましたよね。

重松:そこが、この本で残さないといけないなと思った理由でもあります。ファッション史というとランウェイやコレクションを軸に語られることが多いのですが、デザイナーのブランドは、いい時と悪い時があったら、悪い時は歴史から消してしまいがち。自分が納得できなかった作品なども隠してしまうというか。でも、そうじゃないだろ、と自分は思うんです。社会潮流の中で起きたファッションの事象を、全部同じトーンで残すことをルールにして、足跡を正しく残すべきだと考えました。UAの視点にもそういう部分があるので、(半歩先をいく、次代にトレンドとなる可能性のある)先駆性商品と、(そのシーズンのトレンドを反映した)時代性商品、そして、(トレンドに左右されずに安定的に売れ続ける)独自性商品、オーセンティックスを追求しているんです。ファッションは流れているから、今残っているものは本当はない、という定義だけれども、そんなことはなくて、文化の潮流を下支えする重要なものであり、それが今に至っているのだというところに帰結したいと思ったんです。

(vol.3に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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伝説の編集者とユナイテッドアローズ創業者の二人が書籍「日本現代服飾文化史」に込めた思い【UA重松理×石川次郎対談 VOL.1】

 ビームスとユナイテッドアローズ(UA)、日本を代表する2つのセレクトショップの誕生に関わったのが、UA名誉会長で、公益財団法人日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理氏だ。「服飾文化を次世代や後世に正しく現代史として伝承したい」と、財団を通じて「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を3月に発行。エディトリアルディレクションを手がけたのは、平凡出版・マガジンハウスで編集長を歴任し、その時代時代の風俗とカルチャーを雑誌を通じて世に発信してきた石川次郎氏だ。

 サブタイトルは、「若者と流行」「ファッションはいつも街から生まれる」。重松氏自身が体験したリストをもとに、財団のスタッフとともに、時代背景、社会の潮流、生活文化の流れ、その時代のインフルエンサーの変遷など75年の歴史を年表化。年代ごとにトピックスを挙げて、ファッション文化の伝承や定着、進化や、生活者の変化やムーブメントなどを、象徴的なビジュアルや著名人のエッセー、専門家の解説とともに記録している。重松氏と石川氏に、書籍の意図やファッションの醍醐味、後進に伝えたい想いなどを、全5回にわたってお届けする。

――日本のファッションの変遷をカルチャーとして切り取り、教科書としても使えそうなレベルで集大成された良書ですね。もんぺの時代から始まり、シャネル、アイビー、ミニスカート、ジーンズ、DCブーム、裏原宿、エアジョーダン、女子大生ブーム、コギャル、ユニクロ、モテ系&大人かわいい、ゾゾタウン、コメ兵、さらにはバーチャルヒューマンのimmaといったインフルエンサーまで、テンポ良く紹介しています。豊富かつ貴重な写真やイラスト、図録などにも圧倒されます。この本を企画した意図は?

重松理(以下、重松):ファッションはフロー(流れていくもの)で、消え去っていくものです。次々に新しいものが出てきては、淘汰されていく。でも「これは永遠に良いものだ」というものはストックとして残していきたい。それをオーセンティクスという形で、ビームスの途中から始めて、UAでも手がけてきました。財団を設立するときから時代背景や社会の潮流、生活文化の中でのファッションや、当時は表面的には見えずらかった事柄、その時代のインフルエンサーの変遷などを、特定のアパレルメーカーやブランドの視点ではなく、中立的で公共性のある資料的なものを、いずれ財団の仕事として残さなければいけないと思っていました。そこで、戦後75年になる2020年のタイミングで、ファッションの服飾現代史を出し、その足跡を次世代に伝えようと考えました。

――石川次郎さんに編纂を依頼した理由は?

重松:自分は物心がついてからファッションに興味を持ち、仕事として携わってからもいろいろな遍歴があるのですが、その半分ぐらいは平凡出版、今のマガジンハウスとともに歩み、育ててもらったみたいなもの。「平凡パンチ」では、小林康彦さんのイラストで紹介されたパリのサンジェルマンルックも、カーナビ―ストリートのロンドンポップなども見ていましたし、夢中に入り込んで、ビームスの立ち上げに至りました。アメリカで(1968年に)創刊した(西海岸の若者カルチャーやアウトドア文化、道具や情報を紹介する)「ホール・アース・カタログ」や、「スキーライフ」(読売新聞社)、その流れを汲んで、「メード・イン・USAカタログ」が発行され、ビームスの創業と同じ1976年に「ポパイ」も創刊しました。その多くに次郎さんがかかわられていたので、こういうものを作るときには造詣の深い次郎さんにお願いしたいと心に決めていました。それに、われわれはモノを売ってきたけれど、本を作るノウハウも写真や材料もない。そこで、財団の評議員で、次郎さんとも親しくされているビームスの遠藤恵司副社長を通じて依頼させてもらいました。

石川次郎(以下、石川):重松さんとは当時、直接的な付き合いはなかったけれど、すごくつながっていたんだなぁ、ずっと見てきてくれたんだなぁと嬉しくなりましたね。「平凡パンチ」や「スキーライフ」「メード・イン・USAカタログ」は、全部僕が手がけた仕事です。とくに小林さんのイラストレポは、僕が編集者になってすぐに会社に提案して実現しました。平凡出版に入ったのが1967年2月1日で、その年の9月には小林さんと2人でNYにいましたから。いい時代でしたね。その「平凡パンチ」では海外のニュースの担当になったのはいいけれど、上司から言われたニュースの取り方が、新聞社の外信や通信社から買えといった話ばっかりで、その通りでは面白くもなんともなくて。64年から誰でも外国に行ける時代になったし、「自分たちでニュースを探して誌面を作りましょう」「自分たちで外国取材をやりましょう」と上司の木滑さん(後にマガジンハウス社長を務めた、木滑良久氏。現・取締役最高顧問)に提案しました。マガジンハウス時代もその延長線上で、海外取材をするのが僕の仕事だと思っていました。

――次郎さんにとって、ファッションはどのような位置づけだったのですか?

石川:若者の風俗を伝えるにはどうしてもファッションが絡んでくる。そのとき、その場所で、どういう格好でいたのかということは、とっても重要な要素なのでね。それを伝えるには、それを表現できる、服がわかる人と一緒に現地に行くのが一番いい。しかもある意味、写真家よりも手っ取り早いだろうと。それに小林さんがずっと付き合ってくれました。考えてみればいい時代で、かなり生の情報が入ってきました。あの時期にやらなければ何をやるか、という感じでしたね。最初に67年にニューヨーク、68年にパリに行き、それから毎年1~2回外国に行きました。あのころは世界中でいろいろなことが起こっていました。自分たちの考え方や想いをデモや音楽やコンサートなどで伝えようとするなど、若者の行動が世界中のあちこちで起こり始めた。その連中がみんな面白いファッションをしていたんです。ニュースを伝えると同時にファッションが伝わった。僕はファッションの専門家でもなんでもないけれど、すごくいいチャンスに恵まれたし、それがとても貴重な情報だったのかも。重松さんも当時、そういう情報に飢えていたんじゃないですか?

重松:はい、なかなか情報が手に入らない時代でしたからね。同じイラストレーションでも、(週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当した)大橋歩さんや、(長く「メンズクラブ」やVANのイラストを担当していた)穂積和夫さんのアイビーファッションなどの絵は、素敵だけれど自分の画風や作風があって、写真の機能ではないんです。一方で、小林康彦さんは写真がそのまま絵になっていたので、とてもファッションのお手本になったんです。

石川:一種のドキュメンタリーですよね。小林さんがすごくうまいのは、100%見た通りでもなくて。基本的には現物そのままなんだけど、いくつかの要素を組み合わせたり工夫したりして、ちょっと面白くしている部分がある。でも、けして嘘ではない。やりすぎてはいない。この本のp.49、p.52、p.66~69、p76などは当時の絵をあえて使っています。p.66は67年に初めてニューヨークに一緒に行ったときのものですね。

重松:われわれはこれを「平凡パンチ」の誌面のうえで見て、これをなぞってきました。こういう格好をしなくちゃ、海外に行くならここに行かなければ、という情報機能を当時のファッションページは果たしていたんです。

(vol.2に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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「ドクターマーチン」CEOに聞く、サステナビリティの重要性とブランド経営

  「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」が好調だ。2021年12月期のグローバル売上高は前期比18%増の9億830万ポンド(約1507億円)と大きく伸ばしている。日本でも、若者を中心に多くのユーザーに愛されるシューズブランドとして定着している。

 同ブランドを率いるケニー・ウィルソン(Kenny Wilson)CEOは、「リーバイス(LEVI'S)」や「キャス キッドソン(CATH KIDSTON)」などで要職を経験してきた人物だ。約3年ぶりに来日した同氏に、「今、最も重要だ」と語るサステナビリティの取り組みや、ブランド経営の極意を聞いた。

WWD:来日は何度目でしょうか?今回の目的は?

ウィルソン:100回目くらいかな(笑)。それくらいたくさん来ている。でも今回は3年近く期間が空いたから、すごく楽しみにしていた。来日の目的は、店舗見学やマーケット調査がメイン。日本チームともリアルでコミュニケーションがとれてうれしいよ。

WWD:日本のストリートを歩いた感想は?

ウィルソン:町のにぎわいがかなり回復しているね。アジアはEUに比べて回復が遅いが、活気が着実に戻っている。日本も同様だ。それと「ドクターマーチン」を履く人をたくさん見かけて、市場に浸透していると実感できたよ。日本はアジアで最も大きな市場で、アジア全体の売上高の3割を占める。パンデミック後も毎年成長を続けており、グローバルでも重要な市場だ。この先はインバウンドが戻ってくるし、ストリートカルチャーでもリーダー的な存在。日本でブランドが受け入れられているのは、数字以上に大きな意味がある。

WWD:日本では特に若年層の獲得に成功している印象だ。

ウィルソン:日本チームが素晴らしい仕事をしていて、若い消費者を多く獲得できている。昨年オープンしたブランドコンセプトストア「ドクターマーチン ショールーム ティーワイオー(Dr. Mrartens SHOWROOM TYO)」はそれに貢献しており、Z世代のコミュニティー形成にも手応えがある。同店はメイド・イン・イングランドやコラボモデル、“アイコンズ”(代表的なモデル)など、ブランドの顔であるヒーロー商品をそろえ、世界観に浸ることができる。その拠点を東京の中心地に構えているのは大きなアドバンデージだ。

WWD:グローバルでも大きく伸びている(前述)が、好調な理由は?

ウィルソン:ブランドの本質的な強さのおかげだ。「ドクターマーチン」は世界中で受け入れられ、若者にも支持されている。特に好調なチャネルはD2Cで、自社ECと直営店は3割増と急成長している。

WWD:なぜそれほど伸びたのか?

ケニー:理由はさまざまあるが、ウェブサイト開発は就任以来継続的に投資している。ブランドに興味を持った人は、最初にサイトをチェックするからね。そこでいい経験ができると、実店舗に来てくれる。店舗のスタッフはアンバサダーのような役割を担っていて、彼らがブランドの世界観を発信する。この両軸があってD2Cが伸びているんだ。

WWD:ユーザーの消費行動に変化はある?

ウィルソン:大きな変化は、サステナビリティへの意識の高まりだ。特にヨーロッパでは顕著で、サステナビリティに向き合っていないブランドは見向きもされない。ありがたいことに、われわれはすでに持続可能なブランドだと認識されている。それはすごくシンプルで、長く使えるから。僕のワードローブにも25年間使っている「ドクターマーチン」があるように、長期的に愛用する人が多い。それがサステナブルなイメージに直結している。

WWD:新しく仕掛けるサステナビリティの戦略は?

ウィルソン:プロダクト開発では大きく2つある。1つは、バイオベース(植物由来)のマテリアルで作られたシューズだ。現在は、アッパーをバイオベースにしたシューズを制作中で、来年から特定の市場で販売テストを行う予定だ。日本も対象に入れているから、楽しみにしてほしい。このほか、2040年までにアッパーからソール、シューレースまで、すべてのパーツをバイオベースにしたシューズを作る目標も掲げている。

 もう一つは、既存モデルをサステナブルな素材・制作過程に代替する。例えば「レザーワーキンググループ(LEATHER WORKING GROUP)」認証のレザーのみを使用すること。この認証はブランドとタンナー、薬剤メーカーが参加し、工場内の安全性や原料のトレーサビリティーなどを徹底するもので、どの牧場のどの牛から来たレザーなのかも把握できる。今後はさらにステップアップして、牧場で使う農地の活用も再生可能なものにしたいと考えている。

WWD:プロダクト以外では?

ウィルソン:リペアによる2次流通の拡大を目指す。われわれのシューズは耐久性が高く、回収・リペアして再び販売するシステムが成り立つ。ちょうど3カ月前にイギリスで実験的にスタートさせ、“1460”などのアイコンモデルを中心に不要になったシューズを回収・修理し、定価の85%で販売している。始めたばかりで数字のインパクトは小さいものの、購入者の99%が高い満足度を示しており、手応えを感じている。日本ではデニムをはじめ古着市場がホットだし、グローバルでも導入できるようにしたい。

“マーケティングはローカルで”が信条
「私はビジターでしかないから」

WWD:「リーバイス」や「キャスキッドソン」などで要職を歴任してきた。どんなことを学んだ?

ウィルソン:それぞれのブランドで本当に多くを学んできたが、私の考えに最も影響を与えたのは「リーバイス」で過ごした19年だ。そこではまず、ブランドビルディングの大切さを学んだ。「ドクターマーチン」には“1460”があるように、「リーバイス」には“501”がある。これらのアイコンを大事にしながら、新しい仕掛けを考えている。次に、ブランドを世界でマネジメントしていくこと。市場をどれだけ広げても、ブランドは同じ立ち位置で、同じイメージを発信しないといけない。一方で、市場には固有の性質がある。だから、“ブランディングはグローバルで、マーケティングはローカルで”が私の信条だ。例えグローバルなキャンペーンであっても実稼働はローカルに任せているし、ローカル独自のキャンペーンにはほとんど口を出さない。私はビジターでしかないからね。最後は、社員の育成だ。本社も店舗も関係なく、一人一人の動きがブランドのイメージに直結する。スタッフは誰よりもブランドを愛していなければいけない。

WWD:ファッションブランドとのコラボも積極的だ。

ウィルソン:光栄なことに、たくさんのブランドがわれわれとのコラボを求めている。これが、ブランドの信頼やイメージアップにつながっているのは間違いない。日本では、コラボもしているヨウジさん(山本耀司)が既存モデルも着用してくれていて、私のオフィスには「ヨウジヤマモト」のチーム全員が“1460”を着用している記念写真も飾っているよ。

WWD:コラボで意識していることは?

ウィルソン:ストリートでそれを見たとき、一目で「ドクターマーチン」だとわかること。「ドクターマーチン」らしさを維持した上で、デザイナーならではのツイストを加えてもらう。それを実現できるスキルとクリエイティビティーを持っている相手でないと、コラボは成功とは言えない。

WWD:4月にクリエイティブ・ディレクターに就任したダレン・マッコイ(Darren Mckoy)にはどんなことをリクエストした?

ウィルソン:“Dマック”は、ヘリテージとモダニティのバランスがとれた才能ある人物だ。7年間働いていてブランドを理解しているし、サブカルチャーにも詳しい。ブランドらしさを保ちながら、ルールを破れる人だと考えて起用した。これからも楽しい商品を提案し続けてくれるはずだ。

WWD:日本のファンにメッセージを。

ウィルソン:これからもブランドとエモーショナルな形でつながっていてほしい。われわれもみなさんに楽しんでもらえるようにたくさん仕掛けていくよ。ありがとう。

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「ドクターマーチン」CEOに聞く、サステナビリティの重要性とブランド経営

  「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」が好調だ。2021年12月期のグローバル売上高は前期比18%増の9億830万ポンド(約1507億円)と大きく伸ばしている。日本でも、若者を中心に多くのユーザーに愛されるシューズブランドとして定着している。

 同ブランドを率いるケニー・ウィルソン(Kenny Wilson)CEOは、「リーバイス(LEVI'S)」や「キャス キッドソン(CATH KIDSTON)」などで要職を経験してきた人物だ。約3年ぶりに来日した同氏に、「今、最も重要だ」と語るサステナビリティの取り組みや、ブランド経営の極意を聞いた。

WWD:来日は何度目でしょうか?今回の目的は?

ウィルソン:100回目くらいかな(笑)。それくらいたくさん来ている。でも今回は3年近く期間が空いたから、すごく楽しみにしていた。来日の目的は、店舗見学やマーケット調査がメイン。日本チームともリアルでコミュニケーションがとれてうれしいよ。

WWD:日本のストリートを歩いた感想は?

ウィルソン:町のにぎわいがかなり回復しているね。アジアはEUに比べて回復が遅いが、活気が着実に戻っている。日本も同様だ。それと「ドクターマーチン」を履く人をたくさん見かけて、市場に浸透していると実感できたよ。日本はアジアで最も大きな市場で、アジア全体の売上高の3割を占める。パンデミック後も毎年成長を続けており、グローバルでも重要な市場だ。この先はインバウンドが戻ってくるし、ストリートカルチャーでもリーダー的な存在。日本でブランドが受け入れられているのは、数字以上に大きな意味がある。

WWD:日本では特に若年層の獲得に成功している印象だ。

ウィルソン:日本チームが素晴らしい仕事をしていて、若い消費者を多く獲得できている。昨年オープンしたブランドコンセプトストア「ドクターマーチン ショールーム ティーワイオー(Dr. Mrartens SHOWROOM TYO)」はそれに貢献しており、Z世代のコミュニティー形成にも手応えがある。同店はメイド・イン・イングランドやコラボモデル、“アイコンズ”(代表的なモデル)など、ブランドの顔であるヒーロー商品をそろえ、世界観に浸ることができる。その拠点を東京の中心地に構えているのは大きなアドバンデージだ。

WWD:グローバルでも大きく伸びている(前述)が、好調な理由は?

ウィルソン:ブランドの本質的な強さのおかげだ。「ドクターマーチン」は世界中で受け入れられ、若者にも支持されている。特に好調なチャネルはD2Cで、自社ECと直営店は3割増と急成長している。

WWD:なぜそれほど伸びたのか?

ケニー:理由はさまざまあるが、ウェブサイト開発は就任以来継続的に投資している。ブランドに興味を持った人は、最初にサイトをチェックするからね。そこでいい経験ができると、実店舗に来てくれる。店舗のスタッフはアンバサダーのような役割を担っていて、彼らがブランドの世界観を発信する。この両軸があってD2Cが伸びているんだ。

WWD:ユーザーの消費行動に変化はある?

ウィルソン:大きな変化は、サステナビリティへの意識の高まりだ。特にヨーロッパでは顕著で、サステナビリティに向き合っていないブランドは見向きもされない。ありがたいことに、われわれはすでに持続可能なブランドだと認識されている。それはすごくシンプルで、長く使えるから。僕のワードローブにも25年間使っている「ドクターマーチン」があるように、長期的に愛用する人が多い。それがサステナブルなイメージに直結している。

WWD:新しく仕掛けるサステナビリティの戦略は?

ウィルソン:プロダクト開発では大きく2つある。1つは、バイオベース(植物由来)のマテリアルで作られたシューズだ。現在は、アッパーをバイオベースにしたシューズを制作中で、来年から特定の市場で販売テストを行う予定だ。日本も対象に入れているから、楽しみにしてほしい。このほか、2040年までにアッパーからソール、シューレースまで、すべてのパーツをバイオベースにしたシューズを作る目標も掲げている。

 もう一つは、既存モデルをサステナブルな素材・制作過程に代替する。例えば「レザーワーキンググループ(LEATHER WORKING GROUP)」認証のレザーのみを使用すること。この認証はブランドとタンナー、薬剤メーカーが参加し、工場内の安全性や原料のトレーサビリティーなどを徹底するもので、どの牧場のどの牛から来たレザーなのかも把握できる。今後はさらにステップアップして、牧場で使う農地の活用も再生可能なものにしたいと考えている。

WWD:プロダクト以外では?

ウィルソン:リペアによる2次流通の拡大を目指す。われわれのシューズは耐久性が高く、回収・リペアして再び販売するシステムが成り立つ。ちょうど3カ月前にイギリスで実験的にスタートさせ、“1460”などのアイコンモデルを中心に不要になったシューズを回収・修理し、定価の85%で販売している。始めたばかりで数字のインパクトは小さいものの、購入者の99%が高い満足度を示しており、手応えを感じている。日本ではデニムをはじめ古着市場がホットだし、グローバルでも導入できるようにしたい。

“マーケティングはローカルで”が信条
「私はビジターでしかないから」

WWD:「リーバイス」や「キャスキッドソン」などで要職を歴任してきた。どんなことを学んだ?

ウィルソン:それぞれのブランドで本当に多くを学んできたが、私の考えに最も影響を与えたのは「リーバイス」で過ごした19年だ。そこではまず、ブランドビルディングの大切さを学んだ。「ドクターマーチン」には“1460”があるように、「リーバイス」には“501”がある。これらのアイコンを大事にしながら、新しい仕掛けを考えている。次に、ブランドを世界でマネジメントしていくこと。市場をどれだけ広げても、ブランドは同じ立ち位置で、同じイメージを発信しないといけない。一方で、市場には固有の性質がある。だから、“ブランディングはグローバルで、マーケティングはローカルで”が私の信条だ。例えグローバルなキャンペーンであっても実稼働はローカルに任せているし、ローカル独自のキャンペーンにはほとんど口を出さない。私はビジターでしかないからね。最後は、社員の育成だ。本社も店舗も関係なく、一人一人の動きがブランドのイメージに直結する。スタッフは誰よりもブランドを愛していなければいけない。

WWD:ファッションブランドとのコラボも積極的だ。

ウィルソン:光栄なことに、たくさんのブランドがわれわれとのコラボを求めている。これが、ブランドの信頼やイメージアップにつながっているのは間違いない。日本では、コラボもしているヨウジさん(山本耀司)が既存モデルも着用してくれていて、私のオフィスには「ヨウジヤマモト」のチーム全員が“1460”を着用している記念写真も飾っているよ。

WWD:コラボで意識していることは?

ウィルソン:ストリートでそれを見たとき、一目で「ドクターマーチン」だとわかること。「ドクターマーチン」らしさを維持した上で、デザイナーならではのツイストを加えてもらう。それを実現できるスキルとクリエイティビティーを持っている相手でないと、コラボは成功とは言えない。

WWD:4月にクリエイティブ・ディレクターに就任したダレン・マッコイ(Darren Mckoy)にはどんなことをリクエストした?

ウィルソン:“Dマック”は、ヘリテージとモダニティのバランスがとれた才能ある人物だ。7年間働いていてブランドを理解しているし、サブカルチャーにも詳しい。ブランドらしさを保ちながら、ルールを破れる人だと考えて起用した。これからも楽しい商品を提案し続けてくれるはずだ。

WWD:日本のファンにメッセージを。

ウィルソン:これからもブランドとエモーショナルな形でつながっていてほしい。われわれもみなさんに楽しんでもらえるようにたくさん仕掛けていくよ。ありがとう。

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今一番売れている女性誌「ハルメク」のシンクタンク部門に聞く 注目の50〜60代市場のつかみ方

 雑誌不況の中で快進撃を続け、現在、女性誌として日本最大部数(2022年6月時点で約44万部)を誇るのが、「50代からの女性誌」を掲げる定期購読誌の「ハルメク」だ。1996年創刊の「いきいき」がその前身で、2016年に「ハルメク」に刷新。同誌を発行するハルメクは、出版事業だけでなくシニア向けの通販や小売りにも取り組んでおり、シニア専門のリサーチやマーケティングを手掛けるシンクタンク「生きかた上手研究所」もグループ内にある。日本女性の過半数が50代以上となり、ファッションやビューティ業界でも50〜60代向けのブランドやサービスの開発が急増しているが、「生きかた上手研究所」の梅津順江所長に、50〜60代市場攻略のヒントを聞いた。

WWD:まずはハルメクの組織について。ハルメクと聞くと雑誌をイメージする人が多いが、実際はシニア世代向けにさまざまな事業を手掛けている。

梅津順江ハルメク「生きかた上手研究所」所長(以下、梅津):雑誌の「ハルメク」が多くの方にとっての入り口になっているが、毎月発行しているカタログ通販誌には約70万人のお客さまがおり、われわれは「シニア女性の生活を丸ごと応援する」といった考え方を持っている。紙の媒体だけでなく、ウェブサイトの「ハルメクWEB」事業も順調に成長しているし、文化事業として旅行やイベント、講座なども行っている。ファッション商品やコスメ、生活用品を集めた小売りの「ハルメク おみせ」は全国の百貨店などに現在7店を出店している。他にも、靴の事業やヘルスケア事業、“終活”関連の事業などもあり、われわれのビジネスはなかなか一言では言い表しづらい。同じような業容を手掛ける企業が見当たらないため、競合企業を聞かれると困ってしまうぐらいだ。

 シニアは日々変化し、進化している。その一例として、コロナ禍以降はデジタルに対する意識も高まっている。だからこそ、われわれも「昨日あったことが今日更新されているか」といった視点を会社として非常に大切にしている。「シニアとはこういうもの」と思い込まないことが非常に重要だ。「昔と比べて今のシニアは〜」といった言い方をする人もいるが、“昔”がいつを指すのかは人によって違うし、1年前どころか、半年前と比較したってシニアの意識や価値観は変わっている。

WWD:シニアの専門商社のようなハルメクの中で、「生きかた上手研究所」はどのような役割を担っているのか。

梅津:「生きかた上手研究所」が立ち上がったのは14年の4月。聖路加国際病院の名誉院長であった、故日野原重明先生の著書「生きかた上手」が研究所名の由来になっている。われわれはハルメクのシンクタンク部門として、社内の編集部門や通販用の商品開発部門などにリサーチ結果やマーケティングデータを共有しているほか、最近はBtoB事業として、外部企業へのシニアマーケットについてのコンサルティングを行ったり、レポートを販売したりもしている。

 われわれの研究所の大きな強みとなっているのが、現在約3800人が登録しているモニター組織の「ハルトモ」だ。15年5月にスタートした組織で、アンケートやインタビューに協力してもらっている。自身の感覚や考えを言葉にするのがうまい人が多く、誌面のライターを務めてくれている人もいる。社内で新規のサービスや事業をスタートする際、「ハルトモ」はなくてはならない存在だ。「ハルメク」誌面でチャレンジ企画を立ち上げるときには、必ず事前に「ハルトモ」の意見を聞いている。

WWD:研究所と外部企業との取り組みにでは、具体的に過去にどのような実績があるのか。

梅津:例えば、「眼鏡市場」とは(シニアグラスの)“アイグレース”を共同開発し、21年11月に発売した。それ以前から「眼鏡市場」は60代女性向けの眼鏡を企画していたが、「なんだかターゲットにはまらない」と感じていたようだ。それで、1年間かけて「ハルトモ」メンバーによるモニター会を3回実施し、ニーズを探った。1年間というのは開発スパンとしてはかなり長期な方で、もっと短期で進むプロジェクトも多い。

 “アイグレース”の開発に関して言えば、とにかくこの世代の女性は欲張りで、そのうえストライクゾーンは狭い。顔の造形や趣味嗜好が1人1人違うのはもちろんだが、かけたときにおしゃれに見えないといけないし、同時に視力は落ちているので機能面の要求も増えている。さらには、「品よく見せたいけど同時に個性もほしい」「安心したいけど冒険も必要」といった無理難題も出てくる。「私はまつ毛のエクステをしているから、まつエクに干渉しない眼鏡でないといけない」といった意見がモニターから出たときは私も驚いたし、ほかに「眉毛の形が若いころより下がっているので、それに合うものがほしい」という声もあった。こうした多様な意見を受けて、“アイグレース”では商品を1つに絞ることなく複数型企画し、さらに店頭で微調整することでカスタマイズできるようにしている。

「シニアは自分をシニアとは思っていない」

WWD:50〜60代市場には近年注目が集まっており、参入する企業も多い。その中で「50〜60代市場のことならハルメクに聞け」というように認知を得ているのは、やはり「ハルトモ」の存在が大きいのか。

梅津:「ハルトモ」組織に加えて、「ハルメク」編集部には読者からのアンケートハガキも毎月2000〜3000枚ほど届いている。編集部主導ではあるが、われわれ研究所もそれらのハガキにも目を通している。今この瞬間に、対象となる層が何を考えているのかをつかもうとする意識は会社全体に強く根付いていると思う。それは、(定期購読や通販という形で)流通を通さずにダイレクトマーケティングを行ってきた企業だからという面が大きい。

 私自身は化粧品会社やリサーチ会社をへて、16年3月にハルメクに入社した。それから6年がたったが、「生きかた上手研究所」がリサーチ結果を社内外に発信してきたことで、世の中全体として50〜60代への理解が進んだという自負がある。私は現場が好きなこともあって、今もオンライン、オフライン合わせて年間800〜1000人ほどに話を聞いている。

WWD:ファッションやビューティ関連企業がこれからシニアマーケットに参入する際、どのような点に気を付けるべきか。

梅津:この世代は自分のことをシニアだなんて少しも思っていない。言葉の選び方として、「『ハルメク』世代の何%が支持しています」といった表現をすると、ファッションや美に関する領域では逆に敬遠されてしまう。自分たちのことを決めつけてほしくないと彼女たちは思っていて、自身がいいと感じたものを買うだけ。だから、「シニア向け」「50〜60代向け」といった表現はファッションなどでは避けた方がいい。一方で“困りごと系”、例えばデジタル関連や健康についての企画や商品は、あえて「50歳からの〜」といった表現を使った方が刺さりやすいといった違いもある。ファッション分野で言えば、服をとにかく沢山持っているのがこの世代の特徴でもある。そこをくすぐる表現として、「今あるアイテムを生かす」「1点足すと着回しの幅が広がる」といったアプローチには好反応が得られるケースが多い。


 「WWDJAPAN」編集部は7月22、29日に、“主役世代(50〜60代)”と“Z世代”にフォーカスを当てた、世代別マーケティングのオンラインセミナーを開催します。22日には、梅津順江ハルメク「生きかた上手研究所」所長も登壇。梅津所長による50〜60代市場のより詳しい分析や、同市場攻略のためのヒントをお聞きになりたい方は、こちらから是非お申し込みください。

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モード好きが集う古着屋「ウィッティー ビンテージ」 名物オーナーのおすすめコーデも紹介

 目黒区・祐天寺に店を構える「ウィッティー ビンテージ(Witty Vintage)」。スタイリストやエディターなど、モード好きの心を掴むセレクトに定評があり、オリジナル商品の製作や環境問題にも積極的に向き合っている。自身のSNSでもスタイリングやサステナブルなライフスタイルを発信している赤嶺れいこオーナーが登場。ブランディングや社会問題との向き合い方、古着をモダンに着こなすコーディネートなどを提案してもらった。

モードラバーを引きつけるセレクト

 「ウィッティー ビンテージ」は、オンラインストアのみで販売を開始し、2020年に目黒区・祐天寺に実店舗をオープンした。買い付けは夫の赤嶺優樹・共同オーナーが担当し、イベントの企画やオンラインストアのコーディネートなどをれいこオーナーが行っている。「主にアメリカ全土から買い付けてきたものが多いですね。店内には、ショップのコンセプトである“ウィット”に富んだ古着を並べていて、大人でも楽しめるデザインやサイズのアイテムをセレクトしています」とれいこオーナー。買付けは現地のフリーマーケットやディーラーの倉庫に足を運んだり、ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe)などスタイルアイコンが着ていた服をリサーチし、気になるブランドの中から、当時のランウエイを見てヒントを得ているという。

 客層は30〜50代。フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)が手掛けていた「セリーヌ(CELINE)」や、「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」のアーカイブなど時代を超えても愛されるウエアが豊富であることから、ファッション業界人や感度の高い女性から厚い支持を寄せられている。入口付近には主にシーズンに合わせたアイテムや、その時に自分たちが提案したい商品を並べているという。そのほかには定番商品としてミリタリーウエアやジーンズ、バンドTシャツ、インディアンジュエリーなどユニセックスで楽しめるものも販売している。

地球環境への真摯な取り組み

 「ウィッティー ビンテージ」が注目されているもう一つの魅力は、環境問題との向き合い方だ。地球温暖化の現状を知り、自分たちができることをまずは始めてみようと思ったのがきっかけだという。「SNSではお客さまにマイバッグを持参するよう呼びかけたり、通販用のショッパーは、100%とうもろこし由来の原料を使った独自開発のものを取り入れたりしています。実は店内の電気も再生可能なエネルギーを使っているんですよ」。また、インドの繊維工場で廃棄される残布を組み合わせたキルト地のブランケット(Mサイズ、同2万7500円/Lサイズ、同3万5200円)や、「バグー(BAGGU)」と協業したエコバッグ(同2860円)もオリジナル商品として製作している。

自身の悩みから製作したオリジナル商品 

 古着の販売に加えて、オリジナル商品も販売している。最近では、れいこオーナーが「プラージュ(PLAGE)」と共同開発したアンダーウエアとブラカップ付きのタンクトップが好評だ。「私が思春期の頃から抱えている体形へのコンプレックスがきっかけで、製作に至りました。アンダーウエアは、さまざまな体形の人が快適に着られるようにアンダーバストのサイズを増やし、インナーとしても活用できるデザインに仕上げました。タンクトップもアンダーウエア同様にバックホックを4つにし、ヘルシーな着こなしができるように胸もとや脇下、背中の開き具合にもこだわっています」。

オーナーがおすすめするコーディネート

 れいこオーナーは、自身のインスタグラムで古着を取り入れたコーディネートを提案している。力強いイメージのインディアンジュエリーや、ヒールシューズを取り入れて、大人の女性らしさを引き出すように意識しているのが彼女流の着こなしだ。オンラインストアでは170cmのモデルを起用しているが、自身の小柄な体形を生かし、低身長の人でも商品のデザインやシルエットが分かるように心掛けているという。

 「パレードパンツは、その名の通りパレードをする時に履くもので、サイドにラインが入っているのが特徴。かなりハイウエストなので、脚長効果が狙えるんです。華奢なヒールサンダルや小物と合わせることで、こういうカジュアルなアイテムも女性らしい印象になります」

 「1970年代のワークウエアブランドによるカウボーイスラックス。ワンサイズのみの取り扱いですが、大きい人は細めのベルトでぎゅっと巻くのがおすすめです。ボリュームのあるサンダルを履くなら、透け感のあるトップスを選ぶなどしてバランスを取るのがいいですね」

■ウィッティー ビンテージ
住所:目黒区五本木2-13-1 1階
時間:13:00〜18:00
定休日:不定休

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ミキが語る“勝負服”の眼鏡とスーツ 亜生と昴生の対照的なファッション観

ミキ

ミキは兄の昴生と弟の亜生による、吉本興業所属のお笑いコンビ。京都府京都市出身。芸人としてのキャリアをスタートさせていた昴生に、亜生が合流する形で2012年4月結成。16年に第46回NHK上方漫才コンテストで優勝。翌年から、M-1グランプリの決勝戦に2年連続で進出し、全国に名前が知られる存在に。19年に活動の拠点を東京に移す。バラエティ番組等への出演のほか、昴生はドラマ「恋は続くよどこまでも」(TBS系)にレギュラー出演、亜生も映画「ライオンキング」の吹き替え版でティモン役を演じ、ユニクロのテレビCMへ出演するなど活躍の幅を広げてきた。

 兄の昴生、弟の亜生によるお笑いコンビ・ミキのトレードマークといえば、眼鏡とスーツである。漫才を披露する際には二人ともオーダーメードのスーツ姿で舞台に立つこだわりようだ。さらに今年4月にパリミキの宣伝部長に就任し、5月にはコラボ眼鏡を発売した。彼らの勝負服ともいえるスーツと眼鏡へのこだわりや、ファッション観について聞いた。

眼鏡をかけていなかった意外な過去

WWD:二人が眼鏡をかけ始めたのはいつ?

昴生:眼鏡は同時期くらいで、僕が高校生、亜生が中学生でしたね。亜生は単純にゲームのやり過ぎで視力が落ちて、眼鏡をかけなあかんようになって。僕は視力は良かったんですけど伊達眼鏡に憧れがあって、街で売ってる1000円くらいの安いやつをかけ始めたんです。視力が落ちきてからはちゃんとした眼鏡をかけるようになりましたね。

亜生:僕はサッカーをしてたんでコンタクトもしましたけど、眼鏡が好きなので基本ずっとかけていますね。逆に僕は伊達眼鏡かけてる奴、めっちゃ嫌いやったんですよ。こっちは生活かかってるのに、何を学校に伊達眼鏡かけてきてんねん!って言ってたくらい。

WWD:眼鏡をやめようと思ったことはない?

昴生:結成してすぐの頃はありましたね。亜生がお客さんの顔見たら緊張するって言うから、亜生は眼鏡を外して出てたんですよ。僕も同じ理由で、眼鏡のレンズだけ外してました。でも、お客さんが笑ってるのか分からへんし、眼鏡の跡くっきりついたまま出るから変やし、結局二人ともすぐ眼鏡に戻りましたね。

WWD:眼鏡を選ぶ際のこだわりは?

亜生:僕の場合、横長でカクカクの眼鏡にすると顔がキツく見えちゃうので、なるべく丸いやつを選んでますね。あと、華奢なフレームのものが多いです。どんな服にも合わせやすいし、夏に縁の太いのやと暑いので。僕は眼鏡がほんまに好きなので、多分40〜50は持ってると思います。

昴生:亜生がシュっとした眼鏡をかけてるから、僕は逆にフレームがしっかりあって、ちょっと横長みたいなのにしてます。

最近のお気に入りトップ3を紹介

スーツは漫才モードに切り替えるスイッチ

WWD:スーツを初めて作ったのはいつ?

昴生:コンビを組んで半年くらいからですね。僕らが出演していたNGK(なんばグランド花月)の舞台ってスーツがめっちゃ合うんです。それに見栄えは大事ですから、おそろいで作ったほうがええんちゃうかっていうことで、大阪の芸人がよく利用してるツキムラっていう店でオーダーしました。

WWD:茶色が昴生さんで緑が亜生さんというカラーはどのようにして決まった?

昴生:もともと僕が緑のつもりやったんです。でも、当時は彼女だった嫁が「緑は亜生の方が似合う、あんたじゃない」って言って。じゃあどうしようかなって時に、千鳥のノブさんが茶色のスーツを着ていて、ええなと思って茶色にしました。

WWD:どんなときにスーツを作る?

昴生:僕らは年始に心機一転、頑張るぞっていう気持ちでスーツを作ってるんです。これまで作ったのは7〜8着くらい。昔はお金がなかったんで、海外の通販で1万円くらいで作ったりしましたね。2〜3年前からは、知り合いのデザイナーに頼んでます。前回は2パターン作って、今年はネイビーのスリーピースにしました。

亜生:体形によってジャケット襟の太さとか、後ろの切り込みがある方がいいのかが変わってくるので、おそろいで作ったスーツでも、お兄ちゃんと僕とでは作りが全然違います。デザイナーがこだわってくれた、ほんまのオーダーメードです。

WWD:漫才師のお二人にとって、スーツとは?

亜生:仕事着です。舞台が終わったらなるべくすぐ脱ぐようにしてますね。舞台だけでのスイッチなので、着たままだとリラックスできへんなって。

昴生:仕事のユニホームですね。僕は漫才でスーツ着る時は、靴も靴下も変えて漫才モードに気持ちを切り替えるんです。漫才のためのユニホームやから、それ以外のテレビの収録ではよほどのことがない限り、スーツは着ないようにしていますね。

トレンド好きの亜生と無頓着な昴生

WWD:普段はどんなお店で買い物している?

亜生:セレクトショップの「ビショップ(BSHOP)」で大体買っていますね。最近は釣りをするから「ダイワ(DAIWA)」のアパレルブランドの「ダイワ ピア39(DAIWA PIER39)」も好きです。涼しいし速乾性もあって機能的なのに、そのまま街にも行けるから、そればっかり着ていますね。

昴生:僕は正直、こういうインタビューが申し訳ないくらいファッションに無頓着なんです。「ビショップ」と「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」と「ダントン(DANTON)」しか行かないですね。亜生に「ビショップ」を教えてもらってから、夫婦でずっと行ってます。

WWD:昴生さんは亜生さんから影響を受けることが多い?

亜生:僕は流行してるものが好きやから。でも、中学のときはお兄ちゃんの方がめっちゃおしゃれやったんですよ。

昴生:昔は音楽も色々聴いてたし、古着も好きやったんですけどね。つい最近まで、高校の時のTシャツとか着てましたから。でも周りに「テレビに出てるんやから、いい服着なさいよ」って言われて、一番近い亜生に相談するようになりましたね。

WWD:デートや合コンなど、モテたいシーンではどんな服を選ぶ?

亜生:僕はきれいに見せるのなら、ネイビーのセットアップが一番手っ取り早いと思いますね。中に白のTシャツを着たらそれだけでサマになるので。

昴生:僕は眼鏡を変えます。服は畳んであるものを上から選んでるんですけど、眼鏡はちゃんと選びますね。眼鏡でおしゃれしようと思うようになったのも、パリミキさんとの仕事でいろいろ教えてもらってからです。最近は嫁とデートする時に、サングラスをかけるようになりました。

WWD:最後にこの夏、気になるアイテムは?

亜生:膝下くらいの短パンです。好きで買ったはいいものの、合わせ方を間違えると中学生に見えそうで、履く勇気がまだないんですよね。でも気になるアイテムです。

昴生:僕は映画のグッズが好きなんで「スターウォーズ(STAR WARS)」や「ジュラシック パーク(JURASSIC PARK)」のTシャツを着たいですね。あと、ディズニーも好きなので、普段はディズニーストアで作ったTシャツも着てます。この間も嫁とアロハシャツを買いに行って、ペアルックでディズニーデートして、キスしました。

亜生:キモっ!

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ミキが語る“勝負服”の眼鏡とスーツ 亜生と昴生の対照的なファッション観

ミキ

ミキは兄の昴生と弟の亜生による、吉本興業所属のお笑いコンビ。京都府京都市出身。芸人としてのキャリアをスタートさせていた昴生に、亜生が合流する形で2012年4月結成。16年に第46回NHK上方漫才コンテストで優勝。翌年から、M-1グランプリの決勝戦に2年連続で進出し、全国に名前が知られる存在に。19年に活動の拠点を東京に移す。バラエティ番組等への出演のほか、昴生はドラマ「恋は続くよどこまでも」(TBS系)にレギュラー出演、亜生も映画「ライオンキング」の吹き替え版でティモン役を演じ、ユニクロのテレビCMへ出演するなど活躍の幅を広げてきた。

 兄の昴生、弟の亜生によるお笑いコンビ・ミキのトレードマークといえば、眼鏡とスーツである。漫才を披露する際には二人ともオーダーメードのスーツ姿で舞台に立つこだわりようだ。さらに今年4月にパリミキの宣伝部長に就任し、5月にはコラボ眼鏡を発売した。彼らの勝負服ともいえるスーツと眼鏡へのこだわりや、ファッション観について聞いた。

眼鏡をかけていなかった意外な過去

WWD:二人が眼鏡をかけ始めたのはいつ?

昴生:眼鏡は同時期くらいで、僕が高校生、亜生が中学生でしたね。亜生は単純にゲームのやり過ぎで視力が落ちて、眼鏡をかけなあかんようになって。僕は視力は良かったんですけど伊達眼鏡に憧れがあって、街で売ってる1000円くらいの安いやつをかけ始めたんです。視力が落ちきてからはちゃんとした眼鏡をかけるようになりましたね。

亜生:僕はサッカーをしてたんでコンタクトもしましたけど、眼鏡が好きなので基本ずっとかけていますね。逆に僕は伊達眼鏡かけてる奴、めっちゃ嫌いやったんですよ。こっちは生活かかってるのに、何を学校に伊達眼鏡かけてきてんねん!って言ってたくらい。

WWD:眼鏡をやめようと思ったことはない?

昴生:結成してすぐの頃はありましたね。亜生がお客さんの顔見たら緊張するって言うから、亜生は眼鏡を外して出てたんですよ。僕も同じ理由で、眼鏡のレンズだけ外してました。でも、お客さんが笑ってるのか分からへんし、眼鏡の跡くっきりついたまま出るから変やし、結局二人ともすぐ眼鏡に戻りましたね。

WWD:眼鏡を選ぶ際のこだわりは?

亜生:僕の場合、横長でカクカクの眼鏡にすると顔がキツく見えちゃうので、なるべく丸いやつを選んでますね。あと、華奢なフレームのものが多いです。どんな服にも合わせやすいし、夏に縁の太いのやと暑いので。僕は眼鏡がほんまに好きなので、多分40〜50は持ってると思います。

昴生:亜生がシュっとした眼鏡をかけてるから、僕は逆にフレームがしっかりあって、ちょっと横長みたいなのにしてます。

最近のお気に入りトップ3を紹介

スーツは漫才モードに切り替えるスイッチ

WWD:スーツを初めて作ったのはいつ?

昴生:コンビを組んで半年くらいからですね。僕らが出演していたNGK(なんばグランド花月)の舞台ってスーツがめっちゃ合うんです。それに見栄えは大事ですから、おそろいで作ったほうがええんちゃうかっていうことで、大阪の芸人がよく利用してるツキムラっていう店でオーダーしました。

WWD:茶色が昴生さんで緑が亜生さんというカラーはどのようにして決まった?

昴生:もともと僕が緑のつもりやったんです。でも、当時は彼女だった嫁が「緑は亜生の方が似合う、あんたじゃない」って言って。じゃあどうしようかなって時に、千鳥のノブさんが茶色のスーツを着ていて、ええなと思って茶色にしました。

WWD:どんなときにスーツを作る?

昴生:僕らは年始に心機一転、頑張るぞっていう気持ちでスーツを作ってるんです。これまで作ったのは7〜8着くらい。昔はお金がなかったんで、海外の通販で1万円くらいで作ったりしましたね。2〜3年前からは、知り合いのデザイナーに頼んでます。前回は2パターン作って、今年はネイビーのスリーピースにしました。

亜生:体形によってジャケット襟の太さとか、後ろの切り込みがある方がいいのかが変わってくるので、おそろいで作ったスーツでも、お兄ちゃんと僕とでは作りが全然違います。デザイナーがこだわってくれた、ほんまのオーダーメードです。

WWD:漫才師のお二人にとって、スーツとは?

亜生:仕事着です。舞台が終わったらなるべくすぐ脱ぐようにしてますね。舞台だけでのスイッチなので、着たままだとリラックスできへんなって。

昴生:仕事のユニホームですね。僕は漫才でスーツ着る時は、靴も靴下も変えて漫才モードに気持ちを切り替えるんです。漫才のためのユニホームやから、それ以外のテレビの収録ではよほどのことがない限り、スーツは着ないようにしていますね。

トレンド好きの亜生と無頓着な昴生

WWD:普段はどんなお店で買い物している?

亜生:セレクトショップの「ビショップ(BSHOP)」で大体買っていますね。最近は釣りをするから「ダイワ(DAIWA)」のアパレルブランドの「ダイワ ピア39(DAIWA PIER39)」も好きです。涼しいし速乾性もあって機能的なのに、そのまま街にも行けるから、そればっかり着ていますね。

昴生:僕は正直、こういうインタビューが申し訳ないくらいファッションに無頓着なんです。「ビショップ」と「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」と「ダントン(DANTON)」しか行かないですね。亜生に「ビショップ」を教えてもらってから、夫婦でずっと行ってます。

WWD:昴生さんは亜生さんから影響を受けることが多い?

亜生:僕は流行してるものが好きやから。でも、中学のときはお兄ちゃんの方がめっちゃおしゃれやったんですよ。

昴生:昔は音楽も色々聴いてたし、古着も好きやったんですけどね。つい最近まで、高校の時のTシャツとか着てましたから。でも周りに「テレビに出てるんやから、いい服着なさいよ」って言われて、一番近い亜生に相談するようになりましたね。

WWD:デートや合コンなど、モテたいシーンではどんな服を選ぶ?

亜生:僕はきれいに見せるのなら、ネイビーのセットアップが一番手っ取り早いと思いますね。中に白のTシャツを着たらそれだけでサマになるので。

昴生:僕は眼鏡を変えます。服は畳んであるものを上から選んでるんですけど、眼鏡はちゃんと選びますね。眼鏡でおしゃれしようと思うようになったのも、パリミキさんとの仕事でいろいろ教えてもらってからです。最近は嫁とデートする時に、サングラスをかけるようになりました。

WWD:最後にこの夏、気になるアイテムは?

亜生:膝下くらいの短パンです。好きで買ったはいいものの、合わせ方を間違えると中学生に見えそうで、履く勇気がまだないんですよね。でも気になるアイテムです。

昴生:僕は映画のグッズが好きなんで「スターウォーズ(STAR WARS)」や「ジュラシック パーク(JURASSIC PARK)」のTシャツを着たいですね。あと、ディズニーも好きなので、普段はディズニーストアで作ったTシャツも着てます。この間も嫁とアロハシャツを買いに行って、ペアルックでディズニーデートして、キスしました。

亜生:キモっ!

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世界最大のオンライン市場「ストックX」が常設スポットを原宿にオープン キーマン2人が考える次のトレンド

 世界最大のオンライン市場「ストックX(STOCKX)」が、東京・原宿に常設スポット「ストックX トウキョウ ドロップオフ&ストア(STOCKX TOKYO DROP-OFF以下、ドロップオフ&ストア)」(東京都渋谷区神宮前4-26-21)を7月16日にオープンする。

 「ドロップオフ&ストア」は、2016年にスニーカーのリセールサイトとして設立した「ストックX」の3番目となる常設スポットで、初めてショッピング体験を導入したスペースを構える。店内は2フロア構成で、1階では売れ筋の商品を展示してオンラインでの購入前に商品を実際に確認できるほか、「ストックX」がセレクトしたアイテムも取り扱う。第1弾として、ストリートブランド「ブラックアイパッチ(BLACKEYEPATCH)」とヒップホップメディア「ニート トウキョウ(ニートTOKYO)」とのトリプルコラボアイテムを用意する。「ニート トウキョウ」らしいグリーンをキーカラーとした3型のTシャツ(全て税込7700円)をラインアップし、そのうち1型を16日から「ドロップオフ&ストア」限定で、残り2型を19日から「ストックX」の公式サイトで販売する。

 2階は、店名にも掲げているサービス“ドロップオフ”の専門フロアとなる。“ドロップオフ”とは、オンライン上で取引が成立した商品を売り手が持ち込むことで、箱詰めや配送ラベルの印刷、真贋鑑定を行う認証センターへの発送などが不要となり、よりシンプルな販売体験を提供するサービスだ。これは、同時にローカルな買い手への新しいショッピング体験も実現し、すでに「ドロップオフ&ストア」を常設するニューヨークと香港および期間限定のロンドンでは、売り手の活動が活性化したことで100万件以上の注文を促進しているという。

 「ストックX」は、なぜ東京に「ドロップオフ&ストア」をオープンしたのか。ドゥイ・ドアン(Doy Doan)「ストックX ジャパン」シニアディレクターと、オープンにあわせて来日した、「ストックX」で数々のコラボプロジェクトを仕掛けてきたトム・ウッジャー(Tom Woodger)=カルチュラル・マーケティング・バイスプレジデントの2人に、オープンまでの経緯と今後のトレンドの予想などについて話を聞いた。

ーー常設スポット「ドロップオフ&ストア」の構想はいつからあったのですか?

トム・ウッジャー(以下、ウッジャー):われわれは、“コミュニティーの声を聞くこと”を重要視していて、「ストックX」の設立当初から商品を実際に取り扱うフィジカルなスペースがほしいという意見が多かった。そこで、2018年のクリスマスの時期に、初めて「ドロップオフ&ストア」のようなポップアップスペースをニューヨークにテストオープンした。反響があまりにも良かったので、続けてロサンゼルスやロンドンでもポップアップスペースを開き、そこでも成功を収めることができたので常設スポットの構想を形にすることにしたんだ。

ーー「ドロップオフ&ストア」を東京にオープンする意味とは?

ドゥイ・ドアン(以下、ドアン):ニューヨークがアメリカにおけるストリートファッションのメッカであるように、東京はアジアのストリートシーンの中心地かつ重要な市場だと考えており、20年の日本上陸からローカリゼーションを行ってきた。そして、日本では対面式のサービスやコミュニケーションの文化が根付いているため、「ドロップオフ&ストア」は最適なサービスだと理解した。

ーー現在、日本よりも中国と韓国の方がストリートシーンの勢いはあるように感じます。

ウッジャー:日本国内にいると分からないかもしれないが、まだまだ東京は魅力的な街だ。なぜなら、日本にはNIGO®や高橋盾ら世界中に知られているストリートシーンの重要人物たちが大勢いるから。君が言うように、中国と韓国のマーケットは盛り上がっているし、これから世界に影響力を与える人物が現れるかもしれない。でも、長いカルチャーの歴史を持つ日本は絶対に外せない。“「ストックX」にとってなくてはならない街”という認識だ。

ーー店内をシンプルでクリーンな内装にした意図は?

ドアン:東京という街が持つ、コンクリートジャングルかつミニマルな空気感を反映させたかった。そこに、「ストックX」のアイデンティティである“ストリート”を意識し、大理石の上に商品を陳列するようなラグジュアリーな見せ方はせず、フロアをコンクリート調にしたりライトを剥き出しにしたりすることで“リアル”を演出している。

ーー1階ではセレクトしたアイテムを取り扱うとのことですが、その選ぶ基準を教えてください。

ドアン:日本人に親和性の高いアイテムをキュレーションするだけでなく、顧客が出合ったことのないブランドやカルチャーを紹介するエデュケーション・スペースとしての役割も兼ねる予定だ。人からコミュニティーが始まり、コミュニティーからカルチャーは育っていくーーこれを実現する場にしたい。

ーー「ストックX」が考える次のトレンドは?

ウッジャー:「ストックX」の面白いところは、さまざまなカルチャーにアクセスできること。カルチャーは永遠に発展するもので、スニーカーからはじまり、コレクティブルアイテムやNFTにまで波及し、現在はゲームやゲーム機器も盛り上がっている。だが、われわれが最も象徴的なトレンドと考えるのはアートプリントだ。各ブランドが差別化を図るために他ジャンルとの協業を画策した中の一つがアートで、コラボアイテムなどを発売した結果、オリジナルの作品を求める人々が増えたのだろう。「ストックX」も昨年、現代アーティストのダニエル・アーシャム(Daniel Arsham)のパートナーシップを締結し、コラボアイテムも発売している。

ーースニーカーシーンのトレンドでは、2人も履いているように「ニューバランス(NEW BALANCE)」の存在感が増していると感じます。

ウッジャー:「ナイキ(NIKE)」と「ジョーダン ブランド(JORDAN BRAND)」が、トップ2に君臨していることは変わらない。だがここ数年の「ニューバランス」は、デザイナーのジョー・フレッシュグッズ(Joe Freshgoods)や「ジョウンド(JJJJOUND)」のジャスティン・サンダース(Justin Saunders)、シューズデザイナーのサレヘ・ベンバリー(Salehe Bembury)、ラッパーのアミーネ(Amine)ら、ブランド・アイデンティティを巧みに表現できるパートナーとの協業が非常にうまくいっているように思う。また、「サロモン(SALOMON)」と「アシックス(ASICS)」にもそれを感じる。

ーー故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)は1人でトレンドを動かせる人物でしたが、彼に代わる旗振り役は誰になると思いますか?

ドアン:「エメ レオン ドレ(AIME LEON DORE)」のテディ・サンティス(Teddy Santis)だと思う。「エメ レオン ドレ」と「ニューバランス」のとあるコラボの発売日が、「ニューバランス」史上最大の1日の出来事だったと聞いている。

ウッジャー:難しい質問だ(笑)。ジョー・フレッシュグッズももちろんだが、1人しか選べないならテディだろう。いつかキム・ジョーンズ(Kim Jones)のような存在になると考えている。

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「ハイプゴルフ」代官山に直営店 ケヴィン・マーとジュン佐々木社長が語るゴルフカルチャーの変化

 ジュンは昨年末、香港発のウェブメディア「ハイプビースト(HYPEBEAST)」が運営するゴルフ情報サイト「ハイプゴルフ(HYPEGOLF)」と協業し、アパレルラインを立ち上げた。“ストリートゴルフ”をテーマに、グラフィックにこだわったハイネックジャケットやフーディーといった日常生活でも使えるアイテムをそろえるほか、関係者を招待したゴルフイベントの開催など、コミュニティー形成にも積極的だ。

 そんな「ハイプゴルフ」が7月、東京・代官山に直営店をオープンする。オリジナルウエアはもちろん、「フックドゴルフ(HOOKED GOLF)」や「ナンバー33(NO.33)」といった海外ブランドとのコラボアイテムや、コメ兵とのタッグで実現したビンテージのゴルフウエア企画も実施。さらに、バリスタの澤田洋史がプロデュースするコーヒーブランド「ハイプビーンズ(HYPEBEANS)」のコーヒースタンドも入り、ゴルフカルチャーの新しい拠点を目指す。

 オープンに先立ち、「ハイプビースト」創設者で、世界のストリートシーンに大きな影響を持つケヴィン・マー(Kevin Ma)と、佐々木進ジュン社長にインタビューを実施した。ゴルフを取り巻く市場やカルチャーの変化、「ハイプゴルフ」の展望を聞いた。

WWD:「ハイプゴルフ」を立ち上げた経緯は?

ケヴィン・マー(以下、ケヴィン):4〜5年前にゴルフを始めて、自分でも驚くくらいハマった。テレビで見ていたときは「プレーがスローでつまらないスポーツだな」と思っていたが、実際にはそんなことはなく、人との関わりも楽しくて、のめり込んでいった。一方で、「もっと自分らしいスタイルでプレーできたら面白くなるんじゃないか」とも思うようになった。そこで、自分たちで「ハイプゴルフ」というメディアを立ち上げ、既存のメディアと異なる角度で情報を発信した。その後、業界の中でもゴルフ仲間と出会い、商品も手掛けるようになった。

佐々木進(以下、佐々木):私は2〜3年前にインスタグラムで「ハイプゴルフ」の存在を知り、トレンド感のあるストリートテイストを盛り込んだウエアが新鮮で興味を持った。単にストリートなだけではなく、クラシックなゴルフスタイルに敬意を払いつつ、音楽やストリート、アスレチックの要素を取り入れている姿勢にも共感した。

ケヴィン:ゴルフは紳士のスポーツだから、プレーヤーとしてその伝統には敬意を払いたい。でも、僕らはファッションやストリートカルチャーから始まったメディアで、その感性も大切にしたい。

WWD:2人は以前から交流があった?

佐々木:そうだ。コロナ前には一緒にゴルフを楽しんだ仲で、日本でも「ハイプゴルフ」をやり始めたと聞いて、一緒に何かできないかと自然と話が進んでいった。

ケヴィン:佐々木さんはファッションと小売り、ゴルフビジネス、そしてカルチャーに精通しているから、一緒に働くのは僕にとって“メイクセンス”だった。

佐々木:ありがとう(笑)。ケヴィンも、若くて生きのいいアントレプレナーのイメージが強いけど、とてもインテリジェントで、戦略もしっかりと考えている。だからこそ好きなことを仕事にできている。ゴルフ業界ではすごく稀有だし、ストリートファッションでもレアな存在。一緒にブランドができて光栄だ。

WWD:7月には代官山に「ハイプゴルフ」の店舗をオープンする。同店に期待することは?

ケヴィン:より多くの人にゴルフを知ってもらうプラットフォームになってほしい。これまでのゴルフショップは少し入りにくい雰囲気があったが、この店は気軽に立ち寄れるムードを大切にして、「ハイプビーンズ」というカフェも併設している。ユニークなドリンクがそろうから、それだけでも楽しい店舗で、コミュニティー作りにも機能するはずだ。

佐々木:売り上げを求めるだけでなく、ゴルフに触れるタッチポイントの一つになってほしい。われわれが培ってきたゴルフウエアのノウハウを活用しているため、商品は確かな機能性も備えている。王道のクラシックと、新しいストリート。異なる価値観が交差する面白さを感じてほしい。

WWD:現在のゴルフ市場をどう見ている?

ケヴィン:コロナで人気が高まり、その後は落ち着くかなと思ったが、まだまだ勢いが続いている。アメリカや韓国は人気のコースは予約が難しく、ウェイティングリストもある。日本も同じだろう。それに、ゴルフはダサいというイメージもあったが、最近はスタイリストをはじめ業界人もたくさんやるようになっていて、認識が変わりつつある。この流れは続いてほしい。

佐々木:ファッション視点でも盛り上がっているし、スポーツとして始める人も多い。マーケットとしてすごく良い状況だ。ただ、ゴルフブランドが一気に増えて、レッドオーシャンになりつつある。ビジネスがうまくいきそうだからと、ゴルフという果実を食べ過ぎると、糖尿病になってしまう(笑)。節度を持って、正しい方向に導くよう、業界全体が意識する必要がある。

WWD:今後の「ハイプゴルフ」のビジョンは?

ケヴィン:今のユーザーに、「ハイプゴルフ」を楽しんでもらうことに尽きる。敷居も高いスポーツだと思われがちだけど、それは大きな勘違いだ。スタイルも多様化してすごくファッショナブルだし、コースの種類も増えてよりカジュアルに楽しめるものになっている。その事実をメディアや店舗から伝え続けたい。

佐々木:われわれは「ハイプゴルフ」を通して、新しいゴルフ文化を作っていくつもりだ。ケヴィンが言ったように、もっと楽しく、クールなものだと伝える側面もあるし、武道や茶道のように、その“道”を知ることで成長できるものでもある。その二面性をバランス良く備えたゴルフ文化の構築を目指す。

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「NFTの教科書」ファッションパートの著者が語る NFTの可能性と課題、そして未来

 コロナ禍でDX(デジタルトランスフォーメーション)が加速する中、さまざまな業界が注目し始めたNFT領域。ファッション業界もその例外ではなく、特に2021年に入ってから参入企業が続々と増えている。NFTとは、“Non-Fungible Token(非代替性トークン)”の略。デジタルデータの「鑑定書」としての機能を持ち、リアルなモノと近い形での、デジタルデータの取引を可能にする。そんなNFTにはどのような利点があり、ファッション業界にどのような可能性をもたらすのか。そして、NFT×ファッションの未来はどうなるのか。現在、”デジタルファッションハウス”として「トモ コイズミ(TOMO KOIZUMI)」のNFTドレスやNFTスニーカー”ダイヤモンド ウォーク(Diamond Walk)”の制作・販売などを行ってきた企業、ジョイファ(Joyfa)を創業し、2021年出版の「NFTの教科書」(朝日新聞出版)のファッションパートの著者も務めた平手宏志朗代表に話を聞いた。

WWD:ジョイファの事業内容は?

平手宏志朗ジョイファ代表(以下、平手):端的に言うと、スニーカーを主軸としたデジタルファッションのエコシステムの開発を行っています。事業の軸は3つ。1つは「NFTの制作と販売」です。現状は”ダイアモンド ウォーク”といった、自社制作のNFTがメインですが、将来的にはジョイファ外の人々によるNFTの制作・販売を視野に入れています。もう1つが「制作・販売したNFTへの体験価値の付加」です。近いうちに購入したデジタルスニーカーの展示などの機能を持つアプリをリリース予定ですが、他にもAR上で着用できたり、ゆくゆくはゲーム的な要素を追加したりすることで、NFTに体験価値を付けることができるようにしていければと思っています。そして最後の1つが「コミュニティーの形成」です。ジョイファ独自の暗号資産を発行することで、特別なNFTの購入体験ができたり、コミュニティー内での意思決定に携われたりする会員限定の権利の付与を予定しています。

WWD:暗号資産の発行で「コミュニティー内の意思決定に携われる」というのは具体的にはどういったことなのか?

平手:仕組みとしては、まず、独自の暗号資産(トークン)を発行した場合、発行枚数の40〜50%ほどを、トレジャリーと呼ばれるブロックチェーン上の金庫のようなところに保管する予定です。ジョイファのトークンを持っている方々は、そのトレジャリー内の資産をどのように使うのか提案をしたり、承認をしたりすることができるようになります。例えば、海外のクリエイターの方が、デジタルファッションのブランドを立ち上げるための資金が必要であれば、それをジョイファのコミュニティーに提案し、承認を得ることができれば、トレジャリー内からお金を融通することが可能です。他にも、コミュニティー内の意思決定に携わったり、ジョイファのために作業をしてくれた人には、その金庫内から報酬が支払われる、といった形を取ることも可能になります。

WWD:そもそも、平手代表がNFTに注目した理由は?

平手:私自身はNFTが注目を浴びるだいぶ前から、エンジン(Enjin)という会社でNFT×エンタメの領域の仕事をしていました。そのため、NFTに注目したというよりは、もともと業界にいた中でNFTがブームになり、自然とNFT領域で「次に来るジャンルは何か」を考え、ジョイファを創業した形です。

NFTがブームになったきっかけは?

WWD:NFTがブームになった理由をどのように見ているのか?

平手:きっかけとしては、NBA Top Shotの存在が大きいと思います。NBA選手のトレーディングカードゲームをNFT化したようなモノですが、NBAが非常に分かりやすいIP(知的財産)だったことや、ユーザー体験の良さなどから大きな売り上げを出し、NFTというものの認知度・注目度が上がっていった印象を受けています。

WWD:「ユーザー体験の良さ」とは?

平手:いくつかありますが、例えば単なる静止画のカードではなく、動画を使っていたり、決済方法に関しても、従来のNFTが仮想通貨がメインだったのに対してクレジットカードも対象にしたりしていました。他にも、ルートボックス化と呼ばれる、ガチャガチャのような仕組みを導入して購入するまで何が当たるか分からない形を取っていたこともあります。

WWD:NFTには、具体的にどのような利点があるのか?

平手:大きくは3つあると思います。1つが永続性で、NFTを提供している企業が潰れてしまっても、入手したNFT自体は残る仕様にすることができます。もう一つが、流動性です。購入者側がNFT版のメルカリのようなところで転売したり、友人と貸し借りしたりすることが可能です。そして3つ目が透明性で、発行者や発行枚数、売買や貸し借りなどが履歴として可視化されます。これらによって物理的なモノに近い体験価値の提供が可能になっています。

WWD:それらの利点は、ファッションにも適用できるのか?

平手:できると思います。まず前提として、デジタルファッション=NFTというわけではありません。NFT化していないデジタルファッションは、これまでもメタバース空間内などで存在はしていました。ただ、従来のデジタルファッションは、その空間内で完結するアイテムでしかなかった。それをNFT化することで、他の空間でも使える可能性が高まったり、実際に所有しているという感覚に近くなったりする。そこに新しい可能性が生まれてくるのかなと思っています。

WWD:中でも、NFTと相性の良いファッションカテゴリーは何か?

平手:スニーカーやアクセサリーといった、限定性・コレクション性の強いジャンルは親和性が高いと思っています。こういったものは、リアルで集める場合に保管が必要など、物理的な制約も大きい。デジタルに置き換えることで、保管したり、展示したりするニーズは今後高まってくるのではないかと考えています。また、保管・展示だけでなく、ARの技術を活用して、画面上では実際に着ているような感覚にひたることもできます。イベントなどで人々がARグラスをかけて、各々がコレクションしたデジタルファッションを見せ合い、楽しむといった自己表現の拡張もできるかもしれません。まだまだ不透明な部分もありますが、可能性は多岐にわたると思います。

NFTは”バブル”なのか?

WWD:一方で、「NFTはバブルになっているだけではないか」といった声もある。

平手:マーケット全体で見ると、NFTの取引ボリュームは平均で週30億〜70億円と、あまり下がっていません。確かに、一昔前のように価格が異様に高騰する、といったことは減っているかもしれませんが、ユーティリティがしっかりしていたり、価格的に入手しやすいものの取引が増えている印象を受けています。

WWD:現状、NFTが抱えている課題は何かあるのか?

平手:大きくは3つあります。1つは環境負荷で、一般的にNFTを1つ発行するのに、一般家庭の消費電力の3〜4日分を消費すると言われています。2つ目が、標準規格の不在です。NFTには先ほど言った流動性がありますが、あるメタバースのNFTを別のメタバースでも着用するといったことは現状できません。そして3つ目がユーザビリティーです。NFTは現在、仮想通貨での購入がメインとなっているため、仮想通貨を持っていない人は購入できないことが多い。これらの課題は、NFT×ファッションにおいても同様に発生するものだと思います。

WWD:それらの課題は今後、解決されるのか?

平手:ある程度解決されると思います。環境負荷の課題は、ブロックチェーン最大手のイーサリアムが環境負荷を大幅に軽減するアップデートを年内に予定しています。何度も遅延しているので年内ではないかもしれないですが(笑)。標準規格の不在についても、現在、NFT業界内でデジタルファッション×NFTの標準規格を作ろう、という機運が盛り上がってきており、解決の方向に向かっていくと思います。また、ユーザビリティの課題も、クレジットカード決済が可能なところが徐々に増えてきています。

WWD:ジョイファとしては今後、どのようにしていくつもりなのか?

平手:最終的には、デジタルファッション領域で世界中のクリエイターのエンパワメントとサポートができればと思っています。社内では、任天堂のようにエコシステムとブランド両方を手掛けられるような存在になろうとよく言っています。任天堂はゲームのエコシステムを作りつつ、「マリオ」や「ポケモン」などの自社ブランドも運営している。ジョイファも、世界中のクリエイターの支援を通じて、デジタルファッションのエコシステムを構築しつつ、自社ブランドを作っていき、自社ブランドでのトライ&エラーで得た知見をクリエイターに還元するなどしてエコシステムへ反映させていく。そういったことを通じて、新しいファッションの価値を提供できればと考えています。

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「黒いシャンプー」として話題 大正製薬のヘアケアブランド「ブラックウルフ」の秘密に迫る

 大正製薬が昨年10月に発売したヘアケアブランド「ブラックウルフ(BLACK WOLF)」が話題になっている。「ブラックウルフ」は、自分自身が本来持つ頭皮の活力に着目。ブラックアクティブ処方*¹を採用し、“黒髪をケアする”ヘアケアブランドだ。

 濃密泡で頭皮のアブラ汚れを落とすシャンプー、黒髪にハリ・コシを与えるコンディショナー、頭皮に潤いを与えるスカルプエッセンス、使うたびに白髪を目立たなくするカラートリートメントの、頭皮と髪をサポートする4アイテムを取りそろえたシリーズだ。

 シャンプー&コンディショナーは、“ボリュームアップライン”、“リフレッシュライン”、“プレミアムライン”の3タイプがあり、好みの仕上がりタイプに合わせて選べる。

 大きな特徴の1つが、シャンプーの液色が黒いことで、それゆえに“黒いシャンプー”という愛称で呼ばれている。その黒さこそが「ブラックウルフ」の特徴であり、大正製薬の知見が詰め込まれた証でもある。ここでは「ブラックウルフ」のキーパーソンへのインタビューを通して、同ブランドのポテンシャルを明らかにする。

*1 保湿成分のボタンエキス、キハダ樹皮エキス、オウレン根茎エキス、タウリン、パルミトイルテトラペプチド-20、アセチルテトラペプチド-3、モウソウチク成長点細胞溶解質、アカツメクサ花エキス、リンゴ果実培養細胞エキス、ヤナギラン花・葉・茎エキス、トリフルオロアセチルトリペプチド-2

髪と頭皮にいい成分を詰め込んだ結果
“黒いシャンプー”が誕生

 「ブラックウルフ」の魅力を探るため、マーケティングを担当する池沢卓浩氏と、開発を担当した商品開発部の手塚健太氏に、同ブランドの誕生秘話を聞いた。

WWD:「ブラックウルフ」開発のいきさつは?

池沢卓浩氏(以下、池沢):当社は20年以上に渡って、男性の髪の悩みに向き合ってきました。一方で今の生活者を見ると、悩みだけではなく、もっとポジティブな“美容”や“身だしなみ”への意識が高まっています。そこで、自分磨きへのニーズに対応する新しいブランドが必要だという考えに至りました。

WWD:開発でこだわったポイントは?

池沢:これまで自分たちは、どちらかというと悩みに応えるヘアケア商材を作ってきました。けれど「ブラックウルフ」は、使うたびに気持ちをプラスに転じさせたい商材なので、デザインや世界観、使って気持ちが上がる香りや泡立ちにこだわりました。

手塚健太氏(以下、手塚):シャンプーの機能にこだわった結果、黒に行き着きました。ボリュームアップとか頭皮の皮脂洗浄とかを訴求するヘアケア商材は、メンズ市場にたくさんありますよね。開発段階で、それは必要な価値ではあるけれど、それだけだとありきたりだと思いました。それに加えて、「もっとかっこよく」「髪を美容したい」といった今の生活者のニーズに応える上で、“髪のダメージ補修”もしっかり満たしたいと思いました。そこで着目したのが、“ヘマチン”という成分です。ヘマチンが黒色をしていて、これをしっかり配合すると黒いシャンプーになるんです。

WWD:ヘマチンとは?

手塚:ヘマチンは、髪のダメージを補修する成分です。高価なので、「ブラックウルフ」の価格帯でしっかり配合している製品はとても珍しいと思います。ヘマチンのほかにも、清潔感のある男性にふさわしい、こだわりの保湿成分や洗浄成分を加えた結果、黒いシャンプーが誕生しました。

WWD:使ったユーザーの感想は?

池沢:まず言われるのは五感で感じられる部分についてです。濃密な泡やこだわった香りに関してで、そこは狙っていた部分なのでうれしいですね。その先にいる使い続けているユーザーの方からは、髪の触り心地やまとまり方など、髪の質感が変わったという反応をいただくことが多いです。商品を手に取るきっかけとしては、ボリュームアップ*²や皮脂洗浄がフックになり、使い始めてからは「男の髪も強く*³美しく」という開発時の思いを体感してくれる方が多くて、本当にありがたいです。

WWD:どういう人に使ってもらいたい?

池沢:「自分をアップデートしたい」というマインドを持った方に、商品を選んでもらいたいです。1日をアクティブに過ごして、自宅に帰ってするシャンプーはただの作業ではなく、アップデートするためのルーティン。自分を満足させ、自分を丁寧に扱う時間としてこの商品が溶け込んでくれると理想的ですね。

*2*3 ハリ・コシを与える

「ブラックウルフ」の特徴は
五感に訴えて気持ちを上げること

 「ブラックウルフ」は、五感で価値を体感してもらえるブランド。黒い液色や濃密な泡立ち、こだわりの香り(シトラスアロマとフレッシュシトラス)で、使う人の気分を上げる。香りは、癒しと力強さの両面を感じる複雑な香りを目指し、50以上の試作を作りながら設計していった。

“ボリュームアップライン”ほか
好みの仕上がりで選べる3タイプ

 「ブラックウルフ」のラインアップは、シャンプー、コンディショナー、スカルプエッセンス、カラートリートメントの4アイテム。シャンプー&コンディショナーは、黒髪にハリ・コシを与える“ボリュームアップライン”、黒髪を根元からリフレッシュする“リフレッシュライン”、スペシャルケアでワンランク上を目指せる“プレミアムライン”の3タイプがあり、好みの仕上がりに合わせて選べる。

人気の“ボリュームアップライン”で
お得な企画販売を実施中

 “ボリュームアップライン”の好評を受け、「アマゾン」限定でお得な企画販売を実施中。“ブラックウルフ ボリュームアップ スカルプシャンプー”と“同 コンディショナー”をセットで購入すると、“同 スカルプ エッセンス”(試供品、税込4378円相当)を1本プレゼントする。なくなり次第終了。

PHOTOS:KICHIRAKU YOHEI
問い合わせ先
大正製薬 お客さま119番室
03-3985-1800

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体操選手からアーティストへ スペイン出身アーティストのハビア・カジェハ

 スペイン・マラガを拠点に活動するアーティストのハビア・カジェハ(Javier Calleja)が、展覧会「ミスター・ギュンター 、ザ・キャット・ショー(MR.GUNTER, THE CAT SHOW)」を渋谷パルコ4階の「パルコミュージアムトーキョー(PARCO MUSEUM TOKYO)」で18日まで開催中だ。カジェハは「ヴァンズ(VANS)」や「ケースティファイ(CASETIFY)」とのコラボレーションや、渋谷パルコの1周年記念イベントでは大型立体作品を制作するなど、幅広く活動している。同展では、日本未発表の大型立体作品2点や新作ペインティング、ドローイングを展示するほか、会場内の随所にカジェハの愛猫“ギュンター”をモチーフとした作品も設置している。開催に合わせて来日したカジェハに、アートの道を志したきっかけや、“BIG EYE(大きな目)”をトレードマークとするキャラクターが生まれた経緯、本展の見所などについて話を聞いた。

ーーまずは、アートの道を志したきっかけを教えてください。

ハビア・カジェハ(以下、カジェハ):小さい頃から絵を描くのが好きで、スペインの有名な漫画家フランシスコ・イバニェス・タラヴェラ(Francisco Ibanez Talavera)の作品をよく真似していたね。ただ、12歳から25歳までは器械体操でオリンピックを目指していて、生まれ故郷のマラガを離れてバルセロナにいるおじさんの家に寄宿していたんだ。おじさんにはずっと「体操選手よりもアーティストの才能がある」って言われていたんだけど、若い頃の僕は反抗的だったから「アーティストなんて貧乏になるだけだろ」って反対していた。でも、体操選手として25歳を迎えたときにセカンドキャリアを考え、「人生は一度きりだから」と一念発起してアーティストに転身したんだ。

ーーそれから美術学校に通ったんですか?

カジェハ:体育大学を卒業後、グラナダにある芸術大学に通ったんだ。2つの大学の学費を払うために、両替所で7年間も働いたよ(笑)。

ーー現在の作風が確立するまでは?

カジェハ:アーティストを志した当時は漫画的なアートが好きだったけど、スペインは世界的に見てもそれを認める土壌がなかった。だから、初期の頃は彫刻家リチャード・セラ(Richard Serra)や画家ショーン・スカリー(Sean Scully)のようなミニマルな作品を制作しようと試行錯誤していた。ただ、1990年代後半から2000年前半にかけてストリート・アーティストのクリス・ヨハンソン(Chris Johanson)やグラフィティ・アーティストのバリー・マッギー(Barry McGee)、村上隆、奈良美智といった先人たちが、漫画のような平面的な作品でアートシーンに革命をもたらしているのを目の当たりにして、自分の好きなことを貫くスタイルに軌道修正したんだ。

 現代アートの世界では、“常に新しい自分のオリジナリティ”で勝負する必要があるんだけど、多くのアーティストが常に新しい作品を生み出さなければいけないことにジレンマを感じているし、新しいことにチャレンジしたと思ってもすでに誰かがチャレンジした後で、オリジナルの作品ではないことも多い。でも、ある時から好きなものを突き詰めるようになったら他人の作品を真似しても自分の作品に昇華できることに気付いて、以前までとは逆の思考になったんだ。無理して自分でオリジナルを生み出そうとすると失敗して、好きなものを模範すれば次第に自分のものになっていく。この時、僕の場合は幼い頃から好きだった漫画的なタッチがベースになったんだ。今回の展覧会でもマウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)の作品だったり、いろいろなアーティストのパロディ作品を展示しているよ。

ーー今回の展覧会の開催経緯を教えてください。

カジェハ:今まで自分の軌跡を振り返る機会がなかったから、愛猫“ギュンター”をメインモチーフとしながら、新作と過去6年間に制作した作品を混ぜた内容にしたんだ。感覚的にドローイングには1日、ペインティングには1週間、スカルプチャーには1年を要したかな。東京の後は、地元のマラガやバンクーバー、北京などを巡回するよ。

ーーメインモチーフに“ギュンター”を採用した理由は?

カジェハ:家では猫を4匹飼っているんだけど、“ギュンター”は最初に家族として迎え入れた子なんだ。彼は、この6年間の苦楽を共にして支えてくれたし、キャリアを振り返るにあたって象徴的な存在だったからメインモチーフにした。もともと、僕は作品を日記的なものとして捉えていて、妻や友人、周りにいる人たちをモチーフにすることが多いしね。今、“ギュンター”はキャットシッターと自宅で留守番しているよ。

ーー会場の入り口すぐの作品は、ご自身を模した作品ですよね?

カジェハ:そうだね。2016年にギャラリー「ナンヅカ」で展覧会を開催するために制作した初の大型立体作品なんだけど、スタジオでの制作風景を表したセルフポートレート的なもの。ここにいる猫は、“ギュンター”ではなくスタジオに時々遊びに来ていた近所の野良猫で、壁画は今回のために新しく描いたんだ。実は16年の展覧会のとき、この作品を「ナンヅカ」に運び入れようとしたら頭が大きすぎて入口の扉を壊してもらったり、中国で制作したサンダルを搬入し忘れたのを前日になって気付いて飛行機の手荷物で運んだり、思い出がいっぱい詰まっている作品なんだ(笑)。新作ももちろんだけど、この作品はぜひとも見てほしいな。

■MR.GUNTER, THE CAT SHOW
会期:7月18日まで
時間:11:00~20:00(最終日は18:00まで)
入場料:800円税込/小学生以下無料
場所:渋谷パルコ4階 パルコミュージアムトーキョー
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1

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体操選手からアーティストへ スペイン出身アーティストのハビア・カジェハ

 スペイン・マラガを拠点に活動するアーティストのハビア・カジェハ(Javier Calleja)が、展覧会「ミスター・ギュンター 、ザ・キャット・ショー(MR.GUNTER, THE CAT SHOW)」を渋谷パルコ4階の「パルコミュージアムトーキョー(PARCO MUSEUM TOKYO)」で18日まで開催中だ。カジェハは「ヴァンズ(VANS)」や「ケースティファイ(CASETIFY)」とのコラボレーションや、渋谷パルコの1周年記念イベントでは大型立体作品を制作するなど、幅広く活動している。同展では、日本未発表の大型立体作品2点や新作ペインティング、ドローイングを展示するほか、会場内の随所にカジェハの愛猫“ギュンター”をモチーフとした作品も設置している。開催に合わせて来日したカジェハに、アートの道を志したきっかけや、“BIG EYE(大きな目)”をトレードマークとするキャラクターが生まれた経緯、本展の見所などについて話を聞いた。

ーーまずは、アートの道を志したきっかけを教えてください。

ハビア・カジェハ(以下、カジェハ):小さい頃から絵を描くのが好きで、スペインの有名な漫画家フランシスコ・イバニェス・タラヴェラ(Francisco Ibanez Talavera)の作品をよく真似していたね。ただ、12歳から25歳までは器械体操でオリンピックを目指していて、生まれ故郷のマラガを離れてバルセロナにいるおじさんの家に寄宿していたんだ。おじさんにはずっと「体操選手よりもアーティストの才能がある」って言われていたんだけど、若い頃の僕は反抗的だったから「アーティストなんて貧乏になるだけだろ」って反対していた。でも、体操選手として25歳を迎えたときにセカンドキャリアを考え、「人生は一度きりだから」と一念発起してアーティストに転身したんだ。

ーーそれから美術学校に通ったんですか?

カジェハ:体育大学を卒業後、グラナダにある芸術大学に通ったんだ。2つの大学の学費を払うために、両替所で7年間も働いたよ(笑)。

ーー現在の作風が確立するまでは?

カジェハ:アーティストを志した当時は漫画的なアートが好きだったけど、スペインは世界的に見てもそれを認める土壌がなかった。だから、初期の頃は彫刻家リチャード・セラ(Richard Serra)や画家ショーン・スカリー(Sean Scully)のようなミニマルな作品を制作しようと試行錯誤していた。ただ、1990年代後半から2000年前半にかけてストリート・アーティストのクリス・ヨハンソン(Chris Johanson)やグラフィティ・アーティストのバリー・マッギー(Barry McGee)、村上隆、奈良美智といった先人たちが、漫画のような平面的な作品でアートシーンに革命をもたらしているのを目の当たりにして、自分の好きなことを貫くスタイルに軌道修正したんだ。

 現代アートの世界では、“常に新しい自分のオリジナリティ”で勝負する必要があるんだけど、多くのアーティストが常に新しい作品を生み出さなければいけないことにジレンマを感じているし、新しいことにチャレンジしたと思ってもすでに誰かがチャレンジした後で、オリジナルの作品ではないことも多い。でも、ある時から好きなものを突き詰めるようになったら他人の作品を真似しても自分の作品に昇華できることに気付いて、以前までとは逆の思考になったんだ。無理して自分でオリジナルを生み出そうとすると失敗して、好きなものを模範すれば次第に自分のものになっていく。この時、僕の場合は幼い頃から好きだった漫画的なタッチがベースになったんだ。今回の展覧会でもマウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)の作品だったり、いろいろなアーティストのパロディ作品を展示しているよ。

ーー今回の展覧会の開催経緯を教えてください。

カジェハ:今まで自分の軌跡を振り返る機会がなかったから、愛猫“ギュンター”をメインモチーフとしながら、新作と過去6年間に制作した作品を混ぜた内容にしたんだ。感覚的にドローイングには1日、ペインティングには1週間、スカルプチャーには1年を要したかな。東京の後は、地元のマラガやバンクーバー、北京などを巡回するよ。

ーーメインモチーフに“ギュンター”を採用した理由は?

カジェハ:家では猫を4匹飼っているんだけど、“ギュンター”は最初に家族として迎え入れた子なんだ。彼は、この6年間の苦楽を共にして支えてくれたし、キャリアを振り返るにあたって象徴的な存在だったからメインモチーフにした。もともと、僕は作品を日記的なものとして捉えていて、妻や友人、周りにいる人たちをモチーフにすることが多いしね。今、“ギュンター”はキャットシッターと自宅で留守番しているよ。

ーー会場の入り口すぐの作品は、ご自身を模した作品ですよね?

カジェハ:そうだね。2016年にギャラリー「ナンヅカ」で展覧会を開催するために制作した初の大型立体作品なんだけど、スタジオでの制作風景を表したセルフポートレート的なもの。ここにいる猫は、“ギュンター”ではなくスタジオに時々遊びに来ていた近所の野良猫で、壁画は今回のために新しく描いたんだ。実は16年の展覧会のとき、この作品を「ナンヅカ」に運び入れようとしたら頭が大きすぎて入口の扉を壊してもらったり、中国で制作したサンダルを搬入し忘れたのを前日になって気付いて飛行機の手荷物で運んだり、思い出がいっぱい詰まっている作品なんだ(笑)。新作ももちろんだけど、この作品はぜひとも見てほしいな。

■MR.GUNTER, THE CAT SHOW
会期:7月18日まで
時間:11:00~20:00(最終日は18:00まで)
入場料:800円税込/小学生以下無料
場所:渋谷パルコ4階 パルコミュージアムトーキョー
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1

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11年目で勢いづく「アミ パリス」 デザイナーとCEOに聞く好調の理由

 アレクサンドル・マテュッシ(Alexandre Mattiussi)による「アミ パリス(AMI PARIS)」が急速に成長している。同ブランドはマテュッシが「家族や友人、自分が愛せる服」を作るため、2011年にアパートの一室でスタート。その後はパリ・ファッション・ウイークへの参加や世界各地への出店で認知を広げ、21年には投資会社セコイア・キャピタル・チャイナ(SEQUOIA CAPITAL CHINA)の投資を受け、ビジネスの基盤をさらに固めている。飛躍し続けるブランドを、デザイナーとCEOはどう見ているのか。デザイナーにはクリエイションについて、CEOにはビジネスの未来について聞いた。

“全ての人を包括する
フレンドリーな
ブランドでありたい”

WWD:「アミ」立ち上げの経緯は?

アレクサンドル・マテュッシ(以下、マテュッシ):最初は自宅のアパートで一人で始めたんだ。出発点は、自分のブランドを持ちたいという長年の夢と、思い描くデザインを具現化したいという願望からだった。ビッグメゾンでメンズウエアのデザイナーとしてキャリアを積む中で、その思いはどんどん強くなっていったんだ。家族や友人、自分自身が長く愛することのできる洋服を作り、手の届きやすい価格帯で多くの人に着てもらいたいという強い願望がブランド立ち上げの理由で、その思いは今も一切変わっていないよ。

WWD:デザインのインスピレーションはどのように生まれる?

マテュッシ:家族や友人から、従業員、街中の知らない人まで、とにかく僕の周りにいる人たち全員さ。パリの美しい街を自転車で走っていると、自然とアイデアが浮かんでくることもある。生活に根ざした日常着ってことを大切にしているから、僕にとっては日常の全てがインスピレーションなんだ。

WWD:ハートのロゴ“アミ ドゥ クール(Ami de Coeur)”の誕生はブランドにとって転機になった?

マテュッシ:このロゴは、幼少期から使っている僕のサインのようなものなんだよね。シグネチャーができたことで多くの人に認知されるようになったし、「アミ」のコミュニティーはつながりをより強くしたと思う。特に若い世代にブランドを知ってもらうきっかけになった。フランスの学校では若い学生たちが、スポーツブランドのロゴと同じくらい“アミ ドゥ クール”をステータスとして着用していると知って、とても光栄だよ。僕の名前のイニシャルでありアルファベットの始まりであるAと、万国共通のハート形というシンプルで明快なデザインが広い世代に愛される理由じゃないかな。

WWD:ウィメンズをスタートしてからドレスの要素が強まったが、周囲の反響は?

マテュッシ:ウィメンズを始める前から、顧客の40%程度は女性だったんだ。既存の女性顧客は男性的なスタイルを好む傾向にあるけれど、彼女らにもフェミニンなピースを提案できるようになったし、もともとドレスを好む新規顧客にもリーチできている。セレブリティーがレッドカーペットで着用する機会も増えたから、反響はとても大きいよ。

WWD:いつもパリへの愛情をとても感じるショー演出が印象的だ。ショーで発表することの意味とは?

マテュッシ:ショーは物語を伝える目的と、オーディエンスをブランドのコミュニティーに迎え入れるような意味がある。現場であれスクリーン越しであれ、何が起こるか分からないドキドキ感と、たくさんのスタッフとの共作でみなぎるエネルギーを、多くの人と共有できる場がショーなんだよ。劇場に観客を招待するような気持ちで、いつも演出についてアイデアを練っているんだ。

WWD:この先どういったコレクションを作っていきたい?

マテュッシ:あらゆるライフスタイルを持つ人々に、完璧な日常着を提供すること。僕が言う“完璧”って、シンプルなデザインでカラーとシェイプが美しく、時間が経って色あせないタイムレスさを意味するんだ。長年着用できるように、品質にも妥協はしない。17歳の学生にはセーター、銀行員のサラリーマンにはスーツ、50代の主婦には美しいコートといったように、「アミ」のお店に行けば誰でも日常生活で着たい服が見つかると思ってもらえるようなコレクションを作り続けたいね。

WWD:ブランドの今後は?

マテュッシ:ブランドがどんなに大きくなっても、全ての人を包括するフレンドリーなブランドでありたい。一人で自宅のアパートで始めた時と変わらない価値観をこの先も貫くだけさ。顧客だけでなく、従業員にも敬意を払って家族のように大切にしたい。そういった雰囲気は、ブランドや店舗にも反映されるものだから。今年は各国での旗艦店オープンも控えているし、店舗作りにも力を入れていくつもりさ。親密さを感じてもらえる場にするから、楽しみにしていてよ。

“創立当初から大切にしてきた
価値観が消費者と共鳴した”

WWD:現在のビジネスの状況をどう分析する?

ニコラス・サンティ・ウェイル(以下、ウェイル):年間売上高は2019年が3000万ユーロ(約43億円)、20年が6000万ユーロ(約86億円)、21年が1億3000万ユーロ(約187億円)と、急速な成長を数字が示している。コロナ禍で消費者は生活を見直して、人生において価値ある本質的なことに焦点を当てた。多くの人にとってそれは、家族や友人という人間関係や、日常の非常にシンプルな事柄であると気付く機会になったのだろう。これらは「アミ」が創立当初から大切にしている価値観であり、コロナ禍で消費者と共鳴した結果、売り上げにもつながったのだと考えている。

WWD:コロナ禍にどのような戦略を立てた?

ウェイル:マーケティングではなく、コミュニケーションと広告に予算を割いた。サプライヤーには発注を中止せず、共に経済危機を乗り越えられるよう鼓舞していた。従業員の精神面の健康も大切なので、予算をかけて彼らのメンタルヘルスケアも行った。人々はポジティブなコミュニティーに属しているという安心感を得ることで、困難な状況でも前向きに取り組めるもの。それはブランドの価値として、消費者にも伝わると信じていた。

WWD:日本での売り上げが好調な要因は?

ウェイル:ローカルの人々をターゲットにしたのが要因の一つ。アジア人旅行者が多かった表参道の旗艦店を閉店し、ギンザシックスと阪急うめだ本店、ジェイアール名古屋タカシマヤに出店したことが奏功している。日本だけでなく、全世界でバランス良く成長を続けている。

WWD:2年前のインタビューでは、ブランドを家に例えて「まだ屋根や2階もない状態」と語っていた。今その家はどんな状態?

ウェイル:ずいぶんと増築することができた。屋根も2階も完成しただけでなく、多くのゲストと食卓を囲めるダイニングルームに、野菜や果物が育つ広い庭、パーティールームも備えている。見た目だけでなく、家の土台も強化された。今後も増築していくが、ビルに建て替えず、あくまで“家”という形態を維持し続けたい。「アミ」はコミュニティーを家族だと捉えるフレンドリーなブランドだから。

WWD:セコイア・キャピタル・チャイナの投資を受けるメリットは?

ウェイル:利益よりもビジョンと人物像を重要視する珍しい投資会社で、ブランドの野心を尊重してくれる。特にクリエイションには一切関与していないので、アレクサンドルは大胆なリスクを負えるようになった。その一例が、ウィメンズでドレスラインを強化したことだ。セレブリティーの着用によりメディア露出が増え、既存客と新規の女性顧客からの需要も高まり、全体の売り上げに大きく貢献している。

WWD:今後のビジネスの具体的な施策は?

ウェイル:世界市場での存在感をさらに高めていくために、コミュニケーションには引き続き投資していく予定だ。オンラインと直営店を強化し、ブランドの世界観をデジタルとリアルの両方で体験してもらえるようにしたい。各都市でポップアップやショー、旗艦店内でイベントを開催し、消費者にサプライズを与えてハッピーなムードを共有したい。これからどんな施策をやっても、アレクサンドルも僕も、価格帯を上げないことを大前提にしている。新たなラグジュアリーブランドとして、クオリティーやマーケティングポジションを重要視し、現在はラグジュアリーゾーンでブランド展開を広げている。今は全世界で26店舗を構え、アジアでは日本、中国、韓国で17店舗。今後もアジア並びに世界で店舗数拡大を予定している。

WWD:アレクサンドルに期待することは?

ウェイル:これまで通り、オープンマインドで野心的にクリエイションに取り組んでほしい。前よりもリスクを負えるようになった分、密にコミュニケーションを取って信頼関係を絶え間なく築き上げていく互いの努力が必要だ。「アミ」はまだ11歳の子供。まだまだ投資して、成長を促していきたい。

「アミ パリス」に
欠かせない4つのこと

問い合わせ先
アミ パリス ジャパン
03-3470-0505

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11年目で勢いづく「アミ パリス」 デザイナーとCEOに聞く好調の理由

 アレクサンドル・マテュッシ(Alexandre Mattiussi)による「アミ パリス(AMI PARIS)」が急速に成長している。同ブランドはマテュッシが「家族や友人、自分が愛せる服」を作るため、2011年にアパートの一室でスタート。その後はパリ・ファッション・ウイークへの参加や世界各地への出店で認知を広げ、21年には投資会社セコイア・キャピタル・チャイナ(SEQUOIA CAPITAL CHINA)の投資を受け、ビジネスの基盤をさらに固めている。飛躍し続けるブランドを、デザイナーとCEOはどう見ているのか。デザイナーにはクリエイションについて、CEOにはビジネスの未来について聞いた。

“全ての人を包括する
フレンドリーな
ブランドでありたい”

WWD:「アミ」立ち上げの経緯は?

アレクサンドル・マテュッシ(以下、マテュッシ):最初は自宅のアパートで一人で始めたんだ。出発点は、自分のブランドを持ちたいという長年の夢と、思い描くデザインを具現化したいという願望からだった。ビッグメゾンでメンズウエアのデザイナーとしてキャリアを積む中で、その思いはどんどん強くなっていったんだ。家族や友人、自分自身が長く愛することのできる洋服を作り、手の届きやすい価格帯で多くの人に着てもらいたいという強い願望がブランド立ち上げの理由で、その思いは今も一切変わっていないよ。

WWD:デザインのインスピレーションはどのように生まれる?

マテュッシ:家族や友人から、従業員、街中の知らない人まで、とにかく僕の周りにいる人たち全員さ。パリの美しい街を自転車で走っていると、自然とアイデアが浮かんでくることもある。生活に根ざした日常着ってことを大切にしているから、僕にとっては日常の全てがインスピレーションなんだ。

WWD:ハートのロゴ“アミ ドゥ クール(Ami de Coeur)”の誕生はブランドにとって転機になった?

マテュッシ:このロゴは、幼少期から使っている僕のサインのようなものなんだよね。シグネチャーができたことで多くの人に認知されるようになったし、「アミ」のコミュニティーはつながりをより強くしたと思う。特に若い世代にブランドを知ってもらうきっかけになった。フランスの学校では若い学生たちが、スポーツブランドのロゴと同じくらい“アミ ドゥ クール”をステータスとして着用していると知って、とても光栄だよ。僕の名前のイニシャルでありアルファベットの始まりであるAと、万国共通のハート形というシンプルで明快なデザインが広い世代に愛される理由じゃないかな。

WWD:ウィメンズをスタートしてからドレスの要素が強まったが、周囲の反響は?

マテュッシ:ウィメンズを始める前から、顧客の40%程度は女性だったんだ。既存の女性顧客は男性的なスタイルを好む傾向にあるけれど、彼女らにもフェミニンなピースを提案できるようになったし、もともとドレスを好む新規顧客にもリーチできている。セレブリティーがレッドカーペットで着用する機会も増えたから、反響はとても大きいよ。

WWD:いつもパリへの愛情をとても感じるショー演出が印象的だ。ショーで発表することの意味とは?

マテュッシ:ショーは物語を伝える目的と、オーディエンスをブランドのコミュニティーに迎え入れるような意味がある。現場であれスクリーン越しであれ、何が起こるか分からないドキドキ感と、たくさんのスタッフとの共作でみなぎるエネルギーを、多くの人と共有できる場がショーなんだよ。劇場に観客を招待するような気持ちで、いつも演出についてアイデアを練っているんだ。

WWD:この先どういったコレクションを作っていきたい?

マテュッシ:あらゆるライフスタイルを持つ人々に、完璧な日常着を提供すること。僕が言う“完璧”って、シンプルなデザインでカラーとシェイプが美しく、時間が経って色あせないタイムレスさを意味するんだ。長年着用できるように、品質にも妥協はしない。17歳の学生にはセーター、銀行員のサラリーマンにはスーツ、50代の主婦には美しいコートといったように、「アミ」のお店に行けば誰でも日常生活で着たい服が見つかると思ってもらえるようなコレクションを作り続けたいね。

WWD:ブランドの今後は?

マテュッシ:ブランドがどんなに大きくなっても、全ての人を包括するフレンドリーなブランドでありたい。一人で自宅のアパートで始めた時と変わらない価値観をこの先も貫くだけさ。顧客だけでなく、従業員にも敬意を払って家族のように大切にしたい。そういった雰囲気は、ブランドや店舗にも反映されるものだから。今年は各国での旗艦店オープンも控えているし、店舗作りにも力を入れていくつもりさ。親密さを感じてもらえる場にするから、楽しみにしていてよ。

“創立当初から大切にしてきた
価値観が消費者と共鳴した”

WWD:現在のビジネスの状況をどう分析する?

ニコラス・サンティ・ウェイル(以下、ウェイル):年間売上高は2019年が3000万ユーロ(約43億円)、20年が6000万ユーロ(約86億円)、21年が1億3000万ユーロ(約187億円)と、急速な成長を数字が示している。コロナ禍で消費者は生活を見直して、人生において価値ある本質的なことに焦点を当てた。多くの人にとってそれは、家族や友人という人間関係や、日常の非常にシンプルな事柄であると気付く機会になったのだろう。これらは「アミ」が創立当初から大切にしている価値観であり、コロナ禍で消費者と共鳴した結果、売り上げにもつながったのだと考えている。

WWD:コロナ禍にどのような戦略を立てた?

ウェイル:マーケティングではなく、コミュニケーションと広告に予算を割いた。サプライヤーには発注を中止せず、共に経済危機を乗り越えられるよう鼓舞していた。従業員の精神面の健康も大切なので、予算をかけて彼らのメンタルヘルスケアも行った。人々はポジティブなコミュニティーに属しているという安心感を得ることで、困難な状況でも前向きに取り組めるもの。それはブランドの価値として、消費者にも伝わると信じていた。

WWD:日本での売り上げが好調な要因は?

ウェイル:ローカルの人々をターゲットにしたのが要因の一つ。アジア人旅行者が多かった表参道の旗艦店を閉店し、ギンザシックスと阪急うめだ本店、ジェイアール名古屋タカシマヤに出店したことが奏功している。日本だけでなく、全世界でバランス良く成長を続けている。

WWD:2年前のインタビューでは、ブランドを家に例えて「まだ屋根や2階もない状態」と語っていた。今その家はどんな状態?

ウェイル:ずいぶんと増築することができた。屋根も2階も完成しただけでなく、多くのゲストと食卓を囲めるダイニングルームに、野菜や果物が育つ広い庭、パーティールームも備えている。見た目だけでなく、家の土台も強化された。今後も増築していくが、ビルに建て替えず、あくまで“家”という形態を維持し続けたい。「アミ」はコミュニティーを家族だと捉えるフレンドリーなブランドだから。

WWD:セコイア・キャピタル・チャイナの投資を受けるメリットは?

ウェイル:利益よりもビジョンと人物像を重要視する珍しい投資会社で、ブランドの野心を尊重してくれる。特にクリエイションには一切関与していないので、アレクサンドルは大胆なリスクを負えるようになった。その一例が、ウィメンズでドレスラインを強化したことだ。セレブリティーの着用によりメディア露出が増え、既存客と新規の女性顧客からの需要も高まり、全体の売り上げに大きく貢献している。

WWD:今後のビジネスの具体的な施策は?

ウェイル:世界市場での存在感をさらに高めていくために、コミュニケーションには引き続き投資していく予定だ。オンラインと直営店を強化し、ブランドの世界観をデジタルとリアルの両方で体験してもらえるようにしたい。各都市でポップアップやショー、旗艦店内でイベントを開催し、消費者にサプライズを与えてハッピーなムードを共有したい。これからどんな施策をやっても、アレクサンドルも僕も、価格帯を上げないことを大前提にしている。新たなラグジュアリーブランドとして、クオリティーやマーケティングポジションを重要視し、現在はラグジュアリーゾーンでブランド展開を広げている。今は全世界で26店舗を構え、アジアでは日本、中国、韓国で17店舗。今後もアジア並びに世界で店舗数拡大を予定している。

WWD:アレクサンドルに期待することは?

ウェイル:これまで通り、オープンマインドで野心的にクリエイションに取り組んでほしい。前よりもリスクを負えるようになった分、密にコミュニケーションを取って信頼関係を絶え間なく築き上げていく互いの努力が必要だ。「アミ」はまだ11歳の子供。まだまだ投資して、成長を促していきたい。

「アミ パリス」に
欠かせない4つのこと

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香り好き女子の心をつかむ「フェルナンダ」 CEOに聞く支持される理由

 バラエティーショップやドラッグストアを主要販路とするフレグランスブランド「フェルナンダ(FERNANDA)」が、30代以上の“大人世代”まで支持を広げている。6月に新作“モモコレクション”からボディーミストやオードパルファム、ハンドクリームなど全13アイテム(税込990〜7700円)を発売。同コレクションは廃棄予定の桃から抽出したエキスを原料に使い、ブランドとして初めて食品ロス削減への取り組みを発信している。フェルナンダジャパンの流合貴之CEOに背景を聞いた。

WWD:バラエティーショプやドラッグストアの売れ筋ランキングでは上位常連と支持を集めている。人気を支えるものは何か。

流合貴之CEO(以下、流合):2010年のブランド立ち上げから、企画・デザインをカリフォルニア在住の山崎が担当し、製造は日本で行ってきた。香りのクオリティーの高さには自負がある。加えて、販路を卸、直営店、ECで展開しているが、チャネルの成長がうまくはまったこともある。実はフレグランスブランドで卸と直営店のチャネルを持っているブランドはあまりない。プラザやロフトなど卸のターゲットは10〜20代、アトレなどに出店する直営店は20〜40代までが来店する。19年以降、直営店を拡大してきた中で、若いときに顧客だった人が直営店に戻る現象があった。慣れ親しんだコスメを長くリピートするストーリーを作れたことが奏功したと考えている。今後も積極的に直営店を拡大していく予定だ。

WWD:6月に発売した“モモコレクション”は、山梨県にある桃農園のモリタファームとの共同開発によるもので、食品ロス削減の取り組みを発信している。サステナビリティの打ち出しはブランドとして今までになかったがその背景は?

流合:昨年発売した“フルーツシリーズ・モモコレクション”が大変人気で再販を希望する声を多くいただき、原料を探す中でモリタファームとの出合いがあった。桃の収穫では、完熟しすぎて輸送に耐えられないものや傷により廃棄せざるを得ないものが発生する。モリタファームには昨年廃棄予定だった桃を保管してもらい、その桃から抽出したエキスを共同開発した。当社は2年ほど前からサステナビリティの取り組みに着手し、香料や容器、ショッパーなど包装材も約9割をバイオマスPETなどの環境配慮素材に切り替えた。そのほかにも花市場で売れ残ったものを香料メーカーが引き取り原料にしたものを使うなど、環境に配慮した製品開発を行なってきた。これまでそのことを大々的に発信することはなかったが、食品ロス削減から生まれた今回の“モモコレクション”は、初めて原料開発から自社で行い、メッセージとしても伝わりやすいと考え“サステナブルフレグランス”として発売した。

WWD:2010年のブランド立ち上げ時からサステナビリティのフィロソフィーはあったか。

流合: 当初はなかった。19年に直営店をオープンしてお客さまと直接コミュニケーションをとるようになり、サステナビリティのニーズを感じるようになった。10代や20代のお客さまが歳を重ね、求めるものが増えている。さらに、コロナ禍で社会情勢や生活様式が変わり環境配慮やウエルネスへの意識が高まった。そうしたニーズに対応した製品開発が必要になっている。ここ数年、香料を可能な限り天然由来原料への切り替えに取り組んできたが、香調が変わってしまうなど難しさがあった。ロングセラーでありヒーロー製品の“マリアリゲル”の香りも、リピーターの期待に応え香りのバランスを崩さないよう再現するのに苦心した。そうした製品開発の裏側、サステナビリティの取り組みの伝え方がこれまで難しかった。今回の“モモコレクション”は、いいきっかけになった。

WWD:これからのサステナビリティの取り組みとしてどんなものが考えられるか。

流合:香料メーカーと共同で大島桜を使った原料開発に取り組んでいる。大島では大島桜を未来に残すための植樹活動が行われている。そこで発生する間引きした桜の花びらを香料に使うことで、地域や地方創生に貢献する。こうした取り組みを今後広げていきたい。食品ロスの問題は農業や食品業界の問題と捉えられがちだが、社会課題の解決には枠を超えた取り組みが必要だ。われわれだけでは解決しないので、同業他社でも同様の取り組みするところが増えるといい。廃棄される食品や花には非常に可能性がある。

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ファッションで繋がったキセキ GReeeeN HIDEと芸能事務所の社長が語る「EverWonderな未来」とは?

 ファッションやビューティ業界同様、芸能・エンタメ界もSNSでの誹謗中傷やプライバシーの侵害、新型コロナウイルスの影響による表現活動の制限に悩んでいる。このような状況下で芸能プロダクションTopCoatの渡邊万由美代表は、アーティストやクリエイターが精神的に傷かないよう、芸能・エンタメ界の第一線で彼らを守り続けている。

 一方ボーカルグループGReeeeNのHIDEは、ミュージシャンとして時代の変化を捉えながら人々に共感される曲を生み出し続けている。生きづらい時代の中で、芸能・エンタメ界も抱える問題はどうしたら解決できるのか?2人に聞いた。

――今のエンターテインメント業界をどう見る?

渡邊万由美TopCoat代表(以下、渡邊):1995年に芸能プロダクションを設立し、気がつけば4半世紀以上、私はエンターテインメント業界の中で生きてきました。6年前、ちょうど会社が設立20周年を迎えた頃から世の中の急速な変化を感じるようになると同時に、「時代に取り残されないように」という強い思いが芽生えました。AIやブロックチェーンなどのテクノロジーがもたらす新たな可能性は、無視できません。自分自身はアナログ人間ですが、AIによる自動検知やNFTのような仕組みを使えば、著作権などのアーティストの権利は厚く保護できるかもしれないし、最近注目のDAO(Decentralized Autonomous Organizationの頭文字を取ったもの。自律分散型組織を指す)のような仕組みによって、会社や国籍の垣根は取り払われ、共感して集まった人たちが新たなプロジェクトを立ち上げる世の中になると聞きます。

GReeeeN HIDE(以下、HIDE):今でこそ、AIやブロックチェーンという言葉はよく耳にしますが、6年も前から考えていたんですね。それが、2017年に始まったみらい塾(渡邊代表が理事長を務める一般財団法人渡辺記念育成財団が運営する、未来のクリエイティブプロデューサーを育成するプログラム)の立ち上げに繋がったのですか?

渡邊:そうなんです。わからないこと、知りたいことは「芸能のみらいを考える研究会」と称した財団の研究事業として、毎回ゲストを囲んで、財団関係者の皆さんと共に知見を深めています。これからはエンタメ界も新しいテクノロジーで面白くなるだろうと興味は湧くものの自分には敷居が高いので(笑)、デジタルネイティブな世代やそれらを使って世界を席巻していく若くてクリエイティブな感性と才能の持ち主を見つけ、一緒に何か新しいものを創れたら最高だな!と思っています。それが奨励・育成事業「みらい塾」のきっかけです。

HIDE:育てようというよりは、仲間を集めようという思いで始まったのが「みらい塾」なんですね。仲間を増やしながら新しい価値観に向き合う点に共感します。大人になると、どうしても多くの人は自分の地盤が固まって、なんとなくその中で日々を過ごしてしまいがち。時代の変化の潮目を感じ取って、新しい場所を創っていく&飛び出していくことは、今の世の中に足りていないかもしれません。

――SNSの普及や新型コロナウイルスの感染拡大で変化したことは?

HIDE:音楽を作る人間として、世の中の流れをできるだけ感じ取れればと思っています。少しでも多くの人に共感してもらうため、誰もが共通して心を動かされるテーマを、時代の流れの中で表現したいです。どんなに辛いことがあっても、人はみんな幸せになるために生きているんだという想いを歌にのせたいという気持ちはずっと変わりませんね。

渡邊:HIDEさんの志は一貫していますよね。一方、人に楽しんでもらいたい、純粋に創作したいだけのアーティストやクリエイターたちがネットニュースやSNSで精神的に傷つけられ、中には志半ばで自分の人生を大きく軌道修正せざるを得ない人も生まれています。私たち芸能プロダクションは、いつのまにかマスコミの対応やアーティストの見え方を管理することを重要視するようになりました。でもSNSでの誹謗中傷やマスコミからアーティストを守ることだけ考えていても、次から次へとモグラ叩きの様に起こる誹謗中傷や炎上はきっと消えない。だったら自分がやるべきことは、素晴らしいアーティストを見つけてエンタメ界での活躍に導くと同時に、今を生きる多くの人が健全で自分らしく幸せになれることを考えることだと思うようになりました。健全で幸せな人が増えたら、SNSでの誹謗中傷や他人の足を引っ張り合うことは減るはず。そんな社会を創っていきたいと思ったのです。

――人間として健全で幸せな状態とは?

渡邊:どうしたらよいかモヤモヤした気持ちを抱えていたとき、GReeeeNのライブを観に行ったら、答えはそこにありました。GReeeeNの楽曲や映像などの演出全てに込められたメッセージには、国籍も性別も時代も全然境界線が無いんですね。そこにはアーティストとオーディエンスの境界線さえなく一体化していて、私はその輪に包まれながら「色んな事があるけれど、貴女は貴女が思うままにそのまま進んでいいんだよ」とそっと背中を押された感覚になりました。あの時、私は明日を前向きに生きる元気を実感したんです。心に、灯をともし、自分らしい日々を送るのが、一つの健全で幸せな状態ですよね。

HIDE:それがまさに、今私たちが考えているEverWonder(一般財団法人渡辺記念育成財団がクリエイティブディレクターにGReeeeNのHIDEを迎えて構想中のプロジェクト)ですね。ライブが終わって万由美さんからそのような話を聞き、自分も本当に共感しました。自分の場合は、学生のときに出合った音楽が、その後の人生の熱量に影響を与えました。当時の僕は、ポップスももちろん大好きだったんですけど、ハードコアやパンクに特に惹かれていました。モヒカンの店員さんがいて、張り紙に「ガム食って入るな」なんて書いてあるようなハードめなCD屋さんで初めてCDを買い、そこから店員さんに紹介してもらっては聞くを繰り返しました。ギターも練習したし、ハードコアやパンクが持つ「このままじゃダメだよね」といったメッセージに共感していました。そんな心に火をつけた経験が、今の活動に繋がっているのだと思います。

――心に火をつけるために必要なことは?

HIDE:自分の場合、今の活動に繋がる熱量を産んでくれた凄まじいもの、音楽に出合ったのが10代だったので、彼らに向けて何かを提供したいと思っています。特に14歳という年齢は、何か心に火をつけるタイミングとして重要かもしれない。生まれた時からスマホで世界中にアクセスできる今の10代には無限の選択肢があり、熱中できることに巡り合いやすいようにも思えます。でも選択肢がありすぎるからこそ、自分の可能性に見切りをつけてしまう時期が早い気がします。もちろん情報に出合えないことも不幸で、その差は都会と地方では顕著です。地方の歯医者さんで働いてみると、地方の子どもの方が、虫歯が多いんです。ここにも環境とリテラシーの因果関係があるのかもしれません。10代が親や周りから受ける影響はとても大きく、地方ではコンビニにある求人誌で将来を決めてしまうという話もよく聞きます。まだ自分らしさに出合えていないから鬱憤が募り、SNSなどで晴らしているのかもしれません。環境や情報の不足によって、自分の可能性に見切りをつけてしまうのはとてももったいないと思います。

渡邊:たしかにそうですね。10代、特に14歳に向けて何かを提供していくことは、心に火を灯して前向きに生きられる人を増やす上で、とても重要かもしれません。この前、突出した才能を持つ14歳に集まっていただき、今の世の中に対してどう思っているのか、意見を聞く会を開いたのですが、彼らのエネルギーにとても刺激を受けました。と同時に、突出した人たちに向けられる同調圧力や批判などから彼らを守りつつ、可能性をさらに広げられる環境の重要性にも気づきました。HIDEさんにもEverWonderクリエイティブプロデューサーに就任していただき、感謝しています。

HIDE:こちらこそです。僕が考えるEverWonderは、エンターテインメントを通じて、一人でも多くの人の心に火を灯し、何かに熱中できるきっかけを届けることかもしれません。その一つとして、10代の可能性に注目して、彼らに対して何かを提供していくことがEverWonderプロジェクトなのかなと思います。EverWonderには「これだ」というような正解はありませんが、プロジェクトを通して、そこで出会ったものが一生を変えられるような機会を提供できればと思っています。

渡邊:もちろん10代に限らず、多くの人の心に火を灯すきっかけを作れればと思います。人それぞれに事情があるので、必ずしも「好きなことだけをやっていこう」というのがEverWonderではないかもしれません。私自身も、もともと興味の薄かった芸能という世界で仕事をすることになり、没頭し続けた結果、振り返ってみれば自由にやりたいことをやれてきたように思います。だからこそ、どんな人であれ何かに没頭し、ある種の成功体験を得てもらえるようなきっかけになればと思います。

――最後に、お二人を近づけたファッションへの想いやエピソードを。

HIDE:僕は大学受験に失敗して、浪人をするため高知から上京したんです。当時は自分が何をしたいかよく分かっていなかったけれど、ファッションが好きだったので、原宿にある医歯薬学部専門の予備校に通いました。原宿で色々な洋服屋さんを巡り、予備校に通いながら販売員をすることになりました。最終的には受験を目前に控えた12月、自分で服を作りたいと思い、文化服装学院への進学を考えました。父親に相談すると、「お前が決めたなら、それでいい」との返答をもらいましたが、後日母親から「父親の元気がない」と連絡がありました。歯学部に進学させるために東京の予備校に通わせていた父親からすれば、ショックが大きかったんです。そのとき、たまたま母親の歯が悪いと知り、受験までの残りの2カ月は死に物狂いで勉強をして、もし歯学部にも落ちてしまったら文化服装学院に進学させてほしいとお願いしました。1日23時間くらい受験勉強をしたら、歯学部に合格しました。今でも、当時仲良くしていた先輩や友人が原宿の洋服屋さんで働いており、よく買い物に行っています。

渡邊:HIDEさんにレアなヴィンテージデニムがズラリと並ぶお店を紹介してもらったことがありました。HIDEさんは、いつ会ってもめちゃくちゃオシャレです!

HIDE:僕も、万由美さんが何着てくるのか毎回楽しみです。

渡邊:私は小さい頃、母親のクローゼットの中で香水が香る洋服に囲まれて、眺めながら、仕事が忙しく不在がちだった母親への寂しさを紛らしていました。「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」のオートクチュールのドレスやスーツの優雅さや格好良さにウットリした記憶があります。その後、芸能の仕事をするようになってからは、「洋服好きで、よかったな」と感じることが多々ありました。木村佳乃のデビューと同時にスタートした芸能の仕事は分からないことだらけで、未熟な自分には悩みが押し寄せる日々でしたが、洋服が支えてくれました。休みの日には南青山の「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」によく行ってパワーチャージしていました。特に着こなしが難しそうな「ジュンヤ ワタナベ(JUNYA WATANABE)」の服は、試着室にこもって延々と試しました。そして着こなしに成功した服を、御守りの感覚で仕事現場に着て行ってました。ジュンヤさんの既成概念に囚われない自由な発想の服は、理屈抜きで迷い多き当時の自分を肯定してくれていたんだと思うんです。一番印象が強いのは、たまたま銀座のセレクトショップで、欲しかった「アライア(ALAIA)」の黒いカーディガンを試着していると、とても強いオーラを放った素敵な女性に「あなた、それとても似合う」と声をかけられたことです。すぐに川久保玲さんだとわかりました。あまりのサプライズに興奮しながら、そのカーディガンを握りしめてレジに向かいました。その時に改めて気がついたんです。これからも、自分が好きな服を着よう。周りの目を気にするのではなく、自分が自分らしくいられるかを気にしよう。EverWonderを通じて次世代の優れたデザイナーさん達と出会い、その人たちが創る服を着て新たなワクワクをもらえたら、これ以上の幸せはないな!と思っています。


 一般財団法人渡辺記念育成財団は、クリエイティブディレクターにGReeeeNのHIDEを迎えて、人々の心に火を灯す機会を提供することを目的にEverWonderプロジェクトを発足しました。現在は構想段階であり、具体的なプロジェクトの中身は対談中に登場した「みらい塾」の第5期奨励生が企画進行していきます。「WWDJAPAN.com」では、今後みらい塾生が進めていくEverWonderプロジェクトの様子もお届けしていきます。

ライタープロフィール
岩上開人
みらい塾3期奨励生/一般財団法人渡辺記念育成財団 EverWonder 事務局

1996年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。大学在学中に起業。ウェブやブロックチェーンなど、ITを活用したエンターテインメント・コンテンツを生み出すことに注力し、これまでにアイドルユニットやバーチャルタレントの立ち上げなどを経験。一般財団法人渡辺記念育成財団 みらい塾3期奨励生としてプロデューサーに必要な思考やスキルを学んだ

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ZAZYの人生を変えたピンクのファッション 生活費1カ月分を捧げた衣装はあのブランド

ZAZY(ザズィー)とは

ZAZY(ザズィー)は吉本興業所属のピン芸人。1988年生まれ、大阪府出身。吉本興業のタレント養成所NSC大阪校に33期生として入学し、2011年にデビュー。17年に拠点を東京に移し「紙芝居で世界を変える」をモットーにフリップ芸を披露するプロジェクト「ZAZYどこへでも」を開始。ワークショップや個展も開催する。その後、ピン芸人日本一を決める「R-1グランプリ」の決勝戦に21年、22年と2年連続で進出し、注目を集める。芸名の由来は「ずっと、あなたと、ずっと、吉本。」の略

 リズミカルなフリップ芸でブレイク中のお笑い芸人・ZAZYは、鮮やかなピンクの衣装で舞台に立つ。ピンクの衣装以外にもスパンコールのホットパンツや10cm以上のハイヒールなど、身につけているアイテムはどれもインパクトが強く、観客にネタを披露する前に“ZAZYに見慣れる時間”を設けるほどだ。ZAZYのトレードマークである衣装には、どのようなこだわりがあるのだろうか。彼が考える“ピンクのパワー”についても聞いた。

きっかけはアヴリル・ラヴィーン

WWD:ピンクの衣装はいつから着ている?

ZAZY:1年目から着ています。それまでは普通のスーツとか、パンツにしてもデニムや無地を着ていました。ピンクを着始めたきっかけは、たまたま歌手のアヴリル・ラヴィーン(Avril Lavigne)のミュージックビデオを見たことですね。ピンクの服を着て、ポップなエネルギーをさく裂させている彼女を見て、すげえなと。自分にもこんなポップな魅力が必要だと思って、ピンクを身につけ始めて、髪型もアヴリルに寄せて金髪のロングヘアにしました。

WWD:ルックスを派手にすることで、ネタが引き立たなくなる心配はなかった?

ZAZY:全然なかったですね。むしろ自分ではバランスが良くなったと感じています。当時から今のようなネタをやっていたので、それまでは“変なネタをやる地味な人”のように見られていたんです。衣装をピンクにしてからは、ネタの奇抜さに見た目が追いついたかなと。

WWD:生足にハイヒールというスタイルもアヴリルの影響?

ZAZY:いえ、それはZAZYですね。最初は短パンに革靴で、どんどん丈が短くなり、スパンコールになり、ブーツを履くようになり、ヒールが高くなり……という感じで今にいたります。最近は羽を着けていて、特にピンクの羽を取り入れたのはここ2〜3カ月です。これからも変わり続けます。派手になるか地味になるかは分からないけど。

WWD:今、衣装に使っているのは何アイテムくらいある?

ZAZY:20弱くらいです。羽が3つとジャケット4着、ホットパンツが何着かで、ブーツも4〜5足くらいですかね。

WWD:どのように使い分けている?

ZAZY:気分と、その日のお客さんの“ZAZYに見慣れてる度合い”ですかね。ZAZYのことを知らない方が多い場合は、何の装飾もないシンプルなZAZYでいきます。劇場だとZAZYに見慣れている人が多いので、チューブトップを着てみるなど、いつもより目を引く格好をしています。テレビ番組も同じで、2回目に出演する際は変化をつけるために、遊びでツインテールにしてみることもあります。

WWD:衣装はどこで購入する?

ZAZY:よく着ているこのジャケットとシャツは、まだ衣装をどこで買っていいか分からない時に、たまたま入った「ポール・スミス(PAUL SMITH)」で見つけました。当時の1カ月分の生活費が飛びましたけど、頑張って買いましたね。そのほかは、ほとんどネットです。海外の通販サイトで“ナイトクラブ”で検索すると、派手なものが出るんです。多分、ポールダンサーが着ているようなものですね。スパンコールのホットパンツが楽天市場で1500円くらい、最近一番履いているブーツも海外通販で1万5000円くらい、羽も2〜3万円くらいです。今年のハロウィンはみんなにZAZYをやってほしいですね。女の子がこの格好をしたらめっちゃかわいいはずですよ。

「不便。だからこそ誰もやっていない」

WWD:ピンクの衣装をまとうことで気持ちの変化はある?

ZAZY:絶対、明るくなってますね。昔は本当に“ザ・陰キャ”って感じで口数も少なかったんです。それがピンクの衣装を着るようになってから、人前でもよく喋るようになった。みなさんも髪型やメイクを変えたら気分が変わるじゃないですか。不思議なもので、私服も派手になってきたんですよ。ZAZYになる前は私服も白Tに黒のスラックスだったんですけど、ピンクの衣装にしてからは柄物のシャツも自然と着るようになったんです。ZAZYが私生活にもどんどん侵食してきましたね。

WWD:ヒールが高くて歩きづらかったり、羽が大きくて持ち運びが大変だったり不便な面もあるのでは?

ZAZY:不便ですね。寒い冬に生脚を出すのもしんどい。でも、便利だったらきっとみんなやってますから。不便だからこそ誰もやっていないし、個性を出せるんでしょうね。

WWD:ZAZYさんの中にピンクへの特別な思いは芽生えた?

ZAZY:ピンクは自分のカラーみたいな意識はあるし、ピンク界を盛り上げていきたいですね。この間、ペーパー(林家ぺー&パー子)師匠に会う機会があって、「ピンク、着させていただいています」って挨拶をしたら「よろしくね」って言われました。お二人は、もうピンク側の人やったんやな、と。

WWD:最後に、ピンクにはどんなパワーがある?

ZAZY:人を惹きつける強いパワーがありますよ。花屋でもピンクの花が一番に目に入ってくるし、かわいくて奇抜で、特殊な色ですよね。あとは、ちょっと明るくなれる。内面から変わるのは難しいけど、ピンクを着るだけで自然とキャラ変できるんです。普段黒ばかり着ている人がピンクを着たら、自分の気分や周りの接し方がちょっと変わるはずですよ。

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吉原直樹会長が語る アルテサロンHD非上場化の背景とこれからの美容師の在り方

 アルテ サロン ホールディングスは、「アッシュ(ASH)」130店舗を含めグループ全体で300店舗超のトレンドを加味したヘアサロンを展開する一方で、メンテナンスに特化した「チョキペタ(CHOKI PETA)」を展開し、休眠美容師の復帰する場所を作り働く環境を整えるなど、ヘアサロン業界をアップデートすべく挑戦を続けてきた。2004年にジャスダックに上場し、ヘアサロン業界の中でも数少ない上場企業として、同社の動向は常に注目を集めてきたが、今年6月、MBOによる非上場化に踏み切った。業務委託や、フリーランスといった美容師の働き方が多様化し、コロナ禍で改めて“美容室の価値”が問われる中で、非上場化に踏み切った背景や思いをキーマンである吉原直樹アルテ サロン ホールディングス会長に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):コロナ禍から業績が持ち直し、2021年12月期は過去最高益となりました。その中でのアルテ サロン ホールディングスの非上場化には驚きました。

吉原直樹アルテ サロン ホールディングス会長(以下、吉原):無理やり非上場化に踏み切ったわけではなく、ファンドを介さず自己資本によるMBOという形をとりました。この決断に対して、株主の方からのクレームはなく、「18年間楽しませてくれてありがとう」と言ってくれた方も。駄菓子屋の2階にある小さな美容室から、次第に店舗を増やし、2004年に上場しましたが、これからが新たな挑戦です。でも正直に言えば、“振り出しに戻した”というところでしょうか。ヘアサロン業界でもさまざまな働き方が広がる中で、プロフェッショナルが、プロフェッショナルな給料を得ることができないと生き残れません。上場していると投資をしていただいている方にお返しをしなければいけませんし、そのために会社が利益を出さなければならないとなってしまうと、還元されるべき利益の行き場が違うのではないかと。お客さまのために働いて、自分たちが豊かになっていける現場づくりを。今一度、働きがいのある、自分の価値を高める働き方をしようという提言をして、実行していくためにも、非上場という道を選んだのです。

WWD:社会的に働き方改革がさけばれる中で、ヘアサロン業界でも低賃金や長時間労働などが議題に上がることも増えました。2000年代からコロナ禍を経て、ヘアサロン業界はどのような変遷を辿ってきたのでしょうか。

吉原:日本は1945年に終戦を迎え、あらゆる産業が労働集約型の仕事として広がっていきました。特に美容師のような技術が重んじられる手仕事は、まさに労働集約型と言えます。それゆえに美容師は弟子入り型・徒弟制で、戦後美容学校がきちんと整備されるまでは師匠(オーナー)のもとで技術を磨くのが当たり前でした。日本は高度経済成長を経て、1989年にバブル経済が絶頂期を迎え、その後崩壊。08年にはリーマンショックが起こりました。こういった景気の波によって、人々の働き方も変化していますよね。次第にあらゆる産業において企業が従業員を雇用し、労働条件や福利厚生を整えるフェーズに入ります。2000年代に入ってからは、それが当たり前となり、雇用主の責任が問われるようになりました。

WWD:そのような社会の変化にヘアサロンは対応できているでしょうか。

吉原:長らくデフレが続き、“失われた時代”ともいわれる中で、美容料金はいっこうに上がりません。ゆえに美容師の賃金もなかなか上がっていないのが現状です。ここ数年、世間では働き方改革が叫ばれ、従業員型ではなく、フリーランスや業務委託という新しい働き方が広がっています。企業に雇用されることへの価値が問われていると思っています。

WWD:業務委託型サロンや、フリーランス美容師が急速に増えています。従業員として働くことと、フリーランス美容師として働くことの大きな違いはどういったところでしょうか。

吉原:やはり、厚生年金や健康保険といった保証面は大きく違います。今の自由と条件をとるのか、先を見据えて安定を選ぶかだと思います。ただ美容業界での一番の問題点は、トレーニングすることが減ることだと考えています。フリーランスでは、社員として働いている時に比べて半分以下になるのではないでしょうか。サロンに所属しているとお互いの弱点や、スキルの進捗度が分かります。トレーニングを続ければ力のある美容師になれましたが、学ぶ機会が失われ、コロナ禍では特に動画で学習するという流れがあります。これは今まで、弟子入り型や従業員型でトレーニングを積み重ねてきたものが、自主練習になるというようなもの。当グループでも取り入れてはいますが、動画での技術修得度は30%程度ではないでしょうか。個人の努力によって補える部分もあるでしょうが、決して100%にはなりません。そこを補えるのがリアルであり、われわれの強さはそこだと考えています。

美容師=プロフェッショナル
プロが稼げる世界をつくる

WWD:フリーランスという働き方や動画による技術教育では、美容師としての技術力が落ちてしまうということでしょうか。

吉原:これまで日本の理美容師は、世界1の技術と言われてきました。各国から日本に技術を学びに来る美容師がいましたが、今では動画でどこにいても学ぶことができます。また、カット料金の上がっていない日本にはあまり目が向けられません。あらゆる面で評価が落ちつつある中で、技術までも落ちてしまうと、さらに拍車をかけてしまうのではないでしょうか。新しい働き方が出てくるのは、時代の流れでもあるので否定はしません。けれども、このままで本当にいいのでしょうか。日本の美容師の技術力が落ちていくのを目の当たりにすることになってしまうのではないでしょうか。社会や働き方の変化を経て、当社でも社会保険や福利厚生を整えています。その上でやはり、プロフェッショナルが稼げる世界にしていきたいんです。そのためには高付加価値を提供しなければなりません。これまでの顧客単価の倍ぐらいにしていくつもりです。

WWD:そのためにどのような取り組みをしていきますか。

吉原:スタイリストになれば年収600万〜、店長であれば1000万円が目指せるように、育成を効率化する必要があります。現状200人を採用するうち、技術者になるのは半分もいません。そのコストを会社は負担しているわけで、それであれば100人を採用して70人を育てるというように打率を上げていく必要があります。今までかかっていた育成コストを美容師の給料に当てられるように転換していきます。われわれは幸いにも首都圏でのみ展開しているので、教育に関しては手が届きます。ロイヤルカスタマーに向けた技術を身につけ、そういうサロンであり続ける努力をしていかなければなりません。それによって、高賃金を支払うことができ、離職率も減るでしょう。離職率1桁台が理想で、30代以降の退職者はほぼ出ずに、働き続けてもらえたら理想ですね。

付加価値を提供するのがプロの仕事

WWD:ロイヤルカスタマーに向けた技術力とは。

吉原:僕は今メンズサロンに注目しています。ファッション性を求める若年層はダブルカラーやブリーチ、パーマといった新しい技術を求め、バーバーには高単価であっても一流企業の経営者層が癒しとサービスを求めて通い詰めています。カット料金が3000〜4000円であっても付加価値を提供することで男性の顧客単価が7000〜8000円になり、レディースで1万2000円が目指せると平均顧客単価は1万円まで上がります。そういうサロンを目指すには、やはりプロフェッショナルが必要です。これまでの美容師は技術=テクニックでしたが、これからは薬剤の知識や実践経験がますます必要です。進化する薬剤によって誰が使ってもミスなく施術ができましたが、それでは付加価値は上がりません。テクニックや薬剤によって他者との差を産まなければ付加価値は上がらないのです。それには、教育が必要です。今流行っていて、一般的な認知が高まっている、「髪質改善」や「酸性パーマ」は知識と経験値が必要なメニューです。これを追い風にしないといけません。

WWD:そのためにも組織の中で腕を磨くということを改めて考える必要があるのかもしれません。

吉原:プロフェッショナルな仕事ができなければ、お客さまの固定化には繋がりません。

 美容師は職人であり、最初に選んだ道によって大きく将来が変わります。一度、低価格がウリの業態や、フリーランスになると、戻りたくても元々いた場所にはなかなか戻れないのが職人の世界です。でも、実はこの慣例を破ってきたのが僕。駄菓子屋の2階の小さな美容室から、30年かけて積み重ねてここまできました。そんな僕が若いスタッフに伝えたいのは、「この業界では易きに流れてはならない」ということ。そのためにもお客さまのために働いて自分たちが豊かになっていける会社づくりをしていきます。

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外商ビジネスで好調の「ラ・プレリー」 フィケ新社長が語る成長戦略

 スイス発ラグジュアリースキンケアブランド「ラ・プレリー(LA PRAIRIE)」が富裕層向け百貨店の外商ビジネスで売り上げを伸ばし好調だ。4月には国内初の旗艦店「ラ・プレリー サロン」をギンザ シックス(GINZA SIX)にオープンし、発信を強めている。1月に就任したヨアン・フィケ(Johann Fiquet)=ラ・プレリージャパン社長に今後の成長戦略について聞いた。

WWD:20年以上化粧品業界に携わる中で、「ラ・プレリー」の独自性はどこにあるか?

ヨアン・フィケ=ラ・プレリージャパン社長(以下、フィケ):完璧なものを追求する、執着心とも言えるこだわりが非常に強いブランドで感銘を受けた。それが製品やサービス、コミュニケーションを通して最終的にお客さまのエクスペリエンスにつながっている。その価値を最大化させるのが私の使命だと考えている。

WWD:国内初となる旗艦店の狙いは?

フィケ:世界観や製品などブランドが持つ最高のものを見せるショーケースとしての場を日本市場で作ることが最大の狙いだ。日本市場は非常に特異な性質を持っている。と言うのも私は欧州やアジアの市場を長く経験してきたが、日本人は化粧品に対するこだわりが強く、ラグジュアリーなものへの購買意欲も高い。「ラ・プレリー」はそうした高い要求に応えられる自負があり、まだ成功の余地があると確信している。ブランドとしては日本市場に旗艦店がないことを注視していた。

WWD:2月には44年ぶりにブランドロゴを刷新、それに続くNFTアートの発表など新しい動きが活発だ。

フィケ:新しいロゴは創業時のロゴをベースに、今までのヘルベチカ書体をミックスしている。ブランドコンセプトの一つとして「時の流れに揺るがない美しさの追求」があるが、創業時から続く精神性やヘリテージを引き継ぎつつ、新しい世界へ一歩進もうというものだ。ラグジュアリースキンケアブランドといえば「ラ・プレリー」と言われるよう、価値や存在感を示していきたい。

WWD:ブランドを成長させるにあたり課題は?

フィケ:素晴らしいブランドであることは前提にあるが、まだまだニッチで認知度の低さが一番の課題だ。これまでは外商ビジネスを含め百貨店が主たる販路でeコマースに手を延ばしていなかった。そのことが今後大きくのしかかってくるだろう。オンライン上のコミュニケーションを改善する必要がある。「ラ・プレリー」だけでなく、ラグジュアリーブランドといわれるところは業界を問わずeコマースに対してちゅうちょがあった。リアル店舗の補足的な立ち位置としてオンラインを捉える傾向があったと言える。すでに時代が変わり、今最も注力すべき領域である。

WWD:具体的にデジタル施策はどのようなものが考えられるか?

フィケ:単純に現状はデジタルソサイエティー、デジタルワールドでの「ラ・プレリー」の情報量の少なさを改善したい。ブランドバリューに対して存在感が低いと認識している。ソーシャルメディアやウェブメディアをもっと活用し、ユーチューバーとやインフルエンサーとの取り組みも考えている。

WWD:新たな成長戦略で、ターゲットは変わるか?

フィケ:現在の顧客層は50代がボリュームを占めている。これらの既存のお客さまを大事にしつつ、ターゲットを広げていく。35歳〜40代が今後の大きなポテンシャルにつながると考えている。中国市場では既に、顧客の平均年齢が35歳になっている。日本でもそうしたシフトが可能だろう。

WWD:足元の商況はどうか。

フィケ:今年に入り2桁成長と非常に順調に進んでおり、年内にコロナ以前、2019年の水準まで回復するとみている。遅くとも年明けには可能ではないか。コロナ下、販売員を増やしたり、LINE公式アカウントを立ち上げデジタルコミュニケーションを積極的に行ったりして、既存の顧客に地道にアプローチしたことが今実を結んでいる。ただし、着任してまだ間もないので、これらは始まりにすぎないことを強調したい。

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「カルティエ」限定“トリニティ”の全貌 キャンペーンムービーに宇多田ヒカル登場

 「カルティエ(CARTIER)」は7月7日、「サカイ(SACAI)」の阿部千登勢デザイナーとの対話から生まれた限定コレクション“カルティエ トリニティ フォー チトセ アベ オブ サカイ(以下、トリニティ フォー チトセ アベ)”を発売する。その発売を祝い、同日には表参道にポップアップストアをオープン。さらに6日には歌手の宇多田ヒカルを起用したフォト&ムービーを特設サイトで公開した。

  限定コレクション“トリニティ フォー チトセ アベ”は、日本で世界先行発売。その後、パリやロンドン、ニューヨーク、ソウルなどの大都市で今後発売予定だ。

キャンペーンムービーに
宇多田ヒカルと児玉裕一

 「カルティエ」と阿部が監修した“トリニティ フォー チトセ アベ”のキャンペーンムービーには、日本を代表する世界的アーティストの宇多田ヒカルと映像ディレクターの児玉裕一が選ばれた。

 阿部のビジョンであり、今回のコレクションのテーマでもある“安心と裏切りのバランス“、クラシックで普遍的な“トリニティ”のDNA(=安心)は残しながらも、一度解体して新たなものに再構築した(=裏切り)絶秒なバランスは、キャンペーンムービーの中でも描かれている。空間に現れる3つの光のリングは、宇多田の身体に絡み合っていくように接近。彼女が光を迎え入れるように手を伸ばすと、新しく構築された“トリニティ”が実体化される。宇多田ヒカルによる「Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-」の楽曲と革新的なライティングの空間で、普遍的なデザインを持つ「カルティエ」のアイコン、“トリニティ”が進化する演出を楽しみたい。

 キャンペーンムービーは、表参道のポップアップで展開するほか、限定コレクションのスペシャルサイトでも見ることができる。宇多田ヒカルの特別インタビューのほか、「カルティエ」の公式LINEアカウントのお友達限定でメイキングムービーも公開中だ。

表参道交差点のポップアップを
手がけたのは建築家の藤本壮介

 表参道にオープンするポップアップは、限定コレクション“トリニティ フォー チトセ アベ”のすべてを取り揃える。建築家の藤本壮介氏による空間も、阿部のビジョンであるクラシカルなものを解体して再構築する発想に基づき、“安心と裏切り”や“相反する価値観”を体現。東京の中で最も忙しい交差点の1つに森を設け、自然と人工、内部と外部、都市と森、現実と夢、自分と他者、伝統と未来などが溶け合う空間を創出した。“トリニティ フォー チトセ アベ”の本質を全身で感じることができる。

 ショップのオープンに際しては、仮囲いの壁面に「カルティエ」を象徴する赤いマグネット3000枚を敷き詰めた。通行人が“トリニティ フォー チトセ アベ”の全容を知ることができるQRコード付きのマグネットを持ち帰ると、壁面にも限定コレクションの詳細が現れた。遊び心溢れる演出でローンチへの高揚感をかき立てた。

3色の色彩はそのままに
“トリニティ”が大変身

 “トリニティ フォー チトセ アベ”は、リング2モデルとブレスレット、ネックレス、シングルイヤリング、そしてシングルイヤリングとしてもリングとしても使える万能なピースの全6種。 ホワイトとイエロー、ピンクゴールドの3色のリングからなる色彩はそのままに、フォルムやカーブ、そして身につける位置、機能を大きく変えた。着用者の創意工夫を掻き立てる特徴は、アイデア次第で千変万化する「サカイ」のコレクションに通じる。

 “トリニティ”は、1924年にルイ・カルティエ(Louis Cartier)がデザイン。ピンクとイエロー、ホワイトゴールドの3つのリングが絡み合うデザインが特徴だ。「カルティエ」のアイコンは、芸術家のジャン・コクトー(Jean Cocteau)を始め、多くの人々に愛され今に至っている。阿部は「“トリニティ”に込められた“愛” “友情”“忠誠”という原則は、とても大切」と話している。

「みんな知っている“トリニティ”を
見たことない永遠にする自信があった」

 “トリニティ フォー チトセ アベ”について、阿部デザイナーとシリル・ヴィニュロン(Cyrille Vigneron)=カルティエ・インターナショナル プレジデント兼最高経営責任者(CEO)に話を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):2人の出会いは、いつ頃?そして限定コレクションはどうやって生まれた?

阿部千登勢デザイナー兼ファウンダー(以下、阿部デザイナー):数年前、ファッションショーの後にパリで私からアプローチしました。「一緒に何かできないか?」と申し出たんです。

シリル・ヴィニュロン=カルティエ インターナショナル プレジデント兼最高経営責任者(CEO)(以下、シリルCEO):「カルティエ」が大好きな千登勢に、「自分のために、スペシャルなコレクションを作ってみたら?」と提案しました。千登勢は、クラシックという概念を覆して、常に時を超越したファッションを生み出しています。どんな洋服も、いつ身につけても、時代を感じさせません。そしてベーシックから想像を膨らませているのに、スタイルはいつも「とても違う」。そんな彼女のために生まれる“トリニティ”を見たかったのです。

阿部デザイナー:私のための“トリニティ”なんて、なんだか少し恥ずかしいです。でも誰かと仕事をするときは、「自分が楽しいこと」「私が欲しいものを生み出せること」を重要視しています。アイデアを形にできるチームワークもすばらしかったし、「カルティエ」やシリルさんとの対話は、本当に楽しかった。理想的な協業でした。

WWD:「カルティエ」の数あるアイコニックなジュエリーから、“トリニティ”を選んだ理由は?正直“トリニティ”は、すでに完成されたデザインだと思うが。

阿部デザイナー:“トリニティ”は、誰もが知っている存在です。そして「サカイ」も、みんなが知っているニットやジャケットを、見たことのない“永遠のもの“にしています。私には、みんなが知っている“トリニティ”を、見たことがない、でも永遠のものにできる自信みたいなものがありました。個人的にも“トリニティ”は初めて買った「カルティエ」のジュエリー。みんなが「一度は通る道」だと思います。そんな存在に新しい解釈を加え、新たなものとして作り上げる。それは、本当に光栄なことでした。

シリルCEO:1924年の誕生から間もなく100周年を迎える“トリニティ”は、ピンクとイエロー、そしてホワイトゴールドが愛と友情、忠誠を表しています。3つのゴールド、そして3つの想いのコンビネーションで成り立つ“トリニティ”は、ニットやジャージー、布地を組み合わせる「サカイ」のコレクションに通じるのでは?と考えました。硬質的な3つの素材を流動的に、そして大胆に解体・再構築するのは、とても千登勢らしい。ほら「サカイ」のコレクションも、タフなミリタリースタイルを解体・再構築して、柔らかさを手に入れているでしょう?

WWD:“トリニティ フォー チトセ アベ”のデザインアプローチは、「サカイ」の洋服と違う?

阿部デザイナー:アプローチは、変わりません。全ては、バランスが大事だと思っています。融合するスタイルのバランス、組み合わせる素材のバランスはもちろん、私は仕事とプライベートのバランスも意識してコレクションを生み出しています。それは、今回の限定コレクションでも変わりません。

シリルCEO:「カルティエ」にとっては、チャレンジもありました。指や首などに用いるジュエリーには強度と着け心地の双方で、さまざまな制限が存在します。デザイナーの想いをジュエリーとして仕立てあげるには、ジュエラーとしての知識と技術が必要でした。

WWD:“トリニティ フォー チトセ アベ”で再び“トリニティ”にスポットライトを当てる試みは、近年時計の“パンテール”や“サントス”“タンク”などの名品にフォーカスする戦略に通じている?

シリルCEO:全く逆のアプローチです。時計は、「カルティエ」のアイコンを今日最もふさわしい形に変更することで、未来に継承しようとしています。例えば“サントス”は、マスキュリンな大きさばかりでしたが、今の時代にふさわしいサイズも世に送り出しました。私の新しい“サントス”は娘に取られてしまいましたが、こうやって女性にも、そして若い世代にも受け継がれることで、“サントス”は未来に残るのです。一方の“トリニティ フォー チトセ アベ”は、シンプルなアイコンの魂を受け継ぎ、スペシャルにするもの。千登勢の力を借りて、新たなクリエイティブを生み出すことに挑戦したのです。全く違う試みですが、こうしたチャレンジスピリットもまた、“トリニティ”や「カルティエ」を未来に繋ぐものだと信じています。

INFORMATION
■CARTIER TRINITY FOR CHITOSE ABE OF sacai ポップアップストア

場所:表参道交差点(東京都港区南青山5-1-1):
期間:7月7〜25日
営業時間:11:00〜19:00
入場無料

PHOTOS:CARTIER、
SHOJI UCHIDA ©CARTIER、
DAICI ANO ©CARTIER、
TSUKASA NAKAGAWA
問い合わせ先
カルティエ カスタマー サービスセンター
0120-301-757

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スパイバーからジャスティン・ビーバーまで 世界で支持を集めるパンゲアとは

 スパイバー(Spiber)が長期的パートナーシップの相手として選んだパンゲア(PANGAIA)とはどのような企業なのか。2018年設立の新興企業で、フーディやスウェットパンツなどシンプルなデザインの製品を提供する。マテリアルサイエンスを掲げ、アパレル製品の製造・販売だけでなく、素材開発にも力を入れ、素材の製造・販売も行うユニークな企業だ。資金調達額などは非公表だが、調達ラウンドはシリーズA。設立メンバーに実業家で環境活動家、インフルエンサー(インスタグラムのフォロワー数は187万人)のミロスラヴァ・デュマ(Miroslava Vasilyevna Duma)がいる。スパイバーが生み出す人工構造タンパク質素材“ブリュード・プロテイン”を生地やアパレル製品の形にできるパンゲアはいわば科学をベースにした”近未来のマテリアル&アパレルメーカー“。アマンダ・パークス(Amanda Parkes)=パンゲア・チーフ・イノベーション・オフィサーにオンラインで話を聞く。

WWD:パンゲアとはどんな企業か?

アマンダ・パークス=チーフ・イノベーション・オフィサー(以下、パークス):私たちはファッションブランドでありマテリアルサイエンスの会社だ。共同体で経営しており、設立に関わったのは5人。R&D部門を持つことを目標に、ファイナンス、マーケティング、ファッション、サイエンスとさまざまな領域で経験のある人が集まって始めた。当社が他のアパレルメーカーと異なる点は、社内にR&D部門があり科学者がいる点で、初期段階にあるアイデアも研究所やスタートアップ企業と協働している。私たちは素材の哲学を*“ハイテクナチュラリズム”として、見捨てられているモノに注目して廃棄物を減らす技術や工程を採用している。

“ハイテクナチュラリズム”とは「最新技術と自然を活用して、テキスタイルの機能性を拡張していくもの。 自然の豊かさを生かし、最新技術と組み合わせることで、自然の力を最適化して補強していくこと」と広報担当者

WWD:具体例は?

パークス:グースダウンの代替素材“FLWRDWNTM”は、ワイルドフラワーにバイオポリマーとセルロースエアロゲルを混ぜた素材で、動物由来のダウンのような機能を持つ。私たちのダウンには動物も石油由来の材料も含んでいない。

WWD:「H&M」が採用した素材だ。開発に10年以上かかったとか。

パークス:H&Mへネス・アンド・マウリッツの「コス(COS)」の商品にも採用された。私たちは開発したマテリアルをBtoBで販売するビジネスも行っており、ブランドにマテリアルをシェアしている。

WWD:R&D部門を持つアパレル企業は非常に珍しい。新技術や新素材を取り入れたアパレルアイテムを開発し、メンバーのほとんどがバイオテクノロジーなど科学に造詣の深い科学者や技術者だと聞く。スパイバーは協働先としてパンゲアを選んだ理由に「マテリアルサイエンスカンパニーであり、タンパク質素材開発がいかに革新的か、またその一方で相当の困難や挑戦が強いられることを理解していた点」を挙げ、「生地を渡して終わりではなく、より良くするために、紡績方法や生地の編み方、染め方や仕上げ方などの加工方法で何度も試行錯誤を重ね、さまざまな知見が蓄積した。次の素材開発にとっても大きな財産になった」と話していたのが印象的だった。改めてR&D部門について教えてほしい。

パークス:現在研究者が18人在籍しており、物質科学や生化学、生物学、繊維工学、機械工学などさまざまなバックグランドを持つ人が、ロンドン、ポルトガル、イタリア、ニューヨークなどに分散している。さらに外部コラボレーターがいる。加えて、当社には、環境科学に関しての専門知識を持つ科学者によるインパクト部門がある。

WWD:インパクト部門の役割は?

パークス:テキスタイルや製品全てのサプライチェーンを把握・分析し、ライフサイクルアセスメント(LCA)調査を行っている。バリューチェーン全体の環境フットプリントを検証するために活動している。事業の中核にあり、コレクティブに透明性を持たせている。会社が与える影響を分析しており、私たちが今後どう前進すればよいのか、会社をよりよくするための、科学に基づいた目標を設定することができる。

WWD:スパイバーをはじめとした注目企業と具体的にどのように協働しているのか。

パークス:私たちの研究の柱である生物多様性に基づいて進めている。さまざまなリサーチを基に、創業メンバーでミーティングを重ね、さらにR&Dチームを交えて詳しい調査を行い、どのように協働するのがいいか議論を重ねたうえで、アプローチしている。大切なのは関係を築き、各企業が何を必要としているかを見極め、それに応じること。なので、協働する企業によって方法は異なる。商業化への手助けをしたり、製造をサポートしたり、マーケティングの手伝いをしたりーー私たちは、挑戦的なイノベーションを素早く市場に出すことができる企業として、高品質な製品を製造できることで知られている。

ーー使用する素材のガイドラインは?

パークス:*コットンからの脱却を目指すべく、新しい植物を取り入れた素材開発に注力している。リサイクルカシミアなどの動物繊維を使用することはあるが、動物由来のものは全て倫理的に調達し、皮革は使用しない。化石燃料由来の素材や有害物質も使用しない。廃棄物削減も心掛けており、製造工程で出た廃棄物を再利用したり、全ての工程において廃棄物を減らすことを行っている。

パンゲアは1つの植物繊維に依存することは、単作を促進する可能性があると考え、より多様な素材を取り入れようと試みている。最終的な目標は「真の循環型経済の発展に貢献すること」で、そのために素材、農業、エネルギーが本質的に結びつき、バイオマスを中心としたバイオエコノミーへの転換が必要だと考えている。生物多様性を促進し、石油化学物質を排除し、気候変動に配慮した未来をサポートする問題解決型の素材を見つけることに注力している

WWD:現在何件くらいコラボレーションを行っているか。

パークス:これまでに8件、現在少なくとも15件以上を計画している。

WWD:特に力を入れている技術は?

パークス:全て、というしかない。それこそがブランドが前進するために大切なことだから。多くのテクノロジーは重複していて、例えば、農業廃棄物を用いることは生物多様性の保全と廃棄物削減、両方を推進する。農業廃棄物に注目することもあれば炭素変換技術にも注目しており、用いるのは多くのバイオファブリケーション技術だ。

WWD:話は変わるが、硬派な社風の一方で、ブランドが知られる機会となっているのはジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)やナタリー・ポートマン( Natalie Portman)、ジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez )らセレブリティが着用している点だ。

パークス:自然に起こったことだった。セレブリティにお金を支払ったことはなく、特定の人にギフトとして贈った。それを着てタグ付するかは本人次第。なので、賃金が支払われるようなキャンペーンはしていない。

WWD:特徴的なデザインでない点もポイント?

パークス:現時点でのデザインビジョンは、“ライフスタイルベーシックス”と呼ばれる、ワードローブの必須アイテムになるものを提案している。汎用性が高く、何度も着られるようにね。

WWD:ファッション業界の通例であるシーズン提案を行っていない。

パークス:私たちは異常とも言えるほど速いスピードのファッション業界に考え直してほしいと思っている。私たちは、技術開発をして素材の準備が整ったら販売したいと考えている。ハイテク企業みたいにね。もちろんシーズンによって色やスタイリングを変えることはあるし、夏にはリネンのような軽めの生地を用いるなど、季節感は意識するけど、ベースカラーで1年を通じてワードローブの土台となるような衣類を提供することがいいことだと信じている。人々のクローゼットの安定性を作りだすことが大切で、季節ごとに絶え間なく変化するクローゼットはどうかと考えている。

WWD:今後の展望は?

パークス:とても楽観的だ。R&Dと投資を加速・拡大する。既存製品は改良し続ける。マテリアル販売も拡大し、私たちの素材を用いたプロダクトが他社から売られているのを見たい。

WWD:最後にアマンダさん自身について。ファッション科学者という珍しい肩書きを名乗り、「ファッションは科学を表現できるすばらしいプラットフォームだ」ともインタビューで答えている。改めてその意図を教えてほしい。

パークス:自分を正しく描写している言葉だと思ったから。服の形や体とのバランスだけでなく、製造工程を科学的な視点でアプローチしたいと本気で考えている。だから私はこの言葉を使い始めた。

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三上悠亜が新ブランドスタートで経営者に デビュー7年目、再出発の裏側

 セクシー女優の人気の大半は、男性ファンから得た支持である。これはステレオタイプ的な解釈だが、事実として今なお根強い。しかし現代にはインターネットによって可視化されたもうひとつの事実が存在する。SNS総フォロワー数1000万人超えの人気セクシー女優・三上悠亜は、一糸纏わぬ姿で世の男性を魅了するAVの世界に身を投じる一方、SNSの個人アカウントでは自身のファッションやライフスタイルを公開することで女性から多くの共感を得ている。その裏付けの一つとして、今年4月に発表された帽子ブランド「カシラ(CA4LA)」と三上のコラボレーションアイテムでは発売後瞬く間に完売、ECサイトのサーバーがダウンするなどの人気ぶりを見せた。

 今年3月、三上は自身がプロデューサーを務めたアパレルブランド「ミーユアーズ(MIYOUR’S)」を終了させ、6月に個人事務所としてミス(Miss)を設立。続けてアパレルブランド「ミストレアス(MISTREASS)」のスタートを自身のYouTubeチャンネルで発表した。AVデビュー7周年を機に起こした新たなアクションについて、三上本人に聞く。

安心できる環境からの決別

WWD:新会社設立は三上さん自身によるもの?

三上悠亜(以下、三上):はい。独立後に自分で設立した会社で、他タレントの所属はなく、私だけです。主に、「ミストレアス」の運営、SNS、YouTubeなど、私が関わるAV以外のお仕事全般を請け負います。

WWD:では、経営者でもあるということですね。

三上:どうなんでしょうか(笑)。社長という立場が今の自分に全く定着していないので。元々経営者になる予定もなく、自分がやりたいことを選んだ結果に独立があり「ミストレアス」開始までの間に会社の設立があっただけな気もします。

WWD:前ブランド「ミーユアーズ」でパートナーだったクージー(Coogee)と離れて、新たなブランド運営となる。その意図は?

三上:クージーには、自分が一から携われるブランド運営に挑戦してみたいと昨年末ごろに伝えていました。実際、自分一人でどこまでできるのかも分からなかったので、少し悩んだ時期もありますが、安心できる環境に甘えていたら何も変わらないと思い、離れることを決断しました。

WWD:新ブランド「ミストレアス」における三上さんの役割は?

三上:ブランドディレクターとして、デザインチームとともに制作を進めながら細かな部分まで携わっています。「ミーユアーズ」の時との一番大きな違いは、私の関わる領域が増えていることです。それは独立したことにも関係していて、今までの事務所を経由したやりとりでは打ち合わせ一つにしてもなかなか時間が取れず、任せてしまうこともありました。今のブランドでは洋服や展示会などさまざまなところで自分の意見を反映させながら、時間を思う存分使うことができています。

「着たい服を形にできた喜びで胸がいっぱいです」

WWD:そもそも、自らアパレル運営に切り出したきっかけは?

三上:洋服が好きだったことはもちろんですが、アパレルブランド開始のきっかけのひとつに、私が普段着用している洋服に対して「どこのブランドですか?」と、SNSを通じて多くの女性ファンが質問してきてくれたことがあります。自分でブランドを始めることで「どこの?」に対する回答を全て「ミストレアス」にできたらという気持ちでいます。

WWD:「ミストレアス」におけるこだわりは?

三上:特にシルエットや生地感にはこだわりたいです。私は男性向けのお仕事をしている手前、セクシーな目で見られることも多いです。だけどそれは女性の武器でもあるので、女性のしなやかなシルエットを生かしたいという思いがあります。女性ファンの中には体型にコンプレックスを持っている方も少なくないので、それをカバーしながら綺麗に見せることは重要視しています。

WWD:販売方法や実店舗の予定などは?

三上:まずは自社ECと展示会での販売、それから先はイベント実施やポップアップ形式を予定しています。実店舗については今のところ考えておらず、その分の費用は洋服のサイズ展開や型数に回したりしながら、ラインアップを少しずつ増やしていきたいと思います。

WWD:“展示会での販売”について詳しく教えてほしい。

三上:コレクションブランドでいう春夏、秋冬といった季節ごとの展開を基本にしながら、展示会で見た洋服が半年待たずに手に入るクイック感を大事にしています。コロナの影響で少し流動的な対応になっていますが、今シーズンだと6月の展示会で買ってもらったものは7月以降、順次発送する予定です。現状は受注方式ではなく、事前に数を決めて生産しています。

WWD:商品構成や上代設定は?

三上:今回は24型です。セットアップ商品などの展開もありますが、私が日頃よく着用することもあり、半分以上はワンピースが占めています。上代はおおよそワンピースが2万5000円、トップスやスカートが高いもので1万5000円、Tシャツが5000円くらい。価格帯は「ミーユアーズ」の時と大きく変わらないと思います。

WWD:購入してもらいたい層は?

三上:SNSやYoutubeなどで私のことを知ってくれた女性ファンの方が着てくださることが多かったので、これからも大切にしたいと思っています。でも、「ミストレアス」ではそれをさらに広げて、私を知らない人でも興味を持ってもらえる洋服作りを目指したいです。

WWD:ブランドは今後どういった方向性を予定している?

三上:とても強気な発言にはなりますが、トレンドを重視するのではなく自分が本当に好きなものや着たいと思えるものだけを商品化していくブランドでありたいです。第一弾のコレクションでは、まずそれを形にできた喜びで胸がいっぱいです。今後も私自身が365日着られる洋服を作っていきたいと思います。

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LAでビーガン・ファッション・ウイーク開催 コロナの解散危機を乗り越え

 アメリカ・ロサンゼルスでは6月、エシカル&サステナブルなファッションの国際的発展を目指し、ビーガン・ファッション・ウィーク(以下、VFW)によるビーガン・ファッション展示会が開かれた。VFWの創設者で動物愛護運動家のエマニュエル・リエンダ(Emmanuelle Rienda)が選び集めた、世界中のビーガンデザイナーのコレクションが展示され、未来のビーガン・ファッションを提唱した。ロサンゼルスに拠点を移し、日本と米国で活躍するファッション・スタイリストの水嶋和恵が展示会を訪れ、エマニュエルをインタビューした。

 「ハイファッションも優しく、気高く、思いやりを持てるはず」と語るエマニュエルは、エシカル・ファッションとサステナブル・ファッションのギャップを埋めるべく、2018年にVFWを創立。当時からファッション業界でもサステナブルなムーブメントは存在していたが、動物保護はそこまで深掘りされておらず、レザーやウール、そしてシルクについては特に何も考えず多用するブランドも多かった。だがエマニュエルは生産背景をよく知ると、到底エシカルとは思えない一面も多かったという。そこで19年2月、「ヴィーガン・ファッション・ウイーク」をロサンゼルスにて初開催。「2年のリサーチを経て創立したの。パイナップルレザーをはじめとする画期的なビーガンマテリアルを見つけ、それをランウエイで発表することができたわ」と振り返る。

 VFWは、環境配慮はもちろん、動物保護や雇用にも目を向け、そのユニークなメッセージと国際的なインパクトで、各国政府や多くの企業から注目され始めている。壮大なプロジェクトを一人で始めたエマニュエルは、自身の挑戦を「Life Mission(人生をかけたミッション)」と語る。金銭的な準備や、関わってくれる人々を探していると、アクションはどんどん遅れてしまう。だから自分一人でも行動したのだ。その挑戦は、「簡単ではなかった」と言う。「当時“ビーガン”という言葉には、暴力的な描写で人々を糾弾するイメージもあったけれど、私は当初から『インクルーシブでポジティブ、そしてクリエイティブ』なプラットフォームにすることにこだわった。今ではチームにも恵まれ、ここロサンゼルスにビーガン・ファッション専門のショールームも構えるまでに成長したのよ。地球環境と動物保護に目を向けつつ、同時にファッションはアーティスティックな表現ツールである事も忘れない。アートとエクスプレッション、インクルーシビティ、これらの集合体がファッションなの。このプラットフォームに興味を持ち関わりたいと思う人々が、ビーガンであろうがなかろうが構わないわ。どんな人も迎え入れたいと思うし、教育がとても大事」。

 やっと成果が見えてきた中で新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、VFWはイベントを行うことができなくなった。デザイナーも生産から販売まで、さまざまな過程で苦悩に堪え、疑問と闘っていたという。一時はVFWの解散さえ考えたが前に進んできた。

 そんな中で開いた今回の展示会では、“ウーマンエンパワーメント”をテーマに女性デザイナーによるブランドが数多く揃った。

 例えば(NOUS ETUDIONS)」は、テキスタイルの質感を大事にしたミニマムでオーバーサイズなシルエットが特徴、新しい世代と時代を打ち出すジェンダーレスでサステナブルなアルゼンチン発のブランドだ。「ヴィーガンオロジー(VEGANOLOGIE)」は「Fashion should be caring(ファッションには思いやりがあるべき)」をコンセプトに100%リサイクルの素材で生産した商品を展開するドバイ発のビーガン・アクセサリー・ブランド。「ヴィーガン・タイガー(VEGAN TIGER)」は、トレンディなコレクションで注目される、韓国でのビーガンなファッションシーンを先導する存在だ。カナダの「マインドフル・ピッグス(MINDFUL PIGS)」はモダンな思想を現代に落とし込み、ウィットに富んだファッション性の高いアイテムが揃える。「センティエント(SENTIENT)」は、サボテンレザーを使用するメキシコの発ビーガン・レザー。ブランドだ。「シューズ・ゴーサンゼロヨンゴー(SHOES 53045)」は、生産や輸送の過程で発生する二酸化炭素排出量の多さに気づき、それらを見直すフランス発のハイテクスニーカーブランド。そしてアメリカからは、「ダーク・ソウル」をコンセプトにエッジの効いたコレクションを展開する「ファン・オール・フレームズ(FAN ALL FLAMES)」や、生産と消費が環境に与えるインパクトの大きさを念頭に置いた上で洗練されたシューズを提示する「シルバン・ニューヨーク(SYLVEN NEW YORK)」、そしてオールプラントベースで作られたルームシューズブランドの「ドゥーリーズ(DOOLEYS)」が参加した。

 「今計画しているのは、ウクライナのファッション業界及びデザイナーをサポートするイベント。現在コンセプトをまとめている最中で、10月のビーガン・ファッション・ウイークで開催予定なの。思いやり、人権、平和、それらのメッセージを世界中に発信する事ができたら。さまざまな人種が存在し、サステナブルファッションへの理解と繋がりが深いロサンゼルスは、そのようなイベントを開催するのに、ピッタリな場所だと思うわ」。意味あるプロジェクトを精力的に実現していくエマニュエルの姿に、スタイリストの水嶋は、「こういったグローバルでサステナブルなイベントに、日本国内のブランドも参加出来るよう、私が日本と世界を繋げる役割を担うことが出来れば」。

 「VFWは壮大で大変なプロジェクトだけれど、とてもやりがいがある。『We never quit!(私たちは、決して諦めないわ!)』」。そう強く語るエマニュエルの表情は明るかった。

INTERVIEW:KAZUE MIZUSHIMA
TEXT:ERI BEVERLY

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モデル・DJのエリー・ローズがスキンケアブランドを立ち上げ 「スキンケアは生活を豊かにするための儀式」

 モデルのエリー・ローズはこのほど、自身がプロデュースするスキンケアブランド「オトネ(OTONE)」を立ち上げる。「“誰かの美肌”に憧れるより、あらゆる人が“自分らしい肌”と心地よく生きてほしい」という思いを込め、2層式化粧水(120mL、税込4800円)と美容オイル(45mL、6600円)、保湿クリーム(50mL、6800円)をラインアップ。7月7日にローンチする公式ECサイトで販売する。

 エリー・ローズは10代でモデルデビューし、20歳でDJとしての活動をスタート。最近では、ビューティやファッション、恋愛から性に関する話題まで等身大の発信が幅広い層から支持を集めている。多方面で活躍する彼女に「オトネ」に込めた想いを聞いた。

WWD:スキンケアブランドを立ち上げた理由は?

エリー・ローズ:世界中がパンデミックにみまわれ、モデルとDJの活動をストイックに両立してきた日常が突然ストップしてしまいました。そんな中で自分と向き合いながら次にできることは何かを悶々と考えていたんです。自宅で過ごす時間が増え、バスタイムやスキンケアをして過ごすセルフケアの時間が持つ癒しのパワーをあらためて感じました。肌がきれいだとメンタルも整います。自分の肌に向き合い、寄り添うことが、生活の中でどんどん大切になり、スキンケアプロダクトの開発に挑戦したいと思うようになりました。

心地良い音楽に包まれるようなスキンケアタイムを

WWD:ブランド名の由来は。

エリー・ローズ:私は生活のムードやフィーリング、肌や体のコンディションを全て「トーン」=「音」で捉えています。音楽もスキンケアも、私を心地よい状態に仕上げてくれる生活に欠かせないものです。スキンケアと音楽を融合させることで、自分にしか作れないストーリーが生まれるのではないかと考えました。ブランドのコンセプトは“setting the tone”。「オトネ」はそんな「トーン」と、「音」(オト/ネ)を重ねています。

WWD:「オトネ」のプロダクトでどんなスキンケアタイムを演出する?

エリー・ローズ:忙しい毎日を過ごす中で、スキンケアをしている時間ぐらいはゆっくりと自分の時間を楽しんでほしいんです。ルーティーンというよりも生活を豊かにするための儀式のような……。その一瞬だけでも一息ついて、自分と向き合う時間にしてもらえたらうれしいです。

WWD:製品へのこだわりは?

エリー・ローズ:ナチュラルで、艶やか、たおやかな肌になるために、必要な成分を厳選しました。かつ、センシティブな人も使える優しい使い心地がこだわり。音でいうと「ふわふわ」「すべすべ」な肌を目指しています。愛おしい音に包まれているような感覚に満ちてほしいですね。香りにもこだわりました。インスタグラムでアンケートを取ってみなさんの好きな香りを聞きながら、ジャスミンとベルガモットの精油に決めました。甘さもあるけれども、少し爽やかで、移り変わるノートも楽しんでいただきたいですね。私のファンは年齢層が幅広いので、20代でも手が届く価格帯や、30代や40代でも満足できる使い心地を追求しました。今後はみんなとコミュニケーションをとりながら、いろいろなタイプを作るのもありですね。

何でも屋さんではなく
スキンケアブランドとして成長させる

WWD:音楽と「オトネ」はどのようにコラボさせていく?

エリー・ローズ:「オトネ」の動画を制作するために、大好きなベルリン在住のアーティスト、ビビアン・コック(Vivian Koch)さんに「オトネ」のためにトラックを制作してもらったんです。今後ホームページでは「今週のミックス」のようなイメージでスキンケアをしながら音楽を楽しんでもらえるコンテンツを載せていきます。

WWD:サステナビリティについても熱心に発信しているが、「オトネ」ではどのような取り組みを?

エリー・ローズ:ボトルはリサイクルが可能なガラス瓶にしました。最終的には、当社で回収する仕組みを作ることが理想です。また発送する際の箱にはリユースペーパーを採用し、なるべくロスが出ないようにギフトサービスやメッセージカード、パンフレットは削減しました。サステナビリティやSDGsを流行りで終わらせるのではなく、当たり前のものとして広げていきたいですね。

WWD:今後の展望は?

エリー・ローズ:最初は小さく細々と、自分のファンに届けば良いかなと思っていたんです。でも、試行錯誤しながら「オトネ」が形になり、作ったからにはたくさんの人に届けたいと強く思うようになりました。美味しいご飯を食べたり、素敵な美術館に行ったり、体験や経験が大切な時代にシフトチェンジしています。そんな選択肢の中に「オトネ」が入ったらうれしいですね。ライフスタイル商品にも興味はありますが、まずはキンケアブランドとしてブレずに成長させていきたいです。

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モデル・DJのエリー・ローズがスキンケアブランドを立ち上げ 「スキンケアは生活を豊かにするための儀式」

 モデルのエリー・ローズはこのほど、自身がプロデュースするスキンケアブランド「オトネ(OTONE)」を立ち上げる。「“誰かの美肌”に憧れるより、あらゆる人が“自分らしい肌”と心地よく生きてほしい」という思いを込め、2層式化粧水(120mL、税込4800円)と美容オイル(45mL、6600円)、保湿クリーム(50mL、6800円)をラインアップ。7月7日にローンチする公式ECサイトで販売する。

 エリー・ローズは10代でモデルデビューし、20歳でDJとしての活動をスタート。最近では、ビューティやファッション、恋愛から性に関する話題まで等身大の発信が幅広い層から支持を集めている。多方面で活躍する彼女に「オトネ」に込めた想いを聞いた。

WWD:スキンケアブランドを立ち上げた理由は?

エリー・ローズ:世界中がパンデミックにみまわれ、モデルとDJの活動をストイックに両立してきた日常が突然ストップしてしまいました。そんな中で自分と向き合いながら次にできることは何かを悶々と考えていたんです。自宅で過ごす時間が増え、バスタイムやスキンケアをして過ごすセルフケアの時間が持つ癒しのパワーをあらためて感じました。肌がきれいだとメンタルも整います。自分の肌に向き合い、寄り添うことが、生活の中でどんどん大切になり、スキンケアプロダクトの開発に挑戦したいと思うようになりました。

心地良い音楽に包まれるようなスキンケアタイムを

WWD:ブランド名の由来は。

エリー・ローズ:私は生活のムードやフィーリング、肌や体のコンディションを全て「トーン」=「音」で捉えています。音楽もスキンケアも、私を心地よい状態に仕上げてくれる生活に欠かせないものです。スキンケアと音楽を融合させることで、自分にしか作れないストーリーが生まれるのではないかと考えました。ブランドのコンセプトは“setting the tone”。「オトネ」はそんな「トーン」と、「音」(オト/ネ)を重ねています。

WWD:「オトネ」のプロダクトでどんなスキンケアタイムを演出する?

エリー・ローズ:忙しい毎日を過ごす中で、スキンケアをしている時間ぐらいはゆっくりと自分の時間を楽しんでほしいんです。ルーティーンというよりも生活を豊かにするための儀式のような……。その一瞬だけでも一息ついて、自分と向き合う時間にしてもらえたらうれしいです。

WWD:製品へのこだわりは?

エリー・ローズ:ナチュラルで、艶やか、たおやかな肌になるために、必要な成分を厳選しました。かつ、センシティブな人も使える優しい使い心地がこだわり。音でいうと「ふわふわ」「すべすべ」な肌を目指しています。愛おしい音に包まれているような感覚に満ちてほしいですね。香りにもこだわりました。インスタグラムでアンケートを取ってみなさんの好きな香りを聞きながら、ジャスミンとベルガモットの精油に決めました。甘さもあるけれども、少し爽やかで、移り変わるノートも楽しんでいただきたいですね。私のファンは年齢層が幅広いので、20代でも手が届く価格帯や、30代や40代でも満足できる使い心地を追求しました。今後はみんなとコミュニケーションをとりながら、いろいろなタイプを作るのもありですね。

何でも屋さんではなく
スキンケアブランドとして成長させる

WWD:音楽と「オトネ」はどのようにコラボさせていく?

エリー・ローズ:「オトネ」の動画を制作するために、大好きなベルリン在住のアーティスト、ビビアン・コック(Vivian Koch)さんに「オトネ」のためにトラックを制作してもらったんです。今後ホームページでは「今週のミックス」のようなイメージでスキンケアをしながら音楽を楽しんでもらえるコンテンツを載せていきます。

WWD:サステナビリティについても熱心に発信しているが、「オトネ」ではどのような取り組みを?

エリー・ローズ:ボトルはリサイクルが可能なガラス瓶にしました。最終的には、当社で回収する仕組みを作ることが理想です。また発送する際の箱にはリユースペーパーを採用し、なるべくロスが出ないようにギフトサービスやメッセージカード、パンフレットは削減しました。サステナビリティやSDGsを流行りで終わらせるのではなく、当たり前のものとして広げていきたいですね。

WWD:今後の展望は?

エリー・ローズ:最初は小さく細々と、自分のファンに届けば良いかなと思っていたんです。でも、試行錯誤しながら「オトネ」が形になり、作ったからにはたくさんの人に届けたいと強く思うようになりました。美味しいご飯を食べたり、素敵な美術館に行ったり、体験や経験が大切な時代にシフトチェンジしています。そんな選択肢の中に「オトネ」が入ったらうれしいですね。ライフスタイル商品にも興味はありますが、まずはキンケアブランドとしてブレずに成長させていきたいです。

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「ニューバランス」マニアが熱く予測! 最新モデル“990v6”はどんなデザインになる?

 「ニューバランス(NEW BALANCE)」の人気シリーズ“990”から、年末に発売されると噂されている最新作“990v6”。実に3年ぶりとなるアップデートだが、その実態はまだ明かされていないままだ。デザインや機能性など未知数であるからこそ、マニアの視点で自由に語ってもらう対談企画が実現した。スニーカー業界とファッション業界の中で「ニューバランス」愛の強いスニーカーショップ「スキット(SKIT)」オーナーの鎌本勝茂と「サヴォイ(SAVOY)」ブランドディレクターのマイ(MAI)に、どんなデザインが発売されるのか予想してもらった。

“990”と聞いて浮かぶ言葉は“メード・イン・USA”

――まず、2人が“990”シリーズを好きになったきっかけは?

マイ「サヴォイ」ブランドディレクター(以下、マイ):NBAやヒップポップカルチャーに夢中だった私は、いつも「ナイキ(NIKE)」の“ジョーダン”シリーズを履いていました。でもある日、インターネットで“990”を履いたインフルエンサーの写真を見つけてビビっと感じたんです。スマートなのにエッジがあって、どこか懐かしい。服がシンプルでも、このシューズを履くことでお洒落になれる! と背中を押された気がしました。

鎌本勝茂「SKIT」オーナー(以下、鎌本):ちなみに最初に買ったモデルは?

マイ:“990v5 M990NA5”のニンバスクラウドカラーですね。一般的に有名なグレーと違って少し淡い色味が特徴で、海外でも人気の配色でした。みんなと同じものを履きたくないという天邪鬼な性格が出てしまいました(笑)。

鎌本:いいじゃないですか、天邪鬼。それでこそスニーカー好きだと思いますよ。僕の話をすると、正直10年ぐらい前まで「ニューバランス」は年上の男性が履くシューズの印象が強かったんです。今では“いなたい”という便利な言葉があるけど、当時は少なくとも褒め言葉ではなかった。そんな僕のイメージを大きく変えたのが、2013年のアメリカ出張。東へ西へ奔走して足に疲労が溜まったとき、ふと「ニューバランスへ行こう」と思い立ち、購入したのが“990v3 M990BS3”のブラックカラーでした。

――購入した動機は、単純に歩きやすさから?

鎌本:その通りです(笑)。実際に1日中歩いても疲れにくいですし、バイヤー仲間の間では“何かあっても走って逃げれる靴”と呼ばれるほど。海外でのトラブルに巻き込まれても安心なぐらい“990”シリーズに頼っているところはあるかもしれないですね。

より丸みを帯びたシルエットになる?

――話が盛り上がってきた頃に本題を。今年の年末に発売すると噂されている“990v6”について、どのようなデザインになると予想しますか?

鎌本:過去数回の傾向で言うと、前作をベースに機能面でのアップデートが現実的じゃないのかなと思います。“990v4”と”990v5”では、補強パーツとしてアッパーにTPUパーツが加わったり、ピッグスキンとメッシュの比率が変わったり、少しだけフォルムが膨らんだりしていますからね。

マイ:このぼてっとした形がかわいいですよね。履き心地もゆったりとしていて、リラックス感がある。だけど意外とパンツとの合わせが難しいので、ちょっと上級者向けかも。個人的に“990v6”は、さらに丸みを帯びたシルエットになると予想しています。ソールも厚底になったりして?

鎌本:ファッション視点で考えたことがあまりなかったので新鮮な意見ですね。確かに“990v4”の方がスタイリッシュで、ロボットのような見た目のような。 僕は、ランニングシューズのディテールやデザインが踏襲されるのかなと予想します。実際に“XC-72”などのモデルではかかとが張り出たソールが採用されているように、“990v6”でもその要素が取り入れられるかなと思います。

マイ:そうなると、かなり新しい”990“になりますね!

鎌本:あとは機能面。あくまで個人的ですけど「ゴアテックス(GORE -TEX)」を搭載した新モデルが登場したら面白いなと思います。マイさんは履いたことありますか? 雨が降っても全然濡れないし、すごくタフなんですよ。

マイ:まだ試したことがないので、ぜひ“990v6”で体験してみたいです。

――では、発売されて欲しいカラーは?

鎌本:やっぱり王道のネイビー、グレー、ブラック。この3色があれば僕は十分ですね。でも「ニューバランス」のグレーって濃淡で16色も過去展開があったようなんです。その色が特別にオーダーできたら、絶対に欲しい。話題にもなるんじゃないかな。

マイ:そのアイデアすごくいいと思います。本当に採用されて欲しい!私も定番の3色は大好きです。確かにさまざまなグレーの色味がありますよね。ニュアンスがかった色味はジャケットやスラックスなどカチッとした服装にも合うし、上品な雰囲気になれる。ぜひオーダーしてみたいです。

――最後に、“990”シリーズの魅力を一言で教えてください。

鎌本:やっぱり“普遍的”ってことじゃないですか? 僕が10年前に見てピンとこなくて、形や色味が変わってないのに、20何年経って僕が時代に追いついて、これをいいと思えた。これこそが魅力ですね。

マイ:私も同じく“変わらないもの”ですね。スニーカーは流行によってたくさんのモデルが出ていますけど、“990”シリーズは揺るがなくてずっとかっこいい。そんなシューズはなかなかないと思います。定番を超えた殿堂入りの一足です。

鎌本:もしこのモデルが廃れたとしても、20年後、同じようにこのシューズが流行って、誰かが今日と同じ会話をしているんじゃないかな。それが“990”シリーズなんだと思います。

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【WWDJAPAN ビューティお悩み相談室Vol.1】脱・マスク荒れ!美容プロが指南する原因と対策

 連載企画「WWDJAPAN ビューティ」お悩み相談室」では、SNSのアンケート機能を用いて「WWD JAPAN」フォロワーに現在のビューティに関する悩みをヒアリング。読者のリアルな疑問や悩みをビューティストたちに解決してもらいます。初回は、コロナ禍で悩みが増えた“マスク荒れ”をピックアップ。松倉クリニック代官山の貴子院長に、マスクによる肌トラブルの原因や対策、おすすめアイテムについて話を聞いた。

肌トラブルの原因は“蒸れ”と“摩擦”

――マスクで肌荒れが起きるのはなぜですか?

貴子松倉クリニック代官山院長(以下、貴子):さまざまな要因がありますが、マスク着用によりマスク内の湿度が高まる“蒸れ”、マスクが肌と擦れてしまう“摩擦”、さらにストレスが原因となることが多いですね。

――クリニックでは“マスク荒れ”についてどのような悩みが多いですか?
貴子:マスクの内部は高温多湿になる上、水分が蒸発しにくい環境のため皮脂も増加します。そのため毛穴が開きやすい状態になり、毛穴が気になるなどの悩みが多いです。また、マスク内部の高温多湿により雑菌が増殖すること、さらにマスクによる摩擦で肌のバリア機能が低下し、ニキビや吹き出物といったトラブルを抱えている人も多いですね。

――コロナが流行し始めたマスク着用初期の頃と比べ、最近の“マスク荒れ”の悩みは変わってきていますか?
貴子:初期のころは、摩擦によるフェイスラインのニキビや赤みの悩みが多かったですね。最近はマスク着用が長期間続いたことによる毛穴の開大、そのほかマスクによる表情筋の低下によるたるみ、マスクをしていてもできるシミの相談が増えてきています。

――どのような症状になるとクリニックを受診したほうが良いですか?
貴子:数週間以上、慢性的に治らないニキビや肌荒れがある場合は受診をおすすめします。もちろん初期段階のトラブルでも大丈夫ですよ。

朝晩のスキンケアを念入りに行うこと

――いますぐ取り入れられる“マスク荒れ”へのケアはありますか?
貴子:マスクを長時間つけないといけないときは、朝晩のスキンケアを念入りにすることが大切です。日中もミスト化粧水をつけたり、マスクが擦れる部分にバームを塗ったりするなど普段から肌のバリア機能を整えて、水分量を高めることを意識してほしいですね。また、マスクの素材やサイズにも注意が必要です。できるだけつるつるした素材で清潔に保てるものが好ましいですね。数時間おきに使い捨てるのが理想的ではありますが、それではコストがかなりかかってしまいますので、繰り返し使えるマスクをきちんと洗濯できていればそれでもOKです。

――“マスク荒れ”の予防として日常生活で取り入れられるスキンケアを教えてください。
貴子:バリア機能を強化するスキンケアを行ってください。皮脂を落としすぎないクレンジングや、シカ(ツボクサエキス)など肌を修復する成分の入ったシートマスク、きちんと角質層に停滞するローション、肌の柔らかさを出す乳液、バリア機能を強化するクリームなど。日中は潤いの膜ができるファンデーションなどスキンケア効果の高いメイクアイテムのを使用をおすすめします。

貴子先生おすすめのコスメ4選

「カバーマーク」の“トリートメント クレンジング ミルク”

 ブランド独自の“アクアクレンジングゲル構造”により、肌に優しくなじませるだけでメイクを浮き上がらせ、肌に負担なくクレンジングできる。ヒアルロン酸の2倍の保湿力がある独自成分“MCキトサン”など美容液成分を89%配合し、スキンケア後のような潤いのあるもちもちな肌に洗い上げる。

「エスト」の“ザ ローション”

 “乾燥・カサつき”の肌悩みに対応する「ソフィーナ(SOFINA)」の最先端技術を結集した化粧水。砂漠の塩湖でも水分を逃がさない極限環境生物が生み出す成分“エクトイン”の保湿力に着目し、独自の保水研究との融合により完成した“高持続ケラチン保水処方”を採用。角層細胞に潤いを抱え込ませ、明るくハリのある肌に導く。

「B.A」の“セラムクッションファンデーション”

 「ポーラ(POLA)」の最高峰ブランド「B.A」から8月1日に登場するクッションファンデーション。“日中の過酷な肌環境をポジティブに変換し、美しさに変える”という考えのもと、いつでも心地よく豊かな時間を過ごすための“持ち運べるスキンケア”発想のメイクとして誕生した。ポーラオリジナル“ゲルコートエマルション設計”を採用し、潤い補給効果とメイク効果を両立できる。

「タカコスタイル」の“ハイコンセントレートマスク”

 肌修復力の高いシカ成分を配合し、乾燥性敏感肌や乾燥に起因する難治性の肌荒れにも効果を発揮するマスク。そのほか、ヒアルロン酸やコラーゲン、エラスチン、ハチミツなどの保湿成分、肌荒れを抑えるアラントインとグリチルリチン、肌に透明感を与えるビタミンC、アルブチンに加え環境汚染による肌荒れにも対応するオウゴンリキッドも含み、乾燥・美白・シワ・たるみなどさまざまな肌悩みにマルチに対応する。

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フランス・パリ発 「ショーメ」トップが語るセレクティブな戦略とは?

 フランス・パリ発ジュエラー「ショーメ(CHAUMET)」のジャンマルク・マンスヴェルト(Jean Marc Mansvelt)最高経営責任者(CEO)が2年半ぶりに来日した。今回の来日の目的は、日本の市場動向を肌で感じるためだ。同CEOは、1990年から(他社に在職中も)2019年まで、毎年3カ月に1度は来日。「コロナ禍の2年半は、まるでバツゲームのように来日いる」と親日家の一面を見せる。マンスヴェルトCEOにコロナ前後の市場の変化や日本市場、今後の戦略について聞いた。(PHOTOS:TSUKASA NAKAGAWA)

WWD:コロナが落ち着きつつあるが、コロナ禍と比べてここ数カ月の商況は?

 現在、好調な市場とその理由は?

ジャンマルク・マンスヴェルト=ショーメ最高経営責任者(CEO以下、マンスヴェルト):コロナ禍で世界的に各市場に特化したサービスに注力したことで、それぞれの市場のビジネスが伸びている。コロナで絆を象徴する結婚やギフトのジュエリー需要が高まった。日本では、コロナ禍で旅行できない代わりに、長期間使える価値のあるものの需要が増えている。7〜8年前から本格参入した中東市場もとても伸びている。中東に関しては、ほかのビッグメゾンの露出が増えているのと相乗効果で「ショーメ」への注目がアップしている。まずは、誰でも知っているビッグメゾンのジュエリーを購入する顧客が多いが、多くの人が着用しているのを見て、違うものが欲しいと思うようになる人もいる。われわれは、2世紀半以上の歴史を持つメゾンで価値あるジュエリーを作り続けている。だから、単なる他のブランドの代替品ではない。

 日本は本当に好調で誇りに思っている。

WWD:コロナ禍でデジタル強化をせざるを得なかったと思うが、強化ポイントは?

 デジタル販売の割合は?

マンスヴェルト:店舗をクローズせざるを得なかった時期は販売を遠隔で行うしかなかった。スタッフがライブストリームや電話で顧客に連絡して商品をお届けしたこともあった。2021年末には、フランスでECをスタート。日本でも今年末までにオープンし、少しずつ広げていくつもりだ。現在、ECの売り上げの割合は4〜5%程度だ。消費者がメゾンに触れる入り口はいろいろあるべき。しかし、やはり来店してもらい商品やサービスを体験してもらうことを大切にしたい。ジュエリーは身に着けるものなので、実際手に取って納得して購入してもらいたい。

文化の継承、そして最高の場所で最高のサービスを提供

WWD:昨年秋に横浜で開催したハイジュエリーイベント「フランスと日本文化のConversation―ショーメのサヴォワールフェールと日本の名匠3人の対話」を企画した理由と目的は?一般に公開したが来場者数は?

マンスヴェルト:「ショーメ」は世界に開かれたメゾン。19~20世紀には世界の王族から特注品の注文があった。ヴァンドーム本店に昭和天皇をお迎えしたこともある。だから、世界中の文化からヒントを得て作品をデザインしてきた。このハイジュエリーイベントは日本との交流の証であると同時に、日本のアルチザン=匠への敬意を示したもの。日本の伝統工芸である、竹細工や刀、盆栽など、ジュエリーの金細工とは全く異なるものだと思われがちだが、本質は同じ。それらの対話を展示を通して試みた。また、これは、私の日本への愛を表すものでもある。あいにく、来日は叶わなかったが。顧客への販売にもつながったし、6日間の一般公開で約8000人もの来場があった。美しいものは、分かち合うべきだと思う。

WWD:現在の日本市場の課題と今後の戦略は?

マンスヴェルト:「ショーメ」は控え目なメゾン。より多くの人に知ってもらうのが課題だ。ただ、他のブランドとは違うセレクティブなメゾンというポジショニンング。だから、20年には、店舗数を18から11に絞った。店舗が多ければいいというわけではない。効率化を図ると言う意味でも、より、セレクティブな場所で最高のサービスを提供するのが目的だ。将来的には、いい場所があれば出店しようと思っている。今年は、既存店のリニューアルをしてサービスを充実させるつもりだ。

2世紀半培われてきたストーリーを現代に

WWD:現在日本で好調なファインジュエリーとその理由は?

マンスヴェルト:“リアン”とブライダルで人気の“ジョゼフィーヌ”、 “ビー・マイラブ”の3つのシリーズが絶好調だ。“リアン”は絆を象徴するデザイン、“ジョゼフィーヌ”はナポレオン皇帝の妃で2人の愛を象徴するもの、“ビー マイラブ”は、ナポレオンの紋章と全てにストーリーがある。それぞれバリエーションも多くあり、重ね付けもできる。
特に“ビー・マイラブ”は若い層に人気が高い。

WWD:今後、強化していく市場や課題は?

マンスヴェルト:各市場を強化していく。われわれは12カ国でしか展開しておらず、同業他社と比べるとかなり少ない。だから、ポテンシャルはまだまだある。

WWD:ミレニアル世代やZ世代に対するコミュニケーションやアプローチは?

マンスヴェルト:若い世代に対しても、SNSなどを使ってコミュニケーションしていく。大切なのは、「ショーメ」は、新しいストーリーを作りだすメゾンではないということ。2世紀半培われてきた歴史とストーリーを紡いでいるメゾンであることを誠意を持って伝えたい。

 伝統だけに頼っているわけではなく現代性ももち合わせて永続性のあるメゾン、それが「ショーメ」なのだ。

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経産省が繊維ビジョンを15年ぶり策定 「繊維産地サミット」を7月に開催

 経済産業省(以下、経産省)はこのほど、「2030年に向けた繊維産業の展望」と題し、繊維ビジョンを発表した。これはつまり「国が日本の繊維産業の現状をどう見て、今後どのような政策を打ち出すのか」の青地図である。活性化の施策として掲げる3つの戦略について、同省の永澤剛製造産業局製品課長に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):前回の繊維ビジョンの発表が2007年だから、15年ぶりの施策発表となる。

永澤剛・経済産業省製造産業局製品課長(以下、永澤):新型コロナを背景に産業の構造的変化が加速した中で繊維産業の2030年を見据えるため、産業関係者や有識者14人の委員で構成する検討会を重ねロードマップを策定した。これは繊維産業を経産省としてもしっかりサポートしていくという、ある意味業界に向けたメッセージだ。

WWD: ホームページに公表した同名の資料には、繊維産業の概況や各地域の繊維産業の特徴まとめといったデータ資料に加え、今後の政策が書かれているが、ざっくりとそのポイントは?

永澤:新市場開拓のため、サステナビリティの推進とデジタルの加速を前提に3つの戦略分野としてまとめた。①新たなビジネスモデルの創造、②海外展開による新たな市場獲得、③技術開発による市場創出、だ。

WWD:新しいビジネスモデルの創造に向けて、「ファッション・ビジネス・フォーラム」を年内に立ち上げる。その目的は?

永澤:一言で言えば新たな“稼ぐ力”の創出だ。現在、多くの産地企業はOEMの生産が主流と思われるが、大手アパレルとの取り引きが減少している中、新たな収益源を探さなければ生き残りは図れない。

WWD:具体的には何をするのか。

永澤:マッチングを考えている。ファクトリーブランドとその独立支援は以前からある施策だが、今は消費者が産地や工場と直接コンタクトをとり、プロセスにも関わる“応援消費”といた新しい動きが増えている。さらにデジタルやスタートアップ企業の存在でマッチングの形も変わってきている。このフォーラムを通じて産地企業とデザイナー、インフルエンサー、DtoC、アパレル、ECプラットフォーム、他分野の企業などを結び、賃金上昇や人材獲得などにつながる好循環を創出したい。

WWD:公開資料にある「繊維産地サミット」とは?

永澤:「ファッション・ビジネス・フォーラム」を一丁目一番地で、そこから広げて産地間の連携を強化したい。産地を有する約27の地方公共団体により構成するのが「繊維産地サミット」で、7月に開催を予定している。実際に産地を訪れてみると、自治体同士は意外と連携していないことも多いことがわかる。国内の産地には就業者数や出荷額の減少など共通の課題があり、有効な取り組みを共有・横展開してゆくことが望ましい。それぞれが地場産業を盛り上げるために取り組んでいることを共有したり、産地間コラボや協業をしたりする予定だ。

WWD:1枚の服は複数の素材や技術でできており、実際制作時にはデザイナーが複数の産地をもって回わることも多い。産地間、自治体間の協業は確かにもっとあっていい。

永澤:東京を介さず産地や自治体同士の自然発生的なネットワークが生まれたらなおいい。

 また、事業継承などの促進も進めたい。事業継承・引き継ぎ後の設備投資や販路開拓などの経営革新にかかる費用などを支援したり、産業競争力強化法により事業再編計画として認定した取り組みを税制優遇や金融支援などの支援措置により後押ししたりする。

WWD:2つ目の戦略「海外展開による新たな市場の獲得」とは。

永澤:国内の人口減少が進むと想定される中で、拡大する海外需要を取り込むことは重要。また、海外から評価される日本の技術⼒を背景に、日本企業は海外展開のポテンシャルを有している。今後、より一層、海外展開を推し進めていくために、関係機関による情報共有・検討の場を設置する。関係機関は、一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構 (JFW)、クールジャパン機構、独立行政法人中小 企業基盤整備機構、独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)、日本繊維産業連盟をはじめとする業界団体、経済産業省などで構成する。

「繊維から繊維へのリサイクル」の技術開発

WWD:最後に3つ目の「技術開発による市場創出」とは?

永澤:繊維産業が発展するには、技術力において他国に引けをとらないことが重要。産学官が連携し、技術開発を進める。具体的にはたとえば「繊維から繊維へのリサイクル」だ。洋服はご存じの通り複数の繊維が混じっており、その分離・分別は相当に困難。そのブレークスルーを “技術研究組合”のような組織を作り化繊メーカーなどが企業の枠を超えて包括的に研究開発し、実現したい。大規模な投資を必要とする数年単位の話だが、サステナブルなファッションを本気で実現するならば、この限界を超えないと。

WWD:すべての素材で服から服への水平リサイクル。それが実現したら世界から必要とされる技術になる。

永澤:ほかにも導電性繊維などのスマートテキスタイル、ヒューマンインターフェースとしての繊維製品、バイオ素材の普及、無水型染色加工、オープンプラットフォームによる事業家推進なども考えられるだろう。いずれにしてもスピード感をもって可能とするため、「新市場創造型標準化制度」などにより柔軟かつ間口の広い企画開発を支援したい。また、国際標準化交渉をリードできる若手人材の育成をするためのプログラムなどを通じて人材の確保も支援する。

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「♯白髪ぼかし」がバズり客単価5000円アップ 福岡の人気美容師のサロンワークに迫る

 福岡市の大名にあるヘアサロン「キャンディ(Candi)」の市山博基・店長は、自身のインスタグラムにアップした“白髪ぼかし”の記事がバズり、一躍人気者となった。“白髪ぼかし”とは、白髪を黒染めするのではなく、ハイライト(線状に一部の髪を細かくブリーチして明るくし、立体感を出す技術)を活用して白髪を生かす施術のこと。白髪ぼかしに注力するようになってから、それまでほとんどいなかった年上の顧客が徐々に増え、現在では約7割に達し、客単価が5000円アップしたという。

WWDJAPAN(以下、WWD):白髪ぼかしに注力するようになったきっかけは?

市山店長(以下、市山):今から2年前くらいに、東京で美容師をやっている友人が、白髪ぼかしでバズっていたんです。それまで、私はナチュラルハイライトには力を入れていて、白髪を生かすお客さまもいたのですが、仕上がりをSNSに投稿していなかったんです。「SNSに上げても、白髪世代の方はSNSなんてあまり見ないだろう」と思っていたので。ところがその友人に「上げた方がいいよ。福岡ではまだ白髪ぼかしを投稿している人はあまりいないから、絶対最初にやった方がいい」と言われたんです。当時私は30歳で、美容師として新たな方向性を模索していた時期でもあったので、言われた通りに投稿し始めました。それがきっかけですね。

WWD:SNSの反応は?

市山:投稿し始めてから3カ月間くらいは、正直見られている感じはしなかったですね。でもそこからぽつぽつと白髪世代の新客が増え始めて、やがて増え方が加速し、いわゆる“バズり状態”になりました。新規のお客さまに来店理由を聞くと、「インスタを見た」という方が大半でした。インスタを始めた理由を聞くと、「子どもの影響で……」という方が圧倒的に多かったです。特にファーストグレイ世代には、子どもが携帯を持ち始める年齢の方も多く、意外とSNS活用率は高かったんです。

WWD:当時、白髪ぼかしに注力している美容師はあまりいなかった?

市山:多くはなかったですね。面白いことに、東京に1人、北海道に1人、みたいな感じで、各地に1人ずつ白髪ぼかしで“プチバズり”している美容師がいたんです。それで、“大名では市山”といった立ち位置になれたと思っています。やり始めて気付いたのですが、今の30代後半~50代前半の世代には、若い頃に“ギャル文化”に触れていた方が多く、ヘアカラーで遊んでいた人たちなので、ハイライトに抵抗がないんです。「またカラーで遊べる」くらいの感覚でチャレンジしてくれているようです。

WWD:具体的にはどんな白髪ぼかしを提案している?

市山:私が提案しているのは“ナチュラルな白髪ぼかし”です。そもそも白髪ぼかしというのは、「髪を明るくして白髪をぼかしましょう」という提案からスタートしています。ところが、私の顧客からは「暗いままでぼけないんですか?」という問い合わせが多かったんです。これは結構難題だったのですが、いろいろと研究して、カラー剤の調合でバランスをとることでできるようになりました。その“ナチュラルな白髪ぼかし”の需要は高く、今では私の提案の主流になっています。

WWD:ハイライトが目立たない白髪ぼかし?

市山:そうです。当初は“白髪ぼかしハイライト”とうたっていたのですが、最近では単に“白髪ぼかし”と言っています。“ハイライト”を付けると、ハイライトを目立たせないといけないので。例えば東京の美容師の“#白髪ぼかし”の投稿を見ると、スジ感が目立ちます。その方が映えるし、派手な感じを好むお客さまが多いのだと思います。でも福岡のお客さまにその画像を見せると、「こんなに目立たせたくない」と言われるケースがとても多いんです。ハイライトを目立たせたいお客さまは一握りで、「白髪をぼかすためにハイライトを入れる」というニーズの方が高い。「ほかの美容師のインスタも見たけれど、市山さんのが一番自分に合いそうだと思って来ました」という方も増えましたね。

WWD:インスタに投稿する際のコツは?

市山:私は、“ビフォー&アフター画像をしっかり載せる”ことだと思っています。私は自然にやっていたのですが、「ほかの人のインスタにはビフォー&アフターがないのに、市山さんの投稿にはあったから分かりやすい」ともよく言われます。改めて調べてみると、確かに、意外とアップで分かりやすいビフォー&アフターは少ないんです。ビフォーは根元のアップだったのに、アフターは引きになってしまっている画像とかよくありますね。

WWD:白髪ぼかしを提案するメリットは?

市山:高めの年齢層のお客さまが増えたことと、黒染めからデザインカラーに移行したことで、客単価が約5000円アップしました。あと「白髪染めのために美容室に行くのは“義務”で億劫だったのに、色を選べる白髪ぼかしにしてからは、美容室に行くのが楽しみになった」とも言ってもらえます。美容師として、とてもうれしいですね。

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ブランドPRとプレスをつなぐ新時代の美容PR業務支援プラットフォーム「BPB」

 美容業界は最新のトレンドや最先端美容テクノロジーを扱う一方で、電話やFAXのやりとりなどアナログなコミュニケーションが多かった。そんな“人”に依存した状態にイノベーションを起こしたいと美容専門PR会社のメディア・グローブは昨年1月、化粧品ブランドとプレスをつなぐ美容PR業務支援プラットフォーム「ビューティプレスボード(以下、BPB)」をスタートした。これまで数度にわたりアップデートを重ね、ブランドとプレスの業務効率化にも貢献。登録ブランド数250、登録プレス数850人、貸し出しアイテム数は約2万点と成長を続けている。開発メンバーの1人である同社PRプラットフォーム部ビューティプレスボードグループの蘆田成美プロデューサーに、美容業界が持つ課題やBPB開発のきっかけ、目指す位置付けについて話を聞いた。

きっかけはデジタル化とは
ほど遠いPR業務を目にして

WWD:BPB開発の経緯は?

蘆田成美メディア・グローブPRプラットフォーム部ビューティプレスボードプロデューサー(以下、蘆田):日々のPR業務でさまざまなブランドと話をする中で感じた業務課題がきっかけです。美容業界は電話やメールでの連絡が多く、貸し出し製品の管理など業務ボリュームが大きいためブランドのPR業務が煩雑になっていました。特に近年はコロナ禍のため対面する機会が減り、若手PRやプレスからは「どこでつながればいいか分からない」といった声もあり、つながり方やつながった後のコミュニケーションにも課題がありました。デジタル化を進めることでこれまでの煩雑な業務を効率化し、PRが本来時間をかけなければいけない業務に専念できれば、そしてプレスとのコミュニケーションを深める新しいつながりの場が作れたらと思いプラットフォームサービスとして開発しました。

WWD:BPBローンチ後のプレスやブランドからの反響は?

蘆田:まだまだ課題が多いですが、徐々にブランドもプレスも利用が増えています。BPBは2019年に構想し1年の開発期間を経て昨年1月にテストローンチ。昨年4月には本格的にサービスが始動しました。プレスからも企画単位で一括依頼できる点が喜ばれています。プレスはこれまでは一つの企画を進行する際、各ブランド宛てにそれぞれの貸し出し依頼製品を記載した企画書を送らなければいけませんでした。BPBでは複数ブランドにまとめて1回で依頼できます。BPBの製品貸出件数はこれまでに1万件を突破し、取り扱いブランド数とともに日々右肩上がりで増えています。最初はプレスもブランドも新しいツールにチャレンジすることにちゅうちょし、「今までのやり方を変えないといけない」「電話の方が早く、システムを覚えるのはフラストレーション」といった理由で利用を断られることも多かったです。

WWD:新しいツールを使ってもらうために行ったことは?

蘆田:どうしたら利用してもらえるのかを考えたとき、最優先したのは「プレスの利便性」でした。当初から情報収集とブランドへの貸し出し依頼が一括でできるという“目指すプラットフォームの形”はありましたが、業務の効率化に至るまでの操作性が追い付いていませんでした。そこでプレスから実業務で利用する上で不便に感じる点を聞き取り、ローンチ後も機能のアップデートを集中的に行いました。プレスのリアルな意見にスピーディーに対応することで少しずつ満足度が向上し、ブランドからは「これまでつながりのなかったメディアから貸し出し依頼が来た」という声もいただくようになりました。

ビューティプレスボードとは?

WWD:コロナ禍で変化するプレスの需要にも柔軟に対応している。

蘆田:コロナ禍では人との接触を避けるため製品撮影ができず、その分画像依頼が依頼全体の2〜3割程度に増えました。しかし当初はBPB内で画像依頼をしても、ブランドから直接メールで画像が届くというシステムでした。結局はBPBから出たやりとりが必須だったのですが、昨年秋のアップデートではBPB内で画像の貸し出しが完結できるように改良しました。

WWD:現在の登録数は?

蘆田:登録プレス数は850人で、メディアの編集者やフリーランスライターに加え、最近ではSNSで美容コンテンツを発信しているインフルエンサーも増えています。登録ブランド数は250で貸し出しできるアイテム数は約2万点。百貨店で扱うラグジュアリーブランドから“プチプラ”ブランドまで網羅していますが、さらにブランドのカテゴリーを広げ、プレスが企画の立案や貸し出し依頼をBPBで完結できるようなブランド数を目指したいですね。実際にプレスからの「BPBで全ての化粧品ブランドに依頼できるようになってほしい」という声は非常に多く、期待に応えられるようブランドへの利用促進を図ってまいります。特に「何からPRを始めればいいか分からない」というブランドには、PRを始める第一歩としてBPBへの登録を勧めたいです。

WWD:BPBが目指すものは?

蘆田:美容業界における“標準ツール”を目指しています。プレスが貸し出し依頼や新製品情報の収集をするとき、「まずはBPBをチェックしよう」となる当たり前の存在になりたい。時短や効率化がかない便利になるだけでなく、BPBだから知ることができた情報やつながれたプレスとブランドがあるという、プラスアルファの価値をつくりたいです。機能面では、プラットフォームの特性を生かして貸し出しデータを可視化し、トレンドやニーズの分析などを提供していきたいと考えています。今後も業界のPR業務に役立つために、日々プレスやブランドの声を吸い上げて機能面とサポート面の改善を続けていきます。

BPBを利用するブランドと
プレスが語るメリットとは?

PHOTOS:TAKAO OHTA
TEXT:WAKANA NAKADE

問い合わせ先
ビューティプレスボード事務局
bpb-brand@cosme.net

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アクリスCEOに聞く パンデミック前後で世界のエグゼクティブ女性のファッションはどう変わったか?

 パンデミックは女性たちの価値観や生活をどう変え、ファッションにどう反映されているのか?世界のエグゼクティブ女性に支持されているアクリス(AKRIS)のピーター・クリームラー(Peter Kriemler)最高経営責任者(CEO)に、パンデミック前後での売れ筋の変化や、サステナビリティに対する考えなどを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):パンデミック前後で「アクリス」の商品の売れ筋に変化はあったか?ヒット商品の特徴から女性たちの働き方や生活、考え方にどのような変化を見る?

ピーター・クリームラー=アクリス最高経営責任者(CEO、以下クリームラー):よりリラックスしたシルエットへのニーズが増え、ニットアンサンブルやドレス、ブラウスが好調だ。米国ではより早い時期からパンデミックからのリカバリーへのお祝いムードがあり、制限していた家族や小規模のパーティやウェディング用に、華のあるカクテルドレスやトップ&スカートのセットアップが飛ぶように売れている。日本では、リモートからリアル会議や会合への回帰と連動し、アクリスの強みであるジャケットへのニーズが今年初めから高まっている。ただし、以前のようにかしこまったものではなく、よりリラックスした雰囲気で、セットアップでなくとも軽やかでサラっと羽織れるスタイルへとニーズが変化している。

WWD:ライフスタイルの変化はバッグの売れ筋にも反映されているか?

クリームラー:2022年春夏コレクションの新作“アヌーク メッセンジャー(Anouk Messenger)”が好調だ。構築的なシルエットが特徴のメッセンジャータイプのバッグで、新しい働き方とカジュアルの両方のニーズにマッチしている。同時に、アイコンバッグである“アイ(Ai)”は引き続き根強い人気がある。春夏コレクションでは、プレキシ素材にアーティストの色鮮やかな作品をフォトプリントしたものや、ラフィア風素材、アクリスの本拠地であるスイスのザンクト・ガレンの古い地図をフォトプリントしたファブリック素材など、バッグ自体が軽量でパソコンを入れても体に負担が少ないタイプが人気だ。

WWD:顧客の買い物の仕方に変化は見られるか?売り上げ全体に占めるEC化率、店頭での滞在時間など、特筆すべきことがあれば教えて欲しい。

クリームラー:ECでの買い上げが好調に推移しており、米国では売り上げの15%前後を占めるまでに成長している。日本はこれよりも少し低い割合となる。理由は国土がアメリカに比べ狭く、ほとんどの顧客が大都市に居住していること、居住地域からアクセスしやすい百貨店等にブティックがあり、リアルにショッピングを楽しめる環境が整っていることが理由に挙げられる。百貨店の外商によるリモートショッピングは好評で、スクリーンを通じて選んだ商品を自宅まで届けるショッピングスタイルが増えている。

WWD:感染症の広がり、ロシアのウクライナ侵攻、異常気象など予測できないことが次々に起きている。これらは女性たちのファッションに対する姿勢にどのような影響を与えていると思うか?

クリームラー:ファッションに対する女性たちの考え方については、パンデミックを経て、より自分への価値を見出し、自分を大切にし、自身を取り戻したい、ファッションの力を借りてポジティブに前進したいという気持ちが強くなってきているように思う。

創業当時から製造過程で出た切れ端を活用していた

WWD:仕事でリーダーの立場にある多くの女性にとって「サステナビリティ」は関心事のひとつ。「アクリス」はその関心にどう応えるか?考え方とアクションを教えて欲しい。

クリームラー:アクリスは1922年創業、つまり今年100周年を迎え、創業したその日からサステナブルなブランドと言える。創業以来コレクションのほとんどが天然素材のファブリックを使用し、着る人の着心地や機能性を考慮しつつ、環境を配慮した素材を選んでいる。織布の開発から店頭に並ぶ完成品に至るまで垂直統合で一貫した開発、製造、販売過程を持つ。生産施設はすべて欧州域内にあり、スイスのみならず欧州連合(EU)の環境基準に則って徹底的な製造管理を行っている。持続可能原則の尊守を確認するためにサプライヤーをモニターし、再生エネルギー利用の最大化や水源および化学物質利用の最小化に努めている。

WWD:創業したその日から、が意味することは?

クリームラー:ファブリックを捨てない工夫と再利用のスタンスも創業当時から受け継がれている。私の祖母である創業者、アリス・クリームラー=ショッホ(Alice Kriemler-Schoch)は、ブランドの創業時に作っていたエプロンの製造過程で出た端切れは処分せず、それらを集めパッチワークタイプのエプロンを作っていた。このファブリックを無駄にしない慣行は現クリエイティブ ディレクターのアルベルト・クリームラー(Albert Kriemler)にも引き継がれ、数ヤードしか残っていないファブリックでも保存し、新たなコレクションや他の用途へ再利用している。

WWD:配慮した素材選びとは?

クリームラー:「アクリス」を代表する素材でハンドバッグや洋服のポケットやベルトに使われている「ホースヘア」は、採取する際、人間のヘアカット同様、痛みを伴わず、馬を殺生しないので、アニマルフレンドリーな素材である。アクリスはモンゴルで採取されたホースヘアのみ使用しており、ホースヘアを使うことは、モンゴルの遊牧民の生活を支えることにもなっている。

 ここ数年ファッションビジネスにおいて「サステナビリティ」はなくてはならない取り組みとなっているが、我々からすると創業以来ずっと取り組んできたことなので、何ら特別なことではなく、「サステナブルであること」は我々にとってごく自然なこと。SDGsの観点から話すと、創業以来重要なポジションには必ず女性が就いており、現に日本法人、韓国法人の社長と、グローバルリテール部門のトップも女性だ。

WWD:創業100周年を記念してどのようなプロジェクトを計画しているか。

クリームラー:10月1日にパリファッションウィークで発表する予定の2023年春夏コレクションが100周年の記念コレクションとなる。いつもより大規模なショーやアフターパーティを予定している。さらに記念本の発売、アートキュレーターによりキュレーションされた過去のアーカイブコレクションを各国のブティックやポップアップで展示するこのとも考えている。11月には、アイコンマテリアルであるホースヘアの新しい革小物のラインアップも登場する予定だ。

WWD:このほど銀座店を中央通り沿い移転オープンした。同店や日本のマーケットに期待することとは?

クリームラー:銀座の中央通りに旗艦店をオープンできたことはブランドにとって非常に重要なステートメントで、ブランドのオーナーとして心から嬉しく思う。そして1階にハンドバッグ、スカーフ等アクセサリーを置いたことは、アクリスが今後レザーグッズの販売を益々強化していくという日本のマーケットへの強いメッセージでもある。今回建築界の巨匠であるデイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)アーキテクツ・ミラノに店舗のデザインを依頼したが、彼の構築的でミニマルなスタイルは、アクリスのバリューにマッチしており、商品の質の高さをより引き立ててくれている。

WWD:改めて「アクリス」のコアバリューとは。

クリームラー:アクリスは 目的を持ち自立した女性(Independent Woman With Purpose)のために服作りをしてきた。アクリスのファッションは女性の生活をより快適にし、女性が持つありのままの美しさや優雅さを引き立てることにある。クリーンでスリーク、ミニマリストなデザインは女性の個性を引き立て、エンパワーし、女性のあらゆるライフシーンをサポートする。これがアクリスのコアバリューだ。アクリスの服はただ女性を着飾るのではなく、洋服をまとった時女性がどのように感じるか、ファブリックが肌に触れたときの感覚、つまり着心地を何よりも大切にしている。

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安田美沙子がトライ! “ハイブリッドランニング”でかなえる“筋肉のエコ”とは?

 MTGのトレーニングブランド「シックスパッド(SIXPAD)」の最新トレーニングギア“パワースーツ コアベルト”は、腹筋、脇腹、背筋下部を同時に鍛える革新的なEMSスーツだ。有酸素運動や筋肉トレーニングと組み合わせることで、効率的なハイブリッドトレーニングを実現する。日ごろからランニングに励み、マラソン大会にも出場している女優・安田美沙子が“パワースーツ コアベルト”を着用し、“ハイブリッドランニング”を体験した。

「フルマラソンを走ると
何かが見える」 
知人の一言でランデビュー

 「実はもともと、積極的にランニングに取り組んでいたわけではないんです。きっかけは、お仕事でご一緒した方から『フルマラソンを走ると何かが見える』という一言。その“何か”が見てみたいという気持ちから、最初はウォーキングから始め、自分のペースで少しずつ走るようになりました。ボディーメンテナンスとして、というのももちろんありますが、ランニング後に仲間とカフェで過ごす時間が楽しくて。今は週1~2回、無理のない範囲で走っています。

 マラソン大会に出場し始めたばかりのころは一生懸命になりすぎて、目標のタイムが切れなくて落ち込んだりもしましたが、コーチのアドバイスから “受け入れること”を学びました。実生活でもうまくいかないことはあるけど、事実を受け止めて、自分の中で消化して、また前を向けるようになったんじゃないかな。ラン仲間ともよく話すのですが、運動って“運を動かす”と思うんです。走ることでポジティブな気持ちになって、いろいろなことがうまく回り始めたように感じています」。

美しいランニングフォームで
“筋肉のエコ”活動を

 「走るときに大切なのは、正しいフォームを保ち、無駄な筋肉を使わないこと。私はこれを“筋肉のエコ”だと思っていて、うまく“エコ”ができるようになると疲れにくくなるし、無駄な力を使わないので筋肉太りも防げるはず。そのためには体幹を正しく使うことが重要なのですが、ふと気がつくとおなかの力が抜けて姿勢が崩れてしまうことも。腹筋や背筋下部などのおなか周りを刺激し続けてくれる“パワースーツ コアベルト”を着用することでおなかに意識がしやすくなり、正しいフォームをキープしやすくなりました。

 モードの選択もできるので、20Hzは筋肉トレーニング、4Hzはストレッチやウォーミングアップ時に身体を整えるなど、目的に合わせていろいろなシーンで使っています。自宅でのエクササイズ時に着用することで、撮影前の身体づくりも効率的になりました。伸縮性があって身体にしっかりフィットするから、トレーニングの邪魔にならないのもうれしいです」。

自分をアスリートだと思って
ケアすることで、
心身ともに良い
コンディションをキープ

 「忙しい人にとってはトレーニングをする時間を確保するのも大変ですよね。私は昔から“ながらエクササイズ”が好きで、髪を乾かしながら足上げしたりしていました(笑)。普段は音楽を聴きながら家事をする時間がとても好きなのですが、“パワースーツ コアベルト”を使うことで家事中もちょっとしたエクササイズにつなげられるのがうれしい。家事もしたい、子供との時間も大切にしたい、だけど健康でいたいー。そんな生活を送るママにもぜひおすすめしたいです。

 以前、知人から『誰でもアスリートなんだよ』と教えてもらったことがあります。どんな人もアスリートとして自分の身体をケアしてあげれば、常に良いコンディションでいられるし、結果的にお仕事や人間関係もうまくいく。だから運動をしている人だけではなく、健康管理のサポートアイテムとして“パワースーツ コアベルト”を取り入れてみてほしいですね」。

ジェルシート不要の
EMSスーツで健康管理や
パフォーマンス向上をサポート

 安田が試した“パワースーツ コアベルト”は、おなかから腰周りを1周するように6つの電極が付き、腹直筋や腹斜筋、広背筋下部、脊柱起立筋下部にアプローチ。ランナーが重視する体幹を鍛える。“ながらエクササイズ”や効率的に筋肉トレーニングができる20Hz と、ウォーミングアップなどに適した4Hzの2種類のモードを搭載し、用途によって使い分けが可能。水をスプレーするだけで使用でき、家庭用洗濯機で手入れができる手軽さも支持されている。

※価格は全て税込みです
MODEL:MISAKO YASUDA
PHOTOS:RYOHEI HASHIMOTO
STYLING:REMI KAWASAKI
HAIR & MAKEUP:SHIERA SASAKI
問い合わせ先
MTG
0120‐467‐222

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飲む日焼け止め、目のケア、SPF値…… ドクターに聞く紫外線対策のギモン

 梅雨明け前から猛暑が続き、いよいよ紫外線対策も本格化。昨今はさまざまな機能を備えた日焼け止めが多い上に環境配慮型の製品も増えているが、それらは何が違うのか。SPFやPAの数値や“飲む日焼け止め”と言われるサプリメント、目のUVケアなど、意外と知られていないことも多い紫外線対策について、アヴェニュークリニック表参道院の佐藤卓士院長に話を聞いた。

――国内最高レベルの紫外線カット力は「SPF50+/PA++++」ですが、海外では70や100などSPF値が高く表記されているものもあります。日本でも高く表記できないのでしょうか?

アヴェニュークリニック表参道院 佐藤卓士院長(以下、佐藤):SPFとPAは日本化粧品工業連合会で規定されており、国際規格に従ってSPF50を最大値とし、SPF50よりも大きい数値のものは50+と表記するように決められています。同様にPAも数値が++++以上のものは全て++++と表記が決められています。したがって日本で高い表記はできません。米国でも上限の勧告は出ていますが、義務ではないため50よりも高い数値を表記している製品が売られています。

――UV製品には美白効果や保湿効果、シミや乾燥対策などプラスアルファの効果がついたものが多く存在します。これら美容成分配合より紫外線カット効果が弱まることはあるのでしょうか。

佐藤:実際の製品でSPFとPAの測定試験を行っていますので、プラスアルファの効果が含まれた製品でも、SPFとPAの測定結果よりも紫外線カット効果が弱まっていることはありません。

“飲む日焼け止め”と美白サプリは何が違う?

――UVケアサプリも増えています。それらは通称“飲む日焼け止め”と言われていますが、美白サプリとはどう違うのでしょうか?

佐藤:飲む日焼け止めに含まれる成分には、免疫防御作用や抗酸化作用、DNA保護作用を持ち、紫外線を浴びることで発生する活性酸素を除去することで赤みや炎症を防ぎ、日焼けによるシミや肌老化を防止します。一方、飲む美白は美白成分を配合しています。美白成分とはシミやくすみの原因であるメラニンを排出するのをサポートする作用、メラニンの生成を抑制する作用、皮膚のターンオーバーを助ける作用のあるものなどです。

――では、「飲む日焼け止め」だけでも紫外線対策できるのでしょうか?

佐藤:「飲む日焼け止め」を飲めば肌に塗る日焼け止めはいらないということにはならず、塗る日焼け止めの補助として併用していただくのが良いですね。

――昨今は子供の紫外線対策も注目を集め、子供向けと書かれた製品も増えています。子供の日焼け止めと大人の日焼け止めに違いはありますか?

佐藤:子供用の日焼け止めは紫外線散乱剤のみを含んでいるものが多く、「紫外線吸収剤フリー」や「ノンケミカルサンスクリーン」といった表示がされています。子供用は基本的には肌に優しい成分を使用していますね。

目の紫外線ケアも重要!

――目から紫外線が入るとどんな影響がありますか?浴びてしまった後の対策は?

佐藤:紫外線が目に入ると角膜がダメージを受けて、目の痛みや充血などの角膜炎を起こします。ダメージが長く続き、影響が水晶体に及ぶと白内障につながる可能性もあります。さらには黄斑変性や翼状片などの病気を起こす可能性もあります。また、マウスの目に紫外線を照射すると皮膚にメラニンが作られたという研究報告もあることから、目に紫外線が入ると脳が体に紫外線を浴びていると認知し、紫外線から体を守ろうと皮膚メラニンを産生するようになると推測されます。

このことからも、紫外線が目に入ることを防ぐのはとても大事です。サングラスやコンタクトレンズ、帽子などで目に入るのを予防しましょう。もし浴びてしまったら、目を安静にして冷却してください。また、炎症を軽減する点眼薬などを使用しましょう。

――百貨店やドラッグストアにはあらゆる効果のUV製品が続々と登場しています。どれを購入すればいいか悩む人も多いですが、選び方のコツは? 

佐藤:SPFやPAの数値を目安に、使用する目的に応じて選んでください。日常で使用する場合はSPF20〜30、PA++〜+++のものを使用し、マリンスポーツや終日の屋外レジャーにはSPF50または50+、PA++++のものを使用すると良いでしょう。また、UV製品の成分には紫外線吸収剤と紫外線散乱剤があり、製品によって使用している成分が違います。紫外線散乱剤は肌への負担が少ないため、こちらを使用している製品を選ぶと良いでしょう。

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「原稿執筆カフェ」で記者が“書き終わるまで帰れない”プレッシャーを体験 オーナーへの取材をその場で執筆

 東京・高円寺の「原稿執筆カフェ」は、“原稿を書き終わるまで帰れない”をコンセプトに書くことに特化したカフェとして4月にオープンした。そのユニークなコンセプトが話題を集め、海外メディアにも取り上げられた。今回は「原稿執筆カフェ」のサービスを、メディア代表として記者が体験。今、ここに書いている「原稿執筆カフェ」の体験リポートと、川井拓也オーナーのインタビューの原稿を“書き終わるまで帰れない”に挑戦した。

記者が「原稿執筆カフェ」を体験
来店客との不思議な連帯感が

 「原稿執筆カフェ」は、撮影スタジオ「高円寺三角地帯」が週3回営業している。その日に宣言した原稿の執筆目標を達成しないと退店できないシステムだ。料金は1時間 300円で、閉店時間の19時を過ぎてしまうと、超過料金として1時間3000円を支払うことになる。また、作業中には店員が定期的に「進捗いかがですか?」と圧をかけ、その頻度は「マイルド」「ノーマル」「ハード」の3コースから選べる。

 店内はカフェというよりバーのような雰囲気で、メニューがない。自由に飲める天然水やお湯、インスタントコーヒーがあり、食べ物や飲み物の持ち込みも許されている。店内には国語辞典や充電器、冷却ファンつきPCスタンドなど、無料レンタル品も充実している。

 では同店のサービスを実際に体験。入店後は“目標シート”に作業目標を宣言する。記者は“「原稿執筆カフェ」のインタビュー原稿を書き上げる”と書いた。このタイミングで“進捗頻度”も選択する。「マイルド」は最後に完成したかどうかを聞くだけで、「ノーマル」は1時間に1回声をかける一番人気のコース。「ハード」はさらに頻度を上げて後ろから圧をかけてくれるそうだ。初めて体験する今回は、「マイルド」で様子を見ることにした。

 “目標シート”を店員に提出すると「『原稿執筆カフェ』のインタビュー原稿、頑張ってくださいね」と声をかけられた。改めて声に出されると自分の目標をクリアに実感することができ、応援されている気にもなり、やり遂げようという気持ちが湧いてくる。

 この日は平日で、オープン時間の13時に予約をしたが、すでに10席あるうちの5席が埋まっていた。店内に会話は一切なく、全員が黙々と自分の作業に打ち込んでいる。ほどよい緊張感と、不思議な連帯感を感じる。店内はカフェというより、“原稿を書くためのスペース”という方が正しいのかもしれない。記者も、向かいのコンビニでいつものコーヒーと軽食を調達して作業に挑んだ。

 作業を始めて1時間。オーナーの川井さんが“進捗いかがですか?”のうちわとお菓子を載せたおぼんを持って席にやって来た。1時間ぶりの人とのコミュニケーションがうれしい。運が良ければ、お菓子の差し入れをもらうことができるそうだ。記者はおぼんの上のラインアップからチョコレートを選んだ。甘いものが染みる。

 作業を始めて2時間。作業が順調に進む中、オープンから時間を共にしてきた利用客の一人が原稿を書き上げ、退店していった。うらやましかった。この日は雨による低気圧で、気圧に体調を左右されやすい記者は、いつもならばあまり集中できなかっただろう。しかし、この日は完全に“ゾーン”に入っていた。途中でSNSに気を取られることもなかった。

 結局、作業を終えて店を出たのは、作業開始から4時間後の17時。料金は1200円だった。料金も原稿の進み具合にかかっていると思うと、金銭的に余裕さえあれば、ゲーム感覚で楽しめるのかもしれない。また、常設店でないからなのか、支払いに現金が使えないというのも現代的である。

 “原稿執筆カフェ”での作業は、確かに集中できた。ほかの来店客が頑張っている背中が励みになるし、“終わるまで帰れない”というのは少なからず精神的にプレッシャーがかかる。(早く帰りたい)という思いから、作業が捗るという側面もありそうだ。川井オーナーに、オープンまでの経緯を聞いた。

「原稿執筆カフェ」の川井拓也オーナーにインタビュー

WWD:「原稿執筆カフェ」が誕生したきっかけは?

川井:ここはもともと、ライブ配信用のスタジオとして2019年に借りた場所でした。以前のイタリアンバーのカウンターやキッチンがそのまま残っている内装だったので、お酒を飲みながらカウンター越しに対談している画を撮れるスタジオとして使っていました。

 しかし、コロナの流行で、お酒を飲みながら面と向かって対談するという画が成り立たなくなってしまった。どうしようかと試行錯誤し、「原稿執筆カフェ」というアイデアにたどり着きました。

WWD:それまでに紆余曲折はあった?

川井:最初は、飲食物を持ち込んで休憩できるスペースをやってみました。その後、コロナ禍だったので、1人で来るお客さまをどうすればたくさん入れられるのかをひたすら考えたんです。それから、僕がもともと動画クリエイターだったこともあり「動画編集カフェ」になりました。これもある程度は話題になったのですが、その割に集客にはつながらなかった。

 すると、脚本家の女性が「私に脚本執筆カフェやらせてください」と言ってきたんです。脚本に絞ってしまうと難しいかなと思い、「原稿執筆カフェ」になりました。場所を貸して、同業のオフ会みたいになればいいじゃない?と考え、最初はその女性を店長にして月2回ぐらいでやるつもりだったんですよ。でも、思いのほか反響があるものだから、これはやろうということになりました。今、自分の人生で一番バズっていますね。

WWD:来店客は、どういった業界が多い?

川井:みんな一人で作業をして帰っていくし、僕は原稿の中身を見ないので、詳しくは知りません。でも、入店時に書く目標を見ると“プロットを仕上げる”“論文を2時間で1000字書く”“パワーポイントを仕上げる”といろいろです。締め切りや入校日を抱えているプロの書き手だけでなく、学生やサラリーマンの利用者もいます。場所も高円寺だけでなく、神奈川などの遠方から来てくれます。

 家じゃなかなか始められないとか、やろうと思っているけど先送りにしてしまうという人がここに来て「家の3倍は捗りました!」とか「2000字のつもりが3000字書いてしまいました」と言って帰ってきますね。でも、みんな僕がチェックしているから集中しているんじゃなくて、周りの人が一生懸命やっているからサボれない環境になっているんじゃないでしょうか。

WWD:利用者とのコミュニケーションで気をつけているところは?

川井:僕が気をつけているのは、いかにみんなの集中を阻害する要因を減らすか。空調も女性が上着を羽織らないくらいの温度に保つようにしていたり、こちらからオーダーをとらずに自由に持ち込んでもらうシステムにしたり。

 あと、イヤホンをつけて作業をしている人も多いから、最近は声かけもうちわでやるようにしています。声かけの時には、チョコや飴をサービスで配ることもあります。暑かった日には“ピノ”を1個ずつ配りましたよ。

WWD:デッドラインの19時になっても原稿が終わらず、超過料金を払う人はいる?

川井:昨日、ついに超過料金の3000円を払った人が一人出ましたね。一応、自己申告制なので、本人が終わったといえば終わったことになるのですが、昨日の方は素直で「終わらないです!」と言っていましたね。でも、集中できていたから延長したかったんでしょうね。

WWD:今後の目標は?

川井:フランチャイズとまではいかないけど、別の喫茶店に売り込む形で“目標シート”を作ってもらい、1日限定営業をしてもらっても面白いかもしれない。今は僕がフロントマンとして立っていますが、書く人の気持ちが分かる編集者やライターに、店長をやりつつオフィスのように使ってもらうのもいいですね。

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ポリウレタンとポリエステルの複合素材のリサイクル可能に 開発者に聞く

 中国発のスタートアップ、チンタオ・アミノ・マテリアルズ・テクノロジー(Qingdao Amino Materials Technology)は、ポリウレタンとポリエステルの複合繊維をリサイクルする技術を開発した。この技術で2022年のH&M創業者によるイノベーションアワード、グローバル・チェンジ・アワードを受賞した。従来の繊維リサイクルは単一素材が一般的で、複合繊維の場合、どちらか一方の繊維のみがリサイクル可能であることが多い。しかしこの技術では、ポリウレタンとポリエステル、2つの繊維のリサイクルが可能になるという。開発したデビン・マオ(Debin Mao)最高経営責任者に話を聞く。

デビン・マオ/チンタオ・アミノ・マテリアルズ・テクノロジー最高経営責任者:2009年からベルギーのVITOに勤務し、研究開発、ビジネス、マネジメントの各職務に従事。クリーンテクノロジー、環境リサイクル、新エネルギー、新素材などの分野で、VITOと数十件の中国機関との協働や、科学技術面の変革プロジェクトを主導。技術研究開発、企業管理、科学研究成果の価値化、産業化などの分野で豊富な経験を積む

WWD:なぜポリウレタンとポリエステルの複合繊維に注目したのか?

デビン・マオ=チンタオ・アミノ・マテリアルズ・テクノロジー最高経営責任者(以下、マオCEO):理由は2つある。とてもよく使われる素材であること、そして、ポリウレタンがとても高価だから。昨年は最も高いときに1トン約1万ユーロ(約141万円)、直近は約6000~7000ユーロ(84万6000円~98万7000円)だった。

WWD:どのようなチームで、いつ頃から開発を始めたのか?

マオCEO:私たちは5人のチームで立ち上げた小さなスタートアップで、化学工学のバックグラウンドを持ちポリマーを研究している科学者もいれば、私は過去10年間ビジネス開発を行ってきた。何人かは本業があるのでフルタイムで働いていないが、アイデアのブレストを重ね、実行に移したのが約2年半前の2019年だった。

WWD:具体的にどのように分離して再生するのか。

マオCEO:日本や韓国でもリサイクル技術やリサイクルポリエステルの活用なども進んでいるが、今あるリサイクル技術では一方の素材を損ねてしまう。私たちの技術は、特別な酵素触媒を用いることで、2つの異なる繊維を区別する。そしてポリエステルだけを選定して解重合(ポリマーをモノマーまたはモノマーの混合物に変換するプロセス)を行うことができるため、ポリウレタンやコットンなど、もう片方の繊維がそのまま残り、異なる素材がリサイクル可能にできる。

WWD:ポリウレタンはどう再生するのか?

マオCEO:ポリウレタンはそのまま糸状で残る。回収されたポリウレタンを検査した結果、全ての繊維が良い状態を保っていた。ポリウレタンは有機溶媒で溶解し再び新しい繊維に再生できる。プロセスの詳細について開示できるのは、ここまでだ。

WWD:化学処理では水を使用しないとのことだが、エネルギーや化学薬品などはどの程度使用するのか?

マオCEO:私たちはプロセス全体を循環させたいと考えた。つまり、ポリウレタンとポリエステルを再利用するだけでなく、プロセス内の化学物質もすべて回収して再利用することに挑戦している。まだ研究段階にあり、完全なテック・エコノミック・アセスメント(Tech-economic assessment:正確なエネルギー消費量やリサイクル率などが含まれる有益な指標)を実施していないため、正確な数字を伝えられないが、現在準備中のパイロット規模の生産を開始する際に評価を実施予定だ。しかし、私たちの再生繊維の経済性を、非常に前向きに見ている。既存の技術と比較すると、私たちのプロセスは非常に温和な条件下で行われるため、消費するエネルギーは少なく済む。また、私たちの技術は高価なエラスタン繊維を再生し、再利用することができる。

WWD:量産化への計画は?

マオCEO:これから1年で生産量を1トンに引き上げ、最適化を重ねて全てがうまくいけば、2年目には100トンまで引き上げたい。ここまでいけば、その後は特定のステークホルダーと戦略的なコラボレーションにつなげることができるのではと考えている。

WWD:このリサイクルは既存の機械で行うことができるのか?あるいは新たに特別な機械を作る必要があるのか?

マオCEO:すでにあるものを市場から購入する。機械が特別なのではなく、プロセス自体が特別だ。

WWD:工場は中国に作るのか。

マオCEO:少なくとも100トン規模までは中国を拠点に行う。まだ先のことはわからないが、100トン規模で成功できれば、ナイキ(NIKE)など世界規模の企業が興味を持ってくれるのではと思っている。資本提携やジョイントベンチャーなど、さまざまな形態が考えられるので、形態によってどのように展開するかを考えていく。中国以外にも工場を設けるかもしれないし、それはコラボレーションによって変わってくると思う。

WWD:並行してパートナーを模索していく?

マオCEO:ええ。私たちはスタートアップなので、H&Mファンデーションからの助成金もとてもありがたいし、評価としても私たちを後押ししてくれると思っているが、1トン規模までは助成金などを活用することで可能だが、100トン規模では資金が必要になる。他のスタートアップ同様、資金調達は第1ラウンド、第2ラウンドと必要になる。タイミングを見極めて素早く行動に移さなければいけない。

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グローバルSPA各社で要職を歴任した重鎮 「マリメッコ」レベッカ・ベイに聞くコロナ後のファッション

 フィンランド発のライフスタイルブランド「マリメッコ(MARIMEKKO)」のレベッカ・ベイ(Rebekka Bay)クリエイティブ・ディレクターは、世界4大グローバルSPA企業のうち、3社でクリエイティブ部門の要職を歴任してきた人物。「マリメッコ」では2017年から取締役を務め、その役を降りて20年9月に現職に就いた。世界中の市場を絶えずウオッチし、生活者が求めるものを形にし続けてきたファッション産業の重要人物であるベイ・ディレクターに、「マリメッコ」で目指すものや、コロナ禍を経た今、求められるファッションについて聞いた。

WWD:20年9月に「マリメッコ」のクリエイティブ・ディレクターに就いた。自身のミッションは何か。

レベッカ・ベイ「マリメッコ」クリエイティブ・ディレクター(以下、ベイ):既によく知られている通り、「マリメッコ」には素晴らしい歴史があり、それに敬意を払って丁寧に扱っていくことが大切だ。昨年ブランド創設70周年を迎えたが、ここから次の70年も歴史を継承していく。私の役目は過去を守りながら、ブランドがグローバルで支持され続けるようにしていくことだと思っている。

 クリエイティブ・ディレクター就任当時はパンデミックの渦中で、「マリメッコ」のチームに溶け込むことには難しさも感じた。私はデンマーク・コペンハーゲンの自宅にいて、チームメンバーは(本社のあるフィンランド・ヘルシンキなどの)それぞれの家で働いており、リモートでチームの目標やビジョンをしっかり共有することはとても大変だった。17年から「マリメッコ」の取締役を務めていたのでブランドのビジョンや方向性はもちろん知っていたが、それでも困難を感じた。

WWD:そもそも、「マリメッコ」とはいつ、どのように出合ったのか。

ベイ:ブランドとの出合いは随分とさかのぼる。当時CEOだったミカ(・イハムオティラ=Mika Ihamuotila)にヘルシンキに招待され、ミカと現CEOのティーナ(・アラフフタ・カスコ=Tiina Alahuhta-Kasko)に会ったのが最初だ。その時は契約を交わすといったものではなく、「もしも今後縁があれば」といった場だった。私にとってはそれが初めてのフィンランド訪問で、あの国の自然や建築物にすっかり魅せられてしまった。同時に、「マリメッコ」にも強い魅力を感じた。(ヘルシンキにある)工場にプリントのための機械をちゃんと持っていて、スタッフの働き方もすばらしい。私はスカンジナビア出身なのでもちろんブランドのことはずっと知っていたが、魅力を再発見した思いだった。

 長らく住んでいたニューヨークから、2年前に母国デンマークのコペンハーゲンに帰国し、今はコペンハーゲンとヘルシンキを行ったり来たりしながら働いている。この2都市はとても近く、それが可能だ。「マリメッコ」のデザインチームが拠点としているのはヘルシンキだが、コペンハーゲンにもフリーのデザイナーなどが集まるスタジオがある。

「歴史あるブランドで働くのは初めての経験」

WWD:これまで、世界有数のSPA企業各社で働いてきたが、それらと「マリメッコ」はどう違うか。

ベイ:さまざまな部分で異なっている。長い間、アメリカや日本企業(のニューヨークオフィス)で働いてきた。それらとの最も大きな違いは、スカンジナビアの企業は組織にヒエラルキーがなく、(相手が誰であっても)全て直接的にやり取りをして、皆で協力しながらモノを作っていくというマインドが強い点だと思う。アートや建築、景色を見るたびに、ようやくスカンジナビアに帰ってきたと強く感じる。アメリカで働いていたころのチームメンバーは、私が生まれついたときから親しんできた文学やアート、建築などとは異なるレファレンスを持っていた。それが壁になっていた部分もある。今ようやくリラックスして仕事に向き合えていると感じる。

 自身のキャリアにおいて、新しい仕事を始める際は常に新しい挑戦を自分に課してきた。今まではレガシーやヘリテージのない会社で、いかにしてそれを作り出すかという仕事をしてきたが、「マリメッコ」には莫大なプリントアーカイブというヘリテージがある。それは私のキャリアにおいて初めてのこと。歴史のある会社でそれを守り、経緯を払いながらブランドを次に導くという役割を担っている。

WWD:「マリメッコ」と言えばプリントのイメージが非常に強いが、そこにシェイプという新しい切り口を加えてブランドをアップデートしようとしている。

ベイ:「マリメッコ」はアートのようなプリントを強みにしてきた。ドレスはアートを表現するためのキャンバスだ。ただ、私はそこにシェイプの理解ももたらしたい。プリントという言語は既に確立されているので、シェイプという言語をここに加えて、これまで2次元(平面的)だった表現を3次元(立体的)にしていきたい。かと言って、ごちゃごちゃしたシルエットを目指すというわけではもちろんない。ドレスをキャンバスとするうえで、クリーンなシェイプは守っていかないといけない。

WWD:前職時代も含め、これまでのキャリアの中で、常に「ワードローブのモジュール化」というキーワードを示してきた。改めて、それはどういった考え方で、「マリメッコ」ではどのように表現するのかを教えてほしい。

ベイ:確かに私は、「ワードローブのモジュール化」というコンセプトを唱え続けてきた。それは、アイテムが(単品としてではなく、1つのまとまった)コレクションとしてそれぞれの人に取り入れられ、拡大していくということ。「マリメッコ」の柄や色のアイテム同士を組み合わせていくのは、やや勇気のいることだと思うが、それを可能にするのが私の仕事だ。そうした提案が受け入れられるように、地域や国によって(MDや商品をローカライズして)アレンジしていくことも求められている。

 世界中にはさまざまな行事があり、例えば中国の旧正月などもその1つだ。(単にスタイリングのしやすさを意識してモジュール化するというのではなく、各国の季節行事などにも合わせて)より高い次元でモジュール化していくことで、全世界さまざまな人の多様なニーズに応えていく。私は世界4大SPAのうちの3社で働いてきた経験があり、国や地域別で好まれるニュアンスやテイストを理解している。それを「マリメッコ」にも提供していく。

WWD:特に日本市場に対してはどのような戦略で臨むのか。

ベイ:(グローバルな)大きなコレクションの中で、日本向けの小さなストーリーを紡いでいく。日本のお客さまは「マリメッコ」を象徴するウニッコ柄を好むが、その中でも特に小さめの柄が支持されている。また、ソフトでニュートラルな色のトーン、例えばサクラのようなピンクが好まれる。そのような、日本のお客さまが求める柄のサイズやカラートーンを、モジュールという考え方の中で表現していく。

 日本人女性は一般的にフェミニンなスタイルを好むと言われている。ただ、今回来日して街行く人たちを見て、よりスポーティーで、構築的なファッションの人もいると感じた。そうした気づきをしっかり生かしていく。22年春夏物には、花びらを意識したシルエットを採用した。これも柔らかい雰囲気を求める日本の女性の気分にはよく合っていると思う。日本の女性の気持ちを100%理解しているとは言わないが、これまで日本で過ごしてきた時間も長く、理解は比較的できていると思う。日本女性の好みのテイストだけでなく、日本の文化にも興味があり、恐らくそこも理解につながっている。

「機会があるたびに、立ち止まって振り返ることが大切」

WWD:コロナを経て、消費者の求めるものや意識はどう変わったと分析しているか。

ベイ:スエットパンツで過ごす長いステイホーム期間を経て、ファッションへの感覚は大きく変わった。ホームカテゴリーが非常に重要になっているし、より心地がよくて、より削ぎ落としたもの、より高いクオリティーでタイムレスな価値を持つものが求められるようになった。一時的なトレンドではなく、人生を豊かにするものが重視されるように変わってきている。「マリメッコ」はまさにそうした考え方に合っており、人々が装うことを手助けするブランドだと思う。美しいプリントが施された1枚のドレスを着れば、ただそれだけでコーディネートが決まる。買い物は単なる売り買いではなく、人生に喜びやエモーショナルな体験を提供するものでないといけない。祖母から母へ、母から娘へと受け継いでいける「マリメッコ」のドレスは、まさにエモーショナルなものだと思う。

WWD:サステナビリティについてのブランドの考え方は。

ベイ:1年半前に、あらゆる分野におけるサステナビリティの方針を打ち出した。かつてはデザインが先行だったが、今はサステナビリティが最優先事項だ。重視するのは便利さではなくサステナビリティ。例えば、われわれの新しいキャンバスバッグにもリサイクル素材を使っているし、そこからさらにリサイクルすることが可能なデザインにしている。金具の使用をなるべく減らすことでリサイクルする際にも無駄が出ず、スムーズに作業が進む。素材や生産方法でサステナビリティを意識するだけでなく、360度の視点で新しい循環型ビジネスも始めている。ビンテージの「マリメッコ」を販売するリセール事業も本国ではテスト的に開始した。リペアサービスも行っている。まだトライアル段階だが、ここから広めていきたいと考えている。

 サステナビリティが全てに先行することは、全く難しいことではない。今の時代、作るものに責任を持つことはデザイナーに必ず求められる要素だ。よりよい地球のためにはこうした考え方のアップデートが重要で、何か機会があるたびに、立ち止まってこれまでの手法でいいのかと考えることが重要。それはとてもポジティブなことだと思っている。

WWD:ファッション業界で、人がうらやむようなキャリアを積んできた。自身の経験をもとに、ファッションブランドに今求められることは何だと考えるか。

ベイ:インテグリティーだ。誠実さ、正直であること、(環境や人権問題などに)コミットする意思があること、思慮深さといったことなどを意味する。ブランドとして、誠実な姿勢と明確な方向性を持つこと。消費者と一緒になって、人生において意味のある、すぐに消えるトレンドなどではない大きなストーリーを紡ぐこと。その結果、人々が(ブランドや客同士で)つながりを持つといったあり方が求められていると感じる。

WWD:とても知的で抑制的、スカンジナビアン的な回答だと感じる。

ベイ:そうかもしれないが、同時にとても日本的だと私は思う。日本の文学について考えても、また、私のヒーローである(インダストリアルデザイナーの)柳宗理、(インテリアデザインや彫刻などを手がけた)イサムノグチの作品を見ても、非常に思想を感じる。柳宗理のキッチンツールは、日常で使う道具でありながらアートのような美しさがあり、素材に対してとても正直だ。そうした価値観をわれわれと日本の人たちは共有している。だからこそ、「マリメッコ」も、日本の女性に支持されるのだと思う。

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自民党のサステナブルファッションPTが総理に提言 座長の山田美樹議員は元エルメス

 日本の繊維・ファッション産業のサステナビリティシフトを後押しする動きが、自民党内で始まっている。自民党の有志で構成される「サステナブルファッションPT(プロジェクトチーム)」は政策提言を取りまとめ、今年4月に岸田文雄総理と山口壯環境大臣に申し入れを行った。チームの座長を務めるのが山田美樹・衆議院議員だ。エルメスジャポンで営業企画マネージャーを務めた経歴も持つ山田議員にその意図を聞いた。

WWDJAPAN編集部(以下、WWD):サステナブルファッションPTを立ち上げた経緯とメンバーは?

山田美樹・衆議院議員(以下、山田):菅政権のときに環境省と経済産業省、消費者庁の3省庁でファッションロス問題を取り扱う会合が発足した。そこから発展し、現在自民党内では環境・温暖化調査会の下にサステナブルファッションPTとプラスチックリサイクルPTがあり、井上信治・衆議院議員(前内閣府特命担当大臣)が会長を、小泉進次郎・衆議院議員(前環境大臣)が会長代行を務めている。今年初めにサステナブルファッションPTを立ち上げる際、小泉会長代行からファッション業界で経験があるという理由から私に声がかかり「やります」と即答した。議員になって10年目。何かの形でゆかりのあるファッション業界に貢献したいと思っていたからとても嬉しかった。

 以降、定期的に勉強会を開いたり、省庁と連携したりして議論を重ねている。自民党の勉強会は、メンバーを固定しておらずホームページに掲載された会に議員は誰でも参加ができるからコアメンバーはあるものの、参加者は随時変わる。

WWD:その動きが、4月の岸田総理への政策提言へつながった。提言の内容は?

山田:大きくは2つ。1つめは、仮称であるが「サステナブルファッション推進法」の検討。もうひとつは、関係省庁が一丸となって取り組むための体制整備の構築だ。

 具体的には、①新たなサステナブル市場に対応した経営・DXの推進、②衣類回収のシステム構築とリサイクル技術の高度化、③サプライチェーンの透明性の確保と環境負荷の把握(CO2の排出量を把握し共通のフォーマットで計測・可視化)、④生活者の理解と行動変容の促進に向けたラベリングと情報発信(CO2排出量の見える化、インフルエンサーやファッションメディアと連携した情報発信)などだ。

WWD:「サステナブルファッション推進法」とは、フランスで今年から施行された衣料品廃棄禁止法のような規制型になるのか、もしくは実践企業への優遇付与など“飴”型か。

山田:コロナで経営が相当に痛んでいる今、サステナビリティの取り組みが規制強化につながれば企業は大きなダメージを受ける。大量生産・大量廃棄は課題だが、作るな、売るな、だけでは米農家の減反政策と同じ。それではファッション業界は発展しない。環境配慮をうながしつつ産業の成長を促すこと、それは勉強会の大きなテーマでもあった。企業も消費者もこれから意識を高める段階だから、法はそれを後押しするものでありたい。

 たとえばリサイクルは企業だけ頑張ってもダメで、社会全体の仕組み、消費者、自治体などの連携が不可欠。CO2計測もエキスパートは環境省だが、基準作りは役所の中だけでは難しい。まずは調査や技術開発を政府が支援し、続いて取り組む企業を応援するといった形が理想だ。これは岸田総理の「新しい資本主義」とも合致するところだ。

 法には、政府提出法案と議員立法とがあるが、今回は政府主導よりも議員主導で実現したい。とは言えまだアイデア段階。議員の仲間を増やし、関係省庁と連携してムーブメントをつくってゆく。

欧州主導のルール形成に危機感

WWD:日本のファッション業界の課題をどう見ている?

山田:課題のひとつは物づくりのビジネスモデルだと思う。日本の製造業は「いい物を安く」であり、技術革新して頑張れば頑張るほど利幅が薄く、苦しくなる。一方、欧米のラグジュアリーブランドのビジネスモデルは高い付加価値の商品を高い利益率で売る。日本のアパレル産業も高付加価値高利益率のモデルにシフトしないとジリ貧になるという危機感がある。

 また、ブランド化する力が足りないのも課題だろう。個々の商品、各地の名産品はいい物がたくさんあるのに、まとめてブランド化して売り出す力が弱い。ブランドは物づくりだけではなく文化、芸術、歴史の総力戦。フランスは国策としてラグジュアリービジネスを行っているが、日本はそれができていないため質の高い生地や糸が欧州ブランドの“材料”にとどまりがちだ。

WWD:サステナビリティについても欧州主導のルール形成が先行している。

山田:SDGsはそもそもヨーロッパ由来の考え方であり価値観。新しいルールができて、日本企業はいつの間にか締め出される。自動車産業では、EUが2035年にガソリン新車販売禁止の目標を掲げているが、それでは日本が得意としてきたハイブリッド車は販売禁止になってしまう。

 アパレル産業でも、事業を100%再生エネルギーでまかなうことを目標とする「RE100」やパリ協定に沿った目標「SBT」などに加盟する企業はサプライチェーン全体でCO2削減を目指すため、環境対応が進んでいない日本企業は海外ブランドへ納入ができなくなる。早く対応しなければ、時間がない、という危機感を覚える。

WWD:他産業としての比較で見ると?

山田:2050年カーボンニュートラル実現の目標を前に、さまざまな業界が苦労している。特にエネルギー業界や自動車業界、ガソリンスタンド、電力多消費産業は長年培ってきた日本の技術が否定される変革を迫られているところもあり、脱炭素の未来図を描くのは容易ではない。

 もちろんファッション業界にとっても脱炭素は苦しい取り組みだが、ファッションだからこそ明るく前向きに取り組む可能性があるのではないか。ファッションの作り手には日本人ならではの繊細さや感性がある。また日本はファッション感度の高い消費者の裾野の広さが特徴。作り手と消費者の力が結びつけば、日本からサステナブルファッションの新たなコンセプトや世界観を生み出すことができるはず。世代を超えて受け継がれた物、という観点からラグジュアリーなサステナブルファッションもあり得るだろう。

エルメスジャポンで営業企画に携わる

WWD:エルメスジャポン時代はどんな仕事を?

山田:営業企画マネージャーとして4年4カ月、有賀昌男エルメスジャポン社長の下で働いた。ジャポンの経営やマーケット概況のパリへのプレゼンテーションなどに携わり、エクセルとにらめっこしていた。その間にリーマンショックと東日本大震災を経験し、生活必需品ではないファッションを扱うことについて、一時は仲間とともに悩んだが「生活必需品だけではなく、夢や希望がないと人は生きていけない」ことも痛感した。

WWD:ファッション業界で働く女性たちにメッセージを

山田:ファッション業界で働く女性には、女性が自然体でいられる社会をつくってほしい。私自身、公務員、経営コンサルタント、ファッション業界、国会議員とさまざまな職種で働いてきたが、自分が着たい服を着て仕事をできたのはファッション業界のときだけだった。こういう職種だからこういう服装をしなければならない、という枠を打破できないだろうか。働く女性のファッションがもっと自由になれば、と願っている。女性が変われば男性も変わるから。

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篠原ともえが語るサステナブルとADC賞2冠の舞台裏 「自分の心が動くところに飛び込みたい」

 篠原ともえがデザインを手がけた革の着物作品“ザ レザー スクラップ キモノ(THE LEATHER SCRAP KIMONO)”が、第101回ニューヨークADC賞(THE ADC ANNUAL AWARDS)にてブランド/コミュニケーション・デザイン部門とファッションデザイン部門で二冠を達成した。作品は、革の品質や職人の技術を次の世代に伝える活動をしている、日本タンナーズ協会とのプロジェクトで制作したもので、森林被害防止のために捕獲されたエゾ鹿の革の端を使っている。篠原は、2020年に夫でアートディレクターの池澤樹とクリエイティブスタジオ・STUDEO(ストゥディオ)を立ち上げて以来、持続可能なものづくりを続けてきた。今回は篠原に“ザ レザー スクラップ キモノ”の制作の裏側や、持続可能なものづくりに対する考えを聞いた。

着物は日本に昔から備わっている“持続可能な美しさ”

WWD:ADC賞を受賞した“ザ レザー スクラップ キモノ”の制作に至った経緯は?

篠原ともえ(以下、篠原):日本タンナーズ協会(以下、協会)が革の魅力を発信するPR活動のために、私にオファーをくださったのが始まりでした。ただ、最初は私がインフルエンサーとして工場に出向いて、その内部をリポートするという企画だったんです。

でも、紹介するだけでは職人さんの技術や何代も続いてきた工場の歴史は伝わらない気がしたし、革というテーマには社会的なメッセージになる要素も含まれているんじゃないかと。そこで、力強いアートピースを作って革の魅力を伝えていく企画に変えようと提案しました。この企画は、説得から始まったんです。

WWD:着物という形に辿り着いたのはなぜ?

篠原:実は協会と一緒に作るのは今回で2回目です。1回目に作ったのは金属アレルギーの方もつけることができる“レザーメイドジュエリー”という革のアクセサリー。その時も手応えがあってニューヨークADC 賞にエントリーしたけれど、入賞にとどまりました。でも、協会が私のアプローチをすごく喜んでくれて、2回目はもっと大きいことをしようと着物を提案しました。

着物は究極の持続可能なファッションです。一反12mで37、8cmの端に襟も身ごろもお袖も全て入れて、余りが出たら職人さんの名前を綴って届ける……私はそのプロセスに感動を覚えて。日本人の生活の中に昔から備わっている“持続可能な美しさ”に気づいてもらいたかったのもあって、着物を選びました。

WWD:制作の中で苦労したことは?

篠原:私たちが作ろうとしていたのは、見たことがない景色でした。革の端を使って水墨画のようなグラデーションを表現しようとしていたので、見本にできるものがなかった。なので、ひと目で美しく見えるレベルに仕上げるのには苦労しましたね。絶妙な濃淡の差でグラデーションを作るとなると、実際に当ててみないと見え方が分からないので、革の端を1枚ずつスキャンしてコンピューター上でシミュレーションをしたのですが、その下絵を作るのに3ヶ月を費やしました。私も図書館で水墨画の資料を集めて、心が動くグラデーションとはどんなものなのか、じっくり考えましたね。

また今回、革が生き物であることを再確認しました。染色した革の仕上がりを見て薄いと感じていても、しばらく時間をおくと革の素材が色に対応してオリジナルの色になる。それゆえに赤みが出てしまうこともあって苦労したけれど、色も職人さんと相談を重ねながら、青みのある黒を作っていきました。

WWD:職人とのコミュニケーションで印象的だったことは?

篠原:今回、イメージに近い染色をできる人が一人だけいることで、すでに定年退職した職人さんに特別に参加してもらったんです。彼がとても楽しそうに仕事をされていたのが印象的でした。娘さんが「お父さん、定年退職したのにまた働くんだね」ってお弁当を作ってくれたと嬉しそうに話してくれたりして。

その後、この作品をきっかけに彼の染めの技術を引き継ぐ動きが生まれたと知って、胸がいっぱいになりました。デザイナーが伝統の橋渡しをできる仕事だと分かり、改めて自分の責務を実感しましたね。

WWD:“ザ レザー スクラップ キモノ”は映像や写真も魅力的だった。

篠原:あれは池澤の得意分野ですね。池澤はアートディレクターだから、どう届けたら世の人の心に響き渡るのか見えている。なので、すごく細かくディレクションしていましたね。チームでは“池澤塾”なんて呼んでいます(笑)。会社名のSTUDEOは“study”の語源になっている“学ぶ”という意味の言葉。毎日チームで学んでぶつかり合いながら、いいものができると信じてやっています。

WWD:昨今は、革が悪者のように語られることもある。篠原さんは革とどう付き合っていきたい?

篠原:今回の制作はレザーがどのような工程を経て私たちの元に届いているのかを知るところから始まりました。そこで、協会がジビエとして食用にしていた動物たちの皮を有効活用していることを知ったんです。私はこれまで背景を知らなかったので、革の製品を使うことに罪悪感があった。でも背景を知ると、余すことなく使い切ろうという考えになるのは、自然なことだと思いました。もちろん、最近注目されているキノコレザーやビーガンレザーも素晴らしいアイデアです。大切なのは、新しいことを知った上で、自分で考えて選択すること。SDGsは自分で選んでいいんです。私は天然皮革のジャケットにビーガンレザーのバッグも合わせますよ。


Movie director: Mitsuo Abe ©︎TANNERS’ COUNCIL OF JAPAN

「背景を知るとアイデアが湧いてくる」

WWD:篠原さんは“レザー スクラップ キモノ”以前にも環境に配慮したものづくりをしている。最初に環境問題に関心を持ったきっかけは?

篠原:2020年にSTUDEOを立ち上げた時、自分のものづくりと改めて向き合いました。そのタイミングでSDGsや持続可能なものづくりに関する話題を多く目にするようになったんです。私はこの問題を無視して作る人にはなりたくないし、全部はできなくても心が揺れるところにまっすぐに飛び込みたいと思った。そこで、最初は四角い生地からパターンを作って余すことなく使い切ることを考えました。

WWD:その後、星野リゾートの「OMO7(おもせぶん)大阪 by 星野リゾート」の制服のデザインでは、過剰生産を避けるために男女合わせて4サイズに絞るなど、環境に配慮したものづくりを続けきた。そのなかで変化したことは?

篠原:コロナ禍の影響もあって、ものづくりの重みを改めて感じています。簡単に何でも作ることはせず、作るからには問題の背景をリサーチするところから始めるようになりました。

背景を知っていくとアイデアが湧いてくるんです。例えば廃棄を少しでも少なくするために、一枚の布からパターンをおこす時に80%くらい使えるように埋めていく必要があると知ったら、さらに頑張って90%使えるようにやってみようとか。だから考えるだけじゃなくて、当ててみる。今回の革の着物も背景を学んで革の端を観察していたら山に見えてきたところからアイデアが生まれたから、知って動いて、ダメならまた考えての繰り返しが大切ですね。

WWD:今後、デザイナーとしてどんな挑戦をしていきたい?

篠原:ファッションのオファーが多いですが、実はファッションから派生したいろんな形を作ってみたいんです。コスメなどのプロダクトデザインや空間デザイン、あとテキスタイルも好きなのでスポーツウエアも作りたい。職人さんとまた何か作るのもいいし、企業ブランディングとロゴデザインもやりたい。やりたいことが本当に多いので、書ける範囲で書いてください(笑)。

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トランスジェンダー当事者のサリー楓が多様性を謳歌する業界に伝えたいこと

 「“自分らしく自由に生きよう”といったメッセージの発信だけでは、皆が自分らしく生きられる世の中が実現しないという事実に真剣に向き合わないといけない」。トランスジェンダー当事者で、建築デザイナー、モデル・タレントとして活動するサリー楓(28)は、多様性を謳歌するファッションやビューティ企業に向けて問題提起する。

 同氏は男性として生まれたが、24歳の時に女性として生きることを決意した。その後、話題を集めた「パンテーン(PANTENE)」の“#PrideHair”プロジェクトの広告ビジュアルをはじめ、テレビ出演やビューティコンテストへの出場など、積極的に表舞台に立ち発信を続けている。同氏にファッション・ビューティ企業に伝えたいことを聞いた。

WWD:これまでのキャリアについて教えてほしい。

サリー楓(以下、楓):大学在学中は、LGBTQ+に関する講演を行ったり、メディアのインタビューを受けたりといった活動が中心でした。モデルとして活動するようになったきっかけは、2018年にレスリー・キーさんが撮影を手掛けるセクシュアルマイノリティーを可視化することを目的としたプロジェクト「OUT IN JAPAN」に参加したことでした。以降、ジェンダーフリーファッションを提案する「ブローレンヂ(BLURORANGE)」のランウエイショーを歩いたり、「パンテーン(PANTENE)」や美容室「TAYA」などの広告に出演したりしました。文化人してテレビやラジオ番組にも出演しています。

WWD:D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の推進に取り組む企業が増えている。こうした社会の流れについて思うことは?

楓:自分がカミングアウトした当時から“自分らしさ”というものが、ある意味バズワード的にポジティブなものとして使われていました。でも人は、「自分らしくしていいよ」「自由にしていいよ」では、自由に振る舞えないんです。自分の場合もそうでした。

WWD:というと?

楓:自分がファッションやメイクを楽しめるようになったのは、人前に出て発信するようになり、たくさんの人に「きれいだね」「おしゃれだね」と肯定されるようになってからです。それまでは周りの目を気にして洋服を選んでいたので、ファッションは自分のために楽しむものではなく、他人に気を使って取り組むものでした。日々さまざまな場面で、“自分らしく自由に生きよう”といったメッセージに触れますが、それだけでは皆が自分らしく生きられる世の中は実現しないという事実に真剣に向き合わないといけない。「自分らしく生きていいよ」から、「自分らしく生きるのがかっこいい」という段階に持っていくことが必要だと思います。自分はボーダーを飛び越えている姿をカッコいいと思ってもらえるように、発信を続けています。

ジェンダーを乗り越えていく強さや勇気を感じさせてくれるファッションに出合いたい

WWD:多様性を推進するファッション業界に伝えたいことは?

楓:自分の思い描いているジェンダーフリーの風景は、まだ出てきていない気がします。男女で同じ装いをするユニセックスや外見上の性別が曖昧なジェンダーレスモデルの起用などのアプローチは、男女の境界を曖昧にすることで逆にジェンダーに起因する問題を抽象化しているように感じます。自分の考えるジェンダーレスは、ジェンダーを感じさせないことではなくて、意識的にジェンダーを乗り越えていく強さや勇気を感じさせてくれるもの。その先には、自分らしさの延長で「男らしさ」や「女らしさ」も楽しめる時代が来てほしい。そうしたことに挑むファッションブランドや企業が出てきたら、ぜひ何か一緒に取り組みたいです。

WWD:19年にはトランスジェンダーのビューティコンテスト「ミス インターナショナル クイーン(Miss International Queen)2019」に出場している。画一的な基準で美を判断するコンテストへの参加は意外だった。

楓:正直コンテストの存在自体には、あまり前向きではありませんでした。1つの基準であなたはきれいだ、そうではないと格付けをすることや、それが極めて男性的な目線であることへの違和感はありました。あのときコンテストに参加したのはあくまで個人的な理由からでした。自分が24歳でカミングアウトしたときに、両親には就職活動や学生生活についてとても心配されたんです。トランスジェンダーというと、特に芸能や夜の世界のイメージが強く、大学に通ったり、会社で働いたりすることを諦めるのだと思われました。悪意や偏見があるのではなく、社会生活を送るトランスジェンダーへのイメージが不足していたからだと思いました。現役の大学生で、就活中の自分が挑戦することで、今までなかったトランスジェンダーのロールモデルを当事者を抱える家庭や間一般に供給できると考えて出場しました。

 現在もシングルマザーが出場するコンテストやボディコンプレックスを抱える人のコンテストに審査員として関わっています。これらは、一つの物差しの中で高みを目指すものではなく、これからの美の基準作ってくれるもの、物差し自体を発明して提示してくれる人たちを評価し、汲み取るためのコンテストです。世の中の規範的な美ではないけど、芯や強度がある美が今までの本流の美に合流することで生まれる化学反応を楽しみにしています。常識を変化させたり、偏見をなくしたりするためには、やはり美やファッションが必要で、新しい物差しをつくり、広めていく作業の繰り返しでしかないと思うんです。ファッションやビューティ企業とともに、そんな多様な物差しを広めていければと思います。

WWD:今後特に注力したい活動は?

楓:これまでは特に当事者がサバイブしていくための情報提供に力を入れてきました。それはそれで大切ですが、本人たちがさまざまな理不尽な場面でうまくやり過ごしてしまうことで、当事者が抱える問題が逆に見えにくくなってしまうことも懸念しています。例えば、LGBTQ+の職場環境を改善するためには、人事や経営者、「興味がない」「知る必要がない」と思っている多くの人々に勇気を持って語りかけなければいけません。そのために現在は、求人検索エンジンのIndeed Japanとライフスタイルマガジン「BE」を制作しています。LGBTQ+当事者が職場や仕事探しで抱える課題を顕在化させ、理解しようとする機会をつくることができる内容になっているのでぜひ皆さんに読んでもらいたい。日本にはまだまだ、自由に自分らしさを追求することが社会活動においてポジティブに働かない場面が多いと思いますが、これまでボーダーを超えてきた経験を活かして活動を続けます。

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白河桃子ジャーナリストが振り返る女性活躍史 「企業に定着し始めたのはごく最近」

 6月13日発売の「WWDJAPAN」では、ファッション&ビューティ業界の女性活躍を特集した。女性活躍ジャーナリストとして講演活動を行う白河桃子=相模女性大学大学院特任教授に、男女雇用機会均等法が施行された1980年代以降に女性を取り巻く環境がどのように変わっていったか話を聞いた。

WWD:1970〜80年代にかけて女性活躍や文化に影響を与えたファッション&ビューティ業界の出来事は。

白河桃子・女性活躍ジャーナリスト(以下、白河):70年代に女性誌「アンアン(anan)」(平凡出版社、現マガジンハウス)や「ノンノ(non-no)」(集英社)が創刊され“アン・ノン時代”と呼ばれた。ファッショントレンドが雑誌と一緒に進化して女性の文化を作っていくようになった。80年代の女子大生ブームを形づくった「JJ」(光文社)や、OLブームを作ったライフスタイル誌「ハナコ(Hanako)」(マガジンハウス)の創刊も大きかった。86年に男女雇用機会均等法が施行されたが、90年代にかけてのバブル期は“結婚・出産前の働く自分を謳歌する”のが風潮だった。

WWD:女性誌は当時、どのような価値観や文化をつくったか。

白河:「ハナコ」はランチ特集やクリスマス特集、海外旅行特集を頻繁に組んだ。都会で働いて高いランチを食べ、自分で働いて稼いだお金でファッションを謳歌し自分にご褒美を買う。そして年に一度は海外にバケーションに行くというライフスタイルを「ハナコ」が形作った。女性の経済的な自立には至らないが、精神的な自立が進み消費の主役としての女性たちが台頭した。それをクローズアップしたのが「ハナコ」だった。大学に行く女性たちにフォーカスした「JJ」の影響は後に効いてきて、2007年に「JJ」を読んでいた女性たちに向けて「ヴェリィ」が創刊された。「ヴェリィ」は街行くママたちをおしゃれにしたという点で印象的だった。

WWD:女性の経済的な自立はいつ果たされたか。

白河:86年の男女雇用機会均等法は「女性が男性と同じように働くなら仲間に入れてあげる」というもの。90年代に絶頂を迎えたバブル期は、女性が消費の主役であり時代の象徴としてもてはやされたが、経済的な自立ができていたわけではない。キャリアウーマンは憧れの存在でもデフォルトは主婦だった。普通の女性たちにとっては働く期間は家庭に移行する前の一瞬の輝きと捉えられ、総合職として入社したとしても仕事と家庭の両立はできなかった。“腰掛け総合職”という言葉もあったほどで、総合職として輝いても30歳前後で結婚したらキャリアは終わりというのが主流だった。この状況が2000年代中期ぐらいまでかなり長く続いた。

WWD:2000年代中期ごろ、女性たちの人生観はどう変わったか。

白河:バブル崩壊後の94年〜2004年は就職氷河期といわれ仕事を得るだけでも大変だった。バブル期は企業に余裕があり女性活躍がもてはやされたが、バブル崩壊後に梯子を外されたような状態になった。高卒・短大卒で企業に入社してOLになり、社内結婚して退職する。または夫の転勤や出産で辞めるのが当たり前だった。 “失われた10年”といわれる期間だが、90年代後半から起きたITバブルで一瞬世の中のムードが盛り上がった。ITで起業して大儲けするIT長者といわれる男性たちが登場した。そこに女性社長として参戦する人はまだ少なく、こうした男性と渋谷でパーティするのがもてはやされた時期があった。経済力のある男性と結婚するのが“上がり”という価値観が出てきた。

WWD:女性のトレンドをつくっていたファッション誌では、このころどんな特集が組まれていたか。

白河:2000年代中期の女性誌では「愛され服」「愛されメイク」などのキーワードが誌面を席巻し、蛯原友里や押切もえといったモデルが人気を集めた。不況も相まって女性たちが保守的になっていった時期で、80年代から90年代初期のバブル世代の女性の方が元気だった。03年に酒井順子の「負け犬の遠吠え」というエッセイ集が出版されて話題になったが、著者はバブル期の強気なキャリアウーマン世代。この後の世代はバブルの恩恵にあずかれず、 “負け犬”が流行った時に30歳以下だった女性たちは口々に「30歳までに結婚したい」「負け犬になりたくない」と話した。このころの結婚特集は「自分を変えない結婚」がキーワードだった。

WWD:00年代後期以降、女性を取り巻く環境はどうなったか。

白河:10年は女性にとってターニングポイントだった。それまでは男性と同じように働くことを求められ、育休を取って復帰する人は少数で、出産後は働き続けられない状況だった。10年の育休法(育児・介護休業法)改正で育児時短勤務が企業の措置義務となった。これにより、育休後に時短復帰して働き続けるスタイルが定着した。女性がフルタイムで働き正規雇用で企業に定着するようになったのは実は10年以降のごく最近の話だ。それ以前に育休復帰した人たちはスーパーウーマンか実家の助けがある人。それまでは女性の6割が辞めていたが、10年以降は正社員の7割が離職せず就業を継続している。

WWD:15年制定の女性活躍推進法は女性のライフスタイルに影響を与えたか。

白河:15年の女性活躍推進法で管理職を目指すことが求められるようになった。ところがこれは“無理ゲー”と呼ばれた。家事・育児をこなしさらに管理職と言われても、当時の管理職は長時間労働が必須で時短勤務では管理職になれなかった。多くの女性たちにとって、活躍せよと言われても答えは「NO」だった。ところが19年に働き方改革で残業上限が法制化され、脱長時間労働が叫ばれるようになった。ここで初めて社会全体の生産性の観点から男女ともに働き方を変えた方がいいと認知された。その後、コロナ下でリモートワークやフレックスタイムなど柔軟な働き方が加速。今年の4月、男性育休を推進するように育休法が改正された。

WWD:社会全体の仕組みを変えることで女性も働きやすくなるという考え方に変わった。

白河:そうした風潮に舵を切ったのが19年ごろの話だ。ライフイベントと仕事の両立は不可能という考えの“バリキャリ期”、両立支援が始まり就業継続できるけれどワンオペで苦しい“ゆるキャリ期”、その後女性活躍推進法でもっと頑張れと言われるけど無理という時期を経て、働き方改革が起きる。コロナで働き方の柔軟化が急に進んで男女ともに働き方の多様性が出てきた。ようやくベースが整って、仕事と子育ての両立を望む男性はそれがかない、女性も管理職になれる社会を本気で目指していこうというのが現在地だ。

WWD:ファッションやメイクの変遷は。

白河:90年代まではナチュラルメイクが全盛、2000年代以降は盛りメイクからえびちゃんを象徴とする“デートの時は白いワンピース”という保守的なスタイルまで多様化した。このころからテクノロジーの発達によりブログなど個人が発信しやすい土壌が整い、トレンドが生まれる場所が雑誌だけではなくなっていった。10年代に入るとスマホ所持率が高くなりSNS上で個人情報を開示することをためらわない世代が出てきて、個人にファンがつくインフルエンサー現象が起こり始めた。その中でインフルエンサーやファッションリーダーが個性化、多様化し、多様な消費の時代に進んでいった。

WWD:女性をエンパワメントした海外の動きは。

白河:世界的な流れであるジェンダー平等の影響は大きい。14年にUNウィメン(国連女性機関)の大使に就任した女優のエマ・ワトソン(Emma Watson)は女性たちをかなり勇気づけた。また17年に米国から広がった「Me Too」運動の影響も大きい。これをきっかけに女性たちが連帯する動きがあった。近年はLGBTQへのサポートプログラムも盛んで、国内ではソフトバンクはが家族割を同性パートナーでも使える制度や、福利厚生を男女のカップルに限らない制度を導入している。また広告の力でジェンダーに関するステレオタイプを打ち破ろうという動きも活発で、ユニチャームの生理プロジェクト“no bag for me”キャンペーンや、P&Gの「パンテーン」が行った「令和の就活ヘアを自由に」というキャンペーンなど、社会のジェンダー表現に対する意識が高くなっている。ここ数年は一種のジェンダーブームとも言える状況にある。

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“日本一急成長したティックトッカー”スタン・フカセ 「マーク・ジェイコブス」も注目する23歳

 “日本で最もティックトック(TikTok)のフォロワーが急増したインフルエンサー”として「ジャパン・タイムス(The Japan Times)」が報じた人物がスタン・フカセ(Stan Fukase)だ。「マーク・ジェイコブス(MARC JACOBS)」のソーシャルメディアキャンペーンに起用されるなどファッション業界でも注目を集めており、現在はユーチューブ(YouTube)を中心に活動し、チャンネル登録者数は50万を越える。

 フカセは日本が拠点ながら、英語での配信がメインのため、アメリカを中心とした海外での知名度の方が高い。特にZ世代には人気で、昨年は自身のファッションブランドも始動させた。幅広く活動する次世代のインフルエンサーに、ファッションのこだわりやキャリア、日本のLGBTQ+の現状について聞いた。

WWD:インフルエンサーになったきっかけは?

スタン・フカセ(以下、フカセ):計画していたわけではなく、たまたまでした。2020年に新型コロナウイルスのパンデミックに入ってすぐの頃に、暇だったので特に理由もなくティックトックを始めました。最初はみんなと同じように、ただ流行っているダンスなどを投稿して自由にやっていたら、「ジャパン・タイムス」に“日本で最もティックトックのフォロワーが急増したインフルエンサー”と報じられて、自分でもびっくり(笑)。それから少しづつドラァグについてや、海外と日本の生活を比較するティックトックなど、自分を表現するコンテンツを増やしました。

 その後、今のメインのプラットフォームでもあるユーチューブを始めました。現在はインスタグラム(instagram)も積極的に使っていて、ファッションも発信しています。最近では「トモ コイズミ(TOMO KOIZUMI)」の小泉智貴さんに2022-23年秋冬のショーに呼んでもらって、その時のスナップ写真が「WWDJAPAN」に載っているんですよ(笑)。ほかには、「マーク・ジェイコブス」のソーシャルメディアキャンペーンにも参加するなど、仕事の幅も広がっています。

WWD:英語で配信しているのはなぜ?

フカセ:ティックトックでは、当初は日本語で配信していました。でも自分がゲイでハーフであることから、「おかま」「外人」など差別的用語を使用した誹謗中傷がひどかったので、現在は英語だけで配信しています。日本語は母親と一緒に出演するときに使いますが、それでもタイトルや字幕は英語です。英語と日本語以外では、タガログ語とセブアノ語が話せて、中国語とスペイン語も勉強しました。

WWD:フォロワーや視聴者はどの国が多い?

フカセ:アメリカが一番多いです。そこにフィリピン、ブラジル、イギリスとオーストラリアが続く感じですね。日本は10番目ぐらいであまり多くはないです。仕事の案件などもアメリカが中心です。アメリカ・ロサンゼルスの事務所に所属しているのもそれが理由で、所属インフルエンサーで一番遠くにいると言われました(笑)

WWD:日本では街中で気付かれない?

フカセ:渋谷や原宿を歩けば声を掛けられますが、それ以外のエリアでは1日1回あるかな?くらい。土曜日の夜に新宿2丁目に飲みに行けば、10人以上に声を掛けられます。でも“ストロングゼロ”を持って酔っているときに視聴者に会うのはちょっと恥ずかしいですね(笑)。でもやっぱり、海外の方が気付かれることは多いです。旅行先のギリシャ、イタリアやオーストリアなどでも声を掛けられた時はびっくりしました。

止まらない“クロップトップ愛”とドラァグを通して辿り着いたジェンダーフリーなファッション

WWD:ファッションのインスピレーションやよく行くお店は?

フカセ:参考にしている人はエマ・チェンバレン(Emma Chamberlain)やベラ・ハディド(Bella Hadid)かな。ブランドなら「ヘブン バイ マーク ジェイコブス(HEAVEN BY MARC JACOBS)」や「ゴルフ ワン(GOLF WANG)」、オンラインストア「ユニフ(UNIF)」。

 あとは、親友と原宿の古着を見ることが定番で、安くて大きなキンジ(KINJI)で掘り出し物を探すこともあるし、1980~90年代のビンテージが中心のピンナップ(PIN-NAP)など、アイテムが厳選された店も好きです。

WWD:スタンさんといえばクロップトップのイメージがある

フカセ:冬でもクロップトップを着るくらい好き。

 12月に表参道のローソンに入ったら、店員さんが「いつもクロップトップ着ているお兄さんですよね?表参道歩いているのを見ています。寒くないんですか?」って言われました(笑)

 クロップトップが好きな理由の一つは、ジェンダーの規範を壊しているから。男性が着ることを“普通”とされてこなかったので。僕が着始めたのは、大学の友だちが黄色いクロップトップをプレゼントしてくれたのがきっかけです。すごく気に入って、もらってから1週間、毎日着ていました。気に入りすぎて、メルカリでミシンを買って、自分の持ってるTシャツを全部クロップトップにしちゃったくらい。これは裏ワザですが、キッズ用のトップスをクロップトップとして着ることもできますよ(笑)。

WWD:東京のファッションシーンについてどう思う?

フカセ:日本は海外と比べて“身だしなみ”のレベルが高いと思います。欧米ではオシャレな人と気にしていない人の差がすごくあるように感じるけど、日本ではより多くの人が身なりを気にしていると思います。「ユニクロ(UNIQLO)」のように低価格だけど素材や作りがいいベーシックアイテムが豊富だからかな。でも、だからこそ、“身だしなみ”のためではなくて、もっと個性のある楽しいファッションもしてほしい。

WWD:昨年、自身のブランド「バイ エクストラ(byEXTRA)」を始動した。どういうブランド?

フカセ:テーマは“clothes have no gender(服に性別はない)”。最初は、全てクロップトップのコレクションを発表し、今年に入ってアクセサリーのコレクションも制作しました。オンラインストアでも「メンズ」「ウィメンズ」などのカテゴリーはありません。

 ブランドを始めるにあたって、デザインを0から考えるのはもちろん、工場、配送センターなど全て自分で手配をし、ウエブサイトは兄に手伝ってもらいました。現在は、事務所が物流をサポートしてくれていますが、クリエイティブは自分で全て担っています。

 小さい頃から、服をデザインすることが夢でした。高校生の時にはTシャツなどのプリントオンデマンドサービスを使っただけの「ユニセックス(UNISX)」というブランドを作っていたくらいです。その時のブランド名も自分のジェンダー観を表していると思います。

WWD:「バイ スタン(bySTAN)」ではなくて「バイ エクストラ」の理由は?

フカセ:“エクストラ(Xtra)”は僕がドラァグをする際のステージネームです。そもそもドラァグをしようと思った理由は、“ウィメンズ”とされている服を楽しむ口実でした。男性が着ていると変な目で見られてしまうかもという不安があり、自分ではない女性のペルソナで着てみようと思ったんです。

 現在はドラァグをしなくても、着たい服をジェンダー関係なく着られていますが、それもエクストラのおかげだと感じています。このジェンダーフリーなブランドも彼女がいなかったら作ることはできなかったので、「バイ エクストラ」と命名しました。

LGBTQ+コミュニティーの1人として東京から発信を続ける

WWD:LGBTQ+に関するコンテンツも多く発信している。

フカセ:日本から英語で発信しているインフルエンサーは観光情報や伝統文化をメインにしていることが多いですが、僕はあくまで自分の日常を見せたいと思っています。なので、ゲイである自分の日常として、LGBTQ+当事者である僕から見た日本や東京を発信しています。

 LGBTQ+についての情報、日本に関する情報それぞれを英語で発信するインフルエンサーはいても、日本のLGBTQ+を発信するインフルエンサーは少ない。だからこそ、視聴者の興味も集まっているんだと思います。

WWD:日本のLGBTQ+の状況はどう思うか?

フカセ:視点によって捉え方が変わります。文化的にLGBTQ+の人々が生きやすいとは言えませんが、海外に比べて暴力的な犯罪などは少ない。LGBTQ+への暴力が少ない訳ではなく、全体的に少ない、というだけですが、犯罪が少ないことはそれ自体が利点です。

 とはいえ、僕もクロップトップを着て東京の電車に載った際、年配の男性にいきなりピアスを引っ張られ、顔を引っ掻かれて、「おかま」と叫ばれた経験があります。久しぶりに泣きましたね。でも、世界にはもっと頻繁に、もっと深刻な被害に合っている人がいるということも忘れないようにしています。目立たない格好をすれば安全なのかもしれません。でも、ありのままの自分でいることが、一種のプロテストなのだと気付きました。

 新宿2丁目のように、コミュニティが集まれる場所があるのもいいですよね。「世界で最も密集しているLGBTQ+エリア」だと聞いたこともありますよ。多くの人がLGBTQ+にフレンドリーであれば、密集したLGBTQ+エリアはそもそも必要ありません。実際に、欧米ではこういうエリアが少なくなってきているんです。でも、小さいけど賑わっている新宿2丁目はコミュニティ感が強くて素敵だなとも思います。

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“日本一急成長したティックトッカー”スタン・フカセ 「マーク・ジェイコブス」も注目する23歳

 “日本で最もティックトック(TikTok)のフォロワーが急増したインフルエンサー”として「ジャパン・タイムス(The Japan Times)」が報じた人物がスタン・フカセ(Stan Fukase)だ。「マーク・ジェイコブス(MARC JACOBS)」のソーシャルメディアキャンペーンに起用されるなどファッション業界でも注目を集めており、現在はユーチューブ(YouTube)を中心に活動し、チャンネル登録者数は50万を越える。

 フカセは日本が拠点ながら、英語での配信がメインのため、アメリカを中心とした海外での知名度の方が高い。特にZ世代には人気で、昨年は自身のファッションブランドも始動させた。幅広く活動する次世代のインフルエンサーに、ファッションのこだわりやキャリア、日本のLGBTQ+の現状について聞いた。

WWD:インフルエンサーになったきっかけは?

スタン・フカセ(以下、フカセ):計画していたわけではなく、たまたまでした。2020年に新型コロナウイルスのパンデミックに入ってすぐの頃に、暇だったので特に理由もなくティックトックを始めました。最初はみんなと同じように、ただ流行っているダンスなどを投稿して自由にやっていたら、「ジャパン・タイムス」に“日本で最もティックトックのフォロワーが急増したインフルエンサー”と報じられて、自分でもびっくり(笑)。それから少しづつドラァグについてや、海外と日本の生活を比較するティックトックなど、自分を表現するコンテンツを増やしました。

 その後、今のメインのプラットフォームでもあるユーチューブを始めました。現在はインスタグラム(instagram)も積極的に使っていて、ファッションも発信しています。最近では「トモ コイズミ(TOMO KOIZUMI)」の小泉智貴さんに2022-23年秋冬のショーに呼んでもらって、その時のスナップ写真が「WWDJAPAN」に載っているんですよ(笑)。ほかには、「マーク・ジェイコブス」のソーシャルメディアキャンペーンにも参加するなど、仕事の幅も広がっています。

WWD:英語で配信しているのはなぜ?

フカセ:ティックトックでは、当初は日本語で配信していました。でも自分がゲイでハーフであることから、「おかま」「外人」など差別的用語を使用した誹謗中傷がひどかったので、現在は英語だけで配信しています。日本語は母親と一緒に出演するときに使いますが、それでもタイトルや字幕は英語です。英語と日本語以外では、タガログ語とセブアノ語が話せて、中国語とスペイン語も勉強しました。

WWD:フォロワーや視聴者はどの国が多い?

フカセ:アメリカが一番多いです。そこにフィリピン、ブラジル、イギリスとオーストラリアが続く感じですね。日本は10番目ぐらいであまり多くはないです。仕事の案件などもアメリカが中心です。アメリカ・ロサンゼルスの事務所に所属しているのもそれが理由で、所属インフルエンサーで一番遠くにいると言われました(笑)

WWD:日本では街中で気付かれない?

フカセ:渋谷や原宿を歩けば声を掛けられますが、それ以外のエリアでは1日1回あるかな?くらい。土曜日の夜に新宿2丁目に飲みに行けば、10人以上に声を掛けられます。でも“ストロングゼロ”を持って酔っているときに視聴者に会うのはちょっと恥ずかしいですね(笑)。でもやっぱり、海外の方が気付かれることは多いです。旅行先のギリシャ、イタリアやオーストリアなどでも声を掛けられた時はびっくりしました。

止まらない“クロップトップ愛”とドラァグを通して辿り着いたジェンダーフリーなファッション

WWD:ファッションのインスピレーションやよく行くお店は?

フカセ:参考にしている人はエマ・チェンバレン(Emma Chamberlain)やベラ・ハディド(Bella Hadid)かな。ブランドなら「ヘブン バイ マーク ジェイコブス(HEAVEN BY MARC JACOBS)」や「ゴルフ ワン(GOLF WANG)」、オンラインストア「ユニフ(UNIF)」。

 あとは、親友と原宿の古着を見ることが定番で、安くて大きなキンジ(KINJI)で掘り出し物を探すこともあるし、1980~90年代のビンテージが中心のピンナップ(PIN-NAP)など、アイテムが厳選された店も好きです。

WWD:スタンさんといえばクロップトップのイメージがある

フカセ:冬でもクロップトップを着るくらい好き。

 12月に表参道のローソンに入ったら、店員さんが「いつもクロップトップ着ているお兄さんですよね?表参道歩いているのを見ています。寒くないんですか?」って言われました(笑)

 クロップトップが好きな理由の一つは、ジェンダーの規範を壊しているから。男性が着ることを“普通”とされてこなかったので。僕が着始めたのは、大学の友だちが黄色いクロップトップをプレゼントしてくれたのがきっかけです。すごく気に入って、もらってから1週間、毎日着ていました。気に入りすぎて、メルカリでミシンを買って、自分の持ってるTシャツを全部クロップトップにしちゃったくらい。これは裏ワザですが、キッズ用のトップスをクロップトップとして着ることもできますよ(笑)。

WWD:東京のファッションシーンについてどう思う?

フカセ:日本は海外と比べて“身だしなみ”のレベルが高いと思います。欧米ではオシャレな人と気にしていない人の差がすごくあるように感じるけど、日本ではより多くの人が身なりを気にしていると思います。「ユニクロ(UNIQLO)」のように低価格だけど素材や作りがいいベーシックアイテムが豊富だからかな。でも、だからこそ、“身だしなみ”のためではなくて、もっと個性のある楽しいファッションもしてほしい。

WWD:昨年、自身のブランド「バイ エクストラ(byEXTRA)」を始動した。どういうブランド?

フカセ:テーマは“clothes have no gender(服に性別はない)”。最初は、全てクロップトップのコレクションを発表し、今年に入ってアクセサリーのコレクションも制作しました。オンラインストアでも「メンズ」「ウィメンズ」などのカテゴリーはありません。

 ブランドを始めるにあたって、デザインを0から考えるのはもちろん、工場、配送センターなど全て自分で手配をし、ウエブサイトは兄に手伝ってもらいました。現在は、事務所が物流をサポートしてくれていますが、クリエイティブは自分で全て担っています。

 小さい頃から、服をデザインすることが夢でした。高校生の時にはTシャツなどのプリントオンデマンドサービスを使っただけの「ユニセックス(UNISX)」というブランドを作っていたくらいです。その時のブランド名も自分のジェンダー観を表していると思います。

WWD:「バイ スタン(bySTAN)」ではなくて「バイ エクストラ」の理由は?

フカセ:“エクストラ(Xtra)”は僕がドラァグをする際のステージネームです。そもそもドラァグをしようと思った理由は、“ウィメンズ”とされている服を楽しむ口実でした。男性が着ていると変な目で見られてしまうかもという不安があり、自分ではない女性のペルソナで着てみようと思ったんです。

 現在はドラァグをしなくても、着たい服をジェンダー関係なく着られていますが、それもエクストラのおかげだと感じています。このジェンダーフリーなブランドも彼女がいなかったら作ることはできなかったので、「バイ エクストラ」と命名しました。

LGBTQ+コミュニティーの1人として東京から発信を続ける

WWD:LGBTQ+に関するコンテンツも多く発信している。

フカセ:日本から英語で発信しているインフルエンサーは観光情報や伝統文化をメインにしていることが多いですが、僕はあくまで自分の日常を見せたいと思っています。なので、ゲイである自分の日常として、LGBTQ+当事者である僕から見た日本や東京を発信しています。

 LGBTQ+についての情報、日本に関する情報それぞれを英語で発信するインフルエンサーはいても、日本のLGBTQ+を発信するインフルエンサーは少ない。だからこそ、視聴者の興味も集まっているんだと思います。

WWD:日本のLGBTQ+の状況はどう思うか?

フカセ:視点によって捉え方が変わります。文化的にLGBTQ+の人々が生きやすいとは言えませんが、海外に比べて暴力的な犯罪などは少ない。LGBTQ+への暴力が少ない訳ではなく、全体的に少ない、というだけですが、犯罪が少ないことはそれ自体が利点です。

 とはいえ、僕もクロップトップを着て東京の電車に載った際、年配の男性にいきなりピアスを引っ張られ、顔を引っ掻かれて、「おかま」と叫ばれた経験があります。久しぶりに泣きましたね。でも、世界にはもっと頻繁に、もっと深刻な被害に合っている人がいるということも忘れないようにしています。目立たない格好をすれば安全なのかもしれません。でも、ありのままの自分でいることが、一種のプロテストなのだと気付きました。

 新宿2丁目のように、コミュニティが集まれる場所があるのもいいですよね。「世界で最も密集しているLGBTQ+エリア」だと聞いたこともありますよ。多くの人がLGBTQ+にフレンドリーであれば、密集したLGBTQ+エリアはそもそも必要ありません。実際に、欧米ではこういうエリアが少なくなってきているんです。でも、小さいけど賑わっている新宿2丁目はコミュニティ感が強くて素敵だなとも思います。

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大学生も中核を担い「ティティーアンドコー」刷新 社長は「自分はもう監督兼4番バッターじゃいられない」

 ガールズマーケットの一翼を担っていた「ティティーアンドコー(TITTY&CO.)」が、大卒1年目の超若手も中核として活躍する新チームで刷新を進めている。ガールズマーケットの衰退で、「良くも悪くも優等生で、『どこがいいの?』と聞かれたら『やりすぎていないこと』だった」(ブランドを手掛ける高田憲男ディーアンドエー社長)という「ティティーアンドコー」も停滞、コロナが追い討ちをかけた。同社は20あった直営店を3つにまで絞り、ZOZOを皮切りにECにシフト。同時にディレクターに起用したインフルエンサーのPOYOは、昨秋以降入社したメンバーと共に2月、リブランディングを象徴する2022年春夏コレクションを発表。顧客やファンを招いた受注会にも初挑戦し、3月末には公式サイトもリニューアルした。「WWDJAPAN」推定でピーク時の半分の10億円弱まで落ち込んだ年商も回復の兆しにあり、新ECの売り上げも「かつての7、8割まで戻ってきた」という。若手にブランドの未来を託した高田社長、そのバトンを受け取った高田航輔副社長とPOYO、参画したばかりのチームメンバーに話を聞いた。

「WWDJAPAN」(以下、「WWD」):ビジネスのあり方も、ブランドのスタイルも、組織まで生まれ変わった。

高田憲男ディーアンドエー社長(以下、高田社長):数年前から厳しかったが、コロナで「とどめを刺された」。でも、「とどめを刺される」わけにはいかなかった。まずは通常営業さえ難しかった直営店からECにシフト、一番手っ取り早かったZOZOで直営の閉店で落とした売り上げを補いはじめた。ZOZOでの売り上げは、1年で3倍くらいになって「ひと段落」。そこで少し放置していた、ブランドとしての「ティティーアンドコー」の改革を始めた。POYOさんに出会ったのは、昨年の夏頃。ZOZOで売ったコラボアイテムが好評だったし、何より本人にガッツや向上心がある。「なんとかしないと」と考えるうち、「任せてみよう」と思うようになった。スタッフは、大改革の最中で出入りが激しかった。今のチームメンバーは、大半が昨年の11月から今春にかけて入社している。

「WWD」:「ティティーアンドコー」の生みの親として、そんな新しいチームによるリブランディングに複雑な想いはなかった?

高田社長:ブランドが生まれたのは2008年。まだまだ赤文字、109やルミネでのビジネスなどは、自然に広がる時代だった。昭和生まれの僕は、直営店メーンのビジネスを手がけてきた。でもECは自然には広がらず、仕掛けることがたくさんある。でも、自分にはわからない。わからないなら、わかる人にやってもらうしかない。一方、商品については「おじさん」でも、経験や感性でわかるところがある。それぞれ役割分担できると思った。でも今は、どんどん僕の仕事を受け継いで欲しい。

「WWD」:大きな責任を託されたチームを担う気持ちは?

高田航輔副社長:社長のように突出したものがあるわけではないので、優秀な人たちに入ってもらい、働きやすい環境づくりを意識した。トップダウンで引っ張るのではなく、みんなの意見を聞き、みんなで作り上げていく。だからみんなが生き生き働けるようにしたい。

POYOディレクター(以下、POYO):社長は、私たちのやりたいコトを尊重してくれる。「『ティティーアンドコー』のお客さまは~」と語り出して否定せず、私たちの「これって、かわいくないですか?」に反応してくれる。例えば「ティティーアンドコー」にはフレアスカートのイメージがあるけれど、今はマーメイド。私もフレアが好きだけどマーメイドを押すと、「いいね、やってみよう」と背中を押してくれる。転じてくれる、融通の良さがある。

高田社長:ずっとトップダウンでやってきたが、正直もうやりたくない。僕は疲れ、みんなは意見を言わなく・言えなくなる。今は、自然にミーティングが生まれ、皆が意見を出し合っている。すごく新鮮な光景で、嬉しかった。

「WWD」:チームメンバーは、それぞれどうして入社した?

本間翔子プレス:転職活動中に求人を見た。アパレルでのプレスの経験はなかったけれど、ずっとやりたいと思っていた仕事。もともと知っているブランドで、楽しそうな会社に見えた。実際一人ひとりの裁量が大きく、大変だが、やり甲斐も大きい。お客さまを招いたはじめての展示会は、本当に“はじめてだらけ”だった(笑)。公式サイトへの集客やインスタライブも未経験だったが、若手社員が“参戦服”として洋服を発信するなど、自由に発想できる。

後藤和也販売促進担当(以下、後藤販促担当):「ティティーアンドコー」で働き始めたのは昨年、まだ大学4年生だったとき。広告代理店から内定をいただき、インターンとしてインフルエンサー・マーケティングに携わっていたが、自分じゃなくても出来そうな仕事に思えてしまった。色々探している中で、アパレルでもインフルエンサー・マーケティングができるのでは?と考えた。展示会でのモデルキャスティングは、ほとんどが自分の考え。「ここまで任せてもらえるの?」と嬉しくなった。

高田副社長:各々がやりたいこととマッチするか?を考える採用に切り替え、自分なりの意見がある人を探すようになった。ビジネスSNSの「Wantedly」での採用は、目からウロコだった。職種や条件ではなく、「こんなことを目指している人」「共感してくれる人」を探すことができる。

「WWD」:とは言え、未経験者ばかりのチームは、大変そうだ。

本間プレス:まず、プレスの先輩がいなかった。何もかも「前例がない」ことで、教えてもらうという経験が一切なかった。

POYO:私がディレクターの仕事に“飛びついた”のは、昨年の12月。「サンプルは1カ月くらいで揃うだろう」と2月の展示会を目指したが、考えが甘かった(笑)。「旧正月は、こんなに何も動かないなんて!」と痛感した。

後藤販促担当:展示会の準備とルックブックの撮影は、忘れられない。展示会はずっと社内で開催していたと聞いていたが、リブランディングの節目だったので社外で開きたかった。提案すると社長は「いいね、会場探しといて」と言ってくれたけれど、「会場を探すのは、僕なのか」と焦った(笑)。会場のレイアウト、モデルの交渉など全てが同時進行だったけれど、終わったときの達成感は大きかった。入社前だったのに。

POYO:タフなネゴシエーションには、社長に入ってもらった。毎日が、文化祭の準備をしていたようなカンジ。作ることの楽しさを体感していた。

高田社長:社外での展示会は、本当に良かった。抽選で当たったお客さまの中には、九州から上京してくれた方も。22年春夏の売り上げは、1年前と比べて130%くらいで推移している。合格点。ただ3月にオープンしたECなど、試行錯誤は今も続いている。

「WWD」:今後の予定は?

POYO:秋冬は9月の展示会を目指している。8月には洋服が揃って、推しの品番で撮影できるようスケジュールを立てている(笑)。パワーアップして、もっと多くの人に手に取ってもらいたい。

高田社長:最初は学園祭のような一体感が良かったが、やっぱり会社。経験はまだまだ足りない。それでも新しい、自由な発想が出てくるのは本当に良いこと。経験して、理解できたら、僕は業務を任せることができる。もう現場で監督兼4番バッター兼エースではいられない、いるわけにはいかない。

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村上隆が語るNFTの可能性やベルナール・アルノーとの関係 「30年前のビジョンが今実現している」

 村上隆は、ニューヨークの美術館ガゴシアン(Gagosian)で自身の展覧会“An Arrow through History(歴史を射抜く矢)”を5月11日〜6月25日に開催している。

 同展覧会は、マディソン・アベニューにある2つのガゴシアンの美術館で開催。さらに、公式サイトとVRヘッドセットでも没入型のVR体験を提供する。来場者はSNSアプリ、スナップチャット(Snapchat)のレンズを通して各ギャラリーや会場の建物外壁でARアニメーションを見ることができる。VRのプロジェクトは、昨年ナイキ(NIKE)が買収したバーチャルファッションブランド、「RTFKT(読み方:アーティファクト)」が手掛けた。

 展覧会では、絵画、肖像画、彫刻、スーパーフラット(Superflat)の作品、中国元時代の陶磁器からインスピレーションを得た作品などに加え、「クローンX(CloneX)」のアバターや話題のNFTコレクション「Murakami.Flowers」をはじめとするNFT作品も展示している。ガゴシアンの広報によると、展覧会前に販売した作品127点は24時間以内に売り切れたという。

 同氏はロサンゼルスの美術館ザ・ブロード(The Broad)でも個展“Takashi Murakami: Stepping on the Tail of a Rainbow”5月21日~9月25日に開催している。ニューヨークの展覧会同様に、モバイルデバイスを使ったAR体験を提供する。

 「リアルの作品とデジタルの作品を並行して体験してもらうためにも、ぜひリアルの展覧会に足を運んでもらいたい」と語る村上隆。米「WWD」は、展覧会を前に通訳を通じてインタビューを行った。

米「WWD」(以下、WWD):今後リアルな作品よりもNFTが重要になるか?

村上隆(以下、村上):リアルのアート作品とデジタルのNFTアート作品の対立や境界線といったものは意味がないと考えている。日本人アーティストにとって、ニューヨークのコンテンポラリーアートは、雲の上の存在だった。幼い頃からアートといえば、丁寧に絵を描いたり、ハイクオリティで繊細に仕上げないといけないものだと思っていた。コンセプトが全てのコンテンポラリーアートはアートの概念をひっくり返して革命を起こすものだった。ポップ・アート以来歴史的なアートムーブメントがなかったが、NFTはそんなレベルの大きなムーブメントだと思う。これからは、若いアーティストや美大生がNFTアートでデビューすると同時に、美術館で展覧会を開くかもしれない。そんな時代がすぐそこまで来ている。早ければ今年の秋にはそうなると思う。僕は少し早かったかもしれないが、いずれそうなるだろう。

WWD:「Murakami.Flowers」の価格が高騰していることに関してツイッターで批判の声が上がっているが、これについてはどう思っている?

村上:今はあまりにも多くの人が価格に注目しすぎていると思う。僕のように大きなギャラリーで発表するようなアーティストは、常に株価のように作品の価格が上下する状況にさらされてきた。作品を披露するときの価格はものすごく高いか安いかのどちらか。オークションもあるし価格変動も激しいが、最終的に安定するようになり、いいアーティストだけが生き残るだろう。内容がないアートだったらそのアーティストは消えていくかもしれない。NFTアートは大量にあるが、今から2~3年後に自分のアートがどの地点にいて、どうなっているのかが重要。黎明期の今ある価格に関する噂や推測はあまり重要ではない。

WWD:アートを民主化することがあなたの活動の中心にあるが、NFTはファッションよりもアートの民主化を加速させると思うか?例えば「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」や「シュプリーム(SUPREME)」などあなたが協業してきたブランドはどうか?

村上:「コンプレックスコン(COMPLEXCON)」に参加したのだが、転売ヤーがいるため常に狩りと競争の世界だった。NFTではその流れがもっとずっと早い。「Murakami.Flowers」を初披露したときはまるでIPO(新規株価公開)であるかのようにみんな注目してくれた。(アートではなく)純粋なプロダクトとして売り出されたかのようだったが、そういう意味で、究極の民主化だと思う。

WWD:東京でLVMH モエ ヘネシー·ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON以下、LVMH)を率いるアルノー一家と一緒にいたのはなぜか?

村上:「ウブロ(HUBLOT)」とNFTの作品を作っている。「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」とはマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)以来(マーク・ジェイコブスが同ブランドを手掛けていた2004年にコラボレーションした)関係が続いている。またベルナール・アルノー(Bernard Arnault)氏は僕の作品のアートコレクターなこともあり、長きにわたって関係が続いている。

WWD:彼と何を話した?

村上:アルノー氏は、自身の名前を冠したブランド「ベルナール・アルノー」を作るべきだと、僕は強く思っている。20年以上彼の仕事を見ているが、とにかく何をやっても上手くて、多くの人にうらやましがられている。彼の驚異的な才能に、みんな少し嫉妬しているのかもしれない。世界中に店を抱え、ブランドの商品はどれも素晴らしいものばかり。もはやこれはアーティスティックな才能だと思うが、多くの人は彼がビジネスでどう成功しているかに気を取られすぎている。ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)やキム・ジョーンズ(Kim Jones)など、アルノー氏とコラボレーションしたクリエイターたちは全員モチベーションが高く、ベストを尽くしている。20年後に彼が亡くなっていても、LVMHというブランドは残るだろう。だが、ベルナール・アルノーという名前は、本当に情熱的にファッションシーンを引っ張ってきた人物として、歴史に刻まれないかもしれない。だから歴史に名を残すためにも、彼は絶対自身の名前を冠したブランドを作るべきだと思う。これはクリエイターとしての僕の意見に過ぎないが、僕は彼をクリエイターとして尊敬している。これはビジネスの提案でも何でもない。こうした意見を僕は前からインスタグラムに投稿していて、彼も見ている。彼に会うと「恥ずかしいが、クリエイターからそんな提案をされるのは光栄だ」と言われる。

WWD:アルノー氏は本気にしていると思うか?

村上:たぶんしていないだろうね(笑)。

WWD:「ティファニー(TIFFANY & CO.)」がティファニーブルーで描かれたジャン・ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の作品「イコールズ・パイ(Equals Pi)」を買い取って公開したが、このように広告の中でアートを見せることは今後あり得るか?

村上:アルノー氏がLVMHの社員や店舗の販売員に、前に進むようにとスピーチをしているのを日本で拝見したのだが、社内向けのスピーチを聞くことができたのはとてもラッキーだった。彼がクリエイティブという言葉を何度も何度も繰り返し、創作について話していたのが印象に残っている。彼はフォンダシオン ルイ・ヴィトン(Fondation Louis Vuitton)を持っているし、アートも収集している。でも、フォンダシオンを持つことによるブランドの見え方だとか、ブランドがアートを収集するのがトレンドだからとか、そういうことが目的ではないと僕は思っている。彼は純粋にアートに興味があるんだ。なぜなら、誰でもゼロから何かを生み出すときには、アイデアをピックアップして、自分の中のアイデアが生まれる部分にアクセスしなければならないから。例えばアスリートは、本番で起きることを理解し備えるために本番と同じレベルでトレーニングをしている。それと同じように、クリエイターも、自身が手掛けているのとは異なるジャンルのアートでも、クリエイターが創作過程においてどのような経験をするかを想像し、理解することができる。絵画や彫刻はそういう創作の過程が直接的でわかりやすい。だから、彼はアートに惹かれ、収集しているのだと思う。

広告の中のアートに関して、アルノー氏は仕事が上手いのでブランドを宣伝するためにアートを使っているように見えるかもしれないが、これはどちらかと言えば逆なんだ。彼は純粋に創造性にフォーカスし、アートを愛している。僕は今「ウブロ」としか仕事をしていないが、LVMHとはもっと一緒に仕事がしたいと思っている。

WWD:今のファッション業界で最もインスピレーションを受けているものは?

村上:「RTFKT」とナイキのメタバースでのコラボレーションは素晴らしいね。

WWD:「RTFKT」を通してそのブランディングにも関わっていたりするのか?

村上:僕が「RTFKT」とコラボレーションをしていたところに、ナイキが偶然「RTFKT」を買収しただけだよ。

WWD:ウクライナへの侵攻やパンデミックは、アートの重要性をどう変えたか?

村上:僕の初期の作品は、(第二次)世界大戦に敗れ、ほぼアメリカが樹立した政府による日本で育ったことを消化するためのものだった。子どものころベトナム戦争などを見て、「どうして戦争が起こるのか?」と疑問に思っていた。その疑問は、日本のアニメの中で常に問い続けられてきたものでもある。日本のアニメは、善悪の境界線がはっきりしていない。ヒーローか悪役かということはさほど重要じゃなく、なぜ戦争が起こるのかという問いが重要なんだ。その問いは今も変わらない。「なぜ戦争が起こるのか?」の明確な答えはない。エンターテインメントの世界でも、この曖昧なテーマが次々出てくるだろう。もちろん、大切な人を亡くした人には憎しみや負の感情も生まれてくるだろう。しかし、世界大戦後の日本とアメリカの関係も最初はネガティブなものだったがやがてお互いにリスペクトするようになった。そして、より良い未来を一緒に作ろうというムードになっていく。今の世界もそんな方向に進んでいってほしい。でもヨーロッパの歴史は複雑で、深く、長い。こんなことを言うのは楽観的だが、戦争を経験し、それを乗り越えた日本から来た一人の人間として、切に願っている。

WWD:今興味を持っているファッションデザイナーやアーティストはいるか?

村上:「ボアード・エイプ・ヨット・クラブ(Bored Ape Yacht Club)」を手掛けるユガ・ラボ(Yuga Labs)のような人たちに興味がある。それから、ジェームズ・キャメロン(James Cameron)監督の映画「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター(Avatar: The Way of Water)」の広告を見たのだがその年齢(67歳)で、まだまだ若くて感心する。

WWD:今のファッションシーンをどう見ている?

村上:業界全体でメタバース内のファッションが大きな課題になるだろう。僕はそこにもっと深く関われるような気がする。現実のファッションの世界では、ヴァージルのように新しいものを常に取り込んできた人たちがいて、僕ももっと深く関わりたいと思ってはいたが、ファッションの素材やそういったものを全く理解していなかった。でも、メタバースはコンセプトだけで深く入り込むことができる。

WWD:今後どんなプロジェクトが控えている?

村上:「Murakami.Flowers」のNFTプロジェクトは、チームを作って全力を注いでいる。TVアニメの「シックスハートプリンセス(Six Hearts Princess)」は15年前から作り続けているが、ようやく完成に近づいた。僕自身も編集に携わり、新しいカットを追加したり、セレクトしたりしている。どこで放映されるかは決まっていないが、僕はただ作って完成させるだけだ。ストリーミングや放映したい人がいれば最高だが、もしいなければユーチューブ(YouTube)か何かにアップするかもしれない。

WWD:あなたの活動について、どんなことを理解してもらいたいか?

村上:30年前、僕にはビジョンとやりたいことがあった。それを今の若者が汲み取り、一緒に取り組めていると感じている。若いころにやりたかったことが、今実現していると感じる。僕と同世代の人たちや、大人には理解されていないかもしれないが、若者、子どもたち、小学生や中学生が、僕が今やっていることを理解してくれている。30年後、彼らは大人になり社会に出て、自分たちのビジョンを実現するようになるだろう。

WWD:ニューヨーク滞在中の仕事以外の予定は?

村上:今朝生まれて初めてセントラルパークを歩いたのだが、最高だった。今回は観光客的な体験をちゃんとしていると思う。

WWD:あなたのアートやクリエイティビティ、将来性についてどんな印象を抱いてもらいたいか?

村上:「ああ、彼はオタクなんだな」と思ってほしいね。

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「ディーゼル」は「ハッピーなメルティングポット」 来日デザイナーは「サステナブルも『説教クサく』したくない」

 「ディーゼル(DIESEL)」は6月9日、クリエイティブ・ディレクターのグレン・マーティンス(Glenn Martens)が来日し、2022-23年秋冬のファッションショーを開催した。巨大な人間型バルーンの、足の間やお腹の下をモデルが通り抜ける演出はミラノ・コレクション同様。“Y2K”を感じるブラトップやローライズジーンズ、ミニスカートも変わらないが、日本での発表に際して真っ赤な6ルックを追加した。ショーの翌日、来日中は連日ナイトライフを満喫し、若干二日酔い気味だった(!?)グレンに話を聞いた。

「WWDJAPAN」(以下、「WWD」):22-23年秋冬コレクションを、日本でもファッションショーで発表した理由は?

グレン・マーティンス「ディーゼル」クリエイティブ・ディレクター(以下、グレン):「ディーゼル」は、グローバルなブランド。世界中の人と出会い、耳を傾けるためにもミラノ以外の場所でファッションショーを開催してみたかった。日本を選んだのは、(コロナ禍の影響で)アジアのゲストはミラノ・コレクションを訪れることができなかったから。特に日本は「ディーゼル」にとって大切な市場で、「ディーゼル」らしい「エクレクティック(折衷主義の意味。ここでは、さまざまなカルチャーが融合している様子を表す)」なマーケット。東京でファッションショーを開くことは、「エクレクティック」で「ファン」な「ディーゼル」らしい。

「WWD」:だからこそミラノ・コレクションを丸ごと、東京に持ってきた。

グレン:バルーンも含めてね(笑)。あのバルーンは、90年代に広告のあり方を変えた「ディーゼル」の歴史を表現している。ちょっとダサいかもしれないけれど、セクシーで、驚きに溢れ、楽しかった「ディーゼル」の広告を、ランウエイショーで表現したかった。

「WWD」:一方、真っ赤な6ルックを追加した。

グレン:より強いエネルギーを表現するため、色が欲しかった。日本だから、「ディーゼル」だから「赤」ではなかったけれど、一番エネルギッシュだと思って選んだ色が、日本にとっても「ディーゼル」にとっても大事な色だった。

「WWD」:そのエネルギーこそ、「ディーゼル」で表現したいもの?

グレン:パリで生まれ育った僕にとって新鮮な、深掘りすべき「ディーゼル」のアイデンティティはエネルギーだ。それはオープンマインドに、なんでもすぐに結びつける原動力。ブランドやデザインチームは、その本質を40年間体現し続けている。究極言えば、「尊敬しあえていれば、なんでもオッケー」。そんな社会を作りたい。「ディーゼル」は、ハッピーなメルティングポット。それは今世界中が求めていることだし、これまで“スカし”続けてきたパリでも、そんなムードを感じている。でもハッピーなメルティングポットは、どこにでもあるワケじゃない。誰かがボタンを押さないと、実現しないかもしれない。そんなとき「ディーゼル」が、真っ先にボタンを押す存在になったらと思う。

「WWD」:会場には、多数のティックトッカーやユーチューバーが来場し、これまでのファッションショーとは異なる、新しいエネルギーを発信していた。

グレン:デジタルSNSこそ、異なるバックグラウンドの人たちが尊敬しあっているハッピーなメルティングポットだ。

「WWD」:一方、資源利用を最小限に抑えて生産するプロジェクト“ディーゼル ライブラリー(DIESEL LIBRARY)”など、サステナブルな取り組みには真剣だ。

グレン:デニムは、世界を汚してきた。だからこそグローバルブランドの「ディーゼル」が、率先すべきだ。コレクションピースはどんな方法で作っても大した問題にはならないが(笑)、コマーシャルなデニムは違う。使うコットン、洗い、そして加工。全てを順次、進化させたい。デニムの次は23年のプレ・コレクションで、オーガニックコットンや再利用した素材を活用したジャージーの商品化に成功した。次はレザー。僕が今も着ている祖父のブルゾンのように、価値あるレザーウエアを生み出したい。

「WWD」:真剣に取り組まなければならないサステナブルについては、「メッセージの発信までシリアスになりすぎた」と反省するブランドも多い。楽しい「ディーゼル」として、そのメッセージをどう発信する?

グレン:例えばポケットをひっくり返したり、股間のファスナーを開けたりすると初めて見えるサステナブルなメッセージは、「ディーゼル」らしいと思う。「説教クサく」ならないよう、これからも考えたいね。

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“デジタルアーティスト”大平修蔵の今とこれから デジタルから世界へ羽ばたく21歳

 現在21歳の大平修蔵は、ファッションモデルなど、いくつものフィールドを股にかけて活躍している。TikTokの一つの投稿をきっかけに世界中から注目を集め、2022年6月8日現在はSNSの総フォロワーを700万以上を抱えている。モデルとしては、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」の2021年春夏メンズコレクションでランウエイデビューすると、9日に行われた「ディーゼル(DIESEL)」のショーにも起用され、堂々としたウオーキングを披露した。また俳優やDJもこなし、さらに英語が堪能であることから“次世代のグローバルアイコン”として熱い視線を浴びている。大平に、活動の原点や今後の展望について聞いた。

応援団長でなく、副団長を選ぶような人生だった

WWD:どんな子供時代を過ごしましたか?

大平修蔵(以下、大平):両親が航空会社で働いていたので、普段から英語が飛び交う家庭でした。家に遊びに来るのも米軍基地で働いている人の家族や、いろいろなバックグラウンドを持つ人が昔から身近にいましたね。

僕は一つのことに集中し始めたらそれしかできなくなっちゃう子供でした。幼稚園で縄跳び大会があった時は1位にこだわり、母親を付き合わせて泣きながら練習していたらしくて。今もとことん突き詰めるタイプなので、あまり変わっていないですね。

WWD:15歳でニュージーランドに留学。留学先での経験で、特に印象的だったのは?

大平:通っていた学校に日本人は僕一人でした。ほかにも中国、韓国から来たアジア圏の留学生がいたんですが、仲間はずれにされたくなくて、文法も気にせず英語でコミュニケーションを取るようにしたり、スポーツに打ち込んだりしました。そうするとクラスメイトも僕のパーソナルな部分に興味を持ってくれるようになりました。いじめっ子タイプの同級生も最初は好きではありませんでしたが、自分に自信をつけて堂々と話してみると、彼らも同じ人間なんだと分かったんです。どんな人でもフラットに見る大切さは、その時に覚えましたね。

WWD:TikTokを始めたきっかけは?

大平:帰国してから芸能事務所に所属していたものの、以前と特に変わらない生活でした。ある時友達に勧められて、TikTokを何となく始めました。でも、最初は照れがありましたね。もともと目立ちたがり屋だけど、いざ注目されると恥ずかしくて、応援団長じゃなくて副団長を選ぶような人生だったので。

でも、トレンドを真似た最初の投稿が運良くバズったんです。通知が次々に届くから友だちに見せたら「それ、バズってるよ」って教えてくれました。それからTikTokで動画を日々アップするようになったらフォロワーもどんどん増えていき、ブランドのデジタルプロモーションの仕事も依頼されるようになりました。

「デジタルで得たパワーをフィジカルで爆発させたい」

WWD:その後、東京で開催された「ルイ・ヴィトン」の2021年春夏メンズ・コレクションで、ランウエイデビューしました。

大平:デジタルの仕事をしながら初めて受けたオーディションでした。デジタルでの活動はすでに行っていましたが、みんなと同じようにオーディションを受けて選んでもらいました。この「ルイ・ヴィトン」のショーは、自分の人生で大きなターニングポイントになりました。コロナが流行し始め、これからどうするという不安定な時期に、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)が手掛けたショーに参加できるなんて、二度とない経験です。本当に幸せな瞬間でしたね。以前は“TikToker”と紹介されるのがあまり好きじゃなかったけれど、このショーを歩いてからはモデルとしての自信がつき、TikTok以外のフィールドで自分の存在価値を少しずつ見出せるようになりました。

WWD:デジタルでの発信に注力していこうと思ったきっかけは?

大平:TikTokを始めて半年ほどでフォロワーが200万を超えた時に、何気なくやっていたことが人のためになっていると気がついたんです。自分にオファーが届いた仕事はメイクやスタイリストなどみんなで一緒にできるし、コメントで「おはよう」「おやすみ」と毎日送ってくれる世界中のファンにとっては、僕が生活の一部になっているのかなと。そう考えるとさらにやる気がでましたね。

WWD:世界中にファンがたくさんいるのはどうしてだと思いますか?

大平:愛が一方通行にならないように、動画を通してファンの方が求めるものをお返しするのは意識しているからでしょうか。最近、6月12日放送の「アナザースカイ」のロケでパリを訪れた時に、街にいたファンが寄ってきてハグをしてくれたんです。その時に、見えないところで応援してくれている人たちと愛を分かち合える喜びを感じ、愛をしっかり受け取ることも大事だと改めて感じました。

WWD:大平さんは活動テーマに“デジタルブリッジ”を掲げています。これはどういう意味ですか?

大平:デジタルを使って、人と人との掛け橋になりたいんです。戦争をやめてほしいとか、差別は嫌だとか、僕の思いに共感してくれる人たちがいろいろな国にいるので、僕を通してその人たちが思いを共有する輪が生まれたらうれしい。でも、それを言葉ではなく、僕自身の活動を通じて、背中を見せて伝えていきたいです。

WWD:今の自分自身の肩書きをあえて一言で表すならば?

大平:写真家のレスリー・キー(Leslie Kee)さんが「修蔵はデジタルアーティストだね」って言ってくれたのが印象に残っています。そういう捉え方があるんだ!って新鮮でした。確かに、デジタル上のクリエイトはもちろん、モデルもDJしています。だから“デジタルアーティスト”という呼び方はしっくりくる気がして、インスタグラムのプロフィールにも書いています。

WWD:今後の目標は?

大平:今年は国境を越えての移動もしやすくなるはずなので、デジタルで得たパワーをフィジカルで爆発させたいです。僕は欲張りなので、ショーのフロントローに座りたいし、モデルとしてランウエイも歩きたい。ドラマで主演もやりたい。DJとしてフェスにも出たい。フィジカルでやるならデジタルと違ってお金も時間もかかるので、一気に全部は無理だと分かっています。でも、一つずつ叶えていきたいですね。漠然としていた自分の夢がリアルに見え始め、今スタートラインに立てた感覚なので。

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洗濯で衣類が回復 寿命を延ばすケア製品誕生秘話

 洗えば洗うほど衣類にダメージを与えてしまう洗濯の常識を覆す製品が誕生した。洗濯機に使い古した衣類と一緒に入れて洗うだけで衣類が回復するバウダーをスウェーデンのスタートアップ、バイオリストア(BIORESTORE)が開発した。毛羽立ちや色落ちが、酵素とミネラルの力で復元するという。現在、特許を出願中のこの技術で、2022年のH&M創業者によるイノベーションアワード、グローバル・チェンジ・アワードを受賞した。すでに製品化に成功しており、4月19日からキックスターターのプラットフォームでプレオーダーを実施した。現在の資金調達額は430万スウェーデン・クローナ(約5750万円)。創設者のワジャハット・ハッサン(Wajahat Hussain)とリチャード・トゥーン(Richard Toon)クリエイティブ・ディレクターにオンラインで話を聞いた。

WWD:洗濯に着目した経緯は?

ワジャハット・ハッサン(以下、ハッサン):実は洗濯に注目していたわけではなく、ファッション産業が抱える最大の課題を解決したいという思いがありました。最大の課題ーーそれは衣類には寿命があることだと考えました。服が高品質であろうとなかろうと全ての衣類は着古され、いずれ着用できなくなります。私たちはその解決策となる使い古された衣類を復活させる方法について模索を始め、パウダー“バイオリストリア”を開発しました。パウダーは洗剤のようなものではありますが、私たちは洗剤(detergent)ではなくre-tergent(造語)と呼んでいます。

WWD:どのように復元させるのですか?

ハッサン:パウダーを衣類と一緒に洗濯機に投入し、40℃の温水で洗濯すると、取り出した衣類は新品のように復活します。洗剤のように洗浄するわけではないので、“バイオリストリア”をretergentと呼び、将来的にはこのretergentがスーパーなどの洗剤・洗濯コーナーで、新たなカテゴリーになればと思っています。

WWD:パウダーの原料は?

ハッサン:主な原料は5~6種類で、一番メインとなる要素は酵素です。専門的な言葉で言うとケミカルリサイクルのプロセスを行います。酵素と洗濯機が互いに作用して、酵素が小さな繊維を取り除き、繊維構造から構築することで、衣類を復元することを可能にしました。

WWD:酵素についてもう少し詳しく教えてください。

ハッサン:発酵の過程によって得られる酵素で、その由来となるものはさまざまです。それぞれ異なる種類の原料から抽出され、酵素はそれぞれの性能を持ち合わせていて、それを混合したものを使用しています。

WWD:世界中のどんな洗濯機でも効果を発揮する?

リチャード・トゥーン(以下、トゥーン):洗濯機に求める機能は主に2つで、一つは回転のメカニズム、そしてもう一つは40度の温水を使用すること。この両方を備えた洗濯機であれば、問題なくどこの洗濯機でも使用できます。

WWD:一般的な家庭用洗濯機で使用できると。

トゥーン:はい。だからこそ消費者向けに製品化していて、使い方はいたってシンプルです。この製品はいずれスーパーや小売店、オンラインでも購入できるようになります。

WWD:価格を教えてください。

ハッサン:第一弾となる製品は、大人向けの衣類であれば8着程度、子ども服であれば10着程度に使用できる量が入っています。価格は1着を復活させるのに約2~3ドルの計算で、1回使用すると約6~7カ月ほど効果を発揮します。複数回着用し、劣化してきたと感じたら使用していただくようなものです。

トゥーン:例えば150ドルの服購入し、着用して4回“バイオリストア”を使ったとします。4回新たに服を購入する機会を減らすことができて600ドルの節約になる。4回衣類を復活させるためにかかる費用は15ドルほどです。

WWD:セルロースに反応するとのことですが、他の素材や混紡素材などでも使えますか?

ハッサン:使えないのは100%ウールや、100%合成繊維などの製品です。コットンやコットン混、セルロースとコットンの混紡素材に加えて、アクリルやポリエステルなどでも良い結果が得られました。

トゥーン:世の中の約60~70% の製品をカバーできます。

WWD:今後の量産化への計画や、価格を下げる予定があれば教えてください。

ハッサン:私たちはすでに良い生産能力を備えており、スピード感を持って拡大できると思います。キックスターターでのキャンペーンは米国、欧州、豪州を対象としていて初期段階で3つの巨大なマーケットをカバーしています。生産コストがかかるので、価格を下げる予定は現時点ではありません。イノベーションはコストがかかるものではありますが、“バイオリストア”は節約につながるのでとても経済的な製品です。よく洗剤と同じ感覚で見られがちなのですが、一般的な洗剤は毎日使うものとして価格設定されているため比較は難しい。“バイオリストア”は洗剤とは科学的にも経済学的にも全く異なります。新たに服を購入する機会を減らせることから“バイオリストア”がもたらす金銭的な価値はもっと高く、必要だと感じたときだけ使用するものであるため、サステナビリティの観点からも優れています。

WWD:開発にどれくらいの期間かかったのですか?

ハッサン:このアイデア自体が生まれたのは2016年。初めてのプロトタイプを生産したのが19年でした。その後19~20年の1年間で量や素材を変えながら試験を重ね、21年には消費者による試験も行いました。どこでも使用できることを確認したかったので、英国、スウェーデン、米国などで150程度のサンプルを配布しました。

WWD:さらに拡大するために、生産拠点を世界各地に設けたり、アウトソースするなどライセンス化は考えていますか?

ハッサン:ブランドのマーケティングや管理を全て自分たちで行おうと考えています。サプライチェーンに関しては現在全ての製造をヨーロッパ内で行っていますが、現時点ではヨーロッパ内でそれりの量を生産できる体制があるので、量産化についてはそこまで課題として捉えていません。需要が高まり、生産スピードが求められたら、1カ所以上の生産拠点を設けようかということになるかもしれません。

WWD:それなりの量を生産できるとのことですが、どれくらいの時間でどれくらいの量を生産できるのですか?

ハッサン:1日に複数回、トン単位で生産が可能ですが、リードタイムは約2カ月かかります。現在は立ち上げ段階にあり、サプライチェーン全体で考えると、箱の発注や梱包作業なども考慮しなくてはならず、そこに時間がかかっています。しかし今後需要が高まれば、在庫としてストックしておき、製品をもっと高頻度で発送することが可能になると思います。量産化の準備は整っており、アパレル産業や繊維産業の製造における経験や知見もたくさんあるので、それと同じようなプロセスを取る準備もすでに築いています。あとはいつそれを実行するかということだと思います。

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洗濯で衣類が回復 寿命を延ばすケア製品誕生秘話

 洗えば洗うほど衣類にダメージを与えてしまう洗濯の常識を覆す製品が誕生した。洗濯機に使い古した衣類と一緒に入れて洗うだけで衣類が回復するバウダーをスウェーデンのスタートアップ、バイオリストア(BIORESTORE)が開発した。毛羽立ちや色落ちが、酵素とミネラルの力で復元するという。現在、特許を出願中のこの技術で、2022年のH&M創業者によるイノベーションアワード、グローバル・チェンジ・アワードを受賞した。すでに製品化に成功しており、4月19日からキックスターターのプラットフォームでプレオーダーを実施した。現在の資金調達額は430万スウェーデン・クローナ(約5750万円)。創設者のワジャハット・ハッサン(Wajahat Hussain)とリチャード・トゥーン(Richard Toon)クリエイティブ・ディレクターにオンラインで話を聞いた。

WWD:洗濯に着目した経緯は?

ワジャハット・ハッサン(以下、ハッサン):実は洗濯に注目していたわけではなく、ファッション産業が抱える最大の課題を解決したいという思いがありました。最大の課題ーーそれは衣類には寿命があることだと考えました。服が高品質であろうとなかろうと全ての衣類は着古され、いずれ着用できなくなります。私たちはその解決策となる使い古された衣類を復活させる方法について模索を始め、パウダー“バイオリストリア”を開発しました。パウダーは洗剤のようなものではありますが、私たちは洗剤(detergent)ではなくre-tergent(造語)と呼んでいます。

WWD:どのように復元させるのですか?

ハッサン:パウダーを衣類と一緒に洗濯機に投入し、40℃の温水で洗濯すると、取り出した衣類は新品のように復活します。洗剤のように洗浄するわけではないので、“バイオリストリア”をretergentと呼び、将来的にはこのretergentがスーパーなどの洗剤・洗濯コーナーで、新たなカテゴリーになればと思っています。

WWD:パウダーの原料は?

ハッサン:主な原料は5~6種類で、一番メインとなる要素は酵素です。専門的な言葉で言うとケミカルリサイクルのプロセスを行います。酵素と洗濯機が互いに作用して、酵素が小さな繊維を取り除き、繊維構造から構築することで、衣類を復元することを可能にしました。

WWD:酵素についてもう少し詳しく教えてください。

ハッサン:発酵の過程によって得られる酵素で、その由来となるものはさまざまです。それぞれ異なる種類の原料から抽出され、酵素はそれぞれの性能を持ち合わせていて、それを混合したものを使用しています。

WWD:世界中のどんな洗濯機でも効果を発揮する?

リチャード・トゥーン(以下、トゥーン):洗濯機に求める機能は主に2つで、一つは回転のメカニズム、そしてもう一つは40度の温水を使用すること。この両方を備えた洗濯機であれば、問題なくどこの洗濯機でも使用できます。

WWD:一般的な家庭用洗濯機で使用できると。

トゥーン:はい。だからこそ消費者向けに製品化していて、使い方はいたってシンプルです。この製品はいずれスーパーや小売店、オンラインでも購入できるようになります。

WWD:価格を教えてください。

ハッサン:第一弾となる製品は、大人向けの衣類であれば8着程度、子ども服であれば10着程度に使用できる量が入っています。価格は1着を復活させるのに約2~3ドルの計算で、1回使用すると約6~7カ月ほど効果を発揮します。複数回着用し、劣化してきたと感じたら使用していただくようなものです。

トゥーン:例えば150ドルの服購入し、着用して4回“バイオリストア”を使ったとします。4回新たに服を購入する機会を減らすことができて600ドルの節約になる。4回衣類を復活させるためにかかる費用は15ドルほどです。

WWD:セルロースに反応するとのことですが、他の素材や混紡素材などでも使えますか?

ハッサン:使えないのは100%ウールや、100%合成繊維などの製品です。コットンやコットン混、セルロースとコットンの混紡素材に加えて、アクリルやポリエステルなどでも良い結果が得られました。

トゥーン:世の中の約60~70% の製品をカバーできます。

WWD:今後の量産化への計画や、価格を下げる予定があれば教えてください。

ハッサン:私たちはすでに良い生産能力を備えており、スピード感を持って拡大できると思います。キックスターターでのキャンペーンは米国、欧州、豪州を対象としていて初期段階で3つの巨大なマーケットをカバーしています。生産コストがかかるので、価格を下げる予定は現時点ではありません。イノベーションはコストがかかるものではありますが、“バイオリストア”は節約につながるのでとても経済的な製品です。よく洗剤と同じ感覚で見られがちなのですが、一般的な洗剤は毎日使うものとして価格設定されているため比較は難しい。“バイオリストア”は洗剤とは科学的にも経済学的にも全く異なります。新たに服を購入する機会を減らせることから“バイオリストア”がもたらす金銭的な価値はもっと高く、必要だと感じたときだけ使用するものであるため、サステナビリティの観点からも優れています。

WWD:開発にどれくらいの期間かかったのですか?

ハッサン:このアイデア自体が生まれたのは2016年。初めてのプロトタイプを生産したのが19年でした。その後19~20年の1年間で量や素材を変えながら試験を重ね、21年には消費者による試験も行いました。どこでも使用できることを確認したかったので、英国、スウェーデン、米国などで150程度のサンプルを配布しました。

WWD:さらに拡大するために、生産拠点を世界各地に設けたり、アウトソースするなどライセンス化は考えていますか?

ハッサン:ブランドのマーケティングや管理を全て自分たちで行おうと考えています。サプライチェーンに関しては現在全ての製造をヨーロッパ内で行っていますが、現時点ではヨーロッパ内でそれりの量を生産できる体制があるので、量産化についてはそこまで課題として捉えていません。需要が高まり、生産スピードが求められたら、1カ所以上の生産拠点を設けようかということになるかもしれません。

WWD:それなりの量を生産できるとのことですが、どれくらいの時間でどれくらいの量を生産できるのですか?

ハッサン:1日に複数回、トン単位で生産が可能ですが、リードタイムは約2カ月かかります。現在は立ち上げ段階にあり、サプライチェーン全体で考えると、箱の発注や梱包作業なども考慮しなくてはならず、そこに時間がかかっています。しかし今後需要が高まれば、在庫としてストックしておき、製品をもっと高頻度で発送することが可能になると思います。量産化の準備は整っており、アパレル産業や繊維産業の製造における経験や知見もたくさんあるので、それと同じようなプロセスを取る準備もすでに築いています。あとはいつそれを実行するかということだと思います。

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「フラグメント」が“やり過ぎない”アイデアで「シュタイフ」の歴史を変えた 藤原ヒロシ的「ちょうどいい塩梅」とは?

 藤原ヒロシの「フラグメント デザイン(FRAGMENT DESIGN以下、フラグメント)」と1880年創業のドイツ発ぬいぐるみブランド「シュタイフ(STEIFF)」は、コラボレーション第4弾を発表した。欧州で出産祝いとして渡されるテディベア“マイファースト シュタイフ”を「フラグメント」らしく真っ黒にアレンジ。これを“マイファースト フラグメント”(9900円税込、サイズ26cm)と名付け、1000体限定で販売する。さらに今回は、親子でそろって着られるように、ベビー&キッズと大人向けのアパレルも用意。テディベアのグラフィックから色使い、アルファベットの使い方に至るまで、藤原らしいアイデアを散りばめている。4回目のコラボについて、藤原に根掘り葉掘り聞いた。

 なお、アイテムは6月22日から伊勢丹新宿店と阪急うめだ本店で先行発売し、25日から「シュタイフ」の青山店と公式オンラインショップほか、正規取扱店で販売する。

――ヒロシさんが思うシュタイフの魅力は?

藤原ヒロシ(以下、藤原):テディベアといえば「シュタイフ」。僕の中ではそれしかなかったですね。コラボする前は、「古いテディベアがいくらになった」とかのニュースをたまに見るぐらいだったんだけど、調べたらゴジラからピカチュウまで、いろんなものを「シュタイフ」が作っているんですよ。だから“しっかりしたぬいぐるみ”といえば「シュタイフ」かな。キルティングバッグ=シャネルというのと一緒ですね。

――確かに、古いテディベアに希少価値があるのは、それだけデザインや技術が高いということだと思うが、ヒロシさん自身はビンテージの価値を意識する?

藤原:ビンテージの価値を分かっていない方が多いかな。「それ着ちゃうの?」って言われるし。時計でもデニムでもビンテージはみんなすごく大切に扱うけど、僕は欲しいものを買って、それがたまたまビンテージだったから着るというか。そういうタイプだから本当の意味でのビンテージの良さは分かっていないと思います。ビンテージも新しいものも同じ目線で、良いか悪いかだけですね。

――なるほど。今回、子ども服をデザインするにあたってこだわった部分は?

藤原:子ども服だからといって子ども服に寄せるわけではないんですよね。よく言われるんですけど、子どもと話すときも大人に接するときと同じようにできる限り対等に話すから。だから洋服のデザインも僕の中ではそんなに意識してなくて。いつも通り作ったものを専門家が子ども服サイズに落とし込んでくれました。わりと分かりやすく。

――分かりやすさは大事?

藤原:分かりやすさを求められることが多いかもね。それを汲み取りながらだけど、ブランドによっても違う。「シュタイフ」だったら「フラグメント」を知らない人もいるだろうから、そういうマーケットだったら分かりやすくても逆に面白いかな。

――ヒロシさんといえば黒のイメージがあるが、今回はブルーやピンクも使っている。

藤原:タイミングによって変わるんだけど、ブルーとピンクは、その頃使っていた色なんです。定期的に使う色ではあるんだけど。でも黒は一般的には子どもに着せたくないと思うんでしょうね。だから世の中に少ないんだろうけど。ひねくれた家族に着てもらえばいいんじゃないかなと(笑)。

――バックプリントの“steiff”の“s”を小文字にしたのは、140年以上続くブランド史上、ヒロシさんが初めてだ。本国のドイツでも驚きだったと。

藤原:何も考えてなかったんだけど、先に言われていたら大文字に直していたかも知れないなぁ。僕のイメージだけど、小文字の方が優しい感じがするんですよね。だからメールとかでも、「Mr.Hiroshi」と大文字+小文字で来るより、全部小文字の方が友達っぽいなと自分では感じるかも。

――では、今回の「シュタイフ」もその優しい感じを表現したかった?

藤原:そうだね。なんとなく小文字の方が柔らかいかなと。なぜそうなのか本当の意味は分からないけれど、小文字の方が丸っこいところが多いよね。だから小文字を使うことが多いです。

――MA-1の袖の切り替えは、「グッドイナフ(GOOD ENOUGH)」でも使っていたディテールだ。そもそも、このディテールを思いついた経緯は?

藤原:これね。マット・ヘンズリー(Matt Hensley)というスケーターがやっていたんですよ。それを昔、写真で見て。切り替えしてあったのか、貼り付けていただけだったのか分からないんだけど、ここだけ違うフットボールマフラーみたいなのを付けていて。それを真似してやってみて、それ以来ですね。

――今回が第4弾だが、これまでの反響はヒロシさんの耳にも入っている?

藤原:いや、ないですね。褒めてもらいたいのに褒められない。あれすごい良かったとか誰からもない(笑)。

――毎回、完売していると聞いている。ところで、「フラグメント」としてコラボするときに大事にしていることは?

藤原:まずはやるかやらないかの時点でかなりふるいにかけるので、やるってことは「フラグメント」っぽいものが出来上がるってことだと思う。これは「フラグメント」っぽくないなとか「フラグメント」がやってもあんまり意味がないなってものは全部お断りするんですよ。

――「フラグメント」っぽくないものとは?

藤原:具体的に何?って言われても難しいけど、そのときのタイミングにもよるかな。

――ヒロシさんが1からデザインする場合もあれば、完成しているものだからという理由でロゴを載せるだけの場合もある。それはどう見極めている?

藤原:でも世の中のほとんどのものは完成しているから、グラフィックを載せるパターンが多いね。Tシャツも完成されたデザインだし、子ども用に一から袖をどうこうしようとかも最近はあんまりないから、世の中のいろんなプロダクトがほとんど完成形なのかもしれない。

――過去の「シュタイフ」にはぬいぐるみのお腹を裂いたラグもあった。

藤原:でもぬいぐるみ自体は元々あるものだし、そのぬいぐるみのお腹を裂くのをよく許してくれたな、とは思います(笑)。ありものだけど、誰も思いつかなかったこととかこんなものがあったらいいのになとか、そういうことが好きですね。だからルール以上のことや、やりすぎなことはあんまり好きじゃない。オーバーデザインのものは世の中にいっぱいあるじゃん。それが世の中ではやることももちろんあるんだけど。あるデザイナーにとってみれば、(今回の)Tシャツに毛皮を貼ろうとか、アップリケにしようとか考える人がいるのかもしれないけれど、僕はそれがオーバー過ぎるなと思ったりします。自分の中のちょうどいい塩梅があるんですよね。

――Tシャツに使った熊のグラフィックに「シュタイフ」の耳タグ(黄タグ)が付いていない。耳タグがないグラフィックも「シュタイフ」では初めてだそう。

藤原:そうそう。ここに耳タグがあると土産物みたいで興醒めするなと思ったので。もし耳タグを付けるデザインにしないといけないなら違うデザインにしましょうとは言いました。そこはこだわったと言ったら大袈裟だけど、アレンジしすぎちゃうと商業っぽくなりすぎる気がするんですよね。

――なるほど。今後デザインしてみたいものは?

藤原:自分からはあまりないかな。声をかけられたら考えるというか。デザインのことをやっていて自分では「これ最高だ」と思っても、そういうものこそあんまり人に言わないでひっそりやりたいタイプなんです。

――では、僕らがまだ目にしていない名作があると。

藤原:はい、自分の中にはあります。あとで誰かに発掘されたらうれしいなみたいな。

undefined PHOTO:GYO TERAUCHI

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新生「エーグル」CEO、「価値観を共有する全ての人々に届けることが使命」

 1853年にフランスで誕生した「エーグル(AIGLE)」の歴史は、機能性とスタイルを重視したハンドメイドのラバーブーツを生み出したことから始まる。創業以来自然との調和を大切にし、アウトドアのみならず都会でのアクティブなライフスタイルをサポートしてきた「エーグル」は、コロナ禍での人々の価値観の変化を追い風に躍進する。2019年にCEOに就任したサンドリン・コンセイエ(Sandrine Conseiller)氏に、「エーグル」が描くビジョンを聞いた。

自然との真の絆を求める
人々に届ける

WWD:改めて、「エーグル」の強みは?

サンドリン・コンセイエ「エーグル」CEO(以下、コンセイエCEO):CEOに就任してまず、アーカイブを振り返り、ブランドがたどってきた169年の歴史を理解するところから始めた。驚いたのは、「エーグル」が創業当初から「スタイル」と「機能性」を掲げていたことだ。そして、サステナビリティという言葉がなかった時代から商品の耐久性に価値を置いていた。今の時代にブランドに求められる価値観をすでにコアに持っていたことは、非常に嬉しい発見だった。

WWD:「エチュード スタジオ(ETUDES STUDIO)」創業者チームをアーティスティック・ディレクターに指名した狙いは?

コンセイエCEO:彼らが就任する以前は、アーティスティック・ディレクターというポジションを設けていなかった。人々は地球に優しいからではなく、それを身に着けたくて商品を買う。だからブランドの根幹にあるサステナビリティによりコミットするためには、同時にファッション性を高めることが必要だ。創業以来大切にしてきた都会と自然を融合させる感覚を維持しながら、商品をさらに魅力的なものにアップデートできるのが彼らだった。

WWD:ファーストコレクションの感想は?

コンセイエCEO:非常に良いスタートが切れたと思う。特に自然を感じる色やプリントが素晴らしい。コロナ禍でロックダウンを経験した人々の間で、自然とのつながりを感じたいという欲求が高まっている。昨今、多くのブランドが“地球のために”といったメッセージを打ち出しているが、「エーグル」は、自然との真の絆がある点で大きく違う。それを強調するようなコレクションだった。ターゲット層は、こちらから年齢や属性で絞らない。価値観を共有する全ての人々に届けることがブランドの使命だ。実際にそうした価値観に敏感な人々は増えており、ブランドの魅力を再発見してくれているように感じている。

顧客を巻き込みパーパスを実現

WWD:コロナ禍での商況は?

コンセイエCEO:21年は20年比で20%増、コロナ以前の19年比でも7%増という業績を残すことができた。利益も同様に、19年、20年を超えた。厳しい局面もあったが、この世界的なクライシスがブランドの進化を後押ししてくれた。19年にはファッションブランドとして初めて、フランス政府が定める「使命を果たす会社(Purpose driven company)」に認定された。

※2019年にフランスでPACTE法に基づき導入された、企業が利益以外の社会や環境目標を定款に定める新たな企業形態

WWD:「エーグル」のパーパスとは?

コンセイエCEO:「足跡以外の痕跡を残さずに、大いに経験し人生を謳歌するために」だ。つまり、あらゆる天候下で人々が外に出掛けることをサポートすると同時に、カーボンフットプリントの削減に向けて最大限の努力をするということ。このパーパスの下、温室効果ガスの排出量を30年までに少なくとも現在より40%削減することを目指し、環境に配慮した素材や再生可能エネルギーへの切り替えなどを進めている。また、本国で実施する中古品の販売などを通して、私たちのコミットメントに顧客を巻き込むことにも取り組んでいる。

WWD:今後の展望と日本市場に期待することは?

コンセイエCEO:「スタイル」と「機能性」を時代に合わせて発展させていく。またすでに述べたように、カーボンフットプリントの削減は優先事項の一つだ。ブランドの成長にとって、日本は非常に重要なマーケットだ。加えて、日本は「エーグル」が海外で初めて路面店を開いた場所でもある。日本は新しいトレンドが生まれる場所でありながら歴史を重んじるという点でユニークだ。歴史に裏打ちされたフランス製のクラフツマンシップとサステナビリティはまさに日本市場の顧客が求めるもので、原宿にオープンした旗艦店を拠点にブランドの価値観を発信していきたい。

「エーグル」の哲学をひもとく
様子を捉えた
ドキュメンタリー動画を制作

 YouTubeと日本公式インスタグラムでは、アーティスティック・ディレクターの3人が22年春夏コレクションを制作する過程を追ったドキュメンタリー動画を公開している。撮影は、ファッションドキュメンタリーを数多く手掛けるロイック・プリジェント(Loic Prigent)監督が行った。3人が新たなアイコンブーツ“アトリエ”を製造する工場を訪れる様子や、キーアイテムであるトレンチコートに施した工夫を語る様子を映している。

日本公式インスタグラム
アカウントを立ち上げ

 「エーグル」はこのほど、日本の顧客に向けた公式インスタグラムアカウントを立ち上げた。“エーグルメーカーズ”と名付ける、「まちと自然をつなぎ、寄りそう暮らし」を実現するクリエイターらの紹介や、日本で活躍するスタイリストを起用した日本の顧客に向けたコーディネート提案などのコンテンツを発信していく。

問い合わせ先
AIGLEカスタマーサービス
0120-810-378

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HYDE、セカオワ、kemioまで 「60%」が仕掛ける“日本人アーティスト×アジアブランド”の異業種コラボが好調

 アジアブランドに特化したオンラインセレクトショップ「シックスティーパーセント(60%)」が仕掛ける“日本のアーティスト×アジアブランド”のコラボレーション企画が好調だ。これまでHYDE×「ハイパンダ(HIPANDA)」(中国)、セカイノオワリのFukase×「モアザンドープ(MORE THAN DOPE)」(韓国)、kemio×「ハヴィズム(HAVISM)」(韓国)など、50以上の限定コレクションを発売。商品の売れ行きだけでなく、アジア進出するアーティスト×日本進出を狙うアジアブランドの声を捉えた企画は、相乗効果のあるプロモーションとしても注目を集めている。

 さらに6月16日には、アジア発のハイエンドなストリートブランドを集約した新エリア「60% レベリー(60% LEVELY)」を同サイト内にオープン予定だ。アジアのストリートシーンを牽引するストアとして、さらにブランドのラインアップを強化する。国を超えての異業種コラボを成功に導くマッチングのポイントとは?さらに今アジアで注目される日本人アーティストとは?同コラボ企画を一手に担う木下程アライアンスマネジャーに話を聞いた。

WWD:日本人アーティストのアジア進出の魅力とは?

木下程アライアンスマネジャー(以下、木下):急成長するアジアマーケットの規模だ。K-ポップやKスタイルの世界的なトレンドから、日本のアーティストもグローバルに発信すべきと考えるエージェントや芸能事務所が増えている。日本は人口約1億2500万人と市場規模は小さくないが、世界に発信しないと同じ土壌では戦えないとう認識が広まりつつある。

WWD:反響があったコラボ企画は?

木下:2020年のクリスマスに発売したHYDE×「ハイパンダ」は、特に反響が大きかった。日本と中国だけでなく、ヨーロッパ圏の方からもDMがたくさん届くなど、かなりの盛り上がりを見せた。「ハイパンダ」も現地では知名度がかなり高いが、この時はレジェンドであるHYDEさん側からの流入が顕著だった。韓国の「FCMM」×日本の「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」の企画では、ビジュアルにアイドルグループNCTの日本人メンバーであるSHOTAROさんを起用した。影響力のあるモデルのパワーも加わって、相乗効果が3倍に。急遽在庫を追加して、数量限定で再販するほど好評だった。

WWD:5月には韓国の「マハグリット(MAHAGRID)」×日本の「ヤンガーソング(YOUNGERSONG)」とのコラボコレクションも発売した。

木下:「ヤンガーソング」は、モデルやインフルエンサーとして活動する齋藤天晴さんが立ち上げたブランドで、Z世代から絶大な人気がある。「マハグリット」は、韓国のストリートブランドで日本にもファンが多い。コラボコレクションでは、両ブランドの定番のロゴをメーングラフィックにしたTシャツやパンツなどを発売した。

初日に目標売り上げの8割を達成

WWD:具体的な実績は?

木下:ブランドやアーティスト名は公表できないが、コラボ企画は発売日の盛り上がりが全体の売り上げを大きく左右する。アイテムの上代価格は、ブランディングなどを考慮して決めるが、平均すると1万円前後。基本的には受注生産なので「完売」はないが、反響の大きかった企画では、初日だけで数千万円を売り上げたときもあった。「マハグリット」×「ヤンガーソング」も予想以上の反響。初日だけで目標売り上げの8割を達成できた。

WWD:マッチングする上での重要なポイントは?

木下:最も大切なのは世界観が合うかどうか。知名度やフォロワー数も重要な要素のひとつではあるが、お互いの背景やブランディングの方向性は同じかなどを重視している。特にアーティストコラボの場合は、親和性のありそうなブランドを私たちから提案するといった仲介的な役割を担うことが多いが、そこからは両者の合意次第。企画段階で、売れ筋アイテムや価格帯などの情報は共有するが、お互いの意見を汲みつつバランスを取りながら企画を進めていく。

WWD:今アジアで人気の日本のアーティストは?

木下:YOASOBIやオフィシャル髭男dism、INIなど。現地にもファンが多いという理由で、一緒にやってみたいとコラボのリクエストをもらうことが多い。日本のアニメも人気なので、マンガやそのキャラクターとコラボしてみたいという話もたびたびいただく。

WWD:アジアで勢いのあるブランドは?

木下:「マハグリッド」や「エジュクロ(ASCLO)」、アクセサリーブランドなら「ジャストラバー(JUST LOVER.)」などの韓国ブランドが売れ筋。「シックスティーパーセント」でもラインアップの約8割が韓国ブランドだ。次に続くのが、ディープなアジアンカルチャーが魅力の台湾や香港ブランド。彼らの共通点は、“1枚でサマになる”ストリートブランド。グラフィックやロゴを使ったアイテムの提案が上手い。サイトの顧客属性は10代後半~20代後半が9割。平均購入単価は1万2000円前後だ。

ハイエンドなブランドをそろえた新エリアをオープン

WWD:以前に「日本ブランドのラインアップも強化したい」と話していたが進捗は?

木下:6月16日にアジア発のハイエンドなストリートブランドだけを集約した新エリア「60% レベリー(60% LEVELY)」をオープンする予定だ。立ち上げのタイミングには、日本の「エクストララージ(XLARGE)」、韓国の「アクメドラビ(ACME DE LA VIE)」、タイの「カーニバルバンコク(CARNIVAL BANGKOK)」など、計12のブランドをラインアップする。さらにローンチ後には、フリーペーパー「FLJ」と共同制作した「60% レベリー」独占号を部数限定で発行する。日本ブランドの取り扱いも本格的にスタートするので、日本ブランド×アジアアーティストのコラボ企画も実施していきたい。

WWD:あらためて、日本ブランドの強みとは?

木下:モノづくりの精神に限る。メイド・イン・ジャパンの品質は、他国からの印象も実際のクオリティーも秀でている。ただ、韓国や中国などのアジアでは、新生ブランドでも立ち上げから公式サイトを多言語化するなど、スタートからグローバル目線。全てのブランドではないが、日本ブランドも「まずは国内」ではなく「いきなり世界発信」でもいいと思う。

WWD:この1年間で扱うブランド数も約250から600に増えて急成長した。

木下:ブランド数を増やせば必ずしも売り上げが増えるわけではない。でも「シックスティーパーセント」でしか購入できないブランドを増やすことが、自社の強みにも、ブランド側のスケールメリットにもなる。来年には1000ブランドまで増やすのが目標。アジアブランドを日本に紹介する役割だけでなく、日本ブランドを海外に向けて発信する使命も担っていきたい。

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ウィメンズスニーカーのヒット請負人! 「エミ」に聞く“バズる別注”のヒケツ

 近年のスニーカーブームで、働く女性の足元にスニーカーは当たり前になった。「#KuToo」運動など社会機運の追い風もあり、窮屈なパンプスからスニーカーに履き変える女性はますます増えている。

 そのような流れの中、2015年の発足当初から“女性のスニーカー通勤の定着”を掲げてきたのがマッシュスタイルラボの「エミ(EMMI)」だ。ファッションビルを主販路にヨガやアウトドアテイストのアパレルをスニーカーとのスタイリングで提案し、スニーカー特化型業態の「スニーカーズ バイ エミ」も展開。ブランドの売り上げ全体においても、スニーカー(主に買い付け、一部オリジナル商品)がけん引している。

 毎シーズンのスニーカーのラインアップにおいて、別注商品が5〜10型を占める点も特徴だ。スポーティーなスニーカーを、ほどよくトレンドを取り入れたシティライクなデザインに仕上げている。「男性はレアスニーカーに夢中になることが多いけれど、女性が『欲しい』と思うポイントはもっと多様できめ細かい」と話すのは木下沙理菜マッシュスタイルラボ企画部「エミ」デザイナー。「手に取って初めて気が付くようなさりげないデザインや、コーディネートをしっかりイメージできるバランスも重要視しています」。

 別注商品のヒット実績を積み重ねてきたことで、「メーカーが新作スニーカーをウィメンズ市場でバズらせたいと考える際、まず先にウチへ(別注の)相談をいただくことが増えた」と語る。ウィメンズスニーカーのヒット請負人として存在感を高める「エミ」が考える、女性に支持されるスニーカーの条件とは。木下デザイナーに聞いた。

WWD:スニーカー提案を重視してきた理由は。

木下沙理菜マッシュスタイルラボ企画部「エミ」デザイナー(以下、木下):マッシュグループは近年、1週間の真ん中で疲れがたまりがちな水曜日を「ウェルネスウェンズデー」と呼び、「女性が美容と健康を楽しむ日」としてさまざまなプロモーションを行ってきました。その取り組みの一環として「エミ」は、ヒールで疲れた女性の足元を癒すというコンセプトで、通勤におけるスニーカー提案を主軸としたブランドとして発足しました。ただ当時は、スポーツメーカーのスニーカーを取り入れたコーディネートは男性には浸透しつつあったものの、女性の間では、ワンピースやスカートにはパンプスやフラットシューズを合わせるのがまだまだ当たり前でした。そのような状況を変えるべく、女性が本当にほしいと思える別注スニーカーを積極的に企画するとともに、大人の女性が真似したいと思えるようなスニーカースタイリングを、アパレルとトータルで提案してきました。

WWD:「エミ」でスニーカーが売れ行きがいい理由をどう分析する?

木下:周りのショップの一歩先をいくラインアップには自信があります。スニーカーにおいては、メンズのトレンドをウィメンズが追従することが多いので、買い付け担当には男性社員もいます。「ロエベ(LOEWE)」とのコラボで人気に火がついてる「オン(ON)」も、ウィメンズショップでは「エミ」が他に先がけて取り扱いを始めました。豊富なラインアップを強調するため壁面にずらりとスニーカーを並べている店舗もあり、スニーカー好きの男性の興味を引いて入店されるカップルも多いです。私が店舗スタッフをしていたときも、彼氏が彼女に「これはイケてる」「買った方がいいよ」と勧め、成約に至るケースも多く目にしてきました。展示会では、男性の雑誌編集者や取引先の営業担当からは、「大きいサイズがあったら欲しかったのに!」と残念がる声がよく聞かれます(笑)。

WWD:これまでにどんな別注のヒット商品が生まれた?

木下:昨年秋、ある世界的なスポーツメーカーがネクストブレイクとして期待をかけていたモデルを発売したのですが、蓋を開けてみたら商品の販売が芳しくありませんでした。そんな中、「エミ」の別注モデルは発売から2週間で2500足以上売れるなど絶好調だったんです。メーカー側がうちの売れ行きの進捗を見て、「こんな店は世界のどこにもない」と仰天していました(笑)。そのほかにもオールベージュで別注した「コンバース(CONVERSE)」の“オールスター100”(1万1000円、19-20年秋冬)や「キーン(KEEN)」の定番サンダル“ユニーク”(1万3200円)は、いずれも数日で品薄もしくは完売になるなど、ご好評をいただきました。

WWD:別注スニーカーの企画のキモは?

木下:まず大事なのはファーストインプレッション。スポーツメーカーのスニーカーは、女性が気軽に日常のファッションの中に取り入れるには少々スポーティーすぎるものが多いなと感じます。近未来的なパキッとした配色ではなく、トーナル(同系統の配色)で洗練された雰囲気に仕上げています。

 女性のお客さまは手にとった後も、ディテールまでまじまじと見られます。そのためデザイン面では、光沢をつけるにしてもギラギラとした輝きではなくサテンっぽい華やかなつやめきだったり、一部をスエード素材で切り替えてみたりといった、繊細なこだわりを大切にしています。「このバランスなら、靴ひもはコットンじゃなくてポリエステルがいいよね」というような、理屈ではなく直感から生まれるチョイスも、女性のお客さまには「かわいい」と共感いただけるポイントだと考えています。

WWD:トータルスタイリングではどう提案する?

木下:スニーカーそのものの出来栄えだけでなく、「体の線がきれいに見えるか」「コーディネートにすんなりなじむか」といった点も重要。パンプスを履いたときのように背筋がしゃんと見えるよう、ヒールは高めに設計することが多いです。別注スニーカーの企画は、同じシーズンに販売するアパレルの1年以上前からスタートするものもあります。ですから、別注スニーカーと配色をリンクさせたアパレルも企画しています。別注スニーカーとアパレルでトータルスタイリングした店頭のVMDやビジュアルの訴求がうまく行くと、セット買いが顕著に増えます。スニーカー単体で見たときにはない、「これかわいい!」という化学反応が起こるんでしょうね。

WWD:今後の展望は?

木下:「エミ」のお客さまはスニーカーを取り入れたコーディネートを自由に楽しんでいて、スニーカーの民主化という一つのゴールは達成できたと思っています。これからはもっと視野を高く持ち、「エミ」発のブームや社会現象を作り出せたらと考えています。

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ウィメンズスニーカーのヒット請負人! 「エミ」に聞く“バズる別注”のヒケツ

 近年のスニーカーブームで、働く女性の足元にスニーカーは当たり前になった。「#KuToo」運動など社会機運の追い風もあり、窮屈なパンプスからスニーカーに履き変える女性はますます増えている。

 そのような流れの中、2015年の発足当初から“女性のスニーカー通勤の定着”を掲げてきたのがマッシュスタイルラボの「エミ(EMMI)」だ。ファッションビルを主販路にヨガやアウトドアテイストのアパレルをスニーカーとのスタイリングで提案し、スニーカー特化型業態の「スニーカーズ バイ エミ」も展開。ブランドの売り上げ全体においても、スニーカー(主に買い付け、一部オリジナル商品)がけん引している。

 毎シーズンのスニーカーのラインアップにおいて、別注商品が5〜10型を占める点も特徴だ。スポーティーなスニーカーを、ほどよくトレンドを取り入れたシティライクなデザインに仕上げている。「男性はレアスニーカーに夢中になることが多いけれど、女性が『欲しい』と思うポイントはもっと多様できめ細かい」と話すのは木下沙理菜マッシュスタイルラボ企画部「エミ」デザイナー。「手に取って初めて気が付くようなさりげないデザインや、コーディネートをしっかりイメージできるバランスも重要視しています」。

 別注商品のヒット実績を積み重ねてきたことで、「メーカーが新作スニーカーをウィメンズ市場でバズらせたいと考える際、まず先にウチへ(別注の)相談をいただくことが増えた」と語る。ウィメンズスニーカーのヒット請負人として存在感を高める「エミ」が考える、女性に支持されるスニーカーの条件とは。木下デザイナーに聞いた。

WWD:スニーカー提案を重視してきた理由は。

木下沙理菜マッシュスタイルラボ企画部「エミ」デザイナー(以下、木下):マッシュグループは近年、1週間の真ん中で疲れがたまりがちな水曜日を「ウェルネスウェンズデー」と呼び、「女性が美容と健康を楽しむ日」としてさまざまなプロモーションを行ってきました。その取り組みの一環として「エミ」は、ヒールで疲れた女性の足元を癒すというコンセプトで、通勤におけるスニーカー提案を主軸としたブランドとして発足しました。ただ当時は、スポーツメーカーのスニーカーを取り入れたコーディネートは男性には浸透しつつあったものの、女性の間では、ワンピースやスカートにはパンプスやフラットシューズを合わせるのがまだまだ当たり前でした。そのような状況を変えるべく、女性が本当にほしいと思える別注スニーカーを積極的に企画するとともに、大人の女性が真似したいと思えるようなスニーカースタイリングを、アパレルとトータルで提案してきました。

WWD:「エミ」でスニーカーが売れ行きがいい理由をどう分析する?

木下:周りのショップの一歩先をいくラインアップには自信があります。スニーカーにおいては、メンズのトレンドをウィメンズが追従することが多いので、買い付け担当には男性社員もいます。「ロエベ(LOEWE)」とのコラボで人気に火がついてる「オン(ON)」も、ウィメンズショップでは「エミ」が他に先がけて取り扱いを始めました。豊富なラインアップを強調するため壁面にずらりとスニーカーを並べている店舗もあり、スニーカー好きの男性の興味を引いて入店されるカップルも多いです。私が店舗スタッフをしていたときも、彼氏が彼女に「これはイケてる」「買った方がいいよ」と勧め、成約に至るケースも多く目にしてきました。展示会では、男性の雑誌編集者や取引先の営業担当からは、「大きいサイズがあったら欲しかったのに!」と残念がる声がよく聞かれます(笑)。

WWD:これまでにどんな別注のヒット商品が生まれた?

木下:昨年秋、ある世界的なスポーツメーカーがネクストブレイクとして期待をかけていたモデルを発売したのですが、蓋を開けてみたら商品の販売が芳しくありませんでした。そんな中、「エミ」の別注モデルは発売から2週間で2500足以上売れるなど絶好調だったんです。メーカー側がうちの売れ行きの進捗を見て、「こんな店は世界のどこにもない」と仰天していました(笑)。そのほかにもオールベージュで別注した「コンバース(CONVERSE)」の“オールスター100”(1万1000円、19-20年秋冬)や「キーン(KEEN)」の定番サンダル“ユニーク”(1万3200円)は、いずれも数日で品薄もしくは完売になるなど、ご好評をいただきました。

WWD:別注スニーカーの企画のキモは?

木下:まず大事なのはファーストインプレッション。スポーツメーカーのスニーカーは、女性が気軽に日常のファッションの中に取り入れるには少々スポーティーすぎるものが多いなと感じます。近未来的なパキッとした配色ではなく、トーナル(同系統の配色)で洗練された雰囲気に仕上げています。

 女性のお客さまは手にとった後も、ディテールまでまじまじと見られます。そのためデザイン面では、光沢をつけるにしてもギラギラとした輝きではなくサテンっぽい華やかなつやめきだったり、一部をスエード素材で切り替えてみたりといった、繊細なこだわりを大切にしています。「このバランスなら、靴ひもはコットンじゃなくてポリエステルがいいよね」というような、理屈ではなく直感から生まれるチョイスも、女性のお客さまには「かわいい」と共感いただけるポイントだと考えています。

WWD:トータルスタイリングではどう提案する?

木下:スニーカーそのものの出来栄えだけでなく、「体の線がきれいに見えるか」「コーディネートにすんなりなじむか」といった点も重要。パンプスを履いたときのように背筋がしゃんと見えるよう、ヒールは高めに設計することが多いです。別注スニーカーの企画は、同じシーズンに販売するアパレルの1年以上前からスタートするものもあります。ですから、別注スニーカーと配色をリンクさせたアパレルも企画しています。別注スニーカーとアパレルでトータルスタイリングした店頭のVMDやビジュアルの訴求がうまく行くと、セット買いが顕著に増えます。スニーカー単体で見たときにはない、「これかわいい!」という化学反応が起こるんでしょうね。

WWD:今後の展望は?

木下:「エミ」のお客さまはスニーカーを取り入れたコーディネートを自由に楽しんでいて、スニーカーの民主化という一つのゴールは達成できたと思っています。これからはもっと視野を高く持ち、「エミ」発のブームや社会現象を作り出せたらと考えています。

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アライアCEOが語る 「“宝”を引き継ぐことは誰だって怖い。だけど恐れず前に進むとき」

 「アライア(ALAIA)」は“、ファッション界の宝”という表現がふさわしいブランドのひとつだろう。多くの人から慕われ、尊敬されたデザイナー、アズディン・アライア(Azzdine Alaia)が亡き後の「アライア」のビジネスがパンデミックを経て本格的に動き出した。5月には日本初の直営店を東京のギンザシックス(GINZA SIX)にオープン。来日したミリアム・セラーノ(Myriam Serrano)アライア最高経営責任者(CEO)にそのビジョンを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):あなたがコンパニー フィナンシエール リシュモン(COMPAGNIE FINANCIERE RICHEMONT以下、リシュモン)傘下であるアライアのCEOに就任した6ヶ月後にパンデミックが始まりました。この2年間をどのように過ごしましたか。

ミリアム・セラーノ=アライア最高経営責任者(以下、ミリアム):店舗が営業できなかった時期は、オンラインビジネスも大きくなかったので、それこそ本当にビジネスがいったん閉じました。外か見ると静寂に見えたでしょうが、ブランドの中は実に活発でした。毎日遅くまでオンラインで会議を重ね、皆から次々投げかけられる多くの質問に答えて議論をする。ブティックでどう対応すればいいのか、ブランドはどうしたら続けることができるのか?マスクの提供はどのようにするのか?などなど。

 そして、ブランドのルーツを理解することに時間をかけ、コレクションを再編成しました。結果的にコレクションは年4回から2回へ縮小し、その分より精度の高いものに。これはパンデミックがなかったら難しかったかもしれません。

WWD:スタッフは何人いますか?

ミリアム:140人です。小さな会社ですが、大きなひとつの家族になりつつあります。

WWD:故アズディン・アライアは生前、モデルを始め多く人たちから「私たちのパパ」と呼ばれ家族のように慕われていました。

ミリアム:私は彼が残した、「アライア」という名前の “ファミリー”が大好きです。彼はもういませんが、会社には彼と長年過ごしてきた人が大勢いてたくさんのことを私に教えてくれます。互いを尊重し信頼する “ファミリー”であることはとても重要。この存在を大切にして、新しいメンバーを加えることで新しいエメルギーを統合し、新しい価値観を作ってゆきたい。何ごとにおいても高いレベルを求めるブランドだからとても難しいですけどね。

WWD:「アライア」というブランドの強みをどう解釈していますか?

ミリアム:強みはある意味、ファッションを超えた存在であること。アズディンは芸術家であり、女性の体を彫刻のようにとらえ昇華しました。流行を超えた「美」そのものを生み出しファッションと融合していた。だから時代を超越し、流行遅れにならないのです。本当に強いブランドですが、攻撃的なブランドではありません。女性を美しくすること、そのための強さです。「アライア」を愛用している女性を見るとわかりますが、彼女たちは教養があり、自立した女性です。

 もうひとつの強みは、完璧なカッティングと、素材と生産のクオリティの高さです。品質はとても重要です。バッグと靴は、すべてイタリアとフランスで作っています。イタリアでの生産は1980年代初めから40年以上、同じ会社と組んでおり、当時18歳だった工場のオーナーには今では4人の子どもがいて、彼らも仕事を手伝っている。まさにファミリーです。

WWD:2022年春夏コレクションからは、ピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)が新クリエイティブ・ディレクターに就任しました。ピーターの仕事をどう評価していますか?

ミリアム:ピーターはメゾンを内側から深く理解しています。彼はアズディン時代の「アライア」のヴィンテージ・コレクターであり、アートが大好き。優秀な技術者であり、キャリアが豊富でグローバルな視点を持っています。そして、女性に対するイメージやメッセージに独自の興味深い見解を持っています。課題は、ルーツを重んじ、最高のレベルを保ちながら新しいものを提供し続けることであり、それは関わる私たち全員の課題です。正しい方法でスタートを切れたと思いますが、継続が大切です。

WWD:就任にあたってピーターに出したリクエストは?

ミリアム:リクエストというより「恐れないで」と伝えました。「アライア」はファッション界の宝。これを引き継ぐことは誰だって、正直怖い。それだけの価値と責任があるものだから。ピーターはそのことを十分にわかっていました。だから十分議論をした後に「敬意を持って、そして怖がらないで。私たちは前に進まなければならないから」と伝えました。今は勤勉で自分に厳しい彼のビジョンを尊重し、前に進むときです。

WWD:今後のビジネス戦略は?

ミリアム:ブランドの認知度をあげること。そのためにより多くの人にオープンに語りかけること。特に若い世代に向けて私たちのアイデアを知ってもらう必要があります。ギンザシックスに直営店を開いた理由もそこにあります。ピーターによるコンセプトを反映した世界初のブティックで、ストアデザインは建築家のソフィー・ヒックス(Sophie Hicks)が手掛けています。日本には長年良好な関係にある顧客がたくさんいます。新しい「アライア」を紹介するには絶好のタイミングでした。今年はニューヨークと中国にも直営店を開く予定です。2年後にはパリで大きなプロジェクトを計画しています。

WWD:あなた自身のキャリアについて教えてください。「セリーヌ(CELINE)」や「ニナ リッチ(NINA RICCI)」「クロエ(CHLOE)」で経験から得たことは?

ミリアム:コレクション制作の各工程に関わり、デザインから生産、コミュニケーションといった一連の流れとその複雑さを理解したことは財産になっています。技術と同じくらいスケジュール通りに進めることも重要。ビジネスを理解しビジョンを持つことと同じくらい、関わる多くの人たちと強い絆を築くことも重要といった具合にね。コミュニケーション・ディレクターとしてはグローバルブランドの視点を学びました。

WWD:アクセサリー分野でのキャリアが豊富ですがアクセサリービジネスで成功する秘訣とは?そしてそれを「アライア」でどう生かす?

ミリアム:アクセサリーで成功するためにはまず、自分のブランドと他のブランドの違いを理解すること。ブランドロゴなのか、何かしらのコードなのか、ブランドの強みを理解し、そのエッセンスをアクセサリーに取り入れます。「アライア」の場合は「シルエット」です。一目で違いがわかる独特なシルエットであることが大切です。そしてそれをお客さんが認知してくれるまで継続すること。ファッションビジネスは、コレクションを発表するとすぐ次へと意識が向かいがち。喝采を受けたコレクションでも最初の反応に甘んじることなく、繰り返し伝えることが大切です。

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新生「セルジオ ロッシ」が掲げるハイパーフェミニン ヘリテージと女性性に焦点を当てる新アーティスティック・ディレクター

 「セルジオ ロッシ(Sergio Rossi)」は1月、新アーティスティック・ディレクターにエヴァンジェリー・スミルニォタキ(Evengelie Smyrniotaki)を任命した。スミルニォタキはギリシャ・アテネ出身。ファッション・スタイリストやインフルエンサーとして活動し、現在も自身が立ち上げたファッションブログ「スタイル ヒロイン(Style Heroine)」のアートディレクターを務めている。「セルジオ ロッシ」ではクリエイティブとスタイリング、広告キャンペーン、コンテンツなどのディレクションを手掛ける。

 同氏は、就任後初のカプセルコレクションとなる“エヴァンジェリー・スミルニォタキ × セルジオ ロッシ”を、2月のミラノ・ファッション・ウイーク会期中にプレゼンテーションで発表した。コレクションはブランドの根幹である“女性的なアティチュード”に重点を置き、丸みを帯びたチャンキーヒールや華奢なミュール、鋭いスティレットヒールのデザインで、輪郭のラインが際立つシェイプが特徴的。PVCやサテンクレープなど光沢のある素材を使い、鮮やかなカラーで彩ったシューズは、女性性を謳歌するハイパーフェミニンだ。今年で創業71年となる「セルジオ ロッシ」は、スミルニォタキと共にブランドの次なるステップアップを見据える。初めてシューズブランドを手掛けるスミルニォタキに、ファーストコレクションや今後の展望について聞いた。

デジタルでの表現を強化
「何も変えない」もの作り

——「セルジオ ロッシ」から現職に任命され、最初にどう思った?

エヴァンジェリー・スミルニォタキ(以下、スミルニォタキ):大きな喜びと共に、私と「セルジオ ロッシ」にとっての新たな挑戦に興奮したわ。コンテンツ制作を通じてブランドのチームとは以前から交流があったし、個人的にも憧れていたから、本当に光栄だったの。ファーストコレクションを発表できて夢心地よ。

——あなたが手掛ける新生「セルジオ ロッシ」をどのように定義する?

スミルニォタキ:ハイパーフェミニンね。女性的でセンシュアルなシューズというブランドのDNAを継ぎながら、より現代的でフェミニニティーな側面を強く押し出していきたいの。1951年に創業した「セルジオ ロッシ」には、豊富なノウハウとヘリテージが基盤にあるから、品質とクラフトマンシップは世界最高峰だと自信を持って言える。だから、それらを生かして脚の延長となる快適なシューズを届けていきたいわ。

——ファーストコレクションの制作にあたって、意識したことやこだわりのポイントは?

スミルニォタキ:まずはミニマル、シンプリシティ、洗練さという3つのキーワードを掲げたの。ラインストーンを散りばめた装飾的なピースでさえ、派手さではなくミニマリズムな美を表現したかった。装飾を削ぎ落とすことで、曲線的なラインやシャープで華奢なヒールのシェイプを強調し、シューズそのものと脚を美しく見せることにこだわったわ。そして、快適な履き心地にも強くこだわっているの。例えば、ウェッジヒールのシューズは「セルジオ ロッシ」のアーカイブの中で最もヒールが高いモデルの一つだけれど、足をしっかりと支えるデザインとアンクルストラップ、それにシューズの軽さによって、長時間履いていても疲れにくいシューズを作ることができたのよ。この快適さは、熟練した職人がハンドメイドで仕上げているからこそ。実際に履いてみて、ブランドのクラフトマンシップをより多くの人に届けたいわ。

——広告キャンペーンやコンテンツのディレクションについての方向性は?

スミルニォタキ:現代的な表現にこだわっていきたい。コンテンツ・クリエーターとしての私の経験を生かして、デジタルでの表現や顧客とのコミュニケーションを強化するつもりよ。インクルシビティを念頭に置いて、より幅広い女性層にブランドの魅力を知ってもらえるようにディレクションしていきたいわ。

——あなたが加わったことで、ブランド全体の方向性は今後どのように変わる?

スミルニォタキ:正直なところ、何も変えたいとは思わないの。71年という長い歴史を持つ「セルジオ ロッシ」のヘリテージを継承し、この世界観を継続させることが私の役割よ。デザインにおいても豊富なアーカイブがあるから、それらを踏襲しながらハイパーフェミニンなシェイプを追求し、現代的でタイムレスなピースを制作していきたいの。抜根的な変革をせずとも、「セルジオ ロッシ」は時代を超越する美しさを持ち合わせたブランドだから。

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アダストリア木村社長の人材育成術 「みんな社長を経験するべき」

 「社員みんなに、自分でジャッジするという経験をさせたい」「失敗もたくさんするべき」。アダストリアの木村治社長はそう語る。社長就任から1年が経過し、5月26日には代表取締役に就いた。オーナーである福田三千男会長も引き続き代表権を持ち、他の取締役3人を含めたチーム経営に手応えを得ている。後進育成はオーナー企業にとって共通の課題であり、同社もかつては短期で社長交代を繰り返し、福田会長が陣頭指揮に復帰するという経緯もあった。苦い経験を経て、経営層にも社員にも次世代リーダーが育っているアダストリア。木村社長に、人材育成の秘訣や今後のビジョンを聞いた。

――コロナ禍での社長交代だったが、業績も回復し、チーム経営で成果を出している。経営する上で重視していることは。

木村治社長(以下、木村):経営ができる人を増やしたいと思っている。どんな人も社長を一度やってみた方がいいし、自分でジャッジをするという経験をしてみてほしい。それは、僕自身がかつて自分のお金で会社を経営していたからこそ思うこと※1。自分がトリニティアーツの社長だった時代を振り返って、「あのときこうだったらよかったのに」と思うことを、子会社の社長に今経験させている。自分でジャッジしていないと、たとえ失敗しても責任を感じない。失敗を経験させることが次世代の経営者を育てる上では大切だ。

※1:木村社長は1990年に福田屋洋服店(現アダストリア)に入社し、2001年に一度退社、福岡市で自身の会社ワークデザインを設立している。07年にワークデザインはドロップと経営統合し、これが後にアダストリアに合併されるトリニティアーツになった

――EC専業ブランドを手掛けて好調な子会社BUZZWITは、子ども服のECブランドを運営するオープンアンドナチュラルを子会社化し(アダストリアにとっては孫会社化)、5月から連結に加えている。この判断も子会社経営陣にさせたのか。

木村:子会社の経営がうまく回り、利益が出ていてキャッシュがある。これをどう使うかとなったとき、全て親会社であるアダストリアが吸い上げるという手法もあり得るだろう。ただ、会長の福田は「お前たちはどう会社を成長させたいのか」とBUZZWITの社長や経営陣に聞いている。M&Aをするという決断は子会社社長一人ではなかなかできるものではないだろうが、BUZZWITを一気に育てるなら、M&Aもいいんじゃないかと福田が背中を押しした。福田は「人を育てたい」という思いが人一倍強い。僕自身もそうやって福田に育てられた。

――M&Aは、26年2月期を最終年度とする新中期経営計画の柱の1つにも据えている。

木村:今までM&Aをしてきた中には失敗もあったが、当社は成功している例(アリシアやバビロンなど)も多い。M&Aによって人材交流が進み、新しい知見が入ってきたことがうまく作用している。(今後M&Aを進めていく中で)アパレルという垣根は関係ない。ポイントとトリニティアーツが一緒になったときに、既に「アパレルだけでなくライフスタイル雑貨も手掛ける」ということになっていた。当社のコーポレートスローガンである“Play Fashion!”のファッションは、(字義通りのファッションではなく)さまざまな楽しいことを指す言葉。M&Aによって2月に連結子会社化した飲食業のゼットンは(カフェなどを軸にした)公園再生事業にも取り組んでいる。その中で、将来のさまざまな可能性のために温泉やサウナの企画・設計などを先日定款に加えて一部で報道もされたが、現時点で何か計画があるというわけではない。

――ゼットンのM&Aでは、具体的にどんなシナジーを想定しているのか。

木村:(M&Aの対象として)飲食業はいくつも候補があった。その中で、ハワイアンカフェ「アロハテーブル」などを運営するゼットンが最もアダストリアと親和性があると判断した。ゼットンはまだECが手付かずのため、そこは純粋に売り上げにプラスオンとなるはずだ。「アロハテーブル」のロコモコ丼を宅配で届ける仕組みなどを設計したい。ただし、ゼットンは名古屋や東京にしかまだ店舗がない。実店舗とECが生む相乗効果がアダストリアの強みであり、ゼットンも今後実店舗出店とECの2軸で成長させていく。ゼットンと「スタッフボード」※2を絡めても面白いだろう。

※2:アダストリアの自社ECモール「ドットエスティ」内にある、販売員の着こなし共有コンテンツ

――自社ECモール「ドットエスティ(.st)」を他社にも開放するなど、業界のプラットフォームといったあり方を目指して進んでいる印象だ。

木村:「ドットエスティ」のオープン化はまだテスト段階だが、業界の共通課題については、僕らの世代の経営者はなるべくシェアして解決していくべきだと思っている。そうでなければ業界として持続可能ではない。例えば、物流もECも各社の共通課題だ。ECはシステムを構築するのに莫大な費用がかかるが、「本当にうちの会社だけでこの負担のもと構築するべきなのか」「業界でまとまって、シェアしながら作っていくべきではないのか」といったことを考える。なるべく業界内の横のつながりで、課題をシェアできるようなあり方を考えていきたい。業界内でM&Aも始まっているが、それがグループ化にもつながる。まずはECを台風の目として、こうしたシェアの動きが広がるのではないかと見ている。どことどう組むかは重要だ。(グループ化が始まったとき)僕たちはリーディングカンパニーでありたいし、業界全体として、ファッションビジネスの社会的地位を上げていく必要性がある。

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VERDYが語る「ウェイステッド ユース」×「バドワイザー」への思い 「コラボ缶が初めて手に取る僕のアイテムになれば」

  グラフィックアーティストのVERDY(ヴェルディ)は、これまで数多くのコラボレーションを成功に導いてきた。5月には、“The King of Beers”と称されるアメリカ発のビールブランド「バドワイザー(BUDWEISER)」とのコラボを実現させ、自身の若い頃からの夢を一つ叶えた。

 今回のコラボはVERDYを代表するアートプロジェクト「ウェイステッド ユース(WASTED YOUTH)」との協業で、同プロジェクトを象徴するチューリップのグラフィックなどを落とし込んだ355mL缶と355mL缶の6本パッケージ、そして330mL瓶を用意した。缶は全国のコンビニやスーパー、量販店、アマゾンなどで販売中で、瓶は7月1日前後に発売する。東京・青山の「ピザ スライス2(PIZZA SLICE 2)」はコラボを記念して約1ヶ月間、店内に「ウェイステッド ユース」×「バドワイザー」のクラフトボックスを設置するなど、特別仕様になっている。

 日本全国規模という、VERDY史上最大級のプロジェクトとなった今回のコラボは、一体どのような経緯で実現したのか。東京・青山の「ピザ スライス2(PIZZA SLICE 2)」で「バドワイザー」とピザを片手に語ってもらった。

ーーコラボの経緯を教えてください。

VERDY:数年前に、知人経由で「バドワイザー」の担当者からコンタクトがあったんです。その時は、いろいろなアーティストが「バドワイザー」をテーマに作品を作るプロジェクトのオファーでした。「バドワイザー」は自分にとって特別なビールだったのでうれしかったんですけど、それよりも缶のデザインがしたいことを正直に伝えたら、規模感的にもすぐに実現できるものではないからと、保留になりました。

その後、新型コロナウイルスの流行で自分自身と見つめ直す時間が生まれました。以前は世界中を飛び回って「ガールズ ドント クライ(GIRLS DON'T CRY)」や「ウェイステッド ユース」、自分のキャラクター"ヴィック(VICK)”を海外に持っていく感覚だったのに、コロナ禍を経て、海外での経験を集約して新しいことを始めたいと思うようになったんです。本当に自分がやりたいことは何か、「ウェイステッド ユース」で一番ワクワクするプロジェクトは何かを考えたとき、「バドワイザー」の缶をデザインすることが頭に浮かびました。すぐに「バドワイザー」に電話して、「やっぱり缶をデザインしたいです。どうにかなりませんか?」って(笑)。こうして本当に実現に至りました。

ーー「ウェイステッド ユース」のロゴは、「バドワイザー」のロゴのサンプリングですよね?

VERDY:もともとは、「バドワイザー」のロゴをモチーフにしていたボストン・ハードコアバンドのギャング・グリーン(GANG GREEN)のオマージュです。「ウェイステッド ユース」は、僕が10~20代前半の頃に影響を受けたものをテーマに作っているプロジェクトなんですけど、「バドワイザー」もギャング・グリーンも好きだったので、「バドワイザー」の旧ロゴをサンプリングしました。だから初めて「バドワイザー」からコンタクトがあった時は、仕事のオファーではなく怒られると覚悟しましたね(笑)。サンプリングしていた側がオフィシャルとコラボするなんて、滅多にないことだと思います。

ーー立体物である缶や瓶をデザインする難しさはありましたか?

VERDY:頭の中に完全なイメージがある状態からスタートしていたので、コラボのOKが出れば数時間後にはデータを送れるくらいのテンションでしたね。オリジナルに忠実なデザインにしつつ、どこで自分らしさを出すかにこだわった結果、あえて横向きのデザインにしました。これは、自分が影響を受けてきた1980年代の「バドワイザー」の缶のデザインが横向きだったことに着想しています。アパレルでも、横向きのデザインのアイテムはなかなかないので、パッと見ただけで「ウェイステッド ユース」とのコラボだと分かるなと。

ーー全国に流通する商品なので、購買意欲を喚起させる商業的なアプローチも重要です。自分の思い描くデザインを貫けましたか?

VERDY:全てのデザインに言えるのですが、誰かに向けてというよりも自分らしいデザインを心掛けています。本気で取り組むから、お客さんに届いてきたと思っています。

ーーここまでのビッグプロジェクトは初めて?

VERDY:「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボも全国規模でしたけど、小さな町のコンビニでも「アマゾン(AMAZON)」でも買えるほど、本当にどこでも手に入るという意味では初めてかもしれません。これが今回の目的の一つでもありました。中学生の時、NIGO®さんの「ア ベイシング エイプ®(A BATHING APE®)」が「ペプシコーラ(PEPSI-COLA)」とコラボして、服は手に入れられなかったけど「ペプシコーラ」はコンビニで買えたんですよ。これと同じように、今回のコラボ缶はビールなので未成年は買えませんが、インスタグラムは見ているけどポップアップに行けなかったり、お金がなくて買えなかったりした人たちにとって、僕のアイテムを初めて手に取るきっかけになったらうれしいです。できる限りたくさん売りたいし、いろいろな人に届いてほしいんですよ。もしリセールサイトで売ろうとしている人がいても、全国流通しているので売れないと思います。そうしたら「売れないから飲んじゃうか。え、『バドワイザー』ってこんなおいしいの?」ってなってくれたらハッピーですね。

ーーイメージムービーでは缶を潰すシーンが映し出されていますね。。

VERDY:「ウェイステッド ユース」が初めてポップアップをオープンした時、ポスターを刷るお金もないくらいの状態でした。でも、どうしてもインスタレーション的なことをしたくて、コンビニで買ってきた「バドワイザー」の缶を潰して造花を添えて飾っていましたね。飲み終わった缶は潰してもいいし、単体で飾ってもいいし、花を挿してもかわいいと思います。

ーーフード系のコラボは以前にも経験はありますか?

VERDY:代々木上原のフレンチレストラン「エテ(ETE)」と、不定期にコラボケーキやチョコを作ってはいますね。フードでいうと、今年の夏に初めての自分のお店としてピザ屋を大阪にオープンします。僕のアイテムも販売し、ギャラリーも併設する予定です。

ーー今後も「バドワイザー」と何か計画していますか?

VERDY:個人的には一度きりよりも定期的にコラボがするような関係性が好きなので、来年以降も缶をデザインしたいし、いつかイベントを一緒に開催したい。長くリレーションを続けていきたいですね。僕のピザ屋で出すビールは、もちろん「バドワイザー」です。

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“セクシーロボット”の創造主・空山基にロングインタビュー 半世紀近く筆を走らせ続けた創造の源泉

  空山基、75歳。1970年代から女性が放つ官能的な美しさとロボットのような金属的な質感を併せ持つ“セクシーロボット”を描き続け、今なお日本や世界のアートシーンの最前線で活躍するリビングレジェンドだ。同氏はアートの枠を飛び越えた活躍を見せており、近年ファッションブランドからも引く手あまた。「ディオール(DIOR)」のキム・ジョーンズ(Kim Jones)やステラ・マッカートニー(Stella McCartney)からは直々にラブコールが届き、コラボを実現させている。

 それでも同氏は、「自分のことをアーティストだと思ったことは一度もない」と語る。では、なぜ半世紀近くも筆を走ら続けてきたのか。創造の源泉を生い立ちから探り、作品に対するルールやコラボの魅力、そして表に出ることのなかった数々の秘話まで、何でも検索できる今の時代だからこそ、膝を突き合わせて語ってもらった。

「いつだって現実はどうってことないんだよ」

――どのような幼少期を過ごし、絵を描いていたのでしょうか?

空山基(以下、空山):生まれは四国の愛媛県今治市だね。当時の四国は文化が果つるところだったから、芸術系の人は一切いなくて、貧乏で産業もない閉鎖された城下町。若い頃は文化の話が誰にも通じないことが嫌で嫌で、なんとか脱出したかった。話し相手を見つけたかったけど、東京に出ても、外国に行っても、同じ空気が吸えて波長の合う人はそうそういなかったね。

小さい頃から絵を描いてはいたけど、大人っぽかったから評価されなかったし、学校には親が代わりに描いていると思われていたよ。例えば運動会がテーマだったとき、ほかの子たちは走ってる人を描くのに、私は人間の頭越しの運動場の絵を描いた。周りには不思議がられたけど、ほかの子たちが描いたのは運動会のイメージで、私は自分の目で捉えた現実を描いただけ。こうやってひねくれていたから、絵がうまくてもコンクールでは評価されなかった。そんな時、自分でも絵を描く小学校の担任の先生が初めて褒めてくれて、教室の壁に貼り出してくれたんだ。人生で初めての展示だけど、絵で食べていけると勘違いした元凶だね(笑)。

――今治で文化的情報をキャッチする手段とは?

空山:映画と印刷媒体だけ。自分で求めないといけない飢餓状態で、常に渇望していたね。でも、20歳で上京してメディアに載っていた本物たちに会ったら自分のイマジネーションの方がはるかに上で、「こんなものを針小棒大に取り扱っていたのか」とビックリした。数年ぶりに再会した初恋の人にショックを受けたり、妄想のセックスが一番楽しかったりするのと一緒。いつだって現実はどうってことないんだよ。

――なぜ上京を?

空山:学校でグラフィックデザインを学ぶため。ありとあらゆる勉強がダメだったけど、小さい頃に絵を褒められたことが何度かあったし、無試験で入学できたのが理由だね。

――当時、グラフィックデザイナーやイラストレーターといった職業は、今ほど世間に知られてはいなかったように思います。

空山:イラストレーターという言葉すらないような時代だったから、現実主義のお袋には「豚と絵描きは死んでから芽が出る」って反対されたよ。その前に別の学校にも通っていたし、「あんたにいくら使ったと思っているんだ」って学費換算の責め方もされたね。グラフィックデザインの学校は中退したかったけど、お袋が面倒くさいからちゃんと卒業した。

「自分をアーティストだと思ったことはない」

――卒業後はなにを?

空山:すでにフリーランスとして食べていけるくらい稼いではいた。でも学生結婚したときの義父が広告業界のお偉いさんで、当時は今よりも“フリーランス=プータロー”のイメージが強かったから「娘婿がフリーランスなんて恥ずかしい」ってことでADKを紹介してもらった。義父の顔を潰せないから入社して、1週間で胃潰瘍になるほど辛い日々だったけど、社会のシステムや生きていくすべは勉強できたね。それでも会社という組織には慣れず、2年後に再びフリーランスに転身したんだ。

――フリーランスでは具体的にどのような仕事をされていましたか?

空山:いろいろなところにイラストを提供していて、その一つが「月刊プレイボーイ」だね。その頃は田名網敬一さんがアートディレクターで、“困った時の空山頼み”って言葉が生まれるくらい一緒に仕事をしていた。「月刊プレイボーイ」で小さなイラストを2つ描けば、それだけでADKの月収を超える恵まれた時代だったよ。

――その後、アーティストとして活躍するようになった転機は?

空山:自分のことをアーティストだと思ったことは一度もないし、気恥ずかしくて名乗るなんて無理だよ。照れ隠しでエンターテイナーなんて言うこともあるけど、肩書きには何の意味もない。呼びたいように呼べばいいし、自分がしたいことがあったらそれになる。というか、私は自分のために好きな絵を描いているだけで、人のために描いているつもりはないんだ。生活習慣病みたいなもので、描き出したら止まらないのよ。嫌な仕事も楽しくなっちゃう、悲しい人間なのさ(笑)。

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「マークジェイコブス」がラブコールを送った日本人アーティスト 巨大な女の子を描く23歳“つのつの”って何者?

 「マークジェイコブス(MARC JACOBS)」の、「ヘブン バイ マークジェイコブス(HEAVEN BY MARC JACOBS)」2022年春夏コレクションのビジュアルに登場した、巨大なキャラクターを描いたのが、日本人アーティストのつのつのだ。同氏はSNSを中心に作品を発表しており、SNSアカウントの合計フォロワー数は2022年6月1日時点で約3万6000人と、まだ知名度は高くない。しかし、街に巨大な女の子のキャラクターを描いたビジュアルが「マークジェイコブス」の目に留まり、キャンペーンに起用されるという快挙を成し遂げた。性別も年齢も分からず、顔出しもしないという謎多き人物だが、6月10日まで東京・日本橋で開催中だという展示“bring me to the another world”に合わせて、インタビューを実施。意外な素顔に迫った。

“思い通りにいかない不穏な状況”を表現

WWD:今の作風にたどり着くまでの経歴は?

つのつの:普段は大学の修士課程で工学の研究をしています。美術を始めたのは、大学2年の夏に美術部に入ってから。基礎は美術部で勉強したんですけど、学生同士でお互いにアドバイスしたり、教本を読んだりしながら習得していくスタイルだったので、ほとんど独学ですね。美術を始めてすぐに、大学の近くの風景をバックに女の子のキャラクターが立っている絵をSNSにアップしたら、学内の人が拡散してくれて、SNSを中心にたくさんの人に見てもらえたんです。そういう反応がうれしくて、絵を投稿するようになりました。その後、SNSとの相性の良さもあって、デジタルで作品を作り始めました。美術部のみんなが描くアナログの絵は迫力があるけど、自分はデジタルにしかできない表現をやってみたいと思い、写真にCGを合成した作品を作り始めました。

WWD:作品で表現したいことは?

つのつの:思い通りに行かない状況を表現したいんです。今は前向きな気持ちで作品を作っているけど、美術を始めたのがちょっと落ち込んでいた時期だったこともあって、明るくない作品が多い。うまくいかない状況と向き合うのはしんどいけど、どうすべきか分からなりに、とりあえず受け止めてぶつかっていこうと、作品では衝突している状況を描いています。キャラクターには、自分の気持ちを投影している部分もありますね。

WWD:どこからインスピレーションを受けて作品を作ることが多い?

つのつの:僕は通学で自転車を1日20キロくらい乗り回すんです。いろいろ街並みや風景を見て、この景色にこういうポーズがあったら面白そうだなという想像から創作が始まります。その後、自分が表現したい感情やキャラクターの服、シチュエーションを詰めていきます。

WWD:背景を選ぶときのこだわりは?

つのつの:僕が描くキャラクターは原寸大にすると約10メートルあります。その大きさでポーズをとらせてキマる背景写真って、日々撮影している写真の10枚に1枚くらいしかなくて。特に大事なのは、道の広さです。例えば、周りに建物が少ない大きい道路の写真を使うと、ステージの上にキャラクターがいるだけのような嘘っぽいビジュアルになってしまう。でも狭い道なら建物がギチっと詰まっているから、キャラクターの大きさが際立ち、影も落ちてリアリティーが出ます。

 それに、背景とポーズと角度をちゃんと固めないと、キャラクターを下から見上げることになってしまい、いい角度から切り取れません。なので“ビビッ”ときた景色の写真から、ロジカルに考えて背景を選んでいます。

WWD:よく見る景色が多い印象だが?

つのつの:特別な場所に巨大なモニュメントを置くアートは実際にあります。せっかくCGでやるのなら、普段過ごしている街並みに非日常のキャラクターがいる方が面白いので、普通の路地を背景にするのが好きですね。

WWD:女の子のキャラクターをモチーフに選んでいるのはなぜ?

つのつの:女の子のキャラクターはビジュアルが多様だから。高橋留美子先生や鳥山明先生が描くような、デフォルメされたかわいいキャラクターが好きなんです。あとは、衝突や葛藤を描くのにデフォルメされたキャラクターをモチーフにすることで、表現が引き立つとも思っています。とはいえ、一番の理由はやっぱりかわいいキャラクターが好きで、夢中だからですね。

起きたらフォロワーが倍に
アメリカの俳優からの突然のリポスト

WWD:キャラクターのファッションでこだわっているところは?

つのつの:スニーカーが好きなので、ユニークなキャラクターに合ったスニーカーを描き込んでデザインしています。例えば、雷神をモチーフにした作品では、黄色い稲妻が飛び出しているデザインとか。服はキャラクターの個性が出るように心掛けています。新しいファッションも意識して、最近の作品ではK-POPから影響を受けてハーネスを着用させました。ほかにも天使っぽいドレスやメイド服、いかにもサブカルチャーっぽい服もあります。偏りすぎたり、ゴチャゴチャしてダサくなったりしないようには気を付けています。

WWD:海外にもファンが多い?

つのつの:そうですね。インスタグラム(INSTAGRAM)のフォロワーが700人くらいしかいなかったころ、フォロワーが600万くらいいるアメリカの俳優のローワン・ブランチャード(Rowan Blanchard)が作品をリポストしてくれたんです。そのおかげで朝起きたらフォロワーが倍以上になって、さらにどんどん増えていきました。インスタグラムのフォロワーの内訳を見ると、日本人は5%で、半分がアメリカ人でしたね。

WWD:「ヘブン バイ マーク ジェイコブス」の案件も、その流れでオファーが来た?

つのつの:多分そうだと思います。インスタグラム経由でいきなり英語のメッセージが届いて、すごくびっくりしました。やりとりしながら、僕の作品は作るのにすごく時間がかかるので、今回のビジュアルでは発表済みだったキャラクターに「ヘブン」の服を着せようと決まりました。やりたいようにやらせてもらえたし、作品をすごくほめてくれたのが印象的でしたね。

WWD:SNSを中心に活動する作家として、思うことは?

つのつの:僕は美術を始めたのが大学からなので、SNSがなかったら作品をみんなに見てもらう機会はなかったはず。CGの作品を作るようになったのも、思いも寄らないところから声をかけてもらえたのも、全部SNSのおかげです。僕はいいタイミングで生まれ、創作ができているなと感じます。

■bring me to the another world
会期:〜6月10日
場所:MASATAKA CONTEMPORARY
住所:東京都中央区日本橋 3-2-9 三晶ビル B1F

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2050年までに温室効果ガスの排出実質ゼロへ 環境先進企業アシックスのサステナ戦略

 アシックスは、2050年までに事業における「温室効果ガスの排出実質ゼロ」の実現を目指す。国際イニシアチブとの連携を進め、グローバル基準のサステナビリティ戦略を実装するなど日本の中では先進的な存在だ。取り組みのきっかけや今後の課題についてサステナビリティ統括部で指揮を執る吉川美奈子統括部長に話を聞いた。

WWD:アシックスがCO2排出量の測定に取り組んだきっかけは?

吉川美奈子サステナビリティ統括部統括部長(以下、吉川):2050年までの温室効果ガス排出実質ゼロに向けた数値目標設定を公表した19年以前から、環境負荷削減に向けて取り組んでいた。さかのぼれば、フットウエア業界としては初めて米国マサチューセッツ工科大学とフットウエアのLCA(ライフサイクルアセスメント)に関する共同研究を10年に行った。社内では特にヨーロッパのCSRチームが、将来的なサステナビリティの流れをいち早く感じていた。この研究で得たデータは、世界的な環境負荷測定ツール「ヒグインデックス」の開発にも活用されている。

WWD:20年にはファッション産業の環境負荷低減に向けた国際的枠組み「ファッション協定(THE FASHION PACT)」に日本企業としては初めて加盟した。国際イニシアチブに加盟するメリットは?

吉川:「温室効果ガスの排出実質ゼロ」実現に向けたロードマップの策定においても、国際イニシアチブから得られる知見を参考にした。欧米を筆頭に、サステナビリティの分野でさまざまな法規制が進む中、情報をいち早く得られることは大きいだろう。例えば、フランスでは商品の環境負荷を開示させる動きがあるが、これを見据えて商品戦略を立てるなど、グローバルの動きを知ることで先に行動を起こすことができる。最近では、気候変動対策に加えて生物多様性の保護が話題に上がっており、次に取り組むべき課題として認識している。社会の流れを日本だけで考えないことがアドバンテージになる。

WWD:目標達成に向けた進捗と課題は?

吉川:スコープ3における温室効果ガス排出量の約7割を占める材料と生産の部分での取り組みが鍵になる。150以上あるサプライヤーのうち、売り上げベースで9割以上が東南アジアだ。工場での使用電力を再エネに切り替えていくためには、国として再エネ導入の優先順位を上げてもらう必要がある。いち企業が国に働きかけるハードルは高いので、ここでも国際イニシアチブに加盟することで声を大きくできるメリットがある。正直、50年の目標達成にはまだまだ多くの努力が必要で、ビジネスの転換が必要だ。アシックスは、「デジタル」「パーソナル」「サステナブル」をキーワードに、デジタル技術を活用して、パーソナライズされた製品・サービスをサステナブルな方法で開発することに力を入れている。

WWD:リペアや中古品販売など、循環型ビジネスにも注力するのか?

吉川:「循環型」というと、商品の回収ばかりを思い浮かべがちだが、私たちが考える「循環」は、どれだけ廃棄物を出さずに、よりクリーンなエネルギーでより長く使用できる商品設計にするかというをバリューチェーン全体での取り組みを意味する。アメリカでは、商品のリペアや中古品販売などを実施しているが、それだけをトレンド的に注力するつもりはない。なぜなら、サステナビリティの前に機能性の高い商品をお客さまに届ける価値創造が企業のミッションで、そこを妥協するべきではないからだ。私たちはセルロースナノファイバーを初めて日用品で使ったブランドでもあるが、イノベーションを起こしながらサステナブルな新しい商品を開発し、お客さまに価値のあるものを届けていく。

WWD:さまざまな企業が環境対策への取り組みを模索するなか、アシックスの戦略の強みは?

吉川:サステナビリティ統括部が立てた戦略を、ビジネス戦略、オペレーション、社のカルチャーに統合できていることが成功の要因だ。例えば、商品開発のチームとはシーズンごとにサステナビリティに関連する情報をインプットする機会を設けるなど、社全体が同じ方向を向くようにコミュニケーションをとっている。最大の強みは、トップがサステナビリティをビジネス戦略の中枢に据えていることだろう。スポーツを通して、お客さまの心と体を健やかにすることが私たちのパーパスだ。スポーツができる環境を守るため、サステナビリティへのコミットを続けていく。

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フランスの国民的子ども服ブランド「プチバトー」が描く自然との共生 古着の回収再販プロジェクトを日本でも目指す

 1893年にフランスのシャンパーニュ地方で生まれたフランスの子ども服ブランド、「プチバトー(PETIT BATEAU)」は、母国では国民的ブランドとして130年以上にわたって愛されている。ギヨーム・ダルーゼ(Guillaume Darrousez)最高経営責任者(CEO)は、「フランスでは、ファミリーブランドしての認知度はナンバーワン。みんな知っていて、特に何かをしなくてもビジネスは順調」という。一方の日本は、「同じ認知度ではなく、違うものを目指す」。「子供たちと自然をつなぐ」を世界共通のミッションに策定し、サステナブルを「プレイフル」に発信するブランドを目指す。フランスで始めた古着の買い取り&再販のほか、ワークショップにも意欲的だ。

WWD:フランスで始めた古着を回収して再販するリサイクルプロジェクトの反響は?

ダルーゼCEO:プロジェクト自体は2017年にアプリからスタートし、21年5月に店舗での回収も開始した。クーポンと引き換えに着なくなった「プチバトー」の製品を買い取って再販するという仕組みを作り、フランスでは6店舗目での導入がはじまったところだ。今後ポップアップや百貨店など店舗数を増やし、オンラインサイトでも取り扱いたい。フランスの消費者からは、「もっと早く始めてほしかった」「耐久性のある洋服を作る『プチバトー』だからこそできること」と非常に好評だ。

WWD:課題は?

ダルーゼCEO:引き取りや再販価格については、もっと詰めていきたい。洋服の、Tシャツは5〜10ユーロ(約680〜1300円)、コートは30〜35ユーロ(約4000〜4700円)、ベビー服は1〜2ユーロ(約130〜270円)で買い取っている。30年までには2次流通で利益の10%を稼ぐまでに成長させたい。状態の良くない服はリメイクして再販するなど、工夫も増やす予定だ。

WWD:日本でも開始する?

ダルーゼCEO:フランスに比べ、日本の2次流通はこれからだと感じているが、この先間違いなく盛り上がりをもっと見せるはず。日本でもこのプロジェクトをスタートさせたいと考えている。この秋にでも、東京で試験的に始めていくことに日本チームも前向きだ。

WWD:プロジェクトを開始したきっかけは?

ダルーゼCEO:自社工場で手掛ける製品の耐久性と質に誇りがあるからこそはじめられたこと。“125回洗濯してもへこたれない”ことが実験済みのTシャツは「プチバトー」のアイコンであり、再販が可能なアパレルを取り扱っているというブランドのバリューを保証している。スローファッションを推進して、洋服の“人生”がゴミ箱でおわらないよう取り組めるのも、耐久性への自信があるからだ。

WWD:新スローガン、「自由(Liberty)」「品質(Quality)」「持続可能(Durability)」の策定による、消費者や従業員、ブランドのあり方への反響は?

ダルーゼCEO:サーキュラーエコノミー(循環型経済)へのシフトやリサイクルの強化、2次流通を自ブランドで取り扱うに際して、「品質」「持続可能」の強化は必須だった。だがこれらはブランドに長く根付く基本的な価値観だ。中でも私が重きをおくのは、「自由」だ。近年、サステナビリティや社会課題についての対話が増える中で、自由で楽しい、オープンなコミュニケーションが減っていた。われわれは“真面目”になりすぎてしまった。もっと遊び心を持って自由に、プレイフルにならなければ。

WWD:社会課題といった話を、遊び心を持って伝えるのはとても難しいこと。どう実践していく?

ダルーゼCEO:消費者とのコミュニケーションのためにショートムービーを活用するなど、自由な発想を増やそうと動いている。22年末には、新たなコンセプトストアの開店を予定している。「プチバトー」を着るのは、子どもたちがメイン。子どもはいつだってクリエイティブで遊び心を持っている。製品ばかりを見せるのだけでなく、子どもたちが持っているものを生かして、彼らの感情や、外でどんなことをしているか、ありのままの姿を見せていきたい。それがプレイフルな発信につながるだろう。

WWD:「子供たちと自然をつなぐ」というミッションに込めた思いは?

ダルーゼCEO:子どもたちが自然の中で遊びながら自然に触れ、クリエイティビティーと自己肯定心を育んでほしいという願いを込めた。自然の楽しさがわかると、環境を守る意識も自発的に生まれるはず。汚れを気にせず外で思いっきり遊び回れる洋服と共に、子どもたちにはのびのび成長してほしい。

WWD:これまでどのような取り組みを?

ダルーゼCEO:従業員向けのサステナビリティに関する教育プログラムを設け、子どもを対象にワークショップなどを開催している。日本では7〜12歳くらいの子どもたちを約20人招待して、生物学者を招いてユーチューブで動画や写真を見せながら、今地球に何が起こっているのか、マイクロプラスチックとは何か、海洋環境などについて対話。その後「地球環境を守るため、大人にしてほしいこと」をプラカードに書いてもらった。そうすると子どもたちはプラカードを持って、保護者にその日学んだことについて語る。子どもたちに新しいことを教えると、大人も巻き込める。フランスでは水の大切さを教える「ウォーター ファミリー(Water Family)」とタッグを結んで、学校でレクチャーを行っている。

WWD:従業員へのサステナ教育は?

ダルーゼCEO:「世界海洋デー」の6月8日には、工場で働く人も含む世界中の「プチバトー」の従業員に、水汚染に関する教育の場を設けている。勤務日をボランティア活動の時間にあてて、従業員が学校で子どもたちに学校に教える制度も確立。ワークショップやボランティア活動を通して2023年のおわりまでに世界で100万人の子どもに教育の機会を提供するという目標に向けて一丸となって取り組んでいる。21年は8万人を対象とした教育の場を創出。22年は40万人を目標にしている。

WWD:25年までのBコープ認証の取得を掲げているが、原動力は?

ダルーゼCEO:より良い会社であり続けたい一心だ。環境問題へのアプローチだけでなく、社会責任の追求にも目を向けている点に共感し、絶えず努力を続ける源となるよう目標に設定した。会社として利益を求めるだけでなく、社会に向き合う姿勢を表明するにはうってつけだ。

WWD:これからの展望は?

ダルーゼCEO:今後挑戦したいのは、サブスクリプションサービス。赤ちゃんの成長に合わせたベビー服の月額レンタルサービスなどを、まずはフランスで始めたい。この2年で取り組んだことの1つは、役員レベルに女性を増やすこと。就任当時の女性役員は10人中1人だったが、今は6人にまで増えた。それでも、フランスチームには多様性という観点でまだまだ課題がある。もっと異なるバッググラウンドを持つ人を増やし、子どもたちを見習ってクリエイティブでプレイフルでありたい。

WWD:日本チームとはどう連携していく?

ダルーゼCEO:日本チームが始めたアイデアがフランスで導入されたこともあった。例えば、日本のギフトボックスはとてもクリエイティブでホスピタリティに溢れていたので、フランスでも取り入れた。細かいところまで行き届きた気持ちいいサービスは、とても参考になる。フランス基準で見ると本当に“プレミア”な接客だ。eコマースも日本は非常に強い。世界でも「プチバトー」のビジネスの約50%を占めているので、日本で生まれたバーチャル試着サービスを展開するなどして、高めあっていけたらと思う。

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アパレル販売員からライブコマーサー、そして起業 「ももち」こと牛江桃子が社長になるまで

 SNSの総フォロワー67万超えのももち(牛江桃子)が5月、次世代タレントエージェンシー、M-YOU(エムユー)を設立した。主力はタレントマネジメント事業だが、その他にもD2Cブランド、コンテンツプロデュース、Z世代マーケティング事業など幅広くトレンドに関連した事業を手掛ける。既に社員は7人在籍し、新卒から35歳までの女性で働く。

 販売員をキャリアの出発点に、ユーチューバー、ライブコマーサー、アパレルブランド「リル アンビション(Lil Ambition)」プロデューサーとして活躍してきたが、特に自身が名前をつけた“ライブコマーサー”としての活動には思い入れが深く、エムユーでも注力する分野だ。ライブコマーサーとはライブコマースに出演する販売員で、一般的なインフルエンサーやユーチューバーとは異なるアプローチで商品やブランドの魅力を伝える役割を担う。起業によって何を成し遂げようとしているのか。起業の経緯や思い、目標に掲げるライブコマーサーの育成について話を聞いた。

WWDジャパン(以下、WWD):なぜエムユーを起業?

牛江桃子(以下、牛江):心を大切にする、タレントのパートナーのような会社を作りたかったのと、ライブコマーサーを育成したいと考えたことが理由。周りのインフルエンサーから「頑張りたいのに頑張れる環境がない」「人間不信になる部分がある」という相談を受けることが多く、私自身も活動する中で、場所よりも人が大事だと感じることが多かった。そこで自分の経験を生かし、心に寄り添える、一緒に人生のブランディングまでもしていけるような会社を作りたいと考えた。

WWD:頑張れる場所がない、というのは具体的にいうと?

牛江:仕事を取ってきて振る、というやり方でマネジメントは効率化できる。けどタレントやクリエイターはとても繊細で、(SNS上の)数字や人からの意見で気分の浮き沈みも激しくなることもあるので、メンタルケアが本当は大事なはず。数字を分析して「はい、こうやって」というだけのマネジメントでは疲れてしまう。私は今のパートナーの浜内に出会い、クリエイターではなく一人の人間として真摯に向き合ってもらえた経験があった。お互い中立な立場だからこそ仕事が円滑に回り、生き生きと活動できる。M-YOUにはこの人にマネジメントして欲しい、この人なら一緒に歩んでいきたいと思ってもらえるような人が集まった。

WWD:元々起業したいという思いがあった?

牛江:全く(笑)。けれど活動する中でどんどん見える景色が変わってきて、クリエイター仲間の悩みの声を聞いたり、SNSで活動したいけど一歩踏み出せないという子の声を聞いたりする中で、自分だけじゃなくみんなが楽しい世界にしたいと感じたのが起業につながった。また一緒に創業した浜内や佐久間とミッションが一致し、事業を絶対大きくできると感じた。最初は会社としてではなく一つの事業としてやることも検討したが、一番いい手段として起業を選んだ。もちろん、これまでの活動も続けます。自分がタレントとして居続けることで、タレントの痛みもわかるようになりたい。

WWD:この3人で起業したのはどういった経緯?

牛江:元々、浜内と佐久間は別会社のRooMooNでともに仕事をしていて、私は浜内にマネジメントをお願いしている関係だった。それぞれ元の会社から資金を出し合い、資金調達や借り入れをせず立ち上げた。それぞれの仕事を集めているので、M-YOUは事業の幅が広い。ただ集めたわけではなく、相互作用で事業が大きくなると考えている。それぞれの強みを活かしたい。

WWD:それぞれの強みとは?

牛江:タレントマネジメント部 部長の浜内は、心に寄り添いながら長期的にマネジメントできる人。通常マネージャーは1人あたり複数人のタレントを抱える場合があり、タレント側は不安を覚えることも。M-YOUではチームでタレント1人にフルコミットする体制を取り、その主軸が浜内だ。コンテンツプロデュース部 部長の佐久間はテレビ業界出身で、コンテンツ企画のノウハウがある。また数字分析に強いだけでなく、クリエイターの個性に寄り添って企画提案をできるというところが強み。

 私はD2Cブランド部の部長で、販売師の資格を持ち、アパレル店員で接客をしてきた経験やライブコマーサーの経験がある。その経験をもとにライブコマーサーを育て、ブランド事業を展開する。6月からは2人のユーチューバー、えみ姉とpicaruの所属も決まっていて、2人の意向を最大限尊重しながらではあるが、D2Cブランドの立ち上げも考えている。

WWD:タレントマネジメントではライブコマーサーの育成も行う。

牛江:起業した大きな理由の一つ。これまでの経験の中で、世の中の動きがある一方でEC化率がなかなか上がらないのは(オンラインでの商品購入に対する)不安要素を解消して、背中を押してあげられる人がいないからだと気がついた。そこでM-YOUでは“第2のももち”じゃないですけれど、ライブコマーサーを育てて社会貢献したいと考えた。

WWD:日本ではライブコマースも広がらないが、課題は何だと考える?

牛江:第一にファッションや美容分野の本格的なライブコマーサーがまだまだ少ないこと。また大きなライブコマースプラットフォームがないことも課題だ。ライブコマース先進国の中国では大勢が見るプラットフォームでライブ中にパッと購入できる機能がある。一方、日本ではZ世代が服を買う時の参考にするインスタグラムやTikTokなど主要なSNSにライブ配信からの購入機能がついていない。インスタグラムで他プラットフォームのライブコマースの告知をしても、コアなファンしか流入しにくいのが現状だ。日本でも3年後にはインスタグラムやTikTokにライブコマース機能がついていると考えているので、それに向けてライブコマーサーを育てていく。

WWD:ライブコマースを依頼する企業側にも課題はある?

牛江:フォロワー数など数字で判断することが多いが、エンゲージメントを重視した依頼が大事。ライブコマースはコアなファンの方が心が動いて購入に至る。1000人のライトなファンより100人のコアなファンだ。またライブコマースは後から編集でテロップが入れられず、声や表情に全ての感情が出てしまうので、何かを言わせるのはあまり適していない。ライブコマーサー自身がいいと思った点を伝えることで視聴者の心が動く。企業側がクリエイターに寄り添ってもらえると、よりリアルなコマースができる。

WWD:どんな人が心を動かすライブコマーサーになれる?

牛江:何かに精通した“オタク”がいい。好きだからこそ情報を追うし、細かいことまで調べる。商材がライブコマーサー自身に適していないと意味がないので、ライブコマーサーは自分が何が好きか分析することが大事。またライブ配信は想像している5倍のテンションでやらないと伝わらない。その点ではインスタグラムなどの写真で伝えるインフルエンサーとはタイプが違うかもしれない。さらに普段のSNS運用やコミュニケーションから信頼を作っていくことが大事。M-YOUでは夏にタレント所属オーディションを開催するが、こういった素質がある子を5〜10人程度見つけられたらいいなと思っている。また自社で抱えるタレントだけでなく、他社と提携してライブコマーサーになりたい人に向けた講演会をしたりして、100人を目標にライブコマーサーを育成したい。

WWD:会社として、個人として今後の目標は?

牛江:日本ではライブコマーサー事業での成功例はまだないので、その成功例になりたい。「ライブコマースといえばM-YOUだよね」と言われるようになれれば。個人としては2年前からライブコマーサーと名乗ってやってきたので、ライブコマーサーとしても、プロデュースする側としても、ライブコマースの第一人者になりたい。

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「儲かる」と「環境保護」をどう両立させるか パタゴニア本社キーマンに聞く【後編】

 パタゴニア(PATAGONIA)は環境保護先進企業として広く知られる。どの企業も行ってこなかったような新しい方法でビジネスを拡大しながら、環境保護に取り組んできた特異な企業だ。これまでの選択に葛藤はなかったのか。経営判断で重視したことを創業当時から断続的に同社で働くパタゴニア哲学の要、ヴィンセント・スタンリー=フィロソファー(哲学者の意。パタゴニア独自の役職)にオンラインで話を聞いた。

WWD:「儲かる」と「環境保護」の間で揺らいだことはないですか?経営判断基準はありますか?

ヴィンセント・スタンリー哲学者(以下、ヴィンセント):興味深いのは、振り返ってみると私たちのビジネス判断は「Is this the right thing to do?(これは正しいことか?)」という考えに基づいて行われてきたことです。例えば、(1996年に)1年で完全にオーガニックコットンに切り替えるという決断は、多額な投資が必要になるので既存ビジネスにリスクをもたらすことはわかっていました。実際、オーガニックコットンに移行すると決めてから、私たちは2年間生産ができず、利益を上げられずにもがきました。でも2年後には私たちのビジネスはより健全に、そして力強くなった。なぜなら、あの時代に完全にオーガニックコットンにコミットしている企業がなかったからです。支持してくれる新しい消費者を獲得することもできました。

 この会社に来て50年経ちますが、新たな手法を取り入れるのは容易ではないですし、踏み切れずにもがいている時期もありました。けれど、もがくことがイノベーションに繋がり、また、それが蓄積されていくことを私は目撃してきました。

WWD:「正しいことかどうか」、そうしたいと思っても多くは費用の理由から選択できないことがあります。そうした判断は社内全体に浸透しているのでしょうか。

ヴィンセント:例えば、アメリカで新しい倉庫を作らなければならなかった時のこと。環境部でも製品開発部ではなく、財務部が担当しましたが、会社のDNAに盛り込まれている思考回路が発揮されました。3万平方メートルの倉庫を建てるために、不動産業者は農地を勧めたのですが、彼らは「この土地を使うなんて自分たちらしくない。ここではできない」と判断しました。そして彼らはペンシルベニアの経営破綻した石炭工場跡地を見つけ、そこに倉庫を建てました。どの部署でも企業の考えを理解してビジネスを行えば、いい結果をもたらすことができると確信しています。

 時には正しいことをするには費用がかかりますし、時には節約にもなり利益につながります。時には、お金の問題ではなく想像力の問題であったりします。豊かな想像力で新しい可能性につなげていくことが大切だと考えています。

WWD:アパレルメーカーの経営者は今後何をポイントに戦略を立てて行くべきでしょうか?

ヴィンセント:セカンドハンド(リユース)の導入や、リクラフテッド(そのままでは着用できなくなった古着から新たな衣類を生みだすアップサイクル)の商品を取り入れるのは重要です。最大の課題は、消費者に消費について疑問を投げかけることです。アパレルビジネスは、服を購入する時に感じる高揚感ーークレジットカードをカウンター越しに手渡す瞬間に依存してきました。

 私たちは過去10年間、消費者と製品のつながりについて力を入れてきました。最高の製品を提供することはもちろん、製品を着てさまざまな体験をして楽しむことが大切であると伝えてきました。この方が購入した商品と長期的な関係を保てて経済的にも健全です。多くのアパレルメーカーは変化を求められています。品質にこだわっている企業にはさほど難しいことではないですが、ファストファッションは非常に難しいでしょう。アメリカではファストファッションの平均着用回数は7回で、その後捨てられています。どうみても持続可能ではないでしょう。私たちは社会的、環境的危機に直面しています。産業全体が環境の改善が見込め、かつ労働者やコミュニティーが健全で地域が活性化するような商品作りに変わっていかなければいけません。

WWD:長く着てもらえるように、リペアの事業部を立ち上げたとして、その事業部だけで利益を出すのは難しい。良い物を売ったうえでそのサービスとしてのリペアを行うという考え方が大切になってくると思います。

ヴィンセント:一つの事業で利益を出すのは難しいでしょう。また、人々が着なくなった服を循環させることにも目を向けなければならないと思います。多くの消費者も変化を求めています。自動車産業が今後15年で電気自動車に移行するという目標で移行していますが、自動車業界がそのように大きく変われるなら、アパレル産業も同じ期間内にシフトできると思うのです。

WWD:そもそもシーズンで区切り、どんどん新商品を発売するこれまでの慣例をやめない限り、問題は解決できないようにも思います。「パタゴニア」ではシーズンレスへの動きはあるのでしょうか?

ヴィンセント:「パタゴニア」は多くのアパレル企業に比べて定番品が多いと思います。“スタンドアップショーツ”や“センチュラジャケット”は30~40年にわたり提案しています。シーズン毎(春夏・秋冬)の提案ですが、3分の1が新商品で、3分の1が調整されたリバイズドの商品、3分の1キャリーオーバーの商品です。また、リテールの店舗だけではなく消費者のためにも廃れないスタイルも心掛けています。10年経ってもまだ快適と思ってもらいたいから。私たちにとっては、それも品質における重要な要素の一つです。リバイズドの商品とは、色の変更などだけではなく、機能がより良くなっているか、環境面が改善されているかという点も含んでいます。

WWD:安価な製品をたくさん売る仕組みだけを持っている企業は今後厳しくなるということでしょうか。

ヴィンセント:厳しいですね。安価な製品で利益を上げるのがとても難しいからです。常にタイトなスケジュールで作るファストファッションは、買い手が間に合わず製品が溢れているため)商品を店側が受け取れない悪循環が生まれており、燃やしてしまうことがあります。非常に悲しいことです。良いビジネスとは言えませんし、利益を上げるのも難しいですね。

WWD:パタゴニアのビジネスの展望は?

ヴィンセント:まず10年後、今以上に私たちと消費者の関係が強くなっていること。環境面では、私たちは(2025年までに)ポリエステルやナイロンのバージン素材の使用をやめますが、これは大きな変化をもたらします。再生素材とナチュラルファイバーの開発に非常に力を注いでいます。私たちが格闘している問題は、今後10年間成長するにあたり、成長に依存しない、より質のいい会社を作れるのか、ということです。強制的に成長を拡大させようとすると社会にも環境にも悪影響を及ぼします。日本では何百年も続く旅館がありますね。何百年も健全なビジネスを行えるのは温泉がいい状態に保てているからだと思います。それが経営に盛り込まれているはず。アパレルビジネスも、そうした旅館の心理から学ぶべきです。

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VRクリエイター・せきぐちあいみが語るバーチャル × ファッションの可能性 AR、NFTなどもわかりやすく解説

 昨年フェイスブック(Facebook)が仮想空間の開発を強化するため社名をメタ(Meta)に変更したことを皮切りに、世界中でVRコンテンツの普及が加速している。ファッション業界でも今年「メタバース・ファッションウィーク(MVFW)」が開催されたり、東京ガールズコレクション公式のメタバース「バーチャルTGC」が生まれたりなど、今後さらにメタバース市場に注目が集まりそうだ。今回はVRクリエイターとして活躍するせきぐちあいみが、メタバースやVRとファッション業界のつながりを紐解く。

WWDJAPAN(以下、WWD):VRアーティストに関心を持ったきっかけとは?

せきぐちあいみ(以下、せきぐち):もともとはクリーク&リバー社(CREEK&RIVER)所属のユーチューブクリエイターとして活動していました。その時はVRやARとは関係なくライフスタイルやバラエティ系の発信をしていたのですが、たまたま3Dペンに興味を持ち、その様子を発信するように。3Dペンは、熱でプラスチックが溶けたもので描くと、描いた瞬間から冷えて固まるもので立体が描けるのが面白い。作品を作り続けていくうちにデジタル上での3Dアートにも興味が湧き、2016年から公式でVRアーティストと名乗るようになりました。当時はまだVRアーティストという職業もなかったような時期です。

 ちなみに最近は、脳波を使って絵を描く実験もしています。頭蓋骨や頭皮を通して受け取ることができる脳波はかなり微弱なので、まだコントロールするまでに修行が必要です。でも脳波で何かをするというのはたくさんの可能性があると思い挑戦しています。

WWD:VRとARの違いとは?

せきぐち:VRとはバーチャルリアリティー(仮想現実)のことで機器の中に別の世界が広がっているという面白さや魅力があります。この別世界の空間に3Dの絵を描くのが私が、行なっているVRアートです。360度広がるキャンバスの中に、自分だけのワンルームから壮大なテーマパークまでの世界が作れるのも魅力です。

 VRはバーチャル空間に世界を作っていくものですが、ARはオーグメンテッドリアリティ(拡張現実)のことで、現実の世界に重ねてバーチャルを作っていくもの。パンデミックの影響で現実世界の行き来が難しくなったので、ARのトレンドは少し後回しになってしまいましたが、もしコロナがなかったらVRよりARの方が流行っていたのでは、と思います。ARの技術を使えば、何もないところに新たな観光名所を作ったり、観光地や遺産などを工事することなく新たな魅力を加えたりできます。ちょうど今、歴史ある神社とコラボレーションして、NFTアートの作品を作っているので、ぜひ見ていただけると嬉しいです。

 とはいえ、VRやARの面白さは世間的に皆さんが使っているパソコンやスマートフォン、テレビなどでは伝えにくい。まずは実際にデバイスを使って感動体験をしないと、初めての人にとっては少し遠い存在のように感じてしまうと思います。コロナ禍で直接人と会う機会がなくなったのでオンライン上のテクノロジーが注目された一方、リアルでデバイスを体験してもらう機会がなくなり、VRの体験施設もかなり減ってしまいました。

WWD:ファッション業界におけるメタバースにはどんな可能性がある?

せきぐち:ファッション業界における廃棄の問題は、事前にVRでシミュレーションができるのがメリットだと思います。最近は素材感の再現度も非常に高いため、材料を無駄にせず仕上がりをテストできると思います。実際に建築業界ではすでにこのシミュレーション技術が役立っていて、建物が建つことを想定した人の動きなどを事前に確認し、安全性と効率性を確かめているのです。

 また、消費者にとってメタバース空間が身近になり、仮想空間の中にもう1人の自分を持つようになったら、第二の自分の容姿もこだわりたくなる人もでてくると思います。デジタルファッションだと現実の制約から開放されるので、現実とはまた違ったクリエイティブが楽しめ、リアルだとできない素材や形状など、新たなファッションが登場します。現実の洋服とアバター用の洋服がセット販売も増え、新たな市場が広がると思います。

 メタバース上での雇用についても、今後は注目が集まりそうです。メタバースのプラットフォームの一つである「VRチャット(VRChat)」内では、「バーチャルマーケット」という即売会イベントが開催されていて、バーチャルファッションやアバターなど、VR内で使えるものがたくさん売られ、百貨店やコンビニエンスストアチェーンなども出店しています。

 そういった仮想空間でのショップ運営の中で、メタバース上のカリスマ店員なども生まれてくると思います。すでにメタバース上にアルバイト求人を出しているショップもありますし、実際に収益を得ている人もいますよ。地方の人がメタバース上でなら都会でお仕事できたり、さまざまな事情で自宅から出られない人もメタバース内で働いて実際に収入が得られたりするのは嬉しいですよね。「バーチャルの中ならショップスタッフもAIでいいじゃん」と思う方もいるでしょうが、VR内とはいえ実際に人間が販売と売上は全く異なります。「この店員さんから服を買いたい!」というファンが生まれることもあるし、1人でAIと話しながら買い物するよりは画面の向こうに誰かがいて、お買い物をサポートしてもらう方が楽しんでしょうね。現実とVR内では商品のおすすめの仕方が変わってくるので、現実は売れっ子店員さんでも、VR内ではなかなかうまくいかない、なんてことも起きてくるかもしれません。

WWD:メタバース上で購入した商品は、どのように価値が保証される?

せきぐち:メタバース上では、NFT(非代替性トークン)であることが本物の価値を担保します。NFTはブロックチェーンで管理されている、誰にも改竄(かいざん)することのできないデータ。そのためコピーされることも変更されることもなく、きちんと本物であることが証明されるのです。

 現実で物を買う時、「コピー品でもいいや」という人には「人に偽物だとバレなければいいや」という感覚の人が多いと思うのですが、メタバース上では人の持っているもののリストを可視化できる“ウォレット”という機能があり、NFTに紐付けることで本物かどうかが他人にもわかります。そのため、メタバース上で本物のレアアイテムを持っていれば、世界中から注目されることもあります。実際にNFTのレアスニーカーはすでにかなり高額で販売されています。

 変更されることがないのがNFTですが、洋服自体が経年劣化したり、逆に育ったりするプログラムは可能です。経年劣化した服のみを扱う古着屋さんのようなショップも今後メタバース上で生まれるかもしれません。

 また、NFTのデータは過去に持っていた人も可視化することができます。だからセレブリティが昔着用していた服などは付加価値がついたりするのです。セレブが買っているから私も買おう、という売れ方も実際に多いです。パリス・ヒルトン(Paris Hilton)やジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)など、多くの海外セレブもNFTアートに進出しています。日本でもこれらの動きは今後活発化してくると思います。

 ただ、現状NFTと連携しているメタバースの有名なプラットフォームは「メタバースファッション・ウィーク」を行なっていた「ディセントラランド(DECENTRALAND)」くらいです。現実のイベントと連携しているので、ファッションビジネスに向いているのかもしれませんね。

WWD:ファッション業界に置いて注目したいプラットフォームは?

せきぐち:初心者でも楽しみやすいのは「クラスター(cluster)」だと思います。アバターやファッションもいろいろなものが選べるし、スマホやパソコンでも楽しめるのでおすすめです。ちょうど話題になっていた“バーチャル渋谷”をやっていたのも「クラスター」です。

 ファッションビジネスとして注目したいのは「バーチャルコレクション(Virtual Collection)」。クリエイターたちが自主的に集まり、アバターのファッションショーを定期的に行なっている団体です。これまでに何度も開催しているので、大企業よりノウハウがあり、クオリティがどんどん上がってきているので今後の参考になりそうです。例えば「メタバース・ファッションウィーク」ではお客さん一人ひとりの洋服のデータを読み込むため、膨大なデータ量が発生して会場のコントロールができなくなるなど、多くのトラブルが発生しました。一方「バーチャルコレクション」では、ランウエイ会場に入った途端にお客さんは皆、シンプルな服装に強制的に変更される仕様にしました。会場のデータ量を軽減でき、その分ランウエイを歩くモデルたちの衣装をより細かく作り込むことができるのです。また、デジタルファッションはリアルな服とはまた見せ方が少し変わってくるので、ランウエイ上での動きにも工夫が必要です。「バーチャルコレクション」では、そういったメタバース上のファッションショーに適したモーションを得意とするモデルも生まれてきています。

WWD:メタバースが抱える課題とは?

せきぐち:一つ目はVRデバイスの問題だと思います。先述した通り実際に体験できる場所が少ないことのほか、デバイスそのもののをまだ進化させる必要があります。もっと手軽に、スタイリッシュに、サングラスのような感覚で着用できるようになった時に、VRやARの技術、そしてメタバースも爆発的に広まっていくのではないでしょうか。ちょうど昨年「レイバン(RAY-BAN)」とフェイスブックがコラボしたスマートアイウエアが発売されていましたが、スタイリッシュにするため機能をかなり削ぎ落としていました。今後見た目も機能もアップデートされ、皆さんが「これならアリかも!」と思えるものがきっと生まれるでしょう。また、仕事や友達とコミュニケーションができるなど、日常生活で活かしやすいVRデバイス向けアプリケーションが増えていくことも、世間に浸透するために必要な要素です。

 二つ目の課題は、プラットフォームの統一。現状違うプラットフォーム同士を行き来することはできません。アバターの形式もそれぞれ違うことから、プラットフォームを移動すると全く違う人になってしまうのです。この課題についてはメタバース業界だけではなく、国を挙げて検討している段階なので、今後何らかの取り組みが行われるはずです。個人的には、日本だけではなく世界共通の規制やルールができると良いと思うのですが、著作権の問題などまだまだたくさんの壁があります。今後絶対的に支持されるような今後プラットフォームができたら、自然と周囲もその形式に合わせることになると思うので、時間が問題を解決していくことでしょう。


 6月6日発行の「WWDJAPAN」(ウィークリー版)では、「メタバース特集」と題し業界の先駆者たちにフォーカスしていく。

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VRクリエイター・せきぐちあいみが語るバーチャル × ファッションの可能性 AR、NFTなどもわかりやすく解説

 昨年フェイスブック(Facebook)が仮想空間の開発を強化するため社名をメタ(Meta)に変更したことを皮切りに、世界中でVRコンテンツの普及が加速している。ファッション業界でも今年「メタバース・ファッションウィーク(MVFW)」が開催されたり、東京ガールズコレクション公式のメタバース「バーチャルTGC」が生まれたりなど、今後さらにメタバース市場に注目が集まりそうだ。今回はVRクリエイターとして活躍するせきぐちあいみが、メタバースやVRとファッション業界のつながりを紐解く。

WWDJAPAN(以下、WWD):VRアーティストに関心を持ったきっかけとは?

せきぐちあいみ(以下、せきぐち):もともとはクリーク&リバー社(CREEK&RIVER)所属のユーチューブクリエイターとして活動していました。その時はVRやARとは関係なくライフスタイルやバラエティ系の発信をしていたのですが、たまたま3Dペンに興味を持ち、その様子を発信するように。3Dペンは、熱でプラスチックが溶けたもので描くと、描いた瞬間から冷えて固まるもので立体が描けるのが面白い。作品を作り続けていくうちにデジタル上での3Dアートにも興味が湧き、2016年から公式でVRアーティストと名乗るようになりました。当時はまだVRアーティストという職業もなかったような時期です。

 ちなみに最近は、脳波を使って絵を描く実験もしています。頭蓋骨や頭皮を通して受け取ることができる脳波はかなり微弱なので、まだコントロールするまでに修行が必要です。でも脳波で何かをするというのはたくさんの可能性があると思い挑戦しています。

WWD:VRとARの違いとは?

せきぐち:VRとはバーチャルリアリティー(仮想現実)のことで機器の中に別の世界が広がっているという面白さや魅力があります。この別世界の空間に3Dの絵を描くのが私が、行なっているVRアートです。360度広がるキャンバスの中に、自分だけのワンルームから壮大なテーマパークまでの世界が作れるのも魅力です。

 VRはバーチャル空間に世界を作っていくものですが、ARはオーグメンテッドリアリティ(拡張現実)のことで、現実の世界に重ねてバーチャルを作っていくもの。パンデミックの影響で現実世界の行き来が難しくなったので、ARのトレンドは少し後回しになってしまいましたが、もしコロナがなかったらVRよりARの方が流行っていたのでは、と思います。ARの技術を使えば、何もないところに新たな観光名所を作ったり、観光地や遺産などを工事することなく新たな魅力を加えたりできます。ちょうど今、歴史ある神社とコラボレーションして、NFTアートの作品を作っているので、ぜひ見ていただけると嬉しいです。

 とはいえ、VRやARの面白さは世間的に皆さんが使っているパソコンやスマートフォン、テレビなどでは伝えにくい。まずは実際にデバイスを使って感動体験をしないと、初めての人にとっては少し遠い存在のように感じてしまうと思います。コロナ禍で直接人と会う機会がなくなったのでオンライン上のテクノロジーが注目された一方、リアルでデバイスを体験してもらう機会がなくなり、VRの体験施設もかなり減ってしまいました。

WWD:ファッション業界におけるメタバースにはどんな可能性がある?

せきぐち:ファッション業界における廃棄の問題は、事前にVRでシミュレーションができるのがメリットだと思います。最近は素材感の再現度も非常に高いため、材料を無駄にせず仕上がりをテストできると思います。実際に建築業界ではすでにこのシミュレーション技術が役立っていて、建物が建つことを想定した人の動きなどを事前に確認し、安全性と効率性を確かめているのです。

 また、消費者にとってメタバース空間が身近になり、仮想空間の中にもう1人の自分を持つようになったら、第二の自分の容姿もこだわりたくなる人もでてくると思います。デジタルファッションだと現実の制約から開放されるので、現実とはまた違ったクリエイティブが楽しめ、リアルだとできない素材や形状など、新たなファッションが登場します。現実の洋服とアバター用の洋服がセット販売も増え、新たな市場が広がると思います。

 メタバース上での雇用についても、今後は注目が集まりそうです。メタバースのプラットフォームの一つである「VRチャット(VRChat)」内では、「バーチャルマーケット」という即売会イベントが開催されていて、バーチャルファッションやアバターなど、VR内で使えるものがたくさん売られ、百貨店やコンビニエンスストアチェーンなども出店しています。

 そういった仮想空間でのショップ運営の中で、メタバース上のカリスマ店員なども生まれてくると思います。すでにメタバース上にアルバイト求人を出しているショップもありますし、実際に収益を得ている人もいますよ。地方の人がメタバース上でなら都会でお仕事できたり、さまざまな事情で自宅から出られない人もメタバース内で働いて実際に収入が得られたりするのは嬉しいですよね。「バーチャルの中ならショップスタッフもAIでいいじゃん」と思う方もいるでしょうが、VR内とはいえ実際に人間が販売と売上は全く異なります。「この店員さんから服を買いたい!」というファンが生まれることもあるし、1人でAIと話しながら買い物するよりは画面の向こうに誰かがいて、お買い物をサポートしてもらう方が楽しんでしょうね。現実とVR内では商品のおすすめの仕方が変わってくるので、現実は売れっ子店員さんでも、VR内ではなかなかうまくいかない、なんてことも起きてくるかもしれません。

WWD:メタバース上で購入した商品は、どのように価値が保証される?

せきぐち:メタバース上では、NFT(非代替性トークン)であることが本物の価値を担保します。NFTはブロックチェーンで管理されている、誰にも改竄(かいざん)することのできないデータ。そのためコピーされることも変更されることもなく、きちんと本物であることが証明されるのです。

 現実で物を買う時、「コピー品でもいいや」という人には「人に偽物だとバレなければいいや」という感覚の人が多いと思うのですが、メタバース上では人の持っているもののリストを可視化できる“ウォレット”という機能があり、NFTに紐付けることで本物かどうかが他人にもわかります。そのため、メタバース上で本物のレアアイテムを持っていれば、世界中から注目されることもあります。実際にNFTのレアスニーカーはすでにかなり高額で販売されています。

 変更されることがないのがNFTですが、洋服自体が経年劣化したり、逆に育ったりするプログラムは可能です。経年劣化した服のみを扱う古着屋さんのようなショップも今後メタバース上で生まれるかもしれません。

 また、NFTのデータは過去に持っていた人も可視化することができます。だからセレブリティが昔着用していた服などは付加価値がついたりするのです。セレブが買っているから私も買おう、という売れ方も実際に多いです。パリス・ヒルトン(Paris Hilton)やジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)など、多くの海外セレブもNFTアートに進出しています。日本でもこれらの動きは今後活発化してくると思います。

 ただ、現状NFTと連携しているメタバースの有名なプラットフォームは「メタバースファッション・ウィーク」を行なっていた「ディセントラランド(DECENTRALAND)」くらいです。現実のイベントと連携しているので、ファッションビジネスに向いているのかもしれませんね。

WWD:ファッション業界に置いて注目したいプラットフォームは?

せきぐち:初心者でも楽しみやすいのは「クラスター(cluster)」だと思います。アバターやファッションもいろいろなものが選べるし、スマホやパソコンでも楽しめるのでおすすめです。ちょうど話題になっていた“バーチャル渋谷”をやっていたのも「クラスター」です。

 ファッションビジネスとして注目したいのは「バーチャルコレクション(Virtual Collection)」。クリエイターたちが自主的に集まり、アバターのファッションショーを定期的に行なっている団体です。これまでに何度も開催しているので、大企業よりノウハウがあり、クオリティがどんどん上がってきているので今後の参考になりそうです。例えば「メタバース・ファッションウィーク」ではお客さん一人ひとりの洋服のデータを読み込むため、膨大なデータ量が発生して会場のコントロールができなくなるなど、多くのトラブルが発生しました。一方「バーチャルコレクション」では、ランウエイ会場に入った途端にお客さんは皆、シンプルな服装に強制的に変更される仕様にしました。会場のデータ量を軽減でき、その分ランウエイを歩くモデルたちの衣装をより細かく作り込むことができるのです。また、デジタルファッションはリアルな服とはまた見せ方が少し変わってくるので、ランウエイ上での動きにも工夫が必要です。「バーチャルコレクション」では、そういったメタバース上のファッションショーに適したモーションを得意とするモデルも生まれてきています。

WWD:メタバースが抱える課題とは?

せきぐち:一つ目はVRデバイスの問題だと思います。先述した通り実際に体験できる場所が少ないことのほか、デバイスそのもののをまだ進化させる必要があります。もっと手軽に、スタイリッシュに、サングラスのような感覚で着用できるようになった時に、VRやARの技術、そしてメタバースも爆発的に広まっていくのではないでしょうか。ちょうど昨年「レイバン(RAY-BAN)」とフェイスブックがコラボしたスマートアイウエアが発売されていましたが、スタイリッシュにするため機能をかなり削ぎ落としていました。今後見た目も機能もアップデートされ、皆さんが「これならアリかも!」と思えるものがきっと生まれるでしょう。また、仕事や友達とコミュニケーションができるなど、日常生活で活かしやすいVRデバイス向けアプリケーションが増えていくことも、世間に浸透するために必要な要素です。

 二つ目の課題は、プラットフォームの統一。現状違うプラットフォーム同士を行き来することはできません。アバターの形式もそれぞれ違うことから、プラットフォームを移動すると全く違う人になってしまうのです。この課題についてはメタバース業界だけではなく、国を挙げて検討している段階なので、今後何らかの取り組みが行われるはずです。個人的には、日本だけではなく世界共通の規制やルールができると良いと思うのですが、著作権の問題などまだまだたくさんの壁があります。今後絶対的に支持されるような今後プラットフォームができたら、自然と周囲もその形式に合わせることになると思うので、時間が問題を解決していくことでしょう。


 6月6日発行の「WWDJAPAN」(ウィークリー版)では、「メタバース特集」と題し業界の先駆者たちにフォーカスしていく。

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食に“地球を救う”商機あり パタゴニアが食産業に参入した理由を本社キーマンが語る【前編】

 パタゴニアは食品事業プロビジョンズ(PROVISIONS)を立ち上げ、フードビジネスに力を入れる。現在のプロビジョンズのビジネス規模はアパレルに比べると非常に小さいが、創業者のイヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard)は、プロビジョンズがアパレルのビジネスを上回ると断言する。背景には2018年に改訂した企業理念“私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む”がある。パタゴニアは創業当時から環境保護に熱心に取り組むが、改訂された企業理念はより強い使命感が現れており、発表後、環境保護の取り組みを加速させている。創業当時から断続的に同社で働くパタゴニア哲学の要、ヴィンセント・スタンリー=フィロソファー(哲学者の意。パタゴニア独自の役職)にオンラインで話を聞いた。

WWD:パタゴニアがフードビジネスに参入した理由は?

ヴィンセント・スタンリー哲学者(ヴィンセント):イヴォン(シュイナード創業者)が食べるのが大好きだから(笑)。実は25年ほど前にフードビジネス参入を試みましたが、うまくいきませんでした。2011年にフードビジネス業界出身のバーゲット・キャメロン(Birgit Cameron、現在はプロビジョンズのマネジメントを担当)が加わってから、真剣に取り組むようになりました。

WWD:スープや缶詰め、ドライフルーツやビール、最近では日本酒やワインとさまざまに提案していますが製品作りの基準は?

ヴィンセント:食産業のシステムにある問題(サプライチェーンが複雑に絡み合い複雑であること)を改善できるか、あるいは環境再生型農業に貢献できるかを重視しています。これこそ進むべき道だと考えたから。

 プロビジョンズビジネスで私たちが土を作る時、農薬を使わないだけでなく、最低限の耕作を行うことで、自然界よりもはるかに速く表土を作り上げることができます。この惑星に、取るよりも多く返せています。また、食だけではなく(農耕が必要な)コットンやヘンプなどの繊維に関しても農法を変革することで良い影響を与えることができます。再生型農業は、私たちが小規模農家や農業コミュニティーを支援できるので、環境面だけでなく社会的なサポートも行うことができます。

WWD:2016年に発売したビールは見たことがない植物“カーンザ”が原料でした。どのように生まれたのですか?

ヴィンセント:私たちの大切な友人にカンザス在住の農学者ウェス・ジャクソン(Wes Jackson)という人がいます。彼のライフワークはカンザス州の大平原を健全な状態に戻すこと。彼は約20年前に根が6mの深さまで伸びる多年草麦“カーンザ”を開発したと教えてくれました。根が土の中に深く張ると、あらゆる微生物や菌類をかき乱すことで表土を作り上げ、土中に新しい命が宿ります。カーンザは長い根と多年生という特徴により、耕起や農薬なしに成長し、従来の小麦より水を使いません。また、表土を回復させて一年生穀物より多くの炭素を大気中から吸収します。収穫後は地中に残った根が分解され、炭素を土に封じ込めることができる特徴がありました。

 「素晴らしいね、ウェス。そのカーンザはどこで買えるの?」と聞いたら、「カーンザは買えないよ」と言われました。「なぜ?」と聞くと、彼は「カーンザを栽培しようと思う農家はないと思うよ。彼らは売れないものは植えないから」と。

WWD:どうやって製品化まで漕ぎつけたのですか?

ヴィンセント:私たちはオレゴンのポートランドにあるビール醸造所とパートナーになり、カーンザをエールの成分として取り入れることを試みました。まず100ヘクタール(100万平方メートル)にカーンザを栽培し、いくつかの穀物会社に関心がないかアプローチし、数社が関心を持ってくれました。今では、何千ヘクタールにも渡ってカーンザが植えられています。

 私たちは、これまで使われていなかったものを取り入れることで環境的問題を解決する方法になると学びました。もし私たちが問題を解決できるような商品を作れば、政府が税金を引き上げる必要もないし、慈善家に資金をお願いする必要もありませんよね。

WWD:独自の商品開発するにあたり、パートナーに求める条件は?

ヴィンセント:最終的な製品が、土壌の状態をより良くすること、海も同様で同じでより健康な状態にすることーーその手助けに興味を持ってエキサイトしてくれるかどうかでしょうか。

WWD:新製品はどのように選定していますか?

ヴィンセント:自然な流れとして、ビールが成功したから次は酒やワインに、ムール貝が成功したから鯖缶という流れでした。私たちは自分たちに環境を改善できるか、という問題を課しています。時々農学者や科学者と意見交換をし、穀物にはとてつもない可能性があるという話をしています。また、ワシントン州西部に有名な研究所からアプローチされたり、フードビジネスを行っている人から提案されたりもします。環境が改善されるかどうかに加えて、栄養はあるか、上質な製品か、そして大切なのは美味しいかどうか、です。美味しければ、それだけで食べてもらえますからね。自然食品は可能性に満ちていますが、私たちはその可能性の一部しか見ていませんし、まだ革新の初期段階と言えるでしょう。

WWD:環境改善のほかに地方・地域を盛り上げていくことも戦略にありますか?

ヴィンセント:私たちは、ローデールプレス(The Rodale Institute)とブロナー博士(Dr. Bronner)とともに、環境再生型農業の認可基準を作りました。土を健全な状態に戻せるかどうかに加え、同じくらい鍵となる要素が2つあります。1つ目は動物福祉です。多くの農場はバイソン(バッファロー)や牛などを放牧することによって土壌の改善を行っていて、バイソンや牛は最後にはジャーキーになります。命をいただくことに敬意を持ち、最後まで優しい気持ちを持って動物と接することも認可基準に含まれています。もう一つは人間のコミュニティーです。労働者がきちんとサポートされているか、良い賃金が払われているか、きちんと待遇されているか、農業コミュニティーの状態はどうか、などです。人の状態が良くないと、農業への良い状態を保証できないと考えるからです。

WWD:「五人娘」では千葉の酒造、寺田本家と組みましたね。

ヴィンセント:千葉はとても複雑な場所ですね。都心から離れて農業を営む人がいると同時に都会でもあります。農業を営んでいる人やそのコミュニティーの状態がどうなっているのかに目を向けました。

 環境再生型農業は小規模農家ととても相性がいいんです。小さい農家は、どんな害虫がいるのか、土の状態はどうかなど細部のあらゆる状態までしっかりと目が行き届くから。日本の農業やアメリカ北東部で行われている農業と相性がいいですね。

WWD:今後、どういう形でビジネスを拡大していきますか?プロビジョンズビジネスがアパレルビジネスを上回ることは本当にあるのでしょうか。

ヴィンセント:そうですね。イヴォンも断言しています。すごく時間はかかるでしょうけどね。プロビジョンズビジネスはアパレルビジネスと比べると非常に小さく、長い時間と注意力を必要とします。どう商品を作り、どう良い品質にするか、その解決策を見つけなければいけません。でも、素晴らしい可能性があると確信しています。

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食に“地球を救う”商機あり パタゴニアが食産業に参入した理由を本社キーマンが語る【前編】

 パタゴニアは食品事業プロビジョンズ(PROVISIONS)を立ち上げ、フードビジネスに力を入れる。現在のプロビジョンズのビジネス規模はアパレルに比べると非常に小さいが、創業者のイヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard)は、プロビジョンズがアパレルのビジネスを上回ると断言する。背景には2018年に改訂した企業理念“私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む”がある。パタゴニアは創業当時から環境保護に熱心に取り組むが、改訂された企業理念はより強い使命感が現れており、発表後、環境保護の取り組みを加速させている。創業当時から断続的に同社で働くパタゴニア哲学の要、ヴィンセント・スタンリー=フィロソファー(哲学者の意。パタゴニア独自の役職)にオンラインで話を聞いた。

WWD:パタゴニアがフードビジネスに参入した理由は?

ヴィンセント・スタンリー哲学者(ヴィンセント):イヴォン(シュイナード創業者)が食べるのが大好きだから(笑)。実は25年ほど前にフードビジネス参入を試みましたが、うまくいきませんでした。2011年にフードビジネス業界出身のバーゲット・キャメロン(Birgit Cameron、現在はプロビジョンズのマネジメントを担当)が加わってから、真剣に取り組むようになりました。

WWD:スープや缶詰め、ドライフルーツやビール、最近では日本酒やワインとさまざまに提案していますが製品作りの基準は?

ヴィンセント:食産業のシステムにある問題(サプライチェーンが複雑に絡み合い複雑であること)を改善できるか、あるいは環境再生型農業に貢献できるかを重視しています。これこそ進むべき道だと考えたから。

 プロビジョンズビジネスで私たちが土を作る時、農薬を使わないだけでなく、最低限の耕作を行うことで、自然界よりもはるかに速く表土を作り上げることができます。この惑星に、取るよりも多く返せています。また、食だけではなく(農耕が必要な)コットンやヘンプなどの繊維に関しても農法を変革することで良い影響を与えることができます。再生型農業は、私たちが小規模農家や農業コミュニティーを支援できるので、環境面だけでなく社会的なサポートも行うことができます。

WWD:2016年に発売したビールは見たことがない植物“カーンザ”が原料でした。どのように生まれたのですか?

ヴィンセント:私たちの大切な友人にカンザス在住の農学者ウェス・ジャクソン(Wes Jackson)という人がいます。彼のライフワークはカンザス州の大平原を健全な状態に戻すこと。彼は約20年前に根が6mの深さまで伸びる多年草麦“カーンザ”を開発したと教えてくれました。根が土の中に深く張ると、あらゆる微生物や菌類をかき乱すことで表土を作り上げ、土中に新しい命が宿ります。カーンザは長い根と多年生という特徴により、耕起や農薬なしに成長し、従来の小麦より水を使いません。また、表土を回復させて一年生穀物より多くの炭素を大気中から吸収します。収穫後は地中に残った根が分解され、炭素を土に封じ込めることができる特徴がありました。

 「素晴らしいね、ウェス。そのカーンザはどこで買えるの?」と聞いたら、「カーンザは買えないよ」と言われました。「なぜ?」と聞くと、彼は「カーンザを栽培しようと思う農家はないと思うよ。彼らは売れないものは植えないから」と。

WWD:どうやって製品化まで漕ぎつけたのですか?

ヴィンセント:私たちはオレゴンのポートランドにあるビール醸造所とパートナーになり、カーンザをエールの成分として取り入れることを試みました。まず100ヘクタール(100万平方メートル)にカーンザを栽培し、いくつかの穀物会社に関心がないかアプローチし、数社が関心を持ってくれました。今では、何千ヘクタールにも渡ってカーンザが植えられています。

 私たちは、これまで使われていなかったものを取り入れることで環境的問題を解決する方法になると学びました。もし私たちが問題を解決できるような商品を作れば、政府が税金を引き上げる必要もないし、慈善家に資金をお願いする必要もありませんよね。

WWD:独自の商品開発するにあたり、パートナーに求める条件は?

ヴィンセント:最終的な製品が、土壌の状態をより良くすること、海も同様で同じでより健康な状態にすることーーその手助けに興味を持ってエキサイトしてくれるかどうかでしょうか。

WWD:新製品はどのように選定していますか?

ヴィンセント:自然な流れとして、ビールが成功したから次は酒やワインに、ムール貝が成功したから鯖缶という流れでした。私たちは自分たちに環境を改善できるか、という問題を課しています。時々農学者や科学者と意見交換をし、穀物にはとてつもない可能性があるという話をしています。また、ワシントン州西部に有名な研究所からアプローチされたり、フードビジネスを行っている人から提案されたりもします。環境が改善されるかどうかに加えて、栄養はあるか、上質な製品か、そして大切なのは美味しいかどうか、です。美味しければ、それだけで食べてもらえますからね。自然食品は可能性に満ちていますが、私たちはその可能性の一部しか見ていませんし、まだ革新の初期段階と言えるでしょう。

WWD:環境改善のほかに地方・地域を盛り上げていくことも戦略にありますか?

ヴィンセント:私たちは、ローデールプレス(The Rodale Institute)とブロナー博士(Dr. Bronner)とともに、環境再生型農業の認可基準を作りました。土を健全な状態に戻せるかどうかに加え、同じくらい鍵となる要素が2つあります。1つ目は動物福祉です。多くの農場はバイソン(バッファロー)や牛などを放牧することによって土壌の改善を行っていて、バイソンや牛は最後にはジャーキーになります。命をいただくことに敬意を持ち、最後まで優しい気持ちを持って動物と接することも認可基準に含まれています。もう一つは人間のコミュニティーです。労働者がきちんとサポートされているか、良い賃金が払われているか、きちんと待遇されているか、農業コミュニティーの状態はどうか、などです。人の状態が良くないと、農業への良い状態を保証できないと考えるからです。

WWD:「五人娘」では千葉の酒造、寺田本家と組みましたね。

ヴィンセント:千葉はとても複雑な場所ですね。都心から離れて農業を営む人がいると同時に都会でもあります。農業を営んでいる人やそのコミュニティーの状態がどうなっているのかに目を向けました。

 環境再生型農業は小規模農家ととても相性がいいんです。小さい農家は、どんな害虫がいるのか、土の状態はどうかなど細部のあらゆる状態までしっかりと目が行き届くから。日本の農業やアメリカ北東部で行われている農業と相性がいいですね。

WWD:今後、どういう形でビジネスを拡大していきますか?プロビジョンズビジネスがアパレルビジネスを上回ることは本当にあるのでしょうか。

ヴィンセント:そうですね。イヴォンも断言しています。すごく時間はかかるでしょうけどね。プロビジョンズビジネスはアパレルビジネスと比べると非常に小さく、長い時間と注意力を必要とします。どう商品を作り、どう良い品質にするか、その解決策を見つけなければいけません。でも、素晴らしい可能性があると確信しています。

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広告会社からデザイナーへ 乃木坂46の衣装デザインも担当した「ミカゲシン」のファッション哲学

 「ミカゲシン(MIKAGE SHIN)」は、“性別、年齢、ボーダーを越えて個人の知性と強さを引き出す”を掲げるファッションブランドだ。テーラリングを軸に、哲学者のノートや中世ヨーロッパの医学書といったユニークなグラフィックとカッティングのレイヤードスタイルを得意とする。現在の卸先は15アカウント。自社ECやポップアップでもファンを集め、3月には乃木坂46の楽曲「Actually…」のミュージックビデオで着用する衣装デザインを担当するなど、コレクション以外でも活動の幅を広げている。

 ブランドを手掛ける進美影デザイナーは1991年生まれ。大学卒業後、広告会社に入るが、デザイナーを目指して退社し、17年に米ニューヨークのパーソンズ美術大学(Parsons School of Design)に進学した。19年にニューヨークでブランドを設立し、20年から日本に拠点を移してコレクションを発表している。ダイバーシティやサステナビリティなど、時代の潮流に合ったクリエイションでも注目される彼女に、「不安ばかりだった」と語る衣装デザインの裏側から、一般企業からデザイナーへと転身した経緯までを聞いた。

WWD:乃木坂46(以下、乃木坂)の衣装デザインを担当したきっかけは?

進美影デザイナー(以下、進):同グループのファッションをディレクションしている軍地彩弓さんが推薦してくれた。もともと乃木坂の衣装クオリティーに注目していたこともあり、二つ返事で引き受けた。過去にりゅうちぇるさんのワンピースを作ったことはあったが、ここまで大掛かりな衣装デザインは初めて。運営側、生産チームと密にコミュニケーションをとり、コレクション制作と並行して準備を進めた。

WWD:具体的な制作の流れは?

進:まずは楽曲を聴き、洋服の大まかな方向性を考えた。力強くて疾走感があり、新たな一面を垣間見る音楽だったため、可憐で優雅な既存のグループイメージとともに、“強さ”と“覚悟”も感じさせるデザインに決めた。大きく5つのパターンを用意し、それぞれに20ルックほどのイラストを載せて視覚化し、運営側と協議を重ねた。

WWD:これまでの乃木坂の衣装は、ロングスカートなどフェミニンなイメージが強く、クールなクリエイションが得意な進デザイナーの起用は新鮮だった。

進:最初は自分も不安だった。既存のテイストが好きなファンが大多数だから、その期待を裏切ったらどうしよう、楽曲の表現を衣装が邪魔したらどうしようと思っていた。しかし、彼女たちが出演するテレビ番組やインタビュー記事から、アイドル活動に対する覚悟を感じて、「新しい一面を引き出す方向に挑戦しよう」と意思が固まった。その後、背が高い人はパンツでスタイルの良さを際立たせたり、優雅なディテールが似合う人にはキルトを付けたり、首元をスッキリさせた方が表情の生きる人はVネックにしたりと、衣装の詳細が自然と決まっていった。彼女たちの持つ世界観や表現を120%まで拡張するのが私の使命。いつもの服作りとは違う刺激があり、楽しかった。

WWD:衣装作りといったクライアントワークは今後も挑戦したい?

進:通常は一人でクリエイションに勤しむことが多いけど、今回は制作チームとともにみんなで作り上げていった。そのチーム感も楽しかったし、第3者に向けて作ったからこそ、いつもと違うクリエイションも引き出せた。チャンスがあるならどんどんチャレンジしたい。

広告会社を辞めファッションの道へ
きっかけは母親の助言

WWD:大学卒業後、一度は広告会社に入った。その後デザイナーに転向するまでには、どんな経緯があった?

進:小さな頃からファッションが好きだった。服のコーディネートはもちろん、デザインにも興味があった。しかし、中学・高校と進学校に通っていたこともあり、安定した仕事に就きたいという意識が強く、新卒で広告会社に入った。コンサルを軸にさまざまな業界・業種の課題を解決する仕事にやりがいを感じながらも、自分よりも広告に向いている人たちがいっぱいいて、「私以上の適任がいるのに、この案件をやっていていいのか」「人生をかけて、広告業界で何が残せるのか」と疑問を持つようになった。一方で、諦めていたファッションについての熱は冷めなかった。「女性の内面に沿ったデザインが少ない」「社会課題やアートに興味がある人のアイデンティティを反映したクリエイションが見たい」と、自分にしかできない服作りがあるかもと思い始めていた。そんなとき、母親から「今の会社に残って続けるか、キャリアチェンジしてゼロからファッション始めるか。どっちが正解なんて分からないんだから、自分で動いて正しい道にしなさい」と言われた。「ファッションを正解にしたい」と、一念発起してデザイナーになることを決めた。

WWD:退社後、NYの名門パーソンズ美術大学に入学する。同校を選んだ理由は?

進:英語を学びながら、グローバルな環境で切磋琢磨できる学校が第一条件だったから。中でもパーソンズを選んだのは、ダイバーシティファッションを学ぶためだ。同校には“オープンスタイルラボ”というダイバーシティファッションのクラスがあり、障がいを持つ人とチームを組み、対等な立場でファッション性の高いクリエイションを実践していた。それに加えて、ニューヨークは世界で指折りの国際都市で、さまざまな人種が当たり前に存在している。ジェンダー云々という話ではなく、個人個人がその人生を生きる、というムードが強く、その環境で学びたいと思った。

アメリカで感じた“心地いい不干渉”
服以外でも発信する意義

WWD:アメリカと日本で、人々のファッションへの向き合い方に違いはある?

進:日本はファッションと内面を同一視する傾向があるが、アメリカでは服は服、内面は内面と区別する考えが強い。だから「あそこはイケてる」「あそこはダサい」といったファッションによるヒエラルキーもないし、同じコミュニティーにさまざまな服装の人がいる。他人の服装にとやかく言うのはナンセンスだ、という共通認識があり、いい意味で不干渉だった。そのあり方が心地よかった。

WWD:17〜20年のアメリカでは、#MeToo運動やBLM(ブラック・ライブズ・マター)といった人権のムーブメントも起こった。

進:ちょうどアメリカにいたタイミングで、さまざまな人権問題が表面化し、大きなムーブメントが生まれていた。運動自体も大きな出来事だったが、それらに対するメゾンブランドの動きにも衝撃を受けた。多くのブランドが一斉にステートメントを出し、クリエイティブ・ディレクターも個人で意見を表明する姿を見て、人権意識の違いを痛感した。“Fashion Is Not an Island”という言葉があるように、ファッションは陸の孤島じゃなく、社会に生きるもの。だから、デザイナーは服を作るだけでなく、意見を発信することも大事だと思う。SNSで発信し続けているのもこれが理由だ。

WWD:20年にアメリカから東京に拠点を移したのはコロナの影響?

進:そうだ。コロナによってNYの工場が終業してしまったり、稼働しなくなったりして、現地でのブランド継続が難しくなったため、日本に拠点を移した。しかし、ベースメントが変わっただけで、ブランドテーマは変えていない。日本にはユニークな生地や加工工場がたくさんある。一度海外に行ったからこそ、その価値が分かった。その価値はブランドとして生かさなきゃいけないし、残さなきゃいけないと思っている。

WWD:ここ数シーズンは東京を舞台にコレクションを発表し、国内での知名度がぐっと高まった印象だ。

進:演出家や音楽チームとコンセプト設計からディスカッションし、クオリティーの高いショーを実現することができた結果、国内のバイヤーやメディアからの注目度が高まった。これはブランド成長にとって欠かせない大きなステップだと思う。一方で、世界から見つけてもらうのは難しく、現在のアカウントは全て国内だ。デザイナーズブランドをやる以上、やはり海外で勝負したい。6月にはパリ・メンズに合わせて現地での展示会を控えており、世界市場の開拓を本格化させていく。

WWD:リサイクルウールなどを採用したコートなどを提案しており、“サステナブルなデザイナーズ”と紹介されることもある。

進:環境問題は、アクションを起こさないと何も始まらない。異常気象をはじめ、地球が明らかに変化していることみんな気づいているはずだから、無関係では済まされない。今できることを継続していくことが大事だ。ただ、ファッションが好きな人こそ、上質な素材にこだわりがあり、洗練された自分を見せたいと思っている。だから、どれだけ環境に配慮しても、服のクオリティーが低いと手に取ってもらえない。技術と一緒に進化することが必要だ。

WWD:ブランドを初めて3年が経った。服作りで変わらない姿勢は?

進:自信を持って提案できるプロダクトを作ること。「売れるから」「安いから」という理由では絶対に作らない。それと、“人生を変える瞬間に携わりたい”という思いも変わらない。ファッションには、人を変える力がある。それを信じて、自分にしかできないクリエイションを追い求めていく。

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「シュプリーム」「ナイキ」の広告を手掛ける写真家 ピーター・サザーランドが語るアートを通じたコミュニケーション

 ピーター・サザーランド(Peter Sutherland)は、アーティストや写真家、映像作家などさまざまな顔を持つ。ミシガンに生まれ、1998年にニューヨークに移ってまもなくして弟にもらったカメラで面白いと思ったものを何気なく撮影し、最初のZINE「Unscathed」を自ら6部制作した。その後同作が「ヴァイス マガジン(VICE MAGAZINE)」やアートギャラリーの目に留まり、計らずも写真家としてのキャリアをスタートさせた。やがてニューヨークのバイクメッセンジャーたちを撮ったドキュメンタリー映像「Pedal(2001)」がサンダンス映画祭に出品され、映像作家としても注目を集めた。以来、ファッション誌のエディトリアルや「シュプリーム(SUPREME)」「ナイキ(NIKE)」などのブランドの広告を撮影する傍ら、精力的に作品集の刊行や展示を行っている。日本でも原宿にあるコンセプトショップ、ドミサイル東京(DOMICILE TOKYO)での個展“ESCAPISM”や今年の2月に新宿伊勢丹で行われた“STUDIO VISIT”なども記憶に新しい。

 そんな彼が、2015年にアーティストでパートナーのマイア・ルース・リー(Maia Ruth Lee)と始めたブランドが「シー・エヌ・ワイ(CNY)」だ。小さな頃から好きだったという、1990年代のスケートボードやBMXにまつわる雑誌やバンドTにインスピレーションを受けたグラフィックをあしらったTシャツやフーディーは、ニューヨークのストリートシーンを中心に人気を博し、今年の2月には日本国内初のECサイトもオープンした。パンデミックを機に、20年以上過ごしたニューヨークから故郷のコロラドに拠点を移したサザーランドに、創作活動やブランドの現在地を聞いた。

――まずはキャリアについて教えてください。アートに目覚めたきっかけは?

サザーランド:5、6歳の頃、母親のスーパーの買い出しについて行って、BMXやスケートボード関連の雑誌「BMX plus」の写真やロゴが混在した誌面を見るのがとても好きだったんだ。当時は小さな街で育ったから、アートのことなんて何も分かってなかった。でも歳を重ねるにつれてアートを作るということや、色んなアートが存在することを理解していった。今では、小さい頃に見ていた雑誌のようなコラージュを作っているなんて面白いよね。

――写真に興味を持ったのはなぜ?

サザーランド:特にやりたいことや目標もないまま22歳のころにニューヨークに引っ越したんだけど、弟に誕生日プレゼントとしてカメラをもらったんだ。まずは撮り方を学ぼうと、自分が面白おかしいと思うものや周りの人たちを撮り始めてみた。しばらくして、すぐにそれらの写真をまとめた「Unscathed」というZINEを6部だけ作った。どうやって作ったのか、なぜ作ったのかも覚えてないんだけど、それを友達にあげたり、「バイス・マガジン」に送ったりしたら、思いがけないほどいい反応が返ってきたんだよね。バイスの広告に使ってもらったり、アートギャラリーに展示されたりしたから、とりあえず続けてみるかという感じで今に至るのさ。

地元コロラドに拠点を移して変わった価値観

――昨年、20年分の友人のポートレートをまとめた写真集「STREET LORDS」を発売しましたね。写真集を手掛ける中で感じたことはありましたか?

サザーランド:シンプルに、ラッキーな人間だと思ったよ。撮っておけばよかった人も数え切れないほどいるし、周りの友達を撮るのはあいさつのようになっていたし、まさかこんな形で写真集として出版できるなんて想像もしてなかったから。コロナがあり、20年以上過ごしたニューヨークを離れるタイミングで、これまでの思い出が詰まった一つの区切りのような一冊になった。この本を作って学んだことの一つが、時に最もシンプルなものがベストなものになるということ。シンプルな写真とレイアウトだけど、1、2枚しかシャッターを切らないからこそ写るエネルギーや瞬間があって、そこには確かに感じるものがあるんだ。本音を言うとページが全然足りなくて、1000ページくらいの本にしたかったけどね(笑)。

――2015年に始めたブランド「シー・エヌ・ワイ」の名前は「チャイニーズ・ニュー・イヤー(中国における旧暦の正月)」から取ったと聞きました。きっかけやコンセプト教えてください。

サザーランド:「シー・エヌ・ワイ」を一緒に立ち上げた妻のマイアは韓国人で、旧正月を祝うんだけど、言葉の響きや、その時期のチャイナタウンの雰囲気が好きで。だから、そのままブランド名にしたんだ。Tシャツやレコードスリーブなどのアートワークを手掛けるのはもともと興味があったんだよね。当時周りの友人たちがTシャツをオンラインで販売し始めたのもあって、とりあえずやってみようかなと思ったんだ。それが割と好評で、タイミングがよかったのかもね。自分が年を重ねても、「シー・エヌ・ワイ」を通して若者たちとコミュニケーションがとれるのはうれしいことだね。

――2020年に地元のコロラドに拠点を移して活動しています。「シー・エヌ・ワイ」のモノ作りにおいて、考え方や価値観に変化はありましたか?

サザーランド:今はニューヨークにいたときより時間があるから、よりアーティストらしい生活ができているように感じるよ。自然の中で過ごす時間が増えたから、アウトドアとシティのライフスタイルが共存しているようなものに関心があるんだ。例えば、ニューヨークのグラフィティ・アーティストがアウトドアブランドの「アークテリクス(ARC'TERYX)」を着ているような感覚かな。僕自身の「シー・エヌ・ワイ」の捉え方は間違いなく変わったよ。

――今年の2月に日本のECサイトを開設したこともその変化が関係しているのでしょうか?

サザーランド:ECの開設は、少し時間を置いていたんだ。拠点を移したことで、生産や発送などのプロダクションの体制が整っていなかったというのもあったから。でも「シー・エヌ・ワイ」を取り扱ってるコンセプトショップのドミサイル東京から日本で生産を引き受けられるというオファーをもらって、新たな試みだけどやってみようと思ったんだ。

作品の向こう側にいる人とのコミュニケーション

――写真やドローイング、アパレルなどさまざま表現方法を用いてますが、それらを通して伝えたいメッセージは?

サザーランド:作品や洋服に対して、みんながどんな反応をするのかはすごく興味があるよね。僕のジョークに少しでもクスッとしてくれる人がいたら、こんなうれしいことはないから。今45歳だけど、若い世代の心に届く何かを作ることは僕にとってとても興味深いこと。20歳の子が面白いと思うものが作れたら最高だよね。そのつながりはコミュニケーションだと思うんだ。オーディエンスを意識しないアーティストもいる中で、僕はいつも作品や洋服の先にいる人たちのことを考えている。

――コロナ禍や戦争など揺れ動く情勢の中でアートができる力について、どのように考えていますか?

サザーランド:コロナや戦争、環境問題も含めて、アートができる力についての答えはまだ見つけられていない。世界的に著名なアーティストが何かを作ればすぐにお金が集まるだろうし、寄付のための資金調達という手段にはなるんじゃないかな。

――最後に、今後のプロジェクトについて教えてください。

サザーランド:現在「Group Show」というタイトルで、写真家のダニエル・アーノルド(Daniel Arnold)や、ペインターでエル・エス・ディー・ワールド・ピース(LSD World Peace)ことジョー・ロバーツ(Joe Roberts)ら6人のアーティストのインタビューを集めたショートムービーを制作中なんだ。この秋には公開できると思うから、楽しみにしててよ。

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AMIAYAと考えるサステナビリティvol.3 「リン」川島デザイナー「デザイナーである限り、自分の思いを発信しなければ意味がない」

 双子モデルのAMIAYAは、原宿のストリートで誕生し、今や東京のファッションシーンと世界をつなぐ架け橋のような存在だ。2011年には、マークスタイラーから自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるアパレルブランド「ジュエティ(JOUETIE)」を立ち上げ、10〜20代の層を中心に支持を集める。「ファッションを謳歌し、自由に表現する楽しさを届ける」ことをモットーに、ポジティブなパワーを発信してきた2人は、環境問題や人権問題など業界の負の側面への関心が高まる今、「私たちが発信すべき責任あるメッセージとは何か」を自問する。本連載では、AMIAYAがさまざまな角度からサステナビリティを学ぶ姿を追う。連載3回目は、「持続可能なファッション」を模索するD2Cブランド「リン(WRINN)」の川島幸美デザイナーに話を聞いた。

AMI:川島さんは過去に「アウラアイラ(AULA AILA)」や「アウラ(AULA)」といったブランドを手掛けていらっしゃいました。それらを辞めて、あらためて「リン」を立ち上げた背景を教えてください。

川島幸美「リン」デザイナー(以下、川島):以前のブランドでは、半年ごとにコレクションを発表し、商品が店頭に並んだ3カ月後にはセールに出して、また次の商品を作るというサイクルを当たり前にこなしていました。でも正直すごく忙しかったし、大変でした。このままこのサイクルを回し続けるべきなのか疑問に感じていたころ、パリで出会った有識者から温暖化で地球に住めなくなる未来が迫っていることを聞きました。もともとオーガニックコスメやフードが好きで、環境問題には関心がありましたが、このころから自分がすごいスピードで生産しているものと環境汚染のつながりに向き合うようになりました。本当は既存のブランドを変えたかったけど、コンセプトが確立したブランドでは難しかったので、ゼロからもう一度自分が本当に伝えたいことを表現できる場所を作ろうと決めました。

AYA:ファッションのサイクルに疑問を持っていたからこそ、「リン」ではセールをしない売り方を実践しているんですね。

川島:はい。受注生産を取り入れ、在庫は付き合いのある工場と小ロットで生産しています。これまで大手企業で育ってきたので、セールを前提とした価格のつけ方を当たり前だと思っていました。でも、一度立ち止まって考えると、きちんと商品に合う価格でセールをせずに売り切ればその分の利益も還元できるし、もっと安く消費者にも提供できる。それに売れ残りの廃棄も出ない。まずはここから変えようと思ったんです。

AMI:考え方を見直したことで、デザインの仕方も変わりましたか?

川島:時代の流れや今のテンションを洋服に落とし込んでいることや、気持ちのこもった商品を届けたい思いは変わりません。ただ、長く着てもらうことが前提となり、シーズンごとの打ち出しはあまり意識しなくなりました。素材に関しては、リサイクル素材や認証の取れたオーガニックコットンなど背景により意識を向けるようになりました。

AYA:商品の価格帯も買いやすくて驚きました。ターゲット層を意識しているのでしょうか?

川島:ターゲット層は定めていません。エイジレスで幅広い人たちに着てもらいたい。でも、オンラインで買いやすい価格は意識しています。原価率は高いけど、なるべく少人数のチームでランニングコストを抑えるように努力しています。

ブランド名はモノづくりをする上で大切にしたいことの頭文字

AMI:私たちはまさに移り変わりの激しい業界の中にいて、どんな発信をするべきなのか日々考えています。「リン」の軸は何ですか?

川島:ブランド名の「WRINN」はモノづくりをする上で大切にしたいことの頭文字を取りました。「Wastes(ごみを出さない)」「Recycle(資源を無駄にしない)」「Improve(生産者の生活環境を改善する)」「Nature(土壌を守る)」「No more animals(動物の毛皮を使用しない)」です。これらを軸に、オーガニックコットンやリサイクル素材、植物由来の繊維などを主に使用しています。私が生地を探し始めたころは、まだまだ選択肢が少なかったですが、最近はリサイクル素材のバリエーションも増えましたし、環境負荷の低いプリント技術も出てきたので、これからさらに表現の幅を増やしていきたいです。

AYA:一方で、サステナブルなファッションを打ち出すことに躊躇はありませんでしたか?

川島:確かに最初は勇気がいりました。でも、ファッションデザイナーである限り、自分の思いを発信しなければ意味がない。「リン」を立ち上げた時、本当に伝えたいことは何かをすごく考えました。先日はマギーとコラボしてゴルフウエアを発売しましたが、彼女もブランドの考え方に共感して「『リン』とであれば一緒にモノづくりをしたい」と思ってくれました。そんな仲間が少しずつ増えているのを感じます。

AMI:私たちも洋服を通して誰かの背中を押したいと強く思っています。川島さんはそれをちゃんと形にしてエイジレスに届けている姿勢に、勇気をもらいました。私たちも日々葛藤を抱えていますが、できるところから変化を生み出したいと思いました。

川島:2人がこの連載を始めたように、何かしたい、変えたいと思うことが第一歩。サステナビリティは正解がなく、先が見えないので私もたくさん苦しみました。でも、いろんな人との会話にヒントがありました。こうして同じ意識を持つ人が増えてとてもうれしいです。これからも一緒に発信できたらいいですね。

AYA:私たちも川島さんの背中を追いかけていきます!

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「ドクターマーチン」とアーティスト山瀬まゆみがタッグ 限定店を彩るカラフルなパンクができるまで

 「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」は、2022年春夏の新作のサンダルをそろえたポップアップストアを伊勢丹新宿店 本館2階婦人靴プロモーションスペースで5月24日まで開催中だ。店内にはシルバーのスタッズを施した“クラリッサ II クアッド ハードウェア(CLARISSA Ⅱ QUAD HDW)”(税込2万4200円)や、ピンクやイエローのパステルカラーが特徴の“ヴォス モノ(VOSS MONO)”(同1万9800円)をはじめ、ストラップを飾った定番の“グリフォン(GRYPHON)”(同1万9800円)など、バリエーション豊富に用意する。

 ポップアップの空間を手掛けたのは、アーティストの山瀬まゆみだ。彼女が得意とする抽象的なモチーフと、カラフルな色がフロアを彩る。山瀬は高校卒業後、ロンドン芸術大学でファインアートを学んだ後、 “肉体のリアリティと目に見えないファンタジーや想像の相対”をコンセプトにペインティングとソフトスカルプチャーを制作している。2018年には「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」と、2021年にはスポーツブランドとのコラボレーションを発表した。現在は東京を拠点にし、アーティストとしてだけでなく、ライター・編集者としても活動している。クリエイティビティの最前線を行く彼女に、「ドクターマーチン」とのコラボレーションや自身のキャリアについて語ってもらった。

WWD:「ドクターマーチン」とのコラボレーションに至った経緯は?

山瀬まゆみ(以下、山瀬):ペインターの友人が開いていた展示会を見に行く機会があり、そこで「ドクターマーチン」の方を紹介してくれました。私のことを知ってくれていて、そこから今回のポップアップの空間を作ってほしいと声を掛けてもらいました。

WWD:ポップアップ空間のテーマは?

山瀬:“サンダル”と“夏”をテーマに、サマーシーズンを連想させるオレンジや黄色、緑などの色を使ってカラフルに仕上げました。「ドクターマーチン」といえばパンクスピリット溢れる強いイメージです。そのブランドらしさを表現したかったので、私が得意とする抽象的なモチーフや落ち着いたトーンを用いながら、シグネチャーであるステッチを自分なりの解釈でポップに描いてみました。

アクリル絵具で描くカラフルな抽象画

WWD:抽象的なモチーフの作品を描き始めたのはいつから?

山瀬:通っていた高校で美術と音楽の授業どちらかを選ぶ方針があり、音楽が苦手だったので美術を選択しました。授業で「好きな絵を描いていい」とキャンバス一枚を渡されて、何気なく描き始めたのがきっかけでしたね。美術の先生に見せたら「いいじゃない!」と褒めてもらえたこともあり、そこから今の作風を築き上げていきました。

WWD:有機的な曲線と穏やかな色味は高校時代から?

山瀬:高校時代に描いていたものはもっとダークトーンでおどろおどろしく、絵的にも生々しいニュアンスでした。青春時代はすごく多感な時期だから、悩みもたくさんあるじゃないですか。今思えば、その時の心情が作品にすごく表れていますね。年齢を重ねることで心が穏やかになり、今のような柔らかいトーンになったのかもしれません。

WWD:ワークショップやこの空間を通して伝えたいことは?

山瀬:ギャラリーのようにキャンバスを飾っているわけではないので、作品一つ一つを説明するのは難しいですね。でも、目の前を通ったときに「かわいい!」と気になってもらえるだけでうれしいです。期間中にワークショップも行いましたが、お客さまとのコミュニュケーションを通して山瀬まゆみというアーティストを知ってもらうきっかけになれたらいいですね。

アートが生み出す大きなエネルギー

WWD:アーティストを目指したきっかけは?

山瀬:日本の美術大学へ進学するには、専門の予備校に通わないといけないんです。でも、いざ受験勉強をしようと思っても、予備校に入っていないし、何も準備していなかった。そんなとき、高校の美術の先生が、ロンドンの大学を勧めてくれて、ロンドン芸術大学に進学しました。当時は、母親がファッションデザイナーということもあり、興味があったファッションを学ぼうと考えていました。ただ、ポートフォリオを作る入試課題でドローイングなどの課題制作に新鮮さを感じ、ファインアートに出合いました。自分の中で一番自由な表現ができるのがファインアートだったので、専攻を変えて改めて勉強することにしました。

WWD:激動の時代の中で、アートが持つ力とは?

山瀬:アートは直接的ではないからこそ、与えられるものがすごく大きい。アートの良さに気がつくと、私たちの生活に欠かせない水よりも人を満たせる力があると思っています。特にコロナ禍においては、私も周りもすごくヒリヒリとした時間を過ごす中で、不安を和らげてくれたのがアートでした。私は描くことで心が穏やかになったので、すごく助けられましたね。私が手掛けた作品や空間を見ることで、ポジティブな気持ちになる手助けができればうれしいです。

WWD:今後のプロジェクトについて教えてください。

山瀬:5月28、29日に開催される音楽フェス「グリーンルーム フェスティバル(GREENROOM FESTIVAL)」のアートスペースで展示を行います。20人ぐらいのアーティストたちと一緒に参加するので、ぜひ足を運んでもらえたらうれしいです。

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ユニクロ×「マルニ」の仕掛け人、勝田執行役員に聞く ユニクロが考えるコラボの成否とは?

 ユニクロは5月20日、イタリアのファッションブランド「マルニ(MARNI)」とのコラボレーションコレクション「ユニクロ アンド マルニ(UNIQLO AND MARNI)」を発売する。過去1年だけを見ても、ユニクロはジル・サンダー(Jil Sander)氏との「+J」や「マメ クロゴウチ(MAME KUROGOUCHI)」手掛ける黒河内真衣子など、国内外のさまざまなデザイナーとのコラボで話題を呼んでいるが、そうしたコラボプロジェクトを率いているのが、ユニクロのR&D統括責任者である勝田幸宏ファーストリテイリンググループ執行役員だ。勝田執行役員に、「マルニ」とのやり取りやコラボについての考え方を聞いた。

WWD:「マルニ」とのコラボプロジェクトは、いつからどのように始まったのか。

勝田幸宏ファーストリテイリンググループ執行役員ユニクロR&D統括責任者(以下、勝田):ちょうど1年前だ。2022年春夏商品について考える中で、その頃にはコロナによる自粛も終わり始めて、世の中に「解放されたい」というムードが広がるだろうと予想していた。そういった空気を洋服に置き換えると、鮮やかな色や柄のアイテムを元気よく着たいとみんな感じるようになるんじゃないかと考えた。社内で使っている22年春夏のキーワードの1つが“リバレーション(解放)”だが、解放をユニクロとしてどう表現するか。ユニクロの通常ラインでも色や柄の打ち出しは頑張って行っていくが、それを盛り上げる22年春夏の大トリのようなプロジェクトがあるといいなと思った。それで「マルニ(MARNI)」が思い浮かんだ。以前から注目していたブランドの1つだが、フランチェスコ・リッソ(Francesco Risso)がディレクターを務めるようになってから、若い人から大人の客まで、より幅広い層に受け入れられているという印象がある。

WWD:色柄を得意とするブランドとして、「マルニ」に注目したということか。

勝田:色や柄の表現はとても難しい。特に柄表現についてはその難しさ常々実感している。柄はアートそのもの。ユニクロ社内のグラフィックデザイナーももちろん日々努力しているが、柄というアートの領域に踏み込む以上は、そこに長けた、その領域で生きているブランドやデザイナーと組むべき。それで「マルニ」が真っ先に思い浮かんだし、「マルニ」以外にはアプローチしていない。実際に取り組んでみて、色柄の使い方は真似できないし、真似をしようとしても無理だなと改めて強く感じた。柄も配色のセンスも、見様見真似でできるようなものではない。今回のプリント柄は全て手描きでコラボのために製作してもらっている。ユニクロとして、これまでも柄の使用で他社と協業することはあったが、「マルニ」は柄や色という二次元だけでなく、シルエットやシェイプといった三次元にも定評があるブランドだ。シルエットやディテールを含め、洋服全体としての完成度をお互い突き詰めることができた点で、非常に意義があるコラボだと思っている。

WWD:「マルニ」からはどのような意見や要望があったか。

勝田:ユニクロは19年9月にミラノに出店しているが、フランチェスコや「マルニ」のメンバーと最初に顔を合わせた際に、「ミラノの店を見に行っているし、実際に買っているよ」と教えてくれた。ユニクロの商品のことや使用素材についても非常によく知っていて、「コラボをするならこの素材を使いたい」というものが彼らの中に最初から明確にあった。その1つがコートに使った“ブロックテック”素材だ。ブロックテックという名前までは知らなかったが、「あれを絶対に使いたい」という指名が入った。ブロックテックは3層構造で防風などの機能性を持たせた素材だが、「適度なハリやコシがあるので目指すシェイプを作り出せる点がいい」として、実用性とファッション性を兼ね備えた素材だと気に入ってくれた。ただ、欧州だとこの素材は年間を通して売れるが、日本の梅雨は蒸し暑いので、この時期は通常あまり使わない。「ブロックテックを使いたい」と言われて最初は困ったなと思ったが、今年は日本もまだまだ気温の低い日があるので、ちょうどよかった。これまでブロックテックのコートはいくつも作ってきたが、今回の商品はその中でも最高傑作だと僕は思っている。

 “感動ジャケット”や“感動パンツ”の素材にも興味を持ってくれた。感動シリーズはお客さまからの要望を受けて、ユニクロとして今年からウィメンズも作っている。その追い風となるように、「セオリー(THEORY)」とのグループ内コラボでも感動シリーズを企画して非常に好調だが、社内で作るとどうしてもスリムなシルエットできれいめな印象になる。「マルニ」と組むことで、感動シリーズをベースにしながら、独特の「マルニ」らしいリラックスしたシルエットで作ることができた。今回のコラボでは、このように既存の素材を使うことで、価格も通常商品からそのままスライドできている。その点も、「試しに1着買ってちょっと挑戦してみる」ということにつながると思う。

単に実用的なものを作ればいいというわけでは決してない

WWD:ユニクロとしてはかなり大胆な柄表現を取り入れている。大胆さと、あらゆる人が着られるデザインとのバランスについては、どのように考えているのか。

勝田:確かにユニクロとしては初めてと言ってもいいくら振り切った柄ではある。洋服は着やすいものを着回すという考え方もあるが、最初に話した22年春夏の解放というキーワードのように、今年の夏は少し大胆な色や柄を取り入れることで、これまでとはちょっと違う、新しい自分に出会うというエモーショナルな(感性的な)要素が、われわれのコンセプトである“LifeWear”の中にあってもいいんじゃないかと考えた。もちろん、全てが着られない服では困る。僕自身も全てをルック写真のスタイリング通りに着ることはできないが、ユニクロのベーシックな商品とこれらを組み合わせることで着こなすことができる。「マルニ」が好きな方はルックの通りに着こなすだろうが、一般のお客さまも、ユニクロの既存商品に今回のコラボ商品を1、2点取り入れることで、きっと新しい自分を発見できる。これまでとは違う自分に出会う楽しさは、洋服が持っている可能性や魅力の1つ。コラボ商品を1着買うことで、そうした楽しさにつながれば嬉しい。

WWD:ユニクロは非常に論理的に商品を作っている印象がある。エモーションの話がこんなに強く出てくることは正直意外だ。

勝田:実際のところ、論理とエモーションのバランスをどう取るかはとても難しいが、エモーションの要素はもちろんユニクロの中にある。服は結局のところ、値段やブランドよりもその人が毎日着たくなるか、実際着るかに尽きると思う。1000円のユニクロのTシャツでも、ラグジュアリーブランドの20万円のシャツでも、着なければいいか悪いか、便利かそうではないか、心地いいかどうかは分からない。20万円で買ってタンスにしまい込んでいたら、本質的にその服はよかったと言えるだろうか。1000円のTシャツでも、毎日それを着て生活の中に溶け込んでいれば、その人のパートオブボディー、つまり自分の服になる。それは、その人にとって実用的でありエモーショナルでもある服だったということ。エモーションの取り入れ方は永遠の課題であり、これが完成形だというものはない。ユニクロとして、ワクワクするようなエモーションを抜きにして単に実用的なものを作ればいいとは決して思っていないし、常にそうしているつもりだ。どう受け取るかはお客さまに委ねている。LifeWearが目指すのはアート&サイエンス。感性や美というエモーションと、論理性のバランスがLifeWearの真髄なのかなと思う。こういう議論は社内でもよくしている。

WWD:近年は「+J」や「マメ クロゴウチ」「ホワイトマウンテニアリング(WHITE MOUNTAINEERING)」など、コラボが続いている。コロナ禍以降、特に直近は売り上げが厳しい時期も続いていたが、意図的にコラボを増やしているのか。

勝田:たまたま去年はコラボが多かっただけで、戦略的に増やしたわけではない。よく聞かれることだが、毎シーズン、コラボをいくつやるといった取り決めは全くない。信じられないかもしれないが、コラボは意外と無計画なものだ。僕としては無理をしてコラボをすることはない。毎年3件コラボをするなどと決めると、自分に嘘をつくことになるからブレてくる。(今シーズンはコラボはないのかと)期待はされるが、ない時はない。われわれの考え方に賛同してくれる理想のデザイナーがいる時はするし、いない時はしない。コラボは社内のシーズンディレクションやコンセプトありき。社内のディレクションの延長上に、その分野でずっとやってきている、世界ナンバーワンのデザイナーやブランドがないかを考える。それで、一緒に取り組めばきっとすばらしい商品ができると思ったらオファーをする。

コラボは毎シーズンいくつと決めているわけではない

WWD:今はどんなブランドもコラボをするのが当たり前になっている。

勝田:だからこそ、それらと同じだとは思われたくない。われわれは(社内ディレクションの延長上でデザイナーにオファーをするというように)少なくとも自分たちにストーリーがあってコラボをしている。有名なデザイナーだから、売れているブランドだからと何でもかんでもコラボをするわけではない。ユニクロとして外部デザイナーとのコラボを始めたのは15〜16年前だが、当時からその考えは変わっていない。コラボの目的は、自分たちの商品をレベルアップすることであって、集客のためのマーケティングではない。もちろん、コラボは売り上げにつながったり、お客さまへ新しい商品提案になったりはするが、われわれ自身がプロジェクトを通して成長していくことが、コラボの本質だ。

WWD:ユニクロにとって、コラボの成否を判断する基準や、コラボによって得られるものは何か。

勝田:自画自賛ではないが、売り上げとして目も当てられないというようなコラボはこれまでなかった。過去のどのコラボも、それぞれのデザイナーの服作りへのアプローチとして非常に学ぶことがあった。ユニクロの服はベーシック、シンプルといった言葉で片付けられがちだが、そんなに簡単なものではない。デザインはとても奥が深くて、シンプルでベーシック“っぽい”もので品質もよければそれがいいというわけではない。白いTシャツなら何でもベーシックというわけではなく、やはりそこに革新的なディテール、デザイン、素材など、何かしら進化があり続けないと、作っている僕たちもお客さまもつまらない。コラボを通して、外部デザイナーの追求の姿勢に触れる度に、改めてデザインの奥深さや難しさを感じるし、それが僕たちのモチベーションにもなる。会社の成長のために日々勉強しないといけないという面ももちろんあるが、モノ作りに携わる人間として、そのように突き詰めていく領域が無限にあるということは楽しくもある。ユニクロはお客さまの声や要望も日々収集し、それを商品作りに反映しているが、いただいた声の通りに作るのであれば、われわれでなくても作ることができる。声を聞いた上で、それを2倍、3倍にしてプロダクトとしてお返しするのがデザインの力。ユニクロが企業・ブランドとしてグローバルでもっと差別化していくためには、デザイン力がさらに重要になる。

WWD:「マルニ」コラボは継続の予定はあるのか。フルラインアップ展開店舗は国内で123店と他のコラボと比べても多く、その点からも力が入っていると感じる。

勝田:春夏シーズンに関してはお互いに(アイデアややるべきことを)出し尽くした感覚はある。今回のコラボは、特別にファッションを知っていたり、好きだったりする方だけでなく、世界中のどこの人でも、どんな方にも、試しに1枚買ってみることで、日常の中でアートを楽しむように既存のワードローブに華を添えていただきたいという意図がある。それで、今回はチャレンジとして小規模な店にもサイズを絞って全型投入するようにしている。在庫量には細心の注意を払っている。「+J」の復活後最初のシーズン(20年秋冬)のように、買いたくても買えないというお客さまが出てしまってもダメだし、余らせてしまってせっかく買った商品がもう値引きされているというのでもいけない。これについても永遠の課題だ。

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「ザラ」がLA発「ルード」デザイナーとコラボ “アイビーリーグ”を再解釈した理由を聞く

 「ザラ(ZARA)」は、米ロサンゼルス拠点のブランド「ルード(RHUDE)」のルイージ・ビラセノール(Rhuigi Villasenor)=デザイナーとのコラボコレクション“RHU”を5月16日に発売した。国内の全店舗と公式オンラインショップで扱う。コレクション名は“Redesigning Human Uniform(ユニホームの再構築)”の頭文字で、“次世代に向けた新たなスポーツウエア”をコンセプトに、ワイドシルエットのデニムパンツやモトクロスに着想したシャツ、“RHU”のロゴをあしらったバーシティージャケットなど、ウエア57型、シューズ6型、バッグ6型を用意する。価格帯は税込1190円〜2万3990円。

 ビラセノールはフィリピン・マニラ出身。香港やサウジアラビア、タイでの生活を経て、9歳でアメリカに移住し、LAでファッションのキャリアをスタートさせた。2013年に「ルード」を設立すると、アメカジやロック、グランジなどのカルチャーに自身のルーツを織り交ぜたストリートウエアを提案。今年2月には「バリー(BALLY)」のクリエイティブ・ディレクターに就任するなど、活動の幅を広げている。
ビラセノールに、コラボコレクションのこだわりを聞いた。

WWD:コラボコレクションのテーマやインスピレーションは?

ビラセノール:“RHU”は、民主的なスポーツウエアを表現したコレクションだ。さまざまな人が取り入れやすく、精神が刺激される新しい発想のスポーツウエアになっている。このプロジェクトの立ち上げにおいて、「ザラ」以外のパートナーは考えられなかった。

WWD:コレクションのこだわりは?

ビラセノール:「ザラ」と僕で、互いにやったことのないデザインを追求した。その結果、“人間のユニホームの再設計”というプロセスにたどり着いた。スポーツやラグジュアリー、ストリートなどの定番のメンズウエアを再構築するクリエイションを目指し、アートやカルチャーの中心でもあった、アメリカ北東部の8つの私立大学の総称“アイビーリーグ”のスタイルを再解釈している。コレクション全てのアイテムがお気に入りだ。

WWD: 今後もコラボは継続する?

ビラセノール:この先も続ける意味があるかどうかはユーザーが決めること。“RHU”は“人間のユニホーム”を再解釈したものだから、より多くの人がこの服を試し、フィードバックすることで、今後の可能性が見えてくる。

WWD:「ザラ」はあなたにとってどんなブランド?

ビラセノール:型破りで、画期的で、偉大なブランドだ。そんな「ザラ」と一緒に仕事をするのなら、「僕も素晴らしいクリエイションを実現しよう」と取り組んだ。英語に、“友達はあなたの映し鏡だ”ということわざがあるように。

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経済産業省係長に聞く 「ファッション未来研究会」報告書の背景

 経済産業省は「これからのファッションを考える研究会 ~ファッション未来研究会~」をテーマに、2021年11〜12月に34人の有識者を集めて議論をし、このほど報告書としてホームページ上に公開した。ファッション産業の現状のデーターやインタビューなどを交え、雑誌のようにデザインされた報告書は100ページに近く、“卒論級”のボリュームと濃度だ。企画を舵取りしたのは経済産業省の若き担当者。「これは未来へ向かうための地図」と話す彼女にその背景を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):行政が開く有識者会議には正直、何か政策を行うための、極端に言うと「予算確保準備」のための会議というイメージもありますが、今回は「結論ありき」の答え合わせではなかった。その分議論が壮大でしたね。

井上彩花経済産業省商務サービスグループクールジャパン政策課ファッション政策室係長(以下、井上):持っていきたかった筋書きがあったわけではもちろん、なく。ファッションの未来って何なのか?を、有識者としっかり議論をする中で導き出すことが非常に重要でした。ファッションを考えることは、人がどういう風に生活するのか、どんな生き方をするのかと全く同じなんだと思います。私は今6年目ですが、こんなプロジェクトは初めてで楽しかったです。

WWD:そもそも経済産業省はなぜこのプロジェクトを立ち上げたのでしょうか。

井上:前提としてファッション政策室ではファッションを衣服ではなく、文化やライフスタイル、時代ごとの人々の価値観や創造性を表す媒体だととらえています。生活文化に関連するモノ全体ですね。そう考えた時、ファッションには経済産業の視点でさまざまな意義があります。

WWD:意義とは?

井上:経済産業省なので外貨・外需をいかに獲得していくか?を常に考えていますが、ファッションはその重要な分野の一つです。例えばテキスタイルをはじめとする、各地に存在する伝統工芸や伝統技術が海外から需要され、金継ぎや襤褸(ぼろ)といった、昔からの生活の工夫が海外から改めて注目されています。少子高齢社会の日本にとって、ファッションは海外需要を獲得していくために高いポテンシャルのある領域だと思います。

 また、感性によるビジネス領域は、クリエイターがグローバル市場に一気にリーチできる可能性があり、グローバルで競争力を持つために長期的視点で重要な分野です。さらに研究会でも取り上げたバイオマテリアルやデジタルファッションなど、従来のファッションビジネスとは異なるスキルが求められていることを踏まえると、今後ファッションが新しい成長産業に変化する可能性も秘めています。

WWD:なるほど。サステナビリティも一つのポイントですね。

井上:サステナブルは不可欠です。ただ今回はその先、サステナブルを達成したその先に日本企業がどのように価値を創造し、外需をとっていくことかを議論する点がポイントでした。今起きている変化を整理した上で、世界に乗り遅れることなくむしろ日本企業がリードする “望ましいファッションの未来”を考えることを目的にしました。

WWD:34人の委員はどのような基準で選びましたか。

井上:未来を議論するために、専門分野、ジャンル、世代、国籍を越えた各領域のトップランナーの方々に集まり、議論をしていただきました。デジタル、バイオ・素材、デザイン、アート、ラグジュアリー、教育、評論、編集、経営、投資、研究など幅広い専門性からそれぞれファッションに向き合っている有識者です。

議論は白熱。得た答えの中から3つのポイント

WWD:会議は全てオンラインで全5回。チャットや共有ファイルを並行して活用し、誰かの発表と同タイミングでオンライン上で意見が飛び交うという、非常に活発な会議でした。どのような結論を得られましたか?

井上:具体的には大きく3つの方向性が議論されました。一つ目は人と自然に調和的で持続可能である状態です。サステナビリティの対応を行うことは一層不可欠なものとなるでしょう。障がいの有無や年齢、身体的差異やジェンダーなどに制限されることなく、自由にファッションを楽しむことが肯定されるようになっています。廃棄物が出ない、循環型システムの構築していくために、バイオマテリアルなどの素材開発も重要なポイントの一つです。

 これからは、消費を刺激して稼ぐのではなく、商品寿命を延ばして消費頻度を抑制してもビジネスが成立し、持続的に成長できるビジネスモデルへの転換が必要だと考えています。一つの方法が、ブロックチェーンなどのテクノロジーの活用です。製造工程から二次流通市場での取り引きも含めたトレーサビリティを担保し、二次流通の収益の一部をクリエイターに還元する新しい取引ルールを社会に提案し、根付かせていくことを考えています。

WWD:デジタルは大きな柱でしたね。議論ではクリエイターの新しい収益源との話題も出ています。

井上:はい。議論の二つ目の方向性がゲームを始めとする、デジタルファッション市場です。コミュニケーションの場が現実世界から仮想空間にも接続・拡張しつつあることで、自分自身のアバターを着飾ったり、表現するためのファッションが拡大したりしています。そこではこれまでのファッション産業とは異なるスキルが求められるため、世界を見ると、既存のファッション企業がデジタル産業との結びつきを進める動きが見られます。日本のゲーム産業は国際的にも存在感があリますから、連携をより深めることも重要です。

 デジタルファッション空間は、ファッションの楽しさをより多くの人が享受することのできる「平等な場」だという声もありました。デジタルツールの発展は単なる効率化だけではなくクリエイターの想像力を解放し、新しい創造が生まれるとしたら、それはとても楽しみな世界です。

 例えば、YouTubeの登場が映像作品の制作を一般の方にも解放したように、ファッションの分野でも、デジタルツールの発展によって、より多くの人が創造活動を行えるようになるのではないでしょうか。今後、クリエイターの新しい収益源として期待できる中、デジタルファッション市場への参入時に留意すべき論点、ファッションローなどをとりまとめるなど、国としても環境整備を行っていきます。

これは未来へ向かうための地図。官民で盛り上げたい

WWD:ラグジュアリーというキーワードもたびたび登場しました。

井上:三つ目のポイントは、突き抜けた個を支援し、経済・地域全体の成長に繋げること。その中で、「新しいラグジュアリーの概念」について議論しました。日本には長い歴史に積み重ねてきた伝統があります。各地域に存在するこうした伝統工芸や伝統技術が生み出すクオリティこそが、国際競争力の源泉であり、他国には真似することのできない独自性でしょう。

 また、日本は、これまで多くのクリエイターやアーティストが海外に挑戦し、海外の市場からも一定の評価を獲得しつつあります。とはいえ、こうしたクリエイターの中には、磐石な経営体制を伴わないままに海外市場にリーチしている、できてしまっているような場合もあり、まだまだ支援が必要だという指摘もあります。突き抜けた「個」を経済社会の発展に戦略的に取り込み、ローカルの持つ素晴らしい資源を世界の市場にリーチさせ、文化を次世代に向けてアップデートしていく仕組みを作っていくということにつなげる好循環を作りたい。

WWD:この取り組みをどう生かしますか?

井上:議論の内容をとりまとめた報告書を経済産業省のホームページ上に公開しました。ファッション業界に携わる方だけでなく業界の方や学生にもご覧いただき、目指す未来に向けて一緒に進んでいきたい。また、すでにいくつかのプロジェクトを進めているところですが、国としても、この未来に向かうための地図をもとに、必要な取り組みを行いたいと思います。報告書を読んだ方が自分の取り組みと結びつけて、さらに意見を寄せてくれると嬉しい。メールアドレスは表紙に書いてありますのでぜひ。官民で連携して、日本のファッションをますます盛り上げていくことができたら嬉しいです。

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マッシュEC担当役員が考える「ユーザー中心主義のアパレルEC」 バーチャサイズの幹部と語る

 アパレルECで切っても切り離せないのが、実際に試着ができないが故の「サイズが合わない」問題だ。それを解決すべく登場したのが、オンライン試着サービス「バーチャサイズ(Virtusize)」だ。同サービスは自分の性別や身長を登録すると、アイテムごとに自分の体形にフィットするサイズをリコメンドするものとして、世界で標準的なオンライン試着サービスとなっている。「バーチャサイズ」はアパレルECの何を変えたのか。「スナイデル」「ジェラート ピケ」などを展開するマッシュホールディングスのEC事業を担当する須藤誠執行役員EC管理本部本部長と、バーチャサイズの森永マーク最高執行責任者(COO)、高橋君成・最高ビジネス責任者(CBO)との対談をお送りする。

WWDJAPAN(以下、WWD):マッシュホールディングスにおけるECの基本的な考え方は?

須藤誠マッシュホールディングス執行役員(以下、須藤):当社は、ブランドを横断した商品を取り扱う「ウサギオンライン」とブランドごとの自社EC、他社と共同運営するモール型の「スタイル ヴォイス(STYLEVOICE.COM)」など、全部で14のECサイトを運営しています。EC運営の基本的な考え方の一つが、グループ企業と連携した自社開発です。マッシュはもともと、店舗を軸にブランドをお客さまに訴求しながら発展してきました。EC化率でいうとコロナ以前は20%前後だったのに対し、現在では40%近いブランドも出てきています。最終的にご購入を決定するのはお客さま、というスタンスではあるものの、マッシュグループが掲げている「お客さまに幸せを届けられるサービス」という意味で言うと、ECはまだリアル店舗には追いつけていないという感覚です。

WWD:アパレルECの課題をどう見る?

須藤:デジタルテクノロジーは猛烈な勢いで発展していますが、あえて言いたいのは、基本的に服の購入に関してはリアル店舗の方が利便性が高いのでは?ということです。だからこそ、「バーチャサイズ」の、試着をオンラインでもできるという部分に着目したサービスには非常に注目しています。

森永マーク=バーチャサイズCOO(以下、森永):「バーチャサイズ」の役割は、お客さまの最初の購入のハードルを下げつつ、2回目以降のリピートにどうつなげ、最終的に顧客のライフタイムバリュー(LTV)をどう上げていくかという点になります。これはたとえ、最初に購入いただけたとしても、実際にサイズ感が思った通りでないと、2回目以降のコンバージョンが落ちてしまう。悪い体験だったら、もう購入しない。逆に、いいサイズを見つけられたら、その商品と比較しつつ、違うブランドでもこのサイズ、とだんだん組み合わせた体験にもつなげられる。この部分に関しては、相当の研究開発を行っています。

須藤:EC自体の課題と感じているのが、お客さまからの評価と不満を、すくい取りづらいことです。店頭ならサイズ感が違えば、その場でフィードバックがあって販売員が解決できます。でもECだと何も言わずに離れていき、結果的にノークレームでも離脱率だけが高くなっていく怖さがあります。「バーチャサイズ」の場合は、導入後に返品率は20ポイント以上低下しました。返品率の低下で、商品の販売効率の向上だけでなく、返品関連業務の削減など、全体的な業務効率の改善にもつながりました。なぜこのような効果を上げられるのでしょう?

高橋君成バーチャサイズCBO(以下、高橋):ユーザーにとってサイズやフィット感は最もセンシティブなものだ、と当社は認識しています。先ほど森永も指摘した通り、サイズが合わないと、それ以降の購入率がかなり落ちてしまいます。一方でユーザーが求めるフィット感は、実はブランドやアイテムによってだいぶ違うんです。マッシュさんのブランドの中でも「スナイデル」と「ジェラート ピケ」では、それぞれに求めるフィット感はだいぶ違う。当社は裏側でブランドの特徴に合わせて、カスタムしたサイズリコメンドエンジンを作っており、例えば購買履歴や閲覧履歴などユーザーデータをベースにロジックを組み合わせています。ブランドによっては、ぴったり合わせたものを展開するだけでなく、あえてワンサイズ上をリコメンドすることも。こうしたことは当社がディープラーニングに基づいた年間5億回を超えるリコメンドを、改善しながら行っているからこそできると自負しています。

リアル店舗やCRMで活用、
「オンライン試着」の
先にあるもの

WWD:いま、両社でリアル店舗で使えるツールを開発中とか?

高橋:まさにマッシュの方から「もっと試着室の体験をリッチにできないか?」という要望をいただいています。当社はこうしたオンラインのサイズフィッティングテクノロジーをオンライン試着やネットだけにとどめておくつもりはなく、リアル店舗での活用などにも積極的に取り組みたいと考えています。逆に、そのリアルで買うときの接客のポイントを、オンラインでも提案できるようにブラッシュアップも進めています。例えば、カートに商品を入れて、買う寸前に「このサイズで本当にいいですか」っていう一言を出そうと思っています。リアル店舗でもレジで、「Mサイズですけどよろしいですか?」と聞かれますよね。それと同じことを、カートの中身を確認するページで実施したい。また、最近だとインスタグラムや公式サイトなどのスタッフのコーディネートのページとも連携させて、自分とそのサイズがマッチするかどうかみたいなことの相談も受けています。

WWD:須藤さんから「バーチャサイズ」にリクエストは?

須藤:店頭での接客をECに例えるなら、多くのお客さまがサイトに来た場合にはまず検索することを考えると思います。ECでは、商品検索の精度をもう少し進化させたい。検索結果が自分にとって刺されば、すぐクリックするはずです。店頭の販売員はそれをコミュニケーションを取りながら、自然にやっている。お客さまから「旅行に行く」と聞いたら、「だったらこれを」と接客することで、購買率が上がっていく。でも、ECだと検索結果を見てもらうことしかできないため、新機能でカバーできると嬉しいです。

森永:おっしゃる通りです。実は検索機能って、ファッションとあまり相性が良くないんですよね。店舗に行って「何をお探しですか?」って聞かれたときに、「赤いドレス」って具体的にいう方はあまりいない。実際には、「こういう雰囲気で」とか「こういうスタイルを探している」ということを仰るわけで。われわれは、そういった行動を「ディスカバリー」と定義していて、実はすでに開発済みです。「このアイテムはどんなシーンで着たいですか?」「どんなスタイルをお探しですか?」といった、いくつかの質問に答えてもらうだけで、自分の好みに合う商品がずらっと出てくるような仕組みがあります。

「バーチャサイズ」は、
実はオンライン試着サービス
じゃなかった!?

須藤:これまでは、「こういった機能がほしい」といった場合はまず、社内で検討して、それから機能に応じてサービス会社を探したり、取引のある会社に投げかけてみる、といった流れでした。そもそも「バーチャサイズ」は私の中で「オンライン試着サービス」というイメージが強くて。けど、実はCX(顧客体験)系のふんわりとした開発テーマを初期段階で相談してもいいわけですね。なら、実はもう一つ相談が(笑)。これは接客か集客か、定義しにくいところではあるのですが、ECでコンテンツとして楽しい企画がほしいんです。実は当社はECでかなり早い時期から今はやりの骨格診断を行っていて、非常にアクセスを伸ばせたことがあった。店頭でよくフェアやイベントをやるように、ECならではのイベントや企画をもっともっと増やしたい。ただ、自分たちだけではなかなか思いつかないことがあり。そういったことも相談していいですか?

森永:もちろんです!ぜひお願いします。これまでもさまざまな取り組みをアパレル企業とさせていただいていて、「バーチャサイズ」を筆頭に自社の新しいサービスやプロダクトに関してデータを収集させていただくことはありますが、実は「骨格診断」のような新しい切り口や企画のデータを取ることが難しくて。こういった切り口の場合、単にコンバージョンだけでなく、アクセス数や他のコンテンツへの遷移率などが重要になってくるからです。企画の早い段階からご一緒できれば、新しいアイデアや切り口、さらにはその後のデータ分析とそのフィードバックも含め、もっとお役に立てる可能性があります。

「バーチャサイズ」とは?

 オンライン試着サービス「バーチャサイズ」は、身長や体重などの項目を入れるだけで、自分に合った製品をリコメンドしてくれるサービスだ。月間のアクティブユーザー数は200万人を超え、年間のリコメンド数はなんと5億回に達している。これまで蓄積してきた1000万体以上のボディーデータをディープラーニングで分析し、リコメンドだけでなく、さまざまなツールやサービスの開発も行っている。

TEXT:MIWAKO ANNEN
PHOTO:TAMEKI OSHIRO
問い合わせ先
バーチャサイズ

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「マーク BY マーク ジェイコブス」や「カルバン・クライン ジーンズ」のデザイナーがアーティストに転向

 「マーク BY マーク ジェイコブス(MARC BY MARC JACOBS)」や「カルバン・クライン ジーンズ(CALVIN KLEIN JEANS)」などを手がけてきたルエラ・バートリー(Luella Bartley)が、ファッションデザイナーから芸術家に転向した。同じくデザイナーからアーティストに転向したサラ・バーマン(Sara Berman)と共催する展覧会「Armoured」は6月11日まで、ロンドンのKHギャラリーで開かれている。2人のアーティストは彫刻や絵画などを通して、ファッションデザイナーだった頃と変わらず、女性の体の曲線美や複雑さなどに迫っている。バーマンの作品がカラフルなのに対し、バートリーのアプローチは硬質的だ。純白の彫刻は手足が奇妙な方向に折りたたまれ、裸の女性を描いた作品ではプロポーションを誇張。バーマンが洋服をまとった女性を描いたのに対し、バートリーは裸の女性と向き合っている。米「WWD」が、バートリーに話を聞いた。

米「WWD」(以下、WWD):芸術活動を始めたのは、いつ頃?

ルエラ・バートリー(以下、バートリー):ファッション界を離れてしばらくしてから、です。仕事を休んですぐ、「私は、止まることができないんだ」と感じました。そして「何かを描いて、言語化できない思いを探ってみたい」という衝動に駆られました。だから描いて、描いて、描いて。誰かに見せる予定なんてないのに、創作意欲が爆発したんです。とても自然な流れで、結果、良い方向につながったと思っています。

WWD:自分をどんなアーティストだと思っている?

バートリー:私のアプローチは、「自分と格闘すること」。ドローイングは鋭い鉛筆と、まるで刀の様なブラシで描いています。一方の彫刻は、石膏です。

WWD:ファッションデザイナーとしてのキャリアは、今の創作活動にも役立っている?

バートリー:ファッション業界にいた頃から、私はずっと「女性と、彼女たちの体への意識、セクシャリティ、そしてフェミニニティ」について考えてきました。でもファッションの世界では、イメージが先行していた。それは仮面の様なもので、意識は常に体の外側にあったんです。でも今は、私自身が全てをさらけ出し、ありのままの、裸の、何にも覆われていない「女性と、彼女たちの体への意識、セクシャリティ、そしてフェミニニティ」について考えています。それは繊細ながら勇敢で、とても興味深いんです。仮面を考えていたデザイナーだった頃と比較すると、今は内臓にも興味を向けている感じです。

WWD:今後、ファッション業界にカムバックする可能性は?

バートリー:すぐに戻ることはないでしょう。今は、アートの世界を極めたい。今はまだ進化の途中だと思っています。探索したいことが、まだまだたくさんありますから。

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リアル店舗は今後どうなる?アパレル業界はヤバい? 読者の不安&お悩みに編集長と新卒入社5年目の記者が回答!

 「WWDJAPAN」はユーチューブとインスタグラムで"新生活のお悩み相談会"を同時ライブ配信しました。「ファッション業界の将来はどうなる?」や「希望するプレス職のためにはどんな能力を磨けばいい?」など、新生活が始まって色々な悩みを抱える新入社員や学生は多いのではないでしょうか?そんな皆さんのお悩みに村上要「WWDJAPAN」編集長と新卒入社5年目の美濃島匡記者が回答!今回は、動画の一部を抜粋してご紹介します。動画のアーカイブはページ下部からご視聴ください。

Q:アパレル企業で50代後半まで働き続けることは厳しい?

村上要編集長(以下、村上):確かに昔は「接客は若い子だよね」というムードなどが少なからずありましたが、今はベテラン販売員が活躍できる環境が整い始めています。むしろ、「ベテランの接客もいいよね」という雰囲気もあるくらいです。アダストリアの「エルーラ(ELURA)」や「ウタオ(UTAO)」など、50〜60代以上の”主役世代”に向けたブランドは、商品企画に「同世代の意見を反映したい」とベテランを起用しています。50代後半でも働き続けられる業界に変化しつつあると思います。

Q:服作りを学びたいと思いながらも、踏み出す勇気を持てずに総合大学へ進んでしまいました。けれど大学卒業後は2、3年働いて資金を貯め、パリでファッションの勉強をして、デザイナーを目指す決心をしました。デザイナーに最も大事な能力は何ですか?

村上:デザイナーにとって最も大事な能力は「今の世の中を知る力」や、そんな中で生きている人たちがファッションに求めるニーズを思考する力だと思います。

美濃島匡記者(以下、美濃島):「ファッションは時代の写し鏡」とよく言われますが、まさにその通りだと思います。今を知るためにアンテナを張り巡らせ、ファッションに落とし込むのが大切です。そして、服以外にも色々なこと(アートや音楽、映画など)に興味がないとできない仕事だと思います。

Q:広告代理店の営業をしています。3年経験したらファッションやビューティの編集職を目指しているのですが、元々違う職種/業種だった編集者はいますか?また、いた場合はどういう風に過去の経験を活かしていますか?

村上:「WWDJAPAN」の副編集長の1人は元々、百貨店に入社し、寝具売り場で働いた後に転職してきました。だから百貨店の売り場構成については誰よりも詳しく、取材にリアリティがあります。アパレル企業からの転職者もいますよ。

Q:新卒で入社した美濃島記者が苦労したことは?

美濃島:自分の思い描いていた編集の仕事がすぐにできないことに苦労しました。当時は最初からできるんじゃないかと期待していたのですが、そうでもないなって(笑)。研修や編集アシスタントを経て、重要な仕事ができるようになるんだなと思いましたね。

Q:リアル店舗の今後の展望が見えません。

村上:ECが便利になればなるほど「リアルの意味」は、より一層明確になっています。リアル店舗の将来は明るいと思いますよ。

美濃島:利便性ではECに敵わないかもしれませんが、リアル店舗の販売員のアドバイスはすごく参考になるし、商品を実際に手にとって見られるのはいいですよね。そして、知らないブランドや自分が普段購入しない商品をオススメしてくれると運命的な出会いに繋がることもあります。3年後くらいに「あのお店で買ったな……」と当時の体験を思い出すのもまたリアル店舗の良さだと思います。

Q:プレス職希望です。どんな能力を磨けばいい?

美濃島:色々な方とコミュニケーションを取る仕事だと思うので、心配りが細かいところまで行き渡っていると「また一緒に仕事をしたいな」と思いますね。

村上:そうですね、コミュニケーション能力が一番重要かな。私は気軽に話しかけてくれるとありがたい。「こんなのどうでしょう?」とかコミュニケーションが頻繁だと仲良くなりやすいです。

Q:「アパレル業界は今後ヤバい……」とよく言われるけれど、実際どうなの?

村上:よく言われるし、多分お父さんとかお母さんが言うんだと思います。確かに、「洋服だけ」というのは大変かもしれませんが、異業種とのコラボレーションなどは加速するばかり。「今後ヤバい」だけじゃないですよ。

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kemioの子供時代の憧れが詰まった「ケミオ ストア」 Z世代の共感を呼ぶ“異次元空間”の裏側

 Z世代のファッションアイコンとして活躍するkemioは、オフィシャルグッズを制作する「ケミオ ストア(kemio store)」の初となるポップアップストアをラフォーレ原宿で5月15日まで開催中だ。同店ではアーカイブ品や限定商品のほか、プレイステーションゲーム「パラッパラッパー(PaRappa the Rapper)」とのコラボアイテムを販売している。限定店の開催に合わせて、「ケミオ ストア」を手掛けるファッションメーカー、コネクトインターナショナルの小林翔太取締役とkemioに、ブランドのクリエイティブについて聞いた。

WWD:kemioさんとの協業のきっかけは?

小林翔太(以下、小林):日本のアーティストグッズはファンのためという意味合いが強く、洗練されたものが少ないですよね。一方、海外ではグッズをブランドやクリエイターとコラボして作るケースも多く、日常的におしゃれに着られるアイテムがたくさんある。それを見て日本のグッズの常識を変えたいと思い、ファッショナブルでクリエイティビティー溢れるkemioさんに声をかけました。

WWD:最初にオファーが来たとき、どう思った?

kemio:お話をもらった時はすごくうれしかったし、自分のグッズを出せるんだとワクワクしました。これまでもファッションブランドをプロデュースしてほしいというオファーが届くことはあったけど、僕は洋服を作る知識がないので、ファッションブランドをやるのは失礼じゃないかと。でも、自分のグッズはずっと作りたかったので、「ケミオ ストア」は、ぜひやりたいと思いました。

WWD:kemioさんの仕事ぶりで印象的だった一面は?

小林:メンバーのモチベーションを上げるのがすごく上手です。kemioさんは意識していないのでしょうけど、こちらが企画したものを褒めてくれるんですよ。そういうリアクションは素直にうれしいですね。そんな人柄が魅力的なので、われわれもkemioさんのためにもよりいいブランドを作ろうと意欲が湧いてきます。

WWD:「ケミオ ストア」のものづくりのこだわりは?

kemio:やっぱ自分が着たいかとかですかね。自分自身が身につけないアイテムを「はいどうぞ」っていうのは違うなと思っていて。作ったものを自分で着用している姿を発信してみんなに楽しんでほしいので、自分が着たいかや欲しいかは結構大事に考えちゃうかもですね。

小林:デザイン面では、kemioさんが大事にしている幼い頃に憧れていた世界、今で言うY2K時代のカルチャーを落とし込んでいますね。結果として「ケミオ ストア」は未来的でありながらノスタルジックな世界観を持つブランドになっています。そんな世界観にkemioさんと同世代の方が共感してくれて、絆が生まれていると感じます。

 販売しているアイテム以外でも世界観作りはこだわっています。例えばウェブサイトも訪れた人が何番目のお客さまか分かる、昔懐かしの仕様にしています。キリ番になったお客さまがスクリーンショットを撮ってSNSにアップしてくれて、また認知の拡大につながるということもありますね。

子供の頃に体験できなかった
憧れの世界

WWD:kemioさんがその時代のカルチャーに憧れるのはなぜ?

kemio:小さい頃に出合って憧れたものって、自分の中にずっと住み着いているんですよね。子供の頃はSNSがなかったから雑誌やテレビの世界を見て育ったけど、僕は幼くて実際にその世界や文化を体験できなかった。だから、大人になった今も憧れ続けているんだと思います。お金を稼げるようになってからは、子供の頃に買えなかった「エンジェルブルー(ANGEL BULE)」のアイテムをメルカリで買っていますね。

 今回コラボした「パラッパラッパー」も、まさに子供の頃に憧れていた世界。1990年代後半にプレイステーションのリズムゲームが流行ったり、フジテレビで放送されていたアニメが放送されたりしていたのを見ていました。マクドナルドのハッピーセットで登場したおもちゃも集めていて、作品の何でもアリみたいな世界に憧れていましたね。

WWD:今回ラインアップされたなかでも特にkemioさんが気に入っているアイテムは?

kemio:第1弾で作った青地にレインボーのロゴが入ったTシャツは「ケミオ ストア」のアイコニックな商品になりつつあって、思い入れがあります。“kemio store”のロゴは最初はシンプルだったんですけど、僕が個人的に異次元空間みたいなのが好きなので、歪ませてもらったんです。

WWD:「ケミオ ストア」のアイテムには、海外からの反応も集まるとか?

小林:最初のコレクションでガラケーと宇宙を組み合わせたようなグラフィックのTシャツとフーディを作ったのですが、これは特に海外の方からも褒められましたね。ギャル文化に通ずるところがあるのか、「ヤバイね!」みたいなリアクションが英語でたくさん届きました。あと名前は出せませんが、海外のラグジュアリーブランドがやっているセレクトショップから、商品を卸してほしいとオファーがありましたね。

WWD:「ケミオ ストア」の今後の目標は?

小林:メタバースにも進出したいです。ラグジュアリーブランドではすでに参入しているブランドもありますが、グッズストアはまだないはず。いち早く投入できたらいいですね。

 あと、“モノからコトへ”と言われた時期がありましたが、今は“コト消費”からさらモノにつながっている気がするんです。体験を通して得たモノを大切にしたり、見たりするだけで元気が出ることってありますよね。モノを通じて生まれる絆ってやっぱり強いんです。だから「ケミオ ストア」も、今後もアイテムを通して価値を提供できる存在であり続けたいです。

■「ケミオ ストア」ポップアップ
会期:5月7〜15日
場所:ラフォーレ原宿2階 コンテナ
住所:東京都渋谷区神宮前1-11-6

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kemioの子供時代の憧れが詰まった「ケミオ ストア」 Z世代の共感を呼ぶ“異次元空間”の裏側

 Z世代のファッションアイコンとして活躍するkemioは、オフィシャルグッズを制作する「ケミオ ストア(kemio store)」の初となるポップアップストアをラフォーレ原宿で5月15日まで開催中だ。同店ではアーカイブ品や限定商品のほか、プレイステーションゲーム「パラッパラッパー(PaRappa the Rapper)」とのコラボアイテムを販売している。限定店の開催に合わせて、「ケミオ ストア」を手掛けるファッションメーカー、コネクトインターナショナルの小林翔太取締役とkemioに、ブランドのクリエイティブについて聞いた。

WWD:kemioさんとの協業のきっかけは?

小林翔太(以下、小林):日本のアーティストグッズはファンのためという意味合いが強く、洗練されたものが少ないですよね。一方、海外ではグッズをブランドやクリエイターとコラボして作るケースも多く、日常的におしゃれに着られるアイテムがたくさんある。それを見て日本のグッズの常識を変えたいと思い、ファッショナブルでクリエイティビティー溢れるkemioさんに声をかけました。

WWD:最初にオファーが来たとき、どう思った?

kemio:お話をもらった時はすごくうれしかったし、自分のグッズを出せるんだとワクワクしました。これまでもファッションブランドをプロデュースしてほしいというオファーが届くことはあったけど、僕は洋服を作る知識がないので、ファッションブランドをやるのは失礼じゃないかと。でも、自分のグッズはずっと作りたかったので、「ケミオ ストア」は、ぜひやりたいと思いました。

WWD:kemioさんの仕事ぶりで印象的だった一面は?

小林:メンバーのモチベーションを上げるのがすごく上手です。kemioさんは意識していないのでしょうけど、こちらが企画したものを褒めてくれるんですよ。そういうリアクションは素直にうれしいですね。そんな人柄が魅力的なので、われわれもkemioさんのためにもよりいいブランドを作ろうと意欲が湧いてきます。

WWD:「ケミオ ストア」のものづくりのこだわりは?

kemio:やっぱ自分が着たいかとかですかね。自分自身が身につけないアイテムを「はいどうぞ」っていうのは違うなと思っていて。作ったものを自分で着用している姿を発信してみんなに楽しんでほしいので、自分が着たいかや欲しいかは結構大事に考えちゃうかもですね。

小林:デザイン面では、kemioさんが大事にしている幼い頃に憧れていた世界、今で言うY2K時代のカルチャーを落とし込んでいますね。結果として「ケミオ ストア」は未来的でありながらノスタルジックな世界観を持つブランドになっています。そんな世界観にkemioさんと同世代の方が共感してくれて、絆が生まれていると感じます。

 販売しているアイテム以外でも世界観作りはこだわっています。例えばウェブサイトも訪れた人が何番目のお客さまか分かる、昔懐かしの仕様にしています。キリ番になったお客さまがスクリーンショットを撮ってSNSにアップしてくれて、また認知の拡大につながるということもありますね。

子供の頃に体験できなかった
憧れの世界

WWD:kemioさんがその時代のカルチャーに憧れるのはなぜ?

kemio:小さい頃に出合って憧れたものって、自分の中にずっと住み着いているんですよね。子供の頃はSNSがなかったから雑誌やテレビの世界を見て育ったけど、僕は幼くて実際にその世界や文化を体験できなかった。だから、大人になった今も憧れ続けているんだと思います。お金を稼げるようになってからは、子供の頃に買えなかった「エンジェルブルー(ANGEL BULE)」のアイテムをメルカリで買っていますね。

 今回コラボした「パラッパラッパー」も、まさに子供の頃に憧れていた世界。1990年代後半にプレイステーションのリズムゲームが流行ったり、フジテレビで放送されていたアニメが放送されたりしていたのを見ていました。マクドナルドのハッピーセットで登場したおもちゃも集めていて、作品の何でもアリみたいな世界に憧れていましたね。

WWD:今回ラインアップされたなかでも特にkemioさんが気に入っているアイテムは?

kemio:第1弾で作った青地にレインボーのロゴが入ったTシャツは「ケミオ ストア」のアイコニックな商品になりつつあって、思い入れがあります。“kemio store”のロゴは最初はシンプルだったんですけど、僕が個人的に異次元空間みたいなのが好きなので、歪ませてもらったんです。

WWD:「ケミオ ストア」のアイテムには、海外からの反応も集まるとか?

小林:最初のコレクションでガラケーと宇宙を組み合わせたようなグラフィックのTシャツとフーディを作ったのですが、これは特に海外の方からも褒められましたね。ギャル文化に通ずるところがあるのか、「ヤバイね!」みたいなリアクションが英語でたくさん届きました。あと名前は出せませんが、海外のラグジュアリーブランドがやっているセレクトショップから、商品を卸してほしいとオファーがありましたね。

WWD:「ケミオ ストア」の今後の目標は?

小林:メタバースにも進出したいです。ラグジュアリーブランドではすでに参入しているブランドもありますが、グッズストアはまだないはず。いち早く投入できたらいいですね。

 あと、“モノからコトへ”と言われた時期がありましたが、今は“コト消費”からさらモノにつながっている気がするんです。体験を通して得たモノを大切にしたり、見たりするだけで元気が出ることってありますよね。モノを通じて生まれる絆ってやっぱり強いんです。だから「ケミオ ストア」も、今後もアイテムを通して価値を提供できる存在であり続けたいです。

■「ケミオ ストア」ポップアップ
会期:5月7〜15日
場所:ラフォーレ原宿2階 コンテナ
住所:東京都渋谷区神宮前1-11-6

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訪日観光客受け入れ再開の兆し 台湾人の30代女性「早く日本で買い物したい」

 政府は6月以降の訪日外国人観光客の受け入れについて、段階的な再開を検討している。新型コロナ禍でインバウンド消費が消滅して約2年。ファッション・ビューティ業界のみならず日本経済にとっても大きな打撃となったが、ようやく明るい兆しが見えてきた。

 「久しぶりに日本に行きたいです。ちょっとうずうずしています」。そう画面越しに笑うのは、台湾・台北市在住の会社員・鄭宜君さん(仮名、36)。記者が友人を介して知り合った鄭さんは、20代のころの日本留学を経験きっかけに、日本の俳優やアイドルが好きになり、たびたび日本を訪れて観光や買い物を楽しむようになった。日本旅行はコロナ禍以前、2019年の冬が最後という彼女に、「久しぶりに日本に来たら何をしたい?」と尋ねた。

WWD:日本に来たらまず、何をしたいですか?

鄭宜君さん(以下、鄭):日本に住んでいる台湾人の友達に会いたいです。みんなとディズニーランドに行きたいですね。それからUSJも。大丸東京店や京王新宿本店のデパ地下のグルメも恋しい(笑)。

WWD:日本語がとても上手なんですね。

鄭:ありがとうございます。元々漫画に興味があって、日本語を独学で勉強していました。大学では日本語学を専攻して留学し、卒業してからも日本の専門学校で2年間学びました。そのまま日系企業のホテルへ就職が決まっていたのですが、ちょうどそのとき東日本大震災が起こってしまい。家族も心配していたので帰国を決めました。

WWD:台湾ではどんな仕事についたのですが?

鄭:企業名は伏せていただきたいのですが、日系企業の台湾支社で事務職として働いています。

WWD:超一流企業ですね!

鄭:同世代の友人と比較すると、(給料を)もらっている方だと思います(笑)。ジャニーズ、特に嵐が好きなので、ライブやイベントがある度に日本に来て、オタ活にお金をたくさん使っていました。洋服や化粧品も、日本に来るたびに買っていましたね。

WWD:好きな日本のファッションや化粧品のブランドは?

鄭:「グローバルワーク(GLOBAL WORK)」と「ローリーズファーム(LOWRYS FARM)」はかわいくて、大好きです。日本で買うと安いので、たくさん買い込んでいました。台湾で買うと、日本の2倍くらいの価格だと思います。日本旅行ができなくなってからも、転送サービス(日本のECで購入した商品を倉庫に集荷・海外発送するサービス)を使って買っています。送料や関税がかかりますが、それでも台湾で買うよりは安いです。

 化粧品なら、「ファンケル(FANCL)」がお気に入りです。“マイルドクレンジングオイル”は安くてメイクがスルッと落ちるので、台湾の女性に大人気です。かぜ薬や「メンソレータム」のリップクリームと一緒に、日本旅行のお土産として配るのが定番ですね(笑)。台湾のドラッグストアには日本の化粧品がたくさん並んでいて、ちょっと高いけれど品質がいいイメージがあります。

WWD:また日本旅行ができるのが楽しみですね。

鄭:早く行きたい気持ちはやまやまなんですが。台湾では毎日新規感染者が6万人くらい(5月12日現在)出ていて、感染対策の締め付けがまた強くなってきました。日本に行けたとしても、帰ってきたら隔離期間が10日間ぐらい必要になるので、会社がそれを許してくれないです。日本の感染状況がよくなっても、他の国がそうとも限らないので、タイミングがかみ合わないと旅行は難しいですね。私もまだしばらく、日本旅行はお預けになりそうです。

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訪日観光客受け入れ再開の兆し 台湾人の30代女性「早く日本で買い物したい」

 政府は6月以降の訪日外国人観光客の受け入れについて、段階的な再開を検討している。新型コロナ禍でインバウンド消費が消滅して約2年。ファッション・ビューティ業界のみならず日本経済にとっても大きな打撃となったが、ようやく明るい兆しが見えてきた。

 「久しぶりに日本に行きたいです。ちょっとうずうずしています」。そう画面越しに笑うのは、台湾・台北市在住の会社員・鄭宜君さん(仮名、36)。記者が友人を介して知り合った鄭さんは、20代のころの日本留学を経験きっかけに、日本の俳優やアイドルが好きになり、たびたび日本を訪れて観光や買い物を楽しむようになった。日本旅行はコロナ禍以前、2019年の冬が最後という彼女に、「久しぶりに日本に来たら何をしたい?」と尋ねた。

WWD:日本に来たらまず、何をしたいですか?

鄭宜君さん(以下、鄭):日本に住んでいる台湾人の友達に会いたいです。みんなとディズニーランドに行きたいですね。それからUSJも。大丸東京店や京王新宿本店のデパ地下のグルメも恋しい(笑)。

WWD:日本語がとても上手なんですね。

鄭:ありがとうございます。元々漫画に興味があって、日本語を独学で勉強していました。大学では日本語学を専攻して留学し、卒業してからも日本の専門学校で2年間学びました。そのまま日系企業のホテルへ就職が決まっていたのですが、ちょうどそのとき東日本大震災が起こってしまい。家族も心配していたので帰国を決めました。

WWD:台湾ではどんな仕事についたのですが?

鄭:企業名は伏せていただきたいのですが、日系企業の台湾支社で事務職として働いています。

WWD:超一流企業ですね!

鄭:同世代の友人と比較すると、(給料を)もらっている方だと思います(笑)。ジャニーズ、特に嵐が好きなので、ライブやイベントがある度に日本に来て、オタ活にお金をたくさん使っていました。洋服や化粧品も、日本に来るたびに買っていましたね。

WWD:好きな日本のファッションや化粧品のブランドは?

鄭:「グローバルワーク(GLOBAL WORK)」と「ローリーズファーム(LOWRYS FARM)」はかわいくて、大好きです。日本で買うと安いので、たくさん買い込んでいました。台湾で買うと、日本の2倍くらいの価格だと思います。日本旅行ができなくなってからも、転送サービス(日本のECで購入した商品を倉庫に集荷・海外発送するサービス)を使って買っています。送料や関税がかかりますが、それでも台湾で買うよりは安いです。

 化粧品なら、「ファンケル(FANCL)」がお気に入りです。“マイルドクレンジングオイル”は安くてメイクがスルッと落ちるので、台湾の女性に大人気です。かぜ薬や「メンソレータム」のリップクリームと一緒に、日本旅行のお土産として配るのが定番ですね(笑)。台湾のドラッグストアには日本の化粧品がたくさん並んでいて、ちょっと高いけれど品質がいいイメージがあります。

WWD:また日本旅行ができるのが楽しみですね。

鄭:早く行きたい気持ちはやまやまなんですが。台湾では毎日新規感染者が6万人くらい(5月12日現在)出ていて、感染対策の締め付けがまた強くなってきました。日本に行けたとしても、帰ってきたら隔離期間が10日間ぐらい必要になるので、会社がそれを許してくれないです。日本の感染状況がよくなっても、他の国がそうとも限らないので、タイミングがかみ合わないと旅行は難しいですね。私もまだしばらく、日本旅行はお預けになりそうです。

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伊藤忠とロコンドが異色のタッグ、共同でリーボックの日本事業を展開

 伊藤忠商事とロコンドは、共同で日本での「リーボック(REEBOK)」事業を展開する。10月にロコンドが66%、伊藤忠が34%を出資した合弁会社を設立し、「リーボック」日本事業を承継するほか、伊藤忠は「リーボック」の親会社である米オーセンティック・ブランズ・グループ(AUTHENTIC BRANDS GROUP以下、ABG)とマスターライセンス契約を締結。ロコンドは伊藤忠とサブライセンス契約を締結し、シューズのライセンス生産・販売も行う。資本金の金額は現在調整中。日本での「リーボック」事業のおおよそ100億円(小売り換算)規模だと見られるが、伊藤忠は2028年にライセンス商品も含め、小売り換算で200億円に引き上げる考え。また、伊藤忠は4月にも「アンダーアーマー」のドームを買収しており、スポーツ分野での取り組みを加速する。

 ロコンドはこれまでも、自社のオムニコマースプラットフォームを生かし、スペイン発ファストファッション「マンゴ(MANGO)」、英D2Cブランドの「カストーレ」など、外資ブランドの日本上陸のパートナーとなってきた。ただ、今回の「リーボック」は事業規模は100億円、伊藤忠をパートナーにECだけでなく、全国の直営店や卸も行うなど、事業規模もビジネスモデルも過去最大になる。「リーボック」事業は、リアルとデジタルを横断したオムニ型のプラットフォームを構築し、それらを活用したシューズとアパレル産業のDXを掲げてきたロコンドの集大成とも言える。今回の経緯などを田中裕輔ロコンド社長に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):今回の経緯は?

田中裕輔社長(以下、田中):オファーはABG/伊藤忠側からだった。「リーボック」は日本での売り上げの5割がオンラインで、ABGは「リーボック」で欧州での同様のパートナーシップをファーフェッチ傘下のニューガーズグループ(NEW GURARDS GROUP)と行っており、「シューズ×オンラインに強い会社」ということで日本では当社に白羽の矢が立った形だ。

WWD:承継の具体的な中身は?

田中:当社と伊藤忠で新会社を設立し、「リーボック」の日本事業を引き継ぐ。ただ、直営店の中にはアディダスジャパンと共同運営している店舗があり、引き継ぐ店舗は9店舗、全体の3割ほどになる。「リーボック」のシューズに関しては今後、日本でのオンラインとオフライン、いずれの販売権も獲得しているだけでなく、シューズに関してはライセンス権も獲得しており、新会社でそれらを行っていく。今後販売の仕組みも、リアル店舗とECを横断して使用できる当社のプラットフォームサービスをすべて導入する。

WWD:今後は?

田中:日本で「リーボック」事業を展開する新会社(ロコンド66%/伊藤忠34%出資)では、売り上げをも大幅に拡大しようとは思っていない。むしろ2〜3年をかけてABG/伊藤忠と共同でMDを丁寧に見直しつつ、店舗やECで横行している値引きを抑制し、「リーボック」ブランドを磨き直す。その上で大胆なECへのシフトチェンジを行い、EC化率を75%に引き上げる。ECも、自社ECを50%くらいに設定することで、自社でブランディングをコントロールできる体制にする。伊藤忠とは、この取り組みをきっかけにさまざまな事業提携も模索したい。

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シンガーソングランナー®︎・SUIが「シックスパッド」を体感 ラン初心者にこそおすすめしたい理由とは?

 MTGのトレーニングブランド「シックスパッド(SIXPAD)」は4月27日、新たな体幹トレーニングギア“パワースーツ コアベルト”を発売した。従来の“パワースーツ アブズ”からグレードアップし、背筋のトレーニングが可能になった新製品の魅力を、シンガーソングランナー®︎のSUI(スイ)が語る。

ダイエット目的で
始めたランニングが、
新たなコミュニティーの
輪を生んでくれた

 「高校生時代からダイエットを繰り返す中でなかなか体重が落ちなくなり、“このままではまずい”と感じて、ダイエットの一環としてランニングを始めたのが走り始めたきっかけです。3km、10kmと目標を決めて達成していくうちに、少しずつ自分に自信がつき、気持ちも前向きになりました。昔は食べることに罪悪感がありましたが、今では走るためにしっかり食べるよう心掛けるほどランニングに夢中です。

 最近は週4~5回、1日10km前後を走っています。ランニングを続けることで、マラソン大会で歌う機会もいただけるようになり、シンガーソングランナー®︎として新たなコミュニティーや活躍の場が生まれました。挑戦し続ける人の支えになったり、応援できたりしたらうれしいです。

 運動には人を変える力があると思っています。ランニングを続けると脳の司令塔である前頭葉が刺激され、集中力や発想力、判断力などが研ぎ澄まされるという研究結果があるそうです。ストレス発散にもなりますし、私のように自己肯定感を得られたという話も聞きます。走ることで、自分本来の輝きを取り戻せるのではないかと信じています」。

腹筋に意識が向くことで、
美しいフォームに近づける

 「ランニングは手軽にスタートできる運動だからこそ、基本を学ばずにトライしてしまう人がとても多いです。走るときは体幹を意識して、お腹とお尻に力を入れることが大切。フォームが乱れると必要以上に疲れてしまったり、けがの原因になったりすることも。とはいえ、日頃あまり運動をしていない人やラン初心者は、体幹といわれてもどこを意識したら良いのか悩んでしまうかもしれません。『シックスパッド』=プロアスリートのためのものと思わずに、ラン初心者の人こそ“パワースーツ コアベルト”を使うと、使うべき筋肉が意識しやすくなると思います。

 私自身、これまでもEMSトレーニング機器を利用したことはあるのですが、“パワースーツ コアベルト”はしっかり鍛えられている感覚があり、使い始めてすぐに手応えを感じることができました。お腹の前部分だけではなく、腹斜筋、広背筋下部と広範囲にアプローチすることで、ランニング時にも美しいフォームを意識しやすくなりました。

 そしてありがたいのが、Tシャツの下に着ても他の人に気づかれないほど薄い生地と、お手入れの手軽さ。ランナー同士、走った後に一緒にカフェでお茶をすることが多いのですが、装着したままでも気にせずいられるのがうれしいです。自宅の洗濯機で洗えるのも衛生的ですし、スプレーで電極部に水を吹きかけるだけで使え、簡単に操作できる点も気に入っているポイントです。4Hzと20Hz、2つのモード選択に加え、EMSのレベルも幅広く選択できます。個人的には4Hzが心地良く感じますが、筋肉トレーニングの感覚を掴みたい方には20Hz がおすすめです」。

パフォーマンス向上に
欠かせない、
宅トレ効率をアップ

 「ランニングのパフォーマンス向上のためには、お腹やお尻の筋肉が欠かせません。特にお腹はインナーコアのトレーニングが重要なので日頃から意識的に鍛えています。特にプランクトレーニングを行う時は、時間が経つにつれて腕で身体を支えてしまいがちですが、“パワースーツ コアベルト”を着用することで体幹を意識しやすいです。

 日常生活の中では洗い物やパソコン作業をする時にも使うことで、自然と姿勢に意識が向くようになりました。無意識の時の姿勢の悪さは日々の肩こりや腰痛につながりますし、猫背になったり、肩が丸まったりすると気持ちが下向きになってしまうと聞きます。美しい姿勢を意識して、明るい気持ちをキープしたいですね。また、運動不足でお悩みの人、腰周りの筋肉が気になる人にもぜひ試してほしいです」。

“パワースーツ
コアベルト”で
効率の良いハイブリッド
ランニングを

 今回SUIが試した“パワースーツ コアベルト”はお腹から腰周りを一周するように6つの電極がつき、腹直筋や腹斜筋、広背筋下部、脊柱起立筋下部にアプローチ。ランナーが重視したい体幹を鍛える。“ながらエクササイズ”や筋肉トレーニングの効率UPを助ける20Hz と、ウォームアップ時などに適した4Hz の2種のモードを搭載し、用途によって使い分けができる。

 また、現在ランニングステーション「ラフィネ ランニングスタイル ネオ(RAFFINE RUNNING STYLE NEO)」では、先着で“パワースーツ コアベルト”を1時間無料で貸し出すキャンペーンを行っている

※価格は全て税込みです
PHOTOS:RYOHEI HASHIMOTO
STYLING:MASUMI YAKUZAWA
HAIR&MAKEUP:TATSUYA SUZUKI
問い合わせ先
MTG
0120‐467‐222

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新生「エミリオ・プッチ」お披露目 デザイナーが目指す「ウェルビーイングなリゾート」とは?

 「エミリオ・プッチ(EMILIO PUCCI)」は4月末、新アーティスティック・ディレクターのカミーユ・ミチェリ(Camille Miceli)による最新コレクションをイタリアのカプリ島で発表した。フランス出身のミチェリ=アーティスティック・ディレクターは、15歳から「シャネル(CHANEL)」や「アライア(ALAIA)」などでインターンとして経験を積み、「シャネル」や「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」の広報担当を務めた後、LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)傘下の複数ブランドではコスチュームジュエリーやレザーグッズの監修やコンサルティングを担った。カミーユによる新コレクションの発表に際して、「エミリオ・プッチ」はブランドのルーツに立ち返り、「リゾートに特化したブランド」としてリブランディングすると発表していた。彼女に、その想いを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「リゾートに特化したブランド」とは?年に1度、リゾート・コレクション(一般的には、春夏と秋冬の間に発表するコレクションとして知られている)しか発表しない、ということ?

カミーユ・ミチェリ「エミリオ・プッチ」新アーティスティック・ディレクター(以下、カミーユ):「リゾート」とは、業界の当たり前じゃなくて、ブランドのDNA。年に1度だけリゾート・コレクションを発表するのではなく、“リゾートマインド”なカプセル・コレクションを毎月ドロップする体制に切り替えるの。「エミリオ・プッチ」と聞かれたらビーチウエアを連想する人が多いくらい、私たちにとってリゾートシーンは馴染みのあるもの。でも同時にブランドは、鮮やかなスキーウエアを発表して一世を風靡したこともあるの。季節を問わず、リゾートは「エミリオ・プッチ」にとって大切よ。コロナを経た今は、「エスケープしたい」というマインドも高まっている。そんな想いに寄り添いたい。私たちにとって「リゾート」とは、ウェルビーイングなマインドセットのことよ。

WWD:具体的には?

カミーユ:スポーティな洋服はもちろん、シューズは快適性にこだわった。ヒールもあるけれど、プラットフォームシューズは欠かせないわ。こだわったのは、素材。パディングを筆頭に、とても柔らかな素材使いにこだわった。こうした洋服を身にまとえば、空港だって、旅先だって、人生全般が楽しくなるハズよ。毎日を笑顔で過ごすこと、それがウェルビーイングな「リゾート」なの。と同時に、私たちの柄は、着る人だけでなく、見る人も笑顔にしてくれるわ。

WWD:プリント柄は、「エミリオ・プッチ」のアイデンティティーでもある。

カミーユ:とても大切な存在。でも最近の「エミリオ・プッチ」は、プリントの中に“人間性”を欠いていたと思うの。昔の柄は、すべて手作業。だからこそ不完全で、そこには“人間性”が宿っていたわ。だから今回発表したプリント柄は、すべてを一から手作業で描きなおしたの。代表的な「ジオメトリック」を筆頭に、「マルモ」や「フローラル」など、スタートしてから3回目にドロップするまでのコレクションに使った、6つの柄を描き直したわ。とっても大変な作業だったけれど、絶対に必要なことだった。最初は手間かもしれないけれど、きっと慣れるわ。だって「エミリオ・プッチ」は1960~70年代、コンピューターを使うよりずっと素早く、数々のモチーフを描き、世に送り出したんだもの。

WWD:ウエアを手掛けるのは、今回が初めて。不安や難しさはなかった?

カミーユ:長年ファッション業界に携わり、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)やマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)、ニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)と仕事をしながら、彼らを観察してきたわ。そこで素晴らしいコレクションには、素晴らしいチームが欠かせないことを学んだの。「エミリオ・プッチ」は、素晴らしいチーム。だから不安はなかったわ。厄介なのは、私が完璧主義なこと(笑)。アクセサリー、特にジュエリーにはミリ単位の細かさが求められるから。

WWD:4月末には、ゲストをカプリ島に招き、さまざまなアクティビティーを通してコレクションを発表した。

カミーユ:ファッションショーより、ずっとラクだったわ!ゲストは、土曜の夜に到着すると、まずは「エミリオ・プッチ」の柄に覆われたバーなどを筆頭に、“プッチの海にダイブ”するの。翌朝はヨガやゲームを楽しみながら、カフタンドレス姿のモデルをチェック。そして、みんなでダンスよ(笑)。こうしたコンテンツは、ウェブサイトを通してみんなに共有するつもり。私たちのコアバリューは「リゾート」だけど、今はスピーディな社会でもあるから、デジタルも頑張らなくちゃ。サイトでは、水着もセーターも、いつでも買えるわ。だって日本が冬でも、ブラジルは夏よ!世界のどこかには、必ず「リゾート」を楽しめる環境、楽しんでいる人が存在するんだから、「エミリオ・プッチ」の可能性は大きいわ。

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