最強の繊維商社集団へ、新会社MNインターファッションの今後をトップ2人に聞く

 1月1日、三井物産の繊維部門中核子会社である三井物産アイ・ファッションと日鉄物産の繊維部門が統合し、新会社MNインターファッションが誕生した。2021年2月に統合合意を発表。売上高は旧三井物産アイ・ファッションが796億円、旧日鉄物産繊維部門が984億円で、単純合算で約1800億円という巨大企業が誕生する。繊維商社の合従連衡の号砲にもなった統合の今後を、キーマンである木原伸一社長(旧三井物産アイ・ファッション会長)と吉本一心(かずみ)副社長(旧日鉄物産常務執行役員)に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):統合合意から約1年。社内外の反応は?

木原伸一社長:水面下ではコロナ前から統合に向けて動き出しており、1月1日の新会社発足で、山でいえば5合目まで来たといったところ。お互い上場企業なので、水面下での話し合いも、知っていたのはごく一部の役員のみ。社員にもなかなか情報を開示できず、とても心配をかけたと思う。取引先への売り上げなどの情報交換も(新会社発足の)1月1日までは一切できず、その意味でも統合の具体的な道のりは始まったばかりだ。オフィスの統合は4月1日なので、現場の社員にまだ実感は湧きづらいと思う。

吉本一心副社長(以下、吉本):昨年2月の基本合意の発表はコロナ禍の真っ最中。この2年の若手の離職率は従来よりも若干高かったが、それは統合というよりもコロナ禍に伴う業界全体の不振が理由だと分析している。中堅以上に関しての離職には影響はほぼない。

WWD:人事制度や組織、取引の統合はどうなる?

木原:現時点では組織や人事制度にはほとんど手を付けていない。経営幹部間では今後についてかなりディスカッションしてきたが、「将来のあるべき姿とは何か?」といった企業理念から中長期的な業績目標、人事設計まで、全社員と議論し、共有した上で、1年をかけて変えていく。現時点で言えるのは、「お互いのいいところを見つけましょう」ということ。今はオンラインで、お互いの商売の勉強会などを行っており、アプローチや商売のやり方の情報交換を行っている。

吉本:大枠で決まっているのは、従来の商社像にこだわらず、川上から川中、川下までサプライチェーン全体でやれることはすべてやる、強い企業になろう、ということ。両社ともアパレルOEMが主力の事業だったので意外に思われるかもしれないが、取引先の重複については全体の3割以下で、そういった部分での整理・調整という作業はそれほど多くない。それに、かつては例えば取引先とのゴルフコンペなどを通じて、競合であっても交流があったりしたが、最近はそういったことも多くないようだ。ほとんどの社員は、お互いに交流がない状態だった。

WWD:個を重視し伝統的にプロパー社員の育成に力を入れてきた日鉄物産と、外部人材も多く混成部隊である三井物産アイ・ファッション。異なる社風を、どう融合していくのか?

吉本:まず前提として、成長への意思、誠実さ、顧客満足度の高さなど共通する部分は多い。その上で異なる部分をあげるとすれば旧日鉄物産は組織がニットやカットソーで、海外に自社の縫製工場も多く構えていて子会社も多い。一方、旧三井物産アイ・ファッションは顧客単位の組織で、高機能素材「パーテックス」など素材に強いといった面がある。理想はそれぞれのいいところをハイブリッドで組み合わせることだ。もちろん物量を出せれば、貿易、物流などのコストのシナジーも出せる。そういった部分は細かい項目を書き出して、精査しているところだ。

木原:私からすると、日鉄物産は現場が強い。数字へのコミットが強く、製品に対する知識や知見も深い。こうした知見を融合できれば、取引先へのサービスレベルもアップできるし、その上で規模や取引先の統合できるのでサプライチェーン全体の強化にもつながる。シナジーは大きい。

WWD:シナジーを発揮するという意味ではデジタル分野が大きいのでは?

吉本:例えば3DCADの分野では、三井物産はすでにデジタルクロージングという事業会社を持っており、この部分の知見を活用できるのは単純に大きい。両社とももともとデジタル投資には継続的に取り組んでおり、今後はさらに加速する。

木原:特にデジタルに関しては、共通化やスケールが重要になってくる。その意味ではMNインターファッションだけというより、取引先に加え、競合他社も含めた大きな連携も見据えている。

WWD:株主構成は三井物産50、日鉄物産50の完全な折半出資。親会社が2つになり、経営判断が遅くなる懸念はないのか?

木原:そもそも統合は、変化の激しい時代の中でより迅速な経営判断をするためにどうするべきか、というのが出発点だった。投資判断なども含め、経営面での自由度はずっと高くなる。

WWD:繊維商社の今後をどう見る?

木原:商社の繊維・アパレルビジネスということで言えば、実際には10年前から危機感はかなり高かった。コロナ禍でいよいよ顕在化した、というのが実際のところだ。従来の枠組みだと繊維専門商社と言われる企業も、実際には非衣料や、コスメなども含めたライフスタイル全般に事業領域を広げており、だいぶ個性がはっきりしてきた。実感としても競争相手はだいぶ変わってきた。10年後20年後はさらに変わっていく。

吉本:個人的には、水面下で進めてきた統合作業に加え、20年6月からは繊維事業部門の管掌になり、事業全般を見ることになってかなり大変だった。だが今は、以前はそれぞれ別々にしていた商社の今後のような議論を、文字通り一体となってできるようになって、それだけでも個人的にはとてもワクワクしている。足元でも市況は回復基調にあり、今は上がるだけという状況だ。

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「日本人のおしゃれしたい気持ちは消えてない」 大丸松坂屋がファッションサブスクで得た確信

 大丸松坂屋百貨店が運営するファッションレンタルのサブスクサービス「アナザーアドレス(ANOTHER ADRESS)」が3月12日でサービス開始から1周年を迎える。2月末時点で、すでに初年度目標(会員数3000人)を大きく上回る獲得会員6700人、貸し出し着数は計2万着に到達した。

 同サービスは1カ月に3着までレンタルでき、料金は月額1万1880円。気に入った商品は買い取りも可能だ。「エアクローゼット(AIRCLOSET)」「メチャカリ(MECHAKARI)」といった国内の主要ファッションレンタルサービスの相場は月額6000〜7000円程度。競合と比較すると2倍近い料金設定だが、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」「マルニ(MARNI)」など海外のデザイナーズブランドの取り扱いがある点が差別化要素になっている。サービス発足当初は会員が殺到し、21年5月には新規会員登録を一時休止。以降も貸し出し商品の在庫が不足する状態が続いている。

 事業責任者の田端竜也DX推進部マネージャーは発足からの1年を「さまざまな課題は山積するが、ファッションサブスクの可能性を大いに感じることができた」と手応えとともに振り返る。この3月には「ディースクエアード(DSQUARED2)」「イザベル マラン(ISABEL MARANT)」「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)など63ブランドを新規導入(計113ブランド)し、在庫点数を従来の2倍、年度内には3倍まで増やす。「5年後に日本一のファッションレンタルサービスに成長させる」ことを目標に、さらにアクセルを踏み込む。

WWD:立ち上げ当初の計画を大きく上回った。

田端竜也DX推進部マネージャー(以下、田端):ファッションレンタルという百貨店としては初めての挑戦だったが、お客さまから大きなレスポンスをいただけたことにほっとしている。1年前は取引を開拓するのも一苦労という状況だったが、今ではブランド側からアプローチをいただくことも増えた。

WWD:スタートから申し込みが殺到し、5月には新規受け付けの停止を余儀なくされた。

田端:当初用意していたのは会員1000人分を想定した商品在庫。だがふたを開けてみれば、サービス開始から3日間で初年度目標としていた会員数3000人を超え、完全にパンクしてしまった。「借りられる服がない」とお客さまからクレームもいただく事態となり、(新規受け付けを)停止せざるを得なかった。今は再開しているものの、登録からご利用までには少しお時間をお待ちいただくことになり、ご迷惑をおかけしている。

 1年を通じ、シーズンの変化に対応した品ぞろえの切り替えも課題だった。「シーズンレスに使える=長い期間貸し出しができる」と考え、そういった類の商品を重点的に仕入れた結果、季節感を感じられるような服がほとんどなくなってしまった。例えば薄手のノースリーブトップスやダウンジャケットなどだ。「夏(冬)に着られる服がない」というお声も多く頂戴した。

WWD:デザイナーズブランドの品ぞろえが強みだが、人気ブランドは?

田端:貸し出し点数で見ると、「アドーア(ADORE)」「セルフォード(CELFORD)」など海外ブランドに限らず、なじみのあるブランドがレンタルでも人気だ。ただ回転率(在庫に対する貸し出し回数の割合)でみると、上位から順に「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIElA)」「ヴァレンティノ(VALENTINO)」「クロエ(CHROE)」「マルニ(MARNI)」と海外ブランドが強い。これらのブランドは抱えている在庫は少ないため、常に貸し出し中の状態が続いている。「エズミ(EZUMI)」「ミントデザインズ(MINT DESIGNS)」などコアなファンを持つドメスティックブランドの人気も高い。

WWD:貸し出し率が高い商品の傾向は?

田端:シンプルで使いやすいデザインよりも、大きな花柄などデザイン性の高いものの動きがいい。百貨店の店頭では“見せ筋”と言われるような、店内のアクセントにはなるが売れ筋にはならない商品も、レンタルでは人気がある。「着てみたいけれど、(価格が)高くて手が出せない」「すぐ飽きてしまうかもしれない」と購入にちゅうちょしていた商品も、レンタルなら手軽に試せる。気に入って購入するお客さまも一定数いらっしゃり、売上構成の10%ほどは買い取りによるものだ。

WWD:利用者はファッションラバーが多い?

田端:そうとも限らない。一般的な会社勤めで、デザイナーズブランドは買ったことがないという方もいらっしゃる。そういった方々にもサービスの価値を感じてもらえているようで、有料会員の解約率は1%以下にとどまる。

 服は人を元気にしたり、新たな出会いを生み出したりするもの。このサービスは、多くの人に袖を通していただくことで、そのパワーを伝えることを本懐としてスタートした。日本人のファッションに使うお金は減っていると言われるが、「おしゃれをしたい」という気持ちがなくなったわけではない。まだ1年ではあるが、そこに確信が得られたことはとても大きかった。

WWD:百貨店との相乗効果は?

田端:貸し出し商品や顧客の情報を、リアル店舗のMDや出店エリアの選定に生かすなど、テストマーケティング的に活用している取引先さまもある。ブランドの売り場では「アナザーアドレス」の商品ページを販売員に見せて「この商品が欲しい」とおっしゃるお客さまもいる。

 「アナザーアドレス」での取り扱いブランドの半分以上は、百貨店では取り引きがなかったブランドだ。百貨店への新規出店交渉でも、「アナザーアドレス」への出店をセットで提案することで、先方が前向きになることもあると聞いている。会員の分布は首都圏が中心で、大阪や名古屋が中心の大丸松坂屋の顧客とは異なる。年齢層も40代前半が中心で百貨店顧客(50代中心)より若い。シナジーが生まれるのはこれからだが、さまざまな可能性が眠っているだろう。

WWD:スタート時に中長期目標として利用者3万人、年間売上高50億〜60億円を目標に掲げていた。今後の展望は?

田端:個人的な野望としては、「百貨店のファッションレンタルサービス」にとどまるつもりはない。J.フロントグループ内では大丸松坂屋百貨店、パルコといった主要子会社と並べるようなスケールを目指していきたいし、グループからスピンアウトすることもありえる。まずは3年で事業の損益分岐点を突破し、5年で日本国内でナンバーワンのファッションレンタルサービスに成長させる。

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「マムート」アンバサダーの柴咲コウに聞く地方生活 ブランド160周年記念イベントで

 スイス発のアウトドアブランド「マムート(MAMMUT)」は、創業160周年を記念したプロジェクト“マムート 160周年記念プロジェクト〜すべては山を楽しむ為に〜”を始動し、アンバサダーに柴咲コウが就任した。3月9日に行った記者発表会では、福田太一マムート・スポーツグループジャパン社長がブランドのこれまでの歩みやCSR活動について解説。柴崎は160周年記念のアイテムを着用して登場した。

 同プロジェクトの一環として、東京・渋谷のミヤシタパーク3階のサイ(SAI)ギャラリーで、ブランドの歴史を振り返る展示を13日まで開催している。ブランドのルーツであるクライミングロープの初期モデルをはじめ、日本初公開となる商品や日本の山景色の写真を展示する。5月からは、一般参加者を募った登山ツアーなどのイベントを開催予定だ。これらの取り組みを通して、都市生活者に山の魅力を伝え、環境保全の意識喚起を促す狙いだ。

 柴咲は2020年に自身が代表を務めるレトロワグラースを立ち上げ、環境に配慮した衣食住にまつわる製品企画・開発に取り組む。18年には環境省の環境特別広報大使に就任。現在は北海道を拠点にし、自然と共生する暮らしを実践している。そうした柴咲の姿勢が「マムート」のフィロソフィーと通ずることが、アンバサダー就任のきっかけになった。柴咲にアンバサダーとしての意気込みを聞いた。

WWD:「マムート」のイメージは?

柴咲コウ(以下、柴咲):商品は、厳しい自然環境でも耐える機能性を備えたプロ仕様のイメージです。そして、ロゴがかわいい。最近は両親の故郷である北海道にも拠点を置いているので、そこで登山をする人たちが身につけているのをよく見かけます。本気で登山をする人たちに愛されているブランドですね。

WWD:展示を見た感想は?

柴咲:自然を相手にしているからこそ、CSRの活動にしっかり力を入れている企業だということ改めて理解しました。これからの取り組みにも注目したいです。特に、有機フッ素化合物については知らなかったので勉強になりました。アンバサダーとして、こういった事実を生活者の人々へ伝えていきたいです。自然は何万年もの長い年月をかけて形成されていて、すごく偉大です。責任を持ってモノづくりをしている様子を生活者は見ているし、ブランドに対する信頼につながると思いました。

WWD:北海道にいる間はどんな生活を?

柴咲:目的がなく過ごす時間が多くて、鳥のさえずりや山の木々が揺れる音に耳を傾けるだけで満たされた気持ちになるんです。微生物の存在も意識するようになりました。例えば、腐葉土の上を歩くと、温かくてエネルギーを感じます。枯れて終わったと思っていたものがまだ生きていて、これからの季節に向かって栄養を貯め、循環している。循環の大切さを学ぶと、なんでこれまで使い捨てでモノを消費することが許されていたのかなと考えています。モノの循環が重視される世の中にシフトできたらいいなと願っています。

WWD:アンバサダーとしてどんなことに挑戦したい?

柴咲:さまざまなアウトドアスポーツに挑戦したいです。ちょうどフライフィッシングに誘われているので、まずはそこから。登山はまだ初心者ですが、山や自然が大好きで、数年前には会社のレクリエーションで御嶽山に行きました。都内の会議室とは全く違う環境で、山に登りながら親睦を深めるのもいいなと思いました。まずは、ハイキングから始めて、今後は本格的な登山にも挑戦してみたいです。

WWD:環境問題について発信するときに気をつけていることは?

柴咲:発言した後に反省することばかりです。いろんな考え方があるけど、地球環境の課題は社会全体で取り組まなければいけない段階です。みんなが自分も取り組みたいと思えるように、ワクワクに包んで情報を届けることを大切にしています。一人の力は小さいかもしれないけど、それが集まれば大きな力になると信じて、諦めずに発信を続けていきたいです。

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「マムート」アンバサダーの柴咲コウに聞く地方生活 ブランド160周年記念イベントで

 スイス発のアウトドアブランド「マムート(MAMMUT)」は、創業160周年を記念したプロジェクト“マムート 160周年記念プロジェクト〜すべては山を楽しむ為に〜”を始動し、アンバサダーに柴咲コウが就任した。3月9日に行った記者発表会では、福田太一マムート・スポーツグループジャパン社長がブランドのこれまでの歩みやCSR活動について解説。柴崎は160周年記念のアイテムを着用して登場した。

 同プロジェクトの一環として、東京・渋谷のミヤシタパーク3階のサイ(SAI)ギャラリーで、ブランドの歴史を振り返る展示を13日まで開催している。ブランドのルーツであるクライミングロープの初期モデルをはじめ、日本初公開となる商品や日本の山景色の写真を展示する。5月からは、一般参加者を募った登山ツアーなどのイベントを開催予定だ。これらの取り組みを通して、都市生活者に山の魅力を伝え、環境保全の意識喚起を促す狙いだ。

 柴咲は2020年に自身が代表を務めるレトロワグラースを立ち上げ、環境に配慮した衣食住にまつわる製品企画・開発に取り組む。18年には環境省の環境特別広報大使に就任。現在は北海道を拠点にし、自然と共生する暮らしを実践している。そうした柴咲の姿勢が「マムート」のフィロソフィーと通ずることが、アンバサダー就任のきっかけになった。柴咲にアンバサダーとしての意気込みを聞いた。

WWD:「マムート」のイメージは?

柴咲コウ(以下、柴咲):商品は、厳しい自然環境でも耐える機能性を備えたプロ仕様のイメージです。そして、ロゴがかわいい。最近は両親の故郷である北海道にも拠点を置いているので、そこで登山をする人たちが身につけているのをよく見かけます。本気で登山をする人たちに愛されているブランドですね。

WWD:展示を見た感想は?

柴咲:自然を相手にしているからこそ、CSRの活動にしっかり力を入れている企業だということ改めて理解しました。これからの取り組みにも注目したいです。特に、有機フッ素化合物については知らなかったので勉強になりました。アンバサダーとして、こういった事実を生活者の人々へ伝えていきたいです。自然は何万年もの長い年月をかけて形成されていて、すごく偉大です。責任を持ってモノづくりをしている様子を生活者は見ているし、ブランドに対する信頼につながると思いました。

WWD:北海道にいる間はどんな生活を?

柴咲:目的がなく過ごす時間が多くて、鳥のさえずりや山の木々が揺れる音に耳を傾けるだけで満たされた気持ちになるんです。微生物の存在も意識するようになりました。例えば、腐葉土の上を歩くと、温かくてエネルギーを感じます。枯れて終わったと思っていたものがまだ生きていて、これからの季節に向かって栄養を貯め、循環している。循環の大切さを学ぶと、なんでこれまで使い捨てでモノを消費することが許されていたのかなと考えています。モノの循環が重視される世の中にシフトできたらいいなと願っています。

WWD:アンバサダーとしてどんなことに挑戦したい?

柴咲:さまざまなアウトドアスポーツに挑戦したいです。ちょうどフライフィッシングに誘われているので、まずはそこから。登山はまだ初心者ですが、山や自然が大好きで、数年前には会社のレクリエーションで御嶽山に行きました。都内の会議室とは全く違う環境で、山に登りながら親睦を深めるのもいいなと思いました。まずは、ハイキングから始めて、今後は本格的な登山にも挑戦してみたいです。

WWD:環境問題について発信するときに気をつけていることは?

柴咲:発言した後に反省することばかりです。いろんな考え方があるけど、地球環境の課題は社会全体で取り組まなければいけない段階です。みんなが自分も取り組みたいと思えるように、ワクワクに包んで情報を届けることを大切にしています。一人の力は小さいかもしれないけど、それが集まれば大きな力になると信じて、諦めずに発信を続けていきたいです。

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なぜパタゴニアが日本酒を手掛けるのか 日本発「五人娘」誕生秘話

 パタゴニア(PATAGONIA)の食品事業プロビジョンズは2021年12月、日本発の初めての製品として寺田本家が手掛ける「五人娘」を発売した。本国アメリカでは寺田本家オリジナルの「五人娘」を、日本ではパタゴニア日本支社がソーラーシェアリングに投資する「坪口農業未来研究所」のコシヒカリを掛米(もろみ造りに直接使われるお米)に用いた独自配合の「五人娘」を販売し、売れ行きは上々だという。なぜパタゴニアが日本酒を手掛けたのか。近藤勝宏パタゴニア プロビジョンズ ディレクターに聞いた。

WWD:パタゴニアの日本発の初プロダクトが日本酒でした。

近藤勝宏パタゴニア プロビジョンズ ディレクター(以下、近藤):実はお酒に的を絞っていたわけではなく、きっかけは“自然発酵”のコレクションを作り、お客さまに紹介しようとプロジェクトが始まったことでした。プロジェクトが本格化したのは2020年秋。発酵から熟成、そして瓶詰めまで、天然の風味を維持しながら向上させるために人的介入は最小限に抑える技術を持ち、日本酒であれば米、ワインならブドウといった原材料も環境にダメージを与えない方法で作られたモノを提案することが環境や社会問題への解決策の一つになるのではないかと考えました。

WWD:なぜ、自然発酵だったのでしょうか。

近藤:自然派ワインや自然酒はコアなファンがいるけれどなかなか広がらない。多くの方は通常、値段と量、ラベルで選び、モノ作りの背景までは考えることはないでしょう。なぜ自然派ワインや自然酒に価値があるのか、どうやって作られているかを伝えることで、ファンを作るいいきっかけになるのではないかと考えました。

WWD:自然派ワインは、どこでどんな作り手がどんな気象条件や醸造方法で作っているかが語られ、トレーサブルです。自然条件で味が変化することを楽しむ文化が少しずつ広がっているようにも感じます。

近藤:自然派ワインのファンは一定数いて、その年を味わうことを楽しみ、共有する文化ができていますが、酒はあまりない。同じようにお米も品種があり自然の影響を受けているのでそうあってしかるべき。自然の影響を受けてそれぞれ個性が出てくる。それを楽しむような方が今後増えていけばと思います。

WWD:食品生産における課題解決に向けて、すでにビールや豆のスープ、魚の缶詰などを販売しています。自然農(不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)、不施肥(肥料を与えない)、無農薬(農薬を使用しない)を特徴とする農法)で栽培された原材料を用いたプロダクトを販売することーーつまり土壌を回復しながら生産する食品を販売することは今パタゴニアにとって最重要プロジェクトといっても過言ではありませんね。

近藤:水や空気、土壌を再生しながら、野生動物を保護するような方法で原材料が生産されていればいいというわけではなく、食品事業は(創業者の)イヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard)やシュイナードファミリーが深く関わっています。クオリティにもこだわりがあり、これまで発売したプロダクトは全て彼らの舌を通り承認を得ています。

WWD:寺田本家との取り組みはどのように始まりましたか?

近藤:米国チームが自然発酵プログラムに適したものを探していたときに、寺田本家と出合い、彼らのモノ作りに共感してアプローチしました。米国の担当者が直接オンラインで寺田本家に、どのように稲を育てているか、働いている人は幸せか、どういう環境で働いているかなどのインタビューを行いました。

WWD:日本でパタゴニアが販売している「五人娘」は掛米に「坪口農業未来研究所」が生産するコシヒカリを用いています。

近藤:通常の「五人娘」とは味が異なり、フレッシュかつワイルドな味わいになりました。私自身「五人娘」のファンでよく飲んでいますが、今回仕上がった「五人娘」は味にパンチがある。実は、(お酒が出来上がるまで)「正直わからない」と言われました。掛米で使われる米は味に大きな影響を与えないと聞いていましたし、寺田本家はコシヒカリを使って酒を造る経験もあったので当主の優さん(寺田本家の24代目寺田優氏)は自信があったと思います。わからないとは、クオリティが落ちる可能性があるということではなく、自然が決めるという意味です。寺田本家はあるがままの自然の状態に任せて醸造しますし、タイミングでも味が変わります。それが本来の食べ物、つまり食べ物も生き物であるということだと思います。あるがままの自然を受け入れて、生まれるものを発酵の一部として考えるーー蔵に集まったものを受け入れるという思想です。

WWD:どのように協業しているのですか?

近藤:パタゴニアが原材料を提供するのではなく、寺田本家が「坪口農業未来研究所」から買い取る形です。日本では「寺田本家」オリジナルの「五人娘」は飲めるので、パタゴニアが販売するのは、パタゴニアでしか味わえないもの、パタゴニアとのストーリー関係性の深いものを使おうとなりました。ワインもオリジナル企画です。

WWD:食こそが唯一の解決策だとイヴォン・シュイナード氏は語っています。

近藤:ジャケットは5~10年に1回買い替えればいいけれど、食は毎日のことです。食品産業はエネルギー産業と並び、気候変動や環境に対するインパクトが大きく、この分野を変えていくことが地球を救うことになります。食のあり方や食の選ばれ方、土壌を豊かにして炭素を固定することーー“解決策としての食”をコンセプトにしていて、そうした食品を今後開発して選択肢を増やしていきたい。

食品の複雑なサプライチェーンを再構築する

WWD:今後、食品事業をどのように拡大していくのでしょう。

近藤:食は土地のものがあり、地域で好みが異なります。主食も違う。アメリカの企画で作られたものを日本に紹介して波及させることで日本の食品業界にインパクトを出すことももちろんですが、直接日本の食卓や農業にインパクトを出せる日本製品の開発に力を入れていきます。

WWD:具体的なアイデアはありますか?

近藤:イヴォン・シュイナードは日本食が好きです。例えば、米や麦を用いた、みそやみそ汁など日本の伝統的な食材と食品加工技術を用いたものを作っていきたい。

WWD:各地域で独自商品が生まれる、ということでしょうか。

近藤:日本で成功モデルを作り、他のブランチで波及させたいと考えています。私自身、日本の伝統的な食生活が解決策としての可能性があると考えています。主食は雑穀、野菜や海藻が食の中心にあり、肉食中心ではなかった。伝統的な日本食をいい形で世界に提供したい。地球の変化の原因の一つで、環境へのインパクトが大きいのは畜産です。食生活の変化も気候変動の要因の一つで、その解決を目指すためには、伝統的な姿に戻していく必要があるのではないでしょうか。伝統的な日本食をいい形で世界に提供したい。

 また、現在、健全性のある食品がなかなかありません。プロビジョンズのビジネスを通じて、食品産業の複雑に絡み合ったビジネスを変えたい。アパレル産業を40年かけて改革してきました。ウエアビジネスで学んだことを生かし、複雑な食品の世界を再構築したい。

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「みんなのために」じゃないフェミニズム 出版社エトセトラブックス代表が語る日本のフェミニズムとファッション

 2018年12月に設立したエトセトラブックス(etc.books)は、フェミニズム本が専門の出版社だ。これまで聞かれてこなかった“エトセトラ(その他)”の声を発信することを目標に掲げている。同社の松尾亜紀子代表は、同名の店舗を東京・新代田に2021年1月にオープンし、企画や編集、販売、イベントの運営を通してフェミニズムを伝えている。今回、松尾代表にフェミニズム出版社としての想いやファッションとフェミニズムのつながり、自身のファッションについてを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):エトセトラブックスを設立しようと思った理由は?

松尾亜紀子エトセトラブックス代表(以下、松尾):15年間編集者をした後、「ジェンダーやフェミニズムの本を出す出版社を作る」いう想いを胸に、18年に独立しました。独立への背中を押してくれたきっかけは二つ。一つは、2010年ごろからSNSを中心に日本の多くの女性たちがフェミニズムについての対話を始めたこと。当時、性暴力や職場での性差別について声を上げる人が増え、ジェンダーやフェミニズムに関連する本の感想がダイレクトに届くようになり、フェミニズムの動向も見えやすくなりました。もう一つは、独立系の出版社がたくさん登場したこと。独立した人たちが流通や経営の仕組みを構築して前例を築いてくれたので、フェミニズムだけの出版社を立ち上げて、より直接的に読者に届けたいという気持ちでスタートしました。

WWD:現在の事業は?

松尾:毎年2回発行するフェミマガジン「エトセトラ」は大体3000部から始めて、毎回増刷を重ねて6000部ほど作っています。毎月のイベントには、約60〜100人が集まります。21年1月に開いた新代田の店舗には、学生から70代のお客さままで、幅広い客層が来店しています。

WWD:仕事のやりがいは?

松尾:原稿を一番早く読める、というのは編集者として何より大きな喜び。フェミニズムを専門にしているので、出版のプロセス自体がフェミニズムの実践になります。こうして話を聞きにきてくれる人が増えていることに対しては、いまだに「私はただの一人の編集者ですが……」という気持ですが。

届けたい人がいるから、「みんなのため」にしない

WWD:エトセトラブックスが担う役割とは?

松尾:誰かのフェミニズムを、また別のフェミニストに伝えるのが使命です。書籍では、これまで聞こえなかった“エトセトラ”の声を届け、イベントではそれを読んだ人たちと一緒に理解を深めて思いを共有する。店頭では、自社の出版物だけでは伝えられないフェミニズムの多様さや葛藤を扱うことが目的です。「ここに来たら居場所がある」って思ってもらえるような場所を作りたいんです。

WWD:実際にはどんな反響が届く?

松尾:「お店で生きているフェミニストに会えてうれしい」と言ってもらえたことがありました。今はSNSでフェミニズムを実践する人が多いけれど、実態が見えづらい。だからスタッフやお客さまが、“生身のフェミニスト”として可視化できているのでしょうね。

WWD:ジェンダーやフェミニズムのトピックスを扱う上で工夫していることは?

松尾:私の話を聞いて、対話しようとしている目の前の人に向けて話すことです。広く漠然と「みんな」に向けてだと、本来届けたい層とは離れてしまう。マジョリティーのための、ジェンダーの話になってしまいます。

ずっと正しいわけではない。許してくれる仲間やシスターフッドがあった

WWD:日本では特にジェンダーやフェミニズムの話は敬遠されがちだ。発信を続けることに葛藤や恐怖はない?

松尾:恐怖はないですね。活動をする上で何をやりたいかも大事ですが、それ以上に「これはやらない」を決めるのがとても大事。やりたくないことを選ぶようになってから、フェミニストとして発信する葛藤はなくなりました。独立してからは、自分の発信したいことについて、誰かの顔色を気にしないようになれました。

WWD:間違えてしまうこともある?

松尾:私は編集者として本を作る過程でフェミニズムを知ってきたので、学問的・専門的には学んでいません。今でも間違えることはあるし、全然完成形じゃない。だからこそ何かを考えて実践する姿を見せていくことにも意味があると思っています。これから失敗するかもしれないし、迷うこともあるかもしれませんが、エトセトラブックスの成長や歩みはオープンにしていきたい。その過程を共有したいんです。

WWD:日本でフェミニズムを語る難しさとは?

松尾:前からのつながりや歴史について“共有する前提”が足りていないと感じます。例えば、ここ数年「フェミニズムの流れが来ている」「盛り上がっている」という風に言われることも多いですが、これまでずっと闘ってきて、社会を少しずつ変えてきた女性やフェミニストたちの存在があまり語られません。そういう人たちも、みんなが正しかった訳ではなく、間違うこともあった。でもそれを許してくれる仲間の存在やシスターフッドがあり、少しずつ積み上げられてきたものが今のフェミニズムを作っている。歴史への理解を深めることで、連帯がさらに生まれてくるはずです。

「洋服くらいは、自分の味方に」

WWD:ファッションとフェミニズムの関連性は?

松尾:1960年代にアメリカから広まったフェミニズム運動で、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンがあります。この考えは、ファッションも同じだと思うんです。どんな装いを選ぶかは、それを社会的要因などによって選べない人がいるということも含めて、政治的ですよね。ファッションは自分らしさを表現する時のツールでもあるし、みんなで共有できる楽しさがある。ものを通して、フェミニストたちをつなぐものでもあると思います。

WWD:自身のファッションに対するポリシーは?

松尾:自分の好きなTシャツと、パンツ、黒い上着が基本の装いです。時々変えることがありますが、基本はこのスタイルが落ち着く。「したくないこと」を洋服に置き換えて選べるようになってから、楽しめたり、心地よく感じられるようになってきた気がします。Tシャツは、エトセトラブックスの店内でも売っているようなメッセージTシャツやスローガンTシャツをよく着ています。

WWD:なぜメッセージ性のあるTシャツを選んでいる?

松尾:フェミニズムTシャツが大好きなのは、気分的に勇ましくなれるし、何より自分がアガるから。誰かに見せるとか攻撃するためではなくて、洋服ぐらいは自分の味方で、自分にパワーを与えてくれるものであってほしい。フェミニストだと公表したら、周りに「もっと明るく、攻撃的ではない服を着た方いい」と指摘されることがありました。短い髪に、好きな革ジャンやパンツスタイルをすると、「いかにもフェミニストだね」と言われたこともあります。でもそういう人たちは結局、自分が思うフェニミストの型にはめようとしているだけなんだろうなと感じましたね。自分のプレジャーになるためのファッションが大事なのであって、お互い「こうでなくてはいけない」と主張し合うのは無駄なはず。

WWD:具体的には?

松尾:装いに関するところでは、女性に限った話ではないですが、就職活動のリクルートスーツが自分たちの世代よりもっと画一的になっていて驚きました。しかも衝撃だったのが、基本の装いであるスーツはガチガチにルールに縛られたままなのに、ピアスやヘアースタイルで“おしゃれ・個性をプラス”とうたう記事を見たこと。そのギャップに、鎖に繋がれた中の自由、そして「それで満足せよ」と若者に言っている社会の圧が詰まっている気がします。ファッションで何かを主張したい人はすればいいと思いますが、誰かにさせられているファッションなら早く脱いだ方がいい。“脱げる社会”をつくらないといけないと思いますね。

メッセージには、尊厳とプレジャーの視点が大事

WWD:当事者に寄り添う発信のつもりが、攻撃的なアウトプットになってしまうケースもある。どう気をつけていくべき?

松尾:女性を題材にして炎上するものは、とにかく尊厳がない。マイノリティーの尊厳とプレジャーを本当に大事にしているのか、気にかけなければいけません。キャンペーンや広告、アイテムのきれいな見かけが、メッセージの危うさを隠してしまうことがあります。

WWD:情報を見分けるには。

松尾:商業主義や新自由主義にまみれた“フェミニズムぶったもの”には注意が必要。女性の体を利用したビジネスが多くあります。脱毛や痩身などの広告や情報ばかりが増え、自分の体を守れなくなっていってしまうんですよね。フェムテックも、女性の身体を商業的に利用しているように見える会社もあります。例えば、ホームページにはきれいな言葉が並んでいても、役員は全員男性で、社外顧問というポジションだけに女性を据えるような組織の体制は信用できないですね。

出版のプロセスがフェミニズムであり、社会運動

WWD:エトセトラマガジンのトピックはどのように選んでいる?

松尾:長田杏奈さんが責任編集を務めた「エトセトラVOL.3 私の私による私のための身体」では、美容ライターとして活躍する長田さんの考えにフェミニズムを絡めて制作を依頼しました。「エトセトラVOL.4 韓国ドラマで私たちは強くなれる」は、自分や周囲の女性たちがコロナ禍で韓ドラにはまったことから始まりました。最新号の「エトセトラVOL.6 ジェンダーとスポーツ」は反オリンピックの運動の一環として、時事的なことをきっかけに発行しました。

WWD:マガジンの特徴的な表紙デザインはどういうアイデア?

松尾:この表紙がプラカードになるイメージで制作しています。2017年に参加したウィメンズマーチ(国際女性デーに世界各国で、ジェンダーに基づく暴力・差別に反対の意思を表明するデモ行進)で、現在デザインを手掛ける福岡南央子さんに出会いました。福岡さんが当時持っていた自作のプラカードのデザインに惹かれて、「絶対この人に頼もう」と決めていたんです。書店で表紙が並んだり、誰かが電車で読んだりしているときに、周囲には社会へのステートメントとして映るよう願いを込めています。

WWD:これからの目標は?

松尾:まずは続けることですね。5年、いや10年先も今やっていることを続けていきたい。ハリウッド発信で#MeTooが広がる前に、日本で伊藤詩織さんは声を上げていたし、石川優実さんの#KuTooも独自に広まっていきました。日本は海外ほどフェミニズムが広がらないとか、#MeTooが不完全燃焼とかよく言われますが、私自身も伊藤詩織さんに連帯を表明できなかった、応援しきれなかったという後悔があります。そういった後悔も共有しながら少しずつ進んでいるのが、今の日本のフェミニズムなのかもしれません。私が関わっているフラワーデモ(毎月11日に、性暴力根絶を目指して全国で同時に行われるデモ)は#MeTooの一つですが、まず寄り添うための#Withyouがないと、#Metooは発展しません。今は一緒に声を上げていく土俵として、#WithYouを創っているところなのだと思います。

松尾代表が選ぶおすすめの書籍3点

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「完璧な人しか語っちゃいけないタブーを変えたい」 AMIAYAと考えるサステナビリティvol.1

 双子モデルのAMIAYAは、原宿のストリートで誕生し、今や東京のファッションシーンと世界を繋ぐ架け橋のような存在だ。2011年には、マークスタイラーから自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるアパレルブランド「ジュエティ(JOUETIE)」を立ち上げ、10〜20代の層を中心に支持を集める。「ファッションを謳歌し、自由に表現する楽しさを届ける」ことをモットーに、ポジティブなパワーを発信してきた2人は、環境問題や人権問題など業界の負の側面に関心が高まる今、あらためて「私たちが発信すべき責任あるメッセージとは何か」を自問する。本連載では、AMIAYAがさまざまな角度からサステナビリティを学ぶ姿を追う。第1回は、AMIAYAにこの連載にかける思いについて聞いた。

WWD:今回の連載は、2人から「サステナビリティについてもっと学ぶ機会が欲しい」と声をかけてくれたことがきっかけです。そう思った背景にはどんな理由が?

AMI:2019年ごろから海外のコレクションに行くと、環境問題やサステナビリティをテーマにしたブランドのプレゼンテーションを見る機会が増えました。主に海外でそういった情報に触れながら、自分たちも何か変えられることはないか、どんな発信をしていくべきかを2人でよく話すようになりました。

WWD:特に印象的だったショーの思い出は?

AMI:20年春夏シーズンの「ディオール(DIOR)」です。森を再現した会場で、ショーで使用した木を街に植樹する取り組みを実践していました。メディアの人からこういったサステナビリティのメッセージをどう思うかと聞かれましたが、その時はうまく答えられませんでした。一方で、海外のインフルエンサーたちは自分の言葉でちゃんと意見を述べていて、私たちもこうならなくてはと思った瞬間でした。

WWD:ファッションの楽しさや華やかな部分を経験してきた2人が、生産工程の裏の人権問題や環境破壊などに目を向けることで、ファッションに対する姿勢に変化はありましたか?

AYA:自分たちもファッションを選ぶ視点が変化しています。加えて、若い子に向けてファッションの楽しさを発信する責任を強く意識するようになりました。ずっと大事にしてもらえる服も大事だけど、トレンドも発信したい。そんな葛藤を感じるようになりました。

WWD:環境問題などに対する発信はこれまで意識的に避けていたのですか?

AMI:正直抵抗はありました。以前、ラジオでサステナビリティの話題に触れたら、その後インスタグラムのDMで「何も知らないくせに」とか「なんかイメージと違う」といったコメントを受け取りました。この話題は特に、“完璧に知識を蓄えていないと触れてはいけない”という雰囲気を世間からは感じています。今も話すことが怖いし、攻撃されるかもしれないと不安です。だけど本当は、みんなで話して、一人ひとりの意識を変えていくべきだと思うんです。私たちが等身大で発信することで、その壁を取り払って、いろんなところでディスカッションが始まるきっかけを作りたい。

AYA:私はエシカルやフェアトレードに興味を持つようになってから、洋服の話は政治や自分たちの生活のさまざまな部分と密接につながっていることに気が付きました。ファッションについて発信する立場として、もっといろんなことに興味を持ち、知ろうとするべきだと強く感じています。友達とご飯の話をするみたいに、サステナビリティや政治の話も日常的に話せるようになることが理想です。

AMI:「ジュエティ」は“ミックスガール”というコンセプトで立ち上げました。当時は、青文字系や赤文字系などファッションのジャンルが分かれていたので、もっと自由な表現を楽しんでほしいという思いを込めました。今はエシカルなブランドも、ある意味ジャンルとして分かれている気がしますし、サステナビリティに関する発言をできる人が限られている気がします。私たちが等身大で発信することで、完璧な人しか語っちゃいけないタブーを取り払いたい。

WWD:最後にこの連載を通じて、どんなメッセージを届けたいですか?

AMI:私たちの好きなブランドの「ガニー(GANNI)」のデザイナーがあるインタビューで、「新しいものを作るビジネスと、持続可能な社会には絶対的な矛盾がある。だから自分たちではサステナビリティは謳わない。それでも自分たちができる最善のことをして、ファッションブランドとしての責任を果たしたい」と話していました。問題にしっかりと向き合っているからこその言葉です。私たちもさまざまな問題にちゃんと向き合い、感じたことを自分たちの言葉で伝えていきたいです。

AYA:私たちの役目は、ファッションの楽しさを伝えること。これまで世界で認められるファッションアイコンを目指してきましたが、それは日本のファッションと世界をつなげ、ファッションを通じて社会に貢献したいから。社会に貢献するためにファッションのポジティブなパワーを、責任を持って届けていきたいです。

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ヘアメイクアップアーティスト藤原美智子が42年のキャリアを振り返る 「ヘアメイクで人を輝かせることが一番の幸せ」

 ヘアメイクアップアーティストの藤原美智子は4月19日付で、42年にわたるヘアメイクアップアーティストとしてのキャリアに終止符を打つ。同日に自身が経営する事務所のラ・ドンナ(LA DONNA)も解散する。藤原氏はこれまで数多くの雑誌や広告のヘアメイクを手掛け、長年にわたり日本のヘアメイク業界の最前線を走ってきた。化粧品やファッション関連のアドバイザーを務め、テレビ出演など幅広く活躍するほか、栄養コンサルタントの資格も持ち、食や健康、暮らしまでライフスタイル全般の発信をしてきた。2017年には自身のライフスタイルブランド「ミチコドットライフ(MICHIKO.LIFE)」を立ち上げ、長年のヘアメイクのノウハウを生かした化粧品や雑貨を販売。また1992年4月に事務所のラ・ドンナを立ち上げ、小田切ヒロやAYA、田中宏典といった業界トップのヘア・メイクアップアーティストを多く輩出してきた。
 
 藤原氏は今後、ビューティ・ライフスタイルデザイナーという肩書きで再出発する。引き続き「ミチコドットライフ」のプロデュースやヘアメイクアップアーティスト丸山智路のスキンケアブランド「ボーテ ド ラ・ドンナ(BEAUTE DE LA DONNA)」のアドバイザー活動を行う。そんな藤原氏に、これまでの42年のヘアメイクのキャリアを振り返りつつ、今後の活動について聞いた。

WWD:そもそも42年前、ヘアメイクアップアーティストになろうと思ったきっかけは?

藤原美智子ビューティ・ライフスタイルデザイナー(以下、藤原):母が美容室を経営していて、後を継ぐために美容学校に通っていました。しかし卒業間際になって、子どもの頃から見ていた世界を自分が続けることに興味が失せ始め、何か新しいことをしたいという思いが湧いてきました。

そんなとき、後に私が師事する先生(松永タカコ氏)が取材されている週刊誌を偶然目にしました。それを読んで、初めてヘアメイクアップアーティストという職業があることを知りました。そしてたまたまアシスタントを募集していることを目にした途端にピンときて、すぐに連絡をして面接を受けたら合格したんです。それが私の42年に及ぶヘアメイクアップアーティストのキャリアのはじめですね。

WWD:日本のビューティ業界の最前線で活躍してきたが、キャリアが軌道に乗ったと思うエピソードは?

藤原:ちょうど30歳になったころから「藤原さんはこういうメイクが得意ですよね」と頼まれる仕事が一気に増えたことです。つまり、それは自分の個性や好きな美しさの表現をハッキリと他者に伝えられるようなヘアメイクを作れるようになったことであり、それが認められてきたということなので、とてもうれしかったことを覚えています。

 私が表現できるようになりたいと思っていた女性の美しさとは、透明感や品性があり、ノーブル性(気品がある)と「今」が感じられるもの。私は一人の女性の中にある多面的な内面の魅力をメイクで外側に表せられるようなヘアメイクアップアーティストになりたいということを、この職業に就いたときから目指していました。

WWD:キャリアを振り返り、一番苦労した点は?

藤原:20代のころは私自身、好きな世界観や個性というものを模索していた時代だったので、依頼される仕事もさまざま。ですから、どういった綺麗さを求めているのかを把握できない仕事を依頼されたり、自分が不得意な女性像を作らなければいけなかったり。でも仕事なので依頼側が納得する以上のものを作らなければいけない。それが今思うと一番の苦労だったと思います。

WWD:逆に一番印象に残る仕事は?

藤原:アシスタント時代に急遽、先生の代わりにとある雑誌の表紙のヘアメイクを担当しなければいけなくなったときの仕事です(そして、これが私にとって初めての一人仕事となりました)。そのとき、自分が納得するまでヘアメイクに時間をかけてしまったのに、編集者やカメラマン、スタイリスト、モデル、誰一人として私を急かしたり文句を言ったりせずに、私の気が済むまで待ってくれました。そんな皆さんの懐の深さをそのときは気づく余裕はなかったのですが、後でその有り難さや「創る」とはどういうことなのかを気付かされました。

鉄則は「人の内面が引き出されるヘアメイク」

WWD:ヘアメイクをして一番幸せに感じる瞬間は?

藤原:自分がヘアメイクした相手の目が、まるで星が入ったかのようにキラキラと輝き出し、カメラの前で自信を持って魅力的な表情をしながら撮られているのを見ているときです。この瞬間を見るために私はこの仕事をしているのだな、と毎回思っていました。

WWD:ご自身のヘアメイクのこだわりや鉄則を教えてほしい。

藤原:その人の内面が引き出されるヘアメイクをすることですね。

WWD:長きに渡り美容業界を見てきたが、この間で業界はどう変わったと考えるか。

藤原:いつのときも時代というのは変わっていくものであり、変化していくのが人間。当然ながら人が求める美も変化していきますし、その道具となるものを作り発信する美容業界も変わっていくのが常です(これは「鶏が先が卵が先か」かもしれませんが)。もちろん私自身も時代の空気感に感化して変化してきましたが、私が美しいと思う「透明感」や「品性」という根っこの部分は変わっていませんし、それはこれからも変わらないと思います。

WWD:コロナで暗いニュースが続きましたが、ビューティ業界の未来はどう見ている?

藤原:何が美しいのか、その本質を考え直す岐路にあるように感じています。これまでのただ「モノ」を提供するだけではなく、そして近年多い“トータル美容”を提供するだけでなく、またSDGs的なものを提供するだけでなく、今は「コト」を提供することも大切。「美」は人間が本能で求めるものであるからこそ、もう「モノ」だけでは難しい時代になってきているように感じています。これからは単に「売る」というだけではなく、トータルで「美の元」を提供していかなければならない時代になるように感じています。

WWD:これまで自身も現役として最前線で活躍しつつ、多くの次世代アーティストを世に出してきた。これからヘアメイクの道に進む人に対してのアドバイスは?

藤原:自分はどんなものを美しいと感じるのか。どんなものを可愛いと思うのか。どんなことをカッコイイと思うのかーー。そういったことを自分に投げかけて、自分自身を知ること。それが美を創るための元であり、全ての始まりになります。

WWD:ヘアメイクを始めて42年。感謝を伝えたい人は?

藤原:もちろん今まで全ての仕事で関わった編集者やカメラマン、スタイリスト、女優、プロのモデル、モデルになって下さった一般の方々、全ての方々にお礼を申し上げたいと思います。そして「ヘアメイクの人のアシスタントにつきたい」と話したとき、「あら、良いんじゃない?面白いんじゃない?!」と即答で賛成し、そして援助してくれた母に感謝したいです。

今後はライフスタイル全般を発信

WWD:今回引退を決めた理由は?

藤原:実は数年前から「ヘアメイクの仕事はもう十分にしたよね」と思っていました。それで昨年末にマネージャーと今後の事務所のことについて話しをしているときに、4月19日で丸30周年になることに気づき、それを機会に事務所を閉じることに決めました。そして「事務所を閉じるのだったら、へアメイクもやめようかな」と。この数年間、「きっかけ」を待っていたので速攻で決められたのだと思います。

WWD:今後は「ビューティ・ライフスタイルデザイナー」として活動されていくが、具体的にどのようなことをしていくのか。

藤原:40代前半からは、講演や取材、執筆依頼される本において、メイクのことだけではなく、生き方や暮らし方などライフスタイル全般について聞かれたり頼まれたりすることが多かったのですが、実は20代のころから実質的なメイクのことだけではなく、メイクと心、ライフスタイルの関わりに興味を持っていましたし、それが楽しいと感じていました。

また実際に作るメイクも「美しい印象」「幸せな印象」など、その美しさによって女性はどんなふうに幸せな気持ちになるのか、イキイキと輝き出すのかを考えながらヘアメイクの提案をすることが好きでした。ヘアメイクアップアーティストという具体的に表現をする仕事からは卒業しますが、20代のころから「楽しい」「好き」だった、そして40代からさまざまな場面で聞かれていた美とライフスタイル(生き方)を具現化する仕事に専念していきたいと思っています。

そうした事柄を自分のブログ「BEAUTY LIFE」での無料コンテンツ、また有料コンテンツ「MICHIKO’S DIARY 日々のこと」で発信していきます。これからは、このホームページを太い幹に育てていきたいと思っています。また私がプロデューサーとして関わっているライフスタイルブランド「ミチコドットライフ」も同じ理念を持って立ち上げたものです。これからの女性の生き方に沿った、そして総合的に「モノ」や「コト」を提供できるブランドに関係者一同で育てていきたいと思っています。

WWD:「ラ・ドンナ」の所属アーティストの今後については?

藤原:所属アーティストに知らせるとき、「仕事ということだけではなく、自分の生き方も含めて今後のことを決めて欲しい」と伝えました。今事務所を立ち上げる準備をしている人もいれば、他の事務所に所属することを決めた人、ヘアメイクだけではなく映像の仕事もする人もいます。皆それぞれの生き方に沿った「次なる」ことを決めているところです。その報告は会社のホームページ上で随時更新していきますので、これからも応援して頂けるようよろしく願い致します。

WWD:最後に今後の展望や夢について教えほしい。

藤原:これから日本の大人女性の現役時間は長くなるわけですが、ただ長いだけではなく、前向きにイキイキと自信を持って、軽やかに時を積み重ねられる新しい大人の女性像を提案し応援していけたらと思っています。そして、そのような生き方であるライフスタイルの提案もしていきたいと思っています。

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ランニングしながら腹筋も鍛えられる 「シックスパッド」で引き締まったボディへ

 MTGのトレーニングブランド「シックスパッド(SIXPAD)」は、腹筋を鍛えるEMSスーツの新タイプ“シックスパッド パワースーツ アブズ(SIXPAD Powersuit Abs以下、アブズ)”を 開発した。ジェルシートが不要で、手間やストレスがなく、時間や場所に限定されない汎用性の高い製品だ。ヨガや筋トレ、ランニング時にも使用 できるため、短時間でより効率的なトレーニングを実現する。新しい「シックスパッド」で、より引き締まったボディを目指そう。

 「シックスパッド」は2015年に誕生して以来、ジェルシートを使用して腹筋や太もも、ヒップなどをEMSトレーニングできる製品を販売してきた。EMSとは Electrical Muscle Stimulationの略で、文字通り電気で筋肉に刺激を与え、トレーニングを行うというもの。ジェルシートは通電性を高めるために必要だったが、「ジェルシートの交換が手間」「交換と ともに、トレーニングを止めてしまった」などの声もあったという。そこで、より習慣化を促すため、“ジェルシート不要”のタイプを開発した。

 古来の染色技術を応用した独自の布製電極「エレダイン」は、水で濡らすことで通電が可能だ。付属のスプレーボトルで、各電極部に水をしっかり吹きかけるだけ。その後、1回わずか23分のオート・プログラムで、本格的な筋トレができる。

 体へのフィット感と伸縮性(伸縮率+110%)も非常に高く、そのまま洗濯できるのも特長。薄くて軽い布製のため、トレーニングウエアのような感覚で持ち 運びができる。“アブズ”と運動を組み合わせた“ハイブリッドトレーニング”を習慣化すれば、 より効果実感を追求できるはずだ。

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問い合わせ先
MTG
0120-467-222

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「ラ ブーシュ ルージュ」が榮倉奈々とコラボ サステナブルなリップスティックに込めた思いとは

 フランス発のサステナブルメイクアップブランド「ラ ブーシュ ルージュ(LA BOUCHE ROUGE)」はこのほど、榮倉奈々とコラボレーションしたリップスティックを発売した。肌馴染みが良いブラウンレッドカラー“KOTO”(レフィル税込5500円)とブルーのレザーケースを合わせた“ル バーム KOTOセット“(同1万4410円)をそろえる。榮倉氏は二児の母になったことをきっかけに、未来の地球環境について考えるようになったという。そんな中でニコラス・ジェルリエ(Nicolas Gerlier)「ラ ブーシュ ルージュ」創業者のモノづくりに共感し、今回コラボレーションが誕生した。榮倉氏に、コラボリップに込めた思いや、普段から取り組んでいるサステナビリティについて聞いた。

WWD:「ラ ブーシュ ルージュ」は化粧品業界において肥大化するプラスチック問題に立ち向かうべくスタートしたブランド。サステナビリティを創業時から貫いているが、どのような面に共感したのか。

榮倉奈々(以下、榮倉):プラスチックはもちろん、ミツロウすら使わないというストイックな姿勢には最初は正直驚きました。ラグジュアリーでモードな雰囲気を醸し出しながら、ここまで本気で取り組んでいるブランドに出合うことができてうれしいです。

 またニコラスさんは地球環境だけでなく、本当に女性を大切にされているのが伝わりました。リップスティックは口に直接塗るもので体内に入ってしまうことから、妊娠中の女性でも安心してつけられる処方にこだわっているそうです。また粘膜に触れる可能性があるマスカラも同じ思いで作っていると聞いた時には、女性の体を本当に大切に思ってくれているのだと感心しました。

WWD:コラボに際し、ニコラスさんとはどのような話をしたのか。

榮倉:リップは多くの女性のポーチの中に必ず入っていて、毎日使うもの。そんな身近な存在であるリップで世界を救う第一歩になる、という話は素晴らしいと思いました。小さなステップでも、みんなが参加すればいずれ大きな変化をもたらします。だから誰もが参加できるような、ハードルが高すぎず、それであって気分が上がるリップスティックを作りたいと思いました。

WWD:そんな思いで完成したリップはどのようなもの?

榮倉:前提として地球環境を配慮していることから、海や山、森など何か自然に着想を得た色を選びたいと思いました。そこでいろいろ模索したあと、木をイメージしたブラウンレッドにたどり着きました。誰もが使えるように、日焼けしやすい肌にも、透明感のある肌にも合う色にしました。また保湿成分も多く配合し、リップクリームなしで美しい仕上がりが続くように設計しました。一度塗りだと薄づきで、重ねるごとに自由に濃さを調節できるようにすることで、あらゆるシーンに馴染むリップメイクを可能にしました。

WWD:肌馴染みの良いカラーでチークにも使えそう。

榮倉:元々小さいポーチやバッグを使うことが多くて、マルチユースなアイテムが好きなんです。保湿成分が多く入っているので伸びがいいですし、自然な仕上がりを実現します。チークに塗ってもキレイな艶を与えます。またチークを買わなくてもいいので、そういう意味でもサステナブルなアイテムになるかもしれません!

WWD:榮倉さんは子どもを産んでから世界を見る目が変わったということだが、子どもにはどのようなサステナビリティ教育をしているのか。

榮倉:今は何でも手に入り、便利すぎる時代でもあると思っています。子どもには、モノの原型やモノがどこから生まれるのか、ということをしっかり理解してほしいと考えます。またゴミは捨てること自体はとても簡単ですが、捨てた末を考えることはあまりありませんよね。だから子どもにはゴミが捨てられた後にどこに行き、誰がどのように処理するのかを考えられるようになってほしいですね。蛇口をひねれば必ずキレイな水が出るとは限らないということだったり、モノのライフサイクルをきちんと知ってほしい。これからの時代を生きる子どもたちにこういったことを考えてもらうだけで、私たちよりももっと(サステナビリティにおいて)先に進めると思うんです。

WWD:ご自身はどのような活動に取り組んでいる?

榮倉:コンポストは昨年の夏あたりから始めました。簡単ですし、だいぶゴミが減ったのでとても楽です。またリサイクルよりもリユースが好きですね。リサイクル回収だと最後まで見届けられないので、自分がリサイクルしたものがきちんと処理されているのかわからないのが不安で。なので私はどちらかというと使いまわせるものを選ぶようになりました。洋服も滅多に買わなくなりましたし、着なくなったものは譲るか、雑巾に再利用しています。

WWD:今回のコラボを経て、化粧品の見方も変わったか。

榮倉:これまでもなるべく詰め替え製品を使うようにしてきましたが、正直リップまでは手が届いていなかったです。今回ニコラスさんといろいろ話して、化粧品が地球に及ぼす壮大な影響について改めて学びました。当たり前なことかもしれませんが、まずは現状を知ることの大切さも痛感しました。コラボのリップを通して、皆様にも自分が使う化粧品や使い方についてもう一度考え直すきっかけになればうれしいです。

WWD:最後に今回のコラボで伝えたいメッセージがあれば教えてください。

榮倉:まずは一度手にとっていただけるといいなと思います。重厚感のあるずっしりとした重さ、美しいパッケージ、そしてさまざまな人の表情を華やかにするこだわりのカラーを楽しんでいただけるのでは、と思います。そしてその中には環境に配慮し、女性を守るというメッセージが詰まっていると考えると、さらにその素晴らしさに魅了されるはずです。「ラ ブーシュ ルージュ」のリップ一つで、地球環境に目を向けてもらえたらうれしいです。

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「毎日着る洋服を選ぶことは、生活の解像度をあげること」 洋服好きの小説家が新作小説でメッセージ

 ⼩説家の松澤くれはは、(ファッションデザイナーが主人公の小説「明日のフリル」(光文社)を刊行した)。上野の森に佇む、夜だけオープンする謎めいた洋品店で販売する一点モノの洋服を作るのは、主人公のデザイナー、梓振流(あずさ・ふりる)。振流は、仕事に追われるアパレル販売員、五福あやめをはじめとする店を訪れた人に、作った洋服を通じて「洋服を選ぶ楽しさ」「洋服を選ぶことで広がるかもしれない世界の存在」などを伝える。

 小説は、あやめの暮らしぶりを通してアパレル業界の問題にも踏み込むドキュメンタリータッチでありながら、振流の隠された過去についてはミステリアス。でありながら作品全体は、洋服が「新しい自分」に近づけてくれるかもしれない可能性を秘めた存在として描かれ、きっと業界人は勇気をもらえるだろう。自身も「洋服を選ぶ楽しさ」を体現している松澤に話を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):もともと、ファッションは好きだった?

松澤くれは(以下、松澤):昔から興味があり、大学時代は丸井で“シュッ”とした洋服を買っていた。転機は、雑誌の「チューン(TUNE)」を読んでいたとき。「これ、いいな」や「こっちもカッコいいな」と思った洋服が大体「ノゾミ イシグロ(NOZOMI ISHIGURO)」で、どうやらラフォーレ原宿で買えるらしいことを知り、セールの時に買い始めて、世界が広がっていった。そんな中、「アールビーティ(RBTXCO)」の東哲平デザイナーに出会い、ますますのめり込んだ。東さんから洋服の背後にはデザイナーを筆頭にいろんな人、いろんな想いがあることを学んだ。「オシャレ」や「カッコいい」「カワイイ」の裏側には、意図があることを知った。

WWD:それを伝えたいと思った?

松澤:僕が総柄の洋服を着ていると、みんな「すごいね」「オシャレだね」と言ってくれる。嬉しいけれど、距離を感じる。「すごいね」「オシャレだね」とコミュニケーションしてくれるのに、一方で「自分には関係のないもの」と距離があるものと思われていることの違和感をどうにか解説できないか?と考えた。「その服、スゴいね」を突破できる小説が作りたかった。「オシャレがわからない」や、僕を見て「あなたは個性的な洋服が着られていいね」と思っている人たちに、“ファッションのおおらかさ”や“受け皿の広さ”を知ってほしい。だから小説の帯では「おしゃれって、しんどい?」と問いかけた。ファッションの世界の“選民的なところ”を取っ払い、「面白いんだよ」と伝え、この世界には無限に近い洋服があって、出会いきれないほどの人がいて、そんな中から選べることを伝えたい。洋服は、毎日着るもの。それを、もっと気軽に選ぶ後押しができたらと思う。

WWD:ちょうどファッションやビューティ業界でも、一方的に押し付けるのではなく、選択肢を提示する接客やMD、空間づくりの模索が始まっている。

松澤:鷲田清一さんは、「服は、第二の皮膚」と述べている。皮膚が選べるって、考えてみるとスゴいこと。人間は、毎日絶対服を着る。毎日着る服をないがしろにするのは、その日一日をないがしろにする危険性を孕んでいる。朝、その洋服を選んだから現れる選択肢もある。白い服を選んだ日は「パスタを食べない」と決めるかもしれないし、「ラーメンを食べたいから」黒いシャツを選ぶときもあるだろう。僕も真面目な打ち合わせには襟付きのシャツを選び、雑談の日にはニットを着るかもしれない。相手を考えて、洋服を選ぶときもある。毎日の洋服を選ぶことは、日々の生活の解像度をあげること。僕は、そう思っている。「『ユニクロ(UNIQLO)』を着たい」を否定するつもりはない。でも、本当は挑戦したい洋服があるのに「『ユニクロ』でいいや」は、ちょっと違う。「選ぶ」の本質を描きたかった。

WWD:アパレル販売員の五福あやめが働くプチプラブランドには、「制服」としてのファッションや、そこで働く人の葛藤などのリアリティがあった。

松澤:プチプラブランドのスタッフなどに話を聞き、想像を膨らませた。インタビューした人から、「うちらのプチプラにも、存在意義がある」と教えてもらった。子育てが終わって、新しい洋服が欲しい。でも、浪費はできない。そんな人に「4000円のワンピースには、存在意義がある」という。洋服が好きなアパレル販売員が、プチプラでも、洋服がぞんざいに扱われたらどんな風に思うのか?など想像を膨らませた。

WWD:4⽇から20⽇まではラフォーレ原宿内のセレクトショップ、チェルシーにオープンするポップアップストアで、「アールビーティ」による文中の服を販売する。

松澤:服を見て「すごい。デザイナーの考えを含め、伝えたい」と心動かされて完成した小説が、服を作った本人の心を動かして「洋服を作りましょう」となった。こんな状況じゃなかったら、ファッションショーをやりたかった。舞台の劇作や演出から創作活動を始めたせいか、舞台という現実の空間でフィクションを描くように、現実とフィクションが曖昧になって、交錯する世界が好き。ファッションショー自体が「現実なの?フィクションなの?」という空間だと思うし、そこに現れる洋服が小説から生まれたものならなおさら「目この世界は現実?小説の中?今は日常?非日常?目の前で見ている洋服は?」と現実とフィクションが交錯するだろう。小説の世界の洋服を実際に売ることで、小説を読んだ人が買ったり、読んでいない人も買ったり、2つの世界を行き来したり、2つの世界が逆転したりしたら面白い。

WWD:今、好きなブランドは?

松澤:「え、何?」っていう、単純に面白いブランドが好き。「ダブレット(DOUBLET)」や「リック オウエンス(RICK OWENS)」「コム デ ギャルソン・オム プリュス(COMME DES GARCONS HOMME PLUS)」とか。「どうした?」って気軽に問いかけられるブランドが好き(笑)。

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「ヴァレンティノ」がオンラインストアの自社運営スタート オニムニチャネル強化

 「ヴァレンティノ(VALENTINO)」は、オムニチャネル強化の一貫でオンラインストアをユークス内から自社運営へと移行する。他国に先駆け日本では2月15日から新しいウエブサイトをローンチした。顧客の購買体験を高めるため、新オンラインストアを通じてオンラインとオフラインの顧客情報を一元化。オンライン上でのリアル店舗での接客予約や、オンラインで購入した商品の店頭での受け取りなどをよりスムースに行う。オンラインでの購入は送料・返品手数料とも無料。14日以内返品交換可能だ。

 なお、オンラインストアには、オンラインのみのサービスとしてイニシャルとペットのイラストレーションをカスタマイズできる“ロックスタッズペット”を展開しており人気だ。

 また、店舗へ足を運ばすともブランドの世界観を堪能できるコーナー「シェ・メゾン・ヴァレンティノ(CHEZ MAISON VALENTINO)」では、イラストレーター、ジョアナ・アビレス(Joana Avillez)がブランドの世界観をキュートに演出。クイズを通じてオートクチュールの歴史やコレクションについて学んだり、写真や動画をローマのアトリエの様子に触れたりすることができる。

COMMMENT
ヤコポ・ヴェントゥリーニ/ヴァレンティノ最高経営責任者(CEO)

 「我々はeコマースを内製化し、先進的な技術を搭載した新しいプラットフォームを立ち上げることで、eコマースとリアルを統合し革新を進める。これは、メゾンの柱のひとつである "顧客中心主義 "に基づいた、相互作用と双方向性という新しいクリエイティブな時代を祝福する多層的な内部移行である。この実験的なプラットフォームは、一対一の関係、対話、タッチポイント、オーダーメイドのサービスを軸に、パーソナライズされた新しい物語の触媒となり、顧客を没入感のあるユニークで本物のブランドの旅にいざなう。それは、最高の顧客体験を提供することを目的とした新しい視点。オンラインとリアルの相乗効果を高めるために、エンターテインメントとオーダーメイドのテクノロジーを中核とした“エンターテーラー”を提供する。 このような考え方は、サービス全体に深く浸透しており、新しい挑戦の原動力になるだろう。私たちは、絶え間ない進化を求められる非常に速いペースで進む産業の一部であると考えており、私たちがデジタルトランスフォーメーション(DX)を全速力で進めるのはそのためだ。私たちはDXを急速に進めており、日本はその最初の国である。2022年2月に日本でスタートし、その後各国に拡大する。ヴァレンティノにとって引き続き重要なマーケットであり、今後も投資を続けてゆく」。

問い合わせ先
ヴァレンティノ インフォメーションデスク
03-6384-3512

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「ヴァレンティノ」がオンラインストアの自社運営スタート オニムニチャネル強化

 「ヴァレンティノ(VALENTINO)」は、オムニチャネル強化の一貫でオンラインストアをユークス内から自社運営へと移行する。他国に先駆け日本では2月15日から新しいウエブサイトをローンチした。顧客の購買体験を高めるため、新オンラインストアを通じてオンラインとオフラインの顧客情報を一元化。オンライン上でのリアル店舗での接客予約や、オンラインで購入した商品の店頭での受け取りなどをよりスムースに行う。オンラインでの購入は送料・返品手数料とも無料。14日以内返品交換可能だ。

 なお、オンラインストアには、オンラインのみのサービスとしてイニシャルとペットのイラストレーションをカスタマイズできる“ロックスタッズペット”を展開しており人気だ。

 また、店舗へ足を運ばすともブランドの世界観を堪能できるコーナー「シェ・メゾン・ヴァレンティノ(CHEZ MAISON VALENTINO)」では、イラストレーター、ジョアナ・アビレス(Joana Avillez)がブランドの世界観をキュートに演出。クイズを通じてオートクチュールの歴史やコレクションについて学んだり、写真や動画をローマのアトリエの様子に触れたりすることができる。

COMMMENT
ヤコポ・ヴェントゥリーニ/ヴァレンティノ最高経営責任者(CEO)

 「我々はeコマースを内製化し、先進的な技術を搭載した新しいプラットフォームを立ち上げることで、eコマースとリアルを統合し革新を進める。これは、メゾンの柱のひとつである "顧客中心主義 "に基づいた、相互作用と双方向性という新しいクリエイティブな時代を祝福する多層的な内部移行である。この実験的なプラットフォームは、一対一の関係、対話、タッチポイント、オーダーメイドのサービスを軸に、パーソナライズされた新しい物語の触媒となり、顧客を没入感のあるユニークで本物のブランドの旅にいざなう。それは、最高の顧客体験を提供することを目的とした新しい視点。オンラインとリアルの相乗効果を高めるために、エンターテインメントとオーダーメイドのテクノロジーを中核とした“エンターテーラー”を提供する。 このような考え方は、サービス全体に深く浸透しており、新しい挑戦の原動力になるだろう。私たちは、絶え間ない進化を求められる非常に速いペースで進む産業の一部であると考えており、私たちがデジタルトランスフォーメーション(DX)を全速力で進めるのはそのためだ。私たちはDXを急速に進めており、日本はその最初の国である。2022年2月に日本でスタートし、その後各国に拡大する。ヴァレンティノにとって引き続き重要なマーケットであり、今後も投資を続けてゆく」。

問い合わせ先
ヴァレンティノ インフォメーションデスク
03-6384-3512

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シングルマザーの支援で「美は社会性を育む」を実感 日本ロレアルとNPO法人、当事者が語る

 「アットコスメ」を共同創業した山田メユミと有志はこのほど、「コスメバンクプロジェクト」をスタートした。昨年12月には全国約2万2000のシングルマザーら経済的困難を抱える女性の世帯に、化粧品メーカーが抱える余剰在庫となったコスメを詰め合わせ、支援団体などを通じて無償提供。今後も「女性と地球にスマイルを」を合言葉に、行き先が決まっていない化粧品を、必要とする人の元に届けることで、余剰品問題に向き合いながらコスメが消費者に提供できる自分への自信や高揚感を届けたい考えだ。今回は参画する日本ロレアル、NPO法人、そしてシングルマザーに話を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):そもそも日本ロレアルが、NPO法人のしんぐるまざあず・ふぉーらむと連携して、シングルマザー家庭の経済的安定を目指したキャリア支援プログラム「未来への扉」に取り組み始めた経緯は?

楠田倫子日本ロレアル ヴァイスプレジデント コーポレート・アフェアズ&エンゲージメント本部長(以下、楠田):世界No.1のビューティ企業であるロレアルは、まさに社会に支えられています。だからこそ、私たちは社会に何か還元したい。そこでグローバルで環境や社会問題に取り組んでいますが、その活動は各国の実情に即したいと思っています。日本で深刻な社会問題の1つは、子どもの貧困です。現在貧困に苦しんでいる子どもは7人に1人とOECD(経済協力開発機構)加盟国の中で突出しており、その背景には、シングルマザー家庭の厳しい環境があります。継続的かつ根本的な問題解決につながることを考えた時、シングルマザー家庭の経済的安定のために尽力している赤石さんの存在を知ったんです。

赤石千衣子しんぐるまざあず・ふぉーらむ理事長(以下、赤石):日本ロレアルにお声がけいただいたときは、もっと小さな団体で、企業連携は初めてに近かったんです。NPOと企業がタッグを組む支援は先駆的で、他の企業に「やれることがあるかもしれない」と考えていただく契機につながったと思います。日本ロレアルにはキャリア支援プログラムの策定にもコミットしていただきました。

楠田:女性のモチベーションをアップすることも必要と考えました。前向きにライフプランやキャリアを考えるきっかけになればと願ったんです。

林:講座は、本当にモチベーションのアップにつながりました。「落ち込んでいる場合じゃない!」「色々やらないと!!」と感じさせてくれたんです。シングルマザーに寄り添う講座でした。

WWD:シングルマザー家庭の支援には、チアアップが必要?

楠田:「どうして一人になっちゃったんだろう?」「何でこんなに大変なの?」「私が悪かったのかな?」など、自分を見失ったり、自信が持てなかったりしているシングルマザーが多いように思えたんです。シングルマザーは、「子ども優先」と思いつめるあまり「自分のことなんて構っちゃいけないんだ。ケアしちゃいけないんだ」と思いがちです。そこを“棚卸し”して、自分を見つめ直し、人生を再設計し、自信を持って前進していただければ。まずはマインドを切り替えられたら、と思ったんです。化粧品会社ならではの「身だしなみ講座」も人気です。日々のスキンケアを楽しむ精神的余裕さえなかったシングルマザーの方には、クリームを顔に置いて肌をマッサージした瞬間「自分の肌に、こんな風に触れたのは何年ぶりだろう?」と涙を流したという体験を話す方もいらっしゃいました。

林:私自身、まずは子どものことで「自分は後回し」でした。でも自分が笑っていないと、子どもも楽しくありませんよね?「未来への扉」は、そんな原点に立ち返る機会でもありました。

赤石:日本ロレアルと連携して、初めて「美の力の強さ」を痛感しました。自分をケアしてキレイになることは、自分自身を持ち上げ、誇りを持って働くことに繋がります。美しくなることで自分をエンパワーし、可能性を広げるんです。

楠田:私たちは「美は、人々の心、生活、そして社会の在り方において、ポジティブなインパクトを与えることができる」と信じています。それを具体的な形で届け、喜び実感していただけて、本当に嬉しく思っています。「美とは、表面を飾ること」という考えは根強いですが、根源的には「自分を慈しむこと」です。自分を慈しむと、社会と関わろうという気持ちになれます。美は、個人の社会性も高めるんです。

林:私も「未来への扉」に参加する前は、すっぴんでした(笑)。自分のことはどうでも良くなっていて、“女らしさ”を忘れていたかもしれません。コロナ禍では仕事がなかなか見つからなくて苦しかったけれど、「未来への扉」に参加して「苦しいのは、自分だけじゃない」「前向きで、明るい人もいるんだ」と思えるようになりました。

赤石:シングルマザー家庭のキャリア支援では、“出口戦略”も重要です。「未来への扉」では、当初から美容部員とアデコのスーパーバイザーなどの“出口”を目指し、選考は皆さん平等だから結果に繋がらない場合もあるけれど、面接のチャンスまで提供してきました。転職や社内の評価アップを経て、お給料が上がった方もいらしゃいます。

WWD:長年シングルマザーを支援してきた皆さんは、「コスメバンクプロジェクト」をどう思いますか?

赤石:フードバンクのように、「このままだと捨てられてしまうものと困っている人のマッチングを、コスメでもやるべきだ」という発想に驚きました。化粧品業界にとっても、大量廃棄は大きな問題なんでしょうね。シングルマザーの支援に携わっていると、食事の回数さえ減らしているから「スキンケアやファンデーションなんて、考えられない」という女性が本当に多いことを感じます。そんな女性がコスメを受け取ったときの喜びは、言い表せません。「あなたを大事にしてほしい」のメッセージが、言葉以上に届きました。「キレイになっていいんだ」「子どもも喜んでくれた」「頑張ろうと思えた」などの声をいただいています。1つ1つ、丁寧にラッピングしていただきました。「あなたに向けて」の思いが感じられ、頭が下がりました。

楠田:ビューティは、「人としての尊厳を取り戻す」にも貢献できると思っています。話を聞いて、「ぜひ」と参画を決めました。この活動は、ビューティ業界全体を巻き込む大きなムーブメントになれる、そう思っています。

林:シングルマザーの一人として、「自分だったら、こんな風に届いたらいいのにな」と考えました。私もギフトをいただき、嬉しくなりました(笑)。事務局には500 以上のLINEが届いています。私は、化粧品の廃棄に想像が全く及んでいなかったので、サステナブルな取り組みに貢献している喜びも感じています。

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モデル吉井添が語る「FF14愛」とファッション

 ゲーム好きで知られるファッションモデルの吉井添だが、その中でも「ファイナルファンタジー14(以下、FF14)」は人生に欠かせないほど重要だ。「FF14」はドラマでいうところの新シーズンとなる拡張パッケージ「暁月のフィナーレ」の発売にあたって昨年の12月8〜14日、伊勢丹新宿店でポップアップショップを行った。駆けつけた吉井に、全世界で2500万人以上のプレイヤーを持つオンラインRPG「FF14」への「FF14愛」を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):FF14、本当に好きなんですね。

吉井添(以下、吉井):本当に本当に大好きです。「暁月のフィナーレ」はアーリーアクセス(予約特典として得られる発売日前の先行プレイ権のこと)から、やらせていただいているのですが、すごくあつくてとても興奮しました。早く家に帰って体を取り戻しに行きたいです。

WWD:「暁月のフィナーレ」、どうプレイしていますか?

吉井:とりあえず、電気を消してカーテンを閉めて、スマホの電源も落としてプレイに専念しています。あ、仕事用のスマホは切ってないです(笑)。ゲームの中身は余り言うとネタバレになってファンの方にご迷惑をおかけするので言えませんが、実は最近、「モンク」から「リーパー」にジョブチェンジしたんです。これまで「モンク」で3年くらいプレイしていて、お前のモンク愛はそんなものなのかって言われそうなんですが、「リーパー」も熱い!楽しみしかないです。

WWD:「FF14」の魅力は?

吉井:うーん。正直思い入れが強すぎて、伝えたいことが多すぎるというか、逆に伝えられないというか。自分なんかがどうこう言えることはないというか。でも自分にとっては、生涯思い続けるゲームであり、もしなければ性格や人生が変わっていたかも。少なくとも性格はもう少し暗かったと思います。そんな僕からあえて言わせてもらうなら、コアな層からライトな層まで色々な楽しみ方ができますし、年齢も地域もとても幅広い人たちがプレイしていますよね。スクウェア・エニックスの方々には、もうリスペクトと感謝しかないです。

WWD:ゲームではどんなプレイヤーですか?

吉井:自分、リアルではコミュニケーションを取るのが得意じゃなくて、ゲームならうまくできるかなと思ったら、ゲームでも陰キャは変わらず(笑)。NPC(=Non Player Character、プレイヤーが操作しないキャラクターのこと)やストーリーも本当は生きている人間じゃないけど、寄り添ってくれるんですよね。ビジュアルもかっこいいキャラクターが多くて。

WWD:プライベートでよくコスプレをしていますが、コスプレイヤーとして気になるキャラは?

吉井:アサヒが好きで、この前アサヒのコスプレをしました。もっと大人の方々もやりたいと思っていて、次はエメトセルクもやりたいし、人間じゃないキャラクターにも挑戦してみたいですね。

WWD:人生にはどういった影響を与えています?

吉井:昔からコミュニケーションが苦手でゲームばかりしていました。でも「FF14」で人との繋がり合いや理念みたいなことに触れることで、精神の深いところで前向きになれた。具体的にはこれもネタバレになるので言えないのですが、「暁月のフィナーレ」で、アリゼーとアルフィノがめっちゃ深いこと言ってて、刺さりました。キャラクターがストーリーのなかで成長していく様子をみて、涙腺崩壊でした。

WWD:ゲームやネット上の仮想空間の世界を指す「メタバース」が注目されていますが、吉井さんはどういったところに注目されていますか?

吉井:ゲームだと姿や服を思い通りに変えられて、そのことでポジティブになれたり、色んな人と繋がれたりみたいなことがありますよね。リアルの世界も、もっと自由になったらいいなと思います。自分はコスプレをしますが、そういったところで繋がれるのはとてもいいことだと感じています。そういった新しい繋がり方、コミュニケーションの仕方、そういった場がもっと増えればいいなと思います。

WWD:最後に「FF14」に一言お願いします。

吉井:コロナ禍で大変な時期にもかかわらず、こうしてゲームをリリースしていただいてとても感謝していますし、感動もしました。ゲームを無事にできたということが本当に嬉しいし、ありがたいです。こんな大変なときだからこそ、「FF14」があって変わらずにプレイできることで、自分自身はすごく救われています。本当に感謝です。

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シャネルの未来をプレジデントに直撃 クチュールやクラフツマンシップ、サステナビリティまで

 「シャネル(CHANEL)」はコロナ禍で大きな打撃を受けたが、2021年上期からは本格的な復活を遂げた。同年7月のオートクチュールからは、観客を迎えたショーも再開。今年に入ってからは、傘下の専門アトリエが集結する複合施設「le19M」を正式にオープンするなど、活発な動きを見せている。ブルーノ・パブロフスキー(Bruno Pavlovsky)=シャネル ファッション部門プレジデント兼シャネルSASプレジデントに、クチュールビジネスから新たな取り組みまでを聞いた。(この記事はWWDジャパン2022年2月21日号からの抜粋です)

WWDJAPAN(以下、WWD):アジアのクチュール顧客は、まだ自由にパリを訪れられる状況には戻っていない。コロナによって、その制作にはどのような変化があったか?

ブルーノ・パブロフスキー=シャネル ファッション部門プレジデント兼シャネルSASプレジデント(以下、パブロフスキー):自由な渡航ができなくなった2020年7月のクチュールから半年は正直、簡単にはいかなかった。顧客とのつながりを保つため、各国のチームのサポートを得たり、コレクションを現地に送って紹介したりしたが、初めて経験することでパリのチームに戸惑いがあったのも事実だ。しかし、21年1月からは遠隔でのアプローチをブラッシュアップ。7月にはアジア以外の海外顧客がパリに戻ってきたので、取り組みやすくなった。まだ渡航できない日本や韓国、中国、香港などの顧客については、現地のチームを育成するとともに、ビデオ通話の画面越しでも求められる詳細の説明やフィッティングを提供できるようにしている。最初は少し低調だったと言わざるを得ないが、今は渡航できないからといって全てをやめてしまうのではなく、人々の生活は続いていくということが分かった。実際、オンラインでもオフラインでも顧客は戻ってきていて、ビジネスは好調だ。この期間を通して、私たちは顧客自身やそのニーズに対して多くのことを学んだ。これを機に確立した新たな方法は、今後も活用し続けていく。

WWD:環境や価値観が大きく変わった現代におけるクチュールの価値とは?

パブロフスキー:クチュールとは、コレクション、舞台装飾、音楽など全てのミックスで作り上げられる完璧かつインパクトのあるものであり、大切なのはユニークなストーリーや特別なエモーションを届けること。エモーションはお金で買えるものではないからこそラグジュアリーの極みであり、クチュールは私たちが顧客に提供できる究極の体験だ。そして、「シャネル」のルーツでありDNAの一部でもある。ビジネスの規模は関係なく、(プレタポルテと比べて)顧客は多くないとしても、ブランドにとっての価値という点で大きな存在だ。そして、クチュールにおける探求や作品は、プレタポルテにも大きなインスピレーションを与えている。クチュールはマネーメーカーではなく、イメージメーカー。だからこそ、守り続ける必要がある。

「最大のカギ、ビジネスの原動力は
シャネルにおいてはクリエイション」

WWD:1月20日には、パリ19区にクリエイションの中心地となる新複合施設「le19M」を正式にオープンした。刺しゅうのルサージュや羽根細工のルマリエ、金細工のゴッサンスといった傘下の専門アトリエが集まる施設に期待する役割は?

パブロフスキー:「シャネル」にとって最大のカギは、ビジネスの原動力でもあるクリエイションだ。その点で、「le19M」のオープンは重要だった。10年をかけて開発したこの施設は、今回のクチュール・コレクションにも見られたメティエダール(芸術的な手仕事)のための“窓”になる。大切なのは、専門技術を持ったアトリエにふさわしい空間を提供し、製品に魂を吹き込む職人の存在を可視化すること。それは、新たな人々や若い世代を引きつけることにつながるだろう。落成式でも話したが、この施設の目的は“伝承”だ。経験豊かな職人が若手と関わり合い、エネルギーを生み続けることは大きな価値になる。

WWD:フランスでは、1月1日に「廃棄禁止およびサーキュラーエコノミーに関する法律」が施行された。在庫や売れ残り品の廃棄などが禁止されたが、「シャネル」ではどのように取り組んでいるか?

パブロフスキー:私たちは、すでに19年に「アトリエ デ マティエール」という新会社を設立した。その目的は、「シャネル」だけでなく他ブランドの販売されなかった製品や未使用の素材を解体し、新たな素材を生み出すこと。私たちはもともと多くの在庫を抱えているわけではないが、売れ残った商品がある場合、この会社で引き取り、新たな素材へと生まれ変わらせる。例えば、テキスタイルではウール、シルク、カシミヤなどに分かれていて、コスチュームジュエリーやチェーンといった金属、そしてレザーの再生にも取り組んでいる。そのため、技術的や化学的などの新しいプロセスで素材の開発を実現するスタートアップ企業とも協業している。

WWD:19年には、パイナップルの葉の繊維から作られるレザーに似た素材「ピニャテックス」製の帽子を販売したこともあった。

パブロフスキー:あれはパイロット版のようなものだったが、私たちは常に新たな素材とイノベーションを探求し続けている。例えば、22年クルーズ・コレクションで用いたツイードの中には、この循環型の取り組みから生まれた糸が使われているものもあり、一歩ずつ前進しているところだ。今はまだ少し高価で、ビジネスモデルを確立するには、ある程度の時間を要するだろう。しかし、将来のための良い投資だと考えている。

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「ビープル バイ コスメキッチン」がショップ名を「ビープル」に変更 オリジナリティー溢れる業態へ

 マッシュビューティーラボはこのほど、食やコスメ、ライフスタイル製品を取り扱うナチュラル&オーガニックのセレクトショップ「ビープル バイ コスメキッチン(Biople by CosmeKitchen)」のブランド名を「ビープル」に変更した。環境に配慮したオーガニックなライフスタイルに寄り添い、独自の商品やサービスを強化しながら、オリジナリティー溢れる業態として一層の成長を目指す。

 「ビープル バイ コスメキッチン」は、ナチュラル&オーガニックのセレクトショップ「コスメキッチン(COSME KITCHEN)」のセカンドブランドとして2013年に誕生。「オーガニックがもっと身近なものであることを実感してほしい」という思いから、「自然のものに囲まれてオーガニックライフを送る人たち」の意味を込めて「BioなPeople=Biople(ビープル)」と名付けた。コスメのほか、食品やサプリメントなどインナーケア製品を多数取り扱い、現在23店舗を展開。23年9月には10周年を迎える。

 椋林裕貴マッシュビューティーラボ副社長は、「『ビープル バイ コスメキッチン』はフードカテゴリーが定着し、ここ数年インナーケアカテゴリーも成長してきた。さらに最近では、フェムケアやレメディ、ペット、ベビーカテゴリーにも力を入れ、オーガニックライフ全般における挑戦ができている。そこで10周年を機に、次なる成長を見据えて『バイ コスメキッチン』という屋号を外した。覚悟をもって挑戦する」と話す。一方で「コスメキッチン」は現在約60店舗を展開し、今春もいくつか出店を控えておりその存在感は大きい。「名前に『コスメキッチン』がないリスクへの恐怖はある。しかし、それよりも将来の楽しみの方が大きい」と期待をかける。今後、化粧品のMDが約8割が同じという「コスメキッチン」との役割を棲み分け、「ビープル」ならではのカテゴリーを際立たせながら、さらなるステージへとステップアップする。

 ブランド名の変更に伴いロゴもリニューアル。新しいロゴは、近藤広幸マッシュホールディングス社長がデザインした。デザインコンセプトは、“親しみやすさと心を穏やかにするウェルネスデザイン”。「by CosmeKitchen(バイ コスメキッチン)」から、「ORGANIC LIFE(オーガニックライフ)」に変更し、オーガニックに寄り添ったデイリーストアであることへの理解や、ブランド名を短くしたことによる視覚認知性を高めた。また、モノクロのロゴから色相を追加。グリーンの配色は、「性別問わず楽しめる空間作りの強化」とグループのアイデンティティとして掲げる「GO GREEN」への一致を体現した。中央の「O」は、“ハッピーの連鎖”の思いを込めてオリジナルのサークルをデザインしている。

 さらに、これまで誤読が多かったブランド名の「ビープル」の読みやすさや、正式なブランド名の認知の向上を図る。「『BIOPLE』を『ビオープル』や『ビープレ』と読み間違えられることが多かった。新しいロゴは、Oがデザインのアクセントとなったことで、Oを飛ばして呼んでも『ビープル』と読めるようになっている」。

 店頭のロゴの変更は3月上旬から、錦糸町店テルミナからスタートし、順次変更する。「今春は商業施設のリニューアルも多く、そういった新しいアクションがあるところから徐々に変えていく。また、ロゴ変わったからといって以前のショッパーを捨てるようなことはしない。サステナビリティを前提に、当面は新旧のロゴが混在するが、1年以内に統一させるのが理想だ」という。また、店頭スタッフの制服もリニューアルする。廃棄物を減らすことを考え、玉ねぎの皮から抽出した天然成分で染めたブラウンカラーが特徴。各店舗、順次変更してく。

 3月下旬には、名古屋パルコに出店している「コスメキッチン」の売り場を22坪から30坪へと拡大し、「ビープル」のフードカテゴリーを切り出した新業態を併設する。「ハーブティーを軸としたドリンク類やCBD関連、フェムケアを盛り込む予定だ」という。

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テーラリングの更新に挑んだ「ダンヒル」の反抗、破壊 2022-23年秋冬コレクション

 英国発の「ダンヒル(DUNHILL)」は、2022-23年秋冬コレクションを発表した。18-19年秋冬以降はパリでの発表を続けていたが、今シーズンは拠点のロンドンに帰還。主軸であるテーラリングの伝統に回帰すると同時に、身にまとう者の個性によってその規律が破壊される感覚に着目した。マーク・ウェストン(Mark Weston)=クリエイティブ・ディレクターが、クリエイションの意図やロンドンで発表した理由を語る。

今、ロンドンで発表するのが
正しいと感じた

WWD:発表の場をパリからロンドンに移した理由は?

マーク・ウェストン「ダンヒル」クリエイティブ・ディレクター(以下、ウェストン):パリのファッション・ウイークに参加したことで、広い世界の人たちとつながることができ、目的にしていた新たな「ダンヒル」の世界観を見せることができた。しかし私たちは英国ブランドなので、いつでもロンドンを中心に考えている。そして今シーズンは英国のテーラリングの探求を大きなテーマにしているため、ロンドンで発表するのが正しいと感じた。また、パンデミックで不透明な状況が続いているのもきっかけの一つではある。

WWD:英国のテーラリングに着目したきっかけは?

ウェストン:仕立ての感覚と洗練された厳格さをもう一度追求したかったから。英国のテーラリングのルーツは、制服やミリタリーに通じる。その厳格なスーツを若い男性が着ることで、どれほど破壊的で反抗的に見えるのか、型にはまったユニホームをどこまで型破りに見せられるのかに挑んだ。今シーズンは規律と伝統への回帰であると同時に、作る側と着る側に英国的な破壊の感覚が常に存在していることを表現したかった。伝統を更新するのは服そのものではなく、着る人なのだから。

若い世代はテーラリングに
魅力を感じている

WWD:メンズのスタイルの変化についてはどう分析している?

ウェストン:若い世代は、飽和しているスポーツウエアへの反動でテーラリングに魅力を感じており、それを現代的なスタイルで自分たちのものにしようとしている。「ダンヒル」の強みは厳格なテーラリングと専門性なので、非常に優位な立場にあるといえる。今度はいかに伝統と新しい時代感を掛け合わせ、再文脈化していけるかが成功へのカギだ。

WWD:ブランドを率いて8シーズン目になるが、どのようなクリエイションを意識してきた?

ウェストン:現職に就いてからは、ステレオタイプな古典主義をいかにしてゆがませ、官能と挑発によって破壊することをテーマに掲げてコレクションを制作してきた。伝統のスタイルにモダンな要素を、日常的なスタイリングに時代感を取り入れてコントラストを利かせ、英国らしさを伝えるための視点を盛り込んできた。好奇心をもってアーカイブを探求し、時代に合わせて進化させたい要素のみをくみ取っている。過去にとらわれるのではなく、アーカイブとのつながりを作り出すことが好きだから。

アーカイブを継承し時代を
超えるアイテム

WWD:数々生み出してきた新しいアイテムのアイデアは?

ウェストン:全てのコレクションはつながっており、前シーズンのアップデートを繰り返すことでアイデアを磨き、進化させてきた。18-19年秋冬に発表したラップジャケットや、19年春夏のスプリットヘムのトラウザー、クラシックなアタッシュケースに着想したクロスボディーバッグの“ロックバッグ”などは、アーカイブと現代的なプロポーションや機能性を組み合わせたもの。これらは今季もアップデートして継続する、時代を超えたアイテムである。

WWD:ブランドとして、また個人として今後チャレンジしたいことは?

ウェストン:クリエイティブ・ディレクターとして、まずは「ダンヒル」のクリエイションの定義と一貫性にこだわること。そして新しい時代を見据え、ほかのクリエイターやコミュニティ、顧客とのつながりを魅力的な方法で作り出すことが目標だ。個人としては、仕事を通じてさまざまな業界の尊敬するクリエイターたちと出会うことができた。このリアルのつながりが、今後どのように発展していくか楽しみだ。

着る側の個性で洗練された
テーラリングの殻を破る

 今シーズンはテーラリングを主軸に、シティボーイやミリタリーのユニホームの要素を融合した。規律と伝統の象徴である男性服同士を組み合わせ、それを現代の男性が着用することで生じる破壊的、反抗的な感覚を表現した。パワーショルダーのジャケットは男性性を強調し、裾に向かってゆるやかにフレアするスプリットヘムのトラウザーが、伝統のシルエットを優しく覆す。またネオプレンをボンディングしたウールカシミヤのコートや、表面にモアレを表現したナイロンのコートなど、素材の探究も積極的だ。

問い合わせ先
ダンヒル
0800-000-0835

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「ハーパーズ バザー」の新編集長は「変わる遺志を示したい」 表紙に日本人初の小松菜奈を起用

 ハースト婦人画報社の「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」は2月19日、小栗裕子新編集長体制になって初めての2022年4月号を発行、日本人として初めて表紙に起用した小松菜奈のムービーも発表した。小栗新編集長が目指す、新しい「ハーパーズ バザー」とは?

WWDJAPAN(以下、WWD):編集長に就任して、どう感じている?

小栗裕子「ハーパーズ バザー」編集長(以下、小栗):率直に「まだまだ知られていないな」と思っています。「ハーパーズ バザー」の誕生は、1867年。150余年という長い歴史を持ち、グローバルの視点を大事にしながら各国でローカライズも実現している、働く女性を大事にしたメディアです。一般的なファッションメディアは、「ファッション」や「ビューティ」「バッグ&シューズ」「トラベル」という軸の中で“らしさ”を追求しますが、「ハーパーズ バザー」はキャリアやビューティにおけるサイエンス、国によっては政治なども、さまざまな視点から、美しく、まさにバザールのように届けています。隠れた声に光を当て、今で言うSDGsやエンパワーメントにも取り組んできました。読みやすく、入りやすい世界観を持っているのに、「まだまだ伝わっていないな」と思っています。

WWD:「伝わっていない」原因は?

小栗:ローカライズの視点やバランスだと思っています。インターナショナル・メディアは長らく、欧米の価値観をインポートしてきました。それに価値がある時代だったんです。でも今は、リアリティも必要です。リアリティをどう取り入れ、どう発信するか?は、大きな課題であり、ポテンシャルです。具体的には、プリントメディアではデザインやフォント(書体)選び、装飾などで親近感を表現したい。モデルも、「どのページも外国人」ではありません。デジタルは、可能な限りシンプルにして、メッセージを明確に。今はまず「やらないライン」を決め、「社会を動かす女性をもっと美しく」というブランドパーパスを追求したいと思います。

WWD:「やる」だけではなく、「やらない」も考える?

小栗:「やる」「やりたい」は欲求、「やらない」は意志だと思っています。今は、「そのコンテンツは、働く女性のライフスタイルに即しているか?」「彼女たちに、ポジティブな影響を与えることができるか?」をすごく選別しています。プリントもデジタルも、大事なのは「言いたいことが明確」なことです。そこで昨年以降、スタッフ一人ひとりとかなり密に話し合って、みんなの意志を確認しました。私が指揮を執る媒体にロイヤリティを感じてくれるか?は、本人の幸せにも直結します。幸いエディターはみんな、私同様に「ハーパーズ バザー」のパーパスに魅力を感じている、私よりはるかにプロフェッショナルな人たちでした。

WWD:「エル・ガール(ELLEgirl)」では、インフルエンサーコミュニティの「ELLEgirl UNI」やオンラインサロン「ELLEgilr NextLAB」などのコミュニティ作りに尽力した。

小栗:「良いお手本」も「残念なお手本」もありますが(笑)、立ち上げの時はみんなが「へぇ。頑張ってね」くらいのテンションだったからこそ、「絶対成功させたい」と努力してきました。「エル・ガール」は立ち上げ当初、正直誰も読者像を分かっていなかったんです。彼女たちの最先端を感じて共感を得なくてはと考えた時、「手を借りたかった」というのが本音です。私にとって「エル・ガール」のコミュニティは、“外付けの編集部”です。お互いのクリエイティビティを出し合い、コンテンツを作ってもらったり、教えてくれた言葉をコンテンツにしたりのアイデアボックスでした。「ハーパーズ バザー」でも読者に寄り添い、コミュニティを形作りたいと思っています。

WWD:具体的には?

小栗:昨年はオンラインでSDGsなどを学ぶ「バザー サミット」を立ち上げ、ご好評をいただきました。ロイヤリティや知的欲求が高く、英語のコンテンツもライブで楽しめるような方々が集ってくださり、その可能性を体感しました。視聴者と直接関わりたいし、働く世代とコンテンツを作り続けたい。日本同様「バザー サミット」に取り組む、イギリスや香港ともタッグを組みたいと思っています。

WWD:時に一方通行な「本国」との協業のみならず、「リージョン」と呼ばれる各国のメディアと相互協力するのは、インターナショナル・メディアとしては珍しい。

小栗:確かにこれまで現場レベルでの会話は、多くなかったかもしれません。でもムードは、コロナ禍で確実に変わりました。今は環境が違っても、同じマインドを持つ仲間として、チームになりたい。規模感やクラス感のあるチームを結成できるのは、「ハーパーズ バザー」の強みです。

WWD:新生「ハーパーズ バザー」の表紙は、小松菜奈が務めた。

小栗:インターナショナル・メディアの「ハーパーズ バザー」にとって、いわゆる通常版の表紙で日本人をフィーチャーするのは、はじめてのことです。雑誌のみならず動画にもご出演いただきました。「最初の表紙に誰を?」は、本当に考えました。そんな中で小松さんを選んだのは、彼女にパワーウーマンの全てをのせたかったのではなく、「変わる」「変える」という意志を示したかったからです。カメラマンも、ラグジュアリー・ファッションの撮影は初めての若手です。もちろん読者に喜んでいただきたいけれど、メディアは関わる人たちにとってもチャレンジの場であって欲しい。「これから、どうなって行くのか?」を読者とともに楽しみ、皆で一緒に育っていきたいと思います。

WWD:雑誌も、オンラインも、SNSも、コミュニティも変わって行く中で、まずは新生「ハーパーズ バザー」の何を見て欲しい?

小栗:「ちょっと覗きに来ました」で構いません。とにかく一度、見ていただきたいと思います。「ハーパーズ バザー」の日本版は、来年創刊10周年を迎えます。創刊当時の「次世代」が、社会の中核を担うようになりました。彼女たちのライフステージが変わりつつ、世の中のパラダイムシフトも進みました。だからこそ一度固定概念を捨てて、彼女たちを見つめ直さないと思っています。一方で私たちの「顔」も大事ですね。作っている人たちの魅力は、メディアに反映されます。今はモノではなく、人にお金を払う時代。読者は、私たちのステートメントに集まりますから。

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「私をスキーに連れてって」から35年 石井スポーツに聞くスキー市場

 日本のメダル獲得数が冬季五輪として最多記録を更新した北京冬季五輪も、いよいよ20日が閉会式。冬のスポーツの代名詞、スキー競技でも、ジャンプの小林陵侑選手やモーグルの堀島行真選手、ノルディック複合の渡部暁人選手や日本チームがメダルを獲得して話題を呼んだ。ただし、世の中一般に目を向けると、スキーはスノーボードやフィギュアスケートなどに比べると、若い世代での認知度や人気が今ひとつというイメージもある。映画「私をスキーに連れてって」のブームからは35年、日本のスキー人口は90年代をピークに漸減しているともよく言われる。アウトドアレジャーの人気が高まる中で、スキー市場にも何か変化はないのか。スキー用品を扱う石井スポーツ神田本館の佐藤晶店長に聞いた。

WWD:まずは足元の商況から聞かせてほしい。一昨年は暖冬、昨年はコロナ禍という逆風が続いているが、2021-22年シーズンの販売状況は。

佐藤晶石井スポーツ神田本館店長(以下、佐藤):12月までは前年に対して50%増で推移していたが、年明け以降は同40%増と、感染再拡大もありやや客足は落ち着き傾向だ。ただ、「10年ぶり、15年ぶりにスキーを再開する」というような40代前後の“リターン層“は年明け以降も一定数訪れ続けている。“3密”を避けられるという点が支持され、かつてスキーを楽しんでいた層が雪山に戻ってきているようだ。また、感染予防の一環で、これまでは用具を全てレンタルしていた人が、ブーツやウエアだけは自分のものを買っていくというケースもある。

WWD:スキーの市場規模は1990年代をピークに縮小してきている。登山やキャンプなどのアウトドアレジャーを楽しむ人は近年増加傾向にあるが、スキーに影響はないのか。

佐藤:アウトドアレジャーの広がりを背景に、スキーの楽しみ方も多様化してきているのが近年の変化だ。かつては整地されたスキー場のゲレンデを滑ることだけがスキーだったが、今は山を滑るバックカントリー(自然の中を滑走すること)などの楽しみ方もある。バックカントリーはここ数年特に盛り上がってきている実感がある。一昨年、昨年はコロナ禍で春スキーが難しかったこともあり、今年こそはと春の山スキーを楽しみにしている人は少なくないだろう。

WWD:楽しみ方の多様化は、スキーギアやウエアなどにも変化をもたらしているか。

佐藤:板やブーツで言えば、各メーカーが乗り味を損なうことなく軽量化を進めている。昔はスキーブーツと言えば硬い、痛いというイメージがあったと思うが、近年のブーツは外側のプラスチックシェルや内側のインナーブーツを、熱成形でお客さまの足に合わせて加工することができる。午前中に店頭に来ていただければ、ランチを食べている間に加工ができてしまうぐらい手軽だ。今まさに規格が切り替わっている最中だが、ブーツのソール形状も従来よりも歩きやすい形に変化してきている。板もブーツの性能や快適性は昔に比べたらかなり向上してきている。十数年ぶりにスキーを再開するという人は、ギアの進化に驚く部分が多いと思う。

 ウエアは、派手なカラーを採用した昔ながらのコテコテなスキーウエアは今もあるが、バックカントリーで山を登る際に体温調節がしやすいように、中綿が入っていない、色合いも比較的落ち着いたシェルジャケットやシェルパンツなどの提案が増えている。「ミレー(MILLET)」などの山ブランドが企画しているのはもちろん、「ゴールドウイン(GOLDWIN)」など、国内のスキーウエアメーカーを含め各社提案している。

WWD:スキーの楽しみ方が多様化する中で、バックカントリーでの遭難事故がニュースサイトなどで取り上げられ、批判を集めるケースも増えている。バックカントリーを楽しんでいる人と世間との間に、まだまだ認識のギャップを感じる部分もあるが。

佐藤:バックカントリー人気の高まりを受けて、近年は整備されたゲレンデではない、スキー場内の非圧雪ゾーンの滑走を自己責任のもとで認めるスキー場が実は増えている。入山届を出してガイドと共に山に入るツアーや、雪崩に関する講習会などもある。リスクを減らして真摯にバックカントリーに向き合っている人は多く、ニュースになるような事故が常に起きているというわけではない。ただ、ひとたび事故が起きてしまうとどうしても世間を驚かせてしまうということだろう。(批判を集めるのは)世の中の人にとってなじみのないものだから、という面も大きいのだと思う。スキーをする人自体が世の中では少数で、バックカントリーはそこからさらに枝分かれしたもの。バックカントリーの大会も開かれているが、メディアなどで取り上げられる機会は少なく、普通に生活している人はバックカントリースキーを見ることはなく、「ならず者がすること」といったイメージが先行している。分からないものだから批判を呼びやすく、逆に言えば、そこに世間との認識のギャップを埋めていくヒントがあるのではないかと思っている。

WWD:認識の溝を埋めていくためにも、スキーを楽しむ層自体を広げていく必要があるということか。

佐藤:神田本館はコアなスキー好きのお客さまが多く、エントリー層向けのスキー板、ブーツ、ビンディングの3点セット売りなども行っていない。ただ、より幅広いお客さまに来ていただくことは重要だと思っている。6月に“カスタムフェア”という次シーズンのギアを紹介するイベントを毎年行っているが、そこにももっとエントリー層の方に来ていただきたい。コアな層に次シーズンの商品を紹介して買っていただくだけの場にするのではなく、スキーに思いをはせ、スキーの楽しみ方を知る場にできればと思っている。

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ユニクロ「UT」は「ファンに発信していただくことが大事」 内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.7

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第7回はだれでも簡単にオリジナルTシャツを作ることができるユニクロ(UNIQLO)の「UT」について、石川篤「UT」事業部統括に話を聞きました。

内田:「UTme!」で自分だけのオリジナルTシャツが作れると知ってびっくりしました。

石川:そうなんです。スマートフォンの「UTme!」専用アプリを使用すればいつでもどこでも作ることができるので、店舗に行かなくても自宅でオリジナルTシャツを作ることができます。

内田:「UTme!」をスタートしようと思ったきっかけは?

石川:前進ブランドとなる「UT」は2003年に始まりました。ユニクロから提供する商品ではなく、お客様ご自身で作れるサービスを始めたいなと思ったのがきっかけです。

内田:オリジナルTシャツを制作できる会社って他にもたくさんあるじゃないですか。「UTme!」ならではの、ここは負けないというポイントは?

石川:1つはサービスが速くて簡単です。ご自宅のPCやスマートフォンで作成したとしても3〜5日間ほどで商品をお届けできます。2つ目は品質です。ユニクロの商品をベースにしているので、ご好評いただいています。

内田:自分でデザインしたオリジナルアイテムを販売できるサービスもあるんですか?

石川:「UTme!マーケット」というサービスがあります。自分のオリジナルアイテムに自身で報酬額を設定して出品し、出品者はアイテムが売れるたびに報酬をもらうことができる仕組みになっています。その際のやりとりや配送は、全てユニクロが行っています。

内田:「UTme!マーケット」なら、自分の小さなTシャツ屋さんを開くこともできる、ということですね。この連載は、最終目標が「自分でTシャツを作る」なんですけど、「めっちゃ簡単にできるやん!」って思っちゃいました(笑)。自分でデザインする上で気をつけた方がいいことはありますか?

石川:絵ですね。攻撃的すぎるものとかは削除させていただいております。

内田:「UTme!」には、キャラクターのスタンプもあるんですね!

石川:はい。通常のキャラクタースタンプだけでなく、ご自身が描いた絵、またはスマートフォンに保存してある画像もスタンプにできます。原宿周辺にあるお店とコラボレーションした、ユニクロ原宿店限定のスタンプもあるんです。

内田:コラボレーションしたいと思ったお店には、どうオファーをするんですか?

石川:近隣の店舗と「原宿を盛り上げよう!」と、各店舗の店長が集まる場に参加させていただき、打診をしています。地域に愛されていくことを目標にしているので、「UTme!」でもこうした活動も行っています。

内田:「UT」は色々な方とコラボレーションしていますが、基準や選び方について教えてください。

石川:"WEAR YOUR WORLD"という「UT」のコンセプトに基づいて、様々なカルチャーに触れようと思って日々探しています。音楽や漫画、アーティストなど作風が様々なものを、年間のスケジュールを組んで計画しています。話題性やタイミングも大事ですし、「ユニクロ」だからできるコラボレーションであるとか、企画の理由も考えています。

内田:「UT」のマーケティングプロモーションを通して、私にアドバイスがあればお願いします。

石川:コンテンツによってオリジナルのマーケティングを考えています。店舗やデジタル上で、広告とは違う形でコンテンツの良さを伝えており、例えば店舗ではアーティストのドローイング教室を開いたりしています。大々的な広告も大事ですが、作品が好きなファンの方に発信していただくことが本当に大事だと思っています。

内田:石川さんが内田理央だったら、どんなTシャツを作りますか?

石川:この連載を通して色々なTシャツのデザインやビジネスを知ることができたと思うので、その知見を生かして自分の好きなものを軸にしていくのが良いと思います。猫がお好きなら、女性だけではなく猫も着用できるボディを作り、ペアで着れたら面白いと思います。

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Koki,が初主演する“最恐”映画「牛首村」 “ルックスも最強”と話題の主要キャスト3人に話を聞いた

 モデルとして国内外で活躍中のKoki,が、2月18日公開の最恐ホラー映画「牛首村」(東映)で女優デビューした。2020年2月に公開してヒットした「犬鳴村」、21年2月公開の「樹海村」に続く、ホラー映画の巨匠・清水崇監督が手掛ける“恐怖の村”シリーズの第3弾だ。主要キャストは主演のKoki,のほか、今話題の若手俳優、萩原利久と高橋文哉。今後、ファッション&ビューティ業界からもさらに注目されるであろう“美しすぎる3人”に、映画の見どころや日々の美容法などを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):本日公開だが、今の心境は?

Koki,:完成した作品を見終わって試写室が明るくなったとき、すごく感情的になりました。スタッフが一つのチームとなって約1カ月半の撮影を終え、「本当に映画を撮ったんだ……」という実感が湧いてきて感動しました。

萩原利久(以下、萩原):ホラーでありながら、人と人が接することで互いの弱点に気付いていくという、ストーリー部分にも力を入れました。ホラーとしてはもちろん、ドラマとしても楽しんでもらえるよう、チーム全体として高いモチベーションで臨んだので、そこにも注目してほしいですね。

高橋文哉(以下、高橋):試写の際、次に何が起きるか分かっているのに、ハラハラドキドキ、わくわくして観ることができました。絶対に楽しんでもらえると思います。

WWD:ホラーならではの演技は難しかった?

Koki,:監督と相談しながら演技を組み立てていったのですが、“緊迫感”をどのように保つか“が難しかったですね。特に表情のアップのシーンでは、息づかいや口元の動きなど、些細なことでも緊迫感は失われてしまうと教えてもらいました。

萩原:“リアクションをする間”にこだわりました。監督に教わったのが、「観客より先に驚いてはいけない」ということ。リアルな生活では、何かあると瞬間的に反応してしまうけれど、それを演技で再現すると観客に驚いてもらう隙がありません。一拍おいてから驚くように心掛けたのですが、なかなか慣れなかったですね。ホラー以外だとあまり経験しないと思います。

高橋:僕が演じた将太という役は、だんだんと恐怖が増してきて、ラストに向かうにつれて耐えられなくなってしまうんです。“恐怖”という階段を上っていることを伝えるにはどう表現すればいいか、ホラーだからこそ考える場面が多かったですね。

WWD:特にKoki,さんは今回が初演技だったが、監督からどのような演技指導を受けた?

Koki,:監督から教えてもらった中で印象に残っているのは、「日常的なシーンをいかにリアルにするかが大切」ということ。日常が成立しているからこそ、ホラーの部分が怖くなるので、そこは心掛けましたね。清水監督はシーンなどの説明がとても丁寧なので、説明を聞いているだけですでに怖かったです(笑)。もともと清水監督と仕事がしたいと思っていたのですが、いろいろなことを教わりました。最初が清水監督作品で本当に良かったと思っています。

WWD:映画初主演で一人二役(姉妹役)という挑戦、演じ分けるのは大変だった?

Koki,:特に演じ分けようとは思わず、奏音(姉)を演じているときは奏音、詩音を演じているときは詩音、という気持ちで演じました。一人二役は大変というより、演技を2倍経験できたので、2倍の学びになりました。

WWD:撮影現場の雰囲気は?

萩原:ホラー作品とは思えないくらい、現場の雰囲気は明るかったですね。3人とも同年代なので、役ではいがみ合うシーンがあっても裏ではわちゃわちゃしていて、いい意味でオン・オフのスイッチを切り替えることができました。

高橋:過酷なロケもあったけれど、この3人で作れる楽しさの方が強かったですね。撮影現場に行くとき、いつもわくわくしていました。

WWD:劇中で3人が並んでいるとき、「実際にこんな美男美女の高校生がいたらヤバい」と思いました(笑)。プライベートにおいて、ビューティやファッションでこだわっていることは?

Koki,:スキンケアでは、常に保湿することを大切にしています。あと、化粧水の後に乳液をつけるなど、ちゃんとステップを踏んでケアすることの大切さを実感しています。メイクに関しては、マスカラやビューラーを使ったり、そこに色を入れてみたり、目にポイントをおくのが好きですね。目を強調するときは、横ではなく、縦に大きく見えるようにメイクしています(笑)。ファッションは、カジュアルもシックも好きですが、常に自分らしいファッションでいたいです。あとどんな服でも、どこかにエレガンスな要素を入れることにこだわっていますね。

萩原:髪型に関して、僕は今までパーマをしたことも、染めたこともないんです。演じる役の関係で、自分の意志では大胆に変えられないので。金髪に憧れているので、「そんな役が来ないかなー」と思っています。ファッションでは、オーバーサイズの服を着るのが好きです。あと動くのが好きなので、いつ走ることになってもいいように、スニーカーを履くことが多いですね。

WWD:高橋さんも肌がとてもきれいですが、メンズコスメは使っている?

高橋:「最近肌だめだな……」と思ったときだけ、パックすることがありますね。でも休みの日は、カサカサのままいることも多いです(笑)。ファッションは、モノトーンの無地を選ぶことが多いですね。服は「いいな」と思ったら即買うけれども、気分で半年くらい買わないときもありますね。

WWD:最後に作品の見どころを。

Koki,:ホラー好きな方はもちろん、「ホラーはちょっと……」という方にも観てほしいです。家族の絆や姉妹の絆、人間性や「大切な人を守りたい気持ち」を丁寧に描いているので、注目してほしいですね。

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よしミチ姉弟がコスメをプロデュース 「ファンと近くでつながれる場所」を目指す新たな挑戦

 “よしミチ”の愛称でZ世代を中心に人気を集める姉弟モデルのミチとよしあきは、自身がプロデュースするコスメブランド「パースビューティー(PERSE BEAUTY)」の第1弾製品となる“ベルベットフィックスリップバーム”(全4色、各税込1680円)を3月3日から公式サイトで先行販売する。3月17日から全国のロフト・PLAZAなどで順次販売する予定だ。製品はベルベットのような柔らかいバームテクスチャーで、ソフトマットな仕上がりと肌になじむ透け感のある発色が特徴。時間が経っても自然な色味が続くティントタイプのリップスティックだ。

 同ブランドは、2人が新しい発信の場として昨年7月に立ち上げたクリエイティブスタジオ 「パース(PERSE)」からスタートしたコスメラインだ。 “PERSE”はラテン語で“&”を意味し、ファンとのコミュニケーションの場として最新の情報やプロデュース商品などを発信していくという。また、第2弾としてカラーコンタクトの発売も決定している。SNSの総フォロワー数250万人以上をかかえ絶大な影響力を持つ彼らが、なぜ今クリエティブスタジオを立ち上げたのか、製品に込めた思いやこだわりなどをミチとよしあきに聞いた。

WWD:クリエイティブスタジオ「パース」を立ち上げた経緯は?

よしあき:SNSだけでなく、自分たちが表現したいものを作ったり、僕達をもっと身近に感じたりしてもらえるような空間として「パース」を作りました。

ミチ:姉弟として2人で活動してこれたのは、応援してくださったみなさまのおかげ。「パース」はそんな人たちともっと近くでつながれる場所にしたいです。

WWD:SNSではなくクリエイティブスタジオを立ち上げた理由は?

ミチ:SNSだと発信できることに限りもありますし、それぞれのメディアのスタイルがあると思うので、私たちの表現や作りたいものをより分かりやすく発信するために新しく立ち上げました。今回のコスメを皮切りに、幅広くチャレンジしていきたいです。

WWD:「パース」の最初のプロジェクトにコスメラインを選んだ理由は?その中でもなぜリップだった?

ミチ:私が自分に自信を持つことができたり、好きになれたりしたきっかけがコスメでした。例えば顔にホクロがあったとして、コンプレックスに思う人もいれば、チャームポイントと捉える人もいます。自分のことを好きになれるかどうかは結局自分次第なので、少しでもその後押しがしたくてコスメにしました。最初に持ったコスメがリップで、化粧をしたことがなかった当時の私にとって、リップ1本塗るだけでこんなに変化があるんだ!というのが楽しくて。寝る時もリップを塗っていたくらい大好きでした(笑)。その時の変化や感動が忘れられなくて、最初のアイテムは一番思い入れのあるリップにしました。

よしあき:僕も中学生くらいからメイクを始めて、高校生のときはメイクしないと外出したくないくらいでした。最近では仕事でヘアメイクをしてもらう機会も増え、メイクをすると自分に自信がつくし、メイクは楽しい所に連れて行ってくれるなと改めて感じています。「パースビューティ」をスタートするのもすごく楽しみでした。メイクは技術が必要なので、僕も最初はベースメイクで顔と首の色が全然違ったり、ノーズシャドウを入れすぎちゃったり……。いろいろ失敗をしながら引き算も出来るようになったのですが、その中でもリップって塗るだけでかわいくなれて、一番簡単に自分に自信が持てるアイテムだと思います。

 少し前までは男性でメイクをしていると驚かれることが多かったのですが、最近ではメイクをしていると「そのリップどこの?」と聞かれるくらいメンズメイクは違和感のないものになってきていると感じます。だからメンズにも使えるようなカラーやテクスチャーを目指した「パースビューティ」は、性別に関係なく使ってほしいです。

WWD:製品でこだわった点は?

ミチ:発色とつけ心地の良さにこだわりました。最初は色味から調整していたものの、保湿効果やプランピング効果、ティント効果も追加していくうちに質感が硬くなってしまい、何度も調整して理想通りの発色と質感を追求しました。カラーは、肌なじみにこだわったニュアンスカラー4色を作りました。マットリップって“しっかりお化粧感”が出るイメージがあるのですが、鏡を見なくてさっと塗れて、どんなシーンでも使いやすいリップに仕上がりました。

よしあき:中身はもちろん、僕はお守りのように持ち歩いてほしいという思いを込めて、毎日手に取りたくなるようなパッケージのデザインにもこだわりました。それぞれのカラーによってパッケージが色違いになっています。あとは手ごろな価格もポイントで、学生でも手に取りやすい価格になるように頑張りました。

ミチ:私は中身の発色や質感、彼はパッケージにこだわりを発揮して、上手く役割分担した感じですね。2人で妥協なく作り上げました。

WWD: “ベルベットフィックスリップバーム”を使ったおすすめのメイクは?

ミチ:個人的に一番好きなカラーは“01 NUDE ROSE”ですが、おしゃれな雰囲気になれるブラウンがかったオレンジ“03 CHILI ORANGE”も男女問わずどんな人でも似合うはず。おすすめの使い方は、“01 NUDE ROSE”が全体に塗ったあと、唇の中心に“02 INNOCENT RED”を重ねるとじゅわっとにじみ出るような血色感のあるリップに仕上がります。リップとアイシャドウの色味を合わせたワントーンメイクもおすすめです。

よしあき:ブラウン系の“03 CHILI ORANGE”や“04 ALMOND BROWN”はスッピンにさっと塗ってもモードな雰囲気でおしゃれにきまると思います。“ベルベットフィックスリップバーム”は重ねて塗ればしっかり発色してカラーを楽しめるし、一度塗りで軽くティッシュオフすればより自然な発色になるので、塗り方次第でいろいろな楽しみ方ができます。性別や年齢関係なく、ボーダーレスに使ってほしいです。

WWD:製品とパッケージともにヴィーガン素材なのは、若い世代の環境問題に対する意識が高まっているから?

ミチ:“ベルベットフィックスリップバーム”はフランスのヴィーガン認証機関「EVE VEGAN」の認証を取得しています。環境問題について私たちもまだまだ勉強不足ではあるものの、できることは少しずつでも取り組んでいきたいです。“環境問題に興味を持っているのがおしゃれ”という風潮があるのは事実ですが、入り口はそれでもいいと思っています。身近なコスメから意識するきっかけになってほしいです。

WWD:今後「パース」を通じでどういった企画や発信を考えている?

ミチ:アクセサリーにも挑戦してみたいです。今回は日常をより素敵にしてくれるものがコンセプトでしたが、アクセサリーは“特別”をコンセプトに作りたいです。家族とおそろいのリングをしていたり、大切な友人とはアクセサリーを送り合ったりするくらい、私にとってアクセサリーは特別なつながりを感じさせてくれるものなので。

よしあき:直近では、カラーコンタクトの発売が決定しています。リップのように、手軽に取り入れられるものから作っていきたいと考えています。ゼロから物を作ることは大変でしたが、僕たちの愛情や熱意を込めて作ったものがみなさんの手に届くことが1つの“つながり”なので。僕はやっぱり発信することが大好きなので、作ることから発信までできる「パース」の今後を楽しみにしていてください。

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「ブルガリ」トップが語る女性のエンパワーメントとデジタルの可能性

 ブルガリ ジャパンは毎年12月、さまざまな分野で活躍する女性をたたえる「ブルガリ アウローラ アワード(BVLGARI AVRORA AWARDS 以下、アウローラ)」のイベントを華々しく開催している。昨年で6回目を迎えた同賞の“アウローラ”とは、ローマ神話で“暁の女神”を意味し、文化、スポーツ、社会貢献などの分野でインスピレーションを与える女性に贈られるものだ。毎年同賞の授賞式のために来日するジャン・クリストフ・ババン(Jean Christophe Babin)=ブルガリ グループ 最高経営責任者(CEO)だが、今年は、コロナ禍のため来日できなかった。同CEOに「アウローラ」をスタートした理由や、同賞に込めた思い、そして、コロナ禍におけるビジネスについて聞いた。

WWD:「アウローラ」を2016年にスタートした理由と目的は?

ジャン・クリストフ・ババン=ブルガリグループCEO(以下、ババン):「ブルガリ」のブランドとしての成功は女性によるものが大きい。われわれは、女性なくして世界的なラグジュアリーの象徴かつ羨望の的のジュエラーの一つになることはできなかったはずだ。だから、女性たちに捧げる賞を作りたかった。ジュエリーだけでなく、ウオッチやアクセサリー、フレグランスなどのインスピレーションの始まりは女性から。「アウローラ」は女性が持つ注目されるべき隠れた才能にフォーカスし、その声を伝えるのが目的だ。

WWD:このイベントは6年にわたり開催されてきた。この6年間の変化についてどのように分析するか?

ババン:男性のライフスタイルよりも女性のライフスタイルの方が早いスピードで変化している。今日の女性は自分自身の才能を信じて発揮することにより、社会的にますます重要な役割を果たすようになった。自分の人生を動かすエンジンそのものになっている。これが、この賞を誇りに思う理由だ。「アウローラ」は、女性のありのままの姿を讃えて、それぞれの女性が持つ夢の実現に導く賞だと思う。この賞を受賞することにより、夢が明確になり、それを実現する決意になるだろう。

WWD:幾つかの企業が女性のエンパワーメントに関する賞を設けているが、「アウローラ」はそれらとどのように違うか?

ババン:“卓越性”を重視している点。「ブルガリ」は、世界的なトップジュエラーとして、日々、“卓越性”を実現するために尽力している。宝石や貴金属といった材料から、オリジナリティー溢れるクリエイション、世界中の店舗やさまざまな方法による顧客へのサービスまで、“卓越”していることが重要。「アウローラ」も同様に、参加する女性がそれぞれの才能を通して世界に卓越した作品を届ける決心をする場なのだ。歌でも、建築でも、アートでも、“卓越”したものを作り出す方法を知っている、そんな女性に贈られるのが「アウローラ」だ。

デジタルはターゲットとの需要なタッチポイント

WWD:コロナ禍におけるビジネス状況は?好調の市場とその理由は?

ババン:パンデミックをもたらすウイルスとの戦いで世界は一致団結した。しかも渡航制限により世界はある意味、小さくなったと言えるかもしれない。われわれのようなラグジュアリーブランドは、より、ローカルな戦略でビジネスをするようになった。そして、経済全体が徐々に回復しつつある。コロナ禍で、デジタルが重要な後押しになった。ECは、ロックダウンなど危機的な状況で大きな味方となったが、状況に関わらず重要なビジネスチャネルになっている。優れた業績を残すことを忘れず、デジタルで、顧客によりパーソナライズされたサービスをどう届けるかというのが興味深いチャレンジだ。

WWD:コロナ禍における富裕層市場は?どのようなサービスを提供しているか?

ババン:ラグジュアリービジネスは近年、デジタルとの相互作用により、デジタルに明るい若い世代を市場の中心に押し上げた。EC顧客の消費動向を研究し、好みに合わせた商品を提供することにより完璧なショッピング体験を提供することができる。「ブルガリ」にとってデジタルは、理想的なターゲットと接触できる刺激的で有用なチャネルであり、SNS上でユーザーが発信する価値や経験に基づいたマーケティング戦略が可能になる。また、3Dデジタル技術を駆使して、メタバース上で商品を存分に楽しめるユニークな体験を提供することも課題だ。

WWD:コロナは一部地域で落ち着きつつあるが、この先行きの見えない状況における戦略は?

ババン:世界情勢は常に変化している。長期的に危機的状況にある地域はもはやない。実店舗とデジタルの融合により消費者のニーズに応えるのが理想的な戦略だ。われわれは決して立ち止まることなく、状況を考慮に入れながら、コレクションの発表や店舗のオープン計画を進めている。昨年秋には、フランス・パリのヴァンドーム広場に新しい旗艦店をオープンし、ジュエラーの聖地である同広場における存在感がアップした。12月には、「ブルガリ ホテル パリ(BVLGARI HOTEL PARIS)」をオープンした。コロナ禍が落ち着けば、国際的なラグジュアリーショッピングの拠点であるパリで、多くの宿泊客を迎える特別な存在になると信じている。「ブルガリ」ならではの、細部まで気を配ったサービスの質の高さを感じてもらえるはずだ。このように、われわれは国別に具体的な戦略を立てて、計画を実行している。ECによる販売は、ブティックにおけるサービスや、ブルガリの世界観を再現することはできないが、実店舗とECは補完し合うもの。コロナ禍による制約がある地域では、ECやSNSをを通して顧客とタッチポイントを作り販売することが重要だ。

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所属する村瀬心椛選手が銅メダル獲得 ムラサキスポーツに聞くスノーボード市場の変化

  北京冬季五輪も後半戦。スノーボード競技ではハーフパイプで平野歩夢選手が金メダル、冨田せな選手が銅メダル、ビッグエアで17歳の村瀬心椛選手が銅メダルと日本勢のメダルラッシュに沸いている。メダリストの村瀬選手が所属するのが、スノーボードやサーフィン、スケートボードの専門店であるムラサキスポーツ。東京五輪でも、同社所属の堀米雄斗選手、西矢椛選手がスケートボードで金メダルを獲得し、大きな注目を集めた。野球やサッカーに比べるとまだまだマイナーなスノーボードやスケートボードだが、大きな大会で選手が活躍するとどんな変化があるのか。ムラサキスポーツ新宿店の倉持正臣さんに、スノーボード市場の概況と共に聞いた。

WWD:まず初めに、ムラサキスポーツに所属する村瀬選手をはじめ、日本人選手の北京冬季五輪での活躍は店頭にどんな変化をもたらしているか。

倉持正臣(以下、倉持):日本人選手が活躍すると、スノーボードを始めてみようというお客さまが増えて、業界全体に還元がある。例年、スノーボードの売り上げのピークは12〜1月だが、今年は五輪効果なのか2月の3連休(11〜13日)時点でも各店で集客が落ちなかった。東京五輪のスケートボードで堀米選手や西矢選手、中山楓奈選手(銅メダル獲得)が活躍した際も、彼らが当社の所属と知った方からの問い合わせが増え、初めてスケボーに挑戦するという10代のお客さまがかなり増えた。スケボーは“3密”を避けられる遊びとして、20年3月以降売り上げを伸ばしていた。その反動で21年はやや前年比で伸び悩んでいたが、東京五輪後の8〜9月は大幅に伸長し、店によっては売り上げが例年の2〜3倍になるというケースもあった。

WWD:五輪の効果でここからさらに伸びる可能性はあるが、2021-22年シーズンのスノーボード市場の現時点までの概況を教えてほしい。

倉持:当社のスノーボードカテゴリーは、1月までの時点で前年同期比20%増にやや届かずという着地。雪不足だった前々年との比較では、20%増以上の伸びだ。昨年はコロナ禍でお客さまは商品を買おうにも買えず、さらに今年はベトナムや中国でロックダウンや電力不足に伴う生産遅延が発生した。「今年こそ買うぞ」と思っていたお客さまのマインドを、納期遅れがさらに刺激した面はある。コロナ禍前は、ムラサキスポーツとして各地のゲレンデで毎月のようにボードの試乗会やイベントを行い、広告も出稿して売り上げにつなげていた。今シーズンは広告出稿を大幅に減らしているにも関わらず、売り上げが回復している。

WWD:新宿店はコロナ禍前は海外観光客からの支持も厚かった。

倉持:コロナ禍前は新宿店は売り上げの15〜20%を中国や韓国のお客さまが占めていた。海外観光客はかなり減ったが、昨年12月ごろから徐々に戻りが見られる。特に中国は自国での五輪開催もあって、スノーボード市場が今まさに大きく拡大しているところだ。「バートン(BURTON)」など有力ブランドの中国では売っていない品番のボードや、10万円超の「オガサカ(OGASAKA)」「ヨネックス(YONEX)」などの日本製ボードを求める声は強い。また、“プレミア感”を重視して、国際大会で有力選手が使用したボードを指名買いするケースも中国のお客さまでは五輪前からよく見られる。

スノボウエアも韓国ファッションが席巻

WWD:コロナ禍前と比べて売れるアイテムに変化はあるか。

倉持:マスク代わりのバラクラバやフェイスマスクは非常によく売れている。感染を避けるためにゴーグルやグローブをレンタルすることは避けて、初心者でも自分のものを買うという傾向も広がっている。

WWD:ウエアはどんなデザインが売れているか。

倉持:「ゴアテックス(GORE-TEX)」など機能素材を使用したギア系と、街着のトレンドを取り入れたストリートミックス系とにニーズが二分している。ギア系は「バートン」の上級ラインである“akコレクション”や、今回の五輪で米国スノーボードチームのウエアのサプライヤーにもなっている「ボルコム(VOLCOM)」の商品などが支持されている。“akコレクション”には藤原ヒロシさんとの協業商品もあり、それには中国や韓国のお客さまからの問い合わせも毎シーズン多い。一方、ストリートミックス系ではK-POPファッションの波がスノーボードウエアの世界も席巻している。新宿店では、淡い色使いなどが特徴の韓国発のウエア「ディミト(DIMITO)」が人気だ。

WWD:スノーボードが日本に入ってきて約40年。スノーボード人口は減少し続けていると言われるが、そうした市場の変化をどう見ているか。

倉持:業界内でよく言われることだが、今40代である僕たちが若かったころは、スノーボードがファッションや音楽などと共にカルチャーの一つとして受け止められていた。今の若い世代は(うまい人であればあるほど)カルチャーというよりも競技志向が強く、(カルチャーに紐づいたマイナースポーツという領域から)より一般的なスポーツになりつつあると言えるのかもしれない。東京五輪でスケボーが注目を集めた際もそうだったが、大きな大会で選手が活躍すると、10代などの若い世代がそのスポーツに挑戦することが増える。同時に、かつてそのスポーツに親しんでいた世代が刺激を受けて再開するケースもある。今回の五輪でも、「スノーボードってかっこいい」と若い世代に知ってもらいたいし、かつてスノーボードにハマっていた40〜50代が、再開するきっかけの一つになればと思っている。

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美肌研究家ソンミの「ミース」が絶好調 「肌が変われば、世界が変わる」【ネクストリーダー2022】

 美肌研究家のソンミが2019年3月に立ち上げたスキンケアブランド「ミース(MEETH)」の勢いが止まらない。同ブランドは“美肌は最高のジュエリー”をコンセプトに誕生。「肌がきれいだと人生が変わる」というメッセージを発信し、美肌についてとことん追求したスキンケアをそろえる。国内外で展開するなど“美容通”からの支持も高く、右肩上がりで成長し続けている。今年はインナーケアに特化した食のブランド「アンドミール(&MEAL)」を本格的にスタート。「美肌に関係するもの以外は絶対に発売しない」と強い意思を持つソンミが、思い描く世界とは?

WWD:今年はブランド誕生から3周年を迎える。改めて「ミース」を立ち上げたきっかけは。

ソンミ・ミースCEO兼美肌研究家(以下、ソンミ):「ミース」は、自分のコンプレックスから誕生した。芸能活動をしていた20代の時は他の人と容姿を比べてしまうことが多く、自分の欠点に目が行きがちだった。コンプレックスを克服しようと努力するよりも、自分の魅力を磨くことの方が自信への近道だと思い、褒めてもらうことが多かった「肌」を磨くために、20代半ばから、デパートコスメからドラッグストアコスメまで千以上もの化粧品を試してみたり、多くの美容法を取り入れたりしてみた。とにかく“良さそう”と思うものはトライして、その中で自分が気になった製品は成分について製造元に問い合わせるなど、とにかく自分なりの美肌の研究に没頭していた。

WWD:気になるものがあればすぐ行動に移した。

ソンミ:本気で自分がおすすめしたい製品というのは片手に収まる程度だったが、それをSNSで紹介したら「同じものを使ったら肌がきれいになりました。本当に涙が出そうです。ありがとうございます」というメッセージをいただくようになった。良いと思ったモノを発信して喜んでもらえたことが、自分にとっても喜びであると感じた。30歳を目前に自分の肌が変わる中で、本当に使い続けたいと思うアイテムを作りたいと思い立ち、「ミース」を立ち上げた。

WWD:自己資金300万円を元手にスタートした。

ソンミ:ビジネスの勉強をしたわけでもなく、会社勤めの経験もない中、たった1人で始めたので不安しかなかった。ただ、当時から今も変わらず胸のなかにあるのは「人生が変わるような化粧品を作る」ということ。「肌」がきれいになると前向きになり、振る舞いも代わり、チャンスが生まれる。私自身「ミース」を始めて人生が変わったと思っている。この3年間はそれだけを追求して、とにかく無我夢中だった。

WWD:現在は12SKUをラインアップする。

ソンミ:炭酸ガスパックから始まり、クレンジング、オイル美容液、クリームなどスキンケア製品を揃えている。ブランドのアイコンでもある化粧水“モアリッチエッセンシャルローション”は嬉しいことに、昨年10月から北海道・岩内町のふるさと納税返礼品に採用されている。同化粧水は岩内町の海洋深層水をベースに製造していることから選んでいただいたが、申し込みが前年度に比170%増だったと、町長さんから喜びのご連絡をいただいた。肌をきれいにしたいと思いながら作っていた製品が町おこしに繋がり、社会に貢献できるというのにスキンケアの可能性を感じた。

WWD:「ミース」は開発する製品によって工場を選定しているのも特徴だ。

ソンミ:自分の目で確かめたいので全ての工場に出向き、それぞれ得意分野が異なる工場から選んで取り引きしている。国内では6社と取り組んでいるが、「ミース」の強みである製品力をさらに高めるべく、韓国の江南区にブランド初となる化粧品開発研究所を昨年設立した。日本の繊細な技術は誇りに思いながらも、美容大国とも呼ばれている韓国の美容医療や研究も素晴らしい。日本と韓国の技術を融合しながら、美肌を追求するための商品を開発していく。

WWD:ファンの声を製品開発に生かすこともある。

ソンミ:「ミース」は自分のコンプレックスから始めたブランドであり、お客さまに寄り添いながらも自分が良いと思える製品を生み出してきたが、お客さまの悩みを解決する製品を作りたいという思いもあったため、2周年のタイミングで「商品企画プレゼン会議」を実施した。「ミース」のお客さまには、成分をも把握しているとても意識の高い方が多い。そういったお客さまが欲しいと思う商品をプレゼンしてもらい、採用された方と一緒に作るという企画で、その中で選ばれた方と一緒に、9カ月ほど毎月お会いして開発を進め、8割がた完成に近づいている。

WWD:新しいことに挑戦し続けている。

ソンミ:「肌」をきれいにするためなら、どんなことでもチャレンジしたいと考えている。ただ、化粧品だけでは限界がある。ある日、「ミース」を使っても肌の変化が感じられないというお客さまがいたのでヒアリングしたら、食生活が乱れていたことが分かった。その食生活を改善できない限り、スキンケアブランドになれないと強く感じた。スキンケアブランドとしての在り方を考え、内側からも外側からもサポートできるようになりたいと思い、栄養学の専門学校に通った。そこでドクターや栄養士、料理家など各分野のプロとの出会いがあり、協業してフード事業「アンドミール(&MEAL)」を立ち上げた。

WWD:「アンドミール」のこだわりは?

ソンミ:例えば、製造過程では添加物を使いたくなかった。肉の挽き方や野菜の洗い方一つをとっても自分のこだわりが強すぎて、受け入れてくれる工場が見つからなかった。さすがに断られ続けたので、断念しようとも思ったが、それだと“スキンケアブランド”ではなくなると思い、人生をかけて、自分たちで製造から配送までしようと決意し、自社工場をゼロから作り上げた。最初はEC販売で、人の体が変わると言われる7日間分のスープセット(7食)と、オートミールのクッキーを用意する。

WWD:本気度がうかがえる。

ソンミ:私たちは「おいしいだけ」のブランドではなく、「体や肌に優しい」だけのブランドでもない。「肌がきれいになる」ことは「体が健やかになる」ことだ。全てを掛け合わせて展開するのが「アンドミール」。マインドが変わると行動が変わり、それが習慣になり、結果、肌がきれいになることにつながると思っている。「ミース」も「アンドミール」も、ただ商品を販売して終わりではなく、美肌になった先まで想像してもらえるようなブランドにしたい。販売だけではなく、その先につながるようSNSでのコミュニケーションにも注力する。まずは、食の大切さを多くの方に知ってもらうことを使命とし、ゆくゆくはショップをオープンしたいと考えている。

WWD:今後「ミース」も店舗を増やしていくのか?

ソンミ:昨年は定期的に百貨店でポップアップを開催し、常設のお話もいただいたが、「ミース」はお客さまとの信頼で繋がっているので、国内においては、自分の目が行き届く範囲かつ、しっかりと接客ができてブランドの世界観を守れる範囲でとどめておきたいと今の時点では思っている。一方でお客さまの利便性を高めるために、ショールーミングストアの「ミース タッチアップ ラボ (meeth touch up lab)」(東京・表参道)では、2月に製品の販売を開始した。自分の経験からゆっくり製品を知っていただける場所にしたいという思いがあり、お客さまご自身のタイミングでECで購入いただくという形態をとっていた。しかし、初めて来店されたお客さまから「ラボで体験した製品をそのまま購入したい」という声が多かったので店頭販売を決めた。ただ、肌診断機を使ったカウンセリングやアドバイスなどラボとしての役割は変えない。

WWD:海外展開は?

ソンミ:中国、台湾、ロシア、ベトナム、韓国、シンガポールで販売している。海外の売り上げ構成比率は3割で、特に台湾では20年に“モアリッチパック”が台湾の美容大賞である「女人我最大賞」パック部門で大賞受賞し、翌年はボディケア部門で「総合ボディオイル賞」を受賞するなど、日本に次いで好調に推移している。今年1月には、海外初の直営店をシンガポールにオープンした。

WWD:国内外問わず着実にファンを増やしている。

ソンミ:「ミース」が「ソンミのブランド」というところから脱却したいと思っている。嬉しいことに最近では、私の顔を知らなくても製品を支持してくれる方が多い。ある女優の方にコスメ企画で「『ミース』を紹介すると、自分がしっかりモノを選んでいる認識をもってもらえ、自分の価値を高めてくれる」と言っていただけた時には、今までやってきたことは間違いではなかったと確信できた。

WWD:これまでのターニングポイントは?

ソンミ:3年のうち、リブランディングを2回したこと。最初のリブランディングでは、環境に配慮した取り組みの一環としてパッケージを森林循環紙に変え、ベジタブルインクに変更した。そこから、「正しいスキンケアを続ければ、何歳になっても肌は生まれ変わる」と発信するなかで、深刻化する環境問題とともに「ミース」も進化させていかなければと思い、2周年のタイミングで外箱をリサイクル率が高いダンボールに切り変えた。会社の取り組みや在り方を考えながら、お客さまと世の中にどういうことができるのか考え、いろんなことが動き始めた。日々環境に配慮した新しい容器が出ているので、変化を恐れず、積極的に変えていきたい。

WWD:スピーディーに環境に配慮した取り組みを行っている。

ソンミ:ブランドを立ち上げた時から動物実験を行わず、廃棄につながる大量生産は行わない。製品はレフィルも用意し、店頭では容器回収を始めた。企業としてSDGsへの取り組みは使命。まだまだ発展途上だが、できるところから確実に変えていく。これまでもこれからも、「肌が変われば、人生が変わる」そして「スキンケアで肌が変わると社会も世界も変えていける」という思いを持ち続け、進化していきたい。

WWD:今後の展望は。

ソンミ:3月に新ブランド「クレイビュ(CRAYBEAU)」を立ち上げる。ブランド名は「クレイジービューティ」の造語で、コンセプトは“狂おしいほどに美しい”。友人から「ソンミの肌はがんばってケアしている肌だ。」と言われたのがきっかけ。最初は「がんばることは恥ずかしいのか?」と衝撃を受けたが、私の周りにいる美しい人は正しい努力をしていると思うし、年齢関係なく肌がきれいな人はかっこいいとも思っている。人生は平等ではないと言われるが、スキンケアは平等。正しくケアすれば、肌は必ず応えてくれると思っている。そこで、「最高の美肌」をサポートする最高峰ラインとして誕生させる。

WWD:ブランド領域を広げる。

ソンミ:この先、ビジネスで新しいことを始めたとしても肌に関係すること以外、絶対しないと決めている。この1年は「ミース」「アンドミール」「クレイビュ」の3ブランドをしっかり育成し、「肌が変われば、人生が変わる」ということをメッセージとして伝え続けていきたい。


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洋服との出合いでワクワクを 笑顔あふれるライフスタイルを創造【ネクストリーダー2022】

 オフィススタイルに定評のある月額制レンタルサービスがエアークローゼット(AIRCLOSET)だ。スタイリストがユーザー1人1人に向けて洋服を選び、新たな出合いを提供している。2015年にサービスを開始し、昨年黒字化を達成。会員数も70万人を突破した。しかし、創業者・天沼聰の夢の実現はまだ始まったばかりだ。

WWD:起業した経緯は?

天沼聰エアークローゼット社長兼CEO(以下、天沼):仲間と何かを切り開いていったり、何かを形作ったりすることがすごく好きで、世の中に何らかの価値を提供したいというのが、そもそもの出発点だ。コンサル時代に起業を考え始め、実業を経験した後に、仲間を誘って3人で起業した。

WWD:なぜ洋服のレンタルサブスクを?

天沼:3人とも「ライフスタイルが豊かになる、人の生活が何か豊かになることをやりたい」が一致していて、「1分でも1秒でもいいから、人々のワクワクする時間を増やそう」というのがスタートだった。そこから「ライフスタイルに一番近くて、かつ、人の心に一番近いものって何だろう」と考えていったときに、ファッションだと。人の肌に触れるもので、長くワクワク感が長く持続する。ファッションの力はすてきだなと。ライフステージも時間の使い方も変わることが多く、忙しい女性たちに、生活リズムを崩さずに新しいファッションにたくさん出合えるサービスができたら、きっとワクワクするんじゃないかと考えた。選ぶのに時間がかかっては本末転倒なので、スタイリストが提案し、実際に着て、外に出ることができるレンタルが良いと思った。さらに返却期限なく、いつでも返せて、また新しいものが届くようにと月額制を採用した。

WWD:スタイリングサービスや物流、クリーニングなどが組み合わさっている。事業化は容易ではなかっただろう。

天沼:ビジネスモデルは定まったものの、3人とも全くファッション業界について知らないし、SNSにさえ業界の知り合いがいなかった(苦笑)。知り合いの知り合いの紹介で何人かに会うことができて、そこからテレフォンショッキング形式で広がっていった。世界的にも前例がなかったので、予測と軌道修正を繰り返しをしてここまできた。常に大変ではあるが、自分たちが作りたい世界観に向けてサービスを構築しているので、とても楽しい。

WWD:ワクワクをお客さまに提供できている実感は?

天沼:サービスを開始して1、2年の時に、返却の洋服と一緒に手紙を受け取った。その方はファッションが大好きで、ファッション業界で働いていたけれど、うつ病になって仕事を辞めて家に引きこもっていた。でも、エアークローゼットを利用するようになって、洋服に出合ったら少しずつ出掛けるようになったという内容で、「今も闘病中だけれど、アパレル業界に復帰して働いています。エアークローゼットを作ってくれてありがとうございました」と。それを泣きながら読んだ。ファッションとの出合い、洋服との出合いという、私たちがコアだと思っている価値を認めてもらえたと感じて、心の底からうれしかった。今でも問い合わせメールなどは全てに目を通しており、お客さまにワクワクしてもらえていると感じている。

WWD:現在注力していることは?

天沼:このコロナ禍で、ウインドーショッピングなど、洋服に出合う機会やきっかけが減っている。より多くの人にワクワクを体験してもらいたいので広報活動を強化している。また、アパレル企業がレンタルやサブスクリプションサービスを始めやすいように、私たちの物流基盤を利用できるようにした。ゼロからエンジニアが作ったシステムや、データサイエンス、人工知能の活用など、私たちの経験やノウハウをシェアすることで業界全体を盛り上げたい。競争が原理原則ではあるが、パイの取り合い以上に、パイを大きくすることを意識している。

WWD:今後は?

天沼:ライフスタイルとして広げたいという最初の思いを考えると、私としては、まだスタートラインに立ったかどうか半信半疑なぐらい。メンズやシニア、マタニティーと領域を広げたり、海外で展開したり、やりたいことがたくさんある。大量生産によって、一人一人が出合うべくして出合う洋服だけではなくなり、廃棄される服が増えている。今後はよりパーソナライズされたファッションが求められるようになっていくと思う。出合うべきアイテムを提案し、「“ワクワク”が空気のようにあたりまえになる世界へ」というビジョンを実現したい。

WWD:最後に受賞の感想を。

天沼:候補に挙がっていると連絡が来て驚いたが、チームとして長く一緒に働いてきたスタイリストの一人が推薦してくれたと聞いて本当にうれしかった。2月3日でサービス開始7周年。仲間と一緒にやれている環境で、最高だと感じている。


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中国で増すローカルブランドの存在感 「メイド・イン・チャイナ」を誇りに掲げる新鋭デザイナー【ネクストリーダー2022】

 中国のメンズウエアブランド「K-ボクシング(劲霸男装、K-BOXING)」を手掛けるホン・ボーミン(洪伯明、Hong Boming)最高経営責任者(CEO)兼クリエイティブ・ディレクターはトレードマークの“中国製のジャケット”を武器に、ブランドの成長をけん引する。42年続く家族経営ブランドを引き継いだ“3代目”として、「メイド・イン・チャイナ」への誇りを貫き、国内での存在感を増している。カーボンフットプリント(CO2e・温室効果ガス)を算出できるQRを導入するなど、サステナビリティを意識した新しいジャケット開発にも取り組み、事業拡大を目指す。中国およびアジア発のファッションをどのように見据え、どうブランドを導いていくのか。

WWDJAPAN(以下、WWD):ファッション事業を継ぐまでの経緯は?

ホン・ボーミンCEO兼クリエイティブ・ディレクター(以下、ボーミンCEO):中国の四字熟語に、水到渠成(すいとうきょせい)という言葉がある。「然るべき物事は、自然とうまい具合に進行する」「流れに任せてしまえばよい」といった意味を持つが、まさに自分の境遇を言い表す言葉だと思う。“3代目”として生まれて幼い頃からファッションに触れるにつれて、家族や会社に対する責任感が育ち、自然と「K-ボクシング」に参加したいと思うようになっていった。大学では工業デザインを専攻し、副専攻でファッションデザインを学んだ。製品開発や人事、テクノロジーなどの方面で知識とビジネスのノウハウを身につけ、ファッションビジネスの基礎を築いた。入社したのは、2017年。家のルールに従って、見習いとしてスタートした。その後19年にCEO兼クリエイティブ・ディレクターに就任した。

WWD:歴史あるブランドをどう導く?

ボーミンCEO:継承は起業活動で、相続はイノベーションだ。“3代目”として会社を存続させるためには、起業家精神の養成と人一倍の努力が必要。業界で活躍を続けるブランドであるために、商品設計からクリエイティブまで、新鮮でインターナショナルな視点を加えていきたい。急速に成長する中国市場や消費者の購買動向の変化、メディアの発達によるコミュニケーション方法の進化を受けて、会社も大きな転換期を迎えると感じていたので、自分なら貢献できると思った。経営戦略や体制の在り方、マネジメントなど、3代目であるからこそ見えてくる課題を意識して、進化を続けたい。これまでのヘリテージを大切にしながら、時流をつかんでいくことは大切だ。

WWD:これまでのキャリアで苦労したことは?

ボーミンCEO:私のバックグランドは挑戦の機会をたくさんくれたが、プレッシャーでもあった。比較的若くしてCEOになったので、社会経験やマネジメントスキル、市場分析力、素材についてはこれからもっと学んでいく必要がある。生活者のニーズや意識はより細かく、高まる一方だ。購買に慎重で品質が良いものを好み、デザイン性もあって着心地が良いだけでなく、ブランドの理念と共感するかどうかも細かく見ている。ライフスタイルや好みの変化に適応していくことに難しさを覚える。また、ブランドの知名度が上がるにつれ、ビジネスを超えて、社会的な責任の重さを感じるようになった。生活者と対話をするためにはビジネスをするだけでなく、ポジティブなメッセージや付加価値の創出が不可欠となった。

WWD:中国国内での人気をどう獲得した?

ボーミンCEO:社会が多く変わり、働く時のファッションにも変化が生まれ、スーツが徐々にカジュアルなジャケットに変わっていった。今やジャケットを着ていることが、ビジネスのコミュニティーでは企業家としての自立や余裕を表すシンボルになっている印象を受ける。「K-ボクシング」は当初からジャケットに焦点を当て、30〜45歳のメイン顧客層に着実にリーチした。ジャケットに精通するブランドイメージを確立し、中国で生活を送る男性に自信を与える存在に育っていった。21年9月には、新たに“ニュー・プレミアム・ナショナル・プロダクト”をコンセプトとして打ち出した。この“プレミアム”は値段に限定するものではなくて、最高の体験と“ちょっといい自分”になるための特別感を指すもの。ブランドの歴史と我々が提供する品質にコミットするために、「メイド・イン・チャイナ」を前面に出した。同時期に万里の長城でメンズジャケットにフォーカスを当てたショーを開催。中国のローカルブランドのファッションが注目を集めているという世の動きをキャッチしていった。

WWD:中国のローカルブランドが人気を集める理由は?

ボーミンCEO:中国が国として経済成長して文化的にも成熟してきたことで、国内のブランドに焦点があたり、誇りが生まれていると感じる。世界で存在感を増すようになるにつれて若い世代のアイデンティティーの形成においても一翼を担い、自己表現の幅を広げた。国家開発計画で「ファッション、ビューティ、繊維、そのほかの消費財の多くでハイエンドのローカルブランド育成に力を入れていく」ことが提案されていることも大きいだろう。

WWD:サステナビリティに配慮したスーツとは?

ボーミンCEO:“カーボンフットプリント・スーツ”と題し、カーボンフットプリント(CO2e・温室効果ガス)の計測に着手した。製品についているQRコードをスキャンすることで、素材の調達から店頭に並ぶまでの排出量が一目でわかるものを、ジャケットとパンツ、コットン製のTシャツで展開。中国では初めての取り組みだ。19年には国内で初めて気候変動枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change、UNFCCC)に参加し、21年に中国紡織工業連合会(China National Textile And Apparel Council、CNTAC)が提唱するカーボン・ニュートラルを促進するプログラムに加わった。責任ある購買や新しいライフスタイルの後押しになるような提案をし、持っているだけで良い気持ちになるような商品として愛されてほしい。

WWD:中国発のファッションの可能性は?

ボーミンCEO:これからの躍進に非常に自信がある。中国の国としての成熟は、中国のファッションやブランドがグローバルに世界の舞台で輝く可能性を提供する。純粋な「メイド・イン・チャイナ」からより高性能に生産して「スマート・メイド・イン・チャイナ」に、さらにクリエイティブなモノづくり、「クリエイティッド・イン・チャイナ」と成長していくと期待する。中国のように規模の大きい市場においてローカルブランドは、生活者や国の文化をよく理解しているので、迅速かつ的確にビジネスを展開できるという利点がある。文化の盗用のリスクも少なめ。その分ブランドの未来を見据え、長期的な成長戦略とともにサステナブルな製品を作っていくなど、進化を絶え間なく続けている。ますます多様化するライフスタイルと生活者の質の高いニーズに適応する力で、世界的に認知されていくだろう。

WWD:これからの目標は?

ボーミンCEO:現在の「K-ボクシング」を支えているコアな生活者は中国が中心で、今後もそこはブレない。2020〜22年にわたって、ミラノ・ファッション・ウイークでこれまで3回ショーを発表し、アジアの美学とイタリアのエレガンスが融合したコレクションを届けた。インターナショナルなプラットフォームでの露出はこれからも増やしていくつもりだ。今後も社会的に良いインパクトを残しているかを確認しながら、良い未来に向かって生活者と一緒に歩んでいきたい。


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元AKBこじはるが目指す明るくビジョナリーなリーダー像 商品の先のストーリーを作る【ネクストリーダー2022】

 元AKB48の小嶋陽菜がファッションやビューティのブランド「ハーリップトゥ(HER LIP TO)」を手掛けていると聞くと、名前だけで、実質はメーカーにお任せというイメージを抱く人も多いだろう。しかし本人に会って話を聞くと、約40人のチームを導き、“ガチ”で会社にコミットしていることに驚く。アイドル経験者だからこそ描けるブランド運営のビジョンとは。

WWD:所属する芸能事務所でECを主販路とするブランドを開始したのが2018年。20年1月からは、新会社heart relationでブランドを運営している。

小嶋陽菜「ハーリップトゥ」ディレクター(以下、小嶋):最初は芸能事務所の中で3〜4人で運営していたが、徐々にお客さまが増えて発注数が多くなり、組織を作って人を増やす必要が出てきた。アパレルの専門知識が何もないままスタートしたので、事業を進める中で生産管理やMD担当者などの仲間を集めてきた。(自分の名前を他社に貸して、あとはお任せという運営方法もあるだろうが)自分の思いがメンバーに伝わり、それがモノ作りに表れ、お客さまにも伝わっていく。全てはつながっているので、仕事の中のどこかだけを切り離すようなことはできない。自分でしっかり見たいという思いが私は強い。同時に、組織としてさらに多くのことをしていくためには、社内で権限移譲を進めていくことも自分の課題だと思っている。

WWD:今は芸能活動とブランド運営とに、それぞれどれくらい時間を割いているのか。

小嶋:ファッション誌の連載などには引き続き出させていただいているが、今はテレビ番組にはほぼ出ていない。毎日オフィスで会議とモノ作りをしており、芸能関係の仕事が入れられない。会議は組織としての定例会議や、毎週2日間、1時間刻みで行っている取引先メーカーとの商談、経営会議などがぎっしりある。発信する全てのコンテンツのチェックやフィードバックも行っているし、採用面接も最終はもちろん、その前の段階から人事担当者の横で聞いていることがある。

WWD:社員数は20人。業務委託やアルバイトも含むと約40人という小さくはない組織だ。

小嶋:昨年は採用を強化し、いかにいいチームを作るかに注力してきた。人が増えたこともあって、21年の会社としての売上高は前年の2倍になった。IT系スタートアップやアパレル、エンタメなど、さまざまな分野出身の社員が混ざっているが、仕事のやり方や考え方がそれぞれ全く異なるので、社内のコミュニケーションに難しさを感じることもある。それぞれの良さをうまく共存させて、この会社らしい、ほかのアパレル企業にはできないオリジナルな価値を作りたいと思っている。新卒入社の社員も含め、いろんな背景を持つ人がこの会社に集まってきてくれたのはすごいこと。できるだけみんなにいい経験をしてもらいたいし、他の会社にいたらできないような面白い体験をしてもらうために自分は頑張りたい。

自分の役割は「インパクトを作り出すこと」

WWD:チームを引っ張る存在として、大切にしていることは何か。

小嶋:シンプルに、いつも明るくいようと思っている。どんなことも人対人だからこそ、みんなが楽しめる空間を作りたい。実際は仕事の細かい部分にまで関わっているので、現実的になり過ぎて物事を小さく考えてしまうこともあるし、毎日そんなに能天気ではいられない。でも、人にはできないインパクトを作るのが自分の役割であり、そのためにはいつもできるだけビジョナリーで、明るく、かわいい子でいたい。自分は比較的現実的なタイプで、本当はもっと“ぶっ飛んだ人”になりたいと思っている。普通の人が思いつかないことを次々と思い描いたり、出せないカードを出したりできる人が私の思い描くリーダーだ。その理想に少しでも近づきたい。それと同時に感じるのは、すばらしいリーダーになるためには時間がかかるということ。たとえ採用を強化して組織作りを頑張っていようが、今この瞬間にはそれはお客さまには関係ない。それよりも、毎日華やかな姿でユーチューブやSNSで発信することの方が短期的には求められている。そこのバランスをどう取っていくかには葛藤もある。

WWD:経営に携わる上で、参考にしている人や本などはあるか。

小嶋:「これを読んだ方がいいよ」と、いろんな人からビジネス本などのリンクはたくさん届くが、まだ1冊も読んでいない(笑)。ツイッターなどで流れてくる、知り合いではない一般の経営者の方が書いている「note」などはよく読んでいる。会社を運営していく上で人がつまずく壁は恐らく一緒なんだと思う。「組織が何人のときにこんな問題が起きる」といった事例にはすごく共感するし、そこに書いてあることは参考にして実践もしている。今はツイッター上に大体の情報があると思う。

WWD:ブランド立ち上げからの4年間で、一番手応えを感じていることは何か。

小嶋:お客さまが「ハーリップトゥ」の服を着てSNSで発信してくださっている姿や、ポップアップショップなどでお客さま同士が交流しているところを見ると、やってきてよかったなと感じる。SNSの投稿を見ていると、自分のことが分からない、自分に自信がないという子が少なくないように感じる。うちの服を着たことで「彼氏にほめられた」「自分に自信が持てた」といったコメントをいただくケースも多く、単に服を届けているのではなく、その先のストーリーを作れているんだなと実感する。「ハーリップトゥ」が前向きに変わるきっかけとなれていることに、一番やりがいを覚えている。

アイドル出身だからこその視点を共有

WWD:ファッションだけでなく、昨年はビューティ分野にも進出した。

小嶋:ビューティはもともと大好きで、4年前のブランド立ち上げ当初から構想はあった。ファッションについても同様だが、いつまでに何をどれだけ販売し、いくら売り上げるといった事業計画を精緻に決め込んでいる会社ではない。いろんな化粧品を使ってきた私自身が「これはいい」と感じるものが完成して、みんなにシェアできると思うまでは販売しない。最初に発売したビューティ商品はUV美容液だ。年齢を重ねて、スキンケアの中でもUV対策が一番大切だと感じるようになって開発に取り掛かった。ほかのスキンケアアイテムにも着手しているが、こだわるあまり「気づいたら1年がたっていた」ということも多く、発売はまだまだ先になりそうだ。ファッションもビューティも絶対に妥協はしたくない。どちらも本気で取り組んでいるが、最近それが本当に大変なことだとつくづく実感している。だからこそ、もっと会社の規模を大きくし、メンバーを増やしていく必要がある。

WWD:AKB48での経験は、今の仕事にどう生かされているか。

小嶋:AKB時代は何ものにも代えられない、非常に貴重な経験だった。体力もメンタルも鍛えられたし、同世代とは見てきた景色が全く違う。人からかけてもらってきた言葉やその数も違う。自分はすごくラッキーだったと思う。小さい劇場でライブをしていた時代から、ファンの方に向けて、こういうことを発信すればこう返ってくるというのをずっと繰り返してきた。こう思っている人にはこう伝えた方がいい、こういう写真を投稿すればこういう反応がもらえるといったことは、マーケティング的に生かされている。今、少しずつ自分がこれまで見てきたものや仕事の中で感じていることを社内で伝えたり、共有ツールにまとめたりするようにしている。普通のファッションやビューティのブランドとは考え方が違う部分も多いだろうし、アイドル出身だからこその私の視点の中には、理解できないものもあるだろうから。そうやって、少しずつ権限委譲を進めていければと思っている。

WWD:ブランドや会社として、今後どんなあり方を目指すのか。

小嶋:お客さまに楽しんでいただくためのリアルな場所を作りたいと思っている。昨年12月に、2週間の期間限定で代官山にカフェをオープンしたら、平日も含めて予約枠がすぐにいっぱいになった。これまでは「ハーリップトゥ」のワンピースを着て旅行に出掛け、その画像をSNSに投稿してくださるお客さまが多かったが、コロナ禍で今はアフタヌーンティーに行くというお客さまが増えている。そういう場を自分たちで作りたいと思って企画したものだ。カフェ出店をへて、リアルな交流の場を作りたいという思いはより強くなった。他にも、ビューティは納得できるものが開発できたら発売したいし、将来的にはブランドとして海外展開もしたい。この会社の中で、(自身以外が手掛ける)新しいブランドを立ち上げることも思い描いている。ただ、そうなるまでにはまだまだすべきことがあるし、人も足りない。足元のことを少しずつ積み重ねていった先に、未来が開けるかなと思っている。


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世界の「水問題」の解決へ 循環システムの伝道者【ネクストリーダー2022】

 東大発ベンチャー・WOTAは、「持ち運べる浄水場」とうたった循環型浄水システムで注目を浴びている。少量の水を浄化処理して何度も再利用できるこのシステムが普及すれば、世界の水問題は大きく前進する。同社を率いる前田瑶介氏はサステナブルの時代を代表する若きリーダーだ。

WWDJAPAN(以下、WWD):商業施設などでドラム缶型の手洗いスタンド「WOSH」を見かける機会が増えた。

前田瑶介CEO(以下、前田):水道設備は不要で、手洗いの排水をドラム缶の中で98%以上浄化して、繰り返し循環させる。WOSHの設備を採用することで、衛生面だけでなく、環境への企業姿勢を示したいという機運もあるようだ。

WWD:WOSHは19年11月に発表した「WOTA BOX」の技術を利用した。

前田:きっかけは18年7月の西日本豪雨。まだ試作段階だったが、岡山県の2カ所の避難所にシャワー設備として持っていった。水道の復旧が遅れ、真夏なのに入浴できない日が何日も続いていた。久しぶりのシャワーに喜ぶ人たちの声を聞き、水が持つ圧倒的な価値を感じた。同時に力不足も思い知らされた。きれいな水が必要な避難所はたくさんあるのに、技術者と設備の問題で限られた貢献しかできなかった。本来はトイレ排水などの生物処理も完成させた上で世に出すつもりだった。でもいま困っている人がいるなら、現時点で最善のことをしたいと考え、翌年の製品化に向けて動いた。

WWD:自然災害が多発する日本でニーズは多い。

前田:(製品化直前の)19年10月の台風19号では長野県が多大な被害を受けた。この時、内閣府の要請を受けて、WOTA BOXを14カ所に設置した。この様子が報じられて、製品が広く知られるきっかけになった。でも、いくら優れた設備でも災害が起きてから出来ることは限られる。平時の備えの重要性も痛感している。

WWD:水問題に関心を持ったのは?

前田:阪神淡路大震災(1995年)で被災した。たまたま泊まりに行っていた神戸の親戚の家で、3歳だったけど長らく水を使えない記憶が強烈だった。上下水道が止まると、避難所では入浴もできない不衛生な環境でたくさんの人が密集し、さらにトイレのがまんを強いられる。赤ちゃんやお年寄り、体に不自由を抱えた人など弱い人を直撃してしまう。

WWD:原体験と水問題が重なると。

前田:でも、それだけはない。私の一番大きなテーマは、自然の中でどうしたら人が持続可能で生きていけるか。徳島県の山深い地域で生まれ育った。四国なのに雪も積もり、時には交通も遮断される。でも地元の人たちは干し芋など昔ながらの保存食を常備したり、薪で暖をとったり、川から水をひいたり、臨機応変に暮らしてきた。逆に高度なインフラが整った都市部のほど自然の変化に脆弱だったりする。テクノロジーによる問題解決は一つの手段に過ぎない。世界の水問題の本質は、そこに暮らす人たち自律的に解決できるようになることだと思う。WOTAがその一助になればいい。


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「応援消費」が彩る世界を目指し、“人”と向き合う女性リーダー【ネクストリーダー2022】

 クラウドファンディングサイト「マクアケ(MAKUAKE)」は2021年9月期、重要経営指標である「応援購入総額」(クラウドファウンディングで集まった資金の総額)が前期比46.9%増の215億円に達した。2013年の創業から順調な成長を続けるマクアケの共同創業者の一人で、30代の若さで同社をけん引するのが坊垣佳奈取締役だ。彼女が追い求めるリーダー像と、その眼差しの先にある「プロジェクトへの『共感』を通じた、新しい消費文化」について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「応援消費」の意義とは。

坊垣佳奈マクアケ取締役:クラウドファンディングは東日本大震災を契機に“寄付”として広まったが、この認識を一歩進めるためにそう呼ぶことにした。ゆくゆくはモノやサービスへの「共感」を軸に、消費のあり方そのものを変えたいと考えている。企業は今、これまでの利益追求型の経営から、環境や人権問題と向き合い、持続可能な経営に舵を切ろうとしている。企業淘汰も進むだろうが、われわれは「応援消費」の普及を通じて「生まれるべきものが生まれ 広がるべきものが広がり 残るべきものが残る」(同社の理念)世界を作る。「マクアケ」では、プロジェクトに共感する人やお金が先に集まり、無駄のない数だけモノを作って届ける。懐が潤沢な大企業がプロモーションを打ち、(販売店の)棚を確保し、大量の商品を売りさばく商いとは違う。ここでは大資本も中小企業も、個人も対等。主役は消費者であり、作り手のこだわりや背景に納得してモノを選ぶ世界。これを新しい消費の形として普及させたい。

WWD:2020年からビームスと提携している。

坊垣:新商品のテストマーケティングや未来人材の発掘にご活用いただいている。歴史と規模のある企業ほど、過去の成功体験や既成概念から離れ、新しい価値を生み出すことが難しくなる。そういった状況を打破する上で、「マクアケ」は一つの武器になる。ただ、(ビームスとの)協業の目的はここに止まらない。ファッション業界の最重要課題は廃棄だ。例えば、「この商品はピンクが欲しい人が500人いる」ということが事前に分かれば、その数だけ作れば余剰在庫が出ない。このようなスキームが業界の主流になるのはまだ先の話。だが、ビームスさんとはそんなことまで見据えた上で手を取り合った。

WWD:坊垣さんは女性リーダーとしても注目されている。

坊垣:経営者を目指す女性がいれば、彼女たちを勇気づける存在でいたい。ただ、「リーダーには女性を」「いや、男性だ」という極端な議論はしたくない。組織のさまざまな意思決定の場において、男女がバランスよく存在することが重要だ。私見だが、男女で仕事における資質や適性は違う。男性はクリエイティブに物事をイメージすることが得意。男同士の居酒屋での会話を想像してもらえれば(笑)。一方、女性は現実をしっかり認識し、目標を着実に実現に結びつける力がある。それに対する責任感も強い。だから、「ここは思い切って女性に任せる」というような、うまく性差を「活用する」考え方を実践したい。

 年齢に関してもそうだ。若い人だけで構成する組織より、ベテランの視点がある方がよりフラットで適切な判断ができる。年次が上がってマネジメントする範囲が広がれば、現場感覚は失われていく。だったら現場のことをよく知っている若手に頼るべきだ。役職や年次に関係なく、フラットに声を聞ける環境を作っている。ただこれらはあくまで「傾向」の話で、一番大事なのは社員一人一人の「個」に目を向け、長所や意思を尊重すること。社員1人につき、月に最低1回は対話の場を持つことを徹底している。

WWD:自身をどんなリーダーだと分析するか。

坊垣:周りからは「お母さんみたい」、と。人をよく観察している自覚はあって、毎日会っている社員の微妙な変化に気付くことが多い。「なんか元気がないな」と思うと、プライベートに悩みを抱えていたりとか。人間は「仕事だから」「プライベートだから」と簡単には割り切れない。結婚した今は、以前のように部下の恋愛話をすることも少なくなったけれど(笑)、仕事のことだけでなく、「人」として相談に乗れるリーダーでいたい。あとは、「たまに抜けてるね」とも(笑)。これは隠そうとも、さらけ出そうとも思わない。常に自然体でいたい。

WWD:創業期と今とでは、リーダーとして求められることは変わったか。

坊垣:これまでは自社のことだけに集中してきたが、社外の若手経営者の会議などに出席する機会も増え、社会において自社が果たすべき役割や存在意義を考えるようになった。専門外の知識もどんどんインプットしている。毎日同じことは一つもないし、学ぶばかりの日々だ。

 折れずいられるのは、20代の頃にがむしゃらに頑張った経験が基盤になっているからだと思う。新卒で入社したサイバーエージェントでは、ゲーム事業の子会社の立ち上げに参画し、まさに死に物狂いだった。ウェブサービスやエンジニアリングの知識がろくにないのに、外注先へシステムの仕様書を書くこともあった。金曜を回って土曜の夜まで働き、トイレで寝たこともある。世の中の新卒で一番忙しかったんじゃないか、と思っている。

 このときに、誰かの教えを待ち、指示されて動くのではなく、問題に対して自分なりの仮説立てて立ち向かうことを学んだ。そして「何とかなる」の精神を持ち続けると、結果がついてくることも。今は、「社会において何を成し遂げたいのか」という経営者の意志がますます重要な世の中。それはサービスや商品を通じて世の中に伝わっていくものだし、意志があるから仲間を巻き込める。私も「マクアケ」のサービスを通じて本気で世の中をよくしたいと思っているから、これからも自信を持って突き進んでいく。


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G-DRAGONやソミのプロデュースの貢献者から見るアジア発のファッションの可能性【ネクストリーダー2022】

 大手芸能事務所、YGエンターテインメントの傘下企業ザ・ブラックレーベル(The Black Label)でアーティストのディレクションなどを行うチェ・スンホ(Choi Soonho)ビジネス・デベロップメント・シニア・ディレクタは、過去10年にわたってK-POPビジネス展開戦略などを担ってきた。これまで手掛けたアーティストは、元I.O.Iメンバーでソロデビューしたソミ(Somi)など。アイドルグループ、ビッグバン(BIGBANG)を率いるG-DRAGON(ジードラゴン)のブランド「ピースマイナスワン(PEACEMINUSONE)」の運営にも関わった。K-POPカルチャーと深い結びつきを持つ同氏が語るファッションとカルチャーの関係性とは?

WWDJAPAN(以下、WWD):ザ・ブラックレーベルでのプロデュース業で感じた、カルチャーとファッションとのつながりは?

チェ・スンホ=ビジネス・デベロップメント・シニア・ディレクター(以下、スンホ):エンターテインメント業界とファッションはすごく深い関わりを持っている。ファッションは自己表現やクリエイティビティーを発揮する一番の方法であり、その人物が持つカルチャーや人間性を表すものだ。韓国は今すごいスピードで発展しており、アートの分野も広く関心を集めている。ダイナミックな国でいろいろなことを学びながら成熟していくにつれて、文化的にも一緒に発展してきた。K-POPを中心に、ファッションもアジア圏で一緒に盛り上がっていることをうれしく思う。

WWD:G-DRAGONのプロデュースにも関わっており、彼のブランド「ピースマイナスワン」を立ち上げにも貢献している。その背景・経緯は?

スンホ:きっかけはG-DRAGONと彼の知人ら。彼らの発案をもとにスタートした。G-DRAGONはミュージックビデオやコンサートなど、自身のパフォーマンスのために、長年にわたってファッションからアクセサリー、バッグ、家具までのデザインを手掛けてきた人物。アイテムを自分流にアレンジしたり、イメージに沿うものがない場合は手作りで作成してきたりした。PMO(プロジェクトマネジメントオフィス)には共通のネットワークでつながるグループがあり、みんな知人らによって構成されている。G-DRAGONが着たいと思うようなもので溢れる世界観を表現している。

WWD:プロデューサーになる前から自身はファッションに関心があった?

スンホ:ファッションは日常の中でみんなが使用する自己表現の形だ。人と会ったとき、最初に見るのは相手のファッション。感情を伝達して、個性を表現する方法として興味があった。着ている人のルックスや特徴を際立たせ、気分をあげるものだ。情報を介してつながりやすくなった今、ファッションはよりアクセスしやすくなっている。トレンドは行ったり来たりするが、今関心を持つ一番の分野。カルチャーを形成する上で欠かせない存在だ。

WWD:日本発のカルチャーとの関わりは?

スンホ:日本は世界的にも、カルチャーの重要な“ハブ”だ。日本が持つクリエイティビティーやパッションに刺激を受けてきた。素晴らしいメンバーが多すぎてとても選べないが、川久保玲や高橋盾、NIGO®、藤原ヒロシ、山本耀司といったデザイナーやアーティストとはコラボもしてみたい。

WWD:「ピースマイナスワン」では、グローバル・ビジネス・デベロップメント・マネジャーとしてブランドの世界的認知拡大に従事した。今後アジア発のファッションは、どう発展していける?

スンホ:アジア発のブランドは、長年にわたってユニークで特別な視点からクリエイションを手掛けてきた。アジアは全体的に大きく成長していて、文化も共有しながら刺激を与えあっていると思う。韓国やアジアのファッションの存在感は、年々増すばかりだ。世界に広めていくために、少しでも貢献できたら。カルチャーの成長をより大きく、ポジティブな方向にけん引したい。


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G-DRAGONやソミのプロデュースの貢献者から見るアジア発のファッションの可能性【ネクストリーダー2022】

 大手芸能事務所、YGエンターテインメントの傘下企業ザ・ブラックレーベル(The Black Label)でアーティストのディレクションなどを行うチェ・スンホ(Choi Soonho)ビジネス・デベロップメント・シニア・ディレクタは、過去10年にわたってK-POPビジネス展開戦略などを担ってきた。これまで手掛けたアーティストは、元I.O.Iメンバーでソロデビューしたソミ(Somi)など。アイドルグループ、ビッグバン(BIGBANG)を率いるG-DRAGON(ジードラゴン)のブランド「ピースマイナスワン(PEACEMINUSONE)」の運営にも関わった。K-POPカルチャーと深い結びつきを持つ同氏が語るファッションとカルチャーの関係性とは?

WWDJAPAN(以下、WWD):ザ・ブラックレーベルでのプロデュース業で感じた、カルチャーとファッションとのつながりは?

チェ・スンホ=ビジネス・デベロップメント・シニア・ディレクター(以下、スンホ):エンターテインメント業界とファッションはすごく深い関わりを持っている。ファッションは自己表現やクリエイティビティーを発揮する一番の方法であり、その人物が持つカルチャーや人間性を表すものだ。韓国は今すごいスピードで発展しており、アートの分野も広く関心を集めている。ダイナミックな国でいろいろなことを学びながら成熟していくにつれて、文化的にも一緒に発展してきた。K-POPを中心に、ファッションもアジア圏で一緒に盛り上がっていることをうれしく思う。

WWD:G-DRAGONのプロデュースにも関わっており、彼のブランド「ピースマイナスワン」を立ち上げにも貢献している。その背景・経緯は?

スンホ:きっかけはG-DRAGONと彼の知人ら。彼らの発案をもとにスタートした。G-DRAGONはミュージックビデオやコンサートなど、自身のパフォーマンスのために、長年にわたってファッションからアクセサリー、バッグ、家具までのデザインを手掛けてきた人物。アイテムを自分流にアレンジしたり、イメージに沿うものがない場合は手作りで作成してきたりした。PMO(プロジェクトマネジメントオフィス)には共通のネットワークでつながるグループがあり、みんな知人らによって構成されている。G-DRAGONが着たいと思うようなもので溢れる世界観を表現している。

WWD:プロデューサーになる前から自身はファッションに関心があった?

スンホ:ファッションは日常の中でみんなが使用する自己表現の形だ。人と会ったとき、最初に見るのは相手のファッション。感情を伝達して、個性を表現する方法として興味があった。着ている人のルックスや特徴を際立たせ、気分をあげるものだ。情報を介してつながりやすくなった今、ファッションはよりアクセスしやすくなっている。トレンドは行ったり来たりするが、今関心を持つ一番の分野。カルチャーを形成する上で欠かせない存在だ。

WWD:日本発のカルチャーとの関わりは?

スンホ:日本は世界的にも、カルチャーの重要な“ハブ”だ。日本が持つクリエイティビティーやパッションに刺激を受けてきた。素晴らしいメンバーが多すぎてとても選べないが、川久保玲や高橋盾、NIGO®、藤原ヒロシ、山本耀司といったデザイナーやアーティストとはコラボもしてみたい。

WWD:「ピースマイナスワン」では、グローバル・ビジネス・デベロップメント・マネジャーとしてブランドの世界的認知拡大に従事した。今後アジア発のファッションは、どう発展していける?

スンホ:アジア発のブランドは、長年にわたってユニークで特別な視点からクリエイションを手掛けてきた。アジアは全体的に大きく成長していて、文化も共有しながら刺激を与えあっていると思う。韓国やアジアのファッションの存在感は、年々増すばかりだ。世界に広めていくために、少しでも貢献できたら。カルチャーの成長をより大きく、ポジティブな方向にけん引したい。


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SNSを活用し女性のエンパワーメント向上にまい進するBLASTの石井CEO【ネクストリーダー2022】

 エンパワーメントメディア「ブラスト」は女性のライフスタイルをエンパワーすることを目的に2018年にスタートした。石井リナBLAST CEOは世界の中で男女格差の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」が下位である日本の現状を打破するため、女性が連帯し社会に変化をもたらすべく、SNSを活用し理解しやすい言葉や製品を発信し続けている。

WWDJAPAN(以下、WWD):2018年にBLASTを立ち上げたきっかけは。

石井リナBLAST CEO(以下、石井):IT系の広告代理店で3年働き、スタートアップ企業に転職した後フリーランスとしても働いていた。いずれもSNSのマーケティングに携わっていたため、海外のインフルエンサーをリサーチする機会が多かった。16〜17年は米国でダイバーシティやフェミニズムがキーワードとして挙がったが、日本での注目度は低く、欧米との差を強く感じた。男女格差の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」では世界144カ国の中で日本が下位に位置し、男女の間にもギャップがあると知り衝撃を受けた。本来はどんな性別の人も社会、政治、経済的に平等であるべきなのに、私自身もフェミニズムを知るまでは政治家も男性が中心であることが自然に思っていた。それは自然ではないことに気づき、課題意識が芽生えた。欧米にはフェミニズムを伝えるメディアやコミュニティーがあったため、日本でも立ち上げるべきだと感じ「ブラスト」をスタートした。

WWD:BLASTでプロダクト、メディア、コミュニティーと3つの事業を軸に展開する。

石井:欧米の動きをみると気づきや連帯することで社会を変えてきた例が多かった。例えばアイスランドは仕事の有無や年代を問わず女性の9割が1日ストライキを起こし、社会的地位向上や賃金格差を訴えた。その数年後に女性の首相が誕生した。こうした事例のようにメディアを通じて気づきを与え、連帯することで女性のライフスタイルをエンパワーしていく。プロダクトは女性のエンパワーを物理的にサポートし、エンパワーする意味で始めた。女性の9割は生理の悩みを抱えていることを知り、吸水ショーツブランド「ナギ」を手掛けた。コミュニティーは近い将来動き出す予定だ。

WWD:プロダクトの中で吸水ショーツに焦点を当てたきっかけは。

石井:女性がポジティブに選択できないものを、プロダクトを通じて解決したかった。生理に悩みを持つ女性は多く、年齢やライフスタイルによっても悩みが異なり、同じ女性でも想像しえなかった悩みがあることも知った。アンケートをとると7〜8割くらいの人が紙ナプキンを使用していて、環境面を考えた上でも海外で普及しはじめていた吸水ショーツを手がけようと20年5月に「ナギ」を立ち上げた。モノ作りに携わるのは初めてで全ての工程が大変だったが、自分が納得できる製品が完成するまで何度も試作品を作った。こだわったクロッチ部分は防水や防臭、吸収、速乾の機能を持つ生地の5層構造(スタンダードタイプで60mLの吸水性能を持つ)で、世界でも勝負できるクオリティーの高い製品が完成した。

WWD:「ナギ」では学割や選挙割など注目を集める取り組みも行っている。

石井:ジェンダーギャップから生まれたBLASTとしては、社会とつながる企画を推進する。生理の貧困が話題になったタイミングで、アクションを起こす必要性を感じ22才以下には500円を割り引くことにした。そのほか、1枚の生理用ナプキンの素材が分解されるまで800年程度かかるといわれていることから、グリーンアクションを21年6月に実施。期間中は「ナギ」の商品の購入を環境団体への寄付につなげた。21年10月には衆議院議員選挙の投票証明書の送付で割引する選挙割も実施。各政党の主張を分かりやすく表にしてSNSで訴求したが、これはアクションを起こし、周りとの会話につなげられる機会の創出を図ったものだった。著名な政治家からリツイートされるなど、想像を超える反響を得られた。

WWD:現在事業を進める中での課題と、それに向けて取り組むことは。

石井:BLASTはスタートアップの経済圏にいるので成長させること大前提。事業を始めるにあたりベンチャーキャピタル(VC)から資金調達をしたが、そこでもジェンダーギャップを感じた。VCの多くは男性なので当社の取り組みを説明し、共感を得られるまで多くの時間を要したが、現在の出資者は深い理解を示してくれている。女性が資金調達で事業を始めるハードルは高いが、その成功事例として成長を遂げていく。またBLASTはサステナブルであることも必須。大風呂敷を広げることなく、まずはソーシャルキャペーンなどを堅実に行い、口コミで拡散を図る。「ナギ」は現在吸水ショーツのみを扱うが、早い時点でグローバル展開をしたい。さらに女性のライフスタイルに寄り添った商品展開も視野に入れている。

WWD:今後取り組むコミュニティーに関しては。

石井:実際形は変わるかもしれないが、女性の体の悩み別につながれるコミュニティーがあってもいい。妊活用のショーツ“ナギ サイン(NAGI SIGN)”を手掛ける際に、妊活中の女性は生理がくることや、ナプキンを用意すること自体も多くのストレスに感じていることを当事者に聞いて理解した。そこでクロッチ部分をグレーにすることで周期の始まりや体の不調にいち早く気づけるようにした。こうした思いを共感できる場の創出ができたら。また、賢い消費者作りにも貢献したい。商品を販売する企業のミッションや事業内容、経営層の男女比率などを理解することができれば、自分の志向に合わない商品は購入しないという選択ができるが、知らないと指摘することも選ぶこともできない。社会や経済の構造に目を向けるきっかけを作りたい。


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SNSを活用し女性のエンパワーメント向上にまい進するBLASTの石井CEO【ネクストリーダー2022】

 エンパワーメントメディア「ブラスト」は女性のライフスタイルをエンパワーすることを目的に2018年にスタートした。石井リナBLAST CEOは世界の中で男女格差の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」が下位である日本の現状を打破するため、女性が連帯し社会に変化をもたらすべく、SNSを活用し理解しやすい言葉や製品を発信し続けている。

WWDJAPAN(以下、WWD):2018年にBLASTを立ち上げたきっかけは。

石井リナBLAST CEO(以下、石井):IT系の広告代理店で3年働き、スタートアップ企業に転職した後フリーランスとしても働いていた。いずれもSNSのマーケティングに携わっていたため、海外のインフルエンサーをリサーチする機会が多かった。16〜17年は米国でダイバーシティやフェミニズムがキーワードとして挙がったが、日本での注目度は低く、欧米との差を強く感じた。男女格差の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」では世界144カ国の中で日本が下位に位置し、男女の間にもギャップがあると知り衝撃を受けた。本来はどんな性別の人も社会、政治、経済的に平等であるべきなのに、私自身もフェミニズムを知るまでは政治家も男性が中心であることが自然に思っていた。それは自然ではないことに気づき、課題意識が芽生えた。欧米にはフェミニズムを伝えるメディアやコミュニティーがあったため、日本でも立ち上げるべきだと感じ「ブラスト」をスタートした。

WWD:BLASTでプロダクト、メディア、コミュニティーと3つの事業を軸に展開する。

石井:欧米の動きをみると気づきや連帯することで社会を変えてきた例が多かった。例えばアイスランドは仕事の有無や年代を問わず女性の9割が1日ストライキを起こし、社会的地位向上や賃金格差を訴えた。その数年後に女性の首相が誕生した。こうした事例のようにメディアを通じて気づきを与え、連帯することで女性のライフスタイルをエンパワーしていく。プロダクトは女性のエンパワーを物理的にサポートし、エンパワーする意味で始めた。女性の9割は生理の悩みを抱えていることを知り、吸水ショーツブランド「ナギ」を手掛けた。コミュニティーは近い将来動き出す予定だ。

WWD:プロダクトの中で吸水ショーツに焦点を当てたきっかけは。

石井:女性がポジティブに選択できないものを、プロダクトを通じて解決したかった。生理に悩みを持つ女性は多く、年齢やライフスタイルによっても悩みが異なり、同じ女性でも想像しえなかった悩みがあることも知った。アンケートをとると7〜8割くらいの人が紙ナプキンを使用していて、環境面を考えた上でも海外で普及しはじめていた吸水ショーツを手がけようと20年5月に「ナギ」を立ち上げた。モノ作りに携わるのは初めてで全ての工程が大変だったが、自分が納得できる製品が完成するまで何度も試作品を作った。こだわったクロッチ部分は防水や防臭、吸収、速乾の機能を持つ生地の5層構造(スタンダードタイプで60mLの吸水性能を持つ)で、世界でも勝負できるクオリティーの高い製品が完成した。

WWD:「ナギ」では学割や選挙割など注目を集める取り組みも行っている。

石井:ジェンダーギャップから生まれたBLASTとしては、社会とつながる企画を推進する。生理の貧困が話題になったタイミングで、アクションを起こす必要性を感じ22才以下には500円を割り引くことにした。そのほか、1枚の生理用ナプキンの素材が分解されるまで800年程度かかるといわれていることから、グリーンアクションを21年6月に実施。期間中は「ナギ」の商品の購入を環境団体への寄付につなげた。21年10月には衆議院議員選挙の投票証明書の送付で割引する選挙割も実施。各政党の主張を分かりやすく表にしてSNSで訴求したが、これはアクションを起こし、周りとの会話につなげられる機会の創出を図ったものだった。著名な政治家からリツイートされるなど、想像を超える反響を得られた。

WWD:現在事業を進める中での課題と、それに向けて取り組むことは。

石井:BLASTはスタートアップの経済圏にいるので成長させること大前提。事業を始めるにあたりベンチャーキャピタル(VC)から資金調達をしたが、そこでもジェンダーギャップを感じた。VCの多くは男性なので当社の取り組みを説明し、共感を得られるまで多くの時間を要したが、現在の出資者は深い理解を示してくれている。女性が資金調達で事業を始めるハードルは高いが、その成功事例として成長を遂げていく。またBLASTはサステナブルであることも必須。大風呂敷を広げることなく、まずはソーシャルキャペーンなどを堅実に行い、口コミで拡散を図る。「ナギ」は現在吸水ショーツのみを扱うが、早い時点でグローバル展開をしたい。さらに女性のライフスタイルに寄り添った商品展開も視野に入れている。

WWD:今後取り組むコミュニティーに関しては。

石井:実際形は変わるかもしれないが、女性の体の悩み別につながれるコミュニティーがあってもいい。妊活用のショーツ“ナギ サイン(NAGI SIGN)”を手掛ける際に、妊活中の女性は生理がくることや、ナプキンを用意すること自体も多くのストレスに感じていることを当事者に聞いて理解した。そこでクロッチ部分をグレーにすることで周期の始まりや体の不調にいち早く気づけるようにした。こうした思いを共感できる場の創出ができたら。また、賢い消費者作りにも貢献したい。商品を販売する企業のミッションや事業内容、経営層の男女比率などを理解することができれば、自分の志向に合わない商品は購入しないという選択ができるが、知らないと指摘することも選ぶこともできない。社会や経済の構造に目を向けるきっかけを作りたい。


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中国出身、32歳の若きトップが米「ダイアン フォン ファステンバーグ」に新風を吹き込む【ネクストリーダー2022】

 31歳だったギャビー・ヒラタ氏が、ダイアン フォン ファステンバーグ(DIANE VON FURSTENBERG以下、DVF)の社長兼最高経営責任者(CEO)に抜擢されたのは、入社して一年たった2021年1月のこと。異例の若さでトップに就き、以降、女性のエンパワーメントを掲げてきたブランドをけん引する。未だファッション&ビューティ業界のトップを占めるのは男性が多く、欧米ではアジアにルーツを持つ女性のトップはさらに目にすることが少ない。その中で社員の多様な声に耳を傾けながら、ブランドの事業を見直し、女性に寄り添うことをモットーとするヒラタ社長の歩みを讃え、その実績とこれからの活躍に期待を込めて「WWD NEXT LEADERS 2022」に選んだ。

WWDJAPAN(以下、WWD):トップに就くまでの経緯は?

ギャビー・ヒラタDVF社長兼CEO(以下、ヒラタ社長):DVFには20年1月、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった当初にアジア太平洋地域担当として入社した。当時の中国・武漢での状況を知り、中国を支援するためにチャリティー企画を提案。ブランド創業者のダイアンとともにライブ配信を行い、現地の小学校への寄付につなげた。アメリカでもロックダウンが始まったときは、人員削減に伴い北京に工場や生産拠点を移すべきだと提案した。デザイン本部は約100人から30人に縮小してニューヨークに残し、生産チームを別に設けたことでコストパフォーマンスの向上や、品質の確保につながった。こういった取り組みがダイアンの目に留まったことがきっかけとなった。

WWD:現在のパフォーマンスは?

ヒラタ社長:経営目標は達成し、27〜30歳の新たな顧客層にもリーチを広げている。また(EC構築サービスの)「ショッピファイ(SHOPIFY)」を通じて、公式ウェブサイトをリローンチした。これによりグローバルにお客さまの傾向やプロファイルが分析可能となり、より具体的にデザインに落とし込めるようになってきた手応えがある。北京の生産チームの設立などを通して、中国市場での存在感を増したい。

WWD:トップに就任することを知ったときの気持ちは?

ヒラタ社長:最初は本当に怖かったし、私がなっていいものだと思えなかった。当時の日記を読み返してみると、不安がる言葉ばかりが並んでいる。だって私が思い浮かべることができるリーダーの姿は、白人の男性で、アメリカ出身の人で、私より年配で、経験をたくさん持っている人ばかり。想像もつかないことで、「私は31歳だし、第一言語も英語じゃないし、中国人だし、女性だし、本当に務まるのか……?」と、ダイアンにも不安な気持ちを話した。ダイアンは笑い飛ばして、「だからこそあなたがトップになることに意味がある」と背中を押してくれた。

WWD:そもそもリーダーになりたかった?

ヒラタ社長:中国では一人っ子の場合、女子より男子が好まれる傾向があり、子どもの頃にその現実を知ったときにすごく落ち込んだ。そこで幼い頃から「絶対見返してみせる」との決意を持っていた。でもアクティビストとして活動するのも中国では色々な制約があるし、教授になってジェンダー学を深めるにしても学術的場所に限定された活動になる気がして、17歳の時にビジネスのトップになることを目標に。トップについたら「変化を生めるし、人々の夢を実現できる。インスピレーションにもなれる」と。世の中は男性のリーダーが多数を占めるので、女性の“ボス”になってやる!という気持ちだった。

WWD:なぜファッションに?

ヒラタ社長:ファッションは、ビジネスとアートの真ん中に位置しているように思う。「アート」的に見た目だけを追求してしまって機能性を置き去りにするのはファッションとは言えないが、夢やワクワク、“マジック”を与えるのもファッションのはず。「ビジネス」と言い切るのも難しいだろう。複合的に社会に交わるファッションに共感した。

WWD:自分はどんなリーダーだと思う?

ヒラタ社長:「バランス力のある」リーダーかな……。直感的なところと戦略的な側面、共感性と厳しさ、KPIと働いている人の幸せ、などのバランスをとっていく人だと思う。アメリカと中国をまたいで活動してきたので、間を取っていくアプローチが得意。これまではトップの人は「強くあれ」と教え込まれてきたが、私は繊細だし、自分の弱い部分を見せることを怖いと思わない。仲間たちもそれを心地よいと感じていると思う。チームと話すとき、「トップとしてじゃなくて、人間として私と話をして!」「一回建前は置いておいて、“普通に”話そう?」と言ったりして、等身大でいるようにしている。そんな私を見て、「私にもできる!」「私もやりたい!」と思うみたい。チームとして成長しているのを肌で感じている。リーダーとして自分のゴールを追うだけでなく、チームのみんなも幸せであることは私にとってとても大事なこと。

WWD:自分の強みは?

ヒラタ社長:外国から来た私がアメリカやこの業界で成功するには、いかに「自覚的」になって自分の立ち位置を受け止めるかが大事だと思っている。自分の人種やバックグラウンドに自信を持てなかったこともあるけれど、ダイアンには「あなたの不安や自信のなさは、あなたの強みになる」と教えをもらった。今は子どもがいるけれど「仕事と育児を両立している」と美談にするつもりはなくて。マザーフッド(母であることや母性)を美化することもしたくない。子どもを持って育てることで「これで母親という当事者として発言できる」と自覚的だったし、「まずはある程度仕事で成功をしてから」と決めていた。このように淡々と子育てについて語ると、「愛情が足りていない」「母親失格」と判断されてしまうような風潮をたまに感じるが、自分のしたいことやゴール、できることに“アウェア”でいることは、物事を進めていく上ですごく大切だと思う。率直に対話ができることも私を形成する大きな部分だ。

WWD:生活者とはどうコミュニケーションをとっている?

ヒラタ社長:歴史の長い企業や、伝統のあるブランドは「お客さまに向けて」コミュニケーションを取ることに集中しすぎているような気がする。私はもっと「お客さまと」コミュニケーションをとっていきたい。配信もいっぱいしたいし、お客さまから寄せられたコメントに返信もしていきたい。一時期は、毎週欠かさず時間を作って、SNSのコメントを返したりもした。お客さまからは「DVFのトップが返信してる!」と驚かれたけれど、逆になんで普通はしないと思われているのか不思議な感覚だ。ブラントとしては、私たちは「一着のドレスに止まらず、着た人の自信や喜び、それらが生む“マジック”を提供している」との自負がある。理念に沿うメッセージを届けるために月に一回、生活者の中から多様な女性像にSNSでフォーカスする「DVF WOMEN」キャンペーンを打ち出してきた。発足当時からミッションは、ファッションの美しさに加えて実際に着る女性を優先すること。着ている女性の着心地や自信、魅力を感じることに重きを置いた洋服を作り、メッセージを届けている。

WWD:これからの戦略は?

ヒラタ社長:日本と韓国に再進出したいと考えている。2010年ごろの市場は大きかった、その後日本とのつながりが薄れてしまった。製品の質やデザインも大きくアップデートして、素晴らしいものをそろえていると胸を張っていえるし、日本と韓国市場にも愛される自信がある。中東やオーストラリアへの進出も考えている。あとは、キッズウエア、インテリアの分野の開拓。母親になって子ども服に着目するようになり、充実した家具製品への需要も感じている。どのように製品にしていくかはこれから詰めるが、地域に合わせた最適な戦略を掲げたい。

WWD:自身のゴールは?

ヒラタ社長:ブランドを通して、女性をエンパワーする取り組みを継続して実施・発信する。私にはライブ配信や中国市場とのつながりが転機になったから、それ以来、年に2回は配信を継続している。一度の配信やキャンペーンでは生活者の心は掴めないし、即席なアプローチは見抜かれてしまう。ダイアンは90年代、今以上にデザインの中心に男性が多かった頃、「女性にデザインがわかるわけないだろう」と周りから揶揄されていたという。そこからブランドを築いたダイアンに共感するし、自分も誰かのインスピレーションとなり続けたい。商品を販売するだけでなく、私含む女性たちのストーリーを積極的に広め、周りを巻き込んだ大きなムーブメントを起こしていきたい。


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中国出身、32歳の若きトップが米「ダイアン フォン ファステンバーグ」に新風を吹き込む【ネクストリーダー2022】

 31歳だったギャビー・ヒラタ氏が、ダイアン フォン ファステンバーグ(DIANE VON FURSTENBERG以下、DVF)の社長兼最高経営責任者(CEO)に抜擢されたのは、入社して一年たった2021年1月のこと。異例の若さでトップに就き、以降、女性のエンパワーメントを掲げてきたブランドをけん引する。未だファッション&ビューティ業界のトップを占めるのは男性が多く、欧米ではアジアにルーツを持つ女性のトップはさらに目にすることが少ない。その中で社員の多様な声に耳を傾けながら、ブランドの事業を見直し、女性に寄り添うことをモットーとするヒラタ社長の歩みを讃え、その実績とこれからの活躍に期待を込めて「WWD NEXT LEADERS 2022」に選んだ。

WWDJAPAN(以下、WWD):トップに就くまでの経緯は?

ギャビー・ヒラタDVF社長兼CEO(以下、ヒラタ社長):DVFには20年1月、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった当初にアジア太平洋地域担当として入社した。当時の中国・武漢での状況を知り、中国を支援するためにチャリティー企画を提案。ブランド創業者のダイアンとともにライブ配信を行い、現地の小学校への寄付につなげた。アメリカでもロックダウンが始まったときは、人員削減に伴い北京に工場や生産拠点を移すべきだと提案した。デザイン本部は約100人から30人に縮小してニューヨークに残し、生産チームを別に設けたことでコストパフォーマンスの向上や、品質の確保につながった。こういった取り組みがダイアンの目に留まったことがきっかけとなった。

WWD:現在のパフォーマンスは?

ヒラタ社長:経営目標は達成し、27〜30歳の新たな顧客層にもリーチを広げている。また(EC構築サービスの)「ショッピファイ(SHOPIFY)」を通じて、公式ウェブサイトをリローンチした。これによりグローバルにお客さまの傾向やプロファイルが分析可能となり、より具体的にデザインに落とし込めるようになってきた手応えがある。北京の生産チームの設立などを通して、中国市場での存在感を増したい。

WWD:トップに就任することを知ったときの気持ちは?

ヒラタ社長:最初は本当に怖かったし、私がなっていいものだと思えなかった。当時の日記を読み返してみると、不安がる言葉ばかりが並んでいる。だって私が思い浮かべることができるリーダーの姿は、白人の男性で、アメリカ出身の人で、私より年配で、経験をたくさん持っている人ばかり。想像もつかないことで、「私は31歳だし、第一言語も英語じゃないし、中国人だし、女性だし、本当に務まるのか……?」と、ダイアンにも不安な気持ちを話した。ダイアンは笑い飛ばして、「だからこそあなたがトップになることに意味がある」と背中を押してくれた。

WWD:そもそもリーダーになりたかった?

ヒラタ社長:中国では一人っ子の場合、女子より男子が好まれる傾向があり、子どもの頃にその現実を知ったときにすごく落ち込んだ。そこで幼い頃から「絶対見返してみせる」との決意を持っていた。でもアクティビストとして活動するのも中国では色々な制約があるし、教授になってジェンダー学を深めるにしても学術的場所に限定された活動になる気がして、17歳の時にビジネスのトップになることを目標に。トップについたら「変化を生めるし、人々の夢を実現できる。インスピレーションにもなれる」と。世の中は男性のリーダーが多数を占めるので、女性の“ボス”になってやる!という気持ちだった。

WWD:なぜファッションに?

ヒラタ社長:ファッションは、ビジネスとアートの真ん中に位置しているように思う。「アート」的に見た目だけを追求してしまって機能性を置き去りにするのはファッションとは言えないが、夢やワクワク、“マジック”を与えるのもファッションのはず。「ビジネス」と言い切るのも難しいだろう。複合的に社会に交わるファッションに共感した。

WWD:自分はどんなリーダーだと思う?

ヒラタ社長:「バランス力のある」リーダーかな……。直感的なところと戦略的な側面、共感性と厳しさ、KPIと働いている人の幸せ、などのバランスをとっていく人だと思う。アメリカと中国をまたいで活動してきたので、間を取っていくアプローチが得意。これまではトップの人は「強くあれ」と教え込まれてきたが、私は繊細だし、自分の弱い部分を見せることを怖いと思わない。仲間たちもそれを心地よいと感じていると思う。チームと話すとき、「トップとしてじゃなくて、人間として私と話をして!」「一回建前は置いておいて、“普通に”話そう?」と言ったりして、等身大でいるようにしている。そんな私を見て、「私にもできる!」「私もやりたい!」と思うみたい。チームとして成長しているのを肌で感じている。リーダーとして自分のゴールを追うだけでなく、チームのみんなも幸せであることは私にとってとても大事なこと。

WWD:自分の強みは?

ヒラタ社長:外国から来た私がアメリカやこの業界で成功するには、いかに「自覚的」になって自分の立ち位置を受け止めるかが大事だと思っている。自分の人種やバックグラウンドに自信を持てなかったこともあるけれど、ダイアンには「あなたの不安や自信のなさは、あなたの強みになる」と教えをもらった。今は子どもがいるけれど「仕事と育児を両立している」と美談にするつもりはなくて。マザーフッド(母であることや母性)を美化することもしたくない。子どもを持って育てることで「これで母親という当事者として発言できる」と自覚的だったし、「まずはある程度仕事で成功をしてから」と決めていた。このように淡々と子育てについて語ると、「愛情が足りていない」「母親失格」と判断されてしまうような風潮をたまに感じるが、自分のしたいことやゴール、できることに“アウェア”でいることは、物事を進めていく上ですごく大切だと思う。率直に対話ができることも私を形成する大きな部分だ。

WWD:生活者とはどうコミュニケーションをとっている?

ヒラタ社長:歴史の長い企業や、伝統のあるブランドは「お客さまに向けて」コミュニケーションを取ることに集中しすぎているような気がする。私はもっと「お客さまと」コミュニケーションをとっていきたい。配信もいっぱいしたいし、お客さまから寄せられたコメントに返信もしていきたい。一時期は、毎週欠かさず時間を作って、SNSのコメントを返したりもした。お客さまからは「DVFのトップが返信してる!」と驚かれたけれど、逆になんで普通はしないと思われているのか不思議な感覚だ。ブラントとしては、私たちは「一着のドレスに止まらず、着た人の自信や喜び、それらが生む“マジック”を提供している」との自負がある。理念に沿うメッセージを届けるために月に一回、生活者の中から多様な女性像にSNSでフォーカスする「DVF WOMEN」キャンペーンを打ち出してきた。発足当時からミッションは、ファッションの美しさに加えて実際に着る女性を優先すること。着ている女性の着心地や自信、魅力を感じることに重きを置いた洋服を作り、メッセージを届けている。

WWD:これからの戦略は?

ヒラタ社長:日本と韓国に再進出したいと考えている。2010年ごろの市場は大きかった、その後日本とのつながりが薄れてしまった。製品の質やデザインも大きくアップデートして、素晴らしいものをそろえていると胸を張っていえるし、日本と韓国市場にも愛される自信がある。中東やオーストラリアへの進出も考えている。あとは、キッズウエア、インテリアの分野の開拓。母親になって子ども服に着目するようになり、充実した家具製品への需要も感じている。どのように製品にしていくかはこれから詰めるが、地域に合わせた最適な戦略を掲げたい。

WWD:自身のゴールは?

ヒラタ社長:ブランドを通して、女性をエンパワーする取り組みを継続して実施・発信する。私にはライブ配信や中国市場とのつながりが転機になったから、それ以来、年に2回は配信を継続している。一度の配信やキャンペーンでは生活者の心は掴めないし、即席なアプローチは見抜かれてしまう。ダイアンは90年代、今以上にデザインの中心に男性が多かった頃、「女性にデザインがわかるわけないだろう」と周りから揶揄されていたという。そこからブランドを築いたダイアンに共感するし、自分も誰かのインスピレーションとなり続けたい。商品を販売するだけでなく、私含む女性たちのストーリーを積極的に広め、周りを巻き込んだ大きなムーブメントを起こしていきたい。


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ユーチューブを通し自分と対話するあさぎーにょ 目指す姿はウォルト・ディズニー【ネクストリーダー2022】

 2015年にユーチューブを開始し、現在は登録者数77万人超の人気ユーチューバーとなったあさぎーにょ。同時にファッションブランド「ポピー(POPPY)」のディレクターやアーティストとしての顔も持ち、「ワクワクを抱きしめよう」というメッセージをさまざまな切り口で伝えている。SNS時代の申し子あさぎーにょに、リーダーシップやユーチューブとの向き合い方を聞いた。

WWD:ユーチューバーになったきっかけは?

あさぎーきょ:歌手になりたくて、大学を辞めて関西から上京した。路上ライブをしたり、オーディションを受けたりしていたが、ちょうどそのころユーチューバーが注目を集め始めていて、自分の歌を発信する新しいプラットフォームとして気軽に始めた。「ユーチューバーになろう」と思ったわけではない。動画投稿を重ねて、「あさぎーにょはこうだね」「あさぎーにょのこういうところが好き」といったコメントをもらうようになって、自分の個性やキャラクターが何なのかを深く考えるようになった。自分がどうありたいか、自分らしさが何なのかをユーチューブを通して見つけてきた。そしてたどり着いたのが、「ワクワクを抱きしめよう」というメッセージだ。

WWD:表現者としてさまざまなジャンルの活動をする中で、気をつけていることは何か。

あさぎーにょ:「ワクワクを抱きしめよう」の軸をブラさないこと。そして、自分らしさをしっかりディテールに落とし込むこと。ただ、作ったものが人に褒められてもなんだか空っぽだと感じたり、逆に自分は最高だと思ったものへの人からの反応が悪かったりすると、自分の中でバランスが崩れてくる。それは年に数回風邪をひくようなもの。そういうときはホテルに一日こもってユーチューブのコメントを見返したり、自分が好きなものをじっくり振り返ったりするようにしている。そうすると、毎回必ずそのとき足りないものや課題が見えてくる。

WWD:自分の課題はどんな部分だと分析しているか。

あさぎーにょ:たくさんあるが、いろんなジャンルの仕事をさせてもらう中で、全部“本物”になり切れない。見よう見まねの部分がまだ多い。スキルも知識ももっともっと追求したいが、体は一つしかないので、ある程度割り切って進めていかないといけない。そこは悩むところだ。(スキルが不足している部分については)仕事の現場でプロの方に素直に聞くようにしている。例えばカメラマンさんに、「どういうディレクションをしたらこういう雰囲気の絵になるのか」といったように聞く。プロの方にそんなことを聞いてもいいのかと最初は悩んだが、皆さん私の無知も受け入れてくださるし、大御所の方も優しく教えてくださる。私もいつかそういう存在になりたい。

少女の心を持ち続けるリーダーが憧れ

WWD:自身のブランド「ポピー」を立ち上げた経緯は。

あさぎーにょ:CDの代わりに音楽を届ける方法として、パジャマのタグにQRコードを付けて販売したのが始まりだ。少しずつアイテムを企画していく中で、オリジナルなもの、自分たちが熱狂できるものを作りたいと考えるようになった。チームが整って、シーズンごとに商品を出せるようになったタイミングで、「ポピー」というブランドとしてしっかりローンチした。ユーチューブの撮影はほぼ一人で完結しているが、チームみんなでモノ作りをしていくことも好きだ。チームの指針のようなものはあって、新しいメンバーが入ったらそれを伝えている。「褒める」ことや、「モヤモヤしたらすぐに解決する」というのはそうした指針の一つ。私自身、モヤモヤをすぐに人に切り出して解決することが苦手だったが、みんなと考えが共有できているので、とても助けられている。

WWD:目指すリーダー像はあるか。

あさぎーにょ:少女のようなリーダーになりたいとは強く思っている。実際の年齢は関係なく、私が誰よりも少女の心を持っていて、私がワクワクしたことはどんな大きな夢であっても、チームのみんなが「叶うんじゃないか」と信じられるような存在でありたい。目指すはウォルト(・ディズニー)だ。コミュニケーションが取れていないと、チームの存在意義が分からなくなることもある。だからこそ、チームのメンバーには日々感じたことを常に熱量高く伝えるようにしている。それはユーチューブやSNSに日々の出来事や気持ちを共有するのと同じ感覚で、自分のクセでもある。

WWD:「ポピー」ではどのようにデザインを決めていくのか。

あさぎーにょ:シーズンテーマから入ることもあるし、今何が着たいかという気分から企画を進めることもある。ユーチューブを通して自分がどうありたいかを考えてきた中で、お日さまのような、温かみのある人でありたいという思いに行き着いた。だから、シルエットは包み込むような感じを意識しているし、コットンレースが好き。可愛くキュートでありたいが、人と違う個性もほしい。そういう感覚が「ポピー」のチームはとても似ていて、共有できている。

発信は、与えるより与えられるものの方が多い

WWD:あさぎーにょにとってユーチューブとは。

あさぎーにょ:ユーチューブをやっていなかったら、自分がやりたいことや自分とは何かが分からなかったと思う。発信をすることは、人に与えるよりも人から与えられるものの方が実は多いと近頃強く思う。最初はコメントなどを通して(ファンから)教えてもらうことばかりだったが、もらったものを返したいという気持ちが強くなっている。発信することの怖さはもちろん感じている。自分だけの考えを押し付けていないか、意図せず人を傷つけていないかと不安に思うときはある。それでも、発信をして、それに対してみんなから受け取ってきたものであさぎーにょはできている。やはりそこに大きな価値を感じている。

WWD:今後の目標は。

あさぎーにょ:「ワクワクを抱きしめよう」というメッセージを、ファッション、音楽、物語、映画、カフェなど、さまざまな切り口で伝えていきたい。そのためには多くの仲間が必要だし、私自身もスキルや知識を磨いて、ワクワクをしっかりディレクションできるようになりたい。今、中国語の勉強もしている。中国の視聴者から非常に熱量の高いコメントをいただくことがあり、言葉が違う人に自分の世界観が伝わるのはものすごく嬉しいし、それは動画だからこそできるのだとも思う。中国のSNSも何種類か始めていて、既に日本のフォロワー数より多くなっている。ただ、中国ですぐにビジネスをするというのではなく、語学の勉強も中国向けの動画の投稿も、まだ楽しくてやっているという感じ。続けていく中で今後、何かにつながればいいなと思っている。


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ユーチューブを通し自分と対話するあさぎーにょ 目指す姿はウォルト・ディズニー【ネクストリーダー2022】

 2015年にユーチューブを開始し、現在は登録者数77万人超の人気ユーチューバーとなったあさぎーにょ。同時にファッションブランド「ポピー(POPPY)」のディレクターやアーティストとしての顔も持ち、「ワクワクを抱きしめよう」というメッセージをさまざまな切り口で伝えている。SNS時代の申し子あさぎーにょに、リーダーシップやユーチューブとの向き合い方を聞いた。

WWD:ユーチューバーになったきっかけは?

あさぎーきょ:歌手になりたくて、大学を辞めて関西から上京した。路上ライブをしたり、オーディションを受けたりしていたが、ちょうどそのころユーチューバーが注目を集め始めていて、自分の歌を発信する新しいプラットフォームとして気軽に始めた。「ユーチューバーになろう」と思ったわけではない。動画投稿を重ねて、「あさぎーにょはこうだね」「あさぎーにょのこういうところが好き」といったコメントをもらうようになって、自分の個性やキャラクターが何なのかを深く考えるようになった。自分がどうありたいか、自分らしさが何なのかをユーチューブを通して見つけてきた。そしてたどり着いたのが、「ワクワクを抱きしめよう」というメッセージだ。

WWD:表現者としてさまざまなジャンルの活動をする中で、気をつけていることは何か。

あさぎーにょ:「ワクワクを抱きしめよう」の軸をブラさないこと。そして、自分らしさをしっかりディテールに落とし込むこと。ただ、作ったものが人に褒められてもなんだか空っぽだと感じたり、逆に自分は最高だと思ったものへの人からの反応が悪かったりすると、自分の中でバランスが崩れてくる。それは年に数回風邪をひくようなもの。そういうときはホテルに一日こもってユーチューブのコメントを見返したり、自分が好きなものをじっくり振り返ったりするようにしている。そうすると、毎回必ずそのとき足りないものや課題が見えてくる。

WWD:自分の課題はどんな部分だと分析しているか。

あさぎーにょ:たくさんあるが、いろんなジャンルの仕事をさせてもらう中で、全部“本物”になり切れない。見よう見まねの部分がまだ多い。スキルも知識ももっともっと追求したいが、体は一つしかないので、ある程度割り切って進めていかないといけない。そこは悩むところだ。(スキルが不足している部分については)仕事の現場でプロの方に素直に聞くようにしている。例えばカメラマンさんに、「どういうディレクションをしたらこういう雰囲気の絵になるのか」といったように聞く。プロの方にそんなことを聞いてもいいのかと最初は悩んだが、皆さん私の無知も受け入れてくださるし、大御所の方も優しく教えてくださる。私もいつかそういう存在になりたい。

少女の心を持ち続けるリーダーが憧れ

WWD:自身のブランド「ポピー」を立ち上げた経緯は。

あさぎーにょ:CDの代わりに音楽を届ける方法として、パジャマのタグにQRコードを付けて販売したのが始まりだ。少しずつアイテムを企画していく中で、オリジナルなもの、自分たちが熱狂できるものを作りたいと考えるようになった。チームが整って、シーズンごとに商品を出せるようになったタイミングで、「ポピー」というブランドとしてしっかりローンチした。ユーチューブの撮影はほぼ一人で完結しているが、チームみんなでモノ作りをしていくことも好きだ。チームの指針のようなものはあって、新しいメンバーが入ったらそれを伝えている。「褒める」ことや、「モヤモヤしたらすぐに解決する」というのはそうした指針の一つ。私自身、モヤモヤをすぐに人に切り出して解決することが苦手だったが、みんなと考えが共有できているので、とても助けられている。

WWD:目指すリーダー像はあるか。

あさぎーにょ:少女のようなリーダーになりたいとは強く思っている。実際の年齢は関係なく、私が誰よりも少女の心を持っていて、私がワクワクしたことはどんな大きな夢であっても、チームのみんなが「叶うんじゃないか」と信じられるような存在でありたい。目指すはウォルト(・ディズニー)だ。コミュニケーションが取れていないと、チームの存在意義が分からなくなることもある。だからこそ、チームのメンバーには日々感じたことを常に熱量高く伝えるようにしている。それはユーチューブやSNSに日々の出来事や気持ちを共有するのと同じ感覚で、自分のクセでもある。

WWD:「ポピー」ではどのようにデザインを決めていくのか。

あさぎーにょ:シーズンテーマから入ることもあるし、今何が着たいかという気分から企画を進めることもある。ユーチューブを通して自分がどうありたいかを考えてきた中で、お日さまのような、温かみのある人でありたいという思いに行き着いた。だから、シルエットは包み込むような感じを意識しているし、コットンレースが好き。可愛くキュートでありたいが、人と違う個性もほしい。そういう感覚が「ポピー」のチームはとても似ていて、共有できている。

発信は、与えるより与えられるものの方が多い

WWD:あさぎーにょにとってユーチューブとは。

あさぎーにょ:ユーチューブをやっていなかったら、自分がやりたいことや自分とは何かが分からなかったと思う。発信をすることは、人に与えるよりも人から与えられるものの方が実は多いと近頃強く思う。最初はコメントなどを通して(ファンから)教えてもらうことばかりだったが、もらったものを返したいという気持ちが強くなっている。発信することの怖さはもちろん感じている。自分だけの考えを押し付けていないか、意図せず人を傷つけていないかと不安に思うときはある。それでも、発信をして、それに対してみんなから受け取ってきたものであさぎーにょはできている。やはりそこに大きな価値を感じている。

WWD:今後の目標は。

あさぎーにょ:「ワクワクを抱きしめよう」というメッセージを、ファッション、音楽、物語、映画、カフェなど、さまざまな切り口で伝えていきたい。そのためには多くの仲間が必要だし、私自身もスキルや知識を磨いて、ワクワクをしっかりディレクションできるようになりたい。今、中国語の勉強もしている。中国の視聴者から非常に熱量の高いコメントをいただくことがあり、言葉が違う人に自分の世界観が伝わるのはものすごく嬉しいし、それは動画だからこそできるのだとも思う。中国のSNSも何種類か始めていて、既に日本のフォロワー数より多くなっている。ただ、中国ですぐにビジネスをするというのではなく、語学の勉強も中国向けの動画の投稿も、まだ楽しくてやっているという感じ。続けていく中で今後、何かにつながればいいなと思っている。


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イヤホンでアートとファッションを融合、多彩なクリエイターをマーブルミックス EBRU佐藤怜【ネクストリーダー2022】

 音楽とファッション、アートの融合を掲げるイヤホン「イヤーマインド」を展開するエブル(EBRU)は、金沢美術工芸大学の同級生3人組の女性が設立したスタートアップ企業だ。プロダクトのスケール(規模)化を前提に軽やかに、でも志は高く突き進む。代表の佐藤怜氏に話を聞いた。

WWD:起業のきっかけは?

佐藤怜(以下、佐藤):怒りだ。私は高校で美術を学び、文化服装学院に入り1年次を終了して中退。2年浪人して金沢美術工芸大学でアートと工芸の中間にある染織を、留学先のイタリア・ローマにあるファッション専門の大学であるアカデミアコスチューム&モーダ(Accademia Costume & Moda)ではファッションアクセサリーを学びました。つまり私自身はテキスタイルを軸にアート、ファッション、工芸を行き来しながら学んできたものの、日本に帰国して仕事を探してみると、ファッションブランドに行けば「アートがいいのでは?」、工芸に行けば「ファッションがいい?」、テキスタイル企業に行けば「日本よりも海外がいい」と、どこに話を聞きに行ってもとりつくしまもない。業界が分断していて、就職をしようにもどこにも行きようがなかった。一方で共同創業者の田邊(樹美・取締役)と先山(絵梨・取締役)の2人はすでに働いていたものの、産地やものづくりの現場の疲弊に悩んでいた。ならば、起業しかないというのが3人で出した結論だった。

WWD:プロフィールを見ると、全員がクリエイティブ出身。あえてスタートアップのような形で起業せず、デザイン会社という体裁でも良かったのでは?

佐藤:起業前、3人で話して行き着いた結論は、業界の分断で生まれている不健全な文化芸術産業の現状を改革し、文化を愛するユーザーと作り手、双方のウェルネスを実現すること。でもそのためには、プロダクトを作って、しかもスケールさせることが必要だった。ご指摘の通り、私を含め、事業計画なんて作ったこともない3人。ならば、ということで無職状態だった私が、あるアクセレータープログラムに参画して、1年ほど起業準備した。見るもの聞くもの新鮮で新しいことばかりではあったけど、すごく大変だったかと言われればそうでもない。たとえ就職していたにせよ、慣れないことの連続だったはず。参加者のほとんどがビジネス起点の起業家の卵たちで、私のようなアート/工芸出身者は珍しく、でもそれが逆に個性になった。ここで知ったクラウドファンディング型の資金調達で1400万円も集められた。開業資金は銀行からの創業融資の1000万円も元手になっている。起業準備期間には、イタリアの著名なファッションコンテストのITS(=International Talent Support)に応募して、アクセサリー部門のファイナリストに選ばれ、スウォッチ アートワーク賞を受賞した。

WWD:ビジネスの状況は?

佐藤:カスタマイズイヤホン「イヤーマインド」はクラウドファンディングの「マクアケ」で234万円の売り上げになった。製品は自分たちのアート活動名義のユニット「エブル(EbRu)」を含めた6人/組のアーティストとのコラボレーションしており、アートワーク、シェイプ、サウンドタイプのそれぞれからお気に入りの組み合わせを選べるようになっている。現在、機械部分のトラブルで当初の製造メーカーの変更をすることになって受注は止めて、クラファンの受注分も納品をお待ちいただいている状態だ。メーカー変更はめどが付き始めており、夏ごろまでには受注を再開始して、受注分も納品の予定だ。ただ、アートワークのコラボレーターは随時、声をかけさえて頂いている。優れた工芸作家やデザイナー、アーティストはそれこそ、知れば知るほどたくさんいて、そうしたアーティストたちとのコラボレーションが楽しくてしょうがない。

WWD:創業メンバー3人の出会いは?

佐藤:田邊と先山とは大学1年生のときに出会ってすぐに意気投合し、社名のルーツにもなった「EbRu」というユニットを結成した。だからかれこれ10年ほどの付き合いになる。金沢美術工芸大学は当時、比較的自由に学生が出入りして制作できるユニークなところで、学生時代は3人ともずっと作業場の床で寝起きをするほど、ものづくりに打ち込んでいた。大学を卒業後はそれぞれ違う進路になったものの、田邊と先山の2人はシェアハウス兼アトリエを東京に構えて一緒に住み、私もイタリアから帰国後は、そこにジョインした。田邊はパートナーと住むために今は出たけど、私と先山は今もその住居兼アトリエに住んでて、文字通り寝食もずっと一緒。10年の付き合いになるけど、ディスカッションはすることがあっても喧嘩はしたことがない。起業後も、ある程度の役割分担はあるけど、いつも3人で話し合ったり手を動かして決める。工芸がベースの3人だから、口よりも手を動かすことが先にあって、だから喧嘩にならないのかも。これまでも今も、イヤホンの型の原型やパッケージのデザインも、アトリエ兼住居で全部3人で手を動かして作ってきた。

WWD:今後は?

佐藤:エブルの根底にあるのは、いろいろな個性を認め合って、優れたクリエイティブを社会に提供すること。日本には優れた作家や工房がたくさんいて、それを「イヤーマインド」を通じて世界に発信もしたいし、世界にも進出し、イヤホンをキャンバスに世界中の優れたクリエイターやアーティストを紹介したい。


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イヤホンでアートとファッションを融合、多彩なクリエイターをマーブルミックス EBRU佐藤怜【ネクストリーダー2022】

 音楽とファッション、アートの融合を掲げるイヤホン「イヤーマインド」を展開するエブル(EBRU)は、金沢美術工芸大学の同級生3人組の女性が設立したスタートアップ企業だ。プロダクトのスケール(規模)化を前提に軽やかに、でも志は高く突き進む。代表の佐藤怜氏に話を聞いた。

WWD:起業のきっかけは?

佐藤怜(以下、佐藤):怒りだ。私は高校で美術を学び、文化服装学院に入り1年次を終了して中退。2年浪人して金沢美術工芸大学でアートと工芸の中間にある染織を、留学先のイタリア・ローマにあるファッション専門の大学であるアカデミアコスチューム&モーダ(Accademia Costume & Moda)ではファッションアクセサリーを学びました。つまり私自身はテキスタイルを軸にアート、ファッション、工芸を行き来しながら学んできたものの、日本に帰国して仕事を探してみると、ファッションブランドに行けば「アートがいいのでは?」、工芸に行けば「ファッションがいい?」、テキスタイル企業に行けば「日本よりも海外がいい」と、どこに話を聞きに行ってもとりつくしまもない。業界が分断していて、就職をしようにもどこにも行きようがなかった。一方で共同創業者の田邊(樹美・取締役)と先山(絵梨・取締役)の2人はすでに働いていたものの、産地やものづくりの現場の疲弊に悩んでいた。ならば、起業しかないというのが3人で出した結論だった。

WWD:プロフィールを見ると、全員がクリエイティブ出身。あえてスタートアップのような形で起業せず、デザイン会社という体裁でも良かったのでは?

佐藤:起業前、3人で話して行き着いた結論は、業界の分断で生まれている不健全な文化芸術産業の現状を改革し、文化を愛するユーザーと作り手、双方のウェルネスを実現すること。でもそのためには、プロダクトを作って、しかもスケールさせることが必要だった。ご指摘の通り、私を含め、事業計画なんて作ったこともない3人。ならば、ということで無職状態だった私が、あるアクセレータープログラムに参画して、1年ほど起業準備した。見るもの聞くもの新鮮で新しいことばかりではあったけど、すごく大変だったかと言われればそうでもない。たとえ就職していたにせよ、慣れないことの連続だったはず。参加者のほとんどがビジネス起点の起業家の卵たちで、私のようなアート/工芸出身者は珍しく、でもそれが逆に個性になった。ここで知ったクラウドファンディング型の資金調達で1400万円も集められた。開業資金は銀行からの創業融資の1000万円も元手になっている。起業準備期間には、イタリアの著名なファッションコンテストのITS(=International Talent Support)に応募して、アクセサリー部門のファイナリストに選ばれ、スウォッチ アートワーク賞を受賞した。

WWD:ビジネスの状況は?

佐藤:カスタマイズイヤホン「イヤーマインド」はクラウドファンディングの「マクアケ」で234万円の売り上げになった。製品は自分たちのアート活動名義のユニット「エブル(EbRu)」を含めた6人/組のアーティストとのコラボレーションしており、アートワーク、シェイプ、サウンドタイプのそれぞれからお気に入りの組み合わせを選べるようになっている。現在、機械部分のトラブルで当初の製造メーカーの変更をすることになって受注は止めて、クラファンの受注分も納品をお待ちいただいている状態だ。メーカー変更はめどが付き始めており、夏ごろまでには受注を再開始して、受注分も納品の予定だ。ただ、アートワークのコラボレーターは随時、声をかけさえて頂いている。優れた工芸作家やデザイナー、アーティストはそれこそ、知れば知るほどたくさんいて、そうしたアーティストたちとのコラボレーションが楽しくてしょうがない。

WWD:創業メンバー3人の出会いは?

佐藤:田邊と先山とは大学1年生のときに出会ってすぐに意気投合し、社名のルーツにもなった「EbRu」というユニットを結成した。だからかれこれ10年ほどの付き合いになる。金沢美術工芸大学は当時、比較的自由に学生が出入りして制作できるユニークなところで、学生時代は3人ともずっと作業場の床で寝起きをするほど、ものづくりに打ち込んでいた。大学を卒業後はそれぞれ違う進路になったものの、田邊と先山の2人はシェアハウス兼アトリエを東京に構えて一緒に住み、私もイタリアから帰国後は、そこにジョインした。田邊はパートナーと住むために今は出たけど、私と先山は今もその住居兼アトリエに住んでて、文字通り寝食もずっと一緒。10年の付き合いになるけど、ディスカッションはすることがあっても喧嘩はしたことがない。起業後も、ある程度の役割分担はあるけど、いつも3人で話し合ったり手を動かして決める。工芸がベースの3人だから、口よりも手を動かすことが先にあって、だから喧嘩にならないのかも。これまでも今も、イヤホンの型の原型やパッケージのデザインも、アトリエ兼住居で全部3人で手を動かして作ってきた。

WWD:今後は?

佐藤:エブルの根底にあるのは、いろいろな個性を認め合って、優れたクリエイティブを社会に提供すること。日本には優れた作家や工房がたくさんいて、それを「イヤーマインド」を通じて世界に発信もしたいし、世界にも進出し、イヤホンをキャンバスに世界中の優れたクリエイターやアーティストを紹介したい。


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「リュウノスケオカザキ」は未知のクリエイションを探求する【ネクストリーダー2022】

 岡﨑龍之祐は、彗星のごとく現れた異色のファッションデザイナーだ。高校卒業後に東京藝術大学大学院を経て「楽天 ファッション ウィーク東京」でコレクションを披露し、大きな話題を集めた。アートの視点で生み出す服は、まるでオートクチュールのようにグラフィカルで、造形美にあふれている。ファッションとアートの境界線を超える26歳が、世界を驚かせるのは目前だ。

ファッションの道に進んだ理由

WWD:ファッションに目覚めたきっかけは?

岡﨑龍之祐「リュウノスケオカザキ」デザイナー(以下、岡﨑):理由は自分でも分からないけれど、中学生のころからとにかく好きだった。最初は小遣いを貯めて古着を買い、次第にいろいろなブランドのショー映像やルックを見るようになっていた。

WWD:ファッションの道を志し、東京藝術大学に進学した理由は?

岡﨑:絵を描くのがもともと好きで藝大に憧れていたし、まずはアートを通した幅広い表現方法を勉強したかったから。だから、ファッションデザイナーになりたいという気持ちは早い段階で漠然とはあったものの、専門学校へ進学する考えはなかった。

WWD:デザイナーになると決めたのはいつ?

岡﨑:ハッキリと意識したのは、1年生のとき。デザインやアートに触れて、自分が何を感じてどういった方向に進みたいかを考えるようになった。デザイナーという職業にはいろいろなジャンルがあり、プロダクトやグラフィックの仕事内容は想像できたのに、ファッションだけは全然分からなかった。学校で学び続けても答えは出ず、だったら自分がデザイナーになってみればいいと考え、そこから身にまとうもので表現したいという気持ちが強くなった。

WWD:藝大では何を学んだ?

岡﨑:デザインを広い解釈で学びつつ、何かしらの作品を常に作っていた。デザインといってもいろいろで、問題解決や機能的なものは感覚的に理解できたけれど、ファッションだけはやっぱり分からなかった。でも分からないからこそ興味がそそられるし、自分で何かいい作品を完成させたときの喜びも大きい。

WWD:デザインのこだわりは?

岡﨑:とにかく、好きなものを作り続けること。ファッションは着るという“機能”に加え、一見無駄に見える装飾に価値があったり、人の心を豊かにしてくれたりする。この装飾については、藝大で学んだデザインとは違うけれど、人間の暮らしや営みには大切なもの。それを受け取り手に大事だと気付かせるためには自分の作品に説得力がないといけない。

WWD:初めての作品は?

岡﨑:2年生のときに作ったドレス“祈纏 -Wearing Prayer-”だ。広島に贈られた折り鶴の再生紙を細かく裁断した紙糸を織ったもので、1年生のときに故・高田賢三氏が行っていた平和活動に参加したことがきっかけで製作した。

いつかはパリの舞台で

WWD:大学院に進学してグラフィックを学んだ理由は?

岡﨑:グラフィックデザインを服作りに生かしたら面白いのではと思いつき、研究室で学ぶことにした。グラフィックは一見表面的だが、実は奥深い意匠が詰まっている。ビジュアルで語る点に、ファッションとの親和性もある。このアプローチを体現したのが、「第69回 東京藝術大学卒業・修了作品展」のために製作したドレス“JOMONJOMON”だ。神道的な左右対称のグラフィカルなビジュアルにし、実際に服を見た瞬間に飛び込んでくる視覚的な情報を大切にしている。この面白さは、グラフィックデザインを学んで気付いたこと。 “祈纏”のようにストーリーを想起させるようなものづくりを意識しながら、いかにグラフィカルに表現できるかを大切にしている。

WWD:デザインのインスピレーションは?

岡﨑:日常的な気付きや、不思議に思ったこと。例えば“JOMONJOMON”は、縄文土器の形について調べたことが出発点。自然の造形から着想することが多いのは、昔から何ごとも答えが分かっているのが嫌で、謎めいたものや不思議なものに引かれるからかもしれない。

WWD:作品は完成をイメージして組み立てる?

岡﨑:デザインは、抽象画家が筆を当ててストロークで描き続けるように、謎に向かって探る感覚に近い。だから終わりがなく、ずっと続けてしまうので自分で終着点を決めるのが大変(笑)。それに組み立て方まで考えているわけではないので、完成品をどこかに発送すると受け取り手がうまく組み立てられず、壊れて戻ってくることがある。今後はそういった点も考える必要があるかもしれない。

WWD:2021年8月に「楽天 ファッション ウィーク東京」への参加が決まった際の気持ちは?

岡﨑:とにかくうれしくて、大学院を卒業した半年後にコレクションを発表するというタイミングも良かった。作品がどう思われるか不安な気持ちもあったけれど、自分が作った作品を愛しているので、いい形で見せたいと一心で走り続けた。「何だアレは?」という反響も、「分からない」を探るのは自分のものづくりの原点だから、ポジティブに受け取っている。「分からない」って面白いし、かっこいいから。

WWD:これまで販売したヘッドピース以外にも、売れる商品の制作は考えている?

岡﨑:将来的に考えてはいるけれど、今はそれよりも作りたいものを高いクオリティーで作り続けてブランドの価値を高めることが大事。「リュウノスケオカザキ」は同じものを2つ作れないブランドだからこそ、一点一点に価値が生まれ、ブランドの価値も自然と高まっていくはず。売ることを考えて日常に無理に落とし込むよりは、作りたいものを作って発表する方が今の自分には合っている。

WWD:今後の目標は?

岡﨑:老若男女を問わずたくさんの人に見てもらい、例えポジティブじゃなくても何かを感じ取れるものづくりを続けること。チャンスがあれば、パリでファッションショーをやりたい。


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「リュウノスケオカザキ」は未知のクリエイションを探求する【ネクストリーダー2022】

 岡﨑龍之祐は、彗星のごとく現れた異色のファッションデザイナーだ。高校卒業後に東京藝術大学大学院を経て「楽天 ファッション ウィーク東京」でコレクションを披露し、大きな話題を集めた。アートの視点で生み出す服は、まるでオートクチュールのようにグラフィカルで、造形美にあふれている。ファッションとアートの境界線を超える26歳が、世界を驚かせるのは目前だ。

ファッションの道に進んだ理由

WWD:ファッションに目覚めたきっかけは?

岡﨑龍之祐「リュウノスケオカザキ」デザイナー(以下、岡﨑):理由は自分でも分からないけれど、中学生のころからとにかく好きだった。最初は小遣いを貯めて古着を買い、次第にいろいろなブランドのショー映像やルックを見るようになっていた。

WWD:ファッションの道を志し、東京藝術大学に進学した理由は?

岡﨑:絵を描くのがもともと好きで藝大に憧れていたし、まずはアートを通した幅広い表現方法を勉強したかったから。だから、ファッションデザイナーになりたいという気持ちは早い段階で漠然とはあったものの、専門学校へ進学する考えはなかった。

WWD:デザイナーになると決めたのはいつ?

岡﨑:ハッキリと意識したのは、1年生のとき。デザインやアートに触れて、自分が何を感じてどういった方向に進みたいかを考えるようになった。デザイナーという職業にはいろいろなジャンルがあり、プロダクトやグラフィックの仕事内容は想像できたのに、ファッションだけは全然分からなかった。学校で学び続けても答えは出ず、だったら自分がデザイナーになってみればいいと考え、そこから身にまとうもので表現したいという気持ちが強くなった。

WWD:藝大では何を学んだ?

岡﨑:デザインを広い解釈で学びつつ、何かしらの作品を常に作っていた。デザインといってもいろいろで、問題解決や機能的なものは感覚的に理解できたけれど、ファッションだけはやっぱり分からなかった。でも分からないからこそ興味がそそられるし、自分で何かいい作品を完成させたときの喜びも大きい。

WWD:デザインのこだわりは?

岡﨑:とにかく、好きなものを作り続けること。ファッションは着るという“機能”に加え、一見無駄に見える装飾に価値があったり、人の心を豊かにしてくれたりする。この装飾については、藝大で学んだデザインとは違うけれど、人間の暮らしや営みには大切なもの。それを受け取り手に大事だと気付かせるためには自分の作品に説得力がないといけない。

WWD:初めての作品は?

岡﨑:2年生のときに作ったドレス“祈纏 -Wearing Prayer-”だ。広島に贈られた折り鶴の再生紙を細かく裁断した紙糸を織ったもので、1年生のときに故・高田賢三氏が行っていた平和活動に参加したことがきっかけで製作した。

いつかはパリの舞台で

WWD:大学院に進学してグラフィックを学んだ理由は?

岡﨑:グラフィックデザインを服作りに生かしたら面白いのではと思いつき、研究室で学ぶことにした。グラフィックは一見表面的だが、実は奥深い意匠が詰まっている。ビジュアルで語る点に、ファッションとの親和性もある。このアプローチを体現したのが、「第69回 東京藝術大学卒業・修了作品展」のために製作したドレス“JOMONJOMON”だ。神道的な左右対称のグラフィカルなビジュアルにし、実際に服を見た瞬間に飛び込んでくる視覚的な情報を大切にしている。この面白さは、グラフィックデザインを学んで気付いたこと。 “祈纏”のようにストーリーを想起させるようなものづくりを意識しながら、いかにグラフィカルに表現できるかを大切にしている。

WWD:デザインのインスピレーションは?

岡﨑:日常的な気付きや、不思議に思ったこと。例えば“JOMONJOMON”は、縄文土器の形について調べたことが出発点。自然の造形から着想することが多いのは、昔から何ごとも答えが分かっているのが嫌で、謎めいたものや不思議なものに引かれるからかもしれない。

WWD:作品は完成をイメージして組み立てる?

岡﨑:デザインは、抽象画家が筆を当ててストロークで描き続けるように、謎に向かって探る感覚に近い。だから終わりがなく、ずっと続けてしまうので自分で終着点を決めるのが大変(笑)。それに組み立て方まで考えているわけではないので、完成品をどこかに発送すると受け取り手がうまく組み立てられず、壊れて戻ってくることがある。今後はそういった点も考える必要があるかもしれない。

WWD:2021年8月に「楽天 ファッション ウィーク東京」への参加が決まった際の気持ちは?

岡﨑:とにかくうれしくて、大学院を卒業した半年後にコレクションを発表するというタイミングも良かった。作品がどう思われるか不安な気持ちもあったけれど、自分が作った作品を愛しているので、いい形で見せたいと一心で走り続けた。「何だアレは?」という反響も、「分からない」を探るのは自分のものづくりの原点だから、ポジティブに受け取っている。「分からない」って面白いし、かっこいいから。

WWD:これまで販売したヘッドピース以外にも、売れる商品の制作は考えている?

岡﨑:将来的に考えてはいるけれど、今はそれよりも作りたいものを高いクオリティーで作り続けてブランドの価値を高めることが大事。「リュウノスケオカザキ」は同じものを2つ作れないブランドだからこそ、一点一点に価値が生まれ、ブランドの価値も自然と高まっていくはず。売ることを考えて日常に無理に落とし込むよりは、作りたいものを作って発表する方が今の自分には合っている。

WWD:今後の目標は?

岡﨑:老若男女を問わずたくさんの人に見てもらい、例えポジティブじゃなくても何かを感じ取れるものづくりを続けること。チャンスがあれば、パリでファッションショーをやりたい。


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ジェンダーの枠を越え、新たな美の表現を導く新生モデルTAIRA【ネクストリーダー2022】

 「プラダ(PRADA)」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションでデビューしたモデルのTAIRAは、新しい美の表現を導く存在になるだろう。それはTAIRAが、男性とも女性とも自覚しないジェンダー・ノンバイナリーであるだけでなく、“文化の政治学”といわれるカルチュラル・スタディーズを学んだ学生時代に培ったファッションやジェンダー、カルチャーに対する批判的な視点を武器に、社会を変える強い意志があるからだ。TAIRAは、自分が持つ“マイノリティー”な側面に注目が集まることに違和感を覚える一方で、「社会を前進させるために、この対話を続けたい」とリーダーとしての覚悟を語る。

WWD:学生時代はモデルを目指していた?

TAIRA:全然考えていなかった。小さいころはアートや建築への関心が高く、将来はクリエイティブな業界に進みたいと思っていたが、モデルは自分へのキャリアパスだと考えたことがなかった。最初にスカウトを受けたときは驚いた。ライフストーリーとして経験してもよいかもしれないと思い挑戦したが、その後、光栄なことに違うスカウトからのオファーが続いた。面白かったのは、毎回自分が女の子だと思われていたこと。「女の子ではない」と伝えると、むしろますます興味を持ってもらえたし、ファッション業界で働く友人からも「絶対に挑戦すべきだ」と背中を押された。

WWD:モデル業への迷いや恐れはなかった?

TAIRA:あまりなかったかもしれない。むしろ自分の弱みだと思っていたものが強みになるんだと新しい力に気付かせてくれた。面白い出合いにあふれ、たくさんの刺激を受けるこの世界は、仕事としてだけでなく自分を深く知ることにも貢献してくれる。最終的なゴールはまだ見えないが、今はこの与えてもらったプラットフォームを楽しみたい。

WWD:これまでファッションはどんな存在だった?

TAIRA:昔から美しいものを見たり、作ったりすることが好きで、ファッションもその延長で楽しんでいた。特定のブランドや雑誌にハマるというより、自分が美しいと思ったものを自己流に表現していたと思う。学生時代は自分を理解できていない部分が大きかったし、アイデンティティーも確立していなかったから、ファッションは自分にとってよろいのような存在だった。自分を偽るためではなく、おしゃれでいることで周りから認められ、何か付加価値を得るための手段だったように思う。同時に、センシティブでナイーブな性格だったので、周りからどう見られるかをすごく意識していた。ファッションで認めてもらいたい半面、目立ちたくはない。そのバランスをうまく取りながら自分を表現していたと思う。今でこそ撮影でスカートを着る機会があるが、プライべートで自分からはきたいとはあまり思わない。小さいころから自然に選択肢として存在していたら、きっと今ごろ普通に手を伸ばしていたと思うけど。よく“Be yourself”というが、自分らしさは一つではないと思う。もっと流動的に捉えている。最近もし自分がモデルの仕事をしていなかったら、今、どんな装いをして社会に立っているんだろうと考える。今、髪を伸ばしているのもきっとファッションの世界に身を置いているから。例えば建築家になっていたら、また違った自分だったはず。きっとこれからも環境や周りから得る影響とともに、進化し続けるのが自分にとってのファッションだと思う。

WWD:大学時代はカルチュラル・スタディーズや人種、ジェンダーなどのアイデンティティーの分野で学びを深めた。得た知識は、今の仕事にどう生かされている?

TAIRA:人々は日常生活の中で、それぞれのアイデンティティーに沿ってパフォーマンスしているという考えを学んだ。お母さんを演じる、子どもを演じる、アジア人を演じるなど。モデルの仕事にも通じることが多い。特にファッション業界は権力構造など、社会の縮図のようで面白い。男女が二分されているファッションの世界でウィメンズウエアの仕事をするときは、自分も無意識に“女らしさ”を誇張したり、より女性らしく見えるような曲線的なポージングをしたりする。世間が作り上げた“女らしさ”の再生産に加担しているように感じるときもある。必ずしも演じることが悪いわけではないし、ステレオタイプから抜け出す必要があるのかどうかも分からないけど、どうしたらもっと違う可能性を導くことができるかを常に考えている。

対立を生まない形でのアクションを起こし続けたい

WWD:一番印象に残っている仕事は?

TAIRA:たくさんあるが、挙げるとしたら初めてファッション・ウイークに参加した「プラダ」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションのショー。きっと自分はすごい経験をしたのだろうけど、どれだけすごいことだったのかは正直、今でも理解できていない。一つのショーが作られるまで、本当にたくさんの人が関わっていることに感銘を受けた。モデルはその場に行ってポーズするだけだと思われているかもしれないが、実際はそれ以上にチームの一員としての意識がある。「プラダ」で、そのプロセスに加わることができて幸せだった。

WWD:さまざまな反響があったと思う。

TAIRA:取材を受ける機会も増え、記事を読んだ全く知らない人から「インスパイアされました」とか、「感銘を受けました」といった連絡をもらった。知らない所で誰かの人生に影響を与えていると考えると、すごく光栄だし、感謝する半面、責任も感じている。

WWD:業界の多様性を推進する動きをどう見ている?

TAIRA:正直「多様性」や「ダイバーシティー」という言葉は苦手。理想は、そういった言葉で語る必要がなくなること。自分もその文脈でキャストいただくことが多いが、クライアントが多様性のメッセージを担保するために起用されたように感じてしまう場面があることも否めない。仮にそうだったとしても、ネガティブに捉えているわけではない。自分の表現がまだ美的価値観を形成途中の世代に与える影響や、新しい対話や気付きにつながる可能性があるから。世界はすでにカラフルな個性であふれているのに、それを押し殺して“ノーマル”と切り離して特別視されるのはおかしい。自分が感じていることは、社会がこれまでのコンフォートゾーンを抜け出し変化するときに生じるわずかな痛み。社会を前進させるためにこの対話を続けたい。

WWD:今後ネクストリーダーとして業界をどうけん引する?

TAIRA:多様性以外にもサステナビリティなどいろんなことに興味があり、対立や争いを生まない形でのアクションを起こし続けたい。いろんな問題があふれる現代社会で生きる個人として、さまざまな問題に対して、政治的でないと生きていけない時代だと思う。究極的には、社会に生きる全員がアクティビストでいるべきだと思うし、自分もこれからさまざまな活動を通して社会貢献していきたいけれど、今自分は自分をアクティビストとは呼びたくない。それは、その言葉が暴力性やネガティブな意味を内包する気がするから。常にオープンマインドでフレキシブルな考えで、謙虚な姿勢と感謝の気持ちを忘れずにいたい。


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産地の技術継承を願いこだわり抜く「カナコ サカイ」 夢は日本発のグローバルブランド【ネクストリーダー2022】

 「カナコ サカイ」は2022年春夏デビューのウィメンズブランドだ。立ち上げから半年でのネクストリーダー選出に関しては「早すぎないか?」と本人が一番驚いている。だが、長年多くのデザイナーと向き合ってきた推薦・審査員たちは直感的に、サカイカナコの中にファッションデザイナーとしての覚悟と独特のセンス、そしてリーダーシップを見出している。引っ越したばかりの小さなアトリエで彼女が描く未来を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):読者は「カナコ サカイ 」とサカイさんについて知らない人がまだ多いので自己紹介を兼ねて教えて欲しい。多感な10代の頃、あなたはどんなファッションが好きだった?

サカイカナコ(「カナコ サカイ」デザイナー、以下サカイ):海外のストリートスナップに憧れて、ブロガーのルミ・ニーリー(Rumi Neely)が好きで、カルチャーやクリエイティブには憧れているけれど地元にはおしゃれをして出かける場所もなく、お風呂の中に雑誌を10冊くらい持ち込んで読みふけっていた。週末には茨城の実家から代官山のヴィンテージショップの「ヴィニヴィニ(VINIVINI)」に通ったり、「トップショップ(TOP SHOP)」が新宿にオープンしたときは買いに行ったりしていたのを覚えている。

WWD:ファッションデザイナーになろうと決めたのはいつ?

サカイ:東京の大学に進学して1年生のとき「今のままだと何者にもなれない」、と将来を深く考えた。で、出た答えが「ファッションデザイナーになる」だった。服作りの勉強をしたことはない。だけど、「私は何ができて、何が得意で、何をして生きていきたいのだろう」の答えから浮かび上がるのがファッションデザイナーだったから。根拠はないけど“やれる気がする”と思った。

WWD:道が見えてまずしたことは?

サカイ:「ファッションニュース(FASHION NEWS)」や「ギャップ(GAP)」といったコレクションマガジンに載っているデザイナーのプロフィールを熟読してキャリアの積み方を研究した。皆、大体同じで、服飾の学校で学び、デザイナーズブランドでインターンから始めて経験を積み、独立する。その通りに実行して30歳くらいで独立しようと決めた。

WWD:結果的に29歳で「カナコ サカイ(KANAKO SAKAI)」をデビューしたから有言実行だ。それで大学卒業後はニューヨークへ?

サカイ:スタートの遅れを挽回したかったのでまずは東京の服飾学校の夜間へ通い、ダブルスクールで服作りの技術を学んだ。卒業後にNYのパーソンズスクールのファッションデザイナー科へ。ニューヨークへ降り立った瞬間、英語も大してできないのに不思議なことに「ここは自分の場所だ、ここではよそ者じゃない」と直感した。まさに多様性で、いろいろな国からいろいろなバックグラウンドを持つが人が集まって学校も楽しい。美という価値観の多様性に驚いた。そして結果的には自分が日本人であることを強く自覚した。たとえば私が不完全さ、インパーフェクションを美しいと言えば、インド出身の同級生はタージ・マハルのように完璧なまでに左右対称であることが大切だと言う。とてもおもしろいと思う。自分では全く特別に思っていなかった日本人としての美意識やアイデンティティが、異なるバックグラウンドを持つ人たちには魅力的にみえることにも気がついた。

WWD:NYではいくつかのデザイナーズブランドでインターンを経験している。

サカイ:デザインチームでコレクションの組み立て方などを学んだ。印象的だったのが「3.1フィリップ・リム(3.1PHILLIP LIM)」。基本就業時間は9:30~18:00で残業はナシ。コレクション前の忙しいときでも事前に依頼があり、残れば夕方には必ず食事をとる。デザイナーズブランドには「好きだから時間もいとわず、食事もとらず」みたいなイメージがあったので驚き、いいなと思った。デザイナーのフィリップも気さくで、夕飯の和の中に入ってざっくばらんに意見交換をする。こうありたいと思った。帰国後は、デザイナーズブランドで2年間、生産管理に関わるあらゆることを学んだ。

自分の言葉を持ち自分の人生を生きている人に着てほしい

WWD:そして予定通り29歳で独立。「カナコ サカイ」を立ち上げて最初にしたことは?

サカイ:前職を退職した次の日に生地の展示会に行ったと思う。それまでチームで行ってきたことをこれからは全部ひとりで行う。その違いはあるけれどやることは同じ。

WWD:服作りで大切にしていることは?

サカイ:こだわりや理想を諦めない。服作りは本当にたくさんの工程があり、複合的。アイデア、糸の番手、パターン、縫い方、サイズ表示をつける場所、デリバリーなど、着る人に届くまでにもう本当に数え切れない工程がある。生地がよくても縫製がダメならダメだし、そこまでがよくても見せ方がダメならダメ。すべてがつながっている。やることが本当に多く私はそのひとつひとつに魂を込めている。ひとつでも手を抜いたら「カナコ サカイ」でなくなるから。

WWD:誰に着てほしい?

サカイ:それはパティ・スミス(Patti Smith)!アクティビストやフェミニスト、アーティストと言われる人にも惹かれることが多い。自分の声と言葉を持ち、自分の目でジャッジして自分の人生を生きている人たちに着てもらえるブランドになりたい。自分は自分らしくて良いのだという価値観を、ブランドを通して伝えることで、自分の思いや人の思いを尊重していける世の中になるように少しでも貢献したい。

WWD:サステナビリティという言葉をどう解釈している?

サカイ:エコロジーはもちろん大事だけど、今力を入れたいのは「産業の発展と継続、技術の継承」それと「個々人が平等であること」。私は生地にとても関心があり、ファーストコレクションの素材はすべて、日本の産地や職人と取り組んだオリジナル。その一つに浜松の生地メーカー、ナカジマさんがある。浜松産地に伝承されてきた技術を使った麻やコットンが得意で、初めて見たとき「全部好き」と思った。他には存在しないクラフトのような生地だと思う。

WWD:日本の物作りの現場や産地への強い思い入れが感じる。

サカイ:日本でファッションブランドを手がけることは、西洋由来のものを日本で作るということ。ヨーロッパの二番煎じにならないために、日本でつくる意味、日本でだからこそできることに焦点を当てブランドに付加価値をつけていきたい。ローカルでしかできない商品を提供するからこそ、グローバルで希少な価値を持ち、差別化を図ることができると思うから。だけど、いざ日本で服を作ってみると、日本のアパレル産業には様々な問題が山積みであることに気がついた。高齢化や後継者問題、日本の生地を海外でリプロダクションされ売り上げにつながらない、などなど。私が日本で物づくりを始めてから今までの短い間でも、実際様々な工場が廃業し、前まではできたことができない、と言われることが多々ある。せっかく素晴らしいものづくりをしていて、世界に認められた人や技術が沢山あっても、このまま衰退してしまっては、日本で物づくりをする私たちのようなブランドには死活問題となる。そこで、ブランドがきちんとこの課題に向き合い作り手と一緒になり発信していくことで、メード・イン・ジャパンの良さを世界に広め、産業も発展していく循環が起こることを理想とし、ブランドの目標として掲げている。

WWD:デビューコレクションは、グラデーションとタイダイの技術を掛け合わせた手染めの服が印象的だった。

サカイ:自身と同年代のデュオ“タイダイ フリーク(TIEDYE FREAK)”とのタイダイ染めだ。伝統技術だけではなく、若い職人、特に女性の職人にフォーカスしたい思いもある。男女は平等でどちらが大事とかないけど、物作りの世界は圧倒的に男性が中心だから、意識的に女性にフォーカスしたいとは思う。次シーズンも女性アーティスト、シロヤマユリカ(Yurika Shiroyama)さんとコラボレーションをする。

WWD:サステナブルな素材への関心は?

サカイ:もちろんある。今はオリジナルの生地作りに集中しているけれど、次の段階ではサステナブルな生地と組み合わせてコレクションを構成できたらと思う。

WWD:ネクストリーダーと呼ばれてどう?

サカイ:「早くないですか?」が本音だけど、私には勢いがあるかな、と思うのでみんなの道を作れるような人になりたい。

WWD:10年後の「カナコ サカイ」はどうなっている?

サカイ:うまく伝わるか不安もあるが、日本発のグローバルなメゾンブランドを作りたい、と思う。日本を拠点に日本のアイデンティティを大事にしつつ、世界中からいろいろなバックグラウンドと意見と美意識を持つ人が集まりチームとして作り上げるオープンなブランドになりたい。この場に来られなくても今ならオンラインでつながれる。人生を通じて自分が知らないことを知っている面白い人たちと出会って自分の価値観を広げてゆきたいから。


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産地の技術継承を願いこだわり抜く「カナコ サカイ」 夢は日本発のグローバルブランド【ネクストリーダー2022】

 「カナコ サカイ」は2022年春夏デビューのウィメンズブランドだ。立ち上げから半年でのネクストリーダー選出に関しては「早すぎないか?」と本人が一番驚いている。だが、長年多くのデザイナーと向き合ってきた推薦・審査員たちは直感的に、サカイカナコの中にファッションデザイナーとしての覚悟と独特のセンス、そしてリーダーシップを見出している。引っ越したばかりの小さなアトリエで彼女が描く未来を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):読者は「カナコ サカイ 」とサカイさんについて知らない人がまだ多いので自己紹介を兼ねて教えて欲しい。多感な10代の頃、あなたはどんなファッションが好きだった?

サカイカナコ(「カナコ サカイ」デザイナー、以下サカイ):海外のストリートスナップに憧れて、ブロガーのルミ・ニーリー(Rumi Neely)が好きで、カルチャーやクリエイティブには憧れているけれど地元にはおしゃれをして出かける場所もなく、お風呂の中に雑誌を10冊くらい持ち込んで読みふけっていた。週末には茨城の実家から代官山のヴィンテージショップの「ヴィニヴィニ(VINIVINI)」に通ったり、「トップショップ(TOP SHOP)」が新宿にオープンしたときは買いに行ったりしていたのを覚えている。

WWD:ファッションデザイナーになろうと決めたのはいつ?

サカイ:東京の大学に進学して1年生のとき「今のままだと何者にもなれない」、と将来を深く考えた。で、出た答えが「ファッションデザイナーになる」だった。服作りの勉強をしたことはない。だけど、「私は何ができて、何が得意で、何をして生きていきたいのだろう」の答えから浮かび上がるのがファッションデザイナーだったから。根拠はないけど“やれる気がする”と思った。

WWD:道が見えてまずしたことは?

サカイ:「ファッションニュース(FASHION NEWS)」や「ギャップ(GAP)」といったコレクションマガジンに載っているデザイナーのプロフィールを熟読してキャリアの積み方を研究した。皆、大体同じで、服飾の学校で学び、デザイナーズブランドでインターンから始めて経験を積み、独立する。その通りに実行して30歳くらいで独立しようと決めた。

WWD:結果的に29歳で「カナコ サカイ(KANAKO SAKAI)」をデビューしたから有言実行だ。それで大学卒業後はニューヨークへ?

サカイ:スタートの遅れを挽回したかったのでまずは東京の服飾学校の夜間へ通い、ダブルスクールで服作りの技術を学んだ。卒業後にNYのパーソンズスクールのファッションデザイナー科へ。ニューヨークへ降り立った瞬間、英語も大してできないのに不思議なことに「ここは自分の場所だ、ここではよそ者じゃない」と直感した。まさに多様性で、いろいろな国からいろいろなバックグラウンドを持つが人が集まって学校も楽しい。美という価値観の多様性に驚いた。そして結果的には自分が日本人であることを強く自覚した。たとえば私が不完全さ、インパーフェクションを美しいと言えば、インド出身の同級生はタージ・マハルのように完璧なまでに左右対称であることが大切だと言う。とてもおもしろいと思う。自分では全く特別に思っていなかった日本人としての美意識やアイデンティティが、異なるバックグラウンドを持つ人たちには魅力的にみえることにも気がついた。

WWD:NYではいくつかのデザイナーズブランドでインターンを経験している。

サカイ:デザインチームでコレクションの組み立て方などを学んだ。印象的だったのが「3.1フィリップ・リム(3.1PHILLIP LIM)」。基本就業時間は9:30~18:00で残業はナシ。コレクション前の忙しいときでも事前に依頼があり、残れば夕方には必ず食事をとる。デザイナーズブランドには「好きだから時間もいとわず、食事もとらず」みたいなイメージがあったので驚き、いいなと思った。デザイナーのフィリップも気さくで、夕飯の和の中に入ってざっくばらんに意見交換をする。こうありたいと思った。帰国後は、デザイナーズブランドで2年間、生産管理に関わるあらゆることを学んだ。

自分の言葉を持ち自分の人生を生きている人に着てほしい

WWD:そして予定通り29歳で独立。「カナコ サカイ」を立ち上げて最初にしたことは?

サカイ:前職を退職した次の日に生地の展示会に行ったと思う。それまでチームで行ってきたことをこれからは全部ひとりで行う。その違いはあるけれどやることは同じ。

WWD:服作りで大切にしていることは?

サカイ:こだわりや理想を諦めない。服作りは本当にたくさんの工程があり、複合的。アイデア、糸の番手、パターン、縫い方、サイズ表示をつける場所、デリバリーなど、着る人に届くまでにもう本当に数え切れない工程がある。生地がよくても縫製がダメならダメだし、そこまでがよくても見せ方がダメならダメ。すべてがつながっている。やることが本当に多く私はそのひとつひとつに魂を込めている。ひとつでも手を抜いたら「カナコ サカイ」でなくなるから。

WWD:誰に着てほしい?

サカイ:それはパティ・スミス(Patti Smith)!アクティビストやフェミニスト、アーティストと言われる人にも惹かれることが多い。自分の声と言葉を持ち、自分の目でジャッジして自分の人生を生きている人たちに着てもらえるブランドになりたい。自分は自分らしくて良いのだという価値観を、ブランドを通して伝えることで、自分の思いや人の思いを尊重していける世の中になるように少しでも貢献したい。

WWD:サステナビリティという言葉をどう解釈している?

サカイ:エコロジーはもちろん大事だけど、今力を入れたいのは「産業の発展と継続、技術の継承」それと「個々人が平等であること」。私は生地にとても関心があり、ファーストコレクションの素材はすべて、日本の産地や職人と取り組んだオリジナル。その一つに浜松の生地メーカー、ナカジマさんがある。浜松産地に伝承されてきた技術を使った麻やコットンが得意で、初めて見たとき「全部好き」と思った。他には存在しないクラフトのような生地だと思う。

WWD:日本の物作りの現場や産地への強い思い入れが感じる。

サカイ:日本でファッションブランドを手がけることは、西洋由来のものを日本で作るということ。ヨーロッパの二番煎じにならないために、日本でつくる意味、日本でだからこそできることに焦点を当てブランドに付加価値をつけていきたい。ローカルでしかできない商品を提供するからこそ、グローバルで希少な価値を持ち、差別化を図ることができると思うから。だけど、いざ日本で服を作ってみると、日本のアパレル産業には様々な問題が山積みであることに気がついた。高齢化や後継者問題、日本の生地を海外でリプロダクションされ売り上げにつながらない、などなど。私が日本で物づくりを始めてから今までの短い間でも、実際様々な工場が廃業し、前まではできたことができない、と言われることが多々ある。せっかく素晴らしいものづくりをしていて、世界に認められた人や技術が沢山あっても、このまま衰退してしまっては、日本で物づくりをする私たちのようなブランドには死活問題となる。そこで、ブランドがきちんとこの課題に向き合い作り手と一緒になり発信していくことで、メード・イン・ジャパンの良さを世界に広め、産業も発展していく循環が起こることを理想とし、ブランドの目標として掲げている。

WWD:デビューコレクションは、グラデーションとタイダイの技術を掛け合わせた手染めの服が印象的だった。

サカイ:自身と同年代のデュオ“タイダイ フリーク(TIEDYE FREAK)”とのタイダイ染めだ。伝統技術だけではなく、若い職人、特に女性の職人にフォーカスしたい思いもある。男女は平等でどちらが大事とかないけど、物作りの世界は圧倒的に男性が中心だから、意識的に女性にフォーカスしたいとは思う。次シーズンも女性アーティスト、シロヤマユリカ(Yurika Shiroyama)さんとコラボレーションをする。

WWD:サステナブルな素材への関心は?

サカイ:もちろんある。今はオリジナルの生地作りに集中しているけれど、次の段階ではサステナブルな生地と組み合わせてコレクションを構成できたらと思う。

WWD:ネクストリーダーと呼ばれてどう?

サカイ:「早くないですか?」が本音だけど、私には勢いがあるかな、と思うのでみんなの道を作れるような人になりたい。

WWD:10年後の「カナコ サカイ」はどうなっている?

サカイ:うまく伝わるか不安もあるが、日本発のグローバルなメゾンブランドを作りたい、と思う。日本を拠点に日本のアイデンティティを大事にしつつ、世界中からいろいろなバックグラウンドと意見と美意識を持つ人が集まりチームとして作り上げるオープンなブランドになりたい。この場に来られなくても今ならオンラインでつながれる。人生を通じて自分が知らないことを知っている面白い人たちと出会って自分の価値観を広げてゆきたいから。


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ジェンダーの枠を越え、新たな美の表現を導く新生モデルTAIRA【ネクストリーダー2022】

 「プラダ(PRADA)」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションでデビューしたモデルのTAIRAは、新しい美の表現を導く存在になるだろう。それはTAIRAが、男性とも女性とも自覚しないジェンダー・ノンバイナリーであるだけでなく、“文化の政治学”といわれるカルチュラル・スタディーズを学んだ学生時代に培ったファッションやジェンダー、カルチャーに対する批判的な視点を武器に、社会を変える強い意志があるからだ。TAIRAは、自分が持つ“マイノリティー”な側面に注目が集まることに違和感を覚える一方で、「社会を前進させるために、この対話を続けたい」とリーダーとしての覚悟を語る。

WWD:学生時代はモデルを目指していた?

TAIRA:全然考えていなかった。小さいころはアートや建築への関心が高く、将来はクリエイティブな業界に進みたいと思っていたが、モデルは自分へのキャリアパスだと考えたことがなかった。最初にスカウトを受けたときは驚いた。ライフストーリーとして経験してもよいかもしれないと思い挑戦したが、その後、光栄なことに違うスカウトからのオファーが続いた。面白かったのは、毎回自分が女の子だと思われていたこと。「女の子ではない」と伝えると、むしろますます興味を持ってもらえたし、ファッション業界で働く友人からも「絶対に挑戦すべきだ」と背中を押された。

WWD:モデル業への迷いや恐れはなかった?

TAIRA:あまりなかったかもしれない。むしろ自分の弱みだと思っていたものが強みになるんだと新しい力に気付かせてくれた。面白い出合いにあふれ、たくさんの刺激を受けるこの世界は、仕事としてだけでなく自分を深く知ることにも貢献してくれる。最終的なゴールはまだ見えないが、今はこの与えてもらったプラットフォームを楽しみたい。

WWD:これまでファッションはどんな存在だった?

TAIRA:昔から美しいものを見たり、作ったりすることが好きで、ファッションもその延長で楽しんでいた。特定のブランドや雑誌にハマるというより、自分が美しいと思ったものを自己流に表現していたと思う。学生時代は自分を理解できていない部分が大きかったし、アイデンティティーも確立していなかったから、ファッションは自分にとってよろいのような存在だった。自分を偽るためではなく、おしゃれでいることで周りから認められ、何か付加価値を得るための手段だったように思う。同時に、センシティブでナイーブな性格だったので、周りからどう見られるかをすごく意識していた。ファッションで認めてもらいたい半面、目立ちたくはない。そのバランスをうまく取りながら自分を表現していたと思う。今でこそ撮影でスカートを着る機会があるが、プライべートで自分からはきたいとはあまり思わない。小さいころから自然に選択肢として存在していたら、きっと今ごろ普通に手を伸ばしていたと思うけど。よく“Be yourself”というが、自分らしさは一つではないと思う。もっと流動的に捉えている。最近もし自分がモデルの仕事をしていなかったら、今、どんな装いをして社会に立っているんだろうと考える。今、髪を伸ばしているのもきっとファッションの世界に身を置いているから。例えば建築家になっていたら、また違った自分だったはず。きっとこれからも環境や周りから得る影響とともに、進化し続けるのが自分にとってのファッションだと思う。

WWD:大学時代はカルチュラル・スタディーズや人種、ジェンダーなどのアイデンティティーの分野で学びを深めた。得た知識は、今の仕事にどう生かされている?

TAIRA:人々は日常生活の中で、それぞれのアイデンティティーに沿ってパフォーマンスしているという考えを学んだ。お母さんを演じる、子どもを演じる、アジア人を演じるなど。モデルの仕事にも通じることが多い。特にファッション業界は権力構造など、社会の縮図のようで面白い。男女が二分されているファッションの世界でウィメンズウエアの仕事をするときは、自分も無意識に“女らしさ”を誇張したり、より女性らしく見えるような曲線的なポージングをしたりする。世間が作り上げた“女らしさ”の再生産に加担しているように感じるときもある。必ずしも演じることが悪いわけではないし、ステレオタイプから抜け出す必要があるのかどうかも分からないけど、どうしたらもっと違う可能性を導くことができるかを常に考えている。

対立を生まない形でのアクションを起こし続けたい

WWD:一番印象に残っている仕事は?

TAIRA:たくさんあるが、挙げるとしたら初めてファッション・ウイークに参加した「プラダ」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションのショー。きっと自分はすごい経験をしたのだろうけど、どれだけすごいことだったのかは正直、今でも理解できていない。一つのショーが作られるまで、本当にたくさんの人が関わっていることに感銘を受けた。モデルはその場に行ってポーズするだけだと思われているかもしれないが、実際はそれ以上にチームの一員としての意識がある。「プラダ」で、そのプロセスに加わることができて幸せだった。

WWD:さまざまな反響があったと思う。

TAIRA:取材を受ける機会も増え、記事を読んだ全く知らない人から「インスパイアされました」とか、「感銘を受けました」といった連絡をもらった。知らない所で誰かの人生に影響を与えていると考えると、すごく光栄だし、感謝する半面、責任も感じている。

WWD:業界の多様性を推進する動きをどう見ている?

TAIRA:正直「多様性」や「ダイバーシティー」という言葉は苦手。理想は、そういった言葉で語る必要がなくなること。自分もその文脈でキャストいただくことが多いが、クライアントが多様性のメッセージを担保するために起用されたように感じてしまう場面があることも否めない。仮にそうだったとしても、ネガティブに捉えているわけではない。自分の表現がまだ美的価値観を形成途中の世代に与える影響や、新しい対話や気付きにつながる可能性があるから。世界はすでにカラフルな個性であふれているのに、それを押し殺して“ノーマル”と切り離して特別視されるのはおかしい。自分が感じていることは、社会がこれまでのコンフォートゾーンを抜け出し変化するときに生じるわずかな痛み。社会を前進させるためにこの対話を続けたい。

WWD:今後ネクストリーダーとして業界をどうけん引する?

TAIRA:多様性以外にもサステナビリティなどいろんなことに興味があり、対立や争いを生まない形でのアクションを起こし続けたい。いろんな問題があふれる現代社会で生きる個人として、さまざまな問題に対して、政治的でないと生きていけない時代だと思う。究極的には、社会に生きる全員がアクティビストでいるべきだと思うし、自分もこれからさまざまな活動を通して社会貢献していきたいけれど、今自分は自分をアクティビストとは呼びたくない。それは、その言葉が暴力性やネガティブな意味を内包する気がするから。常にオープンマインドでフレキシブルな考えで、謙虚な姿勢と感謝の気持ちを忘れずにいたい。


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障がいは“異彩” アートで社会を問い直す「ヘラルボニー」【ネクストリーダー2022】

 双子の松田崇弥代表と松田文登副代表が率いるヘラルボニーは、知的障がいのあるアーティストの作品をアパレルやインテリアに生かすブランド事業と、アート作品のデータを幅広い用途に転用するライセンス事業を行っている。立ち上げから3年が経ち、売り上げを順調に伸ばす一方で、「障がいを“異彩”と捉える新しい価値観を広げるのが目的だから、まだスタート地点にさえ立てていない」と口をそろえる。強い意志で動く彼らの背景には、自閉症の兄の存在と、兄に向けられる視線に感じる“違和感”があった。

WWD:ヘラルボニーを立ち上げた経緯は?

松田崇弥ヘラルボニー代表(以下、崇弥):僕たちには、重度の知的障がいを伴う自閉症の兄がいる。自分のリズムが乱れるとパニックを起こすこともあるが、それが欠陥とは思わず、一緒に遊び、ときには喧嘩をして、人生を共にしてきた。でも親戚からは、「かわいそうだね」「君らは兄貴の分まで生きろよ」と言われ、冷ややかな視線を向ける人がいた。そういった、障がいを“欠陥”だと捉える反応に直面するたび、いつも気持ち悪さを抱いていた。そんなある日、障がいのある人の作品を展示する岩手の「るんびいに美術館」を訪れた。障がいを持つ人のアート表現に衝撃を受けた僕は、「こういう人と何か一緒にできないか」とすぐさま弟に連絡した。互いに別の仕事をやりながら、副業として小さなブランドを始めた。

松田文登ヘラルボニー副代表(以下、文登):ブランド名は「ムク(MUKU)」。最初は、障がいのある人のアート作品を柄にしたネクタイを作った。そこから、ハンカチや傘などアイテムの幅を広げ、3年前に企業としてヘラルボニーを立ち上げた。

WWD:アート作品の展示ではなく、なぜブランドから始めたのか?

崇弥:作品を展示するだけでは、“アール・ブリュット”(美術の専門教育を受けず、思いのままに創作するアート)に興味がある人にしか届けられない。僕たちは“社会の目をどう変えるか”にチャレンジしている。“障がい”や“福祉”と聞いた瞬間に耳を塞いでしまう人や、自分とは関係ないと思う人にこそ届けたい。ブランドという傘があれば、間口が広がる。

文登:ブランド以外にも、約2000点のアート作品のライセンス事業も行っている。アートデータをアパレルやノベルティに活用してもらったり、建設現場の仮囲いに使われたり、最近は東京2020パラリンピックの閉会式でプロジェクションマッピングにも使用された。美術館やギャラリーを飛び出して、イベントや街、人々の生活にまで徐々に浸透している。

WWD:作家はどのように見つけている?

崇弥:見つけるというよりも、出会っている感覚だ。福祉施設から紹介されて出会うパターンと、自社サイトの問い合わせページで作品が送られてきて、その中で素敵だと思った人と直接やりとりして契約するパターンがある。僕らは、「障がいを持つ全員がアーティストだ」と発信したいわけじゃない。個性はさまざまあり、その中にすごく素敵な作品を描く人がいるだけ。その人たちを社会とコネクトさせるのが僕らの役割だ。今は153人と契約している。

文登:作品が面白くても、障がいの重さからビジネスにするのは困難だと思われている人もいる。たしかに半年に一度個展を開き、売買で利益を得るのは難しいが、データとして保管し、それを貸し出してライセンスフィーが入る仕組みなら、社会と無理なくつながることができる。

WWD:ライセンスや建設事業など、ビジネスの目のつけどころが鋭い。

崇弥:僕はかつて、“くまもん”のプロデュースを行う小山薫堂さんの元で働いており、ライセンスの可能性を感じていた。文登は新卒でゼネコンに入社し、「借り囲いに勝機がある」と常々語っていた。どちらも前職の強みが生きている。

文登:でも、最初から順調だったわけじゃない。toB向け事業としてライセンスの話をしても、「素晴らしいことをされていますね」で終了し、受注はほとんどなかった。それでも諦めず、銀行から融資を受けて地元の百貨店に実店舗を作ったり、商品を拡充したりと、toCに振り切って活動するうちに、露出が増えてライセンスの依頼も届くようになった。

WWD:ビジネス規模が拡大し、メディアで見る機会も増えているが、“異彩を、放て。”という企業ミッションが本当の意味で伝わっている実感はあるか?

崇弥:正直、まだまだだ。今はサステナビリティやダイバーシティー、インクルージョンといった波に乗らせてもらっているだけ。この波がなくなったときに“異彩を、放て。”のメッセージが浸透しているかどうかだ。それでも、今の環境が好機であることは事実。ブームではなく、文化になれるよう、粛々と活動を行う。

WWD:今後の展望は?

崇弥:今はアートを軸にしているが、その外にも飛び出したい。究極は、障がいのある人と出会いを創ること。「ヘラルボニー」のファブリックやインテリアに包まれたカフェで、障がいのある人が働き、そこにお客さんがくる。挨拶はできないかもしれないけど、こだわりがあるからサーブや皿洗いはすごい。それを目の当たりにすれば、障がいへの考えは大きく変わる可能性がある。何かが便利になるわけでも、誰かが楽になるわけでもない。でも、生活者の思考や価値観をアップデートできたら、それこそ本当のイノベーションだ。

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障がいは“異彩” アートで社会を問い直す「ヘラルボニー」【ネクストリーダー2022】

 双子の松田崇弥代表と松田文登副代表が率いるヘラルボニーは、知的障がいのあるアーティストの作品をアパレルやインテリアに生かすブランド事業と、アート作品のデータを幅広い用途に転用するライセンス事業を行っている。立ち上げから3年が経ち、売り上げを順調に伸ばす一方で、「障がいを“異彩”と捉える新しい価値観を広げるのが目的だから、まだスタート地点にさえ立てていない」と口をそろえる。強い意志で動く彼らの背景には、自閉症の兄の存在と、兄に向けられる視線に感じる“違和感”があった。

WWD:ヘラルボニーを立ち上げた経緯は?

松田崇弥ヘラルボニー代表(以下、崇弥):僕たちには、重度の知的障がいを伴う自閉症の兄がいる。自分のリズムが乱れるとパニックを起こすこともあるが、それが欠陥とは思わず、一緒に遊び、ときには喧嘩をして、人生を共にしてきた。でも親戚からは、「かわいそうだね」「君らは兄貴の分まで生きろよ」と言われ、冷ややかな視線を向ける人がいた。そういった、障がいを“欠陥”だと捉える反応に直面するたび、いつも気持ち悪さを抱いていた。そんなある日、障がいのある人の作品を展示する岩手の「るんびいに美術館」を訪れた。障がいを持つ人のアート表現に衝撃を受けた僕は、「こういう人と何か一緒にできないか」とすぐさま弟に連絡した。互いに別の仕事をやりながら、副業として小さなブランドを始めた。

松田文登ヘラルボニー副代表(以下、文登):ブランド名は「ムク(MUKU)」。最初は、障がいのある人のアート作品を柄にしたネクタイを作った。そこから、ハンカチや傘などアイテムの幅を広げ、3年前に企業としてヘラルボニーを立ち上げた。

WWD:アート作品の展示ではなく、なぜブランドから始めたのか?

崇弥:作品を展示するだけでは、“アール・ブリュット”(美術の専門教育を受けず、思いのままに創作するアート)に興味がある人にしか届けられない。僕たちは“社会の目をどう変えるか”にチャレンジしている。“障がい”や“福祉”と聞いた瞬間に耳を塞いでしまう人や、自分とは関係ないと思う人にこそ届けたい。ブランドという傘があれば、間口が広がる。

文登:ブランド以外にも、約2000点のアート作品のライセンス事業も行っている。アートデータをアパレルやノベルティに活用してもらったり、建設現場の仮囲いに使われたり、最近は東京2020パラリンピックの閉会式でプロジェクションマッピングにも使用された。美術館やギャラリーを飛び出して、イベントや街、人々の生活にまで徐々に浸透している。

WWD:作家はどのように見つけている?

崇弥:見つけるというよりも、出会っている感覚だ。福祉施設から紹介されて出会うパターンと、自社サイトの問い合わせページで作品が送られてきて、その中で素敵だと思った人と直接やりとりして契約するパターンがある。僕らは、「障がいを持つ全員がアーティストだ」と発信したいわけじゃない。個性はさまざまあり、その中にすごく素敵な作品を描く人がいるだけ。その人たちを社会とコネクトさせるのが僕らの役割だ。今は153人と契約している。

文登:作品が面白くても、障がいの重さからビジネスにするのは困難だと思われている人もいる。たしかに半年に一度個展を開き、売買で利益を得るのは難しいが、データとして保管し、それを貸し出してライセンスフィーが入る仕組みなら、社会と無理なくつながることができる。

WWD:ライセンスや建設事業など、ビジネスの目のつけどころが鋭い。

崇弥:僕はかつて、“くまもん”のプロデュースを行う小山薫堂さんの元で働いており、ライセンスの可能性を感じていた。文登は新卒でゼネコンに入社し、「借り囲いに勝機がある」と常々語っていた。どちらも前職の強みが生きている。

文登:でも、最初から順調だったわけじゃない。toB向け事業としてライセンスの話をしても、「素晴らしいことをされていますね」で終了し、受注はほとんどなかった。それでも諦めず、銀行から融資を受けて地元の百貨店に実店舗を作ったり、商品を拡充したりと、toCに振り切って活動するうちに、露出が増えてライセンスの依頼も届くようになった。

WWD:ビジネス規模が拡大し、メディアで見る機会も増えているが、“異彩を、放て。”という企業ミッションが本当の意味で伝わっている実感はあるか?

崇弥:正直、まだまだだ。今はサステナビリティやダイバーシティー、インクルージョンといった波に乗らせてもらっているだけ。この波がなくなったときに“異彩を、放て。”のメッセージが浸透しているかどうかだ。それでも、今の環境が好機であることは事実。ブームではなく、文化になれるよう、粛々と活動を行う。

WWD:今後の展望は?

崇弥:今はアートを軸にしているが、その外にも飛び出したい。究極は、障がいのある人と出会いを創ること。「ヘラルボニー」のファブリックやインテリアに包まれたカフェで、障がいのある人が働き、そこにお客さんがくる。挨拶はできないかもしれないけど、こだわりがあるからサーブや皿洗いはすごい。それを目の当たりにすれば、障がいへの考えは大きく変わる可能性がある。何かが便利になるわけでも、誰かが楽になるわけでもない。でも、生活者の思考や価値観をアップデートできたら、それこそ本当のイノベーションだ。

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「他人の企画には乗っからない」という風土払拭を目指す伊勢丹「リ・スタイル」バイヤー【ネクストリーダー2022】

 好敵手でもある伊勢丹新宿本店と阪急うめだ本店のほか、セレクトショップまで参画したサステナブルなアクションが3月23日に本格スタートする。三越伊勢丹と阪急阪神百貨店、岩田屋三越、エスティーカンパニー、ファッションコアミッドウエスト、そして佐藤繊維の6社による「デニム de ミライ」の発起人は、伊勢丹新宿本店「リ・スタイル」の神谷将太バイヤーだ。三越伊勢丹、中でも伊勢丹新宿本店と言えば「ONLY I」に象徴される“エクスクルーシブ”でプライドと情熱を表現してきたが、神谷バイヤーは他社さえ巻き込んだ「ファッション業界のコンソーシアム(互いに力を合わせて目的に達しようとする組織や人の集団)を作りたい」という。そのビジョンとは?

WWDJAPAN(以下、WWD):「デニム de ミライ」の経緯は?

神谷将太「リ・スタイル」バイヤー(以下、神谷):コロナ禍で時間的な余裕が少し生まれたとき、引き取り手が見つからなかった「リーバイス(LEVI’S)」501のデニム20tを検品・補修、洗い続けているヤマサワプレス(東京都足立区)を訪れた。20tのデニムの山に圧倒され、なんとかしたいと思い、その場で(誰とも話をしていないのに)「ほかの店舗やブランドと一緒に、アクションを起こします」と伝えた。常々、「自主編集ショップの概念を変えて、新しいミライを作りたい」と思っていた。さまざまな想いを繋げ、新しいサイクルを生み出す。三越伊勢丹が、そのサイクルの中心に存在できれば。「インクルーシブなつながり」と「独自性の創出」が両輪となれば、持続可能性のある関係性を構築しながら、それぞれらしく高揚感も提案できる。さまざまな商品を取り揃える百貨店らしく、仲間を増やし、そこで生まれる掛け算が発信できれば、業界を超えたメッセージにつながる。「他人の企画には乗っからない」という業界の風土を払拭したい。

WWD:社内も、社外も、説得は大変ではなかったのか?

神谷:グループ店の岩田屋を除き、阪急と地方のセレクトには直接赴いた。長らくファッション業界にいるから、「壁を超えるのは大変」だと分かっていた。でも、「オワコン」と呼ばれるビジネスだからこそ、その壁を取っ払いたかった。自分たちも含め、どのショップもコロナでうまくいっていない。だからこそ足を運び、ゆっくり話して、「良いニュースを発信しよう」と伝え、共感していただいた。競合他社との取り組みは前例も少なく、社内の巻き込みには苦労した。社内にだって垣根はあったし、これまで他のバイヤーの企画には乗りづらい雰囲気もあった。でも、同年代(30代中盤)のバイヤーが増え、「デニム de ミライ」は自然発生的に広げられるようになっていた。皆、「このままでは、業界全体が廃れてしまう」と常々考えているからこそ、社内も社外も一丸となれた。意義を共有する過程は、苦労したけれど、楽しかった。

WWD:結果、「デニム de ミライ」プロジェクトは、50以上のブランドから集まった150型以上のビンテージデニムのアップサイクルを6つの店舗がそれぞれ選び販売する。

神谷:「リーバイス」にも正式な承認をいただき、デザイナーの卵とも協業する。ただ、販売する商品とメッセージの伝え方は独自でいい。各社の現状は異なっている。強いところを伸ばすのが、業界全体の底上げと、各社の利益や価値づくりの双方への貢献だろう。地方セレクトとの協業には、発見も多かった。地方のセレクトは、買い付けの段階でお客さまの顔が浮かぶ。精度が違った。

WWD:これからの夢は?

神谷:高いレベルのディレクションや場の確保、ブランディング、百貨のコラボレーションなど、三越伊勢丹と協業する理由は色々提案できると思うが、コンソーシアムは、三越伊勢丹だけがリーダーじゃなくても良い。ファッション業界に存在する大きな社会課題に対して、誰かが出会ったリソースをできるだけ多くの人たちで受け止め、向き合い、解決に向けて行動したい。


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「他人の企画には乗っからない」という風土払拭を目指す伊勢丹「リ・スタイル」バイヤー【ネクストリーダー2022】

 好敵手でもある伊勢丹新宿本店と阪急うめだ本店のほか、セレクトショップまで参画したサステナブルなアクションが3月23日に本格スタートする。三越伊勢丹と阪急阪神百貨店、岩田屋三越、エスティーカンパニー、ファッションコアミッドウエスト、そして佐藤繊維の6社による「デニム de ミライ」の発起人は、伊勢丹新宿本店「リ・スタイル」の神谷将太バイヤーだ。三越伊勢丹、中でも伊勢丹新宿本店と言えば「ONLY I」に象徴される“エクスクルーシブ”でプライドと情熱を表現してきたが、神谷バイヤーは他社さえ巻き込んだ「ファッション業界のコンソーシアム(互いに力を合わせて目的に達しようとする組織や人の集団)を作りたい」という。そのビジョンとは?

WWDJAPAN(以下、WWD):「デニム de ミライ」の経緯は?

神谷将太「リ・スタイル」バイヤー(以下、神谷):コロナ禍で時間的な余裕が少し生まれたとき、引き取り手が見つからなかった「リーバイス(LEVI’S)」501のデニム20tを検品・補修、洗い続けているヤマサワプレス(東京都足立区)を訪れた。20tのデニムの山に圧倒され、なんとかしたいと思い、その場で(誰とも話をしていないのに)「ほかの店舗やブランドと一緒に、アクションを起こします」と伝えた。常々、「自主編集ショップの概念を変えて、新しいミライを作りたい」と思っていた。さまざまな想いを繋げ、新しいサイクルを生み出す。三越伊勢丹が、そのサイクルの中心に存在できれば。「インクルーシブなつながり」と「独自性の創出」が両輪となれば、持続可能性のある関係性を構築しながら、それぞれらしく高揚感も提案できる。さまざまな商品を取り揃える百貨店らしく、仲間を増やし、そこで生まれる掛け算が発信できれば、業界を超えたメッセージにつながる。「他人の企画には乗っからない」という業界の風土を払拭したい。

WWD:社内も、社外も、説得は大変ではなかったのか?

神谷:グループ店の岩田屋を除き、阪急と地方のセレクトには直接赴いた。長らくファッション業界にいるから、「壁を超えるのは大変」だと分かっていた。でも、「オワコン」と呼ばれるビジネスだからこそ、その壁を取っ払いたかった。自分たちも含め、どのショップもコロナでうまくいっていない。だからこそ足を運び、ゆっくり話して、「良いニュースを発信しよう」と伝え、共感していただいた。競合他社との取り組みは前例も少なく、社内の巻き込みには苦労した。社内にだって垣根はあったし、これまで他のバイヤーの企画には乗りづらい雰囲気もあった。でも、同年代(30代中盤)のバイヤーが増え、「デニム de ミライ」は自然発生的に広げられるようになっていた。皆、「このままでは、業界全体が廃れてしまう」と常々考えているからこそ、社内も社外も一丸となれた。意義を共有する過程は、苦労したけれど、楽しかった。

WWD:結果、「デニム de ミライ」プロジェクトは、50以上のブランドから集まった150型以上のビンテージデニムのアップサイクルを6つの店舗がそれぞれ選び販売する。

神谷:「リーバイス」にも正式な承認をいただき、デザイナーの卵とも協業する。ただ、販売する商品とメッセージの伝え方は独自でいい。各社の現状は異なっている。強いところを伸ばすのが、業界全体の底上げと、各社の利益や価値づくりの双方への貢献だろう。地方セレクトとの協業には、発見も多かった。地方のセレクトは、買い付けの段階でお客さまの顔が浮かぶ。精度が違った。

WWD:これからの夢は?

神谷:高いレベルのディレクションや場の確保、ブランディング、百貨のコラボレーションなど、三越伊勢丹と協業する理由は色々提案できると思うが、コンソーシアムは、三越伊勢丹だけがリーダーじゃなくても良い。ファッション業界に存在する大きな社会課題に対して、誰かが出会ったリソースをできるだけ多くの人たちで受け止め、向き合い、解決に向けて行動したい。


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羽生結弦ら五輪出場5選手の衣装を担当 デザイナー伊藤聡美に聞くフィギュア衣装制作の裏側

 ウィンタースポーツの花形競技の一つであるフィギュアスケート。北京冬季五輪でも、団体戦での日本チーム銅メダル獲得に心を踊らせ、これから始まる個人戦も固唾を飲んで見守るというファンは多いだろう。選手の演技を引き立てる存在として、フィギュアに欠かせないのがきらびやかな衣装だ。フィギュア衣装の分野で、現在ぐんぐん存在感を高めているのがデザイナーの伊藤聡美さん。今回の北京大会でも、3連覇の期待がかかる羽生結弦選手を始め、鍵山優真選手、樋口新葉選手、アイスダンスの小松原美里選手・尊選手という注目選手陣の衣装を手掛けている。伊藤さんに、衣装デザイナーを目指した経緯やその醍醐味について聞いた。

WWD:いつからフィギュアスケートの衣装デザイナーを目指すようになったのか。

伊藤聡美デザイナー(以下、伊藤):もともと衣装デザインを専門でやりたいと考えていたわけではありません。服飾科のある高校に進学して、パリやミラノコレクションを特集した雑誌を見るようになって感じたのが、「服でこんな表現もできるのか!」ということ。「私もこういう服を作る側に回りたい」と思ったのがデザイナーを目指した原点です。高校卒業後はファッション専門学校のエスモードジャポンに進学しました。他にも候補の学校はありましたが、エスモードの学生が作っているものが一番“尖っている”印象を受けたんです。当時はモード、特にクチュール(オートクチュール。顧客一人一人に合わせて仕立てる高級注文服のこと)の表現に興味がありました。憧れていたデザイナーは、故アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)やジョン・ガリアーノ(John Galliano)です。

WWD:エスモード3年時には、英国のノッティンガム芸術大学に留学している。

伊藤:神戸ファッションコンテスト2008に入賞し、副賞として留学することになりました。そのままヨーロッパのメゾンで仕事をしたいと思っていましたが、滞在ビザの問題もあって残念ながらその夢は叶わず帰国することに。日本での就職を考えたけれど、日本の一般アパレルブランドや会社で自分が入りたいと思うようなところがない。そのとき頭に浮かんだのが、フィギュアスケートの衣装デザイナーです。元々フィギュア自体はすごく好きで、エスモード時代から試合を見るために仙台などへ“遠征”していたので、当時の先生や友達は「あの子のフィギュア熱はヤバい」と感じていたと思います(笑)。そんなに好きだったのに、それまでは衣装デザインという視点で考えたことがなかったんです。それで(バレエやフィギュアの衣装を手がけるダンス衣料大手の)チャコットの採用試験を受けました。面接の最初の段階から「フィギュアの衣装がやりたい」とアピールしていましたね。

WWD:チャコットでは念願のフィギュア衣装を担当し、4年後に独立している。大きな会社を離れることに不安はなかったのか。

伊藤:独立したら仕事の依頼が来ないんじゃないかという不安はもちろんありました。ただ、会社員のままだと、自分が手掛けた衣装も自分のデザインではなく、会社のデザインになってしまう。チャコットでは非常に多くのことを学ばせていただきましたが、どうしてもそこに葛藤があったんです。独立してからは仕事につなげるために積極的に営業をかけるようにしており、それは今も続けています。選手の拠点となっているスケートリンクに電話をして、まずはコーチにアプローチする。そうすると「とりあえず見たいから、何着か持ってきて」と言ってくださる方も多いんです。一番最初に衣装を持って行ったのが今井遥選手(18年に現役引退)のところでした。偶然持って行った衣装を今井選手やコーチがとても気に入ってくださり、採用していただけた。そこから口コミで他の選手にも広がっていきました。フィギュアは狭い世界なので、口コミが大事。選手のお母さんが自分の子どものために衣装を作っていて、それが評判を呼んで他の選手からも制作依頼が入るといったケースも多い中で、服飾を専門的に学んで、企業デザイナーをしていたという私のような経歴は非常に珍しがられます。

五輪シーズンは60〜70着を制作
納品後も修正が続く

WWD:1シーズンに何人の選手に合計で何着ほど制作しているのか。

伊藤:制作を手掛けている選手は、ジュニアの方なども含めて30〜40人ほど。1シーズンに少なくとも40〜50着は作ります。今年は五輪シーズンなのでもっと多く、60〜70着は作りました。五輪シーズンは試合会場となるスケートリンクの座席や広告の色、ライバル選手の衣装の色などに合わせて臨機応変に対応すべく、1つのプログラムで複数の衣装を作る選手が多いためです。

WWD:実際にどのようなスケジュールでデザインを決定し、制作していくのか。

伊藤:選手から制作の依頼が届くのが毎年4〜5月ごろ。依頼の時点でコレクション画像の切り抜きなどを添えて「こんなデザインがいい」とおっしゃる方もいますし、音楽データや振り付けの動画だけを渡されて「あとは伊藤さんのイメージで」とおっしゃる方もいます。デザイン画を2〜3枚提出してデザインを決定、1カ月後に仮縫いをします。納品は仮縫いから1〜2カ月後。早い選手は8〜9月から試合が始まるので、それに間に合わせなければいけません。動きやすさなどを追求し、仮縫いを3回、4回と繰り返す選手もいます。また、納品したらそこで終わりというわけではなく、自身の試合の動画を見た選手から「装飾を足したい」などの依頼が入り、試合ごとに修正を重ねるケースもあります。シーズン最盛期に向けて選手の体はどんどん絞られてくるので、サイズを詰めることも必要になります。

WWD:衣装をデザインする上で気をつけているのはどのような点か。

伊藤:例えば女子選手にはスピンが得意な方が多いので、回ったときにスカートが花びらのようにきれいに広がることを意識しています。また、スタイルがよりよく見えるように、スカートのサイド部分を短くするといったこともあります。あまり知られていませんが、フィギュアスケートは女子選手もパンツスタイルでの演技が規定として認められています。脚のラインが逆に強調されるので日本の選手にはあまり選ばれませんが、もっと衣装のデザインやスタイルのバリエーションを増やしていければと、デザイナーとして思っています。パターンと縫製は個人でやっている方に外注していて、エアブラシなどでの染色やクリスタル装飾や刺しゅうは私がアトリエで1つずつ行っています。1着あたりの価格は、ジュニアの選手なども含めた平均で20〜30万円ほどです。

選手にコーチ、振付師、親
皆の意見を合わせるのが大変

WWD:通常の服とは違う、フィギュア衣装デザインの醍醐味や、苦労するポイントはどんなところか。

伊藤:全て1点もので、それを選手が着て活躍している姿を試合会場やテレビで見ると、やはり何ものにも代え難い感動があります。引退する選手から「もっと伊藤さんに衣装を作ってもらいたかった」というメッセージをいただいたこともあり、胸がいっぱいになりました。一方で、制作は私と選手の間だけでのやり取りで進むものではなく、実際には選手の周りにはコーチがいて、振付師の方がいて、親御さんがいて、というように関わる人がとても多い。皆の意見をすり合わせていくことがなかなか大変です。先ほど言ったように納品したらそれで終わりではないし、出来上がった衣装が「やっぱり着てみたら違った」となって、一から作り直すケースも特に五輪シーズンは少なくありません。それだけ五輪は選手にとって特別な大会です。

WWD:北京五輪に出場する選手に限っても、羽生選手は7年、樋口選手は5年、小松原組は2年間衣装制作を手掛けており、選手からの信頼は厚い。鍵山選手を手掛けるのは今年からだが、五輪シーズンから任されるということも信頼の表れだろう。

伊藤:長い期間ご一緒するようになると、意思疎通もしやすくなり、選手やそのチームにとっても安心感があるんだと思います。フィギュアが大好きなので、これからもフィギュアの衣装デザインは核として続けていきたいと思っています。同時に、バレエや新体操の衣装デザインの仕事ももう少し増やしていきたい。いつか、バレエ団の衣装を丸々デザインするのが夢です。

WWD:伊藤さんのようなフィギュア選手の衣装デザイナーに憧れる、デザイナーの卵たちにメッセージを。

伊藤:「どうやったらフィギュアの衣装デザイナーになれますか?」という質問や「インターンをさせてください」といった依頼を、実はインスタグラム経由などでよくいただきます。服飾専門学校生の場合もありますが、高校生や一般の会社員の方からのケースも多いです。「衣装デザイナーになるには絶対この道」というものはありませんが、個人的な考えとして、私は服飾の基礎はやはり学んだ方がいいと思う。私自身、基礎を学んできた背景があるので、何かあったときはパターンも縫製も自分で対応できますから。服飾専門学校の側も(衣装デザインのコースなどを設けているところは多くはないが)、世の中にこういったニーズがあることは知っておいてもいいんじゃないかなと感じます。

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ドレイクも認めたカルトブランド “預言者”西本克利ディレクターの素顔

 ラッパーのドレイク(Drake)や、故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)、アーティストのトム・サックス(Tom Sachs)ら世界的著名人が着用した、知る人ぞ知る日本のファッションブランドが「ニシモト イズ ザ マウス(NISHIMOTO IS THE MOUTH)」だ。迫力ある顔写真とロゴがプリントされたTシャツ(税込8800円)やロングスリーブTシャツ(同1万4300円)などがオンラインを中心に反響を呼び、現在はGR8(グレイト)やビームス(BEAMS)、ビーセカンド(B'2ND)など国内のセレクトショップをはじめ、アメリカやカナダ、ニュージーランド、韓国など海外にも販路を広げている。

 勢いを増す同ブランドのディレクターを務めるのは、Tシャツのアイコン、顔から足先まで全身トライバルタトゥーの西本克利。著名人たちを魅了したのは、一体どんな理由なのだろうか。謎多き42歳に、自身のルーツや全身タトゥーの理由、クリエイティブに対する信念について聞いた。

WWD:「ニシモト イズ ザ マウス」立ち上げのきっかけは?

西本克利(以下、西本):アパレルブランドでデザイナーをしている仲間と、画家の中村譲二さんとの3人で、2017年に「ニシモト イズ ザ マウス」を立ち上げました。ブランドコンセプトは架空のカルトクラブ。“赤ん坊は神であり、西本はその声を聴ける唯一の存在。西本は口である”という意味で、このブランド名をつけました。もともとは内輪の趣味でTシャツを作って、友人だけに配っていたのが、19年にアパレルブランドを退職したことをきっかけに本格的に活動するようになりました。

WWD:ドレイクやヴァージル・アブローらがTシャツを着たことで話題になりましたね。

西本:メンバーのデザイナーが、ドレイクの幼なじみである音楽レポーターのマット・バベル(Matte Babel)と友人で、彼にTシャツをプレゼントしたらドレイクも欲しがってくれたんです。いろんな場所で着てくれたおかげでブランドの認知度も上がり、ヴァージルやトム・サックスらも興味を持ってくれました。

マイナーな価値観に対する変化

WWD:インディペンデントなプロジェクトを、彼らのようなオーバーグラウンドで活躍する人たちに注目されるのはどう感じましたか?

西本:素直にうれしかったです。20代のころはマイナーな存在でいることに価値があると思っていたけれど、自分でブランドを始めてからは、オーバーグランドとアンダーグラウンドの両方にアプローチできるのが一番かっこいいと考えるようになりましたね。昔なら媒体のインタビューも断っていたと思いますが、今は自らが表舞台に立って発信する時代。肩書きや年齢関係なく、僕自身の思想や哲学に共感してくれたらうれしいですね。

WWD:昨年11月に初めてLAの「コンプレックスコン」に参加したそうですが、年齢を重ねると新しいことにチャレンジするのが不安になりませんか?

西本:コロナ禍というみんなが落ちこんでいる時期だからこそ、やりたいことや楽しいことを発信しないといけないと思い、足を運びました。そこで改めて感じたのは「何歳からでもチャレンジはできる」ということ。展示会場に訪れてくれた人たちからも反響があり、自信につながりました。“出る杭は打たれる”ということわざがあるように、日本はまだまだ閉鎖的なところがあると思います。例えば、若い子が新しいことを始めようとすると、大人はそれを止めようとするじゃないですか。僕は今42歳ですが、アメリカでは年齢や環境関係なく単純にその人に賛同できたら応援してくれるので、現地の人たちのその姿勢に心を突き動かされましたね。

背中を押してくれた恩人

WWD:西本さんの言葉からは「覚悟」を感じますが、その覚悟はどこから?

西本:やっぱりタトゥーですね。僕は一度その世界に踏み込んだら突き詰めるタイプなので、入れるなら100か0という強いポリシーがあります。だからタトゥー同様に「ニシモト イズ ザ マウス」もやるからには全力で取り組んでいきたいんです。「服は白しか着ない」「タクシーには乗らない」など、僕は“預言者”というペルソナを体現し、それも人生の一部として捉えています。

WWD:全身タトゥーという外見で苦労したことは?

西本:14歳の時に「どのくらい痛いんだろう?」と興味本位で入れたのがはじまりです。街や電車に乗るとジロジロ見られることもあるので、一時期は悩んだこともありました。そんなとき、尊敬している先輩のスケシンさん(スケートシング『C.E』デザイナー)が「西本くんは最先端のことをやっているんだから、自分を恥じることはない。周りの声を気にしなくていいんだよ」と言ってくれたんです。その言葉に背中を押されて、“タトゥー=自分”というキャラクターを作ることができました。さまざまな意見に左右されるよりも、前へ積極的に進むために注力したいと思えるようになりましたね。

WWD:SNSではそのルックスに対して賛否両論も多いのだとか?

西本:以前、顔面タトゥーを特集した海外のインスタグラムのアカウントに載った際、国内外で賛否両論でした。「最高にかっこいい」という意見がある一方で、「こいつ似合っていない」などの否定的な意見もありました。でもヘイターはありがたい存在です。その人たちなりに僕のことを考えて、文字にする時間を費やしてくれたわけですから。今ではそんな意見も愛情の一つとして受け入れられるようになりました。こんな風に寛容な気持ちになれたのは、スケシンさんをはじめ、同じ価値観を共有できる仲間とコミュニティからの強い言葉と支えがあったおかげですね。

WWD:今後のプロジェクトは?

西本:次のシーズンは仮想通貨をテーマに、NFTをやる予定です。AIを使って僕と対話できるアートを商品化します。5月からはユーチューブもスタートしますよ。今は撮り溜めしているところですが、チャンネルではブランドとしてではなく、西本克利という個人の内容を配信していきます。ほかにもパジャマブランド「ノウハウ(NOWHAW)」やアーティストの加賀美健さんとのプロジェクトも控えているので、楽しみにしていてください。

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牛乳石鹸とスノーボードの知られざる関係 パラスノーボーダー岡本圭司選手をケガを越えサポート

 2月を迎え、ウィンタースポーツ最盛期!北京冬季五輪も開幕し、競技観戦を連日楽しみにしている人も多いだろう。ウィンタースポーツの中で人気が高いものの一つがスノーボードだが、ファッション&ビューティメディアの「WWDJAPAN」は、石鹸やシャンプーを扱う老舗企業の牛乳石鹸共進社と、スノーボードとのあまり知られていない関係性に注目。同社は北京冬季パラ五輪に出場する岡本圭司選手をケガを越えてスポンサードしているだけでなく、毎年スノーボードの大会を開催。長野・白馬のスキー場では、パーク(キッカー=ジャンプ台などが設置されたゲレンデのこと)の運営に協賛している。板やウエアのメーカーではない同社が、スノーボードの市場振興に浅からぬ貢献をしているのは一体なぜ?仕掛け人に聞いた。

WWD:牛乳石鹸共進社は創業110年超。石鹸やボディーソープ、シャンプーなどの老舗メーカーとスノーボードはやや縁遠く感じるが、選手のサポートや市場の活性化に注力しているのはなぜか。

宮崎清伍・牛乳石鹸共進社コーポレートコミュニケーション室課長(以下、宮崎):今から10年ほど前、当社の商品の客層分析を行った際に、ロイヤルユーザーが高齢化しているというデータが出た。20〜30代の認知度が低く、抱いたのが「このままではブランドが忘れ去られてしまう」という危機感。それで若年層向けのPRを強化しようという話になったが、当社にはテレビCMを作るような資金力はない。何か方法はないかと考えたときに、ややマイナーなスポーツの選手やそのスポーツ自体をサポートするのがいいんじゃないかということになった。スポーツをした後はシャワーで汗を流すため、石鹸とスポーツは親和性も高い。

WWD:北京パラ五輪出場選手であり、スノーボーダーやスキーヤー向けのSNSアプリを開発するなど、スノー業界のインフルエンサーでもある岡本圭司選手とは、どんな経緯で契約したのか。

宮崎:契約は 2013年。僕自身、若いころに個人的にスノーボードのサークル活動をしており、プロとしてまだ駆け出しだった岡本選手に、友達づてでサークルのツアーにインストラクターとして来てもらっていた。そのころからの縁だ。契約当時、岡本選手は競技活動よりムービーを撮影してスノーボードをカルチャーとして広めることに重きを置いていて、岡本選手を通して若年層とカルチャーでつながっていける点もマーケティング的にいいなと思った。他の横乗り系スポーツも候補として考えたが、スノーボードは他競技に比べてプロと一般客が一緒になって雪山で楽しめるため距離感が近く、ファミリー層にもリーチしやすい。そこが魅力的に映った。

WWD:岡本選手は15年に撮影中の大事故で下半身不随を宣告されてしまう。そこからの驚異的な回復やパラスノーボーダーとしての競技復帰は後になってドキュメンタリー番組でも取り上げられ、今では知っている人も少なくないが、スポンサー企業としては、事故直後に契約を切る選択肢もあったのでは。

宮崎:もちろんそういう話は社内でもあった。ただ、僕は事故直後から岡本選手がまた滑れるようになると信じていたし、当社の企業理念は「ずっと変わらぬ やさしさを。」だ。怪我をしたからって、本人が一番辛くて不安な時期に契約を切るのは「ずっと変わらぬやさしさ」ではない。そう社内を説得した。また、競技者としてではなくカルチャーの発信者として契約をしていたから、怪我をしてもスポンサーを続けやすかったという面もある。岡本選手を信じてずっと応援してきたが、パラ五輪に出場するほどまでになったことについては、うれしいと同時に非常に驚いている。

WWD:岡本選手らとのライダー契約以外に、「カウデイ(COWDAY)」というスノーボード大会も15年から毎年開催し、白馬のスキー場(白馬47ウィンタースポーツパーク)ではパーク運営に協賛している。

宮崎:岡本選手がスノーボード業界全体を盛り上げたいという思いが強く、当社もその思いに共感している。スノーボード市場がもっと盛り上がっていた時代は、国内でも「トヨタ・ビッグ・エア」や「エクストレイル・ジャム」といった大型スポンサーのついた大会があったが、今はほんの一握りのトップ選手向けの競技連盟主催の大会を除くと、国内大会は数えるほどしかない。大会という魅せる場がないことは、プロライダーにとってもアマチュアにとっても残念だ。僕も長く滑っているので分かるが、この業界はプロライダーといっても資金が潤沢ではなく、スキー場でアルバイトをしながら滑っている子も多い。そういうライダーの環境が少しでもよくなるように、力になれればと思っている。コロナ禍で昨年の「カウデイ」は映像審査にしたが、大阪・梅田のど真ん中にパークを設置して開催した年(19年)もある。そのときは3日間で1万人近い来場があり、雪山に行かない層にもリーチできた。白馬47のパークの協賛は14年から継続している。このスキー場はスノーボーダーに人気で、プロのライダーもよく滑りに来る場所。彼らのユーチューブなどに必ず当社の広告が映り込むので、協賛効果は高いと思っている。

WWD:選手や業界全体をサポートすることで、当初狙っていた20〜30代の認知アップは達成できたのか。

宮崎:岡本選手との契約後、公式フェイスブックの友達でスノーボーダーが一気に増えた。大会などで地道な商品サンプリングを続けている効果もあってか、直近の調査でも20〜30代の男女でブランド認知は徐々に上がってきている。若年層へのPRとして一定の効果はあると思っている。「スポーツメーカーでもないのになぜスノーボード?」と思われることは多いが、スキー競技だと不動産関係や食品メーカーなどもスポンサーになっている。

クライミングで一躍人気
野口、野中両選手とも契約

WWD:スノーボードだけでなく、実は東京五輪で一気に注目度が上がったスポーツクライミングの野口啓代選手(女子複合銅メダル)、野中生萌選手(同・銀メダル)とも長らく契約している。

宮崎:僕がクライミングジムに通っていた時期があって、クライミングをする女性にすごくきれいな人が多いことにマーケティング的に注目していた。それで、クライミングは当時は今ほど注目されていないスポーツだったが、今後絶対人気が出ると確信し、15年に野口選手、16年に野中選手と契約した。会社としてどうせ同じお金を出してスポーツのスポンサーをするなら、資金が潤沢でなく、やりたいことがやれていないジャンルを応援したい。既に資金が豊富なメジャースポーツにはあまり興味がない。ほかにも、大阪のママさん卓球をサポートしているし、直近では滋賀の近江神宮で毎年開催されている「競技かるた名人位・クィーン決定戦」のスポンサーにもなった。競技かるたは映画「ちはやふる」で知名度を高めたが、スポンサーは少ない。ややマイナーなジャンルを長らく応援していくことで、そのコミュニティーの人が「牛乳石鹸が好き」と言ってくれるようになる。これはスノーボードと同じだ。

WWD:五輪などの大きな大会で契約選手が活躍すると、商品の売り上げにも直接はね返ってくるのか。

宮崎:(五輪の公式スポンサーではなく、選手が五輪で活躍しても直接的なキャンペーンを行うことができないため)東京五輪後も売り上げに大きな変化はなかった。そもそも、石鹸はどんなときも比較的ニーズが安定している商品だ。景気の良し悪しやイベントの有無によって、人が手を洗ったり、風呂に入ったりする回数が変わることはない。ただ、契約選手が活躍すると社内の士気はものすごく上がる。東京五輪後に、野口、野中両選手に会社に来てもらったが、「あの2人をサポートしている企業であることが誇らしい」と感じてくれた社員は多かったようだ。もともと、社内の部活動としてマラソン部やフットサル部、テニス部などがあって、福利厚生の一環として会社から部費も支給されている。スポーツ好きな社員が少なくない企業風土だ。

WWD:クライミングの2選手を青田買いしたように、今後人気が出るスポーツを見極める“目利き”として、現在注目しているスポーツジャンルはあるか。

宮崎:いま会社としてサポートしているのが、スノーボードにしろクライミングにしろ秋から冬にかけて盛り上がるものが多い。季節のバランスを取るために、春から夏にかけてのスポーツで何かいいものがないかと探しているところだ。(売り上げに直接はね返ってくることは少なくても)選手やスポーツをサポートしていくことで、草の根的に牛乳石鹸を知ってくださる方が増えたり、今回のように取材を申し込まれる機会があったりする。そこから、「ずっと変わらぬ やさしさを。」というわれわれの理念が広がっていけばいいなと思っている。

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HappinessのSAYAKAがブランド始動 低身長の女性に向けたモード服

 LDHのガールズグループHappinessのメンバーSAYAKAは、自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるファッションブランド「シリウスエイティーワン(SIRIUS+81)」を立ち上げた。公式ECサイトで予約販売中だ。自身が153cmと小柄なことから、低身長の女性に向けたアイテムを提供する。ファーストコレクションは、セットアップ(ジャケット1万2650円、パンツ9900円)やワンピース(9900円)、プルオーバー(7040円)などのほか、アクセサリーやシューズを含む23型を用意した。SAYAKAにブランドにかける思いを聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げた経緯は?

SAYAKA:小さいころから服が大好きで、ファッション関係の仕事に興味がありました。アーティストとして活動する限り、ファッションに関わることは無理だろうと諦めていましたが、2018年には「ムルーア(MURUA)」とコラボして、自分が手掛けた服をファンに届ける機会をいただきました。20年にはLDHアパレル(LDH APPAREL)の「24カラッツ(24KARATS)」ともコラボしました。そのときに一緒に仕事をした人が、私がものづくりにこだわる姿を見て、ブランドを立ち上げてみないかと提案してくれたんです。これは本気で取り組みたいと思い、去年1年間かけてファッションデザインと色彩に関する資格を取りました。

WWD:「シリウスエイティーワン」の強みは?

SAYAKA:世の中にはかわいい服がたくさんあります。私だから発信できるものでないと手に取ってもらえません。私は身長が153cmで、普段から服はお直しして着ることが多く、バランス感にも気をつけてコーディネートしています。低身長の人たちの中には、おしゃれを諦めている人も多い。私の感覚をアイテムに落とし込むことができたら、サイズ感に悩む人たちに寄り添えるのではないかと考えました。低身長の人は、かわいい印象を持たれがち。モードを軸にする「シリウスエイティーワン」では、私が憧れるクールで強い女性像に近づけるアイテムを提案したいです。

WWD:SAYAKAさんは身長をコンプレックスに感じることもある?

SAYAKA:アーティストとして、身長をネックに感じたことはありません。周りで悩んでいる人の声を聞くと、もっと自分のスタイルを楽しんでほしいのにと強く思います。“Sサイズモデル”のような、小柄な人が参考になるスタイリングを発信する存在になりたいです。

WWD:ブランド名の由来は?

SAYAKA:“sirius”は最も明るいといわれる星の名前から取りました。出身地の宮城県は、星がとてもきれいに見えるんです。星のように小さくても輝いてほしいという思いを込めました。あえて小文字で表記している点もポイントです。“+81”は、国際電話の日本の国番号です。日本発であるという原点を忘れないように、そしていつか日本を代表するブランドになりたいという願いで名付けました。

WWD:ファーストコレクションへのこだわりは?

SAYAKA:私は日々いろんなジャンルの服を着ます。ファッションで自分のさまざまな表情を引き出すのが楽しいんです。「シリウスエイティーワン」でも、カジュアルなアイテムから少しフォーマルな印象のものまで、幅広く用意しました。また、1着でたくさんの着方ができ、レイヤードしやすいようにこだわりました。例えばジャケットの生地は、ほかのアイテムと合わせやすい色味を厳選しました。色や柄はちょっとのブレがあると、理想の合わせ方と全然違ってしまうので、期日ギリギリまで何度も試作を繰り返しました。袖のスリットから腕を出して着たり、丈が長いのでワンピース風に着たりもできます。カントリースタイルのブーツは、足のラインがきれいに見える幅や丈を調整しました。美脚ブーツは受注会初日で売り切れるほど好評で、今後シリーズ化する予定です。ユニセックスのプルオーバーやTシャツも人気で、受注会では男性のお客さまからも好評でした。

WWD:今度ブランドをどのように広めていく?

SAYAKA:販路はECがメインですが、地方も含めていろんな場所で受注会を開催したいです。実際に商品を手に取ってくれたお客さまからはたくさんフィードバッグをもらいました。リアルな意見を取り入れながら、改善していきます。ファンの皆さまはもちろん、単純にファッションが好きな人、サイズが合う服が見つからなくて困っている人たちに広く届いてほしいですね。

WWD:SAYAKAさん自身の今後の目標は?

SAYAKA:私は今年で27歳になります。ブランドを始めることができ、小さいころに漠然と描いていた夢を実現できる年齢なんだなと実感しています。これからはやりたいと思ったことにますます果敢に挑戦するつもりです。次は、ブランドとしてもアーティスト個人としても、海外を目指してがんばります。

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「ビームス」設楽社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.5

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第4回は、「ビームス(BEAMS)」の社長で、ファッションやカルチャーを通じて世界にハッピーを届ける設楽洋社長に話を聞いた。

WWD:設楽社長のキャリアのスタートは?

設楽洋ビームス社長(以下、設楽):僕はもともと、アーティストやミュージシャンといった、一芸に秀でたクリエーションに関わる人々に強い憧れがあった。自分もそうなりたいと思っていたし、実際に絵や音楽、スポーツなど割と器用に何でもできるタイプだったけど、やっぱりトップの人にはかなわない。そこで、プロの人を集めて何かを生み出すプロデューサーも一種のクリエイターだと考え、まず広告の世界に入った。学校を卒業した1975年に電通に入社して、その1年後には「ビームス」の創業に参画した。最初は「ビームス」だけで食える状況ではなかったので、足掛け7年両方の仕事をするような生活だった。当時は「24時間働けますか」という時代で、早く仕事を覚えたい一心で、下っ端のイベントプロデューサーとしてがむしゃらに働いた。

WWD:当時、周りの同僚に比べて自分はこれは負けないと思っていたことはあった?

設楽:早く一人前になりたいという気持ちは人一倍強かったと思う。業界では、どれだけ面白いアイデアがあっても、「あなたいくつですか?」と経験値が問われる。それがすごく嫌で、早く30歳を越えたかった。だから一生懸命、経験がありそうな格好をして、メッキを張って自分を大きく見せていた。例えば、会話の中で知らない言葉が出てもその場では分かったフリをして、その後に必死に調べた。メッキが剥がれる前に、知識を自分のものにする努力をした。当時はモノと情報がなかった時代。何かを調べるためには、訳知りの人や優れた人に直接会って情報を集めるしかなかった。仕事もしたけど、よく遊んで、いろんな業界の人に会い、たくさんのことを教えてもらった。

WWD:その経験がゆくゆく武器になった。

設楽:電通のプロデューサー時代も、ビームスを始めた時もさまざまな分野をかじっていたことが武器になった。僕は、店作りは総合芸術だと思う。商品のほか、インテリアや音楽を考えたり、販売スタッフをどう役者として立てるかも考えたりする。商品関係の人、インテリアデザイナーの人、スタッフを教育する人、さまざまな立場の人と話ができなければ、プロデューサーはできない。広く浅くいろんなプロたちと話ができる技術が大切だ。

今も昔も時代が変わる現場に立ち会うことが好き

WWD:好奇心と行動力は持って生まれたもの?それとも誰かに鍛えられた?

設楽:小さいころから、何でも興味津々だった。僕は新宿生まれだったから小・中学校のころは、夜に家を抜け出して歌舞伎町の街を見に行ったりするような子どもで、混とんとした文化の現場を見たいという興味が強かった。昔から何が時代を動かしているのかを観察し、時代が変わる現場に立ち会うことが好きだった。仕事でもそういうことが起こりそうな場所には、担当関係なしに先輩に頼み込んで、お荷物のように顔を出した。今でもそうだが、無名のころから行きたい場所に行く、会いたい人に会うことに関しては貪欲だった。まだドルが360円の時代にアメリカに憧れて、どうにかアメリカの雰囲気を味わうために、米軍キャンプに忍び込む方法を考えたり、どんなに有名人でも、高校時代の友人とはご飯を食べに行くだろうと考えて、まずはその友人と友達になれば会えるかもしれないとか考えたりしていた。結局会いたくても会えなかったのは、ジョン・レノンとアインシュタインくらい(笑)。

WWD:たくさんの人と会う中で、気を付けていることは?

設楽:誰に対しても同じ態度で接すること。決していばらないけど、ヘコヘコもしないことをポリシーにしている。今は「ビームス」の社長だから、構える人は多いと思うけど、極力オープンマインドで隙を作って、「タラちゃん」と呼ばせる。会社でも僕のことを社長と呼ぶ人はいない。「ボス」か「タラちゃん」か。社長室もあえてフロアの一番手前に作って、来客の顔がすぐに見え、社員が入りやすいようにドアはいつも開けている。年上の人には、生意気だなと怒られた経験もあるけど、長く付き合う人には、自分らしい態度を続けることで分かってもらえる。そっちの方がかわいがられるし、得だと思う。

WWD:駆け出しのころの苦労した思い出は?

設楽:「ビームス」を始めて少しして、ロゴトレーナーのブームが起こり、売り上げの半分くらいがロゴトレーナーだった。このまま行くと、自分が目指すカルチャーを売る店ではなくて、単なるキャラクターショップになってしまうと思った。なかなかやめられなかったが、ある時やめる決断をした。もちろん売り上げは落ちたが、今となってはその後の「ビームス」を作ってくれた成功例になっている。その時に大事なことは引き際だと学んだ。それでも、次の渋カジブームのときには、紺ブレがとても売れてどんどん追加生産しろという指示を出した。そのうちほかの多くの店も安い紺ブレを出すようになって、ある時突然ブームが終息した。ロゴトレーナーのときに学んだはずなのに、ものすごい在庫を抱え、経営が圧迫された。以降、センスとは引き際だと思っている。旬を過ぎて、POSのデータが跳ね上がるときは、一般の人々に行き渡って、早いお客さまはすでに次に進んでいる。長い目で見ると、いつまでも同じことをしていては、ブランドの陳腐化につながる。

WWD:20代、30代のころに持っていた目標は?

設楽:僕はソフト型の経営者なので、何年後に何十億狙うぞ、ということは考えていなかった。ただ、6.5坪(約21.5平方メートル)の1号店をオープンしたときに、「日本の若者の風俗・文化を変えるぞ」という夢はあった。今も日本一もうかる会社になるよりも、日本一周りを笑顔にする会社になりたいと思っている。きっと社員も同じ思いのはず。上場しないんですか?と聞かれることも多いけど、少なくとも僕がいるうちはしない。やめなければいけないことがいっぱいあるから。僕は社員たちに「努力は夢中に勝てない」と伝えている。自分が夢中になって楽しんでいることは人にも伝わる。どうせ、仕事をするならそういうものの方がいい。右に行った方が儲かるが、左に行った方が楽しいと言われたら、僕は左を選ぶ。それがビームスだ。

WWD:夢中になれることを見つけられない人も多い。

設楽:いろんな人と会ったり、いろんな景色を見たりすることで確実に見つかる。僕が仕事で欲しい人は2種類いる。一つは、自分が憧れてなれなかった一芸に秀でた人。もう1つは、僕みたいないろんなことを広く浅く、理解できる人。いろんな経験を重ね、刺激を受けることで、こういう人になりたいというビジョンが見えてくると思う。僕自身も、若い人たちにパワーを与えたいと思っている。ただ方法論を伝えるのではなく、情熱のタネを植えて、モチベーションをデザインすることがすごく大事な時代だと思う。

自分の目で見ろ、会いに行け、世界を体験しろ

WWD:今の20~30代に伝えたいメッセージは?

設楽:自分の目で見ろ、会いに行け、世界を体験しろ、とすごく伝えたい。僕が20代のころは、モノと情報がないために飢えていた。今の若者は、モノと情報があふれているために飢えている。情報へのアクセスが簡単な現在は、その情報を分かった気になってしまう。でも、実はそれを取り巻く環境にものすごくヒントがある。胸がキュンとする瞬間も自分が調べている情報の周りにあることが多い。人に話を聞き、いろんな場所を駆けずり回って、そこで得た情報を自分でつなげる作業の中で、一つの答え以外の知らなかった周辺の事柄を知ることができる。データだけではなく、生身の自分が感じた体温があり、手触りがある情報を取りに行くことがすごく大事。

WWD:今の若い人たちに物足りないなと感じることはある?

設楽:もちろん今の世の中、将来への漠然とした不安があるのは分かるけど、能天気でもいいからプラス思考でいてほしい。僕が新卒採用の面接に参加する時は最後に必ず、「今までの人生で自分は強運だと思いますか」と聞く。本当に強運なら、是非一緒に働きたいし(笑)、周りから見てそうでもないけど本人がそう思うようなプラス思考な人の方がきっといろんなことを切り開いていくと思うから。僕は、家に寝っ転がって友達と一緒にテレビを見ながら、「俺この人に会いたい」って言っているような能天気だったから(笑)。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

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【動画】「裏方であることを忘れてはいけない」ヘア&メイクアップアーティストの長井かおりに密着

 「ファッション業界人辞典」は、ファッション業界で働く人にフォーカスし、その仕事に密着リポートします。業界のさまざまな職業を紹介しながら、「実際、どんな仕事をしているの?」「どうしたらその職に就けるのか?」などの疑問を解決。これからの若者たちの指針になるような情報や、業界人が気になるあの人の素顔や過去を、日々の仕事姿や過去の映像・写真を通して発信します。

 第5弾は、数々の美容雑誌やイベントで活躍をしているヘア&メイクアップアーティストの長井かおりさんに密着しました。アトリエで行っている業務や撮影前の準備、アットコスメトーキョーへ市場調査に向かう姿など、普段見たことのない長井かおりさんを見ることができます。また、雑誌「VOCE」の貴重な撮影現場の裏側まで密着。ヘア&メイクアップアーティストに至るまでの経歴も聞きました。

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ケイト・モスとも協業する仏パリ発ジュエラー「メシカ」トップに聞くクリエイション

 フランス・パリ発「メシカ(MESSIKA)」は、モデルのケイト・モス(Kate Moss)も協業でデザインを手がけるジュエラーだ。エッジの効いたモードなデザインのジュエリーは多くのセレブリティーやモデルらに支持を得ている。クラシックなジュエラーとは一線を引く「メシカ」のクリエイションやビジネスについて、ヴァレリー・メシカ(Valerie Messika)=メシカ社長兼アーティスティックディレクターに話を聞いた。

WWD:「メシカ」を設立した理由と目的は?

ヴァレリー・メシカ=メシカ社長兼アーティスティックディレクター(以下、メシカ):父が宝石商だったこともあり、幼少の頃からダイヤモンドには慣れ親しんできた。父とダイヤモンドに対する情熱を分かち合うことが好きだった。当初は、自分自身のためにジュエリーを作っていたが、友人たちが私の作品を気に入ってくれて、友人たちのためにデザインするようになった。そして2005年に「メシカ」を立ち上げた。ジュエラーはクラシックで高価なジュエリーを制作する一方で、宝石を使わないコスチュームジュエリーのブランドもたくさんある。そのギャップに気づき、日常的に着用できるダイヤモンドジュエリーを作ろうと考えた。ジュエリーとは女性に輝きと喜びを与えるもの。特別な日だけでなく、デニムなどカジュアルな日常の服装に合うダイヤモンドジュエリーを提供するのが「メシカ」だ。それがブランド哲学でもある。

WWD:ブランドのコンセプトは?一番の強みは?

メシカ:私の信条は“レス・イズ・モア”。軽さ、自由、純粋、官能という4つを軸にジュエリーをデザインしている。ダイヤモンドは、エンゲージメントリング用でなく、毎日楽しめるものであるべきだと思った。だから、クールでカジュアル、そして身につけやすいダイヤモンドジュエリーを提供している。 自由で大胆な発想でダイヤモンドを扱えるのは、幸運なことダイヤモンドの本質的な輝きとそれを引き立てるクリーンなデザインを追求している。タイムレスでコンテンポラリー、それにひねりを加えたデザインで、日常的に身につけられる心地よさが重要なポイントだ。2007年に誕生した”ムーヴ”コレクションは、ダイヤモンドに自由を与えたいという思いを反映した代表的なコレクション。ダイヤモンドは、光と戯れ、動くときほど美しい。ゴールドのフレームに収められた3つのダイヤモンドが自由に動き回る様子を表現している。毎年、このコレクションを中心に新しいデザインを考えている。「メシカ」の強みは、マイクロパヴェを含むクラフツマンシップだ。

WWD:デザインのインスピレーション源やこだわりは?

メシカ:私の最大のインスピレーションの源の一つは女性。だから、ミニマル、ロックテイストなどさまざまな女性に似合うものを想像しながらデザインする。

 ケイト(・モス)とコラボしたのもそれが理由。彼女のスタイルが「メシカ」にぴったりだと思ったから一緒にハイジュエリーを作ってみたいと思った。旅先で、建築やインテリア、町を歩く人々のスタイルからインスピレーションを得ることもある。ジュエリーが出発点で、コレクションの名前は、それらが完成してから決める。

WWD:エッジの効いたデザインをジュエリーに落とし込むには?

メシカ:ジュエリーのクリエイションの限界に挑戦するのが好きだ。自由で大胆にダイヤモンドを扱えるのは幸運なこと。ハイジュエリー・コレクション“ボーン・トゥ・ビー・ワイルド”では、ノーズピアス、ダイヤモンドマスクなど革新的で大胆な作品をデザインした。最大の挑戦は、ジュエリーとハイジュエリーの両方を、快適で遊び心のあるものにすること。ダイヤモンドネックレスを女性のワードローブの定番にしたいという思いから、19年に”スキニー”コレクションを発表した。その特徴は、比類なきしなやかさで、ゴールドの中にナノスプリングが配置されており、弾力的。捻れたり、巻いたり、曲がったりしても、壊れることなく、元の形に戻るネックレスだ。

WWD:ターゲットは?

メシカ: 18〜77歳までの、時にミステリアスで、大胆で、勇気のある、現代の女性。そして、ロックな一面も持っている。通常は、母親が娘にジュエラーを紹介するが、「メシカ」は娘が母親に紹介したくなるようなジュエリーブランドだ。

WWD:現在何ヵ国で販売しているか?売り上げのトップ3は?

メシカ:75カ国で販売し、50のブティックを含む490の販売拠点がある。売り上げの上位3カ国はアラブ首長国連邦、フランス、アメリカ。

WWD:売れ筋アイテムと中心価格帯は?

メシカ:世界的なベストセラーは“ムーヴ”コレクション。日本での売り上げの半分は、ブランドを代表する“ムーヴ ウノ”と“ムーヴ クラシック”。ベストセラーは“ムーヴ ウノ パヴェ”“ベビームーヴ パヴェ”“ムーヴクラシック パヴェ”のリングとネックレスで、平均価格帯は38万5000円。

WWD:日本に上陸してからの年商の推移は?

メシカ:19年に初のポップアップストアを開催以降、売上高は順調に伸び、大手百貨店との提携も拡大した。コロナ禍では、東京・三越日本橋本店の店舗は1.5カ月クローズせざるを得なかったが、売上高は前年の2.5倍になった。昨年は、伊勢丹新宿本店および阪急うめだ本店内に期間限定ショップをオープン。今年春には、大阪に出店を予定している。

WWD:注力したい市場とその理由は?

メシカ:アジアに注力したい。今年年末には、日本と中国で約15店舗のブティックをオープンする予定だ。

WWD:ラボグロウンダイヤモンドやモアサナイトの存在についてどう思うか?

メシカ:数百万年もかけて自然が作り出したものを、時間をかけずに再現したのが“ラボグロウンダイヤモンド”と“モアサナイト”だ。ラグジュアリーの魔法は、希少性。一方で、実験室のレシピで簡単に生産できるダイヤモンドと同様のもの、やダイヤモンドに近いものは希少性に欠ける。美術品に例えると、1点のオリジナル作品とリトグラフの違いのようなもの。何度でも刷れるリトグラフは、オリジナル作品のような美しく、力強く、価値のあるものではない。

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「循環型社会へのシフトに必要なこと」 サーキュラーデザインの第一人者の水野大二郎氏に聞く

 これからのビジネスを考えるときに鍵になる考え方“サーキュラーデザイン”や“新しい物質循環”とは何かを知るためのガイド本「サーキュラーデザイン 持続可能な社会をつくる製品・サービス・ビジネス」(学芸出版社)」が2月1日に発売される。そもそもサーキュラーデザインとは、サーキュラーエコノミー(循環型経済)実現のためのデザインやその考え方で、経済活動のあらゆる段階(設計、製造、消費、使用、廃棄、再資源化など)で循環系へのシフトを促しつつ、モノやエネルギーの消費を低減することで、新たな経済的価値の成立を目指す、社会/環境デザインの新たな潮流だ。

 すでにファッションやビューティ産業でも直線型のビジネスモデルから循環型のビジネスへの移行が始まっている。例えば、アディダス(ADIDAS)は使い終わったシューズを回収して再資源化することを前提にした“フューチャークラフトループ.(現在の商品名はメイドトゥビリメイド ウルトラブースト)”の販売を北米で始め、ナイキ(NIKE)は生産工程で出る廃棄物“ナイキグラインド”をデザインに組み込んだシューズやアパレル製品を販売している。

 本書の著者は水野大二郎・京都工芸繊維大学KYOTO Design Lab特任教授/慶応義塾大学大学院特別招聘教授と津田和俊・京都工芸繊維大学デザイン・建築学講師。水野教授は2021年11~12月に開催された経済産業省主催の「これからのファッションを考える研究会 ~ファッション未来研究会~」の座長を務めており、サーキュラーデザイン研究の第一人者として知られる。著者の水野特任教授に読みどころを聞いた。

WWD:なぜ今、「サーキュラーデザイン」を?

水野大二郎特任教授(以下、水野):サーキュラーエコノミー(循環型経済)のための手引書はすでにさまざまなものが市場に出回っています。ですが、社会や環境のデザイン、あるいは社会実装の観点から具体的な理論や手法、実践例、ガイドラインなどが日本語で紹介されたことはほとんどありませんでした。

 海外ではエレンマッカーサー財団をはじめさまざまな組織が国連や国家、あるいは産業や大学などの研究機関と連携しながら、共同研究を実践したり報告書を一般無償公開したりしています。これらの動向を正確に把握することが現在喫緊の社会的課題である環境問題の解決に向けた最も重要な点でないかと考えました。

WWD:本書は衣食住のサーキュラーデザインを網羅されていますね。特にファッション分野では「微生物で服をつくる」「キノコで服をつくる」「捨てられるはずだったもので服をつくる」「使い終わった服を回収しやすくつくる」の4つのテーマで具体例とともに紹介されています。

水野:本書の目的の一つは、今すぐできることから始めるにあたって、現状を改善する1つの手段として微生物や廃棄資源を用いる新しいデザインについて紹介すること。ですので、サーキュラー“製品”デザインに関して、現在ある事例のうち優れたものを選定して紹介しています。

 ただ本来は、微生物や廃棄資源などを用いて衣服を作ることだけがサーキュラーデザインではありません。広義のサーキュラーデザインとは、製品を作り続けることから脱却し、脱物質化を図ることなども含まれてもいい。脱物質化に関しては、現在メタバース的なNFTファッションが注目を浴びていますが、これらは現在のところ投機的な意味合いも強いかな、とは思います。しかし、もしかしたら近い未来、人々が製品を使わなくてもよくなるデザイン、すなわち、環境負荷をそもそも劇的に変革するようなデザインの有り様も考えられます。

WWD:現状改善という意味では、参考になる国際的なコンソーシアムやアライアンス、認証制度、エレンマッカーサー財団やナイキ(NIKE)、IDEOとEMFなどが公開しているガイドやツールも紹介されています。

水野:そうですね。コンソーシアムやアライアンス、認証制度、そして製品開発のためのガイドやツールも本書では積極的に翻訳、紹介しています。そのうちの多くがこれまでWWDJAPANでも紹介された内容だと思います。

 コンソーシアムやアライアンスでは、国連レベルのものからヒグインデックス(Higg Index)を掲げるサステナブルアパレル連合、そしてAFIRM(the Apparel and Footwear International RSL Management)など幅広く選定しています。企業のサステナビリティ推進室に配属されている方なら一度は見たことがあるものが多いでしょう。また、活動家団体に近い性質を帯びたグローバルファッションアジェンダ(Global Fashion Agenda)やファッションフォーグッド(Fashion for Good)などの組織も紹介しています。これらの組織は度々無償で報告書をウェブサイトで公開しており、欧米の動向をつかむにあたって非常に有益なメディアになっています。

 認証制度についてはエコテックス(oeko-tex)やブルーサイン(bluesign)などを紹介していますが、各認証制度の中に細分化された細かな認証があり、それぞれやることが非常に複雑です。経産省「繊維産業のサステナビリティに関する検討会」第4回の資料3と資料4なども参照されると良いかと思います。

 デザインガイドやツールは、先述のグローバルファッションアジェンダをはじめとした組織が出しています。リセールや回収について、リデザインの方法についてなどもありますが、本書ではナイキのサーキュラリティワークブックについて詳細を説明しました。これはサーキュラー“製品”デザインのための実用的ガイドで、製品設計時において何を具体的に配慮したらよいかが段階ごとに書かれており、自分でも試したところ非常に有益だと考え紹介しました。企業内の製造管理担当者であれば特段新しいことはないかもしれませんが、デザインする立場から見ると非常に新鮮です。

WWD:最後に「これからのファッションを考える研究会 ~ファッション未来研究会~」ではどういう議論がなされたのですか?

水野:ファッション産業を取り巻く劇的な変化について議論され、その上で日本のファッション産業の未来において重要だと思われる活動領域や人材像などについて具体的な提案を含めた検討を行いました。

 ざっと言ってしまえば、不確実な未来に対して独創的な提案をし得るようなアート型の人材、デジタルトランスフォーメーションに対して対応可能なデジタル人材や、サーキュラーエコノミーや物質循環、あるいは産地との連携に基づいた新たな材料開発などを行うサーキュラーデザイン人材、そしてメタバースやサーキュラーエコノミー、あるいはポストラグジュアリーなどを検討するのに必要なビジネス人材ーーこういった人材の必要性を明らかにしました。

 これらの話の根幹にあるのは、ファッション産業が低所得であることーーテキスタイルの産地や、静脈産業に関わる人々、アパレル企業に勤める人々の所得が少ないがゆえに、優秀な人材が集まりづらく、悪循環を生んでいることが考えられます。

 倫理的、あるいは利他的な消費を促すような超高付加価値の製品やサービスの提供、あるいは情報環境と接続したNFTやメタバースなどデジタルアセットの利活用、異業種とのコラボレーションを通して、ファッション産業が発展するためにあり得る望ましい未来とは何かについて議論を交わしました。

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メルローズ武内社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.4

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第4回は、「マルティニーク(MARTINIQUE)」や「コンバース トウキョウ(CONVERSE TOKYO)」「サードマガジン(THIRD MAGAZINE)」などを手掛ける、メルローズの武内一志社長に話を聞いた。

WWD:自身がネクストリーダー世代だったころは、どのように仕事をしていた?

武内一志メルローズ社長(以下、武内):20〜30代前半は、ビギでメンズブランドのデザイナーをしていた。当時はDCブランドブームの全盛期で、デザイナーを志す人はDCブランドで腕を磨いてディレクターやチーフデザイナーになるというのが主流だった。僕もご多分に漏れず、DCの部署で力をつけようと思っていた。1992 年にメルローズに移ったのは、当時のメルローズの社長に「手伝ってほしい」と頼まれたのがきっかけ。あのころはDCブランドに陰りが出始めていて、非常に苦しい時代だった。DCの後にインポートブランド、セレクトショップと次々と新しい潮流が出てきて、僕自身も迷い子になっていた。

WWD:苦しい時代にはどのようなことを考えていたのか。

武内:前職で手掛けていたブランドも退店を余儀なくされる中で、「なぜDCブランドが下火になったのか?」と分析すると、成功例にならって同じことを繰り返してきたことが、結果的に消費者に飽きられてしまっていたのだと気づいた。メルローズに入ってからは、僕はここで何をすべきか、しばらく思い悩んだ記憶がある。悩んだ結果たどり着いたのが、自分がやりたいと思うものをやるべきだということ。それで、時代の空気を捉えながらも、自分の想像力をかき立ててくれるモノを詰め込んだものを作ろうと思い、誕生したのが「マルティニーク」だった。

WWD:ビギ時代はデザイナーだったが、メルローズでは徐々に仕事の領域も広がっていった。

武内:仕事は「何でもやる!」という意気込みで、好き嫌いに関係なく、全てを取り込んでやろうと挑んでいた。ビギ時代はデザイナー職に注力していたが、メルローズでは、モノ作りから売り上げの責任、店作り、ショップスタッフの装いまで全てを指揮した。次第に、トータルで考えることこそクリエイティブな作業で、これがなければブランドの世界観はお客さまに伝わらないという考えに変わっていった。世の中に向けて「ワクワクやドキドキを作り出したい」という気持ちを原動力にして、毎日気がついたら夜遅くまで働き続けていた。今は時代が違うのでそうした働き方がいいとは思わないが、当時さまざまなことを把握するには、必然的にこのくらいの時間が必要だった。

WWD:そのように情熱を持って打ち込めるモノが、そもそも何なのか分からないという若者も今は少なくない。

武内:まず、自分のやりたいことを見つけることは重要だ。僕の場合は、古い映画をたくさん観て育ち、銀幕の海外スターの洋服に憧れを持っていた。学生時代は、原宿の希少なビンテージを扱う古着店でアルバイトをしていたし、旅行や出張でパリやロンドンに行くと蚤の市に足を運んでいた。古いものがすごく好きで、自分のデザインにもそのルーツを感じる。時代を超えてすばらしいものを見つけては、インスピレーションとして溜め込んで、これらをどう表現したら今の時代に通用するかを常に考えていた。

WWD:今のようなキャリアパスは、当時想像していた?

武内:全く想像できていなかった。どちらかというと「自分は将来どうなるんだろうか」「果たして、この仕事で食べていくことができるんだろうか」という不安があった。そんなふうに思い悩んでいたから、あのころには戻りたくない(笑)。プライベートで経験したことを仕事に生かすことももちろんできるが、その一方で、仕事での重いプレッシャーを越えた先に、初めて見える景色もある。ふもとから頂上(ゴール)へと、いきなり挑戦するのは大変だ。振り返ってみると僕のキャリアも、「マルティニーク」の立ち上げや、メインの販路を百貨店からファッションビルに切り替えたことなど、その時々で中間地点のような目標があって、それを目指して一歩ずつ進んできた。それが少しずつ自信につながっていったように思う。

チーム力を引き出す鍵は、
各部署の「つなぎ目」

WWD:チームをマネジメントする上で、大切にしていることは?

武内:ブランドであれば、モノ作りを通して、その考え方やテーマをどう消費者へと届けるかが鍵になる。その核となるのが各部署の「つなぎ目」の部分だ。苦しんでいるブランドはセクショナリズムになりがちで、それぞれ頑張っているのに、エネルギーが分散して的に当たらない。コミュニケーション不足のズレは、店にもお客さまにも伝わってしまう。「目標を達成するために何をすべきか」を共有し、目詰まりがないように働きかけることはかなり経験を積んできたし、今も勉強させてもらっている。

WWD:採用活動などを通し、社内外の若い世代と接する中で感じることは何か。

武内:そつなく受け答えできる人が増えている印象がある。マニュアルでもあるのかな、と感じる程だ。われわれの仕事は、AさんでもBさんでもなく「あなただから任せたい」と思わせるような、個性や特技を持っていることが大切だ。輝いているがゆえに(何かが欠けていて)アンバランスな人もいるが、それでもいい。(満遍なく全てができる人ももちろんすばらしいが)何か光るモノを感じる子が、この業界には必要だと思う。

WWD:若い世代にメッセージを。

武内:主体的に情熱を注げることを見つけて、挑戦できる場所を探すことが重要だ。好きなことで成功すれば、人よりももっともっと深く考えることができる。僕自身も、困ったときに立ち返ることができる原点を持っていることに、今も助けられている。「服」という時代と共に呼吸をする仕事の中では、過去の成功に捉われずに、人々の琴線に触れるような、変化をいとわない成長が求められる。それを常に忘れないでほしい。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

TEXT:ANRI MURAKAMI

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【動画】ショーにパトカー乱入で警官が大暴れ 前代未聞の「メゾン ミハラヤスヒロ」2022-23年秋冬コレの裏側

PHOTO:ZENHARU TANAKAMARU

 「メゾン ミハラヤスヒロ(MAISON MIHARA YASUHIRO)」は2022-23年秋冬シーズンのメンズとウィメンズのコレクションをパリ・メンズのスケジュールに合わせて映像で発表した。映像は、1月17日に東京で開催したランウエイショーを収録したもので、舞台は三原康裕デザイナーと関係性が深い浅草だ。

 コレクションテーマは“SELF CULTURE”で三原デザイナー自身が体験してきた1990年代の要素を詰め込んだという。浅草のすし屋通りをランウエイに、登場したルック数は80体にもおよび、モデルには西内まりやや車いすバスケットボールの鳥海連志選手、三原デザイナーの旧友で、50歳でモデルを再スタートした津野貴生らが登場した。ショーの途中にはパトカーが乱入し、観客は息を呑んだが、パトカーから出てきたのは警察官に扮した三原デザイナー本人というドッキリの演出で、会場は大盛り上がり。そんな大々的なショーを実現できたのは、浅草すし屋通りにある老舗そば店「十和田」冨永照子おかみの協力だった。今回、ショー当日の朝からバックステージに潜入し、三原デザイナーや「十和田」おかみ、モデルの津野貴生に直撃。ショーができるまでの様子を捉えた。

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お客さまに愛され、チームを強くする 2022年はパーパスのあるブランドを目指そう

 生活習慣や社会環境、価値観の変化に伴い、「どんなブランドなら、お客さまに愛されるの!?」と考えている人は多いだろう。また生産背景や販売手法が複雑なファッション&ビューティ業界ではお客さまのみならず、従業員や卸先、出店施設やテナント、ベンダーなど、あらゆるステークホルダーにも愛され、強い組織を作ることも欠かせない。お客さまに愛され、ステークホルダーと強固なチームを結成し、結果、売り上げを伸ばしている企業・ブランドの共通点は、「パーパス」だ。石川俊祐KESIKIパートナーと佐々木康裕Takramディレクター兼ビジネスデザイナー、村上要「WWDJAPAN」編集長が鼎談し、なぜ今、パーパスデザインが求められているのかを語り合った。

村上要WWDJAPAN編集長(以下、村上):日々取材をしていると「パーパス」が不明瞭だったり、そもそも持っていないように見えたりの企業やブランドは少なくないと感じている。特にサステナブルやDXは、「どうやって?」が先行しがちで、そもそもの「なぜ?」、つまり「サステナブルやDXのパーパス」が完全に欠落している場合も多い。同じように、企業やブランドとしてのパーパスも欠落しているのでは?と危惧している。

石川俊祐KESIKIパートナー(以下、石川):ここ数年、企業の大小を問わず「パーパス」が重要視されている。そもそも「なんで働いているのか?」がよく分からなくなり、自らに問いかける人が増えてきた。多くの人が「企業で働くことが正しいのか?」を考え始めた。対価として収入は得ているが、それだけだと生きづらく、満足感が得られなくなってきた。そんな人たちにとって労働はただの作業となってしまうので違和感を覚え始めたのではないか。企業カルチャーに対しても自分に合うか合わないかを意識する人が増え、人間らしい生き方を選択する時代になっているのだろう。高度成長期は大きな上昇気運の中で生きていたが、現在は生き方が多様になり、みんなが頼れるよりどころがなくなっている。“ただなんとなく”が成り立たなくなっている。

佐々木康裕Takramディレクター兼ビジネスデザイナー(以下、佐々木):言葉でいうと「ミッション」や「ビジョン」「パーパス」が乱立しているが、自分なりの定義でいうと、「パーパス」はいわゆる内発的な「自分はこうやりたい」という思いと、社会や環境が時代や会社に求めていることが重なる部分。「パーパス」という価値観の台頭には3つの大きな外的要因がある。まずは気候変動。天然資源を収奪しながらのビジネスはもう続かない。2つ目は消費者の価値観の変化。SDGsを学んでいる若い世代は企業に社会的な役割を期待している。役割を果たさない企業にはバイコット(buycott.BuyとBoycottを組み合わせた造語)などで社会的NOを突きつけるようになった。そして最後は投資家。ESG投資が主流化するにつれて、すでに海外の投資家は、パーパスドリブンじゃない企業には投資をしない。こうした条件がそろってきた。

村上:内的要因、外的要因の双方が「パーパス」の価値を高めている。ただ冒頭の通り、日本の企業やブランドからは「パーパス」が見えない場合も多い。日本、ファッション&ビューティ業界は遅れている?

石川:大陸でつながっている国々は、独自性を保ちながらも隣国を意識して競争もしている。一方の日本は、島国だからなかなか変わらない。特に投資の世界はいまだに売り上げや利益といった数字がファースト・プライオリティだ。ファッション業界では、確かに海外の方がパーパス・ドリブンに徹したブランドが多く、特に新興のD2Cブランドにその傾向が顕著だ。一方、日本のファッションやビューティ業界には旧態依然とした企業が多く、乗り遅れてしまっているのではないか。ただスパイバーや島精機製作所を筆頭に、繊維など特定の分野は異様な進化を遂げている。

佐々木:ファッション業界には年に数回最新コレクションを発表する宿命があり、そこで自分たちの進化を表現しなければいけない。変化に対してある種の解釈をして、実験するサイクルが回りやすい業界だ。そういう意味で、社会性をくみ取りながら、独自のメッセージを組み込んで、商品の形で表現することについては、ほかの業界に比べてはるかに進んでいるどころか先頭を走っている気もする。日本に「パーパス」が明確なブランドが少ないのは、ブランドという“木の実”より、文化や歴史、消費者という“土壌”の問題。例えば欧米の市場は、モノを購入する人を“消費者”ではなく“市民”と捉えるといろんなことが解釈しやすい。一方、日本は常に「消費者の意識がこう変わった」と言う。

村上:「消費者」ではなく「市民」もしくは「生活者」と捉えると、彼らの生活まで変える社会性の変化に敏感になれそうな気がする。社会性が意識できれば、「自分たちは、どんな社会づくりに貢献したいのか?」という「パーパス」が芽生えそうだ。

石川:例えば海外では投資会社でさえ多様な人材が働いている。日本のファッションやビューティ業界に心理学者や文化人類学者、哲学者がいてもいい。

佐々木:大手素材メーカーはR&D(研究開発)に注力しているが、文系の人もいた方がいい。ソニーは先日、文化人類学を学んだ人を採用すると発表したが、アメリカでは30年くらい前からそういう人たちが企業で活躍している。そういう意味でも日本の素材メーカーは面白いし、思考的にも勝負できる。

村上:日本の素材メーカーはR&Dが強いから、ファッション業界においても希望の星。批判覚悟で話せば、今「ファッションとビューティ、面白いのはどっち?」と聞かれたら、答えはビューティで科学的なR&Dに情緒的な感覚も同居している。いずれのビューティ企業も「パーパス」は、「キレイで高揚感を提供したい」など“人由来”。そのゴールに向かって、R&Dに取り組んでいる。

石川:R&Dには「テクノロジー」と「パーパス」の双方が必要。その両方がないとテクノロジーのためのR&Dになりがちだ。アパレルブランド「クラウディ」を展開する銅冶勇人DOYA社長は、「そのアイデアは雇用を増やすか?」や「そのテクノロジーは人のスキルを尊重しているか?」と問いかけている。多分、人の活躍の機会を奪うAIには興味がない。アフリカでの会社や学校の設立に尽力しているせいか、新しいアイデアやイノベーションを「雇用を増やすのか?」「人のスキルを育てるのか?」という視点で捉えている。

佐々木:最近はNFT(鑑定書・所有証明書付きのデジタルデータ)が話題だが、ナイキも昨年末、仮想スニーカーやグッズをデザインする新興企業のRTFKTを買収した。そういう技術を理解している人がいなければ、買収できなかっただろう。自分たちが属している産業だけじゃなく、これからの社会が向かっていく先に必要な技術を理解している。ニューヨークには「われわれは食べ物ではなく、食を通じたライフスタイルを提供している」というアートディレクターが監修し、皿やトートバッグを販売したりコミュニティーを作ったりしているレストランがある。「自分たちは何屋なのか?」を再定義して生まれたズレを埋めるため、新たなビジネスと人材が生まれた好例だと思う。日本のファッション業界でそんな動きを見せている企業は少ない。

村上:企業のトップが強く言い続け、一方みんなで一緒に考えてボトムアップしていく双方が必要だ。

佐々木:「パーパス」の浸透は深淵なテーマだ。トップダウンとボトムアップのバランスは難しい。日本は、特定の人・部署だけで「パーパス」を策定しがちだが、理想は事業のど真ん中に「パーパス」があり、プロダクトからコミュニケーションまでいろいろな活動に体現されていること。

村上:サステナやDXの専門部隊も組織の真ん中で誕生していない。だからチームは異物に捉えられ、組織内でハレーションが起きている。ダイバーシティー推進委員が一番孤立している、という姿は何度も見てきた。

佐々木:ナイキのジョン・ドナホーCEOはテック業界出身。いわゆる非主流系から初めてCEOに就任した。トップがハードルや壁を取り除いてあげないといけない。それには評価の仕方まで変える必要がある。

石川:経済性と同じくらい社会性や文化性も大切。そして日本は、社会性と文化性を混在しがち。内発的動機に由来する文化性を忘れたまま、社会性に引っ張られた真面目な「パーパス」ばかりになりそうで心配だ。「社会的に良い会社を作りました」なんて企業は世の中にごまんとある。自分らしいアプローチを考えることが多様性であり、豊かさ。「パーパス」という言葉にも少し懸念がある。社会性とだけひもづけて語っている人が多い。確かに「パーパス」は意義を意味するし、社会的であるべきだし、外圧もあるから策定すべきもの。でもそれだけだと面白みに欠ける。「パーパス」は、意義であり、意志。「カルチャーを作りたい」という文化的な視点がないと、パーパスフルになれない。「パーパス」が適切か否かのチェック項目は、「“ならでは”か?」「ワクワクするか?」そして「今の社会に適しているか?」。最初の2つが欠落してしまうと、みんなを動かせない。

村上:パーパスが明確だと組織作りも変わるだろう。例えばマクアケの採用面接は、半分人生相談みたいだそう。「ルルレモン」の採用面接も面白い。スキルの話を一切せず、「あなたは何をやりたいの?」「それだったら、この部分が『ルルレモン』で実現できるかもしれないね」「こうやって双方寄り添っていけたらいいね」という感じ。

石川:企業と個人が対等ってことでもある。イギリスにあるサンドイッチチェーン「プレタ・マンジェ」も同様で、個人の性格や個性を重視して採用を進めている。自由と責任、そして自立の三位一体の仕組みが生み出すムードは、ユーザーにも伝わっている。

佐々木:従業員という立場に属する人が変わり始めている。今後はますます社長の意を受けて実行する人ではなく、意思を持った人として行動するようになる。自分のやりたいことを会社でどう実現するか。その考えが主流になると、今の大企業は苦しくなると思う。変化しきれないだろうなと。

石川:日本に「パタゴニア」や「ラッシュ」のようなアクティビスト的な企業、社会課題の解決に逆行することに対して「うちはやりません」と強く表明できるブランドが少ないのは、日本人の危機意識が低いことも一因。世界の市民は、もっと強い危機感を持っている。社会課題をクリアするためにも「パーパス」を一気通貫で届けることが必須だ。

佐々木:そういう意味でも企業やブランドはパーパスをどう浸透させていくのかがものすごく重要になる。


WHAT'S Takram

 世界を舞台に活躍するデザイン・イノベーション・ファーム。未来をつくる人、変化を生み出す組織のパートナーとして、プロダクトからサービス、ブランドから事業まで、デザインの力でイノベーションを生み出す。グローバルカンパニーからスタートアップまで多種多様な業種のクライアントを持つ。

WHAT'S KESIKI

 人や社会や地球に愛される会社をデザインし、「優しさ」が巡る経済の実現を目指すクリエイティブ・コミュニティー集団。デザインコンサルティングや企業との共同プロジェクト、企業のリブランディング、教育プログラム設計、メディア開発、投資事業などさまざまなプロジェクトを手掛ける。


【WWDJAPAN Educations】セミナー案内


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受付開始 お客さまに愛され、チームを強くする
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受講日時:2022年4月1日(金)、4月8日(金)、4月22日(金)、5月13日(金)、5月27日(金)、6月10日(金)、6月24日(金)
今なぜパーパスが必要なのか
「WWDJAPAN」は今春、今その必要性が叫ばれる「パーパス」の策定から、組織内での共有、製品やサービスへの具現化、消費者への発信までを考えるセミナー&ワークショップを開催し、未来のブランド・ディレクターを育成・応援します。サステナブルやDXについての取材を重ねる中で、「どうやってサステナ?」や「何を使ってDX?」には真剣に向き合っているのに、「なんでサステナ?」や「どうしてDX?」の視点は置き去りなケースを見てきました。そこから「この会社はなんのために?」や「なぜ、このブランドを?」という思考が必要な時だと感じました。
 セミナーを通して、経済性と社会性、何より内から湧き出るモチベーションなどの文化性を網羅した「パーパス」を見いだし、それを共有することで強い組織に、製品やコミュニケーションの形で発信することで顧客に愛されるブランドに進化することを願っています。(WWDJAPAN編集長 村上要)
受講で得られるスキル
先駆者たちが実践する新しい時代のブランド作りからヒントを獲得し、ワークショップではロードマップに沿って、受講者それぞれの確固たるブランドの価値をWWDJAPANと共に見つけます。

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TOKYO BASE取締役の地位を捨て起業、蚕業(さんぎょう)革命に挑む ネクストニューワールド高嶋耕太郎

 「ストゥディオス(STUDIOS)」「ユナイテッド トウキョウ(UNITED TOKYO)」などを運営するTOKYO BASEを、創業者であり社長だった谷正人氏とともに支えた高嶋耕太郎氏が昨年5月に退社し、新会社ネクストニューワールド(NEXT NEW WORLD)を立ち上げた。天然素材を通じたサステナブル社会の実現を掲げ、養蚕業をスタート。D2Cモデルで新製品を発表している。次世代のファッション小売企業として注目されてきたTOKYO BASEの取締役という地位を捨て、なぜ起業したのか。真意を直撃した。

WWDJAPAN(以下、WWD):なぜ起業を?

高嶋耕太郎(以下、高嶋):TOKYO BASEにジョインする前から、いつかは起業したいと思っていました。実はTOKYO BASEにいながら社内ベンチャーとして起業するというアイデアもあったのですが、それもなんか違うな、と。やるなら思い切って単独でやりたいという思いが強かった。ネクストニューワールドには本当に少しだけエンジェル投資も入っていますが、ほぼ自己資金。実は日本とシンガポールで法人を設立していて、資本金は日本が500万円、シンガポールが3000万円という構成です。

WWD:企業理念に“ネイチャーマテリアル”を通じたサステナブル社会の実現を掲げている。その真意は?

高嶋:養蚕の産地であり、シルク織物の産地としても知られている群馬県桐生市で養蚕に取り組んでいます。いま、明らかに既存の資本主義は曲がり角を迎えていますよね。我が身を振り返ってみても発注側はとにかく原価や仕入れを抑え、一方で工場側も低賃金などで苦しむ、そういった悪循環が続いている。加えてアパレル産業は大量生産、大量廃棄のような問題も抱えている。環境に優しい天然原料を、いわばD2Cモデルのような形で無理や無駄を省き普及させられれば、地球にも消費者にも優しい形でビジネスを行える。社名の「ネクストニューワールド」にも、そうした意味を込めました。

WWD:まずは“養蚕”に目をつけた。その理由は?

高嶋:サステナブルを掲げていますが、そもそも起業家目線で見ても蚕って普通にめちゃくちゃ可能性がある。シルク糸の需要は着実に伸びているのに、世界的にもシルク糸の供給量や供給力は年々落ちていて、明らかな需給ギャップがある。加えて蚕自体、単に糸にするだけでなく、化粧品にも使えるし、最近では高タンパク質の食料としても注目を集めるなど、用途も実に幅広い。養蚕自体も、長い歴史を積み重ねていて、文化的にも産業的にも、積み重ねてきたものも大きい。起業後、いろいろな場所や人にあって、蚕の話を聞いたり、見たりしていますが、知れば知るほど、原料としてのポテンシャルの大きさに驚いています。

WWD:にもかかわらず、養蚕業自体は風前の灯火のような状態だが。

高嶋:だからこそ大きな商機がある。起業後、養蚕農家やシルク関連の企業などに話を聞いていますが、一番のハードルは、商品化に至るまでの長い道のり。逆に小売り発のD2Cモデルを構築できれば、やれることはたくさんあると実感している。僕自身はずっと小売りをやっていたので、最終的な製品を企画したり、作ったり、売ったり、そういったことはそう難しくはない。

WWD:具体的には?

高嶋:そもそもシルクってイメージがすごくいい。ラグジュアリーなアイテムを作りやすいので、付加価値を取りやすい。第一弾として昨年12月にクラウドファンディングの「マクアケ」で「ウィズオアウィズアウト(WITH OR WITHOUT)」のブランドで商品化したシルク石鹸は、開始からわずか1時間で目標金額の100万円を達成し、最終的には500万円を売り上げました。石鹸は原料の良さを伝えやすくて、ターゲットも大人から子どもまで、男女を問わず訴求できるという狙いがピッタリとハマった。2月2〜14日には伊勢丹新宿でポップアップストア、2月上旬からは「ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ」の3店舗での取り扱いも決まっています。

WWD:うまく行った理由は?

高嶋:1個3000円と石鹸にしては高いけど、シルクという原料の持つパワーが大きい。養蚕という原料まで遡ったからこそ、こうした商品のアイデアも生まれた。これが仮に、「シルク糸」にとどまっていたら、やはりこういったアイデアは生まれなかったと思う。水面下ではフードの商品化も進めていて、こちらもかなりの手応えがある。昆虫食というカテゴリー自体、高タンパク質原料という面で注目されていて、コオロギなども注目されているけど、ここでも蚕のポテンシャルは大きい。そもそも養殖する上で蚕を超える生産性を上げられる昆虫はない上、コオロギなどのわかりやすい昆虫よりも、蚕のほうがブランディングもしやすい。ある食料用の蚕の加工工場に行ったときに驚いたのは、その訪問者リスト。田舎の山奥の工場に、トヨタを筆頭に一流企業が毎日のように訪れている。

WWD:アパレルは?

高嶋:コスメ、フードもやってみて思ったけど、アパレルが一番難しい。一般的にシルク糸で使う長繊維ではなくて、実は繭や綿(ワタ)から糸を作る短繊維用の紡績工場は日本にないと言われていたが、なんとか探し出して糸にして、パーカーやTシャツを作った。ただ、D2Cモデルで作ったとしても普通にパーカーで5万〜6万円、Tシャツでも2万円近くになる。さすがにこの価格帯のアイテムを売るのは難易度が高い。もう少しビジネスプランを練らないとなあ、と。

WWD:毎日楽しそうですね。

高嶋:シンガポールに法人を作っていることもあり、商品化は常に日本発アジア、あるいはグローバルというコンセプトがあるけど、驚きと発見の毎日で、どんどんアイデアが湧き出してくる。楽しいですよ。

WWD:とはいえ、優良企業の取締役という地位を捨て起業した。実際にどうか?

高嶋:いやー、それはめちゃくちゃ大変です。ありとあらゆることを、全部自分でやらなきゃいけない。前は指示を出せば、部下がやってくれたり、形にしてくれた。あと一番堪えるのは、支払いです。自分ではかなりハートは強い方だと思っていたけど、家賃や経費の引き落としの日は本当に落ち込みます。5歳と3歳の子どもを抱えて、俺何やってんだろう、大丈夫なのかと不安になります。雇われていたときには感じなかった、毎日ヒリヒリする緊張感がありますね。

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「誰もがクリエイターになっていい状態を作りたい」 「バーチャルマーケット」主催社トップが語る野心

 バーチャルリアリティー(VR)空間上でさまざまな展示や体験、3Dアイテムやリアル商品の売買ができるイベント「バーチャルマーケット2021」が2021年12月4〜19日に開催された。個人が3Dアイテムを売買する場として18年にスタートした「バーチャルマーケット(以下、Vケット)」は、3DクリエイターやVRを楽しむ世界中の人々が集まる祭典となっており、今回も100万人以上が来場したという。「Vケット」を主催するHIKKYの舟越靖代表取締役に成果と展望を聞いた。

WWD:毎回現実ではありえない世界を舞台を3Dで表現してきたが、今回の企業出展ワールドは秋葉原と渋谷というリアルな街を再現した。なぜ現実にある“街”だったのか。

舟越:クリエーターが作り出すものを皆さんに見に来てほしいというのが大前提で、毎回ワールドを用意してきましたが、常設化や商業性を求める出展企業が増えてきました。そこに対応するモデルケースが、“街”です。でも、リアルの再現では面白くない。街は人が血液のように循環して、まるで生きているかのように変わっていきます。その変化が面白いと、人は「また行こう」という気になるでしょう。その変化を“見える化”できたら非常にいいなと思って、今回は来場者数に比例して、ビルが高くなるようにしました。

WWD:それは、気付かなかった。

舟越:裏テーマというか、テストだったので(笑)。「なんか大きくなってない?」と気付いたコアな人たちの間では、すごく盛り上がっていました。巨大なエヴァンゲリオンは前回も秋葉原駅前にいましたが、今回はそれが動くようにしました。それからリアルの天気と連動させました。渋谷が雨なら、バーチャルの渋谷も雨。でも、時々雪を降らせて盛り上げたり。現実とバーチャルの境目をなくして、参加する人たちの手によって変化するような世界を作ることを試みたのが、今回の一番の挑戦でした。

WWD:秋葉原と渋谷を常設化していく?

舟越:そうです。“街”を作っていきます。ただし、今回体現したように、リアルな街では味わえないような新しいものが組み合わさった世界、それを僕らは「パラリアル」と呼んでいますが、その「パラリアル」の世界観を広げていきます。そこに人が来て、お金がもうかり始めたら、名実共にそこが“本物”になる。渋谷がどう進化していくのかは、僕らが面白いと思った方向、もしくは、皆さんが求めるような方向に進化していきます。来る人が心から楽しめたり、現地の人たちがちゃんと恩恵を受けたりできるものにしていきたいです。

WWD:現実と違うところにバーチャルの面白みがあると思う。

舟越:その通りです。でも、何が面白いかという定義って、別に誰も決められないじゃないですか。逆に言うと、僕らが「これが面白い!」と思うものをやるしかない。バーチャルと現実をちゃんと交ぜた、僕らなりの最高の楽しさを「パラリアル」で実現していきます。

WWD:SMBC日興証券の“株価連動ジェットコースター”はすごくユニークで面白かった。

舟越:面白さでは圧倒的でしたね。株価を体感するって、現実ではないですよね。こういう今までなかったものが、バーチャルの世界では生まれています。発明ですし、これが実はまだ価値が一番高いです。こうした広告クリエイティブ事業は、企画と実現力があれば他社でもできる部分なので、市場が拡大している分野だと思います。

WWD:他に「Vケット2021」の成果は?

舟越:出展社は宣伝よりも商売を基軸に活動する企業がすごく増えました。僕らにも知見がたまってきているので、バーチャル空間上でのeコマース的なものが確立し始めているという実感を皆さんが持ち始めていると思います。それから、「Vケット」の盛り上がりによって、出展していないクリエイターたちのショップであっても期間中にキャンペーン的なことを行うと売り上げが上がるというようなことが起き始めました。こういう余波が生まれているのはうれしいです。

WWD:「Vケット」の課題は?

舟越:まだ一般化できていないことです。一般の人がまだまだアクセスしづらいというのも課題ですが、もっといろんな人が楽しめるものにならなくてはいけないと考えています。「Vケット」は、クリエイターと企業と、そして何よりも来場してくれる人がいないと成り立ちません。街が変わっていくというコンセプトを成立させるには、誰もが「Vケット」を使えるようにして、僕らの“楽しい”を一緒に作れるようにしていかなければと考えています。地方の商店街や小さい個人商店もそうだし、障がいのある人や会社で働くことが難しい人たちなど、みんながの恩恵を得られるようにしたいし、そのために“街”を作っています。とにかく“簡単さ”が大事だと思っています。

WWD:ファッションとビューティについては?

舟越:主に「Vケット クラウド」(スマートフォンおよびPCブラウザ上で動くVRコンテンツ開発エンジン)の方で、簡単にアバターにメイクや着替えができる機能を今年中に実装します。スマホで楽しめるので、一般のユーザーが楽しめるものになります。

ドコモから調達した65億円の使い道

WWD:それはすごく楽しみだ。11月にNTTドコモを引受先とした第三者割当増資により、65億円を調達を発表したが、多額の資金は何に使う?

舟越:僕ら、なぜこれまで資金調達してこなかったかというと、黒字でやってこれていたからというのと、戦略的にユニコーンレベルの資金調達をしないと世界で戦えないと考えていたからです。使途は主に3つです。まずは国際化。各国への支店や、そこでのコミュニティーを作るために使います。すでに上海に支店がありますが、ユーザーの多いアメリカにも構えたいです。あとは韓国やインド。そういうところにどうチームを作れるかは、正直、人の出会いによって変わるじゃないですか。現地で社長任せられるレベルの人がいかに見つかるかなので、それによって優先度は変わります。もう一つは、サービスのコンテンツを作るための内部のリソースの確保です。つまり、「Vケット クラウド」を含めたサービス開発の強化ですね。そして、多く寄せられる要望に応えられる体制作りも急務です。「一緒にやりたい」といってくださる企業が多いのですが、僕らが受け付けられる量をはるかに超えています。問い合わせの相談窓口を社内だけでなく、社外でも開拓したいです。

WWD:「メタバース」がにわかに話題になってきているが?

舟越:僕らが先行してやって、そこから市場が生まれていきましたが、それがさらに加速する状況になっています。メディアからの取材は前回に比べて3倍になりましたし、資金調達もあって、世界中のブロックチェーンやNFT関連の事業者の大手から連絡が来るなど、全く違うアプローチが来るようになりました。また次の展望につながる第一歩の話につながりそうですし、ものすごく可能性が広がっています。

WWD:企業として最終的な目標は?

舟越:僕らは「クリエイティブ・ファースト」でありたいです。例えば、うつ病になってしまって働けなくなったサラリーマンが、バーチャル空間で全く素人から始めて、今うちの役員になっていますし、半年前まで工場で働いていたシングルマザーがトップクリエイターとして活躍しています。皆んな“作りたい”という欲求はあると思うんです。でも、40代だからとか、周りが認めてくれないからとかで、諦めてしまっている。本当は誰しもがかなえられる可能性は十分にあるんです。「Vケット」に来て、個人クリエイターが作るものを見て、刺激を受けて、クリエイターになる人がとても多いんです。同じようにバーチャル空間で働くとか、バーチャル空間でだったらクリエイターになれる、なっていいっていう状態、例えば、家族5人を養うために日夜働いてるお父さんが、明日からクリエイターになっていい時代を作りたいんです。これが目指すべき目標です。

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マークスタイラー秋山社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.3

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第3回は、「マーキュリーデュオ(MERCURYDUO)」「ラグナムーン(LAGUNAMOON)」など若い女性に支持されるアパレルブランドを多数有する、マークスタイラーの秋山正則社長。

WWD:自身の若い頃について教えてほしい。

秋山正則マークスタイラー社長(以下、秋山):ファッション好きの、どこにでもいる学生だった。時代はDCブーム(1980年代)ど真ん中。週末はディスコ通いで、女の子にモテるために渋谷パルコで「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」の服を買ったり、「傷だらけの天使」のショーケン(俳優の故・萩原健一)に憧れて、代官山の「メンズビギ(MEN’S BIGI)に通ったりもした。大学を出て特にやりたいこともなかったけれど、ファッションはずっと好きだった。それで偶然新聞広告で見つけたアパレルメーカーの求人に応募し、4、5回の面接の末に採用された。それが松田(光弘)先生のニコルだった。

WWD:ニコルではまずどんな仕事をしたのか。

秋山:配属は「ニコル(NICOLE)」や「ニコルクラブ(NICOLE CLUB)」といった花形ブランドではなく、社内で唯一の赤字ブランドだった。華やかなファッション業界に憧れて入社したが、待っていたのは地味な作業の連続。周りの人気ブランドに配属された同期は、事業も順調で、すぐに部下や後輩がついた。だが僕のブランドには人員補充もなく、いつまでたっても下働きのまま。仕事は全然楽にならなかった。今となっては、これも「ラッキー」だったと思えるけれど。

WWD:それはなぜか。

秋山:アパレルメーカーの仕事の「イロハ」を学べたからだ。僕は、自分のいたブランドを社内で売り上げナンバーワンにしてやろうと本気で思い、やれることは全部やった。当時はMDという概念もなく、デザイナーの作りたいものがそのまま商品化される時代。でも僕はシルク100%の商品サンプルをデザイナーに持っていって、「もっと安い素材で作った方が売れる」と提案して、石を投げつけられそうにもなった(笑)。パタンナーは、デザイナーが考えた服を形にするのは大変だとぶつぶつ文句を言いながら、合間にパターンの引き方を教えてくれた。生産担当者のおかげで、素材や縫製にも詳しくなった。営業も手薄だったから、ハイエースに在庫を積み、僕も都内の店舗に納品に回った。すると、販売員からお客さまの生の声をたくさん聞くことができた。

 次第に、アパレルメーカーの仕事内容だけでなく、ポジションによって違う仕事への向き合い方や考えの違いを、少しずつ理解できるようになっていった。僕はそれらを翻訳し伝達するハブ的な役割を担うようになった。すると事業部は、いつしか僕を中心にうまく回るようになった。現場の店長とデザイナー、それぞれの言い分を聞いて商品企画に落とし込む。すると何十枚の売れ行きだったものが、何千枚と売れるようになった。店舗に納品する際、店長が「秋山が持ってきたのなら、売ってやる」と言ってくれるようになった。ブランドの業績は徐々に伸びていった。

 それぞれの立場や考えを理解して、人と人を“つなぐ”ことができる人間は、当時に限らずいつの時代も必要とされる存在だ。そして、仕事に対して真正面から打ち込んでいると、周りの人は信頼してくれるようにもなる。それが僕がニコルで得た最大の学びだ。

目の前の仕事に誠実に取り組めば
信頼とチャンスが得られる

WWD:その後は渋谷109ブーム(1990年代)の火付け役だった「ココルル(COCOLULU)」の運営やフェイクデリック(現バロックジャパンリミテッド)の「マウジー(MOUSSY)」「スライ(SLY)」の立ち上げにも携わった。

秋山:僕が(運営会社の)エクシブから「ココルル」に誘われたのは、ニコルをやめて少し経って、セレクトショップのオリジナル商品を作るOEM会社で仕事をしていたころ。せいぜい数千円の商品で、月に数億円という売り上げを叩き出す店というから、初めはとても信じられなかった。だが(渋谷109の)こぢんまりとした店内に若い女性がすし詰めになり、商品を引っつかんでいく様子を見て、時代の変化を知った。「ココルル」のカリスマ店員だった植田みずき(現バロックジャパンリミテッドクリエイティブ・ディレクター)が「ザ・シェルター トーキョー(THE SHEL’TTER TOKYO)」1号店を原宿に出す際には、一緒に店舗の壁面をコンクリートで塗ったことを思い出す。その後はマークスタイラーで荻原桃子と「ムルーア(MURUA)」を立ち上げ、会社もここまで大きくなった。ニコルをやめた直後はハワイに古着店を作り、のんびりとビジネスをやっていくつもりだったが、こんなことになってしまった(笑)。

WWD:常に流行のキーマンと深く関わることができたのは、なぜなのか。

秋山:意識してやってきたわけではない。僕がこれまでやってきた仕事に信頼を置いてくれた人たちが、自然とその場所に「運んで」くれた。仕事はたとえつまらないことでも、創意工夫してやり遂げてきた自負があるし、こういうことは必ず誰かが見てくれているものだ。世の中の仕事は「できる/できない」「やりたい/やりたくない」の四象限から成り立っている。自分が心から好きで、しかも得意な仕事に巡り合えたのなら、それは幸運なこと。だが世の中はそんな人ばかりじゃないし、天職に近づくには、目の前に与えられた仕事を誠実にこなしていくことが近道。当の僕も、この仕事がまだ天職かどうかは確信がない。

WWD:ネクストリーダー世代へのメッセージを。

秋山:向上心を持って頑張るあなたたちの足を引っ張る人もいるだろう。僕もニコルで社内ナンバーワンブランドを目指していたころ、「できるわけないよ」「もし昇進したら責任ばかり増えて大変だよ」ということをささやいてくる同僚がいた。そういった声を振り切るにはそれなりの犠牲がいる。僕は20代後半から30代前半にかけて係長、課長と昇進したが、そのころには飲みに誘ってくれる同期も先輩もいなくなった(笑)。ただそれ以上に得るものがあった。自分のいるステージが上がると、一緒に仕事をすることさえ恥ずかしいような、すごい人と出くわす。そういう人に食らいつき、同じレベルまで自分を成長させる。するとまた「敵わないな」という人が現れる。この繰り返しで僕は強くなった。多少の生きづらさやプレッシャーは、成長できる環境にいるなら仕方がない。そこから逃げて「平凡」で終わらず、突き抜けてほしい。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

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気学風水で占う 2022年は攻めのファッションにトラ(虎)イせよ

 今年はイヤー・オブ・ザ・タイガー。パワフルな1年になる予感!気学風水鑑定家の生田目先生に2022年を占ってもらった。後半では運気アップを期待できる寅年アイテムをご紹介。

WWD:ずばり、寅年の今年はどんな1年になる?

生田目浩美.(以下、生田目):「虎は千里往って千里還る」ということわざがあります。虎は1日のうちに千里の距離を往復できるという意味で、行動的で勢いがある年になることを示しています。虎がなぜ千里の距離を戻ってくるかというと、巣穴で子どもが待っているから。身内に対する愛情や優しさも持ち合わせているのです。つまり、「行動」と「愛情」が大事になる年。かつ干支でいう寅は若木を表していて何かの始まりの兆しで、良いスタートダッシュが切れる1年です。勢いよく行動し、利他愛を持ちながら過ごすと良いでしょう。また、今年は36年に1度回ってくる「五黄の寅」の年です。帝王の星、五黄土星と百獣の王のような虎が合体しているので非常にエネルギッシュなため、天変地異などの可能性も出やすい流れがあります。備えあれば憂いなし。安心を得るために、備えをしっかりしておくと良いでしょう。

WWD:開運を呼ぶファッションのポイントは?

生田目:「虎のように堂々と」がキーワードに。アクティブに動ける格好や攻めのファッションの運気が良いです。また、干支でいう寅は夜から朝へと変わる時間帯を示しています。2面性を持つリバーシブルや異素材を掛け合わせたアイテムもおすすめです。若木の「新しい芽が出る年」でもありますから、今までにしたことのないファッションに挑戦するのも良いですね。

WWD:やはり、タイガー柄は必須?

生田目:ありですね。そもそも、周りからの意識が集まるものは運気が高いんです。寅年の今年は、みんなが虎を意識しているので、タイガー柄には注目が集まります。タイガー柄でなくとも、虎にまつわるものを身に着けることで自然と集まる周りからの運気を自分のものにできるでしょう。

WWD:ラッキーカラーは?

生田目:ゴールドと赤。赤は火を表しているので、ワンポイントで使えば、全体に燃え広がります。全身赤コーデのようなやり過ぎは禁物です。ゴールドは天のエネルギーを引き寄せます。アクセサリーやメイクなどで取り入れると、幸運が舞い込みやすいでしょう。

WWD:そのほか開運のためにできるアクションは?

生田目:金運であれば丸くて、白くて、ツヤツヤしたものを持ったり、食べたりすると良いです。お団子とかゆで卵とか。数字で言えば、「3」「5」「8」。「3・5・8」とプリントされたTシャツなんかがあったら良いですね。あんまりないでしょうけど(笑)。仕事運であれば、ネギとサトイモを食べると良い。文房具などよく使うアイテムに名前を入れるとそれがパワーアイテムになりますよ。

WWD:逆に気を付けるべきことは?

生田目:2000年を超えたあたりから、思ったことやイメージしたことが実現するスピードが速くなっています。ハッピーなことであれば良いですが、逆に悪いことを想像してしまうとそれが現実になってしまう。常に良いこと、楽しいことを想像するように心掛けてください。


運気アップを期待しタイガ〜 注目寅年アイテム

バレンシアガ

 「バレンシアガ(BALENCIAGA)」からは「バレンシアガ イヤー オブ ザ タイガー」シリーズが登場。メンズとウィメンズ、キッズのプレタポルテ、バッグ、シューズ、アクセサリー、ジュエリーを用意。


ケイタ マルヤマ

 銀座三越で開催したポップアップイベント「丸山敬太の縁起物市」で販売したエコバッグ(税込5500円)は「虎」と「トラディショナル」を掛けて、過去のアーカイブ刺しゅうからモチーフを選んだ。イベント終了後も公式ECサイトで販売中


オニツカタイガー

 「オニツカタイガー(ONITSUKA TIGER)」にとって虎はブランドを象徴する特別な存在。虎モチーフのさまざまなアイテムを1年を通して発表予定。


アナ スイ

 「アナ スイ(ANNA SUI)」のアクセサリーは、メタルのベースが大人っぽく、挿し色で入った星や稲妻がポイント。きらりと輝く流れ星に乗る虎は、きっとハッピーを運んでくれる。


フリークス ストア

 フリークス ストア(FREAK’S STORE)は寅年に合わせた別注アイテムが豊作。公式サイトでは、生田目先生が監修した「2022年開運寅診断」が受けられる。質問に答えると、タイプ別の性格と開運アクション&アイテムを紹介してくれる


ラッシュ

 「ラッシュ(LUSH)」のバスボム「ラッキータイガー」。ゴールドのラメがバスタブに広がり、ぜいたくなお風呂タイムを演出する。パチョリ、スイートオレンジ、シベリアモミをブレンドしたエッセンシャルオイルの豊かな香りが特徴。


スターバックス

 「スターバックス(STARBUCKS)」は、「とにかくかわいい日本の冬」をテーマに、だるまや富士山、三毛猫などをかわいらしく表現した雑貨を販売。


ヴァンズ

 「ヴァンズ(VANS)」の「“タイガーパターン”パック」シリーズからは、タイガー柄の人気スニーカー3型が登場。デジタルプリントでファーやハラコのような素材感を表現した。


ジル サンダー

 「ジル サンダー(JIL SANDER)」は、今年の干支である寅に焦点を当てた“タイガーコレクション”を発売。挑戦する勇気と自信の象徴であるトラモチーフを取り入れ、水彩画でメゾンらしい穏やかな表情に仕上げた。


ミュウミュウ

 「ミュウミュウ(MIU MIU)」の新年を祝した「タイガー Tシャツコレクション」。アニメ作品に登場するトラのキャラクターや懐かしのヒーローに着目し、ディズニーアニメ「くまのプーさん」のティガーやティリータイガー、漫画家の辻なおきによる「タイガーマスク」、タイガーキー社の「タイガーガール」をデザインに取り入れた。


トッズ

 イタリアのレザーブランド「トッズ(TOD'S)」の新年を祝したリミテッドエディションは、寅の美しいシマ模様と旧正月のラッキーカラーである赤とゴールドからインスピレーションを得たデザイン。


ハンター

 英国ブランド「ハンター(HUNTER)」の寅年を祝うアジア限定コレクション。同ブランドを代表するラバーブーツ(税込2万350円)とバックパック(2万5300円)は子ども用も用意する。

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気学風水で占う 2022年は攻めのファッションにトラ(虎)イせよ

 今年はイヤー・オブ・ザ・タイガー。パワフルな1年になる予感!気学風水鑑定家の生田目先生に2022年を占ってもらった。後半では運気アップを期待できる寅年アイテムをご紹介。

WWD:ずばり、寅年の今年はどんな1年になる?

生田目浩美.(以下、生田目):「虎は千里往って千里還る」ということわざがあります。虎は1日のうちに千里の距離を往復できるという意味で、行動的で勢いがある年になることを示しています。虎がなぜ千里の距離を戻ってくるかというと、巣穴で子どもが待っているから。身内に対する愛情や優しさも持ち合わせているのです。つまり、「行動」と「愛情」が大事になる年。かつ干支でいう寅は若木を表していて何かの始まりの兆しで、良いスタートダッシュが切れる1年です。勢いよく行動し、利他愛を持ちながら過ごすと良いでしょう。また、今年は36年に1度回ってくる「五黄の寅」の年です。帝王の星、五黄土星と百獣の王のような虎が合体しているので非常にエネルギッシュなため、天変地異などの可能性も出やすい流れがあります。備えあれば憂いなし。安心を得るために、備えをしっかりしておくと良いでしょう。

WWD:開運を呼ぶファッションのポイントは?

生田目:「虎のように堂々と」がキーワードに。アクティブに動ける格好や攻めのファッションの運気が良いです。また、干支でいう寅は夜から朝へと変わる時間帯を示しています。2面性を持つリバーシブルや異素材を掛け合わせたアイテムもおすすめです。若木の「新しい芽が出る年」でもありますから、今までにしたことのないファッションに挑戦するのも良いですね。

WWD:やはり、タイガー柄は必須?

生田目:ありですね。そもそも、周りからの意識が集まるものは運気が高いんです。寅年の今年は、みんなが虎を意識しているので、タイガー柄には注目が集まります。タイガー柄でなくとも、虎にまつわるものを身に着けることで自然と集まる周りからの運気を自分のものにできるでしょう。

WWD:ラッキーカラーは?

生田目:ゴールドと赤。赤は火を表しているので、ワンポイントで使えば、全体に燃え広がります。全身赤コーデのようなやり過ぎは禁物です。ゴールドは天のエネルギーを引き寄せます。アクセサリーやメイクなどで取り入れると、幸運が舞い込みやすいでしょう。

WWD:そのほか開運のためにできるアクションは?

生田目:金運であれば丸くて、白くて、ツヤツヤしたものを持ったり、食べたりすると良いです。お団子とかゆで卵とか。数字で言えば、「3」「5」「8」。「3・5・8」とプリントされたTシャツなんかがあったら良いですね。あんまりないでしょうけど(笑)。仕事運であれば、ネギとサトイモを食べると良い。文房具などよく使うアイテムに名前を入れるとそれがパワーアイテムになりますよ。

WWD:逆に気を付けるべきことは?

生田目:2000年を超えたあたりから、思ったことやイメージしたことが実現するスピードが速くなっています。ハッピーなことであれば良いですが、逆に悪いことを想像してしまうとそれが現実になってしまう。常に良いこと、楽しいことを想像するように心掛けてください。


運気アップを期待しタイガ〜 注目寅年アイテム

バレンシアガ

 「バレンシアガ(BALENCIAGA)」からは「バレンシアガ イヤー オブ ザ タイガー」シリーズが登場。メンズとウィメンズ、キッズのプレタポルテ、バッグ、シューズ、アクセサリー、ジュエリーを用意。


ケイタ マルヤマ

 銀座三越で開催したポップアップイベント「丸山敬太の縁起物市」で販売したエコバッグ(税込5500円)は「虎」と「トラディショナル」を掛けて、過去のアーカイブ刺しゅうからモチーフを選んだ。イベント終了後も公式ECサイトで販売中


オニツカタイガー

 「オニツカタイガー(ONITSUKA TIGER)」にとって虎はブランドを象徴する特別な存在。虎モチーフのさまざまなアイテムを1年を通して発表予定。


アナ スイ

 「アナ スイ(ANNA SUI)」のアクセサリーは、メタルのベースが大人っぽく、挿し色で入った星や稲妻がポイント。きらりと輝く流れ星に乗る虎は、きっとハッピーを運んでくれる。


フリークス ストア

 フリークス ストア(FREAK’S STORE)は寅年に合わせた別注アイテムが豊作。公式サイトでは、生田目先生が監修した「2022年開運寅診断」が受けられる。質問に答えると、タイプ別の性格と開運アクション&アイテムを紹介してくれる


ラッシュ

 「ラッシュ(LUSH)」のバスボム「ラッキータイガー」。ゴールドのラメがバスタブに広がり、ぜいたくなお風呂タイムを演出する。パチョリ、スイートオレンジ、シベリアモミをブレンドしたエッセンシャルオイルの豊かな香りが特徴。


スターバックス

 「スターバックス(STARBUCKS)」は、「とにかくかわいい日本の冬」をテーマに、だるまや富士山、三毛猫などをかわいらしく表現した雑貨を販売。


ヴァンズ

 「ヴァンズ(VANS)」の「“タイガーパターン”パック」シリーズからは、タイガー柄の人気スニーカー3型が登場。デジタルプリントでファーやハラコのような素材感を表現した。


ジル サンダー

 「ジル サンダー(JIL SANDER)」は、今年の干支である寅に焦点を当てた“タイガーコレクション”を発売。挑戦する勇気と自信の象徴であるトラモチーフを取り入れ、水彩画でメゾンらしい穏やかな表情に仕上げた。


ミュウミュウ

 「ミュウミュウ(MIU MIU)」の新年を祝した「タイガー Tシャツコレクション」。アニメ作品に登場するトラのキャラクターや懐かしのヒーローに着目し、ディズニーアニメ「くまのプーさん」のティガーやティリータイガー、漫画家の辻なおきによる「タイガーマスク」、タイガーキー社の「タイガーガール」をデザインに取り入れた。


トッズ

 イタリアのレザーブランド「トッズ(TOD'S)」の新年を祝したリミテッドエディションは、寅の美しいシマ模様と旧正月のラッキーカラーである赤とゴールドからインスピレーションを得たデザイン。


ハンター

 英国ブランド「ハンター(HUNTER)」の寅年を祝うアジア限定コレクション。同ブランドを代表するラバーブーツ(税込2万350円)とバックパック(2万5300円)は子ども用も用意する。

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義足製作からシューズ販売員へ 医療知識を駆使、足から延ばす健康寿命 京王百貨店小川直子

 かつては人生60年時代と言われていたが、今では人生100年時代に突入している。街を見ていると元気なシニア層が増えた。だが、高齢になると足腰の強さが寿命にも直結してくるらしい。高齢者に限らず、少々歩きにくいがデザインに一目ぼれして買った靴なのに、結局まったく履かない……とか、出かける時は痛くなかったのに一日歩き周り、帰る頃には足が痛くて憂鬱になる……なんていうこともあるのではないだろうか。京王百貨店新宿店婦人靴売場の小川直子さんは、約16年に渡り、義足の設計・開発・製作に関わってきたユニークな経歴を持つ。小川さんは、デザインと機能の両面を考えて選ぶ必要がある“靴の販売”に未来を感じたという。

―建築設計から義足製作、さらに靴の販売へ至った経緯は?

小川直子さん(以下、小川):最初の設備設計の仕事は立て続けに2社も傾き、それなら義手や義足製作で設計の知識が役に立つだろうと医療業界に行きました。入社した義肢装具制作会社は独創性に富み、患者に寄り添い、パーツが合わなければ何度でも修正して良いものを作ろうとする会社でした。ですが、この会社も利益面の問題で経営者が変わることになり、大変悩みましたが医療業界から離れてみることにしました。

―医療業界の方が、収入や業界的にも安定しているようにも思うのですが……。

小川:介護業界も考えましたが、今まで培ってきた知識を生かせることを仕事にしたかったんです。販売職は未知の仕事でしたが、改めて自分に何ができるかと考えたときに「靴も医療の延長上にある」と思ったんです。義足を作っていた時から患者さんに「どんな靴を履いたらいい?」という相談をされたこともあり、担当ではなかったですが整形靴も会社で作っていたので、そこで得た知識を生かせるとも思いました。また、前職の企業は長い間、「患者さんの人生をより良くしていこう」という強い思いがあったので、同業他社へ転職したところで、仕事のギャップに自分自身がストレスをためてしまうと思ったのです。

―「誰かの助けになりたい」という思いが強いのですね。販売職も共通することが多いと思うのですが、実際に働いてみてどうでしたか?

小川:勤めたばかりの頃は、帰宅したら疲れてすぐ寝ていました(笑)。想像以上に接客というのがエネルギーをとても使う仕事だと分かりました。でも仕事は本当に楽しくて、同僚からは「そんなにいつも笑顔じゃなくてもいいんだよ」と指摘されるくらい、自然と笑みがこぼれていました。売り場の先輩は「疲労?なんのこと?」みたいな雰囲気でにこやかな顔をして店頭に立っていて、販売員は本当にすごいなぁと思っていましたね(笑)。前職では一人の患者さんと何度もお会いすることになるので、初対面の方と会うような“エネルギー”を使うことが少ないんです。店頭は常に初めましてが多く、その都度エネルギーを使うのを実感していました。

―よく取材で「お客様から元気もらうこともあれば、元気を与えることもある」と聞きます。この仕事はお客さまとエネルギーを交換し合う仕事なんですよね。

小川:販売員さんからの接客なしでネットで買い物ができるようになった現代でわざわざ店頭に来るのは、そこで発生するコミュニケーションも楽しみたいという方も結構な割合でいらっしゃいます。だからこそ、販売員が単なる買い物以外の付加価値を与えられないなら、それは販売員として致命的です。なので、この仕事を始めた当初は、ファッションの知識がほとんどなかった分だけ、医療や健康面から考えた靴の選び方の知識を付加価値として生かそうと考えました。ただ、ファッションの選び方と違い、医療の場合は「適合」という考え方で靴を選ぶため、始めた頃は大変でした。

―『適合』ですか?

小川:医療の観点から言えば、緩い靴を履いていたら歩きにくいですし、転倒の恐れもあるので、できれば足のサイズや形にピッタリ合ったモノ、要は「適合」した靴を履くべきという考え方なんです。でも、一般的な靴のフィッティングだとデザインの好みと並んで、きつめが好き、ゆるめが好きといった具合にお客さま一人ひとりの履き心地の好みを加味しますよね。だから、それを一律で「適合していません」と切り捨てるわけにはいきません。店頭ではお客様のご要望やお好みのフィット感をうかがった上で、落としどころとしてその時のベストなサイズ提案を心がけています。最初の頃はそのお客さまの気持ちやニーズが分からず、とにかく余計なことは言わないようにしよう、気持ちよくお買い上げしてもらおうとだけしていました。

―人によっては足を大きく見せたいから大きい靴を選ぶ方もいますし、健康のことや歩行のことを考えると適合するサイズを履いていただいたほうが良いですよね。もどかしい。

小川:例えば義足の場合、今残っている筋や腱を痛めず、健康寿命を延ばして生活していくためここを重心線にしようと決めるのですが、理想の重心線では患者さんが筋肉をすごく使うことになり、とても疲れるんです。だから義足をつけたくないということもあります。100%適合する義足でも使わなければ意味がないので、患者さんと担当医と相談し、リハビリの進行具合、筋や腱の状態を考えながら落としどころを決めて製作していました。こうした仕事のやり方は今の仕事にも生かされています。私が今、売り場でチャレンジしているのが「お客様の健康寿命を延ばす」というコト。「私は24cmよ」と言い切るお客様の足を実際に計測すると22cmということは普通によくありますし、誤差が1cm以上というのもざら。適合していないから、と22cmの靴をお勧めしても、お客さまからは「2cmも小さいから」と拒否されますし、購入しても履かない可能性があります。そこで、落としどころとして「23cmにしてみてはいかがですか?」と提案し、歩きやすさを実感することで少しずつお客様の心を動かし、最終的には適合している22cmを履いていただけるように誘導していくのです。

―ほう!一見、誤魔化しているようにも思えますが、最終的にはお客様が健康で生き生きとした生活が送れるようになるということですよね。

小川:そうですね。ご年配の方ほどご自身のサイズの思い込みが強いので、一回の接客ではお客さまの気持ちを汲み取りきれません。それ自体は医療の現場でも同じだったのですが、前職の知識を用いつつ接客ができるのは、売り場の同僚や仲間の理解があり、個人の能力を伸ばそうとしてくれるから。既製靴の知識がなかったので、勉強会に参加できるようにシフトをやり繰りしてもらったり、とても感謝しています。他店やシューズメーカーではこんな働き方はできなかっただろうと思います。

―客層が幅広い百貨店だからこそ、お客様の健康を考えた接客が必要だったのかもしれませんね。

小川:最近、マネージャーと健康寿命と平均寿命、QOLについて話をすることがあります。日本の健康寿命と平均寿命の差が、男性は約9年、女性は約13年と大きな差があるのです。医療関係に話を聞くと「足腰が弱るとおしまい」と言います。私もその通りだと思っていて、前職時代に、寝たきりの人が起き上れたり、車いす生活の方が立てるようになり、視線の高さが変わると生きるモチベーションが変わるのを目の当たりにしてきたので、立って歩けることの大切さを実感しています。お客さまが好きなデザインで、かつ歩きやすい靴を提供することで、健康寿命と平均寿命の差を縮められれば、お買い物も楽しめるし、人生も豊かになって、とても良いことなのじゃないかと思うのです。

―仰る通りです!

小川:京王百貨店に行けば知識のあるシューフィッターがいるから、靴を買って、館内でお食事でもして、楽しんでいただき、健康寿命まで延びる。そう考えたら、とてもやりがいがある仕事だと思いました。QOLを高めるためにその婦人靴売り場として、大々的に何ができるかと打ち出すわけではなく、一客一客の接客を丁寧にすること、お客様に合った商品を提案することしかないですが、とても意義のある仕事だと思っています。

―素晴らしい考え方ですね。

小川:でも、まだまだ先輩方に比べたら、勉強が足りていません。勉強になる方々ばかりに囲まれているので、日々、学ばせていただいています。

―先輩方の接客のスゴイところは?

小川:ファーストアプローチとか、例えば私が声をかけて失敗してもその後に先輩が声を掛けると上手くいく。タイミングは今だったのか!と見極めがまだ甘い。商品知識も幅広く、その中からお客様の要望と上手くすり合わせて提案していくところ。あと、表現の仕方ですね。例えば「外反母趾で親指が出て恥ずかしい」という否定的な言葉でも上手くキャッチして、「それならお客様にはこういう形がお勧めです。収まりが良いのでお試しください」とサラリと口に出せるのが素晴らしいです。

―ベテランのなせる技って感じですね。最後に今後の目標を教えてください。

小川:先ほどもお話ししたQOL、お客様の人生にも関われる接客、靴の提供を日々多くのお客様にできればいいなと思っています。百貨店だからこそ、メーカーの垣根を越えて提案することができますので、売り場にあるすべての靴を使いながら、より良い一足を一人でも多くのお客様に提案できるように、日々積み重ねていきたいなと思っています。

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シルヴィア・フェンディが挑んだメンズファッションの解放 「フェンディ」2022-23年秋冬メンズを語る

 「フェンディ(FENDI)」は、ミラノ・メンズ・ファッション・ウイークで現地時間1月15日に2022-23年秋冬メンズ・コレクションを発表した。メンズでリアルのショーを開催するのは1年半ぶりで、ミラノのオフィス内を会場にセットを組んだ。コレクションのテーマは"狂騒の20年代"。アメリカの1920年代を現す言葉で、第一次世界大戦後に経済が好転し、芸術や文化、文学が花開いた時代だ。クリエイティブ・ディレクターのシルヴィア・フェンディ(Silvia Fendi)は、”狂騒の20年代"のようにファッションの新たなスタイルを開花させるべく、クラシックに焦点を当ててメンズウエアを再解釈。「再びドレスアップすることの喜びを示すため、洗練されたコレクションを作りたかった」と彼女は言う。"狂騒の20年代"を現代に巻き起こすために必要なものとは?今季のコレクションについて、シルヴィアに詳しく聞いた。

ドレスアップの喜びを再び

ーー2022-23年秋冬メンズコレクションの着想源は?

シルヴィア・フェンディ「フェンディ」クリエイティブ・ディレクター(以下、シルヴィア):クラシックスタイルの原型とロマン主義的な世界観に触発され、それを現代の日常着に押し上げたかった。私たちは過去2年間ドレスアップの機会を極端に失い、フーディーやスエットパンツを着用して多くの時間を自宅の中で過ごした。だから再びドレスアップすることの喜びや、時代が進んで私たちも成長したことを示すため、とても洗練されたコレクションを作りたかった。

ーー1年半ぶりにリアルなショーを開催した理由は?またスポットライトを鋭く照らすシンプルな演出の意図は?

シルヴィア:リアルのショーをできるかどうかという不安定な状況だったが、通常は会場に1300の座席を用意するのを120に絞って開催した。例え多くのゲストを迎えられなくても、リアルなつながりを生み出すショーの開催は重要だと考えたから。シンプルな演出にしたのは、ショーではなく洋服に焦点を当てるため。意思を持った男性が力強く歩みを進める姿を映したかった。

ーー過去2シーズンのデジタルでの発表を経験し、デジタルとリアルの違いは何だと感じている?

シルヴィア:デジタルの経験は非常に興味深く、楽しみながら制作できた。映像の場合はイメージをコントロールしやすいため、見る人に強いインパクトとパワーを与えられる。映画業界が文化的に重要な役割を果たしているのはそのためだろう。今季は非常に限られた席数のため、リアルの完全復帰ではなく、デジタルとリアルのミックスだったと言える。やはり瞬間的な感情の喚起や人々の感情のつながりは、リアルでこそ生まれるものだ。ショー最中にバックステージにいても、私はゲストの感情や緊張感を感じられるし、最後に拍手で迎えられるのも特別な瞬間だ。規模を縮小せざるを得なかったとはいえ、今季は私たちが物理的なつながりに戻る出発点になるだろう。

「ストリートウエアはもう十分」

ーーコレクション制作おいて最も大切にしていることは?

シルヴィア:創造性の自由を常に意識し、コレクションに可能性と実験性をもたらすこと。「フェンディ」には、それを具現化できる卓越した職人たちがいる。彼らがいるから、パンデミックの影響でたくさんの工場が閉鎖する厳しい状況のときでさえ、新しいことに挑戦し、あらゆる境界線を破ることができるのだ。昨年のクリスマスあたりに感染が再び拡大し、制作に遅れが生じるなど誰もが困難を強いられた。しかしその分、私たちは柔軟で寛容さを身につけることができた。結果的に今シーズンも全てを完成させられて本当に嬉しいし、私たちにとっては神話的なコレクションになった。

ーー世の中の男性は今ファッションに何を求めていると考える?

シルヴィア:ストリートウエアはもう十分。今こそ“新しい洗練されたスタイル”を再考すべき。今季のコレクションで、私は洋服に焦点を当てたかった。今ではほとんど忘れ去られたように見える“洗練とエレガンス”の概念を分析し、着心地が良く、着る人にドレスアップの作法を取り戻させるような洋服をデザインした。ストリートウエアの流行でドレスアップは一つの儀式のようになってしまっているため、男性がブローチやイヤリングを着用するという、私のお気に入りのアイデアを取り入れた。

ーージュエリーだけでなく、今季は“ジェンダーニュートラル”の意思を示すスタイルも多くあったが?

シルヴィア:今、私が最も関心を寄せていることの一つだ。メンズとウィメンズの洋服の境界線は曖昧になり、女性は男性のジャケットやスーツを着用し、形式張ったメンズウエアの世界は自由に解放され始めた。人々は多くの境界線を再考しており、ファッションにはそれを打開する力があると思う。これまでもファッションは自由を表現し、人々を制限していたコードから解放するために重要な役割を担ってきた。私はコレクションを作っているときに、初めてメンズのジャケットを着た女性はどのように着たのだろうかとを考えた。そして、なぜ男性は女性のワードローブから洋服を借りることができないのかも想像した。だって、スーツがスカートであってもいいはずだから。今は特に若い世代にジェンダーニュートラルの傾向が強く、自由な思考を尊重することはとても重要だと考えている。

ーージェンダーニュートラルなスタイルは、Z世代にアプローチする目的も含んでいる?

シルヴィア:「フェンディ」は常に変化を受け入れることにオープンだし、私は「不可能なことは何もない」といつも言っている。だからクラシックとアバンギャルドの融合も、とても自然な流れだった。私たちの基盤は、品質と創造性を維持すると同時に、革新と実験性に常に挑み続けるため、新しい研究と技術に投資している。近未来を受け入れ、リアルかつバーチャルなラグジュアリーの架け橋となることが重要だ。今季発表した、レジャー(Ledger)社との協業による、暗号資産ハードウェアウォレット(仮想通貨を安全に保管するためのツール)のテックアクセサリーは、その革新的な第一歩である。

ーーZ世代のニーズを汲み取る方法とは?

シルヴィア:「フェンディ」チームのスタッフはとても若く、いつも「私はみんなの母だ」と言っている。彼らからインスピレーションを得ながら、上の世代と何が違うのか、何を望んでいるのかを感じ取ってきた。偏見を持たず、心をオープンにして好奇心を持ち続けていれば、若い世代とつながり、クリエイションにも影響を与えてくれる。

ーーあなた自身も「フェンディ」メンズの洋服を着用している?

シルヴィア:いつもメンズを着ている。母は私の未来を予期していたのか、幼い頃にピンク色のかわいいドレスを着させることはなかった。この社会で生きていくために、男性的に振る舞う強い女性になれるよう準備させてくれたのかも。

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「バレンシアガ」やKOHHを魅了する造形作家・池内啓人 オタク文化発の“組み合わせ”の手法を語る

 造形作家・池内啓人が「ミヤシタパーク(MIYASHITA PARK)」内のギャラリー、サイ(SAI)で個展「IKEUCHI HIROTO EXHIBITION」を開催している。池内は、幼少期に見て影響を受けた「機動戦士ガンダム」や「ゾイド(ZOIDS)」といったアニメや映画を軸に、既製品のプラモデルや工業製品のパーツを組み合わせて作り上げるヘッドセットやマスクで知られる気鋭作家だ。彼の生み出す作品の数々は、身の回りのありふれたものを素材として組み合わせることで非日常感を帯び、ノスタルジックでありながら近未来的でもあり、見る者を童心に帰してくれる。

 過去には仏インディペンデントファッション誌「パープル ファッション マガジン(Purple Fashion magazine)」の表紙を飾ったほか、韓国発のアイウエアブランド「ジェントル・モンスター(GENTLE MONSTER)」のアートプロジェクトや、ラッパーKOHHのミュージックビデオ、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)のポップアップにも作品を提供。さらに「バレンシアガ(BALENCIAGA)」が2022年春コレクションのキャンペーンで池内の作品を多数起用するというコラボレーションを実現させた。個展の開催に合わせ、池内にアーティストを志したきっかけや“組み合わせ”の作風に至った経緯などを聞いた。

——幼い頃に、今の作風に通ずる「機動戦士ガンダム」や「ゾイド」に引かれていたのは何が理由だと思いますか?

池内啓人(以下、池内):理由は……分からないですね(笑)。ほかにも「スター・ウォーズ(STAR WARS)」や「ビーストウォーズ」(注:「トランスフォーマー」シリーズの1作目)を観ていたし、純粋にそういったものが多かった時代だからだと思います。中高生時代は普通のオタクで、「涼宮ハルヒ」シリーズを読んだり、「らき☆すた」を観たりしていました。

——中高生の頃から将来的にアーティストになることを思い描いていたのでしょうか?

池内:全くなかったですね。高校時代に勉強ができなかったので進学先について悩んでいたところ、美術の先生に美大を勧められたので多摩美術大学に進学を決めた感じです。

——そのときからすでに光る才能があったということ?

池内:いいえ、美術の授業は勉強しなくてよかったから、ほかの教科と比べて好きだった程度。本当に勉強ができなかったので、美術の成績だけが良く見えたのだと思います(笑)。

——大学進学を機に現在の作風の軸となるプラモデルや模型作りをはじめたとのことですが、きっかけは?

池内:模型作り自体は、高校卒業から大学入学までの暇な時間に始めていたんですが、大学に入ってみると周りの人たちは何かしらの一芸に秀でていたんですよ。その輪に入るには僕も一芸を身に付ける必要があり、その時ハマっていた模型作りを極めることにしたんです。「ガンダム」や戦闘機とか、一般販売してるものは割となんでも作ってましたね。大学の授業では平面のグラフィックなどを作っていたんですけど、そこまで得意ではなくて。そうこうしているうちに卒業制作の時期になり、趣味だった模型を生かしたジオラマを作りました。

——その卒業制作の際に、初めて“組み合わせ”の技法を思い付いたそうですね。

池内:“組み合わせ”に対してひらいたような感覚は特にないですね。模型作りであれば、「ガンダム」が本来持っていない武器を持たせられるし、同人誌をはじめとするオタクの2次創作文化であれば、オリジナルの作者が意図していないことを勝手に創作する引用やサンプリングの手法が一般的にありますから。それに、身の回りにあるものを組み合わせる手法は、造形作家の横山宏さんがやっています。サンプリング的な“組み合わせ”は昔から人類のみんながやってきたことです。

——日常にある物で非日常な作品を生み出していますが、素材の調達やイメージソースは?

池内:「アマゾン」や「ヨドバシカメラ」で購入することがほとんどです。パソコンの基盤が必要であれば自分で解体することもあるし、もらうこともあります。アトリエが物であふれていそうだと思われがちですけど、そうでもないんですよ。約2年ごとに引っ越ししているので、運ぶのがめんどうで全部捨ててますから(笑)。イメージソースは、人に勧められた本や映画、その時に好きなものや時代感など、フィクションとノンフィクションが混ざり合っています。自分から作りたいものがあまり浮かばないので、何かしらの外的要因がないと制作しないですね。過去には「アクロニウム(ACRONYM)」のアパレルがイメージソースだったこともありますし、最近はネットフリックス(NETFLIX)のアニメ「アーケイン(Arcane)」がおもしろかったので、近いうちに影響された作品ができるかもしれません。そのときの感情や好きなものの意思を残しつつ、僕の中でろ過して作品に落とし込んでいます。

——作品を制作する際は、具体的なイメージができ上がってから着手するのか、それとも制作しているうちにイメージが固まっていくのでしょうか?

池内:作っているうちにイメージが固まっていくことが多いです。でもその通りになることはほとんどなくて、僕自身どうやって作っているか分からないうちに気付いたら完成しています。自分から「あんなものを作りたい」というゴールもあまりなくて、何かに影響を受けたら取り掛かりますね。

——ヘッドセットやフェイスマスクを例に作品の多くが左右対称で、ロジカルなアプローチで作り上げていると感じます。

池内:スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick、左右対称の構図を好む映像作家)の作品は大好きですね。左右対称の作品が多いのは、僕が人の感情や神秘性、印象的なものを全く信じていないからかもしれません。それよりも数学的なものを信頼していて、「非対称だからこそ作品に神秘的なものが宿る」的なことはないと思っています。そういえば、今回の展示で作品を設置していた際、ギャラリーの方にどれにもサインが入っていないことを驚かれました。僕はそういうものに意味があるとは考えていないので入れておらず、そもそもサイン自体ありません。

 普段から人間の主体性が好きじゃないんですよね。思い返してみると、僕らの世代のゲームやアニメのオタク文化って、今と比べて主人公の顔や主体性がないことが多かったんです。それで育ってきたから自分が主体になるのが得意ではなく、無理やりこじつけると顔を隠すフェイスマスクの制作にもつながっているのかもしれません。

——無機質な作風からどことなく電子音楽が好きなのかなと思いましたが?

池内:おそらくそう感じたのは、作品に人間の意図や主体性があまりないからかもしれません。普段は友人に勧められたアーティストを聴くことが多いですね。最近は「アイドルマスター シャイニーカラーズ」をプレイしているのでその楽曲をずっと聴いていて、落ち込んでいる時は環境音を聴きます。

——「文化庁メディア芸術祭」で優秀賞を受賞したことから広く名が知られるようになりましたが、これがアーティストの道を歩むきっかけですか?

池内:どうなんでしょう……仕事がもらえるかなとは思いましたけど、ひと段落したらこの世界から離れようと考えていたんです。周りにずっと流されるまま、今ここにいる感じです(笑)。

——以前にはラッパーKOHHのミュージックビデオや、エイサップ・ロッキーのポップアップに作品を提供していましたね。

池内:KOHHさんは、現在マネジメントを務める深水くららが元KOHHチームで、僕の作品を知っていたことから「 I Want a Billion」のMVでヘッドセットなどを提供することになりました。また、これがきっかけでラストアルバム「worst」のアートワークも担当しています。エイサップ・ロッキーのポップアップで作品が使用されたのも彼女のおかげで、エイサップ本人も気に入ってくれたみたいです。

——今回の展示「IKEUCHI HIROTO EXHIBITION」では、まず初めに「バレンシアガ」2022年春コレクションのキャンペーンで目を引いた外骨格型スーツが設置されていますね。

池内:ロボット製造業者スケルトニクス(Skeletonics)とのコラボレーションで制作したものです。「バレンシアガ」との協業は、マネージャーに「『バレンシアガ』って知ってる?」って言われて、「名前は知ってます。スニーカーがカッコいいですよね」って答えたらチームアップが決まっていました。オタクはファッションに疎いですから(笑)。キャンペーンでは外骨格型スーツのほかにヘッドセットとフェイスマスクも登場しています。

——「バレンシアガ」のキャンペーンに登場していた作品や「ジェントル・モンスター」と制作したものも含め、ヘッドセットとフェイスマスクは10点展示しています。

池内:どれもVRゴーグルやシュノーケリングマスクなどベースとなるものがあって、それに「ガンプラ」や「ゾイド」などを装飾として組み合わせています。そして、既製品が持つ機能性を損なわないことをモットーに制作しているため、原理的には全て実際に使用することができます。「ジェントル・モンスター」との作品はかなり昔にアートピースを作る企画のために制作したのですが、もともと交流のあったアーティストが同ブランドに入社したことがきっかけですね。後頭部には、増槽(兵器外部に取り付けられる追加の燃料タンクのこと)を模してソニー(SONY)のウォークマンを挿しています。

——今後、文明の発展と共にプロダクトはますますスマート化していき、池内さんが得意とするアナログの雰囲気を持つ素材は少なくなることが予想されます。

池内:そうですね。iPhoneやVRゴーグルのように、どれも時代を追うごとにアップデートしスマート化・小型化していくでしょう。ただ、必ず初期段階のものは大きかったりゴツかったりするんですよ。それにiPhoneなら少し前のモデルというだけで古さを感じますよね。だからあまり気にしていないです(笑)。

■IKEUCHI HIROTO EXHIBITION
会期:〜1月30日
時間:11:00〜20:00
場所:SAI
住所:東京都渋谷区神宮前6-20-10 MIYASHITA PARK 3階
料金:無料

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2021年最も話題を集めたデザイナー、デムナが「バレンシアガ」のビッグイヤーを振り返る

 2021年は、まさにデムナ(Demna)「バレンシアガ(BALENCIAGA)」アーティスティック・ディレクターにとって大きな1年だったと言える。7月には50年以上ぶりに再開したオートクチュール・コレクションをお披露目し、9月のメットガラではキム・カーダシアン・ウェスト(Kim Kardashian West)の覆面ドレスなどの衣装を手掛けた。そして、10月のパリコレではレッドカーペット・イベントを再現し、新作コレクションと共に「ザ・シンプソンズ(THE SIMPSONS)」とコラボしたオリジナル作品を上映。そのほかにも、「グッチ(GUCCI)」のアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)クリエイティブ・ディレクターとお互いのコレクションを“ハッキング”し合ったり、人気オンラインゲーム「フォートナイト(FORTNITE)」のためにデジタルファッションを制作したりと、その一挙一動が話題を集めた。22年に入ってからも「イージー(YEEZY)」と「ギャップ(GAP)」のコラボレーションライン“イージー・ギャップ”とのコラボを発表するなど、その動きが見逃がせないデムナが、昨年の取り組みを振り返るとともに仕事への向き合い方を語る。

米「WWD」(以下、WWD):「バレンシアガ」のクチュール・コレクション再開は、ファッション業界における歴史的なニュースだった。クチュールは、デザインワークにどのような影響を及ぼしている?

デムナ=アーティスティック・ディレクター(以下、デムナ):クチュールを始めたことで、素晴らしいファッションや上質な服を生み出すための時間がいかに重要であるかを実感した。プレタポルテでは、もうそんな時間を確保することはできないからね。フィッティングの時間や、デザイナーとしてアームホールを調整する時間、ディテールや生地、仕上げを考える時間など、特定の製品にかける時間を増やすため、プレタポルテ・コレクションの負荷を減らす必要があると思った。それから、個人的なことでは、久しぶりに自分自身に絶対的な自信を持てたよ。自分のビジョンが明確になったし、これこそ本当に自分がやりたいことだと感じた。クチュールに取り組んでいる時、ふと自分が楽しんでいることに気づいてね。流れに逆らったり戦ったりしているわけではなく、大好きなことをやっているんだ。

WWD:その一方で、22年夏コレクションの発表では、「ザ・シンプソンズ」というとても親しみやすいものを選んだ。その理由は?

デムナ:私はいつも、自分のビジョンを明確に表現できる新たな分野を探している。今回の発表はクチュールよりも前から計画していたもので、自分が何を見せたいかという点での長期的なシナリオの一部だった。7月にクチュールがあることは分かっていて、それは私にとって、とてもエモーショナルかつシリアスで、静かな瞬間だった。だから、その後に来るものは、ブランドの表現としてもっとポップカルチャー寄りで面白いと同時にコンセプチュアルである必要があると考えた。

WWD:そのために、パリコレのイベントでは「ザ・シンプソンズ」を軸に華やかな映画のプレミア(試写会)のようなスペクタクルな演出をしたと?

デムナ:クチュールでは、セレブリティともっと一緒に仕事をし、どこか並外れた存在になるというアイデアに、自分自身とバレンシアガを開放した。「セレブリティは今の時代、何を意味するのか?」という自分自身の疑問を浮き彫りにする必要があったからね。私の挑戦は、いつだって「バレンシアガ」での私の取り組みをフォローし、製品を購入し、私がもたらそうとしているマインドセットを分かってくれる存在であるオーディエンスを魅了すること。次の回は、常にこれまでと異なり、刺激的かつ意表を突くもので、楽しくなければいけない。

WWD:21-22年冬シーズンのビデオ「フィール・グッド」では、愛らしい動物の赤ちゃんやドラマチックな空、抱き合う人々を映し出すなどして、製品は使わなかった。そういった演出も含め、2021年のブランドコミュニケーションでは多くの実験をしていたが、その背景にはどのような考え方があるのか?

デムナ:パンデミックの中、今までのやり方ではダメだという現実に直面することになった。ただ、それは私たちをこのコンフォートゾーンから引き出してくれるからこそ、面白い。ブランドが映像や画像を発表するとなると、なぜいつも製品についてになるのだろう?例えば、あのビデオでは「製品を入れず、メッセージだけを込めよう」と考えた。それは、「バレンシアガ」のビジョンに呼応するメッセージを視聴者に届けるというストーリーの一部。それが、必ずしもブーツやスニーカー、コートである必要はない。そして、“フィール・グッド”な映像は、まさに発表当時にふさわしいと感じた。あまりにも(一般的なものとは)異なるフォーマットだから、製品が出てこないことに気づかない人もいたよ。大切なのは小難しくなく、人を笑顔にすること。それは、ファッションが時として忘れてしまうものでもあると思う。

WWD:この約1年のコレクションの発表方法は、映画監督のハーモニー・コリン(Harmony Korine)によるVHSテープを使ったローファイなものから、最先端のビデオゲーム「アフターワールド:ザ・エージ・オブ・トゥモロー(Afterworld: The Age of Tomorrow)」まで多岐にわたっていた。実際、どのくらい先のことまで考えているのか?

デムナ:ビデオゲームと「ザ・シンプソンズ」のプロジェクトは20年3月にセドリック(・シャルビ=バレンシアガ最高経営責任者)と話し合っていたけれど、ちょうどパンデミックが始まり、今後のコレクションを見せるための別の方法を考えなければならないと気づかされた。こうしたプロジェクトの多くは3〜6カ月以上の期間が必要。例えば、「アフターワールド」では制作に9カ月近くかかり、「ザ・シンプソンズ」もかなり予測不可能なものだった。だから、私はプロジェクトを早めにスタートすることが多い。22年の計画は、もうすべて決まっているよ。もちろん、サプライズは常にあるし、私自身もサプライズが好き。そのための余白はあるけれど、核となるものもある。重要なのは、目的地があること。さもなければ、それはどこに向かっているのか分からないままタクシーに乗っているようなものだし、奇妙なことだろう。一方で、コレクションに関しては、徐々に発展してきたものであり、“進化”と言える。前回のコレクションで作ったトラックスーツのジャケットは、それより前のものより良くなっていると思う。自分の美学に近い製品を作り続け、より良いバージョンへと進化させているからね。例えるならば、iPhoneのようなものかな。iPhone 13がiPhone 12よりはるかに優れているかどうかは分からないけど、それでも確実に少しは進化しているだろう?

WWD:メットガラでは、キム・カーダシアン・ウェストと一緒に覆面姿で登場し、大きな注目を集めた。その狙いは?

デムナ:顔を覆い隠すことは、本当にプライバシーを守ることになるのか?私がそうすれば、そうなるかもしれないけれど、キムのようなセレブリティがそれをしたら?メットガラはバズを起こし、ハロウィンには彼女を真似たコスチュームで溢れ返った。そんな効果は、とても興味深いものだった。(覆面を被っているのは)キムじゃないかもしれないし、彼女の影武者かもしれない。(真実を知っている)私以外は、誰も100%の確信はない。でも、体型やシルエットが実際の顔以上にブランドとなることもあるから、顔を見る必要さえないのかもしれない。それは、人類学的な観点からもとてもワクワクすることだと思ったよ。

WWD:あなた自身も覆面姿でメットガラに参加したが、どうだった?

デムナ:まるで違う惑星にいるような気分で、自分のコンフォートゾーンとは真逆という感じだった。覆面は周りで起こっていることと私の間にあるバリアのようなもので、ほとんど自分自身でないかのように振る舞うことができた。あの場所は、居心地が悪かったからね。それから、視界があまりはっきりしないから、不安も和らいだ。ある意味、本当にあの場をやり過ごすに役立ったよ。

デムナが次に取り組むものは?

WWD:そうしたショービジネス的な要素も大きいが、その裏側で「バレンシアガ」は着々と商品ラインアップを広げ続けている。次はどんなものを考えている?

デムナ:ファッションは、私が「バレンシアガ」に加わった当初からずっと非常に重要な部分。というのも、デザイナーを生業にする私はファッションが大好きで、ファッションで目立つこと、違いを出すこと、自分自身のアイデンティティを表現することが大好きだから。でも、過激になることもあり、万人向けではないことは確かだ。その一方で、着こなしやすいTシャツやスニーカーなどのコマーシャルな製品もある。ただ、それだけではなく、私がずっと愛してやまない服があり、それは実は自分の原点でもある。私が初めて自分の手で作ったのは、シングルブレストのメンズテーラードジャケットだった。私は、脱構築よりもテーラリングからファッションを学んだので、それを少し恋しく思っている。だから次に来るものものは、シーズンを問わずタイムレスで、品質という点でファッション的なアイテムよりもはるかに高く、しかしクチュールほどクレイジーではない、とてもクラシックなワードローブというアイデアだよ。

 というのも、「バレンシアガ」のビジョンや私が手掛ける製品には、基本的にクラシックなワードローブという層が欠けているということに気づいたんだ。それは、この上なくクラシックで、仕立ての技術によって磨き上げられたワードローブのようなもの。もちろん、フィット感やプロポーションは若干アレンジするけど、通常のシーズナルなコレクションとはまったく違う方法で取り組んでいる。今年発表予定の次のクチュール・コレクションとは別に、今取り組んでいる主な仕事のひとつだよ。私の美意識の中でとても新しい“言語”であり、まだ人からあまり知られていない部分だと思うので、とてもワクワクしている。

WWD:デザイナーは、メディアからの称賛やビジネスの成功、文化的な関連性、あるいはただ人が自分の服を着るのを見ることなど、さまざまなところにやりがいを見出す。あなたにとって、ファッションビジネスの原動力は?

デムナ:毎朝、クローゼットの前で「今日におけるファッションは何だろう?それはどんなものか?気分やシルエットなど、今日は何が私を心地よい気分にしてくれるだろう?」と自分に問いかける。これがおそらく私とファッションの関係であり、ある意味、私のアイデンティティの決め手になっていると思う。

 一方で、真の意味で私の原動力になっているのはこれだ、という光景を最近見かけた。チューリッヒの街角でスケボーを楽しむ若者たちだ。その姿は15~20年前の私のようだった。シルエットや極端に長いスリーブなど、私に特有のスタイルという点でね。ただ、その子たちは私が手掛けた服着ているわけではなかったし、ブランドものでもなかった。今となっては、これはある世代を象徴するスタイルのようなものなのだろうし、ファッションでさえなくなり単なるスタイルになっている。

 そうして私がメインストリームに持ち込んだものは、もう私のものではない。でもそこに存在し、若者たちの間で独自の発展を遂げている。そうしたことが私を駆り立て、もっと遠くへ行きたい、もっと自分のコンフォートゾーンから抜け出したい、どこかにいる誰かに影響を与えるようなことをしたいと思わせてくれるんだ。私はその人たちのことを知りもしないし、多分一生会うこともないだろう。でも、私が作ったものが彼らに影響を与え、そこからスタイルが生まれるんだよ。

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アーティストの加藤泉がファッションと初の協業を決めた理由 「ディーベック」「オールモストブラック」との異色コラボ

 釣り用品の「ダイワ(DAIWA)」を運営するグローブライドのアパレルブランド「ディーベック(D-VEC)」は、中嶋峻太が手掛けるメンズブランド「オールモストブラック(ALMOSTBLACK)」と協業したカプセルコレクションを1月27日に発売する。2月2〜8日には阪急メンズ東京と大阪でポップアップストアを開催する。アイテムはユニセックスの全8型で、防水透湿性素材「ゴアテックス(GORE-TEX)」を使った機能的なジャケット(税込4万6200〜8万5800円)やベスト(同4万1800円)、パンツ(同3万800〜3万5200円)、Tシャツ(同1万3200〜1万6500円)、ハット(同1万1000円)をそろえる。グローブライドが釣り用品の開発で培った技術を生かしながら、「オールモストブラック」が得意とするミリタリーを大胆に解釈したデザインを融合。黒でミニマルなムードに統一したコレクションで、激戦の機能服市場に新風を吹き込む。そして、両者のコラボレーションを象徴するアイコンを製作したのが芸術家の加藤泉だ。世界で活躍する同氏がファッション分野で協業するのは今回が初めて。異色のトリプルコラボレーションに至った背景や意外な製作過程、アートとファッションの関係性についてを、駒込にある加藤のアトリエで聞いた。

依頼されて「なんで俺?」

WWD:まず「ディーベック」と「オールモストブラック」のコラボレーションの経緯は?

中嶋峻太「オールモストブラック」デザイナー(以下、中嶋):知人に新しいコラボレーションをしたいと相談をしていたら、グローブライドを紹介してもらった。自分が釣りをするわけではなかったが、日本を代表するメーカーの技術にとても興味があったのですぐに協業が決まった。「ディーベック」と「オールモストブラック」はブランドを立ち上げた時期が近いのでこれまでのコレクションは見ていたし、その高い技術を自分なりの表現でデザインしてみたかったので。

WWD:そのコラボレーションに加藤泉さんが加わった理由は?

中嶋:単純なコラボレーションでは物足りないと思ったから。「オールモストブラック」らしく、アートからインスピレーションを得たクリエイションを今回の協業でもチャレンジしたかった。それをうちの顧問弁護士の小松隼也さんに相談した後、東京都庭園美術館で開催していた展覧会に参加していた加藤さんを紹介してもらい、会場で作品やバンドで演奏をする姿を見て、純粋にかっこよかった。それに釣りが好きだというのも大きな理由の一つ。依頼を受けてくれるかどうか分からなかったが、絶対にお願いしたかった。

WWD:協業の依頼が届いたときはどう思った?

加藤泉(以下、加藤):え?なんで俺?という感じ。ファッションだとコム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)と展覧会を一緒に開いたぐらいで、作品で協業したことはなかった。僕はマニアックな作家なので、アートが好きな人は知っているけれど、普通の人にはあまり知られていない。だからそもそも依頼自体がほとんどこないし、僕でいいの?と。

WWD:了承した決め手は?

加藤:釣りが好きので、「ダイワ」と聞いてまず入れ食い。でもファッションはチャラいイメージがあるから、調子がいい奴や、お金儲け優先で目がドルになっている奴だったらやめようと思っていた。アート界にも怪しい人はたくさんいるから、そういうのはすぐに分かるから。でも中嶋さんに会って話すと誠実さが伝わってきた。理由がないと協業はしないけれど、釣りと人、それで十分だった。

WWD:入れ食いするほど釣りは昔から好きだった?

加藤:もう4、5歳からやっているはず。島根の港町で育ち、祖父が漁師だったので英才教育だった。今でも出張先に道具を持って行き、朝と夕方の2時間釣りをしている。だから道具も服も、出張基準で選ぶことが多い。例えば洗濯してすぐ乾く、天候の変化に対応できる、帽子に紐が付いているとか。今日着ているセーターも釣具屋で買ったもの。

たった10分で完成したアイコン

WWD:アイコンが仕上がるまではどういったやりとりがあった?

中嶋:協業が正式に決まってから加藤さんの作品をいろいろ見るうちに、雑誌の企画で針付きのルアーを実際に作ったことがあると知った。アーティストがルアーを自作して釣りをする大会で、加藤さんはダントツで釣ったんですよね?

加藤:もちろん。そのルアーをもとに、アイコンでは針を3つにするアイデアを提案した。

WWD:アイコンでルアーの針を3つにすることで、釣りの背景や、三者のコラボレーションであることが表現されていた。最終的にそのアイデアを絵として完成させるまでに、どのぐらいの期間を要した?

加藤:ぶっちゃけ10分ぐらい(笑)。

中嶋:本当に早かった。2、3日で納品されたので。「ゴアテックス」のロゴをプリントしているので、それとは違う表現として刺しゅうを選び、加藤さんにも確認してもらいながら何度も試作を重ねた。

WWD:加藤さんの作風は独特だが、制作するときは感覚で進めていく?それとも完成形を想像して仕上げる?

加藤:絵でも彫刻でも、その両方がないとだめ。ただ、分からないまま進めていく。制作中に、この作品をなぜ自分が作っていて、これはどうなっていくのかという答えが出た時点でその枝葉は終わり。だから分からない方にどんどん進んでいく。でも、一つ終わるとまた別のところが開く現象が起こるので、その繰り返し。

WWD:念願のコラボなのに、アイコンは服と同じ黒で大きさも控えめにしたのは?

中嶋:加藤さんの作品を前面に打ち出しすぎても違うし、シンボルは大きくない方がかっこいい。だから服の色に合わせた刺しゅうにし、大きさも全て統一させている。完成するまではほぼ全て任せてもらってはいたものの、それはそれでまあまあなプレッシャーだった。

加藤:完成するまでは特に心配はしていなかったけれど、もし全面に使われていたらヤバいなという思いも正直あった。だから完成品を見て、よく見るとシンボルがあるというちょうどいい具合に仕上げてくれた。

WWD:自分が作った作品が服になって販売されるのはどういう感覚?

加藤:そういう仕事ではないから、ちょっと恥ずかしいかも。作品を展示するのとは全然違う感覚。ただ絵は提供したけど控えめだし、刺しゅうや加工は中嶋さんやほかの人がやってくれたので、自分の手に負えないものという感じ。

アート×ファッションの良し悪し

WWD:アートとファッションの協業が増え、アートの間口が広がった一方で商業的になったという見方もあることについてはどう思う?

加藤:まあ、流行っているのかなという感覚。僕は専門職でやっていることもマニアックだから、見る人が勉強しないと作品について理解できないと思う。それは間口が広がっても同じこと。例えば、釣り人口が増えて安い1000円のリールがたくさん売れても、10万円の高価なリールを買う層は変わらない。僕はアート界ではその変わらない方にいるので、特にそういう商業的な流れは気にしていないかな。アーティストが何のためにアートをやっているかの話で、多くの人に自分を知ってほしいなら手段としてやればいいし、興味ないならやらない。それだけ。

WWD:ファッションと初めてコラボレーションしてみて、自身ではどう考えた?

加藤:都合がよければやろうかなと(笑)。でも一つだけ明確なのは、人によるということ。お金や知名度には興味ないから。

中嶋:アートとファッションの協業は、人と人が対話して生み出すからこそ価値があると信じたい。「オールモストブラック」としていつも目指していることだし、今回のコラボレーションでもそこにこだわった。たくさん売りたいだけなら、ただ作品をプリントしただけのような手法が正解なのかもしれないけれど。

加藤:それだったら俺に頼む必要ないもんね。もっと分かりやすい作家に頼んだ方が売れるから。

WWD:協業の手応えと今後の予定は?

中嶋:今回発売する春夏シーズンに続き、秋冬シーズンも同じアイコンを使ってアイテムを作る。春夏はいろいろなバイヤーに評価してもらったし、加藤さんとの協業がきっかけで、東京やパリ、ニューヨーク、香港、上海、ソウルに構えるギャラリー ペロタンでも2月9日に販売することになった。本当に光栄なことだし、「ディーベック」の知名度を多方面に広げるチャンスでもある。

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ベイクルーズ杉村CEOに聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.2

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材をたたえてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第2回は、「ジャーナル スタンダード(JOURNAL STANDARD)」や「イエナ(IENA)」、「スピック&スパン(SPICK & SPAN)」などのアパレル業態のほか、家具や飲食、フィットネス事業も手掛ける杉村茂ベイクルーズCEOに話を聞いた。

WWD:自身がネクストリーダー世代だったころ、どんなふうに仕事をしていた?

杉村茂ベイクルーズCEO(以下、杉村CEO):その頃の僕は、ネクストリーダーというよりも、下働きだった。高校卒業後、どうしても服屋になりたくてジュンに入社した。最初は希望したブランドとは別のブランドに配属されたが、突っ張って自分が着たい服ばかり着ていた。すると、異例にも半年後には当初希望したブランドに再配属された。しかし、そのブランドも2年ほど続けると飽きて、「もっとこういうものを作った方がいい」とビビりながらも本社の会議に出席させてもらったこともあった。生意気な若手だったと思う。

WWD:その後、22歳でベイクルーズへ転職した。どんなことを学んだ?

杉村CEO:当時のベイクルーズは、8人ぐらいの小規模なメーカーで卸売事業をしていた。私は営業で、お得意さんと話して単価の高い別注をどれだけもらえるか、どうやったら売り上げを出せるかを四六時中考えていた。インラインの商品をいかに売るかも当然大事なことだが、そればかりでは大きな売り上げを作ることはできない。ゼロからモノを作り出し、売り上げを取る方法を学んだことは、大きな財産だ。ウィメンズ商品が売れた時の爆発力を学び、ウィメンズでビシネスする感覚もその当時に身についた。小さな会社だったので、生地屋に行って自分で生地を探したり、工場とやりとりしたりすることも多かった。今は、モノ作りから販売まで全ての工程に関わることはなかなかできない。大変だったが、恵まれた環境だったと思う。徐々に会社が直営店経営へシフトし、「イエナ」のディレクターを任された時も、その経験があったからどこで何が滞っているかがよく分かった。今の新卒社員にもジョブローテーションのような制度を設けて、経験させてあげなければとも思っている。

WWD:当時から自分が望んでいない業務にも夢中になれた?

杉村CEO:夢中になるというよりも、とにかく売り上げを取らなければ怒られるからと苦し紛れだった。業務が多すぎて家にも帰れず、土曜日の夜中まで仕事して、日曜日は寝るだけのような生活。それでいて「何かネタはないのか」と突然聞かれることもあるので、それに備えるなど常に緊張感のある毎日だった。

WWD:そんな過酷な環境でも続けられた理由は?

杉村CEO:お金がなかったから(笑)。少ない給料で、4万、5万円するパンツを買って遊びに行っていては常にお金がない。でも、昔はそれが当たり前で先輩たちもみんなそんな生活だった。もちろんつらいだけでなく、ゼロからモノを生み出したり、売り上げを取れたりした時の達成感は随所にあった。

壁は越えてナンボ。どれだけ踏ん張れるかが大事。

WWD:当時どんなキャリアパスを描いていた?

杉村CEO:20〜30代の頃は給料をもらったら、好きな服を買って、焼肉を腹いっぱい食べに行こうくらいしか考えていなかったと思う(笑)。ただ、時代が右肩上がりだったから、入社以来給料が下がったこともなかった。自分の成長とともに会社も大きくなっていく時代だったから、そういう意味では、今の若い人たちと比べると幸せだったと思う。

WWD:特に苦労した思い出は?

杉村CEO:当時の営業は、取引先から代金を回収しなければならず、まるで取り立て屋だった(笑)。つぶれてしまって払えないとか、地方まで行って回収できないこともあった。それから、人見知りで、人と話すことが苦手だった。よく営業職ができていたなと思う。窪田(祐前社長)も私が社長就任した際に、「杉村はお世辞の一つも言えない」と言っていた。昔2人で車に乗っていた時も何を話していいか分からず、気まずい思いをしていた。「イエナ」のディレクターに就任して4、5年たったころ、チームと意思疎通がうまくできず、それがこじれて人間関係が悪くなった時もある。あの時は一番つらかった。

WWD:どのように克服した?

杉村CEO:その時は長く時間をかけて少しずつ修復した。今でも話す内容があれば話すが、あまりべらべら話せる方ではない。

WWD:今の20〜30代に対し、仕事への向き合い方として伝えたいことは?

杉村CEO:当時は何かしくじれば「ばかやろう」とぶたれる時代だったから、今よりも失敗に対するあたりは強かったはず。私は何か失敗したら逃げようと思っていたくらいだ(笑)。失敗することへのハードルが下がっているにもかかわらず、挑戦しないのは本当にもったいない。壁は越えてナンボ。壁を越えていかないと、到達するところはろくなところではない。どれだけ踏ん張れるかがとても大事だ。

問い合わせ先
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映画「ハウス・オブ・グッチ」でレディー・ガガが着用した54ルックの衣装裏話

 1月14日に公開を控えている映画「ハウス・オブ・グッチ」は、実話を基に創業者のマウリツィオ・グッチ(Maurizio Gucci)殺害事件や華麗なるグッチ(GUCCI)一族の崩壊を描くラグジュアリー・サスペンスとしてファッション業界でも注目を集める。アメリカでは21年12月19日に一足先に公開され、映画のファッションや演出に関心が寄せられている。リドリー・スコット(Ridley Scott)監督による同作品の衣装を担当したのは、ジェンティ・イエーツ(Janty Yates)。グッチ一族に波乱をもたらす存在としてパトリツィア・レッジアーニ(Patrizia Reggiani)を演じたレディー・ガガ(LADY GAGA)の54着のルックや、パトリツィアの夫、マウリツィオを演じるアダム・ドライバーに(Adam Driver)が着用した「エルメネジルド ゼニア(ERMENEGILDO ZEGNA)」のスーツ、フリマサイト「イーベイ(EBAY)」で集めたビンテージの「グッチ」アクセサリーなど、衣装の裏話を語る。

WWD:映画の魅力はなんだと思う?

イエーツ:3つある。1つは、名声・歴史ともに大きな影響力を持つブランド「グッチ」に関する物語であること。2つ目は、アメリカだけでなく、世界的“秘密”に包まれたサスペンスの要素を含んでいること。「グッチ」一族に関する話はブランドが生まれた土地、イタリアでは皆一度は耳にしたものかもしれないが、世界ではあまり知られていない。「ヴェルサーチェ(VERSACE)」創業者の故ジャンニ・ヴェルサーチェ(Gianni Versace)氏はマイマミで撃たれ、世界的にニュースになった。アダム・ドライバー演じるマウリツィオの死について大きく話題になることはなかった。3つ目はレディー・ガガ。私の出身地であるイギリスのエリザベス女王に次ぐ、世界で最も有名な人物と言っても過言ではない。

WWD:映画に関わることについて、制作前から知っていた?

イエーツ:リドリーの妻、ジャンニーナ(Giannina)は20年にわたって制作について構想があったと話していた。そんなに前から私は知らなかったが、7年くらい前から話は聞いていた。話が進んだり戻ったりして、ようやく1年前、俳優兼脚本家のマッド・デイモン(Matt Damon)がリドリーに電話で、「ベン・アフレック(Ben Affleck)と脚本を仕上げたけど、監督をやる?」と声掛けがあって制作に乗り出したという。

WWD:衣装担当として、「グッチ」のような大手ブランドにまつわるプロジェクトを進める上で気にかけたことは?

イエーツ:「グッチ」の70年代のデザインは、ざっくりいうと茶色で柔らかいシルエットが中心。衣装で「グッチ」らしさを表現することより、グッチ家の家族構成の面白さを引き立てることに注力した。例えばガガ演じるパトリツィアは、当時「グッチ」をほとんど着ていなかったという。「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」や「ディオール(DIOR)」ばかりを着ていたようだけど、アクセサリーは「グッチ」のものだった。ベルトやバッグは40年代以降、人気を獲得していたんじゃないかと思う。しかし、この時代の茶色やバーガンディ中心だったカラーに新しい革命をもたらしたのは、トム・フォード(Tom Ford)だけだった。本当に衝撃的だった。

WWD:トム・フォードが映画内に登場してわれわれも驚きだった。

イエーツ:トム・フォードが1995年に発表したショーは本当に画期的だった。作中では「ヴェルサーチェ」の1982年のコレクションや「トム フォード」のシーンを再現するべく、アソシエイトデザイナーのステファノ・デナルディス(Stefano De Nardis)が衣装を一から製作して再現した。そして伝説的なモデル兼女優のアンバー・ヴァレッタ(Amber Valletta)のように見えるモデルを探し、素晴らしいシーンを作り上げた。グッチ一族の“異端のデザイナー”と呼ばれるパオロ・グッチ(Paolo Gucci)のコレクションは作中では、彼自身が「パステルとブラウン」と呼んでいることから無味に仕上げた。しかしそれでもゴージャスに見えたと思う。ステファノのデザインもあって、美しい仕上がりになった。

WWD:ビンテージアイテムや製作チームが仕上げたアイテムは、それぞれ作中ではどれくらい使用した?

イエーツ:意識せずに製作していたが、製作陣を率いるドミニク・ヤング(Dominic Young)と彼のチームでおそらく60〜65%の衣装は作っていたと思う。そして30%はビンテージものを探して、残りの10%はローマの「ニーマン・マーカス(Neiman Marcus)」から調達した。当時を“リナシャンテ”(再生)させたんだ。ガガは衣装についても非常に協力的だったので、多くの選択肢を用意した。ある日は「今日はそれを着用したくない。衣装としては素敵だけど、今日は違う気がする」など意見を出してくれたので、ものすごい時間をフィッティングに費やしたと思う。ほかにも「今日はもっとリップライナーを濃くするべきじゃないか」という意見を出すなど、作中での見え方に気を配っていた。採用されたルックは数ある中から3〜4着程度だと思うが、ガガは徹底して細部まで考えを張り巡らせていた。撮影の時は靴からベルト、バッグまで手作りしてそろえて準備した。シーンに合わせてガガは、「ビンテージもので見たことがあるので、パオロに会いに行くシーンで着用したい」と言って「イヴ・サンローラン」のドレスを選んだりした。

WWD:ガガのように衣装に関心の高い俳優とともに働いて感じたことは?

イエーツ:リドリー監督をはじめとして、俳優陣らとも一緒に考えていく作業は大好き。リドリーはいつも率直な意見をくれる。私たちの仕事は「これが良いはず」という服やメイクをいわば一方的に提案するものだが、それがハマった時、俳優は一番いい演技をする。毎回4〜5着の候補を持って、「これが私が考えているものだけどどう?」というと、ガガは「じゃあこれとこれならどう?」「このルックは訴えるものがあるね!」と話を重ねる。ガガは全部で54ルックを着たが、その全ルックを「これだ!」と完璧にして仕上げた。意見をたくさんもらえて本当に楽しかった。

WWD:ガガが演じるパトリツィア・レッジアーニは実在する人物ではあるが、衣装を決める際ほかの歴史的人物からインスピレーションを受けることはあった?

イエーツ:もちろんあった!リドリー監督からは、「イタリアの女優兼フォトジャーナリストのジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida)みたいに見えるようにしたい」と希望があったので、60年代の彼女のファッションをリサーチして話し合った。実際にアルド・グッチ(Aldo Gucci)の誕生日会で彼女が着たドレスやジャケットは取り入れている。映画では、バイヤーが探し出したレースを使って現代的にアレンジした。とても好きなルックだったので、衣装は丸ごと作った。他にも、映画序盤で登場するガガの赤いドレスは、ジーナが着たローカットでセクシーなピンクのドレスをもとにしている。サテンを使って再現し、うまくいったと実感している。

WWD:衣装担当になった時にまずしたことは?フレンツェにあるグッチ ミュージアムには足を運んだ?

イエーツ:台本をもらったとき、ちょうど衣装担当陣の仕事仲間とローマで休暇を取っていたので、そこで彼らにグッチ ミュージアムについて話を聞いたんだ。ランチをしながら台本を読んで、「おやおや!これはイタリアでやらなきゃ!」と意気込んでいたよ。すぐにフィレンツェに移動して、ミュージアムを楽しんだ。本当に素晴らしい空間だった。

WWD:「グッチ」とも協力して衣装製作はした?

イエーツ:最初は連絡を取っていなかったが、アーカイブを見るためにアプローチした。見せてもらうまでに数カ月はかかったが、基本的に協力的だった。アーカイブの責任者に「デザイナーのアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)がパブロ・グッチを演じるジャレッド・レト(Jared Leto)のために衣装を作ってくれる可能性は?彼らは友好関係もあると聞いているが」と尋ねたが、「ないでしょう。いずれにせよ、とても予算に合わないわよ」と返事があった。

WWD:即却下に疑問は抱かなかった?

イエーツ:「グッチ」はミケーレやアーカイブを、ものすごく大切にしている印象だ。でもロバート・トリフス(Robert Triefus)=グッチ エグゼクティブ・バイス・プレジデント兼最高マーケティング責任者とは以前から親交があったので、彼のおかげで「グッチ」のアーカイブをロサンゼルスに持ち出すことができた。ガガに試着させると、本人もすごく気に入っていたし本当によく似合っていた!撮影に合わせてフィレンツェから再度取り寄せて、期間中は厳重に保管していた。

WWD:マウリツィオ・グッチ役のアダム・ドライバーの衣装のこだわりは?

イエーツ:マウリツィオの当時の写真を見てみると、彼のファッションには非の打ち所がない。オーダーメイドの名門高級紳士服店が集中していることで知られるロンドンの通り、サヴィル・ロウ(Savile Row)で仕上げたかのようなルックばかり。コンサバティブに見えながらも、美しいスーツを好んでいたようだ。衣装のためにはニューヨークのテーラー、レオ・ログスデイル(Len Logsdail)を指名し、アダムのために40着のスーツを仕立ててもらった。ネクタイにも彼が持ち寄った「グッチ」のビンテージものに加えて、私のバイヤーたちがリセールサイトから集めた計60本をそろえた。スーツには「エルメネジルド ゼニア」にも協力をしてもらっている。シューズも色から形までを詳細にこだわり、最高のものが出来上がったよ。

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ロンハーマンほか、ライフスタイル提案企業サザビーリーグ角田社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.1

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。初回は人気セレクト店のロンハーマン(RON HERMAN)、エストネーション(ESTNATION)などを擁するサザビーリーグの角田良太社長に聞いた。

WWD:自身が20〜30代だったころは、どのように働いていたか。

角田良太サザビーリーグ社長(以下、角田):自分が20〜30代だったころと、今の新卒世代の人たちとでは価値観は相当違っている。僕が20代前半のころは、ただがむしゃらに、その日の仕事を一生懸命こなすという働き方だった。自分の周りを見ても、今ではよく言われるようになったキャリアパスとか、将来自分がどうなりたいかといったことを意識しながら働いていた人はごく少数だったように思う。とにかくお客さまに喜んでもらいたい、仕事を覚えたいということに当時は没頭していた。

WWD:そうした働き方に対する考えは、その後変化していったのか。

角田:サザビーで「スターバックス コーヒー(STARBUCKS COFFEE以下、スターバックス)」の日本での立ち上げに携わったが、アメリカに4カ月間のトレーニングに行って現地のスタッフと一緒に仕事をする中で、日本とアメリカの働き方はかなり違うと感じた。人材育成の手法にしても、日本の昭和・平成の価値観と、アメリカの新興企業の考え方というのには大きな違いがあり、リーダーに求められる役割も随分と異なる。20代後半〜30代にかけて、そういったことを学ぶ機会を与えてもらったことは、自分にとってすごくラッキーだったと思う。

WWD:手痛い失敗もあったか。

角田:もちろんたくさんあった。がむしゃらに目の前のことに取り組んでいた20代前半をへて、自分がリーダーとしてチームをまとめていく役割になり、「スターバックス」日本1号店の店長もやらせてもらった。アルバイトスタッフであれば今日1日の流れを考えればいいが、社員ならこの先1週間、店長なら3〜6カ月先のことまでを考えないといけない。店長になった当初はそれがうまくできなくて、例えば3月になれば大学4年生のアルバイトはみんな卒業してしまうのに、事前に採用を進めていなかったという失敗もあった。そうなると周りに頼るしかない。日本での事業立ち上げから間もなく、まだスタッフも多くない中で、周りには本当にたくさん迷惑を掛けた。先を見越して事前にプランニングすることがようやくできるようになったのは、さまざまな失敗を嫌というほど繰り返した後だ。

WWD:経営者になった今、そうした失敗をどのように振り返るか。

角田:失敗させてもらえる環境があったことに感謝している。商品や内装などについてなら、失敗してもやり直すことができる。でも、人の育成は失敗してやり直そうとすると長い時間がかかる。そこに対して、組織として受け止める環境が整っているかどうかという点は大きい。「商品やマーケティングももちろん大事だが、最終的には人があってのブランドだ」といった、われわれの骨子となっているブランドビジネスの考え方は、米国の「スターバックス」と仕事をする中で学ばせてもらった。部下やチームに仕事を任せず、自分で全てやってしまうというリーダーも少なくない。「その方が早いから」「これが自分のスタイルだから」と考えているのだろうが、それをリーダーがやればやるほどみんなには迷惑がかかるし、スタイルになってしまうと簡単には変えられない。一方で米国の「スターバックス」には、いかに後継者を育てるかという意識がカルチャーとして根づいていた。だから、今も世界中であれだけ多くの店を運営していても、ブランドとして成り立っている。

人生の3分の2は仕事
だったら楽しいことでないと

WWD:今の20〜30代の働き方を見て、どのような印象を抱いているか。

角田:すごくスマートだと感じている。自分が新卒生だったころに比べ、皆さん情報もたくさん持っている。「24時間働けますか?」だった僕らの時代に比べて、今は自分の大事なこと、興味のあることをきちんと表現することができ、人に流されず、自分の価値観を貫くことができる。それは例えば、会社の“飲みニケーション”に参加するか、それともプライベートの時間を大切にするかといったことにも表れている。若い人たちは多くの情報を持ってすごくスマートに働いていると思う反面、全員がそうではないが、キャリアパスや将来のことを心配し過ぎてしまっていると感じるケースもある。未来のことは考え過ぎても答えは出ない。心配するよりも、とにかくやってみようというチャレンジ精神も大切だ。そういった挑戦の気持ちが、僕らの世代に比べると今の若い人たちは少ないようにも感じる。もちろん、育ってきた環境や将来への不安など、さまざまな要因が背景にあるのだとは思う。

WWD:日本の経済成長のイメージが描けず、環境問題なども山積していて、若者たちは将来を不安視している。

角田:その不安はもちろん分かる。ただ、不安に思っているだけでも何も変わらない。自分の経験からアドバイスできることは、失敗を恐れず、いろんなことを試してみるべきということ。挑戦するチャンスがあるなら、20〜30代のうちに是非やっておいた方がいい。やってみることで、自分が好きなことも嫌いなことも分かる。30代半ばくらいまでに、自分の働き方のスタイルややり方は固まってしまう。そこから変えようというのはかなり難しく、99%無理だと言ってもいい。だから、若いうちにいろんな経験をして、失敗もしておくことが重要だ。30代後半から40代以上になったとき、いろんな経験をしてきた人の方が人との接し方において引き出しが増えるし、山の登り方(目標の達成手法)についてもいろんな選択肢を持てる。山に登っている途中でちょっと休憩しようと考えることもできるだろう。

WWD:将来に漠然とした不安を感じている若い世代にエールを。

角田:「自分は人生で何がしたいのか分からない」という声を若い人からよく聞くが、それは自分も分からなかった。もちろん、当時から分かっている人もいて、彼らのことはうらやましく思っていた。サザビー創業者の鈴木陸三も、現会長の森正督もよく口にするが、人生の3分の2は仕事の時間だ。だからこそ、自分がやっていて楽しい、やりたいと感じるものじゃないと続けていくことは難しい。もちろん、お金をもうけること自体が楽しい、やりたいというのでもいい。もしそれが辛いというのなら、自分が楽しめる、充実感のあることを見つけてほしい。それを見つけるためには、いろんな経験をして、失敗をすることが大切だ。

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ZOZO610(武藤貴宣)の喜び溢れるファッション人生^_^  特別編 憧れの武田邦彦先生に意見をいただきました(後編)

 「ファッション業界がもっと喜び溢れるようになるためにどうしたらいいのか」――ZOZO執行役員の武藤貴宣氏が、敬愛してやまない武田邦彦先生と対談。78歳の科学者ならではの視点で、ファッションおよびファッション業界の課題を指摘してもらった。今回は特別に無料公開でお届けする。(この連載のアーカイブはこちら

前編から続く)
武田:「はつらつとした人生を90歳ぐらいまで送るためのイメージと材料」を提供したら、それはビジネスにつながりますよ。日本経済も活性化するし、老人は生きがいができるし。あなたは今、何歳?

武藤:43歳です。

武田:あと7年の命だ。

武藤:そうなりますかね。

武田:男は50歳過ぎたらもう意味がありません。

武藤:ちょっと今、迷いだしてますね(苦笑)。

武田:まずはじゃんじゃん小説を書いてもらうことなんです。「華やかな50歳以上の生き方」について。何のために生きているかが分からなければ、どういう生活をして、どういうものを着るのか、何が幸福かというのが分からないじゃないですか。そういう状態を抜け出さなきゃいけない。抜け出そうという気持ちにならないから大変です。だからZOZOさんに少しそういうことをやってもらえたら非常にいいと思って、今日は来たんです。僕一人では変人になってしまうから、ぜひ手伝ってください。

武藤:50歳以上と区切るのがいいかは分かりませんが、昔ZIZITOWN(ジジタウン)みたいなものやったらどうだろうと話していたことがあって。今だとリアリティーを持って考えることができますね。

武田:あともう一つ。デザインについて言うと、人間が楽しみや幸福を味わうのは、自分ではなく、他人に「良い」と思われたときに限られるんです。自分だけが良いと思っているデザインでは駄目。接客スペースのデザインであれば、来た客が疎外感を受けないデザインでなくてはいけません。ところが、ファッションのデザインを見ていると、悪いけど自己満足なものが非常に多い。「私、カッコいいでしょう?」なんです。「私どう?」と聞くのもよくない。「私を見て、周りの人は私に好意を持ってくれる?」って聞くべきなんです。でも、そういうコンセプトで作られた服は、僕から見ると、ほとんどないという感じです。

武藤:おしゃれな人というのは、粋でツッコめるんですよね。今おっしゃった自己満足なスタイルは、ガチガチでツッコめないというか。お笑いとちょっと似ているかもしれないですね。ファッションに“余裕”や“間”があって、人が見て気持ちいいと思えるのは、大事ですね。

武田:でもそれは、“自分のために考えている”他人の目なんです。それは駄目なんです。要するに、自分を切り離して、他人が好意的な目で見てくれるということが、幸福をもたらすわけです。人生というのは悲しさがある。その悲しさを克服しながら生きている。つまりいい気になっていないデザインが、いいデザインです。ファッションは、自分だけ良ければいいというか、自分が華やかであればいいという匂いが強いです。住宅よりも強い。だから、その匂いを消すということも非常に重要じゃないかと思いますね。

武藤:めちゃくちゃテクニカルで、難しいですね。

武田:ものすごく難しいです。ぱっと見て、「あなたはイケメンでいいよね」「得意になっている」と見えてはいけない。サラリーマンの悲哀がないと。

武藤:勘違いされやすいのですが、ギリギリセーフでしょうか?

武田:上役や客に怒鳴られたりしている人が、あなたを見て、「カッコいいな」「心は俺たちと一緒だな」と感じる。それが非常に大切なの。いいデザインとかいい絵っていうのは必ず悲しさがある。そういう悲しさが服にも必要です。

武藤:心掛けてみます。

武田:好意的な視線を集めると人は幸せになりますから。ZOZOさんにはぜひそういうファッションを、じいさんにも提案してもらいたいです。

(次回は1月17日12時にアップします)

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「オールモストブラック」の中嶋峻太「自分が好きなものを前に」 内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.6

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第6回はアートとファッションを融合したクリエイションが特徴の「オールモストブラック(ALMOSTBLACK)」を手掛ける中嶋峻太デザイナーに話を聞きました。

内田:ファッションデザイナーを目指したきっかけは?

中嶋:高校生の時に、ファッションショーの様子が掲載されている雑誌を見て衝撃を受けました。その後、パリに留学できるコースがあった、専門学校のエスモード・ジャポンに入学しました。語学はパリに行ってから入学するまでの半年間で勉強したので、最初は先生の言っている言葉が全く理解できませんでした。

内田:強い気持ちがなければ、言葉も伝わらない未知の環境には身を置けないですよね。ブランドのコンセプトに“ポスト ジャポニスム”を掲げたのは、パリでの留学を経て、日本の国や文化の素晴らしさに改めて気づいたからですか?

中嶋:フランスには自分たちの国を愛している人が多かったんです。でも当時の日本は、「日本が好きだ」と声に出している人が少ないように感じていたので、その部分を大切にしていけば海外でも勝負していけるのではと考えました。

内田:中嶋さんが考える日本の魅力とはなんでしょう?

中嶋:生地から製品まで生産できる国は本当に貴重だし、脈々と受け継がれてきた日本の文化は本当に素晴らしいです。現状、日本の生地屋や工場は、中国などに価格競争で負けてしまっている影響で厳しい状況が続いています。その中で僕は日本製にこだわり、彼らに少しでも貢献したい思いでモノづくりに励んでいます。

内田:ブランドの強みである、アートとファッションを融合したクリエイションを実現させるためには苦労も多いですよね。

中嶋:ファッションとのコラボレーションをしたことがない人達と取り組む場合は、納得して頂くまでプレゼンテーションをしますね。プリントで作品を表現したときの色味や見え方などのやり取りを何回も重ねるので、実現するまでに時間はかかりますが、僕が一番やりたいことなので続けています。例えば、内田さんのスタッフから相手に伝えるのと、ご自身で説得しにいくのでは受け取り方が全然違います。そういったことの積み重ねをすごく大切にしています。

内田:それは全然違いますね。人間同士だからこそ、何度も思いを伝えていけば叶うものなんですね。中嶋さんが私の立場になったら、どんなTシャツを作りますか?

中嶋:内田さんが好きなものや気持ちを前面に出した方がいいです。例えば、アニメ「転生したらスライムだった件」のキャラクターの“ミリム・ナーヴァ”のTシャツを作ってくれたら買います(笑)。

内田:中嶋さんがアニメ好きなのは意外でした。私はモノづくりをする際に、大衆向けか、自分だけに刺さるデザインにするかで悩むことが多いんです。

中嶋:2021-22年秋冬シーズンはアーティストの白髪一雄と妻の富士子とコラボレーションしました。「彼らのことを知ってほしい。そして僕は好きだ」という気持ちで作ったんです。大衆向けのコラボレーションは、多くの人がすでにやっているし、コアな方が跳ねる可能性があります。好きなことを突き詰めた方が消費者にも必ず伝わるし、素敵だと思うんです。新しいことを始めたときは、すぐには人に伝わらないし、僕自身もかなり苦労しました。当時はSNSがなかったので、影響力のある店舗に置いてもらうための努力をしたり、個展的な活動を行なったりしていました。

内田:私だけができることや、掘り下げられることを大切にするべきだと身に染みて感じました。やはり周りに理解してもらうまでの時間や我慢は必要不可欠ですね。仮に内田理央×アニメのTシャツを作ると、“グッズT”と捉えられてしまうのでは?と恐れています。「本気でこだわったTシャツ」としての魅力を伝えるために必要なことは?

中嶋:内田さんが好きなTシャツの形や素材を追求すれば、グッズTとの違いは出ると思います。プリントに関しても、シルクスクリーンやインクジェットなど、いろいろな手法があるので、サンプルを見て試行錯誤を重ねていくことが大事です。また、今は伝えられる場が沢山あるので、SNSなどを通して制作過程を発信するのも一つの手段ですね。

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製薬会社のロートが香りのラボを立ち上げた理由 メンタルケアにも注力し「真のウェルビーイングを実現する会社」へ

 ロート製薬は3年前に香りのオープンイノベーションラボ「べレアラボ(BELAIR LAB)」を開設し、以来香りの新たな可能性の探求と研究を行っている。これまで感覚で捉えられてきた香りを感性デザインで科学的に検証し、そのメカニズムを商品開発や生産性向上に活用している。ドラッグストアの「トモズ」と香りの店舗デザインを共同開発したり、2022年シーズンから日本プロサッカーリーグ(J3)に加盟する「いわきFC」の選手と香りがもたらすパフォーマンスへの影響を研究したり、香りのコンサルティングや空間デザインを手掛けたりするなど、幅広くサービスを提供している。さらにBtoC向けには調香師のクリストフ・ロダミエル(Christophe Laudamiel)氏と共にフレグランスアイテムを展開。現在ECサイトを始め、丸井などが出資する体験型店舗「ベータ(B8TA)」でも取り扱われている。医薬品や化粧品を中心に商品開発をする製薬会社のロート製薬が、なぜ香りのビジネスに踏み切ったのかーー。その意図や狙いについて星亜香里ベレアラボ代表に聞いた。

WWD:べレアラボを立ち上げた理由は。

星亜香里ベレアラボ代表(以下、星):べレアラボは、2年前に始めた新規事業。ロート製薬の前はソニー(SONY)でカメラや解析機器などを作っていて、センシング技術に携わっていた。だがセンシングでいろいろ測っても、そのデータを何かに使う提案ができなかった。ある日調香師のクリストフのワークショップを受講し、ずっと前から興味を持っていた香りで何か新しいことができないかと思うようになった。香りの研究は未開拓な領域が多く、隠れた可能性が多くあると感じていた。ロート製薬は社会とのつながりを重視しており、香りで社会に役立つソリューションを提供できたら面白いのではないか。いわゆる自分の魅力を高めるための自己主張としての香りというよりは、コミュニケーションに使ったり、世の中が求めている癒しを与えたり、メンタルケアとして用いたりすることを考えた。

 ロート製薬も、これからは「心の充足の時代」と捉え、自分たちの会社の運営として「心の豊かさ」を重視したい思いがあった。人のQOLは五感で保たれているため、そこを重要視していきたいという指針があり、そこで新規事業として立ち上げることになった。

WWD:嗅覚の研究が遅れているのは日本だけの話?

星:いや、世界で遅れている。メカニズム自体がすごく難しくて。香りは分子の集合体で、匂いを感じることは化学反応。鼻がどのように匂いを嗅ぎ分けるかの仕組み自体が分かったのが、実は最近のこと。われわれは単品の香料や分子だけでなく、調香された香りを実際のフィールドでどう生かされるかを研究しており、それが業界でも珍しいと捉えている。たとえば弊社が開発したシトラスの香り「チアリング ベルガモット」をサッカー選手に使ってもらったら睡眠の質が上がったというフィードバックをいただいたが、こういったデータを商品やサービスに活用している。

サッカー選手と協業して
香りとパフォーマンスの関係性を研究

WWD:サッカー選手に着目したの理由は?

星:「いわきFC」という福島県いわき市のチームと協業した。「いわきFC」は日本サッカー界で最も科学的なクラブとして有名なプロチーム。遺伝子を分析し、遺伝子タイプに応じて、練習をオーダーメイドする手法を取り入れるなどフィジカルトレーニングを非常に科学的に行っている。ただ話を聞くと、メンタルケアはやれていないことが分かった。しかし若くてスキルがまだ発展途上の人ほど、メンタルケアは大事。プロ選手の日々のメンタルコンディショニングに香りを活用することができれば、一般の生活者への応用も広がる。科学的なアプローチに貪欲なチームだからこそできる研究だ。

 ほかにもeスポーツ界でも研究をしている。特にeスポーツは夜中まで試合をするので睡眠をコントロールできないという悩みをよく聞く。そこで被験者2人(男性と女性)に24時間・14日間、心拍モニターを装着してもらい、体のコンディションをモニタリングした。その結果、われわれが開発した「グリーン」という香りを提供したら、デジタル疲労の回復に有効だということが分かった。女性は寝るときの副交感神経の活性度が上がり、緊張しない状態で寝ることができた。一方の男性はゲームの勝率が上がり、パフォーマンス向上につながった。

 これらの研究により、香りはパフォーマンスやコンディションにさまざまな影響を与える可能性があることを実証できた。

WWD:ほかにもtoB向けのサービスで「トモズ」と協業した。

星:トモズは現在、店舗空間に香りを導入している。「トモズ」のブランドコンセプトをまず言語化してもらって、それを一つ一つ香りに変換した。さらにVRゴーグルを装着してもらい、店頭の映像を見ながらいくつかサンプルの香りを嗅いで、「明るい」「元気な」「清潔」というように、それぞれの印象を直感的に出してもらった。最終的に香りをマッピングをし、「トモズ」のコンセプトに合わせた香りを作った。香りで心地よい空間を作っていたが、それがお客さまや従業員に好評を得て、ハンドクリームも作ることになった。

WWD:香りがブランディングの手法としても今後活発化しそう。

星:匂いは、メッセージを届けられるもの。オレンジの匂いを嗅いだら「明るい」や「フレッシュ」など、共通してみんなが思う。だから嗅いだ人にフレッシュで明るい気持ちを与えたいなど、人の感性に働きかけることができる。感情のコミュニケーション、感情のマーケティングというのが香りでできる。目に見えないものの難しさはあるけれど、面白さもある。

WWD:「目に見えない」話をすると、表参道で行ったポップアップショップ・アートイベントで香りの言語化や視覚化に挑戦した。

星:香りは目で見えないからこそ、言語化や視覚化はとても重要。ただ多面的である上に、視覚情報などいろんなものに左右されやすいために、言語化がとても難しいものでもある。同じ香りでも「明るい」「元気」「輝き」と説明する言葉を変えるだけで感じ方が変わってしまう。でもそれはそれで面白い。われわれのフレグランスはラベルを全てグレーに統一しているが、それは色を使うと香りのイメージを決めつけてしまうから。人によっていろんな受け取り方があるという自由度が香りの魅力。解釈の余白がないと、面白くない。

WWD:効果と結びつけた香りといえば昔からアロマセラピーがある。

星:われわれが狙っているのはアロマセラピーのファンクショナル(機能的)な部分と、調香師が描く芸術的な世界を掛け合わせた新しい香りの形。今後両方をうまく掛け合わせた香りの可能性が広がるだろう。

WWD:日本の香水市場は小さいとよくいわれるが、だからこそチャンスを見出しているのか。

星:私も香りのビジネスに参入するとき、「日本は香水砂漠」といったことをたくさん言われた。業界にいる人ほど、口をそろえて言っていた。しかし、業界の外の人はそんなことを知らなくて、もっとほかの可能性があると思っている。

 日本で香りというと、いわゆる嗜好品の香水といったものか、アロマしかない。しかも香水のほとんどは海外製のものが日本に入ってきているだけ。だから市場が狭いように感じてしまう。実際、今まで香水が苦手という人ほど、べレアラボに興味を持ってくれている。だから日本人は本来、香りは嫌いではないはず。

「香りは一番、人間が人間たる感情やメンタル、
精神などに一番アプローチできるもの」

WWD:ロート製薬は目薬や胃腸薬、リップクリームなど、悩みに応えるソリューション型の商品が多い。それらはフィジカルな悩みだが、今後は香りを用いてメンタルな領域に足を踏み入れるのは面白い。

星:それをネガティブにやりたくない。メンタルというと、「暗い気持ちを解決します」といった考えをしがち。そうなると自分が暗い気持ちにあることを認めなければならないし、押し付けることになる。だからそこは、ロート製薬の製薬会社としてのスタイルとは離した。香り自体がとてもポジティブなものなので、ポジティブなアプローチにこだわった。

WWD:製薬会社が作る香りの強みは。

星:製薬会社の中でもロート製薬は薬を作っているが、本来は薬が要らないのがベスト、との考えを持っているほど。ただどうしても人間は不調になることもあるので、そこを薬で補うことは必要と考えるが、健康を支える方法はほかにもいろいろな方法があるはず。香りは一番、人間が人間たる感情やメンタル、精神などに一番アプローチできる。体だけでなく、心もイキイキとしている状態、ウエルビーイングに近づく一つであると考えている。

 香りは医薬品ではないので効果効能はいえないものの、きちんと研究に基づいて効能を実証した香りを作っているところが、製薬会社として香りを取り組むべきポイントなのではないか。われわれはコミュニケーションにも香りを使ってほしいと思っている。今後は家族や会社などより円滑な人間関係に香りを使って、優しい社会を作りたい。優しい社会があれば、おのずとみんなのメンタル面も良くなっていくと思う。香りがいろんなものを解決できるようになりたい。

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アパレル・ビューティ業界から依頼続出 新進気鋭の絵描きイズミダ・リーが初めてミネラルメイクブランドのパッケージをデザイン

 力強さの中にも女性らしいタッチ、独特の色彩で注目を集める新進気鋭の絵描きであるイズミダ・リーさんは、「ユニクロ(UNIQLO)」や「ジャーナルスタンダードファニチャー(JOURNAL STANDARD FURNITURE)」などアパレル企業とのコラボレーションを行うなど活躍の場を広げている。3月にはミネラルメイクブランド「エトヴォス(ETVOS)」が2012年からシーズン限定で販売する“ミネラルUVシリーズ”のパッケージデザインを担当。イズミダさんに創作活動や「エトヴォス」で手掛けたデザインなどについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):アパレル企業とのコラボレーションで話題に。子ども対象にしたワークショップなども人気を集めている。

イズミダ・リー(以下、イズミダ):普段は個展に向けて自分の作品をベースにしていますが、友人や知り合いなどがアパレル企業とのコラボレーションなど新規案件を提案してくれます。それに柔軟に対応すると楽しい取り組みになりますね。もちろん闇雲に引き受けるのではなく、自分と共通点のあるものや、好きなアイテムであることが大前提にあります。

店舗のウィンドウにデザインしたり、子どもたちが参加するワークショップの需要が高くなったりしているのは、コロナ禍で2年近くリアルなイベントが軒並みキャンセルとなっていたので、その反動があると思っています。私自身も20年はライフワークである個展を休止していましたが、21年は巡回展を再開しました。

WWD:デザインソースはどこから得ているのか。

イズミダ:とにかく絵を描くのが大好きなんです。私にとって描くことはポジティブになること。スケッチブックは常に持ち歩いているので隙間時間があれば書いています。年間で厚みのあるスケッチブックが4〜5冊一杯になります。アウトドアが好きなので山や川など自然に触れて得たものを描くことが多いですね。花ばかりや魚ばかり書いている時期もあります。10〜25歳位までは人物画も描いていましたが、今は植物や昆虫、動物などが多いですね。

あとは、自己分析する時間を大切にしています。無理をしない時期、頑張る時期などを自分でジャッジできるようになるとフラットな状態で常にいられます。

WWD:サステナブルな生活を日常的に取り入れているとか。

イズミダ:モノを大切に扱っています。アクリル絵の具を使用し描いているのですが、水入れは小学生から使っているものです。普段の生活でも過剰包装を断ったり、環境に考慮した商品を選んだりしています。

「エトヴォス」のパッケージを描き下ろし

WWD:「エトヴォス」からの依頼でメイクアップ商品のパッケージデザインを初めて手掛けた。

イズミダ:声が掛かったときは、シンプルにやったーと思いました(笑)。毎日使用する化粧品パッケージを手掛けてみたかったんです。私は敏感肌なので「エトヴォス」の商品を愛用していたんですよ。芯がしっかりしているブランドという印象を生かしつつ、“ミネラルUVシリーズ”は日焼け止めアイテムであることから、山や川、鳥、蝶など自然からインスピレーションを得て1枚の絵を描きました。5アイテムのパッケージは、その1枚の絵を切り取り、使用するデザインの箇所を変えているんです。そんな使い方があるんだと面白さを感じました。

「エトヴォス」は自分が使いたいブランドです。“ミネラルUVシリーズ”は12年の発売以来、珊瑚の白化の原因になる紫外線吸収剤を使用せず、肌と環境にやさしいアイテムをそろえています。今回、初めてアイシャドウやリップなどカラーアイテムを使ったのですが、カラーメイクって気持ちが高揚しますよね。自分がデザインを手掛けたというわけではなく、好きな商品だから友人にも自信をもって勧められます。まずは姉と妹に使ってもらいます(笑)。

WWD:絵描きとして今年も活躍の場が広がる。

イズミダ:昨年は巡回展を開催しました。今年も絵の展示やワークショップの依頼が増えています。異業種とのコラボレーションもありますので楽しみにしていてください。

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OEMってどんな仕事? 「ギャルソン」も手掛けるニット製造の老舗で働く27歳の奮闘記

 製造業には、他社から依頼を受けて商品を代理で製造するOEM(Original Equipment Manufacturing)というビジネスがある。食品から機械、金属まであらゆる業界にOEMがあり、アパレルも例外ではない。コレクションブランドから量販メーカーまで、多くのブランドがOEMを活用する。

 東京・秋葉原と浅草橋の中間にひっそりとビルを構えるハイセンヰは、アパレルの中でもニットに特化した老舗OEM企業だ。「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」「アンダーカバー(UNDERCOVER)」「ビズビム(VISBIM)」など、国内の名だたるデザイナーズブランドを手掛けている。50年以上前に、靴下工場に糸を売る“糸商”として創業し、ニットのOEM企業と合併して今の業態となった。約10人の従業員が在籍し、20〜30年働くベテランもいる。

 同社で営業アシスタントとして働くのが、入社3年目27歳の福地藍さん。営業担当が受注したデザイン案を仕様書に落とし込み、工場にサンプル生産を依頼するほか、サンプルの納品や量産のスケジュール管理などを行っている。

 「入社当初はわけがわからず、とにかく営業に付いて回って食らいつきました」と振り返る福地さん。例えば仕様書は、「そもそもサイズや資材、細かな仕様をどう伝えればいいのか分からない。しかも、データでいい工場もあれば、紙じゃないといけないところもある」。先輩が書いた仕様書や同じブランドの過去のものを大量に読み、必死に真似した。「自分で書けるようになったのは、ここ数シーズンです」。ブランドの依頼形式もさまざまだ。「ディテールまで明確にしたデザイン案をくれるブランドもあれば、『こんな感じで』とニュアンスだけで依頼されることもあります。デザイナーの意図を汲み取り、具現化するため、糸や素材、色、編み、加工のあらゆる知識が必要。毎日が勉強です」。

ブランドを辞め、OEMに
「物作りの醍醐味は変わらない」

 福地さんは、文化服装学院でファッションを学んだ。最初は布帛(織物)をメーンとする服装科だったが、「どうしてもニットがやりたい」と2年生の春にニットデザイン科に転科した。「布帛は生地のベースがあって、布を買って作ることが多いけど、ニットはどういう糸にするか、どういう編みにするか、どういう加工にするかなど無数の選択肢がある。それが面白いんです。それと、自分の手ですぐに作れることも魅力です」。

 卒業後は、メンズブランドを手掛けるアパレル企業に入社。デザイナーとして、商品企画から展示会の運営、量産管理までを行った。「ブランドで働くのもすごく楽しかった。でも、取引先の工場やセレクトショップが大きく変わることがなく、『もっと広い視野でアパレルを見たい』と、ハイセンヰに転職しました」。OEMには、デザイナーという肩書きはない。それでも、物作りの喜びは変わらない。「ファーストサンプルを見て、バイヤーやプレスの人に『かわいい』といってもらえると本当にうれしい。お手伝いした商品が店頭に置いてあったり、雑誌に載っていたりすると、『次も頑張ろう』と励みになります」。

「起毛が足りない」
予想外だらけの生産現場

 12月から1月は、複数ブランドの納期が重なる繁忙期。工場はキャパシティの限界まで稼働するため、資材一つでも納品が遅れれば生産スケジュール全体が後ろにずれ込む。現場の緊張感も高く、「こんな仕様書じゃ分からない」「資材の納期はどうなってるんだ」と注意を受けることもしばしばだ。「納期前はいつもヒリヒリします。でも、その緊張感があってこその物作りだし、それだけみんな本気でやっている。プレッシャーも感じますが、腕の見せ所でもあります」。量産した商品が無事に納品されても、ブランドのイメージと異なる場合もある。「起毛加工が足りなかったり、フリンジのねじれが甘かったり。工場にお願いする時間がないときは、自分たちでブラッシングしたり、ねじねじしたりしています。フィジカルなものづくりだから、予想外のことがたくさん起こるんです」。

 OEMで働く中で、業界の課題も実感した。ブランドに納品するサンプルは、「平均はサード、うまく行けばセカンド」で完成する。しかし、納品しても展示会に出ず量産化に至らないことや、オーダーがつかないこともある。「フォースサンプルまで作ってボツになることもあります。工場は量産化も見据えてやってくれているので、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。業界を盛り上げるには、こういったシステムの課題を解決することも必要だと感じています」。

ニットの“生き字引”とともに
海外でも活躍する人材へ

 「今後は、日本生産で海外ブランドと取引したい」と夢を膨らませる福地さん。「まずは、もっと知識を増やして多様なブランドに対応し、仕事を円滑に進められるサポートをする人材になりたい。タッグを組んでいる営業はもちろん、DCブランドの全盛期を支えたニットの“生き字引”みたいな先輩もいるので、彼らからたくさん吸収していきます」。

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サステナブルな消費を根付かせたい! 20歳大学生起業家の挑戦

 三井不動産が運営する東京・渋谷の複合施設「ミヤシタパーク(MIYASHITA PARK)」の1階イベントスペース「アンドベース(&BASE)」で、環境配慮型のアパレルや雑貨など取り扱う16ブランドを集めたポップアップストア「ネオ(NEO)〜消費が変わる、未来が変わる〜」が1月16日まで開催されている。

 ポップアップストアは、環境配慮型商品のSNSメディア・ECの「エシカルな暮らし」を運営するベンチャー企業Gab(東京)が主催。代表を務める山内萌斗さんは20歳の大学生だ。

 2019年の冬。地元の静岡・浜松の国立大学2年生だった山内代表は一念発起して上京し、起業した。大学は現在も休学中という。「周りには、サステナビリティに強い関心を持ち、身の回りでやれることから取り組んでいる若者はたくさんいる。でも僕は、エシカルな意識を社会に根付かせ、消費のあり方そのものを変えるプレイヤーを目指していきたい」と語る山内代表。若くして起業に至った経緯と今後を聞いた。

WWD:ポップアップストアの反響は?

山内萌斗代表(以下、山内):商品を実際に手に取ったお客さまからは、「これがリサイクル素材(を使った商品)なんだ」「予想以上(の品質)で驚いた」といった声が聞かれますね。エシカルファッションブランドの「カーサ フライン(CASA FLINE)」はサステナブルな素材だけでなく都会的なカラーパレット、立体的なパターンにもこだわっていて、通な洋服好きにも袖を通してほしい商品ばかりです。「ラヴィスト トーキョー(LOVST TOKYO)」のリンゴ原料のヴィーガンレザー雑貨は、アニマルレザーにはない風合いがユニーク。自然派化粧品ブランド「ボタニカノン(BOTANICANON)」は、廃校舎をリノベした工場で製品を作っています。品質だけでなく、その背景にあるストーリーも面白いブランドばかりです。

WWD:Gabとはどんな会社?

山内:学生メンバーが中心となって立ち上げ、現在社員は7人。まだまだ小さな会社です。今回のポップアップは、三井不動産がブランドやECを運営する小規模事業者を対象に、消費者とのリアルなタッチポイント構築を支援するプロジェクト「ニューポイント」の一環で出店の機会をいただきました。スペースの貸し出しは無料で、商品の仕入れコストも(三井不動産に)一部を肩代わりしていただいています。

 当社の主な事業は「エシカルな暮らし」のインスタメディアとEC運営ですが、そのほかにも街のゴミ拾いがゲーム感覚でできるイベントの運営や、ポイ捨てごみを“活用”した広告ビジネスを展開しています。僕たちは路上ゴミが多い場所をデジタルマップ上に可視化するシステムを開発しました。これによりゴミ箱の設置場所を最適化するとともに、「ゴミが多い場所=人通りが多い場所」であることを利用し、広告を設置してマネタイズしています。

WWD:起業のきっかけは?

山内:学校に馴染めなかった中高時代にさかのぼります。初めは、僕みたいな生徒がいなくなるような学び場を作りたい、と学校の先生を志していました。しかし大学の情報学部でデジタル関連の学びを深めるうち、いち教育者として携わるより、教育を根本から変えるような仕組みを作ることができる経営者になりたいと思い始めました。そして大学1年生の時、東京大学の「起業家育成プロジェクト」を通じてシリコンバレーへ留学したことが大きな転機になりました。

WWD:シリコンバレーではどんな刺激を受けた?

山内:米国の若くして起業を志す人たちは、「このサービスが本当に世の中にとってマストハブ(必要不可欠)なのか?」ということを考え抜いています。僕はその点でいえば、自分の独りよがりな経験に縛られ、教育という狭い枠組みでしか考えていなかった。世界を見渡せば、環境問題や貧困など、必要とされている事業領域は広大です。2週間という短い期間でしたが、起業家になるには、もっと視野を広げる必要があることを思い知らされました。

WWD:そこからは「思い立ったらすぐやろう」と。

山内:はい。大学ではやれることも限られますし、帰国して半年後(19年10月)には休学して上京し、12月に起業しました。幸いにもエンジェル投資家や企業数社の支援を受け、ゴミ箱を活用した広告事業(前述)をテストしていたのですが、19年末に新型コロナで街のトラフィックが激減。ビジネスそのものが成り立たなくなりました。

 早くも会社の存続が危ぶまれましたが、このような状況で、人々の消費意識がサステナブルな方向へ大きくシフトしていることも感じていました。そこで社運をかけたプロジェクトだったのが「エシカルな暮らし」です。20年2月にインスタアカウントを、7月にはECを立ち上げて仕入れ販売(一部は代理販売)を始めました。現在、インスタアカウントのフォロワーは2万4000人、ECの取り扱いブランドは32まで増え、なんとか7人(の社員)が食べていけるくらいにはなっています。

WWD:ブランドの選定基準は?

山内:まず「デザイン性が優れていること」。次に「感動体験があること」。最後に、「誰を助けているかが明確であること」です。たとえ環境に徹底して配慮したアイテムでも、ダサかったら手に取ってもらえません。また、エシカルな商品を語る際には、一般消費者には馴染みのないサプライチェーンや生産者、難解な横文字のリサイクル技術などを説明しがち。そういう敷居が高いイメージも変えていきたくて、使った時の「軽い」「温かい」みたいな直感的な部分を大事にしています。

WWD:今後について。

山内:世の中には、地球のために素晴らしい取り組みをしているブランドはたくさんあります。僕たちのビジネスはまだまだ偉そうなことを言える規模ではありませんが、そういうブランドを掘り起こし、消費者との橋渡し役にもなることで、サステナブルな消費を地道に根付かせていきたいです。

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テレワークがはかどるフレグランスがフィッツから誕生 「集中の香り」と「リラックスの香り」でオンとオフの切り替え

 フレグランスを中心に化粧品の輸入販売・開発を行うフィッツコーポレーションはこのほど、香りの機能性に着目した新ライン「フィッツコンディショニング(FITS CONDITIONING)」を立ち上げた。同社が誇る長年のフレグランスのノウハウと研究を生かし、“香りのチカラでコンディションを整える”フレグランスを提供する。第1弾製品は「集中したいときに使いたい香り」「リラックスしたいときに使いたい香り」の2つの香りで、それぞれルームスプレーとディフューザーを販売する。2021年12月25日まで、蔦屋書店スクランブルスクエア店内のシェアラウンジで2つの香りを楽しめるイベントを開催していた。

 「ライジングウェーブ(RISINGWAVE)」「レールデュサボン(L’AIR DE SAVON)」「ヴィーナススパ(VENUS SPA)」といったオリジナル商品に加え、「ボディファンタジー(BODY FANTASIES)」「モムチ(MUMCHIT)」「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」など海外ブランドのライセンス製品や輸入販売を担う同社の込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者に、フレグランスの新業態に挑戦する理由や意気込みについて聞いた。

WWD:「フィッツコンディショニング」とは。

込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者(以下、込戸):われわれは「社会にある課題を香りで解決していく」というミッションを掲げており、コロナ禍で浮上したさまざまな課題を香りで解決すべく、新ラインを立ち上げた。特にリモートワークで1日同じ空間の中でオンとオフ、仕事とプライベートを過ごさなければいけなくなり、気持ちを切り替えるのが難しくなった。もともと4〜5年前から「フィッツスポーツ(FITS SPORTS)」というスポーツ選手のパフォーマンスアップに寄与する機能性香料を開発してきたが、スポーツだけでなく、ビジネスシーンや学習の場でも香りの力を生かせるのでは、と考えた。「フィッツスポーツ」で開発した機能性香料を、リモートワークやライフスタイルに応用したのが「フィッツコンディショニング」だ。古賀良彦・杏林大学医学部精神神経学教室名誉教授兼医学博士に監修してもらい、“コンディションを整える”フレグランスを手掛けた。

きっかけはスポーツ選手との協業

WWD:そもそも4〜5年前に“機能性香料”に着目した理由は。

込戸:男性向けのフレグランス「ライジングウェーブ」で12年前、とある野球選手をキービジュアルに起用させていただいたのだが、そのきっかけが普段から愛用していた弊社のボディークリームだった。とても甘くティーン向けの香りだが、彼は身だしなみにもとてもこだわる人で、1週間に何本も使っていたという。その後別のサッカー選手とも取り組みさせていただくようになったのだが、ゴールをしたときにユニフォームのエンブレムにキスをする仕草が有名で、話を聞いてみると、実はそこに香水を仕込んでいたというエピソードも。それまでは弊社の中のフレグランスはスポーツシーンには需要がないのかと思っていたのだが、香りはスポーツといったパフォーマンス界でも大きな力を持つことに気づき、ただの嗜好品を超えて、機能性を持たせたらもっと可能性は広がるのでは、と考えるようになったのがきっかけだった。

WWD:第1弾製品として、「集中」と「リラックス」の香りのスプレーとディフューザーを作った。

込戸:競馬やゴルフ、野球、マラソンなどさまざまなスポーツで活躍するアスリートに話を聞くと、「パフォーマンス向上」「集中力アップ」といったニーズと、一方で「リラックス」「リカバリー」といったキーワードが共通してたくさん出てきた。ただ、それは普段の日常の中でも絶対にあるニーズ。例えば集中するときに最適な香りがあれば、受験生は勉強がはかどるだろうし、ビジネスマンにも活用いただけると感じた。まずは分かりやすさという点でも、集中とリラックスという2つの香りを出すことにした。「フィッツスポーツ」では鼻に貼る鼻腔拡張テープを開発したが、今回は日常のライフスタイルに寄り添うアイテムとして、使いやすいディフューザータイプを作った。ただディフューザーだとふんわり柔らかく香りたつので、空間を彩るにはいいもののオンとオフの切り替えがしづらいと感じ、即時に香りを広げられるルームスプレーも用意した。単品で購入することももちろん可能だが、個人的にはセットで使うことをオススメしている。

WWD:機能性に着目したフレグランスでこだわったことは。

込戸:日本は欧米諸国に比べて香りの文化が習慣化されていないとよくいわれるが、われわれは日本人が香りに馴染みがないというより、日本人に合った使い方や向き合い方を伝える必要があると感じている。そこで今回の「フィッツコンディショニング」では、「香りにはこんなアプローチもあるんだ」という気づきを与える目的もある。日本ではアロマテラピーはまだ一部の方にしか浸透しておらず、ハードルが高いと感じる人も多い。日常的なシーンで手軽に使っていただくことで、香りの持つ力を身近に感じてもらえるような説明の仕方にこだわった。

WWD:コロナ禍で人々の香りへの意識はどのように変化したと感じるか。

込戸:社会情勢が大きく変わって、人々のライフスタイルが大幅に変化した。おうち時間が伸びて、日常生活における香りの取り入れ方が大きく変わってきている。弊社でもルームディフューザーやファブリックスプレーといったインテリアフレグランス商材が急伸した。またこれまでは対外的に自分を魅力的にみせるためにあった香水が、今はどちらかというと自分自身のリラックスだとか、内面のために使う人が増えている。今後われわれとしては、そういったインテリア商材はもちろん今回の「フィッツコンディショニング」といった新たな香りの楽しみ方を提案し続けたい。

フレグランス企業として
30年以上香りと向き合ってきた実績を強みに

WWD:他社でも機能性フレグランスを開発することが増えている。「フィッツコンディショニング」の強みは。

込戸:やはり30年間、香りと向き合ってきた実績が大きい。今回香りの研究開発を重ねて開発したが、そこのサイエンス的な部分と、嗜好性がしっかり取れるような香りを組み合わせ、掛け算をしているというのは、ポイント。仮にパフォーマンスが向上しても悪い香りだったら誰も手に取らないわけで。そこはしっかりと「ただ、いい香りでしょ?」というわけではなくて、脳と香りの関係性を研究されている古賀先生にも協力いただいたことで、この両方の掛け算がしっかりできている。

WWD:今後はモノ以外のサービスにも事業を広げるのか。

込戸:今後は1日に大きな時間を占めるレスト(睡眠)タイムに、香りを利用したソリューションを提供できないか考えている。スプレーといった商品だけでなく、AIなどのテクノロジーを活用できないか、今開発を進めている。「フィッツコンディショニング」は企業名を冠しているだけに、強いこだわりと思いを込めており、弊社の中でも今後の成長の柱と捉えている。既存のブランドの枠を越えて香りの新たな市場を開拓するパイオニアでありたいし、「社会の課題を香りの力で解決する」と銘打っている。香りは目に見えないからこその難しさと、面白さがある。嗅覚は五感の中で唯一本能に直結して感じられる器官でありながら、まだまだ未開拓な分野でもある。だからこそ可能性はあるし、香りの世界を広げていきたい。

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テレワークがはかどるフレグランスがフィッツから誕生 「集中の香り」と「リラックスの香り」でオンとオフの切り替え

 フレグランスを中心に化粧品の輸入販売・開発を行うフィッツコーポレーションはこのほど、香りの機能性に着目した新ライン「フィッツコンディショニング(FITS CONDITIONING)」を立ち上げた。同社が誇る長年のフレグランスのノウハウと研究を生かし、“香りのチカラでコンディションを整える”フレグランスを提供する。第1弾製品は「集中したいときに使いたい香り」「リラックスしたいときに使いたい香り」の2つの香りで、それぞれルームスプレーとディフューザーを販売する。2021年12月25日まで、蔦屋書店スクランブルスクエア店内のシェアラウンジで2つの香りを楽しめるイベントを開催していた。

 「ライジングウェーブ(RISINGWAVE)」「レールデュサボン(L’AIR DE SAVON)」「ヴィーナススパ(VENUS SPA)」といったオリジナル商品に加え、「ボディファンタジー(BODY FANTASIES)」「モムチ(MUMCHIT)」「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」など海外ブランドのライセンス製品や輸入販売を担う同社の込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者に、フレグランスの新業態に挑戦する理由や意気込みについて聞いた。

WWD:「フィッツコンディショニング」とは。

込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者(以下、込戸):われわれは「社会にある課題を香りで解決していく」というミッションを掲げており、コロナ禍で浮上したさまざまな課題を香りで解決すべく、新ラインを立ち上げた。特にリモートワークで1日同じ空間の中でオンとオフ、仕事とプライベートを過ごさなければいけなくなり、気持ちを切り替えるのが難しくなった。もともと4〜5年前から「フィッツスポーツ(FITS SPORTS)」というスポーツ選手のパフォーマンスアップに寄与する機能性香料を開発してきたが、スポーツだけでなく、ビジネスシーンや学習の場でも香りの力を生かせるのでは、と考えた。「フィッツスポーツ」で開発した機能性香料を、リモートワークやライフスタイルに応用したのが「フィッツコンディショニング」だ。古賀良彦・杏林大学医学部精神神経学教室名誉教授兼医学博士に監修してもらい、“コンディションを整える”フレグランスを手掛けた。

きっかけはスポーツ選手との協業

WWD:そもそも4〜5年前に“機能性香料”に着目した理由は。

込戸:男性向けのフレグランス「ライジングウェーブ」で12年前、とある野球選手をキービジュアルに起用させていただいたのだが、そのきっかけが普段から愛用していた弊社のボディークリームだった。とても甘くティーン向けの香りだが、彼は身だしなみにもとてもこだわる人で、1週間に何本も使っていたという。その後別のサッカー選手とも取り組みさせていただくようになったのだが、ゴールをしたときにユニフォームのエンブレムにキスをする仕草が有名で、話を聞いてみると、実はそこに香水を仕込んでいたというエピソードも。それまでは弊社の中のフレグランスはスポーツシーンには需要がないのかと思っていたのだが、香りはスポーツといったパフォーマンス界でも大きな力を持つことに気づき、ただの嗜好品を超えて、機能性を持たせたらもっと可能性は広がるのでは、と考えるようになったのがきっかけだった。

WWD:第1弾製品として、「集中」と「リラックス」の香りのスプレーとディフューザーを作った。

込戸:競馬やゴルフ、野球、マラソンなどさまざまなスポーツで活躍するアスリートに話を聞くと、「パフォーマンス向上」「集中力アップ」といったニーズと、一方で「リラックス」「リカバリー」といったキーワードが共通してたくさん出てきた。ただ、それは普段の日常の中でも絶対にあるニーズ。例えば集中するときに最適な香りがあれば、受験生は勉強がはかどるだろうし、ビジネスマンにも活用いただけると感じた。まずは分かりやすさという点でも、集中とリラックスという2つの香りを出すことにした。「フィッツスポーツ」では鼻に貼る鼻腔拡張テープを開発したが、今回は日常のライフスタイルに寄り添うアイテムとして、使いやすいディフューザータイプを作った。ただディフューザーだとふんわり柔らかく香りたつので、空間を彩るにはいいもののオンとオフの切り替えがしづらいと感じ、即時に香りを広げられるルームスプレーも用意した。単品で購入することももちろん可能だが、個人的にはセットで使うことをオススメしている。

WWD:機能性に着目したフレグランスでこだわったことは。

込戸:日本は欧米諸国に比べて香りの文化が習慣化されていないとよくいわれるが、われわれは日本人が香りに馴染みがないというより、日本人に合った使い方や向き合い方を伝える必要があると感じている。そこで今回の「フィッツコンディショニング」では、「香りにはこんなアプローチもあるんだ」という気づきを与える目的もある。日本ではアロマテラピーはまだ一部の方にしか浸透しておらず、ハードルが高いと感じる人も多い。日常的なシーンで手軽に使っていただくことで、香りの持つ力を身近に感じてもらえるような説明の仕方にこだわった。

WWD:コロナ禍で人々の香りへの意識はどのように変化したと感じるか。

込戸:社会情勢が大きく変わって、人々のライフスタイルが大幅に変化した。おうち時間が伸びて、日常生活における香りの取り入れ方が大きく変わってきている。弊社でもルームディフューザーやファブリックスプレーといったインテリアフレグランス商材が急伸した。またこれまでは対外的に自分を魅力的にみせるためにあった香水が、今はどちらかというと自分自身のリラックスだとか、内面のために使う人が増えている。今後われわれとしては、そういったインテリア商材はもちろん今回の「フィッツコンディショニング」といった新たな香りの楽しみ方を提案し続けたい。

フレグランス企業として
30年以上香りと向き合ってきた実績を強みに

WWD:他社でも機能性フレグランスを開発することが増えている。「フィッツコンディショニング」の強みは。

込戸:やはり30年間、香りと向き合ってきた実績が大きい。今回香りの研究開発を重ねて開発したが、そこのサイエンス的な部分と、嗜好性がしっかり取れるような香りを組み合わせ、掛け算をしているというのは、ポイント。仮にパフォーマンスが向上しても悪い香りだったら誰も手に取らないわけで。そこはしっかりと「ただ、いい香りでしょ?」というわけではなくて、脳と香りの関係性を研究されている古賀先生にも協力いただいたことで、この両方の掛け算がしっかりできている。

WWD:今後はモノ以外のサービスにも事業を広げるのか。

込戸:今後は1日に大きな時間を占めるレスト(睡眠)タイムに、香りを利用したソリューションを提供できないか考えている。スプレーといった商品だけでなく、AIなどのテクノロジーを活用できないか、今開発を進めている。「フィッツコンディショニング」は企業名を冠しているだけに、強いこだわりと思いを込めており、弊社の中でも今後の成長の柱と捉えている。既存のブランドの枠を越えて香りの新たな市場を開拓するパイオニアでありたいし、「社会の課題を香りの力で解決する」と銘打っている。香りは目に見えないからこその難しさと、面白さがある。嗅覚は五感の中で唯一本能に直結して感じられる器官でありながら、まだまだ未開拓な分野でもある。だからこそ可能性はあるし、香りの世界を広げていきたい。

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1年間で8000脚を販売 キャンペーンが大ヒット、デンマーク発「カール・ハンセン」の一生もの“Yチェア“

 デンマーク発インテリア「カール・ハンセン&サン(CARL HANSEN & SON以下、カール・ハンセン)」がコロナ禍で売り上げを伸ばしている。「カール・ハンセン」といえば、巨匠ハンス・J・ウェグナー(Hans J Wegner)による名作椅子”CH24“=“Yチェア“で知られている。「ビームス(BEAMS)」や「アクタス(ACTUS)」のスタッフの自宅を紹介する本の中で、最も多く登場している椅子と言っても過言ではない。コロナ禍に行った“Yチェア”のキャンペーン価格販売が大ヒット。「カール・ハンセン」を扱う某ディーラーは、「ウェグナーの名作椅子が10万円以下で購入できるというのは大きな魅力だ。キャンペーンの価格戦略も大好評だった」と話す。“おうち時間”が追い風で成長するカール・ハンセン ジャパンのネイサン・ベックウィス(Nathan Beckwith)社長に話を聞いた。

WWD:コロナになってからの商況は?

ネイサン・ベックウィス=カール・ハンセン ジャパン社長(以下、ベックウィス):2018年以降の3年間で売り上げが1.5倍になった。予算比で20年は116%、21年は120%と年々売り上げを伸ばしている。

WWD:売り上げ好調の理由は?

ベックウィス:“Yチェア“のキャンペーン施策がヒットした。マットな塗装仕上げ仕様の新作”ソフト“を19年に税込7万円というキャンペーン価格で販売したところ、1年間で8000脚以上を販売。全国のディーラーでも大成功し、新客獲得につながった。2週間で納品できる体制を取ったのも奏功した。このキャンペーンが非常に好評だったため、“ソフト”がコレクション入りを果たし、8万300円で販売している。22年には、他のラインアップの価格改定を予定しており、8万4700円で販売予定だ。キャンペーン対象だった”ソフト”も好評だが、依然としてナチュラルな“Yチェア”も売れている。

WWD:“Yチェア“はメード・イン・デンマークの一生ものということで人気が高いが?

ベックウィス:アウトドア家具はアジアで生産しているが、それ以外は、サステナビリティにこだわりデンマークで生産している。“Yチェア“は釘を用いておらず、木材とペーパーコードだけで構成されている。ペーパーコードの座面は、使用頻度や座り心地の好みによるが25〜30年は使用可能だ。日本でもペーパーコードの張り替えをはじめとする修理やメンテナンスの体制を整えている。だから、“Yチェア”は一生もの、また、代々使える椅子だと言える。

WWD:国内の直営店数とディーラー数は?

ベックウィス:東京と大阪の直営店と約130のディーラーがある。自社ECでも販売している。

WWD:中心顧客の年齢層は?売れ筋は?

ベックウィス:以前は45~60代の顧客が多かったが、20~40代の若い層も取り込めるようになった。コロナにより自宅の生活を見直す消費者が増えてより幅広い層が購入していく。コロナになって一辺110cmの3〜4人用のダイニングテーブルが好調だ。2つの“Yチェア”とテーブルを購入しても30万円程度。コンテンポラリーなライフスタイルを好む若いカップルなどが購入していく。コロナ禍で外食を控えるようになると自宅に友人を招く機会が増える。そのため自宅に投資する人が増えている。

WWD:今後の戦略は?

ベックウィス:さまざまなチャネルを使ってブランドの価値や認知度アップを図りたい。また、在庫キープにより着実に売り上げを伸ばしていく。サステナビリティも大きな柱だ。カール・ハンセンはクラフツマンシップにフォーカスした垂直統合型のビジネスをしている。FSC認定の素材を使用し、再生エネルギーを使用して生産。地元のコミュニティーに雇用の機会を与えると同時に再生エネルギーを供給している。

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1年間で8000脚を販売 キャンペーンが大ヒット、デンマーク発「カール・ハンセン」の一生もの“Yチェア“

 デンマーク発インテリア「カール・ハンセン&サン(CARL HANSEN & SON以下、カール・ハンセン)」がコロナ禍で売り上げを伸ばしている。「カール・ハンセン」といえば、巨匠ハンス・J・ウェグナー(Hans J Wegner)による名作椅子”CH24“=“Yチェア“で知られている。「ビームス(BEAMS)」や「アクタス(ACTUS)」のスタッフの自宅を紹介する本の中で、最も多く登場している椅子と言っても過言ではない。コロナ禍に行った“Yチェア”のキャンペーン価格販売が大ヒット。「カール・ハンセン」を扱う某ディーラーは、「ウェグナーの名作椅子が10万円以下で購入できるというのは大きな魅力だ。キャンペーンの価格戦略も大好評だった」と話す。“おうち時間”が追い風で成長するカール・ハンセン ジャパンのネイサン・ベックウィス(Nathan Beckwith)社長に話を聞いた。

WWD:コロナになってからの商況は?

ネイサン・ベックウィス=カール・ハンセン ジャパン社長(以下、ベックウィス):2018年以降の3年間で売り上げが1.5倍になった。予算比で20年は116%、21年は120%と年々売り上げを伸ばしている。

WWD:売り上げ好調の理由は?

ベックウィス:“Yチェア“のキャンペーン施策がヒットした。マットな塗装仕上げ仕様の新作”ソフト“を19年に税込7万円というキャンペーン価格で販売したところ、1年間で8000脚以上を販売。全国のディーラーでも大成功し、新客獲得につながった。2週間で納品できる体制を取ったのも奏功した。このキャンペーンが非常に好評だったため、“ソフト”がコレクション入りを果たし、8万300円で販売している。22年には、他のラインアップの価格改定を予定しており、8万4700円で販売予定だ。キャンペーン対象だった”ソフト”も好評だが、依然としてナチュラルな“Yチェア”も売れている。

WWD:“Yチェア“はメード・イン・デンマークの一生ものということで人気が高いが?

ベックウィス:アウトドア家具はアジアで生産しているが、それ以外は、サステナビリティにこだわりデンマークで生産している。“Yチェア“は釘を用いておらず、木材とペーパーコードだけで構成されている。ペーパーコードの座面は、使用頻度や座り心地の好みによるが25〜30年は使用可能だ。日本でもペーパーコードの張り替えをはじめとする修理やメンテナンスの体制を整えている。だから、“Yチェア”は一生もの、また、代々使える椅子だと言える。

WWD:国内の直営店数とディーラー数は?

ベックウィス:東京と大阪の直営店と約130のディーラーがある。自社ECでも販売している。

WWD:中心顧客の年齢層は?売れ筋は?

ベックウィス:以前は45~60代の顧客が多かったが、20~40代の若い層も取り込めるようになった。コロナにより自宅の生活を見直す消費者が増えてより幅広い層が購入していく。コロナになって一辺110cmの3〜4人用のダイニングテーブルが好調だ。2つの“Yチェア”とテーブルを購入しても30万円程度。コンテンポラリーなライフスタイルを好む若いカップルなどが購入していく。コロナ禍で外食を控えるようになると自宅に友人を招く機会が増える。そのため自宅に投資する人が増えている。

WWD:今後の戦略は?

ベックウィス:さまざまなチャネルを使ってブランドの価値や認知度アップを図りたい。また、在庫キープにより着実に売り上げを伸ばしていく。サステナビリティも大きな柱だ。カール・ハンセンはクラフツマンシップにフォーカスした垂直統合型のビジネスをしている。FSC認定の素材を使用し、再生エネルギーを使用して生産。地元のコミュニティーに雇用の機会を与えると同時に再生エネルギーを供給している。

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元ブランキー浅井健一の息子がモデルデビュー 父譲りの舞台度胸やルーツを語る

 元ブランキー・ジェット・シティ(BLANKEY JET CITY)の浅井健一と元モデルの小野寺マリを親に持つ浅井小次郎が、大手モデル事務所イマージュ(IMAGE)からデビューを果たした。芸能一家に生まれ、自身も絵画やDJ、ドラム、スケートボードなど、多彩な趣味を持つ現役の大学1年生だ。モデルデビュー後、本格的なインタビュー・撮影は今回が初めて。父譲りの鋭い視線と透明感のある肌、スレンダーなスタイルを持つ彼に、モデルを志したきっかけや高校時代の思い出、2022年の展望を聞いた。

WWD:モデル活動を始めたきっかけは?

浅井小次郎(以下、浅井):2021年に出場した大学のミスターコンテストがきっかけです。被写体になることが楽しくて、モデルという仕事に興味が湧きました。

WWD:俳優やミュージシャンも人に注目される職業だが?

浅井:僕の武器の一つは線が細いこと。俳優やミュージシャンはこれが強みになるかわかりませんが、モデルとしては生かせると考えています。

WWD:ミスターコンは自薦?他薦?

浅井:広告研究会に「出てみない?」と誘われたのがきっかけです。いざ出場してみたら、歓声がすごくて、注目されるのも楽しかった。結果はグランプリでも準グランプリでもなかったのですが、1年生の出場が僕だけだったこともあり、同学年のみんなが支持してくれました。

WWD:イマージュへの所属はどのような経緯で?

浅井:母が元々モデルをやっており、知り合いのフォトグラファーさんからの紹介で所属が決まりました。今後は大学に通いながら、モデル業も行っていきます。

好きなブランドは「カーハート」「ポール・スミス」

WWD:自身の定番ファッションは?

浅井:友人と遊びに行くときは、ストリート系の服をゆるっと着ることが多いです。「カーハート(CARHARTT)」が好きで、着るのは白と黒のアイテムのみ。仕事やイベントなど、きれいめのファッションの日には「ポール・スミス(PAUL SMITH)」を選ぶことが多いです。

WWD:好きなファッションデザイナーは?

浅井:好きなデザイナーもポール・スミスさん。人柄も作る服もかわいらしさはあるけれど、ベースが上品なところがカッコいいと思います。

WWD:自分の長所と短所をあげるなら?

浅井:長所は、興味があることを納得するまで突き詰めて、途中で絶対にやめないこと。あとは趣味の多さです。短所は、熱中すると周りが見えなくなってしまうことかな。

WWD:具体的にはどんな趣味がある?

浅井:絵やDJ、スケートボード、ドラムなど。絵を描くのは父の影響で、暇さえあれば、サイケデリックな気持ち悪い絵を描いています(笑)。DJは高校1年生から続けています。初めてイベントに行った日からDJに憧れて、父親からの誕生日プレゼントにDJセットを買ってもらったほど。スケートボードは近くの公園で練習したり、通学に使ったり。制服を着てボードに乗っていると、周りの人に注目されるので、高校時代はそれも含めて好きでした(笑)。

WWD:高校生時代の青春エピソードは?

浅井:僕は体育祭にかなり力を入れている学校に通っていました。中・高の6学年を合わせた縦割りの7チームに分かれて、各組の団長を高校3年生から選ぶシステムでした。僕も周囲の推薦で“パープル組”の団長を務めました。

 体育祭はただ順位を競うのではなく、独自のストーリー設定がありました。僕たちの年は、 “作文に将来の夢を書けない子ども”に扮する校長先生に向けて、スーパースターや熱血教師、侍など、さまざまな人物に扮した団長たちが、自分の仕事の楽しさを伝えるという設定でした。僕のテーマは“ロックミュージシャン”。壇上でパフォーマンスをしたときは、全校生徒の声援がとにかくすごくて、気持ちよかった。いい思い出になりました。

ステージ度胸は父親譲り

WWD:その舞台度胸は、父親譲り?

浅井:父がフジロックなどに出演するときは、幼い頃からステージ脇でそれをずっと見てきました。僕も人前に立つのが好きだし、緊張も全くしない。ステージ度胸は、父譲りですね。

WWD:父親と似ているところと、違うところは?

浅井:周囲からは「顔が似ている」と言われますが、自分では母親似だと思っています。父はクールで物静かで、怒ると怖い。僕は真逆で、どちらかというと明るい性格です。

WWD:モデルをやると報告したときの両親の反応は?

浅井:父は「頑張れ。応援しているよ」とあっさりしながらもやさしい反応でした。母はとても協力的で、助けられています。

WWD:父親の曲で、好きな一曲をあげるなら?

浅井:「SWEET DAYS」です。メロディーと歌詞はもちろん、MVもかっこよくて好き。父はプライベートで自分の曲をかけたがらないので、幼い頃は「あの曲かけて!」と車の中でよくリクエストしていました。

WWD:自身も楽器を演奏するが、父親からアドバイスをもらうこともある?

浅井:あります。父と妹がギターを弾き、僕がドラムを叩いてセッションするときは、「走りすぎ」と突っ込まれたりします(笑)。家族旅行にもギターを持っていくのが定番。先日、家族でキャンプに行ったときも、焚火を囲んでみんなで音楽を楽しみました。

WWD:DJにも力を入れていると聞いた。好きなアーティストは?

浅井:今一番好きなのは、DJでラッパーのトキオ(Tok01)くん。世代が近いし、絵も上手なので刺激をもらっています。有名どころだとレックス(LEX)くんかな。日本のヒップホップが好きで、自分でDJをするときは箱に合わせて曲のテイストを変えます。

親の教えは「正しいと思ったことは、絶対に曲げるな」

WWD:小次郎さんにとって、父親はどんな存在?

浅井:父に対して「うわ、スターだな!」と感じることはありません。もちろん尊敬はしていますが、完璧な人間ではありません。たまに人生のアドバイスもくれて、「自分が正しいと思ったことは、相手と意見が違っても絶対に曲げるなよ」と言われたことも。でも意見を曲げなさすぎて、父親とケンカすることもあります(笑)。

WWD:父親と比べられることを正直どう思う?

浅井:嫌ではありません。今は父の知名度を借りられることが、力のひとつになっています。将来は“浅井健一の息子”ではなく、“浅井小次郎”として認識されるようになれたらうれしいです。

WWD:2022年はどんな年にしたい?

浅井:11月から活動を始めたばかりなので、モデルとして活躍できる年にしたいです。DJの活動も広げていきたい。

WWD:将来はどんな人物になりたい?

浅井:自分らしさを大切に、ありのままを見せられる人。変に取り繕ってしまうと緊張するし、自分を出せなくなってしまう。モデルに限らず、やれることすべてに挑戦していきたいです。

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慌ただしい年末年始こそ、ポップで選びやすいCBD「ピーク」で“お疲れケア”

 「ピーク(PEAQ)」は、現代人に寄り添った4つの習慣(趣味、睡眠、瞑想、セックス)をテーマにしたCBD入りアロマブランドだ。同ブランドは、LGBTQ向けのカルチャーメディア「ジェンクシー(GENXY)」と、CBDメーカーのドロームによる共同プロジェクトから誕生した。2021年春に公式サイトを含むオンラインのみで販売を開始し、初月から1000万円の売り上げを達成するなど好調に推移している。

 CBDとは、植物の麻に含まれる成分カンナビノイドの一つであるカンナビジオールを指す。大麻草に含まれる中毒性の高い成分・THC(テトラヒドロカンナビノール)を取り除いたCBDは日本において合法であり、覚醒作用はない。バームなどのスキンケア製品に加えて、オイルやタブレットタイプなどの経口タイプ、さらにペット用のアイテムに至るまで、目にする機会が増えたCBD。「ピーク」は、CBDを水蒸気にしてから体内に取り込む“吸うCBD(吸引式)”アイテムで、無農薬で栽培された麻を使用している。好きなアロマを本体にセットし、1日に10〜20回を目安にゆっくり吸引することで、手軽にリラックスタイムを楽しむことができる。

 目を引くのはポップなパッケージデザインと、CBD初心者もセレクトしやすいシーン別・4種のアロマ(味)だ。趣味や一人時間をポジティブに楽しむひとときに取り入れたい“バカンス”、上質な睡眠のための“スリープ”、強いストレスを感じた時やヨガ、瞑想時などに深いリラクゼーションへと導く“エスケープ”、不安や緊張、あらゆる社会的な縛りから解放されポジティブなセックスライフをサポートする“プレジャー”をラインアップする。

 ディレクターを務めるのは、LGBTQ向けウエブメディア「ジェンクシー」の編集長でもある上地牧人氏。パッケージのイラストも自身が担当している。上地氏に「ピーク」開発の経緯や今後の課題に加えて、マイノリティーのメンタスヘルスという社会的観点から見るCBDについて話を聞いた。

WWD:CBDに着目したきっかけは?

上地牧人「ピーク」ディレクター(以下、上地):メディアに携わり、国内外の情報を見聞きする中で、数年前から米国のゲイコミュニティーの中でCBDが人気だと知った。個人的な興味から使い始めると、心が落ち着いたり、頭がすっきりしたりすることを体感した。生活にCBDを取り入れることはセルフケアにつながると考え、商品開発をスタートしたが、当時(2年前)は、国産のCBD商品がほとんど無かったため「であれば自社で!」と開発を始めた。

WWD:LGBTQコミュニティーにCBDが人気といえるのはなぜか?

上地:LGBTQ含めたマイノリティーはメンタルヘルスに不調を感じやすい。国内においては、同性婚などの法制度が整っておらず、90%以上の当事者がクローゼット(自身がLGBTQであることを公開していない)の状態だ。そのため、会社や友人、親族からの孤独感や疎外感を感じやすいといわれている。自殺率はマジョリティーの数倍という統計もある。心と体のバランスを保つことが難しい今の社会にあって、心身のバランスを整えてくれる作用持つCBDはピッタリな成分だと考えている。元々はマイノリティー向けにスタートしたブランドだが、コロナ禍になり、メンタルヘルスはマイノリティーだけの問題ではなく社会全体の課題となった。ストレスでバランスを崩す人が急増する中、CBDはセルフケアの一つとして効果的だと感じている。

WWD:日本でCBD製品を販売する難しさや課題は?

上地:「ピーク」は、CBD製品の開発を行うメーカーとコラボ制作したこともあり、開発自体のハードルはそこまで高くはなかった。ただ、販売する上での難しさは多々ある。事業者目線では、「決済の制限」「ネット広告の制限」という点が挙げられる。「ピーク」は、オンライン主体の販売(D2C形式)だが、クレジットカードといった主要な決済は、CBDに対する審査が厳しく、申請から1年経ってようやくカード決済が使えるようになったほど。また、主要なネット広告(Google、Twitter、Instagramなど)もCBD製品は出稿できない状態だ。オンライン販売をメインとしている者としては、非常に厳しい制限を感じている。

 お客さま向けで難しいのは“CBDの体感”だ。CBDの体感は個人差が大きいため、期待をもってCBDを試したはいいものの、「あまり効かずにがっかりした」という声もある。体にはCBDをキャッチする受容体というものが存在しているが、受容体が反応する前に使用を辞めてしまう人も多い。CBDは2週間〜1カ月程度使うことで、じわじわと受容体が反応していくため、継続利用も重要だ。ファッション、ビューティ業界ではだいぶ浸透してきたとはいえ、一般的にはCBDはまだまだ認知度が低く、分かりづらい成分だからこそ、正しい知識を広めていきたい。

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EXILE NAOTOの「スタジオ セブン」7周年 ブランドとのコラボや有名デザイナーとの出会いを語る

 EXILEや三代目J Soul Brothersのパフォーマーを務めるNAOTOのファッションブランド「スタジオ セブン(STUDIO SEVEN)」が2022年に7周年を迎える。ブランド設立以来、彼らしい表現力とユニークな視点でファッションにアプローチし続けてきた。特にここ数年では「ジーユー(GU)」をはじめ、「ニューバランス(NEW BALANCE)」など大手ブランドとのコラボレーションも記憶に新しい。ダンサー、俳優、デザイナーといったあらゆる顔を持つ彼は、これまでどんな思いで洋服作りに挑んできたのか。7周年を前に「スタジオ セブン」の歩みを振り返る。

WWD:改めて、「スタジオ セブン」の名前の由来は?

NAOTO:まず、「R.Y.U.S.E.I.」がレコード大賞を受賞したときに、パフォーマンス用の衣装を僕が手掛けたのが服作りのきっかけでした。作るに当たり、何かグラフィックやワードを入れたくて、浮かんだのがメンバー7人の“セブン”。加えて、音楽や振り付けといったクリエイティブが生まれる場所はまさにスタジオでした。その2つの言葉を組み合わせて名付けました。

WWD:15年11月にブランドを立ち上げてからこれまでをどう振り返る?

NAOTO:やはりLDHという大きな母体があり、環境を整えてもらったからこそ続けてこられた。本当にたくさんのことがあり、チームで試行錯誤しながらここまでやってきました。でも、いまだに次の可能性を探しているし、「スタジオ セブン」の向かうべき道をチーム一丸となって常に模索し続けています。中でも3年前に実店舗をオープンできたことが大きかった。より自分の世界観を可視化できるようになったんです。うれしかった反面、もっと本気にならないといけないなと意識が強まりました。

WWD:やりがいを感じた瞬間や大変だったことは?

NAOTO:ブランドを立ち上げるきっかけとなったNIGO®️さんとの出会いが今でも一番の思い出ですね。10代のころから僕にとってNIGO®️さんはストリートのレジェンドで、憧れの存在でした。NIGO®️さんと親交を深める中で、さまざまな出会いがあり、洋服作りの楽しさを覚えていったんです。あとは「ジーユー」とのコラボレーションでしょうか。より多くの人たちに「スタジオ セブン」を知ってもらうきっかけになりました。

WWD:これまでさまざまブランドとのコラボを手掛けてきたが、コラボする相手の決め手は?

NAOTO:自分が愛用していたものや、憧れの感覚は大事にしています。例えば、「メゾン ミハラヤスヒロ」とコラボレーションするきっかけとなったトレッキングブーツは今でも愛用しています。僕が高校生のときは1万円以上の靴を買うなんてあまりなかったんですが、「メゾン ミハラヤスヒロ」の4万円以上のブーツがどうしても欲しくて、当時震えながら買いました。ずっとお気に入りで「元を取ろう」と履きつぶしましたね(笑)。

WWD:今の東京のファッションシーンをどう見ている?

NAOTO:少し前までラグジュアリーストリートやストリートモードがトレンドのスタイルでした。それが、いったんみんなに行き渡って、また新しい芽が生まれる直前、変革期が始まる前というイメージです。次のトレンドを生み出す“ネクスト・ヴァージル”のような存在をみんなが求めているように思えます。

WWD:NAOTOさん自身のファッションはどう変化した?

NAOTO:僕のファッション変遷はぐちゃぐちゃです(笑)。高校時代はよく代官山へ買い物に行きました。ハリウッド ランチ マーケット(HOLLYWOOD RANCH MARKET)やハイ!スタンダード(HIGH! STANDARD)、オクラ(OKURA)あたりに通いましたね。私服の高校で、金髪・ピアスOKの少し変わった学校だったんです。大学みたいな自由な校風だったので、生徒もファッション好きが多く、自由にファッションを楽しんでいました。そのころからダンスをするときにどんな服を着るかは意識していましたし、ファッションは自分のパフォーマーとしての人生に欠かせないピースだったと思います。

WWD:パフォーマーとしての視点は服作りにどう影響している?

NAOTO:「スタジオ セブン」のアイテムは間違いなくパフォーマンスありきです。どういう服で踊りたいか、どういう服だったら自信を持ってステージに立てるのかを考えます。ファッションは、自分がかっこいい表現をするための欠かせないポイントですね。

衣食住の全てに興味がある。ハマっている食べ物はうなぎ

WWD:普段の生活の中で、カルチャーに対してどのようにアンテナを張っている?

NAOTO:今は洋服だけでなく、衣食住の全てに興味があります。最近はとにかく食べ歩きが楽しみ。インテリアや建築に関しては、家具に触れたり、出来上がるまでの背景を本で読んだり、写真を撮ったりと自分の目で見て体験することを大切にしています。

WWD:最近ハマっている食べ物は?

NAOTO:ピンポイントですけど……うなぎです。うなぎって実はめちゃくちゃ深い食材なんですよ。全国各地のうなぎ屋さんに行くと、本当にうなぎ愛に満ちたヘンタイなお店がたくさんあるんです(笑)。そういう方々からさまざまなエピソードを聞き回っています。まだまだ僕は“ウナギスト入門”くらいです。ちなみに僕は断然パリパリな関西派。でもこれは難しいところで、関西と関東のいいとこ取りをしているうなぎ屋さんもある。皮はパリパリなのに、中身はふわふわトロトロ。関西派と自負はしていますが、本当は一概に関西と関東では分けられない。とにかく奥が深いんです!

WWD:“ウナギスト入門”……なるほど。では自身のYouTubeチャンネル「オネストTV」ではキャンプをしている姿も見かけるが、キャンプも好き?

NAOTO:僕はシティーボーイっぽいイメージを持たれているかもしれないですけど、めちゃくちゃ外や自然が好き。今年になって、テント泊もデビューしました。「スタジオ セブン」の21年秋冬シーズンも“アウトドア”がテーマです。自分流のアウトドアスタイルを見つけることも楽しいし、「そんな格好でキャンプする?」という思われるくらい、自由にファッションを楽しみながらキャンプできたらいいですよね。

次のジェネレーションの人たちにチャンスや夢を与えたい

WWD:メンバー内でおしゃれだなと思う人は?

NAOTO:やっぱり洋服がよく似合うのは(関口)メンディー。彼はどんな服を着ても自分のものにしてしまうんです。「スタジオ セブン」の服もメンディーだったら新しい着こなしを見せてくれるかもしれない。最近メンバーとは、ファッションよりもうまいお店の話が多いです(笑)。とにかくたくさん食べ歩きをするので、メンバーの中で食に関しては僕が圧倒的に詳しいはず。ほかのメンバーから「こんなお店ない?」とよく尋ねられます。EXILEのSHOKICHIもグルメ好きで詳しい。2人でよくどこに行ったとか、あのお店が良かったとか、情報交換しています。

WWD:7周年を迎える「スタジオ セブン」、そして自分自身はどのように進化していく?

NAOTO:LDHは若い子たちに夢とチャンスを与える場所で、みんながそれぞれLDHの思いをバトンとしてつなげてきた会社です。「スタジオ セブン」でも今後は次のジェネレーションの人たちにチャンスや夢を与えられるような活動をしたい。実は今までブランドとしてほかのメンバーと一緒に何かをやるのはあえて避けてきました。良い意味でも悪い意味でも僕のイメージが強いブランドなので、ちゃんと認知されるまでは一人でしっかり基盤を作りたかったから。それから7年間続けてきたので、今ならメンバーとの取り組みにチャレンジしてもいいのかなと思います。例えば、今僕が着ているトラックスーツは、普段から親交のあるGENERATIONS from EXILE TRIBEの佐野玲於と一緒に作りました。7周年で初めてほかのメンバーとのコラボレーションアイテムが実現できたんです。もし将来的に僕が踊れなくなったとしても、自分の経験や体験で得た知識、実績をみんなに伝えることを大切にしていきたいです。

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世界最大級の香料メーカーに聞く“エモーショナルな香り”の需要

 近年、香りが心や感情に与える影響の研究が進み、商品に落とし込む企業も増えている。「気分を高める」「リラックスする」といった特定の機能性を香りに結びつけることによって、心や感情へのアプローチを図り、「機能性フレグランス」「ソリューションフレグランス」など呼び方はさまざまだ。以前から研究は進んでいたが、特に新型コロナウイルスが蔓延してから化粧品各社により“心へのアプローチ”が加速し、香りを用いる傾向が強まっている。2021年5月にそんな香りとエモーション(感情)の関係性を研究し、商品化をサポートするプロジェクト「EmotiOn」を立ち上げた世界最大級の香料メーカー、フィルメニッヒ(FIRMENICH)に“エモーショナルな香り”のニーズや今後の可能性について聞いた。

WWD:「EmotiOn」とは。

レベンツァ・トー(Levenza Toh)=フィルメニッヒ 東南アジア・日本・韓国 バイス・プレジデント(以下、トー):ウエルネスアプローチが重要視される今の時代、“エモーショナルな香り”を作るためのツールやソリューションをそろえたプログラムだ。世界中の消費者調査や脳科学研究、弊社の調香師のノウハウを掛け合わせている。われわれは「ポジティブ・パリューマリー(Positive Perfumery)」を掲げており、香りを通して顧客のウエルビーイングの向上を目指している。フレグランス研究の先駆者として、人は香りと感情を結びつけることを発見し、香りは脳に直接さまざまな働きかけをしていることに着目した。

具体的にさまざまなソリューションやツールを展開しており、「EmotiClaim™」は特定の国の人々に刺さるように香りを設計、「Emoti360™」は原料や色料を感情と結びつけてフレグランスのエモーショナルな訴求を実現する。「EmotiCode™」は感情と香りを結びつける独自のコード(方式)で、「EmotiBoost™」はポジティブなムードに導くとされるアコードのコレクション、「EmotiWaves™」はfMRIを用いて香りを嗅いだときの脳波を測定する技術だ。

これらのツールを用いることにより、エモーショナルな効果が期待できる香りを作ることが可能だ。5月のローンチ以来、クライアントからは多くの反響があった。ホリスティックなアプローチで、心に訴求できる新たな香りとして好評を得ている。

WWD:機能性フレグランスの需要は高まっていると感じるか。

トー:現代の消費者は製品の中身に一層気をつけており、製品の効果効能にもシビアだ。オグリビー(OGLIVY)が20年に行った調査によると、消費者の80%はウエルネスを向上したいものの、現在使用しているブランドのたった46%しか信頼していないという。このデータから読み取れるのは、消費者に機能性をもっと分かりやすく伝える必要があること。香りの世界でもそうだ。

 香水はもちろん、日用品においても、今後香りはウエルビーイングを発信する強力なツールになる。コロナになってから香りを遠隔でも伝えるストーリーテリングがより重要になっている。そういう意味でも、分かりやすく伝えられる機能的な香りは必要されている。香りから期待できる機能性やメリットを求めるニーズは高まる一方だろう。

 香りと心身の関係性を誰よりも理解しているのは調香師だろう。われわれは独自で持つ研究力と調香師の力、AIといった最新技術を融合し、今の消費者が求める機能性フレグランスを提供していく。

WWD:「EmotiOn」プログラムではどんな香りが人気なのか。

トー:世界11カ国で実施した調査によると、63%の人がロックダウン中に感じた不安やストレスを和らげるために香りを用いたという。今の消費者は香りから安全性や清潔さ、心の落ち着きを求めている。これらを表現するために「Sereni-Clean™」という香りを開発した。この香りは今後も伸びると感じている。

WWD:コロナはどのように機能性フレグランス市場を動かしたか。

トー:コロナ前から香りのエモーショナルな機能性に着目してきたが、この1年でそのニーズや傾向は加速した。心身ともに影響をもたらしたパンデミックにより、香りの新たな可能性に光が当たったといえる。日本では女性の32%の香りへの興味関心が高まり、33%は清潔感を感じる香りを求めていることが分かった。コロナによってよりヘルシーなライフスタイルを求める人も増え、ウエルネス商材やマルチ機能な商品、自然由来の成分を生かした商品の需要が高まっている。

 香りでいうと、安らぎやストレス解消をかなえ、気分が向上するような健康的な香りのニーズが高まっている。消費者の39%が商品を選ぶ際、こういった健康に訴えかける効果効能を重視するという。外出制限が緩和されつつ今は、「いい気分」「魅惑的」な香りのニーズが戻っているが、安全性や衛生面に気を遣う傾向は依然として高い。少子高齢化が進む日本では、ウエルビーイングだけでなく、衛生や消臭といったニーズも高い。

WWD:機能性フレグランスの未来はどう見ているのか。

トー:商品の機能性は今まで以上に重要になっている。同時に中身も同様に大切だ。ウエルネスを求める消費者は、自身にとってだけでなく、環境のウエルネスにも気を使うだろう。今後の機能性フレグランスは、消費者の心にアプローチするだけでなく、よりサステナブルで地球のウエルビーイングもかなえるものが支持されそうだ。

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「アタッチメント」がデザイナー交代で新体制 託す者の思い、継ぐ者の覚悟

 メンズブランド「アタッチメント(ATTACHMENT)」は、2022年春夏シーズンをもって創業者の熊谷和幸デザイナーが退任し、22-23年秋冬からは熊谷のアシスタントだった榎本光希デザイナー率いる新体制で動き出す。新社長は、親会社である繊維専門商社のヤギから迎える。榎本デザイナーは「アンダーカバー」や「ユリウス」でも経験を積み、同じ運営会社の「ヴェイン(VEIN)」も手掛ける36歳だ。00年代の東京メンズを牽引したブランドの一つ「アタッチメント」が迎えた転機の背景や、ビジネスの現状、ブランドがどう変わるのかを新旧デザイナーに聞いた。取材現場で新たなコレクションのビジュアルを初めて見た創業者は、「変わったね」と表情をゆるめた。

事業拡大と共に生じた創業者の葛藤

WWD:デザイナー退任を決めたのはいつごろ?

熊谷和幸(以下、熊谷):2020年の年末です。1999年に「アタッチメント」を1人で創業し、日本の中ではニッチなブランドとしての立ち位置を築いて規模も少しずつ拡大していきました。一方で、経営とクリエイションを両立させる難しさも感じていたんです。そこで、2017年に繊維専門商社のヤギとM&Aをし、将来的にはデザイナーに専任しようと計画していました。ただ、これまでのニッチな立ち位置から、店を増やしたり、規模を拡大したりと、よりマスに向けたブランドへの進化が必要でした。加えて、ファッション業界がものすごいスピードで変化する中で、デザイナーとしていい物をただ真面目に作るだけではなく、会社全体をデザインする総合力やスピードが今の時代には求められます。その点、私はチーム全体をまとめて運営していくのが得意ではなかった。そこで、ファーストアシスタントだった榎本君にデザイナーも引き継ぐ決意をし、本人に伝えました。

WWD:創業デザイナーからその思いを聞いたときの率直な感想は?

榎本光希デザイナー(以下、榎本):「本当に言ってますか?」と驚きました。「ヴェイン」が立ちげ2年でこれからというタイミングだったので、規模の大きい「アタッチメント」を同時にディレクションできるのだろうかという不安が大きく、4日ほど悩みましたね。でも、ずっと一緒に仕事をしてきた熊谷さんが後任として認めてくれたうれしさと、自分がやらないとという使命感もあり、最終的に引き継ぐことを決めました。

WWD:榎本デザイナーに期待することは?

熊谷:彼にはクリエイターとしての才能に加え、私にはない優れたコミュニエーション能力があり、会社全体をデザインできる総合力を持っています。チームを盛り上げて、ブランドをさらに高みへと導く力があるんです。ワンマンプレーヤーである私が不得意だった部分を彼が持っているので、そこに期待しています。

榎本:自分では総合力を意識したことはありませんが、ファーストアシスタントとして先輩たちに指示を出さないといけない状況に揉まれ続け、それでも周りに助けられている様子を熊谷さんは見てくれていたんだと思います。

“原点”を守る継承者が目指す先

WWD:チームの刷新に近年のビジネスの状況は影響している?

熊谷:コロナウイルスによる売り上げの落ち込みは、きっかけの一つではあります。近年は年間売上高10億円前後で大きな変動はなく推移していました。しかし昨年はコロナ禍による直営店の営業停止とインバウンドの落ち込みで、リーマンショックが直撃した08年以来となる、創業以降2度目の赤字に終わりました。今年度は計画通り売上高8億円前後の黒字着地で復調傾向ではあるものの、今後は売り方や販路の調整など、ビジネスをよりスピードアップさせないといけません。私は正直、そのビジネスのスピードに追いつけなかった。

榎本:ビジネスでは、現在の直営店ベースの運営を維持させながら、売り上げ全体の約2割を占める海外セレクトとの取り組みを拡大させるために、世界に向けたクリエイションも意識していきたいです。今は欧米アジア各国で約30アカウントとの取引があり、近年も少しずつですが伸び続けています。輸出すると日本よりも上代が上がって富裕層向けの価格帯になりますが、それでも通用する国や地域はあります。日本と海外では、サイズ感はもちろん、求められるスタイルやカルチャーも異なるので、その両方に刺さるバランスを物作りと見せ方の両面から探るのが今後の課題ですね。

WWD:では逆に、変えずに守っていきたいことは?

榎本:熊谷さんが創業時に掲げた“服は、着る人の魅力や個性、内面を引き出す付属である”という物作りの姿勢です。22年前からこの考え方で物作りしてきた人は他にいないですし、僕にとっては今でも心に刺さる言葉。デザイナー就任の話をもらったときも、そこだけは絶対にブラしてはいけないと覚悟しました。「アタッチメント」は一見するとシンプルですが、素材や仕上げ、シルエットなど一つひとつが本当に丁寧で真面目なんです。僕自身いろいろと経験しましたが、どのシーズンでも均一のサイズで仕上げるのはなかなかできることではないんです。熊谷さんが創業時から積み重ねてきた表には見えない当たり前を、今後も変えるつもりはありません。僕にとっての原点ですから。

WWD:新体制での初となるコレクションのビジュアルに若いモデルを起用したのは、客層の若返りを意識しているから?

榎本:特にそういう意図はありません。中心顧客である30代は維持しながら、10〜50代まで幅広くリーチさせる物作りの方向性はこれまでと同じです。21歳の池谷陸さんに撮影をお願いし、若いモデルを起用してビジュアルでユース感を意識したのは、若いころのファッションに対する情熱を表現したかったから。僕が入社した20歳のころは、昼ご飯を100円のカップラーメンにして節約しながら服を買うほどでした。そういう感情を込めながら、新しい「アタッチメント」像を表現しています。実は、今この取材で熊谷さんも初めてビジュアルを見るんですよ。

熊谷:確かに、変わったね。

WWD:熊谷さんの今後は?

熊谷:2021年末で社長を退任し、22年5月で退社します。その後はやりたいことが多くてか迷っているので、今はじっくり考えたいですね。服作りには携わりたいですが、組織として運営していくというより、1人でもできることがしたいです。

榎本:僕もまだ何をやりたいか知らないんですよ。熊谷さんは実家の父親のような存在なので、気になります。

熊谷:榎本君は昔はもっとやんちゃだったのに、歴代アシスタントで一番バランスがとれたデザイナーに成長してくれました。僕がとっちらかしたところをまとめ上げてくれる存在だと信じています。ブランドを託すよりも受け取る方が勇気がいるのに、引き受けてくれて本当にありがとう。

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香りで社会課題を解決する「コードミー」 音楽業界や医療現場など異色コラボで香りの可能性を広げる

 フレグランスベンチャーのコードミー(CODE MEEE)は、香りxテクノロジーでさまざまなソリューションを生み出している。BtoC向けには香りのパーソナライズサービスを、BtoB向けにはオフィスをはじめとした空間の香りプロデュースなどを提供している。これまでにないユニークなサービスを次々と生み出し、2020年度の売り上げは前年比400%増とコロナ禍でも飛躍的に事業を成長させている。最近は音楽業界や医療現場とのコラボも試み、日本のフレグランス市場の発展と拡大に挑戦している。

 コードミーを率いる太田賢司・代表は、日本最大の香料メーカー、高砂香料工業で長く研究員を務めてきた。「香りとITでワクワクする世界を創造する」をミッションに、17年に独立してコードミーを創業。以来、研究員としてのノウハウを生かしつつ、香りの可能性や価値を広げるべく日本のフレグランス市場に変革をもたらしてきた。そんな太田代表は、どのように日本のフレグランス市場を拡大しようとしているのかーー。新たな事業や日本のフレグランス市場について聞いた。

WWD:なぜコードミーを立ち上げたのか。

太田賢司・代表(以下、太田):もともと高砂香料工業でフレグランスの開発を10年行っていた。だが香水、柔軟剤、シャンプー、ルームフレグランスなど、製品が限られたフレグランスマーケットの中で製品開発するのが物足りなく感じるようになり、原料開発に特化した香料会社にいる限りは業界全体のマーケットを広げられないと感じた。そこで香りの新しい市場を創造し、香りの可能性を広げるべく、コードミーを立ち上げた。特に日本は欧米に比べると香りの後進国という印象があると思うが、もっと香りの価値を世の中に問いながら新しい香りの価値を訴求して、新しいマーケットを作っていく。それこそ、香料会社出身の人間ができるのではないか、と思った。世界トップレベルの香料会社での経験は宝であり心から感謝しているし、将来的に事業で恩返しできるように頑張りたい。

WWD:香りの可能性を広げるために独立したということだが、市場を拡大するためにまず着手したことは。

太田:まずは自分で興味あることから仮説を立てて実行しようと考え、パーソナライゼーションに着目した。会社を立ち上げる2017年の少し前から、個人のライフスタイルに合わせて個別最適化されたパーソナライゼーションがヘルスケア領域から盛り上がっていた。香りは人の記憶や感情に直接訴えかける面白いもので、本来香りこそパーソナライズされたら、マーケットが広がるんじゃないかと思った。なので、まずはtoC向けに香り×パーソナライゼーションに挑戦した。

WWD:17年の創業当時、香りのパーソナライゼーションは新しいコンセプトだったが最初から順調に推移したのか。

太田:まず始めたのが、ライフスタイルに合わせてパーソナライズされたアロマ。しかし香水とは違って、自分のアロマを持ち歩く習慣が今までなかった。なので、新しい行動変容を起こすのは一つの壁だった。今までにない暮らし方や香りの取り入れ方にチャレンジするのは、確かに難しかった。

 ただ地道に続けて、徐々に変化を感じるようになった。ヘルスケアとして、ストレス課題に対応して最適な香りを3000パターン以上から、自分に合ったものを作る「CODE Meee ONE」というサービスを提供している。これはいろいろと細かい仮説検証を進めていく上で、一番受け入れられる明確なポイントになったのが、タバコの代わりになっていること。喫煙者がストレス解消のために持ち歩くタバコを、アロマに変えるように訴求した。期待される機能性をうたうソリューション型のアロマとして、コミュニケーションし続けた結果、徐々に浸透したように感じる。

社員のモチベーションを上げるべくオフィスの“香りプロデュース”需要が急伸
オフィスを香りで彩ることで採用コストが削減できた企業も

WWD:BtoB向けではどのようなサービスが好調なのか。

太田:香りの空間演出事業が好調で、中でも働く場所の空間デザインが一番伸びている。「従業員満足度を上げたい」「生産性が上がるような仕組みをリアルの場で設計したい」といったニーズに応えるように、香りを使って空間をプロデュースしている。例えばデスクエリアには集中力がアップする香り、ラウンジにはリラックスできる香り、会議室には会話を促す香りなど、エリアごとに期待される機能性と紐付けた香りを開発して、空間を演出している。これをソリューション・フレグランスと呼んでいる。

WWD:導入した企業からの反響は。

太田:いろいろな意見をいただくが、特に興味深かったフィードバックが2つある。一つは、サービス業に携わっている企業の話。従業員の休憩室に快適度やリラックス度の向上が期待されるような香りを導入した。香りを導入した部屋とそうでない部屋を設置し、さらに他社の香りAと弊社が作った香りBを一定期間置き、そこで休憩した人が次の職場に行くときのモチベーション度をアンケートでとった。すると弊社の香りでデザインした部屋で休憩した人の方が、モチベーションが上がったという回答が圧倒的に多くあった。

 もう一つが、企業の採用コストや離職率が下がった、という声をいただいたこと。組織に一体感がなく悩まれていた企業から、その企業のミッションを香りで表現して提供したところ、社員のモチベーションが上がり、社員からポジティブなフィードバックがたくさんあったそう。別の会社では採用面接に来た人が、オフィスに入った瞬間の香りによって心地よい気分になったと面接官に伝えたそうで、会社の第一印象にまで影響を与えることができた。そういう意味でも、香りの可能性ってまだまだたくさんあるのだと思う。

WWD:サービスの提供以外にも、研究開発にも力を入れている。

太田:先ほどから話に出ている脳波分析もそうだが、現在医療施設と連携して共同研究をしている。医療施設には薬剤や患者の生活臭など、独特な匂いで悩まれている現場が結構ある。最近ではコロナ渦の過酷な環境下で少しでも医療従事者のストレス緩和に役立てるように、弊社で作ったマスクスプレーを配布した。ビフォーアフターでどういう効果が得られるのか、モニタリングしながら研究を進めている。実際使っていただいた医者や看護師から「もうスプレーが手放せなくなった」と言っていただけるぐらい、香りの価値を感じていただけた。香りはこういう風にも作用するのだと、新しい発見につながった。

アイドルの“推しグッズ”にも活用する香り
香りで一生忘れられないライブもプロデュース

WWD:最近は音楽とのコラボレーションも行う。

太田:継続的にアーティストとの連携は進めたいと思っていて、いわゆる共感覚を追求したい。例えば、「音楽x香り」「映像x香り」「触覚×香り」といったクロスモーダルを突き詰めたい。そうすることで体験型コンテンツをより面白くできるんじゃないか、と。今一番興味あるのが音楽で、音楽の世界でより“エモい”体験を作るために香りを用いている。具体的にはアーティストのライブの香りを開発したり、フレグランスのグッズを作ったりしていて、それが今好評だ。

 初めて取り組んだのはシンガー・ソングライターの吉澤嘉代子さんで、セカンドシングル「残ってる」を発売したときに、曲の世界観をアロマで再現した。それはSNSでかなりの反響を得た。アーティストにとってはブランディングの一環になるし、レーベルにとっても新しいグッズ販売の一助にもなっている。19年の年末にはソニーとコラボして、アイドルのフレグランスもプロデュースした。

 コロナ禍において、人って孤独を感じ始めたと思うが、孤独を感じるときに、誰かを感じたり、自分の好きな人を身近に感じていたいというニーズが高まったと感じる。香りは、その人のアイデンティティーに結び付く、パーソナルなもの。だからこういったブランディング・フレグランスは、アーティストとつながる新たな方法、つまり“推しグッズ”の新たな形にもなっている。

WWD:日本は“香水砂漠”といわれたり、フレグランス市場がなかなか伸びないとされてきた。そんな中で日本の香り市場の未来は。

太田:個人的には、そもそも香りの嗜好性が欧米と日本人で違うのが1つの要因だと思う。香水のランキングを見ても、欧米と日本で全然違うので。香り自体が欧米の好みに合わせられてるものが多いため、日本で香水が受けないのだろう。また、日本人にとって香水は優先順位が低いというのもある。例えば外に出掛けるときに、どちらかというと髪型や洋服、メイクを優先する。だからこそ、ヘアケアやメイク、スキンケア市場は日本は大きい。

「香水市場を無理に伸ばそうと思わない」
香水以外の香りの可能性を拡大したい

WWD:それでも可能性はある市場だと感じているのか。

太田:個人的には香水は好きだが、香水のマーケットを無理に伸ばそうとはあまり思わない。それよりも、香りの本質的な価値を広げていきたい。香りのマーケット全体を広げていくのは、別に香水でなくてもいいわけで。香水としてまとわなくても、空間デザインやマスク用のスプレー、ルームフレグランスなど、可能性はいくらでもある。今まで興味なかったけど「香りってこんな価値があるんだ」と認識してもらえるような、新しいマーケットを作ることのほうが、より興味がある。

 最近では、横浜市と連携してオープンイノベーションを加速させる環境設計を目的に、スタートアップ成長支援拠点であるYOXO BOXから「イノベーションを誘発する香り」を発信したり、東京都港区との連携では、官・民・学の連携プロジェクトとして「街の香りブランディング」も始めている。

WWD:今後の展望は。

太田:フレグランス市場の可能性を広げること。香水や入浴剤といった既存のマーケットを伸ばすというより、今までにない香りの市場を作り、もっと香りに新しい価値を感じてもらう可能性を追求していきたい。自分たちの作る香りで新しいマーケットを作ることで、世の中の役に立つことを目標にしている。

 中でもブランディング・フレグランスとソリューション・フレグランスを主軸として事業を展開する。ソリューション・フレグランスに関しては、今後はより深い課題の解決に取り組みたい。大きいのは、医療・介護業界。どうしても香りは香水に代表されるように“Nice to Have(あったらいいな)”の領域だったので、これからは“Must Have(なくてはならない)”存在になるようにしたい。それはただの消臭ではなく、心地よさといったプラスアルファの効果をもたらすように、香りの可能性を探求していく。「これがあって本当に助かった」という領域で、医療・介護現場で活用できるようなソリューション型のフレグランスを作り、医療従事者や患者、患者の家族のQOLを向上させたい。

 一方でブランディング・フレグランスは、理屈を超え、人の本能を動かすような、記憶や感情に直接訴えかける香りを作りたい。それによって人に幸せを送れるような、心を動かすような香りの活用の仕方をしたい。今までと変わらず、音楽アーティストやインフルエンサーと一緒に、世の中にハッピーを届け、エモい体験を提供する。

 ブランディングはアートで、ソリューションはサイエンスだと考えると、アートとサイエンスの2軸で新しい香りのマーケットを作ることで、世の中に彩りを与えていきたい。

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末安弘明「キディル」デザイナーは「なんでも受け入れるが、柱は大事」 内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.5

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第5回は個性的なグラフィックも特徴の「キディル」を手掛ける末安弘明デザイナーに話を聞きました。

内田理央(以下、内田):そもそも末安さんは、どうしてデザイナーを志したんですか?

末安弘明「キディル」デザイナー(以下、末安):最初は美容師として6年くらい働きましたが、ファッションが大好きだったのでデザイナーになりました。高校生の頃からファッション業界で働きたかったのですが、親に反対されて泣く泣く美容学校に通ったんです。ヘアサロンで仕事をした後、ヘア&メイクアップアーティストを志しロンドンに留学しましたが、現地でファッションへの思いが募り、27、8くらいから洋服を作り始めたんです。

内田:私も今年30になったんですが、27、8の時は色々考えました。自分の仕事と向き合い、私の場合は「頑張ろう」って思い直したんです。ブランドビジネスは、どうやって学んだんですか?

末安:専門学校にも行かず会社にも属さなかったので、完全に我流です。おそらく他のブランドとは違うんだろうけれど、それすらわからないです。最初はパターンどころか、生地をどこで買うのか?やミシンの使い方さえわからなかったんです。Tシャツ作りから始めました。Tシャツしか作れなかったからです。

内田:最初のTシャツは?

末安:誰にも言ってなかったけれど、東急ハンズに駆け込んで、オリジナルTシャツ制作キットの“Tシャツくん”を買って作り始めました。

内田:どんなデザインだったんですか?

末安:ありもののTシャツを安く買って、イラストレーターの友人と一緒にテーマに基づいたグラフィックを作り、シルクスクリーンの版を作り、ひたすら刷りましたね。売り先もないのに(苦笑)。

内田:みんな、そこからなんですね。

末安:何十万円もかかったのに、売るところがないんですよ。できて嬉しくて、友達のモデルや美容師にタダでプレゼントしていました。友達のモデルがスナップにのってくれて、それが異様に嬉しかったのを覚えています。

内田:そこから「キディル」というパンクなブランドにどうつながるんですか?

末安:最初の2年くらいはテーラードなどの服作りにフォーカスしていたんですが、2016年くらいにフォトグラファーのデニス・モリス(Dennis Morris)と知り合い、彼が撮影していたパブリック・イメージ・リミテッド(PUBLIC IMAGE LTD.)というパンクバンドと一緒に仕事をする機会があったんです。自分が若い頃に好きだったカルチャーに寄せて服を作ってみようという気持ちになりました。デニスと会って、服作りが変わって、ユースカルチャーとリンクした服作りにシフトして現在に至ります。

内田:最新コレクションには緊縛のルックもありました。私も少し前、ドラマで緊縛師に縛っていただいたことがあって、「面白いなぁ」と思ったんですが、インスピレーションはどこで?

末安:22年春夏コレクションでは、トレヴァー・ブラウン(Trevor Brown)というイノセントで少女性を感じるアーティストとの仕事に取り組んだんです。トレヴァーと緊縛カルチャーには親和性があり、「じゃあ、ショーでも縛りますか?」っていう話になり、緊縛師のHajime Kinokoさんに相談したんです。

内田:カルチャーに入り込んでいて、面白いですね。緊縛って、見ちゃいけない禁断のイメージだったんですが、信頼関係の上に成り立っていると聞きました。私も縛られても全然痛くなくって、ハグされているような感覚で。一つのカルチャーとしてアツいですよね。

末安:ファッションの世界ではヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)とマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)がボンテージジャケットやボンデージパンツなどを発表して以来、枝分かれして、フェティッシュなカルチャーと結びついていると思います。

内田:自分とは違うカルチャーには抵抗を感じないんですか?

末安:受け入れ体制は、結構万全です。ひらけています。なんでも一度受け入れるようにしています。いろんなものを一度、自分に入れてみるのは大事にしています。

内田:私もなんでも受け入れてみて、素敵だと思ったら深めていってということが多いです。私は完全にアニメやマンガにハマって、触手が出てくるようなグロテスクな漫画などを読んできました。

末安:触手って、アップで撮影してファブリックにのせたらラグジュアリーブランドで使えそうですよね。本当にインスピレーションソースにしているかもしれない。触手も、全然受け入れますよ(笑)。

内田:新たなものが生まれるには出会いが必要だな、っていうのは、お芝居でも思います。一方で、新しいものへの挑戦になるとなおさら、チームのみんなに伝え、理解してもらうのは大変だと思うんですが。

末安:新しいものについては、例えばTシャツなら加工や色など細部まで決め込むので、ブレないんです。新しい人に出会って影響を受けることは大事ですが、「あれも作りたい」「これも作りたい」ではなく、特にデザイナーズブランドには柱が必要。ブレ始めると、意味のわからないブランドになってしまいます。それで困るのは、お客さまです。だから僕は、「こんな人たちに着てほしい」を目指して作っているので、わかりやすいかもしれないですね。

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元「アルティーダ ウード」ディレクター安部真理子の隠れ家的サロン「シャランポワ」が東京・南青山に登場 オリジナルのジュエリーや香りを堪能できるドリーミーな空間

 サザビーリーグによるD2Cジュエリーブランド「アルティーダ ウード(ARTIDA OUD)」のディレクションを手掛けた安部真理子氏の新ジュエリーブランド「シャランポワ(SHARANPOI)」が登場した。安部シャランポワ代表は、サザビーリーグを離れて独自のブランドを設立。インドと日本の伝統工芸を反映したジュエリーを提供する同ブランドの東京・南青山の隠れ家のようなサロンを訪れた。オリエンタルな家具がアクセントのゆったりとした空間の棚には、幾つもの香料のボトルがずらりと置かれ、まるでスパのような雰囲気。安部代表は「アルティー ダウード」でもフレグランスなどを展開し、総合的にブランドの世界観を作りあげた人物だ。自身のブランドをスタートし、サロンをオープンした安部代表に話を聞いた。

WWD:「シャランポワ」の構想はいつから?

安部真理子シャランポワ代表(以下、安部):約2年前から。週末だけでもサロンでオーダーできるジュエリーを提供したいと思った。日本は、欧米などと違ってジュエリーを代々引き継ぐ文化がなく、古いジュエリーは質屋に出すなど手放す人が多く、それらジュエリーに使用されていたきれいな石が元値よりずっと安い価格で販売されている。それらが、外国バイヤーにより海外に流出しているという話を聞いた。そこで、日本国内にある古い宝石を使用し、ジュエリーにしようと思った。古いけれども品質の高い石が安く買えることもある。デザイン的には、インド独特のダイヤモンドを大きく見せる技法“ポルキ”をはじめ、日本のうるしの技術などを融合させたオーダージュエリーを提供したいと「シャランポワ」を立ち上げた。

WWD:「シャランポワ」というブランド名は?

安部:ドリーミーな造語で東洋と西洋の伝統と価値、アップサイクルをテーマにしている。日本にある昔のジュエリーに使用されていた石など、できるだけあるものを使用してジュエリーを制作したい。

WWD:「シャランポワ」を立ち上げた理由は?

安部:今まで、オンライン中心でジュエリーを販売する活動をしてきた。「ストラスブルゴ(STRUSBURGO)」で販売をした経験があり、一人一人の顧客と対面でゼロからジュエリーを作り上げたいと思った。インドと日本の伝統工芸に向き合ったジュエリーを提供すると同時に、古くなったジャエリーをリフォームして喜んでもらえれば。そこで、プライベートなサロンをオープンした。ここは、作家の作品を展示するギャラリーとしても使用したいと思っている。

WWD:ブランドのコンセプトは?

安部:古いジュエリーに使用されていた宝石を使用し、インドのポルキやエナメル、日本のうるし工芸や象嵌技術など、慎ましくも流麗な東洋の工芸を生かしたジュエリー。宝石とは、身につけてこそ輝くもの。だから、古くなったジュエリーをリフォームして新たな息吹を与えることを目的にしている。

WWD:中心の価格帯は?

安部:リングが15万円、ピアスが12万円、バングルは40万円程度。ダイヤモンドやエメラルドを使用した110万〜160万円程度のネックレスもある。オーダージュエリーなので、各顧客の希望に合わせて柔軟に対応する。

WWD:背後のボトルの数々は?

安部:このサロンは、BtoBでイタリア・トスカーナ発オーガニックの香料の代理店としての役割も兼ねている。フランスの有名なコスメブランドなどのOEMを手掛けているオーガニックの認証を得た工場で、ここでは、既に香水として調合されている原液を約100種類、精油を約40種類そろえている。ミニマムのロットはあるが、オリジナルのオーガニックな香りを纏ったスキンケア、ヘアケア、キャンドル、ルームフレグランスなどの製造が可能だ。香料はイタリア・ロンバルディアの2社、シチリアの1社から調達している。日本のホテルのアメニティーなども手掛けていて、柔らかい香りが特徴だ。

WWD:「アルティーダ ウード」でもフレグランスなどを展開していたが、独自でフレグランスのブランドを立ち上げる可能性は?

安部:私自身、イタリアの工場と長年携わってきたので、ゆくゆくはオリジナルのフレグランスにチャレンジしてみたい。

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商品到着は最長で1年後 「ゼロストックトウキョウ」創業者が挑む“ミニマリストが最後に残す服”

 9月にデビューした「ゼロストックトウキョウ(0 STOCK TOKYO)」は、その名の通り余剰在庫を持たないことをモットーに、生産者に負担をかけず、全ての人が幸せになるモノづくりを目指す完全受注生産のブランドだ。価格帯はコート6万9000円、プルオーバー1万9000〜2万2000円、パンツ1万9000〜2万2000円、ワンピース2万3000円など。創業者の大和聡は、大学時代にビンテージショップにのめり込み、ビンテージ専門のリペアショップで縫製技術を学んだ後、アパレルの企画製造を行うベンチャー企業やOEM会社などでキャリアを積んだ。ファッションへの深い愛情を感じる彼に、ブランドの立ち上げやこだわり、ビジネスプランを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ゼロストックトウキョウ」のコンセプトが生まれたのはいつ頃?

大和聡・代表取締役社長(以下、大和):新型コロナウイルス感染拡大の影響が大きかった。20年以上アパレル業界に携わってきて、時代が大きく変わる中、個人でも課題解決や社会に貢献したいと考えた。自分が軸となり、胸を張って提案できるモノづくりがしたいと思ったのがきっかけだ。

WWD:リペアショップやOEMの経験がブランドにどう生かされている?

大和:生産工程全体に関わるポジションで活動してきた経験を生かせば、業界が抱える課題や技術の継承など、日本だからこそできる解決策を見出せるはずだ。日本のアパレル産業は、川上・川中・川下がそろう世界でも珍しい国。川上である原料や、川中の職人たちの縫製技術は、世界から称賛されるほどレベルが高い。「ゼロストックトウキョウ」は日本製にこだわり、企画者・生産者・消費者がシームレスなサプライチェーンを作ることをビジネスモデルに掲げている。

WWD:公式サイトに「オーダーをいただいてから半年〜1年近く商品をお待たせしてしまうかもしれません」とある。従来のアパレル業界からするとチャレンジングな試みだが?

大和:すぐ手に入るものは、その価値が失われるのも早いと考えた。メンバーに初めてそのステートメントを見せたときは、「そんなことを言ったら誰も買わないのでは?」という意見もあった。でも私たちは嘘をつかないモノづくりで、消費者だけでなく、ブランドに関わる全ての人々の幸せを紡いでいける未来を目指している。

WWD:その未来を実現させるために、具体的に実践していることは?

大和:主に、三つの柱を軸に取り組んでいる。一つ目は、「産業が抱える環境問題への取り組み」だ。現代のアパレル産業は、“余剰在庫による大量廃棄”と、それに伴う“環境問題”を抱えている。世界中で年間約1000億枚が生産され、日本国内だけでもその1%にあたる10億枚が一度も人の手に触れられることなく廃棄されているといわれている。処分対象の服を焼却することで発生する膨大な温室効果ガスや排水などは、大きな社会問題だ。完全受注生産の「ゼロストックトウキョウ」は、必要としてくれる人へ必要な量、届けられる量だけを製造することで課題解決を目指す。

 二つ目は、「クラフトマンシップの永続を目的としたクリエイションモデル」だ。余剰在庫を作らないビジネスモデルは、予約販売などで他ブランドも実践している。しかし私たちは製造により近い立場で、クラフトマンシップや工場の技術がどれほど大切かを感じてきたからこそ、余剰在庫を作らないだけでなく、技術の継承にもこだわりたいと考えた。

WWD:生産地の後継者問題は、深刻な課題だ。

大和:アパレルの国産生産比率は、ここ約30年で1990年の50.1%から2.0%まで減少した。その中には、世界の一流ブランドも発注する、高いクラフトマンシップの工場もある。ブランドにとって、顧客が必要なものを必要なときに必要な量を供給し、在庫を最小化することは重要だ。しかし工場にとって最も大事なのは、生産ラインが常に稼働していること。従来のアパレルの生産では、発注時期が重なる繁忙期がある一方で、生産ラインに空きができて従業員の雇用維持が難しくなる閑散期もあるのが問題だ。そこで「ゼロストックトウキョウ」では、工場が縫いたいときに縫うことを許容し、“生産のタイミングを一任する”ことで生産ラインを平準化し、大切なビジネスパートナーである工場と共に、100年後もクラフトマンシップを継承できるクリエイションモデルを目指したい。

WWD:しかし商品を生産する以上、売ることも大事になる。以前のように服が売れない現状をどう打開する?

大和:中長期的に見て、人々の価値観や志向は大きく変わり、中でもアパレルは1人当たりの衣類にかける消費額(購入型数)は、この先も減少するだろう。だが、服が世の中からなくなることはない。そこで三つ目の柱となる、「スローファッション・スロークリエイションの考え方の提唱」を考えた。「ゼロストックトウキョウ」は“ミニマリストが最後に残す服”として、最高のアイテムを最低限使いたい人、もしくはそんな生活に憧れて究極を求める人に寄り添う服を提供する。

 店舗を持たない私たちの強みは、シーズンの型数を極限まで絞り込み、時間と思いを存分に込めた1枚を作れること。そして、納得する商品が完成したタイミングで販売できることだ。これまでのアパレル業界では考えられない仕組みかもしれないが、究極のマフラーが完成すれば真夏でも販売する。本当にいいものであれば必ず多くの人に愛される。最良のものを最小に削ぎ落とし“一番好き”のみに囲まれた生活を実現させるためには、作り手にも時間や心の余裕が重要だ。

WWD:このビジネスモデルで目指す先は?

大和:もし年間1万枚の服を工場が作りたいときに作ることを許容するわれわれのようなブランドが100立ち上がれば、100万枚の服が自由なときに縫製され、工場の平準化につながる。そうなれば、小売業の持続可能性にもつながるはずだ。われわれの事業モデルに共感して、同じ思いでモノづくりをする会社がたくさん出てくることを期待し、まずは先駆者として挑戦していきたい。

WWD:ファーストコレクションのこだわりは?

大和:まず、全17型のファーストコレクションを通して「本当に必要なものか。われわれが作るべきものか」という本質を突き詰めた。自分のクローゼットを断捨離する際に、各カテゴリーで1枚を残すとしたら「ゼロストックトウキョウ」と思ってもらえるようなベーシックなアイテムを、1点ずつ丁寧に作っている。そして、ベーシックな中にも機能的で品格があり、シーズンレスでタイムレスに着られるモノを、ストレスフリーな素材を使ってデザインしている。アパレルのOEMは企画から納品まで長くて4カ月ほどだが、私たちは1年かけて完成させた。

WWD:コレクションの3シリーズ“ラゲージ(LUGGAGE)” “17 アワーズ(17 Hours)” “ゼログラム(0 gram)”について教えてほしい。

大和:“ラゲージ”シリーズのコートは、旅行の際に手ぶらで行動できるというコンセプト。バッグを持たず済むように、iPhoneや財布、週刊誌など、それぞれの用途に適したサイズ違いのポケットを11個作った。1サイズのみだが、150〜185cmの人が同じサイズで着られるシルエットで、100回洗っても落ちない撥水機能付きだ。

 “17 アワーズ”は、寝るとき以外の17時間を快適に過ごそうというコンセプト。生地の裏側の細かい凹凸が皮膚にあたる接触を最小限に抑え、常にさらさらの着心地を実現させた。高反発糸を使用したフクレ二重織で、世界に誇る日本の加工技術「SY加工」を施すことで、細かなシワと糸の膨らみを生み出した。また、オールシーズンで長時間着用でき、かつ長く愛用できるよう、洗濯後の劣化が少ない耐久性に優れた素材を使用している。

 “ゼログラム”は、見た目のボリュームを裏切る軽さが最大のポイントだ。ウレタンスポンジを2枚のジャージーではさみ、裏毛のような厚みとボリューム感を出すと共に、軽さと保温性も追求した。同じデザインのパーカで、従来の裏毛だと1000〜1200gあるところ、“ゼログラム”シリーズは60〜70%の重みで仕上げている。

WWD:カラーがブラックのみの理由は?

大和:“ミニマリストが最後に残す服”に、カラーものは選ばないのではないかと考えた。お客さまが悩まずに選べる色として、やはり黒や白をベースにしたかった。今後、他社とコラボレーションする機会があれば、他の色も取り入れるかもしれない。

WWD:素材へのサステナブルのこだわりは?

大和:ラゲージコートの撥水剤はPFC(フッ素化合物)フリーで環境に配慮したものを使っていたり、“ゼログラム”シリーズは独自開発した、生分解性のある再生セルロース繊維リヨセルを採用したり、細かく色々と取り入れている。しかし、原料がサステナブルなのは当たり前という感覚なのでそこを大々的には謳うことはせず、あくまで取り組みにこだわっていきたい。

WWD:原価率が55〜60%ということだが。

大和:一般的な原価率が25%くらいなので、2〜3倍くらいの原価率だ。インフルエンサーを使ったプロモーションなどをやらない代わりに、長期的なプランで、一度知ったらずっと愛してもらえるファンを増やすのが私たちの戦い方。前述の通り、余剰在庫を持たないモノづくりを行うために、お客さまには半年から1年待たせてしまうかもしれないと前面に謳っている。もし長く待ってもいいというお客さまには、価格以上の価値を感じてもらえる商品を届けたい。そう考えると、今の原価率がお客さまとの約束で妥当な数値だ。ただ、全ステークスホルダーにとっての現時点でのベストな原価率であって、数字に囚われるのではなく、関わる人たちにとってプラスの挑戦ができるなら、数値は前後してもいいと考えている。

WWD:ブランド立ち上げからファーストコレクション発表までで、一番大変だったことは?

大和:大変なことだらけで、正直何度も壁にぶち当たった(笑)。本当に1年待ってもらえるのか?立ち上げたばかりの小さなブランドに共感してくれる原料・縫製メーカーが見つかるのか?など、たくさんの不安があった。でも9月の展示会ではおかげさまで100組を超える人々が来場してくれて、いいスタートを切ることができた。

WWD:工場はどうやって見つけた?

大和:業界内のつながりから、ファーストコレクションは富山と岐阜の工場に依頼した。「ゼロストックトウキョウ」を陰で支えてくれている工場はみな能動的で、高度な職人技術に加え、将来的に自社でのブランディングも見据えた行動力や高い意識を持っている。社員へ生活に役立つデザインを公募し、選ばれた1人のデザインを自社で特許登録したり、若いメンバーが発言しやすい環境を作ったり、自分たちでほしい商品があればプロジェクト化して会社が応援する活気のあるところだ。

 また、私たちはあえて作り手の顔を見せている。オーダーを入れ、生地が製作され、縫製の段階に入ったことが見えると、ワクワク感が生まれる。いつ届くかわからないものをただ待つよりも、オーダーした商品が完成するまでの進捗を伝えながら待ってもらいたかった。

 この先、最終的には工場がモノを作る時代がやってくるだろう。究極のサステナビリティ(持続可能)のゴールは、工場がファクトリーブランドを作り、自社で平準化がかなうこと。ただ、情報やトレンドはやはり都心に集まるので、トレンドや情報収集、デジタルマーケティングなどの販売戦略で「ゼロストックトウキョウ」がバックアップしていきたい。そんなシームレスなサプライチェーンの実現に向けて、同じ思いをもった富山と岐阜の工場と一緒に協業できてよかった。

WWD:今後の予定は?

大和:現在、ファーストコレクションを来年の8月には届けられるよう動いている。並行してセカンドコレクションの企画もスタートさせている。自分たちが納得するものが完成したタイミングが基準なのであくまでも予定だが(笑)、3月を目途に新たな発表ができれば。

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「ロンシャン」がリサイクル素材の新バッグでサステナビリティを加速 CEOが掲げる3つの指針

 「ロンシャン(LONGCHAMP)」は、サステナビリティに関する新たなCSRの取り組みを今夏から始動させた。2023年までに使用する全ナイロンを100%リサイクルナイロンに、レザーをレザーワーキンググループ(以下、LWG)のゴールド認証レザーに切り替える。また風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供する仏ベンチャー企業ネオライン社(Neoline)と提携し、輸送時のCO2排出量削減にも取り組む。ジャン・キャスグラン(Jean Cassegrain)最高経営責任者(CEO)に、ブランドが目指すサステナブル施策やリサイクル素材を使用した新コレクション“ル プリアージュ グリーン(Le Pliage Green)”について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):新たなCSR指針で、リサイクルナイロンとLWG認証レザーへの100%シフトを発表した。2023年までという短期間での切り替えを決めた理由は?

ジャン・キャスグランCEO(以下、キャスグランCEO):チャレンジングに思うかもしれないが、サステナブルな取り組みはここ最近始めたことではない。ファッションブランドの多くが製造を外部に委託する中、われわれは家族経営で、職人を自社に抱えるメゾンとしてのルーツを持ち、フランス西部にある自社工場と工房で全商品を製造している。それにより、他社とは異なる“アルチザン(職人)のマインドセット(考え方)”がある。優秀な職人は、材料を無駄なく使うことにプライドを持ち、原材料と環境に敬意を払いながらモノづくりに励む。昔はそれを“サステナビリティ”や“エコ”と呼んでいなかっただけで、「ロンシャン」には創業時から根底にあり、大切にしてきた価値観だ。

WWD:リサイクルナイロンを採用した“ル プリアージュ グリーン”開発のきっかけは?

キャスグランCEO:人気シリーズ“ル プリアージュ”は、誕生して28年が経つ。このバッグは、ナイロン1枚とレザー数切れ、ファスナー、ボタンだけで作られたミニマルなバッグだ。われわれはこのミニマリズムをさらに進化させるべく、デザイン性を損なうことなく、カーボンフットプリント(商品のライフサイクル全体を通して排出される温室効果ガス排出量)を減らす方法を模索し、“ル プリアージュ グリーン”が誕生した。

WWD:実際にカーボンフットプリントをどれくらい削減できた?

キャスグランCEO:リサイクルナイロンとLWG認証レザーに切り替えることで、カーボンフットプリントを20%削減できた。バッグのサイズによるが、カーボンフットプリントの排出量は1個につき2.5〜5kg、平均して4kgで、ガソリン車で15〜20km走行分に相当する。われわれは“ル プリアージュ”シリーズのほか、ラゲージコレクションやレザーバッグの裏地に用いる全てのバッグの生地を、2023年までにリサイクルナイロンに切り替える目標を掲げている。 “ル プリアージュ”シリーズの素材の切り替えは22年末までに完了する予定だ。

WWD:全体の何%にナイロンが使われている?

キャスグランCEO:ナイロンのパーセンテージは非公開だが、ご存知の通りコレクション全体のかなりのボリュームを占めているので、相当なインパクトがあるはずだ。テキスタイルを切り替えることは大規模なプロジェクトであり、本気の証でもある。

WWD:“ル プリアージュ グリーン”の各素材を詳しく教えてほしい。

キャスグランCEO:サプライヤーの詳細は公表していない。“ル プリアージュ”のような人気商品は必ず複数のサプライヤーと契約している。“ル プリアージュ グリーン”の場合は2社。100%リサイクルナイロンと70%リサイクルナイロンを扱うサプライヤーと取引しており、それぞれリサイクル製品の国際認証であるGRS(グローバル・リサイクル・スタンダード)認証を取得している。ハンドルとフラップはLWGのゴールド認証レザーを採用している。そのほかのパーツも、ファスナーと”ロンシャン・ホース”の刺しゅう糸は90%リサイクルポリエステル、スナップボタンなどの金具は30%リサイクルメタルを使用している。

WWD:素材を切り替える上で大変だった点は?

キャスグランCEO:リサイクル素材を用いながら、従来の“ル プリアージュ”と同じデザインや品質、強度、耐久性を可能にすること。われわれの顧客は、“ル プリアージュ”に長年親しんでおり、異なる製品を求めていない。ずっと愛してきた“ル プリアージュ”がほしいのだ。だからこそ、見た目も使い心地も耐久性も従来の“ル プリアージュ”と同じにすることが重要だった。アップデートは、レザーをグリーンで縁取ったり、メゾンの象徴である馬のマークを少し大きくしたりしたくらいだ。

WWD:バッグのリペアを積極的に行っているが、今後はバッグを回収してリサイクルする可能性もある?

キャスグランCEO:リサイクルの新たな方法を常に模索しているが、現在はリペアに注力している。フランスのスグレに修理工場を構え、フランス国内では年間6万点以上を無償でリペアしており、そのうち3万点が“ルプリアージュ”シリーズだ(日本は有料)。それが今できるベストだと思っている。古いバッグを回収して新しいものに生まれ変わらせるのは簡単ではない。シンプルな“ル プリアージュ”のバッグでも、レザーやファスナーを一つ一つ手作業で外す必要があり、手間暇がかかる。まだ効率的な方法を見つけられていないのが現状だ。

WWD:新たなCSR指針のひとつに「製造と輸送時に発生するCO2排出量を削減」も掲げている。これはサプライチェーンの協力なしに実現は難しいのでは?

キャスグランCEO:われわれは、サプライチェーンを全てコントロールしている。ときに製造パートナーに依頼することもあるが、彼らとは必ず独自のガイドラインと基準を設けて運営している。ほかにも、国内6つと国外5つの工房で、自然光を最大限取り入れた施設を運営している。LEDに切り替えるなど、電気や熱をはじめ、工場や店舗を含む全施設のエネルギー消費量を削減している。工房付近には1万2500本の植樹も行い、CO2排出量の軽減に貢献した。

WWD:再生可能エネルギーへの切り替えも検討している?

キャスグランCEO:再生可能エネルギーについては、フランスではまだ明確なシステムが整っていない。再生可能エネルギーをうたう企業もあるが、真実を知るすべがないのが現状だ。だから、われわれはまずエネルギーの消費量を抑えることを優先している。

WWD:輸送時のCO2削減の取り組みについては?

キャスグランCEO:輸送時のCO2排出に関しては、主力製品の“ル プリアージュ”が軽量かつ折りたためるアイテムであることに助けられている。おかげで一度にたくさん輸送することができる。また最近は空輸ではなく、よりCO2排出量の少ない船便にこだわっている。風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供するネオライン社と提携し、今後仏サン=ナゼールと米ボルチモア間の輸送はネオライン社の貨物船で行う。これにより80~90%のCO2排出量削減が可能となる見込みだ。

WWD:ネオライン社と提携した経緯を教えてほしい。

キャスグランCEO:二つのメリットが考えられた。一つ目は、ネオライン社が風力エネルギーを使用しているため、環境負荷が少ないこと。二つ目は、ネオライン社がわれわれと同じフランス西部で創業した企業で、港が「ロンシャン」の主要工場とロジスティクスセンターに近く、輸送時のCO2排出量を抑えられることだ。ネオライン社のプロジェクトには、私たち以外にもミシュランやクラランス(CLARINS)など、複数の仏企業がサポートしている。

WWD:開通はいつ?ネオライン社の船便による輸送エリアの拡大予定は?

キャスグランCEO:仏サン=ナゼールと米ボルチモア間は、2024年に開通予定だ。船は工事中で、さらなる資金調達が必要だ。将来的にはフランスからアジアへの運航も可能かもしれないが、通常輸送より倍の時間がかかるため(通常の船便で5週間程度)、現時点では残念ながら現実的ではない。でも、きっとほかの解決法が見つかるだろう。

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「ロンシャン」がリサイクル素材の新バッグでサステナビリティを加速 CEOが掲げる3つの指針

 「ロンシャン(LONGCHAMP)」は、サステナビリティに関する新たなCSRの取り組みを今夏から始動させた。2023年までに使用する全ナイロンを100%リサイクルナイロンに、レザーをレザーワーキンググループ(以下、LWG)のゴールド認証レザーに切り替える。また風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供する仏ベンチャー企業ネオライン社(Neoline)と提携し、輸送時のCO2排出量削減にも取り組む。ジャン・キャスグラン(Jean Cassegrain)最高経営責任者(CEO)に、ブランドが目指すサステナブル施策やリサイクル素材を使用した新コレクション“ル プリアージュ グリーン(Le Pliage Green)”について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):新たなCSR指針で、リサイクルナイロンとLWG認証レザーへの100%シフトを発表した。2023年までという短期間での切り替えを決めた理由は?

ジャン・キャスグランCEO(以下、キャスグランCEO):チャレンジングに思うかもしれないが、サステナブルな取り組みはここ最近始めたことではない。ファッションブランドの多くが製造を外部に委託する中、われわれは家族経営で、職人を自社に抱えるメゾンとしてのルーツを持ち、フランス西部にある自社工場と工房で全商品を製造している。それにより、他社とは異なる“アルチザン(職人)のマインドセット(考え方)”がある。優秀な職人は、材料を無駄なく使うことにプライドを持ち、原材料と環境に敬意を払いながらモノづくりに励む。昔はそれを“サステナビリティ”や“エコ”と呼んでいなかっただけで、「ロンシャン」には創業時から根底にあり、大切にしてきた価値観だ。

WWD:リサイクルナイロンを採用した“ル プリアージュ グリーン”開発のきっかけは?

キャスグランCEO:人気シリーズ“ル プリアージュ”は、誕生して28年が経つ。このバッグは、ナイロン1枚とレザー数切れ、ファスナー、ボタンだけで作られたミニマルなバッグだ。われわれはこのミニマリズムをさらに進化させるべく、デザイン性を損なうことなく、カーボンフットプリント(商品のライフサイクル全体を通して排出される温室効果ガス排出量)を減らす方法を模索し、“ル プリアージュ グリーン”が誕生した。

WWD:実際にカーボンフットプリントをどれくらい削減できた?

キャスグランCEO:リサイクルナイロンとLWG認証レザーに切り替えることで、カーボンフットプリントを20%削減できた。バッグのサイズによるが、カーボンフットプリントの排出量は1個につき2.5〜5kg、平均して4kgで、ガソリン車で15〜20km走行分に相当する。われわれは“ル プリアージュ”シリーズのほか、ラゲージコレクションやレザーバッグの裏地に用いる全てのバッグの生地を、2023年までにリサイクルナイロンに切り替える目標を掲げている。 “ル プリアージュ”シリーズの素材の切り替えは22年末までに完了する予定だ。

WWD:全体の何%にナイロンが使われている?

キャスグランCEO:ナイロンのパーセンテージは非公開だが、ご存知の通りコレクション全体のかなりのボリュームを占めているので、相当なインパクトがあるはずだ。テキスタイルを切り替えることは大規模なプロジェクトであり、本気の証でもある。

WWD:“ル プリアージュ グリーン”の各素材を詳しく教えてほしい。

キャスグランCEO:サプライヤーの詳細は公表していない。“ル プリアージュ”のような人気商品は必ず複数のサプライヤーと契約している。“ル プリアージュ グリーン”の場合は2社。100%リサイクルナイロンと70%リサイクルナイロンを扱うサプライヤーと取引しており、それぞれリサイクル製品の国際認証であるGRS(グローバル・リサイクル・スタンダード)認証を取得している。ハンドルとフラップはLWGのゴールド認証レザーを採用している。そのほかのパーツも、ファスナーと”ロンシャン・ホース”の刺しゅう糸は90%リサイクルポリエステル、スナップボタンなどの金具は30%リサイクルメタルを使用している。

WWD:素材を切り替える上で大変だった点は?

キャスグランCEO:リサイクル素材を用いながら、従来の“ル プリアージュ”と同じデザインや品質、強度、耐久性を可能にすること。われわれの顧客は、“ル プリアージュ”に長年親しんでおり、異なる製品を求めていない。ずっと愛してきた“ル プリアージュ”がほしいのだ。だからこそ、見た目も使い心地も耐久性も従来の“ル プリアージュ”と同じにすることが重要だった。アップデートは、レザーをグリーンで縁取ったり、メゾンの象徴である馬のマークを少し大きくしたりしたくらいだ。

WWD:バッグのリペアを積極的に行っているが、今後はバッグを回収してリサイクルする可能性もある?

キャスグランCEO:リサイクルの新たな方法を常に模索しているが、現在はリペアに注力している。フランスのスグレに修理工場を構え、フランス国内では年間6万点以上を無償でリペアしており、そのうち3万点が“ルプリアージュ”シリーズだ(日本は有料)。それが今できるベストだと思っている。古いバッグを回収して新しいものに生まれ変わらせるのは簡単ではない。シンプルな“ル プリアージュ”のバッグでも、レザーやファスナーを一つ一つ手作業で外す必要があり、手間暇がかかる。まだ効率的な方法を見つけられていないのが現状だ。

WWD:新たなCSR指針のひとつに「製造と輸送時に発生するCO2排出量を削減」も掲げている。これはサプライチェーンの協力なしに実現は難しいのでは?

キャスグランCEO:われわれは、サプライチェーンを全てコントロールしている。ときに製造パートナーに依頼することもあるが、彼らとは必ず独自のガイドラインと基準を設けて運営している。ほかにも、国内6つと国外5つの工房で、自然光を最大限取り入れた施設を運営している。LEDに切り替えるなど、電気や熱をはじめ、工場や店舗を含む全施設のエネルギー消費量を削減している。工房付近には1万2500本の植樹も行い、CO2排出量の軽減に貢献した。

WWD:再生可能エネルギーへの切り替えも検討している?

キャスグランCEO:再生可能エネルギーについては、フランスではまだ明確なシステムが整っていない。再生可能エネルギーをうたう企業もあるが、真実を知るすべがないのが現状だ。だから、われわれはまずエネルギーの消費量を抑えることを優先している。

WWD:輸送時のCO2削減の取り組みについては?

キャスグランCEO:輸送時のCO2排出に関しては、主力製品の“ル プリアージュ”が軽量かつ折りたためるアイテムであることに助けられている。おかげで一度にたくさん輸送することができる。また最近は空輸ではなく、よりCO2排出量の少ない船便にこだわっている。風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供するネオライン社と提携し、今後仏サン=ナゼールと米ボルチモア間の輸送はネオライン社の貨物船で行う。これにより80~90%のCO2排出量削減が可能となる見込みだ。

WWD:ネオライン社と提携した経緯を教えてほしい。

キャスグランCEO:二つのメリットが考えられた。一つ目は、ネオライン社が風力エネルギーを使用しているため、環境負荷が少ないこと。二つ目は、ネオライン社がわれわれと同じフランス西部で創業した企業で、港が「ロンシャン」の主要工場とロジスティクスセンターに近く、輸送時のCO2排出量を抑えられることだ。ネオライン社のプロジェクトには、私たち以外にもミシュランやクラランス(CLARINS)など、複数の仏企業がサポートしている。

WWD:開通はいつ?ネオライン社の船便による輸送エリアの拡大予定は?

キャスグランCEO:仏サン=ナゼールと米ボルチモア間は、2024年に開通予定だ。船は工事中で、さらなる資金調達が必要だ。将来的にはフランスからアジアへの運航も可能かもしれないが、通常輸送より倍の時間がかかるため(通常の船便で5週間程度)、現時点では残念ながら現実的ではない。でも、きっとほかの解決法が見つかるだろう。

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銀座出店に続き神戸本店を拡張移転 ヘアサロン「スクリーン」がコロナ禍でも挑戦を続ける原動力とは

 兵庫県・神戸で2014年に創業したヘアサロン「スクリーン(SCREEN)」は、昨年6月の東京・銀座出店に続き、今年秋に神戸にある本店を拡張移転した。神谷翼代表取締役とKAORI代表、福井優生マネージャーの3人で立ち上げてから7年。来春には新しいメンバーを迎え、33人の体制になる。コロナ禍で先が読みにくく、出店や採用を躊躇するヘアサロンが多い中でも果敢に挑戦する「スクリーン」は、今最も勢いのあるヘアサロンの一つだ。厳しい状況でも挑戦し続ける原動力を神谷代表取締役と、KAORI代表に聞いた。

WWD:コロナ禍にも関わらず、2年連続の出店と拡張移転となりました。どのぐらい前から本店の移転を考えていましたか。

神谷翼代表取締役(以下、神谷):正直にいうと4年ほど前から考えていました。移転前の本店は1階と2階の2フロアの店舗でしたが、スタッフが増えかなり手狭になっていました。けれども7年半前に3人でオープンしたお店には思い入れがありましたし、心の底から気に入った物件が見つからない限り変えたくないという強い思いがありました。そんなときにこの物件が見つかりました。

WWD:拡張移転先は神戸を代表する街並み、旧居留地ですね。

神谷代表:この物件に出合ったのは銀座店をちょうどオープンした去年の4月ごろ。店舗が面する大丸神戸店の裏側の通りは、僕が神戸を訪れてこの場所で0からお店を始めたいと思った場所です。いつかはこの通り沿いに出店したいという思いがありました。けれども銀座店のオープンや新型コロナウイルスが流行し始めた直後だったので、物件は気に入ったもののすぐには決断できませんでした。

心が離れやすい今だからこそ
みんなで一緒に働ける場所を作りたい

WWD:それでも今回の拡張移転を決断したのはなぜ。

神谷代表:まずは銀座店の形を作って、相乗効果で神戸を盛り上げて結果が出たら決断しようと思っていました。コロナ禍でスタートした銀座店は、僕たちの予想以上にたくさんのお客さまに支持していただき、早い段階で形ができました。スタッフを数人銀座店に移動させたので穴はできたものの、銀座のメンバーが頑張っている分、神戸のメンバーも触発されたようで、神戸本店の売り上げは落ちるどころか好調でした。美容業はお客さまから本当に必要とされる仕事だと実感できました。

 それでもコロナ禍がいつ終息するか分からない中、決断には勇気がいりましたね。最後の最後まで僕たちの始まりの場所をなくしてもいいのかも悩みました。けれども、本店のキャパシティーでは僕やKAORIのお客さまで席が埋まってしまうこともあり、「スクリーン」で頑張ってくれているスタッフたちのこれからのチャンスを広げるためにも未来を見据えて決断しました。

KAORI代表(以下、KAORI):最初のお店を残して、もう1店舗出店するという方法も考えました。けれども、こんな時代だからこそ、本店を移転してリセットしてでもみんなが集まってチームで仕事をした方が強いのかなと結論が出ました。人と人との距離が開いて、気持ちが離れやすい今、バラバラで働くよりも一箇所に集まった方がパワーが集まるはずです。心をもう一度通わせ合うためのリスタートの場所という意味を持たせた時に、本店を移転するということに納得ができました。

神谷代表:新店舗の出店や移転はスタッフへのサプライズという意味も大きいです。一番身近な彼ら・彼女らが、どこに出店したら一番驚くのか、どんなお店に作り上げたら喜んでくれるのか。常に考えています。本店の拡張移転は、ギリギリまで悩んで物件を契約した3日後に発表しました。スタッフの中には「本店をなくしてまで……」と思った子もいるかもしれません。それでもたくさんの選択によって今があるんです。何かを大きく変えるときには失うものもあるけれど、失うことでまた大きなチャンスが生まれるはずです。僕らが美容師としての本質を変えなければ、失うものはないんだと思います。

不安定な状況でも
これまでの積み重ねがあるから決断できる

WWD:昨年の新卒入社のスタッフを含めて、「スクリーン」全スタッフがリアルで集まったのは新店舗のお披露目の時が初めてだったとか。

KAORI:神戸と銀座の店舗を、スタッフを行き来させたいという思いはあります。体調管理をして、PCR検査をしながら、探り探りです。会えない時間が長い今だからこそ、私たちは美容師という仕事をしているからこそ、人との繋がりや思いを大切にし続けることは欠かせません。それをスタッフも意識してくれていて、今回みんなが集合できたことで一緒に働くことの価値を高めていけたらいいですよね。
 
神谷:3人でスタートした「スクリーン」のスタッフがどんどん増えていることに喜びがあります。集合写真を撮るときに、一人一人は小さくなってしまうけれども、幅が増えていることがすごく嬉しくてチームの活力になっています。コロナ禍で安心安全を重視して、コンパクトにやらなければいけないことも重々分かっていますが、今回拡張移転を決断したように、自分たちが一番大切にすべきものを、最も形にしやすい手段を今は取るべきだと考えています。

WWD:本店移転は「スクリーン」にとって大きな意味合いがありますね。

神谷:コロナ禍でも銀座店をオープンして、今回の拡張移転ができたのは、本当にお客さまのおかげです。「強く展開するね」「思い切りがある」と言われることもありますが、僕らはものすごく悩んでいます。それでも一時的な思いつきではなく、毎日1つ1つの積み重ねをすることで今が成り立っているんです。不安定なコロナ禍でも、毎日お客さまが来てくださることに勇気をもらっています。そして、僕たちについてきてくれるスタッフにも背中を押してもらっています。僕らだけではこれからの「スクリーン」は作れない。「スクリーン」の第2章が始まります。

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1カラットで10万円程度 コスパ抜群モアサナイト専門ジュエラー「ブリジャール」のトップを直撃

 ミレニアル世代をはじめ、サステナビリティへの関心が高い消費者の間で、環境に優しいラボグロウンダイヤモンド(以下、ラボグロウン)への関心が高まっている。最近では、松屋銀座本店(以下、松屋)が「エネイ(ENEY)」というラボグロウンを使用したジュエリーブランドを立ち上げるなど、さらに広がりつつある。天然ダイヤモンドやラボグロウンに代わるモアサナイトの存在をご存じだろうか?モアサナイトは、天然ダイヤモンドの約2.5倍の輝きと優れた耐久性を持つ人工石で、価格は1カラットで約10万円程度とラボグロウンより安価。松屋では、「エネイ」と同時にラボグロウンとモアサナイトを取り扱う「ネクスト・ダイヤモンド(NEXT DIAMOND)」のコーナーが登場。17年にモアサナイト専門ブランド「ブリジャール(BRILLAR)」を立ち上げた小原亦聡ブリジャール社長に話を聞いた。

WWD:モアサナイトに出合ったきっかけは?

小原亦聡ブリジャール社長(以下、小原):外資系金融機関に勤務していたときに、ホームパーティーに招待され、そこで大きなダイヤモンドのリングをつけているご婦人を見て、ダイヤモンドの輝きに惹きつけられた。社会人1年目のときに、夫から0.38カラットのダイヤモンドのエンゲージメントリングをもらったが、パーティーで大粒のリングを見て私も大きいダイヤモンドが欲しいと思ったのがきっかけだ。ただ、ダイヤモンドは高価なので、大粒のものは到底買えない。そこで、ダイヤモンドと似たようなものがあるのではないかとリサーチしたら、アメリカのブライダル市場でモアサナイトが流行りつつあるということを知った。ダイヤモンドより輝きが強く、耐久性も高いということで、サンプルを取り寄せて、いい石だと実感した。いろいろとモアサナイトを検索してみると、当時はジュエリー業界で嫌われている存在。いわゆる“詐欺に注意”的に扱われていた。モアサナイトがダイヤモンドの偽もの扱いされて、その魅力が伝わっていない、そこにビジネスチャンスを感じた。

WWD:モアサナイトの一番の魅力は?

小原:光の分散率と温度に対する強度はモアサナイトの方がダイヤモンドに勝る。ダイヤモンドは摂氏600度で炭化し800度で無くなるが、モアサナイトは1800度にならないと無くならない。しかも、価格がとても手頃である点。

WWD:いち早くモアサナイトのブランドを立ち上げた理由は?

小原:ラボグロウンが高いと感じた。モアサナイトであれば1カラットのものが10万円程度で買える。「モアサナイトを知って欲しい」という思いから、子育てをしながら「ブリジャール」を立ち上げた。そして、インスタグラムでその良さをアピールし続け、少しずつ市場で流行ればいいなと思った。

WWD:ブランドのコンセプトと目指すものは?

小原:現代女性には、さまざまな役割がある。そんな女性たちに、輝きをもたらせるアイテムを提供したいと思った。女性がジュエリーを着けることで自身や勇気を持つことができれば、社会的に女性が活躍できるムーブメントに貢献できるのではと思った。

1カラットのエンゲージメントリングが15万円程度

WWD:購入していく層は?

小原:来店の5~6割がブライダル需要でそのうち3〜4割、20~30代による購入が多い。その他、記念日やギフト、自家需要で毎年購入する顧客もありリピート率が高い。年齢層は20~60代で主婦や働く女性などさまざま。

WWD:売れ筋アイテムと価格帯は?

小原:ブライダルは1〜2カラット、ファッションジュエリーは1カラット以上で平均価格は13万円程度。エンゲージでは、1カラットの脇石がついた15万円前後のものが人気だ。エンゲージとは別にマリッジとしてエタニティーやハーフエタニティーリングを購入していく場合もある。男性には、何もついていないタイプか1石つきのマリッジを用意している。ファッションの用途では、エメラルドカットどのファンシーカットが人気だ。10万円程度のシンプルな1カラットのネックレスや13万円程度のピアス(両耳で2カラット)などが売れ筋。0.3カラット前後のモアサナイトを使用したミニマルなデザインはネックレスやリング、イヤカフもあり、価格は5万円前後。2年前から、売り上げの3割を一人親を支援する認定NPO法人フローレンスに寄付するチャリティージュエリーも販売し、共感を得ている。価格は6万円程度で、フローレンスの「子ども宅食事業」へ寄付するので、おはしやご飯といったモチーフをデザインにさりげなく盛り込んでいる。

WWD:供給はどこから?ダイヤモンドに使用されるグレードを当てはめると?

小原:中国のメーカー1社と契約し、製品として輸入している。理由はクオリティーが高くコスパがいいから。商品のデザインと一部加工は日本で行う。モアサナイトは、ダイヤモンドではないのでグレードはないが、ダイヤモンドでいうDからFのカラーレス、クラリティーはVVS(ベリー・ベリー・スライトリー・インクルーデッド)以上を扱う。地金はプラチナか、18金中心で、一部シルバーを使用している。

SNSを駆使してモアサナイトの魅力を発信

WWD:ブランド立ち上げから3年連続で売上高20%増を達成しているが?

小原:ブランド立ち上げから今まで、のべ5000人に購入してもらった。人口宝石のトップとしてモアサナイトの認知度アップに貢献し、顧客の声に耳を傾けながらライフスタイルに寄り添うジュエリーを提供し続けている。現在の商品数は約800種類。2週間〜1カ月に数点新商品を導入するなどハイスピードで商品開発を行っている。このように、顧客を飽きさせないのも重要だ。東京と名古屋にショールームを構えている点も安心度が高い。だが、インスタグラムをはじめ、SNSをフルに活用して販売につなげている。見る人情報のシャワーを与えるのが効果的。コスパ良く宣伝するには大量のコンテンツを提供することだ。1日に10回、ストーリーフィードしている。

WWD:販売戦略は?

小原:ウェブサイトのリニューアルを行ったばかりだ。ウェブサイトはある意味、実店舗より大切。そこで、モアサナイトの良さを伝え、オーダーを約束通りにこなしてSNSで発信するのが中心。差別化等は必要なく、顧客に喜んでもらえる発信や商品作りをしていきたい。

WWD:今後の目標は?

小原:モアサナイトのトップブランドとして長年愛され続けられればと思う。女性スタッフが楽しく活躍できる社内の環境作りもしていきたいし、チャリティーを通して社会的貢献もしていきたい。

市場における天然、ラボグロウン、モアサナイトの今後

WWD:天然、ラボグロウン、モアサナイトの現在の市場での位置付けと今後は?

小原:ひと昔は天然が絶対的なものだったが、紛争ダイヤモンドや環境破壊などの問題によりポジショニングが崩れてきた。ラボグロウンと天然は、組成が全く同じなので差別化は難しい。ただ、価格がまだ高いということと、製造にかかるエルギー消費に対する疑問がある。価格が下がり、エコに製造できること証明されればもっと普及するだろう。モアサナイトについては、製造技術が成熟しているので、短時間で結晶化できるため使うエネルギーも少なく、供給も安定している。以前は、天然の一択しかなかったが、今は、消費者の価値観や用途によって選択肢ができた。5年以内に市場のシェアは天然が50%、ラボグロウンとモアサナイト合わせて50%程度のシェアになるのではないかと予測する。

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「ドレステリア」復調の立役者 靏博幸のブランディング論

 ワールド子会社インターキューブのセレクトショップ業態「ドレステリア(DRESSTERIOR)」が、一時の低迷から復調している。10月の業績(ウィメンズ・メンズ)は、コロナ前の2019年と比較しても3〜4割増と大きく伸ばした。

 復活の立役者は19年3月のワールドグループ加入以降、ブランドディレクターとして陣頭指揮を執る靏博幸(かく・ひろゆき)社長。オンワード樫山でのデザイナーを経て三陽商会で「バーバリー・ブラックレーベル(BURBERRY BLACK LABEL)」の立ち上げ(1998年)に携わり、同社の看板ブランドに育てた。その後はユニクロ執行役員を経て三陽商会に戻り、セレクトショップ業態「ラブレス(LOVELESS)」「ギルドプライム(GUILD PRIME)」のディレクター・バイヤーを務めた。

 大手アパレルに勢いのあった90〜00年代当時とは、業界を取り巻く状況も大きく変わっている。「洋服を買うのに大枚をはたく人はずいぶん珍しくなった」と靏社長。過去の成功体験に捉われるつもりはないとしながら、「僕はブランドデザイナーやディレクターをしていたときも『商売人』としての意識を常に持ってきた。いい服もお客さまに届かなければ意味がない。売るために泥臭いことをいとわず、あらゆる手を尽くす」と語る。「ドレステリア」復調の秘けつと、ワールドでの今後を聞いた。

WWD:コロナ禍でも業績を伸ばせている秘けつは。

靏博幸社長(以下、靏):ブランドの個性を明確にすることを意識してきた。僕がトップに就任した当時、それまで外から見ていた「ドレステリア」は強みとなる商品や世界観がなく、ブランドの輪郭がぼんやりしていた。商品のカラバリ(カラーバリエーション)も黒、白、紺、グレーばかりで面白みに欠けた。アウターやニットなど、ブランドの核となる商品が売れず、当時市場で流行っていたフーディでなんとか売り上げをつくっているような状況だった。本当にこれがブランドのあるべき姿なのか。お客さまに届けるべき価値とは何なのか。そう事業部に問い掛け、商品企画全体を徐々に軌道修正してきた。

 今は10万円する服が簡単に売れる時代ではない。しっかりした品質のものを、適正な価格で作ることも必要だ。それまでは5万円程度が中心価格だったワンピースは2万円から、10万円程度だったコートは5万円から買えるようにし、お客さまの選択肢を増やした。付加価値とのなる機能性も強化している。22年春夏企画では、自社開発したコットン100%の冷感素材を採用した商品もある。抗菌・消臭機能も非常に高い。サトウキビ由来の天然ポリマーの働きによるもので、地球にも肌にも優しい。

WWD:三陽商会での経験も生きているか。

靏:いい商品を作るだけではダメで、「届ける」ことも同じくらい大事。これは当時から常に意識していることだ。そして、今の時代においてはますます重要なマインドセットだと感じる。かっこいい服を作って満足するデザイナーもいるが、僕は作った服が売れないと全く楽しくない(笑)。「ラブレス」でも前年の数字を落とさないことには誰よりもこだわってきた自負がある。

 昔(90〜00年代)は有名タレントに自社の商品を着せたり、ファッション雑誌にたくさん出稿すれば売れていた。だが、今はさまざまなタッチポイントでブランドの存在を伝える努力を怠れば、すぐに埋もれてしまう。僕も企画室でディレクションボードを描き、シーズンテーマを決めて、服を作ってという、決まりきったような仕事だけをしていていいわけがない。

 「ドレステリア」はSNS発信も弱かった。僕が着任してからは、メンズ・ウィメンズで統一した世界観のプロモーション動画を作成している。21-22年秋冬はパリ・モンマルトルのカフェをイメージした。ECの商品ページ1つとっても、手を抜いたビジュアルが消費者の目に止まれば「ダサいブランド」という烙印を押されてしまう。油断せず、足元をすくわれるような要素をコツコツなくしてきた。泥臭いことをやり抜けば数字に直結するし、それがブランディングなのだと思う。

WWD:ワールドのクリエイティブ・マネジメント・センターのトップも務める。どのような組織なのか。

靏:店舗設計デザイン、素材開発、発信などのスペシャリストを集めた社長直轄の組織だ。グループ全体のクリエイティブに目を通すとともに、ブランドの垣根を超えてノウハウを水平展開する。寺井(秀藏・現シニア・チェアマン、元社長)さんの時代に組織され、近年はほとんど機能していなかったが、これを復活させる必要性を訴えた。

 忌憚なく言えば、昔(90〜00年代)のワールドはもっと面白い店舗や商品、仕掛けがあったように思う。今は多くの事業子会社を抱え、商品デザインや店舗内装、PRなどがブランドに任せきりになっていた分、全体のクオリティーが下がってしまった。ここを今一度、経営目線でしっかりマネジメントしていく。

 まずは「ドレステリア」を実験台に、さまざまな成功事例をグループ全体に生かしていく。「ドレステリア」のメンズは僕がデザインしている商品もたくさんあるし、新店は僕が店舗空間を設計している。ブランドをやっていると、現場の生の声も聞ける。僕が事業子会社のトップを兼務しているのは、クリエイティブ・マネジメント・センターの取り組みが机上の空論にならないようにするためでもある。

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「3.1 フィリップ リム」CEOがサステナビリティにこだわる理由 「トレンドではなく、生き方そのもの」

 ニューヨーク発の「3.1 フィリップ リム(3.1 PHILLIP LIM)」は、“長く着られるタイムレスなワードローブ”をポリシーに掲げる。他社と協業した素材開発にも積極的で、国際連合(UN)が支援する、「スワロフスキー(SWAROVSKI)」と、持続可能なファッションを推進するスロー・ファクトリー協会主宰のサステナビリティプロジェクト「ワン×ワン(One×One)」に参画するなど、サステナビリティに真摯に取り組んできた。10月には、「ボルボ・カーズ(Volvo Cars)」が電気自動車の内装用に開発した、レザー風の新素材“ノルディコ(Nordico)”を使った限定バッグを発売。あらゆる業種とタッグを組みながら、地球環境に配慮したブランド経営に挑んでいる。ウェン・ゾウ(Wen Zhou)=3.1 フィリップ リム最高経営責任者(CEO)に、ビジネスやサステナブルなモノづくりについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ボルボ・カーズ」とコラボレーションした経緯は?

ウェン・ゾウCEO(以下、ゾウCEO):私たちは、サステナビリティをブランドの根底にある価値観として捉え、ビジネスの方法や製品の生産工程など、あらゆる側面から取り組んできた。私とフィリップにとって生き方そのものといえる。今回のコラボレーションについては、「3.1 フィリップ リム」も「ボルボ・カーズ」も、互いにサステナビリティを重視し、植物由来やリサイクルの素材を積極的に使用するなど共通の価値観を持っていたので、自然な形で実現した。

WWD:デザインでこだわった点は?

ゾウCEO:「ボルボ・カーズ」から提案されたのは、サステナブルでありながら機能性にも優れ、魅力的なものを作ること。それは、両社が掲げる顧客像が共有して求める価値観だった。地球を汚さない、それでいて美しい商品こそが究極のラグジュアリーだ。“ノルディコ”は、ペットボトルなどのリサイクル素材や、スウェーデンやフィンランドの持続可能な森林から採取された素材、ワイン産業からリサイクルされたコルクから作られたテキスタイルなどで構成され、自動車産業の厳しい基準とテストをクリアした新素材を用いている。そんな革新的な素材をわれわれの“ウィークエンド・バッグ”に取り入れ、新たな方法でサステナビリティを発信できることにワクワクした。そして、素晴らしいデザインとは、カテゴリーを超えて響くものだということを証明できたと思う。

今必要なのは、立ち止まって互いを支え合うこと

WWD:9月に発表した2022年春夏コレクションでは、6割をサステナブルな素材に切り替えた。これは過去最高の割合?

ゾウCEO:過去最高だ。ここまで到達できたチームとサプライチェーンの功績を誇りに思う。現在もサプライチェーンと共に、新しい糸や原料を模索しながら素材の開発を進めており、サステナブルな取り組みを日々進化させている。大切なのは、見た目が美しいだけではなく、植物由来やリサイクル、再生可能といった素材を選ぶこと。サプライチェーンを含むエコシステム全体で取り組むことが重要だ。既存の価値観やシステムを問い続け、より良質なものを求め続ければ、全員が高いモチベーションで取り組める。

 次のステップは、消費者も同じ熱量を持てるかだ。消費者がお金を少し多く払ってでも、サステナブルなものの良さを分かってくれるかを、ファッションに関わる全ての人々が考える必要がある。

WWD:企業として、サステナビリティに本格的に取り組んだのはいつ?きっかけは?

ゾウCEO:サステナビリティに本腰を入れた時期は、10周年を迎えた2015年。建築家兼アーティストのマヤ・リン(Maya Lin)とコラボレーションした16年春夏コレクションで、600トンのコンポスト(堆肥)を使って、“STOP AND SMELL THE FLOWERS(立ち止まって花を香って)”というサステナブルなメッセージを込めた。従来多くのゴミを出すランウエイだが、ショー後はその堆肥をニューヨーク中の公園や花に返し、カーボンオフセットを実現したショーだった。

 現在、サステナビリティは業界の“バズワード”になっているので、使うのはあまり好きではないし、ビジネスストラテジーにも掲げていない。前述の通り、私たちにとってサステナビリティは生き方そのものであり、自然なものだから。私は仏教の教えのもと、必要以上に浪費しないことを昔から教えられて育ってきた。それはフィリップも同じ。だからこそ、われわれのビジネス経営は倫理的で無駄がなく、独立している。流行りの“サステナビリティ経営”という言葉を使ってトレンドに乗っかり、時流に合わせて経営スタイルを変えたくない。あくまでも自分たちらしい経営で、ビジネスをどう良いものにできるかを常に考えたい。そして、ビジネス的観点からすると、サステナビリティは考えるだけでは足りない。口約束だけではなく、マイルストーンや目標を立てて、責任感を持って取り組む必要がある。

WWD:近年のコレクション発表では、ランウエイではなく招待制の展示会形式をとっている。

ゾウCEO:改めてリセットする必要があると感じたため、ここ数シーズンは店舗で少人数制のプレゼンテーションを開催してきた。特に、現在はパンデミック下で誰もがコロナの影響を受けている。長いロックダウン期間を経て、大々的に派手なランウエイショーをするのは少し違うと感じた。それよりも、今一度自分たちのコミュニティを集めて、“つながり”を大切にしたかった。ランウエイショーは、やろうと思えばいつでもできる。今必要なのは、立ち止まって互いを支え合うことだと感じた。

WWD:インティメイトな空間での展示会では、どのような気付きがあった?

ゾウCEO:やはり近い距離感でつながれて、直接対話できることの大切さを実感した。支援してくれる関係者や友人らと濃い時間を過ごせるし、服もじっくり見ることができる。ランウエイより充実した時間になった。

 今シーズンも、ニューヨークのファッション・ウイークのスケジュールは相変わらず詰まっていた。いろいろなブランドが華やかなファッションショーを開催し、ニューヨークに活気が戻ったことは素晴らしいことだし、実際フィリップもほかのデザイナーを応援するためにファッションショーを訪れていた。われわれは違うアプローチを取ったが、業界を盛り上げて互いをサポートしたい思いは全員同じだ。

“Less(少ない)でBetter(より良い)”な選択を

WWD:以前のインタビューで、「SKU数を50%カットして、素材研究に注力している」と話していたが、新たな取り組みはある?

ゾウCEO: CO2削減目標や認証取得よりも、まずはSKU数を減らすことで主に2つの取り組みを優先している。1つ目は、デザインチームがクリエイティビティを最大限に発揮し、パンデミックの状況下でもモチベーションをキープできるようにしたこと。デザインは、相当な時間とエネルギーを要する。アイテム数を削ったことで、一つ一つのアイテムを作るプロセスを楽しめるようにし、丁寧なモノづくりを促した。またパンデミックで家庭環境やワークライフバランスまでもが激変する中、これまでと同等レベルの仕事量やアウトプットを従業員に求められなかった。

 2つ目は、新たな素材の発見・発掘にリソースを割くこと。アイテム数を減らしたため、サステナビリティ以外のプロジェクトにも時間を割くことができた。フィリップは、科学者やエンジニアとタッグを組んで、プラスチックに替わる素材を共同開発・試作するプロジェクト「ワン×ワン(One x One)」で、100%海藻から作られたカーボンニュートラルなドレスを開発するなど、新たな試みにも挑戦した。「ボルボ・カーズ」との協業もそうだ。

 今後もこういった取り組みをさらに注力していく。クリエイティビティを通して自分たちをインスパイアしながら、新たなサステナブル素材の開発を続けたい。また、ファッション業界内外の企業と意義のあるコラボレーションを続けて、新しいビジネスにも挑んでいきたい。

WWD:環境に配慮した素材を使うと、必然的に商品の価格は上がる。一方で、少しでも安く購入したい消費者も多くいる中、そのバランスをどう図っている?

ゾウCEO:この課題とは常に向き合っている。われわれは、商品価格を注意深く、意識してコントロールしてきた。過去16年間ずっと言い続けてきたことだが、コストだけを優先したモノづくりは実は有益ではない。ローカルから調達すれば世界中に材料を運送する必要がなくなる。必要最低限のサプライヤーと付き合う代わりに、深く密に関わる——こういったことを意識すれば、コストを抑え、消費者に価値ある商品を届けられる。

 私はよく食品業界で例えるのだが、オーガニック食品とそうでない食品がある。私が望むのは、消費者が数あるものの中から“Less(少ない)でBetter(より良い)”な選択をできるようになること。必要以上にものを購入しない代わりに、良質なものを選ぶ。例えば、安いブラウスを2着買う代わりに、長く着続けられる良質なブラウスを1枚買う。サステナブルな生地を用いた、生産者や労働者にきちんとした給料を払えるような、倫理的なブラウスを選んでほしい。いつか皆がそのようなスマートな選択ができるようになることを期待している。

WWD:最後に、「3.1 フィリップ リム」にとってサステナビリティとは?

ゾウCEO:大きな変化につながる小さな行動。毎日取り組める、そして誰もができる、日常的な行動の積み重ねだ。

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