「リュウノスケオカザキ」は未知のクリエイションを探求する【ネクストリーダー2022】

 岡﨑龍之祐は、彗星のごとく現れた異色のファッションデザイナーだ。高校卒業後に東京藝術大学大学院を経て「楽天 ファッション ウィーク東京」でコレクションを披露し、大きな話題を集めた。アートの視点で生み出す服は、まるでオートクチュールのようにグラフィカルで、造形美にあふれている。ファッションとアートの境界線を超える26歳が、世界を驚かせるのは目前だ。

ファッションの道に進んだ理由

WWD:ファッションに目覚めたきっかけは?

岡﨑龍之祐「リュウノスケオカザキ」デザイナー(以下、岡﨑):理由は自分でも分からないけれど、中学生のころからとにかく好きだった。最初は小遣いを貯めて古着を買い、次第にいろいろなブランドのショー映像やルックを見るようになっていた。

WWD:ファッションの道を志し、東京藝術大学に進学した理由は?

岡﨑:絵を描くのがもともと好きで藝大に憧れていたし、まずはアートを通した幅広い表現方法を勉強したかったから。だから、ファッションデザイナーになりたいという気持ちは早い段階で漠然とはあったものの、専門学校へ進学する考えはなかった。

WWD:デザイナーになると決めたのはいつ?

岡﨑:ハッキリと意識したのは、1年生のとき。デザインやアートに触れて、自分が何を感じてどういった方向に進みたいかを考えるようになった。デザイナーという職業にはいろいろなジャンルがあり、プロダクトやグラフィックの仕事内容は想像できたのに、ファッションだけは全然分からなかった。学校で学び続けても答えは出ず、だったら自分がデザイナーになってみればいいと考え、そこから身にまとうもので表現したいという気持ちが強くなった。

WWD:藝大では何を学んだ?

岡﨑:デザインを広い解釈で学びつつ、何かしらの作品を常に作っていた。デザインといってもいろいろで、問題解決や機能的なものは感覚的に理解できたけれど、ファッションだけはやっぱり分からなかった。でも分からないからこそ興味がそそられるし、自分で何かいい作品を完成させたときの喜びも大きい。

WWD:デザインのこだわりは?

岡﨑:とにかく、好きなものを作り続けること。ファッションは着るという“機能”に加え、一見無駄に見える装飾に価値があったり、人の心を豊かにしてくれたりする。この装飾については、藝大で学んだデザインとは違うけれど、人間の暮らしや営みには大切なもの。それを受け取り手に大事だと気付かせるためには自分の作品に説得力がないといけない。

WWD:初めての作品は?

岡﨑:2年生のときに作ったドレス“祈纏 -Wearing Prayer-”だ。広島に贈られた折り鶴の再生紙を細かく裁断した紙糸を織ったもので、1年生のときに故・高田賢三氏が行っていた平和活動に参加したことがきっかけで製作した。

いつかはパリの舞台で

WWD:大学院に進学してグラフィックを学んだ理由は?

岡﨑:グラフィックデザインを服作りに生かしたら面白いのではと思いつき、研究室で学ぶことにした。グラフィックは一見表面的だが、実は奥深い意匠が詰まっている。ビジュアルで語る点に、ファッションとの親和性もある。このアプローチを体現したのが、「第69回 東京藝術大学卒業・修了作品展」のために製作したドレス“JOMONJOMON”だ。神道的な左右対称のグラフィカルなビジュアルにし、実際に服を見た瞬間に飛び込んでくる視覚的な情報を大切にしている。この面白さは、グラフィックデザインを学んで気付いたこと。 “祈纏”のようにストーリーを想起させるようなものづくりを意識しながら、いかにグラフィカルに表現できるかを大切にしている。

WWD:デザインのインスピレーションは?

岡﨑:日常的な気付きや、不思議に思ったこと。例えば“JOMONJOMON”は、縄文土器の形について調べたことが出発点。自然の造形から着想することが多いのは、昔から何ごとも答えが分かっているのが嫌で、謎めいたものや不思議なものに引かれるからかもしれない。

WWD:作品は完成をイメージして組み立てる?

岡﨑:デザインは、抽象画家が筆を当ててストロークで描き続けるように、謎に向かって探る感覚に近い。だから終わりがなく、ずっと続けてしまうので自分で終着点を決めるのが大変(笑)。それに組み立て方まで考えているわけではないので、完成品をどこかに発送すると受け取り手がうまく組み立てられず、壊れて戻ってくることがある。今後はそういった点も考える必要があるかもしれない。

WWD:2021年8月に「楽天 ファッション ウィーク東京」への参加が決まった際の気持ちは?

岡﨑:とにかくうれしくて、大学院を卒業した半年後にコレクションを発表するというタイミングも良かった。作品がどう思われるか不安な気持ちもあったけれど、自分が作った作品を愛しているので、いい形で見せたいと一心で走り続けた。「何だアレは?」という反響も、「分からない」を探るのは自分のものづくりの原点だから、ポジティブに受け取っている。「分からない」って面白いし、かっこいいから。

WWD:これまで販売したヘッドピース以外にも、売れる商品の制作は考えている?

岡﨑:将来的に考えてはいるけれど、今はそれよりも作りたいものを高いクオリティーで作り続けてブランドの価値を高めることが大事。「リュウノスケオカザキ」は同じものを2つ作れないブランドだからこそ、一点一点に価値が生まれ、ブランドの価値も自然と高まっていくはず。売ることを考えて日常に無理に落とし込むよりは、作りたいものを作って発表する方が今の自分には合っている。

WWD:今後の目標は?

岡﨑:老若男女を問わずたくさんの人に見てもらい、例えポジティブじゃなくても何かを感じ取れるものづくりを続けること。チャンスがあれば、パリでファッションショーをやりたい。


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産地の技術継承を願いこだわり抜く「カナコ サカイ」 夢は日本発のグローバルブランド【ネクストリーダー2022】

 「カナコ サカイ」は2022年春夏デビューのウィメンズブランドだ。立ち上げから半年でのネクストリーダー選出に関しては「早すぎないか?」と本人が一番驚いている。だが、長年多くのデザイナーと向き合ってきた推薦・審査員たちは直感的に、サカイカナコの中にファッションデザイナーとしての覚悟と独特のセンス、そしてリーダーシップを見出している。引っ越したばかりの小さなアトリエで彼女が描く未来を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):読者は「カナコ サカイ 」とサカイさんについて知らない人がまだ多いので自己紹介を兼ねて教えて欲しい。多感な10代の頃、あなたはどんなファッションが好きだった?

サカイカナコ(「カナコ サカイ」デザイナー、以下サカイ):海外のストリートスナップに憧れて、ブロガーのルミ・ニーリー(Rumi Neely)が好きで、カルチャーやクリエイティブには憧れているけれど地元にはおしゃれをして出かける場所もなく、お風呂の中に雑誌を10冊くらい持ち込んで読みふけっていた。週末には茨城の実家から代官山のヴィンテージショップの「ヴィニヴィニ(VINIVINI)」に通ったり、「トップショップ(TOP SHOP)」が新宿にオープンしたときは買いに行ったりしていたのを覚えている。

WWD:ファッションデザイナーになろうと決めたのはいつ?

サカイ:東京の大学に進学して1年生のとき「今のままだと何者にもなれない」、と将来を深く考えた。で、出た答えが「ファッションデザイナーになる」だった。服作りの勉強をしたことはない。だけど、「私は何ができて、何が得意で、何をして生きていきたいのだろう」の答えから浮かび上がるのがファッションデザイナーだったから。根拠はないけど“やれる気がする”と思った。

WWD:道が見えてまずしたことは?

サカイ:「ファッションニュース(FASHION NEWS)」や「ギャップ(GAP)」といったコレクションマガジンに載っているデザイナーのプロフィールを熟読してキャリアの積み方を研究した。皆、大体同じで、服飾の学校で学び、デザイナーズブランドでインターンから始めて経験を積み、独立する。その通りに実行して30歳くらいで独立しようと決めた。

WWD:結果的に29歳で「カナコ サカイ(KANAKO SAKAI)」をデビューしたから有言実行だ。それで大学卒業後はニューヨークへ?

サカイ:スタートの遅れを挽回したかったのでまずは東京の服飾学校の夜間へ通い、ダブルスクールで服作りの技術を学んだ。卒業後にNYのパーソンズスクールのファッションデザイナー科へ。ニューヨークへ降り立った瞬間、英語も大してできないのに不思議なことに「ここは自分の場所だ、ここではよそ者じゃない」と直感した。まさに多様性で、いろいろな国からいろいろなバックグラウンドを持つが人が集まって学校も楽しい。美という価値観の多様性に驚いた。そして結果的には自分が日本人であることを強く自覚した。たとえば私が不完全さ、インパーフェクションを美しいと言えば、インド出身の同級生はタージ・マハルのように完璧なまでに左右対称であることが大切だと言う。とてもおもしろいと思う。自分では全く特別に思っていなかった日本人としての美意識やアイデンティティが、異なるバックグラウンドを持つ人たちには魅力的にみえることにも気がついた。

WWD:NYではいくつかのデザイナーズブランドでインターンを経験している。

サカイ:デザインチームでコレクションの組み立て方などを学んだ。印象的だったのが「3.1フィリップ・リム(3.1PHILLIP LIM)」。基本就業時間は9:30~18:00で残業はナシ。コレクション前の忙しいときでも事前に依頼があり、残れば夕方には必ず食事をとる。デザイナーズブランドには「好きだから時間もいとわず、食事もとらず」みたいなイメージがあったので驚き、いいなと思った。デザイナーのフィリップも気さくで、夕飯の和の中に入ってざっくばらんに意見交換をする。こうありたいと思った。帰国後は、デザイナーズブランドで2年間、生産管理に関わるあらゆることを学んだ。

自分の言葉を持ち自分の人生を生きている人に着てほしい

WWD:そして予定通り29歳で独立。「カナコ サカイ」を立ち上げて最初にしたことは?

サカイ:前職を退職した次の日に生地の展示会に行ったと思う。それまでチームで行ってきたことをこれからは全部ひとりで行う。その違いはあるけれどやることは同じ。

WWD:服作りで大切にしていることは?

サカイ:こだわりや理想を諦めない。服作りは本当にたくさんの工程があり、複合的。アイデア、糸の番手、パターン、縫い方、サイズ表示をつける場所、デリバリーなど、着る人に届くまでにもう本当に数え切れない工程がある。生地がよくても縫製がダメならダメだし、そこまでがよくても見せ方がダメならダメ。すべてがつながっている。やることが本当に多く私はそのひとつひとつに魂を込めている。ひとつでも手を抜いたら「カナコ サカイ」でなくなるから。

WWD:誰に着てほしい?

サカイ:それはパティ・スミス(Patti Smith)!アクティビストやフェミニスト、アーティストと言われる人にも惹かれることが多い。自分の声と言葉を持ち、自分の目でジャッジして自分の人生を生きている人たちに着てもらえるブランドになりたい。自分は自分らしくて良いのだという価値観を、ブランドを通して伝えることで、自分の思いや人の思いを尊重していける世の中になるように少しでも貢献したい。

WWD:サステナビリティという言葉をどう解釈している?

サカイ:エコロジーはもちろん大事だけど、今力を入れたいのは「産業の発展と継続、技術の継承」それと「個々人が平等であること」。私は生地にとても関心があり、ファーストコレクションの素材はすべて、日本の産地や職人と取り組んだオリジナル。その一つに浜松の生地メーカー、ナカジマさんがある。浜松産地に伝承されてきた技術を使った麻やコットンが得意で、初めて見たとき「全部好き」と思った。他には存在しないクラフトのような生地だと思う。

WWD:日本の物作りの現場や産地への強い思い入れが感じる。

サカイ:日本でファッションブランドを手がけることは、西洋由来のものを日本で作るということ。ヨーロッパの二番煎じにならないために、日本でつくる意味、日本でだからこそできることに焦点を当てブランドに付加価値をつけていきたい。ローカルでしかできない商品を提供するからこそ、グローバルで希少な価値を持ち、差別化を図ることができると思うから。だけど、いざ日本で服を作ってみると、日本のアパレル産業には様々な問題が山積みであることに気がついた。高齢化や後継者問題、日本の生地を海外でリプロダクションされ売り上げにつながらない、などなど。私が日本で物づくりを始めてから今までの短い間でも、実際様々な工場が廃業し、前まではできたことができない、と言われることが多々ある。せっかく素晴らしいものづくりをしていて、世界に認められた人や技術が沢山あっても、このまま衰退してしまっては、日本で物づくりをする私たちのようなブランドには死活問題となる。そこで、ブランドがきちんとこの課題に向き合い作り手と一緒になり発信していくことで、メード・イン・ジャパンの良さを世界に広め、産業も発展していく循環が起こることを理想とし、ブランドの目標として掲げている。

WWD:デビューコレクションは、グラデーションとタイダイの技術を掛け合わせた手染めの服が印象的だった。

サカイ:自身と同年代のデュオ“タイダイ フリーク(TIEDYE FREAK)”とのタイダイ染めだ。伝統技術だけではなく、若い職人、特に女性の職人にフォーカスしたい思いもある。男女は平等でどちらが大事とかないけど、物作りの世界は圧倒的に男性が中心だから、意識的に女性にフォーカスしたいとは思う。次シーズンも女性アーティスト、シロヤマユリカ(Yurika Shiroyama)さんとコラボレーションをする。

WWD:サステナブルな素材への関心は?

サカイ:もちろんある。今はオリジナルの生地作りに集中しているけれど、次の段階ではサステナブルな生地と組み合わせてコレクションを構成できたらと思う。

WWD:ネクストリーダーと呼ばれてどう?

サカイ:「早くないですか?」が本音だけど、私には勢いがあるかな、と思うのでみんなの道を作れるような人になりたい。

WWD:10年後の「カナコ サカイ」はどうなっている?

サカイ:うまく伝わるか不安もあるが、日本発のグローバルなメゾンブランドを作りたい、と思う。日本を拠点に日本のアイデンティティを大事にしつつ、世界中からいろいろなバックグラウンドと意見と美意識を持つ人が集まりチームとして作り上げるオープンなブランドになりたい。この場に来られなくても今ならオンラインでつながれる。人生を通じて自分が知らないことを知っている面白い人たちと出会って自分の価値観を広げてゆきたいから。


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産地の技術継承を願いこだわり抜く「カナコ サカイ」 夢は日本発のグローバルブランド【ネクストリーダー2022】

 「カナコ サカイ」は2022年春夏デビューのウィメンズブランドだ。立ち上げから半年でのネクストリーダー選出に関しては「早すぎないか?」と本人が一番驚いている。だが、長年多くのデザイナーと向き合ってきた推薦・審査員たちは直感的に、サカイカナコの中にファッションデザイナーとしての覚悟と独特のセンス、そしてリーダーシップを見出している。引っ越したばかりの小さなアトリエで彼女が描く未来を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):読者は「カナコ サカイ 」とサカイさんについて知らない人がまだ多いので自己紹介を兼ねて教えて欲しい。多感な10代の頃、あなたはどんなファッションが好きだった?

サカイカナコ(「カナコ サカイ」デザイナー、以下サカイ):海外のストリートスナップに憧れて、ブロガーのルミ・ニーリー(Rumi Neely)が好きで、カルチャーやクリエイティブには憧れているけれど地元にはおしゃれをして出かける場所もなく、お風呂の中に雑誌を10冊くらい持ち込んで読みふけっていた。週末には茨城の実家から代官山のヴィンテージショップの「ヴィニヴィニ(VINIVINI)」に通ったり、「トップショップ(TOP SHOP)」が新宿にオープンしたときは買いに行ったりしていたのを覚えている。

WWD:ファッションデザイナーになろうと決めたのはいつ?

サカイ:東京の大学に進学して1年生のとき「今のままだと何者にもなれない」、と将来を深く考えた。で、出た答えが「ファッションデザイナーになる」だった。服作りの勉強をしたことはない。だけど、「私は何ができて、何が得意で、何をして生きていきたいのだろう」の答えから浮かび上がるのがファッションデザイナーだったから。根拠はないけど“やれる気がする”と思った。

WWD:道が見えてまずしたことは?

サカイ:「ファッションニュース(FASHION NEWS)」や「ギャップ(GAP)」といったコレクションマガジンに載っているデザイナーのプロフィールを熟読してキャリアの積み方を研究した。皆、大体同じで、服飾の学校で学び、デザイナーズブランドでインターンから始めて経験を積み、独立する。その通りに実行して30歳くらいで独立しようと決めた。

WWD:結果的に29歳で「カナコ サカイ(KANAKO SAKAI)」をデビューしたから有言実行だ。それで大学卒業後はニューヨークへ?

サカイ:スタートの遅れを挽回したかったのでまずは東京の服飾学校の夜間へ通い、ダブルスクールで服作りの技術を学んだ。卒業後にNYのパーソンズスクールのファッションデザイナー科へ。ニューヨークへ降り立った瞬間、英語も大してできないのに不思議なことに「ここは自分の場所だ、ここではよそ者じゃない」と直感した。まさに多様性で、いろいろな国からいろいろなバックグラウンドを持つが人が集まって学校も楽しい。美という価値観の多様性に驚いた。そして結果的には自分が日本人であることを強く自覚した。たとえば私が不完全さ、インパーフェクションを美しいと言えば、インド出身の同級生はタージ・マハルのように完璧なまでに左右対称であることが大切だと言う。とてもおもしろいと思う。自分では全く特別に思っていなかった日本人としての美意識やアイデンティティが、異なるバックグラウンドを持つ人たちには魅力的にみえることにも気がついた。

WWD:NYではいくつかのデザイナーズブランドでインターンを経験している。

サカイ:デザインチームでコレクションの組み立て方などを学んだ。印象的だったのが「3.1フィリップ・リム(3.1PHILLIP LIM)」。基本就業時間は9:30~18:00で残業はナシ。コレクション前の忙しいときでも事前に依頼があり、残れば夕方には必ず食事をとる。デザイナーズブランドには「好きだから時間もいとわず、食事もとらず」みたいなイメージがあったので驚き、いいなと思った。デザイナーのフィリップも気さくで、夕飯の和の中に入ってざっくばらんに意見交換をする。こうありたいと思った。帰国後は、デザイナーズブランドで2年間、生産管理に関わるあらゆることを学んだ。

自分の言葉を持ち自分の人生を生きている人に着てほしい

WWD:そして予定通り29歳で独立。「カナコ サカイ」を立ち上げて最初にしたことは?

サカイ:前職を退職した次の日に生地の展示会に行ったと思う。それまでチームで行ってきたことをこれからは全部ひとりで行う。その違いはあるけれどやることは同じ。

WWD:服作りで大切にしていることは?

サカイ:こだわりや理想を諦めない。服作りは本当にたくさんの工程があり、複合的。アイデア、糸の番手、パターン、縫い方、サイズ表示をつける場所、デリバリーなど、着る人に届くまでにもう本当に数え切れない工程がある。生地がよくても縫製がダメならダメだし、そこまでがよくても見せ方がダメならダメ。すべてがつながっている。やることが本当に多く私はそのひとつひとつに魂を込めている。ひとつでも手を抜いたら「カナコ サカイ」でなくなるから。

WWD:誰に着てほしい?

サカイ:それはパティ・スミス(Patti Smith)!アクティビストやフェミニスト、アーティストと言われる人にも惹かれることが多い。自分の声と言葉を持ち、自分の目でジャッジして自分の人生を生きている人たちに着てもらえるブランドになりたい。自分は自分らしくて良いのだという価値観を、ブランドを通して伝えることで、自分の思いや人の思いを尊重していける世の中になるように少しでも貢献したい。

WWD:サステナビリティという言葉をどう解釈している?

サカイ:エコロジーはもちろん大事だけど、今力を入れたいのは「産業の発展と継続、技術の継承」それと「個々人が平等であること」。私は生地にとても関心があり、ファーストコレクションの素材はすべて、日本の産地や職人と取り組んだオリジナル。その一つに浜松の生地メーカー、ナカジマさんがある。浜松産地に伝承されてきた技術を使った麻やコットンが得意で、初めて見たとき「全部好き」と思った。他には存在しないクラフトのような生地だと思う。

WWD:日本の物作りの現場や産地への強い思い入れが感じる。

サカイ:日本でファッションブランドを手がけることは、西洋由来のものを日本で作るということ。ヨーロッパの二番煎じにならないために、日本でつくる意味、日本でだからこそできることに焦点を当てブランドに付加価値をつけていきたい。ローカルでしかできない商品を提供するからこそ、グローバルで希少な価値を持ち、差別化を図ることができると思うから。だけど、いざ日本で服を作ってみると、日本のアパレル産業には様々な問題が山積みであることに気がついた。高齢化や後継者問題、日本の生地を海外でリプロダクションされ売り上げにつながらない、などなど。私が日本で物づくりを始めてから今までの短い間でも、実際様々な工場が廃業し、前まではできたことができない、と言われることが多々ある。せっかく素晴らしいものづくりをしていて、世界に認められた人や技術が沢山あっても、このまま衰退してしまっては、日本で物づくりをする私たちのようなブランドには死活問題となる。そこで、ブランドがきちんとこの課題に向き合い作り手と一緒になり発信していくことで、メード・イン・ジャパンの良さを世界に広め、産業も発展していく循環が起こることを理想とし、ブランドの目標として掲げている。

WWD:デビューコレクションは、グラデーションとタイダイの技術を掛け合わせた手染めの服が印象的だった。

サカイ:自身と同年代のデュオ“タイダイ フリーク(TIEDYE FREAK)”とのタイダイ染めだ。伝統技術だけではなく、若い職人、特に女性の職人にフォーカスしたい思いもある。男女は平等でどちらが大事とかないけど、物作りの世界は圧倒的に男性が中心だから、意識的に女性にフォーカスしたいとは思う。次シーズンも女性アーティスト、シロヤマユリカ(Yurika Shiroyama)さんとコラボレーションをする。

WWD:サステナブルな素材への関心は?

サカイ:もちろんある。今はオリジナルの生地作りに集中しているけれど、次の段階ではサステナブルな生地と組み合わせてコレクションを構成できたらと思う。

WWD:ネクストリーダーと呼ばれてどう?

サカイ:「早くないですか?」が本音だけど、私には勢いがあるかな、と思うのでみんなの道を作れるような人になりたい。

WWD:10年後の「カナコ サカイ」はどうなっている?

サカイ:うまく伝わるか不安もあるが、日本発のグローバルなメゾンブランドを作りたい、と思う。日本を拠点に日本のアイデンティティを大事にしつつ、世界中からいろいろなバックグラウンドと意見と美意識を持つ人が集まりチームとして作り上げるオープンなブランドになりたい。この場に来られなくても今ならオンラインでつながれる。人生を通じて自分が知らないことを知っている面白い人たちと出会って自分の価値観を広げてゆきたいから。


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ジェンダーの枠を越え、新たな美の表現を導く新生モデルTAIRA【ネクストリーダー2022】

 「プラダ(PRADA)」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションでデビューしたモデルのTAIRAは、新しい美の表現を導く存在になるだろう。それはTAIRAが、男性とも女性とも自覚しないジェンダー・ノンバイナリーであるだけでなく、“文化の政治学”といわれるカルチュラル・スタディーズを学んだ学生時代に培ったファッションやジェンダー、カルチャーに対する批判的な視点を武器に、社会を変える強い意志があるからだ。TAIRAは、自分が持つ“マイノリティー”な側面に注目が集まることに違和感を覚える一方で、「社会を前進させるために、この対話を続けたい」とリーダーとしての覚悟を語る。

WWD:学生時代はモデルを目指していた?

TAIRA:全然考えていなかった。小さいころはアートや建築への関心が高く、将来はクリエイティブな業界に進みたいと思っていたが、モデルは自分へのキャリアパスだと考えたことがなかった。最初にスカウトを受けたときは驚いた。ライフストーリーとして経験してもよいかもしれないと思い挑戦したが、その後、光栄なことに違うスカウトからのオファーが続いた。面白かったのは、毎回自分が女の子だと思われていたこと。「女の子ではない」と伝えると、むしろますます興味を持ってもらえたし、ファッション業界で働く友人からも「絶対に挑戦すべきだ」と背中を押された。

WWD:モデル業への迷いや恐れはなかった?

TAIRA:あまりなかったかもしれない。むしろ自分の弱みだと思っていたものが強みになるんだと新しい力に気付かせてくれた。面白い出合いにあふれ、たくさんの刺激を受けるこの世界は、仕事としてだけでなく自分を深く知ることにも貢献してくれる。最終的なゴールはまだ見えないが、今はこの与えてもらったプラットフォームを楽しみたい。

WWD:これまでファッションはどんな存在だった?

TAIRA:昔から美しいものを見たり、作ったりすることが好きで、ファッションもその延長で楽しんでいた。特定のブランドや雑誌にハマるというより、自分が美しいと思ったものを自己流に表現していたと思う。学生時代は自分を理解できていない部分が大きかったし、アイデンティティーも確立していなかったから、ファッションは自分にとってよろいのような存在だった。自分を偽るためではなく、おしゃれでいることで周りから認められ、何か付加価値を得るための手段だったように思う。同時に、センシティブでナイーブな性格だったので、周りからどう見られるかをすごく意識していた。ファッションで認めてもらいたい半面、目立ちたくはない。そのバランスをうまく取りながら自分を表現していたと思う。今でこそ撮影でスカートを着る機会があるが、プライべートで自分からはきたいとはあまり思わない。小さいころから自然に選択肢として存在していたら、きっと今ごろ普通に手を伸ばしていたと思うけど。よく“Be yourself”というが、自分らしさは一つではないと思う。もっと流動的に捉えている。最近もし自分がモデルの仕事をしていなかったら、今、どんな装いをして社会に立っているんだろうと考える。今、髪を伸ばしているのもきっとファッションの世界に身を置いているから。例えば建築家になっていたら、また違った自分だったはず。きっとこれからも環境や周りから得る影響とともに、進化し続けるのが自分にとってのファッションだと思う。

WWD:大学時代はカルチュラル・スタディーズや人種、ジェンダーなどのアイデンティティーの分野で学びを深めた。得た知識は、今の仕事にどう生かされている?

TAIRA:人々は日常生活の中で、それぞれのアイデンティティーに沿ってパフォーマンスしているという考えを学んだ。お母さんを演じる、子どもを演じる、アジア人を演じるなど。モデルの仕事にも通じることが多い。特にファッション業界は権力構造など、社会の縮図のようで面白い。男女が二分されているファッションの世界でウィメンズウエアの仕事をするときは、自分も無意識に“女らしさ”を誇張したり、より女性らしく見えるような曲線的なポージングをしたりする。世間が作り上げた“女らしさ”の再生産に加担しているように感じるときもある。必ずしも演じることが悪いわけではないし、ステレオタイプから抜け出す必要があるのかどうかも分からないけど、どうしたらもっと違う可能性を導くことができるかを常に考えている。

対立を生まない形でのアクションを起こし続けたい

WWD:一番印象に残っている仕事は?

TAIRA:たくさんあるが、挙げるとしたら初めてファッション・ウイークに参加した「プラダ」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションのショー。きっと自分はすごい経験をしたのだろうけど、どれだけすごいことだったのかは正直、今でも理解できていない。一つのショーが作られるまで、本当にたくさんの人が関わっていることに感銘を受けた。モデルはその場に行ってポーズするだけだと思われているかもしれないが、実際はそれ以上にチームの一員としての意識がある。「プラダ」で、そのプロセスに加わることができて幸せだった。

WWD:さまざまな反響があったと思う。

TAIRA:取材を受ける機会も増え、記事を読んだ全く知らない人から「インスパイアされました」とか、「感銘を受けました」といった連絡をもらった。知らない所で誰かの人生に影響を与えていると考えると、すごく光栄だし、感謝する半面、責任も感じている。

WWD:業界の多様性を推進する動きをどう見ている?

TAIRA:正直「多様性」や「ダイバーシティー」という言葉は苦手。理想は、そういった言葉で語る必要がなくなること。自分もその文脈でキャストいただくことが多いが、クライアントが多様性のメッセージを担保するために起用されたように感じてしまう場面があることも否めない。仮にそうだったとしても、ネガティブに捉えているわけではない。自分の表現がまだ美的価値観を形成途中の世代に与える影響や、新しい対話や気付きにつながる可能性があるから。世界はすでにカラフルな個性であふれているのに、それを押し殺して“ノーマル”と切り離して特別視されるのはおかしい。自分が感じていることは、社会がこれまでのコンフォートゾーンを抜け出し変化するときに生じるわずかな痛み。社会を前進させるためにこの対話を続けたい。

WWD:今後ネクストリーダーとして業界をどうけん引する?

TAIRA:多様性以外にもサステナビリティなどいろんなことに興味があり、対立や争いを生まない形でのアクションを起こし続けたい。いろんな問題があふれる現代社会で生きる個人として、さまざまな問題に対して、政治的でないと生きていけない時代だと思う。究極的には、社会に生きる全員がアクティビストでいるべきだと思うし、自分もこれからさまざまな活動を通して社会貢献していきたいけれど、今自分は自分をアクティビストとは呼びたくない。それは、その言葉が暴力性やネガティブな意味を内包する気がするから。常にオープンマインドでフレキシブルな考えで、謙虚な姿勢と感謝の気持ちを忘れずにいたい。


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ジェンダーの枠を越え、新たな美の表現を導く新生モデルTAIRA【ネクストリーダー2022】

 「プラダ(PRADA)」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションでデビューしたモデルのTAIRAは、新しい美の表現を導く存在になるだろう。それはTAIRAが、男性とも女性とも自覚しないジェンダー・ノンバイナリーであるだけでなく、“文化の政治学”といわれるカルチュラル・スタディーズを学んだ学生時代に培ったファッションやジェンダー、カルチャーに対する批判的な視点を武器に、社会を変える強い意志があるからだ。TAIRAは、自分が持つ“マイノリティー”な側面に注目が集まることに違和感を覚える一方で、「社会を前進させるために、この対話を続けたい」とリーダーとしての覚悟を語る。

WWD:学生時代はモデルを目指していた?

TAIRA:全然考えていなかった。小さいころはアートや建築への関心が高く、将来はクリエイティブな業界に進みたいと思っていたが、モデルは自分へのキャリアパスだと考えたことがなかった。最初にスカウトを受けたときは驚いた。ライフストーリーとして経験してもよいかもしれないと思い挑戦したが、その後、光栄なことに違うスカウトからのオファーが続いた。面白かったのは、毎回自分が女の子だと思われていたこと。「女の子ではない」と伝えると、むしろますます興味を持ってもらえたし、ファッション業界で働く友人からも「絶対に挑戦すべきだ」と背中を押された。

WWD:モデル業への迷いや恐れはなかった?

TAIRA:あまりなかったかもしれない。むしろ自分の弱みだと思っていたものが強みになるんだと新しい力に気付かせてくれた。面白い出合いにあふれ、たくさんの刺激を受けるこの世界は、仕事としてだけでなく自分を深く知ることにも貢献してくれる。最終的なゴールはまだ見えないが、今はこの与えてもらったプラットフォームを楽しみたい。

WWD:これまでファッションはどんな存在だった?

TAIRA:昔から美しいものを見たり、作ったりすることが好きで、ファッションもその延長で楽しんでいた。特定のブランドや雑誌にハマるというより、自分が美しいと思ったものを自己流に表現していたと思う。学生時代は自分を理解できていない部分が大きかったし、アイデンティティーも確立していなかったから、ファッションは自分にとってよろいのような存在だった。自分を偽るためではなく、おしゃれでいることで周りから認められ、何か付加価値を得るための手段だったように思う。同時に、センシティブでナイーブな性格だったので、周りからどう見られるかをすごく意識していた。ファッションで認めてもらいたい半面、目立ちたくはない。そのバランスをうまく取りながら自分を表現していたと思う。今でこそ撮影でスカートを着る機会があるが、プライべートで自分からはきたいとはあまり思わない。小さいころから自然に選択肢として存在していたら、きっと今ごろ普通に手を伸ばしていたと思うけど。よく“Be yourself”というが、自分らしさは一つではないと思う。もっと流動的に捉えている。最近もし自分がモデルの仕事をしていなかったら、今、どんな装いをして社会に立っているんだろうと考える。今、髪を伸ばしているのもきっとファッションの世界に身を置いているから。例えば建築家になっていたら、また違った自分だったはず。きっとこれからも環境や周りから得る影響とともに、進化し続けるのが自分にとってのファッションだと思う。

WWD:大学時代はカルチュラル・スタディーズや人種、ジェンダーなどのアイデンティティーの分野で学びを深めた。得た知識は、今の仕事にどう生かされている?

TAIRA:人々は日常生活の中で、それぞれのアイデンティティーに沿ってパフォーマンスしているという考えを学んだ。お母さんを演じる、子どもを演じる、アジア人を演じるなど。モデルの仕事にも通じることが多い。特にファッション業界は権力構造など、社会の縮図のようで面白い。男女が二分されているファッションの世界でウィメンズウエアの仕事をするときは、自分も無意識に“女らしさ”を誇張したり、より女性らしく見えるような曲線的なポージングをしたりする。世間が作り上げた“女らしさ”の再生産に加担しているように感じるときもある。必ずしも演じることが悪いわけではないし、ステレオタイプから抜け出す必要があるのかどうかも分からないけど、どうしたらもっと違う可能性を導くことができるかを常に考えている。

対立を生まない形でのアクションを起こし続けたい

WWD:一番印象に残っている仕事は?

TAIRA:たくさんあるが、挙げるとしたら初めてファッション・ウイークに参加した「プラダ」の2021年春夏ウィメンズ・コレクションのショー。きっと自分はすごい経験をしたのだろうけど、どれだけすごいことだったのかは正直、今でも理解できていない。一つのショーが作られるまで、本当にたくさんの人が関わっていることに感銘を受けた。モデルはその場に行ってポーズするだけだと思われているかもしれないが、実際はそれ以上にチームの一員としての意識がある。「プラダ」で、そのプロセスに加わることができて幸せだった。

WWD:さまざまな反響があったと思う。

TAIRA:取材を受ける機会も増え、記事を読んだ全く知らない人から「インスパイアされました」とか、「感銘を受けました」といった連絡をもらった。知らない所で誰かの人生に影響を与えていると考えると、すごく光栄だし、感謝する半面、責任も感じている。

WWD:業界の多様性を推進する動きをどう見ている?

TAIRA:正直「多様性」や「ダイバーシティー」という言葉は苦手。理想は、そういった言葉で語る必要がなくなること。自分もその文脈でキャストいただくことが多いが、クライアントが多様性のメッセージを担保するために起用されたように感じてしまう場面があることも否めない。仮にそうだったとしても、ネガティブに捉えているわけではない。自分の表現がまだ美的価値観を形成途中の世代に与える影響や、新しい対話や気付きにつながる可能性があるから。世界はすでにカラフルな個性であふれているのに、それを押し殺して“ノーマル”と切り離して特別視されるのはおかしい。自分が感じていることは、社会がこれまでのコンフォートゾーンを抜け出し変化するときに生じるわずかな痛み。社会を前進させるためにこの対話を続けたい。

WWD:今後ネクストリーダーとして業界をどうけん引する?

TAIRA:多様性以外にもサステナビリティなどいろんなことに興味があり、対立や争いを生まない形でのアクションを起こし続けたい。いろんな問題があふれる現代社会で生きる個人として、さまざまな問題に対して、政治的でないと生きていけない時代だと思う。究極的には、社会に生きる全員がアクティビストでいるべきだと思うし、自分もこれからさまざまな活動を通して社会貢献していきたいけれど、今自分は自分をアクティビストとは呼びたくない。それは、その言葉が暴力性やネガティブな意味を内包する気がするから。常にオープンマインドでフレキシブルな考えで、謙虚な姿勢と感謝の気持ちを忘れずにいたい。


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障がいは“異彩” アートで社会を問い直す「ヘラルボニー」【ネクストリーダー2022】

 双子の松田崇弥代表と松田文登副代表が率いるヘラルボニーは、知的障がいのあるアーティストの作品をアパレルやインテリアに生かすブランド事業と、アート作品のデータを幅広い用途に転用するライセンス事業を行っている。立ち上げから3年が経ち、売り上げを順調に伸ばす一方で、「障がいを“異彩”と捉える新しい価値観を広げるのが目的だから、まだスタート地点にさえ立てていない」と口をそろえる。強い意志で動く彼らの背景には、自閉症の兄の存在と、兄に向けられる視線に感じる“違和感”があった。

WWD:ヘラルボニーを立ち上げた経緯は?

松田崇弥ヘラルボニー代表(以下、崇弥):僕たちには、重度の知的障がいを伴う自閉症の兄がいる。自分のリズムが乱れるとパニックを起こすこともあるが、それが欠陥とは思わず、一緒に遊び、ときには喧嘩をして、人生を共にしてきた。でも親戚からは、「かわいそうだね」「君らは兄貴の分まで生きろよ」と言われ、冷ややかな視線を向ける人がいた。そういった、障がいを“欠陥”だと捉える反応に直面するたび、いつも気持ち悪さを抱いていた。そんなある日、障がいのある人の作品を展示する岩手の「るんびいに美術館」を訪れた。障がいを持つ人のアート表現に衝撃を受けた僕は、「こういう人と何か一緒にできないか」とすぐさま弟に連絡した。互いに別の仕事をやりながら、副業として小さなブランドを始めた。

松田文登ヘラルボニー副代表(以下、文登):ブランド名は「ムク(MUKU)」。最初は、障がいのある人のアート作品を柄にしたネクタイを作った。そこから、ハンカチや傘などアイテムの幅を広げ、3年前に企業としてヘラルボニーを立ち上げた。

WWD:アート作品の展示ではなく、なぜブランドから始めたのか?

崇弥:作品を展示するだけでは、“アール・ブリュット”(美術の専門教育を受けず、思いのままに創作するアート)に興味がある人にしか届けられない。僕たちは“社会の目をどう変えるか”にチャレンジしている。“障がい”や“福祉”と聞いた瞬間に耳を塞いでしまう人や、自分とは関係ないと思う人にこそ届けたい。ブランドという傘があれば、間口が広がる。

文登:ブランド以外にも、約2000点のアート作品のライセンス事業も行っている。アートデータをアパレルやノベルティに活用してもらったり、建設現場の仮囲いに使われたり、最近は東京2020パラリンピックの閉会式でプロジェクションマッピングにも使用された。美術館やギャラリーを飛び出して、イベントや街、人々の生活にまで徐々に浸透している。

WWD:作家はどのように見つけている?

崇弥:見つけるというよりも、出会っている感覚だ。福祉施設から紹介されて出会うパターンと、自社サイトの問い合わせページで作品が送られてきて、その中で素敵だと思った人と直接やりとりして契約するパターンがある。僕らは、「障がいを持つ全員がアーティストだ」と発信したいわけじゃない。個性はさまざまあり、その中にすごく素敵な作品を描く人がいるだけ。その人たちを社会とコネクトさせるのが僕らの役割だ。今は153人と契約している。

文登:作品が面白くても、障がいの重さからビジネスにするのは困難だと思われている人もいる。たしかに半年に一度個展を開き、売買で利益を得るのは難しいが、データとして保管し、それを貸し出してライセンスフィーが入る仕組みなら、社会と無理なくつながることができる。

WWD:ライセンスや建設事業など、ビジネスの目のつけどころが鋭い。

崇弥:僕はかつて、“くまもん”のプロデュースを行う小山薫堂さんの元で働いており、ライセンスの可能性を感じていた。文登は新卒でゼネコンに入社し、「借り囲いに勝機がある」と常々語っていた。どちらも前職の強みが生きている。

文登:でも、最初から順調だったわけじゃない。toB向け事業としてライセンスの話をしても、「素晴らしいことをされていますね」で終了し、受注はほとんどなかった。それでも諦めず、銀行から融資を受けて地元の百貨店に実店舗を作ったり、商品を拡充したりと、toCに振り切って活動するうちに、露出が増えてライセンスの依頼も届くようになった。

WWD:ビジネス規模が拡大し、メディアで見る機会も増えているが、“異彩を、放て。”という企業ミッションが本当の意味で伝わっている実感はあるか?

崇弥:正直、まだまだだ。今はサステナビリティやダイバーシティー、インクルージョンといった波に乗らせてもらっているだけ。この波がなくなったときに“異彩を、放て。”のメッセージが浸透しているかどうかだ。それでも、今の環境が好機であることは事実。ブームではなく、文化になれるよう、粛々と活動を行う。

WWD:今後の展望は?

崇弥:今はアートを軸にしているが、その外にも飛び出したい。究極は、障がいのある人と出会いを創ること。「ヘラルボニー」のファブリックやインテリアに包まれたカフェで、障がいのある人が働き、そこにお客さんがくる。挨拶はできないかもしれないけど、こだわりがあるからサーブや皿洗いはすごい。それを目の当たりにすれば、障がいへの考えは大きく変わる可能性がある。何かが便利になるわけでも、誰かが楽になるわけでもない。でも、生活者の思考や価値観をアップデートできたら、それこそ本当のイノベーションだ。

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障がいは“異彩” アートで社会を問い直す「ヘラルボニー」【ネクストリーダー2022】

 双子の松田崇弥代表と松田文登副代表が率いるヘラルボニーは、知的障がいのあるアーティストの作品をアパレルやインテリアに生かすブランド事業と、アート作品のデータを幅広い用途に転用するライセンス事業を行っている。立ち上げから3年が経ち、売り上げを順調に伸ばす一方で、「障がいを“異彩”と捉える新しい価値観を広げるのが目的だから、まだスタート地点にさえ立てていない」と口をそろえる。強い意志で動く彼らの背景には、自閉症の兄の存在と、兄に向けられる視線に感じる“違和感”があった。

WWD:ヘラルボニーを立ち上げた経緯は?

松田崇弥ヘラルボニー代表(以下、崇弥):僕たちには、重度の知的障がいを伴う自閉症の兄がいる。自分のリズムが乱れるとパニックを起こすこともあるが、それが欠陥とは思わず、一緒に遊び、ときには喧嘩をして、人生を共にしてきた。でも親戚からは、「かわいそうだね」「君らは兄貴の分まで生きろよ」と言われ、冷ややかな視線を向ける人がいた。そういった、障がいを“欠陥”だと捉える反応に直面するたび、いつも気持ち悪さを抱いていた。そんなある日、障がいのある人の作品を展示する岩手の「るんびいに美術館」を訪れた。障がいを持つ人のアート表現に衝撃を受けた僕は、「こういう人と何か一緒にできないか」とすぐさま弟に連絡した。互いに別の仕事をやりながら、副業として小さなブランドを始めた。

松田文登ヘラルボニー副代表(以下、文登):ブランド名は「ムク(MUKU)」。最初は、障がいのある人のアート作品を柄にしたネクタイを作った。そこから、ハンカチや傘などアイテムの幅を広げ、3年前に企業としてヘラルボニーを立ち上げた。

WWD:アート作品の展示ではなく、なぜブランドから始めたのか?

崇弥:作品を展示するだけでは、“アール・ブリュット”(美術の専門教育を受けず、思いのままに創作するアート)に興味がある人にしか届けられない。僕たちは“社会の目をどう変えるか”にチャレンジしている。“障がい”や“福祉”と聞いた瞬間に耳を塞いでしまう人や、自分とは関係ないと思う人にこそ届けたい。ブランドという傘があれば、間口が広がる。

文登:ブランド以外にも、約2000点のアート作品のライセンス事業も行っている。アートデータをアパレルやノベルティに活用してもらったり、建設現場の仮囲いに使われたり、最近は東京2020パラリンピックの閉会式でプロジェクションマッピングにも使用された。美術館やギャラリーを飛び出して、イベントや街、人々の生活にまで徐々に浸透している。

WWD:作家はどのように見つけている?

崇弥:見つけるというよりも、出会っている感覚だ。福祉施設から紹介されて出会うパターンと、自社サイトの問い合わせページで作品が送られてきて、その中で素敵だと思った人と直接やりとりして契約するパターンがある。僕らは、「障がいを持つ全員がアーティストだ」と発信したいわけじゃない。個性はさまざまあり、その中にすごく素敵な作品を描く人がいるだけ。その人たちを社会とコネクトさせるのが僕らの役割だ。今は153人と契約している。

文登:作品が面白くても、障がいの重さからビジネスにするのは困難だと思われている人もいる。たしかに半年に一度個展を開き、売買で利益を得るのは難しいが、データとして保管し、それを貸し出してライセンスフィーが入る仕組みなら、社会と無理なくつながることができる。

WWD:ライセンスや建設事業など、ビジネスの目のつけどころが鋭い。

崇弥:僕はかつて、“くまもん”のプロデュースを行う小山薫堂さんの元で働いており、ライセンスの可能性を感じていた。文登は新卒でゼネコンに入社し、「借り囲いに勝機がある」と常々語っていた。どちらも前職の強みが生きている。

文登:でも、最初から順調だったわけじゃない。toB向け事業としてライセンスの話をしても、「素晴らしいことをされていますね」で終了し、受注はほとんどなかった。それでも諦めず、銀行から融資を受けて地元の百貨店に実店舗を作ったり、商品を拡充したりと、toCに振り切って活動するうちに、露出が増えてライセンスの依頼も届くようになった。

WWD:ビジネス規模が拡大し、メディアで見る機会も増えているが、“異彩を、放て。”という企業ミッションが本当の意味で伝わっている実感はあるか?

崇弥:正直、まだまだだ。今はサステナビリティやダイバーシティー、インクルージョンといった波に乗らせてもらっているだけ。この波がなくなったときに“異彩を、放て。”のメッセージが浸透しているかどうかだ。それでも、今の環境が好機であることは事実。ブームではなく、文化になれるよう、粛々と活動を行う。

WWD:今後の展望は?

崇弥:今はアートを軸にしているが、その外にも飛び出したい。究極は、障がいのある人と出会いを創ること。「ヘラルボニー」のファブリックやインテリアに包まれたカフェで、障がいのある人が働き、そこにお客さんがくる。挨拶はできないかもしれないけど、こだわりがあるからサーブや皿洗いはすごい。それを目の当たりにすれば、障がいへの考えは大きく変わる可能性がある。何かが便利になるわけでも、誰かが楽になるわけでもない。でも、生活者の思考や価値観をアップデートできたら、それこそ本当のイノベーションだ。

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「他人の企画には乗っからない」という風土払拭を目指す伊勢丹「リ・スタイル」バイヤー【ネクストリーダー2022】

 好敵手でもある伊勢丹新宿本店と阪急うめだ本店のほか、セレクトショップまで参画したサステナブルなアクションが3月23日に本格スタートする。三越伊勢丹と阪急阪神百貨店、岩田屋三越、エスティーカンパニー、ファッションコアミッドウエスト、そして佐藤繊維の6社による「デニム de ミライ」の発起人は、伊勢丹新宿本店「リ・スタイル」の神谷将太バイヤーだ。三越伊勢丹、中でも伊勢丹新宿本店と言えば「ONLY I」に象徴される“エクスクルーシブ”でプライドと情熱を表現してきたが、神谷バイヤーは他社さえ巻き込んだ「ファッション業界のコンソーシアム(互いに力を合わせて目的に達しようとする組織や人の集団)を作りたい」という。そのビジョンとは?

WWDJAPAN(以下、WWD):「デニム de ミライ」の経緯は?

神谷将太「リ・スタイル」バイヤー(以下、神谷):コロナ禍で時間的な余裕が少し生まれたとき、引き取り手が見つからなかった「リーバイス(LEVI’S)」501のデニム20tを検品・補修、洗い続けているヤマサワプレス(東京都足立区)を訪れた。20tのデニムの山に圧倒され、なんとかしたいと思い、その場で(誰とも話をしていないのに)「ほかの店舗やブランドと一緒に、アクションを起こします」と伝えた。常々、「自主編集ショップの概念を変えて、新しいミライを作りたい」と思っていた。さまざまな想いを繋げ、新しいサイクルを生み出す。三越伊勢丹が、そのサイクルの中心に存在できれば。「インクルーシブなつながり」と「独自性の創出」が両輪となれば、持続可能性のある関係性を構築しながら、それぞれらしく高揚感も提案できる。さまざまな商品を取り揃える百貨店らしく、仲間を増やし、そこで生まれる掛け算が発信できれば、業界を超えたメッセージにつながる。「他人の企画には乗っからない」という業界の風土を払拭したい。

WWD:社内も、社外も、説得は大変ではなかったのか?

神谷:グループ店の岩田屋を除き、阪急と地方のセレクトには直接赴いた。長らくファッション業界にいるから、「壁を超えるのは大変」だと分かっていた。でも、「オワコン」と呼ばれるビジネスだからこそ、その壁を取っ払いたかった。自分たちも含め、どのショップもコロナでうまくいっていない。だからこそ足を運び、ゆっくり話して、「良いニュースを発信しよう」と伝え、共感していただいた。競合他社との取り組みは前例も少なく、社内の巻き込みには苦労した。社内にだって垣根はあったし、これまで他のバイヤーの企画には乗りづらい雰囲気もあった。でも、同年代(30代中盤)のバイヤーが増え、「デニム de ミライ」は自然発生的に広げられるようになっていた。皆、「このままでは、業界全体が廃れてしまう」と常々考えているからこそ、社内も社外も一丸となれた。意義を共有する過程は、苦労したけれど、楽しかった。

WWD:結果、「デニム de ミライ」プロジェクトは、50以上のブランドから集まった150型以上のビンテージデニムのアップサイクルを6つの店舗がそれぞれ選び販売する。

神谷:「リーバイス」にも正式な承認をいただき、デザイナーの卵とも協業する。ただ、販売する商品とメッセージの伝え方は独自でいい。各社の現状は異なっている。強いところを伸ばすのが、業界全体の底上げと、各社の利益や価値づくりの双方への貢献だろう。地方セレクトとの協業には、発見も多かった。地方のセレクトは、買い付けの段階でお客さまの顔が浮かぶ。精度が違った。

WWD:これからの夢は?

神谷:高いレベルのディレクションや場の確保、ブランディング、百貨のコラボレーションなど、三越伊勢丹と協業する理由は色々提案できると思うが、コンソーシアムは、三越伊勢丹だけがリーダーじゃなくても良い。ファッション業界に存在する大きな社会課題に対して、誰かが出会ったリソースをできるだけ多くの人たちで受け止め、向き合い、解決に向けて行動したい。


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「他人の企画には乗っからない」という風土払拭を目指す伊勢丹「リ・スタイル」バイヤー【ネクストリーダー2022】

 好敵手でもある伊勢丹新宿本店と阪急うめだ本店のほか、セレクトショップまで参画したサステナブルなアクションが3月23日に本格スタートする。三越伊勢丹と阪急阪神百貨店、岩田屋三越、エスティーカンパニー、ファッションコアミッドウエスト、そして佐藤繊維の6社による「デニム de ミライ」の発起人は、伊勢丹新宿本店「リ・スタイル」の神谷将太バイヤーだ。三越伊勢丹、中でも伊勢丹新宿本店と言えば「ONLY I」に象徴される“エクスクルーシブ”でプライドと情熱を表現してきたが、神谷バイヤーは他社さえ巻き込んだ「ファッション業界のコンソーシアム(互いに力を合わせて目的に達しようとする組織や人の集団)を作りたい」という。そのビジョンとは?

WWDJAPAN(以下、WWD):「デニム de ミライ」の経緯は?

神谷将太「リ・スタイル」バイヤー(以下、神谷):コロナ禍で時間的な余裕が少し生まれたとき、引き取り手が見つからなかった「リーバイス(LEVI’S)」501のデニム20tを検品・補修、洗い続けているヤマサワプレス(東京都足立区)を訪れた。20tのデニムの山に圧倒され、なんとかしたいと思い、その場で(誰とも話をしていないのに)「ほかの店舗やブランドと一緒に、アクションを起こします」と伝えた。常々、「自主編集ショップの概念を変えて、新しいミライを作りたい」と思っていた。さまざまな想いを繋げ、新しいサイクルを生み出す。三越伊勢丹が、そのサイクルの中心に存在できれば。「インクルーシブなつながり」と「独自性の創出」が両輪となれば、持続可能性のある関係性を構築しながら、それぞれらしく高揚感も提案できる。さまざまな商品を取り揃える百貨店らしく、仲間を増やし、そこで生まれる掛け算が発信できれば、業界を超えたメッセージにつながる。「他人の企画には乗っからない」という業界の風土を払拭したい。

WWD:社内も、社外も、説得は大変ではなかったのか?

神谷:グループ店の岩田屋を除き、阪急と地方のセレクトには直接赴いた。長らくファッション業界にいるから、「壁を超えるのは大変」だと分かっていた。でも、「オワコン」と呼ばれるビジネスだからこそ、その壁を取っ払いたかった。自分たちも含め、どのショップもコロナでうまくいっていない。だからこそ足を運び、ゆっくり話して、「良いニュースを発信しよう」と伝え、共感していただいた。競合他社との取り組みは前例も少なく、社内の巻き込みには苦労した。社内にだって垣根はあったし、これまで他のバイヤーの企画には乗りづらい雰囲気もあった。でも、同年代(30代中盤)のバイヤーが増え、「デニム de ミライ」は自然発生的に広げられるようになっていた。皆、「このままでは、業界全体が廃れてしまう」と常々考えているからこそ、社内も社外も一丸となれた。意義を共有する過程は、苦労したけれど、楽しかった。

WWD:結果、「デニム de ミライ」プロジェクトは、50以上のブランドから集まった150型以上のビンテージデニムのアップサイクルを6つの店舗がそれぞれ選び販売する。

神谷:「リーバイス」にも正式な承認をいただき、デザイナーの卵とも協業する。ただ、販売する商品とメッセージの伝え方は独自でいい。各社の現状は異なっている。強いところを伸ばすのが、業界全体の底上げと、各社の利益や価値づくりの双方への貢献だろう。地方セレクトとの協業には、発見も多かった。地方のセレクトは、買い付けの段階でお客さまの顔が浮かぶ。精度が違った。

WWD:これからの夢は?

神谷:高いレベルのディレクションや場の確保、ブランディング、百貨のコラボレーションなど、三越伊勢丹と協業する理由は色々提案できると思うが、コンソーシアムは、三越伊勢丹だけがリーダーじゃなくても良い。ファッション業界に存在する大きな社会課題に対して、誰かが出会ったリソースをできるだけ多くの人たちで受け止め、向き合い、解決に向けて行動したい。


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羽生結弦ら五輪出場5選手の衣装を担当 デザイナー伊藤聡美に聞くフィギュア衣装制作の裏側

 ウィンタースポーツの花形競技の一つであるフィギュアスケート。北京冬季五輪でも、団体戦での日本チーム銅メダル獲得に心を踊らせ、これから始まる個人戦も固唾を飲んで見守るというファンは多いだろう。選手の演技を引き立てる存在として、フィギュアに欠かせないのがきらびやかな衣装だ。フィギュア衣装の分野で、現在ぐんぐん存在感を高めているのがデザイナーの伊藤聡美さん。今回の北京大会でも、3連覇の期待がかかる羽生結弦選手を始め、鍵山優真選手、樋口新葉選手、アイスダンスの小松原美里選手・尊選手という注目選手陣の衣装を手掛けている。伊藤さんに、衣装デザイナーを目指した経緯やその醍醐味について聞いた。

WWD:いつからフィギュアスケートの衣装デザイナーを目指すようになったのか。

伊藤聡美デザイナー(以下、伊藤):もともと衣装デザインを専門でやりたいと考えていたわけではありません。服飾科のある高校に進学して、パリやミラノコレクションを特集した雑誌を見るようになって感じたのが、「服でこんな表現もできるのか!」ということ。「私もこういう服を作る側に回りたい」と思ったのがデザイナーを目指した原点です。高校卒業後はファッション専門学校のエスモードジャポンに進学しました。他にも候補の学校はありましたが、エスモードの学生が作っているものが一番“尖っている”印象を受けたんです。当時はモード、特にクチュール(オートクチュール。顧客一人一人に合わせて仕立てる高級注文服のこと)の表現に興味がありました。憧れていたデザイナーは、故アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)やジョン・ガリアーノ(John Galliano)です。

WWD:エスモード3年時には、英国のノッティンガム芸術大学に留学している。

伊藤:神戸ファッションコンテスト2008に入賞し、副賞として留学することになりました。そのままヨーロッパのメゾンで仕事をしたいと思っていましたが、滞在ビザの問題もあって残念ながらその夢は叶わず帰国することに。日本での就職を考えたけれど、日本の一般アパレルブランドや会社で自分が入りたいと思うようなところがない。そのとき頭に浮かんだのが、フィギュアスケートの衣装デザイナーです。元々フィギュア自体はすごく好きで、エスモード時代から試合を見るために仙台などへ“遠征”していたので、当時の先生や友達は「あの子のフィギュア熱はヤバい」と感じていたと思います(笑)。そんなに好きだったのに、それまでは衣装デザインという視点で考えたことがなかったんです。それで(バレエやフィギュアの衣装を手がけるダンス衣料大手の)チャコットの採用試験を受けました。面接の最初の段階から「フィギュアの衣装がやりたい」とアピールしていましたね。

WWD:チャコットでは念願のフィギュア衣装を担当し、4年後に独立している。大きな会社を離れることに不安はなかったのか。

伊藤:独立したら仕事の依頼が来ないんじゃないかという不安はもちろんありました。ただ、会社員のままだと、自分が手掛けた衣装も自分のデザインではなく、会社のデザインになってしまう。チャコットでは非常に多くのことを学ばせていただきましたが、どうしてもそこに葛藤があったんです。独立してからは仕事につなげるために積極的に営業をかけるようにしており、それは今も続けています。選手の拠点となっているスケートリンクに電話をして、まずはコーチにアプローチする。そうすると「とりあえず見たいから、何着か持ってきて」と言ってくださる方も多いんです。一番最初に衣装を持って行ったのが今井遥選手(18年に現役引退)のところでした。偶然持って行った衣装を今井選手やコーチがとても気に入ってくださり、採用していただけた。そこから口コミで他の選手にも広がっていきました。フィギュアは狭い世界なので、口コミが大事。選手のお母さんが自分の子どものために衣装を作っていて、それが評判を呼んで他の選手からも制作依頼が入るといったケースも多い中で、服飾を専門的に学んで、企業デザイナーをしていたという私のような経歴は非常に珍しがられます。

五輪シーズンは60〜70着を制作
納品後も修正が続く

WWD:1シーズンに何人の選手に合計で何着ほど制作しているのか。

伊藤:制作を手掛けている選手は、ジュニアの方なども含めて30〜40人ほど。1シーズンに少なくとも40〜50着は作ります。今年は五輪シーズンなのでもっと多く、60〜70着は作りました。五輪シーズンは試合会場となるスケートリンクの座席や広告の色、ライバル選手の衣装の色などに合わせて臨機応変に対応すべく、1つのプログラムで複数の衣装を作る選手が多いためです。

WWD:実際にどのようなスケジュールでデザインを決定し、制作していくのか。

伊藤:選手から制作の依頼が届くのが毎年4〜5月ごろ。依頼の時点でコレクション画像の切り抜きなどを添えて「こんなデザインがいい」とおっしゃる方もいますし、音楽データや振り付けの動画だけを渡されて「あとは伊藤さんのイメージで」とおっしゃる方もいます。デザイン画を2〜3枚提出してデザインを決定、1カ月後に仮縫いをします。納品は仮縫いから1〜2カ月後。早い選手は8〜9月から試合が始まるので、それに間に合わせなければいけません。動きやすさなどを追求し、仮縫いを3回、4回と繰り返す選手もいます。また、納品したらそこで終わりというわけではなく、自身の試合の動画を見た選手から「装飾を足したい」などの依頼が入り、試合ごとに修正を重ねるケースもあります。シーズン最盛期に向けて選手の体はどんどん絞られてくるので、サイズを詰めることも必要になります。

WWD:衣装をデザインする上で気をつけているのはどのような点か。

伊藤:例えば女子選手にはスピンが得意な方が多いので、回ったときにスカートが花びらのようにきれいに広がることを意識しています。また、スタイルがよりよく見えるように、スカートのサイド部分を短くするといったこともあります。あまり知られていませんが、フィギュアスケートは女子選手もパンツスタイルでの演技が規定として認められています。脚のラインが逆に強調されるので日本の選手にはあまり選ばれませんが、もっと衣装のデザインやスタイルのバリエーションを増やしていければと、デザイナーとして思っています。パターンと縫製は個人でやっている方に外注していて、エアブラシなどでの染色やクリスタル装飾や刺しゅうは私がアトリエで1つずつ行っています。1着あたりの価格は、ジュニアの選手なども含めた平均で20〜30万円ほどです。

選手にコーチ、振付師、親
皆の意見を合わせるのが大変

WWD:通常の服とは違う、フィギュア衣装デザインの醍醐味や、苦労するポイントはどんなところか。

伊藤:全て1点もので、それを選手が着て活躍している姿を試合会場やテレビで見ると、やはり何ものにも代え難い感動があります。引退する選手から「もっと伊藤さんに衣装を作ってもらいたかった」というメッセージをいただいたこともあり、胸がいっぱいになりました。一方で、制作は私と選手の間だけでのやり取りで進むものではなく、実際には選手の周りにはコーチがいて、振付師の方がいて、親御さんがいて、というように関わる人がとても多い。皆の意見をすり合わせていくことがなかなか大変です。先ほど言ったように納品したらそれで終わりではないし、出来上がった衣装が「やっぱり着てみたら違った」となって、一から作り直すケースも特に五輪シーズンは少なくありません。それだけ五輪は選手にとって特別な大会です。

WWD:北京五輪に出場する選手に限っても、羽生選手は7年、樋口選手は5年、小松原組は2年間衣装制作を手掛けており、選手からの信頼は厚い。鍵山選手を手掛けるのは今年からだが、五輪シーズンから任されるということも信頼の表れだろう。

伊藤:長い期間ご一緒するようになると、意思疎通もしやすくなり、選手やそのチームにとっても安心感があるんだと思います。フィギュアが大好きなので、これからもフィギュアの衣装デザインは核として続けていきたいと思っています。同時に、バレエや新体操の衣装デザインの仕事ももう少し増やしていきたい。いつか、バレエ団の衣装を丸々デザインするのが夢です。

WWD:伊藤さんのようなフィギュア選手の衣装デザイナーに憧れる、デザイナーの卵たちにメッセージを。

伊藤:「どうやったらフィギュアの衣装デザイナーになれますか?」という質問や「インターンをさせてください」といった依頼を、実はインスタグラム経由などでよくいただきます。服飾専門学校生の場合もありますが、高校生や一般の会社員の方からのケースも多いです。「衣装デザイナーになるには絶対この道」というものはありませんが、個人的な考えとして、私は服飾の基礎はやはり学んだ方がいいと思う。私自身、基礎を学んできた背景があるので、何かあったときはパターンも縫製も自分で対応できますから。服飾専門学校の側も(衣装デザインのコースなどを設けているところは多くはないが)、世の中にこういったニーズがあることは知っておいてもいいんじゃないかなと感じます。

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ドレイクも認めたカルトブランド “預言者”西本克利ディレクターの素顔

 ラッパーのドレイク(Drake)や、故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)、アーティストのトム・サックス(Tom Sachs)ら世界的著名人が着用した、知る人ぞ知る日本のファッションブランドが「ニシモト イズ ザ マウス(NISHIMOTO IS THE MOUTH)」だ。迫力ある顔写真とロゴがプリントされたTシャツ(税込8800円)やロングスリーブTシャツ(同1万4300円)などがオンラインを中心に反響を呼び、現在はGR8(グレイト)やビームス(BEAMS)、ビーセカンド(B'2ND)など国内のセレクトショップをはじめ、アメリカやカナダ、ニュージーランド、韓国など海外にも販路を広げている。

 勢いを増す同ブランドのディレクターを務めるのは、Tシャツのアイコン、顔から足先まで全身トライバルタトゥーの西本克利。著名人たちを魅了したのは、一体どんな理由なのだろうか。謎多き42歳に、自身のルーツや全身タトゥーの理由、クリエイティブに対する信念について聞いた。

WWD:「ニシモト イズ ザ マウス」立ち上げのきっかけは?

西本克利(以下、西本):アパレルブランドでデザイナーをしている仲間と、画家の中村譲二さんとの3人で、2017年に「ニシモト イズ ザ マウス」を立ち上げました。ブランドコンセプトは架空のカルトクラブ。“赤ん坊は神であり、西本はその声を聴ける唯一の存在。西本は口である”という意味で、このブランド名をつけました。もともとは内輪の趣味でTシャツを作って、友人だけに配っていたのが、19年にアパレルブランドを退職したことをきっかけに本格的に活動するようになりました。

WWD:ドレイクやヴァージル・アブローらがTシャツを着たことで話題になりましたね。

西本:メンバーのデザイナーが、ドレイクの幼なじみである音楽レポーターのマット・バベル(Matte Babel)と友人で、彼にTシャツをプレゼントしたらドレイクも欲しがってくれたんです。いろんな場所で着てくれたおかげでブランドの認知度も上がり、ヴァージルやトム・サックスらも興味を持ってくれました。

マイナーな価値観に対する変化

WWD:インディペンデントなプロジェクトを、彼らのようなオーバーグラウンドで活躍する人たちに注目されるのはどう感じましたか?

西本:素直にうれしかったです。20代のころはマイナーな存在でいることに価値があると思っていたけれど、自分でブランドを始めてからは、オーバーグランドとアンダーグラウンドの両方にアプローチできるのが一番かっこいいと考えるようになりましたね。昔なら媒体のインタビューも断っていたと思いますが、今は自らが表舞台に立って発信する時代。肩書きや年齢関係なく、僕自身の思想や哲学に共感してくれたらうれしいですね。

WWD:昨年11月に初めてLAの「コンプレックスコン」に参加したそうですが、年齢を重ねると新しいことにチャレンジするのが不安になりませんか?

西本:コロナ禍というみんなが落ちこんでいる時期だからこそ、やりたいことや楽しいことを発信しないといけないと思い、足を運びました。そこで改めて感じたのは「何歳からでもチャレンジはできる」ということ。展示会場に訪れてくれた人たちからも反響があり、自信につながりました。“出る杭は打たれる”ということわざがあるように、日本はまだまだ閉鎖的なところがあると思います。例えば、若い子が新しいことを始めようとすると、大人はそれを止めようとするじゃないですか。僕は今42歳ですが、アメリカでは年齢や環境関係なく単純にその人に賛同できたら応援してくれるので、現地の人たちのその姿勢に心を突き動かされましたね。

背中を押してくれた恩人

WWD:西本さんの言葉からは「覚悟」を感じますが、その覚悟はどこから?

西本:やっぱりタトゥーですね。僕は一度その世界に踏み込んだら突き詰めるタイプなので、入れるなら100か0という強いポリシーがあります。だからタトゥー同様に「ニシモト イズ ザ マウス」もやるからには全力で取り組んでいきたいんです。「服は白しか着ない」「タクシーには乗らない」など、僕は“預言者”というペルソナを体現し、それも人生の一部として捉えています。

WWD:全身タトゥーという外見で苦労したことは?

西本:14歳の時に「どのくらい痛いんだろう?」と興味本位で入れたのがはじまりです。街や電車に乗るとジロジロ見られることもあるので、一時期は悩んだこともありました。そんなとき、尊敬している先輩のスケシンさん(スケートシング『C.E』デザイナー)が「西本くんは最先端のことをやっているんだから、自分を恥じることはない。周りの声を気にしなくていいんだよ」と言ってくれたんです。その言葉に背中を押されて、“タトゥー=自分”というキャラクターを作ることができました。さまざまな意見に左右されるよりも、前へ積極的に進むために注力したいと思えるようになりましたね。

WWD:SNSではそのルックスに対して賛否両論も多いのだとか?

西本:以前、顔面タトゥーを特集した海外のインスタグラムのアカウントに載った際、国内外で賛否両論でした。「最高にかっこいい」という意見がある一方で、「こいつ似合っていない」などの否定的な意見もありました。でもヘイターはありがたい存在です。その人たちなりに僕のことを考えて、文字にする時間を費やしてくれたわけですから。今ではそんな意見も愛情の一つとして受け入れられるようになりました。こんな風に寛容な気持ちになれたのは、スケシンさんをはじめ、同じ価値観を共有できる仲間とコミュニティからの強い言葉と支えがあったおかげですね。

WWD:今後のプロジェクトは?

西本:次のシーズンは仮想通貨をテーマに、NFTをやる予定です。AIを使って僕と対話できるアートを商品化します。5月からはユーチューブもスタートしますよ。今は撮り溜めしているところですが、チャンネルではブランドとしてではなく、西本克利という個人の内容を配信していきます。ほかにもパジャマブランド「ノウハウ(NOWHAW)」やアーティストの加賀美健さんとのプロジェクトも控えているので、楽しみにしていてください。

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牛乳石鹸とスノーボードの知られざる関係 パラスノーボーダー岡本圭司選手をケガを越えサポート

 2月を迎え、ウィンタースポーツ最盛期!北京冬季五輪も開幕し、競技観戦を連日楽しみにしている人も多いだろう。ウィンタースポーツの中で人気が高いものの一つがスノーボードだが、ファッション&ビューティメディアの「WWDJAPAN」は、石鹸やシャンプーを扱う老舗企業の牛乳石鹸共進社と、スノーボードとのあまり知られていない関係性に注目。同社は北京冬季パラ五輪に出場する岡本圭司選手をケガを越えてスポンサードしているだけでなく、毎年スノーボードの大会を開催。長野・白馬のスキー場では、パーク(キッカー=ジャンプ台などが設置されたゲレンデのこと)の運営に協賛している。板やウエアのメーカーではない同社が、スノーボードの市場振興に浅からぬ貢献をしているのは一体なぜ?仕掛け人に聞いた。

WWD:牛乳石鹸共進社は創業110年超。石鹸やボディーソープ、シャンプーなどの老舗メーカーとスノーボードはやや縁遠く感じるが、選手のサポートや市場の活性化に注力しているのはなぜか。

宮崎清伍・牛乳石鹸共進社コーポレートコミュニケーション室課長(以下、宮崎):今から10年ほど前、当社の商品の客層分析を行った際に、ロイヤルユーザーが高齢化しているというデータが出た。20〜30代の認知度が低く、抱いたのが「このままではブランドが忘れ去られてしまう」という危機感。それで若年層向けのPRを強化しようという話になったが、当社にはテレビCMを作るような資金力はない。何か方法はないかと考えたときに、ややマイナーなスポーツの選手やそのスポーツ自体をサポートするのがいいんじゃないかということになった。スポーツをした後はシャワーで汗を流すため、石鹸とスポーツは親和性も高い。

WWD:北京パラ五輪出場選手であり、スノーボーダーやスキーヤー向けのSNSアプリを開発するなど、スノー業界のインフルエンサーでもある岡本圭司選手とは、どんな経緯で契約したのか。

宮崎:契約は 2013年。僕自身、若いころに個人的にスノーボードのサークル活動をしており、プロとしてまだ駆け出しだった岡本選手に、友達づてでサークルのツアーにインストラクターとして来てもらっていた。そのころからの縁だ。契約当時、岡本選手は競技活動よりムービーを撮影してスノーボードをカルチャーとして広めることに重きを置いていて、岡本選手を通して若年層とカルチャーでつながっていける点もマーケティング的にいいなと思った。他の横乗り系スポーツも候補として考えたが、スノーボードは他競技に比べてプロと一般客が一緒になって雪山で楽しめるため距離感が近く、ファミリー層にもリーチしやすい。そこが魅力的に映った。

WWD:岡本選手は15年に撮影中の大事故で下半身不随を宣告されてしまう。そこからの驚異的な回復やパラスノーボーダーとしての競技復帰は後になってドキュメンタリー番組でも取り上げられ、今では知っている人も少なくないが、スポンサー企業としては、事故直後に契約を切る選択肢もあったのでは。

宮崎:もちろんそういう話は社内でもあった。ただ、僕は事故直後から岡本選手がまた滑れるようになると信じていたし、当社の企業理念は「ずっと変わらぬ やさしさを。」だ。怪我をしたからって、本人が一番辛くて不安な時期に契約を切るのは「ずっと変わらぬやさしさ」ではない。そう社内を説得した。また、競技者としてではなくカルチャーの発信者として契約をしていたから、怪我をしてもスポンサーを続けやすかったという面もある。岡本選手を信じてずっと応援してきたが、パラ五輪に出場するほどまでになったことについては、うれしいと同時に非常に驚いている。

WWD:岡本選手らとのライダー契約以外に、「カウデイ(COWDAY)」というスノーボード大会も15年から毎年開催し、白馬のスキー場(白馬47ウィンタースポーツパーク)ではパーク運営に協賛している。

宮崎:岡本選手がスノーボード業界全体を盛り上げたいという思いが強く、当社もその思いに共感している。スノーボード市場がもっと盛り上がっていた時代は、国内でも「トヨタ・ビッグ・エア」や「エクストレイル・ジャム」といった大型スポンサーのついた大会があったが、今はほんの一握りのトップ選手向けの競技連盟主催の大会を除くと、国内大会は数えるほどしかない。大会という魅せる場がないことは、プロライダーにとってもアマチュアにとっても残念だ。僕も長く滑っているので分かるが、この業界はプロライダーといっても資金が潤沢ではなく、スキー場でアルバイトをしながら滑っている子も多い。そういうライダーの環境が少しでもよくなるように、力になれればと思っている。コロナ禍で昨年の「カウデイ」は映像審査にしたが、大阪・梅田のど真ん中にパークを設置して開催した年(19年)もある。そのときは3日間で1万人近い来場があり、雪山に行かない層にもリーチできた。白馬47のパークの協賛は14年から継続している。このスキー場はスノーボーダーに人気で、プロのライダーもよく滑りに来る場所。彼らのユーチューブなどに必ず当社の広告が映り込むので、協賛効果は高いと思っている。

WWD:選手や業界全体をサポートすることで、当初狙っていた20〜30代の認知アップは達成できたのか。

宮崎:岡本選手との契約後、公式フェイスブックの友達でスノーボーダーが一気に増えた。大会などで地道な商品サンプリングを続けている効果もあってか、直近の調査でも20〜30代の男女でブランド認知は徐々に上がってきている。若年層へのPRとして一定の効果はあると思っている。「スポーツメーカーでもないのになぜスノーボード?」と思われることは多いが、スキー競技だと不動産関係や食品メーカーなどもスポンサーになっている。

クライミングで一躍人気
野口、野中両選手とも契約

WWD:スノーボードだけでなく、実は東京五輪で一気に注目度が上がったスポーツクライミングの野口啓代選手(女子複合銅メダル)、野中生萌選手(同・銀メダル)とも長らく契約している。

宮崎:僕がクライミングジムに通っていた時期があって、クライミングをする女性にすごくきれいな人が多いことにマーケティング的に注目していた。それで、クライミングは当時は今ほど注目されていないスポーツだったが、今後絶対人気が出ると確信し、15年に野口選手、16年に野中選手と契約した。会社としてどうせ同じお金を出してスポーツのスポンサーをするなら、資金が潤沢でなく、やりたいことがやれていないジャンルを応援したい。既に資金が豊富なメジャースポーツにはあまり興味がない。ほかにも、大阪のママさん卓球をサポートしているし、直近では滋賀の近江神宮で毎年開催されている「競技かるた名人位・クィーン決定戦」のスポンサーにもなった。競技かるたは映画「ちはやふる」で知名度を高めたが、スポンサーは少ない。ややマイナーなジャンルを長らく応援していくことで、そのコミュニティーの人が「牛乳石鹸が好き」と言ってくれるようになる。これはスノーボードと同じだ。

WWD:五輪などの大きな大会で契約選手が活躍すると、商品の売り上げにも直接はね返ってくるのか。

宮崎:(五輪の公式スポンサーではなく、選手が五輪で活躍しても直接的なキャンペーンを行うことができないため)東京五輪後も売り上げに大きな変化はなかった。そもそも、石鹸はどんなときも比較的ニーズが安定している商品だ。景気の良し悪しやイベントの有無によって、人が手を洗ったり、風呂に入ったりする回数が変わることはない。ただ、契約選手が活躍すると社内の士気はものすごく上がる。東京五輪後に、野口、野中両選手に会社に来てもらったが、「あの2人をサポートしている企業であることが誇らしい」と感じてくれた社員は多かったようだ。もともと、社内の部活動としてマラソン部やフットサル部、テニス部などがあって、福利厚生の一環として会社から部費も支給されている。スポーツ好きな社員が少なくない企業風土だ。

WWD:クライミングの2選手を青田買いしたように、今後人気が出るスポーツを見極める“目利き”として、現在注目しているスポーツジャンルはあるか。

宮崎:いま会社としてサポートしているのが、スノーボードにしろクライミングにしろ秋から冬にかけて盛り上がるものが多い。季節のバランスを取るために、春から夏にかけてのスポーツで何かいいものがないかと探しているところだ。(売り上げに直接はね返ってくることは少なくても)選手やスポーツをサポートしていくことで、草の根的に牛乳石鹸を知ってくださる方が増えたり、今回のように取材を申し込まれる機会があったりする。そこから、「ずっと変わらぬ やさしさを。」というわれわれの理念が広がっていけばいいなと思っている。

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HappinessのSAYAKAがブランド始動 低身長の女性に向けたモード服

 LDHのガールズグループHappinessのメンバーSAYAKAは、自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるファッションブランド「シリウスエイティーワン(SIRIUS+81)」を立ち上げた。公式ECサイトで予約販売中だ。自身が153cmと小柄なことから、低身長の女性に向けたアイテムを提供する。ファーストコレクションは、セットアップ(ジャケット1万2650円、パンツ9900円)やワンピース(9900円)、プルオーバー(7040円)などのほか、アクセサリーやシューズを含む23型を用意した。SAYAKAにブランドにかける思いを聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げた経緯は?

SAYAKA:小さいころから服が大好きで、ファッション関係の仕事に興味がありました。アーティストとして活動する限り、ファッションに関わることは無理だろうと諦めていましたが、2018年には「ムルーア(MURUA)」とコラボして、自分が手掛けた服をファンに届ける機会をいただきました。20年にはLDHアパレル(LDH APPAREL)の「24カラッツ(24KARATS)」ともコラボしました。そのときに一緒に仕事をした人が、私がものづくりにこだわる姿を見て、ブランドを立ち上げてみないかと提案してくれたんです。これは本気で取り組みたいと思い、去年1年間かけてファッションデザインと色彩に関する資格を取りました。

WWD:「シリウスエイティーワン」の強みは?

SAYAKA:世の中にはかわいい服がたくさんあります。私だから発信できるものでないと手に取ってもらえません。私は身長が153cmで、普段から服はお直しして着ることが多く、バランス感にも気をつけてコーディネートしています。低身長の人たちの中には、おしゃれを諦めている人も多い。私の感覚をアイテムに落とし込むことができたら、サイズ感に悩む人たちに寄り添えるのではないかと考えました。低身長の人は、かわいい印象を持たれがち。モードを軸にする「シリウスエイティーワン」では、私が憧れるクールで強い女性像に近づけるアイテムを提案したいです。

WWD:SAYAKAさんは身長をコンプレックスに感じることもある?

SAYAKA:アーティストとして、身長をネックに感じたことはありません。周りで悩んでいる人の声を聞くと、もっと自分のスタイルを楽しんでほしいのにと強く思います。“Sサイズモデル”のような、小柄な人が参考になるスタイリングを発信する存在になりたいです。

WWD:ブランド名の由来は?

SAYAKA:“sirius”は最も明るいといわれる星の名前から取りました。出身地の宮城県は、星がとてもきれいに見えるんです。星のように小さくても輝いてほしいという思いを込めました。あえて小文字で表記している点もポイントです。“+81”は、国際電話の日本の国番号です。日本発であるという原点を忘れないように、そしていつか日本を代表するブランドになりたいという願いで名付けました。

WWD:ファーストコレクションへのこだわりは?

SAYAKA:私は日々いろんなジャンルの服を着ます。ファッションで自分のさまざまな表情を引き出すのが楽しいんです。「シリウスエイティーワン」でも、カジュアルなアイテムから少しフォーマルな印象のものまで、幅広く用意しました。また、1着でたくさんの着方ができ、レイヤードしやすいようにこだわりました。例えばジャケットの生地は、ほかのアイテムと合わせやすい色味を厳選しました。色や柄はちょっとのブレがあると、理想の合わせ方と全然違ってしまうので、期日ギリギリまで何度も試作を繰り返しました。袖のスリットから腕を出して着たり、丈が長いのでワンピース風に着たりもできます。カントリースタイルのブーツは、足のラインがきれいに見える幅や丈を調整しました。美脚ブーツは受注会初日で売り切れるほど好評で、今後シリーズ化する予定です。ユニセックスのプルオーバーやTシャツも人気で、受注会では男性のお客さまからも好評でした。

WWD:今度ブランドをどのように広めていく?

SAYAKA:販路はECがメインですが、地方も含めていろんな場所で受注会を開催したいです。実際に商品を手に取ってくれたお客さまからはたくさんフィードバッグをもらいました。リアルな意見を取り入れながら、改善していきます。ファンの皆さまはもちろん、単純にファッションが好きな人、サイズが合う服が見つからなくて困っている人たちに広く届いてほしいですね。

WWD:SAYAKAさん自身の今後の目標は?

SAYAKA:私は今年で27歳になります。ブランドを始めることができ、小さいころに漠然と描いていた夢を実現できる年齢なんだなと実感しています。これからはやりたいと思ったことにますます果敢に挑戦するつもりです。次は、ブランドとしてもアーティスト個人としても、海外を目指してがんばります。

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「ビームス」設楽社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.5

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第4回は、「ビームス(BEAMS)」の社長で、ファッションやカルチャーを通じて世界にハッピーを届ける設楽洋社長に話を聞いた。

WWD:設楽社長のキャリアのスタートは?

設楽洋ビームス社長(以下、設楽):僕はもともと、アーティストやミュージシャンといった、一芸に秀でたクリエーションに関わる人々に強い憧れがあった。自分もそうなりたいと思っていたし、実際に絵や音楽、スポーツなど割と器用に何でもできるタイプだったけど、やっぱりトップの人にはかなわない。そこで、プロの人を集めて何かを生み出すプロデューサーも一種のクリエイターだと考え、まず広告の世界に入った。学校を卒業した1975年に電通に入社して、その1年後には「ビームス」の創業に参画した。最初は「ビームス」だけで食える状況ではなかったので、足掛け7年両方の仕事をするような生活だった。当時は「24時間働けますか」という時代で、早く仕事を覚えたい一心で、下っ端のイベントプロデューサーとしてがむしゃらに働いた。

WWD:当時、周りの同僚に比べて自分はこれは負けないと思っていたことはあった?

設楽:早く一人前になりたいという気持ちは人一倍強かったと思う。業界では、どれだけ面白いアイデアがあっても、「あなたいくつですか?」と経験値が問われる。それがすごく嫌で、早く30歳を越えたかった。だから一生懸命、経験がありそうな格好をして、メッキを張って自分を大きく見せていた。例えば、会話の中で知らない言葉が出てもその場では分かったフリをして、その後に必死に調べた。メッキが剥がれる前に、知識を自分のものにする努力をした。当時はモノと情報がなかった時代。何かを調べるためには、訳知りの人や優れた人に直接会って情報を集めるしかなかった。仕事もしたけど、よく遊んで、いろんな業界の人に会い、たくさんのことを教えてもらった。

WWD:その経験がゆくゆく武器になった。

設楽:電通のプロデューサー時代も、ビームスを始めた時もさまざまな分野をかじっていたことが武器になった。僕は、店作りは総合芸術だと思う。商品のほか、インテリアや音楽を考えたり、販売スタッフをどう役者として立てるかも考えたりする。商品関係の人、インテリアデザイナーの人、スタッフを教育する人、さまざまな立場の人と話ができなければ、プロデューサーはできない。広く浅くいろんなプロたちと話ができる技術が大切だ。

今も昔も時代が変わる現場に立ち会うことが好き

WWD:好奇心と行動力は持って生まれたもの?それとも誰かに鍛えられた?

設楽:小さいころから、何でも興味津々だった。僕は新宿生まれだったから小・中学校のころは、夜に家を抜け出して歌舞伎町の街を見に行ったりするような子どもで、混とんとした文化の現場を見たいという興味が強かった。昔から何が時代を動かしているのかを観察し、時代が変わる現場に立ち会うことが好きだった。仕事でもそういうことが起こりそうな場所には、担当関係なしに先輩に頼み込んで、お荷物のように顔を出した。今でもそうだが、無名のころから行きたい場所に行く、会いたい人に会うことに関しては貪欲だった。まだドルが360円の時代にアメリカに憧れて、どうにかアメリカの雰囲気を味わうために、米軍キャンプに忍び込む方法を考えたり、どんなに有名人でも、高校時代の友人とはご飯を食べに行くだろうと考えて、まずはその友人と友達になれば会えるかもしれないとか考えたりしていた。結局会いたくても会えなかったのは、ジョン・レノンとアインシュタインくらい(笑)。

WWD:たくさんの人と会う中で、気を付けていることは?

設楽:誰に対しても同じ態度で接すること。決していばらないけど、ヘコヘコもしないことをポリシーにしている。今は「ビームス」の社長だから、構える人は多いと思うけど、極力オープンマインドで隙を作って、「タラちゃん」と呼ばせる。会社でも僕のことを社長と呼ぶ人はいない。「ボス」か「タラちゃん」か。社長室もあえてフロアの一番手前に作って、来客の顔がすぐに見え、社員が入りやすいようにドアはいつも開けている。年上の人には、生意気だなと怒られた経験もあるけど、長く付き合う人には、自分らしい態度を続けることで分かってもらえる。そっちの方がかわいがられるし、得だと思う。

WWD:駆け出しのころの苦労した思い出は?

設楽:「ビームス」を始めて少しして、ロゴトレーナーのブームが起こり、売り上げの半分くらいがロゴトレーナーだった。このまま行くと、自分が目指すカルチャーを売る店ではなくて、単なるキャラクターショップになってしまうと思った。なかなかやめられなかったが、ある時やめる決断をした。もちろん売り上げは落ちたが、今となってはその後の「ビームス」を作ってくれた成功例になっている。その時に大事なことは引き際だと学んだ。それでも、次の渋カジブームのときには、紺ブレがとても売れてどんどん追加生産しろという指示を出した。そのうちほかの多くの店も安い紺ブレを出すようになって、ある時突然ブームが終息した。ロゴトレーナーのときに学んだはずなのに、ものすごい在庫を抱え、経営が圧迫された。以降、センスとは引き際だと思っている。旬を過ぎて、POSのデータが跳ね上がるときは、一般の人々に行き渡って、早いお客さまはすでに次に進んでいる。長い目で見ると、いつまでも同じことをしていては、ブランドの陳腐化につながる。

WWD:20代、30代のころに持っていた目標は?

設楽:僕はソフト型の経営者なので、何年後に何十億狙うぞ、ということは考えていなかった。ただ、6.5坪(約21.5平方メートル)の1号店をオープンしたときに、「日本の若者の風俗・文化を変えるぞ」という夢はあった。今も日本一もうかる会社になるよりも、日本一周りを笑顔にする会社になりたいと思っている。きっと社員も同じ思いのはず。上場しないんですか?と聞かれることも多いけど、少なくとも僕がいるうちはしない。やめなければいけないことがいっぱいあるから。僕は社員たちに「努力は夢中に勝てない」と伝えている。自分が夢中になって楽しんでいることは人にも伝わる。どうせ、仕事をするならそういうものの方がいい。右に行った方が儲かるが、左に行った方が楽しいと言われたら、僕は左を選ぶ。それがビームスだ。

WWD:夢中になれることを見つけられない人も多い。

設楽:いろんな人と会ったり、いろんな景色を見たりすることで確実に見つかる。僕が仕事で欲しい人は2種類いる。一つは、自分が憧れてなれなかった一芸に秀でた人。もう1つは、僕みたいないろんなことを広く浅く、理解できる人。いろんな経験を重ね、刺激を受けることで、こういう人になりたいというビジョンが見えてくると思う。僕自身も、若い人たちにパワーを与えたいと思っている。ただ方法論を伝えるのではなく、情熱のタネを植えて、モチベーションをデザインすることがすごく大事な時代だと思う。

自分の目で見ろ、会いに行け、世界を体験しろ

WWD:今の20~30代に伝えたいメッセージは?

設楽:自分の目で見ろ、会いに行け、世界を体験しろ、とすごく伝えたい。僕が20代のころは、モノと情報がないために飢えていた。今の若者は、モノと情報があふれているために飢えている。情報へのアクセスが簡単な現在は、その情報を分かった気になってしまう。でも、実はそれを取り巻く環境にものすごくヒントがある。胸がキュンとする瞬間も自分が調べている情報の周りにあることが多い。人に話を聞き、いろんな場所を駆けずり回って、そこで得た情報を自分でつなげる作業の中で、一つの答え以外の知らなかった周辺の事柄を知ることができる。データだけではなく、生身の自分が感じた体温があり、手触りがある情報を取りに行くことがすごく大事。

WWD:今の若い人たちに物足りないなと感じることはある?

設楽:もちろん今の世の中、将来への漠然とした不安があるのは分かるけど、能天気でもいいからプラス思考でいてほしい。僕が新卒採用の面接に参加する時は最後に必ず、「今までの人生で自分は強運だと思いますか」と聞く。本当に強運なら、是非一緒に働きたいし(笑)、周りから見てそうでもないけど本人がそう思うようなプラス思考な人の方がきっといろんなことを切り開いていくと思うから。僕は、家に寝っ転がって友達と一緒にテレビを見ながら、「俺この人に会いたい」って言っているような能天気だったから(笑)。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

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【動画】「裏方であることを忘れてはいけない」ヘア&メイクアップアーティストの長井かおりに密着

 「ファッション業界人辞典」は、ファッション業界で働く人にフォーカスし、その仕事に密着リポートします。業界のさまざまな職業を紹介しながら、「実際、どんな仕事をしているの?」「どうしたらその職に就けるのか?」などの疑問を解決。これからの若者たちの指針になるような情報や、業界人が気になるあの人の素顔や過去を、日々の仕事姿や過去の映像・写真を通して発信します。

 第5弾は、数々の美容雑誌やイベントで活躍をしているヘア&メイクアップアーティストの長井かおりさんに密着しました。アトリエで行っている業務や撮影前の準備、アットコスメトーキョーへ市場調査に向かう姿など、普段見たことのない長井かおりさんを見ることができます。また、雑誌「VOCE」の貴重な撮影現場の裏側まで密着。ヘア&メイクアップアーティストに至るまでの経歴も聞きました。

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ケイト・モスとも協業する仏パリ発ジュエラー「メシカ」トップに聞くクリエイション

 フランス・パリ発「メシカ(MESSIKA)」は、モデルのケイト・モス(Kate Moss)も協業でデザインを手がけるジュエラーだ。エッジの効いたモードなデザインのジュエリーは多くのセレブリティーやモデルらに支持を得ている。クラシックなジュエラーとは一線を引く「メシカ」のクリエイションやビジネスについて、ヴァレリー・メシカ(Valerie Messika)=メシカ社長兼アーティスティックディレクターに話を聞いた。

WWD:「メシカ」を設立した理由と目的は?

ヴァレリー・メシカ=メシカ社長兼アーティスティックディレクター(以下、メシカ):父が宝石商だったこともあり、幼少の頃からダイヤモンドには慣れ親しんできた。父とダイヤモンドに対する情熱を分かち合うことが好きだった。当初は、自分自身のためにジュエリーを作っていたが、友人たちが私の作品を気に入ってくれて、友人たちのためにデザインするようになった。そして2005年に「メシカ」を立ち上げた。ジュエラーはクラシックで高価なジュエリーを制作する一方で、宝石を使わないコスチュームジュエリーのブランドもたくさんある。そのギャップに気づき、日常的に着用できるダイヤモンドジュエリーを作ろうと考えた。ジュエリーとは女性に輝きと喜びを与えるもの。特別な日だけでなく、デニムなどカジュアルな日常の服装に合うダイヤモンドジュエリーを提供するのが「メシカ」だ。それがブランド哲学でもある。

WWD:ブランドのコンセプトは?一番の強みは?

メシカ:私の信条は“レス・イズ・モア”。軽さ、自由、純粋、官能という4つを軸にジュエリーをデザインしている。ダイヤモンドは、エンゲージメントリング用でなく、毎日楽しめるものであるべきだと思った。だから、クールでカジュアル、そして身につけやすいダイヤモンドジュエリーを提供している。 自由で大胆な発想でダイヤモンドを扱えるのは、幸運なことダイヤモンドの本質的な輝きとそれを引き立てるクリーンなデザインを追求している。タイムレスでコンテンポラリー、それにひねりを加えたデザインで、日常的に身につけられる心地よさが重要なポイントだ。2007年に誕生した”ムーヴ”コレクションは、ダイヤモンドに自由を与えたいという思いを反映した代表的なコレクション。ダイヤモンドは、光と戯れ、動くときほど美しい。ゴールドのフレームに収められた3つのダイヤモンドが自由に動き回る様子を表現している。毎年、このコレクションを中心に新しいデザインを考えている。「メシカ」の強みは、マイクロパヴェを含むクラフツマンシップだ。

WWD:デザインのインスピレーション源やこだわりは?

メシカ:私の最大のインスピレーションの源の一つは女性。だから、ミニマル、ロックテイストなどさまざまな女性に似合うものを想像しながらデザインする。

 ケイト(・モス)とコラボしたのもそれが理由。彼女のスタイルが「メシカ」にぴったりだと思ったから一緒にハイジュエリーを作ってみたいと思った。旅先で、建築やインテリア、町を歩く人々のスタイルからインスピレーションを得ることもある。ジュエリーが出発点で、コレクションの名前は、それらが完成してから決める。

WWD:エッジの効いたデザインをジュエリーに落とし込むには?

メシカ:ジュエリーのクリエイションの限界に挑戦するのが好きだ。自由で大胆にダイヤモンドを扱えるのは幸運なこと。ハイジュエリー・コレクション“ボーン・トゥ・ビー・ワイルド”では、ノーズピアス、ダイヤモンドマスクなど革新的で大胆な作品をデザインした。最大の挑戦は、ジュエリーとハイジュエリーの両方を、快適で遊び心のあるものにすること。ダイヤモンドネックレスを女性のワードローブの定番にしたいという思いから、19年に”スキニー”コレクションを発表した。その特徴は、比類なきしなやかさで、ゴールドの中にナノスプリングが配置されており、弾力的。捻れたり、巻いたり、曲がったりしても、壊れることなく、元の形に戻るネックレスだ。

WWD:ターゲットは?

メシカ: 18〜77歳までの、時にミステリアスで、大胆で、勇気のある、現代の女性。そして、ロックな一面も持っている。通常は、母親が娘にジュエラーを紹介するが、「メシカ」は娘が母親に紹介したくなるようなジュエリーブランドだ。

WWD:現在何ヵ国で販売しているか?売り上げのトップ3は?

メシカ:75カ国で販売し、50のブティックを含む490の販売拠点がある。売り上げの上位3カ国はアラブ首長国連邦、フランス、アメリカ。

WWD:売れ筋アイテムと中心価格帯は?

メシカ:世界的なベストセラーは“ムーヴ”コレクション。日本での売り上げの半分は、ブランドを代表する“ムーヴ ウノ”と“ムーヴ クラシック”。ベストセラーは“ムーヴ ウノ パヴェ”“ベビームーヴ パヴェ”“ムーヴクラシック パヴェ”のリングとネックレスで、平均価格帯は38万5000円。

WWD:日本に上陸してからの年商の推移は?

メシカ:19年に初のポップアップストアを開催以降、売上高は順調に伸び、大手百貨店との提携も拡大した。コロナ禍では、東京・三越日本橋本店の店舗は1.5カ月クローズせざるを得なかったが、売上高は前年の2.5倍になった。昨年は、伊勢丹新宿本店および阪急うめだ本店内に期間限定ショップをオープン。今年春には、大阪に出店を予定している。

WWD:注力したい市場とその理由は?

メシカ:アジアに注力したい。今年年末には、日本と中国で約15店舗のブティックをオープンする予定だ。

WWD:ラボグロウンダイヤモンドやモアサナイトの存在についてどう思うか?

メシカ:数百万年もかけて自然が作り出したものを、時間をかけずに再現したのが“ラボグロウンダイヤモンド”と“モアサナイト”だ。ラグジュアリーの魔法は、希少性。一方で、実験室のレシピで簡単に生産できるダイヤモンドと同様のもの、やダイヤモンドに近いものは希少性に欠ける。美術品に例えると、1点のオリジナル作品とリトグラフの違いのようなもの。何度でも刷れるリトグラフは、オリジナル作品のような美しく、力強く、価値のあるものではない。

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「循環型社会へのシフトに必要なこと」 サーキュラーデザインの第一人者の水野大二郎氏に聞く

 これからのビジネスを考えるときに鍵になる考え方“サーキュラーデザイン”や“新しい物質循環”とは何かを知るためのガイド本「サーキュラーデザイン 持続可能な社会をつくる製品・サービス・ビジネス」(学芸出版社)」が2月1日に発売される。そもそもサーキュラーデザインとは、サーキュラーエコノミー(循環型経済)実現のためのデザインやその考え方で、経済活動のあらゆる段階(設計、製造、消費、使用、廃棄、再資源化など)で循環系へのシフトを促しつつ、モノやエネルギーの消費を低減することで、新たな経済的価値の成立を目指す、社会/環境デザインの新たな潮流だ。

 すでにファッションやビューティ産業でも直線型のビジネスモデルから循環型のビジネスへの移行が始まっている。例えば、アディダス(ADIDAS)は使い終わったシューズを回収して再資源化することを前提にした“フューチャークラフトループ.(現在の商品名はメイドトゥビリメイド ウルトラブースト)”の販売を北米で始め、ナイキ(NIKE)は生産工程で出る廃棄物“ナイキグラインド”をデザインに組み込んだシューズやアパレル製品を販売している。

 本書の著者は水野大二郎・京都工芸繊維大学KYOTO Design Lab特任教授/慶応義塾大学大学院特別招聘教授と津田和俊・京都工芸繊維大学デザイン・建築学講師。水野教授は2021年11~12月に開催された経済産業省主催の「これからのファッションを考える研究会 ~ファッション未来研究会~」の座長を務めており、サーキュラーデザイン研究の第一人者として知られる。著者の水野特任教授に読みどころを聞いた。

WWD:なぜ今、「サーキュラーデザイン」を?

水野大二郎特任教授(以下、水野):サーキュラーエコノミー(循環型経済)のための手引書はすでにさまざまなものが市場に出回っています。ですが、社会や環境のデザイン、あるいは社会実装の観点から具体的な理論や手法、実践例、ガイドラインなどが日本語で紹介されたことはほとんどありませんでした。

 海外ではエレンマッカーサー財団をはじめさまざまな組織が国連や国家、あるいは産業や大学などの研究機関と連携しながら、共同研究を実践したり報告書を一般無償公開したりしています。これらの動向を正確に把握することが現在喫緊の社会的課題である環境問題の解決に向けた最も重要な点でないかと考えました。

WWD:本書は衣食住のサーキュラーデザインを網羅されていますね。特にファッション分野では「微生物で服をつくる」「キノコで服をつくる」「捨てられるはずだったもので服をつくる」「使い終わった服を回収しやすくつくる」の4つのテーマで具体例とともに紹介されています。

水野:本書の目的の一つは、今すぐできることから始めるにあたって、現状を改善する1つの手段として微生物や廃棄資源を用いる新しいデザインについて紹介すること。ですので、サーキュラー“製品”デザインに関して、現在ある事例のうち優れたものを選定して紹介しています。

 ただ本来は、微生物や廃棄資源などを用いて衣服を作ることだけがサーキュラーデザインではありません。広義のサーキュラーデザインとは、製品を作り続けることから脱却し、脱物質化を図ることなども含まれてもいい。脱物質化に関しては、現在メタバース的なNFTファッションが注目を浴びていますが、これらは現在のところ投機的な意味合いも強いかな、とは思います。しかし、もしかしたら近い未来、人々が製品を使わなくてもよくなるデザイン、すなわち、環境負荷をそもそも劇的に変革するようなデザインの有り様も考えられます。

WWD:現状改善という意味では、参考になる国際的なコンソーシアムやアライアンス、認証制度、エレンマッカーサー財団やナイキ(NIKE)、IDEOとEMFなどが公開しているガイドやツールも紹介されています。

水野:そうですね。コンソーシアムやアライアンス、認証制度、そして製品開発のためのガイドやツールも本書では積極的に翻訳、紹介しています。そのうちの多くがこれまでWWDJAPANでも紹介された内容だと思います。

 コンソーシアムやアライアンスでは、国連レベルのものからヒグインデックス(Higg Index)を掲げるサステナブルアパレル連合、そしてAFIRM(the Apparel and Footwear International RSL Management)など幅広く選定しています。企業のサステナビリティ推進室に配属されている方なら一度は見たことがあるものが多いでしょう。また、活動家団体に近い性質を帯びたグローバルファッションアジェンダ(Global Fashion Agenda)やファッションフォーグッド(Fashion for Good)などの組織も紹介しています。これらの組織は度々無償で報告書をウェブサイトで公開しており、欧米の動向をつかむにあたって非常に有益なメディアになっています。

 認証制度についてはエコテックス(oeko-tex)やブルーサイン(bluesign)などを紹介していますが、各認証制度の中に細分化された細かな認証があり、それぞれやることが非常に複雑です。経産省「繊維産業のサステナビリティに関する検討会」第4回の資料3と資料4なども参照されると良いかと思います。

 デザインガイドやツールは、先述のグローバルファッションアジェンダをはじめとした組織が出しています。リセールや回収について、リデザインの方法についてなどもありますが、本書ではナイキのサーキュラリティワークブックについて詳細を説明しました。これはサーキュラー“製品”デザインのための実用的ガイドで、製品設計時において何を具体的に配慮したらよいかが段階ごとに書かれており、自分でも試したところ非常に有益だと考え紹介しました。企業内の製造管理担当者であれば特段新しいことはないかもしれませんが、デザインする立場から見ると非常に新鮮です。

WWD:最後に「これからのファッションを考える研究会 ~ファッション未来研究会~」ではどういう議論がなされたのですか?

水野:ファッション産業を取り巻く劇的な変化について議論され、その上で日本のファッション産業の未来において重要だと思われる活動領域や人材像などについて具体的な提案を含めた検討を行いました。

 ざっと言ってしまえば、不確実な未来に対して独創的な提案をし得るようなアート型の人材、デジタルトランスフォーメーションに対して対応可能なデジタル人材や、サーキュラーエコノミーや物質循環、あるいは産地との連携に基づいた新たな材料開発などを行うサーキュラーデザイン人材、そしてメタバースやサーキュラーエコノミー、あるいはポストラグジュアリーなどを検討するのに必要なビジネス人材ーーこういった人材の必要性を明らかにしました。

 これらの話の根幹にあるのは、ファッション産業が低所得であることーーテキスタイルの産地や、静脈産業に関わる人々、アパレル企業に勤める人々の所得が少ないがゆえに、優秀な人材が集まりづらく、悪循環を生んでいることが考えられます。

 倫理的、あるいは利他的な消費を促すような超高付加価値の製品やサービスの提供、あるいは情報環境と接続したNFTやメタバースなどデジタルアセットの利活用、異業種とのコラボレーションを通して、ファッション産業が発展するためにあり得る望ましい未来とは何かについて議論を交わしました。

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メルローズ武内社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.4

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第4回は、「マルティニーク(MARTINIQUE)」や「コンバース トウキョウ(CONVERSE TOKYO)」「サードマガジン(THIRD MAGAZINE)」などを手掛ける、メルローズの武内一志社長に話を聞いた。

WWD:自身がネクストリーダー世代だったころは、どのように仕事をしていた?

武内一志メルローズ社長(以下、武内):20〜30代前半は、ビギでメンズブランドのデザイナーをしていた。当時はDCブランドブームの全盛期で、デザイナーを志す人はDCブランドで腕を磨いてディレクターやチーフデザイナーになるというのが主流だった。僕もご多分に漏れず、DCの部署で力をつけようと思っていた。1992 年にメルローズに移ったのは、当時のメルローズの社長に「手伝ってほしい」と頼まれたのがきっかけ。あのころはDCブランドに陰りが出始めていて、非常に苦しい時代だった。DCの後にインポートブランド、セレクトショップと次々と新しい潮流が出てきて、僕自身も迷い子になっていた。

WWD:苦しい時代にはどのようなことを考えていたのか。

武内:前職で手掛けていたブランドも退店を余儀なくされる中で、「なぜDCブランドが下火になったのか?」と分析すると、成功例にならって同じことを繰り返してきたことが、結果的に消費者に飽きられてしまっていたのだと気づいた。メルローズに入ってからは、僕はここで何をすべきか、しばらく思い悩んだ記憶がある。悩んだ結果たどり着いたのが、自分がやりたいと思うものをやるべきだということ。それで、時代の空気を捉えながらも、自分の想像力をかき立ててくれるモノを詰め込んだものを作ろうと思い、誕生したのが「マルティニーク」だった。

WWD:ビギ時代はデザイナーだったが、メルローズでは徐々に仕事の領域も広がっていった。

武内:仕事は「何でもやる!」という意気込みで、好き嫌いに関係なく、全てを取り込んでやろうと挑んでいた。ビギ時代はデザイナー職に注力していたが、メルローズでは、モノ作りから売り上げの責任、店作り、ショップスタッフの装いまで全てを指揮した。次第に、トータルで考えることこそクリエイティブな作業で、これがなければブランドの世界観はお客さまに伝わらないという考えに変わっていった。世の中に向けて「ワクワクやドキドキを作り出したい」という気持ちを原動力にして、毎日気がついたら夜遅くまで働き続けていた。今は時代が違うのでそうした働き方がいいとは思わないが、当時さまざまなことを把握するには、必然的にこのくらいの時間が必要だった。

WWD:そのように情熱を持って打ち込めるモノが、そもそも何なのか分からないという若者も今は少なくない。

武内:まず、自分のやりたいことを見つけることは重要だ。僕の場合は、古い映画をたくさん観て育ち、銀幕の海外スターの洋服に憧れを持っていた。学生時代は、原宿の希少なビンテージを扱う古着店でアルバイトをしていたし、旅行や出張でパリやロンドンに行くと蚤の市に足を運んでいた。古いものがすごく好きで、自分のデザインにもそのルーツを感じる。時代を超えてすばらしいものを見つけては、インスピレーションとして溜め込んで、これらをどう表現したら今の時代に通用するかを常に考えていた。

WWD:今のようなキャリアパスは、当時想像していた?

武内:全く想像できていなかった。どちらかというと「自分は将来どうなるんだろうか」「果たして、この仕事で食べていくことができるんだろうか」という不安があった。そんなふうに思い悩んでいたから、あのころには戻りたくない(笑)。プライベートで経験したことを仕事に生かすことももちろんできるが、その一方で、仕事での重いプレッシャーを越えた先に、初めて見える景色もある。ふもとから頂上(ゴール)へと、いきなり挑戦するのは大変だ。振り返ってみると僕のキャリアも、「マルティニーク」の立ち上げや、メインの販路を百貨店からファッションビルに切り替えたことなど、その時々で中間地点のような目標があって、それを目指して一歩ずつ進んできた。それが少しずつ自信につながっていったように思う。

チーム力を引き出す鍵は、
各部署の「つなぎ目」

WWD:チームをマネジメントする上で、大切にしていることは?

武内:ブランドであれば、モノ作りを通して、その考え方やテーマをどう消費者へと届けるかが鍵になる。その核となるのが各部署の「つなぎ目」の部分だ。苦しんでいるブランドはセクショナリズムになりがちで、それぞれ頑張っているのに、エネルギーが分散して的に当たらない。コミュニケーション不足のズレは、店にもお客さまにも伝わってしまう。「目標を達成するために何をすべきか」を共有し、目詰まりがないように働きかけることはかなり経験を積んできたし、今も勉強させてもらっている。

WWD:採用活動などを通し、社内外の若い世代と接する中で感じることは何か。

武内:そつなく受け答えできる人が増えている印象がある。マニュアルでもあるのかな、と感じる程だ。われわれの仕事は、AさんでもBさんでもなく「あなただから任せたい」と思わせるような、個性や特技を持っていることが大切だ。輝いているがゆえに(何かが欠けていて)アンバランスな人もいるが、それでもいい。(満遍なく全てができる人ももちろんすばらしいが)何か光るモノを感じる子が、この業界には必要だと思う。

WWD:若い世代にメッセージを。

武内:主体的に情熱を注げることを見つけて、挑戦できる場所を探すことが重要だ。好きなことで成功すれば、人よりももっともっと深く考えることができる。僕自身も、困ったときに立ち返ることができる原点を持っていることに、今も助けられている。「服」という時代と共に呼吸をする仕事の中では、過去の成功に捉われずに、人々の琴線に触れるような、変化をいとわない成長が求められる。それを常に忘れないでほしい。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

TEXT:ANRI MURAKAMI

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【動画】ショーにパトカー乱入で警官が大暴れ 前代未聞の「メゾン ミハラヤスヒロ」2022-23年秋冬コレの裏側

PHOTO:ZENHARU TANAKAMARU

 「メゾン ミハラヤスヒロ(MAISON MIHARA YASUHIRO)」は2022-23年秋冬シーズンのメンズとウィメンズのコレクションをパリ・メンズのスケジュールに合わせて映像で発表した。映像は、1月17日に東京で開催したランウエイショーを収録したもので、舞台は三原康裕デザイナーと関係性が深い浅草だ。

 コレクションテーマは“SELF CULTURE”で三原デザイナー自身が体験してきた1990年代の要素を詰め込んだという。浅草のすし屋通りをランウエイに、登場したルック数は80体にもおよび、モデルには西内まりやや車いすバスケットボールの鳥海連志選手、三原デザイナーの旧友で、50歳でモデルを再スタートした津野貴生らが登場した。ショーの途中にはパトカーが乱入し、観客は息を呑んだが、パトカーから出てきたのは警察官に扮した三原デザイナー本人というドッキリの演出で、会場は大盛り上がり。そんな大々的なショーを実現できたのは、浅草すし屋通りにある老舗そば店「十和田」冨永照子おかみの協力だった。今回、ショー当日の朝からバックステージに潜入し、三原デザイナーや「十和田」おかみ、モデルの津野貴生に直撃。ショーができるまでの様子を捉えた。

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お客さまに愛され、チームを強くする 2022年はパーパスのあるブランドを目指そう

 生活習慣や社会環境、価値観の変化に伴い、「どんなブランドなら、お客さまに愛されるの!?」と考えている人は多いだろう。また生産背景や販売手法が複雑なファッション&ビューティ業界ではお客さまのみならず、従業員や卸先、出店施設やテナント、ベンダーなど、あらゆるステークホルダーにも愛され、強い組織を作ることも欠かせない。お客さまに愛され、ステークホルダーと強固なチームを結成し、結果、売り上げを伸ばしている企業・ブランドの共通点は、「パーパス」だ。石川俊祐KESIKIパートナーと佐々木康裕Takramディレクター兼ビジネスデザイナー、村上要「WWDJAPAN」編集長が鼎談し、なぜ今、パーパスデザインが求められているのかを語り合った。

村上要WWDJAPAN編集長(以下、村上):日々取材をしていると「パーパス」が不明瞭だったり、そもそも持っていないように見えたりの企業やブランドは少なくないと感じている。特にサステナブルやDXは、「どうやって?」が先行しがちで、そもそもの「なぜ?」、つまり「サステナブルやDXのパーパス」が完全に欠落している場合も多い。同じように、企業やブランドとしてのパーパスも欠落しているのでは?と危惧している。

石川俊祐KESIKIパートナー(以下、石川):ここ数年、企業の大小を問わず「パーパス」が重要視されている。そもそも「なんで働いているのか?」がよく分からなくなり、自らに問いかける人が増えてきた。多くの人が「企業で働くことが正しいのか?」を考え始めた。対価として収入は得ているが、それだけだと生きづらく、満足感が得られなくなってきた。そんな人たちにとって労働はただの作業となってしまうので違和感を覚え始めたのではないか。企業カルチャーに対しても自分に合うか合わないかを意識する人が増え、人間らしい生き方を選択する時代になっているのだろう。高度成長期は大きな上昇気運の中で生きていたが、現在は生き方が多様になり、みんなが頼れるよりどころがなくなっている。“ただなんとなく”が成り立たなくなっている。

佐々木康裕Takramディレクター兼ビジネスデザイナー(以下、佐々木):言葉でいうと「ミッション」や「ビジョン」「パーパス」が乱立しているが、自分なりの定義でいうと、「パーパス」はいわゆる内発的な「自分はこうやりたい」という思いと、社会や環境が時代や会社に求めていることが重なる部分。「パーパス」という価値観の台頭には3つの大きな外的要因がある。まずは気候変動。天然資源を収奪しながらのビジネスはもう続かない。2つ目は消費者の価値観の変化。SDGsを学んでいる若い世代は企業に社会的な役割を期待している。役割を果たさない企業にはバイコット(buycott.BuyとBoycottを組み合わせた造語)などで社会的NOを突きつけるようになった。そして最後は投資家。ESG投資が主流化するにつれて、すでに海外の投資家は、パーパスドリブンじゃない企業には投資をしない。こうした条件がそろってきた。

村上:内的要因、外的要因の双方が「パーパス」の価値を高めている。ただ冒頭の通り、日本の企業やブランドからは「パーパス」が見えない場合も多い。日本、ファッション&ビューティ業界は遅れている?

石川:大陸でつながっている国々は、独自性を保ちながらも隣国を意識して競争もしている。一方の日本は、島国だからなかなか変わらない。特に投資の世界はいまだに売り上げや利益といった数字がファースト・プライオリティだ。ファッション業界では、確かに海外の方がパーパス・ドリブンに徹したブランドが多く、特に新興のD2Cブランドにその傾向が顕著だ。一方、日本のファッションやビューティ業界には旧態依然とした企業が多く、乗り遅れてしまっているのではないか。ただスパイバーや島精機製作所を筆頭に、繊維など特定の分野は異様な進化を遂げている。

佐々木:ファッション業界には年に数回最新コレクションを発表する宿命があり、そこで自分たちの進化を表現しなければいけない。変化に対してある種の解釈をして、実験するサイクルが回りやすい業界だ。そういう意味で、社会性をくみ取りながら、独自のメッセージを組み込んで、商品の形で表現することについては、ほかの業界に比べてはるかに進んでいるどころか先頭を走っている気もする。日本に「パーパス」が明確なブランドが少ないのは、ブランドという“木の実”より、文化や歴史、消費者という“土壌”の問題。例えば欧米の市場は、モノを購入する人を“消費者”ではなく“市民”と捉えるといろんなことが解釈しやすい。一方、日本は常に「消費者の意識がこう変わった」と言う。

村上:「消費者」ではなく「市民」もしくは「生活者」と捉えると、彼らの生活まで変える社会性の変化に敏感になれそうな気がする。社会性が意識できれば、「自分たちは、どんな社会づくりに貢献したいのか?」という「パーパス」が芽生えそうだ。

石川:例えば海外では投資会社でさえ多様な人材が働いている。日本のファッションやビューティ業界に心理学者や文化人類学者、哲学者がいてもいい。

佐々木:大手素材メーカーはR&D(研究開発)に注力しているが、文系の人もいた方がいい。ソニーは先日、文化人類学を学んだ人を採用すると発表したが、アメリカでは30年くらい前からそういう人たちが企業で活躍している。そういう意味でも日本の素材メーカーは面白いし、思考的にも勝負できる。

村上:日本の素材メーカーはR&Dが強いから、ファッション業界においても希望の星。批判覚悟で話せば、今「ファッションとビューティ、面白いのはどっち?」と聞かれたら、答えはビューティで科学的なR&Dに情緒的な感覚も同居している。いずれのビューティ企業も「パーパス」は、「キレイで高揚感を提供したい」など“人由来”。そのゴールに向かって、R&Dに取り組んでいる。

石川:R&Dには「テクノロジー」と「パーパス」の双方が必要。その両方がないとテクノロジーのためのR&Dになりがちだ。アパレルブランド「クラウディ」を展開する銅冶勇人DOYA社長は、「そのアイデアは雇用を増やすか?」や「そのテクノロジーは人のスキルを尊重しているか?」と問いかけている。多分、人の活躍の機会を奪うAIには興味がない。アフリカでの会社や学校の設立に尽力しているせいか、新しいアイデアやイノベーションを「雇用を増やすのか?」「人のスキルを育てるのか?」という視点で捉えている。

佐々木:最近はNFT(鑑定書・所有証明書付きのデジタルデータ)が話題だが、ナイキも昨年末、仮想スニーカーやグッズをデザインする新興企業のRTFKTを買収した。そういう技術を理解している人がいなければ、買収できなかっただろう。自分たちが属している産業だけじゃなく、これからの社会が向かっていく先に必要な技術を理解している。ニューヨークには「われわれは食べ物ではなく、食を通じたライフスタイルを提供している」というアートディレクターが監修し、皿やトートバッグを販売したりコミュニティーを作ったりしているレストランがある。「自分たちは何屋なのか?」を再定義して生まれたズレを埋めるため、新たなビジネスと人材が生まれた好例だと思う。日本のファッション業界でそんな動きを見せている企業は少ない。

村上:企業のトップが強く言い続け、一方みんなで一緒に考えてボトムアップしていく双方が必要だ。

佐々木:「パーパス」の浸透は深淵なテーマだ。トップダウンとボトムアップのバランスは難しい。日本は、特定の人・部署だけで「パーパス」を策定しがちだが、理想は事業のど真ん中に「パーパス」があり、プロダクトからコミュニケーションまでいろいろな活動に体現されていること。

村上:サステナやDXの専門部隊も組織の真ん中で誕生していない。だからチームは異物に捉えられ、組織内でハレーションが起きている。ダイバーシティー推進委員が一番孤立している、という姿は何度も見てきた。

佐々木:ナイキのジョン・ドナホーCEOはテック業界出身。いわゆる非主流系から初めてCEOに就任した。トップがハードルや壁を取り除いてあげないといけない。それには評価の仕方まで変える必要がある。

石川:経済性と同じくらい社会性や文化性も大切。そして日本は、社会性と文化性を混在しがち。内発的動機に由来する文化性を忘れたまま、社会性に引っ張られた真面目な「パーパス」ばかりになりそうで心配だ。「社会的に良い会社を作りました」なんて企業は世の中にごまんとある。自分らしいアプローチを考えることが多様性であり、豊かさ。「パーパス」という言葉にも少し懸念がある。社会性とだけひもづけて語っている人が多い。確かに「パーパス」は意義を意味するし、社会的であるべきだし、外圧もあるから策定すべきもの。でもそれだけだと面白みに欠ける。「パーパス」は、意義であり、意志。「カルチャーを作りたい」という文化的な視点がないと、パーパスフルになれない。「パーパス」が適切か否かのチェック項目は、「“ならでは”か?」「ワクワクするか?」そして「今の社会に適しているか?」。最初の2つが欠落してしまうと、みんなを動かせない。

村上:パーパスが明確だと組織作りも変わるだろう。例えばマクアケの採用面接は、半分人生相談みたいだそう。「ルルレモン」の採用面接も面白い。スキルの話を一切せず、「あなたは何をやりたいの?」「それだったら、この部分が『ルルレモン』で実現できるかもしれないね」「こうやって双方寄り添っていけたらいいね」という感じ。

石川:企業と個人が対等ってことでもある。イギリスにあるサンドイッチチェーン「プレタ・マンジェ」も同様で、個人の性格や個性を重視して採用を進めている。自由と責任、そして自立の三位一体の仕組みが生み出すムードは、ユーザーにも伝わっている。

佐々木:従業員という立場に属する人が変わり始めている。今後はますます社長の意を受けて実行する人ではなく、意思を持った人として行動するようになる。自分のやりたいことを会社でどう実現するか。その考えが主流になると、今の大企業は苦しくなると思う。変化しきれないだろうなと。

石川:日本に「パタゴニア」や「ラッシュ」のようなアクティビスト的な企業、社会課題の解決に逆行することに対して「うちはやりません」と強く表明できるブランドが少ないのは、日本人の危機意識が低いことも一因。世界の市民は、もっと強い危機感を持っている。社会課題をクリアするためにも「パーパス」を一気通貫で届けることが必須だ。

佐々木:そういう意味でも企業やブランドはパーパスをどう浸透させていくのかがものすごく重要になる。


WHAT'S Takram

 世界を舞台に活躍するデザイン・イノベーション・ファーム。未来をつくる人、変化を生み出す組織のパートナーとして、プロダクトからサービス、ブランドから事業まで、デザインの力でイノベーションを生み出す。グローバルカンパニーからスタートアップまで多種多様な業種のクライアントを持つ。

WHAT'S KESIKI

 人や社会や地球に愛される会社をデザインし、「優しさ」が巡る経済の実現を目指すクリエイティブ・コミュニティー集団。デザインコンサルティングや企業との共同プロジェクト、企業のリブランディング、教育プログラム設計、メディア開発、投資事業などさまざまなプロジェクトを手掛ける。


【WWDJAPAN Educations】セミナー案内


詳しくはこちら
受付開始 お客さまに愛され、チームを強くする
パーパスのあるブランドづくりを実践する全7回講座
受講日時:2022年4月1日(金)、4月8日(金)、4月22日(金)、5月13日(金)、5月27日(金)、6月10日(金)、6月24日(金)
今なぜパーパスが必要なのか
「WWDJAPAN」は今春、今その必要性が叫ばれる「パーパス」の策定から、組織内での共有、製品やサービスへの具現化、消費者への発信までを考えるセミナー&ワークショップを開催し、未来のブランド・ディレクターを育成・応援します。サステナブルやDXについての取材を重ねる中で、「どうやってサステナ?」や「何を使ってDX?」には真剣に向き合っているのに、「なんでサステナ?」や「どうしてDX?」の視点は置き去りなケースを見てきました。そこから「この会社はなんのために?」や「なぜ、このブランドを?」という思考が必要な時だと感じました。
 セミナーを通して、経済性と社会性、何より内から湧き出るモチベーションなどの文化性を網羅した「パーパス」を見いだし、それを共有することで強い組織に、製品やコミュニケーションの形で発信することで顧客に愛されるブランドに進化することを願っています。(WWDJAPAN編集長 村上要)
受講で得られるスキル
先駆者たちが実践する新しい時代のブランド作りからヒントを獲得し、ワークショップではロードマップに沿って、受講者それぞれの確固たるブランドの価値をWWDJAPANと共に見つけます。

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TOKYO BASE取締役の地位を捨て起業、蚕業(さんぎょう)革命に挑む ネクストニューワールド高嶋耕太郎

 「ストゥディオス(STUDIOS)」「ユナイテッド トウキョウ(UNITED TOKYO)」などを運営するTOKYO BASEを、創業者であり社長だった谷正人氏とともに支えた高嶋耕太郎氏が昨年5月に退社し、新会社ネクストニューワールド(NEXT NEW WORLD)を立ち上げた。天然素材を通じたサステナブル社会の実現を掲げ、養蚕業をスタート。D2Cモデルで新製品を発表している。次世代のファッション小売企業として注目されてきたTOKYO BASEの取締役という地位を捨て、なぜ起業したのか。真意を直撃した。

WWDJAPAN(以下、WWD):なぜ起業を?

高嶋耕太郎(以下、高嶋):TOKYO BASEにジョインする前から、いつかは起業したいと思っていました。実はTOKYO BASEにいながら社内ベンチャーとして起業するというアイデアもあったのですが、それもなんか違うな、と。やるなら思い切って単独でやりたいという思いが強かった。ネクストニューワールドには本当に少しだけエンジェル投資も入っていますが、ほぼ自己資金。実は日本とシンガポールで法人を設立していて、資本金は日本が500万円、シンガポールが3000万円という構成です。

WWD:企業理念に“ネイチャーマテリアル”を通じたサステナブル社会の実現を掲げている。その真意は?

高嶋:養蚕の産地であり、シルク織物の産地としても知られている群馬県桐生市で養蚕に取り組んでいます。いま、明らかに既存の資本主義は曲がり角を迎えていますよね。我が身を振り返ってみても発注側はとにかく原価や仕入れを抑え、一方で工場側も低賃金などで苦しむ、そういった悪循環が続いている。加えてアパレル産業は大量生産、大量廃棄のような問題も抱えている。環境に優しい天然原料を、いわばD2Cモデルのような形で無理や無駄を省き普及させられれば、地球にも消費者にも優しい形でビジネスを行える。社名の「ネクストニューワールド」にも、そうした意味を込めました。

WWD:まずは“養蚕”に目をつけた。その理由は?

高嶋:サステナブルを掲げていますが、そもそも起業家目線で見ても蚕って普通にめちゃくちゃ可能性がある。シルク糸の需要は着実に伸びているのに、世界的にもシルク糸の供給量や供給力は年々落ちていて、明らかな需給ギャップがある。加えて蚕自体、単に糸にするだけでなく、化粧品にも使えるし、最近では高タンパク質の食料としても注目を集めるなど、用途も実に幅広い。養蚕自体も、長い歴史を積み重ねていて、文化的にも産業的にも、積み重ねてきたものも大きい。起業後、いろいろな場所や人にあって、蚕の話を聞いたり、見たりしていますが、知れば知るほど、原料としてのポテンシャルの大きさに驚いています。

WWD:にもかかわらず、養蚕業自体は風前の灯火のような状態だが。

高嶋:だからこそ大きな商機がある。起業後、養蚕農家やシルク関連の企業などに話を聞いていますが、一番のハードルは、商品化に至るまでの長い道のり。逆に小売り発のD2Cモデルを構築できれば、やれることはたくさんあると実感している。僕自身はずっと小売りをやっていたので、最終的な製品を企画したり、作ったり、売ったり、そういったことはそう難しくはない。

WWD:具体的には?

高嶋:そもそもシルクってイメージがすごくいい。ラグジュアリーなアイテムを作りやすいので、付加価値を取りやすい。第一弾として昨年12月にクラウドファンディングの「マクアケ」で「ウィズオアウィズアウト(WITH OR WITHOUT)」のブランドで商品化したシルク石鹸は、開始からわずか1時間で目標金額の100万円を達成し、最終的には500万円を売り上げました。石鹸は原料の良さを伝えやすくて、ターゲットも大人から子どもまで、男女を問わず訴求できるという狙いがピッタリとハマった。2月2〜14日には伊勢丹新宿でポップアップストア、2月上旬からは「ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ」の3店舗での取り扱いも決まっています。

WWD:うまく行った理由は?

高嶋:1個3000円と石鹸にしては高いけど、シルクという原料の持つパワーが大きい。養蚕という原料まで遡ったからこそ、こうした商品のアイデアも生まれた。これが仮に、「シルク糸」にとどまっていたら、やはりこういったアイデアは生まれなかったと思う。水面下ではフードの商品化も進めていて、こちらもかなりの手応えがある。昆虫食というカテゴリー自体、高タンパク質原料という面で注目されていて、コオロギなども注目されているけど、ここでも蚕のポテンシャルは大きい。そもそも養殖する上で蚕を超える生産性を上げられる昆虫はない上、コオロギなどのわかりやすい昆虫よりも、蚕のほうがブランディングもしやすい。ある食料用の蚕の加工工場に行ったときに驚いたのは、その訪問者リスト。田舎の山奥の工場に、トヨタを筆頭に一流企業が毎日のように訪れている。

WWD:アパレルは?

高嶋:コスメ、フードもやってみて思ったけど、アパレルが一番難しい。一般的にシルク糸で使う長繊維ではなくて、実は繭や綿(ワタ)から糸を作る短繊維用の紡績工場は日本にないと言われていたが、なんとか探し出して糸にして、パーカーやTシャツを作った。ただ、D2Cモデルで作ったとしても普通にパーカーで5万〜6万円、Tシャツでも2万円近くになる。さすがにこの価格帯のアイテムを売るのは難易度が高い。もう少しビジネスプランを練らないとなあ、と。

WWD:毎日楽しそうですね。

高嶋:シンガポールに法人を作っていることもあり、商品化は常に日本発アジア、あるいはグローバルというコンセプトがあるけど、驚きと発見の毎日で、どんどんアイデアが湧き出してくる。楽しいですよ。

WWD:とはいえ、優良企業の取締役という地位を捨て起業した。実際にどうか?

高嶋:いやー、それはめちゃくちゃ大変です。ありとあらゆることを、全部自分でやらなきゃいけない。前は指示を出せば、部下がやってくれたり、形にしてくれた。あと一番堪えるのは、支払いです。自分ではかなりハートは強い方だと思っていたけど、家賃や経費の引き落としの日は本当に落ち込みます。5歳と3歳の子どもを抱えて、俺何やってんだろう、大丈夫なのかと不安になります。雇われていたときには感じなかった、毎日ヒリヒリする緊張感がありますね。

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「誰もがクリエイターになっていい状態を作りたい」 「バーチャルマーケット」主催社トップが語る野心

 バーチャルリアリティー(VR)空間上でさまざまな展示や体験、3Dアイテムやリアル商品の売買ができるイベント「バーチャルマーケット2021」が2021年12月4〜19日に開催された。個人が3Dアイテムを売買する場として18年にスタートした「バーチャルマーケット(以下、Vケット)」は、3DクリエイターやVRを楽しむ世界中の人々が集まる祭典となっており、今回も100万人以上が来場したという。「Vケット」を主催するHIKKYの舟越靖代表取締役に成果と展望を聞いた。

WWD:毎回現実ではありえない世界を舞台を3Dで表現してきたが、今回の企業出展ワールドは秋葉原と渋谷というリアルな街を再現した。なぜ現実にある“街”だったのか。

舟越:クリエーターが作り出すものを皆さんに見に来てほしいというのが大前提で、毎回ワールドを用意してきましたが、常設化や商業性を求める出展企業が増えてきました。そこに対応するモデルケースが、“街”です。でも、リアルの再現では面白くない。街は人が血液のように循環して、まるで生きているかのように変わっていきます。その変化が面白いと、人は「また行こう」という気になるでしょう。その変化を“見える化”できたら非常にいいなと思って、今回は来場者数に比例して、ビルが高くなるようにしました。

WWD:それは、気付かなかった。

舟越:裏テーマというか、テストだったので(笑)。「なんか大きくなってない?」と気付いたコアな人たちの間では、すごく盛り上がっていました。巨大なエヴァンゲリオンは前回も秋葉原駅前にいましたが、今回はそれが動くようにしました。それからリアルの天気と連動させました。渋谷が雨なら、バーチャルの渋谷も雨。でも、時々雪を降らせて盛り上げたり。現実とバーチャルの境目をなくして、参加する人たちの手によって変化するような世界を作ることを試みたのが、今回の一番の挑戦でした。

WWD:秋葉原と渋谷を常設化していく?

舟越:そうです。“街”を作っていきます。ただし、今回体現したように、リアルな街では味わえないような新しいものが組み合わさった世界、それを僕らは「パラリアル」と呼んでいますが、その「パラリアル」の世界観を広げていきます。そこに人が来て、お金がもうかり始めたら、名実共にそこが“本物”になる。渋谷がどう進化していくのかは、僕らが面白いと思った方向、もしくは、皆さんが求めるような方向に進化していきます。来る人が心から楽しめたり、現地の人たちがちゃんと恩恵を受けたりできるものにしていきたいです。

WWD:現実と違うところにバーチャルの面白みがあると思う。

舟越:その通りです。でも、何が面白いかという定義って、別に誰も決められないじゃないですか。逆に言うと、僕らが「これが面白い!」と思うものをやるしかない。バーチャルと現実をちゃんと交ぜた、僕らなりの最高の楽しさを「パラリアル」で実現していきます。

WWD:SMBC日興証券の“株価連動ジェットコースター”はすごくユニークで面白かった。

舟越:面白さでは圧倒的でしたね。株価を体感するって、現実ではないですよね。こういう今までなかったものが、バーチャルの世界では生まれています。発明ですし、これが実はまだ価値が一番高いです。こうした広告クリエイティブ事業は、企画と実現力があれば他社でもできる部分なので、市場が拡大している分野だと思います。

WWD:他に「Vケット2021」の成果は?

舟越:出展社は宣伝よりも商売を基軸に活動する企業がすごく増えました。僕らにも知見がたまってきているので、バーチャル空間上でのeコマース的なものが確立し始めているという実感を皆さんが持ち始めていると思います。それから、「Vケット」の盛り上がりによって、出展していないクリエイターたちのショップであっても期間中にキャンペーン的なことを行うと売り上げが上がるというようなことが起き始めました。こういう余波が生まれているのはうれしいです。

WWD:「Vケット」の課題は?

舟越:まだ一般化できていないことです。一般の人がまだまだアクセスしづらいというのも課題ですが、もっといろんな人が楽しめるものにならなくてはいけないと考えています。「Vケット」は、クリエイターと企業と、そして何よりも来場してくれる人がいないと成り立ちません。街が変わっていくというコンセプトを成立させるには、誰もが「Vケット」を使えるようにして、僕らの“楽しい”を一緒に作れるようにしていかなければと考えています。地方の商店街や小さい個人商店もそうだし、障がいのある人や会社で働くことが難しい人たちなど、みんながの恩恵を得られるようにしたいし、そのために“街”を作っています。とにかく“簡単さ”が大事だと思っています。

WWD:ファッションとビューティについては?

舟越:主に「Vケット クラウド」(スマートフォンおよびPCブラウザ上で動くVRコンテンツ開発エンジン)の方で、簡単にアバターにメイクや着替えができる機能を今年中に実装します。スマホで楽しめるので、一般のユーザーが楽しめるものになります。

ドコモから調達した65億円の使い道

WWD:それはすごく楽しみだ。11月にNTTドコモを引受先とした第三者割当増資により、65億円を調達を発表したが、多額の資金は何に使う?

舟越:僕ら、なぜこれまで資金調達してこなかったかというと、黒字でやってこれていたからというのと、戦略的にユニコーンレベルの資金調達をしないと世界で戦えないと考えていたからです。使途は主に3つです。まずは国際化。各国への支店や、そこでのコミュニティーを作るために使います。すでに上海に支店がありますが、ユーザーの多いアメリカにも構えたいです。あとは韓国やインド。そういうところにどうチームを作れるかは、正直、人の出会いによって変わるじゃないですか。現地で社長任せられるレベルの人がいかに見つかるかなので、それによって優先度は変わります。もう一つは、サービスのコンテンツを作るための内部のリソースの確保です。つまり、「Vケット クラウド」を含めたサービス開発の強化ですね。そして、多く寄せられる要望に応えられる体制作りも急務です。「一緒にやりたい」といってくださる企業が多いのですが、僕らが受け付けられる量をはるかに超えています。問い合わせの相談窓口を社内だけでなく、社外でも開拓したいです。

WWD:「メタバース」がにわかに話題になってきているが?

舟越:僕らが先行してやって、そこから市場が生まれていきましたが、それがさらに加速する状況になっています。メディアからの取材は前回に比べて3倍になりましたし、資金調達もあって、世界中のブロックチェーンやNFT関連の事業者の大手から連絡が来るなど、全く違うアプローチが来るようになりました。また次の展望につながる第一歩の話につながりそうですし、ものすごく可能性が広がっています。

WWD:企業として最終的な目標は?

舟越:僕らは「クリエイティブ・ファースト」でありたいです。例えば、うつ病になってしまって働けなくなったサラリーマンが、バーチャル空間で全く素人から始めて、今うちの役員になっていますし、半年前まで工場で働いていたシングルマザーがトップクリエイターとして活躍しています。皆んな“作りたい”という欲求はあると思うんです。でも、40代だからとか、周りが認めてくれないからとかで、諦めてしまっている。本当は誰しもがかなえられる可能性は十分にあるんです。「Vケット」に来て、個人クリエイターが作るものを見て、刺激を受けて、クリエイターになる人がとても多いんです。同じようにバーチャル空間で働くとか、バーチャル空間でだったらクリエイターになれる、なっていいっていう状態、例えば、家族5人を養うために日夜働いてるお父さんが、明日からクリエイターになっていい時代を作りたいんです。これが目指すべき目標です。

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マークスタイラー秋山社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.3

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第3回は、「マーキュリーデュオ(MERCURYDUO)」「ラグナムーン(LAGUNAMOON)」など若い女性に支持されるアパレルブランドを多数有する、マークスタイラーの秋山正則社長。

WWD:自身の若い頃について教えてほしい。

秋山正則マークスタイラー社長(以下、秋山):ファッション好きの、どこにでもいる学生だった。時代はDCブーム(1980年代)ど真ん中。週末はディスコ通いで、女の子にモテるために渋谷パルコで「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」の服を買ったり、「傷だらけの天使」のショーケン(俳優の故・萩原健一)に憧れて、代官山の「メンズビギ(MEN’S BIGI)に通ったりもした。大学を出て特にやりたいこともなかったけれど、ファッションはずっと好きだった。それで偶然新聞広告で見つけたアパレルメーカーの求人に応募し、4、5回の面接の末に採用された。それが松田(光弘)先生のニコルだった。

WWD:ニコルではまずどんな仕事をしたのか。

秋山:配属は「ニコル(NICOLE)」や「ニコルクラブ(NICOLE CLUB)」といった花形ブランドではなく、社内で唯一の赤字ブランドだった。華やかなファッション業界に憧れて入社したが、待っていたのは地味な作業の連続。周りの人気ブランドに配属された同期は、事業も順調で、すぐに部下や後輩がついた。だが僕のブランドには人員補充もなく、いつまでたっても下働きのまま。仕事は全然楽にならなかった。今となっては、これも「ラッキー」だったと思えるけれど。

WWD:それはなぜか。

秋山:アパレルメーカーの仕事の「イロハ」を学べたからだ。僕は、自分のいたブランドを社内で売り上げナンバーワンにしてやろうと本気で思い、やれることは全部やった。当時はMDという概念もなく、デザイナーの作りたいものがそのまま商品化される時代。でも僕はシルク100%の商品サンプルをデザイナーに持っていって、「もっと安い素材で作った方が売れる」と提案して、石を投げつけられそうにもなった(笑)。パタンナーは、デザイナーが考えた服を形にするのは大変だとぶつぶつ文句を言いながら、合間にパターンの引き方を教えてくれた。生産担当者のおかげで、素材や縫製にも詳しくなった。営業も手薄だったから、ハイエースに在庫を積み、僕も都内の店舗に納品に回った。すると、販売員からお客さまの生の声をたくさん聞くことができた。

 次第に、アパレルメーカーの仕事内容だけでなく、ポジションによって違う仕事への向き合い方や考えの違いを、少しずつ理解できるようになっていった。僕はそれらを翻訳し伝達するハブ的な役割を担うようになった。すると事業部は、いつしか僕を中心にうまく回るようになった。現場の店長とデザイナー、それぞれの言い分を聞いて商品企画に落とし込む。すると何十枚の売れ行きだったものが、何千枚と売れるようになった。店舗に納品する際、店長が「秋山が持ってきたのなら、売ってやる」と言ってくれるようになった。ブランドの業績は徐々に伸びていった。

 それぞれの立場や考えを理解して、人と人を“つなぐ”ことができる人間は、当時に限らずいつの時代も必要とされる存在だ。そして、仕事に対して真正面から打ち込んでいると、周りの人は信頼してくれるようにもなる。それが僕がニコルで得た最大の学びだ。

目の前の仕事に誠実に取り組めば
信頼とチャンスが得られる

WWD:その後は渋谷109ブーム(1990年代)の火付け役だった「ココルル(COCOLULU)」の運営やフェイクデリック(現バロックジャパンリミテッド)の「マウジー(MOUSSY)」「スライ(SLY)」の立ち上げにも携わった。

秋山:僕が(運営会社の)エクシブから「ココルル」に誘われたのは、ニコルをやめて少し経って、セレクトショップのオリジナル商品を作るOEM会社で仕事をしていたころ。せいぜい数千円の商品で、月に数億円という売り上げを叩き出す店というから、初めはとても信じられなかった。だが(渋谷109の)こぢんまりとした店内に若い女性がすし詰めになり、商品を引っつかんでいく様子を見て、時代の変化を知った。「ココルル」のカリスマ店員だった植田みずき(現バロックジャパンリミテッドクリエイティブ・ディレクター)が「ザ・シェルター トーキョー(THE SHEL’TTER TOKYO)」1号店を原宿に出す際には、一緒に店舗の壁面をコンクリートで塗ったことを思い出す。その後はマークスタイラーで荻原桃子と「ムルーア(MURUA)」を立ち上げ、会社もここまで大きくなった。ニコルをやめた直後はハワイに古着店を作り、のんびりとビジネスをやっていくつもりだったが、こんなことになってしまった(笑)。

WWD:常に流行のキーマンと深く関わることができたのは、なぜなのか。

秋山:意識してやってきたわけではない。僕がこれまでやってきた仕事に信頼を置いてくれた人たちが、自然とその場所に「運んで」くれた。仕事はたとえつまらないことでも、創意工夫してやり遂げてきた自負があるし、こういうことは必ず誰かが見てくれているものだ。世の中の仕事は「できる/できない」「やりたい/やりたくない」の四象限から成り立っている。自分が心から好きで、しかも得意な仕事に巡り合えたのなら、それは幸運なこと。だが世の中はそんな人ばかりじゃないし、天職に近づくには、目の前に与えられた仕事を誠実にこなしていくことが近道。当の僕も、この仕事がまだ天職かどうかは確信がない。

WWD:ネクストリーダー世代へのメッセージを。

秋山:向上心を持って頑張るあなたたちの足を引っ張る人もいるだろう。僕もニコルで社内ナンバーワンブランドを目指していたころ、「できるわけないよ」「もし昇進したら責任ばかり増えて大変だよ」ということをささやいてくる同僚がいた。そういった声を振り切るにはそれなりの犠牲がいる。僕は20代後半から30代前半にかけて係長、課長と昇進したが、そのころには飲みに誘ってくれる同期も先輩もいなくなった(笑)。ただそれ以上に得るものがあった。自分のいるステージが上がると、一緒に仕事をすることさえ恥ずかしいような、すごい人と出くわす。そういう人に食らいつき、同じレベルまで自分を成長させる。するとまた「敵わないな」という人が現れる。この繰り返しで僕は強くなった。多少の生きづらさやプレッシャーは、成長できる環境にいるなら仕方がない。そこから逃げて「平凡」で終わらず、突き抜けてほしい。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

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気学風水で占う 2022年は攻めのファッションにトラ(虎)イせよ

 今年はイヤー・オブ・ザ・タイガー。パワフルな1年になる予感!気学風水鑑定家の生田目先生に2022年を占ってもらった。後半では運気アップを期待できる寅年アイテムをご紹介。

WWD:ずばり、寅年の今年はどんな1年になる?

生田目浩美.(以下、生田目):「虎は千里往って千里還る」ということわざがあります。虎は1日のうちに千里の距離を往復できるという意味で、行動的で勢いがある年になることを示しています。虎がなぜ千里の距離を戻ってくるかというと、巣穴で子どもが待っているから。身内に対する愛情や優しさも持ち合わせているのです。つまり、「行動」と「愛情」が大事になる年。かつ干支でいう寅は若木を表していて何かの始まりの兆しで、良いスタートダッシュが切れる1年です。勢いよく行動し、利他愛を持ちながら過ごすと良いでしょう。また、今年は36年に1度回ってくる「五黄の寅」の年です。帝王の星、五黄土星と百獣の王のような虎が合体しているので非常にエネルギッシュなため、天変地異などの可能性も出やすい流れがあります。備えあれば憂いなし。安心を得るために、備えをしっかりしておくと良いでしょう。

WWD:開運を呼ぶファッションのポイントは?

生田目:「虎のように堂々と」がキーワードに。アクティブに動ける格好や攻めのファッションの運気が良いです。また、干支でいう寅は夜から朝へと変わる時間帯を示しています。2面性を持つリバーシブルや異素材を掛け合わせたアイテムもおすすめです。若木の「新しい芽が出る年」でもありますから、今までにしたことのないファッションに挑戦するのも良いですね。

WWD:やはり、タイガー柄は必須?

生田目:ありですね。そもそも、周りからの意識が集まるものは運気が高いんです。寅年の今年は、みんなが虎を意識しているので、タイガー柄には注目が集まります。タイガー柄でなくとも、虎にまつわるものを身に着けることで自然と集まる周りからの運気を自分のものにできるでしょう。

WWD:ラッキーカラーは?

生田目:ゴールドと赤。赤は火を表しているので、ワンポイントで使えば、全体に燃え広がります。全身赤コーデのようなやり過ぎは禁物です。ゴールドは天のエネルギーを引き寄せます。アクセサリーやメイクなどで取り入れると、幸運が舞い込みやすいでしょう。

WWD:そのほか開運のためにできるアクションは?

生田目:金運であれば丸くて、白くて、ツヤツヤしたものを持ったり、食べたりすると良いです。お団子とかゆで卵とか。数字で言えば、「3」「5」「8」。「3・5・8」とプリントされたTシャツなんかがあったら良いですね。あんまりないでしょうけど(笑)。仕事運であれば、ネギとサトイモを食べると良い。文房具などよく使うアイテムに名前を入れるとそれがパワーアイテムになりますよ。

WWD:逆に気を付けるべきことは?

生田目:2000年を超えたあたりから、思ったことやイメージしたことが実現するスピードが速くなっています。ハッピーなことであれば良いですが、逆に悪いことを想像してしまうとそれが現実になってしまう。常に良いこと、楽しいことを想像するように心掛けてください。


運気アップを期待しタイガ〜 注目寅年アイテム

バレンシアガ

 「バレンシアガ(BALENCIAGA)」からは「バレンシアガ イヤー オブ ザ タイガー」シリーズが登場。メンズとウィメンズ、キッズのプレタポルテ、バッグ、シューズ、アクセサリー、ジュエリーを用意。


ケイタ マルヤマ

 銀座三越で開催したポップアップイベント「丸山敬太の縁起物市」で販売したエコバッグ(税込5500円)は「虎」と「トラディショナル」を掛けて、過去のアーカイブ刺しゅうからモチーフを選んだ。イベント終了後も公式ECサイトで販売中


オニツカタイガー

 「オニツカタイガー(ONITSUKA TIGER)」にとって虎はブランドを象徴する特別な存在。虎モチーフのさまざまなアイテムを1年を通して発表予定。


アナ スイ

 「アナ スイ(ANNA SUI)」のアクセサリーは、メタルのベースが大人っぽく、挿し色で入った星や稲妻がポイント。きらりと輝く流れ星に乗る虎は、きっとハッピーを運んでくれる。


フリークス ストア

 フリークス ストア(FREAK’S STORE)は寅年に合わせた別注アイテムが豊作。公式サイトでは、生田目先生が監修した「2022年開運寅診断」が受けられる。質問に答えると、タイプ別の性格と開運アクション&アイテムを紹介してくれる


ラッシュ

 「ラッシュ(LUSH)」のバスボム「ラッキータイガー」。ゴールドのラメがバスタブに広がり、ぜいたくなお風呂タイムを演出する。パチョリ、スイートオレンジ、シベリアモミをブレンドしたエッセンシャルオイルの豊かな香りが特徴。


スターバックス

 「スターバックス(STARBUCKS)」は、「とにかくかわいい日本の冬」をテーマに、だるまや富士山、三毛猫などをかわいらしく表現した雑貨を販売。


ヴァンズ

 「ヴァンズ(VANS)」の「“タイガーパターン”パック」シリーズからは、タイガー柄の人気スニーカー3型が登場。デジタルプリントでファーやハラコのような素材感を表現した。


ジル サンダー

 「ジル サンダー(JIL SANDER)」は、今年の干支である寅に焦点を当てた“タイガーコレクション”を発売。挑戦する勇気と自信の象徴であるトラモチーフを取り入れ、水彩画でメゾンらしい穏やかな表情に仕上げた。


ミュウミュウ

 「ミュウミュウ(MIU MIU)」の新年を祝した「タイガー Tシャツコレクション」。アニメ作品に登場するトラのキャラクターや懐かしのヒーローに着目し、ディズニーアニメ「くまのプーさん」のティガーやティリータイガー、漫画家の辻なおきによる「タイガーマスク」、タイガーキー社の「タイガーガール」をデザインに取り入れた。


トッズ

 イタリアのレザーブランド「トッズ(TOD'S)」の新年を祝したリミテッドエディションは、寅の美しいシマ模様と旧正月のラッキーカラーである赤とゴールドからインスピレーションを得たデザイン。


ハンター

 英国ブランド「ハンター(HUNTER)」の寅年を祝うアジア限定コレクション。同ブランドを代表するラバーブーツ(税込2万350円)とバックパック(2万5300円)は子ども用も用意する。

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気学風水で占う 2022年は攻めのファッションにトラ(虎)イせよ

 今年はイヤー・オブ・ザ・タイガー。パワフルな1年になる予感!気学風水鑑定家の生田目先生に2022年を占ってもらった。後半では運気アップを期待できる寅年アイテムをご紹介。

WWD:ずばり、寅年の今年はどんな1年になる?

生田目浩美.(以下、生田目):「虎は千里往って千里還る」ということわざがあります。虎は1日のうちに千里の距離を往復できるという意味で、行動的で勢いがある年になることを示しています。虎がなぜ千里の距離を戻ってくるかというと、巣穴で子どもが待っているから。身内に対する愛情や優しさも持ち合わせているのです。つまり、「行動」と「愛情」が大事になる年。かつ干支でいう寅は若木を表していて何かの始まりの兆しで、良いスタートダッシュが切れる1年です。勢いよく行動し、利他愛を持ちながら過ごすと良いでしょう。また、今年は36年に1度回ってくる「五黄の寅」の年です。帝王の星、五黄土星と百獣の王のような虎が合体しているので非常にエネルギッシュなため、天変地異などの可能性も出やすい流れがあります。備えあれば憂いなし。安心を得るために、備えをしっかりしておくと良いでしょう。

WWD:開運を呼ぶファッションのポイントは?

生田目:「虎のように堂々と」がキーワードに。アクティブに動ける格好や攻めのファッションの運気が良いです。また、干支でいう寅は夜から朝へと変わる時間帯を示しています。2面性を持つリバーシブルや異素材を掛け合わせたアイテムもおすすめです。若木の「新しい芽が出る年」でもありますから、今までにしたことのないファッションに挑戦するのも良いですね。

WWD:やはり、タイガー柄は必須?

生田目:ありですね。そもそも、周りからの意識が集まるものは運気が高いんです。寅年の今年は、みんなが虎を意識しているので、タイガー柄には注目が集まります。タイガー柄でなくとも、虎にまつわるものを身に着けることで自然と集まる周りからの運気を自分のものにできるでしょう。

WWD:ラッキーカラーは?

生田目:ゴールドと赤。赤は火を表しているので、ワンポイントで使えば、全体に燃え広がります。全身赤コーデのようなやり過ぎは禁物です。ゴールドは天のエネルギーを引き寄せます。アクセサリーやメイクなどで取り入れると、幸運が舞い込みやすいでしょう。

WWD:そのほか開運のためにできるアクションは?

生田目:金運であれば丸くて、白くて、ツヤツヤしたものを持ったり、食べたりすると良いです。お団子とかゆで卵とか。数字で言えば、「3」「5」「8」。「3・5・8」とプリントされたTシャツなんかがあったら良いですね。あんまりないでしょうけど(笑)。仕事運であれば、ネギとサトイモを食べると良い。文房具などよく使うアイテムに名前を入れるとそれがパワーアイテムになりますよ。

WWD:逆に気を付けるべきことは?

生田目:2000年を超えたあたりから、思ったことやイメージしたことが実現するスピードが速くなっています。ハッピーなことであれば良いですが、逆に悪いことを想像してしまうとそれが現実になってしまう。常に良いこと、楽しいことを想像するように心掛けてください。


運気アップを期待しタイガ〜 注目寅年アイテム

バレンシアガ

 「バレンシアガ(BALENCIAGA)」からは「バレンシアガ イヤー オブ ザ タイガー」シリーズが登場。メンズとウィメンズ、キッズのプレタポルテ、バッグ、シューズ、アクセサリー、ジュエリーを用意。


ケイタ マルヤマ

 銀座三越で開催したポップアップイベント「丸山敬太の縁起物市」で販売したエコバッグ(税込5500円)は「虎」と「トラディショナル」を掛けて、過去のアーカイブ刺しゅうからモチーフを選んだ。イベント終了後も公式ECサイトで販売中


オニツカタイガー

 「オニツカタイガー(ONITSUKA TIGER)」にとって虎はブランドを象徴する特別な存在。虎モチーフのさまざまなアイテムを1年を通して発表予定。


アナ スイ

 「アナ スイ(ANNA SUI)」のアクセサリーは、メタルのベースが大人っぽく、挿し色で入った星や稲妻がポイント。きらりと輝く流れ星に乗る虎は、きっとハッピーを運んでくれる。


フリークス ストア

 フリークス ストア(FREAK’S STORE)は寅年に合わせた別注アイテムが豊作。公式サイトでは、生田目先生が監修した「2022年開運寅診断」が受けられる。質問に答えると、タイプ別の性格と開運アクション&アイテムを紹介してくれる


ラッシュ

 「ラッシュ(LUSH)」のバスボム「ラッキータイガー」。ゴールドのラメがバスタブに広がり、ぜいたくなお風呂タイムを演出する。パチョリ、スイートオレンジ、シベリアモミをブレンドしたエッセンシャルオイルの豊かな香りが特徴。


スターバックス

 「スターバックス(STARBUCKS)」は、「とにかくかわいい日本の冬」をテーマに、だるまや富士山、三毛猫などをかわいらしく表現した雑貨を販売。


ヴァンズ

 「ヴァンズ(VANS)」の「“タイガーパターン”パック」シリーズからは、タイガー柄の人気スニーカー3型が登場。デジタルプリントでファーやハラコのような素材感を表現した。


ジル サンダー

 「ジル サンダー(JIL SANDER)」は、今年の干支である寅に焦点を当てた“タイガーコレクション”を発売。挑戦する勇気と自信の象徴であるトラモチーフを取り入れ、水彩画でメゾンらしい穏やかな表情に仕上げた。


ミュウミュウ

 「ミュウミュウ(MIU MIU)」の新年を祝した「タイガー Tシャツコレクション」。アニメ作品に登場するトラのキャラクターや懐かしのヒーローに着目し、ディズニーアニメ「くまのプーさん」のティガーやティリータイガー、漫画家の辻なおきによる「タイガーマスク」、タイガーキー社の「タイガーガール」をデザインに取り入れた。


トッズ

 イタリアのレザーブランド「トッズ(TOD'S)」の新年を祝したリミテッドエディションは、寅の美しいシマ模様と旧正月のラッキーカラーである赤とゴールドからインスピレーションを得たデザイン。


ハンター

 英国ブランド「ハンター(HUNTER)」の寅年を祝うアジア限定コレクション。同ブランドを代表するラバーブーツ(税込2万350円)とバックパック(2万5300円)は子ども用も用意する。

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義足製作からシューズ販売員へ 医療知識を駆使、足から延ばす健康寿命 京王百貨店小川直子

 かつては人生60年時代と言われていたが、今では人生100年時代に突入している。街を見ていると元気なシニア層が増えた。だが、高齢になると足腰の強さが寿命にも直結してくるらしい。高齢者に限らず、少々歩きにくいがデザインに一目ぼれして買った靴なのに、結局まったく履かない……とか、出かける時は痛くなかったのに一日歩き周り、帰る頃には足が痛くて憂鬱になる……なんていうこともあるのではないだろうか。京王百貨店新宿店婦人靴売場の小川直子さんは、約16年に渡り、義足の設計・開発・製作に関わってきたユニークな経歴を持つ。小川さんは、デザインと機能の両面を考えて選ぶ必要がある“靴の販売”に未来を感じたという。

―建築設計から義足製作、さらに靴の販売へ至った経緯は?

小川直子さん(以下、小川):最初の設備設計の仕事は立て続けに2社も傾き、それなら義手や義足製作で設計の知識が役に立つだろうと医療業界に行きました。入社した義肢装具制作会社は独創性に富み、患者に寄り添い、パーツが合わなければ何度でも修正して良いものを作ろうとする会社でした。ですが、この会社も利益面の問題で経営者が変わることになり、大変悩みましたが医療業界から離れてみることにしました。

―医療業界の方が、収入や業界的にも安定しているようにも思うのですが……。

小川:介護業界も考えましたが、今まで培ってきた知識を生かせることを仕事にしたかったんです。販売職は未知の仕事でしたが、改めて自分に何ができるかと考えたときに「靴も医療の延長上にある」と思ったんです。義足を作っていた時から患者さんに「どんな靴を履いたらいい?」という相談をされたこともあり、担当ではなかったですが整形靴も会社で作っていたので、そこで得た知識を生かせるとも思いました。また、前職の企業は長い間、「患者さんの人生をより良くしていこう」という強い思いがあったので、同業他社へ転職したところで、仕事のギャップに自分自身がストレスをためてしまうと思ったのです。

―「誰かの助けになりたい」という思いが強いのですね。販売職も共通することが多いと思うのですが、実際に働いてみてどうでしたか?

小川:勤めたばかりの頃は、帰宅したら疲れてすぐ寝ていました(笑)。想像以上に接客というのがエネルギーをとても使う仕事だと分かりました。でも仕事は本当に楽しくて、同僚からは「そんなにいつも笑顔じゃなくてもいいんだよ」と指摘されるくらい、自然と笑みがこぼれていました。売り場の先輩は「疲労?なんのこと?」みたいな雰囲気でにこやかな顔をして店頭に立っていて、販売員は本当にすごいなぁと思っていましたね(笑)。前職では一人の患者さんと何度もお会いすることになるので、初対面の方と会うような“エネルギー”を使うことが少ないんです。店頭は常に初めましてが多く、その都度エネルギーを使うのを実感していました。

―よく取材で「お客様から元気もらうこともあれば、元気を与えることもある」と聞きます。この仕事はお客さまとエネルギーを交換し合う仕事なんですよね。

小川:販売員さんからの接客なしでネットで買い物ができるようになった現代でわざわざ店頭に来るのは、そこで発生するコミュニケーションも楽しみたいという方も結構な割合でいらっしゃいます。だからこそ、販売員が単なる買い物以外の付加価値を与えられないなら、それは販売員として致命的です。なので、この仕事を始めた当初は、ファッションの知識がほとんどなかった分だけ、医療や健康面から考えた靴の選び方の知識を付加価値として生かそうと考えました。ただ、ファッションの選び方と違い、医療の場合は「適合」という考え方で靴を選ぶため、始めた頃は大変でした。

―『適合』ですか?

小川:医療の観点から言えば、緩い靴を履いていたら歩きにくいですし、転倒の恐れもあるので、できれば足のサイズや形にピッタリ合ったモノ、要は「適合」した靴を履くべきという考え方なんです。でも、一般的な靴のフィッティングだとデザインの好みと並んで、きつめが好き、ゆるめが好きといった具合にお客さま一人ひとりの履き心地の好みを加味しますよね。だから、それを一律で「適合していません」と切り捨てるわけにはいきません。店頭ではお客様のご要望やお好みのフィット感をうかがった上で、落としどころとしてその時のベストなサイズ提案を心がけています。最初の頃はそのお客さまの気持ちやニーズが分からず、とにかく余計なことは言わないようにしよう、気持ちよくお買い上げしてもらおうとだけしていました。

―人によっては足を大きく見せたいから大きい靴を選ぶ方もいますし、健康のことや歩行のことを考えると適合するサイズを履いていただいたほうが良いですよね。もどかしい。

小川:例えば義足の場合、今残っている筋や腱を痛めず、健康寿命を延ばして生活していくためここを重心線にしようと決めるのですが、理想の重心線では患者さんが筋肉をすごく使うことになり、とても疲れるんです。だから義足をつけたくないということもあります。100%適合する義足でも使わなければ意味がないので、患者さんと担当医と相談し、リハビリの進行具合、筋や腱の状態を考えながら落としどころを決めて製作していました。こうした仕事のやり方は今の仕事にも生かされています。私が今、売り場でチャレンジしているのが「お客様の健康寿命を延ばす」というコト。「私は24cmよ」と言い切るお客様の足を実際に計測すると22cmということは普通によくありますし、誤差が1cm以上というのもざら。適合していないから、と22cmの靴をお勧めしても、お客さまからは「2cmも小さいから」と拒否されますし、購入しても履かない可能性があります。そこで、落としどころとして「23cmにしてみてはいかがですか?」と提案し、歩きやすさを実感することで少しずつお客様の心を動かし、最終的には適合している22cmを履いていただけるように誘導していくのです。

―ほう!一見、誤魔化しているようにも思えますが、最終的にはお客様が健康で生き生きとした生活が送れるようになるということですよね。

小川:そうですね。ご年配の方ほどご自身のサイズの思い込みが強いので、一回の接客ではお客さまの気持ちを汲み取りきれません。それ自体は医療の現場でも同じだったのですが、前職の知識を用いつつ接客ができるのは、売り場の同僚や仲間の理解があり、個人の能力を伸ばそうとしてくれるから。既製靴の知識がなかったので、勉強会に参加できるようにシフトをやり繰りしてもらったり、とても感謝しています。他店やシューズメーカーではこんな働き方はできなかっただろうと思います。

―客層が幅広い百貨店だからこそ、お客様の健康を考えた接客が必要だったのかもしれませんね。

小川:最近、マネージャーと健康寿命と平均寿命、QOLについて話をすることがあります。日本の健康寿命と平均寿命の差が、男性は約9年、女性は約13年と大きな差があるのです。医療関係に話を聞くと「足腰が弱るとおしまい」と言います。私もその通りだと思っていて、前職時代に、寝たきりの人が起き上れたり、車いす生活の方が立てるようになり、視線の高さが変わると生きるモチベーションが変わるのを目の当たりにしてきたので、立って歩けることの大切さを実感しています。お客さまが好きなデザインで、かつ歩きやすい靴を提供することで、健康寿命と平均寿命の差を縮められれば、お買い物も楽しめるし、人生も豊かになって、とても良いことなのじゃないかと思うのです。

―仰る通りです!

小川:京王百貨店に行けば知識のあるシューフィッターがいるから、靴を買って、館内でお食事でもして、楽しんでいただき、健康寿命まで延びる。そう考えたら、とてもやりがいがある仕事だと思いました。QOLを高めるためにその婦人靴売り場として、大々的に何ができるかと打ち出すわけではなく、一客一客の接客を丁寧にすること、お客様に合った商品を提案することしかないですが、とても意義のある仕事だと思っています。

―素晴らしい考え方ですね。

小川:でも、まだまだ先輩方に比べたら、勉強が足りていません。勉強になる方々ばかりに囲まれているので、日々、学ばせていただいています。

―先輩方の接客のスゴイところは?

小川:ファーストアプローチとか、例えば私が声をかけて失敗してもその後に先輩が声を掛けると上手くいく。タイミングは今だったのか!と見極めがまだ甘い。商品知識も幅広く、その中からお客様の要望と上手くすり合わせて提案していくところ。あと、表現の仕方ですね。例えば「外反母趾で親指が出て恥ずかしい」という否定的な言葉でも上手くキャッチして、「それならお客様にはこういう形がお勧めです。収まりが良いのでお試しください」とサラリと口に出せるのが素晴らしいです。

―ベテランのなせる技って感じですね。最後に今後の目標を教えてください。

小川:先ほどもお話ししたQOL、お客様の人生にも関われる接客、靴の提供を日々多くのお客様にできればいいなと思っています。百貨店だからこそ、メーカーの垣根を越えて提案することができますので、売り場にあるすべての靴を使いながら、より良い一足を一人でも多くのお客様に提案できるように、日々積み重ねていきたいなと思っています。

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シルヴィア・フェンディが挑んだメンズファッションの解放 「フェンディ」2022-23年秋冬メンズを語る

 「フェンディ(FENDI)」は、ミラノ・メンズ・ファッション・ウイークで現地時間1月15日に2022-23年秋冬メンズ・コレクションを発表した。メンズでリアルのショーを開催するのは1年半ぶりで、ミラノのオフィス内を会場にセットを組んだ。コレクションのテーマは"狂騒の20年代"。アメリカの1920年代を現す言葉で、第一次世界大戦後に経済が好転し、芸術や文化、文学が花開いた時代だ。クリエイティブ・ディレクターのシルヴィア・フェンディ(Silvia Fendi)は、”狂騒の20年代"のようにファッションの新たなスタイルを開花させるべく、クラシックに焦点を当ててメンズウエアを再解釈。「再びドレスアップすることの喜びを示すため、洗練されたコレクションを作りたかった」と彼女は言う。"狂騒の20年代"を現代に巻き起こすために必要なものとは?今季のコレクションについて、シルヴィアに詳しく聞いた。

ドレスアップの喜びを再び

ーー2022-23年秋冬メンズコレクションの着想源は?

シルヴィア・フェンディ「フェンディ」クリエイティブ・ディレクター(以下、シルヴィア):クラシックスタイルの原型とロマン主義的な世界観に触発され、それを現代の日常着に押し上げたかった。私たちは過去2年間ドレスアップの機会を極端に失い、フーディーやスエットパンツを着用して多くの時間を自宅の中で過ごした。だから再びドレスアップすることの喜びや、時代が進んで私たちも成長したことを示すため、とても洗練されたコレクションを作りたかった。

ーー1年半ぶりにリアルなショーを開催した理由は?またスポットライトを鋭く照らすシンプルな演出の意図は?

シルヴィア:リアルのショーをできるかどうかという不安定な状況だったが、通常は会場に1300の座席を用意するのを120に絞って開催した。例え多くのゲストを迎えられなくても、リアルなつながりを生み出すショーの開催は重要だと考えたから。シンプルな演出にしたのは、ショーではなく洋服に焦点を当てるため。意思を持った男性が力強く歩みを進める姿を映したかった。

ーー過去2シーズンのデジタルでの発表を経験し、デジタルとリアルの違いは何だと感じている?

シルヴィア:デジタルの経験は非常に興味深く、楽しみながら制作できた。映像の場合はイメージをコントロールしやすいため、見る人に強いインパクトとパワーを与えられる。映画業界が文化的に重要な役割を果たしているのはそのためだろう。今季は非常に限られた席数のため、リアルの完全復帰ではなく、デジタルとリアルのミックスだったと言える。やはり瞬間的な感情の喚起や人々の感情のつながりは、リアルでこそ生まれるものだ。ショー最中にバックステージにいても、私はゲストの感情や緊張感を感じられるし、最後に拍手で迎えられるのも特別な瞬間だ。規模を縮小せざるを得なかったとはいえ、今季は私たちが物理的なつながりに戻る出発点になるだろう。

「ストリートウエアはもう十分」

ーーコレクション制作おいて最も大切にしていることは?

シルヴィア:創造性の自由を常に意識し、コレクションに可能性と実験性をもたらすこと。「フェンディ」には、それを具現化できる卓越した職人たちがいる。彼らがいるから、パンデミックの影響でたくさんの工場が閉鎖する厳しい状況のときでさえ、新しいことに挑戦し、あらゆる境界線を破ることができるのだ。昨年のクリスマスあたりに感染が再び拡大し、制作に遅れが生じるなど誰もが困難を強いられた。しかしその分、私たちは柔軟で寛容さを身につけることができた。結果的に今シーズンも全てを完成させられて本当に嬉しいし、私たちにとっては神話的なコレクションになった。

ーー世の中の男性は今ファッションに何を求めていると考える?

シルヴィア:ストリートウエアはもう十分。今こそ“新しい洗練されたスタイル”を再考すべき。今季のコレクションで、私は洋服に焦点を当てたかった。今ではほとんど忘れ去られたように見える“洗練とエレガンス”の概念を分析し、着心地が良く、着る人にドレスアップの作法を取り戻させるような洋服をデザインした。ストリートウエアの流行でドレスアップは一つの儀式のようになってしまっているため、男性がブローチやイヤリングを着用するという、私のお気に入りのアイデアを取り入れた。

ーージュエリーだけでなく、今季は“ジェンダーニュートラル”の意思を示すスタイルも多くあったが?

シルヴィア:今、私が最も関心を寄せていることの一つだ。メンズとウィメンズの洋服の境界線は曖昧になり、女性は男性のジャケットやスーツを着用し、形式張ったメンズウエアの世界は自由に解放され始めた。人々は多くの境界線を再考しており、ファッションにはそれを打開する力があると思う。これまでもファッションは自由を表現し、人々を制限していたコードから解放するために重要な役割を担ってきた。私はコレクションを作っているときに、初めてメンズのジャケットを着た女性はどのように着たのだろうかとを考えた。そして、なぜ男性は女性のワードローブから洋服を借りることができないのかも想像した。だって、スーツがスカートであってもいいはずだから。今は特に若い世代にジェンダーニュートラルの傾向が強く、自由な思考を尊重することはとても重要だと考えている。

ーージェンダーニュートラルなスタイルは、Z世代にアプローチする目的も含んでいる?

シルヴィア:「フェンディ」は常に変化を受け入れることにオープンだし、私は「不可能なことは何もない」といつも言っている。だからクラシックとアバンギャルドの融合も、とても自然な流れだった。私たちの基盤は、品質と創造性を維持すると同時に、革新と実験性に常に挑み続けるため、新しい研究と技術に投資している。近未来を受け入れ、リアルかつバーチャルなラグジュアリーの架け橋となることが重要だ。今季発表した、レジャー(Ledger)社との協業による、暗号資産ハードウェアウォレット(仮想通貨を安全に保管するためのツール)のテックアクセサリーは、その革新的な第一歩である。

ーーZ世代のニーズを汲み取る方法とは?

シルヴィア:「フェンディ」チームのスタッフはとても若く、いつも「私はみんなの母だ」と言っている。彼らからインスピレーションを得ながら、上の世代と何が違うのか、何を望んでいるのかを感じ取ってきた。偏見を持たず、心をオープンにして好奇心を持ち続けていれば、若い世代とつながり、クリエイションにも影響を与えてくれる。

ーーあなた自身も「フェンディ」メンズの洋服を着用している?

シルヴィア:いつもメンズを着ている。母は私の未来を予期していたのか、幼い頃にピンク色のかわいいドレスを着させることはなかった。この社会で生きていくために、男性的に振る舞う強い女性になれるよう準備させてくれたのかも。

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「バレンシアガ」やKOHHを魅了する造形作家・池内啓人 オタク文化発の“組み合わせ”の手法を語る

 造形作家・池内啓人が「ミヤシタパーク(MIYASHITA PARK)」内のギャラリー、サイ(SAI)で個展「IKEUCHI HIROTO EXHIBITION」を開催している。池内は、幼少期に見て影響を受けた「機動戦士ガンダム」や「ゾイド(ZOIDS)」といったアニメや映画を軸に、既製品のプラモデルや工業製品のパーツを組み合わせて作り上げるヘッドセットやマスクで知られる気鋭作家だ。彼の生み出す作品の数々は、身の回りのありふれたものを素材として組み合わせることで非日常感を帯び、ノスタルジックでありながら近未来的でもあり、見る者を童心に帰してくれる。

 過去には仏インディペンデントファッション誌「パープル ファッション マガジン(Purple Fashion magazine)」の表紙を飾ったほか、韓国発のアイウエアブランド「ジェントル・モンスター(GENTLE MONSTER)」のアートプロジェクトや、ラッパーKOHHのミュージックビデオ、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)のポップアップにも作品を提供。さらに「バレンシアガ(BALENCIAGA)」が2022年春コレクションのキャンペーンで池内の作品を多数起用するというコラボレーションを実現させた。個展の開催に合わせ、池内にアーティストを志したきっかけや“組み合わせ”の作風に至った経緯などを聞いた。

——幼い頃に、今の作風に通ずる「機動戦士ガンダム」や「ゾイド」に引かれていたのは何が理由だと思いますか?

池内啓人(以下、池内):理由は……分からないですね(笑)。ほかにも「スター・ウォーズ(STAR WARS)」や「ビーストウォーズ」(注:「トランスフォーマー」シリーズの1作目)を観ていたし、純粋にそういったものが多かった時代だからだと思います。中高生時代は普通のオタクで、「涼宮ハルヒ」シリーズを読んだり、「らき☆すた」を観たりしていました。

——中高生の頃から将来的にアーティストになることを思い描いていたのでしょうか?

池内:全くなかったですね。高校時代に勉強ができなかったので進学先について悩んでいたところ、美術の先生に美大を勧められたので多摩美術大学に進学を決めた感じです。

——そのときからすでに光る才能があったということ?

池内:いいえ、美術の授業は勉強しなくてよかったから、ほかの教科と比べて好きだった程度。本当に勉強ができなかったので、美術の成績だけが良く見えたのだと思います(笑)。

——大学進学を機に現在の作風の軸となるプラモデルや模型作りをはじめたとのことですが、きっかけは?

池内:模型作り自体は、高校卒業から大学入学までの暇な時間に始めていたんですが、大学に入ってみると周りの人たちは何かしらの一芸に秀でていたんですよ。その輪に入るには僕も一芸を身に付ける必要があり、その時ハマっていた模型作りを極めることにしたんです。「ガンダム」や戦闘機とか、一般販売してるものは割となんでも作ってましたね。大学の授業では平面のグラフィックなどを作っていたんですけど、そこまで得意ではなくて。そうこうしているうちに卒業制作の時期になり、趣味だった模型を生かしたジオラマを作りました。

——その卒業制作の際に、初めて“組み合わせ”の技法を思い付いたそうですね。

池内:“組み合わせ”に対してひらいたような感覚は特にないですね。模型作りであれば、「ガンダム」が本来持っていない武器を持たせられるし、同人誌をはじめとするオタクの2次創作文化であれば、オリジナルの作者が意図していないことを勝手に創作する引用やサンプリングの手法が一般的にありますから。それに、身の回りにあるものを組み合わせる手法は、造形作家の横山宏さんがやっています。サンプリング的な“組み合わせ”は昔から人類のみんながやってきたことです。

——日常にある物で非日常な作品を生み出していますが、素材の調達やイメージソースは?

池内:「アマゾン」や「ヨドバシカメラ」で購入することがほとんどです。パソコンの基盤が必要であれば自分で解体することもあるし、もらうこともあります。アトリエが物であふれていそうだと思われがちですけど、そうでもないんですよ。約2年ごとに引っ越ししているので、運ぶのがめんどうで全部捨ててますから(笑)。イメージソースは、人に勧められた本や映画、その時に好きなものや時代感など、フィクションとノンフィクションが混ざり合っています。自分から作りたいものがあまり浮かばないので、何かしらの外的要因がないと制作しないですね。過去には「アクロニウム(ACRONYM)」のアパレルがイメージソースだったこともありますし、最近はネットフリックス(NETFLIX)のアニメ「アーケイン(Arcane)」がおもしろかったので、近いうちに影響された作品ができるかもしれません。そのときの感情や好きなものの意思を残しつつ、僕の中でろ過して作品に落とし込んでいます。

——作品を制作する際は、具体的なイメージができ上がってから着手するのか、それとも制作しているうちにイメージが固まっていくのでしょうか?

池内:作っているうちにイメージが固まっていくことが多いです。でもその通りになることはほとんどなくて、僕自身どうやって作っているか分からないうちに気付いたら完成しています。自分から「あんなものを作りたい」というゴールもあまりなくて、何かに影響を受けたら取り掛かりますね。

——ヘッドセットやフェイスマスクを例に作品の多くが左右対称で、ロジカルなアプローチで作り上げていると感じます。

池内:スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick、左右対称の構図を好む映像作家)の作品は大好きですね。左右対称の作品が多いのは、僕が人の感情や神秘性、印象的なものを全く信じていないからかもしれません。それよりも数学的なものを信頼していて、「非対称だからこそ作品に神秘的なものが宿る」的なことはないと思っています。そういえば、今回の展示で作品を設置していた際、ギャラリーの方にどれにもサインが入っていないことを驚かれました。僕はそういうものに意味があるとは考えていないので入れておらず、そもそもサイン自体ありません。

 普段から人間の主体性が好きじゃないんですよね。思い返してみると、僕らの世代のゲームやアニメのオタク文化って、今と比べて主人公の顔や主体性がないことが多かったんです。それで育ってきたから自分が主体になるのが得意ではなく、無理やりこじつけると顔を隠すフェイスマスクの制作にもつながっているのかもしれません。

——無機質な作風からどことなく電子音楽が好きなのかなと思いましたが?

池内:おそらくそう感じたのは、作品に人間の意図や主体性があまりないからかもしれません。普段は友人に勧められたアーティストを聴くことが多いですね。最近は「アイドルマスター シャイニーカラーズ」をプレイしているのでその楽曲をずっと聴いていて、落ち込んでいる時は環境音を聴きます。

——「文化庁メディア芸術祭」で優秀賞を受賞したことから広く名が知られるようになりましたが、これがアーティストの道を歩むきっかけですか?

池内:どうなんでしょう……仕事がもらえるかなとは思いましたけど、ひと段落したらこの世界から離れようと考えていたんです。周りにずっと流されるまま、今ここにいる感じです(笑)。

——以前にはラッパーKOHHのミュージックビデオや、エイサップ・ロッキーのポップアップに作品を提供していましたね。

池内:KOHHさんは、現在マネジメントを務める深水くららが元KOHHチームで、僕の作品を知っていたことから「 I Want a Billion」のMVでヘッドセットなどを提供することになりました。また、これがきっかけでラストアルバム「worst」のアートワークも担当しています。エイサップ・ロッキーのポップアップで作品が使用されたのも彼女のおかげで、エイサップ本人も気に入ってくれたみたいです。

——今回の展示「IKEUCHI HIROTO EXHIBITION」では、まず初めに「バレンシアガ」2022年春コレクションのキャンペーンで目を引いた外骨格型スーツが設置されていますね。

池内:ロボット製造業者スケルトニクス(Skeletonics)とのコラボレーションで制作したものです。「バレンシアガ」との協業は、マネージャーに「『バレンシアガ』って知ってる?」って言われて、「名前は知ってます。スニーカーがカッコいいですよね」って答えたらチームアップが決まっていました。オタクはファッションに疎いですから(笑)。キャンペーンでは外骨格型スーツのほかにヘッドセットとフェイスマスクも登場しています。

——「バレンシアガ」のキャンペーンに登場していた作品や「ジェントル・モンスター」と制作したものも含め、ヘッドセットとフェイスマスクは10点展示しています。

池内:どれもVRゴーグルやシュノーケリングマスクなどベースとなるものがあって、それに「ガンプラ」や「ゾイド」などを装飾として組み合わせています。そして、既製品が持つ機能性を損なわないことをモットーに制作しているため、原理的には全て実際に使用することができます。「ジェントル・モンスター」との作品はかなり昔にアートピースを作る企画のために制作したのですが、もともと交流のあったアーティストが同ブランドに入社したことがきっかけですね。後頭部には、増槽(兵器外部に取り付けられる追加の燃料タンクのこと)を模してソニー(SONY)のウォークマンを挿しています。

——今後、文明の発展と共にプロダクトはますますスマート化していき、池内さんが得意とするアナログの雰囲気を持つ素材は少なくなることが予想されます。

池内:そうですね。iPhoneやVRゴーグルのように、どれも時代を追うごとにアップデートしスマート化・小型化していくでしょう。ただ、必ず初期段階のものは大きかったりゴツかったりするんですよ。それにiPhoneなら少し前のモデルというだけで古さを感じますよね。だからあまり気にしていないです(笑)。

■IKEUCHI HIROTO EXHIBITION
会期:〜1月30日
時間:11:00〜20:00
場所:SAI
住所:東京都渋谷区神宮前6-20-10 MIYASHITA PARK 3階
料金:無料

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2021年最も話題を集めたデザイナー、デムナが「バレンシアガ」のビッグイヤーを振り返る

 2021年は、まさにデムナ(Demna)「バレンシアガ(BALENCIAGA)」アーティスティック・ディレクターにとって大きな1年だったと言える。7月には50年以上ぶりに再開したオートクチュール・コレクションをお披露目し、9月のメットガラではキム・カーダシアン・ウェスト(Kim Kardashian West)の覆面ドレスなどの衣装を手掛けた。そして、10月のパリコレではレッドカーペット・イベントを再現し、新作コレクションと共に「ザ・シンプソンズ(THE SIMPSONS)」とコラボしたオリジナル作品を上映。そのほかにも、「グッチ(GUCCI)」のアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)クリエイティブ・ディレクターとお互いのコレクションを“ハッキング”し合ったり、人気オンラインゲーム「フォートナイト(FORTNITE)」のためにデジタルファッションを制作したりと、その一挙一動が話題を集めた。22年に入ってからも「イージー(YEEZY)」と「ギャップ(GAP)」のコラボレーションライン“イージー・ギャップ”とのコラボを発表するなど、その動きが見逃がせないデムナが、昨年の取り組みを振り返るとともに仕事への向き合い方を語る。

米「WWD」(以下、WWD):「バレンシアガ」のクチュール・コレクション再開は、ファッション業界における歴史的なニュースだった。クチュールは、デザインワークにどのような影響を及ぼしている?

デムナ=アーティスティック・ディレクター(以下、デムナ):クチュールを始めたことで、素晴らしいファッションや上質な服を生み出すための時間がいかに重要であるかを実感した。プレタポルテでは、もうそんな時間を確保することはできないからね。フィッティングの時間や、デザイナーとしてアームホールを調整する時間、ディテールや生地、仕上げを考える時間など、特定の製品にかける時間を増やすため、プレタポルテ・コレクションの負荷を減らす必要があると思った。それから、個人的なことでは、久しぶりに自分自身に絶対的な自信を持てたよ。自分のビジョンが明確になったし、これこそ本当に自分がやりたいことだと感じた。クチュールに取り組んでいる時、ふと自分が楽しんでいることに気づいてね。流れに逆らったり戦ったりしているわけではなく、大好きなことをやっているんだ。

WWD:その一方で、22年夏コレクションの発表では、「ザ・シンプソンズ」というとても親しみやすいものを選んだ。その理由は?

デムナ:私はいつも、自分のビジョンを明確に表現できる新たな分野を探している。今回の発表はクチュールよりも前から計画していたもので、自分が何を見せたいかという点での長期的なシナリオの一部だった。7月にクチュールがあることは分かっていて、それは私にとって、とてもエモーショナルかつシリアスで、静かな瞬間だった。だから、その後に来るものは、ブランドの表現としてもっとポップカルチャー寄りで面白いと同時にコンセプチュアルである必要があると考えた。

WWD:そのために、パリコレのイベントでは「ザ・シンプソンズ」を軸に華やかな映画のプレミア(試写会)のようなスペクタクルな演出をしたと?

デムナ:クチュールでは、セレブリティともっと一緒に仕事をし、どこか並外れた存在になるというアイデアに、自分自身とバレンシアガを開放した。「セレブリティは今の時代、何を意味するのか?」という自分自身の疑問を浮き彫りにする必要があったからね。私の挑戦は、いつだって「バレンシアガ」での私の取り組みをフォローし、製品を購入し、私がもたらそうとしているマインドセットを分かってくれる存在であるオーディエンスを魅了すること。次の回は、常にこれまでと異なり、刺激的かつ意表を突くもので、楽しくなければいけない。

WWD:21-22年冬シーズンのビデオ「フィール・グッド」では、愛らしい動物の赤ちゃんやドラマチックな空、抱き合う人々を映し出すなどして、製品は使わなかった。そういった演出も含め、2021年のブランドコミュニケーションでは多くの実験をしていたが、その背景にはどのような考え方があるのか?

デムナ:パンデミックの中、今までのやり方ではダメだという現実に直面することになった。ただ、それは私たちをこのコンフォートゾーンから引き出してくれるからこそ、面白い。ブランドが映像や画像を発表するとなると、なぜいつも製品についてになるのだろう?例えば、あのビデオでは「製品を入れず、メッセージだけを込めよう」と考えた。それは、「バレンシアガ」のビジョンに呼応するメッセージを視聴者に届けるというストーリーの一部。それが、必ずしもブーツやスニーカー、コートである必要はない。そして、“フィール・グッド”な映像は、まさに発表当時にふさわしいと感じた。あまりにも(一般的なものとは)異なるフォーマットだから、製品が出てこないことに気づかない人もいたよ。大切なのは小難しくなく、人を笑顔にすること。それは、ファッションが時として忘れてしまうものでもあると思う。

WWD:この約1年のコレクションの発表方法は、映画監督のハーモニー・コリン(Harmony Korine)によるVHSテープを使ったローファイなものから、最先端のビデオゲーム「アフターワールド:ザ・エージ・オブ・トゥモロー(Afterworld: The Age of Tomorrow)」まで多岐にわたっていた。実際、どのくらい先のことまで考えているのか?

デムナ:ビデオゲームと「ザ・シンプソンズ」のプロジェクトは20年3月にセドリック(・シャルビ=バレンシアガ最高経営責任者)と話し合っていたけれど、ちょうどパンデミックが始まり、今後のコレクションを見せるための別の方法を考えなければならないと気づかされた。こうしたプロジェクトの多くは3〜6カ月以上の期間が必要。例えば、「アフターワールド」では制作に9カ月近くかかり、「ザ・シンプソンズ」もかなり予測不可能なものだった。だから、私はプロジェクトを早めにスタートすることが多い。22年の計画は、もうすべて決まっているよ。もちろん、サプライズは常にあるし、私自身もサプライズが好き。そのための余白はあるけれど、核となるものもある。重要なのは、目的地があること。さもなければ、それはどこに向かっているのか分からないままタクシーに乗っているようなものだし、奇妙なことだろう。一方で、コレクションに関しては、徐々に発展してきたものであり、“進化”と言える。前回のコレクションで作ったトラックスーツのジャケットは、それより前のものより良くなっていると思う。自分の美学に近い製品を作り続け、より良いバージョンへと進化させているからね。例えるならば、iPhoneのようなものかな。iPhone 13がiPhone 12よりはるかに優れているかどうかは分からないけど、それでも確実に少しは進化しているだろう?

WWD:メットガラでは、キム・カーダシアン・ウェストと一緒に覆面姿で登場し、大きな注目を集めた。その狙いは?

デムナ:顔を覆い隠すことは、本当にプライバシーを守ることになるのか?私がそうすれば、そうなるかもしれないけれど、キムのようなセレブリティがそれをしたら?メットガラはバズを起こし、ハロウィンには彼女を真似たコスチュームで溢れ返った。そんな効果は、とても興味深いものだった。(覆面を被っているのは)キムじゃないかもしれないし、彼女の影武者かもしれない。(真実を知っている)私以外は、誰も100%の確信はない。でも、体型やシルエットが実際の顔以上にブランドとなることもあるから、顔を見る必要さえないのかもしれない。それは、人類学的な観点からもとてもワクワクすることだと思ったよ。

WWD:あなた自身も覆面姿でメットガラに参加したが、どうだった?

デムナ:まるで違う惑星にいるような気分で、自分のコンフォートゾーンとは真逆という感じだった。覆面は周りで起こっていることと私の間にあるバリアのようなもので、ほとんど自分自身でないかのように振る舞うことができた。あの場所は、居心地が悪かったからね。それから、視界があまりはっきりしないから、不安も和らいだ。ある意味、本当にあの場をやり過ごすに役立ったよ。

デムナが次に取り組むものは?

WWD:そうしたショービジネス的な要素も大きいが、その裏側で「バレンシアガ」は着々と商品ラインアップを広げ続けている。次はどんなものを考えている?

デムナ:ファッションは、私が「バレンシアガ」に加わった当初からずっと非常に重要な部分。というのも、デザイナーを生業にする私はファッションが大好きで、ファッションで目立つこと、違いを出すこと、自分自身のアイデンティティを表現することが大好きだから。でも、過激になることもあり、万人向けではないことは確かだ。その一方で、着こなしやすいTシャツやスニーカーなどのコマーシャルな製品もある。ただ、それだけではなく、私がずっと愛してやまない服があり、それは実は自分の原点でもある。私が初めて自分の手で作ったのは、シングルブレストのメンズテーラードジャケットだった。私は、脱構築よりもテーラリングからファッションを学んだので、それを少し恋しく思っている。だから次に来るものものは、シーズンを問わずタイムレスで、品質という点でファッション的なアイテムよりもはるかに高く、しかしクチュールほどクレイジーではない、とてもクラシックなワードローブというアイデアだよ。

 というのも、「バレンシアガ」のビジョンや私が手掛ける製品には、基本的にクラシックなワードローブという層が欠けているということに気づいたんだ。それは、この上なくクラシックで、仕立ての技術によって磨き上げられたワードローブのようなもの。もちろん、フィット感やプロポーションは若干アレンジするけど、通常のシーズナルなコレクションとはまったく違う方法で取り組んでいる。今年発表予定の次のクチュール・コレクションとは別に、今取り組んでいる主な仕事のひとつだよ。私の美意識の中でとても新しい“言語”であり、まだ人からあまり知られていない部分だと思うので、とてもワクワクしている。

WWD:デザイナーは、メディアからの称賛やビジネスの成功、文化的な関連性、あるいはただ人が自分の服を着るのを見ることなど、さまざまなところにやりがいを見出す。あなたにとって、ファッションビジネスの原動力は?

デムナ:毎朝、クローゼットの前で「今日におけるファッションは何だろう?それはどんなものか?気分やシルエットなど、今日は何が私を心地よい気分にしてくれるだろう?」と自分に問いかける。これがおそらく私とファッションの関係であり、ある意味、私のアイデンティティの決め手になっていると思う。

 一方で、真の意味で私の原動力になっているのはこれだ、という光景を最近見かけた。チューリッヒの街角でスケボーを楽しむ若者たちだ。その姿は15~20年前の私のようだった。シルエットや極端に長いスリーブなど、私に特有のスタイルという点でね。ただ、その子たちは私が手掛けた服着ているわけではなかったし、ブランドものでもなかった。今となっては、これはある世代を象徴するスタイルのようなものなのだろうし、ファッションでさえなくなり単なるスタイルになっている。

 そうして私がメインストリームに持ち込んだものは、もう私のものではない。でもそこに存在し、若者たちの間で独自の発展を遂げている。そうしたことが私を駆り立て、もっと遠くへ行きたい、もっと自分のコンフォートゾーンから抜け出したい、どこかにいる誰かに影響を与えるようなことをしたいと思わせてくれるんだ。私はその人たちのことを知りもしないし、多分一生会うこともないだろう。でも、私が作ったものが彼らに影響を与え、そこからスタイルが生まれるんだよ。

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アーティストの加藤泉がファッションと初の協業を決めた理由 「ディーベック」「オールモストブラック」との異色コラボ

 釣り用品の「ダイワ(DAIWA)」を運営するグローブライドのアパレルブランド「ディーベック(D-VEC)」は、中嶋峻太が手掛けるメンズブランド「オールモストブラック(ALMOSTBLACK)」と協業したカプセルコレクションを1月27日に発売する。2月2〜8日には阪急メンズ東京と大阪でポップアップストアを開催する。アイテムはユニセックスの全8型で、防水透湿性素材「ゴアテックス(GORE-TEX)」を使った機能的なジャケット(税込4万6200〜8万5800円)やベスト(同4万1800円)、パンツ(同3万800〜3万5200円)、Tシャツ(同1万3200〜1万6500円)、ハット(同1万1000円)をそろえる。グローブライドが釣り用品の開発で培った技術を生かしながら、「オールモストブラック」が得意とするミリタリーを大胆に解釈したデザインを融合。黒でミニマルなムードに統一したコレクションで、激戦の機能服市場に新風を吹き込む。そして、両者のコラボレーションを象徴するアイコンを製作したのが芸術家の加藤泉だ。世界で活躍する同氏がファッション分野で協業するのは今回が初めて。異色のトリプルコラボレーションに至った背景や意外な製作過程、アートとファッションの関係性についてを、駒込にある加藤のアトリエで聞いた。

依頼されて「なんで俺?」

WWD:まず「ディーベック」と「オールモストブラック」のコラボレーションの経緯は?

中嶋峻太「オールモストブラック」デザイナー(以下、中嶋):知人に新しいコラボレーションをしたいと相談をしていたら、グローブライドを紹介してもらった。自分が釣りをするわけではなかったが、日本を代表するメーカーの技術にとても興味があったのですぐに協業が決まった。「ディーベック」と「オールモストブラック」はブランドを立ち上げた時期が近いのでこれまでのコレクションは見ていたし、その高い技術を自分なりの表現でデザインしてみたかったので。

WWD:そのコラボレーションに加藤泉さんが加わった理由は?

中嶋:単純なコラボレーションでは物足りないと思ったから。「オールモストブラック」らしく、アートからインスピレーションを得たクリエイションを今回の協業でもチャレンジしたかった。それをうちの顧問弁護士の小松隼也さんに相談した後、東京都庭園美術館で開催していた展覧会に参加していた加藤さんを紹介してもらい、会場で作品やバンドで演奏をする姿を見て、純粋にかっこよかった。それに釣りが好きだというのも大きな理由の一つ。依頼を受けてくれるかどうか分からなかったが、絶対にお願いしたかった。

WWD:協業の依頼が届いたときはどう思った?

加藤泉(以下、加藤):え?なんで俺?という感じ。ファッションだとコム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)と展覧会を一緒に開いたぐらいで、作品で協業したことはなかった。僕はマニアックな作家なので、アートが好きな人は知っているけれど、普通の人にはあまり知られていない。だからそもそも依頼自体がほとんどこないし、僕でいいの?と。

WWD:了承した決め手は?

加藤:釣りが好きので、「ダイワ」と聞いてまず入れ食い。でもファッションはチャラいイメージがあるから、調子がいい奴や、お金儲け優先で目がドルになっている奴だったらやめようと思っていた。アート界にも怪しい人はたくさんいるから、そういうのはすぐに分かるから。でも中嶋さんに会って話すと誠実さが伝わってきた。理由がないと協業はしないけれど、釣りと人、それで十分だった。

WWD:入れ食いするほど釣りは昔から好きだった?

加藤:もう4、5歳からやっているはず。島根の港町で育ち、祖父が漁師だったので英才教育だった。今でも出張先に道具を持って行き、朝と夕方の2時間釣りをしている。だから道具も服も、出張基準で選ぶことが多い。例えば洗濯してすぐ乾く、天候の変化に対応できる、帽子に紐が付いているとか。今日着ているセーターも釣具屋で買ったもの。

たった10分で完成したアイコン

WWD:アイコンが仕上がるまではどういったやりとりがあった?

中嶋:協業が正式に決まってから加藤さんの作品をいろいろ見るうちに、雑誌の企画で針付きのルアーを実際に作ったことがあると知った。アーティストがルアーを自作して釣りをする大会で、加藤さんはダントツで釣ったんですよね?

加藤:もちろん。そのルアーをもとに、アイコンでは針を3つにするアイデアを提案した。

WWD:アイコンでルアーの針を3つにすることで、釣りの背景や、三者のコラボレーションであることが表現されていた。最終的にそのアイデアを絵として完成させるまでに、どのぐらいの期間を要した?

加藤:ぶっちゃけ10分ぐらい(笑)。

中嶋:本当に早かった。2、3日で納品されたので。「ゴアテックス」のロゴをプリントしているので、それとは違う表現として刺しゅうを選び、加藤さんにも確認してもらいながら何度も試作を重ねた。

WWD:加藤さんの作風は独特だが、制作するときは感覚で進めていく?それとも完成形を想像して仕上げる?

加藤:絵でも彫刻でも、その両方がないとだめ。ただ、分からないまま進めていく。制作中に、この作品をなぜ自分が作っていて、これはどうなっていくのかという答えが出た時点でその枝葉は終わり。だから分からない方にどんどん進んでいく。でも、一つ終わるとまた別のところが開く現象が起こるので、その繰り返し。

WWD:念願のコラボなのに、アイコンは服と同じ黒で大きさも控えめにしたのは?

中嶋:加藤さんの作品を前面に打ち出しすぎても違うし、シンボルは大きくない方がかっこいい。だから服の色に合わせた刺しゅうにし、大きさも全て統一させている。完成するまではほぼ全て任せてもらってはいたものの、それはそれでまあまあなプレッシャーだった。

加藤:完成するまでは特に心配はしていなかったけれど、もし全面に使われていたらヤバいなという思いも正直あった。だから完成品を見て、よく見るとシンボルがあるというちょうどいい具合に仕上げてくれた。

WWD:自分が作った作品が服になって販売されるのはどういう感覚?

加藤:そういう仕事ではないから、ちょっと恥ずかしいかも。作品を展示するのとは全然違う感覚。ただ絵は提供したけど控えめだし、刺しゅうや加工は中嶋さんやほかの人がやってくれたので、自分の手に負えないものという感じ。

アート×ファッションの良し悪し

WWD:アートとファッションの協業が増え、アートの間口が広がった一方で商業的になったという見方もあることについてはどう思う?

加藤:まあ、流行っているのかなという感覚。僕は専門職でやっていることもマニアックだから、見る人が勉強しないと作品について理解できないと思う。それは間口が広がっても同じこと。例えば、釣り人口が増えて安い1000円のリールがたくさん売れても、10万円の高価なリールを買う層は変わらない。僕はアート界ではその変わらない方にいるので、特にそういう商業的な流れは気にしていないかな。アーティストが何のためにアートをやっているかの話で、多くの人に自分を知ってほしいなら手段としてやればいいし、興味ないならやらない。それだけ。

WWD:ファッションと初めてコラボレーションしてみて、自身ではどう考えた?

加藤:都合がよければやろうかなと(笑)。でも一つだけ明確なのは、人によるということ。お金や知名度には興味ないから。

中嶋:アートとファッションの協業は、人と人が対話して生み出すからこそ価値があると信じたい。「オールモストブラック」としていつも目指していることだし、今回のコラボレーションでもそこにこだわった。たくさん売りたいだけなら、ただ作品をプリントしただけのような手法が正解なのかもしれないけれど。

加藤:それだったら俺に頼む必要ないもんね。もっと分かりやすい作家に頼んだ方が売れるから。

WWD:協業の手応えと今後の予定は?

中嶋:今回発売する春夏シーズンに続き、秋冬シーズンも同じアイコンを使ってアイテムを作る。春夏はいろいろなバイヤーに評価してもらったし、加藤さんとの協業がきっかけで、東京やパリ、ニューヨーク、香港、上海、ソウルに構えるギャラリー ペロタンでも2月9日に販売することになった。本当に光栄なことだし、「ディーベック」の知名度を多方面に広げるチャンスでもある。

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ベイクルーズ杉村CEOに聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.2

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材をたたえてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第2回は、「ジャーナル スタンダード(JOURNAL STANDARD)」や「イエナ(IENA)」、「スピック&スパン(SPICK & SPAN)」などのアパレル業態のほか、家具や飲食、フィットネス事業も手掛ける杉村茂ベイクルーズCEOに話を聞いた。

WWD:自身がネクストリーダー世代だったころ、どんなふうに仕事をしていた?

杉村茂ベイクルーズCEO(以下、杉村CEO):その頃の僕は、ネクストリーダーというよりも、下働きだった。高校卒業後、どうしても服屋になりたくてジュンに入社した。最初は希望したブランドとは別のブランドに配属されたが、突っ張って自分が着たい服ばかり着ていた。すると、異例にも半年後には当初希望したブランドに再配属された。しかし、そのブランドも2年ほど続けると飽きて、「もっとこういうものを作った方がいい」とビビりながらも本社の会議に出席させてもらったこともあった。生意気な若手だったと思う。

WWD:その後、22歳でベイクルーズへ転職した。どんなことを学んだ?

杉村CEO:当時のベイクルーズは、8人ぐらいの小規模なメーカーで卸売事業をしていた。私は営業で、お得意さんと話して単価の高い別注をどれだけもらえるか、どうやったら売り上げを出せるかを四六時中考えていた。インラインの商品をいかに売るかも当然大事なことだが、そればかりでは大きな売り上げを作ることはできない。ゼロからモノを作り出し、売り上げを取る方法を学んだことは、大きな財産だ。ウィメンズ商品が売れた時の爆発力を学び、ウィメンズでビシネスする感覚もその当時に身についた。小さな会社だったので、生地屋に行って自分で生地を探したり、工場とやりとりしたりすることも多かった。今は、モノ作りから販売まで全ての工程に関わることはなかなかできない。大変だったが、恵まれた環境だったと思う。徐々に会社が直営店経営へシフトし、「イエナ」のディレクターを任された時も、その経験があったからどこで何が滞っているかがよく分かった。今の新卒社員にもジョブローテーションのような制度を設けて、経験させてあげなければとも思っている。

WWD:当時から自分が望んでいない業務にも夢中になれた?

杉村CEO:夢中になるというよりも、とにかく売り上げを取らなければ怒られるからと苦し紛れだった。業務が多すぎて家にも帰れず、土曜日の夜中まで仕事して、日曜日は寝るだけのような生活。それでいて「何かネタはないのか」と突然聞かれることもあるので、それに備えるなど常に緊張感のある毎日だった。

WWD:そんな過酷な環境でも続けられた理由は?

杉村CEO:お金がなかったから(笑)。少ない給料で、4万、5万円するパンツを買って遊びに行っていては常にお金がない。でも、昔はそれが当たり前で先輩たちもみんなそんな生活だった。もちろんつらいだけでなく、ゼロからモノを生み出したり、売り上げを取れたりした時の達成感は随所にあった。

壁は越えてナンボ。どれだけ踏ん張れるかが大事。

WWD:当時どんなキャリアパスを描いていた?

杉村CEO:20〜30代の頃は給料をもらったら、好きな服を買って、焼肉を腹いっぱい食べに行こうくらいしか考えていなかったと思う(笑)。ただ、時代が右肩上がりだったから、入社以来給料が下がったこともなかった。自分の成長とともに会社も大きくなっていく時代だったから、そういう意味では、今の若い人たちと比べると幸せだったと思う。

WWD:特に苦労した思い出は?

杉村CEO:当時の営業は、取引先から代金を回収しなければならず、まるで取り立て屋だった(笑)。つぶれてしまって払えないとか、地方まで行って回収できないこともあった。それから、人見知りで、人と話すことが苦手だった。よく営業職ができていたなと思う。窪田(祐前社長)も私が社長就任した際に、「杉村はお世辞の一つも言えない」と言っていた。昔2人で車に乗っていた時も何を話していいか分からず、気まずい思いをしていた。「イエナ」のディレクターに就任して4、5年たったころ、チームと意思疎通がうまくできず、それがこじれて人間関係が悪くなった時もある。あの時は一番つらかった。

WWD:どのように克服した?

杉村CEO:その時は長く時間をかけて少しずつ修復した。今でも話す内容があれば話すが、あまりべらべら話せる方ではない。

WWD:今の20〜30代に対し、仕事への向き合い方として伝えたいことは?

杉村CEO:当時は何かしくじれば「ばかやろう」とぶたれる時代だったから、今よりも失敗に対するあたりは強かったはず。私は何か失敗したら逃げようと思っていたくらいだ(笑)。失敗することへのハードルが下がっているにもかかわらず、挑戦しないのは本当にもったいない。壁は越えてナンボ。壁を越えていかないと、到達するところはろくなところではない。どれだけ踏ん張れるかがとても大事だ。

問い合わせ先
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映画「ハウス・オブ・グッチ」でレディー・ガガが着用した54ルックの衣装裏話

 1月14日に公開を控えている映画「ハウス・オブ・グッチ」は、実話を基に創業者のマウリツィオ・グッチ(Maurizio Gucci)殺害事件や華麗なるグッチ(GUCCI)一族の崩壊を描くラグジュアリー・サスペンスとしてファッション業界でも注目を集める。アメリカでは21年12月19日に一足先に公開され、映画のファッションや演出に関心が寄せられている。リドリー・スコット(Ridley Scott)監督による同作品の衣装を担当したのは、ジェンティ・イエーツ(Janty Yates)。グッチ一族に波乱をもたらす存在としてパトリツィア・レッジアーニ(Patrizia Reggiani)を演じたレディー・ガガ(LADY GAGA)の54着のルックや、パトリツィアの夫、マウリツィオを演じるアダム・ドライバーに(Adam Driver)が着用した「エルメネジルド ゼニア(ERMENEGILDO ZEGNA)」のスーツ、フリマサイト「イーベイ(EBAY)」で集めたビンテージの「グッチ」アクセサリーなど、衣装の裏話を語る。

WWD:映画の魅力はなんだと思う?

イエーツ:3つある。1つは、名声・歴史ともに大きな影響力を持つブランド「グッチ」に関する物語であること。2つ目は、アメリカだけでなく、世界的“秘密”に包まれたサスペンスの要素を含んでいること。「グッチ」一族に関する話はブランドが生まれた土地、イタリアでは皆一度は耳にしたものかもしれないが、世界ではあまり知られていない。「ヴェルサーチェ(VERSACE)」創業者の故ジャンニ・ヴェルサーチェ(Gianni Versace)氏はマイマミで撃たれ、世界的にニュースになった。アダム・ドライバー演じるマウリツィオの死について大きく話題になることはなかった。3つ目はレディー・ガガ。私の出身地であるイギリスのエリザベス女王に次ぐ、世界で最も有名な人物と言っても過言ではない。

WWD:映画に関わることについて、制作前から知っていた?

イエーツ:リドリーの妻、ジャンニーナ(Giannina)は20年にわたって制作について構想があったと話していた。そんなに前から私は知らなかったが、7年くらい前から話は聞いていた。話が進んだり戻ったりして、ようやく1年前、俳優兼脚本家のマッド・デイモン(Matt Damon)がリドリーに電話で、「ベン・アフレック(Ben Affleck)と脚本を仕上げたけど、監督をやる?」と声掛けがあって制作に乗り出したという。

WWD:衣装担当として、「グッチ」のような大手ブランドにまつわるプロジェクトを進める上で気にかけたことは?

イエーツ:「グッチ」の70年代のデザインは、ざっくりいうと茶色で柔らかいシルエットが中心。衣装で「グッチ」らしさを表現することより、グッチ家の家族構成の面白さを引き立てることに注力した。例えばガガ演じるパトリツィアは、当時「グッチ」をほとんど着ていなかったという。「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」や「ディオール(DIOR)」ばかりを着ていたようだけど、アクセサリーは「グッチ」のものだった。ベルトやバッグは40年代以降、人気を獲得していたんじゃないかと思う。しかし、この時代の茶色やバーガンディ中心だったカラーに新しい革命をもたらしたのは、トム・フォード(Tom Ford)だけだった。本当に衝撃的だった。

WWD:トム・フォードが映画内に登場してわれわれも驚きだった。

イエーツ:トム・フォードが1995年に発表したショーは本当に画期的だった。作中では「ヴェルサーチェ」の1982年のコレクションや「トム フォード」のシーンを再現するべく、アソシエイトデザイナーのステファノ・デナルディス(Stefano De Nardis)が衣装を一から製作して再現した。そして伝説的なモデル兼女優のアンバー・ヴァレッタ(Amber Valletta)のように見えるモデルを探し、素晴らしいシーンを作り上げた。グッチ一族の“異端のデザイナー”と呼ばれるパオロ・グッチ(Paolo Gucci)のコレクションは作中では、彼自身が「パステルとブラウン」と呼んでいることから無味に仕上げた。しかしそれでもゴージャスに見えたと思う。ステファノのデザインもあって、美しい仕上がりになった。

WWD:ビンテージアイテムや製作チームが仕上げたアイテムは、それぞれ作中ではどれくらい使用した?

イエーツ:意識せずに製作していたが、製作陣を率いるドミニク・ヤング(Dominic Young)と彼のチームでおそらく60〜65%の衣装は作っていたと思う。そして30%はビンテージものを探して、残りの10%はローマの「ニーマン・マーカス(Neiman Marcus)」から調達した。当時を“リナシャンテ”(再生)させたんだ。ガガは衣装についても非常に協力的だったので、多くの選択肢を用意した。ある日は「今日はそれを着用したくない。衣装としては素敵だけど、今日は違う気がする」など意見を出してくれたので、ものすごい時間をフィッティングに費やしたと思う。ほかにも「今日はもっとリップライナーを濃くするべきじゃないか」という意見を出すなど、作中での見え方に気を配っていた。採用されたルックは数ある中から3〜4着程度だと思うが、ガガは徹底して細部まで考えを張り巡らせていた。撮影の時は靴からベルト、バッグまで手作りしてそろえて準備した。シーンに合わせてガガは、「ビンテージもので見たことがあるので、パオロに会いに行くシーンで着用したい」と言って「イヴ・サンローラン」のドレスを選んだりした。

WWD:ガガのように衣装に関心の高い俳優とともに働いて感じたことは?

イエーツ:リドリー監督をはじめとして、俳優陣らとも一緒に考えていく作業は大好き。リドリーはいつも率直な意見をくれる。私たちの仕事は「これが良いはず」という服やメイクをいわば一方的に提案するものだが、それがハマった時、俳優は一番いい演技をする。毎回4〜5着の候補を持って、「これが私が考えているものだけどどう?」というと、ガガは「じゃあこれとこれならどう?」「このルックは訴えるものがあるね!」と話を重ねる。ガガは全部で54ルックを着たが、その全ルックを「これだ!」と完璧にして仕上げた。意見をたくさんもらえて本当に楽しかった。

WWD:ガガが演じるパトリツィア・レッジアーニは実在する人物ではあるが、衣装を決める際ほかの歴史的人物からインスピレーションを受けることはあった?

イエーツ:もちろんあった!リドリー監督からは、「イタリアの女優兼フォトジャーナリストのジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida)みたいに見えるようにしたい」と希望があったので、60年代の彼女のファッションをリサーチして話し合った。実際にアルド・グッチ(Aldo Gucci)の誕生日会で彼女が着たドレスやジャケットは取り入れている。映画では、バイヤーが探し出したレースを使って現代的にアレンジした。とても好きなルックだったので、衣装は丸ごと作った。他にも、映画序盤で登場するガガの赤いドレスは、ジーナが着たローカットでセクシーなピンクのドレスをもとにしている。サテンを使って再現し、うまくいったと実感している。

WWD:衣装担当になった時にまずしたことは?フレンツェにあるグッチ ミュージアムには足を運んだ?

イエーツ:台本をもらったとき、ちょうど衣装担当陣の仕事仲間とローマで休暇を取っていたので、そこで彼らにグッチ ミュージアムについて話を聞いたんだ。ランチをしながら台本を読んで、「おやおや!これはイタリアでやらなきゃ!」と意気込んでいたよ。すぐにフィレンツェに移動して、ミュージアムを楽しんだ。本当に素晴らしい空間だった。

WWD:「グッチ」とも協力して衣装製作はした?

イエーツ:最初は連絡を取っていなかったが、アーカイブを見るためにアプローチした。見せてもらうまでに数カ月はかかったが、基本的に協力的だった。アーカイブの責任者に「デザイナーのアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)がパブロ・グッチを演じるジャレッド・レト(Jared Leto)のために衣装を作ってくれる可能性は?彼らは友好関係もあると聞いているが」と尋ねたが、「ないでしょう。いずれにせよ、とても予算に合わないわよ」と返事があった。

WWD:即却下に疑問は抱かなかった?

イエーツ:「グッチ」はミケーレやアーカイブを、ものすごく大切にしている印象だ。でもロバート・トリフス(Robert Triefus)=グッチ エグゼクティブ・バイス・プレジデント兼最高マーケティング責任者とは以前から親交があったので、彼のおかげで「グッチ」のアーカイブをロサンゼルスに持ち出すことができた。ガガに試着させると、本人もすごく気に入っていたし本当によく似合っていた!撮影に合わせてフィレンツェから再度取り寄せて、期間中は厳重に保管していた。

WWD:マウリツィオ・グッチ役のアダム・ドライバーの衣装のこだわりは?

イエーツ:マウリツィオの当時の写真を見てみると、彼のファッションには非の打ち所がない。オーダーメイドの名門高級紳士服店が集中していることで知られるロンドンの通り、サヴィル・ロウ(Savile Row)で仕上げたかのようなルックばかり。コンサバティブに見えながらも、美しいスーツを好んでいたようだ。衣装のためにはニューヨークのテーラー、レオ・ログスデイル(Len Logsdail)を指名し、アダムのために40着のスーツを仕立ててもらった。ネクタイにも彼が持ち寄った「グッチ」のビンテージものに加えて、私のバイヤーたちがリセールサイトから集めた計60本をそろえた。スーツには「エルメネジルド ゼニア」にも協力をしてもらっている。シューズも色から形までを詳細にこだわり、最高のものが出来上がったよ。

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ロンハーマンほか、ライフスタイル提案企業サザビーリーグ角田社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.1

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。初回は人気セレクト店のロンハーマン(RON HERMAN)、エストネーション(ESTNATION)などを擁するサザビーリーグの角田良太社長に聞いた。

WWD:自身が20〜30代だったころは、どのように働いていたか。

角田良太サザビーリーグ社長(以下、角田):自分が20〜30代だったころと、今の新卒世代の人たちとでは価値観は相当違っている。僕が20代前半のころは、ただがむしゃらに、その日の仕事を一生懸命こなすという働き方だった。自分の周りを見ても、今ではよく言われるようになったキャリアパスとか、将来自分がどうなりたいかといったことを意識しながら働いていた人はごく少数だったように思う。とにかくお客さまに喜んでもらいたい、仕事を覚えたいということに当時は没頭していた。

WWD:そうした働き方に対する考えは、その後変化していったのか。

角田:サザビーで「スターバックス コーヒー(STARBUCKS COFFEE以下、スターバックス)」の日本での立ち上げに携わったが、アメリカに4カ月間のトレーニングに行って現地のスタッフと一緒に仕事をする中で、日本とアメリカの働き方はかなり違うと感じた。人材育成の手法にしても、日本の昭和・平成の価値観と、アメリカの新興企業の考え方というのには大きな違いがあり、リーダーに求められる役割も随分と異なる。20代後半〜30代にかけて、そういったことを学ぶ機会を与えてもらったことは、自分にとってすごくラッキーだったと思う。

WWD:手痛い失敗もあったか。

角田:もちろんたくさんあった。がむしゃらに目の前のことに取り組んでいた20代前半をへて、自分がリーダーとしてチームをまとめていく役割になり、「スターバックス」日本1号店の店長もやらせてもらった。アルバイトスタッフであれば今日1日の流れを考えればいいが、社員ならこの先1週間、店長なら3〜6カ月先のことまでを考えないといけない。店長になった当初はそれがうまくできなくて、例えば3月になれば大学4年生のアルバイトはみんな卒業してしまうのに、事前に採用を進めていなかったという失敗もあった。そうなると周りに頼るしかない。日本での事業立ち上げから間もなく、まだスタッフも多くない中で、周りには本当にたくさん迷惑を掛けた。先を見越して事前にプランニングすることがようやくできるようになったのは、さまざまな失敗を嫌というほど繰り返した後だ。

WWD:経営者になった今、そうした失敗をどのように振り返るか。

角田:失敗させてもらえる環境があったことに感謝している。商品や内装などについてなら、失敗してもやり直すことができる。でも、人の育成は失敗してやり直そうとすると長い時間がかかる。そこに対して、組織として受け止める環境が整っているかどうかという点は大きい。「商品やマーケティングももちろん大事だが、最終的には人があってのブランドだ」といった、われわれの骨子となっているブランドビジネスの考え方は、米国の「スターバックス」と仕事をする中で学ばせてもらった。部下やチームに仕事を任せず、自分で全てやってしまうというリーダーも少なくない。「その方が早いから」「これが自分のスタイルだから」と考えているのだろうが、それをリーダーがやればやるほどみんなには迷惑がかかるし、スタイルになってしまうと簡単には変えられない。一方で米国の「スターバックス」には、いかに後継者を育てるかという意識がカルチャーとして根づいていた。だから、今も世界中であれだけ多くの店を運営していても、ブランドとして成り立っている。

人生の3分の2は仕事
だったら楽しいことでないと

WWD:今の20〜30代の働き方を見て、どのような印象を抱いているか。

角田:すごくスマートだと感じている。自分が新卒生だったころに比べ、皆さん情報もたくさん持っている。「24時間働けますか?」だった僕らの時代に比べて、今は自分の大事なこと、興味のあることをきちんと表現することができ、人に流されず、自分の価値観を貫くことができる。それは例えば、会社の“飲みニケーション”に参加するか、それともプライベートの時間を大切にするかといったことにも表れている。若い人たちは多くの情報を持ってすごくスマートに働いていると思う反面、全員がそうではないが、キャリアパスや将来のことを心配し過ぎてしまっていると感じるケースもある。未来のことは考え過ぎても答えは出ない。心配するよりも、とにかくやってみようというチャレンジ精神も大切だ。そういった挑戦の気持ちが、僕らの世代に比べると今の若い人たちは少ないようにも感じる。もちろん、育ってきた環境や将来への不安など、さまざまな要因が背景にあるのだとは思う。

WWD:日本の経済成長のイメージが描けず、環境問題なども山積していて、若者たちは将来を不安視している。

角田:その不安はもちろん分かる。ただ、不安に思っているだけでも何も変わらない。自分の経験からアドバイスできることは、失敗を恐れず、いろんなことを試してみるべきということ。挑戦するチャンスがあるなら、20〜30代のうちに是非やっておいた方がいい。やってみることで、自分が好きなことも嫌いなことも分かる。30代半ばくらいまでに、自分の働き方のスタイルややり方は固まってしまう。そこから変えようというのはかなり難しく、99%無理だと言ってもいい。だから、若いうちにいろんな経験をして、失敗もしておくことが重要だ。30代後半から40代以上になったとき、いろんな経験をしてきた人の方が人との接し方において引き出しが増えるし、山の登り方(目標の達成手法)についてもいろんな選択肢を持てる。山に登っている途中でちょっと休憩しようと考えることもできるだろう。

WWD:将来に漠然とした不安を感じている若い世代にエールを。

角田:「自分は人生で何がしたいのか分からない」という声を若い人からよく聞くが、それは自分も分からなかった。もちろん、当時から分かっている人もいて、彼らのことはうらやましく思っていた。サザビー創業者の鈴木陸三も、現会長の森正督もよく口にするが、人生の3分の2は仕事の時間だ。だからこそ、自分がやっていて楽しい、やりたいと感じるものじゃないと続けていくことは難しい。もちろん、お金をもうけること自体が楽しい、やりたいというのでもいい。もしそれが辛いというのなら、自分が楽しめる、充実感のあることを見つけてほしい。それを見つけるためには、いろんな経験をして、失敗をすることが大切だ。

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ZOZO610(武藤貴宣)の喜び溢れるファッション人生^_^  特別編 憧れの武田邦彦先生に意見をいただきました(後編)

 「ファッション業界がもっと喜び溢れるようになるためにどうしたらいいのか」――ZOZO執行役員の武藤貴宣氏が、敬愛してやまない武田邦彦先生と対談。78歳の科学者ならではの視点で、ファッションおよびファッション業界の課題を指摘してもらった。今回は特別に無料公開でお届けする。(この連載のアーカイブはこちら

前編から続く)
武田:「はつらつとした人生を90歳ぐらいまで送るためのイメージと材料」を提供したら、それはビジネスにつながりますよ。日本経済も活性化するし、老人は生きがいができるし。あなたは今、何歳?

武藤:43歳です。

武田:あと7年の命だ。

武藤:そうなりますかね。

武田:男は50歳過ぎたらもう意味がありません。

武藤:ちょっと今、迷いだしてますね(苦笑)。

武田:まずはじゃんじゃん小説を書いてもらうことなんです。「華やかな50歳以上の生き方」について。何のために生きているかが分からなければ、どういう生活をして、どういうものを着るのか、何が幸福かというのが分からないじゃないですか。そういう状態を抜け出さなきゃいけない。抜け出そうという気持ちにならないから大変です。だからZOZOさんに少しそういうことをやってもらえたら非常にいいと思って、今日は来たんです。僕一人では変人になってしまうから、ぜひ手伝ってください。

武藤:50歳以上と区切るのがいいかは分かりませんが、昔ZIZITOWN(ジジタウン)みたいなものやったらどうだろうと話していたことがあって。今だとリアリティーを持って考えることができますね。

武田:あともう一つ。デザインについて言うと、人間が楽しみや幸福を味わうのは、自分ではなく、他人に「良い」と思われたときに限られるんです。自分だけが良いと思っているデザインでは駄目。接客スペースのデザインであれば、来た客が疎外感を受けないデザインでなくてはいけません。ところが、ファッションのデザインを見ていると、悪いけど自己満足なものが非常に多い。「私、カッコいいでしょう?」なんです。「私どう?」と聞くのもよくない。「私を見て、周りの人は私に好意を持ってくれる?」って聞くべきなんです。でも、そういうコンセプトで作られた服は、僕から見ると、ほとんどないという感じです。

武藤:おしゃれな人というのは、粋でツッコめるんですよね。今おっしゃった自己満足なスタイルは、ガチガチでツッコめないというか。お笑いとちょっと似ているかもしれないですね。ファッションに“余裕”や“間”があって、人が見て気持ちいいと思えるのは、大事ですね。

武田:でもそれは、“自分のために考えている”他人の目なんです。それは駄目なんです。要するに、自分を切り離して、他人が好意的な目で見てくれるということが、幸福をもたらすわけです。人生というのは悲しさがある。その悲しさを克服しながら生きている。つまりいい気になっていないデザインが、いいデザインです。ファッションは、自分だけ良ければいいというか、自分が華やかであればいいという匂いが強いです。住宅よりも強い。だから、その匂いを消すということも非常に重要じゃないかと思いますね。

武藤:めちゃくちゃテクニカルで、難しいですね。

武田:ものすごく難しいです。ぱっと見て、「あなたはイケメンでいいよね」「得意になっている」と見えてはいけない。サラリーマンの悲哀がないと。

武藤:勘違いされやすいのですが、ギリギリセーフでしょうか?

武田:上役や客に怒鳴られたりしている人が、あなたを見て、「カッコいいな」「心は俺たちと一緒だな」と感じる。それが非常に大切なの。いいデザインとかいい絵っていうのは必ず悲しさがある。そういう悲しさが服にも必要です。

武藤:心掛けてみます。

武田:好意的な視線を集めると人は幸せになりますから。ZOZOさんにはぜひそういうファッションを、じいさんにも提案してもらいたいです。

(次回は1月17日12時にアップします)

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「オールモストブラック」の中嶋峻太「自分が好きなものを前に」 内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.6

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第6回はアートとファッションを融合したクリエイションが特徴の「オールモストブラック(ALMOSTBLACK)」を手掛ける中嶋峻太デザイナーに話を聞きました。

内田:ファッションデザイナーを目指したきっかけは?

中嶋:高校生の時に、ファッションショーの様子が掲載されている雑誌を見て衝撃を受けました。その後、パリに留学できるコースがあった、専門学校のエスモード・ジャポンに入学しました。語学はパリに行ってから入学するまでの半年間で勉強したので、最初は先生の言っている言葉が全く理解できませんでした。

内田:強い気持ちがなければ、言葉も伝わらない未知の環境には身を置けないですよね。ブランドのコンセプトに“ポスト ジャポニスム”を掲げたのは、パリでの留学を経て、日本の国や文化の素晴らしさに改めて気づいたからですか?

中嶋:フランスには自分たちの国を愛している人が多かったんです。でも当時の日本は、「日本が好きだ」と声に出している人が少ないように感じていたので、その部分を大切にしていけば海外でも勝負していけるのではと考えました。

内田:中嶋さんが考える日本の魅力とはなんでしょう?

中嶋:生地から製品まで生産できる国は本当に貴重だし、脈々と受け継がれてきた日本の文化は本当に素晴らしいです。現状、日本の生地屋や工場は、中国などに価格競争で負けてしまっている影響で厳しい状況が続いています。その中で僕は日本製にこだわり、彼らに少しでも貢献したい思いでモノづくりに励んでいます。

内田:ブランドの強みである、アートとファッションを融合したクリエイションを実現させるためには苦労も多いですよね。

中嶋:ファッションとのコラボレーションをしたことがない人達と取り組む場合は、納得して頂くまでプレゼンテーションをしますね。プリントで作品を表現したときの色味や見え方などのやり取りを何回も重ねるので、実現するまでに時間はかかりますが、僕が一番やりたいことなので続けています。例えば、内田さんのスタッフから相手に伝えるのと、ご自身で説得しにいくのでは受け取り方が全然違います。そういったことの積み重ねをすごく大切にしています。

内田:それは全然違いますね。人間同士だからこそ、何度も思いを伝えていけば叶うものなんですね。中嶋さんが私の立場になったら、どんなTシャツを作りますか?

中嶋:内田さんが好きなものや気持ちを前面に出した方がいいです。例えば、アニメ「転生したらスライムだった件」のキャラクターの“ミリム・ナーヴァ”のTシャツを作ってくれたら買います(笑)。

内田:中嶋さんがアニメ好きなのは意外でした。私はモノづくりをする際に、大衆向けか、自分だけに刺さるデザインにするかで悩むことが多いんです。

中嶋:2021-22年秋冬シーズンはアーティストの白髪一雄と妻の富士子とコラボレーションしました。「彼らのことを知ってほしい。そして僕は好きだ」という気持ちで作ったんです。大衆向けのコラボレーションは、多くの人がすでにやっているし、コアな方が跳ねる可能性があります。好きなことを突き詰めた方が消費者にも必ず伝わるし、素敵だと思うんです。新しいことを始めたときは、すぐには人に伝わらないし、僕自身もかなり苦労しました。当時はSNSがなかったので、影響力のある店舗に置いてもらうための努力をしたり、個展的な活動を行なったりしていました。

内田:私だけができることや、掘り下げられることを大切にするべきだと身に染みて感じました。やはり周りに理解してもらうまでの時間や我慢は必要不可欠ですね。仮に内田理央×アニメのTシャツを作ると、“グッズT”と捉えられてしまうのでは?と恐れています。「本気でこだわったTシャツ」としての魅力を伝えるために必要なことは?

中嶋:内田さんが好きなTシャツの形や素材を追求すれば、グッズTとの違いは出ると思います。プリントに関しても、シルクスクリーンやインクジェットなど、いろいろな手法があるので、サンプルを見て試行錯誤を重ねていくことが大事です。また、今は伝えられる場が沢山あるので、SNSなどを通して制作過程を発信するのも一つの手段ですね。

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製薬会社のロートが香りのラボを立ち上げた理由 メンタルケアにも注力し「真のウェルビーイングを実現する会社」へ

 ロート製薬は3年前に香りのオープンイノベーションラボ「べレアラボ(BELAIR LAB)」を開設し、以来香りの新たな可能性の探求と研究を行っている。これまで感覚で捉えられてきた香りを感性デザインで科学的に検証し、そのメカニズムを商品開発や生産性向上に活用している。ドラッグストアの「トモズ」と香りの店舗デザインを共同開発したり、2022年シーズンから日本プロサッカーリーグ(J3)に加盟する「いわきFC」の選手と香りがもたらすパフォーマンスへの影響を研究したり、香りのコンサルティングや空間デザインを手掛けたりするなど、幅広くサービスを提供している。さらにBtoC向けには調香師のクリストフ・ロダミエル(Christophe Laudamiel)氏と共にフレグランスアイテムを展開。現在ECサイトを始め、丸井などが出資する体験型店舗「ベータ(B8TA)」でも取り扱われている。医薬品や化粧品を中心に商品開発をする製薬会社のロート製薬が、なぜ香りのビジネスに踏み切ったのかーー。その意図や狙いについて星亜香里ベレアラボ代表に聞いた。

WWD:べレアラボを立ち上げた理由は。

星亜香里ベレアラボ代表(以下、星):べレアラボは、2年前に始めた新規事業。ロート製薬の前はソニー(SONY)でカメラや解析機器などを作っていて、センシング技術に携わっていた。だがセンシングでいろいろ測っても、そのデータを何かに使う提案ができなかった。ある日調香師のクリストフのワークショップを受講し、ずっと前から興味を持っていた香りで何か新しいことができないかと思うようになった。香りの研究は未開拓な領域が多く、隠れた可能性が多くあると感じていた。ロート製薬は社会とのつながりを重視しており、香りで社会に役立つソリューションを提供できたら面白いのではないか。いわゆる自分の魅力を高めるための自己主張としての香りというよりは、コミュニケーションに使ったり、世の中が求めている癒しを与えたり、メンタルケアとして用いたりすることを考えた。

 ロート製薬も、これからは「心の充足の時代」と捉え、自分たちの会社の運営として「心の豊かさ」を重視したい思いがあった。人のQOLは五感で保たれているため、そこを重要視していきたいという指針があり、そこで新規事業として立ち上げることになった。

WWD:嗅覚の研究が遅れているのは日本だけの話?

星:いや、世界で遅れている。メカニズム自体がすごく難しくて。香りは分子の集合体で、匂いを感じることは化学反応。鼻がどのように匂いを嗅ぎ分けるかの仕組み自体が分かったのが、実は最近のこと。われわれは単品の香料や分子だけでなく、調香された香りを実際のフィールドでどう生かされるかを研究しており、それが業界でも珍しいと捉えている。たとえば弊社が開発したシトラスの香り「チアリング ベルガモット」をサッカー選手に使ってもらったら睡眠の質が上がったというフィードバックをいただいたが、こういったデータを商品やサービスに活用している。

サッカー選手と協業して
香りとパフォーマンスの関係性を研究

WWD:サッカー選手に着目したの理由は?

星:「いわきFC」という福島県いわき市のチームと協業した。「いわきFC」は日本サッカー界で最も科学的なクラブとして有名なプロチーム。遺伝子を分析し、遺伝子タイプに応じて、練習をオーダーメイドする手法を取り入れるなどフィジカルトレーニングを非常に科学的に行っている。ただ話を聞くと、メンタルケアはやれていないことが分かった。しかし若くてスキルがまだ発展途上の人ほど、メンタルケアは大事。プロ選手の日々のメンタルコンディショニングに香りを活用することができれば、一般の生活者への応用も広がる。科学的なアプローチに貪欲なチームだからこそできる研究だ。

 ほかにもeスポーツ界でも研究をしている。特にeスポーツは夜中まで試合をするので睡眠をコントロールできないという悩みをよく聞く。そこで被験者2人(男性と女性)に24時間・14日間、心拍モニターを装着してもらい、体のコンディションをモニタリングした。その結果、われわれが開発した「グリーン」という香りを提供したら、デジタル疲労の回復に有効だということが分かった。女性は寝るときの副交感神経の活性度が上がり、緊張しない状態で寝ることができた。一方の男性はゲームの勝率が上がり、パフォーマンス向上につながった。

 これらの研究により、香りはパフォーマンスやコンディションにさまざまな影響を与える可能性があることを実証できた。

WWD:ほかにもtoB向けのサービスで「トモズ」と協業した。

星:トモズは現在、店舗空間に香りを導入している。「トモズ」のブランドコンセプトをまず言語化してもらって、それを一つ一つ香りに変換した。さらにVRゴーグルを装着してもらい、店頭の映像を見ながらいくつかサンプルの香りを嗅いで、「明るい」「元気な」「清潔」というように、それぞれの印象を直感的に出してもらった。最終的に香りをマッピングをし、「トモズ」のコンセプトに合わせた香りを作った。香りで心地よい空間を作っていたが、それがお客さまや従業員に好評を得て、ハンドクリームも作ることになった。

WWD:香りがブランディングの手法としても今後活発化しそう。

星:匂いは、メッセージを届けられるもの。オレンジの匂いを嗅いだら「明るい」や「フレッシュ」など、共通してみんなが思う。だから嗅いだ人にフレッシュで明るい気持ちを与えたいなど、人の感性に働きかけることができる。感情のコミュニケーション、感情のマーケティングというのが香りでできる。目に見えないものの難しさはあるけれど、面白さもある。

WWD:「目に見えない」話をすると、表参道で行ったポップアップショップ・アートイベントで香りの言語化や視覚化に挑戦した。

星:香りは目で見えないからこそ、言語化や視覚化はとても重要。ただ多面的である上に、視覚情報などいろんなものに左右されやすいために、言語化がとても難しいものでもある。同じ香りでも「明るい」「元気」「輝き」と説明する言葉を変えるだけで感じ方が変わってしまう。でもそれはそれで面白い。われわれのフレグランスはラベルを全てグレーに統一しているが、それは色を使うと香りのイメージを決めつけてしまうから。人によっていろんな受け取り方があるという自由度が香りの魅力。解釈の余白がないと、面白くない。

WWD:効果と結びつけた香りといえば昔からアロマセラピーがある。

星:われわれが狙っているのはアロマセラピーのファンクショナル(機能的)な部分と、調香師が描く芸術的な世界を掛け合わせた新しい香りの形。今後両方をうまく掛け合わせた香りの可能性が広がるだろう。

WWD:日本の香水市場は小さいとよくいわれるが、だからこそチャンスを見出しているのか。

星:私も香りのビジネスに参入するとき、「日本は香水砂漠」といったことをたくさん言われた。業界にいる人ほど、口をそろえて言っていた。しかし、業界の外の人はそんなことを知らなくて、もっとほかの可能性があると思っている。

 日本で香りというと、いわゆる嗜好品の香水といったものか、アロマしかない。しかも香水のほとんどは海外製のものが日本に入ってきているだけ。だから市場が狭いように感じてしまう。実際、今まで香水が苦手という人ほど、べレアラボに興味を持ってくれている。だから日本人は本来、香りは嫌いではないはず。

「香りは一番、人間が人間たる感情やメンタル、
精神などに一番アプローチできるもの」

WWD:ロート製薬は目薬や胃腸薬、リップクリームなど、悩みに応えるソリューション型の商品が多い。それらはフィジカルな悩みだが、今後は香りを用いてメンタルな領域に足を踏み入れるのは面白い。

星:それをネガティブにやりたくない。メンタルというと、「暗い気持ちを解決します」といった考えをしがち。そうなると自分が暗い気持ちにあることを認めなければならないし、押し付けることになる。だからそこは、ロート製薬の製薬会社としてのスタイルとは離した。香り自体がとてもポジティブなものなので、ポジティブなアプローチにこだわった。

WWD:製薬会社が作る香りの強みは。

星:製薬会社の中でもロート製薬は薬を作っているが、本来は薬が要らないのがベスト、との考えを持っているほど。ただどうしても人間は不調になることもあるので、そこを薬で補うことは必要と考えるが、健康を支える方法はほかにもいろいろな方法があるはず。香りは一番、人間が人間たる感情やメンタル、精神などに一番アプローチできる。体だけでなく、心もイキイキとしている状態、ウエルビーイングに近づく一つであると考えている。

 香りは医薬品ではないので効果効能はいえないものの、きちんと研究に基づいて効能を実証した香りを作っているところが、製薬会社として香りを取り組むべきポイントなのではないか。われわれはコミュニケーションにも香りを使ってほしいと思っている。今後は家族や会社などより円滑な人間関係に香りを使って、優しい社会を作りたい。優しい社会があれば、おのずとみんなのメンタル面も良くなっていくと思う。香りがいろんなものを解決できるようになりたい。

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アパレル・ビューティ業界から依頼続出 新進気鋭の絵描きイズミダ・リーが初めてミネラルメイクブランドのパッケージをデザイン

 力強さの中にも女性らしいタッチ、独特の色彩で注目を集める新進気鋭の絵描きであるイズミダ・リーさんは、「ユニクロ(UNIQLO)」や「ジャーナルスタンダードファニチャー(JOURNAL STANDARD FURNITURE)」などアパレル企業とのコラボレーションを行うなど活躍の場を広げている。3月にはミネラルメイクブランド「エトヴォス(ETVOS)」が2012年からシーズン限定で販売する“ミネラルUVシリーズ”のパッケージデザインを担当。イズミダさんに創作活動や「エトヴォス」で手掛けたデザインなどについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):アパレル企業とのコラボレーションで話題に。子ども対象にしたワークショップなども人気を集めている。

イズミダ・リー(以下、イズミダ):普段は個展に向けて自分の作品をベースにしていますが、友人や知り合いなどがアパレル企業とのコラボレーションなど新規案件を提案してくれます。それに柔軟に対応すると楽しい取り組みになりますね。もちろん闇雲に引き受けるのではなく、自分と共通点のあるものや、好きなアイテムであることが大前提にあります。

店舗のウィンドウにデザインしたり、子どもたちが参加するワークショップの需要が高くなったりしているのは、コロナ禍で2年近くリアルなイベントが軒並みキャンセルとなっていたので、その反動があると思っています。私自身も20年はライフワークである個展を休止していましたが、21年は巡回展を再開しました。

WWD:デザインソースはどこから得ているのか。

イズミダ:とにかく絵を描くのが大好きなんです。私にとって描くことはポジティブになること。スケッチブックは常に持ち歩いているので隙間時間があれば書いています。年間で厚みのあるスケッチブックが4〜5冊一杯になります。アウトドアが好きなので山や川など自然に触れて得たものを描くことが多いですね。花ばかりや魚ばかり書いている時期もあります。10〜25歳位までは人物画も描いていましたが、今は植物や昆虫、動物などが多いですね。

あとは、自己分析する時間を大切にしています。無理をしない時期、頑張る時期などを自分でジャッジできるようになるとフラットな状態で常にいられます。

WWD:サステナブルな生活を日常的に取り入れているとか。

イズミダ:モノを大切に扱っています。アクリル絵の具を使用し描いているのですが、水入れは小学生から使っているものです。普段の生活でも過剰包装を断ったり、環境に考慮した商品を選んだりしています。

「エトヴォス」のパッケージを描き下ろし

WWD:「エトヴォス」からの依頼でメイクアップ商品のパッケージデザインを初めて手掛けた。

イズミダ:声が掛かったときは、シンプルにやったーと思いました(笑)。毎日使用する化粧品パッケージを手掛けてみたかったんです。私は敏感肌なので「エトヴォス」の商品を愛用していたんですよ。芯がしっかりしているブランドという印象を生かしつつ、“ミネラルUVシリーズ”は日焼け止めアイテムであることから、山や川、鳥、蝶など自然からインスピレーションを得て1枚の絵を描きました。5アイテムのパッケージは、その1枚の絵を切り取り、使用するデザインの箇所を変えているんです。そんな使い方があるんだと面白さを感じました。

「エトヴォス」は自分が使いたいブランドです。“ミネラルUVシリーズ”は12年の発売以来、珊瑚の白化の原因になる紫外線吸収剤を使用せず、肌と環境にやさしいアイテムをそろえています。今回、初めてアイシャドウやリップなどカラーアイテムを使ったのですが、カラーメイクって気持ちが高揚しますよね。自分がデザインを手掛けたというわけではなく、好きな商品だから友人にも自信をもって勧められます。まずは姉と妹に使ってもらいます(笑)。

WWD:絵描きとして今年も活躍の場が広がる。

イズミダ:昨年は巡回展を開催しました。今年も絵の展示やワークショップの依頼が増えています。異業種とのコラボレーションもありますので楽しみにしていてください。

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OEMってどんな仕事? 「ギャルソン」も手掛けるニット製造の老舗で働く27歳の奮闘記

 製造業には、他社から依頼を受けて商品を代理で製造するOEM(Original Equipment Manufacturing)というビジネスがある。食品から機械、金属まであらゆる業界にOEMがあり、アパレルも例外ではない。コレクションブランドから量販メーカーまで、多くのブランドがOEMを活用する。

 東京・秋葉原と浅草橋の中間にひっそりとビルを構えるハイセンヰは、アパレルの中でもニットに特化した老舗OEM企業だ。「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」「アンダーカバー(UNDERCOVER)」「ビズビム(VISBIM)」など、国内の名だたるデザイナーズブランドを手掛けている。50年以上前に、靴下工場に糸を売る“糸商”として創業し、ニットのOEM企業と合併して今の業態となった。約10人の従業員が在籍し、20〜30年働くベテランもいる。

 同社で営業アシスタントとして働くのが、入社3年目27歳の福地藍さん。営業担当が受注したデザイン案を仕様書に落とし込み、工場にサンプル生産を依頼するほか、サンプルの納品や量産のスケジュール管理などを行っている。

 「入社当初はわけがわからず、とにかく営業に付いて回って食らいつきました」と振り返る福地さん。例えば仕様書は、「そもそもサイズや資材、細かな仕様をどう伝えればいいのか分からない。しかも、データでいい工場もあれば、紙じゃないといけないところもある」。先輩が書いた仕様書や同じブランドの過去のものを大量に読み、必死に真似した。「自分で書けるようになったのは、ここ数シーズンです」。ブランドの依頼形式もさまざまだ。「ディテールまで明確にしたデザイン案をくれるブランドもあれば、『こんな感じで』とニュアンスだけで依頼されることもあります。デザイナーの意図を汲み取り、具現化するため、糸や素材、色、編み、加工のあらゆる知識が必要。毎日が勉強です」。

ブランドを辞め、OEMに
「物作りの醍醐味は変わらない」

 福地さんは、文化服装学院でファッションを学んだ。最初は布帛(織物)をメーンとする服装科だったが、「どうしてもニットがやりたい」と2年生の春にニットデザイン科に転科した。「布帛は生地のベースがあって、布を買って作ることが多いけど、ニットはどういう糸にするか、どういう編みにするか、どういう加工にするかなど無数の選択肢がある。それが面白いんです。それと、自分の手ですぐに作れることも魅力です」。

 卒業後は、メンズブランドを手掛けるアパレル企業に入社。デザイナーとして、商品企画から展示会の運営、量産管理までを行った。「ブランドで働くのもすごく楽しかった。でも、取引先の工場やセレクトショップが大きく変わることがなく、『もっと広い視野でアパレルを見たい』と、ハイセンヰに転職しました」。OEMには、デザイナーという肩書きはない。それでも、物作りの喜びは変わらない。「ファーストサンプルを見て、バイヤーやプレスの人に『かわいい』といってもらえると本当にうれしい。お手伝いした商品が店頭に置いてあったり、雑誌に載っていたりすると、『次も頑張ろう』と励みになります」。

「起毛が足りない」
予想外だらけの生産現場

 12月から1月は、複数ブランドの納期が重なる繁忙期。工場はキャパシティの限界まで稼働するため、資材一つでも納品が遅れれば生産スケジュール全体が後ろにずれ込む。現場の緊張感も高く、「こんな仕様書じゃ分からない」「資材の納期はどうなってるんだ」と注意を受けることもしばしばだ。「納期前はいつもヒリヒリします。でも、その緊張感があってこその物作りだし、それだけみんな本気でやっている。プレッシャーも感じますが、腕の見せ所でもあります」。量産した商品が無事に納品されても、ブランドのイメージと異なる場合もある。「起毛加工が足りなかったり、フリンジのねじれが甘かったり。工場にお願いする時間がないときは、自分たちでブラッシングしたり、ねじねじしたりしています。フィジカルなものづくりだから、予想外のことがたくさん起こるんです」。

 OEMで働く中で、業界の課題も実感した。ブランドに納品するサンプルは、「平均はサード、うまく行けばセカンド」で完成する。しかし、納品しても展示会に出ず量産化に至らないことや、オーダーがつかないこともある。「フォースサンプルまで作ってボツになることもあります。工場は量産化も見据えてやってくれているので、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。業界を盛り上げるには、こういったシステムの課題を解決することも必要だと感じています」。

ニットの“生き字引”とともに
海外でも活躍する人材へ

 「今後は、日本生産で海外ブランドと取引したい」と夢を膨らませる福地さん。「まずは、もっと知識を増やして多様なブランドに対応し、仕事を円滑に進められるサポートをする人材になりたい。タッグを組んでいる営業はもちろん、DCブランドの全盛期を支えたニットの“生き字引”みたいな先輩もいるので、彼らからたくさん吸収していきます」。

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サステナブルな消費を根付かせたい! 20歳大学生起業家の挑戦

 三井不動産が運営する東京・渋谷の複合施設「ミヤシタパーク(MIYASHITA PARK)」の1階イベントスペース「アンドベース(&BASE)」で、環境配慮型のアパレルや雑貨など取り扱う16ブランドを集めたポップアップストア「ネオ(NEO)〜消費が変わる、未来が変わる〜」が1月16日まで開催されている。

 ポップアップストアは、環境配慮型商品のSNSメディア・ECの「エシカルな暮らし」を運営するベンチャー企業Gab(東京)が主催。代表を務める山内萌斗さんは20歳の大学生だ。

 2019年の冬。地元の静岡・浜松の国立大学2年生だった山内代表は一念発起して上京し、起業した。大学は現在も休学中という。「周りには、サステナビリティに強い関心を持ち、身の回りでやれることから取り組んでいる若者はたくさんいる。でも僕は、エシカルな意識を社会に根付かせ、消費のあり方そのものを変えるプレイヤーを目指していきたい」と語る山内代表。若くして起業に至った経緯と今後を聞いた。

WWD:ポップアップストアの反響は?

山内萌斗代表(以下、山内):商品を実際に手に取ったお客さまからは、「これがリサイクル素材(を使った商品)なんだ」「予想以上(の品質)で驚いた」といった声が聞かれますね。エシカルファッションブランドの「カーサ フライン(CASA FLINE)」はサステナブルな素材だけでなく都会的なカラーパレット、立体的なパターンにもこだわっていて、通な洋服好きにも袖を通してほしい商品ばかりです。「ラヴィスト トーキョー(LOVST TOKYO)」のリンゴ原料のヴィーガンレザー雑貨は、アニマルレザーにはない風合いがユニーク。自然派化粧品ブランド「ボタニカノン(BOTANICANON)」は、廃校舎をリノベした工場で製品を作っています。品質だけでなく、その背景にあるストーリーも面白いブランドばかりです。

WWD:Gabとはどんな会社?

山内:学生メンバーが中心となって立ち上げ、現在社員は7人。まだまだ小さな会社です。今回のポップアップは、三井不動産がブランドやECを運営する小規模事業者を対象に、消費者とのリアルなタッチポイント構築を支援するプロジェクト「ニューポイント」の一環で出店の機会をいただきました。スペースの貸し出しは無料で、商品の仕入れコストも(三井不動産に)一部を肩代わりしていただいています。

 当社の主な事業は「エシカルな暮らし」のインスタメディアとEC運営ですが、そのほかにも街のゴミ拾いがゲーム感覚でできるイベントの運営や、ポイ捨てごみを“活用”した広告ビジネスを展開しています。僕たちは路上ゴミが多い場所をデジタルマップ上に可視化するシステムを開発しました。これによりゴミ箱の設置場所を最適化するとともに、「ゴミが多い場所=人通りが多い場所」であることを利用し、広告を設置してマネタイズしています。

WWD:起業のきっかけは?

山内:学校に馴染めなかった中高時代にさかのぼります。初めは、僕みたいな生徒がいなくなるような学び場を作りたい、と学校の先生を志していました。しかし大学の情報学部でデジタル関連の学びを深めるうち、いち教育者として携わるより、教育を根本から変えるような仕組みを作ることができる経営者になりたいと思い始めました。そして大学1年生の時、東京大学の「起業家育成プロジェクト」を通じてシリコンバレーへ留学したことが大きな転機になりました。

WWD:シリコンバレーではどんな刺激を受けた?

山内:米国の若くして起業を志す人たちは、「このサービスが本当に世の中にとってマストハブ(必要不可欠)なのか?」ということを考え抜いています。僕はその点でいえば、自分の独りよがりな経験に縛られ、教育という狭い枠組みでしか考えていなかった。世界を見渡せば、環境問題や貧困など、必要とされている事業領域は広大です。2週間という短い期間でしたが、起業家になるには、もっと視野を広げる必要があることを思い知らされました。

WWD:そこからは「思い立ったらすぐやろう」と。

山内:はい。大学ではやれることも限られますし、帰国して半年後(19年10月)には休学して上京し、12月に起業しました。幸いにもエンジェル投資家や企業数社の支援を受け、ゴミ箱を活用した広告事業(前述)をテストしていたのですが、19年末に新型コロナで街のトラフィックが激減。ビジネスそのものが成り立たなくなりました。

 早くも会社の存続が危ぶまれましたが、このような状況で、人々の消費意識がサステナブルな方向へ大きくシフトしていることも感じていました。そこで社運をかけたプロジェクトだったのが「エシカルな暮らし」です。20年2月にインスタアカウントを、7月にはECを立ち上げて仕入れ販売(一部は代理販売)を始めました。現在、インスタアカウントのフォロワーは2万4000人、ECの取り扱いブランドは32まで増え、なんとか7人(の社員)が食べていけるくらいにはなっています。

WWD:ブランドの選定基準は?

山内:まず「デザイン性が優れていること」。次に「感動体験があること」。最後に、「誰を助けているかが明確であること」です。たとえ環境に徹底して配慮したアイテムでも、ダサかったら手に取ってもらえません。また、エシカルな商品を語る際には、一般消費者には馴染みのないサプライチェーンや生産者、難解な横文字のリサイクル技術などを説明しがち。そういう敷居が高いイメージも変えていきたくて、使った時の「軽い」「温かい」みたいな直感的な部分を大事にしています。

WWD:今後について。

山内:世の中には、地球のために素晴らしい取り組みをしているブランドはたくさんあります。僕たちのビジネスはまだまだ偉そうなことを言える規模ではありませんが、そういうブランドを掘り起こし、消費者との橋渡し役にもなることで、サステナブルな消費を地道に根付かせていきたいです。

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テレワークがはかどるフレグランスがフィッツから誕生 「集中の香り」と「リラックスの香り」でオンとオフの切り替え

 フレグランスを中心に化粧品の輸入販売・開発を行うフィッツコーポレーションはこのほど、香りの機能性に着目した新ライン「フィッツコンディショニング(FITS CONDITIONING)」を立ち上げた。同社が誇る長年のフレグランスのノウハウと研究を生かし、“香りのチカラでコンディションを整える”フレグランスを提供する。第1弾製品は「集中したいときに使いたい香り」「リラックスしたいときに使いたい香り」の2つの香りで、それぞれルームスプレーとディフューザーを販売する。2021年12月25日まで、蔦屋書店スクランブルスクエア店内のシェアラウンジで2つの香りを楽しめるイベントを開催していた。

 「ライジングウェーブ(RISINGWAVE)」「レールデュサボン(L’AIR DE SAVON)」「ヴィーナススパ(VENUS SPA)」といったオリジナル商品に加え、「ボディファンタジー(BODY FANTASIES)」「モムチ(MUMCHIT)」「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」など海外ブランドのライセンス製品や輸入販売を担う同社の込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者に、フレグランスの新業態に挑戦する理由や意気込みについて聞いた。

WWD:「フィッツコンディショニング」とは。

込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者(以下、込戸):われわれは「社会にある課題を香りで解決していく」というミッションを掲げており、コロナ禍で浮上したさまざまな課題を香りで解決すべく、新ラインを立ち上げた。特にリモートワークで1日同じ空間の中でオンとオフ、仕事とプライベートを過ごさなければいけなくなり、気持ちを切り替えるのが難しくなった。もともと4〜5年前から「フィッツスポーツ(FITS SPORTS)」というスポーツ選手のパフォーマンスアップに寄与する機能性香料を開発してきたが、スポーツだけでなく、ビジネスシーンや学習の場でも香りの力を生かせるのでは、と考えた。「フィッツスポーツ」で開発した機能性香料を、リモートワークやライフスタイルに応用したのが「フィッツコンディショニング」だ。古賀良彦・杏林大学医学部精神神経学教室名誉教授兼医学博士に監修してもらい、“コンディションを整える”フレグランスを手掛けた。

きっかけはスポーツ選手との協業

WWD:そもそも4〜5年前に“機能性香料”に着目した理由は。

込戸:男性向けのフレグランス「ライジングウェーブ」で12年前、とある野球選手をキービジュアルに起用させていただいたのだが、そのきっかけが普段から愛用していた弊社のボディークリームだった。とても甘くティーン向けの香りだが、彼は身だしなみにもとてもこだわる人で、1週間に何本も使っていたという。その後別のサッカー選手とも取り組みさせていただくようになったのだが、ゴールをしたときにユニフォームのエンブレムにキスをする仕草が有名で、話を聞いてみると、実はそこに香水を仕込んでいたというエピソードも。それまでは弊社の中のフレグランスはスポーツシーンには需要がないのかと思っていたのだが、香りはスポーツといったパフォーマンス界でも大きな力を持つことに気づき、ただの嗜好品を超えて、機能性を持たせたらもっと可能性は広がるのでは、と考えるようになったのがきっかけだった。

WWD:第1弾製品として、「集中」と「リラックス」の香りのスプレーとディフューザーを作った。

込戸:競馬やゴルフ、野球、マラソンなどさまざまなスポーツで活躍するアスリートに話を聞くと、「パフォーマンス向上」「集中力アップ」といったニーズと、一方で「リラックス」「リカバリー」といったキーワードが共通してたくさん出てきた。ただ、それは普段の日常の中でも絶対にあるニーズ。例えば集中するときに最適な香りがあれば、受験生は勉強がはかどるだろうし、ビジネスマンにも活用いただけると感じた。まずは分かりやすさという点でも、集中とリラックスという2つの香りを出すことにした。「フィッツスポーツ」では鼻に貼る鼻腔拡張テープを開発したが、今回は日常のライフスタイルに寄り添うアイテムとして、使いやすいディフューザータイプを作った。ただディフューザーだとふんわり柔らかく香りたつので、空間を彩るにはいいもののオンとオフの切り替えがしづらいと感じ、即時に香りを広げられるルームスプレーも用意した。単品で購入することももちろん可能だが、個人的にはセットで使うことをオススメしている。

WWD:機能性に着目したフレグランスでこだわったことは。

込戸:日本は欧米諸国に比べて香りの文化が習慣化されていないとよくいわれるが、われわれは日本人が香りに馴染みがないというより、日本人に合った使い方や向き合い方を伝える必要があると感じている。そこで今回の「フィッツコンディショニング」では、「香りにはこんなアプローチもあるんだ」という気づきを与える目的もある。日本ではアロマテラピーはまだ一部の方にしか浸透しておらず、ハードルが高いと感じる人も多い。日常的なシーンで手軽に使っていただくことで、香りの持つ力を身近に感じてもらえるような説明の仕方にこだわった。

WWD:コロナ禍で人々の香りへの意識はどのように変化したと感じるか。

込戸:社会情勢が大きく変わって、人々のライフスタイルが大幅に変化した。おうち時間が伸びて、日常生活における香りの取り入れ方が大きく変わってきている。弊社でもルームディフューザーやファブリックスプレーといったインテリアフレグランス商材が急伸した。またこれまでは対外的に自分を魅力的にみせるためにあった香水が、今はどちらかというと自分自身のリラックスだとか、内面のために使う人が増えている。今後われわれとしては、そういったインテリア商材はもちろん今回の「フィッツコンディショニング」といった新たな香りの楽しみ方を提案し続けたい。

フレグランス企業として
30年以上香りと向き合ってきた実績を強みに

WWD:他社でも機能性フレグランスを開発することが増えている。「フィッツコンディショニング」の強みは。

込戸:やはり30年間、香りと向き合ってきた実績が大きい。今回香りの研究開発を重ねて開発したが、そこのサイエンス的な部分と、嗜好性がしっかり取れるような香りを組み合わせ、掛け算をしているというのは、ポイント。仮にパフォーマンスが向上しても悪い香りだったら誰も手に取らないわけで。そこはしっかりと「ただ、いい香りでしょ?」というわけではなくて、脳と香りの関係性を研究されている古賀先生にも協力いただいたことで、この両方の掛け算がしっかりできている。

WWD:今後はモノ以外のサービスにも事業を広げるのか。

込戸:今後は1日に大きな時間を占めるレスト(睡眠)タイムに、香りを利用したソリューションを提供できないか考えている。スプレーといった商品だけでなく、AIなどのテクノロジーを活用できないか、今開発を進めている。「フィッツコンディショニング」は企業名を冠しているだけに、強いこだわりと思いを込めており、弊社の中でも今後の成長の柱と捉えている。既存のブランドの枠を越えて香りの新たな市場を開拓するパイオニアでありたいし、「社会の課題を香りの力で解決する」と銘打っている。香りは目に見えないからこその難しさと、面白さがある。嗅覚は五感の中で唯一本能に直結して感じられる器官でありながら、まだまだ未開拓な分野でもある。だからこそ可能性はあるし、香りの世界を広げていきたい。

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テレワークがはかどるフレグランスがフィッツから誕生 「集中の香り」と「リラックスの香り」でオンとオフの切り替え

 フレグランスを中心に化粧品の輸入販売・開発を行うフィッツコーポレーションはこのほど、香りの機能性に着目した新ライン「フィッツコンディショニング(FITS CONDITIONING)」を立ち上げた。同社が誇る長年のフレグランスのノウハウと研究を生かし、“香りのチカラでコンディションを整える”フレグランスを提供する。第1弾製品は「集中したいときに使いたい香り」「リラックスしたいときに使いたい香り」の2つの香りで、それぞれルームスプレーとディフューザーを販売する。2021年12月25日まで、蔦屋書店スクランブルスクエア店内のシェアラウンジで2つの香りを楽しめるイベントを開催していた。

 「ライジングウェーブ(RISINGWAVE)」「レールデュサボン(L’AIR DE SAVON)」「ヴィーナススパ(VENUS SPA)」といったオリジナル商品に加え、「ボディファンタジー(BODY FANTASIES)」「モムチ(MUMCHIT)」「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」など海外ブランドのライセンス製品や輸入販売を担う同社の込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者に、フレグランスの新業態に挑戦する理由や意気込みについて聞いた。

WWD:「フィッツコンディショニング」とは。

込戸やよい「フィッツコンディショニング」企画・開発者(以下、込戸):われわれは「社会にある課題を香りで解決していく」というミッションを掲げており、コロナ禍で浮上したさまざまな課題を香りで解決すべく、新ラインを立ち上げた。特にリモートワークで1日同じ空間の中でオンとオフ、仕事とプライベートを過ごさなければいけなくなり、気持ちを切り替えるのが難しくなった。もともと4〜5年前から「フィッツスポーツ(FITS SPORTS)」というスポーツ選手のパフォーマンスアップに寄与する機能性香料を開発してきたが、スポーツだけでなく、ビジネスシーンや学習の場でも香りの力を生かせるのでは、と考えた。「フィッツスポーツ」で開発した機能性香料を、リモートワークやライフスタイルに応用したのが「フィッツコンディショニング」だ。古賀良彦・杏林大学医学部精神神経学教室名誉教授兼医学博士に監修してもらい、“コンディションを整える”フレグランスを手掛けた。

きっかけはスポーツ選手との協業

WWD:そもそも4〜5年前に“機能性香料”に着目した理由は。

込戸:男性向けのフレグランス「ライジングウェーブ」で12年前、とある野球選手をキービジュアルに起用させていただいたのだが、そのきっかけが普段から愛用していた弊社のボディークリームだった。とても甘くティーン向けの香りだが、彼は身だしなみにもとてもこだわる人で、1週間に何本も使っていたという。その後別のサッカー選手とも取り組みさせていただくようになったのだが、ゴールをしたときにユニフォームのエンブレムにキスをする仕草が有名で、話を聞いてみると、実はそこに香水を仕込んでいたというエピソードも。それまでは弊社の中のフレグランスはスポーツシーンには需要がないのかと思っていたのだが、香りはスポーツといったパフォーマンス界でも大きな力を持つことに気づき、ただの嗜好品を超えて、機能性を持たせたらもっと可能性は広がるのでは、と考えるようになったのがきっかけだった。

WWD:第1弾製品として、「集中」と「リラックス」の香りのスプレーとディフューザーを作った。

込戸:競馬やゴルフ、野球、マラソンなどさまざまなスポーツで活躍するアスリートに話を聞くと、「パフォーマンス向上」「集中力アップ」といったニーズと、一方で「リラックス」「リカバリー」といったキーワードが共通してたくさん出てきた。ただ、それは普段の日常の中でも絶対にあるニーズ。例えば集中するときに最適な香りがあれば、受験生は勉強がはかどるだろうし、ビジネスマンにも活用いただけると感じた。まずは分かりやすさという点でも、集中とリラックスという2つの香りを出すことにした。「フィッツスポーツ」では鼻に貼る鼻腔拡張テープを開発したが、今回は日常のライフスタイルに寄り添うアイテムとして、使いやすいディフューザータイプを作った。ただディフューザーだとふんわり柔らかく香りたつので、空間を彩るにはいいもののオンとオフの切り替えがしづらいと感じ、即時に香りを広げられるルームスプレーも用意した。単品で購入することももちろん可能だが、個人的にはセットで使うことをオススメしている。

WWD:機能性に着目したフレグランスでこだわったことは。

込戸:日本は欧米諸国に比べて香りの文化が習慣化されていないとよくいわれるが、われわれは日本人が香りに馴染みがないというより、日本人に合った使い方や向き合い方を伝える必要があると感じている。そこで今回の「フィッツコンディショニング」では、「香りにはこんなアプローチもあるんだ」という気づきを与える目的もある。日本ではアロマテラピーはまだ一部の方にしか浸透しておらず、ハードルが高いと感じる人も多い。日常的なシーンで手軽に使っていただくことで、香りの持つ力を身近に感じてもらえるような説明の仕方にこだわった。

WWD:コロナ禍で人々の香りへの意識はどのように変化したと感じるか。

込戸:社会情勢が大きく変わって、人々のライフスタイルが大幅に変化した。おうち時間が伸びて、日常生活における香りの取り入れ方が大きく変わってきている。弊社でもルームディフューザーやファブリックスプレーといったインテリアフレグランス商材が急伸した。またこれまでは対外的に自分を魅力的にみせるためにあった香水が、今はどちらかというと自分自身のリラックスだとか、内面のために使う人が増えている。今後われわれとしては、そういったインテリア商材はもちろん今回の「フィッツコンディショニング」といった新たな香りの楽しみ方を提案し続けたい。

フレグランス企業として
30年以上香りと向き合ってきた実績を強みに

WWD:他社でも機能性フレグランスを開発することが増えている。「フィッツコンディショニング」の強みは。

込戸:やはり30年間、香りと向き合ってきた実績が大きい。今回香りの研究開発を重ねて開発したが、そこのサイエンス的な部分と、嗜好性がしっかり取れるような香りを組み合わせ、掛け算をしているというのは、ポイント。仮にパフォーマンスが向上しても悪い香りだったら誰も手に取らないわけで。そこはしっかりと「ただ、いい香りでしょ?」というわけではなくて、脳と香りの関係性を研究されている古賀先生にも協力いただいたことで、この両方の掛け算がしっかりできている。

WWD:今後はモノ以外のサービスにも事業を広げるのか。

込戸:今後は1日に大きな時間を占めるレスト(睡眠)タイムに、香りを利用したソリューションを提供できないか考えている。スプレーといった商品だけでなく、AIなどのテクノロジーを活用できないか、今開発を進めている。「フィッツコンディショニング」は企業名を冠しているだけに、強いこだわりと思いを込めており、弊社の中でも今後の成長の柱と捉えている。既存のブランドの枠を越えて香りの新たな市場を開拓するパイオニアでありたいし、「社会の課題を香りの力で解決する」と銘打っている。香りは目に見えないからこその難しさと、面白さがある。嗅覚は五感の中で唯一本能に直結して感じられる器官でありながら、まだまだ未開拓な分野でもある。だからこそ可能性はあるし、香りの世界を広げていきたい。

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1年間で8000脚を販売 キャンペーンが大ヒット、デンマーク発「カール・ハンセン」の一生もの“Yチェア“

 デンマーク発インテリア「カール・ハンセン&サン(CARL HANSEN & SON以下、カール・ハンセン)」がコロナ禍で売り上げを伸ばしている。「カール・ハンセン」といえば、巨匠ハンス・J・ウェグナー(Hans J Wegner)による名作椅子”CH24“=“Yチェア“で知られている。「ビームス(BEAMS)」や「アクタス(ACTUS)」のスタッフの自宅を紹介する本の中で、最も多く登場している椅子と言っても過言ではない。コロナ禍に行った“Yチェア”のキャンペーン価格販売が大ヒット。「カール・ハンセン」を扱う某ディーラーは、「ウェグナーの名作椅子が10万円以下で購入できるというのは大きな魅力だ。キャンペーンの価格戦略も大好評だった」と話す。“おうち時間”が追い風で成長するカール・ハンセン ジャパンのネイサン・ベックウィス(Nathan Beckwith)社長に話を聞いた。

WWD:コロナになってからの商況は?

ネイサン・ベックウィス=カール・ハンセン ジャパン社長(以下、ベックウィス):2018年以降の3年間で売り上げが1.5倍になった。予算比で20年は116%、21年は120%と年々売り上げを伸ばしている。

WWD:売り上げ好調の理由は?

ベックウィス:“Yチェア“のキャンペーン施策がヒットした。マットな塗装仕上げ仕様の新作”ソフト“を19年に税込7万円というキャンペーン価格で販売したところ、1年間で8000脚以上を販売。全国のディーラーでも大成功し、新客獲得につながった。2週間で納品できる体制を取ったのも奏功した。このキャンペーンが非常に好評だったため、“ソフト”がコレクション入りを果たし、8万300円で販売している。22年には、他のラインアップの価格改定を予定しており、8万4700円で販売予定だ。キャンペーン対象だった”ソフト”も好評だが、依然としてナチュラルな“Yチェア”も売れている。

WWD:“Yチェア“はメード・イン・デンマークの一生ものということで人気が高いが?

ベックウィス:アウトドア家具はアジアで生産しているが、それ以外は、サステナビリティにこだわりデンマークで生産している。“Yチェア“は釘を用いておらず、木材とペーパーコードだけで構成されている。ペーパーコードの座面は、使用頻度や座り心地の好みによるが25〜30年は使用可能だ。日本でもペーパーコードの張り替えをはじめとする修理やメンテナンスの体制を整えている。だから、“Yチェア”は一生もの、また、代々使える椅子だと言える。

WWD:国内の直営店数とディーラー数は?

ベックウィス:東京と大阪の直営店と約130のディーラーがある。自社ECでも販売している。

WWD:中心顧客の年齢層は?売れ筋は?

ベックウィス:以前は45~60代の顧客が多かったが、20~40代の若い層も取り込めるようになった。コロナにより自宅の生活を見直す消費者が増えてより幅広い層が購入していく。コロナになって一辺110cmの3〜4人用のダイニングテーブルが好調だ。2つの“Yチェア”とテーブルを購入しても30万円程度。コンテンポラリーなライフスタイルを好む若いカップルなどが購入していく。コロナ禍で外食を控えるようになると自宅に友人を招く機会が増える。そのため自宅に投資する人が増えている。

WWD:今後の戦略は?

ベックウィス:さまざまなチャネルを使ってブランドの価値や認知度アップを図りたい。また、在庫キープにより着実に売り上げを伸ばしていく。サステナビリティも大きな柱だ。カール・ハンセンはクラフツマンシップにフォーカスした垂直統合型のビジネスをしている。FSC認定の素材を使用し、再生エネルギーを使用して生産。地元のコミュニティーに雇用の機会を与えると同時に再生エネルギーを供給している。

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1年間で8000脚を販売 キャンペーンが大ヒット、デンマーク発「カール・ハンセン」の一生もの“Yチェア“

 デンマーク発インテリア「カール・ハンセン&サン(CARL HANSEN & SON以下、カール・ハンセン)」がコロナ禍で売り上げを伸ばしている。「カール・ハンセン」といえば、巨匠ハンス・J・ウェグナー(Hans J Wegner)による名作椅子”CH24“=“Yチェア“で知られている。「ビームス(BEAMS)」や「アクタス(ACTUS)」のスタッフの自宅を紹介する本の中で、最も多く登場している椅子と言っても過言ではない。コロナ禍に行った“Yチェア”のキャンペーン価格販売が大ヒット。「カール・ハンセン」を扱う某ディーラーは、「ウェグナーの名作椅子が10万円以下で購入できるというのは大きな魅力だ。キャンペーンの価格戦略も大好評だった」と話す。“おうち時間”が追い風で成長するカール・ハンセン ジャパンのネイサン・ベックウィス(Nathan Beckwith)社長に話を聞いた。

WWD:コロナになってからの商況は?

ネイサン・ベックウィス=カール・ハンセン ジャパン社長(以下、ベックウィス):2018年以降の3年間で売り上げが1.5倍になった。予算比で20年は116%、21年は120%と年々売り上げを伸ばしている。

WWD:売り上げ好調の理由は?

ベックウィス:“Yチェア“のキャンペーン施策がヒットした。マットな塗装仕上げ仕様の新作”ソフト“を19年に税込7万円というキャンペーン価格で販売したところ、1年間で8000脚以上を販売。全国のディーラーでも大成功し、新客獲得につながった。2週間で納品できる体制を取ったのも奏功した。このキャンペーンが非常に好評だったため、“ソフト”がコレクション入りを果たし、8万300円で販売している。22年には、他のラインアップの価格改定を予定しており、8万4700円で販売予定だ。キャンペーン対象だった”ソフト”も好評だが、依然としてナチュラルな“Yチェア”も売れている。

WWD:“Yチェア“はメード・イン・デンマークの一生ものということで人気が高いが?

ベックウィス:アウトドア家具はアジアで生産しているが、それ以外は、サステナビリティにこだわりデンマークで生産している。“Yチェア“は釘を用いておらず、木材とペーパーコードだけで構成されている。ペーパーコードの座面は、使用頻度や座り心地の好みによるが25〜30年は使用可能だ。日本でもペーパーコードの張り替えをはじめとする修理やメンテナンスの体制を整えている。だから、“Yチェア”は一生もの、また、代々使える椅子だと言える。

WWD:国内の直営店数とディーラー数は?

ベックウィス:東京と大阪の直営店と約130のディーラーがある。自社ECでも販売している。

WWD:中心顧客の年齢層は?売れ筋は?

ベックウィス:以前は45~60代の顧客が多かったが、20~40代の若い層も取り込めるようになった。コロナにより自宅の生活を見直す消費者が増えてより幅広い層が購入していく。コロナになって一辺110cmの3〜4人用のダイニングテーブルが好調だ。2つの“Yチェア”とテーブルを購入しても30万円程度。コンテンポラリーなライフスタイルを好む若いカップルなどが購入していく。コロナ禍で外食を控えるようになると自宅に友人を招く機会が増える。そのため自宅に投資する人が増えている。

WWD:今後の戦略は?

ベックウィス:さまざまなチャネルを使ってブランドの価値や認知度アップを図りたい。また、在庫キープにより着実に売り上げを伸ばしていく。サステナビリティも大きな柱だ。カール・ハンセンはクラフツマンシップにフォーカスした垂直統合型のビジネスをしている。FSC認定の素材を使用し、再生エネルギーを使用して生産。地元のコミュニティーに雇用の機会を与えると同時に再生エネルギーを供給している。

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元ブランキー浅井健一の息子がモデルデビュー 父譲りの舞台度胸やルーツを語る

 元ブランキー・ジェット・シティ(BLANKEY JET CITY)の浅井健一と元モデルの小野寺マリを親に持つ浅井小次郎が、大手モデル事務所イマージュ(IMAGE)からデビューを果たした。芸能一家に生まれ、自身も絵画やDJ、ドラム、スケートボードなど、多彩な趣味を持つ現役の大学1年生だ。モデルデビュー後、本格的なインタビュー・撮影は今回が初めて。父譲りの鋭い視線と透明感のある肌、スレンダーなスタイルを持つ彼に、モデルを志したきっかけや高校時代の思い出、2022年の展望を聞いた。

WWD:モデル活動を始めたきっかけは?

浅井小次郎(以下、浅井):2021年に出場した大学のミスターコンテストがきっかけです。被写体になることが楽しくて、モデルという仕事に興味が湧きました。

WWD:俳優やミュージシャンも人に注目される職業だが?

浅井:僕の武器の一つは線が細いこと。俳優やミュージシャンはこれが強みになるかわかりませんが、モデルとしては生かせると考えています。

WWD:ミスターコンは自薦?他薦?

浅井:広告研究会に「出てみない?」と誘われたのがきっかけです。いざ出場してみたら、歓声がすごくて、注目されるのも楽しかった。結果はグランプリでも準グランプリでもなかったのですが、1年生の出場が僕だけだったこともあり、同学年のみんなが支持してくれました。

WWD:イマージュへの所属はどのような経緯で?

浅井:母が元々モデルをやっており、知り合いのフォトグラファーさんからの紹介で所属が決まりました。今後は大学に通いながら、モデル業も行っていきます。

好きなブランドは「カーハート」「ポール・スミス」

WWD:自身の定番ファッションは?

浅井:友人と遊びに行くときは、ストリート系の服をゆるっと着ることが多いです。「カーハート(CARHARTT)」が好きで、着るのは白と黒のアイテムのみ。仕事やイベントなど、きれいめのファッションの日には「ポール・スミス(PAUL SMITH)」を選ぶことが多いです。

WWD:好きなファッションデザイナーは?

浅井:好きなデザイナーもポール・スミスさん。人柄も作る服もかわいらしさはあるけれど、ベースが上品なところがカッコいいと思います。

WWD:自分の長所と短所をあげるなら?

浅井:長所は、興味があることを納得するまで突き詰めて、途中で絶対にやめないこと。あとは趣味の多さです。短所は、熱中すると周りが見えなくなってしまうことかな。

WWD:具体的にはどんな趣味がある?

浅井:絵やDJ、スケートボード、ドラムなど。絵を描くのは父の影響で、暇さえあれば、サイケデリックな気持ち悪い絵を描いています(笑)。DJは高校1年生から続けています。初めてイベントに行った日からDJに憧れて、父親からの誕生日プレゼントにDJセットを買ってもらったほど。スケートボードは近くの公園で練習したり、通学に使ったり。制服を着てボードに乗っていると、周りの人に注目されるので、高校時代はそれも含めて好きでした(笑)。

WWD:高校生時代の青春エピソードは?

浅井:僕は体育祭にかなり力を入れている学校に通っていました。中・高の6学年を合わせた縦割りの7チームに分かれて、各組の団長を高校3年生から選ぶシステムでした。僕も周囲の推薦で“パープル組”の団長を務めました。

 体育祭はただ順位を競うのではなく、独自のストーリー設定がありました。僕たちの年は、 “作文に将来の夢を書けない子ども”に扮する校長先生に向けて、スーパースターや熱血教師、侍など、さまざまな人物に扮した団長たちが、自分の仕事の楽しさを伝えるという設定でした。僕のテーマは“ロックミュージシャン”。壇上でパフォーマンスをしたときは、全校生徒の声援がとにかくすごくて、気持ちよかった。いい思い出になりました。

ステージ度胸は父親譲り

WWD:その舞台度胸は、父親譲り?

浅井:父がフジロックなどに出演するときは、幼い頃からステージ脇でそれをずっと見てきました。僕も人前に立つのが好きだし、緊張も全くしない。ステージ度胸は、父譲りですね。

WWD:父親と似ているところと、違うところは?

浅井:周囲からは「顔が似ている」と言われますが、自分では母親似だと思っています。父はクールで物静かで、怒ると怖い。僕は真逆で、どちらかというと明るい性格です。

WWD:モデルをやると報告したときの両親の反応は?

浅井:父は「頑張れ。応援しているよ」とあっさりしながらもやさしい反応でした。母はとても協力的で、助けられています。

WWD:父親の曲で、好きな一曲をあげるなら?

浅井:「SWEET DAYS」です。メロディーと歌詞はもちろん、MVもかっこよくて好き。父はプライベートで自分の曲をかけたがらないので、幼い頃は「あの曲かけて!」と車の中でよくリクエストしていました。

WWD:自身も楽器を演奏するが、父親からアドバイスをもらうこともある?

浅井:あります。父と妹がギターを弾き、僕がドラムを叩いてセッションするときは、「走りすぎ」と突っ込まれたりします(笑)。家族旅行にもギターを持っていくのが定番。先日、家族でキャンプに行ったときも、焚火を囲んでみんなで音楽を楽しみました。

WWD:DJにも力を入れていると聞いた。好きなアーティストは?

浅井:今一番好きなのは、DJでラッパーのトキオ(Tok01)くん。世代が近いし、絵も上手なので刺激をもらっています。有名どころだとレックス(LEX)くんかな。日本のヒップホップが好きで、自分でDJをするときは箱に合わせて曲のテイストを変えます。

親の教えは「正しいと思ったことは、絶対に曲げるな」

WWD:小次郎さんにとって、父親はどんな存在?

浅井:父に対して「うわ、スターだな!」と感じることはありません。もちろん尊敬はしていますが、完璧な人間ではありません。たまに人生のアドバイスもくれて、「自分が正しいと思ったことは、相手と意見が違っても絶対に曲げるなよ」と言われたことも。でも意見を曲げなさすぎて、父親とケンカすることもあります(笑)。

WWD:父親と比べられることを正直どう思う?

浅井:嫌ではありません。今は父の知名度を借りられることが、力のひとつになっています。将来は“浅井健一の息子”ではなく、“浅井小次郎”として認識されるようになれたらうれしいです。

WWD:2022年はどんな年にしたい?

浅井:11月から活動を始めたばかりなので、モデルとして活躍できる年にしたいです。DJの活動も広げていきたい。

WWD:将来はどんな人物になりたい?

浅井:自分らしさを大切に、ありのままを見せられる人。変に取り繕ってしまうと緊張するし、自分を出せなくなってしまう。モデルに限らず、やれることすべてに挑戦していきたいです。

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慌ただしい年末年始こそ、ポップで選びやすいCBD「ピーク」で“お疲れケア”

 「ピーク(PEAQ)」は、現代人に寄り添った4つの習慣(趣味、睡眠、瞑想、セックス)をテーマにしたCBD入りアロマブランドだ。同ブランドは、LGBTQ向けのカルチャーメディア「ジェンクシー(GENXY)」と、CBDメーカーのドロームによる共同プロジェクトから誕生した。2021年春に公式サイトを含むオンラインのみで販売を開始し、初月から1000万円の売り上げを達成するなど好調に推移している。

 CBDとは、植物の麻に含まれる成分カンナビノイドの一つであるカンナビジオールを指す。大麻草に含まれる中毒性の高い成分・THC(テトラヒドロカンナビノール)を取り除いたCBDは日本において合法であり、覚醒作用はない。バームなどのスキンケア製品に加えて、オイルやタブレットタイプなどの経口タイプ、さらにペット用のアイテムに至るまで、目にする機会が増えたCBD。「ピーク」は、CBDを水蒸気にしてから体内に取り込む“吸うCBD(吸引式)”アイテムで、無農薬で栽培された麻を使用している。好きなアロマを本体にセットし、1日に10〜20回を目安にゆっくり吸引することで、手軽にリラックスタイムを楽しむことができる。

 目を引くのはポップなパッケージデザインと、CBD初心者もセレクトしやすいシーン別・4種のアロマ(味)だ。趣味や一人時間をポジティブに楽しむひとときに取り入れたい“バカンス”、上質な睡眠のための“スリープ”、強いストレスを感じた時やヨガ、瞑想時などに深いリラクゼーションへと導く“エスケープ”、不安や緊張、あらゆる社会的な縛りから解放されポジティブなセックスライフをサポートする“プレジャー”をラインアップする。

 ディレクターを務めるのは、LGBTQ向けウエブメディア「ジェンクシー」の編集長でもある上地牧人氏。パッケージのイラストも自身が担当している。上地氏に「ピーク」開発の経緯や今後の課題に加えて、マイノリティーのメンタスヘルスという社会的観点から見るCBDについて話を聞いた。

WWD:CBDに着目したきっかけは?

上地牧人「ピーク」ディレクター(以下、上地):メディアに携わり、国内外の情報を見聞きする中で、数年前から米国のゲイコミュニティーの中でCBDが人気だと知った。個人的な興味から使い始めると、心が落ち着いたり、頭がすっきりしたりすることを体感した。生活にCBDを取り入れることはセルフケアにつながると考え、商品開発をスタートしたが、当時(2年前)は、国産のCBD商品がほとんど無かったため「であれば自社で!」と開発を始めた。

WWD:LGBTQコミュニティーにCBDが人気といえるのはなぜか?

上地:LGBTQ含めたマイノリティーはメンタルヘルスに不調を感じやすい。国内においては、同性婚などの法制度が整っておらず、90%以上の当事者がクローゼット(自身がLGBTQであることを公開していない)の状態だ。そのため、会社や友人、親族からの孤独感や疎外感を感じやすいといわれている。自殺率はマジョリティーの数倍という統計もある。心と体のバランスを保つことが難しい今の社会にあって、心身のバランスを整えてくれる作用持つCBDはピッタリな成分だと考えている。元々はマイノリティー向けにスタートしたブランドだが、コロナ禍になり、メンタルヘルスはマイノリティーだけの問題ではなく社会全体の課題となった。ストレスでバランスを崩す人が急増する中、CBDはセルフケアの一つとして効果的だと感じている。

WWD:日本でCBD製品を販売する難しさや課題は?

上地:「ピーク」は、CBD製品の開発を行うメーカーとコラボ制作したこともあり、開発自体のハードルはそこまで高くはなかった。ただ、販売する上での難しさは多々ある。事業者目線では、「決済の制限」「ネット広告の制限」という点が挙げられる。「ピーク」は、オンライン主体の販売(D2C形式)だが、クレジットカードといった主要な決済は、CBDに対する審査が厳しく、申請から1年経ってようやくカード決済が使えるようになったほど。また、主要なネット広告(Google、Twitter、Instagramなど)もCBD製品は出稿できない状態だ。オンライン販売をメインとしている者としては、非常に厳しい制限を感じている。

 お客さま向けで難しいのは“CBDの体感”だ。CBDの体感は個人差が大きいため、期待をもってCBDを試したはいいものの、「あまり効かずにがっかりした」という声もある。体にはCBDをキャッチする受容体というものが存在しているが、受容体が反応する前に使用を辞めてしまう人も多い。CBDは2週間〜1カ月程度使うことで、じわじわと受容体が反応していくため、継続利用も重要だ。ファッション、ビューティ業界ではだいぶ浸透してきたとはいえ、一般的にはCBDはまだまだ認知度が低く、分かりづらい成分だからこそ、正しい知識を広めていきたい。

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EXILE NAOTOの「スタジオ セブン」7周年 ブランドとのコラボや有名デザイナーとの出会いを語る

 EXILEや三代目J Soul Brothersのパフォーマーを務めるNAOTOのファッションブランド「スタジオ セブン(STUDIO SEVEN)」が2022年に7周年を迎える。ブランド設立以来、彼らしい表現力とユニークな視点でファッションにアプローチし続けてきた。特にここ数年では「ジーユー(GU)」をはじめ、「ニューバランス(NEW BALANCE)」など大手ブランドとのコラボレーションも記憶に新しい。ダンサー、俳優、デザイナーといったあらゆる顔を持つ彼は、これまでどんな思いで洋服作りに挑んできたのか。7周年を前に「スタジオ セブン」の歩みを振り返る。

WWD:改めて、「スタジオ セブン」の名前の由来は?

NAOTO:まず、「R.Y.U.S.E.I.」がレコード大賞を受賞したときに、パフォーマンス用の衣装を僕が手掛けたのが服作りのきっかけでした。作るに当たり、何かグラフィックやワードを入れたくて、浮かんだのがメンバー7人の“セブン”。加えて、音楽や振り付けといったクリエイティブが生まれる場所はまさにスタジオでした。その2つの言葉を組み合わせて名付けました。

WWD:15年11月にブランドを立ち上げてからこれまでをどう振り返る?

NAOTO:やはりLDHという大きな母体があり、環境を整えてもらったからこそ続けてこられた。本当にたくさんのことがあり、チームで試行錯誤しながらここまでやってきました。でも、いまだに次の可能性を探しているし、「スタジオ セブン」の向かうべき道をチーム一丸となって常に模索し続けています。中でも3年前に実店舗をオープンできたことが大きかった。より自分の世界観を可視化できるようになったんです。うれしかった反面、もっと本気にならないといけないなと意識が強まりました。

WWD:やりがいを感じた瞬間や大変だったことは?

NAOTO:ブランドを立ち上げるきっかけとなったNIGO®️さんとの出会いが今でも一番の思い出ですね。10代のころから僕にとってNIGO®️さんはストリートのレジェンドで、憧れの存在でした。NIGO®️さんと親交を深める中で、さまざまな出会いがあり、洋服作りの楽しさを覚えていったんです。あとは「ジーユー」とのコラボレーションでしょうか。より多くの人たちに「スタジオ セブン」を知ってもらうきっかけになりました。

WWD:これまでさまざまブランドとのコラボを手掛けてきたが、コラボする相手の決め手は?

NAOTO:自分が愛用していたものや、憧れの感覚は大事にしています。例えば、「メゾン ミハラヤスヒロ」とコラボレーションするきっかけとなったトレッキングブーツは今でも愛用しています。僕が高校生のときは1万円以上の靴を買うなんてあまりなかったんですが、「メゾン ミハラヤスヒロ」の4万円以上のブーツがどうしても欲しくて、当時震えながら買いました。ずっとお気に入りで「元を取ろう」と履きつぶしましたね(笑)。

WWD:今の東京のファッションシーンをどう見ている?

NAOTO:少し前までラグジュアリーストリートやストリートモードがトレンドのスタイルでした。それが、いったんみんなに行き渡って、また新しい芽が生まれる直前、変革期が始まる前というイメージです。次のトレンドを生み出す“ネクスト・ヴァージル”のような存在をみんなが求めているように思えます。

WWD:NAOTOさん自身のファッションはどう変化した?

NAOTO:僕のファッション変遷はぐちゃぐちゃです(笑)。高校時代はよく代官山へ買い物に行きました。ハリウッド ランチ マーケット(HOLLYWOOD RANCH MARKET)やハイ!スタンダード(HIGH! STANDARD)、オクラ(OKURA)あたりに通いましたね。私服の高校で、金髪・ピアスOKの少し変わった学校だったんです。大学みたいな自由な校風だったので、生徒もファッション好きが多く、自由にファッションを楽しんでいました。そのころからダンスをするときにどんな服を着るかは意識していましたし、ファッションは自分のパフォーマーとしての人生に欠かせないピースだったと思います。

WWD:パフォーマーとしての視点は服作りにどう影響している?

NAOTO:「スタジオ セブン」のアイテムは間違いなくパフォーマンスありきです。どういう服で踊りたいか、どういう服だったら自信を持ってステージに立てるのかを考えます。ファッションは、自分がかっこいい表現をするための欠かせないポイントですね。

衣食住の全てに興味がある。ハマっている食べ物はうなぎ

WWD:普段の生活の中で、カルチャーに対してどのようにアンテナを張っている?

NAOTO:今は洋服だけでなく、衣食住の全てに興味があります。最近はとにかく食べ歩きが楽しみ。インテリアや建築に関しては、家具に触れたり、出来上がるまでの背景を本で読んだり、写真を撮ったりと自分の目で見て体験することを大切にしています。

WWD:最近ハマっている食べ物は?

NAOTO:ピンポイントですけど……うなぎです。うなぎって実はめちゃくちゃ深い食材なんですよ。全国各地のうなぎ屋さんに行くと、本当にうなぎ愛に満ちたヘンタイなお店がたくさんあるんです(笑)。そういう方々からさまざまなエピソードを聞き回っています。まだまだ僕は“ウナギスト入門”くらいです。ちなみに僕は断然パリパリな関西派。でもこれは難しいところで、関西と関東のいいとこ取りをしているうなぎ屋さんもある。皮はパリパリなのに、中身はふわふわトロトロ。関西派と自負はしていますが、本当は一概に関西と関東では分けられない。とにかく奥が深いんです!

WWD:“ウナギスト入門”……なるほど。では自身のYouTubeチャンネル「オネストTV」ではキャンプをしている姿も見かけるが、キャンプも好き?

NAOTO:僕はシティーボーイっぽいイメージを持たれているかもしれないですけど、めちゃくちゃ外や自然が好き。今年になって、テント泊もデビューしました。「スタジオ セブン」の21年秋冬シーズンも“アウトドア”がテーマです。自分流のアウトドアスタイルを見つけることも楽しいし、「そんな格好でキャンプする?」という思われるくらい、自由にファッションを楽しみながらキャンプできたらいいですよね。

次のジェネレーションの人たちにチャンスや夢を与えたい

WWD:メンバー内でおしゃれだなと思う人は?

NAOTO:やっぱり洋服がよく似合うのは(関口)メンディー。彼はどんな服を着ても自分のものにしてしまうんです。「スタジオ セブン」の服もメンディーだったら新しい着こなしを見せてくれるかもしれない。最近メンバーとは、ファッションよりもうまいお店の話が多いです(笑)。とにかくたくさん食べ歩きをするので、メンバーの中で食に関しては僕が圧倒的に詳しいはず。ほかのメンバーから「こんなお店ない?」とよく尋ねられます。EXILEのSHOKICHIもグルメ好きで詳しい。2人でよくどこに行ったとか、あのお店が良かったとか、情報交換しています。

WWD:7周年を迎える「スタジオ セブン」、そして自分自身はどのように進化していく?

NAOTO:LDHは若い子たちに夢とチャンスを与える場所で、みんながそれぞれLDHの思いをバトンとしてつなげてきた会社です。「スタジオ セブン」でも今後は次のジェネレーションの人たちにチャンスや夢を与えられるような活動をしたい。実は今までブランドとしてほかのメンバーと一緒に何かをやるのはあえて避けてきました。良い意味でも悪い意味でも僕のイメージが強いブランドなので、ちゃんと認知されるまでは一人でしっかり基盤を作りたかったから。それから7年間続けてきたので、今ならメンバーとの取り組みにチャレンジしてもいいのかなと思います。例えば、今僕が着ているトラックスーツは、普段から親交のあるGENERATIONS from EXILE TRIBEの佐野玲於と一緒に作りました。7周年で初めてほかのメンバーとのコラボレーションアイテムが実現できたんです。もし将来的に僕が踊れなくなったとしても、自分の経験や体験で得た知識、実績をみんなに伝えることを大切にしていきたいです。

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世界最大級の香料メーカーに聞く“エモーショナルな香り”の需要

 近年、香りが心や感情に与える影響の研究が進み、商品に落とし込む企業も増えている。「気分を高める」「リラックスする」といった特定の機能性を香りに結びつけることによって、心や感情へのアプローチを図り、「機能性フレグランス」「ソリューションフレグランス」など呼び方はさまざまだ。以前から研究は進んでいたが、特に新型コロナウイルスが蔓延してから化粧品各社により“心へのアプローチ”が加速し、香りを用いる傾向が強まっている。2021年5月にそんな香りとエモーション(感情)の関係性を研究し、商品化をサポートするプロジェクト「EmotiOn」を立ち上げた世界最大級の香料メーカー、フィルメニッヒ(FIRMENICH)に“エモーショナルな香り”のニーズや今後の可能性について聞いた。

WWD:「EmotiOn」とは。

レベンツァ・トー(Levenza Toh)=フィルメニッヒ 東南アジア・日本・韓国 バイス・プレジデント(以下、トー):ウエルネスアプローチが重要視される今の時代、“エモーショナルな香り”を作るためのツールやソリューションをそろえたプログラムだ。世界中の消費者調査や脳科学研究、弊社の調香師のノウハウを掛け合わせている。われわれは「ポジティブ・パリューマリー(Positive Perfumery)」を掲げており、香りを通して顧客のウエルビーイングの向上を目指している。フレグランス研究の先駆者として、人は香りと感情を結びつけることを発見し、香りは脳に直接さまざまな働きかけをしていることに着目した。

具体的にさまざまなソリューションやツールを展開しており、「EmotiClaim™」は特定の国の人々に刺さるように香りを設計、「Emoti360™」は原料や色料を感情と結びつけてフレグランスのエモーショナルな訴求を実現する。「EmotiCode™」は感情と香りを結びつける独自のコード(方式)で、「EmotiBoost™」はポジティブなムードに導くとされるアコードのコレクション、「EmotiWaves™」はfMRIを用いて香りを嗅いだときの脳波を測定する技術だ。

これらのツールを用いることにより、エモーショナルな効果が期待できる香りを作ることが可能だ。5月のローンチ以来、クライアントからは多くの反響があった。ホリスティックなアプローチで、心に訴求できる新たな香りとして好評を得ている。

WWD:機能性フレグランスの需要は高まっていると感じるか。

トー:現代の消費者は製品の中身に一層気をつけており、製品の効果効能にもシビアだ。オグリビー(OGLIVY)が20年に行った調査によると、消費者の80%はウエルネスを向上したいものの、現在使用しているブランドのたった46%しか信頼していないという。このデータから読み取れるのは、消費者に機能性をもっと分かりやすく伝える必要があること。香りの世界でもそうだ。

 香水はもちろん、日用品においても、今後香りはウエルビーイングを発信する強力なツールになる。コロナになってから香りを遠隔でも伝えるストーリーテリングがより重要になっている。そういう意味でも、分かりやすく伝えられる機能的な香りは必要されている。香りから期待できる機能性やメリットを求めるニーズは高まる一方だろう。

 香りと心身の関係性を誰よりも理解しているのは調香師だろう。われわれは独自で持つ研究力と調香師の力、AIといった最新技術を融合し、今の消費者が求める機能性フレグランスを提供していく。

WWD:「EmotiOn」プログラムではどんな香りが人気なのか。

トー:世界11カ国で実施した調査によると、63%の人がロックダウン中に感じた不安やストレスを和らげるために香りを用いたという。今の消費者は香りから安全性や清潔さ、心の落ち着きを求めている。これらを表現するために「Sereni-Clean™」という香りを開発した。この香りは今後も伸びると感じている。

WWD:コロナはどのように機能性フレグランス市場を動かしたか。

トー:コロナ前から香りのエモーショナルな機能性に着目してきたが、この1年でそのニーズや傾向は加速した。心身ともに影響をもたらしたパンデミックにより、香りの新たな可能性に光が当たったといえる。日本では女性の32%の香りへの興味関心が高まり、33%は清潔感を感じる香りを求めていることが分かった。コロナによってよりヘルシーなライフスタイルを求める人も増え、ウエルネス商材やマルチ機能な商品、自然由来の成分を生かした商品の需要が高まっている。

 香りでいうと、安らぎやストレス解消をかなえ、気分が向上するような健康的な香りのニーズが高まっている。消費者の39%が商品を選ぶ際、こういった健康に訴えかける効果効能を重視するという。外出制限が緩和されつつ今は、「いい気分」「魅惑的」な香りのニーズが戻っているが、安全性や衛生面に気を遣う傾向は依然として高い。少子高齢化が進む日本では、ウエルビーイングだけでなく、衛生や消臭といったニーズも高い。

WWD:機能性フレグランスの未来はどう見ているのか。

トー:商品の機能性は今まで以上に重要になっている。同時に中身も同様に大切だ。ウエルネスを求める消費者は、自身にとってだけでなく、環境のウエルネスにも気を使うだろう。今後の機能性フレグランスは、消費者の心にアプローチするだけでなく、よりサステナブルで地球のウエルビーイングもかなえるものが支持されそうだ。

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「アタッチメント」がデザイナー交代で新体制 託す者の思い、継ぐ者の覚悟

 メンズブランド「アタッチメント(ATTACHMENT)」は、2022年春夏シーズンをもって創業者の熊谷和幸デザイナーが退任し、22-23年秋冬からは熊谷のアシスタントだった榎本光希デザイナー率いる新体制で動き出す。新社長は、親会社である繊維専門商社のヤギから迎える。榎本デザイナーは「アンダーカバー」や「ユリウス」でも経験を積み、同じ運営会社の「ヴェイン(VEIN)」も手掛ける36歳だ。00年代の東京メンズを牽引したブランドの一つ「アタッチメント」が迎えた転機の背景や、ビジネスの現状、ブランドがどう変わるのかを新旧デザイナーに聞いた。取材現場で新たなコレクションのビジュアルを初めて見た創業者は、「変わったね」と表情をゆるめた。

事業拡大と共に生じた創業者の葛藤

WWD:デザイナー退任を決めたのはいつごろ?

熊谷和幸(以下、熊谷):2020年の年末です。1999年に「アタッチメント」を1人で創業し、日本の中ではニッチなブランドとしての立ち位置を築いて規模も少しずつ拡大していきました。一方で、経営とクリエイションを両立させる難しさも感じていたんです。そこで、2017年に繊維専門商社のヤギとM&Aをし、将来的にはデザイナーに専任しようと計画していました。ただ、これまでのニッチな立ち位置から、店を増やしたり、規模を拡大したりと、よりマスに向けたブランドへの進化が必要でした。加えて、ファッション業界がものすごいスピードで変化する中で、デザイナーとしていい物をただ真面目に作るだけではなく、会社全体をデザインする総合力やスピードが今の時代には求められます。その点、私はチーム全体をまとめて運営していくのが得意ではなかった。そこで、ファーストアシスタントだった榎本君にデザイナーも引き継ぐ決意をし、本人に伝えました。

WWD:創業デザイナーからその思いを聞いたときの率直な感想は?

榎本光希デザイナー(以下、榎本):「本当に言ってますか?」と驚きました。「ヴェイン」が立ちげ2年でこれからというタイミングだったので、規模の大きい「アタッチメント」を同時にディレクションできるのだろうかという不安が大きく、4日ほど悩みましたね。でも、ずっと一緒に仕事をしてきた熊谷さんが後任として認めてくれたうれしさと、自分がやらないとという使命感もあり、最終的に引き継ぐことを決めました。

WWD:榎本デザイナーに期待することは?

熊谷:彼にはクリエイターとしての才能に加え、私にはない優れたコミュニエーション能力があり、会社全体をデザインできる総合力を持っています。チームを盛り上げて、ブランドをさらに高みへと導く力があるんです。ワンマンプレーヤーである私が不得意だった部分を彼が持っているので、そこに期待しています。

榎本:自分では総合力を意識したことはありませんが、ファーストアシスタントとして先輩たちに指示を出さないといけない状況に揉まれ続け、それでも周りに助けられている様子を熊谷さんは見てくれていたんだと思います。

“原点”を守る継承者が目指す先

WWD:チームの刷新に近年のビジネスの状況は影響している?

熊谷:コロナウイルスによる売り上げの落ち込みは、きっかけの一つではあります。近年は年間売上高10億円前後で大きな変動はなく推移していました。しかし昨年はコロナ禍による直営店の営業停止とインバウンドの落ち込みで、リーマンショックが直撃した08年以来となる、創業以降2度目の赤字に終わりました。今年度は計画通り売上高8億円前後の黒字着地で復調傾向ではあるものの、今後は売り方や販路の調整など、ビジネスをよりスピードアップさせないといけません。私は正直、そのビジネスのスピードに追いつけなかった。

榎本:ビジネスでは、現在の直営店ベースの運営を維持させながら、売り上げ全体の約2割を占める海外セレクトとの取り組みを拡大させるために、世界に向けたクリエイションも意識していきたいです。今は欧米アジア各国で約30アカウントとの取引があり、近年も少しずつですが伸び続けています。輸出すると日本よりも上代が上がって富裕層向けの価格帯になりますが、それでも通用する国や地域はあります。日本と海外では、サイズ感はもちろん、求められるスタイルやカルチャーも異なるので、その両方に刺さるバランスを物作りと見せ方の両面から探るのが今後の課題ですね。

WWD:では逆に、変えずに守っていきたいことは?

榎本:熊谷さんが創業時に掲げた“服は、着る人の魅力や個性、内面を引き出す付属である”という物作りの姿勢です。22年前からこの考え方で物作りしてきた人は他にいないですし、僕にとっては今でも心に刺さる言葉。デザイナー就任の話をもらったときも、そこだけは絶対にブラしてはいけないと覚悟しました。「アタッチメント」は一見するとシンプルですが、素材や仕上げ、シルエットなど一つひとつが本当に丁寧で真面目なんです。僕自身いろいろと経験しましたが、どのシーズンでも均一のサイズで仕上げるのはなかなかできることではないんです。熊谷さんが創業時から積み重ねてきた表には見えない当たり前を、今後も変えるつもりはありません。僕にとっての原点ですから。

WWD:新体制での初となるコレクションのビジュアルに若いモデルを起用したのは、客層の若返りを意識しているから?

榎本:特にそういう意図はありません。中心顧客である30代は維持しながら、10〜50代まで幅広くリーチさせる物作りの方向性はこれまでと同じです。21歳の池谷陸さんに撮影をお願いし、若いモデルを起用してビジュアルでユース感を意識したのは、若いころのファッションに対する情熱を表現したかったから。僕が入社した20歳のころは、昼ご飯を100円のカップラーメンにして節約しながら服を買うほどでした。そういう感情を込めながら、新しい「アタッチメント」像を表現しています。実は、今この取材で熊谷さんも初めてビジュアルを見るんですよ。

熊谷:確かに、変わったね。

WWD:熊谷さんの今後は?

熊谷:2021年末で社長を退任し、22年5月で退社します。その後はやりたいことが多くてか迷っているので、今はじっくり考えたいですね。服作りには携わりたいですが、組織として運営していくというより、1人でもできることがしたいです。

榎本:僕もまだ何をやりたいか知らないんですよ。熊谷さんは実家の父親のような存在なので、気になります。

熊谷:榎本君は昔はもっとやんちゃだったのに、歴代アシスタントで一番バランスがとれたデザイナーに成長してくれました。僕がとっちらかしたところをまとめ上げてくれる存在だと信じています。ブランドを託すよりも受け取る方が勇気がいるのに、引き受けてくれて本当にありがとう。

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香りで社会課題を解決する「コードミー」 音楽業界や医療現場など異色コラボで香りの可能性を広げる

 フレグランスベンチャーのコードミー(CODE MEEE)は、香りxテクノロジーでさまざまなソリューションを生み出している。BtoC向けには香りのパーソナライズサービスを、BtoB向けにはオフィスをはじめとした空間の香りプロデュースなどを提供している。これまでにないユニークなサービスを次々と生み出し、2020年度の売り上げは前年比400%増とコロナ禍でも飛躍的に事業を成長させている。最近は音楽業界や医療現場とのコラボも試み、日本のフレグランス市場の発展と拡大に挑戦している。

 コードミーを率いる太田賢司・代表は、日本最大の香料メーカー、高砂香料工業で長く研究員を務めてきた。「香りとITでワクワクする世界を創造する」をミッションに、17年に独立してコードミーを創業。以来、研究員としてのノウハウを生かしつつ、香りの可能性や価値を広げるべく日本のフレグランス市場に変革をもたらしてきた。そんな太田代表は、どのように日本のフレグランス市場を拡大しようとしているのかーー。新たな事業や日本のフレグランス市場について聞いた。

WWD:なぜコードミーを立ち上げたのか。

太田賢司・代表(以下、太田):もともと高砂香料工業でフレグランスの開発を10年行っていた。だが香水、柔軟剤、シャンプー、ルームフレグランスなど、製品が限られたフレグランスマーケットの中で製品開発するのが物足りなく感じるようになり、原料開発に特化した香料会社にいる限りは業界全体のマーケットを広げられないと感じた。そこで香りの新しい市場を創造し、香りの可能性を広げるべく、コードミーを立ち上げた。特に日本は欧米に比べると香りの後進国という印象があると思うが、もっと香りの価値を世の中に問いながら新しい香りの価値を訴求して、新しいマーケットを作っていく。それこそ、香料会社出身の人間ができるのではないか、と思った。世界トップレベルの香料会社での経験は宝であり心から感謝しているし、将来的に事業で恩返しできるように頑張りたい。

WWD:香りの可能性を広げるために独立したということだが、市場を拡大するためにまず着手したことは。

太田:まずは自分で興味あることから仮説を立てて実行しようと考え、パーソナライゼーションに着目した。会社を立ち上げる2017年の少し前から、個人のライフスタイルに合わせて個別最適化されたパーソナライゼーションがヘルスケア領域から盛り上がっていた。香りは人の記憶や感情に直接訴えかける面白いもので、本来香りこそパーソナライズされたら、マーケットが広がるんじゃないかと思った。なので、まずはtoC向けに香り×パーソナライゼーションに挑戦した。

WWD:17年の創業当時、香りのパーソナライゼーションは新しいコンセプトだったが最初から順調に推移したのか。

太田:まず始めたのが、ライフスタイルに合わせてパーソナライズされたアロマ。しかし香水とは違って、自分のアロマを持ち歩く習慣が今までなかった。なので、新しい行動変容を起こすのは一つの壁だった。今までにない暮らし方や香りの取り入れ方にチャレンジするのは、確かに難しかった。

 ただ地道に続けて、徐々に変化を感じるようになった。ヘルスケアとして、ストレス課題に対応して最適な香りを3000パターン以上から、自分に合ったものを作る「CODE Meee ONE」というサービスを提供している。これはいろいろと細かい仮説検証を進めていく上で、一番受け入れられる明確なポイントになったのが、タバコの代わりになっていること。喫煙者がストレス解消のために持ち歩くタバコを、アロマに変えるように訴求した。期待される機能性をうたうソリューション型のアロマとして、コミュニケーションし続けた結果、徐々に浸透したように感じる。

社員のモチベーションを上げるべくオフィスの“香りプロデュース”需要が急伸
オフィスを香りで彩ることで採用コストが削減できた企業も

WWD:BtoB向けではどのようなサービスが好調なのか。

太田:香りの空間演出事業が好調で、中でも働く場所の空間デザインが一番伸びている。「従業員満足度を上げたい」「生産性が上がるような仕組みをリアルの場で設計したい」といったニーズに応えるように、香りを使って空間をプロデュースしている。例えばデスクエリアには集中力がアップする香り、ラウンジにはリラックスできる香り、会議室には会話を促す香りなど、エリアごとに期待される機能性と紐付けた香りを開発して、空間を演出している。これをソリューション・フレグランスと呼んでいる。

WWD:導入した企業からの反響は。

太田:いろいろな意見をいただくが、特に興味深かったフィードバックが2つある。一つは、サービス業に携わっている企業の話。従業員の休憩室に快適度やリラックス度の向上が期待されるような香りを導入した。香りを導入した部屋とそうでない部屋を設置し、さらに他社の香りAと弊社が作った香りBを一定期間置き、そこで休憩した人が次の職場に行くときのモチベーション度をアンケートでとった。すると弊社の香りでデザインした部屋で休憩した人の方が、モチベーションが上がったという回答が圧倒的に多くあった。

 もう一つが、企業の採用コストや離職率が下がった、という声をいただいたこと。組織に一体感がなく悩まれていた企業から、その企業のミッションを香りで表現して提供したところ、社員のモチベーションが上がり、社員からポジティブなフィードバックがたくさんあったそう。別の会社では採用面接に来た人が、オフィスに入った瞬間の香りによって心地よい気分になったと面接官に伝えたそうで、会社の第一印象にまで影響を与えることができた。そういう意味でも、香りの可能性ってまだまだたくさんあるのだと思う。

WWD:サービスの提供以外にも、研究開発にも力を入れている。

太田:先ほどから話に出ている脳波分析もそうだが、現在医療施設と連携して共同研究をしている。医療施設には薬剤や患者の生活臭など、独特な匂いで悩まれている現場が結構ある。最近ではコロナ渦の過酷な環境下で少しでも医療従事者のストレス緩和に役立てるように、弊社で作ったマスクスプレーを配布した。ビフォーアフターでどういう効果が得られるのか、モニタリングしながら研究を進めている。実際使っていただいた医者や看護師から「もうスプレーが手放せなくなった」と言っていただけるぐらい、香りの価値を感じていただけた。香りはこういう風にも作用するのだと、新しい発見につながった。

アイドルの“推しグッズ”にも活用する香り
香りで一生忘れられないライブもプロデュース

WWD:最近は音楽とのコラボレーションも行う。

太田:継続的にアーティストとの連携は進めたいと思っていて、いわゆる共感覚を追求したい。例えば、「音楽x香り」「映像x香り」「触覚×香り」といったクロスモーダルを突き詰めたい。そうすることで体験型コンテンツをより面白くできるんじゃないか、と。今一番興味あるのが音楽で、音楽の世界でより“エモい”体験を作るために香りを用いている。具体的にはアーティストのライブの香りを開発したり、フレグランスのグッズを作ったりしていて、それが今好評だ。

 初めて取り組んだのはシンガー・ソングライターの吉澤嘉代子さんで、セカンドシングル「残ってる」を発売したときに、曲の世界観をアロマで再現した。それはSNSでかなりの反響を得た。アーティストにとってはブランディングの一環になるし、レーベルにとっても新しいグッズ販売の一助にもなっている。19年の年末にはソニーとコラボして、アイドルのフレグランスもプロデュースした。

 コロナ禍において、人って孤独を感じ始めたと思うが、孤独を感じるときに、誰かを感じたり、自分の好きな人を身近に感じていたいというニーズが高まったと感じる。香りは、その人のアイデンティティーに結び付く、パーソナルなもの。だからこういったブランディング・フレグランスは、アーティストとつながる新たな方法、つまり“推しグッズ”の新たな形にもなっている。

WWD:日本は“香水砂漠”といわれたり、フレグランス市場がなかなか伸びないとされてきた。そんな中で日本の香り市場の未来は。

太田:個人的には、そもそも香りの嗜好性が欧米と日本人で違うのが1つの要因だと思う。香水のランキングを見ても、欧米と日本で全然違うので。香り自体が欧米の好みに合わせられてるものが多いため、日本で香水が受けないのだろう。また、日本人にとって香水は優先順位が低いというのもある。例えば外に出掛けるときに、どちらかというと髪型や洋服、メイクを優先する。だからこそ、ヘアケアやメイク、スキンケア市場は日本は大きい。

「香水市場を無理に伸ばそうと思わない」
香水以外の香りの可能性を拡大したい

WWD:それでも可能性はある市場だと感じているのか。

太田:個人的には香水は好きだが、香水のマーケットを無理に伸ばそうとはあまり思わない。それよりも、香りの本質的な価値を広げていきたい。香りのマーケット全体を広げていくのは、別に香水でなくてもいいわけで。香水としてまとわなくても、空間デザインやマスク用のスプレー、ルームフレグランスなど、可能性はいくらでもある。今まで興味なかったけど「香りってこんな価値があるんだ」と認識してもらえるような、新しいマーケットを作ることのほうが、より興味がある。

 最近では、横浜市と連携してオープンイノベーションを加速させる環境設計を目的に、スタートアップ成長支援拠点であるYOXO BOXから「イノベーションを誘発する香り」を発信したり、東京都港区との連携では、官・民・学の連携プロジェクトとして「街の香りブランディング」も始めている。

WWD:今後の展望は。

太田:フレグランス市場の可能性を広げること。香水や入浴剤といった既存のマーケットを伸ばすというより、今までにない香りの市場を作り、もっと香りに新しい価値を感じてもらう可能性を追求していきたい。自分たちの作る香りで新しいマーケットを作ることで、世の中の役に立つことを目標にしている。

 中でもブランディング・フレグランスとソリューション・フレグランスを主軸として事業を展開する。ソリューション・フレグランスに関しては、今後はより深い課題の解決に取り組みたい。大きいのは、医療・介護業界。どうしても香りは香水に代表されるように“Nice to Have(あったらいいな)”の領域だったので、これからは“Must Have(なくてはならない)”存在になるようにしたい。それはただの消臭ではなく、心地よさといったプラスアルファの効果をもたらすように、香りの可能性を探求していく。「これがあって本当に助かった」という領域で、医療・介護現場で活用できるようなソリューション型のフレグランスを作り、医療従事者や患者、患者の家族のQOLを向上させたい。

 一方でブランディング・フレグランスは、理屈を超え、人の本能を動かすような、記憶や感情に直接訴えかける香りを作りたい。それによって人に幸せを送れるような、心を動かすような香りの活用の仕方をしたい。今までと変わらず、音楽アーティストやインフルエンサーと一緒に、世の中にハッピーを届け、エモい体験を提供する。

 ブランディングはアートで、ソリューションはサイエンスだと考えると、アートとサイエンスの2軸で新しい香りのマーケットを作ることで、世の中に彩りを与えていきたい。

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末安弘明「キディル」デザイナーは「なんでも受け入れるが、柱は大事」 内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.5

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第5回は個性的なグラフィックも特徴の「キディル」を手掛ける末安弘明デザイナーに話を聞きました。

内田理央(以下、内田):そもそも末安さんは、どうしてデザイナーを志したんですか?

末安弘明「キディル」デザイナー(以下、末安):最初は美容師として6年くらい働きましたが、ファッションが大好きだったのでデザイナーになりました。高校生の頃からファッション業界で働きたかったのですが、親に反対されて泣く泣く美容学校に通ったんです。ヘアサロンで仕事をした後、ヘア&メイクアップアーティストを志しロンドンに留学しましたが、現地でファッションへの思いが募り、27、8くらいから洋服を作り始めたんです。

内田:私も今年30になったんですが、27、8の時は色々考えました。自分の仕事と向き合い、私の場合は「頑張ろう」って思い直したんです。ブランドビジネスは、どうやって学んだんですか?

末安:専門学校にも行かず会社にも属さなかったので、完全に我流です。おそらく他のブランドとは違うんだろうけれど、それすらわからないです。最初はパターンどころか、生地をどこで買うのか?やミシンの使い方さえわからなかったんです。Tシャツ作りから始めました。Tシャツしか作れなかったからです。

内田:最初のTシャツは?

末安:誰にも言ってなかったけれど、東急ハンズに駆け込んで、オリジナルTシャツ制作キットの“Tシャツくん”を買って作り始めました。

内田:どんなデザインだったんですか?

末安:ありもののTシャツを安く買って、イラストレーターの友人と一緒にテーマに基づいたグラフィックを作り、シルクスクリーンの版を作り、ひたすら刷りましたね。売り先もないのに(苦笑)。

内田:みんな、そこからなんですね。

末安:何十万円もかかったのに、売るところがないんですよ。できて嬉しくて、友達のモデルや美容師にタダでプレゼントしていました。友達のモデルがスナップにのってくれて、それが異様に嬉しかったのを覚えています。

内田:そこから「キディル」というパンクなブランドにどうつながるんですか?

末安:最初の2年くらいはテーラードなどの服作りにフォーカスしていたんですが、2016年くらいにフォトグラファーのデニス・モリス(Dennis Morris)と知り合い、彼が撮影していたパブリック・イメージ・リミテッド(PUBLIC IMAGE LTD.)というパンクバンドと一緒に仕事をする機会があったんです。自分が若い頃に好きだったカルチャーに寄せて服を作ってみようという気持ちになりました。デニスと会って、服作りが変わって、ユースカルチャーとリンクした服作りにシフトして現在に至ります。

内田:最新コレクションには緊縛のルックもありました。私も少し前、ドラマで緊縛師に縛っていただいたことがあって、「面白いなぁ」と思ったんですが、インスピレーションはどこで?

末安:22年春夏コレクションでは、トレヴァー・ブラウン(Trevor Brown)というイノセントで少女性を感じるアーティストとの仕事に取り組んだんです。トレヴァーと緊縛カルチャーには親和性があり、「じゃあ、ショーでも縛りますか?」っていう話になり、緊縛師のHajime Kinokoさんに相談したんです。

内田:カルチャーに入り込んでいて、面白いですね。緊縛って、見ちゃいけない禁断のイメージだったんですが、信頼関係の上に成り立っていると聞きました。私も縛られても全然痛くなくって、ハグされているような感覚で。一つのカルチャーとしてアツいですよね。

末安:ファッションの世界ではヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)とマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)がボンテージジャケットやボンデージパンツなどを発表して以来、枝分かれして、フェティッシュなカルチャーと結びついていると思います。

内田:自分とは違うカルチャーには抵抗を感じないんですか?

末安:受け入れ体制は、結構万全です。ひらけています。なんでも一度受け入れるようにしています。いろんなものを一度、自分に入れてみるのは大事にしています。

内田:私もなんでも受け入れてみて、素敵だと思ったら深めていってということが多いです。私は完全にアニメやマンガにハマって、触手が出てくるようなグロテスクな漫画などを読んできました。

末安:触手って、アップで撮影してファブリックにのせたらラグジュアリーブランドで使えそうですよね。本当にインスピレーションソースにしているかもしれない。触手も、全然受け入れますよ(笑)。

内田:新たなものが生まれるには出会いが必要だな、っていうのは、お芝居でも思います。一方で、新しいものへの挑戦になるとなおさら、チームのみんなに伝え、理解してもらうのは大変だと思うんですが。

末安:新しいものについては、例えばTシャツなら加工や色など細部まで決め込むので、ブレないんです。新しい人に出会って影響を受けることは大事ですが、「あれも作りたい」「これも作りたい」ではなく、特にデザイナーズブランドには柱が必要。ブレ始めると、意味のわからないブランドになってしまいます。それで困るのは、お客さまです。だから僕は、「こんな人たちに着てほしい」を目指して作っているので、わかりやすいかもしれないですね。

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元「アルティーダ ウード」ディレクター安部真理子の隠れ家的サロン「シャランポワ」が東京・南青山に登場 オリジナルのジュエリーや香りを堪能できるドリーミーな空間

 サザビーリーグによるD2Cジュエリーブランド「アルティーダ ウード(ARTIDA OUD)」のディレクションを手掛けた安部真理子氏の新ジュエリーブランド「シャランポワ(SHARANPOI)」が登場した。安部シャランポワ代表は、サザビーリーグを離れて独自のブランドを設立。インドと日本の伝統工芸を反映したジュエリーを提供する同ブランドの東京・南青山の隠れ家のようなサロンを訪れた。オリエンタルな家具がアクセントのゆったりとした空間の棚には、幾つもの香料のボトルがずらりと置かれ、まるでスパのような雰囲気。安部代表は「アルティー ダウード」でもフレグランスなどを展開し、総合的にブランドの世界観を作りあげた人物だ。自身のブランドをスタートし、サロンをオープンした安部代表に話を聞いた。

WWD:「シャランポワ」の構想はいつから?

安部真理子シャランポワ代表(以下、安部):約2年前から。週末だけでもサロンでオーダーできるジュエリーを提供したいと思った。日本は、欧米などと違ってジュエリーを代々引き継ぐ文化がなく、古いジュエリーは質屋に出すなど手放す人が多く、それらジュエリーに使用されていたきれいな石が元値よりずっと安い価格で販売されている。それらが、外国バイヤーにより海外に流出しているという話を聞いた。そこで、日本国内にある古い宝石を使用し、ジュエリーにしようと思った。古いけれども品質の高い石が安く買えることもある。デザイン的には、インド独特のダイヤモンドを大きく見せる技法“ポルキ”をはじめ、日本のうるしの技術などを融合させたオーダージュエリーを提供したいと「シャランポワ」を立ち上げた。

WWD:「シャランポワ」というブランド名は?

安部:ドリーミーな造語で東洋と西洋の伝統と価値、アップサイクルをテーマにしている。日本にある昔のジュエリーに使用されていた石など、できるだけあるものを使用してジュエリーを制作したい。

WWD:「シャランポワ」を立ち上げた理由は?

安部:今まで、オンライン中心でジュエリーを販売する活動をしてきた。「ストラスブルゴ(STRUSBURGO)」で販売をした経験があり、一人一人の顧客と対面でゼロからジュエリーを作り上げたいと思った。インドと日本の伝統工芸に向き合ったジュエリーを提供すると同時に、古くなったジャエリーをリフォームして喜んでもらえれば。そこで、プライベートなサロンをオープンした。ここは、作家の作品を展示するギャラリーとしても使用したいと思っている。

WWD:ブランドのコンセプトは?

安部:古いジュエリーに使用されていた宝石を使用し、インドのポルキやエナメル、日本のうるし工芸や象嵌技術など、慎ましくも流麗な東洋の工芸を生かしたジュエリー。宝石とは、身につけてこそ輝くもの。だから、古くなったジュエリーをリフォームして新たな息吹を与えることを目的にしている。

WWD:中心の価格帯は?

安部:リングが15万円、ピアスが12万円、バングルは40万円程度。ダイヤモンドやエメラルドを使用した110万〜160万円程度のネックレスもある。オーダージュエリーなので、各顧客の希望に合わせて柔軟に対応する。

WWD:背後のボトルの数々は?

安部:このサロンは、BtoBでイタリア・トスカーナ発オーガニックの香料の代理店としての役割も兼ねている。フランスの有名なコスメブランドなどのOEMを手掛けているオーガニックの認証を得た工場で、ここでは、既に香水として調合されている原液を約100種類、精油を約40種類そろえている。ミニマムのロットはあるが、オリジナルのオーガニックな香りを纏ったスキンケア、ヘアケア、キャンドル、ルームフレグランスなどの製造が可能だ。香料はイタリア・ロンバルディアの2社、シチリアの1社から調達している。日本のホテルのアメニティーなども手掛けていて、柔らかい香りが特徴だ。

WWD:「アルティーダ ウード」でもフレグランスなどを展開していたが、独自でフレグランスのブランドを立ち上げる可能性は?

安部:私自身、イタリアの工場と長年携わってきたので、ゆくゆくはオリジナルのフレグランスにチャレンジしてみたい。

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商品到着は最長で1年後 「ゼロストックトウキョウ」創業者が挑む“ミニマリストが最後に残す服”

 9月にデビューした「ゼロストックトウキョウ(0 STOCK TOKYO)」は、その名の通り余剰在庫を持たないことをモットーに、生産者に負担をかけず、全ての人が幸せになるモノづくりを目指す完全受注生産のブランドだ。価格帯はコート6万9000円、プルオーバー1万9000〜2万2000円、パンツ1万9000〜2万2000円、ワンピース2万3000円など。創業者の大和聡は、大学時代にビンテージショップにのめり込み、ビンテージ専門のリペアショップで縫製技術を学んだ後、アパレルの企画製造を行うベンチャー企業やOEM会社などでキャリアを積んだ。ファッションへの深い愛情を感じる彼に、ブランドの立ち上げやこだわり、ビジネスプランを聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ゼロストックトウキョウ」のコンセプトが生まれたのはいつ頃?

大和聡・代表取締役社長(以下、大和):新型コロナウイルス感染拡大の影響が大きかった。20年以上アパレル業界に携わってきて、時代が大きく変わる中、個人でも課題解決や社会に貢献したいと考えた。自分が軸となり、胸を張って提案できるモノづくりがしたいと思ったのがきっかけだ。

WWD:リペアショップやOEMの経験がブランドにどう生かされている?

大和:生産工程全体に関わるポジションで活動してきた経験を生かせば、業界が抱える課題や技術の継承など、日本だからこそできる解決策を見出せるはずだ。日本のアパレル産業は、川上・川中・川下がそろう世界でも珍しい国。川上である原料や、川中の職人たちの縫製技術は、世界から称賛されるほどレベルが高い。「ゼロストックトウキョウ」は日本製にこだわり、企画者・生産者・消費者がシームレスなサプライチェーンを作ることをビジネスモデルに掲げている。

WWD:公式サイトに「オーダーをいただいてから半年〜1年近く商品をお待たせしてしまうかもしれません」とある。従来のアパレル業界からするとチャレンジングな試みだが?

大和:すぐ手に入るものは、その価値が失われるのも早いと考えた。メンバーに初めてそのステートメントを見せたときは、「そんなことを言ったら誰も買わないのでは?」という意見もあった。でも私たちは嘘をつかないモノづくりで、消費者だけでなく、ブランドに関わる全ての人々の幸せを紡いでいける未来を目指している。

WWD:その未来を実現させるために、具体的に実践していることは?

大和:主に、三つの柱を軸に取り組んでいる。一つ目は、「産業が抱える環境問題への取り組み」だ。現代のアパレル産業は、“余剰在庫による大量廃棄”と、それに伴う“環境問題”を抱えている。世界中で年間約1000億枚が生産され、日本国内だけでもその1%にあたる10億枚が一度も人の手に触れられることなく廃棄されているといわれている。処分対象の服を焼却することで発生する膨大な温室効果ガスや排水などは、大きな社会問題だ。完全受注生産の「ゼロストックトウキョウ」は、必要としてくれる人へ必要な量、届けられる量だけを製造することで課題解決を目指す。

 二つ目は、「クラフトマンシップの永続を目的としたクリエイションモデル」だ。余剰在庫を作らないビジネスモデルは、予約販売などで他ブランドも実践している。しかし私たちは製造により近い立場で、クラフトマンシップや工場の技術がどれほど大切かを感じてきたからこそ、余剰在庫を作らないだけでなく、技術の継承にもこだわりたいと考えた。

WWD:生産地の後継者問題は、深刻な課題だ。

大和:アパレルの国産生産比率は、ここ約30年で1990年の50.1%から2.0%まで減少した。その中には、世界の一流ブランドも発注する、高いクラフトマンシップの工場もある。ブランドにとって、顧客が必要なものを必要なときに必要な量を供給し、在庫を最小化することは重要だ。しかし工場にとって最も大事なのは、生産ラインが常に稼働していること。従来のアパレルの生産では、発注時期が重なる繁忙期がある一方で、生産ラインに空きができて従業員の雇用維持が難しくなる閑散期もあるのが問題だ。そこで「ゼロストックトウキョウ」では、工場が縫いたいときに縫うことを許容し、“生産のタイミングを一任する”ことで生産ラインを平準化し、大切なビジネスパートナーである工場と共に、100年後もクラフトマンシップを継承できるクリエイションモデルを目指したい。

WWD:しかし商品を生産する以上、売ることも大事になる。以前のように服が売れない現状をどう打開する?

大和:中長期的に見て、人々の価値観や志向は大きく変わり、中でもアパレルは1人当たりの衣類にかける消費額(購入型数)は、この先も減少するだろう。だが、服が世の中からなくなることはない。そこで三つ目の柱となる、「スローファッション・スロークリエイションの考え方の提唱」を考えた。「ゼロストックトウキョウ」は“ミニマリストが最後に残す服”として、最高のアイテムを最低限使いたい人、もしくはそんな生活に憧れて究極を求める人に寄り添う服を提供する。

 店舗を持たない私たちの強みは、シーズンの型数を極限まで絞り込み、時間と思いを存分に込めた1枚を作れること。そして、納得する商品が完成したタイミングで販売できることだ。これまでのアパレル業界では考えられない仕組みかもしれないが、究極のマフラーが完成すれば真夏でも販売する。本当にいいものであれば必ず多くの人に愛される。最良のものを最小に削ぎ落とし“一番好き”のみに囲まれた生活を実現させるためには、作り手にも時間や心の余裕が重要だ。

WWD:このビジネスモデルで目指す先は?

大和:もし年間1万枚の服を工場が作りたいときに作ることを許容するわれわれのようなブランドが100立ち上がれば、100万枚の服が自由なときに縫製され、工場の平準化につながる。そうなれば、小売業の持続可能性にもつながるはずだ。われわれの事業モデルに共感して、同じ思いでモノづくりをする会社がたくさん出てくることを期待し、まずは先駆者として挑戦していきたい。

WWD:ファーストコレクションのこだわりは?

大和:まず、全17型のファーストコレクションを通して「本当に必要なものか。われわれが作るべきものか」という本質を突き詰めた。自分のクローゼットを断捨離する際に、各カテゴリーで1枚を残すとしたら「ゼロストックトウキョウ」と思ってもらえるようなベーシックなアイテムを、1点ずつ丁寧に作っている。そして、ベーシックな中にも機能的で品格があり、シーズンレスでタイムレスに着られるモノを、ストレスフリーな素材を使ってデザインしている。アパレルのOEMは企画から納品まで長くて4カ月ほどだが、私たちは1年かけて完成させた。

WWD:コレクションの3シリーズ“ラゲージ(LUGGAGE)” “17 アワーズ(17 Hours)” “ゼログラム(0 gram)”について教えてほしい。

大和:“ラゲージ”シリーズのコートは、旅行の際に手ぶらで行動できるというコンセプト。バッグを持たず済むように、iPhoneや財布、週刊誌など、それぞれの用途に適したサイズ違いのポケットを11個作った。1サイズのみだが、150〜185cmの人が同じサイズで着られるシルエットで、100回洗っても落ちない撥水機能付きだ。

 “17 アワーズ”は、寝るとき以外の17時間を快適に過ごそうというコンセプト。生地の裏側の細かい凹凸が皮膚にあたる接触を最小限に抑え、常にさらさらの着心地を実現させた。高反発糸を使用したフクレ二重織で、世界に誇る日本の加工技術「SY加工」を施すことで、細かなシワと糸の膨らみを生み出した。また、オールシーズンで長時間着用でき、かつ長く愛用できるよう、洗濯後の劣化が少ない耐久性に優れた素材を使用している。

 “ゼログラム”は、見た目のボリュームを裏切る軽さが最大のポイントだ。ウレタンスポンジを2枚のジャージーではさみ、裏毛のような厚みとボリューム感を出すと共に、軽さと保温性も追求した。同じデザインのパーカで、従来の裏毛だと1000〜1200gあるところ、“ゼログラム”シリーズは60〜70%の重みで仕上げている。

WWD:カラーがブラックのみの理由は?

大和:“ミニマリストが最後に残す服”に、カラーものは選ばないのではないかと考えた。お客さまが悩まずに選べる色として、やはり黒や白をベースにしたかった。今後、他社とコラボレーションする機会があれば、他の色も取り入れるかもしれない。

WWD:素材へのサステナブルのこだわりは?

大和:ラゲージコートの撥水剤はPFC(フッ素化合物)フリーで環境に配慮したものを使っていたり、“ゼログラム”シリーズは独自開発した、生分解性のある再生セルロース繊維リヨセルを採用したり、細かく色々と取り入れている。しかし、原料がサステナブルなのは当たり前という感覚なのでそこを大々的には謳うことはせず、あくまで取り組みにこだわっていきたい。

WWD:原価率が55〜60%ということだが。

大和:一般的な原価率が25%くらいなので、2〜3倍くらいの原価率だ。インフルエンサーを使ったプロモーションなどをやらない代わりに、長期的なプランで、一度知ったらずっと愛してもらえるファンを増やすのが私たちの戦い方。前述の通り、余剰在庫を持たないモノづくりを行うために、お客さまには半年から1年待たせてしまうかもしれないと前面に謳っている。もし長く待ってもいいというお客さまには、価格以上の価値を感じてもらえる商品を届けたい。そう考えると、今の原価率がお客さまとの約束で妥当な数値だ。ただ、全ステークスホルダーにとっての現時点でのベストな原価率であって、数字に囚われるのではなく、関わる人たちにとってプラスの挑戦ができるなら、数値は前後してもいいと考えている。

WWD:ブランド立ち上げからファーストコレクション発表までで、一番大変だったことは?

大和:大変なことだらけで、正直何度も壁にぶち当たった(笑)。本当に1年待ってもらえるのか?立ち上げたばかりの小さなブランドに共感してくれる原料・縫製メーカーが見つかるのか?など、たくさんの不安があった。でも9月の展示会ではおかげさまで100組を超える人々が来場してくれて、いいスタートを切ることができた。

WWD:工場はどうやって見つけた?

大和:業界内のつながりから、ファーストコレクションは富山と岐阜の工場に依頼した。「ゼロストックトウキョウ」を陰で支えてくれている工場はみな能動的で、高度な職人技術に加え、将来的に自社でのブランディングも見据えた行動力や高い意識を持っている。社員へ生活に役立つデザインを公募し、選ばれた1人のデザインを自社で特許登録したり、若いメンバーが発言しやすい環境を作ったり、自分たちでほしい商品があればプロジェクト化して会社が応援する活気のあるところだ。

 また、私たちはあえて作り手の顔を見せている。オーダーを入れ、生地が製作され、縫製の段階に入ったことが見えると、ワクワク感が生まれる。いつ届くかわからないものをただ待つよりも、オーダーした商品が完成するまでの進捗を伝えながら待ってもらいたかった。

 この先、最終的には工場がモノを作る時代がやってくるだろう。究極のサステナビリティ(持続可能)のゴールは、工場がファクトリーブランドを作り、自社で平準化がかなうこと。ただ、情報やトレンドはやはり都心に集まるので、トレンドや情報収集、デジタルマーケティングなどの販売戦略で「ゼロストックトウキョウ」がバックアップしていきたい。そんなシームレスなサプライチェーンの実現に向けて、同じ思いをもった富山と岐阜の工場と一緒に協業できてよかった。

WWD:今後の予定は?

大和:現在、ファーストコレクションを来年の8月には届けられるよう動いている。並行してセカンドコレクションの企画もスタートさせている。自分たちが納得するものが完成したタイミングが基準なのであくまでも予定だが(笑)、3月を目途に新たな発表ができれば。

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「ロンシャン」がリサイクル素材の新バッグでサステナビリティを加速 CEOが掲げる3つの指針

 「ロンシャン(LONGCHAMP)」は、サステナビリティに関する新たなCSRの取り組みを今夏から始動させた。2023年までに使用する全ナイロンを100%リサイクルナイロンに、レザーをレザーワーキンググループ(以下、LWG)のゴールド認証レザーに切り替える。また風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供する仏ベンチャー企業ネオライン社(Neoline)と提携し、輸送時のCO2排出量削減にも取り組む。ジャン・キャスグラン(Jean Cassegrain)最高経営責任者(CEO)に、ブランドが目指すサステナブル施策やリサイクル素材を使用した新コレクション“ル プリアージュ グリーン(Le Pliage Green)”について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):新たなCSR指針で、リサイクルナイロンとLWG認証レザーへの100%シフトを発表した。2023年までという短期間での切り替えを決めた理由は?

ジャン・キャスグランCEO(以下、キャスグランCEO):チャレンジングに思うかもしれないが、サステナブルな取り組みはここ最近始めたことではない。ファッションブランドの多くが製造を外部に委託する中、われわれは家族経営で、職人を自社に抱えるメゾンとしてのルーツを持ち、フランス西部にある自社工場と工房で全商品を製造している。それにより、他社とは異なる“アルチザン(職人)のマインドセット(考え方)”がある。優秀な職人は、材料を無駄なく使うことにプライドを持ち、原材料と環境に敬意を払いながらモノづくりに励む。昔はそれを“サステナビリティ”や“エコ”と呼んでいなかっただけで、「ロンシャン」には創業時から根底にあり、大切にしてきた価値観だ。

WWD:リサイクルナイロンを採用した“ル プリアージュ グリーン”開発のきっかけは?

キャスグランCEO:人気シリーズ“ル プリアージュ”は、誕生して28年が経つ。このバッグは、ナイロン1枚とレザー数切れ、ファスナー、ボタンだけで作られたミニマルなバッグだ。われわれはこのミニマリズムをさらに進化させるべく、デザイン性を損なうことなく、カーボンフットプリント(商品のライフサイクル全体を通して排出される温室効果ガス排出量)を減らす方法を模索し、“ル プリアージュ グリーン”が誕生した。

WWD:実際にカーボンフットプリントをどれくらい削減できた?

キャスグランCEO:リサイクルナイロンとLWG認証レザーに切り替えることで、カーボンフットプリントを20%削減できた。バッグのサイズによるが、カーボンフットプリントの排出量は1個につき2.5〜5kg、平均して4kgで、ガソリン車で15〜20km走行分に相当する。われわれは“ル プリアージュ”シリーズのほか、ラゲージコレクションやレザーバッグの裏地に用いる全てのバッグの生地を、2023年までにリサイクルナイロンに切り替える目標を掲げている。 “ル プリアージュ”シリーズの素材の切り替えは22年末までに完了する予定だ。

WWD:全体の何%にナイロンが使われている?

キャスグランCEO:ナイロンのパーセンテージは非公開だが、ご存知の通りコレクション全体のかなりのボリュームを占めているので、相当なインパクトがあるはずだ。テキスタイルを切り替えることは大規模なプロジェクトであり、本気の証でもある。

WWD:“ル プリアージュ グリーン”の各素材を詳しく教えてほしい。

キャスグランCEO:サプライヤーの詳細は公表していない。“ル プリアージュ”のような人気商品は必ず複数のサプライヤーと契約している。“ル プリアージュ グリーン”の場合は2社。100%リサイクルナイロンと70%リサイクルナイロンを扱うサプライヤーと取引しており、それぞれリサイクル製品の国際認証であるGRS(グローバル・リサイクル・スタンダード)認証を取得している。ハンドルとフラップはLWGのゴールド認証レザーを採用している。そのほかのパーツも、ファスナーと”ロンシャン・ホース”の刺しゅう糸は90%リサイクルポリエステル、スナップボタンなどの金具は30%リサイクルメタルを使用している。

WWD:素材を切り替える上で大変だった点は?

キャスグランCEO:リサイクル素材を用いながら、従来の“ル プリアージュ”と同じデザインや品質、強度、耐久性を可能にすること。われわれの顧客は、“ル プリアージュ”に長年親しんでおり、異なる製品を求めていない。ずっと愛してきた“ル プリアージュ”がほしいのだ。だからこそ、見た目も使い心地も耐久性も従来の“ル プリアージュ”と同じにすることが重要だった。アップデートは、レザーをグリーンで縁取ったり、メゾンの象徴である馬のマークを少し大きくしたりしたくらいだ。

WWD:バッグのリペアを積極的に行っているが、今後はバッグを回収してリサイクルする可能性もある?

キャスグランCEO:リサイクルの新たな方法を常に模索しているが、現在はリペアに注力している。フランスのスグレに修理工場を構え、フランス国内では年間6万点以上を無償でリペアしており、そのうち3万点が“ルプリアージュ”シリーズだ(日本は有料)。それが今できるベストだと思っている。古いバッグを回収して新しいものに生まれ変わらせるのは簡単ではない。シンプルな“ル プリアージュ”のバッグでも、レザーやファスナーを一つ一つ手作業で外す必要があり、手間暇がかかる。まだ効率的な方法を見つけられていないのが現状だ。

WWD:新たなCSR指針のひとつに「製造と輸送時に発生するCO2排出量を削減」も掲げている。これはサプライチェーンの協力なしに実現は難しいのでは?

キャスグランCEO:われわれは、サプライチェーンを全てコントロールしている。ときに製造パートナーに依頼することもあるが、彼らとは必ず独自のガイドラインと基準を設けて運営している。ほかにも、国内6つと国外5つの工房で、自然光を最大限取り入れた施設を運営している。LEDに切り替えるなど、電気や熱をはじめ、工場や店舗を含む全施設のエネルギー消費量を削減している。工房付近には1万2500本の植樹も行い、CO2排出量の軽減に貢献した。

WWD:再生可能エネルギーへの切り替えも検討している?

キャスグランCEO:再生可能エネルギーについては、フランスではまだ明確なシステムが整っていない。再生可能エネルギーをうたう企業もあるが、真実を知るすべがないのが現状だ。だから、われわれはまずエネルギーの消費量を抑えることを優先している。

WWD:輸送時のCO2削減の取り組みについては?

キャスグランCEO:輸送時のCO2排出に関しては、主力製品の“ル プリアージュ”が軽量かつ折りたためるアイテムであることに助けられている。おかげで一度にたくさん輸送することができる。また最近は空輸ではなく、よりCO2排出量の少ない船便にこだわっている。風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供するネオライン社と提携し、今後仏サン=ナゼールと米ボルチモア間の輸送はネオライン社の貨物船で行う。これにより80~90%のCO2排出量削減が可能となる見込みだ。

WWD:ネオライン社と提携した経緯を教えてほしい。

キャスグランCEO:二つのメリットが考えられた。一つ目は、ネオライン社が風力エネルギーを使用しているため、環境負荷が少ないこと。二つ目は、ネオライン社がわれわれと同じフランス西部で創業した企業で、港が「ロンシャン」の主要工場とロジスティクスセンターに近く、輸送時のCO2排出量を抑えられることだ。ネオライン社のプロジェクトには、私たち以外にもミシュランやクラランス(CLARINS)など、複数の仏企業がサポートしている。

WWD:開通はいつ?ネオライン社の船便による輸送エリアの拡大予定は?

キャスグランCEO:仏サン=ナゼールと米ボルチモア間は、2024年に開通予定だ。船は工事中で、さらなる資金調達が必要だ。将来的にはフランスからアジアへの運航も可能かもしれないが、通常輸送より倍の時間がかかるため(通常の船便で5週間程度)、現時点では残念ながら現実的ではない。でも、きっとほかの解決法が見つかるだろう。

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「ロンシャン」がリサイクル素材の新バッグでサステナビリティを加速 CEOが掲げる3つの指針

 「ロンシャン(LONGCHAMP)」は、サステナビリティに関する新たなCSRの取り組みを今夏から始動させた。2023年までに使用する全ナイロンを100%リサイクルナイロンに、レザーをレザーワーキンググループ(以下、LWG)のゴールド認証レザーに切り替える。また風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供する仏ベンチャー企業ネオライン社(Neoline)と提携し、輸送時のCO2排出量削減にも取り組む。ジャン・キャスグラン(Jean Cassegrain)最高経営責任者(CEO)に、ブランドが目指すサステナブル施策やリサイクル素材を使用した新コレクション“ル プリアージュ グリーン(Le Pliage Green)”について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):新たなCSR指針で、リサイクルナイロンとLWG認証レザーへの100%シフトを発表した。2023年までという短期間での切り替えを決めた理由は?

ジャン・キャスグランCEO(以下、キャスグランCEO):チャレンジングに思うかもしれないが、サステナブルな取り組みはここ最近始めたことではない。ファッションブランドの多くが製造を外部に委託する中、われわれは家族経営で、職人を自社に抱えるメゾンとしてのルーツを持ち、フランス西部にある自社工場と工房で全商品を製造している。それにより、他社とは異なる“アルチザン(職人)のマインドセット(考え方)”がある。優秀な職人は、材料を無駄なく使うことにプライドを持ち、原材料と環境に敬意を払いながらモノづくりに励む。昔はそれを“サステナビリティ”や“エコ”と呼んでいなかっただけで、「ロンシャン」には創業時から根底にあり、大切にしてきた価値観だ。

WWD:リサイクルナイロンを採用した“ル プリアージュ グリーン”開発のきっかけは?

キャスグランCEO:人気シリーズ“ル プリアージュ”は、誕生して28年が経つ。このバッグは、ナイロン1枚とレザー数切れ、ファスナー、ボタンだけで作られたミニマルなバッグだ。われわれはこのミニマリズムをさらに進化させるべく、デザイン性を損なうことなく、カーボンフットプリント(商品のライフサイクル全体を通して排出される温室効果ガス排出量)を減らす方法を模索し、“ル プリアージュ グリーン”が誕生した。

WWD:実際にカーボンフットプリントをどれくらい削減できた?

キャスグランCEO:リサイクルナイロンとLWG認証レザーに切り替えることで、カーボンフットプリントを20%削減できた。バッグのサイズによるが、カーボンフットプリントの排出量は1個につき2.5〜5kg、平均して4kgで、ガソリン車で15〜20km走行分に相当する。われわれは“ル プリアージュ”シリーズのほか、ラゲージコレクションやレザーバッグの裏地に用いる全てのバッグの生地を、2023年までにリサイクルナイロンに切り替える目標を掲げている。 “ル プリアージュ”シリーズの素材の切り替えは22年末までに完了する予定だ。

WWD:全体の何%にナイロンが使われている?

キャスグランCEO:ナイロンのパーセンテージは非公開だが、ご存知の通りコレクション全体のかなりのボリュームを占めているので、相当なインパクトがあるはずだ。テキスタイルを切り替えることは大規模なプロジェクトであり、本気の証でもある。

WWD:“ル プリアージュ グリーン”の各素材を詳しく教えてほしい。

キャスグランCEO:サプライヤーの詳細は公表していない。“ル プリアージュ”のような人気商品は必ず複数のサプライヤーと契約している。“ル プリアージュ グリーン”の場合は2社。100%リサイクルナイロンと70%リサイクルナイロンを扱うサプライヤーと取引しており、それぞれリサイクル製品の国際認証であるGRS(グローバル・リサイクル・スタンダード)認証を取得している。ハンドルとフラップはLWGのゴールド認証レザーを採用している。そのほかのパーツも、ファスナーと”ロンシャン・ホース”の刺しゅう糸は90%リサイクルポリエステル、スナップボタンなどの金具は30%リサイクルメタルを使用している。

WWD:素材を切り替える上で大変だった点は?

キャスグランCEO:リサイクル素材を用いながら、従来の“ル プリアージュ”と同じデザインや品質、強度、耐久性を可能にすること。われわれの顧客は、“ル プリアージュ”に長年親しんでおり、異なる製品を求めていない。ずっと愛してきた“ル プリアージュ”がほしいのだ。だからこそ、見た目も使い心地も耐久性も従来の“ル プリアージュ”と同じにすることが重要だった。アップデートは、レザーをグリーンで縁取ったり、メゾンの象徴である馬のマークを少し大きくしたりしたくらいだ。

WWD:バッグのリペアを積極的に行っているが、今後はバッグを回収してリサイクルする可能性もある?

キャスグランCEO:リサイクルの新たな方法を常に模索しているが、現在はリペアに注力している。フランスのスグレに修理工場を構え、フランス国内では年間6万点以上を無償でリペアしており、そのうち3万点が“ルプリアージュ”シリーズだ(日本は有料)。それが今できるベストだと思っている。古いバッグを回収して新しいものに生まれ変わらせるのは簡単ではない。シンプルな“ル プリアージュ”のバッグでも、レザーやファスナーを一つ一つ手作業で外す必要があり、手間暇がかかる。まだ効率的な方法を見つけられていないのが現状だ。

WWD:新たなCSR指針のひとつに「製造と輸送時に発生するCO2排出量を削減」も掲げている。これはサプライチェーンの協力なしに実現は難しいのでは?

キャスグランCEO:われわれは、サプライチェーンを全てコントロールしている。ときに製造パートナーに依頼することもあるが、彼らとは必ず独自のガイドラインと基準を設けて運営している。ほかにも、国内6つと国外5つの工房で、自然光を最大限取り入れた施設を運営している。LEDに切り替えるなど、電気や熱をはじめ、工場や店舗を含む全施設のエネルギー消費量を削減している。工房付近には1万2500本の植樹も行い、CO2排出量の軽減に貢献した。

WWD:再生可能エネルギーへの切り替えも検討している?

キャスグランCEO:再生可能エネルギーについては、フランスではまだ明確なシステムが整っていない。再生可能エネルギーをうたう企業もあるが、真実を知るすべがないのが現状だ。だから、われわれはまずエネルギーの消費量を抑えることを優先している。

WWD:輸送時のCO2削減の取り組みについては?

キャスグランCEO:輸送時のCO2排出に関しては、主力製品の“ル プリアージュ”が軽量かつ折りたためるアイテムであることに助けられている。おかげで一度にたくさん輸送することができる。また最近は空輸ではなく、よりCO2排出量の少ない船便にこだわっている。風力エネルギーによる脱炭素海上輸送サービスを提供するネオライン社と提携し、今後仏サン=ナゼールと米ボルチモア間の輸送はネオライン社の貨物船で行う。これにより80~90%のCO2排出量削減が可能となる見込みだ。

WWD:ネオライン社と提携した経緯を教えてほしい。

キャスグランCEO:二つのメリットが考えられた。一つ目は、ネオライン社が風力エネルギーを使用しているため、環境負荷が少ないこと。二つ目は、ネオライン社がわれわれと同じフランス西部で創業した企業で、港が「ロンシャン」の主要工場とロジスティクスセンターに近く、輸送時のCO2排出量を抑えられることだ。ネオライン社のプロジェクトには、私たち以外にもミシュランやクラランス(CLARINS)など、複数の仏企業がサポートしている。

WWD:開通はいつ?ネオライン社の船便による輸送エリアの拡大予定は?

キャスグランCEO:仏サン=ナゼールと米ボルチモア間は、2024年に開通予定だ。船は工事中で、さらなる資金調達が必要だ。将来的にはフランスからアジアへの運航も可能かもしれないが、通常輸送より倍の時間がかかるため(通常の船便で5週間程度)、現時点では残念ながら現実的ではない。でも、きっとほかの解決法が見つかるだろう。

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銀座出店に続き神戸本店を拡張移転 ヘアサロン「スクリーン」がコロナ禍でも挑戦を続ける原動力とは

 兵庫県・神戸で2014年に創業したヘアサロン「スクリーン(SCREEN)」は、昨年6月の東京・銀座出店に続き、今年秋に神戸にある本店を拡張移転した。神谷翼代表取締役とKAORI代表、福井優生マネージャーの3人で立ち上げてから7年。来春には新しいメンバーを迎え、33人の体制になる。コロナ禍で先が読みにくく、出店や採用を躊躇するヘアサロンが多い中でも果敢に挑戦する「スクリーン」は、今最も勢いのあるヘアサロンの一つだ。厳しい状況でも挑戦し続ける原動力を神谷代表取締役と、KAORI代表に聞いた。

WWD:コロナ禍にも関わらず、2年連続の出店と拡張移転となりました。どのぐらい前から本店の移転を考えていましたか。

神谷翼代表取締役(以下、神谷):正直にいうと4年ほど前から考えていました。移転前の本店は1階と2階の2フロアの店舗でしたが、スタッフが増えかなり手狭になっていました。けれども7年半前に3人でオープンしたお店には思い入れがありましたし、心の底から気に入った物件が見つからない限り変えたくないという強い思いがありました。そんなときにこの物件が見つかりました。

WWD:拡張移転先は神戸を代表する街並み、旧居留地ですね。

神谷代表:この物件に出合ったのは銀座店をちょうどオープンした去年の4月ごろ。店舗が面する大丸神戸店の裏側の通りは、僕が神戸を訪れてこの場所で0からお店を始めたいと思った場所です。いつかはこの通り沿いに出店したいという思いがありました。けれども銀座店のオープンや新型コロナウイルスが流行し始めた直後だったので、物件は気に入ったもののすぐには決断できませんでした。

心が離れやすい今だからこそ
みんなで一緒に働ける場所を作りたい

WWD:それでも今回の拡張移転を決断したのはなぜ。

神谷代表:まずは銀座店の形を作って、相乗効果で神戸を盛り上げて結果が出たら決断しようと思っていました。コロナ禍でスタートした銀座店は、僕たちの予想以上にたくさんのお客さまに支持していただき、早い段階で形ができました。スタッフを数人銀座店に移動させたので穴はできたものの、銀座のメンバーが頑張っている分、神戸のメンバーも触発されたようで、神戸本店の売り上げは落ちるどころか好調でした。美容業はお客さまから本当に必要とされる仕事だと実感できました。

 それでもコロナ禍がいつ終息するか分からない中、決断には勇気がいりましたね。最後の最後まで僕たちの始まりの場所をなくしてもいいのかも悩みました。けれども、本店のキャパシティーでは僕やKAORIのお客さまで席が埋まってしまうこともあり、「スクリーン」で頑張ってくれているスタッフたちのこれからのチャンスを広げるためにも未来を見据えて決断しました。

KAORI代表(以下、KAORI):最初のお店を残して、もう1店舗出店するという方法も考えました。けれども、こんな時代だからこそ、本店を移転してリセットしてでもみんなが集まってチームで仕事をした方が強いのかなと結論が出ました。人と人との距離が開いて、気持ちが離れやすい今、バラバラで働くよりも一箇所に集まった方がパワーが集まるはずです。心をもう一度通わせ合うためのリスタートの場所という意味を持たせた時に、本店を移転するということに納得ができました。

神谷代表:新店舗の出店や移転はスタッフへのサプライズという意味も大きいです。一番身近な彼ら・彼女らが、どこに出店したら一番驚くのか、どんなお店に作り上げたら喜んでくれるのか。常に考えています。本店の拡張移転は、ギリギリまで悩んで物件を契約した3日後に発表しました。スタッフの中には「本店をなくしてまで……」と思った子もいるかもしれません。それでもたくさんの選択によって今があるんです。何かを大きく変えるときには失うものもあるけれど、失うことでまた大きなチャンスが生まれるはずです。僕らが美容師としての本質を変えなければ、失うものはないんだと思います。

不安定な状況でも
これまでの積み重ねがあるから決断できる

WWD:昨年の新卒入社のスタッフを含めて、「スクリーン」全スタッフがリアルで集まったのは新店舗のお披露目の時が初めてだったとか。

KAORI:神戸と銀座の店舗を、スタッフを行き来させたいという思いはあります。体調管理をして、PCR検査をしながら、探り探りです。会えない時間が長い今だからこそ、私たちは美容師という仕事をしているからこそ、人との繋がりや思いを大切にし続けることは欠かせません。それをスタッフも意識してくれていて、今回みんなが集合できたことで一緒に働くことの価値を高めていけたらいいですよね。
 
神谷:3人でスタートした「スクリーン」のスタッフがどんどん増えていることに喜びがあります。集合写真を撮るときに、一人一人は小さくなってしまうけれども、幅が増えていることがすごく嬉しくてチームの活力になっています。コロナ禍で安心安全を重視して、コンパクトにやらなければいけないことも重々分かっていますが、今回拡張移転を決断したように、自分たちが一番大切にすべきものを、最も形にしやすい手段を今は取るべきだと考えています。

WWD:本店移転は「スクリーン」にとって大きな意味合いがありますね。

神谷:コロナ禍でも銀座店をオープンして、今回の拡張移転ができたのは、本当にお客さまのおかげです。「強く展開するね」「思い切りがある」と言われることもありますが、僕らはものすごく悩んでいます。それでも一時的な思いつきではなく、毎日1つ1つの積み重ねをすることで今が成り立っているんです。不安定なコロナ禍でも、毎日お客さまが来てくださることに勇気をもらっています。そして、僕たちについてきてくれるスタッフにも背中を押してもらっています。僕らだけではこれからの「スクリーン」は作れない。「スクリーン」の第2章が始まります。

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1カラットで10万円程度 コスパ抜群モアサナイト専門ジュエラー「ブリジャール」のトップを直撃

 ミレニアル世代をはじめ、サステナビリティへの関心が高い消費者の間で、環境に優しいラボグロウンダイヤモンド(以下、ラボグロウン)への関心が高まっている。最近では、松屋銀座本店(以下、松屋)が「エネイ(ENEY)」というラボグロウンを使用したジュエリーブランドを立ち上げるなど、さらに広がりつつある。天然ダイヤモンドやラボグロウンに代わるモアサナイトの存在をご存じだろうか?モアサナイトは、天然ダイヤモンドの約2.5倍の輝きと優れた耐久性を持つ人工石で、価格は1カラットで約10万円程度とラボグロウンより安価。松屋では、「エネイ」と同時にラボグロウンとモアサナイトを取り扱う「ネクスト・ダイヤモンド(NEXT DIAMOND)」のコーナーが登場。17年にモアサナイト専門ブランド「ブリジャール(BRILLAR)」を立ち上げた小原亦聡ブリジャール社長に話を聞いた。

WWD:モアサナイトに出合ったきっかけは?

小原亦聡ブリジャール社長(以下、小原):外資系金融機関に勤務していたときに、ホームパーティーに招待され、そこで大きなダイヤモンドのリングをつけているご婦人を見て、ダイヤモンドの輝きに惹きつけられた。社会人1年目のときに、夫から0.38カラットのダイヤモンドのエンゲージメントリングをもらったが、パーティーで大粒のリングを見て私も大きいダイヤモンドが欲しいと思ったのがきっかけだ。ただ、ダイヤモンドは高価なので、大粒のものは到底買えない。そこで、ダイヤモンドと似たようなものがあるのではないかとリサーチしたら、アメリカのブライダル市場でモアサナイトが流行りつつあるということを知った。ダイヤモンドより輝きが強く、耐久性も高いということで、サンプルを取り寄せて、いい石だと実感した。いろいろとモアサナイトを検索してみると、当時はジュエリー業界で嫌われている存在。いわゆる“詐欺に注意”的に扱われていた。モアサナイトがダイヤモンドの偽もの扱いされて、その魅力が伝わっていない、そこにビジネスチャンスを感じた。

WWD:モアサナイトの一番の魅力は?

小原:光の分散率と温度に対する強度はモアサナイトの方がダイヤモンドに勝る。ダイヤモンドは摂氏600度で炭化し800度で無くなるが、モアサナイトは1800度にならないと無くならない。しかも、価格がとても手頃である点。

WWD:いち早くモアサナイトのブランドを立ち上げた理由は?

小原:ラボグロウンが高いと感じた。モアサナイトであれば1カラットのものが10万円程度で買える。「モアサナイトを知って欲しい」という思いから、子育てをしながら「ブリジャール」を立ち上げた。そして、インスタグラムでその良さをアピールし続け、少しずつ市場で流行ればいいなと思った。

WWD:ブランドのコンセプトと目指すものは?

小原:現代女性には、さまざまな役割がある。そんな女性たちに、輝きをもたらせるアイテムを提供したいと思った。女性がジュエリーを着けることで自身や勇気を持つことができれば、社会的に女性が活躍できるムーブメントに貢献できるのではと思った。

1カラットのエンゲージメントリングが15万円程度

WWD:購入していく層は?

小原:来店の5~6割がブライダル需要でそのうち3〜4割、20~30代による購入が多い。その他、記念日やギフト、自家需要で毎年購入する顧客もありリピート率が高い。年齢層は20~60代で主婦や働く女性などさまざま。

WWD:売れ筋アイテムと価格帯は?

小原:ブライダルは1〜2カラット、ファッションジュエリーは1カラット以上で平均価格は13万円程度。エンゲージでは、1カラットの脇石がついた15万円前後のものが人気だ。エンゲージとは別にマリッジとしてエタニティーやハーフエタニティーリングを購入していく場合もある。男性には、何もついていないタイプか1石つきのマリッジを用意している。ファッションの用途では、エメラルドカットどのファンシーカットが人気だ。10万円程度のシンプルな1カラットのネックレスや13万円程度のピアス(両耳で2カラット)などが売れ筋。0.3カラット前後のモアサナイトを使用したミニマルなデザインはネックレスやリング、イヤカフもあり、価格は5万円前後。2年前から、売り上げの3割を一人親を支援する認定NPO法人フローレンスに寄付するチャリティージュエリーも販売し、共感を得ている。価格は6万円程度で、フローレンスの「子ども宅食事業」へ寄付するので、おはしやご飯といったモチーフをデザインにさりげなく盛り込んでいる。

WWD:供給はどこから?ダイヤモンドに使用されるグレードを当てはめると?

小原:中国のメーカー1社と契約し、製品として輸入している。理由はクオリティーが高くコスパがいいから。商品のデザインと一部加工は日本で行う。モアサナイトは、ダイヤモンドではないのでグレードはないが、ダイヤモンドでいうDからFのカラーレス、クラリティーはVVS(ベリー・ベリー・スライトリー・インクルーデッド)以上を扱う。地金はプラチナか、18金中心で、一部シルバーを使用している。

SNSを駆使してモアサナイトの魅力を発信

WWD:ブランド立ち上げから3年連続で売上高20%増を達成しているが?

小原:ブランド立ち上げから今まで、のべ5000人に購入してもらった。人口宝石のトップとしてモアサナイトの認知度アップに貢献し、顧客の声に耳を傾けながらライフスタイルに寄り添うジュエリーを提供し続けている。現在の商品数は約800種類。2週間〜1カ月に数点新商品を導入するなどハイスピードで商品開発を行っている。このように、顧客を飽きさせないのも重要だ。東京と名古屋にショールームを構えている点も安心度が高い。だが、インスタグラムをはじめ、SNSをフルに活用して販売につなげている。見る人情報のシャワーを与えるのが効果的。コスパ良く宣伝するには大量のコンテンツを提供することだ。1日に10回、ストーリーフィードしている。

WWD:販売戦略は?

小原:ウェブサイトのリニューアルを行ったばかりだ。ウェブサイトはある意味、実店舗より大切。そこで、モアサナイトの良さを伝え、オーダーを約束通りにこなしてSNSで発信するのが中心。差別化等は必要なく、顧客に喜んでもらえる発信や商品作りをしていきたい。

WWD:今後の目標は?

小原:モアサナイトのトップブランドとして長年愛され続けられればと思う。女性スタッフが楽しく活躍できる社内の環境作りもしていきたいし、チャリティーを通して社会的貢献もしていきたい。

市場における天然、ラボグロウン、モアサナイトの今後

WWD:天然、ラボグロウン、モアサナイトの現在の市場での位置付けと今後は?

小原:ひと昔は天然が絶対的なものだったが、紛争ダイヤモンドや環境破壊などの問題によりポジショニングが崩れてきた。ラボグロウンと天然は、組成が全く同じなので差別化は難しい。ただ、価格がまだ高いということと、製造にかかるエルギー消費に対する疑問がある。価格が下がり、エコに製造できること証明されればもっと普及するだろう。モアサナイトについては、製造技術が成熟しているので、短時間で結晶化できるため使うエネルギーも少なく、供給も安定している。以前は、天然の一択しかなかったが、今は、消費者の価値観や用途によって選択肢ができた。5年以内に市場のシェアは天然が50%、ラボグロウンとモアサナイト合わせて50%程度のシェアになるのではないかと予測する。

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「ドレステリア」復調の立役者 靏博幸のブランディング論

 ワールド子会社インターキューブのセレクトショップ業態「ドレステリア(DRESSTERIOR)」が、一時の低迷から復調している。10月の業績(ウィメンズ・メンズ)は、コロナ前の2019年と比較しても3〜4割増と大きく伸ばした。

 復活の立役者は19年3月のワールドグループ加入以降、ブランドディレクターとして陣頭指揮を執る靏博幸(かく・ひろゆき)社長。オンワード樫山でのデザイナーを経て三陽商会で「バーバリー・ブラックレーベル(BURBERRY BLACK LABEL)」の立ち上げ(1998年)に携わり、同社の看板ブランドに育てた。その後はユニクロ執行役員を経て三陽商会に戻り、セレクトショップ業態「ラブレス(LOVELESS)」「ギルドプライム(GUILD PRIME)」のディレクター・バイヤーを務めた。

 大手アパレルに勢いのあった90〜00年代当時とは、業界を取り巻く状況も大きく変わっている。「洋服を買うのに大枚をはたく人はずいぶん珍しくなった」と靏社長。過去の成功体験に捉われるつもりはないとしながら、「僕はブランドデザイナーやディレクターをしていたときも『商売人』としての意識を常に持ってきた。いい服もお客さまに届かなければ意味がない。売るために泥臭いことをいとわず、あらゆる手を尽くす」と語る。「ドレステリア」復調の秘けつと、ワールドでの今後を聞いた。

WWD:コロナ禍でも業績を伸ばせている秘けつは。

靏博幸社長(以下、靏):ブランドの個性を明確にすることを意識してきた。僕がトップに就任した当時、それまで外から見ていた「ドレステリア」は強みとなる商品や世界観がなく、ブランドの輪郭がぼんやりしていた。商品のカラバリ(カラーバリエーション)も黒、白、紺、グレーばかりで面白みに欠けた。アウターやニットなど、ブランドの核となる商品が売れず、当時市場で流行っていたフーディでなんとか売り上げをつくっているような状況だった。本当にこれがブランドのあるべき姿なのか。お客さまに届けるべき価値とは何なのか。そう事業部に問い掛け、商品企画全体を徐々に軌道修正してきた。

 今は10万円する服が簡単に売れる時代ではない。しっかりした品質のものを、適正な価格で作ることも必要だ。それまでは5万円程度が中心価格だったワンピースは2万円から、10万円程度だったコートは5万円から買えるようにし、お客さまの選択肢を増やした。付加価値とのなる機能性も強化している。22年春夏企画では、自社開発したコットン100%の冷感素材を採用した商品もある。抗菌・消臭機能も非常に高い。サトウキビ由来の天然ポリマーの働きによるもので、地球にも肌にも優しい。

WWD:三陽商会での経験も生きているか。

靏:いい商品を作るだけではダメで、「届ける」ことも同じくらい大事。これは当時から常に意識していることだ。そして、今の時代においてはますます重要なマインドセットだと感じる。かっこいい服を作って満足するデザイナーもいるが、僕は作った服が売れないと全く楽しくない(笑)。「ラブレス」でも前年の数字を落とさないことには誰よりもこだわってきた自負がある。

 昔(90〜00年代)は有名タレントに自社の商品を着せたり、ファッション雑誌にたくさん出稿すれば売れていた。だが、今はさまざまなタッチポイントでブランドの存在を伝える努力を怠れば、すぐに埋もれてしまう。僕も企画室でディレクションボードを描き、シーズンテーマを決めて、服を作ってという、決まりきったような仕事だけをしていていいわけがない。

 「ドレステリア」はSNS発信も弱かった。僕が着任してからは、メンズ・ウィメンズで統一した世界観のプロモーション動画を作成している。21-22年秋冬はパリ・モンマルトルのカフェをイメージした。ECの商品ページ1つとっても、手を抜いたビジュアルが消費者の目に止まれば「ダサいブランド」という烙印を押されてしまう。油断せず、足元をすくわれるような要素をコツコツなくしてきた。泥臭いことをやり抜けば数字に直結するし、それがブランディングなのだと思う。

WWD:ワールドのクリエイティブ・マネジメント・センターのトップも務める。どのような組織なのか。

靏:店舗設計デザイン、素材開発、発信などのスペシャリストを集めた社長直轄の組織だ。グループ全体のクリエイティブに目を通すとともに、ブランドの垣根を超えてノウハウを水平展開する。寺井(秀藏・現シニア・チェアマン、元社長)さんの時代に組織され、近年はほとんど機能していなかったが、これを復活させる必要性を訴えた。

 忌憚なく言えば、昔(90〜00年代)のワールドはもっと面白い店舗や商品、仕掛けがあったように思う。今は多くの事業子会社を抱え、商品デザインや店舗内装、PRなどがブランドに任せきりになっていた分、全体のクオリティーが下がってしまった。ここを今一度、経営目線でしっかりマネジメントしていく。

 まずは「ドレステリア」を実験台に、さまざまな成功事例をグループ全体に生かしていく。「ドレステリア」のメンズは僕がデザインしている商品もたくさんあるし、新店は僕が店舗空間を設計している。ブランドをやっていると、現場の生の声も聞ける。僕が事業子会社のトップを兼務しているのは、クリエイティブ・マネジメント・センターの取り組みが机上の空論にならないようにするためでもある。

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「3.1 フィリップ リム」CEOがサステナビリティにこだわる理由 「トレンドではなく、生き方そのもの」

 ニューヨーク発の「3.1 フィリップ リム(3.1 PHILLIP LIM)」は、“長く着られるタイムレスなワードローブ”をポリシーに掲げる。他社と協業した素材開発にも積極的で、国際連合(UN)が支援する、「スワロフスキー(SWAROVSKI)」と、持続可能なファッションを推進するスロー・ファクトリー協会主宰のサステナビリティプロジェクト「ワン×ワン(One×One)」に参画するなど、サステナビリティに真摯に取り組んできた。10月には、「ボルボ・カーズ(Volvo Cars)」が電気自動車の内装用に開発した、レザー風の新素材“ノルディコ(Nordico)”を使った限定バッグを発売。あらゆる業種とタッグを組みながら、地球環境に配慮したブランド経営に挑んでいる。ウェン・ゾウ(Wen Zhou)=3.1 フィリップ リム最高経営責任者(CEO)に、ビジネスやサステナブルなモノづくりについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ボルボ・カーズ」とコラボレーションした経緯は?

ウェン・ゾウCEO(以下、ゾウCEO):私たちは、サステナビリティをブランドの根底にある価値観として捉え、ビジネスの方法や製品の生産工程など、あらゆる側面から取り組んできた。私とフィリップにとって生き方そのものといえる。今回のコラボレーションについては、「3.1 フィリップ リム」も「ボルボ・カーズ」も、互いにサステナビリティを重視し、植物由来やリサイクルの素材を積極的に使用するなど共通の価値観を持っていたので、自然な形で実現した。

WWD:デザインでこだわった点は?

ゾウCEO:「ボルボ・カーズ」から提案されたのは、サステナブルでありながら機能性にも優れ、魅力的なものを作ること。それは、両社が掲げる顧客像が共有して求める価値観だった。地球を汚さない、それでいて美しい商品こそが究極のラグジュアリーだ。“ノルディコ”は、ペットボトルなどのリサイクル素材や、スウェーデンやフィンランドの持続可能な森林から採取された素材、ワイン産業からリサイクルされたコルクから作られたテキスタイルなどで構成され、自動車産業の厳しい基準とテストをクリアした新素材を用いている。そんな革新的な素材をわれわれの“ウィークエンド・バッグ”に取り入れ、新たな方法でサステナビリティを発信できることにワクワクした。そして、素晴らしいデザインとは、カテゴリーを超えて響くものだということを証明できたと思う。

今必要なのは、立ち止まって互いを支え合うこと

WWD:9月に発表した2022年春夏コレクションでは、6割をサステナブルな素材に切り替えた。これは過去最高の割合?

ゾウCEO:過去最高だ。ここまで到達できたチームとサプライチェーンの功績を誇りに思う。現在もサプライチェーンと共に、新しい糸や原料を模索しながら素材の開発を進めており、サステナブルな取り組みを日々進化させている。大切なのは、見た目が美しいだけではなく、植物由来やリサイクル、再生可能といった素材を選ぶこと。サプライチェーンを含むエコシステム全体で取り組むことが重要だ。既存の価値観やシステムを問い続け、より良質なものを求め続ければ、全員が高いモチベーションで取り組める。

 次のステップは、消費者も同じ熱量を持てるかだ。消費者がお金を少し多く払ってでも、サステナブルなものの良さを分かってくれるかを、ファッションに関わる全ての人々が考える必要がある。

WWD:企業として、サステナビリティに本格的に取り組んだのはいつ?きっかけは?

ゾウCEO:サステナビリティに本腰を入れた時期は、10周年を迎えた2015年。建築家兼アーティストのマヤ・リン(Maya Lin)とコラボレーションした16年春夏コレクションで、600トンのコンポスト(堆肥)を使って、“STOP AND SMELL THE FLOWERS(立ち止まって花を香って)”というサステナブルなメッセージを込めた。従来多くのゴミを出すランウエイだが、ショー後はその堆肥をニューヨーク中の公園や花に返し、カーボンオフセットを実現したショーだった。

 現在、サステナビリティは業界の“バズワード”になっているので、使うのはあまり好きではないし、ビジネスストラテジーにも掲げていない。前述の通り、私たちにとってサステナビリティは生き方そのものであり、自然なものだから。私は仏教の教えのもと、必要以上に浪費しないことを昔から教えられて育ってきた。それはフィリップも同じ。だからこそ、われわれのビジネス経営は倫理的で無駄がなく、独立している。流行りの“サステナビリティ経営”という言葉を使ってトレンドに乗っかり、時流に合わせて経営スタイルを変えたくない。あくまでも自分たちらしい経営で、ビジネスをどう良いものにできるかを常に考えたい。そして、ビジネス的観点からすると、サステナビリティは考えるだけでは足りない。口約束だけではなく、マイルストーンや目標を立てて、責任感を持って取り組む必要がある。

WWD:近年のコレクション発表では、ランウエイではなく招待制の展示会形式をとっている。

ゾウCEO:改めてリセットする必要があると感じたため、ここ数シーズンは店舗で少人数制のプレゼンテーションを開催してきた。特に、現在はパンデミック下で誰もがコロナの影響を受けている。長いロックダウン期間を経て、大々的に派手なランウエイショーをするのは少し違うと感じた。それよりも、今一度自分たちのコミュニティを集めて、“つながり”を大切にしたかった。ランウエイショーは、やろうと思えばいつでもできる。今必要なのは、立ち止まって互いを支え合うことだと感じた。

WWD:インティメイトな空間での展示会では、どのような気付きがあった?

ゾウCEO:やはり近い距離感でつながれて、直接対話できることの大切さを実感した。支援してくれる関係者や友人らと濃い時間を過ごせるし、服もじっくり見ることができる。ランウエイより充実した時間になった。

 今シーズンも、ニューヨークのファッション・ウイークのスケジュールは相変わらず詰まっていた。いろいろなブランドが華やかなファッションショーを開催し、ニューヨークに活気が戻ったことは素晴らしいことだし、実際フィリップもほかのデザイナーを応援するためにファッションショーを訪れていた。われわれは違うアプローチを取ったが、業界を盛り上げて互いをサポートしたい思いは全員同じだ。

“Less(少ない)でBetter(より良い)”な選択を

WWD:以前のインタビューで、「SKU数を50%カットして、素材研究に注力している」と話していたが、新たな取り組みはある?

ゾウCEO: CO2削減目標や認証取得よりも、まずはSKU数を減らすことで主に2つの取り組みを優先している。1つ目は、デザインチームがクリエイティビティを最大限に発揮し、パンデミックの状況下でもモチベーションをキープできるようにしたこと。デザインは、相当な時間とエネルギーを要する。アイテム数を削ったことで、一つ一つのアイテムを作るプロセスを楽しめるようにし、丁寧なモノづくりを促した。またパンデミックで家庭環境やワークライフバランスまでもが激変する中、これまでと同等レベルの仕事量やアウトプットを従業員に求められなかった。

 2つ目は、新たな素材の発見・発掘にリソースを割くこと。アイテム数を減らしたため、サステナビリティ以外のプロジェクトにも時間を割くことができた。フィリップは、科学者やエンジニアとタッグを組んで、プラスチックに替わる素材を共同開発・試作するプロジェクト「ワン×ワン(One x One)」で、100%海藻から作られたカーボンニュートラルなドレスを開発するなど、新たな試みにも挑戦した。「ボルボ・カーズ」との協業もそうだ。

 今後もこういった取り組みをさらに注力していく。クリエイティビティを通して自分たちをインスパイアしながら、新たなサステナブル素材の開発を続けたい。また、ファッション業界内外の企業と意義のあるコラボレーションを続けて、新しいビジネスにも挑んでいきたい。

WWD:環境に配慮した素材を使うと、必然的に商品の価格は上がる。一方で、少しでも安く購入したい消費者も多くいる中、そのバランスをどう図っている?

ゾウCEO:この課題とは常に向き合っている。われわれは、商品価格を注意深く、意識してコントロールしてきた。過去16年間ずっと言い続けてきたことだが、コストだけを優先したモノづくりは実は有益ではない。ローカルから調達すれば世界中に材料を運送する必要がなくなる。必要最低限のサプライヤーと付き合う代わりに、深く密に関わる——こういったことを意識すれば、コストを抑え、消費者に価値ある商品を届けられる。

 私はよく食品業界で例えるのだが、オーガニック食品とそうでない食品がある。私が望むのは、消費者が数あるものの中から“Less(少ない)でBetter(より良い)”な選択をできるようになること。必要以上にものを購入しない代わりに、良質なものを選ぶ。例えば、安いブラウスを2着買う代わりに、長く着続けられる良質なブラウスを1枚買う。サステナブルな生地を用いた、生産者や労働者にきちんとした給料を払えるような、倫理的なブラウスを選んでほしい。いつか皆がそのようなスマートな選択ができるようになることを期待している。

WWD:最後に、「3.1 フィリップ リム」にとってサステナビリティとは?

ゾウCEO:大きな変化につながる小さな行動。毎日取り組める、そして誰もができる、日常的な行動の積み重ねだ。

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「3.1 フィリップ リム」CEOがサステナビリティにこだわる理由 「トレンドではなく、生き方そのもの」

 ニューヨーク発の「3.1 フィリップ リム(3.1 PHILLIP LIM)」は、“長く着られるタイムレスなワードローブ”をポリシーに掲げる。他社と協業した素材開発にも積極的で、国際連合(UN)が支援する、「スワロフスキー(SWAROVSKI)」と、持続可能なファッションを推進するスロー・ファクトリー協会主宰のサステナビリティプロジェクト「ワン×ワン(One×One)」に参画するなど、サステナビリティに真摯に取り組んできた。10月には、「ボルボ・カーズ(Volvo Cars)」が電気自動車の内装用に開発した、レザー風の新素材“ノルディコ(Nordico)”を使った限定バッグを発売。あらゆる業種とタッグを組みながら、地球環境に配慮したブランド経営に挑んでいる。ウェン・ゾウ(Wen Zhou)=3.1 フィリップ リム最高経営責任者(CEO)に、ビジネスやサステナブルなモノづくりについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ボルボ・カーズ」とコラボレーションした経緯は?

ウェン・ゾウCEO(以下、ゾウCEO):私たちは、サステナビリティをブランドの根底にある価値観として捉え、ビジネスの方法や製品の生産工程など、あらゆる側面から取り組んできた。私とフィリップにとって生き方そのものといえる。今回のコラボレーションについては、「3.1 フィリップ リム」も「ボルボ・カーズ」も、互いにサステナビリティを重視し、植物由来やリサイクルの素材を積極的に使用するなど共通の価値観を持っていたので、自然な形で実現した。

WWD:デザインでこだわった点は?

ゾウCEO:「ボルボ・カーズ」から提案されたのは、サステナブルでありながら機能性にも優れ、魅力的なものを作ること。それは、両社が掲げる顧客像が共有して求める価値観だった。地球を汚さない、それでいて美しい商品こそが究極のラグジュアリーだ。“ノルディコ”は、ペットボトルなどのリサイクル素材や、スウェーデンやフィンランドの持続可能な森林から採取された素材、ワイン産業からリサイクルされたコルクから作られたテキスタイルなどで構成され、自動車産業の厳しい基準とテストをクリアした新素材を用いている。そんな革新的な素材をわれわれの“ウィークエンド・バッグ”に取り入れ、新たな方法でサステナビリティを発信できることにワクワクした。そして、素晴らしいデザインとは、カテゴリーを超えて響くものだということを証明できたと思う。

今必要なのは、立ち止まって互いを支え合うこと

WWD:9月に発表した2022年春夏コレクションでは、6割をサステナブルな素材に切り替えた。これは過去最高の割合?

ゾウCEO:過去最高だ。ここまで到達できたチームとサプライチェーンの功績を誇りに思う。現在もサプライチェーンと共に、新しい糸や原料を模索しながら素材の開発を進めており、サステナブルな取り組みを日々進化させている。大切なのは、見た目が美しいだけではなく、植物由来やリサイクル、再生可能といった素材を選ぶこと。サプライチェーンを含むエコシステム全体で取り組むことが重要だ。既存の価値観やシステムを問い続け、より良質なものを求め続ければ、全員が高いモチベーションで取り組める。

 次のステップは、消費者も同じ熱量を持てるかだ。消費者がお金を少し多く払ってでも、サステナブルなものの良さを分かってくれるかを、ファッションに関わる全ての人々が考える必要がある。

WWD:企業として、サステナビリティに本格的に取り組んだのはいつ?きっかけは?

ゾウCEO:サステナビリティに本腰を入れた時期は、10周年を迎えた2015年。建築家兼アーティストのマヤ・リン(Maya Lin)とコラボレーションした16年春夏コレクションで、600トンのコンポスト(堆肥)を使って、“STOP AND SMELL THE FLOWERS(立ち止まって花を香って)”というサステナブルなメッセージを込めた。従来多くのゴミを出すランウエイだが、ショー後はその堆肥をニューヨーク中の公園や花に返し、カーボンオフセットを実現したショーだった。

 現在、サステナビリティは業界の“バズワード”になっているので、使うのはあまり好きではないし、ビジネスストラテジーにも掲げていない。前述の通り、私たちにとってサステナビリティは生き方そのものであり、自然なものだから。私は仏教の教えのもと、必要以上に浪費しないことを昔から教えられて育ってきた。それはフィリップも同じ。だからこそ、われわれのビジネス経営は倫理的で無駄がなく、独立している。流行りの“サステナビリティ経営”という言葉を使ってトレンドに乗っかり、時流に合わせて経営スタイルを変えたくない。あくまでも自分たちらしい経営で、ビジネスをどう良いものにできるかを常に考えたい。そして、ビジネス的観点からすると、サステナビリティは考えるだけでは足りない。口約束だけではなく、マイルストーンや目標を立てて、責任感を持って取り組む必要がある。

WWD:近年のコレクション発表では、ランウエイではなく招待制の展示会形式をとっている。

ゾウCEO:改めてリセットする必要があると感じたため、ここ数シーズンは店舗で少人数制のプレゼンテーションを開催してきた。特に、現在はパンデミック下で誰もがコロナの影響を受けている。長いロックダウン期間を経て、大々的に派手なランウエイショーをするのは少し違うと感じた。それよりも、今一度自分たちのコミュニティを集めて、“つながり”を大切にしたかった。ランウエイショーは、やろうと思えばいつでもできる。今必要なのは、立ち止まって互いを支え合うことだと感じた。

WWD:インティメイトな空間での展示会では、どのような気付きがあった?

ゾウCEO:やはり近い距離感でつながれて、直接対話できることの大切さを実感した。支援してくれる関係者や友人らと濃い時間を過ごせるし、服もじっくり見ることができる。ランウエイより充実した時間になった。

 今シーズンも、ニューヨークのファッション・ウイークのスケジュールは相変わらず詰まっていた。いろいろなブランドが華やかなファッションショーを開催し、ニューヨークに活気が戻ったことは素晴らしいことだし、実際フィリップもほかのデザイナーを応援するためにファッションショーを訪れていた。われわれは違うアプローチを取ったが、業界を盛り上げて互いをサポートしたい思いは全員同じだ。

“Less(少ない)でBetter(より良い)”な選択を

WWD:以前のインタビューで、「SKU数を50%カットして、素材研究に注力している」と話していたが、新たな取り組みはある?

ゾウCEO: CO2削減目標や認証取得よりも、まずはSKU数を減らすことで主に2つの取り組みを優先している。1つ目は、デザインチームがクリエイティビティを最大限に発揮し、パンデミックの状況下でもモチベーションをキープできるようにしたこと。デザインは、相当な時間とエネルギーを要する。アイテム数を削ったことで、一つ一つのアイテムを作るプロセスを楽しめるようにし、丁寧なモノづくりを促した。またパンデミックで家庭環境やワークライフバランスまでもが激変する中、これまでと同等レベルの仕事量やアウトプットを従業員に求められなかった。

 2つ目は、新たな素材の発見・発掘にリソースを割くこと。アイテム数を減らしたため、サステナビリティ以外のプロジェクトにも時間を割くことができた。フィリップは、科学者やエンジニアとタッグを組んで、プラスチックに替わる素材を共同開発・試作するプロジェクト「ワン×ワン(One x One)」で、100%海藻から作られたカーボンニュートラルなドレスを開発するなど、新たな試みにも挑戦した。「ボルボ・カーズ」との協業もそうだ。

 今後もこういった取り組みをさらに注力していく。クリエイティビティを通して自分たちをインスパイアしながら、新たなサステナブル素材の開発を続けたい。また、ファッション業界内外の企業と意義のあるコラボレーションを続けて、新しいビジネスにも挑んでいきたい。

WWD:環境に配慮した素材を使うと、必然的に商品の価格は上がる。一方で、少しでも安く購入したい消費者も多くいる中、そのバランスをどう図っている?

ゾウCEO:この課題とは常に向き合っている。われわれは、商品価格を注意深く、意識してコントロールしてきた。過去16年間ずっと言い続けてきたことだが、コストだけを優先したモノづくりは実は有益ではない。ローカルから調達すれば世界中に材料を運送する必要がなくなる。必要最低限のサプライヤーと付き合う代わりに、深く密に関わる——こういったことを意識すれば、コストを抑え、消費者に価値ある商品を届けられる。

 私はよく食品業界で例えるのだが、オーガニック食品とそうでない食品がある。私が望むのは、消費者が数あるものの中から“Less(少ない)でBetter(より良い)”な選択をできるようになること。必要以上にものを購入しない代わりに、良質なものを選ぶ。例えば、安いブラウスを2着買う代わりに、長く着続けられる良質なブラウスを1枚買う。サステナブルな生地を用いた、生産者や労働者にきちんとした給料を払えるような、倫理的なブラウスを選んでほしい。いつか皆がそのようなスマートな選択ができるようになることを期待している。

WWD:最後に、「3.1 フィリップ リム」にとってサステナビリティとは?

ゾウCEO:大きな変化につながる小さな行動。毎日取り組める、そして誰もができる、日常的な行動の積み重ねだ。

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業界のトップ経営者ら5人が語る「若手に期待すること」 ルミネ×WWDの次世代応援企画「MOVE ON」

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」をこのたび開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施。受賞者は22年2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。編集部の推薦や公募で募った候補者の中から受賞者を選出するのは、業界のトップ経営者らで構成するアドバイザーたち。今回は業界の中核を担う5人のアドバイザーに、「MOVE ON」や候補者に望むことを聞いた。

※アドバイザーは今後追加発表予定


WWD:「MOVE ON」にどんなことを期待しているか。

佐々木進ジュン社長(以下、佐々木):ビジネスの原動力はクリエイションです。新しい文化や考え方、価値観が生まれた時に、結果として経済はついてくるもの。ただ、現状は文化全般でリバイバルが多いし、何かと何かの掛け合わせであるリミックスが中心です。焼き直しではなく全く新しいものが出てくると、世の中もファッション業界も活性化していくと思います。「MOVE ON」が、そういった新しい価値観が出てくる場になればと期待しています。

近藤広幸マッシュホールディングス社長(以下、近藤):ファッション業界の次世代の話になると、音楽や映画の世界に比べてすごくマニアックだと感じます。業界内では知られていても、世の中は知らないというか。例えば音楽では、宇多田ヒカルさんが出てきたときに曲調にも歌詞にもゾクっとするものがあって、大人も子どもも魅了されました。ハンマーで頭を殴られるような、価値観をドーンと変えるような人がファッションでも出てきたら嬉しいですし、自分や自社も常にそうありたい。現状では、ファッションのクリエイションの部分は一部のマニアのもので、大量生産のブランドだけが大衆とつながっている印象です。消費者と直接つながって、クリエイションや情熱でみんなの心を刺激するような、メジャーな存在感の人に出てきてほしいですね。

山井梨沙スノーピーク社長(以下、山井):私はかつてファッションデザイナーを志し、アウトドア業界に転じました。ファッションは不確定さが面白くて、人の心を動かすモノが出てくる可能性は大いにあると思います。でも、そこにビジネスの商流がついてきていない。マスに向けた大量生産が小売りの支配的な商流としてあり、カルチャーを生み出す可能性のある新進ブランドの影響力はどんどん小さくなっています。D2Cも出てきてはいますが、ビジネスの手法の部分がもっと広がっていけば、業界としてよくなるんじゃないでしょうか。コロナによって従来のやり方にひずみが生じた今だからこそ、誰のために何をどう提供するのが最適かを考えて、新しいことができるはず。服をお客さまに提供すること自体が目的なのではなく、服はあくまで手段です。服によってどんな価値が伝えられるかをもっと掘り下げていくべき。これまで業界は、服自体を目的とする考え方に偏り過ぎていたのではないでしょうか。

齋藤峰明ルミネ顧問(以下、齋藤):ファッションはこれまで消費の最先端を担ってきました。それが行き着くところまで行って、このままでは続けられなくなっていますし、続けていってはいけない。このまま続けていけば地球環境は取り返しがつかないと多くの学者も指摘しています。消費社会を見直し、ファッションの役割や産業のあり方を転換していく必要があります。未来を担う世代の人たちには、われわれ世代がやってきたこと、やっていることを自由にどんどん批判してほしい。それを真摯に受け止めたいし、受け止める体制を業界として作ることが重要だと思っています。

佐々木:イノベーションとは非常識が常識になることですよね。ひょっとしたら、われわれアドバイザーの尺度で良い悪いを判断すること自体が予定調和を招くのかもしれません。「ZOZOTOWN」が始まったときも、服がECで売れるなんて誰も思っていませんでしたが、それを信念でやり通してここまで大きくなった。今までの尺度では測れないような、全然価値観の違うアイデアを持った人が自由に動ける環境を作っていくことが大事だと思っています。「NEXT LEADER」の選出でも、私たちの中で一番反対意見の多かった人が、ひょっとしたら一番可能性があるのかもしれない。そのくらいの発想の転換が必要です。

伊藤純子ルミネプロジェクト戦略部担当部長(以下、伊藤):ルミネの中で長らく業態開発などを担当してきましたが、1を2にするのではなく、0を1にするようなマインドを持った人と組みたいと常に思ってやってきました。商業施設は、1を2にも3にもしていくのが仕事です。だからこそ、0からアイデアを生み出せる人たちのことを本当に尊敬していますし、どうやっても敵わないと強く感じてきました。マーケットの進化やお客さまの気持ちに沿って、新しいものを生み出せる人はまだまだいると信じています。そういう人たちにとってチャンスとなる場がたくさんあってほしい。「MOVE ON」もその一つです。

「たとえダメだと言われてもやる
そうでないと新しいものは生まれない」

WWD:候補者に求める資質や、若い世代に伝えたいことは何か。

近藤:今は若い人にとって大チャンスの時代です。今回アドバイザーを引き受けたのは、今はサブカルチャーがカルチャーに変わる瞬間だから。かつてはクラシック音楽がカルチャーで、ビートルズがサブカルチャーでしたが、今となってはそれが入れ替わっています。同様に、従来はサブカルチャーだったサステナビリティの考え方が、先進国全てがコミットするメインカルチャーになっています。地球環境を無視したブランドはもう認められません。時代がガラっと変わる中では、大企業も駆け出しのブランドもみんな1年生。当社だって、オーガニックコスメなどの事業を始めてからほんの10年ちょっとですから。ココ・シャネルだってそうですよね。彼女は服装で女性を解放しましたが、当時は「女性は家にいるもの」という価値観から、外に出て働くようにカルチャーが変わる瞬間だった。あの時代はデザイナーにとって大チャンスだったわけです。社会的なルールが変わろうとしているとき、やはりファッションがそれをリードしないと絶対いけない。世の中が変わっていくことを後押しするデザインや、そんなデザインのルールを生み出すべきです。サステナビリティが審査基準の全てではないですが、そうした考えが0の人が「NEXT LEADER」にふさわしいとは思わない。大手も若手も関係なく、みんなライバルという時代ですから、候補者から自分にはないアイデアが出てきたら心底悔しいって僕も思いますよ。

山井:ファッションはカウンターカルチャーで時代を作ってきました。時代に反発してやったことが多数派になって、それが流行になっていく。でも、最近はカウンターですらないものが多いです。「このやり方に沿ってやればそこそこ稼げる」という感じのものが中心で、オリジナルが生まれてこない。たとえダメだと言われても振り切ってやるような人じゃないと、新しいものは生まれません。今の若い人は平均的にすごくよくできるんですが、突き抜けるものが見出しづらい。これはファッション業界に限った話ではないですし、教育や幼少期の環境といった部分に根っこがあるのかもしれませんが。

佐々木:“生き方のヒエラルキー”じゃないんだけど、業界の中で有名なトップの人に憧れて仕事を始めた人たちは、必然的にその人の生き方や価値観をなぞって、その枠の中で考えてしまう。だからその人たちからは新しい価値はなかなか出てこないと思うんです。全く新しい枠組みで物事を捉え、ライフスタイル提案からクリエイションまでできる人が必要だと考えます。

齋藤:ファッションは本来何をやってもいいはず。それなのに若者が自由にやらないということは、できる環境ではないんだということです。日本には優秀なクリエイターがたくさんいますが、世の中が多様性と口では言いながら仲間外れにならないようなモノを求めているから、クリエイターは自由にモノを作れない。ファッション業界は、そういう世の中のあり方から変えていかないといけないと思います。

「自分の“好き”を表現すべき
マーケティング先行では続かない」

WWD:自分自身がまだ「NEXT LEADER」世代だったころを振り返って、若い人にメッセージを。

山井:10年ほど前は、自分がファッション業界をよくしたいという思いを相当強く持っていましたね。時代を作ってやるんだと思っていました。

佐々木:仕事を通し世の中をよくしたいという目的はみんな一緒だと思います。その山(目的)に、自分は人とは違う登り方をしたいと思っていました。例えば、当時はインポートブランドの日本での紹介のされ方にすごく違和感を感じていて、それとは違うやり方を模索して、「アー・ペー・セー」との合弁会社を立ち上げたりしました。

近藤:当時は昼も夜もなく働いて、手痛い失敗を繰り返しながら「いつか見ていろ」と思ってやっていました。ファッションが大好きで、やりたいことや表現したいことがあるなら表現すべきです。そうした思いを抜きに、売れるかどうかのマーケティングで始めたようなものは続きませんから。

齋藤:勤め始めて5年間ほどは思うように仕事ができず、自分のクリエイティビティーが略奪されていくような感覚がありました。社会に出たばかりのころはみんな同じように感じるのではないでしょうか。でも、自分のやりたいことがビジネスとして表現できるようになると楽しくなってくる。そのためには勉強も大事です。何も分からない人には仕事を任せられません。

伊藤:元来好奇心旺盛だからというのもありますが、どんなことに対しても難しい、怖いと尻込みせずにやってきました。今考えると、それを支えてくれた大人がとても寛容でしたし、自分は今そういう存在になれているかとは常々考えます。若い皆さんにも、好奇心を大切に挑戦していってほしいですね。


【現在、公募も受け付け中】

「MOVE ON」では、「我こそは、業界の発展に貢献するネクストリーダーだ!」という自薦や、「業界の未来に、あの人は欠かせない」という他薦を募集しています。締め切りは2022年1月10日です。アツい想いやポートフォリオとともに、ぜひエントリーしてください。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

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業界のトップ経営者ら5人が語る「若手に期待すること」 ルミネ×WWDの次世代応援企画「MOVE ON」

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」をこのたび開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施。受賞者は22年2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。編集部の推薦や公募で募った候補者の中から受賞者を選出するのは、業界のトップ経営者らで構成するアドバイザーたち。今回は業界の中核を担う5人のアドバイザーに、「MOVE ON」や候補者に望むことを聞いた。

※アドバイザーは今後追加発表予定


WWD:「MOVE ON」にどんなことを期待しているか。

佐々木進ジュン社長(以下、佐々木):ビジネスの原動力はクリエイションです。新しい文化や考え方、価値観が生まれた時に、結果として経済はついてくるもの。ただ、現状は文化全般でリバイバルが多いし、何かと何かの掛け合わせであるリミックスが中心です。焼き直しではなく全く新しいものが出てくると、世の中もファッション業界も活性化していくと思います。「MOVE ON」が、そういった新しい価値観が出てくる場になればと期待しています。

近藤広幸マッシュホールディングス社長(以下、近藤):ファッション業界の次世代の話になると、音楽や映画の世界に比べてすごくマニアックだと感じます。業界内では知られていても、世の中は知らないというか。例えば音楽では、宇多田ヒカルさんが出てきたときに曲調にも歌詞にもゾクっとするものがあって、大人も子どもも魅了されました。ハンマーで頭を殴られるような、価値観をドーンと変えるような人がファッションでも出てきたら嬉しいですし、自分や自社も常にそうありたい。現状では、ファッションのクリエイションの部分は一部のマニアのもので、大量生産のブランドだけが大衆とつながっている印象です。消費者と直接つながって、クリエイションや情熱でみんなの心を刺激するような、メジャーな存在感の人に出てきてほしいですね。

山井梨沙スノーピーク社長(以下、山井):私はかつてファッションデザイナーを志し、アウトドア業界に転じました。ファッションは不確定さが面白くて、人の心を動かすモノが出てくる可能性は大いにあると思います。でも、そこにビジネスの商流がついてきていない。マスに向けた大量生産が小売りの支配的な商流としてあり、カルチャーを生み出す可能性のある新進ブランドの影響力はどんどん小さくなっています。D2Cも出てきてはいますが、ビジネスの手法の部分がもっと広がっていけば、業界としてよくなるんじゃないでしょうか。コロナによって従来のやり方にひずみが生じた今だからこそ、誰のために何をどう提供するのが最適かを考えて、新しいことができるはず。服をお客さまに提供すること自体が目的なのではなく、服はあくまで手段です。服によってどんな価値が伝えられるかをもっと掘り下げていくべき。これまで業界は、服自体を目的とする考え方に偏り過ぎていたのではないでしょうか。

齋藤峰明ルミネ顧問(以下、齋藤):ファッションはこれまで消費の最先端を担ってきました。それが行き着くところまで行って、このままでは続けられなくなっていますし、続けていってはいけない。このまま続けていけば地球環境は取り返しがつかないと多くの学者も指摘しています。消費社会を見直し、ファッションの役割や産業のあり方を転換していく必要があります。未来を担う世代の人たちには、われわれ世代がやってきたこと、やっていることを自由にどんどん批判してほしい。それを真摯に受け止めたいし、受け止める体制を業界として作ることが重要だと思っています。

佐々木:イノベーションとは非常識が常識になることですよね。ひょっとしたら、われわれアドバイザーの尺度で良い悪いを判断すること自体が予定調和を招くのかもしれません。「ZOZOTOWN」が始まったときも、服がECで売れるなんて誰も思っていませんでしたが、それを信念でやり通してここまで大きくなった。今までの尺度では測れないような、全然価値観の違うアイデアを持った人が自由に動ける環境を作っていくことが大事だと思っています。「NEXT LEADER」の選出でも、私たちの中で一番反対意見の多かった人が、ひょっとしたら一番可能性があるのかもしれない。そのくらいの発想の転換が必要です。

伊藤純子ルミネプロジェクト戦略部担当部長(以下、伊藤):ルミネの中で長らく業態開発などを担当してきましたが、1を2にするのではなく、0を1にするようなマインドを持った人と組みたいと常に思ってやってきました。商業施設は、1を2にも3にもしていくのが仕事です。だからこそ、0からアイデアを生み出せる人たちのことを本当に尊敬していますし、どうやっても敵わないと強く感じてきました。マーケットの進化やお客さまの気持ちに沿って、新しいものを生み出せる人はまだまだいると信じています。そういう人たちにとってチャンスとなる場がたくさんあってほしい。「MOVE ON」もその一つです。

「たとえダメだと言われてもやる
そうでないと新しいものは生まれない」

WWD:候補者に求める資質や、若い世代に伝えたいことは何か。

近藤:今は若い人にとって大チャンスの時代です。今回アドバイザーを引き受けたのは、今はサブカルチャーがカルチャーに変わる瞬間だから。かつてはクラシック音楽がカルチャーで、ビートルズがサブカルチャーでしたが、今となってはそれが入れ替わっています。同様に、従来はサブカルチャーだったサステナビリティの考え方が、先進国全てがコミットするメインカルチャーになっています。地球環境を無視したブランドはもう認められません。時代がガラっと変わる中では、大企業も駆け出しのブランドもみんな1年生。当社だって、オーガニックコスメなどの事業を始めてからほんの10年ちょっとですから。ココ・シャネルだってそうですよね。彼女は服装で女性を解放しましたが、当時は「女性は家にいるもの」という価値観から、外に出て働くようにカルチャーが変わる瞬間だった。あの時代はデザイナーにとって大チャンスだったわけです。社会的なルールが変わろうとしているとき、やはりファッションがそれをリードしないと絶対いけない。世の中が変わっていくことを後押しするデザインや、そんなデザインのルールを生み出すべきです。サステナビリティが審査基準の全てではないですが、そうした考えが0の人が「NEXT LEADER」にふさわしいとは思わない。大手も若手も関係なく、みんなライバルという時代ですから、候補者から自分にはないアイデアが出てきたら心底悔しいって僕も思いますよ。

山井:ファッションはカウンターカルチャーで時代を作ってきました。時代に反発してやったことが多数派になって、それが流行になっていく。でも、最近はカウンターですらないものが多いです。「このやり方に沿ってやればそこそこ稼げる」という感じのものが中心で、オリジナルが生まれてこない。たとえダメだと言われても振り切ってやるような人じゃないと、新しいものは生まれません。今の若い人は平均的にすごくよくできるんですが、突き抜けるものが見出しづらい。これはファッション業界に限った話ではないですし、教育や幼少期の環境といった部分に根っこがあるのかもしれませんが。

佐々木:“生き方のヒエラルキー”じゃないんだけど、業界の中で有名なトップの人に憧れて仕事を始めた人たちは、必然的にその人の生き方や価値観をなぞって、その枠の中で考えてしまう。だからその人たちからは新しい価値はなかなか出てこないと思うんです。全く新しい枠組みで物事を捉え、ライフスタイル提案からクリエイションまでできる人が必要だと考えます。

齋藤:ファッションは本来何をやってもいいはず。それなのに若者が自由にやらないということは、できる環境ではないんだということです。日本には優秀なクリエイターがたくさんいますが、世の中が多様性と口では言いながら仲間外れにならないようなモノを求めているから、クリエイターは自由にモノを作れない。ファッション業界は、そういう世の中のあり方から変えていかないといけないと思います。

「自分の“好き”を表現すべき
マーケティング先行では続かない」

WWD:自分自身がまだ「NEXT LEADER」世代だったころを振り返って、若い人にメッセージを。

山井:10年ほど前は、自分がファッション業界をよくしたいという思いを相当強く持っていましたね。時代を作ってやるんだと思っていました。

佐々木:仕事を通し世の中をよくしたいという目的はみんな一緒だと思います。その山(目的)に、自分は人とは違う登り方をしたいと思っていました。例えば、当時はインポートブランドの日本での紹介のされ方にすごく違和感を感じていて、それとは違うやり方を模索して、「アー・ペー・セー」との合弁会社を立ち上げたりしました。

近藤:当時は昼も夜もなく働いて、手痛い失敗を繰り返しながら「いつか見ていろ」と思ってやっていました。ファッションが大好きで、やりたいことや表現したいことがあるなら表現すべきです。そうした思いを抜きに、売れるかどうかのマーケティングで始めたようなものは続きませんから。

齋藤:勤め始めて5年間ほどは思うように仕事ができず、自分のクリエイティビティーが略奪されていくような感覚がありました。社会に出たばかりのころはみんな同じように感じるのではないでしょうか。でも、自分のやりたいことがビジネスとして表現できるようになると楽しくなってくる。そのためには勉強も大事です。何も分からない人には仕事を任せられません。

伊藤:元来好奇心旺盛だからというのもありますが、どんなことに対しても難しい、怖いと尻込みせずにやってきました。今考えると、それを支えてくれた大人がとても寛容でしたし、自分は今そういう存在になれているかとは常々考えます。若い皆さんにも、好奇心を大切に挑戦していってほしいですね。


【現在、公募も受け付け中】

「MOVE ON」では、「我こそは、業界の発展に貢献するネクストリーダーだ!」という自薦や、「業界の未来に、あの人は欠かせない」という他薦を募集しています。締め切りは2022年1月10日です。アツい想いやポートフォリオとともに、ぜひエントリーしてください。

問い合わせ先
ルミネ代表電話
03-5334-0550

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ZOZO610(武藤貴宣)の喜び溢れるファッション人生^_^  特別編 憧れの武田邦彦先生に意見をいただきました(前編)

 「ファッション業界がもっと喜び溢れるようになるためにどうしたらいいのか」――ZOZO執行役員の武藤貴宣氏が、敬愛してやまない武田邦彦先生と対談。78歳の科学者ならではの視点で、ファッションおよびファッション業界の課題を指摘してもらった。今回は特別に無料公開でお届けする。(この連載のアーカイブはこちら

武藤:武田先生は、科学や環境問題、政治だけでなく、アートや美術に対してもすごく造詣が深く、さまざまなことをロジカルに科学的な根拠を持って説明されていて、本当に尊敬しています。ファッションやファッション業界についても、こうしたらいいんじゃないかというすごいヒントをいただけるのではないかと思い、今日はお時間をいただきました。

武田:自由に言わせてもらえば、ファッションというのはやはり名前が良くないんでしょうね。カッコつけているのか、英語を使いたいのか、フランスの影響なのか分からないけれど。「俺たちだけでやればいいよ」という態度に見えるんです。ファッション業界自体がそう見えますね。

武藤:いきなりガツンときました!? (笑)

武田:じいさんをモデルとして出してもいいのか。そこが一番、ファッションで問題だと思います。要するにファッションは特別な人のものなんです。日本人が1億2000万人いたら、1000万人ぐらい相手にすればいいやという感じでやっているように見えます。ZOZOさんはそういうのを覆したんでしょうけど。

武藤:僕たちはただ洋服が好きで、やっていたらこうなっていたというのが正直なところです。社員の多くはもともとZOZOTOWNのユーザーで、楽しそうだからと集まってきていて。ただ、今は商品取扱高で年間4100億円ぐらいの規模感でやっているので、当然ですが責任ある立場ですね。

武田:非常にいいモデルだったからこそ、これだけ受け入れられたわけだから。社会的責任がありますよね。

武藤:そうですね。

武田:今日はわざとこういう服を着てきたんです。汚い色。ブランド品ですよ。だけど映えない。なぜこういうふうにしたかというと、私の知るところでは今、アルバイトなどは除いての統計だけれど、20歳から50歳までの30年間の収入の平均というのが、だいたい年間590万円から600万円ぐらいなんです。一方、50歳から80歳の30年間の収入の平均もほぼ一緒で、せいぜい10万円程度違うぐらい。教育費負担を引いたら、可処分所得はお年寄りのほうがずっと高いんです。そして、20歳から50歳までが所有している資産額は平均1300万円。かたや50歳から80歳の資産は平均で4300万円なんです。

 加えて今年、50歳以下の女性と50歳以上の女性の人口が多分、一緒になるんです。男性は少し遅れるんですが。さらに一昨年、一昨々年、50歳を超えた人の平均余命が50年を超えまして。ということは平均100歳。50歳になった人はあと50年生きるということになっています。

 日本には昔から、「隠居」というのがあったんです。余生を基に現役を決めていて、昔は男性の平均寿命が70歳だったから55歳が定年だったわけです。つまり引退後の10年が余暇です。旅行だとかゲートボールだとかに費やして、残りの5年は死ぬ準備。あまり活動できなくなってから死ぬまでの間の年数は正確に測定されていて、統計上は6年なんですけれど、一応5年。それで15年。年金も老人施設や病院の数も旅行会社のプランも全部この余生15年に合っていたのですが、今はもう全然合わないんです。

武藤:なるほど。

武田:そこで最大の問題は、50歳以降をどう生きるかが決まってないということなんです。今までは、結婚して、家を持って、子どもができて、その中で服でも生活でも選んでいくわけです。基本的な概念は誰が作っていたかというと、小説家なんです。皆、小説を読んだりしながら結婚したらどうの、家を持ったらどうの、どこに住んだらどういう生活を送るかのイメージを頭の中に持っていました。そこには、人生の楽しさもある。悲しさもあって、失敗もあるし成功もある。ところが、50歳以上はそのイメージがないんです。

武藤:手本がないということですね。

武田:自分の人生をどう送るかのイメージがないんです。50歳すぎの女性に聞くと、誰もイメージを持っていない。真っ白です。

「ビジネスは必ず幸福とつながっている」

武藤:どうしたらいいのでしょう。

武田:まず必要なのは、小説家に小説を書いてもらうことです。今、50歳から100歳の人が資産4300万円と収入があっても使わないのは、自分が着たい服や住みたい住宅など、欲しいものが分からないんです。もっと言えば、老人には要らないんです。だから、買う意欲ももちろんない。80歳のじいさんに「畳を替えたらどうですか」って言っても、「何言ってんの」って。「俺、もう死ぬばかりだから、そんなの要らないよ」とくるわけです。それが非常に大きな問題です。

 人生そのものの提案、それは企業から見ればビジネスでしょうけれど、僕から見れば老人を幸福にすることなんです。老人が生きている意味がある、そういう社会の像をまず見せる。一刻も早くやるべきです。僕は45歳のときにそれに気が付いたんです。当時は大企業の出世頭で、このままいったら万々歳。ところが、45歳のときに「老婆の一時間」という随筆を書いたんです。

武藤:周りの人がその人を「老婆」扱いするから、その人が「老婆」になってしまう。若いときの1時間も老婆の1時間も価値は一緒だという内容ですよね。

武田:そう。それを書いたときに自分で気が付いて。「なんだ。僕には50歳以上の人生ってないじゃないか。役員になってごますって、定年ちょっと延ばしてもらってゴルフして、旅行に行って死ぬだけだ」って。これ、人生じゃないです。

武藤:ドキ!自分も大丈夫かな(笑)。

武田:それで、50歳でばっと会社を辞めて、60歳から90歳までの30年間を、20歳から50歳までの30年間と全く同じように生活しようと決めたんです。だから今78歳ですけれど、僕は心の中では38歳だと思っているわけです。いつ死ぬか分かりませんよ。死亡の確率は上がってきますから。でも一番の大きな障害は、周りの目なんです。例えば洋服だったら、僕は随分、派手な色の背広を持っています。テレビのときは着ますが、普段は無理ですね。

武藤:「虎ノ門ニュース」で着ていらっしゃった真っ白なスーツ、カッコよかったです。

武田:ところが、そういう格好して街中で友達とご飯を食べようとなんかしたら、あっという間に排斥されちゃう。急にやっては駄目なんです。徐々にやっていかなきゃいけない。ZOZOさんみたいなところや、ファッションをやっているところが徐々に。僕も派手な格好をするときがあります。けれど、それは短時間だけ。あとは、こういう野暮ったいやつを着ているしかない。

武藤:僕個人の意見ですが、70歳ぐらいの人がおしゃれを楽しんだり、カッコよくするというのは、若者からすると、「70歳で!」というレバレッジが利いて、逆にカッコいいですよ。

武田:僕ら78歳のソサエティーというのは、みんな死んでいる世界なんです。お金を持っていても、使う先がない。例えば、市役所に文句を言ってくるのは、50歳以上の男性が多いそうです。それで、四日市の市役所がそういう人たちに、何か話をしてくれと僕に頼んできた。会場に行ったら200人ぐらいの白髪の、60歳から80歳ぐらいのじいさんばっかり。僕はもちろんいろいろ言ったんだけど、「(四日市はすごく洪水が多いから)雨が降ったらわれわれは土のうを担いで川のほうに行こうじゃない。市民はみんな川のほうから引き揚げてくるけど、僕らは川に行こうじゃないか。土のうを積むんだ。足りなければ僕らが寝るんだ。それで、そこで死ぬんだ」って言ったら、みんなわーって笑って。市役所の人が言うには、来るときはみんな下を向いていたけど、帰りはみんな上を向いていたって。つまり、精神的な生きがいとか喜びが必要なんです。まず小説家が書いてくれないと、思いが至らないというか、イメージが湧かないんです。

 それで、悪口言ったらなんだけど、ZOZOTOWNを見たら、全部若者。こっちの資産は4300万円だよと。ビジネスは必ず幸福とつながっていますから。幸福にさえしてあげればみんな買うんです。でも、きっかけがない感じなんです。(次回は2022年1月10日12時にアップ予定です)

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ホリデームードあふれる「ラルフ ローレン 銀座」 俳優・桜田通がアイススケートに挑戦!

 クリスマスには毎年、ユニークな体験型イベントを開催する「ラルフ ローレン(RALPH LAUREN)」。2021年のホリデーキャンペーンは、「An occasion to celebrate“祝いの時”」をテーマに掲げ、再びドレスアップできるようになった喜びを表現している。
 ウィメンズ、メンズ、キッズの最新ホリデーコレクションが登場するほか、多彩なタッチポイントを通じてブランドの新たな体験方法を提案する。今年の11月からサンフランシスコやリヤドの各都市ではドローンによるライティングショーを行い、ニューヨークやロンドン、パリ、ミュンヘンでは、お祝いの菓子やホットチョコレートの提供などでパーティー気分を盛り上げた。
 ⽇本の各店舗でも期間限定のフォトブースを設置し、ホリデーらしい店内装飾とともにさまざまなコンテンツを用意している。12月10日には、「ラルフ ローレン 銀座」を訪れた俳優・桜田通がショップクルーズを楽しむ模様がライブ配信された。配信中には、併設されている「ラルフズ コーヒー(RALPH’S COFFEE)」のホリデー限定ドリンクや、特設アイススケートリンクでスケートに挑戦したほか、桜田が大切な人に贈りたいホリデーギフトをセレクトするなど、この時期ならではの楽しみ方を披露した。

限定ドリンクにアイススケート!
ホリデーシーズンの
「ラルフ ローレン 銀座」の楽しみ方

桜田通にクエスチョン!
理想のクリスマスの過ごし方は?

WWD:「ラルフ ローレン」に持つイメージとは?
桜田通(以下、桜田):昔は、“ポロシャツ!”というカジュアルなイメージが強かったのですが、大人になった今、いろいろと勉強させていただき、メジャーメイドスーツや「ラルフ ローレン パープル レーベル(RALPH LAUREN PURPLE LABEL)」などのラグジュアリーレーベルのアイテム、食器などのホームコレクションも気になります。“必要なものは全てそろう”“衣服だけではなくライフスタイルにも寄り添ってくれる”ブランドという印象です。
WWD:「ラルフ ローレン」のアイテムやブランドイメージで魅力を感じるポイントは?
桜田:歴史があり、「ラルフ ローレン」と言えば多くの人が知っているほど、時代や流行に対応しながらも一貫しているアイコン、スタイルを持ち続けているのがかっこいいと思います。

WWD:これまでに過ごしたクリスマスの思い出を聞かせてほしい。また、今年のクリスマスはどんなふうに過ごしたい?
桜田:最高というほどではないのですが、現場で過ごした時にささやかなケーキやチキンなどをスタッフの皆さんが用意して下さったのは優しさを感じました。
 今年こそはクリスマスにデートを、夜景の見えるレストランで……と理想はありますが、とにかくクリスマスまで時間がないですね(笑)。

WWD:今年頑張った自分にプレゼントをあげるなら?
桜田:もちろん「ポロ ラルフ ローレン」のニットです!あとは、大好きなアート作品など、普段はなかなか買えないような高価なものを買ってみたいですね。

WWD:「ラルフ ローレン」のアイテムをホリデーギフトとして選びたい理由とは?
桜田:幅広い方に似合うアイテムが多く、高級感がありながらもカジュアルさがあるから、プレゼントする側、受け取る側、両方にとって気持ちの良いプレゼントになると思います。

WWD:来年の目標はありますか?
桜田:何事ももう一段階だけでも、より世界で活躍できるよう努力していきたいです。それと同時に、近くにいる人とはもっと心の距離が縮まるような楽しい時間をたくさん過ごしていきたいですね。

桜田通が選ぶホリデーギフトは?

ホリデー仕様の
「ラルフ ローレン 銀座」から
ライブ配信

桜⽥通着⽤ ジャケット3万5200円、カーディガン4万8400円、ケーブルニット2万5300円、パンツ2万8600円/すべてポロ ラルフ ローレン(ラルフ ローレン0120-3274-20)、首に巻いたチーフ2万3100円、シューズ8万300円/ラルフ ローレン(ラルフ ローレン0120-3274-20)
村上要「WWDJAPAN」編集長着⽤ ニット7万2600円、シャツ1万8700円、デニム2万1000円、マフラー2万5300円/すべてポロ ラルフ ローレン(ラルフ ローレン0120-3274-20)
MC・ヤハラリカ着⽤ ニット4万2900円、スカート6万4900円、ベルト8万6900円/すべてポロ ラルフ ローレン(ラルフ ローレン0120-3274-20)

 ゲストの桜田通、「WWDJAPAN」編集長の村上で行われたライブ配信。この時期ならではの華やかなムードに包まれた店内を思う存分楽しみながら、「ラルフズコーヒー」のホリデー限定ドリンクのテイスティングや、「CYOカスタムショップ」を体験し、ギフト選びの楽しみ⽅を紹介した。
 クリスマスツリーとともにライトアップされたスケートリンクでは、桜田本人もスケートに挑戦。スケートをするのは小学生ぶりだと語る桜田だが、その腕前にはファンたちからも称賛のコメントが寄せられるなど配信中も盛り上がりを見せた。
 質問コーナーでは、視聴者から寄せられた「実際に持っている『ラルフ ローレン』のアイテムは?」「クリスマスの予定は?」といったコメントに桜⽥が笑顔で答え、視聴者を魅了した。

※価格は全て税込です
PHOTOS:TOMOYA TANY TANIGUCHI
問い合わせ先
ラルフ ローレン
0120-3274-20

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ジェフ・クーンズの作品が身近に 仏磁器ブランド「ベルナルド」がコラボコレクションを展示販売

 フランス発高級磁器ブランド「ベルナルド(BERNARDAUD)」は、東京・原宿のJPSアートギャラリーで、ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)との新作コラボレーション作品「バルーン・ドッグ(ブルー)“を展示販売した。同ブランドとクーンズのコラボは8回目で、新作は世界限定799点。新作の他にも、今までのクーンズとのコラボ作品も展示販売する。クーンズといえば、今『ユニクロ(UNIQLO)』ともコラボしており、アート愛好家以外にも認知度がアップしている。クーンズとの長年のコラボについて、6代目のアーサー・ベルナルド(Arthur Bernardaud)=ベルナルドジャパン社長に話を聞いた。

WWD:クーンズとコラボをスタートしたきっかけは?

アーサー・ベルナルド=ベルナルドジャパン社長(以下、ベルナルド):クーンズとのコラボがスタートしたのは2013年。彼がベルサイユ宮殿に巨大な花を使用した作品を制作したときから。彼は『ベルナルド』のファンで、当時社長だった祖父のミシェル・ベルナルド(Michelle Bernardaud)にアプローチがあり、その作品を白い磁器のベースで再現したのが始まりだ。その後、『バナリティ・シリーズ』のテーブルセットを制作。『バルーン・ドッグ』のプレートや『バルーン・スワン』『バルーン・モンキー』『バルーン・ラビット』などをコラボで制作し、昨年には『ダイヤモンド・レッド』が登場した。それに続くのが「バルーン・ドッグ(ブルー)」だ。

WWD:最新コラボの限定数が799なのは?

ベルナルド:クーンズの希望からだ。彼の作品はとても高価で、美術館でしか見ることができない。彼は、もっと幅広い人に作品を家で楽しんでもらいたいと思っている。多くのコピーがあるが、「ベルナルド」とのコラボ作品はオリジナルのプロポーション、カラー、ミラー効果を完璧に再現したクーンズのお墨付きのものだ。

WWD:8回目のコラボということだが、製造の過程は?

ベルナルド:今まで、いろいろなコラボ作品を製造してきたが、サイズやプロポーション、カラーが異なるため、今まで蓄積してきた製造工程をそのまま当てはめることはできない。素材作りから、焼く温度、カラーの出し方、ペイントの仕方など、毎回カスタマイズしているといってもいいくらいだ。

WWD:どのような層が購入して行くか?

ベルナルド:クーンズのファンやアート好き。若い富裕層なども投資目的で購入する。なぜなら、われわれのコラボ製品はオークションハウスなどで再販されるからだ。

WWD:コロナ禍の商況は?

ベルナルド:グローバルでは好調だ。“おうち時間”で百貨店などの売り上げも好調。 B to Bでは、ホテルはコロナの影響で不調だが、それ以外は「ゲラン(GUELAIN)」のハイエンドの“オーキデアンペリアル”のクリームやセラムのパッケージなどを“金継ぎ”のコレクションを用いて手がけたし、10月にオープンした「ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)」のパリ旗艦店の外壁を手がけたりした。

WWD:日本市場の商況は?

ベルナルド:21年の年商は前年の2倍以上になった。18年にジャパン社ができたばかりなので、ある意味当然のこと。日本では、フランスの磁器はあまり知名度がない。だから、雑誌などのメディアを通じて、より多くの人々にその魅力を知ってもらえるようにしている。まだまだ、時間がかかると思う。20年に日本でもECをスタートし予想通りの売り上げだ。SNSでの発信も行っている。約8割が新規顧客だ。出店が滞っているのが残念。来年には旗艦店をオープンできればいいなと思っている。BtoBに関しては、19~20年は東京オリンピック需要で好調だったが、今年はコロナ禍の影響でホテルのオープンなど大きなプロジェクトが減り不調。だが、回復してきている。

WWD:今後の戦略は?

ベルナルド:日本市場では、ギフト用のブランドとして確立したい。また、テーブルウエアだけでなく、ジュエリーやランプ、家具といったものも提供していくつもりだ。

WWD:「ベルナルド」が提案する豊かな“おうち時間”とは?

ベルナルド:家族や友人と美味しい料理を楽しむことが至福の“おうち時間”だと思う。クラシックからモダンまでさまざまなスタイルの製品があるので、好みで選んでもらえるはずだ。

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“違い”をパワーに IMALUが運転する「MINI」で “ドライビング・ディスカッション”

 ひと目で認識できるアイコニックなデザイン、コンパクトなボディにパワフルな走りを凝縮した「MINI」は、1959年のデビュー以来世界中で愛され、進化を続けてきた。そんな「MINI」が新たに掲げたブランドアティチュードが、“BIG LOVE”だ。世界的に発信される同テーマを日本ではもう少し噛み砕き、「みんなの違いを、みんなのパワーに。」というキーメッセージとして発信している。“BIG LOVE”を体現するスペシャル動画コンテンツ“「MINI」ドライビング・ディスカッション”を、「WWDJAPAN.com」と「MINI」のウエブサイトで公開する。ハンドルを握るのはタレントのIMALU。助手席には「WWDJAPAN」編集長の村上要が座る。「初めまして」から始まる2人の価値観がぶつかり合う。

IMALUが語る「MINI」の魅力

 “「MINI」ドライビング・ディスカッション”は、“BIG LOVE”のメッセージを体現する日本オリジナルコンテンツだ。建前で語られることの多い日本の文化の中にあって、車内というクローズドな空間であれば本音で語り合いやすくなることを狙い、企画された。自分の意見を相手に伝えること、そして自分と違う意見を認め合う大切さを提案する。年齢や職業、ライフスタイルも異なるIMALUと村上だが、初めての愛車が「MINI」という共通項を持つ。IMALUは以前、赤色の「MINI」に乗っていたという。「小柄な私でも運転しやすいのがお気に入り。ハンドルを握った時の高揚感は『MINI』ならではです。機能やデザインがアップデートされても、根幹の魅力はずっと変わらなくて愛おしい。街で『MINI』を見かけるとつい手を振りたくなっちゃいますね」と笑う。

より実用的にスタイリッシュに進化

 小回りが効き、狭い市街地でも思いのままのドライビングをかなえるボディサイズは、「MINI」が持つ大きな魅力の一つだ。一方で高速かつ低重心なハンドリングによる力強い走りは、“ゴーカート・フィーリング”とも形容される。3気筒と4気筒の“ツインパワー・ターボ・エンジン”は瞬時にトルクを発生させ、加速力を発揮。快適な乗り心地でありながら、ダイレクトな操作感と力強い疾走感こそ、「MINI」が支持され続ける所以だ。
 進化を遂げたアイコニックなフロントフェイスにも注目したい。ヘッドランプを囲う“LEDデイライト・リング”によって、「MINI」らしい“丸い目”がさらに強調された。エンブレムデザインはそのままに、マットなブラックでよりスタイリッシュな印象に。“The New MINI 3 Door”は、ダイナミックなバンパーとフロントデザインが際立つ。ヘッドライトの下に配置された新たなエア・カーテンは、燃費向上に大きく貢献している。
 デザインに定評のある「MINI」は後ろ姿にも抜かりない。ユニオン・ジャックをあしらったリア・ライトには、イギリス生まれというアイデンティティに加えて、大人の遊び心まで見て取れる。

正解がないから面白い!?
“ドライビング・ディスカッション”を公開

 最初のトークテーマは、「日本は自分をさらけ出しやすい?さらけ出しにくい?」というもの。高校時代にカナダに留学していたIMALUと、ニューヨークでの生活経験を持つ村上。「日本では何かを決める際に、多数決という方法が多いように感じる」と話すのはIMALUだ。カナダでは『君はどう考える?』という投げかけが多くカルチャーショックを受けたという。村上からは「“カッコつけがち”なファッション業界も、失敗もさらけだすことで共感を得られることもあるのかもしれない」などビジネスの話にも広がった。
 続いて、「日本社会にフェムテックはなじむ?なじまない?」というテーマへ。音声メディアやイベントなどでフェムテック関連の情報や考えを発信しているIMALU。「フェムテックという言葉自体は最近の言葉ではあるけれど、生理や妊娠・出産は女性の体に自然に起きることだからこそ、もっと当たり前に語り合いたいですね」と話す。「日本に限らず女性として生まれた人にとって(フェムテックは)助けてくれるし、必要なこと」と語るIMALUに対して、村上は「いずれは、男性のための“オムテック”(村上による造語)という概念も生まれるかもしれない」と締め括った。
 最後のトピックスは、「期待されるのはうれしい?つらい?」というもの。超がつくほどの有名な両親の元に生まれ、芸能界デビューをしたIMALUが、不安や葛藤といった感情をどのように乗り越えていったかについても深掘りする。熱いトークセッションの全貌は動画でチェック。

※運転時にはスニーカーに履き替えています
※車内に設置したカメラは動画撮影のために用意したものです
※こまめな消毒と換気を行い、運転席と助手席の間に仕切りを設置するなど感染症対策の元に撮影をしました
MODEL:IMALU
PHOTOS:KAZUHIRO FUKUMOTO
MOVIE:KEIICHIRO TOKUNAGA
STYLING:TAKAYUKI SEKIYA
HAIR & MAKEUP:CHIHIRO(TRON)
問い合わせ先
MINI カスタマー・インタラクション・センター
0120-3298-14

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大草直子が「アマーク マガジン」を刊行 “雑誌”にこだわった理由に迫る

   ファッションエディターでスタイリストの大草直子は10月末、雑誌「アマーク マガジン」(アマーク刊、税込1650円)を刊行した。大草氏が立ち上げたメディア「アマーク」からの発売で、運営するオンラインストア“アマーク ストア”をはじめ、代官山 蔦屋書店を筆頭とした大手書店のほか、アマゾンでも展開。12月1日現在、累計発行部数は1万6000部を突破している。全128ページという、読み応えたっぷりの本格的な雑誌に仕上がっている。ここでは大草氏に、「アマーク マガジン」に込めた思いと、あえて“雑誌”にこだわった理由を聞いた。

「WWDJAPAN」編集部(以下、WWD):「アマーク マガジン」創刊に至るまでの経緯は?

大草直子ファッションエディター兼スタイリスト(以下、大草):世代的にずっと雑誌で育ってきて、自分のキャリアのスタートも雑誌の編集者でした。遡ると中学時代の文集にも「ファッション誌の編集者になりたい」と書いていたくらい、雑誌が大好きなんです。けれどウェブに関わり始めたのも比較的早くて、人からすすめられるままにブログやインスタグラムを始めました。特にユーザーから寄せられた質問に対し、一つ一つ答えていくことに注力しましたね。そのコミュニケーションが楽しくて、おかげさまでフォローしていただけ
る方が増えました。

WWD:“ヤフー 知恵袋”みたいな感じ?

大草:まさにそうですね。アカデミックにいうと“各論”ですかね。でもここ数年「大人の女性のおしゃれとか、そもそもなぜおしゃれをするのかとか、ある意味哲学的なこと、もっと大きなことを考えなければいけない」と思うようになりました。それまで取り組んできたことが“赤ペン先生”だとすると、今後やるべきことは“哲学書の制作”ですかね。コロナ禍を経て、その思いはますます強くなりました。私は「大人の女性のおしゃれ=自分を好きになるティップス(秘訣)」だと思っているのですが、その部分を伝えるのがすっぽりと抜け落ちていました。私を今まで助けてくれた“おしゃれ”の根本を伝えるには、“枝葉”だけではなく“土の養分”の部分に取り組むことが必要で、それが雑誌だと考えました。

WWD:どういった雑誌を目指した?

大草:例えば2021年の秋冬だけ使える情報とか、そういった刹那的な内容にはしたくなかったですね。トレンドを追い過ぎず、普遍的に、読者にとっての“おしゃれ”の幹になるものを提供したいと思って作りました。その人が本来持つ豊かさや美しさ、朗らかさへの気付き、自分を好きになるヒントといった、かなりベーシックな要素を散りばめました。10年後、大げさに言うと100年後でも読める雑誌になっていればうれしいですね。

WWD:そもそもなぜ“雑誌”にした?

大草:時間をかけて考えてもらうメッセージって、送り手もそれなりの時間と労力とかけないとできない。例えばインスタグラムへの投稿は、私はいつも電車の中で書いていて、一駅移動する間に大体書き終えてアップするので、時間にして3~4分で仕上げています。そうすると、人の記憶にステイするのも3~4分といわれているんです。雑誌ははるかに長い時間をかけて作るので、それだけ長い時間ステイしてくれる。その間に考えてもらう、咀嚼してもらうことができるので、やはり雑誌がいいと思いました。

WWD:“紙”から“デジタル”に移行するメディアが多い中、あえて“紙”の雑誌にこだわった理由は?

大草:行間や余白にメッセージを込めるとか、もう1度読み返してもらうとか、雑誌ならではのことができればと考えました。あと、以前は今のように画集や写真集がオンラインで手軽に購入できる時代ではなかったので、よくスクラッピングをしていました。今はウェブでピン留めもセーブもスクショもできるけれど、ちゃんと空間に残しておくことも大事かな、という思いもありますね。さらに個人的なことをいうと、私はインクが沈んでいく様や、紙の感触や匂いなど、デジタルでは表現できない部分が好きなんです。フォトグラファーなどのスタッフの皆さんも共感してくれて盛り上がりましたね。

WWD:「アマーク」ではデジタル施策にも注力している。

大草:そうですね。今はデジタルがアナログを補完する時代ではないし、アナログがダメな時代でもない。両者が全く違う性質で存在している時代だと思うんです。ですので、双方の良いところを全部使っていくことが、今ならできると考えています。

WWD:コンテンツでこだわったポイントは?

大草:私たちが雑誌を出すと聞いて、私のSNSのように「大草さんがいっぱい載っている」紙面を想像した人も少なくないかと思います。ですが、私は一切出ていません。SNSでは“私のようなリアルな日本人体型の女性が着るとどう見えるか”を示すために登場していますが、雑誌ではリアルを感じてもらうより、イマジネーションを働かせてもらうことに重きをおきました。

WWD:創刊号を作り終えた感想と、今後の発刊計画は?

大草:創刊号を作るにあたり、これまで関わってきたフォトグラファーやライターなど、さまざまな人が協力してくれました。また、最近はリース先を絞っているファッションブランドが多い中で、どのブランドも快くリースしてくれて、本当に“これまで仕事を続けてきたご褒美”的な一冊だと思っています。今後は、年に2回くらい刊行していきたいと考えています。今後は是非、“スナップ”をやりたいですね。

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30周年を迎えた芦田多恵デザイナーに、学生から30の質問

 芦田多恵デザイナーがコレクションデビュー30周年を迎えた。1991年に「ミスアシダ(MISS ASHIDA)」で初のコレクションを披露し、2012年に「タエ アシダ(TAE ASHIDA)」をスタート。18年には故・芦田純デザイナーから「ジュン アシダ(JUN ASHIDA)」を受け継いだ。いずれのブランドも、上質な素材と手仕事を生かした加工、時代の空気を反映したクリエイションを続けている。

 そんな芦田デザイナーのパーソナリティーに迫るべく、都内の大学でファッションサークルに所属する学生4人が、インタビューを敢行した。好きな食べ物から尊敬するクリエイター、父親との関係、今後のアドバイスまで、等身大な30の質問をぶつけた。

―「タエアシダ」は来年で30周年を迎えます。当初から長く続けるつもりでしたか?

芦田多恵デザイナー(以下、芦田):そんなつもりはなかったです。私、目の前のハードルを飛び越えることに必死で、10年後の自分とかブランドとかを一切考えられないので(笑)。

―10月には、「タエアシダ」2022年春夏コレクションをリアルショーで披露しました。どんな思いでリアルショーに挑んだのでしょう?

芦田:世の中にファッションのパワーを再確認してほしい。その使命感で突き進みました。

―当日の感想は?

芦田:本当に楽しかった。私だけじゃなく、ヘアメイクやモデルたちもテンション上がりっ放し。いつもはクールな販売責任者もボロ泣きでした。ここまでの感動はデジタルではまだ生み出せません。

―ショーでのこだわりは?

芦田:一番はモデル。本当に体がきれいで、ちゃんと歩ける人は実はかなり少ない。オーディションは業界でもかなり厳しい方だと思います。

―デジタルコレクションのフル3D映像や複製のアイデアなどはどこから生まれるのでしょうか?

芦田:「こんな感じで撮りたい」と漠然と話していたら、それに適したスタッフやアーティストとご縁があって、広がっていく感じです。

―新しい技術に抵抗はありませんか?

芦田:全くないです。自分でコントロールすると想定内のものしかできないから、むしろ知らない技術やクリエイターとやる方が面白いでしょう?

自分の言葉で説明できないなら
その作品の価値は半分になる

―デザインのインスピレーション源は?

芦田:日常の全て。「このデザインはここから採用しました」と明確に言えるものはあまりないです。それもできるけど、つまらないし。今、皆さんとお話していることも、何かと重なって、クリエイションにつながります。

―お仕事で行き詰まったとき、どうやってリフレッシュしていますか?

芦田:違うデザインをしたり、思い切って気分転換したり。そのまま続けても、間違った選択を続けてしまうだけです。

―1シーズンに試作も含めてどれくらいデザインしていますか?

芦田:最終的に発表するコレクションの3倍はデザインしています。最近はiPadで描いていて、違うと思ったらすぐに削除しちゃうから、正確には分かりませんけど。

―iPadなのですね。

芦田:年上のアーティストがiPadで絵を描き始めたと聞いて、すごく衝撃を受けて。コロナでステイホームしているうちにマスターしました。

―「ジュンアシダ」と「タエアシダ」はデザインの手法にどんな違いがありますか?

芦田:全然違います。「タエアシダ」はでき上がったデザインに対して、「これはなんだろう」と問いかけながら、ゴールを模索します。一方で「ジュンアシダ」は、デザインチームから上がって来たものを第三者的に判断するから、「これはもっとドレッシーな素材でやるべき」「これはこの色がいい」と自分でも驚くほどクリアに進んでいきます。

―近年はメンズウエアにも挑戦しています。ウィメンズと違う面白さはありますか?

芦田:メンズを手掛けて6シーズン目にして、一つ大きな発見がありました。女性は「きれい」「かわいい」があれば、理屈はいらない。でも男性はそれだけじゃダメで、なぜそうなったのかという理屈や、背景の説明が必要なんです。突き詰めれば生態の違い。こういった気づきが楽しいです。

―男女の違いで言えば、私たちのサークルには男性部員も多く、パンフレットの進行などでレイアウトの説明を求められることもあります。理屈なしで作った場合、どう回答すればよいでしょうか?

芦田:「自分で作ったものを自分の言葉で説明できないなら、その作品の価値は半分だと思いなさい」――私がアメリカの大学でよく言われた言葉です。アーティストは自分の感覚で作品を作るし、アーティスト同士なら分かりあえるかもしれない。でも、世の中はそうじゃない。クリエイティブマインドでない人に、自分の言葉で説明して伝えるというプロセスがとても重要です。細部まで理由をつける必要はないけど、コンセプトだけは自分の言葉で伝える。これを意識して、説明する癖をつければ、自然と身につきますよ。

意外にも
「あんまりオートクチュールはやっていません」

―「タエ アシダ」のメンバーは何人いますか?

芦田:アシスタントが2人で、その下に数人のスタッフ、ほかに製図と縫製の担当者がそれぞれ20〜30人です。「ジュン アシダ」は私がクリエイティブディレクターで、 4〜5人くらいのデザインチームを統括しています。

―パターンは自分で引くのでしょうか?

芦田:引きません。でも、パターンを踏まえてデザインしています。服を学んだ美術大学(米ロードアイランド造形大学)のカリキュラムが、デザインだけでなくスカートからオーバーコートまでパターンも習得する内容だったから、頭に入っています。

―芦田デザイナーにとって黒はどんな色?どんなときに使いたくなりますか?

芦田:その人がむき出しになり、デザインが際立つ色。クリエイティブなものを作りたいときに使います。

―「タエアシダ」はどんな人に着てほしいですか?

芦田:洋服のみならず、ライフスタイルに軸を持っている人に着てもらいたいです。あとは、社会で活躍する都会的な女性にも支持されたらうれしいですね。

―オートクチュールの面白さはなんですか?

芦田:実はあんまりオートクチュールはやっていません。父も、“高級服といえばオートクチュール”の時代に、「理想的な体型をイメージした洋服に、その人の体を入れた方が美しいのでは」という発想で高級な既製服を作りました。私も同じです。クチュールの技術者もいますし、たまに作りますが、基本はプレタです。

―アパレルで働く中で大切にしていることは?

芦田:ものづくりかな。産業だから、利益を上げるとか、大量に作って安価にするとか、いろいろな戦略もありますが、私たちはやりません。

―サステナビリティな取り組みはしていますか?

芦田:いいものを無駄なく作り、できるだけ値段を抑える。この基本姿勢を続けていくことが一番だと思っています。ほかに、具体的な数値目標の掲出や、洋服を回収する仕組み作りも進めています。

―Z世代に向けてやりたい企画は?

芦田:Z世代の人って、日本をすごい国だと思っていないと思う。でも私たちバブル世代は、 “ジャパンイズナンバーワン”の気持ちで育ってきた。順位はどうでもから、日本は今もいい国で、ものづくりも素晴らしいというメッセージを届けたいです。

―好きな食べ物はなんですか?

芦田:基本何でも食べます。和洋中全部好き。でも、「今後それしか食べられない」と言われたらパンとチーズを選ぶかな。

―毎日欠かさないルーティンは?

芦田:メディテーション。コロナになってから、毎朝20分くらいやっています。正直、“無になる”とかよく分かんないし、雑念だらけ(笑)。ただ、頭の中の状態がよく分かるのがいい。

―尊敬するデザイナーやクリエイターは?

芦田:父はもちろん、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)とイブ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)もすごく好きです。ラクロワはまず、絵が天才的にうまい。彼とわが家は深い関係があって、彼が20代で無名のころ、トレンドを日本に持ってくる仕事をお願いしていました。次はこういう色が来る、シルエットはこんな感じ、とか。そのムードを伝えるため、自分で絵を描いてくれていて、それが本当に素晴らしかった。私はデビュー前に2回彼の元で研修もさせてもらって、今でもいい関係です。

 サンローランは、もはや説明不要。世の中には、時代を一歩先、半歩先に進める使命を持った人がいる。彼はその使命を持っていました。

―憧れの女性像は?

芦田:自分のキャリアと社会貢献のバランスが取れていることかな。あとは、どんなライフステージでも、自分に対する美意識を持ち続ける人がやっぱり素敵だと思う。

―80年代や90年代はSNSやネットがなく、能動的な情報収集が普通でした。個人的に、今よりもおしゃれな人が多かったと思うのですが、芦田デザイナーはどう考えますか?

芦田:私はむしろ今の方がおしゃれだと思います。80年代、90年代は「これがトレンド」というアイテムをこぞって身につけて、みんな同じ格好をしていた。今は選択肢が広がって、自分の好きなものを、自分のセンスでコーディネートしています。ただ、薄味にはなったかも。でもそれが悪いことではなく、そういう時代なのでしょうね。

―幼い頃からファッションデザイナーを夢見ていたのでしょうか?

芦田:夢見るというか、“なるもの”だと思っていました。私は姉と二人姉妹で、姉はものづくりが大嫌い。私は絵を描くのが大好き。だから私がデザイナーになるんだなって。同級生からも「タエちゃんはデザイナーになるもんね」って言われていました(笑)。

―他の道に興味がわいたことはありませんでしたか?

芦田:写真に興味を持ったことがあります。アメリカの大学でフォトグラフィーの授業を受けて、すごく楽しかった。しかも父の友人で写真界の巨匠に自分の作品を見せたら、絶賛してくれて。「デザインよりも写真に進むべきかも」とさえ思いましたが、次の作品を見せると「前の方が良かった」とあっさり言われて、踏ん切りがつきました。

―日本と海外のファッション業界の違いは?

芦田:日本は新しい人を見出すことに特化している。ファッションはビジネスだから、インキュベーションはとっても重要。でも、長くファッションに携わっている人にも目を向けないと、上っ面な産業になっちゃう。そのバランス感覚が必要かもしれません。

―故・芦田淳デザイナーはどんな父親でしたか?

芦田:すごく子煩悩な人だった。私が中学でバスケ部に入りたいと言ったら、「土日に試合があるでしょ?土日しか一緒にいられないのに、そんな部活はダメだ!」と言われたくらい(笑)。

―デザイナーとしては?

芦田:本当に不思議な人でした。30代前半で皇室の専属デザイナーになり、80歳までものづくりがほとんど変わらなかった。動物的な勘が働いて、いろんなことが最初から分かっていたのかな。

「昔がよかった」は一度もない
毎回“楽しい”を更新し続ける

―30年間で最も印象に残っているコレクションはなんですか?

芦田:「ミスアシダ(MISS ASHIDA)」の1996年春夏コレクションです。“お見合い服”として知られるスイートなブランドで、91年に父からデザインを受け継ぎました。ずっと同じイメージでデザインしていましたが、ある日、「父の真似事で洋服を作るのはもういいや」と、アニマル柄を多用したワイルドなコレクションにしちゃいました。賛否両論があり、離れるお客さまもいたけれど、ブランドを新しく知ってくれたり、「いいじゃん、こういうの」と支持する人も多かった。それ以降、“作りたいものを作る”というマインドで、今もデザインを続けています。

―30年間で辞めようと思った時期はありましたか?

芦田:ありません。そもそも、辞めるタイミングがない(笑)。コレクションが終わった次の日には来季の生地を探し始めますから。ものづくりはもちろん辛いけど、最近はその苦しみも楽しめるようになってきた。父は最後の10年くらい、「生みの苦しみがなくなった。楽しくてしかたない」と言っていました。今はそれを目指しています。

―最も楽しかったコレクションは?

芦田:最新の22年春夏コレクションですね。「昔がよかった」と思うことは一度もなく、毎回“楽しい”を更新し続けています。

―チャレンジングな姿勢を保つ秘訣は?

芦田:「これが必要」と確信したときらすぐにやること。昨年は、ラウンジウエアやホームウエアなどに特化した新ブランドを3つ立ち上げたし、メンズウエアも「今シーズンからやります」って宣言して、勉強しながら仕上げました。いつかやろうじゃ絶対にやらないし、火事場の馬鹿力が必要なんです。

―今後チャレンジしたいことは?

芦田:まだ降りて来てません。降りて来てたら、すでにやってます(笑)。

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「#FR2」の石川涼「D2Cブームは長く続かない」 内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.4

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第4回は「#FR2」などを手掛けるせーのの石川涼社長に迫ります。

内田理央(以下、内田):ファッションブランドを立ち上げたきっかけは?

石川涼(以下、石川):中学生の頃からファッションに興味を持ち始め、20歳で上京しました。コネクションがなかったので、日雇いバイトをしながらアパレル関係の職を探し続け、OEM会社に就職をしました。24歳で独立して、5年間はOEMをしていたんですが、得意先に振り回される環境を変えるべく、ファッションブランドを立ち上げたんです。

内田:ブランド設立以降、消費者に認知してもらうために意識していることは?

石川:盛り上がっているマーケットを探して、そこに足りないものを作ることです。「バンキッシュ(VANQUISH)」は、渋谷のギャル男ブーム時に、彼らの専用ブランドがなかったので始めました。

内田:「#FR2」のような唯一無二なブランドを作り上げるにはそれらが重要なんですね。消費者が欲している物や、流行していることはどうリサーチしていますか?

石川:物にフォーカスするよりも、環境がどう変化しているかに注目することが大事です。「#FR2」設立当初は、インスタグラムが日本でそこまで流行していなかった。海外の友人に「文字より写真の方が面白いよ」と言われたんです。世界で勝負していくためには何が重要かを考えて、世界中が写真でコミュニケーションをしていることにSNSを通して気付いたんです。

内田:ブランド名に“#”が付いているのも先を見据えていたからなんですね。今だと誰もがSNSで使う記号になりました。

石川:インターネットで探す時代からSNSの“#”で検索する時代に変わっていくのではないかと考えて付けました。

内田:ブランドを続けていく上で重要なことは?

石川:スマートフォンを通して世界中のユーザーが商品を見ているので、日本のマーケットだけを意識していてはダメです。今はインターネットで服を買うのが日常になり、買い物が楽しみだと感じる人は少なくなったんじゃないかな。お客さまがワクワクしているのかを常に疑い続けないといけないです。

内田:オンライン上で服が売れる時代になり、ファッション業界への参入のハードルも低くなっているように感じますが、D2Cブランドについてどう捉えていますか?

石川:D2Cブランドは長く続かないと思いますよ。簡単にスタートできるから始めがちですけど、周りと同じ方向に行ったらダメなんです。今は売れるかもしれないですが、いずれ同じような服で溢れかえり、ブランド同士の差がなくなっていきます。ブランドの世界観も根付きません。D2Cが主流になればなるほど、店舗を構えているブランドの価値が上がっていきますし、外国人観光客が体感できる場がないから世界では勝負できない。内田さんがTシャツを販売するならインターネットで買えない方が売れます。セールも絶対にしない方がいい。周りと同じことをしていたら埋もれてしまうだけです。

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「#FR2」の石川涼「D2Cブームは長く続かない」 内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.4

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第4回は「#FR2」などを手掛けるせーのの石川涼社長に迫ります。

内田理央(以下、内田):ファッションブランドを立ち上げたきっかけは?

石川涼(以下、石川):中学生の頃からファッションに興味を持ち始め、20歳で上京しました。コネクションがなかったので、日雇いバイトをしながらアパレル関係の職を探し続け、OEM会社に就職をしました。24歳で独立して、5年間はOEMをしていたんですが、得意先に振り回される環境を変えるべく、ファッションブランドを立ち上げたんです。

内田:ブランド設立以降、消費者に認知してもらうために意識していることは?

石川:盛り上がっているマーケットを探して、そこに足りないものを作ることです。「バンキッシュ(VANQUISH)」は、渋谷のギャル男ブーム時に、彼らの専用ブランドがなかったので始めました。

内田:「#FR2」のような唯一無二なブランドを作り上げるにはそれらが重要なんですね。消費者が欲している物や、流行していることはどうリサーチしていますか?

石川:物にフォーカスするよりも、環境がどう変化しているかに注目することが大事です。「#FR2」設立当初は、インスタグラムが日本でそこまで流行していなかった。海外の友人に「文字より写真の方が面白いよ」と言われたんです。世界で勝負していくためには何が重要かを考えて、世界中が写真でコミュニケーションをしていることにSNSを通して気付いたんです。

内田:ブランド名に“#”が付いているのも先を見据えていたからなんですね。今だと誰もがSNSで使う記号になりました。

石川:インターネットで探す時代からSNSの“#”で検索する時代に変わっていくのではないかと考えて付けました。

内田:ブランドを続けていく上で重要なことは?

石川:スマートフォンを通して世界中のユーザーが商品を見ているので、日本のマーケットだけを意識していてはダメです。今はインターネットで服を買うのが日常になり、買い物が楽しみだと感じる人は少なくなったんじゃないかな。お客さまがワクワクしているのかを常に疑い続けないといけないです。

内田:オンライン上で服が売れる時代になり、ファッション業界への参入のハードルも低くなっているように感じますが、D2Cブランドについてどう捉えていますか?

石川:D2Cブランドは長く続かないと思いますよ。簡単にスタートできるから始めがちですけど、周りと同じ方向に行ったらダメなんです。今は売れるかもしれないですが、いずれ同じような服で溢れかえり、ブランド同士の差がなくなっていきます。ブランドの世界観も根付きません。D2Cが主流になればなるほど、店舗を構えているブランドの価値が上がっていきますし、外国人観光客が体感できる場がないから世界では勝負できない。内田さんがTシャツを販売するならインターネットで買えない方が売れます。セールも絶対にしない方がいい。周りと同じことをしていたら埋もれてしまうだけです。

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「アットコスメ」を共同創業した山田メユミと業界有志らが化粧品を経済的困難下の女性に無償配布

 国内最大のコスメと美容の総合クチコミサイト「アットコスメ(@COSME)」を共同創業した山田メユミと有志はこのほど、「コスメバンクプロジェクト(COSME BANK PROJECT)」をスタートする。まずは12月、全国約2万2000のシングルマザーら経済的困難を抱える女性の世帯に、化粧品メーカーが抱える余剰在庫となったコスメを詰め合わせ、支援団体などを通じて無償提供する取り組みのパイロットテストを実施。今後も「女性と地球にスマイルを」を合言葉に、行き先が決まっていない化粧品を、必要とする人の元に届けることで、コスメの余剰品問題に向き合いながらコスメが消費者に提供できる自分への自信や高揚感を届けたい考えだ。山田共同創業者と、想いを共有しプロジェクトの事務局長を務める藤田恭子ISパートナーズ代表に話を聞いた。

WWDJAPAN:なぜ「コスメバンクプロジェクト」を立ち上げようと考えたのか?

山田メユミ「アットコスメ」共同創業者(以下、山田):一番の理由は女性支援団体を通じて聞いた、「子どもの入学式や卒業式のようなハレの日にさえ、口紅のひとつも手元になくて、マスクで顔を隠して行くしかなかった」というシングルマザーの存在でした。ショックでした。これまで「化粧品は、女性のQOL(Quality of Life. 生活の質のこと)を高め、幸せをもたらすもの」という自負を持ちながら業界に携わってきましたが、「化粧品がないことで、女性を悲しい気持ちにさせてしまう」とは全く気づけていなかった自分を恥ずかしく思いました。一方、化粧品業界は余剰品という問題を恒常的に抱えており、これを完全にゼロにするのは難しい状況です。欲しいのに入手できない人がいる一方で、誰の手にも渡らず廃棄される化粧品が存在するんです。化粧品は嗜好品ですが、一方で社会コミュニケーションにおいて不可欠な必需品だと私は思っています。そこで入手できない人と、余剰となった化粧品を1つでも多くマッチングさせて手渡すことができたら、女性はもちろん、企業にも地球にも貢献できるのでは?と考えました。

WWD:化粧品はどのように集めた?

山田:プロジェクトに共感してくださった、主にセルフ商材を扱う化粧品・日用品メーカー様から、現行品や旧仕様品を寄贈いただいたり、店頭から未開封の状態で返品された製品を預かったりなど、品質にはなんら問題がないものの残念ながら再販が難しくなった良品を、「コスメバンクプロジェクト」事務局が「コスメ詰め合わせギフト」にしました。12月の初回は17社に参画いただき、スキンケアからベース&カラーメイク、ヘアケアまで幅広い商材を集めることができました。1世帯につき6~8点、「気持ちはコフレ」な詰め合わせギフトにしてお送りします。配送はセイノーホールディングス傘下のココネットにご協力いただき、宅食支援に取り組むフードバンクや母子寮、シェルターなどの女性支援施設を通じて女性たちに届けていただきます。すでに15万を超える化粧品が集まり、今回は2万2000ほどの世帯にお届けできる予定です。今回のトライアルパイロットテスト運用を踏まえ、今後は春と秋、その時に必要な化粧品をお届けできればと考えています。

WWD:再販が難しいとは言え、製品を無償提供する企業側の反応は?

山田:皆さん「女性たちのために何かできたら」という想いを強く持っていらっしゃいましたし、「コスメバンクプロジェクト」の理念に深く共感してくださっています。各社それぞれ環境問題に取り組み、環境に優しいエコシステムを考案・構築中でいらっしゃいますが、化粧品はリサイクルやアップサイクルが難しい商材。しかも流通の構造上、余剰品が生まれやすいのに有効活用の手段は多くありません。女性と社会、そして企業の「三方良し」な取り組みと捉えてくださいました。この取り組みが軌道にのったら、未出荷在庫が何割か削減できる企業もあるそうです。ご説明に伺った際、一番多くいただいた質問は「販売できなくなったものを提供してしまって良いのだろうか?」でした。企業側が言う通り、「余っている受け取ってくださった女性たちからもたくさんのお声を頂くと思います。そうした声を企業側にフィードバックすることで、活動に賛同くださる企業が増えればと思います。一番嬉しかったのは、参画を決めてくださった企業の社長さんが、他の企業の社長さんに話を広げてくださったことです。事前に概要を説明してくださっていたので、私たちの説明は最低限で済みました(笑)。まだスタートラインに立ったばかりですが、こうした支援の輪が企業間で連鎖的に広がっていったら、とても嬉しいです。

WWD:取り組みを担うのは?

山田:11月に一般社団法人「バンク・フォー・スマイルズ」を立ち上げ、複数の化粧品メーカーや運輸会社の役員、長年女性支援を続けていらっしゃる元国会議員ら、性別も年齢も多様な有志のプロフェッショナルと理事会を構成しました。NPO法人代表やメディア編集長など、さまざまな有識者のみなさまにもアドバイザーとしてご助言いただいています。また事務局をはじめとする運営チームには、「アットコスメ」を手掛けるアイスタイルのメンバーを含む、多くの有志の皆さんがプロボノ(職業上の知識やスキルを無償提供して社会貢献するボランディア活動のこと)で参画してくれています。

WWD:藤田さんは、なぜこの活動に参画したのか?

藤田恭子「コスメバンクプロジェクト」事務局長:私は、山田とは20年来の付き合い。「アットコスメ」を立ち上げ、ブレずに化粧品とユーザーを繋げる姿勢を貫き、そして、ここまで成長させてきた彼女の歴史を見てきました。さらに新しいことにチャレンジする山田のバイタリティと志に感銘を受け、サポートしたいと思い、このプロジェクトに参画しました。私は今、「アットコスメ」を中心としたウェブの運用やライティング、商品情報の登録を担うアイスタイルのグループ会社で代表を務め、千葉県流山市のサテライトオフィスを運営しています。朝5時~夜10時のうち、毎週20時間以上働くことができれば正社員として雇用している会社です。この会社も、山田が中心になって誕生しました。働くママは都心の本社では働きにくいけれど、自宅の近くなら働けるのでは?という発想です。私には子どもがいませんが、働くお母さんと一緒に仕事をして、改めて子育ての苦労を知りました。そして、困難な状況にあるお母さんの支援に繋がる企画に強く共感しています。

山田:私もワンオペで子どもを育てる母親として、「装うことへの罪悪感」を感じていた時期がありました。「子どもたちは、自分がしっかり育てなくちゃ」と肩に力が入ってしまうと、“自分に手をかける”ことを罪悪と思ってしまいがちで。そんな折、サブスクリプションで購入しているコスメのトライアルボックスが届いたら、とても嬉しかったんです。香りの良い入浴剤が入っていたときは、その日の夜のバスタイムが本当に充実して。シングルマザーには経済的な事情だけでなく、精神的な余裕のなさやプレッシャーから、「自分のケアなんてしてる場合じゃない」と思ってしまっている方も存在すると思います。そんな女性に思いがけずコスメが届いたら、きっと喜んでいただけるのでは?と思っています。振り返れば「アットコスメ」は、世の中にあるべきものを、その時代にたまたま自分たちが作っただけのようにも感じています。「コスメバンクプロジェクト」も同じです。「アットコスメ」が今日まで成長したように、業界内外の多くの皆さんとの共創によって、「コスメバンクプロジェクト」という支援プラットフォームを育てていきたい。女性、そして企業がエンパワーメントできれば、業界はより自信を持ってビューティの存在意義を社会に伝えられると思っています。

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期待の新星、“テキスタイルモンスター”羽生菜月が目指す先

 服や衣装のデザイナーにとってテキスタイルはパーツの一つに過ぎないが、服を単一のプロダクトとして考えた場合に目に入るほぼ全てを構成する素材でもある。ならば服のビジュアル表現を考えれば、テキスタイルを極めるのが一番ではないか。”テキスタイルモンスター”を自称する27歳の新進気鋭のテキスタイルクリエイター、羽生菜月もそう考える一人だ。「有名無名にかかわらず、色んな人とお仕事をしたいし、ファッションやアートに限らず、既存のカテゴリーにはめられたくない。テキスタイルモンスターは自由でいたいという気持ちを込めている」という。

 テキスタイル作りを目指すきっかけは、ファッションだった。高校生の時にあるファッションデザインコンテストに参加し、進学先に女子美術大学でファッションを学ぶことを選んだ。ただ、当時は「課題や制作に取り組んでも、なんかいつもピンと来なくて。みんなが課題で”服”を作っているのに、私は生地を細かく割いて編んだり織ったりしたバッグらしきものを作っていた」と振り返る。

 転機になったのは、女子美を卒業後に留学したセント・マーチンズ美術大学ファンデーションコースだった。「布以外の素材でテキスタイルを作ったりしていたら、それがいいと認められた。私が作りたかったのは、これなんだって気づいたんです」。本格的なテキスタイル制作に取り組むため、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)に進学することになった。

 進学後すぐにコロナ禍になり、英国は厳しいロックダウンを敷いたため、英国滞在をを切り上げて1年前に帰国。日本で制作を続け、今年6月にRCAを修了した。「実質的に英国に滞在したのは2年弱。もっと居たかったという思いもあるけど、制作自体にはそれほど不便さは感じなかった。修了制作のプレゼンがオンラインだったのは、さすがに大変でしたが(笑)」。

 アトリエ兼作業場は東京の実家。「私の制作スタイルは、子どもの頃の工作の延長。生地をオカダヤとかで買ってきて、切ったり縫い付けたり染めたり編み込んだり。明確なイメージが合って作り出すというより、手を動かしながら最終のゴールが見つけていく。ベースとなるコンセプトが人間の動きとテキスタイルの関係を探ること。基本は人が着ることを前提に作っています。なので制作時は何度も自分で着てみてしっくりくるまで、調整しながら作り続けます。他人との制作でなければ、満足行くまで直し続けるので1作品に1カ月くらいかけています」。

 そんな羽生が衣装関係者の注目を集めることになったのは、今年9月に開催された東京パラリンピックの閉会式だった。閉会式に過去の作品を3体貸し出したところ、閉会式のクリエイティブディレクターの一人だった演出家の潤間大仁の目に止まったのだ。

 潤間氏は、総合演出を務める12月9日から東京の明治神宮外苑の正徳記念絵画館で開催の「トウキョウライツ(TOKYO LIGHTS)」のメーンコンテンツの一つである光とダンスと映像のエンターテインメントショー「リフレクツ-いのちのひかり-」へ、羽生に参画を依頼した。「リフレクツ」のコスチュームデザイナーは、齋藤ヒロスミ。東京パラリンピックのコスチュームディレクターを務め、羽生の作品を取り上げ、直接潤間氏に紹介した本人でもある。羽生は「リフレクツ」のため、3体分の衣装を制作した。「これほど大掛かりなプロジェクトに参加するのは初めて。でも齋藤さんが、とても丁寧かつ親身になってバックアップしてくださって。激しい動きをするダンサーのための衣装なのですが、私の経験が足りずなかなかそうした作りに対応しきれないことも多いのですが、私のクリエイティブの持ち味を生かすためにどうするかを、一緒になって、ときには斎藤さんやアシスタントさんが実際に手を動かして修正していただいたりしています」。「リフレクツ」は9〜12日にかけて、全5回上演される予定だ。

 今後について「最近は自分の作品の完成度は70%にして、コラボレーションした方々と一緒に残りの30%を上げていくというスタイル。演劇、音楽、ファッション、アート。色んな分野の人たちとコラボレーションしていきたいと思っています」。

■REFLECTION ‐いのりのひかり‐
光の祭典「TOKYO LIGHTS」内イベント
日程:12月9日〜12月11日
時間:1部 17:10〜/18:35〜 2部19:10〜/20:35〜
(12月9〜11日)
12月12日 17:50〜 
※一回のみの公演
場所:明治神宮外苑総合球技場軟式球場
入場料:無料(人数制限のため事前予約必須)

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H&M、サステナブルな“進化”の舞台裏 本国チームが循環型思考を語る

 H&Mは、2040年までにバリューチェーンを通じてクライメート・ポジティブ(自社で発生するCO2排出量よりも吸収量の方が多い状態)の達成を目指す。これに向け、今年始動した“イノベーション・ストーリーズ(Innovation Stories)”と名付けたカプセルコレクションシリーズでは、革新的技術や素材を最大限に活用し、サステナブルなファッションの可能性を追求している。

 同シリーズの最新コレクション“サーキュラー・デザイン・ストーリー・コレクション(Circular Design Story Collection)”では、同社が開発した「サーキュレーター(Circulator)」と呼ばれるデザインツールを初めて導入。循環型への移行を進める同社の“進化”が凝縮されたコレクションとなった。アン・ソフィー・ヨハンソン(Ann Sofie Johansson)=H&Mクリエイティブ・アドバイザーと、エラ・ソッコルシ(Ella Soccorsi)=H&Mコンセプトデザイナーに、同コレクションに込めた思いや制作の裏側について話を聞いた。「デザイナーとして新たなマインドを得た」と語る彼女たちの言葉には、循環型社会におけるファッションを考えるさまざまなヒントが詰まっている。

WWD:改めて、“イノベーション・ストーリーズ”シリーズはH&Mにとって、どのような位置付けか。サステナビリティをテーマとした“コンシャス・エクスクルーシブ(CONSCIOUS EXCLUSIVE)”コレクションからどのように発展したのか?

アン・ソフィー・ヨハンソン=H&Mクリエイティブ・アドバイザー(以下、ヨハンソン):“コンシャス・エクスクルーシブ”コレクションでは、主にオケージョンウエアを取り扱っていた。次のステップとして、あらゆる顧客に向けて、さまざまなトレンドやスタイルのものを作りたいと考え、“イノベーション・ストーリーズ”はより自由度の高いシリーズとなっている。最初は科学者と協業した革新的な素材にフォーカスを当て、次はサステナブルな染色、その次は廃棄物といった具合にコレクションごとに異なるトピックについて取り上げた。問題をより明確にしつつ深く掘り下げるアプローチも特徴だ。いずれもファッショナブルかつ先進的なコレクションだった。

エラ・ソッコルシ=H&Mコンセプトデザイナー(以下、ソッコルシ):各課題を解決するために、私たちはサステナビリティ部門と密接に連携している。彼らから画期的な新素材や繊維があると連絡があれば、まず同シリーズで(小規模に)テストしてから、ブランド全体および業界全体にスケールしていく。こうした意味で、“イノベーション・ストーリーズ”はさまざまな実験ができるプラットフォームだと考えている。

WWD:フォーカスを当てる課題・ポイントはどのように選定している?

ソッコルシ:サステナビリティ部門から、優先すべき課題の提案があったり、準備ができているものから決めたりすることもある。例えば「新たな染色プロセスが試験段階まで来ている、ではそれをテストしてみよう」という具合だ。

ヨハンソン:テストを繰り返す中で、使用するには尚早だったと判明し、実際に店頭に並ぶまで数年かかることもあるが、それは必要なプロセスだ。トライし続けることが重要だからだ。小規模でしか実現できないものもあるが、“イノベーション・ストーリーズ”で学んだことを「H&M」のほかの商品に適用してスケールすることも狙いであり、目標の一つだ。

循環型ファッションの最新ツールを導入 「現在だけでなく未来のための服を作る」

WWD:最新コレクションの“サーキュラー・デザイン・ストーリー・コレクション”にはどんなメッセージを込めた?

ソッコルシ:主要なメッセージは、循環型をさらに推し進めていくことだ。今回はH&Mが業界向けに開発した循環型ファッションを推進するためのツール、「サーキュレーター」を初めて導入した。衣服や製品のライフサイクル全体を俯瞰し、消費者が製品を購入した後もできる限り“良いもの”であるようにするにはどうすればいいかを考えた。耐久性、修理のしやすさ、いずれ誰かに譲ることはできるかなど、製品をできる限り長く、循環サイクルにとどめておくための長期的な視点でデザインした。リサイクルしやすいパーツにも着目した。従来はまず生地を選び、それに合うボタンやライニングなどを選ぶという手順だったが、そこに初めてリサイクルのしやすさという視点が加わった。

WWD:従来とはデザインのプロセスが全く変わったということか。

ヨハンソン:その通り。私たちはこれをある種の旅路のようなものだと思っている。完全に新たなマインドになったし、それを継続していきたい。正直に言えば、山のような課題に直面したが、何事も最初はそういうものだ。革新的なものである場合はなおさらだ。

ソッコルシ:デザインチームにとっても(こうしたマインドの変化は)インスピレーションの源となった。服は現在だけでなく未来のためのものでもある、という考え方にインスパイアされて浮かんだのが今回使用した水玉模様や大きなリボン飾りだ。こうした要素は不思議と何度も流行するからだ。

WWD:例えば、どのような課題にぶつかった?

ヨハンソン:当初考えていたことを実現できなかったり、装飾用のパーツやさまざまな種類の素材に関しては、新しい方法を模索する必要があったりした。一方で、循環型を前提に考えることで以前は思いつかなかったようなアイデアがひらめいたりもした。おかげで視野が広がり、課題の解決策を考えたり、問題を乗り越えたりするプロセスは楽しかった。

ソッコルシ:人々のスタイルをかなえる華やかなアイテムを循環可能にしたいと思ったからこそ、難しいプロジェクトになった。例えば、スパンコールのメタリックなコーティングをなくすこれまでにない方法を発見し、リサイクルできるようにしたことは大きなステップだった。「こうすればできるんだ」というひらめき、アハ体験をもたらしてくれたし、見た目も美しかった。ほかには、2018年のグローバル・チェンジ・アワード(Global Change Award ※H&Mが主催するイノベーション・コンペティション)を受賞したリゾーテックスとも協業した。同社の糸を使用すれば、高熱を加えるだけで縫い付けたパール飾りなどが服から外れる。これは非常に面白いし、画期的なものだ。このコレクションには、自分たちの限界に挑戦したからこそ可能となった“進化”がいろいろ含まれている。

WWD:そのほか、同コレクションで使用した革新的な素材は?

ソッコルシ:海から回収したプラスチックボトルから作られたリサイクルポリエステル、「リプライブ・アワー・オーシャン(REPREVE Our Oceans)」がある。これはリサイクルシステムがない国の沿岸地域から回収したボトルを使っているので、すでに循環されているものではなく、放っておけばごみとなって環境に悪影響を与えてしまうものを利用している。ほかには、衣服をリサイクルしたポリエステルなどがある。

ヨハンソン:衣服をリサイクルした繊維や原料で衣服を作ることも、ファッション業界が排出した廃棄物を自ら再利用するという意味で重要だ。古着や使用済みの繊維廃棄物を利用したファブリックのサイコーラ(Cycora)などがそうで、新たな協業先となっている。またリサイクルコットンのテックスループ(Texloop)、イタリアのアクアフィル(AQUAFIL)のリサイクルナイロン「エコニール(ECONYL)」も使用している。以前から使用しているベジェア(VEGEA)のグレープレザー(※ブドウの絞りかすから作る人工皮革)も素晴らしいものだし、どんどん進化している。

ソッコルシ:衣服のリメイクも行った。古着のリサイクル企業、ソエックス・グループ(SOEX Group)のアイコレクト(I:COLLECT)と提携し、「H&M」が回収した古着をアイコレクトが、二次流通で再び売れるもの、修理できるもの、リサイクル可能なものなどに選別するのだが、今回は回収したものの中からメンズのブレザーを選り分け、リメイクした。東京やパリ、ミラノ、ロンドンなど都市ごとに異なるデザインで、東京は東京だけのユニークなデザインとなっている。

ヨハンソン:こうしたリメイクプロジェクトを行ったのは今回が初めてだったが、将来的にもっと実施していきたい。デザインし直してリメイクし、アップサイクルすることは今後さらに重要になるだろう。

WWD:最近は、リサイクル素材のバリエーションも増えてきたが、素材を選定する際に大事にしていることは?

ソッコルシ:リサイクル素材にはたくさんの種類があり、常に増え続けている。最適な選択をするためにも、サステナビリティ部門との連携が要だ。彼らはその素材の耐久性や使い勝手などを試すため、さまざまなテストを行っている。当社は化学薬品の使用に関する厳しい規制を設けているので、そうしたことも詳しく調べている。

服の寿命を一度で終わらせない啓発が大事

WWD:循環型の推進には消費者のマインドの変化も重要だ。どのように循環の重要性を消費者に伝えていく?

ヨハンソン:本当に重要かつ不可欠な部分だ。顧客とコミュニケーションを取りながら、“正しい選択”をするように促すことが大切だ。製品がどこでどのように製造されたのかなどについて透明性を保つことや、いらなくなった製品をリサイクルする最適な方法について明確に示すことも重要。コレクションのタグにはQRコードを付けて、そうした情報を提供している。

ソッコルシ:実際に私たち自身も、消費者としてのマインドが変わったと思う。フィットしなくなったり、ボタンがなくなったりしても、(すぐに捨てるのではなく)リペアしようと考えるようになった。H&Mではリペアやリユースを促す「REイニシアチブ(RE Initiative)」を行っている。また衣類のタグには、当社からのメッセージとして、循環を念頭にデザインして製造した製品であり、修理やメンテナンスをして長く愛用してもらいたいこと、いらなくなったらリサイクルしてほしいこと、製品のライフサイクルの最後にはさらに循環させるため店頭の回収ボックスに入れてほしいことなどを記載している。愛着があるからなどの理由で取ってあるけれど使用していない、というのも実はあまりサステナブルなことではない。使っていない物は誰かに売るか譲るかして使われるようにする、という新たなマインドになるよう顧客を啓もうしていく必要がある。

ヨハンソン:衣類の寿命は一度では終わらない。リサイクルなどによって生まれ変わるので複数の寿命がある。自分が飽きてしまった製品でも、それを喜んで使ってくれる人がどこかにいるので、循環の輪(ループ)に含めることが大切だ。

ソッコルシ:もう一つ、当社で推し進めている事業にレンタルがある。これまでにない新たなビジネスモデルだと思う。

ヨハンソン:二次流通市場も大きく成長していて、当社ではスウェーデンのリセールプラットフォーム、セルピー(SELLPY)と提携している。サステナブルな未来のファッションを実現するにあたり、業界内で、企業同士が協力し合う必要がある。(環境問題は)全員に関わりがあることなので、知識やノウハウを共有し、互いに助け合うことが重要だ。

WWD: 2040年までにクライメート・ポジティブを実現するための、次のステップは?

ヨハンソン:すでに多くの目標を達成している。例えば、20年までにコットンを全てリサイクルされたもの、再生可能なもの、もしくはオーガニックコットンに切り替えるという目標は昨年達成した。また、H&Mグループで使用するファブリックを30年までに全てサステナブルなものにするという目標があり、それも達成に向けて順調に進んでいる。40年にクライメート・ポジティブを実現するという大きな目標に向けては、小さな目標がたくさんあるが、デザインの段階から循環型ファッションを意識するというマインドを持つことが重要だ。当社の全てのデザイナーにはそのマインドを学び、必要なアプリやツールを活用して循環型ファッションに取り組み、引き続き美しいコレクションを発表してもらいたい。ファッションは自分を表現するための最高の方法の一つなので、今後もそうであると同時に、できる限り環境負荷をかけないようにしたい。

ソッコルシ:リセール、リペア、レンタルなどの再生・再利用のコンセプトは加速度的に広がりを見せているが、手持ちの服を“リスタイル(着回し)”するという考えも広まってほしい。いろいろな組み合わせができるアイテムを作ることは、循環型ファッションを推進する上でとても重要なことなので、このコレクションをデザインする際にも意識した。華やかなストラップの付いた黒パンツであれば、ストラップを付け外し可能にすることで、オケージョン用としてだけでなく通勤服としても使える。そうした着回しのできる服にすることも非常に重要だ。

WWD:サステナビリティに関する事柄を“制限”ではなく“可能性”として捉えているところに感銘を受けた。楽しんで取り組んでいることが、よく伝わってきた。

ヨハンソン:その通り。当社はさまざまな活動をしているが、何事においてもクリエイティブであること、新たなマインドで考えることが大切だと思う。

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「ダンヒル」の新アイコン“ロックバッグ” 高島涼が伝統と革新のデザインに迫る

 「ダンヒル(DUNHILL)」は2020年秋冬シーズンのパリコレクションでブランドの新しいアイコン“ロックバッグ(THE LOCK BAG)”を初披露して以来、様々な素材やデザインで展開をしている。堅牢なフレームと鍵のモチーフが印象的なこのバッグは、英国紳士のスタイルの象徴であるアタッシュケースからインスピレーションを得たという。クラシカルな見た目の一方で、裏地にナイロンパッドを採用していたり、幅広いマチを設けていたりと機能はアップデートしている。1893年創業の「ダンヒル」の伝統と現代的なデザインをそなえた“ロックバッグ”を、ミレニアル世代のファッションディレクター・高島涼がまとう。

“ロックバッグ”は
リアリティーのある服にも
合わせやすい

WWD:これまでの「ダンヒル」のイメージと実際にコレクションを見た感想を教えて欲しい。

高島涼(以下、高島):これまではテーラーのイメージが強くて、僕よりももっと上の世代の方が着ているめちゃめちゃ良いブランドという印象が強かった。でも実際にコレクションを見るとルーツやバックボーンには深い歴史があって、新しいことに挑戦する柔軟性を持っているブランドだと改めて感じた。

WWD:“ロックバッグ”の印象は?

高島:ビジュアルにも高級感があって、身につけるだけで品が出るアイテムだと思う。僕が普段着る洋服は、カチッとしたものよりも曲線的なものが多い。その中にこういった構築的なバッグを差し込むのは面白いし、ファッションとしても取り入れやすい。

WWD:高島さんならどんなコーディネートに合わせる?

高島:テーラーのイメージは大事にしつつ、今シーズンっぽくスポーティーなアイテムと合わせて、カジュアルとミックスさせるのが良いと思った。今日は、日本のブランドとアウトドアブランドを合わせた。そういった僕らの世代でリアリティーのある服でも“ロックバッグ”は組み合わせやすいし、品のあるアイテムを取り入れるだけで、服もより良く見える。

WWD:高島さんのファッションに欠かせないものは?

高島:僕は低身長がコンプレックスなので、どうスタイルをよく見せるかが自分のファッションの考え方。だから綺麗に見えるシルエットはすごく気にしているけど、「ダンヒル」はすごくシルエットが綺麗で、品もあってかっこいいと思う。

WWD:今注目しているモノやコトは?

高島:サステナブルについては気になっている。少し前まで、消費者としては生産側と感覚がかけ離れていると思っていたけど、コロナを機に意識が高まって、長く使えるいいものを選ぶようになった。そういう意味でも“ロックバッグ”は長く使える“本物”のアイテムだと思う。

アタッシュケースの新しい提案

アタッシュケースを彷彿とさせる真鍮の鍵が“ロックバッグ”の特徴だ。熟練の職人が手作業で作り上げ、素材には丈夫で滑らかなボックスカーフレザーを採用する。いずれも使うほどに独特の風格と味が増すのも魅力。スマートフォンにぴったりのサイズ感で、マチも広がり、ショルダーストラップは取り外し可能と、使い勝手にも優れる。カラーはブラック、インクにメタリックデザインのADブラス、ADシルバーを加えた全4色展開。

 なお、鍵のディテールを踏襲した“ロックコレクション”には、ほかにもメッセンジャーバッグやアタッシュケースなどもラインアップする。全国の「ダンヒル」の店舗とオンラインストアで販売中だ。

EDIT&TEXT : YUKI KOIKE
問い合わせ先
ダンヒル
0800-000-0835

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「ダンヒル」の新アイコン“ロックバッグ” 高島涼が伝統と革新のデザインに迫る

 「ダンヒル(DUNHILL)」は2020年秋冬シーズンのパリコレクションでブランドの新しいアイコン“ロックバッグ(THE LOCK BAG)”を初披露して以来、様々な素材やデザインで展開をしている。堅牢なフレームと鍵のモチーフが印象的なこのバッグは、英国紳士のスタイルの象徴であるアタッシュケースからインスピレーションを得たという。クラシカルな見た目の一方で、裏地にナイロンパッドを採用していたり、幅広いマチを設けていたりと機能はアップデートしている。1893年創業の「ダンヒル」の伝統と現代的なデザインをそなえた“ロックバッグ”を、ミレニアル世代のファッションディレクター・高島涼がまとう。

“ロックバッグ”は
リアリティーのある服にも
合わせやすい

WWD:これまでの「ダンヒル」のイメージと実際にコレクションを見た感想を教えて欲しい。

高島涼(以下、高島):これまではテーラーのイメージが強くて、僕よりももっと上の世代の方が着ているめちゃめちゃ良いブランドという印象が強かった。でも実際にコレクションを見るとルーツやバックボーンには深い歴史があって、新しいことに挑戦する柔軟性を持っているブランドだと改めて感じた。

WWD:“ロックバッグ”の印象は?

高島:ビジュアルにも高級感があって、身につけるだけで品が出るアイテムだと思う。僕が普段着る洋服は、カチッとしたものよりも曲線的なものが多い。その中にこういった構築的なバッグを差し込むのは面白いし、ファッションとしても取り入れやすい。

WWD:高島さんならどんなコーディネートに合わせる?

高島:テーラーのイメージは大事にしつつ、今シーズンっぽくスポーティーなアイテムと合わせて、カジュアルとミックスさせるのが良いと思った。今日は、日本のブランドとアウトドアブランドを合わせた。そういった僕らの世代でリアリティーのある服でも“ロックバッグ”は組み合わせやすいし、品のあるアイテムを取り入れるだけで、服もより良く見える。

WWD:高島さんのファッションに欠かせないものは?

高島:僕は低身長がコンプレックスなので、どうスタイルをよく見せるかが自分のファッションの考え方。だから綺麗に見えるシルエットはすごく気にしているけど、「ダンヒル」はすごくシルエットが綺麗で、品もあってかっこいいと思う。

WWD:今注目しているモノやコトは?

高島:サステナブルについては気になっている。少し前まで、消費者としては生産側と感覚がかけ離れていると思っていたけど、コロナを機に意識が高まって、長く使えるいいものを選ぶようになった。そういう意味でも“ロックバッグ”は長く使える“本物”のアイテムだと思う。

アタッシュケースの新しい提案

アタッシュケースを彷彿とさせる真鍮の鍵が“ロックバッグ”の特徴だ。熟練の職人が手作業で作り上げ、素材には丈夫で滑らかなボックスカーフレザーを採用する。いずれも使うほどに独特の風格と味が増すのも魅力。スマートフォンにぴったりのサイズ感で、マチも広がり、ショルダーストラップは取り外し可能と、使い勝手にも優れる。カラーはブラック、インクにメタリックデザインのADブラス、ADシルバーを加えた全4色展開。

 なお、鍵のディテールを踏襲した“ロックコレクション”には、ほかにもメッセンジャーバッグやアタッシュケースなどもラインアップする。全国の「ダンヒル」の店舗とオンラインストアで販売中だ。

EDIT&TEXT : YUKI KOIKE
問い合わせ先
ダンヒル
0800-000-0835

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服とウツワの“交差点”に立つ陶芸家・吉田直嗣

 コロナ禍で、消費者の意識は家の中の暮らしへ向いた。ファッションをメインに取り扱うショップでも「ライフスタイル提案」をうたい、皿やコーヒーカップなどの調度品を売り場に並べる店は増えている。

 だがそれ以前から、陶芸家・吉田直嗣(45)の作る器は、コアなファッション愛好家や業界人の間で注目を集めていた。彼の作品は「グラフペーパー(GRAPHPAPER)」や「レクトホール(RECTOHALL)」といった高感度なセレクトショップが買い付け、個展ではおしゃれな若い客を見かけることも多い。自身も「ブルータス(BRUTUS)」(マガジンハウス)「ウオモ(UOMO)」(集英社)といった男性誌にも登場し、ファッション好きとしての一面も見せる。

 抑揚の効いたフォルムと、黒と白で表現するストイックな世界観の作品で、コアな陶芸愛好家からの評価も高い。そんな彼の作る器が服好きにも刺さる理由とは。東京・代々木上原のギャラリー「アエル(AELU)」の個展(12月12日まで)で吉田に話を聞いた。

WWD:コロナ禍で、陶芸家の仕事はどう変化しましたか。

吉田直嗣(以下、吉田):ギャラリーや僕以外の作家からは、(器が)以前より売れるようになったという声が聞かれます。僕は富士山の麓(静岡県)にあるアトリエにこもっているので、身の回りで特段変化は感じられないんですが。

WWD:陶芸には明るくないのですが、「グラフペーパー」の展示で吉田さんの器を知り、興味を持ちました。

吉田直嗣:同じように陶器は買ったことがなけれど、僕の器の「デザインが好き」と言っていただける方も多くいらっしゃいます。陶芸に造詣の深い方に評価していただけることはもちろんですが、その世界にはないものさしで見ていただき、気に入ってもらえるのはとても嬉しいですね。

 僕が作陶で大事にしていることも、今の僕が見て「美しい」と感じられるか、という一点です。店に並べたあとは、お客さまに想像を膨らませていただき、直感で買ってほしい。逆に「このお皿はどう使うのが正解なんですか?」などと聞かれると、困ってしまいます。

 「グラフペーパー」には5〜6年くらい作品を置いてもらっていますが、(ディレクターの)南(貴之)さんも、僕の器を「焼き物」としては見てらっしゃらないような感じがします。店内空間を作るオブジェであると同時に、洋服と同じフラットな目線で「好き」かどうかで選んでくれている。だからありがたいんですよね。

WWD:今日も「グラフペーパー」の服を着ていますね。

吉田:はい、普段はこればかりです。ファッションは好きなのですが、学生時代はお金は全て陶芸の勉強に投資していましたし、陶芸家としてはご飯を食べていくのでやっとという時期が続いたので、そんなにたくさんの服に袖を通してきた訳でもありません。この前の個展には「ソフ(SOPH.)」の清永浩文さんが来てくださり、周囲はざわついていましたが、僕だけがすぐに気づくことができず恥ずかしい思いをしました。

 同じ作り手としての目線で話すと、ファッション業界は一流の領域でも分業制が成り立っていてすごいなと思います。僕は今回の個展で500個ほど作品を納入しましたが、全てこの1カ月くらいの間で一気に作りました。普段もこんな感じです。自分でデザインを考え、ろくろを回し、クリエイションを完結できるのが陶芸家の醍醐味だとも思っています。しかしファッション業界では、デザインを考える人と縫い針を動かす人は離れているのに、最終製品のクオリティーがしっかり担保されている。エモーショナルな要素とロジカルな要素のバランスが優れている人たちでないと、できない芸当だと感じます。

WWD:シーズンで消費されていくファッションと違い、器には普遍的な魅力を感じます。

吉田:もちろん、器にもその時代のトレンドがあります。ただ、そういった大きな流れよりも「この作家のこれがほしい」というこだわりを持ち、本当に気に入った器を買われる方が多いと感じます。器の世界は、伝統的な作風にこだわり続ける職人も入れば、前衛的すぎて理解不能な作家まで(笑)、本当に多種多様な作り手が息づいています。それを理解し、支えてくれるコアな人たちがいるから、僕も食べていけています。

 服に関しても「新しいものほどいい」という考え方が薄まれば、消費者は「本当に大切にできる1着」を求めるようになるでしょう。すると「安い」「使いやすい」という合理性よりも「好き」が大事になり、作り手の個性がもっと表れる風景になりそうです。ファッションと器の買い方は、だんだん似てくるかもしれませんね。

 コロナ禍で、大手のアパレルやセレクトショップさんなどを中心に(取り引きの)お声掛けをいただくことは増えています。ファッション業界には、器の世界では味わえない華やかさや(トレンドの)スピード感があります。その中に浸かり、感じたことをろくろの土に混ぜることができたら、作家としてもっと成長できるのではないかと感じています。

■吉田直嗣 個展 「境界」
日時:12月3日(金)〜12日(日)
会場:AELU(gallery)
住所:東京都渋谷区西原3-12-14 西原ビル4F

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シティ・ポップブームの火付け役、Night Tempo “ダブルスーツ”ファッションや初のオリジナルアルバムを語る

 DJ、音楽プロデューサーのNight Tempo(ナイト・テンポ)は、世界中で人気が再燃している日本のシティ・ポップブームの火付け役の1人として知られる。韓国出身で、日本のレトロカルチャーの魅力を欧米を中心とした世界に発信する彼は、竹内まりやの「プラスティック・ラブ」をリエディットし、インターネットでその名を知らしめた。2019年にはフジロックフェスティバルの最終日に出演し、日本とアメリカでの活動の幅を広げている。音楽のみならず、1980年代を中心としたレトロカルチャーの“キュレーター”として注目を集める彼の音楽、ファッション、そして12月1日に発売した初のオリジナルアルバムについて話を聞いた。

WWD:音楽活動はいつから?

Night Tempo:元々はサラリーマンとしてプログラミングをする傍ら、趣味で音楽を作っていました。音楽は独学で、インターネットで情報取集したり、ユーチューブ(YouTube)のチュートリアルを見たりしました。2019年にサラリーマンを辞め、正式に仕事として音楽をやっています。

WWD:12月1日に発売した初のオリジナルアルバム「Ladies In The City」のテーマやインスピレーションは?

Night Tempo:1990年代前半、都会に住む女性がメインのイメージです。1980年代と2000年代が重なる世界観で、この頃のドラマに出てくる都会の景色やファッションなどの文化をいろいろ参考にしました。その時代の音楽を再現するだけではなく、自分らしさを加えた“都会的な音楽”です。

WWD:都会というのは東京?

Night Tempo:東京ではなく、“東京みたいな都会”といったところでしょうか。この時代、大阪、ソウル、香港や台北などアジアの都会には共通していることが多く、特に当時のファッションなどの都会的な文化はほぼ一致していると思います。なので、特定の都市ではなく、“女性の社会進出が盛んになった時代のアジアの都会”をイメージしています。また、日本の音楽業界はカテゴリー分けをしっかりする印象なのですが、自分はジャンルなどは特に決めていなくて別路線だと考えています。

WWD:今までの楽曲は80年代のイメージが強かったが90年代にフォーカスした理由は?

Night Tempo:アルバムの制作を進めていく中、ハマったという感じです。90年代は前半と後半でかなりイメージが違うと思っていて、後半は経済的にも厳しい状況もありましたが、前半は豊かだったと思います。特に韓国も96年くらいまでは豊かでした。日本の年代感覚とはズレるかもしれませんが、シティ・ポップが描く景色と自分が経験した韓国の豊かな都会のイメージと重ねられるのがちょうどこの年代でした。

WWD:インスピレーションとなるレトロカルチャーのリサーチの方法は?

Night Tempo:インターネットでのリサーチはもちろん、その時代の物にもインスパイアされます。とりあえず集めておいたレトロなアイテムのコレクションを後からチェックすることも多いです。日本にはいろいろなジャンルのマニアがいるので、90年代の「カシオ(CASIO)」のデジタル時計の図鑑があったりして、それに載っている時計を買ったりとコレクションを増やしていきます。コロナ禍の前、日本に行けた時は直接掘り出し物を探していましたが、最近は中古サイトを活用しています。90年代、韓国の富裕層は日本製のものを使う傾向があったので、日本に行けなくてもゲットできることもありますね。

WWD:現代の音楽は聴く?

Night Tempo:あまり聞かないです。仕事として音楽を始めてから数年でまだまだこれからなので、他の音楽を聞いている余裕がないのが現状です。収集したカセットやレコードが合わせたら1000本以上はあると思います。まだ聴いていないものも多く、今は好きなものに集中して、後からいろいろ他の音楽を聞いてもいいのかなと考えています。おじいちゃんになってからかも知れませんが(笑)。

WWD:普段のファッションもレトロな物が多い?

Night Tempo:昔はよくスポーティーな古着のトレーナーを着ていました。特に「プーマ(PUMA)」と「エレッセ(ELLESSE)」が好きでした。最近は好みが変わって、90年代のサラリーマンをイメージしたダブルスーツにハマっていて、色んなカラーで集めています。トレンディドラマに出てくるような、“実際に会社に行ったことはないだろうけど、そういう演技をするサラリーマン”のラフなスーツスタイルです。角松敏生さんを参考にしています。スーツは、新品だけど眠っていたものをメルカリ(mercari)などオンラインで見つけて、それを自分にフィットするようにお店で仕立ててもらい日常的に着ています。スーツに合わせて日本製のメガネも集めています。ウィメンズのレトロファッションは一般的ですが、メンズはまだまだだと思います。なので、ライバルも少なく簡単に収集することができますね。

WWD:音楽の制作にもファッションは大事?

Night Tempo:気合という意味で大事だと思います。特にシティ・ポップなどを作るにあたって、当時の人になりきってタイムスリップをすると、より本格的で味のある音楽が作れます。ファッションは音楽の色にもなるし、世界観という意味で重要です。「シティ・ポップ作っています」と言った時に、ヒップホップ系のファッションをしているより、ダブルスーツの方が説得力ありますよね(笑)。

WWD:これから挑戦したいことは?

Night Tempo:最近、都会的でレトロなスポットを背景にスーツを着た写真をインスタグラムにアップしているのですが、自分だけでなくてモデルさんを起用して写真集をプロデュースできたらと考えています。ちゃんとファッションスタイリングとかもして、そういうスポットのガイドブック的写真集を作りたいです。例えばソウルの昔の航空写真を手に入れて、その当時からある建物を探しに行ったりしています。シティ・ポップが海外で人気になったように、アジアのレトロで都会的なデザインの素晴らしさも海外の人にも知ってほしいという思いがあります。

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ハシモト産業がVR展示会で皮革業界の新たな扉を開く

  皮革販売・加工のハシモト産業(大阪府大阪市、橋本信一社長)は11月15日〜2022年2月28日、2回目となるバーチャル(VR)展示会を、自社ホームページ内の特設サイトで開催する。昨年、コロナ禍で自粛を余儀なくされた展示会の代わりに顧客との新たなコミュニケーションの場として企画。皮革業界では初めての試みだったが、海外からのアクセスも増え、結果的に国内外での認知拡大に成功した。時代の先駆けとして、新たな業界のスタンダードに挑む。

国内屈指のタンナーと
共に作り上げる
上質な皮革を販売

 ハシモト産業は1968年に橋本現社長の父親が革紐メーカーとして創業した。革紐を製作するために、革素材からオリジナルで開発している。40種類以上の革素材をそろえ、各10色前後、多いものは80色超のカラーバリエーションを展開する。橋本社長は「うちは“皮革業界一”ハードルが低い。革を知らない人にこそ革の良さを知ってもらいたい。全ての革を一からご説明させていただく」と言い、個人から同業者まで革1枚から販売する。

 国内有数のタンナーと共同で行う素材開発にも積極的だ。橋本社長は「革紐製作で培った技術があるからこそ、タンナー(皮革製造工場)に作り手の視点から革の利点や欠点を理解した要望ができ、より良い素材開発ができる」と話す。革紐を作るためには、革を漉く、切る、つなぐなどのさまざまな工程が発生するが、 ハシモト産業では、中に芯を通した細さ1mmの革紐まで作れる。そのときの革の厚さは0.25mmと毛穴が透き通るほど薄い。天然素材である革を一定の厚さで漉くには高度な技術が必要なのはもちろん、より吟味された素材を扱う必要もある。タンナーへの要求は高くなるが、一歩踏み込んだ素材提案は、ハシモト産業ならではの強みとなった。

 ハシモト産業は15年ほど前に、業界では比較的早めにインターネット通販事業に取り組み始めた。個体差のある天然素材をECで販売するのは難しいが、「コロナ禍をきっかけに皮革業界全体にとってもデジタル化は避けては通れないものになった」と橋本社長。そこで 昨年、業界に先駆けてVR展示会をスタートした。イベントスペースに会場を設営し、Mat terportで3Dパノラマ動画を撮影することで、展示空間のリアルでスムーズなウオークスルー体験を実現。国内外から好評を得たものの改善点も見えた。今回は新たに購入機能を設け、動画の質も向上させる。「お客さまの利便性が一番大事。どうしたらお客さんが革を買いやすいか、その利便性を提供し続ける」と、皮革産業の発展に尽力する。

ハシモト産業の革を手掛ける
国内タンナーの魅力

 「栃木レザー」は、昔ながらのピット鞣しを用いて、最も素材に優しい加工を行うタンナー。石灰漬けによる毛抜きに1週間、50枚の皮をプール槽につけて鞣すのに1カ月、さらに乾燥に2週間かけるという。このように長い時間をかけながら作られた革は、独自の色艶や色合いを発し、繊維層が傷んでいないため形崩れしにくいのが特徴だ。

 「新喜皮革」は“革のダイヤモンド”と呼ばれるコードバンを鞣しから仕上げまで、日本で唯一、一貫生産する世界屈指のタンナー。高級バッグや革靴に使われるコードバンは非常にキメが細かく、扱うには技術力を要するが、60年以上にわたって積み上げた技術と最新鋭の設備を用いて、 上質なコードバンを生産する。

 「キモトレザーワークス」柔軟性と耐熱性の高い革を作れるクロム鞣しを用い、主に靴用の革を扱う。原皮を仕入れ、下鞣しを自社で行っているため、革を細部までコントロールできる。そのため、キモト製の革はオリジナル性とクオリティーの高さが伴っているのが特徴。

EDIT&TEXT:YUKI KOIKE
問い合わせ先
ハシモト産業
06-6771-6911

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手仕事を大事にする若きデザイナー 東京・下高井戸発「レットルース」

 1994年生まれの安田光作デザイナーが手掛ける「レットルース(LET LOOSE)」は、ロゴやグラフィックを載せたTシャツやポロシャツ、フーディーから、クッションやキャンドルなどのグッズまでを扱うファッションブランドだ。販路は公式ECと年に数回の受注会のみだが、3月には伊勢丹新宿本店メンズ館でポップアップを実施するなど、知名度を着実に上げている。

 同ブランド最大の特徴は、手仕事へのこだわりだ。ファッションブランドの大半は商品の量産を工場に依頼するが、安田デザイナーは生地・資材の購入から裁断、縫製まで、量産も一人で行っている。1シーズンの生産量は400着前後で、「朝起きて、裁断して、縫っての繰り返しです」。

 そんな安田デザイナーに、自宅兼アトリエのある下高井戸で話を聞いた。誰もが手軽に物が作れる時代に、手間と時間をかける裏には、どのような思いがあるのか。

はじまりは、一枚のCD

WWD:服が好きになったきっかけは?

安田光作デザイナー(以下、安田):小学生のころ、10歳上の姉にRHYMESTER(ライムスター)のCDを渡されて、ヒップホップに傾倒しました。周りにヒップホップ好きがいなくて、自分でミックスした音源を1枚500円とかで売ってたくらいです。父もジャズが大好きで、音楽にどっぷり浸かりました。その流れでファッションにも興味を持って、いろんな服に袖を通しました。おばあちゃんが呉服店を営んでいたから、さまざま生地が身近にありました。

WWD:高校卒業後、服飾学校に入った?

安田:最初は4年制の大学に入りました。父がフリーランスのライターだったこともあり、母親から「あなたは定職に就きなさい」と口すっぱく言われていて。でも、すごく退屈でした。そんな中、原宿に買い物に行ったとき、友達から「光作、服好きだし、作ってほしいな」と言われて。妙に納得して、数日後には退学届を出して、文化(文化服装学院)への入学手続きをしました。

WWD:文化での生活はどうだった?

安田:3年制に入学し、2年目からデザイン科に入りました。でも、「デザインってその人の感性だから、勉強するものなんだろうか」と感じ、3年目にアパレル技術科に転科しました。パターンを引いたり、縫製したり、“手に職”って感じで、デザインを学ぶよりずっと面白かったです。

誰かが自分の洋服に
価値を見出してくれる。
それがすごくうれしかった

WWD:「レットルース」立ち上げはいつ?

安田:文化の1年のときに始めました。Tシャツにシルクスクリーンで刷って、ECの「BASE」で販売していました。1枚5000円くらいだったかな?量は作っていなかったけれど、誰かが自分の洋服に価値を見出してくれて、お金を払ってくれるのはすごくうれしかった。今もそれが根底にあります。

WWD:他ブランドでの経験は?

安田:文化を卒業して「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」で働きました。布帛やニット、カットソー、グッズと部門が分かれていて、僕はカットソーの企画担当。ブランド運営を学ぶ大事な機会になった一方で、「自分のものづくりがしたい」という気持ちが強くなり、1年で独立しました。

WWD:安田デザイナーの目指すものづくりとは?

安田:手仕事を大事にしたものづくりです。例えば陶芸家だったら、どんなものを作るか考えて、粘土を成型して、焼いて、自分で完成させる。料理家も、自分で材料を買って、下ごしらえして、調理して、提供する。外部に任せる方がもちろん効率はいいし、ビジネスとしては正解かもしれない。でも、ものづくりが好きだから、全ての工程に自分の手を加えたいんです。

WWD:ブランド規模が大きくなると、自分で量産するのは難しいのでは?

安田:正直、すでにギリギリです(笑)。でも、そもそもブランドを大きくしたいとか、バズりたいとは思ってないから、できるだけ今のスタンスは貫きたい。仮に大きくなっても、ロゴTのシルクスクリーンだけは絶対に自分で刷り続けたいです。

WWD:クッションやキャンドルなどのグッズも手掛けている。

安田:こういう雰囲気のブランドでグッズまで作るところってあんまりないので、意図的にアイテムの幅を広げています。ほかと同じことをやっても仕方ないですからね。実はクッションってTシャツよりも手間が掛かって、工場に頼むと発注数のミニマムも増える。でも僕は自分で縫うから、ミニマムとか関係なく提案できる。クリエイションに自由が効くのは、「レットルース」の強みかもしれません。

WWD:伊勢丹のポップアップも大きな反響だった。出店の経緯は?

安田:伊勢丹の担当者から「ポップアップやらない?」と声をかけられました。これまで受注会は、自分が好きなエリアでしかやったことがなかったので、思い切って挑戦しました。11月には、日本橋のヒューマンネイチャーというワイン屋で受注型のポップアップをやりました。地方から来てくれる人もいて、すごくうれしかったです。ポップアップで交流できるのはとても楽しいし、励みになりますね。

小さい規模でもいい
周りの人に「いいもの作ってるね」と言われたい

WWD:卸売りは考えている?

安田:悩んでます。卸をやるなら、むしろ自分でお店をやりたいかな、とか。自分がコントロールできる範囲で、地に足つけて発信したいんです。それと、ネットがあればどこでも買える時代だからこそ、特別感を大事にしたくて。直営のECと受注会でしか買えず、そもそも数に限りがあることがブランドの価値につながっているから、当分はこのやり方を続けると思います。

WWD:今後の展望は?

安田:世田線沿いにアトリエ兼事務所を構えたいです。自宅が手狭になってきたから、もう少しゆったりした空間が欲しい。知り合いはもちろん、予約制でお客さんも入れるスタイルで、来年にでも実現したいですね。あとは、実直にアイテムを作るだけです。小さい規模でもいいから、周りの人に「いいもの作ってるね」と言われ続けたいです。

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ブームを支える「古着卸」とは? “川上”にある選別工場に潜入

 古着にまつわる取材を進めるうちに、“川上”に興味を引かれるようになった。東京・下北沢で税込110円で古着を販売する「スティックアウト100」では、藤原輝敏社長に“古着卸”の存在について聞いた。しかし、ごみビジネスゆえのアンタッチャブルさもあってか、取材交渉は難航……。数社からお断りを受けたが、町田や下北沢に古着店「デザートスノー」を7店舗運営する「MIC(ミック)グループ」傘下の鈴可(鈴木道雄社長)に許可をもらい、神奈川県相模原市の選別工場を取材した。

WWD:古着が小売店舗に並ぶまでの流れを教えてほしい。

鈴木道雄鈴可社長(以下、鈴木):古着には海外と国内、大きく2通りの仕入れ先がありますが、鈴可は国内仕入れ専門です。80%が家庭ごみ、残りの20%をリサイクルショップから購入しています。家庭ごみは、行政(鈴可の場合は相模原市)に委託された産廃業者が回収しています。古着卸である鈴可は別途市と契約し、産廃業者から“原料”(衣料ごみ)を引き取ります。

WWD:その“原料”が、この小さなビニール袋に入った集合体である?

鈴木:そうです。家庭から出された、ごみのままの状態です。これをスタッフが1つずつ開封して選別します。

WWD:作業を見ていると1つのビニール袋の開封・選別はほんの数秒だが、品定めも同時に行っている?

鈴木:はい。そのために、この作業にあたるスタッフは目が利かなくてはなりません。1人が1日に2~3t分を選別します。鈴可は2つの選別工場を持っていて、それぞれが1500平方メートルほど。計3000平方メートルのスペースに衣料ごみを集積し、日々選り分けています。

WWD:選別について詳しく聞きたい。

鈴木:鈴可では4つに大別します。1.古着として海外に輸出するもの、これが90%ほど。機械で圧縮して“ベール”と呼ばれる状態にします。“アンタッチド(クレデンシャル)ベール”と呼ばれる、ビニール袋に入ったままの状態で圧縮して海外に輸出する古着卸もいますが、当社では100%開封・選別したものを“製品”にしています。こちらは“タッチドベール”と言います。2.MICグループの小売部門である「ミクモ」で販売するもの、これが10%ほど。ただしこれは、ミクモが全品税込330円の店舗から国内デザイナーズブランドを2万円ほどで販売する店舗まで幅広いレンジを持っているからできることで、一般的なピック率は5%ほどだと思います。あ、それから当然ミクモで販売する商品は洗濯やクリーニング、検品、リペアを経たものです。続いて3.毛布やシーツ類、4.生ごみや燃えないごみなどです。毛布やシーツ類を衣料に混ぜたままで輸出する古着卸もいますが、選別のひと手間をかけることで“製品”のクオリティーは上がりますし、古着業界は狭いとも言え、評判の良さはお客さんの獲得にもつながります。

WWD:選別した毛布やシーツ類はどうする?

鈴木:それらが目当てのお客さんもいるんです。いや、そういうお客さんを鈴可では作ったんです。だから、手間やそれに伴う人件費をカバーできています。

WWD:生ごみや燃えないごみも混在しているとのことだが、日本は比較的マナーが良いものと勝手に考えていた。そんなことはない?

鈴木:ええ、残念なことに……。それにアメリカなどの古着はドネーション(寄付)によるものが多く、あくまでごみとして出される日本とは性質が異なります。だから、初めて日本の古着卸と取引する海外業者の中には、衣料以外が混在することに対して不満を口にする人もいます。商習慣というか、流通の違いなんですけどね。

WWD:輸出先の海外とは具体的にどの国を指す?

鈴木:マレーシアや韓国です。特にマレーシアは古着における東南アジアのハブになっています。そこからインドネシアなどの第三国に入ることが多いですね。

WWD:タッチドベールの価格は?

鈴木:キロ20~30円ほどです。1つのベールが300kgほどで、それをコンテナ単位で売買します。1つのコンテナに23~24tほどの“製品”を積み、月に400~500tを輸出しています。

WWD:鈴可以外に古着卸と呼ばれる業者は何軒ほどある?

鈴木:関東では20軒ほどだと思います。ちなみに衣料ごみのリサイクル率は欧州で90%、日本は20%程度と言われています。

WWD:欧州並みの水準に高めるには、古着卸ビジネスの伸長や、家庭から出る衣料を可燃ごみにせず、あくまで古着として回収するシステムの徹底が必要そうだ。

鈴木:システムについてはその通りですね。ただ、古着卸が今後増えるかというとそんなことはないと思います。

WWD:それはなぜ?

鈴木:古着卸の多くは戦後から続く家業で、われわれのような新規参入組はまれです。

WWD:参入障壁は高い?

鈴木:ええ。やはり最後は“人”というか、歴史は買えないというか……。ですので、鈴可では「キロ5円で売買している“原料”を、10円で買わせてほしい」と交渉することもあります。それができるのは、買った“原料”を効率良く“製品”化するスキームとネットワークがあるからですね。鈴可の創業は2006年ですが、6~7年かけてそれらを獲得しました。

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JO1・鶴房汐恩に直撃 グループ一の“破天荒キャラ”がファッションとビューティを語る

 日本国内のみならず、グローバルで活躍する新時代のボーイズグループJO1は、今年でデビュー2年目を迎えた。サバイバルオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN」で結成後は、エンタメ界のみならず、「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT 以下、YSL」のオフィシャルビューティパートナーを務めるなど、ファッション&ビューティアイコンとしても輝きを放っている。12月15日には5枚目のシングル「WANDERING」をリリースする。同作品にはJO1初となるダブルリードシングル「僕らの季節」「Prologue」のほか、さらなる成長をキーワードとした新曲を複数収録予定だ。今回はグループ内でも“破天荒キャラ”として個性を際立たせている鶴房汐恩に、JO1の魅力や目指す場所、そして自身のファッションやビューティへの想いについて聞いた。

WWD:昔からファッションに興味があった?

鶴房汐恩(以下、鶴房):実を言うと、もともとはファッションに無頓着なタイプでした。デビューしてからファッションに触れる機会が増えて、一気に目覚めていった感じです。仕事ではスタイリストが用意してくれた衣装を着ることがほとんどですが、仕事のときはもちろん、オフでもちゃんとオシャレにしていたいなと思うようになりました。

WWD:今日はセットアップスタイルで撮影に挑んでもらったが、普段のスタイルは?

鶴房:私服はカジュアルでシンプルなものがほとんど。銀座にお気に入りのショップがあって、スタイリッシュな品ぞろえが今の自分のスタイルに合っています。以前はフーディーなどもよく着ていたんですが、最近はもっとシンプルで、スエットにダボっとしたシルエットのワイドパンツなどを合わせることが多いです。カジュアルだけど、どこかきれい目に見えるスタイルが好きですね。

WWD:最近購入したものは?

鶴房:ハイブランドのスニーカーを購入しました。存在感がありながら、品格のあるデザインが気に入っています。普段はカチッとした靴を履くことが多くて、そもそもスニーカーってあまり持っていないなと。気に入った靴ばっかり履いてしまうクセがあるので、どうしてもボロボロになってしまって(笑)。今後はいろいろとローテーションしてみたいです。あとは、海外通販サイトで韓国ブランドのシューズやアイテムを買うことも多いです。

韓国の人気俳優ソン・ガンがスタイルアイコン

WWD:ファッションで参考にしているものや人は?

鶴房:好きなブランドのインスタグラムアカウントをフォローしていて、アップされているスタイルを参考にしています。あとは、韓国にソン・ガン(Song Kang)という人気俳優がいて、彼のファッションはシンプルでオシャレだし、体格もいいから参考になる。韓国のファッションシーンは自分のスタイルともマッチするので、特にチェックしています。

WWD:アクセサリーは好き?

鶴房:ネックレスやリングが特に好き。アクセサリーもシンプルに合わせることがほとんどなので、シルバーばかりに目がいってしまいます。逆に、ゴールドはあまりつける習慣がないかな。女性が身につけているのを見ると素敵だなって思うんですが、僕がつけると少し派手になりすぎちゃう気がして(笑)。ちなみにピアスは怖いので開けていないです!でもイヤーカフは好きですね。衣装でつけることも多いので。まだ自分では買ったことがないのですが、今度チャレンジしてみたいです。

WWD:ビューティについて意識していることは?

鶴房:「YSL」でオフィシャルビューティパートナーをやらせてもらい、仕事上でメイクをする機会もかなり増えたので、メイクをすることへの抵抗は全くなくなりました。仕事でメイクをした日は、しっかりメイクオフし、スキンケアをすることも少しずつ習慣になってきた気がします。ただどちらかというと、インナービューティを気にしているかな。例えば、毎日ストレッチをするとか……。あとは体型管理のために、食べるものにも気を遣っています。

WWD:どのように体型を管理をしている?

鶴房:野菜から食べるようにする、なるべくお米を控えるなど、食べる量が多いので、全体のカロリーを計算しながら食事するように気を付けています。お肉も脂質の少ない部分を選ぶなど、工夫できることはやってみようかなと。本当はポテトサラダが大好きなんですけど、最近は控えていますね(笑)。でも食生活を意識するようになってから、工夫次第で好きなものを食べられるということが分かったので、意外と制限が苦じゃないんです。スープなどを選ぶことも多いですね。この仕事を始めてから食事はもちろんですが、自分自身の体や、美容について意識することが増えました。

アクセサリーブランドのプロデュースに挑戦したい

WWD:今後やってみたいファッションやビューティ関係のお仕事は?

鶴房:アクセサリーブランドのプロデュースです。僕が学生なら、女性ならこれがほしい!という視点で客観的にマーケットを見ながら、ジェンダーレスなアクセサリーを作ってみたい。僕自身はシルバーやブラックが好きですが、ゴールドだったり、ピンクだったり、いろいろなカラーを使っても楽しそう。みんながどういうものを求めているのかをリサーチして、自分のエッセンスを取り入れていきたいです。

WWD:JO1の中での自分の立ち位置、そして魅力は?

鶴房:僕は11人の中でいうと破天荒キャラ。グループでは、結構お兄さんポジションなんですけど(笑)。実は周りを見ながら暴れている感じですね。JO1は僕を含めたメンバー全員、とても個性が立っているグループです。11人全員が本当に性格が違って面白い。

WWD:12月に「WANDERING」が発売されますが、今後の目標は?

鶴房:近い目標は日本制覇。誰もがJO1を知っているという国民的グループになりたい。具体的な目標でいうと、日本各地でドームツアーを開催したいです。最終的にはメンバーの一人一人が影響力を持って世界に発信していくグループになれればいいですね。12月15日に発売する「WANDERING」は、これまでの曲と違って少し落ち着いた大人な曲調です。キャッチコピーは“予期せぬ局面、直面した苦難を乗り越え僕らは成長する”。僕らの新たなコンセプト、そして成長を感じてもらえるシングルです。

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元「キャンディストリッパー」デザイナーの菊地千春が一人一人に合った服を提案する真意

 ファッションが好きな人なら「キャンディストリッパー(CANDY STRIPPER)」を知らない人はいないだろう。“NO RULE, NO GENRE, NO AGE”をコンセプトに1994年に誕生したウィメンズブランドで、年齢に関係なく遊び心を忘れない自由な発想の中に、普段着として着やすいウエアを提案。立ち上げから20年経った今でも若者に愛されている。

 同ブランドの立ち上げメンバーの一人、菊池千春デザイナーは今、リメイクブランド「マザーズメイド(MOTHER’S MADE)」に注力している。“捨てないおしゃれ”をコンセプトに、デッドストックやビンテージアイテム、輸入生地や付属を使って、1点モノを生産・販売。体が不自由な人が着る服にも興味を持ち、車椅子ユーザーであり、約14万のフォロワーを持つTikTokerえまちゃんに洋服作りを自らオファーするなど、既製品ではファッションを楽しみづらい人に向けてもアプローチしている。

 そんな菊地デザイナーにインタビューを行った。トレンドを追う「キャンディストリッパー」を離れて「マザーズメイド」を始めた理由から、障がいを持つ人の服をデザインする真意まで、菊池デザイナーに迫った。

「キャンディストリッパー」から中国移住まで
アパレル全盛時代のデザイナー活動

―どんな経緯で「キャンディストリッパー」を立ち上げたのですか?

菊地:バンタンデザイン研究所(以下、バンタン)に在学中、相方(板橋よしえデザイナー)が定期的にクラブイベントでファッションショーを企画していて、一緒に動いていた私に話を持ちかけてくれたんです。ブランドをやるからにはコレクションが必要だからと、授業が終わったら洋服を制作する期間が続きました。コレクションを発表するときには、彼女が写真家のホンマタカシさんと親しかったこともあり、デビューショーの写真を撮ってくれました。それが宝島社のファッション雑誌「キューティ(CUTiE)」に載って、大きな反響をもらいました。当時はバブルの名残でファッションが元気だったから、バンタンもテレビなどのメディア露出に力を入れてました。私たちも取り上げてもらったり、現在の所属会社の社長に知り合ったりと、あれよあれよという間にブランドが本格的に始動していきました。

 ブランドが始まってからは、彼女と当時気になっているカルチャーを話しながら、年4回新作を作りました。デザインを一緒にやりつつも彼女はとてもアクティブで、広告や営業などの仕事も受けていて、ブランドの顔のような存在になっていました。

 私はデザイナーとして勤める一方で、中国の生産背景や市場に興味が湧いてきちゃって。“世界の台所”と言われるくらい巨大だし、当時(2008年)は北京オリンピックもあって中国が非常に盛り上がっていました。そこでブランドを離れて、単身で中国に移住しました。

―ブランドが好調な最中に中国へ移住したのですか。

菊地:最初は語学の勉強をしつつ、アパレルの仕事に就けたらいいなと思っていました。私のようなフリーのファッションデザイナーって現地に少なかったし、景気が良かったことも追い風になり、百貨店のブランド立ち上げに関わったり、セレクトショップを開いたり、スタイリストやVMDの仕事もしました。それと、ブランド立ち上げの話も頻繁にいただきましたよ。飲食店の社長が「アパレルをやりたい」と勢いで始めた事業とかね(笑)。でも勢いだけだから、毎週プレゼンしたのに商品化されなかったり、実際にローンチできたブランドもあったけど、すぐ撤退しちゃったり。そんな中、女の子を授かったので、17年に日本へ戻りました。

「何百人に向けたデザインを
これからは1人のために」

―その後、なぜ「マザーズメイド」を立ち上ようと思ったのでしょうか?

菊地:きっかけは、19年に通販番組「ショップチャンネル(SHOP CHANNEL)」に出演依頼が来たこと。番組スタッフさんが「キャンディストリッパー」世代で、「一緒に何かやりましょう!」と言ってもらって。当時、夫の仕事の関係で衣類メーカーのデットストックが家に山ほどあったので、「この子たちをもう一度蘇らせたい」という思いで「マザーズメイド」を始めました。でも、いざリメイクしてみると、自分の技術が全然足りないことを痛感して。専門的な知識を学ぶため、お直し屋さんで2年間修行しました。

―お直し屋さんで修行ですか。そこでの経験は今に生きていますか?

菊地:もちろんです。対面してお客さまと話をすることで、多様な方々の悩みや細かなニーズを知ることができました。長年アパレルのデザイナーをやってきて、“何百人に向けた洋服”を企画してきましたが、お直しは一人のために作るので、考え方が全く違うんです。

―「マザーズメイド」のさらなる成長のため、21年10月にクラウドファンディングを実施しましたが、反響はいかがでしたか?

菊池:クラウドファンディングを行ったのは、まずは「マザーズメイド」を知ってもらいたかったから。それと、デザイナーが企画を考えオーダーメイドでリメイクできるサービスがほかになくて、「そんなサービスがあったら自分も利用したい」と構想しました。 お直しってパンツの裾上げ以外利用したことがない人が多数だと思うんです。でも、お洋服がどんどん安くなって簡単に捨ててしまったり、逆に、捨てられないお洋服もあったり、誰にでも悩みはある。あと、新しいお洋服を買うのも良いですが、古いお洋服をリメイクするという選択肢を増やしてもらい、気軽にリメイクをみんなに楽しんでもらいたくて。そこで、「オンラインを通してお直しやリメイクの考えが広めたらいいじゃん」って考えました。

 もう一つの理由は、障がいを持っている方とつながるきっかけがほしかったこと。 実は母が末期ガンで他界し、生前は毎日お見舞いに行っていたのですが、「キャンディストリッパー」の服をいつも着てくれていました。母との関係は良好とは言えませんでしたが、洋服がそれをつないでくれた。この経験から「ファッションを楽しみづらい環境でも、オシャレをするって大事だな」と思ったんです。お直しを活かせば、障がいを持つ人のニーズにも答えられるはず。試しに、クラウドファンディングの告知ページにTiktokerえまちゃんとのコラボ企画を載せてみたら、当事者やご家族のサポーターも集まり、リターンとしてリメイク洋服をたくさん作ることができました。

―意外なリメイク依頼もあった?

菊地:私の想像を超えてさまざまな境遇の人から連絡をいただきました。中でも忘れられないのは、お子さんを4歳で亡くしたお母さまから「捨てられずにとってある子ども服をリメイクできないか」というご相談。私も4歳の娘がいますので目頭が熱くなり、「身に付けるより家で飾れるものが良いのでは」とカーテンを提案したところ、とても喜んでもらえました。一口に“お直し”といっても、いろんな想いに応えることができる。こんなにやりがいのある仕事だなんて想像できなかったです。

クラウドファンディングに参加した親子の声

 同連載で取材した落合陽一・監修の「TRUE COLOR FASHION」でモデルを務めた五十嵐ここねさんもクラウドファンディングに参加されたそう。そこで、ここねさんの母・純子さんに話を聞いた。

五十嵐純子:私もファッションが大好きなので、元「キャンディストリッパー」の菊地デザイナーにリメイクしてもらえるだけでとても嬉しかった。菊地デザイナーには「ここねは車椅子から落ちないようにベルトをつけているから、せっかくかわいい洋服を着てもベルトで隠れてしまう」と相談すると、「だったらベルト自体を隠せばいいのでは?」と、スタイ(よだれかけ)を大きく設計し、つけ襟風の大人っぽいデザインを考案してくれました。機能とおしゃれを両立した、とても素敵なデザインで、ここねも満足そうでした。カーディガンとワンピースをドッキングさせた服を自分用に作ってもらったのですが、カーディガンは肌触りが合わないと伝えると菊地デザイナーから「裏地をつけましょう」と提案してもらったことで着心地を高めてくれたおかげで、ここねもストレスなく着られる服になっていました。私が着やすいと感じる洋服が、ここねの着やすさにも通じるんだという発見につながりました。


【ライターズ・チェック】

 菊地デザイナーは洋服を着やすくするだけでなく、かわいさも含めて提案している。若者に愛される「キャンディストリッパー」をはじめ、洋服にトキメキを与えてきた菊地デザイナーだからできる提案で、リメイクやお直しの域を超えていると感じた。サステナブルな社会には、可愛さの提案と、お直しの技術を兼ね備えるクリエイターが必要かもしれない。

 クラウドファンディングに参加した五十嵐親子のリメイク相談は、全てオンラインで完結したそう。自宅からデザイナーに相談できるのは、外に出かけることが難しい人やその家族にとってより良いサービスだ。お直しのオンラインサービスが少しでも広まればうれしい。

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“架空のホテルのレストラン”がコンセプト HOTEL’Sが確立する新たなスタンダード

 コロナ禍により人々のライフスタイルが大きく変わった昨今。特に飲食業界では夜の営業時間が短くなり、多くの店舗がさまざまなアイデアを打ち出した。そのような環境下で10月1日、表参道にオープンしたミシュランひとつ星を2年連続獲得「SIO」の鳥羽周作シェフによる新形態レストラン「HOTEL’S(ホテルズ)」は、朝昼夜の全力3部営業で異なるスペシャリテが楽しめ、新たな朝食スタイルも提案。まさにホテルのような居心地の良い空間で楽しむ優雅なモーニングコースが反響を呼んでいる。その背景やこだわり、今後の展望について鳥羽シェフに聞いた。

コロナ禍で生まれた朝のフルコース

WWD:朝のフルコースを提案した背景とは?

鳥羽周作シェフ(以下、鳥羽シェフ):コロナ禍で緊急事態宣言を迎え、リモートワークが当たり前になり、僕たち飲食業界では夜の営業時間が短くなった上、朝型のライフスタイルを送る人も増えたように感じます。そこで、夜の営業時間を午前中にスライドできないかと考え、朝からディナー体験という朝専用フルコースを思いつきました。

 そもそも”ディナー”という言葉はただ単純に”夕食”を示すものではなく、語源を調べると“1日で一番大切にする食事のこと”を指すそうです。Twitterで発信してみたところ多くの反響があり、確信を得られたので、早速翌日に「SIO」での予約を開始しました。数日後から提供を始めました。今年10月にオープンした「HOTEL'S」でも朝からスペシャリテが楽しめます。ミシュランのお店の中でも朝、昼、夜の営業スタイルは珍しいという理由から、オープン時からさまざまなメディアにも取り上げていただきました。お客様からも「気持ちの良い1日のスタートが切られる」「コースだが量もちょうどよく、最後までおいしく食べられる」と好評です。

WWD:「どこの店舗でもサラダを一番大事にしている」と語る、鳥羽シェフ渾身のサラダへのこだわりが知りたい。

鳥羽シェフ:「モーニングスペシャリテ」含む全時間帯で共通して提供している“ホテルズサラダ”では、季節や仕入れ先のおすすめに応じて20種類以上の食材を使っています。野菜をはじめ、果物、ハーブ、キヌア、そしてドライフルーツやスパイスなど7種の食材を手作業でブレンドしたサラダのためのミックスナッツ“グッド ナッツ グッド サラダ(GOOD NUTS GOOD SALAD)”を使用し、一口ごとに違う味わいを楽しめるよう仕上げました。素材の味を活かすために、ホワイトバルサミコをベースとしたシンプルなドレッシングを和えています。

「架空のホテルのレストラン」で提供する期待を超えた感動体験

WWD:食事だけではなく、空間作りにも一層のこだわりが感じられるが、「架空のホテルのレストラン」というコンセプトにどのように紐づいている?

鳥羽シェフ:「レストラン体験=期待を超えた感動体験」だと考えています。そのため、 ユニフォーム、インテリア、食器など、感動体験を構成する一つ一つの要素を、それぞれの道で一流であるクリエイターに手掛けてもらうことにしました。またホテルでの食事の特徴の一つに、朝、昼、夜とそれぞれの時間帯でお客さまに合わせたお料理が提供されていることが挙げられます。それぞれの時間帯でスペシャリテを用意するように、音楽も朝、昼、夜と時間帯ごとに用意したいと考え、大沢伸一氏にプレイリストの作成を依頼しました。

 ユニフォームは、クリエイティブディレクターとして「ノンネイティブ(NONNATIVE)」デザイナーの藤井隆行氏にアドバイスをもらいセレクト。「そもそもレストランのユニフォームは、本当に日本人にフィットしているのか」と疑いながらイメージを固めました。強いていえば、テーマは90年代アメリントラッド。「HOTEL'S」のシンボルマークである鳥をモチーフに、テーマカラーのネイビーでまとめています。スタッフがはいているブーツはレッドウィングで、職人の足元を支えるというワークブーツ本来の居場所に戻しました。「レストランだけど、ゆるすぎず固すぎない」、居心地のよさを大事にしている「HOTEL'S」にぴったりと合うユニフォームになったと思います。

 食器は、陶芸家の鈴木麻起子氏が手掛ける「ラ メゾン デ ヴォン(LA MAISON DE VENT)」を特注しました。レストランで使われる食器の多くは、大きいことで料理の存在感を伝えているが、「HOTEL’S」は緊張感なくカジュアルな雰囲気を伝えたい。そして器に触れて温度を感じてもらいたいので、通常のお皿より薄く小さく、軽いサイズでオーダーしました。ブランドのシンボリックカラーかつ、「HOTEL’S」のイメージに合うターコイズブルーを中心に選んでいます。

 そして、美しい姿勢のまま胃を圧迫せずに料理を楽しめるテーブルセットなど、HOTEL'Sの家具は「マルニ木工」を採用しています。メンバー自らが工場に足を運び選んだ家具は、最高の食体験に欠かせません。

鳥羽シェフが目指す“飲食業界の新スタンダード”

WWD:“朝ディナー”を打ち出した上で、飲食業界の新たな可能性を見出したのでは。

鳥羽シェフ:緊急事態宣言下を通じて、たくさんの気づきがありました。「SIO」で始めた朝ディナーは、レストランに新しい収益の可能性をもたらしたと思っています。朝昼夜全力三部営業をかなえるレストランを作ることで、収益面で持続可能なモデルが作れるのではないでしょうか。

WWD:自身のnoteでも「愛ゆえに俺は厨房を去らねばならぬ」と語っているが、新スタンダードを確立するための課題とは。

鳥羽シェフ:このモデルでは、“シェフに依存することがない仕組み”を作らなければ継続的に営業していくことが難しいです。そのためには、感動を生むための料理やコースの作り方をスタッフに落とし込んでいく必要があり、スタッフの教育が非常に重要だと思います。もしこのモデルが可能になれば、属人的な営業から開放され、レストランを継続的に営業することができ、“おいしい!”という感動をたくさんの人々に伝えることができるはずです。新たなモデルを確立することは、最終的には新たな食文化をつくることにつながると考えています。食のプラットフォームとなれるように、今後も事業を展開していきたい。バラバラの点を線に、そして線と線とつないで面にしていくことで、より豊かで美味しい世界を作れたら、と思っています。

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“架空のホテルのレストラン”がコンセプト HOTEL’Sが確立する新たなスタンダード

 コロナ禍により人々のライフスタイルが大きく変わった昨今。特に飲食業界では夜の営業時間が短くなり、多くの店舗がさまざまなアイデアを打ち出した。そのような環境下で10月1日、表参道にオープンしたミシュランひとつ星を2年連続獲得「SIO」の鳥羽周作シェフによる新形態レストラン「HOTEL’S(ホテルズ)」は、朝昼夜の全力3部営業で異なるスペシャリテが楽しめ、新たな朝食スタイルも提案。まさにホテルのような居心地の良い空間で楽しむ優雅なモーニングコースが反響を呼んでいる。その背景やこだわり、今後の展望について鳥羽シェフに聞いた。

コロナ禍で生まれた朝のフルコース

WWD:朝のフルコースを提案した背景とは?

鳥羽周作シェフ(以下、鳥羽シェフ):コロナ禍で緊急事態宣言を迎え、リモートワークが当たり前になり、僕たち飲食業界では夜の営業時間が短くなった上、朝型のライフスタイルを送る人も増えたように感じます。そこで、夜の営業時間を午前中にスライドできないかと考え、朝からディナー体験という朝専用フルコースを思いつきました。

 そもそも”ディナー”という言葉はただ単純に”夕食”を示すものではなく、語源を調べると“1日で一番大切にする食事のこと”を指すそうです。Twitterで発信してみたところ多くの反響があり、確信を得られたので、早速翌日に「SIO」での予約を開始しました。数日後から提供を始めました。今年10月にオープンした「HOTEL'S」でも朝からスペシャリテが楽しめます。ミシュランのお店の中でも朝、昼、夜の営業スタイルは珍しいという理由から、オープン時からさまざまなメディアにも取り上げていただきました。お客様からも「気持ちの良い1日のスタートが切られる」「コースだが量もちょうどよく、最後までおいしく食べられる」と好評です。

WWD:「どこの店舗でもサラダを一番大事にしている」と語る、鳥羽シェフ渾身のサラダへのこだわりが知りたい。

鳥羽シェフ:「モーニングスペシャリテ」含む全時間帯で共通して提供している“ホテルズサラダ”では、季節や仕入れ先のおすすめに応じて20種類以上の食材を使っています。野菜をはじめ、果物、ハーブ、キヌア、そしてドライフルーツやスパイスなど7種の食材を手作業でブレンドしたサラダのためのミックスナッツ“グッド ナッツ グッド サラダ(GOOD NUTS GOOD SALAD)”を使用し、一口ごとに違う味わいを楽しめるよう仕上げました。素材の味を活かすために、ホワイトバルサミコをベースとしたシンプルなドレッシングを和えています。

「架空のホテルのレストラン」で提供する期待を超えた感動体験

WWD:食事だけではなく、空間作りにも一層のこだわりが感じられるが、「架空のホテルのレストラン」というコンセプトにどのように紐づいている?

鳥羽シェフ:「レストラン体験=期待を超えた感動体験」だと考えています。そのため、 ユニフォーム、インテリア、食器など、感動体験を構成する一つ一つの要素を、それぞれの道で一流であるクリエイターに手掛けてもらうことにしました。またホテルでの食事の特徴の一つに、朝、昼、夜とそれぞれの時間帯でお客さまに合わせたお料理が提供されていることが挙げられます。それぞれの時間帯でスペシャリテを用意するように、音楽も朝、昼、夜と時間帯ごとに用意したいと考え、大沢伸一氏にプレイリストの作成を依頼しました。

 ユニフォームは、クリエイティブディレクターとして「ノンネイティブ(NONNATIVE)」デザイナーの藤井隆行氏にアドバイスをもらいセレクト。「そもそもレストランのユニフォームは、本当に日本人にフィットしているのか」と疑いながらイメージを固めました。強いていえば、テーマは90年代アメリントラッド。「HOTEL'S」のシンボルマークである鳥をモチーフに、テーマカラーのネイビーでまとめています。スタッフがはいているブーツはレッドウィングで、職人の足元を支えるというワークブーツ本来の居場所に戻しました。「レストランだけど、ゆるすぎず固すぎない」、居心地のよさを大事にしている「HOTEL'S」にぴったりと合うユニフォームになったと思います。

 食器は、陶芸家の鈴木麻起子氏が手掛ける「ラ メゾン デ ヴォン(LA MAISON DE VENT)」を特注しました。レストランで使われる食器の多くは、大きいことで料理の存在感を伝えているが、「HOTEL’S」は緊張感なくカジュアルな雰囲気を伝えたい。そして器に触れて温度を感じてもらいたいので、通常のお皿より薄く小さく、軽いサイズでオーダーしました。ブランドのシンボリックカラーかつ、「HOTEL’S」のイメージに合うターコイズブルーを中心に選んでいます。

 そして、美しい姿勢のまま胃を圧迫せずに料理を楽しめるテーブルセットなど、HOTEL'Sの家具は「マルニ木工」を採用しています。メンバー自らが工場に足を運び選んだ家具は、最高の食体験に欠かせません。

鳥羽シェフが目指す“飲食業界の新スタンダード”

WWD:“朝ディナー”を打ち出した上で、飲食業界の新たな可能性を見出したのでは。

鳥羽シェフ:緊急事態宣言下を通じて、たくさんの気づきがありました。「SIO」で始めた朝ディナーは、レストランに新しい収益の可能性をもたらしたと思っています。朝昼夜全力三部営業をかなえるレストランを作ることで、収益面で持続可能なモデルが作れるのではないでしょうか。

WWD:自身のnoteでも「愛ゆえに俺は厨房を去らねばならぬ」と語っているが、新スタンダードを確立するための課題とは。

鳥羽シェフ:このモデルでは、“シェフに依存することがない仕組み”を作らなければ継続的に営業していくことが難しいです。そのためには、感動を生むための料理やコースの作り方をスタッフに落とし込んでいく必要があり、スタッフの教育が非常に重要だと思います。もしこのモデルが可能になれば、属人的な営業から開放され、レストランを継続的に営業することができ、“おいしい!”という感動をたくさんの人々に伝えることができるはずです。新たなモデルを確立することは、最終的には新たな食文化をつくることにつながると考えています。食のプラットフォームとなれるように、今後も事業を展開していきたい。バラバラの点を線に、そして線と線とつないで面にしていくことで、より豊かで美味しい世界を作れたら、と思っています。

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カップルで楽しめる消臭・抗菌サステナ素材の下着を提供 「シュット!インティメイツ」のトップを直撃

 オンワードグループ傘下のインティメイツによる下着ブランド「シュット!インティメイツ(CHUT!INTIMATES以下、シュット)」は、2014年にルミネ新宿内に1号店をオープンし、現在全国に9店舗を構える。ファッショントレンドを反映したランジェリーを提案すると同時に、ボディーメイク機能で特許を取得したブランドを代表するブラジャーなど、下着における新しい価値観を提案してきた。多くの店舗が休業したコロナ禍でも売り上げは安定し着実に成長している。今年8月就任した鈴木淳也インティメイツ社長に話を聞いた。

――14年にオンワードグループが下着事業をスタートしたきっかけは?

鈴木淳也インティメイツ社長(以下、鈴木):オンワードグループはアパレルだけでなく生活文化企業であり、創業時から“人々の生活に潤いと彩りを提供すること”を経営理念に掲げている。それら商品の一環として、下着を展開することになった。

――「シュット」のコンセプトは?

鈴木:「ランジェリーもファッションのように楽しんでもらいたい」という願いを込めてスタートした。欧米に比べて日本の下着は機能性や実用性が重視される中で、下着もファッションのように楽しめる文化を作り、下着でもトレンドを発信したいと思った。“盛る”“痩せ見え”などの機能だけでなく、ファッションのように楽しめるランジェリーを提案したい。

――ブランド設立から8年目となるが、売り上げの推移は?

鈴木:コロナ禍でもECが店舗分の売り上げをカバーしてほぼ前年実績をキープできている。3〜4年前からECを強化してきたが、それがコロナの影響で、店舗とECの売り上げの割合が約6対4から約3対7になった。

コロナ禍2年目で売れるブラジャーに変化

――コロナで市場を取り巻く環境やニーズはどう変化したか?

鈴木:市場はもちろん厳しくなっている。下着もコトがなければ、購入が減る。それは、洋服と連動している。コロナ禍2年目でニーズに変化が見られる。昨年は、家ナカ需要により、ルームウエアやナイトブラが好調だった。特に、ナイトブラは前年の約2倍を売り上げた。“おうち時間”が増えたことによる、自分磨きへの意識の高まりからだろう。一方、“外出しないけれど下着はおしゃれをしたい”という消費者もあり、レース物を中心にデコラティブなデザインがよく動いた。今年は、Tシャツに合うようなシンプルなモールドカップブラが売れるようになった。昨年のノンワイヤーブラの売り上げは19年とほぼ同じだったのに対し、今年は前年比約20%増だ。リモートワークの定着により、外出着と部屋着にあまり差がなくなり、リラックスした外出着にもなるTシャツなどに対応したノンワイヤーブラの需要が高まっている。

――SNSを含めたプロモーション面での施策や成果は?

鈴木:ここ数年、アプリを軸としたサービスを強化している。専用アプリをリニューアルして使い勝手を良くした。19年にはショッピング用アプリとしての環境を整え、20年にはコンシェルジュサービスを導入してお客さまとスタッフが1対1でコミュニケーションできるようにした。SNSはインスタグラムが中心で、“おうち時間”に役立つサービスやマメ知識、情報などを積極的に発信している。顧客層は20代後半から40代前半が中心だが、あまり年齢は意識していない。今は、SNS発信を強化した結果、20代後半の顧客が増えている状況だ。

――コラボレーションを積極的に行っているが、その意図は?

鈴木:今年の春はクリス-ウェブ佳子さん、昨年の春と今年の夏にベイカー恵利沙さんとコラボレーションした。知名度の高い人の起用による宣伝目的というより、もともと「シュット」を使ってくれている人や下着に対するフィーリングが合う人々とコラボしている。ブランドとしてランジェリーを楽しむ文化を伝えていきたいので、年齢は関係なく、一緒にランジェリーシーンを盛り上げてくれる人々とコラボしていきたい。

女性下着初の“トリポーラス ファブリック”を採用

――9月にサステナブル素材の商品を発売したが、その開発背景は?

鈴木:サステナブルな取り組みへの意識は以前からあり、ブランド設立初期からブラジャーの回収キャンペーンなどは行っていたが、商品開発はできていなかった。その理由は、肌触りが悪かったりと、品質面や価格の面でも納得するものに出合えなかったから。価格の高いサステナブルな素材を使用すれば、当然販売価格も高くなる。消費者にメリットがある付加価値のあるモノ作りをしたかった。リサーチを進めるうちに、ソニーグループが開発した“トリポーラス ファイバー(以下、トリポーラス)”に出合った。米の籾殻由来の素材で、レーヨンベースで柔らかく肌触りが良い。また、消臭機能や抗菌機能などもある。消臭機能から、今まではメンズウエアや靴下などに使用されていた。それらの機能は、サニタリーショーツに生かせると思い、女性下着業界で初の採用となった。ノンワイヤーブラが2型、ショーツはサニタリーを含む3型、メンズトランクス1型をラインアップしている。

――“トリポーラス”の初動は?

鈴木:ウイメンズ商品を購入する3人に1人がメンズトランクスを購入し、カップルランジェリーとして支持されている。私自身これまでボクサー派だったが、このトランクスを愛用している。肌触りがよく、トランクスの内側に立体的なインナーポケットが付いていて快適だ。サステナブル素材というよりも、肌触りのよさを気に入り購入する消費者が多い。Tシャツにも合わせやすいブラジャー需要にも合う。今後は定番化を実現し、アイテムの幅を広げたい。

――今後のビジネスの展望は?

鈴木:デジタルを中心としたサービスをさらに強化する。販売員がオンラインで接客するコンセルジュサービスと来店時の接客をアプリで共有し、その次の接客へとつなげる仕組みにしている。アプリをリニューアルして使いやすくしたことで、ロイヤルカスタマーが毎年2ケタ増だ。今後は、アプリでチャットやテレビ電話ができるようにしたい。

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カップルで楽しめる消臭・抗菌サステナ素材の下着を提供 「シュット!インティメイツ」のトップを直撃

 オンワードグループ傘下のインティメイツによる下着ブランド「シュット!インティメイツ(CHUT!INTIMATES以下、シュット)」は、2014年にルミネ新宿内に1号店をオープンし、現在全国に9店舗を構える。ファッショントレンドを反映したランジェリーを提案すると同時に、ボディーメイク機能で特許を取得したブランドを代表するブラジャーなど、下着における新しい価値観を提案してきた。多くの店舗が休業したコロナ禍でも売り上げは安定し着実に成長している。今年8月就任した鈴木淳也インティメイツ社長に話を聞いた。

――14年にオンワードグループが下着事業をスタートしたきっかけは?

鈴木淳也インティメイツ社長(以下、鈴木):オンワードグループはアパレルだけでなく生活文化企業であり、創業時から“人々の生活に潤いと彩りを提供すること”を経営理念に掲げている。それら商品の一環として、下着を展開することになった。

――「シュット」のコンセプトは?

鈴木:「ランジェリーもファッションのように楽しんでもらいたい」という願いを込めてスタートした。欧米に比べて日本の下着は機能性や実用性が重視される中で、下着もファッションのように楽しめる文化を作り、下着でもトレンドを発信したいと思った。“盛る”“痩せ見え”などの機能だけでなく、ファッションのように楽しめるランジェリーを提案したい。

――ブランド設立から8年目となるが、売り上げの推移は?

鈴木:コロナ禍でもECが店舗分の売り上げをカバーしてほぼ前年実績をキープできている。3〜4年前からECを強化してきたが、それがコロナの影響で、店舗とECの売り上げの割合が約6対4から約3対7になった。

コロナ禍2年目で売れるブラジャーに変化

――コロナで市場を取り巻く環境やニーズはどう変化したか?

鈴木:市場はもちろん厳しくなっている。下着もコトがなければ、購入が減る。それは、洋服と連動している。コロナ禍2年目でニーズに変化が見られる。昨年は、家ナカ需要により、ルームウエアやナイトブラが好調だった。特に、ナイトブラは前年の約2倍を売り上げた。“おうち時間”が増えたことによる、自分磨きへの意識の高まりからだろう。一方、“外出しないけれど下着はおしゃれをしたい”という消費者もあり、レース物を中心にデコラティブなデザインがよく動いた。今年は、Tシャツに合うようなシンプルなモールドカップブラが売れるようになった。昨年のノンワイヤーブラの売り上げは19年とほぼ同じだったのに対し、今年は前年比約20%増だ。リモートワークの定着により、外出着と部屋着にあまり差がなくなり、リラックスした外出着にもなるTシャツなどに対応したノンワイヤーブラの需要が高まっている。

――SNSを含めたプロモーション面での施策や成果は?

鈴木:ここ数年、アプリを軸としたサービスを強化している。専用アプリをリニューアルして使い勝手を良くした。19年にはショッピング用アプリとしての環境を整え、20年にはコンシェルジュサービスを導入してお客さまとスタッフが1対1でコミュニケーションできるようにした。SNSはインスタグラムが中心で、“おうち時間”に役立つサービスやマメ知識、情報などを積極的に発信している。顧客層は20代後半から40代前半が中心だが、あまり年齢は意識していない。今は、SNS発信を強化した結果、20代後半の顧客が増えている状況だ。

――コラボレーションを積極的に行っているが、その意図は?

鈴木:今年の春はクリス-ウェブ佳子さん、昨年の春と今年の夏にベイカー恵利沙さんとコラボレーションした。知名度の高い人の起用による宣伝目的というより、もともと「シュット」を使ってくれている人や下着に対するフィーリングが合う人々とコラボしている。ブランドとしてランジェリーを楽しむ文化を伝えていきたいので、年齢は関係なく、一緒にランジェリーシーンを盛り上げてくれる人々とコラボしていきたい。

女性下着初の“トリポーラス ファブリック”を採用

――9月にサステナブル素材の商品を発売したが、その開発背景は?

鈴木:サステナブルな取り組みへの意識は以前からあり、ブランド設立初期からブラジャーの回収キャンペーンなどは行っていたが、商品開発はできていなかった。その理由は、肌触りが悪かったりと、品質面や価格の面でも納得するものに出合えなかったから。価格の高いサステナブルな素材を使用すれば、当然販売価格も高くなる。消費者にメリットがある付加価値のあるモノ作りをしたかった。リサーチを進めるうちに、ソニーグループが開発した“トリポーラス ファイバー(以下、トリポーラス)”に出合った。米の籾殻由来の素材で、レーヨンベースで柔らかく肌触りが良い。また、消臭機能や抗菌機能などもある。消臭機能から、今まではメンズウエアや靴下などに使用されていた。それらの機能は、サニタリーショーツに生かせると思い、女性下着業界で初の採用となった。ノンワイヤーブラが2型、ショーツはサニタリーを含む3型、メンズトランクス1型をラインアップしている。

――“トリポーラス”の初動は?

鈴木:ウイメンズ商品を購入する3人に1人がメンズトランクスを購入し、カップルランジェリーとして支持されている。私自身これまでボクサー派だったが、このトランクスを愛用している。肌触りがよく、トランクスの内側に立体的なインナーポケットが付いていて快適だ。サステナブル素材というよりも、肌触りのよさを気に入り購入する消費者が多い。Tシャツにも合わせやすいブラジャー需要にも合う。今後は定番化を実現し、アイテムの幅を広げたい。

――今後のビジネスの展望は?

鈴木:デジタルを中心としたサービスをさらに強化する。販売員がオンラインで接客するコンセルジュサービスと来店時の接客をアプリで共有し、その次の接客へとつなげる仕組みにしている。アプリをリニューアルして使いやすくしたことで、ロイヤルカスタマーが毎年2ケタ増だ。今後は、アプリでチャットやテレビ電話ができるようにしたい。

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史上初!? 「水着ナシ」の東レ新キャンペンガール間瀬遥花に聞く12の質問

 東レは11月29日、「2022年 東レキャンペーンガール」に間瀬遥花さんを選出した。間瀬さんは1997年9月29日生まれ、名古屋市出身。子どもの頃から名古屋で劇団やモデル活動を行っており、今年6月に上京し、現在の事務所であるインセント所属になった。同キャンペーンモデルは、かつて水着の仕事がメーンだったものの、東レによると「現時点では水着のキャンペーンの予定がなく、水着の着用予定はない。選考のときもそういった観点で選んでいない」という。新しいキャンペーンガールはどんな女性なのか。一問一答を掲載する。

――応募のきっかけは?

間瀬:マネージャーさんです。

――受かったときの気持ちは?

間瀬:マネージャーさんから電話をもらって、「やったー!」って。実は少し予定より選考に時間がかかっていたので、その間はドキドキしながら待ってました。だからその分も嬉しかったですね。両親にLINEで伝えると、すぐに電話がかかってきました。両親も喜んでいました。

――上京を決めた理由は?

間瀬:直感で決めました。家族や周囲の人も、私が言い出したら聞かない事は知っているので、反対はされませんでした(笑)。

――プロポーション維持の秘訣は?

間瀬:骨盤矯正ですね。普段から姿勢は意識していて、そのおかげなのか、モデルの仕事をはじめてから身長が3cm伸びました。

――趣味は世界遺産巡りとか?今まで行ったところで印象深いところは?

間瀬:世界遺産検定2級を取っているのですが、その直後にコロナ禍担ってしまって。実際行っているのは国内のみ。でも昔、家族で行った姫路城がすごくきれいで印象に残ってます。

――水着はお仕事では着ないということですが、海外の世界遺産に行ったら、泳いだりするのは楽しみですね。

間瀬:泳げないんです。カナヅチです(笑)。

――好きな男性のタイプは?

間瀬:心の広い寛大な人です。

――普段着は?

間瀬:シンプルな服が好きです。ただ、モノクロではなくカラーや柄を使った服が好きです。

――買い物はどこで?

間瀬:よく行くのは、新宿のルミネエストです。好きなブランドは「ページボーイ(PAGEBOY)」と「レディアゼル(REDYAZEL)」。身長が高い(169cm)ので、ボトムスとかだとピッタリ来るのがなかなかなくて、あまりネット通販は使いません。ショッピングはもっぱらリアルです。

――インスタやTikTokでよく見るアカウントは?

間瀬:インスタグラムは自分でもやっている(@maseharu_929)し、よく見ています。よく見るアカウントは、モデルの先輩たちです。

――最近はまっていることは?

間瀬:喫茶店が好きなので、東京でもカフェ巡りしたいなあって思っています。

――地元名古屋のおすすめのお店を教えてください。

間瀬:味噌煮込みうどんが好きなんですけど、私の一番のオススメは「山本屋本店」です。名古屋に行ったらぜひ行ってみてください!

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内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.3 yutori片石社長「ファッション界は気合いが足りない」

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が各界の先駆者を紹介することでTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第3回はyutoriの片石貴展社長に直撃します。

内田:これまでのキャリアを教えてください。

片石:新卒でモバイルゲーム事業などを手掛けるアカツキに入社して、インスタグラマーにサイトのPR依頼をする仕事をしていました。当時はファッションに注目しているアカウントがなく、音楽フェスや下北沢にいる若者が古着をよく着ているのを目にして、在籍中に副業でメディア「古着女子」を立ち上げました。

内田:学生時代にアパレルブランドを立ち上げたいという夢はなかったんですか?

片石:高校生の頃から古着が好きだったので、洋服屋はいつかやりたいと思っていました。でもファッション業界よりIT業界の方が自分自身を高めることができて、起業に近づけそうだと感じたので寄り道をしました。

内田:現在はD2Cブランドを手掛けられていますが、今後も店舗を持つ予定はないんですか?

片石:売り上げを増やすために店舗を出すのではなく、ブランドの世界観をより伝えるための出店を考えたいです。グローバルで顧客が増加した際に、観光地にお土産屋として店舗を出すケースはあると思います。でもチェーン店を多店舗展開して売り上げを増やすことは考えていないです。

内田:アパレルブランドを始める上で、SNSで重要なポイントは?

片石:SNSは仕事中も常に見るようにしていて、最近はTikTokを一番見ていますね。今、TikTokのメインユーザーが20代中盤から後半に変わり始めていて、インスタグラマーとティックトッカーの2万フォロワーでは熱量が全然違います。今年のマーケティングの予算は、インスタグラムからTikTokに全てシフトしました。周りが気付いてしまうから、あまり言いたくないんですけどね(笑)。自分が上の世代に勝っていることは若さだけなので、時代の空気感や話題のインフルエンサーに対しては誰よりも早くキャッチアップすることを意識しています。いい商品とそれに適したお客さまを招くマーケティングの両方ができていないと、物を売ってお金を稼ぎ続けるのは難しいです。

内田:単にバズればいいというわけでもないし、いい商品を作っても伝わらなければ意味がないということですね。D2Cブランドなどが普及して、ファッション界参入のハードルが低くなった今、上手くいく人とそうでない人の違いはなんですか?

片石:正直、ファッション業界には気合いが入っている人がいません。簡単に作れるものは作るんですが、服のクオリティーを上げたり、お金を稼いだり、本気でファッション業界で勝負をかけている人はいないですね。資金によって洋服のクオリティーも変わってくるので、規模が小さいと同じような物しか作れない。逆に大手は作れるものは沢山あるけど、現代風の見せ方や売り方が分からないからインターネットビジネスに弱い。両立できている会社やブランドはほとんどありません。

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頭が大きい人のための帽子ブランド「アンネームドヘッドウェア」が絶好調 元ZOZO社員が立ち上げ

 “頭が大きな人”に向けたヘッドウエアブランド「アンネームドヘッドウェア(UNNAMED HEADWEAR)」が売れている。昨年9月にクラウドファンディング「マクアケ」でブランド立ち上げのサポートを募ると、目標の20万円を大きく上回り、4日間で300万円を調達した。その後、公式サイトを開設し、新作入荷のたびに完売が続出。入荷待ちリストに100人近くの名前が連なることもある。平均月商は600万円前後だ。

 同ブランドの商品企画から生産管理、サイト運営、梱包・発送まで1人で行うのが、渡邉貴浩ディレクターだ。渡邉ディレクターはZOZOでEC運営と物流の経験を積み、31歳で独立。コンプレックスだった大きな頭に勝機を見出し、同ブランドを立ち上げた。「入ればいいってもんじゃない」と語る帽子デザインのこだわりと、コンプレックスを逆手にとったマーケティング戦略について聞いた。

きっかけは単純な疑問
「帽子の“フリーサイズ”って何?」

WWD:「アンネームドヘッドウエア」を立ち上げた理由は?

渡邉貴浩ディレクター(以下、渡邉):僕の頭にフィットする帽子がなかったからです。靴や服って複数のサイズが用意されているのに、帽子はフリーサイズが当たり前。いやいや、フリーサイズって何?27.0cmしか扱わない靴屋があったらイヤでしょ?(笑)と思って始めました。

WWD:後頭部のアジャスターで、ある程度はサイズ調節できるのでは?

渡邉:そう言う人も多いんですけど、入ればいいってもんじゃないんです。デコが広くて頭が長い人は高さのある帽子が似合うし、ハチが張って頭周りが大きい人は、被り口が広くて浅めのキャップがいい。世の中にはいろんな頭がある。僕は、それぞれのニーズに応えたいんです。

パッと見は「ほぼ一緒」
それでもこだわる
帽子の“高さ”

WWD:アイテムのこだわりは?

渡邉:同じ型でハイ、ミドル、ローの3種類の高さを用意しています。パッと見ほぼ一緒なんですけど、深さが微妙に違っていて、ツバの大きさも最適なバランスに設計しています。提携先の工場に協力してもらいながら、サンプルを何度も確認して、納得のいくアイテムに仕上げます。素材もこだわっていて、最近はコットン100%のカツラギをよく使います。厚手で重厚感があり、チープに見えないのがポイントです。大きめのキャップってネットで探せば見つかるんですけど、どれもアイデア商品というか、サクッとつくったものばかり。「アンネームドヘッドウェア」は、大きめだけど、モノづくりもしっかりしているところが強みです。

WWD:型数は今後増やしていく?

渡邉:現在、10型弱とそれほど多くないので、今後はもっと増やそうと思っています。例えばフェルトのハットとか、キャケットとか。今はサファリハットを開発中です。インスタのDMで「この形を作って!」とお客さまの声が頻繁に届くので、「その声を無下にはしない」と実際の企画に反映しています。

WWD:サイト立ち上げから入荷と完売を繰り返し、最近ようやく在庫が安定してきた印象だ。

渡邉:おっしゃる通りです。そもそも「マクアケ」での資金調達は2カ月を予想していたのに、4日でリターン枠が埋まっちゃって。大量のウェイティングリストができました。一般販売しても供給が追いつかず、「まだ売り切れですか?」とDMが届くような毎日でした。今は即完売のアイテムも減ってきて、一定の在庫を置けるようになりました。ニッチな市場だと思っていたのですが予想以上に大きなニーズがありました。

ZOZOでECの裏方を経験
学生時代は“ササゲ”に捧げる

WWD:ZOZOから独立してブランドを立ち上げた経緯は?

渡邉:大学在学中にZOZOでアルバイトを初めました。業務は、商品の撮影や採寸、原稿という、いわゆるECの“ササゲ”です。週5で働き、学生時代をササゲに捧げました。みんなが就活している時も、「正社員になれるのでは?」とバイトばかりしていたら、運良く社員登用制度で正社員に採用されました。正社員1年目はカメラマンとして毎日撮影ばかり。その後、撮影や管理、商品の出荷、梱包などの現場や管理職などを経験しました。ECの裏側は一通りやりましたね。

WWD:そこからプロダクトを作りたくなった?

渡邉:「自分で何かやりたい」と思い独立しましたが、当初は帽子と決めていたわけではありませんでした。最初はインフルエンサーを起用したウィメンズアパレルをやろうと、事業計画書を綿密に作り込んで公庫と面談し、事業をスタートさせました。でもZOZOとは勝手が違って、自社サイトにお客さまが全く集まらず、売り上げが立たなかった。在庫もかなり積んだのに、全く動かない。「これはやばい」と、なんとなく構想していた帽子の事業を1〜2カ月で詰めて、クラウドファンディングに着手しました。

コンプレックス商材でも
嫌悪感を抱かれないSNS戦略

WWD:「アンネームドヘッドウェア」はいわゆるコンプレックス商材にも分類されるが、マーケティングで気をつけていることは?

渡邉:ブランド名は何度も考え直しました。サイジングが最大の特徴なので、それに関連する名前をつけようとしたのですが、例えば「ビッグキャップ」なんて名前だったら、友達にバレたら恥ずかしいし、自分じゃ買わない。ならば、「名前なし」をブランド名にしちゃおうと、「アンネームド」に決めました。あとはSNSの打ち出し方も気をつけています。個人アカウントで「頭の大きな人向けに帽子作っています」と全面にアピールする一方で、ブランド公式アカウントでは“オリジナルサイズヘッドウエア”としか謳っていません。その方が、ユーザーがシェアしやすいし、フィード投稿を見ても嫌悪感を抱かないはず。コンプレックス広告なども問題になってますよねが、気持ち良いプロダクトや広告の方が刺さると考えています。

WWD:今後の展望は?

渡邉:まずはアイテムを増やしたい。お客さまが、自分のキャラクターを踏まえて帽子を選べるようにしたいです。それと、オフラインでコミュニケーションできる場を作りたい。実際に被り比べて、初めて納得して買ってもらえる商材なので、ポップアップや試着専用のショールームなどを用意しようと構想しています。最近法人化したから、いろいろと動きやすくなるはず。帽子が似合わないとお悩みの皆さん、ぜひ期待してください。

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「ねぎらいの気持ちを表現」 トモ・コイズミが「東京エディション 虎ノ門」とコラボしたクリスマスツリー登場

 デザイナーのトモ・コイズミがデザインしたクリスマスツリーが、「東京エディション 虎ノ門(TOYO EDITION TORANOMON 以下、エディション)」のロビーフロア31階に登場した。コイズミのシグニチャーであるラッフルが施された華やかなツリーは、ピンクやレッドで彩られ華やいだ気分にしてくれる、このツリーは実はドレス。12月26日〜2022年1月6日は、ドレスとして展示される。コイズミにこのコラボレーションやコラボに込めた思いなどについて聞いた。

WWD:このクリスマスツリーに込めた思いは?

トモ・コイズミ:“ねぎらい”の気持ちを込めて作った。コロナ禍でみんな大変なので、気持ちだけでも明るくハッピーになるものにしたかった。色合いや大きさにもこだわり、一目見て、“かわいい” “美しい”と思ってもらえるようにしたかった。

WWD:制作にかかった時間は?

コイズミ:約1年半。今まで作ったドレスの中で一番たくさん素材を使った。12月26日までは、クリスマスツリーとして展示されるが、それ以降22年1月6日まではドレスとして展示する。肩紐のついたサックドレスだ。

WWD:「エディション」とコラボした経緯は?

コイズミ:昨年のオープン時に、コレクションを2階のボールルームに展示させてもらったのがきっかけだ。また、イギリス・ロンドンの友人を通して、「エディション」のファーストゲストになった。今回のコラボも、ファッション性が高い「エディション」と相乗効果があると思い取り組んだ。

WWD:宿泊した感想は?

コイズミ:ミニマルで不必要なものがないすてきな部屋だった。ラグジュアリーホテルというと、ゴテゴテしている印象があるが、「エディション」の部屋は“センスのいい家”といった感じだ。

WWD:今後のクリエイションについては?

コイズミ:衣装デザイナーとして、エンタメ系の衣装を作ってみたいと思う。今年開催された東京オリンピックの開会式のMISIAの衣装が代表的。今後は、米ハリウッドのMETガラなどのレッドカーペットの衣装をデザインしてみたい。コンテンポラリーダンスやオペラなどの衣装にも興味がある。

WWD:自身のスタイルを表現すると?

コイズミ:華やかなものが好き。それが私の原点だから、それを追いかけたい。10代のころに見たジョン・ガリアーノ(John Galliano)による「ディオール(DIOR)」のオートクチュールが大好きだ。だから、パリのオートクチュールに参加するのが夢だ。フレグランスも作ってみたい。

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高橋愛がジェンダーレスコスメ「アイムミクス」を初プロデュース メイクもファッションも「ワクワクが大切」

 化粧品の製造などを手掛けるG.Oホールディングスから今秋、女優やモデルとして活躍する高橋愛の初プロデュースコスメ「アイムミクス(AIMMX)」が誕生した。第1弾アイテムとして5色のアイシャドウパレット(全2種、各税込2380円)をリリース。10月4日に予約を開始した楽天市場内ではウィークリー&デイリー&リアルタイムランキングで合計18冠を獲得し、楽天市場内の全3億1389万8788点(10月1日時点)のアイテムを対象とする総合ランキングでも1位を獲得するほど。スタイルや性別を問わないカラー構成や、イメージビジュアルには高橋さんの実の従兄弟である前田陸さんを起用するなどいま話題の新ブランドだ。そこで、高橋さんにブランドのこだわりポイントや前田さんとの初共演の思いなど話を聞いた。

WWD:初のコスメプロデュースはどうでしたか?

高橋愛(以下、高橋):G.Oホールディングさんにオファーをいただき、びっくりしましたが挑戦してみようと思いました。第1弾アイテムをアイシャドウにしたのは、マスク着用生活が続き、今は目元メイクが主役なので目元をキラキラさせて少しでも気分がハッピーになってくれたらうれしいと思ったからです。

WWD:アイシャドウは高橋さんの大好きな“ファッション”をキーワードにしています。

高橋:“メイクもファッションのように楽しめばいい”という思いを取り入れています。私のファッションのこだわりは、“好きな格好をする”こと。 いつも、自分自身に「今何が着たい?」と聞いてあげています!テンションが上がる服を着たり、今日のテーマを決めてそれに合うコーデを作ろう!など、毎日楽しくコーデを決めたりしています!ただ、時間がかかってしまうので前日の夜に決めることが多いですね。

WWD:今回のアイシャドウのこだわりポイントは?

高橋:環境に配慮して採用した紙パレットです!オーガニックに興味があるので、環境への配慮は自然と意識するようになりました。普段もビーガンの日を作るなど、自分の選択が結果的に環境にも配慮されているということが少しずつ増えていっている感覚があります。それらを少しずつ積み重ねていければいいなと思いますね。そして、アイシャドウのカラーはベーシックなカフェベージュ、大好きなピンクを取り入れたフラワーピンクの2つを作りました。どちらも開けたときに、ワクワクするようなカラーリングになったと思います!数多くのカラー候補から最終的に5色を選ぶというのはとても大変でしたね。特にオレンジとピンクの配分、いちばん時間がかかりました!

従兄弟との初共演は自分でオファー

WWD:「アイムミクス(AIMMX)」はAIM=「私=I’m=愛」の3つの意味が込められ、MXは性別に関わりなく使える敬称という、ジェンダーニュートラルで使える“ボーダーのないコスメ”に仕上げています。

高橋:LGBTQを知ってからジェンダーレスに興味を持ち、「アイムミクス」は性別を問わない製品にしたいと思いました。男女問わず、ファッションのようにメイクも楽しむことができたら、なんて最高だろうと感じました。メインビジュアルに関しては、従兄弟の陸と並んでいる写真を思いつき、私から提案させていただきました!実は、陸とはあまり話したことがなかったんです、笑。ただ、芸能に興味があることも知っていたので、いい経験にもなると思ってオファーしました!ファッションについてはあまりこだわりもなさそうなので、いつかは陸のスタイリングなどもやりたいですね。

WWD:高橋さんが美容で重視していることは?

高橋:保湿です!ほかにも、使うものはそのときの気分で決めるようにしています。その方がテンションが上がります。それが1番大切です!

WWD:最後に「アイムミクス」に込めた思いについて教えてください。

高橋:性別問わず、ジェンダーレスで使っていただきたいという思いがあります。そして「ブルベ(もしくはイエベ)だから、どちらのアイシャドウがいいですか?」という質問もよくいただきます。私はそのような枠も取り払っていただきたいので、「自分がワクワクする方を選択してください」といつも答えさせていただいています。ブランドが、自分が輝くための“選択肢の一つ”になれたらいいなと思っています!

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オンワードの男性社員が育休で学んだ「キャリアより大切なこと」

 昼下がりの東京・二子玉川公園。遊具ではしゃぐ子連れの親子に混じって、ダブルブレストのブレザーを着こなすおしゃれな男性がいる。

 生後間もない息子を腕に抱き抱え、よく一緒に遊びに来ているという彼は、オンワード樫山・第三カンパニー ポール・スミス事業部マーチャンダイザーの羽田野良太さん(30)。妻・英里佳さんの出産を期に、この10月から来年11月中旬までの育児休暇に入った。

 MDとして順調にキャリアを歩む中、この1年間は育児に専念することを決めた。「周囲からは(育休で)キャリアに水を差さない方がいいのでは、という声もありました。まだ先は長いですが、この選択は間違っていなかったと思っています」。そう笑顔で話す羽田野さんに、始まったばかりの育児奮闘記とこれからのキャリア観を聞いた。

WWD:(写真を見て)かわいいお子さんですね。男の子ですか?

羽田野良太マーチャンダイザー(以下、羽田野):宇玄(うげん)っていいます。この9月に産まれました。親馬鹿なんですが、かわいいですよね(笑)。僕似なんです。まだ遊具では遊べないんですが、よく一緒にここに来るんですよ。

WWD:現場で働いているときと今とでは、どちらが大変ですか?

羽田野:う〜ん……。スケジュールのタイトさでいえば、仕事をしているときと同じか、それ以上に忙しいです。一晩中夜泣きをして寝られない日もあれば、お腹が空いて朝早くに起こされるときもありますから。今も眠いんですよ。かわいい息子のためだからか、不思議とストレスはありませんが。

 とくに苦労するのは、お風呂です。服を脱がすと寒いって泣くし、お湯になかなか入りたがらないので、まずは風呂桶に入るところから慣らしていきました。耳に水を入れると炎症を起こしちゃうとか、気をつけることも多くて、色々手探りです。ネコ2匹の世話もしなきゃいけないので、自分のことはする暇もなく、1日がいつの間にか終わっています。

 息子が産まれてから1カ月は、事業部が本当に忙しい時期だったので、リモートワークしながら育児をしていました。これがもう、本当に大変で。泣いている子どもの隣で仕事をしていては、やっぱりパフォーマンスが落ちてしまう。在宅といえど、両立は難しいなと感じました。

WWD:育休取得にためらいはありませんでしたか?

羽田野:妻の妊娠が発覚して安定期に入ったころには人事に相談していました。職場の上司に話したのもそのくらいの時期です。2年ほど前から社内の働き方改革の一環で、現場のチーム単位で、自分たちの理想の働き方を考える会議を週1回実施してきました。そこでは自分のキャリア観やプライベートのことをフランクに話していましたから、育休のことも話しやすい雰囲気があったように思います。

WWD:30歳という、キャリアにおいては脂が乗った時期でもあります。

羽田野:入社当初の「身を粉にして働いて、昇進してやるぞ」っていう自分だったら、今も会社のオフィスにいたかもしれません。この(育休取得の)選択には、新型コロナの影響も大きかったですね。僕がいる部署では週1回ほど出社し、あとは在宅で仕事をしています。その中で、プライベートを充実させることも大切だと実感しました。

WWD:職場復帰は怖くないですか?

羽田野:もちろん、(部署に)戻ったときのポジションがどうなるか分かりませんし、すぐに仕事の勘が取り戻せるかという不安もあります。職場のメンバーには少なからず負担をかけています。復帰後は人一倍努力をするつもりですし、仕事を甘く見ているわけではないけれど、1年のブランクなら取り返せると思っています。

 でも、息子とゆっくり過ごす時間は今しかありません。数週間したら目が開いたとか、笑うようになったとか、成長をすぐそばで見守れる幸せを感じています。仕事をしている中では味わえない、かけがえのない喜びです。

 僕の周囲の若い社員も育休を考えているみたいで、「いい先行事例になってね」ってプレッシャーを掛けてきます(笑)。がむしゃらに仕事に打ち込んできた先輩社員も、「3人目(の子供)ができたら、(育児休暇を)取ろうかなあ」なんてぼやいていました。アパレル企業は休むことを是としない、体育会系の雰囲気がありました。特に上の世代だとそれが根強いと感じます。そんな雰囲気も徐々にですが、変わりつつあります。

WWD :宇玄君にはどんなふうに育ってほしいですか?

羽田野:芯が強い子に育ってほしいですね。「スポーツをやらせるなら、団体競技がいいね」とか、ぼんやりですけどそんな風に(妻と)二人で考えています。こんな話がゆっくりできるのも、やっぱり育休を取れたからなんですよね。


 オンワードホールディングスは働き方改革を推進するため、2019年から「働き方デザインプロジェクト」をスタートした。週に1度、仕事のチーム単位で「自分たちがよりよい働き方をするために何をすべきかを考える会議=カエル会議」をスタート。社員間のコミュニケーションの活発化と、ボトムアップ型の業務効率化に取り組んでいる。

 リモートワーク推進も視野に、20年7月には本社勤務者全員にスマートフォンの配布を完了。マイクロソフトが提供する社内SNS「ヤマー(YAMMER)」の活用で、「誰がどこで何を言っても平気」(同社)な風通しのいい社風の醸成にも努めている。

 その成果として、中核事業会社であるオンワード樫山における21年2月期の男性育休取得率は、19年2月期との比較で12.3ポイント向上し20%に到達。国内企業平均(厚生労働省調べ)の12.6%を大きく上回っている。

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メイクアップを初プロデュースしたBLACKPINKのLISAを独占インタビュー 「M・A・C」とのコラボについて語る

 「M・A・C」は12月3日、世界的ガールズグループ、BLACKPINKのLISAとコラボレーションしたメイクアップコレクション“M・A・C x L”を発売する(一部店舗では先行販売中)。LISAは同ブランドのグローバルブランドアンバサダーを務め、これまでキャンペーンには登場してきたものの、メイクアップを手掛けるのは初めて。現在インスタグラムで6000万人以上のフォロワーを持ち、BLACKPINKのメンバーとしての音楽活動はもちろん、ファッション・ビューティのトレンドセッターでもあるLISAのカリスマ性と個性を表現したコレクションが誕生した。そんなLISAに、初めてプロデュースしたメイクアップコレクションに込めた思いやこだわりについて聞いた。

WWD:“M・A・C x L”のコンセプトは?

LISA:自分自身でコレクションを選び抜き、本当に好きなものを基に全てのアイテムをデザインしました。全てのシェード、製品、ネーミング、そしてパッケージデザインも、私にとって非常に特別なものを表しています。例えばアイシャドウパレットは、柔らかく官能的なデイリールックから、夜の外出のためのグラマラスなルックまで対応する多用途なシェードをマット、シマー、グリッターの組み合わせで実現したいと思いました。リップも私が個人的に好きな色とトーンを組み合わせて、全ての人に向けたシェードにしました。

WWD:今回のコレクションで伝えたいメッセージは?

LISA:あらゆる人に自分がプロデュースしたメイクアップをつけてもらい、私が詰めたこだわりや世界観を感じて欲しいです。音楽を作るのと同じ情熱、喜び、創造性を注ぎ込み、このコレクションをファンのために作りました。私自身の私生活やプライベートに関するこだわりをたくさん込めたので、それが伝わるとうれしいです。

WWD:制作に関する裏話は?

LISA:ただ色を選んだだけでなく、今回ロゴやパッケージ、製品名まで全てプロデュースしました。ちなみにアイシャドウは愛してやまない飼い猫の名前「レオ」「ルイス」「リリー」や、お気に入りのアイスクリームからインスピレーションを受け、「ミルクティーアイスクリーム」「キャンディラッパー」といったシェードネームをつけました。

WWD:グラマラスなパッケージも目を引く。

LISA:モダンでグラマラスな雰囲気を出すために、パープルにグリッターを加えました。そして、パッケージに施した私のサインには、お気に入りの色の1つイエローしか考えられませんでした!これは通常のイエローではなく、ネオンライトのクールでヒップホップな、都会的なムードを与えるために作った特別なイエローなんです。

WWD:プライベートではどんなメイクアップが好き?

LISA:ステージに立つときは濃いメイクアップをつけることが多いので、オフの日はナチュラルなルックが好きですね。ベースメイクアップを軽く塗ってから、洋服に合わせてリップを選びます。

WWD:今までのミュージックビデオの中で最も気に入っているメイクアップは?

LISA:曲のコンセプトに合わせてメイクアップは随時変わるので、全て気に入っています。1つ選ぶとしたら、初のソロアルバム「ラリサ(LALISA)」のときに作ったメイクアップですかね。全ての曲やプロジェクトにおいて、自分から積極的にメイクアップのアイデアを出すようにしています。たくさんのメイクアップルックを試しながら、最終的にぴったりなルックを選んでいるので、どれもこだわりや思い出深いんです。

WWD:世界的なファッション・ビューティのアイコンであるLISAはどこからインスピレーションを得る?

LISA:日々いろんなものからインスパイアされています。映画だったり、出会う人だったり、出来事だったり、本当に毎日いろんなものに刺激を得ていますね。メイクアップはアーティストと相談しながら自分に合うものを作っています。

WWD:「M・A・C」のアイテムでおすすめは?

LISA:たくさんあるので選びきれないですが、個人的に気に入っているのはリキッドリップ“パウダー キス リキッド リップカラー”。「M・A・C」で初めて使ったアイテムもリップスティックでしたが、“パウダーキス”はステージやミュージックビデオで頼りにしているアイテムです。本当に色持ちが長く、心地よく付けることができます。また、色のバリエーションが豊富でその日の気分や洋服に合わせて自由に変えられるのもいいですね。

WWD:これからの目標は?

LISA:これまで与えられたたくさんの素晴らしい機会に感謝していますし、これからの機会もとても楽しみにしています。まずはより多くの人に“M・A・C x L”コレクションを手に取って楽しんでいただきたいです!

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「アーデム」初のメンズは「ヴィヴィアン・ウエストウッドと双子の妹」から影響 デザイナーが探求する“実用的ロマン主義”

 ロンドン発のブランド「アーデム(ERDEM)」は、2022年春夏シーズンからメンズ・コレクションを立ち上げる。同ブランドは、トルコ人とイギリス人の血を引くアーデム・モラリオグル(Erdem Moralioglu)デザイナーが2005年に設立。15周年を迎えた今年6月に、メンズのファーストコレクションを発表した。テーラードジャケットやトレンチコートといったクラシックなアイテムに、シグネチャーであるロマンティックな花柄や、鮮やかな色のケーブル編みのカーディガンなどは若々しい雰囲気だ。ロンドンの老舗百貨店ハロッズ(HARRODS)や、大手ファッションECサイトのミスターポーター(MR PORTER)とマイテレサ(MYTHERESA)、日本ではユナイテッド アローズ(UNITED ARROWS)や阪急メンズなどでの取り扱いが決まっている。

 メンズ立ち上げの背景には、「ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIENNE WESTWOOD)」でのインターン経験や、18年に「H&M」とのコラボレーションで初めてメンズのデザインを手掛けたこと、そして双子の妹の影響があるという。次なるステージへと向かうモラリオグル=デザイナーに話を聞いた。

空想的なウィメンズ
現実的なメンズ

ーーメンズライン立ち上げに至った経緯とは?

アーデム・モラリオグル=デザイナー(以下、モラリオグル):パンデミックで全てが止まり、アトリエも静まり返っていた。設立から15年で初めての穏やかな時間でもあった。その時、男性スタッフが「アーデム」の服をさまざまに着こなす姿を見て、メンズのクリエーションや色彩が、鮮明なアイデアとして浮かんできたんだ。そこから、僕が大好きな映画監督でアーティスト、園芸家でもあるデレク・ジャーマン(Derek jarman)のワードローブから着想を得てデザインに取り掛かった。彼の作品はカラフルで幻想的だが、彼自身はユニホームを独自に解釈して私服にするという面白い人物だ。また「H&M」との3年前のコラボレーションでメンズを初めて発売し、予想以上に好評だった。本格的に立ち上げるにはいいタイミングだったんだ。

ーーメンズとウィメンズではデザインアプローチは異なるか?

モラリオグル:ウィメンズでは、空想的な物語や特定のアーティストや過去の偉人などがコレクションに関係している。“このコレクションを着用する現代の女性とは誰なのか””彼女に今何が起こっているのか”と考えながら制作する。一方でメンズは“彼には今何が必要なのか”という、より現実的な問いを自分に投げかけ、僕自身が何を求めているかという直接的な欲求もアプローチに含まれている。

ーーメンズはどのようなイメージ?

モラリオグル:姉の服を、自分なりの着方で楽しむ弟だろうか。夫ではない。同じアイデンティティを共有する姉弟で、男性の中にあるフェミニティを引き出すことが重要だった。メンズでは「アーデム」のロマン主義と、実用性を重視している。なぜなら、男性服は基本的にユニホームに由来していると思うから。ファーストシーズンはテーラードやコーデュロイパンツ、モヘアニットといったベーシックアイテムを、色とプリント、カッティングでロマン主義の要素を加えている。

ーーウィメンズはフェミニン、ロマンティック、幻想的と表現されることが多いが、メンズはどんな言葉を付け加えたい?

モラリオグル:“実用的ロマン主義”だろうか。例えば、ウィメンズのアイテムに触発されたケープは、まさに実用的でロマンティックな作品に仕上がっている。メンズウエアのカテゴリーの中で、“実用的ロマン主義”を具現化することは僕にとっての新たな挑戦だった。そして、ウィメンズやメンズを問わず「アーデム」創設当初から大切にしている言葉は、“永続性”だ。トレンドや一過性とは関係がなく、必ずそこへ戻ってくるような、永遠に続く洋服をデザインするという考えが芯にある。

「ヴィヴィアンには真の流動性があった」

ーーメンズライン立ち上げに至り、デザインチームを再編成した?

モラリオグル:全く同じメンバーだ。非常に小さいチームで、ウィメンズとメンズの両方を手掛けている。

ーーメンズウエアのデザイン経験がほぼないあなたにとって、挑戦だったのでは?

モラリオグル:確かに、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(Royal College of Art)ではウィメンズデザインを学び、「アーデム」で15年間ウィメンズに注力してきた。メンズの制作で想起したのは、「ヴィヴィアン ウエストウッド」でのインターン経験だ。ヴィヴィアンが生み出す作品には、性差の対話や性別の遊び、進歩的なユニセックスの概念が宿っていた。そこには真の流動性が存在していて、学生だった僕にとっては刺激的で素晴らしい経験だった。また、双子の妹を持つ僕にとって性別は、関係上で成り立つ相対的なものにすぎない。子供の頃、祖母が編んでくれたセーターを妹とおそろいで着ていたこともあるぐらいだから。洋服における性差や、フェミニティとマスキュリニティの認識は、こういった幼い頃の経験が影響しているのだろう。「アーデム」にとってフェミニティとは、自信を与える力のようなもの。メンズウエアでもそれを表現することに、とてもワクワクしている。

ーーメンズを始めたことが、ウィメンズのデザインにも影響を与えることはあるか?

モラリオグル:それは絶対にある。両方に大きな影響を与え合っている。前途したケープと同じく、トレンチコートもウィメンズのデザインを踏襲したものだ。逆に、男性的なラインのテーラードジャケットやニットのネックラインは、今後のウィメンズのデザインに影響を与えそうだ。メンズが店頭に並ぶと、女性顧客もメンズのフラットなシェイプのチノパンや、ざっくりと着られるニットを手に取るのではないだろうか。顧客にも、その動向を見た僕にも影響を与えることになるだろう。

ーー次の15年に向けての展望は?

モラリオグル:まずはメンズを拡大させ、同時にウィメンズも成長させていく。ロンドン・メイフェアにある旗艦店では、両方のコレクションのボリュームがこれから増えていくだろう。次の目標は、ブランドの世界観に没入できる実店舗を各都市で育てること。ロックダウンを経て、服を見て、触れて、感じることができる物理的な体験の重要性を、これまで以上に認識したと思うから。日本やニューヨークに出店して、「アーデム」の世界観に足を踏み入れる人が増えることを目指したい。

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「アンリアレイジ」と日本酒ブランド「サケハンドレッド」が協業 グローバルブランドを目指す両者の熱い思い

 Clearが運営する日本酒ブランド「サケハンドレッド(SAKE HUNDRED)」は、森永邦彦によるファッションブランド「アンリアレイジ(ANREALAGE)」とコラボレーションした商品を発売した。「サケハンドレッド」を代表する日本酒「百光(BYAKKO)」に、森永がデザインしたラベルをのせた「百光 ANREALAGE Edition “A LIGHT/UN LIGHT”」(5万2800円)と、限定グラスを合わせた「百光 ANREALAGE Edition “A LIGHT/UN LIGHT” 限定グラスセット」(7万4800円)の2種をラインアップ。「光と影」をテーマに、一見モノクロのラベルが光によってその表情はがらりと変化する。カメラでフラッシュ撮影すると、彩られ輝くラベルが画面上に映し出される仕掛けだ。

 コラボレーションに至った経緯や異業種の協業の意義について、「サケハンドレッド」を運営する生駒龍史Clear CEOと森永邦彦「アンリアレイジ」デザイナーに聞いた。

「光と影」をテーマにした
限定ラベル
共通する“細部への
異様なまでのこだわり”

—コラボレーションの経緯は?

生駒龍史Clear CEO(以下、生駒):「サケハンドレッド」は「心を満たし、人生を彩る」というブランドパーパスを掲げています。心を満たすためには、おいしいという味覚にとどまらず、五感で楽しむ豊かさを提供する必要があります。その思いをコラボレーションで表現しようと考えたときに、一緒に取り組む相手先に必然性がなければなりませんでした。そこで「アンリアレイジ」は、細部への異様なまでのこだわりがあるブランドであり、僕らがつくる日本酒と重なる部分があると思いました。日本酒は嗜好品で、透明の液体なのですが、原料の米がどういう育ち方をしたのか、日照量や雨はどのくらいだったのか、どんな酵母を用いるのか、麹やもろみの発酵管理は適切かどうかなど、細かいことが生産背景に隠されています。そういった要素の全てが味に大きく影響し、その緊張感がブランドの佇まいに表れます。また、「日本から世界に挑戦する」というミッションを持っているところも両ブランドが持ち合わせている共通点でした。

森永邦彦「アンリアレイジ」デザイナー(以下、森永):業界は違えど、同世代で世界に挑戦する同志であり、コンセプトやビジョンも一致すると思いました。「アンリアレイジ」は「日常と非日常」をテーマにして服作りをしながら、“光”や“クリア”をキーワードにしたコレクションを発表したこともあり、親近感を覚えました。

「百光」であり、
「アンリアレイジ」である
お互いの延長線上で
交差したコラボレーション

—実際のコラボレーション商品の制作はどのように依頼した?

生駒:「サケハンドレッド」には現在8つの商品がありますが、今回コラボレーションした「百光」はブランドを代表する日本酒です。「100年先まで光照らすように」という思いを込めて名付け、ラベルには日本の古来の吉祥文様であるひし形を採用しています。味わいにはとても透明感があり、滑らかで余韻も長い、最高品質の日本酒です。僕らの中心にあるフラッグシップ商品でご一緒したいと思いました。そして、このひし形のラベルを使ったコラボレーションを実現したいと伝えさせていただきました。

森永:「アンリアレイジ」は「神は細部に宿る」というコンセプトでモノ作りをしており、いかに小さく、誰もが見過ごしてしまうようなものにも価値があるということを考えています。「百光」はその名前と、ひし形のラベルという2つの要素が完成されているものだったので、そこにどう付加価値を出していくのかということにフォーカスしました。まずはひし形を100分の1スケールに小さくして、光が当たることでさまざまな色が浮かび上がる仕掛けで、ラベルの彩りが満たされることを表現しました。また光は影がないと確認できないものなので、グラスでは光が当たるとひし形と文字の影として落ちるデザインを考えました。

生駒:これを見て、「『百光』であり、『アンリアレイジ』だ!」と思いました。それはこれ以上ない成功であり、しっかりお互いの延長線上で交差できたことがとてもうれしかったですね。これは僕らが100年かけても、絶対できない、「アンリアレイジ」でなければ実現できないデザインでした。両方のブランドの良さが一目でうまく入っていると分かることが何よりも大事に感じていました。

森永:従来、商品名を認識しやすいラベルにしなければいけないと思いますが、僕らが提案したのは、黒いラベルに小さい文字が書いてあるもの(笑)。一見すると何か分からないものを生駒さんたちが受け入れてくださいましたね。ボトルを手にした方がこれを見て、「何て書いてあるの?」という疑問を持ち、「百光」を飲んだ体験が、記憶に残るものになってほしいと思いました。

—このコラボレーションのラベルの「百光」は、どのようなシーンで飲んでもらいたい?

生駒:「サケハンドレッド」は、何か大切な場面で飲んでいただけるケースが多いですが、それはお客さまの自由ですので、委ねたいと思っています。数に限りがある商品ではあるので、誰かの人生の記憶に残るようなタイミングに飲んでいただけたらうれしいです。

森永:僕はハレの日にとてもふさわしいお酒だと思いました。「アンリアレイジ」は非日常のファンタジーへの扉のような洋服を作っていますが、「百光」を飲んだときにもその非日常を感じられるような、艶やかな感覚を味わえますね。

新しい価値観が出てくる中で、
恐れずに挑戦していきたい

—日本酒とファッションの異業種の協業の面白さとは?

生駒:このコラボレーションを通じて、「アンリアレイジ」に触れることができたと思いました。自分たちの知らない「百光」の側面に出合えたことができたことが良いサプライズであり、有機的な取り組みを通して新しい学びとなり、ブランドとしてとてもいい経験になりました。

森永:僕らは洋服を作る上で、着る人に寄り添って、その人たちにどう力を与えるのか、ということを考えてきました。今回はお酒でしたが、いろいろ議論を重ねて、異なる価値を与えるということは、ファッションでやっていることと変わらないと思いましたね。今まで自分たちが成してきたことで、また異なる形の可能性を見ることができました。

—両ブランドともに世界に向けた発信を強化しているが、どう独自性を見せていきたいと考えているか?

生駒:グローバルブランドを目指しています。根本には「日本酒の魅力を伝えたい」という思いがあり、1人でも多くの人に日本酒を通じて、日本の米や酵母、麹の魅力を知ってもらいたいという気持ちもあります。日本酒は、日本らしさや日本文化があらゆる側面から感じられる飲み物。おいしいものは世界共通なので、ブランドの体験を通じて、まさに世界中の人々の「心を満たし、人生を彩る」ことに貢献していきたいと思っています。

森永:ファッションには先代からジャポニズムがあり、その強さが必ずあると思っています。僕らも独自のジャポニズムを打ち出そうと考えたとき、2022年春夏にアニメーションとテクノロジーという分かりやすい“日本らしさ”を表現しました。日本にルーツがあるからこそできることを武器として、今後も発展させていきたいです。

—今後のビジョンはどのように考えているか?

生駒:日本酒産業はコロナ禍において苦しんでいる産業ですので、その中でも成長する姿を見せていくという意味で、産業全体をリードしていけるような会社になっていきたいと思っています。また日本酒産業だけでなく、日本の産業全体にとって希望になれるように頑張りたい。まだまだ日本酒は、世界に高く評価される可能性を秘めていると思っています。

森永:今年ブランドが18年目を迎え、ある程度、慣れが出てきてしまっている部分もありますが、時代が変わり新しい価値観が出てくる中で、恐れずに挑戦していきたいですね。やりたいことはたくさんあり、特にNFT(非代替性トークン)にも可能性を感じていますし、仮想3次元空間「メタバース」を使った接客などにも取り掛かっています。僕らが持つデジタルやテクノロジーの強みをファッションで発信する時が来たと思っています。

日本的な美意識が
込められた限定ラベル

 今回のコラボレーションは特別動画でも概要を確認できる。谷崎潤一郎による『陰翳礼讃』に着想を得た、日本人の美意識がラベルデザインに落とし込まれている。商品は、2021年11月8日からオンラインで発売されており、商品発送は2021年12月下旬を予定する。

TEXT : MAMI OSUGI

問い合わせ先
サケハンドレッド
https://sake100.com/inquiry/create/customer

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内田理央、本気でTシャツビジネスに挑むVol.2 「ビームスT」から学ぶ最大の武器“好きな気持ち”

 モデルや女優として活躍する内田理央の普段着は、Tシャツやパーカなどカジュアルな装い。そこで本人の感性と個性を存分に生かしながら、ファッション性やプロセス、ビジネスにまでこだわった「本気のTシャツビジネス」をスタート!「WWDJAPAN」が紹介する各界の先駆者からTシャツ、イラスト、ビジネスについて学びながら、「名前貸し」とは全然違う、本気のタレントによるアパレルブランドを目指します。第2回は「ビームス T(BEAMS T)」の水村幸平ディレクターに迫ります。

内田理央(以下、内田):「ビームスT」のコンセプトを教えてください。

水村幸平ディレクター(以下、水村):“アートを身近に”というコンセプトのもと、Tシャツを軸にアートを訴求している「ビームス」内のレーベルです。

内田:「ビームスT」の顧客層は?

水村:ストリートブランド好きの若年層を中心に、コロナ以前は外国人観光客が来ていました。

内田:店舗の内装こだわっていますよね。ベルトコンベアでTシャツを運ぼうと思ったのはなぜですか?

水村:“グラフィックをどう美しく見せるか”に着目し、デザイナーの片山正通さんに20年以上前に依頼しました。未だに色褪せないのが凄いし、海外で同じようにベルトコンベアを使って商品を見せているセレクトショップもあります。

内田:店舗とECサイトで売れる商品の違いは?

水村:イベント商材は店舗の方が売れますが、特に違いはないですね。店舗で原画を飾るアートショーを開催すると、お客さまが知らないアーティストの商品でも、その場で購入されていくケースが多いです。

内田:現在のTシャツのトレンドは?

水村:現在は無地のTシャツにバックプリントが着やすくて人気です。フロントは胸ポケットにワンポイントぐらいが丁度いい。

内田:私もグッズTシャツを製作していますが、カラーリングですら決めるのに悩むんです。「ビームスT」はどうしているんですか?

水村:僕らは現代のトレンド感を意識しつつ、シミュレーションを組んでからサンプル作成をしているので、不安要素を取り除くことができます。定番のホワイトは外せませんが、昨年はアッシュグレーが人気でした。

内田:コラボ相手を選ぶときの決め手は?

水村:最近はインスタグラムでチェックして、直接オファーを掛けることが多いです。そのほか、コラボしたアーティストから数珠つながりで派生していくパターンもあります。僕らはアートカルチャーが好きで働いているので、普段から自然と情報をかき集めています(笑)。

内田:だから今の流行を敏感に察知できるんですね。私も自分が着たいものや気になっていることを大事にすべきだと改めて学びました。Tシャツのグラフィックの配置や大きさはどのように決めているんですか?

水村:アーティストにお任せする場合もあれば、お互いで意見交換して作り上げる場合もあります。コラボする上では、頭に浮かんだイメージを相手にどう伝えるかが一番重要かつ難しいです。僕は絵が苦手なので、参考資料と言葉で説明するのですが、商談後はいつも不安になります。

内田:アーティスト側からオファーが来る場合もありますか?

水村:インスタグラムのDMからオファーが来て実現したケースもあります。

内田:送ってみるものなんですね。私も送ってみようかな(笑)。コラボ相手の数は1シーズンごとに決まっているんですか?

水村:特に人数は決めていません。僕とバイヤー2人を中心に、販売員からの提案も積極的に取り入れています。フレキシブルに物事を進められるのが僕らの強みです。

内田:私自身もそうですが、「『ビームスT』に自分の商品を置いてほしい」という人が意識すべき重要なポイントはありますか?

水村:誰とも被らないオリジナリティーのあるイラストであれば、常にアートカルチャーを掘り続ける僕らが見つけ出し、声を掛けさせていただきます。

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発売直前、ユニクロ「+J」21-22年秋冬 ジル・サンダー氏と柳井正会長に6つの質問

 ユニクロは11月12日の「+J」2021-22年秋冬コレクションの発売に合わせて、「+J」を手掛けるデザイナーのジル・サンダー(Jil Sander)氏と、柳井正ファーストリテイリング会長兼社長への一問一答を公開した。「+J」は09年にスタートし、休止期間を経て9年ぶり20-21年年秋冬に復活。21-22年秋冬をもって再度休止することが決まっている。

Q1. 09年〜11年の「+J」の“第1章”と、20年からの“第2章”との間で、自身や「+J」、ユニクロの変化した点、変わらない点は何か。

ジル・サンダー(以下、サンダー):09年の時点で、ユニクロは「+J」を成功させるための最高の品質、素材に対する研究、優れた職人技術に基づく生産ノウハウや物流の仕組みを持っていた。その後ユニクロは世界中に店舗を持つ真のグローバル企業へと大きく成長し、大量生産と高い品質は両立できると証明した。20年に「+J」を再開すると同時にコレクションもより磨かれ、世界中の多くのお客さまにリーチできたのはとても嬉しいこと。「+J」がミッションとしてきた、モダンでグローバルなユニフォームと新たな価値、スマートかつ控えめで丁寧に作られた現代的なシルエットをお客さまに提供できたことは、私にとって大きな喜びだ。

 ユニクロのチームは年々、よりプロフェッショナルになっている。彼らはコラボ当初から非常に気配りがあり、新しい手法を生み出すことにとても協力的だった。私は日本の文化や日本人の仕事に対する向き合い方、品質へのこだわり、高い要求に応えようとする姿勢、革新しようとする意欲、必要に応じてゼロからの出発もいとわないあり方に、強い親近感を抱いている。

柳井正ファーストリテイリング会長兼社長(以下、柳井):サンダーさんの指摘の通り、変化した点はユニクロのビジネス規模だ。09年当時にユニクロが出店していた国・地域は8つだったが、20年には25にまで広がった。また、ユニクロの品質やサービスに対するお客さまからの信頼も、よい方向へと変わっているのではないかと自負している。

 一方で不変なことは、サンダーさんの服作りへの情熱、クオリティーへの探求心、そして時代を捉える鋭い感覚だ。ユニクロも、お客さまの声に応えるためにあらゆる努力を行う姿勢は創業以来不変のものだ。それがクオリティーやサービスの追求につながっている。 サンダーさんと長きにわたるコラボレーションが実現できたのも、お互いの基本的な理念に一致点が多かったからではないかと考えている。

Q2. 復活以降の3シーズン(20-21年秋冬、21年春夏、21-22年秋冬)で、最も心に残っている商品は何か。

サンダー:何年にもわたって私たちがデザインしてきた、すばらしいコートのコレクションが特に好きだ。時代を超越したモダンさや主張のある品質、そしてユニクロの力によって実現した手に取りやすい価格帯が気に入っている。

柳井:ダウンをモダンにアップデートしていただいたことが印象に残っている。また、サンダーさんならではのニットのバリエーションとディテールに感動し、個人的に何枚も購入した。この先も長年愛用していくことになるだろう。

「ユニクロのチームは年々プロフェッショナルになっている」(サンダー氏)

Q3. お互いについてどう思っているか。

サンダー:柳井さんには間違いなく先見の明がある。常に進化を続け、より高い目標に取り組み、同時代の人々のニーズや要望を研究して常に予測をしてきた最高の企業家だ。「+J」という大胆なコンセプトを実現するためのパートナーとして彼と出会えたことは、私にとって大きな幸運だった。私が見る限り、柳井さんは起業した当初と変わらず誠実で良心的な人だと思う。彼の頭の中には、早くからサクセスストーリーがあって、自分の信じる道を決して疑わなかったのだろうと思う。

柳井:ユニクロの理念の一つに「Simple Made Better」という言葉がある。サンダーさんはまさにそうした考え方の先駆者だが、シンプルで美しい服というものは、細部への飽くなきこだわりがないと成立しない。私たちはサンダーさんと取り組むことで、そのことを確信した。サンダーさんはたぐいまれな美意識と情熱を持った天才であると同時に、タイムレスかつ究極のスタイルを長年創り続けることがきる唯一無二の人だと思う。

Q4. コロナのパンデミックでは何を思い、何を感じたか。

サンダー:自然の大切さをより感じた。田舎ではコロナ禍中も自由に動けるし、庭の美しさは私たちを楽観的な気持ちにしてくれる。植物の世話をしたり、森や草原を長く散歩したりするのはよいことだと感じている。コロナによって私たちは東京に行くことできず、コレクションは全てデジタルベースで作られたが、結果的にオンラインでの仕事は大きな問題にはならず、うまく進んだ。ユニクロとわれわれが継続的にコラボレーションを重ねてきて、お互いのチームが親密だったからこそできたのだと思う。私たちはお互いをよく知っており、信頼し合っている。「+J」に取り組むことで私は集中力を維持することができ、コロナ禍がもたらした精神的・社会的な変化について考えることができた。この期間を通して、私たちは恵まれた文明と、困難な挑戦から抜け出すために蓄積したノウハウに、より謙虚に感謝するようになった。

柳井:コロナの蔓延により、世界が深くつながっていることを改めて認識した。 世界中のほとんどの企業は、この危機をチャンスと捉えることができるか問われたのではないか。(コロナ禍を通し)うわべだけのものは通用せず、本質的なものがさらに求められるようになった。

「いつかまた一緒に世界をワクワクさせたい」(柳井会長)

Q5. 09年以降の12年間の関係において、お互いに得たもの、未来に生かしたいものは何か。

サンダー:私にとって「+J」プロジェクトとは、ハイファッションでの経験を生かした品質と、洗練されたデザインを備えた魅力的でモダンなユニフォームを、目の肥えた現代的なお客さまに提供することだった。 そして、服を通して、世界中の人々が自己肯定感を持ち、共通の目標に取り組めるようサポートしていくことを目的としていた。非常に要求の多いコレクションを、ユニクロがすばやいスピードで世界規模で生産することができたのは、私にとって非常にうれしい驚きだった。

柳井:サンダーさんのビジョンとハイファッションでのノウハウを、ユニクロの品質へのこだわりと生産力をもって民主化したものが「+J」だと考えている。サンダーさんの本質を世界のあらゆるお客さまにお届けできたことは、ユニクロにとって大きな自信となった。サンダーさんの服作りに対する真摯な姿勢を今後も忘れることなく、私たちのさらなる成長の糧にしたいと考えている。

Q6. 最後に、お互いにエールとなる一言を。

サンダー:これからも柳井さんのアイデアにはずっと注目していくと思う。そして、柳井さんがグローバルなビジョンをさらに発展させてくれると確信している。柳井さんが私や私のチームを信頼してくれたこと、そうした信頼を通して生まれたすばらしいコラボレーションに感謝すると共に、柳井さんの今後の活躍を祈っている。今、私たちは一つの章を閉じるが、未来がどういったものになるのか楽しみにしている。

柳井:サンダーさんのあふれんばかりの情熱やクリエイティビティーが、今後どこに向かっていくのか非常に興味がある。サンダーさんのクリエイションはタイムレスだが、さらに新しいものを創造していかれることを期待せずにはいられない。そして、いつかまた一緒に世界をワクワクさせたいと思っている。

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ヨンアが「ほぼ毎日」店頭に立つワケ 自身のブランド「コエル」が初の路面店

 DMI(東京、島田延幸社長)が運営し、モデル・ヨンアがディレクターを務めるウィメンズブランド「コエル(COEL)」は1月上旬まで、東京・南青山の骨董通りに期間限定店舗を開いている。同ブランドは2018年の立ち上げ以降、ECを主軸に販売してきた。路面店の出店は今回が初めて。

 店内にはカフェも併設。白を基調にした内装、ビンテージ調で統一した什器はヨンアが自分の目で見て選んだ。壁面には現代アートも陳列し、ゆったりとくつろぎながら買い物を楽しむことができる空間を演出した。

 開店から1カ月がたち、売上高や客数は計画を上回る盛況。だが、それ以上に収穫だったのは、ファンとのコミュニケーションを通じ、ディレクターのヨンア自身がさまざまな発見ができたことだという。店頭に立つ彼女に話を聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げて4年目になりました。

ヨンア:「コエル」はとにかく、自分の“好き”を表現したいと思って始めたブランドです。正直、これまでは目標とか、そんなことを考えるひまもないくらい忙しくて……。ブランドを始めるまではモデルとして服を着る側にいましたが、実際それを作るとなるとすごく大変ですね。でも、街で「コエル」の服を着てくださっている人を見かけると、そんな苦労も吹き飛びます。「こんなブランドにしたい」っていうイメージはまだぼんやりとしているけれど、服作りに携わることは本当に好きなんだなあと実感しています。

WWD:このタイミングで期間限定店舗を出店した理由は?

ヨンア:これまで(出店は)いつか、とずっと頭に描いてきました。たまたまいいタイミングで、自分のイメージ通りの物件が見つかったので、思い切ってチャレンジしてみようと。でも、果たしてどの程度店舗運営にコミットできるのか、という不安もありました。だったら期間を3カ月と決めて、その間はやれるだけやろうと決めました。

WWD:ほぼ毎日のように店頭に立っているそうですね。

ヨンア:そうなんです(笑)。リアルの売り場に立つと、お客さまが「コエル」にどんな服を求めているかという生の声を聞くことができる。それがすごく楽しいですね。ブランドを始めたころはとにかく好きなものを表現しようと突き進んできましたが、自分自身が歳を重ね、子育てにも追われる中でライフスタイルも変化しています。すると徐々に、服に求めるものも変化していくんですね。あんまり外に出られないから華やかな色味の服を着たいとか、でもリラックスできる生地感がいいとか、それでいて洗える機能性が欲しいとか。普段から自分も「あったらいいな」と考えていることですが、実際にお客さまの声を聞くと、「やっぱりそうだよね」と共感できる。また次の服作りに生かせそうです。

WWD:カフェでは、ヨンアさんの思い入れのあるメニューを提供しているそうですね。

ヨンア:やっぱり自分の店を出すなら自分の好きを詰め込んだ場所にしたいからです。もちろん時間と共に自分の興味も、好きな物も移り変わっていくでしょう。でも「コエル」のファンにはいつも等身大の自分を知ってほしいし、そこに共感してくれるからついてきてもらえるとも思っています。だから、これからもその時その時で、自分が胸を張って好きだと言える服を作っていきたいです。

 今年4月にはジュエリーブランド「ナリン.(NARIN.)」をスタートしました(今回の期間限定ショップでも展示販売)。シーズンごとに新作を出していく「コエル」とは違い、自分のペースで、納得がいくまで腰を据えて取り組める面白さがあります。全く新しいチャレンジで試行錯誤していますが、天然石にこだわった本気のジュエリーを作っていきたいです。 

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トム・フォードが17年ぶりの書籍 飲酒&ドラッグから子育てと変わった生活と変わらないクリエイションを語る

 トム・フォード(Tom Ford)は11月10日、自身のクリエイションやキャリアなどをまとめた444ページの書籍「TOM FORD 002」を日本でも発売した。2004年に発売した「001」に次ぐ本作は、「グッチ(GUCCI)」や「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」を去って05年に立ち上げた「トム フォード」のキャンペーン・ビジュアルなどを収録しており、スティーブン・クライン(Steven Klein)やイネス&ヴィノード(Inez & Vinoodh)、ニック・ナイト(Nick Knight)、マート&マーカス(Mert & Marcus)らが撮影。「トム フォード」をまとったセレブの画像も多い。15年以上のクリエイションの中から、何をピックアップしたのか?15年前と現在の気分やクリエイションの違いは?トムに聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):なぜ今、「002」の発行を決めたのか?世界が大きく変わろうとしていることが影響している?

トム・フォード(以下、トム): 最初の本を出版してから17年、多くの変化があった。「001」でフィーチャーしたのは、「グッチ」と「イヴ・サンローラン」時代の私。つまり最初の章で、「002」は第二章だ。60歳になって、2冊目を企画し始めたときには、すでに「トム フォード」を設立してから15年が経っていた。 15年後、そして60歳。「振り返る時が来た」と思った。過去を振り返ることはめったになく、いつも先だけを見ることを好んできた。特にファッションにおいては、めったに過去を振り返らない。ショーのフィナーレで(ゲストへの挨拶を終えて)ランウエイに背を向けた瞬間、私は、次のコレクションを考えている。「次は、何をしようか?」といつも心配している。「私は今、何をするつもりだろう?」「それは、良いのだろうか?」「どのように受け取られるだろうか?」。この本の制作は、非常にカタルシス(無意識だったものを意識化するような)なプロセス。文字通り何千枚もの写真を見る過程で、その瞬間についてのすべてを思い出す興味深いプロセスだった。私が考えていたこと、感じていたこと、住んでいた場所、パーソナルライフでの出来事、そしてビジネスライフを思い起こさせてくれた。写真はすべてを反映していた。この本で、私は、私の人生のひとつの章の幕を閉じたんだ。

WWD:05年以降の作品を中心に、15年以上のクリエイションの中から、どんなビジュアルを中心にピックアップしたのか?

トム:まずは世界中のすべてのプレスオフィス、ニューヨークと東京、ソウル、香港、ミラノ、そしてロンドンから、過去10年間の記事や写真を送ってもらうことから始めた。印刷された記事や写真は、データを出力して確認した。画像をオンラインで見るのは、印刷された画像を見ることと同じじゃないからね。文字通り、何千もの画像を確認した。何かに取り組むときは、直感を信じている。すべての写真の確認は非常に早く、私の目をつかんだものは何でも書類の山に投げ込んだ。1000枚までの編集は早かった。そこから700枚に、そして最終的には400枚の画像に絞った。最後は、とても誇りに思ったと言わざるを得ない。本の中のすべての写真は、私にとって何かを意味している。それは、私の人生の特定の時間を強調している。 「過去15年間、私は何をしてきたのだろう?」とよく自問する。そして、子どもを授かったこと、2本の映画を作り、この素晴らしいグローバルブランドを創作してきたことに気づく。「実際、とてもたくさんのことをしてきたんだ!」と物事をきちんと整理して先に進めた。こうして過去の15年をスリップカバーに入れ、60歳で新しい章を始めることができた。素晴らしいことだ。

WWD:「グッチ」や「イヴ・サンローラン」を手がけていた頃と、05年以降の一番の違いは?

トム:世界は変わり、私の人生も変わった。今はロサンゼルスに住んでいて、9歳の息子がいる。ジャックを育てることは、私の人生の優先事項だ。「グッチ」にいたとき、私はよく飲み、ドラッグもやっていた。今は酔っていないし、冷静で、人生が変わった。すべてが、より良くなった。ただ過去と現在のクリエイションの間には、1本の共通の糸がある。私はまだ同じ人間で、同じことが好きだから。もちろん当時はやっていたのに、今はもうやらないこともある。ただ創造的なプロセスは、アルコールと薬物がないことを除いて、これまでと同じだ。本能的な人間だから、インスピレーションを得たもの、感動したものから創造を発信している。常に「私は自分の人生の中で、人々が何を着ているのを見たいのだろう?」「私は、どんな世界を見たいのだろう?」「私は、何を見たいのだろう?」と考え続けている。だからショーで発表するコレクションは、6カ月前とまったく違っていることも多いんだ。

WWD:「グッチ」時代から、肌見せのセクシーは1つの特徴だと思う。露出にこだわる理由は?

トム:私の服は、いつもセクシー。 それは、私のコアの一部だ。 しかし年をとって子どもを授かると、世に出したいものに対する認識は変わる。 考える必要が生まれたんだ。「ジャックがこの写真を見たら、彼はどう思うだろうか?」「彼の友達は、なんて言うだろう?」とかね。 だからかつてほど露骨に性的ではなくなったが、それでも官能的だろう。 私は官能的な人間、私の服はそれを反映しているよ。

WWD:「003」を出す頃(いつ頃出したい?)、世の中はどんな風になっていると思う?

トム:Oh, my god!!まだ何にもわからない。私の70歳の誕生日だろうか?!その時の世界なんて、誰がわかるだろう?すべてが急速に変化しているから、5年後の世界だってわからない。19歳のジャックさえ、まったく想像できないよ(笑)。

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バロック村井社長が考える 「売上高」よりも大事にすべきこと

 バロックジャパンリミテッドの2021年3〜8月期は営業利益5億2000万円、純利益2億9000万円で、前年同期(営業利益9億7000万円、純利益12億円)に続き上半期を黒字で折り返した。コロナ前の水準には至らないものの、売上高(前年同期比26.9%増)、売上総利益(30.9%増)ともに大きく回復している。主力の「アズール バイ マウジー(AZUL BY MOUSSY)」などSC販路のブランド(前年同期比27.9%増)、「マウジー(MOUSSY)「 スライ(SLY)」などファッションビル販路のブランド(同16.7%増)がけん引した。だが、村井博之社長は状況を楽観していない。「コロナ禍を経て、お客さまに求められる商品はより本質的なものとなる。市場にないものを作るという『マーケットアウト』の発想を常に持ち続けなければ生き残れない」と気を引き締める。

WWD:上半期を振り返ると?

村井博之社長(以下、村井):黒字着地はできたものの、課題の残る上半期だった。8月に急激に感染状況が深刻化し、ある程度の需要を見込んで準備していた夏物在庫の在庫消化に追われ、値引き販売が増えてしまった。昨年は4月の緊急事態宣言を受けて、急きょ夏物企画の仕入れを大きく減らしたため、セールもほとんどせず売り切ることができた。結果論で言えば、こちらの方が健全であり、理想に近かった。

WWD:売上高、売上総利益ともに順調に回復している。

村井:売上高を右肩上がりで伸ばすことを正義と考えるのは、もうやめにしたい。日本では消費者のボリューム自体が減る中、既存店売上高を上げ続けることにとらわれていては、いつまでたってもセールはなくならない。すぐになくせるものではないが、これ(コロナ禍)を契機にすることはできる。30年前のクリアランスセールは、7月と1月にそれぞれ2週間ずつ開催する程度だった。これがじわじわと拡大し、いまや6月から前倒し開催しているところもあれば、8月までダラダラ続けているところもある。我々のような規模の大きい上場アパレルがそれをしていては、業界全体がそれに引っ張られてしまう。今回のコロナ禍で従来の商習慣に疑問を持つ経営者が、一気に増えていると感じる。これを実行に移すことが重要だ。

WWD:値引き販売を減らすために、仕入れコントロール以外ではどんな努力が必要か。

村井:商品企画を見直すことも重要だ。世の中に本当に必要とされる商品ならば、値引きをしなくても売り切れる。期初の企画段階でしっかりお客さまの方を向き、意思のある商品を作らなくてはならない。最近ではQR(クイックレスポンス)生産が流行り言葉のように言われているが、これに頼ってばかりではいけない。周到に練った商品企画がヒットし、在庫が追いつかなくなって追加発注を掛けるのであれば素晴らしいことだ。しかし、コロナ禍という状況になって増えているのが“悪い”QR。自分たちでよくものを考えず、他社で売れているものを横目に見て、似たり寄ったりの服を急いで生産すること。本質的でない商品は同質化を生み、いずれは廃棄の温床にもなる。このようなことを繰り返しているプレーヤーは、消費者から「必要ない」という烙印を押されるのは時間の問題だ。これは自戒を込めて言うことでもある。

 当社はこれまで、ITバブルが崩壊した2000年代前後には「マウジー(MOUSSY)」「スライ(SLY)」が、リーマンショック(09年)のころには「アズール バイ マウジー(AZUL BY MOUSSY)」がそれぞれ業績を伸ばした。消費マインドが停滞する中、逆にそれを好機と捉え、値ごろな価格で独自性のあるファッションを打ち出たことが消費者の心をとらえたのだと自負している。今回のコロナ禍も大きなピンチではあるものの、そこには必ずビジネスチャンスが眠っているはずだ。

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“金継ぎ”の魅力を世界に発信するジュエリー「ミラモア」の稲城ジョージが目指すのは業界の千利休

 米ニューヨーク発メード・イン・ジャパンのジュエリー「ミラモア(MILAMORE)」の新作は“点字”がモチーフだ。“金継ぎ”モチーフのジュエリーを打ち出し、世界中に日本の美意識を発信しているミラモアの稲城ジョージ最高経営責任者(CEO)兼ブランドビジョニアに新作ジュエリーやブランドに込める思いについて聞いた。

WWD:“点字”を新作ジュエリーのモチーフに採用した理由は?

稲城ジョージCEO(以下、稲城):既存の“パズル”コレクションに点字を使用していて、それから派生したのが新コレクションだ。大学生のとき、ひらがなでレタージュエリーを作ったりしていたけど、それが恥ずかしいと思った。ユニバーサルデザインとかバリアフリーについて学んで、触れることで読める点字はクールでポエティックだと思った。盲目の人のコミュニケーションツールをポジティブに変換できないかと思ったんだ。自分がインクルーシブな人間なので、“点字”をモチーフにしたのもそこからだ。

WWD:点字の意味するものは?このコレクションに込めた思いは?

稲城:これらの点字の意味は、有言実行の“マニフェスト”や自己愛の“セルフラブ”、そして“ビジョン”、感謝を表す“グラチチュード”や“ホープ”、愛を意味する“アモーレ”など。“マニフェスト”は私の座右の銘、また、ビジネスを成長させるには“ビジョン”が大切。ほかの言葉は、コロナ禍のロックダウン中に大切なことは何かを考えて思いついたものだ。もちろんカスタマイズすることも可能だ。点字は、ローズカットのダイヤモンドをアンティークジュエリーのセッティングで施していて星のように見える。インスタグラムで“点字”のリングをアップしたら、「盲目の父に見せたかった」というようなメッセージが送られてきた。一見、わからないけど、人の心に触れたり、「このモチーフは何か」というような会話のきっかけになるようなジュエリーであってほしいと思う。

WWD:“金継ぎ”という言葉が世界中で一般的に使われるようになったが?

稲城:“金継ぎ”は「ミラモア」のDNAだ。“金継ぎ”は日本特有の壊れたものを直した痕だが、なかなかその美しさを理解するのは難しい。それをジュエリーで表現することで、ジュエリー業界の千利休になりたいと思った。“金継ぎ”の意味や美しさが世界で理解されて大切にされるようになってうれしい。“金継ぎ”コレクションをアレンジした“インフィニティー”コレクションも新作として登場した。

WWD:今後の予定は?

稲城:来年にサングラスを発売する予定だ。メガネといえばにほんの鯖江が有名だから、そこの職人と一緒に制作する。「ミラモア」はメード・イン・ジャパンのクオリティーで成熟できた。だから、同じ世代の職人を育成したり、日本の職人を世界に紹介していく活動もしていきたい。

WWD:「ミラモア」をどのように発展させていきたいか?

稲城:「ミラモア」は小さなブランド。アメリカでは、最近、ローカルビジネスをサポートする動きがある。そして、自分もそれを意識するようになった。例えば、大企業が運営するスーパーマーケットで買い物するのと家族経営のコーナーショップで同じ金額買い物するのでは、意味が違う。大企業にとっての1000円とコーナーショップにとっての1000円は、重みが違う。だから、私自身も小さなブランドが好きでサポートしたいと思うし、「ミラモア」が目指すのもニッチなラグジュアリーブランド。細部まで目が届くブランドでありたい。企業の規模=商品の価値とは思わない。それは、インスタグラムのフォロワー数も同じこと。「ミラモア」は宣伝や広告はせず、口コミで広がってきた。ジュエリーやファッション業界には夢があると思っているので、「ミラモア」をヘリテージブランドとして長年愛されるブランドに大切に育てていきたいと思う。

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