【日本ロレアル ジャン-ピエール・シャリトン社長】気鋭ブランドが続々と日本上陸 力強い成長を実現

PROFILE: ジャン-ピエール・シャリトン/社長

ジャン-ピエール・シャリトン/社長
PROFILE: 1966年3月13日生まれ、フランス・パリ出身。89年に仏EMリヨン経営大学院を卒業し、91年に仏ロレアル本社に入社。スキンケアブランド「ビオテルム」でキャリアをスタートする。タイや韓国、イギリス、アイルランドにおけるロレアル リュクス事業本部本部長を経て、2008年に「アルマーニ ビューティ」のグローバルプレジデントに就任。13年にアジア太平洋地域(APAC)ロレアル リュクス事業本部ジェネラルマネジャーに就任。21年11月から現職 PHOTO : MASASHI URA

世界最大のビューティ企業、ロレアルグループの日本法人である日本ロレアルは、2024年3月に「プラダ ビューティ」のメイクアップ&スキンケアラインを本格ローンチした。9月には「3CE」、10月には「スキンシューティカルズ」の日本再上陸を果たすなど、日本市場でビジネスを精力的に拡大している。

勢いに乗る多様なブランドを擁し
ビューティ市場をけん引

WWD:24年も日本のビューティ市場は成長したが、そのペースを上回っている。

ジャン-ピエール・シャリトン社長(以下、シャリトン):国内のビューティ市場は24年、インバウンドとローカルの双方の購買力が後押しして、最終的に前年比4〜5%増※1の成長が見込まれている。その中で当社は、昨年に続いて市場を超える成長を遂げる見込みだ。マーケットの成長には、イノベーション、ディストリビューション(流通)、コミュニケーションの3要素が重要だ。革新的な技術を取り入れているか、オフラインとオンラインの流通が強固か、消費者とのエンゲージメントを高めているかが鍵となる。

WWD:3要素にどう取り組んだか。

シャリトン:イノベーションの観点では、「ランコム」を代表する美容液をリニューアルし、新製品“ジェニフィック アルティメ セラム”を発売した。肌本来の自己回復力を促進させる次世代成分を配合するなど卓越した技術が詰まっている。「ラ ロッシュ ポゼ」の保湿クリーム“シカプラスト リペアクリーム B5+​”も日本処方で発売後、「アットコスメ」で上位にランクイン。流通の観点では、楽天と戦略的パートナーシップ契約の締結に向けて合意し、楽天のプラットフォームの消費者データを活用できる目処が立った。2大ブランド「ランコム」と「タカミ」はアマゾンにショップを開店し、百貨店ビジネスも好調だった。消費者とのコミュニケーションとしてインフルエンサー施策も積極的に行っている。

WWD:新ブランドの導入も重なった。

シャリトン:9月に韓国コスメブランド「3CE」、10月に美容施術スキンケアブランド「スキンシューティカルズ」が日本に再上陸した。「3CE」はファッション性の高さで競合優位性がある。拡大に時間はかかるが、初動は良く今後も投資を続けていく。「スキンシューティカルズ」は美容医療機器の研究開発や製造、販売を行うキュテラとのパートナーシップを通じて医師と協働して販売する。あたたかく迎えられて好調なスタートを切った。

WWD:21年に買収した「タカミ」の商況は?

シャリトン:日本ロレアルを介した買収事例における素晴らしい成功例となっている。買収時と比較して売り上げは4倍だ。リピーターの多さとヒーロープロダクト“タカミスキンピール”が売り上げをけん引している。中国や香港、台湾などでも発売しており、欧米への展開も見据える。予想を超える飛躍的な成長で、今後にも期待している。

WWD:「メイベリン ニューヨーク」も成長軌道に乗る。

シャリトン:コミュニケーションをラストマイルマーケティング(ローカルに合わせて調整するマーケティング戦略)という考え方に刷新した。“スカイハイ”の新色“ゆうぐもグレージュ”はその一例。“SPステイ ルミマット リキッド ファンデーション”のアンバサダーにTREASUREの4人を起用し、推し活する消費者の心をしっかりとつかんだ。数週間売り上げ1位※2をキープするなど成功を収めている。

WWD:オンラインの購入体験の向上にも力を注ぐ。

シャリトン:ECは戦略的な成長チャネルだ。ECの売り上げ比率は業界平均の2割を上回って伸長している。自社のECサイトはEフラッグシップと呼び、製品を選んで購入し、受け取った後まで最適な顧客体験を提供する。一方で、楽天やアマゾンではリーチの拡大を狙う。

WWD:サステナビリティ関連で掲げる目標は?

シャリトン:ロレアルグループは25年、全世界の自社拠点を100%再生可能エネルギーに切り替え、プラスチック製パッケージの100%を詰め替えもしくは再利用、リサイクル、堆肥化可能なものに変更する。30年までには製品輸送に関わる温室効果ガスの排出量を16年比で平均50%削減する。一方日本では、社内の250人がプライドパレードに参加したり、同性のパートナーシップ婚も正規の福利厚生を受けられる制度を導入したりするなど、ダイバーシティ&インクルージョンにも注力している。科学の分野で女性の躍進を表彰する「ジュン アシダ賞」も受賞した。

WWD:25年にビジネスで注力することは?

シャリトン:一つは新たなブランド「プラダ ビューティ」「3CE」「スキンシューティカルズ」を成功させること。二つ目は既存のブランドのイノベーションを成長させていくこと。引き続きイノベーション、ディストリビューション、コミュニケーションを軸に拡大していく。

WWD:未来に見据える可能性は?

シャリトン:ロレアルグループにおいて、日本はこれからもインスピレーション源であり続ける。日本は成熟したマーケットで消費者は洗練されており、国内で成功しているアイデアは世界でも通用する。日本ロレアルがアイデアを模索し、世界に広げていきたい。

※1矢野経済研究所調べ
※2インテージ調べ。2024年2〜12月までのバラエティー・ドラッグストアカテゴリー店舗(オンラインを除く)におけるリキッドファンデーション部門での売り上げ金額

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『日本人の才能を開花させたい』

日本には素晴らしい才能にあふれる優秀な人材がたくさんいる。彼らをサポートし、いつの日か私の役職に日本人が就任することを願っている。

COMPANY DATA
日本ロレアル

世界最大の化粧品会社であるロレアルは、小林コーセー(現:コーセー)と提携しサロン向け商品の開発を行う合弁会社ロレコスを1963年に設立。76年に一般向け製品の販売をスタートし、95年には基礎研究所を茨城県つくば市に開設。96年にロレアルの日本法人である日本ロレアルを設立した。2009年、ロレアルが資本参加していた「シュウ ウエムラ」の株式を100%取得。グループ傘下に初めて日本発のブランドが加わった。21年には「タカミ」を買収した


問い合わせ先
日本ロレアル
03-6911-8100

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【オンワードHD 保元道宣社長】Z世代、グローバル市場、 新しい可能性を広げる

PROFILE: 保元道宣/社長

保元道宣/社長
PROFILE: (やすもと・みちのぶ)1965年9月13日熊本県生まれ。88年に東京大学法学部卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。2006年オンワード樫山(現オンワードホールディングス)に入社。常務執行役員、取締役などを経て、15年3月から現職

オンワードホールディングスは、昨年9月にカジュアルウエアのウィゴーを子会社化した。ウィゴーの売上高は283億円(2024年2月期)。これを保元道宣社長は「オンワードとの相乗効果で、中長期的に500億円に引き上げる」と話す。自信の裏付けは、業界をリードするOMO(オンラインとオフラインの融合)の知見だ。

ウィゴーとのシナジーを
最大限に生かす


WWD:ウィゴーの子会社化の狙いは?

保元道宣社長(以下、保元):オンワードの多様性を加速させるためだ。ウィゴーの顧客基盤は10代の中高生から20代前半で、オンワードにとっては手薄な世代だ。登録会員数(24年2月末時点)もオンワードの530万人に、ウィゴーの340万人が加わって約870万人に拡大する。社員も若く、SNS運用に優れており、学ぶべき点が多い。一方で自社ECの強みを生かしたOMOやサプライチェーン、財務に関しては当社に強みがある。補完し合うことで大きなシナジーが見込める。そして海外市場でも期待できる。

WWD:ウィゴーでアジア市場に進出する?

保元:ASEANをはじめアジアは若い人の人口構成が高く、ウィゴーの可能性を最大化できる市場だ。昨年10月に中国・上海で6日間のポップアップを開いた。推し活グッズとして人気の“痛バ(痛バッグ)”に絞ったイベントで、来店はネットでの予約のみに限定したが、約2万人の枠があっという間に埋まり、売上高も約1億円になった。若者文化に国境はなく、推し活の熱気はすさまじい。

WWD:常設店の出店予定は?

保元:将来的には考えられるが、従来のように常設店の数にこだわらなくてもよい。SNSやイベントでもお客さまとの関係はしっかり築けるからだ。中国、台湾、韓国、それにASEAN各国。国ごとに市場特性も異なるため、まずは出店にかかる投資をSNSやイベントに振り分ける。越境ECにも大きな可能性がある。

WWD:複数のブランドを集めたOMO業態「オンワード・クローゼットセレクト(OCS)」は、21年に出店を始めて現在は全国159店舗(24年11月末)に拡大した。

保元:手応えがある。岩手県の川徳のような地方百貨店から大丸東京店のような都心百貨店、あるいは郊外のショッピングセンター(SC)まで。百貨店向けブランドは百貨店でしか売れないという固定観念があったが、百貨店向けの「23区」がSCでも売れる。お客さまにとって選択肢が増えるだけでなく、クリック&トライ(C&T)によって店頭にない商品の取り寄せもうまく活用されている。一つの商業施設にブランドごとに複数の店舗を出していたときと比べて生産性が高い。生産性が上がれば賃金も上げられる。24年に販売職の10%の賃上げを実施したのに続き、25年はデザイナー、パタンナーなどの技術職の初任給を3.3万円引き上げるなど全社員の処遇改善を実行する。

WWD:OMO推進で見えてきたことは?

保元:お客さまの解像度が高まった。当社はEC売上高に占める自社ECの割合が9割ある。会員のお客さまの店舗とECでの消費行動がデータとして蓄積される。店頭では熟練のスタッフが何気ない会話からパーソナルな定性的データを得る。デジタルと人の力で適切な商品を適切なタイミングで提案すると、お客さまの満足度は上がり、年間の購買額が上昇する。今後は体験価値を高めたい。C&Tで何着もの服を取り寄せて、さらにスタッフがコーディネートアイテムを提案する。気持ちが高揚するような広くて贅沢な試着室を増やしたい。

WWD:新規出店の柱はOCSになるのか。

保元:SCは出店余地が大きく、積極的に出していく。一方でブランドの世界観を表現する旗艦店も必要だ。例えば「アンフィーロ」。24年3〜8月期の売上高は前年同期比1.9倍で年商100億円の大台も射程圏内に入ったが、販路は自社ECとOCS、ポップアップに限られる。さらなる飛躍のため近い将来に旗艦店の出店を計画している。オーダースーツの「カシヤマ」も出店要請が多い。コロナ禍を挟んで24年度に生産部門(中国・大連)と販売部門の両方が黒字化するので、25年度はさらにアクセルを踏む。

WWD:“長い夏”の対策も課題だ。24年6〜8月期で同期間としては17期ぶりに営業黒字を達成した。

保元:7月のセール以降も正価で売れる夏物衣料の充実が実を結んだ。今の課題は9〜11月期だ。従来であれば年間で最も稼ぐはずの9〜11月期に苦戦を強いられた。旧来の衣替えの概念自体が薄れ、店頭で夏物と秋冬物を並行して扱う必要が生まれた。地域ごとの気候も配慮して、店舗主導の品ぞろえに取り組む。素材から独自に作り込む当社にとって生産計画が重要なのは言うまでもないが、気候変化に柔軟な態勢も欠かせない。

WWD:新たなコーポレートメッセージを策定した。

保元:「世界に、愛を着せる。」。グループ会社を含めた20〜40代の若手・中堅社員が議論を重ねて策定した。私なりに解釈すれば、「愛を着せる」は愛着とも読める。当社が提供するのは、永く愛着を持っていただける商品だ。再来年で創業100年。お客さまともお取引先とも末永く愛をはぐくんでいきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『南極・北極を旅したい』

これまで出張やプライベートで世界のさまざまな場所を訪れており、空白地帯は案外少ない。先日、知人から南極と北極を旅した話を聞き、がぜん行ってみたいと思うようになった。スマホがつながらない極地に身を置くのもいいかもしれない。

COMPANY DATA
オンワードホールディングス

1927年に樫山純三氏が大阪で樫山商店を創業し、戦後に日本を代表するアパレル企業に発展。中核会社のオンワード樫山は「23区」「ICB」「五大陸」「J.プレス」「アンフィーロ」などを展開。グループ会社には法人ビジネスのオンワードコーポレートデザイン、バレエ用品のチャコット、ペット用品のクリエイティブヨーコなどがある。2024年2月期連結業績は売上高1896億円、純利益66億円


問い合わせ先
オンワードホールディングス
03-4512-1070

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【ワールド 鈴木信輝社長】アパレル企業の枠を超えた、総合ファッションサービスの実現へ

PROFILE: 鈴木信輝/社長

鈴木信輝/社長
PROFILE: (すずき・のぶてる)1974年8月23日生まれ。京都大学大学院法学研究科卒。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)やローランドベルガー、ボストンコンサルティンググループなどを経て2012年ワールドに入社。15年から常務執行役員。18年から専務執行役員。20年6月から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

ワールドは2024年11月に繊維商社・三菱商事ファッション(MCF)の子会社化を発表し、世間をあっと言わせた。また傘下の投資会社を通じてライトオンの経営再建にも乗り出す。鈴木信輝社長はアパレル企業の枠を超えた「総合ファッションサービスグループ」の実現に着々と手を打つ。

川上から川下まで連携し、
さらなる持続的成長をめざす

WWD:MCFの子会社化の狙いは?

鈴木信輝社長(以下、鈴木):BtoB領域を拡大してきたが、ワールドのプラットフォーム事業をもう一段上のステージに上げるためだ。MCFは長くBtoB事業を本業として営んできたBtoB事業運営の知見があり、世界的なサプライチェーンを有し、モノ作りのクオリティーやコストの面で競争力がある。モノ作りのエキスパートが豊富にいる。当社のプラットフォーム事業の成長のドライバーになる。

WWD:川上への投資としては大型案件だ。

鈴木:アパレルでは川下が注目される時代が長く続いた。EC(ネット通販)も含めて消費者起点が何より重要とされた。だが、今は川上にウイングを広げることも求められる。円安や原料高に加えて、地政学上のリスク、サステナビリティの高まりなど、生産の重要性が年々増している。原料までさかのぼるトレーサビリティが求められるし、環境問題の高まりで再生素材も増やす必要がある。時代によって川下と川上の重要性は振り子のように動く。

WWD:ワールドは消費者を起点に小売りから生産までを一気通貫させる「スパークス構想」を1990年代から打ち出してきた。

鈴木:やるべきことの本質は変わらない。お客さまとの接点である売り場と工場をいかにロスなくつなぐか。付加価値の源泉はそこにある。当社には素材や染色など川上の工場を傘下に入れ、川下とつないできた実績がある。誤解のないように言うが、MCFを自社ブランドの生産機能に組み込みたいわけでなく、あくまで他のアパレル企業に向けたBtoBを強化する。昔と今との違いは、スパークス構想をファッション産業全体に広げようとしていることだ。

WWD:普通のアパレル企業とは異なる事業領域だ。

鈴木:当社は「ストラスブルゴ」のような高級セレクトショップから「シューラルー」のような低価格業態、リユース品の買取・販売の「ラグタグ」、高級ブランドバッグの定額レンタルの「ラクサス」(24年12月から持分法適用会社に移行)まで幅広い業能を持っている。一方で生産・販売・店舗開発・内装・システムなどBtoBのプラットフォーム事業も拡充している。ファッションに関する仕事なら何でもできる企業になる。それぞれの事業が緩やかに連帯することで、ファッション産業全体の発展に貢献する。

WWD:傘下の投資会社W&Dインベストメントデザイン(W&DiD)を通じ、ライトオンにTOB(株式公開買い付け)を実施した。

鈴木:これまでもさまざまな経緯で企業の再生に取り組んできた。同じW&DiD経由で、ストラスブルゴや子供服のKPも早々に黒字化させた。なぜ早く立て直せたかといえば、当社のBtoBのプラットフォーム事業が有効に働くからだ。ライトオンは従来に比べて大型案件であり、当社としても腰を据えて再建していく。こうした再生型投資に関しては相談が次々に舞い込む。活躍できる場面はますます多くなるだろう。

WWD:将来への種まきが続いている印象だ。

鈴木:かれこれ10年以上、たくさんの種をまいてきた。見切りをつけたものもあれば、形になったものもある。目指すべき姿のために種をまき、水をやり続けるのが現在のフェーズだ。25年は海外市場にも種をまく。「ラグタグ」でタイの大手企業サハグループと組んで合弁会社を設立し、バンコクに1号店を開く予定だ。24年春にバンコクでポップアップを開催し、ブランド品のリユース販売の潜在需要を感じた。サハグループとは17年に合弁会社ワールド サハ ファッションを設立し、「タケオキクチ」をタイや台湾に出店してきた実績がある。

WWD:屋台骨であるブランド事業では長い夏に対応したMDの再構築が課題だ。

鈴木:気候とお客さまの服選びが変わっているのに、従来の常識を押し付けたら売れないのは当たり前。成功例として「オペーク ドット クリップ」は柔軟なMDできちんと結果を残した。24年秋から私と各ブランドの担当者が大きな部屋に全商品サンプルとカレンダーを広げて、改めてお客さま起点で「この週の各地の気温は?」「どんな仮説でこの週にこの商品を売るのか?」と是々非々で議論することを始めている。商売の基本を改めて徹底するのみだ。

WWD:ブランド事業で成長を見込む業態は?

鈴木:ショッピングセンター向けでは「オペーク ドット クリップ」「グローブ」「インデックス」は堅調だ。百貨店向けでは規模は小さいが「ギャレスト」「オブリオ」が期待できる。ファインジュエリーの「ココシュニック」も新しいニーズをとらえることに成功し、よく売れている。気候対応もそうだが、MDの精度を高めれば、収益はまだまだ底上げできる。既存店の伸び代は大きい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『より深く学びたい』

日々の仕事に追われていると、新しい分野をじっくり勉強する機会がどうしても減ってしまう。世界はこの10年で様変わりした。哲学、地政学、芸術、テクノロジーといった多様な分野の知識を学び直しながら、自分の視座をもっと磨き続けたい。

COMPANY DATA
ワールド

1959年、神戸で婦人ニットの卸売業として設立。93年、小売業に進出。「アンタイトル」「インディヴィ」「タケオキクチ」「シューラルー」「オペーク ドット クリップ」などのブランド事業のほか、プラットフォーム事業、デジタル事業の3セグメントを推進する。子会社として子供服のナルミヤ・インターナショナル、ブランド古着の買取・販売店「ラグタグ」を運営するティンパンアレイなどがある。2024年2月期(国際会計基準、決算期変更のため11カ月の変則決算)業績は、売上収益2023億円、純利益67億円


問い合わせ先
ワールド(代表)
078-302-3111

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【ジョイックスコーポレーション 塩川弘晃社長】「ポール・スミス」を磨き 次世代顧客を獲得する

PROFILE: 塩川弘晃/社長

塩川弘晃/社長
PROFILE: (しおかわ・ひろあき)1967年4月24日生まれ。大阪府出身。大阪大学卒業後、90年に伊藤忠商事入社。「ポール・スミス」「ランバン」「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ」などに携わる。伊藤忠イタリー会社(ミラノ)社長、欧州総支配人補佐(ロンドン駐在)などを経て、2020年から現職 PHTO : KAZUO YOSHIDA

ジョイックスコーポレーションは、主力ブランド「ポール・スミス」を磨き上げる。リアル店舗とデジタルを活用し、新しい顧客との接点を作ることが最大のテーマだ。強みであるテーラリング、革小物をはじめとした雑貨の潜在需要はまだまだ大きいと塩川弘晃社長は考える。

革小物とジュエリー、
そして強みのテーラリング

WWD:「ポール・スミス」は2024年ホリデーシーズンのキャンペーンにSEVENTEENのJEONGHANを起用した。

塩川弘晃社長(以下、塩川):力を入れたキャンペーンだった。既存店はもちろん、ラフォーレ原宿と心斎橋パルコでは革小物やジュエリーなどギフトをテーマにしたポップアップを開催した。渋谷駅ハチ公口でのインパクトのある屋外広告、加えてSNSでの露出も積極的に仕掛けた。日本上陸から40年以上が過ぎ、お客さまも40〜50代が中心になっている。KOL(キー・オピニオン・リーダー)の起用によって20〜30代にリーチするのが目的だ。反響は大きく、手応えを感じている。今後もマーケティング投資に注力するつもりだ。

WWD:25年は何を仕掛けるのか。

塩川:2つの軸がある。1つはKOLの起用に代表される若い世代の取り込み。ここでは革小物やジュエリーを前面に押し出す。もう1つは大人の世代を中心に、改めてテーラリングを訴求する。テーラリングはポール・スミス氏が最も得意とするところ。ブランドの強みのカテゴリーを生かす正攻法だ。

WWD:新しい顧客をつかむ策はあるか。

塩川:デジタルの活用で接点を増やさなければいけない。若い世代ほど価値と価格のバランスに厳しい目を持つ。商品を探す際、まずECサイトで価格のフィルターをかけ、気に入ったものがあれば来店する。ブランドの感度と品質を守った上で、手を伸ばせば届くエントリー商品が必要だ。財布などの革小物であれば2万円以下、スーツであれば10万円以下。全体の価格を下げるのではなく、あくまで入り口を広げ「ポール・スミス」の商品を体験してもらいやすくすることで新しい顧客を獲得していく。

WWD:革小物が入り口になっている例が多いと聞く。

塩川:そう、革小物は重要だ。25年春から当社企画の商品も市場に投入することになった。これまで以上にマーケットインのMDを組めるだろう。百貨店の平場は当社にとって初の取り組み。情報の収集・分析をしっかり行い、平場とブティックとで相乗効果を出す。23年から当社に移管されたウィメンズとともにブランドの世界観を磨いていきたい。

塩川:長い夏への対応も課題だ。

鈴木:「ポール・スミス」に関しては5月から10月の6カ月間を夏と捉え、5〜7月と8〜10月の前半・後半に分けてMDを考える。カットソーや布帛シャツなどの軽衣料でメリハリを出し、鮮度を高める。また話題性のあるコラボレーションや雑貨類を充実させ、天候リスクに左右されないようにする。重衣料で成長した会社だけに意識の切り替えはなかなか難しいが、もうけの構造にメスを入れないと立ち行かなくなる。スーツ、ジャケット、コートは売るべき時期にしっかり売ればいい。もともと「ポール・スミス」は店頭でセールをしない。それだけに適時・適品の精緻なMDを追求しなければいけない。

WWD:「ポール・スミス」は独立した会員プログラムを23年に導入している。

塩川::リアル店舗と自社ECの顧客データを一元化し、活用する体制は整った。現在はカスタマープロファイル別に施策を実施し、その効果を検証している。1度購入していただいたお客さまを2度目の購入に促すコミュニケーションの仕組みを構築したり、また、お客さまにブランドへロイヤルティーを感じてもらえるようさまざまなCRM施策を仕掛ける。

WWD:それ以外のブランドは?

塩川:「ランバン オン ブルー」から昨年4月、ファミリー層を対象にした実験的なライン「エッセンシャル」をスタートした。ラフォーレ原宿のポップアップではインバウンド(訪日客)がけん引してよく売れた。引き続きECでテストを重ねていく。「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ」でも23年に始めた「ザ・ダファー・アンド・ネフューズ」の調子がいい。高感度なセレクトショップに絞った展開だが、若い世代からの評価が高く、ブランド価値向上にもつながっている。

WWD:将来を担う人材は育っているか。

塩川:一昨年「ポール・スミス」のウィメンズ事業が当社に移管され、約20店舗の販売員や内勤スタッフが入社した。女性社員が一気に40人前後増えた。その中には当社の将来を担う幹部候補となる人材もいる。当社は紳士服出身のため、良くも悪くも男性的な企業体質があったが、女性社員が増えたことによる化学変化が起こりつつある。従来の常識にとらわれないアイデアが現場から上がってきている。彼女たちの力を最大限に生かせる環境を作るのが私の仕事だ。女性社員の活躍に大きな可能性を感じている。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ゴルフでシングルプレーヤーになる』

ゴルフではさいわい80台のスコアは出せるものの、何度挑戦しても80を切れない。今年は必ず70台でシングルプレーヤーの仲間入りをしたい。グリーン上では全身、当社の「サイコバニー」を着て、私自身が広告塔になる。だからスコアにはこだわる。

COMPANY DATA
ジョイックスコーポレーション

1971年設立。82年に英国ポール・スミス社と提携。その後、海外の複数のブランドとパートナーシップを結び、現在日本に170店舗以上を運営する。2024年3月期の売上高は304億円。伊藤忠商事のグループ会社の一つ


問い合わせ先
ジョイックスコーポレーション
03-5213-2500

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エディ・スリマンも注目するLAのポスト・パンク・バンド、オートマティック(Automatic)インタビュー

デモを聴いたLAヒップホップ/ビート・シーンの重鎮、ピーナッツ・バター・ウルフがほれ込み、彼が主宰するレーベル「Stones Throw」から2019年にデビュー・アルバム「Signal」をリリースしたLA在住のバンド、オートマティック(Automatic)。メンバーは、リード・ボーカル&シンセのイジー・グラウディーニ(Izzy Glaudini)、ボーカル&ドラムのローラ・ドンペ(Lola Dompé)、ベースのヘイリー・サクソン(Halle Saxon)の3人で17年に結成された。

1980年代のガールズ・パンク/ニューウェイブ・バンド、ゴーゴーズ(The Go-Go's)の曲から名前が取られた彼女たちのサウンドは、スーサイドやヒューマン・リーグを連想させるシンセ・パンク/エレクトロ・ポップにドリーミーでサイケデリックなフィーリングがミックスされた、いわく「アンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズム」に貫かれた代物。そんな彼女たちに寄せられるラブコールは、ツアーにフックアップしたヤー・ヤー・ヤーズやテーム・インパラから、ショーの音楽制作を依頼したエディ・スリマンをはじめ、「ミュウミュウ(MIU MIU)」や「ジバンシィ(GIVENCHY)」といったラグジュアリー・ブランドまで、絶え間がない。2年前には「グッチ(GUCCI)」とコラボレーションし、彼女たちの楽曲を使ったキャンペーン映像が話題を呼んだことも記憶に新しい。

現時点で彼女たちの最新作になる2ndアルバム「Excess」(2022年)は、ムーディーでメロディックなエレクトロと幽玄なボーカル・ワークが耳を引く、いわばレトロ・フューチャリスティックなモーターリック・ポップの1枚。加えて、格差や気候変動など今の社会が抱える問題を、地元LAの現実を通して描写したシリアスでポリティカルなメッセージが印象的だ。すでにレコーディングを終えた次のアルバムが完成間近に迫る彼女たちは、昨年末に初めてのジャパン・ツアーを開催。東京でのライブ直前、イジーとローラに話を聞いた。

アンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズム

——ニュー・アルバムの「Excess」がリリースされて3年近くがたちますが、作品のテーマやコンセプトについて改めて教えてもらえますか。

イジー・グラウディーニ(以下、イジー):「Excess」は、政治的な問題や世界情勢に対して、より意識的に向き合ったものだったと思う。COVID-19の時に制作したこともあって、世の中の不平等や矛盾について深く考えさせられました。つまり、なぜ何もかもが劣化して、こんなひどいことになったのかを考える以外、することがなかったというか(笑)。特にロサンゼルスという街は貧富の差が極端で、大邸宅が建ち並ぶ地域があるかと思えば、1ブロック歩くとテントとホームレスの掘っ立て小屋の街があるという光景は、今の社会が抱える問題を象徴しているように思います。そうした矛盾を目の当たりにして、音楽を通じて何かを伝えたいという思いを強くしました。

——サウンドについてはどうですか。1stアルバムの「Signal」と比べると演奏やプロダクションも洗練された印象を受けましたが、自分たちのどんなスタイルが打ち出されたアルバムだといえますか。

イジー:私たちはとても折衷的なバンドで、いろいろな音楽にインスピレーションをもらっています。トリップホップ、ヒップホップ、時にはクラシック・ロック、そしてマジー・スター、ニュー・オーダー、イエロー・マジック・オーケストラなど、影響を受けたものを挙げればきりがない。それで、それらの要素を全部混ぜ合わせて、自分たちだけのオリジナルなサウンドをつくっている。私たちのバンドがクールなところは、そうした影響を全て取り入れて、自分たちのものにできる“ミニマル”さだと思う。

——その“ミニマル”というところで言うと、ギター・レスであることもオートマティックの特徴の一つだと思います。

イジー:私たちがオートマティックを始めたころのアンダーグラウンド・シーンにはギター・バンドがたくさんいて、何か違うことをやってみたかったんです。周りのバンドはとても“男性的”で、過剰な感じがしたというか。もともと私はギターを弾いていて、それまでシンセに触ったこともなかったので興味を引かれたのもありました。私たちの音楽理念は、いわばアンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズムのようなものです。面白い音楽をつくるのに技術的に優れている必要はない。シンセはとてもフレキシブルな楽器で、初心者に優しく、誰でもスイッチを入れてツマミをひねることでクールなサウンドをつくることができる。この先の作品ではギターを取り入れることもあるかもしれないけど、重要なのは進化し、新鮮であり続けることなんです。

——ボーカルをイジーさんとローラさんの2人で担当しているのは、どういう理由からだったんですか。

イジー:最初にジャムを始めた時から自然とそうでした。私たちの音楽はとてもシンプルでミニマルなので、2人の異なるボーカリストがいることで、曲のダイナミクスを高めることができる。それに、私たちは偶然にも正反対のタイプの声を持っていて。ローラは明るく、時にはパンクな声をしていて、私はもっと低音が効いていてすねたようなスタイルで、異なるエネルギーを組み合わせるのはクールだなって。

マッシヴ・アタックやポーティスヘッドからの影響

——「Excess」に収録されている「Automaton」はポーティスヘッドにインスパイアされた曲だそうですね。

イジー:ポーティスヘッドは私たちがやろうとしていることと似ていて、つまり、いろんなジャンルの音楽からたくさんの影響を受けています。サンプリングしたものをマッシュアップするDJカルチャーに近いというか。音楽に対する感性や、アイデアを組み合わせるセンスさえあれば、高度なテクニックはなくても、シンプルなビートやメロディから面白い曲はつくることができる。「Stones Throw」というレーベルが大好きな理由もそこにあって。あのレーベルの作品は、いろんな音楽の要素を混ぜ合わせて、独特な雰囲気を持った音楽をつくり出しているから。

ローラ・ドンペ(以下、ローラ):それに、「Excess」はダークでシネマチックな世界観を持った作品で、そこはマッシヴ・アタックやポーティスヘッドの影響も大きかったと思います。

——“シネマチック”と言えば、オートマティックはアルバムのジャケットやミュージック・ビデオ、ライブ中の映像演出も独創的です。アートワークのこだわり、またビジュアル面で影響を受けたアーティストを教えてください。

イジー:私たちのパフォーマン・スタイルはとてもストイックなので、プロジェクションや照明を使って、より魅力的なショーをつくるようにしています。ノワールで、ムーディーで、ちょっとSFチックなグラフィックが好きなんです。デヴィッド・リンチやアンディ・ウォーホル、フリッツ・ラングの映画、そしてLAで素晴らしいビデオやアートをつくっている友人たち――シルヴィー・レイクやアンバー・ナヴァロの映像作品から大きな影響を受けています。ちなみに、「Excess」のビジュアライザーはヤナ・パン(Yana PAN)が制作したもので、ヴァルター・ルットマンなどの1920年代のドイツのグラフィック・アーティストや、フリッツ・ラングのSF映画「メトロポリス」がインスピレーションになっています。

——LAには、あなたたちが所属する「Stones Throw」や「Leaving」といったレーベル、あるいは以前あった「Low End Theory」のようなパーティーに代表されるヒップホップやビート・シーンがあり、かたや、脈々と続くアンダーグラウンドでエクスペリメンタルなロック/ノイズ・シーンがあって。その二つのシーンが交差するところから面白い音楽が生まれているという印象があります。

ローラ:LAでは全てがつながっていて、私たちの音楽もいろんな要素が混ざり合って独自のスタイルをつくり上げている。だから「Stones Throw」と契約したんです。友達が何人かそこで働いていて、それでちょっとしたデモをつくって送ってみたら、ピーナッツ・バター・ウルフ(※「Stones Throw」の創設者)が気に入ってくれて。彼はポスト・パンクのバックグラウンドを持っていて、パンク・ミュージックの生々しいサウンドにこだわりがありました。それで私たちの音楽のパンクな部分に興奮してくれたみたいで、すぐに契約の話がまとまったんです。

イジー:私たちはドラムとベースが主体の音楽だから、リズムが前面に出ていて、スペースがたくさんある。そこは、ヒップホップのサンプリング・カルチャーやビートメイクに似ているところがある。私たちもドラムの音を細かく切り刻んだり、サンプラーを使って新しいサウンドをつくったりする。私たちはクラシックな訓練を受けたミュージシャンではないし、全て独学なんです。限られた環境の中で、クリエイティブに、自分たちの知っているやり方でやっていくしかない。それはある意味、ヒップホップのDIY精神に通じるものがあると思う。

ローラ:それに、私たちは女性でもある。だから、ちょっとしたアウトサイダーみたいな存在なんです。

——ちなみに、ローラさんのお姉さんはポカホーンテッド(Pocahaunted)のメンバーでしたよね。アンダーグラウンドなノイズ・シーンを代表するグループの一つで。

ローラ:2000年代は特に盛んでしたね。「Not Not Fun」とか。そう、あれは私たちが“生まれる前”のことで、直接その時代を経験したわけではないけれど、間違いなくインスピレーションを受けています。あのころは音楽シーンが今よりももっとエキサイティングで、DIY精神あふれるインディーズ・バンドがたくさん活躍していて。私はそういう音楽が身近にあったので、特に10代のころに聴いた音楽には大きな刺激を受けました。DIYの会場が街の至る所にあって、いつでも気軽にライブを観ることができた。この15年でだいぶ変わってしまったと思うけど、以前はもっと無邪気でパーティーみたいで、自由に音楽を楽しんでいたような気がする。今はよりシリアスで、ダークな雰囲気になったように感じます。

イジー:そして、とてもポリティカルになった――オバマの時代になってね。

ラグジュアリー・ブランドとのコラボ

——作品のリリースやライブと並行して、オートマティックはファッションとクロスオーバーした活動も盛んです。「セリーヌ」のショーのサウンドトラックの制作をはじめ、「ミュウミュウ」、「ジバンシィ」、「グッチ」といったラグジュアリー・ブランドとコラボレーションされていますが、どんなところに面白さを感じていますか。

イジー:全てブランドの方から声をかけてくれたんです。私たちの方からブランドのために音楽をつくるとか、何かを売り込むとか、そういうことを考えたことはなくて。でも、自分たちの曲がランウエイで流れるのはクールだし、とても新鮮です。自分たちの音楽を表現する手段の一つとして、ファッションはすごく面白いと思う。「ミュウミュウ」は素晴らしいブランドだし、「セリーヌ」はとてもクール。特にエディ・スリマンは音楽とファッションをクロスオーバーさせて、つねに新しい何かを生み出そうとしている。単なるブランドのデザイナーではなくて、スタイルやカルチャーを大切にしている人なんです。

今は企業が大きく関わっていて、商業的な要素が強くなった。だから面白くないと感じる部分もある。でも、もし私たちの音楽に心から共感してくれて、それに応えてくれるなら、大歓迎です。単に私たちの音楽を商品として扱おうとするような行為は、クソくらえだね(笑)。

——ちなみに、エディ・スリマンとはどんな形で知り合ったんですか。

イジー:私たちのバンドのベーシストのヘイリーが彼と知り合いで。彼女は以前、彼のモデルをやったことがあったんです

エディは、私が10代のころから好きだったミュージシャン、例えばガールズのクリストファー・オウエンスと一緒に仕事をしてきて。最近だと(テーム・インパラの)ケヴィン・パーカーもそう。そういえば前に、彼がLAのヘイリーウッド・パラディアムでやったファッションショーに行ったことがあって。イギー・ポップが来ていて、ストロークスやジョーン・ジェットのライブもあったりして、あれは最高でした。

ローラ:私たちの共通の友達が何人かモデルとしてランウエイを歩いていて。自分たちの身近なコミュニティーの人たちが、あんな大きなファッションショーに出ている姿を見るのはとてもクールで刺激的でした。異なる世界が一つにつながって、新しい何かが生まれていくような感覚があって。

——せっかくなので、2人が好きなブランドや、お気に入りのワードローブについて教えてください。

ローラ:「ミュウミュウ」は大好きなブランドです。それと、「ミュグレー(MUGLER)」の昔のコレクション。あと、90年代の「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」もよく着ています。着飾ることは、単なる自己表現じゃなくて、私たちにとってショーの一部なんです。その曲の世界観に入り込むことができて、エネルギーが湧いてくるというか。

イジー:それに、私たち3人はビンテージや古着のお店を見るのが大好きなんです。LAでは「グッドウィル」(※アメリカの有名スリフトストア)にもよく行くし、デザイナーの服を安く見つけるのは楽しい。クールな気分になるのにお金がかからないのは最高(笑)。特にヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)やティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)など、パンクの精神や美学を持ったデザイナーに憧れます。

(東京に来る前に)大阪に行った時は、デザイナーズ・ブランドの古着がたくさん置いてあるお店で、みんな夢中になっちゃって(笑)。つくりがしっかりしていて、長持ちするもの、そして見た目もかっこいいものを持つようにするのは大事なこと。個人的には、プリーツレザーを着るのが好きなんです。私みたいに面倒くさがりな人は、飲み物やブリトーのソースをこぼしても簡単に落とせるから(笑)。

——例えば、オートマティックの活動において、音楽とファッション、そして政治的なメッセージのバランスについてはどんなふうに考えていますか。

イジー:それについては時々考えることがあって。例えば、私が大好きなクラッシュには、政治的なメッセージを込めた音楽をつくりながらも、同時に楽観的なところがあり、ファッションやスタイルにもこだわる“本物”のかっこよさがありました。だから思うんです、政治的なテーマを扱っているからといって深刻になりすぎたり、シニカルになったりする必要はないって。音楽をつくるときには、楽しさや遊び心が大切だと思う――それってつまり、人生を謳歌するということだから。パンクは、ただ単に「何もかもが最悪だ」って現状への不満を叫ぶだけじゃなくて、世の中をもっと良くしたいという強い願いを込めた音楽だと思う。“革命的楽観主義”とでもいうか、物事を変えるために何かを信じる気持ちが必要だと思う。だから私たちも、政治的な問題を扱う時はただ暗くて絶望的な感じじゃなくて、聴いた人にインスピレーションを与えるような音楽をつくりたい。ファッションもそのための重要な要素の一つだと思っています。たとえ気候が悪化して、世の中が大変な状況でも、人生は楽しくあるべきだと思うから。

ローラ:ヴィヴィアン・ウエストウッドはまさにその良い例だと思う。彼女は、ファッションを通して社会問題に対する強いメッセージを発信しながらも、同時に人々を魅了するようなデザインをつくり上げた。つまり、楽しく、そして美的なものでなければいけなない。そうやって“境界線”を押し広げることが大切だと思います。

シネイド・オコナーのパンク精神

——先ほど「Excess」のテーマに関連してLAの貧富の問題について話してくれましたが、そうしたLAという都市の文化や風景が自分たちの作品や活動に与えている影響については、どう捉えていますか。

イジー:LAは、全てが過剰で、カートゥーンみたいな“つくり物”の都市なんです。サイケデリックで、ものすごくロマンチックで美しいんだけど、同時に、浅はかで恐ろしくてくだらない。そこが魅力的なところでもあり、ただ、それに抗っているような感覚が自分の中にはあって。映画に出てくるようなきらびやかな場所もあれば、ホームレスが何百人、何千人もいるような場所もある。そのギャップがすごくて、実際、そうした不合理な光景を目にするのは悲しいし、とてもつらい。家賃もクレイジーだし……。

毎日そこで生活していると、だんだん慣れてきてしまうんです。まるで夢と現実が入り混じったような……その雰囲気全体が私たちの音楽に影響を与えているのは間違いないと思います。「シュールレアリスム」というのは、まさにLAを表現するのにぴったりな言葉だと思う。「Excess」では、そうしたLAの光と影をそのまま表現したかったんです。

ローラ:世の中には、華やかでキラキラしたものがたくさんある。でも、その裏側には、目を背けたくなるような現実がある。その対比こそが、LAという街の日常であり、それが私たちを突き動かすエネルギーにもなっていると思います。

——そうした音楽を通じて社会と向き合うアクチュアルな姿勢に関して、自分たちのロールモデルになったアーティストを挙げるなら誰になりますか。

イジー:シネイド・オコナー、クリネックス(Kleenex)、ブロンディ、デビー・ヘイリー(ブロンディ)、ジーナ・エックス、マジースター、スージー・スー、サバーバン・ローンズ(Suburban Lawns)……私たちは女性だから、自然と他の女性アーティストに共感し、インスピレーションを受けることが多いんだと思います。それに、私たちが活動しているようなジャンルでは、女性アーティストが先駆者として道を切り開いてきた歴史がある。特に77年から82年のパンク・シーンの女性アーティストたちは、まさにその代表格だと思う。だけど、その時代の音楽の世界では、女性であることは大きなハンディキャップで、ある意味、とても“危険”だったと思う。ただ女性であるというだけで、多くのことと闘わなければならなかったから。

——シネイド・オコナーはどんなところに共感しますか。

イジー:彼女は、自分であることを貫き、自分の信じる道を真っすぐ突き進んだアーティストでした。そして、ローマカトリック教会内の性的虐待について声を上げたことで、世間から激しいバッシングを受け、まるで中世の魔女狩りのような扱いを受けた。本当に狂っている……でも、彼女は決してひるまなかった。ジャンヌ・ダルクのように、自分が正しいと思うことのために闘った。ボブ・ディランのコンサート(※1992年10月、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催された、ボブ・ディランのデビュー30周年を祝うコンサート)で何千人もの人がブーイングを浴びせる中、堂々と歌い続けた彼女の姿は(※予定していたボブ・ディランの曲をやめ、アカペラでボブ・マーリーの「WAR」を歌った)、まさにパンクの精神そのものでした。彼女は、世間の目を気にせず、自分の心の声に従った。私にとって彼女は、まさに真のパンク・アイコンなんです。

ローラ:彼女の声はとても力強く、それにあわせてクールな態度とスタイルを持っていました。

イジー:でも、社会は彼女が自分たちの望む姿に沿わなかったから、彼女を引き裂いた。なぜ丸刈りなのか、なぜドレスを着ないのか……そんなくだらない質問ばかり浴びせて。でも彼女は、そんな世間の期待に応えることなく、それに男性に受け入れられるかどうかを気にすることなく、アウトサイダーであること、政治的であることを貫くことで音楽業界の女性たちのために多くの扉を開いてくれた。彼女を愛しているミュージシャンは本当にたくさんいます。R.I.P.。とても悲しい。

——ローラさんにとっては、ミュージシャンとして活動する上でお父さん(※バウハウス(Bauhaus)のドラマーだったケヴィン・ハスキンス)の存在も大きなものがあったのではないでしょうか。

ローラ:私が父から受けた最も大きな影響は、彼の音楽に対する素晴らしいセンスと、ミニマルだけどインパクトのあるドラミングだと思う。

音楽と父に関する私の最も古い記憶は、父と母が親しい友人たちを招いてディナー・パーティーを開いている間、小さな子どもだった私はいつもリビングで遊んでいたこと。マッシヴ・アタックやデヴィッド・ボウイなど、父がパーティー中にかける音楽が大好きでした。音楽がその空間を盛り上げ、父とその友人たちがパーティーを楽しんでいる姿は、私の印象に強く残っています。

——ちなみに、次の新しいアルバムはどんな感じになりそうですか。

ローラ:次のアルバムでは、「Excess」のテーマをさらに掘り下げ、戦争についてももう少し言及したものになると思います。政治的な出来事に対して、人々がどんな反応をし、どう行動するのか。例えば、ある人は怒り、ある人は悲しみ、またある人は無関心を装うかもしれない。そんな、人々の複雑な感情や選択について歌っています。ソーシャルメディアや身近な人々の反応を通じて、同じような経験をしている人が世界中にたくさんいることに気づかされました。

——サウンドについてはどうでしょう?

ローラ:ライブで演奏するような、生のエネルギーをスタジオに持ち込みたいと思っていて。だから「Excess」とはまた違った、ダイナミックなサウンドになると思います。音の一つ一つが際立っていて、普段の私たちのサウンドをさらに昇華させたような感じかな。

イジー:ローレン・ハンフリー(Loren Humphrey)という新しいプロデューサーと一緒に制作していて、彼が全曲共同プロデュースという形で参加してくれています。ニューヨークのダイヤモンド・マインドというスタジオでレコーディングして、彼の家で一緒にミックスしました。全てアナログ機材で音を重ねていって、プラグインはあまり使っていない。そういう意味ではオールドスクールな感じというか、テープで録音したような温かみもありつつ、ちょっとパンクな要素も加わっていて……言葉では表現しにくいんだけど(笑)、生々しくてエッジの効いたサウンドになっていると思います。

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「コーチ」グローバルCMOが語る バッグメーカーから“自己表現のプラットフォーム”への脱皮

米タペストリー傘下の「コーチ(COACH)」はここ数年、老舗レザーブランドとしてのヘリテージを守りながら、着実に進歩を遂げてきた。

高品質な製品を、手に届くリアルな価格で提供する。そんな“アフォーダブル・ラグジュアリー”の先にある価値を追求するため、“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”を合言葉に、Z世代やアルファ世代などの若者の間で共感と支持を広げてきた。

バッグなどの生産工程で派生した端材などを生まれ変わらせて作る姉妹ブランド「コーチトピア(COACHTOPIA)」が象徴的な取り組みの一つだ。世界中のZ世代と「ベータ・コミュニティー」を形成し、サステナブルな価値観や考えを深めている。

「私たちはバッグを作るメーカーから、次世代の若者の自己表現のプラットフォームとして生まれ変わりたい」。そう語るのは、このほど来日した「コーチ」のグローバルチーフマーケティングオフィサー(CMO)であるサンディープ・セス(Sandeep Seth)氏。革製品メーカーを超えた視座でビジネスに取り組む「コーチ」のこれからをサンディープ氏に聞いた。

WWD:まず「コーチ」のグローバルビジネスの概況について聞きたい。

サンディープ・セス「コーチ」グローバルCMO(以下、サンディープ):堅調に成長している。それも健全に、値引きに頼らないビジネスができている。地域別では、まずアジアが好調だ。韓国では一昨年12月に着任した責任者の下で、商品企画の全面ローカライズを行った。また、ラッパーのイ・ヨンジを起用した2023秋のグローバルプロモーションは、現地のセレブのファッションや生活様式などを反映したクリエイティブが反響を呼んだ。

中国はマクロ経済の見通しが厳しいが、同国のZ世代の人口は5000万を超えるほどの規模がある。データ上では、私たちはそのわずか1%しか顧客化できていない。伸び代はまだまだあるということだ。北米もここしばらく景気が後退していたが、状況は良くなっている。ニューヨークの旗艦店のスタッフからは先日、「これまでで(単日の)最高の売り上げを達成した」という報告のメッセージが届いた。そして欧州ではここ2、3年、過去にないほどの伸長率を見せている。

WWD :好調要因をどう分析するか。

サンディープ:ターゲットを的確に理解し、求められている体験を届けられれば、よい反応を得られるということだ。コーチの80年以上のヘリテージは、変化の上では足かせにもなり得る。ときに、「シニアのためのブランド」と捉えられることもあった。だが近年は、次世代にふさわしいブランドに向け、着実なアップデートができている。強みのレザーバッグは、ブランドのヘリテージを大切にしながら若い層に向けて新鮮なエッセンスを提供できている。例えばアイコンバッグの“タビー”(TABBY)はZ世代の関心を引くような、これまでにない色や形の展開を広げた。“ブルックリン”“エンパイア”といった、ブランドのコアを再解釈し、新鮮な要素を取り入れた商品開発にも取り組んでいる。フットウエア、特にスニーカーは次なる柱に成長させられる確信があるから、もっと展開を強化したい。25年春夏のランウエイにも登場したスニーカーの“ソーホー”は私自身も愛用している、すばらしい一足だ。

WWD:ニューヨークで発表した25年春夏コレクションは、自由でポジティブな表現が目を引いた。

サンディープ:それが伝わって何よりだ。私たちは高品質な製品を通じたラグジュアリーな体験を、インクルーシブな価格帯で、なるべく多くの人に提供する。この価値はこれからも変わらないだろう。ただ、商品はあくまでブランドの一部であり、“Courage To Be Real(リアルに生きる勇気)”という我々のパーパスを実現する上での、重要なピースの一つだと捉えている。私たちは3年ほど前から“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”という新しい合言葉の下に変革を進めている。

WWD:“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”とは。

サンディープ:セルフ・エクスプレッション。つまり自己表現をする人に自信を持ってもらえるような、新しい価値のこと。ラグジュアリーはこれまでステータスやロゴが重要視されてきたが、その価値観はZ世代やα世代の中で大きく変容している。彼・彼女たちにとってラグジュアリーとは、「見せびらかし」ではなく、自己表現そのものだ。

今、若い世代は2つの大きな変化の中にいる。一つはソーシャルメディアによる世界の変容。SNSでは、自分たちの行いや思いが全て記述されている。私の子供時代は、私のことは私の周りの友人しか知り得なかったが、今はそこに自分の全てが表現されているわけだ。今の若者は、自己表現への感度や意識が、私たちの子供の頃とまるで違う。

オンラインとオフラインが融和した世界の複雑さが、さまざまな個性や表現を生んでいる。1人のおとなしい若者が、ティックトックだとアグレッシブな性格に変わり、インスタでは別の人格で表現している。そんなことはザラにあるだろう。バーチャルアバターを持っているかもしれない。たくさんの自己表現の形が生まれる中で、「コーチ」は若い世代の自己表現のプラットフォームになりたいと考えている。

自己表現は、「Courage to Be Real」のパーパスを実現する上で欠かせないもの。24年秋冬の“Unlock Your Courage”(自分らしさの、その先へ)』のキャンペーンは、完璧さを求めることは、時に自己表現の妨げになることもあるからこそ、「ありのままの自分を受け入れる勇気を持ってもらいたい」というメッセージを込めた。

WWD:23年にスタートした姉妹ブランド「コーチトピア」は、Z世代を巻き込みながら、サステナビリティに本気でコミットしている。

サンディープ:「コーチトピア」は、「コーチ」のバッグを製造する上で生まれた歯切れから作られている。エンジニアリングに求められる投資や技術力は非常にヘビーなものだが、このようなイノベーションに、商品開発レベルから深く取り組んでいるファッション企業は他にはないと自負している。若い顧客を中心に非常にいいリアクションを頂いていて、発売後はすぐに完売することが多々ある。

「コーチトピア」では、Z世代を巻き込んだ「ベータ・コミュニティー」というグローバルコミュニティーを作っている。ファッション業界が与える環境負荷への課題認識を共有する学生やクリエイター、環境活動家など約200人が所属していて、各地でサステナビリティにまつわる意見交換などを通じ、考えを深めている。これも「自己表現の場」として、コーチが目指すべきモデルケースの一つになっている。

「コーチ」、Z世代200人と共創 循環型ブランド起点に広がるコミュニティー

WWD:新世代の価値観にキャッチアップするためには?

サンディープ:新しいチャレンジを連続すること。多くの人は壊れそうなものがあったら、そっとしておくはずだ。だが私は、まだ壊れていないものがあったら「壊せ」と言う。そこからまた、新しいものを作ることができる。でないと、周りから取り残されてしまう。足を止めてしまってはダメなんだ。今の世の中において物事の移り変わるスピードは加速度的だ。変化を理解し、予測するには、消費者を洞察することが欠かせない。

WWD:「洞察」とは具体的に?

サンディープ:僕はビジネスで「マジック」と「ロジック」という言葉を頻繁に使う。お客さまを魅了するマジック(魔法)を使うには、ビジネスのターゲットについて理解しないと、効力を発揮しない。そのロジック(論理)を理解するための材料がデータだ。ただ、定量調査だけでは足りない。傾向が分かっても、その背景が分からなければ、使い物にならない。だから定性調査、つまりリアルに“人”と接することが必要だ。

私は、オフィスで腰を落ち着けていることはあまりない。世界を飛び回り、各国のお客さまの自宅を訪問し、今の生活についてや憧れ、リアルな思いを聞いている。クローゼットの中身も見せてもらう。服を着たとき、バッグを持ったときにどういう気持ちになるか?を聞く。もちろん、お買い物にも同行させていただく。お客さま1人と4、5時間を一緒に過ごしていることはザラだ。

この前はソウルで、男の子のコンピューターゲームの集まりについて行って、若者たちに怪訝な目で見られたよ(笑)。福岡では24歳の女性に会って、ひどく感銘を受けた。彼女は学校を中退していて、ソーシャルメディアで2万人のフォロワーがいた。彼女が世の中をどういうふうに見ているかを話してくれた。きっとこの世代だったら、世界のあらゆることを変えられると感じた。そして、私の家にいる2人のZ世代、19歳の息子と14歳の娘からも常に学ぼうとしている。

WWD:若者たちから感じることは?

サンディープ:みんな、葛藤している。自己表現はしたいけれど、周りが受け止めてくれるかどうか?と悩んでいる。服をどう着こなし、どう行動したらいいか分からない。一歩が踏み出せないんだ。だから「コーチ」は彼・彼女たちに寄り添える、自己表現のプラットフォームになりたい。自信を持って自己表現するための、インスピレーション源になりたい。

だからバッグマーケットのシェアをひたすら奪取しようという視点からは、もうすでに離れている。「コーチ」といえば“バッグ”ではなく、“自己表現の場所”。皆さんからそう思ってもらえることを、心から望んでいるんだ。

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深川麻衣 × 若葉竜也 映画「嗤う蟲」で感じた「城定監督のすごさ」——「みんなの想像を超えてくる」

PROFILE: 右:深川麻衣/俳優 左:若葉竜也/俳優

PROFILE: (ふかがわ・まい)1991年生まれ、静岡県出身。2017年舞台「スキップ」で初主演。18年には主演映画「パンとバスと2度目のハツコイ」でTAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞。主な出演作として、「愛がなんだ」(19)、「水曜日が消えた」(20)、「今はちょっと、ついてないだけ」(22)、「パレード」(24)などがある。「おもいで写眞」(21)、「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」(23)では主演を務めた。「他と信頼と」(24)、朗読劇「ハロルドとモード」(24)など舞台でも活躍の幅を広げている。 (わかば・りゅうや)1989年生まれ、東京都出身。「葛城事件」(16)での鬼気迫る芝居で注目を集め、第8回TAMA映画賞・最優秀新進男優賞を受賞。「愛がなんだ」(19)や「街の上で」(21)、「窓辺にて」(22)など今泉力哉監督作品で欠かせない存在に。近年の出演作として、「ちひろさん」(23)、「愛にイナズマ」(23)、「市子」(23)、「ペナルティループ」(24)、「ぼくのお日さま」(24)。ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」(24)では、第120回ザテレビジョン・ドラマアカデミー賞・最優秀助演男優賞、東京ドラマアウォード 2024 助演男優賞を受賞。

城定秀夫(じょうじょう・ひでお)監督の快進撃が止まらない。青春映画「アルプススタンドのはしの方」(2020)や、恋愛映画「夜、鳥たちが啼く」(22)、ラブコメディー「愛なのに」(22)などジャンルを自由自在に行き来しながら、人間を深く活写する。2020年以降だけでもなんと16本の商業長編映画を監督している多作ぶりに驚かされる。

その城定監督の最新作「嗤う蟲(わらうむし)」が現在公開中だ。スローライフに憧れて田舎の村に移住したイラストレーターの杏奈(深川麻衣)と、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)のカップルが、村の掟に追い詰められていく姿を描くヴィレッジスリラー。

ジャンル映画でありながら、ありえないことが何一つないリアリティーにより、観客が自分事として没入できるこれぞエンターテインメント。現場を体験した深川と若葉へのインタビューから、城定秀夫監督のクリエイティブの秘密に迫る。

「嗤う蟲」の撮影について

——「嗤う蟲」に出演するにあたり、興味を惹かれた、もしくはやりがいを感じたポイントをお聞かせください。

深川麻衣(深川):サスペンスやミステリーを題材にしたものがもともと好きで、映画やドラマ、小説で楽しんでいました。閉鎖的な村を舞台にした作品がいろいろ作られてきた中で、「嗤う蟲」の後半で明らかになっていく、村の人たちが隠している秘密に対する着眼点に惹かれました。今までありそうでなかったなって。城定監督と初めてご一緒できることもうれしかったです。

若葉竜也(若葉):城定さんに対してずっと興味があったんです。今は大作も撮ってますけど、もともと割とアンダーグラウンドな場所で戦っていたイメージがあったので。その城定さんと、しっかりとメインストリームに君臨している深川麻衣という女優が一緒にやったときに、どんな化学反応が起きるのかなということに一番興味がありました。

——城定監督が現場ではどんな演出をするのか、とても興味があります。

若葉:「自由にやってください」みたいな感じでしたね。

深川:そんなに細かい演出はなくて、ピンポイントで入る程度なんですけど、それがすごく的確でした。杏奈がリモートで(担当の編集者と)打ち合わせしているシーンで、本番直前に「貧乏ゆすりをずっとしててほしい」と言われて。「どう撮るのかな、上半身と下半身のカットを分けるのかな」と思っていたら、貧乏ゆすりしている足元から愛想笑いしている顔までを、カメラがスーッと動いてワンカットで撮影したんです。すごく面白いなと思いました。

——あのカメラワーク、面白かったです。杏奈の貧乏ゆすりも強烈でした。

若葉:すごく長いシーンでも、ほとんどワンシーンをワンカットで撮ってました。「この尺感で、必要なものは全てフレームに詰め込める」という計算がある程度あるんだな、自信があるんだな、と思いました。段取りとテストを同時にやって、アングルも城定さんの中でほぼ決まっているからすぐに本番へ。毎日3時間くらい予定より早く終わってました。

深川:城定さんはすでに頭の中に絵が見えていたと思うのですが、ライブ感を大切にしていて、しっかりとお芝居を見ていてくださいました。家の軒先に蜘蛛の巣ができていたときは、蜘蛛の巣越しのカットにしようとか、現場でそのときの環境やお芝居を見て決めていくんです。トントントンっと撮影が進んでいくけれど、丁寧に撮るところはちゃんと時間をかけて準備をする。その進み方が心地よかったです。

若葉:アクションシーンだったらテストや段取りを積み重ねた方がいいと思いますし、感情的なシーンだったらテイク数もアングルも少なくしてほしいというのが役者の願いではあると思います。今回は(田口)トモロヲさんや松浦(祐也)さんといった(村の住民を演じる)個性豊かな俳優さんたちがどんなことをやってくるのか分からなかったので、それに対する生っぽいリアクションも撮れるという意味では、このスピード感は大切だったように感じます。

——村の人たちが仕掛けてくるものをいかに受けていくか、というお芝居だった。

若葉:そうですね。僕らは余計なことはしなかったです。

深川:基本、受け身でした。村人のみなさんの言動があってこそのリアクションだったので。ナチュラルに、余計なことをしないように。

若葉:みなさん全然違う毛色のお芝居でした。全員の演技を間近で見ることができたのは、特権だったかなと思います。

深川:台本を読んでいただけでは想像できなかったお芝居やアプローチがみなさんからどんどん飛び出してくるので、そこに新鮮な気持ちで反応していくという体験が面白かったです。

——特に強烈だった俳優さんはいますか?

若葉:僕は接する場面が多かったので、(自治会長の田久保役の)トモロヲさんですね。トモロヲさんはもともとばちかぶりというパンクバンドで大暴れしていた人で。すごく優しいし腰も低いけど、その中に潜んでいる狂気みたいなものがあって。それに触れた瞬間は、今までに触ったことのないものに触ってしまった、という感覚があってゾッとしました。

「作品に対してどう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事」

——杏奈と輝道が追い込まれてじわじわと変化していく様がそれぞれにリアルでした。終盤の杏奈は顔の面積の中で白目部分が占める割合が大きいというか、目がぎょろぎょろしていて異様というか…。多少体重を落としたり、特殊メイクをしたりしましたか?

深川:いえ、特別なことは何もしていないです。仕上がったものを見て、すごい顔をしているなと自分でも思いました(笑)。ジャンルレスな映画ということになっていますが、こういうヴィレッジスリラー的な題材のものはやはり、監督によっては分かりやすいお芝居を求められるときもあると思うんです。「もっと強く、分かりやすく気持ちを表現して」と。でも今回はかなり繊細にやらせていただけました。

——輝道の全身から漂う「諦めていく感じ」も素晴らしかったです。

若葉:作為的なものを入れることでもないなと思っていたので、台本に書かれている通りにやりました。あと、ロケ地があまり自分に合ってなかったです。その場所に行くのがどんどん嫌になっていったので、自分の精神と肉体が役とリンクしていた感じはあります。

深川:心霊体験もしてましたよね。

若葉:晴れていても暗い、閉鎖的な場所だったので、早く帰りたかったです(笑)。

深川:私は撮影した場所が緑が多くて、自然が好きなので生き生きしてました。

——受け取り方が全然違いますね(笑)。お2人は「愛がなんだ」(18/今泉力哉監督)以来の共演となります。今回は夫婦役ということで、どのように役柄の関係性をつくっていきましたか?

若葉:夫婦だから特別どうこうしようということはなかったです。夫婦も所詮他人なので、対人間として呼応していきました。

深川:特に「このシーンをこうしよう」とか話したわけではなく。でも、「愛がなんだ」で共演した経験から、何をやっても受け止めてくれるという信頼感と安心感が土台にありました。言い合いや殴るシーンもあったんですけど、若葉くんだから思い切り気持ちをぶつけることができました。

——若葉さんは過去のインタビューで、主演する作品では脚本の打ち合わせに入ることが多いとおっしゃっていました。今回は何か提案しましたか?

若葉:台詞の中の抽象を具象にしていきました。例えば「コンビニに行ってくるわ」という台詞があったとしたら、「セブン(イレブン)行ってくるわ」にした方が見てる人たちの環境と地続きになると思うんです。一つの接点になるというか。今回は「台詞の『電子タバコ』を『IQOS』にできますか?」という相談はしました。その作品に対してどういう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事だと思うので。

——深川さんは杏奈について提案したことはありますか?

深川:いくつかの台詞について「こう言った方が分かりやすいですかね?」という相談はしました。あと、今回杏奈は途中で出産するんですけど、世の中のお母さんが見たときに、杏奈の言動に違和感を持ってほしくないなと思って。出産経験のあるお友達に話を聞きました。(田久保の妻の)よしこさんがおせっかいで赤ちゃんの面倒を見に来ることになるシーンで、本当は嫌だけれどよしこさんに任せて、杏奈は2階で仕事をしてて。しばらくして杏奈が下に降りていくと、よしこさんがミルクを勝手にあげている。「何してるんですか!」と怒って、赤ちゃんを取り戻すんですけど、そのときの不快感ってどのぐらいなんだろうって。そこでお芝居として大きな嫌悪を出さなければいけない場合、そもそも目を離して仕事をしていることが違和感にならないかなと考えました。「第1子だったら特に慎重になるから、離れるときはベビーカメラを付けて見てたりするよ」という人もいて。この夫婦はスローライフに憧れてはいるけれどデジタルに頼っているところもあるので、ベビーカメラがあっても不思議じゃないのかなと思って、提案してみたりしました。

城定監督のすごさ

——城定監督の現場を体験したお2人から見て、監督が近年ハイペースで映画を撮ることができるのはなぜだと思いますか?

若葉:城定さんと1回プライベートでご飯を食べに行ったとき、「なんでこんなに急にとんでもない数の映画を撮り出したんですか?」と聞いたら、「いや分かんないけど、撮るスピードが速いし、予算もそんなかかんないし、プロデューサーからしたら便利なんじゃない?」と言ってました(笑)。でもそれだけじゃないですよね。やっぱりみんなの想像を超えるからじゃないでしょうか。僕も、撮影中と試写を見てからでこの映画の印象が変わりました。自分が思っていたリズムでは全然なかったんです。「あ、このリズムがこの人には見えていたんだ」と。正直、現場では「こんなにもワンカットでいっていいのかな」と不安になることが多かったんですけど、本編を見たら全くそんな心配はいらなかったことが分かりました。出来を見て「また一緒に仕事したいな」と思える監督は最高だと思います。

深川:演出と、判断の的確さが本当にすごいなと思います。私も今回ワンカット・ワンシーンが多かったので、つながったときにどういう映像になるのか全然想像がつかなくて。もうちょっとスローテンポの作品になるのかなと思ったんですけど(うなずく若葉)、試写を見たら、つなぎ方や間に入れるちょっとしたショットで、見ている人がハッとさせられたり、緊迫感のある不気味な空気が漂うシーンになっていました。城定さんは撮影しながら頭の中でこれをイメージできていたのか、という驚きがありました。

2024年を振り返って

——2024年は若葉さんにとって激動の年になったのではないでしょうか。「アンメット」で6年ぶりに民放の連ドラに出演し、「東京ドラマアウォード2024」で助演男優賞を受賞。「大きな転機になった作品だと思っています。良くも悪くもかもしれないですが」という受賞コメントが印象的です。これからどういう作品に出ていきたいかがより明確になりましたか?

若葉:激動でしたけど、自分の指針がブレることはまずないです。ただ、転機ということでいうと、生活しづらくなったなって(苦笑)。収入が爆発的に上がったわけでもないし、デメリットの方が大きいんですよね。顔が知られてしまって。

深川:世の中に。

若葉:そう。面倒くさいことの方が多くなりました。ただ、まだ解禁になってないんですけど、昨年末まで撮影していた作品で、自分が目標にしていた場所にたどり着いた感じがあったんです。

深川:そうなんですね。

若葉:演技に関してではなくて、「こんな人たちと、こんな風に、こんな作品を」というものを作れたんじゃないかと少し思えたんです。今から環境を変えるということではないですけど、ちょっと自分を裏切っていきたいなというか、視点を少し変えて違うステージを見つめていきたいな、みたいなことはぼんやりとは思いました。

——情報解禁が楽しみです。深川さんは何か転機や心境の変化はありましたか?

深川:2024年でいうと、3年ぶりに舞台ができたことが大きかったです。舞台はかなり気合を入れないと、本当に自分を奮い立たせないと怖くてできない場所なんです。今まで私が出演した舞台はコメディータッチのものが多かったんですけど、日常に沿うような舞台をやってみたいと思っていて、そういう題材の作品(「他と信頼と」)でたまたまオファーをいただけて、できたことが大きかったです。立て続けに朗読劇「ハロルドとモード」にも出ることができました。お話自体も大好きでしたし、ご一緒した黒柳徹子さんが「100歳まで舞台に立ちたい」とおっしゃっていて、本当にすてきでした。

若葉:(真剣な表情で)うん。

深川:2時間出ずっぱりですごくパワーも使う中、立ち居振る舞いも、誰に対しても同じ目線で話してくださるところも、とてもチャーミングでした。自分は100歳までできないかもしれないですけど、お仕事でも趣味でも意識して好きなものを探求していかないと駄目だなと思いました。「なんかないかなー」ではなくて、自分から意識して選択して、充実させて、ずっと新鮮な気持ちでやる。それが大事だなと思った年でした。

——昨年は若葉さんがメインストリームに再合流した年だったわけですが、できれば普段は地下に潜っていたい?

若葉:僕はそうですね。できることなら、メディアとかテレビとか一切出たくないですね(笑)。出ることで収入が150倍くらいになったらいいですけど、そんな感じでもないし。聖人君子か、聞き分けのいい子以外はめんどくさい人として扱われる世界なんで、僕は向いてないんですよね。

深川:うん(笑)。

若葉:この業界がこのままの方向に進んでいくんだったら、興味ないなという感じではあります。ただ、今はできることをやろうかなとは、ぼんやりとは思っています。

——その業界のメインストリームで戦ってきた深川さんのことはどうご覧になっていますか?

若葉:多分ご本人の中で嫌なこともあったとは思うんですけど、表舞台に立ってきた人の強さを感じます。迷いながらも戦ってきた面構えというか、懐の深さを感じました。深川麻衣さんと城定監督、そして曲者ぞろいの役者たち、すてきな化学反応を特等席で見せてもらいました。

——深川さん、曲者たちに全然負けていなかったです。

若葉:いやむしろ(笑)。

深川:ありがとうございます。でも私は全然メインストリームじゃないですよ!(笑)。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLING:[MAI FUKAGAWA]YAMAGUCHI KAHO、[RYUYA WAKABA]TOSHIO TAKEDA(MILD)
HAIR & MAKEUP:[MAI FUKAGAWA] AYA MURAKAMI
HAIR:[RYUYA WAKABA]ASASHI(ota office)

映画「嗤う蟲」

■映画「嗤う蟲」
全国公開中
出演:深川麻衣
若葉竜也
松浦祐也 片岡礼子 中山功太 / 杉田かおる
田口トモロヲ
監督:城定秀夫
脚本:内藤瑛亮、城定秀夫
音楽:ゲイリー芦屋
編集:城定秀夫
配給:ショウゲート
製作プロダクション:ダブ
2024年/日本/カラー/99分/5.1ch/シネスコ/PG-12
Ⓒ2024 映画「嗤う蟲」製作委員会
https://waraumushi.jp

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深川麻衣 × 若葉竜也 映画「嗤う蟲」で感じた「城定監督のすごさ」——「みんなの想像を超えてくる」

PROFILE: 右:深川麻衣/俳優 左:若葉竜也/俳優

PROFILE: (ふかがわ・まい)1991年生まれ、静岡県出身。2017年舞台「スキップ」で初主演。18年には主演映画「パンとバスと2度目のハツコイ」でTAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞。主な出演作として、「愛がなんだ」(19)、「水曜日が消えた」(20)、「今はちょっと、ついてないだけ」(22)、「パレード」(24)などがある。「おもいで写眞」(21)、「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」(23)では主演を務めた。「他と信頼と」(24)、朗読劇「ハロルドとモード」(24)など舞台でも活躍の幅を広げている。 (わかば・りゅうや)1989年生まれ、東京都出身。「葛城事件」(16)での鬼気迫る芝居で注目を集め、第8回TAMA映画賞・最優秀新進男優賞を受賞。「愛がなんだ」(19)や「街の上で」(21)、「窓辺にて」(22)など今泉力哉監督作品で欠かせない存在に。近年の出演作として、「ちひろさん」(23)、「愛にイナズマ」(23)、「市子」(23)、「ペナルティループ」(24)、「ぼくのお日さま」(24)。ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」(24)では、第120回ザテレビジョン・ドラマアカデミー賞・最優秀助演男優賞、東京ドラマアウォード 2024 助演男優賞を受賞。

城定秀夫(じょうじょう・ひでお)監督の快進撃が止まらない。青春映画「アルプススタンドのはしの方」(2020)や、恋愛映画「夜、鳥たちが啼く」(22)、ラブコメディー「愛なのに」(22)などジャンルを自由自在に行き来しながら、人間を深く活写する。2020年以降だけでもなんと16本の商業長編映画を監督している多作ぶりに驚かされる。

その城定監督の最新作「嗤う蟲(わらうむし)」が現在公開中だ。スローライフに憧れて田舎の村に移住したイラストレーターの杏奈(深川麻衣)と、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)のカップルが、村の掟に追い詰められていく姿を描くヴィレッジスリラー。

ジャンル映画でありながら、ありえないことが何一つないリアリティーにより、観客が自分事として没入できるこれぞエンターテインメント。現場を体験した深川と若葉へのインタビューから、城定秀夫監督のクリエイティブの秘密に迫る。

「嗤う蟲」の撮影について

——「嗤う蟲」に出演するにあたり、興味を惹かれた、もしくはやりがいを感じたポイントをお聞かせください。

深川麻衣(深川):サスペンスやミステリーを題材にしたものがもともと好きで、映画やドラマ、小説で楽しんでいました。閉鎖的な村を舞台にした作品がいろいろ作られてきた中で、「嗤う蟲」の後半で明らかになっていく、村の人たちが隠している秘密に対する着眼点に惹かれました。今までありそうでなかったなって。城定監督と初めてご一緒できることもうれしかったです。

若葉竜也(若葉):城定さんに対してずっと興味があったんです。今は大作も撮ってますけど、もともと割とアンダーグラウンドな場所で戦っていたイメージがあったので。その城定さんと、しっかりとメインストリームに君臨している深川麻衣という女優が一緒にやったときに、どんな化学反応が起きるのかなということに一番興味がありました。

——城定監督が現場ではどんな演出をするのか、とても興味があります。

若葉:「自由にやってください」みたいな感じでしたね。

深川:そんなに細かい演出はなくて、ピンポイントで入る程度なんですけど、それがすごく的確でした。杏奈がリモートで(担当の編集者と)打ち合わせしているシーンで、本番直前に「貧乏ゆすりをずっとしててほしい」と言われて。「どう撮るのかな、上半身と下半身のカットを分けるのかな」と思っていたら、貧乏ゆすりしている足元から愛想笑いしている顔までを、カメラがスーッと動いてワンカットで撮影したんです。すごく面白いなと思いました。

——あのカメラワーク、面白かったです。杏奈の貧乏ゆすりも強烈でした。

若葉:すごく長いシーンでも、ほとんどワンシーンをワンカットで撮ってました。「この尺感で、必要なものは全てフレームに詰め込める」という計算がある程度あるんだな、自信があるんだな、と思いました。段取りとテストを同時にやって、アングルも城定さんの中でほぼ決まっているからすぐに本番へ。毎日3時間くらい予定より早く終わってました。

深川:城定さんはすでに頭の中に絵が見えていたと思うのですが、ライブ感を大切にしていて、しっかりとお芝居を見ていてくださいました。家の軒先に蜘蛛の巣ができていたときは、蜘蛛の巣越しのカットにしようとか、現場でそのときの環境やお芝居を見て決めていくんです。トントントンっと撮影が進んでいくけれど、丁寧に撮るところはちゃんと時間をかけて準備をする。その進み方が心地よかったです。

若葉:アクションシーンだったらテストや段取りを積み重ねた方がいいと思いますし、感情的なシーンだったらテイク数もアングルも少なくしてほしいというのが役者の願いではあると思います。今回は(田口)トモロヲさんや松浦(祐也)さんといった(村の住民を演じる)個性豊かな俳優さんたちがどんなことをやってくるのか分からなかったので、それに対する生っぽいリアクションも撮れるという意味では、このスピード感は大切だったように感じます。

——村の人たちが仕掛けてくるものをいかに受けていくか、というお芝居だった。

若葉:そうですね。僕らは余計なことはしなかったです。

深川:基本、受け身でした。村人のみなさんの言動があってこそのリアクションだったので。ナチュラルに、余計なことをしないように。

若葉:みなさん全然違う毛色のお芝居でした。全員の演技を間近で見ることができたのは、特権だったかなと思います。

深川:台本を読んでいただけでは想像できなかったお芝居やアプローチがみなさんからどんどん飛び出してくるので、そこに新鮮な気持ちで反応していくという体験が面白かったです。

——特に強烈だった俳優さんはいますか?

若葉:僕は接する場面が多かったので、(自治会長の田久保役の)トモロヲさんですね。トモロヲさんはもともとばちかぶりというパンクバンドで大暴れしていた人で。すごく優しいし腰も低いけど、その中に潜んでいる狂気みたいなものがあって。それに触れた瞬間は、今までに触ったことのないものに触ってしまった、という感覚があってゾッとしました。

「作品に対してどう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事」

——杏奈と輝道が追い込まれてじわじわと変化していく様がそれぞれにリアルでした。終盤の杏奈は顔の面積の中で白目部分が占める割合が大きいというか、目がぎょろぎょろしていて異様というか…。多少体重を落としたり、特殊メイクをしたりしましたか?

深川:いえ、特別なことは何もしていないです。仕上がったものを見て、すごい顔をしているなと自分でも思いました(笑)。ジャンルレスな映画ということになっていますが、こういうヴィレッジスリラー的な題材のものはやはり、監督によっては分かりやすいお芝居を求められるときもあると思うんです。「もっと強く、分かりやすく気持ちを表現して」と。でも今回はかなり繊細にやらせていただけました。

——輝道の全身から漂う「諦めていく感じ」も素晴らしかったです。

若葉:作為的なものを入れることでもないなと思っていたので、台本に書かれている通りにやりました。あと、ロケ地があまり自分に合ってなかったです。その場所に行くのがどんどん嫌になっていったので、自分の精神と肉体が役とリンクしていた感じはあります。

深川:心霊体験もしてましたよね。

若葉:晴れていても暗い、閉鎖的な場所だったので、早く帰りたかったです(笑)。

深川:私は撮影した場所が緑が多くて、自然が好きなので生き生きしてました。

——受け取り方が全然違いますね(笑)。お2人は「愛がなんだ」(18/今泉力哉監督)以来の共演となります。今回は夫婦役ということで、どのように役柄の関係性をつくっていきましたか?

若葉:夫婦だから特別どうこうしようということはなかったです。夫婦も所詮他人なので、対人間として呼応していきました。

深川:特に「このシーンをこうしよう」とか話したわけではなく。でも、「愛がなんだ」で共演した経験から、何をやっても受け止めてくれるという信頼感と安心感が土台にありました。言い合いや殴るシーンもあったんですけど、若葉くんだから思い切り気持ちをぶつけることができました。

——若葉さんは過去のインタビューで、主演する作品では脚本の打ち合わせに入ることが多いとおっしゃっていました。今回は何か提案しましたか?

若葉:台詞の中の抽象を具象にしていきました。例えば「コンビニに行ってくるわ」という台詞があったとしたら、「セブン(イレブン)行ってくるわ」にした方が見てる人たちの環境と地続きになると思うんです。一つの接点になるというか。今回は「台詞の『電子タバコ』を『IQOS』にできますか?」という相談はしました。その作品に対してどういう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事だと思うので。

——深川さんは杏奈について提案したことはありますか?

深川:いくつかの台詞について「こう言った方が分かりやすいですかね?」という相談はしました。あと、今回杏奈は途中で出産するんですけど、世の中のお母さんが見たときに、杏奈の言動に違和感を持ってほしくないなと思って。出産経験のあるお友達に話を聞きました。(田久保の妻の)よしこさんがおせっかいで赤ちゃんの面倒を見に来ることになるシーンで、本当は嫌だけれどよしこさんに任せて、杏奈は2階で仕事をしてて。しばらくして杏奈が下に降りていくと、よしこさんがミルクを勝手にあげている。「何してるんですか!」と怒って、赤ちゃんを取り戻すんですけど、そのときの不快感ってどのぐらいなんだろうって。そこでお芝居として大きな嫌悪を出さなければいけない場合、そもそも目を離して仕事をしていることが違和感にならないかなと考えました。「第1子だったら特に慎重になるから、離れるときはベビーカメラを付けて見てたりするよ」という人もいて。この夫婦はスローライフに憧れてはいるけれどデジタルに頼っているところもあるので、ベビーカメラがあっても不思議じゃないのかなと思って、提案してみたりしました。

城定監督のすごさ

——城定監督の現場を体験したお2人から見て、監督が近年ハイペースで映画を撮ることができるのはなぜだと思いますか?

若葉:城定さんと1回プライベートでご飯を食べに行ったとき、「なんでこんなに急にとんでもない数の映画を撮り出したんですか?」と聞いたら、「いや分かんないけど、撮るスピードが速いし、予算もそんなかかんないし、プロデューサーからしたら便利なんじゃない?」と言ってました(笑)。でもそれだけじゃないですよね。やっぱりみんなの想像を超えるからじゃないでしょうか。僕も、撮影中と試写を見てからでこの映画の印象が変わりました。自分が思っていたリズムでは全然なかったんです。「あ、このリズムがこの人には見えていたんだ」と。正直、現場では「こんなにもワンカットでいっていいのかな」と不安になることが多かったんですけど、本編を見たら全くそんな心配はいらなかったことが分かりました。出来を見て「また一緒に仕事したいな」と思える監督は最高だと思います。

深川:演出と、判断の的確さが本当にすごいなと思います。私も今回ワンカット・ワンシーンが多かったので、つながったときにどういう映像になるのか全然想像がつかなくて。もうちょっとスローテンポの作品になるのかなと思ったんですけど(うなずく若葉)、試写を見たら、つなぎ方や間に入れるちょっとしたショットで、見ている人がハッとさせられたり、緊迫感のある不気味な空気が漂うシーンになっていました。城定さんは撮影しながら頭の中でこれをイメージできていたのか、という驚きがありました。

2024年を振り返って

——2024年は若葉さんにとって激動の年になったのではないでしょうか。「アンメット」で6年ぶりに民放の連ドラに出演し、「東京ドラマアウォード2024」で助演男優賞を受賞。「大きな転機になった作品だと思っています。良くも悪くもかもしれないですが」という受賞コメントが印象的です。これからどういう作品に出ていきたいかがより明確になりましたか?

若葉:激動でしたけど、自分の指針がブレることはまずないです。ただ、転機ということでいうと、生活しづらくなったなって(苦笑)。収入が爆発的に上がったわけでもないし、デメリットの方が大きいんですよね。顔が知られてしまって。

深川:世の中に。

若葉:そう。面倒くさいことの方が多くなりました。ただ、まだ解禁になってないんですけど、昨年末まで撮影していた作品で、自分が目標にしていた場所にたどり着いた感じがあったんです。

深川:そうなんですね。

若葉:演技に関してではなくて、「こんな人たちと、こんな風に、こんな作品を」というものを作れたんじゃないかと少し思えたんです。今から環境を変えるということではないですけど、ちょっと自分を裏切っていきたいなというか、視点を少し変えて違うステージを見つめていきたいな、みたいなことはぼんやりとは思いました。

——情報解禁が楽しみです。深川さんは何か転機や心境の変化はありましたか?

深川:2024年でいうと、3年ぶりに舞台ができたことが大きかったです。舞台はかなり気合を入れないと、本当に自分を奮い立たせないと怖くてできない場所なんです。今まで私が出演した舞台はコメディータッチのものが多かったんですけど、日常に沿うような舞台をやってみたいと思っていて、そういう題材の作品(「他と信頼と」)でたまたまオファーをいただけて、できたことが大きかったです。立て続けに朗読劇「ハロルドとモード」にも出ることができました。お話自体も大好きでしたし、ご一緒した黒柳徹子さんが「100歳まで舞台に立ちたい」とおっしゃっていて、本当にすてきでした。

若葉:(真剣な表情で)うん。

深川:2時間出ずっぱりですごくパワーも使う中、立ち居振る舞いも、誰に対しても同じ目線で話してくださるところも、とてもチャーミングでした。自分は100歳までできないかもしれないですけど、お仕事でも趣味でも意識して好きなものを探求していかないと駄目だなと思いました。「なんかないかなー」ではなくて、自分から意識して選択して、充実させて、ずっと新鮮な気持ちでやる。それが大事だなと思った年でした。

——昨年は若葉さんがメインストリームに再合流した年だったわけですが、できれば普段は地下に潜っていたい?

若葉:僕はそうですね。できることなら、メディアとかテレビとか一切出たくないですね(笑)。出ることで収入が150倍くらいになったらいいですけど、そんな感じでもないし。聖人君子か、聞き分けのいい子以外はめんどくさい人として扱われる世界なんで、僕は向いてないんですよね。

深川:うん(笑)。

若葉:この業界がこのままの方向に進んでいくんだったら、興味ないなという感じではあります。ただ、今はできることをやろうかなとは、ぼんやりとは思っています。

——その業界のメインストリームで戦ってきた深川さんのことはどうご覧になっていますか?

若葉:多分ご本人の中で嫌なこともあったとは思うんですけど、表舞台に立ってきた人の強さを感じます。迷いながらも戦ってきた面構えというか、懐の深さを感じました。深川麻衣さんと城定監督、そして曲者ぞろいの役者たち、すてきな化学反応を特等席で見せてもらいました。

——深川さん、曲者たちに全然負けていなかったです。

若葉:いやむしろ(笑)。

深川:ありがとうございます。でも私は全然メインストリームじゃないですよ!(笑)。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLING:[MAI FUKAGAWA]YAMAGUCHI KAHO、[RYUYA WAKABA]TOSHIO TAKEDA(MILD)
HAIR & MAKEUP:[MAI FUKAGAWA] AYA MURAKAMI
HAIR:[RYUYA WAKABA]ASASHI(ota office)

映画「嗤う蟲」

■映画「嗤う蟲」
全国公開中
出演:深川麻衣
若葉竜也
松浦祐也 片岡礼子 中山功太 / 杉田かおる
田口トモロヲ
監督:城定秀夫
脚本:内藤瑛亮、城定秀夫
音楽:ゲイリー芦屋
編集:城定秀夫
配給:ショウゲート
製作プロダクション:ダブ
2024年/日本/カラー/99分/5.1ch/シネスコ/PG-12
Ⓒ2024 映画「嗤う蟲」製作委員会
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中国コスメ「フローラシス」が初の海外旗艦店をギンザシックスにオープン 25店舗体制目指し出店加速

中国コスメ「フローラシス(花西子、FLORASIS)」は1月27日、初となる海外旗艦店をギンザシックスにオープンした。中国の伝統文化と古典美学を商品パッケージやデザインを施した国内外で人気のカラーメイク、スキンケア、フレグランスを集積。店舗限定商品などもそろえる。

「フローラシス」は2017年に誕生。日本は21年に初の国外進出としてアマゾンに出店。日本を重要なマーケティング市場と捉え23年からオフライン展開を強化する。百貨店などでポップアップを実施し顧客とのタッチポイントを増やしてきた。現在、アットコスメストア3店舗にコーナー展開するが同ブランドを手がける杭州宜格化粧品の任剛睿(ニン・コウエイ)=共同創業者は「ブランドの世界観を表現するスペースを十分に確保できていない」ことから旗艦店を開設した。

「フローラシス」のギンザシックス店の売り場面積は約52㎡。店舗は白を基調に、ブランドカラーで中国古代の女性が眉を描くために使用していた黛色(たいしょく)を随所に採用した。店舗のコンセプトは中国伝統の庭園である隠園(いんえん)。来店者に安らぎの時間を提供したいという思いが込められている。店舗中央部に位置するディスプレー台は中国の湖と山々の美しい景色を再現した曲水流觴台(きょくすいりゅうしょうだい)を備え、オープン記念として66個限定の手縫刺繍コレクション(5アテイム入、4万9500円)ほか、オフライン限定商品などをそろえている。

店内は、ブランドを代表する“百花同心錠 彫刻リップ”(6270円)や“京劇彫刻マルチパレット”(7920円)、“玉養桃花 ルースパウダー”(4620円)、“桃顔純潤 クリーム&フェイスベース”(7980円)などカラーメイク70%、スキンケア・フレグランス30%で構成する。タッチアップスペースを3席用意し、事前予約制で中国風メイクの体験サービスを提供する。

タッチポイント増やし、28年までに25店舗体制へ

任共同創業者が旗艦店開設に伴い来日。旗艦店への思いやブランドの未来像を語った。

WWD:海外初の旗艦店を日本で展開する狙いは。

任剛睿・杭州宜格化粧品共同創業者(以下、任):「フローラシス」をグローバルブランドに育成する中で、日本をマーケティング市場として注視する。リテールを重要視する日本でポップアップを積極的に開催してきた。今回、富裕層の訪日客が多く訪れるギンザシックスから出店のオファーをもらい、中国の伝統文化と古典美学が大切にするブランドストーリーが伝えやすく、サービスの提供ができるとして旗艦店をオープンした。実店舗1号店で旗艦店を22年12月に杭州・西湖に開設。売り場面積は約1000㎡でフルラインアップを展開するが、ギンザシックス店では日本で好調なアイテムを中心に本国旗艦店の7割程度の品ぞろえとした。

WWD:日本の旗艦店に期待することは。

任:顧客層は25歳前後を軸に18〜40歳と幅広い。中国伝統漢方の知恵と現代の美学を融合した製品を支持してくれている。店舗で中国風メイクサービスを提供するなどブランドの文化価値が伝わる取り組みを強めていく。売り上げ目標は非公表だが、旗艦店という新たな挑戦に期待を寄せている。

SNS発信と旗艦店が転機に

WWD:ブランドの転機は。

任:19年に中国伝統文化的なコンテンツをSNSで発信したこと。多くの女性が拡散してくれ、ブランドの知名度が向上した。そのほか、22年に中国で旗艦店出店したことも節目となった。顧客の生の声を聞くことができ、ブランドへの深度を高めることができた。

WWD:販売網が広がっている。

任:現在110カ国でオンライン販売を行なっている。売り上げ上位国は中国が1位で、日本とアメリカ、東南アジアと続く。全社の売上高は右肩上がりで成長している。

WWD:日本市場をどう捉えているのか。

任:上陸初日にアイコン商品の“百花同心錠 彫刻リップ”(5600円)が3時間で完売するなど、コロナ禍での進出だったがオンラインで展開したため初年度から好調に推移した。一方で「実際に製品を試したい」という顧客も増えたためリテール出店を強化中だ。28年までに25店舗体制を確立したい。

製品は年1〜3回見直しを行うが、その際に大切にするのは顧客のニーズを反映、最新技術を搭載、デザイン・美学の体験価値の提供だ。中国の伝統文化に触れたいと感じてくれる顧客は多いが、足りないのは日本のユーザーの声。リテールを強化することで日本のニーズを汲み取りローカライズした製品が展開できれば、日本での存在価値を高められるだろう。

WWD:今後注力する国は。

任:フランスとシンガポールだ。中国の伝統技法を表現した製品は、多くの女性を魅了できると信じている。

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「アニエスベー」×「ヘリーハンセン」 日本の漁港で発生した廃棄漁網由来の素材などを採用

ゴールドウインが展開するノルウェー発のマリンウエアブランド「ヘリーハンセン(HELLY HANSEN)」は、「アニエスベー(AGNES B.)」とコラボレーションし海洋問題をテーマに据えた日本限定コレクションを発売した。両ブランドがタッグを組むのは初。モリトアパレルが開発した廃棄漁網を原料にしたリサイクルナイロン「ミューロン(MURON)」や、東南アジア沿岸に漂着した廃棄ペットボトル由来のポリエステルなどを用いたユニセックスアイテム10型とキッズアイテム8型で、「アニエスベー」の一部直営店と公式オンラインストア、「ヘリーハンセン」の店舗および、公式オンラインストアで販売中だ。

コラボは「ヘリーハンセン」側からオファーした。企画を担当したゴールドウインの井上翔太・グローバルブランド事業本部・ヘリーハンセン事業部・企画グループMDは、「私たちは水資源を守る活動や海洋ゴミを原料とするリサイクル素材の採用などを進めてきたが、アウトドアブランドとしての立場からは届けられる人に限りがあると感じていた。より多くの人に海洋問題に関心を持ってもらうためには、ファッションの力が必要。アニエスほど、『海が好き』というメッセージをストレートに発信できるデザイナーはいない」とオファーに至った経緯を話す。デザイナーのアニエス・トゥルブレは海を愛し、2003年には海洋に特化した公益財団法人タラ オセアン財団を立ち上げ、海洋探査船タラ号とその活動をサポートしているという背景がある。

日本で回収した漁網素材を初めて製品化

注目は日本の漁港で回収された廃棄漁網を100%使用したリサイクルナイロン「ミューロン」を使ったアイテム群だ。同素材が製品化されるのは本コレクションが初。井上担当は、「トレーサビリティーの取れた素材で、お客さまによりストーリー性を感じてもらえると考えた」と話す。

「ミューロン」は廃棄漁網をケミカルリサイクルしバージンと同等の品質と安定性を持つ。コレクションに登場するウィンドブレーカーは、「ミューロン」と紡績工程で発生するナイロンの落ち綿を再生したリサイクルナイロンを高密度で打ち込んでハリ感のある風合いを実現した。内側には、アニエス自身が撮影した海の写真と“j’aime la mer! (海が好き!)”のメッセージを添えた特別ネームを配した。ウィンドブレーカーはキッズサイズも用意し「親子で着用していただき、一緒に海に出かけたり、次世代にこのテーマを伝えてもらえたりしたらうれしい」と井上担当。

「アニエスべー」らしいボーダーTシャツには、東南アジアに漂着したペットボトルを原料としたリサイクルポリエステルを使用している。これは「日本からでた海洋ゴミは東南アジアに漂着することが多いと知り、採用を決めた」という。

「ヘリーハンセン」渋谷店では、廃棄漁網を使ったディスプレーでもコレクションのストーリーを表現している。また「アニエスべー」渋谷店では1月30日まで、『j’aime la mer!(海が好き!)』をテーマにした写真展を開催中だ。

27日にはゴールドウイン本社で、モリトアパレルの担当者を招いて漁網のリサイクルを体験するワークショップを開催し社内理解を促した。井上担当は、「一度きりの発信では伝えきれない問題だ。継続的に取り組んでいきたい」と展望を語る。

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資生堂30年以上の肌免疫研究から生まれた世界初※1の最新知見とは

資生堂とサイエンスは切っても切り離せない。100年超の研究開発の歴史の中で、シワやシミ、たるみといった生活者の 不変の肌悩みに向き合うとともに、肌内部の状態に着目。ホリスティックなアプローチにつながる成果を生み出している。とくに肌免疫研究では世界で初めて※1皮ふの免疫細胞の一種CD4CTL※2(メモリーT細胞※3)が“老化細胞”を的確に除去することを発見した。

資生堂が取り組む肌内部研究の正体

資生堂は2021年に研究開発の強化を目的に、独自の研究開発理念として「DYNAMIC HARMONY」を制定した。この理念は明治期に日本発の民間洋風調剤薬局として創業して以来取り組んできた、西洋の科学と東洋の叡智を融合した成り立ちに端を発する。根本治療と対症療法、漢方と施術、心と体。一見相反する価値や両立が難しい価値を融合し、唯一無二の新たな価値を生み出す資生堂ならではの考え方だ。この理念のもと皮ふ基礎研究の再強化を始め、グローバルブランドに研究成果を導入。各研究拠点の連携強化やインナービューティなどの新領域への挑戦に取り組んできた。

さらに資生堂の研究開発では、「SkinBeauty INNOVATION」、「Sustainability INNOVATION」、「Future Beauty INNOVATION」という3つのイノベーションの柱と、「脱単一カルチャー」というアプローチを戦略として策定した。柱の1つである「Skin Beauty INNOVATION」では、シワやシミ、たるみといった生活者の不変の肌悩みの原因解明・ソリューション開発と同時に、血管やリンパ管、免疫、神経など肌内部の状態と肌表面の関連を明らかにすべく研究を進めてきた。とくに肌内部研究は世界トップレベルの研究機関との多岐に渡る共同研究を推進。化粧品技術に関する世界最大の権威ある研究発表会IFSCCでは化粧品メーカーでは世界トップの受賞回数を誇る。

資生堂の肌内部研究
化粧品技術に関する世界最大の研究発表会
「IFSCC」世界トップの受賞実績

肌のポテンシャルを引き上げる
未来の肌悩みを防ぐ肌免疫研究

肌内部研究の中でも、近年大きなブレイクスルーが生まれているのが免疫研究だ。皮ふの免疫機能が老化を予防している可能性を発見し、生命科学分野において世界最高峰の学術雑誌「CELL」に研究成果が掲載されたのだ。資生堂は「肌自らが持つ力で未来の肌悩みを未然に防ぐ」という考えのもと、30年以上前から免疫研究に取り組んでいる。
加治屋健太朗 資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター センター長は、「新たな知見は『CELL』 に掲載されたが、実は30年前に英国発の総合科学誌 『Nature』に掲載された知見もある。それは肌の中に ある免疫細胞が神経と直接つながっているという研究 だった。神経を通じて肌と脳がつながっているという ことは、肌と心がつながっているということ。今では 当たり前のように言われているが、研究レベルで実証 した初めての例だった。このことからも分かるよう に、肌を肌だけで捉えないというのが、30年前から変 わらないわれわれのホリスティックな考え方である。 全身との接点である免疫をひもとき、自分の持つポテ ンシャルを生かすという視点で研究を進めている」と 話す。資生堂は独自の技術と免疫研究を各国の権威あ る先進的な外部研究機関とコラボレーションしなが ら、継続的な成果を生み出し続けている。

3つの見えないものを見える化
肌の美しさを取り戻すアートなアプローチ

化粧品メーカーである資生堂がこれほどまでに基礎研究である肌内部研究に力を入れるのはなぜか。同社の研究領域をリードする加治屋健太朗 資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター センター長に聞いた。
WWD:資生堂が肌内部研究に力を入れているのはなぜ。

加治屋健太朗 資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター センター長(以下、加治屋):私たちは肌悩みを肌表面から対症療法的に治すのではなく、内側から自分の持つ力を最大限に生かしてケアしたいという東洋的な発想から研究を進めている。肌は目に見える表面だけでなく、表皮と真皮があり、さらに血管、免疫、神経が張り巡らされ、全身とつながっているからだ。肌の内側への強い興味を持ち、見えないものを見える化するというユニークな研究アプローチは強みだ。免疫研究もその一つだ。

WWD:見えないものの見える化について詳しく教えて。

加治屋:肌表面だけでなく、肌内部に加え、体、心、そして未来という見えないものの見える化を目指している。冒頭でも触れたが肌においては、免疫や血流、神経といったものを見える化すること。われわれの技術によって、血管や神経が全身と肌をつなぐとても美しい構造を持つ三次元的なネットワークを形成していることが可視化できるようになった。心に関しては、例えば化粧品は肌だけでなく、目には見えないが心にも作用すると言われる。そこで化粧品を使ったときの心の状態を可視化するための技術を開発している。未来については、シワやシミ、たるみといった今見えるものを改善することがメインストリームではあるが、肌・体・心のつながりを解明し、未来が見えれば予防がかなうはずだ。

WWD:肌の見える化の中でも30年以上にわたって取り組んでいる免疫研究とは。

加治屋:全身との接点という意味や、もともと持っているポテンシャルを生かすという意味で免疫に注目し、長らく研究してきた。そもそも免疫とは「疫(やまい)」から「免(のがれる)」と書くように、外敵から身を守るシステムのこと。一般的にいう免疫は全身に共通するものと、臓器によって局所的に異なるものがある。とくに肌の免疫には花粉やPM2.5、紫外線などの外敵に備える必要があり、ほかの器官の免疫と大きく異なる。

WWD:新知見に至った経緯は。

加治屋:「肌は本当に加齢によってのみ老化するのか」という基本的な疑問があった。20代と60代を比較すれば年齢と老化との相関はあるものの、老齢の皮ふでは分かっていなかった。研究を進める中で、免疫細胞が関係することが明らかになった。免疫は外敵からの逃れるために存在しているため、生体内で老化に対してそれほどの意味を持つとはこれまでは考えられていなかった。ところが今回の発見では、免疫細胞が老化細胞を皮ふにとって異物・不要なものと認識していることが明らかになった。この点が一番面白く、インパクトが大きかった。

WWD:今後の免疫研究の展望は。

加治屋:自らが持つ美のポテンシャルを免疫研究を通じて伝えていく。資生堂には「アート&サイエンス」というDNAがある。三次元的に肌の内部の構造を可視化したとき、研究員はサイエンスの中にアートを感じるはずだ。三次元の皮ふ構造をアートとして捉えると老化などの変化によって乱れた肌内部の美しさを免疫研究で取り戻すことは、結果的に肌の美しさにつながるだろう。

明らかになった肌免疫細胞が
老化細胞を除去するメカニズム

皮ふの免疫細胞の新たな機能として、老化細胞を除去することと、そのメカニズムを発見した。“年齢を重ねた肌には老化細胞が多いはず”という多くの人が抱くイメージを覆す新たな発見に注目が高まっている。

発見1 : 老齢の皮ふでは
老化細胞と年齢は相関しない

Hasegawa T et al.,Cell. 2023(一部改変)
ヒトの皮ふ組織において、加齢とともに老化細胞が蓄積されるかどうかを調査した結果、若齢の皮ふと老齢の皮ふを比べると、老化細胞が必然的に増加していた。一方で、老齢の皮ふだけを見てみると、加齢に伴って老化細胞は必ずしも増加していないことが分かった。このことから、老齢における老化細胞の蓄積は、なんらかの要因によって抑えられている可能性が浮かび上がった。

発見2 : 免疫細胞の一種CD4CTL(メモリーT細胞)が
多い皮ふほど老化細胞は少ない

Hasegawa T et al.,Cell. 2023(一部改変)

老齢の皮ふでは加齢にともなって老化細胞は必ずしも増加しないという発見から、老齢の皮ふにおいて老化細胞の蓄積を抑える要因を探った。すると老齢の皮ふでは免疫細胞の一種であるCD4CTL(メモリーT細胞)が多いほど老化細胞が少ないということが判明した。このことからCD4CTL(メモリーT細胞)が老化細胞の蓄積を抑えている可能性が浮かび上がった。

発見3 : CD4CTL(メモリーT細胞)が
老化細胞を選択的に除去する

実際にCD4CTL(メモリーT細胞)が老化細胞を除去できるかどうかを調べるため、正常な線維芽細胞(正常細胞)と老化した線維芽細胞(老化細胞)をヒトの皮ふから分離した免疫細胞とともに培養したところ、CD4CTL(メモリーT細胞)によって、老化細胞が選択的に除去されることが確認できた。

発見4 : ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)が
CD4CTL(メモリーT細胞)の老化細胞除去を助ける

次にCD4CTL(メモリーT細胞)がどのようなメカニズムで老化細胞だけを除去するのかを探った。その結果、老化細胞内に共生しているヒトサイトメガロウイルス(HCMV)というウイルスの一部(抗原)が老化細胞の表面に出現し、CD4CTL(メモリーT細胞)がその抗原を目標として認識することで老化細胞を除去していることを発見した。

Solution : ツバキ種子発酵抽出液が
肌免疫細胞の老化細胞除去効果を高める

資生堂は長崎県五島列島に古くから自生するヤブツバキ資源を有効活用するために、日本酒造老舗のヤヱガキ酒造と日本の発酵技術を掛け合わせて、ツバキ種子発酵抽出液を開発した。そしてこのツバキ種子発酵抽出液が皮ふの老化細胞を除去する機能をもつ免疫細胞CD4CTL(メモリーT細胞)を誘引するCXCL9※4の発現を高めることを世界で初めて※5発見した。つまりはツバキ種子発酵抽出液によって皮ふの免疫細胞による老化細胞除去効果が高まることが期待される。
※1 細胞傷害性CD4+ T細胞がサイトメガロウイルス抗原を標的として老化細胞を除去するCell誌(2023年)
※2 Cytotoxic CD4+ T細胞(CD4CTL):T細胞の一種で、理想的な健康長寿のモデルとされる超長寿者に多い免疫細胞であることも知られている
※3 免疫細胞であるT細胞は病原体などの異物と遭遇し役割を果たすと、多くは死滅するが、体内に一部が残り、再感染や再発に備えて記憶し、同じ異物に対して迅速で強力な免疫応答をするのがメモリーT細胞である
※4 免疫細胞などの細胞の遊走を促進するタンパク質
※5 ツバキ種子発酵抽出液が肌の健やかさに重要な表皮因子(免疫細胞CD4CTLを誘引する因子)CXCL9の発現を促進する技術が世界初 先行技術調査を用いた資生堂調べ(2024年3月)
このページの内容は全て技術に関する情報です。
EDIT&TEXT:NATSUMI YONEYAMA
問い合わせ先
資生堂
https://corp.shiseido.com/jp/inquiry/

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「キークス」水原希子とローラ 耕作放棄地や後継者不足に光を当てるコラボを語る

PROFILE: 左:水原希子、右:ローラ

左:水原希子、右:ローラ
PROFILE: 水原希子(みずはら・きこ)女優、モデルとしてマルチに活躍している。 2010 年に映画「ノルウェイの森」でスクリーンデビューし、その後も多くの映画に出演。 「奥田民生になりたいボーイ出会う男すべて狂わせるガール」ではヒロイン役を務め、「あの子は貴族」では高崎映画祭にて最優秀助演女優賞を受賞した。米国のブランド「オープニング セレモニー」とのコラボレーションライン「キコ ミズハラ フォー オープニング セレモニー」を手掛け、世界的シンガーのリアーナやビヨンセが着用したことで話題になる。 自らのブランド「OK」は、日本のギャルカルチャーからインスピレーションを受け、自由で解放的なスタイルと場を追求している。サステナブルな活動にも取り組んでおり、再生素材や環境負荷の低い天然素材を使用したオリジナルプロダクトを提供。日本語と英語を話す。 Rola(ローラ)16 歳でモデルデビュー。ハーフモデルとして独⾃のアイデンティティーをもち、その愛くるしいキャラクターと個性溢れるスタイルで国内外を問わず活躍。あらゆるファッション誌の表紙を飾り、さまざまな表情でファンを楽しませている。 2016 年12 月に公開された⽶映画「バイオハザードⅥ : ザ・ファイナル」では、映画製作プロデューサーの⽬にとまり戦⼠役に抜擢されハリウッド映画デビューを果たす。環境に配慮した自身のライフスタイルブランド「STUDIO R330」も手掛ける。PHOTO: Kzasushi Toyota

インスタグラムのフォロワー数は2人合わせて約1700万人。特に若い女性に大きな影響力を持つ水原希子とローラは、水原がプロデュースするブランド「キークス(KIIKS)」の第3弾アイテム「茶の実ヘアオイル(GREEN TEA SEED HAIR OIL)」で協業をした。この2つの製品の魅力は製品自体に加えて、その存在を通じて日本の地域課題「農業離れと耕作放棄地」および「後継者不足による伝統文化の衰退」に光を当てるところにある。「髪を美しく保ちながら社会課題解決の一助となる」という思いを掲げ、彼女たち行動を起こしている。

放棄茶畑では茶の木が花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける

「茶の実ヘアオイル」のお披露目の会は1月14日に、東京・渋谷の街中にひっそりとたたずむ小さな古民家で開かれた。靴を脱いで上がる昭和の佇まいの居間を展示スペースとし、水原とローラは終日説明にあたっていた。空間全体はヘアオイルの甘みのある爽やかな香りと、同時開催したワークショップで使用するハーブティーの香りで包まれていた。

フロア中央の木製ボウルには大量の茶色い殻に包まれた実が飾られている。これが製品の原点となる茶の実だ。茶葉は見たことがあっても、茶の実は見たことがない人は多いだろう。なぜなら現在の茶の栽培では一般的に、茶葉に栄養がいくよう新芽を摘んだ後、刈り取ってしまうため花を咲かせず、茶の実もならないからだ。しかし、放棄茶畑では茶の木が9月から11月にかけて花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける。「キークス」は、茶の実から抽出された茶実油使用のヘアオイルの開発を通じて地域の課題解決の一助となろうと考えた。

2人を中心とした「キークス」のチームが赴いたのはヘアオイルの製造を行う会社ボタニカルファクトリーがある鹿児島県大熊半島。同社は、廃校した小学校・中学校の跡地に化粧品工場を作り、自然由来の原料を使ったナチュラルコスメを手がけている。同社からほど近い同県錦江盤山地区は県内有数のお茶どころで、他の多くの地域と同じく農業従事者の高齢化や若者の農業離れが深刻な問題となっている。また茶の消費量の減少や茶葉価格の低迷も続いており結果、広大な茶畑が放置され、未使用の茶の実が大量に発生しているのが現状だ。

「キークス」チームは昨年秋に同地区の自治体との話し合いから始め、地元の人たちと耕作放棄茶畑に入り150キログラム近くの茶の実を収集。畑近くの体育館を借りての手作業で殻むきに始め、製品化へとつなげた。茶の実拾いから製品化まで2ヶ月弱というスピードだ。製品は茶の実油と桜島産の椿油をベースに、サンダルウッドとジャスミンのエッセンシャルオイルをブレンド。手に取るとふわりと広がる華やかで心地よい香りが誕生した。

薩摩つげ櫛にオイルを馴染ませ髪をすく

オイルと合わせて木原つげ櫛屋による「薩摩つげ櫛」も、お茶染めのケースに入れて発売する。このつげ櫛はオイルとの相性がとても良い。つげは成長が遅いために年輪が狭く、木材はきめ細かい弾力のある質感がある。黄色くなめらかな肌合いの櫛は、椿油を染み込ませて使うことで、髪をすく(梳く)たびに自然な艶と潤いを与えるという。最近は「髪をとかす」という表現が一般的だが、この櫛を手にすると「髪をすく」という描写がピッタリであることに気がつく。木製の櫛は静電気が発生しにくく、髪を傷めることが少なく、さらに天然の抗菌作用を持つため、長期間使用しても清潔に保つことができるという。

「薩摩つげ櫛」もまた他の伝統工芸と同じく、存続の危機にある。「薩摩つげ櫛」は江戸時代からその名を全国に広め、特に薩摩地方では深く愛されてきた。整髪料がなかった時代から、つげ櫛は一生ものの道具として重宝されており、女児の誕生を祝うためにツゲの木を植える伝統もあったという。製作には高い技術が求められ、熟練の職人たちが丁寧に作り上げているが、後継者不足の課題に直面しており、次世代の職人を育てる取り組みが急務となっている。「キークス」は、「薩摩つげ櫛」の存在を伝え、魅力を広めることで伝統工芸を守る一助となることを願い取り組んだ。

水原希子とローラの人を巻き込む推進力とコラボの力

2人から製造過程の説明を聞く中で印象的だったのは、コラボレーションの力だ。インスタグラムのフォロワー数は水原希子(i_am_kiko)783.2万人、ローラ(rolaofficial)908.9万人(いずれも2025年1月24日時点)と、それぞれに大きな影響力を持つ。その影響力を“正しく”掛け算し、「伝統工芸を守るきっかけとなる事を心から願う」と行動する。2人は互いの仕事をどう見ているのか?会場で話を聞いた。

WWD:お互いのクリエイションの強みについて教えてください。お互いをクリエイターとしてどのように評価していますか?

ローラ:私から見て希子ちゃんは「みんな一緒にやろうよ」というエネルギーがとても強い人です。そのエネルギーが、今回のプロジェクトにも大きく影響していると感じています。それと同時に希子ちゃんのセンスも素晴らしいです。彼女は長年ファッション業界に携わってきた経験を活かし、選び抜かれたセンスを持っています。今回のビジュアルもとてもかっこよく仕上がり、広告というよりアート作品のようになりました。

WWD:「良いこと」をセンス良く伝えることは大切ですね。それでも多くの人を巻き込むのは簡単ではないですよね。

ローラ:そうですね、簡単ではありません。同じ業界で働いていると、さまざまなしがらみや環境問題など、難しい課題がたくさん出てきます。しかし、それでも挑戦し続ける希子ちゃんの姿勢には本当に感心します。一人で心細くなることもありますが、それでも信念を持ち、進み続けるのは勇気のいることです。彼女の強さや情熱にはいつも刺激を受けています。

水原希子(以下、水原):ローラは努力家で、何事にも真摯に取り組み、常に新しいことを学び続けています。そして学んだことをみんなとシェアする姿勢がとても尊い。自分の学びを言葉で伝えることは簡単なことではありませんが、彼女はそれをスピーディーに、そしてピュアな思いで実践しています。その純粋さや優しさが、多くの人々を包み込む魅力になっています。また、彼女はネガティブな経験をすべてポジティブなエネルギーに変える力を持っていて、本当にすごいと思います。

WWD:今回のプロジェクトでは、香りの部分にもローラさんが深く関わったと伺いましたが、どのような思いを込めましたか?

ローラ:香りには特別なこだわりを持ちました。私はメディテーションをするのですが、瞑想やものづくりをする中で、自分を落ち着かせるためのエキゾチックな要素を取り入れたいと考えました。香りは感覚的で、内面を癒す力があると思います。

水原:私も椿オイルを使ったシンプルなヘアオイルを作りたいと考えていました。ローラと一緒に成分を一つ一つ選び抜きながら、学んできたことを活かして作りました。ローラの手作りコスメを使ったとき、その香りと効能に感動したのが、このプロジェクトを始めるきっかけでした。

WWD:耕作放棄茶畑でどのような経験をしたのですか?

水原:この商品は、多くのボランティアや地元の方々の協力がなければ実現しませんでした。放置された畑に入り、道を切り開きながら種を集める作業はとても大変でしたが、みんなで力を合わせてやり遂げました。地元の方々も日本の未来や環境問題について真剣に考えてくださり、目的を共有して取り組む姿勢がとても心強かったです。

WWD:地元の方々との交流で印象的だったことは?

ローラ:お茶を作る地元のおばあちゃんが話してくれた伝統や文化の話がとても印象的でした。お茶づくりを通じて自分を見つめ直し、伝統を未来につなげようとする姿勢に感動しました。

水原:お茶の実を拾う作業は大変でしたが、その過程で地元の方々と話す時間がとても有意義でした。皆さんの純粋な思いが、今回のプロジェクトに込められていると感じます。

WWD:いじわるな質問になりますが、後継者不足という課題はとてつもなく大きくて、一つのアクションがどのくらいの影響を生めるのでしょうか?

水原:実は、プロジェクト通じて出会った地元の若い方が畑を購入を決意し、すでに作業を始るなどの変化が生まれました。私たちの活動がきっかけで、一歩ずつですが前進していると感じます。

WWD:ワークショッを組み合わせた理由は?

水原:ワークショップでは、自分の体調に合わせたハーブティーをブレンドしたり、アロマオイルを作ったりと、感覚を研ぎ澄ませる体験を提供しています。商品だけでなく、体験そのものを持ち帰ってもらうことで、自分を知り、自分を癒すきっかけになればと願っています。

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「キークス」水原希子とローラ 耕作放棄地や後継者不足に光を当てるコラボを語る

PROFILE: 左:水原希子、右:ローラ

左:水原希子、右:ローラ
PROFILE: 水原希子(みずはら・きこ)女優、モデルとしてマルチに活躍している。 2010 年に映画「ノルウェイの森」でスクリーンデビューし、その後も多くの映画に出演。 「奥田民生になりたいボーイ出会う男すべて狂わせるガール」ではヒロイン役を務め、「あの子は貴族」では高崎映画祭にて最優秀助演女優賞を受賞した。米国のブランド「オープニング セレモニー」とのコラボレーションライン「キコ ミズハラ フォー オープニング セレモニー」を手掛け、世界的シンガーのリアーナやビヨンセが着用したことで話題になる。 自らのブランド「OK」は、日本のギャルカルチャーからインスピレーションを受け、自由で解放的なスタイルと場を追求している。サステナブルな活動にも取り組んでおり、再生素材や環境負荷の低い天然素材を使用したオリジナルプロダクトを提供。日本語と英語を話す。 Rola(ローラ)16 歳でモデルデビュー。ハーフモデルとして独⾃のアイデンティティーをもち、その愛くるしいキャラクターと個性溢れるスタイルで国内外を問わず活躍。あらゆるファッション誌の表紙を飾り、さまざまな表情でファンを楽しませている。 2016 年12 月に公開された⽶映画「バイオハザードⅥ : ザ・ファイナル」では、映画製作プロデューサーの⽬にとまり戦⼠役に抜擢されハリウッド映画デビューを果たす。環境に配慮した自身のライフスタイルブランド「STUDIO R330」も手掛ける。PHOTO: Kzasushi Toyota

インスタグラムのフォロワー数は2人合わせて約1700万人。特に若い女性に大きな影響力を持つ水原希子とローラは、水原がプロデュースするブランド「キークス(KIIKS)」の第3弾アイテム「茶の実ヘアオイル(GREEN TEA SEED HAIR OIL)」で協業をした。この2つの製品の魅力は製品自体に加えて、その存在を通じて日本の地域課題「農業離れと耕作放棄地」および「後継者不足による伝統文化の衰退」に光を当てるところにある。「髪を美しく保ちながら社会課題解決の一助となる」という思いを掲げ、彼女たち行動を起こしている。

放棄茶畑では茶の木が花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける

「茶の実ヘアオイル」のお披露目の会は1月14日に、東京・渋谷の街中にひっそりとたたずむ小さな古民家で開かれた。靴を脱いで上がる昭和の佇まいの居間を展示スペースとし、水原とローラは終日説明にあたっていた。空間全体はヘアオイルの甘みのある爽やかな香りと、同時開催したワークショップで使用するハーブティーの香りで包まれていた。

フロア中央の木製ボウルには大量の茶色い殻に包まれた実が飾られている。これが製品の原点となる茶の実だ。茶葉は見たことがあっても、茶の実は見たことがない人は多いだろう。なぜなら現在の茶の栽培では一般的に、茶葉に栄養がいくよう新芽を摘んだ後、刈り取ってしまうため花を咲かせず、茶の実もならないからだ。しかし、放棄茶畑では茶の木が9月から11月にかけて花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける。「キークス」は、茶の実から抽出された茶実油使用のヘアオイルの開発を通じて地域の課題解決の一助となろうと考えた。

2人を中心とした「キークス」のチームが赴いたのはヘアオイルの製造を行う会社ボタニカルファクトリーがある鹿児島県大熊半島。同社は、廃校した小学校・中学校の跡地に化粧品工場を作り、自然由来の原料を使ったナチュラルコスメを手がけている。同社からほど近い同県錦江盤山地区は県内有数のお茶どころで、他の多くの地域と同じく農業従事者の高齢化や若者の農業離れが深刻な問題となっている。また茶の消費量の減少や茶葉価格の低迷も続いており結果、広大な茶畑が放置され、未使用の茶の実が大量に発生しているのが現状だ。

「キークス」チームは昨年秋に同地区の自治体との話し合いから始め、地元の人たちと耕作放棄茶畑に入り150キログラム近くの茶の実を収集。畑近くの体育館を借りての手作業で殻むきに始め、製品化へとつなげた。茶の実拾いから製品化まで2ヶ月弱というスピードだ。製品は茶の実油と桜島産の椿油をベースに、サンダルウッドとジャスミンのエッセンシャルオイルをブレンド。手に取るとふわりと広がる華やかで心地よい香りが誕生した。

薩摩つげ櫛にオイルを馴染ませ髪をすく

オイルと合わせて木原つげ櫛屋による「薩摩つげ櫛」も、お茶染めのケースに入れて発売する。このつげ櫛はオイルとの相性がとても良い。つげは成長が遅いために年輪が狭く、木材はきめ細かい弾力のある質感がある。黄色くなめらかな肌合いの櫛は、椿油を染み込ませて使うことで、髪をすく(梳く)たびに自然な艶と潤いを与えるという。最近は「髪をとかす」という表現が一般的だが、この櫛を手にすると「髪をすく」という描写がピッタリであることに気がつく。木製の櫛は静電気が発生しにくく、髪を傷めることが少なく、さらに天然の抗菌作用を持つため、長期間使用しても清潔に保つことができるという。

「薩摩つげ櫛」もまた他の伝統工芸と同じく、存続の危機にある。「薩摩つげ櫛」は江戸時代からその名を全国に広め、特に薩摩地方では深く愛されてきた。整髪料がなかった時代から、つげ櫛は一生ものの道具として重宝されており、女児の誕生を祝うためにツゲの木を植える伝統もあったという。製作には高い技術が求められ、熟練の職人たちが丁寧に作り上げているが、後継者不足の課題に直面しており、次世代の職人を育てる取り組みが急務となっている。「キークス」は、「薩摩つげ櫛」の存在を伝え、魅力を広めることで伝統工芸を守る一助となることを願い取り組んだ。

水原希子とローラの人を巻き込む推進力とコラボの力

2人から製造過程の説明を聞く中で印象的だったのは、コラボレーションの力だ。インスタグラムのフォロワー数は水原希子(i_am_kiko)783.2万人、ローラ(rolaofficial)908.9万人(いずれも2025年1月24日時点)と、それぞれに大きな影響力を持つ。その影響力を“正しく”掛け算し、「伝統工芸を守るきっかけとなる事を心から願う」と行動する。2人は互いの仕事をどう見ているのか?会場で話を聞いた。

WWD:お互いのクリエイションの強みについて教えてください。お互いをクリエイターとしてどのように評価していますか?

ローラ:私から見て希子ちゃんは「みんな一緒にやろうよ」というエネルギーがとても強い人です。そのエネルギーが、今回のプロジェクトにも大きく影響していると感じています。それと同時に希子ちゃんのセンスも素晴らしいです。彼女は長年ファッション業界に携わってきた経験を活かし、選び抜かれたセンスを持っています。今回のビジュアルもとてもかっこよく仕上がり、広告というよりアート作品のようになりました。

WWD:「良いこと」をセンス良く伝えることは大切ですね。それでも多くの人を巻き込むのは簡単ではないですよね。

ローラ:そうですね、簡単ではありません。同じ業界で働いていると、さまざまなしがらみや環境問題など、難しい課題がたくさん出てきます。しかし、それでも挑戦し続ける希子ちゃんの姿勢には本当に感心します。一人で心細くなることもありますが、それでも信念を持ち、進み続けるのは勇気のいることです。彼女の強さや情熱にはいつも刺激を受けています。

水原希子(以下、水原):ローラは努力家で、何事にも真摯に取り組み、常に新しいことを学び続けています。そして学んだことをみんなとシェアする姿勢がとても尊い。自分の学びを言葉で伝えることは簡単なことではありませんが、彼女はそれをスピーディーに、そしてピュアな思いで実践しています。その純粋さや優しさが、多くの人々を包み込む魅力になっています。また、彼女はネガティブな経験をすべてポジティブなエネルギーに変える力を持っていて、本当にすごいと思います。

WWD:今回のプロジェクトでは、香りの部分にもローラさんが深く関わったと伺いましたが、どのような思いを込めましたか?

ローラ:香りには特別なこだわりを持ちました。私はメディテーションをするのですが、瞑想やものづくりをする中で、自分を落ち着かせるためのエキゾチックな要素を取り入れたいと考えました。香りは感覚的で、内面を癒す力があると思います。

水原:私も椿オイルを使ったシンプルなヘアオイルを作りたいと考えていました。ローラと一緒に成分を一つ一つ選び抜きながら、学んできたことを活かして作りました。ローラの手作りコスメを使ったとき、その香りと効能に感動したのが、このプロジェクトを始めるきっかけでした。

WWD:耕作放棄茶畑でどのような経験をしたのですか?

水原:この商品は、多くのボランティアや地元の方々の協力がなければ実現しませんでした。放置された畑に入り、道を切り開きながら種を集める作業はとても大変でしたが、みんなで力を合わせてやり遂げました。地元の方々も日本の未来や環境問題について真剣に考えてくださり、目的を共有して取り組む姿勢がとても心強かったです。

WWD:地元の方々との交流で印象的だったことは?

ローラ:お茶を作る地元のおばあちゃんが話してくれた伝統や文化の話がとても印象的でした。お茶づくりを通じて自分を見つめ直し、伝統を未来につなげようとする姿勢に感動しました。

水原:お茶の実を拾う作業は大変でしたが、その過程で地元の方々と話す時間がとても有意義でした。皆さんの純粋な思いが、今回のプロジェクトに込められていると感じます。

WWD:いじわるな質問になりますが、後継者不足という課題はとてつもなく大きくて、一つのアクションがどのくらいの影響を生めるのでしょうか?

水原:実は、プロジェクト通じて出会った地元の若い方が畑を購入を決意し、すでに作業を始るなどの変化が生まれました。私たちの活動がきっかけで、一歩ずつですが前進していると感じます。

WWD:ワークショッを組み合わせた理由は?

水原:ワークショップでは、自分の体調に合わせたハーブティーをブレンドしたり、アロマオイルを作ったりと、感覚を研ぎ澄ませる体験を提供しています。商品だけでなく、体験そのものを持ち帰ってもらうことで、自分を知り、自分を癒すきっかけになればと願っています。

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LVMHグループのお墨付き 「モワナ」本国チームが語る最上位のクラフトマンシップ

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)傘下の仏老舗バッグブランド「モワナ(MOYNAT)」とグラフィックデザインの巨匠・永井一正のコラボコレクションが、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。このほど来日した本国チームに、永井とのコラボレーションや、ベストセラーのキャンバスシリーズ“Mコレクション”、同ブランドのモノ作りについて深掘りした。

「モワナ」と永井 クリエイションの共鳴

本国チームは、「『モワナ』が持つブランドの奥深さは、永井の目にも魅力的に映ると確信があった」と自信を持って語り始める。「コラボレーションの話は、2024年2月に日本デザインセンター(東京)で永井と彼のチームに会ったときから本格化した。彼は94歳だったにも関わらず、毎週月曜日はここに来ていると話していた」と尊敬の念をにじませる。永井は長いキャリアの中で、三菱UFJフィナンシャル・グループやアサヒビール、1966年の札幌冬季オリンピックのシンボルマークなど、誰もが一度は見たことのある作品を手掛けている。「彼のダイナミックで印象的、かつ明るい作風は、私たちの打ち出したいコレクションにぴったりだと思った」。

今回のコラボコレクションでは、永井の代表作である“LIFE”シリーズを採用した。ライオンやチンパンジー、タコやヒトデなど水陸の生物をモチーフに、「生物にとって最も重要な“命”を表現している」(日本デザインセンター公式サイト)。コレクションの反応は、国を問わずポジティブだったという。「永井は日本を代表するグラフィックデザイナーだから、日本における売れ行きの良さは想像ができた。しかし、彼を知らない人、そして「モワナ」を知らない人にもこのキャッチーなデザインは響いた」。24年11月にコレクションを発売し、2週間で完売した。

老舗ブランドとしての誇りを胸に

「ドーバー ストリート マーケット ギンザ限定のコラボコレクションは、「モワナ」のベストセラー“Mコレクション”シリーズが主役だ。永井の作品が持つ「カラフル」「ハッピー」「ジョイフル」といった要素は、同シリーズが長年大切にしてきたことでもある。「“Mコレクション”は、新規顧客、特に若年層を引き付けている。『モワナ』は特にメーンターゲットを設けておらず、(今の段階で)若年層に特化した施策を打ち出してはいない。それでも“Mコレクション”を通して若い世代とつながれることをうれしく思う」。ローンチを記念したカクテルパーティーも、若者が中心となり活気のある雰囲気を作っていた。

バッグ市場では近年、“Mコレクション”のようなキャンバストート型のバッグにアーティストが描くモチーフをプリントする動きがある。「この流れに乗っているのは老舗が多く、どこもクラフトマンシップを謳っている。しかし、そのクラフトマンシップこそ私たちの強み。私たちはモノ作りを一切妥協しない。使用しているレザーはどれも一級品で、耐久性にもとことん向き合っている」と真っ直ぐ語る。「多くのレザーバッグがブラックやブラウンなのに対し、鮮やかなレッドやブルー、グリーンなど他にはないカラーバリエーションで作れるのも、『モワナ』の技術力があってこそだ」。

かつて「モワナ」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたアンリ・ラパン(Henri Rapin)は、庭園美術館(東京)の内装に関わっていた。「今回のコレクションも、日本とフランスの架け橋になるようなコラボにしたかった。この2国には通ずるものがあると信じている」。

■ドーバー ストリート マーケット ギンザ ポップアップ

日程:1月31日まで
時間:11:00〜20:00
場所:ドーバー ストリート マーケット ギンザ 3階 アクセサリースペース
住所:東京都中央区銀座6-9-5

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LVMHグループのお墨付き 「モワナ」本国チームが語る最上位のクラフトマンシップ

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)傘下の仏老舗バッグブランド「モワナ(MOYNAT)」とグラフィックデザインの巨匠・永井一正のコラボコレクションが、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。このほど来日した本国チームに、永井とのコラボレーションや、ベストセラーのキャンバスシリーズ“Mコレクション”、同ブランドのモノ作りについて深掘りした。

「モワナ」と永井 クリエイションの共鳴

本国チームは、「『モワナ』が持つブランドの奥深さは、永井の目にも魅力的に映ると確信があった」と自信を持って語り始める。「コラボレーションの話は、2024年2月に日本デザインセンター(東京)で永井と彼のチームに会ったときから本格化した。彼は94歳だったにも関わらず、毎週月曜日はここに来ていると話していた」と尊敬の念をにじませる。永井は長いキャリアの中で、三菱UFJフィナンシャル・グループやアサヒビール、1966年の札幌冬季オリンピックのシンボルマークなど、誰もが一度は見たことのある作品を手掛けている。「彼のダイナミックで印象的、かつ明るい作風は、私たちの打ち出したいコレクションにぴったりだと思った」。

今回のコラボコレクションでは、永井の代表作である“LIFE”シリーズを採用した。ライオンやチンパンジー、タコやヒトデなど水陸の生物をモチーフに、「生物にとって最も重要な“命”を表現している」(日本デザインセンター公式サイト)。コレクションの反応は、国を問わずポジティブだったという。「永井は日本を代表するグラフィックデザイナーだから、日本における売れ行きの良さは想像ができた。しかし、彼を知らない人、そして「モワナ」を知らない人にもこのキャッチーなデザインは響いた」。24年11月にコレクションを発売し、2週間で完売した。

老舗ブランドとしての誇りを胸に

「ドーバー ストリート マーケット ギンザ限定のコラボコレクションは、「モワナ」のベストセラー“Mコレクション”シリーズが主役だ。永井の作品が持つ「カラフル」「ハッピー」「ジョイフル」といった要素は、同シリーズが長年大切にしてきたことでもある。「“Mコレクション”は、新規顧客、特に若年層を引き付けている。『モワナ』は特にメーンターゲットを設けておらず、(今の段階で)若年層に特化した施策を打ち出してはいない。それでも“Mコレクション”を通して若い世代とつながれることをうれしく思う」。ローンチを記念したカクテルパーティーも、若者が中心となり活気のある雰囲気を作っていた。

バッグ市場では近年、“Mコレクション”のようなキャンバストート型のバッグにアーティストが描くモチーフをプリントする動きがある。「この流れに乗っているのは老舗が多く、どこもクラフトマンシップを謳っている。しかし、そのクラフトマンシップこそ私たちの強み。私たちはモノ作りを一切妥協しない。使用しているレザーはどれも一級品で、耐久性にもとことん向き合っている」と真っ直ぐ語る。「多くのレザーバッグがブラックやブラウンなのに対し、鮮やかなレッドやブルー、グリーンなど他にはないカラーバリエーションで作れるのも、『モワナ』の技術力があってこそだ」。

かつて「モワナ」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたアンリ・ラパン(Henri Rapin)は、庭園美術館(東京)の内装に関わっていた。「今回のコレクションも、日本とフランスの架け橋になるようなコラボにしたかった。この2国には通ずるものがあると信じている」。

■ドーバー ストリート マーケット ギンザ ポップアップ

日程:1月31日まで
時間:11:00〜20:00
場所:ドーバー ストリート マーケット ギンザ 3階 アクセサリースペース
住所:東京都中央区銀座6-9-5

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GRe4N BOYZが語る映画「サンセット・サンライズ」のインスパイア・ソング「シオン」に込めた想い

PROFILE: GRe4N BOYZ

PROFILE: (グリーンボーイズ)HIDE、navi、92、SOHの男性4人組、福島県で結成されたボーカルグループ。メンバー全員が歯科医師免許を持ち、医療との両立のため顔を伏せて活動中。「愛唄」「キセキ」「遥か」「オレンジ」など、GReeeeNとしてデビュー以来、数々のヒット曲を生み出し、「キセキ」は今も日本国内において最も多くダウンロード販売されたシングルとしてギネス記録を持つ。また、楽曲だけでなく、自身を題材にした映画「キセキ -あの日のソビト-」(松坂桃李・菅田将暉ダブル主演)の大ヒットにより、その”生き方”も話題となる。2024年3月、グループ名をGRe4N BOYZと改名し、その新たな活動への注目が集まる。同年、全国ツアー「GRe4N BOYZ イマーシブライブシアター 2024 “The CUBE”〜何処かに広がる大きな声が〜」を開催した。

監督:岸善幸 × 脚本:宮藤官九郎 × 主演:菅田将暉による映画「サンセット・サンライズ」は、新型コロナのパンデミックに世の中が揺れた2020年の東北を舞台にした物語だ。大企業に勤める晋作(菅田将暉)は、リモートワークになったことをきっかけに東京から三陸の街に引っ越してきて大好きな釣り三昧の日々。そこで出会った地元の人々と触れ合うことで晋作は大きく変わっていく。コロナや東日本大震災などさまざまな問題を盛り込みながら、笑いと涙に満ちた人間ドラマに仕上がった本作。そのインスパイア・ソングを手掛けたのは、24年にGReeeeNから改名したGRe4N BOYZ(グリーンボーイズ)だ。大学時代を福島で過ごしたということもあり、映画から受けた印象だけではなく、東北で暮らす人の思いも反映させたというインスパイア・ソング「シオン」はどのようにして生まれたのか。メンバーのHIDEとnaviに話を聞いた。

——「シオン」は主題歌ではなくインスパイア・ソングということですが、どんな風に曲を作り上げていったのでしょうか。

HIDE:これまでインスパイア・ソングというのはやったことがなかったので、自分の中にどういう感情が生まれるのかを意識しながらまずは映画を観させていただきました。主題歌を書く時もそうなんですけど、事前に映画に関する情報は何も入れずに、初めて観た時に感じたことを大切にして曲を作ろうと思ったんです。

——映画を観てどう思われました?

HIDE:脚本が宮藤官九郎さんということもあって、笑いの要素もたくさんありますし、楽しく観られる映画だと思う反面、とても繊細な部分も描かれていました。その両方の部分を曲に反映させつつ、自分たちが東北で過ごしていた時のことや、震災直後に現地に入った時のことを思い出しながら曲にしていこうと思いました。

——naviさんは映画にはどんな感想を持たれました?

navi:いろんなテーマが重なっていて、それに対して登場人物の一人一人がそれぞれの立場で向き合っている姿が印象的でしたね。あと、映画の舞台になった三陸に親戚がいるんですけど、映画が現地の雰囲気をすごく捉えていることに驚きました。出てくる人たちの方言もすごくリアルで親近感を感じました。特に中村雅俊さんの方言のイントネーションが本物過ぎて。中村さんが地元の方だというのを後で知って「だからか!」と思いました。

——方言やイントネーションは大切ですよね。その土地の文化でもありますし。

navi:あと、コロナが広まっていった時の地方の小さな町の雰囲気もリアルに描かれていました。(コロナが広まっている)東京から人が来て大ごとになる感じとか、確かにそうだったよなって。当時、帰省する時は気を付けていましたが、しっかり検査して帰省したとしても目に見えない恐怖というのは拭い去れないので、地元では外から来る人を警戒していたんだろうなって改めて思いました。そういう距離感も映画ではうまく表現されていましたね。

HIDE:あと、地元のおいしいものがいろいろ出てくるのも良いですね。映画の後半に出てくる「芋煮会」は僕らもよくやっていたんです。友達と「芋煮会しようか」って。バーベキューとかお花見みたいなものなんですけど、友達と集まって一緒に芋を煮て食べるんです。

——映画では人間関係が煮詰まった時に芋煮会を開いて、そこで晋作が気持ちをさらけ出します。きっと、そういう雰囲気になる会なんですね。

HIDE:自然の中で仲間と鍋を囲むことで自分の心が裸になれるというか。だから、晋作の感情が爆発してしまうのも分かる。あそこは映画を観ていてシビれる展開でしたね。

「癒やしを必要な人に、癒やしが届く曲になれば良いな」

——インスパイア・ソングの「シオン」は、そんな風に強い感情が溢れ出すような曲ですね。いろんな要素、いろんな感情が詰まった映画でしたが、曲を作る時には映画のどんなところに焦点を当てたのでしょうか。

HIDE:自分たちが作った曲が映画を見た方にとっての何かになってほしい、と思った時に、この作品にはいろんな要素があるけれど、一番大きな要素は「癒やし」じゃないかと思ったんです。いま、癒やしを必要な人に癒やしが届く曲になれば良いな、と思いました。

navi:どんなメロディーや曲調にしたら映画の雰囲気に合うのかな、と考えながら映画を観させてもらったんですけど、いろんな要素がある映画なのでどんな曲でも合いそうだったんですよね。明るい曲にもできたし、もっとバラードっぽくもできた。でも、最終的に癒やしをテーマしたことでこの曲が生まれたんです。

HIDE:その一方で、癒やしに限らず、映画を観た方が必要としているものを届けられる曲にしたいとも思ったんです。そして、映画全体が醸し出している雰囲気みたいなものが曲になったらどんな風になるんだろう?と考えながらギターを弾いている時にメロディーが降りてきました。

——まず、メロディーが生まれたんですね。

HIDE:僕らの曲はいつもメロディーが先なんです。今回は「この映画を観て良かった。この曲を聴いて良かった」と思ってほしい相手を想像して、その人に向けて歌詞を考えました。

——「あなた」に語りかける歌詞になっていますね。季節が歌詞のモチーフになっているようにも思えたのですが。

HIDE:気が付いたらそうなっていた、という感じですね。設計図的なものはなく、自然に出てきた言葉をつなげて歌詞にしました。

——naviさんはHIDEさんが書いた歌詞について、どう思われました?

navi:季節を巡りつつ、最後に「私は生きていく」という強い意志を出すところが印象的でしたね。

HIDE:震災が起こってから、今も前に進めない方がたくさんいらっしゃると思うんですよ。でも、動けなくても今ある命を惜しみなく使っている。そういう気がしたんですよね。

——晋作が想いを寄せる百香(井上真央)も、震災以降に動けなくなった女性でしたね。「シオン」という曲名はどこから取られたのでしょうか。

HIDE:曲のタイトルを決めるのはいつも一番最後なんです。できた曲を聴いたり、歌詞を読んだりして、この曲は何を言っているんだろう?と考えて曲名を考えるんですけど、そこでたどり着いたのが「シオン」でした。シオン(紫苑)の花言葉が「追憶」で、それが映画や曲にも合っていると思ったんです。でも、「この曲名の意味は追憶です」と言い切りたくはなくて。ただ、「シオン」という言葉の響きがすてきだな、と思っていただいてもいいですし、曲を聴かれる方それぞれが好きなように感じてくれたら良いな、と思います。

——東日本大震災で傷ついた人々を、映画の題材として取り上げるのはとてもデリケートなことです。お二人は震災も体験し、HIDEさんは震災直後に歯科医師として現地に入られたりもされましたが、映画で描かれた震災が人々に与えた影響についてどう思われました?

HIDE:この映画で伝えたいのは、東北は時間はかかりながらもちゃんと前向いていますよっていうことだと思うんですよ。そういうことが映画をご覧になった方に伝わるのは素晴らしいし、そういう作品に参加できたのはありがたかったですね。

——晋作と衝突していた地元住民のケン(竹原ピストル)が、芋煮会で晋作に向かって「俺たちのことを見ててくれたらいいんだ」と言うのを聞いて、そういう想いもあるのか、と思いました。被災地で暮らす人々に対して、どんなふうに接していいのか分からない自分にとって心に響く言葉でした。

navi:僕も今、そのセリフを思い出していたんです。地元の人たちの意見はいろいろあると思うんですけど、「見ててくれたらいい」というのは、とてもバランスが取れた良い答えというか、あのセリフを聞いて「そうだよな」ってすごく納得しました。

GRe4N BOYZとしての新たなスタート

——昨年、GReeeeNはGRe4N BOYZとして再出発して新作アルバムもリリースされました。グループ名を変えたことで、音楽に対する向き合い方に変化は生まれました?

HIDE:急に何かが大きく変わったりはしないんですけど、名前が変わるというのは大きなことだというのは実感しました。新しいグループ名を認知していただくのがすごく大変で。でも、僕らのことや僕らの音楽を信じてライブに来ていただいたり、作品を聴いてくださったりしてる方たちが、こんなにもたくさんいてくださるんだということを知ることができた。そういう人々に対して恩返しをするというか、これから一緒に成長していけたら良いな、と思ってます。

navi:名前を変えてもついて来てくれるファンの方には本当に感謝してます。あと、GReeeeNだった時は、メンバーの間で「GReeeeNってこうだよね」ってなんとなく意識していることがあったんです。でも、GRe4N BOYZになってからは、そういうことは意識せずにいろんなことに挑戦するようになりました。そのおかげで音楽の幅が広がった気がするんですよね。

——晋作が三陸で暮らすようになって新しい人生を歩み始めたことと、GReeeeNがGRe4N BOYZとして再出発したことは重なるところがあるような気がします。

HIDE:そうですね。晋作は新しい価値観に触れて、今までとは違ったものを素敵だと思えるようになった。今の自分たちはそういう状態に近い気がします。これまで僕たちの音楽を聴いてくれていた人たちにとっても、そうだと思うんですよ。GRe4N BOYZの音楽に触れて、新しい魅力を感じてくれるとうれしいですね。

navi:晋作が前向きな姿勢で新しい価値観に向き合っているところにも共感していて。いま、僕たちもフレッシュな気持ちで音楽に向き合っていて、これからいろんなことに出会えそうだなって今すごくワクワクしているんです。

■映画「サンセット・サンライズ」
出演:菅田将暉
井上真央
竹原ピストル 山本浩司 好井まさお 藤間爽子 茅島みずき
白川和子 ビートきよし 半海一晃 宮崎吐夢 少路勇介 松尾貴史
三宅健 池脇千鶴 小日向文世 / 中村雅俊
脚本:宮藤官九郎
監督:岸善幸
原作:楡周平「サンセット・サンライズ」(講談社文庫)
音楽:網守将平
歌唱:⻘葉市子
企画・プロデュース:佐藤順子
制作プロダクション:テレビマンユニオン
配給:ワーナー・ブラザース映画
©︎楡周平/講談社 ©︎2024「サンセット・サンライズ」製作委員会
https://wwws.warnerbros.co.jp/sunsetsunrise/

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「ゲラン」新美容液はブラックビーハニーの修復力に着目 ボンテ博士が語る製品開発

「ゲラン(GUERLAIN)」は2月1日、ブランドを代表するライン“アベイユ ロイヤル”のブースト美容液“ウォータリー オイル セロム”(30mL、1万4300円/50mL、1万9800円)をリニューアル発売する。ミツバチとハチ由来成分の持つ自己修復力に関する研究プラットフォーム「ビー・ラボ(BEE LAB)」の研究を基に処方をアップデート。フレデリック・ボンテ(Frederic Bonte)=「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクターにリニューアルの重点や、「ゲラン」の製品開発について聞いた。

PROFILE: フレデリック・ボンテ/「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター

フレデリック・ボンテ/「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター
PROFILE: パリ第11大学薬理学博士課程卒業。1985年には、91年にノーベル物理学賞を受賞したピエール・ジル・ド・ジェンヌ教授のコレージュ・ド・フランスの研究室で、インターフェースの生理化学に関する博士論文を執筆。その後は「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクターとして、LVMHグループ内の約50の特許取得に携わる。毎年LVMHリサーチが開催する国際科学シンポジウムの責任者を10年以上にわたり務め、コスメトロジーの新たな方向性を切り開いてきた。多くの専門協会会員であり、フランス国立薬学アカデミーの主要薬理学史者でもある

WWD:5代目となる製品のリニューアルの着想源は?

フレデリック・ボンテ=「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター(以下、ボンテ博士):美容医療における脂肪注入注射後の肌は、ボリューム感だけでなく質感の改善も見られることに着目した。そこから肌の修復や再生において重要な役割を持つ間葉系幹細胞の研究を進め、今回の処方を完成させた。

WWD:処方の特徴は?

ボンテ博士:「ゲラン」が持つ300種類を超えるハチミツの分析データをもとに、約3年かけて3種のブラックビーハニーを選び抜いた。独自ルートで調達したロイヤルゼリーとブレンドし、エイジングやストレスなどにより低下した間葉系幹細胞の活性化にアプローチする。輝きのある肌を演出する“グロウブースターコンプレックス”や、プロポリス、ヒアルロン酸も新たに配合した。オイル成分はマイクロビーズに配合することで、オイル美容液特有のベタつき感を解消。また天然由来成分を99%まで高めた。

WWD:5代目まででハチミツの何が分かってきたのか?

ボンテ博士:ハチミツの品種によって含有成分の違いや役割についての研究が進んでいる。分析の手法も年々進化してきた。ハチミツの栄養素をより細かく分析できるようになり、今回のリニューアルが実現した。同じブラックビーハニーでも、生息地や周っている花の種類などにより構成要素が全く異なる。今回はフランス、アイルランド、ノルウェーの黒ミツバチから採れたブラックビーハニーを採用した。

WWD:ハチミツ採取の仕組みは?

ボンテ博士:養蜂家の生産体制を細かく確認し、ハチミツの長期的な共有ができる強固なパートナーシップを結んでいる。フランスのウェッサン島には「ゲラン」のためだけに働いてくれる養蜂家もいる。「ゲラン」の研究者は年数回ウェッサン島やアイルランド、ノルウェーに赴き、現地の養蜂家と直接コミュニケーションを取っている。「ゲラン」は肌組織や成分の研究だけでなく、ミツバチの生態系や養蜂家の働き方も重視する。よい原料なくして、よい製品を作ることはできない。

WWD:6代目、7代目へ向けた計画は?

ボンテ博士:今後のプロジェクトはまだ秘密だ。「ゲラン」が注目する黒ミツバチは多くの可能性を秘めているので、ブラックビーハニーの研究を続けさらなる進化につなげたい。また皮膚間葉系幹細胞についても、老化科学と再生を研究するフランスの研究機関、リストア研究所と連携し研究を進める。

WWD:“ウォータリー オイル セロム”は特にどのような人におすすめなのか?

ボンテ博士:肌のハリや潤い、輝きを求める人に特におすすめだ。肌の深層部まで潤うことで、毛穴やキメの乱れの目立ちにくさにもつながる。評価テストでは肌の赤みが落ち着いた結果も見られたので、敏感肌の人も使用できる。単体でも効果を発揮するが、“アベイユ ロイヤル”の中では“アドバンスト ダブルR セロム”(30mL、2万570円/50mL、2万8160円)との組み合わせを推奨する。より肌状態を向上することができるだろう。

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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。

同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。

私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。

初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。

もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。

8:理想の休日の過ごし方は?

街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。

9:自分にとっての1番の宝物は?

宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。

10:これから叶えたい夢は?

私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。

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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。

同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。

私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。

初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。

もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。

8:理想の休日の過ごし方は?

街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。

9:自分にとっての1番の宝物は?

宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。

10:これから叶えたい夢は?

私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。

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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。

同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。

私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。

初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。

もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。

8:理想の休日の過ごし方は?

街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。

9:自分にとっての1番の宝物は?

宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。

10:これから叶えたい夢は?

私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。

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フルート奏者から俳優へ 「東京産、ロサンゼルス製」のマルチクリエイターRiRiaの半生

PROFILE: RiRia/俳優、マルチクリエイター

RiRia/俳優、マルチクリエイター
PROFILE: (りりあ)東京生まれ。10歳でプロのフルート奏者としてデビューし、浅田真央選手のオリンピック出場楽曲を担当する。17歳でハリウッドへ進出し、エミー賞9冠受賞のドラマ「ハックス」などに出演。近年はクリエイターとして活躍の場を広げ、トヨタ自動車「スーパーフォーミュラ」のCMを監督した

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第6回はマルチクリエイターのRiRiaに、フルート奏者から俳優へ転向しマルチクリエイターとして活躍する半生を聞く。

マイケル・ジャクソンに胸を打たれてロサンゼルスへ

水嶋和恵(以下、水嶋):ロサンゼルスに至るまでの経歴は?

RiRia:3歳でリコーダー、7歳でクラシックフルートの演奏を始め、10歳でプロフルート奏者としてデビューしました。人生のとても早い段階でプロになり、14歳でプロフィギュアスケーターの浅田真央選手の競技使用曲を演奏しました。

水嶋:日本で活躍している中、なぜロサンゼルスに移住したのですか?

RiRia:16歳で自分の中で限界を感じてしまったんです。元々話すことが大好きで、両手と口がふさがるフルートの表現に限界を感じました。もっと大きいことがしたい、もっと表現がしたいと思っていた矢先、テレビをつけたらマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の姿が。2009年、彼が亡くなる4カ月前でした。エンターテイメントの世界で、同じ表現者でもこれだけ違うのかと衝撃を受けました。パフォーマーである彼から観客がエネルギーを感じ取っている。その姿を見て、マイケルがいるアメリカ・ロサンゼルスで表現者になりたいと思いました。彼を超えていく!と。

水嶋:人生のターニングポイントですね。

RiRia:はい。両親に米国移住の決意を伝えたところ、「次の国際大会で優勝したら、アメリカへの片道チケットをプレゼントする」と言ってくれました。11年のマクサンス・ラリュー国際フルートコンクールで最年少優勝することができ、12年1月、両親との約束を胸に、米国への移住を見据えてニューヨークとロサンゼルスを視察しました。行った時期のニューヨークが極寒だったこともあり、ロサンゼルスに行くことを決めました。

ただ、ロサンゼルスに来てがっかりしたこともあります。私はファッションが大好き。ロサンゼルスはセレブや水嶋さんのようなファッション業界のおしゃれな人であふれていると思っていたので、移住して最初の頃は、人々があまりにもカジュアルなのを見て、正直残念に感じましたね。それでも気候は素晴らしく、エンタメの中心地です。舞台ではなく映像で俳優をしたいという思いもあり、やはり自分が住むのにふさわしいのはハリウッドだと思いました。

水嶋:ロサンゼルスに来てすぐの頃は、どんな生活をしていましたか?

RiRia:移住をするのに高校卒業まで待てない自分がいて、高校2年生でロサンゼルスへ。最初は公立高校に通いながら、音楽大学付属のプレカレッジに通い、学生寮に住んでいました。俳優・表現者になりたいとロサンゼルスに来たけれど、最初の4~5年は音楽留学となってしまい、やりたいことを思うようにできない時期でした。

水嶋:移住した当初の英語力はどうでしたか?

RiRia:英語力は全くなく、人に話かけることもハグをすることもできなかったですね。いつの間にか英語力が身についたのですが、音楽をやってきたのは英語習得において、ラッキーだったかなと。

水嶋:リスニング(聴力)に長けていそうですよね!

RiRia:また、公立高校に通ったことで英語力がついたように思います。周りに日本人もいなかったので、その環境にもまれながら、高校生活を送れたのは大きかったです。

米国で俳優、マルチクリエイターとして活躍の幅を広げる

水嶋:卒業してから、仕事を得るまでの道のりはどのようなものでしたか?

RiRia:17年、EB-1ビザ(第一優先枠:突出した能力や知名度を持つ人物に与えられるビザ)を取得し、米国で就労可能に。そこから階段を登るように、表現者としてコマーシャル出演、さまざまな方のミュージックビデオ出演と仕事が決まっていき、エージェントもつきました。

水嶋:エンタメの地ロサンゼルスでは、多くの事務所が存在しますが、自分に合うエージェントを見つけるのは容易ではなかったのでは。

RiRia:巡り合わせがとても重要でした。大きな事務所だからといって、仕事が入ってくるとは限らない。小さい事務所だからこそ、親身になってくれる場合もあります。日本のマネージメントの仕組みとは異なり、米国では短い期間であっても、納得のいく結果が得られない場合は、タレントが事務所を変更できます。今までに7回事務所を変え、やっとしっくりくるマネージメントと共に仕事をしています。

水嶋:俳優業をしながら、グラフィックデザインや動画クリエイションをしていますが、マルチクリエーターとして活動するに至った経緯を教えてください。

RiRia:幼いときから、コラージュやペーパークラフトをはじめ、何かを創造するのが好きでした。パンデミック中に「おうち時間で何か楽しいことをしよう。みんなを勇気づけられたら」という思いで、自分の作品をソーシャルメディアに投稿したのがきっかけです。自分の体を紙人形に見立てて着せ替えするデジタル作品“RiRia紙人形”。この作品への反響がとても大きく、企業からのコラボ案件をいただくようになりました。

水嶋:紙人形という古くから日本に伝わるものを、デジタルで表現するなんて素敵ですね!

RiRia:ありがとうございます。この作品をきっかけに、韓国女性グループ 2NE1のメンバーの一人であるCLがソロデビューをする際のミュージックビデオ「+DONE161201+」を監修してほしいとの依頼が。本人からインスタグラム経由でオファーをいただいたので「見てくれている人がいる、こんなことがあるんだ」と驚きました。

水嶋:カメオ出演もされたんですよね。まさに、アメリカンドリーム!多くのミュージックビデオや広告のクリエイティブを担当していますが、最近はどのようなプロジェクトがありましたか?

RiRia:キャセイパシフィック航空のウェブCMのクリエイティブを担当しました。自分をコラージュにして、世界を舞台に「駆ける、架ける、賭けるRiRia」を表現したストップモーションビデオです。少しユーモアのある、遊び心のある作品に仕上がりました。

水嶋:トヨタ自動車とクリエイターとの共創プロジェクト「トヨタ ディレクターズカット(TOYOTA DIRECTORSCUT)」での、RiRiaさんの映像作品も記憶に新しいですが、いかがでしたか?

RiRia:空想のゲームをつくり、キャラクターをデザインし、グラフィックを作り込み、実写でも登場する。ディレクション、編集、そして出演もしたので、大変な作業でした。でも、自分の頭の中のものを一番忠実にアウトプットできるのは自分しかいないと思うので、自分で全てできてしまうのは、アーティストとしての強みだなと思います。

フルート奏者から俳優へ、気持ちが切り替わった転機

水嶋:俳優として出演した思い出深い作品はありますか?

RiRia:ユナイテッド航空のテレビCM出演が印象に残っています。フルートの演奏ができて、奇抜な容姿の俳優を探しているとのことでした。

水嶋:それは、RiRiaさんしかいないですね!

RiRia:私以外に誰かいるのかな?いるなら見てみたい!と思いましたね。撮影はグランドキャニオンの頂上で一人。クルーは数km先まで下山をし、ヘリコプターからの撮影でした。フルート奏者としての自分から、俳優としての自分に切り替わった瞬間に、自分の中で「これだ」と腑に落ちました。今まで積み重ねてきたことから、これから目指す自分が見えました。今でも、あのグランドキャニオンから見た夕焼けと、そのときの自分の感情を思い出します。

水嶋:プロの俳優として歩み出した、素晴らしいターニングポイントですね。

RiRia:そこからドラマ出演も決まるようになりました。「ドールフェイス」(Huluオリジナル)でチェリーという名のロックスター役で出演、またエミー賞9冠を受賞した「ハックス」(HBOオリジナル)に出演。実はスタイリスト役なんです!

水嶋:そうなのですね!ファッションが好きだとおっしゃっていましたが、現場の印象はいかがでしたか?

RiRia:ファッションが好きな私としては、憧れの職業でもあるスタイリストの役を演じられるのは、夢のような時間でした。セットの作り込みも、用意されている衣装も素晴らしく、その空間にいるだけで、ワクワクしました。少しでも自分の性格を投影できる役はしっくりきますね。日本人限定でキャスティングされるよりも、人種関係なく自分がハマる役に挑んでいきたいです。それが自分の役者スタイルだと思います。米国の人々が思う日本のイメージはあると思いますが、ニュー・トーキョー、ニュー・ジャパンを彷彿させる役者でいたいと思っています。

水嶋:RiRiaさんとの出会いは、ロサンゼルス日本大使館主催のイベント「JX」。女優のAKEMIさんが紹介してくれました。とてもファッショナブルで、日本人とは違う存在感とすてきなオーラを感じました。さすがハリウッドで活躍している人だと思いました。

RiRia:私は「東京産、ロサンゼルス製」。二つの土地の素晴らしさを融合して、クリエイションを続けたいです。日本に向けて何かを制作するのは、私にとってグローバル。25年は日本での活動も増やしていきたいです!

PHOTOS:TADASHI TAWARAYAMA[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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フルート奏者から俳優へ 「東京産、ロサンゼルス製」のマルチクリエイターRiRiaの半生

PROFILE: RiRia/俳優、マルチクリエイター

RiRia/俳優、マルチクリエイター
PROFILE: (りりあ)東京生まれ。10歳でプロのフルート奏者としてデビューし、浅田真央選手のオリンピック出場楽曲を担当する。17歳でハリウッドへ進出し、エミー賞9冠受賞のドラマ「ハックス」などに出演。近年はクリエイターとして活躍の場を広げ、トヨタ自動車「スーパーフォーミュラ」のCMを監督した

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第6回はマルチクリエイターのRiRiaに、フルート奏者から俳優へ転向しマルチクリエイターとして活躍する半生を聞く。

マイケル・ジャクソンに胸を打たれてロサンゼルスへ

水嶋和恵(以下、水嶋):ロサンゼルスに至るまでの経歴は?

RiRia:3歳でリコーダー、7歳でクラシックフルートの演奏を始め、10歳でプロフルート奏者としてデビューしました。人生のとても早い段階でプロになり、14歳でプロフィギュアスケーターの浅田真央選手の競技使用曲を演奏しました。

水嶋:日本で活躍している中、なぜロサンゼルスに移住したのですか?

RiRia:16歳で自分の中で限界を感じてしまったんです。元々話すことが大好きで、両手と口がふさがるフルートの表現に限界を感じました。もっと大きいことがしたい、もっと表現がしたいと思っていた矢先、テレビをつけたらマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の姿が。2009年、彼が亡くなる4カ月前でした。エンターテイメントの世界で、同じ表現者でもこれだけ違うのかと衝撃を受けました。パフォーマーである彼から観客がエネルギーを感じ取っている。その姿を見て、マイケルがいるアメリカ・ロサンゼルスで表現者になりたいと思いました。彼を超えていく!と。

水嶋:人生のターニングポイントですね。

RiRia:はい。両親に米国移住の決意を伝えたところ、「次の国際大会で優勝したら、アメリカへの片道チケットをプレゼントする」と言ってくれました。11年のマクサンス・ラリュー国際フルートコンクールで最年少優勝することができ、12年1月、両親との約束を胸に、米国への移住を見据えてニューヨークとロサンゼルスを視察しました。行った時期のニューヨークが極寒だったこともあり、ロサンゼルスに行くことを決めました。

ただ、ロサンゼルスに来てがっかりしたこともあります。私はファッションが大好き。ロサンゼルスはセレブや水嶋さんのようなファッション業界のおしゃれな人であふれていると思っていたので、移住して最初の頃は、人々があまりにもカジュアルなのを見て、正直残念に感じましたね。それでも気候は素晴らしく、エンタメの中心地です。舞台ではなく映像で俳優をしたいという思いもあり、やはり自分が住むのにふさわしいのはハリウッドだと思いました。

水嶋:ロサンゼルスに来てすぐの頃は、どんな生活をしていましたか?

RiRia:移住をするのに高校卒業まで待てない自分がいて、高校2年生でロサンゼルスへ。最初は公立高校に通いながら、音楽大学付属のプレカレッジに通い、学生寮に住んでいました。俳優・表現者になりたいとロサンゼルスに来たけれど、最初の4~5年は音楽留学となってしまい、やりたいことを思うようにできない時期でした。

水嶋:移住した当初の英語力はどうでしたか?

RiRia:英語力は全くなく、人に話かけることもハグをすることもできなかったですね。いつの間にか英語力が身についたのですが、音楽をやってきたのは英語習得において、ラッキーだったかなと。

水嶋:リスニング(聴力)に長けていそうですよね!

RiRia:また、公立高校に通ったことで英語力がついたように思います。周りに日本人もいなかったので、その環境にもまれながら、高校生活を送れたのは大きかったです。

米国で俳優、マルチクリエイターとして活躍の幅を広げる

水嶋:卒業してから、仕事を得るまでの道のりはどのようなものでしたか?

RiRia:17年、EB-1ビザ(第一優先枠:突出した能力や知名度を持つ人物に与えられるビザ)を取得し、米国で就労可能に。そこから階段を登るように、表現者としてコマーシャル出演、さまざまな方のミュージックビデオ出演と仕事が決まっていき、エージェントもつきました。

水嶋:エンタメの地ロサンゼルスでは、多くの事務所が存在しますが、自分に合うエージェントを見つけるのは容易ではなかったのでは。

RiRia:巡り合わせがとても重要でした。大きな事務所だからといって、仕事が入ってくるとは限らない。小さい事務所だからこそ、親身になってくれる場合もあります。日本のマネージメントの仕組みとは異なり、米国では短い期間であっても、納得のいく結果が得られない場合は、タレントが事務所を変更できます。今までに7回事務所を変え、やっとしっくりくるマネージメントと共に仕事をしています。

水嶋:俳優業をしながら、グラフィックデザインや動画クリエイションをしていますが、マルチクリエーターとして活動するに至った経緯を教えてください。

RiRia:幼いときから、コラージュやペーパークラフトをはじめ、何かを創造するのが好きでした。パンデミック中に「おうち時間で何か楽しいことをしよう。みんなを勇気づけられたら」という思いで、自分の作品をソーシャルメディアに投稿したのがきっかけです。自分の体を紙人形に見立てて着せ替えするデジタル作品“RiRia紙人形”。この作品への反響がとても大きく、企業からのコラボ案件をいただくようになりました。

水嶋:紙人形という古くから日本に伝わるものを、デジタルで表現するなんて素敵ですね!

RiRia:ありがとうございます。この作品をきっかけに、韓国女性グループ 2NE1のメンバーの一人であるCLがソロデビューをする際のミュージックビデオ「+DONE161201+」を監修してほしいとの依頼が。本人からインスタグラム経由でオファーをいただいたので「見てくれている人がいる、こんなことがあるんだ」と驚きました。

水嶋:カメオ出演もされたんですよね。まさに、アメリカンドリーム!多くのミュージックビデオや広告のクリエイティブを担当していますが、最近はどのようなプロジェクトがありましたか?

RiRia:キャセイパシフィック航空のウェブCMのクリエイティブを担当しました。自分をコラージュにして、世界を舞台に「駆ける、架ける、賭けるRiRia」を表現したストップモーションビデオです。少しユーモアのある、遊び心のある作品に仕上がりました。

水嶋:トヨタ自動車とクリエイターとの共創プロジェクト「トヨタ ディレクターズカット(TOYOTA DIRECTORSCUT)」での、RiRiaさんの映像作品も記憶に新しいですが、いかがでしたか?

RiRia:空想のゲームをつくり、キャラクターをデザインし、グラフィックを作り込み、実写でも登場する。ディレクション、編集、そして出演もしたので、大変な作業でした。でも、自分の頭の中のものを一番忠実にアウトプットできるのは自分しかいないと思うので、自分で全てできてしまうのは、アーティストとしての強みだなと思います。

フルート奏者から俳優へ、気持ちが切り替わった転機

水嶋:俳優として出演した思い出深い作品はありますか?

RiRia:ユナイテッド航空のテレビCM出演が印象に残っています。フルートの演奏ができて、奇抜な容姿の俳優を探しているとのことでした。

水嶋:それは、RiRiaさんしかいないですね!

RiRia:私以外に誰かいるのかな?いるなら見てみたい!と思いましたね。撮影はグランドキャニオンの頂上で一人。クルーは数km先まで下山をし、ヘリコプターからの撮影でした。フルート奏者としての自分から、俳優としての自分に切り替わった瞬間に、自分の中で「これだ」と腑に落ちました。今まで積み重ねてきたことから、これから目指す自分が見えました。今でも、あのグランドキャニオンから見た夕焼けと、そのときの自分の感情を思い出します。

水嶋:プロの俳優として歩み出した、素晴らしいターニングポイントですね。

RiRia:そこからドラマ出演も決まるようになりました。「ドールフェイス」(Huluオリジナル)でチェリーという名のロックスター役で出演、またエミー賞9冠を受賞した「ハックス」(HBOオリジナル)に出演。実はスタイリスト役なんです!

水嶋:そうなのですね!ファッションが好きだとおっしゃっていましたが、現場の印象はいかがでしたか?

RiRia:ファッションが好きな私としては、憧れの職業でもあるスタイリストの役を演じられるのは、夢のような時間でした。セットの作り込みも、用意されている衣装も素晴らしく、その空間にいるだけで、ワクワクしました。少しでも自分の性格を投影できる役はしっくりきますね。日本人限定でキャスティングされるよりも、人種関係なく自分がハマる役に挑んでいきたいです。それが自分の役者スタイルだと思います。米国の人々が思う日本のイメージはあると思いますが、ニュー・トーキョー、ニュー・ジャパンを彷彿させる役者でいたいと思っています。

水嶋:RiRiaさんとの出会いは、ロサンゼルス日本大使館主催のイベント「JX」。女優のAKEMIさんが紹介してくれました。とてもファッショナブルで、日本人とは違う存在感とすてきなオーラを感じました。さすがハリウッドで活躍している人だと思いました。

RiRia:私は「東京産、ロサンゼルス製」。二つの土地の素晴らしさを融合して、クリエイションを続けたいです。日本に向けて何かを制作するのは、私にとってグローバル。25年は日本での活動も増やしていきたいです!

PHOTOS:TADASHI TAWARAYAMA[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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小袋成彬が語る新作「Zatto」と「ロンドンでの出会い」 「ジャパニーズ・ソウルって感じですよね」

PROFILE: 小袋成彬/ミュージシャン

PROFILE: (おぶくろ・なりあき)1991年生まれ。埼玉県さいたま市出身、ロンドン在住。立教大学を卒業後、プロデューサーのYaffleと共に音楽プロダクション「TOKA」を設立。2018年、宇多田ヒカルをフィーチャリングに迎えたシングル「Lonely One」でメジャーデビューを果たし、同年リリースのデビューアルバム「分離派の夏」は第11回CDショップ大賞2019にノミネートされた。19年、セルフプロデュースによる2ndアルバム「Piercing」、2021年には3rdアルバム「Strides」をリリース。19年以降、活動拠点をイギリスに移し、世界各国のミュージシャンとのコラボレーションを展開。J-WAVEの音楽番組「Flip Side Planet」のMCも務めている。

小袋成彬が、3年ぶり4枚目となるアルバム「Zatto」をリリースした。これまでもアルバムごとに作風を変えてきた彼だが、本作を聴いて分かる通り、今作の進化はかなりラディカルなものになっている。ロンドンで暮らしはじめて5年という月日が経過した今の小袋成彬だからこそ生み出せる、現地で出会ったミュージシャンたちと作り上げた結晶のような音。ロンドンでの生活と、そこで見聞きし考えたことが何なのか、詳しく訊いてみた。

「デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器」

——アルバム「Zatto」を聴きました。正直、かなり驚いています。これはどういう音楽かと聞かれたら、「音楽的にはジャズでソウルミュージックで……」って答えるんだけど、そんなものでは言い表せない小袋さんのソウルが鳴っています。

小袋成彬(以下、小袋):ジャパニーズ・ソウルって感じですよね。ちあきなおみや和田アキ子あたりの。

——何があってこんな境地にたどり着いたのか。

小袋:最初はハウスミュージックのアルバムを作ってたんですよ。でもコロナになって、ブラック・ライブズ・マターもあって、ウクライナやガザの戦争も起きて、日本に住んでたら関係なさそうな出来事が一気に身近になっていった。いつも行くパブで働くウクライナ人の女の子がどんどん憔悴していく感じとか見てると、もう無関係じゃないなって思えてきて。ハウスミュージック作ってる場合じゃないかも、って。それでハウスミュージックのアルバムは完成半ばで諦めたんですよ。
※その時に制作された楽曲のうち3曲はアルバムのリリース前に配信された。

次第に、ブルースやジャズが響くようになってきた。ロンドン生活が長くなってきて黒人の友達も増えてきたので、彼らが日々考えてる悩みも実感レベルで分かるようになってきたんです。そうすると、ダニー・ハサウェイががっつり入ってくるようになった。フリーダムっていう概念も、正直それまであまりピンと来てなかったんですよ。別に俺は生まれながらにフリーダムだけど、って思ってたし。でも、ロンドンは生まれながらに抑圧されている人たちがいっぱいいるんですよね。そういう延長線上で、今作は生まれていきました。

——世相の変化を受けて、踊っている場合じゃないという心境になってきたと。

小袋:踊ってても、戦争の映像とかがちらつくんですよ。なんか違うな、って思えてきた。

——そこからなぜジャパニーズ・ソウルに?

小袋:ダニー・ハサウェイみたいなカッコいいのを作りたいなと思うけど、やっぱり英語だと猿真似になっちゃうなって。試行錯誤していくうちにここにたどり着いたって感じです。でも、ロンドンの人たちに聴かせたらすごく自然に受け入れてくれてたから、日本語なんだけど譜割りやグルーブは西洋の影響を受けてるんじゃないかな。俺は普段は日本語を喋らないので。

——サウンドは、どのようなアプローチで生まれていったんでしょうか。

小袋:それぞれリファレンスはちゃんとありますよ。「Hanazakari」はボブ・マーリーの「Slave Driver」って曲があって、その弾き語りをずっと練習してたら生まれてきた。でも同じコードだとボブ・マーリーそのままになっちゃうから、いろいろ変えてみました。マイルス・デイヴィスに「All Blues」って曲があるんですよ。半音だけ転調する瞬間があるんですけどそれが手癖で出ていたり。今回はちゃんと楽器を手に取って作ろうという思いがあったので、デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器ですね。

ロンドンの多様なミュージシャンとの制作

——今作がすごく贅沢なのは、その演奏に集まっているミュージシャンが、今のロンドンのシーンを作っている活きのいい人たちばかりで。しかも、曲によってその座組みもバラバラです。これは、やりたいことに合わせてメンバーを変えていったということですよね。

小袋:まさにそうです。レゲエが弾ける人、チャーチミュージックが得意な人ってそれぞれに得手不得手があるので、特性を考えてバンドを組んでいます。だいたい1バンドにつき2曲で、4バンドで作ってますね。

——それぞれの演奏のアドリブについては、ミュージシャンにどの程度任せていたんですか?

小袋:アドリブもけっこう入ってますよ。でも、大きな設計図は自分が書きました。ここは誰々のソロです、ここのピアノはこういうリズムで弾いてください、というルールの中で遊んでもらってます。だから、今回は基本的にはジャズセッションのメンツを集めています。月曜、火曜にロンドンでフリージャズのセッションがあって、そこに通って出会った人たち。知った仲だし、ある程度どうなるかイメージは描けてました。

——出てきた演奏に対しては、小袋さんはどういったディレクションをされたんですか?

小袋:例えば「Shiranami」だと、英語で「White Waveだよ」って説明しても、ヨーロッパの人たちは南フランスのビーチとかを想像しちゃう(笑)。実際に日本の人たちが想起するのは、岩に打ちつける波しぶきや磯の匂いですよね。「違う違う、そんな弾き方しないでくれ!東映のロゴと一緒に出てくるあの波が日本のShiranamiだよ!」って言うと、理解してくれたり。

——なるほど(笑)。「Kamifubuki」も「Shiranami」と同じミュージシャンが集っていますけど、ニュアンスがまた全然違いますよね。だから、演奏については小袋さんのディレクションがけっこう入っているんだろうなと思いました。

小袋:一回バンドメンバーの前で英語で歌うんですよ。歌詞を理解してもらいたいから。「Shiranami」も、「旗を燃やして人の夢を照らす」っていうのを「Burning the flag to light up people’s dream」とか訳して歌うと、「yeah!!」って返ってくる。そもそも「Shiranami」に関しては、ダニー・ハサウェイがピンク・フロイドと一緒にやったらこんな感じになると思うんだけどって説明すると、あぁなるほどね! って。

——ロンドンのジャズシーンだと、そういったディレクションしながらのセッション&レコーディングは普通なんですか?

小袋:珍しいと思う。いろんなレコーディングに行きましたけど、こんなに明確なビジョンを持って入ることってそんなにない。だいたい皆、適当に入って適当に弾いて帰っていくから。今日のセッションって結局なんだったんだ? みたいなのも多いですよ。そんな感じだから、皆「これだけ分かりやすく説明してくれてありがとう」って言ってました。何をやればいいか理解できた、って。でも金払ってるの自分だし、もったいないことしたくないじゃないですか。だからこそ決めるところは決めつつ自由にやらせるところはやらせて、っていうのは意識しましたね。そういったアプローチや人間関係は、5年間ロンドンに住んで培ってきたもの。ほんと、いろんな人がいるから。そもそも時間通りに来ない人、昼飯行ったきり帰ってこない人……そういう奴に限って一番巧いからムカつくんだけどね(笑)。5年前だったら発狂してたけど、もう慣れました。

——ということは、今作は音楽性も演奏も含めて、小袋さんが5年間ロンドンに住んだ結果の集大成と言えるのかもしれないですね。5年前だったら絶対に生まれていないアルバム。

小袋:自分がディレクションする形でロンドンのミュージシャンと一緒にやったのは、宇多田(ヒカル)さんのセッションで「丸の内サディスティック」を演奏したのが最初だったんです。だけど、当時は英語も喋れないし、ミュージシャンの人たちのことを何も分かってないし、俺全然だめだわって思った。もちろん完成したものには満足してるんだけど、でもクリス・デイヴはじめいろんな人の特性や性格を分かってなかったから。未熟だった。今は一人ひとりのグラデーションが分かってきたし、そういう意味では今が集大成と言えますね。

日本語の歌詞

——そうやってロンドンのミュージシャンが集結して演奏していながらも、特に「Shiranami」あたりに顕著ですけど、演歌にも接近するような日本らしさが出てきているのはなぜでしょう。

小袋:やっぱり、日本語だからそうなっちゃうんだと思います。自分は、USラップを真似して英語っぽいラップをする意味が全然分かんなくて、日本語の良いところを出してこそだと考えてる。それこそ、洋楽の要素を取り入れつつ日本語の良いところを出す歌い方って、ちあきなおみや和田アキ子で完成したと思ってるんです。ラッツ&スターとかね。あの辺が、まだ日本語の響きを大切にしていた人たちなんじゃないかな。あの人たちのバックバンドって、すごく豪華だったりするじゃないですか。今作は、そういうことをやってるんですよ。で、そこにロンドンの多様性を入れた。

——洋楽の歌い方に影響を受けているんだけど日本語の良さを活かしたハメ方、ということですよね。そこに今のロンドンのミュージシャンに加わってもらうことで、1970年代の日本の歌謡曲・ポップスが、今の小袋さんでしか成し得ない音楽として表現されていると。

小袋:演歌って、譜割りを崩して歌うじゃないですか。このアルバムもかなり崩しているところがあるから、余計に演歌っぽく聴こえるんだと思う。でもそもそものメロディーの作りという点でも工夫していて、日本の歌って主音(音階を構成する最初の音。例えばラシドレミファソラというイ短調の場合、ラが主音となる)で終わる。サム・スミスとか聴いてると、英語だけどメロディーは主音で終わるし日本歌謡っぽいなと感じる。演歌っぽい。でも自分はそういったことはあまりしたくなくて、メロディーについては主音で終わらないようにしてます。だから、他の人には真似できないと思う。

——小袋さんはどんどん日本語を客観的に捉えるようになってきてますよね。だからこそ日本語の良さを活かすんだけど日本語っぽくない譜割りやメロディーを組み立てていくという独自の作風になってきてて、それが一周回って演歌っぽく聴こえるというのがすごく面白い。

小袋:そうですよね。演歌はコブシを効かせつつ、基本的にはオンでノるからグルーブがあまりないんだけど、そこが違うポイント。

——どちらが良いとは一概に言えないけれど、日本語ならではの発音と、洋楽の影響を受けたリズムや発声法のバランスという点では80年代は一つの完成と言えるかもしれないですね。

小袋:2000年代以降は、ドメスティックな方向にまた変化していますよね。スキマスイッチさんをはじめとした、ちゃんと日本語の歌を日本の譜割りで歌っていくんだという流れ。その一方で宇多田さんみたいに完全にニューヨーク仕込みの独自の譜割りで歌う人も出て来たけど。この前日本に帰ってきて紅白(歌合戦)を観てると、Mrs. GREEN APPLEさんは完全にオンでの歌い方でしたね。かえるの歌みたいな、日本語に合う形式の乗せ方。あれはあれで一つのドメスティックに進化した日本の歌だと思います。でも、ブルースはなくなってきてますよね。

「皆にカバーしてほしいし、教科書に載ってほしい」

——「Zatto」は、日本語の響きは大事にしつつも、小袋さんがロンドンで肌で感じているブルース的な心の痛みを歌っているのかもしれないですね。

小袋:ソウルを取り戻せ! ということですかね(笑)。今回参加してくれたミュージシャンたちに、曲の説明をする前にデモを聴かせた時点で皆が「やばいね」って言ってくれたんですよ。何かを歌っている、ソウルが出ている、というのが伝わったんじゃないかな。

——いやはや、ソウルって何なんでしょうか。小袋さんがロンドンで生活して感じたもの、としか言いようのない何かがある。

小袋:汚い屋台のケバブばっかり食べてないと、この音は出なかったかもしれない。前みたいに深夜にコンビニ行く甘ったれた生活じゃなくて、カチカチの寿司と、空っぽの冷蔵庫と……なんで33歳にもなってこんな生活してるんだろうっていう……食ってるもので出る音が違いますから(笑)。

——グルーブには、関わっている人や食べているものが出るって言いますよね。生活そのものだと

小袋:絶対にあると思いますよ。ロンドンで暮らしてると、ビザがなくて1年間ずっとつらい思いをしている人もいるし、親父が戦争に行かされちゃったって言ってる人もいるし、そういった嘆きや苦しみが音に出ることでユニバーサルなソウルとして響くんだと思う。今回参加してくれたピアノのライル・バートン(Lyle Barton)も、ガイアナにルーツがあるって言ってて。ガイアナってどこ?! ってなるじゃないですか。ベースのロゼッタ・カー(Rosetta Carr)もイタリア生まれ、ロンドン在住という経歴だしね。本当にいろんなバックグラウンドの人がいるから。

——歌詞は、固有名詞がどんどん減ってきていて、今作は抽象的な言葉遣いが増えた印象です。

小袋:前とは英語の習熟度が違うというのも大きいと思います。あと「Zatto」のように日本語なんだけど言葉の響きが独特なもの。俺は、作ったらまず日本人じゃない人に聴かせて、そこで歌ってもらえたら勝ちじゃないですか。

——今作はそうやってロンドンでの小袋さんの生活そのものが音としてにじみ出ているんだけど、でもそれを極限まで突き詰めていった結果、ちょっと近寄りがたいものとして完成していますよね。俗世間にまみれたところから生まれたものではあるんだけど、どこか聖なるものに聴こえるというか。たぶん、音が削ぎ落とされ過ぎていて、完全に小袋さんという人間の骨格しか残っていないシンプルさゆえ、なのかもしれないですけど。

小袋:今回って、何も変わったことはしていなくて、全然難しくない。だから、皆にカバーしてほしいし教科書に載ってほしい。音も削ぎ落としてあるし、コードも本当に難しくない。日本の音楽って、コードにうるさいじゃないですか。「ここのコード進行が素晴らしい」とかよく言いますよね。日本はやっぱり、協調性を大事にしてるんだと思う。それぞれのリズムを奏でるよりも、ハーモニーを重視するから。西洋は全然そんなことない。コードなんてAマイナーとEマイナーだけで曲ができちゃうし、リズムとグルーブを重視する。J-POPの価値観は、ハーモニー重視で次にメロディー、そしてリズムは最後。メロディーの在り方も、ハーモニーの中でいかに自分を表現していくかという考え。それで言うと、今回の作品は「Shiranami」の最初とかマジでB♭マイナーしか弾いてないから(笑)。子どもでも弾けます。

——例えば最近の宇多田さんの作品を聴いていても、どんどん楽曲の骨格が際立ってきていますよね。スケルトン化している。小袋さんの今作も、ある意味で共振しているように思います。

小袋:宇多田さんはどんどんミニマルになってきてますよね。まあ、もともとあまりコードがどうって人ではないけど、ロンドンの良いプロデューサーと出会ったことでその傾向がさらに出てきてると思います。

——ちなみに、小袋さんは宇多田さんの「BADモード」についてはアルバム全体としてどう受け止めましたか?

小袋:やっぱりフローティング・ポインツ(Floating Points/サム・シェパード)の曲は良いなって思いました。真似できないしね。そういえば、ロンドンの店で飯食ってたらなぜか隣に偶然サムがいて。うわーって思って、「自分でミックスした段階の曲で、良かったら聴いてもらえない? あまり自信ないんだけど」って「Shiranami」を送ったんですよ。そしたら「自信ないなんて言うなよ」って言われて、しかも聴いてくれて「良かった」って返信が来て。あまりそういうこと言わない人だからめっちゃテンション上がりました。友達と「サムから良かったって返信きたよ!やばっ!」って盛り上がった(笑)。

レコーディングメンバーについて

——すごくレアな体験!(笑) ロンドンのミュージシャンとの交流についてもっと詳しく聞きたいんですけど、今作に参加しているジャズ・シーンの人たちはどういった方が多いんですか?

小袋:「Zatto」と「Tangerine」は、サンファ(Sampha)のバンドでベースを弾いているロゼッタ・カーという女の子で。彼女は歌も歌えて、しかも素敵なので、そこにココロコ(Kokoroko)のドラマーのアヨ・サラウ(Ayo Salawu)を呼びました。アヨは後ろ目でリズムをとる感じなので、ロゼッタと絶対合うなと思って。ピアノのアマネ・スガナミ(Amane Suganami)は知らなくて、今回ギターのティージョー・マン・チェン(Tjoe Man Cheung)に紹介してもらいました。

——アマネさんはイギリス生まれなんですよね。

小袋:ドラムのジェローム・ジョンソン(Jerome Johnson)は教会でずっとドラムを叩いてた人で、ソリッドな音を出すしめちゃくちゃ巧い。「Shiranami」にすごく合うだろうなと思ってティージョーが紹介してくれました。ピアノのローリー・レッドファーン(Rory Redfern)はモデルもやってる人。Daichi Yamamotoがイギリスに来た時にジャズセッションに連れてって、そこで弾いてるのを観て「あいつ巧くない?!」ってなって声をかけた。

——それが、「Kagero」と「Hanazakari」になるとまたガラッと音楽性が違いますよね。

小袋:その2曲はラテンとレゲエなので、また違うメンバーを集めています。ドラムのサム・ジョーンズ(Sam Jones)は、去年東京にいた時に彼がちょうど日本に来てて、一緒に「すしざんまい」に行きました(笑)。それで仲良くなってセッションすることになった。彼にピアノでいい人いない? って聞いたら、ヌバイア・ガルシアのバンドで一緒に演奏してるライル・バートンを紹介してくれて。あとはダブルベースを探してたんだけど、ティージョーにベン(Benjamin Crane)のことを教えてもらってライブを観に行って仲良くなった。それぞれの特性と関係性があって、全部詳しく説明すると長くなっちゃうけどそんな感じかな。

——ちなみに、エンジニアのこだわりは?

小袋:ミックスはディアンジェロの「Voodoo」をやっているラッセル・エレバド(Russell Elevado)という人で。一回、ペトロールズの「乱反射」という曲でお願いしたことがあって、今回もお願いしました。あとレコーディングをしてくれてるアンディ・ラムゼイ(Andy Ramsay)はステレオラボ(Stereolab)のドラマーなんです。

——そのスタジオ(Play Studio)は、アンディ・ラムゼイが所有してるんですか?

小袋:いや、これはアンディというよりステレオラボのスタジオなんですよ。キング・クルールやマウント・キンビーといった、俺ら世代のバンドが皆使ってますね。

——「Zatto」と「Kagero」の一部は日本でレコーディングしてますよね?

小袋:そうなんです。弦だけは向こうでレコーディングできなくて。お金かかるし、俺がスコアを書けないので、それだけはリモートで日本でやってもらいました。

「自分のアートを持つのが夢だった」

—今日の小袋さんの話を聞いていると、ロンドンで本当にいろんなミュージシャンと交流しているのが伝わってきました。その中でも、最もコアに関わっているコミュニティーというとどこになるんですか?

小袋:俺がいるのは、バイナルオンリーで自分たちでサウンドシステム作ってDJやる人たちの界隈です。東ロンドンでやってるんですけど、自分はもうそのクルーの一部なので、日曜にそこに行ってお酒飲んで遊んで。あと、演奏する人たちのコミュニティーは南ロンドンにあるので、新しいミュージシャンと交流しながら、「いいねぇ……!」って言って帰る(笑)。同じジャズでもシャバカ・ハッチングスとかのコミュニティーは年上で、声をかけるにはちょっと恐れ多い。ヌバイア・ガルシアとかヤズミン・レイシーの周りの人たちは歳が近いから声かけやすいんですけど。ロンドン・ジャズは一口に語れないグラデーションがありますよね。ロックも盛り上がってて、ブラック・ミディを一回観に行ったんだけどめっちゃ良かった! 詳しくないけど、あの界隈も熱いんでしょうね。

——アートワークは、Zatto=雑踏の中にいる小袋さん、というシチュエーションを表現しているんですか?

小袋:人ごみの中で、世界情勢について話している絵にしたかったんです。新聞読みながらコーヒーを飲んでる感じの。都会に埋もれている人間の苦しみじゃないけど、それについて考えつつちょっとユーモアもあって、みたいな。フォトグラファーのPiczoさんと土日のマーケットに出かけて、そこに面しているカフェで撮りました。

——今回、自主リリースになった経緯は?

小袋:ソニーをやめたんです。そもそもこれまでも全部自分で仕切って作ってたので、もう自分でできるじゃんってなって。でも、今回は打ち込み音を使ってないし、今までで一番お金かかりましたけどね。レーベルに属するとなんだか外注されてる気分になるけど、自分のアートを持つのが夢だったので、そういうありがたいことができて良かったです。全部自分でお金払ってるんで、全力注ぎましたよ。そもそもこんなにロンドンでたくさんレコーディングしたことなかったし、ブッキングもスタジオの予約も全部自分でやって。マジでDIYです。もらったデータも、今までならエンジニアに任せるけど全部自分で編集した。ミキシングもゼロからYouTubeで勉強して。へぇ、こうやるんだ! って。歌の編集も自分でやったんですけど、ピッチ直したら負けだなって思ったからデジタル処理はせずに作ったし。でも、ここまで全部自分でやるのはもう嫌かな(笑)。1年間これしかやってないから。33歳独身じゃないとできないですよこんなの(笑)。

——3月~4月には日本でアルバムのツアーがありますね。楽しみにしています。

小袋:さすがに向こうの人たちを全員は連れてこれないので、日本のミュージシャンでバンドを組みます。同期なしで、一発のセッションで。技術だけでいうと、日本のミュージシャンも演奏は巧いんですよね。だから全然心配してないです。良いライブになると思います。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

「Zatto」

■小袋成彬 4thアルバム「Zatto」

Tracklist
1. Zatto

2. Tangerine

3. Shiranami

4. Shigure

5. Kamifubuki

6. Kagero

7. Sayonara

8. Hanazakari

<デジタル配信>

リリース : 2025年1月15日
レーベル : Nariaki Obukuro

<CD盤>

リリース : 2025年2月26日
初回仕様限定ケース+オリジナルポスター
価格:3300円
購入リンク: https://erj.lnk.to/vASidK

<アナログ盤>

8曲40分
予約開始:2025年1月15日
【通常盤】歌詞カード、2L写真付き。
価格:4400円
購入リンク: https://shop.nariaki.jp/

■Nariaki Obukuro Japan Tour 2025 "Zatto"

<日程・会場>
3月15日(土)【大阪】 味園ユニバース

3月16日(日)【愛知】 名古屋CLUB QUATTRO

3月22日(土)【東京】 恵比寿リキッドルーム

3月29日(土)【福岡】 BEAT STATION

3月30日(日)【福岡】 BEAT STATION

4月3日(木)【北海道】 札幌ペニーレーン24

4月6日(日)【東京】 Zepp Diver City (TOKYO)
※追加公演 4月11日(金)【東京】 恵比寿リキッドルーム

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2556500

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小袋成彬が語る新作「Zatto」と「ロンドンでの出会い」 「ジャパニーズ・ソウルって感じですよね」

PROFILE: 小袋成彬/ミュージシャン

PROFILE: (おぶくろ・なりあき)1991年生まれ。埼玉県さいたま市出身、ロンドン在住。立教大学を卒業後、プロデューサーのYaffleと共に音楽プロダクション「TOKA」を設立。2018年、宇多田ヒカルをフィーチャリングに迎えたシングル「Lonely One」でメジャーデビューを果たし、同年リリースのデビューアルバム「分離派の夏」は第11回CDショップ大賞2019にノミネートされた。19年、セルフプロデュースによる2ndアルバム「Piercing」、2021年には3rdアルバム「Strides」をリリース。19年以降、活動拠点をイギリスに移し、世界各国のミュージシャンとのコラボレーションを展開。J-WAVEの音楽番組「Flip Side Planet」のMCも務めている。

小袋成彬が、3年ぶり4枚目となるアルバム「Zatto」をリリースした。これまでもアルバムごとに作風を変えてきた彼だが、本作を聴いて分かる通り、今作の進化はかなりラディカルなものになっている。ロンドンで暮らしはじめて5年という月日が経過した今の小袋成彬だからこそ生み出せる、現地で出会ったミュージシャンたちと作り上げた結晶のような音。ロンドンでの生活と、そこで見聞きし考えたことが何なのか、詳しく訊いてみた。

「デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器」

——アルバム「Zatto」を聴きました。正直、かなり驚いています。これはどういう音楽かと聞かれたら、「音楽的にはジャズでソウルミュージックで……」って答えるんだけど、そんなものでは言い表せない小袋さんのソウルが鳴っています。

小袋成彬(以下、小袋):ジャパニーズ・ソウルって感じですよね。ちあきなおみや和田アキ子あたりの。

——何があってこんな境地にたどり着いたのか。

小袋:最初はハウスミュージックのアルバムを作ってたんですよ。でもコロナになって、ブラック・ライブズ・マターもあって、ウクライナやガザの戦争も起きて、日本に住んでたら関係なさそうな出来事が一気に身近になっていった。いつも行くパブで働くウクライナ人の女の子がどんどん憔悴していく感じとか見てると、もう無関係じゃないなって思えてきて。ハウスミュージック作ってる場合じゃないかも、って。それでハウスミュージックのアルバムは完成半ばで諦めたんですよ。
※その時に制作された楽曲のうち3曲はアルバムのリリース前に配信された。

次第に、ブルースやジャズが響くようになってきた。ロンドン生活が長くなってきて黒人の友達も増えてきたので、彼らが日々考えてる悩みも実感レベルで分かるようになってきたんです。そうすると、ダニー・ハサウェイががっつり入ってくるようになった。フリーダムっていう概念も、正直それまであまりピンと来てなかったんですよ。別に俺は生まれながらにフリーダムだけど、って思ってたし。でも、ロンドンは生まれながらに抑圧されている人たちがいっぱいいるんですよね。そういう延長線上で、今作は生まれていきました。

——世相の変化を受けて、踊っている場合じゃないという心境になってきたと。

小袋:踊ってても、戦争の映像とかがちらつくんですよ。なんか違うな、って思えてきた。

——そこからなぜジャパニーズ・ソウルに?

小袋:ダニー・ハサウェイみたいなカッコいいのを作りたいなと思うけど、やっぱり英語だと猿真似になっちゃうなって。試行錯誤していくうちにここにたどり着いたって感じです。でも、ロンドンの人たちに聴かせたらすごく自然に受け入れてくれてたから、日本語なんだけど譜割りやグルーブは西洋の影響を受けてるんじゃないかな。俺は普段は日本語を喋らないので。

——サウンドは、どのようなアプローチで生まれていったんでしょうか。

小袋:それぞれリファレンスはちゃんとありますよ。「Hanazakari」はボブ・マーリーの「Slave Driver」って曲があって、その弾き語りをずっと練習してたら生まれてきた。でも同じコードだとボブ・マーリーそのままになっちゃうから、いろいろ変えてみました。マイルス・デイヴィスに「All Blues」って曲があるんですよ。半音だけ転調する瞬間があるんですけどそれが手癖で出ていたり。今回はちゃんと楽器を手に取って作ろうという思いがあったので、デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器ですね。

ロンドンの多様なミュージシャンとの制作

——今作がすごく贅沢なのは、その演奏に集まっているミュージシャンが、今のロンドンのシーンを作っている活きのいい人たちばかりで。しかも、曲によってその座組みもバラバラです。これは、やりたいことに合わせてメンバーを変えていったということですよね。

小袋:まさにそうです。レゲエが弾ける人、チャーチミュージックが得意な人ってそれぞれに得手不得手があるので、特性を考えてバンドを組んでいます。だいたい1バンドにつき2曲で、4バンドで作ってますね。

——それぞれの演奏のアドリブについては、ミュージシャンにどの程度任せていたんですか?

小袋:アドリブもけっこう入ってますよ。でも、大きな設計図は自分が書きました。ここは誰々のソロです、ここのピアノはこういうリズムで弾いてください、というルールの中で遊んでもらってます。だから、今回は基本的にはジャズセッションのメンツを集めています。月曜、火曜にロンドンでフリージャズのセッションがあって、そこに通って出会った人たち。知った仲だし、ある程度どうなるかイメージは描けてました。

——出てきた演奏に対しては、小袋さんはどういったディレクションをされたんですか?

小袋:例えば「Shiranami」だと、英語で「White Waveだよ」って説明しても、ヨーロッパの人たちは南フランスのビーチとかを想像しちゃう(笑)。実際に日本の人たちが想起するのは、岩に打ちつける波しぶきや磯の匂いですよね。「違う違う、そんな弾き方しないでくれ!東映のロゴと一緒に出てくるあの波が日本のShiranamiだよ!」って言うと、理解してくれたり。

——なるほど(笑)。「Kamifubuki」も「Shiranami」と同じミュージシャンが集っていますけど、ニュアンスがまた全然違いますよね。だから、演奏については小袋さんのディレクションがけっこう入っているんだろうなと思いました。

小袋:一回バンドメンバーの前で英語で歌うんですよ。歌詞を理解してもらいたいから。「Shiranami」も、「旗を燃やして人の夢を照らす」っていうのを「Burning the flag to light up people’s dream」とか訳して歌うと、「yeah!!」って返ってくる。そもそも「Shiranami」に関しては、ダニー・ハサウェイがピンク・フロイドと一緒にやったらこんな感じになると思うんだけどって説明すると、あぁなるほどね! って。

——ロンドンのジャズシーンだと、そういったディレクションしながらのセッション&レコーディングは普通なんですか?

小袋:珍しいと思う。いろんなレコーディングに行きましたけど、こんなに明確なビジョンを持って入ることってそんなにない。だいたい皆、適当に入って適当に弾いて帰っていくから。今日のセッションって結局なんだったんだ? みたいなのも多いですよ。そんな感じだから、皆「これだけ分かりやすく説明してくれてありがとう」って言ってました。何をやればいいか理解できた、って。でも金払ってるの自分だし、もったいないことしたくないじゃないですか。だからこそ決めるところは決めつつ自由にやらせるところはやらせて、っていうのは意識しましたね。そういったアプローチや人間関係は、5年間ロンドンに住んで培ってきたもの。ほんと、いろんな人がいるから。そもそも時間通りに来ない人、昼飯行ったきり帰ってこない人……そういう奴に限って一番巧いからムカつくんだけどね(笑)。5年前だったら発狂してたけど、もう慣れました。

——ということは、今作は音楽性も演奏も含めて、小袋さんが5年間ロンドンに住んだ結果の集大成と言えるのかもしれないですね。5年前だったら絶対に生まれていないアルバム。

小袋:自分がディレクションする形でロンドンのミュージシャンと一緒にやったのは、宇多田(ヒカル)さんのセッションで「丸の内サディスティック」を演奏したのが最初だったんです。だけど、当時は英語も喋れないし、ミュージシャンの人たちのことを何も分かってないし、俺全然だめだわって思った。もちろん完成したものには満足してるんだけど、でもクリス・デイヴはじめいろんな人の特性や性格を分かってなかったから。未熟だった。今は一人ひとりのグラデーションが分かってきたし、そういう意味では今が集大成と言えますね。

日本語の歌詞

——そうやってロンドンのミュージシャンが集結して演奏していながらも、特に「Shiranami」あたりに顕著ですけど、演歌にも接近するような日本らしさが出てきているのはなぜでしょう。

小袋:やっぱり、日本語だからそうなっちゃうんだと思います。自分は、USラップを真似して英語っぽいラップをする意味が全然分かんなくて、日本語の良いところを出してこそだと考えてる。それこそ、洋楽の要素を取り入れつつ日本語の良いところを出す歌い方って、ちあきなおみや和田アキ子で完成したと思ってるんです。ラッツ&スターとかね。あの辺が、まだ日本語の響きを大切にしていた人たちなんじゃないかな。あの人たちのバックバンドって、すごく豪華だったりするじゃないですか。今作は、そういうことをやってるんですよ。で、そこにロンドンの多様性を入れた。

——洋楽の歌い方に影響を受けているんだけど日本語の良さを活かしたハメ方、ということですよね。そこに今のロンドンのミュージシャンに加わってもらうことで、1970年代の日本の歌謡曲・ポップスが、今の小袋さんでしか成し得ない音楽として表現されていると。

小袋:演歌って、譜割りを崩して歌うじゃないですか。このアルバムもかなり崩しているところがあるから、余計に演歌っぽく聴こえるんだと思う。でもそもそものメロディーの作りという点でも工夫していて、日本の歌って主音(音階を構成する最初の音。例えばラシドレミファソラというイ短調の場合、ラが主音となる)で終わる。サム・スミスとか聴いてると、英語だけどメロディーは主音で終わるし日本歌謡っぽいなと感じる。演歌っぽい。でも自分はそういったことはあまりしたくなくて、メロディーについては主音で終わらないようにしてます。だから、他の人には真似できないと思う。

——小袋さんはどんどん日本語を客観的に捉えるようになってきてますよね。だからこそ日本語の良さを活かすんだけど日本語っぽくない譜割りやメロディーを組み立てていくという独自の作風になってきてて、それが一周回って演歌っぽく聴こえるというのがすごく面白い。

小袋:そうですよね。演歌はコブシを効かせつつ、基本的にはオンでノるからグルーブがあまりないんだけど、そこが違うポイント。

——どちらが良いとは一概に言えないけれど、日本語ならではの発音と、洋楽の影響を受けたリズムや発声法のバランスという点では80年代は一つの完成と言えるかもしれないですね。

小袋:2000年代以降は、ドメスティックな方向にまた変化していますよね。スキマスイッチさんをはじめとした、ちゃんと日本語の歌を日本の譜割りで歌っていくんだという流れ。その一方で宇多田さんみたいに完全にニューヨーク仕込みの独自の譜割りで歌う人も出て来たけど。この前日本に帰ってきて紅白(歌合戦)を観てると、Mrs. GREEN APPLEさんは完全にオンでの歌い方でしたね。かえるの歌みたいな、日本語に合う形式の乗せ方。あれはあれで一つのドメスティックに進化した日本の歌だと思います。でも、ブルースはなくなってきてますよね。

「皆にカバーしてほしいし、教科書に載ってほしい」

——「Zatto」は、日本語の響きは大事にしつつも、小袋さんがロンドンで肌で感じているブルース的な心の痛みを歌っているのかもしれないですね。

小袋:ソウルを取り戻せ! ということですかね(笑)。今回参加してくれたミュージシャンたちに、曲の説明をする前にデモを聴かせた時点で皆が「やばいね」って言ってくれたんですよ。何かを歌っている、ソウルが出ている、というのが伝わったんじゃないかな。

——いやはや、ソウルって何なんでしょうか。小袋さんがロンドンで生活して感じたもの、としか言いようのない何かがある。

小袋:汚い屋台のケバブばっかり食べてないと、この音は出なかったかもしれない。前みたいに深夜にコンビニ行く甘ったれた生活じゃなくて、カチカチの寿司と、空っぽの冷蔵庫と……なんで33歳にもなってこんな生活してるんだろうっていう……食ってるもので出る音が違いますから(笑)。

——グルーブには、関わっている人や食べているものが出るって言いますよね。生活そのものだと

小袋:絶対にあると思いますよ。ロンドンで暮らしてると、ビザがなくて1年間ずっとつらい思いをしている人もいるし、親父が戦争に行かされちゃったって言ってる人もいるし、そういった嘆きや苦しみが音に出ることでユニバーサルなソウルとして響くんだと思う。今回参加してくれたピアノのライル・バートン(Lyle Barton)も、ガイアナにルーツがあるって言ってて。ガイアナってどこ?! ってなるじゃないですか。ベースのロゼッタ・カー(Rosetta Carr)もイタリア生まれ、ロンドン在住という経歴だしね。本当にいろんなバックグラウンドの人がいるから。

——歌詞は、固有名詞がどんどん減ってきていて、今作は抽象的な言葉遣いが増えた印象です。

小袋:前とは英語の習熟度が違うというのも大きいと思います。あと「Zatto」のように日本語なんだけど言葉の響きが独特なもの。俺は、作ったらまず日本人じゃない人に聴かせて、そこで歌ってもらえたら勝ちじゃないですか。

——今作はそうやってロンドンでの小袋さんの生活そのものが音としてにじみ出ているんだけど、でもそれを極限まで突き詰めていった結果、ちょっと近寄りがたいものとして完成していますよね。俗世間にまみれたところから生まれたものではあるんだけど、どこか聖なるものに聴こえるというか。たぶん、音が削ぎ落とされ過ぎていて、完全に小袋さんという人間の骨格しか残っていないシンプルさゆえ、なのかもしれないですけど。

小袋:今回って、何も変わったことはしていなくて、全然難しくない。だから、皆にカバーしてほしいし教科書に載ってほしい。音も削ぎ落としてあるし、コードも本当に難しくない。日本の音楽って、コードにうるさいじゃないですか。「ここのコード進行が素晴らしい」とかよく言いますよね。日本はやっぱり、協調性を大事にしてるんだと思う。それぞれのリズムを奏でるよりも、ハーモニーを重視するから。西洋は全然そんなことない。コードなんてAマイナーとEマイナーだけで曲ができちゃうし、リズムとグルーブを重視する。J-POPの価値観は、ハーモニー重視で次にメロディー、そしてリズムは最後。メロディーの在り方も、ハーモニーの中でいかに自分を表現していくかという考え。それで言うと、今回の作品は「Shiranami」の最初とかマジでB♭マイナーしか弾いてないから(笑)。子どもでも弾けます。

——例えば最近の宇多田さんの作品を聴いていても、どんどん楽曲の骨格が際立ってきていますよね。スケルトン化している。小袋さんの今作も、ある意味で共振しているように思います。

小袋:宇多田さんはどんどんミニマルになってきてますよね。まあ、もともとあまりコードがどうって人ではないけど、ロンドンの良いプロデューサーと出会ったことでその傾向がさらに出てきてると思います。

——ちなみに、小袋さんは宇多田さんの「BADモード」についてはアルバム全体としてどう受け止めましたか?

小袋:やっぱりフローティング・ポインツ(Floating Points/サム・シェパード)の曲は良いなって思いました。真似できないしね。そういえば、ロンドンの店で飯食ってたらなぜか隣に偶然サムがいて。うわーって思って、「自分でミックスした段階の曲で、良かったら聴いてもらえない? あまり自信ないんだけど」って「Shiranami」を送ったんですよ。そしたら「自信ないなんて言うなよ」って言われて、しかも聴いてくれて「良かった」って返信が来て。あまりそういうこと言わない人だからめっちゃテンション上がりました。友達と「サムから良かったって返信きたよ!やばっ!」って盛り上がった(笑)。

レコーディングメンバーについて

——すごくレアな体験!(笑) ロンドンのミュージシャンとの交流についてもっと詳しく聞きたいんですけど、今作に参加しているジャズ・シーンの人たちはどういった方が多いんですか?

小袋:「Zatto」と「Tangerine」は、サンファ(Sampha)のバンドでベースを弾いているロゼッタ・カーという女の子で。彼女は歌も歌えて、しかも素敵なので、そこにココロコ(Kokoroko)のドラマーのアヨ・サラウ(Ayo Salawu)を呼びました。アヨは後ろ目でリズムをとる感じなので、ロゼッタと絶対合うなと思って。ピアノのアマネ・スガナミ(Amane Suganami)は知らなくて、今回ギターのティージョー・マン・チェン(Tjoe Man Cheung)に紹介してもらいました。

——アマネさんはイギリス生まれなんですよね。

小袋:ドラムのジェローム・ジョンソン(Jerome Johnson)は教会でずっとドラムを叩いてた人で、ソリッドな音を出すしめちゃくちゃ巧い。「Shiranami」にすごく合うだろうなと思ってティージョーが紹介してくれました。ピアノのローリー・レッドファーン(Rory Redfern)はモデルもやってる人。Daichi Yamamotoがイギリスに来た時にジャズセッションに連れてって、そこで弾いてるのを観て「あいつ巧くない?!」ってなって声をかけた。

——それが、「Kagero」と「Hanazakari」になるとまたガラッと音楽性が違いますよね。

小袋:その2曲はラテンとレゲエなので、また違うメンバーを集めています。ドラムのサム・ジョーンズ(Sam Jones)は、去年東京にいた時に彼がちょうど日本に来てて、一緒に「すしざんまい」に行きました(笑)。それで仲良くなってセッションすることになった。彼にピアノでいい人いない? って聞いたら、ヌバイア・ガルシアのバンドで一緒に演奏してるライル・バートンを紹介してくれて。あとはダブルベースを探してたんだけど、ティージョーにベン(Benjamin Crane)のことを教えてもらってライブを観に行って仲良くなった。それぞれの特性と関係性があって、全部詳しく説明すると長くなっちゃうけどそんな感じかな。

——ちなみに、エンジニアのこだわりは?

小袋:ミックスはディアンジェロの「Voodoo」をやっているラッセル・エレバド(Russell Elevado)という人で。一回、ペトロールズの「乱反射」という曲でお願いしたことがあって、今回もお願いしました。あとレコーディングをしてくれてるアンディ・ラムゼイ(Andy Ramsay)はステレオラボ(Stereolab)のドラマーなんです。

——そのスタジオ(Play Studio)は、アンディ・ラムゼイが所有してるんですか?

小袋:いや、これはアンディというよりステレオラボのスタジオなんですよ。キング・クルールやマウント・キンビーといった、俺ら世代のバンドが皆使ってますね。

——「Zatto」と「Kagero」の一部は日本でレコーディングしてますよね?

小袋:そうなんです。弦だけは向こうでレコーディングできなくて。お金かかるし、俺がスコアを書けないので、それだけはリモートで日本でやってもらいました。

「自分のアートを持つのが夢だった」

—今日の小袋さんの話を聞いていると、ロンドンで本当にいろんなミュージシャンと交流しているのが伝わってきました。その中でも、最もコアに関わっているコミュニティーというとどこになるんですか?

小袋:俺がいるのは、バイナルオンリーで自分たちでサウンドシステム作ってDJやる人たちの界隈です。東ロンドンでやってるんですけど、自分はもうそのクルーの一部なので、日曜にそこに行ってお酒飲んで遊んで。あと、演奏する人たちのコミュニティーは南ロンドンにあるので、新しいミュージシャンと交流しながら、「いいねぇ……!」って言って帰る(笑)。同じジャズでもシャバカ・ハッチングスとかのコミュニティーは年上で、声をかけるにはちょっと恐れ多い。ヌバイア・ガルシアとかヤズミン・レイシーの周りの人たちは歳が近いから声かけやすいんですけど。ロンドン・ジャズは一口に語れないグラデーションがありますよね。ロックも盛り上がってて、ブラック・ミディを一回観に行ったんだけどめっちゃ良かった! 詳しくないけど、あの界隈も熱いんでしょうね。

——アートワークは、Zatto=雑踏の中にいる小袋さん、というシチュエーションを表現しているんですか?

小袋:人ごみの中で、世界情勢について話している絵にしたかったんです。新聞読みながらコーヒーを飲んでる感じの。都会に埋もれている人間の苦しみじゃないけど、それについて考えつつちょっとユーモアもあって、みたいな。フォトグラファーのPiczoさんと土日のマーケットに出かけて、そこに面しているカフェで撮りました。

——今回、自主リリースになった経緯は?

小袋:ソニーをやめたんです。そもそもこれまでも全部自分で仕切って作ってたので、もう自分でできるじゃんってなって。でも、今回は打ち込み音を使ってないし、今までで一番お金かかりましたけどね。レーベルに属するとなんだか外注されてる気分になるけど、自分のアートを持つのが夢だったので、そういうありがたいことができて良かったです。全部自分でお金払ってるんで、全力注ぎましたよ。そもそもこんなにロンドンでたくさんレコーディングしたことなかったし、ブッキングもスタジオの予約も全部自分でやって。マジでDIYです。もらったデータも、今までならエンジニアに任せるけど全部自分で編集した。ミキシングもゼロからYouTubeで勉強して。へぇ、こうやるんだ! って。歌の編集も自分でやったんですけど、ピッチ直したら負けだなって思ったからデジタル処理はせずに作ったし。でも、ここまで全部自分でやるのはもう嫌かな(笑)。1年間これしかやってないから。33歳独身じゃないとできないですよこんなの(笑)。

——3月~4月には日本でアルバムのツアーがありますね。楽しみにしています。

小袋:さすがに向こうの人たちを全員は連れてこれないので、日本のミュージシャンでバンドを組みます。同期なしで、一発のセッションで。技術だけでいうと、日本のミュージシャンも演奏は巧いんですよね。だから全然心配してないです。良いライブになると思います。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

「Zatto」

■小袋成彬 4thアルバム「Zatto」

Tracklist
1. Zatto

2. Tangerine

3. Shiranami

4. Shigure

5. Kamifubuki

6. Kagero

7. Sayonara

8. Hanazakari

<デジタル配信>

リリース : 2025年1月15日
レーベル : Nariaki Obukuro

<CD盤>

リリース : 2025年2月26日
初回仕様限定ケース+オリジナルポスター
価格:3300円
購入リンク: https://erj.lnk.to/vASidK

<アナログ盤>

8曲40分
予約開始:2025年1月15日
【通常盤】歌詞カード、2L写真付き。
価格:4400円
購入リンク: https://shop.nariaki.jp/

■Nariaki Obukuro Japan Tour 2025 "Zatto"

<日程・会場>
3月15日(土)【大阪】 味園ユニバース

3月16日(日)【愛知】 名古屋CLUB QUATTRO

3月22日(土)【東京】 恵比寿リキッドルーム

3月29日(土)【福岡】 BEAT STATION

3月30日(日)【福岡】 BEAT STATION

4月3日(木)【北海道】 札幌ペニーレーン24

4月6日(日)【東京】 Zepp Diver City (TOKYO)
※追加公演 4月11日(金)【東京】 恵比寿リキッドルーム

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2556500

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注目の俳優・坂東龍汰が語る「映画『君の忘れ方』への向き合い方」と「創作の喜び」

PROFILE: 坂東龍汰/俳優

PROFILE: (ばんどう・りょうた)1997年5月24日、アメリカ・ニューヨーク生まれ、北海道育ち。2017年デビュー。「フタリノセカイ」(22/飯塚花笑監督)で映画初主演を務め、第32回日本映画批評家大賞の新人男優賞(南俊子賞)を受賞。主な出演作に映画「春に散る」(23/瀬々敬久監督)、「若武者」(24/二ノ宮隆太郎監督)、「シサㇺ」(24/中尾浩之監督)、劇場アニメ「ふれる。」(24/長井龍雪監督)、ドラマ「RoOT / ルート」(24)、「366日」(24)、「ライオンの隠れ家」(24)などがある。

2017年のデビュー以来、振り幅の広い演技で注目を集めてきた坂東龍汰。初の映画単独主演作となる映画「君の忘れ方」が1月17日から公開される。坂東が演じるのは、結婚間近の恋人を突然亡くした青年、昴。同じような悲しみを抱えた人々が集まる「グリーフケア」との出会いを通じて、昴は自分自身と向き合っていく。昴の複雑な内面を坂東は繊細な演技で表現しているが、そこには個人的な体験も反映されているという。自分の過去と向き合いながらの撮影の舞台裏。そして、子供の頃から惹かれていた、何かを創作することの喜びについて語ってくれた。

「昴を演じて、これまでよりも前向きな気持ちになれた」

——映画「君の忘れ方」は坂東さんにとって初めての映画単独主演作ですが、どんな気持ちで作品に向き合われたのでしょうか。

坂東:話を頂いた時は身が引き締まる思いでした。まず脚本を読んで、他人事とは思えないくらい物語に引き込まれたんです。透明感があってすごく温かい話だと思ったので、「ぜひ、やらせていただきたい」と思いました。脚本と一緒に監督からの手紙を頂いたのですが、これまで僕が出演した作品を観てくださっていて、「あなたの真っすぐなお芝居を観てオファーさせてもらいました」ということを書いてあったのもうれしかったですね。

——他人事とは思えなかった、というのは、昴の葛藤に共感するものがあった?

坂東:僕は子供のころに身内を亡くしているんです。初めての単独主演作がこういう題材なのは不思議な巡り合わせだし、自分にとって大きなチャレンジになると思いました。これまで自分の中でフタをしていた部分と役を通じてちゃんと向き合うことになるわけなので。

昴を通じていろんな感情と出会いました。その中には自分自身の感情とリンクするものもたくさんあったんです。その全てと向き合って自分の傷を癒やすことができた、とまではいきませんでしたが、これまでよりも前向きな気持ちになれた気はします。それだけでも、この映画に参加した意味はあったと思いますし、僕や昴と同じように親しい人の死を経験した方の傷ついた心に寄り添える作品になった、という自信はあります。

——映画に出てくる登場人物たちは、いろんな形で大切な人を失った悲しみと向き合おうとします。その姿を見て、どんな風に思われました?

坂東:どのやり方が正しい、とか、答えがあることではないし、答えを見つける必要もないと思うんです。それぞれが自分に合ったやり方で悲しみと向き合っていけばいい。そんな中で、映画のセリフにもあるように時間が果たす役割は大きいと思いました。僕も時間が経ったからこそ、一度フタをした自分の感情に向き合えたんです。あと、グリーフケア(死別や災害などによる喪失を経験した人が、悲しみや痛みに寄り添い、立ち直り、自立できるよう支援すること)というものをこの映画をきっかけに知ったのが個人的には大きかったですね。海外の映画では見たことがあったのですが、日本でもそういう活動をされている方々がいるのを知って、今後、自分の人生でまた大切な人の死に直面した時に、一つの選択肢としてグリーフケアを考えようと思いました。

「普段は外に出していない自分の一面と向き合った」

——昴はグリーフケアに参加して交流するようなタイプではなく、いつも自分の中に何かを抱え込んでいるようなキャラクターでした。坂東さんは昴という人物のどんなところに興味を持たれました?

坂東:僕は昴とは真逆の性格なんです。僕自身は人との関わりや会話が好きだし、自分の身に起きたこととかを誰かと共有したいタイプなんです。だから、昴との共通点を見つけるのは難しかったのですが、昴の感情を探っていく中で普段は外に出していない自分の一面と向き合いました。

——役作りを通じて自分を見つめ直した?

坂東:僕は基本明るいんですけど、陰の部分も持っているんです。昨年公開された「若武者」という映画で、二ノ宮(隆太郎)監督はそういう部分を見たい、とおっしゃっていました。これまで演じてきた役も何かを抱えている役が多くて、作り手の人たちには自分の性格を見抜かれているのかもしれません(笑)。皆さん、友達とは違う面を見てくださっているんですよね。今回の映画も僕の核の部分で眠っている、普段は開けない引き出しを開けることで昴という人物を作り上げていきました。

——それは精神的にヘビーな作業だったのではないですか?

坂東:大変でしたね。これまでは、自分が演じる役を客観的に見て、分析しながら役を組み立てていくことが多かったんですよ。今回はそのやり方だと煮詰まってしまって。それで撮影に入る前に監督に相談したら、昴に関しては主観に徹して、その場その場で感じたことを拾っていってほしいと言われたんです。組み立てる作業はこちらでやるので、あなたは生まれたての赤ちゃんみたいに目の前で起こることに素直に反応してほしいと。

——実際、そんな風に演じてみていかがでした?

坂東:自分では気付かなかったのですが、気持ちの浮き沈みが激しくて、笑っているな思ったら、絶望的な表情になったり。特に映画の前半、東京のパートの撮影時はいつもと違う様子だったみたいです。。僕は当時のことは全然覚えていないんですよね。

——昴の精神状態に大きな影響を受けていたんですね。

坂東:みたいですね。これまではそういうことはなかったんです。僕は役と自分を切り替えられる方なんですよ。でも、この作品ではそれがうまくできなかった。監督は僕がそういう状態になるのを望んでいたらしくて、「しめしめと思った」とおっしゃっていました(笑)。みんなで野球をした後に昴がキレるシーンがありますが、本当はあんなに感情を爆発するシーンではなかったんです。でも、いざ撮影に入るとああいう演技になってしまって。周りは戸惑ったと思います。

——でも、監督はそのテイクを選んだ。

坂東:選んだというか、そのテイクしか撮ってないんです。どのシーンもほとんど一発本番。シーンによっては撮影準備ができるまで別室で待機して、現場にポンと入って本番ということもありました。

俳優を目指すきっかけ

——毎回、真剣勝負の現場だったんですね。それはかなり神経をすり減らす現場だったと思いますが、そもそも坂東さんが芝居に興味を持ったのはどういう経緯からだったのでしょう。

坂東:子供のころから、ルドルフ・シュタイナーという人の思想を基にした学校に通っていたのですが、 そこでは演劇が授業にあって芝居が身近な存在だったんです。それで姉と演劇塾に通っていたりもしていました。あと、父親が映画好きで、幼いころから映画を観ていたので俳優という仕事に興味はあったんです。自分がやっている演劇と映画の世界が天と地ほど違うというのは分かってはいたのですが、高校のころから人前で芝居をするのがだんだんと楽しくなってきて、自分もスクリーンも向こう側の世界に行ってみたいと思うようになりました。その気持ちの変化は自分にとって大きかったですね。

——気持ちが変化するきっかけが何かあったのですか?

坂東:シュタイナー学校は小中高一貫の学校で、高校を卒業する時に卒業演劇というのをやるんです。それは小学校から学んできたことの集大成で、生徒や保護者がすごく大事にしている行事なんですよ。その卒業演劇で、なぜか僕は主役をやりたいと手を挙げてしまい、これまでよりも演劇にしっかりと向き合うことになったんです。本番が迫ってくる恐怖、膨大なセリフが全然頭に入らない恐怖、いろいろとうまくいかない恐怖、いろんな恐怖と戦いました。学校が終わると、毎日、海に行って日が暮れるまでセリフの練習をしていたんです。本番までの準備期間中はものすごいストレスで、毎日やめたいと思っていたんですけど、本番で舞台に立った瞬間、ハイになったような高揚感を感じたんです。こんなに自分が生き生きとした瞬間は、これまでになかったと思いました。

——プレッシャーからの解放感もあったんでしょうね。

坂東:そうなんですよね。ずっと不安や恐怖と戦ってきたからこそ、こんなに楽しい時間があるんだ!と思いました。その体験がとにかく強烈で。学校を卒業する時、自分は何をしようかと考えたんですよ。絵とか写真とか音楽とか、趣味が多かったので好きなことを天秤にかけて考えてみたんですけど、これまでで一番心が動いたのが芝居だったので、これしかない!と思って上京したんです。

——そういえば、現在所属されている事務所に応募した時に、高校在学中に制作したクレイアニメーションの映像を提出されたとか。高校生でクレイアニメーションを制作するというのも珍しいですね。

坂東:父親がアニメーションの制作をしていたこともあって、それで興味を持ったんです。ストップモーションアニメが好きで子供のころからデジカメを使って大豆が走り出す映像を作ったりしていました。高校の時に作ったクレイアニメは、20分の作品を作るのに1年かけました。男女2人が登場するんですけど、戦争が始まって男性は戦争に行き、恋人の女性は男性を待ち続ける。最後に女性は男性を探しに行くんですけど、そこで嵐にあって力尽きてしまうんです。

——ドラマチックですね! 映画みたいじゃないですか。

坂東:コンテを描いたり、カメラのアングルを決めたりして、大変だったけど楽しかったです。

——子供のころからクリエイティブなことが好きだったんですね。

坂東:0から1を生み出すこと、この世に存在しないものをクリエイティブすることに子供の頃から魅了されて、その衝動に突き動かされてきたところはありますね。でも、それは自分を満足させるためではなくて、自分が創ったものに対する誰かのリアクションを求めているんです。例えば好きな人がいたとして、その人のために絵を描いたらどういうリアクションをするんだろう? 喜んでもらえるかな?って想像しながら描くのが楽しい。

——作品を通じて人や社会とコミュニケートしているのかもしれませんね。

坂東:そうですね。何かを創るというのはすごく労力がいるし、大変なことです。役者の仕事もそうで、撮影の準備期間も撮影をしている時も、自分に向き合いながら孤独の中で新しい表現を見つけないといけない。とても苦しい作業なんですけど、完成した作品を観た人が感想を伝えてくれて、その人に何かを与えることができたと知ることが次の仕事に向かう原動力になる。その繰り返しで仕事を続けてきました。だから「君の忘れ方」の感想を聞くのも楽しみにしています。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
STYLING:YASUKA LEE
HAIR&MAKEUP:YASUSHI GOTO(OLTA)

Tシャツ 2万5300円/コール(ダフオフィス)、シャツ2万9700円、パンツ 3万800円/共にアモーメント

映画「君の忘れ方」

■映画「君の忘れ方」
新宿ピカデリーほかで全国公開中
出演:坂東龍汰
西野七瀬
円井わん 小久保寿人 森優作 秋本奈緒美
津田寛治 岡田義徳 風間杜夫(友情出演)
南 果歩
監督・脚本:作道雄
エンディング歌唱:坂本美雨
音楽:平井真美子 徳澤青弦
共同脚本:伊藤基晴
配給:ラビットハウス
Ⓒ「君の忘れ方」製作委員会2024
https://kiminowasurekata.com

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是枝裕和が向田邦子の代表作をリメイク Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」で試みた女性像のアップデート

PROFILE: 是枝裕和/テレビディレクター・映画監督

PROFILE: (これえだ・ひろかず)1962年6月6日、東京都生まれ。87年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出、2014年に独立し、制作者集団「分福」を立ち上げる。1995年に「幻の光」で映画監督デビュー。「誰も知らない」(2004)、「歩いても 歩いても」(08)、「そして父になる」(13)、「海街 diary」(15)、「三度目の殺人」(17)などで、国内外の主要な映画賞を受賞。18年に「万引き家族」が第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞、第91回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。映画「怪物」(23)は、第76回カンヌ国際映画祭にて脚本賞(坂元裕二)、クィア・パルム賞を W 受賞した。

映画「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞し、2023年「怪物」で脚本賞(坂元裕二)とクィア・パルム賞をW受賞するなど、世界的にも注目を集める映画監督・是枝裕和の最新作、Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」(全7話)の配信が1月9日からスタートした。1979〜80年にかけてNHKで放送された、向田邦子が脚本を手掛けたホームドラマを、是枝監督が新たに監督・脚色した。物語の中心になるのは竹沢家の四姉妹で、長女・綱子を宮沢りえが、次女・巻子を尾野真千子が、三女・滝子を蒼井優が、四女・咲子を広瀬すずが演じる。

「最も尊敬し、自分に一番影響を与えた」と敬愛する向田邦子の傑作をどう脚色し、四姉妹を演じる俳優たちをどう演出したのか。是枝監督に話を聞いた。

オリジナル版からの変更点

——「阿修羅のごとく」は八木康夫プロデューサーが企画して、是枝監督にオファーしたと聞いています。1979年から80年にかけて作られたドラマを、今の時代に再びドラマ化することに惹かれた理由から聞かせてください。

是枝裕和(以下、是枝):もちろん「これ(1979年の台本)をこのままやって、今伝わるかな」など、いろいろと考えましたが、はっきり言うと“今やる意義”みたいなことは後付けです。向田邦子さんには直接会えなかったから、書かれたものからしか分からないけれども、自分が一番影響を受けた脚本家の1人であることは間違いない。「阿修羅のごとく」は向田さんの代表作ですし、見事だなと思っていたので、自分のワークショップでも台本を使っていました。そこに、この4人(宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すず)で「阿修羅のごとく」をやらないか、という依頼が来たら断る理由がない。「お断りします」という演出家はいないんじゃないかな。

——ワークショップではどのシーンを使ったのでしょうか。また、是枝監督から見た「阿修羅のごとく」の脚本の見事さとは。

是枝:ワークショップで使ったのは1話の、お正月に4人が巻子の家に集まって、鏡餅で揚げ餅を作りながら父親の浮気について話す場面です。そこで4人それぞれの父親への距離感の違いが明らかになる。なおかつそれを通して、4人がどういう男性観を持っているのかという、娘たちの“側(がわ)”も見えてくる。ワンシチュエーションでのその書き分けが見事だなと、実際に演出してみてもすごく思いました。そして、台本を読み込んでいくと、あのシーンは実は巻子と(夫の)鷹男(本木雅弘)のシーンであることが分かってきた。「なるほど、そういう読み替えをしていくと、カット割りが変わってくるな」と。自分が撮るならどうするかを考え始めたのはそのへんからですね。

——今回、どのような方向性で脚色をされましたか。

是枝:オリジナルが相当に完成度の高い作品なので、初めは脚本を一字一句変えずにやろうと思っていました。制作するにあたり、実妹の向田和子さんにお会いしたところ、脚本は好きなようにしてくださいとおっしゃってくれて。それで少し手を入れてみようかと思い、脚色し始めたら、4人の俳優たちのキャラクターに沿って書き加えていくことが楽しくなってしまった。それなら女性像そのものもアップデートしていこうと思いました。

参考になった作品が「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」(グレタ・ガーウィグ監督、2020)です。「若草物語」という古典を現代的に解釈して、四姉妹の次女・ジョーが文筆業で自立するという着地のさせ方が非常に見事だった。もちろんオリジナルの映画も僕は大好きですが、不在だった父親が帰ってきたことで、欠けていたピースが埋まるというストーリーは、父親を家の中心であるとする古典的な家族観が色濃くあるようにもとれる。それを再解釈した「ストーリー〜」のような描き方ができるのであれば、「阿修羅のごとく」の中にあるそういう要素も、別の角度から描き直せると思ったんです。

読んだときに一番難しいなと思ったのは次女の巻子です。専業主婦で、家で夫の帰りを待ちながら、夫の浮気に悶々として、不安に苛まれて万引きまでしてしまう。そこを、尾野真千子さんのキャラクターも含めてどううまくアップデートできるかが1つのポイントでした。もう1つは、広瀬すずさんが演じた咲子の描き方。(NHKドラマ版で)風吹ジュンさんが演じた咲子は、姉との対比で言うと、自由恋愛をしていて、イメージとしてはとても現代的で、奔放な存在として描こうとして始まっている。にもかかわらず、意外と連れ合いに振り回されていて、実は一番古風で、むしろ母親と根底では近い男性観になっているところがやや気になりました。だから咲子も、広瀬さんの中にある「強い」イメージに寄せていき、男性のためではなく自分の幸せのために行動するという、ある種のエゴをちゃんと描く方向性でリライトしました。

——他に、NHKのドラマ版から改変はしましたか?

是枝:基本は変えていません。向田邦子ファンが不満に思う改変はしていないつもりです。僕もファンの1人なので。ただ、NHKのドラマ版は、もともと全3話で作ったものが好評で、パート2として4話プラスされて全7話になっているので、3話の終わりで「阿修羅だよね、女は」と鷹男が言ってしまう。これはもったいないなと思った。7話全体で1つのシリーズという捉え方で考えて、鷹男の台詞を7話まで取っておくという変更はしました。

「ローカルであることがネガティブには受け取られない」

——このドラマは、物事を全てつまびらかにしない、人が人を裁かないところにリアリティーがあり、そこが面白さだと感じました。近年の全てが説明される分かりやすいドラマに慣れている視聴者は困惑する気がします。私自身、10代の頃は映画やドラマに答えを求めていたので、当時の自分がこのドラマを見たら、心の底から面白みを感じられなかった気がします。是枝監督がそういう層への配慮をした部分はありますか? 

是枝:普段からあまりそういうことは考えないので、今回も考えていません。多分ね、年齢は関係ないと思いますよ。

——そうでしょうか。というのも私自身、今回の「阿修羅のごとく」を見て、「これが理解できるのは年を取ったからだ。年を取ってよかった」と思ったんです。

是枝:年を取ると理解できることが増えていくかもしれないけれど、「説明してくれよ」という意見は、年代、世代を問わずある。それに対しては「分かろうよ」という話ですよね。

——確かに……。ちなみに海外の視聴者は意識しましたか。

是枝:これもいつもと同じで、していません。配信の影響かどうかは分かりませんが、ローカルであることがネガティブには受け取られないということを、この10年で強く感じているので。ドメスティックとローカルは多分違うと思うんですけど。ある種の地域性や時代性を深く掘り下げても、それが伝わらなくなることはないと考えて作っています。

——今回の企画で、是枝監督がチャレンジしたことはありますか。今までやってなかったけれど、この作品だからできたことなど。

是枝:そういうことも最初は考えていなかったです。ただ、作り始めてから、昭和のあの時代のドラマを今作るのは、時代劇を作るのと同じぐらい大変だなと実感しました。風景も建物も残っていないから。すごく優秀な制作部が探してきてくれたロケーションを長く一緒に仕事をしている三ツ松さんの作ってくれた素晴らしいセットと組み合わせて何とかなりましたけど、「もうこんなに残ってないんだね」という感じです。

この4人だからこそできた演技

——4人でおしゃべりするシーンをワンカットで撮影した場面が圧巻でした。どう演出したのかお聞きしたいです。

是枝:事前に本読みをやって、ポイントポイントで、現場でももちろんリハ(ーサル)をしました。

——台詞は一字一句、台本通りですか?

是枝:宮沢りえさん以外の台詞は台本から変わっていないと思います。宮沢さんは3人をおそらく信頼しているから、あまり固めずに現場に入って、4人の掛け合いの中で「分かった。(尾野)真知子がそうやるなら、私はこう動く」とつかんでいくタイプでした。現場で1回やれば、もう入る。そういう人が1人いた方が、ライブ感が出るからいいし、うまくバランスが取れたと思います。

食べながら台詞を言うときは、普通は聞きにくくなるからあまり口の中に入れないけれど、今回は「入れてくれ」と言いました。「聞こえなかったら『何?』って聞き返してくれればいいからね」という話をして。だから宮沢さんは目一杯食べ物を口に入れて台詞を言っています。あと、「相手の台詞に自分の台詞をかぶせていいから」という話もしました。それがあの4人にしてみると、やりやすかったというか、すごく面白かったみたいです。他の現場だと「編集できなくなるからかぶせないでくれ」と言われる、もしくはかぶったときに、アフレコをせざるを得なくなる。今回はそれがなかったのが、4人にとって良かったようです。

——ものすごくハイレベルなことですよね。

是枝:あの4人だからできたことだと思います。4話の頭の、ボヤの片付けをするシーンで5分近く長回ししたんです。あれは楽しかったですね。みんなで畳を上げたりなんかしてのポジション取りも、展開も。畳が倒れたりするのは全然想定外だったので。4人ともあのシーンが好きで、「つらくなるとあれが見たくなる」「嫌なことがあるとあれを見てから寝る」と言ってました(笑)。

——監督が4人のすごさを感じたシーンをお聞きしたいです。

是枝:本当はさりげないシーンが好きなんだけど、こうやって選ぶとなると、どうしてもエモーショナルなシーンになってしまうなあ……。尾野さんは3話の、母親が倒れたあとの病室で、父親・恒太郎(國村隼)に食って掛かるところ。あれ、すごかったね。仲裁に入った鷹男のことを本当に殴っていた。テイク1が思ってたよりも激しくて、カメラが追えていないんですよ。テイク2もすさまじくていいんだけど、テイク1の勢いを選びました。あのシーンを撮ったあと、尾野さんが「お腹すいた」と言ってました。そして宮沢さんが「今日はたくさんお昼食べていいよ」と(笑)。

——それだけエネルギーを使うお芝居だったということですね。

是枝:ご一緒するのは初めてでしたが、蒼井さんも素晴らしかったです。緩急どちらも好きなんですけど、7話の、病室で啖呵(たんか)を切る芝居は「すげえな」と思わず声がもれそうになりました。松田龍平さんとの掛け合いもすごく良かったです。龍平がずるいんだよね。

——ずるい?

是枝:いいところを持っていくんだよね。何もしてないのに(笑)。広瀬さんは、3人に本当に負けていなかった。僕が一番好きなのは病室で……全部病室だな(笑)、義母に「あんた、(息子の)体の調子が悪いって前から知ってたのにあんなこと(ボクシング)やらせたんやろ」と詰められる7話のシーン。オリジナルで加えた部分ですが、義母の言葉を聞いているときの顔が素晴らしかったです。

宮沢さんは6話の、玄関の扉を挟んで巻子と対峙するシーン。「お姉さん、自分がやってること恥ずかしくないの?」と言われて、「恥ずかしくないわ」と言い返す。あそこが宮沢さんらしくて好きです。あれは僕が書き足した台詞なんですけど。オリジナルだと、後半まで綱子の日陰者感がちょっと強いんですよね。彼女は彼女なりの幸せを自分で選ぶ、それは別に家庭ではないというポジティブ感を出そうと思って足しました。宮沢さんがそこを引き受けてくれて、良かったです。

制作環境の改善は業界全体の課題

——今回、インティマシーコーディネーターを起用した理由を聞かせてください。

是枝:たしか(NHK版の演出をした)和田勉さんのエッセイにあったんですけど、「ホームドラマにセックスを持ち込みたい」という向田さんの意向があって、このドラマは始まった。きちんと性の問題をやるのだ、ということでスタートしている。地上波のドラマだからストレートではないけれども、そういう描写が脚本の随所にあるので、「怪物」でご一緒した浅田智穂さんにご相談して、入っていただきました。そういうシーンに関しては、事前に浅田さんが役者さんとミーティングを持ってから撮影に入りました。

——「そういうシーン」には、物理的な接触、セクシャルなムード、肌の露出など、いろいろな要素がありますが、どれを指しますか?

是枝:それは全部ですね。

——どれか一つでもあれば入れた方がいい?

是枝:浅田さんはそういうスタンスです。心理的な部分での抑圧があるものに関しては入る。だから「怪物」では少年同士がやりとりする場面で入っていただきました。

——今回、浅田さんが入ったことによって俳優のパフォーマンスにどのような良い影響があったと思いますか。

是枝:それは、もし聞かれるのであれば役者さんに聞いた方がいいと思います。僕が何か言うのは難しい。なぜかというと、役者さんは僕ら監督とのやり取りの中で、「私は全然大丈夫です」「どう撮っていただいてもいいです」「演技であれば触られても全然私は大丈夫です」と言うかもしれない。浅田さんに入ってもらっているのは、そこで僕が「僕にはそう言ってたからOKだよね」と言うことを避けるため。僕に言えないことも彼女になら言えるという理解のもとでやっていることだから、僕から彼女たちについてここで言及するのはルール違反になる。

——確かにその通りですね。勉強になりました。是枝監督は、映画業界の制作環境の課題を改善する活動もされています。テレビドラマの制作環境についてはどう見てらっしゃいますか?

是枝:大変そうですよね。時間がないんだろうなと思います。そもそも本数が多すぎる気がします。

——多すぎて、全然視聴が追いつきません。

是枝:追いつかないですよね。今のままの制作環境だと、きっと事故が起きるだろうなというぐらい、間に合っていない。役者がかわいそうな感じがします。

—なぜこんなにたくさん制作しなければいけないのか。

是枝:誰の都合なのかはわかりませんが、それは日本映画も一緒ですよね。でも、僕の立場の人間は「多いよね」とは言いにくい。「じゃあお前が映画を作るなよ」という話になってしまうから。ドラマも映画も制作環境の改善は、業界全体を見渡して、誰かがやっていかなければいけない課題ではあると思います。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA

■Netflix シリーズ「阿修羅のごとく」
独占配信中
キャスト:宮沢りえ 尾野真千子 蒼井優 広瀬すず
本木雅弘 / 松田龍平 藤原季節 / 内野聖陽
國村隼 / 松坂慶子
原作・脚本:向田邦子
監督・脚色・編集:是枝裕和
企画・プロデュース :八木康夫
プロデューサー:福間美由紀 北原栄治 田口聖
音楽:fox capture plan
撮影:瀧本幹也
照明:藤井稔恭
録音:冨田和彦
美術:三ツ松けいこ 布部雅人
装飾:龍田哲児 羽場しおり
衣裳デザイン:伊藤佐智子
ヘアメイク:酒井夢月
音響効果:岡瀬晶彦 長谷川剛
助監督:松尾崇
スクリプター:押田智子
制作担当:後藤一郎
ラインプロデューサー:菊地正亮
制作プロダクション:分福
製作:Netflix

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USインディー・ロック・バンド、ヒッポ・キャンパスが新作「Flood」で目指した「バンドらしい音楽」

2013年にアメリカ中西部のミネソタ州で結成されたヒッポ・キャンパス(Hippo Campus)は、流行の入れ替わりが激しいUSインディー・ロック・シーンで10年以上のキャリアを誇る実力派のバンドだ。メンバーは、リード・ボーカル&ギターのジェイク・ルッペン、リード・ギター&ボーカルのネイサン・ストッカー、ベースのザック・サットン、ドラムのウィスラー・アレンの4人。ジャズやオペラの素養を背景に持つ4人の演奏は実に多彩かつ巧みで、インディー・フォークとエモとエレクトロとアフロ・ポップが交差したサウンドは、The 1975やヴァンパイア・ウィークエンドも引き合いに出して語られるなど一貫して評価が高い。

そんな彼らが24年9月にリリースした4作目の最新アルバム「Flood」は、いわく「バンド」としての原点に立ち返った作品。実験的なプロダクションにこだわった前作「LP 3」(22年)と異なりライブ・レコーディングに近い形で制作され、生演奏のフィーリングとみずみずしいアコースティックの音色が歌やメロディーの魅力を引き立てる、親密な音づくりが大きな聴きどころだった。

そのニュー・アルバム「Flood」を引っ提げて行われた、昨年11月のジャパン・ツアー。これが初来日、しかも海外ではホール公演も埋める彼らをライブハウスで観られるということで、東京公演初日の場となった新大久保アースダムはもちろんソールドアウト。「今回のアルバムを通して僕たちは音楽の楽しさを改めて思い出したし、ファンとの絆も深まったと思う」。開演前にそう話してくれたジェイクとネイサンの2人に、そんな「Flood」と「バンド」を取り巻くさまざまなトピックについて聞いた。

「毎回、新しい挑戦をして、音楽を楽しみ続ける」

——ニュー・アルバムの「Flood」はライブ録音に近い形で制作されたということで、実際にライブで演奏していても、他のアルバムの曲とは違った手応えがあるのではないでしょうか。

イサン・ストッカー(以下、ネイサン):そうだね、「Flood」は、バンドが部屋で演奏するような、最もシンプルな状態に立ち返って、音楽の根源を追求したアルバムなんだ。無駄なものを削ぎ落として、生演奏のエネルギーにフォーカスすることで、音楽の本質をリスナーに届けたかった。だから、このアルバムをライブで演奏するのは僕たちにとっても新たな挑戦で、同時に大きな喜びなんだ。特に、日本のファンの前で演奏できることを楽しみにしてるよ。

——シンプルな状態に立ち返りたかったのは、どうして?

ジェイク・ルッペン(以下、ジェイク):過去の2枚のアルバムは、プロダクションに重点を置いて制作したものだった。ラップトップの使い方やレコーディング技術を追求して、とにかく音の限界を押し広げることに集中した。でもしばらくして、それが少しマンネリ化してきたように感じられて。スタジオで実験的なことをするのも楽しいけど、やっぱりライブでファンと直接つながることが大切だと思う。それで、音楽の本質であるライブ・パフォーマンスの重要性に気付かされて、ある意味、音楽の原点に戻ろうと思ったんだ。だから今回のアルバムでは、ライブで演奏することを前提に、より生々しく、ダイレクトなサウンドを目指した。今回のアルバムを通して、僕たちは音楽の楽しさを改めて思い出したし、よりダイレクトに感情が伝わることでファンとの絆も深まったと思う。

少なくともアメリカでは、僕たちはライブを中心に活動してきた。だから、それを象徴するようなアルバムをファンに届けたかったんだ。今回のアルバムは、ネイサンが言っていたように、可能な限り僕たちのコアに近い。でも次のアルバムでは、またクレイジーなサウンドづくりに戻るかもしれない。いや、その中間くらいかな(笑)。ただ、僕らにとっては、アルバムごとに異なるミッション・ステートメントを持つことが重要なんだ。毎回、新しい挑戦をして、音楽を楽しみ続けることが大事だと思う。

ネイサン:僕たちのアルバムは、いつも最後につくったアルバムに対するリアクションなんだ。だから次は、今までとは全く違うことをやってみたくなる。二度と同じことはしない。常に新鮮なものをつくり続けたいから。

——今回の曲づくりの過程は、試行錯誤の連続だったと聞いています。実際、今作のサウンドのフォルムやテイストに関しては、具体的にどんなイメージや方向性を持って制作は進められたのでしょうか。

ネイサン:今回のアルバムは、本当に自由な発想でつくったんだ。朝起きて、コーヒーを飲みながらスタジオに行って、何も考えずに楽器を演奏したり、即興で歌ってみたり。そんなことを繰り返して、自然に曲が生まれていった。曲づくりは、ジェイクがギターのリフを思いつくことから始まったり、僕とジェイクが一緒に歌詞を考えたり、みんなで集まって即興でセッションしてそこから新しいアイデアが生まれたり、本当にさまざまだった。

とにかく、僕たちはそれぞれの曲に全力を尽くして、完成させることに集中したんだ。それで全ての曲が完成したあとに、それらの曲に共通するテーマや、特に際立っている曲を見つけるために、何度も、何度も聴き比べた。結果、100曲以上のデモが出来上がって、そこからアルバムに収録する曲を厳選するのは本当に大変だった。曲づくりって、最初は本当に混沌としているんだよね。始めたばかりのころは、どの曲とどの曲が合うのかなんて、全く想像もつかない。だから、まずはそれぞれの曲を完成させて、最後にそれらを組み合わせて、アルバム全体としての一つの世界観をつくり出すんだ。まるで万華鏡みたいに、いろんな曲が組み合わさって、最終的に美しい絵が完成する。正直、僕自身も完成したアルバムを聴いて、自分でもどこへ向かっているのか分からなくなるときもあるよ(笑)。

ジェイク:今回のアルバムは、歌のメロディーや歌詞が特に重要な役割を果たしている。よりクラシックなロック・アルバムというか、歌詞とギター・コードが主導したつくりになっていて、心に響くような音楽を目指したんだ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズや、リック・ルービンが手掛けた作品のような、シンプルながらも深みのあるサウンドを参考にしながら、自分たちの音楽をつくり上げた。無駄なものは一切排除し、本当に必要な要素だけを詰め込むことで、より楽曲の完成度を高めることができた。今回のアルバムは、メロディーや歌詞が際立っているので、聴く人により深く感情移入してもらえると思う。

——「クラシックなロック・アルバム」とのことですが、ただ、楽曲の構成や音づくりはヒッポ・キャンパスらしく“モダン”だと思います。

ネイサン:オアシスやトム・ペティのような、どこか懐かしい感じがする音楽もいいけど、僕たちはもっと現代的なサウンドに挑戦したい。レディオヘッドのようにね。

ジェイク:そうそう。でも、特定のバンドや音楽ジャンルに影響を受けたというよりは、“音のエートス(性格、気質)”みたいなものかな。もっと感覚的なもので、自分たちの内側から湧き出てくる感情や感覚を表現した作品なんだ。なぜなら、僕たちは常に変化し続けているから。過去の自分たちにとらわれずに、新しい自分たちを表現したい。自分たちが「これだ!」って思うような音楽をね。だから、同じような感覚を共有できる音楽を探して聴いたりもするけど、必ずしもそれが音楽的な影響ってわけじゃないんだ。

今作で実現したかった“バンドらしさ”

——その「同じような感覚を共有できる音楽」というところでは、先ほど名前のあがったレッド・ホット・チリ・ペッパーズの他に、フェニックスやビッグ・シーフからもインスパイアされた部分があったそうですね。

ジェイク:フェニックスは、リズム・セクションのドライブ感にエネルギーがあって、僕たちの音楽も大きな影響をもらっている。だから今作でも、 特にリズム・セクションのウィスラー(・アレン、ドラム)とザック(・サットン、ベース)の演奏はタイトでパワフルで、グルービーで、聴いていて気持ちいい。僕たちがバンドを始めた頃から、フェニックスは大きなインスピレーションを与えてくれるバンドの一つなんだ。

それとビッグ・シーフは、歌詞の言葉選びやメロディーのつくり方がすごく魅力的で、サウンドも独特で面白い。それに加えて、彼らはとにかく多作だよね。彼らがこの数年でアメリカの音楽シーン、聴衆やソングライターに与えた影響は大きいと思う。僕たちが今回のアルバムで実現したかったのは、僕たちが“バンドのように見える”ということだった。僕たちも、ビッグ・シーフみたいに、メンバー全員が一体となって音楽をつくりたいと思っていた。お互いを尊重し合い、コミュニケーションを取りながら、自分たちの音楽を追求していく。それが、僕たちの理想の「バンド」の形なんだ。特にライブ・パフォーマンスにおいては、観客との一体感を大切にし、エネルギッシュなステージングを心掛けている。

ネイサン:その通りだね。今回のアルバムでは、特定の要素に注目してつくったというよりも、「バンド」であることを伝えたかったんだ。だから他のバンドから影響を受けることはあっても、最終的には自分たちのオリジナリティーを追求したかった。それに、最近の音楽シーンでは「バンド・サウンド」が少なくなっていると感じていたので、あえてバンドらしい、ライブ感のある音楽を表現してみたかったんだ。

——ビッグ・シーフもそうですが、生楽器のオーガニックな音色やフォーキーなテイストは、これまでもヒッポ・キャンパスのサウンドにおいて大きな魅力だったと思います。そこに改めてフォーカスを当てることも、今作の音づくりにおいて鍵となる部分の一つだったのでしょうか。

ジェイク:うん、そうだね。僕たちの曲は、実際に演奏する楽器から生まれることが多い。特にアコースティック楽器のフィジカルな要素——ギターの弦を弾く感触や、ピアノの鍵盤を叩く音など、楽器から直接生まれる感覚は音楽をつくる上でとても大切なんだ。楽器に触れて音を出すことで、自然とアイデアが浮かんでくるし、生演奏の持つ力って、やっぱり特別だと思う。そして、スタジオで録音した曲をライブで演奏することで、その音楽にさらに命が吹き込まれる。今回のアルバムのニッキー(ネイサン)のギターは素晴らしいよ。

ネイサン:昔のレコードでは、ギターの音にエフェクトをかけまくって歪ませたり、ドラムの音を機械っぽく加工したりすることが多かった。でもこのアルバムでは、生演奏のダイナミックさを最大限に引き出すために、ギターはギターらしく、ドラムはドラムらしく、なるべく自然な音を出すことにこだわった。シンセサイザーも極力控えて、生楽器の音を前面に出したかった。だから、このアルバムはオーガニックなサウンドになっていると思う。

——その「オーガニックなサウンド」という部分でいうと、今回プロデューサーを務めたブラッド・クックの貢献も大きかったと思うのですが、いかがですか。

ジェイク:レコーディングは最初、友人のカレブ(・ヒンツ。前作「LP 3」のプロデューサー)と一緒に始めたんだけど、“もう一人の耳”が必要だという段階になって、それでブラッドを呼んだんだ。ブラッドは、アーティストの個性を最大限に引き出すことに長けていて、僕たちの音楽をもっとアグレッシブに表現する方法を教えてくれた。彼は、アーティストにとって最も強力なツールは自分自身の声であり、過度にテクニックに頼る必要はない、それ以外のもので“遊ぶ”のは危険だってことに気付かせてくれた。

彼の考え方は、リック・ルービンみたいなプロデューサーにも通じるものがあって、シンプルでストレートなサウンドを追求するその信念にすごく共感できた。特にレコーディングの最終段階で、ブラッドが僕たちの音楽を信じてくれたおかげで、自信を持ってアルバムを完成させることができた。ブラッドとの仕事は本当に楽しかったし、彼の人柄も大好きだ。ちょっと変わったところもあるけど(笑)、最高のプロデューサーだよ。

——ブラッド・クックといえば近年、ワクサハッチーやボン・イヴェールと素晴らしい作品を残していますが、そうした彼の仕事も今作の参考になった部分はありましたか。

ジェイク:そうだね。それも自然の流れだった。それらのレコードから得たインスピレーションが、僕たちの音楽の根底にもあると思う。

ネイサン:このアルバムは、僕たちが目指していたドライで力強いサウンドを実現できたと思う。ブラッドは、その点において、まさに理想のプロデューサーだった。彼がボン・イヴェールやワクサハッチーの作品でやったこととこのアルバムには通じるものがあると思う。どれも独特の雰囲気を持っているけど、共通して言えるのは、アーティストの個性を最大限に尊重し、その才能を引き出すことに長けているということ。それに今回のアルバムでは、カレブの持つ実験的なアイデアを具現化するために、ブラッドは積極的に協力してくれた。彼のプロデュース・ワークのおかげで、僕たちの音楽は新たなステージへと到達できたと思うよ。

ジェイク:それに2人ともノースカロライナに住んでいるから、お隣さんだしね。

「大切なのは今の自分たちの感覚を大切にしながら、音楽を作り続けること」

——ところで、(ベースの)ザックは今回の「Flood」について「30代に突入した男たちのレコード(“guy-entering-his-thirties album.”)」と呼んでいるそうなんですけど。2人にとってもそういう認識はありますか。

ジェイク:いや(笑)、分からないなあ……ただ、ザックが言いたかったのは“限られた時間を受け入れる”ということだと思う。歳を取れば取るほど、それはより現実味を帯びてくるし、自分の死というものをより身近に感じるようになる。死は決して遠い存在ではなく、常に自分の中に存在していることに気付く。そのことを意識することで、音楽に対する向き合い方が大きく変わったんだ。そのシリアスさは、これまで経験したことのないような形でレコードに影響を与えたと思う。特に歌詞では、人生の儚さや、限られた時間の中で何を大切にするかといった、以前とは違う、より深いテーマを扱っている。それは、僕たちにとって新しい表現の試みだったと言える。

ネイサン:僕たちも若いころは、音楽業界のルールに縛られて、自分たちの音楽を表現することに苦労した。でも、この10年の間に音楽業界は大きく変わって、昔のような考え方は通用しなくなった。そして、年齢を重ねるにつれて、誰かに認められたいという気持ちが薄れていった。今は、ただ自分が楽しいと思える音楽をやりたい。子供のころからずっと音楽をやってきたけど、大人になった今もその気持ちは変わっていない。だから、僕たちの音楽は、どんなジャンルにも当てはまらないかもしれない。でも、それが僕たちのスタイル——今の僕らの“30代の音楽”なんだ。みんなに気に入ってもらえたらうれしいけど、そうでなくても、僕たちは自分たちの音楽を楽しみ続ける。それだけのことさ。

——前作から今回の「Flood」の間に、ネイサンは断酒のためのセラピーを受けたり、またバンドとしても一人ひとりが自分自身と向き合うための時間を多く過ごしたと聞きました。そうした自分たちのありのままの姿を記録したい、という思いが今作には強くあったのでしょうか。

ジェイク:うん、年齢は違えど、大切なのは今の自分たちの感覚を大切にしながら、音楽を作り続けることだから。バンドとしても、個人としても、常に成長し、創造的な野心と創造的なプロセスを通してそれを表現し続けたい。簡単なことじゃないけど、自分たちにとってそれが最もやりがいのあることなんだ。

「Flood」は、コロナ禍で生まれたアルバムだから、自分たちの内面を深く見つめ直すいい機会になった。以前は、ツアーに追われて、自分の人生についてじっくり考える余裕がなかった。でも、コロナ禍で活動が止まったことで、自分にとって本当に大切なものって何だろうって、改めて考えるようになった。このアルバムには、そんな自分たちの心の変化がそのまま反映されている。何が幸せで、何がそうでないのか——そんなことを考えながら、一つひとつの音を重ねていった。多くの曲は、自分自身と向き合いながら生まれたものなんだ。30代になった今、あの時、コロナ禍を経験できたことは幸運だったと思う。あのまま突っ走っていたら、きっと燃え尽きていたかもしれない。あのころは、とにかく働きづめだったからね。アメリカらしい働き方というか、とにかく働き続ける、それが当たり前だと思ってた。常に何かを成し遂げなければいけないというプレッシャーを感じていたんだ。

ネイサン:そう、だから、みんないつかは死ぬんだということを忘れてはいけない。でも、そうだね、あの活動休止期間は、バンドとしても、そして僕らがお互いを理解し合うためにもとても有益だったと思う。あの経験があったからこそ、ヒッポ・キャンパスの次のアルバム(「Flood」)はとても健康的で、より深みのあるものになったんだ。だから今は、音楽を心から楽しむことを再発見しているところなんだよ。

目指すべきロールモデルは?

——そんな今の2人にとって、例えばこんなふうにキャリアを重ねていきたい、音楽的にも充実した作品を作り続けていきたい、みたいなロールモデルとなるバンドやアーティストはいますか。

ネイサン:ミネアポリスにロウ(Low)というバンドがいて、ロウのアラン(・スパーホーク)は僕らの最初のEP(「Bashful Creatures」)をプロデュースしてくれたんだけど、彼らがアルバムを重ねるごとに音楽的な幅を広げていく姿を見て、本当に刺激を受けたんだ。アランはすでに50代なのに、常に新しい音楽に挑戦していて、僕がこれまで聴いてきた音楽の中でもかなり突き抜けた、プログレッシブな音楽をつくっている。アランは僕たちにとって、音楽的な目標のような存在なんだ。音楽をつくるってことは、ただ音を出すだけじゃなくて、常に新しいものを創造していくことだと思う。芸術性を高め続けることで、自分自身の表現を追求していく。そのためには、恐れずに挑戦し続けなければいけない。アランを見ているとそう強く思うんだ。

ジェイク:本当にそう思う。アランは音楽だけでなく、人としても尊敬できる人なんだ。彼はコミュニティーを大切にしていて、みんなから愛されている。ヒューマニティーの擁護者なんだ。彼は、音楽が人々をつなぎ、社会をより良くする力を持っていると信じている。まず他人を大切にし、その上で音楽をつくり、それがサウンドやギターの弾き方に反映される。彼の音楽には、そんな温かい心が感じられるんだ。

ネイサン:僕たちが尊敬するミュージシャンは、経済的な安定を築きながらも、音楽に対する情熱を失っていない。でも、彼らはメガ・スターではない。中流階級のミュージシャンというのは、僕らにとっても興味深い存在で、自分たちのやりたいことをするための自由や自らのエージェンシーを持ちながら、幸せで健康的な生活を送り、仕事をすることができている。デス・キャブ・フォー・キューティーもその一つだよね。彼らが、自分たちのスタイルを貫きながら、長く音楽活動を続けている姿は、僕たちにとっても大きな励みになっている。若い頃は、彼らのようなキャリアを築きたいって、本当に憧れたよ。彼らのキャリアは、僕たちのようなインディーズ・ミュージシャンにとって、一つの理想と言えるかもしれない。

ジェイク:でも、歳を重ねて、昔のようにエネルギッシュな音楽を奏でられなくなってしまうバンドを見ると、少し寂しい気持ちになるんだ。僕もいつかそうなるのかと思うと、正直怖い。アランはそんな僕たちの不安を払拭してくれる存在なんだ。彼は年齢を重ねてもなお、音楽に対する情熱を失っていない。そんなアランを見ていると、希望が持てるというか。

将来のことなんて、正直よく分からない。でも、彼らのように、長く愛されるバンドになりたいという気持ちは、誰しもが持っているんじゃないかな。彼らが長く音楽シーンで活躍していることには、ただただ尊敬の念しかないよ。だから今は、目の前の音楽に集中して、自分たちの表現を追求していきたい。難しいことばかりだけど、それが楽しいんだ。

——ロウは同じミネソタ州出身のバンドということで、やはり特別な存在なんですね。

ジェイク:そうだね。彼らはまさに、僕たちが目指す音楽の理想形なんだ。

——アランとは今でもやり取りがあったりするんですか。

ネイサン:先日、偶然彼とばったり会ったんだ。久しぶりに話せて嬉しかったよ。彼は最近、ゴッド・スピード・ユー・ブラック・エンペラーのオープニングアクトを務めたんだ。(日本語で)トッテモカッコイイデス。トッテモ最高(笑)。

でも、彼とはもうしばらく一緒に音楽をつくる機会がなくて、少し寂しい。彼の奥さん(※ロウのドラマーだったミミ・パーカー)が亡くなってから、もう1年半が経つ。彼の奥さんの葬儀にも参列したんだけど、その時にステージで息子さんと一緒に演奏している姿を見て、本当に感動した。息子さんがベースを弾いていて、その演奏はとても美しかった。彼の母親への想いが込められているように感じたよ。

ジェイク:アランは僕たちにとって、音楽の父親のような存在なんだ。本当にそう思うよ。

アメリカ大統領選が終わって

——ヒッポ・キャンパスといえば、#MeToo運動と連帯してサポートの声を上げたり、慈善活動に取り組んだりしていた姿も印象に残っています。アメリカ大統領選が終わって2週間弱が経ちましたが、結果を受けて率直にどんなことを感じていますか。

ネイサン:ふーーっ(笑)……複雑な気持ちだよ。いや、複雑じゃないな。悔しいし、混乱してるよ。

ジェイク:そう、つまりとても引き裂かれていて、直視するのが難しいんだ。特に、ソーシャル・メディアがアメリカをこんな風にしてしまったなんて、本当に残念だよ。みんなが怒っているのもよく分かる。あのような男が、僕たちの国の代表として世界に顔を晒している現状は耐え難いし、とても恥ずかしい。

ネイサン:アメリカの二大政党制は、もう機能していないよね。もはや完全に崩壊している。人々に2つの悪のうち、よりマシなほうを選ぶように迫るのは、とてもつらいことだよ。民主主義の理想からかけ離れている。どの選択肢も満足のいくものではないけれど、ただ、それでもこの状況を改善するために、何かしらの行動を起こさなければならない。投票に行かないという選択肢はない。だから今回の選挙でも、多くの人がそう感じていたはずだし、より良い未来を求めて投票所に足を運んだんだと思う。

ジェイク:アメリカは今、自分たちの選択の結果と向き合わなければならない。なぜこのようなことが起きたのか、なぜこのような人物を選んでしまったのか、深く考えなければいけない。そして次の4年間は、自分たちの社会をより良くするために、深く内観し、何ができるのかを真剣に考えたい。今のシステムは明らかにうまく機能していない。ただそうした中で、人々に再び希望を与える方法を考える必要がある。より公正で平等な社会を実現するために、僕たちは力を合わせなければならない。

ネイサン:アランがゴッドスピードのライブで言っていたんだ。真のコミュニティーは、ローカルで、より個人的なレベルで築かれるべきだって。人々が集まって、毎晩1時間、プロテスト・ソングを聴きながら、建設的な話し合いをすればいい。社会問題について語り合い、互いに理解を深める。怒らず、分裂せず、建設的な方法で、適切なコミュニケーションの取り方をお互いに教え合う。そんな場が理想的だね。でも、それをビジネスにすることなく行うのはとても難しい。そうなると突然、また資本主義のシステムに飲み込まれてしまう気がする。どうすればいいのか……時々、何もかも捨てて、静かな場所に引っ越したくなるよ(笑)。

——今回のアルバムの収録曲の“Paranoid”には、「ゴールの先には何かが待っているのだろうか?(Is there something waiting out there for us at the finish line?)」という歌詞があります。この問いの答えは見つかりましたか。

ネイサン:いや、これからも見つからないと思う。実は、その歌詞の直前には「もしかしたら(maybe)」という言葉があって、それが何かを考え始めるきっかけになっているんだよね。

永遠に続くものなんてあるのかな? それとも、「永久」って言葉は本当にあるんだろうか?——答えなんてない問いだけど、でもこのことは、僕たちが今いる場所を教えてくれる気がするんだ。それはつまり、まるでレースみたいに、僕たちは今、その真っ只中を走っているってこと。だから、どうすればもっと効率よく、健康に走り続けられるか、って考えるべきなんだ。ゴールなんて、ずっと先にあるかもしれない。でも、一度ゴールしたら、もう後戻りはできない。だから、意味があるのかどうかは分からないけど……最初はさ、自分よりもっと大きな力、ある種の実存的な、神様みたいなものがあるんじゃないかって思ったんだ。でも、30代になった今、お酒をやめて、ドナルド・トランプが大統領になったこの時代を生きている。だから何であれ、持っているもの全部を使って、その力を最大限に引き出せたら、きっと何かが変わるんじゃないかって。そう思うんだ。

——ところで、ネイサンの帽子(「巨」と書かれた帽子)がずっと気になっているんですけど(笑)、読売ジャイアンツの帽子っぽく見えるのですが、それは日本に来て買ったんですか。

ネイサン:これ? この漢字は「巨人=大きくて背が高い」っていう意味なんだよね。何年か前にウィスラーに誕生日プレゼントでもらったんだよ(笑)。

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新鋭アーティスト、杉山日向子が新作で伝える「今の自分を肯定すること」の大切さ

PROFILE: 杉山日向子/アーティスト

PROFILE: (すぎやま・ひなこ)1997年東京都生まれ。2022年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。在学中の20年 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」メインビジュアルの背景デザインを担当。22年「ブルーピリオド展」に参加、23年「Nine colors XVII」西武渋谷55周年記念メインビジュアルを手掛けるなど活躍。独自の視点で描くポートレイト作品で注目を集めている。

印象的な自画像で注目を集める新鋭アーティスト、杉山日向子による個展「Mirror Play」が渋谷パルコ4階の「パルコミュージアム トーキョー」で1月13日まで開催中だ。同展は新作絵画を中心に20点以上を展示する。

もともと自画像を描き始めたのは、「他人から容姿について誹謗中傷されたことへの反発から。最初は自分を守るために、他人の評価を否定するような形で自画像を描いていた」という杉山だが、新作では自分だけではなく、他者に寄り添う気持ちが強くなったという。

「ルッキズムが問題になっている今、自分をどんな形でも表面的に受け入れることが大切だと感じるようになった。外見や容姿に対する期待をどう求めるかは自由だけど、とりあえずは今の自分を受け入れることが鍵になると思っている」とステートメントにあるように、「今の自分を肯定する」、そんなメッセージが新作には込められている。

今回、杉山の今までの経歴を振り返りつつ、個展「Mirror Play」について話を聞いた。

WWD:杉山さんが絵を描き始めたきっかけは?

杉山日向子(以下、杉山): 小学生のころから絵が描くのは好きで、絵の教室に通っていました。その延長で中・高は美術系の学校に通って、大学は2浪して東京藝大に進学しました。

WWD:油画専攻を選んだ理由は?

杉山:アクリル絵の具が全然扱えなくて、一番得意だったのが油絵だったのと、油絵は制約がなくて、好きなことを自由に表現できるので選びました。

WWD:今の作品のように自画像を描くようになったのはいつごろからですか?

杉山:大学3年生ごろです。私は2浪して入学したこともあって、藝大に入った時点で、満足してしまっていて。同級生がどんどんその人らしい作風を見つけて、作品を作っているのに、自分はどんな作品を作ればいいのか分からなくて、2年生ごろまでは迷走していました。

自画像を描き始めたのは、最初は自分の見た目のコンプレックスからです。他人から容姿について誹謗中傷されて、当時は超絶尖っていて、「見返してやりたい」と怒りの気持ちで描き始めました。その時は「その作風」で評価されたいって気持ちもありました。

でも、今回の展示のステートメントにも書いたのですが、今はもう少し人に寄り添いたいというか、SNSって超ルッキズムが強い投稿がいっぱいあって、そういう投稿を見ているうちに、「きれいでも、かわいいでも、美しいでも、自分の理想を求めるのは自由だけど、自分が自分で満足できればいいよね」っていう気持ちが大きくなって。私も自画像を描いているのに、あまり自分には自信がないんですが、それでも私の作品を見て、「こういう人もいるんだ、 面白いね」とか「(人の意見を気にせず)自分は自分でいいよね」とか、思ってくれれば、それがうれしいです。

あと、誰かを描く時って、いろんなことを考慮しないといけないんですが、自分だと気を使わなくていいし、しかも無料だしってことで、なんとなく自画像を描き始めたのもあります。でも、初期の作品って、自画像といいつつ、少し加工していて、ちゃんと自分を描いていないんですよね。

WWD:NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の背景を描いたのは、自画像を描き始める前ですか?

杉山:そうです。まだ大学に入ったばっかりのころで、迷走している時期でした。私が浪人時代に描いていた絵を、アートディレクションを担当した奥山由之さんが見て、選んでくれました。それまで奥山さんとは面識がなく、急に依頼が来たので、びっくりしましたね。時間もなかったので、依頼が来て、次の日にはもう打ち合わせをして、すぐ制作に入ってという感じで、依頼から完成まで1ヵ月もなかったと思います。

「モノボケみたいな感じで考えてます」

WWD:今回の展示タイトル「Mirror Play」はどのように決めたんですか?

杉山:「Mirror Play」は、今回のキービジュアルにも使っている作品の作品名なのですが、私の作風が“鏡遊び”みたいなのと、あまり聞いたこと言葉だったので、ちょっとスラングっぽくて面白いかなと思って、「Mirror Play」にしました。

WWD:今回の展示では新作も多く描かれていますね。

杉山:改めて、初期の作品から新作までを展示してみると、新作は全体的に彩度が低めになっていますね。自分の気持ちの変化もあって、色使いやポーズも変わっているのはすごく感じました。自分で描いたくせに、あまり自分のことって分かんないですよね。

WWD:色使いや衣装を含めて、全体的にシンプルになっていると感じました。

杉山:先ほども言ったんですけど、最初に自画像を描き始めた時は本当に尖っていて、「私はやることやってるんだよ。お前は何をやっているだ」みたいな怒りの気持ちが強くて。今はその気持ちも薄れてきたので、だから全体的に作品も落ち着いてきたのかなって思います。

WWD:杉山さんの作品はポーズにどこか違和感があって、面白いです。

杉山:まず自分でポーズを決めて、写真を撮って、それをもとに絵を描き始めるんですけど、ポーズを考える時は、体や影の形がかっこよくなるように、というのは心掛けています。でも、撮影中はずっと同じポーズをしなくちゃいけないので、結構腰とか痛くなるんですよね。それを何パターンか撮影して、撮ったものをパズルを組み合わせる感じで描いていくんですが、その組み合わせを考えるのが一番難しいです。

WWD:撮った写真でまずはコラージュを作ったりするんですか?

杉山:作らないですね。だから失敗する時もあります。絵を描き始めた時に、「なんか微妙かも」と思った時はうまくいかないことが多くて、一応最後まで描くんですけど、やっぱり納得がいかずに没にしています。最初にハマったと思ったら、結構順調に描けるんですけど。

WWD:撮影前にコンセプトは決めるんですか?

杉山:「今回はこの服を着て撮影しよう」とか「今回はヘルメットをかぶろう」とかは何となくワンテーマを決めて、そこからどう面白くするか、モノボケみたいな感じで考えていきます。だから「こんなことをやってる人がいて面白いな」ぐらいで見てもらえればいいかな。

WWD:ヘルメットをかぶっているプロフィール写真はインパクトがあります。ヘルメットを被るというところで、何かから自分を守りたいとか闘うっていう思いもあったんですか?

杉山:そこまで深い意味はなくて、作品用に撮った写真の中から没になった写真をそのままアーティスト写真にしています。なんか、かっこいいかなという感じで。

WWD:「Self Perfume 」 や「令和スナイパー」などタイトルもかなり面白くて、モノボケの話からも、お笑い好きの要素を感じます。やっぱりお笑い好きですか?

杉山:お笑い好きですね。今は例えば炎って芸人が好きです。新作を書いている時も「霜降り明星のANN」を聴きながら描いてました。

「絵を描く以外の仕事もやっていきたい」

WWD:以前、他メディアのインタビューで絵を描くのをやめようと思ったと話されていましたが?

杉山:多分このまま描かなくなるんだろうなっていう時期はありましたね。少し前はアートバブルで、若手の作品もすごく売れるみたいな感じだったけど、私の作品って、自画像というのもあって、小さい作品がたまに売れるぐらいでした。やっぱり売れても売れなくても描き続けるってことが、自分では難しいなってすごく実感して。このまま展示にも呼ばれなくなって、作品も売れなくなった時に、続けられるかって言われたら 現実的に無理だなって思いますし。そのインタビューの時も、多分そういう気持ちで言ったんだと思います。

WWD:今後、自画像以外の作品に挑戦したいという気持ちもありますか?

杉山:作品としては、自画像を描き続けたいとは思いますが、仕事としてはいろいろやっていきたいです。絵以外でも、立体や写真、アートディレクションにもすごく興味があります。ファッションも好きなので機会があったら、ファッション関連の仕事もやってみたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■「Hinako Sugiyama solo exhibition “Mirror Play”」
会場:パルコミュージアム トーキョー(PARCO MUSEUM TOKYO)
会期:12月20日〜2025年1月13日
時間:11:00〜21:00 ※入場は閉場の30分前まで。最終日18時閉場
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ4階
料金:無料
https://art.parco.jp/museumtokyo/detail/?id=1620

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藤原ヒロシが語る新店「V.A.」と「タイムラグの面白さ」 「僕は未来にほしいものを買う」

2002年にオープンし、20年にわたって東京・表参道を行き交う人々を見続けてきたカフェ・ラウンジ「モントーク(montoak)」が、22年3月31日に惜しまれつつ閉店。それから2年が経ち、建物はそのまま、装いを新たに、カフェとショップが併設するコンセプトストア「V.A.(ヴイエー)」が24年12月15日に誕生した。もともと「モントーク」は、オープンカフェの先駆けとして1972年に開業した「カフェ ド ロペ(Café de Ropé)」を前身とする。

70年代から続く伝統を守りながら、今の時代に合わせて、全体のディレクションを藤原ヒロシが、カフェ監修を「バワリーキッチン(BOWERY KITCHEN)」などを運営する山本宇一が、ストアデザインを「ザ・パーキング銀座(THE PARK・ING GINZA)」などを手がけた荒木信雄が行った。

今回はプレオープンの会場で、ショップのコンセプトをはじめ、街の再開発、流行や情報との向き合い方についてなど、藤原ヒロシに話を聞いた。

プラスチックスの2人とお茶をしていたら……

——コンセプトストア「V.A.」のプロジェクトは、どのように進んでいたのでしょうか。

藤原ヒロシ(以下、藤原):「モントーク」が閉店したあと、建物や跡地をどう活用していくのかを模索していく中で、かつて「モントーク」がそうであったように、原宿のランドマークとして残していきたいということで、運営元のJUNから相談を受けました。

——「カフェ ド ロペ」や「モントーク」にもよくいらっしゃっていたと?

藤原:しょっちゅう来てましたね。原宿の歴史が語られる時って、1970年代のこと、原宿セントラルアパートと喫茶「レオン」を中心とした話が多いじゃないですか。僕もぎりぎり「レオン」には行ったことがありますが、上京したのが82年なので、個人的に原宿のカフェといえば「カフェ ド ロペ」と、その後の「モントーク」なんです。

——この場所での印象的な思い出はありますか。

藤原:当時プラスチックス(Plastics)のトシちゃん(中西俊夫)とチカちゃん(佐藤チカ)と僕の3人でお茶をしていたら、すごい人だかりができたんですよ。プラスチックスってこんなに有名なんだと思っていたら、少し離れた席にジュディ・オングがいて、人だかりはそっちだった。ジュディ・オングも来るんだなと思って、あれはちょっとびっくりしましたね。

アニエス本人による書き下ろしロゴのアイテムも

——V.A.=VARIOUS ARTISTSという店名はどのように?

藤原:チームで話し合う中で、最初は源馬(大輔)くんが言ったのかな。「V.A.」って昔はコンピレーションとかのCDやアナログレコードでよく見ましたよね。いろんなアーティストの楽曲が入っているアルバム。その感じで、多種多様な人たちの集合を表す名前でいいなと思いました。最近は音楽の聴き方が大きく変わって、そういうアルバムに接する機会も減ってしまったのもあって、逆に新鮮かなと。

——カフェとショップの併設というアイデアはどこから?

藤原:最初は洋服屋の中で、パン屋とかドーナツ屋をやりたかったんですよ。「ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)」って、基本的にどのお店も上層階に「ローズベーカリー」というカフェが併設されていますよね。でもニューヨーク店はベーカリーが1階にあって、中2階で「ナイキ(NIKE)」とかを見ていると、パンのいい匂いが漂ってくる。それがすごくいいなと思って、参考にしました。

——カフェ監修の山本さんやストアデザインを担当した荒木さんとはどんなことを話しながら、お店を作っていったんですか?

藤原:カフェに関しては、どんなメニューを出すかなど、全て山本さんにお任せしました。ストアに関しては、荒木さんは古いものを残しながら新しくアップデートしていくのが得意なので、今回も元の建物の構造自体は残してもらいたいってうのは伝えて、デザインを考えてもらいました。

——ショップに入るブランドのディレクションについては?

※オープン時のポップアップスペースでは「チャンピオン(CHAMPION)」、「エンダースキーマ(HENDER SCHEME)」、「リーバイス(LEVI'S®︎)」、「エル・エル・ビーン(L.L.BEAN)」、「ニューエラ(NEW ERA®︎)」などのブランドと協業したアイテムのほか、高橋盾「アンダーカバー(UNDERCOVER)」デザイナー、や西山徹「ダブルタップス(WTAPS)」「ディセンダント(DESCENDANT)」デザイナーが同ストアのために制作したアイテムをそろえる。

藤原:今のオープンの段階では、チームのみんなで選定したブランドに入ってもらっていますが、この先は「V.A.」という名前の通り、ポップアップストアとして、いろんなショップが出店する感じがいいかなと思っていて。そのためにカフェスペースの仕切りとかも可動式にしてあるんですよ。なので、1階のショップだけでなく、2階のカフェもあわせて、それなりに自由度をもって使ってもらえるので、期間ごとに違うお店に変わっていくようになっていったらいいですね。

——オープン記念のコラボレーションアイテムでは、デザイナーに旧知の仲である高橋盾さんや西山徹さんのほかにも、「アニエスベー(AGNES B.)」が入っていたりと、豊富なラインアップです。

藤原:「アニエス」はずっとキャップを愛用したりしていたので、入ってもらえたらいいなと思って。あの筆記体のロゴ、今でもアニエス本人の直筆なんですよ。なので、今回のアイテムに使われている「various artists」のロゴは、このためにアニエスが書き下ろしてくれました。

アーカイブにアクセスできることによってリバイバルの意味が変わった

——ファッションデザイナーについては、時代の変化は感じますか?

藤原:もちろん個別に面白いデザイナーはいるし、変化もありますけど、それよりも、「本気でアパレルを追求している人によるものではないブランド」が増えたような気がします。分かりやすいところでいうと、インフルエンサーやYouTuberがアパレルブランドを運営しているとか。そうなると、アパレル業界全体としてのファッション性は、相対的に落ちてきますよね。

——さまざまなアーカイブに簡単にアクセスできるようになったことで、クリエイティブにはどんな影響が出ていると思いますか?

藤原:安易なコピーとパクリが増えましたよね。しかも直近の流行をネタ元にして。僕らも散々サンプリングはしましたけど、やるからには真剣かつ緻密に、リスペクトを込めてコピーしてましたよ。

——まさにパクリとオマージュの違いですね。

藤原:それと、あえてネタ元を明かさないことによって生まれる、奥行きを楽しむようなことがなくなってしまったかな。日本の国民性みたいなことも関係しているのかもしれないけど、最初にネタバラシをしてから提供するようなところがあるでしょう。これは今に始まったことではなく、日本の翻訳を見てもその傾向は明らかで。アンデルセンの名作「裸の王様」って、英題は「The Emperor's New Clothes」なんですよ。「王様の新しい服」としか言っていないのと、タイトルで「裸」であるとネタバラシするのとでは、奥行きが全然違う。

——90年代リバイバルやY2Kと呼ばれる流行については?

藤原:僕らにとってのリバイバルと、今の若者にとってのリバイバルは、かなり様相が違うと思いますね。僕らの時代のリバイバルは、廃れて完全に消えてしまった過去のものを、苦労して探しまくって、ようやく手に入れていたけど、今のリバイバルはそういうことではないでしょう。いつでもアーカイブにアクセスできることで、「廃れる」という感覚もだいぶ薄くなった。あとは、分かりやすくメジャーなものがあったからこそ、そことは違うものを選ぶことで遊べていたのに、もはや大メジャーが存在しなくなって、ズラす楽しみは減ってしまったような気がしますね。

街は時代ごとに変わっていくことが必然

——現在進行形で再開発が進む原宿という街は、どう見ていますか。

藤原:以前は仕事場もあってよく来ていたのですが、最近は来ることも減りましたね。とはいえ、原宿という街の魅力は今も変わらないと思います。トレンドとかの話の前に、まずは立地ですよね。象徴として明治神宮があり、巨大な代々木公園があり、そこから真っ直ぐに竹下通りと表参道がそれぞれ別の方向に延びている。そのランドスケープがおもしろい。

——原宿に限らず、街が再開発で変わっていくことについては?

藤原:街は時代ごとに変わっていくことが必然だと思っていますよ。例えば西新宿は、僕にとってレコード屋街のイメージが強いけれど、今はそうではないし、レコード屋のイメージなんか全然ない人もたくさんいる。日本に地震が多いこととかも関係していると思いますが、とにかく作っては壊し、街がいつの間にか様変わりすることが日本の特徴。それが外国人観光客にとっては、とても魅力的にうつっていたりもしますからね。だってヨーロッパなんかへ行くと、100年前くらいの教会とかそこらじゅうにあって、ナポレオンが通ったレストランとかもあるくらいですから。

——街も情報も、スピード感は飛躍的に伸びたような気がします。

藤原:情報には僕自身も踊らされてきたし、仕事を始めてからは踊らせる方にもなったけれど、今は踊っている暇もない感じがしますよね。行列に並んでいる間にもう、新しい流行が次々にやってきちゃう。

——どんどん情報量が多くなっていく中で、どう情報を得ていますか?

藤原:例えば音楽だったら音楽好きな人たちの、ファッションだったらファッション好きな人たちのLINEグループがそれぞれあるので、そこの情報は結構信頼しています。そうやって知っている人のフィルターを通した情報を得るようにしています。

タイムラグを楽しめるお店になってほしい

——情報との関連でいうと、かつては音楽のジャンルとファッションが強く結びついていて、パンクでもヒップホップでも正装となるファッションがありましたが、そういうのもだいぶなくなりましたよね。

藤原:それは音楽フェスの影響が大きいと思いますね。ロックもハードロックもヒップホップも、全てが同じ会場で、観客たちは一律にアウトドアファッションになってしまった。昔はライブハウスごとに個性があって、そぐわない格好をしていると入れてもらえなかったりしたけれど、今はそんなことできないでしょう。それは雑誌なんかも同じで、「anan」と「JJ」では表紙のモデルからしてまったく違うカラーを打ち出して、思想的に相入れない雰囲気こそが面白かったのに、今はどの雑誌でも同じ人が表紙を飾っている。

——SNSを中心としたメディアの発達によって、消費行動にはどんな影響が出ていると思いますか。

藤原:かつてと比べると、今はモノも情報も使い捨て感がありますよね。その時だけの消費に偏っている感じ。僕の場合、未来にほしいものを買うんですよ。今は着る気分じゃないけど、これを5年後、10年後に着たいなと思って買う。基本、寝かせる。ただそれは、過去の情報が10年も経つと手に入らなくなっていくからこそ、面白かった。売っている当時はよく見たものが、10年後には「何それ見たことない」「いつの?」「どこの?」ってなるわけだから。でも今は10年経っても20年経っても、情報がずーっとネット上に残っているんですよね。

——検索すればすぐに、何年のどこのものか、分かってしまう。

藤原:情報に過去も未来もなくなって、みんな掘り起こしまくっているでしょう。そのせいで、寝かせることの面白さはだいぶ減ってしまった。なので、個人的には、過去においても未来においても、タイムラグがきちんとあって、そのことを楽しめるようになってほしいなと。そういう意味でも、「V.A.」はタイムラグの面白さがある、そういうお店になっていったらいいなと思っています。

■「V.A.」
オープン日:2024年12月15日
営業時間:10:00〜20:00
住所:東京都渋谷区神宮前6-1-9
定休日:不定

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山梨を“伝える”インタウンデザイナー土屋誠 “ハタフェス”やワイナリーをブランディング

PROFILE: 土屋誠/BEEK DESIGN代表 アートディレクター

土屋誠/BEEK DESIGN代表 アートディレクター
PROFILE: 1979年山梨生まれ。東京で約10年デザインと編集に携わり、2013年に地元山梨にUターンし、山梨の人や暮らしを伝えるフリーマガジン「BEEK」を創刊。主な仕事に富士吉田市のハタオリマチフェスティバルの広報・企画・運営、98winesデザインディレクションなど多数。やまなしのアートディレクターとして、編集やデザインで伝える仕事をする傍ら、2024年に出版レーベル『MOKUHON PRESS』を立ち上げる

 2016年から山梨県富士吉田市で毎年開催されるハタオリマチフェスティバル、通称“ハタフェス”。織物産業に光が当たる産地観光の成功例としても注目を集める。今年は10月19~20日に開かれ、過去最高の2万4000人が訪れた。その総合プロデュースを任され、チームづくりや骨格となるデザイン、出店者の選定、運営などを市役所と連携して行っているのが山梨県韮崎市を拠点に活動するBEEK DESIGNの土屋誠代表だ。2013年に山梨にUターンして「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトに活動し、山梨をアップデートし続けている。

自腹刊行のフリーペーパー「BEEK」からローカルの仕事が広がる

 土屋代表は東京で9年間、編集者やデザイナー、アートディレクターとして働き、13年に山梨にUターンした。「もともと山梨に戻るつもりで、10年に東京で独立した後は山梨の仕事も手掛けていた」と振り返る。山梨でまず始めたのは「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトにしたフリーペーパー「BEEK」の創刊だ。「まずは僕自身が山梨の今を知るために始めた。楽しく山梨を知ろうと毎号テーマを設けて会いたい人に会いに行き、写真撮影から原稿の執筆、レイアウトデザインまで全部ひとりで行った」。東京で覚えた雑誌編集やデザインのスキルが役立った。最初は5000~6000部を発行し、現在1万部を発行する。

「半年に1回発行して4号出した頃には仕事の9割が山梨の案件になっていた」。Uターン直後は95%が東京の仕事だったというから、山梨の今を伝えたいという想いが形になった「BEEK」を通じてローカルの仕事が舞い込むようになった。「広告なしの自腹で始めた『BEEK』の対価はお金ではなく、人との出会いやつながりだった」。

身近にあるいいものを知って使う。その暮らしが続くことが「いい暮らし」

土屋代表は自身をデザイナーとは名乗らない。「朝日広告賞を受賞して東京っぽさを携えデザイナーとして山梨に帰ってきた。でも機織りやワインなどモノ作りはもちろん売るところまでを考えて取り組む人を見ていると彼らこそクリエイティブだと感じた。そして自分はデザインの本質がわかっていなかったと気づいた。それ以降デザイナーとは名乗れないと感じ、自己紹介を求められると『伝える仕事をしている』と答えるようになった」という。

山梨に住む理由は「楽しく暮らしたいから。いいものが身近にあることが『いい暮らし』だと思う。それを伝える仕事はみんなの役に立つし、自分の生活の中に溶け込み生業になっている」と分析する。

「東京では消費社会の一端を担うような仕事が多かったが、山梨では伝えたいという気持ちが強くなった。身近な人が作るモノに『いい』と思うものが多く、使いたくなるものが多い。それを伝えるためのツールである編集やデザインが大事だと再認識した。例えば『BEEK』で発酵をテーマに特集して改めて気付いたのは、知らなったから手に取らなかったものが多いこと。知っていると知らないのでは大きく違う。一般的に山梨と言えば富士山、桃、ブドウというイメージで織物やジュエリーの産地であることを知る人は少ない。発信が弱く情報が届いていないともいえる。そうした山梨の今を知りたいと思い、伝えるための道筋作り、メディアを通じてどう伝えるかは編集とデザインが重要になる」。土屋代表の仕事は編集とデザイン、その両方のスキルによってつくられている。

 “ハタフェス”の仕事も「BEEK」が起点だった。「BEEK」を見た県職員から「織物を伝える冊子を作りたい」と依頼があり15年に織物のフリーペーパー「ルーム」を作った。「冊子だけでは伝わらないと地元の人に向けて『ルーム』の完成と織物を伝える音楽会を開催した」。そこに(富士吉田市経済環境部)富士山課の勝俣美香さんがたまたま訪れた。「勝俣さんに機織りにフィーチャーしたイベントを開催したいと相談されたが、即答はできなかった。ちょうどそのころ一緒に運営できそうな仲間(後にハタフェスを共同で運営することになる藤枝大裕と赤松智志)が移住を決めた。彼らを巻き込めばできるのではと思い依頼を受けることにした」。この4人が柱となり“ハタフェス”の運営が始まった。

産地観光で重視したのは「町のためになる仕組みに編集すること」

“ハタフェス”を運営するにあたり大事にしたことは「町のためになる仕組みに編集すること。機織りだけのイベントにするのではなく、町を知ってもらい、機織りを知ってもらうイベントにすること、来場者にも出店者にも街を楽しんでもらうことを重視した」という。24年で7回目(19年は台風で20年は新型コロナウィルスの感染拡大により中止した)を迎え、産地観光イベントの中でも成功例として挙げられるほどになった。「近年はイベントが終わっても交流が続き新たな取り組みが始まっている。“ハタフェス”を通じて富士吉田がいい街だと知り、新たに店を始める人が増えた。“ハタフェス”の会場には空き家を活用していたが、今は空き家が店になって会場探しが難しくなった(笑)。インバウンドの影響もあるが、宿が増え滞在してくれる人も増えた。通り過ぎる街ではなく楽しんでもらえる街になり、経済効果も生み出している」。

“ハタフェス”で来場者アンケートを取ると満足度が高かったのは意外にもフードだという。「“ハタフェス”ほど山梨の有名店が集まるイベントはないとも思う。“ハタフェス”は普段の僕らの活動が集約されているともいえる。イベントもメディアの一つで、それを無理なく作ることが大切」だという。

地場産業は継承することとアップデートの2軸が大切

簡単ではない地場産業の継続に土屋代表はどう向き合っているのか。「長く続いているからといってそのまま続けることができるかというとそうではない。時代の変化はもちろん、土地自体も変わっている。僕たちのような立場の人はまず土地にあるニュアンスや文化を知ることから始まる。そして現場に行って交流する。そして継承することとアップデートしていく気持ちの2軸を持つことが重要になる。長く続いているからこそ簡単に手放せないものもある。だからこそ手放すものを間違ってはいけない。さまざまな視点を持ち丁寧に見ることが大切だ。ナガオカケンメイさんに言われてしっくりしたのが『街のお医者さんみたいだね』という言葉。特効薬を出すのではなく、寄り添って一つ一つを丁寧に見て取り組みながらアップデートしてよりよい方向に持っていくようなイメージ」。

地場産業がさかんな山梨に暮らしながら仕事をすることは「東京で仕事をしていたときよりもハードルが高いが、だからこそやりがいがある」という。「土地に関わるのは、その歴史に関わることでもあり、何かを左右しかねないから責任感が必要になる。そして、デザインはもちろん人を見る目を養う必要がある。何より、楽しみながら暮らせれば自分にできることや役に立ちたいと思うことが見つかる。だからこそスキルも磨かねばと思うし、東京にいる頃よりも成長できていると感じる」と話す。

土屋代表の手掛けるプロジェクトは関わり続ける仕事が多い。甲州市塩山の福生里集落の「98wines」もその一つで、土屋代表はブランディング、ロゴや建物のサインなどを担当した。その「98wines」は2024年、「ワールズ・ベスト・ヴィンヤード 2024」で49位にランクインした。「日本のワイナリーで唯一トップ50に入った。建築家やランドスケープをデザインする人、施工を行う人など、関わる皆で出し合ったアイデアで化学反応を起こせたように感じる」。選出理由は「ワインで土地文化を表現したことが評価されたのではないか」と分析する。「風景として根付く新しいものを作れたように感じる。昔から多い石垣を活用しながら、自然に寄り添ったものができたのではないか」。

地場産業継続の先に見据えること

 地場産業は担い手不足が叫ばれて久しいが、仮に担い手を獲得した先に何を見据えればいいのだろうか。「楽しく暮らす人が増えること。地場産業に携わりながら自分らしい暮らしができると思ってもらえる風土が育つことではないか」という。「山梨に暮らすようになって豊かさを感じている。生活に組み込める気持ちいいモノが当たり前にあるというか。僕の場合は温泉がそのひとつ」と土屋代表はいう。「僕は山梨で自分らしい暮らしができている。消費を含めて地場にあるもので暮らしができているから。僕はあるものをそのまま使って遊ぶスケーターカルチャーが好きで、地場産業もその感覚に近いと感じている。ある環境を大事にして生かすことがこれから大事になってくるのではないか」。

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山梨を“伝える”インタウンデザイナー土屋誠 “ハタフェス”やワイナリーをブランディング

PROFILE: 土屋誠/BEEK DESIGN代表 アートディレクター

土屋誠/BEEK DESIGN代表 アートディレクター
PROFILE: 1979年山梨生まれ。東京で約10年デザインと編集に携わり、2013年に地元山梨にUターンし、山梨の人や暮らしを伝えるフリーマガジン「BEEK」を創刊。主な仕事に富士吉田市のハタオリマチフェスティバルの広報・企画・運営、98winesデザインディレクションなど多数。やまなしのアートディレクターとして、編集やデザインで伝える仕事をする傍ら、2024年に出版レーベル『MOKUHON PRESS』を立ち上げる

 2016年から山梨県富士吉田市で毎年開催されるハタオリマチフェスティバル、通称“ハタフェス”。織物産業に光が当たる産地観光の成功例としても注目を集める。今年は10月19~20日に開かれ、過去最高の2万4000人が訪れた。その総合プロデュースを任され、チームづくりや骨格となるデザイン、出店者の選定、運営などを市役所と連携して行っているのが山梨県韮崎市を拠点に活動するBEEK DESIGNの土屋誠代表だ。2013年に山梨にUターンして「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトに活動し、山梨をアップデートし続けている。

自腹刊行のフリーペーパー「BEEK」からローカルの仕事が広がる

 土屋代表は東京で9年間、編集者やデザイナー、アートディレクターとして働き、13年に山梨にUターンした。「もともと山梨に戻るつもりで、10年に東京で独立した後は山梨の仕事も手掛けていた」と振り返る。山梨でまず始めたのは「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトにしたフリーペーパー「BEEK」の創刊だ。「まずは僕自身が山梨の今を知るために始めた。楽しく山梨を知ろうと毎号テーマを設けて会いたい人に会いに行き、写真撮影から原稿の執筆、レイアウトデザインまで全部ひとりで行った」。東京で覚えた雑誌編集やデザインのスキルが役立った。最初は5000~6000部を発行し、現在1万部を発行する。

「半年に1回発行して4号出した頃には仕事の9割が山梨の案件になっていた」。Uターン直後は95%が東京の仕事だったというから、山梨の今を伝えたいという想いが形になった「BEEK」を通じてローカルの仕事が舞い込むようになった。「広告なしの自腹で始めた『BEEK』の対価はお金ではなく、人との出会いやつながりだった」。

身近にあるいいものを知って使う。その暮らしが続くことが「いい暮らし」

土屋代表は自身をデザイナーとは名乗らない。「朝日広告賞を受賞して東京っぽさを携えデザイナーとして山梨に帰ってきた。でも機織りやワインなどモノ作りはもちろん売るところまでを考えて取り組む人を見ていると彼らこそクリエイティブだと感じた。そして自分はデザインの本質がわかっていなかったと気づいた。それ以降デザイナーとは名乗れないと感じ、自己紹介を求められると『伝える仕事をしている』と答えるようになった」という。

山梨に住む理由は「楽しく暮らしたいから。いいものが身近にあることが『いい暮らし』だと思う。それを伝える仕事はみんなの役に立つし、自分の生活の中に溶け込み生業になっている」と分析する。

「東京では消費社会の一端を担うような仕事が多かったが、山梨では伝えたいという気持ちが強くなった。身近な人が作るモノに『いい』と思うものが多く、使いたくなるものが多い。それを伝えるためのツールである編集やデザインが大事だと再認識した。例えば『BEEK』で発酵をテーマに特集して改めて気付いたのは、知らなったから手に取らなかったものが多いこと。知っていると知らないのでは大きく違う。一般的に山梨と言えば富士山、桃、ブドウというイメージで織物やジュエリーの産地であることを知る人は少ない。発信が弱く情報が届いていないともいえる。そうした山梨の今を知りたいと思い、伝えるための道筋作り、メディアを通じてどう伝えるかは編集とデザインが重要になる」。土屋代表の仕事は編集とデザイン、その両方のスキルによってつくられている。

 “ハタフェス”の仕事も「BEEK」が起点だった。「BEEK」を見た県職員から「織物を伝える冊子を作りたい」と依頼があり15年に織物のフリーペーパー「ルーム」を作った。「冊子だけでは伝わらないと地元の人に向けて『ルーム』の完成と織物を伝える音楽会を開催した」。そこに(富士吉田市経済環境部)富士山課の勝俣美香さんがたまたま訪れた。「勝俣さんに機織りにフィーチャーしたイベントを開催したいと相談されたが、即答はできなかった。ちょうどそのころ一緒に運営できそうな仲間(後にハタフェスを共同で運営することになる藤枝大裕と赤松智志)が移住を決めた。彼らを巻き込めばできるのではと思い依頼を受けることにした」。この4人が柱となり“ハタフェス”の運営が始まった。

産地観光で重視したのは「町のためになる仕組みに編集すること」

“ハタフェス”を運営するにあたり大事にしたことは「町のためになる仕組みに編集すること。機織りだけのイベントにするのではなく、町を知ってもらい、機織りを知ってもらうイベントにすること、来場者にも出店者にも街を楽しんでもらうことを重視した」という。24年で7回目(19年は台風で20年は新型コロナウィルスの感染拡大により中止した)を迎え、産地観光イベントの中でも成功例として挙げられるほどになった。「近年はイベントが終わっても交流が続き新たな取り組みが始まっている。“ハタフェス”を通じて富士吉田がいい街だと知り、新たに店を始める人が増えた。“ハタフェス”の会場には空き家を活用していたが、今は空き家が店になって会場探しが難しくなった(笑)。インバウンドの影響もあるが、宿が増え滞在してくれる人も増えた。通り過ぎる街ではなく楽しんでもらえる街になり、経済効果も生み出している」。

“ハタフェス”で来場者アンケートを取ると満足度が高かったのは意外にもフードだという。「“ハタフェス”ほど山梨の有名店が集まるイベントはないとも思う。“ハタフェス”は普段の僕らの活動が集約されているともいえる。イベントもメディアの一つで、それを無理なく作ることが大切」だという。

地場産業は継承することとアップデートの2軸が大切

簡単ではない地場産業の継続に土屋代表はどう向き合っているのか。「長く続いているからといってそのまま続けることができるかというとそうではない。時代の変化はもちろん、土地自体も変わっている。僕たちのような立場の人はまず土地にあるニュアンスや文化を知ることから始まる。そして現場に行って交流する。そして継承することとアップデートしていく気持ちの2軸を持つことが重要になる。長く続いているからこそ簡単に手放せないものもある。だからこそ手放すものを間違ってはいけない。さまざまな視点を持ち丁寧に見ることが大切だ。ナガオカケンメイさんに言われてしっくりしたのが『街のお医者さんみたいだね』という言葉。特効薬を出すのではなく、寄り添って一つ一つを丁寧に見て取り組みながらアップデートしてよりよい方向に持っていくようなイメージ」。

地場産業がさかんな山梨に暮らしながら仕事をすることは「東京で仕事をしていたときよりもハードルが高いが、だからこそやりがいがある」という。「土地に関わるのは、その歴史に関わることでもあり、何かを左右しかねないから責任感が必要になる。そして、デザインはもちろん人を見る目を養う必要がある。何より、楽しみながら暮らせれば自分にできることや役に立ちたいと思うことが見つかる。だからこそスキルも磨かねばと思うし、東京にいる頃よりも成長できていると感じる」と話す。

土屋代表の手掛けるプロジェクトは関わり続ける仕事が多い。甲州市塩山の福生里集落の「98wines」もその一つで、土屋代表はブランディング、ロゴや建物のサインなどを担当した。その「98wines」は2024年、「ワールズ・ベスト・ヴィンヤード 2024」で49位にランクインした。「日本のワイナリーで唯一トップ50に入った。建築家やランドスケープをデザインする人、施工を行う人など、関わる皆で出し合ったアイデアで化学反応を起こせたように感じる」。選出理由は「ワインで土地文化を表現したことが評価されたのではないか」と分析する。「風景として根付く新しいものを作れたように感じる。昔から多い石垣を活用しながら、自然に寄り添ったものができたのではないか」。

地場産業継続の先に見据えること

 地場産業は担い手不足が叫ばれて久しいが、仮に担い手を獲得した先に何を見据えればいいのだろうか。「楽しく暮らす人が増えること。地場産業に携わりながら自分らしい暮らしができると思ってもらえる風土が育つことではないか」という。「山梨に暮らすようになって豊かさを感じている。生活に組み込める気持ちいいモノが当たり前にあるというか。僕の場合は温泉がそのひとつ」と土屋代表はいう。「僕は山梨で自分らしい暮らしができている。消費を含めて地場にあるもので暮らしができているから。僕はあるものをそのまま使って遊ぶスケーターカルチャーが好きで、地場産業もその感覚に近いと感じている。ある環境を大事にして生かすことがこれから大事になってくるのではないか」。

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「コーセー」が大谷翔平選手と小林社長の対談動画を公開 スキンケアの重要性や2025年の抱負を語る

コーセーは1月7日、2023年からグローバル広告契約を結ぶ大谷翔平選手と小林一俊社長の新春対談動画をオウンドメディア“コーセー スポーツ ビューティー(KOSE SPORTS BEAUTY)”で公開した。2人はアスリートにとってのスキンケアや紫外線対策の重要性や、2025年の抱負と目標について語っている。

子どもたちの間でも“大谷効果”が

対談は小林社長がインタビュアー役になり、大谷選手にさまざまな質問を投げかける構成。小林社長が「優勝の瞬間は東京でテレビを観ていたのですが、やっぱり黙っていられなくなりまして、ロサンゼルスの方に駆けつけて、優勝パレードと球場でのセレモニーを拝見させていただきまして」と大谷選手が所属するロサンゼルス・ドジャースのワールドシリーズ優勝に触れると、大谷選手は「優勝セレモニーの時にお会いしてお話しさせていただいたのですが、わざわざ来てもらって、ありがとうございます」と微笑んだ。

スキンケアや紫外線対策の話題になると、大谷選手は「特に外でスポーツする人にとっては、⻑時間炎天下の中で、紫外線が強い中でプレーするっていうのは、将来的に考えても問題が起きてくる場合が多いと思うので、今のうちから対策することが非常に大事なことかなと思っています」とコメント。小林社長は「大谷選手の影響で、最近野球少年、野球少女をはじめとしてお母さんに言われても日やけ止めをなかなかつけなかった子どもたちが、ちゃんと日やけ対策や日やけ止めをつけるようになっているようです」と“大谷効果”について触れ、「スポーツする人が紫外線に対してもっとケアをしていく世の中を一緒に作っていけたらいいなと思っていますので、引き続き協力をお願いいたします」と語りかけた。

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【ARISAK Lab vol.1】韓国アーティスト・Lil Cherry 「ドクターマーチン」と歩くカルチャーの街

フォトアーティスト・ARISAKがファッション&ビューティ業界の多彩なクリエイターと共鳴し、新たなビジュアル表現を追求する新連載【ARISAK Lab】。初回に登場するのは韓国の若手ラッパー、リル・チェリー(Lil Cherry)。ブラセ(BLASE)との楽曲「Loadin’」のミュージックビデオを撮影するため来日した彼女と、ウィンターコーデのアクセントにぴったりな「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」のバッグ&ブーツをまとい、年末らしい賑わいを見せる中野の町でシューティング。

母手製のコスチューム&「ドクターマーチン」で
カルチャーの宝庫「まんだらけ」へ

デザイナーの母が作ったというコスチューム(!)と、「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」のバッグ&ブーツをまとい彼女が最初に舞い降りたのは、ジャパンカルチャーの宝庫「まんだらけ 中野」内「変や」。

赤い鳥居が印象的なエントランスの奥には、昭和レトロなビンテージグッズがずらり。懐かしの商品がならぶ一方、どこか近未来的なフロアのライトアップが衣装的だ。1LOOK目は「ドクターマーチン」のメタリックのバッグに合わせ、モノトーンのコーディネートでまとめた。エッジが効いたスタイルの中にハートモチーフを取り入れてガーリー感も演出。クールでワイルド、そしてキュートな一面を持つ彼女にぴったりのルックだ。

飲食店が集まる仲見世商店街へ
目的は“MUKKBANG!”(=モッパン)!

中野ブロードウェイでジャパンカルチャーを堪能したリル・チェリー。兄とのヒット曲「MUKKBANG!」にちなみ、次なる目的は “モッパン”!ディープな魅力溢れる新仲見世商店街へ。
バッグに合わせたシルバーのブーツで商店街を闊歩し、まず見つけたのはモクモクと湯気が立ち上がる「手造りの中華点心 茶寮」。寒い日にぴったりの肉まんをオーダーしご満悦。さらに言わずと知れた餃子チェーン「餃子の王将 中野店」でテイクオーダーし、熱々の餃子をペロリ。

撮影の最後に辿り着いたのは「魚の四文屋 中野店」。忘年会をしていた団体と乾杯し、撮影終了。中野の街の皆さん、ご協力ありがとうございました!

PROFILE: リル・チェリー/アーティスト

リル・チェリー/アーティスト
PROFILE: PROFILE: (りる・ちぇりー)1995年12月7日生まれ。韓国とマイアミにルーツを持つ注目の女性ラッパー。ファッションデザイナーの母、ラッパーの兄(ゴールドブッダ)を持つ。兄との楽曲「MUKKBANG!」はユーチューブで再生回数300万回を記録

INTERVIEW:リル・チェリー

WWD:ARISAKとの出合いとは?また彼女の作風についてどんなイメージを持つ?

リル・チェリー:ラッパーの兄を通じて出会った。ARISAKのクリエイティブが大好きで尊敬してるし、大切な友達!彼女の撮影現場はいつも楽しくて、東京で一緒にプロジェクトをやろうって何カ月もやり取りしてたから、こうして実現できてすごく嬉しかった。現場でモニターを見てる時から、2024年一番のお気に入りの撮影になるって確信してた!

WWD:今回の撮影のお気に入りスポットは?

リル・チェリー:「まんだらけ」の「変や」。すごく明るい、ゲームの世界みたいなフロア照明と鳥居が作る世界観が、私の立体ドレスを引き立ててくれたと思う。そして全体の雰囲気も、私とARISAKのビジョンに共鳴していたと感じる。もちろん、商店街でのモッパンも楽しかった!今回のトリップで、「東京では本当にモッパンが浸透しているんだ」って感じられた。

WWD:今日本で気になっている人は?

リル・チェリー:アメージングで、とても多様な独自性を秘めているアーティスト、アイショーナカジマ(Aisho Nakajima)!2025年にコラボレーションする予定なんだ。

WWD:ファッションブランド「ヤーントゥゴー(YARNTOGO)」のデザイナーである母、ラッパーの兄を持つが、家族との関係は自身のクリエイティブにどのように影響している?

リル・チェリー:全員が一緒に暮らしているから、家の中は常にクリエイティビティーで溢れていると思う。企画、縫製、プロデュース、作曲など、複数のプロジェクトを同時にこなすことまで全部。クリエイティブなパワーハウスとして家族が結集し、チームとして1つのルックを完成させたり、プロジェクトを完成させたりするときは、信じられないような気持ちになるんだ。母が作った服を見たら、絶対に恋に落ちてしまうと思う。そして今回着用した立体的なドレスは1番のお気に入り!

WWD:今回「ドクターマーチン」のシルバーのアイテムをセレクトしたが、選んだ理由は?

リルチェリー:フェスティブシーズンにはキラキラの商品が欠かせない。「ドクターマーチン」の商品がルックにきらめきを与えてくれたの。特に2つ目のルックは、ビーニーも含めてアクセサリーをシルバーに統一したかったから、まさにぴったりだった。

WWD:撮影の翌日12月7日は誕生日だったが、どのような1日を過ごした?

リル・チェリー:最高の誕生日を過ごせたと思う。早朝から自然と目が覚めて、まるで体が今日は私のための日だって知っていたみたい。午前中は音楽を聴きながら身支度をして、ゆっくり過ごした。午後は特に計画もなく、ただ原宿をぶらぶら歩き、東京という新しい環境に浸ったの。自由で刺激的な気分だった。その後Airbnbに戻って、友人と夕食に行く前に軽く昼寝をした。ディナーはシンプルだったけど、完璧!一日中、リラックスして特別な気分で過ごすことができた、最高の誕生日だった!

WWD:最後に日本の読者にメッセージを!

リル・チェリー:今年はもっと新しい音楽とヴァイブスがやってくると思う!楽曲「FUEGO O NADA」をぜひ聞いてね!

PHOTOS:ARISAK
MODEL:LIL CHERRY
HAIR & MAKEUP:JUNA UEHARA
LOGO DESIGN:HIROKIHISAJIMA

※店舗や一般の方には事前に許可を得て撮影しています

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“部屋着にならない”アーティストTシャツを目指す ユニバーサルミュージックのグループ企業が手掛けるブランド「ユーミュージック」とは?

PROFILE: (左)山崎勇次(右)堀内伸彦/ブラバド部長

(左)山崎勇次(右)堀内伸彦/ブラバド部長
PROFILE: 左:(やまざき・ゆうじ)1966年生まれ、長崎県出身。長崎のセレクトショップで経験を積んだ後、89年にビームスに入社。95年から26年間、同社でインターナショナルギャラリー ビームスのメンズバイヤー、ウィメンズとメンズのディレクターを務める。2021年にコンサルティングオフィスYCMIを設立。「ユーミュージック」には、外部ファッションディレクターとして参画する 右:(ほりうち・のぶひこ)1978年生まれ、奈良県出身。2001年に大学を卒業した後、繊維専門商社に就職し、アパレル製品の企画や生産、輸入に携わる。15年にユニバーサルミュージックに入社。主にブラバド事業部で、契約する海外アーティストのライセンス及びリテールに従事する。「ユーミュージック」では、年間MDの策定や企画立案を行う PHOTO:SHUHEI SHINE

ユニバーサルミュージックはこのほど、ファッションライン「ユーミュージック(U/MUSIC)」をローンチした。「従来のツアーグッズとは異なる、ファッション性を追求したモノ作り」をうたい、まずは“部屋着にならない”アーティストTシャツやロンT、スエットなどを製造・販売。ビームスでの経験が長い山崎勇次氏と業務委託契約を結び、ユニバーサルミュージックのグループ傘下でアーティストの公式/公認グッズを企画・製造・販売するブラバドが手掛ける。「ユーミュージック」の仕掛け人に、ブラバドや従来のアーティストTシャツとは異なる商品へのこだわりなどを聞いた。

音楽とファッションの不可分な関係性

WWD:「ユーミュージック」のビジネスのカギとなるのが、傘下にあるブラバドだ。

堀内伸彦ブラバド部長(以下、堀内):ブラバドは、米ニューヨークに本社を構える、現在はユニバーサルミュージックのグループ企業だ。アーティストの公式/公認ツアーグッズなどを製作するほか、彼らの姿やロゴ、ジャケット写真など、アーティストにまつわる知的財産(IP)を活用した商品を作ってもらいライセンス料を頂戴するエージェンシーとしても機能している。「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」とジャミロクワイのコラボレーションが代表例だ。ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)など、200を超えるアーティストのIPを管理している。日本のビジネスは、ライセンス事業が8割だが、2023年からは来日するアーティストに関するグッズの企画や製造、販売を自ら手掛けている。来日期間中にはポップアップを開催するなどもしている。

WWD:「ユーミュージック」を立ち上げた経緯は?

山崎勇次(以下、山崎):長年勤めたビームスを退社する際、親交があったユニバーサルミュージックから「ブラバドが抱える豊富なアーティストを使ったビジネスを考えている」と話があった。そうそうたるラインアップにビジネスが大成する可能性を感じた。

堀内:ライセンスビジネスでは、例えばアーティストが来日するタイミングでのポップアップなど、我々が売り出したいタイミングで商品を企画・製作できないもどかしさを感じていた。このジレンマが「ユーミュージック」の立ち上げを後押しした。

WWD:さまざまな商品が考えられる中、まず「ユーミュージック」ではファッションに注力する。

堀内:これまでのライセンス先は、約9割がファッション企業だった。音楽とファッションは、切っても切れない関係。音楽がコレクションの着想源になることは珍しくない。

山崎:ビームスのバイヤーを務めていた頃から、音楽に着想した洋服を数多く見てきた。だから音楽とファッションの関係を、ツアーグッズだけに留めたくない。もともと、アーティストとのコラボをファッション業界に深く浸透できないかと考えていた。「ユーミュージック」での役割は、商品をディレクションするだけでなく、従来通りのライセンス事業も発展させてブランドとのコラボを仕掛けること。特に国内の中堅ブランドとアーティストとのコラボは少ないので、「ユーミュージック」が一助となれば嬉しい。

堀内:「ユーミュージック」が企画・製造・販売する洋服が広く認知されれば、さまざまなアパレルブランドにファッションと音楽の親和性が伝わり、ライセンス事業も今まで以上に活発になるだろう。

音楽とファッションが交錯するモノ作り

WWD :具体的に、どのような商品に仕上げたのか?

山崎:部屋着ではなく、一張羅として着られる商品を作りたかった。ブランドの核となるTシャツは、「フミト ガンリュウ(FUMITO GANRYU)」の丸龍文人デザイナーにパターンを依頼した。従来のツアーグッズとは一線を画す、ファッション好きにもアピールできるTシャツに仕上がったと思う。ツアーグッズでは大きくフロントプリントしがちなグラフィティーを、「ユーミュージック」ではバックプリントすることもある。ちょっとした機転でコーディネートに取り入れやすくなるはずだ。まずは半袖TシャツやロンT、スエットからスタートし、今後は重衣料や小物なども検討したい。

堀内:「部屋着になるか、ならないか?」は、「ユーミュージック」の“ブランド力”次第。そして「ユーミュージック」の“ブランド力”が高まり、アーティストのIPを活用した洋服が多くの人の日常生活に溶け込めば、アーティストのためにもなる。ゆくゆくは邦楽アーティストにも興味を持ってもらえるような存在になりたい。邦楽アーティストのブランディングはこれまで、海外公演をすることそのものだったが、ここ数年でビジネスとして成功させようという意識が生まれている。邦楽アーティストが海外進出する際にも、ファッションで後押しできるブランドになるよう育てたい。

従来のライセンスやロックTとの違い

WWD:これまでブラバドも手掛けてきたブランドコラボとの違いは?

堀内:コラボは、どうしても相手先のブランドストーリーに沿った商品作りになってしまう。一方「ユーミュージック」では、アーティストを軸に商品企画ができる。これは「アーティストの思いを適切に商品に落とし込む」という私たちの本懐。Tシャツのグラフィティーに興味を持った人がアーティストを好きになるなど、「ファッションから音楽へ」という人の流れを作りたい。

WWD:一方、市場にはすでにロックバンドのビンテージTシャツなどが存在し、近年ますます熱視線が注がれているように思う。

堀内:別のマーケットだと思う。時に消費者は重複するだろうが、既存の商品は歴史や希少性、「ユーミュージック」の商品はファッション性と、それぞれ別の魅力を放つものなので共存できる。むしろ、「ユーミュージック」の商品がビンテージとして後世も愛されるよう、モノ作りを追求したい。

山崎:「ユーミュージック」の目標は、あくまでファッションを入り口としてアーティストを知ってもらうこと。ロックバンドのビンテージTシャツを求めている人は、すでにアーティストが好きな人が大半だろう。商品を手に取る動機に大きな違いがあると思う。

WWD:販路やコレクション発表のタイミングは?

堀内:公式ECやユニバーサルミュージックストア原宿で販売するほか、セレクトショップへの卸売りやポップアップの開催も予定している。ファッションブランドのため、基本的にはシーズンごとにコレクションを発表する。一方、来日や周年など、音楽業界として見逃せないタイミングでは、カプセルコレクションの発表やポップアップの開催も可能だ。

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“部屋着にならない”アーティストTシャツを目指す ユニバーサルミュージックのグループ企業が手掛けるブランド「ユーミュージック」とは?

PROFILE: (左)山崎勇次(右)堀内伸彦/ブラバド部長

(左)山崎勇次(右)堀内伸彦/ブラバド部長
PROFILE: 左:(やまざき・ゆうじ)1966年生まれ、長崎県出身。長崎のセレクトショップで経験を積んだ後、89年にビームスに入社。95年から26年間、同社でインターナショナルギャラリー ビームスのメンズバイヤー、ウィメンズとメンズのディレクターを務める。2021年にコンサルティングオフィスYCMIを設立。「ユーミュージック」には、外部ファッションディレクターとして参画する 右:(ほりうち・のぶひこ)1978年生まれ、奈良県出身。2001年に大学を卒業した後、繊維専門商社に就職し、アパレル製品の企画や生産、輸入に携わる。15年にユニバーサルミュージックに入社。主にブラバド事業部で、契約する海外アーティストのライセンス及びリテールに従事する。「ユーミュージック」では、年間MDの策定や企画立案を行う PHOTO:SHUHEI SHINE

ユニバーサルミュージックはこのほど、ファッションライン「ユーミュージック(U/MUSIC)」をローンチした。「従来のツアーグッズとは異なる、ファッション性を追求したモノ作り」をうたい、まずは“部屋着にならない”アーティストTシャツやロンT、スエットなどを製造・販売。ビームスでの経験が長い山崎勇次氏と業務委託契約を結び、ユニバーサルミュージックのグループ傘下でアーティストの公式/公認グッズを企画・製造・販売するブラバドが手掛ける。「ユーミュージック」の仕掛け人に、ブラバドや従来のアーティストTシャツとは異なる商品へのこだわりなどを聞いた。

音楽とファッションの不可分な関係性

WWD:「ユーミュージック」のビジネスのカギとなるのが、傘下にあるブラバドだ。

堀内伸彦ブラバド部長(以下、堀内):ブラバドは、米ニューヨークに本社を構える、現在はユニバーサルミュージックのグループ企業だ。アーティストの公式/公認ツアーグッズなどを製作するほか、彼らの姿やロゴ、ジャケット写真など、アーティストにまつわる知的財産(IP)を活用した商品を作ってもらいライセンス料を頂戴するエージェンシーとしても機能している。「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」とジャミロクワイのコラボレーションが代表例だ。ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)など、200を超えるアーティストのIPを管理している。日本のビジネスは、ライセンス事業が8割だが、2023年からは来日するアーティストに関するグッズの企画や製造、販売を自ら手掛けている。来日期間中にはポップアップを開催するなどもしている。

WWD:「ユーミュージック」を立ち上げた経緯は?

山崎勇次(以下、山崎):長年勤めたビームスを退社する際、親交があったユニバーサルミュージックから「ブラバドが抱える豊富なアーティストを使ったビジネスを考えている」と話があった。そうそうたるラインアップにビジネスが大成する可能性を感じた。

堀内:ライセンスビジネスでは、例えばアーティストが来日するタイミングでのポップアップなど、我々が売り出したいタイミングで商品を企画・製作できないもどかしさを感じていた。このジレンマが「ユーミュージック」の立ち上げを後押しした。

WWD:さまざまな商品が考えられる中、まず「ユーミュージック」ではファッションに注力する。

堀内:これまでのライセンス先は、約9割がファッション企業だった。音楽とファッションは、切っても切れない関係。音楽がコレクションの着想源になることは珍しくない。

山崎:ビームスのバイヤーを務めていた頃から、音楽に着想した洋服を数多く見てきた。だから音楽とファッションの関係を、ツアーグッズだけに留めたくない。もともと、アーティストとのコラボをファッション業界に深く浸透できないかと考えていた。「ユーミュージック」での役割は、商品をディレクションするだけでなく、従来通りのライセンス事業も発展させてブランドとのコラボを仕掛けること。特に国内の中堅ブランドとアーティストとのコラボは少ないので、「ユーミュージック」が一助となれば嬉しい。

堀内:「ユーミュージック」が企画・製造・販売する洋服が広く認知されれば、さまざまなアパレルブランドにファッションと音楽の親和性が伝わり、ライセンス事業も今まで以上に活発になるだろう。

音楽とファッションが交錯するモノ作り

WWD :具体的に、どのような商品に仕上げたのか?

山崎:部屋着ではなく、一張羅として着られる商品を作りたかった。ブランドの核となるTシャツは、「フミト ガンリュウ(FUMITO GANRYU)」の丸龍文人デザイナーにパターンを依頼した。従来のツアーグッズとは一線を画す、ファッション好きにもアピールできるTシャツに仕上がったと思う。ツアーグッズでは大きくフロントプリントしがちなグラフィティーを、「ユーミュージック」ではバックプリントすることもある。ちょっとした機転でコーディネートに取り入れやすくなるはずだ。まずは半袖TシャツやロンT、スエットからスタートし、今後は重衣料や小物なども検討したい。

堀内:「部屋着になるか、ならないか?」は、「ユーミュージック」の“ブランド力”次第。そして「ユーミュージック」の“ブランド力”が高まり、アーティストのIPを活用した洋服が多くの人の日常生活に溶け込めば、アーティストのためにもなる。ゆくゆくは邦楽アーティストにも興味を持ってもらえるような存在になりたい。邦楽アーティストのブランディングはこれまで、海外公演をすることそのものだったが、ここ数年でビジネスとして成功させようという意識が生まれている。邦楽アーティストが海外進出する際にも、ファッションで後押しできるブランドになるよう育てたい。

従来のライセンスやロックTとの違い

WWD:これまでブラバドも手掛けてきたブランドコラボとの違いは?

堀内:コラボは、どうしても相手先のブランドストーリーに沿った商品作りになってしまう。一方「ユーミュージック」では、アーティストを軸に商品企画ができる。これは「アーティストの思いを適切に商品に落とし込む」という私たちの本懐。Tシャツのグラフィティーに興味を持った人がアーティストを好きになるなど、「ファッションから音楽へ」という人の流れを作りたい。

WWD:一方、市場にはすでにロックバンドのビンテージTシャツなどが存在し、近年ますます熱視線が注がれているように思う。

堀内:別のマーケットだと思う。時に消費者は重複するだろうが、既存の商品は歴史や希少性、「ユーミュージック」の商品はファッション性と、それぞれ別の魅力を放つものなので共存できる。むしろ、「ユーミュージック」の商品がビンテージとして後世も愛されるよう、モノ作りを追求したい。

山崎:「ユーミュージック」の目標は、あくまでファッションを入り口としてアーティストを知ってもらうこと。ロックバンドのビンテージTシャツを求めている人は、すでにアーティストが好きな人が大半だろう。商品を手に取る動機に大きな違いがあると思う。

WWD:販路やコレクション発表のタイミングは?

堀内:公式ECやユニバーサルミュージックストア原宿で販売するほか、セレクトショップへの卸売りやポップアップの開催も予定している。ファッションブランドのため、基本的にはシーズンごとにコレクションを発表する。一方、来日や周年など、音楽業界として見逃せないタイミングでは、カプセルコレクションの発表やポップアップの開催も可能だ。

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注目のミュージシャン、クレア・ラウジーが奏でる「エモ・アンビエント」 ジャンルに縛られない音楽づくり

現在はロサンゼルスを拠点に活動し、2010年代の終わり頃からフィールド・レコーディングやミュージック・コンクレートを使った実験的な作品をつくり続けてきたクレア・ラウジー(claire rousay)。その彼女が一転、この春にリリースした最新アルバム「sentiment(センチメント)」では、自身のボーカルとギターを大きく取り入れたアプローチへと音楽のスタイルを更新。いわく“エモ・アンビエント”を標榜するナイーブで内省的なムードをたたえたサウンドと歌によって、インディ・フォークのシンガー・ソングライターも思わせる彼女の新たな作家性を強く印象づけた。その「sentiment」を携えて先日行われた、「FESTIVAL de FRUE 2024」への出演を含む初めてのジャパン・ツアー。彼女ひとり、機材の傍らでギターを構えて歌うショーは、アンビエントな電子音の響きとオートチューンの揺らぎが共鳴するようにしてステージを包み、ベッドルームを写した「sentiment」のアートワークさながらプライベートで親密な空気にあふれたものだった。

その東京公演の翌々日、渋谷のバーでラウジーに話を聞いた。彼女にとって聖域でありイマジネーションの源泉である「ベッドルーム」について、アンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージック・シーンとのつながり、そしてセルフケアやタトゥーのこだわりまで。話題は多岐にわたり、音楽性が変遷する中で彼女自身もまたどんな変化を辿ってきたのか、それが分かるテキストになっていると思う。

日本でのライブと「ベッドルーム」

——先日のショーを拝見したのですが、あなたの音楽が伝える親密なムードが感じられてとても良かったです。

クレア・ラウジー(以下、クレア):素晴らしい経験でした。あの会場は世界的にも知られた場所だし、アメリカからわざわざ聴きに来てくれた人もいたみたいで。海外での演奏とはまた違った感覚を得られて感動しました。

——海外のショーでは、自分の部屋を再現したセットをステージ上に組んでライブをされると聞いていたので、先日も期待していたところがあったのですが。

クレア:残念なことに、そのセットは飛行機で輸送中に壊れてしまって、今回のツアーに持ってくることができなかったんです。家で直そうとしたのですが、ここに来るまでに間に合わなくて。それで、新しいものを注文したところ、届くのが遅れてしまい……だから、今度のヨーロッパ・ツアーの一部も“ベッドルーム”なしでやることになると思います。

——そもそも、ステージ上にベッドルームを再現するというアイデアは、どういうところから生まれたものだったのでしょうか。

クレア:アルバム(「sentiment」)のジャケット写真にインスピレーションを得たアイデアでした。あれはスタジオ内につくったベッドルームだったのですが、あの空間でライブをやってみたいと思って。今回のアルバムに収録された曲のほとんどは自分のベッドルームでレコーディングしたもので、その時に感じた心地良さや親密な感覚をライブ・パフォーマンスにも取り入れたかったんです。自宅でつくった音楽を、ライブでそのまま再現できたら最高だろうなって。

——「sentiment」のジャケット写真は、あの作品のストーリーやムード、そしてサウンドの質感を象徴的に捉えた一枚だったと思います。実際、どのようなコンセプトをもってあのベッドルームはつくられたのでしょうか。

クレア:あの写真は、これまでに住んだベッドルームを全て組み合わせたような部屋をイメージしたものでした。だから、ちょっと子どもっぽい自分の側面と、今の大人になった自分とが混じり合った、少し不思議な感じのベッドルームになっていると思う。今回のアルバムに収録されている曲は、本当に長い時間をかけてつくられたものでした。なので、その間の自分の人生における全ての経験と、曲が書かれたさまざまなベッドルームの雰囲気を詰め込んで、一つの完璧なバージョンをつくりたかった。全ての曲が、10年以上かけていろんな場所で生まれたように、音楽と私の人生をつなげて、このアルバムとジャケット写真を通じて一つの作品として表現したかったんです。

——抽象的な聞き方になりますが、クレアさんにとって「ベッドルーム」はどんな場所だと言えますか。そこは他人が立ち入ることのできない聖域であり、世界とつながる場所でもあり、何よりイマジネーションの源泉となるような空間でもあると思いますが。

クレア:私にとっては、何よりも想像力が膨らむ場所です。自分の場合、音楽のアイデアを考えたり、人生のことを思い描いたりするときは、いつもベッドルームで過ごしていました。それに、ポップ・カルチャーの中で自分が好きなものの多くは、ベッドルームから生まれています。1960年代や70年代の有名なロック・スターたち——特にニューヨークのチェルシー・ホテルに住んでいたミュージシャンのベッドルームの写真が大好きで、とてもクールだなって。自分とはまったく違う世界を生きていて、けれどプライベートで親密な空気が感じられて、そんな想像と現実が混じり合ったような感じに惹かれます。だから自分もベッドルームで音楽をつくっている時には、そんなロック・スターの気分がちょっと味わえたりして(笑)。

——確かに、「sentiment」のジャケット写真は、パティ・スミスの初期の作品、例えば「Horses」や「Wave」を思い起こさせるところがあると思います。

クレア:そうですね(笑)。そうかもしれない。

——ちなみに、クレアさんの中で「ベッドルーム」から連想する音楽のイメージって何かありますか。

クレア:若い頃は“ベッドルーム・ポップ”というジャンルにハマっていました。Tumblrでベッドルームで音楽をつくっている人たちの写真を集めたり——クリスタル・キャッスルズの、あの雑然とした感じとか。今はあまり聴かないし、特別に影響を受けたりしたわけではないのですが、すごくパーソナルな自分の日常を特別なものに見せてくれるあの感じがすごく好きだったんです。

——例えば、「ベッドルーム」発の素晴らしい音楽を残しているアーティストとして、エリオット・スミスやスパークルホース、キャット・パワーなんかも挙げられますが、そのあたりはいかがでしょうか。

クレア:そうですね。前に何かで、エリオット・スミスのセカンド・アルバム(「Elliott Smith」、1995年)のレコーディングの話を読んだことがあって。友達の家を借りてレコーディングしていた時に、他の部屋やアパートからの音が入ってしまうため録音が中断されることがあって、タイミングを待たなければならなかったそうで。だから彼らの音楽には、周りの音とか生活の雑音とかがそのまま混ざっていて、外の世界とのつながりがすごく感じられるというか、自分だけの時間じゃなくて、周りの人の時間を共有してるような感覚があって。それって、彼らが自分の人生を音楽にぶつけているってことなんだと思う。そして、スパークルホースやキャット・パワーも、自分が好きなアーティストの作品にはそうした感覚を先取りしていたところがあったように思います。「sentiment」をつくっている時も同じような感覚があって——世界から切り離されていながら、少しだけつながっているような、そんな風に感じるところがあったんです。

「ヴェイパーウェイヴ」と「ハイパーポップ」

——ところで、クレアさんは「ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave)」って聴いていたりしましたか。というのも、以前クレアさんがモア・イーズと共作した「Never Stop Texting Me」のリリース元である「Orange Milk」はヴェイパーウェイヴの総本山的なレーベルだったこともあり、興味の対象だったりしたところもあるのかなと思って。

クレア:面白いと思う。実際、あのアルバムをつくっている間は「Orange Milk」の作品をよく聴いていました。でも、ヴェイパーウェイヴ全般がっていうよりは、「Orange Milk」が好きって感じかな。ただ時々、彼らが新しい作品を出すと、「あ、これはちょっと〈Orange Milk〉すぎるな」って思うことがあって(笑)。中にはカオス過ぎて自分にはついていけないと思うような作品もある。あちこちから同時にすごく抽象的な音が飛び込んできて、誰かにベッドルームをめちゃくちゃにされているような感覚というか(笑)。レーベルの共同運営のセス(・グラハム)とはとても仲が良くて、会うたびに新しい音楽をいろいろ教えてくれます。

——「ハイパーポップ」についてはどうでしょう? その「Never Stop Texting Me」は、サウンド的にはヴェイパーウェイヴというよりむしろハイパーホップとの比較で評価された作品だったように思います。

クレア:ハイパーポップはどれも大好きです。今はすごい人気で、チャーリー・xcxなんてロック・スターみたいな感じだけど、昔はもっとマイナーでアンダーグラウンドで、知る人ぞ知るって感じの音楽だった。あの頃のハイパーポップって、まるで培養器の中でどんどん変化し続けるウイルスみたいで、新しいものが次々に生まれてくるのを見るのがすごくクールで面白くて。でも今は、ハイパーポップがメジャーになりすぎて、一つのスタイルが確立され、誰もが同じスタイルを模倣しようとするようになってしまった気がする。5年前、つまり「Orange Milk」でマリ(モア・イーズイ)と一緒に音楽をつくっていた頃は、ハイパーポップってもっと自由で、なんでもありの無法地帯だった。だけど今は、みんなが“ハイパーポップな感じ”にするための公式に従っているように感じる。多くのハイパーポップはクールで最高だと思うけど、今の有名なアーティストの中には、ポップ・スターみたいにハイパーポップを扱っている人もいて。90年代にグランジがコマーシャライズされたみたいに、ハイパーポップもそうなってる感じがするというか。一つの音楽にみんながハマり過ぎると、その音楽のクールさが薄れてしまうのかもしれないですね。

実験的なサウンドへの志向

——「sentiment」と異なり、それまでのクレアさんの作品ではミュージック・コンクレートやフィールド・レコーディングを主体とした音楽が多く占めていましたが、そもそもそうした実験的なサウンドを志向するようになったのはどのようなきっかけからだったのでしょうか。

クレア:そのような音楽って、多くは控えめで繊細な印象が自分の中にはあって。自分の場合、その対極にあるようなエクストリームでラウドな音楽——マス・ロックやノイズ・ミュージックなどを通じて実験的な音楽に触れてきました。なので、同じくらい実験的で先鋭的でありながら、まったく反対の方向に振り切ったような音楽を探していたんです。

そんな時にマリと出会って、周りが誰も知らないようなディープでマニアックな音楽があることを教えてくれて。「5年後には流行るかもよ」って(笑)。彼女はアンビエント・ミュージックやミュージック・コンクレート、そしてローアーケース・ミュージック(※アンビエント・ミニマリズムの極端な形式)に詳しくて、しかもとても深いレベルで理解していた。それでマリが勧めてくれる音楽を聴くようになって、即興音楽やノイズ・ミュージックみたいな音楽をやっていた自分が、対極にあるようなスローで内省的な音楽にも興味を持つようになった。彼女のおかげで、新たな音楽の世界が広がったんです。

——興味を引いたのはどんなアーティストや作品でしたか。

クレア:グラハム・ラムキンやクリス・コール、それにオーレン・アンバーチのレーベル「Black Truffle」がリリースしている作品はどれも刺激的でした。個人的には、フィールド・レコーディング系の作品が好きでした。それと、前に住んでいたテキサスのオースティンに「Astral Spirits」というレーベルがあって、そこを運営しているネイト・クロスとは親友なんです。そのレーベルの初期のリリースの中には、マリが教えてくれたようなエレクトロ・アコースティック系の音楽に近いものがたくさんあって、よく聴いていました。

——クレアさんのBandcampに大量にアップされているような、フィールド・レコーディングの作品をつくるようになったのも、そうした音楽を聴き始めるようになってからですか。

クレア:たぶん2017年頃からだと思います。本格的にフィールド・レコーディングに興味を持ち始めたのは。Bandcampで「ミュージック・コンクレート」や「フィールド・レコーディング」のタグがついた音楽を探し回っていたら、ローレンス・イングリッシュが主宰するレーベル「room 40」を見つけたんです。それで彼の作品に出会い、フィールド・レコーディングの世界にドップリとハマって。フィールド・レコーディングって、音楽制作というだけでなく、自分だけの芸術的な探求みたいなものだって気づいたんです。とても神聖な作業であり、自分の心を揺さぶり、脳を興奮させるような体験が一人でできる。その時、これこそ自分が本当にやりたいことだって思ったんです。

新作「sentiment」での変化

——そこから、今回の「sentiment」のような自身のボーカルを使った音楽制作を始めるようになったのは、何がきっかけだったのでしょうか。

クレア:そこもまたマリのおかげで(笑)、ポップ・ミュージックや“歌もの”をつくってもいいって、最初に認めてくれたのが彼女でした。「大丈夫、興味があるなら何でもやりたいことをやればいい。一つのことにとらわれる必要はない」って。例えば、今やっている「sentiment」のような音楽が好きな人がいれば、それ以前に自分がつくっていたような音楽が好きな人もいる。多くの人は、一度成功した音楽ジャンルに固執しがちで、でもマリは、「みんなが好きな音楽じゃなくてもいいし、自分がやりたい音楽をやればいい」って言うんです。そのマリの言葉で、他の人の好みを気にせず、自分の好きな音楽をつくればいいんだって気付いたんです。

今のツアーはとても充実していて、歌を歌ったり「sentiment」の曲をライブで演奏したりできている機会にとても感謝しています。でも、今の自分が何に興味があるかというと、音楽的な関心はすでにその先へと向かっていて。例えば、最近完成したばかりの5時間の音楽は「sentiment」とは異質で、とてもスローで、実験的で、ミュージック・コンクレートやフィールド・レコーディングのようなものに近い。だから、自分が今、そういう(「sentiment」みたいな)音楽しかつくっていないと思わないでほしいというか、実験的な音楽が好きな人たちも私のことを忘れないでほしい(笑)。“彼ら”のための音楽もある。つまり、一つのジャンルに縛られなくても、いろんな音楽を自由に作ってもいいっていう話なんです。

——ただ、「sentiment」での変化の背景には、歌を通して伝えたいことが生まれた、歌声を使わなければ伝えられないことがあることに気付いた、という意識もあったのでは?

クレア:自分にとって音楽は、何かを具体的に表現したいという気持ちから始まったものでした。最初はドラムの即興演奏から入って、もっと直接的でリアルな音を出したいと思ってフィールド・レコーディングに切り替えた。でも、まだ何かが足りない気がして、ドローンやアンビエント・ミュージックを使ってストーリーを語るような音楽をつくってみた。ただ、それでもまだ十分ではなかった。それは、ある種の“弱さ”や“脆(もろ)さ”がそこに欠けていたんです。だから次に、フィールドレ・コーディングの上に歌を重ねてみて、さらにその上でギターを弾いて歌うことにした。それでようやく、自分が本当に表現したいものが形になったと手応えを感じることができました。

さっきも話した通り、自分の関心はすでに次に向かっています。ただ、「sentiment」においては、当時の私が、自分の感情や創造的な意図を可能な限り具体的に表現したいという強い願望を抱いていたからこそ、あのようなアプローチを取ったと考えています。

——その新たな音楽スタイルを模索する中で、自分の歌声をつくり上げていく過程というのは、クレアさんにとってどんな時間だったのでしょうか。自分の内面と向き合う作業だったのか、それとも、オートチューンの使用に見られるようにテクニカルな側面が大きかったのか。

クレア:どちらかというと後者でした。そこはやはり、オートチューンとの出会いが大きかったと思います。 フィールド・レコーディングで多くの音楽をつくっていた頃は、生の音をそのまま使いたくて加工にはあまり手を出していなかったのですが、ただ、オーディオ・プロセッシングにはとても興味があって。自分の感性に合った音の加工方法を探求したいと思ったんです。フィールド・レコーディングを加工するのも面白いですが、自分としては、人間の音声を操作して、人間離れしたサウンドをつくることに魅力を感じていました。それで、オートチューンを使った声とギターの音をどう組み合わせたら面白いハーモニーになるか、みたいなことに興味を持ち、いろいろな実験を始めるようになりました。自分は元々、リスナーとして“歌”のある音楽が好きだったので、そういった音楽をつくるためのオーディオ・エンジニアリングは自分への一つの挑戦でもありました。でもそのおかげで、歌と激しいプロセシングを組み合わせた、自分だけの音楽をつくれるようになったと思います。

——オートチューンを使って加工された声は、何か包み込むようなベッドルーム的なイメージを想起させると同時に、ジェンダーの揺らぎを表現するアプローチとしての側面もあるように思います。

クレア:両方あると思います。例えば、ハイパーポップには、オートチューンを使ってジェンダーやジェンダー・アイデンティティーについて実験している人たちがたくさんいます。これは10年ほど前から続いているトレンドです。そして、オートチューンを使って理想のサウンドをつくり出すという行為には、社会の規範に当てはまらない人たちが集まって、自分たちだけのコミュニティーや安全な場所みたいなものをつくり出すという側面があると思う。

例えばポップ・ミュージックの制作において、オートチューンの目的は可能な限り完璧なものをつくるためのツールとして使われることが多い。オートチューンは、完璧なメロディや歌い方をするために修正してくれます。 だから同時に、完璧なメロディや歌い方から外れると、自分が完璧でないことを思い知らされるというか、その完璧さの裏側にある人間の不完全さを見せつけるものでもあって。そんな矛盾が魅力なのかもしれない。人を楽しませるための、ちょっと皮肉が混じった遊びみたいな。完璧なはずなのに、どこか不自然で、だけど人間らしさが感じられる――それが面白いと思う。

セルフケアやアートワークについて

——セルフケア、心身のメンテナンスで心掛けていることは何かありますか。

クレア:そうですね、いろんなところを飛び回っているので、身体が常にジェットコースターに乗ってるみたいになってしまっていて。だから、家にいる時はなるべく身体を休ませるためにいろいろしています。ツアー中も、ホテルに泊まる時は必ず入浴剤を持ち歩いていて、毎晩、寝る前には30分くらい瞑想して身体を落ち着かせて。そして寝る時は、アイマスクをして、背中にホットパックを貼って、膝の下に枕を2つ挟んで寝ている……ちょっと変わってますよね(笑)。部屋も真っ暗にして、壁も窓も遮光して、完全に外界を遮断しないと眠れないんです。それとベッドにはこだわりがあって、特にシーツは高品質のものを選んでいます。朝はストレッチをたっぷりして、保湿剤を塗ったりパックする時間も、自分と向き合うことができる大切な時間なんです。自分は元々、そういうことは全然しないタイプで。詳しい友達がいて、彼女に教えてもらうまで、自分の身体を大切にすることってこんなに心地いいものだって知らなかった。以前は、移動もカバン一つで、たばこを吸ったり、一晩中お酒を飲んで、どうにでもなれ、みたいな感じで(笑)。でも今は、自分自身をケアするためのアイテムで、旅行カバンがほぼ埋まるくらいです。

——アーティスト写真や「sentiment」のアートワークではタトゥーも目を引きますが、どんなこだわりがありますか。

クレア:アメリカの伝統的なタトゥーが好きなんです。最初に彫ってもらったのは、ランディ・コナーというタトゥー・アーティストで、彼のスタイルは独特で、新しい形の伝統的なタトゥーという感じでとても繊細で素晴らしい。その後、彼に弟子入りしていたベン・フィルダーっていうアーティストにも彫ってもらって、さらに彼の弟子であるブランドンのタトゥーも足にあります。彼らは互いに影響し合っていて、だからある意味、自分は彼らのグループの実験台になったようなもので(笑)。実はこの夏にも、お腹に大きなタトゥーを入れたいと思っていたのですが、でもツアー中だからちょっと怖くて、それに大きなタトゥーを入れたらしばらく休まなければいけなくなるかもしれないので、今のところ保留にしていて。タトゥー仲間は他にもたくさんいて、みんなそれぞれ個性的なスタイルだから見ているだけでも楽しいです。

タトゥーを彫ってもらう時は、その人がどんなものに興味を持っているかとか、普段どんな絵を描いているのかとか、そういう話をよくします。そうすると、その人が得意なスタイルで、自分にぴったりのデザインを考えてくれる。だからタトゥーって、ただ単に自分の身体に作品を彫るというだけではなく、アーティストとの信頼関係とか、その時の自分自身の気持ちとか、いろんなものが詰まっているんです。

——ちなみに、気分が落ちた時はあえてメランコリックなソングライターの曲を聴くそうですが、おすすめはありますか。

クレア:そうですね……グルーパーかな。あれは究極の悲しい音楽だと思う。私は悲しい時、だいたい2パターンの音楽を聴くんです。グルーパーやエリオット・スミス、スパークルホースみたいなメロウな音楽か、セシル・テイラーみたいな燃え盛るフリー・ジャズを聴くか(笑)。お風呂でエリオット・スミスを聴きながら泣くと気分が落ち着くし、セシル・テイラーをかけると狂ったように心がかき乱されて解放されていくような感覚になる。だから、この2つの極端な音楽を交互に聴くことで、感情を浄化しているのかもしれない。

——先日のライブではアンコールで「Sigh In My Ear」を演奏する際に、「悲しい歌だからあまり歌いたくない」とMCで話していましたね。「Sigh In My Ear」は、音楽のスタイル的に「sentiment」への導線となった曲でもありますが、どんなエピソードがある曲なんでしょうか。

クレア:あの曲は自分で書いてレコーディングしたのですが、そのプロセス全体はとても楽しくていい経験でした。でも、完成してしばらく経ってから、その曲の本当の意味に気付いたんです。曲の前半は演奏してもいい感じなんですが、実は後半部分には、私の知り合いで、手首を切って自殺した人のことを書いた歌詞があって。だから、ライブで演奏するたびにその友達のことを思い出してしまって、すごく辛くなって。それに、ショーでこんな暗い曲を演奏するのは、ちょっと違うんじゃないかって思うようになったんです。観客にこんな悲しい歌を聴かせるのは、あまりにも残酷だって。

ただ、あの曲はやっぱり自分にとって特別な曲で、演奏するのはすごく勇気がいることでしたが、せっかく日本でのライブだったので、ここに来てくれたみんなに何か特別なことをしたいという思いがあったんです。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

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元・銀ホスのアパレルプレスが語る仕事論 「今も“結果が全て”の世界だと思ってる」

「私、ホステスだったんです」。

世間では“水商売”呼ばわりされることもあり、人前では隠したくなるような経歴かもしれない。なのにそれを堂々と言ってのけるのは、バーンデストローズジャパンリミテッドの「スウィングル(SWINGLE)」でプレスを務める室薫さん(28)だ。

20代前半に六本木でキャバクラ、銀座でホステス業を経験したのち、アパレルプレスに転身。銀ホス時代には、企業社長など錚々たる上顧客と接する中で「人に信頼されること」「結果を出すこと」の大切さを学んだ。それは、アパレル業界で働く今も生きているという。

WWD:まず、経歴について教えてほしい。

室:美容の専門学校を卒業後にエステティシャンとして、その後は外資系ブランドの美容部員として働きました。バーンデストローズへの入社は2020年5月。小田急百貨店に店舗(現在はクローズ)がオープンするタイミングで、オープニングメンバーとして採用募集に応募しました。販売をしていたのは1年と少し。21年8月にプレスに異動になりました。

WWD:夜の仕事をしていたのは?

室:エステティシャン時代にお給料が少なかったので、職場にはヒミツにして六本木のキャバクラで働いていたんです。美容部員になってからも密かに続けていました。もう時効だと思って言いますが。あ、今は誓ってやっていないですよ(笑)。

大のお酒好きで、キャバクラでは遊び感覚で働いていたので、つい飲みすぎてしまっていました。次の日は二日酔いや、寝ないで出勤することもザラ。そのうち結果が出るにつれて、キャバクラの方がだんだん楽しくなってきてしまって。それと美容部員をやっているうちに、働いているブランドのことは好きだけど、メイク自体はそんなに好きじゃないかも?と気がつきました。何を今更って感じだったでしょうね。

入ったばかりの頃は、お客さまからわざわざお礼のメールをいただくほどの優良スタッフだったんですよ。辞めることを決めたときには、いただくのはクレームばかりになっていましたが。飽き性ということもあって、だんだんモチベーションが下がってしまって、キャバクラ一本で行こうと決めたんです。

WWD:ホステスになったきっかけは?

室:キャバクラのお客さまが、銀座でもよく遊んでらっしゃった方で。その方が「ホステスに向いているんじゃない?」と斡旋してくださったんです。それに、お客さまからの紹介の方が待遇もよかった。いいきっかけをいただけたと感じて、3つほどお店を回って決めました。

WWD:どんな店だった?

室:銀座のクラブ街では、いわゆる“老舗”の高級店でした。地下1階にあって、完全紹介制。実はクラブってワインやシャンパンボトルを派手に頼まなければ、時間制のキャバクラとかよりも全然リーズナブルなんですけどね。ただワインやシャンパンボトルは少なくとも1本10万円しますし、平均客単価は20〜30万円くらい。派手な遊び方をする、いわゆる“成金”のような方はいない、落ち着いた店でした。

若さとノリではついていけない世界

WWD:室さんのウリはなんだった?

室:若さとノリ(笑)。当時の私は22歳。銀座という立地もあって周りはだいぶお姉さんだったので、「同伴いつでも行けます!」「アフターも行けます!」ととにかくアピールしていました。クラブは土日休みだったんですが、オフの日もよくお客さまのご飯にお付き合いしていましたね。回らないお寿司屋さんで、100万円くらい使う方もいました。何かの部品の会社を経営されている方だったと思います。

WWD:辞めたきっかけは?

室:さっきと真逆なことを言うんですけど、ノリと若さだけで生きていけるほど、甘い世界ではなかったからですね。私の成績は、よかったときでも真ん中くらい。夜のお仕事でも、私のように夕方まで寝ているって人は、「結果を出している人ほど」いませんでした。大体みんな朝早く起きて、お客さまにラインであいさつをして、優雅にペットの散歩をしている。そういう中身の部分って、見抜かれるものだと思うんですよ。お店に来られる方は経営者も多いので、お客さまと同じ目線でできるよう、勉強も欠かさない。キラキラしているけれど、陰ですごく努力している人が多かったです。

それから、細やかな配慮も大事でした。銀座のクラブは接待での来店も多くて、そういう方々は大事な「仕事の場」として利用されている。だから私たちも楽しんでいただくだけでなく、場をうまく回す潤滑油にもならなきゃいけない。私のように、飲みすぎてお客さまのテーブルで粗相して、スタッフからブチギレられるなんてもってのほかでした。

WWD:今の室さんからは、ちょっと想像がつきませんね。

室:あはは(笑)。努力や気遣いのできるホステスさんたちが認められ、他の方へ紹介され、数珠繋ぎのようにお客さまが増えていく。そうやってのし上がっていく世界です。私にはプライベートで遊んでいただけるお客さまが一定数ついても、接待では使われなかったのは、多分「そういうこと」だったんだと思います。それでだんだん自信を失って、気分も落ちていって、ある日同伴の食事でご飯の味がしなくなったんです。きっと、限界だったんですね。その時はちょうどコロナが流行り始めて営業が制限され、銀座の夜の街にも光が灯らなくなっていた時期。先が見えない中で、夜の仕事から足を洗う決意をしました。

WWD:なぜアパレルに?

室:専門学校時代に有楽町マルイでアパレルのアルバイトをしていて、本当に楽しかったんです。服を売りたいという思いがまた芽生えていました。アルバイト時代の有楽町マルイの同じ階に「スウィングル」があったのを思い出して。次に働くならお姉さん向けブランドだと思っていましたし、ちょうど小田急新宿店の新店スタッフの採用をしていたので、思い切って応募しました。

ただやっぱり面接の時に突っ込まれたのが、夜の仕事をやっていた「空白期間」。これはもう隠しても仕方ないと思って、水商売をしていたことを正直に明かしました。ダメかと思いましたが、受かってびっくり。後から聞いた話では、上層部が「私を採用するか」という話になった時、「嘘をつかない素直さがいい」ということになったようです(笑)。

「絶対に社内ナンバーワンブランドにしたい」

WWD:銀ホスの経験は生きた?

室:やたらと“結果”にこだわるところでしょうか。小田急新宿店はそんなに客足が多い店ではなかったですが、それでもなんとか数字につなげようと、もがいていました。銀座のホステスは売り上げが全てで、性格とか人柄は関係ない世界。月末に成績表が張り出されて、結果次第では「がんばったね」と褒められるし、表の下の方にいる人は、まるで人権がないみたいな扱い。結果を出さないと、お店にいられなくなるし、うかうかしていると、私よりも新しい子がどんどん入ってくる。

それは、私がホステス業に参ってしまった原因でもあるんですが、ただアパレルでもそれと似た面があると思っていて。「弱肉強食」の世界にいることは、常に自覚しています。プレスに移ってからも、このポジションを目指している子は多いと思うから、安泰とは思っていない。だからやっぱり、“結果”には固執してしまうんです。

WWD :プレスは、数字としての成果が見えづらいポジションにも思える。

室:プレスの仕事の一つがビジュアルの撮影ですが、そのクオリティーにこだわると、ECの売り上げが急に伸びることもあります。話題性のあるコラボ企画を仕掛けるのも、私ができること。展示会に来てくださった芸能人やモデルの方に「今度コラボしませんか」と声をかけてみたり、いきなりDMしてみたりします。周りはびっくりしていますけどね。アパレルも自分の存在価値がないと埋もれちゃう世界。だから、「誰もやったことがないこと」をするよう心掛けています。

WWD:目標は?

室:「スウィングル」はスタート当初はエビちゃん(蛯原友里)がプロデュースしていて、赤文字雑誌の全盛期までバーンデストローズの基幹ブランドでした。ただ、残念ながら今は当時ほどの勢いはなくなってしまいました。大好きなブランドなのに、このポジションにいるのはすごく悔しい。「絶対に私が社内で売り上げ1位にしてやる」って心の中で思いながら、毎日仕事をしています。

沖圭祐「スウィングル」事業部長の話

2020年に新規出店した小田急新宿店は、正直いって“成功”と言える店ではなかった。ただ客足がなかなか伸びない中でも、一際背筋を伸ばしてがんばっていたのが、入社したばかりの室さんだった。半年後にはブランド一番店の有楽町マルイ店に抜擢した。

店長にもなったら、売り上げに意識が向いて当然とは思う。ただそうではないのに、やけに売り上げにうるさい子がいた。それも室さんだった。「私こんなに売りました」「昨日は10万円、20万円買ってくれる人がいたんです」。そんなふうに、毎日のようにしつこいくらいに報告してくる。それも結果にこだわる彼女の一面をよく表していた。

前任のプレスが辞めたタイミングで、「骨のあるやつがいる」と社長に直談判し、室さんに白羽の矢を立てた。大物の芸能人にコラボ話を持ちかけたり、いきなりDMしたりと、皆が物怖じするようなことも彼女はやってのけてしまう。だが現に、そうやって実現してきた企画もブランドの目玉になって、ECの数字は伸び続けている。結果へのこだわりだけでなく、「常に新しいチャレンジを起こす」ことをプレスの立場でやり続けているのが、彼女のすごいところだ。

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元・銀ホスのアパレルプレスが語る仕事論 「今も“結果が全て”の世界だと思ってる」

「私、ホステスだったんです」。

世間では“水商売”呼ばわりされることもあり、人前では隠したくなるような経歴かもしれない。なのにそれを堂々と言ってのけるのは、バーンデストローズジャパンリミテッドの「スウィングル(SWINGLE)」でプレスを務める室薫さん(28)だ。

20代前半に六本木でキャバクラ、銀座でホステス業を経験したのち、アパレルプレスに転身。銀ホス時代には、企業社長など錚々たる上顧客と接する中で「人に信頼されること」「結果を出すこと」の大切さを学んだ。それは、アパレル業界で働く今も生きているという。

WWD:まず、経歴について教えてほしい。

室:美容の専門学校を卒業後にエステティシャンとして、その後は外資系ブランドの美容部員として働きました。バーンデストローズへの入社は2020年5月。小田急百貨店に店舗(現在はクローズ)がオープンするタイミングで、オープニングメンバーとして採用募集に応募しました。販売をしていたのは1年と少し。21年8月にプレスに異動になりました。

WWD:夜の仕事をしていたのは?

室:エステティシャン時代にお給料が少なかったので、職場にはヒミツにして六本木のキャバクラで働いていたんです。美容部員になってからも密かに続けていました。もう時効だと思って言いますが。あ、今は誓ってやっていないですよ(笑)。

大のお酒好きで、キャバクラでは遊び感覚で働いていたので、つい飲みすぎてしまっていました。次の日は二日酔いや、寝ないで出勤することもザラ。そのうち結果が出るにつれて、キャバクラの方がだんだん楽しくなってきてしまって。それと美容部員をやっているうちに、働いているブランドのことは好きだけど、メイク自体はそんなに好きじゃないかも?と気がつきました。何を今更って感じだったでしょうね。

入ったばかりの頃は、お客さまからわざわざお礼のメールをいただくほどの優良スタッフだったんですよ。辞めることを決めたときには、いただくのはクレームばかりになっていましたが。飽き性ということもあって、だんだんモチベーションが下がってしまって、キャバクラ一本で行こうと決めたんです。

WWD:ホステスになったきっかけは?

室:キャバクラのお客さまが、銀座でもよく遊んでらっしゃった方で。その方が「ホステスに向いているんじゃない?」と斡旋してくださったんです。それに、お客さまからの紹介の方が待遇もよかった。いいきっかけをいただけたと感じて、3つほどお店を回って決めました。

WWD:どんな店だった?

室:銀座のクラブ街では、いわゆる“老舗”の高級店でした。地下1階にあって、完全紹介制。実はクラブってワインやシャンパンボトルを派手に頼まなければ、時間制のキャバクラとかよりも全然リーズナブルなんですけどね。ただワインやシャンパンボトルは少なくとも1本10万円しますし、平均客単価は20〜30万円くらい。派手な遊び方をする、いわゆる“成金”のような方はいない、落ち着いた店でした。

若さとノリではついていけない世界

WWD:室さんのウリはなんだった?

室:若さとノリ(笑)。当時の私は22歳。銀座という立地もあって周りはだいぶお姉さんだったので、「同伴いつでも行けます!」「アフターも行けます!」ととにかくアピールしていました。クラブは土日休みだったんですが、オフの日もよくお客さまのご飯にお付き合いしていましたね。回らないお寿司屋さんで、100万円くらい使う方もいました。何かの部品の会社を経営されている方だったと思います。

WWD:辞めたきっかけは?

室:さっきと真逆なことを言うんですけど、ノリと若さだけで生きていけるほど、甘い世界ではなかったからですね。私の成績は、よかったときでも真ん中くらい。夜のお仕事でも、私のように夕方まで寝ているって人は、「結果を出している人ほど」いませんでした。大体みんな朝早く起きて、お客さまにラインであいさつをして、優雅にペットの散歩をしている。そういう中身の部分って、見抜かれるものだと思うんですよ。お店に来られる方は経営者も多いので、お客さまと同じ目線でできるよう、勉強も欠かさない。キラキラしているけれど、陰ですごく努力している人が多かったです。

それから、細やかな配慮も大事でした。銀座のクラブは接待での来店も多くて、そういう方々は大事な「仕事の場」として利用されている。だから私たちも楽しんでいただくだけでなく、場をうまく回す潤滑油にもならなきゃいけない。私のように、飲みすぎてお客さまのテーブルで粗相して、スタッフからブチギレられるなんてもってのほかでした。

WWD:今の室さんからは、ちょっと想像がつきませんね。

室:あはは(笑)。努力や気遣いのできるホステスさんたちが認められ、他の方へ紹介され、数珠繋ぎのようにお客さまが増えていく。そうやってのし上がっていく世界です。私にはプライベートで遊んでいただけるお客さまが一定数ついても、接待では使われなかったのは、多分「そういうこと」だったんだと思います。それでだんだん自信を失って、気分も落ちていって、ある日同伴の食事でご飯の味がしなくなったんです。きっと、限界だったんですね。その時はちょうどコロナが流行り始めて営業が制限され、銀座の夜の街にも光が灯らなくなっていた時期。先が見えない中で、夜の仕事から足を洗う決意をしました。

WWD:なぜアパレルに?

室:専門学校時代に有楽町マルイでアパレルのアルバイトをしていて、本当に楽しかったんです。服を売りたいという思いがまた芽生えていました。アルバイト時代の有楽町マルイの同じ階に「スウィングル」があったのを思い出して。次に働くならお姉さん向けブランドだと思っていましたし、ちょうど小田急新宿店の新店スタッフの採用をしていたので、思い切って応募しました。

ただやっぱり面接の時に突っ込まれたのが、夜の仕事をやっていた「空白期間」。これはもう隠しても仕方ないと思って、水商売をしていたことを正直に明かしました。ダメかと思いましたが、受かってびっくり。後から聞いた話では、上層部が「私を採用するか」という話になった時、「嘘をつかない素直さがいい」ということになったようです(笑)。

「絶対に社内ナンバーワンブランドにしたい」

WWD:銀ホスの経験は生きた?

室:やたらと“結果”にこだわるところでしょうか。小田急新宿店はそんなに客足が多い店ではなかったですが、それでもなんとか数字につなげようと、もがいていました。銀座のホステスは売り上げが全てで、性格とか人柄は関係ない世界。月末に成績表が張り出されて、結果次第では「がんばったね」と褒められるし、表の下の方にいる人は、まるで人権がないみたいな扱い。結果を出さないと、お店にいられなくなるし、うかうかしていると、私よりも新しい子がどんどん入ってくる。

それは、私がホステス業に参ってしまった原因でもあるんですが、ただアパレルでもそれと似た面があると思っていて。「弱肉強食」の世界にいることは、常に自覚しています。プレスに移ってからも、このポジションを目指している子は多いと思うから、安泰とは思っていない。だからやっぱり、“結果”には固執してしまうんです。

WWD :プレスは、数字としての成果が見えづらいポジションにも思える。

室:プレスの仕事の一つがビジュアルの撮影ですが、そのクオリティーにこだわると、ECの売り上げが急に伸びることもあります。話題性のあるコラボ企画を仕掛けるのも、私ができること。展示会に来てくださった芸能人やモデルの方に「今度コラボしませんか」と声をかけてみたり、いきなりDMしてみたりします。周りはびっくりしていますけどね。アパレルも自分の存在価値がないと埋もれちゃう世界。だから、「誰もやったことがないこと」をするよう心掛けています。

WWD:目標は?

室:「スウィングル」はスタート当初はエビちゃん(蛯原友里)がプロデュースしていて、赤文字雑誌の全盛期までバーンデストローズの基幹ブランドでした。ただ、残念ながら今は当時ほどの勢いはなくなってしまいました。大好きなブランドなのに、このポジションにいるのはすごく悔しい。「絶対に私が社内で売り上げ1位にしてやる」って心の中で思いながら、毎日仕事をしています。

沖圭祐「スウィングル」事業部長の話

2020年に新規出店した小田急新宿店は、正直いって“成功”と言える店ではなかった。ただ客足がなかなか伸びない中でも、一際背筋を伸ばしてがんばっていたのが、入社したばかりの室さんだった。半年後にはブランド一番店の有楽町マルイ店に抜擢した。

店長にもなったら、売り上げに意識が向いて当然とは思う。ただそうではないのに、やけに売り上げにうるさい子がいた。それも室さんだった。「私こんなに売りました」「昨日は10万円、20万円買ってくれる人がいたんです」。そんなふうに、毎日のようにしつこいくらいに報告してくる。それも結果にこだわる彼女の一面をよく表していた。

前任のプレスが辞めたタイミングで、「骨のあるやつがいる」と社長に直談判し、室さんに白羽の矢を立てた。大物の芸能人にコラボ話を持ちかけたり、いきなりDMしたりと、皆が物怖じするようなことも彼女はやってのけてしまう。だが現に、そうやって実現してきた企画もブランドの目玉になって、ECの数字は伸び続けている。結果へのこだわりだけでなく、「常に新しいチャレンジを起こす」ことをプレスの立場でやり続けているのが、彼女のすごいところだ。

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箱根駅伝だけがなぜ特別? 有識者が語る、“厚底旋風”以降の箱根とシューズの関係

PROFILE: 藤原岳久/FS☆ランニング代表

藤原岳久/FS☆ランニング代表
PROFILE: (ふじわら・たけひさ):1971年1月3日(箱根の復路!)生まれ、神奈川県出身。箱根駅伝出場を目指して東海大学に入学し、陸上部に所属。大学卒業後に営業職として就職し、その後1年間ニュージーランドに滞在。現地でのランニング体験が忘れられず、帰国後はナイキ、アシックス、ニューバランスでシューズの販売員を経験。2013年に独立し、シューズ選びや走り方のコンサルタント、スポーツシューフィッター講師などとして活躍中 PHOTO:KAZUO YOSHIDA

年が明けたら、1月2、3日は箱根駅伝!選手の活躍はもちろん、近年は選手がどのブランドのどんなランニングシューズを履いているかも、メディアやSNSで大きな話題を呼ぶ。箱根路の神奈川・平塚でシューズ選びのコンサルタントをしている藤原岳久FS☆ランニング代表は、ここ10年ほど選手の着用シューズをブランド別に計測・分析しており、ランニング業界ではよく知られた人物。藤原代表に、近年の各社の傾向と2025年のシューズ争いの行方を聞いた。

WWD:藤原代表は箱根駅伝の選手のシューズ動向について、「アルペン グループ マガジン」上などで毎年分析をしている。他はどういった活動をしているのか。

藤原岳久FS☆ランニング代表(以下、藤原):もともとスポーツメーカーでランニングシューズの販売員をしており、独立後は平塚で、ランニングシューズの選び方や走り方のコンサルタントをしている。YouTubeやnoteでランニング業界の動向やシューズの新製品についての発信もしているほか、スポーツシューフィッターという資格講座の講師も10年ほど務めている。

箱根の選手の着用シューズを計測し始めたのは10年ほど前から。地元である往路の3、4区と、復路の7、8区を妻と手分けして現場で見て、それ以外はテレビ中継で計測。10年前は計測している人はわれわれ以外にあまりいなかった印象だが、17年に「ナイキ(NIKE)」が“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売し、21年に箱根での「ナイキ」着用率が95.7%を記録したあたりから、急激にシューズに着目する人が増えたように感じる。

WWD:21年の「ナイキ」厚底シューズ旋風は一般メディアでも大きく取り上げられた。まずはおさらいとして、「ナイキ」のシューズは何がすごかったのか。

藤原:「ナイキ」は速く走るという概念自体を変えた。それまでの薄底のシューズは接地感覚があって、自身の力を地面に伝えられる選手が速く走れるもの。一方、厚底のカーボンプレート入りシューズは、走り方や道具(シューズ)に対する考え方、接地感覚などが従来とは全く違うものだ。衝撃を受けた競合各社は、「ナイキ」の速く走るためのロジックを後追いで研究。まずは模倣から始め、徐々に個性あるシューズや素材の開発を進めてきた。

厚底のカーボン入りシューズが広がったことで、選手のランニングフォームはダイナミックになった。以前は独特な走り方をする有力選手もおり、それも個性だったが、スーパーシューズは靴に合わせた走り方が要求されるため、フォームの個性は無くなってきたと感じる。ケガもしやすくなった。それらはスーパーシューズの功罪の罪の部分だ。一方で、一昔前と比べて駅伝は非常に高速化している。世界で戦える選手の土壌ができてきたというのは、間違いなく功の部分だ。

「『アディダス』が
一歩抜きん出ている印象」

WWD:開発競争激化の中で、「ナイキ」は21年をピークに徐々にシェアを落としつつ、24年も着用率は42.6%で首位を維持した。ズバリ、25年のブランド別の着用率はどうなると予想するか。

藤原:「アディダス(ADIDAS)」「アシックス(ASICS)」「ナイキ」がそれぞれ30%前後となるんじゃないかと見ている。もしかしたら、「ナイキ」は一気に三番手になるかもしれない。各社拮抗しているが、個人的にはシリーズ最軽量を実現した“アディゼロ アディオス プロ エヴォ 1”を開発した「アディダス」が一歩抜きん出ている印象だ。三つ巴の次が「プーマ(PUMA)」。「プーマ」は学生とのコミュニケーションを深めており、ブランドがサポート契約している大学の選手は皆他社のシューズに浮気せず、「プーマ」を履きそうだといった噂も耳にしている。その次は昨年、全230人の出場選手の中、3人の着用者が出た「オン(ON)」と予想。「オン」は、どの区間でも誰かしらが履いているといったレベルのサプライズを起こすかもしれない。ただし、最終的に験担ぎを重視してシューズを決める選手もいるし、予想はあくまで予想だ。

WWD:箱根で選手に履いてもらうために、ブランド側はどのような取り組みをしているのか。

藤原:日本では箱根に合わせて11〜12月にシューズの新モデルを発売するブランドが多いが、選手は夏合宿の段階でいいと思わなければ履いてくれない。そのために、ブランド側の仕込みは春ごろから始まる。大学の合宿所を行脚してとにかく試着してもらう。例えば「プーマ」は、学生の夏の合宿のメッカである菅平高原(長野)に、無料で利用できるリカバリーステーションを24年夏に開設したが、それも学生と接点を広げるのが狙い。シューズは提供するが、学生とブランドとの間にお金のやり取りはなく、お金が発生するのはブランドが大学陸上部に対してサポート契約を結んでいるケース。その場合はブランドが大学側に強化費を支払う。そのように大学とブランドが契約していても、レースでどこのブランドのシューズを履くかの選択権は選手にある。

WWD:箱根駅伝は、シューズについての決まりごとなどはあるのか。

藤原:五輪や世界陸上では、世界陸連(ワールドアスレティックス)のシューズ規則に則ったシューズしか履くことができない。一般向けに発売している製品で、世界陸連に登録しているシューズでないとダメ、といったものだ。しかし、箱根は世界陸連の規制の範囲外であり、それゆえまだ発売されていないプロトタイプ(試作品)を履いた選手が多数登場する。“プロトタイプ天国”というのも、箱根駅伝の側面の一つ。メーカーにとってのテストの場であり、プロトタイプを履かせてもらえることに気概を持って走っている選手ももちろんいる。メーカー側はプロトタイプを提供していることがあからさまになることに配慮してか、プロトタイプであっても色合いやデザインを発売済みのモデルとあえて似せて、見分けがつきにくくしていることもある。

「市民ランナーは
ソール60ミリが当たり前になる」

WWD:箱根には規制が適用されないとのことだが、なぜ世界陸連は「一般発売している製品でないといけない」などのシューズ規制を設けているのか。

藤原:「ナイキ」が17年に“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売する前年の16年のリオ五輪で、ケニアのキプチョゲ選手ら有力選手が「ナイキ」のプロトタイプで出走し、キプチョゲ選手は男子マラソンで金メダルに輝いた。その後、20年に予定されていた東京五輪に向けて規制の議論が活発化した流れだ。一般販売していないプロトタイプでは、入手できる選手とできない選手とで不公平になってしまう。厚底やカーボンプレートについても、水着の“レーザーレーサー”のように可否が議論されたが、結果的にロードランではソールの厚さが40ミリまで、プレート1枚までならば世界陸連はオッケーとした。

ただし、規制があると発想やデザインは画一的になりがち。がんじがらめの規制を破ってランナーの可能性を広げるという意気込みで、世界陸連の規制外のスーパーシューズを作っているブランドもある。そもそも、大会で優勝や入賞に関わらない市民ランナーならば、どんな靴を履いていたって問題はない。将来的には市民ランナーは、ソール60ミリ前後のクッション性が非常に大きいシューズを履くようになるんじゃないかと僕は思っている。有力選手の履くシューズだけが規制に縛られ、かごの鳥であるというように見ることもできる。

WWD:話を箱根に戻すと、学生駅伝には出雲(10月)や全日本(11月)もあるが、一般知名度は箱根だけが段違いだ。何が違うのか。

藤原:日本人初の五輪マラソン選手であり、日本マラソンの功労者の金栗四三が考案して1920年に始まったのが箱根駅伝だ。ただ、箱根はあくまで関東地方のローカル大会で、87年にテレビ中継が開始されるまではそこまでの注目度はなかったと認識している。テレビ中継以降は人気が異常に高まって、高校ラグビーの選手が花園を目指すように、全国から有力選手が関東ローカル大会の箱根に集まってくるようになった。人気や注目度の高さゆえ、ブランドは箱根の出場選手にマーケティングの照準を合わせる。出雲や全日本で選手の着用シューズを計測すると、箱根の結果とは結構違っており、市民ランナーの着用率と近い。それは、関東以外の大学の選手は箱根の出場機会がないため、ブランドからシューズの提供を受けるといったことがなく、自分でシューズを買っているケースが多いからだ。

海外に目を向けると、アフリカや米欧の有力選手は、大学の段階ではシニアのステージに向けて無理せず準備をしているということも多い。一方で、日本は箱根で良くも悪くもかなり注目されてしまう。テレビで特番が組まれ、ブランドからシューズが提供され、選手を推す“駅女(エキジョ)”から黄色い声援も飛んでくる。選手にかかるプレッシャーはかなり大きい。箱根があれだけ盛り上がるのに、シニアで有力な結果を残す選手がそれほどは出てこないというのは、箱根以上の舞台がなかなか見つからないという面もあるのかもしれない。

「もっと気軽に走ることを楽しんで」

WWD:選手が箱根で履いたシューズは、実際に市民ランナーにも売れるのか。

藤原:箱根が終わると、スポーツ量販店では選手の履いていたシューズが売れるし、それを履いて普段のジョギングをしている市民ランナーをここ平塚ではよく見掛ける。レース用のスーパーシューズは耐久性もないため、ジョグで使うのはもったいないし、うまく走ることもできないと思う。僕自身もトレーニングでスーパーシューズは選ばない。ちゃんと自分のレベルに合ったシューズを選んでもらうため、ブランド側は駅伝向けパックとして発売する製品群にトレーニングシューズを含めている。色やデザインは選手用のレースシューズと似せることで、同じ気分を味わえるように工夫している。

WWD:選手が箱根の主役であることは大前提だが、改めてシューズを切り口にした箱根観戦の楽しみ方や、ランニングへの取り組み方などについて教えてほしい。

藤原:選手が履くシューズのために開発された最先端技術は、ゆくゆくは必ず一般向けのシューズに落とし込まれていく。ランナーではない人が履いている普段履きスニーカーのソールのフォーム素材が、実はスーパーシューズ用に開発されたものだった、ということがあり得る。誰もが必ず技術を満喫する日が訪れるので、無関係ではない。そう思って箱根の選手たちのシューズを観察すると、これまでとは違う興味もわいてくるのでは。

皆さんにはもっと気軽に走ることを楽しんでほしい。日本人は走るとなったらいきなりフルマラソン!という感じで、走ることのハードルが高い。5キロメートルの大会なら、練習不要で多くの人が明日にでも完走できるが、5キロの大会に出ることがどうも共感されづらいのが日本。24年の東京マラソンの参加人数は約3万7000人だったが、ぜひ6万人規模の大会になっていってほしいし、5キロの部も設けてほしい。ゴール地点をフルマラソンと同じに設定した5キロだったら、応援に来た人が思わず走ってしまうなんてことがあると思う。走ること自体は心にも体にもとてもいい。僕自身が、日々それを深く実感している。ランニングが選手や一部の人だけのものではなく、草の根のカルチャーとして日本に根付いていけばいいなと思っている。

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箱根駅伝だけがなぜ特別? 有識者が語る、“厚底旋風”以降の箱根とシューズの関係

PROFILE: 藤原岳久/FS☆ランニング代表

藤原岳久/FS☆ランニング代表
PROFILE: (ふじわら・たけひさ):1971年1月3日(箱根の復路!)生まれ、神奈川県出身。箱根駅伝出場を目指して東海大学に入学し、陸上部に所属。大学卒業後に営業職として就職し、その後1年間ニュージーランドに滞在。現地でのランニング体験が忘れられず、帰国後はナイキ、アシックス、ニューバランスでシューズの販売員を経験。2013年に独立し、シューズ選びや走り方のコンサルタント、スポーツシューフィッター講師などとして活躍中 PHOTO:KAZUO YOSHIDA

年が明けたら、1月2、3日は箱根駅伝!選手の活躍はもちろん、近年は選手がどのブランドのどんなランニングシューズを履いているかも、メディアやSNSで大きな話題を呼ぶ。箱根路の神奈川・平塚でシューズ選びのコンサルタントをしている藤原岳久FS☆ランニング代表は、ここ10年ほど選手の着用シューズをブランド別に計測・分析しており、ランニング業界ではよく知られた人物。藤原代表に、近年の各社の傾向と2025年のシューズ争いの行方を聞いた。

WWD:藤原代表は箱根駅伝の選手のシューズ動向について、「アルペン グループ マガジン」上などで毎年分析をしている。他はどういった活動をしているのか。

藤原岳久FS☆ランニング代表(以下、藤原):もともとスポーツメーカーでランニングシューズの販売員をしており、独立後は平塚で、ランニングシューズの選び方や走り方のコンサルタントをしている。YouTubeやnoteでランニング業界の動向やシューズの新製品についての発信もしているほか、スポーツシューフィッターという資格講座の講師も10年ほど務めている。

箱根の選手の着用シューズを計測し始めたのは10年ほど前から。地元である往路の3、4区と、復路の7、8区を妻と手分けして現場で見て、それ以外はテレビ中継で計測。10年前は計測している人はわれわれ以外にあまりいなかった印象だが、17年に「ナイキ(NIKE)」が“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売し、21年に箱根での「ナイキ」着用率が95.7%を記録したあたりから、急激にシューズに着目する人が増えたように感じる。

WWD:21年の「ナイキ」厚底シューズ旋風は一般メディアでも大きく取り上げられた。まずはおさらいとして、「ナイキ」のシューズは何がすごかったのか。

藤原:「ナイキ」は速く走るという概念自体を変えた。それまでの薄底のシューズは接地感覚があって、自身の力を地面に伝えられる選手が速く走れるもの。一方、厚底のカーボンプレート入りシューズは、走り方や道具(シューズ)に対する考え方、接地感覚などが従来とは全く違うものだ。衝撃を受けた競合各社は、「ナイキ」の速く走るためのロジックを後追いで研究。まずは模倣から始め、徐々に個性あるシューズや素材の開発を進めてきた。

厚底のカーボン入りシューズが広がったことで、選手のランニングフォームはダイナミックになった。以前は独特な走り方をする有力選手もおり、それも個性だったが、スーパーシューズは靴に合わせた走り方が要求されるため、フォームの個性は無くなってきたと感じる。ケガもしやすくなった。それらはスーパーシューズの功罪の罪の部分だ。一方で、一昔前と比べて駅伝は非常に高速化している。世界で戦える選手の土壌ができてきたというのは、間違いなく功の部分だ。

「『アディダス』が
一歩抜きん出ている印象」

WWD:開発競争激化の中で、「ナイキ」は21年をピークに徐々にシェアを落としつつ、24年も着用率は42.6%で首位を維持した。ズバリ、25年のブランド別の着用率はどうなると予想するか。

藤原:「アディダス(ADIDAS)」「アシックス(ASICS)」「ナイキ」がそれぞれ30%前後となるんじゃないかと見ている。もしかしたら、「ナイキ」は一気に三番手になるかもしれない。各社拮抗しているが、個人的にはシリーズ最軽量を実現した“アディゼロ アディオス プロ エヴォ 1”を開発した「アディダス」が一歩抜きん出ている印象だ。三つ巴の次が「プーマ(PUMA)」。「プーマ」は学生とのコミュニケーションを深めており、ブランドがサポート契約している大学の選手は皆他社のシューズに浮気せず、「プーマ」を履きそうだといった噂も耳にしている。その次は昨年、全230人の出場選手の中、3人の着用者が出た「オン(ON)」と予想。「オン」は、どの区間でも誰かしらが履いているといったレベルのサプライズを起こすかもしれない。ただし、最終的に験担ぎを重視してシューズを決める選手もいるし、予想はあくまで予想だ。

WWD:箱根で選手に履いてもらうために、ブランド側はどのような取り組みをしているのか。

藤原:日本では箱根に合わせて11〜12月にシューズの新モデルを発売するブランドが多いが、選手は夏合宿の段階でいいと思わなければ履いてくれない。そのために、ブランド側の仕込みは春ごろから始まる。大学の合宿所を行脚してとにかく試着してもらう。例えば「プーマ」は、学生の夏の合宿のメッカである菅平高原(長野)に、無料で利用できるリカバリーステーションを24年夏に開設したが、それも学生と接点を広げるのが狙い。シューズは提供するが、学生とブランドとの間にお金のやり取りはなく、お金が発生するのはブランドが大学陸上部に対してサポート契約を結んでいるケース。その場合はブランドが大学側に強化費を支払う。そのように大学とブランドが契約していても、レースでどこのブランドのシューズを履くかの選択権は選手にある。

WWD:箱根駅伝は、シューズについての決まりごとなどはあるのか。

藤原:五輪や世界陸上では、世界陸連(ワールドアスレティックス)のシューズ規則に則ったシューズしか履くことができない。一般向けに発売している製品で、世界陸連に登録しているシューズでないとダメ、といったものだ。しかし、箱根は世界陸連の規制の範囲外であり、それゆえまだ発売されていないプロトタイプ(試作品)を履いた選手が多数登場する。“プロトタイプ天国”というのも、箱根駅伝の側面の一つ。メーカーにとってのテストの場であり、プロトタイプを履かせてもらえることに気概を持って走っている選手ももちろんいる。メーカー側はプロトタイプを提供していることがあからさまになることに配慮してか、プロトタイプであっても色合いやデザインを発売済みのモデルとあえて似せて、見分けがつきにくくしていることもある。

「市民ランナーは
ソール60ミリが当たり前になる」

WWD:箱根には規制が適用されないとのことだが、なぜ世界陸連は「一般発売している製品でないといけない」などのシューズ規制を設けているのか。

藤原:「ナイキ」が17年に“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売する前年の16年のリオ五輪で、ケニアのキプチョゲ選手ら有力選手が「ナイキ」のプロトタイプで出走し、キプチョゲ選手は男子マラソンで金メダルに輝いた。その後、20年に予定されていた東京五輪に向けて規制の議論が活発化した流れだ。一般販売していないプロトタイプでは、入手できる選手とできない選手とで不公平になってしまう。厚底やカーボンプレートについても、水着の“レーザーレーサー”のように可否が議論されたが、結果的にロードランではソールの厚さが40ミリまで、プレート1枚までならば世界陸連はオッケーとした。

ただし、規制があると発想やデザインは画一的になりがち。がんじがらめの規制を破ってランナーの可能性を広げるという意気込みで、世界陸連の規制外のスーパーシューズを作っているブランドもある。そもそも、大会で優勝や入賞に関わらない市民ランナーならば、どんな靴を履いていたって問題はない。将来的には市民ランナーは、ソール60ミリ前後のクッション性が非常に大きいシューズを履くようになるんじゃないかと僕は思っている。有力選手の履くシューズだけが規制に縛られ、かごの鳥であるというように見ることもできる。

WWD:話を箱根に戻すと、学生駅伝には出雲(10月)や全日本(11月)もあるが、一般知名度は箱根だけが段違いだ。何が違うのか。

藤原:日本人初の五輪マラソン選手であり、日本マラソンの功労者の金栗四三が考案して1920年に始まったのが箱根駅伝だ。ただ、箱根はあくまで関東地方のローカル大会で、87年にテレビ中継が開始されるまではそこまでの注目度はなかったと認識している。テレビ中継以降は人気が異常に高まって、高校ラグビーの選手が花園を目指すように、全国から有力選手が関東ローカル大会の箱根に集まってくるようになった。人気や注目度の高さゆえ、ブランドは箱根の出場選手にマーケティングの照準を合わせる。出雲や全日本で選手の着用シューズを計測すると、箱根の結果とは結構違っており、市民ランナーの着用率と近い。それは、関東以外の大学の選手は箱根の出場機会がないため、ブランドからシューズの提供を受けるといったことがなく、自分でシューズを買っているケースが多いからだ。

海外に目を向けると、アフリカや米欧の有力選手は、大学の段階ではシニアのステージに向けて無理せず準備をしているということも多い。一方で、日本は箱根で良くも悪くもかなり注目されてしまう。テレビで特番が組まれ、ブランドからシューズが提供され、選手を推す“駅女(エキジョ)”から黄色い声援も飛んでくる。選手にかかるプレッシャーはかなり大きい。箱根があれだけ盛り上がるのに、シニアで有力な結果を残す選手がそれほどは出てこないというのは、箱根以上の舞台がなかなか見つからないという面もあるのかもしれない。

「もっと気軽に走ることを楽しんで」

WWD:選手が箱根で履いたシューズは、実際に市民ランナーにも売れるのか。

藤原:箱根が終わると、スポーツ量販店では選手の履いていたシューズが売れるし、それを履いて普段のジョギングをしている市民ランナーをここ平塚ではよく見掛ける。レース用のスーパーシューズは耐久性もないため、ジョグで使うのはもったいないし、うまく走ることもできないと思う。僕自身もトレーニングでスーパーシューズは選ばない。ちゃんと自分のレベルに合ったシューズを選んでもらうため、ブランド側は駅伝向けパックとして発売する製品群にトレーニングシューズを含めている。色やデザインは選手用のレースシューズと似せることで、同じ気分を味わえるように工夫している。

WWD:選手が箱根の主役であることは大前提だが、改めてシューズを切り口にした箱根観戦の楽しみ方や、ランニングへの取り組み方などについて教えてほしい。

藤原:選手が履くシューズのために開発された最先端技術は、ゆくゆくは必ず一般向けのシューズに落とし込まれていく。ランナーではない人が履いている普段履きスニーカーのソールのフォーム素材が、実はスーパーシューズ用に開発されたものだった、ということがあり得る。誰もが必ず技術を満喫する日が訪れるので、無関係ではない。そう思って箱根の選手たちのシューズを観察すると、これまでとは違う興味もわいてくるのでは。

皆さんにはもっと気軽に走ることを楽しんでほしい。日本人は走るとなったらいきなりフルマラソン!という感じで、走ることのハードルが高い。5キロメートルの大会なら、練習不要で多くの人が明日にでも完走できるが、5キロの大会に出ることがどうも共感されづらいのが日本。24年の東京マラソンの参加人数は約3万7000人だったが、ぜひ6万人規模の大会になっていってほしいし、5キロの部も設けてほしい。ゴール地点をフルマラソンと同じに設定した5キロだったら、応援に来た人が思わず走ってしまうなんてことがあると思う。走ること自体は心にも体にもとてもいい。僕自身が、日々それを深く実感している。ランニングが選手や一部の人だけのものではなく、草の根のカルチャーとして日本に根付いていけばいいなと思っている。

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早稲田大学繊維研究会がファッションショーを開催 「みえないものをみるとき」

1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。最終回では、代表の井上航平さんと、小山萌恵さんが12月22日に代官山ヒルサイドプラザで開催したショーを振り返る。

WWD:コンセプト「みえないものをみるとき」に沿ってショーを作り上げた。

小山萌恵(以下、小山):今回のショーは19人の服造(ルックを製作する部門)による25ルックを発表しました。シアー素材や光を反射する素材を多用することで、今回のコンセプトの世界観を作り出しつつ、一つ一つのルックをコンセプトから設けたテーマの上にデザインしています。

WWD:井上さんが製作したルックは?

井上:2ルック製作し、1ルック目は実験音楽家であるジョン・ケージの代表曲「4分33秒」をモチーフに作りました。この楽曲の譜面は4分33秒間の休符のみで構成されており、4分33秒間無音が続くということを意味します。演奏会では、聴衆が「作られた無音」に耳を澄ますことで、逆に聴衆自らから発せられる音に意識が向く、いわば主体と客体の逆転現象が発生します。この「聴覚を通しての逆転現象」を視覚に置き換えることに取り組んだのが今回のルックです。このルックでは前後に鏡を配することで、モデルを見ていたはずなのにいつの間にかそこに映る自分の姿を見ていた、という現象の誘起を試みました。

WWD:2ルック目はルネ・マグリットの作品「世界大戦」をモチーフにした。

井上:マグリットは作品内で、まさに今回のテーマである「みえないもの」に取り組んできました。「世界大戦」は、一見すると青空の下で日傘をさす貴婦人の姿が描かれた美しい作品ですが、彼女の顔はなぜか急に現れたスミレの花束で隠されており、表情が判然とせず、どこか不穏な空気が漂います。「あえて隠す」部分を含んだ絵画作品は数あれど、この作品のように文脈を無視した全くの別レイヤーのモチーフで覆い隠す作品はそう多くはありません(普通であれば、この貴婦人に顔の前で花束を持たせて表情を見えないようにするはずです)。この手法によって、より「みえない度」は高まり鑑賞者による想像の幅の拡大に成功しています。今回はこの作品のように、どこか不穏な美しさを表現すべく、全身白のドレスを制作しました。前面にはフリルフラワーを100個近く取り付けることで華やかさを表現した一方、肩パッドを6個重ねて生み出したパワーショルダーで不穏さを表しました。

WWD:小山さんの1ルック目は?

小山:タイトルは「but I can hug you」という作品です。「みえないもの」として表面からはみえない、計り知れない他者の痛みにフォーカスしています。他者が抱える痛みを理解し尽くすことの難しさと、それでも相手を分かりたいと思うこと、相手の影の面まで知りたいと思うことの美しさ、そしてそのような感情があふれたとき私たちが衝動的に取ってしまう行動であると共に、私たちに取り得る最大の行動とも考える「抱擁」をテーマとしています。抱擁したときの、言葉では語り尽くせない心の深層が体温を通して伝達するイメージ、また抱擁によって痛みが融解されるイメージを、「氷染め」という染色手法で表現することを試みました。氷の上に複数の色の染料をまぶし、氷がゆっくりと解けていくことで染料が混ざり合って、じんわりとまだらに生地が染まっていく、過程そのものも含めてテーマを落とし込んでいます。

WWD:もう一つのルックタイトルは「that afterimage」。

小山:大切な人を失ったあとの残像をテーマとしており、複数の「喪失と再生」が主題の作品などがインスピレーションにありつつ、最大のデザインモチーフとなったのはバンド「フィッシュマンズ」のとあるライブ映像です。

80年代結成のフィッシュマンズはフロントマンであったボーカルの佐藤伸治が活動の最中で急逝してしまいます。約6年の活動休止を経て2005年バンドは佐藤不在のフィッシュマンズを再開する決断を下し、以来現在に至るまでさまざまな方法で「佐藤不在のフィッシュマンズ」を音楽的に意義あるかたちで続け、ライブを通して多くの人の心を震わせ続けています。再開後のライブ映像を見て、激しくドラムを叩きながら佐藤に代わって歌まで歌唱するドラマーの茂木欣一の姿から感じた悲壮感の中の覚悟や、そのとき印象的だった一点だけ簡素に光る照明が星になった佐藤のように捉えられたこと、そして、亡き人の軌跡が残された者の中で息づき続けるイメージを、胸元中心の星のような刺繍とそこから広がるように施したギャザーで表現しました。

WWD:小山さんがルックブックの装丁デザインを手掛けた。

小山:表紙に冠したモチーフは「」です。本来何かが介入されるはずの「」の間に何もない、という部分で、これから始まるのはみえないものを見出すことについてのショーである、というスタンスをはじめに表明する意図を込めています。“ない”方の部分を想像させることを誘発したいという思惑で、かぎかっこは写真を切り抜くことで描いています。さらに透明の素材で本冊にカバーをかけているのですが、こちらはそれ以外の全面に白のプリントを施すことで逆説的にかぎかっこを浮かび上がらせ“余白で描く”ことをここでも再現しました。本体のかっこの位置とあえてずらして配置することで、焦点が合わないけれど主体的に合わせようとする思考の動きを促せたら、と考えた装丁になります。タイトルなどのテキストはシルバーでプリントし、角度によって煌めくところもこだわりです。

WWD:ルックブックの中身のこだわりは?

井上:視覚上・触覚上での楽しさを重視し、ルックブックの内部には、ベースとなる厚めのマット紙に加えてポイント使いで2種類の素材を採用しました。水面や鏡など、反射をテーマにした写真の前に透明PET素材を挟み込むことによって、鋭すぎない、水面のような柔らかな反射を可能にしつつ、触覚上での変化を生み出しました。連続した動きのうち2つを切り取ったスナップショット的なページを並べ、その2ページを半透明のトレーシングペーパーに印刷することで、ページをめくる毎に被写体が動いて見える、パラパラ漫画のような仕組みを取り入れました。

WWD:会場の演出にも注力した。

井上:今回はテーマの「透き間」を生かした空間づくりに注力しました。三次元的なランウェイを作りたかったため、2フロア構成の代官山ヒルサイドプラザを会場に選びました。初の試みとして、壁2面へのオープニング映像を投影しました。オープニング映像は江ノ島の風景をメインとした構成となっており、今回のショーのファーストルックを着用した状態のモデルに出演してもらっています。モデルが光に向かって去って行くシーンで映像が終了し、シームレスにショーに移行後、彼女がファーストルックとして現れることで、まるで映像内のコンセプチュアルな空間からそのまま出てきたかのような演出を施しました。また、「みえないもの」の表現として、ランウェイのスタート位置である2階部分に白い布を垂らすことで、布越しにモデルのシルエットが浮かび上がる工夫をしました。

一般的なファッションショーでは、モデルが出口から歩いてきて客席前を通過後また戻っていく、という一方向的な構成が多いですが、オープニング映像の投影面、モデルの出口、1周目のモデルはけ口、フィナーレのモデルはけ口を横にも縦にもバラバラに配置することで「正面を決めない」三次元的なショー構成を実現させました。お客さまそれぞれが別の方向に顔を向けている、というのは他のファッションショーでは見られない光景でした。

WWD:ショーを振り返ると。

小山:当初はとりとめのない文章でしかなかったイメージが、部員、外部の方、みなさま、一人一人の力によって、大きく広がりを持って一つのショーとしてかたちにすることができたこと、発案者として心からうれしく、何度でも感激してしまいます。

私自身を含め部員の多くは、ショーをはじめとした繊維研究会がこれまで作り上げてきた作品、先輩から感銘を受けて入部しています。先輩に感じていた確固たるかっこよさのようなものを、私たちの代は持ち合わせてはいない、という自負をどこかにずっと抱いていたのですが、そんな私たちで、繊維研究会の名に値するまでのショーを作り上げることができたのではないかと、今は思えます。かつて自分が繊維研究会に心をつかまれ、自分もこれを作り上げる側になってみたい!と突き動かされたように、このショーを見て何か心を動かしてくださった人が一人でもいたとしたら、そんなにうれしいことはありません。

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資生堂魚谷雅彦会長CEO、本日付で退任  資生堂での10年間を振り返る

資生堂の魚谷雅彦会長CEOは2024年12月31日に任期満了を迎え、2025年1月1日には藤原憲太郎・代表執行役社長COOに自らの職と経営権を譲る。退任を目前に控える中、魚谷氏がニューヨークで米「WWD」のインタビューに応じた。

同氏は11月から上海、ソウル、台北、香港を巡り、12月初旬に最終地としてニューヨークを訪問したが、これは退任を労う送別の旅ではなかった。以前から社交的な人として知られる魚谷氏にとって、3万6000人の従業員や美容部員と­­コミュニケーションを図るため、定期的に行ってきたタウンホールミーティングの一環だ。自らの哲学について、「CEOとして突然目の前に現れ、『私たちが直面している問題について話してほしい』と語りかけるだけではダメだ。常に情熱と熱意を持って共通の言語で人々と話し、真につながる必要がある」と説く。

1983年にコロンビア大学経営大学院で経営学を学んでMBAを取得し、デール・カーネギー(Dale Carnegie)の講義でリーダーシップのスキルを磨いた魚谷氏は、日本コカ・コーラで社長、会長を歴任後、2014年に初の外部出身者として資生堂の社長CEOに就任した。日本最大のビューティ企業である資生堂を、日本企業として世界中に商品を販売する会社から、市場のダイナミズムと多様性を反映したグローバル企業へと変革させるというミッションを掲げた。「真のグローバル企業とは、金融アナリストのように国内外のビジネスを数字で分析する企業ではない。人材と文化の多様性が欠かせない。さまざまな場所で、異なる背景を持つ者たちが一緒に働く時、革新的なイノベーションが生まれると信じている」と魚谷氏はいう。

魚谷氏の功績には、同社の公用語を英語にしたことや、日本の官僚主義的なビジネス文化や制約を解体し、経営幹部にグローバルな人材を起用したことも含まれる。例えば、アンジェリカ・マンソン(Angelica Munson)=グローバル最高デジタル責任者は、ニューヨークでeコマースのグローバル上級副社長として入社し、5年後に東京への移住を経て経営幹部となった。現在はインド、ブラジル、中国の幹部を含むチームを統括している。また、資生堂は中途採用を強化し、美容業界内外から毎年約200人の新しい人材を積極的に採用している。「資生堂は学びを共有できる、興味深い文化を築き上げた。他社とは一線を画すハイブリッドな文化が生まれている」と魚谷氏はいう。

就任時、資生堂は低迷の最中だった。その後10年間で魚谷氏は資生堂を中国で重要なプレーヤーに育て上げ、クリーンビューティブランド「ドランク エレファント(DRUNK ELEPHANT)」を買収するなどいち早く急成長するカテゴリーに着目し、次世代につなぐ未来への基盤を築いた。

在任期間の最初の5年間で同社の業績は改善したものの、特にコロナの影響でここ3年間は苦戦を強いられていた。その後国内事業はパンデミックを経て回復したが、中国市場の減速により同社の営業利益は急落した。だが魚谷氏は、中国事業は今後2〜3年で回復すると信じており、中国でのプレステージブランド事業は依然として好調で、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」などが売り上げをけん引していることを強調している。

パンデミック以降は、資生堂を世界最高のスキンビューティカンパニーに育成するための戦略投資を強化し、戦略に不要な資産の売却にも徹した。「厳しい状況にある時は、自分の強みと弱みを俯瞰し、自分の強みに集中する必要がある。研究開発、テクノロジー、科学、美容部員、消費者とのつながり、約1億人のデータベースなど、スキンケアは当社が最も強みを持つ分野であることは明らかだ。私はスキンビューティと名付けたが、これはウェルビーイングの概念にも通ずるだろう。体の健康状態、肌の状態、良好な精神状態、これら3つの要素は相互に関連している」。

現職を退任後も、その活躍の勢いは止まることを知らない。日本経済団体連合会(経団連)のダイバーシティ推進委員会委員長を務め、女性活躍を推進するために選択的夫婦別姓制度の早期実現を求める提言書を提出。また、次世代のビジネスリーダーを育成するための教育機関「Shiseido Future University」で講義も行い、ヘアスタイリスト、メイクアップアーティスト、美容師を養成する資生堂ビューティアカデミーの理事長も務めている。2月にはダートマス大学とハーバードビジネススクールでの講演も依頼され、デジタル領域で多くの支援実績を持つアクセンチュア(ACCENTURE)の取締役にも就任するなど精力的だ。時代や形が変わっても彼のビジョンは決して変わらない。

魚谷氏は最後に、「私は後継者に、グローバルな専門知識のファシリテーターになるように伝えた。われわれが築き上げたグローバルな組織をとても誇りに思っている。国や文化の垣根を越えた人々がグローバルチームとして協力し合えば、素晴らしい多くのアイデアが生まれる。そしてそれが新しい未来を切り開くことになる」と語った。

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資生堂魚谷雅彦会長CEO、本日付で退任  資生堂での10年間を振り返る

資生堂の魚谷雅彦会長CEOは2024年12月31日に任期満了を迎え、2025年1月1日には藤原憲太郎・代表執行役社長COOに自らの職と経営権を譲る。退任を目前に控える中、魚谷氏がニューヨークで米「WWD」のインタビューに応じた。

同氏は11月から上海、ソウル、台北、香港を巡り、12月初旬に最終地としてニューヨークを訪問したが、これは退任を労う送別の旅ではなかった。以前から社交的な人として知られる魚谷氏にとって、3万6000人の従業員や美容部員と­­コミュニケーションを図るため、定期的に行ってきたタウンホールミーティングの一環だ。自らの哲学について、「CEOとして突然目の前に現れ、『私たちが直面している問題について話してほしい』と語りかけるだけではダメだ。常に情熱と熱意を持って共通の言語で人々と話し、真につながる必要がある」と説く。

1983年にコロンビア大学経営大学院で経営学を学んでMBAを取得し、デール・カーネギー(Dale Carnegie)の講義でリーダーシップのスキルを磨いた魚谷氏は、日本コカ・コーラで社長、会長を歴任後、2014年に初の外部出身者として資生堂の社長CEOに就任した。日本最大のビューティ企業である資生堂を、日本企業として世界中に商品を販売する会社から、市場のダイナミズムと多様性を反映したグローバル企業へと変革させるというミッションを掲げた。「真のグローバル企業とは、金融アナリストのように国内外のビジネスを数字で分析する企業ではない。人材と文化の多様性が欠かせない。さまざまな場所で、異なる背景を持つ者たちが一緒に働く時、革新的なイノベーションが生まれると信じている」と魚谷氏はいう。

魚谷氏の功績には、同社の公用語を英語にしたことや、日本の官僚主義的なビジネス文化や制約を解体し、経営幹部にグローバルな人材を起用したことも含まれる。例えば、アンジェリカ・マンソン(Angelica Munson)=グローバル最高デジタル責任者は、ニューヨークでeコマースのグローバル上級副社長として入社し、5年後に東京への移住を経て経営幹部となった。現在はインド、ブラジル、中国の幹部を含むチームを統括している。また、資生堂は中途採用を強化し、美容業界内外から毎年約200人の新しい人材を積極的に採用している。「資生堂は学びを共有できる、興味深い文化を築き上げた。他社とは一線を画すハイブリッドな文化が生まれている」と魚谷氏はいう。

就任時、資生堂は低迷の最中だった。その後10年間で魚谷氏は資生堂を中国で重要なプレーヤーに育て上げ、クリーンビューティブランド「ドランク エレファント(DRUNK ELEPHANT)」を買収するなどいち早く急成長するカテゴリーに着目し、次世代につなぐ未来への基盤を築いた。

在任期間の最初の5年間で同社の業績は改善したものの、特にコロナの影響でここ3年間は苦戦を強いられていた。その後国内事業はパンデミックを経て回復したが、中国市場の減速により同社の営業利益は急落した。だが魚谷氏は、中国事業は今後2〜3年で回復すると信じており、中国でのプレステージブランド事業は依然として好調で、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」などが売り上げをけん引していることを強調している。

パンデミック以降は、資生堂を世界最高のスキンビューティカンパニーに育成するための戦略投資を強化し、戦略に不要な資産の売却にも徹した。「厳しい状況にある時は、自分の強みと弱みを俯瞰し、自分の強みに集中する必要がある。研究開発、テクノロジー、科学、美容部員、消費者とのつながり、約1億人のデータベースなど、スキンケアは当社が最も強みを持つ分野であることは明らかだ。私はスキンビューティと名付けたが、これはウェルビーイングの概念にも通ずるだろう。体の健康状態、肌の状態、良好な精神状態、これら3つの要素は相互に関連している」。

現職を退任後も、その活躍の勢いは止まることを知らない。日本経済団体連合会(経団連)のダイバーシティ推進委員会委員長を務め、女性活躍を推進するために選択的夫婦別姓制度の早期実現を求める提言書を提出。また、次世代のビジネスリーダーを育成するための教育機関「Shiseido Future University」で講義も行い、ヘアスタイリスト、メイクアップアーティスト、美容師を養成する資生堂ビューティアカデミーの理事長も務めている。2月にはダートマス大学とハーバードビジネススクールでの講演も依頼され、デジタル領域で多くの支援実績を持つアクセンチュア(ACCENTURE)の取締役にも就任するなど精力的だ。時代や形が変わっても彼のビジョンは決して変わらない。

魚谷氏は最後に、「私は後継者に、グローバルな専門知識のファシリテーターになるように伝えた。われわれが築き上げたグローバルな組織をとても誇りに思っている。国や文化の垣根を越えた人々がグローバルチームとして協力し合えば、素晴らしい多くのアイデアが生まれる。そしてそれが新しい未来を切り開くことになる」と語った。

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“量より質”を体現するシャンパーニュ「テルモン」 元新聞記者のCEO右腕が語る「サステナにプランBはない」

環境に優しいシャンパーニュ「テルモン(TELMONT)」は、シャンパーニュ業界で最もサステナビリティに力を入れているブランドの代表格だ。“母なる自然の名のもとに”を掲げ、ブドウの有機栽培から輸送は海輸のみと徹底したサステナブルな企業活動を通して、シャンパーニュ業界に革新をもたらすと同時に、“量より質”をモットーにクオリティの高いシャンパーニュを届けている。「テルモン」を率いるのは、ルドヴィック・ドゥ・プレシ=テルモン最高経営責任者(CEO)。彼の右腕が、ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクターだ。元々はフランスの新聞「ル・モンド(LE MONDE)」の記者だったというミードに、記者からシャンパーニュメゾンの運営へ転身した道のりや“ソバーキュリオス”の動きなどについて聞いた。

WWD:「ル・モンド」の記者からアルコール業界へ転換したきっかけは?
ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクター(以下、ミード):記者として働き、コミュニケーション・エージェンシーでの経験もある。もともとお酒には興味があったし、記者としてではなく、違った視点で素晴らしい製品の重みのあるストーリーを伝えたいと思いモエ ヘネシーに転職し、シャンパーニュの世界を発見した。記者とシャンパーニュ業界での仕事を比較してみると、共通点がたくさんある。両方共、“真正性”や“情熱”が必須だし、真実に対する敬意がなくてはできない仕事だ。それからコニャックの世界に進んだ。
WWD:プレシCEOとの出会いや「テルモン」に携わるようになったきっかけは?
ミード:ルドヴィックとは、レミーコアントローの世界最高級コニャック「ルイ13世(LOUISⅠⅢ)」の仕事で出会った。彼がグローバル・ディレクターで、私はシニア・ブランド・マネジャーだったが、彼のチャレンジング精神とエネルギーに共感し、すぐに意気投合した。シャンパーニュもコニャックも高級で素晴らしい味わいが特徴。どちらも、自然の産物であるブドウがなければ作ることはできない。だから、徐々に自然やそれを育む地球を大切にするべきだという思いが芽生えた。それなしでは、これら最高の味わいは生まれないから。だから、ルドヴィックから環境に優しいシャンパーニュ「テルモン」の事業を手伝ってほしいと言われて「イエス」と即答したよ。「テルモン」はブドウ農家のシャンパーニュメゾンに対する暴動により1912年にアンリ・ロピタルが創業した。彼はブドウ作りを熟知しており、シャンパーニュも自分で作ろうと始めた当時のスタートアップ企業だ。ブドウ作りとシャンパーニュ作りは同じという精神を引き継ぎ、ルドヴィックとメゾンに第二次革命を起こしているところだ。

100年後にシャンパーニュを楽しむためにはプランBはない

WWD:数多くあるシャンパーニュブランドの中で「テルモン」の強みは?
ミード:シャンパーニュそのものが強みだ。それは、テロワール(ブドウが栽培される土地)そのものを表している。ボディーはしっかりしているけれども、とても軽やかな余韻がある点。フルーティで生命力があり、繊細な泡が特徴。それは、原料であるブドウの味に左右される。高品質のシャンパーニュをつくるには、いいブドウを栽培する必要がある。創業時からのブドウ作り=シャンパーニュ作りという考えを引き継ぎ、セラーマスターのベルトラン・ロピタルが1999年に有機栽培を始めた。畑を有機にすることは、新しい言語を学ぶほど大変なこと。長年かけて土壌を改善し、ここ数年で、除草剤、殺虫剤、防カビ剤、化学肥料を全く使用せず、100%の再生有機栽培に切り替えた。25年かけて生まれた完全有機栽培のブドウを使用したシャンパーニュは全体の約5%だ。
WWD:サステナビリティやトレーサビリティーへの取り組みには時間と投資が必要だが、ビジネス活動の主軸にそれを掲げるのは?
ミード:プランBは存在しないから。50年後、100年後にシャンパーニュを楽しみたいと思ったら、徹底したサステナビリティやトレーサビリティの活動を実行する以外に方法はない。われわれはサステナビリティへの取り組みを制限とは考えない。ビジネス活動を日々より良くする変化をもたらし、革新する大きなチャンスだと見ている。
WWD:具体的に行っている活動は?
ミード:まず、ギフトボックスを廃止。ボトルもリサイクルガラスを使用した色付きのボトルに切り替えて二酸化炭素の削減を行っている。「テルモン」は、グラスメーカーのヴェラリアと協業でシャンパーニュボトルとしては最軽量の800gのボトル(通常900g~1kg)を製作し、軽量化に成功した。通常は特許を取得し、他社との差別化を図るが、敢えてオープンソースにしている。より多くのシャンパーニュ業者がこの軽量ボトルを使用することで二酸化炭素排出量を減らせるから。「テルモン」の活動が小川だとしたら、それが業界全体に広がることで大きな川へとなる。オフィスや工場は全て再生エネルギーを使用しているし、トラクターもバイオ燃料に切り掛えた。通勤も全員、電車と自転車。雨の日は合羽を着て通勤しているよ。このように徹底的にサステナビリティにコミットすることで、「テルモン」は2050年までにネットゼロを達成した最初のシャンパーニュハウスになることを目指す。

品質や体験を重要視する“ソバーキュリアス”に商機あり

WWD:現在の課題は?
ミード:シャンパーニュの味自体やそれを製造する方法など、まだまだやることはたくさんある。サステナビリティの道は長い。「テルモン」のサステナビリティをビジネスの軸に据えた活動に続くワイン醸造家が増えることを期待している。
WWD:「テルモン」をより多くの人々に知ってもらうために行っていることは?
ミード:「テルモン」は、サステナビリティに関して一才妥協せずに、最高品質のシャンパーニュを提供するメゾンであることを伝える役割がある。われわれと共感してくれるディストリビューターやレストランなどとの関係性を築くのはもちろん、ラグジュアリー・ブランドをはじめ、サステナビリティ活動を積極的に行っているさまざまな他業種の会社とコラボレーションしている。イギリス発自転車「ブロンプトン(BROMPTON)」と協業でエコなワインツーリズムも提供している。パリから電車と「ブロンプトン」の自転車を使って、「テルモン」本社へ訪れるというものだ。
WWD:“ソバーキュリアス”の動きが広がり、アルコールフリーの飲料が増えているが、現在のアルコール業界をどのように分析するか?
ミード:ソバーキュリアスの動きは、確かにわれわれの業界に影響をもたらしている。それは、お酒の飲み方に対する意識が高まっているということ。「テルモン」のような量よりも品質や体験を重要視するブランドにとってはいい傾向だと思う。われわれにとって、この動きはポジティブなものでブランドの哲学ともマッチしている。高級アルコール飲料の未来は、透明性を持って本物と意味ある体験を提供することにあると思う。

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“量より質”を体現するシャンパーニュ「テルモン」 元新聞記者のCEO右腕が語る「サステナにプランBはない」

環境に優しいシャンパーニュ「テルモン(TELMONT)」は、シャンパーニュ業界で最もサステナビリティに力を入れているブランドの代表格だ。“母なる自然の名のもとに”を掲げ、ブドウの有機栽培から輸送は海輸のみと徹底したサステナブルな企業活動を通して、シャンパーニュ業界に革新をもたらすと同時に、“量より質”をモットーにクオリティの高いシャンパーニュを届けている。「テルモン」を率いるのは、ルドヴィック・ドゥ・プレシ=テルモン最高経営責任者(CEO)。彼の右腕が、ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクターだ。元々はフランスの新聞「ル・モンド(LE MONDE)」の記者だったというミードに、記者からシャンパーニュメゾンの運営へ転身した道のりや“ソバーキュリオス”の動きなどについて聞いた。

WWD:「ル・モンド」の記者からアルコール業界へ転換したきっかけは?
ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクター(以下、ミード):記者として働き、コミュニケーション・エージェンシーでの経験もある。もともとお酒には興味があったし、記者としてではなく、違った視点で素晴らしい製品の重みのあるストーリーを伝えたいと思いモエ ヘネシーに転職し、シャンパーニュの世界を発見した。記者とシャンパーニュ業界での仕事を比較してみると、共通点がたくさんある。両方共、“真正性”や“情熱”が必須だし、真実に対する敬意がなくてはできない仕事だ。それからコニャックの世界に進んだ。
WWD:プレシCEOとの出会いや「テルモン」に携わるようになったきっかけは?
ミード:ルドヴィックとは、レミーコアントローの世界最高級コニャック「ルイ13世(LOUISⅠⅢ)」の仕事で出会った。彼がグローバル・ディレクターで、私はシニア・ブランド・マネジャーだったが、彼のチャレンジング精神とエネルギーに共感し、すぐに意気投合した。シャンパーニュもコニャックも高級で素晴らしい味わいが特徴。どちらも、自然の産物であるブドウがなければ作ることはできない。だから、徐々に自然やそれを育む地球を大切にするべきだという思いが芽生えた。それなしでは、これら最高の味わいは生まれないから。だから、ルドヴィックから環境に優しいシャンパーニュ「テルモン」の事業を手伝ってほしいと言われて「イエス」と即答したよ。「テルモン」はブドウ農家のシャンパーニュメゾンに対する暴動により1912年にアンリ・ロピタルが創業した。彼はブドウ作りを熟知しており、シャンパーニュも自分で作ろうと始めた当時のスタートアップ企業だ。ブドウ作りとシャンパーニュ作りは同じという精神を引き継ぎ、ルドヴィックとメゾンに第二次革命を起こしているところだ。

100年後にシャンパーニュを楽しむためにはプランBはない

WWD:数多くあるシャンパーニュブランドの中で「テルモン」の強みは?
ミード:シャンパーニュそのものが強みだ。それは、テロワール(ブドウが栽培される土地)そのものを表している。ボディーはしっかりしているけれども、とても軽やかな余韻がある点。フルーティで生命力があり、繊細な泡が特徴。それは、原料であるブドウの味に左右される。高品質のシャンパーニュをつくるには、いいブドウを栽培する必要がある。創業時からのブドウ作り=シャンパーニュ作りという考えを引き継ぎ、セラーマスターのベルトラン・ロピタルが1999年に有機栽培を始めた。畑を有機にすることは、新しい言語を学ぶほど大変なこと。長年かけて土壌を改善し、ここ数年で、除草剤、殺虫剤、防カビ剤、化学肥料を全く使用せず、100%の再生有機栽培に切り替えた。25年かけて生まれた完全有機栽培のブドウを使用したシャンパーニュは全体の約5%だ。
WWD:サステナビリティやトレーサビリティーへの取り組みには時間と投資が必要だが、ビジネス活動の主軸にそれを掲げるのは?
ミード:プランBは存在しないから。50年後、100年後にシャンパーニュを楽しみたいと思ったら、徹底したサステナビリティやトレーサビリティの活動を実行する以外に方法はない。われわれはサステナビリティへの取り組みを制限とは考えない。ビジネス活動を日々より良くする変化をもたらし、革新する大きなチャンスだと見ている。
WWD:具体的に行っている活動は?
ミード:まず、ギフトボックスを廃止。ボトルもリサイクルガラスを使用した色付きのボトルに切り替えて二酸化炭素の削減を行っている。「テルモン」は、グラスメーカーのヴェラリアと協業でシャンパーニュボトルとしては最軽量の800gのボトル(通常900g~1kg)を製作し、軽量化に成功した。通常は特許を取得し、他社との差別化を図るが、敢えてオープンソースにしている。より多くのシャンパーニュ業者がこの軽量ボトルを使用することで二酸化炭素排出量を減らせるから。「テルモン」の活動が小川だとしたら、それが業界全体に広がることで大きな川へとなる。オフィスや工場は全て再生エネルギーを使用しているし、トラクターもバイオ燃料に切り掛えた。通勤も全員、電車と自転車。雨の日は合羽を着て通勤しているよ。このように徹底的にサステナビリティにコミットすることで、「テルモン」は2050年までにネットゼロを達成した最初のシャンパーニュハウスになることを目指す。

品質や体験を重要視する“ソバーキュリアス”に商機あり

WWD:現在の課題は?
ミード:シャンパーニュの味自体やそれを製造する方法など、まだまだやることはたくさんある。サステナビリティの道は長い。「テルモン」のサステナビリティをビジネスの軸に据えた活動に続くワイン醸造家が増えることを期待している。
WWD:「テルモン」をより多くの人々に知ってもらうために行っていることは?
ミード:「テルモン」は、サステナビリティに関して一才妥協せずに、最高品質のシャンパーニュを提供するメゾンであることを伝える役割がある。われわれと共感してくれるディストリビューターやレストランなどとの関係性を築くのはもちろん、ラグジュアリー・ブランドをはじめ、サステナビリティ活動を積極的に行っているさまざまな他業種の会社とコラボレーションしている。イギリス発自転車「ブロンプトン(BROMPTON)」と協業でエコなワインツーリズムも提供している。パリから電車と「ブロンプトン」の自転車を使って、「テルモン」本社へ訪れるというものだ。
WWD:“ソバーキュリアス”の動きが広がり、アルコールフリーの飲料が増えているが、現在のアルコール業界をどのように分析するか?
ミード:ソバーキュリアスの動きは、確かにわれわれの業界に影響をもたらしている。それは、お酒の飲み方に対する意識が高まっているということ。「テルモン」のような量よりも品質や体験を重要視するブランドにとってはいい傾向だと思う。われわれにとって、この動きはポジティブなものでブランドの哲学ともマッチしている。高級アルコール飲料の未来は、透明性を持って本物と意味ある体験を提供することにあると思う。

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「ロンシャン」3代目が語る 「創造力とは冷蔵庫の余り物から一品作り上げる力」の意味

PROFILE: ソフィ・ドゥラフォンテーヌ/「ロンシャン」クリエイティブ・ディレクター

ソフィ・ドゥラフォンテーヌ/「ロンシャン」クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 「ロンシャン」創業家の3代目。1968年にフランスに生まれる。1995年の入社以来、長きにわたりクリエイティブ・ディレクターとしてメゾンを統括している PHOTO:KAZUO YOSHIDA

「ロンシャン(LONGCHAMP)」は近年、“現代のパリジェンヌ”を題材にコレクションを発表している。パリジェンヌといえば、トレンチコートやバギーパンツ、赤リップを身につけたパリ生まれの女性を想像するが、同ブランドが打ち出すのは、多様なバックグラウンドを持ちながらパリで人生を謳歌する女性たちだ。彼女たちの生き方や哲学に着想したコレクションを発表し、誰もがパリジェンヌになれると訴える。このほど来日したソフィ・ドゥラフォンテーヌ(Sophie Delafontaine)クリエイティブ・ディレクターに、2025年夏コレクションやアイコンバッグに抱く思い、ファミリービジネスの功罪、バッグ市場の見解などを聞いた。

夏コレクションの着想源は家庭菜園

WWD:2025年の夏コレクションについて教えてほしい。

ソフィ・ドゥラフォンテーヌ(以下、ドゥラフォンテーヌ):今季は「“現代のパリジェンヌ”がパリ郊外の菜園で家族や友人と過ごす姿」をルックで表現した。ガーデナーのエプロンに着想したドレスは、コレクションの象徴的な存在だ。あたたかなギンガムチェックを取り入れたルックも多く登場する。カラーパレットにも注目してほしい。「LIVE GREEN」をテーマに掲げ、夏の自然を思わせるグリーンをキーカラーとして打ち出しつつ、ビーツやアーティチョークなど、さまざまな野菜由来のカラーを取り入れた。

WWD:25年春コレクションは、ピンクをふんだんに取り入れた都会的なルックが印象的だった。今季、舞台をパリ郊外に移したのはなぜか?

ドゥラフォンテーヌ:大都会が持つエネルギーももちろん好きだが、時に喧騒から逃れ、自然に身を委ねたくなる。私自身、週末にファミリーハウスで過ごす穏やかな時間は、ただ楽しいだけでなくリセットの時間にもなっている。都会に生きるからこそ、自然と触れ合う時間を大切にしたい。その思いをコレクションで表現した。

WWD:今季は「菜園」がキーワードになっている。個人的な思い入れがあるのか?

ドゥラフォンテーヌ:若年層を中心に、「何を食べているのか」「それらがどのように作られたのか」に意識的になっている印象がある。私自身もパリ近郊の住居と南フランスの別荘に2つ菜園を持っており、家族や友人とトマトやズッキーニを育てたり、収穫した野菜でサラダを作るなど、家庭菜園を楽しんでいる。収穫した野菜から季節を感じられるのも、都会ではなかなか体験できないことだろう。

WWD:バッグもコレクションテーマを体現している。

ドゥラフォンテーヌ:野菜由来のカラーやギンガムチェックで彩った“ル ロゾ”はもちろん、青果市場に行くときに使用するバッグに着想したアイテム(※ルック画像2枚目)も今季らしいアイテムだ。

アイコニックなバッグの数々

WWD:「ロンシャン」と言えばバッグを思い浮かべる人も多い。まずは、代表格の“ル プリアージュ”について教えてほしい。

ドゥラフォンテーヌ:“ル プリアージュ”は、私の父が作ったバッグだ。シンプルでアイコニックな佇まいを両立するのは至難の技だが、“ル プリアージュ”は発売当初から実現している。「軽さ」「多彩さ」「自由さ」など、「ロンシャン」のモノ作りのスピリットを体現しているのも、ロングセラーである理由だろう。これまでさまざまなカラーや素材、コラボレーションを試してきたが、“ル プリアージュ”の可能性は無限。これからも世代や性別、国籍を問わず愛されるバッグであり続けたいと思う。

WWD:“ル ロゾ”も30周年を迎え、ロングセラーのバッグとして名高い。

ドゥラフォンテーヌ:流行り廃りが激しいファッション業界において、時代を超え愛されるバッグを生み出せたことを誇りに思う。“ル ロゾ”はこれまで、さまざまなデザインを試してきた。発売当初は、スマートフォンもなく荷物が多くなりがちだったため、“ル ロゾ”のサイズ感は多くの人々の心をつかんだことだろう。

WWD:比較的新しい“リプレイ”シリーズも、着実にファンを増やしている。

ドゥラフォンテーヌ:“リプレイ”は、メゾンで眠っていたストック素材をバッグに活用したシリーズだ。そのため、ストラップをバスケット型のバッグにしたり、レザーをクロスボディバッグにしたりと、使用する素材やカラーはシーズンごとに異なる。ただサステナブルなだけでない、素材やサプライヤーにこだわりを持つ「ロンシャン」ならではのシリーズだと言えるだろう。

WWD:「ロンシャン」は、ただサステナビリティに向き合うだけでなく、楽しみながらエコフレンドリーなモノ作りに取り組んでいるのが印象的だ。

ドゥラフォンテーヌ:サステナビリティとは、本来楽しく喜びをもたらすもの。そしてファッションの醍醐味も、装う楽しさを届けることだ。“リプレイ”を生み出す過程は、レシピを持って買い物へ行くというより、冷蔵庫の余り物をもとに料理する感覚に近い。ちょうど祖母が残ったフランスパンでフレンチトーストを作るように、材料を目の前に置き、そこから何かを生み出せるようなクリエイティビティーが求められている。

ファミリービジネスが広げるブランドの可能性

WWD:「ロンシャン」は、伝統的にファミリービジネスの形態をとっている。

ドゥラフォンテーヌ:ファミリービジネスは何事も長期的な視点に立ち考えられるのが強みだ。例えば、父が初来日した1960年代から、私たち家族、すなわち「ロンシャン」と日本の関係は絶えず続いている。加えて、家族だからこそ何事も率直に打ち明けられる。兄弟から「このバッグは良くない」と厳しい意見をもらうこともあるが、それもより良い商品を企画・製作するため。私も主張するため議論は続くが、5日後にはいつも通りの会話をしている。集まるのが容易なため、決断が早いことも大きなアドバンテージだろう。

WWD:家族経営だからこそ、さまざまな世代が集まる。

ドゥラフォンテーヌ:私の父がそうであったように、私もクリエイティブ・ディレクターとして、好奇心を持って人や文化に触れてきた。その経験が娘や甥に影響を与えることもあるだろうが、私自身も彼女たちが持つ若年層の視点を必要としている。お互いをインスパイアし合っているからこそ、「ロンシャン」の世代を超えて愛されるプロダクトが誕生している。

WWD:日本市場をどう見ているか?

ドゥラフォンテーヌ:日本市場と欧州市場は年々似通ってきている。昔こそ日本は小さめのバッグ、欧州は大きめのバッグが売れ筋だったが、今年のベストセラーは全く同じだった。そもそも、「ロンシャン」は国境で分けて考えることはしない。どこで生まれたか、どこに住んでいるかより、その人のライフスタイルやパーソナリティーに基づいて検討している。

WWD:その姿勢は、ロンシャンが定義する“現代のパリジェンヌ”に重なる。

ドゥラフォンテーヌ:私たちのミューズは、さまざまなバックグラウンドを持ちながら、あるがままの自分を楽しんでいる女性。そして、プロダクトを通して自信を与えるのが私の仕事だ。今後もクリエイティブ・ディレクターとしての役割を全うし、“現代のパリジェンヌ”が持つエネルギーをコレクションで表現し続けたい。

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「ロンシャン」3代目が語る 「創造力とは冷蔵庫の余り物から一品作り上げる力」の意味

PROFILE: ソフィ・ドゥラフォンテーヌ/「ロンシャン」クリエイティブ・ディレクター

ソフィ・ドゥラフォンテーヌ/「ロンシャン」クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 「ロンシャン」創業家の3代目。1968年にフランスに生まれる。1995年の入社以来、長きにわたりクリエイティブ・ディレクターとしてメゾンを統括している PHOTO:KAZUO YOSHIDA

「ロンシャン(LONGCHAMP)」は近年、“現代のパリジェンヌ”を題材にコレクションを発表している。パリジェンヌといえば、トレンチコートやバギーパンツ、赤リップを身につけたパリ生まれの女性を想像するが、同ブランドが打ち出すのは、多様なバックグラウンドを持ちながらパリで人生を謳歌する女性たちだ。彼女たちの生き方や哲学に着想したコレクションを発表し、誰もがパリジェンヌになれると訴える。このほど来日したソフィ・ドゥラフォンテーヌ(Sophie Delafontaine)クリエイティブ・ディレクターに、2025年夏コレクションやアイコンバッグに抱く思い、ファミリービジネスの功罪、バッグ市場の見解などを聞いた。

夏コレクションの着想源は家庭菜園

WWD:2025年の夏コレクションについて教えてほしい。

ソフィ・ドゥラフォンテーヌ(以下、ドゥラフォンテーヌ):今季は「“現代のパリジェンヌ”がパリ郊外の菜園で家族や友人と過ごす姿」をルックで表現した。ガーデナーのエプロンに着想したドレスは、コレクションの象徴的な存在だ。あたたかなギンガムチェックを取り入れたルックも多く登場する。カラーパレットにも注目してほしい。「LIVE GREEN」をテーマに掲げ、夏の自然を思わせるグリーンをキーカラーとして打ち出しつつ、ビーツやアーティチョークなど、さまざまな野菜由来のカラーを取り入れた。

WWD:25年春コレクションは、ピンクをふんだんに取り入れた都会的なルックが印象的だった。今季、舞台をパリ郊外に移したのはなぜか?

ドゥラフォンテーヌ:大都会が持つエネルギーももちろん好きだが、時に喧騒から逃れ、自然に身を委ねたくなる。私自身、週末にファミリーハウスで過ごす穏やかな時間は、ただ楽しいだけでなくリセットの時間にもなっている。都会に生きるからこそ、自然と触れ合う時間を大切にしたい。その思いをコレクションで表現した。

WWD:今季は「菜園」がキーワードになっている。個人的な思い入れがあるのか?

ドゥラフォンテーヌ:若年層を中心に、「何を食べているのか」「それらがどのように作られたのか」に意識的になっている印象がある。私自身もパリ近郊の住居と南フランスの別荘に2つ菜園を持っており、家族や友人とトマトやズッキーニを育てたり、収穫した野菜でサラダを作るなど、家庭菜園を楽しんでいる。収穫した野菜から季節を感じられるのも、都会ではなかなか体験できないことだろう。

WWD:バッグもコレクションテーマを体現している。

ドゥラフォンテーヌ:野菜由来のカラーやギンガムチェックで彩った“ル ロゾ”はもちろん、青果市場に行くときに使用するバッグに着想したアイテム(※ルック画像2枚目)も今季らしいアイテムだ。

アイコニックなバッグの数々

WWD:「ロンシャン」と言えばバッグを思い浮かべる人も多い。まずは、代表格の“ル プリアージュ”について教えてほしい。

ドゥラフォンテーヌ:“ル プリアージュ”は、私の父が作ったバッグだ。シンプルでアイコニックな佇まいを両立するのは至難の技だが、“ル プリアージュ”は発売当初から実現している。「軽さ」「多彩さ」「自由さ」など、「ロンシャン」のモノ作りのスピリットを体現しているのも、ロングセラーである理由だろう。これまでさまざまなカラーや素材、コラボレーションを試してきたが、“ル プリアージュ”の可能性は無限。これからも世代や性別、国籍を問わず愛されるバッグであり続けたいと思う。

WWD:“ル ロゾ”も30周年を迎え、ロングセラーのバッグとして名高い。

ドゥラフォンテーヌ:流行り廃りが激しいファッション業界において、時代を超え愛されるバッグを生み出せたことを誇りに思う。“ル ロゾ”はこれまで、さまざまなデザインを試してきた。発売当初は、スマートフォンもなく荷物が多くなりがちだったため、“ル ロゾ”のサイズ感は多くの人々の心をつかんだことだろう。

WWD:比較的新しい“リプレイ”シリーズも、着実にファンを増やしている。

ドゥラフォンテーヌ:“リプレイ”は、メゾンで眠っていたストック素材をバッグに活用したシリーズだ。そのため、ストラップをバスケット型のバッグにしたり、レザーをクロスボディバッグにしたりと、使用する素材やカラーはシーズンごとに異なる。ただサステナブルなだけでない、素材やサプライヤーにこだわりを持つ「ロンシャン」ならではのシリーズだと言えるだろう。

WWD:「ロンシャン」は、ただサステナビリティに向き合うだけでなく、楽しみながらエコフレンドリーなモノ作りに取り組んでいるのが印象的だ。

ドゥラフォンテーヌ:サステナビリティとは、本来楽しく喜びをもたらすもの。そしてファッションの醍醐味も、装う楽しさを届けることだ。“リプレイ”を生み出す過程は、レシピを持って買い物へ行くというより、冷蔵庫の余り物をもとに料理する感覚に近い。ちょうど祖母が残ったフランスパンでフレンチトーストを作るように、材料を目の前に置き、そこから何かを生み出せるようなクリエイティビティーが求められている。

ファミリービジネスが広げるブランドの可能性

WWD:「ロンシャン」は、伝統的にファミリービジネスの形態をとっている。

ドゥラフォンテーヌ:ファミリービジネスは何事も長期的な視点に立ち考えられるのが強みだ。例えば、父が初来日した1960年代から、私たち家族、すなわち「ロンシャン」と日本の関係は絶えず続いている。加えて、家族だからこそ何事も率直に打ち明けられる。兄弟から「このバッグは良くない」と厳しい意見をもらうこともあるが、それもより良い商品を企画・製作するため。私も主張するため議論は続くが、5日後にはいつも通りの会話をしている。集まるのが容易なため、決断が早いことも大きなアドバンテージだろう。

WWD:家族経営だからこそ、さまざまな世代が集まる。

ドゥラフォンテーヌ:私の父がそうであったように、私もクリエイティブ・ディレクターとして、好奇心を持って人や文化に触れてきた。その経験が娘や甥に影響を与えることもあるだろうが、私自身も彼女たちが持つ若年層の視点を必要としている。お互いをインスパイアし合っているからこそ、「ロンシャン」の世代を超えて愛されるプロダクトが誕生している。

WWD:日本市場をどう見ているか?

ドゥラフォンテーヌ:日本市場と欧州市場は年々似通ってきている。昔こそ日本は小さめのバッグ、欧州は大きめのバッグが売れ筋だったが、今年のベストセラーは全く同じだった。そもそも、「ロンシャン」は国境で分けて考えることはしない。どこで生まれたか、どこに住んでいるかより、その人のライフスタイルやパーソナリティーに基づいて検討している。

WWD:その姿勢は、ロンシャンが定義する“現代のパリジェンヌ”に重なる。

ドゥラフォンテーヌ:私たちのミューズは、さまざまなバックグラウンドを持ちながら、あるがままの自分を楽しんでいる女性。そして、プロダクトを通して自信を与えるのが私の仕事だ。今後もクリエイティブ・ディレクターとしての役割を全うし、“現代のパリジェンヌ”が持つエネルギーをコレクションで表現し続けたい。

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元アパレル販売員の整体師に聞く、販売員のためのお疲れリセット術

年も暮れるし、1年の溜まった疲れをリフレッシュしたいーー。そんなふうに思っているファッション&ビューティ業界人も多いことだろう。パソコンとにらめっこの毎日で、「首肩の硬さでは誰にも負けない」というバックオフィス社員。立ちっぱなしの毎日で、そろそろ足腰が限界を迎えている販売員。そんな皆さんを満身創痍の体から解き放ってくれるのが整体師だ。

東京・都立大学駅から徒歩5分のアパートの一室に「やくも整体院」が今年6月に開業した。オーナー整体師の若林篤史さんは、元アパレル販売員という異色の経歴の持ち主。丁寧かつ的確な施術を受けながら、立ち仕事の販売員が酷使しがちな体の部位、仕事の合間にもできるコリ・疲れ対策のストレッチや姿勢の工夫について、販売員の経験を交えながらアドバイスしてもらった。

WWD:すてきな整体院ですね。

若林:ありがとうございます。整体院なので清潔感が第一ですが、インテリアや音楽も好きなので、これから少しずつ自分らしい空間にしていきたいと思っています。

WWD:元々アパレルの販売員をされていたと聞きました。

若林:長くメンズファッションブランドの販売職をしていました。当時は体の線が今よりも全然細かったので、体をもっと大きくしようとジムに通い始めたんです。それをきっかけに、筋肉や骨格など、人体そのものにも興味が湧いていって。一念発起して仕事を辞めたのが2019年でした。国の助成金制度も活用して専門学校に3年ほど通って柔道整復師の国家資格を取得し、整骨院で2年ほど経験を積んでから、今年6月に独立・開院しました。

WWD:販売員時代に整体のお世話になっていたこともあった?

若林:幸い体は丈夫で、それは全然なかったですね(笑)。

WWD:開院して半年経ちましたが、進捗はいかがですか?

若林:最初は赤字覚悟でした。インスタ経由の完全予約制でひっそりと始め、施術者は僕1人だけ。店の近くに看板も出していないので、めちゃくちゃ分かりにくいと思います。でも幸いなことに、アパレル時代の知り合いが訪ねて来てくれたり、そこから口コミで広めてくれたりして。結構リピーターも増えてきているんですよ。

WWD:得意な施術は?

若林:手技(マッサージ)はもちろんですが、電気を使ってピンポイントに痛みをとる施術には自信があります。少しだけ体験してみませんか?

WWD:では、お言葉に甘えて。

若林:肩と首がガチガチですね。働きすぎじゃありませんか?大胸筋と腸腰筋もなかなかですね。

WWD:あいたたた。もう大丈夫です。……あれ、ちょっと触っていただいただけなのに、すごくラクになりました。ありがとうございます。ところで若林さんは元アパレル販売員ということで、お疲れの販売員にアドバイスはありませんか?

若林:でしたら、まずは正しい立ち姿勢からお伝えしましょうか。販売員の方って、基本的に前傾姿勢になりすぎている傾向があります。おそらく、お客さまをお出迎えしたり、接客したりするときに、ちょっとかしこまる感じで、体が前屈みになるからなんですよね。前腿とお尻のあたりが張ってしまって、腰痛などの原因にもなっていきます。

WWD:なるほど。負担のない立ち方のコツは?

若林:カンタンです。足の親指と小指の付け根、それからかかとの3つの点が接地しているかを確認してみてください。おそらく販売員の方は、かかとが浮いてしまっている方が多いのではないでしょうか。まずは、この3点で立つことを意識するだけでも、だいぶ変わるはずです。

それから販売員さんだと、店頭の品出しや整理で屈んだりする動作がキツいですよね。低いところの作業をするときは、横着をせず、「膝をしっかり曲げて」屈んでください。これも腰への負担を減らすポイントです。

WWD:仕事の合間にできそうなストレッチはありますか?

若林:お客さまの波が切れたタイミングで手軽にできて、かつ店長に怒られないような手軽なものを教えましょう(笑)。1つめはカンタン。片足立ちになって、体の後ろでつま先を持つだけ。これで縮こまった前腿を引き伸ばせます。片足10秒ずつくらいやってみてください。

次はこちら。体育の授業でよくやったアキレス腱を伸ばす運動に似て見えるんですが、効かせる場所はそけい部、つまり太ももの付け根のあたりを意識してください。少し反り返るようなイメージでやるといいと思います。

最後はこちら。休憩室の椅子に座ってやってみてください。足首をもう片方の膝に乗せて、体をグッと地面の方に伸ばします。お尻のあたりが引き伸ばされる感じがしませんか?

これらの3つを行うことで、前腿、そけい部、お尻の筋肉をほぐして、立ち仕事の疲れや重さ、だるさを軽減できるはず。大前提として、最初にお伝えした「3点で立つ」ことを意識してくださいね。それでも取れない疲れや辛さがあれば、当院にお越しください(笑)。

WWD:アパレルの仕事が今に生きていることはありますか?

若林:独立する前から「若林さんって丁寧だね」と褒められることは多かったように思います。言葉づかいや接遇の丁寧さは販売員時代にすごく意識していて、鍛えられた部分です。アパレルも整体師も、ざっくり言って“接客業”ということに変わりはないので。整体師としての技量だけでなく、お客さまのコミュニケーションはすごく大事だと思っています。

洋服を売るときも、その人の「欲しい」の裏側にある色やテイストの好み、暮らしまで見えてくると、より良い提案ができることを学びました。整体でもそれは同じで、じっくりお話をしたり、施術の回数を重ねる中でその人の暮らしや仕事、クセなどが想像できるようになってきて、的確な施術につながるのだと思います。

WWD:アパレルの仕事とは全く違うことも?

若林:やっぱり、人の体を預かるという責任は大きいですね。力の入れ方や圧をかける部分を間違えると、かえって状態を悪くしてしまいかねません。それから、アパレル時代はお客さまに「また来ていただきたい」と願ったものですが、整骨院では施術を受けた方ががずっと調子が良くなって、もう二度と来なくてよければ、それが一番だと思っていました。

ただこの「やくも整体院」は少し違うスタンスでやっていきたくて。一般的な整体院は回によって担当が変わることもありますし、繁忙期は十分にカウンセリングができないこともありますが、ここでは僕1人がカウンセリングから施術まで一貫して担当します。一度の訪問で終わらず、その後も定期的にご来院いただきながら、常に体を良い状態に保って頂きたい。体が徐々にいい方向に変わっていくことを、一緒に感動したり、喜んだりしながら、お客さま一人一人に寄り添える整体院にできればいいなと思っています。

■やくも整体院

住所:目黒区八雲1-12-20 アクティ八雲105
営業時間:10時〜21時(最終受付)
※インスタグラム(@yakumoseitai)から完全予約制
定休日:不定休

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元アパレル販売員の整体師に聞く、販売員のためのお疲れリセット術

年も暮れるし、1年の溜まった疲れをリフレッシュしたいーー。そんなふうに思っているファッション&ビューティ業界人も多いことだろう。パソコンとにらめっこの毎日で、「首肩の硬さでは誰にも負けない」というバックオフィス社員。立ちっぱなしの毎日で、そろそろ足腰が限界を迎えている販売員。そんな皆さんを満身創痍の体から解き放ってくれるのが整体師だ。

東京・都立大学駅から徒歩5分のアパートの一室に「やくも整体院」が今年6月に開業した。オーナー整体師の若林篤史さんは、元アパレル販売員という異色の経歴の持ち主。丁寧かつ的確な施術を受けながら、立ち仕事の販売員が酷使しがちな体の部位、仕事の合間にもできるコリ・疲れ対策のストレッチや姿勢の工夫について、販売員の経験を交えながらアドバイスしてもらった。

WWD:すてきな整体院ですね。

若林:ありがとうございます。整体院なので清潔感が第一ですが、インテリアや音楽も好きなので、これから少しずつ自分らしい空間にしていきたいと思っています。

WWD:元々アパレルの販売員をされていたと聞きました。

若林:長くメンズファッションブランドの販売職をしていました。当時は体の線が今よりも全然細かったので、体をもっと大きくしようとジムに通い始めたんです。それをきっかけに、筋肉や骨格など、人体そのものにも興味が湧いていって。一念発起して仕事を辞めたのが2019年でした。国の助成金制度も活用して専門学校に3年ほど通って柔道整復師の国家資格を取得し、整骨院で2年ほど経験を積んでから、今年6月に独立・開院しました。

WWD:販売員時代に整体のお世話になっていたこともあった?

若林:幸い体は丈夫で、それは全然なかったですね(笑)。

WWD:開院して半年経ちましたが、進捗はいかがですか?

若林:最初は赤字覚悟でした。インスタ経由の完全予約制でひっそりと始め、施術者は僕1人だけ。店の近くに看板も出していないので、めちゃくちゃ分かりにくいと思います。でも幸いなことに、アパレル時代の知り合いが訪ねて来てくれたり、そこから口コミで広めてくれたりして。結構リピーターも増えてきているんですよ。

WWD:得意な施術は?

若林:手技(マッサージ)はもちろんですが、電気を使ってピンポイントに痛みをとる施術には自信があります。少しだけ体験してみませんか?

WWD:では、お言葉に甘えて。

若林:肩と首がガチガチですね。働きすぎじゃありませんか?大胸筋と腸腰筋もなかなかですね。

WWD:あいたたた。もう大丈夫です。……あれ、ちょっと触っていただいただけなのに、すごくラクになりました。ありがとうございます。ところで若林さんは元アパレル販売員ということで、お疲れの販売員にアドバイスはありませんか?

若林:でしたら、まずは正しい立ち姿勢からお伝えしましょうか。販売員の方って、基本的に前傾姿勢になりすぎている傾向があります。おそらく、お客さまをお出迎えしたり、接客したりするときに、ちょっとかしこまる感じで、体が前屈みになるからなんですよね。前腿とお尻のあたりが張ってしまって、腰痛などの原因にもなっていきます。

WWD:なるほど。負担のない立ち方のコツは?

若林:カンタンです。足の親指と小指の付け根、それからかかとの3つの点が接地しているかを確認してみてください。おそらく販売員の方は、かかとが浮いてしまっている方が多いのではないでしょうか。まずは、この3点で立つことを意識するだけでも、だいぶ変わるはずです。

それから販売員さんだと、店頭の品出しや整理で屈んだりする動作がキツいですよね。低いところの作業をするときは、横着をせず、「膝をしっかり曲げて」屈んでください。これも腰への負担を減らすポイントです。

WWD:仕事の合間にできそうなストレッチはありますか?

若林:お客さまの波が切れたタイミングで手軽にできて、かつ店長に怒られないような手軽なものを教えましょう(笑)。1つめはカンタン。片足立ちになって、体の後ろでつま先を持つだけ。これで縮こまった前腿を引き伸ばせます。片足10秒ずつくらいやってみてください。

次はこちら。体育の授業でよくやったアキレス腱を伸ばす運動に似て見えるんですが、効かせる場所はそけい部、つまり太ももの付け根のあたりを意識してください。少し反り返るようなイメージでやるといいと思います。

最後はこちら。休憩室の椅子に座ってやってみてください。足首をもう片方の膝に乗せて、体をグッと地面の方に伸ばします。お尻のあたりが引き伸ばされる感じがしませんか?

これらの3つを行うことで、前腿、そけい部、お尻の筋肉をほぐして、立ち仕事の疲れや重さ、だるさを軽減できるはず。大前提として、最初にお伝えした「3点で立つ」ことを意識してくださいね。それでも取れない疲れや辛さがあれば、当院にお越しください(笑)。

WWD:アパレルの仕事が今に生きていることはありますか?

若林:独立する前から「若林さんって丁寧だね」と褒められることは多かったように思います。言葉づかいや接遇の丁寧さは販売員時代にすごく意識していて、鍛えられた部分です。アパレルも整体師も、ざっくり言って“接客業”ということに変わりはないので。整体師としての技量だけでなく、お客さまのコミュニケーションはすごく大事だと思っています。

洋服を売るときも、その人の「欲しい」の裏側にある色やテイストの好み、暮らしまで見えてくると、より良い提案ができることを学びました。整体でもそれは同じで、じっくりお話をしたり、施術の回数を重ねる中でその人の暮らしや仕事、クセなどが想像できるようになってきて、的確な施術につながるのだと思います。

WWD:アパレルの仕事とは全く違うことも?

若林:やっぱり、人の体を預かるという責任は大きいですね。力の入れ方や圧をかける部分を間違えると、かえって状態を悪くしてしまいかねません。それから、アパレル時代はお客さまに「また来ていただきたい」と願ったものですが、整骨院では施術を受けた方ががずっと調子が良くなって、もう二度と来なくてよければ、それが一番だと思っていました。

ただこの「やくも整体院」は少し違うスタンスでやっていきたくて。一般的な整体院は回によって担当が変わることもありますし、繁忙期は十分にカウンセリングができないこともありますが、ここでは僕1人がカウンセリングから施術まで一貫して担当します。一度の訪問で終わらず、その後も定期的にご来院いただきながら、常に体を良い状態に保って頂きたい。体が徐々にいい方向に変わっていくことを、一緒に感動したり、喜んだりしながら、お客さま一人一人に寄り添える整体院にできればいいなと思っています。

■やくも整体院

住所:目黒区八雲1-12-20 アクティ八雲105
営業時間:10時〜21時(最終受付)
※インスタグラム(@yakumoseitai)から完全予約制
定休日:不定休

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「フェティコ」舟山瑛美に聞く独特な女性像、そして日本の産地のモノ作り

PROFILE: 舟山瑛美/「フェティコ」デザイナー

舟山瑛美/「フェティコ」デザイナー
PROFILE: (ふなやま・えみ)高校卒業後に渡英、帰国後にエスモードジャポン東京校入学、2010年卒業。コレクションブランド等でデザイナーの経験を積み、2020年に「フェティコ」を立ち上げる。22年に「JFW ネクストブランドアワード2023」と 「東京ファッションアワード 2023」を受賞。 PHOTO:DAISUKE TAKEDA

「フェティコ(FETICO)」の登場は、多くの女性たちに勇気を与えている。大胆に肌を露出し、体のラインを強調するそのスタイルは日本のデザイナーズブランドでは珍しい。「自分の身体や欲望をありのまま愛でたい」。そんな女性たちの内なる声を「フェティコ」は代弁し、肯定してくれる。だから女性たちからの支持を得ているのだろう。ブランド立ち上げから4年目を迎え、改めてその世界観について、そして日本の産地を重んじるモノ作りの姿勢について舟山瑛美デザイナーに聞いた。

30歳になり、ある日スイッチが入りブランドを立ち上げる

WWD:ブランドのコンセプトは「The Figure:Feminine」。意味は「その姿、女性的」と詩的です。改めてその意味を教えて欲しい。

舟山瑛美「フェティコ」デザイナー(以下、舟山):ファッションの勉強をしている学生にはよくある話ですが、私も学生時代から、いつか自分のブランドを持ちたいという気持ちがありました。実現に至らないまま30歳になり、ある日スイッチが入ったのです。「他で吸収することはいったん終わりにして自分でモノ作りをしていこう」と決めました。決めたら次はコンセプトが重要。時代やトレンドが変わる中でも自分にとって変わらない軸は日本人女性であり、アジア人らしい体つきであること。そして私はいろいろな女性の体を美しいと感じる。だからそこを軸にしようと決めて言葉にしました。

WWD:スイッチが入ったきっかけは?

舟山:結婚をしたことかな。節目であり、今後の人生を考える一歩となりました。家族を持ったうえで自分が何をしたいか、と考えたとき、私の場合は子供以上にブランドを作りたい。そう自覚をして踏ん切りがつきました。彼がスタイリストで自分の名前で仕事をしており、それに憧れを持ったのもひとつの理由。自分の名前で仕事をしたい、と思いました。

そのタイミングで自分のウエディング用のドレスを作りました。長らくブランドに沿ったデザインをしてきたのですが、パタンナーとともに自分の納得がいく形を作り上げることが楽しくて、自分のブランドでそれを存分にする喜びを知りました。

WWD:企業デザイナー時代に吸収し、今の自分のベースになっていることは?

舟山:一番は「クリスチャンダダ(CHRISTIAN DADA)」時代に、パターンやサンプルを見ながらこれのどこを修正すればよりよくなるか、試行錯誤する中で感覚をつかんだことです。ダダでは、脱構築など入り組んだものを作っていたので、アイデアを商品に落とし込む経験を積んだことは大きかった。

あと、新卒で入った「ヒステリック グラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」は、担当アイテムを企画から生産まで一貫して見るという、少し変わった仕組みで服がどうやって工場に入り、付属がここで作られて、など基本的な服作りの流れを学びました。

WWD:感性的なことで外から受けた影響は?

舟山:それは不思議と、学生の頃からずっと変わらず。昔から体を強調する服が好きで大人になるにつれて、より深く広くなっている感覚はあります。

自分が魅力的であること、その見せ方をわかっている人に惹かれる

WWD:女性の体ってきれいだな、と最初に思ったのはいつですか?

舟山:高校生の頃からファッションを学んでおり、文化服装学院の夜間クラスで週一でヌードクロッキー実習を取ったときだと思います。いろいろな女性の体を描くことがとてもおもしろいと思った。人によってバランスが違ったり、単純にきれいだなと思ったり。

WWD:女性の体は色々な時代の芸術家のインスピレーションとなってきましたが、アーティストの視点から受けた影響はありますか?

舟山:衝撃を受けたのはロンドンで見た荒木経惟さん、アラーキーの展示です。高校卒業後に、ロンドンへ1年留学していたとき、荒木さんの大規模な展覧会があり、大きなプリント写真を見て、そのダークでエロティックな美しさには影響を受けました。

WWD:美しさ、を別の言葉にできますか?

舟山:官能性、だと思います。

WWD:官能性は他人に見出すもの?それとも自分に向けたもの?

舟山:人に感じ取れるものでもあるし、自分自身に思うところもあります。

WWD:日本の“官能性”は、襟足や足首の素肌をチラッと見せる、といった“隠す”方向にありますが、舟山さんの“官能性”の表現は、堂々としていますね。  

舟山:そうですね、自分で自分が魅力的であること、そしてその見せ方をわかっている人に惹かれるのだと思います。

WWD:女性にとって体は他人から「見られる」対象であり、どこか自分のものでない感覚がある人は多いと思う。「フェティコ」は「私の体」を自分側に取り戻してくれた。「好きだから見せる」という自発的で能動的な表現です。同時に「フェティコ」の中には、お姫様的な可愛さも共存しています。

舟山:少女性に惹かれるとことはあります。峰不二子みたいな“完璧なお姉さん”より、少しバランスが崩れているところが魅力的と感じます。

WWD:ブランド設立から4年が経ちました。

舟山:そうですね。私は洋服を作る仕事以外はできないから短期間で終わらせるつもりはなく、かといって一緒に始めたパタンナーと2人、自分たちが食べる分だけ稼げれば幸せだな、という感覚でもありました。

WWD:継続を決めてはいたけど、戦略的ではないのですね。振り返って何を思うことは?

舟山:作りたいものと世間が求めていることがマッチする部分がある、という感覚はつかめました。それを信じていけそう、が今の心境です。 最初に作ったボディコンシャスなニットドレスの反応が良くて「こういうブランドを待っていたよ!」といった声をもらい、こういう服を求めてくれる層がいるのだな、と気がつきました。ただ、関わる人が増えて、それぞれから「フェティコ」を広めてくれるようになっているから、より強いヴィジョンを示した方がよいのだろうな、と今は思う。発信するヴィジュアルやメッセージも大事です。

WWD:それもあってか、 2025年春夏コレクションはそれ以前と少し様子が変わりました。

舟山:いつもコレクションにはタイトルをつけずに制作を進めて、締め切りに追われながらムードをつかんでゆきます。核となる好きなコアがあり、リサーチすることでそこから一歩出た世界へ広げる感じです。

今回最初にピックアップしたのが、1980年代の雑誌「マリ・クレール」の旅支度をテーマにした一ページでした。 「アズディン アライア(AZZEDINE ALAIA)」を着たアフリカ系アメリカ人モデルのヴェロニカ・ウェブ(Veronica Webb)に惹かれ、そこから80年代のリサーチを進めてサスペンス映画「数に溺れて」もモチーフになりました。

WWD:珍しく色が使われていたのもそこから?

舟山:映画にはパステル調の色が使われていて、定番素材のチュールやシアー素材とパステルを組み合わせました。私は色を着ないのですが、ブランドを強くするために苦手に挑戦したい、というのもあります。ショーでスタイリングを担当している夫からは、いつも“また黒ばかり。もっと色ないの?”と聞かれます(笑)。

WWD:ブランドの世界観が明確になってくると、コラボレーションなどいろいろな声がけがありそうです。

舟山:次から次へと新しいことが起こることはいいことなのですが、今は起きたことに対処するのが精いっぱい。そろそろ、会社として中長期的なヴィジョンをちゃんと掲げたいと思っています。

日本の産地はなくてはならない存在。続いてもらわないと困る

WWD:ブランド紹介文には、“「フェティコ」のコレクションは日本国内の繊維産地や職人との取組みで丁寧に生産されています”とあります。これまで産地と取り組んできた中で印象的なものを教えてください。

舟山:2023-24年秋冬コレクションでお願いした、京都の職人さんによる着物用の引き染めは単純にとても美しいと思いました。着物用ではない、幅広の生地を前に3、4人で手で染めてゆく影像を見て驚きました。

WWD:2024-25秋冬コレクションのコルセットのようなトップスはベルベットですか?

舟山:はい。ベルベットが好きで通年で使います。こちらは北陸のベルベットに、桐生の刺しゅうでオリジナルの柄を入れました。刺しゅうにより収縮をかけることで凹凸感を出しています。スペシャルなピースです。スーツ地は尾州のものが多いです。

WWD:産地の生地を意識して使用する理由は?

舟山:最初の就職先である「ヒステリックグラマー」が新入社員を産地に連れて行ってくれる会社で、岡山の児島のデニムの工場の人たちに「新入社員、頑張れ~」などと声をかけてもらい、顔が見えてのモノづくりはよいなと思ったのが最初です。
自分のブランドを始めるときに「あの人にお願いしたい」と顔が浮かびました。「舟山さん始めるのか、じゃあ、一緒に頑張ろう」と言ってもらって嬉しかった。生地も縫製も顔が浮かぶ人たちと仕事をしたいという気持ちがあります。

WWD:顔が浮かぶ人との仕事は何がよいのでしょうか?

舟山:小さい工場さんも多いのですが、自分ごとにように扱ってくれます。仕事だけど楽しんで作ってくれて、難しいオーダーでも、どう縫ったらきれいになるかを前向きに考え提案してくれる。そのやりとりが好きです。「フェティコ」のように小さいブランドにとって日本の産地はなくてはならない存在。続いてもらわないと困るし、私もなるべく日本で続けたい。

WWD:やりとりの中から新しい技法と出会うこともあるでしょう。今、探している素材や加工は?

舟山:レザー風の加工です。レザーは元々が好きですし、長く着ることができるのでサステナブルでもある。ただ、直接肌につけるには少し抵抗があるので、コットン地でレザー風の箔加工などにトライしたいです。

WWD:日本の産地は存続の危機にあります。デザイナーとしてできることは何だと思いますか?

舟山:ブランドやデザイナーができることは、モノ作りの背景をもっと伝えることだと思います。モノ自体から伝わることも大事ですがもっと、積極的に「こういう職人の手があるからこういういいモノができる」といったストーリーを伝えたい。その手段は課題ですが、まずは展示会でバイヤーさんに伝え、そこから店頭の販売員さん、そしてお客さんへ伝わったらいいなと思う。

WWD:サステナビリティについて思うことは?

舟山:まずは、日本の縫製業や生地屋さに存続してもらえるように貢献すること。それはブランドが存続するためでもあります。もうひとつは、ゴミにはならない、価値がある服を作ること。ブランドを作るとき、すでに世の中にこんなに多くの服がある中で私たちが作らなくても誰も困らない。だからゴミになるものだけは作りたくない、と話しました。一シーズンで捨てられない服、気分でなくてもクローゼットにしまったり、誰かに譲ってもらったりされる服は品質が良く、デザインがおもしろいから。それもサステナビリティにつながると思う。

WWD:10年後となる2030年はどうなっていたい?

舟山:時代によって求められていることは変わっていると思うから、そこにフィットする柔軟な自分でありたいなと思う。そして店を持ち、コミュニケーションの場を持っていたい。売って終わりではなく世界観を体現できる場があってよりお客さんとつながれると思うから。

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齊藤工 × 竹林亮 ドキュメンタリー映画「大きな家」から考える「普通の家庭」

PROFILE: 齊藤工/俳優、映画監督(右)、竹林亮/映画監督(左)

PROFILE: (さいとう・たくみ)※俳優名義は斎藤工。モデル活動を経て2001年に俳優デビュー。映像制作にも積極的に携わり、齊藤工名義での初⻑編監督作「blank13」(18)では国内外の映画祭で 8冠を獲得。23年には監督最新作「スイート・マイホーム」が公開された。劇場体験が難しい被災地や途上国の子どもたちに映画を届ける移動映画館「cinema bird」の主宰や全国のミニシアターを俳優主導で支援するプラットフォーム「Mini Theater Park」の立ち上げ、白黒写真家など、活動は多岐にわたる。近年の主な出演作に、映画「シン・ウルトラマン」(22)、映画「碁盤斬り」(24)、Netflix「極悪女王」(24)、TBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(24)などがある。 (たけばやし・りょう)CM監督としてキャリアをスタートし、JICAの国際協力映像プロジェクトやさまざまなドキュメンタリー番組を手掛け、同時にMV、リモート演劇、映画等、活動範囲は多岐にわたる。 2021年3月に公開した⻘春リアリティ映画「14歳の栞」は1館からのスタートだったが、SNSで話題となり45都市まで拡大した。 監督・共同脚本を務めた⻑編映画「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」(22年公開)は、第32回日本映画批評家大賞にて新人監督賞・編集賞を受賞。同作はシッチェス・カタロニア国際映画祭ニュービジョンズ部門にノミネート、ヴヴェイ・ファニー国際映画祭でグランプリを受賞するなど、国際的な評価を得ている。

俳優としても活動する齊藤工が企画・プロデュースを手掛けたドキュメンタリー映画「大きな家」の全国上映がスタートした。本作は、さまざまな理由で親と離れ、児童養護施設で暮らす子どもたちに焦点を当てた作品だ。監督は、青春リアリティー映画「14歳の栞」(2021年)を手掛けた竹林亮が務める。

本作は、親と離れて暮らす子どもたちが何を想い、何に悩み、そしてどのように大人へと成長していくのかを描く。7歳、11歳、14歳といった年齢ごとに子どもたちの姿を追い、それぞれの個別の物語に焦点を当てながら、その成長の過程を追っていく。また、配信やDVDなどでのパッケージ化は行わず、劇場公開のみで公開する。

齊藤は公開に先立ち、「私はこの作品を作るために、ずっと映画に関わってきたのかもしれません。そんな、自分の理由になるくらいの作品ができました」とコメントする。制作を通じて、齊藤と竹林が何を感じ、何を伝えたいと思ったのか。その想いを聞いた。

時間をかけて撮影

WWD:齊藤さんが児童養護施設と関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

齊藤工(以下、齊藤):あるイベントで初めて児童養護施設を訪れたのがきっかけです。そのイベントは1日限りのものでしたが、そこで「今度来た時にピアノを弾いてあげる」と言ってくれた子がいました。でも、その当時は再訪する予定がなく、その気持ちが表情に出てしまったんだと思います。それを見逃さなかったその子の眼差しが心に残り、自然と何度も足を運ぶようになりました。施設に通う中で、「ここで暮らす子どもたちのために記録映像を作れば喜んでもらえるかもしれない」と考え始めました。その頃、竹林監督のドキュメンタリー映画「14歳の栞」を観て、劇場限定で公開するという上映スタイルなら、子どもたちを守りながら映画にすることができるのではと思い、竹林監督にオファーをしました。そこから劇場公開に向けた話を進めていきました。

WWD:竹林監督は、最初にオファーを受けた時、どう思われましたか?

竹林亮(以下、竹林):ドキュメンタリー映画を作るには相当な体力と覚悟が必要です。ただ、齊藤さんとは以前にJICAの海外協力隊に密着した「いつか世界を変える力になる」という番組で約3年間一緒に仕事をしていて、その中で仕事への姿勢や映画に対する深い愛情を持っていて、とても尊敬していました。ですので、これもご縁だと思い、まずは児童養護施設を訪れてみることから始めることにしました。

当時、児童養護施設や「社会的養護」については詳しく知りませんでしたが、現場に足を運ぶと、職員の皆さんが子どもたちの人生と真摯に向き合う姿勢に心を打たれました。また、施設で暮らす子どもたちは葛藤を抱えながらも、人懐っこくてとても魅力的でした。そんな彼らに触れるうちに、「この場所を撮影したい」という気持ちが芽生えました。本作は、じっくりと時間をかける必要がある作品だと感じたため、覚悟を持ってゆっくり撮影を進めることにしました。

WWD:撮影を始める前に、カメラを持たず子どもたちと交流することから始めたそうですね。

竹林:しっかりと関係性を築かないと、撮られる側の子どもたちや職員の方たちにとっても、負荷が高いと思いました。そこで、最初の1年ほどは齊藤さんやプロデューサーの方々と共に、1〜2カ月に1回の頻度で施設を訪れ、挨拶をしたり、ハロウィンのお菓子を配ったりと、まずは顔を覚えてもらう活動をしました。その後、月に2〜3日程度の撮影から始め、徐々に撮影の日数を増やしていきました。子どもたちの信頼を得ることを第一に考えた結果、このようなスタートになりました。

子どもたちへの手紙のような映画

WWD:児童養護施設の子どもたちを撮影するにあたって、プライバシーの保護が非常に重要なポイントだったと思います。スタッフの間で、撮影に関して「こういうことは避けよう」といったルールを設けたのでしょうか?

齊藤:竹林監督の作品に被写体として参加した経験がある僕にとって、まず大前提として監督への全幅の信頼がありました。ただ、子どもたちをどう守るべきかについては慎重に考えました。

目線を隠したりモザイクをかけたりする方法はプライバシーの保護にはなりますが、それを見た本人がどう感じるか、という問題もあります。中には「自分の存在を認識してほしい」と感じる子どももいます。彼らは隠されるべき存在ではなく、限られた劇場公開という形であれば、むしろその存在が証明されるのではないかと思いました。

また、撮影において監督と具体的なルールを言葉で決めたわけではありませんが、「聞かれたくないことは聞かない」というスタンスは共有していました。もしかしたら壮絶な過去を子どもたちが涙ながらに語るような作品をイメージされる方もいるかもしれませんが、この映画はそういう内容ではありません。無理にドラマ性を作り出すようなことは一切しない、監督も現場で自然とそれを徹底してくださいました。

竹林:まずは出演してくれた子どもたちに「この作品に出て良かった」と思ってもらうことを何より大切にしました。作品完成前には本人や施設の職員の方々に観てもらい、感想を聞いて気になる点を修正する、といったプロセスを繰り返しました。

通常のテレビ番組制作では、こうした工程を取るのは難しいのですが、この作品に関してはそうした時間をかけることが必要でした。その結果、出演者たちも作品を気に入ってくれて、愛着を持ってくれています。この作り方を選んで本当に良かったと思っています。

WWD:ドキュメンタリー映画であっても、編集には監督の意図が反映されると思います。編集する上で特に意識したことは何でしょうか?

竹林:映像を編集する以上、何かしら作り手の意思が反映されるのは避けられません。だからこそ、どのような意思を持つかが非常に重要です。今回は、どんな形であれ、本人たちにとってとにかくいい影響が訪れるように願いながら撮る、編集することを心掛けました。

商業的なことはあまり考えず、「この場面をぜひ10年後に振り返ってみてほしい」「あなたのこういう面が本当にすてきだよ」など、出演してくれた子どもたちへの手紙のような気持ちで作りました。その純度を高く保つことだけを意識しました。

WWD:劇場でのみ公開するという形もいいですね。

齊藤:監督もおっしゃった通り、このプロジェクトは商業的な目的で立ち上げられたものではありません。竹林監督の「14歳の栞」のスタイルが参考になりましたが、こうした映画が存在することで、映画制作の新たな選択肢や劇場の意義、未来の映画館のあり方を示すものになるのではと考えました。

全国公開が始まり、これからが本当のスタートだと思っています。少しずつでも純度の高い形で上映を長く続け、作品を手渡しで届けていけたらと思っています。

まずは知ってもらうことが大事

WWD:本作を観た人に「こんなアクションを起こしてほしい」など、そういった思いはありますか?

齊藤:意図していたわけではないのですが、試写を観た方々から「自分の地元や住んでいるエリアに児童養護施設があるのは知っていたけれど、関わる方法を考えたり調べたりしたことがなかった。本作を観て、何かできることはないか調べてみた」といった声をいただきました。また、アーティストの方々からは「施設で演奏をしてみたい」というお話もありました。このように、作品をきっかけに児童養護施設との関わり方を考えたり、行動を起こそうとする声が多く届いていて、この映画の持つ強さを改めて感じています。僕自身も、偶然施設の存在を知ったことがきっかけで関わるようになりましたが、まずは知ることでこうした行動につながるのだなと実感しています。

WWD:竹林監督はいかがですか?

竹林:映画に登場する子どもたちと「友達になった」ような気持ちになってもらえたらうれしいですね。その上で、児童養護施設についてもっと調べてみたり、観た人同士で感想を語り合ったりと、より興味を持つきっかけになればいいなと思います。

加えて、親の立場であれば「親として子どもにどう向き合うべきか」や「自分は他者に対して何ができるのか」など、それぞれの立場で、人と人の関係性や「人に何ができるのか」について思いを巡らせてもらえたら、すごくいいなと思います。

WWD:私自身、児童養護施設の実情を全く知らなかったので、映画を通じて子どもたちの様子を知ることができたのは、とてもいいきっかけになりました。

竹林:全国には約600の児童養護施設があります。それぞれの施設ごとに状況や背景は異なるので、本作が児童養護施設全体を代弁するような発信の仕方にならないようには十分注意しなければならないと考えています。ただ、それでも全国にある600施設のうちの1つのリアルを知ることができるのは間違いありません。この作品がそのきっかけになればうれしいです。

「家族」について

WWD:作品の中で、施設で一緒に暮らす人との関係性について、「家族ではない」と答える子どもたちが多かったのが印象的でした。とても客観的に自分たちの状況を見ているように感じました。

竹林:客観的というよりは、「家族」という言葉自体の解釈に苦労しているのかなと感じました。「なぜ自分はここにいるんだろう」と思う時もあれば、逆に「ここにいることが自分にとって自然だ」と感じる時もある。そういった気持ちが日々揺れ動いていて、何を言葉として選べばいいのか分からない状態なのかもしれません。言葉の落としどころが見つからないまま、それぞれが変化し続けているように見えました。

ただ、長い時間を一緒に過ごすことで、実感として深いつながりを感じる瞬間もあるのだと思います。施設を卒業した男の子が「(施設で一緒に暮らした人は)家族だ」と答えたのは、そういったつながりを時間の中で育んだからではないかと感じています。

WWD:一般的には戸籍上の「家族」という概念があります。そのため、施設の子どもたちが「家族ではない」と答えたのも、そうした背景が影響しているのかもしれません。私自身は両親がいる家庭で育ちましたが、この作品についてコメントしようとする際に、「意図せず傷つけてしまうのでは?」と、どこか躊躇してしまう部分があります。

齊藤:施設で育っていない17、18歳の子どもでも、家族との関係に悩んでいる人は多いと思います。そのため、どんな「家族」なのかというよりも、むしろ個人差の方が大きいのではないかと感じます。施設を卒業した男の子などを見ていると、施設での生活が長ければ長いほど、口ではドライな表現をしていても、一緒に過ごした時間や共有した経験は揺るぎないもので、それが血のつながりを超えた特別な関係を生むこともあるように見えました。

ただ、施設の子どもたちや職員の方々も、いわゆる「普通の家庭」と比較することで、自分たちに対して何か構えてしまう部分があるように思います。例えば、学校のクラスメイトと比較して、行動にブレーキをかけてしまうことも少なくありません。そういった点を考えると、この作品で一番に考えるべきなのは、その「普通の家庭」というイメージのありようなのかなという気がするんです。

施設では、親ではないけれど、親のように深い言葉をかけてくれる職員の方々がいます。そうした環境をうらやましいと感じる人もきっといるのではないでしょうか。「普通の家庭」という概念の境界線がどこにあるのか分からないからこそ、この作品を通じて、その境界線を行き来するような体験をしてもらえるのではないかと思います。

竹林:本作では、「家族」や「親子」といった言葉ではくくられない、もっと広い意味での人と人のつながりに焦点を当てています。だからこそ、多くの人に「これは自分たちの話なんだ」と感じてもらえるのではないかと思います。

もし、「自分にはこういった環境に踏み込む資格がないのでは」と気を使いすぎてしまう人がいるなら、その壁を取っ払ってほしいですね。この作品がそういった壁をなくし、より深いつながりを考えるきっかけになればいいなと思います。

制作を通して知った新たな問題

WWD:実際に作品を通して、長期間にわたり児童養護施設で暮らす子どもたちと関わって、どのように感じましたか?

齊藤:作品に出演してくれた子どもたちのうち、何人かが撮影後に進路や将来について、竹林監督や僕に相談してくれることがありました。彼らが僕たちのことを仲間だと思ってくれているのは本当にうれしいですし、今回の撮影を通じて、彼らの未来への選択肢が広がったり、将来のことをより具体的に描けるきっかけになったのであれば、それは大きな希望だと感じています。

竹林:最初は、子どもたちとの距離感に気を使って、「これ以上踏み込むのは失礼かな」と思う場面もありましたが、関わっていくうちに、「損得勘定を抜きにして、その人のためにできることをやる」というスタンスでいいんだと思えるようになりました。ある意味では「おせっかいおじさん」みたいな存在になってもいいのかなと(笑)。もちろん、うざがられる場合もあるでしょうが、そうなったらやめればいいだけなので。

WWD:今後、取材した施設とはどのように関わっていく予定ですか?

齊藤:今でも施設とはつながりが続いていて、引き続き応援していきたいと思っています。また、子どもたちにとっても、この撮影が良い思い出だったと感じてもらえるよう、それを守っていきたいとも考えています。

一方で、施設が特定されないよう配慮することも大事だと感じています。実際、当初はさまざまな施設での上映を考えていたのですが、取材した施設が比較的環境が整っているという感想を他の施設関係者からいただいたこともあり、そうした意見にもしっかりと配慮しなければと思いました。

また、取材を始める前は、児童養護施設が「最後の砦」のような存在だと考えていたのですが、実際にはさまざまな事情で施設にすら入れない子どもたちがいるという現実を知りました。そうした子どもたちの行き場についても考えさせられましたし、さらに施設を卒業した後には本当に大変な試練が待っているということも知り、今作では描けていない卒業後の現実にも目を向ける必要があると感じました。その2つについて、個人としてできることを模索していきたいと思っています。

竹林:齊藤さんのおっしゃる通り、広い視野を持ちながら今後も施設との関わりを深めていきたいと思っています。また、一緒に映画を作った出演者の子どもたちとは、これからも末永く関係を続けていきたいですね。彼らが「この映画に出て良かった」とずっと思えるような関係でありたいと思っています。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

「大きな家」

日本には、社会的養護が必要とされる子どもが約4万2000人おり、その約半数は児童養護施設で暮らしている。児童養護施設で暮らす子どもたちは、基本的に18歳になり、自立の準備ができた者から施設を退所し、そこからは自分の力で暮らしていかなければならない。本作は、そんな児童養護施設で育つ子どもたちの成長を追った長編映画。

■「大きな家」
12月20日から全国公開
監督・編集:竹林亮
企画・プロデュース:齊藤工
プロデューサー:山本妙 福田文香 永井千晴 竹林亮
音楽:大木嵩雄
撮影:幸前達之
録音:大高真吾
音響効果:西川良
編集:小林譲 佐川正弘 毛利陽平
カラリスト:平田藍
制作統括:福田文香
題字:大原大次郎
主題歌:ハンバート ハンバート「トンネル」
配給:PARCO
企画・製作:CHOCOLATE Inc.
©CHOCOLATE
https://bighome-cinema.com

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【ARISAK Lab vol.0】“未来の可能性”に魅了されて。若手フォトアーティスト・ARISAK の連載始動

大学生の頃にカメラを手にしたことをきっかけに、SNSを通じて唯一無二の作品を発信してきたフォトアーティスト・ARISAK。昨今、クリエイターの間では“Y2K”に次ぐ“Y3K”トレンドが注目されている中、ARISAKはいち早く近未来的な世界観に魅せられ、これまでにない表現を追求。自身のフィルターを通じ被写体の新たな一面をとらえてきた。最近では雑誌やファッション広告の撮影にとどまらず、自身も広告モデルとして抜てきされるなど、活動の幅を広げている。

そんな彼女のクリエイションに注目し、「WWDJAPAN」では25年1月から、【ARISAK Lab(アリサック・ラボ)】と題した写真連載を始動。毎回豪華なゲストを招きながら、新たなファッション&ビューティの表現を追求していく。

PROFILE: ARISAK/フォトアーティスト

ARISAK/フォトアーティスト
PROFILE: (ありさっく)10年間のフィギュアスケート経験を経て、大学生から写真家として活動を開始。現在はファッション雑誌や広告ビジュアルのアートディレクション、撮影を手がけるほか、フィギュアスケーターとして「ナイキ」×「サカイ」の広告モデルに抜てき。注目の若手クリエイターとしてテレビ番組に出演するなど、活動は多岐にわたる(@arisak_official)

フィギュアスケーターからフォトアーティストへ
ARISAKインタビュー

WWD:フォトアーティストとして活動を始めたきっかけは?

ARISAK:まだ将来の夢もなく、就職活動もしていなかった大学生の時に、友達の写真を撮影したことです。当時はアメーバブログが流行っていて、その友達からバナー写真を撮影してほしいと頼まれました。使ったカメラは友達から借りた「ペンタックス(PENTAX)」。完成した写真を見た友達から「写真やった方がいいよ」と言われ、自分自身も楽しめたことからやってみようと思いました。今振り返れば、親族にクリエイターがいて、昔から刺激を受けていたのも影響していたのかもしれません。

WWD:アーティスト名の由来は?

ARISAK:本名が“アリサ”というのですが、日本には同じ名前の人が多いので少し変化をつけたくて。何かあだ名をつけたいなと思った時にひらめいたのがARISAK。“たまごっち”みたいでいいなと思いました。

WWD:自身の作品の世界観を言葉で表現すると?

ARISAK:“ダークファンタジー”“Y3K”などでしょうか。カメラを始めたばかりの頃はカニエ・ウェスト(Kanye West。現在のイェ)の「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」というアルバムから影響を受けていました。そのアルバムに収録されている「Runaway」という曲のビデオがあるんですが、ダークな世界観から始まり、最後はファンタジーで終わるんです。結構残酷な感じのビデオなんですが、その美醜的な表現にすごく惹かれて。「自分がやりたいのはきっとこれなんだ」と気付かされました。

そしてコロナ禍では外に出られず、人に会うこともできなかった。アイデアが浮かんでも撮影できなくて辛かった時、未来に希望が欲しいと思いたどり着いたのが“Y3K”スタイルです。自分が熱意を注いだ作品でも、SNSでは一瞬でスワイプされてしまう昨今。「どうしたら価値が上がり、息の長い作品になるのか」を考えた時に、未来を考えてみようと思いました。

未来のことを予想するって、当たっていても、外れていたとしても面白いじゃないですか。内閣府のホームページからヒントを得たりして、これからどんな時代が来るのかを想像したりすることもあります。

WWD:かつてはフィギュアスケーターとして活動していた。そのキャリアは今の活動にどのように影響している?

ARISAK:フィギュアスケートは曲を題材に自分がパフォーマンスをする総合芸術的スポーツ。振り付けや衣装を自分で考えることも多く、無意識のうちにセルフディレクションを経験していたのだと思います。写真を撮る時にも、音楽から作品のインスピレーションを得ることが多いのは当時の影響が大きいと感じています。

自身のSNS連載【月刊ARISAK】と
今後スタートする【ARISAK Lab】

WWD:自身のSNSでは【月刊ARISAK】と題した連載を行なっているが、始めた背景とは?

ARISAK:表現する機会があまり得られなかったコロナ禍を経て、溜まった気持ちを出したいと思ったのが【月刊ARISAK】。元々、思っていることをうまく人に話せない性格で、内に秘めたことを作品にしないと消化不良を起こしてしまうんです。22年5月に始め、今はvol.19まで続いています。ただ「自分が好きなものを表現したい」というのは昔も今も変わりません。

WWD:1月からWWDJAPANでスタートする【ARISAK Lab】。連載名に込めた思いとは?

ARISAK:自分が大好きな人を招いたり、ブランドとコラボレーションするなど、いろいろな要素を1つの実験室で融合して新たな見せ方を研究する、という思いで “ラボ”という名前を取り入れました。

長い歴史の中で、日本にはたくさんの面白いカルチャーがあります。ファッション業界だけはなく、さまざまなバックグラウンドを持つ人をゲストとして招き、これまでに見たことがないような姿をお届けしていきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!

(衣装協力:ディゼムバイシーク)

PHOTOS:ARISAK
HAIR & MAKEUP:JUNA UEHARA
LOGO DESIGN:HIROKIHISAJIMA

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【ARISAK Lab vol.0】“未来の可能性”に魅了されて。若手フォトアーティスト・ARISAK の連載始動

大学生の頃にカメラを手にしたことをきっかけに、SNSを通じて唯一無二の作品を発信してきたフォトアーティスト・ARISAK。昨今、クリエイターの間では“Y2K”に次ぐ“Y3K”トレンドが注目されている中、ARISAKはいち早く近未来的な世界観に魅せられ、これまでにない表現を追求。自身のフィルターを通じ被写体の新たな一面をとらえてきた。最近では雑誌やファッション広告の撮影にとどまらず、自身も広告モデルとして抜てきされるなど、活動の幅を広げている。

そんな彼女のクリエイションに注目し、「WWDJAPAN」では25年1月から、【ARISAK Lab(アリサック・ラボ)】と題した写真連載を始動。毎回豪華なゲストを招きながら、新たなファッション&ビューティの表現を追求していく。

PROFILE: ARISAK/フォトアーティスト

ARISAK/フォトアーティスト
PROFILE: (ありさっく)10年間のフィギュアスケート経験を経て、大学生から写真家として活動を開始。現在はファッション雑誌や広告ビジュアルのアートディレクション、撮影を手がけるほか、フィギュアスケーターとして「ナイキ」×「サカイ」の広告モデルに抜てき。注目の若手クリエイターとしてテレビ番組に出演するなど、活動は多岐にわたる(@arisak_official)

フィギュアスケーターからフォトアーティストへ
ARISAKインタビュー

WWD:フォトアーティストとして活動を始めたきっかけは?

ARISAK:まだ将来の夢もなく、就職活動もしていなかった大学生の時に、友達の写真を撮影したことです。当時はアメーバブログが流行っていて、その友達からバナー写真を撮影してほしいと頼まれました。使ったカメラは友達から借りた「ペンタックス(PENTAX)」。完成した写真を見た友達から「写真やった方がいいよ」と言われ、自分自身も楽しめたことからやってみようと思いました。今振り返れば、親族にクリエイターがいて、昔から刺激を受けていたのも影響していたのかもしれません。

WWD:アーティスト名の由来は?

ARISAK:本名が“アリサ”というのですが、日本には同じ名前の人が多いので少し変化をつけたくて。何かあだ名をつけたいなと思った時にひらめいたのがARISAK。“たまごっち”みたいでいいなと思いました。

WWD:自身の作品の世界観を言葉で表現すると?

ARISAK:“ダークファンタジー”“Y3K”などでしょうか。カメラを始めたばかりの頃はカニエ・ウェスト(Kanye West。現在のイェ)の「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」というアルバムから影響を受けていました。そのアルバムに収録されている「Runaway」という曲のビデオがあるんですが、ダークな世界観から始まり、最後はファンタジーで終わるんです。結構残酷な感じのビデオなんですが、その美醜的な表現にすごく惹かれて。「自分がやりたいのはきっとこれなんだ」と気付かされました。

そしてコロナ禍では外に出られず、人に会うこともできなかった。アイデアが浮かんでも撮影できなくて辛かった時、未来に希望が欲しいと思いたどり着いたのが“Y3K”スタイルです。自分が熱意を注いだ作品でも、SNSでは一瞬でスワイプされてしまう昨今。「どうしたら価値が上がり、息の長い作品になるのか」を考えた時に、未来を考えてみようと思いました。

未来のことを予想するって、当たっていても、外れていたとしても面白いじゃないですか。内閣府のホームページからヒントを得たりして、これからどんな時代が来るのかを想像したりすることもあります。

WWD:かつてはフィギュアスケーターとして活動していた。そのキャリアは今の活動にどのように影響している?

ARISAK:フィギュアスケートは曲を題材に自分がパフォーマンスをする総合芸術的スポーツ。振り付けや衣装を自分で考えることも多く、無意識のうちにセルフディレクションを経験していたのだと思います。写真を撮る時にも、音楽から作品のインスピレーションを得ることが多いのは当時の影響が大きいと感じています。

自身のSNS連載【月刊ARISAK】と
今後スタートする【ARISAK Lab】

WWD:自身のSNSでは【月刊ARISAK】と題した連載を行なっているが、始めた背景とは?

ARISAK:表現する機会があまり得られなかったコロナ禍を経て、溜まった気持ちを出したいと思ったのが【月刊ARISAK】。元々、思っていることをうまく人に話せない性格で、内に秘めたことを作品にしないと消化不良を起こしてしまうんです。22年5月に始め、今はvol.19まで続いています。ただ「自分が好きなものを表現したい」というのは昔も今も変わりません。

WWD:1月からWWDJAPANでスタートする【ARISAK Lab】。連載名に込めた思いとは?

ARISAK:自分が大好きな人を招いたり、ブランドとコラボレーションするなど、いろいろな要素を1つの実験室で融合して新たな見せ方を研究する、という思いで “ラボ”という名前を取り入れました。

長い歴史の中で、日本にはたくさんの面白いカルチャーがあります。ファッション業界だけはなく、さまざまなバックグラウンドを持つ人をゲストとして招き、これまでに見たことがないような姿をお届けしていきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!

(衣装協力:ディゼムバイシーク)

PHOTOS:ARISAK
HAIR & MAKEUP:JUNA UEHARA
LOGO DESIGN:HIROKIHISAJIMA

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「ファッション産業の未来は明るい」 東レ若手社員と学生が考える繊維とサステナビリティの可能性

世界を代表する日本の繊維メーカー、東レは、慶應義塾大学発の学生服飾団体「Keio Fashion Creator」(以下「KFC」)とともに、「世界を変えるために必要なこと」を考える機会を設けた。未来を明るくするために、今何を考えるべきか。そのヒントを探るべく、「KFC」のメンバーは東レが静岡県に置く三島工場と総合研修センターの展示スペースを見学。また今回、東レのリサイクル繊維ブランド「アンドプラス(&+)」を用いた開発に注力する入社3〜4年目の社員との座談会を実施した。Z世代の彼らはどんな疑問を持ち、ファッションの未来を見据えているのか。

若手社員が実現する
ファッション×サステナビリティの可能性

WWDJAPAN(以下WWD):東レ社員の皆さんの業務内容や「KFC」の活動について教えてください。

松尾直輝(東レ機能製品事業部東京ユニフォーム課):僕と宇佐美は機能製品部という部署で病院や飲食サービスなどのユニフォームアパレル向けのテキスタイル営業をしています。田中と橋本はスポーツ・衣料資材部で、カジュアルアパレル用テキスタイルの開発、生産、販売・マーケティングを担当しています。婦人・紳士衣料事業部の今井は、ファッション用テキスタイル販売を手掛けています。

上野莉湖(「KFC」代表):慶應義塾大学の「ファッションビジネス研究会」から独立する形で設立した「KFC」は、さまざまな学校からファッションをきっかけに集まった学生が集まるインカレサークルです。エスモードジャポンとの提携により、ファッションについて学びながら、社会に対する問いかけや主張を年に一度のファッションショーで表現しています。個々の思いや考えを自由に世界や社会へ発信していくため、非営利団体として活動しています。ショーでは、東レさんにご提供いただいたテキスタイルも使用しています。

橋本圭司(東レスポーツ・衣料資材事業部衣料資材課):今回の三島工場の見学はどうでしたか?「アンドプラス」の仕組みの展示に加え、糸を作る工程を見ていただいたと思います。普段はわれわれ社員も取引先の方もなかなか見られないので、貴重な体験だったと思います。

今村賢(「KFC」プレス):工場はすごく大きくて、まるで映画に入り込んだような感覚で、自分が今まで生きてきた世界とは全く違うところにいるなと新鮮でした。

増永和佳(「KFC」ディレクターチーフ):さまざまな機械やそれらを動かす人々の仕事ぶりにとても感動しました。それぞれの役割が成り立っているから、こうやって自分たちの着ている服が出来上がるんだと実感しました。

WWD:東レを代表する、使用済みのペットボトルを原料としたリサイクル繊維ブランド「アンドプラス」について、特徴など教えてください。

宇佐美宗親(東レ機能製品事業部学生衣料・大阪ユニフォーム課):「アンドプラス」の大きな特徴は、純度が非常に高いペットボトルのみを回収しポリエステルを作っていることです。リサイクルの技術は一般的にも進化していますが、東レは高付加価値となる、異物を除去するフィルタリング技術とペットボトルの高度な洗浄技術に特化することで原料の供給安定化を実現しています。

田子山舜(「KFC」プレスチーフ):私たちの生活にあふれる廃棄されるペットボトルを有償で集め、純度の高い素材に生まれ変わらせ、服の材料とする糸を作っている丁寧かつ労力のかかる工程にとても驚きました。最先端なサステナブルな取り組みがよくわかりました。

藤まいか(「KFC」デザイナー):今回のファッションショーでは、ご提供いただいた中から「アンドプラス」の糸を使った“KARUISHI”というテキスタイルでルックを制作しています。ふわふわと柔らかな風合いと蛍光イエローの発色の良さにとても惹かれました。ペットボトルをリサイクルして糸を作るという高度な技術とその難しさに東レの長年の企業努力が伺えましたし、一人一人の力で成り立っているブランドなんだなと感じました。

WWD:その他に、ファッションとサステナビリティについて、東レの最近の実例はありますか?

橋本(東レ):僕は靴やバッグ、日用品用途のテキスタイルの開発や生産、販売・マーケティングを行う部署に所属していて、東レが開発した100%植物由来のナイロン繊維“エコディアN510”を初めてバッグとして製品化するプロジェクトに携わりました。まだ市場に出ていない素材を採用いただき、これからの社会を変えていくという東レの理念に沿った取り組みになったのではないかと思います。

Z世代が真剣に見る
ファッションと環境問題

WWD:ファッションの環境への問題意識などどのように考えていますか?また、繊維産業の魅力を伝えるためにどんなことが必要でしょうか?

上野(KFC):ファッションが好きな「KFC」のメンバーはサステナビリティについての知識もありますが、そうじゃない同世代の友人たちは、どんどん消費されていくファストファッションに目が向いています。私たちが工場で体験した、人の熱意と熟練の技術によって作られるモノ作りのストーリーはとても貴重なものだと思いましたし、伝えていくことで、若い世代の環境に対しての意識も高まるのではないかなと思いました。

田中萌華(東レスポーツ・衣料資材事業部スポーツ・アウトドア課):東レという会社は業界では知名度がありますが、一般消費者に対してしっかりアピールできているかというとまだまだ課題があると思っています。

増永(KFC):私は大学で都市デザインを学んでいますが、例えば小さな町工場でもどう持続可能なものにしていくかと考えています。野菜が農家で生産されて流通する過程を学ぶように、身近な衣料についても工場見学などを通して一般の方に知ってもらうことで課題や問題について意識を高められるのではないでしょうか。

松尾(東レ):実は工場を視察されるアパレルメーカーの方はそう多くありません。僕たちとしてももっと現場を知ってほしいという気持ちもあって、アパレルメーカーを産地や工場へお連れして、一緒にモノ作りに取り組んでいこうと試みています。ただ服を見て買うだけじゃなく、作り手の思いをのせて製品にしてもらえたらと考えています。

WWD:モノ作りにおける課題について教えてください。

今井悠太郎(東レ 婦人・紳士部衣料事業部婦人・紳士織物第2課):昨今のテキスタイル開発においては、気候変動による猛暑や豪雨などに対応するための通気性や撥水など機能面や物価高騰によるコスト面などが課題になっています。リサイクル素材を使うことで、商品の値段が上がってしまうことについてどう思いますか?また普段どんな商品に魅力を感じますか?

田子山(KFC):新品がさらに1万円上がるなら、古着を選びます。より自分が買えるものを買うことも、サステナビリティを意識した服選びの一つの方法かなと考えています。

飯島恒典(「KFC」デザイナーチーフ):ファッションなどでも機能を果たさないデザインが魅力に感じられることも多いと思うんです。例えば、座りにくい椅子や着づらい服など。でももし、サステナブルなアイデアが加わると僕はほしくなるなって。東レさんのリサイクル生地がよりきれいな染め方ができたり、美しいドレープを作れたり、そんな付加価値に面白さを感じます。

宇佐美(東レ):現状としては、安価な商品の方が需要が高いです。なので、東レは生地を作る段階で特殊な技術を使って、高い機能性を持たせる付加価値こそ僕たちの強みだと思っています。適正な価格で提供することが僕たちの大きな使命でもあります。

WWD:東レで働くやりがいや業界の面白さってどんなところに感じますか?

今井(東レ):生地の元となる糸を作ることって簡単なことではありません。生地の風合いや機能性、生産性などの条件を全て一度でクリアできることってほとんどないんですよね。すごく優秀な技術者が何人も集まって、工場のメンバーと一日中機械を動かしてもうまくいかない。何度も試行錯誤しながら作っていきます。東レは挑戦できる環境がある。難しいけど、楽しさとやりがいを感じられることが僕のワークモチベーションにもなっています。

田中(東レ):好きなファッションの根本をゼロから作って販売もできることは仕事の楽しいところです。自分で店頭へ視察に行って、生地の構造をイメージして、糸や織り方の選定をして。オーダーメイドではないですけど、実際に自分で考えて作ることができて、店頭で商品化されたものを見るととてもうれしいですね。その瞬間に一番喜びを感じます。

宇佐美(東レ):自分で作った生地が服になるチャンスがある、消費者の方に着ていただく可能性を秘めていること。そんなワクワクする気持ちで仕事できるって本当にやりがいがあるなと思います。

「ファッション産業の根幹を支えたい」
「繊維の魅力を伝えたい」

WWD:最後にファッションの未来を若き皆さんはどう見据えていますか?東レの皆さんの野望やかなえたいことも教えてください。

橋本(東レ):僕はファッション産業の未来は明るいと考えています。まだ世界にない新しい価値を見出す生地を作って、産業の根幹を支えていきたい。そう夢見て仕事を頑張っています。

宇佐美(東レ):日本のハイレベルな技術は世界に誇れるものであり、東レの糸やテキスタイルもそうであると自負しています。国内外の工場やそこに携わる人々を支え、若い人にも働きがいを持ってもらえて、繊維産業の発展を担えるよう取り組んでいきたいと思います。

田中(東レ):他のメンバーが言っていたように、新しい製品を生み出すことは時間も労力もかかることなので、実績品を用いる方が利益も見積りやすいし楽ではあります。でも、この先の業界を盛り上げていくという視野では、新しいものを作って販売することを自分のモチベーションにしながら、お客さまにより魅力が伝わるような営業活動をしていきたいと考えています。

今井(東レ):僕はワークスタイルもスーツだけじゃなく、より自由に楽しく装いを楽しめるような、日常をも変えるテキスタイルを開発していきたいです。

上野(KFC):日本のモノづくりはこれから先も世界に誇れるものだと思うんです。課題はまだあると思いますが、産業としてその技術と伝統を守り、強化していくことで、ますます発展していけるのではないかと期待しています。

飯島(KFC):僕も日本のモノづくりが大好きで、今回三島工場で技術者の方に、技術を重ねた繊維の構造や開発に費やした努力についてお聞きして本当に感動しました。ファッションショーの時間って1ルック見せるのに数秒〜数分ですが、実はその過程には何十年も培ってきたノウハウや最新の技術が織り混ざっていて、それをデザインという形にしていく人のチカラはすばらしいなと、今回の体験を通して深く感じました。今後、繊維産業とショーをする僕たちのような団体が同じ作り手としてさらに思いをつないでいけたらうれしいなと思いますし、モノづくりにもいい変化を生み出せるのではないかなと思います。

今村(KFC):僕は繊維業界での就職を視野に入れています。今回お話をお聞きして、ファッションの根底に触れながら、企画から販売、広報まで携われることはすごくやりがいや楽しさがあるんだなって感じました。僕もたくさんの人に触れてもらえる生地を作ってみたいです。

東レ「アンドプラス」を使い、
「KFC」がショー開催へ

「KFC」は東レからのテキスタイル提供のサポートを受け、12月15日にファッションショーを開催した。今年は「How to Dress Love?」をテーマに、デザイナーそれぞれが未来に残したい自分のたちの愛の形を表現。学生らがファッションを通して抱える思いや注いできた情熱に、東レとのコラボレーションを通して感じたファッションの持つ楽しさや喜び、そして同じZ世代の東レ社員と語った繊維産業の希望をルックに込めた。次回3回目は、そのファッションショーの様子をリポート。若き彼らが紡ぐ新たなファッションの形を探る。

注:現在「アンドプラス(&+)」は、回収したペットボトルなどをリサイクルしたポリエステル繊維と、回収した漁網などをリサイクルしたナイロン繊維の2種類を展開している。なお、回収したペットボトルをチップにする工程は社外の協力企業にておこなわれている。

問い合わせ先
東レ 繊維事業本部新流通開拓室
ft-marketing-ig.toray.mb@mail.toray

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「ファッション産業の未来は明るい」 東レ若手社員と学生が考える繊維とサステナビリティの可能性

世界を代表する日本の繊維メーカー、東レは、慶應義塾大学発の学生服飾団体「Keio Fashion Creator」(以下「KFC」)とともに、「世界を変えるために必要なこと」を考える機会を設けた。未来を明るくするために、今何を考えるべきか。そのヒントを探るべく、「KFC」のメンバーは東レが静岡県に置く三島工場と総合研修センターの展示スペースを見学。また今回、東レのリサイクル繊維ブランド「アンドプラス(&+)」を用いた開発に注力する入社3〜4年目の社員との座談会を実施した。Z世代の彼らはどんな疑問を持ち、ファッションの未来を見据えているのか。

若手社員が実現する
ファッション×サステナビリティの可能性

WWDJAPAN(以下WWD):東レ社員の皆さんの業務内容や「KFC」の活動について教えてください。

松尾直輝(東レ機能製品事業部東京ユニフォーム課):僕と宇佐美は機能製品部という部署で病院や飲食サービスなどのユニフォームアパレル向けのテキスタイル営業をしています。田中と橋本はスポーツ・衣料資材部で、カジュアルアパレル用テキスタイルの開発、生産、販売・マーケティングを担当しています。婦人・紳士衣料事業部の今井は、ファッション用テキスタイル販売を手掛けています。

上野莉湖(「KFC」代表):慶應義塾大学の「ファッションビジネス研究会」から独立する形で設立した「KFC」は、さまざまな学校からファッションをきっかけに集まった学生が集まるインカレサークルです。エスモードジャポンとの提携により、ファッションについて学びながら、社会に対する問いかけや主張を年に一度のファッションショーで表現しています。個々の思いや考えを自由に世界や社会へ発信していくため、非営利団体として活動しています。ショーでは、東レさんにご提供いただいたテキスタイルも使用しています。

橋本圭司(東レスポーツ・衣料資材事業部衣料資材課):今回の三島工場の見学はどうでしたか?「アンドプラス」の仕組みの展示に加え、糸を作る工程を見ていただいたと思います。普段はわれわれ社員も取引先の方もなかなか見られないので、貴重な体験だったと思います。

今村賢(「KFC」プレス):工場はすごく大きくて、まるで映画に入り込んだような感覚で、自分が今まで生きてきた世界とは全く違うところにいるなと新鮮でした。

増永和佳(「KFC」ディレクターチーフ):さまざまな機械やそれらを動かす人々の仕事ぶりにとても感動しました。それぞれの役割が成り立っているから、こうやって自分たちの着ている服が出来上がるんだと実感しました。

WWD:東レを代表する、使用済みのペットボトルを原料としたリサイクル繊維ブランド「アンドプラス」について、特徴など教えてください。

宇佐美宗親(東レ機能製品事業部学生衣料・大阪ユニフォーム課):「アンドプラス」の大きな特徴は、純度が非常に高いペットボトルのみを回収しポリエステルを作っていることです。リサイクルの技術は一般的にも進化していますが、東レは高付加価値となる、異物を除去するフィルタリング技術とペットボトルの高度な洗浄技術に特化することで原料の供給安定化を実現しています。

田子山舜(「KFC」プレスチーフ):私たちの生活にあふれる廃棄されるペットボトルを有償で集め、純度の高い素材に生まれ変わらせ、服の材料とする糸を作っている丁寧かつ労力のかかる工程にとても驚きました。最先端なサステナブルな取り組みがよくわかりました。

藤まいか(「KFC」デザイナー):今回のファッションショーでは、ご提供いただいた中から「アンドプラス」の糸を使った“KARUISHI”というテキスタイルでルックを制作しています。ふわふわと柔らかな風合いと蛍光イエローの発色の良さにとても惹かれました。ペットボトルをリサイクルして糸を作るという高度な技術とその難しさに東レの長年の企業努力が伺えましたし、一人一人の力で成り立っているブランドなんだなと感じました。

WWD:その他に、ファッションとサステナビリティについて、東レの最近の実例はありますか?

橋本(東レ):僕は靴やバッグ、日用品用途のテキスタイルの開発や生産、販売・マーケティングを行う部署に所属していて、東レが開発した100%植物由来のナイロン繊維“エコディアN510”を初めてバッグとして製品化するプロジェクトに携わりました。まだ市場に出ていない素材を採用いただき、これからの社会を変えていくという東レの理念に沿った取り組みになったのではないかと思います。

Z世代が真剣に見る
ファッションと環境問題

WWD:ファッションの環境への問題意識などどのように考えていますか?また、繊維産業の魅力を伝えるためにどんなことが必要でしょうか?

上野(KFC):ファッションが好きな「KFC」のメンバーはサステナビリティについての知識もありますが、そうじゃない同世代の友人たちは、どんどん消費されていくファストファッションに目が向いています。私たちが工場で体験した、人の熱意と熟練の技術によって作られるモノ作りのストーリーはとても貴重なものだと思いましたし、伝えていくことで、若い世代の環境に対しての意識も高まるのではないかなと思いました。

田中萌華(東レスポーツ・衣料資材事業部スポーツ・アウトドア課):東レという会社は業界では知名度がありますが、一般消費者に対してしっかりアピールできているかというとまだまだ課題があると思っています。

増永(KFC):私は大学で都市デザインを学んでいますが、例えば小さな町工場でもどう持続可能なものにしていくかと考えています。野菜が農家で生産されて流通する過程を学ぶように、身近な衣料についても工場見学などを通して一般の方に知ってもらうことで課題や問題について意識を高められるのではないでしょうか。

松尾(東レ):実は工場を視察されるアパレルメーカーの方はそう多くありません。僕たちとしてももっと現場を知ってほしいという気持ちもあって、アパレルメーカーを産地や工場へお連れして、一緒にモノ作りに取り組んでいこうと試みています。ただ服を見て買うだけじゃなく、作り手の思いをのせて製品にしてもらえたらと考えています。

WWD:モノ作りにおける課題について教えてください。

今井悠太郎(東レ 婦人・紳士部衣料事業部婦人・紳士織物第2課):昨今のテキスタイル開発においては、気候変動による猛暑や豪雨などに対応するための通気性や撥水など機能面や物価高騰によるコスト面などが課題になっています。リサイクル素材を使うことで、商品の値段が上がってしまうことについてどう思いますか?また普段どんな商品に魅力を感じますか?

田子山(KFC):新品がさらに1万円上がるなら、古着を選びます。より自分が買えるものを買うことも、サステナビリティを意識した服選びの一つの方法かなと考えています。

飯島恒典(「KFC」デザイナーチーフ):ファッションなどでも機能を果たさないデザインが魅力に感じられることも多いと思うんです。例えば、座りにくい椅子や着づらい服など。でももし、サステナブルなアイデアが加わると僕はほしくなるなって。東レさんのリサイクル生地がよりきれいな染め方ができたり、美しいドレープを作れたり、そんな付加価値に面白さを感じます。

宇佐美(東レ):現状としては、安価な商品の方が需要が高いです。なので、東レは生地を作る段階で特殊な技術を使って、高い機能性を持たせる付加価値こそ僕たちの強みだと思っています。適正な価格で提供することが僕たちの大きな使命でもあります。

WWD:東レで働くやりがいや業界の面白さってどんなところに感じますか?

今井(東レ):生地の元となる糸を作ることって簡単なことではありません。生地の風合いや機能性、生産性などの条件を全て一度でクリアできることってほとんどないんですよね。すごく優秀な技術者が何人も集まって、工場のメンバーと一日中機械を動かしてもうまくいかない。何度も試行錯誤しながら作っていきます。東レは挑戦できる環境がある。難しいけど、楽しさとやりがいを感じられることが僕のワークモチベーションにもなっています。

田中(東レ):好きなファッションの根本をゼロから作って販売もできることは仕事の楽しいところです。自分で店頭へ視察に行って、生地の構造をイメージして、糸や織り方の選定をして。オーダーメイドではないですけど、実際に自分で考えて作ることができて、店頭で商品化されたものを見るととてもうれしいですね。その瞬間に一番喜びを感じます。

宇佐美(東レ):自分で作った生地が服になるチャンスがある、消費者の方に着ていただく可能性を秘めていること。そんなワクワクする気持ちで仕事できるって本当にやりがいがあるなと思います。

「ファッション産業の根幹を支えたい」
「繊維の魅力を伝えたい」

WWD:最後にファッションの未来を若き皆さんはどう見据えていますか?東レの皆さんの野望やかなえたいことも教えてください。

橋本(東レ):僕はファッション産業の未来は明るいと考えています。まだ世界にない新しい価値を見出す生地を作って、産業の根幹を支えていきたい。そう夢見て仕事を頑張っています。

宇佐美(東レ):日本のハイレベルな技術は世界に誇れるものであり、東レの糸やテキスタイルもそうであると自負しています。国内外の工場やそこに携わる人々を支え、若い人にも働きがいを持ってもらえて、繊維産業の発展を担えるよう取り組んでいきたいと思います。

田中(東レ):他のメンバーが言っていたように、新しい製品を生み出すことは時間も労力もかかることなので、実績品を用いる方が利益も見積りやすいし楽ではあります。でも、この先の業界を盛り上げていくという視野では、新しいものを作って販売することを自分のモチベーションにしながら、お客さまにより魅力が伝わるような営業活動をしていきたいと考えています。

今井(東レ):僕はワークスタイルもスーツだけじゃなく、より自由に楽しく装いを楽しめるような、日常をも変えるテキスタイルを開発していきたいです。

上野(KFC):日本のモノづくりはこれから先も世界に誇れるものだと思うんです。課題はまだあると思いますが、産業としてその技術と伝統を守り、強化していくことで、ますます発展していけるのではないかと期待しています。

飯島(KFC):僕も日本のモノづくりが大好きで、今回三島工場で技術者の方に、技術を重ねた繊維の構造や開発に費やした努力についてお聞きして本当に感動しました。ファッションショーの時間って1ルック見せるのに数秒〜数分ですが、実はその過程には何十年も培ってきたノウハウや最新の技術が織り混ざっていて、それをデザインという形にしていく人のチカラはすばらしいなと、今回の体験を通して深く感じました。今後、繊維産業とショーをする僕たちのような団体が同じ作り手としてさらに思いをつないでいけたらうれしいなと思いますし、モノづくりにもいい変化を生み出せるのではないかなと思います。

今村(KFC):僕は繊維業界での就職を視野に入れています。今回お話をお聞きして、ファッションの根底に触れながら、企画から販売、広報まで携われることはすごくやりがいや楽しさがあるんだなって感じました。僕もたくさんの人に触れてもらえる生地を作ってみたいです。

東レ「アンドプラス」を使い、
「KFC」がショー開催へ

「KFC」は東レからのテキスタイル提供のサポートを受け、12月15日にファッションショーを開催した。今年は「How to Dress Love?」をテーマに、デザイナーそれぞれが未来に残したい自分のたちの愛の形を表現。学生らがファッションを通して抱える思いや注いできた情熱に、東レとのコラボレーションを通して感じたファッションの持つ楽しさや喜び、そして同じZ世代の東レ社員と語った繊維産業の希望をルックに込めた。次回3回目は、そのファッションショーの様子をリポート。若き彼らが紡ぐ新たなファッションの形を探る。

注:現在「アンドプラス(&+)」は、回収したペットボトルなどをリサイクルしたポリエステル繊維と、回収した漁網などをリサイクルしたナイロン繊維の2種類を展開している。なお、回収したペットボトルをチップにする工程は社外の協力企業にておこなわれている。

問い合わせ先
東レ 繊維事業本部新流通開拓室
ft-marketing-ig.toray.mb@mail.toray

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エイガールズの「マル」好調 ファクトリーブランドの「3万円の100%カシミヤインナー」が売れるワケ

和歌山のテキスタイルメーカーエイガールズのインナーウエアブランド「マル(MALU)」が好調だ。2021年に“Your Personal Luxury(自分だけの贅沢・自分にしか味わえない贅沢)”をコンセプトに6型で始動。手編みのような膨らみと柔らかさのあるカシミヤ100%のインナーウエアがウケて、22年秋には型数を10型に増やし、23年にはシルク100%9型をラインアップに加えた。23年の売上高は前年比140%増、24年の現時点でも前年比150%増と好調だ。リピーターが多く、人気デザイナーズブランドのデザイナーが何着もまとめ買いをして愛用するなどプロからの支持が厚い。販路は自社ECに加え、セレクトショップでのポップアップストアや店舗は限られるが卸売りも始めた。

24年には米国ニューヨークのセレクトショップで「マル」のポップアップストアを開きテストマーケティングを行った。山下装子エイガールズ副社長は「伸縮性があるニットとはいえサイズ展開が求められる米国でワンサイズ展開は難しいかもしれないという不安があったが、『One size fits all(全てのサイズに対応)』と好反応をいただきタンクトップやオープンネックが特に好評だった」と話す。25年1月からは台湾でもポップアップストアを開くなど販路を海外にも広げる。

「マル」で用いている生地はもともとエイガールズとしてさまざまなブランドに提案していたものだった。「筒状のインナーを作ってみてはどうかと提案していたが売れなかった。そもそも10年前はブランドがインナーを手掛けることはほとんどなかったし、下着ではなくインナーに特化したブランドもなかったことも理由だろう」と振り返る。カシミヤやシルクを100%使用し繊細に編み上げた生地は高価でもあった。「素晴らしい生地だから自分たちでブランドを始めようと決めた」。

ファクトリーブランドの成功が意味すること

好調の理由を装子副社長は「ファッションブランドではなくプロダクトプランドだった点、他にはない肌触りのインナーウエアだったという点がよかったのではないか」と分析する。

「マル」を編む小寸のビンテージ丸胴機械はシルクとカシミヤ用にそれぞれ2台。編み上がった生地をそのままボディに用いるためロスが少ない。この機械は最大18本の糸から編み上げることができるが、「マル」で用いるカシミヤ糸もシルク糸も極細のため、糸への負担をできる限り抑えながら2本の糸でゆっくり編み上げる。「1年で作ることができる枚数は限られているため、1年中編み機を回している」。

「用いるカシミヤやシルクの糸は引っ張るとすぐに切れるほど細い。世界でもこの極細糸を編み上げることができるのはおそらく当社だけだ」と「マル」を手掛けるニッターの南方俊二コメチゥ社長は胸を張る。コメチゥには他のニッターが根を上げたような難しい依頼が集まるという。装子副社長も「機械を理解している俊二さんだからこそできる唯一無二の製品だ」と語る。余談だが、南方社長は100年前のベントレー社製のチェーン編み機を、廃業を決めたニッターから譲り受け、全て分解して組み立て直すことで構造を理解して使い続けている。「約1500のパーツがあり3カ月かかった。構造を理解することでトラブルに対応できる」と南方社長。

「売上高の上限が見えた」と装子副社長はいうが、「マル」を始めて「単純に利益を上げることだけではない利点があった。例えば異業種への販路が広がった」という。「自社ブランドを運営することで今まで接点がなかった人とつながることができた。正直ファッション産業だけで商売を続けていくのは厳しい。レストランのリニューアルにあわせてクッションカバーやタペストリーの依頼があるなど、販路が広がっている」と話す。

エイガールズはラグジュアリーやデザイナーズ、カジュアルまで幅広いブランドから支持を集め、生地を販売しOEMも手掛ける。すでに多くのブランドが認知する有力テキスタイルメーカーではあるが、「最近では一度取引がなくなったブランドから『マル』を手掛けていることを知ってもらい、そのクオリティを評価してもらい『もう一度生地を見たい』とアプローチがあるなど相乗効果が生まれている」。

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エイガールズの「マル」好調 ファクトリーブランドの「3万円の100%カシミヤインナー」が売れるワケ

和歌山のテキスタイルメーカーエイガールズのインナーウエアブランド「マル(MALU)」が好調だ。2021年に“Your Personal Luxury(自分だけの贅沢・自分にしか味わえない贅沢)”をコンセプトに6型で始動。手編みのような膨らみと柔らかさのあるカシミヤ100%のインナーウエアがウケて、22年秋には型数を10型に増やし、23年にはシルク100%9型をラインアップに加えた。23年の売上高は前年比140%増、24年の現時点でも前年比150%増と好調だ。リピーターが多く、人気デザイナーズブランドのデザイナーが何着もまとめ買いをして愛用するなどプロからの支持が厚い。販路は自社ECに加え、セレクトショップでのポップアップストアや店舗は限られるが卸売りも始めた。

24年には米国ニューヨークのセレクトショップで「マル」のポップアップストアを開きテストマーケティングを行った。山下装子エイガールズ副社長は「伸縮性があるニットとはいえサイズ展開が求められる米国でワンサイズ展開は難しいかもしれないという不安があったが、『One size fits all(全てのサイズに対応)』と好反応をいただきタンクトップやオープンネックが特に好評だった」と話す。25年1月からは台湾でもポップアップストアを開くなど販路を海外にも広げる。

「マル」で用いている生地はもともとエイガールズとしてさまざまなブランドに提案していたものだった。「筒状のインナーを作ってみてはどうかと提案していたが売れなかった。そもそも10年前はブランドがインナーを手掛けることはほとんどなかったし、下着ではなくインナーに特化したブランドもなかったことも理由だろう」と振り返る。カシミヤやシルクを100%使用し繊細に編み上げた生地は高価でもあった。「素晴らしい生地だから自分たちでブランドを始めようと決めた」。

ファクトリーブランドの成功が意味すること

好調の理由を装子副社長は「ファッションブランドではなくプロダクトプランドだった点、他にはない肌触りのインナーウエアだったという点がよかったのではないか」と分析する。

「マル」を編む小寸のビンテージ丸胴機械はシルクとカシミヤ用にそれぞれ2台。編み上がった生地をそのままボディに用いるためロスが少ない。この機械は最大18本の糸から編み上げることができるが、「マル」で用いるカシミヤ糸もシルク糸も極細のため、糸への負担をできる限り抑えながら2本の糸でゆっくり編み上げる。「1年で作ることができる枚数は限られているため、1年中編み機を回している」。

「用いるカシミヤやシルクの糸は引っ張るとすぐに切れるほど細い。世界でもこの極細糸を編み上げることができるのはおそらく当社だけだ」と「マル」を手掛けるニッターの南方俊二コメチゥ社長は胸を張る。コメチゥには他のニッターが根を上げたような難しい依頼が集まるという。装子副社長も「機械を理解している俊二さんだからこそできる唯一無二の製品だ」と語る。余談だが、南方社長は100年前のベントレー社製のチェーン編み機を、廃業を決めたニッターから譲り受け、全て分解して組み立て直すことで構造を理解して使い続けている。「約1500のパーツがあり3カ月かかった。構造を理解することでトラブルに対応できる」と南方社長。

「売上高の上限が見えた」と装子副社長はいうが、「マル」を始めて「単純に利益を上げることだけではない利点があった。例えば異業種への販路が広がった」という。「自社ブランドを運営することで今まで接点がなかった人とつながることができた。正直ファッション産業だけで商売を続けていくのは厳しい。レストランのリニューアルにあわせてクッションカバーやタペストリーの依頼があるなど、販路が広がっている」と話す。

エイガールズはラグジュアリーやデザイナーズ、カジュアルまで幅広いブランドから支持を集め、生地を販売しOEMも手掛ける。すでに多くのブランドが認知する有力テキスタイルメーカーではあるが、「最近では一度取引がなくなったブランドから『マル』を手掛けていることを知ってもらい、そのクオリティを評価してもらい『もう一度生地を見たい』とアプローチがあるなど相乗効果が生まれている」。

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「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」の音楽を手掛けた渡邊琢磨が語る「映画音楽の魅力」

PROFILE: 渡邊琢磨/音楽家

PROFILE: (わたなべ・たくま)宮城県仙台市出身。高校卒業後、米バークリー音楽大学へ留学。帰国後、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーへの参加など国内外のアーティストと多岐にわたり活動。自身の活動と並行して映画音楽も手掛ける。近年の作品には、染谷将太監督「まだここにいる」(19)、岨手由貴子監督「あのこは貴族」(21)、黒沢清監督「Chime」(24)、山中瑶子監督「ナミビアの砂漠」(24)、黒沢清監督「Cloud クラウド」(24)などがある。

近年、映画音楽の作曲家以外に、さまざまなミュージシャンがサントラを手掛けるようになった。渡邊琢磨もその一人。かつてキップ・ハンラハン、デヴィッド・シルヴィアンなど伝説的なミュージシャンとコラボレートし、映画音楽を手掛けるようになったのは2000年代に入ってから。近年は「いとみち」(横浜聡子監督、21年)、「はい、泳げません」(渡辺健作監督、22年)、「鯨の骨」(大江崇允監督、23年)などさまざまなタイプの作品のサントラを手掛けてきた。そんな中、今年は「Chime」「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」という話題作3本に携わり、まったく違ったアプローチでユニークなサントラをつくり上げた。映画界で注目を集めているに、「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」を中心に映画音楽について話を聞いた。

「ナミビアの砂漠」の電子音

——まず、「ナミビアの砂漠」について伺いたいのですが、どういう経緯で参加することになったのでしょうか。

渡邊琢磨(以下、渡邊):山中さんから映画のプロデューサーを介して連絡がありました。僕が音楽を担当したほかの映画作品を山中さんがご覧になったことがきっかけでお声掛けいただきました。オファーを受けた段階で映画の編集はセミオールくらいまで固まっていて、音楽だけが要不要含めて保留状態でした。そのあとオフラインを拝見したのですが、音楽は最小限もしくはなくてもよいのではと思い、その感想を山中さんと制作部にお伝えしたのですが、監督も当初音楽なしの案も考えていたそうで、音楽を当てるとしても4シーンくらいではないかとのことでした。

——映画に対しては、どんな感想を持たれました?

渡邊:主人公のカナ(河合優実)が、家の近所を無目的に歩くシーンが大変印象に残りました。その不安げで寄るべない散歩を見ているうちに、各シーンの出来事が何かしらの事実に帰結するのではなく、主人公に収れんしていくような映画ではないかと思い始めました。劇伴も主題を変奏する演出ではなく、主人公の空虚さや躍動を音にするのはどうかなと。

——山中監督のほうで、音楽をつけるのであればこういうものがいい、というイメージはあったのでしょうか。

渡邊:電子音という案が出たような気もしますが、ひとまず作業を進めて具体的な音のスケッチをお送りすることになりました。オフラインを観ながら起点となる音素材や音色を探す中で、電子音によるモチーフができたので、そちらを山中さんにお送りしたところ「こういう方向性も面白いですね」というような折り返しがありましたが、音楽の開始位置や音量に関しては改めて検討することになりました。

——「ナミビアの砂漠」で電子音が流れたとき、最初に連想したのがサファディ兄弟の監督作「神様なんてくそくらえ」(14年)でした。青春映画にひと昔前の冨田勲やタンジェリン・ドリームのシンセサイザー・ミュージックを使っているのが面白かったのですが、渡邊さんは「ナミビアの砂漠」のどういったところが電子音と合っていると思われたのでしょうか。

渡邊:山中さんの演出と撮影の米倉(伸)さんによる映像から着想を得たところが大きいと思います。メインテーマがあるようなスコアではなく、サウンドデザインや音響操作に近い音楽が適当ではないかと。

——確かにビートもメロディーもない音響的なサントラでしたね。この映画は、ヒロインのカナの内面についてあまり説明しません。カナ本人も自分が抱えている虚しさや葛藤を自覚していない。そんなカナが抱えている砂漠のような内面を、アブストラクトな電子音が表現しているような気がしました。

渡邊:電子音でビートや拍節感を出さないようにしたのは、ご指摘のとおり主人公に焦点を置いたような音楽の構想もあったからですが、そのような演出は映像に干渉しすぎる懸念もあり判断が難しいところでした。

「ナミビアの砂漠」の音づくり

——サントラはラッシュを見ながら即興で作っていったそうですね。そういう手法を取られたのはどうしてですか?

渡邊:先ほどの話と重なりますが、「ナミビアの砂漠」では様式にとらわれず音楽をつくってみようと思い、モニターでオフラインを観ながら即興演奏をいくつか録音してみました。

——映像を見ながら即興でサントラを作る、というのは、マイルス・デイヴィスが「死刑台のエレベーター」(57年)のサントラをそうやって作ったという伝説を思い出します。

渡邊:ただ今回は録音した演奏をそのまま使うのではなく、即興でつくった素材を電子音に変換したり、原音が分からなくなるまで加工するなどの調整をしています。

——即興のときはどんな楽器を使ったのですか?

渡邊:ピアノやエレキベース、あとはフィールドレコーディングの素材です。カナが街中を走るシーンに、疾走感がありつつ拍節感はない音楽を当ててみようと思い、かなりの速さと音数で即興演奏したピアノから、ダイナミクスだけを抽出して電子音に変換してみたところ、粗粗しく無機的な粒子状の音響形態ができたので、その素材で2曲つくって監督と検討していきました。

——山中監督とのやり取りを通じて、監督の映画音楽に対する考え方やこだわりを感じたりはしました?

渡邊:「ナミビアの砂漠」で音楽が当たっているシーンは少なくて、それも前半から中盤のシーンに集中しています。カナとハヤシ(金子大地)の生活が始まって以降はエンドロールまで音楽がありません。音楽表を拝見した段階ではその構成の偏りに懸念もあったのですが、映画を通しで観ると中盤から音楽が退場することに違和感がなく驚きました。映画音楽を過不足なく当てる必要はありませんが、今回の音楽構成はイレギュラーだったので、山中さんの形式にとらわれない音楽演出は一つ発見でした。それから、全ての劇伴にはアレンジが微妙に異なるバージョンがいくつかあり、それらのリテイクは監督の修正案をもとにつくられていて、山中さんは音の細部や質感に鋭敏な方だと思いました。

——渡邊さんご自身は完成したサントラに対して、どんな感想を持たれましたか?

渡邊:感想……難しいですね。映画音楽の仕事は半ば締め切りによって完結することもありますし、サントラの印象に関しては宙に浮いたままです。「ナミビアの砂漠」では音楽が雰囲気をつくるというより、シーンによっては映像と音楽が拮抗することで、シーンにゆがみができればという構想はありました。しかし、野生動物が砂漠で水を飲んでいるエンドクレジットは難しかったです。エンド曲は3バージョンほどつくりましたが、山中さんとテイクの選定に当たって長考した覚えがあります。なので、映画完成後も少し不安がありました。

——自己評価が厳しいですね(笑)。個人的には合っていたと思いますし、新鮮さもありました。

渡邊:どんな音楽であれ映像に当ててみるとそれが最善に見えたり、何かしらの演出意図に思えてしまうのが、映画音楽の難しいところです。なのでつくった音楽に確信を持ちたいという気持ちに騙されないよう用心しています。

黒沢清監督との仕事

——その音楽が合っているかどうかは、最終的には監督の判断に委ねられるわけですね。では黒沢清監督の作品について伺いたいのですが、初めて黒沢作品を手掛けたのは「Chime」(24年)ですか?

渡邊:そうです。プロデューサーから送られてきた企画書をもとに、自分のオリジナル曲をいくつか選んで黒沢さんにお送りしたところ、そのうちの1曲があるシーンの音のイメージに近いということでオファーを頂きました。

——ということは、作曲に入る前にサントラの方向性はつかめていたわけですね。

渡邊:大まかにはそうですね。「Chime」で音楽を当てたシーンはラストとエンドロールの2カ所だけで、音楽の入りも演出も明快だったので作業は簡潔でした。

——そして、「Chime」の縁で「Cloud クラウド」につながったわけですね。黒沢監督は音楽の使い方には一貫したところがありますが、音楽に関してイメージを持たれている方なのでしょうか。

渡邊:僕が携わった映画に関しては、古典的な管弦楽を基調とした音色や響きが黒沢さんの念頭にあったと思います。それも漠然としたイメージではなく「木管楽器を使うのはどうでしょう」というように、音色や質感についても具体的なお話しがありました。併せてバーナード・ハーマンの音楽や、ジョン・ウィリアムズが音楽を手掛けた「宇宙戦争」(05年)のサウンドトラックなども参照されていたので、音楽の方向性はすぐに定まりました。

——黒沢監督のサントラはオーケストラ・サウンドを使った伝統的な映画音楽をもとにしたものが多いですが、「Cloud クラウド」もそうでしたね。

渡邊:シンフォニックな響きではありますが、それはクラシックというより、やはり映画から派生した音楽が起点となっているので、その点は「Cloud」でも踏まえました。ただ、音楽の主題に関しては悩みました。

——主題というのは、メインテーマの旋律をどうするか、ということですか?

渡邊:そうです。「Cloud」で最初に音楽が当たるシーンは、主人公の吉井(菅田将暉)が転売サイトで「まぼろしの健康器具」という謎の商品が完売するのを見届けて安堵するあたりですが、演出の方向性はつかんでいたものの、自分がしっくりくる音楽がなかなかつくれなくて。黒沢さんに完成した曲をお送りした直後にまた別のテイクをつくり出すこともありました。どうにも好奇心がわくというか、ほかの可能性を探りたくなる。締め切りを気にしつつペンを置くことが難しい映画でした。

——映像がそうさせるのでしょうか? だとしたら、渡邊さんは作曲する際に映像のどういったところにインスパイアされるのでしょうか。

渡邊:フレームの外にある見えない何かが喚起される映像といいますか……。何か見落としている気がするので、刺激というか凝視したくなります。蜃気楼のように近づくと遠ざかっていくので、その実体を見に行きたくなるのかもしれません。

「Cloud クラウド」での音づくり

——渡邊さんが「Cloud クラウド」の音楽をつくる上で手掛かりにしたものは、映像以外に何かありますか?

渡邊:音楽打ち合わせのときに、黒沢さんから「宿命」や「運命的」という主題が挙がりました。あと「地獄」というキーワードも出ましたが、黒沢さんは「Chime」のときも「地獄」に言及されましたので、こちらは何となくイメージできましたが、「宿命」や「運命」を念頭に作曲したことがなかったので、いろいろと試行錯誤しました。

——「Cloud クラウド」のサントラを改めて聴き直したとき感じたのは悲劇性でした。それはある意味、運命的ともいえるかもしれませんね。

渡邊:そうですね。難しかったのは、音楽でその待ち受ける出来事を先取りしてしまうと、映画の構造が破綻してしまうということです。しかし「運命」や「宿命」を演出する限りその音楽は予兆的でもあるので、そのパラドックスをどうやって解決すればいいのか悩みました。不穏な音楽で何かが起きることを暗示するホラーの演出でもなく、その「悲劇性」に寄せてマイナーの響きにするでもなし。楽器編成や音色は古典的ですが、旋律や響きのあんばいが難しかったです。アクションシーンも、弦を小刻みに演奏したり打楽器でアクセントをつくる感じでもなく。

——「Cloud クラウド」は優れたアクション映画でもありましたね。特にクライマックス。日本では嘘っぽくなる銃撃シーンに工夫を凝らしてリアルに演出しているのが分かりました。

渡邊:銃撃シーンが始まってしばらくの間、主人公の吉井は事態が飲み込めず、アシスタントの佐野(奥平大兼)から銃を手渡されてもどうしていいか分からない。そのあとの吉井と佐野が走り出すシーンで一瞬だけ音楽が使われていますが、当初この並走にも音楽を当てる予定はなくて、ダビング当日急きょほかのシーンに当たっていた音楽をアレンジして転用しました。黒沢さんから「今回のアクションシーンでは音楽をなるべく使わない方向で」と、打ち合わせ当初から伺っていましたし、あの銃撃シーン独特の緊張感は、乾いた銃声や息づかいなどの現実音や効果音によってつくり出された部分も多くあると思います。

「映画音楽にはルールがない」

——ジャンル映画のサントラは形式的なところがありますが、そこに独自のアプローチを加えることで化学変化を起こすことがある。それが映画音楽の醍醐味だと思うのですが、例えばサスペンス映画のフォーマットを作ったとも言われているマイケル・スモールが手掛けた「パララックス・ヴュー」(74年)のサントラも、映画から切り離して聴くとジャンルがわからない不思議な魅力がある。

渡邊:「パララックス・ヴュー」のサントラを採譜したことがありますが、あのマイケル・スモールの劇伴は、ほとんど発明に近いと思います。管弦楽法による音響像でもなくリファレンスもあまりない。マイケル・スモールとアラン・J・パクラ監督は、映画と音楽が拮抗しつつ一体化しているような独特の緊張関係をつくり上げたと思います。映画音楽史を調べていくと、トーキーが登場して以降、時代ごとに革新的な音楽が生まれていますが、おそらく直近でも転換点になるような音楽がつくられている気がします。例えば、ヨハン・ヨハンソンが手掛けた「ボーダーライン」(15年)のコントラバスのグリッサンド音ですとか。映画音楽は多分に派生的ですが、その典拠は時間がたってみないと分からないことが多いですね。

——トレント・レズナーの音響的なサントラもそうですね。レズナーもヨハンソンもロックのフィールドで活動していたミュージシャンですが、最近ではレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドやミカ・レヴィのように、映画音楽の作曲家以外のミュージシャンがサントラを手掛けるようになりました。渡邊さんもその1人ですが、そういった動きが映画音楽の世界に与える影響は大きいのではないでしょうか。

渡邊:映画音楽には定まった方法がありませんし、近年は音楽性がより多彩になってきたと思います。明確な主題があって口ずさめるような映画音楽もあれば、サウンドデザインや音響効果に近いサウンドトラックも多く、まさに映画音楽の変革期なのかもしれません。ただ、古典的なフィルムスコアリングの方法を引き継いでいくことも重要だと思います。個人的に文脈は大事ですし、過去作品に取り組むことで自分なりの方向性を見出すこともできます。「Cloud」の作曲に入る前には、ジョン・フリン監督の「組織」の音楽を手掛けたジェリー・フィールディングや、バーナード・ハーマンを聴いて「Cloud」のオーケストレーションなどを検討していました。

——そうやって文脈を見直しながら更新していくのは他のジャンルの音楽にもいえることですね。個人的にはミカ・レヴィと渡邊さんは通じるところがあるような気がします。両者とも専門的な音楽教育を受けていて、エレクトロニックな音楽からオーケストラ・サウンドまで手掛けることができるところとか、

渡邊:ミカ・レヴィの映画音楽にはいつも驚きと発見があります。ジョナサン・グレイザー監督の「アンダー・ザ・スキン」(13年)のサントラでは、木魚のような音が間を置きながら、「コツン、コツン」と鳴るのですが、その曇った打音と歪んだシンセサイザーの音がなんとも不気味で素晴らしく、人間とエイリアンの世界に溶け込んでいきます。「MONOS」(19年)でも笛のような音とティンパニーのロール音をうまく対比させるなど、音色や楽器の組み合わせも独創的で謎に満ちています。

——日本の映画界も、坂本龍一、細野晴臣、鈴木慶一といったベテラン、最近では石橋英子、岡田拓郎など、さまざまなミュージシャンが映画音楽を手掛けています。映画監督の音楽に対する意識も変化してきているのかもしれませんね。

渡邊:映画監督と音楽家の共同作業では、思いがけない発見や着想を得ることも多くありますね。映画の完成に際して、プリミックスから立ち会いをすることもありますが、映画監督の効果音に関するアイデアや判断は勉強になります。台詞や効果は映画内の音ですが、スタジオに立ち会っている自分からは気づけない細かな音にまで注意が行き届いていて、映画は音の情報が錯綜するので、音楽とのバランスを考える上で参考になります。それから、音楽は言語化することが難しくお互い専門知識も異なるので、演出の方向性をやりとりする上で難渋することもありますが、その際の互いの語彙というか、ひねり出される考えが逆に面白く着想につながることもあります。そういう解決困難なやり取りを経て、思いがけない音楽が引き出されます。

——監督とミュージシャンが共同でつくり上げていくという点でも映画音楽は独特ですね。だからこそ、面白いものが生まれる。

渡邊:僕は映画音楽の仕事と何にも付帯しない自分の音楽を分けて考えていません。映画音楽には時間などの制約もありますが、自分がベストと思えるぎりぎり手前の段階で音楽が手を離れたときの不条理な余白は、映画にあって手法や趣向を飛び越えた音に変化するような気もします。「ナミビアの砂漠」の即興をベースにした曲づくりも、「Cloud」の主題も半ば偶発的に着想しているので気がかりではありますが、それは常套(じょうとう)や習慣から逸脱した作業だからではないかと。個人的に作曲の仕事は漠然とした不安がある中で続けていることが多いです。

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「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」の音楽を手掛けた渡邊琢磨が語る「映画音楽の魅力」

PROFILE: 渡邊琢磨/音楽家

PROFILE: (わたなべ・たくま)宮城県仙台市出身。高校卒業後、米バークリー音楽大学へ留学。帰国後、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーへの参加など国内外のアーティストと多岐にわたり活動。自身の活動と並行して映画音楽も手掛ける。近年の作品には、染谷将太監督「まだここにいる」(19)、岨手由貴子監督「あのこは貴族」(21)、黒沢清監督「Chime」(24)、山中瑶子監督「ナミビアの砂漠」(24)、黒沢清監督「Cloud クラウド」(24)などがある。

近年、映画音楽の作曲家以外に、さまざまなミュージシャンがサントラを手掛けるようになった。渡邊琢磨もその一人。かつてキップ・ハンラハン、デヴィッド・シルヴィアンなど伝説的なミュージシャンとコラボレートし、映画音楽を手掛けるようになったのは2000年代に入ってから。近年は「いとみち」(横浜聡子監督、21年)、「はい、泳げません」(渡辺健作監督、22年)、「鯨の骨」(大江崇允監督、23年)などさまざまなタイプの作品のサントラを手掛けてきた。そんな中、今年は「Chime」「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」という話題作3本に携わり、まったく違ったアプローチでユニークなサントラをつくり上げた。映画界で注目を集めているに、「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」を中心に映画音楽について話を聞いた。

「ナミビアの砂漠」の電子音

——まず、「ナミビアの砂漠」について伺いたいのですが、どういう経緯で参加することになったのでしょうか。

渡邊琢磨(以下、渡邊):山中さんから映画のプロデューサーを介して連絡がありました。僕が音楽を担当したほかの映画作品を山中さんがご覧になったことがきっかけでお声掛けいただきました。オファーを受けた段階で映画の編集はセミオールくらいまで固まっていて、音楽だけが要不要含めて保留状態でした。そのあとオフラインを拝見したのですが、音楽は最小限もしくはなくてもよいのではと思い、その感想を山中さんと制作部にお伝えしたのですが、監督も当初音楽なしの案も考えていたそうで、音楽を当てるとしても4シーンくらいではないかとのことでした。

——映画に対しては、どんな感想を持たれました?

渡邊:主人公のカナ(河合優実)が、家の近所を無目的に歩くシーンが大変印象に残りました。その不安げで寄るべない散歩を見ているうちに、各シーンの出来事が何かしらの事実に帰結するのではなく、主人公に収れんしていくような映画ではないかと思い始めました。劇伴も主題を変奏する演出ではなく、主人公の空虚さや躍動を音にするのはどうかなと。

——山中監督のほうで、音楽をつけるのであればこういうものがいい、というイメージはあったのでしょうか。

渡邊:電子音という案が出たような気もしますが、ひとまず作業を進めて具体的な音のスケッチをお送りすることになりました。オフラインを観ながら起点となる音素材や音色を探す中で、電子音によるモチーフができたので、そちらを山中さんにお送りしたところ「こういう方向性も面白いですね」というような折り返しがありましたが、音楽の開始位置や音量に関しては改めて検討することになりました。

——「ナミビアの砂漠」で電子音が流れたとき、最初に連想したのがサファディ兄弟の監督作「神様なんてくそくらえ」(14年)でした。青春映画にひと昔前の冨田勲やタンジェリン・ドリームのシンセサイザー・ミュージックを使っているのが面白かったのですが、渡邊さんは「ナミビアの砂漠」のどういったところが電子音と合っていると思われたのでしょうか。

渡邊:山中さんの演出と撮影の米倉(伸)さんによる映像から着想を得たところが大きいと思います。メインテーマがあるようなスコアではなく、サウンドデザインや音響操作に近い音楽が適当ではないかと。

——確かにビートもメロディーもない音響的なサントラでしたね。この映画は、ヒロインのカナの内面についてあまり説明しません。カナ本人も自分が抱えている虚しさや葛藤を自覚していない。そんなカナが抱えている砂漠のような内面を、アブストラクトな電子音が表現しているような気がしました。

渡邊:電子音でビートや拍節感を出さないようにしたのは、ご指摘のとおり主人公に焦点を置いたような音楽の構想もあったからですが、そのような演出は映像に干渉しすぎる懸念もあり判断が難しいところでした。

「ナミビアの砂漠」の音づくり

——サントラはラッシュを見ながら即興で作っていったそうですね。そういう手法を取られたのはどうしてですか?

渡邊:先ほどの話と重なりますが、「ナミビアの砂漠」では様式にとらわれず音楽をつくってみようと思い、モニターでオフラインを観ながら即興演奏をいくつか録音してみました。

——映像を見ながら即興でサントラを作る、というのは、マイルス・デイヴィスが「死刑台のエレベーター」(57年)のサントラをそうやって作ったという伝説を思い出します。

渡邊:ただ今回は録音した演奏をそのまま使うのではなく、即興でつくった素材を電子音に変換したり、原音が分からなくなるまで加工するなどの調整をしています。

——即興のときはどんな楽器を使ったのですか?

渡邊:ピアノやエレキベース、あとはフィールドレコーディングの素材です。カナが街中を走るシーンに、疾走感がありつつ拍節感はない音楽を当ててみようと思い、かなりの速さと音数で即興演奏したピアノから、ダイナミクスだけを抽出して電子音に変換してみたところ、粗粗しく無機的な粒子状の音響形態ができたので、その素材で2曲つくって監督と検討していきました。

——山中監督とのやり取りを通じて、監督の映画音楽に対する考え方やこだわりを感じたりはしました?

渡邊:「ナミビアの砂漠」で音楽が当たっているシーンは少なくて、それも前半から中盤のシーンに集中しています。カナとハヤシ(金子大地)の生活が始まって以降はエンドロールまで音楽がありません。音楽表を拝見した段階ではその構成の偏りに懸念もあったのですが、映画を通しで観ると中盤から音楽が退場することに違和感がなく驚きました。映画音楽を過不足なく当てる必要はありませんが、今回の音楽構成はイレギュラーだったので、山中さんの形式にとらわれない音楽演出は一つ発見でした。それから、全ての劇伴にはアレンジが微妙に異なるバージョンがいくつかあり、それらのリテイクは監督の修正案をもとにつくられていて、山中さんは音の細部や質感に鋭敏な方だと思いました。

——渡邊さんご自身は完成したサントラに対して、どんな感想を持たれましたか?

渡邊:感想……難しいですね。映画音楽の仕事は半ば締め切りによって完結することもありますし、サントラの印象に関しては宙に浮いたままです。「ナミビアの砂漠」では音楽が雰囲気をつくるというより、シーンによっては映像と音楽が拮抗することで、シーンにゆがみができればという構想はありました。しかし、野生動物が砂漠で水を飲んでいるエンドクレジットは難しかったです。エンド曲は3バージョンほどつくりましたが、山中さんとテイクの選定に当たって長考した覚えがあります。なので、映画完成後も少し不安がありました。

——自己評価が厳しいですね(笑)。個人的には合っていたと思いますし、新鮮さもありました。

渡邊:どんな音楽であれ映像に当ててみるとそれが最善に見えたり、何かしらの演出意図に思えてしまうのが、映画音楽の難しいところです。なのでつくった音楽に確信を持ちたいという気持ちに騙されないよう用心しています。

黒沢清監督との仕事

——その音楽が合っているかどうかは、最終的には監督の判断に委ねられるわけですね。では黒沢清監督の作品について伺いたいのですが、初めて黒沢作品を手掛けたのは「Chime」(24年)ですか?

渡邊:そうです。プロデューサーから送られてきた企画書をもとに、自分のオリジナル曲をいくつか選んで黒沢さんにお送りしたところ、そのうちの1曲があるシーンの音のイメージに近いということでオファーを頂きました。

——ということは、作曲に入る前にサントラの方向性はつかめていたわけですね。

渡邊:大まかにはそうですね。「Chime」で音楽を当てたシーンはラストとエンドロールの2カ所だけで、音楽の入りも演出も明快だったので作業は簡潔でした。

——そして、「Chime」の縁で「Cloud クラウド」につながったわけですね。黒沢監督は音楽の使い方には一貫したところがありますが、音楽に関してイメージを持たれている方なのでしょうか。

渡邊:僕が携わった映画に関しては、古典的な管弦楽を基調とした音色や響きが黒沢さんの念頭にあったと思います。それも漠然としたイメージではなく「木管楽器を使うのはどうでしょう」というように、音色や質感についても具体的なお話しがありました。併せてバーナード・ハーマンの音楽や、ジョン・ウィリアムズが音楽を手掛けた「宇宙戦争」(05年)のサウンドトラックなども参照されていたので、音楽の方向性はすぐに定まりました。

——黒沢監督のサントラはオーケストラ・サウンドを使った伝統的な映画音楽をもとにしたものが多いですが、「Cloud クラウド」もそうでしたね。

渡邊:シンフォニックな響きではありますが、それはクラシックというより、やはり映画から派生した音楽が起点となっているので、その点は「Cloud」でも踏まえました。ただ、音楽の主題に関しては悩みました。

——主題というのは、メインテーマの旋律をどうするか、ということですか?

渡邊:そうです。「Cloud」で最初に音楽が当たるシーンは、主人公の吉井(菅田将暉)が転売サイトで「まぼろしの健康器具」という謎の商品が完売するのを見届けて安堵するあたりですが、演出の方向性はつかんでいたものの、自分がしっくりくる音楽がなかなかつくれなくて。黒沢さんに完成した曲をお送りした直後にまた別のテイクをつくり出すこともありました。どうにも好奇心がわくというか、ほかの可能性を探りたくなる。締め切りを気にしつつペンを置くことが難しい映画でした。

——映像がそうさせるのでしょうか? だとしたら、渡邊さんは作曲する際に映像のどういったところにインスパイアされるのでしょうか。

渡邊:フレームの外にある見えない何かが喚起される映像といいますか……。何か見落としている気がするので、刺激というか凝視したくなります。蜃気楼のように近づくと遠ざかっていくので、その実体を見に行きたくなるのかもしれません。

「Cloud クラウド」での音づくり

——渡邊さんが「Cloud クラウド」の音楽をつくる上で手掛かりにしたものは、映像以外に何かありますか?

渡邊:音楽打ち合わせのときに、黒沢さんから「宿命」や「運命的」という主題が挙がりました。あと「地獄」というキーワードも出ましたが、黒沢さんは「Chime」のときも「地獄」に言及されましたので、こちらは何となくイメージできましたが、「宿命」や「運命」を念頭に作曲したことがなかったので、いろいろと試行錯誤しました。

——「Cloud クラウド」のサントラを改めて聴き直したとき感じたのは悲劇性でした。それはある意味、運命的ともいえるかもしれませんね。

渡邊:そうですね。難しかったのは、音楽でその待ち受ける出来事を先取りしてしまうと、映画の構造が破綻してしまうということです。しかし「運命」や「宿命」を演出する限りその音楽は予兆的でもあるので、そのパラドックスをどうやって解決すればいいのか悩みました。不穏な音楽で何かが起きることを暗示するホラーの演出でもなく、その「悲劇性」に寄せてマイナーの響きにするでもなし。楽器編成や音色は古典的ですが、旋律や響きのあんばいが難しかったです。アクションシーンも、弦を小刻みに演奏したり打楽器でアクセントをつくる感じでもなく。

——「Cloud クラウド」は優れたアクション映画でもありましたね。特にクライマックス。日本では嘘っぽくなる銃撃シーンに工夫を凝らしてリアルに演出しているのが分かりました。

渡邊:銃撃シーンが始まってしばらくの間、主人公の吉井は事態が飲み込めず、アシスタントの佐野(奥平大兼)から銃を手渡されてもどうしていいか分からない。そのあとの吉井と佐野が走り出すシーンで一瞬だけ音楽が使われていますが、当初この並走にも音楽を当てる予定はなくて、ダビング当日急きょほかのシーンに当たっていた音楽をアレンジして転用しました。黒沢さんから「今回のアクションシーンでは音楽をなるべく使わない方向で」と、打ち合わせ当初から伺っていましたし、あの銃撃シーン独特の緊張感は、乾いた銃声や息づかいなどの現実音や効果音によってつくり出された部分も多くあると思います。

「映画音楽にはルールがない」

——ジャンル映画のサントラは形式的なところがありますが、そこに独自のアプローチを加えることで化学変化を起こすことがある。それが映画音楽の醍醐味だと思うのですが、例えばサスペンス映画のフォーマットを作ったとも言われているマイケル・スモールが手掛けた「パララックス・ヴュー」(74年)のサントラも、映画から切り離して聴くとジャンルがわからない不思議な魅力がある。

渡邊:「パララックス・ヴュー」のサントラを採譜したことがありますが、あのマイケル・スモールの劇伴は、ほとんど発明に近いと思います。管弦楽法による音響像でもなくリファレンスもあまりない。マイケル・スモールとアラン・J・パクラ監督は、映画と音楽が拮抗しつつ一体化しているような独特の緊張関係をつくり上げたと思います。映画音楽史を調べていくと、トーキーが登場して以降、時代ごとに革新的な音楽が生まれていますが、おそらく直近でも転換点になるような音楽がつくられている気がします。例えば、ヨハン・ヨハンソンが手掛けた「ボーダーライン」(15年)のコントラバスのグリッサンド音ですとか。映画音楽は多分に派生的ですが、その典拠は時間がたってみないと分からないことが多いですね。

——トレント・レズナーの音響的なサントラもそうですね。レズナーもヨハンソンもロックのフィールドで活動していたミュージシャンですが、最近ではレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドやミカ・レヴィのように、映画音楽の作曲家以外のミュージシャンがサントラを手掛けるようになりました。渡邊さんもその1人ですが、そういった動きが映画音楽の世界に与える影響は大きいのではないでしょうか。

渡邊:映画音楽には定まった方法がありませんし、近年は音楽性がより多彩になってきたと思います。明確な主題があって口ずさめるような映画音楽もあれば、サウンドデザインや音響効果に近いサウンドトラックも多く、まさに映画音楽の変革期なのかもしれません。ただ、古典的なフィルムスコアリングの方法を引き継いでいくことも重要だと思います。個人的に文脈は大事ですし、過去作品に取り組むことで自分なりの方向性を見出すこともできます。「Cloud」の作曲に入る前には、ジョン・フリン監督の「組織」の音楽を手掛けたジェリー・フィールディングや、バーナード・ハーマンを聴いて「Cloud」のオーケストレーションなどを検討していました。

——そうやって文脈を見直しながら更新していくのは他のジャンルの音楽にもいえることですね。個人的にはミカ・レヴィと渡邊さんは通じるところがあるような気がします。両者とも専門的な音楽教育を受けていて、エレクトロニックな音楽からオーケストラ・サウンドまで手掛けることができるところとか、

渡邊:ミカ・レヴィの映画音楽にはいつも驚きと発見があります。ジョナサン・グレイザー監督の「アンダー・ザ・スキン」(13年)のサントラでは、木魚のような音が間を置きながら、「コツン、コツン」と鳴るのですが、その曇った打音と歪んだシンセサイザーの音がなんとも不気味で素晴らしく、人間とエイリアンの世界に溶け込んでいきます。「MONOS」(19年)でも笛のような音とティンパニーのロール音をうまく対比させるなど、音色や楽器の組み合わせも独創的で謎に満ちています。

——日本の映画界も、坂本龍一、細野晴臣、鈴木慶一といったベテラン、最近では石橋英子、岡田拓郎など、さまざまなミュージシャンが映画音楽を手掛けています。映画監督の音楽に対する意識も変化してきているのかもしれませんね。

渡邊:映画監督と音楽家の共同作業では、思いがけない発見や着想を得ることも多くありますね。映画の完成に際して、プリミックスから立ち会いをすることもありますが、映画監督の効果音に関するアイデアや判断は勉強になります。台詞や効果は映画内の音ですが、スタジオに立ち会っている自分からは気づけない細かな音にまで注意が行き届いていて、映画は音の情報が錯綜するので、音楽とのバランスを考える上で参考になります。それから、音楽は言語化することが難しくお互い専門知識も異なるので、演出の方向性をやりとりする上で難渋することもありますが、その際の互いの語彙というか、ひねり出される考えが逆に面白く着想につながることもあります。そういう解決困難なやり取りを経て、思いがけない音楽が引き出されます。

——監督とミュージシャンが共同でつくり上げていくという点でも映画音楽は独特ですね。だからこそ、面白いものが生まれる。

渡邊:僕は映画音楽の仕事と何にも付帯しない自分の音楽を分けて考えていません。映画音楽には時間などの制約もありますが、自分がベストと思えるぎりぎり手前の段階で音楽が手を離れたときの不条理な余白は、映画にあって手法や趣向を飛び越えた音に変化するような気もします。「ナミビアの砂漠」の即興をベースにした曲づくりも、「Cloud」の主題も半ば偶発的に着想しているので気がかりではありますが、それは常套(じょうとう)や習慣から逸脱した作業だからではないかと。個人的に作曲の仕事は漠然とした不安がある中で続けていることが多いです。

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ジェイミー・xxが影響を受けた音楽とは? 「人生のサウンドトラック」から探る

現代のイギリスを代表するインディー・バンドの一組、ザ・エックス・エックス(The xx)のトラックメイカーであるジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)が2024年9月にリリースした2作目のソロ・アルバム「In Waves」は、コロナ禍後に再び活気を取り戻した英国クラブ・シーンの熱気をダイレクトに反映したものだった。だからこそ、同作のツアーの一環として行われた11月の来日公演は、日本での過去のライブを遥かにしのぐ強烈なエネルギーがほとばしっていた。特にドラムンベースを含む怒濤のビートの応酬で攻め立てた前半は圧巻。「In Waves」制作前は一時的に音楽へのモチベーションを失いかけていたと語っていたジェイミーだが、今は完全に復活し、ダンス・ミュージックへの情熱を取り戻していることが生き生きと伝わってきた。無論、その激しい前半からメロディアスでドラマティックな中盤、再びギアを上げる後半へと移行していく流れも素晴らしく、オーディエンスが終始、歓喜と熱狂に包まれた大充実の120分だった。

このインタビューは、そんな素晴らしいライブの前日に行われたもの。アルバムについてはリリース時に取材を行っているため、今回はジェイミーの人生のさまざまな場面を彩ってきた音楽について、その時の思い出も含めて話してもらった。カジュアルな会話の中から、ジェイミー・エックス・エックスというアーティストの音楽観やパーソナリティーが浮き彫りになってくるのが感じ取れるだろう。

「In Waves」の反響

——「WWDJAPAN」では最新作「In Waves」がリリースされた時に一度取材※をしているので、今回はあなたのこれまでの人生を彩ってきたさまざまな音楽、言わば「人生のサウンドトラック」について話を訊かせてもらおうと思っています。
※https://www.wwdjapan.com/articles/1913177

ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):クールだね、面白そう。

——と言いつつ、まずはアルバム関連の質問も幾つか。「In Waves」がリリースされてから2カ月ほどが経ちましたが、これまでの反応で最も納得がいったものと、最も意外だったものはそれぞれ何でしたか?

ジェイミー:そうだなあ……ある映画監督をしてる古い友人から、ロンドンでアルバム・リリースのために行ったショーについて、とても長いボイス・メッセージが送られてきたんだ。それが本当に詳細で情熱的な内容で、すごくうれしかった。それからというもの、実はあまりフィードバックを受けていなくてね。レビューを見るのを避けるようにしているし、音楽について友人と話すこともないんだ。ただ普段通りの生活をしてるから、他の人たちの反応をあまり知らないんだよね。うん、でも今のところはすごく順調だと思う。どのライブも素晴らしいし、一番うれしいのは、新しい音楽がリリースされたことで、「In Colour」やそれ以前の楽曲を演奏するのが以前よりも楽しく感じられるようになったことかな。新しいアルバムを作れない間は、昔の曲を聴くのがちょっとしんどかったけど、今は「昔の曲もそんなに悪くなかったな」って思えるようになったんだ。

——その映画監督をしている友人から送られてきたボイス・メッセージがどんな内容だったのか、教えてもらうことはできますか?

ジェイミー:正確には覚えてないんだけど、ただそのメッセージを受け取ってすごくいい気分になったのを覚えていて。彼は学生時代からの友人で、普段はあまり会わないんだけど、最近ロンドンに短期間滞在してた時に夕食を一緒にしたんだ。その時、彼が映画制作を始めた頃の話をしてくれたんだよ。彼が初めて作った作品のプレミア上映をやった時、誰かが近づいてきて、すごく詳細なフィードバックをくれたらしいんだ。そのフィードバックが、「これからも続けていける」って彼が思えるきっかけになったみたいで。だから彼は、フィードバックを人に伝えるのはとても大事なんだって言ってたよ。誰の人生に影響を与えるかなんて分からないからね。

——なるほど。ちょうど昨日、「Waited All Night」のニア・アーカイヴス(Nia Archives)・リミックスがリリースされたばかりですよね。彼女に依頼しようと思った理由は?

ジェイミー:彼女は今ロンドンで本当に面白いことをやっているアーティストの一人と思うんだ。UKから生まれたジャングルやドラムンベース、それにハッピー・ハードコアみたいな音楽を再び取り入れつつ、新しいツイストを加えているよね。で、それにすごく興奮してる人たちがたくさんいるっていう。つい最近、彼女はブリクストン・アカデミーで初めてのショーをやったんだよ。あそこってすごく大きな会場だし、彼女みたいなアーティストが境界を押し広げていくのは本当に素晴らしいことだと思う。それに、彼女が手掛けてくれたリミックスがすごく気に入ってるんだ。今、他にも何人かのアーティストにリミックスをお願いしているところなんだけど、それぞれがダンス・ミュージックの違うジャンルで独自性を持ってる人たちで。最終的には、多様でエクレクティックなリミックス・コレクションができあがるんじゃないかと期待しているよ。

——まさにニア・アーカイヴスがやっているようなジャングルやドラムンベースはイギリスで再び盛り上がっていますが、その理由はどこにあると思いますか?

ジェイミー:シーンの流行っていうのは常にサイクルがあるからね。それは世界的に見てもそうだし、イギリスに限った話でもそう。人々は20年前の音楽を参照にしたりして、ある夏にはその音楽ばかりが流行ってるみたいな感じになるんだよね。でもその後、また方向が変わって、自分自身のしっぽを追いかけるように進化していく。それがダンス・ミュージックの魅力だと思うんだ。ちゃんと追いかけていれば、目まぐるしく変化するトレンドをしっかり追うことができるし、毎週クラブに通えば、その進化をリアルタイムで感じられる。他のどんなジャンルも、これほど速いスピードで進化することはないと思うよ。

人生で初めて夢中になった曲

——まったく同感です。では、先ほど言った「人生のサウンドトラック」について訊かせてください。

ジェイミー:OK。

——まず、人生で初めて夢中になった曲は何ですか?

ジェイミー:えっと、多分なんだけど、最初に夢中になったのは曲と言うよりアルバム全体で、両親が持っていたアルバムだったね。ロンドンで行われたスタックス・レコーズのショーケースのライブ・レコーディングだった(1967年リリースの「The Stax/Volt Revue Volume One Live In London」か?)。サム&デイヴやオーティス・レディング、ブッカー・T & ザ・MG’sといったスタックス・レコーズのアーティストが勢ぞろいしていてね。その録音には観客の声も入っていて、彼らがどれだけ興奮していたかが伝わってくるんだ。それに、もちろんその音楽自体も素晴らしかった。で、実はそのショーに父が実際に行っていて、(そのショーが録音された)レコードを買ったんだよ。だから、自分自身でレコードを買う前は、家のレコードプレーヤーでそのレコードを飽きるほど聴いてたんだ。

——そのアルバムは、その後の自分の音楽観に何かしらの影響を与えたと思いますか?

ジェイミー:うん、間違いなくね。そのことは結構よく考えるよ。最近、HBOでスタックス・レコーズについての新しいドキュメンタリー(「Stax: Soulsville USA」)が公開されたんだ。それを見て、またいろいろ考えさせられて。当時のアメリカでは、まだ人種による分離が色濃く残ってたけど、スタックス・レコーズは白人と黒人のミュージシャンが毎日スタジオで一緒に仕事をしていたんだ。でも、アメリカではその音楽があまり受け入れられなかったから、よりたくさんの観客を求めてイギリスに来る必要があって。イギリスでは観客の大半が白人だったけど、アメリカにあったような人種の境界線はなかった。僕がこれまで愛してきた音楽の多くも、そういった境界がないものだったと思うし、自分がサンプリングしたり音楽を作ったりする時も、そういった面を意識したことはあまりないんだ。スタックス・レコーズは、まさにそういう姿勢を象徴しているんだと思う。

——なるほど。では、自分がダンス・ミュージックに夢中になるきっかけとなった曲は?

ジェイミー:多分、ブリアル(Burial)の「Archangel」だと思う。というのも、それ以前にもたくさんのダンス・ミュージックを聴いてたし、10歳の頃からDJをやってたんだけど、この曲が出た時、それまでのどんな音楽とも違う新しい響きがあったんだ。それがロンドン発の音楽で、全てが自分の中でつながった感じがしたし、「音楽の境界線ってここまで広げられるんだ」って気づかせられたんだよ。

——デビュー当初のザ・エックス・エックスはブリアルと比較されることもありましたよね。ブリアルのバンド的展開といった感じで。それは納得がいく比較だったということでしょうか?

ジェイミー:うん、すごくうれしいよ。自分はそういう比較を聞いたことがないけど、確かにどちらの音楽にも余白というか、空間的な部分があるよね。そんな比較をされるのは光栄だし、自分にはもったいない気がする。

——それにしても、10歳の時からDJをやっていたんですね。だいぶ早熟だと思いますが。

ジェイミー:僕の叔父は2人ともDJだったんだ。彼らがプレイしているところを見に行ったことがある。7歳くらいの時には、叔父がプレイしているバーや、彼らが出演しているラジオ局に行ったりしてたよ。それで、僕が10歳の時にターンテーブルをくれたんだ。小さい頃からずっと欲しいってお願いしていたからね。彼らが使っていた古いターンテーブルを譲ってくれたんだよ。

メンバーとの思い出が詰まった曲

——「In Waves」はサンプリングをたくさん使ったアルバムですが、サンプリング・ミュージックに目覚めたきっかけの音楽は?

ジェイミー:RJD2(アールジェイディーツー)の「Ghostwriter」だと思う。それまでヒップホップでサンプリングを聴いたことは何度もあったけど、サンプル自体が楽器みたいにアレンジされて、完全に新しい音楽を作り出しているのを聴いたのはそれが初めてだったんだ。それが僕の好きなサンプリングのやり方だね。

——これは曲単位の話ではないのですが、初めて行ったクラブのことは覚えています?

ジェイミー:正直、あんまりいいクラブじゃなかったんだ。

——(笑)では、初めて最高のクラブを体験した時のことを教えてください。

ジェイミー:それだったら、初めてプラスティック・ピープル(ロンドンのクラブ、2015年に閉店)に行った時かな。ほとんど誰もいなくて、暗い部屋に自分含めて4人くらいしかいなかったんだ。でもその日はドラムンベース・ナイトで、今まで聴いた中で一番良い音が流れてて。ただ暗い隅っこで何時間も聴いていられるのがすごく幸せだったんだよね。それまでのクラブ体験って、もっと酔っぱらったり、ただ若さに任せて無茶したりするような感じで、それもそれで楽しいんだけど、でもこれは全然違う体験だったんだ。

——その時のDJが誰だったか、覚えていますか?

ジェイミー:いや、覚えてないんだ。多分そのイベントの名前はウォーム(Warm)だったと思うけど。でも、正直わからないね。ただふらっと入っただけだからさ。

——僕もプラスティック・ピープルには何回か行ったことがあって、その音の良さに衝撃を受けたんですけど、今ロンドンにあれと同じくらい良い音のクラブはあるんですか?

ジェイミー:いや、残念だけどないんだ。でも、僕がロンドンでザ・フロアっていう自分のクラブ・イベントをやった時、プラスティック・ピープルを参考にしたんだ。天井を低くして、新しいサウンドシステムを全部導入して、部屋全体をプラスティック・ピープルにできるだけ近づけるようにしたんだよ。それから、プラスティック・ピープルのオーナーで僕の大好きなDJのアデを招いてプレイしてもらったんだ。プラスティック・ピープルで働いてたり、プレイしてた友達もみんな来てくれてね。それはもう、タイムマシンに乗ったみたいな感覚だったよ。

——それはぜひ行ってみたかったですね。では、ザ・エックス・エックスのメンバーとの思い出が詰まった曲と言えば?

ジェイミー:うん、それはいい質問だね。オリヴァー(・シム)に関しては、そうだな……グレイス・ジョーンズかな。オリヴァーがステージに立っている時、彼女と似たようなエネルギーを感じるんだよね。でも、オリヴァーをバンドの一員じゃなくて、ただの友達として思い浮かべると、ミッシー・エリオットとかマライア・キャリーとか、90年代のR&Bを聴いてたのを思い出すよ。僕たちが初めて会った11歳の頃、オリヴァーはそんな音楽を聴いてたんだよね。

——ロミーの方は?

ジェイミー:ロミーに関してはまた全然違うんだ。思い浮かぶのはザ・ディスティラーズだね。ニュー・パンクのバンドだよ。ロミーが10代の頃によく聴いていて、それは僕が当時聴いてたものとは全然違ったんだけど、それでも一緒に音楽を作りたいと思ったんだ。それからフリートウッド・マックの「Dreams」も思い出すよ。

——聴いていた音楽がそれぞれ全然違ったのに、一緒にバンドをやりたいと思ったのはなぜなんですか?

ジェイミー:ただみんな音楽が大好きだったからだと思う。それに、学校にいるよりも音楽をやる方がずっとワクワクする何かがあったんだよね。誰もいない部屋で演奏したりするだけでも、学校にいるよりずっと楽しかった。本当に自然な流れだったんだよ。

2024年のベスト・トラック

——「In Waves」制作前、ロックダウン中はダンス・ミュージックではなく昔のレコードばかり聴いていたと以前のインタビューで教えてくれましたが、その時に特に心に響いた曲を挙げるとすれば?

ジェイミー:クルセイダーズのベスト盤だね、赤いジャケットでシンプルなデザインのやつ(1976年リリースの「The Best Of The Crusaders」と思われる)。子どもの頃によく聴いてたから、レコード・ショップで見かけるたびに買っちゃうんだよね。いや、値段は5ポンドくらいで、ほとんど(ビンテージとしての)価値はないし、すごく一般的なレコードなんだけど、でも子どもの頃を思い出させてくれるし、今でも聴くのが好きなんだ。ロックダウン中もそれをたくさん聴いてたと思うよ。

——それ以外には、どんな曲をロックダウンの時は聴いていたんですか?

ジェイミー:結構フォーク・ミュージックを聴いてたよ。落ち着いた感じの音楽とかね。あと、トリップするのに良さそうな音楽とか。つまり、それまでずっと聴いてた音楽とは全く正反対のものを聴いてた感じかな。

——あなたの地元サウス・ロンドンを象徴する曲は何かと訊かれたら、どんなものが思い浮かびますか?

ジェイミー:やっぱりそれも、間違いなくブリアルだね。

——具体的な曲名やアルバム名で言うと?

ジェイミー:「Untrue」っていうアルバム。彼は、僕やフォー・テット(Four Tet)と同じ学校に通ってたんだ。だから、僕が育ったエリアをすごく象徴してると思う。でも、それだけじゃなくて、サウス・ロンドンからは本当にたくさんの音楽が生まれた。初期のダブステップとかね。DMZ Recordsの音楽もそうだな。ブリクストンのザ・チャーチでやってた彼らのクラブ・イベントに通ってたんだけど、DMZから出たレコードはどれも僕にとってサウス・ロンドンそのものって感じなんだよね。

——もう来日は何度もしていると思いますが、日本での思い出と結びついた曲は何かありますか?

ジェイミー:それなら、「DEMENTOS」っていうレコード。日本のアーティストだけど、名前が思い出せないな(清水靖晃。同作収録の「FIND NO WORD TO SAY 絶句」は翌日のライブでもプレイしていた)。実は去年になって初めて見つけたもので、本当に素晴らしいんだよ。最近はよくプレイしていて、僕のギグにもすごく役立ってるんだ。僕にとっては、これが日本を象徴していると思う。だって、日本に来るたびに、ここでしか見つからないような素晴らしい音楽をいつも新しく発見するんだから。

——あそこのテーブルの上にも買ってきたばかりのレコードが幾つも置いてありますが、やっぱり日本のレコード屋はいいですか?

ジェイミー:うん、世界一だね。

——ちなみに、日本でお気に入りのレコード屋ってあったりするんですか?

ジェイミー:毎回変わるんだよね。日本に来るたびに、どこかのレコード・ショップが一番いいものを揃えていて、それが毎回違うから。でも今回の滞在では、HMVに行って、そこでほとんどのレコードを買ったよ。disk unionやFace Recordsも好きだね。

——では最後に、2024年のベスト・トラックを教えてください。

ジェイミー:ジョイ・オービソン(Joy Orbison)の「flight fm」かな。今年のリリースだと思うんだけど……。

——今年ですね。なぜその曲がベストなんですか?

ジェイミー:あれが最後にダンス・ミュージックを本当に動かした曲だと思うんだ。もう、どこに行ってもかかってたからね。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
CD 国内盤(解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14157

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ジェイミー・xxが影響を受けた音楽とは? 「人生のサウンドトラック」から探る

現代のイギリスを代表するインディー・バンドの一組、ザ・エックス・エックス(The xx)のトラックメイカーであるジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)が2024年9月にリリースした2作目のソロ・アルバム「In Waves」は、コロナ禍後に再び活気を取り戻した英国クラブ・シーンの熱気をダイレクトに反映したものだった。だからこそ、同作のツアーの一環として行われた11月の来日公演は、日本での過去のライブを遥かにしのぐ強烈なエネルギーがほとばしっていた。特にドラムンベースを含む怒濤のビートの応酬で攻め立てた前半は圧巻。「In Waves」制作前は一時的に音楽へのモチベーションを失いかけていたと語っていたジェイミーだが、今は完全に復活し、ダンス・ミュージックへの情熱を取り戻していることが生き生きと伝わってきた。無論、その激しい前半からメロディアスでドラマティックな中盤、再びギアを上げる後半へと移行していく流れも素晴らしく、オーディエンスが終始、歓喜と熱狂に包まれた大充実の120分だった。

このインタビューは、そんな素晴らしいライブの前日に行われたもの。アルバムについてはリリース時に取材を行っているため、今回はジェイミーの人生のさまざまな場面を彩ってきた音楽について、その時の思い出も含めて話してもらった。カジュアルな会話の中から、ジェイミー・エックス・エックスというアーティストの音楽観やパーソナリティーが浮き彫りになってくるのが感じ取れるだろう。

「In Waves」の反響

——「WWDJAPAN」では最新作「In Waves」がリリースされた時に一度取材※をしているので、今回はあなたのこれまでの人生を彩ってきたさまざまな音楽、言わば「人生のサウンドトラック」について話を訊かせてもらおうと思っています。
※https://www.wwdjapan.com/articles/1913177

ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):クールだね、面白そう。

——と言いつつ、まずはアルバム関連の質問も幾つか。「In Waves」がリリースされてから2カ月ほどが経ちましたが、これまでの反応で最も納得がいったものと、最も意外だったものはそれぞれ何でしたか?

ジェイミー:そうだなあ……ある映画監督をしてる古い友人から、ロンドンでアルバム・リリースのために行ったショーについて、とても長いボイス・メッセージが送られてきたんだ。それが本当に詳細で情熱的な内容で、すごくうれしかった。それからというもの、実はあまりフィードバックを受けていなくてね。レビューを見るのを避けるようにしているし、音楽について友人と話すこともないんだ。ただ普段通りの生活をしてるから、他の人たちの反応をあまり知らないんだよね。うん、でも今のところはすごく順調だと思う。どのライブも素晴らしいし、一番うれしいのは、新しい音楽がリリースされたことで、「In Colour」やそれ以前の楽曲を演奏するのが以前よりも楽しく感じられるようになったことかな。新しいアルバムを作れない間は、昔の曲を聴くのがちょっとしんどかったけど、今は「昔の曲もそんなに悪くなかったな」って思えるようになったんだ。

——その映画監督をしている友人から送られてきたボイス・メッセージがどんな内容だったのか、教えてもらうことはできますか?

ジェイミー:正確には覚えてないんだけど、ただそのメッセージを受け取ってすごくいい気分になったのを覚えていて。彼は学生時代からの友人で、普段はあまり会わないんだけど、最近ロンドンに短期間滞在してた時に夕食を一緒にしたんだ。その時、彼が映画制作を始めた頃の話をしてくれたんだよ。彼が初めて作った作品のプレミア上映をやった時、誰かが近づいてきて、すごく詳細なフィードバックをくれたらしいんだ。そのフィードバックが、「これからも続けていける」って彼が思えるきっかけになったみたいで。だから彼は、フィードバックを人に伝えるのはとても大事なんだって言ってたよ。誰の人生に影響を与えるかなんて分からないからね。

——なるほど。ちょうど昨日、「Waited All Night」のニア・アーカイヴス(Nia Archives)・リミックスがリリースされたばかりですよね。彼女に依頼しようと思った理由は?

ジェイミー:彼女は今ロンドンで本当に面白いことをやっているアーティストの一人と思うんだ。UKから生まれたジャングルやドラムンベース、それにハッピー・ハードコアみたいな音楽を再び取り入れつつ、新しいツイストを加えているよね。で、それにすごく興奮してる人たちがたくさんいるっていう。つい最近、彼女はブリクストン・アカデミーで初めてのショーをやったんだよ。あそこってすごく大きな会場だし、彼女みたいなアーティストが境界を押し広げていくのは本当に素晴らしいことだと思う。それに、彼女が手掛けてくれたリミックスがすごく気に入ってるんだ。今、他にも何人かのアーティストにリミックスをお願いしているところなんだけど、それぞれがダンス・ミュージックの違うジャンルで独自性を持ってる人たちで。最終的には、多様でエクレクティックなリミックス・コレクションができあがるんじゃないかと期待しているよ。

——まさにニア・アーカイヴスがやっているようなジャングルやドラムンベースはイギリスで再び盛り上がっていますが、その理由はどこにあると思いますか?

ジェイミー:シーンの流行っていうのは常にサイクルがあるからね。それは世界的に見てもそうだし、イギリスに限った話でもそう。人々は20年前の音楽を参照にしたりして、ある夏にはその音楽ばかりが流行ってるみたいな感じになるんだよね。でもその後、また方向が変わって、自分自身のしっぽを追いかけるように進化していく。それがダンス・ミュージックの魅力だと思うんだ。ちゃんと追いかけていれば、目まぐるしく変化するトレンドをしっかり追うことができるし、毎週クラブに通えば、その進化をリアルタイムで感じられる。他のどんなジャンルも、これほど速いスピードで進化することはないと思うよ。

人生で初めて夢中になった曲

——まったく同感です。では、先ほど言った「人生のサウンドトラック」について訊かせてください。

ジェイミー:OK。

——まず、人生で初めて夢中になった曲は何ですか?

ジェイミー:えっと、多分なんだけど、最初に夢中になったのは曲と言うよりアルバム全体で、両親が持っていたアルバムだったね。ロンドンで行われたスタックス・レコーズのショーケースのライブ・レコーディングだった(1967年リリースの「The Stax/Volt Revue Volume One Live In London」か?)。サム&デイヴやオーティス・レディング、ブッカー・T & ザ・MG’sといったスタックス・レコーズのアーティストが勢ぞろいしていてね。その録音には観客の声も入っていて、彼らがどれだけ興奮していたかが伝わってくるんだ。それに、もちろんその音楽自体も素晴らしかった。で、実はそのショーに父が実際に行っていて、(そのショーが録音された)レコードを買ったんだよ。だから、自分自身でレコードを買う前は、家のレコードプレーヤーでそのレコードを飽きるほど聴いてたんだ。

——そのアルバムは、その後の自分の音楽観に何かしらの影響を与えたと思いますか?

ジェイミー:うん、間違いなくね。そのことは結構よく考えるよ。最近、HBOでスタックス・レコーズについての新しいドキュメンタリー(「Stax: Soulsville USA」)が公開されたんだ。それを見て、またいろいろ考えさせられて。当時のアメリカでは、まだ人種による分離が色濃く残ってたけど、スタックス・レコーズは白人と黒人のミュージシャンが毎日スタジオで一緒に仕事をしていたんだ。でも、アメリカではその音楽があまり受け入れられなかったから、よりたくさんの観客を求めてイギリスに来る必要があって。イギリスでは観客の大半が白人だったけど、アメリカにあったような人種の境界線はなかった。僕がこれまで愛してきた音楽の多くも、そういった境界がないものだったと思うし、自分がサンプリングしたり音楽を作ったりする時も、そういった面を意識したことはあまりないんだ。スタックス・レコーズは、まさにそういう姿勢を象徴しているんだと思う。

——なるほど。では、自分がダンス・ミュージックに夢中になるきっかけとなった曲は?

ジェイミー:多分、ブリアル(Burial)の「Archangel」だと思う。というのも、それ以前にもたくさんのダンス・ミュージックを聴いてたし、10歳の頃からDJをやってたんだけど、この曲が出た時、それまでのどんな音楽とも違う新しい響きがあったんだ。それがロンドン発の音楽で、全てが自分の中でつながった感じがしたし、「音楽の境界線ってここまで広げられるんだ」って気づかせられたんだよ。

——デビュー当初のザ・エックス・エックスはブリアルと比較されることもありましたよね。ブリアルのバンド的展開といった感じで。それは納得がいく比較だったということでしょうか?

ジェイミー:うん、すごくうれしいよ。自分はそういう比較を聞いたことがないけど、確かにどちらの音楽にも余白というか、空間的な部分があるよね。そんな比較をされるのは光栄だし、自分にはもったいない気がする。

——それにしても、10歳の時からDJをやっていたんですね。だいぶ早熟だと思いますが。

ジェイミー:僕の叔父は2人ともDJだったんだ。彼らがプレイしているところを見に行ったことがある。7歳くらいの時には、叔父がプレイしているバーや、彼らが出演しているラジオ局に行ったりしてたよ。それで、僕が10歳の時にターンテーブルをくれたんだ。小さい頃からずっと欲しいってお願いしていたからね。彼らが使っていた古いターンテーブルを譲ってくれたんだよ。

メンバーとの思い出が詰まった曲

——「In Waves」はサンプリングをたくさん使ったアルバムですが、サンプリング・ミュージックに目覚めたきっかけの音楽は?

ジェイミー:RJD2(アールジェイディーツー)の「Ghostwriter」だと思う。それまでヒップホップでサンプリングを聴いたことは何度もあったけど、サンプル自体が楽器みたいにアレンジされて、完全に新しい音楽を作り出しているのを聴いたのはそれが初めてだったんだ。それが僕の好きなサンプリングのやり方だね。

——これは曲単位の話ではないのですが、初めて行ったクラブのことは覚えています?

ジェイミー:正直、あんまりいいクラブじゃなかったんだ。

——(笑)では、初めて最高のクラブを体験した時のことを教えてください。

ジェイミー:それだったら、初めてプラスティック・ピープル(ロンドンのクラブ、2015年に閉店)に行った時かな。ほとんど誰もいなくて、暗い部屋に自分含めて4人くらいしかいなかったんだ。でもその日はドラムンベース・ナイトで、今まで聴いた中で一番良い音が流れてて。ただ暗い隅っこで何時間も聴いていられるのがすごく幸せだったんだよね。それまでのクラブ体験って、もっと酔っぱらったり、ただ若さに任せて無茶したりするような感じで、それもそれで楽しいんだけど、でもこれは全然違う体験だったんだ。

——その時のDJが誰だったか、覚えていますか?

ジェイミー:いや、覚えてないんだ。多分そのイベントの名前はウォーム(Warm)だったと思うけど。でも、正直わからないね。ただふらっと入っただけだからさ。

——僕もプラスティック・ピープルには何回か行ったことがあって、その音の良さに衝撃を受けたんですけど、今ロンドンにあれと同じくらい良い音のクラブはあるんですか?

ジェイミー:いや、残念だけどないんだ。でも、僕がロンドンでザ・フロアっていう自分のクラブ・イベントをやった時、プラスティック・ピープルを参考にしたんだ。天井を低くして、新しいサウンドシステムを全部導入して、部屋全体をプラスティック・ピープルにできるだけ近づけるようにしたんだよ。それから、プラスティック・ピープルのオーナーで僕の大好きなDJのアデを招いてプレイしてもらったんだ。プラスティック・ピープルで働いてたり、プレイしてた友達もみんな来てくれてね。それはもう、タイムマシンに乗ったみたいな感覚だったよ。

——それはぜひ行ってみたかったですね。では、ザ・エックス・エックスのメンバーとの思い出が詰まった曲と言えば?

ジェイミー:うん、それはいい質問だね。オリヴァー(・シム)に関しては、そうだな……グレイス・ジョーンズかな。オリヴァーがステージに立っている時、彼女と似たようなエネルギーを感じるんだよね。でも、オリヴァーをバンドの一員じゃなくて、ただの友達として思い浮かべると、ミッシー・エリオットとかマライア・キャリーとか、90年代のR&Bを聴いてたのを思い出すよ。僕たちが初めて会った11歳の頃、オリヴァーはそんな音楽を聴いてたんだよね。

——ロミーの方は?

ジェイミー:ロミーに関してはまた全然違うんだ。思い浮かぶのはザ・ディスティラーズだね。ニュー・パンクのバンドだよ。ロミーが10代の頃によく聴いていて、それは僕が当時聴いてたものとは全然違ったんだけど、それでも一緒に音楽を作りたいと思ったんだ。それからフリートウッド・マックの「Dreams」も思い出すよ。

——聴いていた音楽がそれぞれ全然違ったのに、一緒にバンドをやりたいと思ったのはなぜなんですか?

ジェイミー:ただみんな音楽が大好きだったからだと思う。それに、学校にいるよりも音楽をやる方がずっとワクワクする何かがあったんだよね。誰もいない部屋で演奏したりするだけでも、学校にいるよりずっと楽しかった。本当に自然な流れだったんだよ。

2024年のベスト・トラック

——「In Waves」制作前、ロックダウン中はダンス・ミュージックではなく昔のレコードばかり聴いていたと以前のインタビューで教えてくれましたが、その時に特に心に響いた曲を挙げるとすれば?

ジェイミー:クルセイダーズのベスト盤だね、赤いジャケットでシンプルなデザインのやつ(1976年リリースの「The Best Of The Crusaders」と思われる)。子どもの頃によく聴いてたから、レコード・ショップで見かけるたびに買っちゃうんだよね。いや、値段は5ポンドくらいで、ほとんど(ビンテージとしての)価値はないし、すごく一般的なレコードなんだけど、でも子どもの頃を思い出させてくれるし、今でも聴くのが好きなんだ。ロックダウン中もそれをたくさん聴いてたと思うよ。

——それ以外には、どんな曲をロックダウンの時は聴いていたんですか?

ジェイミー:結構フォーク・ミュージックを聴いてたよ。落ち着いた感じの音楽とかね。あと、トリップするのに良さそうな音楽とか。つまり、それまでずっと聴いてた音楽とは全く正反対のものを聴いてた感じかな。

——あなたの地元サウス・ロンドンを象徴する曲は何かと訊かれたら、どんなものが思い浮かびますか?

ジェイミー:やっぱりそれも、間違いなくブリアルだね。

——具体的な曲名やアルバム名で言うと?

ジェイミー:「Untrue」っていうアルバム。彼は、僕やフォー・テット(Four Tet)と同じ学校に通ってたんだ。だから、僕が育ったエリアをすごく象徴してると思う。でも、それだけじゃなくて、サウス・ロンドンからは本当にたくさんの音楽が生まれた。初期のダブステップとかね。DMZ Recordsの音楽もそうだな。ブリクストンのザ・チャーチでやってた彼らのクラブ・イベントに通ってたんだけど、DMZから出たレコードはどれも僕にとってサウス・ロンドンそのものって感じなんだよね。

——もう来日は何度もしていると思いますが、日本での思い出と結びついた曲は何かありますか?

ジェイミー:それなら、「DEMENTOS」っていうレコード。日本のアーティストだけど、名前が思い出せないな(清水靖晃。同作収録の「FIND NO WORD TO SAY 絶句」は翌日のライブでもプレイしていた)。実は去年になって初めて見つけたもので、本当に素晴らしいんだよ。最近はよくプレイしていて、僕のギグにもすごく役立ってるんだ。僕にとっては、これが日本を象徴していると思う。だって、日本に来るたびに、ここでしか見つからないような素晴らしい音楽をいつも新しく発見するんだから。

——あそこのテーブルの上にも買ってきたばかりのレコードが幾つも置いてありますが、やっぱり日本のレコード屋はいいですか?

ジェイミー:うん、世界一だね。

——ちなみに、日本でお気に入りのレコード屋ってあったりするんですか?

ジェイミー:毎回変わるんだよね。日本に来るたびに、どこかのレコード・ショップが一番いいものを揃えていて、それが毎回違うから。でも今回の滞在では、HMVに行って、そこでほとんどのレコードを買ったよ。disk unionやFace Recordsも好きだね。

——では最後に、2024年のベスト・トラックを教えてください。

ジェイミー:ジョイ・オービソン(Joy Orbison)の「flight fm」かな。今年のリリースだと思うんだけど……。

——今年ですね。なぜその曲がベストなんですか?

ジェイミー:あれが最後にダンス・ミュージックを本当に動かした曲だと思うんだ。もう、どこに行ってもかかってたからね。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
CD 国内盤(解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14157

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「飯沼一家に謝罪します」大森時生 × 皆口大地 「今回は徹底的に『謝罪』の怖さに向き合った」

PROFILE: 大森時生/プロデューサー・ディレクター(左)、皆口大地/映像作家

PROFILE: 左:(おおもり・ときお)1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」「祓除」「フィクショナル」を担当。Aマッソの単独公演「滑稽」でも企画・演出を務めた。昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出。今夏イベント「行方不明展」も手掛けた。 右:(みなぐち・だいち)1987年生まれ、埼玉県出身。WEBデザイナーとして勤務しながら、2018年にディレクターとしてYouTube番組「ゾゾゾ」を立ち上げる。その後、21年8月から『フェイクドキュメンタリー「Q」』をYouTubeで配信スタート。「TXQ FICTION」の制作にも参加した。

今年5月に放送されたTXQ FICTION第1弾「イシナガキクエを探しています」は、放送の度にXで日本トレンド1位を獲得するなど、大きな話題となった。そのTXQ FICTIONの第2弾、「飯沼一家に謝罪します」が12月23日から26日まで、4夜連続でテレビ東京で放送される。

制作スタッフは前作と同じく、テレビ東京の大森時生、「ゾゾゾ」「フェイクドキュメンタリーQ」の皆口大地、「フェイクドキュメンタリーQ」「心霊マスターテープ」の寺内康太郎、第2回日本ホラー映画大賞を受賞し、来年「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」の上映を控える近藤亮太が参加している。

「イシナガキクエ」では公開捜索番組がモチーフだったが、新作「飯沼一家に謝罪します」は家族チャレンジ番組がモチーフだ。なぜ、そのモチーフを選んだのか。そしてなぜ「謝罪」というテーマにしたのか。「イシナガキクエ」を振り返りつつ、「飯沼一家に謝罪します」について大森と皆口に聞いた。

※本文中には一部「飯沼一家に謝罪します」の内容に触れる記述があります。

前作「イシナガキクエを探しています」の反響

——前作「イシナガキクエを探しています」の反響は?

皆口大地(以下、皆口):自分の周りでもテレビで見ていただいた方が多くて、改めてテレビの力というか、規模が違うんだなというのはすごく実感しました。

大森時生(以下、大森):僕は「フェイクドキュメンタリーQ」にいちファンとして夢中になっていたので、何かのタイミングで皆口さんをはじめとした「Q」のスタッフの方々とご一緒としたいと思っていました。そして「イシナガキクエ」を放送したとき、テレビの同時性=同時間にみんなが見ることの面白さを、改めて感じました。

——ネット上では盛んに考察などが行われていました。

皆口:作っていく中で、チームの中ではストーリーのちゃんとした縦軸みたいなものはしっかりあったんですけど、見られた方々が展開する考察って、受け取り方やアングル次第で作品の見え方が変わるんだなという印象がすごく強かったですね。だから、「この人が言っているのは全然違うな」とかは思わなくて。正解・不正解みたいなものではなく、そういう見え方もするんだという。作品に深みが増した感じがしました。

大森:フェイクドキュメンタリーって本当に生き物っぽいところがあるなあと思っていて。例えば、僕という人間をAさんが話すときとBさんが話すときで、まったく違うことを言うと思うんですよね。それがフェイクドキュメンタリーでもそのまま起こっている。そのアングルによって語り方、見える部分とか怖がる部分、持つ感情とかも変わっていく。ドラマ的なフィクションほど、感情の行く先がサジェストされていないから、こんなにそれが出るかと驚きました。

——これまでの作品よりもそれが顕著だった?

大森:「イシナガキクエ」は、疑似生放送の体裁だったじゃないですか。だからスタジオの安東(弘樹)さんは、普通のフェイクドキュメンタリーよりも自由にしゃべれないんですよね。公開捜索番組という設定上、安藤さんは特に自分の感情については一切出すことができない。テレビに出ている人が何を考えているのかよく分からないから、より想像力が膨らむ。それが良い方向に行った部分もあれば、悪い方向に行った部分もあるなと個人的には思いました。「Q」は余白の具合が絶妙なんですよね。それでコアなファンにも新規のファンにもウケているところがすごく大きいと思うんですけど、「イシナガキクエ」は「Q」よりも余白の部分が少し大きくなっていたかもしれないというのは、今回の2作目をやる会議の最初に話題に上がりましたね。

——前作は電話番号も公開して視聴者に情報提供を呼びかけましたね。

大森:こんなに一瞬で電話回線がパンクしてしまうんだっていうのは驚きました。特に1話のときは開始5秒くらいでパンクしちゃって。

皆口:よく(電話を)かけますよね。自分だったら怖くてかけられない。だから、それにびっくりしました。

大森:しかも次の日から留守電に残っている人たちにかけ直したわけですから。ちゃんとビビってましたね、かけ直された人たちは。

——かけ直すっていうのは最初から決めていたんですか?

大森:いや、第1話の後に、こんなにかけてくれるんならかけ直そうってなりました。留守電の音声を聴くとすごく面白かったんですよ。ある種、フェイクドキュメンタリーに対するリテラシーも上がっているから、たぶんフェイクだとはわかった上で、そのことには一切触れずに、出演者の1人のような形でコメントしてくれている人が多くて。

——乗っかってくれているんですね。

大森:そうなんです。例えば、霊能でお祓いをやっているという人にかけ直したら、「イシナガキクエさんが狭いところに閉じ込められているのが見える」っていう話を30分くらい話しているんですよ。さすがにそのまま切るのは倫理的に良くないなと思って、この番組がフェイクドキュメンタリーであることを説明したら、「もちろん分かってます」って。先ほど触れた通り、演者が言える部分が少ない分、「イシナガキクエ」では視聴者との相互コミュニケーションのような形式にしましたけど、今回の「飯沼一家に謝罪します」はどちらかというともう少し、フィクション=物語に寄っていると思います。

「根幹を担ってくださっているのは寺内さん」

——錚々たるメンバーが集結して作られていますが、役割分担はどのようになっているんですか?

大森:結構ファジーですよね。

皆口:そうですね。最初にどんなことをやりたいかをみんなで集まって話をしてできるものの中から現実的に面白そうなものはどれだろうと組んでいく感じです。

大森:「Q」の寺内(康太郎)さんと福井(鶴)さんにアイデアを持ってきていただき、それについて話し合う。その後ドラマでいう脚本的なものをつくってもらい、それを元にまたみんなで話し合うという感じです。だから現場の監督は寺内さんで、出演もしている演出部の近藤(亮太)さんが、出演者として演技をすることも多く「これをスタッフは言いにくい」といったジャッジをしてくれる。僕や皆口さんは、ある程度俯瞰で見ながら気になったところを言っていくというスタイルですね。だから、強く言っておきたいのは、こういう取材でも僕が前面に出させていただいてますけど、根幹を担ってくださっているのは寺内さん、福井さんなんです。

——2人から見て寺内さんのスゴさは?

皆口:寺内さんって実際に料理がお上手なんですけど、まさに監督としてもそんな感じ。「こういうテーマで作ったら面白くないですか?」みたいな、ある意味無茶振りのようなことをバーっと言っても、それを形にできる力は、絶対に真似できない。食材はこれとこれと言ったら、おいしいものをつくってくれるという信頼があります。

大森:現場的なことで言えば、素材でまず本物じゃないと許さない感じがすごく面白いなと思います。僕はテレビの人間なので、やっぱり編集文化で育っているんですよ。編集して最終的にできあがったものが成立していればいいと思ってしまう。撮影したAの部分とBの部分を組み合わせて、順番を入れ替えたりすれば、こういうふうにつながるなみたいに考えるんですけど、寺内さんは、それをあまり好まない。1回の撮影で、さらにいうとワンカットで本物だと思えるようなものを撮る。その嗅覚みたいなものが一朝一夕で身につけたものじゃない感じがあってスゴいなと思います。

——それは具体的にはどのようなやり方なんですか?

大森:僕からしたら、そんなにダメだったかな?ってところでも粘って撮影を続けるんです。1回目のテイクとそこまで変わらないかなと思うんですけど、編集で上がってきたものを見ると、ああ、寺内さんはこの表情を撮りたいと思ったんだっていうのがすごく分かる。寺内さんの中で、それが明確に見えているんだと思います。でも、寺内さんは俳優の方たちに「僕が言った通りに直さないでいいですよ」って言うこともあるんです。「僕がこういうところがダメだと思っていることを理解して、その上であなたが咀嚼(そしゃく)してもう1回やってほしい」と。そしたら本当に狙って起こせないような怖さだったり、不気味さが撮れるんですよ。寺内さんは、もう普通の本物っぽさでは満足できないくらい変態的なレベルに達しているのかもしれないです(笑)。僕は自分の脳内に浮かぶものをちゃんと反映させることを目指すけど、寺内さんはそれを超えたものを見せてくれっていう発想なんです。

——「イシナガキクエ」でいえば、米原さんの存在感も得も言われぬ不気味さでした。

大森:最初は米原さん役の方の顔を見ても不気味だとかはまったく思ってなかったんです。でも、いざ現場で寺内さんが演出をつけると不気味になる。たぶん、「イシナガキクエ」で一番リテイクしたのが、「イシナガキクエはいないんじゃないですか?」ってスタッフに聞かれて「え?」って米原さんが聞き返すシーン。ネットでも一番反響があったシーンですけど、あれはさっきの寺内さん流の演出の結果、スゴいところにたどり着いたなってシーンでしたね。

——カメラワークも印象的ですね。

大森:実は「TXQ FICTION」では、川滝(悟司)さんという「情熱大陸」などでもディレクターをしている方がカメラで入っていて、自分の意思で動かしているんです。「ドキュメンタリーで自分が密着するとしたら、どういうカメラワークにするかで撮ってください」と全部お任せ。カメラマンって、特にバラエティーのカメラマンはディレクターが撮ってほしいものを撮る職人でもあるから、例えば、グッと目だけに寄るみたいなことは指示を受けない限りすることは少ないです。ディレクターがそうじゃないと思ったときに替えがきかなくなってしまうから。でも川滝さんは、それを自ら画をディレクションしてくださり、画を決めてくださるからこそ出せる迫力がある。今回の「飯沼一家」でも、まさにそういう大胆なカメラワークのシーンがありました。

皆口:そうですね。すごく生き生きとしたものが撮れましたね。

大森:逆にここで表情を撮らないんだ、みたいなことも多い。僕とかだとやっぱり保険のためにここは顔も撮っておいて、後でインサートで物を撮ろうとか思うんですけど、それよりもグルーヴみたいなものを大事にして撮るものを瞬時に決めている。それがリアルっぽさと迫力につながっているなと思いました。

「より密度が濃い作品」

——「イシナガキクエ」では、公開捜索番組がモチーフでしたが、新作「飯沼一家に謝罪します」は、家族チャレンジ番組がモチーフになっています。

大森:「番組枠を買い取ったっていう概念が面白いよね」というのが最初のスタートで、買い取った先に何をするかで「謝罪」というテーマが出てきた。謝罪の対象者として、幸せそうな家族に謝るというのは面白いだろうと。

皆口:やっぱり「しあわせ家族計画」(TBS)のような家族チャレンジものって幸せの象徴みたいな番組じゃないですか。失敗しても別に地獄に落ちるわけでもないし。だからその幸せの象徴みたいなものの裏に「TXQ FICTION」味の不穏なものがバックボーンにくっついていたりしたら面白いんじゃないかと。

大森:「謝罪」というテーマも面白いんじゃないかと思いましたね。「謝罪」って現代社会ですごく怖い。とにかく隙あらば謝罪に追い込まれるし、謝罪も必要に迫られたから謝罪しますっていうのがほとんどで、その謝罪も別に何の効果もない。みんなその謝罪にまた怒るだけ。もうこの5年くらいで、謝罪というものの曖昧さがすごく増した感じがするんですよね。だから「謝罪」というテーマが出てきたときに、とてもいいなと思いました。字もよく考えたら怖いですよね。「罪」を「謝」る。

——確かに。

大森:今回は「イシナガキクエ」より圧倒的に渋くなっていて、「イシナガキクエ」ともまったく違う手触り・面白さだと思います。

皆口:自分は京都が好きなんですけど、京都って入り口がめちゃくちゃ狭いじゃないですか。でも入って見ると道がすごく広がっている。今回の作品はそれに近いんじゃないかと思います。

大森:冒頭の第1話が特に渋いですからね(笑)。

皆口:ちゃんと2話、3話、4話と見ていただければ、面白くなったと言っていただけると思います。自分は根が曲がっている人間なので、こういう作品の方がやっていて楽しいし、見ていただきたいなと思いますね。今回は4夜連続なので、毎日続けて見られるからこそ許される複雑さもあります。

——そういう入り口の狭さや分かりにくさみたいなものは、視聴者をある程度信頼していないとできないことだと思いますが、視聴者にはどのような思いがありますか?

皆口:こんなことを言ったら怒られるかもしれないですけど、自分は視聴者の方に対する思いってそんなにないんです。自分が見たいものを愚直に追い求めている。だから視聴者の方にメッセージがあるとしたら「こういうの見たかったよね!」っていうことですね。視聴者が望むことばかりを追いかけても、シリーズが丸くなっていくだけだと思うので。

大森:それは本当にそうですね。

皆口:やっぱりどこかでエゴを出していかないといけないし、それが求められているんだろうなとも思います。教科書のような“いい子”のフェイクドキュメンタリーはもっとちゃんとしたところが作ってくれるんじゃないかなって(笑)。

大森:僕も感覚的には近いところがあって、やっぱりマーケティング的にものを作るってかなり危険でもあると思っているんです。短期的には成功する可能性はあるけど、それによって作品の寿命が縮むことがある。僕の中にもやっぱりクリエイター寄りの自分と、マーケター寄りの自分がいるんですけど、やっぱり自分たちが一番面白いと思っているもの、自分たちが打てる一番強いパンチを打つことがまず先にあって、その上で、一番広がる方法はなんだろうっていうのをいつも考えたいと思っています。

「大森さんとストレートな心霊番組を作ってみたい」

——皆口さんは「TXQ FICTION」について「自分のテレビ愛を込めたかった」とおっしゃっていますが、昔からテレビは好きだったんですか?

皆口:テレビっ子ですね。いまでも家にいるときはずっとテレビをつけっぱなしです。自分はYouTubeで「ゾゾゾ」という番組をやっていますけど、YouTubeで活躍されている方って、テレビと比べられがちなところがあるじゃないですか。YouTubeの方が面白いよね、とか。自分は一切そういうのを感じなくて。だから、そんな意見へのアンチテーゼじゃないですけど、テレビを愛している人間もここにいるんだぞ、みたいな気持ちもあって「ザ・テレビ」みたいな題材を選んだんです。「イシナガキクエ」や「飯沼一家」をYouTubeやNetflixでやっても意味がない。テレビでやるからこそ意味があるんだっていうテレビっ子なりのこだわりがありましたね。

——どんなテレビ番組が好きだったんですか?

皆口:ドラマも好きでしたし、バラエティも、それこそ心霊番組とかが好きですね。世代的にバラエティーでいえば「ガチンコ!」(TBS)とか、心霊系では、「奇跡体験!アンビリバボー」(フジテレビ)や「USO!?ジャパン」(TBS)を見てましたね。

——そういう真っすぐな心霊番組をテレビでやりたいという気持ちは?

皆口:すごくありますね! それこそ大森さんとストレートな心霊番組を作ってみたい。大森さんとやったらどんなものができるのかなって。大森さんが心霊番組に真剣に向き合うとどういう発想と作り方をするのかすごく興味がありますね。

大森:逆に僕はそんなに心霊を通ってきてない。だから、心霊番組を作るとしたらちょっと楽しいかもと思いますね。たぶん、皆口さんからしたら「今更そこ?」みたいな部分が気になってしまうかもしれないですが。それに、心霊番組だったら、めちゃめちゃいい時間でできますし(笑)。「真夏の絶恐映像」みたいにゴールデンで3時間スペシャルとかテレ東は毎年のようにやっているので。

——大森さんたちが作る「真夏の絶恐映像」は、「TXQ FICTION」とはまた一味違う面白さがありそうです!

大森:「TXQ FICTION」は、まさかの1作目より時間帯が深くなるという(笑)。でも、深夜2時に見るという面白さは絶対にあると思っていて。深夜2時に誰かが誰かに謝罪しているところを見たい人はいるんじゃないかと。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■TXQ FICTION「飯沼一家に謝罪します」
放送日:2024年12月23〜26日
時間:(毎夜)深夜2時00分〜2時30分
放送局:テレビ東京
https://tver.jp/series/srog0v9atu?utm_source=tvtokyo_plus&utm_medium=article&utm_campaign=txqfiction_20241216

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「プラダ」が青山店で海洋保護イベントを開催 環境写真家やユネスコ科学者らが意見を交わす

プラダ・グループとユネスコは12月11日、「プラダ(PRADA)」青山店・エピセンターで、2019年から協働で進めている教育プログラム「シービヨンド(SEA BEYOND)」をテーマとしたトークイベントを開催した。

「シービヨンド」はプラダ・グループとユネスコの政府間海洋学委員会(IOC)が持続可能性と海洋保護に対する意識向上を目指して実施しているもので、トークイベント「プラダ ポッシブル カンバセーション」は、世界中の思想家、文化人、科学者、ファッションリーダーが集まり各地のプラダ・エピセンターで行っている。

今回はエミー賞ノミネートの経歴を持つ環境写真家・アーティストのエンツォ・バラッコ(Enzo Barracco)とフランチェスカ・サントロ(Francesca Santoro)ユネスコ-IOC シニアプログラムオフィサが登壇し、さらに海洋エコシステムの理解と保護促進を目的とする組織、全米海洋教育者協会(NMEA)を代表してメーガン・マレロ(Meghan Marrero)とジョアンナ・フィリッポフ(Joanna Philippoff)も参加した。魚類学者のさかなクンもビデオメッセージを通じて議論に意見を寄せた。

イベント会場には、エンツォが撮影したインパクトある環境写真も併せて展示した。プラダ・グループCSR担当責任者のロレンツォ・ベルテッリ(Lorenzo Bertelli)はイベントの意義について「多様なオーディエンスにリーチし、より大きなインパクトを起こすことを願っている。そしてアートフォトは、知識を深め、変化を導き実現するためのパワフルなツールのひとつだと信じている」と話している。

「写真には複雑なストーリーをシンプルに伝える力がある」

「WWDJAPAN」はトークセッションの後、登壇者の2人に単独インタビューを行った。科学者と写真家という異なる立場の2人に海を守ること、そのために私たち自身ができることについて聞いた。

WWD:写真の力とは?

エンツォ・バラッコ(以下、パラッコ):写真には複雑なストーリーをシンプルに伝える力がある。私が自然を体験して自然の美に触れたように、写真を通じて見て気になり、その背景にある事実を科学者の力を借りて知れば考え方が変わるきっかけになるだろう。南極で氷山のアンバランスな形を見て私は美しいと思ったが、同行していた大学教授である科学者は「一部が解けてバランスが変容したあの氷山は、生き残りをかけて戦っている形なのだ」と教えてくれた。同じようなことを写真を見る人にも体験してほしい。

WWD:あなたは長らくファッション撮影の第一線で活躍した後に、南極大陸に魅せられて自然の美に目覚めたと聞く。人造的であり欲望を掻き立てる権威的なファッションの美の力とありのままの自然の美しさは、同じ“ビューティ”でも異なる。その両方に触れて思うことは?

パラッコ:確かに私は自然に触れ、その美しさを発見した。自然の美しさの本質、つまり儚さと同時に美しさを解き放つようなものだ。最近は、ファッションの概念が少し変わってきたと思う。今は「プラダ」をはじめ、それぞれのブランドが保全や持続可能性に対するアプローチを熱心に行っている。私たちのファッションが自然に対してもう少し敬意を払い、自然からインスピレーションを得るようになり、自然をただ利用するのではなくなったことは、とても興味深い。

WWD:例えば?

パラッコ:今日私は「リナイロン」を使用した「プラダ」のブルゾンを着ている。デザインはもちろん素晴らしく、とても快適。でも、もっと重要なのは、この製品が「シービヨンド」のようなプロジェクトの資金調達に役立つということだ。このブルゾンは、ファッションの美しさと私たちが達成すべき主な目標である海や原則についての創造的な意識を結びつける、とても簡単な方法なのだ。つまり、“目的を持ったファッション(fashion with the purpose)”だ。

WWD:あなた自身は変わることを楽しんでいるが多くの人にとって変わることは容易ではない。

パラッコ:地球には緊急の問題が迫っており、私たちは変革を迫られているのです。確かに変わることは難しい。が、私たちがこれは生き残るために必要な変化なのだ。

「情報や知識があれば変わることへの恐れはなくなる」

WWD:今日は子供たちを対象とした海洋教育の話をたくさん聞き、いかに体験を通じた体験が重要であるかを理解した。同時に子ども以上に大人の方が変わるのは難しいし、変えることを強制されることに恐怖すら感じる。海を守るために大人の意識を変えていけることは?

フランチェスカ・サントロ(Francesca Santoro)ユネスコ-IOC シニアプログラムオフィサ(以下、サントロ):その感覚はよく理解できる。人々が恐れる理由は、知識や情報が十分ではないからだと思う。逆に言えば、情報や知識があれば恐れはなく、人々を動機づけ、感情的な観点からも動かすことができる。例えば、海がなぜ重要なのか、なぜ私たちの健康にとって重要なのかを大人にも説明することが大切。基本的な要素を理解しなければ、人々は決して行動を起こそうとはしないから。私が科学者であり、「知識を増やすこと」の力を本当に信じている。

WWD:その具体的な方法とは?

サントロ:知識を増やすには多くの方法がある。例えば、芸術やゲーム、あるいは本やドキュメンタリー映画を読むことなど。人によって情報の入手方法は異なるか私たちは、情報を伝えるさまざまな方法についても試している。ポッドキャストを好む人もいれば、ドキュメンタリー映画を好む人もいますし、展覧会に行くのが好きな人もいる。私たち一人一人が異なる料理人であるように、例えば動物に興味を持つ人もいれば、物理的な環境に興味を持つ人もいる。だから、私たちは本当にさまざまな方法で情報を発信しなければならない。それが、ジャーナリストやコミュニケーション担当者と多く仕事をする理由でもある。

WWD:ユネスコで働き、科学者でもあるあなたは海を守る活動を通じてさまざまな産業と対話をしていると思うが、ファッション業界はあなたの目にはどう映っている?

サントロ:ファッション業界のすべての人々ではありませんが、ファッション、特に「プラダ」のような大きなブランドは、海を守るメッセージが多くの人々にリーチする手助けができると思う。なぜなら「プラダ」は多くの人々に知られており、多くの人々がその製品やソーシャルメディアに注目しているから。特に、科学的事実にはあまり興味のないコミュニティの人々に届けることができる。ファッションも文化の一部であり、文化は人々にメッセージを届けるための非常に重要な手段であり、人々を動かす力がある。

WWD:さまざまな環境問題がある中で、何から取り組んでよいか迷う企業は多いと思う。「プラダ」のように海にフォーカスする意義とは?

サントロ:海は「プラダ」ファミリーのDNAやバックグラウンドのひとつ。そして海は地球にとって海は本当に重要な存在だ。この事実を知っている人は多くないが、海をより健康的なものにできれば私たち人間もより健康的になる。地球の70%が海で覆われており、生命は海から始まった。また、海から遠く離れた場所に住んでいても、海は多くのものの源であり、海を守ることは、未来への投資となる。海がもし国であれば世界第4位の経済大国になるという研究結果もある。つまり、海には非常に大きな経済的価値があるということ。海運、商品、輸送、観光、インターネットケーブル、石油やガスなど、海に関係する産業は本当にたくさんある。数字で示せば、海が経済的にも非常に重要になっていることがわかるだろう。

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誰もが映像監督になれる! 「TOYOTA DIRECTORSCUT」第3弾が作品募集中 テーマは「SUPER FORMULA」

TOYOTA,トヨタ自動車,トヨタ ディレクターズカット,全日本スーパーフォーミュラ選手権,SUPER FORMULA DIRECTORSCUT
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トヨタ自動車(以下:トヨタ)は、クリエイターとの共創プロジェクト「TOYOTA DIRECTORSCUT(トヨタ ディレクターズカット)」の第3弾である「SUPER FORMULA DIRECTORSCUT(スーパーフォーミュラ ディレクターズカット」をスタートした。同プロジェクトは、創造的な挑戦を続けるあらゆるクリエイターの活躍の場を作ることを目的として、過去には「ヤリス」シリーズと「アスリート(GTTA)」をテーマに、クリエイターの自由な創作を世界中に発信してきた。

第3弾となる今回は、国内最高峰で最速のフォーミュラレースシリーズ「全日本スーパーフォーミュラ選手権(SUPER FORMULA)」をテーマに、新撮300カット以上の映像素材、アーティスト14組による合計20曲のオリジナル楽曲を素材として提供。クリエイターは、それらを自由に使って映像作品を作ることができる。審査員によって選定された優秀作品は、2025年3⽉上旬に行われる開幕戦のレース告知として、多様なメディアで大々的に取り上げられるなど、多くの人の目に触れる機会を得る。クリエイターとして、新たな可能性が無限に広がるだろう。

国内最高峰で最高の
フォーミュラレース

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「SUPER FORMULA」は、日本で開催されるトップクラスのフォーミュラカーレースシリーズだ。全チームが基本的に同じ車両を使用する「ワンメイク方式」が採用される。これは参加者間の公平性を保ち、レースの勝敗をドライバーの技量やチームの戦略に依存させるため。世界中から優れたドライバーが参戦し、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットといった日本屈指の有名サーキットで開催。高い技術レベルと戦略性が必要とされ、世界中のモータースポーツファンに支持されている。また近年、環境対応技術を積極的に導入しており、カーボンニュートラル燃料の採用や車両開発でのエコロジー技術のテストを進めている。「SUPER FORMULA」の車両は、モータースポーツの未来を切り開く技術の集大成であり、見る者を魅了するスピードと技術の結晶と言えるのだ。

本プロジェクトに賛同し、レーシングチーム「KONDO RACING TEAM」の監督であり、日本レースプロモーション(JRP)の会長でもある歌手の近藤真彦、音楽プロデューサーの中臺孝樹、動画ディレクターの田中裕介が審査員として参加。さらに、2024年「SUPER FORMULA」のチャンピオンドライバー、坪井翔も加わる。そのほかの審査員は後日発表予定。
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TOYOTA,トヨタ自動車,トヨタ ディレクターズカット,全日本スーパーフォーミュラ選手権,SUPER FORMULA DIRECTORSCUT
オリジナル楽曲制作に参加した14組のアーティスト、AIJ、Aya Taniguchi、Double Clapperz、GRP、Kaito Mori、KAY、Masayoshi Iimori、松隈ケンタ feat 蝶(GBB)、MAYKIDZ、中村佳紀、RINZO、SARUKANI、TOMOKO IDA、Zuma(順不同)。「SUPER FORMULA」からインスピレーションを得た全20曲を素材として提供する。

若き映像クリエイター
RYO SUGIMOTOが映像を製作

クリエイティブ制作を行うアンノウンノウンズのRYO SUGIMOTOクリエイティブ・ディレクターが「SUPER FORMULA DIRECTORSCUT」の動画を手掛けた。デジタルネイティブの知見を生かした映像が、ファッション業界からも高い評価を得る1998年生まれの25歳が設けたテーマは、“「時間はコントロールできる。それを信じた者だけが勝つ」―意思と絆が新しい未来を創る―”。プロジェクトに対して、「クリエイターではなくても、誰でも簡単に映像を作れる気軽さがいい」と語る。だが、そのコンセプトには、やはりプロフェッショナルさを感じさせる。RYO SUGIMOTOに、製作した動画について聞いた。

競技と人生に通じる
“時間のコントロール”

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──映像のテーマについて、詳しく教えてください。

RYO SUGIMOTO(以下、SUGIMOTO):「SUPER FORMULA」という競技のルールでは、タイムや時間が重要なポイントになりますよね。それをチームメイトとコントロールするという考え方が、競技だけでなく、人生にも通じると考えました。僕らも限られた24時間というルールの中で生きていますから。最近、特にこのテーマを意識するようになりましたし、このプロジェクトを通じてその意識がさらに強まりました。

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──特にこだわった点はなんですか?

SUGIMOTO:まずは、素材比率として表方のドライバーに偏ることのない構成を意識しました。全ての人間の力が組み合わさり、この車体を動かしているということが視覚的に伝達できるようにこだわりました。また、現実世界のフォーミュラは“スピード/時間”のコントロールが勝敗を分ける競技ですが、デジタルならではの表現として、“スピード/時間”のコントロールにより視覚的エンターテイメント性を生み出すということを意識しています。

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資本主義から少し外れた
「平等な競争」

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──「SUPER FORMULA」について、どのような魅力や面白さを感じましたか?

SUGIMOTO:「SUPER FORMULA」の特徴は、機械的な性能や拡張性を度外視している点だと思います。例えば、機械的な機能を拡張すると資本力の戦いになりがちですが、この競技はそうではなく、同じルールの中で競い合う点が非常に面白い。均一な車両性能を採用している背景には、資本力における優位性を抑え、チームやドライバーの実力、戦略、団結力に焦点を当てているからだと思います。資本主義の中で見落としがちな「根本の人間力」というテーマを実現しようとしているところにも共感できます。資本主義の世界の中で、僕らは「根本の人間力」と「オーガニックでオリジナリティ溢れるアイデア」を武器に戦って行かないくてはいけません。SNSという社会がそれを多少自由に解放してくれたことで、その気付きの加速は感じますが、競技のルールに反映して、その概念を伝えていく活動団体はとても大切だと感じました。同時に、この「TOYOTA DIRECTORSCUT」プロジェクトは、資本主義から少し外れた「平等な競争」が共感を得ているのではないか、と個人的には感じています。誰でも参加できるこのプロジェクトの“平等なルール”がもっと広まれば、多くの人に受け入れられるのではないでしょうか。

──今後、「TOYOTA DIRECTORSCUT」で手掛けてみたいテーマを教えてください。

SUGIMOTO:電動車の“開発”や“お客さまの元に届くまで”というテーマには、とても興味があります。これは、未来を創る一つの要素であり、現在世界で開発競争が激化している分野と認識しています。お客さまに届くまでの間に開発研究、製造ライン、運輸など予想すらできない多くの人々が関わっています。将来的には電動車が主流になっていると思います。その未来を作る要素として、電動車について深く考え、作品を通じてその未来を表現することは、とても意義深いと感じます。そのビハインドをもっと届けて、普段、僕らが使用している自動車をただの自動車と思わせないような感情を与えることができたらうれしいです。

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RYO SUGIMOTO/クリエイティブディレクター
PROFILE:1998年神奈川生まれ。中学、高校時代をバドミントンに捧げる。高校最後の大会は神奈川ベスト8で惜しくも全国への切符を逃す。大学で英語を学び、オーストラリアをはじめ海外を放浪する。海外滞在中に写真や映像に出会い、帰国後、企業のスチールや映像制作を請け負う。大学卒業後、2022年にアンノウンノウンズ設立。現在、同社CEO兼クリエイティブ・ディレクター

募集要項は以下の通り。応募期間は11月8日~25年1月10日。映像制作のルールは、提供するいずれかの映像素材を入れること。車両映像は、提供されたもののみの使用に限り、独自で撮影することは禁止。提供する楽曲の中から映像楽曲を選定すること。そして、提供する「SUPER FORMULA DIRECTORSCUT」のロゴを映像のどこかに入れること。

25年1月中の審査を予定し、最優秀賞1人、優秀賞1人を2月中旬に発表(その他、審査員賞などの特別賞を設ける予定)する。優秀作品には、各審査員がコメントをフィードバックし、3⽉上旬の「SUPER FORMULA」開幕戦におけるレース告知として各メディアで使用する。

「TOYOTA DIRECTORSCUT」は、トヨタとクリエイターがオープンにつながることのできる共創プラットフォームだ。第1弾の「YARIS DIRECTORSCUT」では、ヤリスシリーズ3車種の映像素材279カットとサカナクションの映像素材全40カットに加え、楽曲「エウリュノメー」のトラックデータ全21素材を公開し、クリエイターがアレンジ可能な素材として提供。3223人のクリエイターと共創した総計301の作品をプロジェクトサイトや公式SNS、CMなどで公開した。

アスリート×クリエイターの共創をテーマにした第2弾「GTTA DIRECTORSCUT」では、国籍、競技、パラスポーツと健常者スポーツの垣根を越えて、はるかな高みを目指すアスリートが集う「グローバルチームトヨタアスリート(GTTA)」と映像を共創した。

INTERVIEW & TEXT : YUKI KOIKE
問い合わせ先
SUPER FORMULA DIRECTORSCUT事務局

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世界が注目する韓国発のブランド「ポスト アーカイブ ファクション」とは? デザイナーのドンジュン・リムに聞く

PROFILE: ドンジュン・リム(Dongjoon Lim)/「ポスト アーカイブ ファクション」クリエイティブ・ディレクター

PROFILE: 1992年生まれ。大学で工業デザインを学び、2018年にスキョ・ジョンと共に「ポスト アーカイブ ファクション」をスタート。21年にはLVMH プライズのファイナリストにノミネート。22年には「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー」や、24年にはスイスのスポーツブランドである「オン」とコラボレーションを実現した。韓国で注目を集めるファッションデザイナーの一人。「2024 HYPEBEAST 100」にも選出された。

2018年にスタートした韓国発のアパレルブランド「ポスト アーカイブ ファクション(POST ARCHIVE FACTION)」。アシンメトリーな構造、シワ加工技術、重厚なパネリングなど、機能的かつデザイン性の高い服が話題となり、21年にLVMH プライズのファイナリストにノミネートされると、世界から注目される存在となった。

22年にはヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)の「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH)」と、24年にはスイスのスポーツブランド「オン(ON)」とコラボし、日本でも人気が高まっている。先日発表された「2024 HYPEBEAST 100」にも選出された。

「ポスト アーカイブ ファクション」がいかにして誕生したのか。11月に渋谷パルコでポップアップを行ったタイミングで来日した同ブランドのクリエイティブ・ディレクター、ドンジュン・リムが、現在勉強中だという日本語でインタビューに答えてくれた。

「最初は自分のための服作りだった」

WWD:ドンジュンさんは大学で工業デザインと空間デザインを学んで、その後、IT企業でUXデザイナーとして働き、そこから独学でデザイナーとしてスタートしたそうですね。

ドンジュン・リム(以下、ドンジュン):大学はソウルにある弘益(ホンイク)大学で、そこで工業デザインと空間デザインを学びました。でもそこでの授業が自分が思い描いていたものとは違い、3年生のときに大学を中退しました。その後兵役を経てUXデザイナーとして働きながら、独学でファッションを勉強し始めました。

WWD:ファッションスクールに通おうとは考えなかった?

ドンジュン:服を作り始めたときは「ファッションブランドを作る」という意識ではなく、まずは自分が着たい服を作ることが目的だったので、そこまでは考えていませんでした。

基本的に「ポスト アーカイブ ファクション」の服は「ユニホーム」のようなものです。韓国では小学校から高校、兵役まで約10年間ユニホームを着る文化があります。私もそのように育ち、兵役後はどんな服を着たらよいか分からなくなりました。それで自分が着たい「ユニホーム」を作ろうと思い、ネットで調べながら服作りを始めました。当初はそれでお金を稼ぎ、海外でアートを勉強するつもりでした。

しかし、服作りを続けるうちに独学に限界を感じ、服をちゃんと勉強した人が必要だと思い、18年に共同創業者のスキョ・ジョン(Sookyo Jeong)を誘って「ポスト アーカイブ ファクション」を立ち上げました。ブランドの運営を続ける中で人気が高まり、大きなブランドともコラボレーションができるようになり、今では仕事が楽しいです。

WWD:ドンジュンさんとスキョさんとの役割はどのように分担している?

ドンジュン:自分がデザインやクリエイティブディレクション、あとマネジメントも担当しています。肩書きとしてはCEOです。スキョは実際にプロダクトの品質や生産管理を担当しており、CPO(=Chief Product Officer、最高プロダクト責任者)としての役割を担っています。

「造形的に美しく、機能的に優れた服」を目指す

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」のブランド名の由来は?

ドンジュン:僕の世代は、前の世代が作り上げた膨大なアーカイブにアクセスできる環境にあります。その一方で、今から自分たちが一生懸命、服を作り続ければ、将来「ポストアーカイブ」として新しいアーカイブを築けるのではないかと考えました。そして、同じ志を持つ仲間たちを表す「ファクション」という言葉を組み合わせ、ブランド名にしました。

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」のデザイン哲学は?

ドンジュン:「造形的に美しく、機能的に優れた服を作る」のが一番の目標です。でも、これを実現するのは簡単ではありません。常に試行錯誤を重ねています。

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」は“ライト(RIGHT)” “センター(CENTER)”“レフト(LEFT)”という3つのラインに分かれています。それぞれの特徴は?

ドンジュン:“ライト”は日常的に着やすいシンプルなデザインが特徴です。一方、“レフト”は装飾的で実験的なデザインを追求したラインです。“センター”はその中間に位置し、両方の特徴をバランスよく取り入れたラインだと考えています。この3つのラインをバランスよく作ることがブランドとして重要だと考えています。

WWD:それぞれのラインの割合は?

ドンジュン:“センター”と“ライト”が各40%ぐらいで、レフトが20%ほどです。

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」は機能性を重視しているが、「洋服」の役割についてはどう考えている? 

ドンジュン:洋服の役割は2つあると思います。1つ目は「プロテクション(保護)」、つまり寒さや雨から肌を守ることです。2つ目は文化的な役割で、個人の性格や趣味・嗜好を表現することです。洋服は人間の延長線上にある存在だと考えています。

WWD:カラーはブラック、グレー、ホワイトなどモノトーンが多いが、色に関してのこだわりは?

ドンジュン:僕がデザインを勉強したときはミニマルなものはトレンドで、個人的にもそういうものが好きです。だからブランドロゴもないし、色もモノトーンや優しい色が好きなんです。

WWD:2024年春夏、秋冬のようにシーズンで名はなく、6.0、7.0など「バージョン」として発表している理由は?

ドンジュン:最初に服を作ったときに、自分ではあまり満足ができなくて、もっと上手になりたいなと思ったんです。それは正直今も思っていることですけど。だからシーズンではなく、常にアップデートを目指す「バージョン」という表記にしています。

WWD:「オン」や「オフ-ホワイト」とのコラボに関して、「ポスト アーカイブ ファクション」として、どういうことを心がけた?

ドンジュン:一番大事にしたのは、良いプロダクト、かっこいいプロダクトを作ることです。また、「ファクション」という言葉には“新しい潮流”という意味も込めています。大きな川から新しい流れが生まれるよう。「オン」や「オフ-ホワイト」とのコラボでは、これまでにないデザインを提案し、そこから新しい可能性を創り出すことを意識しました。

日本と韓国のファッションについて

WWD:日本のファッションシーンについてはどう見ていますか。韓国との違いなどで感じることがあれば教えてください。

ドンジュン:自分も「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」や「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」、「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」が好きで、ブランドを立ち上げる際にも多くの日本のブランドを参考にしました。日本のデザイナーは私にとってファッションの先生たちのような存在です。

韓国ではここ10年でようやくデザイナーズブランドが増え始め、特にこの5年ほどで盛り上がってきたと感じます。「ナインティナイン パーセント イズ(99%IS-)」や「ヘインソ(HYEIN SEO)」といったブランドも注目されていますが、多くは日本のブランドに影響を受けていると思います。

最近は少し面白い状況で、日本の若い人が韓国のカルチャーを、韓国の若い人が日本のカルチャーを好きになっています。これはファッションでも同じで、10年前までは韓国の人が日本のファッションに片思いしているような状況でしたが、今はお互いに影響を与え合っていると感じます。

WWD:日本でも「ポスト アーカイブ ファクション」は人気だが、手応えは感じている? 

ドンジュン:本当に光栄です。日本のお客さんは基準が高いので、そんな方々に支持されるのはとてもうれしいですし、感謝しています。韓国のお店でも1日のうち約30%が日本から来たお客さんです。それもあって、直接お話しできるように今年3月から日本語を勉強しています。

もともとアニメが好きだったので、聞き取ることは少しできましたが、話すことは難しかったです。ただ、日本の文化が好きなので、いつか日本でもお店をオープンできたらいいなと思い、勉強をがんばっています。

WWD:今回のインタビューも日本語で行っていて、とても今年から日本語を勉強したばかりとは思えないレベルです。日本語は毎日勉強してるんですか。

ドンジュン:はい。毎日勉強しています。このインタビュー中も少し成長していると思います(笑)。

WWD:日本に限らず好きなファッションブランドやデザイナーがいれば教えてください。

ドンジュン:先ほど言った「コム デ ギャルソン」「ヨウジヤマモト」「イッセイ ミヤケ」はもちろん、ラフ・シモンズ(Raf Simons)やヘルムート・ラング(Helmut Lang)、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」の高橋盾さんなど、好きなデザイナーはたくさんいます。

最近は、日本の「オーラリー(AURALEE)」やスウェーデンの「アワーレガシー(OUR LEGACY)」も好きです。「オーラリー」は素材使いがすばらしく、「アワーレガシー」はその独自の世界観が参考になりますね。

WWD:ファッション以外で興味があることは?

ドンジュン:最近はランニングや水泳、サイクリングなど運動に興味があります。アートも好きで、ずっとやりたいと思っています。高橋盾さんが最近ペインティングの作品を発表しているのを見て、自分も機会があれば挑戦したいと思っています。

WWD:21年にはLVMH プライズのファイナリストにノミネートされたが、そこから大きな変化はあった?

ドンジュン:確かにノミネートされて、グローバルでの知名度は高まりました。

WWD:ブランドスタートから6年ほど経ち、ブランドは当初思い描いてた感じになっているか?

ドンジュン:先ほども話しましたが、最初はここまでブランドとしてやっていくとは思わなかったので、目標とかは特にありませんでした。今はサーフィンみたいに波が来たらそれに乗っていこうという感覚でいます。

WWD:今度のブランドが目指す未来について教えてください。

ドンジュン:未来に向けていろいろな準備を進めています。新しいブランドやウィメンズ展開の可能性もありますが、まずは「今」に集中して、目の前のことを全力でがんばろうと思っています。

WWD:ランウエイショーを開催する予定は?

ドンジュン:あります。まず来年1月にパリで開催される25年秋冬パリメンズコレでプレゼンテーションをして、来年の6月の26年春夏パリメンズコレではランウエイショーをやりたいと思っています。

PHOTOS:MASASHI URA

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ヘネシーが2種のコラボボトルを限定販売 「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル」が魅せる輝き

MHD モエ ヘネシー ディアジオ(Moet Hennessy Diageo)が取り扱うコニャックブランド「ヘネシー(HENNESSY)」は、巨大な彫刻や吹きガラスの作品で世界的に知られる現代アーティストのジャン=ミシェル・オトニエル(Jean-Michel Othoniel)とのコラボレーションで制作した「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル(Hennessy X.O by Jean-Michel Othoniel)」を発表。“マスターピース”と“リミテッドエディション”の2種類のボトルを10月に数量限定で発売した。価格は、世界108本限定で、シリアルナンバー入りのアートピースでもある“マスターピース”は616万円、その“マスターピース”に着想して製作した“リミテッドエディション”は3万1240円だ。

長年、才能あるクリエイターたちとのコラボレーションを展開してきた「ヘネシー」が、今回コラボレーションしたジャン=ミシェル・オトニエルとはどんなアーティストなのか。本人の言葉を通して、伝統と革新を融合させる彼の哲学をひもとく。

クリスタルが“ヘネシー X.O”の多面性を表現

WWD:今回発売した「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル」の2種類のコラボレーションボトルが生まれた経緯を教えてください。

ジャン=ミシェル・オトニエル(以下、オトニエル):フランス人にとって、コニャックはなくてはならないもの。その中でも「ヘネシー」というコニャックハウスは、私にとって特別な存在です。「ヘネシー」との親しい関係は17年前に始まりました。創業者のリチャード・ヘネシーの子孫で、1970年代からCEOとして会社を率いた故キリアン・ヘネシーの100歳を祝うパーティーに招待され、ご本人はもちろん、家族とも親しく話す機会に恵まれました。その時に生まれた絆が、今回のコラボレーションにつながりました。

WWD:ではまず、108本限定の“マスターピース”について教えてください。色とりどりのクリスタルがあしらわれた手彫りのボトルケースは、光や色、クリスタルなどの要素を取り入れて作品を制作するオトニエルさんらしい仕上がりです。

オトニエル:多数のファセット(カット面)を持つボトルを包み込む“マスターピース”は、酒だるになぞらえてオーク製で製作しました。この独特の形状は、“ヘネシー X.O”を保護しつつ、ガラスボトルの輝きを強調するためのもの。ケースに取り付けられたジュエリーのようなクリスタルは、“ヘネシー X.O”の多面的な色味と複雑な味わいを表現しています。

WWD:多面的な色味や複雑な味わいとは具体的にどのようなものでしょうか。

オトニエル:“ヘネシー X.O”の味は、時にチョコレートやピーマンにも例えられます。その複雑な味の要素と、時間や場所によって変幻自在に見え方が変わる琥珀色の絶妙な色味を表しています。

WWD:“マスターピース”から着想を得て制作した“リミテッドエディション”についてはいかがですか?

オトニエル:金色の金属ケースに施した複雑なカットは、“マスターピース”と同様に“ヘネシー X.O”が含み持つ多面性を際立たせるためのものです。鏡のように反射するカットの一つ一つが、コニャックの琥珀色の輝きを象徴的に表現しています。

職人との協働
伝統技術は時にインスピレーションに

WWD:今回のコラボレーションにあたり、オトニエルさんは「ヘネシー」と仕事をする職人の元を訪れ、コニャックの生産や酒だるの製造プロセスについて学んだそうですね。

オトニエル:はい。酒だるの職人が柏の木をどのように扱うのかを目の当たりにして、ものづくりをする人間として多くを学び、刺激を受けました。

WWD:オトニエルさんは、ご自身の作品制作でも職人との協働を得意としています。アーティストとして職人さん一緒に仕事をするのはどのような感覚ですか?

オトニエル:オーケストラの指揮者のような感覚です。作曲をするようにアイデアを構想し、演奏者を集めるように、それを具現化できる技術者を集めて作品を作ります。そうやって、ある種の美しいハーモニーを生み出すんです。伝統文化や職人技が、時にインスピレーションにもなることもあります。

WWD:日本にも何度もいらっしゃっているオトニエルさんから見て、日本の職人技や文化はどう見えますか?

オトニエル:日本の方達が細部に向ける眼差しは素晴らしいものがありますし、自分の作品とも相性が良いと感じます。日本に来るたびに、伝統文化や職人技に触れるためにいろいろな場所を訪れます。過去には湯島天満宮で開催される「文京菊まつり」に感銘を受けて、菊の花をテーマに作品を制作したこともあるんです。

WWD:日本でも、「菊」の作品を展示されていましたね。最後に、「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル」を手に取った人たちに、自身の作品とヘネシー X.Oをどのように楽しんでもらいたいですか?

オトニエル:気心の知れた友人とこのボトルを囲み、大切な時間を分かち合いながら作品とお酒を楽しんでほしいです。なぜなら“ヘネシー X.O”は喜びを象徴するものだから。

伝統と歴史に裏打ちされた
世界で最も有名なコニャックハウス「ヘネシー」

「ヘネシー」は、フランスのコニャックに本社を置くコニャック・ハウス。1765年に、創業者のリチャード・ヘネシーが自らの名を冠したコニャックを世に送り出して以来、こだわりは8世代にわたってヘネシー家に受け継がれてきた。厳選した畑のブドウによるオー・ド・ヴィー(原酒)のみを使用し、世界最大35万だる以上に及ぶ貯蔵量の中から最高の相性のブレンドを見つけ出して製造されたコニャックは、世界で最も有名なコニャックとして知られる。日本でも1868年に初めて輸入され、多くのファンを持つ。

 中でも1870年に世界で初めて“エクストラ・オールド(X.O)”の名が与えられた“ヘネシー X.O”は、約100種類のオー・ド・ヴィーをブレンドして作られた「ヘネシー」を代表するコニャックの一つ。近年多くのクリエイターたちとコラボレーションを展開しており、過去には、ファッションデザイナーのキム・ジョーンズ、建築家のフランク・ゲーリー、アーティストの蔡国強、映画監督のリドリー・スコットらと協業し、限定ボトルやキャンペーンを発表してきた。

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韓国のベストセラー作家イ・スラが“家女長“の視点で語る未来

PROFILE: イ・スラ/小説家

イ・スラ/小説家<br />
PROFILE: 1992 年生まれ、ソウル出身。有料メールマガジン「日刊イ・スラ」の発行人。ヘオム出版社代表。大学在学中からヌードモデル、文章教室の講師として働き、雑誌ライターなどを経て2013 年に短編小説「商人たち」で作家としてデビュー。著書にエッセイ集「日刊イ・スラ」(原田里美、宮里綾羽訳、朝日出版社)、小説「29歳、今日から私が家長です。」(清水知佐子訳、CCCメディアハウス)などがある。 Instagram:@sullalee

2024年ノーベル文学賞に韓国の作家ハン・ガンがアジア人女性として初選出され、韓国文学の勢いはますます加速している。その中で、23年に韓国読者が選ぶ若い作家1位となり、日本でも話題の小説「29歳、今日から私が家長です。(以下、29歳)」(清水知佐子訳、CCCメディアハウス)の著者イ・スラが、11月23日と24日に神保町で開催された「K-BOOKフェスティバル 2024 in Japan(以下、K-BOOKフェス)」に初来日した。

初めての小説「29歳では、家父長制に代わる新たな家族の形「家女長(娘が家長)」を提案し、ドラマ化も決定。その革新的な視点は、書店「Yes24」の読者投票で5万票以上を集め、「韓国文学の未来を担う若い作家」第一位に選ばれた。

既存の枠組みに捉われず、自分らしい生き方を表現するスラに、作家としてのインスピレーション源や、家族観をどのように捉えているか、今後の作品に対する展望などを聞いた。

――K-BOOKフェスのサイン会は長蛇の列でしたね。男性ファンも多かったと聞きましたが、来場者とどのような会話をしましたか?

イ・スラ(以下、スラ):日本人だけでなく、在日コリアンや日本に留学中の韓国人の方々もいました。一番多かった感想は「家族、特に母親との関係性をもう1回考え直した」「勇気をもらった」という言葉でした。「一緒に暮らしていると喧嘩が多くなるから、離れて暮らしている。でも別々に暮らしていると仲は良くなるけど、寂しい」という声も多かったですね。私の父親と同年代の男性たちから、家長という役割から解放されたいという気持ちが感じられたこともとても印象的でした。

家族というテーマは普遍的であり、そもそも家族が一緒に暮らしていくことは簡単なことではありませんよね。日本でも母子の関係で悩みがあり、新しい家族のあり方、女性の新しい生き方が求めらているんだなと感じました。

――家族が同居しながら仲良く暮らす方法はありますか?

スラ:「29歳」の中でスラが家族と仲良く過ごせる理由の1つは、血縁関係だけにとどまらず、娘が社長で父母が社員という雇用関係があるからです。この仕事の関係性が、お互いに礼儀や節度を保つ基盤を作っています。さらに、この家族は共通の認識として、家族間でもさえ完全に分かり合えないことを理解していることも、良い関係を築くための一因となっています。

――スラさんは既婚者ですが、社会制度としての結婚をどのように定義されますか?

スラ:元々結婚に対する幻想はなかったので、ウエディングドレスを着たいとも思いませんでしたし、結婚はしないだろうと考えていました。でも、信頼できるパートナーと出会い、一緒に過ごすうちに、自然と心地よさを感じるようになりました。パートナーは礼節を重んじるタイプで、互いに尊重し合い、支え合う関係が築けることの大切さに気づきました。そんな日々の中で、結婚に対する考え方も少しずつ変わっていきました。どちらかというと、パートナーがいわゆる妻的な役割を担い、私は夫的な役割を担っています。今はその役割分担でうまくいっていますが、今後はその境界線をもっと曖昧にしていきたいと思っています。

私たちはたまたま異性愛者同士だったため、現在の結婚という制度を比較的簡単に受け入れることができました。一方で、先日対談をしたファン・ソヌさんは(異性愛者として)女性二人で暮らしていますし、他にも友人同士の同居や同性カップルで暮らしているケースもあります。結婚という制度に縛られず、生活のパートナーとして共に暮らすための制度は、まだまだ整っていないのが現実です。物語を通じて、既存の制度に疑問を投げかけることは、今後も続けていきたいと考えています。

――「29歳」 は新しい生き方を提案しつつ、自己主張の押し付けがなく、包容力と軽やかさで反発を引き起こさずに人々の耳を引き寄せます。執筆の際に意識したことを教えてください。

スラ:文体のリズムを一番大切にしました。ずっと読んでいたくなるような、書き手の声が聞こえてくるような文章を意識しました。同じテーマを扱っても、その作家によって発せられる声は違い、それぞれに独特の響きを持っています。そういう自分にしか出せない“声”を追求していきたいですね。

20代の頃に子どもたちに文章を教える教室を運営していました。私自身も文章の作成と朗読をしていたのですが、長文だとすぐに飽きてしまう子が多かったんです。それで、短く簡潔で、なおかつ面白おもしろく伝えることを意識していました。こうした工夫がリズムの良い文章を書くことに繋つながったのかもしれませんね。この本を通じて、読書が身近でない人たちにも楽しさを感じてもらえたら嬉しいです。

――この作品を書くうえで、影響を受けたものはありますか?

スラ:子どもの頃に祖父と一緒に見た韓国の家族をテーマにしたドラマ、や日本の「逃げるは恥だが役に立つ」からインスピレーションを得ました。家事労働は報酬を伴う専門的な仕事であると、このドラマを通して強く実感しました。

限られた登場人物たちの中で物語が展開するという点では、アメリカのシットコム(シチュエーション・コメディ)「オフィス」が参考になっています。現実では問題に直面すると立ち直るまでに時間がかかりますが、シットコムの主人公たちは常に新しい出来事が常に起こるため、立ち直りが早く前向きです。どんな人にも弱さはありますがその部分はあえて描かない、積極的に未来を切り開く物語が好きです。

――現在は、ドラマ化が決定した「29歳」 の脚本を執筆されているそうですね。原作に近いもの、あるいは派生物として新しい発展があるのでしょうか?

スラ:予定よりも少し時間がかかっていますが、来年にはキャスティングに入りたいですね。原作には、主人公が乗り越えるべき大きな葛藤はありませんでしたが、ドラマでは主人公が予想外の困難に立ち向かう様子や、家族の興味深い秘密が次第に明らかになっていく展開を描くことで、物語に深みを持たせるつもりです。

家女長として成長していく過程をしっかり描くために、苦しい時期を乗り越えてきたこと、弱さや未熟さをきちんと描くことが必要だと思います。

――娘が家族を支えるという新しい考え方を提唱し、韓国をはじめ台湾や日本でも注目を集めています。そうした立場に対してプレッシャーを感じることはありますか?

スラ:新しい価値観の先駆者として取り上げられることに、負担を全く感じないわけではありません。それでも、誰にも読まれないという状況を避けるため、多くの人に届けることを最優先に考えています。誤解なども受け入れる覚悟で、読んでもらうことを目指しています。

――スラさんはファッションアイコンとしても人気ですが、イベントやSNSの投稿でも、個性的で流行に捉われない着こなしが印象的です。

スラ:子供どもの頃から20代まで、母がユーズドショップを経営していた影響で、古着をよく着ていました。その中には日本の古着もあって、いろんなコーディネートやスタイルを楽しみました。自分の好きなものを自由に着る感覚はその時に培ったのかもしれませんね。

――ファッションやヘアスタイルは個性を表現する要素のひとつでありながら、表現方法はリアルからバーチャルまで益々多様化しています。スラさんにとって、「自己表現」とはどのようなものでしょうか?

スラ:若い頃には多くの人が似た経験をするかもしれませんが、10代の頃は外見に対するコンプレックスが強く、鏡を見たくありませんでした。韓国ではアイドルのように痩せていて、目鼻立ちがはっきりした人が理想とされる価値観も関係していました。

外見に対する不安を抱えていた私が、自分らしく生きるきっかけをつかんだのは、作家になる前の絵画のヌードモデルの経験です。美大へ行き、油絵を描く人たちのモデルをしながら気づいたのは、彼らの絵に映る人物が不思議と書き手自身に似ていることでした。他人を見ているようで、実は自分を投影している人が多いのだと気づいて以来、周りの視線を気にしすぎず、心が軽くなりました。

今でも人が、コンプレックスや足りない部分をどうやって補完するのかにはとても興味があります。

――生活に豊かさを感じる瞬間はどんな時ですか?

スラ:自分らしく自然体で過ごせるようになったのは30代に入ってからで、それが豊かさを感じる瞬間でもあります。心が安らぐのは、仕事が終わって、ベットに入りパートナーとNetflixを楽しんでいる時です。ただ、うまく書けなかった日は気持ちが沈んでいます。

――作家、ハン・ガンさんのノーベル賞受賞で、さらに世界的に韓国のカルチャーに注目が集まっています。

スラ:ハン・ガンさんの受賞は、私にとっても本当に嬉しいニュースでした。年々、書籍を手に取る人が減っている中で、世界中で韓国の文学が注目を集めている状況に勇気をもらいました。

私の作品も、イタリア、スペイン、アメリカなどから翻訳版権の依頼が届いています。海外でも、経済的に成功した子供たちが親の生活の面倒を見る機会が増えていると聞いています。でも「家女長」というテーマはこれまであまり扱われてこなかったようですね。先日会ったイタリアの出版社代表の女性から「私は家女長だ。この版権を絶対に買いたい」と言われました。

――今後は、世界を意識して作品を書かれていくのでしょうか?

スラ:世界を意識して創作活動を始めたのは、今年に入ってからです。日本や台湾の読者の方々と交流したり、欧米の出版社との翻訳版権の交渉にも立ち合ったことで、自分の作品が世界に届いていく感覚を覚えました。

日本の読者と話して驚いたのは、韓国語が上手な日本人の方が多いことでした。とてもありがたいですし、言語を超えたつながりを実感します。欧米での交渉では、英語を使うことが当然視されているように感じ、英語圏以外の文化や背景への配慮が欠けているように思う場面もあります。それは、国際的な優位性を意識した態度とも受け取れますね。そういった経験から、自分の作品も含めて韓国文学に対する関心の高まりを実感すると同時に、改めて母国語や自国の文化に対する自負心も芽生えました。

過去に私たちが西洋諸国からさまざまなカルチャーを学んだように、これからは私たちの豊かな文化がもっと広く理解され、楽しんでもらえたら幸せです。

――韓国特有の文化を取り上げた方が、世界に対しておもしろい物語が書けるのでしょうか?

スラ:そうかもしれませんね。韓国の生活、私たちの日常を書くことはとても大切です。一方で、自国のことを書くにはその状況を俯瞰して見直す作業も必要ですよね。私のパートナーは、20〜30代をアメリカで過ごしていたので異なる文化圏の価値観を持っています。外の視点をもつ人と暮らしていると、自分では気づくことのなかった韓国特有の文化や価値観を自覚させられる瞬間も多くあります。

とても身近なことで例をあげると、スーパーのレジ待ちで、人との間隔が一番狭いのは韓国だと聞きました。皆、せっかちで早く会計を済ませたいんですね(笑)。

TRANSLATION:HWANG RIE

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NewJeansとのタイアップ企画に爆発的反響の渋谷109 SNS発信力が強いブランドが好調(2024年上半期)

渋谷を象徴するファッションビルとして、訪日外国人客が多く訪れるのが渋谷109だ。若者に人気のアーティストとのタイアップで話題をふりまき、ファッションとエンタメのトレンドに敏感な若者に刺さるイベント企画にも力を入れている。SHIBUYA109エンタテイメントの丸山康太SHIBUYA109渋谷店総支配人に好調要因を聞いた。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年8月26日号会員限定特別付録「ビジネスリポート2024年上半期」からの抜粋です)

WWD:2024年上半期の商況は?

丸山康太SHIBUYA109渋谷店総支配人(以下、丸山):売上高は前年同期比9.2%増。予算も前年をクリアした。3月は気温の低下で春物が動かず初めて前年を割ったものの、4月以降は非常に好調で一安心した。5月はエンタメ系コンテンツが非常に良く、INI限定店、アニメの「ウィンドブレイカー」やアイドルのジャムズコレクションのポップアップイベントがヒット。また、春のリニューアルの反響がよく、コスメブランド「セルブ」との複合店を初出店した「ダーリッチ(DARICH)」と、常設初出店のD2Cブランド「ピウム(PIUM)」が牽引。それぞれ開店初日に800万円と500万円を売り上げ、以降も予想以上の売れ行きで、周辺店舗にも良い影響が出ている。

WWD:他に好調だったブランドは?

丸山:絶好調なのは「リズリサ(LIZLISA)。海外SNS拡散力が圧倒的で、ブランド認知度が上がり訪日客の売り上げが全体の約半分を占めている。日本ならではのテイストが海外でウケており、サイズ対応できている。接客力も高く、店長が物怖じせず海外客にもしっかり売っているところも高評価。同じくSNS戦略が上手な「シークレットハニー バイ ハニーバンチ」も国内外の客から支持。コラボレーション企画の投入タイミングが良く、話題作りに寄与している。他にも「エピヌ(EPINU)」は引き続き売れている。好調ブランドはSNS発信力があり、プロパー商品がしっかり消化できる構図ができあがっている。

WWD:特に効果的だった取り組みは?

丸山:館の45周年を記念して4月28日にスタートしたNewJeansとのタイアップが爆発的にヒット。アパレルを売った1階「リミテッドポップアップブリッジドット(以下、ブリッジ)」とグッズを売った地下1階「DISP!!!」にドーム公演に向けたアイテムを求めるファンが行列を作り、爆発的に売れた。ラブジーンズ企画を立ち上げてY2Kを意識したデニムコーデを館内で訴求する企画を提案したところ、40近くの店舗が手を挙げてくれて良い反響があった。若者の間でトップファッションアイコンの彼女たちと取り組めたことは、ブランディング効果も絶大だった。館の開業記念日ということで他にもさまざまな施策を打ったこともあり、その日の来館者数が4万2000人で、今年1番の集客になった。

WWD:コスメは?

丸山:1階の「ドレステーブル バイ シンクス ビューティー パレット」が「シャネル(CHANEL)」を導入したところ、売り上げが急上昇。「ディオール(DIOR)」と「シャネル」がそろうセミセルフ店舗は少ない。

WWD:ポップアップスペース「ブリッジ」の手応えは?

丸山:3月のオープンから続けて13ブランドのポップアップを開催し、概ね好評だ。館のファッション感度を高める狙いではあるが、売り上げも好調。ファンをしっかりつかんでいるD2Cブランドは、リアル店舗にもちゃんと来店してくれる。4月に開催した「ビーデン(BEEDEN)」は特に良かった。内装や什器がそろい、ウインドーも活用できて路面店感覚でオープンできることに加え、立地が館内で一番良いことはブランド側にとってのメリットも大きいだろう。コスメの「アニヴェン」もよく売れた。短期集中で売りたいという声とリピートの要望もすでに届いており、11月まで出店スケジュールは埋まっている。

WWD:訪日客売り上げについては?

丸山:全館売上高の免税額比率は16%に上がり、免税対応店舗は54店舗になった。特に大盛況だったのが6月。前年同期比2倍の2億円を売り上げた。アニメ「ウィンドブレイカー」のポップアップ効果が大きく、中国人バイヤーの行列が絶えなかった。施策では主に台湾や韓国に向けた販促キャンペーンをSNSに絞って打ち出している。メタ社と組んで、海外への発信力が高い日本人インフルエンサーと一緒に館内体験動画を2回配信した。今後は、秋にお土産企画を計画。「OMIYAGE」というワードは海外で浸透しており、おすすめ商品を集めて9月にカタログとSNS配信を展開する。

WWD:今後の計画は?

丸山:8月に8階「DISP!!!」を拡大するほか、9月にかけて店舗のリニューアルと新店導入を行う。また、この秋も暑さが続くと見込んで、秋冬物の販促企画を強化。新しい取り組みとして11月にブラックフライデーを開催する。いつもと違うショッピング体験が楽しめるイベントを企画している。暖冬における秋冬ファッションの売り方は重要課題としてしっかり取り組んでいきたい。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.5(最終回) 「化粧品のサステナビリティ問題」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:いよいよ最終回ということで、やはり「スリー(THREE)」を立ち上げられた石橋さんにはサステナビリティについてお伺いしたいと思います。

石橋寧(以下、石橋):化粧品でサステナビリティっていうとすごく難しさがあるんだけれど、人類が地球上に誕生して約700万年と言われているんですよね。それで産業革命が起きてまだ200年余り。ということは、人類は長らく自然由来のものに頼って生きてきたわけです。植物、動物、魚介など自然の恵みを食して生きてきた。ところが産業革命が起こり、その後エネルギー革命が起こって石油化学技術が発達しました。歴史的に見れば世の中が一瞬にしてすごく便利になり、治らない病気も治るようになって長生きするようになっているわけだけど、本質的には700万年に対しての200年程度でしかないから、化学物質に対する免疫ができていないわけです。例えば頭痛がして薬を飲むとすぐ治るけれど、それはピンポイントであってそれ以外の効果はないし、飲み続けるのも良くない。ところが漢方薬や生薬は、即効性はないけれども体全体に行き渡らせることができる。それが何千年と続いているわけです。SARSとかコロナウイルス感染症とかアトピー性皮膚炎とか、カタカナ表記の疾患は産業革命以降に誕生したもので人類には免疫がなく、漢字やひらがなで表記される疾患には本来の免疫システムが作用する、というのが大前提としてある。そんな考え方で「スリー」にも「イトリン(ITRIM)」にも自然素材を原料に採用したというのがあります。

 

――:どちらのブランドも国産原料に徹底してこだわっていましたね。

石橋:「スリー」でキー成分に使っているティーシードオイルは、静岡県の牧之原産の茶の実から抽出したオイルで、これは本来使われずに捨てられていたものを初めて化粧品の原料に採用したんですね。しかもこのティーシードオイルはヒトの皮脂の組成に近いという特性があり、ほとんどの商品に配合しています。一方、2023年に販売終了した「イトリン」では夕張メロンの種子油やビワの葉のエキスをキー成分に使っていましたね。ビワの葉は昔から生薬として使われていたように、日本人は古来、ヘチマ水や米ぬかなど自然素材を化粧品原料として使ってきたという長い歴史があります。だからその知恵を生かしたかったわけです。また「スリー」ではガラスボトルを基本としていましたが、それは“化粧品の品格”。一般的にはプレミアムなコスメでも樹脂を使うことが多いけれど、僕に言わせればそれは高級品ではなく高額品。樹脂を使えば安く大量に生産できるけれども、使い終わればリサイクルできず、ただのゴミ。ガラスボトルだったら一輪挿しにもできるくらいの見栄えの良さがある。少し前に空容器を回収するという動きが活発だったけれど、結局今も続いているの?という感じですよね。美しさと持続可能性の両立は、現代のひとつの答えだと思います。

 

――:15年に国連サミットでSDGsが採択されたのち、あらゆるコスメブランドが17のゴールに向かって邁進した結果、今やオーガニックコスメの存在意義が見えにくくなっています。

石橋:女性が化粧をする理由はなんなのか? それはやっぱり、美しくなりたいから。シミにもシワにも無縁の肌で美しく年を重ねていく。まずそれが化粧品に求める女性の心理ですよね。それが第一。自分の肌に合い、整っていけば一番いいわけで、それがケミカルなのかオーガニックなのかは次の段階。オーガニックのほうがイメージも含めて肌に優しいというのがあるけれど、でも全く効果がなかったら使わないですよね、前提はキレイになりたいわけだから。さらにその次に高価格か低価格か、という順番になる。所詮は化粧品ですから、それを使って自分がキレイになれるかどうかが第一優先。これは男性にも言えることで、まずはそこに応えてあげればいいと思うんです。これだけ再生医療やらを含めて技術が進歩していますから、より良いものはこれから先も出てくると思う。昼間に化粧品の通販番組が多いのは、それだけキレイになりたいというニーズが多いという証しですよね。

――:では新たなコスメブランドをプロデュースするとしたら、どうしますか?

石橋:最近注目しているブランドがあって、カネボウ化粧品の「センサイ(SENSAI)」がインバウンドも含めて新宿伊勢丹本店、阪急うめだ本店で異常値を叩き出していると百貨店のバイヤーさんから聞いたんですよ。日本の百貨店ではジェイアール名古屋タカシマヤを含めて3店舗でしか扱っていないと思うけれど、阪急うめだ本店では売り上げトップ3に入り、3店舗ですごく売り上げを伸ばしている、と。元々1980年代に欧州からスタートしたブランドだから、欧州と台湾・香港・中国などアジアの人は円安で爆買いしているだろうし、日本の顧客も少しずつ増えているようですね。外資系ブランドは徐々に値上げをして高価格になっている一方、日本のブランドは価格を変えないから、そういうのも相まって日本人の購入客が増えているというのはあるだろうけど、なぜ「センサイ」なのか。シルクは古くから外科手術の縫合糸に使用されているくらい生体と相性がいい素材だから、イメージも含めて「小石丸シルク」というワードが響いているのか、あるいはメイクアップもそろえているからなのか、要因が気になるところですね。

話が外れちゃったけれど、もし僕がプロデュースするとして、スキンケアだったら「官能的であること」。なんとも言えない心地いいテクスチャーと香りで、ずっと使い続けたいと思わせられるものですね。配合成分の効果はもちろん大事なんだけれど、それ以上に気持ちというか「キレイになれるかも」と感情に訴えかける。成分の効果はそれなりについてくればいい。11年の東日本大震災の時、被災地に「スリー」のメイクアップ商品を送るよう指示を出したんです。いろんなメーカーがハンドソープとかシャンプーとかで支援していたけれど、3日、4日経って落ち着いてくると、口紅をつけたくなってくるのが女心ですよね。手元にないだろうし店も開いていないし。

――:メイクセラピーという言葉もあるくらい、メイクアップはQOLの向上に役立つことが分かっています。

石橋:実現がかなり難しいんだけれど、「イトリン」でそのうちやりたいと密かに考えていたのが、天然由来成分比率の高いメイクアップ商品。山形のベニバナはまだ口紅の一部にしか使われていないんですよ。口紅やチーク、アイシャドウならいいものが作れるんじゃないかと思っていて。和服は古いものでもきちんと管理されていれば、今でも色鮮やかですよね。日本には高い染色技術があって、基本は植物色素でシルクを染めている。同じようにメイクアップ商品の色を再現できないかなあと。何歳になっても夢だけはあります(笑)。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.5(最終回) 「化粧品のサステナビリティ問題」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:いよいよ最終回ということで、やはり「スリー(THREE)」を立ち上げられた石橋さんにはサステナビリティについてお伺いしたいと思います。

石橋寧(以下、石橋):化粧品でサステナビリティっていうとすごく難しさがあるんだけれど、人類が地球上に誕生して約700万年と言われているんですよね。それで産業革命が起きてまだ200年余り。ということは、人類は長らく自然由来のものに頼って生きてきたわけです。植物、動物、魚介など自然の恵みを食して生きてきた。ところが産業革命が起こり、その後エネルギー革命が起こって石油化学技術が発達しました。歴史的に見れば世の中が一瞬にしてすごく便利になり、治らない病気も治るようになって長生きするようになっているわけだけど、本質的には700万年に対しての200年程度でしかないから、化学物質に対する免疫ができていないわけです。例えば頭痛がして薬を飲むとすぐ治るけれど、それはピンポイントであってそれ以外の効果はないし、飲み続けるのも良くない。ところが漢方薬や生薬は、即効性はないけれども体全体に行き渡らせることができる。それが何千年と続いているわけです。SARSとかコロナウイルス感染症とかアトピー性皮膚炎とか、カタカナ表記の疾患は産業革命以降に誕生したもので人類には免疫がなく、漢字やひらがなで表記される疾患には本来の免疫システムが作用する、というのが大前提としてある。そんな考え方で「スリー」にも「イトリン(ITRIM)」にも自然素材を原料に採用したというのがあります。

 

――:どちらのブランドも国産原料に徹底してこだわっていましたね。

石橋:「スリー」でキー成分に使っているティーシードオイルは、静岡県の牧之原産の茶の実から抽出したオイルで、これは本来使われずに捨てられていたものを初めて化粧品の原料に採用したんですね。しかもこのティーシードオイルはヒトの皮脂の組成に近いという特性があり、ほとんどの商品に配合しています。一方、2023年に販売終了した「イトリン」では夕張メロンの種子油やビワの葉のエキスをキー成分に使っていましたね。ビワの葉は昔から生薬として使われていたように、日本人は古来、ヘチマ水や米ぬかなど自然素材を化粧品原料として使ってきたという長い歴史があります。だからその知恵を生かしたかったわけです。また「スリー」ではガラスボトルを基本としていましたが、それは“化粧品の品格”。一般的にはプレミアムなコスメでも樹脂を使うことが多いけれど、僕に言わせればそれは高級品ではなく高額品。樹脂を使えば安く大量に生産できるけれども、使い終わればリサイクルできず、ただのゴミ。ガラスボトルだったら一輪挿しにもできるくらいの見栄えの良さがある。少し前に空容器を回収するという動きが活発だったけれど、結局今も続いているの?という感じですよね。美しさと持続可能性の両立は、現代のひとつの答えだと思います。

 

――:15年に国連サミットでSDGsが採択されたのち、あらゆるコスメブランドが17のゴールに向かって邁進した結果、今やオーガニックコスメの存在意義が見えにくくなっています。

石橋:女性が化粧をする理由はなんなのか? それはやっぱり、美しくなりたいから。シミにもシワにも無縁の肌で美しく年を重ねていく。まずそれが化粧品に求める女性の心理ですよね。それが第一。自分の肌に合い、整っていけば一番いいわけで、それがケミカルなのかオーガニックなのかは次の段階。オーガニックのほうがイメージも含めて肌に優しいというのがあるけれど、でも全く効果がなかったら使わないですよね、前提はキレイになりたいわけだから。さらにその次に高価格か低価格か、という順番になる。所詮は化粧品ですから、それを使って自分がキレイになれるかどうかが第一優先。これは男性にも言えることで、まずはそこに応えてあげればいいと思うんです。これだけ再生医療やらを含めて技術が進歩していますから、より良いものはこれから先も出てくると思う。昼間に化粧品の通販番組が多いのは、それだけキレイになりたいというニーズが多いという証しですよね。

――:では新たなコスメブランドをプロデュースするとしたら、どうしますか?

石橋:最近注目しているブランドがあって、カネボウ化粧品の「センサイ(SENSAI)」がインバウンドも含めて新宿伊勢丹本店、阪急うめだ本店で異常値を叩き出していると百貨店のバイヤーさんから聞いたんですよ。日本の百貨店ではジェイアール名古屋タカシマヤを含めて3店舗でしか扱っていないと思うけれど、阪急うめだ本店では売り上げトップ3に入り、3店舗ですごく売り上げを伸ばしている、と。元々1980年代に欧州からスタートしたブランドだから、欧州と台湾・香港・中国などアジアの人は円安で爆買いしているだろうし、日本の顧客も少しずつ増えているようですね。外資系ブランドは徐々に値上げをして高価格になっている一方、日本のブランドは価格を変えないから、そういうのも相まって日本人の購入客が増えているというのはあるだろうけど、なぜ「センサイ」なのか。シルクは古くから外科手術の縫合糸に使用されているくらい生体と相性がいい素材だから、イメージも含めて「小石丸シルク」というワードが響いているのか、あるいはメイクアップもそろえているからなのか、要因が気になるところですね。

話が外れちゃったけれど、もし僕がプロデュースするとして、スキンケアだったら「官能的であること」。なんとも言えない心地いいテクスチャーと香りで、ずっと使い続けたいと思わせられるものですね。配合成分の効果はもちろん大事なんだけれど、それ以上に気持ちというか「キレイになれるかも」と感情に訴えかける。成分の効果はそれなりについてくればいい。11年の東日本大震災の時、被災地に「スリー」のメイクアップ商品を送るよう指示を出したんです。いろんなメーカーがハンドソープとかシャンプーとかで支援していたけれど、3日、4日経って落ち着いてくると、口紅をつけたくなってくるのが女心ですよね。手元にないだろうし店も開いていないし。

――:メイクセラピーという言葉もあるくらい、メイクアップはQOLの向上に役立つことが分かっています。

石橋:実現がかなり難しいんだけれど、「イトリン」でそのうちやりたいと密かに考えていたのが、天然由来成分比率の高いメイクアップ商品。山形のベニバナはまだ口紅の一部にしか使われていないんですよ。口紅やチーク、アイシャドウならいいものが作れるんじゃないかと思っていて。和服は古いものでもきちんと管理されていれば、今でも色鮮やかですよね。日本には高い染色技術があって、基本は植物色素でシルクを染めている。同じようにメイクアップ商品の色を再現できないかなあと。何歳になっても夢だけはあります(笑)。

The post 「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.5(最終回) 「化粧品のサステナビリティ問題」 appeared first on WWDJAPAN.

「ディプティック」と協業した“フェルトの女王”に聞くコラボからクリスマスの過ごし方まで

「ディプティック(DIPTYQUE)」は今年のホリデーコレクションで、イギリス人のアーティストであるルーシー・スパロー(Lucy Sparrow)とコラボレーションした。スパローは、“フェルトの女王”と呼ばれるアーティスト。フェルトで作った「ハインツ(HEINZ)」のケチャップや「ケロッグス(KELLOGGS)」のコーンフレークス、「スキッピー(SKIPPY)」のピーナッツバターなど9000個ものアイテムを並べたコンビニエンスストアやベーグルやキャンディを並べたベーカリーの展示など、独自の世界観で注目を集めている。彼女は、「ディプティック」のホリデーコレクションのために、モミの木やジンジャーブレッドマンなどのモチーフをデザイン。パリとロンドンの旗艦店であるメゾン ディプティックの高級デリカテッセンのインスタレーションも手掛けた。スパローに、コラボの感想やクリスマスの過ごし方などについて聞いた。

子どもの頃の興奮をアドベントカレンダーで表現

WWD:「ディプティック」とコラボした感想は?

ルーシー・スパロー(以下、スパロー):創業者3人のインスピレーションを忠実に守り続けているところが大好き。パリのアーカイブを訪れたときは、スケッチブックや世界中を旅して集めたオブジェ、フェルトのアート作品など、私自身のクリエイションと重なるものがあった。「ディプティック」は“遊び心”と“喜び”に満ちたブランド。その2つの要素は私のクリエイションの核でもある。

WWD:「ディプティック」のイメージは?
スパロー:美しいだけでなく、ハンドメードにこだわった職人的なアプローチがある。世界観にフィットするものを作るためにディテールに気を配り、手間のかかる努力をしている。今回のホリデーキャンドルの新コレクションに私の手縫いのフェルトを取り入れてくれてとても嬉しい。

WWD:「ディプティック」の世界観や香りの世界をどのようにコラボで表現したか?

スパロー:メゾンとしての文化はもちろん、パリのメゾン ディプティックのインスタレーションのためにフランスの伝統的なホリデーについて学んだ。遊び心と情熱を加えて表現したつもり。「ディプティック」のパリのチームは素晴らしかった。ロンドンのメゾン ディプティックを何度も訪れ、すっかりスタッフと友人になった。ぶらぶらするだけで楽しい場所で、何時間も過ごせる。

WWD:コラボで苦労した点と楽しかった点は?

スパロー:「ディプティック」のオードトワレやオードパルファン、キャンドルなどの複雑なディテールを描き出すのが難しかった。おなじみの楕円形のロゴはもちろん、住所など細部まで再現した。コラボの制作中に「ディプティック」と1万回は描いたと思う。ソーイングボックス型のアドベントカレンダーについては、明確なビジョンを持っていた。私が子どもの頃に初めて裁縫箱を手にしたときの興奮を表現した。裁縫箱はクリエイションの可能性に満ちた世界に私を解き放ってくれた。その驚きを閉じ込めたつもり。

クリスマスに欠かせないのは「ディプティック」のキャンドル

WWD:「ディプティック」でお気に入りの香りとその理由は?

スパロー:ロンドン旗艦店の限定キャンドル“107 ニューボンドストリート”。なぜなら、私の故郷を思い起こさせる香りでコレクションを制作するときにずっと焚いていたから。

WWD:世界各地のイベントではフェルト作品が完売するほどの人気だが?

スパロー:特に1950年代初期のレトロなものから80年代のテクノカラーのパッケージまで、アメリカのブランドデザインの進化に影響を受けている。中でも、カラフルなラベルで日々の生活に欠かせない洗剤に夢中。自分のインスタレーションを通して、多くの人が特定のブランドや製品に個人的な関心を示すことに気づくようになった。おそらく、子どもの頃に買ってもらったお菓子や初めて味わったビールとか・・・・・・。それが私にとってのインスピレーション源。クリエイション過程で生まれる会話やエピソードは大好きだ。自分の作品が、人々を日常生活から離れた場所に誘うことができること願っている。

WWD:今年のクリスマスはどこでどのように過ごす?

スパロー:暖かい場所に旅行する予定だけど、お気に入りのフェルトのクリスマス・スターを持っていくつもり。

WWD:クリスマスに欠かせないものは?

スパロー:「ディプティック」のキャンドルは欠かせない。あとは、暖かい靴下とオレンジ、そして、大好きなチョコレートをたくさん。

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注目のオルタナティブ・ロック・バンド、ニューダッド(NewDad) ピクシーズやザ・キュアーからの影響を語る

PROFILE: ニューダッド(NewDad)

PROFILE: アイルランド、ゴールウェイ出身の4人組インディー・ロック・バンド。フロントマンのボーカル/ギター、ジュリー・ドーソン(Julie Dawson)を中心に学校で知り合ったベースのエインドル・オーバイン(Aindle O‘Beim)、ドラムスのフィアクラ・パースロー(Fiacra Parslow)で2018年に結成。20年にギタリストのショーン・オダウド(Sean O’Dowd)が加入。22年にカーラ・ジョシ(Cara Joshi)がアーインドルに代わって加わり、現在のラインアップとなった。2021年に自主制作でEP「WAVES」を、22年にEP「BANSHEE」をリリース。24年2月にフル・アルバムを「Madra(マドラー)」発売した。

フォンテインズD.C.の登場以降、活況が続いているアイルランドのロック・シーン。中でも、今年を代表するホープの筆頭といえるのが、港町のゴールウェイで結成された4人組のバンド、ニューダッド(NewDad)だ。その魅力は、シューゲイザーやグランジ、ドリーム・ポップなど1980〜90年代のオルタナティブ・ロックの影響を受けた没入感のあるサウンド。そして、敬愛するザ・キュアーの面影も重なるダークでメランコリックなムード。さらに加えて、チャーリー・xcxやピンクパンサレスのカバー/リワークにも窺えるポップ・ミュージックへの鋭い感覚を持ち合わせたソングライティングが、彼女らの音楽を華やかに際立たせている。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやスマッシング・パンプキンズの作品で知られるアラン・モウルダーがミキシングを手がけたデビュー・アルバム「Madra(マドラー)」は、そんな彼女らの個性が凝縮された目覚ましい成果だった。

今はアイルランドを離れ、ロンドンに新たな活動拠点を置いているニューダッド。早くも次のアルバムを制作中と伝えられる中、「Madra」のブレイクによって拓けたバンドの現在地を彼らはどう見ているのか。その音楽的な背景や創作のインスピレーション、そして彼女らが直面しているアイリッシュネスの問題について、先日大盛況に終わったジャパン・ツアーの東京公演2日目のライブ直前、ボーカリストでソングライターのジュリー・ドーソンに話を聞いた。

初来日について

——日本での初めてのライブはどうでした?

ジュリー・ドーソン(以下、ジュリー):最高だった! ずっと楽しみにしていたツアーだったので、ここに来られて本当に嬉しい。こんな素晴らしい場所は初めてだし、観客のみんなも温かく迎えてくれて感動しました。だから、この場所を離れるのが今からもう寂しくて(笑)。

——東京をぶらぶらする時間はありましたか。

ジュリー:今日は一日中ショッピングを楽しみました。キャットストリートだっけ? 原宿をあちこち歩き回って、可愛い洋服やぬいぐるみとか、たくさん買い物ができて大満足です(笑)。

——一番のお気に入りは?

ジュリー:古着屋で「シモーン ロシャ(SIMONE ROCHA)」のスカートを見つけて! シモーン・ロシャ(Simone Rocha)はアイルランド出身の素晴らしいデザイナーで、彼女の服が大好きなんです。だから最高に嬉しい。しかもとても安く買えて、ラッキーでした(笑)。

——今日のファッションも素敵ですが、タトゥーも個性的で目を惹きます。

ジュリー:(日本語で)アリガトウゴザイマス(笑)。ほとんどのタトゥーは友達のサラがデザインしてくれたもので。中でも一番のお気に入りは、(ワシリー・)カンディンスキーの絵をモチーフにしたもの。ゴールウェイの私の家に飾ってあった絵がずっと好きで、その一部を参考にデザインしてもらいました。あの絵の、虹の橋を渡るような神秘的なイメージがずっと心に残っていて、タトゥーを入れられる年齢になったら入れたいって思っていたんです。それと、ケイト・ブッシュの「Hounds of Love」からインスピレーションを得たこれも気に入っています。このいかつい表情をした2匹の犬は、「Hounds of Love」ってタイトルから連想したイメージなんです(笑)。

影響を受けたアーティスト

——デビュー・アルバムの「Madra」は大きな反響を呼びました。自分たちとしてはどんな手応えを感じていますか。

ジュリー:正直、リリースされた当初はあまり注目されてなかった気がしていて。でも、ここ数カ月の間にアートワークがバズり始めたり、より多くの人に知ってもらえるようになって、みんなが自分たちの曲を大好きだってって言ってくれるようになった。だから、最近になってあらためてあのアルバムへの愛が深まった気がするし、バンドとして着実に成長していることを実感できていて嬉しいです。

——最近リリースされた新曲の「Under My Skin」は、そうしたバンドを取り巻く世界の広がりを象徴するナンバーですよね。

ジュリー:はい。「Under My Skin」は当初、「Madra」の収録曲としてレコーディングされた曲だったんだけど、その後、「Life is Strange」というビデオゲームのサウンドトラックとして使われることになって。あの曲をゲームに登場するキャラクターのストーリーと重ねて聴いてくれているファンがいて、そうした“相乗効果”を見るのはとてもクールだし楽しい。聴いた人がそれぞれにいろんなものを感じ取ってくれることは、私たちにとっても大きな喜びなんです。

——ニューダッドのサウンドからは1980年代や90年代のオルタナティブ・ロックの影響が強く感じられますが、実際にどんなアーティストがインスピレーションになっているのでしょうか。

ジュリー:私たちの音楽を聴いてそう感じてもらえたなら嬉しい。私たちがバンドを始めたきっかけはピクシーズで、彼らが奏でるベース・サウンドや、独特な表現スタイルに惹かれて自分たちもバンドをやりたいって思ったんです。そこから90年代のギター・バンドやスロウダイブにハマって、ザ・キュアーやコクトー・ツインズのようなバンドからも影響を受けながら曲をつくり始めるようになりました。彼らのような、夢見心地でワクワクするような感覚を自分たちも音楽で表現したいなって。

——ライブではキュアーの「Just Like Heaven」のカバーをレパートリーに入れていますが、キュアーはやはりニューダッドにとって特別なバンドですか。

ジュリー:はい、みんなキュアーを聴いて育ったようなものなので(笑)。ニューダッドを始めた頃、ダブリンでジャスト・マスタードというアイルランドのバンドがキュアーの前座を務めたのを観て。ダンドーク出身の小さなバンドが、世界でも最も偉大なバンドをサポートしていて、私たちもいつかこんなステージに立てたらいいなって夢を抱くようになりました。キュアーへの愛は、私たちの音楽の原点と言えるんじゃないかな。それに、ロバート・スミスはやっぱり最高のソングライターだと思う。

——同じソングライターとして、ロバート・スミスのどんなところに惹かれますか。

ジュリー:ちょっと陰鬱な雰囲気が好きなんです(笑)。彼の曲は、とても美しくて繊細で、でも同時にゾッとするようなところがあって。抱きしめられるような、それでいて突き放されるような感じというか。何か新しいものが生まれそうな予感があって面白いし、その相反する感覚をうまく調和させているところが魅力だと思う。

——ちなみに、カバーについて本人から何か反応はありましたか。

ジュリー:そう、彼がリツイートしてくれて! とても興奮しました(笑)。いつか彼と共演できたら最高。それが今の私たちの目標なんです。

憧れのアラン・モウルダーのミックス

——「Madra」はミックスをアラン・モウルダーが手がけたことも話題ですが、ニューダッドの音楽性を考えると、彼の貢献は大きなものがあったのではないでしょうか。

ジュリー:アランとは2枚目か3枚目、それか4枚目のアルバムで一緒に仕事ができたらって思っていて。だからデビュー・アルバムのミックスをやってくれるなんて夢にも思っていなかったし、彼から返事が戻ってきて、私たちの曲を気に入ってくれたと聞いたときはとても興奮しました。彼は、私たちに影響を与えた90年代の素晴らしいギター・バンドの作品を生み出したひとだから。スタジオで完成した楽曲も素晴らしい出来だったけど、アランの手によってさらに磨きがかかり、完成度は格段に向上しました。彼の才能にあらためて気付かされたし、彼に仕事を引き受けてもらえてとても感謝しています。

——アラン・モウルダーが手がけた作品の中で、お気に入りの一枚は?

ジュリー:そうだな……スマッシング・パンプキンズの「Mellon Collie and the Infinite Sadness」かな。あとは……そうだ、彼が「Loveless」(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)をやっていたのをすっかり忘れていました! 同じアイルランドのバンドなのに……こういう大事なことを忘れてしまうところがあるんです、私は(笑)。でもそうですね、「Loveless」は間違いなく彼の代表作の一つだと思います。

——そういえば、「Madra」のリファレンスとして、ピクシーズの「Doolittle」と共にウィーザーのファーストを挙げていましたね。リブァース・クォモの詩はナーディーというか……。

ジュリー:うん、わかります(笑)。

——(笑)なので少し意外な気もしたんですが、あのアルバムのどんなところに繋がりを感じていますか。

ジュリー:学生の頃に大好きだったバンドの一つなんです。16歳のときの私は、とにかくクールになりたくて、誰にどう思われても気にしない!みたいな感じで。既存のルールにとらわれず、周囲の目を気にしないような自分になりたかった。ウィーザーみたいな“スラッカー・ロック”はまさにそうした私の心情を代弁した音楽で、友達のパーティーで彼らの「Undone – The Sweater Song」を初めて演奏した時の興奮は今もはっきりと覚えています。

私が書くギター・ラインの多くは彼らの音楽から生まれたもので、とてもシンプルだけど彼らの楽曲に込められた世界観は、私自身のアイデンティティーの形成に大きな影響を与えています。自分たちがどうありたい、どんな音楽を作りたいかを模索しているとき、その初期の段階で彼らからたくさんのインスピレーションをもらったんです。

ポップミュージックとの関わり

——一方で、ニューダッドはチャーリー・xcxのカバー(「ILY2」)やピンクパンサレスのリワーク(「Angel」)もやっていたりと、今のポップ・ミュージックへの関心も窺えますが、そのあたりはいかがですか。

ジュリー:ポップ・ミュージックは大好きです。最近は自分が書く曲もだんだんとポップな要素が強くなってきたように思うし、大衆に広く受け入れられるものって確立された構造や巧みな表現技法があって、やっぱりよくできているというか(笑)。例えばチャペル・ローンみたいなアーティストを見て、自分ももっとうまく歌いたいって思うし、学ぶことがたくさんあって、何より聴いていて楽しい。それにライブの前とか、気難しいロックを聴くよりもチャーリー・xcxみたいなポップ・ミュージックを聴く方が気分転換になるし、パフォーマンスも上がる気がする。結局、私ってどんなものでも音楽は好きだし、自分の中でジャンルの区別ってないタイプなんです。

——最近書いている曲というのは、次のアルバム用の曲のことですか。

ジュリー:そうです。「Madra」の「Nightmares」や「Nosebleed」でコラボレーションしたジャスティン・パーカーとまた一緒に曲を書いていて。もうかれこれ何度も仕事をしているからお互いのことを深く理解し合えているし、とても高いレベルで曲づくりができていると思う。どれもポップな曲なんだけど、それをスタジオに持ち込んで生ドラムとかギターを重ねて、より立体感のあるサウンドに仕上げているところです。

——ジャスティン・パーカーといえば、ラナ・デル・レイやデュア・リパ、リアーナとのコラボレーションでも知られる、今のポップ・ミュージックと関わりの深いソングライターでありプロデューサーですよね。

ジュリー:ジャスティンは本当にすごいソングライターで、学ぶことが多いし、彼とのプロジェクトはとても刺激的です。例えば、ジャスティンはセッション中にレディオヘッドを聴かせてくれて、楽曲の構成やアレンジだったり、彼らの音楽から学ぶべきポイントをいろいろとディレクションしてくれます。特に「In Rainbows」は、作曲の前に必ず聴くアルバムになっていて。レディオヘッドは昔から好きだったけど、ジャスティンのおかげで彼らの音楽に対する理解が深まったというか、いろんなヒントをもらったりインスピレーション受けるようになりました。そんなふうにしてジャスティンは、私がもっといいソングライターになるように背中を押してくれます。今制作している曲は、今までやったどの曲よりも満足しているし、これまでで最も満足のいく出来栄えだと思う。

母国アイルランドへの思い

——今はアイルランドを離れてロンドンを拠点に活動されているそうですが、刺激を受けるところはありますか。

ジュリー:ロンドンではたくさんのライブを観れるのが楽しい。でも、個人的に一番刺激をもらっているのは、他のアイリッシュのアーティストたちの音楽なんです。カーディナルズっていうバンドはトラッド・ロックみたいなことをやっていてかっこいいし、スプリントもイギリスとかヨーロッパやアメリカでも大規模なツアーを回っててすごく活躍していて、とても刺激になる。友達のCiaraがやっているKynsyっていうプロジェクトも大好き。それに、フォンテインズD.C.も地元のこととかいろいろ話してくれて、新しい街に引っ越してきたばかりの私たちにとって彼らみたいな先輩がいるのは心強く、学ぶことが多くてとても助かっています。

——離れてみたことで、母国への想いや見方が変化したようなことはありますか。

ジュリー:愛着がより深まった気がします。ロンドンみたいに賑やかで大きな街と比べると、故郷の静けさがすごく心地よく感じる。ロンドンは私が慣れ親しんできたものとはまったく違っていて、だからゴールウェイに帰るととても穏やかで、平和なんです。ロンドンに引っ越すまでは、その素晴らしさをよくわかっていなかったんだと思う。だからアイルランドがもっと好きになりました。

——例えば、フォンテインズD.C.の「Skinty Fia」というアルバムでは、同じくアイルランドを離れてロンドンで暮らすようになり、そこで感じた葛藤や故郷への複雑な思い、アイルランド人としてのアイデンティティーがテーマになっていました。今のあなたたちも大いに共感するところがあるのではないでしょうか。

ジュリー:とても共感します。すごくありきたりかもしれないけど、次のアルバムでは、故郷を離れて暮らすことについて歌っていて。新しい国って、最初は期待に胸を膨らませてワクワクするけど、いざ住んでみると孤独で、家族と離れて暮らすのは本当につらい――特に私は家族ととても仲がいいから。グリアン・チャッテンが書く歌詞からは、そうした新しい環境への期待と現実の厳しさとのギャップに悩みながら、心の奥底から湧き出るような正直な感情が感じられて感心させられるし、とてもストレートで心に響いてくる。それでいてとても詩的で、いつか彼のように自分も率直な気持ちを歌えるようになりたいって思います。

彼がアイルランドについて書くのが好きなんです。アイルランドは完璧な国ではないし、多くの問題を抱えている。でも彼にとってかけがえのない故郷であるということが、彼の楽曲から伝わってきます。アイルランドへの深い愛着を持ちながら、その国の光と影を描き出していて、その2つのバランスを取る書き方が本当に面白いし、的確だと思う。とても力強くて説得力があるし、彼の楽曲は、現代のアイルランドの若者が感じていることを完璧に表現していると思う。

——「Madra」では、鬱や孤独など、10代が抱える不安が親密なトーンで綴られています。ジュリーさんが歌詞を書く上で大事にしていることは何ですか。

ジュリー:「Madra」は、まさに10代の自分そのもののような作品でした。あの頃の経験が私たちの音楽の根底にあって、「Madra」を聴くと10代の頃の自分に戻ったような気がします。私にとって、ハッピーな曲やラブソングを書くのは難しくて、どこか嘘っぽくて安っぽく感じてしまう。本心から楽しめなくて、心が重くなる。むしろ、心の奥底にある孤独や憂鬱な感情を掘り下げて音楽にぶつけると、心が軽くなる。表現の幅が広がる気がするし、大げさに書いたり深く考え込んだりできるから、そういう方が音楽を作るのが楽しいんです。

学生時代に曲を書き始めて、20代前半になって、10代の頃の経験から学んだことを振り返るようになりました。だから「Madra」は、私の人生のある章を要約したものなんだと思います。でも、次のアルバムは、24歳になり、新しい街で新しいことを始めた今の私の姿を映し出したものなんです。

——今年の春に開催されたSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)では、米軍からのスポンサーシップをめぐってボイコットの動きが起こりました。ニューダッドをはじめ多くのバンドやアーティストが抗議の声を上げましたが、あの経験を今どのように受け止めていますか。

ジュリー:行動を起こしてよかったと思います。あの出来事を通じて、アイルランドのアーティスト同士が団結して、互いに協力し合い、連帯感を深めることができました。その結果、彼らは資金援助を打ち切った。あのボイコットには効果があったし、そこから多くのことを学ぶことができました。最初は不安もあったけど、現地を訪れ、みんなと一緒に行動したことで、自分たちの決断は正しかったと心の底から思えたんです。あの経験は、私にとって大きな意味がありました。

——勇気づけられたリアクションはありましたか。

ジュリー:インターネット上では、些細なことで過剰な反応を示されることが多くて残念に思います。でも、私たちのファンは本当に優しい。特にアイルランドの人たちは、今回のことでさらに応援してくれるようになった。何か新しいことを始めようとすると、反対意見が生じることは避けられない。でも、そんなの気にしなくていいと思うんです。大切なのは、本当に私たちのことを応援してくれる人たちなんだから。

——そうしたある種のポリティカルな視点も、今作っているアルバムに反映されそうですか。

ジュリー:うーん、それはないと思う。私自身、特に曲作りに関してはそういうことを言葉にするのに自信がないというか、自分が感じたことや個人的な経験しか表現できない。でも、いつか自分の音楽でそういうメッセージを伝えられるようなソングライターになりたいと思います。だから今はまだ、自分の内面と向き合ってる感じかな。

——改めて、次のアルバムはどんな感じになりそうですか。

ジュリー:もっとアコースティックな感じで、フォークっぽい曲が多いかな。「Modra」みたいに重たい感じじゃなくて、もっと軽やかで明るいサウンドになると思う。今、もう一人の新しいソングライターと一緒に仕事をしていて。彼はチェロ奏者でありながら素晴らしいギタリストで、彼が弾くアコースティックギターの音色が素晴らしくて、楽曲に心地よい響きや温かみを添えてくれています。だから「Madra」が深い海の底みたいな感じなら、次のアルバムは春の小川みたいに清澄というか、そんなイメージかな。

——アイルランドといえばトラッド・ミュージックが盛んですが、そうしたアイリッシュ・フォーク的なものもジュリーさんのルーツにあるのでしょうか。

ジュリー:いえ、個人的にはそれほど聴いてなくて。アイルランドでは小さな子供はみんな、ティン・ホイッスル(※アイルランドの伝統的な笛)を習うんだけど、フィアクラ(Dr)は歩けるようになる前からアイリッシュ・ミュージックに触れて育っていて、そうした影響がニューダッドの音楽にも出ているところはあるかもしれない。ステージでバウロン(※アイルランドの伝統的な打楽器)を演奏することがあるのも故郷へのリスペクトからで、そういうつながりがあるのは大切なことだと思います。

PHOTS:MASASHI URA

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【ハースト婦人画報社 ハースト メディア ソリューションズ】新規事業を創出する“感性×データ”の強力な掛け合わせ

ハースト婦人画報社は、1996年の「エル・オンライン(ELLE ONLINE)」立ち上げなど、出版社としていち早くデジタルに参入した。現在は、16メディアと3つのeコマースを運営し、そのCRM(顧客関係管理)やビッグデータは同社の大きな財産だ。それらを新事業へとつなげるのが、2020年に発足したハースト メディア ソリューションズである。組織にはビデオ制作の機能もあり、クライアントに対し最適解を導き出す体制を整えている。

WWD:「エル」のデジタル参入は、紙媒体が主流だった当時のファッションメディアにおいて先進的な取り組みだった。

山口大介・本部長(以下、山口):「エル」というメディアを軸に、情報発信をしながら、ファッションからフード、インテリアまで360度の生活の中で「エル」を感じてほしいと立ち上げました。さらに、eコマースやイベントでも多角的にユーザーを増やして得た情報が、私たちが大切にしているデータです。当社は定期購読のプロモーションも積極的に行ってきたので、メディアの価値を丁寧に伝えてきたことも多くのユーザー獲得につながった一因です。11年には「婦人画報のお取り寄せ」、21年には「ウィメンズヘルスショップ(Women's Health SHOP)」のeコマースも始め、自社で保有するデータは現在115万IDに達しています。

WWD:そのデータを生かす、データソリューションズの役割とは。

前西克哉マーケティング部 データ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、前西):データを使った、マーケティング課題解決のための専門部隊です。当社の強みである具体的なユーザーデータを年齢や職業などのデモグラフィックから、ライフスタイルなどを分析したサイコグラフィックまで可視化し、クライアントニーズに応えます。富裕層のデータを、ラグジュアリーブランドのターゲティングや、事前調査などに役立てるケースも増えています。例えば、購買データはパフォーマンスを求めるクライアントに重宝されています。また、フルファネルソリューションというサービスを活用し、通期で広告商品の訴求を可能にする取り組みも始めました。今後は各メディアでもログイン機能を導入し、カスタマージャーニーを細分化するなど、オリジナルの指標を作成して、データ活用における施策効果の可視化と最適化に挑戦していきたいです。

WWD:ビデオソリューションズは20年の発足から急成長している。要因は?

小林敬太マーケティング部 ビデオ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、小林):組織が発足した20年はちょうどコロナ禍で、ファッションにおいてもデジタル活用の動きが活発になり、クライアントとのライブ配信もすぐに取り組むことができました。SNSを軸に動画広告市場は年々活性化していて、動画制作とプランニングを行うデジタル領域の売上高も毎年2ケタ増の成長を遂げています。今年はすでに1000本を超える動画広告を制作しました。

WWD:最近特にニーズが高いのは?

小林:ショート動画が一番伸びており、あらゆるSNSに合わせたパターンを制作し、それぞれ異なる結果を分析することで、次のプランニングに生かしています。例えば、あるブランドのファッションチームの成功事例を同社のビューティチームが参考にすることで、同じ世界観を違う形で制作することも可能です。一方で、中長期的に提案するブランデッドムービーは、クリエイティブチームの創造性と作家性を強みに、出版社レベルを超えたクオリティーだと大変好評です。ブランドスータビリティ(広告とコンテンツの適合性)を意識することで、メディアの編集コンテンツ力との相乗効果となり、好感度がどれだけ増したかのブランドリフト調査にも大きく影響しています。

新たなチャレンジを蓄積し
財産に変えていく

WWD:組織として、他社にはない“ナンバーワン”の強みは?

小林:編集者の感性と、データが融合できる点です。編集者が思うトレンドなど、ユーザーのインサイトの目利きが制作側の“感性”にあたります。新たに取り組む場合は彼らのアイデアを基にチャレンジし、オリジナルの数値として可視化させます。そうした編集制作のさまざまな試みが徐々に蓄積し、ブランドとの継続的な関係性にも奏功しています。

WWD:デジタルの売上成長についてはどう分析している?

前西:前年比で20%伸びており、タイアップ案件の約4分の1はデータ活用したものになっています。もともとメディアブランドとして、ブランディングや広告の観点でのクリエイティブの高さをクライアントから評価いただいていました。そのユーザーのデータを活用することで特定のニーズにもアプローチでき、戦略的な広告を打ち出すことができています。

WWD:新たな領域を見いだす富裕層マーケティング活動「ビジネス トゥ ラグジュアリー(B2L)」とは何か。

山口:当社のメディアに存在する、感度の高い富裕層の女性に特化した消費動向のレポートです。男性の例はありますが、女性に特化したデータ保有は企業としては非常に珍しいと自負しています。リサーチから戦略策定まで提供するマーケティングサービスは、私たちのユニークな部分であり、強みとしているところ。「B2L」の調査レポート平均回答ユーザー数は3000人で、そこから女性の“消費スイッチ”が発動するポイントを分析することで、より精度の高い提案が可能となります。

WWD:今後の計画は。

山口:まずは、今後も当社メディアのユーザーインサイトをあらゆるデータから可視化すること、その精度を上げ続ける事が重要と考えます。そのデータを基に根拠ある提案と分析をクライアント企業に提供しプレミアムマーケティング領域のパートナーとなることを目指します。組織としての役割は増えますがチームをただ拡大するのではなく、既存メンバーから市場価値の高いマーケターを育てていく人材育成にも注力していきます。

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

問い合わせ先
ハースト婦人画報社 広報
corporatepr@hearst.co.jp

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【ハースト婦人画報社 ハースト メディア ソリューションズ】新規事業を創出する“感性×データ”の強力な掛け合わせ

ハースト婦人画報社は、1996年の「エル・オンライン(ELLE ONLINE)」立ち上げなど、出版社としていち早くデジタルに参入した。現在は、16メディアと3つのeコマースを運営し、そのCRM(顧客関係管理)やビッグデータは同社の大きな財産だ。それらを新事業へとつなげるのが、2020年に発足したハースト メディア ソリューションズである。組織にはビデオ制作の機能もあり、クライアントに対し最適解を導き出す体制を整えている。

WWD:「エル」のデジタル参入は、紙媒体が主流だった当時のファッションメディアにおいて先進的な取り組みだった。

山口大介・本部長(以下、山口):「エル」というメディアを軸に、情報発信をしながら、ファッションからフード、インテリアまで360度の生活の中で「エル」を感じてほしいと立ち上げました。さらに、eコマースやイベントでも多角的にユーザーを増やして得た情報が、私たちが大切にしているデータです。当社は定期購読のプロモーションも積極的に行ってきたので、メディアの価値を丁寧に伝えてきたことも多くのユーザー獲得につながった一因です。11年には「婦人画報のお取り寄せ」、21年には「ウィメンズヘルスショップ(Women's Health SHOP)」のeコマースも始め、自社で保有するデータは現在115万IDに達しています。

WWD:そのデータを生かす、データソリューションズの役割とは。

前西克哉マーケティング部 データ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、前西):データを使った、マーケティング課題解決のための専門部隊です。当社の強みである具体的なユーザーデータを年齢や職業などのデモグラフィックから、ライフスタイルなどを分析したサイコグラフィックまで可視化し、クライアントニーズに応えます。富裕層のデータを、ラグジュアリーブランドのターゲティングや、事前調査などに役立てるケースも増えています。例えば、購買データはパフォーマンスを求めるクライアントに重宝されています。また、フルファネルソリューションというサービスを活用し、通期で広告商品の訴求を可能にする取り組みも始めました。今後は各メディアでもログイン機能を導入し、カスタマージャーニーを細分化するなど、オリジナルの指標を作成して、データ活用における施策効果の可視化と最適化に挑戦していきたいです。

WWD:ビデオソリューションズは20年の発足から急成長している。要因は?

小林敬太マーケティング部 ビデオ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、小林):組織が発足した20年はちょうどコロナ禍で、ファッションにおいてもデジタル活用の動きが活発になり、クライアントとのライブ配信もすぐに取り組むことができました。SNSを軸に動画広告市場は年々活性化していて、動画制作とプランニングを行うデジタル領域の売上高も毎年2ケタ増の成長を遂げています。今年はすでに1000本を超える動画広告を制作しました。

WWD:最近特にニーズが高いのは?

小林:ショート動画が一番伸びており、あらゆるSNSに合わせたパターンを制作し、それぞれ異なる結果を分析することで、次のプランニングに生かしています。例えば、あるブランドのファッションチームの成功事例を同社のビューティチームが参考にすることで、同じ世界観を違う形で制作することも可能です。一方で、中長期的に提案するブランデッドムービーは、クリエイティブチームの創造性と作家性を強みに、出版社レベルを超えたクオリティーだと大変好評です。ブランドスータビリティ(広告とコンテンツの適合性)を意識することで、メディアの編集コンテンツ力との相乗効果となり、好感度がどれだけ増したかのブランドリフト調査にも大きく影響しています。

新たなチャレンジを蓄積し
財産に変えていく

WWD:組織として、他社にはない“ナンバーワン”の強みは?

小林:編集者の感性と、データが融合できる点です。編集者が思うトレンドなど、ユーザーのインサイトの目利きが制作側の“感性”にあたります。新たに取り組む場合は彼らのアイデアを基にチャレンジし、オリジナルの数値として可視化させます。そうした編集制作のさまざまな試みが徐々に蓄積し、ブランドとの継続的な関係性にも奏功しています。

WWD:デジタルの売上成長についてはどう分析している?

前西:前年比で20%伸びており、タイアップ案件の約4分の1はデータ活用したものになっています。もともとメディアブランドとして、ブランディングや広告の観点でのクリエイティブの高さをクライアントから評価いただいていました。そのユーザーのデータを活用することで特定のニーズにもアプローチでき、戦略的な広告を打ち出すことができています。

WWD:新たな領域を見いだす富裕層マーケティング活動「ビジネス トゥ ラグジュアリー(B2L)」とは何か。

山口:当社のメディアに存在する、感度の高い富裕層の女性に特化した消費動向のレポートです。男性の例はありますが、女性に特化したデータ保有は企業としては非常に珍しいと自負しています。リサーチから戦略策定まで提供するマーケティングサービスは、私たちのユニークな部分であり、強みとしているところ。「B2L」の調査レポート平均回答ユーザー数は3000人で、そこから女性の“消費スイッチ”が発動するポイントを分析することで、より精度の高い提案が可能となります。

WWD:今後の計画は。

山口:まずは、今後も当社メディアのユーザーインサイトをあらゆるデータから可視化すること、その精度を上げ続ける事が重要と考えます。そのデータを基に根拠ある提案と分析をクライアント企業に提供しプレミアムマーケティング領域のパートナーとなることを目指します。組織としての役割は増えますがチームをただ拡大するのではなく、既存メンバーから市場価値の高いマーケターを育てていく人材育成にも注力していきます。

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

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【ハースト婦人画報社「エスクァイア」】ジャーナリズムの視点を加え刷新、年4回発行と動画強化

ハースト婦人画報社はメンズメディアの体制を刷新し、「エスクァイア(Esquire)」日本版の編集長は、佐藤俊紀「エスクァイア」「メンズクラブ(MEN'S CLUB)」「モダンリビング(MODERN LIVING)」グループ編集局長が兼任する。これに伴い、「エスクァイア・ザ・ビッグ・ブラック・ブック(Esquire The Big Black Book以下、BBB)」を終了し、「メンズクラブ」は不定期刊行に、「エスクァイア」は来年2月にリニューアル号を発行する。佐藤俊紀編集長は、新生「エスクァイア」のかじをどう切っていくのだろうか。

WWD:「エスクァイア」のリニューアルについて教えてほしい。

佐藤俊紀・編集長(以下、佐藤):「エスクァイア」はこれまで2018年にローンチしたデジタルメディア「エスクァイア・デジタル」を主軸に、年2回発行の雑誌「BBB」と連動しながら、コンテンツ作りをしていましたが、来年からはブランドとして一本化し、年4回発行、200ページ超えの定期誌とデジタルメディアにそれぞれ注力していきます。コアターゲットは35~45歳の探求心と好奇心旺盛な新富裕層。“Focusing on all creativity with a journalistic eye(創造の物語を、ジャーナリスティックな目線で)”をテーマに、21の国と地域で展開する「エスクァイア」のネットワークを用い、ファッションやライフスタイル、ジャーナリズムに焦点を当てたコンテンツを提供します。

WWD:リニューアルの目的とメンズメディア編成の背景にあったこととは。

佐藤:23年に、「BBB」の総編集長に十河ひろ美、編集長に柳川啓子「リシェス(Richesse)」副編集長、ファッション ディレクターに西川昌宏「メンズクラブ」編集長が就き、当社が得意とするファッションラグジュアリーの経験と知見を「エスクァイア」のフィルターで発信してきました。結果、新規ユーザーの獲得につながり、当社のラグジュアリーメディアのポートフォリオの一つとして「エスクァイア」の新たな形を見いだすことができました。

WWD:「エスクァイア」と同じくメンズメディアの一つである「メンズクラブ」が不定期刊行になる。

佐藤:10年後にも「メンズクラブ」の価値を残すために、コンテンツの魅力を凝縮した新しい形で提供することになりました。「メンズクラブ」が得意としてきた紳士服の豊富で確かな知識を「エスクァイア」でも発揮できると期待しています。

「なぜこの記事が必要か」
選定の精度を磨いていく

WWD:「エスクァイア」のコンテンツについて、具体的な方向性は。

佐藤:「エスクァイア」というブランドをシンプルでシームレスな体制にし、「BBB」のハイエンドで専門性の高い世界観を踏襲することで、カテゴリーの幅を広げられると考えています。例えば、海外のルポタージュ記事。イタリア版の巨大コンテナ船に潜入した記事では、わずかな乗組員のみで切り盛りされる知られざる運行事情のみならず、温暖化により北極海の氷が溶け出すことでもたらされる物流への影響など、環境問題に触れています。こうした世界で実際に起こっている物事の背景や裏側を書いたリアルな記事は、「エスクァイア」というブランドにおいて新境地になり得ると考えていますし、「エスクァイア」世代である新富裕層の関心も得られるでしょう。デジタルでは、海外版の多様な視点をより幅広く取り入れていく予定です。信頼性のある記事はラグジュアリーマーケティングを強化する上で必要不可欠だと考えています。

WWD:記事の信頼性や精度を高めるために力を入れることはあるか。

佐藤:なぜこの記事を取り上げるのか、なぜ必要かといった議論を大切にしたいと考えています。事実確認や法律の視点においてもどこよりも丁寧に取り組んでいくつもりですし、グリーンウォッシュ社内研修などを通じてナレッジのアップデートにも力を入れています。

WWD:デジタルで注力する点は?

佐藤:グローバル視点の記事の質に加え、撮り下ろしビジュアルのクオリティーやSNSでの動画表現を強化します。動画においては、当社が注力するデータ分析とデジタルマーケティングを駆使し、クリエイティブ制作を積極的に行います。

WWD:「エスクァイア」は1933年にアメリカで誕生した歴史の長いメディアだが、日本上陸から11年。その概念など変わった点はあるか。

佐藤:実は変わっていません。リニューアルに合わせ、本国ディレクターらとも何度も話し合いを重ねてきましたが、“Man at His Best(最高の自分になる)” というコンセプト、そして、情報過多のSNS時代においても物事の本質を分かっていて、自分に合ったスタイルや考えを根幹に持っている層にアプローチしていくという考えはグローバルで一貫しています。そうした男性像を持つ若い世代にも寄り添えるメディアでもありたいと考えています。

WWD:これまでの経験から自身のどんな強みを生かせられると思うか。

佐藤:振り返れば、自動車専門誌にカルチャー&ライフスタイル誌、ウィメンズのモード誌といった一通りのジャンルのメディアを経験してきました。海外向けメディアのプロデュースやコンテンツの発掘など、海外から日本のコンテンツがどう見られているかなど、さまざまな視点で企画や編集を考えてきました。「エスクァイア」で生かせる知見も多いと考えています。

WWD:新生「エスクァイア」の収益モデルをどう設計するか。

佐藤:基本的にはメディアとして、読者を増やして、広告の収益化を図りますが、「エスクァイア」の新たな世界観のもと、将来的には親和性の高い小規模のコミュニティー向けイベントの実施などを構想しています。さらには、「エスクァイア」読者とクライアントのお客さまという、同じ共通項を持つ方々との第3のコラボレーションも実現したい。そのために、メンバーシップの構築や読者との接点作りは積極的に行っていこうと思っています。

WWD:今後の展望は?

佐藤:1年目はまず下地を整え、3年後にはより信頼性のある情報基盤として力をつけ、日本の男性が常に触れておきたいと思えるメディアとして確立したいです。


「エスクァイア」(ハースト婦人画報社) DATA
【MAGAZINE】創刊:2013年 発行部数:5万部
【WEB】月間UU:300万 月間総PV:非公表
【SNS】X:2万 IG:4万1000 FB:6万4000 LINE:21万 YT:7100

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

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ハースト婦人画報社 広報
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【小学館「プレシャス」】真のエレガンスを追い続ける唯一無二のラグジュアリー誌に

小学館初のラグジュアリー誌として誕生した「プレシャス(PRECIOUS)」が今年4月号で創刊20周年を迎えた。同誌はその名前を意味する「貴重な」「高価な」「尊敬すべき」に通ずるエレガンス、そしてラグジュアリーの本質を創刊から問うてきた。「エレガンスとはなんですか」 ―その探求心は、細部に宿る美にこだわりながら、誌面において美しく贅沢に表現されている。池永裕子新編集長に、同誌の揺るがない指針について聞く。

WWD:2025年1月号から率いる「プレシャス」の方向性は?

池永裕子編集長(以下、池永):根本的には大きく変えるつもりはありません。今もなお第一線で活躍されている方々を含め、フォトグラファーやエディトリアルデザイナー、スタイリスト、ヘアメイク、ライターら創刊メンバーも多く携わっていて、20年間打ち出している“エレガンス”と“ラグジュアリー”を探求する根幹は継続していきます。

WWD:「プレシャス」の根幹について改めて教えてほしい。

池永:情報過多の時代において、自分にとってのラグジュアリーとは何か、その本質とは何かを見極められる審美眼、そして内面も外面も輝いていたいと思う人の気持ちは創刊から大事にしています。トレンドは最優先にはしていません。かといって、必要じゃないということではなく、自分を潤してくれるものを求める読者にとって最終的に役立つものを厳選しています。

WWD:読者に役立つ、そして生き方につながるラグジュアリーな提案とは。

池永:例えば、上質なカシミヤのブランケットを紹介するために、森林に囲まれた別荘にある、暖炉とソファーを置いた温かな部屋の中心にブランケットをさりげなく置く。そうすることで、豊かな週末を思い描くことができます。なぜこのアイテムがここにあるのか、なぜこの人がここにいるのかという違和感のある写真にならないように、絵コンテからシーンを考え、単にモノにフォーカスするということではなく、ライフスタイルに寄り添った提案を心掛けています。

WWD:強みとしてきた“本質”の提案は、今のラグジュアリーブランドが打ち出していることに近いのでは?

池永:そうですね。“シンプル・ラグジュアリー”を以前から提案してきた雑誌なので、インティメートになってきたなという感覚はあります。アイテムの素晴らしさを伝えるために、サヴォアフェールのストーリーや上質な素材のテクスチャーだけでなく、実用性を伝えるスペックもしっかり説明するよう徹底しています。今やコスメも成分買いが主流ですが、ラグジュアリーアイテムを熟知する「プレシャス」読者もそうしたモノ作りの背景やエビデンスを大切にしています。どういう思いや経緯で生まれたアイテムなのか、そこにロマンを感じられるんですよね。

本質を知るため触れて理解する  
デジタル以前の編集の基本を徹底

WWD:変わりゆく時代の中、“変わらないもの”を続けることのやりづらさはないか。

池永:ていねいな交渉は必要です。名品を集めた人気の特集では、私たちが考える、受け継がれてきた絶対的人気の“永遠の名品”を紹介しています。必ずしも、店頭に並ぶ最新商品ではないため、その場合は編集部から、なぜこのアイテムが必要かをきちんと説明するようにしています。本誌のためにお力を貸してくださるPRのみなさまには、心より感謝申し上げます。

WWD:紙媒体としてのこだわりや、公式サイト「Precious.jp」との差別化は?

池永:紙の魅力はやはり写真だと思うのです。モデルやアイテムと、背景の余白をどう使うことで美しいビジュアルが作れるか、細かくこだわっています。なので、ロケハンにもよく行きますし、先方からアイテム画像だけを提供いただくことは極力避けています。“本質”を探求する上で、アイテムは必ず手に取り、重さや素材の風合いを理解します。そこから、フォトグラファーとどんなライティングにすれば、起毛した素材やダイヤモンドのきらめきを伝えられるドラマティックな撮影ができるか考えていきます。アイテムは必ず全方位見ること。デジタルがない時代の編集の基本ですよね。一方で、「Precious.jp」はラグジュアリー体験の入り口のような場所。紙は色校正を2回出す早めの進行スケジュールのため、キャッチーな情報を取りこぼしてしまうことがあるので、そこを補完する役割も担っています。

WWD:24年4月号から頻繁に発行している別冊付録は、本誌とは異なる、より身近なライフスタイルの視点、そしてクオリティーの高さが多くの反響を呼んでいる。

池永:「プレシャス」は当初から現物の付録文化のある媒体モデルではなかったので、単行本を作る気持ちで制作しています。世界各地のアマン、オープンしたばかりの麻布台ヒルズを丸々一冊紹介する編集企画もありますが、読者のライフスタイルの延長線にあるシーンやアイテムを、本誌とは違う切り口で考えています。トライアルで企画することも多く、たとえ1ブランドフォーカスでも媒体として今必要であると思えば、ブランド協力を得て編集企画として制作することもあります。付録の良さは長く読んでもらえること。ありがたいことに発行から数カ月〜数年後に問い合わせを頂くことがあるほど、継続的な反響もあり、売り上げに寄与していると実感しています。

WWD:今後の展望は?

池永:さらに20年後にもバトンをつなげたいという思いで取り組んでいます。創刊号で紹介したアイテムを、最新号でもう一度名品として紹介しているのも「プレシャス」という媒体だからこそ。やはり、持続していくことは、すごく難しい。私たちは未来にしか歩いていけないので、その未来を照らしてくれるものを常に提案していきたいです。いいものをきちんと見極めて、ちゃんと更新していきたい、ライフステージに合ったものを身につけていたいと思う人たちと常に対話をしながら誌面を作っているので、媒体を大きくし、もっと有名にするために違う方向性を考えるということはしていません。流動的な時代の中で、変化し続けるラグジュアリーの定義を自分自身に常に問いかけながら、真のエレガンスを探求していきたいです。


「プレシャス」(小学館) DATA
【MAGAZINE】創刊:2004年4月 発行部数:3万9000部
【WEB】月間UU:359万 月間PV:564万
【SNS】X:1万 IG:24万 LINE:84万 YT:7900

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA
問い合わせ先
小学館
03-3230-5350

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【マガジンハウス「ギンザ」】“知的好奇心をくすぐる毒っ気”を継承する新体制の強み

矢部光樹子編集長が率いる新体制の「ギンザ(GINZA)」が、2024年10月発売号からスタートした。同誌は1997年の創刊以降、東京らしい視点でビューティやさまざまなカルチャーを新しいかたちで融合してきた。歴代編集長が作り上げてきた「ギンザ」の個性を引き継いだ矢部編集長は、「ギンザ」の強みをどう捉え、メディアとして進化させていくのか。誌面と連動させる仕掛けや、今後強化してくこと、目標について聞いた。

WWD:新体制の「ギンザ」をどのように率いていきたい?

矢部光樹子編集長(以下、矢部):まず、「ギンザ」がこれまでに作り上げてきたファッションとカルチャーを融合させたメディアとしての形は、引き継いでいきたいです。「ギンザ」は読者の中で「こういうテイストの雑誌」というイメージが確立している媒体です。大きな影響力を持つ媒体の強みは継承しつつ、どんなカラーで仕上げていくかを今後実践していくつもりなので、現状では大幅なリニューアルは考えていません。誌面のアートディレクターも変更せずにスタートしました。

WWD:特にこだわっていきたい点は?

矢部:洋服の見せ方です。まずは誌面巻頭のファッションビジュアルで、二次元バーコードとウェブを連動させました。ウェブでは洋服の物撮りを見ることができ、洋服のフォームからディテールまで情報がしっかり届くようにしました。「ギンザ」読者は洋服をしっかり見極めたいと思うほどファッション感度が高いため、満足度をさらに上げていくことが目的です。また、そうすることで誌面でさらに世界観重視の思い切ったチャレンジができるようになると思っています。また、その号を象徴するビジュアルページからスタートするといった新たな構成にも挑戦しています。

WWD:前任の編集長から引き継いだことは?

矢部:マガジンハウス入社以降、編集者として「ギンザ」に携わることも、編集長という役割も初めてなので、前任の芦谷富美子には基本的な編集長業務から心構えについてなど質問攻めの毎日でした。同時に、マガジンハウス入社1年目に受けた研修で「見慣れたはずのものであっても、どこに光を当てるかで見え方が全然変わる。それが編集だよ」と言われた言葉に改めて思いを馳せています。新鮮な情報や人選を常に追いながらも、視点を変えることで新しい面を引き出していきたいです。

WWD:編集長として「ギンザ」のナンバーワンをどう捉えているのか。

矢部:“情報に対する高い感度”と“ビジュアルの強さ”、そして“人選”です。それらが「ギンザ」らしさにつながり、クライアントからもアウトプットを任せていただける要因の一つなのだと自負しています。「ギンザ」らしさをひと言で表すなら、“知的好奇心をくすぐる毒っ気”。身の回りにあるハッピーなものを取り扱いながら、必ずどこかに仕掛けがあります。

WWD:「ギンザ」らしい人選はビジネスと相互作用していそうだ。

矢部:人選への期待は多方面からも当然大きいですし、実際にクライアントから喜んでいただけるケースも多いです。それも“ギンザはこういうもの”という像が脈々と受け継がれ、広く認知されているから成立することだと思います。

「これがギンザ」―
雑誌を面白くする強い結束力

WWD:初号の特集“モードなドラマたち”にはどのような思いを込めたのか。

矢部:読むことで前向きな気持ちになり、綴った言葉から気付きが得られる媒体でありたい。そんな思いから、ファッションと一見関連性のない“ドラマ”という切り口に至りました。中面はファッションページをはじめ、ドラマ衣装に関わるスタイリストの話やクリエイターインタビューなどの読み物企画。ファッションページは映像作品としてのドラマを切り口にしたページもあれば、“ドラマチック”という言葉を切り口にしたページもあり、広い解釈で捉えています。

WWD:「ギンザ」はファッションページ以外に特集内のコラムや連載ページなど読み物企画も充実している印象だ。

矢部:私自身、これまで培ったことを最も生かせるのが読み物企画なのかもしれません。編集者として見聞きした有益な情報を届けることが一番のモチベーションで、世の中にある多くの情報から何をピックし、プリントメディアという限られたページ枠でいかに面白く収めるかを考え続けてきたことで鍛えられた面はあります。何より、編集部員たちと外部スタッフ一人一人が本当にプロフェッショナル。今、「ギンザ」チームは比較的若い世代が中心になりつつあります。実際に読者として「ギンザ」を楽しんできたからこそ「こんな企画がやりたい」という思いを形にしてくれるので、心強いです。

WWD:矢部編集長はK-POPカルチャーに強いと聞いた。

矢部:一例ですが、かなり早くからBTSを「アンアン(anan)」で継続的に記事にしていました。22年に彼らを特集した号は、重販分も完売になるほど好評でした。K-POPに限らず、ポップカルチャーは関心がもともと強い部分です。これまでの「ギンザ」のカルチャー感にミックスしながらまた新しい層を築いていければと考えています。オルタナティブな存在を大切にする「ギンザ」に、フレッシュさも常に取り入れ続けたいです。

WWD:今後の展望は?

矢部:ビューティも強化したいと考えています。近年はインスタグラムを見て興味を持ち、そこから読者になってくださるケースが増えているので、面白くて役に立つSNSコンテンツは充実させる必要があります。ウェブは昨年リニューアルしたばかりなので、ここからどうアプローチしていくかを組み立てていく段階ですが、連載企画が特に人気です。綾瀬はるかさんや森星さんら、著名な方がほかでは読めない文章をつづってくださっています。また、ウェブからムック化した連載企画もあります。デジタルで大事なのは、熱心なファンが定期的にチェックしに来てくれる、面白い記事が届けられているかどうか。本誌同様これからも力を入れていく予定です。


「ギンザ」(マガジンハウス) DATA
【MAGAZINE】創刊:1997年3月 発行部数:4万5833部 印刷証明付き
【WEB】月間UU:111万8500 月間総PV:882万6900
【SNS】X:26万9900 IG:40万8000 LINE:33万9200 YT:1万1600 TikTok:7800

TEXT : KEISUKE HONDA
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

問い合わせ先
マガジンハウス
gn_websales@magazine.co.jp

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音楽家・渋谷慶一郎と香水ブランド「ラニュイ パルファン」、アーティスト・和泉侃がつくる“音楽×香り”の一夜 ピアノソロコンサート「Living Room」が提示する可能性

今年6月に、アンドロイドとオーケストラ、仏教音楽・声明が交錯する前代未聞のオペラ作品「MIRROR」(初演:2022年・ドバイ)の凱旋公演を成功させた音楽家・渋谷慶一郎。そんな渋谷のピアノソロコンサートが12月19日に東京・紀尾井ホールで開催される。

「Keiichiro Shibuya Playing Piano−Living Room」と題された今回の公演は、"架空のリビングルーム”をテーマに、ステージには建築家・妹島和世がデザイン・制作してきた家具や、同氏が所有するルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、以下、ミース)やル・コルビュジェ(Le Corbusier、以下、コルビジェ)の家具が配置された「リビングルーム」のような空間を再現。気鋭のバイオリニスト・石上真由子をゲストに迎え、渋谷の楽曲の他、エリック・サティ(Erik Satie)やアルヴォ・ペルト(Arvo Part)、高橋悠治らの楽曲を演奏する。

特筆すべきは、「香り」とのコラボレーション。会場は香水ブランド「ラニュイ パルファン(LA NUIT PARFUM)」とアーティスト・和泉侃(いずみ かん)が、渋谷のアルバム「for maria」を着想源として制作した香りで満たされることになる。この他に類を見ないコンサートは、いかにして実現に至ったのか。制作背景や狙い、その可能性について、渋谷と和泉、「ラニュイ パルファン」代表・海老原光宏の3人に話を聞いた。

「架空のリビングルーム」をコンセプトとした理由

——まず、渋谷さんが「架空のリビングルーム」というコンセプトのもとにピアノソロコンサートを開催しようと思った経緯についてお聞かせください。

渋谷慶一郎(以下、渋谷):6月に凱旋公演を行ったアンドロイド・オペラは、規模が大きく未来的で、観客に「手元から離れたものを見ている」ような感覚を与えるパフォーマンスでした。続けて12月にピアノソロコンサートを開催するにあたり、アンドロイド・オペラとは全く異なるものにしたいと考え構想を練っていた時に、「リビングルーム」というコンセプトが思い浮かびました。

——「リビングルーム」という言葉・イメージにはリファレンスがあるのでしょうか?

渋谷:「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」のコレクションの舞台裏に迫った写真集も出しているニック・ワプリントン(Nick Waplington)というフォトグラファーの写真集を集めていたことがありました。彼の一番有名な写真集のタイトルが、確か「リビングルーム」と近いニュアンスの言葉だったんです。

海老原光宏(以下、海老原):ニック・ワプリントンは、「Living Room」という写真集を出してますね。

渋谷:あ、完全に一緒でしたか。何かがおぼろげに分かっている時や、モチーフになりそうなイメージやキーワードが思い浮かんだりしている時は、オリジナルソースを遡らないようにしているんです。 今回の話でも、実際にニック・ワプリントンの写真集を見返してしまうと、アイデアがそのイメージに収斂し、独自の創作への発展が難しくなってしまうので。

話を戻すと、ニック・ワプリントンの「Living Room」という写真集のイメージが頭にありつつ、家具が配置されたどこか不気味なリビングルームをステージ上に再現し、そこで僕が演奏しているのを観客が見ているみたいなパフォーマンスが実現できたら、新しいコンサート体験を提示できるのでは、と考えました。

ステージ演出を具体化するにあたって妹島和世さんに相談し、その結果、妹島さんが制作されてきたインテリアと、所有するミースやコルビュジェらによるインテリアをミックスしてコンポジションすることになりました。

「ラニュイ パルファン」、和泉とのコラボレーションが生まれた経緯

——海老原さんとのご関係についても教えてください。

渋谷:海老原さんとやり取りをするようになったのは、3年ぐらい前。今回のピアノソロの会場でもある紀尾井ホールで開催された田中彩子さんのコンサートで、編集者の太田睦子さんに紹介してもらったんです。その時から「いつか一緒に何かできたらいいですね」って話はずっとしていて、今回ようやく実現することができました。

——海老原さんは渋谷さんのご活動をどのようにご覧になっていましたか?

海老原:今に続く間柄になったのは渋谷さんがお話しされていたタイミングなんですけど、実は、渋谷さんがボーカロイドオペラ「THE END」 をBunkamuraオーチャードホールで上演された2013年に、編集者として取材させてもらったことがありました。渋谷さんは東京藝術大学ご出身でオーセンティックな音楽の基盤を持ちながら、現代の新しい音楽を切り開くという稀有なご活動をされているので「ラニュイ パルファン」を立ち上げた頃から、機会があればご一緒したいと思っていました。

——そもそも「ラニュイ パルファン」はなぜクラシック音楽に根ざした香水をつくっているのでしょうか?

海老原:私はクラシック音楽が大好きで、趣味でピアノを弾きます。その趣味が高じて、コロナ禍に少し時間の余裕ができたタイミングで編集業の傍ら「ラニュイ パルファン」を立ち上げました。背景には「クラシック音楽があまり聴かれていないのはなぜか?」という問題意識があります。

クラシック音楽は決して難しいものではないにも関わらず、魅力が多くの人に伝わらないのは、クラシック音楽がライフスタイルと繋がっていないからだと考えたんです。よって、クラシック音楽を日常的に使うプロダクトに落とし込むことができれば、より多くの人にリーチできると思い、検討とリサーチを重ね、香水でクラシック音楽を表現するプロジェクトを始めることにしたんです。最初にリリースした香水はモーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)のピアノ曲をモチーフとした「夜のガスパール」。調香は今回のプロジェクトにも参加している(和泉)侃さんに担当してもらいました。

音楽から香りをつくり出すプロセス・方法論

——和泉さんは今回のプロジェクトで渋谷さんの楽曲「for maria」をモチーフとした香りを制作されたと伺っていますが、調香のプロセスについて教えていただけますか?

和泉侃(以下、和泉):制作に入る前に、渋谷さんがフランスから帰国されているタイミングでお会いする機会があって、その際に、亡くなられたマリア(maria)さんのことや、アルバム制作時に精神安定剤を服用されていて「凪」のような精神状態だったこと、この作品を契機に先進的な電子音楽だけではなくアコースティックな作品も発表するようになったことなど、「for maria」という作品にまつわるさまざまなことを教えてもらいました。

作品や作者にシンクロというか憑依するように制作するのが僕の基本的なスタイル。渋谷さんからのお話を受け止め、「for maria」を何度も繰り返し聴きながら、頭の中に浮かんでくる映像を香りに変換するイメージで、まずは3パターンのサンプルを制作しました。

渋谷:僕の方ではパリに送ってくれたサンプルを実際につけて生活してみて、そこで感じたことや、自分なりの意見を和泉さんにお伝えしました。その時、和泉さんが「作者が生きているのが嬉しい」と言っていたのが印象的でした。

和泉:僕が「ラニュイ パルファン」で携わるプロジェクトでは、前出のラヴェルやヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)など故人に関連するものが多く、今回のように作者である渋谷さんとコミュニケーションしながら制作できること自体がとても貴重で、嬉しい経験です。

——打ち合わせを経て、どのように香りをアップデートしていきましたか?

和泉:振り返ってみて、最初に制作した3つのサンプルは、1曲を解釈し過ぎた結果、曲とあまりにも調和し過ぎてしまい、既に自体で完成している「for maria」に対して蛇足になっていたと反省しました。そこで、「for maria」というアルバム全体から捉え直し、そこから得たインスピレーションで何を表現したいかを考え、香りに落とし込むことにしました。

また、最初のサンプル制作の段階では、自分自身の表現をどこまで前面に出すべきか迷いがありました。お二人との打ち合わせを経て、渋谷さんの「for maria」という問いかけに対して、自分の感情や解釈をもっと自由にぶつけてもいいんだと後押ししてもらった感覚があります。

——和泉さんが「for maria」に対して表現したいものとは?

和泉:生命のサイクル、でしょうか。芽吹いて伸びていくけれど、最終的には枯れ果てていく——。そんな生命の在りようを、ボタニカルでフレッシュなトップノートからだんだん緑を深めていきながらも、焦げたような匂いのラストノートへ変化していくような香りで表現できればと、新たなサンプルを制作しました。その背景には、命は尊く愛しいものであるという主観的な感情と、生まれたものが別け隔てなく死んでいくという自然の摂理という二極が相殺しあい、「凪」のような静寂をつくりだしているようなイメージもあります。

——お話を聞き、今回のプロジェクトがアーティスト同士のコラボレーションであることがよくわかりました。

渋谷:そうですね。和泉さんがアーティストだから今回のプロジェクトを一緒にやれています。もっと業務的な調香師の方だったら難しかったと思います。当たり前ですけど、僕は香水のビジネスをやりたいわけじゃなくて、一緒に新しいものや体験を作りたいだけなんです。

あと、和泉さんと話していて面白かったのは、昔、新品のマックブックを箱から開いた時の匂いを再現してみたことがあるということですね。

和泉:マックブックを箱から出して最初に開いた時って、独特の匂いがします。素材であるアルミ自体とアルマイト加工された表面の匂い、そして紙とインクの匂いが入り混じった近未来的な匂いで。もう10年前ぐらいの処方ですが、渋谷さんに合いそうだなと思い、久しぶりに持ち出してきて見返してみたんです。

渋谷:最終的にグリーンでオーガニックな方向性にたどり着くにしても、最初の段階でそういう人工的で未来的な香りが存在していたのは、「for maria」という作品の背景や僕のキャリアにもぴったり合っていて、とても興味深く感じました。

——渋谷さんと和泉さんという2人アーティストの間に立ちプロジェクトを実現させる上で、海老原さんが心掛けられていたことがあれば教えてください。

海老原:編集の仕事でもアーティストやフォトグラファー、スタイリストの方々と一緒に仕事をすることがあるじゃないですか。その時に私が何を大切にしているかといったら、スピード感以外になくて。「ラニュイ パルファン」のプロジェクトでも一緒で、納期をスケジュールに合わせるのが私の責任で、とにかく早く進行する以外に意識することは何もないですね。両者ともに卓越したアーティストで、お二人にやっていただけさえすればクオリティの高いアウトプットが生まれるのは間違いないので、そのためにスケジュールを整備して進行を徹底するだけです。あとは出てきたもののコストに見合った適正な値付けをするのが私の仕事ですね。

音楽と香りが共にあることで、何が生まれるのか

——音楽と香りの関係性や、両者のコラボレーションで生まれる可能性などについて、皆さんのお考えを聞かせていただけますか?

海老原:「ラニュイ パルファン」でも香水を発売しているアレクサンドル・スクリャービン(Alexander Scriabin)というロシアの作曲家は、共感覚を持ち、音から色が見えていたと言われています。晩年に構想していた未完作「神秘劇」では香りも取り入れ、聴覚・視覚・嗅覚が混然一体となった世界を実現しようとしていました。そんなスクリャービンを敬愛する自分にとって、今回、渋谷さんと侃さんと一緒に、音楽と香りが織りなす特別な体験を作り出せるのは、とても嬉しいことです。

あと、香りの最も魅力的な点は、その場に行かなければ体験できないという稀少性だと思っています。それは音についても同じこと。録音は可能ですけど、「生の音」はその場でしか聴くことができません。あらゆるものがデジタル化された現代において、直接的な体験こそが最も貴重で、そこに真にラグジュアリーな価値が宿っていると言えるのではないでしょうか。

和泉:匂いは情報です。動物は食べ物や敵味方、交配の時期などさまざまな情報を匂いから受け取っています。それは人間も同じで、古い家に足を踏み入れると、匂いからその家が過ごしてきた時間の蓄積を情報として受け取ることができる。そして、どんな空間にも音と匂いは存在しています。匂いの中に音という情報が含まれていると考えることもできますし、逆に、ある音や音楽が鳴っている空間に本来あるべき香りとはどんなものかと想像を巡らすこともできる。そういう意味で、匂いと音は切り離せないもの、欠けている要素を埋め合う相互補完的なものだと思っているんです。

また、コンディショニングという観点でも両者の親和性は高く、香りはより良い状態で音楽を聴くための手助けにもなります。昨年開催された「アンビエント キョウト(Ambient Kyoto)」で、僕は「聴覚のための香りのリサーチ」という展示のための香りの制作しました。聴覚を向上させる成分を研究し、会場の空間に適した香りに落とし込む試みです。音楽を聴く耳を研ぎ澄ませ、脳や身体のコンディションを最適化するという点でも、音と香りは非常に相性が良いと考えています。

渋谷:僕はコンサートでサウンドチェックをしている時、PAの方に「お客さんが楽器の中にいると感じられるような音響にしてほしい」とよく言うんです。お客さんが音に包まれているような空間をつくることには、まだまだ新しい可能性が残されていると考えています。

今回のピアノソロで香りを取り入れたのは、コンサートにおける新しい全方位的な体験を実現したかったから。聴覚だけの体験も、視覚と聴覚に訴えるオーディオ&ヴィジュアル体験もさまざま実施されていますが、嗅覚を使った音楽体験には、まだまだ開拓の余地がある。それに、オーディエンス側の体験だけではなく、演奏する自分にどういう効果が生じるのかということにも、興味があります。

前例のない体験をつくり出すために

——前例のない音楽体験を志向するという意味で、アンドロイドオペラでも今回のピアノソロでも、渋谷さんの姿勢は一貫していると感じます。

渋谷:僕は劇場で何かやるときは、新しい体験を創造することに注力しています。しかし、文化を受容する多くの人たちが、音楽や香りといった「消えていくもの」「所有できないもの」に対して十分な価値を認めていないと感じていて、そこに憤りを覚えることもあります。

今、現代アートが流行っていますが、所有・売買できるという資産的価値ありきの熱狂みたいなところがありますよね。これは日本だけじゃなく世界全体の話になりますが、文化的成熟度を測る上で「所有できないもの」の価値を認識できるのは重要で、今、人類が次の段階へ到達できるか否かが試されているとすら考えています。

——作品の受容の話で言うと、プレスリリースに寄せたコメントではエリック・サティにも触れていましたね。サティが観客に対して「自由に振る舞え」と言っても、結局みんな音楽を聴き入ってしまう。そういった状況をステージ側から壊したい、と。

渋谷:サティの「家具の音楽」についても、僕は思うところがあって。僕はオーディエンスと自分との関係をいかにフレキシブルにしていくかということに興味がありますが、 ほとんどの人は「自由にしていいよ」なんて言われても、自由どころか、もっと不自由になるだけです。

だけど、自由にやっている人を見るのは、みんな好きなんです。だから「リビングルーム」というコンセプトのもとに空間を構成しパフォーマンスを行うことで、コンサート体験の枠組みや演者とオーディエンスの関係性について、新しい枠組みや可能性を提示できるのではないかと考えました。

——具体的な演出や選曲についても教えていただけますか?

渋谷:家具が配置されたステージでは、ゲストのバイオリニストである石上真由子さんが、曲を弾き終えてもステージからはけずにソファに座って休んだり、次の曲を準備したりするなど、よりシアトリカルな演出を検討しています。

そんな環境でパフォーマンスする上で、どういう選曲がいいかと考えた結果、アルヴォ・ペルトや高橋悠治さんの曲も弾くことに決めました。ただ心地良いだけの音楽も、ただ不快なだけの音楽も、圧倒的に情報量が少ないんです。コンサート全体としてそのどちらでもないものにしようとする時に、人によっては僕の曲だけを弾いた方が喜ぶと思うのですが、彼らの曲も弾いた方が新しいバランスになると思いました。

——最後に、和泉さんと海老原さんからもコンサート込めた思いを聞かせてください。

和泉:コラボレーションって、すごく難しいと思うんです。ただの足し算で終わっているもの、つまり「僕はこれできます」「私はあれできます」という感じで、銘々が出してきたものをただ並べているようなものがたくさんある。そんな中で、意見のキャッチボールをしながら1つのものを本当の意味で一緒に作り上げていくっていうことを、今やっていて。

もちろん渋谷さんの音楽がメインではありますが、本当のコラボレーションをすると、ただの音楽でもただの香りでもなく、そのジャンル自体が変わるというか、作品の形態として別のものになるという感覚を、身をもって感じています。ぜひその新しい感覚を、1人でも多くの人に体験していただきたいです。

海老原:かつてベル・エポック期のパリでは、サティやココ・シャネル(Coco Chanel)、サルバドール・ダリ(Salvador Dali)といった芸術家が舞台作品を共同制作し、結集した創造力で新たな芸術を生み出しました。渋谷さんに妹島さん、石上さん、侃さんが協力し作り上げる今回のコンサートもまた、この上なく創造的で貴重な一夜となります。会場では「ラニュイ パルファン」の香水「for maria」の先行発売も予定していますので、特別な体験の記憶とともに香りを持ち帰っていただき、コンサートが終わった後の日々でも愉しんでいただけると嬉しいです。 

⚫︎インフォメーション
「Keiichiro Shibuya Playing Piano―Living Room」
日時:2024 年12 月19 日(木)開場18:20、開演19:00
会場:紀尾井ホール(〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町6-5)
前売料金:S 席 11,000 円、A 席7,700 円、B 席 5,500 円、C 席 3,300 円

⚫︎クレジット
ピアノ:渋谷慶一郎
ヴァイオリン:石上真由子
ステージデザイン:妹島和世
フレグランス:La Nuit parfum
セントデザイン:和泉侃

⚫︎プログラム
for maria ‒ 渋谷慶一郎
Midnight Swan ‒ 渋谷慶一郎
Scary Beauty ‒ 渋谷慶一郎
Painful ‒ 渋谷慶一郎
Gnossiennes ‒ Erik Satie
Fratres ‒ Arvo Pärt
Spiegel im Spiegel ‒ Arvo Pärt
Furniture Renku ‒ 高橋悠治 他
※曲目や演出は変更の可能性があります。

主催:アタック・トーキョー株式会社
協賛:株式会社 ポーラ、株式会社ソウワ・ディライト
協力:一般社団法人コミュニケーション・デザイン・センター
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[ 東京ライブ・ステージ応援助成]

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サステナビリティの事業実装に奮闘する 100年企業タカラベルモントの取り組み

タカラベルモント,takarabelmont

理美容室、エステ・ネイルサロンおよび歯科・医療クリニックの業務用設備機器や化粧品・空間デザインなどを手掛けるタカラベルモント。創業から100年以上の歴史を持つモノづくり企業である同社が、次の100年を視野にビジネスに実装しようと試行錯誤しているのがサステナビリティだ。23年には「人と地球の『らしさ』輝く社会をつくる。」をスローガンとし、「5つの領域と6つのマテリアリティ(重要課題)」などを含むサステナビリティポリシーを制定。社会課題と向き合うとともに、SDGsへの貢献を宣言した。

その上で標語だけで終わることなく、サステナビリティを事業へと落とし込むべく、「サステナビリティ推進プロジェクト」を発足。部署の垣根を超えてメンバーが集まり、25年発表予定の事業計画へと盛り込み、ビジネスへの実装を進める。同プロジェクトの2人のキーマンが、1年の活動を振り返り、タカラベルモントのサステナビリティへの向き合い方や未来像を語る。

一貫性のない活動に疑問符
サステナビリティに
企業としてどう向き合うか

WWD:「サステナビリティ推進プロジェクト」の立ち上げ背景を教えてください。

日野翔人 タカラベルモント 経営管理室(以下、日野):プロジェクトが立ち上がったのは、サステナビリティポリシーを定めた昨年の8月です。ポリシーを耳触りの良い言葉や雰囲気で終わらせるのではなく、企業活動の中で機能させてより具体的な活動へと落とし込むために、全社横断的なプロジェクトとしてスタートしました。

WWD:何らかの課題感があって動き始めた?

日野:プロジェクト発足以前の話ですが、そもそもポリシーがないことに問題意識を持っていました。当社は以前から、当たり前のように社会貢献や環境配慮などの活動に取り組んでいました。そういった活動を世の中のSDGsへの関心の高まりから、ホームページなどで開示するようになったときに、一貫性がなく取り組んでいる理由が不鮮明で疑問に感じることがありました。当てはまるからといって持続可能な開発目標に当てはめて発信しているのではウォッシュになりかねません。そうならないようにするためにはポリシーが不可欠です。その上でサステナビリティの重要度が増す中で、企業活動として利益を産みながら推進するべきと考えました。

中山健太郎 タカラベルモント 開発本部 インキュベーションラボ マネージャー(以下、中山):私もそんな現状に課題感を感じることが多く、日野によく相談していました。日頃は新規事業の開発に携わっていますが、企業がビジネス視点で取り組むサステナビリティと、一般の人が生活の中で取り組むサステナビリティは視点も意図も違います。世の中が目まぐるしく変わる中でこのままではビジネスチャンスを逃してしまうと危機感を感じていました。サステナビリティポリシーの設定は、企業としてかじを切るべきタイミングに実行できたと思います。

日野:近年は就活生にサステナビリティについてどのような取り組みを行っているのかを聞かれることも増えました。その答えや活動の方向性は経営層の間で共有されているべきだし、胸を張って取り組む意義や未来像を伝えていきたい。そのために僕が所属する経営管理室で、ポリシーの策定を行い、プロジェクトの立ち上げを交渉しました。

ポリシーを具体的に事業に落とし込むための
解像度アップと意識の共有

WWD:プロジェクト発足後にまず取り組んだことは?

中山:具体的な行動を起こすには、「地球環境にいいことをしましょう」「脱炭素に向けて取り組みましょう」では動けません。解像度を上げて、各事業部門へとブレイクダウンするために、6つのマテリアリティ(重要課題)を17のターゲットへと具体的に設定していきました。昨年8月から今年の3月までにおおよそをまとめました。

WWD:どのようなプロセスで、どういったターゲットが設定された?

中山:例えば水の領域を上げると、まずは社会から何を求められているかを調査し、世の中にあるガイドラインと照らし合わせて、具体的にどういった活動が必要なのかを理解します。その上で各事業部門でどのような取り組みができるのかを話し合いました。例えば機器や化粧品の製造において水の使用は欠かせません。しかし地球の立場から見つめてみると、当社のシャンプー機器での施術を通して理美容室で使われる水の量のほうがはるかに多く、対策した際の環境への貢献度が大きい点に着目して取り組みを進めることに。

WWD:プロジェクトを進める中では苦労も多かったのでは?

中山:推進するにあたり取捨選択は必ず必要で、優先的に取り組む領域に対して、決してもう一方がどうでもいいわけではないんです。そのあたりは難しいですよね。またわれわれの事業を通じてどのような社会を実現したいか、各部門の担当者には自分の言葉でビジョンを語ってもらいたいんです。しかし意見交換をする中で事業の課題はたくさん出てくるのですが、社会課題へと結びつけてもらうことがなかなかできなくて、何度も会話を重ねました。

日野:例えば理美容サロンで使う水の使用量を減らすことで、どのような社会につながるのか。グローバル視点で考えると当社はシャンプーも製造しているので、水を十分に使えない地域でも気持ちの良いシャンプーのサービスを受けることができて、美容文化が育っていったらうれしい。そんな夢を語ってほしいと考えています。一方で、新入社員の間でサステナビリティの研修を行うと、それぞれが感じている社会課題と、それを解決するタカラベルモントらしい事業のアイディアがたくさんでてきます。

中山:世代間でサステナビリティへの意識の差が大きいため、役員や各部門の担当者、中間管理職を集めてセミナーを行うこともプロジェクトの重要な取り組みでした。

ゴールを決めてプロジェクトを推進
過去最大級の社内イベントを開催

WWD:プロジェクトを通してどのような成果が得られた?

日野:特に大きな成果の一つは社内イベントで生まれた意識の高まりや共通認識の醸成です。全国からミドルマネジメント以上のポジションにつく社員を可能な限り大阪の拠点ティービースクエア オオサカに集めて、「タカラサステナビリティフェス 2024 -Change the Angle」を開催しました。全従業員向けたオンライン配信も含めると、全社員の3分の1にあたる520人ほどが参加。社内イベントとしては最大級の催しになりました。ミドルマネジメント層はとくに若手からのボトムアップを受けたとき、経営陣に連携し事業につなげる存在。そんな彼ら・彼女らがサステナビリティへの共通認識をもつことで、スムーズに事業が進むと考えました。

中山:小出しに意識改革やリテラシーアップを目指してもあまりうまく浸透しなかった過去の事例を鑑みて、インパクトとスピード感を重視し、大きなイベントで発信することに決めました。

日野:サステナビリティの活動は結果や成果の実感を得られるまでに時間がかかります。そこで、「サステナビリティ推進プロジェクト」ではプロジェクトのゴールを社内イベントに決め、その過程に細かな目標を設定することでメンバーのモチベーション維持に努めました。社内イベントまでに目指す状態、当日の目標などを決めて取り組めたことは、プロジェクトを進める上で大切だったと思います。

中山:イベント後にはサステナビリティを語る際に、ビジネスの中で取り扱う必要性を理解できたという意識変化の声が上がるようになってきました。一方で地域の活動やボランティアをすればサステナビリティにつながると考えていた人の中には悩み出した人がいるのも見受けられます。疑問が生まれていることはポジティブな成果だと考えています。サステナビリティを実現するためには、事業自体をサステナブルな方向へとシフトする必要があります。企業活動の中でビジネス視点で、サステナビリティについてできることを考え始めているのは良い傾向です。

老舗企業として
リーダーシップを発揮したい

WWD:タカラベルモントがサステナビリティに取り組むことで、理美容産業にどのような影響を与えたい?

日野:理美容産業にはあまたの企業がありますが、これまではそのシェアを広げることがビジネスであり、何もしなければこれからもその構造が変わることはないと思います。けれども、同じ産業でビジネスしているからこそ解決できる共通の課題もあると思いますので、これから先は課題を解決するビジネスをやりたいですね。当社がアクションを起こそうとしたときに、集まってくれる企業もあるはず。競うことから、共創へとシフトして、持続可能な産業にしたいです。創業から104年。歴史と実績のある老舗企業というメリットを生かして、リーダーシップを発揮したいです。

中山:私は二つあります。一つは理美容産業がリーディング産業といわれる未来を作りたいです。私たちがリーダーシップをとって、アクションを起こすことで、ほかの産業にも良い影響を与えていけるような社会のロールモデルを作っていきたいです。もう一つは、理美容室を通じて日本全国にサステナビリティの意識改革を巻き起こしたいです。世の中の大半の人は1年に数回、理美容室を利用しているはずです。ゆえに通う理美容室の意識が変われば、お客さまの意識が変わり、結果的に全国民の意識を変えられると考えています。タカラベルモントが変われば日本が変わる可能性さえも秘めています。B to B to Cのビジネスであるからこそ、理美容室を通じて日本全国にサステナビリティの意識改革が巻き起こせると信じています。

TEXT : NATSUMI YONEYAMA
問い合わせ先
タカラベルモント 広報室
06-7636-0856

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【集英社「ウオモ」】20周年を機に“40歳男子”は5本柱で進化する

集英社のメンズファッション誌「ウオモ(UOMO)」が、来年2月に創刊20周年を迎える。同誌は2005年の創刊後、男性のあらゆるニーズをカバーしながら、現在は“40歳男子”や“文化系男子”という巧みなワードとともにスタイルを確立させてきた。25年に向けて“40代男性の関心や挑戦をサポートするメディア”として多角的なコンテンツをスタートしている。企画を先導する山崎貴之ブランド統括と池田誠編集長が、今後の展望について語る。

WWD:来年創刊20年を迎える「ウオモ」の次なる動きは?
山崎貴之ブランド統括(以下、山崎):これまでは本誌とデジタルの2軸を中心にしていましたが、今後は新たに3つの軸を加え、5本柱として事業を拡大していきます。新たな柱は漫画、フェス、ECです。これからの「ウオモ」は、チャレンジに前向きな大人にとっての“はじめて”を応援するメディアを目指します。

WWD:“はじめて”とは具体的に?

山崎:現代のライフステージの進行速度は、ひと昔前と比べるとゆっくりです。結婚や子育て、高級時計や車、住宅の購入など、従来なら若い頃に一度はしていたことを、40代で初めて経験する人もいるでしょう。現代の40代は昔よりもっと“男子”です。彼らにとって“はじめて”の経験はとても貴重なこと。さまざまなきっかけを与える存在でいられたらと思っています。

池田誠編集長(以下、池田):今の読者はファッションだけに興味があるわけではありません。もともと、僕ら編集部側と読者の間には、洋服ばかりに気を配ることだけがおしゃれではないという共通認識がありました。その思いは、コロナウィルス後の生活スタイルの変化でさらに深まったように感じます。リモートワークの普及でカジュアル中心の「ウオモ」のファッションが多くの男性のリアルな選択肢になりました。さらに生活全般への興味が高まり、特に美容需要の増加は顕著です。ビューティやライフスタイルの企画は以前とは違った読者層の獲得にもつながっています。

WWD:2021年から、本誌とデジタルそれぞれに編集長を据える現体制になった。

山崎:紙のオリジナリティーと、デジタルの即興性、拡散力。本誌とウェブでは人気コンテンツも違いますが、同じ興味関心を持つ「ウオモ」読者がメディアごとの切り口の違いを理解しつつ、それぞれの記事を楽しんでくれているんだと思います。

池田:本誌「ウオモ」では洋服の発信だけにとどまらないチャレンジが必要です。一冊丸ごと車の特集号、旅の特集号などワンテーマで構成する機会を増やしています。最新の1月号は、一冊丸ごと車と時計、ジュエリーの特別号となっています。

WWD:ウェブ編集長就任後の成果は?

山崎:初年度は収益化に注力し、結果的に広告収入は前年比約360%を達成しました。もともと動画制作に長けていたことや、本誌企画との連動でうまく伸長できたのが要因です。2年目は、新たに漫画連載をスタート。3年目となった今年の春には、サイトの大リニューアルを済ませました。それまでのサイトは動画コンテンツに特化した画期的な構造だったものの、UI・UXの観点で難しい面も多く、読者にとってより親切な現在の仕様へと変更しました。

WWD:漫画の企画も読者に人気だ。

池田:編集長の立場であっても、漫画の担当を持って日々学んでいます。僕は清野とおる先生を、山崎はタナカカツキ先生を担当しています。タナカ先生は11月に単行本発売、清野先生は来年2月に『スペアタウン〜』2巻を刊行予定です。

山崎:編集者や媒体にとっても“はじめて”の体験が必要です。漫画の編集は経験がなかったものの、やれば分かることがあるかもと、自由度の高いウェブで連載を開始しました。集英社は漫画IPや知見に絶大の信頼がありますし、ウオモの連載陣はタイアップ企画にも前向きです。

「試着フェス®」が大ヒット
読者の信頼を勝ち取るリアル

WWD:「試着フェス®」をはじめ、誌面とウェブ共に人気企画に共通していることは?

山崎:「試着フェス®」初掲載は19年でした。ファッション誌によくあるステレオタイプなキャプションが昔から大嫌いで、であれば「この服はここがいい」「でも、この点はだめ」と誰かが着て感想を正直に伝えればいいのでは、と試着をテーマにした企画を発案しました。どんな反応が得られるのか未知数でしたが、試着そのものが思った以上に楽しいという声が参加者からありました。買うことへのプレッシャーがある店とは違い、試着自体がエンターテインメントでもある。実際に体験することの興奮がうまく伝わっているとうれしいですね。

池田:店頭でなかなか見ることのできない小規模なブランドの掲載も多く、「このブランドの実物を初めて見た」といった声もあります。好きなものを見つけた人たちの素直な感想に触れるとこちらの心も洗われます。美容編や時計編を充実させつつ、今後は車の試乗やフードの試食など、規模を広げていく予定です。「試着フェス®」だけでなく、今春まで実施していた藤原ヒロシさんの特別講義「フラグメント ユニバーシティ」などのリアルイベントにも注力していきます。

WWD:EC事業の今後の予定は?

池田:「フラグメント ユニバーシティ」とのコラボをはじめ、イベントとも連動した企画を練っている最中です。集英社のECサイト「ミラベラオム(MIRABELLA HOMME)」を通じ、数カ月に1度のペースでアイテムをリリースするポップアップ的な展開を考えています。

WWD:「ウオモ」のナンバーワンは何か?

池田:1番は人です。メディアの面白さは、物事に対して明確なアティチュードや言葉を持つプロたちと、世界観を共有しながら一緒に何かを作り上げること。雑誌が主な情報源だった時代に比べて、ウェブやSNSなど発信の場が増えましたが、「この人が語っているなら」と信頼できる情報にこそ価値があると信じています。

山崎:「ウオモ」の情報にはリアリティーが重要です。読者が地に足がついて現実的な人たちだからこそ、本当の声で新しいことを伝えたい。われわれ編集者も、自分たちのリアルに忠実でありたいです。


「ウオモ」(集英社) DATA
【MAGAZINE】創刊:2005年2月 発行部数:4万1000部
【WEB】月間UU:105万9000 月間総PV:954万5000
【SNS】X:2万8000 IG:12万4000 LINE:6000 FB:4万3000 

TEXT : KEISUKE HONDA
PHOTO : HIDEAKI NAGATA
問い合わせ先
集英社メディアビジネス部
03-3230-6202

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【集英社「ウオモ」】20周年を機に“40歳男子”は5本柱で進化する

集英社のメンズファッション誌「ウオモ(UOMO)」が、来年2月に創刊20周年を迎える。同誌は2005年の創刊後、男性のあらゆるニーズをカバーしながら、現在は“40歳男子”や“文化系男子”という巧みなワードとともにスタイルを確立させてきた。25年に向けて“40代男性の関心や挑戦をサポートするメディア”として多角的なコンテンツをスタートしている。企画を先導する山崎貴之ブランド統括と池田誠編集長が、今後の展望について語る。

WWD:来年創刊20年を迎える「ウオモ」の次なる動きは?
山崎貴之ブランド統括(以下、山崎):これまでは本誌とデジタルの2軸を中心にしていましたが、今後は新たに3つの軸を加え、5本柱として事業を拡大していきます。新たな柱は漫画、フェス、ECです。これからの「ウオモ」は、チャレンジに前向きな大人にとっての“はじめて”を応援するメディアを目指します。

WWD:“はじめて”とは具体的に?

山崎:現代のライフステージの進行速度は、ひと昔前と比べるとゆっくりです。結婚や子育て、高級時計や車、住宅の購入など、従来なら若い頃に一度はしていたことを、40代で初めて経験する人もいるでしょう。現代の40代は昔よりもっと“男子”です。彼らにとって“はじめて”の経験はとても貴重なこと。さまざまなきっかけを与える存在でいられたらと思っています。

池田誠編集長(以下、池田):今の読者はファッションだけに興味があるわけではありません。もともと、僕ら編集部側と読者の間には、洋服ばかりに気を配ることだけがおしゃれではないという共通認識がありました。その思いは、コロナウィルス後の生活スタイルの変化でさらに深まったように感じます。リモートワークの普及でカジュアル中心の「ウオモ」のファッションが多くの男性のリアルな選択肢になりました。さらに生活全般への興味が高まり、特に美容需要の増加は顕著です。ビューティやライフスタイルの企画は以前とは違った読者層の獲得にもつながっています。

WWD:2021年から、本誌とデジタルそれぞれに編集長を据える現体制になった。

山崎:紙のオリジナリティーと、デジタルの即興性、拡散力。本誌とウェブでは人気コンテンツも違いますが、同じ興味関心を持つ「ウオモ」読者がメディアごとの切り口の違いを理解しつつ、それぞれの記事を楽しんでくれているんだと思います。

池田:本誌「ウオモ」では洋服の発信だけにとどまらないチャレンジが必要です。一冊丸ごと車の特集号、旅の特集号などワンテーマで構成する機会を増やしています。最新の1月号は、一冊丸ごと車と時計、ジュエリーの特別号となっています。

WWD:ウェブ編集長就任後の成果は?

山崎:初年度は収益化に注力し、結果的に広告収入は前年比約360%を達成しました。もともと動画制作に長けていたことや、本誌企画との連動でうまく伸長できたのが要因です。2年目は、新たに漫画連載をスタート。3年目となった今年の春には、サイトの大リニューアルを済ませました。それまでのサイトは動画コンテンツに特化した画期的な構造だったものの、UI・UXの観点で難しい面も多く、読者にとってより親切な現在の仕様へと変更しました。

WWD:漫画の企画も読者に人気だ。

池田:編集長の立場であっても、漫画の担当を持って日々学んでいます。僕は清野とおる先生を、山崎はタナカカツキ先生を担当しています。タナカ先生は11月に単行本発売、清野先生は来年2月に『スペアタウン〜』2巻を刊行予定です。

山崎:編集者や媒体にとっても“はじめて”の体験が必要です。漫画の編集は経験がなかったものの、やれば分かることがあるかもと、自由度の高いウェブで連載を開始しました。集英社は漫画IPや知見に絶大の信頼がありますし、ウオモの連載陣はタイアップ企画にも前向きです。

「試着フェス®」が大ヒット
読者の信頼を勝ち取るリアル

WWD:「試着フェス®」をはじめ、誌面とウェブ共に人気企画に共通していることは?

山崎:「試着フェス®」初掲載は19年でした。ファッション誌によくあるステレオタイプなキャプションが昔から大嫌いで、であれば「この服はここがいい」「でも、この点はだめ」と誰かが着て感想を正直に伝えればいいのでは、と試着をテーマにした企画を発案しました。どんな反応が得られるのか未知数でしたが、試着そのものが思った以上に楽しいという声が参加者からありました。買うことへのプレッシャーがある店とは違い、試着自体がエンターテインメントでもある。実際に体験することの興奮がうまく伝わっているとうれしいですね。

池田:店頭でなかなか見ることのできない小規模なブランドの掲載も多く、「このブランドの実物を初めて見た」といった声もあります。好きなものを見つけた人たちの素直な感想に触れるとこちらの心も洗われます。美容編や時計編を充実させつつ、今後は車の試乗やフードの試食など、規模を広げていく予定です。「試着フェス®」だけでなく、今春まで実施していた藤原ヒロシさんの特別講義「フラグメント ユニバーシティ」などのリアルイベントにも注力していきます。

WWD:EC事業の今後の予定は?

池田:「フラグメント ユニバーシティ」とのコラボをはじめ、イベントとも連動した企画を練っている最中です。集英社のECサイト「ミラベラオム(MIRABELLA HOMME)」を通じ、数カ月に1度のペースでアイテムをリリースするポップアップ的な展開を考えています。

WWD:「ウオモ」のナンバーワンは何か?

池田:1番は人です。メディアの面白さは、物事に対して明確なアティチュードや言葉を持つプロたちと、世界観を共有しながら一緒に何かを作り上げること。雑誌が主な情報源だった時代に比べて、ウェブやSNSなど発信の場が増えましたが、「この人が語っているなら」と信頼できる情報にこそ価値があると信じています。

山崎:「ウオモ」の情報にはリアリティーが重要です。読者が地に足がついて現実的な人たちだからこそ、本当の声で新しいことを伝えたい。われわれ編集者も、自分たちのリアルに忠実でありたいです。


「ウオモ」(集英社) DATA
【MAGAZINE】創刊:2005年2月 発行部数:4万1000部
【WEB】月間UU:105万9000 月間総PV:954万5000
【SNS】X:2万8000 IG:12万4000 LINE:6000 FB:4万3000 

TEXT : KEISUKE HONDA
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早稲田大学繊維研究会がタキヒヨーとドレスザライフと合同展示会 PLA素材の可能性を探る

1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。第3回では、代表の井上航平さんと、小山萌恵さんが11月に実施した展示会リポートと今月に迫るショーの進捗を語る。

WWD:11月17日にタキヒヨーと、ウェディングドレスショップのドレスザライフと合同展示会を実施した。
小山萌恵(以下、小山):タキヒヨーからPLAを活用した素材(100%植物由来で生分解性が高く環境への負荷が少ない、タキヒヨー企画開発の生地)を、ドレスザライフからドレス制作時の残布を提供してもらいルックを製作しました。PLAが生地の終わりまで考慮されていることや、ドレス生地の繊細さに注目し、生地の持つ儚さから私たちの人生の儚さを連想して、世の儚さを意味する仏教語「夢幻泡影」をコンセプトに掲げました。

WWD:PLA素材を使用する上で、工夫した点は?
小山:サステナブルな性質を考慮し、繊維研究会としてこの展示会でどのようなスタンスをとるべきか、というところから議論を始めました。サステナブルな衣服というと一辺倒な表現に陥りがちな現状に対し、私たちのクリエイションによって表現の幅を広げることを目標にしました。水面や花のモチーフを組み合わせ、生地を寄せたりたゆませたりしたルックや、PLAの循環サイクルから人間の一生を想起し、ベビードレスにほころびという相反する要素を施したルックなど、一つ一つがコンセプチュアルなたたずまいをまとい、私たちにしかできないアウトプットができたのではないでしょうか。タキヒヨーの担当者から「PLA素材の新たな可能性を感じた」という感想をいただけてうれしかったですね。

WWD:発表にはどんな苦労があったか?
小山:展示会となると、これまで培ってきたファッションショーのノウハウをそのまま応用できず、たびたび頭を悩ませながら、自分たちの力で向き合った過程は大きな学びとなりました。当日設営を終え、みんなのアイデアやがんばり、こだわり抜いたクリエイティブ魂が作用し合って成立している一つの空間を見渡したときには、無事に開催できた安堵と共に、胸に迫るものがありました。

素敵な感想もたくさんもらい、あの場でしか生まれ得ない温かなつながりが確かにありました。私たちの経験値や結束力も一層高まり、有意義な取り組みができました。この経験を糧に、残り一カ月を切ったショーに向けても精進していきます。

WWD:ファッションショーでは会場の音響にもこだわる。
井上航平代表(以下、井上):中島哲也監督の映画「告白」に楽曲提供を行っている音楽プロデューサーのcokiyuさんに、今回のオープニング映像とショーのBGMの制作をお願いしました。打ち合わせでは、来場者にルックの細部まで見えやすいよう、通常のファッションショーと比べてゆっくりとモデルさんに歩いてもらうことを想定して、全体のBPM(曲のテンポ)を75程度(一般的な速さは120程度)と細かく指定したほか、江ノ島で撮影したルック写真や映像素材を見せながら、「透明感」「曖昧さ」「漂い」「揺らぎ」「煌めき」「乱反射」など、コンセプトから連想する単語を伝えました。実際に歌詞を乗せるわけではないため、どうすればこのような抽象的な単語を曲として表現できるのか、僕たち自身でも全くイメージできていない状態でした。しかしcokiyuさんは抽象的な方がむしろ分かりやすいと言ってくださり、タイトなスケジュールの中でイメージを完璧に落とし込んだ曲に仕上げてくれました。

WWD:ルックブックの準備も進めている。
小山:繊維研究会のファッションショーでは毎年、来場者にルックブックを配っています。第1回で話したルック撮影時のデータをもとに、デザインやレイアウト、構成はもちろんのこと、紙質や製本方法、印刷方法まで、細部まで丁寧に作り上げています。ひとりよがりな作品にならないよう意識し、互いに言語化して伝え合うことを心がけています。より良い意見を柔軟に取り入れたり、意見をぶつけ合ったりすることで新たな発想が生まれ、作品作りには対話を重ねることが重要だと実感します。ルックブックはショーの後も手元に残る唯一のもののため、何度も見返したくなるような、見返すたび新鮮に心が動くようなものにしたいです。ラストスパートの大詰め、がんばります。

井上:当団体は、今年度に至るまで、メディアではもちろん、SNSにおいてもショーまでの過程や、こだわったポイントなどをお話することはありませんでした。明確なルールがあったわけではなく、代々「語らない美学」が受け継がれてきたためです。この考えには共感する点もありながら、ショー本編の20分~30分程度の中で自分たちのこだわり全てに気づいてもらえるわけではないことに、もどかしい思いを抱えていました(一方で気づいてもらえない意匠はそれまでのもの、という気持ちもあります)。今回の連載では、ルックのデザインだけでなく、ショーに至る過程にスポットを当ててお話してきました。今年は映像ではなく生でショーを見る意味、というものをこれまで以上に大切にしています。ぜひ実際にお越しいただき、ルックのデザインはもちろん、それ以外の部分にも注目いただければうれしいです。

■早稲田大学繊維研究会2024年度ショー「透き間、仄めき」
日程:12月22日
時間:①開場12:30〜、開演13:00〜 ②開場15:00〜、開演15:30〜 ③開場17:30〜、開演18:00〜
場所:代官山ヒルサイドプラザ
住所:東京都渋谷区猿楽町29 ヒルサイドテラス

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技術継承と染め直し、D&DEPARTMENTのファッション産業の課題への向き合い方

ロングライフデザインを提唱するディアンドデパートメント(D&DEPARTMENT)は2014年からテキスタイルメーカーのデッドストック生地を活用したバッグを提案する「ライフストック(LIFE STOCK)」と、シミや色あせなどで着られなくなった服を染め替えてよみがえらせるプロジェクト「ディ アンド リウェア(d&RE WEAR)」を立ち上げ、取り組む。24年までに「ライフストック」に活用した生地は2万9430m(生地幅120cm)、東京ドームの敷地に換算すると75.5個分。現在までに9700着を預かり染め直した。23年からは「生地を作ることができる職人と環境が失われる」との危機感から新たな需要を生み出すために「アーカイブス(ARCHIVES)」をスタート。日本の産地を回り、同プロジェクトを指揮する重松久恵ファッション部門コーディネーターに、産地の現状とディアンドデパートメントが取り組む意義を聞く。 

PROFILE: 重松久恵(しげまつ ひさえ)/D&DEPARTMENT ファッション部門コーディネーター

重松久恵(しげまつ ひさえ)/D&DEPARTMENT ファッション部門コーディネーター
PROFILE: ファッション誌の編集、デザイン会社などのマネジメントを経て2014年、「ライフストック」、洋服染め直しの「ディ アンド リウェア」プロジェクト発足時に「『D&DEPARTMENT』のコーディネーターに。中小企業診断士の資格を58歳で取得し、さまざまな会社のアドバイザーとしても活躍。旅と料理、手仕事をこよなく愛す

きっかけはラナ・プラザ崩落事故、ファッション産業の課題に向き合う

ディアンドデパートメントが「ライフストック」と「ディ アンド リウェア」に取り組み始めたのは2014年のこと。今でこそ、デッドストックの活用や染め直しを行う企業が少しずつ増えてきてはいるが、同社は早かった。両プロジェクトを手掛ける重松コーディネーターは「13年のラナ・プラザ倒壊事故によってファッション産業の課題が浮き彫りになり、向き合う必要があると感じていた。ちょうどその頃、『ディアンドデパートメント』からファッション部門を手伝ってほしいと依頼があり、同社らしくファッション産業の課題に向き合うことができる取り組みとは何かを考えた」と振り返る。

「ディアンドデパートメント」は10年、金沢21世紀美術館で行った企画展示「本当のデザインだけがリサイクルできる Only honest design can be recyclable. D&DEPARTMENT PROJECT」の際に、ミュージアムショップで残反を用いて製作したバッグを販売していた経緯がある。「私自身産地を回る中で、決算前にバッタ屋が残布を買いに行くのを知っていた。こうした残布を活用できないかと考えた」。

「残反購入だけでは貢献できない」、技術継承のための新プロジェクト

「ライフストック」では「10産地10生地で100種類作ろうと考えた。半分は懇意にしている産地に頼み込み、半分は中小企業診断士の資格を生かし商工会議所を通じて声をかけてもらった」。現在は小さな地域を含めると20カ所程度と取り組む。人気はビンテージ生地やマス見本(色合わせのサンプル布で同じ柄を色違いで数色プリントした布)だ。「特にマス見本は絶対に捨てられる運命なうえ、レアでもある。こうした背景をお客さまに説明するとマス見本ファンになり、マス見本狙いの方も増えた」。

23年から「アーカイブス」をスタートした。残反の入手が難しくなったからだ。「理由は2つある。1つ目は16年頃に日本で始まったSDGsの活動の気運が高まるにつれて、残反を活用したモノ作りをする人が増えたこと。2つ目はメーカーの生産量が減ったこと。生産すればその分残反もB反も出るが、特にこの3年少なくなったと感じる。そして、残反を買うだけでは産地に貢献できなくなったとも感じていた」と話す。

「1mが8000~1万円の手が込んだ特殊な生地は、高度な技術がないと作ることができない。他方で一般的には高額で購入が難しく、海外ブランドに販売していることが多い。こうした素晴らしい技術を残したいし、作る職人がいることを知らしめたいと思った。そのためには高度な技術を要する生地を作り続けて発信することが大切で、バッグは要尺が少ないので気軽に持つことができる価格で提案できると考えた」。

「アーカイブス」では「産地の定番で一般的に知られている生地でも次世代の担い手や需要を生み出す必要があると考え」会津木綿や伊勢木綿、久留米絣などの活用も始める。3月から箱型バッグを順次発売する。小幅生地の特性を最大に生かし、生地の無駄が極力出ないパターンを作成した。「生地にかけられる金額を上げ、工場と一緒に歩む持続可能なものづくりのカタチを探る」。

「多くの産地で倒産が増えている」、産地の抱える課題

産地の状況は刻々と変化している。産地の多くが「作れない産地」になりつつあり、モノ作りのリードタイムが長くなっている。「多くの産地で倒産が増えている。いろんな産地でいろんな変化があり、一概に何が原因とはいえないが、共通しているのはリーマンショック後から緩やかに沈みはじめ、新型コロナウイルスの感染拡大が拍車をかけたこと。コロナ禍では補助金や融資があったが、その返済が難しくなり、事業者に高齢の方が多いこともあってか、疲れてしまって廃業や倒産を選ぶ事業者が増えている。今、特殊な技術を持つ方の多くは60代後半から70代。彼らが今まで日本のモノ作りを支えてくれているが、後継者がいないし、現状は少量生産で取り組むしかない。例えば、チェーンステッチで脇を縫う人がいなくなったら、縫製の仕様書自体を変えなきゃいけなくなる。こういうことが連続的に起こっている」と話す。

モノ作りを絶やさないために考えられること

日本でモノ作りできる環境を残すにはどうすればいいのか。

「一つの方向として、製造メーカーが自社ブランドを立ち上げることがある。例えば山梨の『WAFU.(ワフ)』は縫製業だけでは言い値で安い賃金で請け負うことになってしまうと危惧して自社ブランドを立ち上げた。今ではOEMを一切せずに自社ブランドのみで利益を出せる体質に移行できている。『ワフ』のように高付加価値のモノ作りの自社ブランドを立ち上げるメーカーは増えており、自社ブランドの利益比率を上げようと取り組む企業が増えている。自社ブランドとOEMの黄金比は各企業により異なるが、両軸を持つことが会社の安定につながるケースが多い。たとえ、自社ブランドの売り上げが伸び悩んでも自社ブランドを通じて発信ができるため、OEMの依頼が増えて会社が安定することもある」。

廃業する工場を産地のメーカーがM&Aを行うケースも散見するようになった。「例えば、2011年に継続できなくなった新潟県の織物工場をマツオインターナショナルの松尾産業が子会社にしたケースでは、設備投資や機械を独自改造することでオリジナル生地の生産ができるようになった。友人のテキスタイルデザイナーや若いデザイナーたちがそこで生地を作っている。このケースのように技術を引き継いでいければいいと思う一方、難しいケースも多い。最近ではニット産地の山形できらやか銀行の経営悪化によって取引先が相次いで倒産し大きな影響を及ぼしている。取引先のニッターも倒産した。一緒に取り組むデザイナーと話し合い、彼は出資し合って小規模ロットの対応ができる工場を共同運営することも考えたいと話していた。そんなときに候補にあった廃業予定の小さなニット工場が『もう少し頑張ってみる』と継続を決めた。けれどM&Aを行うような体力のある会社もなかなか見つからない状況で見通しは不透明だ。もう一つは、工場に無理をさせない方法でモノ作りを行うことも大切だ。私たちは秋物の納期を5月に設定し、閑散期に無理をせずに生産していただいている」。

産地内で築けていたサプライチェーンの一つでも欠ければモノ作りのリードタイムはさらに伸びるが、M&Aを行うのはハードルが高い。「例えば、『オソク(OSOCU)』の谷佳津臣さんは元縫製工場を賃貸で借りて、古いミシンを活用しながら業務委託や新規雇用で技術者に参画してもらっている。工場を購入したわけではないが、場所を借りて縫製業の内製化を実現して自社ブランドをマイペースに展開している。新たなに人を雇用して職人を育てることは大変な挑戦だが、谷さんのように場所を活用しながらチャレンジしている人もいる」という。

特に染色や仕上げを行う工場が少なくなっていると聞くが、「別の産地に頼まなければいけない状況は増えている。もう一つの方向性としては一貫生産がある。先日訪れた京丹後の工場は撚糸・織り・染めを自社で行えるように整えていた。実際問題、染色や仕上げの機械を数台入れ、一貫生産に向かえるところは向かわないと厳しいのではないか」と指摘する。

一貫生産は強味にもなる。「赤ちゃんの製品を手掛ける工場はエコテックス認証取得を求められるなどあるが、外注すると取れるかわからない。特に染色は空きがなくて納期が大変なこともあり、縫製工場でも設備投資をして染色の機械を入れた工場もある。自社で染色を行うことで認証を横串で取れるようにしていた。織り専門だった富士吉田のとある工場も、糸染めも布染めもできる機械をそろえていた」。

対処療法の先に見据えること

今後向かう方向性について尋ねた。「小規模で高付加価値のもの、ははまるかもしれない」。

また、「職人が格好いいという文化を作っていく必要がある。サードウェーブコーヒーの文化が生まれたとき、コーヒーを焙煎する人が格好いいと焙煎士が増えたでしょう?そういう単純なことでもある。布作りの職人が格好いいとなれば興味が沸く人は増える。実際に布を作り、布のあるオシャレな生活を送っている人も多い。織機が動く動画をよく見るけど、生地を手掛けている人やその人の暮らしを紹介する人は少ない。そういう職人の暮らしを知ってもらいたいとも思う。“布を作ってオシャレな生活ができる”“これで食える”となれば、やってみたいという若者が増えるのではないか。機織りが職業の選択肢の一つになる。私の周りで織物に取り組む若い男性が増えていて、彼らに『何で』と尋ねると海外育ちの人が多く『職人がめちゃめちゃ格好いいし、この仕事は一生できるじゃない』との答え。彼らは素敵な生活をインスタグラムで発信していたりする。人間は恰好いいにあこがれるじゃない?」。

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編集長に聞く 2024年下半期ベスコスの見どころは?〜「美的」編〜

半期に一回、コスメ好きの間で盛り上がるベストコスメ企画。本企画では各美容誌が発表するベストコスメ企画の見どころを探る。今回は美容誌のコスメ好きな玄人に愛される「美的」の中野瑠美小学館 美的ブランド室 室長・編集長に話を聞いた。

「美的」ベストコスメを知る

「美的」のベストコスメとは?

美容のプロが感動した最新コスメの知見・魅力を、美容好きな読者に分かりやすく伝えるベストコスメ。

2024年下半期は?

「美的」読者に人気で信頼されている美容のプロ、今年の「美的」で人気があった企画に登場した人、「美的」読者についてよく知っている人、合計84人。

ここが違う!「美的」のベストコスメ

読者が「自分に合う」アイテムが分かるようにサポートアイコンを付けている。ジェンダーフリーメディア「美的HEN」や韓国コスメのベスコスも実施している。

「美的」ベストコスメの見どころ

WWD:2024年下半期ベストコスメの傾向で象徴的だった受賞商品は?

中野瑠美小学館 美的ブランド室 室長・編集長(以下、中野編集長):総合ランキングで1位、かつ他3部門も受賞した「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」の“ル・セラムⅡ”。人気アイテムの進化ということで注目度が高かったが、新知見に基づいた新たな処方、成分、使用感の良さが圧倒的という意見が多数だった。総合1位、スキンケア部門のアンチエイジング美容液編1位、ブースター編1位、保湿美容液編2位と、さまざまなカテゴリーで賞を独占した。

「スック(SUQQU)」 “ザ プライマー”は総合ランキング4位、ベースメイク部門下地編1位を受賞した。ベースメイクに定評のある「スック」から満を持して出された「ザ(THE)」を冠する下地。スキンケアのような潤いとハリ艶実感、この下地だけで肌のノイズを消して立体感を出してくれるため、素肌にも自信をもたらしてくれる、大人にこそおすすめしたいと票を集めた。

「ディオール(DIOR)」“ディオールスキン ルージュ ブラッシュ カラー&グロウ287"はベースメイク部門ハイライター・シェーディング編1位、メイクアップ部門チーク編2位を獲得。今年の“チーライト(チークとハイライト)”ブームを生み出したキーアイテム。人気の“ブルベみ”ながら、どんな肌にもテクニックレスに透明感と血色感、立体感を出してくれる。「スック」の“ブラーリング カラー ブラッシュ”がチーク1位、ハイラーター・シェーディングの4位で、アイテムの垣根がますますなくなっているのも面白い。

WWD:2024年下半期の傾向は?

中野編集長:編集の立場としては「カテゴリー分け」が大変だが、全てのアイテムにおいて多機能性、マルチ化がますます進み、用途や対応するがシームレスになったため複数のカテゴリーで受賞するアイテムが増えた。スキンケアはブースター的な使い方をするアイテムが数多く登場し、洗顔後の素肌につけるアイテムの重要性が高まった。

WWD:来期以降のビューティ業界に期待することは?

中野編集長:スキンケアはもはや美容医療級の即効性・効果実感があるアイテムも当たり前になってきており、新商品のさらなる進化が楽しみ。同時に、化粧品は忙しい日々を送る人たちの生活を彩るものでもあるので、アイテム(コンセプト)の時代性にも期待している。

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「メゾンスペシャル」仕掛け人の頭の中 「3つの新ブランド」「売上高200億円」

近年の国内ウィメンズリアルクローズ市場において、台風の目になってきたブランドが「メゾンスペシャル(MAISON SPECIAL)」だ。後発の姉妹ブランド「プランク プロジェクト(PRANK PROJECT)」も順調に成長している中、運営会社であるサザビーリーグ子会社・プレイプロダクトスタジオは攻勢を緩める気配を見せない。菅井隆行社長は新たに3ブランドの立ち上げと、中期的な会社の売上高目標として200億円を構想している。

既存2ブランドは、業績を順調に拡大してきた。「メゾンスペシャル」は2019年春の立ち上げから5年で売上高45億円(2024年2月期)に成長。ブランディングを鑑みると「現在の規模(国内7店舗)が最適」とみて、今後はアジアを中心とした海外での卸売りを成長ドライブにする。22年春に立ち上げた「プランクプロジェクト」も前期比40%増と順調に伸ばし、売上高10億円で着地した。ポテンシャルは「メゾンスペシャル」と同等と考えているといい、今後は商品のプライスレンジを引き上げて勝負する。

両ブランドの合計で、現在のプレイプロダクトスタジオの売上高は55億円。今後のさらなる伸び代として、3ブランドの立ち上げを計画している。近い将来に5ブランド合計で「売上高200億円」を目指す。これが実現できれば、グループ内では「ロンハーマン(RON HERMAN)」を展開するリトルリーグや、「アフタヌーンティー ティールーム(AFTERNOON TEA TEAROOM)」を運営するアイビーカンパニーといった主力子会社に「比肩する規模になる」。

ファッションと掛け算した
“フレグランスブランド”

3つの新ブランドの立ち上げ時期はそれぞれ未定だが、すでに動き出しているのが新ジャンルとなるフレグランスブランド。「純粋な香りなブランドというよりも、当社が得意なファッションのイメージを前面に打ち出していく。たとえば、店舗が商業施設のファッションフロアのど真ん中にあってもいいと思っている」。残りの2ブランドはアパレルで、来春から具体化へ向け動き出す。一方は既存ブランドよりもストリートテイストを強め、もう一方は比較的ベーシックなテイストで、メンズ・ウィメンズを両展開する。

「メゾンスペシャル」「プランク プロジェクト」は同質化傾向のあるリアルクローズ市場において、エッジィかつユニークなデザイン、それによる固定ファンの獲得が成長要因になってきた。新ブランドにおいても、「デザインは突き抜けつつ、着てくださるお客さまの姿をしっかり想像すること」「売れ筋の縦売りに固執せず、かつ捨て品番を作らないこと」といった商品企画やMDの考えを共通させる。いずれも常設出店を前提とせず、「まずはポップアップストアなどの形で感触を確かめたい」と話す。

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編集長に聞く 2024年下半期ベスコスの見どころは?〜「ヴォーチェ」編〜

半期に一回、コスメ好きの間で盛り上がるベストコスメ企画。本企画では各美容誌が発表するベストコスメ企画の見どころを探る。今回は美容誌のトップランナー「ヴォーチェ(VOCE)」の遠藤友子事業部長・編集長に話を聞いた。

「ヴォーチェ」ベストコスメを知る

「ヴォーチェ」のベストコスメとは?

メインの読者層であるアラサーの女性に合う新作コスメを、広告クライアントへの忖度は一切なしに、プロの目で選ぶ企画。スキンケアは何が最新知見で、コスメがどのように進化しているかが分かるように構成し、メイクは最新の色味や質感が分かるように色番まで指定して選考する。

2024年下半期の選者は?

選考委員は美容ジャーナリスト、ヘアメイク、美容ライター、美容家、本誌編集者など美容の専門家計64人。コスメの進化を見続けてきた、あらゆるコスメを試して手入れ法を伝え続けてきた、など長く蓄積された知見を持つ人を選者に選定した。また、メイク編の選考精度を上げるために、最先端のビジュアルを作り出しているヘアメイクにも依頼する。

ここが違う!「ヴォーチェ」のベストコスメ

日本の美容雑誌で初めてベストコスメを実施した「ヴォーチェ」は、「クライアントなどに一切忖度しないガチ選考」という伝統を持つ。1位受賞のアイテムを選出した後、さらに再投票し、1位の中の1位を選出する“二段階選考”も特徴の一つ。スキンケア編最優秀賞、優秀賞とメイク編最優秀賞、優秀賞を決めている。また、部門をアイテム別にして、読者が買いやすく探しやすいことを第一に考える。

「ヴォーチェ」ベストコスメの見どころ

WWD:2024年下半期ベストコスメの傾向で象徴的だった受賞商品は?

遠藤友子「ヴォーチェ」事業部長・編集長(以下、遠藤編集長):スキンケア編最優秀賞と先行美容液部門1位を獲得した「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」の“ル・セラムⅡ”。「肌は悪い刺激をブロックする力を持っている」という大発見は、新商品が出るたびに肌の可能性を信じさせてくれる同ブランドの真骨頂。最新知見、浸透のよさ、滑らかさをすぐに実感できる即効感、癒しの香りとテクスチャー……コスメに求める全てを兼ね備えた“王者の美容液”だ。

スキンケア編優秀賞と化粧水部門1位の「エスト(EST)」の“G.P セラムイン ローション”も注目。「同じ肌悩みを持っていても、人によって原因が違う」という真実に真っ向から向き合い、老化の要因を3つに集約、3種のパーソナライズ化粧水を生み出した。新生「エスト」は「本気で肌悩みを解決したい」というブランドの誠意の結晶!「スック(SUQQU)」ではメイク編最優秀賞、下地部門1位を受賞した“ザ プライマー”が、「肌ノイズを、“隠した感”なくカバーしたい」「艶は欲しいけれどテカりたくない」「品格が欲しい」というわがままな女性の願いを全てかなえてみせた。

WWD:2024年下半期の傾向は?

遠藤編集長:なんといっても美容液部門の激戦が印象的だった。名品のリニューアルが相次ぎ、それぞれに肌本来がもつ能力をパワーアップさせる機能が搭載している。「肌を元気にすることでエイジングをゆるやかにする」というアプローチがメインになった。また、コメ由来の発酵スキンケアが注目を浴びた。メイクはハイライト×青みのチークが豊作。血色感のあるベージュワントーンメイクがトレンドの顔になった。

WWD:「ヴォーチェ」のベスコスにまつわるエピソードは?

遠藤編集長:「ヴォーチェ」のベスコスの発表後から、売り上げが何倍にもなったという話はよく聞く。クライアント各社からは「『ヴォーチェ』のベストコスメが一番獲りづらい。だからこそ価値を感じる」という声もいただく。

WWD:来期以降のビューティ業界に期待することは?

遠藤編集長:美容好き読者が自分の可能性をもっと信じたくなるような、そして自分を好きになれるようなコスメの誕生に期待している。

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ドレイクやジェイムス・ブレイクも注目するシャーロット・デイ・ウィルソン その音楽の根底にあるものとは?

PROFILE: シャーロット・デイ・ウィルソン

PROFILE: カナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、プロデューサー、マルチ・インストゥルメンタリスト。2016年のEP「CDW」と18年のEP「Stone Woman」が高い評価を受け、21年にセルフ・リリースで発表したデビュー・アルバム「Alpha」が世界から絶賛され、これまでにドレイク、ジョン・メイヤー、ジェイムス・ブレイクがシャーロットをサンプリングでフィーチャーし、最近ではパティ・スミスが「CDW」収録のシングル 「Work」を称賛し、カバーしている。24年5月にニューアルバム「Cyan Blue」をリリースした。

10月、「朝霧JAM 2024」への出演を含む初のジャパン・ツアーを行ったカナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、シャーロット・デイ・ウィルソン(Charlotte Day Wilson)。ジャズやソウル、R&B、アンビエントなど多彩なテイストが織りなすムーディーで繊細なサウンドの雰囲気。ドレイクやジェイムス・ブレイクも惹きつけた彼女の音楽だが、ステージではそうした音の一つ一つを丁寧に磨き上げ、楽曲の魅力を新たに伝え直すようなリッチでオーガニックなバンド演奏が印象に残った。2021年にセルフ・リリースしたデビュー・アルバム「Alpha」を経て、今年5月にアメリカ西海岸の自然に囲まれた環境の中で制作されたニュー・アルバム「Cyan Blue」。時にフォーク・ロックやラウドなギター・サウンドも聞かせたこの日の鮮やかなパフォーマンスは、こうした経験が彼女にもたらした影響を想像させる、自由でオープンなインスピレーションに満ちたものだったように思う。

今回の「Cyan Blue」の制作過程について、シャーロットは過去の自分を見つめ直すような時間だったと振り返っている。「シアン・ブルー(※緑みがかった青)」というタイトルは彼女の瞳の色に由来するもので、制作中やこれまでの人生の中で出会ったさまざまな「青」にまつわる記憶や感情についてアルバムでは綴られている。そんな“青の時代”をめぐる親密でパーソナルな音楽をつくり上げた彼女は今、何を思い、何を感じているのか。東京公演の翌日に中目黒のオフィスで話を聞いた。

「青」に惹かれる理由

——昨夜のライブですが、楽曲の新たな魅力を引き出すようなパフォーマンスで素晴らしかったです。MCでバンドのメンバーを称える場面もありましたね。

シャーロット・デイ・ウィルソン(以下、シャーロット):ギタリストのイアンとはもう5、6年の付き合いで、ドラマーのライアンは彼の親友で、誰と演奏しても旅を楽しんでいるような人なので(笑)、イアンの推薦もあってバンドに加わってもらうことになったの。チェロとハープと鍵盤を弾いていたウーリ(Ouri)は、モントリオールを拠点に活動しているアーティスト仲間で、彼女の音楽は私にとって大きなインスピレーションになっている。今回、このアルバムの制作にあたり思い切って彼女に声をかけて、バンドの一員として参加してもらえないかとお願いした。そしたら快く引き受けてくれた。

——ちなみに、ステージでは曲によって2色のライトが使い分けられていたのも印象的でした。新作の「Cyan Blue」の曲はアルバムのキーカラーである青、そのほかの曲はオレンジ(※以前の彼女は、自分がつくる音楽について「オレンジと黄色のオンブレ」のイメージと語っていた)のライトが使われていたのかな、と終演後にふと思ったのですが。

シャーロット:会場のライティング・テクニックを使っていたのでそこまで意図的ではなかったけど、ただ、使用する色についてはかなり具体的に指示を出したので、その範囲内でスタッフが自由にクリエイティブな裁量を発揮してくれたんだと思う。

——その新作のキーカラーである「青」は、アルバムのアートワークやアーティスト写真にも象徴的に取り入れられていて、そのイメージは愛や内省をテーマにした作品のストーリーとも深く結びついています。その制作にあたってインスピレーションを受けたものとして、アート評論家のマギー・ネルソン(Maggie Nelson)が2009年に書いた「Bluets」という本を挙げられていましたが、それはどういった示唆を与えてくれた本だったのでしょうか。

シャーロット:あの本は、なんというか……表現するのが難しいけど、ある種の“アート小説”のようなものというか。著者が人生のある時期、「青」という色に深く魅せられて、その色を通して世界と自分自身をつなぎ留めるための“ポエティック”な方法を見つける——というような内容で。つまり、彼女にとって「青」は、特定の場所や状況で現れることで、周囲の環境とのつながりを感じさせる特別な色だったんだと思う。そして、このアルバムに取り組んでいる間、私も同じような経験をしたの。「青」という色に強く惹かれ、マギー・ネルソンをはじめとする、私にとって重要なアーティストたちとの共鳴を感じて。私も、彼女らが人生で経験した“青の時代”をめぐる対話に参加したかった。私たちはみんな、人生においてお互いにつながっていると感じたいと思っているし、自分のいる世界と深く関わっていたいと願っている。そのことにあの本を読んであらためて気付かされたわ。

——シャーロットさんの記憶に残る“青の時代”、また「Cyan Blue」の制作中に出会った「青」について教えてください。

シャーロット:アルバムに「Cyan Blue」と名付けた理由の一つは、最初に出会ったパートナーに、私の目はシアン・ブルーだと言われたから。だからこのアルバムは基本的に、グリーンとブルーをした私の目そのものなの。そして、初恋が人生においていかに大きな変化をもたらすかということを思い出した。その“時代”というのは、人生の中で全てがとても重く、とても意味深く、とても豊かな感情に満ち溢れていたのを覚えている。それで、もう一度あの目を通して人生を見つめ直したい、あの目を通して音楽を感じたい、あの目を通して自分の感情を取り戻したいって思ったの。

他にもそういう経験をたくさんしたわ。甥っ子がクレヨンを拾ったんだけど、その色がまさにシアン・ブルーだった。で、母のところに行って「すごくいい色だね」って言ったの。すると母は「あら、本当にそうね」って、そしたら彼は、まるで私の目のようだと言って。そういう小さな瞬間がたくさんあった。そして、周りの世界が意味を持っているように感じた。そんなふうにして私たちはみんな、自分の周りの世界につながりを見いだし、インスピレーションを得ようとしているんだと思う。

——その本では、“青の時代”を象徴するエピソードとして、ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の「Blue」についても触れられているそうですね。シャーロットさんにとっても、今回の「Cyan Blue」において「Blue」は大きなインスピレーションになりましたか。

シャーロット:ええ。ジョニ・ミニッチェルは、特にカナダの歴史において影響力のある重要なソングライターで。そして、彼女はロサンゼルスのローレル・キャニオンに引っ越して、そこで「Blue」を書いた。私もローレル・キャニオンで今回のアルバムをつくっていたので、どこか自分と重なるものを感じていた。自分の世界や、過去に影響を受けた人たちとのつながりを求める気持ちがあって。実際、「Blue」は音楽史に残る重要な作品だし、私を含めて多くの人たちにとって普遍的な共感を呼ぶ聖典的なアルバムだと思う。

お気に入りのアーティスト

——ローレル・キャニオンのロケーションはいかがでしたか。

シャーロット:とても美しい地域だった。毎日、丘陵地帯をドライブしてスタジオに通うのが日課で、その風景が私のインスピレーションの源になっていたわ。そのとき乗っていた車を(「Cyan Blue」の)アートワークに入れたのは、そういう理由もあって。近所をドライブするだけで無数のアイデアが湧き上がってくるような、そんな感覚があった。

——ローレル・キャニオンといえば、1960〜70年代からフォーク・ミュージックの聖地として知られていますが、そうした音楽からの影響についてはどうでしょうか。昨日のライブでは、終盤で演奏された「Dought」がサイケデリックなフォーク・ロック調にアレンジされていたのも印象的でした。

シャーロット:もちろん、ジョニ・ミッチェルは大好きなフォーク・アーティストの一人。それに、高校時代はフリート・フォクシーズをよく聴いていたわ。それから“サイケデリック”といえば、ピンク・フロイドもそう。ザ・ビートルズには素晴らしいサイケデリックなチャプターがたくさんあるし、プリンスも独特のサイケデリックな世界観を持ったアーティストだと思う。

——以前にカバーされたこともあるニール・ヤングは? 彼もまた母国であるカナダの重要なアーティストの一人ですよね。

シャーロット:そうだった(笑)。ニール・ヤングも大好きなカナダのレジェンドで、高校生の頃、音楽を聴くために2台のスピーカーを持っていて、ベッドに横になって聴くのが習慣だった。こうやって頭の両側にスピーカーを置いて(笑)、ニール・ヤングの「Heart Of Gold」をよく聴いていた。とてもハイになって、心が解き放たれるような、特別な体験だったのを覚えているわ。

——昨日のライブではシャーロットさんが弾くギターも鮮烈でした。ちなみに、好きなギタリストは誰かいますか。

シャーロット:ニール・ヤングのギターは大好き。彼はテクニック的に特別優れたギタリストというわけではないかもしれない。私もギターがうまくはないけど、ギターで曲を書くのは楽しいし、弾くのも楽しい。それが彼のギターからは伝わってくるから。それと、ファイストも大好きなギタリストの一人。ジョニ・ミッチェルやジョン・メイヤー、あとエイドリアン・レンカーも独自のスタイルでギターを奏でる素晴らしいミュージシャンだと思う。

——そういえば、過去にエイドリアン・レンカーをプロデュースしたいと話していたこともありましたね。同じソングライターとして、彼女のどんなところに惹かれますか。

シャーロット:とても“アコースティック”なところかな。アコースティック楽器が奏でる温かみや、彼女の声と歌詞の親密な雰囲気が好き。彼女の音楽からはそんなアコースティックな要素が存分に引き出されていて、とても惹かれるの。

「タイムレスで普遍的なものをつくりたい」

——そういえば、日本には花言葉に似た「色言葉」というのがあって、シアン・ブルーには「気高さ」や「品格」、「粘り強く困難に立ち向かう忍耐力の人」という意味合いがあるとか。

シャーロット:本当? すてき。

——新作の「Cyan Blue」は、若い頃の自分の視点から曲を書くこと、若い頃の自分に語りかけることがテーマだったと聞きました。それっていうのはやはり、年齢やキャリアを重ねた今だからからこそ至った境地だったりするのでしょうか。

シャーロット:どうなんだろう……人は人生のどの段階にあっても、若い頃の自分と話がしたいという願望や衝動に駆られることがあるんだと思う。それは、過去の経験が今の自分を作り上げているという確信からくるのかもしれない。それに、私は実存主義者なので、過去を振り返ることは自分自身をより深く理解し、時には未知の未来を理解するための方法だと考えているところがあって。なので、何がどうあれ、そういう作品をつくることになっていたんだと思う。

——逆に、若い頃の自分が今の自分に語りかけてくるような感覚を覚えることもあった?

シャーロット:ええ、それはいつも感じていて、今の私、過去の私、そして未来の私、どの自分に対しても敬意を払いたい。それは、どんな自分であっても、その存在を認め、尊重したいという気持ちからかもしれない。それって、今の自分と向き合うことを避けているってことなのかもしれないけど……でも私は常に、時間というものに縛られることなく自分自身を称えたいと思っていて。過去も未来も、そして今の私も含めて全てをつなぐような、そういうタイムレスで普遍的なものをつくりたいという願いがあるからなの。

——初期に発表された作品で、「Stone Woman」という曲がありますよね。「Stone Woman」という言葉は、自身が主宰しているレーベルの名前にも取られている特別なフレーズだと思いますが、あの曲で称えられていた美のあり方――“強さのなかにある冷徹で硬質な美しさ”というイメージが深く印象に残っています。あのあり方というのは、今もあなたが惹かれる美しさの規範の一つだったりするのでしょうか。

シャーロット:少しは成長したと思う……うん、そう思うな。以前の方がガードが固かったし、少し傷つきやすくなったのかもしれない。でも、自分の芯の部分には、常に少しストイックな要素があるのは確かだと思う。今朝、私の一番親しい友達の一人から「あなたが何を考えているかまったく分からない」って言われたの(笑)。考えてみると、私は自分の感情があまり表情に出ないタイプなのかもしれない。なので、もっと積極的に気持ちを伝えなければいけないって思うの。楽しい時はそれを伝え、感謝の気持ちも言葉にしたい。周りの人に「愛している」って伝えなければいけないって。

「歌を歌うことが癒やし」

——今日や昨日のライブもそうですが、シャーロットさんというと「黒」のイメージがあり、アーティスト写真などを拝見すると、スポーティーな服を好んで着られている印象があります。心地よさや自分らしさを感じるファッションのこだわりがあったら教えてください。

シャーロット:アスレチックで機能的な服が好き。でも同時に、服の細かなディテールにもこだわりがあるの。

——「黒」へのこだわりはありますか。

シャーロット:黒は私にとって、ちょうどいいデフォルトというか(笑)。他の人にとってはそうではないかもしれないけど、私にとってはどんな色とも合わせやすく、ニュートラルな色。

——シャーロットさんの曲は、パーソナルで繊細な感情を歌ったものが多く、書いたり歌ったりしていて感情が消耗することもあるかと思いますが、セルフケアで気にかけていることなどありますか。

シャーロット:歌を歌うと癒される。逆に、私が最も嫌いなのは、ステージで歌を歌っていて何も感じないことで。観客が私の歌に共感してくれなければ、私も感情移入することができない。ただ曲を完唱するだけで、まるでロボットのような歌い方になってしまう。それに私は普段、歌に込められた感情を思い出して歌うということはしないタイプで。でも昨夜のライブは特別で、観客が本当に私と一緒にいてくれた。観客が一緒に歌ってくれて、熱心に聴いてくれていると感じることができて、本当に一体感が生まれていました。そのおかげで、曲の世界観に深く入り込み、感情を込めて心から歌えた。その曲が何について歌っていたのかという場所に戻って、その曲と本当につながろうとしていたんだと思う。それが私にとって癒やしであり、カタルシスを感じられる瞬間なの。

——そういえば、来日してからもテニスをされていたそうですね。その様子をSNSにアップしていましたが、身体を動かすことも“癒やし”の一つですか。

シャーロット:そうね、テニスは私を正気に保ってくれるの(笑)。だから毎日プレーするようにしているわ。

——バスケやホッケーもやられていたそうですが、小さい頃から身体を動かすことが好きだったんですか。

シャーロット:昔から運動神経は良く、スポーツをするのが好きだった。どこかでエネルギーのはけ口を求めていたのかもしれない。スポーツは私にとって、生意気な自分でも許される環境というか、ワイルドな自分を出せる場所だったように思う。そして、ストイックな自分という素の私に立ち戻ることができる。実際、スポーツをしている時の私はありのままの感情が解放されていて(笑)、普段とは違う自分になれるのが気持ちいいの。

——昨日のライブでは最後に新曲を披露されました。日本のファンにとって最高のサプライズになりましたが、どんな曲か教えていただけますか。

シャーロット:自分の場合、夢から覚めた直後のぼんやりとした意識の中で歌詞が浮かんでくることが多くて、すぐに書き留めることができればいいけど、また眠ってしまい、目が覚めたら忘れてしまってもどかしい思いをすることがあるの。でもこの曲は、目が覚めてからもハッキリと歌詞のイメージが残っていたんです。まるで「おはよう、愛しい人よ」みたいな、温かい言葉が自然と口をついて出るような感覚だった。

ある恋愛のとき、私たちは一時的に距離を置いていたことがあって。でも、相手は私のことを待ち続けてくれていて、その気持ちに応えたくてボイス・メッセージを送ったの。それは、私が今どこにいるのか、どんな気持ちなのかを伝えるサインのようなもので、それで生まれたのがあの曲だった。

——今回のアルバムに収録された「虹の彼方に(Over the Rainbow)」のカバーですが、当初は自分で歌詞を書き換えたものを収録する予定だったそうですね。許可が降りなくて断念したそうですが、どんな内容の歌詞だったのでしょうか。

シャーロット:ああ(笑)、あれはとても辛らつな歌詞で。元の曲とは真逆のもので、あの曲をひっくり返して、もっと過酷なことを歌おうとしたの。でも今は、それを出さなくてよかったと思っているわ(笑)。

——昨日のライブであなたのバージョンが聴けるのかな、と思ったのですが。

シャーロット:いいかも(笑)。やってみたい。きっと楽しいと思う。

PHOTOS:RIE AMANO

■「Cyan Blue」
Charlotte Day Wilson
リリース日:2024年8月9日
レーベル:XL Recordings

TRACKLISTING
01. My Way
02. Money
03. Dovetail
04. Forever (feat. Snoh Aalegra)
05. Do U Still
06. New Day
07. Last Call
08. Canopy
09. Over The Rainbow
10. Kiss & Tell
11. I Don’t Love You
12. Cyan Blue
13. Walk With Me
14. Life After (Bonus Track for Japan)
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13954

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ドレイクやジェイムス・ブレイクも注目するシャーロット・デイ・ウィルソン その音楽の根底にあるものとは?

PROFILE: シャーロット・デイ・ウィルソン

PROFILE: カナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、プロデューサー、マルチ・インストゥルメンタリスト。2016年のEP「CDW」と18年のEP「Stone Woman」が高い評価を受け、21年にセルフ・リリースで発表したデビュー・アルバム「Alpha」が世界から絶賛され、これまでにドレイク、ジョン・メイヤー、ジェイムス・ブレイクがシャーロットをサンプリングでフィーチャーし、最近ではパティ・スミスが「CDW」収録のシングル 「Work」を称賛し、カバーしている。24年5月にニューアルバム「Cyan Blue」をリリースした。

10月、「朝霧JAM 2024」への出演を含む初のジャパン・ツアーを行ったカナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、シャーロット・デイ・ウィルソン(Charlotte Day Wilson)。ジャズやソウル、R&B、アンビエントなど多彩なテイストが織りなすムーディーで繊細なサウンドの雰囲気。ドレイクやジェイムス・ブレイクも惹きつけた彼女の音楽だが、ステージではそうした音の一つ一つを丁寧に磨き上げ、楽曲の魅力を新たに伝え直すようなリッチでオーガニックなバンド演奏が印象に残った。2021年にセルフ・リリースしたデビュー・アルバム「Alpha」を経て、今年5月にアメリカ西海岸の自然に囲まれた環境の中で制作されたニュー・アルバム「Cyan Blue」。時にフォーク・ロックやラウドなギター・サウンドも聞かせたこの日の鮮やかなパフォーマンスは、こうした経験が彼女にもたらした影響を想像させる、自由でオープンなインスピレーションに満ちたものだったように思う。

今回の「Cyan Blue」の制作過程について、シャーロットは過去の自分を見つめ直すような時間だったと振り返っている。「シアン・ブルー(※緑みがかった青)」というタイトルは彼女の瞳の色に由来するもので、制作中やこれまでの人生の中で出会ったさまざまな「青」にまつわる記憶や感情についてアルバムでは綴られている。そんな“青の時代”をめぐる親密でパーソナルな音楽をつくり上げた彼女は今、何を思い、何を感じているのか。東京公演の翌日に中目黒のオフィスで話を聞いた。

「青」に惹かれる理由

——昨夜のライブですが、楽曲の新たな魅力を引き出すようなパフォーマンスで素晴らしかったです。MCでバンドのメンバーを称える場面もありましたね。

シャーロット・デイ・ウィルソン(以下、シャーロット):ギタリストのイアンとはもう5、6年の付き合いで、ドラマーのライアンは彼の親友で、誰と演奏しても旅を楽しんでいるような人なので(笑)、イアンの推薦もあってバンドに加わってもらうことになったの。チェロとハープと鍵盤を弾いていたウーリ(Ouri)は、モントリオールを拠点に活動しているアーティスト仲間で、彼女の音楽は私にとって大きなインスピレーションになっている。今回、このアルバムの制作にあたり思い切って彼女に声をかけて、バンドの一員として参加してもらえないかとお願いした。そしたら快く引き受けてくれた。

——ちなみに、ステージでは曲によって2色のライトが使い分けられていたのも印象的でした。新作の「Cyan Blue」の曲はアルバムのキーカラーである青、そのほかの曲はオレンジ(※以前の彼女は、自分がつくる音楽について「オレンジと黄色のオンブレ」のイメージと語っていた)のライトが使われていたのかな、と終演後にふと思ったのですが。

シャーロット:会場のライティング・テクニックを使っていたのでそこまで意図的ではなかったけど、ただ、使用する色についてはかなり具体的に指示を出したので、その範囲内でスタッフが自由にクリエイティブな裁量を発揮してくれたんだと思う。

——その新作のキーカラーである「青」は、アルバムのアートワークやアーティスト写真にも象徴的に取り入れられていて、そのイメージは愛や内省をテーマにした作品のストーリーとも深く結びついています。その制作にあたってインスピレーションを受けたものとして、アート評論家のマギー・ネルソン(Maggie Nelson)が2009年に書いた「Bluets」という本を挙げられていましたが、それはどういった示唆を与えてくれた本だったのでしょうか。

シャーロット:あの本は、なんというか……表現するのが難しいけど、ある種の“アート小説”のようなものというか。著者が人生のある時期、「青」という色に深く魅せられて、その色を通して世界と自分自身をつなぎ留めるための“ポエティック”な方法を見つける——というような内容で。つまり、彼女にとって「青」は、特定の場所や状況で現れることで、周囲の環境とのつながりを感じさせる特別な色だったんだと思う。そして、このアルバムに取り組んでいる間、私も同じような経験をしたの。「青」という色に強く惹かれ、マギー・ネルソンをはじめとする、私にとって重要なアーティストたちとの共鳴を感じて。私も、彼女らが人生で経験した“青の時代”をめぐる対話に参加したかった。私たちはみんな、人生においてお互いにつながっていると感じたいと思っているし、自分のいる世界と深く関わっていたいと願っている。そのことにあの本を読んであらためて気付かされたわ。

——シャーロットさんの記憶に残る“青の時代”、また「Cyan Blue」の制作中に出会った「青」について教えてください。

シャーロット:アルバムに「Cyan Blue」と名付けた理由の一つは、最初に出会ったパートナーに、私の目はシアン・ブルーだと言われたから。だからこのアルバムは基本的に、グリーンとブルーをした私の目そのものなの。そして、初恋が人生においていかに大きな変化をもたらすかということを思い出した。その“時代”というのは、人生の中で全てがとても重く、とても意味深く、とても豊かな感情に満ち溢れていたのを覚えている。それで、もう一度あの目を通して人生を見つめ直したい、あの目を通して音楽を感じたい、あの目を通して自分の感情を取り戻したいって思ったの。

他にもそういう経験をたくさんしたわ。甥っ子がクレヨンを拾ったんだけど、その色がまさにシアン・ブルーだった。で、母のところに行って「すごくいい色だね」って言ったの。すると母は「あら、本当にそうね」って、そしたら彼は、まるで私の目のようだと言って。そういう小さな瞬間がたくさんあった。そして、周りの世界が意味を持っているように感じた。そんなふうにして私たちはみんな、自分の周りの世界につながりを見いだし、インスピレーションを得ようとしているんだと思う。

——その本では、“青の時代”を象徴するエピソードとして、ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の「Blue」についても触れられているそうですね。シャーロットさんにとっても、今回の「Cyan Blue」において「Blue」は大きなインスピレーションになりましたか。

シャーロット:ええ。ジョニ・ミニッチェルは、特にカナダの歴史において影響力のある重要なソングライターで。そして、彼女はロサンゼルスのローレル・キャニオンに引っ越して、そこで「Blue」を書いた。私もローレル・キャニオンで今回のアルバムをつくっていたので、どこか自分と重なるものを感じていた。自分の世界や、過去に影響を受けた人たちとのつながりを求める気持ちがあって。実際、「Blue」は音楽史に残る重要な作品だし、私を含めて多くの人たちにとって普遍的な共感を呼ぶ聖典的なアルバムだと思う。

お気に入りのアーティスト

——ローレル・キャニオンのロケーションはいかがでしたか。

シャーロット:とても美しい地域だった。毎日、丘陵地帯をドライブしてスタジオに通うのが日課で、その風景が私のインスピレーションの源になっていたわ。そのとき乗っていた車を(「Cyan Blue」の)アートワークに入れたのは、そういう理由もあって。近所をドライブするだけで無数のアイデアが湧き上がってくるような、そんな感覚があった。

——ローレル・キャニオンといえば、1960〜70年代からフォーク・ミュージックの聖地として知られていますが、そうした音楽からの影響についてはどうでしょうか。昨日のライブでは、終盤で演奏された「Dought」がサイケデリックなフォーク・ロック調にアレンジされていたのも印象的でした。

シャーロット:もちろん、ジョニ・ミッチェルは大好きなフォーク・アーティストの一人。それに、高校時代はフリート・フォクシーズをよく聴いていたわ。それから“サイケデリック”といえば、ピンク・フロイドもそう。ザ・ビートルズには素晴らしいサイケデリックなチャプターがたくさんあるし、プリンスも独特のサイケデリックな世界観を持ったアーティストだと思う。

——以前にカバーされたこともあるニール・ヤングは? 彼もまた母国であるカナダの重要なアーティストの一人ですよね。

シャーロット:そうだった(笑)。ニール・ヤングも大好きなカナダのレジェンドで、高校生の頃、音楽を聴くために2台のスピーカーを持っていて、ベッドに横になって聴くのが習慣だった。こうやって頭の両側にスピーカーを置いて(笑)、ニール・ヤングの「Heart Of Gold」をよく聴いていた。とてもハイになって、心が解き放たれるような、特別な体験だったのを覚えているわ。

——昨日のライブではシャーロットさんが弾くギターも鮮烈でした。ちなみに、好きなギタリストは誰かいますか。

シャーロット:ニール・ヤングのギターは大好き。彼はテクニック的に特別優れたギタリストというわけではないかもしれない。私もギターがうまくはないけど、ギターで曲を書くのは楽しいし、弾くのも楽しい。それが彼のギターからは伝わってくるから。それと、ファイストも大好きなギタリストの一人。ジョニ・ミッチェルやジョン・メイヤー、あとエイドリアン・レンカーも独自のスタイルでギターを奏でる素晴らしいミュージシャンだと思う。

——そういえば、過去にエイドリアン・レンカーをプロデュースしたいと話していたこともありましたね。同じソングライターとして、彼女のどんなところに惹かれますか。

シャーロット:とても“アコースティック”なところかな。アコースティック楽器が奏でる温かみや、彼女の声と歌詞の親密な雰囲気が好き。彼女の音楽からはそんなアコースティックな要素が存分に引き出されていて、とても惹かれるの。

「タイムレスで普遍的なものをつくりたい」

——そういえば、日本には花言葉に似た「色言葉」というのがあって、シアン・ブルーには「気高さ」や「品格」、「粘り強く困難に立ち向かう忍耐力の人」という意味合いがあるとか。

シャーロット:本当? すてき。

——新作の「Cyan Blue」は、若い頃の自分の視点から曲を書くこと、若い頃の自分に語りかけることがテーマだったと聞きました。それっていうのはやはり、年齢やキャリアを重ねた今だからからこそ至った境地だったりするのでしょうか。

シャーロット:どうなんだろう……人は人生のどの段階にあっても、若い頃の自分と話がしたいという願望や衝動に駆られることがあるんだと思う。それは、過去の経験が今の自分を作り上げているという確信からくるのかもしれない。それに、私は実存主義者なので、過去を振り返ることは自分自身をより深く理解し、時には未知の未来を理解するための方法だと考えているところがあって。なので、何がどうあれ、そういう作品をつくることになっていたんだと思う。

——逆に、若い頃の自分が今の自分に語りかけてくるような感覚を覚えることもあった?

シャーロット:ええ、それはいつも感じていて、今の私、過去の私、そして未来の私、どの自分に対しても敬意を払いたい。それは、どんな自分であっても、その存在を認め、尊重したいという気持ちからかもしれない。それって、今の自分と向き合うことを避けているってことなのかもしれないけど……でも私は常に、時間というものに縛られることなく自分自身を称えたいと思っていて。過去も未来も、そして今の私も含めて全てをつなぐような、そういうタイムレスで普遍的なものをつくりたいという願いがあるからなの。

——初期に発表された作品で、「Stone Woman」という曲がありますよね。「Stone Woman」という言葉は、自身が主宰しているレーベルの名前にも取られている特別なフレーズだと思いますが、あの曲で称えられていた美のあり方――“強さのなかにある冷徹で硬質な美しさ”というイメージが深く印象に残っています。あのあり方というのは、今もあなたが惹かれる美しさの規範の一つだったりするのでしょうか。

シャーロット:少しは成長したと思う……うん、そう思うな。以前の方がガードが固かったし、少し傷つきやすくなったのかもしれない。でも、自分の芯の部分には、常に少しストイックな要素があるのは確かだと思う。今朝、私の一番親しい友達の一人から「あなたが何を考えているかまったく分からない」って言われたの(笑)。考えてみると、私は自分の感情があまり表情に出ないタイプなのかもしれない。なので、もっと積極的に気持ちを伝えなければいけないって思うの。楽しい時はそれを伝え、感謝の気持ちも言葉にしたい。周りの人に「愛している」って伝えなければいけないって。

「歌を歌うことが癒やし」

——今日や昨日のライブもそうですが、シャーロットさんというと「黒」のイメージがあり、アーティスト写真などを拝見すると、スポーティーな服を好んで着られている印象があります。心地よさや自分らしさを感じるファッションのこだわりがあったら教えてください。

シャーロット:アスレチックで機能的な服が好き。でも同時に、服の細かなディテールにもこだわりがあるの。

——「黒」へのこだわりはありますか。

シャーロット:黒は私にとって、ちょうどいいデフォルトというか(笑)。他の人にとってはそうではないかもしれないけど、私にとってはどんな色とも合わせやすく、ニュートラルな色。

——シャーロットさんの曲は、パーソナルで繊細な感情を歌ったものが多く、書いたり歌ったりしていて感情が消耗することもあるかと思いますが、セルフケアで気にかけていることなどありますか。

シャーロット:歌を歌うと癒される。逆に、私が最も嫌いなのは、ステージで歌を歌っていて何も感じないことで。観客が私の歌に共感してくれなければ、私も感情移入することができない。ただ曲を完唱するだけで、まるでロボットのような歌い方になってしまう。それに私は普段、歌に込められた感情を思い出して歌うということはしないタイプで。でも昨夜のライブは特別で、観客が本当に私と一緒にいてくれた。観客が一緒に歌ってくれて、熱心に聴いてくれていると感じることができて、本当に一体感が生まれていました。そのおかげで、曲の世界観に深く入り込み、感情を込めて心から歌えた。その曲が何について歌っていたのかという場所に戻って、その曲と本当につながろうとしていたんだと思う。それが私にとって癒やしであり、カタルシスを感じられる瞬間なの。

——そういえば、来日してからもテニスをされていたそうですね。その様子をSNSにアップしていましたが、身体を動かすことも“癒やし”の一つですか。

シャーロット:そうね、テニスは私を正気に保ってくれるの(笑)。だから毎日プレーするようにしているわ。

——バスケやホッケーもやられていたそうですが、小さい頃から身体を動かすことが好きだったんですか。

シャーロット:昔から運動神経は良く、スポーツをするのが好きだった。どこかでエネルギーのはけ口を求めていたのかもしれない。スポーツは私にとって、生意気な自分でも許される環境というか、ワイルドな自分を出せる場所だったように思う。そして、ストイックな自分という素の私に立ち戻ることができる。実際、スポーツをしている時の私はありのままの感情が解放されていて(笑)、普段とは違う自分になれるのが気持ちいいの。

——昨日のライブでは最後に新曲を披露されました。日本のファンにとって最高のサプライズになりましたが、どんな曲か教えていただけますか。

シャーロット:自分の場合、夢から覚めた直後のぼんやりとした意識の中で歌詞が浮かんでくることが多くて、すぐに書き留めることができればいいけど、また眠ってしまい、目が覚めたら忘れてしまってもどかしい思いをすることがあるの。でもこの曲は、目が覚めてからもハッキリと歌詞のイメージが残っていたんです。まるで「おはよう、愛しい人よ」みたいな、温かい言葉が自然と口をついて出るような感覚だった。

ある恋愛のとき、私たちは一時的に距離を置いていたことがあって。でも、相手は私のことを待ち続けてくれていて、その気持ちに応えたくてボイス・メッセージを送ったの。それは、私が今どこにいるのか、どんな気持ちなのかを伝えるサインのようなもので、それで生まれたのがあの曲だった。

——今回のアルバムに収録された「虹の彼方に(Over the Rainbow)」のカバーですが、当初は自分で歌詞を書き換えたものを収録する予定だったそうですね。許可が降りなくて断念したそうですが、どんな内容の歌詞だったのでしょうか。

シャーロット:ああ(笑)、あれはとても辛らつな歌詞で。元の曲とは真逆のもので、あの曲をひっくり返して、もっと過酷なことを歌おうとしたの。でも今は、それを出さなくてよかったと思っているわ(笑)。

——昨日のライブであなたのバージョンが聴けるのかな、と思ったのですが。

シャーロット:いいかも(笑)。やってみたい。きっと楽しいと思う。

PHOTOS:RIE AMANO

■「Cyan Blue」
Charlotte Day Wilson
リリース日:2024年8月9日
レーベル:XL Recordings

TRACKLISTING
01. My Way
02. Money
03. Dovetail
04. Forever (feat. Snoh Aalegra)
05. Do U Still
06. New Day
07. Last Call
08. Canopy
09. Over The Rainbow
10. Kiss & Tell
11. I Don’t Love You
12. Cyan Blue
13. Walk With Me
14. Life After (Bonus Track for Japan)
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13954

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大阪のミッドウエストで気鋭のデザイナー15人が語ったこと

名古屋を拠点とする大型セレクトショップ「ミッドウエスト(MIDWEST)」は10月12日、大阪の商業施設「ハービスPLAZA ENT(プラザ エント)」の店舗で、開業20周年を記念し、総勢15組の日本のデザイナーを招いたトークイベント「ミッドウエストデザイナートークショーフェスティバル(MIDWEST DESIGNER TALK SHOW FESTIVAL))」を開催した。

日本の気鋭ブランド15人・組のデザイナーたちは5つのグループに分かれてクロストークを繰り広げ、イベントに連動した別注アイテムなども販売するポップアップイベントも実施した。この模様を車椅子ファッションジャーナリストの德永啓太が当日の様子を取材し、「ミッドウエスト」を運営するファッションコアミッドウエストの大澤武徳社長にもインタビューを行った。

10月12日当日、気温は28度と10月とは思えない真夏日を迎えた。振り返れば、若手注目株からパリで活躍するブランドまで15名のデザイナーが1箇所に集まっているのだからその熱量が気温と比例したのだろう。来場者は地元大阪の方が集まると思いきや東京で顔を合わせる人がチラホラ。他県からこのイベントのために来たという方まで。各ブランドに合わせて一張羅で来ているファンも多く、会場の熱量も高くフェスティバルという名に相応しい気合の入った雰囲気を醸し出していた。自分も若かりし頃、何もないが故にファッション業界に少しでも近づきたいと様々なところに足繁く通ったことを思い出す。10年前と比べるとファッション業界に夢がない・憧れないと言われる昨今であるが、来場者の雰囲気を見る限りまだまだ悪くないと感じた。

グループA:「アキコアオキ(AKIKOAOKI)」青木明子デザイナー、「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」吉田圭佑デザイナー、「ヴィヴィアーノ「(VIVIANO)」ヴィヴィアーノ・スーデザイナー

グループAは「アキコアオキ(AKIKOAOKI)」青木明子デザイナー、「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」吉田圭佑デザイナー、「ヴィヴィアーノ「(VIVIANO)」ヴィヴィアーノ・スーデザイナーのセッション。ショーを継続することについて「好奇心を持ち続け、変わっていくことを肯定するのがファッション」(「ケイスケヨシダ」吉田圭佑デザイナー)。「時代に合った人間性や社会と対峙しながらも1歩先の提案をするのがファッションデザイナーの役目」(「アキコアオキ」青木明子デザイナー)。ブランドが提示したい人間像を表現するにはショーが一番伝わりやすい方法である。「好きなファッションに実直であることも重要」(「ヴィヴィアーノ」ヴィヴィアーノスーデザイナー)、1度きりのショーのプレッシャーに向き合いながらも服のあり方を社会に提示する。インディペンデントブランドでしかできない責任と目標が伝わる内容だった。

グループB:「エムエーエスユー(M A S U)」後藤愼平デザイナー、「ダイリク(DAIRIKU)」岡本大陸デザイナー、「カミヤ(KAMIYA)」神谷康司デザイナー

グループBは「エムエーエスユー(M A S U)」後藤愼平デザイナー、「ダイリク(DAIRIKU)」岡本大陸デザイナー、「カミヤ(KAMIYA)」神谷康司デザイナーのセッションで、”好きなもの”にはカルチャーがありコミュニティがあるという部分にフォーカスした。「ヴィンテージや映画、音楽について深掘りしてくれるファンと一緒にファッションを楽しみたい」(「カミヤ」神谷康司デザイナー)。「カルチャーからブランドを知ったり、ブランドからカルチャーを知ったり、とにかくいろんな角度からファッションを好きになってもらうことが重要」(「ダイリク」岡本大陸デザイナー)、「ブランドを愛してくれる人はマイノリティ側の些細な出来事に気づける人たち。そういう気づきをファンと高め合って大事にしたい」(「エムエーエスユー」後藤愼平デザイナー)ファッションに興味を持つきっかけづくりとそこから派生するカルチャーをファンと育み、時に耕していくことを熱く語った。

グループC:「フミエタナカ(FUMIE-TANAKA)」田中文江デザイナー、「ヨーク(YOKE)」寺田典夫デザイナー、「リコール(RE:QUAL≡)」土居哲也デザイナー

「フミエタナカ(FUMIE-TANAKA)」田中文江デザイナー、「ヨーク(YOKE)」寺田典夫デザイナー、「リコール(RE:QUAL≡)」土居哲也デザイナーのセッション。カルチャーや音楽と結びつくことの重要性に加え、物作りの責任も問われるのがデザイナーだ。サステナブルの考え方について、「人工的なタンパク質で生成した糸を採用し少しでも環境に負荷がかからないような洋服を届けることに努めている」(「ヨーク」寺田典夫デザイナー)「伝統的なクチュールの素晴らしい文化や考え方を次世代に紡いでいくことが重要」(「リコール」土居哲也デザイナー)「これまで生産できた生地も後継者がいないことで再現不可能になった生産工場や機械を再稼働させることで地域活性にも貢献できる」(「フミエタナカ」田中文江デザイナー)様々な角度で「継続と循環」を提案した。

グループD:「ベイシックス(BASICKS)」森川マサノリデザイナー、「フェティコ(FETICO)」舟山瑛美デザイナー、「ブラン(BLANC)」渡辺利幸デザイナー

グループDでは「ベイシックス(BASICKS)」森川マサノリデザイナー、「フェティコ(FETICO)」舟山瑛美デザイナー、「ブラン(BLANC)」渡辺利幸デザイナーが、社会問題に向き合いながらも、人間の欲望は叶えたい。そのためには時に社会の常識や流行に背き、ブランドがオルタナティブなデザインを提案することに触れた。「主流よりも日本人がスタイリングしやすい名脇役なアイウェアを提案したい」(「ブラン」渡辺利幸デザイナー)「前ブランド(クリスチャンダダ)では誰もやったことがないことをやっていた。今でもやりたい気持ちはある」(「ベーシックス)森川マサノリデザイナー」「誰にでも受け入れやすい服は作りたくない。刺さる人に刺さってもらえたら」(「フェティコ」舟山瑛美デザイナー)。人と違うことを恐れず愛用者の自己肯定を後押しすることもデザイナーの役目である。

グループE:「ダブレット(doublet)」井野将之デザイナー、「チカキサダ(CHIKAKISADA)」幾左田千佳デザイナー、「サルバム(sulvam)」藤田哲平デザイナー

グループEの「ダブレット(doublet)」井野将之デザイナー、「チカキサダ(CHIKAKISADA)」幾左田千佳デザイナー、「サルバム(sulvam)」藤田哲平デザイナーでは、グローバルで展開すると「なぜ美しいと思ったのか、何に美しいと感じるのか」とバイヤーからの問いに応える場面が多いという。「子供の尊さや可憐さはその瞬間しかない。みんな大人になっていくけど誰しもが持っているピュアな心」(「サルバム」藤田哲平デザイナー)「他人の評価より自分が美しいと思えることが重要。僕は海外で 『ビューティフル』と発した声や反応が美しいと感じた」(「ダブレット」井野将之デザイナー)「唯一無二なモノ、誰かにとっては不必要でも誰かにとっては特別で重要なモノ。先生や先輩からの助言が必ずしも正しいわけではない」(「チカキサダ」幾左田千佳デザイナー」)。ファッションデザイナーとして自分の美学や哲学を持つことの重要性を語ってくれた。

質疑応答ではこれからデザイナーを目指す学生から現在アパレルで働いている人まで、現役デザイナーに問いかける内容は濃く、それに対して真摯に答える各デザイナーたち。このやり取りだけでも「ファッションには夢がある」と考えている若者が多いことがわかった。最終的には立ち見の人も多く、イベントは大盛況に終わった。このイベントを実施できたこと、また15名の現役デザイナーを集められるのはMIDWESTという老舗セレクトショップであり、イベントのディレクションをした大澤社長の人柄が大きく反映されていると感じ、私は改めて当日のイベントを振り返りながら話を聞いた。

大澤社長に直撃、「デザイナーを店頭に呼ぶ理由」

ーー大盛況だったが今回のイベントはどのような経緯で?

大澤武徳ファッションコアミッドウエスト社長(以下、大澤):ミッドウエスト大阪店はハービスプラザENTの商業施設内にあるので、施設側から20周年イベントの一環としてお声がけいただきましたが、ネットの時代だからこそ、このイベントはやらないといけないという使命感はありました。

ーー運営は誰が?

大澤:イベントのキャスティングから空間展示、音響からヴィジュアルまで全て自社のスタッフです。今回は大々的に行いましたが普段からポップアップやイベントを行っているので、これまで我々が行ってきたイベントの集大成といっても良いかもしれません。

ーートークの内容やキャスティングはどのように?

大澤:キャスティングは僕が独断で決めましたが、事前準備はなく当日は全てアドリブです。あえていうなら事前に顔見せと打ち上げを込めて、弊社にデザイナーを招待してバーベキューを開きました。意外にもそこで初対面だったデザイナーたちもいたようですが、自然と仲良くなっていた様子でした。僕はそれぞれのデザイナーたちとは会食を重ねているので、もしかしたら信頼してくれているのかなと思うくらい終盤は皆さん酔っ払って楽しそうでしたね。

ーーデザイナーの決め手は?

大澤:売上や実績の云々ではなく、デザイナーが魂込めてこだわった服が僕は大好きなんです。「流行り」は重要ではありません。デザイナーと会食を重ねて、どうやったらお客様が喜んでくれるか対話をするのも大好きです。お客さまやファンにリアルな体感をすることで純度の高い経験をお客様に提供したい。こういったお話に好意的なデザイナーにお声がけしました。

小売のプロとしての役割

ーーデザイナーとはどのように話を?

大澤:長年ショップを運営していてわかることは、常連のお客様でも趣味嗜好や環境が変わるので、3年に1度の周期で客層の雰囲気がガラッと変わるんです。だからその度に新しいお客様を迎えるためにどんな仕掛けをしたらいいかをデザイナーとよく話をしています。ただしデザインの助言は一切しません。小売のプロとしてデザイナーとお客様の間に入って繋げることが我々の役割なのでその仕掛け作りの対話を繰り返します。会食だったりポップアップの合間だったり日々デザイナーとのコミュニケーションの中でトークイベントのアイデアが生まれます。毎週のようにイベントを開いてデザイナーやブランド関係者と会食を重ねる生活は気つけばもう20年以上になりますね

ーーデザイナーとの出会いは?

大澤:当社は今年で創業48年になりますが、デザイナーとの出会いは「ご縁」だと思っています。今回のイベントにはブランド創設時に自らショップへ足を運んでくださったデザイナーも、最近お付き合いを始めさせていただいているデザイナーも両方いらっしゃるのですが、全てご縁です。なるべく長くお付き合いしたいと思っていても、お客様だけじゃなくて社会も変わりますし、世界情勢も含めるとインポートも難しくなってくる。なのでその都度ショップも変わっていかないといけません。ショップの雰囲気を変えたいと意識しているときに出会えるデザイナーとはご縁を感じますし、逆にブランド側も体制を変えたり、PRを変えたりと今までと違うアクションを起こしている際に我々と繋がるときは、デザイナーとショップの波長が合う場合が多いので「一緒に盛り上げていこう」と展開が早いです。だから「ご縁」だなと常々感じます。

ーーデザイナーとの交流で印象に残るエピソードは?

大澤:ありがたい話ではあるのですが、熱量のあるデザイナーは独立したらショップまで持ってきてくれるんです。「どこどこのブランドで働いていた〇〇と申します。ブランドを始めたので見てください」って。とあるデザイナーが当時そのブランドで働いていたことを僕は覚えていなくて(笑)、ただ持ってきた服は前働いていたブランドの系譜を受け継いでいて、経験上「師匠は越えられない」というのが僕の見解なのでこんな話をしました。

「エディスリマンのファーストアシスタントだったクリスヴァンアッシュは独立したときエディの雰囲気と真逆なコレクションを発表し、当時のバイヤーから苦い顔をされていた。僕はその姿勢に感銘を受けとてもいいコレクションだと思ったけどファーストは4社ほどしかつかなかったそうだ。でも今やスターダムを駆け上がっている。」

そうすると彼は考え方が変わったようで。とはいえひとまずはお客様に知ってもらわないと始まらないのでショップで受注会をする機会を提供していたら、今やパリコレに参加するほどのブランドになっちゃって(笑)

他にもブランド創設時から付き合いのあるデザイナーとは対話を重ねてショップでポップアップを開くのですが、なかなか知ってもらえなかったり動きが悪かったり、、デザイナー自身も実際に店頭に立って売ることの難しさを肌で体感されてますし我々もその姿を身近で見てきました。経験上悔しい思いをして、それを跳ね返す気合のあるデザイナーは必ず成長します。だからこそ「一緒にファンを育てていこう、一緒に時代を作っていこう」と。そういった毎日の積み重ねやお互いに切磋琢磨した経験があるので、普段は表に出ないようなデザイナーたちもこういったイベントに協力してくださるのかなと思います。

「三方よし」の哲学を大切に

ーーイベントに来場されたお客さまの熱量も高かった。ネットでいろんな情報を掴めたり購入できるが、実際に出向いてデザイナーと交流したり、ファッションを語り合う「体験」をすることに勝るものはないなと改めて感じた。

大澤:デザイナーは積極的にお客様へ話しかけづらい立場でもあると思いますし、熱量の高いファンからするとデザイナーは芸能人と同等ですよね。でも本当はデザイナーもお客様も互いに気になってるしお話ししたいんです。だからデザイナーとファン双方ともに交流のある我々スタッフがその間に入って場の空気を作るのが役目なんです。スタッフにはその場のプロだという意識を持ってもらってます。ただ急にスタッフが空気を作ることはできないので、日々のお客様との交流であったり、各デザイナーの思いやブランドの姿勢を理解するという毎日の小さな努力の積み重ねによって大々的なイベントにも対応できていると思います。現代はネットの時代で、もちろんオンラインもやらせていただいてますが、現場スタッフが情熱を持って接客しないとモノは売れません。ネットではデザイナーの魂が反映されないんです。だからこそ”現場の体験”というものに重きを置いています。昔から経営哲学の「三方よし」という言葉を大切にしています。デザイナー・ショップ、お客様全てがよくなる。ファッションで三方よしにするには目先の利益よりもトークイベントのようにそれぞれの心地よい経験が積み重なって業界が盛り上がっていくことが大事なんじゃないかな。

ーーーーーーーーー
トークショー終了後、アフターパーティが行われ来場者との交流が行われた。代表の大澤社長のいうようにファンからするとデザイナーはスターである。当日購入したお客様は各デザイナーからサインをもらっていた。ファンからすると忘れられない一日となっただろう。そしてサイン入りのアイテムは代替の効かない宝物である。この体験ひとつがファンの人生に大きく影響し、「ファッションには夢がある、希望がある」と思わせてくれる。この濃密な1日はファンだけでなく、デザイナー並びにショップにも大きな出来事になったことだろう。現役デザイナーもプロになる前はどこかのブランドに影響を受け追っかけていたはずだ。少なくとも今回参加したデザイナーはファッションに対する愛情が深く信念があることがトークから感じられた。そんな彼・彼女らは次世代を引き継ぐ学生にファッションの哲学そして愛情を紡いでいく出番である。大澤社長の「デザイナーが魂込めてこだわった服が大好き」という答えに、今回参加したデザイナーの顔ぶれを見ると頷ける。どのブランドもファッションに対する熱量は高く、揺るがない価値観があり、社会と対峙しながらも強固たる「個」を貫くブランドばかりだ。トークショーの質疑応答で何度も手を挙げた学生がいた。自分の悩みさえ人前で吐露しながら素直になれる勇気のある行動。その若者は将来有望なデザイナーになりそうだ。当日話しかけることはできなかったが、大澤社長の言葉を借りるのならば「ご縁」があればあの学生と話ができるときを楽しみにしている。

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日本での存在感を高める「パンドラ」 “フル“ジュエリーブランドへの進化を担う2人が大切にする自己表現と包摂性

PROFILE: フランチェスコ・テルッツォ(左)&A.フィリッポ・フィカレリ「パンドラ」シニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクター

フランチェスコ・テルッツォ(左)&A.フィリッポ・フィカレリ「パンドラ」シニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 共にイタリア出身。2000年代初頭に出会い、04年に2人でメンズウエアブランド「ミー マイン」を設立。その後、主にアクセサリーを手掛けるファッションブランド向けのコンサルタントとしても活動。10年には、ミラノのコンサルティング会社GB ストゥディオの共同クリエイティブ・ディレクターに就任した。数年間にわたって「パンドラ」のコレクションをコンサルティングした後、17年にバイスプレジデント(VP)兼クリエイティブ・ディレクターに就任。23年にシニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクターに昇進し、現在に至る

世界100カ国以上で販売されているデンマーク発のジュエリーブランド「パンドラ(PANDORA)」が、日本での存在感を高めている。日本上陸自体は2011年だが、今年に入ってからは出店を加速。渋谷センター街や名古屋栄、京都河原町の路面店をはじめ、関東圏と関西圏を中心に29店舗をオープンし、今後も全国での店舗網拡大を計画している。また10月24日には、グローバルアンバサダーに就任した韓国の5人組ガールズグループ、レッドベルベット(Red Velvet)を迎えたVIP限定のライブイベントを大阪で開催した。

そんな「パンドラ」は現在、自由にカスタムできるアイコニックなチャームブレスレットだけでなく、フルラインアップのジュエリーブランドとしての認知を高めるために取り組んでいる。その一翼を担うのが、17年に就任したフランチェスコ・テルッツォ(Francesco Terzo)&A.フィリッポ・フィカレリ(A. Filippo Ficarelli)=シニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクターだ。20年以上デュオとして活動し、現在はコペンハーゲンとミラノを行き来する2人に、ブランドにもたらした変化やジュエリーに対する考えを聞いた。

表現するのは、あらゆる形の愛

WWD:クリエイティブ・ディレクターに就任してから約8年になるが、「パンドラ」のジュエリーとどのように向き合い、変化をもたらしてきたか?

A.フィリッポ・フィカレリ「パンドラ」SVP兼クリエイティブ・ディレクター(以下、フィカレリ):就任当時から、私たちのミッションは「パンドラ」を“フル“ジュエリーブランドへと変えること。象徴的なチャームブレスレットの背景にある“パーソナライズ“や”自己表現“というアイデアを幅広いジュエリーを通して表現することに取り組んでいる。また、ジュエリーは素晴らしい業界だが、伝統的な慣習も多く、“ロマンチックな愛“や”女性への贈り物“といった特定の文脈で捉えられがち。そこに、現代的で新しい視点を持ち込んだ。

WWD:そのリブランディングの一環として「LOVES」を新たなコンセプトに掲げ、これまで愛にまつわるさまざまなプロジェクトやキャンペーンを手掛けてきた。今年スタートしたグローバルキャンペーン「BE LOVE」もその一つだと思う。その背景には、どんな思いがあるのか?

フランチェスコ・テルッツォ「パンドラ」SVP兼クリエイティブ・ディレクター(以下、テルッツォ):「愛」という概念は、「パンドラ」にとって重要な要素。しかし、フィリッポが話したように恋愛的な文脈で語られることが今でも多く、「愛」にまつわるストーリーを私たちの視点で書き換えたかった。私たちが表現するのは、恋人という関係性だけでなく、さまざまな色で彩られた、あらゆる形の愛。そして、愛を行動で示すということ。そのコンセプトを伝えるのが、「BE LOVE」だ。ブランドにとって次のチャプターでもある「BE LOVE」は、単なるシーズンキャンペーンではなくムーブメント。さまざまな世代やコミュニティーの声に光を当て、皆を巻き込んでいくことでムーブメントを起こせればと考えている。

フィカレリ:愛には力がある。暗いことも多い時代だからこそ、ポジティブなメッセージが必要だ。「パンドラ」で仕事を始めた当初から刺激を受けているのは、世界的な規模を生かして多くの人にアプローチできるということ。文化もジェンダーも年齢も異なる人々に、インクルーシブなメッセージを届けていきたい。

WWD: 2人にとって「パンドラ」のジュエリーとは?

フィカレリ:エモーショナルで、一人一人の人生にとって深い意味のあるもの。単に身に着けるオブジェではなく、パーソナルな思い出やアイデンティティー、それぞれが伝えたいストーリーに強く結び付いていると思う。ルールにとらわれず自由に身に着けることで自信やパワー、喜びを感じてもらいたい。

テルッツォ:私たちのアイデンティティーの一部であるのはもちろん、タリスマン(お守り)のような役割もあるし、己の中の“ストーリーテラー“を解き放つもの。そして、「パンドラ」のジュエリーは特別なシーンのためだけでなく、毎日の生活を称えるものだ。

WWD:コレクションを制作する時には、何からインスピレーションを得ることが多い?

テルッツォ:私たちはいろんな国を訪れているけれど、そこで出会う人々が大きなインスピレーションになっている。今を生きるということは、この時代を生きる人々の声とつながり、互いに刺激し合うこと。さまざまなストーリーに耳を傾けることが、私たち自身のクリエイティブなエネルギーにつながっている。ただ、都会の中では何もかもがとてもスピーディーに進んでいくから、クリエイションの過程では静かな自然の中に過ごす時間も大切。そうすることで、自分たちが吸収したことを振り返ったり、整理したりすることができるからね。

チャームは、パワフルな言語

WWD:「パンドラ」にとってチャームは欠かせない要素。拡大するアイテムのラインアップの中で、チャームをどのように捉えているか?

フィカレリ:チャームは、人それぞれのストーリーを表現できるパワフルな言語であり、常に進化させていきたいと考えている。ジュエリーの歴史において、チャームの起源は古代エジプトまでさかのぼり、異なる文化の中でさまざまな形で取り入れられてきた。「パンドラ」のチャームは、私たちが生きる時代の文化を捉えられるものであり、タトゥーやスニーカーと近いと考えている。チャームは身に着ける人にとって大切な何かを表しているため、着用者との関連性がカギ。だから、一つの要素を選り好みしたり、押し付けたりするのではなく、さまざまな人が魅力を感じたり、共鳴したりするものを提案している。さらに好きな言葉やシンボルをエングレービング(刻印)できるサービスも始め、よりパーソナルな表現ができるようになった。

テルッツォ:最近では、「BE LOVE」と名付けたハートのチャームもローンチした。これは、「パンドラ」がチャームブレスレットを発売した2000年にデザインされたものを私たちなりに再解釈したもの。ふっくらと丸みがありながら、先が尖っているデザインが特徴で、刻印もできる。ハートの背景にはさまざまな意味合いがあるけれど、多くの人が身近に感じられるモチーフだと思う。

WWD:近年は、ラボグロウンダイヤモンドを用いたジュエリーを制作したり、自然の有機的な形状に着想を得た“エッセンス(ESSENCE)“コレクションをローンチしたりと、新しい提案も多く見られる。これからの目標は?

フィカレリ:今後も、「BE LOVE」というメッセージをフルラインアップのコレクションを通して広げていくことに取り組んでいく。そして将来に向けては、文化と深く結び付く“カルチュラル・プレーヤー“としてブランドを確立したい。

テルッツォ:具体的には、文化的かつクリエイティブなプラットフォームとして、アーティストやミュージシャンとコラボレーションしていく。重要なのは、表面的な知名度ではなく、その人が伝えたいメッセージやストーリーを持っているかということ。さまざまな才能に「パンドラ」のプロジェクトの門戸を開き、アイデアを共有することで、多様なクリエイティビティーがつながり合う世界を築きたい。

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俳優・成田凌が「死ぬ以外何でもやる」という気持ちで挑んだ映画「雨の中の慾情」

PROFILE: 成田凌/俳優

PROFILE: (なりた りょう)1993年11月22日生まれ、埼玉県出身。2013年にメンズノンノモデルオーディションに合格。14年にドラマ「FLASHBACK」で俳優デビューし、数々の話題作に出演する。映画「スマホを落としただけなのに」、「ビブリア古書堂の事件手帖」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。近年は、ドラマ「降り積もれ孤独な死よ」、「1122 いいふうふ」や、映画「くれなずめ」、「ニワトリ☆フェニックス」、「スマホを落としただけなのに 〜最終章〜 ファイナル ハッキング ゲーム」など・映画「【推しの子】-The Final Act-」(12月20日公開予定)の公開も控えている。

ドラマと映画を分け隔てることなく、精力的に作品に出演し続けている俳優の成田凌。フィルモグラフィーが猛スピードで上書きされていく中で、絶対に見逃してはいけない主演作にして代表作が誕生した。それが11月29日から公開される片山慎三監督の「雨の中の慾情」だ。

「岬の兄妹」「さがす」と同じく、本作の脚本は片山監督によるオリジナルだ。漫画家・つげ義春の短編「雨の中の慾情」を原作に、つげの「夏の思いで」「池袋百点会」「隣りの女」の要素を融合させて、数奇なラブストーリーに編み上げた。

成田が演じる主人公は、売れない漫画家の義男。未亡人・福子(中村映里子)と小説家志望の男・伊守(森田剛)との三角関係が、純粋な欲望としたたかな打算が交差する中で展開し、シュールレアリスム、ファンタジー、戦争映画、ヒューマンドラマといったジャンルを横断しながらマジックリアリズム的な映画体験で圧倒する。

片山慎三とつげ義春、2人の芸術家の創造力が最高次元で融合したこの大傑作の現場で何があったのか? 成田凌に、主演俳優の視点でたっぷりと語ってもらった。

「最初の撮影から手応えを感じた」

——「雨の中の慾情」、本当に素晴らしかったです。俳優・成田凌の代表作が誕生したと思いました。

成田凌(以下、成田):そう言っていただけてうれしいです。ありがとうございます。

——どの時点で手応えを感じましたか?

成田:初日です。自分の芝居を修正するために、撮ったものはその場ですぐに映像チェックするのですが、今回は撮影監督の池田直矢さんの映像がもともとすごく好きだったので、余計に早くチェックしたくて。ファーストカットの映像を現場で見た時に、「わー、これは、いいなあ……」と思いました。手応えを感じたのはその時ですね。でも、現場の人間同士で「これはいい作品になるね」みたいなことはあえて言わないようにしていました。そこで満足しない危機感と、常に「本当にこれでいいのか?」という疑問を持ち続けながら、監督、スタッフ、キャスト全員がクランクインからクランクアップまで現場にいました。そこにあったのは熱……という言葉では収まらない、「いい作品を作る」という一種類の気持ちだけでした。

——最初に撮ったのはどのシーンですか?

成田:義男の家で、O子(李沐薰)と対峙するシーンでした。なんか、緊張しました。でも本当にあの家の美術が素敵で。実際に人が住んでいる家をお借りして、そこに暮らしている犬も登場して。

——あの動じない犬! もともと彼のテリトリーだから、あのくつろぎ方だったんですね。

成田:みんなに愛されていましたね。

——初日を迎えるまでどんな準備をしたか、どんな心境だったかを教えてください。

成田:体型の準備はしましたけど、一番は「覚悟していく」でした。どの作品でもそうですが、片山さんの作品は特に生半可な気持ちでは入れないですからね。作品期間中は「死ぬ以外いいや」と本気で思ってました。台湾の田舎の田んぼやドブで、自分が這いつくばらなきゃいけない場所の、衛生状態がかなり悪かったんです。「うわ!」とは思うけど、そこを通過していくことが義男を作っていくことだから、本当に「死ぬ以外何でもやる」という気持ちでした。いろいろ大変でしたけど、とにかく体力はある方なので、そういう人間でよかったなと思いました。

——成田さんにそこまで覚悟をさせた片山監督は、どんな存在でしたか。

成田:「いつか必ず一緒に仕事がしたい」と思って生きていました。片山さんの作品に出たい俳優はたくさんいると思います。いろいろなことに対して逃げずにまっすぐ挑んでいく監督と一緒に作品を作りたい。この作品に携わることができて、本当に良かったです。

「めちゃめちゃ考えて演技しました」

——前情報を入れずに「雨の中の慾情」を見始めると、たくさんの「?」が芽生えていきました。戦争のシーンをきっかけに全ての「?」が回収されていき、ものすごくスッキリしました。

成田:ありがとうございます。戦争のシーンは特に思い入れがあって。あのワンカットを撮るために、朝から日が暮れるまで、1日がかりでみんなで撮ったんです。練習に練習を重ねて、「じゃあ(本番)回してみようか」と。「すごいことだな」と思いながら演じた結果、すごい画になりましたよね。

——あのワンカット撮影には圧倒されました。ただ、もしも義男がこんなにも可愛くて魅力的でなかったら、前半のたくさんの「?」を途中で諦めてしまったかもしれません。

成田:この「雨の中の慾情」の取材では、女性陣が義男を愛でてくださいます。それは自分の中の目標としてありました。(義男が)いなくなった時の寂しさがあったらいいなって。義男には流される瞬間と、欲望のままに生きる瞬間、すごく悪い人間になる瞬間もあると思うんですけど、彼の優しさが見える瞬間がたまにあることで、「優しいんだこの人は」と思っていただけたらいいなと。

——義男のその欲望も、ある設定の中での発露であり、戦争のシーンで明らかになった義男の人生を考えるといたたまれない気持ちになりました。この映画のように、観客に疑問符を与えて混乱させながらも最後まで連れて行くのは、映画という表現形式の醍醐味ですよね。

成田:そう思います。ご覧になる方がこの映画の世界にスムーズに入ってきてくださったらいいなと思って、冒頭のシーンで義男という人が伝わるようにしました。脚本は監督からの手紙のようなものなので、とにかく丁寧に、脚本に書いてあることを一つ一つ形にしていく感覚でした。何も考えずに感情のままやりました、とか言えたらかっこいいですけど、めちゃめちゃ考えました。立ち方一つから、走り方から。

——義男の走り方は確かに独特でした。そしてよく走りました!

成田:監督から「義男はこう走ると思います」と言っていただいたんです。肘を曲げない。手はまっすぐ。腕を振らない。そうだよな、と思いました。走り方に人間が出ると思うし、走るシーンが義男の全てを映し出していると言っても過言ではないかもしれません。脚本では「義男、走る」の1行ですけど、現場では朝晩、毎日このシーンを撮影していました。

——さまざまな場所を走る義男のシーンを一連でつないだシーンが、とてもエモーショナルでした。でも、現場では地道に走り続けていたわけですよね。

成田:基本的には行ったロケ地で、その日のシーンを撮る前と撮り終わったあとに走りました。義男が歩んできた人生の道を走る。完成版を観たらしっかりと使われていて、感情が揺さぶられるすごく良いシーンになっていたので、がんばりが報われた想いです。あと、福子(中村映里子)と伊守(森田剛)が義男の家に転がり込んできて、その2人を隣の部屋から覗(のぞ)くシーンでは、監督から「義男さんは猫になってください」と言われました。地面からゆ〜っくり覗きにいくような猫になって、と(笑)。

——「こっちに5センチ動いて」「2秒待って」といった演出もあると思いますが、「猫になってください」という演出は成田さんにとってどうでしたか。

成田:監督の「こうして」「ああして」という言葉の一つ一つがとにかくピュアでまっすぐなんです。たまに「こういう感じで」と演じてくださったりもするので分かりやすかったです。自分は結構選択肢を持って現場に行ったり、現場で「こうしたいな、ああしたいな」と生まれてくるものもあったりするので、監督と相談しながら進めていく場面もありました。監督はもちろん、撮影監督の池田さんにも「どう思いますか?」と聞いたりもしてましたね。

——池田さんにはどんなことを質問するのですか。

成田:「こういう画角だったらこういう動きの方がいいですか?」とか。舘野(秀樹)さんがすごくきれいな照明を作ってくださったので、「どの角度で当たった方がいいのかな?」とか。言葉では説明できないんですけど、自分の中で「これは監督に聞こう」「これは撮影監督に聞こう」という違いがあるんです。池田さんはずーっと全体を見て、人間を見て、感情を見てくださっている方。気持ちを共有して撮っていただくと、全然違うものになると思うんですよね。僕に撮らせてくれることもありました。

——え? カメラで?

成田:はい。走ってるシーンで1つと、義男の足元のカットを1つ。どっちから言ったのかな……。義男の目線のショットだったので、「僕が撮りましょうか?」と提案したのかもしれません。

——監督と池田さんのコンビネーションは、成田さんから見ていかがでしたか? 池田さんは監督の目、なのでしょうか。

成田:池田さんだけじゃなくて、スタッフ全員の信頼関係がすごかったです。本当に全員が信頼しあっている、愛とエネルギーに満ち溢れた現場でした。すごくいい現場。なんか、笑っちゃうぐらい(笑)。みんなで台湾に行って、大変な思いをしてますから。

——台湾というロケ地が演技に与えた影響は大きかったでしょうね。

成田:台湾に行きっぱなしであの空気の中で撮るということで、僕が考えるべきことは2つだけでした。この作品のことと、この作品のスタッフと共演者の健康についてだけ。本当に幸せですよね。「あー、今日帰って部屋片付けなきゃ」といった生活が一切ない。それは本当にすごいことなんですよ。

——ずっと義男のままいられる感覚なのでしょうか。

成田:ちゃんと自分には戻るんですけど、身体のどこかにずっと(義男の感覚が)ある。泊まっている場所からちょっと外に出ると、この作品の中にある景色と空気、匂いがある。とにかくぜいたくな日々でした。

「この仕事をやっているのも、こういう作品と出合うため」

——今回の映画でツボだったのが、義男のきれいな横顔でした。

成田:僕って“横顔系”ですよね(笑)。

——(笑)。スタッフさんもそれを共有していたから、車の中で福子と口づけをするカットの横顔が本当に美しかったです。予告編でも使われているのでお聞きしますが、あそこで2人の間に電流が走ることは知っていましたか?

成田:知らなかったです。上がったものを見たら、電流が走ってました(笑)。監督に聞いてもきっと「なんなんだろうね〜」って言うと思います(笑)。多分、これは現実ではないというノイズみたいなものなんですかね。現場では常にちょっとずつノイズが入っている感覚がありました。福子さんに言われる「義男さんはここにいるべきではない」という台詞とか、引っ掛かりみたいなものがありました。

——伊守に「いい顔するねえ、義男くんは」と小馬鹿にされた後のカットは正面からでしたね。「いい顔」をどう表現するかというハードルがあったと思います。

成田:すごく難しかったです。いろいろ考えましたけど、現場に行ってみないとな、という感じでした。でも、あそこはそんなにテイクを重ねることはなかったですね。

——片山監督はテイク数が多いとお聞きしますが、実際多かったですか?

成田:多かったです。でも、すごく納得できるテイクの重ね方でした。みなさんが何年もかけて準備してきたものだから、当たり前だとも思います。片山監督は諦めない。難しいことだと思うんですよね。もう1回、もう1回と、10テイク以上を重ねていく決断をするのって。逆に、“止める決断力”に感動することもありました。すごく長い期間準備して、ロケハンして、砂漠でこういうシーンを撮ろうとけっこうな長い時間をかけて車で移動して、監督とプロデューサーが来て、「やっぱりここでは撮りません」と。「完璧ではないから」と。いい作品を作るためにそういう決断をするっていうのは本当にすごいことだと思います。

——今回の作品で義男を演じたことで、役者という職業の面白さややりがいに変化はありましたか。

成田:俳優部の1人として、「いい座組っていいなあ〜」と思いました。部署ごとに自分の仕事をしっかりする、ということがちゃんと成立していれば、部署同士が信頼しあっていい組になる。そして、部署の垣根を越えて手伝いもできる。今回、みんながお互いに手伝ってたんですよ。さらにこの作品ではいろいろとセンシティブなことが扱われていますが、監督もスタッフも、まっすぐに向き合っていました。

——成田さんも逃げなかった。

成田:そうですね。この仕事をやっているのも、こういう作品と出合うためなので。自分にとってものすごくぜいたくな時間でした。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
STYLING:KAWASE 136(afnormal)
HAIR & MAKEUP:GO TAKAKUSAGI

ジャケット 43万円、ニット 31万円、タンクトップ 12万円、パンツ 26万5000円、シューズ 21万円/全てアミリ(スタッフ インターナショナル ジャパン クライアントサービス 0120-106-067)、その他スタイリスト私物

■映画「雨の中の慾情」
11月29日 TOHO シネマズ日比谷ほか全国公開
出演:成田凌
中村映里子、森田剛
足立智充、中西柚貴、松浦祐也、梁秩誠、李沐薰、伊島空
李杏/ 竹中直人
監督・脚本:片山慎三
原作:つげ義春「雨の中の慾情」
音楽:髙位妃楊子
衣裳デザイン・扮装統括:柘植伊佐夫
撮影:池田直矢 
美術:磯貝さやか 
編集:片岡葉寿紀 
制作:セディックインターナショナル 日商賽奇客有限公司 井風國際娛樂有限公司
製作:映画「雨の中の慾情」製作委員会
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/

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UKダンスシーンをけん引するOvermonoが語る「フレッド・アゲイン&リル・ヨッティ、ザ・ストリーツとのコラボ」

トム・ラッセルとエド・ラッセルの兄弟からなるオーヴァーモノ(Overmono)が2021年にリリースした「So U Kno」はちょっとした衝撃だった。UKガラージからの影響が色濃いヘビーなビートの上でR&B風のボーカル・サンプルをループさせたこのどう猛なブレイクビーツは、コロナ禍が収束した後のダンスフロアの熱狂を予感させる十分な強度を持っていた。さらに、そんな「So U Kno」から始まるミックス「Fabric presents Overmono」(21年)では、ダブステップからUKガラージ、ジャングル、プログレッシブ・ハウス、ベース・ミュージック、テクノまでを自由連想のようにつなぎ、UKクラブ・カルチャーの底力を我々に強く印象づける。そして、昨年満を持して発表したデビュー・アルバム「Good Lies」では、上記のような多彩なビートを交えながら、「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を巧みに表現し、UKクラブ・カルチャーとメインストリーム・ポップスの間を軽やかに横断してみせた。そんなオーヴァーモノの現況を確認すべく、ツアーで来日した2人に対面取材を敢行。今年リリースした素晴らしいトラックの数々やファッションについてざっくばらんに語ってもらった。

フレッド・アゲインとリル・ヨッティとのコラボ

——デビュー作「Good Lies」リリースから1年半ほど経ちました。心境の変化はありますか。

エド・ラッセル(以下、エド):ライブの内容をアップデートしていることかな。新しい機材を取り入れたりとか、ビジュアルをいろいろ変えていったりとか。あと絶え間なく新曲を作っているから、それらをライブで披露して感触を確かめているよ。

——今改めて振り返ってみて、「Good Lies」を作って何が良かったと思いますか。

エド:アルバムという形にはなっていなかったけど、このアルバムを作る前から何年も積み重ねて音楽を作っていて、その間ずっと作曲というプロセスを楽しんでいたんだ。このオーヴァーモノをやる前は2人ともソロで活動していて(エドは「テセラ(Tessela)」名義で、トムは「トラス(Truss)」名義で活動)、ソロで活動していく上でさまざまな制限があったけど、オーヴァーモノではその制限がなくなって、かなり自由に曲作りを進めることができたように思うよ。そこからアルバムという形がだんだんと見え始めてきて、コアとなる曲ができて、そのコアな曲に焦点を当ててアルバムを作っていったんだ。

——それでは、ここからは今年に入ってあなたたちがリリースした楽曲についていくつかお伺いしたいと思います。今年の2月にフレッド・アゲイン(Fred Again)とリル・ヨッティ(Lil Yachty)とのコラボレーション・トラック「stayinit」をリリースしました。この驚きのコラボレーションは何がきっかけでスタートして、どのように制作を進めていったのでしょうか。また、彼らの魅力は何でしょうか。

エド:フレッド・アゲインとは何年も前から一緒に何か作ろうと話をしていたんだ。そうしているうちにフレッドがアイデアを送ってくれて。そのトラックはヨッティのボーカルが入ったベーシックなもので、ドラムとかが入ってなかったから、俺たちがその要素をいくつか加えてフレッドに返したんだ。そのあとロンドンでフレッドと作業してから、ニューヨークでヨッティと会って曲を仕上げたんだよ。そんなに難しくはなくて、自然に曲がまとまっていったように思うね。

トム・ラッセル(以下、トム):俺たちは他のアーティストとあまりコラボレーションしないから、コラボレーションすること自体とても興味深いものだったよ。作曲のプロセスが違うし、とても勉強になるんだ。フレッドと作業したときも、彼の作曲のプロセスを垣間見ることができたし、お互いに学び合うことがあると思うんだよね。例えば、フレッドは歌の部分にフォーカスを当てるのがうまいけど、俺たちはもう少しカオティックな音響にフォーカスしたり。あと、ヨッティは大ファンだったから、コラボレーションできて本当に嬉しいよ。彼のオンとオフの切り替えがとても面白くて、普段はすごくスイートな人なんだけど、でもいざレコーディングになると、ゾーンに入ったように集中するんだ。

大音量で聴くと威力を発揮する音

——4月にはザ・ストリーツ(The Streets)ことマイク・スキナー(Mike Skinner)の「Turn The Page」を再構築したシングルをリリースしました。オリジナルはストリーツの最高のデビュー作「Original Pirate Material」の冒頭を飾るトラックですが、どうしてこの曲を再構築しようと思ったのか教えてください。

トム:実は最初のバージョンは2、3年前に作ったんだ。もともと俺たちはストリーツのファンだったし、「Turn The Page」のDJセットやライブで使えるバージョンをずっと作りたいと思っていたんだ。それで最初のバージョンを作ったあとにしばらく寝かせて、1年後くらいにまた聴き返して、粗かった部分を修正してライブとかで使ってみたら、とても盛り上がったんだよ。だからすぐにでもリリースしたいと思ってマイクに相談したら、とても良い返事をもらってようやくリリースできたんだ。

——ストリーツの音楽との出会いはいつだったんですか。

トム:「Original Pirate Material」がリリースされたとき(02年)、イギリスでは大反響で、自分たちもそのときに聴いたんだ。エドが15歳くらいで学生だったと思うんだけど、当時聴いていた音楽って今でも自分たちに影響を与えているし、自分たちを形成する一部だと思っているよ。

エド:「Original Pirate Material」の歌詞やトラックって当時のイギリスの社会状況やクラブ・カルチャーを鮮明に表現していて、そのころの自分たちを思い出させてくれるんだ。当時彼の音楽を聴いていたイギリスの人の多くはきっとそう思っているんじゃないかな。イギリスの若者の平凡でつまらない日常生活をすごく詩的かつ写実的に美しく表現していて、素晴らしい才能だと驚いたよ。

——最新シングル「Gem Lingo (ovr now) 」ではラスヴェン(Ruthven)をフィーチャーしていますよね。

トム:俺たちはサンプリングのリサーチにすごく時間を費やすんだ。作曲と同じくらいね。ラスヴェンのことは少しだけ知ってはいたんだけど、彼の「Hypothalamus」(18年)を聴いてすごくかっこいいと思ったんだ。それでボーカルをサンプリングしてひたすらに切り刻み、エディットしまくって曲を仕上げたんだよ。

エド:ビートの話をすると、俺たちって変わった方法でドラムの音を作るんだ。機材からささいな小さい音を拾ってきて、いくつものエフェクターを通して加工していくんだけど、そうすることによって面白い音ができるんだ。それは普通の音量で聴いたら面白くないかもしれないんだけど、大音量で聴くと威力を発揮するんだよね。それでとても大事にしているのは、ドラムとドラムとの間にある空間に漂っているノイズ。それをさらに加工して、ミニマルなビートの空間にあるテクスチャーにする。普通の人はドラム・キットから音を作るかもしれないけど、俺たちは10個くらいのシンセを使って、いろんな加工を施しながら音を作るんだよ。

——なるほど。

エド:あと「Gem Lingo(ovr now )」ではギター・ペダルをたくさん使っているんだよ。今日ちょっと取材時間に遅れたのは(笑)、楽器屋に行って日本製のペダルを見ていて、いくつか買ってきたせい(渋谷の「えちごやミュージック」に行っていたそう)。それでこの曲では、例えばニルヴァーナがコーラスの音に毎回使っていたものとかスティングが使っていたものとかを使っているんだ。もちろん音は加工しているからそれらのペダルを使っているかは分からないと思うんだけど、もしかしたらファンが音を聴いたときに無意識のところでニルヴァーナを感じるかもしれない。そうやって今と昔がつながると面白い気がするんだよね。

「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽

——オーヴァーモノの音楽、特に「Good Lies」で鳴っている音楽は、極端に言えば「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽のように思います。ライブにおいてそれをどのように表現するのでしょうか。

トム:俺たちがスタジオで作っている音楽ってライブのために作っているところがあるんだよ。俺たちのライブは音とビジュアルを組み合わせるんだけど、そこで最高の体験をしてもらいたいんだ。君が指摘してくれたように、俺たちの音楽は「いくつかの異なる感情の狭間」を表現することがキーになっていることは確かだし、それをライブで表現するというのが自分たちの究極の目的なんだよ。

エド:感情ってそのときの気分とか状況によって変わってくると思うんだ。例えば、気分の良い日に音楽を聴けばさらに高揚するかもしれないし、調子の悪い日に音楽を聴いて落ち込むこともあるかもしれない。俺たちはライブに来てくれるファンがそういったさまざまな感情を持っていることを考えながら、最高のライブを届けたいと思っているんだ。

——少しファッションとの関係性についてお伺いします。あなたたちは、昨年3月には「ジバンシィ(GIVENCHY)」のショーに楽曲を提供し、今年6月にパリ・ファッション・ウイークで「1017 アリックス 9SM(1017 ALYX 9SM)」のローンチパーティーをマシュー・ウィリアムズとともにキュレーションしました。自分たちの音楽がファッションと関わりを持つことを想像したことがありましたか。

エド:音楽を始めたときはまったくファッションとつながりを持つなんて考えていなかったよ。だからそうやって声をかけてくれてとても嬉しいんだ。ジバンシィのときも俺たちに全ての自由を与えてくれて、最高だと思えることをやってくれって言われてたんだよ。マシュー・ウィリアムズは俺たちのカルチャーも分かっているデザイナーだからすごくやりやすかったね。ファッションであれ音楽であれ、自分たちのやっていることに誇りや情熱を持っている人とつながることができるってすごく幸せなことだと思うんだ。マシューが服に懸けている情熱と俺たちの音楽に向き合う姿勢はつながっていると思うから、彼とのコラボレーションには無理がないんだよ。

——それでは最後の質問です。レコードショップの棚に「Good Lies」を置くとしたら、その両隣にはどんなアーティストの作品を並べますか。

トム:キャッシュ・コバーン(Cash Cobain)と、やっぱりジョイ・オービソン(Joy Orbison)だね。ピート(ジョイ・オービソン)はとても素晴らしいプロデューサーだと思うよ。その2人の作品の間に「Good Lies」があったら最高だね。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA

■Overmono「Good Lies」
2023年5月12日リリース
レーベル:XL Recordings
価格:CD国内盤(解説・歌詞対訳付/ボーナス・トラック追加収録/特典ステッカー)2320円、CD輸入盤2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13234

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UKダンスシーンをけん引するOvermonoが語る「フレッド・アゲイン&リル・ヨッティ、ザ・ストリーツとのコラボ」

トム・ラッセルとエド・ラッセルの兄弟からなるオーヴァーモノ(Overmono)が2021年にリリースした「So U Kno」はちょっとした衝撃だった。UKガラージからの影響が色濃いヘビーなビートの上でR&B風のボーカル・サンプルをループさせたこのどう猛なブレイクビーツは、コロナ禍が収束した後のダンスフロアの熱狂を予感させる十分な強度を持っていた。さらに、そんな「So U Kno」から始まるミックス「Fabric presents Overmono」(21年)では、ダブステップからUKガラージ、ジャングル、プログレッシブ・ハウス、ベース・ミュージック、テクノまでを自由連想のようにつなぎ、UKクラブ・カルチャーの底力を我々に強く印象づける。そして、昨年満を持して発表したデビュー・アルバム「Good Lies」では、上記のような多彩なビートを交えながら、「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を巧みに表現し、UKクラブ・カルチャーとメインストリーム・ポップスの間を軽やかに横断してみせた。そんなオーヴァーモノの現況を確認すべく、ツアーで来日した2人に対面取材を敢行。今年リリースした素晴らしいトラックの数々やファッションについてざっくばらんに語ってもらった。

フレッド・アゲインとリル・ヨッティとのコラボ

——デビュー作「Good Lies」リリースから1年半ほど経ちました。心境の変化はありますか。

エド・ラッセル(以下、エド):ライブの内容をアップデートしていることかな。新しい機材を取り入れたりとか、ビジュアルをいろいろ変えていったりとか。あと絶え間なく新曲を作っているから、それらをライブで披露して感触を確かめているよ。

——今改めて振り返ってみて、「Good Lies」を作って何が良かったと思いますか。

エド:アルバムという形にはなっていなかったけど、このアルバムを作る前から何年も積み重ねて音楽を作っていて、その間ずっと作曲というプロセスを楽しんでいたんだ。このオーヴァーモノをやる前は2人ともソロで活動していて(エドは「テセラ(Tessela)」名義で、トムは「トラス(Truss)」名義で活動)、ソロで活動していく上でさまざまな制限があったけど、オーヴァーモノではその制限がなくなって、かなり自由に曲作りを進めることができたように思うよ。そこからアルバムという形がだんだんと見え始めてきて、コアとなる曲ができて、そのコアな曲に焦点を当ててアルバムを作っていったんだ。

——それでは、ここからは今年に入ってあなたたちがリリースした楽曲についていくつかお伺いしたいと思います。今年の2月にフレッド・アゲイン(Fred Again)とリル・ヨッティ(Lil Yachty)とのコラボレーション・トラック「stayinit」をリリースしました。この驚きのコラボレーションは何がきっかけでスタートして、どのように制作を進めていったのでしょうか。また、彼らの魅力は何でしょうか。

エド:フレッド・アゲインとは何年も前から一緒に何か作ろうと話をしていたんだ。そうしているうちにフレッドがアイデアを送ってくれて。そのトラックはヨッティのボーカルが入ったベーシックなもので、ドラムとかが入ってなかったから、俺たちがその要素をいくつか加えてフレッドに返したんだ。そのあとロンドンでフレッドと作業してから、ニューヨークでヨッティと会って曲を仕上げたんだよ。そんなに難しくはなくて、自然に曲がまとまっていったように思うね。

トム・ラッセル(以下、トム):俺たちは他のアーティストとあまりコラボレーションしないから、コラボレーションすること自体とても興味深いものだったよ。作曲のプロセスが違うし、とても勉強になるんだ。フレッドと作業したときも、彼の作曲のプロセスを垣間見ることができたし、お互いに学び合うことがあると思うんだよね。例えば、フレッドは歌の部分にフォーカスを当てるのがうまいけど、俺たちはもう少しカオティックな音響にフォーカスしたり。あと、ヨッティは大ファンだったから、コラボレーションできて本当に嬉しいよ。彼のオンとオフの切り替えがとても面白くて、普段はすごくスイートな人なんだけど、でもいざレコーディングになると、ゾーンに入ったように集中するんだ。

大音量で聴くと威力を発揮する音

——4月にはザ・ストリーツ(The Streets)ことマイク・スキナー(Mike Skinner)の「Turn The Page」を再構築したシングルをリリースしました。オリジナルはストリーツの最高のデビュー作「Original Pirate Material」の冒頭を飾るトラックですが、どうしてこの曲を再構築しようと思ったのか教えてください。

トム:実は最初のバージョンは2、3年前に作ったんだ。もともと俺たちはストリーツのファンだったし、「Turn The Page」のDJセットやライブで使えるバージョンをずっと作りたいと思っていたんだ。それで最初のバージョンを作ったあとにしばらく寝かせて、1年後くらいにまた聴き返して、粗かった部分を修正してライブとかで使ってみたら、とても盛り上がったんだよ。だからすぐにでもリリースしたいと思ってマイクに相談したら、とても良い返事をもらってようやくリリースできたんだ。

——ストリーツの音楽との出会いはいつだったんですか。

トム:「Original Pirate Material」がリリースされたとき(02年)、イギリスでは大反響で、自分たちもそのときに聴いたんだ。エドが15歳くらいで学生だったと思うんだけど、当時聴いていた音楽って今でも自分たちに影響を与えているし、自分たちを形成する一部だと思っているよ。

エド:「Original Pirate Material」の歌詞やトラックって当時のイギリスの社会状況やクラブ・カルチャーを鮮明に表現していて、そのころの自分たちを思い出させてくれるんだ。当時彼の音楽を聴いていたイギリスの人の多くはきっとそう思っているんじゃないかな。イギリスの若者の平凡でつまらない日常生活をすごく詩的かつ写実的に美しく表現していて、素晴らしい才能だと驚いたよ。

——最新シングル「Gem Lingo (ovr now) 」ではラスヴェン(Ruthven)をフィーチャーしていますよね。

トム:俺たちはサンプリングのリサーチにすごく時間を費やすんだ。作曲と同じくらいね。ラスヴェンのことは少しだけ知ってはいたんだけど、彼の「Hypothalamus」(18年)を聴いてすごくかっこいいと思ったんだ。それでボーカルをサンプリングしてひたすらに切り刻み、エディットしまくって曲を仕上げたんだよ。

エド:ビートの話をすると、俺たちって変わった方法でドラムの音を作るんだ。機材からささいな小さい音を拾ってきて、いくつものエフェクターを通して加工していくんだけど、そうすることによって面白い音ができるんだ。それは普通の音量で聴いたら面白くないかもしれないんだけど、大音量で聴くと威力を発揮するんだよね。それでとても大事にしているのは、ドラムとドラムとの間にある空間に漂っているノイズ。それをさらに加工して、ミニマルなビートの空間にあるテクスチャーにする。普通の人はドラム・キットから音を作るかもしれないけど、俺たちは10個くらいのシンセを使って、いろんな加工を施しながら音を作るんだよ。

——なるほど。

エド:あと「Gem Lingo(ovr now )」ではギター・ペダルをたくさん使っているんだよ。今日ちょっと取材時間に遅れたのは(笑)、楽器屋に行って日本製のペダルを見ていて、いくつか買ってきたせい(渋谷の「えちごやミュージック」に行っていたそう)。それでこの曲では、例えばニルヴァーナがコーラスの音に毎回使っていたものとかスティングが使っていたものとかを使っているんだ。もちろん音は加工しているからそれらのペダルを使っているかは分からないと思うんだけど、もしかしたらファンが音を聴いたときに無意識のところでニルヴァーナを感じるかもしれない。そうやって今と昔がつながると面白い気がするんだよね。

「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽

——オーヴァーモノの音楽、特に「Good Lies」で鳴っている音楽は、極端に言えば「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽のように思います。ライブにおいてそれをどのように表現するのでしょうか。

トム:俺たちがスタジオで作っている音楽ってライブのために作っているところがあるんだよ。俺たちのライブは音とビジュアルを組み合わせるんだけど、そこで最高の体験をしてもらいたいんだ。君が指摘してくれたように、俺たちの音楽は「いくつかの異なる感情の狭間」を表現することがキーになっていることは確かだし、それをライブで表現するというのが自分たちの究極の目的なんだよ。

エド:感情ってそのときの気分とか状況によって変わってくると思うんだ。例えば、気分の良い日に音楽を聴けばさらに高揚するかもしれないし、調子の悪い日に音楽を聴いて落ち込むこともあるかもしれない。俺たちはライブに来てくれるファンがそういったさまざまな感情を持っていることを考えながら、最高のライブを届けたいと思っているんだ。

——少しファッションとの関係性についてお伺いします。あなたたちは、昨年3月には「ジバンシィ(GIVENCHY)」のショーに楽曲を提供し、今年6月にパリ・ファッション・ウイークで「1017 アリックス 9SM(1017 ALYX 9SM)」のローンチパーティーをマシュー・ウィリアムズとともにキュレーションしました。自分たちの音楽がファッションと関わりを持つことを想像したことがありましたか。

エド:音楽を始めたときはまったくファッションとつながりを持つなんて考えていなかったよ。だからそうやって声をかけてくれてとても嬉しいんだ。ジバンシィのときも俺たちに全ての自由を与えてくれて、最高だと思えることをやってくれって言われてたんだよ。マシュー・ウィリアムズは俺たちのカルチャーも分かっているデザイナーだからすごくやりやすかったね。ファッションであれ音楽であれ、自分たちのやっていることに誇りや情熱を持っている人とつながることができるってすごく幸せなことだと思うんだ。マシューが服に懸けている情熱と俺たちの音楽に向き合う姿勢はつながっていると思うから、彼とのコラボレーションには無理がないんだよ。

——それでは最後の質問です。レコードショップの棚に「Good Lies」を置くとしたら、その両隣にはどんなアーティストの作品を並べますか。

トム:キャッシュ・コバーン(Cash Cobain)と、やっぱりジョイ・オービソン(Joy Orbison)だね。ピート(ジョイ・オービソン)はとても素晴らしいプロデューサーだと思うよ。その2人の作品の間に「Good Lies」があったら最高だね。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA

■Overmono「Good Lies」
2023年5月12日リリース
レーベル:XL Recordings
価格:CD国内盤(解説・歌詞対訳付/ボーナス・トラック追加収録/特典ステッカー)2320円、CD輸入盤2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13234

The post UKダンスシーンをけん引するOvermonoが語る「フレッド・アゲイン&リル・ヨッティ、ザ・ストリーツとのコラボ」 appeared first on WWDJAPAN.

K-POPや多業界からラブコール! 3Dアーティスト、DAMOの作る“誰も完璧じゃなくていい”不安定な世界

PROFILE: DAMO / 3Dアーティスト

DAMO / 3Dアーティスト

PROFILE:DAMO 1997年生まれ、韓国ソウル出身。大学では視覚伝達デザインを専攻し、グラフィックデザインを学ぶ傍ら授業の一環として学んだ3Dという表現方法に引かれ独学で技術を習得する。大学卒業後は3Dアーティストとして、K-POPアイドルを始め、さまざまな企業のクリエイティブに携わると共に、版画、セラミックなどのマルチメディア作業を行うアーティストグループ、ムルッカ(MURRCCA)としての活動や、韓国発アパレルブランド「ユースバス(YOUTHBATH)」でグラフィックデザイナーを担当するなどマルチに活躍の場を国内外へと広げている。2025年1月には、映像作家・吉岡美樹との合同展示会を表参道のギャラリーROCKETで開催予定だ

日々、新鮮なコンテンツが生まれトレンドが移り変わっていく韓国。エンターテインメント業界やビューティ業界はもちろん、少し街を歩くだけでカフェやレストランまでもクリエイティブにかなり力を入れている事がよく分かる。そんな韓国・ソウルで唯一無二の世界観で人々の心を掴み続けている3DアーティストのDAMO。一度見たら忘れられない少し不思議で可愛いDAMOの作品は、ニュージーンズ(NewJeans)やストレイキッズ(Stray Kids)などといったK-popアイドルから、現在韓国で大人気のインディーズバンド出身のシリカ・ゲル(Silica Gel)まで幅広いアーティストや企業からラブコールが止まらない。そんな多くの業界のクリエイティブに携わる人気3DアーティストのDAMOに、インスピレーションの源や制作にかける思いを聞いた。

3Dとの出合い

WWD:3Dアーティストとなった経緯は?

DAMO:大学で視覚デザインを専攻する中で3Dの授業を受ける機会があり、それが3Dとの出合いでした。3Dを作る事がとても面白いと思ったことと、元々ストップモーションアニメーションを制作したいと思っていたのですが、やりたかった表現が3Dでも制作できるのではないかと思ったり、色々な考えがつながって1人でも本格的に3Dの勉強を始めました。

WWD:3Dを知らない人間からすると複雑に見える3D技術を独学で勉強したとの事だが、本などを読んで勉強したのか?

DAMO:大学の授業でちょっと勉強した以外は大体YouTubeにあがっている動画を見て勉強しました。動画の中で分からないことがあれば3Dを勉強する人たちの集まる掲示板に質問を投げ掛けたりして、特に専門書を読んだことはないんです。自力で技術は勉強してきました。

WWD:DAMOさんの作品は、頭の中を覗いて見たくなる様なユニークな作品が多いが、制作のインスピレーションはどこで得ることが多い?

DAMO:昔は、夢をたくさん見たので夢の中の自分が見た事をアイディアに制作を行っていました。最近は、夢の中よりも日常の中からインスピレーションを得ている気がします。道を歩きながら1人でした想像の世界を作品で表現しています。

WWD:3Dでの制作以外にも、セラミック作品やタトゥー、人形制作まで幅広い手法で制作をされている。今後チャレンジしたいアイディアは?

DAMO:巨大な作品を作りたいです!いつも最初は3Dで制作を行い、そこで生まれた作品をもとにセラミック作品や人形などを作っているんですが、次は、画面の中で作った3Dのイメージを使って、現実世界で見ることのできるすごくすごく大きな人形を作りたいです。

WWD:DAMOさんは常に自分らしい唯一無二の世界観を貫いている。制作にあたって大きな軸となるテーマはある?

DAMO::私はいつも作品を説明する時に“不安定な存在”を作っていると話しています。私が、不安定な世界を作ればその世界では誰も完璧じゃなくて大丈夫なんです。そんな作品に込められたストーリーが人々へ伝わったら良いなと思い制作をしてます。

音楽業界からファッションブランドまで広がり続けるDAMOの世界

WWD:ニュージーンズやストレイキッズ、最近カムバックしたル セラフィムまでK-pop好きなら必ずDamoさんの携わった作品を見たことがあるのでは。幅広いアーティストや企業と仕事をする中で最も反響が大きかった仕事があったら教えてほしい

DAMO::インディーズ出身のバンド、シリカ・ゲル(Silica Gel)のMVが一番反応が大きかったと思います。MVは、実写映像の中に私の作った3Dアニメーションが入る構成だったのですが、それが新鮮で面白いと思ってくれたようです。ストーリーの中で必ず必要だけれど実際に実写で撮影することが難しい部分を私が3Dで作った感じです。

WWD:K-POPアーティストの仕事はどのようなきっかけですることになったのか?

DAMO::3Dアーティストとしての活動を始めた時は、インスタグラムに個人制作を載せていく中でラッパーなどヒップホップアーティストの方々から仕事の依頼のDMを多く受けるようになり、そこで作った作品からエンターテインメント界の方が私を知ってくださったようで、仕事を受けたらそこからまた違う企業やアーティストにつながって……。といった形でどんどん仕事が増えていきました。

WWD:独特な世界観を維持しながらパーソナルワークだけではなく、多くの企業とも仕事をされている。ご自身の制作とクライアントワークの制作を行う中で意識の違いがあったら教えてほしい

DAMO::もちろん個人制作では100%自分のやりたい事や言いたい事を自由に表現するようにしています。しかし、どうしても個人の制作ではなくて、クライアントワークという形になると皆さん私の作品スタイルをいいなと思って仕事を依頼して下さっていますが、それでもその方々がはっきりと望むものがあるので、もちろん、自分のやりたいように全部制作することは難しいです。特にK-POP業界は制限も多いので最初は戸惑うこともありましたが、クライアントの方々も私の色々な部分を見て連絡を下さっていると思うので

WWD:トレンドの移り変わりの激しい韓国ですが、DAMOさんが注目している最新トレンドは?

DAMO::これは韓国だけではなくて世界的なトレンドですが、AI技術です。本当に多様な分野でよく見るようになりましたが、人間だけができた芸術という分野にもAIを使って制作する人が増えましたよね。特に最近韓国では、ヒョゴ(hyukoh)というバンドが久しぶりにカムバックした際にAI技術をたくさん使用した作品を発表しましたが、韓国ではヒョゴがやったらイケてるというイメージがあるので、人々は無条件に肯定的に受け入れているんじゃないかなと思います。しかし、私は個人的に人々がAI技術を無条件に受け入れるのではなくて、分離してもらえるようにできたら良いなと考えています。あまりにもAI技術に頼らないである程度、”人間にしかできない事”をできないかと思います。あまりにもトレンドが早く変わっていますね。

WWD:いつかAI技術を駆使して制作を行う気持ちはあるか?

DAMO::いつか自分にすごく合うAI技術が誕生したら私も使うかもしれませんが、今はまだ使いたくないという気持ちが大きい気がします。でもすごく嫌いで絶対無理!って訳ではないです。でもやはり、将来的にも無条件にAIだけで芸術を作っていくことは避けたいとは思います。

WWD:韓国発ファッションブランド「ユースバス」でグラフィックデザイナーとしても活躍されている。アパレルアイテムに向けてのグラフィックやイラスト制作で意識していることは?また、意識しているトレンドがあったら教えてほしい。

DAMO:「ユースバス(YOUTH BATH)」では、ファッションデザイナーがいらっしゃるのでその方のデザインに沿ってグラフィックを制作していますが、やはり洋服なので多くの人に良いと思ってもらえるように、自分の好きなスタイルだけにとらわれないようにトレンドや、流行っているスタイルを取り入れる様に努めています。意識している事やトレンドを一つ上げるとするとやはり”Y2K”トレンドの人気が強いので意識しています。

WWD:ソウルでお気に入りのスポットがあったら教えてほしい

DAMO::私は、”ソンス”ではなく“ サンス”が好きです(笑)。ソンスやホンデには流行を追うことに夢中な人が多いですが、サンスには自分のスタイルが明確にある人やお店が集まっているイメージがあります。自分が好きなものや似合うものを良く分かっているような。東京に訪れると古着が好きなので下北沢や高円寺に行くことが多いんですがサンスは東京で例えるなら、多分高円寺っぽい雰囲気があると思います。

WWD:今後一緒に仕事をしたいアーティストやブランドはあるか?

DAMO::日本のインディーズバンドと一緒に仕事をしてみたいです!普段からキリンジ(KIRINJI)を始めとした日本のバンドの音楽を聞くこともあって、すごく詳しい訳じゃないんですが、日本のアーティストたちはやりたいことを自由にやっているイメージがあります。なので、そんな自由に作られた音楽を受け取って、自分が短編アニメーションの様なMVを作ったりしてみたいですね。

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「メディア業界は連携を」 ハースト婦人画報社が脱炭素に向け呼びかけ

PROFILE: 池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー

池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー
PROFILE: 総合商社、留学、クレジットカード会社広報を経て、2012年にハースト婦人画報社に入社。広報機能の立ち上げを行い、事業がプリントからデジタルへ移行する変革期をコミュニケーションの側面からサポート。17年からは人事にも携わり、最終的には本部長として人事制度の刷新をリード。育休を経て、21年に復帰し現職。企業広報とサステナビリティを統括

「エル(ELLE)」や「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」「ヴァンサンカン(25ans)」などを展開するハースト婦人画報社は、事業全体における温室効果ガス(GHG)排出量を削減する脱炭素に取り組む。2023年には環境省が主催する「製品・サービスのカーボンフットプリントに係るモデル事業」に参加し、イベント開催にかかるカーボンフットプリントを測定した。今年7月からは、同社が手掛ける雑誌全14媒体で雑誌製造にかかるカーボンフットプリント数値の開示も開始している。

カーボンフットプリントとは、製品の原材料調達から廃棄、リサイクルに至るまでのライフサイクル全体で排出されるGHGの量を、二酸化炭素に換算して表示する仕組みのこと。雑誌の製造工程においては、紙の調達先から製紙、インクの調達先、印刷工程、輸送といった工程のGHG排出量データを取得する必要がある。メディア業界ではまだまだ実践事例が少ないカーボンフットプリントの算定・開示に、同社はなぜ着手したのか。社内の脱炭素を推進する池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャーに、メディア企業において取り組む意義を聞いた。

社をあげてカーボンフットプリントの測定に取り組む

WWD:ハースト婦人画報社が脱炭素に取り組むようになったきっかけは。

池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャー(以下、池原):大きなきっかけは、ニコラ・フロケ(Nicolas Floquet)が2018年に社長に就任したこと。以前も植物油を含有した印刷インキや「FSC認証」取得済の紙の採用などを進めてきたが、彼が就任時に、経営の根幹にサステナビリティを置くと発信したことで社全体を上げて取り組む優先事項になった。

WWD:池原さんに任されたミッションは?

池原:私がサステナビリティチームに加わったのは22年ごろ。会社全体でカーボンフットプリントを測定するプロジェクトが動き出した時だった。その旗振り役が最初のミッションだった。ただ私自身、GHGの算定に取り組むのは初めて。「スコープ1、2、3」といった知らない専門用語ばかりだったが、本を読んだり、外部のコンサルに教えていただいたりしながら、いちから勉強した。現在はサステナビリティマネージャーの大竹紘子と2人で社全体の取り組みを推進している。

WWD:26年までに広告主に対して、「脱炭素支援広告プラン」を提供する計画と聞いた。

池原:これは広告出稿やイベント実施におけるGHGを算定し、できるだけ減らしていくという広告プランだ。現在実現に向けて、事業部ごとにGHG排出量を算定し削減アクションプランを練っている最中だ。

WWD:実際にクライアントから「脱炭素支援広告」プランへの要望があるのか?

池原:過去に欧米のラグジュアリーブランドから、別冊制作にかかったCO2排出量を報告してほしいと言われたことがあった。多くはないが、こうした声は増えていくはず。ハーストのイギリス支社のサステナビリティ担当者からは、CO2排出量の報告が請求書と一緒に提出が求められるようになる時代も近いだろうというような話も聞く。そうした傾向も踏まえ、少なくとも算定できる状態を整えておくことは急務だろうと考えた。

全社員、サプライヤーまでを巻き込む難しさ

WWD:現在各部署でどんな工夫を?

池原:まずは、社員一人ひとりが理解を深めることが大切。イベントや雑誌製造におけるGHG排出の算定に加え、取材や撮影などのコンテンツ制作における算定も始めている。全編集部において、少なくとも1件の取材やタイアップにかかるカーボンフットプリントの算定を実施してもらった。日々の仕事のどんな部分に、どれだけのGHGが出ているのか、自分の手を動かして測定することでカーボンフットプリントの仕組みが理解できる。こちらから、GHG排出量の高いタクシー利用をなるべく控えてくださいといった呼びかけもするが、仕組みを理解すれば自発的に工夫ができるようになる。また昨年からは、気候変動やグリーンウォッシュについて理解を深める研修を強化している。全社員必修で実施し、当社の社員としての最低限のリテラシーとして身につけてもらうようにしている。

WWD:社員全員の理解を得るのにはハードルもあったのでは?

池原:メディアに携わる人間として、全く興味がない人は少なかったように思う。とはいえ、普段の仕事に加えて、GHG算定の業務や研修を受けてもらったりするには、なかなか時間が取れないといった反応はあったし、直近の売り上げに直結するわけではないなか優先順位を上げてもらうのは難しかった。意識したのは、脱炭素の取り組みが社員にとっても得だと思ってもらえるようコミュニケーションすること。今ではサステナビリティに力を入れていることが、社員の誇りにつながるようになってきた実感があるし、若手の社員からサステナビリティが当社の強みの1つとして自然に上がってくるようになった。

WWD:具体的に脱炭素に向けて工夫している点は?

池原:23年からは「グリーン電力証書」を使い、全14媒体の定期刊行紙における印刷・製本にまつわる電力に再生可能エネルギーを適用している。そのほか、プラスチック素材を使用していた雑誌の表面加工を変えたり、付録のプラスチック梱包を減らしたりして、雑誌事業におけるプラスチック使用量も減らしている。22年には19年度比で80%減らすことができた。国内出張方針も変えた。GHG排出量の高い飛行機の使用は控え、移動時間が4.5時間以内の場合は電車を使ってもらうように呼びかけている。実際に、実務をどう変革していくかは非常に難しい。でもそこで思考停止せず、できるところから1つずつ地道に実践している。

WWD:社外に向けてはどのように協力を仰いだ?

池原:そこは大変であると同時に特に重要な部分。私たちは製造業の側面もあるものの、フットプリントを計ると自社で削減できる部分はわずか1%しかない。残りの99%は製紙会社、印刷会社などのサプライヤーの協力なくしては削減できない。当初サプライヤーの方にGHG排出量のデータを求めると、「重要なのは分かるが、どこから始めればよいかわからない」「社内のコンセンサスをとる事に時間がかかる」といった反応が多かった。雑誌製造に関してのフットプリント算定は、前例がなく分からない部分や不透明な部分も多々あった。各社と協力し一歩進んでは半歩戻り、と互いに学び合いながら進めてきた。今振り返ると、何も分からない地点から諦めずに取り組んできたチームのような意識がある。

WWD:社内では環境負荷の削減とビジネス成長のバランスについて、どのような議論がある?

池原:サステナビリティの概念は、環境面だけではなくビジネスの持続可能性も踏まえて議論すべきだ。そうでなければ極論、雑誌やイベントもいらないのではないかという話になりかねない。両輪で捉えた上で私たちが今注力しているのは、排出してしまう項目をいかに努力で減らせるか。例えばイベントの会場設備も、新しく作るのではなく既存のものを再利用できないか、廃棄物を減らしつつどう魅力的な空間を作れるかを考える。そうした創意工夫ができるチームに育つことが今後社の強みにもなる。

メディア業界に統一規格を

WWD:メディア企業として脱炭素に取り組む意義とは?

池原:一般的な事業会社とメディアの大きな違いは発信力だろう。特に脱炭素は、多くの人の行動変容が求められる。当社のサステナビリティの取り組みの柱の1つとして掲げているのが、「エデュケーティング・ザ・パブリック」。読者にきちんとした情報をお届けし、当社のコンテンツに触れる多くの人たちに気付きのきっかけを作ることが力の発揮どころだと思う。

WWD:メディア業界全体ではどのような連携が必要だと思う?

池原:カーボンフットプリントの算定を実施して感じたのは、統一規格の必要性だ。計る側もいちから情報を集めるのは非常に手間と工数がかかるし、算定値を受け取る消費者の混乱も招きかねない。業界として足並みをそろえる必要性を強く感じた。現在全雑誌で算定数値の開示を始めたが、おそらくその数字の意味まで理解している読者は少ないだろう。それでも雑誌の製造に二酸化炭素が発生していることを知ってもらうことに意味がある。

WWD:理想は?

池原:社長のフロケが掲げている標語は「ビルド・トラスト」。有象無象な情報が錯綜する世の中において、当社は消費者にとって信頼のおける発信拠点でありたい。サステナビリティの分野でもグリーン・ウォッシュをしないよう社員教育に力を入れているところだ。当社としてもできる努力を進めつつ、透明性のある信頼できるメディアからの質の高い情報を発信していきたい。面白いのは、社外向けの勉強会などのイベントを開くと媒体の枠を超えてみんなで力を結集しようという姿勢を感じる。当社としても、積極的にメディア間の連携を生み出していきたい。

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「メディア業界は連携を」 ハースト婦人画報社が脱炭素に向け呼びかけ

PROFILE: 池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー

池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー
PROFILE: 総合商社、留学、クレジットカード会社広報を経て、2012年にハースト婦人画報社に入社。広報機能の立ち上げを行い、事業がプリントからデジタルへ移行する変革期をコミュニケーションの側面からサポート。17年からは人事にも携わり、最終的には本部長として人事制度の刷新をリード。育休を経て、21年に復帰し現職。企業広報とサステナビリティを統括

「エル(ELLE)」や「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」「ヴァンサンカン(25ans)」などを展開するハースト婦人画報社は、事業全体における温室効果ガス(GHG)排出量を削減する脱炭素に取り組む。2023年には環境省が主催する「製品・サービスのカーボンフットプリントに係るモデル事業」に参加し、イベント開催にかかるカーボンフットプリントを測定した。今年7月からは、同社が手掛ける雑誌全14媒体で雑誌製造にかかるカーボンフットプリント数値の開示も開始している。

カーボンフットプリントとは、製品の原材料調達から廃棄、リサイクルに至るまでのライフサイクル全体で排出されるGHGの量を、二酸化炭素に換算して表示する仕組みのこと。雑誌の製造工程においては、紙の調達先から製紙、インクの調達先、印刷工程、輸送といった工程のGHG排出量データを取得する必要がある。メディア業界ではまだまだ実践事例が少ないカーボンフットプリントの算定・開示に、同社はなぜ着手したのか。社内の脱炭素を推進する池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャーに、メディア企業において取り組む意義を聞いた。

社をあげてカーボンフットプリントの測定に取り組む

WWD:ハースト婦人画報社が脱炭素に取り組むようになったきっかけは。

池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャー(以下、池原):大きなきっかけは、ニコラ・フロケ(Nicolas Floquet)が2018年に社長に就任したこと。以前も植物油を含有した印刷インキや「FSC認証」取得済の紙の採用などを進めてきたが、彼が就任時に、経営の根幹にサステナビリティを置くと発信したことで社全体を上げて取り組む優先事項になった。

WWD:池原さんに任されたミッションは?

池原:私がサステナビリティチームに加わったのは22年ごろ。会社全体でカーボンフットプリントを測定するプロジェクトが動き出した時だった。その旗振り役が最初のミッションだった。ただ私自身、GHGの算定に取り組むのは初めて。「スコープ1、2、3」といった知らない専門用語ばかりだったが、本を読んだり、外部のコンサルに教えていただいたりしながら、いちから勉強した。現在はサステナビリティマネージャーの大竹紘子と2人で社全体の取り組みを推進している。

WWD:26年までに広告主に対して、「脱炭素支援広告プラン」を提供する計画と聞いた。

池原:これは広告出稿やイベント実施におけるGHGを算定し、できるだけ減らしていくという広告プランだ。現在実現に向けて、事業部ごとにGHG排出量を算定し削減アクションプランを練っている最中だ。

WWD:実際にクライアントから「脱炭素支援広告」プランへの要望があるのか?

池原:過去に欧米のラグジュアリーブランドから、別冊制作にかかったCO2排出量を報告してほしいと言われたことがあった。多くはないが、こうした声は増えていくはず。ハーストのイギリス支社のサステナビリティ担当者からは、CO2排出量の報告が請求書と一緒に提出が求められるようになる時代も近いだろうというような話も聞く。そうした傾向も踏まえ、少なくとも算定できる状態を整えておくことは急務だろうと考えた。

全社員、サプライヤーまでを巻き込む難しさ

WWD:現在各部署でどんな工夫を?

池原:まずは、社員一人ひとりが理解を深めることが大切。イベントや雑誌製造におけるGHG排出の算定に加え、取材や撮影などのコンテンツ制作における算定も始めている。全編集部において、少なくとも1件の取材やタイアップにかかるカーボンフットプリントの算定を実施してもらった。日々の仕事のどんな部分に、どれだけのGHGが出ているのか、自分の手を動かして測定することでカーボンフットプリントの仕組みが理解できる。こちらから、GHG排出量の高いタクシー利用をなるべく控えてくださいといった呼びかけもするが、仕組みを理解すれば自発的に工夫ができるようになる。また昨年からは、気候変動やグリーンウォッシュについて理解を深める研修を強化している。全社員必修で実施し、当社の社員としての最低限のリテラシーとして身につけてもらうようにしている。

WWD:社員全員の理解を得るのにはハードルもあったのでは?

池原:メディアに携わる人間として、全く興味がない人は少なかったように思う。とはいえ、普段の仕事に加えて、GHG算定の業務や研修を受けてもらったりするには、なかなか時間が取れないといった反応はあったし、直近の売り上げに直結するわけではないなか優先順位を上げてもらうのは難しかった。意識したのは、脱炭素の取り組みが社員にとっても得だと思ってもらえるようコミュニケーションすること。今ではサステナビリティに力を入れていることが、社員の誇りにつながるようになってきた実感があるし、若手の社員からサステナビリティが当社の強みの1つとして自然に上がってくるようになった。

WWD:具体的に脱炭素に向けて工夫している点は?

池原:23年からは「グリーン電力証書」を使い、全14媒体の定期刊行紙における印刷・製本にまつわる電力に再生可能エネルギーを適用している。そのほか、プラスチック素材を使用していた雑誌の表面加工を変えたり、付録のプラスチック梱包を減らしたりして、雑誌事業におけるプラスチック使用量も減らしている。22年には19年度比で80%減らすことができた。国内出張方針も変えた。GHG排出量の高い飛行機の使用は控え、移動時間が4.5時間以内の場合は電車を使ってもらうように呼びかけている。実際に、実務をどう変革していくかは非常に難しい。でもそこで思考停止せず、できるところから1つずつ地道に実践している。

WWD:社外に向けてはどのように協力を仰いだ?

池原:そこは大変であると同時に特に重要な部分。私たちは製造業の側面もあるものの、フットプリントを計ると自社で削減できる部分はわずか1%しかない。残りの99%は製紙会社、印刷会社などのサプライヤーの協力なくしては削減できない。当初サプライヤーの方にGHG排出量のデータを求めると、「重要なのは分かるが、どこから始めればよいかわからない」「社内のコンセンサスをとる事に時間がかかる」といった反応が多かった。雑誌製造に関してのフットプリント算定は、前例がなく分からない部分や不透明な部分も多々あった。各社と協力し一歩進んでは半歩戻り、と互いに学び合いながら進めてきた。今振り返ると、何も分からない地点から諦めずに取り組んできたチームのような意識がある。

WWD:社内では環境負荷の削減とビジネス成長のバランスについて、どのような議論がある?

池原:サステナビリティの概念は、環境面だけではなくビジネスの持続可能性も踏まえて議論すべきだ。そうでなければ極論、雑誌やイベントもいらないのではないかという話になりかねない。両輪で捉えた上で私たちが今注力しているのは、排出してしまう項目をいかに努力で減らせるか。例えばイベントの会場設備も、新しく作るのではなく既存のものを再利用できないか、廃棄物を減らしつつどう魅力的な空間を作れるかを考える。そうした創意工夫ができるチームに育つことが今後社の強みにもなる。

メディア業界に統一規格を

WWD:メディア企業として脱炭素に取り組む意義とは?

池原:一般的な事業会社とメディアの大きな違いは発信力だろう。特に脱炭素は、多くの人の行動変容が求められる。当社のサステナビリティの取り組みの柱の1つとして掲げているのが、「エデュケーティング・ザ・パブリック」。読者にきちんとした情報をお届けし、当社のコンテンツに触れる多くの人たちに気付きのきっかけを作ることが力の発揮どころだと思う。

WWD:メディア業界全体ではどのような連携が必要だと思う?

池原:カーボンフットプリントの算定を実施して感じたのは、統一規格の必要性だ。計る側もいちから情報を集めるのは非常に手間と工数がかかるし、算定値を受け取る消費者の混乱も招きかねない。業界として足並みをそろえる必要性を強く感じた。現在全雑誌で算定数値の開示を始めたが、おそらくその数字の意味まで理解している読者は少ないだろう。それでも雑誌の製造に二酸化炭素が発生していることを知ってもらうことに意味がある。

WWD:理想は?

池原:社長のフロケが掲げている標語は「ビルド・トラスト」。有象無象な情報が錯綜する世の中において、当社は消費者にとって信頼のおける発信拠点でありたい。サステナビリティの分野でもグリーン・ウォッシュをしないよう社員教育に力を入れているところだ。当社としてもできる努力を進めつつ、透明性のある信頼できるメディアからの質の高い情報を発信していきたい。面白いのは、社外向けの勉強会などのイベントを開くと媒体の枠を超えてみんなで力を結集しようという姿勢を感じる。当社としても、積極的にメディア間の連携を生み出していきたい。

The post 「メディア業界は連携を」 ハースト婦人画報社が脱炭素に向け呼びかけ appeared first on WWDJAPAN.

お騒がせ系デザイナー「アヴァヴァヴ」の意外な素顔 「最後はユーモアが勝つ」

PROFILE: ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター

ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1995年生まれ、ストックホルム出身。2021年に「アヴァヴァヴ」をイタリアのフィレンツェで立ち上げ、現在はスウェーデン・ストックホルムに拠点を置く。インターネット時代に育ち、エンドカスタマーと直接つながる未来志向のファッションブランドの構築に注力。コレクションでは、フェミニンなラグジュアリーストリートウエアに重きを置いたアパレル、アクセサリー、フットウェアを展開。プロダクトの大半をヨーロッパで製造し、イタリア製高級生地のデッドストックを多く使用する PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

スウェーデン・ストックホルムを拠点とする若手ブランド「アヴァヴァヴ(AVAVAV)」は、9月の2025年春夏ミラノ・ファッション・ウイークで「アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)」と初めてのコラボレーションを披露した。アイテムは、4本指カバー付きの“スーパースター(SUPERSTAR)“やクロップドジャケット、ボリューミーなシルエットのパファージャケットなど。「アディダス オリジナルス」の一部店舗および公式アプリ「CONFIRMEDアプリ」、グレイト(GR8)、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。

「アヴァヴァヴ」はベアテ・カールソン(Beate Karlsson)が21年に立ち上げ、今年で5シーズン目を迎えた。毎シーズンパフォーマティブなショーを続けており、SNSなどを中心に話題を集めている。SNS上の誹謗中傷をテーマにした23-24年秋冬コレクションでは、観客がゴミをモデルに投げつける演出が賛否を呼んだり、“No time to design, no time to explain”と題した24年春夏コレクションでは、着替え途中のモデルがランウエイを全速力で走り抜け、目まぐるしいスピードで回転するファッション産業を皮肉ったりした。

11月には、東京・平和島の「グレイト エンタープライズ」で行われた「アディダス オリジナルス」とのコラボコレクションのローンチイベントに合わせ、カールソン=クリエイティブ・ディレクターが来日した。奇抜なショーとは裏腹に、おとなしく控えめな印象のカールソン=クリエイティブ・ディレクターは“過激”と言われるブランドの信念を静かに語った。

「アヴァヴァヴ」とは“エボリューション”

WWD:ブランドのコンセプトを教えてほしい。

ベアテ・カールソン=クリエイティブ・ディレクター(以下、カールソン):この質問は 1時間以上話せるわ。でも、1つ大事な要素を挙げるとすれば、“エボリューション(進化)”。同じところに止まるのは嫌い。常に進化、発展、変化したいと思っている。着方やシルエットもそうだし、私の興味の矛先もいろんなジャンルに変化し、発展しているの。

WWD:「アディダス」とのコラボが実現した背景は?

カールソン:「アディダス」からコンタクトしてくれた。とても貴重な機会ですごくうれしかった。スポーツとは全く無縁の私たちが(笑)、スポーツを解釈するとしたら?というのがコンセプトの出発点。ドイツの本社に行って、アーカイブやブランドの歴史を改めて学んだの。そこから「アディダス」のクラシックな要素であるトラックスーツやエアライナーバッグを、「アヴァヴァヴ」風に“進化”させてできたのが今回のコレクションよ。

WWD:東京でイベントを開催した意図は?

カールソン:「アディダス」の日本チームからの提案だった。私は日本の文化が大好きだから、これは絶好のチャンスと思って飛びついた。ミニゴルフのセットにしたのは、私たちに身近なスポーツといえばミニゴルフくらいだったから(笑)。

ショーは認知療法のようなもの

WWD:毎シーズン話題を呼ぶショーの演出はどのように企画している?

カールソン:ショーは私たちにとってすごく大切な場。大抵は私がパートナーのダニエルに相談しながらいろんなアイデアを練るの。ダニエルは映像監督でコメディアン。彼が私のアイデアをチームに伝えて、全員でそれを形にするから、ショーの制作期間はファッションブランドというより制作会社みたい。私たちにとってショーは、観客を巻き込んだ認知行動療法みたいなもの。人が無意識に恐れているものや避けているものを意図的にテーマにして、凝り固まった考え方をほぐすセラピーね。たとえば最初のショーは、「ランウエイで起こりうる最悪な出来事」からイメージを膨らませて、モデルのドレスが壊れたり、ランウエイ上で転んだりする演出にしたの。

WWD:競技場で開催した2025年春夏のファッションショーは、モデルが歩いたり、転んだりの短距離走形式だった。

カールソン:「最後は必ずユーモアが勝つ」が私の信条。ファッションもスポーツもシリアスになりすぎで、ユーモアが足りていないと思うの。ショー前には毎回モデルたちと入念に打ち合わせをして、彼らがショーのコンセプトについてどう思うか、パフォーマンスに本当に参加したいかどうか、演出に違和感を感じる部分はないかを確認する。その上で今回は、スポーツのコンセプトに入り込んで、とにかく全力を出し切ってとお願いした。でもアイコンシューズのフィンガーシューズはめちゃくちゃ走りづらいから、結果ああいう形になったの(笑)。

WWD:コンセプチュアルなショーは賛否を呼ぶこともある。

カールソン:他の人の受け止め方は絶対にコントロールできない。私たちにとって重要なのは、「アヴァヴァヴ」の視点を提示すること。私たちが信じているものを明確にできさえすれば、それをどう解釈するかは受け手次第だから。いろんな人の受け止め方が、また新しいアイデアにつながることもあるしね。とはいえ、たまにムカつく時もあるけど(笑)。

WWD:毎シーズン、ファッション産業へのアンチテーゼが込められているが、特にどんな部分にストレスを感じる?

カールソン:一番はスピードが早すぎること。パートナーや妹しかり、私のまわりには映像業界にいる人たちが多くて、彼らは1つの作品を作り上げるのに1年くらいかけるの。もちろん、映像業界や音楽業界にはそれぞれの難しさがたくさんあるだろうけど、単純に時間をかけて作品作りができるという点ではすごくうらやましい。

WWD:それでもファッションが好きな理由は?

カールソン:進化の余地がたくさんあるからかな。ファッションの前進する勢いに魅了される。それに、ファッションビジネスもゲームみたいで面白いから。例えばこの業界には、常に新しさを求める“ルール”みたいなものがあるでしょう。まず学ぶべきルールがたくさんあって、ルールを知ると、アレンジを加えて自分たちなりの遊び方ができる。私たちみたいな若いデザイナーは、ルールばかりに従いすぎると振り回されて、遊び方や面白さを見失ってしまう。自分が本当に愛せるデザインに価値を置くことが重要で、そこから何か新しさを生み出すことが勝ち筋なんだと考えるの。今まさに、自分たちらしいファッションビジネスの楽しみ方を学んでいる最中よ。

WWD:そもそもファッションデザイナーを目指したきっかけは?

カールソン:昔から音楽かデザインかどちらかの道に進もうと思っていた。スウェーデンの音楽学校に6年間通い、自分の曲もたくさん作ったわ。音楽の周りにあるカルチャーもすごく好きで、ファッションは音楽とカルチャーの交差点のようなものだった。それでファッションに興味を持ち始めて、ファッションビジネスの複雑な仕組みにも引き込まれていった。もともと多ジャンルのクリエイティブなフィールドには興味があって、「アヴァヴァヴ」のショーでも、音楽の制作にも関わったり、ショーの記録映像をドキュメンタリー作品にしたりもしている。「アヴァヴァヴ」はファッションデザインだけのブランドではなく、多彩なクリエイティブが発揮できるプラットホームであるのが理想ね。

WWD:コレクション会場には、若者を中心に熱狂的なブランドのファンが集まり、「アヴァヴァヴ」コミュニティーが広がっている印象を受ける。ブランドのファンから何を期待されていると思う?

カールソン:ユーモアかな。それから、クールでアイロニックなアティチュード。カッコつけていながら、そんな自分をどこかで面白がっているようなアティチュード。毎回ショーが終わると、みんなでショーの感想を言い合ったり、TikTokに投稿したりして、楽しんでくれている姿がすごくかわいくて、そういう光景を見られることがとてもうれしいの。

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お騒がせ系デザイナー「アヴァヴァヴ」の意外な素顔 「最後はユーモアが勝つ」

PROFILE: ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター

ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1995年生まれ、ストックホルム出身。2021年に「アヴァヴァヴ」をイタリアのフィレンツェで立ち上げ、現在はスウェーデン・ストックホルムに拠点を置く。インターネット時代に育ち、エンドカスタマーと直接つながる未来志向のファッションブランドの構築に注力。コレクションでは、フェミニンなラグジュアリーストリートウエアに重きを置いたアパレル、アクセサリー、フットウェアを展開。プロダクトの大半をヨーロッパで製造し、イタリア製高級生地のデッドストックを多く使用する PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

スウェーデン・ストックホルムを拠点とする若手ブランド「アヴァヴァヴ(AVAVAV)」は、9月の2025年春夏ミラノ・ファッション・ウイークで「アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)」と初めてのコラボレーションを披露した。アイテムは、4本指カバー付きの“スーパースター(SUPERSTAR)“やクロップドジャケット、ボリューミーなシルエットのパファージャケットなど。「アディダス オリジナルス」の一部店舗および公式アプリ「CONFIRMEDアプリ」、グレイト(GR8)、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。

「アヴァヴァヴ」はベアテ・カールソン(Beate Karlsson)が21年に立ち上げ、今年で5シーズン目を迎えた。毎シーズンパフォーマティブなショーを続けており、SNSなどを中心に話題を集めている。SNS上の誹謗中傷をテーマにした23-24年秋冬コレクションでは、観客がゴミをモデルに投げつける演出が賛否を呼んだり、“No time to design, no time to explain”と題した24年春夏コレクションでは、着替え途中のモデルがランウエイを全速力で走り抜け、目まぐるしいスピードで回転するファッション産業を皮肉ったりした。

11月には、東京・平和島の「グレイト エンタープライズ」で行われた「アディダス オリジナルス」とのコラボコレクションのローンチイベントに合わせ、カールソン=クリエイティブ・ディレクターが来日した。奇抜なショーとは裏腹に、おとなしく控えめな印象のカールソン=クリエイティブ・ディレクターは“過激”と言われるブランドの信念を静かに語った。

「アヴァヴァヴ」とは“エボリューション”

WWD:ブランドのコンセプトを教えてほしい。

ベアテ・カールソン=クリエイティブ・ディレクター(以下、カールソン):この質問は 1時間以上話せるわ。でも、1つ大事な要素を挙げるとすれば、“エボリューション(進化)”。同じところに止まるのは嫌い。常に進化、発展、変化したいと思っている。着方やシルエットもそうだし、私の興味の矛先もいろんなジャンルに変化し、発展しているの。

WWD:「アディダス」とのコラボが実現した背景は?

カールソン:「アディダス」からコンタクトしてくれた。とても貴重な機会ですごくうれしかった。スポーツとは全く無縁の私たちが(笑)、スポーツを解釈するとしたら?というのがコンセプトの出発点。ドイツの本社に行って、アーカイブやブランドの歴史を改めて学んだの。そこから「アディダス」のクラシックな要素であるトラックスーツやエアライナーバッグを、「アヴァヴァヴ」風に“進化”させてできたのが今回のコレクションよ。

WWD:東京でイベントを開催した意図は?

カールソン:「アディダス」の日本チームからの提案だった。私は日本の文化が大好きだから、これは絶好のチャンスと思って飛びついた。ミニゴルフのセットにしたのは、私たちに身近なスポーツといえばミニゴルフくらいだったから(笑)。

ショーは認知療法のようなもの

WWD:毎シーズン話題を呼ぶショーの演出はどのように企画している?

カールソン:ショーは私たちにとってすごく大切な場。大抵は私がパートナーのダニエルに相談しながらいろんなアイデアを練るの。ダニエルは映像監督でコメディアン。彼が私のアイデアをチームに伝えて、全員でそれを形にするから、ショーの制作期間はファッションブランドというより制作会社みたい。私たちにとってショーは、観客を巻き込んだ認知行動療法みたいなもの。人が無意識に恐れているものや避けているものを意図的にテーマにして、凝り固まった考え方をほぐすセラピーね。たとえば最初のショーは、「ランウエイで起こりうる最悪な出来事」からイメージを膨らませて、モデルのドレスが壊れたり、ランウエイ上で転んだりする演出にしたの。

WWD:競技場で開催した2025年春夏のファッションショーは、モデルが歩いたり、転んだりの短距離走形式だった。

カールソン:「最後は必ずユーモアが勝つ」が私の信条。ファッションもスポーツもシリアスになりすぎで、ユーモアが足りていないと思うの。ショー前には毎回モデルたちと入念に打ち合わせをして、彼らがショーのコンセプトについてどう思うか、パフォーマンスに本当に参加したいかどうか、演出に違和感を感じる部分はないかを確認する。その上で今回は、スポーツのコンセプトに入り込んで、とにかく全力を出し切ってとお願いした。でもアイコンシューズのフィンガーシューズはめちゃくちゃ走りづらいから、結果ああいう形になったの(笑)。

WWD:コンセプチュアルなショーは賛否を呼ぶこともある。

カールソン:他の人の受け止め方は絶対にコントロールできない。私たちにとって重要なのは、「アヴァヴァヴ」の視点を提示すること。私たちが信じているものを明確にできさえすれば、それをどう解釈するかは受け手次第だから。いろんな人の受け止め方が、また新しいアイデアにつながることもあるしね。とはいえ、たまにムカつく時もあるけど(笑)。

WWD:毎シーズン、ファッション産業へのアンチテーゼが込められているが、特にどんな部分にストレスを感じる?

カールソン:一番はスピードが早すぎること。パートナーや妹しかり、私のまわりには映像業界にいる人たちが多くて、彼らは1つの作品を作り上げるのに1年くらいかけるの。もちろん、映像業界や音楽業界にはそれぞれの難しさがたくさんあるだろうけど、単純に時間をかけて作品作りができるという点ではすごくうらやましい。

WWD:それでもファッションが好きな理由は?

カールソン:進化の余地がたくさんあるからかな。ファッションの前進する勢いに魅了される。それに、ファッションビジネスもゲームみたいで面白いから。例えばこの業界には、常に新しさを求める“ルール”みたいなものがあるでしょう。まず学ぶべきルールがたくさんあって、ルールを知ると、アレンジを加えて自分たちなりの遊び方ができる。私たちみたいな若いデザイナーは、ルールばかりに従いすぎると振り回されて、遊び方や面白さを見失ってしまう。自分が本当に愛せるデザインに価値を置くことが重要で、そこから何か新しさを生み出すことが勝ち筋なんだと考えるの。今まさに、自分たちらしいファッションビジネスの楽しみ方を学んでいる最中よ。

WWD:そもそもファッションデザイナーを目指したきっかけは?

カールソン:昔から音楽かデザインかどちらかの道に進もうと思っていた。スウェーデンの音楽学校に6年間通い、自分の曲もたくさん作ったわ。音楽の周りにあるカルチャーもすごく好きで、ファッションは音楽とカルチャーの交差点のようなものだった。それでファッションに興味を持ち始めて、ファッションビジネスの複雑な仕組みにも引き込まれていった。もともと多ジャンルのクリエイティブなフィールドには興味があって、「アヴァヴァヴ」のショーでも、音楽の制作にも関わったり、ショーの記録映像をドキュメンタリー作品にしたりもしている。「アヴァヴァヴ」はファッションデザインだけのブランドではなく、多彩なクリエイティブが発揮できるプラットホームであるのが理想ね。

WWD:コレクション会場には、若者を中心に熱狂的なブランドのファンが集まり、「アヴァヴァヴ」コミュニティーが広がっている印象を受ける。ブランドのファンから何を期待されていると思う?

カールソン:ユーモアかな。それから、クールでアイロニックなアティチュード。カッコつけていながら、そんな自分をどこかで面白がっているようなアティチュード。毎回ショーが終わると、みんなでショーの感想を言い合ったり、TikTokに投稿したりして、楽しんでくれている姿がすごくかわいくて、そういう光景を見られることがとてもうれしいの。

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小嶋陽菜「前はアイドル、今は社長」 約10年ぶりの写真集「かもしれない」で魅せた久々の“マシュマロボディ”

PROFILE: 小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO

PROFILE: 1988年4月19日生まれ、埼玉県出身。2005年にAKB48の1期生として活動を開始し、17年4月に卒業。現在は、自身がプロデュースしているライフスタイルブランド「ハーリップトゥ」を運営するheart relationの代表取締役CCOを務める。SNSの総フォロワー数は1000万人を超え、憧れのボディーとファッションセンスで、男性のみならず多くの女性からも支持されている。 PHOTO:SHUHEI SHINE

タレントとしてだけでなく、社長としても活躍する小嶋陽菜は10月28日、写真集「かもしれない」(宝島社、3080円)を出版した。AKB48時代の写真集「どうする?」(宝島社)に続く2作品目となり、今回の写真集がラストになる“かもしれない”そうだ。

小嶋は現在タレントとして活動する一方で、ライフスタイルブランド「ハーリップトゥ(HER LIP TO)」のプロデューサー兼heart relationを経営する社長としても注目されており、2024年8月、yutori(東京、片石貴展社長)との資本提携を発表したことは記憶に新しい。今回は、そんな彼女が写真集の見どころやこだわり、“元祖マシュマロボディ”の体作り、社長業の今後などについて聞いた。

キャッチコピーは
“社長、ときどきマシュマロボディ”

WWD:まずは写真集「かもしれない」の見どころを教えてください。

小嶋陽菜(以下、小嶋):約10年ぶりの写真集となるので、最近は会社の社長というイメージが強いと思うんですけど、こういったグラビアの姿は久しぶりにお披露目します。私にとって写真集の発売は、ファンサービスなんです。10年前はアイドル、今は社長。年齢的にも、立場的にもまた当時とは違った自分が出せているかなと思いますね。

WWD:写真集のタイトル「かもしれない」はどのように決めたのか。

小嶋:「かもしれない」は写真集の撮影中にスタッフみんなでよく使っていた言葉で、まさか本当にこのタイトルになるとは思っていなかった。「どうかしてる」という案も出てきたけど、前作のタイトルが「どうする?」だったので、今回もその先を想像させるような言い切らないタイトルが良いんじゃないかということで、「かもしれない」に決まりました。表紙の写真も自分の案が採用されました。

WWD:帯に書いてある“社長、ときどきマシュマロボディ”というキャッチコピーがすてきです。

小嶋:私もこのフレーズがお気に入りで、社長である私じゃないと記せない、とってもうれしいキャッチコピーを付けてもらいました。

WWD:衣装の選定はどのように関わったのか。

小嶋:ほとんどお任せで、衣装の打ち合わせも参加しませんでした。「ハーリップトゥ」の事業に関しては全て私が管理しているんですけど、この写真集は前作とほぼ同じメンバーで撮影に臨んだので、信頼できるスタッフさんばかりでした。だから、「今の私を自由に料理してください!」みたいな気持ちでお願いしました。

WWD:自身の私物もいくつか持参したと聞いている。

小嶋:ランジェリーを集めるのが好きで、少し変わったデザインや海外のかわいらしいものがあったらよく購入しているのですが、家にどうしたらいいか分からないアイテムがたくさんあるので一部持って行ったんです。スタイリストさんとその場で相談して、ロケーションに合うランジェリーを選んで撮影してもらいました。

あとは、ピンクのミュールのミニワンピースも持参しました。かわいいんだけど、どこに着て行けばいいのか分からないデザインで、ずっとクローゼットに眠っていたんです。この撮影で使ってもらえることになって、この子(服)も喜んでいると思います(笑)。

WWD:撮影はスペインで、3日間にわたり行ったそう。かなりハードな日々が続いたとか。

小嶋:私、人一倍体力があるんです。「ハーリップトゥ」の撮影は自分でディレクションからモデルまで担当し、1日に30カット撮ったりするのですが、今回もそのノリで臨んだらさすがにスタッフのみんなは疲れていましたね(笑)。私はできれば朝から夜までずっと撮ってほしいくらい、写真を撮られるのが好きなんですけど(笑)。

WWD:どんな人に読んでもらいたい?

小嶋:男性はもちろん、女性にもぜひ読んでもらいたい。ファッションやヘアメイク、スペインの美しい景色、おしゃれで“映える”写真の構図など、いろいろな角度からこの写真集を楽しんでもらいたいですね。

頼れる時短スキンケアアイテム2品を紹介

WWD:撮影前の体作りはどのくらい追い込んだ?

小嶋:普段は仕事で忙しいので何もしていなかったんですけど、撮影開始1カ月前は週4回ジムに、週2回エステに通ったりしました。また、食事制限は撮影の2週間ほど前に開始して、夜は豆腐に納豆とキムチをかけたものを食べていました。最近はそんなダイエットのお供になるおいしい納豆を探すのにハマっていて、山形の「塩納豆」という商品があるのですが、これが本当においしいんです!

WWD:疲れた日は暴飲暴食したくなりませんか?

小嶋:頭をよく使った日は、めちゃくちゃラーメンが食べたくなります(笑)。仕事中に口寂しくなったときは、コーヒーやプーアール茶を大きな水筒に入れて飲んで、空腹を紛らわしています。

WWD:帰宅が遅くなると、ケアに時間をかけられない日もあるのでは。

小嶋:少しでも早く体をゆっくり休ませることを優先して、ボディーケアやスキンケアをオールインワンアイテムで済ませたり、本当に疲れた日はお風呂に入らず寝てしまう日もあります……。

WWD:美容に対してストイックなイメージがあったので、少し親近感が湧きました(笑)。そんな小嶋さんの頼れる時短スキンケアアイテムは?

小嶋:何もやる気が起きない日や美容のモチベーションが上がらない日の頼れるアイテムは、「コスメデコルテ(DECORTE)」が9月に発売した“薬用 マイクロバーム ローション”です。私はミストタイプを愛用しているのですが、顔にも体にも使えて、1本で化粧水とクリームの2役を担ってくれるんです。

あとは、同じブランドの“リポソーム アドバンスト リペアクリーム”を信頼しています。“3時間多く眠ったような肌へ”とうたっているフェイスクリームで、睡眠不足の翌日でも肌の調子が良いんです。新作のクリームはどんどん登場していますが、これはもう5回くらいリピートしています。

WWD:“マシュマロボディ”の秘訣は?

小嶋:これといってないのですが……豆乳をよく飲むことかな。エストロゲン(女性ホルモン)を増やすことは、女性らしい体作りに深く関わっているとよく聞くので。あずき豆乳が好きで、ラフォーレ原宿と吉祥寺にある豆乳専門店「豆漿日和(どうじゃんびより)」のドリンクがめっちゃおいしいんです!そして、とにかく水分をしっかりと取ること。外側からも内側からも保湿することを心掛けると、水分が満たされているような艶肌に整う気がします。

yutoriとの協業でheart relationはどう変わる?

WWD:ここからは社長業について少し教えてください。スタッフとのコミュニケーションはどのように取っているか。

小嶋:私が直接指導する場面は最近あまりない分、憧れられる存在でいるというのは常日頃意識しています。社長として、仕事面でも、ビジュアル面でも「すてきだな」と思ってもらえるように努力しています。

WWD:フレグランスの新商品発表会に行った際、スタッフ全員で服装からヘアメイク、たたずまいまで「ハーリップトゥ」の世界観を体現していた。

小嶋:そう言ってもらえてうれしい。私は約19年間、表舞台に立ってきた人間なので“魅せ方”にはかなりこだわりを持っています。その一環として個人面談を定期的に行い、スタッフ一人ひとりに合ったアドバイスをしています。

WWD:自身のメンタルケアは?

小嶋:普段からあまり感情の波がないんですよね。元アイドルが社長って、周囲からするとちょっと不安に思う人もいると思うので、ネガティブな姿は見せたくないし、自分がブレてはいけないと思っています。

WWD:yutoriと協業することが決まり、heart relationは今後どう変わっていくのか。

小嶋:yutoriが「自由にしてください」というスタンスなので、今のところすぐに何かしようとは思っていないです。片石社長と「一緒にブランドを作ったりするのも面白いね」という話をしたりしますが、きっとまだ先の話になるかな。

WWD:個人目標は?

小嶋:自分が面白いと思ったことを積極的に取り入れつつ、みんなが驚くような意外性のある仕事をしたいです。また、今までは自分軸で動いてきましたが、これからは下の世代やスタートアップの企業などを応援することもしていきたい。培ってきた自分の経験を、どこかで生かせたらいいなとは思っています。

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エイガールズが地元和歌山でイベント その背景にある「産地の危機」と「その先の希望」

エイガールズは11月23日、和歌山の本社でイベント「KASA」を実施している。和歌山県のニッター10社による「和歌山ニットプロジェクト」を軸に、カシミヤ100%の肌着ブランド「マル(MALU)」、名作ビンテージ家具職人「シープシェッドショップ(SHEEPSHED SHOP)」やフラワーショップ「ボワドゥギ(BOIS DE GUI)」、女優・モデルで薬膳料理家の菊井亜希さんとコラボレーションした4つのワークショップ、を実施している。同社の和歌山本社は2022年10月に建て替えており、今回のイベント名の「KASA」という同名のイベントスペースを併設していた。イベントは本日24日まで。

エイガールズの本社のある和歌山市三葛(みかずら)と隣接する紀三井寺(きみいでら)エリアは、西国三十三所の巡礼地地の2番目の札所として知られる紀三井寺の足元にあり、多数の丸編み工場がひしめく。これに車で数分ほどの距離にある和歌山市和田エリアを加えた「和歌山ニット」は、日本最大のニット産地である和歌山の大半を生産する丸編み地の生産地になる。エイガールズのほか、「ループウィラー(LOOPWHEELER)」のサプライヤーで吊り編み機ニットで知られるカネキチ工業(紀三井寺)、最新のジャカード機や経糸(たていと)を通せる日本唯一の丸編機バランサーキュラーなどハイテク丸編機を多数所有する丸和ニット(和田)、70年前の希少な丸胴ニット機に特化したコメチゥ(三葛)などがひしめく。

「和歌山ニットプロジェクト」は上記の企業もほか、風神莫大小(カゼカミメリヤス)、紀南莫大小工場、阪和、フジボウテキスタイル、美和繊維工業、ヤマヨジャージィ、豊染工を加え、エイガールズの開発したインドの超長綿糸「ロータス」を軸に裏毛スウェットやカットソー、タンクトップなどを直売するプロジェクト。ニューヨークや東京(代官山蔦屋書店)など国内外を巡回してきた。

なぜ今、和歌山でイベントを開催するのか。その狙いとは?その背景には「産地消滅」に対する強い危機感と、産地ブランディングや産業ツーリズムで乗り越えようという強い意志がある。プロジェクトを主導するエイガールズの山下智広社長と山下装子・副社長に聞いた。

世界で評価される「和歌山ニット発」のイベントで産地復興

WWD:なぜ地元和歌山でイベントを?

山下装子・副社長(以下、山下装子):22年10月に本社を建て替えた際、本社に隣接する形で別棟の「KASA」というイベントをスペースを作った。アパレル業界では和歌山が丸編産地だと知っている人はいても、業界の外に出れば、和歌山の人でも和歌山がニット産地だと知る人はほとんどいない。エイガールズや「MALU」はこの和歌山の丸編企業の優れた技術で成り立っている。「KASA」は、和歌山県内だけでなく、日本、あるいは世界に向けて発信する拠点として作った。

WWD:「和歌山ニット」は具体的に何が優れているのか?

山下装子:「MALU」は、カシミヤやシルクを100%使い、コメチゥが今では世界的にも希少な小寸のビンテージ丸胴機で編み上げている。自分で言うのもなんだが、信じられないほど肌触りがいいため、熱狂的なファンを抱えている。カシミヤの細く柔らかな糸は、生産性を追求している高速の最新機では、編み上げることが難しいし、高い糸だと失敗したときのダメージが大きい。細かい話になってしまうが、編み機は生産性を上げるために、多いときには数十本もの糸を一緒にセットして編み上げていくが、「MALU」は編み上げの失敗をできるだけミニマイズするために2本だけセットして編み上げている。1時間で1mやっと編み上げられるかどうかくらいのスピードだ。だが、それをできるのも古い機械だからだ。こうしたやり方に行き着くまでにも、失敗を重ねながら、機械を調整しながらようやく完成した。コメチゥには日本最古の100年前のベントレー社製のチェーン編み機も稼働しており、こんなことに付き合ってくれる工場は、希少な機械を含めて、世界中を探しても恐らくない。

とても素晴らしい工場だが、単体で見せても、外部の人にはわからないかもしれない。イベントで人を呼び、ファクトリーツアーと組み合わせることで、こうした工場の魅力を発信し、産地全体をブランディングしていく。

WWD:なぜ産地全体のブランディングを?イベント実施の背景には何があるのか?

山下智広社長(以下、山下智広):エイガールズは20年前にプルミエール・ヴィジョン(以下、PV)の出展をきっかけに、海外市場、特に欧州や米国のメゾンブランドの販路を開拓し、それなりに実績も積んできた。その一方で、この20年を取ってみても、産地の疲弊は激しい。当社は大半をこの和歌山産地でモノ作りしており、かなりリアルに以前のようなモノ作りがどんどんできなくなっている。

WWD:具体的には?

山下智広:商品企画よりも生産面の制約が大きい。PVに出展してから10年くらいは、小ロットで小回りがきき、かつスピーディーに対応できることが強みだった。だが、以前は数週間の納期で対応できたものが、数ヵ月という状況が常態化している。吊り編み機やビンテージな丸胴など、小規模な設備や人員でこなせる技術はまだなんとか維持できているが、染色や仕上げなど、大掛かりな設備や人員の必要な工程が厳しい。こうした状況は、小規模な丸編工場にもボディーブローのように効いており、あるタイミングを境に一気に廃業や倒産につながる可能性が高い。

WWD:課題は?

山下装子:最も大きいのは、人手不足だ。働き手が確保できず、経営側は後継者にも悩んでいる。

山下智広:これは、自分たちも含めて地方の中小企業の本当に大きな経営課題だ。処方箋で言えば教科書的に言えば「働く環境を整備・改善」し、「賃金を上げる」ことになるだろう。前者は経営者の努力や意識次第で、なんとかなる。これは例えば組合や「和歌山ニットプロジェクト」でコラボレーションした企業とは、同じ地元だし、情報交換したり、お互いに刺激し合いながらどんどん改善している実感がある。

難しいのは後者だ。日本のアパレル市場が縮小する中で、トップライン(売り上げ)を上げるのはかなり難しい。だから利益を上げる、つまり商品単価を上げるしかない。そのための一つが海外の市場の開拓だ。「和歌山ニットプロジェクト」の狙いの一つに、当社のこれまで蓄積してきた輸出のノウハウの共有があった。かつては商社がこうした部分を担ってきてくれたが、ロットが小さくなれば彼らの旨味が少なくなり、営業活動から細かな貿易業務まで、自分たちでやらなければならない。こうした細かな業務まで含めた実務的なノウハウは、アイテムや企業規模によっても変わるから、同業者が一番よくわかる。エイガールズとしてはこうしたノウハウを全く隠すつもりはない。

「和歌山ニットプロジェクト」の参加企業の多くは生地メーカーで、最終消費者に完成品を売るという経験に乏しい企業ばかりだった。それでも、直売に加え、海外での実施にこだわったのは、単価を上げ、利益を上げ、海外で売るノウハウを、実務を通して共有したかったからだ。これだけ聞くと綺麗事のようにも聞こえるかもしれないが、それだけいま産地は危機的な状況にあることの裏返しだ。リアルにわれわれがモノ作りをできなくなるという危機感が常にある。

WWD:解決の処方箋は?

山下智広:一社だけではできることには限りがある。かつて世界トップレベルに合ったと言われる日本の繊維業は本当に危機的な状況にある。それこそ業界が一体になった上で、地方レベルでは行政と、全国レベルでは産地を越えて連携していく必要がある。それでも産地の疲弊や縮小を止めることはできないだろう。縮小のスピードを遅くしながら、新しい販路の開拓や高付加価値化を同時に進めるしかない。

山下装子:今回のイベントでは、初日に代官山蔦屋書店と同程度の売上が挙げられたのは驚きだった。参加した企業が実際に店頭に立った代官山蔦屋のイベントでは、大盛況な上に客単価8万円もあった。正直都心だからという気持ちもあったが、この和歌山でも同じような売上があったのは、驚くべき成果だった。

今後はこうしたイベントを年1回くらいのペースで実施したい。イベントの最終的な目的は産地のブランディングだ。和歌山にはニット以外にも、「ぶどう山椒」など知られていないが世界に誇れる物品がある。県内だけでなく県外のクリエイターと一緒にコラボレーションして、テキスタイル以外も含めた高感度なイベントを実施していきたい。

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