【パーフェクト 磯崎順信社長】「Beautiful AI」を軸に快適なユーザー体験を重視

PROFILE: 磯崎順信/社長

磯崎順信/社長
PROFILE: (いそざき・よりのぶ)高校卒業後、単身渡米し8年間を過ごす。米国に拠点を置くIT企業の日本法人のマネージメントを数社で経験し、2015年にPerfectCorp.の日本法人の立ち上げから現職として参画。マネージメントのゴールは自分を必要としないチーム作り。部下も自身も今後のキャリアに有利になる環境作りを重要視している PHOTO : YOHEI KICHIRAKU

2025年に創業10周年を迎えたパーフェクトは、ARビューティアプリ「ユーカム メイク」を筆頭に、累計10億ダウンロードを超える「ユーカム」アプリシリーズを展開する。昨年からスローガンに「Beautiful AI」を掲げ、世界60カ国以上・700超えのブランドパートナーと共にユーザーがストレスなく快適な購買体験を提供できる環境作りをサポートしている。

25年はBtoB領域において
AIサービスを強化

WWD:パーフェクトが一般ユーザー向けに配信している主力の「ユーカム」アプリシリーズは、全世界で10億ダウンロードを超えている。バーチャル試着サービスを提供するまでの経緯は。

磯崎順信社長(以下、磯崎):当社は台湾に本社を置くサイバーリンクを母体としている。サイバーリンクはマルチメディアソフトウエアとAI顔識別技術の世界トップクラスで、日本市場では動画再生ソフト「PowerDVD」や動画編集ソフト「PowerDirector」が多くのユーザーから支持されるなどPC向けの製品やサービスの提供を続けていたが、11年ごろからPCに代わり携帯電話が台頭するようになり、モバイル領域で何かできないかと模索していた。当時は写真にさまざまなデコレーションができるプリントシールアプリが出始めたタイミング。「AI顔識別技術を得意とするサイバーリンクならクオリティーの高いアプリが開発できる」と考え、14年夏にバーチャルメイクアプリ「ユーカム メイク」をローンチした。すぐに爆発的人気となり、これを新事業にしていこうと会社をスピンオフ。15年にパーフェクトを設立した。現在は事業がスタートして10年経ち、技術は目覚ましい発展を遂げている。

WWD:事業の成長はコロナ禍で非接触になった20年が大きかったのか。

磯崎:コロナ禍で急激にビジネスが増えたかというと実はそうではない。確かに20年4〜6月は通常の10倍以上の問い合わせがあった。しかし、17年からBtoB領域でSaaS型(インターネット経由でサービスを利用できるビジネスモデル)で提供し、さらに19年からブラウザ上でバーチャル試着ができるようにして収益化し、2ケタ成長が続いていた。また、コロナ禍が明けてバーチャル試着の必要がなくなったかというとそうではない。顧客との強く質の良いエンゲージメントを多く獲得でき、ECだけでなくリアル店舗の売り上げにも十分貢献できていることから、成長はスローダウンしていない。

WWD:ビューティ・ファッションメーカーから支持され続けるパーフェクトの強みとは。

磯崎:技術面では、リアルタイムで自然なバーチャル試着がかなうこと。テクスチャーやメイクパターンなどの表現力はどこにも負けない自信がある。そしてそのサービスのパッケージング方法としてSaaS化したことが大きい。製品の登録作業をブランド側が自由に納得いくまで調整できるシステムを構築。これにより、各ブランドがバーチャル試着を導入するインフラの立ち位置を確立。「ユーカム」は現在世界700ブランド以上が利用し、扱う製品数も80万SKU以上に拡大。これまで数多くの賞も受賞している。この領域では独占的にビジネスできている。

WWD:24年に特に注力したことは。

磯崎:「Beautiful AI」をスローガンに掲げ、AI肌解析アプリ「スキンケア プロ」やAI画像生成アプリ「ユーカム AI Pro」などをローンチした。「スキンケア プロ」は美容クリニックやエステサロンに向けた、サブスクリプション型iOS向け業務用アプリ。弊社のAI肌解析を月額3万円程度から利用いただけることから問い合わせが増えており、展開サービスの裾野を広げることにつながった。そして生成AIの中でけん引してきたものが“生成AIのバーチャルトライオン”だ。生成AIのみは簡単だが、バーチャルトライオンという点が非常に難しい。生成AIを使いながら、毎回同じヘアスタイルを生成させることができるのはわれわれのサービスの大きな特長だ。さらにロングヘアの人がショートヘアにしたときの背景も生成AIで作り、そのナチュラルな技術は一目瞭然だ。また24年12月には、靴やバッグなどのファッションアイテムのバーチャル試着サービスを提供する「Wannaby」をファーフェッチから買収。今後は、AR・AI 技術を駆使したバーチャル試着サービスにおいて、ラグジュアリーファッション分野での新たな展開を推し進めていく。

WWD:今年も引き続き「Beautiful AI」のもと、AR・AI 技術を活用したサービスを提供していくのか。

磯崎:25年は大手のBtoB領域においてLLM(人工知能の一種)を活用したAIサービスを強化していく。これはトップ美容部員や販売員の“デジタルツイン”を創造すること。そのブランドの製品や理念、セールストーク、言葉使いなどノウハウを全て学び、LLMを活用してブランドのウェブサイトにチャットボットのように配置する。ユーザーの顔の特徴や肌状態などを解析し最適な製品を提案したり、メイクレッスンを行ったりと“自分専用のデジタルコンシェルジュ”が可能になる。これら「Beautiful AI」の技術をもって、裾野を広げていくことに注力していく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『自分好みのワイン作り』

ワインが好きで、特にカリフォルニア州・ナパのカベルネ・ソーヴィニヨンを好んでいる。カリフォルニアの大学でワインメイキング講座を履修して自分好みのワインを作り、ナパに自身のブドウ畑を作りたい。

COMPANY DATA
パーフェクト

台湾に本社を置く日本法人として2015年に創業。ARビューティアプリ「ユーカム メイク」を筆頭に累計10億ダウンロードを超える一般ユーザー向けアプリシリーズを展開するほか、ビューティ・ファッションブランドおよび小売店などに向けてAI・AR技術を活用したバーチャル試着サービスや肌解析ツールなどを提供。台湾、日本、北米、欧州、中国、インドに拠点を構え、サービスを60カ国以上で展開している


問い合わせ先
パーフェクト
03-6809-1135

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【パーフェクト 磯崎順信社長】「Beautiful AI」を軸に快適なユーザー体験を重視

PROFILE: 磯崎順信/社長

磯崎順信/社長
PROFILE: (いそざき・よりのぶ)高校卒業後、単身渡米し8年間を過ごす。米国に拠点を置くIT企業の日本法人のマネージメントを数社で経験し、2015年にPerfectCorp.の日本法人の立ち上げから現職として参画。マネージメントのゴールは自分を必要としないチーム作り。部下も自身も今後のキャリアに有利になる環境作りを重要視している PHOTO : YOHEI KICHIRAKU

2025年に創業10周年を迎えたパーフェクトは、ARビューティアプリ「ユーカム メイク」を筆頭に、累計10億ダウンロードを超える「ユーカム」アプリシリーズを展開する。昨年からスローガンに「Beautiful AI」を掲げ、世界60カ国以上・700超えのブランドパートナーと共にユーザーがストレスなく快適な購買体験を提供できる環境作りをサポートしている。

25年はBtoB領域において
AIサービスを強化

WWD:パーフェクトが一般ユーザー向けに配信している主力の「ユーカム」アプリシリーズは、全世界で10億ダウンロードを超えている。バーチャル試着サービスを提供するまでの経緯は。

磯崎順信社長(以下、磯崎):当社は台湾に本社を置くサイバーリンクを母体としている。サイバーリンクはマルチメディアソフトウエアとAI顔識別技術の世界トップクラスで、日本市場では動画再生ソフト「PowerDVD」や動画編集ソフト「PowerDirector」が多くのユーザーから支持されるなどPC向けの製品やサービスの提供を続けていたが、11年ごろからPCに代わり携帯電話が台頭するようになり、モバイル領域で何かできないかと模索していた。当時は写真にさまざまなデコレーションができるプリントシールアプリが出始めたタイミング。「AI顔識別技術を得意とするサイバーリンクならクオリティーの高いアプリが開発できる」と考え、14年夏にバーチャルメイクアプリ「ユーカム メイク」をローンチした。すぐに爆発的人気となり、これを新事業にしていこうと会社をスピンオフ。15年にパーフェクトを設立した。現在は事業がスタートして10年経ち、技術は目覚ましい発展を遂げている。

WWD:事業の成長はコロナ禍で非接触になった20年が大きかったのか。

磯崎:コロナ禍で急激にビジネスが増えたかというと実はそうではない。確かに20年4〜6月は通常の10倍以上の問い合わせがあった。しかし、17年からBtoB領域でSaaS型(インターネット経由でサービスを利用できるビジネスモデル)で提供し、さらに19年からブラウザ上でバーチャル試着ができるようにして収益化し、2ケタ成長が続いていた。また、コロナ禍が明けてバーチャル試着の必要がなくなったかというとそうではない。顧客との強く質の良いエンゲージメントを多く獲得でき、ECだけでなくリアル店舗の売り上げにも十分貢献できていることから、成長はスローダウンしていない。

WWD:ビューティ・ファッションメーカーから支持され続けるパーフェクトの強みとは。

磯崎:技術面では、リアルタイムで自然なバーチャル試着がかなうこと。テクスチャーやメイクパターンなどの表現力はどこにも負けない自信がある。そしてそのサービスのパッケージング方法としてSaaS化したことが大きい。製品の登録作業をブランド側が自由に納得いくまで調整できるシステムを構築。これにより、各ブランドがバーチャル試着を導入するインフラの立ち位置を確立。「ユーカム」は現在世界700ブランド以上が利用し、扱う製品数も80万SKU以上に拡大。これまで数多くの賞も受賞している。この領域では独占的にビジネスできている。

WWD:24年に特に注力したことは。

磯崎:「Beautiful AI」をスローガンに掲げ、AI肌解析アプリ「スキンケア プロ」やAI画像生成アプリ「ユーカム AI Pro」などをローンチした。「スキンケア プロ」は美容クリニックやエステサロンに向けた、サブスクリプション型iOS向け業務用アプリ。弊社のAI肌解析を月額3万円程度から利用いただけることから問い合わせが増えており、展開サービスの裾野を広げることにつながった。そして生成AIの中でけん引してきたものが“生成AIのバーチャルトライオン”だ。生成AIのみは簡単だが、バーチャルトライオンという点が非常に難しい。生成AIを使いながら、毎回同じヘアスタイルを生成させることができるのはわれわれのサービスの大きな特長だ。さらにロングヘアの人がショートヘアにしたときの背景も生成AIで作り、そのナチュラルな技術は一目瞭然だ。また24年12月には、靴やバッグなどのファッションアイテムのバーチャル試着サービスを提供する「Wannaby」をファーフェッチから買収。今後は、AR・AI 技術を駆使したバーチャル試着サービスにおいて、ラグジュアリーファッション分野での新たな展開を推し進めていく。

WWD:今年も引き続き「Beautiful AI」のもと、AR・AI 技術を活用したサービスを提供していくのか。

磯崎:25年は大手のBtoB領域においてLLM(人工知能の一種)を活用したAIサービスを強化していく。これはトップ美容部員や販売員の“デジタルツイン”を創造すること。そのブランドの製品や理念、セールストーク、言葉使いなどノウハウを全て学び、LLMを活用してブランドのウェブサイトにチャットボットのように配置する。ユーザーの顔の特徴や肌状態などを解析し最適な製品を提案したり、メイクレッスンを行ったりと“自分専用のデジタルコンシェルジュ”が可能になる。これら「Beautiful AI」の技術をもって、裾野を広げていくことに注力していく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『自分好みのワイン作り』

ワインが好きで、特にカリフォルニア州・ナパのカベルネ・ソーヴィニヨンを好んでいる。カリフォルニアの大学でワインメイキング講座を履修して自分好みのワインを作り、ナパに自身のブドウ畑を作りたい。

COMPANY DATA
パーフェクト

台湾に本社を置く日本法人として2015年に創業。ARビューティアプリ「ユーカム メイク」を筆頭に累計10億ダウンロードを超える一般ユーザー向けアプリシリーズを展開するほか、ビューティ・ファッションブランドおよび小売店などに向けてAI・AR技術を活用したバーチャル試着サービスや肌解析ツールなどを提供。台湾、日本、北米、欧州、中国、インドに拠点を構え、サービスを60カ国以上で展開している


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【レカルカ 梅田延稔 CEO】化粧品の枠を超えて、美しくなる“経験”を届けたい

PROFILE: 梅田延稔/CEO

梅田延稔/CEO
PROFILE: (うめだ・のぶとし)神奈川県出身。明治学院大学法学部在学中に、中国のジョイントベンチャー企業のインターンシップに参加。約1年間の中国駐在を経験する。2014年に大学を卒業し、IT系企業の経営企画部兼IPO準備室を経て、17年に起業。企業の新規事業立ち上げや医療機関のコンサルティングをしながら、梅田英姫会長とともに「レカルカ」を立ち上げ。18年に代表取締役CEOに就任 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

「レカルカ」は2017年の立ち上げ以降、皮膚科学研究に基づいた良質なスキンケア製品を核に、美容高感度層から支持を拡大してきた美容サロン発の気鋭ビューティブランドだ。近年はEC、松屋銀座本店の直営店に加えて、美容クリニックでの販路拡大に力を入れている。「肌に悩む、あらゆる人を救うブランド」への飛躍へ向けて25年、梅田延稔レカルカCEOが考える次の一手とは。

美容サロン発の知見と
ユーザーとの関係値が武器に

WWD:「レカルカ」とはどのようなブランドか。

梅田延稔レカルカCEO(以下、梅田):ビジネスのスタート地点は、私の母であり、現会長の梅田英姫が20年前に創業したエステサロンだった。たちまち「結果の出る施術」と話題になってお客さまが全国から集まるようになり、肌に悩む女性の「駆け込み寺」のような存在になることができた。ただサロンの予約は常にいっぱいで、施術できる人はどうしても限られてしまっていた。よりたくさんの人の肌悩みを救いたいという彼女の思いもあり、18年に私が旗振り役となってスキンケアブランド「レカルカ」の開発に至った。

WWD:「レカルカ」の強みは?

梅田:年間数万人もの肌を施術する中で、たくさんの肌悩みやセルフケアについて知る機会に恵まれ、皮膚科学の専門家や医師の方々とセッションをする機会が多かった。エステで培った英姫会長の経験とお客さまのリアルな声、皮膚科学の専門知識を融合させることで、他にない化粧品が作れているという自負がある。悩みが深いほど、「レカルカ」を使うことで肌が劇的に変わり、その分得られる喜びは大きい。使用前と使用後の肌の変化を、写真とともにわざわざ報告してくれるユーザーもおり、インタラクティブで強固な関係が築けているのも当社ならではの特長。お客さまの声にじっくり傾けながら、肌悩みを解消し、人生をポジティブな方向に導いていく。そんな成功体験を積み上げながらユーザーの信頼を獲得してきた。

WWD:成長をけん引する要因は。

梅田:肌のターンオーバーを正常化することで、「肌荒れしにくくなった」と反響を多くいただいている化粧水“ラクトペプローション”(100mL、8800円)。そしてビタミンCを角層の奥まで届けることで、透明感とハリが実感できるという声が多い“CFセラムアドバンス”(30mL、1万3200円)、この2つが売れ筋製品だ。当初は直営のエステサロンとECのみで販売してきたが、20年に初のポップアップストアを松屋銀座本店で実施したことも認知拡大のきっかけとなり、同時に想像していた以上のお客さまの熱量、製品を試してみたいというモチベーションを感じた。21年には同店に常設店舗を出店し、客数、売り上げ共に順調に成長している。

また同年には美容クリニックの専売ライン“DREX”を立ち上げ、クリニックの販路開拓に特化した営業チームを発足した。アプローチを始めて3年ほどで、提携クリニックは900件超に達した。「レカルカ」のユーザーは美容クリニックに通っている人も多く、医師やナースにも愛用者がいらっしゃるため、商談がスムーズに進むことも多い。現在の売り上げ構成において、美容クリニックでの流通が4割ほどを占めるまでになっている。

WWD:25年はどのようなことに取り組むか。

梅田:コンシューマー向けの製品は、大胆にリブランディングを行う。クリニック専売品がきっかけとなって、ドクターズコスメとしてますます美容感度の高いコアな層を取り込めているからこそ、その価値を広く届けることに邁進していきたい。「レカルカ」は創業者の英姫会長がストーリーテラーとなって、エステサロン発の信頼のあるブランドというイメージを確立できてきた手応えがあるが、反面、「レカルカ」を知らない人にどう届けるかは、ずっと悩みどころだった。「レカルカ」を通じて肌が変われば人生まで変わる。それほどの可能性を持っているという確信が得られたからこそ、もっとたくさんの人たちに使ってもらいたいという思いがある。

年内に新たなコンセプト“Wake Your Beauty”のもと「その出会いは人生のターニングポイントになる」というメッセージと世界観を体現したポップアップストアを全国で実施する予定だ。また、販売チャネルを広げて、タッチポイントを増やすことも考えていきたい。価格帯が1万円台前半〜後半と比較的高額であるため、百貨店やそれに準ずる場所での販売に絞る。ポップアップでの反応を見ながら、松屋銀座本店に続く直営出店の機会もうかがっている。

WWD:さらなる躍進の年になりそうだ。

梅田:規模が大きくなろうと、一人一人のニーズに応えるためにプロダクトを改良し続ける、モノ作りの姿勢はブレることはない。もう少し先を見れば、われわれは“化粧品メーカー”に止まるつもりもない。化粧品メーカーの範疇を超えて、お客さまの人生を美しく変えていけるような存在を目指していく。化粧品以外の事業構想も検討しながら、ブランド設立当初からの目標である「売上高100億円」のマイルストーンに向かって全力で走り続けたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『映画をプロデュース!』

「レカルカ」は一部の顧客向けに周年施策を毎年実施している。これまでホテルやレストランを貸し切ってイベントをするなど趣向を凝らしてきた。記念すべき10周年は「レカルカ」プロデュースの映画作品を作って、映画館で上映したい!

COMPANY DATA
レカルカ

2005年に梅田英姫会長が東京・銀座にエステサロンを創業。多くの女性の肌に触れてきた知見と、最先端の皮膚科学研究を融合させて、スキンケアブランド「レカルカ」を17年に立ち上げ。21年には松屋銀座に出店し、各地の百貨店でポップアップを開催して人気を集めている。近年はエステサロンや美容クリニックでの展開を強化している


問い合わせ先
レカルカ
03-6432-4354

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【レカルカ 梅田延稔 CEO】化粧品の枠を超えて、美しくなる“経験”を届けたい

PROFILE: 梅田延稔/CEO

梅田延稔/CEO
PROFILE: (うめだ・のぶとし)神奈川県出身。明治学院大学法学部在学中に、中国のジョイントベンチャー企業のインターンシップに参加。約1年間の中国駐在を経験する。2014年に大学を卒業し、IT系企業の経営企画部兼IPO準備室を経て、17年に起業。企業の新規事業立ち上げや医療機関のコンサルティングをしながら、梅田英姫会長とともに「レカルカ」を立ち上げ。18年に代表取締役CEOに就任 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

「レカルカ」は2017年の立ち上げ以降、皮膚科学研究に基づいた良質なスキンケア製品を核に、美容高感度層から支持を拡大してきた美容サロン発の気鋭ビューティブランドだ。近年はEC、松屋銀座本店の直営店に加えて、美容クリニックでの販路拡大に力を入れている。「肌に悩む、あらゆる人を救うブランド」への飛躍へ向けて25年、梅田延稔レカルカCEOが考える次の一手とは。

美容サロン発の知見と
ユーザーとの関係値が武器に

WWD:「レカルカ」とはどのようなブランドか。

梅田延稔レカルカCEO(以下、梅田):ビジネスのスタート地点は、私の母であり、現会長の梅田英姫が20年前に創業したエステサロンだった。たちまち「結果の出る施術」と話題になってお客さまが全国から集まるようになり、肌に悩む女性の「駆け込み寺」のような存在になることができた。ただサロンの予約は常にいっぱいで、施術できる人はどうしても限られてしまっていた。よりたくさんの人の肌悩みを救いたいという彼女の思いもあり、18年に私が旗振り役となってスキンケアブランド「レカルカ」の開発に至った。

WWD:「レカルカ」の強みは?

梅田:年間数万人もの肌を施術する中で、たくさんの肌悩みやセルフケアについて知る機会に恵まれ、皮膚科学の専門家や医師の方々とセッションをする機会が多かった。エステで培った英姫会長の経験とお客さまのリアルな声、皮膚科学の専門知識を融合させることで、他にない化粧品が作れているという自負がある。悩みが深いほど、「レカルカ」を使うことで肌が劇的に変わり、その分得られる喜びは大きい。使用前と使用後の肌の変化を、写真とともにわざわざ報告してくれるユーザーもおり、インタラクティブで強固な関係が築けているのも当社ならではの特長。お客さまの声にじっくり傾けながら、肌悩みを解消し、人生をポジティブな方向に導いていく。そんな成功体験を積み上げながらユーザーの信頼を獲得してきた。

WWD:成長をけん引する要因は。

梅田:肌のターンオーバーを正常化することで、「肌荒れしにくくなった」と反響を多くいただいている化粧水“ラクトペプローション”(100mL、8800円)。そしてビタミンCを角層の奥まで届けることで、透明感とハリが実感できるという声が多い“CFセラムアドバンス”(30mL、1万3200円)、この2つが売れ筋製品だ。当初は直営のエステサロンとECのみで販売してきたが、20年に初のポップアップストアを松屋銀座本店で実施したことも認知拡大のきっかけとなり、同時に想像していた以上のお客さまの熱量、製品を試してみたいというモチベーションを感じた。21年には同店に常設店舗を出店し、客数、売り上げ共に順調に成長している。

また同年には美容クリニックの専売ライン“DREX”を立ち上げ、クリニックの販路開拓に特化した営業チームを発足した。アプローチを始めて3年ほどで、提携クリニックは900件超に達した。「レカルカ」のユーザーは美容クリニックに通っている人も多く、医師やナースにも愛用者がいらっしゃるため、商談がスムーズに進むことも多い。現在の売り上げ構成において、美容クリニックでの流通が4割ほどを占めるまでになっている。

WWD:25年はどのようなことに取り組むか。

梅田:コンシューマー向けの製品は、大胆にリブランディングを行う。クリニック専売品がきっかけとなって、ドクターズコスメとしてますます美容感度の高いコアな層を取り込めているからこそ、その価値を広く届けることに邁進していきたい。「レカルカ」は創業者の英姫会長がストーリーテラーとなって、エステサロン発の信頼のあるブランドというイメージを確立できてきた手応えがあるが、反面、「レカルカ」を知らない人にどう届けるかは、ずっと悩みどころだった。「レカルカ」を通じて肌が変われば人生まで変わる。それほどの可能性を持っているという確信が得られたからこそ、もっとたくさんの人たちに使ってもらいたいという思いがある。

年内に新たなコンセプト“Wake Your Beauty”のもと「その出会いは人生のターニングポイントになる」というメッセージと世界観を体現したポップアップストアを全国で実施する予定だ。また、販売チャネルを広げて、タッチポイントを増やすことも考えていきたい。価格帯が1万円台前半〜後半と比較的高額であるため、百貨店やそれに準ずる場所での販売に絞る。ポップアップでの反応を見ながら、松屋銀座本店に続く直営出店の機会もうかがっている。

WWD:さらなる躍進の年になりそうだ。

梅田:規模が大きくなろうと、一人一人のニーズに応えるためにプロダクトを改良し続ける、モノ作りの姿勢はブレることはない。もう少し先を見れば、われわれは“化粧品メーカー”に止まるつもりもない。化粧品メーカーの範疇を超えて、お客さまの人生を美しく変えていけるような存在を目指していく。化粧品以外の事業構想も検討しながら、ブランド設立当初からの目標である「売上高100億円」のマイルストーンに向かって全力で走り続けたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『映画をプロデュース!』

「レカルカ」は一部の顧客向けに周年施策を毎年実施している。これまでホテルやレストランを貸し切ってイベントをするなど趣向を凝らしてきた。記念すべき10周年は「レカルカ」プロデュースの映画作品を作って、映画館で上映したい!

COMPANY DATA
レカルカ

2005年に梅田英姫会長が東京・銀座にエステサロンを創業。多くの女性の肌に触れてきた知見と、最先端の皮膚科学研究を融合させて、スキンケアブランド「レカルカ」を17年に立ち上げ。21年には松屋銀座に出店し、各地の百貨店でポップアップを開催して人気を集めている。近年はエステサロンや美容クリニックでの展開を強化している


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レカルカ
03-6432-4354

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【エイペックスコマース 茂住昌子CEO】女性に寄り添う製品力と確固たる信念でシェア獲得

PROFILE: 茂住昌子/CEO

茂住昌子/CEO
PROFILE: (もずみ・まさこ)1977年、富山県生まれ。富山国立工業専門学校を卒業後、化粧品企業の品質管理課で勤務。その後プログラマーに転身。26歳でカナダに渡り、映画業界での経験を積みながらサロンを経営。心と体の健康が真の美しさに直結することを実感し、北米各地でセラピストの講義を受講。その後、ニューヨークに移住し、大学に編入して児童心理学を専攻。渡航から15年を経て、出産を機に日本へ帰国。海外生活で得た日本の強みと課題を生かし、次女出産後に起業を決意。現在に至る PHOTO : HIROYA KIZAWA

富山県に本社を構えるエイペックスコマースは、オーストラリア発の自然派スキンケアブランド「スノー フォックス スキンケア」の日本総代理店を務め、公式サイト立ち上げからわずか3年で売上高は初年度比750%増と驚異的な成長を遂げた。同社を率いる茂住昌子CEOは、ブランド創業者であるフィービー・ソング氏との二人三脚で、日本市場での地位を急速に拡大している。

“カッサブラシ”とともに
スキンケア認知拡大へ

WWD:2024年は大躍進を遂げたが、未来への可能性をどう感じている?

茂住昌子CEO(以下、茂住):すでに成熟している日本のスキンケア市場に海外ブランドで新規参入することは非常にチャレンジングだったが、短期間で並外れた成長率とリピーター率を実現することができ、全てにおいて可能性を感じた1年だった。これほど急速にブランドが成長するとは予想していなかったが、この勢いそのままにさらなる成長を確信している。

WWD:急成長できた理由は?

茂住:「スノー フォックス スキンケア」を日本で立ち上げたのは21年のコロナ禍だった。消費者がオンラインで買い物することが多かったからこそEC販売で勝負したことで不利な状況を追い風に変えることができた。現在の売り上げは自社EC、アマゾン、楽天を含むECサイトが9割を占める。市場に参入した当初はSNSマーケティングは一切せず、製品を本当に気に入ってくれた美容家やロイヤルカスタマーの口コミだけで認知が急速に拡大していったのは、創業者のフィービーが酒さ(慢性的な皮膚疾患)に長年悩まされてきた実体験から植物療法と先端の植物由来原料をハイブリットに取り入れて開発した製品力が本物であるからに他ならない。フィービーは自身が出産を経たことで、産後の肌荒れやメンタルの不調など複雑に絡んだ女性の深い悩みにも寄り添ったモノ作りを徹底している。そんなブランドの信念と肌変化が多くのお客さまの心に響いていると実感している。

WWD:“カッサブラシ”がゲームチェンジャーとなった。

茂住:1万円以上と高価格帯であるにもかかわらず大変な反響をいただいている。特にウッドバージョンが登場してからはその勢いが増し、常に300個ほど予約待ちをいただいている状況。台湾の職人が一つ一つ手作りしているため現在供給が追いついていないが、2月には製造体制が整い、安定供給できるようになる。“カッサブラシ”は全体売り上げの6割を占め、事業の柱となっている。今後もブラッシュアップとシリーズの多角化を繰り返しながら骨太に育てていく。

WWD:スキンケアカテゴリーのポテンシャルは。

茂住:“カッサブラシ”を入り口にスキンケアに移行されるお客さまが増えてきた。そして実際にスキンケアアイテムを使用いただいたお客さまはリピート率60%と非常に高い。特に好評な高濃度のセラミドと植物性EGFをフリーズドライした“ブースター ボール”はセラムと併用すると、とろとろに溶ける画期的な製品で、2月にはシカエクソソームやリコリスを配合したバージョンも登場する。日本にはあまり浸透していないこうしたスペシャルケアの重要性をさらに啓蒙していけば、まだまだ伸びる余地がある。ブラシブランドだと認識されることも多いが、スキンケアブランドであるという認知を拡大していくことが課題。5年以内にはブラシが3割、スキンケアが7割となる売り上げ構成比を目指す。

WWD:立ち上げ初期から3年間はアウトソーシングせず、カスタマー対応から各社ECサイトへの商品登録、広告運用、梱包まで全ての業務を1人でこなしていた。

茂住:だからこそ物流の流れ、一人一人の顧客データまで全てを把握することができ、ブランドを急成長させる上で強みとなった。通常輸入ブランドは日本市場での認知向上やローカライズが必要で、その回収に数年を要するものだが、当社のように適切なマーケティングと経営判断ができれば投資家を入れず3年未満で初期投資を回収、利益を生むことができることを実証できた。現在16カ国で展開する中、日本はアメリカ、香港に次ぐ3位まで売上高が一気に浮上しており、成熟した市場への参入にもかかわらず香港を凌ぐ勢いで成長していることは自分自身とブランドの自信になった。

WWD:25年に注力することは?

茂住:スキンケアの認知獲得に向け、お客さまとの接点をより増やしていく。23年冬に伊勢丹新宿本店地下2階のビューティアポセカリーで常設展開をスタートし、フェイシャルトリートメントサービスの提供も開始した。また第3フェーズとして今年中に直営店もオープンし、サロン展開とサプリメント販売を手掛けたい。私自身、北米で15年間暮らしていた間にサロン経営をしていたこと、そして薬の製造で知られる地元・富山に戻ってきた背景があり、メディカル事業が自分のルーツへの恩返しだと感じている。本国ではすでに完成しているサプリメントを日本で展開するためにも、まずは直営店を設け、薬剤師が常駐するサロン兼ドラッグストアでの展開にも取り組んでいく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『物流システムに革命を』

ブランド立ち上げ時に学んだ国内外の物流やロジスティックスのノウハウを生かし、日本の中小企業が導入できる低コストで無駄のない物流システムを構築したい。日本の製品の輸出を支援し、再び“世界に誇れる日本”にするのが私の夢。

COMPANY DATA
エイペックスコマース

2019年に設立。富山県に本社を構え、化粧品の製造・販売を手掛ける。肌悩みに寄り添い、肌の変化を追求するブランド「スノー フォックス スキンケア」の総代理店を務め、子育てをしながら女性が美しく活躍できる企業を目指す。徹底した内製化でコスト削減を図り、輸入、物流、広告運用、ECサイト運営、営業全てを最小限のスタッフで対応する。社内の英語化を推進し、輸出業や国内の医薬品製造業の取り扱いにも挑戦する


問い合わせ先
エイペックスコマース
076-413-8302

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【エイペックスコマース 茂住昌子CEO】女性に寄り添う製品力と確固たる信念でシェア獲得

PROFILE: 茂住昌子/CEO

茂住昌子/CEO
PROFILE: (もずみ・まさこ)1977年、富山県生まれ。富山国立工業専門学校を卒業後、化粧品企業の品質管理課で勤務。その後プログラマーに転身。26歳でカナダに渡り、映画業界での経験を積みながらサロンを経営。心と体の健康が真の美しさに直結することを実感し、北米各地でセラピストの講義を受講。その後、ニューヨークに移住し、大学に編入して児童心理学を専攻。渡航から15年を経て、出産を機に日本へ帰国。海外生活で得た日本の強みと課題を生かし、次女出産後に起業を決意。現在に至る PHOTO : HIROYA KIZAWA

富山県に本社を構えるエイペックスコマースは、オーストラリア発の自然派スキンケアブランド「スノー フォックス スキンケア」の日本総代理店を務め、公式サイト立ち上げからわずか3年で売上高は初年度比750%増と驚異的な成長を遂げた。同社を率いる茂住昌子CEOは、ブランド創業者であるフィービー・ソング氏との二人三脚で、日本市場での地位を急速に拡大している。

“カッサブラシ”とともに
スキンケア認知拡大へ

WWD:2024年は大躍進を遂げたが、未来への可能性をどう感じている?

茂住昌子CEO(以下、茂住):すでに成熟している日本のスキンケア市場に海外ブランドで新規参入することは非常にチャレンジングだったが、短期間で並外れた成長率とリピーター率を実現することができ、全てにおいて可能性を感じた1年だった。これほど急速にブランドが成長するとは予想していなかったが、この勢いそのままにさらなる成長を確信している。

WWD:急成長できた理由は?

茂住:「スノー フォックス スキンケア」を日本で立ち上げたのは21年のコロナ禍だった。消費者がオンラインで買い物することが多かったからこそEC販売で勝負したことで不利な状況を追い風に変えることができた。現在の売り上げは自社EC、アマゾン、楽天を含むECサイトが9割を占める。市場に参入した当初はSNSマーケティングは一切せず、製品を本当に気に入ってくれた美容家やロイヤルカスタマーの口コミだけで認知が急速に拡大していったのは、創業者のフィービーが酒さ(慢性的な皮膚疾患)に長年悩まされてきた実体験から植物療法と先端の植物由来原料をハイブリットに取り入れて開発した製品力が本物であるからに他ならない。フィービーは自身が出産を経たことで、産後の肌荒れやメンタルの不調など複雑に絡んだ女性の深い悩みにも寄り添ったモノ作りを徹底している。そんなブランドの信念と肌変化が多くのお客さまの心に響いていると実感している。

WWD:“カッサブラシ”がゲームチェンジャーとなった。

茂住:1万円以上と高価格帯であるにもかかわらず大変な反響をいただいている。特にウッドバージョンが登場してからはその勢いが増し、常に300個ほど予約待ちをいただいている状況。台湾の職人が一つ一つ手作りしているため現在供給が追いついていないが、2月には製造体制が整い、安定供給できるようになる。“カッサブラシ”は全体売り上げの6割を占め、事業の柱となっている。今後もブラッシュアップとシリーズの多角化を繰り返しながら骨太に育てていく。

WWD:スキンケアカテゴリーのポテンシャルは。

茂住:“カッサブラシ”を入り口にスキンケアに移行されるお客さまが増えてきた。そして実際にスキンケアアイテムを使用いただいたお客さまはリピート率60%と非常に高い。特に好評な高濃度のセラミドと植物性EGFをフリーズドライした“ブースター ボール”はセラムと併用すると、とろとろに溶ける画期的な製品で、2月にはシカエクソソームやリコリスを配合したバージョンも登場する。日本にはあまり浸透していないこうしたスペシャルケアの重要性をさらに啓蒙していけば、まだまだ伸びる余地がある。ブラシブランドだと認識されることも多いが、スキンケアブランドであるという認知を拡大していくことが課題。5年以内にはブラシが3割、スキンケアが7割となる売り上げ構成比を目指す。

WWD:立ち上げ初期から3年間はアウトソーシングせず、カスタマー対応から各社ECサイトへの商品登録、広告運用、梱包まで全ての業務を1人でこなしていた。

茂住:だからこそ物流の流れ、一人一人の顧客データまで全てを把握することができ、ブランドを急成長させる上で強みとなった。通常輸入ブランドは日本市場での認知向上やローカライズが必要で、その回収に数年を要するものだが、当社のように適切なマーケティングと経営判断ができれば投資家を入れず3年未満で初期投資を回収、利益を生むことができることを実証できた。現在16カ国で展開する中、日本はアメリカ、香港に次ぐ3位まで売上高が一気に浮上しており、成熟した市場への参入にもかかわらず香港を凌ぐ勢いで成長していることは自分自身とブランドの自信になった。

WWD:25年に注力することは?

茂住:スキンケアの認知獲得に向け、お客さまとの接点をより増やしていく。23年冬に伊勢丹新宿本店地下2階のビューティアポセカリーで常設展開をスタートし、フェイシャルトリートメントサービスの提供も開始した。また第3フェーズとして今年中に直営店もオープンし、サロン展開とサプリメント販売を手掛けたい。私自身、北米で15年間暮らしていた間にサロン経営をしていたこと、そして薬の製造で知られる地元・富山に戻ってきた背景があり、メディカル事業が自分のルーツへの恩返しだと感じている。本国ではすでに完成しているサプリメントを日本で展開するためにも、まずは直営店を設け、薬剤師が常駐するサロン兼ドラッグストアでの展開にも取り組んでいく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『物流システムに革命を』

ブランド立ち上げ時に学んだ国内外の物流やロジスティックスのノウハウを生かし、日本の中小企業が導入できる低コストで無駄のない物流システムを構築したい。日本の製品の輸出を支援し、再び“世界に誇れる日本”にするのが私の夢。

COMPANY DATA
エイペックスコマース

2019年に設立。富山県に本社を構え、化粧品の製造・販売を手掛ける。肌悩みに寄り添い、肌の変化を追求するブランド「スノー フォックス スキンケア」の総代理店を務め、子育てをしながら女性が美しく活躍できる企業を目指す。徹底した内製化でコスト削減を図り、輸入、物流、広告運用、ECサイト運営、営業全てを最小限のスタッフで対応する。社内の英語化を推進し、輸出業や国内の医薬品製造業の取り扱いにも挑戦する


問い合わせ先
エイペックスコマース
076-413-8302

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【リノビューティー 田中誠太朗社長】美容領域から地方創生をハイブリッドに実現

PROFILE: 田中誠太朗/社長

田中誠太朗/社長
PROFILE: (たなか・せいたろう)原宿・青山・六本木のトップヘアサロンで経験を積み、俳優ら多くの著名人を担当する。サロンワークのほか、雑誌・CM・広告のヘアメイク、メディア出演や、大手化粧品メーカーでのセミナーなど多岐に渡って活動。2015年にリノビューティーを設立し、17年に会員制ビューティサロン「リノ801」を広尾にオープン。19年に「クロノシャルム」を発売し、ラグジュアリーホテルでのアメニティーにも採用。故郷である北海道を中心に地方創生に取り組む PHOTO : YOHEI KICHIRAKU

リノビューティーは、ライフスタイルブランド「クロノシャルム」を通じて地方創生に正面から取り組む注目の会社だ。宿泊施設との連携など化粧品にとらわれない新発想でさまざまなプロジェクトを仕掛ける。

将来的には海外外資系の
ホテルへの導入を目指す

WWD:まず会員制ビューティサロンの経緯は?

田中誠太朗社長(以下、田中):美容師として都内のトップサロンに勤務していた時は、多くの芸能人や経営者ら富裕層を担当させて頂いた。そこで感じたのが、そういったゲストは時間を無駄にしたくない、プライベートな空間が欲しいということ。それを受け2017年に完全個室でマンツーマンの会員制サロン「Reno 801(リノ801)」をオープンした。最高金額が「年間契約100万円」となっているが、ヘアサロンメニューだけでなくプロのメイクアップやスパも受けられ、プランによってはヘアスタイルに合わせてホームケア製品も提供する。「ゲストの時間を大切に守る」というのがサロンのコンセプトで、ゲストにはまるで自分の家にいるかのように使ってもらっている。ゲストの時間を大切に守るというのは、弊社の製品・サービス全てに通じる思想だ。

WWD:19年には「クロノシャルム」を発売した。

田中:サロンを立ち上げる時点でオリジナルブランドを作る構想はあり、製品開発に注力する計画だった。「Reno 801」のお客さまに自宅でもサロンのクオリティーを提供したい、来られない人にもそれを感じてほしいとの思いで作ったのが「クロノシャルム」。そのためサロンクオリティーとラグジュアリー感にこだわった。クロノ(chrono)は時間、シャルム(charme)は魅力を意味し、その人の時間に魅力を与えるというのがブランドメッセージだ。

WWD:原料には北海道余市町のブドウを採用している。

田中:「クロノシャルム」には「サステナビリティ」「地方創生」というコンセプトもある。僕の出身は北海道で、ラベンダー、ハッカ、昆布など良い原料があるにもかかわらず、お土産化粧品でしか使われていないことが多い。それをアップデートしたかった。同ブランドには余市町のワイナリーで醸造の際に廃棄されてしまう白ブドウの皮から抽出したクロノシャルディをコンセプト成分として採用している。人間には体内時計を動かす時計遺伝子が存在し、頭皮にも存在する。クロノシャルディはその時計遺伝子に表皮レベルで働きかけ、正常な状態へとサポートする働きがあることが期待されている。富裕層をターゲットにした製品としてワインは共通言語になり得るし、時間というコンセプトにもつながる。現在はその協力ワイナリーが生産する白ワインをブランドオリジナルの“クロシャルム ユメワイン”としてふるさと納税の返礼品にも出品している。

WWD:ホテルのアメニティーとしての採用も活発だ。

田中:ビューティ製品として販路を広げたりラインアップを拡大したりするのが成長のセオリーかもしれないが、われわれはライフスタイルブランドとしてラグジュアリーホテルのアメニティーを目標の一つとした。ブランドデビューから3カ月後にはニセコのラグジュアリーな宿泊施設「シグチ」でのアメニティー採用が決まった。また、23年には北海道日本ハムファイターズの本拠地となる北海道ボールパークFビレッジ内の「ヴィラ ブラマーレ」にも採用された。この2つはそれぞれ独自のフレグランスを「シグチコレクション」「ブラマーレコレクション」というホテルコレクションとして販売もしている。他にも全国8施設でオリジナルラインが採用されており(24年12月現在)、将来的には海外外資系ホテルへの導入を目指したい。

WWD:ブランドデビューから5年。売り上げの推移は?

田中:規模は大きくないが、毎年1.5倍のペースで伸びている。ただ、広告を打ったりインフルエンサーを起用したりして垂直立ち上げ型のビジネスモデルを作るつもりは全くなく、20年30年と続いていくブランドとなるよう価値を上げていきたい。もちろん製品の売り上げは伸ばしたいが、今後はブランドを体現するサービスにより注力したい。

WWD:ブランドを体現するサービスとは?

田中:第一歩として23年10月に「クロノシャルム リトリート ツーリズム」を開始した。弊社は宿泊施設に製品を卸して終わりではなく、そこに人を送り出すところまでが、美容領域からの地方創生への取り組みだと思っている。そのため、「クロノシャルム」のサイトから取引先のホテルの予約サイトにアクセスできる導線を設けている。また、宿泊施設とコラボレーションし、応募者の中から抽選で宿泊体験をプレゼントするキャンペーンを実施している。

WWD:25年の抱負は?

田中:「クロノシャルム リトリート ツーリズム」は単発のプレゼントキャンペーンではなく、それ自体で機能するべきだと考えている。今よりもさらに地域、宿泊施設との連携を強固なものとしていき、「クロノシャルム」というブランドを通じて旅に行きたいと思ってもらえるような仕組みを構築していきたい。僕の故郷は北海道ではあるが、地方創生は日本全国の話。“美容領域から地方創生”は弊社のミッションの一つなので、ブランドに関わっていただく全ての人たちに還元していくことを目指したい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『自社プロデュースのホテル開業』

サービスやインテリアの勉強も兼ねラグジュアリーホテルに宿泊することが増えた。その過程で、いつか「自分が理想とするホテルを開業したい」と夢を持つように。ビル一棟を、日本の自然や文化を感じられる場所として打ち出したい。

COMPANY DATA
リノビューティー

「だからあなたは美しい/so you’re beautiful」をコンセプトに掲げ、美容にまつわる事業を幅広い視野で考えるトータルビューティカンパニーとして2015年に設立。会員制ビューティサロン「リノ801」の運営をはじめ、ヘアメイクサービスの提供、オリジナルブランド「クロノシャルム」の製品開発や製品プロデュースを行う。地方自治体との取り組みに力を入れており、アップサイクルされた成分の使用や、宿泊施設やワイナリーとのコラボレーション、各自治体のふるさと納税への参加などを展開する


問い合わせ先
リノビューティー
info@renobeauty.jp

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【リノビューティー 田中誠太朗社長】美容領域から地方創生をハイブリッドに実現

PROFILE: 田中誠太朗/社長

田中誠太朗/社長
PROFILE: (たなか・せいたろう)原宿・青山・六本木のトップヘアサロンで経験を積み、俳優ら多くの著名人を担当する。サロンワークのほか、雑誌・CM・広告のヘアメイク、メディア出演や、大手化粧品メーカーでのセミナーなど多岐に渡って活動。2015年にリノビューティーを設立し、17年に会員制ビューティサロン「リノ801」を広尾にオープン。19年に「クロノシャルム」を発売し、ラグジュアリーホテルでのアメニティーにも採用。故郷である北海道を中心に地方創生に取り組む PHOTO : YOHEI KICHIRAKU

リノビューティーは、ライフスタイルブランド「クロノシャルム」を通じて地方創生に正面から取り組む注目の会社だ。宿泊施設との連携など化粧品にとらわれない新発想でさまざまなプロジェクトを仕掛ける。

将来的には海外外資系の
ホテルへの導入を目指す

WWD:まず会員制ビューティサロンの経緯は?

田中誠太朗社長(以下、田中):美容師として都内のトップサロンに勤務していた時は、多くの芸能人や経営者ら富裕層を担当させて頂いた。そこで感じたのが、そういったゲストは時間を無駄にしたくない、プライベートな空間が欲しいということ。それを受け2017年に完全個室でマンツーマンの会員制サロン「Reno 801(リノ801)」をオープンした。最高金額が「年間契約100万円」となっているが、ヘアサロンメニューだけでなくプロのメイクアップやスパも受けられ、プランによってはヘアスタイルに合わせてホームケア製品も提供する。「ゲストの時間を大切に守る」というのがサロンのコンセプトで、ゲストにはまるで自分の家にいるかのように使ってもらっている。ゲストの時間を大切に守るというのは、弊社の製品・サービス全てに通じる思想だ。

WWD:19年には「クロノシャルム」を発売した。

田中:サロンを立ち上げる時点でオリジナルブランドを作る構想はあり、製品開発に注力する計画だった。「Reno 801」のお客さまに自宅でもサロンのクオリティーを提供したい、来られない人にもそれを感じてほしいとの思いで作ったのが「クロノシャルム」。そのためサロンクオリティーとラグジュアリー感にこだわった。クロノ(chrono)は時間、シャルム(charme)は魅力を意味し、その人の時間に魅力を与えるというのがブランドメッセージだ。

WWD:原料には北海道余市町のブドウを採用している。

田中:「クロノシャルム」には「サステナビリティ」「地方創生」というコンセプトもある。僕の出身は北海道で、ラベンダー、ハッカ、昆布など良い原料があるにもかかわらず、お土産化粧品でしか使われていないことが多い。それをアップデートしたかった。同ブランドには余市町のワイナリーで醸造の際に廃棄されてしまう白ブドウの皮から抽出したクロノシャルディをコンセプト成分として採用している。人間には体内時計を動かす時計遺伝子が存在し、頭皮にも存在する。クロノシャルディはその時計遺伝子に表皮レベルで働きかけ、正常な状態へとサポートする働きがあることが期待されている。富裕層をターゲットにした製品としてワインは共通言語になり得るし、時間というコンセプトにもつながる。現在はその協力ワイナリーが生産する白ワインをブランドオリジナルの“クロシャルム ユメワイン”としてふるさと納税の返礼品にも出品している。

WWD:ホテルのアメニティーとしての採用も活発だ。

田中:ビューティ製品として販路を広げたりラインアップを拡大したりするのが成長のセオリーかもしれないが、われわれはライフスタイルブランドとしてラグジュアリーホテルのアメニティーを目標の一つとした。ブランドデビューから3カ月後にはニセコのラグジュアリーな宿泊施設「シグチ」でのアメニティー採用が決まった。また、23年には北海道日本ハムファイターズの本拠地となる北海道ボールパークFビレッジ内の「ヴィラ ブラマーレ」にも採用された。この2つはそれぞれ独自のフレグランスを「シグチコレクション」「ブラマーレコレクション」というホテルコレクションとして販売もしている。他にも全国8施設でオリジナルラインが採用されており(24年12月現在)、将来的には海外外資系ホテルへの導入を目指したい。

WWD:ブランドデビューから5年。売り上げの推移は?

田中:規模は大きくないが、毎年1.5倍のペースで伸びている。ただ、広告を打ったりインフルエンサーを起用したりして垂直立ち上げ型のビジネスモデルを作るつもりは全くなく、20年30年と続いていくブランドとなるよう価値を上げていきたい。もちろん製品の売り上げは伸ばしたいが、今後はブランドを体現するサービスにより注力したい。

WWD:ブランドを体現するサービスとは?

田中:第一歩として23年10月に「クロノシャルム リトリート ツーリズム」を開始した。弊社は宿泊施設に製品を卸して終わりではなく、そこに人を送り出すところまでが、美容領域からの地方創生への取り組みだと思っている。そのため、「クロノシャルム」のサイトから取引先のホテルの予約サイトにアクセスできる導線を設けている。また、宿泊施設とコラボレーションし、応募者の中から抽選で宿泊体験をプレゼントするキャンペーンを実施している。

WWD:25年の抱負は?

田中:「クロノシャルム リトリート ツーリズム」は単発のプレゼントキャンペーンではなく、それ自体で機能するべきだと考えている。今よりもさらに地域、宿泊施設との連携を強固なものとしていき、「クロノシャルム」というブランドを通じて旅に行きたいと思ってもらえるような仕組みを構築していきたい。僕の故郷は北海道ではあるが、地方創生は日本全国の話。“美容領域から地方創生”は弊社のミッションの一つなので、ブランドに関わっていただく全ての人たちに還元していくことを目指したい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『自社プロデュースのホテル開業』

サービスやインテリアの勉強も兼ねラグジュアリーホテルに宿泊することが増えた。その過程で、いつか「自分が理想とするホテルを開業したい」と夢を持つように。ビル一棟を、日本の自然や文化を感じられる場所として打ち出したい。

COMPANY DATA
リノビューティー

「だからあなたは美しい/so you’re beautiful」をコンセプトに掲げ、美容にまつわる事業を幅広い視野で考えるトータルビューティカンパニーとして2015年に設立。会員制ビューティサロン「リノ801」の運営をはじめ、ヘアメイクサービスの提供、オリジナルブランド「クロノシャルム」の製品開発や製品プロデュースを行う。地方自治体との取り組みに力を入れており、アップサイクルされた成分の使用や、宿泊施設やワイナリーとのコラボレーション、各自治体のふるさと納税への参加などを展開する


問い合わせ先
リノビューティー
info@renobeauty.jp

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【メディプラス 内田恭平 社長】「オゾン化グリセリン」を人々の暮らしに役立てたい

PROFILE: 内田恭平/社長

内田恭平/社長
PROFILE: (うちだ・きょうへい)1992年ポーラ化粧品本舗入社。営業、製品開発を経てポーラのBtoB事業部の西日本部長、11年にポーラ・オルビスホールディングス広報IR室長、12年にオルラーヌジャポン代表取締役に就任。退職後、17年ニッピコラーゲン化粧品に常務取締役として入社。23年9月から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

2024年は、ロングセラーの“メディプラスゲル”をはじめ、基幹製品群に独自技術による「オゾン化グリセリン※」を新配合してフルリニューアル。順調な滑り出しによって2期連続増収増益を達成した。内田恭平社長は、敏感肌悩みに寄り添ってきた経営理念、研究力、製品力をさらに光らせるべく、CRM(顧客関係強化)の磨き上げに力を入れる。 ※整肌成分

「肌悩みから解放してあげたい」
妥協なき品質へのこだわり

WWD:昨年を振り返って。

内田恭平社長(以下、内田):“オゾン化グリセリン”を配合した主力スキンケアのリニューアルが無事に滑り出し、まずはほっとしている。原価の兼ね合いでどうしても値上げせざるを得ず、多少の離反はあったものの、特に2300万本以上のシリーズ販売実績がある中でも主力のオールインワンゲル状美容液“メディプラスゲル”(180g、4400円)は長年ご愛用くださっているファンも多く、売り上げ動向に大きな影響はなかった。新客も獲得できたことで、差し引きでは伸長している。

WWD:「オゾン化グリセリン」とは。

内田:当社の特許技術「オゾネーション」でオゾンとグリセリンを化合させたもの。医療の現場でも使われるオゾンに着目し、安定性のあるグリセリンと組み合わせた保水力に優れた成分だ。これを洗顔料の“ウォッシュムース”、“クレンジングミルク”、日焼け止めの“UVミルキーゲル”にも配合し、オゾン化グリセリンを使ったトータルステップケアができるようになった。
さらに昨年末にはリップケアに特化した“リペアリップパック”、今年1月には“メディプラスゲル”の2.5倍量のオゾン化グリセリンを配合した“メディプラスゲルコンク”を発売した。これから投入を予定しているミスト化粧水も積極的にプロモーションしていく。

WWD:社長就任から1年4カ月。自社の強みをどう分析するか。

内田:創業者の恒吉(明美会長)から受け継がれている、妥協のない製品へのこだわり。恒吉自身が肌悩みを抱えており、同じような悩みを持つ人の心の浮き沈みを知っている。敏感肌の人は、肌が刺激を感じた時に「ちりちり」という音が肌から聞こえるという。恒吉は、この「ちりちり」から1人でも多くの人が解放されるように、という一心で製品を作り続けている。

そんな熱量が、スキンケアの魂である「官能評価」へのこだわりに表れている。つまりテクスチャーのことだ。“メディプラスゲルコンク”の開発過程では私も恒吉と一緒になって製品評価を行ったが、彼女はサンプルを手に取り、拭き取って、また手に取ってと、納得するまで何度もやり直していた。作ったサンプル数は60を超えた。私も長らく化粧品メーカーでのキャリアを積んできたが、これは一般的な化粧品開発ではあり得ない数だ。それでも徹底して、納得いくまでこだわり続ける姿勢こそが、このブランドの他にはない価値を作っているのだと思う。そんな創業者の姿を見れば、現場も本気になるに決まっている。

WWD:D2Cのビジネスモデルも特徴だ。

内田:「オゾン化グリセリン」をキーにさらなるブランドの認知拡大を図りながらも、顧客満足を追求することが私のミッション。CRM(顧客関係管理)が肝要だ。かつて当社は2007年に通販事業に参入すると、一気にシェアを広げ、10年足らずで売上高80億円まで拡大した。入社してから当時のデータを見てみたら、1年で25万人もの新客をとったが、リピートにつなげられず、翌年継続した方は半分だった。お客さまと距離が近いビジネスだからこそ、化粧品を作って売るだけではダメだ。お客さまにお届けする製品梱包に一筆添えたり、必要なときに必要な情報をパーソナライズされたメルマガでお届けしたりと、きめ細やかな心遣いや温度感のあるコミュニケーションが大事だと思っている。まずCRMをしっかりと支える社内制度、体制、ヒトがベースにあって、その上でマーケティングとブランディングを乗っけていく。でないと一過性のブームで終わってしまうし、売れ続ける組織にはなれない。

WWD:25年8月期の見通しは?

内田:前期比8%増の48億5000万円を計画している。トップライン(売上高)を狙っていくよりも、お客さまの満足度やリピート率といった“中身”のクオリティーを重視している。新規獲得率は順調に伸びているため、既存のユーザーがもっと満足するような制度や仕組み作りに注力したい。誰よりも、社員がメディプラスの製品の一番のファンであり、魅力の体現者でなければいけないと思っているから、社員一人一人の愛着心が滲み出るようなブランディング戦略を考えていく。

WWD:未来に向けた可能性は?

内田:今までは敏感肌や肌がゆらぎやすい人たちに寄り添うブランドを目指してきたが、「オゾン化グリセリン」の可能性はこれにとどまらない。これからはライフスタイルにも入り込んでいきたいし、肌だけではなく体のさまざまな部位やインナービューティにも業容を広げながら、人々のよりよい暮らしに貢献していきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『75歳までサーフィン』

サーフィンが趣味。お供はもちろん“UV ミルキーゲル”。来年は還暦を迎えるけれど、できれば75歳ぐらいまで続けたい。そのためには体力だけでなく精神も鍛えておかなければ。年々、冬の海の寒さが堪えるようになってきたので(笑)。

COMPANY DATA
メディプラス

2003年創業。幼少期より敏感肌に悩まされてきた創業者の恒吉明美氏が、自らの肌を実験台にスキンケア開発に着手。試行錯誤の末、エコー用のジェルに着想を得てゲル状スキンケア化粧品“メディプラスゲル”を完成させた。通販化粧品会社としてシェアを伸ばし、資金ゼロから売上高80億円を超えるブランドに成長させた。23年にはグループ会社のメディプラス製薬が特許を持つ独自成分「オゾン化グリセリン」を配合した製品を打ち出し、“悩みのない肌作り”を実現するブランドへ飛躍


問い合わせ先
メディプラス
0120-34-8748

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【メディプラス 内田恭平 社長】「オゾン化グリセリン」を人々の暮らしに役立てたい

PROFILE: 内田恭平/社長

内田恭平/社長
PROFILE: (うちだ・きょうへい)1992年ポーラ化粧品本舗入社。営業、製品開発を経てポーラのBtoB事業部の西日本部長、11年にポーラ・オルビスホールディングス広報IR室長、12年にオルラーヌジャポン代表取締役に就任。退職後、17年ニッピコラーゲン化粧品に常務取締役として入社。23年9月から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

2024年は、ロングセラーの“メディプラスゲル”をはじめ、基幹製品群に独自技術による「オゾン化グリセリン※」を新配合してフルリニューアル。順調な滑り出しによって2期連続増収増益を達成した。内田恭平社長は、敏感肌悩みに寄り添ってきた経営理念、研究力、製品力をさらに光らせるべく、CRM(顧客関係強化)の磨き上げに力を入れる。 ※整肌成分

「肌悩みから解放してあげたい」
妥協なき品質へのこだわり

WWD:昨年を振り返って。

内田恭平社長(以下、内田):“オゾン化グリセリン”を配合した主力スキンケアのリニューアルが無事に滑り出し、まずはほっとしている。原価の兼ね合いでどうしても値上げせざるを得ず、多少の離反はあったものの、特に2300万本以上のシリーズ販売実績がある中でも主力のオールインワンゲル状美容液“メディプラスゲル”(180g、4400円)は長年ご愛用くださっているファンも多く、売り上げ動向に大きな影響はなかった。新客も獲得できたことで、差し引きでは伸長している。

WWD:「オゾン化グリセリン」とは。

内田:当社の特許技術「オゾネーション」でオゾンとグリセリンを化合させたもの。医療の現場でも使われるオゾンに着目し、安定性のあるグリセリンと組み合わせた保水力に優れた成分だ。これを洗顔料の“ウォッシュムース”、“クレンジングミルク”、日焼け止めの“UVミルキーゲル”にも配合し、オゾン化グリセリンを使ったトータルステップケアができるようになった。
さらに昨年末にはリップケアに特化した“リペアリップパック”、今年1月には“メディプラスゲル”の2.5倍量のオゾン化グリセリンを配合した“メディプラスゲルコンク”を発売した。これから投入を予定しているミスト化粧水も積極的にプロモーションしていく。

WWD:社長就任から1年4カ月。自社の強みをどう分析するか。

内田:創業者の恒吉(明美会長)から受け継がれている、妥協のない製品へのこだわり。恒吉自身が肌悩みを抱えており、同じような悩みを持つ人の心の浮き沈みを知っている。敏感肌の人は、肌が刺激を感じた時に「ちりちり」という音が肌から聞こえるという。恒吉は、この「ちりちり」から1人でも多くの人が解放されるように、という一心で製品を作り続けている。

そんな熱量が、スキンケアの魂である「官能評価」へのこだわりに表れている。つまりテクスチャーのことだ。“メディプラスゲルコンク”の開発過程では私も恒吉と一緒になって製品評価を行ったが、彼女はサンプルを手に取り、拭き取って、また手に取ってと、納得するまで何度もやり直していた。作ったサンプル数は60を超えた。私も長らく化粧品メーカーでのキャリアを積んできたが、これは一般的な化粧品開発ではあり得ない数だ。それでも徹底して、納得いくまでこだわり続ける姿勢こそが、このブランドの他にはない価値を作っているのだと思う。そんな創業者の姿を見れば、現場も本気になるに決まっている。

WWD:D2Cのビジネスモデルも特徴だ。

内田:「オゾン化グリセリン」をキーにさらなるブランドの認知拡大を図りながらも、顧客満足を追求することが私のミッション。CRM(顧客関係管理)が肝要だ。かつて当社は2007年に通販事業に参入すると、一気にシェアを広げ、10年足らずで売上高80億円まで拡大した。入社してから当時のデータを見てみたら、1年で25万人もの新客をとったが、リピートにつなげられず、翌年継続した方は半分だった。お客さまと距離が近いビジネスだからこそ、化粧品を作って売るだけではダメだ。お客さまにお届けする製品梱包に一筆添えたり、必要なときに必要な情報をパーソナライズされたメルマガでお届けしたりと、きめ細やかな心遣いや温度感のあるコミュニケーションが大事だと思っている。まずCRMをしっかりと支える社内制度、体制、ヒトがベースにあって、その上でマーケティングとブランディングを乗っけていく。でないと一過性のブームで終わってしまうし、売れ続ける組織にはなれない。

WWD:25年8月期の見通しは?

内田:前期比8%増の48億5000万円を計画している。トップライン(売上高)を狙っていくよりも、お客さまの満足度やリピート率といった“中身”のクオリティーを重視している。新規獲得率は順調に伸びているため、既存のユーザーがもっと満足するような制度や仕組み作りに注力したい。誰よりも、社員がメディプラスの製品の一番のファンであり、魅力の体現者でなければいけないと思っているから、社員一人一人の愛着心が滲み出るようなブランディング戦略を考えていく。

WWD:未来に向けた可能性は?

内田:今までは敏感肌や肌がゆらぎやすい人たちに寄り添うブランドを目指してきたが、「オゾン化グリセリン」の可能性はこれにとどまらない。これからはライフスタイルにも入り込んでいきたいし、肌だけではなく体のさまざまな部位やインナービューティにも業容を広げながら、人々のよりよい暮らしに貢献していきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『75歳までサーフィン』

サーフィンが趣味。お供はもちろん“UV ミルキーゲル”。来年は還暦を迎えるけれど、できれば75歳ぐらいまで続けたい。そのためには体力だけでなく精神も鍛えておかなければ。年々、冬の海の寒さが堪えるようになってきたので(笑)。

COMPANY DATA
メディプラス

2003年創業。幼少期より敏感肌に悩まされてきた創業者の恒吉明美氏が、自らの肌を実験台にスキンケア開発に着手。試行錯誤の末、エコー用のジェルに着想を得てゲル状スキンケア化粧品“メディプラスゲル”を完成させた。通販化粧品会社としてシェアを伸ばし、資金ゼロから売上高80億円を超えるブランドに成長させた。23年にはグループ会社のメディプラス製薬が特許を持つ独自成分「オゾン化グリセリン」を配合した製品を打ち出し、“悩みのない肌作り”を実現するブランドへ飛躍


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メディプラス
0120-34-8748

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【エスヴィータ 篠﨑祥子代表取締役】再生医療着想のメーカー事業で外商ブランドとしての地位確立へ

PROFILE: 篠﨑祥子/代表取締役

篠﨑祥子/代表取締役
PROFILE: (しのざき・しょうこ)2006年に大手外資系化粧品メーカーでキャリアをスタートし、国内化粧品メーカーなどで約16年にわたり広報やマーケティングを担当。16年7月から現職。単純なPR代行で終わらず、ブランド力アップにつながる戦略的なPRから製品作り、ブランド立ち上げ、販路拡大までサポート。リレーションにもしっかり時間をかけ結果につなげる手腕は業界内で高い評価を得ている PHOTO : TOYOTA KAZUSHI

エスヴィータはメーカーとコンサル・PR業務、美容医療クリニック経営の3つの顔を持つ。昨年ローンチした完全オーダーメードスキンケアや、プレミアムスキンケアブランドを発展させ、3事業のワンストップ型ビジネスモデルの確立を目指す。

3事業のワンストップ型ビジネスモデルを確立

WWD:2024年は、長年思い描いていた化粧品メーカーとしての夢が実現した。

篠﨑祥子代表取締役(以下、篠﨑):世界初となるiPS細胞を用いた完全オーダーメードスキンケア「イプシア(IPSYA)」とプレミアムスキンケアブランド「テウズ(TEUDU)」を展開した。24年11月発売の「テウズ」は高価格帯であることを踏まえ、製品特性やバックグラウンドをしっかり伝えるために、プレ販売会やお披露目会、メディア発表会、インフルエンサー向けのイベント、一般のお客さま向けのイベントなど、発売日まで毎月のように戦略的に施策を重ねた。富裕層向けのメディアを中心に数多く取り上げていただけたほか、三越日本橋本店では1週間のポップアップイベントを開催できた。「売り上げと新たな客層を獲得できた」とバイヤーからも高評価を得ることができ、順調な滑り出しだった。

WWD:ターゲット層にリーチできたか?

篠﨑:美容感度の高い人や、日常的に上質なものに触れている外商のお客さまからの反響が高く安堵した。外商ビジネスに長けた三越日本橋本店との相性がよかったことも勝因だったと考えている。

WWD:「イプシア」は完全オーダーメードスキンケアのため、一般的なスキンケアと比べ価格帯のケタも違う。購買層は限られるが、現段階での動きは?

篠﨑:7月に受注販売で提供を開始したが、すでに7人のお客さまからお申し込みをいただいている。単純にオーダーメードコスメに興味を持っているというよりは、根本から美や健やかさを目指したいというように先端医療への関心が高い人が多い印象だ。

WWD:両ブランドの店舗展開は?

篠﨑:まずは「外商ブランド」という位置付けに持っていきたい。9月から施策を重ねているが、徐々に広がりを見せてきている。外商部からの反応も上々だ。現状は三越日本橋本店と東急百貨店で展開しており、伊勢丹新宿本店でも5月から展開予定だ。関西も視野に入れている。価格帯的にECで大きな収益を上げるようなブランドではないため、情報発信基地のような機能を持つ場所の必要性も感じている。実際に製品に触れ、われわれの思いやストーリーを体験していただけるような旗艦店を2〜3年以内に作りたい。

WWD:海外での展開は?

篠﨑:「イプシア」は、海外のお客さまが見込めるサービスだと思っている。現状は日本でしか厳重な管理体制でiPS細胞を作成できないため、運営する椿クリニックを活用し医療ツーリズムという形での展開を考えている。

WWD:これまではコンサル・PR業務とクリニック運営を主軸にしてきた。このタイミングでメーカーとしての機能を持つようになった経緯は?

篠﨑:化粧品メーカーでキャリアをスタートしたが、肌にとってよいものを追求していくとプロモーションやトレンド成分の処方だけでは限界があると感じていた。そこに向き合い、真の美と健康を伝えたいという思いがずっとあり、水面下で研究や構想を重ねてきた。「これだ!」という確信と、それを実現するための技術と特許がクリアになり、ようやく動き出すことができた。クライアントには意思表明をした上でご理解があり、契約を継続していただいている。自社工場を持つクライアントからは「『テウズ』をうちで作らないか」と声をかけていただくなど、よい関係を保っている。

WWD:売り上げの構成比は?

篠﨑:コンサル事業の割合が最も大きく、PR事業と合わせて6割程度。ここでプールした収益を「イプシア」や「テウズ」の開発などに充てている。ブランド事業は市場としてはまだ小さい。今は投資段階だが、「テウズ」を入り口に「イプシア」につなげられるようなビジネスモデルを徐々に確立し、ブランド事業の割合が最大になるように注力する。また「イプシア」のお客さまは、共同経営している椿クリニックでの審査を通しているため、クリニックも巻き込んだワンストップ型のビジネスモデルも見据えている。

WWD:コンサル事業とPR事業の展望は?

篠﨑:積極的に新規の案件を取ったり、営業をかけたりすることはあまり考えていない。既存のクライアントとの関係性を深掘りし、より発展性のあるプランを提案していくことが重要だ。

WWD:未来に見据える可能性は?

篠﨑:これからさらに医療と美容の垣根がなくなっていくと感じており、「イプシア」はこうした潮流を受けて、ますます需要が増すのではないか。加えて、弊社が積み上げてきた地産地消のモノ作り、本当の意味での循環型という可能性が、ブランドをより発展させていくだろうと期待している。地元の岩手県一関市への地域貢献や雇用の創出、化粧品の量り売りなども実現に向けて考えていきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『猫と自給自足生活』

自然豊かな田園風景が広がる岩手県出身で、自給自足が珍しくない環境で育った。「いつか自分で食べるものを全て自分で作れたら」という思いがずっとある。猫と一緒にのんびりと、お米や野菜を育てながら暮らしてみたい!

COMPANY DATA
エスヴィータ

化粧品の戦略PR企画やEC事業、美容医療クリニック運営などを手掛けるワンストップ型の美容・健康コンサルティング会社。社名は「サステナビリティ・ファースト」と「サーキュラーエコノミー」の頭文字であるS、命や生き方という意味を持つVITAに由来し、サステナビリティや地域貢献にも力を注ぐ。昨年は完全オーダーメードスキンケア「イプシア」と、プレミアムスキンケアブランド「テウズ」を立ち上げ、化粧品メーカーとして事業を拡大

TEXT : NAOMI SAKAI
問い合わせ先
エスヴィータ
0120-623-722

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【エスヴィータ 篠﨑祥子代表取締役】再生医療着想のメーカー事業で外商ブランドとしての地位確立へ

PROFILE: 篠﨑祥子/代表取締役

篠﨑祥子/代表取締役
PROFILE: (しのざき・しょうこ)2006年に大手外資系化粧品メーカーでキャリアをスタートし、国内化粧品メーカーなどで約16年にわたり広報やマーケティングを担当。16年7月から現職。単純なPR代行で終わらず、ブランド力アップにつながる戦略的なPRから製品作り、ブランド立ち上げ、販路拡大までサポート。リレーションにもしっかり時間をかけ結果につなげる手腕は業界内で高い評価を得ている PHOTO : TOYOTA KAZUSHI

エスヴィータはメーカーとコンサル・PR業務、美容医療クリニック経営の3つの顔を持つ。昨年ローンチした完全オーダーメードスキンケアや、プレミアムスキンケアブランドを発展させ、3事業のワンストップ型ビジネスモデルの確立を目指す。

3事業のワンストップ型ビジネスモデルを確立

WWD:2024年は、長年思い描いていた化粧品メーカーとしての夢が実現した。

篠﨑祥子代表取締役(以下、篠﨑):世界初となるiPS細胞を用いた完全オーダーメードスキンケア「イプシア(IPSYA)」とプレミアムスキンケアブランド「テウズ(TEUDU)」を展開した。24年11月発売の「テウズ」は高価格帯であることを踏まえ、製品特性やバックグラウンドをしっかり伝えるために、プレ販売会やお披露目会、メディア発表会、インフルエンサー向けのイベント、一般のお客さま向けのイベントなど、発売日まで毎月のように戦略的に施策を重ねた。富裕層向けのメディアを中心に数多く取り上げていただけたほか、三越日本橋本店では1週間のポップアップイベントを開催できた。「売り上げと新たな客層を獲得できた」とバイヤーからも高評価を得ることができ、順調な滑り出しだった。

WWD:ターゲット層にリーチできたか?

篠﨑:美容感度の高い人や、日常的に上質なものに触れている外商のお客さまからの反響が高く安堵した。外商ビジネスに長けた三越日本橋本店との相性がよかったことも勝因だったと考えている。

WWD:「イプシア」は完全オーダーメードスキンケアのため、一般的なスキンケアと比べ価格帯のケタも違う。購買層は限られるが、現段階での動きは?

篠﨑:7月に受注販売で提供を開始したが、すでに7人のお客さまからお申し込みをいただいている。単純にオーダーメードコスメに興味を持っているというよりは、根本から美や健やかさを目指したいというように先端医療への関心が高い人が多い印象だ。

WWD:両ブランドの店舗展開は?

篠﨑:まずは「外商ブランド」という位置付けに持っていきたい。9月から施策を重ねているが、徐々に広がりを見せてきている。外商部からの反応も上々だ。現状は三越日本橋本店と東急百貨店で展開しており、伊勢丹新宿本店でも5月から展開予定だ。関西も視野に入れている。価格帯的にECで大きな収益を上げるようなブランドではないため、情報発信基地のような機能を持つ場所の必要性も感じている。実際に製品に触れ、われわれの思いやストーリーを体験していただけるような旗艦店を2〜3年以内に作りたい。

WWD:海外での展開は?

篠﨑:「イプシア」は、海外のお客さまが見込めるサービスだと思っている。現状は日本でしか厳重な管理体制でiPS細胞を作成できないため、運営する椿クリニックを活用し医療ツーリズムという形での展開を考えている。

WWD:これまではコンサル・PR業務とクリニック運営を主軸にしてきた。このタイミングでメーカーとしての機能を持つようになった経緯は?

篠﨑:化粧品メーカーでキャリアをスタートしたが、肌にとってよいものを追求していくとプロモーションやトレンド成分の処方だけでは限界があると感じていた。そこに向き合い、真の美と健康を伝えたいという思いがずっとあり、水面下で研究や構想を重ねてきた。「これだ!」という確信と、それを実現するための技術と特許がクリアになり、ようやく動き出すことができた。クライアントには意思表明をした上でご理解があり、契約を継続していただいている。自社工場を持つクライアントからは「『テウズ』をうちで作らないか」と声をかけていただくなど、よい関係を保っている。

WWD:売り上げの構成比は?

篠﨑:コンサル事業の割合が最も大きく、PR事業と合わせて6割程度。ここでプールした収益を「イプシア」や「テウズ」の開発などに充てている。ブランド事業は市場としてはまだ小さい。今は投資段階だが、「テウズ」を入り口に「イプシア」につなげられるようなビジネスモデルを徐々に確立し、ブランド事業の割合が最大になるように注力する。また「イプシア」のお客さまは、共同経営している椿クリニックでの審査を通しているため、クリニックも巻き込んだワンストップ型のビジネスモデルも見据えている。

WWD:コンサル事業とPR事業の展望は?

篠﨑:積極的に新規の案件を取ったり、営業をかけたりすることはあまり考えていない。既存のクライアントとの関係性を深掘りし、より発展性のあるプランを提案していくことが重要だ。

WWD:未来に見据える可能性は?

篠﨑:これからさらに医療と美容の垣根がなくなっていくと感じており、「イプシア」はこうした潮流を受けて、ますます需要が増すのではないか。加えて、弊社が積み上げてきた地産地消のモノ作り、本当の意味での循環型という可能性が、ブランドをより発展させていくだろうと期待している。地元の岩手県一関市への地域貢献や雇用の創出、化粧品の量り売りなども実現に向けて考えていきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『猫と自給自足生活』

自然豊かな田園風景が広がる岩手県出身で、自給自足が珍しくない環境で育った。「いつか自分で食べるものを全て自分で作れたら」という思いがずっとある。猫と一緒にのんびりと、お米や野菜を育てながら暮らしてみたい!

COMPANY DATA
エスヴィータ

化粧品の戦略PR企画やEC事業、美容医療クリニック運営などを手掛けるワンストップ型の美容・健康コンサルティング会社。社名は「サステナビリティ・ファースト」と「サーキュラーエコノミー」の頭文字であるS、命や生き方という意味を持つVITAに由来し、サステナビリティや地域貢献にも力を注ぐ。昨年は完全オーダーメードスキンケア「イプシア」と、プレミアムスキンケアブランド「テウズ」を立ち上げ、化粧品メーカーとして事業を拡大

TEXT : NAOMI SAKAI
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エスヴィータ
0120-623-722

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【ココチコスメ 森本俊樹CEO】日本発ブランドを再構築 旗艦店を活用し世界に発信

PROFILE: 森本俊樹/CEO

森本俊樹/CEO
PROFILE: (もりもと・としき)1980年生まれ。2006年に大学卒業後、プロクター・アンド・ギャンブルに入社し「SK-II」を担当。消費者・市場インサイトの理解を基に、ブランドの戦略策定や商品ポートフォリオのリニューアルなどのプロジェクトに参画。LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトンやコンパニー フィナンシエール リシュモンでブランドマーケティング統括責任者を経験したのち、「日本発信のブランド創りに貢献したい」という思いの下で23年5月現職に着任。趣味はランニングと登山 PHOTO : SHUNICHI ODA

中国で人気に火がつき逆輸入という形で存在感を高めている「ココチ(COCOCHI)」は、日本発のブランドとしてポジショニングを再構築中だ。2023年にパーパスを「肌が、わたしを織りなしていく」と定め、ブランドが向かう先を明確にした。24年はそれを体現する旗艦店のオープンと主力商品のリニューアルでブランドの認知向上に努めた。25年は顧客との関係をさらに深め、次なるステージへと向かう。

日本発のブランドとして
さらなる認知拡大を目指す

WWD:ブランドの設立から中国市場での成功までをどのように振り返る?

森本俊樹CEO(以下、森本):日本のブランドの魅力を世界に届けたいという思いから、2017年に設立した。同志社大学と抗糖化の研究を行い、独自原料Orimos(オリモス)®を配合した製品を届けている。18〜19年ごろに来日した中国の美容家の目に留まったことが転機だった。中国ですでに注目されていた糖化にアプローチする素晴らしい日本の製品があるとSNSで発信してもらえたことで、中国を中心に爆発的な人気が出た。国別売上高構成比では約80%を中華圏が占める。次いで日本などだ。

WWD:コロナ禍に観光客が減少したことの影響は?

森本:訪日客率が高いブランドなので、コロナ禍を生き抜くのは大変だった。ただ中華圏ではスキンケアにこだわる傾向がより高まった時期でもあったため、SNSでのライブ配信やデジタル広告、ECでの販売を強化したことで、同地域の売上高は堅調に推移した。海外での根強い人気に支えられ、2ケタ成長を続けている。

WWD:ブランドの課題は?

森本:あらためて日本のブランドとしてのポジショニングを確立することだ。23年はデジタル広告を中心に認知拡大を図ったが、市場の競争は非常に激しく、成果を効率的に上げることが難しかった。一方で訪日客が戻ってくるにつれて、日本人の売り上げが伸び始めた。同年後半以降、羽田や成田、関西国際などの空港免税店で、売り場面積や製品を拡大・拡充することができた。

WWD:課題に対処するための取り組みは?

森本:23年に社員全員を巻き込んで、ブランドの世界観やDNAを見つめ直し、パーパスを再定義した。忙しい日常においても、スキンケアをするときには自分自身を慈しむ心地よい時間を大切にしてほしいと提案している。

WWD:24年はどのような年だったか?

森本:4月の旗艦店オープンは、ブランドとして大きな一歩だった。23年のデジタル広告施策の学びから、言葉やビジュアルだけでは伝わらない、実感を伴った体験を提供していきたいという思いが強まったことが発端だ。3階建ての空間を生かして、「抗糖化の館」を構想した。1階では黄金色の竹林をイメージした空間でスキンケア製品を販売し、外側から自身の肌と向き合ってもらう。2階のティーハウスでは、内側からのケアに着目したお茶と甘味を提供する。3階のリラクゼーションラウンジでは、五感を通して心をケアするプログラムを用意している。

WWD:旗艦店の反響は?

森本:来店客数は秋ごろから増加傾向にある。1階の売り場は既存顧客含め訪日客の割合が50%を超えるが、2階のティーハウスには「ココチ」を知らない日本人のお客さまも多く訪れており、ブランドを知ってもらうよいきっかけになっている。どのような形であれ「ココチ」に出合ってくれたお客さまに、ブランドのことをより知ってもらう施策を強化していく。

WWD:9月には人気の洗い流すタイプのクリームマスクをリニューアルし、“ココチ AG グローイング エッセンス クリーム マスク”(エッセンスクリーム20g、エッセンスマスク90g、6600円)を発売した。

森本:世界で累計740万個(2021年5月〜24年10月、ココチコスメ調べ)を出荷する主力商品だ。これまでで最大のリニューアルで、黄ぐすみにアプローチするオリモス®をアップグレードし、抗糖化をより強く感じられる設計に変更した。日本での導入はこれからだが、レフィル可能なパッケージを採用したほか、お客さまからの声を反映し、より使いやすい形状に改良した。リニューアルを機に、「アットコスメトーキョー(@cosme TOKYO)」と「アットコスメオーサカ(@cosme OSAKA)」でポップアップを開催したが、大阪では特設売り場で非常に好調な売り上げを記録するなど、ブランドの伸び代を感じた。

WWD:25年に注力することは?

森本:お客さまとの関係を深める一年にしたい。旗艦店を活用し、コミュニティー形成やメディア発信を強める計画だ。既存商品で高まる訪日客需要にアプローチしつつ、日本人に向けた新シリーズの展開も視野に入れるなど攻勢を続け、2ケタ成長を維持する。

WWD:未来に見据える可能性は?

森本:まずは旗艦店に足を運んでくださったお客さまに「ココチ」のことをより深く理解してもらい、好きになってもらえるよう取り組む。そして旗艦店の外でも「ココチ」を気にかけてもらい、再来店や発信につながる仕掛けやサービスを開発していく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『365日、“ここちいい”人生を送りたい』

“ここちいい”人生を送るためには自分を知り、多様な心地よさを体験してみるべきだと考えている。趣味の登山ではこれまで日本アルプスを堪能する機会が多かったので、海外のより高い山やまだ知らない山にも挑戦し、新しい心地よさを見つけたい。

COMPANY DATA
ココチコスメ

日本発のスキンケアブランド「ココチ」は、「スキンケアは信頼できる確かなサイエンスや効果とともに、“ここちいい”ものでありたい」をコンセプトに2017年に誕生。肌をこわばらせくすませるエイジングの原因の一つである糖化に着目し、使っていて“ここちいい”製品を開発する。来日した中国の美容家の目に留まったことで、日本市場に先んじて中国で「抗糖化」コスメのパイオニアとして市場に浸透し、業績を伸ばし続けている


問い合わせ先
ココチコスメ
0120-458-558

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【ココチコスメ 森本俊樹CEO】日本発ブランドを再構築 旗艦店を活用し世界に発信

PROFILE: 森本俊樹/CEO

森本俊樹/CEO
PROFILE: (もりもと・としき)1980年生まれ。2006年に大学卒業後、プロクター・アンド・ギャンブルに入社し「SK-II」を担当。消費者・市場インサイトの理解を基に、ブランドの戦略策定や商品ポートフォリオのリニューアルなどのプロジェクトに参画。LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトンやコンパニー フィナンシエール リシュモンでブランドマーケティング統括責任者を経験したのち、「日本発信のブランド創りに貢献したい」という思いの下で23年5月現職に着任。趣味はランニングと登山 PHOTO : SHUNICHI ODA

中国で人気に火がつき逆輸入という形で存在感を高めている「ココチ(COCOCHI)」は、日本発のブランドとしてポジショニングを再構築中だ。2023年にパーパスを「肌が、わたしを織りなしていく」と定め、ブランドが向かう先を明確にした。24年はそれを体現する旗艦店のオープンと主力商品のリニューアルでブランドの認知向上に努めた。25年は顧客との関係をさらに深め、次なるステージへと向かう。

日本発のブランドとして
さらなる認知拡大を目指す

WWD:ブランドの設立から中国市場での成功までをどのように振り返る?

森本俊樹CEO(以下、森本):日本のブランドの魅力を世界に届けたいという思いから、2017年に設立した。同志社大学と抗糖化の研究を行い、独自原料Orimos(オリモス)®を配合した製品を届けている。18〜19年ごろに来日した中国の美容家の目に留まったことが転機だった。中国ですでに注目されていた糖化にアプローチする素晴らしい日本の製品があるとSNSで発信してもらえたことで、中国を中心に爆発的な人気が出た。国別売上高構成比では約80%を中華圏が占める。次いで日本などだ。

WWD:コロナ禍に観光客が減少したことの影響は?

森本:訪日客率が高いブランドなので、コロナ禍を生き抜くのは大変だった。ただ中華圏ではスキンケアにこだわる傾向がより高まった時期でもあったため、SNSでのライブ配信やデジタル広告、ECでの販売を強化したことで、同地域の売上高は堅調に推移した。海外での根強い人気に支えられ、2ケタ成長を続けている。

WWD:ブランドの課題は?

森本:あらためて日本のブランドとしてのポジショニングを確立することだ。23年はデジタル広告を中心に認知拡大を図ったが、市場の競争は非常に激しく、成果を効率的に上げることが難しかった。一方で訪日客が戻ってくるにつれて、日本人の売り上げが伸び始めた。同年後半以降、羽田や成田、関西国際などの空港免税店で、売り場面積や製品を拡大・拡充することができた。

WWD:課題に対処するための取り組みは?

森本:23年に社員全員を巻き込んで、ブランドの世界観やDNAを見つめ直し、パーパスを再定義した。忙しい日常においても、スキンケアをするときには自分自身を慈しむ心地よい時間を大切にしてほしいと提案している。

WWD:24年はどのような年だったか?

森本:4月の旗艦店オープンは、ブランドとして大きな一歩だった。23年のデジタル広告施策の学びから、言葉やビジュアルだけでは伝わらない、実感を伴った体験を提供していきたいという思いが強まったことが発端だ。3階建ての空間を生かして、「抗糖化の館」を構想した。1階では黄金色の竹林をイメージした空間でスキンケア製品を販売し、外側から自身の肌と向き合ってもらう。2階のティーハウスでは、内側からのケアに着目したお茶と甘味を提供する。3階のリラクゼーションラウンジでは、五感を通して心をケアするプログラムを用意している。

WWD:旗艦店の反響は?

森本:来店客数は秋ごろから増加傾向にある。1階の売り場は既存顧客含め訪日客の割合が50%を超えるが、2階のティーハウスには「ココチ」を知らない日本人のお客さまも多く訪れており、ブランドを知ってもらうよいきっかけになっている。どのような形であれ「ココチ」に出合ってくれたお客さまに、ブランドのことをより知ってもらう施策を強化していく。

WWD:9月には人気の洗い流すタイプのクリームマスクをリニューアルし、“ココチ AG グローイング エッセンス クリーム マスク”(エッセンスクリーム20g、エッセンスマスク90g、6600円)を発売した。

森本:世界で累計740万個(2021年5月〜24年10月、ココチコスメ調べ)を出荷する主力商品だ。これまでで最大のリニューアルで、黄ぐすみにアプローチするオリモス®をアップグレードし、抗糖化をより強く感じられる設計に変更した。日本での導入はこれからだが、レフィル可能なパッケージを採用したほか、お客さまからの声を反映し、より使いやすい形状に改良した。リニューアルを機に、「アットコスメトーキョー(@cosme TOKYO)」と「アットコスメオーサカ(@cosme OSAKA)」でポップアップを開催したが、大阪では特設売り場で非常に好調な売り上げを記録するなど、ブランドの伸び代を感じた。

WWD:25年に注力することは?

森本:お客さまとの関係を深める一年にしたい。旗艦店を活用し、コミュニティー形成やメディア発信を強める計画だ。既存商品で高まる訪日客需要にアプローチしつつ、日本人に向けた新シリーズの展開も視野に入れるなど攻勢を続け、2ケタ成長を維持する。

WWD:未来に見据える可能性は?

森本:まずは旗艦店に足を運んでくださったお客さまに「ココチ」のことをより深く理解してもらい、好きになってもらえるよう取り組む。そして旗艦店の外でも「ココチ」を気にかけてもらい、再来店や発信につながる仕掛けやサービスを開発していく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『365日、“ここちいい”人生を送りたい』

“ここちいい”人生を送るためには自分を知り、多様な心地よさを体験してみるべきだと考えている。趣味の登山ではこれまで日本アルプスを堪能する機会が多かったので、海外のより高い山やまだ知らない山にも挑戦し、新しい心地よさを見つけたい。

COMPANY DATA
ココチコスメ

日本発のスキンケアブランド「ココチ」は、「スキンケアは信頼できる確かなサイエンスや効果とともに、“ここちいい”ものでありたい」をコンセプトに2017年に誕生。肌をこわばらせくすませるエイジングの原因の一つである糖化に着目し、使っていて“ここちいい”製品を開発する。来日した中国の美容家の目に留まったことで、日本市場に先んじて中国で「抗糖化」コスメのパイオニアとして市場に浸透し、業績を伸ばし続けている


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【ココバイ 阿部聖樹社長】“PLAY ORGANIC”で「オーガニックの民主化」を目指す

PROFILE: 阿部聖樹/社長

阿部聖樹/社長
PROFILE: (あべ・まさき)1983年4月24日生まれ。立教大学を卒業後、2006年にオンワード樫山に入社。百貨店婦人服営業に11年間従事し、マーケティング部、内部監査、ビューティー戦略部などの部門を経験。20年にココバイに異動し、営業に従事。既存ビジネスの強化に加え、デジタル領域への参入や他社とのコラボ事業などの新規事業にも注力した。23年9月から現職 PHOTO : KAZUSHI TOYODA

ココバイは2011年から米発オーガニックヘアケアブランド「ザ・プロダクト(PRODUCT)」を製造販売している。24年7月にはリブランディングを実施し、ヘアサロンやバラエティーショップに加え、ドラッグストアへも販路を拡げた。ミッションである「オーガニックの民主化」の実現に向けて攻勢をかける。

オーガニックブランドの固定概念を覆す
“PLAY感”のあるブランドへ

WWD:24年7月にリブランディングした理由は。

阿部聖樹社長(以下、阿部):現在、国内にオーガニックブランドは200以上あり、おそらく消費者は「肌や環境に優しくて安心安全だけど、少し価格が高い」「クリーンで凛としている」といったイメージを持っている。その中で独自性を出すために、オーガニックで楽しさやワクワクを感じて、気軽に楽しんでもらいたいという思いから“PLAY ORGANIC”をブランドスローガンに掲げた。何気なく選んだ製品が、ふとしたきっかけでブランドや企業の背景を知ることで、愛着の湧く存在となる。そういう道筋が自然だと思い、今後はマーケットインの考えで進める。コアターゲットをZ世代に定め、彼らに“刺さる”製品開発からブランディング、プロモーションを実施する。

WWD:同時にドラッグストアでの正規販売もスタートした。

阿部:われわれのミッションは「オーガニックの民主化」だ。サロン専売から始め、バラエティーショップにも販路を拡げていったが、民主化には生活動線に入ることが不可欠と考えた。既存の卸先も、新規層やライト層の獲得に力を入れたいという思いに賛同してくれた。

WWD:現在、ドラッグストアは何店舗に展開しているか。

阿部:約1万8000店だ。ヘアスタイリング剤は単品置きが基本だが、24年8月の発売当時は「マツキヨココカラ」には什器を置いてプロモーションを実施した。よりマス層に届けるために初のブランドアンバサダーとして起用した女優の森七菜さんのビジュアルボードもフックとなり、好調に推移している。

WWD:他チャネルにもよい波及効果があった。

阿部:バラエティーショップでは、リブランディング後の第1弾として発売した“ラスティングシリーズ”が、メイン商品である青色パッケージの“ヘアワックス”と同等に稼働している。小売りの売り上げで“ヘアワックス”が占める割合は約7割のため、かなり好調だ。40歳以下の60%以上が髪を染めているという昨今の状況から、退色防止を付加価値とした“ラスティングオイル”と“ラスティングワックス”を発売した。市場に「退色防止でお気に入りの髪色が持続する」というコンセプトと似通ったアイテムがないこともあり、売れ行きがいい。

WWD:商品ラインアップも45から15まで絞り込んだ。

阿部:アウトバスカテゴリーに集中することでブランドの強みが社内で明確になり、SNS発信や営業活動によい影響があった。「国内のオーガニックヘアケアブランドといえば『ザ・プロダクト』」を目指しており、今後もヘアカテゴリーを拡充していく。これまで扱っていたシャンプーとコンディショナーの市場は大きいが、大手の主戦場でもあるため難しい。そのため、われわれは切り口の面白さや細かいニーズを吸い上げることに注力したい。毎年、フレッシュな取り組みを実施し、「面白いブランドだよね」という印象につなげたい。

WWD:サステナビリティーの進捗はどうか。

阿部:資材や原料を自分たちで探して調達しているため、過剰在庫にならないように調整できている。オイルやワックスはセンシティブで難しいところもあるが、レフィル対応にも挑戦したい。再利用できるガラスを採用する製品もあるため、容器回収から着手していきたい。

WWD:その他、「オーガニックの民主化」に向けて必要なことは。

阿部:オーガニックブランド市場では、ヘアケア製品の価格帯は3000〜4000円が標準だが、これを買い続けやすい価格帯に設定することが必要だと考えている。今後は、ブランドサイトをリニューアルし、オーガニックコスメに関する知識や製品の使い方などのコンテンツを充実させていく予定だ。民主化によってブランドもマスになることを目指すが、ヘアサロンやオーガニックコスメのセレクトショップでも支持し続けてもらえるブランドでいたい。ファッション業界における「コンバース」のような存在がベンチマークだ。セレクトショップにも地方のショッピングモールにも置いてあり、老若男女が履いている。そんな立ち位置のブランドを目指す。

WWD:25年に注力していくことは。

阿部:現状、“ヘアワックス”を扱っている店舗数の方が多いため、“ラスティングシリーズ”をそれと同数に展開していきたい。半年に2商品ほどのペースで新製品の発売を予定しており、その間にコラボ品や企画品にもチャレンジしていく。直近では、2、3月にキャッチーで話題性のあるSNS施策を計画している。公式のTikTokアカウントも作成する予定だ。真面目に製品の背景などを伝えるだけではなく、“プレイ感”のあるSNSコミュニケーションに取り組んでいきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『子どもとワールドカップを見る』

もうすぐ第4子が生まれる予定だ。サッカーがとても好きなので、26年のワールドカップを子ども4人とアメリカで観戦したい。「ザ・プロダクト」発祥の地はアメリカ・カリフォルニアなので、そのルーツも探ってみたい。

COMPANY DATA
ココバイ

「ザ・プロダクト」は、2007年にアメリカで美容師向けに天然成分を使ったヘアワックスからスタートしたオーガニックヘアケアブランド。11年にココバイが日本市場における製造販売を始めた。17年1月、オンワードホールディングスの傘下に。24年7月に「ザ・プロダクト」のリブランディングを実施し、ブランドパーパスやロゴを刷新。“PLAY ORGANIC”をスローガンに掲げている


問い合わせ先
ココバイ
info@kokobuy.co.jp

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【ココバイ 阿部聖樹社長】“PLAY ORGANIC”で「オーガニックの民主化」を目指す

PROFILE: 阿部聖樹/社長

阿部聖樹/社長
PROFILE: (あべ・まさき)1983年4月24日生まれ。立教大学を卒業後、2006年にオンワード樫山に入社。百貨店婦人服営業に11年間従事し、マーケティング部、内部監査、ビューティー戦略部などの部門を経験。20年にココバイに異動し、営業に従事。既存ビジネスの強化に加え、デジタル領域への参入や他社とのコラボ事業などの新規事業にも注力した。23年9月から現職 PHOTO : KAZUSHI TOYODA

ココバイは2011年から米発オーガニックヘアケアブランド「ザ・プロダクト(PRODUCT)」を製造販売している。24年7月にはリブランディングを実施し、ヘアサロンやバラエティーショップに加え、ドラッグストアへも販路を拡げた。ミッションである「オーガニックの民主化」の実現に向けて攻勢をかける。

オーガニックブランドの固定概念を覆す
“PLAY感”のあるブランドへ

WWD:24年7月にリブランディングした理由は。

阿部聖樹社長(以下、阿部):現在、国内にオーガニックブランドは200以上あり、おそらく消費者は「肌や環境に優しくて安心安全だけど、少し価格が高い」「クリーンで凛としている」といったイメージを持っている。その中で独自性を出すために、オーガニックで楽しさやワクワクを感じて、気軽に楽しんでもらいたいという思いから“PLAY ORGANIC”をブランドスローガンに掲げた。何気なく選んだ製品が、ふとしたきっかけでブランドや企業の背景を知ることで、愛着の湧く存在となる。そういう道筋が自然だと思い、今後はマーケットインの考えで進める。コアターゲットをZ世代に定め、彼らに“刺さる”製品開発からブランディング、プロモーションを実施する。

WWD:同時にドラッグストアでの正規販売もスタートした。

阿部:われわれのミッションは「オーガニックの民主化」だ。サロン専売から始め、バラエティーショップにも販路を拡げていったが、民主化には生活動線に入ることが不可欠と考えた。既存の卸先も、新規層やライト層の獲得に力を入れたいという思いに賛同してくれた。

WWD:現在、ドラッグストアは何店舗に展開しているか。

阿部:約1万8000店だ。ヘアスタイリング剤は単品置きが基本だが、24年8月の発売当時は「マツキヨココカラ」には什器を置いてプロモーションを実施した。よりマス層に届けるために初のブランドアンバサダーとして起用した女優の森七菜さんのビジュアルボードもフックとなり、好調に推移している。

WWD:他チャネルにもよい波及効果があった。

阿部:バラエティーショップでは、リブランディング後の第1弾として発売した“ラスティングシリーズ”が、メイン商品である青色パッケージの“ヘアワックス”と同等に稼働している。小売りの売り上げで“ヘアワックス”が占める割合は約7割のため、かなり好調だ。40歳以下の60%以上が髪を染めているという昨今の状況から、退色防止を付加価値とした“ラスティングオイル”と“ラスティングワックス”を発売した。市場に「退色防止でお気に入りの髪色が持続する」というコンセプトと似通ったアイテムがないこともあり、売れ行きがいい。

WWD:商品ラインアップも45から15まで絞り込んだ。

阿部:アウトバスカテゴリーに集中することでブランドの強みが社内で明確になり、SNS発信や営業活動によい影響があった。「国内のオーガニックヘアケアブランドといえば『ザ・プロダクト』」を目指しており、今後もヘアカテゴリーを拡充していく。これまで扱っていたシャンプーとコンディショナーの市場は大きいが、大手の主戦場でもあるため難しい。そのため、われわれは切り口の面白さや細かいニーズを吸い上げることに注力したい。毎年、フレッシュな取り組みを実施し、「面白いブランドだよね」という印象につなげたい。

WWD:サステナビリティーの進捗はどうか。

阿部:資材や原料を自分たちで探して調達しているため、過剰在庫にならないように調整できている。オイルやワックスはセンシティブで難しいところもあるが、レフィル対応にも挑戦したい。再利用できるガラスを採用する製品もあるため、容器回収から着手していきたい。

WWD:その他、「オーガニックの民主化」に向けて必要なことは。

阿部:オーガニックブランド市場では、ヘアケア製品の価格帯は3000〜4000円が標準だが、これを買い続けやすい価格帯に設定することが必要だと考えている。今後は、ブランドサイトをリニューアルし、オーガニックコスメに関する知識や製品の使い方などのコンテンツを充実させていく予定だ。民主化によってブランドもマスになることを目指すが、ヘアサロンやオーガニックコスメのセレクトショップでも支持し続けてもらえるブランドでいたい。ファッション業界における「コンバース」のような存在がベンチマークだ。セレクトショップにも地方のショッピングモールにも置いてあり、老若男女が履いている。そんな立ち位置のブランドを目指す。

WWD:25年に注力していくことは。

阿部:現状、“ヘアワックス”を扱っている店舗数の方が多いため、“ラスティングシリーズ”をそれと同数に展開していきたい。半年に2商品ほどのペースで新製品の発売を予定しており、その間にコラボ品や企画品にもチャレンジしていく。直近では、2、3月にキャッチーで話題性のあるSNS施策を計画している。公式のTikTokアカウントも作成する予定だ。真面目に製品の背景などを伝えるだけではなく、“プレイ感”のあるSNSコミュニケーションに取り組んでいきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『子どもとワールドカップを見る』

もうすぐ第4子が生まれる予定だ。サッカーがとても好きなので、26年のワールドカップを子ども4人とアメリカで観戦したい。「ザ・プロダクト」発祥の地はアメリカ・カリフォルニアなので、そのルーツも探ってみたい。

COMPANY DATA
ココバイ

「ザ・プロダクト」は、2007年にアメリカで美容師向けに天然成分を使ったヘアワックスからスタートしたオーガニックヘアケアブランド。11年にココバイが日本市場における製造販売を始めた。17年1月、オンワードホールディングスの傘下に。24年7月に「ザ・プロダクト」のリブランディングを実施し、ブランドパーパスやロゴを刷新。“PLAY ORGANIC”をスローガンに掲げている


問い合わせ先
ココバイ
info@kokobuy.co.jp

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【イプサ 小田淳社長】肌・心・体への新領域 次世代の「イプサ」が始動

PROFILE: 小田淳/社長

小田淳/社長
PROFILE: (おだ・じゅん)1994年に資生堂に入社。97年にイプサの事業戦略本部で海外事業戦略の立案・オペレーション推進業務を担当。その後、2007年に資生堂に戻り経営企画部や国際事業企画部などを経て、15年にGPB事業本部事業戦略部兼グローバル事業推進部でSHISEIDO・CPBブランドの事業戦略の策定や事業マネジメントを担当。18年1月より現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

独自理論に基づく先進的な肌測定で一人一人に最適な美容法(レシピ)を提案しているイプサは、“ザ・タイムR アクア”や“ME(エム・イー)”などが百貨店の売り上げ上位に常にランクインするロングセラー製品を有する。一方でイノベーションを取り入れた新製品開発も精力的に行う。2025年もその技術力で、「肌に良いだけのスキンケアブランド」からの脱却を目指す。

「美的生命力」を引き出す
取り組み強化

WWD:2024年も話題の製品を続々と投入した。

小田淳社長(以下、小田):24年の売り上げは日本やアジア、中国を含め計画通りに着地した。期間中の大きなトピックスは24年2月にブランド最高峰化粧水“エッセンスローション アルティメイト”を発売したこと。化粧水は、ブランド内で長年売り上げNo.1のポジションをキープし続けている“ザ・タイムR アクア”や、拭き取り化粧水の“リファイニングローションe”など人気製品が多く、スキンケアや化粧水=「イプサ(IPSA)」というイメージが定着している。そこから「ベスト・オブ・ベスト」の化粧水を投入することで、そのイメージをより強めていきたいという考えのもと開発した。発売後は幅広い層に受け入れられ、他製品に比べてリピート率も高い。月を追うごとに販売数量が伸びて売り上げをけん引している。

WWD:ブランドの強みである肌測定器「イプサライザー」による測定・分析もスキンケアの売り上げの後押しになっているのか。

小田:創業当時から人が美しくなろうとする力「美的生命力」を引き出すことを目指し、店頭では肌のスペシャリストであるレシピストによるヒアリングと、「イプサライザー」の測定・分析を基に、お客さまに合わせたお手入れ方法「レシピ」を提案している。より楽しみながら肌測定をしてほしいという思いもあり、昨年からは“心の状態”の可視化にもチャレンジ。新測定として心の状態やライフスタイルを数値化・分析し、ライフスタイルに寄り添うアドバイスを提供している。こうした測定・分析は、コロナ禍を経てますます大事だと実感している。来店者の3〜4割は「イプサライザー」を試し、男性の利用も増加している。この領域は今後も大切にしていく。

WWD:メイクカテゴリーの売れ筋は?

小田:9月にはファンデーションをリニューアルし、“クリーム ファウンデイションe”を発売したところリニューアル前と比べて3〜4倍の伸びを記録。それと共にリキッドファンデーションも高い支持を得ており、課題だったベースメイクカテゴリーが活性化できている。ポイントメイクは、フェイスカラー“デザイニング フェイスカラーパレット”やリップカラー“リップオイルe LE”の限定色を発売し好評だった。現在の売り上げ構成は、スキンケアが7割でメイク類が3割。割合は現状のままキープし、全体の売り上げを伸ばしたい。そのためにスキンケア以外のアイテムもさらに充実させていくことは今年のテーマでもある。

WWD:展開店舗が多い中国の状況については。

小田:この2年間は厳しいというのが本音だ。いくつか理由はあるが、中国の経済自体が減速していることや、需要が高価格帯と低価格帯の製品に集中して消費が二極化したこと、中国のローカルブランドが台頭してきたことなどが大きい。そんな状況下でも“ザ・タイムR アクア”は根強い人気があったほか、ハリ感の不均一性に着目したクリーム“バウンス インテンス クリーム”やリキッドファンデーションが寄与。24年後半はプラスに戻り、25年以降のベースが出来上がったという手応えを得ることができた。店舗は選択と集中の段階で、ピーク時の100店舗を現在は約40店舗にまで絞った。強みであるオフラインの体験強化により質を向上させ、1店舗あたりの生産性は上がっている。日本や香港、台湾ですでに好評を博している“エッセンスローション アルティメイト”を12月に中国でも発売したが、例えば、「朝は“ザ・タイムR アクア”、夜は“エッセンスローション アルティメイト”を」というような日本でも成功したマーケティングは中国でも通用する。そういった良い事例を国を超えて展開するといういい流れも生まれてきている。訪日客にどこでも「このブランド見たよね」という印象を残すことは大事だ。

WWD:25年に目指すことは。

小田:次世代の「イプサ」をスタートさせる、そんな重要な1年になる。「イプサ」は肌への安心感や着飾らないシンプルさ、肌測定などが評価されている。もちろんそこは進化させつつ、肌・心・体のバランスと調和がとれた状態に導いたり、気持ちが下がっている自分をも受け止めて寄り添えたりするブランドにならなければいけない。肌・心・体については長年研究してきたエビデンスの蓄積ができているため、そのサイエンスの視点を盛り込みながら、ただ肌を良くするだけのスキンケアブランドから1歩抜け出す。そこで、1年をかけて構想したビジョンを5月に発表する予定だ。「スキンケアにとどまらずその先にチャレンジ」する新領域として、インナーケアではない新しいアプローチをスタートさせるので期待してほしい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ハーフマラソン出場』

23年に足をけがし、続けていたジョギングを長らく休んでいた。「運動と美肌の関係性」に着目した美容液“イプサ セラム アクティブ”の発売を機に、ジョギングを再開。今年の終わりにはハーフマラソンへの出場を目指す。

COMPANY DATA
イプサ

1986年に資生堂の子会社として設立。設立と同時に誕生したブランド「イプサ」は、スキンケア、ベースメイク、ポイントメイクを日本、アジアの6つの国と地域で展開する。ブランド名の由来はラテン語で「自ら」「自発的な」を意味し、スキンケアは独自の肌測定とカウンセリングによって、レシピスト(美容部員)と共に一人一人に合わせて最適な美容法「レシピ」を作り上げていくのが特徴。ロングセラーアイテムは“ザ・タイムR アクア”や“ME(エム・イー)”など

TEXT : WAKANA NAKADE


問い合わせ先
イプサ
03-3405-2432

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【イプサ 小田淳社長】肌・心・体への新領域 次世代の「イプサ」が始動

PROFILE: 小田淳/社長

小田淳/社長
PROFILE: (おだ・じゅん)1994年に資生堂に入社。97年にイプサの事業戦略本部で海外事業戦略の立案・オペレーション推進業務を担当。その後、2007年に資生堂に戻り経営企画部や国際事業企画部などを経て、15年にGPB事業本部事業戦略部兼グローバル事業推進部でSHISEIDO・CPBブランドの事業戦略の策定や事業マネジメントを担当。18年1月より現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

独自理論に基づく先進的な肌測定で一人一人に最適な美容法(レシピ)を提案しているイプサは、“ザ・タイムR アクア”や“ME(エム・イー)”などが百貨店の売り上げ上位に常にランクインするロングセラー製品を有する。一方でイノベーションを取り入れた新製品開発も精力的に行う。2025年もその技術力で、「肌に良いだけのスキンケアブランド」からの脱却を目指す。

「美的生命力」を引き出す
取り組み強化

WWD:2024年も話題の製品を続々と投入した。

小田淳社長(以下、小田):24年の売り上げは日本やアジア、中国を含め計画通りに着地した。期間中の大きなトピックスは24年2月にブランド最高峰化粧水“エッセンスローション アルティメイト”を発売したこと。化粧水は、ブランド内で長年売り上げNo.1のポジションをキープし続けている“ザ・タイムR アクア”や、拭き取り化粧水の“リファイニングローションe”など人気製品が多く、スキンケアや化粧水=「イプサ(IPSA)」というイメージが定着している。そこから「ベスト・オブ・ベスト」の化粧水を投入することで、そのイメージをより強めていきたいという考えのもと開発した。発売後は幅広い層に受け入れられ、他製品に比べてリピート率も高い。月を追うごとに販売数量が伸びて売り上げをけん引している。

WWD:ブランドの強みである肌測定器「イプサライザー」による測定・分析もスキンケアの売り上げの後押しになっているのか。

小田:創業当時から人が美しくなろうとする力「美的生命力」を引き出すことを目指し、店頭では肌のスペシャリストであるレシピストによるヒアリングと、「イプサライザー」の測定・分析を基に、お客さまに合わせたお手入れ方法「レシピ」を提案している。より楽しみながら肌測定をしてほしいという思いもあり、昨年からは“心の状態”の可視化にもチャレンジ。新測定として心の状態やライフスタイルを数値化・分析し、ライフスタイルに寄り添うアドバイスを提供している。こうした測定・分析は、コロナ禍を経てますます大事だと実感している。来店者の3〜4割は「イプサライザー」を試し、男性の利用も増加している。この領域は今後も大切にしていく。

WWD:メイクカテゴリーの売れ筋は?

小田:9月にはファンデーションをリニューアルし、“クリーム ファウンデイションe”を発売したところリニューアル前と比べて3〜4倍の伸びを記録。それと共にリキッドファンデーションも高い支持を得ており、課題だったベースメイクカテゴリーが活性化できている。ポイントメイクは、フェイスカラー“デザイニング フェイスカラーパレット”やリップカラー“リップオイルe LE”の限定色を発売し好評だった。現在の売り上げ構成は、スキンケアが7割でメイク類が3割。割合は現状のままキープし、全体の売り上げを伸ばしたい。そのためにスキンケア以外のアイテムもさらに充実させていくことは今年のテーマでもある。

WWD:展開店舗が多い中国の状況については。

小田:この2年間は厳しいというのが本音だ。いくつか理由はあるが、中国の経済自体が減速していることや、需要が高価格帯と低価格帯の製品に集中して消費が二極化したこと、中国のローカルブランドが台頭してきたことなどが大きい。そんな状況下でも“ザ・タイムR アクア”は根強い人気があったほか、ハリ感の不均一性に着目したクリーム“バウンス インテンス クリーム”やリキッドファンデーションが寄与。24年後半はプラスに戻り、25年以降のベースが出来上がったという手応えを得ることができた。店舗は選択と集中の段階で、ピーク時の100店舗を現在は約40店舗にまで絞った。強みであるオフラインの体験強化により質を向上させ、1店舗あたりの生産性は上がっている。日本や香港、台湾ですでに好評を博している“エッセンスローション アルティメイト”を12月に中国でも発売したが、例えば、「朝は“ザ・タイムR アクア”、夜は“エッセンスローション アルティメイト”を」というような日本でも成功したマーケティングは中国でも通用する。そういった良い事例を国を超えて展開するといういい流れも生まれてきている。訪日客にどこでも「このブランド見たよね」という印象を残すことは大事だ。

WWD:25年に目指すことは。

小田:次世代の「イプサ」をスタートさせる、そんな重要な1年になる。「イプサ」は肌への安心感や着飾らないシンプルさ、肌測定などが評価されている。もちろんそこは進化させつつ、肌・心・体のバランスと調和がとれた状態に導いたり、気持ちが下がっている自分をも受け止めて寄り添えたりするブランドにならなければいけない。肌・心・体については長年研究してきたエビデンスの蓄積ができているため、そのサイエンスの視点を盛り込みながら、ただ肌を良くするだけのスキンケアブランドから1歩抜け出す。そこで、1年をかけて構想したビジョンを5月に発表する予定だ。「スキンケアにとどまらずその先にチャレンジ」する新領域として、インナーケアではない新しいアプローチをスタートさせるので期待してほしい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ハーフマラソン出場』

23年に足をけがし、続けていたジョギングを長らく休んでいた。「運動と美肌の関係性」に着目した美容液“イプサ セラム アクティブ”の発売を機に、ジョギングを再開。今年の終わりにはハーフマラソンへの出場を目指す。

COMPANY DATA
イプサ

1986年に資生堂の子会社として設立。設立と同時に誕生したブランド「イプサ」は、スキンケア、ベースメイク、ポイントメイクを日本、アジアの6つの国と地域で展開する。ブランド名の由来はラテン語で「自ら」「自発的な」を意味し、スキンケアは独自の肌測定とカウンセリングによって、レシピスト(美容部員)と共に一人一人に合わせて最適な美容法「レシピ」を作り上げていくのが特徴。ロングセラーアイテムは“ザ・タイムR アクア”や“ME(エム・イー)”など

TEXT : WAKANA NAKADE


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イプサ
03-3405-2432

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【ジェイドジャパン 田村純一社長】香りにフォーカスした製品でサロンの価値を向上

PROFILE: 田村純一/社長

田村純一/社長
PROFILE: (たむら・じゅんいち)日本美容専門学校卒業後、美容師免許取得。約5年間のサロン勤務中に、製品やその売り方の工夫によってサロンの売り上げを上げることに興味を持ったことから、サロン専売品を扱うディーラーに転職。美容業界の仕組みを学ぶ。その後、大手美容総合メーカーや外資系美容メーカーに勤務し、美容師としての知見と技術を生かした営業力で好成績を残す。独立し、22年4月にジェイドジャパン設立。香りにフォーカスした製品で、サロン業界に新風を吹き込む PHOTO : YOHEI KICHIRAKU

ジェイドジャパンが主にヘアサロンで展開するヘアオイル「ロア ザ オイル」は2023年5月の発売以来、1年半で約81万本を売り上げた大ヒット製品だ。香りにとことんこだわる独創性のある製品で新たなカテゴリーを切り開き、サロンの価値向上を目指す。

サロンで香りを提供する
新しい文化を創造

WWD:「ロア ザ オイル」の快進撃が続いている。

田村純一社長(以下、田村):「ロア ザ オイル」と「ロア ザ オイル ケア」それぞれ6つの香りがあり、ありがたいことに10月に発売した“ネロリスモークティー”はすでに品切れし、“ミスティックウッド”も同様の勢いだ。20年間サロンビジネスに携わる中で、忙しい店は技術を提供しながら物販もやらなければならず、時間がない中でどう売っていくかが課題だった。説明しなくても、お客さまから「これ何ですか?」と聞かれる製品は何かと考えたとき、五感の中で直感的に感じる嗅覚だと思った。そこでフレグランスとしても通用するレベルの香りを目指して作ったのが「ロア ザ オイル」だ。3アイテムでローンチし、それぞれ香りは異なるが成分や質感は全て同じ。なぜなら、香りをレイヤードすることを前提としているからだ。美容師は造形(カット、パーマ)と色彩(カラーリング)を提供しているが、さらに香りを提供することで、サロンの奥行きと可能性を広げたいと思っている。

WWD:機能軸ではなく香りを打ち出す製品は新鮮だ。

田村:香りには、特定の香りを嗅ぐとそれに関連する記憶が呼び起こされるプルースト効果がある。「ロア ザ オイル」を購入してプライベートで使うと、サロンやスタイリングが思い出され、それが既存客の定着にもつながるのではないか。コロナ禍で香りに興味を持つ人が増え、フレグランス市場がそれ以降伸びている。そんな時代の流れにマッチしたプロダクトというのも後押ししている。

WWD:サロン専売品の中でも高価格帯だ。

田村:ヘアオイルの低価格から中価格帯はレッドオーシャン。競合の少ない高価格帯にして、それに相応しい価値ある製品にすることに注力している。香りはフランス、イタリア、日本の調香師と作り、オードパルファムレベルの6時間持続する。その香りのこだわりと持続性がなければ、既存製品との差別化は難しい。もう一つこだわったのはビジュアルで、アパレルブランドよりのイメージにした。一般的なヘアオイルは成分や効能ばかり書いてあるが、「ロア ザ オイル」は成分などの説明は必要最小限。もちろんクオリティーが高いのは大前提だが、ビジュアルとパッケージとパフュームのような上質な香り、その3つがそろって完成度が高ければ、まず興味を持っていただける。その効果もあり、公式インスタグラムは、1万7000人のフォロワー、293万回の閲覧回数(24年12月現在)となっている。

WWD:高価格帯にこだわる理由は?

田村:オイルは5500円、バームは4950円と確かに高価格だ。ただ、2000〜3000円の製品を売っても美容室の利益は数百円。それをいい方向に崩したい。弊社のように小さな会社の製品が売れれば、大手メーカーも「このくらいの価格帯でいける」となるだろうし、美容師やサロンの自信につながる。われわれはそのきっかけを作りたい。価値ある物販製品を適正な価格で販売して客単価を上げ、サロンの価値も高めるのが狙いだ。

WWD:海外ビジネスの進捗は?

田村:フィリピンは三越と富裕層をターゲットにしたサロンでの販売がスタートしている。現地では8000円程度で販売しているが、10本まとめて購入されるなどのケースもある。韓国と台湾はすでにサロンで導入されており、オファーが絶えない状況だ。今年はさらに中国とイタリアへの進出を予定している。イタリアはミラノ・ファッション・ウイークのバックステージで使用してもらったことがきっかけで、モデルが「この香りは何?」となり、ビジネスへとつながった。海外で商談していると、詳しく製品説明をしなくても香りを嗅いだだけで気に入ってもらい取り引きが決まることが多い。これが香りの強さだと実感した。

WWD:25年の新製品発売予定は?

田村:1月23日に全6種類の香りのトラベル用を発売し、3月には新たな3つの香り、5月には髪にも肌にも使えるUVスプレー、6月には昨年も好評だった夏限定の香り“ビーチクラブ”を発売予定だ。また、ビンの廃棄を減らすため、長く使う価値を感じてもらえるようなアーティストやブランドのコラボ限定ボトルやレフィルの販売にも取り掛かる。さらに秋にはハンドソープ、ディフューザー、香水など、より香りにフォーカスしたプロダクトの発売を予定している。サロンで売るものは、シャンプーやコンディショナー、スタイリング剤など髪に関わるものに限られているが、美容のプロから買うライフスタイルビューティとしてそれ以外の製品もあっていいと思っている。日本のギフト市場は10兆円と言われており、その一部をサロン業界に持ってきたら経営的にも潤うという発想だ。そのため、ギフトに選ばれるようパッケージにも徹底してこだわる。香り、クリエイティブ、ビジュアルに特化したプロダクトを通し、サロンで香りを提供するという新しい文化を創造したい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『行ったことのない10カ国への旅』

旅行が好きなので、今まで行ったことのない国、できれば10カ国を訪れたい。聞くのと体験するのでは大違いで、実際にその地に立ってインスピレーションを得たい。どこに行っても香りを感じたり考えたりするので、結局は仕事になってしまうが(笑)。

COMPANY DATA
ジェイドジャパン

2022年4月設立。サロンやショールームに設置するディフューザーの販売からスタートし、サロン製品などを手掛ける。23年5月に髪だけでなく全身に使用できる「ロア ザ オイル」が誕生。こだわったパフュームレベルの香りや香りのレイヤードの提案、スタイリッシュなパッケージなどが話題を集め、大ヒット製品に。「WWDBEAUTY」の24年ヘアサロン版ベストコスメでは2部門同時入賞した。24年3月に「ロア ザ オイル ケア」、同年12月に「ロア ザ バーム」を発売し、サロンにおける香り文化の創造にまい進する


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ジェイドジャパン
03-6804-2743

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【ジェイドジャパン 田村純一社長】香りにフォーカスした製品でサロンの価値を向上

PROFILE: 田村純一/社長

田村純一/社長
PROFILE: (たむら・じゅんいち)日本美容専門学校卒業後、美容師免許取得。約5年間のサロン勤務中に、製品やその売り方の工夫によってサロンの売り上げを上げることに興味を持ったことから、サロン専売品を扱うディーラーに転職。美容業界の仕組みを学ぶ。その後、大手美容総合メーカーや外資系美容メーカーに勤務し、美容師としての知見と技術を生かした営業力で好成績を残す。独立し、22年4月にジェイドジャパン設立。香りにフォーカスした製品で、サロン業界に新風を吹き込む PHOTO : YOHEI KICHIRAKU

ジェイドジャパンが主にヘアサロンで展開するヘアオイル「ロア ザ オイル」は2023年5月の発売以来、1年半で約81万本を売り上げた大ヒット製品だ。香りにとことんこだわる独創性のある製品で新たなカテゴリーを切り開き、サロンの価値向上を目指す。

サロンで香りを提供する
新しい文化を創造

WWD:「ロア ザ オイル」の快進撃が続いている。

田村純一社長(以下、田村):「ロア ザ オイル」と「ロア ザ オイル ケア」それぞれ6つの香りがあり、ありがたいことに10月に発売した“ネロリスモークティー”はすでに品切れし、“ミスティックウッド”も同様の勢いだ。20年間サロンビジネスに携わる中で、忙しい店は技術を提供しながら物販もやらなければならず、時間がない中でどう売っていくかが課題だった。説明しなくても、お客さまから「これ何ですか?」と聞かれる製品は何かと考えたとき、五感の中で直感的に感じる嗅覚だと思った。そこでフレグランスとしても通用するレベルの香りを目指して作ったのが「ロア ザ オイル」だ。3アイテムでローンチし、それぞれ香りは異なるが成分や質感は全て同じ。なぜなら、香りをレイヤードすることを前提としているからだ。美容師は造形(カット、パーマ)と色彩(カラーリング)を提供しているが、さらに香りを提供することで、サロンの奥行きと可能性を広げたいと思っている。

WWD:機能軸ではなく香りを打ち出す製品は新鮮だ。

田村:香りには、特定の香りを嗅ぐとそれに関連する記憶が呼び起こされるプルースト効果がある。「ロア ザ オイル」を購入してプライベートで使うと、サロンやスタイリングが思い出され、それが既存客の定着にもつながるのではないか。コロナ禍で香りに興味を持つ人が増え、フレグランス市場がそれ以降伸びている。そんな時代の流れにマッチしたプロダクトというのも後押ししている。

WWD:サロン専売品の中でも高価格帯だ。

田村:ヘアオイルの低価格から中価格帯はレッドオーシャン。競合の少ない高価格帯にして、それに相応しい価値ある製品にすることに注力している。香りはフランス、イタリア、日本の調香師と作り、オードパルファムレベルの6時間持続する。その香りのこだわりと持続性がなければ、既存製品との差別化は難しい。もう一つこだわったのはビジュアルで、アパレルブランドよりのイメージにした。一般的なヘアオイルは成分や効能ばかり書いてあるが、「ロア ザ オイル」は成分などの説明は必要最小限。もちろんクオリティーが高いのは大前提だが、ビジュアルとパッケージとパフュームのような上質な香り、その3つがそろって完成度が高ければ、まず興味を持っていただける。その効果もあり、公式インスタグラムは、1万7000人のフォロワー、293万回の閲覧回数(24年12月現在)となっている。

WWD:高価格帯にこだわる理由は?

田村:オイルは5500円、バームは4950円と確かに高価格だ。ただ、2000〜3000円の製品を売っても美容室の利益は数百円。それをいい方向に崩したい。弊社のように小さな会社の製品が売れれば、大手メーカーも「このくらいの価格帯でいける」となるだろうし、美容師やサロンの自信につながる。われわれはそのきっかけを作りたい。価値ある物販製品を適正な価格で販売して客単価を上げ、サロンの価値も高めるのが狙いだ。

WWD:海外ビジネスの進捗は?

田村:フィリピンは三越と富裕層をターゲットにしたサロンでの販売がスタートしている。現地では8000円程度で販売しているが、10本まとめて購入されるなどのケースもある。韓国と台湾はすでにサロンで導入されており、オファーが絶えない状況だ。今年はさらに中国とイタリアへの進出を予定している。イタリアはミラノ・ファッション・ウイークのバックステージで使用してもらったことがきっかけで、モデルが「この香りは何?」となり、ビジネスへとつながった。海外で商談していると、詳しく製品説明をしなくても香りを嗅いだだけで気に入ってもらい取り引きが決まることが多い。これが香りの強さだと実感した。

WWD:25年の新製品発売予定は?

田村:1月23日に全6種類の香りのトラベル用を発売し、3月には新たな3つの香り、5月には髪にも肌にも使えるUVスプレー、6月には昨年も好評だった夏限定の香り“ビーチクラブ”を発売予定だ。また、ビンの廃棄を減らすため、長く使う価値を感じてもらえるようなアーティストやブランドのコラボ限定ボトルやレフィルの販売にも取り掛かる。さらに秋にはハンドソープ、ディフューザー、香水など、より香りにフォーカスしたプロダクトの発売を予定している。サロンで売るものは、シャンプーやコンディショナー、スタイリング剤など髪に関わるものに限られているが、美容のプロから買うライフスタイルビューティとしてそれ以外の製品もあっていいと思っている。日本のギフト市場は10兆円と言われており、その一部をサロン業界に持ってきたら経営的にも潤うという発想だ。そのため、ギフトに選ばれるようパッケージにも徹底してこだわる。香り、クリエイティブ、ビジュアルに特化したプロダクトを通し、サロンで香りを提供するという新しい文化を創造したい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『行ったことのない10カ国への旅』

旅行が好きなので、今まで行ったことのない国、できれば10カ国を訪れたい。聞くのと体験するのでは大違いで、実際にその地に立ってインスピレーションを得たい。どこに行っても香りを感じたり考えたりするので、結局は仕事になってしまうが(笑)。

COMPANY DATA
ジェイドジャパン

2022年4月設立。サロンやショールームに設置するディフューザーの販売からスタートし、サロン製品などを手掛ける。23年5月に髪だけでなく全身に使用できる「ロア ザ オイル」が誕生。こだわったパフュームレベルの香りや香りのレイヤードの提案、スタイリッシュなパッケージなどが話題を集め、大ヒット製品に。「WWDBEAUTY」の24年ヘアサロン版ベストコスメでは2部門同時入賞した。24年3月に「ロア ザ オイル ケア」、同年12月に「ロア ザ バーム」を発売し、サロンにおける香り文化の創造にまい進する


問い合わせ先
ジェイドジャパン
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【BCLカンパニー 大村和重カンパニーエグゼクティブプレジデント】主力ブランドの拡大と並行し、新領域に果敢に挑戦

PROFILE: 大村和重/カンパニーエグゼクティブプレジデント

大村和重/カンパニーエグゼクティブプレジデント
PROFILE: (おおむら・かずしげ)2007年、BCLカンパニーの前身であるB&Cラボラトリーズに入社。18年にBCLカンパニー国内事業部の事業部長に就任する。19年からカンパニーエグゼクティブを兼任し、21年6月にカンパニーエグゼクティブプレジデントに昇格。スタイリングライフ・ホールディングスの執行役員も務める PHOTO : KAZUSHI TOYOTA

スタイリングライフ・ホールディングスのビューティ&ウエルネス事業を担うBCLカンパニーは、主力ブランドの「サボリーノ」を筆頭に、生活者のライフスタイルに彩りを添えるコスメを提供している。2025年は「+1の発想で、美しさを塗り替え 毎日を彩る」という理念のもと、さらなる挑戦へ踏み出す。

「サボリーノ」を筆頭に
スキンケアカテゴリーが成熟

WWD:24年は主力製品の「サボリーノ」をリニューアルした。

大村和重カンパニーエグゼクティブプレジデント(以下、大村):「サボリーノ」は15年のデビュー以来、“朝用シートマスク”という新習慣を提案してきた。当時は、日本でシートマスク文化がどこまで浸透するか半信半疑だったが、若年層から年配層まで多くのお客さまに愛される製品となった。しかし、幅広い人に届けるチャンスはまだまだある。そこで、10年目を迎えるにあたり、お客さまのライフスタイルにさらに寄り添うべく、初のリニューアルを決断した。その一環として、ブランド認知度をさらに向上させることを目指し、テレビCM戦略を本格的に強化した。24年1月から秋にかけて3度放映したテレビCMでは、50~70代の新規顧客を開拓。「サボリーノ」の認知度が10%上昇しただけでなく、地方のドラッグストアでも売り上げが増加し、テレビの影響力を改めて実感した。まずは“知ってもらう”ことに注力した結果、売り上げの底上げにつながった。

WWD:第二の中核を担う「乾燥さん」も急成長している。

大村:21年に誕生した「乾燥さん」は、日本人特有の乾燥肌や敏感肌の悩みを、キャッチーなキャラクターで表現するなどして親しみやすさを強めたところ、乾燥に悩む人たちの共感を得られた。また、23年からインフルエンサーに取り上げてもらうなどして、急激に売り上げを伸ばしている。製品そのものの品質に対する信頼とともに、自然と口コミが拡散され、コアなファン層を生み出している。

WWD:この好調の波をどう次につなげていくか。

大村:スキンケア市場で安定した成長を続ける「サボリーノ」と「乾燥さん」という両ブランドが確固たる地位を築けたことは、当社にとって大きな成果だ。しかしここで安心しているわけではない。当社はチャレンジ精神が非常に強い会社だ。ニッチな市場を積極的に攻めていこうと考えている。24年はサプリ市場に参入し、4月に夜の美容プロテイン提案「オヤスミタンパク」を発売した。25年には美容機器の発売も予定している。化粧品だけではなく、ライフスタイル全体をトータルでサポートできる企業でありたい。まず日本の各市場でしっかり地盤を固めて、3年後には海外進出も見据えている。

WWD:海外戦略の現状と今後の方針は?

大村:中国、香港、台湾が厳しい中、EUや北米が好調だ。中でもドイツは50店舗で「サボリーノ」の取り扱いをスタートしたが好調に推移し、隣国のポーランドを含めると500店舗にまで広がっている。また、イタリアの見本市に出展した際も、ECや小売りのバイヤーからオファーが殺到した。EUなどでも韓国コスメが流行っているので、一巡してやや飽きが出たところにJビューティがうまく入り込めたと感じている。これを延ばすためには日本向けの製品を輸出するのではなく、ローカライズした製品が必要になってくる。チャンスのある市場なので、慎重に見定めたい。また、韓国コスメが席巻し、メード・イン・ジャパンの強みが薄れる中、“食”はまだまだ強い。インナービューティという分野は戦っていく価値や可能性を感じる。24年は世界的にビジネスとして戦っていくための戦略をスタートし、よい形で進みだすことができた。

WWD:競合の韓国コスメも勢いに乗っている。

大村:韓国ブランドに負けない“かわいい”ビジュアルとアイテム作りをする「カワイイプロジェクト」を立ち上げた。宣伝や営業などのメンバーも参加する。韓国では長期のブランド維持よりも3年程で大きな売り上げを狙う企業が多い。スピードで勝つために、現在1年半の開発期間を短縮し、3カ月から半年でトレンドに対応した製品開発を目指している。

WWD:未来にどんな可能性を見出しているか。

大村:BCLはアイデアの会社。これまで数々のアイデアを試し、その過程で多くの失敗も経験している。サプリや美容機器といった新領域においては、知見の不足を認識した上で、失敗を恐れず、その結果を次の改善へと結びつける作業を積み重ねていきたい。25年に限らず継続してチャレンジを続けていくが、それは根本に「人を笑顔にするものを総合的に提供できる会社になりたい」という思いがあるから。BCLが目指すのは、単に若さを追求するアンチエイジングではなく、年齢を重ねたその時々で、その年齢としてもっとも素敵でいられるライフスタイルを支えることだ。化粧品はもちろんのこと、健康をサポートできる製品にも注力していく。世代、ジェンダー、地域を問わず、全ての人が健康で笑顔になれるような製品を提供できる企業になることが理想だ。30、40年先を見据え、実現させるための基盤づくりに取り組んでいく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『自社製品を持って宇宙へ』

子どもの頃、宇宙飛行士になる夢を視力が基準に満たないため諦めた。でも、今なら別の形で宇宙に行くチャンスがあるのではと期待している。宇宙関連の製品を自社で作って、それを持って宇宙に行ってみたい。片道切符でもいいので(笑)。

COMPANY DATA
BCLカンパニー

1979年、ソニー・クリエイティブプロダクツの一事業部門として、フランス・スタンダール社との技術提携により、化粧品ビジネスに参入。96年、化粧品事業のさらなる拡大を目指し、ソニーシーピーラボラトリーズとして分社独立。親会社であるスタイリングライフ・ホールディングスと合併し、スタイリングライフ・ホールディングス BCL カンパニーを発足。「サボリーノ」をはじめ、「ベキュアハニー」や「ロアリブ」「乾燥さん」などのコスメブランドを擁する

TEXT : MIKI IRIMAJIRI
問い合わせ先
BCLカンパニー
0120-303-820

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【BCLカンパニー 大村和重カンパニーエグゼクティブプレジデント】主力ブランドの拡大と並行し、新領域に果敢に挑戦

PROFILE: 大村和重/カンパニーエグゼクティブプレジデント

大村和重/カンパニーエグゼクティブプレジデント
PROFILE: (おおむら・かずしげ)2007年、BCLカンパニーの前身であるB&Cラボラトリーズに入社。18年にBCLカンパニー国内事業部の事業部長に就任する。19年からカンパニーエグゼクティブを兼任し、21年6月にカンパニーエグゼクティブプレジデントに昇格。スタイリングライフ・ホールディングスの執行役員も務める PHOTO : KAZUSHI TOYOTA

スタイリングライフ・ホールディングスのビューティ&ウエルネス事業を担うBCLカンパニーは、主力ブランドの「サボリーノ」を筆頭に、生活者のライフスタイルに彩りを添えるコスメを提供している。2025年は「+1の発想で、美しさを塗り替え 毎日を彩る」という理念のもと、さらなる挑戦へ踏み出す。

「サボリーノ」を筆頭に
スキンケアカテゴリーが成熟

WWD:24年は主力製品の「サボリーノ」をリニューアルした。

大村和重カンパニーエグゼクティブプレジデント(以下、大村):「サボリーノ」は15年のデビュー以来、“朝用シートマスク”という新習慣を提案してきた。当時は、日本でシートマスク文化がどこまで浸透するか半信半疑だったが、若年層から年配層まで多くのお客さまに愛される製品となった。しかし、幅広い人に届けるチャンスはまだまだある。そこで、10年目を迎えるにあたり、お客さまのライフスタイルにさらに寄り添うべく、初のリニューアルを決断した。その一環として、ブランド認知度をさらに向上させることを目指し、テレビCM戦略を本格的に強化した。24年1月から秋にかけて3度放映したテレビCMでは、50~70代の新規顧客を開拓。「サボリーノ」の認知度が10%上昇しただけでなく、地方のドラッグストアでも売り上げが増加し、テレビの影響力を改めて実感した。まずは“知ってもらう”ことに注力した結果、売り上げの底上げにつながった。

WWD:第二の中核を担う「乾燥さん」も急成長している。

大村:21年に誕生した「乾燥さん」は、日本人特有の乾燥肌や敏感肌の悩みを、キャッチーなキャラクターで表現するなどして親しみやすさを強めたところ、乾燥に悩む人たちの共感を得られた。また、23年からインフルエンサーに取り上げてもらうなどして、急激に売り上げを伸ばしている。製品そのものの品質に対する信頼とともに、自然と口コミが拡散され、コアなファン層を生み出している。

WWD:この好調の波をどう次につなげていくか。

大村:スキンケア市場で安定した成長を続ける「サボリーノ」と「乾燥さん」という両ブランドが確固たる地位を築けたことは、当社にとって大きな成果だ。しかしここで安心しているわけではない。当社はチャレンジ精神が非常に強い会社だ。ニッチな市場を積極的に攻めていこうと考えている。24年はサプリ市場に参入し、4月に夜の美容プロテイン提案「オヤスミタンパク」を発売した。25年には美容機器の発売も予定している。化粧品だけではなく、ライフスタイル全体をトータルでサポートできる企業でありたい。まず日本の各市場でしっかり地盤を固めて、3年後には海外進出も見据えている。

WWD:海外戦略の現状と今後の方針は?

大村:中国、香港、台湾が厳しい中、EUや北米が好調だ。中でもドイツは50店舗で「サボリーノ」の取り扱いをスタートしたが好調に推移し、隣国のポーランドを含めると500店舗にまで広がっている。また、イタリアの見本市に出展した際も、ECや小売りのバイヤーからオファーが殺到した。EUなどでも韓国コスメが流行っているので、一巡してやや飽きが出たところにJビューティがうまく入り込めたと感じている。これを延ばすためには日本向けの製品を輸出するのではなく、ローカライズした製品が必要になってくる。チャンスのある市場なので、慎重に見定めたい。また、韓国コスメが席巻し、メード・イン・ジャパンの強みが薄れる中、“食”はまだまだ強い。インナービューティという分野は戦っていく価値や可能性を感じる。24年は世界的にビジネスとして戦っていくための戦略をスタートし、よい形で進みだすことができた。

WWD:競合の韓国コスメも勢いに乗っている。

大村:韓国ブランドに負けない“かわいい”ビジュアルとアイテム作りをする「カワイイプロジェクト」を立ち上げた。宣伝や営業などのメンバーも参加する。韓国では長期のブランド維持よりも3年程で大きな売り上げを狙う企業が多い。スピードで勝つために、現在1年半の開発期間を短縮し、3カ月から半年でトレンドに対応した製品開発を目指している。

WWD:未来にどんな可能性を見出しているか。

大村:BCLはアイデアの会社。これまで数々のアイデアを試し、その過程で多くの失敗も経験している。サプリや美容機器といった新領域においては、知見の不足を認識した上で、失敗を恐れず、その結果を次の改善へと結びつける作業を積み重ねていきたい。25年に限らず継続してチャレンジを続けていくが、それは根本に「人を笑顔にするものを総合的に提供できる会社になりたい」という思いがあるから。BCLが目指すのは、単に若さを追求するアンチエイジングではなく、年齢を重ねたその時々で、その年齢としてもっとも素敵でいられるライフスタイルを支えることだ。化粧品はもちろんのこと、健康をサポートできる製品にも注力していく。世代、ジェンダー、地域を問わず、全ての人が健康で笑顔になれるような製品を提供できる企業になることが理想だ。30、40年先を見据え、実現させるための基盤づくりに取り組んでいく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『自社製品を持って宇宙へ』

子どもの頃、宇宙飛行士になる夢を視力が基準に満たないため諦めた。でも、今なら別の形で宇宙に行くチャンスがあるのではと期待している。宇宙関連の製品を自社で作って、それを持って宇宙に行ってみたい。片道切符でもいいので(笑)。

COMPANY DATA
BCLカンパニー

1979年、ソニー・クリエイティブプロダクツの一事業部門として、フランス・スタンダール社との技術提携により、化粧品ビジネスに参入。96年、化粧品事業のさらなる拡大を目指し、ソニーシーピーラボラトリーズとして分社独立。親会社であるスタイリングライフ・ホールディングスと合併し、スタイリングライフ・ホールディングス BCL カンパニーを発足。「サボリーノ」をはじめ、「ベキュアハニー」や「ロアリブ」「乾燥さん」などのコスメブランドを擁する

TEXT : MIKI IRIMAJIRI
問い合わせ先
BCLカンパニー
0120-303-820

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【リンワン 崔萌芽代表取締役】会社の可能性イコール、スタッフのポテンシャル

PROFILE: 崔萌芽/代表取締役

崔萌芽/代表取締役
PROFILE: (さい・ほうが)1981年、中国生まれ。2002年留学のため来日。06年名城大学国際経営学科卒業後、アパレルメーカーに勤務し、11年に出産とともに退職。翌年アパレルOEM会社、カラフルワールドを設立。14年「リップサービス」の事業譲受を機にリンワン設立。現在に至る PHOTO : TAMEKI OSHIRO

リンワン(RINONE)は、アパレルブランド「リップサービス」を2014年に取得。“衣食住からのエンタテイメント融合でいまを繋ぎ、未来を造る”をコンセプトに、飲食やコスメ、レンタルスペースなど、事業を増やしている。

ポジティブなエネルギーと共存できる
ファッションや空間を提供

WWD:2024年を振り返ると?

崔萌芽代表取締役(以下、崔):ブランド誕生から20年を超えた基幹ブランド「リップサービス(LIP SERVICE)」のアップデートを図るため、あらゆる取捨選択を行い、ブランドの使命を見つめ直す中で、さまざまな「好き」を全力で楽しむ女性たちのポジティブなエネルギーにふさわしいファッションを追求した1年だった。個々のスタイルや価値観を重視する多様性に富んだ社会の中で、特に“推し活”パワーの勢いを感じている。ライブやカフェ巡りなどのおでかけに「リップサービス」のアイテムを着用し楽しむ様子をSNSで投稿してくださるお客さまが増えていることを知り、そこに向けて提案を強化したところ、支持が広がっている。

WWD:“推し活”は消費の大きな原動力になっている。

崔:アイドル推しだけではなく、カフェ巡りやアート巡りも“推し活”の一種ととらえている。特に写真でもパッと目を引く華やかな印象の“美シルエット”ワンピースがヒットした。「リップサービス」を譲受してから10年。今後もスタッフのブランド愛を大事にしながら、時代に即してアップデートしていく。同時に重視したのは、“作りすぎない”こと。適量生産、適量供給の意識付けを徹底し、店頭では客注システムを活用したOMO取り組みを主要店舗で実施して、機会ロスを最小限に抑えた。その結果、売上高は前期比30%増で在庫消化率は90%と好調に推移した。

WWD:飲食事業は?

崔:お茶とスイーツの店「ナナティーアンドツツミ」を中心に4店舗展開。特に青山本店は、つやつやでピンク色のハート型ムースケーキから人気に火が付き、7種類のカラフルな展開でさらに好評を得ている。“推し”の写真やぬいぐるみと一緒に写真を撮ってSNSへアップすることも“推し活”イベントの1つとして、おしゃれをして楽しむ女性が多く、「リップサービス」のアイテム着用を見かけることも。“推し活”はとにかく「楽しむ」ことが大事。そのわくわく感やポジティブなエネルギーと共存できるファッションや空間を提供できるよう、各ブランドの使命を考えた。

WWD:24年で一番好調だった事業は?

崔:空間ビジネスの「ランド(Rand)」だ。表参道にカフェ併設のレンタルスペースと青山に2階建てのレンタルスペースを構えている。コロナ禍が明けオフライン開催のイベントが増えたこともあり非常に好調だ。スペース自体を空白のキャンバスととらえ、無限の可能性をもって自由なチャレンジが実現できる場所を目指しており、ファッションやビューティブランドのポップアップや展示会、新作発表会などさまざまなイベントで活用いただいている。「ランド」として運用するインスタグラムでは開催イベントの情報発信も行っている。さまざまな“おもしろいこと”が行われる場所としてコミュニティーを築いていきたい。

WWD:KOL(キー・オピニオン・リーダー)によるライブコマース事業については?

崔:「リンワンセレクトショップ」として、中国のSNS、REDBOOK(小紅書)を通じてライブコマースした商品を掛け率を決めて受注するケースもあれば、KOLが店頭から配信し、注文に応じて店頭の商品をこちらで購入して発送するケースもある。中国に住む30代女性がメインの顧客なので、ある程度体型をカバーしながら、品のある上質な日本のブランドが人気。ブランド側からの配信依頼も増えている。ブランドと顧客間はもちろん、KOLやタイミングとのマッチングも非常に重要だ。

WWD:25年に注力するのは?

崔:「ランド」をより多様で流動的な社会にフィットする空間にし、そこを介したコミュニティー作りで、衣食住のさまざまなブランドの後押しをしていきたい。ファッションやビューティが提供する物質的・精神的な幸福も大事にしつつ、アートや学びといった内面的な充実を提案できるコンテンツも誘致するなど、情報発信の場としてブランディングする。同時に、空間ビジネスとして、時代のニーズや移り行く気分に合わせて「5㎡」のパーソナル空間を生み出すサービスの開発も進行中だ。人生をより豊かなものにする暮らしと心の充実感や、良いものを大切にシェアする心地よさを届けていきたいと考えている。

WWD:未来に見据える可能性は?

崔:会社の可能性イコール、スタッフのポテンシャルだ。すでに衣食住の全事業を行っているので、この先どの部分をより強化していくのか、どんな展開をしていくのかは各責任者の采配にかかっている。私自身は新規事業の立ち上げと、経営者の育成に注力する。2年ごとに自薦または他薦で副社長を決める制度を導入し、今期から「ランド」事業の責任者が副社長として経営に携わっている。経営者視点を持つ幹部を複数育てるつもりだ。年収1000万円超えプレーヤーの輩出も目指している。社会に必要とされる企業として、長く継続できる体制を作りたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ロスが出ないお花屋さん』

フレッシュからドライまでロスがなく、なおかつ常温で働ける小さなお花屋さんがやりたい。花のロス問題や働く環境の過酷さ、それらをクリアする方法を見つけたら絶対に始めたい!

COMPANY DATA
リンワン

2014年に設立。同年にヤングレディースブランド「リップサービス」、16年にウィメンズアパレル「レディメイド」の全事業を継承した。「リップサービス」は国内直営6店とFC4店とEC、「レディメイド」はECを運営する。飲食事業では「ナナティーアンドツツミ」を中心とした4店、オーガニックスキンケア「S.life」を展開するほか、「ランド」事業として青山と表参道にレンタルスペースを運営する。KOLを起用したライブコマース事業も行う


問い合わせ先
リンワン
03-6433-5771

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【リンワン 崔萌芽代表取締役】会社の可能性イコール、スタッフのポテンシャル

PROFILE: 崔萌芽/代表取締役

崔萌芽/代表取締役
PROFILE: (さい・ほうが)1981年、中国生まれ。2002年留学のため来日。06年名城大学国際経営学科卒業後、アパレルメーカーに勤務し、11年に出産とともに退職。翌年アパレルOEM会社、カラフルワールドを設立。14年「リップサービス」の事業譲受を機にリンワン設立。現在に至る PHOTO : TAMEKI OSHIRO

リンワン(RINONE)は、アパレルブランド「リップサービス」を2014年に取得。“衣食住からのエンタテイメント融合でいまを繋ぎ、未来を造る”をコンセプトに、飲食やコスメ、レンタルスペースなど、事業を増やしている。

ポジティブなエネルギーと共存できる
ファッションや空間を提供

WWD:2024年を振り返ると?

崔萌芽代表取締役(以下、崔):ブランド誕生から20年を超えた基幹ブランド「リップサービス(LIP SERVICE)」のアップデートを図るため、あらゆる取捨選択を行い、ブランドの使命を見つめ直す中で、さまざまな「好き」を全力で楽しむ女性たちのポジティブなエネルギーにふさわしいファッションを追求した1年だった。個々のスタイルや価値観を重視する多様性に富んだ社会の中で、特に“推し活”パワーの勢いを感じている。ライブやカフェ巡りなどのおでかけに「リップサービス」のアイテムを着用し楽しむ様子をSNSで投稿してくださるお客さまが増えていることを知り、そこに向けて提案を強化したところ、支持が広がっている。

WWD:“推し活”は消費の大きな原動力になっている。

崔:アイドル推しだけではなく、カフェ巡りやアート巡りも“推し活”の一種ととらえている。特に写真でもパッと目を引く華やかな印象の“美シルエット”ワンピースがヒットした。「リップサービス」を譲受してから10年。今後もスタッフのブランド愛を大事にしながら、時代に即してアップデートしていく。同時に重視したのは、“作りすぎない”こと。適量生産、適量供給の意識付けを徹底し、店頭では客注システムを活用したOMO取り組みを主要店舗で実施して、機会ロスを最小限に抑えた。その結果、売上高は前期比30%増で在庫消化率は90%と好調に推移した。

WWD:飲食事業は?

崔:お茶とスイーツの店「ナナティーアンドツツミ」を中心に4店舗展開。特に青山本店は、つやつやでピンク色のハート型ムースケーキから人気に火が付き、7種類のカラフルな展開でさらに好評を得ている。“推し”の写真やぬいぐるみと一緒に写真を撮ってSNSへアップすることも“推し活”イベントの1つとして、おしゃれをして楽しむ女性が多く、「リップサービス」のアイテム着用を見かけることも。“推し活”はとにかく「楽しむ」ことが大事。そのわくわく感やポジティブなエネルギーと共存できるファッションや空間を提供できるよう、各ブランドの使命を考えた。

WWD:24年で一番好調だった事業は?

崔:空間ビジネスの「ランド(Rand)」だ。表参道にカフェ併設のレンタルスペースと青山に2階建てのレンタルスペースを構えている。コロナ禍が明けオフライン開催のイベントが増えたこともあり非常に好調だ。スペース自体を空白のキャンバスととらえ、無限の可能性をもって自由なチャレンジが実現できる場所を目指しており、ファッションやビューティブランドのポップアップや展示会、新作発表会などさまざまなイベントで活用いただいている。「ランド」として運用するインスタグラムでは開催イベントの情報発信も行っている。さまざまな“おもしろいこと”が行われる場所としてコミュニティーを築いていきたい。

WWD:KOL(キー・オピニオン・リーダー)によるライブコマース事業については?

崔:「リンワンセレクトショップ」として、中国のSNS、REDBOOK(小紅書)を通じてライブコマースした商品を掛け率を決めて受注するケースもあれば、KOLが店頭から配信し、注文に応じて店頭の商品をこちらで購入して発送するケースもある。中国に住む30代女性がメインの顧客なので、ある程度体型をカバーしながら、品のある上質な日本のブランドが人気。ブランド側からの配信依頼も増えている。ブランドと顧客間はもちろん、KOLやタイミングとのマッチングも非常に重要だ。

WWD:25年に注力するのは?

崔:「ランド」をより多様で流動的な社会にフィットする空間にし、そこを介したコミュニティー作りで、衣食住のさまざまなブランドの後押しをしていきたい。ファッションやビューティが提供する物質的・精神的な幸福も大事にしつつ、アートや学びといった内面的な充実を提案できるコンテンツも誘致するなど、情報発信の場としてブランディングする。同時に、空間ビジネスとして、時代のニーズや移り行く気分に合わせて「5㎡」のパーソナル空間を生み出すサービスの開発も進行中だ。人生をより豊かなものにする暮らしと心の充実感や、良いものを大切にシェアする心地よさを届けていきたいと考えている。

WWD:未来に見据える可能性は?

崔:会社の可能性イコール、スタッフのポテンシャルだ。すでに衣食住の全事業を行っているので、この先どの部分をより強化していくのか、どんな展開をしていくのかは各責任者の采配にかかっている。私自身は新規事業の立ち上げと、経営者の育成に注力する。2年ごとに自薦または他薦で副社長を決める制度を導入し、今期から「ランド」事業の責任者が副社長として経営に携わっている。経営者視点を持つ幹部を複数育てるつもりだ。年収1000万円超えプレーヤーの輩出も目指している。社会に必要とされる企業として、長く継続できる体制を作りたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ロスが出ないお花屋さん』

フレッシュからドライまでロスがなく、なおかつ常温で働ける小さなお花屋さんがやりたい。花のロス問題や働く環境の過酷さ、それらをクリアする方法を見つけたら絶対に始めたい!

COMPANY DATA
リンワン

2014年に設立。同年にヤングレディースブランド「リップサービス」、16年にウィメンズアパレル「レディメイド」の全事業を継承した。「リップサービス」は国内直営6店とFC4店とEC、「レディメイド」はECを運営する。飲食事業では「ナナティーアンドツツミ」を中心とした4店、オーガニックスキンケア「S.life」を展開するほか、「ランド」事業として青山と表参道にレンタルスペースを運営する。KOLを起用したライブコマース事業も行う


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【クレイジー 森山和彦CEO】人生の節目に寄り添い、人や企業の未来を共創する

PROFILE: 森山和彦/CEO

森山和彦/CEO
PROFILE: (もりやま・かずひこ)1982年東京都生まれ。大学卒業後、人材コンサルティング会社で6年半勤務。2012年にCRAZY設立。組織づくりでは、全社員が入社時に自身の理想の生き方をプレゼンする“ライフプレゼンテーション”や人生を豊かに生きるために必要な休暇を1カ月取得できる制度“グレート ジャーニー”を導入するなど、ユニークな企業文化を育んでいる PHOTO:SHUHEI SHINE

“人生を祝う空間”を通じて新たな価値を創造する企業CRAZYが手掛けるのは、ウエディングからファッションやビューティの企業のイベントプロデュースまでさまざまだ。2025年は新たにさらなる事業拡大を図る。

イベント企画サービスなど
法人向けサービスで事業が飛躍

WWD:創業時からウエディングブランドの「クレイジー ウエディング(CRAZY WEDDING)」を手掛けているが、他の企業と異なる点は?

森山和彦CEO(以下、森山):その人の人生を祝うという独自の哲学をベースにしたウエディングを提供している。私たちが提案する結婚式では、従来見られる高砂も装飾もない。自社で運営する施設の「IWAI OMOTESANDO(以下、IWAI)」もグレーが基調の落ち着いた空間で、一般的な結婚式場とは異なる。オープン当初は疑問の声もあったが、今ではお客さまからの口コミ評価が高く、毎年予約枠が埋まる状況だ。追求したのは、主催者二人だけでなく、式場に集う全員が“祝う”ことのできる空間づくり。主催者から参列者に宛てた手紙を入れる“レターギャラリー”を設置したり、パネルには参列者の名前だけでなく紹介文を添えたりしている。“セレブレーションホール”は丸窓から外光が差し込むシンプルな空間で、花は一点、旬のものを飾るだけ。既成概念に捉われず、参列者が主催者二人の人生を知り、心から祝えるような空間づくりを重視した。

WWD:現在のブライダル市場をどのように分析するか?

森山:人口が減り、価値観が多様化している。結婚式を挙げない人が増え、間違いなく衰退産業の一つだ。ただ、その中における成長企業になれる余地はあると考える。

WWD:2024年を振り返ると?

森山:前年比130%増で過去最高の売上高だった。ブライダル事業に加えて始めた法人向けのサービス“クレイジー カルチャー エージェンシー”に注力。それが大きく伸長した。ビジネスの成功の一番の理由は社員。挙式するお客さまと同様に対法人であっても、一人の人間として深くつながり、企業やブランドの思想をくみ取りサービスを提供したからだ。

WWD:法人向けサービスとはどのようなものか?

森山:今までも、ブランドの展示会やイベントスペースとして「IWAI」を提供してきたが、イベントの企画段階から入るコンテンツづくりのサポートも増えている。重要なのは、商品の背後にあるメッセージやストーリーをユーザーが理解し、ファンになること。展示会やイベント用の空間は、「商品を美しく見せる」以上に「ブランド体験をどう届けるか」が大切だ。だからこそ、単なる会場提供ではなく、企業やブランドの未来を共に形づくるパートナーでありたい。ブランドを深く理解し、法人のお客さまと同じ目線で空間づくりをしている。

WWD:今後の課題は?

森山:23年にキャリアエージェント事業として“クレイジー キャリア”を始めた。法人向けサービスも、企業のカルチャーや組織まで踏み込んだプロデュース事業を拡大させる。また、「IWAI」に続く新たな婚礼会場を作るつもりだ。そのため、23年にブライダルと法人の運営を一体化した。今後、さらなる事業拡大に向けて、採用に注力する。

WWD:組織再編後の変化は?

森山:法人向けのサービスは23年春まで、社員やお客さまの紹介による受注の割合が5%程度だったが、24年には約6割まで伸長、8割を超えることもある。婚礼のお客さまがビジネスでも利用するなど、婚礼と法人事業の垣根を取り払ったことで、相乗効果が生まれている。

WWD:広告戦略は?

森山:創業時から大手結婚情報誌に出稿していない。体験価値を重視しており、口コミがビジネスに結びついている。昨年7月、表参道駅に「伝える勇気」をテーマにした交通広告を出した。「ごめんね」「ありがとう」「愛してる」という伝えることが難しい3つのワードに着目し、伝えたい人の気持ちを切り取って表現。シンプルな広告だったが、足を止めて眺めたり、携帯電話で撮影したりする人の姿が見られた。直接的ではないが、私たちらしいメッセージの伝え方で反響があった。

WWD:サステナビリティやダイバーシティーに関して注力していることは?

森山:20年からダイバーシティー&インクルージョン(D&I)に取り組む企業を認定・表彰する「D&I アワード」を複数回受賞している。23年からは、最高評価の「ベストワークプレイス」の認定を2年連続で取得。LGBTQや障害のある人の結婚式の支援はもちろん、多様性の感覚の共有やそれら人々の理解を深める研修などを実践してきた結果だと思う。

WWD:未来の可能性については?

森山:「IWAI」で挙式したお客さま向けに記念日のための宿泊サービス“クレイジー アニバーサリー”も提供している。結婚式がゴールではなく、節目節目でそれぞれの人生に寄り添ったサービスを提供したいという考えからだ。法人にとっても、そのような存在でありたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『大きな愛に包まれた大家族をつくること』

家族の概念を拡張して、孫まで含めたら100人くらいの大家族をつくりたい。そして、家族みんなで帰って来られる家が欲しい。

COMPANY DATA
クレイジー

2012年設立。ウエディングブランド「クレイジー ウエディング」を運営。19年には東京・表参道に自社の施設「IWAI OMOTESANDO」をオープン。21年以降、大手業界クチコミサイト「ウエディングパーク」で、東京エリア900会場中で1位を3年連続で獲得。24年には人材エージェント事業 “クレイジー キャリア”の提供を開始するなど、人の人生に寄り添う企業としてサービスを拡大している


問い合わせ先
CRAZY
0120-181-904

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【クレイジー 森山和彦CEO】人生の節目に寄り添い、人や企業の未来を共創する

PROFILE: 森山和彦/CEO

森山和彦/CEO
PROFILE: (もりやま・かずひこ)1982年東京都生まれ。大学卒業後、人材コンサルティング会社で6年半勤務。2012年にCRAZY設立。組織づくりでは、全社員が入社時に自身の理想の生き方をプレゼンする“ライフプレゼンテーション”や人生を豊かに生きるために必要な休暇を1カ月取得できる制度“グレート ジャーニー”を導入するなど、ユニークな企業文化を育んでいる PHOTO:SHUHEI SHINE

“人生を祝う空間”を通じて新たな価値を創造する企業CRAZYが手掛けるのは、ウエディングからファッションやビューティの企業のイベントプロデュースまでさまざまだ。2025年は新たにさらなる事業拡大を図る。

イベント企画サービスなど
法人向けサービスで事業が飛躍

WWD:創業時からウエディングブランドの「クレイジー ウエディング(CRAZY WEDDING)」を手掛けているが、他の企業と異なる点は?

森山和彦CEO(以下、森山):その人の人生を祝うという独自の哲学をベースにしたウエディングを提供している。私たちが提案する結婚式では、従来見られる高砂も装飾もない。自社で運営する施設の「IWAI OMOTESANDO(以下、IWAI)」もグレーが基調の落ち着いた空間で、一般的な結婚式場とは異なる。オープン当初は疑問の声もあったが、今ではお客さまからの口コミ評価が高く、毎年予約枠が埋まる状況だ。追求したのは、主催者二人だけでなく、式場に集う全員が“祝う”ことのできる空間づくり。主催者から参列者に宛てた手紙を入れる“レターギャラリー”を設置したり、パネルには参列者の名前だけでなく紹介文を添えたりしている。“セレブレーションホール”は丸窓から外光が差し込むシンプルな空間で、花は一点、旬のものを飾るだけ。既成概念に捉われず、参列者が主催者二人の人生を知り、心から祝えるような空間づくりを重視した。

WWD:現在のブライダル市場をどのように分析するか?

森山:人口が減り、価値観が多様化している。結婚式を挙げない人が増え、間違いなく衰退産業の一つだ。ただ、その中における成長企業になれる余地はあると考える。

WWD:2024年を振り返ると?

森山:前年比130%増で過去最高の売上高だった。ブライダル事業に加えて始めた法人向けのサービス“クレイジー カルチャー エージェンシー”に注力。それが大きく伸長した。ビジネスの成功の一番の理由は社員。挙式するお客さまと同様に対法人であっても、一人の人間として深くつながり、企業やブランドの思想をくみ取りサービスを提供したからだ。

WWD:法人向けサービスとはどのようなものか?

森山:今までも、ブランドの展示会やイベントスペースとして「IWAI」を提供してきたが、イベントの企画段階から入るコンテンツづくりのサポートも増えている。重要なのは、商品の背後にあるメッセージやストーリーをユーザーが理解し、ファンになること。展示会やイベント用の空間は、「商品を美しく見せる」以上に「ブランド体験をどう届けるか」が大切だ。だからこそ、単なる会場提供ではなく、企業やブランドの未来を共に形づくるパートナーでありたい。ブランドを深く理解し、法人のお客さまと同じ目線で空間づくりをしている。

WWD:今後の課題は?

森山:23年にキャリアエージェント事業として“クレイジー キャリア”を始めた。法人向けサービスも、企業のカルチャーや組織まで踏み込んだプロデュース事業を拡大させる。また、「IWAI」に続く新たな婚礼会場を作るつもりだ。そのため、23年にブライダルと法人の運営を一体化した。今後、さらなる事業拡大に向けて、採用に注力する。

WWD:組織再編後の変化は?

森山:法人向けのサービスは23年春まで、社員やお客さまの紹介による受注の割合が5%程度だったが、24年には約6割まで伸長、8割を超えることもある。婚礼のお客さまがビジネスでも利用するなど、婚礼と法人事業の垣根を取り払ったことで、相乗効果が生まれている。

WWD:広告戦略は?

森山:創業時から大手結婚情報誌に出稿していない。体験価値を重視しており、口コミがビジネスに結びついている。昨年7月、表参道駅に「伝える勇気」をテーマにした交通広告を出した。「ごめんね」「ありがとう」「愛してる」という伝えることが難しい3つのワードに着目し、伝えたい人の気持ちを切り取って表現。シンプルな広告だったが、足を止めて眺めたり、携帯電話で撮影したりする人の姿が見られた。直接的ではないが、私たちらしいメッセージの伝え方で反響があった。

WWD:サステナビリティやダイバーシティーに関して注力していることは?

森山:20年からダイバーシティー&インクルージョン(D&I)に取り組む企業を認定・表彰する「D&I アワード」を複数回受賞している。23年からは、最高評価の「ベストワークプレイス」の認定を2年連続で取得。LGBTQや障害のある人の結婚式の支援はもちろん、多様性の感覚の共有やそれら人々の理解を深める研修などを実践してきた結果だと思う。

WWD:未来の可能性については?

森山:「IWAI」で挙式したお客さま向けに記念日のための宿泊サービス“クレイジー アニバーサリー”も提供している。結婚式がゴールではなく、節目節目でそれぞれの人生に寄り添ったサービスを提供したいという考えからだ。法人にとっても、そのような存在でありたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『大きな愛に包まれた大家族をつくること』

家族の概念を拡張して、孫まで含めたら100人くらいの大家族をつくりたい。そして、家族みんなで帰って来られる家が欲しい。

COMPANY DATA
クレイジー

2012年設立。ウエディングブランド「クレイジー ウエディング」を運営。19年には東京・表参道に自社の施設「IWAI OMOTESANDO」をオープン。21年以降、大手業界クチコミサイト「ウエディングパーク」で、東京エリア900会場中で1位を3年連続で獲得。24年には人材エージェント事業 “クレイジー キャリア”の提供を開始するなど、人の人生に寄り添う企業としてサービスを拡大している


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三陽商会・大江伸治社長が見据える「反転攻勢」の2025年

三陽商会が息を吹き返している。2025年2月期の通期連結営業利益は27億円の黒字で着地する見通し。20年、バーバリーショックの傷跡がまだ癒えぬ中で再建を託された大江伸治社長は、商品企画やコスト構造の抜本的見直しを進め、必達目標に掲げてきた「営業黒字化」を揺るがぬものにした。ただ、その表情に油断の色は見えない。25年を「反転攻勢の一年」と見据える大江社長に展望を聞いた。

WWD: 昨年を振り返ると。

大江伸治社長(以下、大江):第3四半期累計(3〜11月)は営業利益が前年同期比17.7%減の14億円。黒字は確保したが、一言で言い表すのであれば厳しい決算だった。春は、前年のコロナ明けのリベンジ消費の反動もあってやや数字を落とした。その後は盛り返したものの、鬼門となったのは10月。厳しい残暑は想定していたが、あれほどの高気温は誤算だった。

WWD:夏を「初夏・盛夏」と「猛暑」の2つのシーズンと捉えた“五季”のスローガンを掲げた。

大江:成果に結びついているかといえば、まだまだだ。夏物衣料品は「嗜好品」というより「実用品」に近づいている。「いいものなら多少値が張っても売れる」という思い込みを捨て、リアリスティックに考えなければダメだ。例えば上質できれいなドレスTシャツは、ジャケットインだけでなく1枚でもサマになり、夏場の需要が高い。昨夏は当社も多くのブランドがドレスTを企画し、1万2000円のものは売れたが高めのものは売れず、価格面の競争力が足りなかった。買い物のスタイルも、「必要なものを必要なときに買う」傾向が強まっている。確かな仮説に基づいたMDスケジュールは重要だが、それ以上に大事なのが期中の対応力だ。

WWD: 効果的な期中対応とは。

大江:この秋冬は、12月になって重衣料がようやく売れ出した。だいぶやきもきさせられたが、それだけ「考える猶予」があったということ。10月の段階で、アイテムごとの消化状況を細かく調べ、店頭の中身をかなり入れ替えた。動きのいいものは追加発注し、動きが鈍いものは早めにアウトレット店舗に流す。柔軟で機動的な店頭のフェイスチェンジが重要だ。12月の月次売上高は「マッキントッシュ ロンドン」が前年同月比11%増、「マッキントッシュ フィロソフィー」が同8%増と成果が出た。

WWD: 就任から5年。必達としてきた営業黒字化はすでに達成した。

大江:粗利率を上げて、販菅費率を下げる。当たり前のことをやって、利益を確実に出せる体質になった。山のように積み上がっていた在庫状況もだいぶ改善され、今はアウトレット店舗で販売する商品に困るくらいだ。セール品の値引き率もかなり改善できていて、一昔前のように数年前の型落ち商品を定価の半値や8割引で売るということはほとんどない。黒字化は達成したが、調達原価の抑制とインベントリー(在庫)コントロールは、今後の事業運営においても大前提になる。

WWD:25年、新しい動きはあるか。

大江:この春夏、「ザ・スコッチハウス」に代わり立ち上げる「ベイカー・ストリート」はポテンシャルが大きい。これまで「ザ・スコッチハウス」ではライセンス契約によって取引工場が限定され、商品価格が高止まりしていた。より値ごろ感のある価格やロゴTシャツなどキャッチーなアイテムで、若いお客さまを取り込む。また、23年9月に自社ブランドを統合して立ち上げた新たな自社EC「サンヨー オンラインストア」は、100%プロパーで売れるプラットフォームを目指す。EC専業ブランドの開発も検討したい。

WWD:中期的な展望は。

大江:25年3月に次の中期経営計画に入るが、基本方針はトップライン(売上高)をさらに引き上げ、会社の成長軌道を確かなものにすること。7つの基幹ブランドでそれぞれ売上高100億円を稼げる体制を早期に作り、「キャストコロン」「ラブレス」といったチャレンジ領域も採算ラインを確保する。その上で、さらなる伸び代は何か。まず一つは、三陽商会らしい“商品力”。21年に発足した社内プロジェクト「商品開発委員会」が中心となって、昨夏は「ポール・スチュアート」の中空糸を使ったジャケット、「マッキントッシュ フィロソフィー」のカラミ織のジャケットなど、猛暑に対応したヒット商品が生まれた。秋冬は漆黒にこだわって生地開発したブランド横断の「ブラック オブ ブラック」シリーズを発売し、ほとんどの在庫を早期に消化できた。昨年11〜12月は売れた商品の平均単価が前年同期比4%アップしたが、商品力のグレードアップが寄与しているのは間違いない。

そして“販売力”。当社の会員制度である「サンヨー・メンバーシップ」は176万人を抱え、その中の休眠会員をいかにアクティブ会員に引き上げるかを考えていく。会員向け施策についても、濃度の高いファンに向けたターゲティングを徹底して強化する。

WWD: 上顧客に向けた施策は。

大江:現在、当社の売り上げのうち6割が会員によるもの。プラチナ会員は年間100万円以上、最上位のダイヤモンド会員は200万円以上をご購入いただいている。当社の上位顧客リストに名を連ねる方々は1万3000人。昨年の8月と12月には、上顧客を招いた特別受注会を東京と大阪で実施した。各ブランドのトップ販売員がお客さまを1on1で接客し、中には一日で200万円ほど受注いただいたお客さまもいて、かなりのポテンシャルを感じられた。

問い合わせ先
三陽商会 カスタマーサポート

0120-340-460

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三陽商会・大江伸治社長が見据える「反転攻勢」の2025年

三陽商会が息を吹き返している。2025年2月期の通期連結営業利益は27億円の黒字で着地する見通し。20年、バーバリーショックの傷跡がまだ癒えぬ中で再建を託された大江伸治社長は、商品企画やコスト構造の抜本的見直しを進め、必達目標に掲げてきた「営業黒字化」を揺るがぬものにした。ただ、その表情に油断の色は見えない。25年を「反転攻勢の一年」と見据える大江社長に展望を聞いた。

WWD: 昨年を振り返ると。

大江伸治社長(以下、大江):第3四半期累計(3〜11月)は営業利益が前年同期比17.7%減の14億円。黒字は確保したが、一言で言い表すのであれば厳しい決算だった。春は、前年のコロナ明けのリベンジ消費の反動もあってやや数字を落とした。その後は盛り返したものの、鬼門となったのは10月。厳しい残暑は想定していたが、あれほどの高気温は誤算だった。

WWD:夏を「初夏・盛夏」と「猛暑」の2つのシーズンと捉えた“五季”のスローガンを掲げた。

大江:成果に結びついているかといえば、まだまだだ。夏物衣料品は「嗜好品」というより「実用品」に近づいている。「いいものなら多少値が張っても売れる」という思い込みを捨て、リアリスティックに考えなければダメだ。例えば上質できれいなドレスTシャツは、ジャケットインだけでなく1枚でもサマになり、夏場の需要が高い。昨夏は当社も多くのブランドがドレスTを企画し、1万2000円のものは売れたが高めのものは売れず、価格面の競争力が足りなかった。買い物のスタイルも、「必要なものを必要なときに買う」傾向が強まっている。確かな仮説に基づいたMDスケジュールは重要だが、それ以上に大事なのが期中の対応力だ。

WWD: 効果的な期中対応とは。

大江:この秋冬は、12月になって重衣料がようやく売れ出した。だいぶやきもきさせられたが、それだけ「考える猶予」があったということ。10月の段階で、アイテムごとの消化状況を細かく調べ、店頭の中身をかなり入れ替えた。動きのいいものは追加発注し、動きが鈍いものは早めにアウトレット店舗に流す。柔軟で機動的な店頭のフェイスチェンジが重要だ。12月の月次売上高は「マッキントッシュ ロンドン」が前年同月比11%増、「マッキントッシュ フィロソフィー」が同8%増と成果が出た。

WWD: 就任から5年。必達としてきた営業黒字化はすでに達成した。

大江:粗利率を上げて、販菅費率を下げる。当たり前のことをやって、利益を確実に出せる体質になった。山のように積み上がっていた在庫状況もだいぶ改善され、今はアウトレット店舗で販売する商品に困るくらいだ。セール品の値引き率もかなり改善できていて、一昔前のように数年前の型落ち商品を定価の半値や8割引で売るということはほとんどない。黒字化は達成したが、調達原価の抑制とインベントリー(在庫)コントロールは、今後の事業運営においても大前提になる。

WWD:25年、新しい動きはあるか。

大江:この春夏、「ザ・スコッチハウス」に代わり立ち上げる「ベイカー・ストリート」はポテンシャルが大きい。これまで「ザ・スコッチハウス」ではライセンス契約によって取引工場が限定され、商品価格が高止まりしていた。より値ごろ感のある価格やロゴTシャツなどキャッチーなアイテムで、若いお客さまを取り込む。また、23年9月に自社ブランドを統合して立ち上げた新たな自社EC「サンヨー オンラインストア」は、100%プロパーで売れるプラットフォームを目指す。EC専業ブランドの開発も検討したい。

WWD:中期的な展望は。

大江:25年3月に次の中期経営計画に入るが、基本方針はトップライン(売上高)をさらに引き上げ、会社の成長軌道を確かなものにすること。7つの基幹ブランドでそれぞれ売上高100億円を稼げる体制を早期に作り、「キャストコロン」「ラブレス」といったチャレンジ領域も採算ラインを確保する。その上で、さらなる伸び代は何か。まず一つは、三陽商会らしい“商品力”。21年に発足した社内プロジェクト「商品開発委員会」が中心となって、昨夏は「ポール・スチュアート」の中空糸を使ったジャケット、「マッキントッシュ フィロソフィー」のカラミ織のジャケットなど、猛暑に対応したヒット商品が生まれた。秋冬は漆黒にこだわって生地開発したブランド横断の「ブラック オブ ブラック」シリーズを発売し、ほとんどの在庫を早期に消化できた。昨年11〜12月は売れた商品の平均単価が前年同期比4%アップしたが、商品力のグレードアップが寄与しているのは間違いない。

そして“販売力”。当社の会員制度である「サンヨー・メンバーシップ」は176万人を抱え、その中の休眠会員をいかにアクティブ会員に引き上げるかを考えていく。会員向け施策についても、濃度の高いファンに向けたターゲティングを徹底して強化する。

WWD: 上顧客に向けた施策は。

大江:現在、当社の売り上げのうち6割が会員によるもの。プラチナ会員は年間100万円以上、最上位のダイヤモンド会員は200万円以上をご購入いただいている。当社の上位顧客リストに名を連ねる方々は1万3000人。昨年の8月と12月には、上顧客を招いた特別受注会を東京と大阪で実施した。各ブランドのトップ販売員がお客さまを1on1で接客し、中には一日で200万円ほど受注いただいたお客さまもいて、かなりのポテンシャルを感じられた。

問い合わせ先
三陽商会 カスタマーサポート

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TaiTan × シューズアーティスト・戸田健太 「シュア」初のスニーカーはいかにして作られたのか? 制作秘話を語る

PROFILE: 左:TaiTan/ラッパー 右:戸田健太/シューズメイカー・アーティスト

PROFILE: (タイタン):Dos Monosのラッパー。ポッドキャスト「奇奇怪怪」のパーソナリティーも務める。クリエイティブディレクターとしてもテレビ東京停波帯ジャック番組「蓋」、音を出さなければ全商品を盗めるショップ「盗」を手がけるなど、多方面で活動。 (とだ・けんた):1996年生まれ。独学でスニーカーの制作技術を学び、形状、機能、素材、使用方法など、独自の視点で再解釈した社会的装置としてスニーカーの作品を制作している。現代美術の展示に加え、2024年には世界最大のポップカルチャーの祭典「ComplexCon」でも作品を発表。YOASOBIの衣装としても作品を提供するなど、多岐にわたって活動する。主な展覧会に、個展「HYPER SOLE」BLOCK HOUSE(東京/23)、「PROCESSED MEAT SHOP」CARV STORE(東京/24)など。

オーディオブランド「シュア(SHURE)」が、Dos Monosラッパーで、人気ポッドキャスト番組「奇奇怪怪」のパーソナリティーを務めるTaiTanとともに開発したオリジナルスニーカー“イグナイト ザ ポッドキャスターズ(IGNITE the Podcasters)”。

本スニーカーは、ポッドキャスターを目指す人専用のスニーカーで、専用の応募フォームに必要事項を記入して応募すると、抽選で5人にプレゼントされる(※応募期間は2月11日まで)。また、ソールには特殊加工が施されており、歩行を重ねとアウトソールからシリアルナンバーが出現し、そのシリアルナンバーは、「シュア」の高性能マイク“MV7i スマートマイクロホン&インターフェース”と引き換えられるという斬新な仕掛けとなっている。

“イグナイト ザ ポッドキャスターズ”のデザイン・設計・制作を手掛けたのはシューズアーティストの戸田健太。以前からTaiTanとは親交があったが、一緒に仕事をするのは今回が初めてだという。

オーディオブランドの「シュア」がなぜスニーカーを作ったのか。そしてそこに至るまでの制作背景について、TaiTanと戸田の2人に語ってもらった。

「とにかく動いてるやつの方が面白いに決まっている」

WWD:お2人が知り合った経緯から教えてもらえますか?

TaiTan:もともと共通の知り合いが何人かいたんですが、戸田くんが最初に原宿で個展をやった時に、僕と戸田くんをつないでくれたアーティストから「戸田くんの個展すごくいいよ」って言われて。それで遊びに行ったら、戸田くんも僕のことを知っていてくれて、そっから一緒に飯食ったりするようになって。彼が個展をやるたびに呼んでくれたり、僕も何か企画をやる時はイベントに誘ってみたいな感じですね。

WWD:最初に会ったのはいつごろだったんですか?

TaiTan: 2年前ぐらいだっけ?

戸田健太(以下、戸田):確か2023年の年末とかでしたね。

TaiTan:それから「何か一緒に仕事したいね」って話はずっとしていて。今回「シュア」から相談されて、「一緒にやろうよ」って感じで誘って。

WWD:昨年12月にTaiTanさんが「シュア」のポッドキャストのクリエイティブディレクターに就任したことが発表されましたが、そこに至るまで「シュア」とはどんなやりとりがあったんですか?

TaiTan:今回、僕はあくまでポッドキャストに関するプロジェクトのクリエイティブディレクターをやらせてもらった形ではあるんですけど、「シュア」はマイクも扱っているブランドなので、ポッドキャストを盛り上げるための企画を打ってくれないかと相談があって。最初、先方のチームからは「ボットキャスターを増やすために、『番組の作り方』みたいな番組を作ってほしい」と言われたんですけど、ちょっとそれだと色気がないし、 僕のファンしか聞かないよねと思って、「そういうのはあまりやりたくないです」と伝えて。逆にこちらから、もっと企画的に飛ばして、スニーカーを作る提案をしたら、面白がってくれて、じゃあクリエイティブディレクターとしてやってくれませんかっていう感じで話が進んでいきました。

WWD:最初はポッドキャストを広めるために何かやってくれって依頼だったんですね。

TaiTan:そうですね。「シュア」の人たちも、単純にマイクが売れれば、それでいいみたいな直線的な考え方ではなくて。当然売れるにこしたことはないんですが、それよりは、ポッドキャストシーンが盛り上がることとか、何か面白いことをやっているなっていう空気感を作る、みたいなことを求めていて、僕にはそのクリエイティブセクターを担ってほしいという感じのオファーでした。

WWD:そこからスニーカーを作ろうってアイデアはすぐ思いついたんですか?

TaiTan:コアなアイデア自体には割とすぐに直感でたどりつきました。あとは、そのロジックをどう組んでいくかみたいなところで、企画書ではミシュランがミシュランガイドを作った事例を引用しつつ提案しました。タイヤメーカーのミシュランがミシュランガイドを作ったのは、「人を移動させればタイヤが売れる。それなら世界のうまい店をマッピングしたら、人は移動するだろう」ってロジックで。それって極めてクリティカルでかっこいいし、普遍的な強さがあるなってずっと思っていて。僕の場合は、ポッドキャストを作る時のなんとなくの感覚として、「とにかく動いているやつの方が面白いに決まっている」っていうのがあったので、割とすぐポッドキャストとスニーカーがつながった。しかもマイクとスニーカーってプロダクトとしてはかなり距離があるので、マイクブランドのスニーカーが実現したら、ポッドキャスト関心領域の人たち以外にも企画が届くかもしれないなと思って。

WWD:実際にスニーカーを作るとなった時にはすぐ戸田さんに依頼しようと?

TaiTan:そうですね。戸田くんは結構、営業力が強くて。

戸田:いやいや(笑)。

TaiTan:僕はそこが好ましく思ってたんです。戸田くんにしても今回の「シュア」のプロジェクトはすごくいい機会だと思うからって声をかけさせてもらって。

戸田:ある日突然LINEがきて、「なんかソールが削れたら、数字が出てくる靴ってあんのかな」みたいな内容から始まりました。それで何回かやりとりがあって、「あれ? もしかして仕事ですか?」っていう感じでしたね。

TaiTan:「シュア」にこの企画を提案する時に、やっぱり事前の確認もある程度必要だったので、戸田くんに確認していて。「歩けば、歩くほどソールが削れるっていうことが良しとされるみたいな、そういう仕掛けってできるのかな」みたいなことを聞いていたって感じですね。

WWD:戸田さんは話を聞いて、すぐ「できますよ」って感じだったんですか?

戸田:どうにかなるとは思いました。ただ、「シュア」と「スニーカー」の掛け算までは企画としてできていたものの、最終的なギミックを削れるソールに担わせるかどうかはまだ議論の余地がある感じだったので、最初のころは少し半信半疑で話を聞いていたんですが、本当に作ることになって、裏取りに大体2カ月ぐらい費やしました。

ゴツくて重厚感のあるスニーカー

WWD:デザインの方向性については、TaiTanさんから何かリクエストをしたんですか?

TaiTan:今はフラットなデザインのスニーカーが人気だと思うんですけど、個人的には「バレンシアガ(BALENCIAGA)」の“トラック”とかがめちゃくちゃ好きなタイプで、そういう方向性で、とにかくゴツくて重厚感のあるやつを作りたいんだって言いました。戸田くんとは結構センスが似ているなと思っていて、最初に「こういうのどうですかね」ってイメージボードを組んでくれてたんですけど、 かなりそれがドンピシャで、すぐにこの感じでいこうってなりましたね。

WWD:TaiTanさんからの要望を聞いて、戸田さんは今のデザインに近い感じはすぐ思い浮かんだんですか?

戸田:そうですね。TaiTanさんが最初に展示に来た時に履いていたのがまさにその「バレンシアガ」の“トラック”で。過去のプロジェクトとかも見てはいたので、大体好きなトーンは分かっていました。「シュア」がもしスニーカーを出したらこうなるんだろうなというイメージもかなりしっかりとありましたし。でもそれだけだとあまり面白くないなっていうのがあったので、スニーカーとして新しい要素を取り入れつつデザインを考えました。

WWD:新しい要素とは具体的には?

戸田:最近はY2Kの流れでメッシュのランニングシューズが流行っているからというわけではないんですが、マイクの集音部分にもメッシュって使われていたりするので、今回も取り入れたいと思って。でも、メッシュだけだと普通なんで、そこに透明のエナメルを上からかぶせているんです。普通は通気性をよくするためにメッシュを使うのに、そこにわざわざ上から通気性ゼロの素材をかぶせるっていう。普通ブランドやメーカーがあんまりやらないようなことをやりました。

WWD:デザインが固まったのはいつごろですか?

戸田:最終的に固まったのはほんとに年末ぐらいでした。ソールの構造もありますけど、アッパーも全部生地から選んで0→1で作るので、結構その相性によって、デザインも若干変わったりするんですよね。それでいろいろと検証していって、結果デザインラフとしてはバージョン4まで作ったんですが、それができたのが年末ぐらい。だから実制作は年明けから始めて半月で仕上げたという感じです。普段だとありえないスケジュールですね(笑)。

WWD:「シュア」からはスニーカーに対しての要望はありましたか?

TaiTan:世界的なブランドなので、もしソールに不備があって事故が起きたらどうするんだとか、そういうリーガル的な部分のチェックはありましたが、クリエイティブに関しても、じゃあどのくらい「シュア」感を出すのか、その落としどころはポジティブに検討してもらって、かなりの部分を僕に委ねてくれました。

戸田:「シュア」感でいうと、「シュア」のイグニッショングリーンって呼ばれる緑色の部分をどう出すかみたいなのは、結構検証しました。シューズボックスでも使っている特色を生地にプリントしようとすると、莫大なロットとお金が必要で、完全に今回の企画にはハマらなくて。近い色の有り物で再現するという方向性になったんですけど、それでもやっぱり1枚だけだと、近くまでは寄せられるんですけど、少し違いが残るので、薄いメッシュと分厚いメッシュを2枚重ねにして、要は色を混ぜるみたいなことで、できるだけイグニッショングリーンを再現しました。

WWD:ソールが数カ月で削れていくそうですが、実際に試してみたんですか?

TaiTan:戸田くんがこのソールのギミックを開発してくれたんですけど、人力でやすりを使って結構な力で1200回こすったら数字が出てきた。おそらくそれは人が数カ月くらい歩いた圧に相当するだろうということで。いつ出てくるんだろうという、その曖昧さも楽しんでもらえたらと思います。

WWD:シューズボックスのデザインもこだわっていますね。

TaiTan:これはKumpei(Nakatake)さんっていうアートディレクターに急遽お願いして。展示会の内装のアートディレクションに関しても、僕が「魔改造された地面を作りたい」みたいな無茶振りをしたのですが、時間がない中でも頑張ってくれて、めちゃくちゃ仕事しやすかったです。

WWD:限定5足はどう決めたんですか?

TaiTan:このスニーカーは戸田くんが全部ハンドメイドで作ってくれていて、制作期間も限定されているので、そんなにたくさんは作れないだろうということもあって、感覚的に限定5足くらいかなと。あと、僕の周りの友達でポッドキャストを始めたり、シーンをリードしてほしいと思っている人たちにもプレゼントするので、厳密にはもう少し数は作っているんですけどね。

戸田:そもそも僕のアーティストとしての活動は、大量ロットで作ることに結構距離を置いている立場だったりするので、今回のように同じデザインのものを何足も作るっていうことは初めてでした。それをサイズ違いで作るので、パターンも一つ一つ微調整しないといけなくて、普通ならデザイナーとパタンナーと工場が分業でやっていることを全部1人でやっていたので、数はそこまで作れないんです。

WWD:結構応募は来ているんですか?

TaiTan:応募の管理は事務局がやっているんですが、すでに1500通以上の応募が来ているっていう報告は受けていて。下手したら3桁くらいかもなって思っていたので、安心しました。やっぱりこの応募数って「ポッドキャスト作り方番組」だといかなかったと思うし、それこそスニーカーを作ることで、カルチャーメディア、ファッションメディア、ガジェットメディアとか、幅広く掲載してくれていたのもあって、「シュア」的にもポジティブな印象持ってくれてると思います。

WWD:最終的な当選者はTaiTanさんが全部に目を通して決める?

TaiTan:そうですね。ちゃんと熱意に応えたいと思いますね。この人はこういう角度の話ができるんだとしたら、面白い番組に作れるかもって、そこはなんとなく体感値として分かるので、そういう人を選びたいとは思いますね。

WWD:TaiTanさんが思う、面白いポッドキャスターは?

TaiTan:やっぱりたくさん歩いている人です。本当にそう。だから、この間の「脳盗」(1月26日放送回)でしゃべったエピソードは、僕がずっと動き回ってるからこそ、最後の伏線回収までできた話だったりするので。やっぱり日々なんか面白いことないか、話のタネを探しながら、動き回っている人は、面白い話ができるんじゃないかなと思いますね。

クリエイティブディレクターの仕事

WWD:戸田さんから見たTaiTanさんってどんな人ですか?

戸田:紹介してもらう前から「奇奇怪怪」は聴いていて、Dos Monosのラッパーでありながらポッドキャストをやっているっていう異色の混合感もあって、カルチャーフィールドでめちゃくちゃ活躍している人っていう、漠然としたイメージを持っていて。あと、やたら企画の話好きだなとは思っていました。「企画至上主義」みたいな言葉もちらっと聞いたりしたんですけど、なんかラッパーにしてはちょっとそこに関心強すぎないかと。僕も主軸はスニーカーの作品制作ではあるんですけど、企画を考えたりすることもあって、実は近い考え方の人なのかなっていうのはありましたね。それで実際に会ってからどんどん「企画屋TaiTan」としての答え合わせができているイメージ。

TaiTan:現代において、何かものを作るってなると、そのコンセプトからスタートにすることが多い。そうなると基本的には言葉の練度を高めていく作業とか、世の中との接合点をどこに作るのかとか、その人がどう世の中を切り取るかって作業が必然になっていくので、多かれ少なかれアーティストやクリエイターはそういうタイプだとは僕は思っていたんですけど。意外とそうじゃない人たちもいるんだなっていうのも知って。そこにギャップは感じてますね。

WWD:今回一緒に仕事をしてみて、クリエイティブディレクターとしてのTaiTanさんのすごさはどこに感じましたか?

戸田:いわゆるクリエイティブディレクターと呼ばれているような人たちって、結構分業制の中でやる人が多いと思うんですよ。アイデアを考えてディレクションするけど、進行は誰かに任せがち。もちろんTaiTanさんも企画の鋭さがあるのは前提ですが、やっぱりプロデューサーでもあるんですよね。各クリエイターに仕事を依頼して、期限内にちゃんと全部納品させてるっていう、そこの仕切りを1人でちゃんとやる。そこは普段メディアでは伝わらない裏方としてのすごさだと思います。

TaiTan:今回はただ人が足りなくて、シンプルに僕が1人でやらざるを得ない状況になったっていう(笑)。だからいつもは全然プロデューサーをつけますよ。それでいうと、僕の特徴は、世の中に出るまでの「シュア」とのコミュニケーションの中に現れてるのかなと思ってますね。そもそも、なんで100年の歴史をもつマイクブランドである「シュア」が史上初めてスニーカーを作る必然性があるのか、そこのロジックをどう補強していくかみたいなことを考えたり、ブランドに提案するのを楽しめるタイプというか。そのプロセスの中では当然経済合理性的な話とかも言葉にできないといけないと思うし、かっこいいものを作るだけの話じゃないというか、そのものが出た後のブランドイメージにおけるインパクトの予測、PR効果など、その企画がどのように世の中と接点をつくるのか。そういう話にまで関心があるのは意外と珍しい存在なのかな、という気がしますね。

例えば今回「シュア」に提案する時も、企画書のイメージボードみたいなものを作るんですが、僕の場合、デザインや映像そのもののソースというより、ミシュランがミシュランガイドを作った例みたいに、過去のブランドの実践事例のソースを大量にストックしてあるんで、そういうところから引っ張ってきて、これの構造と手法を今回は応用してやりませんか、と提案する。そうやって共通の認識をもちやすい切り口を設定することで、突飛な企画だったとしても先方もちょっと安心してくれて、「こいつはただかっこいいものを作りたい、自己満野郎じゃないんだな」って思ってくれるのではないかなと想像してます。

戸田:今、「構造」って言葉が出たと思うんですけど、まさにそこがちょっと近しいなって勝手に思っていて。僕もTaiTanさんも、いわゆる見た目がかっこいいものだけを作って満足するタイプじゃないと思うんですよ。構造的に、それがどう社会の中で装置として機能していくのかというところに関心が強くて。僕はそのメディアとしてスニーカーを作っているという。だからデザインがかっこいいスニーカーは、レファレンスとしては全然使うこともあるんですが、それが本質的に持ってる価値に実はあんまり興味がないっていうところもあって。

WWD:TanTanさんのプレゼンの巧さはどこかで習ったんですか?

TaiTan:そもそもの性質として、僕の中にはポッドキャストもラップも似たようなもんだっていう感覚があって、「俺はこう思うんだけど、どうですか」っていうことしかやってない気がするのですよね、本質的には。プロジェクトを立ち上げる際も、その企画を承認する側の人たちに「これ 面白くないっすか」って提案して、面白いと思ってもらえたら自然と企画は通っていくものだろうし。あとは、ポッドキャストで言葉や伝え方をめっちゃ考えて毎週やっているんで、プレゼンはめっちゃ上手になったんだと思います(笑)。

WWD:同世代とかで、同じ思考に近い人っていますか?

TaiTan:PERIMETRONの佐々木集くんはほぼこの世代で唯一クリエイティブディレクターとしての存在感がすごくあるタイプだと思うので、彼としゃべってる時は迫力も感じるし面白いですね。本当に結構な領域にまたがって、プロジェクトを立ち上げていて、その規模もでかい。あとは、それこそ俺は戸田くんにはそういう系譜を継いでほしいっていう気持ちがすごくある。

戸田:なぜかずっと言われてるんですよね(笑)。ありがたいんですけど。

WWD:戸田さんは考え方が似ているって思う人はいますか?

戸田:考え方が近いというわけではないんですが、TaiTanさんと僕をつなげてくれたアーティストの岸裕真くんとはよく話します。僕が本格的に靴を作り始めた時期にいろいろと教えてくれて、今でも慕ってます。ディレクターやデザイナー、エンジニアなど、専業で突き詰めて活躍している同世代はもちろんたくさんいますが、それとは別軸で企画のディレクション業を意図的に他の領域にまたがってやっている人ってまだまだ少ないですよね。

スニーカー企画の第2弾は?

WWD:戸田さんは現在アーティストとして、アート作品としてスニーカーを作っていますが、そこにはどんな思いが込められているんですか。

戸田:もともとスニーカーが好きで、それこそ昔はスニーカーが何百万円で取引されたり、新しいモデルがリリースされるたびに夜通し店頭で並ぶような「スニーカーカルチャー」と呼ばれる文化圏を面白がっていたんですけど、ある時その「スニーカーカルチャー」の大半は大企業がマーケティングで作り出しているものでしかなくて、僕らに許されてるのが結局消費でしかないことに気づいて、1回絶望したのが大きなきっかけですね。そういう世界に対する反逆として独学でスニーカーを作り始めました。

それで、スニーカーというものに、現代アートという別の文脈を付与し、捉えなおして作品にすることで、今みんながスニーカーって呼んでいるものが、200年、300年後ぐらいに全く違うものとして世の中に存在しているような世界線が作れたらいいなと思ってやっています。だからブランドを作ってファッションのフィールドでシーズンごとに展開するような既存のやり方は今のところ考えてないです。

WWD:作品は全てハンドメイドで作られていますが、「作ってほしい」というオーダーも多いですか?

戸田:国内外問わずオーダーの依頼はたまにあります。制作した作品を衣装としてリースすることも。でも決められた与件の中で同じデザインのスニーカーをサイズ展開も含めて0→1で作るのは、ほとんどないので、今回の「シュア」のスニーカーは自分的にもめちゃめちゃでかい挑戦でした。今回に限らず、異業種のコラボレーションはこれからもどんどんやっていきたいと思います。

WWD:最後にスニーカー企画の第2弾の可能性はありますか?

TaiTan:「シュア」の人たちには、これは毎年できる企画フォーマットだと思うので、「毎年やりませんか」って話を軽くしてますね。せっかくなんで1回で終わらせたくないなと思っていて。僕のプレゼンがうまくいけば、第2弾はあると思います!

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

応募方法

応募方法は、以下の応募フォームに必要事項を入力して応募完了となる。応募期間は1月20日〜2月11日まで。抽選で5人に「シュア」オリジナルスニーカー“イグナイト ザ ポッドキャスターズ”をプレゼントする。

https://btnb.f.msgs.jp/n/form/btnb/n6MSEXeskGwFkQbsa6JXh

※同スニーカーはハンドメイドのため、応募フォームに入力したサイズと一致するサイズの用意が難しい場合あり。その場合、入力したサイズに最も近いサイズのスニーカーをプレゼント。
※賞品の発送をもって当選発表。
※シリアルナンバー引き換え製品は“MV7i スマートマイクロホン&インターフェース”。
※スニーカー当選者に限りシリアルナンバー送付にて引き換え可能。
※シリアルナンバーの送付方法はスニーカーに同梱された案内書類を要確認。

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TaiTan × シューズアーティスト・戸田健太 「シュア」初のスニーカーはいかにして作られたのか? 制作秘話を語る

PROFILE: 左:TaiTan/ラッパー 右:戸田健太/シューズメイカー・アーティスト

PROFILE: (タイタン):Dos Monosのラッパー。ポッドキャスト「奇奇怪怪」のパーソナリティーも務める。クリエイティブディレクターとしてもテレビ東京停波帯ジャック番組「蓋」、音を出さなければ全商品を盗めるショップ「盗」を手がけるなど、多方面で活動。 (とだ・けんた):1996年生まれ。独学でスニーカーの制作技術を学び、形状、機能、素材、使用方法など、独自の視点で再解釈した社会的装置としてスニーカーの作品を制作している。現代美術の展示に加え、2024年には世界最大のポップカルチャーの祭典「ComplexCon」でも作品を発表。YOASOBIの衣装としても作品を提供するなど、多岐にわたって活動する。主な展覧会に、個展「HYPER SOLE」BLOCK HOUSE(東京/23)、「PROCESSED MEAT SHOP」CARV STORE(東京/24)など。

オーディオブランド「シュア(SHURE)」が、Dos Monosラッパーで、人気ポッドキャスト番組「奇奇怪怪」のパーソナリティーを務めるTaiTanとともに開発したオリジナルスニーカー“イグナイト ザ ポッドキャスターズ(IGNITE the Podcasters)”。

本スニーカーは、ポッドキャスターを目指す人専用のスニーカーで、専用の応募フォームに必要事項を記入して応募すると、抽選で5人にプレゼントされる(※応募期間は2月11日まで)。また、ソールには特殊加工が施されており、歩行を重ねとアウトソールからシリアルナンバーが出現し、そのシリアルナンバーは、「シュア」の高性能マイク“MV7i スマートマイクロホン&インターフェース”と引き換えられるという斬新な仕掛けとなっている。

“イグナイト ザ ポッドキャスターズ”のデザイン・設計・制作を手掛けたのはシューズアーティストの戸田健太。以前からTaiTanとは親交があったが、一緒に仕事をするのは今回が初めてだという。

オーディオブランドの「シュア」がなぜスニーカーを作ったのか。そしてそこに至るまでの制作背景について、TaiTanと戸田の2人に語ってもらった。

「とにかく動いてるやつの方が面白いに決まっている」

WWD:お2人が知り合った経緯から教えてもらえますか?

TaiTan:もともと共通の知り合いが何人かいたんですが、戸田くんが最初に原宿で個展をやった時に、僕と戸田くんをつないでくれたアーティストから「戸田くんの個展すごくいいよ」って言われて。それで遊びに行ったら、戸田くんも僕のことを知っていてくれて、そっから一緒に飯食ったりするようになって。彼が個展をやるたびに呼んでくれたり、僕も何か企画をやる時はイベントに誘ってみたいな感じですね。

WWD:最初に会ったのはいつごろだったんですか?

TaiTan: 2年前ぐらいだっけ?

戸田健太(以下、戸田):確か2023年の年末とかでしたね。

TaiTan:それから「何か一緒に仕事したいね」って話はずっとしていて。今回「シュア」から相談されて、「一緒にやろうよ」って感じで誘って。

WWD:昨年12月にTaiTanさんが「シュア」のポッドキャストのクリエイティブディレクターに就任したことが発表されましたが、そこに至るまで「シュア」とはどんなやりとりがあったんですか?

TaiTan:今回、僕はあくまでポッドキャストに関するプロジェクトのクリエイティブディレクターをやらせてもらった形ではあるんですけど、「シュア」はマイクも扱っているブランドなので、ポッドキャストを盛り上げるための企画を打ってくれないかと相談があって。最初、先方のチームからは「ボットキャスターを増やすために、『番組の作り方』みたいな番組を作ってほしい」と言われたんですけど、ちょっとそれだと色気がないし、 僕のファンしか聞かないよねと思って、「そういうのはあまりやりたくないです」と伝えて。逆にこちらから、もっと企画的に飛ばして、スニーカーを作る提案をしたら、面白がってくれて、じゃあクリエイティブディレクターとしてやってくれませんかっていう感じで話が進んでいきました。

WWD:最初はポッドキャストを広めるために何かやってくれって依頼だったんですね。

TaiTan:そうですね。「シュア」の人たちも、単純にマイクが売れれば、それでいいみたいな直線的な考え方ではなくて。当然売れるにこしたことはないんですが、それよりは、ポッドキャストシーンが盛り上がることとか、何か面白いことをやっているなっていう空気感を作る、みたいなことを求めていて、僕にはそのクリエイティブセクターを担ってほしいという感じのオファーでした。

WWD:そこからスニーカーを作ろうってアイデアはすぐ思いついたんですか?

TaiTan:コアなアイデア自体には割とすぐに直感でたどりつきました。あとは、そのロジックをどう組んでいくかみたいなところで、企画書ではミシュランがミシュランガイドを作った事例を引用しつつ提案しました。タイヤメーカーのミシュランがミシュランガイドを作ったのは、「人を移動させればタイヤが売れる。それなら世界のうまい店をマッピングしたら、人は移動するだろう」ってロジックで。それって極めてクリティカルでかっこいいし、普遍的な強さがあるなってずっと思っていて。僕の場合は、ポッドキャストを作る時のなんとなくの感覚として、「とにかく動いているやつの方が面白いに決まっている」っていうのがあったので、割とすぐポッドキャストとスニーカーがつながった。しかもマイクとスニーカーってプロダクトとしてはかなり距離があるので、マイクブランドのスニーカーが実現したら、ポッドキャスト関心領域の人たち以外にも企画が届くかもしれないなと思って。

WWD:実際にスニーカーを作るとなった時にはすぐ戸田さんに依頼しようと?

TaiTan:そうですね。戸田くんは結構、営業力が強くて。

戸田:いやいや(笑)。

TaiTan:僕はそこが好ましく思ってたんです。戸田くんにしても今回の「シュア」のプロジェクトはすごくいい機会だと思うからって声をかけさせてもらって。

戸田:ある日突然LINEがきて、「なんかソールが削れたら、数字が出てくる靴ってあんのかな」みたいな内容から始まりました。それで何回かやりとりがあって、「あれ? もしかして仕事ですか?」っていう感じでしたね。

TaiTan:「シュア」にこの企画を提案する時に、やっぱり事前の確認もある程度必要だったので、戸田くんに確認していて。「歩けば、歩くほどソールが削れるっていうことが良しとされるみたいな、そういう仕掛けってできるのかな」みたいなことを聞いていたって感じですね。

WWD:戸田さんは話を聞いて、すぐ「できますよ」って感じだったんですか?

戸田:どうにかなるとは思いました。ただ、「シュア」と「スニーカー」の掛け算までは企画としてできていたものの、最終的なギミックを削れるソールに担わせるかどうかはまだ議論の余地がある感じだったので、最初のころは少し半信半疑で話を聞いていたんですが、本当に作ることになって、裏取りに大体2カ月ぐらい費やしました。

ゴツくて重厚感のあるスニーカー

WWD:デザインの方向性については、TaiTanさんから何かリクエストをしたんですか?

TaiTan:今はフラットなデザインのスニーカーが人気だと思うんですけど、個人的には「バレンシアガ(BALENCIAGA)」の“トラック”とかがめちゃくちゃ好きなタイプで、そういう方向性で、とにかくゴツくて重厚感のあるやつを作りたいんだって言いました。戸田くんとは結構センスが似ているなと思っていて、最初に「こういうのどうですかね」ってイメージボードを組んでくれてたんですけど、 かなりそれがドンピシャで、すぐにこの感じでいこうってなりましたね。

WWD:TaiTanさんからの要望を聞いて、戸田さんは今のデザインに近い感じはすぐ思い浮かんだんですか?

戸田:そうですね。TaiTanさんが最初に展示に来た時に履いていたのがまさにその「バレンシアガ」の“トラック”で。過去のプロジェクトとかも見てはいたので、大体好きなトーンは分かっていました。「シュア」がもしスニーカーを出したらこうなるんだろうなというイメージもかなりしっかりとありましたし。でもそれだけだとあまり面白くないなっていうのがあったので、スニーカーとして新しい要素を取り入れつつデザインを考えました。

WWD:新しい要素とは具体的には?

戸田:最近はY2Kの流れでメッシュのランニングシューズが流行っているからというわけではないんですが、マイクの集音部分にもメッシュって使われていたりするので、今回も取り入れたいと思って。でも、メッシュだけだと普通なんで、そこに透明のエナメルを上からかぶせているんです。普通は通気性をよくするためにメッシュを使うのに、そこにわざわざ上から通気性ゼロの素材をかぶせるっていう。普通ブランドやメーカーがあんまりやらないようなことをやりました。

WWD:デザインが固まったのはいつごろですか?

戸田:最終的に固まったのはほんとに年末ぐらいでした。ソールの構造もありますけど、アッパーも全部生地から選んで0→1で作るので、結構その相性によって、デザインも若干変わったりするんですよね。それでいろいろと検証していって、結果デザインラフとしてはバージョン4まで作ったんですが、それができたのが年末ぐらい。だから実制作は年明けから始めて半月で仕上げたという感じです。普段だとありえないスケジュールですね(笑)。

WWD:「シュア」からはスニーカーに対しての要望はありましたか?

TaiTan:世界的なブランドなので、もしソールに不備があって事故が起きたらどうするんだとか、そういうリーガル的な部分のチェックはありましたが、クリエイティブに関しても、じゃあどのくらい「シュア」感を出すのか、その落としどころはポジティブに検討してもらって、かなりの部分を僕に委ねてくれました。

戸田:「シュア」感でいうと、「シュア」のイグニッショングリーンって呼ばれる緑色の部分をどう出すかみたいなのは、結構検証しました。シューズボックスでも使っている特色を生地にプリントしようとすると、莫大なロットとお金が必要で、完全に今回の企画にはハマらなくて。近い色の有り物で再現するという方向性になったんですけど、それでもやっぱり1枚だけだと、近くまでは寄せられるんですけど、少し違いが残るので、薄いメッシュと分厚いメッシュを2枚重ねにして、要は色を混ぜるみたいなことで、できるだけイグニッショングリーンを再現しました。

WWD:ソールが数カ月で削れていくそうですが、実際に試してみたんですか?

TaiTan:戸田くんがこのソールのギミックを開発してくれたんですけど、人力でやすりを使って結構な力で1200回こすったら数字が出てきた。おそらくそれは人が数カ月くらい歩いた圧に相当するだろうということで。いつ出てくるんだろうという、その曖昧さも楽しんでもらえたらと思います。

WWD:シューズボックスのデザインもこだわっていますね。

TaiTan:これはKumpei(Nakatake)さんっていうアートディレクターに急遽お願いして。展示会の内装のアートディレクションに関しても、僕が「魔改造された地面を作りたい」みたいな無茶振りをしたのですが、時間がない中でも頑張ってくれて、めちゃくちゃ仕事しやすかったです。

WWD:限定5足はどう決めたんですか?

TaiTan:このスニーカーは戸田くんが全部ハンドメイドで作ってくれていて、制作期間も限定されているので、そんなにたくさんは作れないだろうということもあって、感覚的に限定5足くらいかなと。あと、僕の周りの友達でポッドキャストを始めたり、シーンをリードしてほしいと思っている人たちにもプレゼントするので、厳密にはもう少し数は作っているんですけどね。

戸田:そもそも僕のアーティストとしての活動は、大量ロットで作ることに結構距離を置いている立場だったりするので、今回のように同じデザインのものを何足も作るっていうことは初めてでした。それをサイズ違いで作るので、パターンも一つ一つ微調整しないといけなくて、普通ならデザイナーとパタンナーと工場が分業でやっていることを全部1人でやっていたので、数はそこまで作れないんです。

WWD:結構応募は来ているんですか?

TaiTan:応募の管理は事務局がやっているんですが、すでに1500通以上の応募が来ているっていう報告は受けていて。下手したら3桁くらいかもなって思っていたので、安心しました。やっぱりこの応募数って「ポッドキャスト作り方番組」だといかなかったと思うし、それこそスニーカーを作ることで、カルチャーメディア、ファッションメディア、ガジェットメディアとか、幅広く掲載してくれていたのもあって、「シュア」的にもポジティブな印象持ってくれてると思います。

WWD:最終的な当選者はTaiTanさんが全部に目を通して決める?

TaiTan:そうですね。ちゃんと熱意に応えたいと思いますね。この人はこういう角度の話ができるんだとしたら、面白い番組に作れるかもって、そこはなんとなく体感値として分かるので、そういう人を選びたいとは思いますね。

WWD:TaiTanさんが思う、面白いポッドキャスターは?

TaiTan:やっぱりたくさん歩いている人です。本当にそう。だから、この間の「脳盗」(1月26日放送回)でしゃべったエピソードは、僕がずっと動き回ってるからこそ、最後の伏線回収までできた話だったりするので。やっぱり日々なんか面白いことないか、話のタネを探しながら、動き回っている人は、面白い話ができるんじゃないかなと思いますね。

クリエイティブディレクターの仕事

WWD:戸田さんから見たTaiTanさんってどんな人ですか?

戸田:紹介してもらう前から「奇奇怪怪」は聴いていて、Dos Monosのラッパーでありながらポッドキャストをやっているっていう異色の混合感もあって、カルチャーフィールドでめちゃくちゃ活躍している人っていう、漠然としたイメージを持っていて。あと、やたら企画の話好きだなとは思っていました。「企画至上主義」みたいな言葉もちらっと聞いたりしたんですけど、なんかラッパーにしてはちょっとそこに関心強すぎないかと。僕も主軸はスニーカーの作品制作ではあるんですけど、企画を考えたりすることもあって、実は近い考え方の人なのかなっていうのはありましたね。それで実際に会ってからどんどん「企画屋TaiTan」としての答え合わせができているイメージ。

TaiTan:現代において、何かものを作るってなると、そのコンセプトからスタートにすることが多い。そうなると基本的には言葉の練度を高めていく作業とか、世の中との接合点をどこに作るのかとか、その人がどう世の中を切り取るかって作業が必然になっていくので、多かれ少なかれアーティストやクリエイターはそういうタイプだとは僕は思っていたんですけど。意外とそうじゃない人たちもいるんだなっていうのも知って。そこにギャップは感じてますね。

WWD:今回一緒に仕事をしてみて、クリエイティブディレクターとしてのTaiTanさんのすごさはどこに感じましたか?

戸田:いわゆるクリエイティブディレクターと呼ばれているような人たちって、結構分業制の中でやる人が多いと思うんですよ。アイデアを考えてディレクションするけど、進行は誰かに任せがち。もちろんTaiTanさんも企画の鋭さがあるのは前提ですが、やっぱりプロデューサーでもあるんですよね。各クリエイターに仕事を依頼して、期限内にちゃんと全部納品させてるっていう、そこの仕切りを1人でちゃんとやる。そこは普段メディアでは伝わらない裏方としてのすごさだと思います。

TaiTan:今回はただ人が足りなくて、シンプルに僕が1人でやらざるを得ない状況になったっていう(笑)。だからいつもは全然プロデューサーをつけますよ。それでいうと、僕の特徴は、世の中に出るまでの「シュア」とのコミュニケーションの中に現れてるのかなと思ってますね。そもそも、なんで100年の歴史をもつマイクブランドである「シュア」が史上初めてスニーカーを作る必然性があるのか、そこのロジックをどう補強していくかみたいなことを考えたり、ブランドに提案するのを楽しめるタイプというか。そのプロセスの中では当然経済合理性的な話とかも言葉にできないといけないと思うし、かっこいいものを作るだけの話じゃないというか、そのものが出た後のブランドイメージにおけるインパクトの予測、PR効果など、その企画がどのように世の中と接点をつくるのか。そういう話にまで関心があるのは意外と珍しい存在なのかな、という気がしますね。

例えば今回「シュア」に提案する時も、企画書のイメージボードみたいなものを作るんですが、僕の場合、デザインや映像そのもののソースというより、ミシュランがミシュランガイドを作った例みたいに、過去のブランドの実践事例のソースを大量にストックしてあるんで、そういうところから引っ張ってきて、これの構造と手法を今回は応用してやりませんか、と提案する。そうやって共通の認識をもちやすい切り口を設定することで、突飛な企画だったとしても先方もちょっと安心してくれて、「こいつはただかっこいいものを作りたい、自己満野郎じゃないんだな」って思ってくれるのではないかなと想像してます。

戸田:今、「構造」って言葉が出たと思うんですけど、まさにそこがちょっと近しいなって勝手に思っていて。僕もTaiTanさんも、いわゆる見た目がかっこいいものだけを作って満足するタイプじゃないと思うんですよ。構造的に、それがどう社会の中で装置として機能していくのかというところに関心が強くて。僕はそのメディアとしてスニーカーを作っているという。だからデザインがかっこいいスニーカーは、レファレンスとしては全然使うこともあるんですが、それが本質的に持ってる価値に実はあんまり興味がないっていうところもあって。

WWD:TanTanさんのプレゼンの巧さはどこかで習ったんですか?

TaiTan:そもそもの性質として、僕の中にはポッドキャストもラップも似たようなもんだっていう感覚があって、「俺はこう思うんだけど、どうですか」っていうことしかやってない気がするのですよね、本質的には。プロジェクトを立ち上げる際も、その企画を承認する側の人たちに「これ 面白くないっすか」って提案して、面白いと思ってもらえたら自然と企画は通っていくものだろうし。あとは、ポッドキャストで言葉や伝え方をめっちゃ考えて毎週やっているんで、プレゼンはめっちゃ上手になったんだと思います(笑)。

WWD:同世代とかで、同じ思考に近い人っていますか?

TaiTan:PERIMETRONの佐々木集くんはほぼこの世代で唯一クリエイティブディレクターとしての存在感がすごくあるタイプだと思うので、彼としゃべってる時は迫力も感じるし面白いですね。本当に結構な領域にまたがって、プロジェクトを立ち上げていて、その規模もでかい。あとは、それこそ俺は戸田くんにはそういう系譜を継いでほしいっていう気持ちがすごくある。

戸田:なぜかずっと言われてるんですよね(笑)。ありがたいんですけど。

WWD:戸田さんは考え方が似ているって思う人はいますか?

戸田:考え方が近いというわけではないんですが、TaiTanさんと僕をつなげてくれたアーティストの岸裕真くんとはよく話します。僕が本格的に靴を作り始めた時期にいろいろと教えてくれて、今でも慕ってます。ディレクターやデザイナー、エンジニアなど、専業で突き詰めて活躍している同世代はもちろんたくさんいますが、それとは別軸で企画のディレクション業を意図的に他の領域にまたがってやっている人ってまだまだ少ないですよね。

スニーカー企画の第2弾は?

WWD:戸田さんは現在アーティストとして、アート作品としてスニーカーを作っていますが、そこにはどんな思いが込められているんですか。

戸田:もともとスニーカーが好きで、それこそ昔はスニーカーが何百万円で取引されたり、新しいモデルがリリースされるたびに夜通し店頭で並ぶような「スニーカーカルチャー」と呼ばれる文化圏を面白がっていたんですけど、ある時その「スニーカーカルチャー」の大半は大企業がマーケティングで作り出しているものでしかなくて、僕らに許されてるのが結局消費でしかないことに気づいて、1回絶望したのが大きなきっかけですね。そういう世界に対する反逆として独学でスニーカーを作り始めました。

それで、スニーカーというものに、現代アートという別の文脈を付与し、捉えなおして作品にすることで、今みんながスニーカーって呼んでいるものが、200年、300年後ぐらいに全く違うものとして世の中に存在しているような世界線が作れたらいいなと思ってやっています。だからブランドを作ってファッションのフィールドでシーズンごとに展開するような既存のやり方は今のところ考えてないです。

WWD:作品は全てハンドメイドで作られていますが、「作ってほしい」というオーダーも多いですか?

戸田:国内外問わずオーダーの依頼はたまにあります。制作した作品を衣装としてリースすることも。でも決められた与件の中で同じデザインのスニーカーをサイズ展開も含めて0→1で作るのは、ほとんどないので、今回の「シュア」のスニーカーは自分的にもめちゃめちゃでかい挑戦でした。今回に限らず、異業種のコラボレーションはこれからもどんどんやっていきたいと思います。

WWD:最後にスニーカー企画の第2弾の可能性はありますか?

TaiTan:「シュア」の人たちには、これは毎年できる企画フォーマットだと思うので、「毎年やりませんか」って話を軽くしてますね。せっかくなんで1回で終わらせたくないなと思っていて。僕のプレゼンがうまくいけば、第2弾はあると思います!

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

応募方法

応募方法は、以下の応募フォームに必要事項を入力して応募完了となる。応募期間は1月20日〜2月11日まで。抽選で5人に「シュア」オリジナルスニーカー“イグナイト ザ ポッドキャスターズ”をプレゼントする。

https://btnb.f.msgs.jp/n/form/btnb/n6MSEXeskGwFkQbsa6JXh

※同スニーカーはハンドメイドのため、応募フォームに入力したサイズと一致するサイズの用意が難しい場合あり。その場合、入力したサイズに最も近いサイズのスニーカーをプレゼント。
※賞品の発送をもって当選発表。
※シリアルナンバー引き換え製品は“MV7i スマートマイクロホン&インターフェース”。
※スニーカー当選者に限りシリアルナンバー送付にて引き換え可能。
※シリアルナンバーの送付方法はスニーカーに同梱された案内書類を要確認。

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【シック・ジャパン 後藤秀夫社長】「シック」65周年の今年は過去最高の売り上げを宣言

PROFILE: 後藤秀夫/社長

後藤秀夫/社長
PROFILE: (ごとう・ひでお)MBA、米国サンダーバード国際経営大学院卒業後、1996年にジョンソン・エンド・ジョンソンでキャリアをスタート。営業・マーケティングを経験後、2005年から日本ロレアルで日本と台湾での事業部長の要職を歴任し、ターンアラウンドや事業拡大に貢献。17年にヘンケル ビューティーケアの日本兼韓国の代表としてコンシューマー及びプロフェッショナルの両事業を統括。22年8月から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

「日本で最も革新的なビューティーグルーミングカンパニー」を目指すシック・ジャパンは、2022年から社内環境整備しながら新市場を創造する製品開発など数多くのイノベーションを生み出している。「シック(SCHICK)」日本上陸65周年を迎える25年も、シェアNo.1※1ブランドとして市場拡大をけん引していく。

事業改革のテーマは
「ターンアラウンド」

WWD:“ビューティーグルーミングカンパニー”を目指す中期経営計画2年目の成果は。

後藤秀夫社長(以下、後藤):24年は「ターンアラウンド」をテーマに事業改革を行った。期待以上の成果で売り上げは2桁成長、利益率も予想を上回る結果で着地。社員のエンゲージメントスコアも前回の57%から大幅にアップし81%と満足度が高い結果だった。高いパフォーマンスを発揮しやすい環境作りが評価され、24年11月には、世界150カ国・年間1万社を超える企業の働きがい調査を行う調査機関が25年版「働きがい認定企業」に選出。社内外から評価される形で2年目を締めくくれた。

WWD:売り上げを大きく伸ばした要因は。

後藤:戦略ブランドを絞り投資する中で、24年は新市場を創造する新製品に注力した。女性用では当社初スティックタイプの顔剃り専用美容オイルバームや女性向けでは珍しい6枚刃のボディーシェーバー、角質ケアをサポートするボディーシェービング用エマルジョンを発売して新市場を創造。男性用ではシェービング剤不要で剃れるソープ付きシェーバーを登場させ、伸長するボディーシェービング市場をさらに加速することができた。

WWD:「シックファースト トーキョー(SCHICK FIRST TOKYO)」の反響は。

後藤:発売翌月にはメンズシェーバー市場※2の売り上げトップ10位にランクインした。メンズシェーバーは、 これまで深剃りを追い求める傾向にあり、やわらかい髭を持つ若年層向けの商品が市場に存在しなかった。若年層とシニア層では髭の硬さが異なる点に着目。はじめてシェービング体験をする若年層はシェービングに肌への安全性を求めているため日本のチームが日本で日本人の肌に合わせて、セーフティーワイヤーを搭載した製品を開発。「はじめてのシェービングにやさしさを。」というコンセプトで「シックファースト トーキョー」を発売した。美意識の高いZ世代にあわせて、ホルダーなどのデザインでもこれまでのカミソリから離れて、トレンドのニュアンスカラーやジェンダーレスなデザイン、サステナブルなパッケージにした。シェービングを安全でシンプル、かつファッショナブルに使えるビューティツールとして昇華させた。消費者起点のイノベーションが成功した要因だと考えている。ビューティアンバサダーのINIは、サバイバルオーディション番組の国民投票で誕生している背景から、ファンのエンゲージメントが非常に高い。ブランドとビューティアンバサダー、ファン、そして消費者と最終接点となる大切な店頭とが同じ目線でWIN-WIN-WIN-WIN-WINを形成し、一緒に日本のメンズビューティを盛り上げようとする新しいエンゲージメントモデルが生まれている。

WWD:目標としていたエンゲージメントスコアの8割超えを早々に達成できた理由は。

後藤:最初に設定したパーパスやビジョンが浸透し、共感が強まっているのが大きい。戦略ブランドを明確にし、28年までの新製品計画を立てているので社員が、「イノベーションを語れる新製品がいくつも控えている」と会社の未来にワクワクする状態でいられる。また、パーパスやビジョンと同時に、社員への行動指針として「ピープルファースト」「ムーブフォワード」「リッスンアップ、スピークアップ」「オウン イット トゥギャザー」という4つのバリューを定義し、社員が意識的に体現することで成果に結びつくリーダーシップ開発につなげている。3年目は新たなビジョンのもと、販売した製品を軸とした成長拡大を見込んでいる。行動規範が数字という形で見えると、それがまた新たな成功体験と結びつく。挑戦して失敗から学び成功体験が重なれば、その成功は正しい行動だという確信に変わり、それが組織の当然となり、やがて企業文化へと浸透していく。そんな環境下で社員が働けば必然的にポジティブスコアは高まっていく。

WWD:25年もイノベーションを控えている?

後藤:25年は「シック」が日本上陸65周年を迎える。2月には大人男性に向けて当社初のシェービングからスキンケアまでをワンストップで提案するトータル・グルーミングケアブランド「プロジスタ(PROGISTA)」が登場するほか、女性用「サロンプラス(SALON+)」からメイク直し感覚でうぶ毛やボディーの剃り残しをケアできるリップスティック型のコンパクトシェーバー、当社初の男性・女性用の除毛クリームなどを続々と発売する。65周年という節目の年に日本で過去最高の売り上げを作ることができれば象徴的な出来事になる。そして26年は売り上げ記録をさらに更新していく。実は26年こそ大規模イノベーションが控えており、全ての戦略ブランドからこれまでの市場にない新製品を投入する予定だ。来年はさらにもう1段階上のステージに行くことができると期待している。

※1 29年連続国内ウェットシェービング販売シェアNo.1:インテージSRI+カミソリ市場(ホルダー、ディスポーザブル、替刃)1995年11月~2024年10月各年メーカー別累計販売金額、
※2 インテージSRI+ カミソリ市場(ホルダー、ディスポーザブル、替刃)(2024年10月)メーカー別累計販売金額

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『世界中の人を美しく』

「美は人を変える」と信じて自身を含め日本人消費者を美しくすることを楽しんでいる。日本の枠を超えて世界中の人々を美しくして、ワクワク感と幸せを感じる毎日を届けていきたい。

COMPANY DATA
シック・ジャパン

世界50カ国以上でビジネスを展開しているエッジウェルパーソナルケアグループの一員で、「シック」は日本市場におけるウェットシェービング業界をけん引する存在。ビューティグルーミングを通して一人でも多くの顧客にワクワク感と幸せを感じてもらえる毎日を提供することをパーパスとし事業を推進している。主力製品は男性用の「ハイドロ5(HYDRO5)」「スタイリングパートナー(STYLING PARTNER)」「シックファースト トーキョー」、女性用の「サロンプラス」「ハイドロシルク(HYDROSILK)」「イントゥイション(INTUITION)」など

TEXT : WAKANA NAKADE


問い合わせ先
シック・ジャパンお客様相談室
03-5487-6801

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【シック・ジャパン 後藤秀夫社長】「シック」65周年の今年は過去最高の売り上げを宣言

PROFILE: 後藤秀夫/社長

後藤秀夫/社長
PROFILE: (ごとう・ひでお)MBA、米国サンダーバード国際経営大学院卒業後、1996年にジョンソン・エンド・ジョンソンでキャリアをスタート。営業・マーケティングを経験後、2005年から日本ロレアルで日本と台湾での事業部長の要職を歴任し、ターンアラウンドや事業拡大に貢献。17年にヘンケル ビューティーケアの日本兼韓国の代表としてコンシューマー及びプロフェッショナルの両事業を統括。22年8月から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

「日本で最も革新的なビューティーグルーミングカンパニー」を目指すシック・ジャパンは、2022年から社内環境整備しながら新市場を創造する製品開発など数多くのイノベーションを生み出している。「シック(SCHICK)」日本上陸65周年を迎える25年も、シェアNo.1※1ブランドとして市場拡大をけん引していく。

事業改革のテーマは
「ターンアラウンド」

WWD:“ビューティーグルーミングカンパニー”を目指す中期経営計画2年目の成果は。

後藤秀夫社長(以下、後藤):24年は「ターンアラウンド」をテーマに事業改革を行った。期待以上の成果で売り上げは2桁成長、利益率も予想を上回る結果で着地。社員のエンゲージメントスコアも前回の57%から大幅にアップし81%と満足度が高い結果だった。高いパフォーマンスを発揮しやすい環境作りが評価され、24年11月には、世界150カ国・年間1万社を超える企業の働きがい調査を行う調査機関が25年版「働きがい認定企業」に選出。社内外から評価される形で2年目を締めくくれた。

WWD:売り上げを大きく伸ばした要因は。

後藤:戦略ブランドを絞り投資する中で、24年は新市場を創造する新製品に注力した。女性用では当社初スティックタイプの顔剃り専用美容オイルバームや女性向けでは珍しい6枚刃のボディーシェーバー、角質ケアをサポートするボディーシェービング用エマルジョンを発売して新市場を創造。男性用ではシェービング剤不要で剃れるソープ付きシェーバーを登場させ、伸長するボディーシェービング市場をさらに加速することができた。

WWD:「シックファースト トーキョー(SCHICK FIRST TOKYO)」の反響は。

後藤:発売翌月にはメンズシェーバー市場※2の売り上げトップ10位にランクインした。メンズシェーバーは、 これまで深剃りを追い求める傾向にあり、やわらかい髭を持つ若年層向けの商品が市場に存在しなかった。若年層とシニア層では髭の硬さが異なる点に着目。はじめてシェービング体験をする若年層はシェービングに肌への安全性を求めているため日本のチームが日本で日本人の肌に合わせて、セーフティーワイヤーを搭載した製品を開発。「はじめてのシェービングにやさしさを。」というコンセプトで「シックファースト トーキョー」を発売した。美意識の高いZ世代にあわせて、ホルダーなどのデザインでもこれまでのカミソリから離れて、トレンドのニュアンスカラーやジェンダーレスなデザイン、サステナブルなパッケージにした。シェービングを安全でシンプル、かつファッショナブルに使えるビューティツールとして昇華させた。消費者起点のイノベーションが成功した要因だと考えている。ビューティアンバサダーのINIは、サバイバルオーディション番組の国民投票で誕生している背景から、ファンのエンゲージメントが非常に高い。ブランドとビューティアンバサダー、ファン、そして消費者と最終接点となる大切な店頭とが同じ目線でWIN-WIN-WIN-WIN-WINを形成し、一緒に日本のメンズビューティを盛り上げようとする新しいエンゲージメントモデルが生まれている。

WWD:目標としていたエンゲージメントスコアの8割超えを早々に達成できた理由は。

後藤:最初に設定したパーパスやビジョンが浸透し、共感が強まっているのが大きい。戦略ブランドを明確にし、28年までの新製品計画を立てているので社員が、「イノベーションを語れる新製品がいくつも控えている」と会社の未来にワクワクする状態でいられる。また、パーパスやビジョンと同時に、社員への行動指針として「ピープルファースト」「ムーブフォワード」「リッスンアップ、スピークアップ」「オウン イット トゥギャザー」という4つのバリューを定義し、社員が意識的に体現することで成果に結びつくリーダーシップ開発につなげている。3年目は新たなビジョンのもと、販売した製品を軸とした成長拡大を見込んでいる。行動規範が数字という形で見えると、それがまた新たな成功体験と結びつく。挑戦して失敗から学び成功体験が重なれば、その成功は正しい行動だという確信に変わり、それが組織の当然となり、やがて企業文化へと浸透していく。そんな環境下で社員が働けば必然的にポジティブスコアは高まっていく。

WWD:25年もイノベーションを控えている?

後藤:25年は「シック」が日本上陸65周年を迎える。2月には大人男性に向けて当社初のシェービングからスキンケアまでをワンストップで提案するトータル・グルーミングケアブランド「プロジスタ(PROGISTA)」が登場するほか、女性用「サロンプラス(SALON+)」からメイク直し感覚でうぶ毛やボディーの剃り残しをケアできるリップスティック型のコンパクトシェーバー、当社初の男性・女性用の除毛クリームなどを続々と発売する。65周年という節目の年に日本で過去最高の売り上げを作ることができれば象徴的な出来事になる。そして26年は売り上げ記録をさらに更新していく。実は26年こそ大規模イノベーションが控えており、全ての戦略ブランドからこれまでの市場にない新製品を投入する予定だ。来年はさらにもう1段階上のステージに行くことができると期待している。

※1 29年連続国内ウェットシェービング販売シェアNo.1:インテージSRI+カミソリ市場(ホルダー、ディスポーザブル、替刃)1995年11月~2024年10月各年メーカー別累計販売金額、
※2 インテージSRI+ カミソリ市場(ホルダー、ディスポーザブル、替刃)(2024年10月)メーカー別累計販売金額

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『世界中の人を美しく』

「美は人を変える」と信じて自身を含め日本人消費者を美しくすることを楽しんでいる。日本の枠を超えて世界中の人々を美しくして、ワクワク感と幸せを感じる毎日を届けていきたい。

COMPANY DATA
シック・ジャパン

世界50カ国以上でビジネスを展開しているエッジウェルパーソナルケアグループの一員で、「シック」は日本市場におけるウェットシェービング業界をけん引する存在。ビューティグルーミングを通して一人でも多くの顧客にワクワク感と幸せを感じてもらえる毎日を提供することをパーパスとし事業を推進している。主力製品は男性用の「ハイドロ5(HYDRO5)」「スタイリングパートナー(STYLING PARTNER)」「シックファースト トーキョー」、女性用の「サロンプラス」「ハイドロシルク(HYDROSILK)」「イントゥイション(INTUITION)」など

TEXT : WAKANA NAKADE


問い合わせ先
シック・ジャパンお客様相談室
03-5487-6801

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【プラザスタイル 鈴木努カンパニーエクゼクティブ プレジデント】日常の心拍数を上げ、ハーツアップさせる集団へ

PROFILE: 鈴木努/カンパニーエクゼクティブ プレジデント

鈴木努/カンパニーエクゼクティブ プレジデント
PROFILE: (すずき・つとむ)大手ファッション企業でブランド責任者や支店長、マッシュスタイルラボで執行役員を歴任。2022年8月にプラザスタイルカンパニーに入社し、23年6月から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

スタイリングライフ・ホールディングス プラザスタイル カンパニーが運営するライフスタイルストア「プラザ(PLAZA)」は、2024年2月にリブランディングし新たなスローガン「HEARTS UP!」を掲げた。26年の創業60周年に向けて、勢いをつける。

「プラザ」愛が強い社員とともに
さらなる可能性に突き進む

WWD:24年に最も注力したことは?

鈴木努カンパニーエグゼクティブプレジデント(以下、鈴木):2月に行ったリブランディングの浸透に注力した。26年に60周年を迎えるにあたり、もう一度、われわれの強み、存在意義、社会に対してやらなければならないことは何かを社員全員で考え、導き出したのが「HEARTS UP!」というスローガン。カンパニーステートメントを「日常の心拍数を上げる」とし、これを社内外の人にも伝えてきた。われわれはただモノを売るのではなく、製品や店舗を通してお客さまの心拍数を上げるお手伝いをする会社なんだ、という意識を共通して持つことを徹底した。

WWD:プライベートブランド(PB)の進捗は?

鈴木:8月に誕生したプラザ初となるスキンケアPBブランド「デュナミス」は、おおむね順調だ。今年はより一層販促・宣伝を強化し、売り上げを伸ばしていきたい。9月に発売したウエアブランド「レイジースタイルズ」も同様。シーンやジェンダーにとらわれず自分らしさを楽しむというコンセプトは今の時代に合っていて、こちらもプロモーションに力を入れ、将来的には単独出店や卸も考えている。

WWD:新規出店と売り場の改装が目立つ。

鈴木:24年度は新規8店と改装8店があり、どこも好調だ。既存店も売上高が前年比2ケタ増で伸び、全カテゴリー全エリアで前年を超えた。中でも福岡天神の地下街に10月にオープンした40坪ほどの店が絶好調だ。トラフィックの多い改札前という立地もあり、他店に比べて年齢層が幅広く、男性客比率も高い。これまでプラザは80〜100坪の店が多く、その規模での出店は新しい商業施設に限られていた。40坪程度であれば案件も増える。天神地下街の成功事例を参考に同様の立地に出店したい。

WWD:好調の要因は?

鈴木:それぞれの店舗に合わせたMDに組み直したことが大きい。渋谷109店は化粧品が強いので、それに特化した作りでポップでカラフルな内装にしたり、羽田空港店は旅行を意識したディスプレイにしたり。長年働いている店長やスタッフの声を吸い上げ、レジの位置や、ストックから店頭の陳列台までの導線を効率良くするなど、働きやすい環境を整えたことも大きい。お客さまに見える部分と見えない部分の両方の改善が功を奏した。「プラザ」愛が強いアルバイトや社員が多いのは大きな財産。その声に耳を傾けることはやる気になり、会社の成長につながる。

WWD:25年の計画は?

鈴木:昨年9月、大阪のりんくうプレミアム・アウトレット(以下、りんくう)に10年ぶりのアウトレット店を出店した。10年の間にアウトレットに対するお客さまの考えは、安いモノを買う場所からエンターテインメントプレイスへと変わった。実際、軽井沢プリンスショッピングプラザ店はプロパーがよく売れる。私たちはアウトレットを在庫処分の場ではなく新たなマーケットプレイスとして捉え、りんくう店も撮影スポットを作るなど、お客さまがワクワクする仕掛けを用意した。その成功を元に、今年はアウトレット売り上げ規模が大きい御殿場プレミアム店を改装する。

WWD:グループで「キャス キッドソン(CATH KIDSTON)」のビジネスもスタートした。

鈴木:輸入販売権とともにライセンス権も取得し、日本独自の企画商品にも力を入れる。1番強化するのはアパレルで、すでに販売するECでは手応えを感じている。他にもタオル・ハンカチ、食器、ファブリック、ペットグッズと幅広く展開する予定で、3割を直輸入、7割を日本企画商品で構成する計画だ。また、3月には路面店をオープンし、年内に3〜4店の出店を予定している。「キャス キッドソン」は年齢関係なく愛される世界観を持つ。その人たちのライフスタイルに寄り添うブランドにしていきたい。

WWD:25年は新プロジェクトがめじろ押しだ。

鈴木:24年11月にブランドサイトとECサイトを統合し、12月にはアプリをリニューアルした。引き続き利便性のいい場所に130店舗を構えることを生かしたOMOを強化し、お客さまの買い物の煩わしさを解消する。また、2月にはルミネエスト新宿で「ケアベア™」のポップアップイベントを開催する。これまでも製品を並べたボップアップはあったが、よりエンタメ性のあるショップになるので期待してほしい。「プラザ」はほかにも「バーバパパ」や「スポンジ・ボブ」など魅力的なキャラクターの国内ライセンスを持つ。これらのオフィシャルストアは今年中に挑戦したい。

WWD:業績が絶好調の中、見えてきた課題は?

鈴木:1番は人材の確保。中途でも採用していき、業績が好調なことから昨年はグループ全体で社員に還元した。社員からの海外出張申請に「NO」と言ったことはない。現地に行って何か持ち帰ろう、それを仕事や店に生かそうという気持ちと体験は何にも変えられない。そんな社員とともに、さらなる可能性に突き進んでいきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『映画・ドラマに役者として出演』

昔から人前に出るのは好きで、学生の頃はモデルになりたかった。アパレル勤務時代はファッションショーに出演したことも。役者も昔からの夢で、演技の経験はゼロだが、ぜひ挑戦したい。何でもジャンルは問わないし、もちろんノーギャラでOK!

COMPANY DATA
スタイリングライフ・ホールディングス プラザスタイル カンパニー

1966年創立。スタイリングライフ グループの雑貨小売事業を展開する。同年、米国スタイルのドラッグストアとして、東京・銀座のソニービルに日本初の輸入生活雑貨店「プラザ」(当時ソニープラザ)第1号店をオープン。2024年2月、創業60周年を前にリブランディングを実施し「HEARTS UP!」を新たなスローガンとし、日常の心拍数を上げる「ライフモチベートブランド」へとアップデートした。現在は直営店事業、フランチャイズ事業、ライセンス事業を展開する

TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
スタイリングライフ・ホールディングス プラザスタイル カンパニー
https://www.plazastyle.com/contents/company/contact/

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【プラザスタイル 鈴木努カンパニーエクゼクティブ プレジデント】日常の心拍数を上げ、ハーツアップさせる集団へ

PROFILE: 鈴木努/カンパニーエクゼクティブ プレジデント

鈴木努/カンパニーエクゼクティブ プレジデント
PROFILE: (すずき・つとむ)大手ファッション企業でブランド責任者や支店長、マッシュスタイルラボで執行役員を歴任。2022年8月にプラザスタイルカンパニーに入社し、23年6月から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

スタイリングライフ・ホールディングス プラザスタイル カンパニーが運営するライフスタイルストア「プラザ(PLAZA)」は、2024年2月にリブランディングし新たなスローガン「HEARTS UP!」を掲げた。26年の創業60周年に向けて、勢いをつける。

「プラザ」愛が強い社員とともに
さらなる可能性に突き進む

WWD:24年に最も注力したことは?

鈴木努カンパニーエグゼクティブプレジデント(以下、鈴木):2月に行ったリブランディングの浸透に注力した。26年に60周年を迎えるにあたり、もう一度、われわれの強み、存在意義、社会に対してやらなければならないことは何かを社員全員で考え、導き出したのが「HEARTS UP!」というスローガン。カンパニーステートメントを「日常の心拍数を上げる」とし、これを社内外の人にも伝えてきた。われわれはただモノを売るのではなく、製品や店舗を通してお客さまの心拍数を上げるお手伝いをする会社なんだ、という意識を共通して持つことを徹底した。

WWD:プライベートブランド(PB)の進捗は?

鈴木:8月に誕生したプラザ初となるスキンケアPBブランド「デュナミス」は、おおむね順調だ。今年はより一層販促・宣伝を強化し、売り上げを伸ばしていきたい。9月に発売したウエアブランド「レイジースタイルズ」も同様。シーンやジェンダーにとらわれず自分らしさを楽しむというコンセプトは今の時代に合っていて、こちらもプロモーションに力を入れ、将来的には単独出店や卸も考えている。

WWD:新規出店と売り場の改装が目立つ。

鈴木:24年度は新規8店と改装8店があり、どこも好調だ。既存店も売上高が前年比2ケタ増で伸び、全カテゴリー全エリアで前年を超えた。中でも福岡天神の地下街に10月にオープンした40坪ほどの店が絶好調だ。トラフィックの多い改札前という立地もあり、他店に比べて年齢層が幅広く、男性客比率も高い。これまでプラザは80〜100坪の店が多く、その規模での出店は新しい商業施設に限られていた。40坪程度であれば案件も増える。天神地下街の成功事例を参考に同様の立地に出店したい。

WWD:好調の要因は?

鈴木:それぞれの店舗に合わせたMDに組み直したことが大きい。渋谷109店は化粧品が強いので、それに特化した作りでポップでカラフルな内装にしたり、羽田空港店は旅行を意識したディスプレイにしたり。長年働いている店長やスタッフの声を吸い上げ、レジの位置や、ストックから店頭の陳列台までの導線を効率良くするなど、働きやすい環境を整えたことも大きい。お客さまに見える部分と見えない部分の両方の改善が功を奏した。「プラザ」愛が強いアルバイトや社員が多いのは大きな財産。その声に耳を傾けることはやる気になり、会社の成長につながる。

WWD:25年の計画は?

鈴木:昨年9月、大阪のりんくうプレミアム・アウトレット(以下、りんくう)に10年ぶりのアウトレット店を出店した。10年の間にアウトレットに対するお客さまの考えは、安いモノを買う場所からエンターテインメントプレイスへと変わった。実際、軽井沢プリンスショッピングプラザ店はプロパーがよく売れる。私たちはアウトレットを在庫処分の場ではなく新たなマーケットプレイスとして捉え、りんくう店も撮影スポットを作るなど、お客さまがワクワクする仕掛けを用意した。その成功を元に、今年はアウトレット売り上げ規模が大きい御殿場プレミアム店を改装する。

WWD:グループで「キャス キッドソン(CATH KIDSTON)」のビジネスもスタートした。

鈴木:輸入販売権とともにライセンス権も取得し、日本独自の企画商品にも力を入れる。1番強化するのはアパレルで、すでに販売するECでは手応えを感じている。他にもタオル・ハンカチ、食器、ファブリック、ペットグッズと幅広く展開する予定で、3割を直輸入、7割を日本企画商品で構成する計画だ。また、3月には路面店をオープンし、年内に3〜4店の出店を予定している。「キャス キッドソン」は年齢関係なく愛される世界観を持つ。その人たちのライフスタイルに寄り添うブランドにしていきたい。

WWD:25年は新プロジェクトがめじろ押しだ。

鈴木:24年11月にブランドサイトとECサイトを統合し、12月にはアプリをリニューアルした。引き続き利便性のいい場所に130店舗を構えることを生かしたOMOを強化し、お客さまの買い物の煩わしさを解消する。また、2月にはルミネエスト新宿で「ケアベア™」のポップアップイベントを開催する。これまでも製品を並べたボップアップはあったが、よりエンタメ性のあるショップになるので期待してほしい。「プラザ」はほかにも「バーバパパ」や「スポンジ・ボブ」など魅力的なキャラクターの国内ライセンスを持つ。これらのオフィシャルストアは今年中に挑戦したい。

WWD:業績が絶好調の中、見えてきた課題は?

鈴木:1番は人材の確保。中途でも採用していき、業績が好調なことから昨年はグループ全体で社員に還元した。社員からの海外出張申請に「NO」と言ったことはない。現地に行って何か持ち帰ろう、それを仕事や店に生かそうという気持ちと体験は何にも変えられない。そんな社員とともに、さらなる可能性に突き進んでいきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『映画・ドラマに役者として出演』

昔から人前に出るのは好きで、学生の頃はモデルになりたかった。アパレル勤務時代はファッションショーに出演したことも。役者も昔からの夢で、演技の経験はゼロだが、ぜひ挑戦したい。何でもジャンルは問わないし、もちろんノーギャラでOK!

COMPANY DATA
スタイリングライフ・ホールディングス プラザスタイル カンパニー

1966年創立。スタイリングライフ グループの雑貨小売事業を展開する。同年、米国スタイルのドラッグストアとして、東京・銀座のソニービルに日本初の輸入生活雑貨店「プラザ」(当時ソニープラザ)第1号店をオープン。2024年2月、創業60周年を前にリブランディングを実施し「HEARTS UP!」を新たなスローガンとし、日常の心拍数を上げる「ライフモチベートブランド」へとアップデートした。現在は直営店事業、フランチャイズ事業、ライセンス事業を展開する

TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
スタイリングライフ・ホールディングス プラザスタイル カンパニー
https://www.plazastyle.com/contents/company/contact/

The post 【プラザスタイル 鈴木努カンパニーエクゼクティブ プレジデント】日常の心拍数を上げ、ハーツアップさせる集団へ appeared first on WWDJAPAN.

【msh 藤田智美社長】「ラブ・ライナー」を世界で通用するブランドに

PROFILE: 藤田智美/社長

藤田智美/社長
PROFILE: (ふじた・ともみ)東京理科大学薬学部卒業後、1999年に住商リテイルストアーズ(現トモズ)に入社。調剤、店舗業務を経て化粧品バイヤーを務める。化粧品全般のMD業務に加え、プライベートブランドの企画開発、ラグジュアリーコスメセレクトショップ「インクローバー」などの新規業態開発・運営、マネジメントと幅広い経験を積む。2020年4月にmshに入社し、同年7月から現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

mshは2024年、10周年を迎えたミネラルコスメブランド「タイムシークレット」の新施策が奏功し、好調な年となった。シリーズ累計2700万本(08年9月〜24年11月)を突破した主力アイメイクブランド「ラブ・ライナー」はフランス進出を果たしたほか、「アットコスメ ベストコスメアワード2024」で殿堂入りを果たすなど勢いが衰えず、売上高の更新に貢献している。

銭湯やVTuberとの
コラボレーションを果敢に挑戦

WWD:売上高と利益が過去最高を達成した23年に対し、24年の実績は?

藤田智美社長(以下、藤田):「ラブ・ライナー」は22年にリフィル対応の製品にリニューアルし、話題を喚起した。リフィルが定着したことから24年は楽観視できなかったが、「タイムシークレット」が10周年を迎え、さまざまな施策を実施したことで多くのお客さまから支持を得て過去最高を更新できた。

WWD:「タイムシークレット」ではどんな施策を行ったか。

藤田:同じく10周年を迎えた5人組男性アーティスト、Da-iCEとコラボレーションした。男性アーティストと本格的にコラボするのは初めてで、撮り下ろしビジュアルを使用したオリジナルディスプレイとオリジナルパッケージを店頭展開したほか、渋谷駅では広告を掲出、東京と大阪ではラッピングバスを走らせた。また、10月10日からのキャンペーン初日が「銭湯の日」であることにちなみ、西新井にある創業80年の老舗銭湯「堀田湯」とコラボレーションし、暖簾や内装を「タイムシークレット」仕様にしたり、製品を試せるスペースを設けたりするなどして、5日間で2717人に来場いただいた。公式Xやインスタグラムのフォロワー数も2000以上増え、見込み以上の反響を得ることができた。

WWD:VTuberともコラボレーションした。

藤田:VTuberユニット「エデン組」のファン層との親和性が高いことから、「タイムシークレット」のフェイスパウダーと「ラブ・ライナー」のリキッドアイライナーでコラボレーションした。渋谷ではポップアップイベントと先行販売を行い、公式オンラインサイトでは受注販売をした。当社は以前「あんさんぶるスターズ!!」のKnightsとコラボレーションを行っており、推し活と紐づいた企画がファンの熱量や購買意欲に与える大きな影響を実感していた。今回もファンに喜んでもらえる企画を大切にしたいと考え、ビジュアルは本コラボレーション用に全て描き下ろしてもらった。製品に合わせてアイライナーが引かれているなどデザインが微妙に異なるように描いていただき、ファンが細かな違いを発見して楽しんでくれたようだ。受注販売にした結果、注文から手元に届くまでに半年ほどを要する形となったが、「転売の心配がなく安心して購入できる」と多くの顧客に好評を得た。

WWD:コラボレーションの効果とは。

藤田:どのブランドも時間と共にユーザーの年齢が上がり、新客獲得が課題になる。こうした施策を通してティーン向けの雑誌で話題にあがったり、若年層向けのベストコスメで賞をいただいたりで新客が流入している。

WWD:「ラブ・ライナー」は24年4月にフランスのル・ボン・マルシェに出店した。

藤田:本格参入は26年の春を目指すが、テスト期間として製品を知ってもらうことから始めている。フランスではアイライナーを使わない人も多いが、製品の説明を受けると複数本を購入する人も多い。フランスでのニーズを探りながら本格ローンチまでに調整する。アメリカとフランスに拠点があるクリエイティブエージェンシーと契約し、マーケットに入り込む狙いだ。日本の職人が作った筆など評価されている品質は変えずに、パッケージをローカライズする準備を進めている。

WWD:24年12月には公式オンラインサイトのリニューアルも行った。

藤田:これまで大手ポータルサイトで非公式の出品が見られたが、23年後半から転売出品者を排除して公式出店をスタートした。また、若年層の利用が多いQoo10にも公式ショップをオープン。ただ、やはり自社の公式オンラインストアは得られる顧客情報も多い。公式オンラインストア開設から時間もたち、ブランド数も増えてきたので操作性の改善のため、初めてリニューアルを行った。お客さまと直接コミュニケーションが取れる場所なので大切にし、自社で販売網を持っていることを生かしていきたい。

WWD:25年に見据える可能性とは。

藤田:25年は売り上げのコアになっている「ラブ・ライナー」をさらに強化していきたい。今はアイライナーが一番売れているカテゴリーだが、マスカラやアイブロウなどの製品も独り立ちできるように注力する。また、今春には2年以上温めてきた大きなブランドがデビューするので期待してほしい。24年から欧米へのチャレンジを掲げているが、当社の製品に限らず日本の化粧品はメード・イン・ジャパンとして世界に発信できるものだと感じている。そうした中で「ラブ・ライナー」を世界で通用するブランドに育てていきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『健康と美容の相談ができる店』

健康あっての美容なので、正しい情報のもとに賢くエイジングできるように、ウェルビーイングとビューティを合体させた店を作りたい。日々の生活を快適にするためのサービスの提供や加齢の悩みなどを気軽に相談できる場所が理想だ。

COMPANY DATA
エムエスエイチ

2008年にアイメイクブランド「ラブ・ライナー」を立ち上げ、化粧品や雑貨の企画・販売、輸出入、海外ブランドの輸入代理を手掛ける。ミネラルコスメブランド「タイムシークレット」やニューヨーク発のスキンケアブランド「スーパーエッグ」など、現在8ブランドを展開。社名は「make someone happy(いつも誰かをハッピーに)」の頭文字から取り、幸せが循環する社会の実現を目指す

TEXT:MIKI IRIMAJIRI
問い合わせ先
msh
0120-131-370

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【msh 藤田智美社長】「ラブ・ライナー」を世界で通用するブランドに

PROFILE: 藤田智美/社長

藤田智美/社長
PROFILE: (ふじた・ともみ)東京理科大学薬学部卒業後、1999年に住商リテイルストアーズ(現トモズ)に入社。調剤、店舗業務を経て化粧品バイヤーを務める。化粧品全般のMD業務に加え、プライベートブランドの企画開発、ラグジュアリーコスメセレクトショップ「インクローバー」などの新規業態開発・運営、マネジメントと幅広い経験を積む。2020年4月にmshに入社し、同年7月から現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

mshは2024年、10周年を迎えたミネラルコスメブランド「タイムシークレット」の新施策が奏功し、好調な年となった。シリーズ累計2700万本(08年9月〜24年11月)を突破した主力アイメイクブランド「ラブ・ライナー」はフランス進出を果たしたほか、「アットコスメ ベストコスメアワード2024」で殿堂入りを果たすなど勢いが衰えず、売上高の更新に貢献している。

銭湯やVTuberとの
コラボレーションを果敢に挑戦

WWD:売上高と利益が過去最高を達成した23年に対し、24年の実績は?

藤田智美社長(以下、藤田):「ラブ・ライナー」は22年にリフィル対応の製品にリニューアルし、話題を喚起した。リフィルが定着したことから24年は楽観視できなかったが、「タイムシークレット」が10周年を迎え、さまざまな施策を実施したことで多くのお客さまから支持を得て過去最高を更新できた。

WWD:「タイムシークレット」ではどんな施策を行ったか。

藤田:同じく10周年を迎えた5人組男性アーティスト、Da-iCEとコラボレーションした。男性アーティストと本格的にコラボするのは初めてで、撮り下ろしビジュアルを使用したオリジナルディスプレイとオリジナルパッケージを店頭展開したほか、渋谷駅では広告を掲出、東京と大阪ではラッピングバスを走らせた。また、10月10日からのキャンペーン初日が「銭湯の日」であることにちなみ、西新井にある創業80年の老舗銭湯「堀田湯」とコラボレーションし、暖簾や内装を「タイムシークレット」仕様にしたり、製品を試せるスペースを設けたりするなどして、5日間で2717人に来場いただいた。公式Xやインスタグラムのフォロワー数も2000以上増え、見込み以上の反響を得ることができた。

WWD:VTuberともコラボレーションした。

藤田:VTuberユニット「エデン組」のファン層との親和性が高いことから、「タイムシークレット」のフェイスパウダーと「ラブ・ライナー」のリキッドアイライナーでコラボレーションした。渋谷ではポップアップイベントと先行販売を行い、公式オンラインサイトでは受注販売をした。当社は以前「あんさんぶるスターズ!!」のKnightsとコラボレーションを行っており、推し活と紐づいた企画がファンの熱量や購買意欲に与える大きな影響を実感していた。今回もファンに喜んでもらえる企画を大切にしたいと考え、ビジュアルは本コラボレーション用に全て描き下ろしてもらった。製品に合わせてアイライナーが引かれているなどデザインが微妙に異なるように描いていただき、ファンが細かな違いを発見して楽しんでくれたようだ。受注販売にした結果、注文から手元に届くまでに半年ほどを要する形となったが、「転売の心配がなく安心して購入できる」と多くの顧客に好評を得た。

WWD:コラボレーションの効果とは。

藤田:どのブランドも時間と共にユーザーの年齢が上がり、新客獲得が課題になる。こうした施策を通してティーン向けの雑誌で話題にあがったり、若年層向けのベストコスメで賞をいただいたりで新客が流入している。

WWD:「ラブ・ライナー」は24年4月にフランスのル・ボン・マルシェに出店した。

藤田:本格参入は26年の春を目指すが、テスト期間として製品を知ってもらうことから始めている。フランスではアイライナーを使わない人も多いが、製品の説明を受けると複数本を購入する人も多い。フランスでのニーズを探りながら本格ローンチまでに調整する。アメリカとフランスに拠点があるクリエイティブエージェンシーと契約し、マーケットに入り込む狙いだ。日本の職人が作った筆など評価されている品質は変えずに、パッケージをローカライズする準備を進めている。

WWD:24年12月には公式オンラインサイトのリニューアルも行った。

藤田:これまで大手ポータルサイトで非公式の出品が見られたが、23年後半から転売出品者を排除して公式出店をスタートした。また、若年層の利用が多いQoo10にも公式ショップをオープン。ただ、やはり自社の公式オンラインストアは得られる顧客情報も多い。公式オンラインストア開設から時間もたち、ブランド数も増えてきたので操作性の改善のため、初めてリニューアルを行った。お客さまと直接コミュニケーションが取れる場所なので大切にし、自社で販売網を持っていることを生かしていきたい。

WWD:25年に見据える可能性とは。

藤田:25年は売り上げのコアになっている「ラブ・ライナー」をさらに強化していきたい。今はアイライナーが一番売れているカテゴリーだが、マスカラやアイブロウなどの製品も独り立ちできるように注力する。また、今春には2年以上温めてきた大きなブランドがデビューするので期待してほしい。24年から欧米へのチャレンジを掲げているが、当社の製品に限らず日本の化粧品はメード・イン・ジャパンとして世界に発信できるものだと感じている。そうした中で「ラブ・ライナー」を世界で通用するブランドに育てていきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『健康と美容の相談ができる店』

健康あっての美容なので、正しい情報のもとに賢くエイジングできるように、ウェルビーイングとビューティを合体させた店を作りたい。日々の生活を快適にするためのサービスの提供や加齢の悩みなどを気軽に相談できる場所が理想だ。

COMPANY DATA
エムエスエイチ

2008年にアイメイクブランド「ラブ・ライナー」を立ち上げ、化粧品や雑貨の企画・販売、輸出入、海外ブランドの輸入代理を手掛ける。ミネラルコスメブランド「タイムシークレット」やニューヨーク発のスキンケアブランド「スーパーエッグ」など、現在8ブランドを展開。社名は「make someone happy(いつも誰かをハッピーに)」の頭文字から取り、幸せが循環する社会の実現を目指す

TEXT:MIKI IRIMAJIRI
問い合わせ先
msh
0120-131-370

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【GARDE 室賢治社長】40周年を記念、ニューヨークにアートギャラリー開設

PROFILE: 室賢治/社長

室賢治/社長
PROFILE: (むろ・けんじ)1965年生まれ、大阪府出身。武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科を卒業後、89年に三越に入社して店舗デザイン部に配属。2015年にGARDEに入社し、16年から香港駐在を経験。22年1月に現職に就任し、ラグジュアリーブランドの店舗やホテル、オフィスのデザイン、国内外の大型百貨店の全館デザインを手掛けるBtoBカンパニーGARDEの成長をけん引 PHOTO:SHUHEI SHINE

GARDE(ギャルド)はラグジュアリーブランドや百貨店、ホテル、オフィスなどの空間デザインとブランディングを手掛ける企業。特にラグジュアリーブランドの店舗設計においては国内トップシェアを誇り、世界11都市に事業拠点を構える。2025年に創業40周年を迎えた。

25年夏、西武池袋本店の
改装オープンも手掛ける

WWD:自社の強みをどう分析しているか。

室賢治社長(以下、室):世界の一流企業と数多く取引しており、信頼を得ている点が強みだ。ファッションでは、いわゆる3大コングロマリットを中心にインポートラグジュアリーブランドの店舗設計を80ブランド以上手掛けており、日本でトップシェアを誇っている。24年は新たな海外トップブランドとの新規契約もあり、可能性がより広がった。ほかにもGAFA系企業のオフィス、世界大手ホテルチェーン、レジデンスなどの内装設計を手掛けている。

WWD:シェアナンバーワンを維持する秘訣は。

室:ラグジュアリーブランドは、ジャパン社および本国のヘッドクオーターと信頼関係を築くこと。そのために常々意識していることが、顧客第一の姿勢とサービスのクオリティー向上だ。一流企業はジャンルを問わず、クオリティーを維持することが彼らのブランディング向上に何よりも直結する。当社は語学力と技術力に長けた少数精鋭のスタッフで、クオリティーを高めることを徹底している。

WWD:世界11都市に拠点があることも大きな特徴だ。

室:アジアから北米、欧州、中東まで主要都市にオフィスを構えている。24年11月には新たにインドネシアのジャカルタに拠点を作った。現地の建築事務所との提携で始動し、すでに依頼がかなり増えている。中国経済がここ1〜2年減速している一方で、コロナ禍以前から力を入れているASEANには大きな可能性を感じている。個人の消費意欲が高く、再開発投資案件も多い。

WWD:空間デザインにおいて重視していることは。

室:日本のミニマリズムの哲学だ。特に商業の空間においては、環境が語りすぎると本来の主役である商品が死んでしまう。ホテルも装飾過多は疲れるし、最近は長期滞在が主流なので、なおさら宿泊客の心を整えるミニマルな空間とホスピタリティーが求められている。機能性を残しながらミニマリズムを追求して削ぎ落とすアプローチは、技術力がないと安っぽくなってしまうため、難易度が高い。だからこそ、われわれの武器になっている。

WWD:24年の業績を振り返ると。

室:かなりの増収増益を達成した。多くのブランドが出店を加速し、さらにトップブランドは大型化と路面化が顕著だったことがその要因。売り上げ好調を背景に各社出店意欲が旺盛だったが、この傾向は日本に限られており、訪日客の恩恵に依る部分も大きい。日本人の購買が伴っていない状況を危惧しているブランドも少なくない。百貨店も本店や旗艦店の売り上げが絶好調のため、ブランド店舗の増床案件が続いた。25年も当社の業績は堅調が続くと見ているが、デベロッパーは建築コスト高騰で新規開業や改装を絞っている。楽観はしていない。

WWD:西武池袋本店の25年夏の改装オープンが業界内外で大きな話題だが、同店の設計も手掛ける。

室:西武池袋本店は内外装を担当している。私自身が百貨店の店舗デザイン部出身のため、百貨店の改装や出店は得意分野の1つ。これまで阪急うめだ本店の大規模改装や寧波阪急の立ち上げなどもご一緒してきた。VIPルームなど、顧客向けサロンの案件依頼も引き続き多い。

WWD:この1月には、新規事業としてニューヨークにアートギャラリーも開設した。その意図は。

室:創業40周年を記念する事業の一つとして、チェルシーに常設のギャラリーをオープンした。当社は空間デザインを本業としつつ、アーティスト支援にもこれまでも力を注いできた。09年には建築家やアーティストの社会的地位向上を目指した非営利団体ADF(青山デザインフォーラム)を設立し、創作活動をサポート。ホテルやレジデンスを設計する際、数多くのアートを施主に購入してもらうこともあり、現代アーティストとのネットワークが構築できている。ニューヨークに新設したギャラリーを通して、施主と作家をつなぐ場を提供したい。(観光名所でもある空中庭園の)ハイラインに直結する好立地で、240㎡のスペースにコンテンポラリーアートを展示する。このエリアはアジアの若手コンテンポラリーアーティストに限定したギャラリーが少なく、チャンスがあると期待する。ホテルやレジデンスだけでなく、ファッションブランドからも店内を飾るアートの問い合わせは多く、本業との親和性が高い事業だ。

WWD:改めて、25年の注力ポイントや戦略は。

室:空間デザインにおいては、長年仕込んできた大きなビジネスがいよいよお披露目できそうだ。ブランド店舗の大型化の流れは24年と同様に続くと見ている。取引先に対して顧客満足度を高め、ブランド価値向上に貢献して収益を上げていく。また、当社の認知度を上げる努力も強める。人材不足がますます深刻になる中で、人や働く環境に投資し、ここで働きたいとより強く思ってもらえる企業の姿を目指していく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『チベットで瞑想』

宗教文化が息づく建築空間に身を置いて、都市では味わえない体験がしたい。きっかけは、昔観た映画の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」。高山病などのリスクを伴い簡単には行けないような場所で瞑想をしたら、価値観が変わりそうだ。

COMPANY DATA
GARDE

1985年にギャルド21として創業。97年にミラノオフィスを開設し、イタリアブランドの日本市場出店をサポート。その後、ニューヨークやロサンゼルス、パリ、シンガポールなどに順次オフィスを開設すると共に、現地で法人登録。現在、世界11都市に拠点を構える。2018年に社名をGARDEに変更。20年に不動産仲介・売買サービス事業部を開設、23年に観光・地方創生事業、メタバース事業開始、24年エコバディスのサステナビリティ審査でシルバー取得

TEXT:CHIKAKO ICHINOI


問い合わせ先
GARDE
03-3407-0007

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【クイーポ 岡田敏社長】3つの事業でバッグのディストリビューターを目指す

PROFILE: 岡田敏/社長

岡田敏/社長
PROFILE: (おかだ・さとし)1960年富山県生まれ。82年、小杉産業(現コスギ)に入社。90年クイーポに入社。経理部・総務部配属後、営業本部長を経て、2009年に社長就任。岡田國久・創業者の意志を受け継ぎ、ファッションとエコロジーの融合を軸とした経営を行う PHOTO:KAZUO YOSHIDA

国内バッグメーカーの大手クイーポは、ライセンスビジネス全盛だった1990年代にオリジナルブランド「ゲンテン」をスタート。エコとファッション性を両立したブランドは、ビジネスモデルにおいても、ソーシャルグッドなブランディングにおいても先駆的存在となった。そんな会社が見通す、2025年のバッグ業界、そして会社の姿とは?

ライセンス、インポート、オリジナルの3本柱に
OEMやODMの機能を拡充

WWD:バッグ業界、そしてクイーポの2024年は?

岡田敏社長(以下、岡田):市場の二極化はますます進行し、売れるアイテムも多様化が進んでいる。バッグ業界は、企業やブランドごとの好不調が鮮明になっている印象だ。クイーポは新事業の推進に伴う新しい顧客の獲得と、既存事業の活性化で、売り上げは23年に比べて2ケタ増。為替も含めて外部環境は厳しいが、アフターコロナは成長を続けている。コロナ禍で推進したDXと職務の効率化で、構造改革やブランド・販路の見直しを進めることができた。当時から百貨店の平場が将来的に減ることは予測していたので、直営の強化とオリジナルブランド「ゲンテン」の活性化、そしてECを含むDXに取り組んできた。今の売り上げは、百貨店で全体の半分、直営店で2割、ECで2割、そのほかの事業で1割だ。

WWD:かつての主力だったライセンスブランドも堅調か?業界全体では、残存者利益を奪い合っている印象だ。

岡田:一世を風靡した「ユナイテッド カラーズ オブ ベネトン」で、我々はライセンスビジネスの良さも怖さも知った。今はいずれも順調だ。四半世紀以上続ける「アナ スイ」や「ダックス」は、企画担当者が独創性やクリエイティビティーを追求する一方で販売員の声を聞き、同質化することなく独自性を保っている。一方の「クレイサス」は、完全にマーケットイン。「今、求められているもの」を常に研究して、我々のモノ作りで品質を担保している。「ランバン オン ブルー」は、ランバン グループと提携する伊藤忠商事がブランドを育み、ライセンシー各社と共に元気だ。

WWD:とはいえ、かつて販路の中心だった百貨店の平場は減少している。

岡田:それでも地方などに目を向ければ、平場を大事にしている百貨店は今も多い。だが百貨店が消滅した県が増えていることを考えると、今後は専門店と深く取り組んだり、インポーターのように自社ブランドを集積したセレクト業態などを検討したりの必要があるだろう。

WWD:インポーターとしての役割も加速している。

岡田:「ゲラルディーニ」は、軽量素材中心だが、しっかり戦えている。軽くて扱いやすい“ソフティ”のバッグは、高齢社会が進行する中でますます重要になるだろう。レザーアイテムも売れており、今年はすでに2店舗の拡大が決まっている。「フォレ・ル・パージュ」は18世紀からの歴史と、アイコニックな“エカイユ”のモチーフでインバウンドに人気。東南アジアのファンが日本橋三越本店に大挙してくださっている。韓国ブランドの「ジョセフアンドステイシー」で20代を、「RSVP」で30代の高感度層を捉えたい。今後も新たな年齢層にリーチできそうな、独特の素材を使ったブランドがあれば、積極的にインポートしたい。ゆくゆくはインポートブランドを集積して、新しい時代の百貨店のコーナーを作りたい。

WWD:インポートが主体の平場は、7万〜10万円くらいのバッグを欲する百貨店の需要に応えそうだ。

岡田:構造改革の一環で、インポートブランドを担う事業部が立ち上がっている。

WWD:「ゲンテン」は、昨年25周年を迎えた。

岡田:日本にサステナブルなんて言葉がない頃から、エコロジーとファッションの両立を目指してきた。幸い、得意先が早々に賛同して下さって、ナイロンバッグ全盛の時代、若い世代には新鮮で、年配にはなつかしいバッグとして支持を集めた。タンニンなめしのレザーの研究を続け、「経年変化」という言葉を使った第一人者だと自負している。先代の岡田國久は常々、「『ゲンテン』で大海に波紋を投げかけたい」と話していた。エコロジーという言葉はサステナブルに変わったが、結果彼の言葉通り、世の中の多くのブランドは地球環境とファッション性を両立するようになった。上代を抑えるために構えたタイの自社工場を含め、25年前からサステナブルなブランドとして先行投資してきた「ゲンテン」を日本発信のラグジュアリーブランドにしたい。海外のラグジュアリーブランドに絶対勝てないのは、歴史だけ。それ以外は、「ゲンテン」ならではのラグジュアリーを定義して、課題を一つずつクリアしていけば、絶対に勝てると思っている。付加価値を追求して高価格帯の商品を作ったり、環境意識が高い若い世代にアピールしたりの努力を続け、「ゲンテン」を常に輝きを持ったブランドに誘いたい。

WWD:ライセンス、インポート、そしてオリジナル、数千円から十数万円まで、さまざまなブランドを取り扱う。

岡田:目指すのは、バッグのディストリビューター。ここにOEM、ODMの機能も加え、バッグのことならクイーポに相談しようという存在になりたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『先代が夢見たゲンテン村』

先代が夢見つつも形にできなかった「ゲンテン村」の準備を進めたい。美術館や博物館を周り感性を磨いて、次の3代目が「ゲンテン村」を実現できる土台を作る。

COMPANY DATA
クイーポ

創業は1965年。ハンドバッグを中心としたファッションアイテムの企画・製造・販売を手掛け、創業60周年を迎えた。70年代には日本で初めてライセンスというビジネススタイルを始め、80年代からは数々のブランドと契約を結んで日本のバッグシーンをリードした。現在は「ゲンテン」などのオリジナルと、「アナ スイ」をはじめとしたライセンスブランドのほか、「フォレ・ル・パージュ」や「RSVP」「ジョセフアンドステイシー」などのインポートブランドを扱いタイに自社工場を構える。従業員数は200人


問い合わせ先
クイーポ(代表)
03-3268-9111

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【エスモードアート 祢冝裕貴CEO】人を笑顔にするビジネスを 心身健やかに暮らせる社会を目指して

PROFILE: 祢冝裕貴/CEO

祢冝裕貴/CEO
PROFILE: (ねぎ・ひろき)1978年6月28日生まれ、大阪府出身。関西学院大学大学院の経営戦略科を修了。新聞社の広告局で勤務し、ファッションイベントの運営や協賛営業、大手流通会社の広告営業を担当した。その後PR企業に転職し、CMをはじめとするメディア戦略や、タレント・モデルとの商品開発コンサルティング業に従事。2012年にジュエリーブランド「ステラハリウッド」を創業し、21年にエスモードアートを設立した PHOTO : MARIKO KOBAYASHI

表参道に実店舗を構えるジュエリーブランド「ステラハリウッド」とビーガンフードショップ「ザ ビー(THE_B)」が、20~40代の女性を中心に支持を集めている。これらを手掛けるのは、2021年創業のエスモードアート。祢冝裕貴CEOは「人を笑顔にするtoCビジネスがしたい」と話す。

ジュエリーとフードに次ぐ
基幹ブランドの開発目指す

WWD:エスモードアート創業の経緯は?

祢冝裕貴CEO(以下、祢冝):私は当社を立ち上げる以前、新聞社に広告営業として勤務したり、ファッションアイテムを扱うPR企業に所属したりしていた。どちらもtoBビジネスであり、「お客さまに直接アプローチできる事業を行いたい」という思いが高まっていたところ、ジュエリー市場に詳しい知人と共に「ステラハリウッド」をスタートした。そこから程なくしてサラダボウルやアサイーボウルを提供するカフェ「ザ ビー」もオープンし、これらを取りまとめる会社としてエスモードアートを設立した。“心身共に豊かに暮らせる社会を実現する”をミッションにしており、社名の「エス」にはソーシャルグッドなことをしたいという思いを込めて、“サステナブル”“ソーシャル”“ソリューション”などの頭文字「S」を盛り込んだ。

WWD:「ステラハリウッド」「ザ ビー」以外の事業は?

祢冝:アーティストやインフルエンサーが、アクセサリーや香水の新規ブランドを立ち上げる際のサポートもしている。そのほか、オリジナルのスキンケアブランド「ベグスキン」の企画販売や、韓国アパレルブランド「ビバスタジオ」の代理店業務を行う。

WWD:会社としての強みは?

祢冝:ファンマーケティングだ。人々は今、“誰から買うか”を重要視している。「商品の背景にいる人にどれほど共感を持てるか?」が消費者にとって購買の決め手になるし、共感を誘うアーティストやインフルエンサーをブランドの“顔”とすることで、彼らに納得度の高いショッピング体験を提供できる。私自身、広告やPRの現場にいたので、どんなアーティストやインフルエンサーが今、影響力が大きいのかは、自然に追えている。当社の社員も、ブランドとの親和性が高い魅力あふれるインフルエンサーを発掘することを得意としており、これまでに多くの協業を実施してきた。例えば「ステラハリウッド」では、24年のホリデーはジェンダーレスなイメージを打ち出したいと考え、ネットフリックスシリーズ「ボーイフレンド」で人気に火が付いた同性カップルのダイシュン(中井大&中西瞬)とコラボジュエリーを発売し、良い反響を得た。気兼ねなく提案したり、最近のトレンドなどについて意見をかったつに交換したりできる自由な社風も相まって、社員からの意見を吸い上げられている。23年3月にスタートした俳優の高橋文哉さんプロデュースのアクセサリーブランド「ブランク スペース」のように、こちらからブランド立ち上げを提案して、協業することもある。

WWD:業績は順調か?

祢冝:設立から10年以上がたつ「ステラハリウッド」は、堅調に売り上げを伸ばしてきた。卸はほとんど行わず、直営店とECで直販することによって、ブランドイメージと流通をコントロールし、少しずつ成長できる状態を作っている。映画のヒロインのように身に着ける人を輝かせるアクセサリーというコンセプトで、特にシェルパールのアイテムが人気。価格以上に見える品質とデザインのバランスが支持される要因と考えている。今後20年、30年続くブランドに育てるためには、お客さまに飽きられない状態を作る必要がある。フレグランスなど、カテゴリーを増やすことも検討している。「ザ ビー」もアサイーボウルブームを追い風に、店舗には連日行列ができており好調だ。24年12月には中目黒に2号店をオープンした。アサイーペーストなどECでの販売を強化する。食事は心身の健康を作る。お客さまに笑顔で過ごしてもらいたいと願っている。

WWD:現在の課題は?

祢冝:社員のお客さまに対する意識をさらに高めることだ。「ステラハリウッド」はECの売り上げ割合が大きく、直接顧客と接する機会が限られている。多くのお客さまに商品を手に取っていただいているにもかかわらず、その実感が持ちづらく、社員が顧客視点に立って考えることが難しいと感じている。

WWD:今後の展望は?

祢冝:現在の基幹ブランドを成長させながら、新事業の種まきを行う。具体的に25年に実施したいのは、サステナブルでウェルビーイングなブランドのローンチだ。人を笑顔にするためには、ウェルビーイング領域の強化が欠かせない。快適な生活をサポートできる着心地のよいアパレルアイテムを開発したい。また、ゆくゆくはアジア市場を中心に海外進出をしたいと考えている。韓国がエンタメやファッションの分野で勢いづいているように、日本も負けていられない。ただ、当社は、ビジネスの急成長に重きを置いていない。ゆっくり着実にお客さまのニーズに応えた上で、心身共に豊に暮らせる社会の輪を海外市場にも広げていきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『結婚』

独身なので結婚したい。現在、公私共に良きパートナーを見つけるため婚活中。エスモードアートは創業から3年がたち、事業数も増えて今が踏ん張りどころ。すてきな人に巡り会えれば、それが仕事に生きるはず。

COMPANY DATA
エスモードアート

2021年に祢冝裕貴CEOが設立。12年にジュエリーブランド「ステラハリウッド」を、18年にビーガンフードショップ「ザ ビー」を立ち上げたことから、両ブランドを運営する企業として始まった。現在は、これらに加えてスキンケアブランド「ベグスキン」の企画販売や韓国アパレルブランド「ビバスタジオ」の販売代理業務を手掛ける。モデルの梨花やインフルエンサーのダイシュンらとコラボ企画も実施してきた。現在の従業員数は68人で、売り上げは非公開


問い合わせ先
エスモードアート
03-6712-6461

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【和光 庭崎紀代子社長】対話を大切に、「新たな和光像」を提示する

PROFILE: 庭崎紀代子/社長

庭崎紀代子/社長
PROFILE: ((にわさき・きよこ)1986年に服部セイコー(現セイコーグループ)に入社。2001年からセイコーウオッチにて、主力ブランドである「グランドセイコー」などのグローバル・マーケティングを牽引。20年以降は、セイコーグループおよび和光の役員として、セイコーハウスを発信拠点とするグループのブランディング施策をリードするほか、和光の成長戦略策定とその推進に深く携わる。23年11月から現職 PHOTO : MIKA HASHIMOTO

セイコーグループの傘下にあり、セイコーのラグジュアリーウオッチ「グランドセイコー」をはじめ、時計・宝飾品やアパレル、革製品、室内用品、食品を幅広く取りそろえる和光。銀座4丁目交差点に面し、銀座のランドマーク的存在でもある。2023年に社長に就任し、地階を「アーツアンドカルチャー」フロアにリニューアルするなど、歴史と伝統ある和光に変革をもたらしてきた庭崎紀代子社長に話を聞く。

WWD:和光の社長に就任して1年。2024年はどんな年だったか。

庭崎紀代子社長(以下、庭崎):総じて大変好調な1年だった。訪日外国人客の増加を背景に、和光にも海外からのお客さまがかなり増えている。国内のお客さまの売り上げも増加しているが、伸び率としてはインバウンド売り上げの方が若干高い。「グランドセイコー」などのウオッチはもちろん、近年注力している「アショカダイヤモンド」など、高額ジュエリーも好調に推移している。ファッションもオリジナル商材を増やしていて、レザーアイテムや、シーンに合わせて自由な組み合わせでコーディネートを楽しめるウィメンズアパレル「ニュークローゼット」も売り上げを伸ばしている。加えて、7月にリニューアルした地階の「アーツアンドカルチャー」フロアが20〜40代の新しいお客さまを呼び込み、和光の新たな入り口になっている。

WWD:地階のリニューアルに象徴される和光の変革はどのような経緯で進んだのか。

庭崎:和光は、お客さまと共に歳を重ね、危機感を抱いていた。ブランドは常に進化する必要がある。社内には変革に対する心配の声や抵抗もあったが、結果的に、コロナ禍が変革の直接的なきっかけとなった。銀座から人が消え、店舗を閉めざるを得ない期間に、前任の石井俊太郎(現・セイコーミュージアム 銀座館長)と「新たな和光像」について議論を重ねることができた。

人と人がつながる
日本文化の発信拠点へ

    WWD:目指すべき「新たな和光像」とは何か。

    庭崎:インバウンド需要に見て取れるように、日本の文化やクラフツマンシップに対して、世界から関心と敬意が寄せられている。セイコーグループ全体として、時計やシステムソリューションを販売して高い技術力を提供するだけでなく、社会的価値や、人の心を動かす感性的価値も提供することを目指すなかで、和光こそ、日本の奥深い美意識、手仕事の繊細さ、おもてなし精神などの感性的価値を、実際に体験できる場所として存在意義があると感じる。「グランドセイコー」のように海外に出てていくのではなく、日本の素晴らしさを体感したいと考える海外の富裕層を迎え入れるのが、和光なりの目指すべきグローバルなあり方だ。

    WWD:変革が必要な部分と、大事にすべき部分のバランスは、どのようにとっているのか。

    庭崎:社員とオープンに議論をしている。ディレクターの強いリーダーシップで方向転換をする海外ブランドとは違い、組織で動くため、社員全体の考え方を変えていくには時間が必要だ。セイコーグループ創業者の服部金太郎が残した「常に時代の一歩先を行く」という言葉に象徴される創業精神など、大切なDNAは残しつつ、時代に応じて変化が必要な部分には手を加えていく。

    WWD:地階「アーツアンドカルチャー」フロアは今後どのように発展していくのか。

    庭崎:地階は、日本のクラフツマンシップや美意識を、より尖った形で表現できる場所。それは「CFCL」や「セッチュウ」などの取り扱いブランドや、フロア中央の舞台で行う展示にも現れている。展示作家も頻繁に在廊し、いつの間にかお客さまや作家同士で話し込んでいることもある。このように人と人とが自然につながっていくのが、モノを売る場所としてのあるべき姿だと感じる。時計の針を模した什器も、人が交差するイメージや、隣の人との会話が自然に生まれるヨーロッパのカフェの長テーブルに着想を得ている。今後、日本の作り手たちに場を提供し、交流の基盤になるような場所を目指す。

    WWD:格式の高さや重厚感に目が行く従来の和光とは一味違った空間構成だ。

    庭崎:新しいラグジュアリーを提示するため、軽やかで開放感のある空間を意識している。肩肘張らずに心地よく過ごせる場所こそ、現代の富裕層に響くのではないか。その上で「アメイジング 和光」というキャッチフレーズに象徴される「驚き」を提供していく。魅力的な売り場作りを通して、「セイコーグループの発信拠点」と言われる和光を、いずれは「日本文化の発信拠点」と言ってもらいたい。

    WWD:25年以降の展望と目標について。

    庭崎:一昨年、ディズニー創立100周年を記念し、期間限定で時計塔をミッキーマウスのデザインにした。賛否はあったが、多くの人は喜んでくれた。今後も、時に大胆に、日本のラグジュアリーブランドとしての和光を世界に発信するための施策を打つ。今、社内のモチベーションが非常に高く、自発的に提案をしてくれる社員が増えている。保守的にならず、皆でいろんなチャレンジをしたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『世界50カ国の訪問を目指す』

幾度も海外出張をしてきたが、訪問国カウントアプリによれば、訪れたことがあるのは約30カ国。治安の悪い地域は除き、現実的に50カ国を訪問するのが夢。今年は、スペインのリゾート地、サン・セバスチャンを訪れ、豊かな食文化を楽しみたい。

COMPANY DATA
和光

1881年創業の服部時計店の小売り部門を継承し、1947年に設立。銀座のランドマークとして知られる時計塔のある建物で、時計をはじめ、宝飾品、紳士・婦人用品、美術工芸品など、多岐にわたる品物を取り扱う。顧客の声を取り入れて独自に開発したオリジナルアイテムや、国内外から厳しい目で選び抜いた高品質の品物が店頭に並ぶ。長い歴史と伝統の中で培ってきた上質へのこだわりと、おもてなしの精神を大切にしている


問い合わせ先
和光
03-3562-2111

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【ミルボン 坂下秀憲 社長】付加価値創造を支援し、プライシング力を高める

PROFILE: 坂下秀憲/社長

坂下秀憲/社長
PROFILE: (さかした・ひでのり)1976年2月3日生まれ、千葉県出身。2001年に中央大学大学院の理工学研究科修士課程を修了後、同年にミルボンに入社。マーケティング部商品企画課や経営企画室マネージャーなどを経て、10年にミルボンUSAの社長に。帰国後18年に経営戦略部長に就任し「milbon:iD」の立ち上げに関わる。22年に取締役 経営戦略部長・コスメティクス企画・情報企画担当に就任、24年1月から現職  PHOTO : SHUNICHI ODA

サロン専売化粧品最大手のミルボン社長に坂下秀憲氏が就任して1年。自ら立ち上げた「milbon:iD」やスマートサロンなどの製品販売に関するインフラ整備、新たな教育コンテンツの導入などによって、美容師と美容室の付加価値創造を支援する。

付加価値向上、インフラ整備、ビューティソムリエの3つで
客数減少時代の成長戦略を描く

WWD:就任1年目に注力したことは?

坂下秀憲社長(以下、坂下):24年は初心者マークをつけて、二度と経験できない社長1年目を過ごした。創業者や先代の社長同様に行ったのは市場を回ること。国内外のサロン訪問300店、取引会社訪問30社、投資家面談30回、採用の最終面接100人以上を行った。これは毎年のレギュラーだが、さらに24年は全国20の営業所を回り、フィールドパーソン(営業・以下、FP)とわれわれの強みと課題についてディスカッションした。その結果、課題は社内にあることがよく分かった。これは5、10年後も同じかもしれないが、課題を現場と経営陣が共有し理解することが大切。社長2年目は他の部門でも同じことをやる。その積み重ねが自らの思考となり、社長としての使命感となる。

WWD:ディスカッションから見えてきた強みと課題は?

坂下:各自が個店対応し、課題を聞き出し、それを解決するのが弊社の営業スタイル。このやり方は時間がかかる面もあるが、うちの強みでもある。FP同士の会話の中で、担当美容室の入社1、2年目のスタッフの名前が出てくるのは、BtoBでも一般的な会社ではなかなかないと思う。一方で、教育担当の女性社員が結婚してからも仕事を続けるのが難しいという声も。今年はその課題を解決しつつ弊社の強みも出せる入店教育に力を入れる。

WWD:入店教育とは?

坂下:通常、美容室は閉店後に講習会などを開くことが多いが、営業時間中に入店して店の隅で講習やアドバイスを行う。海外では普通だが、日本では浸透していない。お客さまに実際に接している営業時間中だからこそ課題が発見できるし、その課題を解決することもできる。最近はヘアカラーを学ぶのもオンライン講習が主流。効率はいいが、アウトプットの検証ができない課題が残る。以前はそれを閉店後に行っていたが、働き方改革や家庭を持つ美容師が増え、残業が難しくなった今、営業時間中の入店教育はそれらを解決する方法だ。すでにやり始めているが、あらためて言語化して年始に発表し、多くの賛同を得た。結果的に美容室の業務メニューの付加価値向上となる。

WWD:好調な業績をけん引した製品は?

坂下:うねり毛髪に悩む人向けのアウトバストリートメント「エルジューダ(ELUJUDA)」の“フリッズフィクサー”が、画期的な製品としてヒットした。韓国の艶髪ブームが追い風となったため、今年は韓国の人気美容室と組んだ韓流ヘアのセミナーやコンテンツ発信も計画している。美髪への関心の高まりからスカルプケアにも注目が集まり、「オージュア(AUJUA)」の“プレセディア”も好調だった。オーガニックブランド「ヴィラロドラ(VILLA LODOLA)」のヘアカラー人気も根強く、付加価値向上に貢献している。

WWD:今後の美容室経営は厳しいという見方もある。

坂下:人口減少によって客数が減れば集客コストが高まり、働き手が減れば採用コストが高まる。さらにインフレで全てのコストが上がると予測できる。そういう時代に採るべき戦略は、業務メニューに高い付加価値をつけてプライシング力を高めること。先ほど話した入店教育もその支援の一つだ。できる挑戦はまだある。

WWD:その変化に対応しようとする美容室も多い。

坂下:そういった美容室に寄り添っていきたい。公式オンラインストア「milbon:iD」然り、スマートサロン然り、弊社の戦略がそうなっている。これは未来に向けた成長戦略であり、製品販売を最大化するためのインフラだ。「milbon:iD」は契約美容室がストア内にECサイトを出店し販売するもので、売り上げは美容室に計上され、サイト運営や物流業務を弊社が受託する。現在、会員数87万人で流通金額は43億円となり(24年12月現在)、昨年に比べ約6億5000万円増となっている。また、ミルボン社員やゲストが出演するライブコマースも、年間1億8000万円の流通金額と貢献した。お客さまが美容室内で手軽にサロン専売品を手に取り体験できるスマートサロンは50都市62店舗となった。今年はスマートサロンの交通広告の出稿なども考えている。

WWD:新たな試みが成功する美容室の要因は?

坂下:それらのインフラは整えたが、成長戦略の主役はあくまで美容師。力を発揮してもらうための美容師育成制度「ビューティソムリエ」を展開している。これは、技術、製品知識、提案力、カウンセリング力などを総合的に取得していることを認定するもので、今年もその育成に注力する。価格競争は根本的な解決策にはならないため、いずれ終焉するだろうし、プライシング力がなければ美容室経営は立ち行かなくなる。業務の付加価値向上、製品販売のインフラ整備、主役となるビューティソムリエ、この3つがそろうことで、客数減少時代の成長戦略が描ける。その成長戦略を美容室と共に進めていく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『「万葉倶楽部」プラチナ会員へ』

近所の「万葉の湯」は体を癒やしながら考えごとを整理するのに最適。2024年はゴールド会員になれたので、25年はさらに上のプラチナ会員を狙う。今年、研修センターが小田原に移転するが、その近くにも同施設があるため目標達成できるかも(笑)。

COMPANY DATA
ミルボン

1960年、業務用ヘア化粧品の専売メーカーとしてユタカ美容化学が創立。65年、社名をミルボンに変更。2001年、東証一部銘柄に指定。04年にはニューヨークに連結子会社を設立するなど、積極的なグローバル展開を行う。17年にはコーセーとの合弁会社コーセー ミルボン コスメティクスを設立。24年12月期第3四半期累計売上高は前期比8.3%増の369億9300万円となった

TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
ミルボンお客様窓口
0120-658-894

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【ミルボン 坂下秀憲 社長】付加価値創造を支援し、プライシング力を高める

PROFILE: 坂下秀憲/社長

坂下秀憲/社長
PROFILE: (さかした・ひでのり)1976年2月3日生まれ、千葉県出身。2001年に中央大学大学院の理工学研究科修士課程を修了後、同年にミルボンに入社。マーケティング部商品企画課や経営企画室マネージャーなどを経て、10年にミルボンUSAの社長に。帰国後18年に経営戦略部長に就任し「milbon:iD」の立ち上げに関わる。22年に取締役 経営戦略部長・コスメティクス企画・情報企画担当に就任、24年1月から現職  PHOTO : SHUNICHI ODA

サロン専売化粧品最大手のミルボン社長に坂下秀憲氏が就任して1年。自ら立ち上げた「milbon:iD」やスマートサロンなどの製品販売に関するインフラ整備、新たな教育コンテンツの導入などによって、美容師と美容室の付加価値創造を支援する。

付加価値向上、インフラ整備、ビューティソムリエの3つで
客数減少時代の成長戦略を描く

WWD:就任1年目に注力したことは?

坂下秀憲社長(以下、坂下):24年は初心者マークをつけて、二度と経験できない社長1年目を過ごした。創業者や先代の社長同様に行ったのは市場を回ること。国内外のサロン訪問300店、取引会社訪問30社、投資家面談30回、採用の最終面接100人以上を行った。これは毎年のレギュラーだが、さらに24年は全国20の営業所を回り、フィールドパーソン(営業・以下、FP)とわれわれの強みと課題についてディスカッションした。その結果、課題は社内にあることがよく分かった。これは5、10年後も同じかもしれないが、課題を現場と経営陣が共有し理解することが大切。社長2年目は他の部門でも同じことをやる。その積み重ねが自らの思考となり、社長としての使命感となる。

WWD:ディスカッションから見えてきた強みと課題は?

坂下:各自が個店対応し、課題を聞き出し、それを解決するのが弊社の営業スタイル。このやり方は時間がかかる面もあるが、うちの強みでもある。FP同士の会話の中で、担当美容室の入社1、2年目のスタッフの名前が出てくるのは、BtoBでも一般的な会社ではなかなかないと思う。一方で、教育担当の女性社員が結婚してからも仕事を続けるのが難しいという声も。今年はその課題を解決しつつ弊社の強みも出せる入店教育に力を入れる。

WWD:入店教育とは?

坂下:通常、美容室は閉店後に講習会などを開くことが多いが、営業時間中に入店して店の隅で講習やアドバイスを行う。海外では普通だが、日本では浸透していない。お客さまに実際に接している営業時間中だからこそ課題が発見できるし、その課題を解決することもできる。最近はヘアカラーを学ぶのもオンライン講習が主流。効率はいいが、アウトプットの検証ができない課題が残る。以前はそれを閉店後に行っていたが、働き方改革や家庭を持つ美容師が増え、残業が難しくなった今、営業時間中の入店教育はそれらを解決する方法だ。すでにやり始めているが、あらためて言語化して年始に発表し、多くの賛同を得た。結果的に美容室の業務メニューの付加価値向上となる。

WWD:好調な業績をけん引した製品は?

坂下:うねり毛髪に悩む人向けのアウトバストリートメント「エルジューダ(ELUJUDA)」の“フリッズフィクサー”が、画期的な製品としてヒットした。韓国の艶髪ブームが追い風となったため、今年は韓国の人気美容室と組んだ韓流ヘアのセミナーやコンテンツ発信も計画している。美髪への関心の高まりからスカルプケアにも注目が集まり、「オージュア(AUJUA)」の“プレセディア”も好調だった。オーガニックブランド「ヴィラロドラ(VILLA LODOLA)」のヘアカラー人気も根強く、付加価値向上に貢献している。

WWD:今後の美容室経営は厳しいという見方もある。

坂下:人口減少によって客数が減れば集客コストが高まり、働き手が減れば採用コストが高まる。さらにインフレで全てのコストが上がると予測できる。そういう時代に採るべき戦略は、業務メニューに高い付加価値をつけてプライシング力を高めること。先ほど話した入店教育もその支援の一つだ。できる挑戦はまだある。

WWD:その変化に対応しようとする美容室も多い。

坂下:そういった美容室に寄り添っていきたい。公式オンラインストア「milbon:iD」然り、スマートサロン然り、弊社の戦略がそうなっている。これは未来に向けた成長戦略であり、製品販売を最大化するためのインフラだ。「milbon:iD」は契約美容室がストア内にECサイトを出店し販売するもので、売り上げは美容室に計上され、サイト運営や物流業務を弊社が受託する。現在、会員数87万人で流通金額は43億円となり(24年12月現在)、昨年に比べ約6億5000万円増となっている。また、ミルボン社員やゲストが出演するライブコマースも、年間1億8000万円の流通金額と貢献した。お客さまが美容室内で手軽にサロン専売品を手に取り体験できるスマートサロンは50都市62店舗となった。今年はスマートサロンの交通広告の出稿なども考えている。

WWD:新たな試みが成功する美容室の要因は?

坂下:それらのインフラは整えたが、成長戦略の主役はあくまで美容師。力を発揮してもらうための美容師育成制度「ビューティソムリエ」を展開している。これは、技術、製品知識、提案力、カウンセリング力などを総合的に取得していることを認定するもので、今年もその育成に注力する。価格競争は根本的な解決策にはならないため、いずれ終焉するだろうし、プライシング力がなければ美容室経営は立ち行かなくなる。業務の付加価値向上、製品販売のインフラ整備、主役となるビューティソムリエ、この3つがそろうことで、客数減少時代の成長戦略が描ける。その成長戦略を美容室と共に進めていく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『「万葉倶楽部」プラチナ会員へ』

近所の「万葉の湯」は体を癒やしながら考えごとを整理するのに最適。2024年はゴールド会員になれたので、25年はさらに上のプラチナ会員を狙う。今年、研修センターが小田原に移転するが、その近くにも同施設があるため目標達成できるかも(笑)。

COMPANY DATA
ミルボン

1960年、業務用ヘア化粧品の専売メーカーとしてユタカ美容化学が創立。65年、社名をミルボンに変更。2001年、東証一部銘柄に指定。04年にはニューヨークに連結子会社を設立するなど、積極的なグローバル展開を行う。17年にはコーセーとの合弁会社コーセー ミルボン コスメティクスを設立。24年12月期第3四半期累計売上高は前期比8.3%増の369億9300万円となった

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【タカラベルモント 吉川秀隆会長兼社長】堅調な国内を基盤にヘッドスパカルチャーを海外へ

PROFILE: 吉川秀隆/会長兼社長

吉川秀隆/会長兼社長
PROFILE: (よしかわ・ひでたか)1949年生まれ、大阪市出身。日本大学経済学部卒業後、自動車販売会社勤務。74年に祖父の吉川秀信が創業したタカラベルモントに経理担当で入社した後、デンタル・メディカル機器の営業および製品企画、理美容機器の営業を担当。85年に東京支社長に就任。89年に40歳で社長就任後、99年から会長を兼務している PHOTO : SHUNICHI ODA

タカラベルモントは、理容室・美容室の設備機器、エステ・ネイルサロンおよび歯科・医療クリニックの業務用設備機器や化粧品などを製造販売している。昨年は堅調な国内市場を基盤とし、グローバルな成長が見込める美容室の設備機器や“ヘッドスパ”の浸透に注力した。

変化するヘアサロン業界の需要に
マッチする機器が好調

WWD:2024年はどんな1年だったか。

吉川秀隆会長兼社長(以下、吉川):24年は本格的にコロナ禍が明けて世の中が活発に動いた。コロナ禍を経てリモートという選択肢もできたが、だからこそフェイストゥフェイスのコミュニケーションの重要度が増している。そういった思いがあり、100周年を迎えた21年から自分自身で全ての営業所や工場に足を運んでいる。現場には必ず気づきがある。展示会やヘアサロンで聞く理美容師の皆さんの声は大切にしているし、それを形に変えていくのがわれわれメーカーの役割だ。

WWD:昨今のヘアサロン業界をどう見ているか。

吉川:サロンビジネスの在り方はここ10年で大きく変化している。24年も美容室の倒産件数は過去最多を更新し、大型チェーンの時代から個人店やフリーランスの時代に移行した。自宅を改造して1人で営むなど、開業手段のバリエーションも増えている。そのような背景も相まって、24年は23年7月に発売したシャンプー機器“ミニマルサロンユニット ワン”が順調に売り上げを積み上げた。スタイリングチェアとシャンプー台が一体となり、省スペースとフレキシブルな施術対応をかなえる機器で、人材不足という昨今の業界の課題解決につながったことも好調要因だ。

WWD:化粧品はどうか。

吉川:22年2月にローンチした髪質ケアシリーズ「ヒタ(HITA)」が好調だ。悩みが深く、複雑化するクセ毛マーケットにアプローチできないかという思いで製品開発がスタートした。悩みが深いぶん、自宅でケアを継続したいという需要も高く、店販が売れている。

WWD:美容室事業の柱でもあるシャンプー機器“YUMEシャンプー”はどうか。

吉川:国内では導入サロンが5万軒を超え、今は海外の導入店舗数を増やす段階にある。国内と同様、欧米でも中間層以上の美容室で支持を獲得しており、24年、ヨーロッパにおける“YUMEシャンプー”の売り上げは前期の2倍を超えた。ヨーロッパでは、シャンプーにリラクゼーションを求める文化が浸透しておらず、洗い流すだけの場合も多いため、心地よい場所でシャンプーをする体験はより新鮮味が増す。弊社の理・美容用椅子に座っていただくと違いがはっきりする。首が痛かったり、顔周りが濡れたり、座り心地が悪かったりするマイナスポイントを解消しており、そのまま眠ってしまうほど心地よい。そのような体験をした顧客からリピートの要望が増えれば、導入する美容室も増えていく。その流れで今後も浸透すると踏んでいるが、シャンプーメニューが客単価アップにつながると気づいていないオーナーも多いため、導入のメリットを同時に伝える必要がある。また、ヨーロッパの美容学校ではシャンプー教育にあまり重きが置かれていない。そのため、弊社の教育担当がシャンプーやヘッドスパの技術を伝授している。

WWD:海外に“YUMEシャンプー”が広がればヘッドスパサービスも同様に広がる。

吉川:導入店舗の増加とともに、“ジャパニーズヘッドスパ”としてヨーロッパで広がっている。24年9月に香港でホリスティックビューティブランド「エステシモ(ESTESSIMO)」をローンチした。この2つを弊社が提案するヘッドスパメニューとして今後アジアでも広げていきたい。国内でも、コロナ禍のリラックス需要がけん引し、ヘッドスパメニューが伸長した。訪日客の体験としても需要が高く、国内外ともにさらなる成長が見込める。

WWD:医療事業も持つからこその強みはあるか。

吉川:免疫力を高めることは肌や髪の美しさにつながると言われている。両者は相関関係があると考えており、そういったわれわれの融合が形になるのが25年の大阪・関西万博だ。美容と医療を融合して提案する美が30年、40年、50年先にどうなるかをイメージできる展示を予定している。例えば、宇宙での暮らしも夢じゃない時代に、シャンプーやトリートメント、ヘアスタイルがどう変化しているかなどの想像が膨らむ内容だ。

WWD:25年に注力することは。

吉川:万博を主軸に既存のベースアップが事業のポイントになる。55年前の大阪万博に参加した際、世界中の人にタカラベルモントを知ってもらい、それを機に弊社は飛躍していった。今回も世界中から来る人にタカラベルモントを知ってもらい、次なる飛躍のきっかけとしたい。また、24年10月にフランスの美容家具ブランドの商標権を取得。60年の歴史があり、海外のチェーン店とコネクションを持つブランドだ。これまではわれわれの製品がチェーンの美容室に広がっていなかったが、この変化がヨーロッパに弊社の製品が広がる起爆剤となることを期待する。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『5m級のカジキを釣りたい』

アウトドアの趣味が多く、釣りは30〜40年前からやっている。特に海釣りが好きで、和歌山の海に船で行くことが多い。2023年に、和歌山の海で4m40cmのカジキを釣り上げた。今年は、5m級のカジキを釣りたい。

COMPANY DATA
タカラベルモント

1921年に鋳物工場としてスタート。31年に理容椅子の製造を開始し理容・美容業界に進出。56年にニューヨークに現地法人を構え、海外事業をスタート。67年に歯科・医療機器の製造を開始。73年に日本に初めて機器を使用したエステティックを紹介し、77年に自社化粧品ブランド(現ルベル)を立ち上げる。82年には基礎化粧品の発売をスタート。2021年に創業100周年を迎えた

TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
タカラベルモント広報室
06-7636-0856

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【タカラベルモント 吉川秀隆会長兼社長】堅調な国内を基盤にヘッドスパカルチャーを海外へ

PROFILE: 吉川秀隆/会長兼社長

吉川秀隆/会長兼社長
PROFILE: (よしかわ・ひでたか)1949年生まれ、大阪市出身。日本大学経済学部卒業後、自動車販売会社勤務。74年に祖父の吉川秀信が創業したタカラベルモントに経理担当で入社した後、デンタル・メディカル機器の営業および製品企画、理美容機器の営業を担当。85年に東京支社長に就任。89年に40歳で社長就任後、99年から会長を兼務している PHOTO : SHUNICHI ODA

タカラベルモントは、理容室・美容室の設備機器、エステ・ネイルサロンおよび歯科・医療クリニックの業務用設備機器や化粧品などを製造販売している。昨年は堅調な国内市場を基盤とし、グローバルな成長が見込める美容室の設備機器や“ヘッドスパ”の浸透に注力した。

変化するヘアサロン業界の需要に
マッチする機器が好調

WWD:2024年はどんな1年だったか。

吉川秀隆会長兼社長(以下、吉川):24年は本格的にコロナ禍が明けて世の中が活発に動いた。コロナ禍を経てリモートという選択肢もできたが、だからこそフェイストゥフェイスのコミュニケーションの重要度が増している。そういった思いがあり、100周年を迎えた21年から自分自身で全ての営業所や工場に足を運んでいる。現場には必ず気づきがある。展示会やヘアサロンで聞く理美容師の皆さんの声は大切にしているし、それを形に変えていくのがわれわれメーカーの役割だ。

WWD:昨今のヘアサロン業界をどう見ているか。

吉川:サロンビジネスの在り方はここ10年で大きく変化している。24年も美容室の倒産件数は過去最多を更新し、大型チェーンの時代から個人店やフリーランスの時代に移行した。自宅を改造して1人で営むなど、開業手段のバリエーションも増えている。そのような背景も相まって、24年は23年7月に発売したシャンプー機器“ミニマルサロンユニット ワン”が順調に売り上げを積み上げた。スタイリングチェアとシャンプー台が一体となり、省スペースとフレキシブルな施術対応をかなえる機器で、人材不足という昨今の業界の課題解決につながったことも好調要因だ。

WWD:化粧品はどうか。

吉川:22年2月にローンチした髪質ケアシリーズ「ヒタ(HITA)」が好調だ。悩みが深く、複雑化するクセ毛マーケットにアプローチできないかという思いで製品開発がスタートした。悩みが深いぶん、自宅でケアを継続したいという需要も高く、店販が売れている。

WWD:美容室事業の柱でもあるシャンプー機器“YUMEシャンプー”はどうか。

吉川:国内では導入サロンが5万軒を超え、今は海外の導入店舗数を増やす段階にある。国内と同様、欧米でも中間層以上の美容室で支持を獲得しており、24年、ヨーロッパにおける“YUMEシャンプー”の売り上げは前期の2倍を超えた。ヨーロッパでは、シャンプーにリラクゼーションを求める文化が浸透しておらず、洗い流すだけの場合も多いため、心地よい場所でシャンプーをする体験はより新鮮味が増す。弊社の理・美容用椅子に座っていただくと違いがはっきりする。首が痛かったり、顔周りが濡れたり、座り心地が悪かったりするマイナスポイントを解消しており、そのまま眠ってしまうほど心地よい。そのような体験をした顧客からリピートの要望が増えれば、導入する美容室も増えていく。その流れで今後も浸透すると踏んでいるが、シャンプーメニューが客単価アップにつながると気づいていないオーナーも多いため、導入のメリットを同時に伝える必要がある。また、ヨーロッパの美容学校ではシャンプー教育にあまり重きが置かれていない。そのため、弊社の教育担当がシャンプーやヘッドスパの技術を伝授している。

WWD:海外に“YUMEシャンプー”が広がればヘッドスパサービスも同様に広がる。

吉川:導入店舗の増加とともに、“ジャパニーズヘッドスパ”としてヨーロッパで広がっている。24年9月に香港でホリスティックビューティブランド「エステシモ(ESTESSIMO)」をローンチした。この2つを弊社が提案するヘッドスパメニューとして今後アジアでも広げていきたい。国内でも、コロナ禍のリラックス需要がけん引し、ヘッドスパメニューが伸長した。訪日客の体験としても需要が高く、国内外ともにさらなる成長が見込める。

WWD:医療事業も持つからこその強みはあるか。

吉川:免疫力を高めることは肌や髪の美しさにつながると言われている。両者は相関関係があると考えており、そういったわれわれの融合が形になるのが25年の大阪・関西万博だ。美容と医療を融合して提案する美が30年、40年、50年先にどうなるかをイメージできる展示を予定している。例えば、宇宙での暮らしも夢じゃない時代に、シャンプーやトリートメント、ヘアスタイルがどう変化しているかなどの想像が膨らむ内容だ。

WWD:25年に注力することは。

吉川:万博を主軸に既存のベースアップが事業のポイントになる。55年前の大阪万博に参加した際、世界中の人にタカラベルモントを知ってもらい、それを機に弊社は飛躍していった。今回も世界中から来る人にタカラベルモントを知ってもらい、次なる飛躍のきっかけとしたい。また、24年10月にフランスの美容家具ブランドの商標権を取得。60年の歴史があり、海外のチェーン店とコネクションを持つブランドだ。これまではわれわれの製品がチェーンの美容室に広がっていなかったが、この変化がヨーロッパに弊社の製品が広がる起爆剤となることを期待する。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『5m級のカジキを釣りたい』

アウトドアの趣味が多く、釣りは30〜40年前からやっている。特に海釣りが好きで、和歌山の海に船で行くことが多い。2023年に、和歌山の海で4m40cmのカジキを釣り上げた。今年は、5m級のカジキを釣りたい。

COMPANY DATA
タカラベルモント

1921年に鋳物工場としてスタート。31年に理容椅子の製造を開始し理容・美容業界に進出。56年にニューヨークに現地法人を構え、海外事業をスタート。67年に歯科・医療機器の製造を開始。73年に日本に初めて機器を使用したエステティックを紹介し、77年に自社化粧品ブランド(現ルベル)を立ち上げる。82年には基礎化粧品の発売をスタート。2021年に創業100周年を迎えた

TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
タカラベルモント広報室
06-7636-0856

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【セイコーウオッチ 内藤昭男社長】日本の時計として存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大へ

PROFILE: 内藤昭男/社長

内藤昭男/社長
PROFILE: (ないとう・あきお)1960年11月9日生まれ、茨城県出身。84年に上智大学を卒業し、同年、服部セイコー(現セイコーグループ)に入社。セイコー・オーストラリア社長、セイコーHD(現セイコーグループ)法務部長、常務取締役、セイコー・アメリカ社長などを経て、2019年12月にセイコーウオッチの副社長に就任。21年4月から現職 PHOTO : KENTARO OSHIO

セイコーウオッチは「グランドセイコー(GRAND SEIKO)」として、スイス・ジュネーブの時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ」に2022年から継続して出展。また昨年は、北米にも「グランドセイコー」の専門ブティックを開店した。その成果もあり、日本国内外でジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチの地位を確立している。24年の世界戦略や国内外での商況はどうだったのか。内藤昭男社長に話を聞く。

「グランドセイコー」で
高級時計市場に風穴を

WWD:2024年は、セイコーウオッチにとってどんな年だったか。

内藤昭男社長(以下、内藤):昨年は「セイコー(SEIKO)」ブランドが誕生してちょうど100年という記念すべき年。「贅沢な旅行ができない代わりに高級品を購入する」という“コロナ消費”が終わり、国内外でラグジュアリービジネス全体が厳しい状況だった。そのため時計業界も、あまり良い状況ではない。しかし当社は、数字はまだ第3四半期までしか出ていないが、「グランドセイコー」と「セイコー」ブランド全体を合わせて、また国内市場と海外市場を合わせて、セイコーウオッチの創業以来、最高益を達成している。海外でも売り上げは堅調だが、インバウンド需要の高まりもあり、特に国内での売り上げが非常に好調で、逆境の中でも良い1年だった。

WWD:逆境の中でも好調の理由は?

内藤:ここ数年、「グランドセイコー」を中心に、世界的に推進してきたラグジュアリー化戦略の成果だと考えている。具体的には、22年に始まった欧州の老舗・名門ブランドのみが出展する国際的な時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ(以下、WWG)」への出展。また流通面においては「グランドセイコー」の取扱店舗を、優秀な販売員を配し上顧客を持つ小売店に限定したこと。さらには富裕層顧客に直接リーチするイベントの開催などだ。WWGへの出展は円安・スイスフラン高という為替レートの問題もあり莫大な費用を要するが、こうしたブランドイメージの向上に取り組んだ結果、かつては知名度が低かった「グランドセイコー」が「本当にラグジュアリーな時計ブランド」として評価を得て、国内でも海外でもスイスの名門ブランドと同等の扱いをしていただけるようになってきた。国内でもこれまで「グランドセイコー」を取り扱ってこなかった時計販売店から「『グランドセイコー』をぜひ」といわれている。

WWD:国内市場で注目していることは?

内藤:インバウンド需要の内容が、かつてのピークだった15年とはまったく違うものになっている状況に注目している。当時、インバウンドのお客さまは中国の方が中心で、価格帯では手頃な製品がよく売れ、「グランドセイコー」はほぼゼロだった。だが現在は欧米の方が中心で、「グランドセイコー」が売り上げのメーンだ。特にアメリカのお客さまは、インバウンド需要の半分を占めている。現場からは「日本に来たから『グランドセイコー』を買いたい」と来店された方が多いと聞く。これも海外での「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」戦略の成果だ。

WWD:海外市場の状況は? 24年は北米市場に加えてヨーロッパでも「グランドセイコー」を「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」として発展させるのが目標だった。

内藤:海外市場の状況は、地域により大きく違う。金利の上昇とインフレでラグジュアリービジネスが苦境に陥っているのは確かで、海外での売り上げは実は少し下がっている。だが、中国市場のように厳しいところがある一方で、好調な地域も多い。たとえばインドのように、2ケタで伸びていて、今後も大きな成長が期待できるところもある。また、昨年の大きな目標だったヨーロッパでの「グランドセイコー」の販売拡大については、不況の影響から時計販売店が仕入れ予算を削っているため、残念ながら計画通りに進んでいない。だが北米でもヨーロッパでも、直営ブティックでの「グランドセイコー」の売り上げが絶好調。昨年はアメリカ・ニューヨークのマンハッタンに売り場面積580㎡の直営ブティックをオープンしたが、ここでの売り上げも期待を大きく超えた。今後も、直営ブティックを、ヨーロッパをはじめ世界中の主要都市の中でも厳選されたエリアでオープンしていく。

WWD:25年の国内、海外での戦略と目標は?

内藤:昨年に続き、日本発の「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウォッチブランド」である「グランドセイコー」を中心に、「日本の時計」としての存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大を図る。この戦略でカギになるのが、かつての「異質なもの」から、マンガや食文化を通じて「素晴らしいもの」へと変わった“日本のイメージ”だ。このイメージを徹底的に活用することで、「グランドセイコー」でも「セイコー」ブランドでも、さらなる販売の拡大が図れると確信している。また、日本文化の魅力をクリエイターと発信するプロジェクト「THE GIFT OF TIME」などを通して、時計にこれまで興味がなかった人々、特に若い人々に興味を持っていただきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『時計サロンを作りたい』

メーカーの技術者や独立時計師ら、世界中の時計技術を志向する人たちが垣根を越えて集まり、交流し、ともに勉強して、一緒に全く新しい時計を作ることを目指せるような「時計サロン」を作りたい。

COMPANY DATA
セイコーウオッチ

セイコーは1881年、服部金太郎が時計の小売りと修理を生業とする服部時計店を創業し、外国商館から信用を得て発展するところから始まる。92年には小売業の成功を背景に精工舎を設立し、壁掛け時計の製造を開始。95年には懐中時計、1913年には国産初の腕時計“ローレル”を発売した。32年には現在のセイコーハウスにあたる銀座四丁目時計塔を竣工。60年、「グランドセイコー」を発売。2001年、純粋持株会社に移行して腕時計事業部門を分社化。セイコーウオッチを設立した

INTERVIEW& TEXT: YASUHITO SHIBUYA
問い合わせ先
セイコーウオッチお客様相談室
0120-061-012

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【セイコーウオッチ 内藤昭男社長】日本の時計として存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大へ

PROFILE: 内藤昭男/社長

内藤昭男/社長
PROFILE: (ないとう・あきお)1960年11月9日生まれ、茨城県出身。84年に上智大学を卒業し、同年、服部セイコー(現セイコーグループ)に入社。セイコー・オーストラリア社長、セイコーHD(現セイコーグループ)法務部長、常務取締役、セイコー・アメリカ社長などを経て、2019年12月にセイコーウオッチの副社長に就任。21年4月から現職 PHOTO : KENTARO OSHIO

セイコーウオッチは「グランドセイコー(GRAND SEIKO)」として、スイス・ジュネーブの時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ」に2022年から継続して出展。また昨年は、北米にも「グランドセイコー」の専門ブティックを開店した。その成果もあり、日本国内外でジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチの地位を確立している。24年の世界戦略や国内外での商況はどうだったのか。内藤昭男社長に話を聞く。

「グランドセイコー」で
高級時計市場に風穴を

WWD:2024年は、セイコーウオッチにとってどんな年だったか。

内藤昭男社長(以下、内藤):昨年は「セイコー(SEIKO)」ブランドが誕生してちょうど100年という記念すべき年。「贅沢な旅行ができない代わりに高級品を購入する」という“コロナ消費”が終わり、国内外でラグジュアリービジネス全体が厳しい状況だった。そのため時計業界も、あまり良い状況ではない。しかし当社は、数字はまだ第3四半期までしか出ていないが、「グランドセイコー」と「セイコー」ブランド全体を合わせて、また国内市場と海外市場を合わせて、セイコーウオッチの創業以来、最高益を達成している。海外でも売り上げは堅調だが、インバウンド需要の高まりもあり、特に国内での売り上げが非常に好調で、逆境の中でも良い1年だった。

WWD:逆境の中でも好調の理由は?

内藤:ここ数年、「グランドセイコー」を中心に、世界的に推進してきたラグジュアリー化戦略の成果だと考えている。具体的には、22年に始まった欧州の老舗・名門ブランドのみが出展する国際的な時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ(以下、WWG)」への出展。また流通面においては「グランドセイコー」の取扱店舗を、優秀な販売員を配し上顧客を持つ小売店に限定したこと。さらには富裕層顧客に直接リーチするイベントの開催などだ。WWGへの出展は円安・スイスフラン高という為替レートの問題もあり莫大な費用を要するが、こうしたブランドイメージの向上に取り組んだ結果、かつては知名度が低かった「グランドセイコー」が「本当にラグジュアリーな時計ブランド」として評価を得て、国内でも海外でもスイスの名門ブランドと同等の扱いをしていただけるようになってきた。国内でもこれまで「グランドセイコー」を取り扱ってこなかった時計販売店から「『グランドセイコー』をぜひ」といわれている。

WWD:国内市場で注目していることは?

内藤:インバウンド需要の内容が、かつてのピークだった15年とはまったく違うものになっている状況に注目している。当時、インバウンドのお客さまは中国の方が中心で、価格帯では手頃な製品がよく売れ、「グランドセイコー」はほぼゼロだった。だが現在は欧米の方が中心で、「グランドセイコー」が売り上げのメーンだ。特にアメリカのお客さまは、インバウンド需要の半分を占めている。現場からは「日本に来たから『グランドセイコー』を買いたい」と来店された方が多いと聞く。これも海外での「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」戦略の成果だ。

WWD:海外市場の状況は? 24年は北米市場に加えてヨーロッパでも「グランドセイコー」を「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」として発展させるのが目標だった。

内藤:海外市場の状況は、地域により大きく違う。金利の上昇とインフレでラグジュアリービジネスが苦境に陥っているのは確かで、海外での売り上げは実は少し下がっている。だが、中国市場のように厳しいところがある一方で、好調な地域も多い。たとえばインドのように、2ケタで伸びていて、今後も大きな成長が期待できるところもある。また、昨年の大きな目標だったヨーロッパでの「グランドセイコー」の販売拡大については、不況の影響から時計販売店が仕入れ予算を削っているため、残念ながら計画通りに進んでいない。だが北米でもヨーロッパでも、直営ブティックでの「グランドセイコー」の売り上げが絶好調。昨年はアメリカ・ニューヨークのマンハッタンに売り場面積580㎡の直営ブティックをオープンしたが、ここでの売り上げも期待を大きく超えた。今後も、直営ブティックを、ヨーロッパをはじめ世界中の主要都市の中でも厳選されたエリアでオープンしていく。

WWD:25年の国内、海外での戦略と目標は?

内藤:昨年に続き、日本発の「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウォッチブランド」である「グランドセイコー」を中心に、「日本の時計」としての存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大を図る。この戦略でカギになるのが、かつての「異質なもの」から、マンガや食文化を通じて「素晴らしいもの」へと変わった“日本のイメージ”だ。このイメージを徹底的に活用することで、「グランドセイコー」でも「セイコー」ブランドでも、さらなる販売の拡大が図れると確信している。また、日本文化の魅力をクリエイターと発信するプロジェクト「THE GIFT OF TIME」などを通して、時計にこれまで興味がなかった人々、特に若い人々に興味を持っていただきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『時計サロンを作りたい』

メーカーの技術者や独立時計師ら、世界中の時計技術を志向する人たちが垣根を越えて集まり、交流し、ともに勉強して、一緒に全く新しい時計を作ることを目指せるような「時計サロン」を作りたい。

COMPANY DATA
セイコーウオッチ

セイコーは1881年、服部金太郎が時計の小売りと修理を生業とする服部時計店を創業し、外国商館から信用を得て発展するところから始まる。92年には小売業の成功を背景に精工舎を設立し、壁掛け時計の製造を開始。95年には懐中時計、1913年には国産初の腕時計“ローレル”を発売した。32年には現在のセイコーハウスにあたる銀座四丁目時計塔を竣工。60年、「グランドセイコー」を発売。2001年、純粋持株会社に移行して腕時計事業部門を分社化。セイコーウオッチを設立した

INTERVIEW& TEXT: YASUHITO SHIBUYA
問い合わせ先
セイコーウオッチお客様相談室
0120-061-012

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【ZOZO澤田宏太郎 社長兼CEO】ファッションECの盟主が語る「AI × 新しい売り方」

PROFILE: 澤田宏太郎社長兼CEO

澤田宏太郎社長兼CEO
PROFILE: (さわだ・こうたろう)1970年12月15日生まれ、神奈川県出身。早稲田大学 理工学部卒業後、NTTデータに新卒入社。その後NTTデータ経営研究所、経営コンサルのスカイライトコンサルティングを経て、2008年5月スタートトゥデイコンサルティング代表取締役に就任。13年6月にZOZO 取締役、19年9月から現職。趣味は釣り PHOTO:HIRONORI SAKUNAGA

ゾゾタウン開設20周年を迎えたZOZOは、今年さらに進化する。来期に新たな取り組みの発表を予定し、事業領域の拡大のためM&Aにも積極的に取り組む。2026年ごろには独自開発のAI(人工知能)を用いてパーソナライズされた“似合う”を提案する次世代店舗のオープンを検討するなど、野心的で先進的な構想の実現に向け、アクセルを踏む。

「ゾゾタウン」開設20周年
来期に新たな取り組みを発表

WWD:2024年を振り返ると?

澤田宏太郎社長兼CEO(以下、澤田):ファッション業界全般に言えることだと思うが、天候には苦しめられた。3月は気温が上がらず春物が動かず、かと思えば4月以降に急に暖かくなり、それが10月、11月まで続いた。

WWD:いわゆる「長い夏」だが、対策は?

澤田:気温の変化に対してネットならではのスピード感で対応した。「ウェザーニュース」とのAPI連携やスマホのGPSと連携して、ユーザーの地域の気温に応じてプロモーションやリコメンドのアイテムを変えるような仕組みをスタートさせた。いわゆるパーソナライズだが、9月のように全国的に暑いと、それすらも効かない(苦笑)。ただ、天候に関しては万能で強力な解決策はない。0.01%でも改善できるような施策を10個、20個と積み上げていく。

WWD:抜本的な解決策はないものか?

澤田:そのアンサーの一つが、「メイドバイゾゾ(Made by ZOZO)」のような受注生産の仕組みだ。売れたものを素早く作ってお客さまに提供する、いわゆる無在庫モデルだ。現在の「メイドバイゾゾ」の仕組みをもっと磨き上げる必要があるが、結局はそこに行き着くと感じている。

WWD:コスメ販売の「ゾゾコスメ」は?

澤田:順調に拡大している。取扱高が100億円を超えた時点で日本最大級のコスメECにはなっていて、上期(24年4〜9月)も2ケタ増で推移している。ファッションとの併せ買いということもあってメイクアップが特に強い。ただ本来ECと相性が良く、収益にもつながるスキンケアをもっと伸ばしたい。コスメはこれまで培ってきたアパレルの施策やノウハウが生きる部分とそうでない部分は分かってきた。今はコスメならでは、ZOZOならではの施策や売り方を確立するステージだ。

WWD:26年ごろのお披露目を示唆している、AIと組み合わせた次世代店舗「シン・似合うラボ」の進捗は?

澤田:構想動画で見せた世界に一歩二歩くらいは近づいた。ただ、裏側のテクノロジーはかなり進んでいる。当社のAIエンジンは、基盤となる汎用AIに独自開発のAIを組み合わせて開発しているが、汎用AIが文字通り日進月歩で進化して、やれることが広がる。AIはとにかく進化が早い。動画で示唆した「“似合う”を提案する次世代店舗」は、実はかなり野心的な構想だったが、現在はかなり現実に近いものになっている。今のAIの進化のスピードを見ていると、いずれは誰かが実現する。そんな世界になりつつある。だから一番近い立ち位置にいるわれわれが最初にやらないと。売るための大まかなスキームは、ほぼ見えてきた。実装の際は、開発中のAIエンジンによる商品リコメンドだけでなく、ユーザーに対しておすすめする理由などを説明する「おしゃべりbot」のような機能も必要になりそうなことが分かってきた。すでにこの「おしゃべりbot」の開発にも着手している。

WWD:AIエンジンの実装はいつごろになりそうか?

澤田:開発中のAIエンジンは、「似合うラボ」店舗だけでなく、「ゾゾタウン」や「WEAR」も含めた全事業の基盤になる。ロードマップはあるが、公表する段階ではない。ただ、この数年で「ゾゾタウン」の売り方や使い方、見え方が大きく変わることになるだろう。

WWD:今後、服の売り買いはどう変わる?

澤田:人間が頭の中に浮かんだワードを検索するという時代は終わり、ユーザーをよく理解し、ユーザーに代わって行動する、あるいは相談相手になるような「AIエージェント」「パーソナルエージェント」の時代が近づいていることを実感している。ただ、一つの汎用AIが何でもする、とはならず、ファッションやビューティ分野にはそのアルゴリズムや特性を深く理解した特化型AIが必要になるだろう。この数年「ファッションの『こと』ならZOZO」と言い続けてきたが、AIでも同じことだ。

WWD:04年12月に開設した「ゾゾタウン」は20周年。25年をどう位置づける?

澤田:「ゾゾタウン」開設20周年を機に、来期から新しいサービスや機能、新企画など、派手に打ち出していく予定だ。この数年は「WEAR」のリニューアルや受注生産プラットフォーム「メイドバイゾゾ」などを通してファッション購買の上流から下流を強化してきた。いわば事業領域を縦に延ばしてきた。20周年の新たな取り組みは、もっと横に、つまりもっとウィングを広げ、新しいユーザーを取り込みたい。その一環でもあるが、M&Aも積極的に行う。専門組織をつくり、国内外の企業をリサーチしている。ファッションが中心になるとは思うが、今は特定の領域に絞らず、幅広く情報を集めている。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ハイエースで全国放浪』

ハイエースにバイク、自転車、釣り道具を積み込んで、全国を放浪したい。CEOになってからは、何も考えない時間がとても貴重に感じている。好きなものを全部積み込んで一人気ままに過ごしたい。

COMPANY DATA
ZOZO

1998年に輸入レコードの通販を目的にスタート・トゥデイ(現ZOZO)設立。2000年1月に輸入レコードのオンライン通販を開始、04年12月「ゾゾタウン」スタート、07年12月東証マザーズに上場、12年2月東証一部(現東証プライム)に変更、19年9月にヤフー(現LINEヤフー)の傘下入りを発表。24年3月期の業績は商品取扱高5743億円、売上高1970億円、営業利益600億円、経常利益597億円、純利益443億円。従業員数は1681人(平均年齢33.8歳、24年3月末時点)


問い合わせ先
ZOZO
https://corp.zozo.com/contact/

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【ZOZO澤田宏太郎 社長兼CEO】ファッションECの盟主が語る「AI × 新しい売り方」

PROFILE: 澤田宏太郎社長兼CEO

澤田宏太郎社長兼CEO
PROFILE: (さわだ・こうたろう)1970年12月15日生まれ、神奈川県出身。早稲田大学 理工学部卒業後、NTTデータに新卒入社。その後NTTデータ経営研究所、経営コンサルのスカイライトコンサルティングを経て、2008年5月スタートトゥデイコンサルティング代表取締役に就任。13年6月にZOZO 取締役、19年9月から現職。趣味は釣り PHOTO:HIRONORI SAKUNAGA

ゾゾタウン開設20周年を迎えたZOZOは、今年さらに進化する。来期に新たな取り組みの発表を予定し、事業領域の拡大のためM&Aにも積極的に取り組む。2026年ごろには独自開発のAI(人工知能)を用いてパーソナライズされた“似合う”を提案する次世代店舗のオープンを検討するなど、野心的で先進的な構想の実現に向け、アクセルを踏む。

「ゾゾタウン」開設20周年
来期に新たな取り組みを発表

WWD:2024年を振り返ると?

澤田宏太郎社長兼CEO(以下、澤田):ファッション業界全般に言えることだと思うが、天候には苦しめられた。3月は気温が上がらず春物が動かず、かと思えば4月以降に急に暖かくなり、それが10月、11月まで続いた。

WWD:いわゆる「長い夏」だが、対策は?

澤田:気温の変化に対してネットならではのスピード感で対応した。「ウェザーニュース」とのAPI連携やスマホのGPSと連携して、ユーザーの地域の気温に応じてプロモーションやリコメンドのアイテムを変えるような仕組みをスタートさせた。いわゆるパーソナライズだが、9月のように全国的に暑いと、それすらも効かない(苦笑)。ただ、天候に関しては万能で強力な解決策はない。0.01%でも改善できるような施策を10個、20個と積み上げていく。

WWD:抜本的な解決策はないものか?

澤田:そのアンサーの一つが、「メイドバイゾゾ(Made by ZOZO)」のような受注生産の仕組みだ。売れたものを素早く作ってお客さまに提供する、いわゆる無在庫モデルだ。現在の「メイドバイゾゾ」の仕組みをもっと磨き上げる必要があるが、結局はそこに行き着くと感じている。

WWD:コスメ販売の「ゾゾコスメ」は?

澤田:順調に拡大している。取扱高が100億円を超えた時点で日本最大級のコスメECにはなっていて、上期(24年4〜9月)も2ケタ増で推移している。ファッションとの併せ買いということもあってメイクアップが特に強い。ただ本来ECと相性が良く、収益にもつながるスキンケアをもっと伸ばしたい。コスメはこれまで培ってきたアパレルの施策やノウハウが生きる部分とそうでない部分は分かってきた。今はコスメならでは、ZOZOならではの施策や売り方を確立するステージだ。

WWD:26年ごろのお披露目を示唆している、AIと組み合わせた次世代店舗「シン・似合うラボ」の進捗は?

澤田:構想動画で見せた世界に一歩二歩くらいは近づいた。ただ、裏側のテクノロジーはかなり進んでいる。当社のAIエンジンは、基盤となる汎用AIに独自開発のAIを組み合わせて開発しているが、汎用AIが文字通り日進月歩で進化して、やれることが広がる。AIはとにかく進化が早い。動画で示唆した「“似合う”を提案する次世代店舗」は、実はかなり野心的な構想だったが、現在はかなり現実に近いものになっている。今のAIの進化のスピードを見ていると、いずれは誰かが実現する。そんな世界になりつつある。だから一番近い立ち位置にいるわれわれが最初にやらないと。売るための大まかなスキームは、ほぼ見えてきた。実装の際は、開発中のAIエンジンによる商品リコメンドだけでなく、ユーザーに対しておすすめする理由などを説明する「おしゃべりbot」のような機能も必要になりそうなことが分かってきた。すでにこの「おしゃべりbot」の開発にも着手している。

WWD:AIエンジンの実装はいつごろになりそうか?

澤田:開発中のAIエンジンは、「似合うラボ」店舗だけでなく、「ゾゾタウン」や「WEAR」も含めた全事業の基盤になる。ロードマップはあるが、公表する段階ではない。ただ、この数年で「ゾゾタウン」の売り方や使い方、見え方が大きく変わることになるだろう。

WWD:今後、服の売り買いはどう変わる?

澤田:人間が頭の中に浮かんだワードを検索するという時代は終わり、ユーザーをよく理解し、ユーザーに代わって行動する、あるいは相談相手になるような「AIエージェント」「パーソナルエージェント」の時代が近づいていることを実感している。ただ、一つの汎用AIが何でもする、とはならず、ファッションやビューティ分野にはそのアルゴリズムや特性を深く理解した特化型AIが必要になるだろう。この数年「ファッションの『こと』ならZOZO」と言い続けてきたが、AIでも同じことだ。

WWD:04年12月に開設した「ゾゾタウン」は20周年。25年をどう位置づける?

澤田:「ゾゾタウン」開設20周年を機に、来期から新しいサービスや機能、新企画など、派手に打ち出していく予定だ。この数年は「WEAR」のリニューアルや受注生産プラットフォーム「メイドバイゾゾ」などを通してファッション購買の上流から下流を強化してきた。いわば事業領域を縦に延ばしてきた。20周年の新たな取り組みは、もっと横に、つまりもっとウィングを広げ、新しいユーザーを取り込みたい。その一環でもあるが、M&Aも積極的に行う。専門組織をつくり、国内外の企業をリサーチしている。ファッションが中心になるとは思うが、今は特定の領域に絞らず、幅広く情報を集めている。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ハイエースで全国放浪』

ハイエースにバイク、自転車、釣り道具を積み込んで、全国を放浪したい。CEOになってからは、何も考えない時間がとても貴重に感じている。好きなものを全部積み込んで一人気ままに過ごしたい。

COMPANY DATA
ZOZO

1998年に輸入レコードの通販を目的にスタート・トゥデイ(現ZOZO)設立。2000年1月に輸入レコードのオンライン通販を開始、04年12月「ゾゾタウン」スタート、07年12月東証マザーズに上場、12年2月東証一部(現東証プライム)に変更、19年9月にヤフー(現LINEヤフー)の傘下入りを発表。24年3月期の業績は商品取扱高5743億円、売上高1970億円、営業利益600億円、経常利益597億円、純利益443億円。従業員数は1681人(平均年齢33.8歳、24年3月末時点)


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【バロックジャパンリミテッド 村井博之 社長】“ニッチ”を突き詰め、再成長へ地盤固めの一年に

PROFILE: 村井博之/バロックジャパンリミテッド社長

村井博之/バロックジャパンリミテッド社長
PROFILE: (むらい・ひろゆき)1961年生まれ、東京都出身。84年立教大学文学部を卒業後、中国国立北京師範大学への留学をへてキヤノンに入社し、中国での支店開設などに携わる。97年に日本エアシステム(現日本航空)でJAS 香港 社長に就任。2006年にフェイクデリックホールディングス会長兼社長に就任、07年にフェイクデリックホールディングスなど3社を統合しバロックジャパンリミテッド設立。08年から現職

成長のエンジンだった中国事業が不況で低迷し、屋台骨の国内SC事業もさえない。バロックジャパンリミテッドの村井博之社長は、そんな2024年を苦しい1年だったと振り返るが、表情に悲観の色は見えない。「25年は再出発の年になる」。“バロックらしさ”に立ち返り、商品企画の抜本的見直しで浮上を期す。

「不本意でもどかしい」24年からの再出発

WWD:24年を振り返って。

村井博之社長(以下、村井):不本意でもどかしい1年だった。中国は、ついさっきまで晴れていた空から急に雨が降ってきたような状況。それも1、2年で降り止まない大雨だ。(中国事業を)諦めるつもりはないが、いったんは北京、上海などの都心店を残しながらスクラップ&ビルドを進める。タフで我慢が必要な戦いになるだろう。

日本もかつてはバブル崩壊の不況の中から、渋谷109がけん引するギャルカルチャーが生まれ、バロックもその中心にいた。悲観的な状況の中でも前向きなパワーを生み出すのがファッション。中国でも今のどん底の状況から、また新しいカルチャーが萌芽するはずだ。現地の10〜30代のライフスタイルを常に観察し続け、変化の機微を捉えていく。

WWD:「アズールバイマウジー」を中心とする主力のSC事業が停滞している。

村井:マーケットがしぼんだのではなく、作り手である当社の問題。「アズール」の主戦場であるマス市場では、ファストファッションをはじめ競合との競争が苛烈さを増している。われわれの業績のふがいなさは、「バロックらしさとは?」に対する答えが提示できていないことの表れ。モノ作り、MD、価格設定を含めて、「自分たちが正しい」という思い込みを捨てて抜本的に変える。大胆なテコ入れも必要と考えている。

WWD:どんな方向性に変える?

村井:一つ言えるのは、「バロックじゃなくてもできるもの」は作らなくてもいいということ。かつてバロックのブランドというのは、どれをとっても“ニッチ”だった。売り上げの多寡ではなく、商品や店舗運営のスタイルが尖っていた。芸能人やモデルがこぞってバロックブランドを着用し、それに憧れる若い女の子の親御さんからは、「娘に着せたくない」という声も上がったくらい(笑)。少々のハレーションが起こるくらいのエッジィさが私たちの持ち味でもある。他の店でも手に入るような服なら、うちに置く必要はない。「路面店だから」「SC店だから」というふうにMDをはめ込んでいくから、店が面白みを失っていく。既成概念を取り払って、ゼロから品ぞろえを考える。

WWD:原宿の旗艦店「ザ・シェルター トーキョー」は免税売上高が前期比15%増と好調だ。

村井:入店客の約40%を海外のお客さまが占めている。欧米・アジアがメインだが、実は中東からのお客さまも一定数いらっしゃる。われわれの想像の範疇になかったビジネスチャンスを見出す場にもなっている。今後は、国内のお客さまにもさらなる面白みを提供したい。これまでは1階の明治通り側の区画で外部ブランドを誘致したポップアップ企画を実施してきたが、3層(地下1階〜地上2階)の空間を生かし、より大きなスケールでキュレーション展開する。ポップアップのスパンもより短サイクルにして、常に鮮度のある店を作りたい。

WWD:「ブラックバイマウジー」の今春での休止が発表された。SNSでは惜しむ声も多かった。

村井:近い将来、お客さまをあっと言わせる形での新しい展開を考えている。しっかりとしたファンダムがあることが分かっているからこそ、現在のコアな規模から、よりスケールアップした形で出直す。25年内には具体的な発表ができるはずだ。ブランド名は変わる。デニム軸のスタイリング提案というコンセプトにも捉われず、大人がより自分らしいファッションを楽しんでいただけるよう提案する。休止前は実店舗は2つだったが、より大きな規模で展開したい。
アパレルはデザイナー、販売員などあらゆる業種で“人”ありきのビジネスだ。限られた人材を最大限に生かすという意味では、「ブラックバイマウジー」に限らず、小規模なプロジェクトをある程度整理・統合していく必要があると考えている。

WWD:25年の展望は?

村井:再成長に向けた地盤を固める。好材料の一つが「マウジー」の25周年だ。手前味噌だが、ここまで長くお客さまの心を掴めるブランドはそうそうない。ずっとファンでいてくださるお客さまが年齢を重ねる一方、あるメディアの調査によれば、服飾系専門学生の「よく買うブランド」のランキング上位に食い込んでいる。後押ししているのがレトロブームによる渋谷109のリバイバルで、館の店舗も売り上げ好調だ。大人層からの人気商品とはまた違った商品を手に取り、自由にスタイリングを楽しむ若いお客さまがおり、ブランドにとって大いに刺激になっている。周年施策は、大人も若いお客さまも心から楽しんでいただけるものにしたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『財団からノーベル賞を輩出!』

2020年に設立したバロック村井博之財団では、若者の進学や研究に資金援助している。私自身にとっても、アパレルと違う世界の学問に触れることは大いに刺激になる。近い将来、財団からノーベル賞受賞者が生まれたら。

COMPANY DATA
バロックジャパンリミテッド

2000年にフェイクデリックとして設立し、「マウジー」「スライ」が“平成ギャルブーム”をけん引し大ヒット。08年にバロックジャパンリミテッドに商号変更。13年に中国の靴小売り大手ベル・インターナショナルとの合弁会社バロックチャイナを設立し、中国出店を加速。16年に東証1部(現プライム)市場上場。24年2月期の売上高は前期比2.5%増の602億円、営業利益は同9.1%減の19億円


問い合わせ先
バロックジャパンリミテッド
03-5738-5775

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【バロックジャパンリミテッド 村井博之 社長】“ニッチ”を突き詰め、再成長へ地盤固めの一年に

PROFILE: 村井博之/バロックジャパンリミテッド社長

村井博之/バロックジャパンリミテッド社長
PROFILE: (むらい・ひろゆき)1961年生まれ、東京都出身。84年立教大学文学部を卒業後、中国国立北京師範大学への留学をへてキヤノンに入社し、中国での支店開設などに携わる。97年に日本エアシステム(現日本航空)でJAS 香港 社長に就任。2006年にフェイクデリックホールディングス会長兼社長に就任、07年にフェイクデリックホールディングスなど3社を統合しバロックジャパンリミテッド設立。08年から現職

成長のエンジンだった中国事業が不況で低迷し、屋台骨の国内SC事業もさえない。バロックジャパンリミテッドの村井博之社長は、そんな2024年を苦しい1年だったと振り返るが、表情に悲観の色は見えない。「25年は再出発の年になる」。“バロックらしさ”に立ち返り、商品企画の抜本的見直しで浮上を期す。

「不本意でもどかしい」24年からの再出発

WWD:24年を振り返って。

村井博之社長(以下、村井):不本意でもどかしい1年だった。中国は、ついさっきまで晴れていた空から急に雨が降ってきたような状況。それも1、2年で降り止まない大雨だ。(中国事業を)諦めるつもりはないが、いったんは北京、上海などの都心店を残しながらスクラップ&ビルドを進める。タフで我慢が必要な戦いになるだろう。

日本もかつてはバブル崩壊の不況の中から、渋谷109がけん引するギャルカルチャーが生まれ、バロックもその中心にいた。悲観的な状況の中でも前向きなパワーを生み出すのがファッション。中国でも今のどん底の状況から、また新しいカルチャーが萌芽するはずだ。現地の10〜30代のライフスタイルを常に観察し続け、変化の機微を捉えていく。

WWD:「アズールバイマウジー」を中心とする主力のSC事業が停滞している。

村井:マーケットがしぼんだのではなく、作り手である当社の問題。「アズール」の主戦場であるマス市場では、ファストファッションをはじめ競合との競争が苛烈さを増している。われわれの業績のふがいなさは、「バロックらしさとは?」に対する答えが提示できていないことの表れ。モノ作り、MD、価格設定を含めて、「自分たちが正しい」という思い込みを捨てて抜本的に変える。大胆なテコ入れも必要と考えている。

WWD:どんな方向性に変える?

村井:一つ言えるのは、「バロックじゃなくてもできるもの」は作らなくてもいいということ。かつてバロックのブランドというのは、どれをとっても“ニッチ”だった。売り上げの多寡ではなく、商品や店舗運営のスタイルが尖っていた。芸能人やモデルがこぞってバロックブランドを着用し、それに憧れる若い女の子の親御さんからは、「娘に着せたくない」という声も上がったくらい(笑)。少々のハレーションが起こるくらいのエッジィさが私たちの持ち味でもある。他の店でも手に入るような服なら、うちに置く必要はない。「路面店だから」「SC店だから」というふうにMDをはめ込んでいくから、店が面白みを失っていく。既成概念を取り払って、ゼロから品ぞろえを考える。

WWD:原宿の旗艦店「ザ・シェルター トーキョー」は免税売上高が前期比15%増と好調だ。

村井:入店客の約40%を海外のお客さまが占めている。欧米・アジアがメインだが、実は中東からのお客さまも一定数いらっしゃる。われわれの想像の範疇になかったビジネスチャンスを見出す場にもなっている。今後は、国内のお客さまにもさらなる面白みを提供したい。これまでは1階の明治通り側の区画で外部ブランドを誘致したポップアップ企画を実施してきたが、3層(地下1階〜地上2階)の空間を生かし、より大きなスケールでキュレーション展開する。ポップアップのスパンもより短サイクルにして、常に鮮度のある店を作りたい。

WWD:「ブラックバイマウジー」の今春での休止が発表された。SNSでは惜しむ声も多かった。

村井:近い将来、お客さまをあっと言わせる形での新しい展開を考えている。しっかりとしたファンダムがあることが分かっているからこそ、現在のコアな規模から、よりスケールアップした形で出直す。25年内には具体的な発表ができるはずだ。ブランド名は変わる。デニム軸のスタイリング提案というコンセプトにも捉われず、大人がより自分らしいファッションを楽しんでいただけるよう提案する。休止前は実店舗は2つだったが、より大きな規模で展開したい。
アパレルはデザイナー、販売員などあらゆる業種で“人”ありきのビジネスだ。限られた人材を最大限に生かすという意味では、「ブラックバイマウジー」に限らず、小規模なプロジェクトをある程度整理・統合していく必要があると考えている。

WWD:25年の展望は?

村井:再成長に向けた地盤を固める。好材料の一つが「マウジー」の25周年だ。手前味噌だが、ここまで長くお客さまの心を掴めるブランドはそうそうない。ずっとファンでいてくださるお客さまが年齢を重ねる一方、あるメディアの調査によれば、服飾系専門学生の「よく買うブランド」のランキング上位に食い込んでいる。後押ししているのがレトロブームによる渋谷109のリバイバルで、館の店舗も売り上げ好調だ。大人層からの人気商品とはまた違った商品を手に取り、自由にスタイリングを楽しむ若いお客さまがおり、ブランドにとって大いに刺激になっている。周年施策は、大人も若いお客さまも心から楽しんでいただけるものにしたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『財団からノーベル賞を輩出!』

2020年に設立したバロック村井博之財団では、若者の進学や研究に資金援助している。私自身にとっても、アパレルと違う世界の学問に触れることは大いに刺激になる。近い将来、財団からノーベル賞受賞者が生まれたら。

COMPANY DATA
バロックジャパンリミテッド

2000年にフェイクデリックとして設立し、「マウジー」「スライ」が“平成ギャルブーム”をけん引し大ヒット。08年にバロックジャパンリミテッドに商号変更。13年に中国の靴小売り大手ベル・インターナショナルとの合弁会社バロックチャイナを設立し、中国出店を加速。16年に東証1部(現プライム)市場上場。24年2月期の売上高は前期比2.5%増の602億円、営業利益は同9.1%減の19億円


問い合わせ先
バロックジャパンリミテッド
03-5738-5775

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【シロ 福永敬弘社長】モノ作りの価値基準を寛容に 廃棄物ゼロで地球環境を改善

PROFILE: 福永敬弘/社長

福永敬弘/社長
PROFILE: (ふくなが・たかひろ)1973年生まれ、広島県出身。大学卒業後、リクルートに入社。雑誌編集長やメディアプロデュース責任者などを経て、2014年にシロに入社。経営全般の戦略立案や、新規・海外事業の実行を担当。16年、専務に就任。21年から現職

ブランド誕生から15周年を迎えた2024年、モノ作りと店舗作りの両軸で、全ての資源の価値を見つめ直す「15年目の宣言」を表明した。廃棄物ゼロを目指し、化粧品の枠にとらわれない取り組みを実行する。

“廃棄ゼロ”を実現
モノ作りの未来を描く

WWD:24年をどのように振り返るか。

福永敬弘社長(以下、福永):売上高は前年比26%増を記録し、店舗が同32%増、ECが同8%増とどちらも前年並みの成長率を維持している。中でもスキンケアが同81%増となり、数量限定の“旬”シリーズが成長を支える大きな柱となった。あらためて社員教育に力を注ぎ、スキンケアに対する熱量を上げたことも成果を生んだ。まずはアイテムを使うことを徹底し、実体験に基づいた感想を自身の言葉でお客さまに伝えることを重視している。

WWD:“旬”シリーズを続けるのは大変ではないか?

福永:“旬”シリーズは、旬の素材を肌や髪にも届けたいという想いから誕生した。原料となる植物を最適な状態で収穫して製品化するため、発売日や販売本数があらかじめ決まらないという特殊な形態を取っている。自社工場だからできることだが、スケジュールも極めてタイトだ。最短で発売日の6日前に工場から出荷し、4日前に倉庫に到着するというスピーディーかつ緻密な流通計画が必要となる。現場にとっては常に緊張感を伴う取り組みでもあるが、そこを上回るシロらしい価値を創造する製品であり、お客さまも楽しみに待っていてくださる。

WWD:循環型の未来を描く「廃棄物ゼロ」に向けたアクションの成果は。

福永:24年8月にスタートした「シロ リユースプロジェクト」のPoC(概念実証)を行い、店頭でシロの使用済みガラス容器約1万本を回収できた。その容器を洗浄してリユースできる状態にし、リニューアル前に余剰となった香料や手元にある資材を活用した限定フレグランス“ゼロ コレクション フレグランス”として新たな命を吹き込んだ。同製品は24年11月に渋谷パルコで開催したポップアップイベント「シロ ウィズ パスト」で2400本を販売した。今回の取り組みで、ガラス容器の回収、洗浄、充填、製品化といった一連のプロセスを内製化するおよその見通しが立った。一方で衣類は4カ月間で回収したのが3000着、販売は150着で課題が残った。今後の展開についてはより慎重に検討していく。

WWD:廃棄物ゼロに向けた次のアクションは?

福永:弊社は製品だけでなく、香料も含め資材の棚卸しも精緻に行っている。次のマーケティングカレンダーに反映させ活用するのが“ゼロ コレクション フレグランス”だ。他社も巻き込み、廃棄せざるを得ない資材を譲り受けて製品化していくというのが、25年のフェーズ。自分たちだけがゴミを出さなければそれでいいというわけではない。

WWD:利益の追求と廃棄物ゼロは両立できるか。

福永:両立するには自社工場は必須だ。OEMだけに依存していたら資材まで管理できないし、単価を下げるために量を作らざるを得ない。欠品は避けなければならないが、資材を有効活用して小ロットで作れば、利益を大きく損なうことはない。ただ、ガラス容器の再利用も余った資材の活用も、09年からエシカルなモノ作りにこだわってきた「シロ」というブランドの根っこがあるから理解していただけるのだと感じている。

WWD:海外での拡販も順調に進行している。

福永:海外での売り上げは3倍に伸びたが、シェアは2%程度。春には韓国の聖水(ソンス)に路面店のオープンを計画している。顧客体験も品ぞろえも現地に寄り添った内容にし、ゆくゆくは限定のスキンケア製品も作っていきたい。また、4月には昨今の為替レートに合わせて海外価格の値下げを行う予定だ。

WWD:昨年11月に北海道栗山町と協定を結び、森林作り活動にも着手している。

福永:森林を守りながら資源を活用することに取り組むが、今はそのために森の中の道を整備している。栗山町に自生するふきのとうを、23年に発売したフェイスミスト“ふき2023”で使わせていただいたこともある。ゆくゆくは、そういった栗山町の資源を使用した製品を栗山町のふるさと納税の返礼品とし、税収につなげていただき、森が良くなる循環を作っていきたい。われわれが目指すのは町が自走すること。現在は砂川市、栗山町、足寄町で行っているが、シロはさまざまな地域の産物を利用している。このような市や町との連携は今後も拡大し継続していきたい。

WWD:シロが未来に見据える「可能性」とは?

福永:日本人の価値基準を寛容にしたい。日本のモノ作りはすごく繊細かつ正確で安全・安心。それによって国際競争力を上げてきたが、裏を返せば、その厳しい基準がゴミを出しているという現実がある。そのスイッチをどこかのタイミングで切り替えないと、地球環境は改善していかない。パッケージのキズや容器の再利用などはもっと寛容になれる未来を作りたい。影響力を持つにはわれわれのビジネスをもっと拡大する必要があるが、既に原料調達にも影響が出るほど地球環境は悪化しており、待っている時間はない。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『小説家デビュー』

幼少の頃から夢は小説家。大好きな白石一文さんのような文章を書ける人になりたかった。書きたいテーマは自伝でもビジネス書でもなくヒューマンストーリー。まだ書き始めてもいないが構想は常に頭の片隅にある。いつか上梓したい。

COMPANY DATA
シロ

国内外で見つけた素材の力を最大限に引き出す、スキンケア、メイク、フレグランスを提案。自社内に製品の開発から販売まで全ての機能を持ち、創業当初からエシカルな信念に基づくモノ作りを続ける。日本全国に直営店舗を展開するほか、ロンドンや台湾に実店舗を構え、米国では自社EC、中国では越境ECでの販売を行う。23年創業の地である北海道砂川市に新工場と付帯施設を含む「みんなの工場」をオープン。食のセレクト「シロ ライフ」や宿泊施設「メゾン シロ」なども手掛ける


問い合わせ先
シロ カスタマーサポート
info@shiro-shiro.jp

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【マッシュビューティーラボ 豊山YAMU陽子社長】既存店を磨き上げ戦略を武器に客数最大化

PROFILE: 豊山YAMU陽子/社長

豊山YAMU陽子/社長
PROFILE: (とよやま・やむ・ようこ)2005年にマッシュスタイルラボのファッション事業の立ち上げに参加し、「スナイデル(SNIDEL)」「ジェラート ピケ(GELATO PIQUE)」「フレイ アイディー(FRAY I.D)」「エミ(EMMI)」といった主力ファッションブランドの成長・拡大に寄与。マッシュスタイルラボ取締役を経て、23年4月1日から現職。リテール企画本部長を兼任し、「コスメキッチン(COSME KITCHEN)」「ビープル(BIOPLE)」など小売業態の売り場編集力と企画力の底上げを図る PHOTO : SHUNICHI ODA

2023年4月にマネジメント層を中心に組織を刷新。24年は新体制の下あらためてナチュラル&オーガニックの裾野を広げるため、店頭ツールからウェブ施策、コラボレーションに至るまで新たな策を講じ、実績につなげた。今年はその勢いを加速させ、チーム一丸となり客数最大化に挑む。

エンターテインメント性で
ナチュラル&オーガニックを訴求

WWD:社長就任2年目の手応えは?

豊山YAMU陽子社長(以下、豊山):24年8月期決算は売上高が前期比2%増で着地。直近の9〜11月の売上高は同21%増と、ここ数年の踊り場を脱しリテールもプライベートブランド(以下、PB)も好調に推移している。社長就任1年目は、基盤作りに注力した。組織が固まったことで、2年目は売り上げを生み出すことにフォーカスでき、ナチュラル&オーガニックのハードルを下げる施策を積み上げられた。コスメキッチンとして20年間、実直にナチュラル&オーガニックを伝えてきた一方で、お客さまにとってはまだまだ入り口の狭さや選択の難しさもあったと思う。24年はさまざまなチャレンジが実を結び、ファーストオーガニックとしてコスメキッチンやビープルの製品を手にしてくださるお客さまが増えた。

WWD:方向性を明確にして成果が表れた。

豊山:チーム全体が同じ方向に進む指針となったのが、24年にマッシュグループ全体で掲げた「シンク エンターテインメント」というスローガンだ。私たちのエンターテインメント性でナチュラル&オーガニックをお客さまの生活の一部にしていくことを決意し、可能性を引き出せた。その具体策の一つがコラボレーション。シーズンごとのテーマやイベントに多くのメーカーが賛同し、オリジナルパッケージやキットを作って訴求できたことは大きかった。

WWD:店頭でのエンターテインメント性の表現は?

豊山:初心に立ち返り、ショップのVMD設計を基礎から見直して改革に取り組んだ。選択肢の多さに悩むお客さま全員を、店頭で必ず接客できるわけではない。そんなとき入店の動機作りや商品購買のきっかけとなるのが店頭ディスプレイやPOPだ。何気なく思えるPOPの1つ1つの言葉に吟味を重ね、フォント選びやサイズまで徹底したクリエイティブを追求するほか、リアルな声を届ける手書きPOPも同時に再注力した。また、それに合わせてリテールの圧倒的なマーケティング力や、PBのクリエイティブを強化。製品のさらなる魅力を引き立たせることで、確固たるファンの獲得に寄与するなど、多角的に「お客さまへのアプローチ」を見直したことが成果につながった。

WWD:とくに注力したカテゴリーは?

豊山:ヘアケアの24年8月期の売上高は前期比13%増、9、10月はさらに動きが良く、前年同期比50%増で推移。同じくインナーケアは前期比37%増で、9、10月は前年の2倍の売り上げとなっている。また、5〜9月に力を入れたミストローションなどのクール商材は前期比150%増で、戦略的にSKUも数量も積んだことが功を奏した。このクール商材のように、お客さまの悩みを深掘りしたオンタイム対応によるシーズンプロモーションがはまった。

WWD:仕掛けが数字となって顕著に表れている。

豊山:戦略をしっかり組み立て、それに対して店頭、EC、VMD、PRとチーム全体が一つの方向に向かって全力を注いだ結果が数字に表れ、自信にもつながっている。それぞれの部署がどう「シンク エンターテインメント」していくのか、お客さまとどう会話して行くかを真剣に考え丁寧に実行したら、着実に数字として返ってくるという成功体験を重ねられた年だった。その過程でスタッフの士気と結束力が高まり、社内の雰囲気が変わったのを感じた。

WWD:「シンク エンターテインメント」があらゆる面で反映されている。

豊山:大きな催しとなったのが、6月と11月に開催した「ザ オーガニックデイズ」だ。「ナチュラル&オーガニック=難しい」ではなく、自分らしく楽しむ選択肢の1つとして取り入れてほしいとの思いから生まれたオーガニックの祭典で、限定キットやベストコスメの発表、オリジナルコンテンツを提供した。ECを中心としたイベントだが、店舗の売り上げに影響を与えず、相乗効果となって店舗の新客獲得に貢献した。今年もさらに拡大して開催する予定だ。

WWD:3年目となる25年のチャレンジは?

豊山:最優先は既存店を磨き上げること。既存店の売り上げは1.5〜2倍に成長させられると思っている。世界からお客さまが絶えない店にしたいし、長年愛してくださるお客さまには世界を旅しているような店、毎回新しい発見がある店、トレンドをキャッチできる店でありたい。さらにリテール事業では客数最大化を目指す。そして、PBもエクスクルーシブブランドも強化・拡大。現在、お客さまのニーズを捉えた自社企画製品や各メーカーとの共同開発に精力的に取り組んでいる。いずれの戦略も、若い世代のスタッフに期待しているし、そこから生まれるケミストリーが楽しみだ。「この会社で働きたい」と思ってもらえる企業No.1を目指し、環境に対してはもちろん、事業・企業としてのサステナビリティも追求していきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ホテル・旅館の女将』

挑戦してみたいのは、ただのリトリートではなく、世界のウェルネスなツーリストたちが集まるような場。健康・美容に向き合い、恋愛・エンタメまで楽しめるような活力溢れる宿や高齢者向けの新感覚施設を作ってみたい。

COMPANY DATA
マッシュビューティーラボ

マッシュグループの傘下として2010年に設立。ナチュラル&オーガニックコスメのセレクトショップ「コスメキッチン」や、コスメに加え食品やインナーケアアイテムをそろえる「ビープル」を運営する。「セルヴォーク(CELVOKE)」「トーン(TO/ONE)」「スナイデル ビューティ(SNIDEL BEAUTY)」などプライベートブランドも充実し、22年に発表した「ミティア オーガニック(MITEA ORGANIC)」ではファミリーマートと協業するほか、日本における総代理店として「ミー トゥデイ(ME TODAY)」「トリロジー(TRILOGY)」「インナーセンス(INNERSENSE)」などを展開

TEXT : YOSHIE KAWAHARA

問い合わせ先
マッシュビューティーラボ
https://mashgroup.jp/contact/index.html

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【ポーラ 小林琢磨社長】ブランド価値や現場資産を活用 独自性で経営を“サイエンス”

PROFILE: 小林琢磨/社長

小林琢磨/社長
PROFILE: (こばやし・たくま)1977年9月1日生まれ。2002年にポーラ化粧品本舗(現ポーラ)に入社した後、10年にディセンシアの社長に就任して同社を急成長させた。18年にオルビスの社長に就任し、リブランディングによる構造改革により数々のヒット製品を生み出すとともに、リアルとデジタルを融合したCX戦略などをけん引して成果を創出。25年1月1日付でポーラの社長に就任 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

2025年1月1日付でポーラの社長に就任した小林琢磨社長は、これまでディセンシア、オルビスの事業構造を改革し大きな成果を創出している。ポーラでもその手腕を生かし、さらなるブランド価値向上と中長期的な顧客基盤構築推進のため経営を“サイエンス”していく。

「Science. Art. Love.」を合言葉に
ブランド価値を最大化

WWD:24年の取り組みとその成果は。

小林琢磨(以下、小林):直近まで経営をしたオルビスは、非常に好調な1年だった。売り上げ比率が高いスキンケアの中で最も高価格帯の製品が、売り上げや販売個数、客数の面で突出した成果を挙げることができた。中価格帯を主戦場とするオルビスにとって、一番高い製品が売れているのはとても稀有なこと。これはお客さまにブランドの付加価値を認められている証ともいえる。特に高価格ラインの“オルビスユー ドット”を中心に、高付加価値の美容液などのクロスセルが奏功。これにより全体の売り上げが大きく伸長した。また、エイジングケアシリーズ“ショットプラス”を立ち上げ、ドラッグストア市場への参入を果たした。オルビスはこれまで、ダイレクトマーケティングを主軸に展開してきたが、同シリーズはスキンケアラインとして初めて直販を行わない形態を採用。社内でも議論を呼んだが、生活者の購入生活圏に直接アプローチする必要性を考慮し決断した。

WWD:オルビスは18年から「量より質」のリブランディングで構造改革を行い、成果を出している。ポーラではどう取り組んでいく考えか?

小林:基幹ブランドの「ポーラ」は、24年9月までの実績では販売チャネルの店舗数減少による顧客接点の縮小が響き、国内事業全体で前年を下回る業績だ。加えて、海外事業においても中国大陸を中心に景気減速の影響が続き、売上高・営業利益共に前年を下回る厳しい状況となっている。しかし、“現場の強さ”は当社の競争優位の源泉。ポーラの合言葉でもある企業理念「Science. Art. Love.」は、その精神を的確に表現している。コロナ禍を経て生活者の価値観や購買行動が変化した一方、化粧品市場におけるEC比率の上昇は約2割にとどまった。このようにリアル店舗で購入したい人が大半の中、当社で活躍する地域に根付いた約2万3000人のビューティディレクター(BD)の存在は大きな財産である。「日本はおもてなしの国」と言われているが、人口減少による人手不足でAIの投入や隙間時間に働けるバイトアプリも盛んになり、満足な接客は受けられなくなりつつある。その中でブランドと共に何十年もの間歩み続けてきた愛を持ったBD組織を有することは、大きな強みだ。汗と資源の上に成り立つ差別性が独自性となる。

WWD:ダイレクトセリングの強みをさらに生かしていくためには。

小林:ポーラは創業からダイレクトセリングでブランドポートフォリオを築いてきたため、直接つながるお客さまとの解像度が高い状態。OMO戦略を推進し、新規顧客獲得から高LTV(顧客生涯価値)化までの転換促進を実現するブランド体験「One POLAモデル」の構築に注力している。23年から全チャネルを対象とするメンバーシッププログラム「ポーラ プレミアム パス」を始動し、顧客IDを統合したことにより国内で共通のサービス体験の提供が可能となった。この先は、一本化したIDから次に何を生み出すべきかを課題としている。

WWD:どのような構想か。

小林:ダイレクトマーケティングでは顧客のRFM分析(Recency=最終購入日、Frequency=購買回数、Monetary=購買金額)を実施しているが、例えばレスポンス率が下がっている場合、どこに手を打つか、どこを訪問すべきかなどを現場責任者であるコンサルタントと本社が一緒になり考えていくべき。ポーラのすごい点は、業績が下がっている時もブランドの資産価値は下がっていないこと。これは、製品の技術価値やクリエイティビティ、そして強い製品知識と愛を持って活動する販売現場の強さなど積み重ねてきた独自性があるから。これらのベースをもとに一本化した顧客IDを生かしながらコンサルタントと本社が一丸となり経営をサイエンスしていくことが重要だと考えている。

WWD:製品やブランドポートフォリオにおける課題は。

小林:すでに製品企画の開発力が非常に高く、ブランドの資産価値も高い。この強みは変えずにさらに強化していくことに注力するべきだと考えている。また、ハイプレステージブランド「B.A」については、グローバル市場で十分に競争力を発揮できる水準に達している。加えて、国内市場では若年層の富裕層が増加しており、ここにもチャンスがあるとみている。

WWD:25年は強みを伸ばしていくことに注力する。

小林:生かしきれていなかったブランド資産価値や現場の資産を高めていく。これを前提に、経営やマーケティングを“サイエンス”していく。ダイレクトセリングの強みを生かしてきたことはオルビスで経験済み。この得意分野をポーラでも築き上げていきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『映画マニアによる映画監督』

学生時代は東宝でバイトし、年間200本以上を観る映画マニア。紀里谷和明監督の引退作「世界の終わりから」の制作総指揮を務めた経験を持つ。かつてはクリエイティブの才能がないと諦めたが、また映画監督や映像制作に挑戦したい。

COMPANY DATA
ポーラ

1929年に静岡市で創業。企業理念である「Science. Art. Love.」を軸として、「B.A」「リンクルショット」「ホワイトショット」「アペックス」などのスキンケアやメイクブランド、エステなどの美容サービスを展開。創業者の「最上のものを一人一人にあったお手入れとともに直接お手渡ししたい」という思いを大切に、一人一人の顧客と向き合い、美を提供


問い合わせ先
ポーラお客さま相談室
0120-117111

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【マッシュホールディングス 近藤広幸社長】営業利益100億円の先へ “人の力”を生かす組織で進む

PROFILE: 近藤広幸/マッシュホールディングス社長

近藤広幸/マッシュホールディングス社長
PROFILE: (こんどう・ひろゆき)1975年8月6日生まれ、茨城県出身。98年にグラフィックデザインを手掛けるスタジオ・マッシュを設立、99年にマッシュスタイルラボに社名変更。2005年にファッション事業部を立ち上げ、ビューティ、フード、スポーツ&ウェルネスなどに事業を拡大。12年にマッシュホールディングスを設立し、現職 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

2024年8月期に営業利益が初めて100億円を突破したマッシュグループ。盤石の強さを見せる主力ブランドに加え、メンズ、キッズ&ベビー、ライセンスといったチャレンジ領域も順調に成長。25年には伊藤忠商事と日本事業を共同運営する「レスポートサック」のアパレルを始動するなど挑戦を続ける一方、ネクストステップのカギは、「人の力を最大限に生かすこと」だと近藤広幸社長は話す。

組織、個人のKPIを見直し
さらなる伸び代を作る

WWD:営業利益が初めて100億円を突破した。

近藤広幸社長(以下、近藤):「ジェラート ピケ」(24年8月期売上高は前期比9%増)、「リリー ブラウン」(同5%増)といったブランドに加え、「スナイデル」から誕生した「スナイデル ホーム」(同35%増)、「スナイデル ビューティ」(同50%増)も成長を続け、本当によくやっている。

昨年は試練もあった。西武池袋本店の改装をはじめ、私たちにはどうすることもできない環境要因によって、当社の中でも売り上げトップクラスの店舗を一気に失ったダメージはとてつもなく大きい。出店コストも高騰する中で、そういった優良店をまた一から作るためには膨大な時間とエネルギーが必要になる。

ただ社員の努力があったからこそ、一つの目安としていた「営業利益100億円」という壁を打ち崩すことにつながったのだろうし、コロナ禍で試行錯誤しながら成長してきた総決算と言える。すでに現場では一人一人が「限界」といえるレベルまで奮闘してくれている。さらなる伸び代を作るには、経営として組織のあり方、個々のKPIを改めて考え直す必要があるとも感じている。

WWD:その具体的な考えは。

近藤:個人の力が十二分に事業に反映されるよう、適材適所の考え方で、もう一度組織を見直す。やりがいと責任のあるポジションを増やして、それぞれの持つ個性や強みをより輝かせていく。例えばだが、神奈川県のファッションの消費額はものすごく高い。これまでのように「関東」という大枠で見るのではなく、神奈川県を統括する営業責任者を立て、3カ年計画を作って戦略的に売り上げを作ったらどうか。そんなふうに既成概念を外して考えれば、ビジネスチャンスはいくらでも見出せる。才能ある若手や中堅を責任者に抜擢すれば、成長のチャンスになるし、ゆくゆくは会社の明るい未来を作っていく存在になる。

WWD:24年はライセンス事業への投資も活発だった。

近藤:ニュージーランドのベビー&キッズ「ジェイミーケイ」や米ラグジュアリーヘアケア「インナーセンス」、伊ラゲージの「FPM」を新規導入した。すでに22年から展開している「バブアー」は、私たちならではの企画力やコーディネート提案力によって女性ファンを大幅に増やすことができている。池袋サンシャインシティに出店した「セサミストリート マーケット」は、作品に通底する多様性を私たちらしい商品やストアデザインで表現し、連日盛況だ。こういった成功事例により、取引先からの商談が次々と舞い込んでいて、今年も新規導入の計画がある。ただしやみくもに数を増やすのではなく、私たちのウェルネスデザインの理念とマッチしているかが前提条件。私たちも共感とリスペクトを持ってブランドを育てていけば、お客さまも必ずついてきていただけるはずだ。

WWD:米ライフスタイルブランド「レスポートサック」の日本事業を伊藤忠商事と共同運営する。

近藤:主力はバッグだが、これまでのMDにはなかったアパレルを自社オリジナルで企画し、秋に導入する。「フレイ アイディー」を率いてきたディレクターを新たにチーフデザイナーに据える。女性の心をつかむデザイン力や感性を生かして、マッシュらしいウェルネスウエアに落とし込む。私としても、どんな化学反応が起こるか楽しみだ。

WWD:サステナビリティ推進の進捗は?

近藤:当社では22年にサステナブル推進委員会を発足し、全社でCO2削減の取り組みを進めている。アパレル製造を依頼している中国の取引先工場に対しては、環境への配慮について当社独自の監査基準でランク付けし、S・Aランクの工場には「エコファクトリー」の認定証をお渡ししている。すでに認定証を発行した取引先は100社にのぼり、そこを目標として努力していただいている工場も出てきた。エコファクトリーへの意識改革の流れを生み出せている手応えがある。他にも、昨春は「エミ」が環境にやさしい植物由来の素材「プラックス」を用いたコレクションを発表し、CO2排出削減量を数値化・開示した。こういった取り組みは他ブランドに水平展開していく。

WWD:25年のファッション業界をどう読む?

近藤:今は気候、特に猛暑対応が経営課題として立ちはだかっているが、その中でも守りに回らず「どう個性を出すか」というプラスワンの発想ができるかどうかで差がつく。コロナという大波を乗り越えたアパレル業界には、世の中に必要とされながら強かに生き残っていく企業が数多くあることを、改めて感じている。そういったプレーヤーと競い合いながら、私たちにとっても本当の実力が試される「勝負の年」になるだろう。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『子供たちに希望を与えられる漫画を』

マッシュグループは子供たちの未来を作る企業活動を続けているが、私個人として思い描いているのが漫画のプロデュース。子供たちに夢と希望を与えられるような作品を世に送り出せたら。

COMPANY DATA
マッシュホールディングス

1998年、グラフィックデザイン会社として設立。2005年に「スナイデル」を立ち上げ、ファッション事業に参入。「ウェルネスデザイン」のスローガンの下、ビューティやフードにも裾野を拡大。24年8月期連結売上高は、前期比6%増の1202億円。国内事業が前期比6%増の1087億円で、内訳はファッションが同8%増の866億円、ビューティが同2%増の176億円。海外事業は同5%増の115億円だった。今期売上高は1300億円を計画する


問い合わせ先
マッシュホールディングス
https://mashgroup.jp/

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【マッシュホールディングス 近藤広幸社長】営業利益100億円の先へ “人の力”を生かす組織で進む

PROFILE: 近藤広幸/マッシュホールディングス社長

近藤広幸/マッシュホールディングス社長
PROFILE: (こんどう・ひろゆき)1975年8月6日生まれ、茨城県出身。98年にグラフィックデザインを手掛けるスタジオ・マッシュを設立、99年にマッシュスタイルラボに社名変更。2005年にファッション事業部を立ち上げ、ビューティ、フード、スポーツ&ウェルネスなどに事業を拡大。12年にマッシュホールディングスを設立し、現職 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

2024年8月期に営業利益が初めて100億円を突破したマッシュグループ。盤石の強さを見せる主力ブランドに加え、メンズ、キッズ&ベビー、ライセンスといったチャレンジ領域も順調に成長。25年には伊藤忠商事と日本事業を共同運営する「レスポートサック」のアパレルを始動するなど挑戦を続ける一方、ネクストステップのカギは、「人の力を最大限に生かすこと」だと近藤広幸社長は話す。

組織、個人のKPIを見直し
さらなる伸び代を作る

WWD:営業利益が初めて100億円を突破した。

近藤広幸社長(以下、近藤):「ジェラート ピケ」(24年8月期売上高は前期比9%増)、「リリー ブラウン」(同5%増)といったブランドに加え、「スナイデル」から誕生した「スナイデル ホーム」(同35%増)、「スナイデル ビューティ」(同50%増)も成長を続け、本当によくやっている。

昨年は試練もあった。西武池袋本店の改装をはじめ、私たちにはどうすることもできない環境要因によって、当社の中でも売り上げトップクラスの店舗を一気に失ったダメージはとてつもなく大きい。出店コストも高騰する中で、そういった優良店をまた一から作るためには膨大な時間とエネルギーが必要になる。

ただ社員の努力があったからこそ、一つの目安としていた「営業利益100億円」という壁を打ち崩すことにつながったのだろうし、コロナ禍で試行錯誤しながら成長してきた総決算と言える。すでに現場では一人一人が「限界」といえるレベルまで奮闘してくれている。さらなる伸び代を作るには、経営として組織のあり方、個々のKPIを改めて考え直す必要があるとも感じている。

WWD:その具体的な考えは。

近藤:個人の力が十二分に事業に反映されるよう、適材適所の考え方で、もう一度組織を見直す。やりがいと責任のあるポジションを増やして、それぞれの持つ個性や強みをより輝かせていく。例えばだが、神奈川県のファッションの消費額はものすごく高い。これまでのように「関東」という大枠で見るのではなく、神奈川県を統括する営業責任者を立て、3カ年計画を作って戦略的に売り上げを作ったらどうか。そんなふうに既成概念を外して考えれば、ビジネスチャンスはいくらでも見出せる。才能ある若手や中堅を責任者に抜擢すれば、成長のチャンスになるし、ゆくゆくは会社の明るい未来を作っていく存在になる。

WWD:24年はライセンス事業への投資も活発だった。

近藤:ニュージーランドのベビー&キッズ「ジェイミーケイ」や米ラグジュアリーヘアケア「インナーセンス」、伊ラゲージの「FPM」を新規導入した。すでに22年から展開している「バブアー」は、私たちならではの企画力やコーディネート提案力によって女性ファンを大幅に増やすことができている。池袋サンシャインシティに出店した「セサミストリート マーケット」は、作品に通底する多様性を私たちらしい商品やストアデザインで表現し、連日盛況だ。こういった成功事例により、取引先からの商談が次々と舞い込んでいて、今年も新規導入の計画がある。ただしやみくもに数を増やすのではなく、私たちのウェルネスデザインの理念とマッチしているかが前提条件。私たちも共感とリスペクトを持ってブランドを育てていけば、お客さまも必ずついてきていただけるはずだ。

WWD:米ライフスタイルブランド「レスポートサック」の日本事業を伊藤忠商事と共同運営する。

近藤:主力はバッグだが、これまでのMDにはなかったアパレルを自社オリジナルで企画し、秋に導入する。「フレイ アイディー」を率いてきたディレクターを新たにチーフデザイナーに据える。女性の心をつかむデザイン力や感性を生かして、マッシュらしいウェルネスウエアに落とし込む。私としても、どんな化学反応が起こるか楽しみだ。

WWD:サステナビリティ推進の進捗は?

近藤:当社では22年にサステナブル推進委員会を発足し、全社でCO2削減の取り組みを進めている。アパレル製造を依頼している中国の取引先工場に対しては、環境への配慮について当社独自の監査基準でランク付けし、S・Aランクの工場には「エコファクトリー」の認定証をお渡ししている。すでに認定証を発行した取引先は100社にのぼり、そこを目標として努力していただいている工場も出てきた。エコファクトリーへの意識改革の流れを生み出せている手応えがある。他にも、昨春は「エミ」が環境にやさしい植物由来の素材「プラックス」を用いたコレクションを発表し、CO2排出削減量を数値化・開示した。こういった取り組みは他ブランドに水平展開していく。

WWD:25年のファッション業界をどう読む?

近藤:今は気候、特に猛暑対応が経営課題として立ちはだかっているが、その中でも守りに回らず「どう個性を出すか」というプラスワンの発想ができるかどうかで差がつく。コロナという大波を乗り越えたアパレル業界には、世の中に必要とされながら強かに生き残っていく企業が数多くあることを、改めて感じている。そういったプレーヤーと競い合いながら、私たちにとっても本当の実力が試される「勝負の年」になるだろう。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『子供たちに希望を与えられる漫画を』

マッシュグループは子供たちの未来を作る企業活動を続けているが、私個人として思い描いているのが漫画のプロデュース。子供たちに夢と希望を与えられるような作品を世に送り出せたら。

COMPANY DATA
マッシュホールディングス

1998年、グラフィックデザイン会社として設立。2005年に「スナイデル」を立ち上げ、ファッション事業に参入。「ウェルネスデザイン」のスローガンの下、ビューティやフードにも裾野を拡大。24年8月期連結売上高は、前期比6%増の1202億円。国内事業が前期比6%増の1087億円で、内訳はファッションが同8%増の866億円、ビューティが同2%増の176億円。海外事業は同5%増の115億円だった。今期売上高は1300億円を計画する


問い合わせ先
マッシュホールディングス
https://mashgroup.jp/

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【アルビオン 小林章一社長】熱狂と感動を生み出し続け、まだ見ぬ未来を切り拓く

PROFILE: 小林章一/社長

小林章一/社長
PROFILE: (こばやし・しょういち)1963年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、西武百貨店勤務を経て、88年にアルビオンに入社。「ソニア リキエル ボーテ」事業の立ち上げなど、ブランドビジネスに携わる。フランス勤務を経て、91年に取締役、95年に常務・マーケティング本部長を歴任。2004年に副社長就任、06年から現職 PHTO : SHUNICHI ODA

唯一無二の化粧水“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”が2024年に誕生50周年の節目を経て、高級化粧品専門メーカーとしてますます存在感を増すアルビオン。モノ作りと接客力を両輪に、さらなる成長に向けた攻めの姿勢を強めている。

“夢”と“やる気”が原動力
顧客の心に響く接客とモノ作りで成長加速

WWD:アルビオンが見据える未来の可能性とは?

小林章一社長(以下、小林):お客さまに熱狂的に支持していただける製品を生み出し続けることが、未来の可能性を切り拓くと信じている。大事なのは“夢”と“やる気”。リソースや環境にどんな制限があったとしてもそこに不可能はない。「お客さまを喜ばせたい」という夢、思いを込めた真摯なモノ作りや接客は人の心を動かし、それが結果的に売り上げにもつながっていく。

WWD:これまでも幾度となく“熱狂”を生み出してきた。

小林:琵琶湖のほとりに位置する滋賀県長浜市の人通りの少ない地で多い時には月400回ほどのお手入れを行い、年間約9000万円を売り上げている店舗がある。これも製品や接客が圧倒的であれば環境にかかわらずお客さまに支持いただけるという一例で、本社に「接客が素晴らしかった。ぜひ一言お礼を伝えたかった」とわざわざ電話してくださるお客さまも多くいる。こんな小さな“熱狂”を生むことが私にとって生きがいであり、喜びでもある。唯一無二のモノ作りと接客のレベルを磨き続け、私が現役でいる限りはその可能性を追求していきたい。どこまでも攻め続けたいという思いがある。

WWD:攻めの姿勢でヒット製品が生まれている。

小林:22年にスタートした“フラルネ”は、コロナ禍で静かな立ち上げとなったものの、今では中核シリーズに育ちつつある。昨年秋にパワーアップリニューアルした“アンフィネス”も話題を集めている。好調に推移している主軸製品に加え、7種のビタミンC誘導体を配合したスペシャル美容液“アンフィネス メンテナンス ショット 7”といった突き抜けた製品も誕生している。ただ、攻め続けるのと同時に当社が大切にしているのは“育てる”文化だ。本当に良い製品は手塩にかけて全社で育てていく。だからこそ昨年50周年を迎えた“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”のようなロングセラー製品も生まれる。業界を見ても50年続く製品はそう多くはないだろう。22年に刷新した“フレッシュハーバルオイル”も当初の想定を超え、今では年間20万個売れるヒット製品になった。強烈な個性を放つ製品は、根本を変えずに刷新を続けることで長く愛される唯一無二の存在に育っていく。コロナ禍で厳しい状況が続いたが、昨年「アルビオン」はおかげさまで久しぶりに2ケタ近い成長を遂げた。会員数も5年ぶりに増加し、良い勢いが継続している。

WWD:国際事業本部が手掛けるブランドの動向は。

小林:「ポール & ジョー ボーテ」は堅調に動いているが、もう少しテコ入れが必要。質感や色、ニュアンスの面でよりブランドらしさを打ち出していけるように力を注ぎたい。「アナ スイ コスメティックス」はECのシェアが伸長、「エレガンス」は10年ぶりに新色が登場したフェイスパウダー“ラ プードル オートニュアンス”が好調だが、ポイントメイクでもさらなる“可能性”の種蒔きを仕掛けていきたいと考えている。

WWD:1月にデジタル部門を発足した。

小林:秋からデジタルを活用したマーケティング施策を本格化させ、26年にはEC販売を開始する。背景には、お客さまから「EC販売はしないのか」という声が日増しに高まっている現状がある。コロナ禍の影響で廃業する化粧品専門店が相次ぐ中、近所に実店舗がないお客さまや、多忙な日々を送るお客さまにご不便をおかけしているのは本意ではない。昨年11月に開催した方針説明会では、取引先にも事情を説明し、EC販売の計画に対する理解を得た。あくまでも実店舗が主役で、ECはその補完という位置付け。アルビオンとして対面の接客を重視する姿勢は一貫して変わらない。デジタルマーケティング施策では新規客を実店舗に誘導することを目的にし、最新の肌測定機器の導入など、店頭でしか味わえないサービスや接客を一層強化していく。

WWD:美容部員の再育成も急務だ。

小林:美容部員は、コロナ禍の影響でお客さまの肌に直接触れる接客スタイルが制限され、自信を失う者も少なくなかった。人材の入れ替わりもあったが、教育やトレーニングに力を入れ、かつての接客レベルを取り戻す努力を続けてきた。今ではコロナ禍前のレベルまで戻っている。やはり実際肌に触れた数だけ成長できるもの。ようやくマスクをしなくなってきた今、日々の実践を通じてスキルを高めながら本領を発揮している。

WWD:25年、“可能性”を広げる新たな動きは?

小林:海外進出に向けて本格的に動き出す。欧州とのコネクションがある某美容家とタッグを組み、海外に向けた製品開発に取り組み始めている。また、「アルビオン」では“欠けているピース”ともいえるフレグランスの開発にも挑戦したい。そうすれば従来接点のなかった新たな層にリーチできる大きな一手となるだろう。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『タップダンスをプロ級に』

20年以上続けているタップダンスでプロ級に上達したい。映画「タップ」を見て憧れて始めたこの趣味。いつかなかなか取れない長期休暇を使って、思い出の地、ニューヨークのブロードウェイダンスセンターのレッスンに通いたいと思っている。

COMPANY DATA
アルビオン

「日本一、世界一の高級化粧品メーカーを目指す」という夢を掲げて、1956年に創業。乳液先行の独自の美容理論を確立。主軸のスキンケアブランド「アルビオン」には、創業時から販売する乳液や、74年に誕生した“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”など、ロングセラー製品が多数存在する。そのほか「エレガンス」「イグニス」「ポール & ジョー ボーテ」「アナ スイ コスメティックス」などを手掛ける


問い合わせ先
アルビオンお客様相談室
0120-114-225
(10:00〜17:00/土・日・祝日除く)

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【アルビオン 小林章一社長】熱狂と感動を生み出し続け、まだ見ぬ未来を切り拓く

PROFILE: 小林章一/社長

小林章一/社長
PROFILE: (こばやし・しょういち)1963年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、西武百貨店勤務を経て、88年にアルビオンに入社。「ソニア リキエル ボーテ」事業の立ち上げなど、ブランドビジネスに携わる。フランス勤務を経て、91年に取締役、95年に常務・マーケティング本部長を歴任。2004年に副社長就任、06年から現職 PHTO : SHUNICHI ODA

唯一無二の化粧水“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”が2024年に誕生50周年の節目を経て、高級化粧品専門メーカーとしてますます存在感を増すアルビオン。モノ作りと接客力を両輪に、さらなる成長に向けた攻めの姿勢を強めている。

“夢”と“やる気”が原動力
顧客の心に響く接客とモノ作りで成長加速

WWD:アルビオンが見据える未来の可能性とは?

小林章一社長(以下、小林):お客さまに熱狂的に支持していただける製品を生み出し続けることが、未来の可能性を切り拓くと信じている。大事なのは“夢”と“やる気”。リソースや環境にどんな制限があったとしてもそこに不可能はない。「お客さまを喜ばせたい」という夢、思いを込めた真摯なモノ作りや接客は人の心を動かし、それが結果的に売り上げにもつながっていく。

WWD:これまでも幾度となく“熱狂”を生み出してきた。

小林:琵琶湖のほとりに位置する滋賀県長浜市の人通りの少ない地で多い時には月400回ほどのお手入れを行い、年間約9000万円を売り上げている店舗がある。これも製品や接客が圧倒的であれば環境にかかわらずお客さまに支持いただけるという一例で、本社に「接客が素晴らしかった。ぜひ一言お礼を伝えたかった」とわざわざ電話してくださるお客さまも多くいる。こんな小さな“熱狂”を生むことが私にとって生きがいであり、喜びでもある。唯一無二のモノ作りと接客のレベルを磨き続け、私が現役でいる限りはその可能性を追求していきたい。どこまでも攻め続けたいという思いがある。

WWD:攻めの姿勢でヒット製品が生まれている。

小林:22年にスタートした“フラルネ”は、コロナ禍で静かな立ち上げとなったものの、今では中核シリーズに育ちつつある。昨年秋にパワーアップリニューアルした“アンフィネス”も話題を集めている。好調に推移している主軸製品に加え、7種のビタミンC誘導体を配合したスペシャル美容液“アンフィネス メンテナンス ショット 7”といった突き抜けた製品も誕生している。ただ、攻め続けるのと同時に当社が大切にしているのは“育てる”文化だ。本当に良い製品は手塩にかけて全社で育てていく。だからこそ昨年50周年を迎えた“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”のようなロングセラー製品も生まれる。業界を見ても50年続く製品はそう多くはないだろう。22年に刷新した“フレッシュハーバルオイル”も当初の想定を超え、今では年間20万個売れるヒット製品になった。強烈な個性を放つ製品は、根本を変えずに刷新を続けることで長く愛される唯一無二の存在に育っていく。コロナ禍で厳しい状況が続いたが、昨年「アルビオン」はおかげさまで久しぶりに2ケタ近い成長を遂げた。会員数も5年ぶりに増加し、良い勢いが継続している。

WWD:国際事業本部が手掛けるブランドの動向は。

小林:「ポール & ジョー ボーテ」は堅調に動いているが、もう少しテコ入れが必要。質感や色、ニュアンスの面でよりブランドらしさを打ち出していけるように力を注ぎたい。「アナ スイ コスメティックス」はECのシェアが伸長、「エレガンス」は10年ぶりに新色が登場したフェイスパウダー“ラ プードル オートニュアンス”が好調だが、ポイントメイクでもさらなる“可能性”の種蒔きを仕掛けていきたいと考えている。

WWD:1月にデジタル部門を発足した。

小林:秋からデジタルを活用したマーケティング施策を本格化させ、26年にはEC販売を開始する。背景には、お客さまから「EC販売はしないのか」という声が日増しに高まっている現状がある。コロナ禍の影響で廃業する化粧品専門店が相次ぐ中、近所に実店舗がないお客さまや、多忙な日々を送るお客さまにご不便をおかけしているのは本意ではない。昨年11月に開催した方針説明会では、取引先にも事情を説明し、EC販売の計画に対する理解を得た。あくまでも実店舗が主役で、ECはその補完という位置付け。アルビオンとして対面の接客を重視する姿勢は一貫して変わらない。デジタルマーケティング施策では新規客を実店舗に誘導することを目的にし、最新の肌測定機器の導入など、店頭でしか味わえないサービスや接客を一層強化していく。

WWD:美容部員の再育成も急務だ。

小林:美容部員は、コロナ禍の影響でお客さまの肌に直接触れる接客スタイルが制限され、自信を失う者も少なくなかった。人材の入れ替わりもあったが、教育やトレーニングに力を入れ、かつての接客レベルを取り戻す努力を続けてきた。今ではコロナ禍前のレベルまで戻っている。やはり実際肌に触れた数だけ成長できるもの。ようやくマスクをしなくなってきた今、日々の実践を通じてスキルを高めながら本領を発揮している。

WWD:25年、“可能性”を広げる新たな動きは?

小林:海外進出に向けて本格的に動き出す。欧州とのコネクションがある某美容家とタッグを組み、海外に向けた製品開発に取り組み始めている。また、「アルビオン」では“欠けているピース”ともいえるフレグランスの開発にも挑戦したい。そうすれば従来接点のなかった新たな層にリーチできる大きな一手となるだろう。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『タップダンスをプロ級に』

20年以上続けているタップダンスでプロ級に上達したい。映画「タップ」を見て憧れて始めたこの趣味。いつかなかなか取れない長期休暇を使って、思い出の地、ニューヨークのブロードウェイダンスセンターのレッスンに通いたいと思っている。

COMPANY DATA
アルビオン

「日本一、世界一の高級化粧品メーカーを目指す」という夢を掲げて、1956年に創業。乳液先行の独自の美容理論を確立。主軸のスキンケアブランド「アルビオン」には、創業時から販売する乳液や、74年に誕生した“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”など、ロングセラー製品が多数存在する。そのほか「エレガンス」「イグニス」「ポール & ジョー ボーテ」「アナ スイ コスメティックス」などを手掛ける


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アルビオンお客様相談室
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【ポーラ・オルビスホールディングス 横手喜一社長】個×個から生まれる化学反応に期待

PROFILE: 横手喜一/社長

横手喜一/社長
PROFILE: (よこて・よしかず)1967年東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業後、1990年4月ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)入社。2006年フューチャーラボ社長や11年宝麗(中国)美容(ポーラ瀋陽)董事長兼総経理を経て、15年からポーラ執行役員商品企画部長、16年1月にポーラ社長に就任。20年1月ポーラ・オルビスホールディングス取締役グループ海外展開担当などを経て、23年1月から現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

紛争や中国経済の低迷など不透明な時代の中でビジネスを遂行するには、スタッフ一人一人の自己理解の深化が必須とし、ポーラ・オルビスホールディングスの横手喜一社長は人材育成に徹する。1月1日付で実施した子会社のポーラ、オルビス、ディセンシアのトップ交代は個々の可能性を広げ、企業の進展を引き起こす一歩となる。

グループ内交流を積極化

WWD:一人一人が持つ思いやこだわり、強みなどを最大限引き出すA Person-Centered Managementを重視する。

横手喜一社長(以下、横手):組織の慣習や業界の常識が通用しない時代に入り、社会や生活者の変化も大きい中で、過去の成功例をなぞる事業のあり方は意味がなくなる。従来にない思いや観点で物事をとらえる必要がある。その元になるのは個が持つ課題認識や問いかけなどの内発的動機付け。それをどう吸い上げてエンパワーメントしていくかが自分の役割だと思っている。

WWD:それを具現化した一例が子会社のトップ交代の人事となる。

横手:ファッションメゾンのデザイナーは3〜5年で交代し、新たなデザイナーがブランドの歴史を再解釈し進化させている。それと同様に経験を積んできた人材に、別のステージに活躍の場を移してもらう。今回、オルビスの社長経験者がポーラの社長に就任、ディセンシア社長経験者がオルビスの社長に就いたが、ぶつかり合いや意見交換があるかもしれない。しかしそこに新しい問いや掛け合わせが生まれるはずだ。これはグループ全従業員にも当てはまることで、さまざまな環境を経験してもらい最適解を見つけてもらいたい。

WWD:グループ内の交流も積極的に実施する。

横手:自分自身もポーラ、フューチャーラボ(16年に売却)、中国の現地法人を経験したことが強みとなっていることもあり、さまざまなグループ横断研修を実施している。幹部クラスが対象の「ビジネス変革塾」や20〜30代の「未来研究会」などを実行してきたが、24年は新入社員を対象とした研修を開始した。従来の枠組みの中ではなく新しい価値観に触れて成長してもらうのが狙いだ。新卒採用に関してもこれまでの子会社ごとに加え、ホールディングス採用も始めた。来春は5人程度入社する予定で、各子会社に数年単位で横断配属し各種ビジネスモデルを経験してもらう。多様なビジネスモデルに触れながらキャリアを積むことは経営者育成にもつながるだろう。

WWD:子会社をどう捉えているのか。

横手:それぞれターゲットとするお客さま像がある。ポーラは美容意識が高く、感受性が豊かで自分の人生を楽しんでいる人から支持されている。ポーラではデジタルカルテを導入したが、カルテを確認すると購入商品のリストはもちろんだが日々の生活に関する会話の内容が記載してあるケースも。販売スタッフとのやりとりを見ていると“お客さま”というより“生活者”と捉えるべきと感じている。彼らの生活を豊かにするサポート役を果たすべきだろう。オルビスは人生で初めて出会うワクワクとドキドキを楽しみたい人に向けて商品やサービスを提供する。24年にドラッグコスメ市場に参入したのもその一環だ。1987年の創業時からの愛用者が1000人以上おり、約200万人の会員を有す。ワクワクの裏側にある繊細な感受性を持つお客さまに手を差し伸べる。アクロは都市生活を送る中で、本来人が持つエネルギーを植物の力で活気づけたいと感じている人に向けて、精油を活用しながら商品やストーリーを伝えていく。

WWD:海外市場については。

横手:ジュリークは現状厳しい状況下にあるが、今後3年で中国と香港、オーストラリア市場で基盤を固め収益性のある体制を構築していく。ポーラは、これまで中国のショッピングモールなどに出店してきたが、25年は富裕層に軸足を向ける。富裕層が住むマンションの近隣に隠れ家的なサロンを開設するなど生活圏に寄り添っていく。富裕層に人脈を持つオーナーを起用し、お客さまファーストの接客を徹底する。こうしたサロンを年内に展開する予定だ。

WWD:4年後に迎える創業100周年に向け、新たな地固めが進んでいる。

横手:売上高は年平均成長率約5%を見込むなど数値目標を達成するのはもちろんだが、当社らしさの再定義をグループ全体で自分事化してもらうことに注力する。A Person-Centered Managementや人と人との掛け合わせなど大切にしている価値観や姿勢を再解釈すると将来が見えてくるだろう。実務的なことでは、既存の化粧品事業だけでなく、美容医療事業などにも取り組み始めている。90年以上肌と心と体のメカニズムを研究してきたデータの蓄積を生かし、社会課題の解決やウェルビーイングの実現など新しい領域を開拓していく。

WWD:未来に掲げる可能性は?

横手:人の可能性に尽きる。人が成長する、経験する、重なり合う、掛け合わさることで生まれる化学反応を期待している。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『取材で自分の出番がなくなること』

子会社の社長はそれぞれユニークで個性的。各社長が手腕を発揮し、それが報じられることで統率するホールディングスからの発信は不要だと「WWDJAPAN」から言われたい。

COMPANY DATA
ポーラ・オルビスホールディングス

基幹ブランドを展開するポーラは1929年創業。2006年に純粋持株会社のポーラ・オルビスホールディングスを設立、10年上場。「ポーラ(POLA)」「オルビス(ORBIS)」を中心に「ディセンシア(DECENCIA)」など多様なブランドを展開し、個々のブランドが持つ独自性を生かしてターゲットにアプローチするマルチブランド戦略をとっている


問い合わせ先
ポーラ・オルビスホールディングス
03-3563-5517

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【ポーラ・オルビスホールディングス 横手喜一社長】個×個から生まれる化学反応に期待

PROFILE: 横手喜一/社長

横手喜一/社長
PROFILE: (よこて・よしかず)1967年東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業後、1990年4月ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)入社。2006年フューチャーラボ社長や11年宝麗(中国)美容(ポーラ瀋陽)董事長兼総経理を経て、15年からポーラ執行役員商品企画部長、16年1月にポーラ社長に就任。20年1月ポーラ・オルビスホールディングス取締役グループ海外展開担当などを経て、23年1月から現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

紛争や中国経済の低迷など不透明な時代の中でビジネスを遂行するには、スタッフ一人一人の自己理解の深化が必須とし、ポーラ・オルビスホールディングスの横手喜一社長は人材育成に徹する。1月1日付で実施した子会社のポーラ、オルビス、ディセンシアのトップ交代は個々の可能性を広げ、企業の進展を引き起こす一歩となる。

グループ内交流を積極化

WWD:一人一人が持つ思いやこだわり、強みなどを最大限引き出すA Person-Centered Managementを重視する。

横手喜一社長(以下、横手):組織の慣習や業界の常識が通用しない時代に入り、社会や生活者の変化も大きい中で、過去の成功例をなぞる事業のあり方は意味がなくなる。従来にない思いや観点で物事をとらえる必要がある。その元になるのは個が持つ課題認識や問いかけなどの内発的動機付け。それをどう吸い上げてエンパワーメントしていくかが自分の役割だと思っている。

WWD:それを具現化した一例が子会社のトップ交代の人事となる。

横手:ファッションメゾンのデザイナーは3〜5年で交代し、新たなデザイナーがブランドの歴史を再解釈し進化させている。それと同様に経験を積んできた人材に、別のステージに活躍の場を移してもらう。今回、オルビスの社長経験者がポーラの社長に就任、ディセンシア社長経験者がオルビスの社長に就いたが、ぶつかり合いや意見交換があるかもしれない。しかしそこに新しい問いや掛け合わせが生まれるはずだ。これはグループ全従業員にも当てはまることで、さまざまな環境を経験してもらい最適解を見つけてもらいたい。

WWD:グループ内の交流も積極的に実施する。

横手:自分自身もポーラ、フューチャーラボ(16年に売却)、中国の現地法人を経験したことが強みとなっていることもあり、さまざまなグループ横断研修を実施している。幹部クラスが対象の「ビジネス変革塾」や20〜30代の「未来研究会」などを実行してきたが、24年は新入社員を対象とした研修を開始した。従来の枠組みの中ではなく新しい価値観に触れて成長してもらうのが狙いだ。新卒採用に関してもこれまでの子会社ごとに加え、ホールディングス採用も始めた。来春は5人程度入社する予定で、各子会社に数年単位で横断配属し各種ビジネスモデルを経験してもらう。多様なビジネスモデルに触れながらキャリアを積むことは経営者育成にもつながるだろう。

WWD:子会社をどう捉えているのか。

横手:それぞれターゲットとするお客さま像がある。ポーラは美容意識が高く、感受性が豊かで自分の人生を楽しんでいる人から支持されている。ポーラではデジタルカルテを導入したが、カルテを確認すると購入商品のリストはもちろんだが日々の生活に関する会話の内容が記載してあるケースも。販売スタッフとのやりとりを見ていると“お客さま”というより“生活者”と捉えるべきと感じている。彼らの生活を豊かにするサポート役を果たすべきだろう。オルビスは人生で初めて出会うワクワクとドキドキを楽しみたい人に向けて商品やサービスを提供する。24年にドラッグコスメ市場に参入したのもその一環だ。1987年の創業時からの愛用者が1000人以上おり、約200万人の会員を有す。ワクワクの裏側にある繊細な感受性を持つお客さまに手を差し伸べる。アクロは都市生活を送る中で、本来人が持つエネルギーを植物の力で活気づけたいと感じている人に向けて、精油を活用しながら商品やストーリーを伝えていく。

WWD:海外市場については。

横手:ジュリークは現状厳しい状況下にあるが、今後3年で中国と香港、オーストラリア市場で基盤を固め収益性のある体制を構築していく。ポーラは、これまで中国のショッピングモールなどに出店してきたが、25年は富裕層に軸足を向ける。富裕層が住むマンションの近隣に隠れ家的なサロンを開設するなど生活圏に寄り添っていく。富裕層に人脈を持つオーナーを起用し、お客さまファーストの接客を徹底する。こうしたサロンを年内に展開する予定だ。

WWD:4年後に迎える創業100周年に向け、新たな地固めが進んでいる。

横手:売上高は年平均成長率約5%を見込むなど数値目標を達成するのはもちろんだが、当社らしさの再定義をグループ全体で自分事化してもらうことに注力する。A Person-Centered Managementや人と人との掛け合わせなど大切にしている価値観や姿勢を再解釈すると将来が見えてくるだろう。実務的なことでは、既存の化粧品事業だけでなく、美容医療事業などにも取り組み始めている。90年以上肌と心と体のメカニズムを研究してきたデータの蓄積を生かし、社会課題の解決やウェルビーイングの実現など新しい領域を開拓していく。

WWD:未来に掲げる可能性は?

横手:人の可能性に尽きる。人が成長する、経験する、重なり合う、掛け合わさることで生まれる化学反応を期待している。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『取材で自分の出番がなくなること』

子会社の社長はそれぞれユニークで個性的。各社長が手腕を発揮し、それが報じられることで統率するホールディングスからの発信は不要だと「WWDJAPAN」から言われたい。

COMPANY DATA
ポーラ・オルビスホールディングス

基幹ブランドを展開するポーラは1929年創業。2006年に純粋持株会社のポーラ・オルビスホールディングスを設立、10年上場。「ポーラ(POLA)」「オルビス(ORBIS)」を中心に「ディセンシア(DECENCIA)」など多様なブランドを展開し、個々のブランドが持つ独自性を生かしてターゲットにアプローチするマルチブランド戦略をとっている


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03-3563-5517

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【SK-II 西田文彦事業代表】若年層にもアプローチ プレステージスキンケアに勝機

PROFILE: 西田文彦/P&Gプレステージ「SK-II」事業代表

西田文彦/P&Gプレステージ「SK-II」事業代表
PROFILE: (にしだ・ふみひこ)「日本発のイノベーションを世界に羽ばたかせるビジネスリーダーになりたい」という信念の下で、国内医療機器メーカーの海外営業を経て2011年にP&Gに入社。一貫して「SK-II」事業に携わり、シンガポール、日本、香港、台湾でのブランドマネジメントを経験。日本の「SK-II」営業組織を統括した後、22年1月から現職 PHOTO : KAZUSHI TOYOTA

SK-II」が多方面で進化している。最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”の発売では、富裕層を含む新規客を取り込むことに成功。若年層にアプローチする施策にも注力し、プレステージスキンケア市場のさらなる拡大を図る。

プレステージスキンケア市場の可能性に挑戦

WWD:2024年をどのように振り返る?

西田文彦「SK-II」事業代表(以下、西田):コロナ禍明けの2年間を経て国内客の勢いは落ち着いてきたが、訪日客の増加が全体の売り上げを押し上げた。9月に発売した最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”(全4品、5万1700〜7万1500円)で新たなマーケットを開拓したほか、俳優の永野芽郁さんをグローバルアンバサダーに起用したことで若年層にもアプローチできた。

WWD:“LXP 金継ぎ”シリーズの反響は?

西田:製品力と、「重ねる時を味方につけ、新たな美しさへと導く」というコンセプトが共感を呼んだ。スーパープレステージは海外ブランドの存在感が大きいが、クラフツマンシップにこだわり抜いてきた日本発ブランドの「SK-II」だからこその打ち出し方を考え抜いた。そこで出合ったのが陶磁器の伝統的な修復技法「金継ぎ」だ。金継ぎは欠けたり割れたりした器を修復し、新たな美しさや価値を見いだす技術。開発では肌の停滞を打破する鍵として肌の結合力に着目し、金継ぎはコンセプトに終わらないサイエンスにつながった。新規客と既存客どちらのエンゲージメントも高く、中国をはじめとした訪日客の売り上げも伸びている。時計・宝飾やファッションに比べると化粧品にはお金をかけていなかった富裕層からも注目された。

WWD:外商の取り組みは?

西田:美容部員の中で特化したチームを作り、百貨店の外商とともに肌のお手入れ会を行うなど、イベントを通してリーチしている。また外商のデジタル媒体などのタッチポイントも活用し、ソーシャルコンテンツを提供している。百貨店で化粧品を購入していなかった新規客を取り込むことで、取引先のカテゴリー成長にも貢献している。

WWD:プレステージスキンケア市場における戦略は?

西田:プレステージスキンケア市場の成長は、コロナ禍明けの2年間と比べると鈍化している。また同市場の日本国内での浸透率はわずか7%で、諸外国と比べてギャップは大きい。7%の中でシェアを奪い合うのではなく、可能性を切り開くようなイノベーションやコミュニケーション、店頭体験が重要になると考えている。24年3月に限定発売した「メゾン キツネ(MAISON KITSUNE)」とのコラボレーション第2弾では、ファッションには興味を持っているがプレステージスキンケアを買ったことがなかった層にもアプローチできた。

WWD:「ワイズ(Y'S)」とのコラボレーションにより美容部員のユニホームを刷新するなど、多方面での進化に意欲的だ。

西田:コロナ禍は訪日客の売り上げが低迷し、コロナ禍明けは原点であるピテラTM※1に回帰した。ピテラTMの魅力を最大限に引き出せるイノベーション開発に取り組み、“LXP 金継ぎ”シリーズが誕生した。美容部員の改称やユニホームの刷新、永野芽郁さんの起用含め、ピンチのときこそ新たな可能性に挑戦することを意識している。

WWD:“ピテラTM信者”という呼称があるほど、長年の愛用者が多い。

西田:「SK-II」はもともと広告を打っておらず、口コミで広がったブランドだ。2年以上使用している顧客の維持率が高く、製品力とカウンセリング、CRMが肝となっている。長年愛用してくださっているお客さまのコミュニケーションをより活発にすべく、SNS上でコミュニティー化を図っている。11月に開設した日本公式インスタグラム(@skii.jpn)では、一番の“ピテラTM信者”でもある美容部員のコンテンツ配信や、永野芽郁さんのライブ配信などを実施し、双方向のコミュニケーションを促進している。ピテラTMと、愛用者のブランドに対する熱量というブランドの強みを、コミュニケーションを通してさらに拡大していきたい。

WWD:25年に注力することは?

西田:25年、「SK-II」はブランド誕生45周年を迎える。ピテラTMにこだわり抜くところがブランドの強みなので、基幹製品である化粧水“フェイシャル トリートメント エッセンス”(75mL、1万2650円/160mL、2万3100円/230mL、2万9150円)や新製品を通して、ピテラTMの魅力をより広めていきたい。“フェイシャル トリートメント エッセンス”は3月に桜柄のデザインボトルを限定発売する予定で、新規客の獲得を狙っている。同時に、「『SK-II』と理想の素肌を目指そう」というコミュニケーションを行う。

WWD:予定している新製品は?

西田:4月20日にブランドNo.1※2美白※3美容液シリーズ“ジェノプティクス”からCCプライマーとUVクリームを発売する。ピテラTMやナイアシンアミドなどが日中のスキンケアをサポートし、輝く肌印象と心地よさを長時間保つ。上述の通り、プレステージスキンケア市場はまだまだ拡大できる。「SK-II」の製品をより多くのお客さまに試していただくため、価格を1万円以下に設定した。エントリー製品としても貢献するはずだ。

※1 特別な酵母の株を独自のプロセスで発酵させ生み出した、「SK-II」独自の天然由来成分(ガラクトミセス培養液、整肌保湿成分)
※2 2022年第1四半期〜24年第3四半期における「SK-II」ブライトニング製品群の売り上げデータに基づく
※3 メラニンの生成を抑えて、シミ、そばかすを防ぐこと

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『日本発の人材を世界に羽ばたかせる』

2025年に45歳を迎えるが、人の夢を助けることにパッションが燃える年齢になったと感じている。日本発のブランド「SK-II」のみならず、今後は日本発の人材をより多く世界へ羽ばたかせることがライフミッションだ。

COMPANY DATA
エスケーツー

日本酒の酒造で働く杜氏の手肌の美しさにヒントを得て1980年、特別な酵母の発酵がもたらす唯一無二の成分「ピテラTM」を配合したスキンケア製品“フェイシャル トリートメント エッセンス”が誕生。91年にマックスファクター傘下からプロクター・アンド・ギャンブル傘下に移った。プロクター・アンド・ギャンブルは「SK-II」製品の海外販売を開始し、2016年8月に社名をP&Gプレステージ合同会社に変更した


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【SK-II 西田文彦事業代表】若年層にもアプローチ プレステージスキンケアに勝機

PROFILE: 西田文彦/P&Gプレステージ「SK-II」事業代表

西田文彦/P&Gプレステージ「SK-II」事業代表
PROFILE: (にしだ・ふみひこ)「日本発のイノベーションを世界に羽ばたかせるビジネスリーダーになりたい」という信念の下で、国内医療機器メーカーの海外営業を経て2011年にP&Gに入社。一貫して「SK-II」事業に携わり、シンガポール、日本、香港、台湾でのブランドマネジメントを経験。日本の「SK-II」営業組織を統括した後、22年1月から現職 PHOTO : KAZUSHI TOYOTA

SK-II」が多方面で進化している。最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”の発売では、富裕層を含む新規客を取り込むことに成功。若年層にアプローチする施策にも注力し、プレステージスキンケア市場のさらなる拡大を図る。

プレステージスキンケア市場の可能性に挑戦

WWD:2024年をどのように振り返る?

西田文彦「SK-II」事業代表(以下、西田):コロナ禍明けの2年間を経て国内客の勢いは落ち着いてきたが、訪日客の増加が全体の売り上げを押し上げた。9月に発売した最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”(全4品、5万1700〜7万1500円)で新たなマーケットを開拓したほか、俳優の永野芽郁さんをグローバルアンバサダーに起用したことで若年層にもアプローチできた。

WWD:“LXP 金継ぎ”シリーズの反響は?

西田:製品力と、「重ねる時を味方につけ、新たな美しさへと導く」というコンセプトが共感を呼んだ。スーパープレステージは海外ブランドの存在感が大きいが、クラフツマンシップにこだわり抜いてきた日本発ブランドの「SK-II」だからこその打ち出し方を考え抜いた。そこで出合ったのが陶磁器の伝統的な修復技法「金継ぎ」だ。金継ぎは欠けたり割れたりした器を修復し、新たな美しさや価値を見いだす技術。開発では肌の停滞を打破する鍵として肌の結合力に着目し、金継ぎはコンセプトに終わらないサイエンスにつながった。新規客と既存客どちらのエンゲージメントも高く、中国をはじめとした訪日客の売り上げも伸びている。時計・宝飾やファッションに比べると化粧品にはお金をかけていなかった富裕層からも注目された。

WWD:外商の取り組みは?

西田:美容部員の中で特化したチームを作り、百貨店の外商とともに肌のお手入れ会を行うなど、イベントを通してリーチしている。また外商のデジタル媒体などのタッチポイントも活用し、ソーシャルコンテンツを提供している。百貨店で化粧品を購入していなかった新規客を取り込むことで、取引先のカテゴリー成長にも貢献している。

WWD:プレステージスキンケア市場における戦略は?

西田:プレステージスキンケア市場の成長は、コロナ禍明けの2年間と比べると鈍化している。また同市場の日本国内での浸透率はわずか7%で、諸外国と比べてギャップは大きい。7%の中でシェアを奪い合うのではなく、可能性を切り開くようなイノベーションやコミュニケーション、店頭体験が重要になると考えている。24年3月に限定発売した「メゾン キツネ(MAISON KITSUNE)」とのコラボレーション第2弾では、ファッションには興味を持っているがプレステージスキンケアを買ったことがなかった層にもアプローチできた。

WWD:「ワイズ(Y'S)」とのコラボレーションにより美容部員のユニホームを刷新するなど、多方面での進化に意欲的だ。

西田:コロナ禍は訪日客の売り上げが低迷し、コロナ禍明けは原点であるピテラTM※1に回帰した。ピテラTMの魅力を最大限に引き出せるイノベーション開発に取り組み、“LXP 金継ぎ”シリーズが誕生した。美容部員の改称やユニホームの刷新、永野芽郁さんの起用含め、ピンチのときこそ新たな可能性に挑戦することを意識している。

WWD:“ピテラTM信者”という呼称があるほど、長年の愛用者が多い。

西田:「SK-II」はもともと広告を打っておらず、口コミで広がったブランドだ。2年以上使用している顧客の維持率が高く、製品力とカウンセリング、CRMが肝となっている。長年愛用してくださっているお客さまのコミュニケーションをより活発にすべく、SNS上でコミュニティー化を図っている。11月に開設した日本公式インスタグラム(@skii.jpn)では、一番の“ピテラTM信者”でもある美容部員のコンテンツ配信や、永野芽郁さんのライブ配信などを実施し、双方向のコミュニケーションを促進している。ピテラTMと、愛用者のブランドに対する熱量というブランドの強みを、コミュニケーションを通してさらに拡大していきたい。

WWD:25年に注力することは?

西田:25年、「SK-II」はブランド誕生45周年を迎える。ピテラTMにこだわり抜くところがブランドの強みなので、基幹製品である化粧水“フェイシャル トリートメント エッセンス”(75mL、1万2650円/160mL、2万3100円/230mL、2万9150円)や新製品を通して、ピテラTMの魅力をより広めていきたい。“フェイシャル トリートメント エッセンス”は3月に桜柄のデザインボトルを限定発売する予定で、新規客の獲得を狙っている。同時に、「『SK-II』と理想の素肌を目指そう」というコミュニケーションを行う。

WWD:予定している新製品は?

西田:4月20日にブランドNo.1※2美白※3美容液シリーズ“ジェノプティクス”からCCプライマーとUVクリームを発売する。ピテラTMやナイアシンアミドなどが日中のスキンケアをサポートし、輝く肌印象と心地よさを長時間保つ。上述の通り、プレステージスキンケア市場はまだまだ拡大できる。「SK-II」の製品をより多くのお客さまに試していただくため、価格を1万円以下に設定した。エントリー製品としても貢献するはずだ。

※1 特別な酵母の株を独自のプロセスで発酵させ生み出した、「SK-II」独自の天然由来成分(ガラクトミセス培養液、整肌保湿成分)
※2 2022年第1四半期〜24年第3四半期における「SK-II」ブライトニング製品群の売り上げデータに基づく
※3 メラニンの生成を抑えて、シミ、そばかすを防ぐこと

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『日本発の人材を世界に羽ばたかせる』

2025年に45歳を迎えるが、人の夢を助けることにパッションが燃える年齢になったと感じている。日本発のブランド「SK-II」のみならず、今後は日本発の人材をより多く世界へ羽ばたかせることがライフミッションだ。

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日本酒の酒造で働く杜氏の手肌の美しさにヒントを得て1980年、特別な酵母の発酵がもたらす唯一無二の成分「ピテラTM」を配合したスキンケア製品“フェイシャル トリートメント エッセンス”が誕生。91年にマックスファクター傘下からプロクター・アンド・ギャンブル傘下に移った。プロクター・アンド・ギャンブルは「SK-II」製品の海外販売を開始し、2016年8月に社名をP&Gプレステージ合同会社に変更した


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【バーニーズ ジャパン ペニー・ルオ社長】スペシャリティーストアとして、唯一無二のポジションを確立する

PROFILE: ペニー・ルオ/社長

ペニー・ルオ/社長
PROFILE: テンセント グループでプロデューサーとして番組制作や番組ライセンス事業に携わり、2021年から450年の歴史を誇る英国名門インターナショナルスクールの日本校「ハロウインターナショナルスクール安比ジャパン」のスクールアンバサダーとして開校プロジェクトを主導。さらに岩手ホテルアンドリゾートで、リゾート事業再生を目的とした都市開発事業の責任者を務めた。24年7月にバーニーズ ジャパン社長に就任 PHOTO : YUKIE MIYAZAKI

1923年にバーニー・プレスマンがニューヨーク・マンハッタンの7番街17丁目に創業し、唯一無二のスペシャリティーストア(専門店)として世界的に知られたのが「バーニーズ ニューヨーク(BARNEYS NEW YORK)」(以下、バーニーズ)だ。その精神は、バーニーズ ジャパンに色濃く受け継がれている。ペニー・ルオ(PENNY LUO)社長の下、復活に向けて「スクラップ&ビルド」が進む。

お客さまの潜在的ニーズをさらに深掘りして
ファンを作る

WWD:7月1日に社長に就任した。2024年を振り返ると?

ペニー・ルオ=バーニーズ ジャパン社長(以下、ペニー):チャレンジの年だった。23年からバーニーズに携わっているが、7月に代表に就任し、組織を変え、新しいメンバーも加わった。世間では百貨店やラグジュアリー市場が盛り上がっていたが、バーニーズはその波に乗れなかった。今の時代の波に乗れない理由を分析し、「ビルド」を行う準備段階、「スクラップ」の期間だった。

WWD:具体的にはどんな点が課題なのか?

ペニー:経営の土台となる収益構造の見直しや、新規顧客の獲得、ブランド価値と認知度の向上の必要性など。コロナ禍から販促費の抑制を続けていたので、マーケティングやPRがうまくできていなかった。扱う商品の価格帯も、物価高騰による価格改定で必然的に高くなり、手に取りやすい価格の商品が薄くなっていた。ラグジュアリーなイメージを保ちながら、これから消費力がついてくる方々に向けた商品とブランド、ファッション感度の高い方たちに刺さるような商品や旬のものを戦略的にそろえていく。われわれの顧客の95%が国内に住むお客さまで、インバウンドのお客さまを取り込めていないことも波に乗れなかった要因の1つ。逆に、強い顧客基盤も改めて見えた。いろいろと勉強したので、これからはアクションを大胆に実行していくフェーズに入る。

WWD:11月に銀座店で行った顧客向けクローズドイベントも購買意欲の高い顧客がショッピングを楽しんでいた。
ペニー:銀座本店を皮切りに旗艦5店で特別な体験をロイヤルカスタマーに提供する機会を作り、反応もお買い上げ実績もとても良かった。本当のニーズを知るいい機会になり、売り場のモチベーションアップにもなった。並行して、自社ブランドにも力を入れてきた。若い層に向けて新ロゴを発表し、スエットやトートバッグなどカジュアルで買いやすいアイテムを発売した。2月2日まで神宮前にポップアップストアを出しており、そこでは約300種類から選べる有料ワッペンでカスタマイズも楽しめる。新ロゴもポップアップも社内から出てきたアイデアで、挑戦するのにはいい機会だと考えた。ファッション感度の高い若い層にアプローチでき、バーニーズを知るインバウンド客も来店している。ここで出会ったお客さまにどう旗艦店にも足を運んでもらうかが重要。各旗艦店でもアート系やカルチャー系を含めてポップアップを積極的に開催し、お客さまの潜在的ニーズをさらに深掘りしてファンを作っていくつもりだ。

WWD:改めてバーニーズの強みとは?

ペニー:“バーニーズ”自体がブランドであること。商品知識とバーニーズへの愛にあふれ、お客さまとの深い関係作りや販売力に長けた社員、人というソフトの部分こそ、最大の強みだ。加えて、銀座をはじめ、六本木、横浜、神戸、福岡といった主要なエリアに立派な旗艦店を持っている。スペシャリティーストアとして、買い取りビジネスをこれだけの規模で展開できている企業は少ない。「マジックミックス」という言葉がバーニーズにはあるが、さまざまなブランドとオリジナル商品の組み合わせによるスタイリング提案ができるのも強みだ。

WWD:25年の計画は?

ペニー:まずは収益をきちんと確保するため、ビジネスモデルを見直す。同時にストアとしての魅力を再構築する。高揚感や心動かす仕掛けを作りつつ、ロイヤルカスタマーに対してはより特別感のあるサービスを提供できるスペースを作る。銀座本店から始めて、順次に店舗の改装に着手する。また、メンバーシップ「マイバーニーズ」を事業の新たな柱にする。飲食や旅行の情報提供や車や家の相談など、ライフスタイルコンシェルジュ的な役割を担えるようにしたい。ロイヤルカスタマーに向けたサービスをすることで派生する新規事業もあり得ると考えている。下期にはいろいろなプロジェクトを披露できると思う。

WWD:未来に見据える可能性は?

ペニー:スペシャリティーストアとして唯一無二のポジションの確立にあると思う。バーニーズで受け継がれてきた“TASTE, LUXURY, HUMOR”というステートメントがあり、それを磨き上げ、商品、サービス、環境を通して具現化する事によって必然的にマーケットにおいて差別化できる自信がある。日本の事業基盤を再構築し、アジアマーケットへの進出、ニューヨークへの再出店を社の大きな目標として掲げている。グローバルでも最近メキシコにバーニーズ レジデンスが立ち上がり、ブランドビジネスを拡大している。日本は、スペシャリティーストアとしての独自性を磨きつつ、これからはアジアのデザイナーのインキュベーターとしても機能したい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『キリマンジャロに登りたい』

エベレストやK2など、さまざまな山があるが、アマチュアが登れる1番高い山がキリマンジャロ。トレッキングが好きだが、登るのは大変。でも登り切ると全部忘れて、また「登りたい!」となってしまう。ハードな山に登りたいタイプ(笑)。

COMPANY DATA
バーニーズ ジャパン

1923年創業の米国発スペシャリティーストア「バーニーズ ニューヨーク」のライセンシーとして、89年設立。イタリアを中心としたヨーロッパおよびアメリカの紳士服、婦人服、洋品雑貨、フレグランス、ギフト雑貨などを販売及び輸入する。銀座、六本木、横浜、神戸、福岡に旗艦店を構え、アウトレット、期間限定ストアを展開する


問い合わせ先
バーニーズ ジャパン
050-3615-3600

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【デイトナ・インターナショナル 佐々木聡社長執行役員CEO】世界のワクワク・ドキドキを届けるカルチャーメーカーに

PROFILE: 佐々木聡/社長執行役員CEO

佐々木聡/社長執行役員CEO
PROFILE: (ささき・あきら)1965年9月3日生まれ、北海道出身。古着店、アパレルメーカーを経て2021年デイトナ・インターナショナル社長執行役員CEOに着任 PHOTO : YOW TAKAHASHI

 NFTプラットフォームの開発や地方自治体と組んだSDGsプロジェクト、映画の配給・宣伝など、さまざまな“フリーク”(熱狂)を内包しながら、多方面に成長する。次に目指すは世界に向けてワクワク・ドキドキを発信するカルチャーメーカーだ。

多様なコミュニティーに向け
新しい体験価値を提供する

WWD:2024年を振り返ると?

佐々木聡社長執行役員CEO(以下、佐々木):人をワクワク・ドキドキさせるクリエイションを生み出し続けることが私たちの変わらないミッションだ。クリエイションというと、モノが想起されがちだが、店舗での接客などすべての業務も同じ。私たちは全てのサービスの根幹にはクリエイションがあると考える。24年も、大きく変化する環境の中で、柔軟にミッションに取り組んできたことで業績も好調だった。また「バイタミックス」などを取り扱うアントレックスとの業務提携やNFTプロジェクトなど新しい挑戦を通して、お客さまにワクワク・ドキドキを提供する幅が広げられたことは成果だ。

WWD:25年、具体的に注力するポイントは?

佐々木:海外展開および取り扱い商品の拡張をさらに強め、それを通じ新しい体験価値を提供する。私たちが目指すのは、お客さまにクリエイションを通じてワクワク・ドキドキをお届けするカルチャーメーカーになることだ。

WWD:カルチャーメーカーになるために必要なことは?

佐々木:売れた、売れないという数字のファクトばかりを見ていては、お客さまが何にワクワク・ドキドキしているのかが分からなくなってしまうので、大切にしていることは「人を感じる」ということ。「これが売れた」といったモノの話で終わらせず、その奥にどんな人々がいるのか、感動、カルチャー、価値観があるのか、を想像し感じることが大切だ。表層的なファクトばかりを見ていては、気持ちの動線が見えなくなってしまう。次の時代のベクトルを見据えてクリエイションすることがワクワク・ドキドキを作るうえで大切にしていること。

WWD:静岡市との包括連携をはじめ、地方自治体との連携を強めている印象だ。

佐々木:さまざまな取り組みの始まりは、茨城県古河市と組んで、当社の店舗の2階にコワーキングスペースを作ったこと。年間何万人といった来店がある中で、お客さまと買い物以外のコミュニケーションが取れるいいコミュニティーになった。静岡では、廃棄される地域の鰹の未利用部位を使ったパスタソースを開発したことを皮切りに始まった。取り組みを進めていくと、今度はわさびの生産者から若者のわさび離れをどうにかしてほしいという依頼があり、その解決のためのアクションなどを行っている。そのほかにも、長野県の耕作放棄地の再生など、デイトナと組むと地域の課題を魅力に変えられるという評価をいただいている。さまざまな取り組みがきっかけとなり、北九州市の小倉城で開催したイベントも、地元コミュニティーの方々からとても喜ばれた。一方で、ローソンと協業し「フリークス ストア」がコンビニアパレル商品を企画するといった取り組みもしている。こうしたさまざまなプロジェクトが、もしかしたらどこかでつながり発展する可能性もある。今はマーケットが「東名阪」と「ローカル」で語られる時代ではなく、どちらの魅力も等価値だ。そんな私たちが感じる各地の魅力を、できるだけ多くの人とシェアしたいし、まだ知られていない新たな魅力の発見にも貢献していきたい。

WWD:地域の課題解決に取り組むメリットをあらためて教えてほしい。

佐々木:私たちが大切にしていることは、「多様な価値観を尊重し繋がる」こと。私たちは、多様な「かっこいい」があり、つながるからこそケミストリーが生まれ、新しいビジネス=ワクワク・ドキドキを生み出すと信じている。地域コミュニティーでの取り組みにおけるメリットは、私たちが多様性を感じ、共創ができる点だろう。自分たちが多様性に対してオープンマインドで接していくことを通じ、自然と次のワクワク・ドキドキとの出合いが生まれることを学んだ。課題がテーマという入り口からさまざな制限がある中でソリューションを生み出すことに意義があり、私たちのクリエイティビティーも成長しコミュニティーが生まれている。

WWD:デイトナ・インターナショナルが感じる未来の可能性とは?

佐々木:コミュニティー(場)・人(クリエイション)・AIの掛け合わせに可能性を感じる。人とAIが生み出していくイノベーションが社会(コミュニティー)の構造を大きく変えていくと感じている。そして人のクリエイションがさらに新しいワクワク・ドキドキを紡いでいく。私たちは先進的なAI企業パークシャ・テクノロジーやサピートとの取り組みなどを通じ、さまざまな領域にAIの導入を進めていく。社員がクリエイティブな業務に使える時間を増やしていった結果、どんな新しいクリエイションが生まれてくるのだろうということに私が大きなワクワク・ドキドキを感じている。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『朝限定ヴァイスヴルスト店を日本で』

ドイツの伝統的なソーセージ、ヴァイスヴルストが好物。現地では出来たてのヴァイスヴルストを朝食に供する。日本の豆腐のように出来たてだけが美味しいこのソーセージの朝限定営業店を作る、または買えるお店ができてほしい。

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デイトナ・インターナショナル

1986年茨城県古河市に「フリークス ストア」1号店をオープン。90年デイトナ・インターナショナル設立。96年に渋谷店をオープンし全国へ展開。協業規格住宅「フリークスハウス」、コワーキングスペース「アンドフリーク」、再エネ電カプロジェクト「フリークス電気」、映像事業「フリークスムービー」など幅広く手がける。2024年には、NFTプロジェクト「NFTフリーク」を始動。グループ企業に「イノベーションスタジオ」や「スモーキーサンデー」など。従業員数は811人


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【ユナイテッドアローズ 松崎善則社長】新しい価値創造に挑戦し、多面化・多層化を加速する

PROFILE: 松崎善則/社長執行役員CEO

松崎善則/社長執行役員CEO
PROFILE: (まつざき・よしのり)1974年2月22日生まれ。98年4月にユナイテッドアローズに入社。ユナイテッドアローズ渋谷店からキャリアをスタートし、店長職やBY本部長などを経て、2018年4月に上席執行役員に昇格し、同年6月に取締役常務執行役員に着任。20年11月に取締役副社長執行役員に就任。21年4月から現職 PHOTO : KAZUO YOSHIDA

コンサバティブだけでは語れないのが、今のユナイテッドアローズだ。「お客さまの明日を創り、生活文化のスタンダードを創造し続ける」理念に沿って、多面的な可能性の広がりを模索する。

挑戦する社風が生まれた24年
若手社員も活躍

WWD:2025年はどんな1年を目指す?

松崎善則社長執行役員CEO(以下、松崎):新しい価値創造を加速する。ひとつは海外展開の本格化だ。1月には中国・上海の中心部に直営店を初出店する。「ユナイテッドアローズ」の屋号で複数のレーベルを集結する。24年は現地にもよく足を運んだ。一時のバブル景気は終了したものの、5年前、10年前と比べるとだいぶ成熟したマーケットになった印象だ。「ロク」や「エイチ ビューティー&ユース」「ロエフ」などと親和性の高いファッション感度の高い層も多くいる。期待値は高い。もうひとつは日本のよさを再構築する新規事業に挑戦したい。まだ詳しくは言えないが、日本が今日まで大事にしてきたモノ作りや美意識を洋服以外の形で伝え、磨く取り組みを予定している。日本の美意識は、私たちのアイデンティティーとも重なる。今後ユナイテッドアローズを多面化・多層化していく上で、一つのキーワードになる。

WWD:24年は「チャレンジングな1年」を掲げ、さまざまな新規事業を始動した。

松崎:挑戦する社風が醸成されてきた。自発的に新しいスキルを学ぼうとする成長意欲の高い社員も増えた。ただ理想のポートフォリオに向けては、まだ1合目。25年もさまざまなチャレンジを計画しているところだ。

WWD:若手社員の活躍も目立ってきた。

松崎:20代社員をディレクターに起用した「アティセッション」は象徴的だが、そのほかにも「ビューティー&ユース」メンズで若手社員の視点で商品企画やバイイングをしてもらうなど、各ブランドで若手軸の取り組みが増えている。引き続き、次世代社員の活躍にも力を入れる。

WWD:25年3月期の連結営業利益は77億円を見込む。期中に予想を上方修正した。

松崎:24年も気候変動と円安の影響がビジネスを左右する2大要因だったが、いずれについてもうまく対応できた。主力事業は軒並み成長している。長い夏を見越したMDや気温に左右されずファッションへの好奇心を喚起する商品企画が功を奏した。円安や原料高を踏まえた値上げも、きちんと商品の質の改善を伴うことでお客さまにご理解いただけた。今後もシーズンレス対応ができるファッション性の高い商品を拡充する方針だ。これまでオリジナル商品は、インポート商品に比べて利幅が大きいことが優位点だった。しかし、その認識を変えて円安の状況下ならではの戦い方が確立できた。

WWD:新しい立地での挑戦となった麻布台ヒルズ店(UAウィメンズ)の手応えは?

松崎:非常に好調だ。虎ノ門エリアを含め近隣の住人やビジネスパーソンが、少し華やかな日常着を求めに立ち寄る。映画館や美術館などの娯楽施設のある六本木ヒルズとはまた違う買い方が目立つ。当初描いていたような理想的な形になっている。

WWD:24年は茨城県境町と包括協定を締結したことも話題になった。

松崎:日本の人口が減っていく中で、私たちのセンスを活用して何か地方の町に活力を与えるお手伝いができればと考えた次第だ。私たちとしても、普段出店しないような場所に新しい形でユナイテッドアローズに触れていただける機会を作れるのはありがたい。これを機に、各地に取り組みを広げられたらと思っている。

WWD:中期経営計画の主要戦略に掲げる「OMOの推進」ではどんな成果が生まれている?

松崎:24年10月に自社ECサイトの公式アプリのリニューアルを行った。各ユーザーのニーズに沿ったインターフェースの設計の過程にある。当社で買い物してくださるお客さまのうち、会員登録のある方の割合は5割以上に伸びてきた。お客さまの情報があれば、こちらも適切なサービスを届けられる。結果的に高いリピート率も見込める。会員向けプログラムも充実させたことで、年間500万円以上購入される上位顧客数も増えている。

WWD:サステナビリティ活動「サローズ」の進捗は?

松崎:複数の素材メーカーと環境負荷の低い商品開発に力を入れている。「サローズ」と銘打って発信したことで、社内でも環境負荷を下げようというマインドが浸透してきた。次はそれをお客さまに伝えるためにどうコミュニケーション取るか。店頭では、従来品よりも環境負荷の低い商品には下げ札を付けて販売するなどして試みている。

WWD:ユナイテッドアローズが見据える未来の可能性を教えてほしい。

松崎:ユナイテッドアローズがあらゆる形でお客さまの生活に携わらせていただくのが理想だ。ワードローブに1着、洗面所に化粧品が1個、もしくは私たちがリノベーションした住居に住んでいただくなど。お客さまに触れてもらえる可能性はまだまだある。そのためにユナイテッドアローズの多面化・多層化を進めていく。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『世界一周旅行』

時間をかけて、地球のすばらしさを体感するために世界一周旅行をしてみたい。ファッション都市以外にも、訪問したことがない国々で、土地それぞれの風土や暮らしを体感したり、世界遺産を巡ったり、趣味のゴルフもスコットランドなどでしてみたい。

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1989年10月設立。90年7月、原宿にセレクトショップ「ユナイテッドアローズ」1号店を開く。東証プライム市場に上場。主力事業は「ユナイテッドアローズ」「ビューティー&ユース」「グリーンレーベル リラクシング」。主なグループ会社にコーエンなど。24年3月期の連結業績は、売上高1342億円、純利益48億円だった。従業員数は3646人


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「ロキソニ」で初来日した“期待の新人” Luvcat(ラヴキャット) 「TikTokでのヒット」や「美学」を語る

いまや音楽業界においてTikTok発のヒットは珍しくない。だが、そのほとんどが一発屋で終わる中、これまでリリースした3枚のシングル全てがTikTokでバイラルヒットしたとなれば話は別だろう。英リバプール出身のラヴキャット(Luvcat)は、そんな異例のヒット連発で注目を集めているニューカマーだ。

ラヴキャットは、元々シンガー・ソングライターとして活動していたソフィー・モーガン(Sophie Morgan)の新たなプロジェクトとして2023年にスタート。ザ・キュアーの曲名からアーティスト名を拝借したことからも分かるように、その音楽性はややゴシックなインディーロックをベースに、シャンソンやキャバレー・ミュージック、フランク・シナトラなどからの影響を織り交ぜたもの。そして何より特徴的なのは歌詞の世界観だ。基本的にどれも「恋愛の深みにハマってしまう私」を描いているのだが、ティム・バートンさながらのゴシックでユーモラスな映画を観ているような場面設定がとにかく秀逸。

例えば「He’s My Man」は、愛する男性と一時たりとも離れたくないという想いから、その男性の食事に少しずつ毒を盛り、殺害してずっとそばにいようとする歌なのだ。TikTokで特に若い女性から熱烈な支持を集めているのも、ファンタジックでゴシックな世界観とそこに込められたリアルな恋愛感情が共感を呼んでいるからなのだろう。

そして今年は、ラヴキャットにとってさらなる飛躍の年となりそうだ。というのも、本国の複数の音楽メディア、そしてグラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーから、「今年期待の新人」として次々と名前を挙げられているのである。現在制作中だというデビュー・アルバムが、25年の注目作の一枚となることは間違いない。

1月4日、5日に幕張メッセにて開催されたフェス、「ロッキング・オン・ソニック(rockin'on sonic)」で初来日を果たしたラヴキャットに話を訊いた。

「ロッキング・オン・ソニック」を終えて

——「ロッキング・オン・ソニック」でのライブはいかがでしたか?

ラヴキャット:ええ、すごく美しかった。本当に、すごく非現実的な感じがして。思ったよりたくさんの人が来てくれたし、サイン用に私の写真をプリントして持ってきてくれたファンもいて。全体的に奇妙な夢みたいな感じがしたんだけど、大好きなバンドもたくさん出演していて、それがまた特別な体験になったっていう。

——こんなに大きなステージでやったのは初めて?

ラヴキャット:イギリスで夏にやったフェスが結構大きかったけど、それでも今回ほどお客さんは多くなくて。いつもはすごく小さい会場とかパブでやっているから、バンドのメンバーが私のすぐ隣にいる。でも今回はステージでみんなが遠く離れているように感じて、すごく不思議だったし、慣れるのはまだ難しいなって感じた。

——ステージ衣装もいつもよりゴージャスで、ちょっとマイ・ケミカル・ロマンスの「Black Parade」を思い出しました。

ラヴキャット:そう言ってもらえるのはうれしい。マイ・ケミカル・ロマンスは私にとってずっと大きな影響を与えてくれた存在で、9歳ごろから一番好きなバンド。彼らがロックンロールに持ち込んだ演劇的な要素が大好きで、それは私たちにも確実にインスピレーションを与えている。ステージでは、いつもバンドはスーツでそろえていて。黒いベルベットのスーツとか、ストライプのスーツとかね。私自身、ステージでゴージャスな気分になりたいし、全員がマッチした感じにしたいと思ってるから。

ただ日本では、ちょっとステップアップしようと思って。実は、最近ミュージック・ビデオの撮影で使ったマーチング・バンドの衣装があったから、それを使うことにしたの。私自身も、女の子バージョンの衣装を新しく作って、フェイクのメダルやドクロ・マークなんかをつけてみた。イギリスでやってたこととは違う雰囲気を出したかったし、初めての日本でのライブだし、しかもこんな大きなステージに立つのは特別なことだから、やるべきだと思って。


多様なアーティストからの影響

——マイ・ケミカル・ロマンスは小さいころから好きだったということですが、それ以外のアーティストで、ラヴキャットの音楽性や美学を形成する上で重要な影響を与えた存在というと?

ラヴキャット:子どものころ、おじいちゃんがフランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニアみたいな古い音楽をよく聴かせてくれていた。それから父がザ・キュアーやヴェルヴェット・アンダーグラウンドを教えてくれて、自分では19歳のころにレナード・コーエンやトム・ウェイツを見つけたの。そういういろんなものが奇妙な形で結びついた感じかな。あと、フランスの歌手、エディット・ピアフにもすごくインスパイアされてる。ちょっと奇妙な組み合わせだとは思うけど、たぶんそれが私の音楽が独特である理由なんじゃないかなって思ってる。

——まさにそういった多様なアーティストたちからの影響がラヴキャットの音楽からは聴き取れますが、具体的に彼らのどのようなところに魅力を感じたと言えますか?

ラヴキャット:私は音楽を耳だけじゃなく目でも聴いていたんだと思う。若いころ、歌詞の意味を理解するには幼過ぎたから、私を惹きつけたのはビジュアルだった。それが今まで私にとってアートワークやミュージック・ビデオがすごく重要だった理由でもあって。でも年を重ねるにつれて、詩を読むようになったり、歌詞を細かく読み解いたりする中で、それが一番大きな魅力になったっていう。トム・ウェイツの言葉に「美しいメロディーが恐ろしいことを語る」っていうのがあって、私もすごく共感してるんだけど、光と闇の混じり合いみたいなものが、私の音楽の指針になってるんだと思ってる。

——ラヴキャットのユニークな音楽性や美学というのは、比較的すぐに出来上がったものなのか、それともいろいろと試しながら徐々に出来上がったものなのか、どちらの方が近いのでしょうか?

ラヴキャット:私は、若い女性としていろんなことを試してきたと思ってる。でも、自分の核となる部分はほとんど変わってなくて。好きなものや考え方は基本的に同じだけど、見せ方が少しずつ変わった感じかな。最近は幸運な偶然も多くて、一度やってみたことが人々に響いて、それを続けるようになったこともある。

例えば、ヒョウ柄なんて全く着たことがなかったんだけど、あるライブのために(ヒョウ柄の)ドレスを見つけて、それを着てみたら、そのときの映像がネットに投稿されて、急に「ラヴキャット=ヒョウ柄」みたいなイメージができちゃった。でも実際にそれを着たのはその夜が初めてで。だから、明確にやりたいことを持ちながらも、周りの変化を受け入れる柔軟さがあったからこそ、今のスタイルが出来上がったんだと思う。

TiKToKでのバイラルヒット

——まさにそのヒョウ柄のドレスを着てた「Matador」のライブ映像がTikTokでバイラルしたことから一気に全てが動き出したと思いますが、あの動画のどんなところが人々の心をつかんだのだと思いますか?

ラヴキャット:たぶん、全体的な雰囲気かな。イギリスのパブって、独特の空気感があるでしょ。あのときの照明が緑と赤で、ちょっとデヴィッド・リンチっぽい感じがあったし、若いバンドがただ楽しくやっている様子が伝わったのかも。正直言って、なぜあれがそんなに響いたのかは分からない。ただ、友達が最前列で撮ってくれた、あんまり良くないクオリティーの動画を投稿しただけで、それが自分の人生を変えちゃうなんて、本当に魔法みたいな瞬間だった。でもそれに文句を言うつもりはないけど!(笑)。

——普通、TikTokでバイラルヒットするアーティストって、1曲だけの場合が多いですよね。でもあなたは、これまでのシングル3枚全てがバイラルヒットした。これってかなりすごいことですよね。

ラヴキャット:うん、私もこれについて考えてたんだけど、理由の一つとしては、最初のころにいろんな曲をシェアしてたことかな。1曲だけを何度も何度も投稿するんじゃなくて、クラブで30分のセットをやった時のいろんな曲の一部を投稿していて。そうやって、自分の世界観を少しずつ作り上げたから、人々をその中に招き入れることができたんじゃないかなって。だから、ファンやリスナーに「この人には一つの物語以上のものがある」って感じてもらえたのかも。

でも実を言うと、最初はTikTokには全然興味がなくて。友達に説得されてやっとダウンロードしたくらい。でも、素晴らしいプラットフォームだと思う。私みたいに音楽業界にコネもなくて、お金や広告もない人が、こんなに多くの人に届けられるなんてね。3曲全部がこんなにうまくいった理由は正直よく分からないんだけど、まあ、なんというか、本当に不思議だよね。

リアリズムとファンタジー

——では、自分たちの音楽におけるリアリズムとファンタジーのバランスはどのように考えていますか? 例えば、愛する男性をそばに置いておきたいあまり毒殺してしまう「He’s My Man」の歌詞は、もちろんファンタジーですよね。でも他の曲では、歌詞に実在する場所の名前も織り交ぜたりしていて、ストーリーがリアルに感じられるようにも工夫しています。

ラヴキャット:私ってそういう人だから。現実の世界で実在する人たちと関わり合いながらも、想像力はどんどん広がっていって、自分の中で物語を作り上げてしまうっていう。だから私は、常に半分は現実、半分はファンタジーの世界に生きている感じ。父はそれをよく冗談で、「ゆがんだ現実に住んでる」って言うんだけどね。それを「レモン・ワールド」って呼んでて……。

——レモン?

ラヴキャット:そう、レモン。レモンって、砂糖みたいに甘酸っぱくて、ちょっと現実離れしている感じだから。言葉でうまく説明できないんだけど、どこかおとぎ話のような世界観で、私はいつも半分はここにいて、半分は別の場所にいる感じ。例えば「He's My Man」は、愛が執着や依存に変わっていく、そういうとてもリアルな感情が基になっている。でもそこから自然と別の極端な方向に話を膨らませたくなったり。愛が人をどこまで狂わせるのかを考えるのが面白くて。例えば専業主婦が夫をあまりにも愛し過ぎて、仕事に行かせたくないあまりに、少しずつ彼の食べ物に毒を盛って病気にしてしまう、なんて話を歌にするのは楽しいなって思ったんだ。

——「He’s My Man」はマーダーバラッドですし、あなたの書く歌詞は基本的にダークですが、その一方でユーモラスな一面もあります。ちょっとティム・バートンの映画っぽいというか。ユーモラスな側面というのは、自分の音楽にとって重要な要素の一つですか?

ラヴキャット:私にとって、全てを深刻に捉え過ぎないことはすごく大切なんだと思う。若いころは、何もかも真剣でなきゃいけないっていう罠にハマってた時期もあったけど、やっぱり自分が一番好きな作家たちは、もっと皮肉っぽくて乾いたユーモアを持っているって気付いて。それに、アルバムを聴くときに、何かをちょっと茶化すような瞬間があると、その分シリアスな瞬間がさらに引き立つと思うから。明るい部分があるからこそ、暗い部分がより暗く感じられて、それがドラマチックさを増幅させるっていう。それに、それが私の性格そのものでもあって。私はいつも冗談を言ったり、自分のアイデアを遊び心を持って扱ったりしてるから、それが自然と歌詞に染み込んでいくんだと思う。でも本当に私としては、ただ自分が誰かと話しているみたいな感覚で書いてるだけなんだけどね。

——そういった自分の歌詞の書き方に影響を与えたアーティストはいるんですか?

ラヴキャット:主にトム・ウェイツかな。それに、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル、ルー・リードとか。若いころにたくさん詩を読んでいて、スパイク・ミリガンっていう詩人や、子どものころはドクター・スース(*アメリカの有名な絵本作家。彼の作品はリズミカルに韻を踏むことで知られている。)なんかにもすごく影響を受けた。韻に夢中になってた時期があってね。自分が伝えたいことをぴったり表現できる言葉を見つけて、さらにそれが最後の文で韻を踏んでると分かったときの感覚って、すごく気持ちがいいから。

——ラヴキャットの音楽においてはファンタジーやユーモアが大事にされていますが、特にポップ・ミュージックの世界では、最近は私小説的というか、現実の恋愛や人間関係をそのままリアルに反映させた歌詞も多いと思います。あなたから見て、最近のポップ・ミュージックにはファンタジーやユーモアの要素がやや欠けていると思いますか?

ラヴキャット:それはここ1年くらいで少し変わってきたように感じていて、またポップ・ミュージックにシアター的な要素が戻ってきてるのを目にするようになったと思う。一時期はそういうのが廃れてたけど、今は勢いよく復活してるんじゃないかな。で、私の音楽を聴く人にも、私が語っていることは真剣でリアルな経験に基づいてるって伝わるといいなと思ってる。私はまだ若い女性で、自分の世界観や恋愛、若い女性としてのいろんな経験を記録してるだけだから。でも、ファンタジーは私にとってずっと大きな情熱の一つで。さっきティム・バートンの話が出たけど、彼の映画は大人が見ても、すごくリアルな人間の感情を描いてる。でも同時に、映画を見ることで現実から少し逃避できるっていう。シュールな要素があるからこそ、そんな感覚が味わえるんだと思う。私もそんなバランスがすごく好き。

——シュールな設定の歌詞であっても、そのベースに自分のリアルな感情が込められていることが大事ということですよね?

ラヴキャット:うん、その通りで、私の曲のほとんどは……なんて言うんだろう、やっぱり素晴らしい本とか映画とか曲って、基本的に「愛」と「戦い」がテーマになってることが多いと思うの。その2つが合わさると、すごく強い感情が引き出される感じがする。ここでいう「戦い」って、昔ながらの戦争の話とかじゃなくて、心の中の葛藤とか、2人の間で起こる衝突みたいなもののことで。そういう「愛」と「戦い」っていう2つの感情が、私が曲を書くときに一番中心になってるテーマなんだよね。

社会と音楽

——ここ1年ほどでシアター的な要素を持つ音楽がまた増えているという話がありましたけど、考えてみると確かにそうで。あなたがヨーロッパ・ツアーを一緒に回ったザ・ラスト・ディナー・パーティーはまさに演劇的な要素があるし、チャペル・ローンなんかもそうですよね。歌詞におけるユーモアという観点で言えば、サブリナ・カーペンターの歌詞はかなりユーモラスです。

ラヴキャット:ザ・ラスト・ディナー・パーティーとのツアーは本当に素晴らしかった。彼女たちがやってることって、自分がいつかやりたいと思ってることで。大掛かりなステージ演出を取り入れることとかね。セットデザインもすごかったし、あれはまさにショーって感じで、古き良き時代に戻ったみたいだった。楽器を演奏するだけじゃなくて、ちゃんと世界観を作り上げて、それを観客に体験させてたのがすごい。私もただ演奏するだけじゃなくて、曲ごとに新しいビジュアルや体験を観客に届けたいって思ってる。

ザ・ラスト・ディナー・パーティーもそうだし、今名前を挙げてくれた他のアーティストたちも同じで、今の時代、みんなが求めてるのは「ちょっと現実から逃れられるもの」なんじゃないかなって感じる。COVID-19とかいろいろ嫌なことがたくさんあったでしょ。だからみんな、もっと楽しくて明るいものを求めてるんだと思う。

——実際、歴史的に見て、ファンタジーやエスケーピズム(現実逃避)の要素が強い音楽の台頭は、現実社会が直面している困難や不確実性の裏返しだということができますが、自分の音楽にもそういったところはあると思いますか?

ラヴキャット:たぶん、あると思う。実は、これを始める前はもっと真面目なフォーク・ミュージックを作ってたんだけど、飽きちゃって。もっと悪ふざけみたいな要素が欲しくなったし、若さとか反抗心とか自由な感じを味わいたかった。それが今の社会の状況と関係してるのか、それとも自然とそうなったのかは分からないけど。歴史的に見ても、現実世界の退屈さとか、それに対する反発から、ファンタジックな音楽が生まれることってあるよね。だから私の音楽も、ある意味、そういう流れの中にあるのかなって思ってる。

——では、少し違った角度からの質問です。ハラスメント気質の男性への依存を描いた「Matador」は、少しラナ・デル・レイを思い起こさせるところがあります。彼女はかつて虐待を美化していると批判されましたが、もし自分の音楽が同じ批判にさらされたら、どのように応答しますか?

ラヴキャット:そんなのクソ喰らえ!って感じ(笑)。

——ハハハッ!

ラヴキャット:好きなように言えばいいんじゃない?(笑)。私は自分の人生を生きて、それを記録してるだけ。アーティストだって完璧じゃないし、そもそも完璧な人間だなんて期待されるべきじゃないと思う。むしろ、誰もが欠けた部分を持っていて、ひどいことをしてしまったり、間違った人に惹かれたりするのが普通でしょ。私自身もずっと、問題を抱えた人たちとか、破天荒なタイプの人に惹かれてきたし、それが音楽の中に出てくる魔法みたいな部分を生んでるんだと思う。だから、アーティストに「天使みたいに生きてほしい」なんて期待するのは間違ってると思うし、そもそも私のライブに小さい子どもたちが来てほしいとも思わないしね。

——事実、仮にそのような批判があったとしても、その一方で、歌詞で描かれているのと同じような経験をして、そうした表現に共感する同年代の女性がたくさんいるわけで。その事実に目を向ける方が重要だと私は思います。

ラヴキャット:うん、私もそう思う。例えば、薬物を使っている人に恋をしたと歌うことで「薬物を美化してる」って言われるなら、それは残念だけど、私としては自分に起きたことを歌わないわけにはいかないから。それを宣伝したり推奨したりしてるわけじゃなくて、ただ自分の経験を正直に伝えて、それを韻を踏んで美しく聴こえるようにしてるだけ。それに、私が育ったときに聴いてたアーティストたちって、歌う内容がすごく際どかった。何を言ったら問題になるかなんて考えずに、とにかく自分が思ったことをそのまま歌ってた。音楽にもそういう自由があるべきだと思うし、コメディーでもそうだけど、適切かどうかのラインぎりぎりを攻めないと面白くないことってあるでしょ。それと同じだと思う。

——全くその通りだと思います。では最後に、今後のことについて訊かせてください。デビュー・アルバムはもう制作中なのでしょうか?

ラヴキャット:うん、デビュー・アルバムは確実に動き始めてる。もうレコーディングを始めてて、イギリスに戻ったら引き続き作業を進める予定。

——これまでの3枚のシングルで、ラヴキャットは音楽的にも歌詞的にも確固とした世界観を打ち出しています。来たるアルバムは、これまでのシングルで披露した世界観で固めたものになりそうですか?それとも、もっといろいろなことに挑戦している?

ラヴキャット:また違ったところを掘り下げる感じになると思う。これまでの3曲っていうのは、私の一部を切り取ったスナップショットみたいなものだから。間違いなく新しいテーマに挑戦する予定だし、今まで以上に幅広い内容になると思う。うん、そんな感じかな。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

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「ロキソニ」で初来日した“期待の新人” Luvcat(ラヴキャット) 「TikTokでのヒット」や「美学」を語る

いまや音楽業界においてTikTok発のヒットは珍しくない。だが、そのほとんどが一発屋で終わる中、これまでリリースした3枚のシングル全てがTikTokでバイラルヒットしたとなれば話は別だろう。英リバプール出身のラヴキャット(Luvcat)は、そんな異例のヒット連発で注目を集めているニューカマーだ。

ラヴキャットは、元々シンガー・ソングライターとして活動していたソフィー・モーガン(Sophie Morgan)の新たなプロジェクトとして2023年にスタート。ザ・キュアーの曲名からアーティスト名を拝借したことからも分かるように、その音楽性はややゴシックなインディーロックをベースに、シャンソンやキャバレー・ミュージック、フランク・シナトラなどからの影響を織り交ぜたもの。そして何より特徴的なのは歌詞の世界観だ。基本的にどれも「恋愛の深みにハマってしまう私」を描いているのだが、ティム・バートンさながらのゴシックでユーモラスな映画を観ているような場面設定がとにかく秀逸。

例えば「He’s My Man」は、愛する男性と一時たりとも離れたくないという想いから、その男性の食事に少しずつ毒を盛り、殺害してずっとそばにいようとする歌なのだ。TikTokで特に若い女性から熱烈な支持を集めているのも、ファンタジックでゴシックな世界観とそこに込められたリアルな恋愛感情が共感を呼んでいるからなのだろう。

そして今年は、ラヴキャットにとってさらなる飛躍の年となりそうだ。というのも、本国の複数の音楽メディア、そしてグラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーから、「今年期待の新人」として次々と名前を挙げられているのである。現在制作中だというデビュー・アルバムが、25年の注目作の一枚となることは間違いない。

1月4日、5日に幕張メッセにて開催されたフェス、「ロッキング・オン・ソニック(rockin'on sonic)」で初来日を果たしたラヴキャットに話を訊いた。

「ロッキング・オン・ソニック」を終えて

——「ロッキング・オン・ソニック」でのライブはいかがでしたか?

ラヴキャット:ええ、すごく美しかった。本当に、すごく非現実的な感じがして。思ったよりたくさんの人が来てくれたし、サイン用に私の写真をプリントして持ってきてくれたファンもいて。全体的に奇妙な夢みたいな感じがしたんだけど、大好きなバンドもたくさん出演していて、それがまた特別な体験になったっていう。

——こんなに大きなステージでやったのは初めて?

ラヴキャット:イギリスで夏にやったフェスが結構大きかったけど、それでも今回ほどお客さんは多くなくて。いつもはすごく小さい会場とかパブでやっているから、バンドのメンバーが私のすぐ隣にいる。でも今回はステージでみんなが遠く離れているように感じて、すごく不思議だったし、慣れるのはまだ難しいなって感じた。

——ステージ衣装もいつもよりゴージャスで、ちょっとマイ・ケミカル・ロマンスの「Black Parade」を思い出しました。

ラヴキャット:そう言ってもらえるのはうれしい。マイ・ケミカル・ロマンスは私にとってずっと大きな影響を与えてくれた存在で、9歳ごろから一番好きなバンド。彼らがロックンロールに持ち込んだ演劇的な要素が大好きで、それは私たちにも確実にインスピレーションを与えている。ステージでは、いつもバンドはスーツでそろえていて。黒いベルベットのスーツとか、ストライプのスーツとかね。私自身、ステージでゴージャスな気分になりたいし、全員がマッチした感じにしたいと思ってるから。

ただ日本では、ちょっとステップアップしようと思って。実は、最近ミュージック・ビデオの撮影で使ったマーチング・バンドの衣装があったから、それを使うことにしたの。私自身も、女の子バージョンの衣装を新しく作って、フェイクのメダルやドクロ・マークなんかをつけてみた。イギリスでやってたこととは違う雰囲気を出したかったし、初めての日本でのライブだし、しかもこんな大きなステージに立つのは特別なことだから、やるべきだと思って。


多様なアーティストからの影響

——マイ・ケミカル・ロマンスは小さいころから好きだったということですが、それ以外のアーティストで、ラヴキャットの音楽性や美学を形成する上で重要な影響を与えた存在というと?

ラヴキャット:子どものころ、おじいちゃんがフランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニアみたいな古い音楽をよく聴かせてくれていた。それから父がザ・キュアーやヴェルヴェット・アンダーグラウンドを教えてくれて、自分では19歳のころにレナード・コーエンやトム・ウェイツを見つけたの。そういういろんなものが奇妙な形で結びついた感じかな。あと、フランスの歌手、エディット・ピアフにもすごくインスパイアされてる。ちょっと奇妙な組み合わせだとは思うけど、たぶんそれが私の音楽が独特である理由なんじゃないかなって思ってる。

——まさにそういった多様なアーティストたちからの影響がラヴキャットの音楽からは聴き取れますが、具体的に彼らのどのようなところに魅力を感じたと言えますか?

ラヴキャット:私は音楽を耳だけじゃなく目でも聴いていたんだと思う。若いころ、歌詞の意味を理解するには幼過ぎたから、私を惹きつけたのはビジュアルだった。それが今まで私にとってアートワークやミュージック・ビデオがすごく重要だった理由でもあって。でも年を重ねるにつれて、詩を読むようになったり、歌詞を細かく読み解いたりする中で、それが一番大きな魅力になったっていう。トム・ウェイツの言葉に「美しいメロディーが恐ろしいことを語る」っていうのがあって、私もすごく共感してるんだけど、光と闇の混じり合いみたいなものが、私の音楽の指針になってるんだと思ってる。

——ラヴキャットのユニークな音楽性や美学というのは、比較的すぐに出来上がったものなのか、それともいろいろと試しながら徐々に出来上がったものなのか、どちらの方が近いのでしょうか?

ラヴキャット:私は、若い女性としていろんなことを試してきたと思ってる。でも、自分の核となる部分はほとんど変わってなくて。好きなものや考え方は基本的に同じだけど、見せ方が少しずつ変わった感じかな。最近は幸運な偶然も多くて、一度やってみたことが人々に響いて、それを続けるようになったこともある。

例えば、ヒョウ柄なんて全く着たことがなかったんだけど、あるライブのために(ヒョウ柄の)ドレスを見つけて、それを着てみたら、そのときの映像がネットに投稿されて、急に「ラヴキャット=ヒョウ柄」みたいなイメージができちゃった。でも実際にそれを着たのはその夜が初めてで。だから、明確にやりたいことを持ちながらも、周りの変化を受け入れる柔軟さがあったからこそ、今のスタイルが出来上がったんだと思う。

TiKToKでのバイラルヒット

——まさにそのヒョウ柄のドレスを着てた「Matador」のライブ映像がTikTokでバイラルしたことから一気に全てが動き出したと思いますが、あの動画のどんなところが人々の心をつかんだのだと思いますか?

ラヴキャット:たぶん、全体的な雰囲気かな。イギリスのパブって、独特の空気感があるでしょ。あのときの照明が緑と赤で、ちょっとデヴィッド・リンチっぽい感じがあったし、若いバンドがただ楽しくやっている様子が伝わったのかも。正直言って、なぜあれがそんなに響いたのかは分からない。ただ、友達が最前列で撮ってくれた、あんまり良くないクオリティーの動画を投稿しただけで、それが自分の人生を変えちゃうなんて、本当に魔法みたいな瞬間だった。でもそれに文句を言うつもりはないけど!(笑)。

——普通、TikTokでバイラルヒットするアーティストって、1曲だけの場合が多いですよね。でもあなたは、これまでのシングル3枚全てがバイラルヒットした。これってかなりすごいことですよね。

ラヴキャット:うん、私もこれについて考えてたんだけど、理由の一つとしては、最初のころにいろんな曲をシェアしてたことかな。1曲だけを何度も何度も投稿するんじゃなくて、クラブで30分のセットをやった時のいろんな曲の一部を投稿していて。そうやって、自分の世界観を少しずつ作り上げたから、人々をその中に招き入れることができたんじゃないかなって。だから、ファンやリスナーに「この人には一つの物語以上のものがある」って感じてもらえたのかも。

でも実を言うと、最初はTikTokには全然興味がなくて。友達に説得されてやっとダウンロードしたくらい。でも、素晴らしいプラットフォームだと思う。私みたいに音楽業界にコネもなくて、お金や広告もない人が、こんなに多くの人に届けられるなんてね。3曲全部がこんなにうまくいった理由は正直よく分からないんだけど、まあ、なんというか、本当に不思議だよね。

リアリズムとファンタジー

——では、自分たちの音楽におけるリアリズムとファンタジーのバランスはどのように考えていますか? 例えば、愛する男性をそばに置いておきたいあまり毒殺してしまう「He’s My Man」の歌詞は、もちろんファンタジーですよね。でも他の曲では、歌詞に実在する場所の名前も織り交ぜたりしていて、ストーリーがリアルに感じられるようにも工夫しています。

ラヴキャット:私ってそういう人だから。現実の世界で実在する人たちと関わり合いながらも、想像力はどんどん広がっていって、自分の中で物語を作り上げてしまうっていう。だから私は、常に半分は現実、半分はファンタジーの世界に生きている感じ。父はそれをよく冗談で、「ゆがんだ現実に住んでる」って言うんだけどね。それを「レモン・ワールド」って呼んでて……。

——レモン?

ラヴキャット:そう、レモン。レモンって、砂糖みたいに甘酸っぱくて、ちょっと現実離れしている感じだから。言葉でうまく説明できないんだけど、どこかおとぎ話のような世界観で、私はいつも半分はここにいて、半分は別の場所にいる感じ。例えば「He's My Man」は、愛が執着や依存に変わっていく、そういうとてもリアルな感情が基になっている。でもそこから自然と別の極端な方向に話を膨らませたくなったり。愛が人をどこまで狂わせるのかを考えるのが面白くて。例えば専業主婦が夫をあまりにも愛し過ぎて、仕事に行かせたくないあまりに、少しずつ彼の食べ物に毒を盛って病気にしてしまう、なんて話を歌にするのは楽しいなって思ったんだ。

——「He’s My Man」はマーダーバラッドですし、あなたの書く歌詞は基本的にダークですが、その一方でユーモラスな一面もあります。ちょっとティム・バートンの映画っぽいというか。ユーモラスな側面というのは、自分の音楽にとって重要な要素の一つですか?

ラヴキャット:私にとって、全てを深刻に捉え過ぎないことはすごく大切なんだと思う。若いころは、何もかも真剣でなきゃいけないっていう罠にハマってた時期もあったけど、やっぱり自分が一番好きな作家たちは、もっと皮肉っぽくて乾いたユーモアを持っているって気付いて。それに、アルバムを聴くときに、何かをちょっと茶化すような瞬間があると、その分シリアスな瞬間がさらに引き立つと思うから。明るい部分があるからこそ、暗い部分がより暗く感じられて、それがドラマチックさを増幅させるっていう。それに、それが私の性格そのものでもあって。私はいつも冗談を言ったり、自分のアイデアを遊び心を持って扱ったりしてるから、それが自然と歌詞に染み込んでいくんだと思う。でも本当に私としては、ただ自分が誰かと話しているみたいな感覚で書いてるだけなんだけどね。

——そういった自分の歌詞の書き方に影響を与えたアーティストはいるんですか?

ラヴキャット:主にトム・ウェイツかな。それに、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル、ルー・リードとか。若いころにたくさん詩を読んでいて、スパイク・ミリガンっていう詩人や、子どものころはドクター・スース(*アメリカの有名な絵本作家。彼の作品はリズミカルに韻を踏むことで知られている。)なんかにもすごく影響を受けた。韻に夢中になってた時期があってね。自分が伝えたいことをぴったり表現できる言葉を見つけて、さらにそれが最後の文で韻を踏んでると分かったときの感覚って、すごく気持ちがいいから。

——ラヴキャットの音楽においてはファンタジーやユーモアが大事にされていますが、特にポップ・ミュージックの世界では、最近は私小説的というか、現実の恋愛や人間関係をそのままリアルに反映させた歌詞も多いと思います。あなたから見て、最近のポップ・ミュージックにはファンタジーやユーモアの要素がやや欠けていると思いますか?

ラヴキャット:それはここ1年くらいで少し変わってきたように感じていて、またポップ・ミュージックにシアター的な要素が戻ってきてるのを目にするようになったと思う。一時期はそういうのが廃れてたけど、今は勢いよく復活してるんじゃないかな。で、私の音楽を聴く人にも、私が語っていることは真剣でリアルな経験に基づいてるって伝わるといいなと思ってる。私はまだ若い女性で、自分の世界観や恋愛、若い女性としてのいろんな経験を記録してるだけだから。でも、ファンタジーは私にとってずっと大きな情熱の一つで。さっきティム・バートンの話が出たけど、彼の映画は大人が見ても、すごくリアルな人間の感情を描いてる。でも同時に、映画を見ることで現実から少し逃避できるっていう。シュールな要素があるからこそ、そんな感覚が味わえるんだと思う。私もそんなバランスがすごく好き。

——シュールな設定の歌詞であっても、そのベースに自分のリアルな感情が込められていることが大事ということですよね?

ラヴキャット:うん、その通りで、私の曲のほとんどは……なんて言うんだろう、やっぱり素晴らしい本とか映画とか曲って、基本的に「愛」と「戦い」がテーマになってることが多いと思うの。その2つが合わさると、すごく強い感情が引き出される感じがする。ここでいう「戦い」って、昔ながらの戦争の話とかじゃなくて、心の中の葛藤とか、2人の間で起こる衝突みたいなもののことで。そういう「愛」と「戦い」っていう2つの感情が、私が曲を書くときに一番中心になってるテーマなんだよね。

社会と音楽

——ここ1年ほどでシアター的な要素を持つ音楽がまた増えているという話がありましたけど、考えてみると確かにそうで。あなたがヨーロッパ・ツアーを一緒に回ったザ・ラスト・ディナー・パーティーはまさに演劇的な要素があるし、チャペル・ローンなんかもそうですよね。歌詞におけるユーモアという観点で言えば、サブリナ・カーペンターの歌詞はかなりユーモラスです。

ラヴキャット:ザ・ラスト・ディナー・パーティーとのツアーは本当に素晴らしかった。彼女たちがやってることって、自分がいつかやりたいと思ってることで。大掛かりなステージ演出を取り入れることとかね。セットデザインもすごかったし、あれはまさにショーって感じで、古き良き時代に戻ったみたいだった。楽器を演奏するだけじゃなくて、ちゃんと世界観を作り上げて、それを観客に体験させてたのがすごい。私もただ演奏するだけじゃなくて、曲ごとに新しいビジュアルや体験を観客に届けたいって思ってる。

ザ・ラスト・ディナー・パーティーもそうだし、今名前を挙げてくれた他のアーティストたちも同じで、今の時代、みんなが求めてるのは「ちょっと現実から逃れられるもの」なんじゃないかなって感じる。COVID-19とかいろいろ嫌なことがたくさんあったでしょ。だからみんな、もっと楽しくて明るいものを求めてるんだと思う。

——実際、歴史的に見て、ファンタジーやエスケーピズム(現実逃避)の要素が強い音楽の台頭は、現実社会が直面している困難や不確実性の裏返しだということができますが、自分の音楽にもそういったところはあると思いますか?

ラヴキャット:たぶん、あると思う。実は、これを始める前はもっと真面目なフォーク・ミュージックを作ってたんだけど、飽きちゃって。もっと悪ふざけみたいな要素が欲しくなったし、若さとか反抗心とか自由な感じを味わいたかった。それが今の社会の状況と関係してるのか、それとも自然とそうなったのかは分からないけど。歴史的に見ても、現実世界の退屈さとか、それに対する反発から、ファンタジックな音楽が生まれることってあるよね。だから私の音楽も、ある意味、そういう流れの中にあるのかなって思ってる。

——では、少し違った角度からの質問です。ハラスメント気質の男性への依存を描いた「Matador」は、少しラナ・デル・レイを思い起こさせるところがあります。彼女はかつて虐待を美化していると批判されましたが、もし自分の音楽が同じ批判にさらされたら、どのように応答しますか?

ラヴキャット:そんなのクソ喰らえ!って感じ(笑)。

——ハハハッ!

ラヴキャット:好きなように言えばいいんじゃない?(笑)。私は自分の人生を生きて、それを記録してるだけ。アーティストだって完璧じゃないし、そもそも完璧な人間だなんて期待されるべきじゃないと思う。むしろ、誰もが欠けた部分を持っていて、ひどいことをしてしまったり、間違った人に惹かれたりするのが普通でしょ。私自身もずっと、問題を抱えた人たちとか、破天荒なタイプの人に惹かれてきたし、それが音楽の中に出てくる魔法みたいな部分を生んでるんだと思う。だから、アーティストに「天使みたいに生きてほしい」なんて期待するのは間違ってると思うし、そもそも私のライブに小さい子どもたちが来てほしいとも思わないしね。

——事実、仮にそのような批判があったとしても、その一方で、歌詞で描かれているのと同じような経験をして、そうした表現に共感する同年代の女性がたくさんいるわけで。その事実に目を向ける方が重要だと私は思います。

ラヴキャット:うん、私もそう思う。例えば、薬物を使っている人に恋をしたと歌うことで「薬物を美化してる」って言われるなら、それは残念だけど、私としては自分に起きたことを歌わないわけにはいかないから。それを宣伝したり推奨したりしてるわけじゃなくて、ただ自分の経験を正直に伝えて、それを韻を踏んで美しく聴こえるようにしてるだけ。それに、私が育ったときに聴いてたアーティストたちって、歌う内容がすごく際どかった。何を言ったら問題になるかなんて考えずに、とにかく自分が思ったことをそのまま歌ってた。音楽にもそういう自由があるべきだと思うし、コメディーでもそうだけど、適切かどうかのラインぎりぎりを攻めないと面白くないことってあるでしょ。それと同じだと思う。

——全くその通りだと思います。では最後に、今後のことについて訊かせてください。デビュー・アルバムはもう制作中なのでしょうか?

ラヴキャット:うん、デビュー・アルバムは確実に動き始めてる。もうレコーディングを始めてて、イギリスに戻ったら引き続き作業を進める予定。

——これまでの3枚のシングルで、ラヴキャットは音楽的にも歌詞的にも確固とした世界観を打ち出しています。来たるアルバムは、これまでのシングルで披露した世界観で固めたものになりそうですか?それとも、もっといろいろなことに挑戦している?

ラヴキャット:また違ったところを掘り下げる感じになると思う。これまでの3曲っていうのは、私の一部を切り取ったスナップショットみたいなものだから。間違いなく新しいテーマに挑戦する予定だし、今まで以上に幅広い内容になると思う。うん、そんな感じかな。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

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なぜニルヴァーナのビンテージTシャツは人気なのか? コレクター対談から探る

ロックバンド、ニルヴァーナ(NIRVANA)の超希少なビンテージTシャツコレクション200枚を掲載した「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」(リットーミュージック)が12月20日に発売された。

近年、世界的な盛り上がりを見せているビンテージTシャツでも特に人気のニルヴァーナのTシャツ。同書では、1990年代のTシャツの中でも、特に希少な200枚以上を掲載。その多くはニルヴァーナTシャツの世界的コレクターの門田健が所有するものだという。加えて、本書をプロデュースした「ベルベルジン」「フェイクα」のスタッフで、ニルヴァーナ・マニアの門畑明男による7万字に及ぶカート・コバーン評伝も掲載されている。

今回、書籍「HOW LOWNG?」の見どころとニルヴァーナTシャツの魅力について門畑と門田の2人に聞いた。

「HOW LOWNG?」の構成

WWD:「HOW LOWNG?」は門畑さんにとっては、2冊目のニルヴァーナTシャツ本ですが、出版の経緯は?

門畑明男(以下、門畑):もともと2018年に1冊目(「NIRVANA T-SHIRT BOOK HELLOH?」)を出版した時点で、ある程度自分の持っているコレクションは出し切ったので、2冊目は考えていませんでした。でも、ニルヴァーナTシャツを200枚以上持ってるというコレクターの門田さんと知り合って、門田さんのコレクションをお借りできれば2冊目もできるんじゃないかなと思い始めていた時に、1冊目の編集を担当した米田(圭一郎)さんから「カート(・コバーン)の本を出しませんか」と電話があって。ちょうどいいタイミングだなと思い、「カートの本ではないですが、ニルヴァーナのTシャツ本をもう1冊作りませんか」と提案して、それで2冊目を出すことになりました。

WWD:構成は前回と今回でどう変えたんですか?

門畑:今回掲載しているTシャツに関しては、9割ほどは門田さんのコレクションで、前回は基本「メード・イン・USA」が多かったんですけど、今回は「メード・イン・ヨーロッパ」の物が多いのと、90年代のブートも多く掲載しています。

門田健(以下、門田):1冊目は公式のアイテムや古着として価値の高い「メード・イン・USA」のTシャツが大半を占めていましたが、今回はヨーロッパの公式アイテムだったり、本当に手に入らない貴重なブートだったり、世界中の珍しいものを集めました。コレクターでもなかなか見たことがないTシャツも掲載しているので、本気のコレクターには今回の方が楽しめると思います。

WWD:やはりブートも人気なんですね。

門畑:そこはファンでも結構意見はわかれると思いますね。オフィシャルしか認めない人もいれば、ブートの方が好きという人もいる。オフィシャルはオフィシャルでデザインもしっかりしているんですけど、ブートの方が自由な発想で作っているので、デザイン的に遊び心もあって、面白いデザインも多くて、好きな人は多いですね。でも、そういった物って、基本的に店に出回らなくて、コレクター同士で取り引きされているので、なかなか見つけられない。今回の本は普段は表に出ないような貴重なTシャツが掲載されています。

門田:90年代は海外アーティストのライブ会場の外でよくTシャツを販売していたんです。「パーキングロット」、「駐車場Tシャツ」なんて言われてますが、日本でも海外の大物アーティストのライブに行くと、大抵売ってましたよね。個人が勝手にツアーの日程などを入れたものとか。

このラストアルバム「イン・ユーテロ」のジャケットデザインを大胆にアレンジしたTシャツは、94年の2月のイタリア公演の時に売られたもので。総柄で、アートワークも手描きで相当好きな人がデザインしたんだなって感じです。僕は2000年からニルヴァーナTシャツを集めてきて、これは他では見たことがないです。値段もつけられないくらい貴重な1枚ですね。

ニルヴァーナのTシャツの魅力

WWD:近年、ビンテージTシャツの値段がどんどん上がっています。その中でもニルヴァーナのTシャツは特に人気です。

門畑:もともと3000円、5000円だったものが、2010年前半ごろに7000〜8000円になって。10年代半ばにはそれが2万円くらいになって、17年には平均4万円ぐらいになっていきました。今だと平均10万円ぐらいじゃないですか。もちろん何百万円するものも、もっと安いものもありますけど。

WWD:ニルヴァーナTシャツの魅力は?

門田:僕はやっぱりその種類の多さだと思います。他のバンドと比べると、圧倒的に多い。だからまだ持っていないTシャツもあって、探す楽しさもあります。あとは、やっぱりカートの生き様もあって彼の死後も人気は衰えない。だからこそ、ニルヴァーナTシャツを着たいと思う人も多いんだと思います。

門畑:僕が初めて買った時は、ただニルヴァーナが好きで買って、気が付いたら130枚も持っている。コンプリートするのが他のバンドに比べて難しいっていうのも魅力だと思うんですけど、やっぱりニルヴァーナの音楽やカートがかっこいいからそこに惹かれるんだと思います。

WWD:2人はどのTシャツがお気に入りですか?

門田:僕はこういうヨーロッパのブートに多いタイダイ柄のものが好きです。最初に無地のTシャツをタイダイに染めて、その上にプリントするので、ニルヴァーナだけではなく、他のバンドでも同じ柄が存在するんですよ。でも、このタイダイ柄のニルヴァーナTシャツって作られた数が少なくて、なかなか見つからないんです。

門畑:僕はすごく価値があるわけではないですが、個人的にこのカートがギターを弾いているTシャツです。この写真がすごく好きで。カラーも黒、白、赤。これは20代前半の時に高円寺の古着屋で買ったんですけど、当時はよく着ていました。今回の本では、前回とTシャツはあまりかぶらないようにしてるんですけど、これだけは今回も最後の締めとして掲載しました。それくらいやっぱり好きですね。

WWD:Tシャツのサイズは基本XLかLですよね。

門田:90年代の海外のバンドTシャツはやっぱりサイズが大きいのが主流で、ほとんどLより上ですね。逆に80年代とかそれより前になると、ビンテージの価値は高いんですけど、サイズは小さかったりします。

門畑:昔はプリントする版が一緒で、おそらくLかXLに合わせて版を作っていたと思うので、SとかMサイズだとプリントが入りきらなかったというのもあるんだと思いますね。

WWD:2人はまだ探しているアイテムはありますか?

門畑:もともと僕は探して買ったというのはほとんどなくて。130枚持っているんですけど、どれも古着屋でたまたま見つけて買ったという感じで、個人的に探して買ってはいないです。昔はそこまで競争率も高くなかったので、それができていたんですが、今だと難しいですね。

門田:僕は探しているものはありますね。詳しく言ってしまうと僕が買えなくなってしまうので、言えないですが(笑)。

WWD:門田さんはどんなTシャツがあるのか、全部把握しているんですか?

門田:やっぱり20年以上見ているので、だんだん分かってきましたね。

WWD:それこそ今ニルヴァーナのビンテージTシャツを探すとなると、どこで探すんですか? タイやカンボジアなどは注目されてますけど?

門田:タイにはまだいっぱいあると思います。パキスタンからタイにいっぱい流れてるので。でも、今だともう素人でもオンラインで売れてしまう時代なので、日本人がかなり買いに行っていて、なかなか一般の人がいいビンテージTシャツを探すのは難しいですね。僕の場合は長くお付き合いして信頼関係を築いてきたヨーロッパや南米、アフリカの友人からの紹介で、売ってもらう方が多いです。

WWD:最後に今回の本のおすすめポイントは?

門畑:ニルヴァーナのTシャツを集めている人も、そうじゃない人も楽しめるようなTシャツのラインアップになっていますし、ニルヴァーナ好きな人なら楽しめると思います。

あと、個人的には一応Tシャツの本ではあるんですけど、7万字のカート・コバーンに関する評伝を書いたので、それもぜひ読んでほしいです。結構今はTシャツが独り歩きしちゃってるじゃないですか。ニルヴァーナは聴いたことはないけど、Tシャツは好きっていう。僕の場合はニルヴァーナが好きで、Tシャツを買い始めたので、もしニルヴァーナの曲を聴いたことがない人はこれをきっかけに聴いたり、過去のライブの映像を見たりしてほしいなっていう気持ちを込めて書きました。だからこそ、Tシャツだけではなく、少しでもニルヴァーナの音楽に興味を持ってもらえればいいなと思います。

PHOTOS:MASASHI URA

「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」

■「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」
著者:門畑明男
定価:6050円
仕様:B4変形判(240mm×240mm) / 144ページ
発行:リットーミュージック
https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3124317109/

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なぜニルヴァーナのビンテージTシャツは人気なのか? コレクター対談から探る

ロックバンド、ニルヴァーナ(NIRVANA)の超希少なビンテージTシャツコレクション200枚を掲載した「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」(リットーミュージック)が12月20日に発売された。

近年、世界的な盛り上がりを見せているビンテージTシャツでも特に人気のニルヴァーナのTシャツ。同書では、1990年代のTシャツの中でも、特に希少な200枚以上を掲載。その多くはニルヴァーナTシャツの世界的コレクターの門田健が所有するものだという。加えて、本書をプロデュースした「ベルベルジン」「フェイクα」のスタッフで、ニルヴァーナ・マニアの門畑明男による7万字に及ぶカート・コバーン評伝も掲載されている。

今回、書籍「HOW LOWNG?」の見どころとニルヴァーナTシャツの魅力について門畑と門田の2人に聞いた。

「HOW LOWNG?」の構成

WWD:「HOW LOWNG?」は門畑さんにとっては、2冊目のニルヴァーナTシャツ本ですが、出版の経緯は?

門畑明男(以下、門畑):もともと2018年に1冊目(「NIRVANA T-SHIRT BOOK HELLOH?」)を出版した時点で、ある程度自分の持っているコレクションは出し切ったので、2冊目は考えていませんでした。でも、ニルヴァーナTシャツを200枚以上持ってるというコレクターの門田さんと知り合って、門田さんのコレクションをお借りできれば2冊目もできるんじゃないかなと思い始めていた時に、1冊目の編集を担当した米田(圭一郎)さんから「カート(・コバーン)の本を出しませんか」と電話があって。ちょうどいいタイミングだなと思い、「カートの本ではないですが、ニルヴァーナのTシャツ本をもう1冊作りませんか」と提案して、それで2冊目を出すことになりました。

WWD:構成は前回と今回でどう変えたんですか?

門畑:今回掲載しているTシャツに関しては、9割ほどは門田さんのコレクションで、前回は基本「メード・イン・USA」が多かったんですけど、今回は「メード・イン・ヨーロッパ」の物が多いのと、90年代のブートも多く掲載しています。

門田健(以下、門田):1冊目は公式のアイテムや古着として価値の高い「メード・イン・USA」のTシャツが大半を占めていましたが、今回はヨーロッパの公式アイテムだったり、本当に手に入らない貴重なブートだったり、世界中の珍しいものを集めました。コレクターでもなかなか見たことがないTシャツも掲載しているので、本気のコレクターには今回の方が楽しめると思います。

WWD:やはりブートも人気なんですね。

門畑:そこはファンでも結構意見はわかれると思いますね。オフィシャルしか認めない人もいれば、ブートの方が好きという人もいる。オフィシャルはオフィシャルでデザインもしっかりしているんですけど、ブートの方が自由な発想で作っているので、デザイン的に遊び心もあって、面白いデザインも多くて、好きな人は多いですね。でも、そういった物って、基本的に店に出回らなくて、コレクター同士で取り引きされているので、なかなか見つけられない。今回の本は普段は表に出ないような貴重なTシャツが掲載されています。

門田:90年代は海外アーティストのライブ会場の外でよくTシャツを販売していたんです。「パーキングロット」、「駐車場Tシャツ」なんて言われてますが、日本でも海外の大物アーティストのライブに行くと、大抵売ってましたよね。個人が勝手にツアーの日程などを入れたものとか。

このラストアルバム「イン・ユーテロ」のジャケットデザインを大胆にアレンジしたTシャツは、94年の2月のイタリア公演の時に売られたもので。総柄で、アートワークも手描きで相当好きな人がデザインしたんだなって感じです。僕は2000年からニルヴァーナTシャツを集めてきて、これは他では見たことがないです。値段もつけられないくらい貴重な1枚ですね。

ニルヴァーナのTシャツの魅力

WWD:近年、ビンテージTシャツの値段がどんどん上がっています。その中でもニルヴァーナのTシャツは特に人気です。

門畑:もともと3000円、5000円だったものが、2010年前半ごろに7000〜8000円になって。10年代半ばにはそれが2万円くらいになって、17年には平均4万円ぐらいになっていきました。今だと平均10万円ぐらいじゃないですか。もちろん何百万円するものも、もっと安いものもありますけど。

WWD:ニルヴァーナTシャツの魅力は?

門田:僕はやっぱりその種類の多さだと思います。他のバンドと比べると、圧倒的に多い。だからまだ持っていないTシャツもあって、探す楽しさもあります。あとは、やっぱりカートの生き様もあって彼の死後も人気は衰えない。だからこそ、ニルヴァーナTシャツを着たいと思う人も多いんだと思います。

門畑:僕が初めて買った時は、ただニルヴァーナが好きで買って、気が付いたら130枚も持っている。コンプリートするのが他のバンドに比べて難しいっていうのも魅力だと思うんですけど、やっぱりニルヴァーナの音楽やカートがかっこいいからそこに惹かれるんだと思います。

WWD:2人はどのTシャツがお気に入りですか?

門田:僕はこういうヨーロッパのブートに多いタイダイ柄のものが好きです。最初に無地のTシャツをタイダイに染めて、その上にプリントするので、ニルヴァーナだけではなく、他のバンドでも同じ柄が存在するんですよ。でも、このタイダイ柄のニルヴァーナTシャツって作られた数が少なくて、なかなか見つからないんです。

門畑:僕はすごく価値があるわけではないですが、個人的にこのカートがギターを弾いているTシャツです。この写真がすごく好きで。カラーも黒、白、赤。これは20代前半の時に高円寺の古着屋で買ったんですけど、当時はよく着ていました。今回の本では、前回とTシャツはあまりかぶらないようにしてるんですけど、これだけは今回も最後の締めとして掲載しました。それくらいやっぱり好きですね。

WWD:Tシャツのサイズは基本XLかLですよね。

門田:90年代の海外のバンドTシャツはやっぱりサイズが大きいのが主流で、ほとんどLより上ですね。逆に80年代とかそれより前になると、ビンテージの価値は高いんですけど、サイズは小さかったりします。

門畑:昔はプリントする版が一緒で、おそらくLかXLに合わせて版を作っていたと思うので、SとかMサイズだとプリントが入りきらなかったというのもあるんだと思いますね。

WWD:2人はまだ探しているアイテムはありますか?

門畑:もともと僕は探して買ったというのはほとんどなくて。130枚持っているんですけど、どれも古着屋でたまたま見つけて買ったという感じで、個人的に探して買ってはいないです。昔はそこまで競争率も高くなかったので、それができていたんですが、今だと難しいですね。

門田:僕は探しているものはありますね。詳しく言ってしまうと僕が買えなくなってしまうので、言えないですが(笑)。

WWD:門田さんはどんなTシャツがあるのか、全部把握しているんですか?

門田:やっぱり20年以上見ているので、だんだん分かってきましたね。

WWD:それこそ今ニルヴァーナのビンテージTシャツを探すとなると、どこで探すんですか? タイやカンボジアなどは注目されてますけど?

門田:タイにはまだいっぱいあると思います。パキスタンからタイにいっぱい流れてるので。でも、今だともう素人でもオンラインで売れてしまう時代なので、日本人がかなり買いに行っていて、なかなか一般の人がいいビンテージTシャツを探すのは難しいですね。僕の場合は長くお付き合いして信頼関係を築いてきたヨーロッパや南米、アフリカの友人からの紹介で、売ってもらう方が多いです。

WWD:最後に今回の本のおすすめポイントは?

門畑:ニルヴァーナのTシャツを集めている人も、そうじゃない人も楽しめるようなTシャツのラインアップになっていますし、ニルヴァーナ好きな人なら楽しめると思います。

あと、個人的には一応Tシャツの本ではあるんですけど、7万字のカート・コバーンに関する評伝を書いたので、それもぜひ読んでほしいです。結構今はTシャツが独り歩きしちゃってるじゃないですか。ニルヴァーナは聴いたことはないけど、Tシャツは好きっていう。僕の場合はニルヴァーナが好きで、Tシャツを買い始めたので、もしニルヴァーナの曲を聴いたことがない人はこれをきっかけに聴いたり、過去のライブの映像を見たりしてほしいなっていう気持ちを込めて書きました。だからこそ、Tシャツだけではなく、少しでもニルヴァーナの音楽に興味を持ってもらえればいいなと思います。

PHOTOS:MASASHI URA

「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」

■「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」
著者:門畑明男
定価:6050円
仕様:B4変形判(240mm×240mm) / 144ページ
発行:リットーミュージック
https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3124317109/

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「ディーゼル」グレン・マーティンスとkemioが語る熱狂の生み出し方

グレン・マーティンス=クリエイティブ・ディレクターが率いる「ディーゼル(DIESEL)」は、若者を熱狂させるファッション性を維持しつつ、責任あるビジネスの転換をアグレッシブに進めている。例えば使用するデニムの50%以上は、オーガニックやリジェネラティブ、リサイクルに置き換え、化学薬品や水の使用量を削減した加工技術にも投資する。2024年9月にミラノで開催した24-25年秋冬コレクションでは、デニムの循環性をテーマに、「ディーゼル」が描く未来に対するステートメントを発信した。同ショーに込めた思いを出発点にマーティンス=クリエイティブ・ディレクターのサステナビリティに対する考え方を聞いた。セッションのパートナーには、若い世代の心を動かすという共通点を持つ、クリエイターのkemioを迎えた。(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)

“デニムの惑星“を表現したショーに込めた思い

木村和花「WWDJAPAN」記者(以下、WWD):9月にミラノで開催された「ディーゼル」の2025年春夏コレクションのショー動画をご覧いただきました。kemioさん、いかがでしたか?

kemio:衝撃的でしたね。「ディーゼル」と言えば、ファッションもそうですが、ステージのプロダクションや音楽、インビテーション、アフターパーティーなど、さまざまな角度からファッションショーの枠組みを越えるエネルギーをいつも感じます。今回は「ディーゼル」のDNAでもあるデニムを大量に敷き詰めたランウエイで、その上をモデルたちが力強く歩くという演出から未来に対しての強いステートメントを感じました。

WWD:グレンにあのショーに込めた思いを聞いてみましょう。

グレン・マーティンス:「ディーゼル」はファッションブランドであると同時にライフスタイルブランドでもあります。つまり、ファッションの美しさを追求する以上に、私たちが掲げる“サクセスフルリビング“、くだらないことは抜きにして人生を全力で楽しもうという精神性を体現しています。「ディーゼル」では、典型的なショーはしません。大事にしているのは、人々を巻き込むこと。例えば過去には、約1万人の一般客を招いたレイブパーティーをしたこともありますし、会場にコンドームの山を作って無料で配布したこともあります。

私が「ディーゼル」に加わって4年目を迎えた今回は、ブランドのコアであるデニムを中心に構成しました。デニムは、国やジェンダー、貧富の差を超えて多くの人々が触れているという意味で最も民主的な素材とも言えます。一方で生産工程では、多くの水や化学薬品を使用する負の側面もあります。実験的なアプローチでみんなが驚く魔法のようなデニム製品を生み出してきた「ディーゼル」は今、未来にあるべき美しいデニムの姿を考え、日々技術革新に取り組んでいます。今回のショーは、その新しいデニムの姿を表現しました。

会場は工場から集めた1万5000kgデニムの端切れを床に敷き詰め、“デニムの惑星“のようなものを誕生させました。その上をモデルが歩く光景を通して、デニムとは何か、循環の可能性などについてディスカッションするきっかけになってほしいという思いを込めたんです。

WWD:ショーの後には、観客がデニムの山に飛び込んだり、自撮りをしたりと、しばらく興奮冷めやらぬといった状態でしたね。サステナビリティの話題はともするとシリアスになりすぎて、楽しいものに変換することがすごく難しい。グレンがサステナビリティをテーマに据えながらあの規模で多く人を熱狂させていた点に感動しました。そうしたショー後の熱狂も予想していたのでしょうか?

マーティンス:全くしていませんでした。私たちのショー会場はいつも熱気に溢れていてさまざまな予想外のインタラクションが発生します。2年前はショー開始前、準備を終えてみんながバックステージでスタンバイしているにも関わらず、観客が会場で盛り上がってしまい開始予定時刻になってもなかなかショーが始められなかったんです。その時は、みんなを席に座らせるために仕方なく会場の照明を全て落としました。急に真っ暗になったのでみんな驚いて叫んでいましたよ(笑)。今回の“デニムの惑星“でもみんなが本当に楽しそうにしていた光景が美しかった。「ディーゼル」は人々が楽しむためのプラットフォームです。たとえランウエイショーであってもそうなのだということが理解いただけたと思います。

デニムの50%以上を環境配慮型に切り替え「楽しみながらより良い未来を考える」

WWD:「ディーゼル」はさまざまな角度からサステナビリティに取り組んでいます。素材面では、デニムに使用するコットンの半分以上をコンベンショナルコットンからオーガニックやリサイクル、リジェネラティブなどに切り替えています。kemioさんは、こうした取り組みを知っていましたか?

kemio:「ディーゼル」のブランドイメージは、セクシーでホット。広告を通して多様性を訴えるなど、社会に対する大事なメッセージを発信していることは知っていましたが、環境面でのサステナビリティにここまで力を入れていることは正直知りませんでした。いつも店に行くと、まずかっこいいデザインに引かれて商品を手に取り、あとから環境配慮素材で作られているんだと知ることが多い。サステナビリティに詳しくないカスタマーに対しても響く、すごく自然なアプローチだと思います。

マーティンス:サステナビリティはつまらないものである必要はありません。私が「ディーゼル」に入った4年前は、リジェネラティブやオーガニック、リサイクルコットンの割合は3%程度でしたが、現在は50%を超えています。半分がよりクリーンな素材に置き換わっているということ。もちろん今も完璧ではありませんが、毎シーズン改善を重ねています。

ファッションに限らず多くのブランドが、全ての製品において自分の子供や孫の世代のために、という視点を持つことが重要でこれが責任あるビジネス、または生き方の核だと思います。デニム以外にも「ディーゼル」の水着でも、同じことが言えます。水着はストレッチや速乾性が必要なので一般的にポリエステルが使われますが、現在は全てリサイクルポリエステルに切り替えました。定番のジャージー製品にはオーガニックコットンを採用しています。素材を未来のためにより良いものに切り替えていくことは、セクシーであること、自由奔放でロックンロールなライフスタイルを送ることを妨げることにはなりません。むしろ、楽しみながらも未来を考えることが私たちの根本的な価値観です。この価値観を毎シーズン、少しずつ実現していこうとしています。

kemio:グレンはクリエイティブ・ディレクターに就任する以前は「ディーゼル」にどんな印象を持っていましたか?

マーティンス:私は昔から「ディーゼル」の大ファンでした。故郷であるベルギーのブルージュという小さな街ですら、「ディーゼル」は人気でした。15〜16歳のころ、バーで皿洗いのアルバイトをしていたのですが、「ディーゼル」のパンツを買うことを目標にお金を貯めていました。当時の私にとっては決して安い買い物ではありませんでしたが、あれが私が人生で初めて意思を持ってした買い物でしたね。

20年に「ディーゼル」に入ると決めた理由の一つは、このようなグローバルブランドであれば、より多くの人と会話ができるだろうと思ったこと。環境の話はもちろん、マイノリティーやセクシャリティーといった社会のサステビリティについても、人々の世の中に対する見方をより良いものに変えるために多くの人に語りかけたかったんです。

「ディーゼル」に加わった時、すでに“レスポンシブル・リビング“と名付けられた環境戦略が走りはじめていました。私も比較的初期の段階から参加することができました。私がしたことはその戦略に“燃料“を加えたことでしょうか。試行錯誤しましたが結果的に、4年でここまでの成果を出せたことを誇りに思っています。

WWD:デザイン工程では具体的にどのようにサステナビリティを意識していますか?

マーティンス:さまざまなレベルがあると思います。例えばランウエイで見せるショーピースは、加工やペインティングなどの表現に重きを置きます。現実的にはリサイクルは難しいですが、生産量が少ないのでより柔軟性を持って考えるようにしています。一方で世界展開する商品については、ケミカルウォッシュや過度な加工をしないことを重要視しています。激しい加工表現はレーザーやオゾンウォッシュなどの技術を使うことで、強力な化学薬品を使わず、水もほとんど使用しない方法を取り入れています。この4年間で、低環境負荷でクリエイティブなデザインを実現するためのデータベースを構築することができました。私には最高のデニムチームがいます。私は基準を提示し、チームがそれを商品に落とし込みますが、多くの場合深く議論する必要もありません。というのも、低環境負荷を前提としてクリエイティブを探求することが私たちのアプローチに組み込まれているからです。

WWD:「ディーゼル」は製品製造以外でも、販売後の製品回収プログラムやリメイクプロジェクトなどさまざまな取り組みを通して循環型経済を推進しています。そうした「ディーゼル」のサステナビリティに対する包括的な考え方を知ることができるのが、動画シリーズ「Behind the Denim(デニムの裏側)」です。ここでリジェネラティブ・コットンを題材にした回をご覧ください。

WWD:kemioさんはご覧になっていかがですか?

kemio:サステナビリティの話題は、詳しくないと関わらない方がいいんじゃないかと距離を置いてしまうこともあると思います。そんな人にとっても優しく寄り添い、コミカルに楽しく学ぶことができる内容ですね。リジェネラティブ・コットンは最近よく耳にするワードですが、土からあれだけの工夫をして今僕が着用しているデニムができていることには驚きました。

WWD:「Behind the Denim」の第1話にはグレンも登場します。その中で印象的だったのがグレンが「サステナブルな商品なんていうものは存在しない」と話し、“レスポンシブル(責任ある)“という言葉に置き換えてインタビューに答えているシーンでした。その意図を説明してもらえますか?

マーティンス:私たちが20年1月にスタートしたサステナビリティ戦略のタイトルは、「レスポンシブル・リビング」です。ここでは素材の原材料のほか、工場やサプライヤー、輸送方法など事業に関わる全てについて触れています。服そのものだけでなく、それを取り巻く全ての項目において、責任ある選択をしていくことを目指しているからです。kemioさんは「ディーゼル」に対してどんな印象を持っていますか?

kemio:今の時代、買い物は投票であるという意識が広まっているように感じます。自分が信じているものと一貫性があるからその服を買う——そんな買い物の仕方が当たり前になってきている。その中で「ディーゼル」を選ぶ行為は、自分の内側から何か熱いエネルギーが込み上げてくるような気持ちになります。

マーティンス:いつもエンパワーリングなkemioさんにそのように感じてもらえていることは光栄です。

WWD:サステナビリティは多くの人の行動変容が必要です。そのためには、人の心を動かす何かを媒介して伝えることが必要だと思います。サステナビリティとクールでセクシーは両立するのでしょうか?

マーティンス:サステナビリティは、日々の言葉や行動に根付くべきもので自己表現を妨げるものではありません。みんなが心の中に持つべき大事な価値観の1つなんだと思います。

「人は情熱を持って取り組んでいる人を応援する」

WWD:最後にこのセッションのテーマである「熱狂の生み出し方」について、2人にお伺いします。多くの人が2人のクリエイションに熱狂してきました。その理由はなんだと思いますか?

kemio:事前にこの質問をいただいたんですが、正直自分じゃ分からなくてChatGPTに聞いちゃいました(笑)。いわく、自分のユニークなバックグラウンドがいろんな人に興味を持ってもらうきっかけになっていると。コピー&ペーストですが、人は情熱を持って取り組んでいる姿を見ると応援したくなるそうです。確かにそういう気持ちは皆さんあるのではないでしょうか。僕自身、どうやったらみんなが熱狂してくれるのか計算できるタイプではないので意図的に何かをやるというよりは、自分に対して誠実に信念を持って続けることで必ず誰かが耳を傾けてくれたり、協力してくれたりするのだと信じています。

マーティンス:おっしゃる通りだと思います。だからこんなに「ディーゼル」が似合うわけですね。大胆であること、偽らないこと、自分らしく生きること、だと思います。常に人生を楽しんで、他者を尊重すること。それが「ディーゼル」が熱狂を生み出すことができる理由だと思います。

来場者とのQ&Aセッション

WWD:まず、kemioさんからどうぞ。

kemio:最近、AI技術がどんどん進化しています。今後ファッションにおいてはどのような影響をもたらすと思うかグレンに聞いてみたいです。

マーティンス:個人的にはTikTokも使えないくらいデジタルにはうといんです。ただ、まずはこの進歩を受け入れ、クリエイションにも組み込んでいかなければいけないと思っています。

質問者:私は出版社で10代向けのコミュニティーメディアを運営していて、若者にどうサステナビリティを自分ごと化してもらうかに関心があります。ブランドとしてカスタマーをどう巻き込んでサステナビリティにアプローチしていきますか?デニムに関して言えば、カスタマーが製品を洗濯し過ぎてしまうといった問題があると思います。また、kemioさんには、実践してみたい“ファン“なサステナビリティアクションはありますか?

マーティンス:私はファッションを次世代に教える立場でもありますが、実は若い世代の方が、環境・社会的意識が高く生活の中で実践していることが多いように思います。「ディーゼル」がZ世代に人気の理由の1つは、透明性だと思います。取り組みや考え方をクリアに発信することが魅力になっています。サステナブルな商品についても、少しずつでも説明をしようと努力をする。長々としたスピーチにしてしまっては、クールさやエッジィさが失われてしまう。冒頭で話したように、日常会話のトピックとしてコミュニケーションをとることが大事なのではないでしょうか。

デニムの洗濯については、一人一人がベストなバランスを見つけると良いですね。デニムは年月を経過することでより美しくなるということをもっと若い世代に理解してほしい。自分でダメージ加工をしてもいいし、パッチをつけて楽しんでもいい。自分らしくデニムに命を吹き込んでいる人たちを見るとうれしくなりますよ。問題なのはむしろ、ファストファッションを楽しんできたミレニアル世代。意識の変化が必要なのは、僕らの世代の方だと思います。

kemio:僕はいろいろな社会問題に関心を持つ入り口はなんでもいいと思います。よく分からないから抵抗を感じる瞬間も多いと思いますが、まずは関心を持ってみる。僕はサステナビリティのエキスパートではないので今回、ここに参加させていただくことを悩みました。ただここに立つことで、自分をきっかけに興味を持ってくれる人がいるかもしれない。きっかけ作りには貢献できると思って参加を決めました。きっかけはなんでもいいからスタートしてみる、が大事だと思います。

WWD:お時間になりました。本日はありがとうございました。

PROFILE: グレン・マーティンス/「ディーゼル」クリエイティブ・ディレクター

グレン・マーティンス/「ディーゼル」クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1983年ベルギー・ブルージュ生まれ。アントワープ王立芸術学院を首席で卒業後、「ジャンポール・ゴルティエ」でキャリアをスタート。2012年には自身の名を冠したウィメンズブランドをパリ・ファッション・ウイークで発表。13年には「Y/プロジェクト」のクリエイティブ・ディレクターに就任し、11年間同職を務める。17年には「ANDAMファッション・アワード」のグランプリを受賞した。「ディーゼル」とは18年にカプセルコレクション「ディーゼルレッドタグ」プロジェクトで協業。その後20年10月から「ディーゼル」のクリエイティブ・ディレクターを務める。英「ビジネス・オブ・ファッション(以下、BoF)」が、世界を代表するファッション業界人に送る「BoF500」2017年版にも選出された PHOTO:Arnaud Lajeunie @ Mini Title

PROFILE: kemio/クリエイター、モデル

kemio/クリエイター、モデル
PROFILE: (けみお)1995年10月16日生まれ。YouTube、Instagram、X(旧Twitter)などを含め、フォロワーは約600万人を超える。高校時代に動画アプリ・Vineで発信した投稿で注目を集め、2016年末に生活拠点をアメリカへ。女子中高生はもちろん、近年では大人からの支持も厚く、クリエイターとして大人気に。卓越したワードセンスで繰り出す「あげみざわ」などの独特な言葉も「けみお語」として親しまれ、若い世代に浸透中。2019年4月に発売した「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」は、発売から3ヶ月で15万部を超えるベストセラー、「GQ MEN OF THE YEAR 2019」では、Youth Infulencer of the Yearを受賞。22年4月28日には、新作エッセイ「ウチらメンタル衛生きちんと守ってかないと普通に土還りそう」が刊行。流行を生み出し続ける世界規模のスターとして、クリエイター、モデル、歌手などとして多岐の分野で活躍している PHOTO:TAMEKI OSHIRO

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バレンシアガのサステナビリティ戦略 デザインチームとの関係や注目の革新技術を語る

左:アニカ・モーア・ストーファルト/ バレンシアガ グローバル・サステナビリティ・ディレクター

スウェーデン出身。ヨーテボリ大学ビジネス・経済・法学部で経営学の修士号を取得。卒業後大手デジタルエージェンシーでキャリアをスタートさせ、さまざまな業界のアカウントを担当。その後、ファッションスクールのアンスティチュ・フランセ・ドゥ・ラ・モード(IFM)で、繊維・ファッションマネジメントの修士号を取得し、ファッション業界に転身。2004 年にケリングに入社し、06 年からバレンシアガで 勤務している。19 年にバレンシアガのグローバル・サステナビリティ・ディレクターに就任し、CEO 直属の新しい部署を立ち上げ、現在に至る。

右:ジェラルディン・ヴァレジョ /ケリング サステナビリティ プログラム ディレクター

フランスのエコール・ポリテクニーク卒業後、カリフォルニア・スタンフォード大学で、環境および土木工学の修士号を取得。建設およびコンセッション事業の世界的企業である VINCI グループで11年、世界的な主要インフラプロジェクトに携わり、その後VINCI SA と VINCI Concessionsで持続可能な開発と科学的パートナーシップのマネージャーを務める。2013 年にケリングに入社。グループ全体のサステナビリティ戦略とプログラムの実施をサポートする責務を担っている。国際的な専門家チームを監督し、持続可能な調達や生物多様性の保全、環境負荷の低い生産に関わる革新的なアプローチの創出と戦略的パートナーシップの構築に重点を置き、傘下のラグジュアリーブランドをサポートしている。Entreprises pour l'Environnement (EpE)の生物多様性委員会の委員長であり、Climate Fund For Nature の専門家委員会のメンバーも務める。PHOTO:TAMEKI OSHIRO

バレンシアガ(BALENCIAGA)の担当者が日本では初めて、同ブランドのサステナビリティ戦略について、グループ親会社であるケリングのグローバル・サステナビリティ・ディレクターとともに語った。いわずとしれたサステナビリティ先進企業である両社が描く未来、乗り越えてきた課題、注目している革新素材や技術、そしてデムナ「バレンシアガ」クリエイティブ・ディレクター率いるデザインチームとの対話とは?(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)

バレンシアガで18年、さまざまな部署を経験しサステナビリティの責任者に

向千鶴WWDJAPANサステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):アニカさんのこれまでのキャリアを教えてください。

アニカ・モーア・ストーファルト=バレンシアガ グローバル・サステナビリティ・ディレクター(以下、アニカ):私はスウェーデン出身で約25年前にパリに来ました。デジタルエージェンシーで働いていましたが、20年前にファッションの世界で自分を“リサイクル”しようと考え、フランスのモード研究所でファッションマネジメントの修士号を取得しました。バレンシアガでは18年ほど働いています。最初はサステナビリティの担当ではなく、小売、リテール、Eコマース、マーチャンダイジング、購買などを歴任してきました。サステナビリティを担当するようになったのは、この5年ほどです。サステナビリティの実践的な知識を得たいと考え、ケンブリッジ大学でサステナビリティの修士課程の一部を修了しました。

WWD:バレンシアガでの役割とは?

アニカ:サステナビリティ戦略の定義、リーダーシップ、実行を担当しており、その戦略を世界中のバリューチェーン全体の中で行っています。ご存知のように、私たちはケリングの一員ですから、非常に野心的な目標を掲げ、同時に私たちが活動するための強力なフレームワークもあります。もちろん、今日一緒に登壇しているジェラルディンやケリングのサステナビリティチームがガイダンスやツール、専門知識を提供してくれます。ケリングの方法論のひとつにEP&L(環境損益計算)という、環境損益を測定する手法があります。私たちは正しい優先順位に焦点を当て、具体的な進捗と結果をモニターできるように、私たちが行うすべてのことを測定しています。

WWD:バレンシアガでのサステナビリティの位置付けは?

アニカ:組織全体にとって非常に重要な6つのブランドバリューがあり、そのひとつが「サステナブルであること」です。それはバレンシアガで働く人たち一人ひとりがサステナビリティのアンバサダーであることを意味します。同時に年次業績評価において、全員が持続可能性に関する具体的な業績目標を持つことも意味します。目標は、もちろん各部門に特化したもので非常に実用的なものです。

また、組織内に“サステナブル・カルチャー”を築いています。例えば、各チームが持続可能な目標を達成できるよう、多くのトレーニングを実施しています。社内コミュニケーションも盛んです。ポットキャストを配信したり、“アウェアネス・セッション”といって意識向上、啓蒙活動をしたりしています。

WWD:個々人の年次業績評価における目標はトップダウンですか?それとも個々人が設定するのですか?

アニカ:持続可能性の目標にはさまざまな種類がありますが、弊社では私たちが達成したいゴールの中からチームメンバーに対して達成してほしい目標を伝えます。私の場合は持続可能性に全面的に取り組んでいるため、業績目標はすべてサステナビリティに関連しています。

科学的根拠に基づきサステナビリティの最前線に立ち続ける

WWD:ジェラルディンさんのケリングにおける役割を教えてください。

ジェラルディン・ヴァレジョ =ケリング サステナビリティ プログラム ディレクター
(以下、ジェラルディン):
私はグループレベルで仕事をしています。私の役割は、すべてのブランドと協力し、誠実で科学的根拠に基づいたアプローチを通じて、サステナビリティの最前線に立ち続けるようガイド、サポートすることです。私のチームとともに、環境やイノベーションの多くの分野でブランドを支援しています。私はもともと機械工学を学び、素材を専門としてきました。その経験から、特に革新的な素材に情熱を持っています。また、過去11年間はイノベーションの仕事をしてきました。

WWD:11年間もイノベーションに携わるとは、常に最新に触れて刺激的ですね。

ジェラルディン:とてもエキサイティングです。なぜなら会う方、会う方、皆前向きでポジティブなエネルギーに満ちています。そしてバランスをとる必要もあります。結果を出すには時間がかかりますから忍耐も必要です。

ケリングのサステナビリティ戦略の優先事項は生物多様性と

WWD:ケリングのサステナビリティの優先事項は何ですか?

ジェラルディン:2025年までに達成すべき明確な目標を掲げた戦略を策定しています。特に、グループ全体でのEP&L(環境損益計算)を元にした削減目標を掲げ、全生産に必要な面積の6倍に相当する土地の再生と保護に関連した目標を設定しています。この目標に向けて懸命に取り組んでいますが、2025年以降の次なるサステナビリティ戦略も準備を進めています。新しい目標やトピックにも取り組んでいます。持続可能性とは固定された定義ではなく、進化する概念です。そのため、毎年新しい課題に取り組む必要があります。

2つ目は先ほど述べたように、イノベーション。それをどうスケールアップするか、です。私たちは日本に大変関心を持っており、「ケリング・ジェネレーション・アワード」を通じて、イノベーションをさらに拡大するイノベーターや方法を模索しています。最終選考に11名が残り、最終結果は3月に発表する予定です。この取り組みはファッションだけでなく、ビューティの分野にも広がっています。私たちは、明日のファッションと持続可能なファッションを生み出すイノベーターを探しています。

WWD:欧州規制とはどのような関係を築いているのか。

ジェラルディン:最優先事項は“進化”する規制に関することです。なぜなら、今後2年から4年の間に世界中で約35のファッションをよりサステナブルにするための重要な規制が施行される予定で、我々はそれに対応する必要があります。大半はヨーロッパ発です。私たちは長年にわたり持続可能性に取り組んできました。そのため、準備は十分に整っています。しかし、これからはトレーサビリティや消費者への情報提供をさらに充実させ、真の意味での循環型社会の実現に向けた新たな枠組みに深く踏み込む必要があります。

WWD:バレンシアガにとってのサステナビリティのポイントは?

アニカ:私たちはケリングの傘下にありますので、ケリングの戦略に沿っていますが、進め方はブランドそれぞれです。私たちはアプローチのポイントとなる3つの要素を選びました。それらはすべて、ケリングの3つの柱である「ケア(配慮)」「コラボレート(協働)」「クリエイト(創造)」を軸に展開されています。

1つ目は「インパクト」です。これは、サプライチェーンのあらゆるレベルにおいて、私たちの活動が環境に与える影響を低減し、ポジティブなインパクトを与えることを目指します。たとえば、再生可能な原料調達を選ぶことで、土壌の健全性を改善する“リジェネラティブ”も含まれます。また、私たちはEP&Lを活用し、自分たちの影響を測定することを重視しています。

2つ目は「製品」です。製品の原材料や製造工程における基準に合致するようにたえまなく改善し、持続可能な素材やプロセスを明確に定義するケリング・グループのガイドラインに基づいて行動します。ジェラルディンが指摘したように、今後の規制ではトレーサビリティがますます重要になります。誰がどこでどのように生産したものなのかを追跡することです。また、私たちは製品が良好な労働条件の下で製造されていることを監視する必要もあります。

最後の柱は「システムの変革」です。私たちは産業にたくさんのプレイヤーがいることを理解した上で自社の直接的な活動だけではなくより大きな産業や社会の一部として活動しています。この文脈で、イノベーションが重要なテーマとなります。私たちは、新興企業やイノベーターを含むエコシステム全体で、さまざまなイノベーションに取り組んでいます。これは、ブランドのDNAにおいてイノベーションが重要な価値観のひとつだからです。

コラボレーションもまた、システム変革の一部です。私たちだけでこの大変革を進めることはできません。そのため、ブランドやグループ内で共有するだけでなく、トレーサビリティのような非競争的なテーマについて、グループの外とのコラボレーションを広げています。また、これはサプライヤーへの圧力の軽減にもつながります。もちろん、製品、材料、プロセスなどを提供するあらゆるサプライヤーと協力する必要があるからです。また、ファッション協定やその他の組織的なプロジェクトや議論にも積極的に参加しています。

WWD:やるべきことがたくさんありますね。

アニカ:とても忙しくてエキサイティングです。退屈することはありません。

各ブランドとの目標や情報の共有の仕方

WWD:サステナビリティを推進するにあたり、バレンシアガを始め、各ブランドとの役割分担はどうなっているのでしょうか?目標や情報はどういった方法で共有していますか?

ジェラルディン:すべてのブランドには独自のDNAがあります。そのため、ケリング・グループ内の各ブランドが、自らにとって最も重要な要素にフォーカスすることが重要です。ケリングでは、国際的な枠組みであるサイエンス・ベース・ターゲット・ネットワークを活用し、科学的根拠に基づいて目標を設定しています。またパリ協定を基に、地球の気温上昇を摂氏1.5度以内に抑えるためにケリングとして何ができるかを検討しています。

各ブランドがこのターゲットに対して適応することが求められます。バレンシアガ、ブシュロン、ケリング アイウエア、ケリング ボーテなどそれぞれ異なる目標を設定します。重要なのは、これらの目標を早期に達成するための支援を提供することです。具体的には、専門知識やツールの提供が含まれます。その一例として、影響を計算しモニターするためのEP&Lが挙げられます。

ミラノにあるマテリアル・イノベーション・ラボでは、イタリアのサプライヤーや各ブランドの製品開発チームと協力し、より持続可能な素材を開発しています。このラボには、持続可能な素材を1,000種類以上集めた素晴らしいライブラリーもあります。しかし、クリエイティブチームにとっては、これだけでは十分ではありませんから、私たちは素材革新において、より革新的で持続可能な素材を活用することを目指しています。

WWD:改めて、EP&Lとは?

ジェラルディン:EP&Lは、自然が私たちに提供してくれる“サービス”、たとえばきれいな水や空気がかつては無限であったものの、現在では有限であるという認識から生まれた考え方です。この限られた資源の中で、経済システムに自然のサービスを組み込む必要性が強調されています。具体的には、自然が私たちに与えるすべてのサービスに価値を見出し、それをビジネスに反映させるという考え方が背景にあります。

EP&Lの目的は、金融のツールを使って自然を金融・経済システムの一部に組み込み、原材料の採取から製品の製造、店舗での販売、さらに製品の使用に至るまで、バリューチェーン全体を通じて環境への影響を計算することです。

このような取り組みが実現すれば、環境への影響が金銭的価値に直結するようになります。EP&Lの重要な点は、この活動が12年間継続されており、その過程で自然を大切にする文化が醸成され、自然には価値があるという意識が根付いたことです。その結果、ビジネスにおいても自然を保護し、再生する必要性が一層明確になりました。

自分のダッシュボードを活用して、たとえば異なるタイプの靴を比較し、それぞれの環境への影響や使用材料を可視化するツールがあります。このツールは、製品やブランドの共同デザインを支援するアプリケーションの一部でもあります。

バレンシアガとサステナビリティを理解する4つのポイント

WWD:バレンシアガがこれまで行ってきたサステナビリティに関わるアクション例を教えてください。

アニカ:4つ事例を挙げたいと思います。一つは、2022年冬コレクションで発表した「エッファ」と呼ばれるマッシュルームの菌糸(マイセリアム)から作られたコートです。レザーに似た質感を持つ代替素材で、バレンシアガのためだけに開発されたものです。バレンシアガとケリング、スタートアップのスクイム(SQIM)の共同開発の成果です。

2つ目は、2024年6月に発表したクチュール コレクションのルックナンバー2に取り入れました。モデルが着用しているパンツにスパイバーによる繊維が含まれています。最も格式の高いクチュールコレクションでも、「ブリュードプロテイン」のような革新的な素材が採用されています。

店舗からも事例を紹介します。バレンシアガでは、100以上の店舗がLEED認証を受けています。LEEDとは、エネルギーと環境デザインにおけるリーダーシップを意味するLeadership in Energy and Environmental Designの略称です。私たちは常にこの認証取得を目指しています。大規模な改装工事を行う際には、その対象となります。

最後に、拡張現実、ARの体験です。何が再生農業なのか、その認識を高めるための取り組みです。私たちは若い方と接することも多いのですが、彼らは特にゲームやゲーミフィケーションに高い関心を持っています。そのためインスタグラム、ティックトック、ウィチャットなどのソーシャルメディア・プラットフォームを活用し、ミニゲーム形式で再生農業について学べるビデオを提供しています。この中で、ユーザーはアバターを選び、種を植え、水を与え、堆肥化し、輪作などの技術を用いることで、再生農業の方法論を実践できます。これにより、少しでもそのプロセスを体感することができます。

デムナ率いるデザインチームとの緊密な関係

WWD:デムナ「バレンシアガ」クリエイティブ・ディレクターをはじめデザインチームとのコミュニケーションについて教えてください。具体的にどのような会議が社内で行われていますか?

アニカ:私たちは緊密に連携して仕事を進めています。特に私のチームは、デザインチームと密接に協力しています。デザインチームは車の運転席に座っているようなものです。彼らが行う選択は、製品のライフサイクル全体に大きな影響を及ぼします。しかし、会社には他にも非常に重要な役割があることを忘れてはなりません。製品のライフサイクルを決める、一つひとつの瞬間に関わる人たちです。開発、生産チーム、サプライヤーも重要な参加者であり、プロジェクトのドライバーとなることで、サステナビリティが実現するのです。

たとえば具体的なインスピレーションがスタジオのデザインチームから湧き上がってきたら、サステナビリティチームが開発チームやサプライヤーと協力してその解決策を模索します。また、サステナビリティチームでは、常に新しいスタートアップ、新しいイノベーション、新しいサプライチェーンを探してデザイナーたちに紹介をしています。

さらに、私たちはクリエイティブチームに対して、ケリング・スタンダードに従って具体的な調達基準について定期的にトレーニングを実施しています。このトレーニングにより、クリエイティブチームはサステナビリティを自分の業務範囲にどのように組み込むかを学んでいます。彼らはすでに高度な訓練を受けているといえるでしょう。

WWD:デムナのような傑出した才能と仕事をするのは面白そうですが大変そうでもあります。

アニカ:全然大変ではないですよ。私たちはデムナやクリエイティブチーム全体と、とても良い会話を交わしていますし、彼らも積極的に関わってくれています。

ケリングとバレンシアガが今必要としている技術や素材

WWD:ケリング、バレンシアガ、それぞれが今必要としている新しい技術や素材を教えてください。

ジェラルディン:私たちは、目標を達成し、サプライチェーンの透明性を向上させるために、環境負荷を軽減する技術革新を模索しています。なぜなら、原材料が環境負荷全体の約3分の2を占めているため、これが私たちの最初の焦点となったからです。バイオマスを原料とするもの、自然由来であること、バイオテクノロジーを駆使し、化学物質を一切使用しないもの、そしてデザインチームのエモーショナルなインパクトのあるものを探しています。心が刺激されないと新しいアイデアは生まれません。これらの基準を満たさない素材では、私たちのブランドの理念に合致しません。そのため、素材選びが優先事項です。

さらに、世界中で水に対する関心・懸念が高まっていることを背景に、私たちは水資源を適切に使用する必要があります。リテールや消費者とのエンゲージメントに関わるテクノロジーも常に探しています。これはファッションに限りません。1年半前、私たちはケリング ボーテを立ち上げ、美容分野も重点となっています。美容業界におけるサステナビリティは、私たちの新たな挑戦の一環です。

アニカが述べたように、イノベーションは競争以前の協調の場でもあります。最終的に私たちが望むのは、これらのイノベーションが業界全体のスタンダードとなることです。気候変動や生物多様性、水はすべての人が必要としているイノベーションですから。

WWD:サステナビリティは物づくりをする人にとってはある種の制約ですが、むしろそれをチャンスだととらえた方が良さそうですね。

ジェラルディン:そう思います。そのように見ることも必要ですし、チームにもそう伝えないといけません。制約としてチームに伝えるとうまくいきません。創造性の欠如は、私たちにとって致命的な問題と見なさなければなりません。それが私たちのアプローチそのものなのです。

最近、私たちのイノベーション・アワードにジュエリーの分野を設けました。そこでのトピックも廃棄物からいかにしてラグジュアリー生み出すか、です。ですから制約と見ることもできますが、素材の見方、廃棄してきたものの見方を変える、新しい意味でのクリエイティブになるということだと思います。

WWD:バレンシアガが今必要としている技術や素材とは?

アニカ:ジェラルディンが伝えたように、私たちは次の新しいプロジェクトに取り組んでいます。私たちは、環境への影響を削減することに非常に注力しています。そのため、即効性のある短期的なアプローチと、フットプリント(環境負荷)に関する現実的な分析を組み合わせています。同時に長期、次世代のイノベーションに焦点を当てています。なぜなら、私たちは「明日」を形作るための素材について議論しているからです。

スタジオでは、コレクションに使用される素材のリサーチやプレゼンテーションを行う際、従来の素材をより持続可能な素材に置き換える取り組みを続けています。この際、デザインや品質について妥協することはありません。おっしゃるように、サステナビリティは創造性を刺激する力を持っています。
そのため、例えばコットンやウールについては従来よりもインパクトの少ない素材を使用するよう努めています。たとえば、2021年にコンサベーション・インターナショナルと共に設立した「自然再生基金」からのサプライチェーンを活用するケースが増えています。

イノベーションは、バレンシアガのDNAの一部です。そのため、次世代素材だけでなく、革新的なプロセスにも焦点を当てています。ジェラルディンが述べたように、例えば、水をほとんど、あるいは全く使わずに染める技術を見つけることなどプロセスが、非常に重要な課題として注目されています。このような取り組みに、私たちは一層力を入れています。

冒頭でも述べたように、これらのプロジェクトには非常に時間がかかります。具体的な成果につながらないプロジェクトもたくさんあるでしょう。でも取り組まなければならないのです。たくさんのプロジェクトの一部が成功する。それを産業、商業規模に拡大し、より環境負荷の少ない明日の素材となることが期待されています。

WWD:お2人のそれぞれの次なるゴールとは?

ジェラルディン:このイノベーションをスケールアップさせ、さらにその実現を手助けできることが、私の個人的な目標であり、大きな希望でもあります。

アニカ:冒頭でも述べたように、まだやるべきことがたくさんあります。だからこそ、一番大きなポジティブなインパクトを残せるところにフォーカスして結果をもたらして具体的なアクションにつなげたいです。

イベント参加者とのQ&Aセッション

参加者:ヨーロッパではエコデザインに関する規制やルールの変更を踏まえてどのようにクリエイティブチームに伝えているのでしょうか、具体的に教えてください。

ジェラルディン:バリューチェーン全体におけるトレーサビリティの向上が規制の主眼です。そして、環境ラベリング形式で最終消費者へ伝えること、また廃棄物の削減と循環型経済の構築が規制の目標です。当局とも常にコミュニケーションをとり意見も出しています。これらの規制の本質は、「持続可能な製品」とは何かを定義することにあります。なぜなら、ファストファッションにおける持続可能な製品の定義と、ラグジュアリー製品におけるそれは同じではないからです。そのため、私たちは製品の物理的な耐久性だけでなく、情緒的な耐久性も考慮しています。これには、製品の価値を維持する方法や、製品を修理して再利用する取り組みも含まれます。

これを実現するため、グループレベルでは定期的なミーティングを行っています。3カ月に一度、各ブランドやその法務チームと会合を持ち、規制が私たちの業務にどのような影響を与えるかを共有し、ディスカッションしています。

現時点では、主にIT面での変更が主です。現時点では、法律が求める内容との整合性については問題ないのですが、細部に問題がある可能性があるから十分に注意する必要があります。私はこれらの法律を土台にして、さらに前進できると考えています。

アニカ:ジェラルディンが述べたように、私たちはこれをブランドに導入する際、トレーサビリティを重視しています。トレーサビリティは非常に複雑な作業ですが、ケリングの基準に沿った素材を使用することで、作業を効率化することができます。生産チームなどと部屋に集まり、資料やスクリーン、スライドを活用しながらトレーニングを進めます。もちろん規制や基準について詳しく議論します。

ただ規制は、それがあるから対応しているわけではありません。行うのは、それが「正しいこと」だからです。現在、規制が施行され始めています。私たちはまだ完璧ではありませんが、取り組みは組織全体に浸透しつつありすでにかなりの進展を遂げていると言えます。社内のすべての部署に理解してもらう必要があります。完璧とは言えませんが、私たちは懸命に努力し続けています。

参加者:「消費者の手に渡った後の流通」に関する質問です。リサイクルだけでなく、リセールプログラムが成功するための条件や、そこにある課題について教えてください。

ジェラルディン:リセールについて、私たちはテストと実践の段階ですが、興味深いモデルであると考えています。ケリングは、中古品プラットフォームであるヴェスティエール コレクティブに投資しています。これにより新しい顧客層へリーチできることがわかっています。つまり、従来のビジネスモデルとバッティングすることなく、新しい可能性を広げています。

完全に異なるロジスティクスですから、現時点では、独自のシステムよりもパートナーと協力する方が容易です。そして、次のステップとして何をすべきかを検討しています。

参加者:私はイノベーションが非常に重要なスポーツ業界の出身です。現在この業界では技術革新への投資はすべてサステナビリティを中心に行われています。この点は、ケリング・グループやバレンシアガにおいても同じでしょうか?

ジェラルディン:はい、そうです。サステナビリティとデジタル技術は、現在の技術革新と投資の原動力となる2つの重要な要素です。この2つの要素が組み合わさる例については、すでにお話ししましたが、その通りです。

参加者:イノベーションへの投資は、それが実際にポジティブな変化をもたらすものでない限り、基本的に価値を持ちません。また、ジェラルディンさんが先ほど述べたように、イノベーションへの投資のうち、10件中1件が成功すれば良いほうです。つまり、それは非常に大きな投資ですから、持続可能性に向けた大きな成果を目指しているということでしょうか?

ジェラルディン:はい、その通りです。特にラグジュアリー分野においては、すべてが完璧でなければならないため、なおさら難しいです。イノベーションには時間がかかり、うまくいかないこともあるため、そのフラストレーションを受け入れる必要があります。

参加者:トレーサビリティとは、すなわち透明性を意味します。すべて透明性を担保しないといけないのでしょうか?パーフェクトではない、ときにはよくない姿を見せないといけないと思いますが、ケリング、バレンシアガとしては100%透明性を担保しようとしていますか?

ジェラルディン:例えば、我々はEP&Lの結果をすべて公表しています。これにより、製品に関する完全な透明性、安定性、環境への影響などを理解していただけると思います。改善点も公開しています。持続可能性とは、終わりのない旅でもあります。そのため、現在地をしっかりと把握することが重要です。今日の世界では、何も隠すことはできません。

参加者:EUがグリーンウォッシングに対する規制を強化したことはよく知られています。このような法改正について、どのように捉えていますか?

アニカ:私たちは現在、この問題に気を配りながら、ガイドラインに基づいて精緻なコミュニケーションをしています。特に重要なのは、何をどのように伝えるべきか、どの単語を使うべきか、そして避けるべきか正確に伝えることが大切です。私たちが使う言葉も外部の専門家にその内容を確認してもらっています。バレンシアガにとってサステナビリティはマーケティングツールではありません。最善を尽くして行うものです。

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日本の繊維産地の可能性を各産地の新リーダーとデザイナー、識者が語る 

日本の繊維産地は世界から見ても多様で、その技術は海外から高い評価を受けている。しかし、後継者不足など深刻な課題を抱えて久しい。その繊維産地から今、新たなリーダーが誕生し始め、一企業の枠を超えて地域と連携した活動が生まれている。日本のものづくりと産地継続に向けて、産地に関わるリーダーやデザイナー、識者がその可能性を語った。(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです。)

向千鶴WWDJAPANサステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):2つ目のセッションは日本の繊維産地の可能性について5名の方をお招きしてディスカッションをいたします。日本には素晴らしいものづくりを行う産地がたくさんあります。そして多くの課題を抱え、同時に可能性を秘めています。ファッションの持続可能性はものづくりの現場の持続可能性があってこそ。本セッションでは現場の声と、識者の声を交えてその未来を語っていただきます。オープニング映像で見ていただいたのはZOZONEXTさんから提供いただいた篠原テキスタイルさんのムービーです。ZOZO NEXTさんのユーチューブでもご覧いただけます。

それでは登壇者をご紹介します。スズサン営業・各種プロジェクト担当の井上彩花さん、糸編代表の宮浦晋哉さん、「フェティコ」デザイナーの舟山瑛美さん、オンラインから篠原テキスタイル社長の篠原由起さん、そして本セッションのファシリテーターを努めていただくA.T. カーニー シニアパートナーの福田稔さんです。福田さんにマイクをお渡しします。福田さんよろしくお願いします!

PROFILE: 福田稔/A.T. カーニー シニアパートナー

福田稔/A.T. カーニー シニアパートナー
PROFILE: 1978年東京生まれ。慶應義塾大学卒、IESEビジネススクール経営学修士(MBA)。電通総研(旧電通国際情報サービス)、ローランド・ベルガーを経てA.T. カーニー入社。消費財・小売プラクティスのAPAC共同リーダーを務める。主にアパレル・繊維、ラグジュアリー、化粧品、小売、飲料、ネットサービスなどの領域を中心に、戦略策定、ブランドマネジメント、GX、DXなどのコンサルティングに従事。プライベートエイティやスタートアップへの支援経験も豊富。経済産業省 産業構造審議会委員、ファッション未来研究会副座長、大学院大学至善館にて特任教授(マーケティングの理論と実践)など政府やアカデミアでも活動。著書に『2040年アパレルの未来 「成長なき世界」で創る、循環型・再生型ビジネス』『2030年アパレルの未来 日本企業が半分になる日』(いずれも東洋経済新報社)など PHOTO:TAMEKI OSHIRO

世界から見ても珍しい、日本の多様な産地

福田稔A.T. カーニー シニアパートナー(以下福田):まず「産地」と一口に言っても日本の繊維産地は非常に多様です。具体的にどのような多様性や魅力があるのか、詳しくお話していきたいと思います。その点について産地に詳しい宮浦さんからお話をいただければと思います。

宮浦晋哉・糸編代表取締役兼キュレーター(以下、宮浦):日本には和装の産地から、ファッション、インテリアの産地などたくさんの繊維産地があります。私たちがワークショップやファッション学校で教える際にはこのうち代表的な20の産地を例として挙げています。

北から南まで日本にはさまざまな繊維産地があるので、皆さまの出身地も実は繊維の生産地だったりしますが意外と知られていません。例えばお母さんやお父さん世代が「機織りの音が聞こえていた」「染めをしていた」という話を聞いたことがある方もいるかもしれません。実は繊維産地は日本の日常生活に非常に近い存在なのです。

繊維産地には日本ならではの文化や風土が独特の文脈で進化を遂げ、現在に至った背景があります。この小さな島国でさまざまな特徴を持つ繊維産地が存在していることは世界的に見ても非常に珍しいことです。

歴史を遡ってみると、綿花を栽培して木綿を織っていた産地もあれば、養蚕が盛んで蚕を育てて生糸を生産し反物にして発展してきた産地もあります。これからご紹介するのはもともと養蚕業を行い、シルクの織物を生産していた産地についてです。これらの産地はシルクの織物産地として発展しつつ、その後ナイロンやポリエステルへと進化を遂げたものもあります。それぞれの産地が独自の進化を遂げています。

例えば日本最大規模を誇る北陸の繊維産地は、ポリエステルやナイロンのテキスタイルの生産が盛んです。東京から近い群馬では桐生を中心にジャカード織りの柄を追求する産地として知られています。山形の米沢は、現在も高密度で非常に美しいシルクのテキスタイルを主力とし独自の地位を築いています。このように各産地がそれぞれの強みを活かして進化し、世界中にファンを持つ存在になっています。

続いて、綿花栽培を背景に持つ産地をご紹介します。これらの地域は日照時間が長く水はけが良いといった土壌や気候条件が綿花栽培に適していました。

オレンジ色の地域の出身の方はおおらかな性格の方が多い印象があります。日照時間が長く、太陽に照らされる環境の中で育まれる文化が影響しているのかもしれません。この地域では5月頃に綿の種を蒔き11~12月頃にコットンボールが弾けるというサイクルで和綿の栽培がされていました。ここから発展してきた繊維産地と言えば、世界に誇るジャパンデニムの産地である岡山から広島、今治のタオル、和歌山の丸編み、そして世界三大毛織物の一つである尾州などがあり、さまざまな製品が生まれています。

一気にお話しすると少し情報が多いかもしれませんが、日本全国にはさまざまな繊維産地があり、それぞれ独自の形で進化を遂げてきました。この多様性と進化こそが、日本ならではの魅力として世界中から注目され、毎シーズン世界各国のデザイナーやバイヤーが訪れるなど、日本の繊維産地は他に例を見ない特別な存在となっています

各産地に新しいリーダーが登場、斜陽産業からの脱却を目指す

福田:このように日本の繊維産地は非常に多様です。そして現在、世界から大きな注目を集めています。その背景には日本の繊維産業が持つ長い歴史があります。日本の繊維産業は、戦前から高度経済成長期にかけて国の基幹産業として大きく成長しました。しかしその後、生産拠点がコストの安い中国や新興国へと次々と移転し、それに伴い斜陽産業とも言われるようになりました。

ところが潮目が変わり、繊維産業が輸出産業として再び成長を始めています。実際、日本のテキスタイルの輸出額は3000億円以上でその金額は年々増加しています。また、近年では日本製のブランド、完成品の輸出も急速に伸びており直近では輸出額が1000億円を超えるまでになっています。

歴史を経て日本の繊維産業は再び成長しようとしています。この新たな成長期を牽引する新しいリーダーたちが登場しています。ここからは、そうしたリーダーの方々をご紹介したいと思います。まず、先ほどオンラインでご参加いただいた篠原テキスタイルの篠原さんをご紹介します。

篠原さんは40代で家業を継ぎ現在事業を拡大されています。ぜひ篠原さんから、新しい繊維産地をリーダーとしてどのように考えていらっしゃるのかお伺いしたいと思います。特に現在取り組まれていることやコメントがあれば、自己紹介を兼ねてお話しいただければと思います。

PROFILE: 篠原由起/篠原テキスタイル代表取締役

篠原由起/篠原テキスタイル代表取締役
PROFILE: 1907年創業のデニム生地機屋「篠原テキスタイル」の5代目。大阪工業大学卒業後、大正紡績へ入社。紡績の製造現場、商品開発室、営業を経て、2012年に篠原テキスタイル入社。新規事業開発リーダーとしてデニム産地内同業他社、異業種、行政、教育機関との連携を深め、デニム産地の発展に取り組む。22年社長に就任。海外展示会への出展や、国内他産地とのコラボ素材の開発、デニム製造工程で発生する残糸や、BC反を活用したアップサイクルブランド「シノテックス(SHINOTEX)」の立ち上げを行ってきた。また、産地の魅力発信のため、デニム・ジーンズの製造工場を回る工場見学ツアーの企画や、若手デザイナーの支援も積極的に行う PHOTO:TAMEKI OSHIRO

篠原由起・篠原テキスタイル代表取締役(以下、篠原):私は広島県福山市を拠点にしています。この福山市と隣接する岡山県の井原市と倉敷市が日本国内でも特に有名なデニムの産地となっています。

現在、同業他社さんと連携してデニム産地全体を盛り上げる活動に取り組んでいます。具体的には日本のデニム生地をさらに広めるために勉強会を開催したり、一般の方向けにはワークショップを行ったりしています。2024年はBtoB向けの展示会を実施したり、マルシェに参加したりして地元住民にも「福山にはデニムがあるんだ」と知っていただく活動を進めています。地域の皆さんに地元への誇りを持っていただきたいという思いもあり、シビックプライドの醸成にも力を入れています。

また、バイヤーさんを対象とした工場見学ツアーも行っており24年は30~40回ほど実施しました。現場を見ていただくことでデニムをより深く知っていただけたらと思っています。

さらに、私たちからも積極的に学校へ赴き「こんな面白いことをやっているんですよ」と紹介する勉強会を開催したり、他の産地を訪問して連携を深めたりしています。例えば、「ひつじサミット尾州」で交流したり、先週は播州を訪問してお互いの産地の取り組みを紹介、素材開発したりとさまざまな活動を行っています。

福田:続きまして他の産地のリーダーについてご紹介します。若い世代が新たなリーダーとして登場しており、この点については産地をつなぐ活動をされている宮浦さんにお話しいただければと思います。

PROFILE: 宮浦 晋哉/糸編代表取締役 キュレーター

宮浦 晋哉/糸編代表取締役 キュレーター
PROFILE: 1987年千葉県生まれ。大学卒業後にキュレーターとして全国の繊維産地を回り始める。2013年東京・月島でコミュニティスペース「セコリ荘」を開設。16年名古屋芸術大学特別客員教授。創業から年間200以上の工場を訪れながら、学校や媒体や空間を通じて繊維産地の魅力の発信し、繋げている。17年に株式会社糸編を設立。主な著書は『Secori Book』(2013年) 『FASHION∞TEXTILE』(2017年)PHOTO:TAMEKI OSHIRO

宮浦:現在、篠原社長は5代目として活躍されていますが、他の産地でも代替わりが進んでいます。若い息子さんや娘さんが事業に参加するケースや外から移住してきた方が会社を経営する例も見られます。

例えば、世界三大毛織物の産地として知られる愛知県と岐阜県にまたぐ尾州産地でオープンファクトリーイベント「ひつじサミット尾州」を立ち上げたのが三星毛糸の岩田真吾さんです。尾州産地は大きい産地なのですが、岩田さんは旗振り役としてリーダーシップを発揮して、日々精力的に活躍されています。産地が自ら立ち上がり外に向けて楽しく開いていかなければならない、という強いメッセージを込めて活動をされています。このオープンファクトリーをはじめ、さまざまなインナーブランディングの取り組みも行っています。

遠州産地に目を向けると、綿の高級シャツ地を手掛ける古橋織布の4代目古橋佳織理さんがいらっしゃいます。男性だけでなく女性も社長や開発担当として活躍してそれぞれの産地で頑張っている時代になりました。和歌山産地ではエイガールズの山下智広社長など、各地で新しいリーダーが次々と現れ、それぞれの産地を盛り上げています。このように、日本全国で新しい世代が活躍している状況です。

福田:このように多くの新しいリーダーが登場している一方で、他の業界から繊維産地に飛び込む動きも見られるようになっています。そこで、経済産業省を経てMBAを取得し繊維産地に飛び込んだ井上さんにその経緯をお伺いしたいと思います。

PROFILE: 井上彩花/スズサン 営業担当

井上彩花/スズサン 営業担当
PROFILE: 慶應義塾大学経済学部卒業後、2016年に経済産業省に入省。通商政策局などを経て、19年4月からファッション政策室、クールジャパン政策課。22年8月からフランスのビジネススクールでラグジュアリーブランドマネジメントを学ぶ。24年8月から現職。 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

井上彩花スズサン 営業担当(以下、井上):私は現在、株式会社スズサンで営業などを担当しています。大学卒業後、経済産業省に入省し、クールジャパン政策を担当する部署に在籍していました。その際、福田さんに副座長、向さんに委員として参加いただいた有識者研究会「ファッション未来研究会」の事務局を担当させていただいたことがきっかけで、ファッション産業が抱える課題や向き合うべきテーマ、そして産業が持つ大きなポテンシャルについて深く知ることができました。

特に職人技術といった独自性の高いものをどのように海外に伝え、市場を作り出すかに興味を持ちました。フランスを中心としたラグジュアリーブランドが世界中で人気を集めている様子を見て、クールジャパンで目指していたことの反対側にある成功例の一つではないかと考え、ラグジュアリーブランドビジネスを学びにパリに約2年間留学をしました。

留学中は、世界中からラグジュアリーブランドビジネスを学びに集まった同級生とともに、その領域に深く携わるさまざまな機会を得ました。その中で、特にフランスでは、職人技術が非常に高い価値を持つものとして業界内で認識されていることを実感しました。また、現地でLVMHメティエダールでのインターン経験を通じて、日本の繊維や工芸といった手仕事に大きなポテンシャルがあること、同時に課題も直接感じることができました。

これらの経験を経て、手仕事のビジネスのよりリアルな部分を体験したいと思い帰国後、名古屋・有松に拠点を置く株式会社スズサンに転職しました。スズサンでは、江戸時代初期から400年以上続く国指定の伝統工芸「有松鳴海絞り」の技術をブランドの核とし、ファッション製品や、クッションやブランケットといったホーム製品に「有松鳴海絞り」の絞り柄を取り入れるブランドビジネスを展開しています。

福田:新しい人材が集まりつつある繊維産業ですが、ここでぜひ日本の繊維産業が持つ「ものづくりの魅力」や「強み」についてお話を伺いたいと思います。「フェティコ」のデザイナーとしてご活躍されている舟山さんにお尋ねします。舟山さんは、特に産地との連携が上手だとうかがっています。産地の魅力やデザイナーの視点から見た日本の産地について教えていただければと思います。

PROFILE: 舟山瑛美/「フェティコ」デザイナー

舟山瑛美/「フェティコ」デザイナー
PROFILE: 高校卒業後に渡英、帰国後にエスモードジャポン東京校入学、2010年卒業。コレクションブランド等でデザイナーの経験を積み、20年に「フェティコ」を立ち上げる。22年に「JFW ネクストブランドアワード2023」と 「東京ファッションアワード 2023」を受賞 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

舟山瑛美「フェティコ」デザイナー(以下、舟山):まず、私のブランドについて簡単にご紹介します。私が産地でのものづくりを始めたきっかけは新卒で入社したいわゆるDCブランドといわれるデザイナーズブランドの会社でした。その会社は産地との絆が非常に深く、新入社員も率先して産地や工場に連れて行き、現場を見せてくれるような投資を惜しまない会社でした。この経験が私にとって非常に大きな影響を与えました。それまで私は、服がどのような場所で作られているのかを全く知りませんでした。しかし、実際に現場で働く方々と話す機会を得たことで、彼らがいかに大変な仕事をしているかを知りました。「後継者がいない」「仕事が大変」といった話を若い私に気軽にしてくれる一方で、工場の方々がものづくりに誇りを持っている様子がとても印象的でした。その姿を見て「自分も真剣に向き合わなければ」と覚悟を決めることになりました。

「フェティコ」を立ち上げるにあたり「少しでも産地の力になりたい」という思いが強くありました。いろんなブランドで働く中で時には海外生産を含むOEMで日本の生地を使わない製品を手がけることもありました。ただ、そういったものづくりでは、細かい部分で自分が表現したいことを洋服に落とし込むのが難しく、ジレンマを感じることが多かったです。

その経験を経て「どんな人たちがどんな場所で作っているのか」を見極め、どの産地のどの生地を使いどの縫製工場に頼めばどんなふうに仕上がるまでが見えるものづくりに強い価値を感じるようになりました。今では、日本で作れないもの以外は約90%の生地と縫製を日本国内で行っています。

具体例を挙げると、前シーズンでは桐生でオリジナルの柄のジャカード生地を作りました。同色で派手さのない素材なので一見地味に見えますが、実際に手に取ってもらうと独特の風合いが感じられます。日本で作るメリットの一つにオリジナルの生地を作るのに多額のコストがかからないということ、小さなブランドであっても製作に協力的な機屋さんがいるという点があります。こうした環境は本当にありがたいと感じています。

継続しているところでいうと、尾州のスーツ地があります。ブランドを構成する要素は多々ありますが、細かい工夫や積み重ねがブランドのアイデンティティを形成し、強めてくれると実感しています。同じ梳毛でも、仕上げの加工方法やブランドらしさを求めてオリジナルの色に染めていただくなど自分の求める形にしてもらえるのが魅力です。小さなブランドでもこうしたことができるのは、日本でデザイナーをやる大きなメリットだと思います。

もちろん、海外の素材にも素晴らしいものがたくさんありますが、日本は顔が見える人たちと一緒に理想を追求できる環境が整っています。この環境を活かさないのはもったいないと感じ、産地でのものづくりを続けています。

福田:ちなみに私も今日着ているのは尾州のスーツ生地を使った服です。桐生産地も素晴らしいと思います。さて、日本の産地の魅力を横断的に発信し、さらに世界中のラグジュアリーブランドをアテンドされている宮浦さんにお伺いしたいと思います。

宮浦:舟山さんのお話にも通じるところからいくと、他の国にも繊維産業が存在しますが、いろんな国のデザイナーや学生、先生たちと話していると、小ロットでどのくらい商売になるかわからない前提でファッションブランドにコミットしてくれる工場がなかなかないという状況で、あるとしたら日本とイタリアだと聞きます。それ以外の多くの国では繊維産業として一定の規模があっても、ほとんどが工業的な大量生産で回っているというのが現状です。こうした背景があるからこそ、イタリアやフランス、ドイツといった国々から学生たちが日本に研修に来るのだと感じています。

世界は「信頼の歴史」「技術者」「糸の開発力」を評価

僕自身、日本のテキスタイルの国際競争力をテーマに研究しています。これまで世界中で日本のテキスタイルを使うデザイナーや経営者に話を聞く中で、いくつか共通して言われることがあります。

当たり前のことかもしれませんが「検品をしっかりしてくれる」「品質が安定しており、汚れや染色むらがないものが確実に納期通りに届けられる」という日本全体が積み重ねてきた信頼の歴史が挙げられます。この「当たり前」を守り続けている点が、皆さん口をそろえて評価している部分です。さらに、昔からある機械を大切にリペアしながら使い続けているのも特徴的です。例えば、シャトル織機や和歌山の吊り編み機など、旧式の織機があって、今も扱える技術者がいることも評価されています。

もう一つ挙げられるのは、東レ、旭化成、帝人を代表する原糸メーカーです。糸だけの輸出額でも800億円ほどに上ると考えられます。この糸の開発力に織る技術、編む技術、加工技術をあわせて日本ならではの唯一無二のテキスタイルが生まれてきています。

福田:日本の産地として海外でも特に有名なのが、岡山、広島の三備産地です。日本のデニムがなぜ世界から高い評価を受けているのか、また篠原テキスタイルのデニムがどのように評価され、取引されているのかについて、篠原さんにお伺いしたいと思います。

篠原:宮浦さんが言われた通りだと思いますが、デニムの場合、まず重要なのは“ブルーの色目”です。どのような色落ちをするのか、その“色の変化”が非常に大事なポイントになります。この色のバリエーションが豊かであること、色が美しく繊細であることが評価されています。さらに、紡績の技術も重要です。経糸の微妙なむら感によって経年変化が異なるバリエーションを生み出します。これに生地のクオリティや品質の高さといった要素が組み合わさり、デニムが世界から評価されているのだと思います。

また、三備産地のデニム企業は創業100年以上の歴史を持つ企業が多いのも特徴です。当社も創業117年目になります。当社は「備後絣」という絣織物から、井原市では「備中小倉」と呼ばれる藍染綿織物から始まり、それが続いてデニムの産地になったという歴史が評価につながっているのだと感じます。

当社の場合、さまざまな織機を活用してデニムを製作しています。例えばシャトル織機やエアージェット織機を用い、従来のアメカジスタイルの綿100%のデニムだけではなく、それ以外の新しいデニムを次々に開発しています。

具体的には、新たに反毛原料とヴァージン綿のブレンドで糸を紡績さんと開発したり、糸を加えたり、カシミヤを織り込んだ生地を特殊な加工によって独自の表情を生み出したりしています。その結果、“これはデニムなのか、それともデニムではないのか”という新しい概念の製品を生み出せることが私たちの強みだと思っています。

当社は、テンセル素材のデニムも得意としています。経糸に風合いの良いテンセル糸を用い、横糸に違う触感の素材を織り込むことで新たな手触りの生地に仕上げています。また、紡績さんと一緒にリサイクルポリエステルを原料を独自にブレンドし、デニム調のポリエステル100%の生地を作ったり、極細番手のナイロンを打ち込んで紙のような質感のデニムを作ったりもしています。こうした“これまでになかったデニム”を生み出す取り組みが、海外からの高い評価につながっているのだと思います。

福田:それでは「有松鳴海絞り」についてお伺いします。名古屋で伝統的に受け継がれている絞り染めの技法を「スズサン」というブランドに昇華させ、世界で高い評価を受けています。現在、売り上げの8割が海外市場からだと伺っていますが、なぜ「スズサン」がこれほど海外で評価されているのか、その理由についてお伺いします。

井上:「スズサン」はクリエイティブ・ディレクターでCEOの村瀬弘行が2008年に立ち上げたブランドです。村瀬は当時、ドイツのデュッセルドルフに留学しており、その地でブランドを創設しました。スズサンの拠点は現在2カ所あり、デザインはドイツのデュッセルドルフで、生産は名古屋の有松で行っています。この2拠点体制がブランドの大きな特徴です。

いくつかポイントを挙げたいと思います。1つ目は、デザインをドイツで行っているからこそ、伝統工芸としてではなく、別の見せ方で海外の市場にアプローチしている点です。例えばパリの展示会で、お客さまが最初に注目するのは素材の良さやデザイン、色の使い方であることが多いです。「素材がいいね」「デザインが素敵だね」という入り口からまず製品に興味を持っていただくことができれば、その後に、伝統工芸としての技術的な背景や産地のストーリーなどお伝えできることは豊富にあります。「スズサン」のデザインの特徴として、アートのように大胆な色や柄の組み合わせが挙げられますが、このように現地の視点を取り入れたデザインが受け入れられているのかと考えています。

2つ目のポイントは「有松鳴海絞り」の製品が全て手作業で作られていて、この手作業による温かみや独自性を感じていただいていることだと考えています。「有松鳴海絞り」は絞り染めの技法です。さまざまな方法で素材の一部を防染し、染めの工程の後に防染された部分を残すことで、素材にデザインを作り出す技術です。例えば、私が着ているニットはグレーの部分が元々の製品の色です。製品の一部を四角い板で挟んで防染し、黒の染料で染色することで、板で挟まれていた部分の元の色が柄として残ります。挟む以外にも、糸と針を使った縫いの技法など、100種類程度の技法があります。

絞り加工は一つひとつ全て手仕事で行うため、一度に生産できる量は限定的です。現在、シーズンに合わせてコレクションを発表していますが、生産量としては、1シーズンで約2500点、年間ではおよそ5000点を目安に調整を行っています。

また、技法によっては柄の出方に表情が生まれることもありますし、プリントのように全く同じ柄を繰り返し作ることはできません。たとえば、25年春夏コレクションのFaceの柄の場合、口の大きさが一つ一つ微妙に異なったり、目の位置がわずかにずれたりすることがあります。こうした一点一点の違いについて、お客さまとコミュニケーションを取りながらご理解いただき、手仕事から生まれる一点ものの製品に愛着を持ってご使用いただけるよう努めています。

最後に、ドイツにも拠点があることでヨーロッパでのビジネスをスムーズに行える体制が整っており、言語のギャップや時差の影響を受けにくい点が強みです。このような体制が海外市場での展開を後押ししていると感じています。

技術継承の鍵は「時代の流れを読み取りビジネスを柔軟に変化させる」こと

福田:皆さん、これで産地のポテンシャルについてよく理解いただけたかと思います。産地とデザイナーがコラボしたり、伝統技法とコラボしたり、さらにはテキスタイルそのものがブランドとして成立したりと、さまざまな角度で日本の産地が世界中から注目を集めています。そして、それがビジネスに繋がっている点が大きな魅力です。

しかしながら、当然ながら良い話ばかりではありません。産地にはいくつかの課題があります。ここからは、大きく2つの課題についてお話ししたいと思います。1つ目は事業承継について、2つ目は欧州の規制対応についてです。まず、事業承継についてですが、これは日本全体で大きな問題となっています。後継者がなかなか見つからず、そのために廃業を余儀なくされる会社も少なくありません。一方で、篠原テキスタイルさんのように、若い世代が積極的に事業を引き継ぎうまく次世代に繋げていくことで、何代も続いている会社も存在します。

篠原:当社は創業から117年が経過しており、私は5代目になります。元々はさきほどもお話ししたように「備後絣」の手織り物から始まり、アフリカ向けにエンブロイダーマフラーというターバンの生地のようなものを織っていた時代がありました。その後、学生服用の生地を織る時代を経て、現在はデニムの生産を行っています。このように、時代に合わせて織物を変化させながら続けてきた中での事業承継になります。

私たちは3兄弟で会社を運営しており、私が代表を務め次男が営業、三男が現場管理を担当しています。それぞれ役割を決めてこれから30年、50年先に何を織っていくのかを考えながら進めています。「事業承継で何が大変だったか」と聞かれると、特に大きな困難はなかったと言えます。現状を受け入れつつ、徐々に変化させていくことを常に考えながら進めてきました。ただし、これまでの117年も織る物が時代とともに変化しているため、現場の技術は日々進化、改善が必要になってきています。

例えば「今までの機械ではこんな糸織れない」というケースでは機械メーカーと相談して改造をする必要がありますし、シャトル織機も40年前の機械を使っていますが、そのメンテナンス方法など、ベテランの職人から若手へ引き継ぐ時期に差し掛かっています。そのため職人さんが感覚で行っていた作業を動画に記録し、マニュアルを作成することに取り組んでいます。また、メーカーに存在しない部品は地元の鋳造メーカーさんや、金属加工メーカーさんに依頼して作ってもらうなど、周りの企業さんに助けていただきながら体制を整えています。新たな素材開発に向けて、こうした取り組みに最も時間を取られているかもしれませんね。

福田:篠原さんのお話を伺っていると、時代の流れを読み取りニーズに合わせた事業を展開し、ビジネスを柔軟に変化させていくことが非常に重要なポイントだと感じました。一方で、産地を訪れると後継者がいないという問題が多く聞かれます。このような問題に直面する中で、産地にさまざまな人を呼び込むためにどのような具体的な取り組みが行われているのかも気になるところです。産地活性化のためにどのような活動がされているのかについて、宮浦さんの視点から効果的な事例や取り組みをぜひ共有いただければと思います。

宮浦:十数年、教壇に立ちながら教えてきましたが、自分の教え子が産地に入ったり、自分たちで運営しているスクールを通じて多くの若い世代が産地に携わるようになってきました。もちろん、若い人だけではなく年齢を問わず産地に入る方もいらっしゃいます。産地での仕事は良くも悪くもアナログで、手触り感があります。そのリアルさに魅了されて産地に飛び込む人が多いように感じています。都会で仕事をしていたけれど、見学に行った際に産地のポテンシャルを感じて信じ、そこに飛び込む。そしてその魅力に取り込まれ、夢中になっていく。そんな流れが多く見られます。

そして、そんなIターン勢の姿を見た継ぐ気がなかった社長のお子さんたちが自分の会社に未来を感じたり、若い世代が入ってきていることを目の当たりにしたりすると責任を感じて経営者として戻るといった事例も最近増えています。

ただ、産地の魅力は言葉だけでは伝わりにくい部分があるので、いかに現地に足を運んでもらい、体験してもらうかが大切だと感じています。例えば、学生であればどんどん現地に行ってほしいですし、今日この場にいる何百人もの方々の中で産地に興味を持った方がいれば、ぜひ僕と一緒に産地を訪れてほしいなと思っています。

福田:皆さんも最近始まった「オープンファクトリー」という取り組みをぜひ見に行っていただければと思います。産地が開かれた形で見学できる機会が増えていますので、実際に足を運んでその魅力を感じていただければと思います。

そして、同じく産地である有松に関わられている井上さんですが、長い歴史を持つスズサンの家業をご覧になって、事業承継の難しさについてどのように感じられているか、ぜひお話を伺いたいと思います。家業を受け継ぐという点で、具体的な課題やその捉え方について教えていただけるとありがたいです。

井上:宮浦さんのお話されていた、血の通った、リアルな仕事というところに共感します。昔の街並みの残る、東海道沿いの有松では朝や夕方に綺麗に陽が入り、とても美しい景色が広がります。そんな光景を思い浮かべながらお話を伺っていました。

入社してから感じているのは、産地に対してポジティブな影響を与えるということについて、ブランドだからこそ担える役割があるいうことです。2つの側面があります。まず1つ目は「有松鳴海絞り」の分業制についてです。「有松鳴海絞り」はもともと1つの技法を一つの家族が代々受け継ぎ、分業制で生産を続けてきました。分業制は大きな需要を背景に大量生産が求められた時代には効率的だったのですが、手ぬぐいや浴衣の需要が低迷し、職人を辞める家族が出てきました。その結果、失われた技法も多くあると聞きます。技術の喪失によって将来ものを作れないという状況が生じる恐れがありますし、需要をコントロールできないとビジネスも安定しません。この状況に対して、「スズサン」ではブランドであることを生かして、自律的に国内外に市場を作り出せるように努めています。また、技法の喪失によってものづくりができなくなるという状況を防ぐため、自社工房を設け、13人の職人によって「有松鳴海絞り」の工程を一貫して生産できるような体制を構築しました。

2つ目は、BtoCのブランドビジネスには、自分たちのブランドストーリーと組み合わせて、産地のストーリーを直接伝える力がある点です。有松は1608年、東海道が整備された頃にできた村で、農業が適さない土地でした。そこで東海道を行き交う旅人が多いことに目を付け、旅の必需品である手ぬぐいに絞り染めでデザインを施し、ユニークなお土産品として販売したことが「有松鳴海絞り」の始まりだそうです。このような産地のストーリーをブランド独自のストーリーと組み合わせ、再編集してお客さまに伝えていくことができます。

また、留学中にラグジュアリーブランドを考える際には、「比較」ではなく「絶対」の独自性を作り上げることが重要だということを学びました。背景にある地域のストーリーと組み合わされたブランドストーリーは、絶対的な独自性を説明しやすく、相互作用的にブランドの価値を高めることにもつながると思います。

欧州の規制への対応、分業制が課題のひとつ

福田:事業承継における変化や仕組みの必要性について、非常に貴重なお話をありがとうございました。事業承継は産地の課題の1つとして重要なテーマですが、最近ではもう1つ注目されている課題が欧州における規制対応の問題です。たとえば、環境負荷情報の開示が求められることや、欧州で指定の認証を取得しなければならないといった課題が、産地の企業からよく聞かれるようになっています。次に、この規制対応についてお話を伺いたいと思います。まずは舟山さんにお伺いしたいのですが、デザイナーや作り手の目線で、サステナビリティがますます制約条件として浮上している現状について、どのように向き合いどのように感じていらっしゃるか、その現実についてぜひお聞かせいただければと思います。

舟山:この質問を受けたときに率直に思ったのは「デザインの規制」とまではまだ感じていない、ということです。現在の日本のマーケットの状況だと、サステナブルな基準を満たしていなくても良い製品であれば売れてしまうという現状があるように感じています。

私たちのような小さなブランドでは環境に配慮された素材を新しく開発するような規模感はありません。今すぐできることとして、ブランドとしては約8割の素材を少しでも環境に配慮されたものにシフトする取り組みを行っています。たとえば、よく作るチュールの商品ではバージンポリエステルからリサイクルポリエステルに切り替えました。

生地屋さんと商談するときには、「環境に配慮されたこういう素材はありませんか?」と積極的に話をしています。小さなブランドでも需要があることを生地屋さんに伝えていければと思っています。まだ少しずつではありますが、取り組みを進めているところです。

福田:非常に現実的なお話で、状況がよく理解できました。他方で、産地ではさまざまな課題が浮上しているということで、このあたりについて詳しい宮浦さんに規制対応や認証の現状についてお伺いできればと思います。

宮浦:皆さんのお手元に「サステナビリティ用語」を特集した「WWDJAPAN」があると思います。これを開いていただくと、聞き慣れない言葉がたくさん並んでいるのがわかると思います。ここ数年、環境保護の観点などから認証の種類が急速に増えたため、産業全体がその変化についていけていないのが現状です。さらに産地の多くは分業制が基本で、家族単位で運営している小規模な事業者も多いです。そういった事業者がサプライチェーン全体で協力し、全ての情報を開示しなければならないような認証制度に対応するのは非常に難しい状況です。

特に、綿や麻、ウールといった短繊維を扱う産地は原料の種類が多岐にわたるうえ、農場や農業の問題にも関わりサプライチェーンが長く複雑です。このためどの認証を取得すべきか判断するだけでも産地全体が対応しきれていないのが現状です。

当社でもヨーロッパ、アメリカ、アジアなどに製品を輸出していますが、最近では輸出が厳しくなっていると感じています。

福田:ありがとうございます。輸出が厳しくなっているというお話がありましたが、デニムはご存じのとおり、多くが輸出されている産品です。そんなデニムの生産地として有名な岡山や広島を中心とした三備産地では、どのように認証対応を進めようとしているのか、ぜひ篠原さんに伺いたいと思います。

篠原:三備産地では一貫生産を行っているような大規模な工場ではすでに複数の認証、例えばGOTS認証や、OCSを取得している会社もあります。ただ、当社のようにリーダー系中小規模の工場の場合、認証を取ろうとするとサプライチェーン全体の協力が必要になりますし、それに伴う費用も大きな負担となります。この課題をどうにか解決しなければならないと産地内で勉強会を開催し、「GOTS認証を取るにはどうすればいいのか」「OCSを取得するための具体的な取り組みは何か」などを共有し協力を求めています。

先日も、ブルーサインのお話を伺う機会がありました。認証取得に向けて前向きに動いているものの、まだ取得に至っている企業は限られています。また、認証とは別にサプライチェーン全体をまとめるような生産管理システムを構築し、トレーサビリティを確立しようという動きも進めています。このシステムにより、製品のトレーサビリティを開示できる体制を整えようとしています。

さらに、認証の中で特に重要とされる「働く方の労働環境」の改善にも注力しています。職場環境の改善を目指す動きが三備産地でも大きく広がりつつあります。

「循環型・再生型」を目指す動きも 「デニムの循環」と「クラフトツーリズム」

福田:このように産地としてさまざまな課題を抱えていますが、前半でお話ししたとおり、大きなポテンシャルを秘めており、海外からも非常に注目されています。そして今後という観点では、繊維産業だけでなく地域全体の魅力を活かし、観光やインバウンド需要とも連携しながら、産地を成長産業へと押し上げていくことが重要ではないかと考えています。

もう1つお話ししたいトピックがあります。それは、このセッションのテーマでもある「循環型・再生型」についてです。グローバルでは、サーキュラーエコノミー(循環型経済)の文脈の中で、いかに循環型の社会を実現していくか、そしてその先に地球を再生させる「リジェネレーション」(再生型)の仕組みへ移行していくか、といったテーマが非常に重要視されています。

今後、先ほど申し上げた「産地を盛り上げる」という観点から考えますと、この循環型や再生型といったコンセプトをどのように産地の取り組みに取り入れていくかが非常に重要なポイントになるのではないかと思います。このような新たな視点が産地の発展において鍵を握ると感じています。そこで、少しこの分野の取り組みについてお話を伺いたいと思います。井上さん、スズサンで行われている循環型の取り組みについてお伺いできればと思います。

井上:私たちスズサンは、ものづくりにおける透明性を高めることはもちろんですが、特に「技術を次世代に繋げていく」という視点を強く意識し、そこにフォーカスを置いています。その観点から私たちが考える「循環」についてご紹介させていただきます。

現在、私たちが力を入れている取り組みに「ツーリズム」と「まちづくり」があります。先ほども少し触れましたが、「有松鳴海絞り」は全て手作業で行われており、生産量には制限があります。年間で約5000点を生産しているため、ブランド設立直後の数年を除いたとしても、10年間で約5万人のお客さまに、有松から製品を届けてきたことになります。また、その約8割は海外のお客さまです。

このように、製品を媒介にして世界中のお客さまとコミュニケーションを行ってきたということを私たちはとてもポジティブに捉えています。そこで、これまで有松から世界に向けて製品を届けてきたことの反対に、次のステップとして有松の地にお客さまを招き入れる取り組みを進めています。有松で「有松鳴海絞り」の技術や歴史、その背景にあるストーリーを直接知っていただき、文化的な違いや言語の壁を越えた新たな「共感」を生み出していきたいと考えています。

このように、製品を媒介として地域の文化や伝統技術を伝えていくことは、有松に限らず、他の産地にも転用可能なアプローチであり、それぞれの地域の独自性を発揮しやすいフィールドだと考えています。

福田:すでにさまざまな取り組みをされているとのことで、素晴らしいと思います。この「循環型」「再生型」というコンセプトについて、ぜひ作り手のご意見も伺いたいと思っています。最近では、ステラ・マッカートニーのように再生型の視点まで踏み込んでものづくりを行っているブランドも登場しています。このような動きについて、舟山さんはどのようにお考えでしょうか。ぜひご意見をお聞かせいただければと思います。

舟山:少し話が逸れるかもしれませんが、ものづくりを始める際に「ゴミを作りたくない」という思いがありました。この世の中にはすでに多くのブランドや物が溢れている中で、自分が新たに何かを作るのであれば、価値のあるものを作らなければならないと感じたんです。価値のあるものであれば、お客さまに長く愛用していただけますし、その後ヴィンテージとして新たな価値を持つ可能性もあります。

ブランドとしては、個別でお客さまのお直しのご相談に出来る限り対応するようにもしています。新しいものを作り続けるだけでなく、既存の製品を長く愛用していただけるようにすることにもフォーカスしたいと考えています。

今後取り組みたいことは、古着のアップサイクルやデッドストック素材の活用があります。日本らしくて素敵な素材がたくさん眠っていると思います。それらは簡単に作られたものではなく、非常に多くの時間やコストがかけられて作られたものです。これらを無駄にせず、新たな形で活かしていきたいと考えています。ただ、現段階ではまだ手探りの状態ですので、ぜひ繋いでいただきたいです。

福田:おっしゃる通り、日本の産地を訪れるとデッドストックの素材が本当にたくさんあることに気づきますよね。こういった素材がより循環する仕組みができれば、循環型のモデルというものもさらに大きな広がりを持つ可能性があるのではないかと感じます。そこで、このテーマに関して産地のリアルな意見もぜひ伺いたいです。篠原さん、例えば端材の活用などについて、三備産地ではどのような循環型や再生型のモデルが試されているのかを教えていただけますでしょうか?

篠原:循環型や再生型という観点では、まず使用する素材をオーガニックやリジェネラティブコットンのような環境負荷の少ないものに切り替えた商品開発を進めています。しかしこういった素材を使用しても、生産過程でどうしても端材が出てしまいます。そこで、余った糸を活用して靴下に編立ててアップサイクル製品として販売したり、通常の流通ラインを活用した製品を地元の販売店さんで売ってもらうといった取り組みを行っています。

地域全体での取り組みとしては福山市と同業他社が協力し、福山市内の家庭から不要になったデニム製品を回収し、それを反毛(はんもう)して糸を作り新しい生地に生まれ変わらせ、地元企業の制服として活用いただくプロジェクトを行っています。こうした活動への参加企業も増えてきており、来年には回収拠点がさらに増えて福山市内での循環の輪が広がることを期待しています。

地域でものづくりを続けていくために、「これから何をすべきか」を常に考えながら活動しています。ただし、繊維産業やデニム産業だけに限定して考えるのではなく、家具や食品など他の製造業とも協力しながら、地域全体の在り方を再考して新しい形に編集し直して発信していくことが重要だと考えています。

そのために、私たちは「デニムのイトグチ」というデニム産業に携わる若手メンバーで構成された新しいグループを立ち上げ、情報発信や勉強会を開催しています。また、隣の府中市でHOTEL SMOKEという地域商社が新しく立ち上がりました。これは、2019年に始まったオープンファクトリー「瀬戸内ファクトリービュー」のメンバーが、地域文化の魅力を深堀し世界へ発信するという目的で設立したものです。こういった方々と連携し、この地域を再び編集し直して発信していく活動を今後も続けていきたいと思っています。

福田:循環型や再生型といったコンセプトは現在、世界中から求められており今後日本でもさらに広がっていくべき重要なテーマだと考えています。というのも、江戸時代の江戸は実は循環型社会の見本だったと言われています。

当時はさまざまなものが循環しており、繊維だけでなく食や農業など幅広い分野で資源を無駄なく活用し、環境負荷を抑えた社会が築かれていました。このように日本人は元来、循環型社会の概念に親和性が高く、この分野で世界をリードする素養を十分に持っているのではないかと個人的には感じています。

繊維産地を一つの起点として、日本が循環型社会の構築において国際的にリードを取る存在となることを夢見ています。そのような未来を思い描きながら、今回のセッションを締めくくらせていただきたいと思います。

来場者とのQ&Aセッション

質問者1:気づきが多く参考になることが多く、素晴らしい企画だと思いました。私の生まれは有松のすぐ近くの鳴海という町です。「有松鳴海絞り」の産地として有名な場所で、私も小さい頃からその文化に触れながら育ちました。お隣のおばちゃんや親戚のおばあちゃんが、一生懸命に手で絞っている姿を目の前で見ていたことが思い出され、とても懐かしい気持ちになりました。お話を伺って驚いたのは、ドイツ・デュッセルドルフを拠点にクリエイティブ活動をされ、海外の売上が8割にも及ぶということです。私が幼少期に見ていた風景と重ね合わせると、産地やものづくりがここまで変化し、発展していくことに感嘆しました。本当に素晴らしいことだと思います。

私が住んでいた鳴海の町も、江戸時代の東海道の名残が今でも所々に残っています。そうした風景を思い浮かべながら、伝統の大切さを改めて感じました。自分たちの持つ伝統や技術を大切にし、上手に活かしていくことで、それが世界と繋がりさらに広がっていく。お話を伺いながら、私自身そのように強く感じました。どうぞ、これからも素晴らしいお仕事を続けていただき、日本の産地の発展のためにますますご活躍されることを心より期待しております。ありがとうございます。

実は昨日、伊勢丹新宿店に伺った際に「フェティコ」のポップアップを拝見しました。一つひとつの製品をじっくりと見させていただきましたが、本当に素晴らしいセンスですね。私が言うのも何ですが、お店の担当者の方とお話した際にも「このデザイナーさんは本当に素晴らしい才能をお持ちです」と強調されていました。その担当者の方も深くうなずいておられ、本当にその通りだと思いました。

昨日の今日ですから、なおさら印象が強く心に残っています。舟山さん、ぜひこれからも素晴らしいデザイン活動を続けていただき、日本の産地の方々と力を合わせて、この素晴らしい文化をさらに盛り上げていってほしいと心から願っています。ありがとうございました。

質問者2:承継について。イタリアやドイツ、フランスの学生が日本で学んでいるという話でしたが、外国の方は日本の伝統を承継したいと技術を持ち帰りたいとやってくるのでしょうか。日本の伝統を続けていきたいという話は出ていますか?のれん分け的なことは可能なのでしょうか。

宮浦:承継しよう、技術を残したいという感覚よりもリスペクトして学びに来ている方が多い印象です。

篠原:当社は日本人だけですが、産地の中ではデニム好きでフランスから来て働いている方がいます。織物屋で「のれん分け」は今のところ見当たらないですが、縫製工場では独立して立ち上げる動きはあります。学生が興味を持ち工場見学や産地で働いてみたいという話もあります。「のれん分け」は可能性としてはなくはないと思います。

YouTube視聴はこちら


冒頭の篠原テキスタイルの映像はZOZONEXTから提供

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ゴールドウイン渡辺社長へ19歳の活動家から質問 「環境問題にどれくらい本気ですか?」

PROFILE:左:福代 美乃里(ふくしろ・みのり)/学生団体「やさしいせいふく」代表

都立高校に通う高校3年生。中学校の先生の影響で環境問題に関心を持つようになる。2021年11月に行われた第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)に、若者による気候変動の活動団体Fridays For Future Japanのメンバーとして参加する。学生団体「やさしいせいふく」は、人にも環境にもやさしい服づくりを目指して講演会の実施やGOTS認証のオーガニックコットンTシャツの販売などを行っている。24年夏には資金を集めて同シャツのコットンを生産するインドの農家や縫製工場を訪ねて、取材を行った。高校では陸上部に所属。

PROFILE:右:渡辺 貴生(わたなべ・たかお)/ゴールドウイン代表取締役社長

1960年生まれ。76年にザ・ノース・フェイスと出会い、「わたしたちはあらゆる機会を通じて地球環境保護の大切さを伝えていかなければならない」というブランドの思想に感銘し、82年、同ブランドを日本国内で展開するゴールドウインに入社。同ブランドの成長とともに国内のアウトドアファッションの定着にも貢献。05年より取締役執行役員ノースフェイス事業部長、17年より取締役副社長執行役員。20年4月1日より代表取締役社長に就任。27年には富山県内に体験型アウトドアフィールドを開設するプロジェクトを推進し、人と自然が共生する社会の実現と、地球環境再生を経営の最重要項目のひとつとして掲げるなど、サステナブルな経営を実践している。

ゴールドウインが支持集めている理由のひとつが人の心を捉える「デザイン」の力だ。その対象は、製品だけではなく地域創生など「社会」へと広がっている。イノベーションの力を借りてデザインの領域を広げているゴールドウインのデザインに対する考え方、その背景にあるサステナビリティの方針について、渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長を招いて紐解く。聞き手は高校3年生の活動家、福代美乃里。「ファッションが好きだから、真実を知りたい」と言う彼女から飛び出す質問とは?

(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)

WWD :最初の質問は、私から渡辺さんにお伺いします。学校を卒業して最初に就職したのがゴールドウインだったと伺っています。なぜ、ゴールドウインを選んだのですか?

渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長(以下、渡辺) :私は「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」というブランドが大好きで、その存在を初めて知ったのが1976年、高校2年生のときでした。当時、雑誌「メンズクラブ」で「ザ・ノース・フェイス」が紹介されていたんです。それまではアイビーファッションに憧れていましたが、その記事を読んで初めて「ヘビーデューティー」というスタイルに触れました。そして、「ザ・ノース・フェイス」がアメリカ・バークレーで行っているものづくりを知り、「自分のやりたいことに近い」と強く感じました。他の道も考えましたが、どうしても「ザ・ノース・フェイス」のような仕事に携わりたいと思い、最終的にゴールドウインへの入社を決めました。

WWD:写真はどこで撮ったものですか?

渡辺:これは、ゴールドウインに入社してしばらく経ち、「ザ・ノース・フェイス」のMD(マーチャンダイザー)になった頃の写真だと思います。おそらく1990年頃、ヨーロッパでの一枚ですね。2枚目はさらに前、1986年頃の写真です。私は現在、フライフィッシングが大好きですが、当時はまだ始めておらず、ルアーを使って芦ノ湖でブラックバスを釣っていました。これは、その頃、まだ釣りを始めたばかりのときの写真です。

このとき着ているのは、「ザ・ノース・フェイス」のアウトレットで購入したもので、軍の端材を利用して作られた服です。つまり、余った生地を使って生産され、バークレーのアウトレットで販売されていた商品ですね。今でも大切に使っています。「ザ・ノース・フェイス」のロゴが入っていません。代わりに「Windy Pass by The North Face」というブランド名がついており、これはアウトレット専用ブランドでした。

WWD:昔からあまり変わらないスタイルが、現在の成功の理由の一つかもしれませんね。2005年から取締役執行役員として「ザ・ノース・フェイス」の事業部長を務められました。まさに現在に繋がる「ザ・ノース・フェイス」の時代を築かれた期間だったと思います。自己分析すると、なぜ「ザ・ノース・フェイス」はここまで認知され、人気を得ることができたのでしょうか?

渡辺:これは、私が創業者から学んだことが大きいですね。「ザ・ノース・フェイス」は、2人の創業者によって成り立っています。1人は、「ザ・ノース・フェイス」という名前を作ったダグラス・トンプキンスです。彼は、世界的な自然保護活動家としても有名でした。もう1人は、ブランドを製造メーカーとして発展させたケネス・ハップ・クロップです。彼は、社会の仕組みを変えるために新しい事業を始めたいと考え、「ザ・ノース・フェイス」のブランドを買い取り、ものづくりの会社へと発展させました。

当時、アメリカはベトナム戦争の真っ只中でした。その時代、若者たちは従来の社会システムに疑問を抱き、「コーポレート・アメリカ」と呼ばれる大企業中心の社会に対し、異なる選択肢を求める動きが広がっていました。そうした若者たちを応援するために、クロップはものづくりを始めたのです。写真に写っているのはバックパックですが、これは当時「アウトバックスタイル」と呼ばれていました。当時、まだ「バックパッキング」という言葉すら存在していませんでしたが、若者たちは「本当の生き方とは何か」「社会とどう向き合うべきか」「自分たちはどんな社会を作るべきか」と、自然の中で深く考えるようになっていました。そのムーブメントを支えるために生まれたのが、このバックパックです。

もともと「ザ・ノース・フェイス」は、クライミングギアのメーカーではなく、ライフスタイルをサポートするブランドとしてスタートしました。私自身も、その理念に非常に共感しました。地球や自然環境と密接に関わりながら生きることが、人間らしさを見直す大きなチャンスになると考えたからです。「ザ・ノース・フェイス」を単なるアウトドアブランドではなく、ライフスタイルブランドとして確立することを目標に掲げて取り組んできた点が、他のブランドとは大きく異なる特徴だと考えています。

WWD:上の2枚目の写真はそれを象徴していますね。

渡辺:これは1970年代初期の写真だと思います。当時のアメリカには、先進的な考えを持つ人々もいましたが、同時にヒッピーカルチャーが広がっていました。その中でも、新しい価値観を築こうとする真剣な人々が多く、さまざまな経験を積み重ねながら新たな思想を生み出していました。Appleの共同創業者であるスティーブ・ジョブズも、おそらく同じような考え方を持っていた一人だったのではないかと思います。

WWD:なるほど、よく分かりました。そして、20年4月に代表取締役社長に就任されましたが、西田会長からは当時、どのような思いを託され、何を成し遂げようと考えて就任を決断されたのでしょうか?

渡辺 :そうですね。私の会社は、西田明男会長の前の社長、つまり西田会長のお父様が創業しました。私もその創業者から直接、多くのことを教えていただきました。お二人から常に言われていたのは「ものづくりの大切さを徹底的に貫いてほしい」ということでした。私たちの会社には「見えないものにこそ、『真実』の価値がある」という言葉があります。つまり、表面的なデザインにこだわるのではなく、本当に重要なのは、目には見えない緻密な作業であり、それを追求することで本当に価値のあるものが生まれる、という考え方です。

また「人生は100年ほどしかないのだから、自分の人生を燃えるように生きなさい」とも教えられました。その考え方を会社全体で共有し、社会に対して何か貢献できる企業でありたいと思っています。

WWD :「燃えるように生きる」と聞いた福代さんが良い笑顔を見せました。

福代 美乃里学生団体「やさしいせいふく」代表(以下、福代) :燃えるように生きたいと思っていますし、私も高校3年生で将来のこと、自分に与えられた人生をこれからどう使っていこうかとか、自分には何ができるんだろうかとこの一年考えてきていたので言葉が刺さりました。

WWD:ゴールドウインにとってサステナビリティは何どういう位置付けにありますか?

渡辺 :あらゆる人々に対して公正な未来を提供することこれが私が考えるサステナビリティですね。

高校3年生がサステナビリティに関心をもったきっかけ

WWD:ここから福代さんからの質問でその「サステナビリティ」について深めていきます。福代さん自己紹介をお願いします。

福代 :はじめまして、福代美乃里です。都立高校に通う高校3年生で現在、学生団体「やさしいせいふく」の代表を務めています。

WWD :そもそも、サステナビリティに関心を持ったきっかけは?

福代:もともと服が大好きで、買うのはもちろん、生地を購入して自分で服を作ることもありました。そんな中、中学3年生のときに、ちょうどコロナ禍で自宅にいる時間が増え、「ザ・トゥルー・コスト」というドキュメンタリー映画を観たんです。その映画を通して、それまで知らなかった ファッション業界の不都合な真実を知りました。

例えば、自分と同じくらいの年の子どもたちが、低賃金で長時間労働を強いられている こと。そして、私は自然が好きなのですが、服の生産が環境破壊につながっている という事実を知り、大きな衝撃を受けました。「おしゃれを楽しむことが、誰かを傷つけているかもしれない」。そのことがショックで、サステナビリティに強く関心を持つようになりました。

WWD :その映画を観てから服を買わなくなったのですか?

福代 :観た直後はまったく買えなくなりました。どの服を見ても、購入をためらってしまって。でも今は、サステナビリティに取り組んでいる企業を調べたり、古着を購入したりしながら、少しずつファッションを楽しめるようになっています。

WWD :福代さんの話を聞きながら、「そんな気持ちにさせてごめん…」という気持ちになりました。そんな福代さんですが、今年の夏、なんとインドのオーガニックコットン畑や縫製工場を訪ねました。

福代 :インドのコインバトールという地域にある工場やオーガニックコットンの畑や倉庫を現地の方に案内していただきながら、綿がどのように栽培・保管・管理されているのかを見学しました。一つひとつの工程を実際に見せてもらいながら学ぶことができました。

WWD :なぜインドへ行こうと思ったのですか?

福代 :今私が着ているTシャツは、私たちが企画した「やさしいTシャツ」というオーガニックコットンのTシャツです。この企画は、私と同じようにサステナビリティに関心を持つ学生たちが集まり、「普段売られている服がどのように作られているのか分からない。だったら、自分たちで作ってみよう!」という思いから始めました。けれど、ちょうどコロナ禍だったため、Tシャツの生産地であるインドに行くことができませんでした。オンラインでは工場と繋がっていたものの、やはり 現場を直接見てみたい、作ってくれた人たちに会いたい という気持ちが強くなり、今回の渡航を決意しました。

WWD :実際に現地を訪れて、どのようなことが見えましたか?

福代 :一つは「オーガニックコットンを選んで本当に良かった」という実感です。

現地の農家の方々に話を伺うと、以前は 農薬を使用した栽培を行っており、それによって健康被害が多発していたそうです。例えば、子どもたちががんを発症したり、亡くなったりするケースがあり、また農家の方々自身も視力障害や手足の痙攣などの深刻な影響を受けていたそうです。

しかし、化学農薬を使わないオーガニック栽培に切り替えたことで、こうした健康被害がなくなったと聞きました。実際にその話をしてくれた方々と直接対話したことで、自分の選択が遠い国の誰かの暮らしを少しでも良くしているかもしれない、と感動しましたね。

WWD :まさにサステナブルな選択の重要性を実感されたのではないでしょうか。

福代 :はい、オーガニックコットンの良さを実感すると同時に、普段私たちが購入する服がどこで、どのように作られているのかについて、消費者にはまだ見えにくい部分が多いとも感じました。

今回、最先端のサステナブルな取り組みを行っている工場も訪れましたが、こうした取り組みを行う工場で作られた服がもっと増えて、消費者が簡単にその背景を知ることができるようになればいいなと思いました。企業が積極的に情報を開示し、消費者も知ろうとする姿勢が大切だと改めて感じました。

WWD:貴重な経験ですね。実際に 現場を自分の目で見るということは非常に大切です。では、ここから本日のメインパートに移り福代さんから渡辺さんへ質問をしてもらいます。

「環境や人権への取り組みはどれくらい本気ですか?」

福代 :最初の質問ですが、御社のホームページを拝見した際、最初に目に入ったのが「人と自然の可能性を広げる」というメッセージでした。環境や人権を大切にされていることが強く伝わってきましたが、実際のところ渡辺さんご自身は、どのくらい本気で取り組まれているのかをお聞きしたいです。また、企業のビジョンとしてこの考えを中心に据えようと思った具体的なきっかけや思いがあれば、教えてください。

渡辺 :本気度については「かなり本気」です。社内では「パタゴニアくらいはやろう」と言っています。それくらいの覚悟でゴールドウインを日本におけるサステナブルな企業のリーダーとして確立したいと考えています。

実際に、私自身は1990年代から少しずつサステナブルな取り組みを始めてきました。ただ、会社として本格的に動き出したのは比較的最近です。それでも、この思いをしっかりと持ち続け、企業のビジョンの中心に据えるべきだと考えています。

その理由として、私たちの事業は スポーツやアウトドアに深く関わっています。私は米国のヨセミテ国立公園が大好きで、これまで何十回も訪れています。今年も6月に、役員の何人かを連れて一緒に訪問しました。

こうした かけがえのない自然を守ることは、人間の使命だと強く感じています。そもそも地球がなければビジネスは成り立たないわけです。アウトドアスポーツにせよ、その他のスポーツにせよ、環境が整っていなければ成り立たない。

私たちの仕事はある意味「遊びの延長」です。しかし「遊びこそが人間らしさを育み、多くの人とのつながりを生むもの」だと考えています。だからこそ、単に「地球環境を守る」だけではなく、再生(リジェネラティブ) していくことこそが、私たちの存在意義であり企業のビジョンとして掲げるべきものだと考えています。

WWD :「守る」から「再生する」へ。これは本気も本気 という答えですね。

そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのか?

福代 :2つ目の質問です。そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのでしょうか?環境保全と事業成長を両立させるには、どのような方法があると思いますか?

渡辺:よく聞かれる質問です。私が事業成長が必要だと考える理由は、「地球を再生していくため」です。私たちが本質的に必要とする環境を、自分たちの手で作り上げていくことができれば、もっと人間は地球に貢献できるはずです。つまり、私たちの産業や事業を通じて、環境問題を解決することが、事業成長の目的であるべきだと考えています。そのため単なる「経済的な成長」ではなく、「人間としての成長」とは何かを考えながら事業を発展させることが、本当の意味で持続可能な成長を生み出すのではないかと思います。私自身も、そのような考えのもとで仕事に取り組んでいきたいと考えています。

福代 :ゴールドウインさんは 2050年までに、サプライチェーン全体でのカーボンニュートラル達成と廃棄ゼロを掲げていますよね。これは非常に難しい挑戦だと思いますが、それを達成するために最も必要な変化は何だと考えますか? 最大の課題について教えてください。

渡辺 :カーボンニュートラルを実現するためには、スコープ3の削減を徹底することが重要だと考えています。現在、私たちのCO2排出量は、スコープ1から3を合わせて約26万トンありますが、その99%がスコープ3によるものです。つまり、直接の排出ではなく サプライチェーン全体での排出が圧倒的に多いのです。そのため最も重要なのは、サプライチェーン全体で環境への配慮を共有し、協力し合う仕組みを作ることだと考えています。

まずは「自分たちは何のために事業をしているのか?」を明確にし、「どのような変化がプラスになるのか?」をしっかり示すことが必要です。さらに、具体的なアクションとプロセスをどのように変えていくのかを明確にし、発信していくことも大切だと思います。確かに大きな課題ではありますが、誰かが始めなければ変革の第一歩は生まれません。私たちは、そうした一つひとつの取り組みを、責任を持って進めていきたいと考えています。

WWD :今のお話の内容は、ゴールドウインの統合報告書にも具体的な数値として記載されています。後ほど、裏付けとなるデータもご覧いただければと思います。そしてこの質問は、ここにいる全員が 「19歳から投げかけられている問い」だと受け止めるべきものですね。

福代 :服は、大量生産・大量消費の象徴的な存在だと思います。現在もその考え方は根強く残っており、先ほど話に出た環境と事業成長の両立についても、大量生産・大量消費のままでは難しいのではないかと感じています。そこで、ゴールドウインとしてどのようにこの考え方を変えていこうとしているのかをお聞きしたいです。

渡辺 :そうですね。実は、ゴールドウインには以前から 大量生産・大量消費という考え方はあまりありません。もちろん、ブランドの人気が高まると売り上げが伸び、それに伴い生産量も増えるという側面はあります。しかし、私たちはそうした背景の中でも製品を長く使い続けてもらう仕組みを重視してきました。

例えば、1992年頃から リペアサービスを本格的に導入しています。GORE-TEX製品のような高額なウェアは、アウトドア環境で使用すると傷んだり破れたりすることがあります。しかし、それを修理できなければ、すぐに廃棄されてしまう可能性がありますよね。そこで、工場内に専用のリペアチームを設け、現在では年間約2万4000点の製品を修理し、お客様にお返ししています。

また、最近では子ども服のリサイクルにも取り組んでいます。子ども服は成長とともにすぐにサイズアウトしてしまいます。そこで、不要になった服を店舗で回収し、新しいデザインにアップサイクルして再び販売する取り組みを行っています。単に洗浄して再販するのではなく、新たなデザインを加えることでより魅力的なアイテムとして生まれ変わらせることを大切にしています。

さらに、私たちは「ワンフォーワンシステム」 という特別なものづくりの仕組みも導入しています。これは、人気のある商品についてお客様自身がオリジナルのデザインを作れるサービスです。特定の店舗では、お客様の体のサイズを測定し、カラーやファスナーの種類、その他の細かいパーツまで自由にカスタマイズできるようになっています。このサービスを利用することで、既製品ではなく自分のライフスタイルに合った一着を作ることができ、長く愛用してもらえるのです。この仕組みは、大量生産とは異なるアプローチです。

「自分の人生の中で、どんな服をどのように使いたいのか?」そんなことを考えながら、お客様とともにゴールドウインや「ザ・ノース・フェイス」の製品を作り上げていくサービスとして展開しています。こうした取り組みを通じて、単に新しい服を作って売るだけがビジネスではない という考え方を広めていきたいと考えています。

WWD :「新しい服を作って売るだけのビジネス」からの脱却ですね。

渡辺 :そうですね。服というものは 単なる衣類ではなく、そこに込められた想いや、人と人とのつながり、愛を大切にするものだと考えています。それが循環し、次の誰かへと受け継がれていくこと。それこそが、本当に重要なのではないでしょうか。

1枚の服を見たときに、何を想像する?

福代 :抽象的な質問かもしれませんが、1枚の服を見たときに渡辺さんは何を想像しますか?

WWD :質問の背景とは?福代さんご自身は、1枚の服を見たときに何を想像しますか?

福代 :私は服の生産背景に強い関心を持っています。自分が着る服が児童労働や環境破壊の上に成り立っているのは、とても嫌です。そのため、1枚の服を見たときに「この服はどこで作られたのか?」「作った人は幸せだろうか?」「生産された土地の環境は守られているのか?」といったことを想像しながら、慎重に選ぶようにしています。

渡辺 :この写真は、1989年から1990年にかけて、220日間で6,040kmを犬ぞりで南極大陸を横断し探検隊のユニフォームです。デザインを手がけたのは、当時 「ザ・ノース・フェイス」に在籍していた マーク・エリクソンというデザイナーでした。この南極大陸横断隊には、アメリカ・ロシア・中国・フランス・イギリス・日本の6カ国が参加していました。つまり、資本主義の国も共産主義の国も関係なく、世界の枠を超えて協力し合ったプロジェクトだったんです。

では、なぜこの6カ国が南極大陸を横断したのか?その目的は、南極条約を改めて批准してもらうためのアクションでした。南極条約では「南極はどの国の領土でもない」「科学技術や教育の分野で国際協力を進める」といった原則が定められています。現在、この条約には50カ国以上が批准しており、世界平和のための重要な合意のひとつとなっています。当時、資本主義・共産主義の国々が対立する中で、この遠征は「世界平和のために協力する」という強いメッセージを発信するものでした。

この服は、単なる防寒着ではなく、世界平和を象徴するユニフォームなのです。私は、ものづくりにおいて「目的」や「価値」を持たせることが重要だと考えています。最新のテクノロジーと優れたデザインからこのユニフォームに支えられたこの挑戦は、結果として 今も南極条約が守られ続けていることに繋がっています。1枚の服が与えるインパクトは計り知れません。そして、この服を見るたびに、私は「未来のために、平和利用のために服があるのだ」ということ思いますね。

福代 :たくさんの服を開発されている中でも、1枚の服に込められたストーリーや熱量が伝わってきました。ものづくりに対する 「大切にしたい」という強い思いを感じます

考えを大きく変えたアウトドアアクティビティとは?

福代:私もスポーツやアウトドアアクティビティが好きなのですが、渡辺さんもアウトドアが好きですよね。これまでの経験の中で、アウトドアアクティビティが ご自身の考えを大きく変えた出来事 があれば、教えてください。

渡辺 :私はアウトドアスポーツが好きで、この会社に入ってからも続けています。今は毎年北海道でフライフィッシングを楽しんでいます。もう30年以上通い続けている場所ですね。30年前は、あるシーズンに行くと1投すれば必ず1匹釣れるほど魚が豊富でした。ところがここ2〜3年は、まったく釣れなくなっているんです。これは、水温や気温の変化による影響が大きいのではないかと感じています。実際、魚の数が減っているように思います。

釣りを通じて、川や海など自然環境の変化を肌で感じるようになりました。最近は、南の島のサンゴ礁エリアでもフライフィッシングをしていますが、白化したサンゴ礁では魚が少なくなり、釣るのが難しくなっていることも実感しています。こうした変化は、実際に現地に行き、アクティビティを通じて体験しなければ気づけないことです。私にとってアウトドアアクティビティは「今の環境をどうすれば改善できるのか?」を考えるきっかけになっています。

「世界を平和にしたい」。その言葉に打たれた

福代 :最新技術は、まだコストが高いことや、実用化できるか不確実性が高いため、普及には時間がかかると思います。ゴールドウインがスパイバーと服を作ろうと決断した理由は何だったのでしょうか?

渡辺:私は アウトドアスポーツが好きだったこともあり、これまで高機能な製品の開発に携わってきました。しかし、それらの製品はほとんどが化学繊維であり、化石燃料をベースとした素材を使っていたことは否めません。このような素材は、環境に大きな負荷を与えます。簡単に言えば、プラスチックは生分解しないため、長期的に環境に残り続けるという問題があります。そんなとき、私の知人である発酵技術の専門家から「発酵を利用して植物由来の新しい素材を開発している人がいる」と紹介を受けました。そこで実際に会いに行ったのが、スパイバーの代表である関山さんでした。関山さんに初めて会ったとき、彼が最初に言った言葉が「世界を平和にしたい」だったんです。その言葉に私は強く心を打たれました。

彼の話を聞く中で、スパイバーの技術は環境問題の解決だけでなく、貧困問題にもアプローチできる可能性があることを知りました。そのとき「自分がやるべき仕事はこれなんだ」と感じたんです。もちろん、ゴールドウインとしても環境負荷の低い素材を採用する取り組みは以前から進めていました。しかし、それは既存の素材の中で環境に配慮したものを選ぶという方法でした。スパイバーの技術は、それとはまったく異なるアプローチでした。つまり、従来の石油由来素材を完全に置き換える新たな選択肢だったんです。

この新たな選択肢があるのなら、誰かが最初に動かなければならない。正直、決断にはかなりの逡巡がありました。しかし最終的にゴールドウインとして創業以来最大規模の投資を行い、スパイバーとともに取り組むことを決断しました。このプロジェクトを進めることで、石油依存による環境問題を解決する一歩を踏み出せると確信したからです。

WWD :アウトドアの役割の一つは「命を守ること」です。そのために、機能が進化し、技術が発展し、そこに最適なデザインが追求されてきました。しかし、これまでの常識を覆しその根幹をまったく新しい選択肢に置き換えるという発想は、極めて画期的な取り組みだと思います。

「言葉のいらない遊び場。 未来に向けたデザイン

福代 :ゴールドウインさんは服の開発だけでなく、子どもたちの遊び場の創出やキャンプ事業など、さまざまなプロジェクトに取り組まれていますよね。その中で、渡辺さんご自身が特に印象に残っている取り組みは何でしょうか?

渡辺 :そうですね。一番印象に残っているのは、2022年に開催したイベントです。本来であれば、2020年の東京オリンピックに合わせて実施する予定でした。しかし、新型コロナウイルスの影響で無観客開催となり、私たちの計画も延期せざるを得ませんでした。

実はその年、ゴールドウインは創業70周年を迎えていました。そこで、世界中からオリンピックに来る人々に、ゴールドウインという会社を知ってもらうための記念事業を企画しました。当時、若いメンバーたちと話し合う中で「国や言語を超えて、みんなの気持ちが一つになるイベントは何か?」というテーマを考えました。

そこで私が提案したのが、「遊び」をテーマにしたデザインでした。私たちは、地球の五大要素である 水・火・土・空気をモチーフにした遊具を設計し、「地球を遊ぶ」体験を提供する空間を作ろうと考えたのです。言葉が通じなくても、そこに集まった人たちが 助け合いながら楽しめる場所を作ることが目的でした。

残念ながら、このイベントはオリンピック期間中には実施できませんでしたが、2年後の2022年に、六本木と富山で開催することができました。結果として、5万人以上の人々が遊びに訪れてくれました。このプロジェクトの背景には、ゴールドウインが掲げる「2050年にどんな会社でありたいか?」というビジョンがありました。その答えのひとつが「遊び」でした。スポーツの起源は「遊び」です。世界中の人々が「遊び」を通じてつながることができるのではないかという思いを込めて、このイベントを企画しました。

デザインは「社会の仕組み」を変える力を持つ

WWD:スポーツの起源は 遊びなんですね。今回のイベントのテーマのひとつに「デザインの力」があります。ゴールドウインは、単なる製品デザインだけでなく、地域創生や社会とのつながりをデザインするという視点も持っています。つまり、社会そのものをデザインすることも、ゴールドウインのデザインの範疇に含まれているのではないかと思うのですが、渡辺さんは 「デザインの力」についてどうお考えですか?

渡辺 :デザインには大きく二つの方向性があると考えています。一つは、これまでになかった機能や利便性を生み出すためのデザインです。新しい技術や素材を活かし、より快適で便利なものを作るという意味でのデザインですね。しかし、私が特に大切にしているのは「人の意識を変えるためのデザイン」です。これはアパレルやバックパックのデザインだけに限らず、空間デザインにも通じる考え方だと思います。

私はこれまでリテール(店舗)のデザインも手がけてきました。単なるショップの設計ではなく「今までにない空間」を生み出すことで、お客様の意識を変えるデザインを追求してきました。その結果、来店されたお客様の「ザ・ノース・フェイス」に対する考え方やデザインそのものへの価値観に変化が生まれてきたと感じています。

このように、デザインはあらゆる分野で応用できる考え方だと思います。デザインは単に「モノをつくる」ことに留まりません。それどころか、社会の大きな仕組みを変え、世界のシステムそのものを変える力を持っています。私自身、この考え方に大きな影響を受けたのが、ケネス・ハップ・クロップ です。彼のデザイン哲学に触れたことで、私は「デザインの本質とは、より良い社会を作ることだ」という考えを持つようになりました。私たちがデザインを通じてより良い社会を生み出すことができれば、私たちの考えや理念をより多くの人に伝えることができると思っています。これからも、私たちの事業の中でデザインの力を活かし、社会に貢献できる取り組みを進めていきたいと考えています。

WWD:これからゴールドウインとして成し遂げたいことについて教えてください。

渡辺 :ゴールドウインは、これまで 日本国内を中心にビジネスを展開してきました。ある意味「ローカルメジャー」と言える存在かもしれません。しかし、これからは海外市場にも積極的にアプローチしていきたい。特に、今後急速な成長が見込まれるアジア・インド・アフリカ などの地域において、スポーツや遊びを通じて、人々がより楽しく健やかに生きられる環境を提供することを目指しています。

「人と違うことをする」勇気を持つ

福代 :今の学生に向けて伝えておきたいことや、若いうちに知っておいてほしいことがあれば、教えてください。

渡辺 :若い学生の皆さんには、すでに素晴らしいビジョンを持っている方が多いと感じています。今日お話しした福代さんもそうですし、私がこれまで出会った若い世代の方々も、しっかりとした思いを持ち、真剣に考えている人が多い。ですから、特に何かを言う必要はないかもしれませんが、自分のやりたいことにしっかりと向き合い、責任を持って進んでいってほしい と思います。

世の中を変えていくことは、決して簡単なことではありません。しかし、「人と違うことをする」ことこそが、大切 だと思っています。ときには、自分が周りと違うことで 不安を感じたり、違和感を持ったり することもあるかもしれません。でも、その違いこそが、自分の魅力になるのです。だからこそ、「自分は人と違うから嫌だ」と思うのではなく、それを誇りに思って前に進んでいってほしいですね。

福代:お話を伺いながら、将来をとても深く見据えていると感じました。私自身も「こんな未来を作りたい」という思いはありますが、実際どう行動すればいいのか分からないことが多いです。特に、気候変動が進み、将来ご飯が食べられなくなるのではないか など、暗い未来ばかりを考えてしまいがちです。解決策を見つけたいと思っても、どの方向に進めばいいのか分からない ことが多いと感じています。しかし、スパイバーの取り組みや、公園のデザインに関するお話を聞いて、「未来に向けて具体的に行動し、決断し、自らの手で変えていこうとしている」姿勢がとても印象的でした。その姿勢から、強い意志と決断力 が伝わってきて、とてもかっこいいと感じましたし、私自身も 何か行動を起こしたいです。

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ゴールドウイン渡辺社長へ19歳の活動家から質問 「環境問題にどれくらい本気ですか?」

PROFILE:左:福代 美乃里(ふくしろ・みのり)/学生団体「やさしいせいふく」代表

都立高校に通う高校3年生。中学校の先生の影響で環境問題に関心を持つようになる。2021年11月に行われた第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)に、若者による気候変動の活動団体Fridays For Future Japanのメンバーとして参加する。学生団体「やさしいせいふく」は、人にも環境にもやさしい服づくりを目指して講演会の実施やGOTS認証のオーガニックコットンTシャツの販売などを行っている。24年夏には資金を集めて同シャツのコットンを生産するインドの農家や縫製工場を訪ねて、取材を行った。高校では陸上部に所属。

PROFILE:右:渡辺 貴生(わたなべ・たかお)/ゴールドウイン代表取締役社長

1960年生まれ。76年にザ・ノース・フェイスと出会い、「わたしたちはあらゆる機会を通じて地球環境保護の大切さを伝えていかなければならない」というブランドの思想に感銘し、82年、同ブランドを日本国内で展開するゴールドウインに入社。同ブランドの成長とともに国内のアウトドアファッションの定着にも貢献。05年より取締役執行役員ノースフェイス事業部長、17年より取締役副社長執行役員。20年4月1日より代表取締役社長に就任。27年には富山県内に体験型アウトドアフィールドを開設するプロジェクトを推進し、人と自然が共生する社会の実現と、地球環境再生を経営の最重要項目のひとつとして掲げるなど、サステナブルな経営を実践している。

ゴールドウインが支持集めている理由のひとつが人の心を捉える「デザイン」の力だ。その対象は、製品だけではなく地域創生など「社会」へと広がっている。イノベーションの力を借りてデザインの領域を広げているゴールドウインのデザインに対する考え方、その背景にあるサステナビリティの方針について、渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長を招いて紐解く。聞き手は高校3年生の活動家、福代美乃里。「ファッションが好きだから、真実を知りたい」と言う彼女から飛び出す質問とは?

(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)

WWD :最初の質問は、私から渡辺さんにお伺いします。学校を卒業して最初に就職したのがゴールドウインだったと伺っています。なぜ、ゴールドウインを選んだのですか?

渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長(以下、渡辺) :私は「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」というブランドが大好きで、その存在を初めて知ったのが1976年、高校2年生のときでした。当時、雑誌「メンズクラブ」で「ザ・ノース・フェイス」が紹介されていたんです。それまではアイビーファッションに憧れていましたが、その記事を読んで初めて「ヘビーデューティー」というスタイルに触れました。そして、「ザ・ノース・フェイス」がアメリカ・バークレーで行っているものづくりを知り、「自分のやりたいことに近い」と強く感じました。他の道も考えましたが、どうしても「ザ・ノース・フェイス」のような仕事に携わりたいと思い、最終的にゴールドウインへの入社を決めました。

WWD:写真はどこで撮ったものですか?

渡辺:これは、ゴールドウインに入社してしばらく経ち、「ザ・ノース・フェイス」のMD(マーチャンダイザー)になった頃の写真だと思います。おそらく1990年頃、ヨーロッパでの一枚ですね。2枚目はさらに前、1986年頃の写真です。私は現在、フライフィッシングが大好きですが、当時はまだ始めておらず、ルアーを使って芦ノ湖でブラックバスを釣っていました。これは、その頃、まだ釣りを始めたばかりのときの写真です。

このとき着ているのは、「ザ・ノース・フェイス」のアウトレットで購入したもので、軍の端材を利用して作られた服です。つまり、余った生地を使って生産され、バークレーのアウトレットで販売されていた商品ですね。今でも大切に使っています。「ザ・ノース・フェイス」のロゴが入っていません。代わりに「Windy Pass by The North Face」というブランド名がついており、これはアウトレット専用ブランドでした。

WWD:昔からあまり変わらないスタイルが、現在の成功の理由の一つかもしれませんね。2005年から取締役執行役員として「ザ・ノース・フェイス」の事業部長を務められました。まさに現在に繋がる「ザ・ノース・フェイス」の時代を築かれた期間だったと思います。自己分析すると、なぜ「ザ・ノース・フェイス」はここまで認知され、人気を得ることができたのでしょうか?

渡辺:これは、私が創業者から学んだことが大きいですね。「ザ・ノース・フェイス」は、2人の創業者によって成り立っています。1人は、「ザ・ノース・フェイス」という名前を作ったダグラス・トンプキンスです。彼は、世界的な自然保護活動家としても有名でした。もう1人は、ブランドを製造メーカーとして発展させたケネス・ハップ・クロップです。彼は、社会の仕組みを変えるために新しい事業を始めたいと考え、「ザ・ノース・フェイス」のブランドを買い取り、ものづくりの会社へと発展させました。

当時、アメリカはベトナム戦争の真っ只中でした。その時代、若者たちは従来の社会システムに疑問を抱き、「コーポレート・アメリカ」と呼ばれる大企業中心の社会に対し、異なる選択肢を求める動きが広がっていました。そうした若者たちを応援するために、クロップはものづくりを始めたのです。写真に写っているのはバックパックですが、これは当時「アウトバックスタイル」と呼ばれていました。当時、まだ「バックパッキング」という言葉すら存在していませんでしたが、若者たちは「本当の生き方とは何か」「社会とどう向き合うべきか」「自分たちはどんな社会を作るべきか」と、自然の中で深く考えるようになっていました。そのムーブメントを支えるために生まれたのが、このバックパックです。

もともと「ザ・ノース・フェイス」は、クライミングギアのメーカーではなく、ライフスタイルをサポートするブランドとしてスタートしました。私自身も、その理念に非常に共感しました。地球や自然環境と密接に関わりながら生きることが、人間らしさを見直す大きなチャンスになると考えたからです。「ザ・ノース・フェイス」を単なるアウトドアブランドではなく、ライフスタイルブランドとして確立することを目標に掲げて取り組んできた点が、他のブランドとは大きく異なる特徴だと考えています。

WWD:上の2枚目の写真はそれを象徴していますね。

渡辺:これは1970年代初期の写真だと思います。当時のアメリカには、先進的な考えを持つ人々もいましたが、同時にヒッピーカルチャーが広がっていました。その中でも、新しい価値観を築こうとする真剣な人々が多く、さまざまな経験を積み重ねながら新たな思想を生み出していました。Appleの共同創業者であるスティーブ・ジョブズも、おそらく同じような考え方を持っていた一人だったのではないかと思います。

WWD:なるほど、よく分かりました。そして、20年4月に代表取締役社長に就任されましたが、西田会長からは当時、どのような思いを託され、何を成し遂げようと考えて就任を決断されたのでしょうか?

渡辺 :そうですね。私の会社は、西田明男会長の前の社長、つまり西田会長のお父様が創業しました。私もその創業者から直接、多くのことを教えていただきました。お二人から常に言われていたのは「ものづくりの大切さを徹底的に貫いてほしい」ということでした。私たちの会社には「見えないものにこそ、『真実』の価値がある」という言葉があります。つまり、表面的なデザインにこだわるのではなく、本当に重要なのは、目には見えない緻密な作業であり、それを追求することで本当に価値のあるものが生まれる、という考え方です。

また「人生は100年ほどしかないのだから、自分の人生を燃えるように生きなさい」とも教えられました。その考え方を会社全体で共有し、社会に対して何か貢献できる企業でありたいと思っています。

WWD :「燃えるように生きる」と聞いた福代さんが良い笑顔を見せました。

福代 美乃里学生団体「やさしいせいふく」代表(以下、福代) :燃えるように生きたいと思っていますし、私も高校3年生で将来のこと、自分に与えられた人生をこれからどう使っていこうかとか、自分には何ができるんだろうかとこの一年考えてきていたので言葉が刺さりました。

WWD:ゴールドウインにとってサステナビリティは何どういう位置付けにありますか?

渡辺 :あらゆる人々に対して公正な未来を提供することこれが私が考えるサステナビリティですね。

高校3年生がサステナビリティに関心をもったきっかけ

WWD:ここから福代さんからの質問でその「サステナビリティ」について深めていきます。福代さん自己紹介をお願いします。

福代 :はじめまして、福代美乃里です。都立高校に通う高校3年生で現在、学生団体「やさしいせいふく」の代表を務めています。

WWD :そもそも、サステナビリティに関心を持ったきっかけは?

福代:もともと服が大好きで、買うのはもちろん、生地を購入して自分で服を作ることもありました。そんな中、中学3年生のときに、ちょうどコロナ禍で自宅にいる時間が増え、「ザ・トゥルー・コスト」というドキュメンタリー映画を観たんです。その映画を通して、それまで知らなかった ファッション業界の不都合な真実を知りました。

例えば、自分と同じくらいの年の子どもたちが、低賃金で長時間労働を強いられている こと。そして、私は自然が好きなのですが、服の生産が環境破壊につながっている という事実を知り、大きな衝撃を受けました。「おしゃれを楽しむことが、誰かを傷つけているかもしれない」。そのことがショックで、サステナビリティに強く関心を持つようになりました。

WWD :その映画を観てから服を買わなくなったのですか?

福代 :観た直後はまったく買えなくなりました。どの服を見ても、購入をためらってしまって。でも今は、サステナビリティに取り組んでいる企業を調べたり、古着を購入したりしながら、少しずつファッションを楽しめるようになっています。

WWD :福代さんの話を聞きながら、「そんな気持ちにさせてごめん…」という気持ちになりました。そんな福代さんですが、今年の夏、なんとインドのオーガニックコットン畑や縫製工場を訪ねました。

福代 :インドのコインバトールという地域にある工場やオーガニックコットンの畑や倉庫を現地の方に案内していただきながら、綿がどのように栽培・保管・管理されているのかを見学しました。一つひとつの工程を実際に見せてもらいながら学ぶことができました。

WWD :なぜインドへ行こうと思ったのですか?

福代 :今私が着ているTシャツは、私たちが企画した「やさしいTシャツ」というオーガニックコットンのTシャツです。この企画は、私と同じようにサステナビリティに関心を持つ学生たちが集まり、「普段売られている服がどのように作られているのか分からない。だったら、自分たちで作ってみよう!」という思いから始めました。けれど、ちょうどコロナ禍だったため、Tシャツの生産地であるインドに行くことができませんでした。オンラインでは工場と繋がっていたものの、やはり 現場を直接見てみたい、作ってくれた人たちに会いたい という気持ちが強くなり、今回の渡航を決意しました。

WWD :実際に現地を訪れて、どのようなことが見えましたか?

福代 :一つは「オーガニックコットンを選んで本当に良かった」という実感です。

現地の農家の方々に話を伺うと、以前は 農薬を使用した栽培を行っており、それによって健康被害が多発していたそうです。例えば、子どもたちががんを発症したり、亡くなったりするケースがあり、また農家の方々自身も視力障害や手足の痙攣などの深刻な影響を受けていたそうです。

しかし、化学農薬を使わないオーガニック栽培に切り替えたことで、こうした健康被害がなくなったと聞きました。実際にその話をしてくれた方々と直接対話したことで、自分の選択が遠い国の誰かの暮らしを少しでも良くしているかもしれない、と感動しましたね。

WWD :まさにサステナブルな選択の重要性を実感されたのではないでしょうか。

福代 :はい、オーガニックコットンの良さを実感すると同時に、普段私たちが購入する服がどこで、どのように作られているのかについて、消費者にはまだ見えにくい部分が多いとも感じました。

今回、最先端のサステナブルな取り組みを行っている工場も訪れましたが、こうした取り組みを行う工場で作られた服がもっと増えて、消費者が簡単にその背景を知ることができるようになればいいなと思いました。企業が積極的に情報を開示し、消費者も知ろうとする姿勢が大切だと改めて感じました。

WWD:貴重な経験ですね。実際に 現場を自分の目で見るということは非常に大切です。では、ここから本日のメインパートに移り福代さんから渡辺さんへ質問をしてもらいます。

「環境や人権への取り組みはどれくらい本気ですか?」

福代 :最初の質問ですが、御社のホームページを拝見した際、最初に目に入ったのが「人と自然の可能性を広げる」というメッセージでした。環境や人権を大切にされていることが強く伝わってきましたが、実際のところ渡辺さんご自身は、どのくらい本気で取り組まれているのかをお聞きしたいです。また、企業のビジョンとしてこの考えを中心に据えようと思った具体的なきっかけや思いがあれば、教えてください。

渡辺 :本気度については「かなり本気」です。社内では「パタゴニアくらいはやろう」と言っています。それくらいの覚悟でゴールドウインを日本におけるサステナブルな企業のリーダーとして確立したいと考えています。

実際に、私自身は1990年代から少しずつサステナブルな取り組みを始めてきました。ただ、会社として本格的に動き出したのは比較的最近です。それでも、この思いをしっかりと持ち続け、企業のビジョンの中心に据えるべきだと考えています。

その理由として、私たちの事業は スポーツやアウトドアに深く関わっています。私は米国のヨセミテ国立公園が大好きで、これまで何十回も訪れています。今年も6月に、役員の何人かを連れて一緒に訪問しました。

こうした かけがえのない自然を守ることは、人間の使命だと強く感じています。そもそも地球がなければビジネスは成り立たないわけです。アウトドアスポーツにせよ、その他のスポーツにせよ、環境が整っていなければ成り立たない。

私たちの仕事はある意味「遊びの延長」です。しかし「遊びこそが人間らしさを育み、多くの人とのつながりを生むもの」だと考えています。だからこそ、単に「地球環境を守る」だけではなく、再生(リジェネラティブ) していくことこそが、私たちの存在意義であり企業のビジョンとして掲げるべきものだと考えています。

WWD :「守る」から「再生する」へ。これは本気も本気 という答えですね。

そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのか?

福代 :2つ目の質問です。そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのでしょうか?環境保全と事業成長を両立させるには、どのような方法があると思いますか?

渡辺:よく聞かれる質問です。私が事業成長が必要だと考える理由は、「地球を再生していくため」です。私たちが本質的に必要とする環境を、自分たちの手で作り上げていくことができれば、もっと人間は地球に貢献できるはずです。つまり、私たちの産業や事業を通じて、環境問題を解決することが、事業成長の目的であるべきだと考えています。そのため単なる「経済的な成長」ではなく、「人間としての成長」とは何かを考えながら事業を発展させることが、本当の意味で持続可能な成長を生み出すのではないかと思います。私自身も、そのような考えのもとで仕事に取り組んでいきたいと考えています。

福代 :ゴールドウインさんは 2050年までに、サプライチェーン全体でのカーボンニュートラル達成と廃棄ゼロを掲げていますよね。これは非常に難しい挑戦だと思いますが、それを達成するために最も必要な変化は何だと考えますか? 最大の課題について教えてください。

渡辺 :カーボンニュートラルを実現するためには、スコープ3の削減を徹底することが重要だと考えています。現在、私たちのCO2排出量は、スコープ1から3を合わせて約26万トンありますが、その99%がスコープ3によるものです。つまり、直接の排出ではなく サプライチェーン全体での排出が圧倒的に多いのです。そのため最も重要なのは、サプライチェーン全体で環境への配慮を共有し、協力し合う仕組みを作ることだと考えています。

まずは「自分たちは何のために事業をしているのか?」を明確にし、「どのような変化がプラスになるのか?」をしっかり示すことが必要です。さらに、具体的なアクションとプロセスをどのように変えていくのかを明確にし、発信していくことも大切だと思います。確かに大きな課題ではありますが、誰かが始めなければ変革の第一歩は生まれません。私たちは、そうした一つひとつの取り組みを、責任を持って進めていきたいと考えています。

WWD :今のお話の内容は、ゴールドウインの統合報告書にも具体的な数値として記載されています。後ほど、裏付けとなるデータもご覧いただければと思います。そしてこの質問は、ここにいる全員が 「19歳から投げかけられている問い」だと受け止めるべきものですね。

福代 :服は、大量生産・大量消費の象徴的な存在だと思います。現在もその考え方は根強く残っており、先ほど話に出た環境と事業成長の両立についても、大量生産・大量消費のままでは難しいのではないかと感じています。そこで、ゴールドウインとしてどのようにこの考え方を変えていこうとしているのかをお聞きしたいです。

渡辺 :そうですね。実は、ゴールドウインには以前から 大量生産・大量消費という考え方はあまりありません。もちろん、ブランドの人気が高まると売り上げが伸び、それに伴い生産量も増えるという側面はあります。しかし、私たちはそうした背景の中でも製品を長く使い続けてもらう仕組みを重視してきました。

例えば、1992年頃から リペアサービスを本格的に導入しています。GORE-TEX製品のような高額なウェアは、アウトドア環境で使用すると傷んだり破れたりすることがあります。しかし、それを修理できなければ、すぐに廃棄されてしまう可能性がありますよね。そこで、工場内に専用のリペアチームを設け、現在では年間約2万4000点の製品を修理し、お客様にお返ししています。

また、最近では子ども服のリサイクルにも取り組んでいます。子ども服は成長とともにすぐにサイズアウトしてしまいます。そこで、不要になった服を店舗で回収し、新しいデザインにアップサイクルして再び販売する取り組みを行っています。単に洗浄して再販するのではなく、新たなデザインを加えることでより魅力的なアイテムとして生まれ変わらせることを大切にしています。

さらに、私たちは「ワンフォーワンシステム」 という特別なものづくりの仕組みも導入しています。これは、人気のある商品についてお客様自身がオリジナルのデザインを作れるサービスです。特定の店舗では、お客様の体のサイズを測定し、カラーやファスナーの種類、その他の細かいパーツまで自由にカスタマイズできるようになっています。このサービスを利用することで、既製品ではなく自分のライフスタイルに合った一着を作ることができ、長く愛用してもらえるのです。この仕組みは、大量生産とは異なるアプローチです。

「自分の人生の中で、どんな服をどのように使いたいのか?」そんなことを考えながら、お客様とともにゴールドウインや「ザ・ノース・フェイス」の製品を作り上げていくサービスとして展開しています。こうした取り組みを通じて、単に新しい服を作って売るだけがビジネスではない という考え方を広めていきたいと考えています。

WWD :「新しい服を作って売るだけのビジネス」からの脱却ですね。

渡辺 :そうですね。服というものは 単なる衣類ではなく、そこに込められた想いや、人と人とのつながり、愛を大切にするものだと考えています。それが循環し、次の誰かへと受け継がれていくこと。それこそが、本当に重要なのではないでしょうか。

1枚の服を見たときに、何を想像する?

福代 :抽象的な質問かもしれませんが、1枚の服を見たときに渡辺さんは何を想像しますか?

WWD :質問の背景とは?福代さんご自身は、1枚の服を見たときに何を想像しますか?

福代 :私は服の生産背景に強い関心を持っています。自分が着る服が児童労働や環境破壊の上に成り立っているのは、とても嫌です。そのため、1枚の服を見たときに「この服はどこで作られたのか?」「作った人は幸せだろうか?」「生産された土地の環境は守られているのか?」といったことを想像しながら、慎重に選ぶようにしています。

渡辺 :この写真は、1989年から1990年にかけて、220日間で6,040kmを犬ぞりで南極大陸を横断し探検隊のユニフォームです。デザインを手がけたのは、当時 「ザ・ノース・フェイス」に在籍していた マーク・エリクソンというデザイナーでした。この南極大陸横断隊には、アメリカ・ロシア・中国・フランス・イギリス・日本の6カ国が参加していました。つまり、資本主義の国も共産主義の国も関係なく、世界の枠を超えて協力し合ったプロジェクトだったんです。

では、なぜこの6カ国が南極大陸を横断したのか?その目的は、南極条約を改めて批准してもらうためのアクションでした。南極条約では「南極はどの国の領土でもない」「科学技術や教育の分野で国際協力を進める」といった原則が定められています。現在、この条約には50カ国以上が批准しており、世界平和のための重要な合意のひとつとなっています。当時、資本主義・共産主義の国々が対立する中で、この遠征は「世界平和のために協力する」という強いメッセージを発信するものでした。

この服は、単なる防寒着ではなく、世界平和を象徴するユニフォームなのです。私は、ものづくりにおいて「目的」や「価値」を持たせることが重要だと考えています。最新のテクノロジーと優れたデザインからこのユニフォームに支えられたこの挑戦は、結果として 今も南極条約が守られ続けていることに繋がっています。1枚の服が与えるインパクトは計り知れません。そして、この服を見るたびに、私は「未来のために、平和利用のために服があるのだ」ということ思いますね。

福代 :たくさんの服を開発されている中でも、1枚の服に込められたストーリーや熱量が伝わってきました。ものづくりに対する 「大切にしたい」という強い思いを感じます

考えを大きく変えたアウトドアアクティビティとは?

福代:私もスポーツやアウトドアアクティビティが好きなのですが、渡辺さんもアウトドアが好きですよね。これまでの経験の中で、アウトドアアクティビティが ご自身の考えを大きく変えた出来事 があれば、教えてください。

渡辺 :私はアウトドアスポーツが好きで、この会社に入ってからも続けています。今は毎年北海道でフライフィッシングを楽しんでいます。もう30年以上通い続けている場所ですね。30年前は、あるシーズンに行くと1投すれば必ず1匹釣れるほど魚が豊富でした。ところがここ2〜3年は、まったく釣れなくなっているんです。これは、水温や気温の変化による影響が大きいのではないかと感じています。実際、魚の数が減っているように思います。

釣りを通じて、川や海など自然環境の変化を肌で感じるようになりました。最近は、南の島のサンゴ礁エリアでもフライフィッシングをしていますが、白化したサンゴ礁では魚が少なくなり、釣るのが難しくなっていることも実感しています。こうした変化は、実際に現地に行き、アクティビティを通じて体験しなければ気づけないことです。私にとってアウトドアアクティビティは「今の環境をどうすれば改善できるのか?」を考えるきっかけになっています。

「世界を平和にしたい」。その言葉に打たれた

福代 :最新技術は、まだコストが高いことや、実用化できるか不確実性が高いため、普及には時間がかかると思います。ゴールドウインがスパイバーと服を作ろうと決断した理由は何だったのでしょうか?

渡辺:私は アウトドアスポーツが好きだったこともあり、これまで高機能な製品の開発に携わってきました。しかし、それらの製品はほとんどが化学繊維であり、化石燃料をベースとした素材を使っていたことは否めません。このような素材は、環境に大きな負荷を与えます。簡単に言えば、プラスチックは生分解しないため、長期的に環境に残り続けるという問題があります。そんなとき、私の知人である発酵技術の専門家から「発酵を利用して植物由来の新しい素材を開発している人がいる」と紹介を受けました。そこで実際に会いに行ったのが、スパイバーの代表である関山さんでした。関山さんに初めて会ったとき、彼が最初に言った言葉が「世界を平和にしたい」だったんです。その言葉に私は強く心を打たれました。

彼の話を聞く中で、スパイバーの技術は環境問題の解決だけでなく、貧困問題にもアプローチできる可能性があることを知りました。そのとき「自分がやるべき仕事はこれなんだ」と感じたんです。もちろん、ゴールドウインとしても環境負荷の低い素材を採用する取り組みは以前から進めていました。しかし、それは既存の素材の中で環境に配慮したものを選ぶという方法でした。スパイバーの技術は、それとはまったく異なるアプローチでした。つまり、従来の石油由来素材を完全に置き換える新たな選択肢だったんです。

この新たな選択肢があるのなら、誰かが最初に動かなければならない。正直、決断にはかなりの逡巡がありました。しかし最終的にゴールドウインとして創業以来最大規模の投資を行い、スパイバーとともに取り組むことを決断しました。このプロジェクトを進めることで、石油依存による環境問題を解決する一歩を踏み出せると確信したからです。

WWD :アウトドアの役割の一つは「命を守ること」です。そのために、機能が進化し、技術が発展し、そこに最適なデザインが追求されてきました。しかし、これまでの常識を覆しその根幹をまったく新しい選択肢に置き換えるという発想は、極めて画期的な取り組みだと思います。

「言葉のいらない遊び場。 未来に向けたデザイン

福代 :ゴールドウインさんは服の開発だけでなく、子どもたちの遊び場の創出やキャンプ事業など、さまざまなプロジェクトに取り組まれていますよね。その中で、渡辺さんご自身が特に印象に残っている取り組みは何でしょうか?

渡辺 :そうですね。一番印象に残っているのは、2022年に開催したイベントです。本来であれば、2020年の東京オリンピックに合わせて実施する予定でした。しかし、新型コロナウイルスの影響で無観客開催となり、私たちの計画も延期せざるを得ませんでした。

実はその年、ゴールドウインは創業70周年を迎えていました。そこで、世界中からオリンピックに来る人々に、ゴールドウインという会社を知ってもらうための記念事業を企画しました。当時、若いメンバーたちと話し合う中で「国や言語を超えて、みんなの気持ちが一つになるイベントは何か?」というテーマを考えました。

そこで私が提案したのが、「遊び」をテーマにしたデザインでした。私たちは、地球の五大要素である 水・火・土・空気をモチーフにした遊具を設計し、「地球を遊ぶ」体験を提供する空間を作ろうと考えたのです。言葉が通じなくても、そこに集まった人たちが 助け合いながら楽しめる場所を作ることが目的でした。

残念ながら、このイベントはオリンピック期間中には実施できませんでしたが、2年後の2022年に、六本木と富山で開催することができました。結果として、5万人以上の人々が遊びに訪れてくれました。このプロジェクトの背景には、ゴールドウインが掲げる「2050年にどんな会社でありたいか?」というビジョンがありました。その答えのひとつが「遊び」でした。スポーツの起源は「遊び」です。世界中の人々が「遊び」を通じてつながることができるのではないかという思いを込めて、このイベントを企画しました。

デザインは「社会の仕組み」を変える力を持つ

WWD:スポーツの起源は 遊びなんですね。今回のイベントのテーマのひとつに「デザインの力」があります。ゴールドウインは、単なる製品デザインだけでなく、地域創生や社会とのつながりをデザインするという視点も持っています。つまり、社会そのものをデザインすることも、ゴールドウインのデザインの範疇に含まれているのではないかと思うのですが、渡辺さんは 「デザインの力」についてどうお考えですか?

渡辺 :デザインには大きく二つの方向性があると考えています。一つは、これまでになかった機能や利便性を生み出すためのデザインです。新しい技術や素材を活かし、より快適で便利なものを作るという意味でのデザインですね。しかし、私が特に大切にしているのは「人の意識を変えるためのデザイン」です。これはアパレルやバックパックのデザインだけに限らず、空間デザインにも通じる考え方だと思います。

私はこれまでリテール(店舗)のデザインも手がけてきました。単なるショップの設計ではなく「今までにない空間」を生み出すことで、お客様の意識を変えるデザインを追求してきました。その結果、来店されたお客様の「ザ・ノース・フェイス」に対する考え方やデザインそのものへの価値観に変化が生まれてきたと感じています。

このように、デザインはあらゆる分野で応用できる考え方だと思います。デザインは単に「モノをつくる」ことに留まりません。それどころか、社会の大きな仕組みを変え、世界のシステムそのものを変える力を持っています。私自身、この考え方に大きな影響を受けたのが、ケネス・ハップ・クロップ です。彼のデザイン哲学に触れたことで、私は「デザインの本質とは、より良い社会を作ることだ」という考えを持つようになりました。私たちがデザインを通じてより良い社会を生み出すことができれば、私たちの考えや理念をより多くの人に伝えることができると思っています。これからも、私たちの事業の中でデザインの力を活かし、社会に貢献できる取り組みを進めていきたいと考えています。

WWD:これからゴールドウインとして成し遂げたいことについて教えてください。

渡辺 :ゴールドウインは、これまで 日本国内を中心にビジネスを展開してきました。ある意味「ローカルメジャー」と言える存在かもしれません。しかし、これからは海外市場にも積極的にアプローチしていきたい。特に、今後急速な成長が見込まれるアジア・インド・アフリカ などの地域において、スポーツや遊びを通じて、人々がより楽しく健やかに生きられる環境を提供することを目指しています。

「人と違うことをする」勇気を持つ

福代 :今の学生に向けて伝えておきたいことや、若いうちに知っておいてほしいことがあれば、教えてください。

渡辺 :若い学生の皆さんには、すでに素晴らしいビジョンを持っている方が多いと感じています。今日お話しした福代さんもそうですし、私がこれまで出会った若い世代の方々も、しっかりとした思いを持ち、真剣に考えている人が多い。ですから、特に何かを言う必要はないかもしれませんが、自分のやりたいことにしっかりと向き合い、責任を持って進んでいってほしい と思います。

世の中を変えていくことは、決して簡単なことではありません。しかし、「人と違うことをする」ことこそが、大切 だと思っています。ときには、自分が周りと違うことで 不安を感じたり、違和感を持ったり することもあるかもしれません。でも、その違いこそが、自分の魅力になるのです。だからこそ、「自分は人と違うから嫌だ」と思うのではなく、それを誇りに思って前に進んでいってほしいですね。

福代:お話を伺いながら、将来をとても深く見据えていると感じました。私自身も「こんな未来を作りたい」という思いはありますが、実際どう行動すればいいのか分からないことが多いです。特に、気候変動が進み、将来ご飯が食べられなくなるのではないか など、暗い未来ばかりを考えてしまいがちです。解決策を見つけたいと思っても、どの方向に進めばいいのか分からない ことが多いと感じています。しかし、スパイバーの取り組みや、公園のデザインに関するお話を聞いて、「未来に向けて具体的に行動し、決断し、自らの手で変えていこうとしている」姿勢がとても印象的でした。その姿勢から、強い意志と決断力 が伝わってきて、とてもかっこいいと感じましたし、私自身も 何か行動を起こしたいです。

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【資生堂 藤原憲太郎社長 CEO】“本物”が生き残る時代 新たな価値創造に挑む

PROFILE: 藤原憲太郎/社長 CEO

藤原憲太郎/社長 CEO
PROFILE: (ふじわら・けんたろう)1966年12月生まれ岡山県出身。91年に香川大学大学院農学部農芸化学科修了後、資生堂に入社。95年に国際事業本部ヨーロッパ担当、2004年資生堂ヨーロッパ欧州物流センター所長、11年韓国資生堂社長、18年資生堂執行役員中国地域CEOなどを歴任し、23年に資生堂社長COOに就任。25年1月1日から現職 PHTO : SHUNICHI ODA

 藤原憲太郎社長CEOの指揮のもと、資生堂は変化の激しい市場環境に適応しながら安定した成長を追求する新たな道筋を描いている。2025年は事業基盤再構築に全力で挑み、新たな成長のステージへと歩みを進める。

藤原新体制が始動
「変わらないために変わり続ける」

WWD:2024年は日本事業が力強く成長した。

藤原憲太郎社長CEO(以下、藤原):日本事業は活気を取り戻した1年だった。日本事業が元気になることで、資生堂全体が元気になると思う。厳しい構造改革と成長戦略という一見相反する挑戦をしているが、どちらも順調に進展している。特にコアブランドの成長が目覚ましく、全体を押し上げる原動力となった。ヒット製品を生み出し、価値創造の面でも成果を出している。

WWD:日本事業の改革が進んでいる。

藤原:日本は「持続的な成長」「稼ぐ力」「生活者起点」の3つをテーマとして掲げ、これまでの活動を見直した。この3つの視点を基に、これまでの取り組みを続けるべきか、それとも変えるべきかをレビューしている。特に稼ぐ力については、組織内での意識改革が必要だった。そこで昨年、全国の店頭で働く6000人のパーソナルビューティーパートナー(以下、PBP)に5カ月かけて、稼ぐ力の本質を伝えた。損益計算書の仕組みとPBPの活動をリンクさせた教育を行い、稼ぐことのメリットを最初に享受できるのは自分自身であることを強調した。稼ぐことは決して後ろめたいことではない。まずは自分たちが幸せになることが重要で、そうすると取引先やお客さまにも波及し、事業成長につながる。これらを理解してもらうことに多くの時間を費やしてきた。

WWD:海外事業に目を向けると。

藤原:地域によって課題と成果が交錯した1年だった。欧州ではスキンケアとフレグランスともに好調で、現在は2ケタ成長を見込んでいる。一方、米州では主力の「ドランク エレファント」で上期に一時的な生産減・出荷減が生じ、売り上げに課題を残す結果となった。中国とトラベルリテール事業もまた、複雑な局面を迎えた。全体的に停滞が続く中国市場の中で、「クレ・ド・ポー ボーテ」と「ナーズ」は堅調な成長を見せており、回復が遅れている一部のブランドについては、今後の課題だと認識している。この1年で得られた教訓は、市場の不確実性を前提にした経営の必要性だ。これまでのように特定の市場が全体をけん引する成長モデルに頼るのではなく、不安定な環境下でもいかに成長を実現するかが問われた1年だった。

WWD:不安定な時代の中で重要なバリューとは。

藤原:最後は本物が残る。長らく事業を担当していた中国は、テクノロジーとデジタルの力を活用しながら成長を遂げてきた。しかしAIが台頭し、価値創造はますます模倣され、その精度や確度は高まるだろう。このような状況下で、ブランドや製品が持つ“本物”であることの重要性は一層増している。われわれは本来、“本物”であることを一番大切にしており得意であるはずだ。生活者のことを真に考え、心から良いモノをつくり出すという技術力や情熱は、何よりも大切にしなければならない。この「つくる力」に加え、消費者に「届ける力」も欠かせない要素である。

WWD:「届ける力」はどう拡張するのか。

藤原:新製品を投入することで売り上げ増加を見込むという従来のビジネスモデルから脱却を図っている。昨年ヒットした美容液ファンデーションの展開は、その一例として挙げられる。採用した技術自体は2年前から存在していたが、コミュニケーションを革新したことで新しい価値として再定義し、市場での成功につなげた。われわれの技術力は世界的に評価されている。それを迅速に消費者に届けるには、いかにスピーディーに価値創造を実現するかが重要である。「本物を届ける」というプライドを持ち、それを事業の根幹に据えることが、厳しい競争環境を生き抜くための鍵になると強く感じている。

WWD:現場力も高める。

藤原:経営を現場に返したいと考えている。現在のような不安定な時代には、経営は本社が行うものではなく、現場が主導すべきだ。特に営業は最前線でモノを売る役割を担っているからこそ、現場主導の経営は本来やりがいがあり楽しいはず。そこで今年から新たな挑戦として、19の戦略単位をつくり、それぞれのトップが利益の責任を負える仕組みを導入した。各現場の判断で投資を決め、リターンを考えながら利益をコントロールすることを可能とした。全く新しい挑戦であるため、リーダーシップチームのレギュレーションをつくり、不安や批判的な意見も受け止めながら一緒に進んでいく体制を構築している。一方で本社の機能は、ゆくゆくは価値創造に特化していくだろう。

WWD:25年からは藤原新体制となる。展望は。

藤原:資生堂のDNAを継承し、変わらないために変わり続ける。そして、美しいものを美しいと言える組織でありたい。ビューティーカンパニーとして美を語り合う議論を絶やさず続けることが、価値創造にもつながるはずだ。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『魅力たっぷりの宝探し』

子どものころからの夢は「宝探し」。歴史的秘宝など、当時宝を持っていた人の生活や文化を想像するのが楽しいからだ。自身の海外経験も重なり、世界中の人々の暮らしに根差す文化や価値観を考えると、宝探しの魅力が一層増していく。

COMPANY DATA
資生堂

1872年創業。現在では約120の国と地域で事業を展開する。2024年に、変化の激しい市場でも安定的な利益拡大を実現するレジリエントな事業構造への進化に挑む2カ年計画「SHIFT 2025 and Beyond アクションプラン2025-2026」を策定。革新へ挑み続け、世界で勝てる日本発のグローバルビューティーカンパニーを目指す


問い合わせ先
資生堂
https://corp.shiseido.com/jp/inquiry/

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【コーセー 小林一俊 社長】脱・自前でグローバル化加速 協業などで持続的な未来へ

PROFILE: 小林一俊/社長

小林一俊/社長
PROFILE: (こばやし・かずとし)1962年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、86年にコーセーに入社。91年に取締役マーティング副本部長兼宣伝部長、2004年から副社長を務める。07年から現職。就任直後に「守りの改革」と「攻めの改革」を実行し、V字回復を実現。現在、「Your Lifelong Beauty Partner」を掲げ、一人一人の生涯を彩る活動を推進している PHTO : SHUHEI SHINE

2026年に創業80周年を迎えるコーセーは、純粋持株会社体制への移行を表明した。グループのシナジーを極大化するとともにグローバルでの事業成長と基盤再構築を目指し、同社は“自前主義”脱却へと大きく舵を切る。

M&Aや提携でブランドポートフォリオをより強固に

WWD:昨年、中長期ビジョン「Vison for Lifelong Beauty Partner-Milestone2030」を発表した。

小林一俊社長(以下、小林):30年をマイルストーンとした大きな転換となる指針だ。当社と同じ思いを持つ企業やブランドと相互的な連携を図り、持続的な成長と企業価値向上を目指す「ビューティコンソーシアム構想」の実現を目的とする。これまで研究開発、生産、販促などあらゆる面において自社のリソースで完結することを信条としてきたが、今の時代それが強みになるとは限らない。そこでグローバル戦略の突破口として“脱・自前”に踏み切ることにした。他社と手を組み、当社にない知見を積極的に取り入れ、さらに地域に根付いたブランドを獲得するM&Aや提携によって当社のポートフォリオをより強固にしていくことを目指す。

WWD:タイ発のウェルネスブランド「パンピューリ(PANPURI)」を買収した。その狙いは?

小林:当社が注力するウェルネス領域との親和性も高く、最優先市場となるグローバルサウスを攻略するための一手である。オリエンタルな世界観と香りを打ち出す「パンピューリ」の製品は中国人観光客にも非常に人気があり、現在低調傾向にある中華圏からの需要も見込めるだろう。ありがたいことに百貨店や化粧品専門店からの問い合わせが殺到している。しかしまずはタイ国内でスパブランドである独自の世界観をじっくりと浸透させつつ、グローバルサウスでの展開に注力する。今後もグローバルサウスや欧米での当社のプレゼンスを高めるべく、さらなるM&Aや提携を進めていく。

WWD:30年には海外売り上げ比率を50%以上まで引き上げることを掲げる。

小林:そのためには現地起点のモノ作りやマーケティングも不可欠だ。これまでは日本で企画、開発、製造したメード・イン・ジャパンを強みとしてグローバル展開を推し進めていたため、なかなか海外に根付かせることが難しかった。今後は、モノ作りのローカライズや現地法人への権限移譲も進めていく。さらに、成分やエビデンス重視というグローバルでのトレンドに即応することでスピーディーな韓国コスメに太刀打ちしていくことも急務といえる。当社の厳格な品質基準のため自社製造では難しいものも多かったが、これも“脱・自前”を目指し、最先端の化粧品製造技術やトレンドを知り尽くす海外の大手ODM・OBMメーカーを積極的に活用すればより生産性を上げられるだろう。一方で、昨年7月には山梨県に「南アルプス工場」の建設を開始した。これに伴い、コーセー、生産子会社コーセーインダストリーズ、山梨県の3者で山梨県の豊かな水資源活用による持続可能な社会構築に向けた連携に基本合意した。日本の地産地消モデル工場として発展させていく。南アルプスから湧き出る清冽な水を活用した化粧品はこの土地でしか生み出せない。世界に誇れる唯一無二の価値を提供できるはずだ。

WWD:最近はブランド担当者の顔が生き生きしていると外部からも評判だ。

小林:ここ数年で取り組んでいる組織改革の成果が出てきた。ブランドごとに企画から販促、PRまで一気通貫して取り組める組織体制になったことで、各々が自律的に判断する姿勢が強まった。18年も社長職に就いているおかげで方針がぶれず社員に浸透するのも早くなっている。米MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手に広告出演いただいている「コスメデコルテ(DECORTE)」が表参道エリアをジャックした大型プロモーションは若手の男性社員が企画したもの。若手にも積極的に意見を出してもらい、ブランドの担当者として力をどんどん発揮してもらいたい。

WWD:利益創出にも力を入れる。そのための課題は?

小林:コロナ禍の攻めの戦略として、「コスメデコルテ」「雪肌精(SEKKISEI)」などで広告やプロモーションを積極的に投下した。一定の成果も残せたので、今後は事業の収益性、効率性改善のため、財務面を引き締め、「稼ぐ力」に磨きをかけ新たな市場攻略に振り向けていく。

WWD:25年以降はどんな可能性を見据えている?

小林:iPS細胞技術を活用したパーソナライズ美容製品の開発に向け、アイ・ピースとレジュの2社と技術提携し、医療機関を通じて提供するプロジェクトも始動した。これを機に美容医療分野や異業種からの引き合いも増えた。今後は大学研究機関やODMメーカーとの提携などもありうるだろう。“Your Lifelong Beauty Partner”のビジョンの下、多様なウェルビーイング製品や体験を提供する事業会社を傘下に置く“ホールディングスカンパニー”を目指していく。化粧品の枠を超えて一人一人の健康と美しさを彩る、そんな可能性に満ちた未来を描いている。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『朝の連ドラにコーセー』

NHKの朝の連続テレビ小説で創業者の奮闘ぶりなどを題材にしてもらう。日本の化粧文化や当社の歴史を日本国民に知ってもらうための良い機会になるだろう。キャスティングや配役も勝手に頭に描いており、ぜひとも実現させたい。

COMPANY DATA
コーセー

1946年に、小林孝三郎氏が化粧品の製造販売を行う小林合名会社を創業。48年小林コーセーを設立。60年代後半から香港、シンガポールなどアジア市場を皮切りに、北米、欧州にも積極的に進出。91年CIを導入し、コーセーに社名変更。企業メッセージとして「美しい知恵 人へ、地球へ。」を掲げ、あらゆる活動に組み込むと共に、一人一人の美しさを大切にするアダプタビリティの観点における価値提供を推進している。ブランドは「コスメデコルテ」「雪肌精」「アディクション(ADDICTION)」など


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コーセー
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【日本ロレアル ジャン-ピエール・シャリトン社長】気鋭ブランドが続々と日本上陸 力強い成長を実現

PROFILE: ジャン-ピエール・シャリトン/社長

ジャン-ピエール・シャリトン/社長
PROFILE: 1966年3月13日生まれ、フランス・パリ出身。89年に仏EMリヨン経営大学院を卒業し、91年に仏ロレアル本社に入社。スキンケアブランド「ビオテルム」でキャリアをスタートする。タイや韓国、イギリス、アイルランドにおけるロレアル リュクス事業本部本部長を経て、2008年に「アルマーニ ビューティ」のグローバルプレジデントに就任。13年にアジア太平洋地域(APAC)ロレアル リュクス事業本部ジェネラルマネジャーに就任。21年11月から現職 PHOTO : MASASHI URA

世界最大のビューティ企業、ロレアルグループの日本法人である日本ロレアルは、2024年3月に「プラダ ビューティ」のメイクアップ&スキンケアラインを本格ローンチした。9月には「3CE」、10月には「スキンシューティカルズ」の日本再上陸を果たすなど、日本市場でビジネスを精力的に拡大している。

勢いに乗る多様なブランドを擁し
ビューティ市場をけん引

WWD:24年も日本のビューティ市場は成長したが、そのペースを上回っている。

ジャン-ピエール・シャリトン社長(以下、シャリトン):国内のビューティ市場は24年、インバウンドとローカルの双方の購買力が後押しして、最終的に前年比4〜5%増※1の成長が見込まれている。その中で当社は、昨年に続いて市場を超える成長を遂げる見込みだ。マーケットの成長には、イノベーション、ディストリビューション(流通)、コミュニケーションの3要素が重要だ。革新的な技術を取り入れているか、オフラインとオンラインの流通が強固か、消費者とのエンゲージメントを高めているかが鍵となる。

WWD:3要素にどう取り組んだか。

シャリトン:イノベーションの観点では、「ランコム」を代表する美容液をリニューアルし、新製品“ジェニフィック アルティメ セラム”を発売した。肌本来の自己回復力を促進させる次世代成分を配合するなど卓越した技術が詰まっている。「ラ ロッシュ ポゼ」の保湿クリーム“シカプラスト リペアクリーム B5+​”も日本処方で発売後、「アットコスメ」で上位にランクイン。流通の観点では、楽天と戦略的パートナーシップ契約の締結に向けて合意し、楽天のプラットフォームの消費者データを活用できる目処が立った。2大ブランド「ランコム」と「タカミ」はアマゾンにショップを開店し、百貨店ビジネスも好調だった。消費者とのコミュニケーションとしてインフルエンサー施策も積極的に行っている。

WWD:新ブランドの導入も重なった。

シャリトン:9月に韓国コスメブランド「3CE」、10月に美容施術スキンケアブランド「スキンシューティカルズ」が日本に再上陸した。「3CE」はファッション性の高さで競合優位性がある。拡大に時間はかかるが、初動は良く今後も投資を続けていく。「スキンシューティカルズ」は美容医療機器の研究開発や製造、販売を行うキュテラとのパートナーシップを通じて医師と協働して販売する。あたたかく迎えられて好調なスタートを切った。

WWD:21年に買収した「タカミ」の商況は?

シャリトン:日本ロレアルを介した買収事例における素晴らしい成功例となっている。買収時と比較して売り上げは4倍だ。リピーターの多さとヒーロープロダクト“タカミスキンピール”が売り上げをけん引している。中国や香港、台湾などでも発売しており、欧米への展開も見据える。予想を超える飛躍的な成長で、今後にも期待している。

WWD:「メイベリン ニューヨーク」も成長軌道に乗る。

シャリトン:コミュニケーションをラストマイルマーケティング(ローカルに合わせて調整するマーケティング戦略)という考え方に刷新した。“スカイハイ”の新色“ゆうぐもグレージュ”はその一例。“SPステイ ルミマット リキッド ファンデーション”のアンバサダーにTREASUREの4人を起用し、推し活する消費者の心をしっかりとつかんだ。数週間売り上げ1位※2をキープするなど成功を収めている。

WWD:オンラインの購入体験の向上にも力を注ぐ。

シャリトン:ECは戦略的な成長チャネルだ。ECの売り上げ比率は業界平均の2割を上回って伸長している。自社のECサイトはEフラッグシップと呼び、製品を選んで購入し、受け取った後まで最適な顧客体験を提供する。一方で、楽天やアマゾンではリーチの拡大を狙う。

WWD:サステナビリティ関連で掲げる目標は?

シャリトン:ロレアルグループは25年、全世界の自社拠点を100%再生可能エネルギーに切り替え、プラスチック製パッケージの100%を詰め替えもしくは再利用、リサイクル、堆肥化可能なものに変更する。30年までには製品輸送に関わる温室効果ガスの排出量を16年比で平均50%削減する。一方日本では、社内の250人がプライドパレードに参加したり、同性のパートナーシップ婚も正規の福利厚生を受けられる制度を導入したりするなど、ダイバーシティ&インクルージョンにも注力している。科学の分野で女性の躍進を表彰する「ジュン アシダ賞」も受賞した。

WWD:25年にビジネスで注力することは?

シャリトン:一つは新たなブランド「プラダ ビューティ」「3CE」「スキンシューティカルズ」を成功させること。二つ目は既存のブランドのイノベーションを成長させていくこと。引き続きイノベーション、ディストリビューション、コミュニケーションを軸に拡大していく。

WWD:未来に見据える可能性は?

シャリトン:ロレアルグループにおいて、日本はこれからもインスピレーション源であり続ける。日本は成熟したマーケットで消費者は洗練されており、国内で成功しているアイデアは世界でも通用する。日本ロレアルがアイデアを模索し、世界に広げていきたい。

※1矢野経済研究所調べ
※2インテージ調べ。2024年2〜12月までのバラエティー・ドラッグストアカテゴリー店舗(オンラインを除く)におけるリキッドファンデーション部門での売り上げ金額

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『日本人の才能を開花させたい』

日本には素晴らしい才能にあふれる優秀な人材がたくさんいる。彼らをサポートし、いつの日か私の役職に日本人が就任することを願っている。

COMPANY DATA
日本ロレアル

世界最大の化粧品会社であるロレアルは、小林コーセー(現:コーセー)と提携しサロン向け商品の開発を行う合弁会社ロレコスを1963年に設立。76年に一般向け製品の販売をスタートし、95年には基礎研究所を茨城県つくば市に開設。96年にロレアルの日本法人である日本ロレアルを設立した。2009年、ロレアルが資本参加していた「シュウ ウエムラ」の株式を100%取得。グループ傘下に初めて日本発のブランドが加わった。21年には「タカミ」を買収した


問い合わせ先
日本ロレアル
03-6911-8100

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【オンワードHD 保元道宣社長】Z世代、グローバル市場、 新しい可能性を広げる

PROFILE: 保元道宣/社長

保元道宣/社長
PROFILE: (やすもと・みちのぶ)1965年9月13日熊本県生まれ。88年に東京大学法学部卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。2006年オンワード樫山(現オンワードホールディングス)に入社。常務執行役員、取締役などを経て、15年3月から現職

オンワードホールディングスは、昨年9月にカジュアルウエアのウィゴーを子会社化した。ウィゴーの売上高は283億円(2024年2月期)。これを保元道宣社長は「オンワードとの相乗効果で、中長期的に500億円に引き上げる」と話す。自信の裏付けは、業界をリードするOMO(オンラインとオフラインの融合)の知見だ。

ウィゴーとのシナジーを
最大限に生かす


WWD:ウィゴーの子会社化の狙いは?

保元道宣社長(以下、保元):オンワードの多様性を加速させるためだ。ウィゴーの顧客基盤は10代の中高生から20代前半で、オンワードにとっては手薄な世代だ。登録会員数(24年2月末時点)もオンワードの530万人に、ウィゴーの340万人が加わって約870万人に拡大する。社員も若く、SNS運用に優れており、学ぶべき点が多い。一方で自社ECの強みを生かしたOMOやサプライチェーン、財務に関しては当社に強みがある。補完し合うことで大きなシナジーが見込める。そして海外市場でも期待できる。

WWD:ウィゴーでアジア市場に進出する?

保元:ASEANをはじめアジアは若い人の人口構成が高く、ウィゴーの可能性を最大化できる市場だ。昨年10月に中国・上海で6日間のポップアップを開いた。推し活グッズとして人気の“痛バ(痛バッグ)”に絞ったイベントで、来店はネットでの予約のみに限定したが、約2万人の枠があっという間に埋まり、売上高も約1億円になった。若者文化に国境はなく、推し活の熱気はすさまじい。

WWD:常設店の出店予定は?

保元:将来的には考えられるが、従来のように常設店の数にこだわらなくてもよい。SNSやイベントでもお客さまとの関係はしっかり築けるからだ。中国、台湾、韓国、それにASEAN各国。国ごとに市場特性も異なるため、まずは出店にかかる投資をSNSやイベントに振り分ける。越境ECにも大きな可能性がある。

WWD:複数のブランドを集めたOMO業態「オンワード・クローゼットセレクト(OCS)」は、21年に出店を始めて現在は全国159店舗(24年11月末)に拡大した。

保元:手応えがある。岩手県の川徳のような地方百貨店から大丸東京店のような都心百貨店、あるいは郊外のショッピングセンター(SC)まで。百貨店向けブランドは百貨店でしか売れないという固定観念があったが、百貨店向けの「23区」がSCでも売れる。お客さまにとって選択肢が増えるだけでなく、クリック&トライ(C&T)によって店頭にない商品の取り寄せもうまく活用されている。一つの商業施設にブランドごとに複数の店舗を出していたときと比べて生産性が高い。生産性が上がれば賃金も上げられる。24年に販売職の10%の賃上げを実施したのに続き、25年はデザイナー、パタンナーなどの技術職の初任給を3.3万円引き上げるなど全社員の処遇改善を実行する。

WWD:OMO推進で見えてきたことは?

保元:お客さまの解像度が高まった。当社はEC売上高に占める自社ECの割合が9割ある。会員のお客さまの店舗とECでの消費行動がデータとして蓄積される。店頭では熟練のスタッフが何気ない会話からパーソナルな定性的データを得る。デジタルと人の力で適切な商品を適切なタイミングで提案すると、お客さまの満足度は上がり、年間の購買額が上昇する。今後は体験価値を高めたい。C&Tで何着もの服を取り寄せて、さらにスタッフがコーディネートアイテムを提案する。気持ちが高揚するような広くて贅沢な試着室を増やしたい。

WWD:新規出店の柱はOCSになるのか。

保元:SCは出店余地が大きく、積極的に出していく。一方でブランドの世界観を表現する旗艦店も必要だ。例えば「アンフィーロ」。24年3〜8月期の売上高は前年同期比1.9倍で年商100億円の大台も射程圏内に入ったが、販路は自社ECとOCS、ポップアップに限られる。さらなる飛躍のため近い将来に旗艦店の出店を計画している。オーダースーツの「カシヤマ」も出店要請が多い。コロナ禍を挟んで24年度に生産部門(中国・大連)と販売部門の両方が黒字化するので、25年度はさらにアクセルを踏む。

WWD:“長い夏”の対策も課題だ。24年6〜8月期で同期間としては17期ぶりに営業黒字を達成した。

保元:7月のセール以降も正価で売れる夏物衣料の充実が実を結んだ。今の課題は9〜11月期だ。従来であれば年間で最も稼ぐはずの9〜11月期に苦戦を強いられた。旧来の衣替えの概念自体が薄れ、店頭で夏物と秋冬物を並行して扱う必要が生まれた。地域ごとの気候も配慮して、店舗主導の品ぞろえに取り組む。素材から独自に作り込む当社にとって生産計画が重要なのは言うまでもないが、気候変化に柔軟な態勢も欠かせない。

WWD:新たなコーポレートメッセージを策定した。

保元:「世界に、愛を着せる。」。グループ会社を含めた20〜40代の若手・中堅社員が議論を重ねて策定した。私なりに解釈すれば、「愛を着せる」は愛着とも読める。当社が提供するのは、永く愛着を持っていただける商品だ。再来年で創業100年。お客さまともお取引先とも末永く愛をはぐくんでいきたい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『南極・北極を旅したい』

これまで出張やプライベートで世界のさまざまな場所を訪れており、空白地帯は案外少ない。先日、知人から南極と北極を旅した話を聞き、がぜん行ってみたいと思うようになった。スマホがつながらない極地に身を置くのもいいかもしれない。

COMPANY DATA
オンワードホールディングス

1927年に樫山純三氏が大阪で樫山商店を創業し、戦後に日本を代表するアパレル企業に発展。中核会社のオンワード樫山は「23区」「ICB」「五大陸」「J.プレス」「アンフィーロ」などを展開。グループ会社には法人ビジネスのオンワードコーポレートデザイン、バレエ用品のチャコット、ペット用品のクリエイティブヨーコなどがある。2024年2月期連結業績は売上高1896億円、純利益66億円


問い合わせ先
オンワードホールディングス
03-4512-1070

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【ワールド 鈴木信輝社長】アパレル企業の枠を超えた、総合ファッションサービスの実現へ

PROFILE: 鈴木信輝/社長

鈴木信輝/社長
PROFILE: (すずき・のぶてる)1974年8月23日生まれ。京都大学大学院法学研究科卒。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)やローランドベルガー、ボストンコンサルティンググループなどを経て2012年ワールドに入社。15年から常務執行役員。18年から専務執行役員。20年6月から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

ワールドは2024年11月に繊維商社・三菱商事ファッション(MCF)の子会社化を発表し、世間をあっと言わせた。また傘下の投資会社を通じてライトオンの経営再建にも乗り出す。鈴木信輝社長はアパレル企業の枠を超えた「総合ファッションサービスグループ」の実現に着々と手を打つ。

川上から川下まで連携し、
さらなる持続的成長をめざす

WWD:MCFの子会社化の狙いは?

鈴木信輝社長(以下、鈴木):BtoB領域を拡大してきたが、ワールドのプラットフォーム事業をもう一段上のステージに上げるためだ。MCFは長くBtoB事業を本業として営んできたBtoB事業運営の知見があり、世界的なサプライチェーンを有し、モノ作りのクオリティーやコストの面で競争力がある。モノ作りのエキスパートが豊富にいる。当社のプラットフォーム事業の成長のドライバーになる。

WWD:川上への投資としては大型案件だ。

鈴木:アパレルでは川下が注目される時代が長く続いた。EC(ネット通販)も含めて消費者起点が何より重要とされた。だが、今は川上にウイングを広げることも求められる。円安や原料高に加えて、地政学上のリスク、サステナビリティの高まりなど、生産の重要性が年々増している。原料までさかのぼるトレーサビリティが求められるし、環境問題の高まりで再生素材も増やす必要がある。時代によって川下と川上の重要性は振り子のように動く。

WWD:ワールドは消費者を起点に小売りから生産までを一気通貫させる「スパークス構想」を1990年代から打ち出してきた。

鈴木:やるべきことの本質は変わらない。お客さまとの接点である売り場と工場をいかにロスなくつなぐか。付加価値の源泉はそこにある。当社には素材や染色など川上の工場を傘下に入れ、川下とつないできた実績がある。誤解のないように言うが、MCFを自社ブランドの生産機能に組み込みたいわけでなく、あくまで他のアパレル企業に向けたBtoBを強化する。昔と今との違いは、スパークス構想をファッション産業全体に広げようとしていることだ。

WWD:普通のアパレル企業とは異なる事業領域だ。

鈴木:当社は「ストラスブルゴ」のような高級セレクトショップから「シューラルー」のような低価格業態、リユース品の買取・販売の「ラグタグ」、高級ブランドバッグの定額レンタルの「ラクサス」(24年12月から持分法適用会社に移行)まで幅広い業能を持っている。一方で生産・販売・店舗開発・内装・システムなどBtoBのプラットフォーム事業も拡充している。ファッションに関する仕事なら何でもできる企業になる。それぞれの事業が緩やかに連帯することで、ファッション産業全体の発展に貢献する。

WWD:傘下の投資会社W&Dインベストメントデザイン(W&DiD)を通じ、ライトオンにTOB(株式公開買い付け)を実施した。

鈴木:これまでもさまざまな経緯で企業の再生に取り組んできた。同じW&DiD経由で、ストラスブルゴや子供服のKPも早々に黒字化させた。なぜ早く立て直せたかといえば、当社のBtoBのプラットフォーム事業が有効に働くからだ。ライトオンは従来に比べて大型案件であり、当社としても腰を据えて再建していく。こうした再生型投資に関しては相談が次々に舞い込む。活躍できる場面はますます多くなるだろう。

WWD:将来への種まきが続いている印象だ。

鈴木:かれこれ10年以上、たくさんの種をまいてきた。見切りをつけたものもあれば、形になったものもある。目指すべき姿のために種をまき、水をやり続けるのが現在のフェーズだ。25年は海外市場にも種をまく。「ラグタグ」でタイの大手企業サハグループと組んで合弁会社を設立し、バンコクに1号店を開く予定だ。24年春にバンコクでポップアップを開催し、ブランド品のリユース販売の潜在需要を感じた。サハグループとは17年に合弁会社ワールド サハ ファッションを設立し、「タケオキクチ」をタイや台湾に出店してきた実績がある。

WWD:屋台骨であるブランド事業では長い夏に対応したMDの再構築が課題だ。

鈴木:気候とお客さまの服選びが変わっているのに、従来の常識を押し付けたら売れないのは当たり前。成功例として「オペーク ドット クリップ」は柔軟なMDできちんと結果を残した。24年秋から私と各ブランドの担当者が大きな部屋に全商品サンプルとカレンダーを広げて、改めてお客さま起点で「この週の各地の気温は?」「どんな仮説でこの週にこの商品を売るのか?」と是々非々で議論することを始めている。商売の基本を改めて徹底するのみだ。

WWD:ブランド事業で成長を見込む業態は?

鈴木:ショッピングセンター向けでは「オペーク ドット クリップ」「グローブ」「インデックス」は堅調だ。百貨店向けでは規模は小さいが「ギャレスト」「オブリオ」が期待できる。ファインジュエリーの「ココシュニック」も新しいニーズをとらえることに成功し、よく売れている。気候対応もそうだが、MDの精度を高めれば、収益はまだまだ底上げできる。既存店の伸び代は大きい。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『より深く学びたい』

日々の仕事に追われていると、新しい分野をじっくり勉強する機会がどうしても減ってしまう。世界はこの10年で様変わりした。哲学、地政学、芸術、テクノロジーといった多様な分野の知識を学び直しながら、自分の視座をもっと磨き続けたい。

COMPANY DATA
ワールド

1959年、神戸で婦人ニットの卸売業として設立。93年、小売業に進出。「アンタイトル」「インディヴィ」「タケオキクチ」「シューラルー」「オペーク ドット クリップ」などのブランド事業のほか、プラットフォーム事業、デジタル事業の3セグメントを推進する。子会社として子供服のナルミヤ・インターナショナル、ブランド古着の買取・販売店「ラグタグ」を運営するティンパンアレイなどがある。2024年2月期(国際会計基準、決算期変更のため11カ月の変則決算)業績は、売上収益2023億円、純利益67億円


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【ジョイックスコーポレーション 塩川弘晃社長】「ポール・スミス」を磨き 次世代顧客を獲得する

PROFILE: 塩川弘晃/社長

塩川弘晃/社長
PROFILE: (しおかわ・ひろあき)1967年4月24日生まれ。大阪府出身。大阪大学卒業後、90年に伊藤忠商事入社。「ポール・スミス」「ランバン」「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ」などに携わる。伊藤忠イタリー会社(ミラノ)社長、欧州総支配人補佐(ロンドン駐在)などを経て、2020年から現職 PHTO : KAZUO YOSHIDA

ジョイックスコーポレーションは、主力ブランド「ポール・スミス」を磨き上げる。リアル店舗とデジタルを活用し、新しい顧客との接点を作ることが最大のテーマだ。強みであるテーラリング、革小物をはじめとした雑貨の潜在需要はまだまだ大きいと塩川弘晃社長は考える。

革小物とジュエリー、
そして強みのテーラリング

WWD:「ポール・スミス」は2024年ホリデーシーズンのキャンペーンにSEVENTEENのJEONGHANを起用した。

塩川弘晃社長(以下、塩川):力を入れたキャンペーンだった。既存店はもちろん、ラフォーレ原宿と心斎橋パルコでは革小物やジュエリーなどギフトをテーマにしたポップアップを開催した。渋谷駅ハチ公口でのインパクトのある屋外広告、加えてSNSでの露出も積極的に仕掛けた。日本上陸から40年以上が過ぎ、お客さまも40〜50代が中心になっている。KOL(キー・オピニオン・リーダー)の起用によって20〜30代にリーチするのが目的だ。反響は大きく、手応えを感じている。今後もマーケティング投資に注力するつもりだ。

WWD:25年は何を仕掛けるのか。

塩川:2つの軸がある。1つはKOLの起用に代表される若い世代の取り込み。ここでは革小物やジュエリーを前面に押し出す。もう1つは大人の世代を中心に、改めてテーラリングを訴求する。テーラリングはポール・スミス氏が最も得意とするところ。ブランドの強みのカテゴリーを生かす正攻法だ。

WWD:新しい顧客をつかむ策はあるか。

塩川:デジタルの活用で接点を増やさなければいけない。若い世代ほど価値と価格のバランスに厳しい目を持つ。商品を探す際、まずECサイトで価格のフィルターをかけ、気に入ったものがあれば来店する。ブランドの感度と品質を守った上で、手を伸ばせば届くエントリー商品が必要だ。財布などの革小物であれば2万円以下、スーツであれば10万円以下。全体の価格を下げるのではなく、あくまで入り口を広げ「ポール・スミス」の商品を体験してもらいやすくすることで新しい顧客を獲得していく。

WWD:革小物が入り口になっている例が多いと聞く。

塩川:そう、革小物は重要だ。25年春から当社企画の商品も市場に投入することになった。これまで以上にマーケットインのMDを組めるだろう。百貨店の平場は当社にとって初の取り組み。情報の収集・分析をしっかり行い、平場とブティックとで相乗効果を出す。23年から当社に移管されたウィメンズとともにブランドの世界観を磨いていきたい。

塩川:長い夏への対応も課題だ。

鈴木:「ポール・スミス」に関しては5月から10月の6カ月間を夏と捉え、5〜7月と8〜10月の前半・後半に分けてMDを考える。カットソーや布帛シャツなどの軽衣料でメリハリを出し、鮮度を高める。また話題性のあるコラボレーションや雑貨類を充実させ、天候リスクに左右されないようにする。重衣料で成長した会社だけに意識の切り替えはなかなか難しいが、もうけの構造にメスを入れないと立ち行かなくなる。スーツ、ジャケット、コートは売るべき時期にしっかり売ればいい。もともと「ポール・スミス」は店頭でセールをしない。それだけに適時・適品の精緻なMDを追求しなければいけない。

WWD:「ポール・スミス」は独立した会員プログラムを23年に導入している。

塩川::リアル店舗と自社ECの顧客データを一元化し、活用する体制は整った。現在はカスタマープロファイル別に施策を実施し、その効果を検証している。1度購入していただいたお客さまを2度目の購入に促すコミュニケーションの仕組みを構築したり、また、お客さまにブランドへロイヤルティーを感じてもらえるようさまざまなCRM施策を仕掛ける。

WWD:それ以外のブランドは?

塩川:「ランバン オン ブルー」から昨年4月、ファミリー層を対象にした実験的なライン「エッセンシャル」をスタートした。ラフォーレ原宿のポップアップではインバウンド(訪日客)がけん引してよく売れた。引き続きECでテストを重ねていく。「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ」でも23年に始めた「ザ・ダファー・アンド・ネフューズ」の調子がいい。高感度なセレクトショップに絞った展開だが、若い世代からの評価が高く、ブランド価値向上にもつながっている。

WWD:将来を担う人材は育っているか。

塩川:一昨年「ポール・スミス」のウィメンズ事業が当社に移管され、約20店舗の販売員や内勤スタッフが入社した。女性社員が一気に40人前後増えた。その中には当社の将来を担う幹部候補となる人材もいる。当社は紳士服出身のため、良くも悪くも男性的な企業体質があったが、女性社員が増えたことによる化学変化が起こりつつある。従来の常識にとらわれないアイデアが現場から上がってきている。彼女たちの力を最大限に生かせる環境を作るのが私の仕事だ。女性社員の活躍に大きな可能性を感じている。

実現の可能性はゼロじゃない私の夢

『ゴルフでシングルプレーヤーになる』

ゴルフではさいわい80台のスコアは出せるものの、何度挑戦しても80を切れない。今年は必ず70台でシングルプレーヤーの仲間入りをしたい。グリーン上では全身、当社の「サイコバニー」を着て、私自身が広告塔になる。だからスコアにはこだわる。

COMPANY DATA
ジョイックスコーポレーション

1971年設立。82年に英国ポール・スミス社と提携。その後、海外の複数のブランドとパートナーシップを結び、現在日本に170店舗以上を運営する。2024年3月期の売上高は304億円。伊藤忠商事のグループ会社の一つ


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ジョイックスコーポレーション
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エディ・スリマンも注目するLAのポスト・パンク・バンド、オートマティック(Automatic)インタビュー

デモを聴いたLAヒップホップ/ビート・シーンの重鎮、ピーナッツ・バター・ウルフがほれ込み、彼が主宰するレーベル「Stones Throw」から2019年にデビュー・アルバム「Signal」をリリースしたLA在住のバンド、オートマティック(Automatic)。メンバーは、リード・ボーカル&シンセのイジー・グラウディーニ(Izzy Glaudini)、ボーカル&ドラムのローラ・ドンペ(Lola Dompé)、ベースのヘイリー・サクソン(Halle Saxon)の3人で17年に結成された。

1980年代のガールズ・パンク/ニューウェイブ・バンド、ゴーゴーズ(The Go-Go's)の曲から名前が取られた彼女たちのサウンドは、スーサイドやヒューマン・リーグを連想させるシンセ・パンク/エレクトロ・ポップにドリーミーでサイケデリックなフィーリングがミックスされた、いわく「アンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズム」に貫かれた代物。そんな彼女たちに寄せられるラブコールは、ツアーにフックアップしたヤー・ヤー・ヤーズやテーム・インパラから、ショーの音楽制作を依頼したエディ・スリマンをはじめ、「ミュウミュウ(MIU MIU)」や「ジバンシィ(GIVENCHY)」といったラグジュアリー・ブランドまで、絶え間がない。2年前には「グッチ(GUCCI)」とコラボレーションし、彼女たちの楽曲を使ったキャンペーン映像が話題を呼んだことも記憶に新しい。

現時点で彼女たちの最新作になる2ndアルバム「Excess」(2022年)は、ムーディーでメロディックなエレクトロと幽玄なボーカル・ワークが耳を引く、いわばレトロ・フューチャリスティックなモーターリック・ポップの1枚。加えて、格差や気候変動など今の社会が抱える問題を、地元LAの現実を通して描写したシリアスでポリティカルなメッセージが印象的だ。すでにレコーディングを終えた次のアルバムが完成間近に迫る彼女たちは、昨年末に初めてのジャパン・ツアーを開催。東京でのライブ直前、イジーとローラに話を聞いた。

アンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズム

——ニュー・アルバムの「Excess」がリリースされて3年近くがたちますが、作品のテーマやコンセプトについて改めて教えてもらえますか。

イジー・グラウディーニ(以下、イジー):「Excess」は、政治的な問題や世界情勢に対して、より意識的に向き合ったものだったと思う。COVID-19の時に制作したこともあって、世の中の不平等や矛盾について深く考えさせられました。つまり、なぜ何もかもが劣化して、こんなひどいことになったのかを考える以外、することがなかったというか(笑)。特にロサンゼルスという街は貧富の差が極端で、大邸宅が建ち並ぶ地域があるかと思えば、1ブロック歩くとテントとホームレスの掘っ立て小屋の街があるという光景は、今の社会が抱える問題を象徴しているように思います。そうした矛盾を目の当たりにして、音楽を通じて何かを伝えたいという思いを強くしました。

——サウンドについてはどうですか。1stアルバムの「Signal」と比べると演奏やプロダクションも洗練された印象を受けましたが、自分たちのどんなスタイルが打ち出されたアルバムだといえますか。

イジー:私たちはとても折衷的なバンドで、いろいろな音楽にインスピレーションをもらっています。トリップホップ、ヒップホップ、時にはクラシック・ロック、そしてマジー・スター、ニュー・オーダー、イエロー・マジック・オーケストラなど、影響を受けたものを挙げればきりがない。それで、それらの要素を全部混ぜ合わせて、自分たちだけのオリジナルなサウンドをつくっている。私たちのバンドがクールなところは、そうした影響を全て取り入れて、自分たちのものにできる“ミニマル”さだと思う。

——その“ミニマル”というところで言うと、ギター・レスであることもオートマティックの特徴の一つだと思います。

イジー:私たちがオートマティックを始めたころのアンダーグラウンド・シーンにはギター・バンドがたくさんいて、何か違うことをやってみたかったんです。周りのバンドはとても“男性的”で、過剰な感じがしたというか。もともと私はギターを弾いていて、それまでシンセに触ったこともなかったので興味を引かれたのもありました。私たちの音楽理念は、いわばアンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズムのようなものです。面白い音楽をつくるのに技術的に優れている必要はない。シンセはとてもフレキシブルな楽器で、初心者に優しく、誰でもスイッチを入れてツマミをひねることでクールなサウンドをつくることができる。この先の作品ではギターを取り入れることもあるかもしれないけど、重要なのは進化し、新鮮であり続けることなんです。

——ボーカルをイジーさんとローラさんの2人で担当しているのは、どういう理由からだったんですか。

イジー:最初にジャムを始めた時から自然とそうでした。私たちの音楽はとてもシンプルでミニマルなので、2人の異なるボーカリストがいることで、曲のダイナミクスを高めることができる。それに、私たちは偶然にも正反対のタイプの声を持っていて。ローラは明るく、時にはパンクな声をしていて、私はもっと低音が効いていてすねたようなスタイルで、異なるエネルギーを組み合わせるのはクールだなって。

マッシヴ・アタックやポーティスヘッドからの影響

——「Excess」に収録されている「Automaton」はポーティスヘッドにインスパイアされた曲だそうですね。

イジー:ポーティスヘッドは私たちがやろうとしていることと似ていて、つまり、いろんなジャンルの音楽からたくさんの影響を受けています。サンプリングしたものをマッシュアップするDJカルチャーに近いというか。音楽に対する感性や、アイデアを組み合わせるセンスさえあれば、高度なテクニックはなくても、シンプルなビートやメロディから面白い曲はつくることができる。「Stones Throw」というレーベルが大好きな理由もそこにあって。あのレーベルの作品は、いろんな音楽の要素を混ぜ合わせて、独特な雰囲気を持った音楽をつくり出しているから。

ローラ・ドンペ(以下、ローラ):それに、「Excess」はダークでシネマチックな世界観を持った作品で、そこはマッシヴ・アタックやポーティスヘッドの影響も大きかったと思います。

——“シネマチック”と言えば、オートマティックはアルバムのジャケットやミュージック・ビデオ、ライブ中の映像演出も独創的です。アートワークのこだわり、またビジュアル面で影響を受けたアーティストを教えてください。

イジー:私たちのパフォーマン・スタイルはとてもストイックなので、プロジェクションや照明を使って、より魅力的なショーをつくるようにしています。ノワールで、ムーディーで、ちょっとSFチックなグラフィックが好きなんです。デヴィッド・リンチやアンディ・ウォーホル、フリッツ・ラングの映画、そしてLAで素晴らしいビデオやアートをつくっている友人たち――シルヴィー・レイクやアンバー・ナヴァロの映像作品から大きな影響を受けています。ちなみに、「Excess」のビジュアライザーはヤナ・パン(Yana PAN)が制作したもので、ヴァルター・ルットマンなどの1920年代のドイツのグラフィック・アーティストや、フリッツ・ラングのSF映画「メトロポリス」がインスピレーションになっています。

——LAには、あなたたちが所属する「Stones Throw」や「Leaving」といったレーベル、あるいは以前あった「Low End Theory」のようなパーティーに代表されるヒップホップやビート・シーンがあり、かたや、脈々と続くアンダーグラウンドでエクスペリメンタルなロック/ノイズ・シーンがあって。その二つのシーンが交差するところから面白い音楽が生まれているという印象があります。

ローラ:LAでは全てがつながっていて、私たちの音楽もいろんな要素が混ざり合って独自のスタイルをつくり上げている。だから「Stones Throw」と契約したんです。友達が何人かそこで働いていて、それでちょっとしたデモをつくって送ってみたら、ピーナッツ・バター・ウルフ(※「Stones Throw」の創設者)が気に入ってくれて。彼はポスト・パンクのバックグラウンドを持っていて、パンク・ミュージックの生々しいサウンドにこだわりがありました。それで私たちの音楽のパンクな部分に興奮してくれたみたいで、すぐに契約の話がまとまったんです。

イジー:私たちはドラムとベースが主体の音楽だから、リズムが前面に出ていて、スペースがたくさんある。そこは、ヒップホップのサンプリング・カルチャーやビートメイクに似ているところがある。私たちもドラムの音を細かく切り刻んだり、サンプラーを使って新しいサウンドをつくったりする。私たちはクラシックな訓練を受けたミュージシャンではないし、全て独学なんです。限られた環境の中で、クリエイティブに、自分たちの知っているやり方でやっていくしかない。それはある意味、ヒップホップのDIY精神に通じるものがあると思う。

ローラ:それに、私たちは女性でもある。だから、ちょっとしたアウトサイダーみたいな存在なんです。

——ちなみに、ローラさんのお姉さんはポカホーンテッド(Pocahaunted)のメンバーでしたよね。アンダーグラウンドなノイズ・シーンを代表するグループの一つで。

ローラ:2000年代は特に盛んでしたね。「Not Not Fun」とか。そう、あれは私たちが“生まれる前”のことで、直接その時代を経験したわけではないけれど、間違いなくインスピレーションを受けています。あのころは音楽シーンが今よりももっとエキサイティングで、DIY精神あふれるインディーズ・バンドがたくさん活躍していて。私はそういう音楽が身近にあったので、特に10代のころに聴いた音楽には大きな刺激を受けました。DIYの会場が街の至る所にあって、いつでも気軽にライブを観ることができた。この15年でだいぶ変わってしまったと思うけど、以前はもっと無邪気でパーティーみたいで、自由に音楽を楽しんでいたような気がする。今はよりシリアスで、ダークな雰囲気になったように感じます。

イジー:そして、とてもポリティカルになった――オバマの時代になってね。

ラグジュアリー・ブランドとのコラボ

——作品のリリースやライブと並行して、オートマティックはファッションとクロスオーバーした活動も盛んです。「セリーヌ」のショーのサウンドトラックの制作をはじめ、「ミュウミュウ」、「ジバンシィ」、「グッチ」といったラグジュアリー・ブランドとコラボレーションされていますが、どんなところに面白さを感じていますか。

イジー:全てブランドの方から声をかけてくれたんです。私たちの方からブランドのために音楽をつくるとか、何かを売り込むとか、そういうことを考えたことはなくて。でも、自分たちの曲がランウエイで流れるのはクールだし、とても新鮮です。自分たちの音楽を表現する手段の一つとして、ファッションはすごく面白いと思う。「ミュウミュウ」は素晴らしいブランドだし、「セリーヌ」はとてもクール。特にエディ・スリマンは音楽とファッションをクロスオーバーさせて、つねに新しい何かを生み出そうとしている。単なるブランドのデザイナーではなくて、スタイルやカルチャーを大切にしている人なんです。

今は企業が大きく関わっていて、商業的な要素が強くなった。だから面白くないと感じる部分もある。でも、もし私たちの音楽に心から共感してくれて、それに応えてくれるなら、大歓迎です。単に私たちの音楽を商品として扱おうとするような行為は、クソくらえだね(笑)。

——ちなみに、エディ・スリマンとはどんな形で知り合ったんですか。

イジー:私たちのバンドのベーシストのヘイリーが彼と知り合いで。彼女は以前、彼のモデルをやったことがあったんです

エディは、私が10代のころから好きだったミュージシャン、例えばガールズのクリストファー・オウエンスと一緒に仕事をしてきて。最近だと(テーム・インパラの)ケヴィン・パーカーもそう。そういえば前に、彼がLAのヘイリーウッド・パラディアムでやったファッションショーに行ったことがあって。イギー・ポップが来ていて、ストロークスやジョーン・ジェットのライブもあったりして、あれは最高でした。

ローラ:私たちの共通の友達が何人かモデルとしてランウエイを歩いていて。自分たちの身近なコミュニティーの人たちが、あんな大きなファッションショーに出ている姿を見るのはとてもクールで刺激的でした。異なる世界が一つにつながって、新しい何かが生まれていくような感覚があって。

——せっかくなので、2人が好きなブランドや、お気に入りのワードローブについて教えてください。

ローラ:「ミュウミュウ」は大好きなブランドです。それと、「ミュグレー(MUGLER)」の昔のコレクション。あと、90年代の「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」もよく着ています。着飾ることは、単なる自己表現じゃなくて、私たちにとってショーの一部なんです。その曲の世界観に入り込むことができて、エネルギーが湧いてくるというか。

イジー:それに、私たち3人はビンテージや古着のお店を見るのが大好きなんです。LAでは「グッドウィル」(※アメリカの有名スリフトストア)にもよく行くし、デザイナーの服を安く見つけるのは楽しい。クールな気分になるのにお金がかからないのは最高(笑)。特にヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)やティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)など、パンクの精神や美学を持ったデザイナーに憧れます。

(東京に来る前に)大阪に行った時は、デザイナーズ・ブランドの古着がたくさん置いてあるお店で、みんな夢中になっちゃって(笑)。つくりがしっかりしていて、長持ちするもの、そして見た目もかっこいいものを持つようにするのは大事なこと。個人的には、プリーツレザーを着るのが好きなんです。私みたいに面倒くさがりな人は、飲み物やブリトーのソースをこぼしても簡単に落とせるから(笑)。

——例えば、オートマティックの活動において、音楽とファッション、そして政治的なメッセージのバランスについてはどんなふうに考えていますか。

イジー:それについては時々考えることがあって。例えば、私が大好きなクラッシュには、政治的なメッセージを込めた音楽をつくりながらも、同時に楽観的なところがあり、ファッションやスタイルにもこだわる“本物”のかっこよさがありました。だから思うんです、政治的なテーマを扱っているからといって深刻になりすぎたり、シニカルになったりする必要はないって。音楽をつくるときには、楽しさや遊び心が大切だと思う――それってつまり、人生を謳歌するということだから。パンクは、ただ単に「何もかもが最悪だ」って現状への不満を叫ぶだけじゃなくて、世の中をもっと良くしたいという強い願いを込めた音楽だと思う。“革命的楽観主義”とでもいうか、物事を変えるために何かを信じる気持ちが必要だと思う。だから私たちも、政治的な問題を扱う時はただ暗くて絶望的な感じじゃなくて、聴いた人にインスピレーションを与えるような音楽をつくりたい。ファッションもそのための重要な要素の一つだと思っています。たとえ気候が悪化して、世の中が大変な状況でも、人生は楽しくあるべきだと思うから。

ローラ:ヴィヴィアン・ウエストウッドはまさにその良い例だと思う。彼女は、ファッションを通して社会問題に対する強いメッセージを発信しながらも、同時に人々を魅了するようなデザインをつくり上げた。つまり、楽しく、そして美的なものでなければいけなない。そうやって“境界線”を押し広げることが大切だと思います。

シネイド・オコナーのパンク精神

——先ほど「Excess」のテーマに関連してLAの貧富の問題について話してくれましたが、そうしたLAという都市の文化や風景が自分たちの作品や活動に与えている影響については、どう捉えていますか。

イジー:LAは、全てが過剰で、カートゥーンみたいな“つくり物”の都市なんです。サイケデリックで、ものすごくロマンチックで美しいんだけど、同時に、浅はかで恐ろしくてくだらない。そこが魅力的なところでもあり、ただ、それに抗っているような感覚が自分の中にはあって。映画に出てくるようなきらびやかな場所もあれば、ホームレスが何百人、何千人もいるような場所もある。そのギャップがすごくて、実際、そうした不合理な光景を目にするのは悲しいし、とてもつらい。家賃もクレイジーだし……。

毎日そこで生活していると、だんだん慣れてきてしまうんです。まるで夢と現実が入り混じったような……その雰囲気全体が私たちの音楽に影響を与えているのは間違いないと思います。「シュールレアリスム」というのは、まさにLAを表現するのにぴったりな言葉だと思う。「Excess」では、そうしたLAの光と影をそのまま表現したかったんです。

ローラ:世の中には、華やかでキラキラしたものがたくさんある。でも、その裏側には、目を背けたくなるような現実がある。その対比こそが、LAという街の日常であり、それが私たちを突き動かすエネルギーにもなっていると思います。

——そうした音楽を通じて社会と向き合うアクチュアルな姿勢に関して、自分たちのロールモデルになったアーティストを挙げるなら誰になりますか。

イジー:シネイド・オコナー、クリネックス(Kleenex)、ブロンディ、デビー・ヘイリー(ブロンディ)、ジーナ・エックス、マジースター、スージー・スー、サバーバン・ローンズ(Suburban Lawns)……私たちは女性だから、自然と他の女性アーティストに共感し、インスピレーションを受けることが多いんだと思います。それに、私たちが活動しているようなジャンルでは、女性アーティストが先駆者として道を切り開いてきた歴史がある。特に77年から82年のパンク・シーンの女性アーティストたちは、まさにその代表格だと思う。だけど、その時代の音楽の世界では、女性であることは大きなハンディキャップで、ある意味、とても“危険”だったと思う。ただ女性であるというだけで、多くのことと闘わなければならなかったから。

——シネイド・オコナーはどんなところに共感しますか。

イジー:彼女は、自分であることを貫き、自分の信じる道を真っすぐ突き進んだアーティストでした。そして、ローマカトリック教会内の性的虐待について声を上げたことで、世間から激しいバッシングを受け、まるで中世の魔女狩りのような扱いを受けた。本当に狂っている……でも、彼女は決してひるまなかった。ジャンヌ・ダルクのように、自分が正しいと思うことのために闘った。ボブ・ディランのコンサート(※1992年10月、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催された、ボブ・ディランのデビュー30周年を祝うコンサート)で何千人もの人がブーイングを浴びせる中、堂々と歌い続けた彼女の姿は(※予定していたボブ・ディランの曲をやめ、アカペラでボブ・マーリーの「WAR」を歌った)、まさにパンクの精神そのものでした。彼女は、世間の目を気にせず、自分の心の声に従った。私にとって彼女は、まさに真のパンク・アイコンなんです。

ローラ:彼女の声はとても力強く、それにあわせてクールな態度とスタイルを持っていました。

イジー:でも、社会は彼女が自分たちの望む姿に沿わなかったから、彼女を引き裂いた。なぜ丸刈りなのか、なぜドレスを着ないのか……そんなくだらない質問ばかり浴びせて。でも彼女は、そんな世間の期待に応えることなく、それに男性に受け入れられるかどうかを気にすることなく、アウトサイダーであること、政治的であることを貫くことで音楽業界の女性たちのために多くの扉を開いてくれた。彼女を愛しているミュージシャンは本当にたくさんいます。R.I.P.。とても悲しい。

——ローラさんにとっては、ミュージシャンとして活動する上でお父さん(※バウハウス(Bauhaus)のドラマーだったケヴィン・ハスキンス)の存在も大きなものがあったのではないでしょうか。

ローラ:私が父から受けた最も大きな影響は、彼の音楽に対する素晴らしいセンスと、ミニマルだけどインパクトのあるドラミングだと思う。

音楽と父に関する私の最も古い記憶は、父と母が親しい友人たちを招いてディナー・パーティーを開いている間、小さな子どもだった私はいつもリビングで遊んでいたこと。マッシヴ・アタックやデヴィッド・ボウイなど、父がパーティー中にかける音楽が大好きでした。音楽がその空間を盛り上げ、父とその友人たちがパーティーを楽しんでいる姿は、私の印象に強く残っています。

——ちなみに、次の新しいアルバムはどんな感じになりそうですか。

ローラ:次のアルバムでは、「Excess」のテーマをさらに掘り下げ、戦争についてももう少し言及したものになると思います。政治的な出来事に対して、人々がどんな反応をし、どう行動するのか。例えば、ある人は怒り、ある人は悲しみ、またある人は無関心を装うかもしれない。そんな、人々の複雑な感情や選択について歌っています。ソーシャルメディアや身近な人々の反応を通じて、同じような経験をしている人が世界中にたくさんいることに気づかされました。

——サウンドについてはどうでしょう?

ローラ:ライブで演奏するような、生のエネルギーをスタジオに持ち込みたいと思っていて。だから「Excess」とはまた違った、ダイナミックなサウンドになると思います。音の一つ一つが際立っていて、普段の私たちのサウンドをさらに昇華させたような感じかな。

イジー:ローレン・ハンフリー(Loren Humphrey)という新しいプロデューサーと一緒に制作していて、彼が全曲共同プロデュースという形で参加してくれています。ニューヨークのダイヤモンド・マインドというスタジオでレコーディングして、彼の家で一緒にミックスしました。全てアナログ機材で音を重ねていって、プラグインはあまり使っていない。そういう意味ではオールドスクールな感じというか、テープで録音したような温かみもありつつ、ちょっとパンクな要素も加わっていて……言葉では表現しにくいんだけど(笑)、生々しくてエッジの効いたサウンドになっていると思います。

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「コーチ」グローバルCMOが語る バッグメーカーから“自己表現のプラットフォーム”への脱皮

米タペストリー傘下の「コーチ(COACH)」はここ数年、老舗レザーブランドとしてのヘリテージを守りながら、着実に進歩を遂げてきた。

高品質な製品を、手に届くリアルな価格で提供する。そんな“アフォーダブル・ラグジュアリー”の先にある価値を追求するため、“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”を合言葉に、Z世代やアルファ世代などの若者の間で共感と支持を広げてきた。

バッグなどの生産工程で派生した端材などを生まれ変わらせて作る姉妹ブランド「コーチトピア(COACHTOPIA)」が象徴的な取り組みの一つだ。世界中のZ世代と「ベータ・コミュニティー」を形成し、サステナブルな価値観や考えを深めている。

「私たちはバッグを作るメーカーから、次世代の若者の自己表現のプラットフォームとして生まれ変わりたい」。そう語るのは、このほど来日した「コーチ」のグローバルチーフマーケティングオフィサー(CMO)であるサンディープ・セス(Sandeep Seth)氏。革製品メーカーを超えた視座でビジネスに取り組む「コーチ」のこれからをサンディープ氏に聞いた。

WWD:まず「コーチ」のグローバルビジネスの概況について聞きたい。

サンディープ・セス「コーチ」グローバルCMO(以下、サンディープ):堅調に成長している。それも健全に、値引きに頼らないビジネスができている。地域別では、まずアジアが好調だ。韓国では一昨年12月に着任した責任者の下で、商品企画の全面ローカライズを行った。また、ラッパーのイ・ヨンジを起用した2023秋のグローバルプロモーションは、現地のセレブのファッションや生活様式などを反映したクリエイティブが反響を呼んだ。

中国はマクロ経済の見通しが厳しいが、同国のZ世代の人口は5000万を超えるほどの規模がある。データ上では、私たちはそのわずか1%しか顧客化できていない。伸び代はまだまだあるということだ。北米もここしばらく景気が後退していたが、状況は良くなっている。ニューヨークの旗艦店のスタッフからは先日、「これまでで(単日の)最高の売り上げを達成した」という報告のメッセージが届いた。そして欧州ではここ2、3年、過去にないほどの伸長率を見せている。

WWD :好調要因をどう分析するか。

サンディープ:ターゲットを的確に理解し、求められている体験を届けられれば、よい反応を得られるということだ。コーチの80年以上のヘリテージは、変化の上では足かせにもなり得る。ときに、「シニアのためのブランド」と捉えられることもあった。だが近年は、次世代にふさわしいブランドに向け、着実なアップデートができている。強みのレザーバッグは、ブランドのヘリテージを大切にしながら若い層に向けて新鮮なエッセンスを提供できている。例えばアイコンバッグの“タビー”(TABBY)はZ世代の関心を引くような、これまでにない色や形の展開を広げた。“ブルックリン”“エンパイア”といった、ブランドのコアを再解釈し、新鮮な要素を取り入れた商品開発にも取り組んでいる。フットウエア、特にスニーカーは次なる柱に成長させられる確信があるから、もっと展開を強化したい。25年春夏のランウエイにも登場したスニーカーの“ソーホー”は私自身も愛用している、すばらしい一足だ。

WWD:ニューヨークで発表した25年春夏コレクションは、自由でポジティブな表現が目を引いた。

サンディープ:それが伝わって何よりだ。私たちは高品質な製品を通じたラグジュアリーな体験を、インクルーシブな価格帯で、なるべく多くの人に提供する。この価値はこれからも変わらないだろう。ただ、商品はあくまでブランドの一部であり、“Courage To Be Real(リアルに生きる勇気)”という我々のパーパスを実現する上での、重要なピースの一つだと捉えている。私たちは3年ほど前から“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”という新しい合言葉の下に変革を進めている。

WWD:“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”とは。

サンディープ:セルフ・エクスプレッション。つまり自己表現をする人に自信を持ってもらえるような、新しい価値のこと。ラグジュアリーはこれまでステータスやロゴが重要視されてきたが、その価値観はZ世代やα世代の中で大きく変容している。彼・彼女たちにとってラグジュアリーとは、「見せびらかし」ではなく、自己表現そのものだ。

今、若い世代は2つの大きな変化の中にいる。一つはソーシャルメディアによる世界の変容。SNSでは、自分たちの行いや思いが全て記述されている。私の子供時代は、私のことは私の周りの友人しか知り得なかったが、今はそこに自分の全てが表現されているわけだ。今の若者は、自己表現への感度や意識が、私たちの子供の頃とまるで違う。

オンラインとオフラインが融和した世界の複雑さが、さまざまな個性や表現を生んでいる。1人のおとなしい若者が、ティックトックだとアグレッシブな性格に変わり、インスタでは別の人格で表現している。そんなことはザラにあるだろう。バーチャルアバターを持っているかもしれない。たくさんの自己表現の形が生まれる中で、「コーチ」は若い世代の自己表現のプラットフォームになりたいと考えている。

自己表現は、「Courage to Be Real」のパーパスを実現する上で欠かせないもの。24年秋冬の“Unlock Your Courage”(自分らしさの、その先へ)』のキャンペーンは、完璧さを求めることは、時に自己表現の妨げになることもあるからこそ、「ありのままの自分を受け入れる勇気を持ってもらいたい」というメッセージを込めた。

WWD:23年にスタートした姉妹ブランド「コーチトピア」は、Z世代を巻き込みながら、サステナビリティに本気でコミットしている。

サンディープ:「コーチトピア」は、「コーチ」のバッグを製造する上で生まれた歯切れから作られている。エンジニアリングに求められる投資や技術力は非常にヘビーなものだが、このようなイノベーションに、商品開発レベルから深く取り組んでいるファッション企業は他にはないと自負している。若い顧客を中心に非常にいいリアクションを頂いていて、発売後はすぐに完売することが多々ある。

「コーチトピア」では、Z世代を巻き込んだ「ベータ・コミュニティー」というグローバルコミュニティーを作っている。ファッション業界が与える環境負荷への課題認識を共有する学生やクリエイター、環境活動家など約200人が所属していて、各地でサステナビリティにまつわる意見交換などを通じ、考えを深めている。これも「自己表現の場」として、コーチが目指すべきモデルケースの一つになっている。

「コーチ」、Z世代200人と共創 循環型ブランド起点に広がるコミュニティー

WWD:新世代の価値観にキャッチアップするためには?

サンディープ:新しいチャレンジを連続すること。多くの人は壊れそうなものがあったら、そっとしておくはずだ。だが私は、まだ壊れていないものがあったら「壊せ」と言う。そこからまた、新しいものを作ることができる。でないと、周りから取り残されてしまう。足を止めてしまってはダメなんだ。今の世の中において物事の移り変わるスピードは加速度的だ。変化を理解し、予測するには、消費者を洞察することが欠かせない。

WWD:「洞察」とは具体的に?

サンディープ:僕はビジネスで「マジック」と「ロジック」という言葉を頻繁に使う。お客さまを魅了するマジック(魔法)を使うには、ビジネスのターゲットについて理解しないと、効力を発揮しない。そのロジック(論理)を理解するための材料がデータだ。ただ、定量調査だけでは足りない。傾向が分かっても、その背景が分からなければ、使い物にならない。だから定性調査、つまりリアルに“人”と接することが必要だ。

私は、オフィスで腰を落ち着けていることはあまりない。世界を飛び回り、各国のお客さまの自宅を訪問し、今の生活についてや憧れ、リアルな思いを聞いている。クローゼットの中身も見せてもらう。服を着たとき、バッグを持ったときにどういう気持ちになるか?を聞く。もちろん、お買い物にも同行させていただく。お客さま1人と4、5時間を一緒に過ごしていることはザラだ。

この前はソウルで、男の子のコンピューターゲームの集まりについて行って、若者たちに怪訝な目で見られたよ(笑)。福岡では24歳の女性に会って、ひどく感銘を受けた。彼女は学校を中退していて、ソーシャルメディアで2万人のフォロワーがいた。彼女が世の中をどういうふうに見ているかを話してくれた。きっとこの世代だったら、世界のあらゆることを変えられると感じた。そして、私の家にいる2人のZ世代、19歳の息子と14歳の娘からも常に学ぼうとしている。

WWD:若者たちから感じることは?

サンディープ:みんな、葛藤している。自己表現はしたいけれど、周りが受け止めてくれるかどうか?と悩んでいる。服をどう着こなし、どう行動したらいいか分からない。一歩が踏み出せないんだ。だから「コーチ」は彼・彼女たちに寄り添える、自己表現のプラットフォームになりたい。自信を持って自己表現するための、インスピレーション源になりたい。

だからバッグマーケットのシェアをひたすら奪取しようという視点からは、もうすでに離れている。「コーチ」といえば“バッグ”ではなく、“自己表現の場所”。皆さんからそう思ってもらえることを、心から望んでいるんだ。

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深川麻衣 × 若葉竜也 映画「嗤う蟲」で感じた「城定監督のすごさ」——「みんなの想像を超えてくる」

PROFILE: 右:深川麻衣/俳優 左:若葉竜也/俳優

PROFILE: (ふかがわ・まい)1991年生まれ、静岡県出身。2017年舞台「スキップ」で初主演。18年には主演映画「パンとバスと2度目のハツコイ」でTAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞。主な出演作として、「愛がなんだ」(19)、「水曜日が消えた」(20)、「今はちょっと、ついてないだけ」(22)、「パレード」(24)などがある。「おもいで写眞」(21)、「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」(23)では主演を務めた。「他と信頼と」(24)、朗読劇「ハロルドとモード」(24)など舞台でも活躍の幅を広げている。 (わかば・りゅうや)1989年生まれ、東京都出身。「葛城事件」(16)での鬼気迫る芝居で注目を集め、第8回TAMA映画賞・最優秀新進男優賞を受賞。「愛がなんだ」(19)や「街の上で」(21)、「窓辺にて」(22)など今泉力哉監督作品で欠かせない存在に。近年の出演作として、「ちひろさん」(23)、「愛にイナズマ」(23)、「市子」(23)、「ペナルティループ」(24)、「ぼくのお日さま」(24)。ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」(24)では、第120回ザテレビジョン・ドラマアカデミー賞・最優秀助演男優賞、東京ドラマアウォード 2024 助演男優賞を受賞。

城定秀夫(じょうじょう・ひでお)監督の快進撃が止まらない。青春映画「アルプススタンドのはしの方」(2020)や、恋愛映画「夜、鳥たちが啼く」(22)、ラブコメディー「愛なのに」(22)などジャンルを自由自在に行き来しながら、人間を深く活写する。2020年以降だけでもなんと16本の商業長編映画を監督している多作ぶりに驚かされる。

その城定監督の最新作「嗤う蟲(わらうむし)」が現在公開中だ。スローライフに憧れて田舎の村に移住したイラストレーターの杏奈(深川麻衣)と、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)のカップルが、村の掟に追い詰められていく姿を描くヴィレッジスリラー。

ジャンル映画でありながら、ありえないことが何一つないリアリティーにより、観客が自分事として没入できるこれぞエンターテインメント。現場を体験した深川と若葉へのインタビューから、城定秀夫監督のクリエイティブの秘密に迫る。

「嗤う蟲」の撮影について

——「嗤う蟲」に出演するにあたり、興味を惹かれた、もしくはやりがいを感じたポイントをお聞かせください。

深川麻衣(深川):サスペンスやミステリーを題材にしたものがもともと好きで、映画やドラマ、小説で楽しんでいました。閉鎖的な村を舞台にした作品がいろいろ作られてきた中で、「嗤う蟲」の後半で明らかになっていく、村の人たちが隠している秘密に対する着眼点に惹かれました。今までありそうでなかったなって。城定監督と初めてご一緒できることもうれしかったです。

若葉竜也(若葉):城定さんに対してずっと興味があったんです。今は大作も撮ってますけど、もともと割とアンダーグラウンドな場所で戦っていたイメージがあったので。その城定さんと、しっかりとメインストリームに君臨している深川麻衣という女優が一緒にやったときに、どんな化学反応が起きるのかなということに一番興味がありました。

——城定監督が現場ではどんな演出をするのか、とても興味があります。

若葉:「自由にやってください」みたいな感じでしたね。

深川:そんなに細かい演出はなくて、ピンポイントで入る程度なんですけど、それがすごく的確でした。杏奈がリモートで(担当の編集者と)打ち合わせしているシーンで、本番直前に「貧乏ゆすりをずっとしててほしい」と言われて。「どう撮るのかな、上半身と下半身のカットを分けるのかな」と思っていたら、貧乏ゆすりしている足元から愛想笑いしている顔までを、カメラがスーッと動いてワンカットで撮影したんです。すごく面白いなと思いました。

——あのカメラワーク、面白かったです。杏奈の貧乏ゆすりも強烈でした。

若葉:すごく長いシーンでも、ほとんどワンシーンをワンカットで撮ってました。「この尺感で、必要なものは全てフレームに詰め込める」という計算がある程度あるんだな、自信があるんだな、と思いました。段取りとテストを同時にやって、アングルも城定さんの中でほぼ決まっているからすぐに本番へ。毎日3時間くらい予定より早く終わってました。

深川:城定さんはすでに頭の中に絵が見えていたと思うのですが、ライブ感を大切にしていて、しっかりとお芝居を見ていてくださいました。家の軒先に蜘蛛の巣ができていたときは、蜘蛛の巣越しのカットにしようとか、現場でそのときの環境やお芝居を見て決めていくんです。トントントンっと撮影が進んでいくけれど、丁寧に撮るところはちゃんと時間をかけて準備をする。その進み方が心地よかったです。

若葉:アクションシーンだったらテストや段取りを積み重ねた方がいいと思いますし、感情的なシーンだったらテイク数もアングルも少なくしてほしいというのが役者の願いではあると思います。今回は(田口)トモロヲさんや松浦(祐也)さんといった(村の住民を演じる)個性豊かな俳優さんたちがどんなことをやってくるのか分からなかったので、それに対する生っぽいリアクションも撮れるという意味では、このスピード感は大切だったように感じます。

——村の人たちが仕掛けてくるものをいかに受けていくか、というお芝居だった。

若葉:そうですね。僕らは余計なことはしなかったです。

深川:基本、受け身でした。村人のみなさんの言動があってこそのリアクションだったので。ナチュラルに、余計なことをしないように。

若葉:みなさん全然違う毛色のお芝居でした。全員の演技を間近で見ることができたのは、特権だったかなと思います。

深川:台本を読んでいただけでは想像できなかったお芝居やアプローチがみなさんからどんどん飛び出してくるので、そこに新鮮な気持ちで反応していくという体験が面白かったです。

——特に強烈だった俳優さんはいますか?

若葉:僕は接する場面が多かったので、(自治会長の田久保役の)トモロヲさんですね。トモロヲさんはもともとばちかぶりというパンクバンドで大暴れしていた人で。すごく優しいし腰も低いけど、その中に潜んでいる狂気みたいなものがあって。それに触れた瞬間は、今までに触ったことのないものに触ってしまった、という感覚があってゾッとしました。

「作品に対してどう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事」

——杏奈と輝道が追い込まれてじわじわと変化していく様がそれぞれにリアルでした。終盤の杏奈は顔の面積の中で白目部分が占める割合が大きいというか、目がぎょろぎょろしていて異様というか…。多少体重を落としたり、特殊メイクをしたりしましたか?

深川:いえ、特別なことは何もしていないです。仕上がったものを見て、すごい顔をしているなと自分でも思いました(笑)。ジャンルレスな映画ということになっていますが、こういうヴィレッジスリラー的な題材のものはやはり、監督によっては分かりやすいお芝居を求められるときもあると思うんです。「もっと強く、分かりやすく気持ちを表現して」と。でも今回はかなり繊細にやらせていただけました。

——輝道の全身から漂う「諦めていく感じ」も素晴らしかったです。

若葉:作為的なものを入れることでもないなと思っていたので、台本に書かれている通りにやりました。あと、ロケ地があまり自分に合ってなかったです。その場所に行くのがどんどん嫌になっていったので、自分の精神と肉体が役とリンクしていた感じはあります。

深川:心霊体験もしてましたよね。

若葉:晴れていても暗い、閉鎖的な場所だったので、早く帰りたかったです(笑)。

深川:私は撮影した場所が緑が多くて、自然が好きなので生き生きしてました。

——受け取り方が全然違いますね(笑)。お2人は「愛がなんだ」(18/今泉力哉監督)以来の共演となります。今回は夫婦役ということで、どのように役柄の関係性をつくっていきましたか?

若葉:夫婦だから特別どうこうしようということはなかったです。夫婦も所詮他人なので、対人間として呼応していきました。

深川:特に「このシーンをこうしよう」とか話したわけではなく。でも、「愛がなんだ」で共演した経験から、何をやっても受け止めてくれるという信頼感と安心感が土台にありました。言い合いや殴るシーンもあったんですけど、若葉くんだから思い切り気持ちをぶつけることができました。

——若葉さんは過去のインタビューで、主演する作品では脚本の打ち合わせに入ることが多いとおっしゃっていました。今回は何か提案しましたか?

若葉:台詞の中の抽象を具象にしていきました。例えば「コンビニに行ってくるわ」という台詞があったとしたら、「セブン(イレブン)行ってくるわ」にした方が見てる人たちの環境と地続きになると思うんです。一つの接点になるというか。今回は「台詞の『電子タバコ』を『IQOS』にできますか?」という相談はしました。その作品に対してどういう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事だと思うので。

——深川さんは杏奈について提案したことはありますか?

深川:いくつかの台詞について「こう言った方が分かりやすいですかね?」という相談はしました。あと、今回杏奈は途中で出産するんですけど、世の中のお母さんが見たときに、杏奈の言動に違和感を持ってほしくないなと思って。出産経験のあるお友達に話を聞きました。(田久保の妻の)よしこさんがおせっかいで赤ちゃんの面倒を見に来ることになるシーンで、本当は嫌だけれどよしこさんに任せて、杏奈は2階で仕事をしてて。しばらくして杏奈が下に降りていくと、よしこさんがミルクを勝手にあげている。「何してるんですか!」と怒って、赤ちゃんを取り戻すんですけど、そのときの不快感ってどのぐらいなんだろうって。そこでお芝居として大きな嫌悪を出さなければいけない場合、そもそも目を離して仕事をしていることが違和感にならないかなと考えました。「第1子だったら特に慎重になるから、離れるときはベビーカメラを付けて見てたりするよ」という人もいて。この夫婦はスローライフに憧れてはいるけれどデジタルに頼っているところもあるので、ベビーカメラがあっても不思議じゃないのかなと思って、提案してみたりしました。

城定監督のすごさ

——城定監督の現場を体験したお2人から見て、監督が近年ハイペースで映画を撮ることができるのはなぜだと思いますか?

若葉:城定さんと1回プライベートでご飯を食べに行ったとき、「なんでこんなに急にとんでもない数の映画を撮り出したんですか?」と聞いたら、「いや分かんないけど、撮るスピードが速いし、予算もそんなかかんないし、プロデューサーからしたら便利なんじゃない?」と言ってました(笑)。でもそれだけじゃないですよね。やっぱりみんなの想像を超えるからじゃないでしょうか。僕も、撮影中と試写を見てからでこの映画の印象が変わりました。自分が思っていたリズムでは全然なかったんです。「あ、このリズムがこの人には見えていたんだ」と。正直、現場では「こんなにもワンカットでいっていいのかな」と不安になることが多かったんですけど、本編を見たら全くそんな心配はいらなかったことが分かりました。出来を見て「また一緒に仕事したいな」と思える監督は最高だと思います。

深川:演出と、判断の的確さが本当にすごいなと思います。私も今回ワンカット・ワンシーンが多かったので、つながったときにどういう映像になるのか全然想像がつかなくて。もうちょっとスローテンポの作品になるのかなと思ったんですけど(うなずく若葉)、試写を見たら、つなぎ方や間に入れるちょっとしたショットで、見ている人がハッとさせられたり、緊迫感のある不気味な空気が漂うシーンになっていました。城定さんは撮影しながら頭の中でこれをイメージできていたのか、という驚きがありました。

2024年を振り返って

——2024年は若葉さんにとって激動の年になったのではないでしょうか。「アンメット」で6年ぶりに民放の連ドラに出演し、「東京ドラマアウォード2024」で助演男優賞を受賞。「大きな転機になった作品だと思っています。良くも悪くもかもしれないですが」という受賞コメントが印象的です。これからどういう作品に出ていきたいかがより明確になりましたか?

若葉:激動でしたけど、自分の指針がブレることはまずないです。ただ、転機ということでいうと、生活しづらくなったなって(苦笑)。収入が爆発的に上がったわけでもないし、デメリットの方が大きいんですよね。顔が知られてしまって。

深川:世の中に。

若葉:そう。面倒くさいことの方が多くなりました。ただ、まだ解禁になってないんですけど、昨年末まで撮影していた作品で、自分が目標にしていた場所にたどり着いた感じがあったんです。

深川:そうなんですね。

若葉:演技に関してではなくて、「こんな人たちと、こんな風に、こんな作品を」というものを作れたんじゃないかと少し思えたんです。今から環境を変えるということではないですけど、ちょっと自分を裏切っていきたいなというか、視点を少し変えて違うステージを見つめていきたいな、みたいなことはぼんやりとは思いました。

——情報解禁が楽しみです。深川さんは何か転機や心境の変化はありましたか?

深川:2024年でいうと、3年ぶりに舞台ができたことが大きかったです。舞台はかなり気合を入れないと、本当に自分を奮い立たせないと怖くてできない場所なんです。今まで私が出演した舞台はコメディータッチのものが多かったんですけど、日常に沿うような舞台をやってみたいと思っていて、そういう題材の作品(「他と信頼と」)でたまたまオファーをいただけて、できたことが大きかったです。立て続けに朗読劇「ハロルドとモード」にも出ることができました。お話自体も大好きでしたし、ご一緒した黒柳徹子さんが「100歳まで舞台に立ちたい」とおっしゃっていて、本当にすてきでした。

若葉:(真剣な表情で)うん。

深川:2時間出ずっぱりですごくパワーも使う中、立ち居振る舞いも、誰に対しても同じ目線で話してくださるところも、とてもチャーミングでした。自分は100歳までできないかもしれないですけど、お仕事でも趣味でも意識して好きなものを探求していかないと駄目だなと思いました。「なんかないかなー」ではなくて、自分から意識して選択して、充実させて、ずっと新鮮な気持ちでやる。それが大事だなと思った年でした。

——昨年は若葉さんがメインストリームに再合流した年だったわけですが、できれば普段は地下に潜っていたい?

若葉:僕はそうですね。できることなら、メディアとかテレビとか一切出たくないですね(笑)。出ることで収入が150倍くらいになったらいいですけど、そんな感じでもないし。聖人君子か、聞き分けのいい子以外はめんどくさい人として扱われる世界なんで、僕は向いてないんですよね。

深川:うん(笑)。

若葉:この業界がこのままの方向に進んでいくんだったら、興味ないなという感じではあります。ただ、今はできることをやろうかなとは、ぼんやりとは思っています。

——その業界のメインストリームで戦ってきた深川さんのことはどうご覧になっていますか?

若葉:多分ご本人の中で嫌なこともあったとは思うんですけど、表舞台に立ってきた人の強さを感じます。迷いながらも戦ってきた面構えというか、懐の深さを感じました。深川麻衣さんと城定監督、そして曲者ぞろいの役者たち、すてきな化学反応を特等席で見せてもらいました。

——深川さん、曲者たちに全然負けていなかったです。

若葉:いやむしろ(笑)。

深川:ありがとうございます。でも私は全然メインストリームじゃないですよ!(笑)。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLING:[MAI FUKAGAWA]YAMAGUCHI KAHO、[RYUYA WAKABA]TOSHIO TAKEDA(MILD)
HAIR & MAKEUP:[MAI FUKAGAWA] AYA MURAKAMI
HAIR:[RYUYA WAKABA]ASASHI(ota office)

映画「嗤う蟲」

■映画「嗤う蟲」
全国公開中
出演:深川麻衣
若葉竜也
松浦祐也 片岡礼子 中山功太 / 杉田かおる
田口トモロヲ
監督:城定秀夫
脚本:内藤瑛亮、城定秀夫
音楽:ゲイリー芦屋
編集:城定秀夫
配給:ショウゲート
製作プロダクション:ダブ
2024年/日本/カラー/99分/5.1ch/シネスコ/PG-12
Ⓒ2024 映画「嗤う蟲」製作委員会
https://waraumushi.jp

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深川麻衣 × 若葉竜也 映画「嗤う蟲」で感じた「城定監督のすごさ」——「みんなの想像を超えてくる」

PROFILE: 右:深川麻衣/俳優 左:若葉竜也/俳優

PROFILE: (ふかがわ・まい)1991年生まれ、静岡県出身。2017年舞台「スキップ」で初主演。18年には主演映画「パンとバスと2度目のハツコイ」でTAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞。主な出演作として、「愛がなんだ」(19)、「水曜日が消えた」(20)、「今はちょっと、ついてないだけ」(22)、「パレード」(24)などがある。「おもいで写眞」(21)、「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」(23)では主演を務めた。「他と信頼と」(24)、朗読劇「ハロルドとモード」(24)など舞台でも活躍の幅を広げている。 (わかば・りゅうや)1989年生まれ、東京都出身。「葛城事件」(16)での鬼気迫る芝居で注目を集め、第8回TAMA映画賞・最優秀新進男優賞を受賞。「愛がなんだ」(19)や「街の上で」(21)、「窓辺にて」(22)など今泉力哉監督作品で欠かせない存在に。近年の出演作として、「ちひろさん」(23)、「愛にイナズマ」(23)、「市子」(23)、「ペナルティループ」(24)、「ぼくのお日さま」(24)。ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」(24)では、第120回ザテレビジョン・ドラマアカデミー賞・最優秀助演男優賞、東京ドラマアウォード 2024 助演男優賞を受賞。

城定秀夫(じょうじょう・ひでお)監督の快進撃が止まらない。青春映画「アルプススタンドのはしの方」(2020)や、恋愛映画「夜、鳥たちが啼く」(22)、ラブコメディー「愛なのに」(22)などジャンルを自由自在に行き来しながら、人間を深く活写する。2020年以降だけでもなんと16本の商業長編映画を監督している多作ぶりに驚かされる。

その城定監督の最新作「嗤う蟲(わらうむし)」が現在公開中だ。スローライフに憧れて田舎の村に移住したイラストレーターの杏奈(深川麻衣)と、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)のカップルが、村の掟に追い詰められていく姿を描くヴィレッジスリラー。

ジャンル映画でありながら、ありえないことが何一つないリアリティーにより、観客が自分事として没入できるこれぞエンターテインメント。現場を体験した深川と若葉へのインタビューから、城定秀夫監督のクリエイティブの秘密に迫る。

「嗤う蟲」の撮影について

——「嗤う蟲」に出演するにあたり、興味を惹かれた、もしくはやりがいを感じたポイントをお聞かせください。

深川麻衣(深川):サスペンスやミステリーを題材にしたものがもともと好きで、映画やドラマ、小説で楽しんでいました。閉鎖的な村を舞台にした作品がいろいろ作られてきた中で、「嗤う蟲」の後半で明らかになっていく、村の人たちが隠している秘密に対する着眼点に惹かれました。今までありそうでなかったなって。城定監督と初めてご一緒できることもうれしかったです。

若葉竜也(若葉):城定さんに対してずっと興味があったんです。今は大作も撮ってますけど、もともと割とアンダーグラウンドな場所で戦っていたイメージがあったので。その城定さんと、しっかりとメインストリームに君臨している深川麻衣という女優が一緒にやったときに、どんな化学反応が起きるのかなということに一番興味がありました。

——城定監督が現場ではどんな演出をするのか、とても興味があります。

若葉:「自由にやってください」みたいな感じでしたね。

深川:そんなに細かい演出はなくて、ピンポイントで入る程度なんですけど、それがすごく的確でした。杏奈がリモートで(担当の編集者と)打ち合わせしているシーンで、本番直前に「貧乏ゆすりをずっとしててほしい」と言われて。「どう撮るのかな、上半身と下半身のカットを分けるのかな」と思っていたら、貧乏ゆすりしている足元から愛想笑いしている顔までを、カメラがスーッと動いてワンカットで撮影したんです。すごく面白いなと思いました。

——あのカメラワーク、面白かったです。杏奈の貧乏ゆすりも強烈でした。

若葉:すごく長いシーンでも、ほとんどワンシーンをワンカットで撮ってました。「この尺感で、必要なものは全てフレームに詰め込める」という計算がある程度あるんだな、自信があるんだな、と思いました。段取りとテストを同時にやって、アングルも城定さんの中でほぼ決まっているからすぐに本番へ。毎日3時間くらい予定より早く終わってました。

深川:城定さんはすでに頭の中に絵が見えていたと思うのですが、ライブ感を大切にしていて、しっかりとお芝居を見ていてくださいました。家の軒先に蜘蛛の巣ができていたときは、蜘蛛の巣越しのカットにしようとか、現場でそのときの環境やお芝居を見て決めていくんです。トントントンっと撮影が進んでいくけれど、丁寧に撮るところはちゃんと時間をかけて準備をする。その進み方が心地よかったです。

若葉:アクションシーンだったらテストや段取りを積み重ねた方がいいと思いますし、感情的なシーンだったらテイク数もアングルも少なくしてほしいというのが役者の願いではあると思います。今回は(田口)トモロヲさんや松浦(祐也)さんといった(村の住民を演じる)個性豊かな俳優さんたちがどんなことをやってくるのか分からなかったので、それに対する生っぽいリアクションも撮れるという意味では、このスピード感は大切だったように感じます。

——村の人たちが仕掛けてくるものをいかに受けていくか、というお芝居だった。

若葉:そうですね。僕らは余計なことはしなかったです。

深川:基本、受け身でした。村人のみなさんの言動があってこそのリアクションだったので。ナチュラルに、余計なことをしないように。

若葉:みなさん全然違う毛色のお芝居でした。全員の演技を間近で見ることができたのは、特権だったかなと思います。

深川:台本を読んでいただけでは想像できなかったお芝居やアプローチがみなさんからどんどん飛び出してくるので、そこに新鮮な気持ちで反応していくという体験が面白かったです。

——特に強烈だった俳優さんはいますか?

若葉:僕は接する場面が多かったので、(自治会長の田久保役の)トモロヲさんですね。トモロヲさんはもともとばちかぶりというパンクバンドで大暴れしていた人で。すごく優しいし腰も低いけど、その中に潜んでいる狂気みたいなものがあって。それに触れた瞬間は、今までに触ったことのないものに触ってしまった、という感覚があってゾッとしました。

「作品に対してどう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事」

——杏奈と輝道が追い込まれてじわじわと変化していく様がそれぞれにリアルでした。終盤の杏奈は顔の面積の中で白目部分が占める割合が大きいというか、目がぎょろぎょろしていて異様というか…。多少体重を落としたり、特殊メイクをしたりしましたか?

深川:いえ、特別なことは何もしていないです。仕上がったものを見て、すごい顔をしているなと自分でも思いました(笑)。ジャンルレスな映画ということになっていますが、こういうヴィレッジスリラー的な題材のものはやはり、監督によっては分かりやすいお芝居を求められるときもあると思うんです。「もっと強く、分かりやすく気持ちを表現して」と。でも今回はかなり繊細にやらせていただけました。

——輝道の全身から漂う「諦めていく感じ」も素晴らしかったです。

若葉:作為的なものを入れることでもないなと思っていたので、台本に書かれている通りにやりました。あと、ロケ地があまり自分に合ってなかったです。その場所に行くのがどんどん嫌になっていったので、自分の精神と肉体が役とリンクしていた感じはあります。

深川:心霊体験もしてましたよね。

若葉:晴れていても暗い、閉鎖的な場所だったので、早く帰りたかったです(笑)。

深川:私は撮影した場所が緑が多くて、自然が好きなので生き生きしてました。

——受け取り方が全然違いますね(笑)。お2人は「愛がなんだ」(18/今泉力哉監督)以来の共演となります。今回は夫婦役ということで、どのように役柄の関係性をつくっていきましたか?

若葉:夫婦だから特別どうこうしようということはなかったです。夫婦も所詮他人なので、対人間として呼応していきました。

深川:特に「このシーンをこうしよう」とか話したわけではなく。でも、「愛がなんだ」で共演した経験から、何をやっても受け止めてくれるという信頼感と安心感が土台にありました。言い合いや殴るシーンもあったんですけど、若葉くんだから思い切り気持ちをぶつけることができました。

——若葉さんは過去のインタビューで、主演する作品では脚本の打ち合わせに入ることが多いとおっしゃっていました。今回は何か提案しましたか?

若葉:台詞の中の抽象を具象にしていきました。例えば「コンビニに行ってくるわ」という台詞があったとしたら、「セブン(イレブン)行ってくるわ」にした方が見てる人たちの環境と地続きになると思うんです。一つの接点になるというか。今回は「台詞の『電子タバコ』を『IQOS』にできますか?」という相談はしました。その作品に対してどういう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事だと思うので。

——深川さんは杏奈について提案したことはありますか?

深川:いくつかの台詞について「こう言った方が分かりやすいですかね?」という相談はしました。あと、今回杏奈は途中で出産するんですけど、世の中のお母さんが見たときに、杏奈の言動に違和感を持ってほしくないなと思って。出産経験のあるお友達に話を聞きました。(田久保の妻の)よしこさんがおせっかいで赤ちゃんの面倒を見に来ることになるシーンで、本当は嫌だけれどよしこさんに任せて、杏奈は2階で仕事をしてて。しばらくして杏奈が下に降りていくと、よしこさんがミルクを勝手にあげている。「何してるんですか!」と怒って、赤ちゃんを取り戻すんですけど、そのときの不快感ってどのぐらいなんだろうって。そこでお芝居として大きな嫌悪を出さなければいけない場合、そもそも目を離して仕事をしていることが違和感にならないかなと考えました。「第1子だったら特に慎重になるから、離れるときはベビーカメラを付けて見てたりするよ」という人もいて。この夫婦はスローライフに憧れてはいるけれどデジタルに頼っているところもあるので、ベビーカメラがあっても不思議じゃないのかなと思って、提案してみたりしました。

城定監督のすごさ

——城定監督の現場を体験したお2人から見て、監督が近年ハイペースで映画を撮ることができるのはなぜだと思いますか?

若葉:城定さんと1回プライベートでご飯を食べに行ったとき、「なんでこんなに急にとんでもない数の映画を撮り出したんですか?」と聞いたら、「いや分かんないけど、撮るスピードが速いし、予算もそんなかかんないし、プロデューサーからしたら便利なんじゃない?」と言ってました(笑)。でもそれだけじゃないですよね。やっぱりみんなの想像を超えるからじゃないでしょうか。僕も、撮影中と試写を見てからでこの映画の印象が変わりました。自分が思っていたリズムでは全然なかったんです。「あ、このリズムがこの人には見えていたんだ」と。正直、現場では「こんなにもワンカットでいっていいのかな」と不安になることが多かったんですけど、本編を見たら全くそんな心配はいらなかったことが分かりました。出来を見て「また一緒に仕事したいな」と思える監督は最高だと思います。

深川:演出と、判断の的確さが本当にすごいなと思います。私も今回ワンカット・ワンシーンが多かったので、つながったときにどういう映像になるのか全然想像がつかなくて。もうちょっとスローテンポの作品になるのかなと思ったんですけど(うなずく若葉)、試写を見たら、つなぎ方や間に入れるちょっとしたショットで、見ている人がハッとさせられたり、緊迫感のある不気味な空気が漂うシーンになっていました。城定さんは撮影しながら頭の中でこれをイメージできていたのか、という驚きがありました。

2024年を振り返って

——2024年は若葉さんにとって激動の年になったのではないでしょうか。「アンメット」で6年ぶりに民放の連ドラに出演し、「東京ドラマアウォード2024」で助演男優賞を受賞。「大きな転機になった作品だと思っています。良くも悪くもかもしれないですが」という受賞コメントが印象的です。これからどういう作品に出ていきたいかがより明確になりましたか?

若葉:激動でしたけど、自分の指針がブレることはまずないです。ただ、転機ということでいうと、生活しづらくなったなって(苦笑)。収入が爆発的に上がったわけでもないし、デメリットの方が大きいんですよね。顔が知られてしまって。

深川:世の中に。

若葉:そう。面倒くさいことの方が多くなりました。ただ、まだ解禁になってないんですけど、昨年末まで撮影していた作品で、自分が目標にしていた場所にたどり着いた感じがあったんです。

深川:そうなんですね。

若葉:演技に関してではなくて、「こんな人たちと、こんな風に、こんな作品を」というものを作れたんじゃないかと少し思えたんです。今から環境を変えるということではないですけど、ちょっと自分を裏切っていきたいなというか、視点を少し変えて違うステージを見つめていきたいな、みたいなことはぼんやりとは思いました。

——情報解禁が楽しみです。深川さんは何か転機や心境の変化はありましたか?

深川:2024年でいうと、3年ぶりに舞台ができたことが大きかったです。舞台はかなり気合を入れないと、本当に自分を奮い立たせないと怖くてできない場所なんです。今まで私が出演した舞台はコメディータッチのものが多かったんですけど、日常に沿うような舞台をやってみたいと思っていて、そういう題材の作品(「他と信頼と」)でたまたまオファーをいただけて、できたことが大きかったです。立て続けに朗読劇「ハロルドとモード」にも出ることができました。お話自体も大好きでしたし、ご一緒した黒柳徹子さんが「100歳まで舞台に立ちたい」とおっしゃっていて、本当にすてきでした。

若葉:(真剣な表情で)うん。

深川:2時間出ずっぱりですごくパワーも使う中、立ち居振る舞いも、誰に対しても同じ目線で話してくださるところも、とてもチャーミングでした。自分は100歳までできないかもしれないですけど、お仕事でも趣味でも意識して好きなものを探求していかないと駄目だなと思いました。「なんかないかなー」ではなくて、自分から意識して選択して、充実させて、ずっと新鮮な気持ちでやる。それが大事だなと思った年でした。

——昨年は若葉さんがメインストリームに再合流した年だったわけですが、できれば普段は地下に潜っていたい?

若葉:僕はそうですね。できることなら、メディアとかテレビとか一切出たくないですね(笑)。出ることで収入が150倍くらいになったらいいですけど、そんな感じでもないし。聖人君子か、聞き分けのいい子以外はめんどくさい人として扱われる世界なんで、僕は向いてないんですよね。

深川:うん(笑)。

若葉:この業界がこのままの方向に進んでいくんだったら、興味ないなという感じではあります。ただ、今はできることをやろうかなとは、ぼんやりとは思っています。

——その業界のメインストリームで戦ってきた深川さんのことはどうご覧になっていますか?

若葉:多分ご本人の中で嫌なこともあったとは思うんですけど、表舞台に立ってきた人の強さを感じます。迷いながらも戦ってきた面構えというか、懐の深さを感じました。深川麻衣さんと城定監督、そして曲者ぞろいの役者たち、すてきな化学反応を特等席で見せてもらいました。

——深川さん、曲者たちに全然負けていなかったです。

若葉:いやむしろ(笑)。

深川:ありがとうございます。でも私は全然メインストリームじゃないですよ!(笑)。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLING:[MAI FUKAGAWA]YAMAGUCHI KAHO、[RYUYA WAKABA]TOSHIO TAKEDA(MILD)
HAIR & MAKEUP:[MAI FUKAGAWA] AYA MURAKAMI
HAIR:[RYUYA WAKABA]ASASHI(ota office)

映画「嗤う蟲」

■映画「嗤う蟲」
全国公開中
出演:深川麻衣
若葉竜也
松浦祐也 片岡礼子 中山功太 / 杉田かおる
田口トモロヲ
監督:城定秀夫
脚本:内藤瑛亮、城定秀夫
音楽:ゲイリー芦屋
編集:城定秀夫
配給:ショウゲート
製作プロダクション:ダブ
2024年/日本/カラー/99分/5.1ch/シネスコ/PG-12
Ⓒ2024 映画「嗤う蟲」製作委員会
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中国コスメ「フローラシス」が初の海外旗艦店をギンザシックスにオープン 25店舗体制目指し出店加速

中国コスメ「フローラシス(花西子、FLORASIS)」は1月27日、初となる海外旗艦店をギンザシックスにオープンした。中国の伝統文化と古典美学を商品パッケージやデザインを施した国内外で人気のカラーメイク、スキンケア、フレグランスを集積。店舗限定商品などもそろえる。

「フローラシス」は2017年に誕生。日本は21年に初の国外進出としてアマゾンに出店。日本を重要なマーケティング市場と捉え23年からオフライン展開を強化する。百貨店などでポップアップを実施し顧客とのタッチポイントを増やしてきた。現在、アットコスメストア3店舗にコーナー展開するが同ブランドを手がける杭州宜格化粧品の任剛睿(ニン・コウエイ)=共同創業者は「ブランドの世界観を表現するスペースを十分に確保できていない」ことから旗艦店を開設した。

「フローラシス」のギンザシックス店の売り場面積は約52㎡。店舗は白を基調に、ブランドカラーで中国古代の女性が眉を描くために使用していた黛色(たいしょく)を随所に採用した。店舗のコンセプトは中国伝統の庭園である隠園(いんえん)。来店者に安らぎの時間を提供したいという思いが込められている。店舗中央部に位置するディスプレー台は中国の湖と山々の美しい景色を再現した曲水流觴台(きょくすいりゅうしょうだい)を備え、オープン記念として66個限定の手縫刺繍コレクション(5アテイム入、4万9500円)ほか、オフライン限定商品などをそろえている。

店内は、ブランドを代表する“百花同心錠 彫刻リップ”(6270円)や“京劇彫刻マルチパレット”(7920円)、“玉養桃花 ルースパウダー”(4620円)、“桃顔純潤 クリーム&フェイスベース”(7980円)などカラーメイク70%、スキンケア・フレグランス30%で構成する。タッチアップスペースを3席用意し、事前予約制で中国風メイクの体験サービスを提供する。

タッチポイント増やし、28年までに25店舗体制へ

任共同創業者が旗艦店開設に伴い来日。旗艦店への思いやブランドの未来像を語った。

WWD:海外初の旗艦店を日本で展開する狙いは。

任剛睿・杭州宜格化粧品共同創業者(以下、任):「フローラシス」をグローバルブランドに育成する中で、日本をマーケティング市場として注視する。リテールを重要視する日本でポップアップを積極的に開催してきた。今回、富裕層の訪日客が多く訪れるギンザシックスから出店のオファーをもらい、中国の伝統文化と古典美学が大切にするブランドストーリーが伝えやすく、サービスの提供ができるとして旗艦店をオープンした。実店舗1号店で旗艦店を22年12月に杭州・西湖に開設。売り場面積は約1000㎡でフルラインアップを展開するが、ギンザシックス店では日本で好調なアイテムを中心に本国旗艦店の7割程度の品ぞろえとした。

WWD:日本の旗艦店に期待することは。

任:顧客層は25歳前後を軸に18〜40歳と幅広い。中国伝統漢方の知恵と現代の美学を融合した製品を支持してくれている。店舗で中国風メイクサービスを提供するなどブランドの文化価値が伝わる取り組みを強めていく。売り上げ目標は非公表だが、旗艦店という新たな挑戦に期待を寄せている。

SNS発信と旗艦店が転機に

WWD:ブランドの転機は。

任:19年に中国伝統文化的なコンテンツをSNSで発信したこと。多くの女性が拡散してくれ、ブランドの知名度が向上した。そのほか、22年に中国で旗艦店出店したことも節目となった。顧客の生の声を聞くことができ、ブランドへの深度を高めることができた。

WWD:販売網が広がっている。

任:現在110カ国でオンライン販売を行なっている。売り上げ上位国は中国が1位で、日本とアメリカ、東南アジアと続く。全社の売上高は右肩上がりで成長している。

WWD:日本市場をどう捉えているのか。

任:上陸初日にアイコン商品の“百花同心錠 彫刻リップ”(5600円)が3時間で完売するなど、コロナ禍での進出だったがオンラインで展開したため初年度から好調に推移した。一方で「実際に製品を試したい」という顧客も増えたためリテール出店を強化中だ。28年までに25店舗体制を確立したい。

製品は年1〜3回見直しを行うが、その際に大切にするのは顧客のニーズを反映、最新技術を搭載、デザイン・美学の体験価値の提供だ。中国の伝統文化に触れたいと感じてくれる顧客は多いが、足りないのは日本のユーザーの声。リテールを強化することで日本のニーズを汲み取りローカライズした製品が展開できれば、日本での存在価値を高められるだろう。

WWD:今後注力する国は。

任:フランスとシンガポールだ。中国の伝統技法を表現した製品は、多くの女性を魅了できると信じている。

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「アニエスベー」×「ヘリーハンセン」 日本の漁港で発生した廃棄漁網由来の素材などを採用

ゴールドウインが展開するノルウェー発のマリンウエアブランド「ヘリーハンセン(HELLY HANSEN)」は、「アニエスベー(AGNES B.)」とコラボレーションし海洋問題をテーマに据えた日本限定コレクションを発売した。両ブランドがタッグを組むのは初。モリトアパレルが開発した廃棄漁網を原料にしたリサイクルナイロン「ミューロン(MURON)」や、東南アジア沿岸に漂着した廃棄ペットボトル由来のポリエステルなどを用いたユニセックスアイテム10型とキッズアイテム8型で、「アニエスベー」の一部直営店と公式オンラインストア、「ヘリーハンセン」の店舗および、公式オンラインストアで販売中だ。

コラボは「ヘリーハンセン」側からオファーした。企画を担当したゴールドウインの井上翔太・グローバルブランド事業本部・ヘリーハンセン事業部・企画グループMDは、「私たちは水資源を守る活動や海洋ゴミを原料とするリサイクル素材の採用などを進めてきたが、アウトドアブランドとしての立場からは届けられる人に限りがあると感じていた。より多くの人に海洋問題に関心を持ってもらうためには、ファッションの力が必要。アニエスほど、『海が好き』というメッセージをストレートに発信できるデザイナーはいない」とオファーに至った経緯を話す。デザイナーのアニエス・トゥルブレは海を愛し、2003年には海洋に特化した公益財団法人タラ オセアン財団を立ち上げ、海洋探査船タラ号とその活動をサポートしているという背景がある。

日本で回収した漁網素材を初めて製品化

注目は日本の漁港で回収された廃棄漁網を100%使用したリサイクルナイロン「ミューロン」を使ったアイテム群だ。同素材が製品化されるのは本コレクションが初。井上担当は、「トレーサビリティーの取れた素材で、お客さまによりストーリー性を感じてもらえると考えた」と話す。

「ミューロン」は廃棄漁網をケミカルリサイクルしバージンと同等の品質と安定性を持つ。コレクションに登場するウィンドブレーカーは、「ミューロン」と紡績工程で発生するナイロンの落ち綿を再生したリサイクルナイロンを高密度で打ち込んでハリ感のある風合いを実現した。内側には、アニエス自身が撮影した海の写真と“j’aime la mer! (海が好き!)”のメッセージを添えた特別ネームを配した。ウィンドブレーカーはキッズサイズも用意し「親子で着用していただき、一緒に海に出かけたり、次世代にこのテーマを伝えてもらえたりしたらうれしい」と井上担当。

「アニエスべー」らしいボーダーTシャツには、東南アジアに漂着したペットボトルを原料としたリサイクルポリエステルを使用している。これは「日本からでた海洋ゴミは東南アジアに漂着することが多いと知り、採用を決めた」という。

「ヘリーハンセン」渋谷店では、廃棄漁網を使ったディスプレーでもコレクションのストーリーを表現している。また「アニエスべー」渋谷店では1月30日まで、『j’aime la mer!(海が好き!)』をテーマにした写真展を開催中だ。

27日にはゴールドウイン本社で、モリトアパレルの担当者を招いて漁網のリサイクルを体験するワークショップを開催し社内理解を促した。井上担当は、「一度きりの発信では伝えきれない問題だ。継続的に取り組んでいきたい」と展望を語る。

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資生堂30年以上の肌免疫研究から生まれた世界初※1の最新知見とは

資生堂とサイエンスは切っても切り離せない。100年超の研究開発の歴史の中で、シワやシミ、たるみといった生活者の 不変の肌悩みに向き合うとともに、肌内部の状態に着目。ホリスティックなアプローチにつながる成果を生み出している。とくに肌免疫研究では世界で初めて※1皮ふの免疫細胞の一種CD4CTL※2(メモリーT細胞※3)が“老化細胞”を的確に除去することを発見した。

資生堂が取り組む肌内部研究の正体

資生堂は2021年に研究開発の強化を目的に、独自の研究開発理念として「DYNAMIC HARMONY」を制定した。この理念は明治期に日本発の民間洋風調剤薬局として創業して以来取り組んできた、西洋の科学と東洋の叡智を融合した成り立ちに端を発する。根本治療と対症療法、漢方と施術、心と体。一見相反する価値や両立が難しい価値を融合し、唯一無二の新たな価値を生み出す資生堂ならではの考え方だ。この理念のもと皮ふ基礎研究の再強化を始め、グローバルブランドに研究成果を導入。各研究拠点の連携強化やインナービューティなどの新領域への挑戦に取り組んできた。

さらに資生堂の研究開発では、「SkinBeauty INNOVATION」、「Sustainability INNOVATION」、「Future Beauty INNOVATION」という3つのイノベーションの柱と、「脱単一カルチャー」というアプローチを戦略として策定した。柱の1つである「Skin Beauty INNOVATION」では、シワやシミ、たるみといった生活者の不変の肌悩みの原因解明・ソリューション開発と同時に、血管やリンパ管、免疫、神経など肌内部の状態と肌表面の関連を明らかにすべく研究を進めてきた。とくに肌内部研究は世界トップレベルの研究機関との多岐に渡る共同研究を推進。化粧品技術に関する世界最大の権威ある研究発表会IFSCCでは化粧品メーカーでは世界トップの受賞回数を誇る。

資生堂の肌内部研究
化粧品技術に関する世界最大の研究発表会
「IFSCC」世界トップの受賞実績

肌のポテンシャルを引き上げる
未来の肌悩みを防ぐ肌免疫研究

肌内部研究の中でも、近年大きなブレイクスルーが生まれているのが免疫研究だ。皮ふの免疫機能が老化を予防している可能性を発見し、生命科学分野において世界最高峰の学術雑誌「CELL」に研究成果が掲載されたのだ。資生堂は「肌自らが持つ力で未来の肌悩みを未然に防ぐ」という考えのもと、30年以上前から免疫研究に取り組んでいる。
加治屋健太朗 資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター センター長は、「新たな知見は『CELL』 に掲載されたが、実は30年前に英国発の総合科学誌 『Nature』に掲載された知見もある。それは肌の中に ある免疫細胞が神経と直接つながっているという研究 だった。神経を通じて肌と脳がつながっているという ことは、肌と心がつながっているということ。今では 当たり前のように言われているが、研究レベルで実証 した初めての例だった。このことからも分かるよう に、肌を肌だけで捉えないというのが、30年前から変 わらないわれわれのホリスティックな考え方である。 全身との接点である免疫をひもとき、自分の持つポテ ンシャルを生かすという視点で研究を進めている」と 話す。資生堂は独自の技術と免疫研究を各国の権威あ る先進的な外部研究機関とコラボレーションしなが ら、継続的な成果を生み出し続けている。

3つの見えないものを見える化
肌の美しさを取り戻すアートなアプローチ

化粧品メーカーである資生堂がこれほどまでに基礎研究である肌内部研究に力を入れるのはなぜか。同社の研究領域をリードする加治屋健太朗 資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター センター長に聞いた。
WWD:資生堂が肌内部研究に力を入れているのはなぜ。

加治屋健太朗 資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター センター長(以下、加治屋):私たちは肌悩みを肌表面から対症療法的に治すのではなく、内側から自分の持つ力を最大限に生かしてケアしたいという東洋的な発想から研究を進めている。肌は目に見える表面だけでなく、表皮と真皮があり、さらに血管、免疫、神経が張り巡らされ、全身とつながっているからだ。肌の内側への強い興味を持ち、見えないものを見える化するというユニークな研究アプローチは強みだ。免疫研究もその一つだ。

WWD:見えないものの見える化について詳しく教えて。

加治屋:肌表面だけでなく、肌内部に加え、体、心、そして未来という見えないものの見える化を目指している。冒頭でも触れたが肌においては、免疫や血流、神経といったものを見える化すること。われわれの技術によって、血管や神経が全身と肌をつなぐとても美しい構造を持つ三次元的なネットワークを形成していることが可視化できるようになった。心に関しては、例えば化粧品は肌だけでなく、目には見えないが心にも作用すると言われる。そこで化粧品を使ったときの心の状態を可視化するための技術を開発している。未来については、シワやシミ、たるみといった今見えるものを改善することがメインストリームではあるが、肌・体・心のつながりを解明し、未来が見えれば予防がかなうはずだ。

WWD:肌の見える化の中でも30年以上にわたって取り組んでいる免疫研究とは。

加治屋:全身との接点という意味や、もともと持っているポテンシャルを生かすという意味で免疫に注目し、長らく研究してきた。そもそも免疫とは「疫(やまい)」から「免(のがれる)」と書くように、外敵から身を守るシステムのこと。一般的にいう免疫は全身に共通するものと、臓器によって局所的に異なるものがある。とくに肌の免疫には花粉やPM2.5、紫外線などの外敵に備える必要があり、ほかの器官の免疫と大きく異なる。

WWD:新知見に至った経緯は。

加治屋:「肌は本当に加齢によってのみ老化するのか」という基本的な疑問があった。20代と60代を比較すれば年齢と老化との相関はあるものの、老齢の皮ふでは分かっていなかった。研究を進める中で、免疫細胞が関係することが明らかになった。免疫は外敵からの逃れるために存在しているため、生体内で老化に対してそれほどの意味を持つとはこれまでは考えられていなかった。ところが今回の発見では、免疫細胞が老化細胞を皮ふにとって異物・不要なものと認識していることが明らかになった。この点が一番面白く、インパクトが大きかった。

WWD:今後の免疫研究の展望は。

加治屋:自らが持つ美のポテンシャルを免疫研究を通じて伝えていく。資生堂には「アート&サイエンス」というDNAがある。三次元的に肌の内部の構造を可視化したとき、研究員はサイエンスの中にアートを感じるはずだ。三次元の皮ふ構造をアートとして捉えると老化などの変化によって乱れた肌内部の美しさを免疫研究で取り戻すことは、結果的に肌の美しさにつながるだろう。

明らかになった肌免疫細胞が
老化細胞を除去するメカニズム

皮ふの免疫細胞の新たな機能として、老化細胞を除去することと、そのメカニズムを発見した。“年齢を重ねた肌には老化細胞が多いはず”という多くの人が抱くイメージを覆す新たな発見に注目が高まっている。

発見1 : 老齢の皮ふでは
老化細胞と年齢は相関しない

Hasegawa T et al.,Cell. 2023(一部改変)
ヒトの皮ふ組織において、加齢とともに老化細胞が蓄積されるかどうかを調査した結果、若齢の皮ふと老齢の皮ふを比べると、老化細胞が必然的に増加していた。一方で、老齢の皮ふだけを見てみると、加齢に伴って老化細胞は必ずしも増加していないことが分かった。このことから、老齢における老化細胞の蓄積は、なんらかの要因によって抑えられている可能性が浮かび上がった。

発見2 : 免疫細胞の一種CD4CTL(メモリーT細胞)が
多い皮ふほど老化細胞は少ない

Hasegawa T et al.,Cell. 2023(一部改変)

老齢の皮ふでは加齢にともなって老化細胞は必ずしも増加しないという発見から、老齢の皮ふにおいて老化細胞の蓄積を抑える要因を探った。すると老齢の皮ふでは免疫細胞の一種であるCD4CTL(メモリーT細胞)が多いほど老化細胞が少ないということが判明した。このことからCD4CTL(メモリーT細胞)が老化細胞の蓄積を抑えている可能性が浮かび上がった。

発見3 : CD4CTL(メモリーT細胞)が
老化細胞を選択的に除去する

実際にCD4CTL(メモリーT細胞)が老化細胞を除去できるかどうかを調べるため、正常な線維芽細胞(正常細胞)と老化した線維芽細胞(老化細胞)をヒトの皮ふから分離した免疫細胞とともに培養したところ、CD4CTL(メモリーT細胞)によって、老化細胞が選択的に除去されることが確認できた。

発見4 : ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)が
CD4CTL(メモリーT細胞)の老化細胞除去を助ける

次にCD4CTL(メモリーT細胞)がどのようなメカニズムで老化細胞だけを除去するのかを探った。その結果、老化細胞内に共生しているヒトサイトメガロウイルス(HCMV)というウイルスの一部(抗原)が老化細胞の表面に出現し、CD4CTL(メモリーT細胞)がその抗原を目標として認識することで老化細胞を除去していることを発見した。

Solution : ツバキ種子発酵抽出液が
肌免疫細胞の老化細胞除去効果を高める

資生堂は長崎県五島列島に古くから自生するヤブツバキ資源を有効活用するために、日本酒造老舗のヤヱガキ酒造と日本の発酵技術を掛け合わせて、ツバキ種子発酵抽出液を開発した。そしてこのツバキ種子発酵抽出液が皮ふの老化細胞を除去する機能をもつ免疫細胞CD4CTL(メモリーT細胞)を誘引するCXCL9※4の発現を高めることを世界で初めて※5発見した。つまりはツバキ種子発酵抽出液によって皮ふの免疫細胞による老化細胞除去効果が高まることが期待される。
※1 細胞傷害性CD4+ T細胞がサイトメガロウイルス抗原を標的として老化細胞を除去するCell誌(2023年)
※2 Cytotoxic CD4+ T細胞(CD4CTL):T細胞の一種で、理想的な健康長寿のモデルとされる超長寿者に多い免疫細胞であることも知られている
※3 免疫細胞であるT細胞は病原体などの異物と遭遇し役割を果たすと、多くは死滅するが、体内に一部が残り、再感染や再発に備えて記憶し、同じ異物に対して迅速で強力な免疫応答をするのがメモリーT細胞である
※4 免疫細胞などの細胞の遊走を促進するタンパク質
※5 ツバキ種子発酵抽出液が肌の健やかさに重要な表皮因子(免疫細胞CD4CTLを誘引する因子)CXCL9の発現を促進する技術が世界初 先行技術調査を用いた資生堂調べ(2024年3月)
このページの内容は全て技術に関する情報です。
EDIT&TEXT:NATSUMI YONEYAMA
問い合わせ先
資生堂
https://corp.shiseido.com/jp/inquiry/

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「キークス」水原希子とローラ 耕作放棄地や後継者不足に光を当てるコラボを語る

PROFILE: 左:水原希子、右:ローラ

左:水原希子、右:ローラ
PROFILE: 水原希子(みずはら・きこ)女優、モデルとしてマルチに活躍している。 2010 年に映画「ノルウェイの森」でスクリーンデビューし、その後も多くの映画に出演。 「奥田民生になりたいボーイ出会う男すべて狂わせるガール」ではヒロイン役を務め、「あの子は貴族」では高崎映画祭にて最優秀助演女優賞を受賞した。米国のブランド「オープニング セレモニー」とのコラボレーションライン「キコ ミズハラ フォー オープニング セレモニー」を手掛け、世界的シンガーのリアーナやビヨンセが着用したことで話題になる。 自らのブランド「OK」は、日本のギャルカルチャーからインスピレーションを受け、自由で解放的なスタイルと場を追求している。サステナブルな活動にも取り組んでおり、再生素材や環境負荷の低い天然素材を使用したオリジナルプロダクトを提供。日本語と英語を話す。 Rola(ローラ)16 歳でモデルデビュー。ハーフモデルとして独⾃のアイデンティティーをもち、その愛くるしいキャラクターと個性溢れるスタイルで国内外を問わず活躍。あらゆるファッション誌の表紙を飾り、さまざまな表情でファンを楽しませている。 2016 年12 月に公開された⽶映画「バイオハザードⅥ : ザ・ファイナル」では、映画製作プロデューサーの⽬にとまり戦⼠役に抜擢されハリウッド映画デビューを果たす。環境に配慮した自身のライフスタイルブランド「STUDIO R330」も手掛ける。PHOTO: Kzasushi Toyota

インスタグラムのフォロワー数は2人合わせて約1700万人。特に若い女性に大きな影響力を持つ水原希子とローラは、水原がプロデュースするブランド「キークス(KIIKS)」の第3弾アイテム「茶の実ヘアオイル(GREEN TEA SEED HAIR OIL)」で協業をした。この2つの製品の魅力は製品自体に加えて、その存在を通じて日本の地域課題「農業離れと耕作放棄地」および「後継者不足による伝統文化の衰退」に光を当てるところにある。「髪を美しく保ちながら社会課題解決の一助となる」という思いを掲げ、彼女たち行動を起こしている。

放棄茶畑では茶の木が花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける

「茶の実ヘアオイル」のお披露目の会は1月14日に、東京・渋谷の街中にひっそりとたたずむ小さな古民家で開かれた。靴を脱いで上がる昭和の佇まいの居間を展示スペースとし、水原とローラは終日説明にあたっていた。空間全体はヘアオイルの甘みのある爽やかな香りと、同時開催したワークショップで使用するハーブティーの香りで包まれていた。

フロア中央の木製ボウルには大量の茶色い殻に包まれた実が飾られている。これが製品の原点となる茶の実だ。茶葉は見たことがあっても、茶の実は見たことがない人は多いだろう。なぜなら現在の茶の栽培では一般的に、茶葉に栄養がいくよう新芽を摘んだ後、刈り取ってしまうため花を咲かせず、茶の実もならないからだ。しかし、放棄茶畑では茶の木が9月から11月にかけて花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける。「キークス」は、茶の実から抽出された茶実油使用のヘアオイルの開発を通じて地域の課題解決の一助となろうと考えた。

2人を中心とした「キークス」のチームが赴いたのはヘアオイルの製造を行う会社ボタニカルファクトリーがある鹿児島県大熊半島。同社は、廃校した小学校・中学校の跡地に化粧品工場を作り、自然由来の原料を使ったナチュラルコスメを手がけている。同社からほど近い同県錦江盤山地区は県内有数のお茶どころで、他の多くの地域と同じく農業従事者の高齢化や若者の農業離れが深刻な問題となっている。また茶の消費量の減少や茶葉価格の低迷も続いており結果、広大な茶畑が放置され、未使用の茶の実が大量に発生しているのが現状だ。

「キークス」チームは昨年秋に同地区の自治体との話し合いから始め、地元の人たちと耕作放棄茶畑に入り150キログラム近くの茶の実を収集。畑近くの体育館を借りての手作業で殻むきに始め、製品化へとつなげた。茶の実拾いから製品化まで2ヶ月弱というスピードだ。製品は茶の実油と桜島産の椿油をベースに、サンダルウッドとジャスミンのエッセンシャルオイルをブレンド。手に取るとふわりと広がる華やかで心地よい香りが誕生した。

薩摩つげ櫛にオイルを馴染ませ髪をすく

オイルと合わせて木原つげ櫛屋による「薩摩つげ櫛」も、お茶染めのケースに入れて発売する。このつげ櫛はオイルとの相性がとても良い。つげは成長が遅いために年輪が狭く、木材はきめ細かい弾力のある質感がある。黄色くなめらかな肌合いの櫛は、椿油を染み込ませて使うことで、髪をすく(梳く)たびに自然な艶と潤いを与えるという。最近は「髪をとかす」という表現が一般的だが、この櫛を手にすると「髪をすく」という描写がピッタリであることに気がつく。木製の櫛は静電気が発生しにくく、髪を傷めることが少なく、さらに天然の抗菌作用を持つため、長期間使用しても清潔に保つことができるという。

「薩摩つげ櫛」もまた他の伝統工芸と同じく、存続の危機にある。「薩摩つげ櫛」は江戸時代からその名を全国に広め、特に薩摩地方では深く愛されてきた。整髪料がなかった時代から、つげ櫛は一生ものの道具として重宝されており、女児の誕生を祝うためにツゲの木を植える伝統もあったという。製作には高い技術が求められ、熟練の職人たちが丁寧に作り上げているが、後継者不足の課題に直面しており、次世代の職人を育てる取り組みが急務となっている。「キークス」は、「薩摩つげ櫛」の存在を伝え、魅力を広めることで伝統工芸を守る一助となることを願い取り組んだ。

水原希子とローラの人を巻き込む推進力とコラボの力

2人から製造過程の説明を聞く中で印象的だったのは、コラボレーションの力だ。インスタグラムのフォロワー数は水原希子(i_am_kiko)783.2万人、ローラ(rolaofficial)908.9万人(いずれも2025年1月24日時点)と、それぞれに大きな影響力を持つ。その影響力を“正しく”掛け算し、「伝統工芸を守るきっかけとなる事を心から願う」と行動する。2人は互いの仕事をどう見ているのか?会場で話を聞いた。

WWD:お互いのクリエイションの強みについて教えてください。お互いをクリエイターとしてどのように評価していますか?

ローラ:私から見て希子ちゃんは「みんな一緒にやろうよ」というエネルギーがとても強い人です。そのエネルギーが、今回のプロジェクトにも大きく影響していると感じています。それと同時に希子ちゃんのセンスも素晴らしいです。彼女は長年ファッション業界に携わってきた経験を活かし、選び抜かれたセンスを持っています。今回のビジュアルもとてもかっこよく仕上がり、広告というよりアート作品のようになりました。

WWD:「良いこと」をセンス良く伝えることは大切ですね。それでも多くの人を巻き込むのは簡単ではないですよね。

ローラ:そうですね、簡単ではありません。同じ業界で働いていると、さまざまなしがらみや環境問題など、難しい課題がたくさん出てきます。しかし、それでも挑戦し続ける希子ちゃんの姿勢には本当に感心します。一人で心細くなることもありますが、それでも信念を持ち、進み続けるのは勇気のいることです。彼女の強さや情熱にはいつも刺激を受けています。

水原希子(以下、水原):ローラは努力家で、何事にも真摯に取り組み、常に新しいことを学び続けています。そして学んだことをみんなとシェアする姿勢がとても尊い。自分の学びを言葉で伝えることは簡単なことではありませんが、彼女はそれをスピーディーに、そしてピュアな思いで実践しています。その純粋さや優しさが、多くの人々を包み込む魅力になっています。また、彼女はネガティブな経験をすべてポジティブなエネルギーに変える力を持っていて、本当にすごいと思います。

WWD:今回のプロジェクトでは、香りの部分にもローラさんが深く関わったと伺いましたが、どのような思いを込めましたか?

ローラ:香りには特別なこだわりを持ちました。私はメディテーションをするのですが、瞑想やものづくりをする中で、自分を落ち着かせるためのエキゾチックな要素を取り入れたいと考えました。香りは感覚的で、内面を癒す力があると思います。

水原:私も椿オイルを使ったシンプルなヘアオイルを作りたいと考えていました。ローラと一緒に成分を一つ一つ選び抜きながら、学んできたことを活かして作りました。ローラの手作りコスメを使ったとき、その香りと効能に感動したのが、このプロジェクトを始めるきっかけでした。

WWD:耕作放棄茶畑でどのような経験をしたのですか?

水原:この商品は、多くのボランティアや地元の方々の協力がなければ実現しませんでした。放置された畑に入り、道を切り開きながら種を集める作業はとても大変でしたが、みんなで力を合わせてやり遂げました。地元の方々も日本の未来や環境問題について真剣に考えてくださり、目的を共有して取り組む姿勢がとても心強かったです。

WWD:地元の方々との交流で印象的だったことは?

ローラ:お茶を作る地元のおばあちゃんが話してくれた伝統や文化の話がとても印象的でした。お茶づくりを通じて自分を見つめ直し、伝統を未来につなげようとする姿勢に感動しました。

水原:お茶の実を拾う作業は大変でしたが、その過程で地元の方々と話す時間がとても有意義でした。皆さんの純粋な思いが、今回のプロジェクトに込められていると感じます。

WWD:いじわるな質問になりますが、後継者不足という課題はとてつもなく大きくて、一つのアクションがどのくらいの影響を生めるのでしょうか?

水原:実は、プロジェクト通じて出会った地元の若い方が畑を購入を決意し、すでに作業を始るなどの変化が生まれました。私たちの活動がきっかけで、一歩ずつですが前進していると感じます。

WWD:ワークショッを組み合わせた理由は?

水原:ワークショップでは、自分の体調に合わせたハーブティーをブレンドしたり、アロマオイルを作ったりと、感覚を研ぎ澄ませる体験を提供しています。商品だけでなく、体験そのものを持ち帰ってもらうことで、自分を知り、自分を癒すきっかけになればと願っています。

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「キークス」水原希子とローラ 耕作放棄地や後継者不足に光を当てるコラボを語る

PROFILE: 左:水原希子、右:ローラ

左:水原希子、右:ローラ
PROFILE: 水原希子(みずはら・きこ)女優、モデルとしてマルチに活躍している。 2010 年に映画「ノルウェイの森」でスクリーンデビューし、その後も多くの映画に出演。 「奥田民生になりたいボーイ出会う男すべて狂わせるガール」ではヒロイン役を務め、「あの子は貴族」では高崎映画祭にて最優秀助演女優賞を受賞した。米国のブランド「オープニング セレモニー」とのコラボレーションライン「キコ ミズハラ フォー オープニング セレモニー」を手掛け、世界的シンガーのリアーナやビヨンセが着用したことで話題になる。 自らのブランド「OK」は、日本のギャルカルチャーからインスピレーションを受け、自由で解放的なスタイルと場を追求している。サステナブルな活動にも取り組んでおり、再生素材や環境負荷の低い天然素材を使用したオリジナルプロダクトを提供。日本語と英語を話す。 Rola(ローラ)16 歳でモデルデビュー。ハーフモデルとして独⾃のアイデンティティーをもち、その愛くるしいキャラクターと個性溢れるスタイルで国内外を問わず活躍。あらゆるファッション誌の表紙を飾り、さまざまな表情でファンを楽しませている。 2016 年12 月に公開された⽶映画「バイオハザードⅥ : ザ・ファイナル」では、映画製作プロデューサーの⽬にとまり戦⼠役に抜擢されハリウッド映画デビューを果たす。環境に配慮した自身のライフスタイルブランド「STUDIO R330」も手掛ける。PHOTO: Kzasushi Toyota

インスタグラムのフォロワー数は2人合わせて約1700万人。特に若い女性に大きな影響力を持つ水原希子とローラは、水原がプロデュースするブランド「キークス(KIIKS)」の第3弾アイテム「茶の実ヘアオイル(GREEN TEA SEED HAIR OIL)」で協業をした。この2つの製品の魅力は製品自体に加えて、その存在を通じて日本の地域課題「農業離れと耕作放棄地」および「後継者不足による伝統文化の衰退」に光を当てるところにある。「髪を美しく保ちながら社会課題解決の一助となる」という思いを掲げ、彼女たち行動を起こしている。

放棄茶畑では茶の木が花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける

「茶の実ヘアオイル」のお披露目の会は1月14日に、東京・渋谷の街中にひっそりとたたずむ小さな古民家で開かれた。靴を脱いで上がる昭和の佇まいの居間を展示スペースとし、水原とローラは終日説明にあたっていた。空間全体はヘアオイルの甘みのある爽やかな香りと、同時開催したワークショップで使用するハーブティーの香りで包まれていた。

フロア中央の木製ボウルには大量の茶色い殻に包まれた実が飾られている。これが製品の原点となる茶の実だ。茶葉は見たことがあっても、茶の実は見たことがない人は多いだろう。なぜなら現在の茶の栽培では一般的に、茶葉に栄養がいくよう新芽を摘んだ後、刈り取ってしまうため花を咲かせず、茶の実もならないからだ。しかし、放棄茶畑では茶の木が9月から11月にかけて花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける。「キークス」は、茶の実から抽出された茶実油使用のヘアオイルの開発を通じて地域の課題解決の一助となろうと考えた。

2人を中心とした「キークス」のチームが赴いたのはヘアオイルの製造を行う会社ボタニカルファクトリーがある鹿児島県大熊半島。同社は、廃校した小学校・中学校の跡地に化粧品工場を作り、自然由来の原料を使ったナチュラルコスメを手がけている。同社からほど近い同県錦江盤山地区は県内有数のお茶どころで、他の多くの地域と同じく農業従事者の高齢化や若者の農業離れが深刻な問題となっている。また茶の消費量の減少や茶葉価格の低迷も続いており結果、広大な茶畑が放置され、未使用の茶の実が大量に発生しているのが現状だ。

「キークス」チームは昨年秋に同地区の自治体との話し合いから始め、地元の人たちと耕作放棄茶畑に入り150キログラム近くの茶の実を収集。畑近くの体育館を借りての手作業で殻むきに始め、製品化へとつなげた。茶の実拾いから製品化まで2ヶ月弱というスピードだ。製品は茶の実油と桜島産の椿油をベースに、サンダルウッドとジャスミンのエッセンシャルオイルをブレンド。手に取るとふわりと広がる華やかで心地よい香りが誕生した。

薩摩つげ櫛にオイルを馴染ませ髪をすく

オイルと合わせて木原つげ櫛屋による「薩摩つげ櫛」も、お茶染めのケースに入れて発売する。このつげ櫛はオイルとの相性がとても良い。つげは成長が遅いために年輪が狭く、木材はきめ細かい弾力のある質感がある。黄色くなめらかな肌合いの櫛は、椿油を染み込ませて使うことで、髪をすく(梳く)たびに自然な艶と潤いを与えるという。最近は「髪をとかす」という表現が一般的だが、この櫛を手にすると「髪をすく」という描写がピッタリであることに気がつく。木製の櫛は静電気が発生しにくく、髪を傷めることが少なく、さらに天然の抗菌作用を持つため、長期間使用しても清潔に保つことができるという。

「薩摩つげ櫛」もまた他の伝統工芸と同じく、存続の危機にある。「薩摩つげ櫛」は江戸時代からその名を全国に広め、特に薩摩地方では深く愛されてきた。整髪料がなかった時代から、つげ櫛は一生ものの道具として重宝されており、女児の誕生を祝うためにツゲの木を植える伝統もあったという。製作には高い技術が求められ、熟練の職人たちが丁寧に作り上げているが、後継者不足の課題に直面しており、次世代の職人を育てる取り組みが急務となっている。「キークス」は、「薩摩つげ櫛」の存在を伝え、魅力を広めることで伝統工芸を守る一助となることを願い取り組んだ。

水原希子とローラの人を巻き込む推進力とコラボの力

2人から製造過程の説明を聞く中で印象的だったのは、コラボレーションの力だ。インスタグラムのフォロワー数は水原希子(i_am_kiko)783.2万人、ローラ(rolaofficial)908.9万人(いずれも2025年1月24日時点)と、それぞれに大きな影響力を持つ。その影響力を“正しく”掛け算し、「伝統工芸を守るきっかけとなる事を心から願う」と行動する。2人は互いの仕事をどう見ているのか?会場で話を聞いた。

WWD:お互いのクリエイションの強みについて教えてください。お互いをクリエイターとしてどのように評価していますか?

ローラ:私から見て希子ちゃんは「みんな一緒にやろうよ」というエネルギーがとても強い人です。そのエネルギーが、今回のプロジェクトにも大きく影響していると感じています。それと同時に希子ちゃんのセンスも素晴らしいです。彼女は長年ファッション業界に携わってきた経験を活かし、選び抜かれたセンスを持っています。今回のビジュアルもとてもかっこよく仕上がり、広告というよりアート作品のようになりました。

WWD:「良いこと」をセンス良く伝えることは大切ですね。それでも多くの人を巻き込むのは簡単ではないですよね。

ローラ:そうですね、簡単ではありません。同じ業界で働いていると、さまざまなしがらみや環境問題など、難しい課題がたくさん出てきます。しかし、それでも挑戦し続ける希子ちゃんの姿勢には本当に感心します。一人で心細くなることもありますが、それでも信念を持ち、進み続けるのは勇気のいることです。彼女の強さや情熱にはいつも刺激を受けています。

水原希子(以下、水原):ローラは努力家で、何事にも真摯に取り組み、常に新しいことを学び続けています。そして学んだことをみんなとシェアする姿勢がとても尊い。自分の学びを言葉で伝えることは簡単なことではありませんが、彼女はそれをスピーディーに、そしてピュアな思いで実践しています。その純粋さや優しさが、多くの人々を包み込む魅力になっています。また、彼女はネガティブな経験をすべてポジティブなエネルギーに変える力を持っていて、本当にすごいと思います。

WWD:今回のプロジェクトでは、香りの部分にもローラさんが深く関わったと伺いましたが、どのような思いを込めましたか?

ローラ:香りには特別なこだわりを持ちました。私はメディテーションをするのですが、瞑想やものづくりをする中で、自分を落ち着かせるためのエキゾチックな要素を取り入れたいと考えました。香りは感覚的で、内面を癒す力があると思います。

水原:私も椿オイルを使ったシンプルなヘアオイルを作りたいと考えていました。ローラと一緒に成分を一つ一つ選び抜きながら、学んできたことを活かして作りました。ローラの手作りコスメを使ったとき、その香りと効能に感動したのが、このプロジェクトを始めるきっかけでした。

WWD:耕作放棄茶畑でどのような経験をしたのですか?

水原:この商品は、多くのボランティアや地元の方々の協力がなければ実現しませんでした。放置された畑に入り、道を切り開きながら種を集める作業はとても大変でしたが、みんなで力を合わせてやり遂げました。地元の方々も日本の未来や環境問題について真剣に考えてくださり、目的を共有して取り組む姿勢がとても心強かったです。

WWD:地元の方々との交流で印象的だったことは?

ローラ:お茶を作る地元のおばあちゃんが話してくれた伝統や文化の話がとても印象的でした。お茶づくりを通じて自分を見つめ直し、伝統を未来につなげようとする姿勢に感動しました。

水原:お茶の実を拾う作業は大変でしたが、その過程で地元の方々と話す時間がとても有意義でした。皆さんの純粋な思いが、今回のプロジェクトに込められていると感じます。

WWD:いじわるな質問になりますが、後継者不足という課題はとてつもなく大きくて、一つのアクションがどのくらいの影響を生めるのでしょうか?

水原:実は、プロジェクト通じて出会った地元の若い方が畑を購入を決意し、すでに作業を始るなどの変化が生まれました。私たちの活動がきっかけで、一歩ずつですが前進していると感じます。

WWD:ワークショッを組み合わせた理由は?

水原:ワークショップでは、自分の体調に合わせたハーブティーをブレンドしたり、アロマオイルを作ったりと、感覚を研ぎ澄ませる体験を提供しています。商品だけでなく、体験そのものを持ち帰ってもらうことで、自分を知り、自分を癒すきっかけになればと願っています。

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LVMHグループのお墨付き 「モワナ」本国チームが語る最上位のクラフトマンシップ

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)傘下の仏老舗バッグブランド「モワナ(MOYNAT)」とグラフィックデザインの巨匠・永井一正のコラボコレクションが、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。このほど来日した本国チームに、永井とのコラボレーションや、ベストセラーのキャンバスシリーズ“Mコレクション”、同ブランドのモノ作りについて深掘りした。

「モワナ」と永井 クリエイションの共鳴

本国チームは、「『モワナ』が持つブランドの奥深さは、永井の目にも魅力的に映ると確信があった」と自信を持って語り始める。「コラボレーションの話は、2024年2月に日本デザインセンター(東京)で永井と彼のチームに会ったときから本格化した。彼は94歳だったにも関わらず、毎週月曜日はここに来ていると話していた」と尊敬の念をにじませる。永井は長いキャリアの中で、三菱UFJフィナンシャル・グループやアサヒビール、1966年の札幌冬季オリンピックのシンボルマークなど、誰もが一度は見たことのある作品を手掛けている。「彼のダイナミックで印象的、かつ明るい作風は、私たちの打ち出したいコレクションにぴったりだと思った」。

今回のコラボコレクションでは、永井の代表作である“LIFE”シリーズを採用した。ライオンやチンパンジー、タコやヒトデなど水陸の生物をモチーフに、「生物にとって最も重要な“命”を表現している」(日本デザインセンター公式サイト)。コレクションの反応は、国を問わずポジティブだったという。「永井は日本を代表するグラフィックデザイナーだから、日本における売れ行きの良さは想像ができた。しかし、彼を知らない人、そして「モワナ」を知らない人にもこのキャッチーなデザインは響いた」。24年11月にコレクションを発売し、2週間で完売した。

老舗ブランドとしての誇りを胸に

「ドーバー ストリート マーケット ギンザ限定のコラボコレクションは、「モワナ」のベストセラー“Mコレクション”シリーズが主役だ。永井の作品が持つ「カラフル」「ハッピー」「ジョイフル」といった要素は、同シリーズが長年大切にしてきたことでもある。「“Mコレクション”は、新規顧客、特に若年層を引き付けている。『モワナ』は特にメーンターゲットを設けておらず、(今の段階で)若年層に特化した施策を打ち出してはいない。それでも“Mコレクション”を通して若い世代とつながれることをうれしく思う」。ローンチを記念したカクテルパーティーも、若者が中心となり活気のある雰囲気を作っていた。

バッグ市場では近年、“Mコレクション”のようなキャンバストート型のバッグにアーティストが描くモチーフをプリントする動きがある。「この流れに乗っているのは老舗が多く、どこもクラフトマンシップを謳っている。しかし、そのクラフトマンシップこそ私たちの強み。私たちはモノ作りを一切妥協しない。使用しているレザーはどれも一級品で、耐久性にもとことん向き合っている」と真っ直ぐ語る。「多くのレザーバッグがブラックやブラウンなのに対し、鮮やかなレッドやブルー、グリーンなど他にはないカラーバリエーションで作れるのも、『モワナ』の技術力があってこそだ」。

かつて「モワナ」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたアンリ・ラパン(Henri Rapin)は、庭園美術館(東京)の内装に関わっていた。「今回のコレクションも、日本とフランスの架け橋になるようなコラボにしたかった。この2国には通ずるものがあると信じている」。

■ドーバー ストリート マーケット ギンザ ポップアップ

日程:1月31日まで
時間:11:00〜20:00
場所:ドーバー ストリート マーケット ギンザ 3階 アクセサリースペース
住所:東京都中央区銀座6-9-5

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LVMHグループのお墨付き 「モワナ」本国チームが語る最上位のクラフトマンシップ

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)傘下の仏老舗バッグブランド「モワナ(MOYNAT)」とグラフィックデザインの巨匠・永井一正のコラボコレクションが、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。このほど来日した本国チームに、永井とのコラボレーションや、ベストセラーのキャンバスシリーズ“Mコレクション”、同ブランドのモノ作りについて深掘りした。

「モワナ」と永井 クリエイションの共鳴

本国チームは、「『モワナ』が持つブランドの奥深さは、永井の目にも魅力的に映ると確信があった」と自信を持って語り始める。「コラボレーションの話は、2024年2月に日本デザインセンター(東京)で永井と彼のチームに会ったときから本格化した。彼は94歳だったにも関わらず、毎週月曜日はここに来ていると話していた」と尊敬の念をにじませる。永井は長いキャリアの中で、三菱UFJフィナンシャル・グループやアサヒビール、1966年の札幌冬季オリンピックのシンボルマークなど、誰もが一度は見たことのある作品を手掛けている。「彼のダイナミックで印象的、かつ明るい作風は、私たちの打ち出したいコレクションにぴったりだと思った」。

今回のコラボコレクションでは、永井の代表作である“LIFE”シリーズを採用した。ライオンやチンパンジー、タコやヒトデなど水陸の生物をモチーフに、「生物にとって最も重要な“命”を表現している」(日本デザインセンター公式サイト)。コレクションの反応は、国を問わずポジティブだったという。「永井は日本を代表するグラフィックデザイナーだから、日本における売れ行きの良さは想像ができた。しかし、彼を知らない人、そして「モワナ」を知らない人にもこのキャッチーなデザインは響いた」。24年11月にコレクションを発売し、2週間で完売した。

老舗ブランドとしての誇りを胸に

「ドーバー ストリート マーケット ギンザ限定のコラボコレクションは、「モワナ」のベストセラー“Mコレクション”シリーズが主役だ。永井の作品が持つ「カラフル」「ハッピー」「ジョイフル」といった要素は、同シリーズが長年大切にしてきたことでもある。「“Mコレクション”は、新規顧客、特に若年層を引き付けている。『モワナ』は特にメーンターゲットを設けておらず、(今の段階で)若年層に特化した施策を打ち出してはいない。それでも“Mコレクション”を通して若い世代とつながれることをうれしく思う」。ローンチを記念したカクテルパーティーも、若者が中心となり活気のある雰囲気を作っていた。

バッグ市場では近年、“Mコレクション”のようなキャンバストート型のバッグにアーティストが描くモチーフをプリントする動きがある。「この流れに乗っているのは老舗が多く、どこもクラフトマンシップを謳っている。しかし、そのクラフトマンシップこそ私たちの強み。私たちはモノ作りを一切妥協しない。使用しているレザーはどれも一級品で、耐久性にもとことん向き合っている」と真っ直ぐ語る。「多くのレザーバッグがブラックやブラウンなのに対し、鮮やかなレッドやブルー、グリーンなど他にはないカラーバリエーションで作れるのも、『モワナ』の技術力があってこそだ」。

かつて「モワナ」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたアンリ・ラパン(Henri Rapin)は、庭園美術館(東京)の内装に関わっていた。「今回のコレクションも、日本とフランスの架け橋になるようなコラボにしたかった。この2国には通ずるものがあると信じている」。

■ドーバー ストリート マーケット ギンザ ポップアップ

日程:1月31日まで
時間:11:00〜20:00
場所:ドーバー ストリート マーケット ギンザ 3階 アクセサリースペース
住所:東京都中央区銀座6-9-5

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GRe4N BOYZが語る映画「サンセット・サンライズ」のインスパイア・ソング「シオン」に込めた想い

PROFILE: GRe4N BOYZ

PROFILE: (グリーンボーイズ)HIDE、navi、92、SOHの男性4人組、福島県で結成されたボーカルグループ。メンバー全員が歯科医師免許を持ち、医療との両立のため顔を伏せて活動中。「愛唄」「キセキ」「遥か」「オレンジ」など、GReeeeNとしてデビュー以来、数々のヒット曲を生み出し、「キセキ」は今も日本国内において最も多くダウンロード販売されたシングルとしてギネス記録を持つ。また、楽曲だけでなく、自身を題材にした映画「キセキ -あの日のソビト-」(松坂桃李・菅田将暉ダブル主演)の大ヒットにより、その”生き方”も話題となる。2024年3月、グループ名をGRe4N BOYZと改名し、その新たな活動への注目が集まる。同年、全国ツアー「GRe4N BOYZ イマーシブライブシアター 2024 “The CUBE”〜何処かに広がる大きな声が〜」を開催した。

監督:岸善幸 × 脚本:宮藤官九郎 × 主演:菅田将暉による映画「サンセット・サンライズ」は、新型コロナのパンデミックに世の中が揺れた2020年の東北を舞台にした物語だ。大企業に勤める晋作(菅田将暉)は、リモートワークになったことをきっかけに東京から三陸の街に引っ越してきて大好きな釣り三昧の日々。そこで出会った地元の人々と触れ合うことで晋作は大きく変わっていく。コロナや東日本大震災などさまざまな問題を盛り込みながら、笑いと涙に満ちた人間ドラマに仕上がった本作。そのインスパイア・ソングを手掛けたのは、24年にGReeeeNから改名したGRe4N BOYZ(グリーンボーイズ)だ。大学時代を福島で過ごしたということもあり、映画から受けた印象だけではなく、東北で暮らす人の思いも反映させたというインスパイア・ソング「シオン」はどのようにして生まれたのか。メンバーのHIDEとnaviに話を聞いた。

——「シオン」は主題歌ではなくインスパイア・ソングということですが、どんな風に曲を作り上げていったのでしょうか。

HIDE:これまでインスパイア・ソングというのはやったことがなかったので、自分の中にどういう感情が生まれるのかを意識しながらまずは映画を観させていただきました。主題歌を書く時もそうなんですけど、事前に映画に関する情報は何も入れずに、初めて観た時に感じたことを大切にして曲を作ろうと思ったんです。

——映画を観てどう思われました?

HIDE:脚本が宮藤官九郎さんということもあって、笑いの要素もたくさんありますし、楽しく観られる映画だと思う反面、とても繊細な部分も描かれていました。その両方の部分を曲に反映させつつ、自分たちが東北で過ごしていた時のことや、震災直後に現地に入った時のことを思い出しながら曲にしていこうと思いました。

——naviさんは映画にはどんな感想を持たれました?

navi:いろんなテーマが重なっていて、それに対して登場人物の一人一人がそれぞれの立場で向き合っている姿が印象的でしたね。あと、映画の舞台になった三陸に親戚がいるんですけど、映画が現地の雰囲気をすごく捉えていることに驚きました。出てくる人たちの方言もすごくリアルで親近感を感じました。特に中村雅俊さんの方言のイントネーションが本物過ぎて。中村さんが地元の方だというのを後で知って「だからか!」と思いました。

——方言やイントネーションは大切ですよね。その土地の文化でもありますし。

navi:あと、コロナが広まっていった時の地方の小さな町の雰囲気もリアルに描かれていました。(コロナが広まっている)東京から人が来て大ごとになる感じとか、確かにそうだったよなって。当時、帰省する時は気を付けていましたが、しっかり検査して帰省したとしても目に見えない恐怖というのは拭い去れないので、地元では外から来る人を警戒していたんだろうなって改めて思いました。そういう距離感も映画ではうまく表現されていましたね。

HIDE:あと、地元のおいしいものがいろいろ出てくるのも良いですね。映画の後半に出てくる「芋煮会」は僕らもよくやっていたんです。友達と「芋煮会しようか」って。バーベキューとかお花見みたいなものなんですけど、友達と集まって一緒に芋を煮て食べるんです。

——映画では人間関係が煮詰まった時に芋煮会を開いて、そこで晋作が気持ちをさらけ出します。きっと、そういう雰囲気になる会なんですね。

HIDE:自然の中で仲間と鍋を囲むことで自分の心が裸になれるというか。だから、晋作の感情が爆発してしまうのも分かる。あそこは映画を観ていてシビれる展開でしたね。

「癒やしを必要な人に、癒やしが届く曲になれば良いな」

——インスパイア・ソングの「シオン」は、そんな風に強い感情が溢れ出すような曲ですね。いろんな要素、いろんな感情が詰まった映画でしたが、曲を作る時には映画のどんなところに焦点を当てたのでしょうか。

HIDE:自分たちが作った曲が映画を見た方にとっての何かになってほしい、と思った時に、この作品にはいろんな要素があるけれど、一番大きな要素は「癒やし」じゃないかと思ったんです。いま、癒やしを必要な人に癒やしが届く曲になれば良いな、と思いました。

navi:どんなメロディーや曲調にしたら映画の雰囲気に合うのかな、と考えながら映画を観させてもらったんですけど、いろんな要素がある映画なのでどんな曲でも合いそうだったんですよね。明るい曲にもできたし、もっとバラードっぽくもできた。でも、最終的に癒やしをテーマしたことでこの曲が生まれたんです。

HIDE:その一方で、癒やしに限らず、映画を観た方が必要としているものを届けられる曲にしたいとも思ったんです。そして、映画全体が醸し出している雰囲気みたいなものが曲になったらどんな風になるんだろう?と考えながらギターを弾いている時にメロディーが降りてきました。

——まず、メロディーが生まれたんですね。

HIDE:僕らの曲はいつもメロディーが先なんです。今回は「この映画を観て良かった。この曲を聴いて良かった」と思ってほしい相手を想像して、その人に向けて歌詞を考えました。

——「あなた」に語りかける歌詞になっていますね。季節が歌詞のモチーフになっているようにも思えたのですが。

HIDE:気が付いたらそうなっていた、という感じですね。設計図的なものはなく、自然に出てきた言葉をつなげて歌詞にしました。

——naviさんはHIDEさんが書いた歌詞について、どう思われました?

navi:季節を巡りつつ、最後に「私は生きていく」という強い意志を出すところが印象的でしたね。

HIDE:震災が起こってから、今も前に進めない方がたくさんいらっしゃると思うんですよ。でも、動けなくても今ある命を惜しみなく使っている。そういう気がしたんですよね。

——晋作が想いを寄せる百香(井上真央)も、震災以降に動けなくなった女性でしたね。「シオン」という曲名はどこから取られたのでしょうか。

HIDE:曲のタイトルを決めるのはいつも一番最後なんです。できた曲を聴いたり、歌詞を読んだりして、この曲は何を言っているんだろう?と考えて曲名を考えるんですけど、そこでたどり着いたのが「シオン」でした。シオン(紫苑)の花言葉が「追憶」で、それが映画や曲にも合っていると思ったんです。でも、「この曲名の意味は追憶です」と言い切りたくはなくて。ただ、「シオン」という言葉の響きがすてきだな、と思っていただいてもいいですし、曲を聴かれる方それぞれが好きなように感じてくれたら良いな、と思います。

——東日本大震災で傷ついた人々を、映画の題材として取り上げるのはとてもデリケートなことです。お二人は震災も体験し、HIDEさんは震災直後に歯科医師として現地に入られたりもされましたが、映画で描かれた震災が人々に与えた影響についてどう思われました?

HIDE:この映画で伝えたいのは、東北は時間はかかりながらもちゃんと前向いていますよっていうことだと思うんですよ。そういうことが映画をご覧になった方に伝わるのは素晴らしいし、そういう作品に参加できたのはありがたかったですね。

——晋作と衝突していた地元住民のケン(竹原ピストル)が、芋煮会で晋作に向かって「俺たちのことを見ててくれたらいいんだ」と言うのを聞いて、そういう想いもあるのか、と思いました。被災地で暮らす人々に対して、どんなふうに接していいのか分からない自分にとって心に響く言葉でした。

navi:僕も今、そのセリフを思い出していたんです。地元の人たちの意見はいろいろあると思うんですけど、「見ててくれたらいい」というのは、とてもバランスが取れた良い答えというか、あのセリフを聞いて「そうだよな」ってすごく納得しました。

GRe4N BOYZとしての新たなスタート

——昨年、GReeeeNはGRe4N BOYZとして再出発して新作アルバムもリリースされました。グループ名を変えたことで、音楽に対する向き合い方に変化は生まれました?

HIDE:急に何かが大きく変わったりはしないんですけど、名前が変わるというのは大きなことだというのは実感しました。新しいグループ名を認知していただくのがすごく大変で。でも、僕らのことや僕らの音楽を信じてライブに来ていただいたり、作品を聴いてくださったりしてる方たちが、こんなにもたくさんいてくださるんだということを知ることができた。そういう人々に対して恩返しをするというか、これから一緒に成長していけたら良いな、と思ってます。

navi:名前を変えてもついて来てくれるファンの方には本当に感謝してます。あと、GReeeeNだった時は、メンバーの間で「GReeeeNってこうだよね」ってなんとなく意識していることがあったんです。でも、GRe4N BOYZになってからは、そういうことは意識せずにいろんなことに挑戦するようになりました。そのおかげで音楽の幅が広がった気がするんですよね。

——晋作が三陸で暮らすようになって新しい人生を歩み始めたことと、GReeeeNがGRe4N BOYZとして再出発したことは重なるところがあるような気がします。

HIDE:そうですね。晋作は新しい価値観に触れて、今までとは違ったものを素敵だと思えるようになった。今の自分たちはそういう状態に近い気がします。これまで僕たちの音楽を聴いてくれていた人たちにとっても、そうだと思うんですよ。GRe4N BOYZの音楽に触れて、新しい魅力を感じてくれるとうれしいですね。

navi:晋作が前向きな姿勢で新しい価値観に向き合っているところにも共感していて。いま、僕たちもフレッシュな気持ちで音楽に向き合っていて、これからいろんなことに出会えそうだなって今すごくワクワクしているんです。

■映画「サンセット・サンライズ」
出演:菅田将暉
井上真央
竹原ピストル 山本浩司 好井まさお 藤間爽子 茅島みずき
白川和子 ビートきよし 半海一晃 宮崎吐夢 少路勇介 松尾貴史
三宅健 池脇千鶴 小日向文世 / 中村雅俊
脚本:宮藤官九郎
監督:岸善幸
原作:楡周平「サンセット・サンライズ」(講談社文庫)
音楽:網守将平
歌唱:⻘葉市子
企画・プロデュース:佐藤順子
制作プロダクション:テレビマンユニオン
配給:ワーナー・ブラザース映画
©︎楡周平/講談社 ©︎2024「サンセット・サンライズ」製作委員会
https://wwws.warnerbros.co.jp/sunsetsunrise/

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「ゲラン」新美容液はブラックビーハニーの修復力に着目 ボンテ博士が語る製品開発

「ゲラン(GUERLAIN)」は2月1日、ブランドを代表するライン“アベイユ ロイヤル”のブースト美容液“ウォータリー オイル セロム”(30mL、1万4300円/50mL、1万9800円)をリニューアル発売する。ミツバチとハチ由来成分の持つ自己修復力に関する研究プラットフォーム「ビー・ラボ(BEE LAB)」の研究を基に処方をアップデート。フレデリック・ボンテ(Frederic Bonte)=「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクターにリニューアルの重点や、「ゲラン」の製品開発について聞いた。

PROFILE: フレデリック・ボンテ/「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター

フレデリック・ボンテ/「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター
PROFILE: パリ第11大学薬理学博士課程卒業。1985年には、91年にノーベル物理学賞を受賞したピエール・ジル・ド・ジェンヌ教授のコレージュ・ド・フランスの研究室で、インターフェースの生理化学に関する博士論文を執筆。その後は「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクターとして、LVMHグループ内の約50の特許取得に携わる。毎年LVMHリサーチが開催する国際科学シンポジウムの責任者を10年以上にわたり務め、コスメトロジーの新たな方向性を切り開いてきた。多くの専門協会会員であり、フランス国立薬学アカデミーの主要薬理学史者でもある

WWD:5代目となる製品のリニューアルの着想源は?

フレデリック・ボンテ=「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター(以下、ボンテ博士):美容医療における脂肪注入注射後の肌は、ボリューム感だけでなく質感の改善も見られることに着目した。そこから肌の修復や再生において重要な役割を持つ間葉系幹細胞の研究を進め、今回の処方を完成させた。

WWD:処方の特徴は?

ボンテ博士:「ゲラン」が持つ300種類を超えるハチミツの分析データをもとに、約3年かけて3種のブラックビーハニーを選び抜いた。独自ルートで調達したロイヤルゼリーとブレンドし、エイジングやストレスなどにより低下した間葉系幹細胞の活性化にアプローチする。輝きのある肌を演出する“グロウブースターコンプレックス”や、プロポリス、ヒアルロン酸も新たに配合した。オイル成分はマイクロビーズに配合することで、オイル美容液特有のベタつき感を解消。また天然由来成分を99%まで高めた。

WWD:5代目まででハチミツの何が分かってきたのか?

ボンテ博士:ハチミツの品種によって含有成分の違いや役割についての研究が進んでいる。分析の手法も年々進化してきた。ハチミツの栄養素をより細かく分析できるようになり、今回のリニューアルが実現した。同じブラックビーハニーでも、生息地や周っている花の種類などにより構成要素が全く異なる。今回はフランス、アイルランド、ノルウェーの黒ミツバチから採れたブラックビーハニーを採用した。

WWD:ハチミツ採取の仕組みは?

ボンテ博士:養蜂家の生産体制を細かく確認し、ハチミツの長期的な共有ができる強固なパートナーシップを結んでいる。フランスのウェッサン島には「ゲラン」のためだけに働いてくれる養蜂家もいる。「ゲラン」の研究者は年数回ウェッサン島やアイルランド、ノルウェーに赴き、現地の養蜂家と直接コミュニケーションを取っている。「ゲラン」は肌組織や成分の研究だけでなく、ミツバチの生態系や養蜂家の働き方も重視する。よい原料なくして、よい製品を作ることはできない。

WWD:6代目、7代目へ向けた計画は?

ボンテ博士:今後のプロジェクトはまだ秘密だ。「ゲラン」が注目する黒ミツバチは多くの可能性を秘めているので、ブラックビーハニーの研究を続けさらなる進化につなげたい。また皮膚間葉系幹細胞についても、老化科学と再生を研究するフランスの研究機関、リストア研究所と連携し研究を進める。

WWD:“ウォータリー オイル セロム”は特にどのような人におすすめなのか?

ボンテ博士:肌のハリや潤い、輝きを求める人に特におすすめだ。肌の深層部まで潤うことで、毛穴やキメの乱れの目立ちにくさにもつながる。評価テストでは肌の赤みが落ち着いた結果も見られたので、敏感肌の人も使用できる。単体でも効果を発揮するが、“アベイユ ロイヤル”の中では“アドバンスト ダブルR セロム”(30mL、2万570円/50mL、2万8160円)との組み合わせを推奨する。より肌状態を向上することができるだろう。

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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。

同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。

私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。

初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。

もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。

8:理想の休日の過ごし方は?

街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。

9:自分にとっての1番の宝物は?

宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。

10:これから叶えたい夢は?

私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。

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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。

同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。

私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。

初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。

もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。

8:理想の休日の過ごし方は?

街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。

9:自分にとっての1番の宝物は?

宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。

10:これから叶えたい夢は?

私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。

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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。

同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。

私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。

初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。

もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。

8:理想の休日の過ごし方は?

街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。

9:自分にとっての1番の宝物は?

宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。

10:これから叶えたい夢は?

私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。

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フルート奏者から俳優へ 「東京産、ロサンゼルス製」のマルチクリエイターRiRiaの半生

PROFILE: RiRia/俳優、マルチクリエイター

RiRia/俳優、マルチクリエイター
PROFILE: (りりあ)東京生まれ。10歳でプロのフルート奏者としてデビューし、浅田真央選手のオリンピック出場楽曲を担当する。17歳でハリウッドへ進出し、エミー賞9冠受賞のドラマ「ハックス」などに出演。近年はクリエイターとして活躍の場を広げ、トヨタ自動車「スーパーフォーミュラ」のCMを監督した

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第6回はマルチクリエイターのRiRiaに、フルート奏者から俳優へ転向しマルチクリエイターとして活躍する半生を聞く。

マイケル・ジャクソンに胸を打たれてロサンゼルスへ

水嶋和恵(以下、水嶋):ロサンゼルスに至るまでの経歴は?

RiRia:3歳でリコーダー、7歳でクラシックフルートの演奏を始め、10歳でプロフルート奏者としてデビューしました。人生のとても早い段階でプロになり、14歳でプロフィギュアスケーターの浅田真央選手の競技使用曲を演奏しました。

水嶋:日本で活躍している中、なぜロサンゼルスに移住したのですか?

RiRia:16歳で自分の中で限界を感じてしまったんです。元々話すことが大好きで、両手と口がふさがるフルートの表現に限界を感じました。もっと大きいことがしたい、もっと表現がしたいと思っていた矢先、テレビをつけたらマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の姿が。2009年、彼が亡くなる4カ月前でした。エンターテイメントの世界で、同じ表現者でもこれだけ違うのかと衝撃を受けました。パフォーマーである彼から観客がエネルギーを感じ取っている。その姿を見て、マイケルがいるアメリカ・ロサンゼルスで表現者になりたいと思いました。彼を超えていく!と。

水嶋:人生のターニングポイントですね。

RiRia:はい。両親に米国移住の決意を伝えたところ、「次の国際大会で優勝したら、アメリカへの片道チケットをプレゼントする」と言ってくれました。11年のマクサンス・ラリュー国際フルートコンクールで最年少優勝することができ、12年1月、両親との約束を胸に、米国への移住を見据えてニューヨークとロサンゼルスを視察しました。行った時期のニューヨークが極寒だったこともあり、ロサンゼルスに行くことを決めました。

ただ、ロサンゼルスに来てがっかりしたこともあります。私はファッションが大好き。ロサンゼルスはセレブや水嶋さんのようなファッション業界のおしゃれな人であふれていると思っていたので、移住して最初の頃は、人々があまりにもカジュアルなのを見て、正直残念に感じましたね。それでも気候は素晴らしく、エンタメの中心地です。舞台ではなく映像で俳優をしたいという思いもあり、やはり自分が住むのにふさわしいのはハリウッドだと思いました。

水嶋:ロサンゼルスに来てすぐの頃は、どんな生活をしていましたか?

RiRia:移住をするのに高校卒業まで待てない自分がいて、高校2年生でロサンゼルスへ。最初は公立高校に通いながら、音楽大学付属のプレカレッジに通い、学生寮に住んでいました。俳優・表現者になりたいとロサンゼルスに来たけれど、最初の4~5年は音楽留学となってしまい、やりたいことを思うようにできない時期でした。

水嶋:移住した当初の英語力はどうでしたか?

RiRia:英語力は全くなく、人に話かけることもハグをすることもできなかったですね。いつの間にか英語力が身についたのですが、音楽をやってきたのは英語習得において、ラッキーだったかなと。

水嶋:リスニング(聴力)に長けていそうですよね!

RiRia:また、公立高校に通ったことで英語力がついたように思います。周りに日本人もいなかったので、その環境にもまれながら、高校生活を送れたのは大きかったです。

米国で俳優、マルチクリエイターとして活躍の幅を広げる

水嶋:卒業してから、仕事を得るまでの道のりはどのようなものでしたか?

RiRia:17年、EB-1ビザ(第一優先枠:突出した能力や知名度を持つ人物に与えられるビザ)を取得し、米国で就労可能に。そこから階段を登るように、表現者としてコマーシャル出演、さまざまな方のミュージックビデオ出演と仕事が決まっていき、エージェントもつきました。

水嶋:エンタメの地ロサンゼルスでは、多くの事務所が存在しますが、自分に合うエージェントを見つけるのは容易ではなかったのでは。

RiRia:巡り合わせがとても重要でした。大きな事務所だからといって、仕事が入ってくるとは限らない。小さい事務所だからこそ、親身になってくれる場合もあります。日本のマネージメントの仕組みとは異なり、米国では短い期間であっても、納得のいく結果が得られない場合は、タレントが事務所を変更できます。今までに7回事務所を変え、やっとしっくりくるマネージメントと共に仕事をしています。

水嶋:俳優業をしながら、グラフィックデザインや動画クリエイションをしていますが、マルチクリエーターとして活動するに至った経緯を教えてください。

RiRia:幼いときから、コラージュやペーパークラフトをはじめ、何かを創造するのが好きでした。パンデミック中に「おうち時間で何か楽しいことをしよう。みんなを勇気づけられたら」という思いで、自分の作品をソーシャルメディアに投稿したのがきっかけです。自分の体を紙人形に見立てて着せ替えするデジタル作品“RiRia紙人形”。この作品への反響がとても大きく、企業からのコラボ案件をいただくようになりました。

水嶋:紙人形という古くから日本に伝わるものを、デジタルで表現するなんて素敵ですね!

RiRia:ありがとうございます。この作品をきっかけに、韓国女性グループ 2NE1のメンバーの一人であるCLがソロデビューをする際のミュージックビデオ「+DONE161201+」を監修してほしいとの依頼が。本人からインスタグラム経由でオファーをいただいたので「見てくれている人がいる、こんなことがあるんだ」と驚きました。

水嶋:カメオ出演もされたんですよね。まさに、アメリカンドリーム!多くのミュージックビデオや広告のクリエイティブを担当していますが、最近はどのようなプロジェクトがありましたか?

RiRia:キャセイパシフィック航空のウェブCMのクリエイティブを担当しました。自分をコラージュにして、世界を舞台に「駆ける、架ける、賭けるRiRia」を表現したストップモーションビデオです。少しユーモアのある、遊び心のある作品に仕上がりました。

水嶋:トヨタ自動車とクリエイターとの共創プロジェクト「トヨタ ディレクターズカット(TOYOTA DIRECTORSCUT)」での、RiRiaさんの映像作品も記憶に新しいですが、いかがでしたか?

RiRia:空想のゲームをつくり、キャラクターをデザインし、グラフィックを作り込み、実写でも登場する。ディレクション、編集、そして出演もしたので、大変な作業でした。でも、自分の頭の中のものを一番忠実にアウトプットできるのは自分しかいないと思うので、自分で全てできてしまうのは、アーティストとしての強みだなと思います。

フルート奏者から俳優へ、気持ちが切り替わった転機

水嶋:俳優として出演した思い出深い作品はありますか?

RiRia:ユナイテッド航空のテレビCM出演が印象に残っています。フルートの演奏ができて、奇抜な容姿の俳優を探しているとのことでした。

水嶋:それは、RiRiaさんしかいないですね!

RiRia:私以外に誰かいるのかな?いるなら見てみたい!と思いましたね。撮影はグランドキャニオンの頂上で一人。クルーは数km先まで下山をし、ヘリコプターからの撮影でした。フルート奏者としての自分から、俳優としての自分に切り替わった瞬間に、自分の中で「これだ」と腑に落ちました。今まで積み重ねてきたことから、これから目指す自分が見えました。今でも、あのグランドキャニオンから見た夕焼けと、そのときの自分の感情を思い出します。

水嶋:プロの俳優として歩み出した、素晴らしいターニングポイントですね。

RiRia:そこからドラマ出演も決まるようになりました。「ドールフェイス」(Huluオリジナル)でチェリーという名のロックスター役で出演、またエミー賞9冠を受賞した「ハックス」(HBOオリジナル)に出演。実はスタイリスト役なんです!

水嶋:そうなのですね!ファッションが好きだとおっしゃっていましたが、現場の印象はいかがでしたか?

RiRia:ファッションが好きな私としては、憧れの職業でもあるスタイリストの役を演じられるのは、夢のような時間でした。セットの作り込みも、用意されている衣装も素晴らしく、その空間にいるだけで、ワクワクしました。少しでも自分の性格を投影できる役はしっくりきますね。日本人限定でキャスティングされるよりも、人種関係なく自分がハマる役に挑んでいきたいです。それが自分の役者スタイルだと思います。米国の人々が思う日本のイメージはあると思いますが、ニュー・トーキョー、ニュー・ジャパンを彷彿させる役者でいたいと思っています。

水嶋:RiRiaさんとの出会いは、ロサンゼルス日本大使館主催のイベント「JX」。女優のAKEMIさんが紹介してくれました。とてもファッショナブルで、日本人とは違う存在感とすてきなオーラを感じました。さすがハリウッドで活躍している人だと思いました。

RiRia:私は「東京産、ロサンゼルス製」。二つの土地の素晴らしさを融合して、クリエイションを続けたいです。日本に向けて何かを制作するのは、私にとってグローバル。25年は日本での活動も増やしていきたいです!

PHOTOS:TADASHI TAWARAYAMA[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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フルート奏者から俳優へ 「東京産、ロサンゼルス製」のマルチクリエイターRiRiaの半生

PROFILE: RiRia/俳優、マルチクリエイター

RiRia/俳優、マルチクリエイター
PROFILE: (りりあ)東京生まれ。10歳でプロのフルート奏者としてデビューし、浅田真央選手のオリンピック出場楽曲を担当する。17歳でハリウッドへ進出し、エミー賞9冠受賞のドラマ「ハックス」などに出演。近年はクリエイターとして活躍の場を広げ、トヨタ自動車「スーパーフォーミュラ」のCMを監督した

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第6回はマルチクリエイターのRiRiaに、フルート奏者から俳優へ転向しマルチクリエイターとして活躍する半生を聞く。

マイケル・ジャクソンに胸を打たれてロサンゼルスへ

水嶋和恵(以下、水嶋):ロサンゼルスに至るまでの経歴は?

RiRia:3歳でリコーダー、7歳でクラシックフルートの演奏を始め、10歳でプロフルート奏者としてデビューしました。人生のとても早い段階でプロになり、14歳でプロフィギュアスケーターの浅田真央選手の競技使用曲を演奏しました。

水嶋:日本で活躍している中、なぜロサンゼルスに移住したのですか?

RiRia:16歳で自分の中で限界を感じてしまったんです。元々話すことが大好きで、両手と口がふさがるフルートの表現に限界を感じました。もっと大きいことがしたい、もっと表現がしたいと思っていた矢先、テレビをつけたらマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の姿が。2009年、彼が亡くなる4カ月前でした。エンターテイメントの世界で、同じ表現者でもこれだけ違うのかと衝撃を受けました。パフォーマーである彼から観客がエネルギーを感じ取っている。その姿を見て、マイケルがいるアメリカ・ロサンゼルスで表現者になりたいと思いました。彼を超えていく!と。

水嶋:人生のターニングポイントですね。

RiRia:はい。両親に米国移住の決意を伝えたところ、「次の国際大会で優勝したら、アメリカへの片道チケットをプレゼントする」と言ってくれました。11年のマクサンス・ラリュー国際フルートコンクールで最年少優勝することができ、12年1月、両親との約束を胸に、米国への移住を見据えてニューヨークとロサンゼルスを視察しました。行った時期のニューヨークが極寒だったこともあり、ロサンゼルスに行くことを決めました。

ただ、ロサンゼルスに来てがっかりしたこともあります。私はファッションが大好き。ロサンゼルスはセレブや水嶋さんのようなファッション業界のおしゃれな人であふれていると思っていたので、移住して最初の頃は、人々があまりにもカジュアルなのを見て、正直残念に感じましたね。それでも気候は素晴らしく、エンタメの中心地です。舞台ではなく映像で俳優をしたいという思いもあり、やはり自分が住むのにふさわしいのはハリウッドだと思いました。

水嶋:ロサンゼルスに来てすぐの頃は、どんな生活をしていましたか?

RiRia:移住をするのに高校卒業まで待てない自分がいて、高校2年生でロサンゼルスへ。最初は公立高校に通いながら、音楽大学付属のプレカレッジに通い、学生寮に住んでいました。俳優・表現者になりたいとロサンゼルスに来たけれど、最初の4~5年は音楽留学となってしまい、やりたいことを思うようにできない時期でした。

水嶋:移住した当初の英語力はどうでしたか?

RiRia:英語力は全くなく、人に話かけることもハグをすることもできなかったですね。いつの間にか英語力が身についたのですが、音楽をやってきたのは英語習得において、ラッキーだったかなと。

水嶋:リスニング(聴力)に長けていそうですよね!

RiRia:また、公立高校に通ったことで英語力がついたように思います。周りに日本人もいなかったので、その環境にもまれながら、高校生活を送れたのは大きかったです。

米国で俳優、マルチクリエイターとして活躍の幅を広げる

水嶋:卒業してから、仕事を得るまでの道のりはどのようなものでしたか?

RiRia:17年、EB-1ビザ(第一優先枠:突出した能力や知名度を持つ人物に与えられるビザ)を取得し、米国で就労可能に。そこから階段を登るように、表現者としてコマーシャル出演、さまざまな方のミュージックビデオ出演と仕事が決まっていき、エージェントもつきました。

水嶋:エンタメの地ロサンゼルスでは、多くの事務所が存在しますが、自分に合うエージェントを見つけるのは容易ではなかったのでは。

RiRia:巡り合わせがとても重要でした。大きな事務所だからといって、仕事が入ってくるとは限らない。小さい事務所だからこそ、親身になってくれる場合もあります。日本のマネージメントの仕組みとは異なり、米国では短い期間であっても、納得のいく結果が得られない場合は、タレントが事務所を変更できます。今までに7回事務所を変え、やっとしっくりくるマネージメントと共に仕事をしています。

水嶋:俳優業をしながら、グラフィックデザインや動画クリエイションをしていますが、マルチクリエーターとして活動するに至った経緯を教えてください。

RiRia:幼いときから、コラージュやペーパークラフトをはじめ、何かを創造するのが好きでした。パンデミック中に「おうち時間で何か楽しいことをしよう。みんなを勇気づけられたら」という思いで、自分の作品をソーシャルメディアに投稿したのがきっかけです。自分の体を紙人形に見立てて着せ替えするデジタル作品“RiRia紙人形”。この作品への反響がとても大きく、企業からのコラボ案件をいただくようになりました。

水嶋:紙人形という古くから日本に伝わるものを、デジタルで表現するなんて素敵ですね!

RiRia:ありがとうございます。この作品をきっかけに、韓国女性グループ 2NE1のメンバーの一人であるCLがソロデビューをする際のミュージックビデオ「+DONE161201+」を監修してほしいとの依頼が。本人からインスタグラム経由でオファーをいただいたので「見てくれている人がいる、こんなことがあるんだ」と驚きました。

水嶋:カメオ出演もされたんですよね。まさに、アメリカンドリーム!多くのミュージックビデオや広告のクリエイティブを担当していますが、最近はどのようなプロジェクトがありましたか?

RiRia:キャセイパシフィック航空のウェブCMのクリエイティブを担当しました。自分をコラージュにして、世界を舞台に「駆ける、架ける、賭けるRiRia」を表現したストップモーションビデオです。少しユーモアのある、遊び心のある作品に仕上がりました。

水嶋:トヨタ自動車とクリエイターとの共創プロジェクト「トヨタ ディレクターズカット(TOYOTA DIRECTORSCUT)」での、RiRiaさんの映像作品も記憶に新しいですが、いかがでしたか?

RiRia:空想のゲームをつくり、キャラクターをデザインし、グラフィックを作り込み、実写でも登場する。ディレクション、編集、そして出演もしたので、大変な作業でした。でも、自分の頭の中のものを一番忠実にアウトプットできるのは自分しかいないと思うので、自分で全てできてしまうのは、アーティストとしての強みだなと思います。

フルート奏者から俳優へ、気持ちが切り替わった転機

水嶋:俳優として出演した思い出深い作品はありますか?

RiRia:ユナイテッド航空のテレビCM出演が印象に残っています。フルートの演奏ができて、奇抜な容姿の俳優を探しているとのことでした。

水嶋:それは、RiRiaさんしかいないですね!

RiRia:私以外に誰かいるのかな?いるなら見てみたい!と思いましたね。撮影はグランドキャニオンの頂上で一人。クルーは数km先まで下山をし、ヘリコプターからの撮影でした。フルート奏者としての自分から、俳優としての自分に切り替わった瞬間に、自分の中で「これだ」と腑に落ちました。今まで積み重ねてきたことから、これから目指す自分が見えました。今でも、あのグランドキャニオンから見た夕焼けと、そのときの自分の感情を思い出します。

水嶋:プロの俳優として歩み出した、素晴らしいターニングポイントですね。

RiRia:そこからドラマ出演も決まるようになりました。「ドールフェイス」(Huluオリジナル)でチェリーという名のロックスター役で出演、またエミー賞9冠を受賞した「ハックス」(HBOオリジナル)に出演。実はスタイリスト役なんです!

水嶋:そうなのですね!ファッションが好きだとおっしゃっていましたが、現場の印象はいかがでしたか?

RiRia:ファッションが好きな私としては、憧れの職業でもあるスタイリストの役を演じられるのは、夢のような時間でした。セットの作り込みも、用意されている衣装も素晴らしく、その空間にいるだけで、ワクワクしました。少しでも自分の性格を投影できる役はしっくりきますね。日本人限定でキャスティングされるよりも、人種関係なく自分がハマる役に挑んでいきたいです。それが自分の役者スタイルだと思います。米国の人々が思う日本のイメージはあると思いますが、ニュー・トーキョー、ニュー・ジャパンを彷彿させる役者でいたいと思っています。

水嶋:RiRiaさんとの出会いは、ロサンゼルス日本大使館主催のイベント「JX」。女優のAKEMIさんが紹介してくれました。とてもファッショナブルで、日本人とは違う存在感とすてきなオーラを感じました。さすがハリウッドで活躍している人だと思いました。

RiRia:私は「東京産、ロサンゼルス製」。二つの土地の素晴らしさを融合して、クリエイションを続けたいです。日本に向けて何かを制作するのは、私にとってグローバル。25年は日本での活動も増やしていきたいです!

PHOTOS:TADASHI TAWARAYAMA[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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小袋成彬が語る新作「Zatto」と「ロンドンでの出会い」 「ジャパニーズ・ソウルって感じですよね」

PROFILE: 小袋成彬/ミュージシャン

PROFILE: (おぶくろ・なりあき)1991年生まれ。埼玉県さいたま市出身、ロンドン在住。立教大学を卒業後、プロデューサーのYaffleと共に音楽プロダクション「TOKA」を設立。2018年、宇多田ヒカルをフィーチャリングに迎えたシングル「Lonely One」でメジャーデビューを果たし、同年リリースのデビューアルバム「分離派の夏」は第11回CDショップ大賞2019にノミネートされた。19年、セルフプロデュースによる2ndアルバム「Piercing」、2021年には3rdアルバム「Strides」をリリース。19年以降、活動拠点をイギリスに移し、世界各国のミュージシャンとのコラボレーションを展開。J-WAVEの音楽番組「Flip Side Planet」のMCも務めている。

小袋成彬が、3年ぶり4枚目となるアルバム「Zatto」をリリースした。これまでもアルバムごとに作風を変えてきた彼だが、本作を聴いて分かる通り、今作の進化はかなりラディカルなものになっている。ロンドンで暮らしはじめて5年という月日が経過した今の小袋成彬だからこそ生み出せる、現地で出会ったミュージシャンたちと作り上げた結晶のような音。ロンドンでの生活と、そこで見聞きし考えたことが何なのか、詳しく訊いてみた。

「デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器」

——アルバム「Zatto」を聴きました。正直、かなり驚いています。これはどういう音楽かと聞かれたら、「音楽的にはジャズでソウルミュージックで……」って答えるんだけど、そんなものでは言い表せない小袋さんのソウルが鳴っています。

小袋成彬(以下、小袋):ジャパニーズ・ソウルって感じですよね。ちあきなおみや和田アキ子あたりの。

——何があってこんな境地にたどり着いたのか。

小袋:最初はハウスミュージックのアルバムを作ってたんですよ。でもコロナになって、ブラック・ライブズ・マターもあって、ウクライナやガザの戦争も起きて、日本に住んでたら関係なさそうな出来事が一気に身近になっていった。いつも行くパブで働くウクライナ人の女の子がどんどん憔悴していく感じとか見てると、もう無関係じゃないなって思えてきて。ハウスミュージック作ってる場合じゃないかも、って。それでハウスミュージックのアルバムは完成半ばで諦めたんですよ。
※その時に制作された楽曲のうち3曲はアルバムのリリース前に配信された。

次第に、ブルースやジャズが響くようになってきた。ロンドン生活が長くなってきて黒人の友達も増えてきたので、彼らが日々考えてる悩みも実感レベルで分かるようになってきたんです。そうすると、ダニー・ハサウェイががっつり入ってくるようになった。フリーダムっていう概念も、正直それまであまりピンと来てなかったんですよ。別に俺は生まれながらにフリーダムだけど、って思ってたし。でも、ロンドンは生まれながらに抑圧されている人たちがいっぱいいるんですよね。そういう延長線上で、今作は生まれていきました。

——世相の変化を受けて、踊っている場合じゃないという心境になってきたと。

小袋:踊ってても、戦争の映像とかがちらつくんですよ。なんか違うな、って思えてきた。

——そこからなぜジャパニーズ・ソウルに?

小袋:ダニー・ハサウェイみたいなカッコいいのを作りたいなと思うけど、やっぱり英語だと猿真似になっちゃうなって。試行錯誤していくうちにここにたどり着いたって感じです。でも、ロンドンの人たちに聴かせたらすごく自然に受け入れてくれてたから、日本語なんだけど譜割りやグルーブは西洋の影響を受けてるんじゃないかな。俺は普段は日本語を喋らないので。

——サウンドは、どのようなアプローチで生まれていったんでしょうか。

小袋:それぞれリファレンスはちゃんとありますよ。「Hanazakari」はボブ・マーリーの「Slave Driver」って曲があって、その弾き語りをずっと練習してたら生まれてきた。でも同じコードだとボブ・マーリーそのままになっちゃうから、いろいろ変えてみました。マイルス・デイヴィスに「All Blues」って曲があるんですよ。半音だけ転調する瞬間があるんですけどそれが手癖で出ていたり。今回はちゃんと楽器を手に取って作ろうという思いがあったので、デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器ですね。

ロンドンの多様なミュージシャンとの制作

——今作がすごく贅沢なのは、その演奏に集まっているミュージシャンが、今のロンドンのシーンを作っている活きのいい人たちばかりで。しかも、曲によってその座組みもバラバラです。これは、やりたいことに合わせてメンバーを変えていったということですよね。

小袋:まさにそうです。レゲエが弾ける人、チャーチミュージックが得意な人ってそれぞれに得手不得手があるので、特性を考えてバンドを組んでいます。だいたい1バンドにつき2曲で、4バンドで作ってますね。

——それぞれの演奏のアドリブについては、ミュージシャンにどの程度任せていたんですか?

小袋:アドリブもけっこう入ってますよ。でも、大きな設計図は自分が書きました。ここは誰々のソロです、ここのピアノはこういうリズムで弾いてください、というルールの中で遊んでもらってます。だから、今回は基本的にはジャズセッションのメンツを集めています。月曜、火曜にロンドンでフリージャズのセッションがあって、そこに通って出会った人たち。知った仲だし、ある程度どうなるかイメージは描けてました。

——出てきた演奏に対しては、小袋さんはどういったディレクションをされたんですか?

小袋:例えば「Shiranami」だと、英語で「White Waveだよ」って説明しても、ヨーロッパの人たちは南フランスのビーチとかを想像しちゃう(笑)。実際に日本の人たちが想起するのは、岩に打ちつける波しぶきや磯の匂いですよね。「違う違う、そんな弾き方しないでくれ!東映のロゴと一緒に出てくるあの波が日本のShiranamiだよ!」って言うと、理解してくれたり。

——なるほど(笑)。「Kamifubuki」も「Shiranami」と同じミュージシャンが集っていますけど、ニュアンスがまた全然違いますよね。だから、演奏については小袋さんのディレクションがけっこう入っているんだろうなと思いました。

小袋:一回バンドメンバーの前で英語で歌うんですよ。歌詞を理解してもらいたいから。「Shiranami」も、「旗を燃やして人の夢を照らす」っていうのを「Burning the flag to light up people’s dream」とか訳して歌うと、「yeah!!」って返ってくる。そもそも「Shiranami」に関しては、ダニー・ハサウェイがピンク・フロイドと一緒にやったらこんな感じになると思うんだけどって説明すると、あぁなるほどね! って。

——ロンドンのジャズシーンだと、そういったディレクションしながらのセッション&レコーディングは普通なんですか?

小袋:珍しいと思う。いろんなレコーディングに行きましたけど、こんなに明確なビジョンを持って入ることってそんなにない。だいたい皆、適当に入って適当に弾いて帰っていくから。今日のセッションって結局なんだったんだ? みたいなのも多いですよ。そんな感じだから、皆「これだけ分かりやすく説明してくれてありがとう」って言ってました。何をやればいいか理解できた、って。でも金払ってるの自分だし、もったいないことしたくないじゃないですか。だからこそ決めるところは決めつつ自由にやらせるところはやらせて、っていうのは意識しましたね。そういったアプローチや人間関係は、5年間ロンドンに住んで培ってきたもの。ほんと、いろんな人がいるから。そもそも時間通りに来ない人、昼飯行ったきり帰ってこない人……そういう奴に限って一番巧いからムカつくんだけどね(笑)。5年前だったら発狂してたけど、もう慣れました。

——ということは、今作は音楽性も演奏も含めて、小袋さんが5年間ロンドンに住んだ結果の集大成と言えるのかもしれないですね。5年前だったら絶対に生まれていないアルバム。

小袋:自分がディレクションする形でロンドンのミュージシャンと一緒にやったのは、宇多田(ヒカル)さんのセッションで「丸の内サディスティック」を演奏したのが最初だったんです。だけど、当時は英語も喋れないし、ミュージシャンの人たちのことを何も分かってないし、俺全然だめだわって思った。もちろん完成したものには満足してるんだけど、でもクリス・デイヴはじめいろんな人の特性や性格を分かってなかったから。未熟だった。今は一人ひとりのグラデーションが分かってきたし、そういう意味では今が集大成と言えますね。

日本語の歌詞

——そうやってロンドンのミュージシャンが集結して演奏していながらも、特に「Shiranami」あたりに顕著ですけど、演歌にも接近するような日本らしさが出てきているのはなぜでしょう。

小袋:やっぱり、日本語だからそうなっちゃうんだと思います。自分は、USラップを真似して英語っぽいラップをする意味が全然分かんなくて、日本語の良いところを出してこそだと考えてる。それこそ、洋楽の要素を取り入れつつ日本語の良いところを出す歌い方って、ちあきなおみや和田アキ子で完成したと思ってるんです。ラッツ&スターとかね。あの辺が、まだ日本語の響きを大切にしていた人たちなんじゃないかな。あの人たちのバックバンドって、すごく豪華だったりするじゃないですか。今作は、そういうことをやってるんですよ。で、そこにロンドンの多様性を入れた。

——洋楽の歌い方に影響を受けているんだけど日本語の良さを活かしたハメ方、ということですよね。そこに今のロンドンのミュージシャンに加わってもらうことで、1970年代の日本の歌謡曲・ポップスが、今の小袋さんでしか成し得ない音楽として表現されていると。

小袋:演歌って、譜割りを崩して歌うじゃないですか。このアルバムもかなり崩しているところがあるから、余計に演歌っぽく聴こえるんだと思う。でもそもそものメロディーの作りという点でも工夫していて、日本の歌って主音(音階を構成する最初の音。例えばラシドレミファソラというイ短調の場合、ラが主音となる)で終わる。サム・スミスとか聴いてると、英語だけどメロディーは主音で終わるし日本歌謡っぽいなと感じる。演歌っぽい。でも自分はそういったことはあまりしたくなくて、メロディーについては主音で終わらないようにしてます。だから、他の人には真似できないと思う。

——小袋さんはどんどん日本語を客観的に捉えるようになってきてますよね。だからこそ日本語の良さを活かすんだけど日本語っぽくない譜割りやメロディーを組み立てていくという独自の作風になってきてて、それが一周回って演歌っぽく聴こえるというのがすごく面白い。

小袋:そうですよね。演歌はコブシを効かせつつ、基本的にはオンでノるからグルーブがあまりないんだけど、そこが違うポイント。

——どちらが良いとは一概に言えないけれど、日本語ならではの発音と、洋楽の影響を受けたリズムや発声法のバランスという点では80年代は一つの完成と言えるかもしれないですね。

小袋:2000年代以降は、ドメスティックな方向にまた変化していますよね。スキマスイッチさんをはじめとした、ちゃんと日本語の歌を日本の譜割りで歌っていくんだという流れ。その一方で宇多田さんみたいに完全にニューヨーク仕込みの独自の譜割りで歌う人も出て来たけど。この前日本に帰ってきて紅白(歌合戦)を観てると、Mrs. GREEN APPLEさんは完全にオンでの歌い方でしたね。かえるの歌みたいな、日本語に合う形式の乗せ方。あれはあれで一つのドメスティックに進化した日本の歌だと思います。でも、ブルースはなくなってきてますよね。

「皆にカバーしてほしいし、教科書に載ってほしい」

——「Zatto」は、日本語の響きは大事にしつつも、小袋さんがロンドンで肌で感じているブルース的な心の痛みを歌っているのかもしれないですね。

小袋:ソウルを取り戻せ! ということですかね(笑)。今回参加してくれたミュージシャンたちに、曲の説明をする前にデモを聴かせた時点で皆が「やばいね」って言ってくれたんですよ。何かを歌っている、ソウルが出ている、というのが伝わったんじゃないかな。

——いやはや、ソウルって何なんでしょうか。小袋さんがロンドンで生活して感じたもの、としか言いようのない何かがある。

小袋:汚い屋台のケバブばっかり食べてないと、この音は出なかったかもしれない。前みたいに深夜にコンビニ行く甘ったれた生活じゃなくて、カチカチの寿司と、空っぽの冷蔵庫と……なんで33歳にもなってこんな生活してるんだろうっていう……食ってるもので出る音が違いますから(笑)。

——グルーブには、関わっている人や食べているものが出るって言いますよね。生活そのものだと

小袋:絶対にあると思いますよ。ロンドンで暮らしてると、ビザがなくて1年間ずっとつらい思いをしている人もいるし、親父が戦争に行かされちゃったって言ってる人もいるし、そういった嘆きや苦しみが音に出ることでユニバーサルなソウルとして響くんだと思う。今回参加してくれたピアノのライル・バートン(Lyle Barton)も、ガイアナにルーツがあるって言ってて。ガイアナってどこ?! ってなるじゃないですか。ベースのロゼッタ・カー(Rosetta Carr)もイタリア生まれ、ロンドン在住という経歴だしね。本当にいろんなバックグラウンドの人がいるから。

——歌詞は、固有名詞がどんどん減ってきていて、今作は抽象的な言葉遣いが増えた印象です。

小袋:前とは英語の習熟度が違うというのも大きいと思います。あと「Zatto」のように日本語なんだけど言葉の響きが独特なもの。俺は、作ったらまず日本人じゃない人に聴かせて、そこで歌ってもらえたら勝ちじゃないですか。

——今作はそうやってロンドンでの小袋さんの生活そのものが音としてにじみ出ているんだけど、でもそれを極限まで突き詰めていった結果、ちょっと近寄りがたいものとして完成していますよね。俗世間にまみれたところから生まれたものではあるんだけど、どこか聖なるものに聴こえるというか。たぶん、音が削ぎ落とされ過ぎていて、完全に小袋さんという人間の骨格しか残っていないシンプルさゆえ、なのかもしれないですけど。

小袋:今回って、何も変わったことはしていなくて、全然難しくない。だから、皆にカバーしてほしいし教科書に載ってほしい。音も削ぎ落としてあるし、コードも本当に難しくない。日本の音楽って、コードにうるさいじゃないですか。「ここのコード進行が素晴らしい」とかよく言いますよね。日本はやっぱり、協調性を大事にしてるんだと思う。それぞれのリズムを奏でるよりも、ハーモニーを重視するから。西洋は全然そんなことない。コードなんてAマイナーとEマイナーだけで曲ができちゃうし、リズムとグルーブを重視する。J-POPの価値観は、ハーモニー重視で次にメロディー、そしてリズムは最後。メロディーの在り方も、ハーモニーの中でいかに自分を表現していくかという考え。それで言うと、今回の作品は「Shiranami」の最初とかマジでB♭マイナーしか弾いてないから(笑)。子どもでも弾けます。

——例えば最近の宇多田さんの作品を聴いていても、どんどん楽曲の骨格が際立ってきていますよね。スケルトン化している。小袋さんの今作も、ある意味で共振しているように思います。

小袋:宇多田さんはどんどんミニマルになってきてますよね。まあ、もともとあまりコードがどうって人ではないけど、ロンドンの良いプロデューサーと出会ったことでその傾向がさらに出てきてると思います。

——ちなみに、小袋さんは宇多田さんの「BADモード」についてはアルバム全体としてどう受け止めましたか?

小袋:やっぱりフローティング・ポインツ(Floating Points/サム・シェパード)の曲は良いなって思いました。真似できないしね。そういえば、ロンドンの店で飯食ってたらなぜか隣に偶然サムがいて。うわーって思って、「自分でミックスした段階の曲で、良かったら聴いてもらえない? あまり自信ないんだけど」って「Shiranami」を送ったんですよ。そしたら「自信ないなんて言うなよ」って言われて、しかも聴いてくれて「良かった」って返信が来て。あまりそういうこと言わない人だからめっちゃテンション上がりました。友達と「サムから良かったって返信きたよ!やばっ!」って盛り上がった(笑)。

レコーディングメンバーについて

——すごくレアな体験!(笑) ロンドンのミュージシャンとの交流についてもっと詳しく聞きたいんですけど、今作に参加しているジャズ・シーンの人たちはどういった方が多いんですか?

小袋:「Zatto」と「Tangerine」は、サンファ(Sampha)のバンドでベースを弾いているロゼッタ・カーという女の子で。彼女は歌も歌えて、しかも素敵なので、そこにココロコ(Kokoroko)のドラマーのアヨ・サラウ(Ayo Salawu)を呼びました。アヨは後ろ目でリズムをとる感じなので、ロゼッタと絶対合うなと思って。ピアノのアマネ・スガナミ(Amane Suganami)は知らなくて、今回ギターのティージョー・マン・チェン(Tjoe Man Cheung)に紹介してもらいました。

——アマネさんはイギリス生まれなんですよね。

小袋:ドラムのジェローム・ジョンソン(Jerome Johnson)は教会でずっとドラムを叩いてた人で、ソリッドな音を出すしめちゃくちゃ巧い。「Shiranami」にすごく合うだろうなと思ってティージョーが紹介してくれました。ピアノのローリー・レッドファーン(Rory Redfern)はモデルもやってる人。Daichi Yamamotoがイギリスに来た時にジャズセッションに連れてって、そこで弾いてるのを観て「あいつ巧くない?!」ってなって声をかけた。

——それが、「Kagero」と「Hanazakari」になるとまたガラッと音楽性が違いますよね。

小袋:その2曲はラテンとレゲエなので、また違うメンバーを集めています。ドラムのサム・ジョーンズ(Sam Jones)は、去年東京にいた時に彼がちょうど日本に来てて、一緒に「すしざんまい」に行きました(笑)。それで仲良くなってセッションすることになった。彼にピアノでいい人いない? って聞いたら、ヌバイア・ガルシアのバンドで一緒に演奏してるライル・バートンを紹介してくれて。あとはダブルベースを探してたんだけど、ティージョーにベン(Benjamin Crane)のことを教えてもらってライブを観に行って仲良くなった。それぞれの特性と関係性があって、全部詳しく説明すると長くなっちゃうけどそんな感じかな。

——ちなみに、エンジニアのこだわりは?

小袋:ミックスはディアンジェロの「Voodoo」をやっているラッセル・エレバド(Russell Elevado)という人で。一回、ペトロールズの「乱反射」という曲でお願いしたことがあって、今回もお願いしました。あとレコーディングをしてくれてるアンディ・ラムゼイ(Andy Ramsay)はステレオラボ(Stereolab)のドラマーなんです。

——そのスタジオ(Play Studio)は、アンディ・ラムゼイが所有してるんですか?

小袋:いや、これはアンディというよりステレオラボのスタジオなんですよ。キング・クルールやマウント・キンビーといった、俺ら世代のバンドが皆使ってますね。

——「Zatto」と「Kagero」の一部は日本でレコーディングしてますよね?

小袋:そうなんです。弦だけは向こうでレコーディングできなくて。お金かかるし、俺がスコアを書けないので、それだけはリモートで日本でやってもらいました。

「自分のアートを持つのが夢だった」

—今日の小袋さんの話を聞いていると、ロンドンで本当にいろんなミュージシャンと交流しているのが伝わってきました。その中でも、最もコアに関わっているコミュニティーというとどこになるんですか?

小袋:俺がいるのは、バイナルオンリーで自分たちでサウンドシステム作ってDJやる人たちの界隈です。東ロンドンでやってるんですけど、自分はもうそのクルーの一部なので、日曜にそこに行ってお酒飲んで遊んで。あと、演奏する人たちのコミュニティーは南ロンドンにあるので、新しいミュージシャンと交流しながら、「いいねぇ……!」って言って帰る(笑)。同じジャズでもシャバカ・ハッチングスとかのコミュニティーは年上で、声をかけるにはちょっと恐れ多い。ヌバイア・ガルシアとかヤズミン・レイシーの周りの人たちは歳が近いから声かけやすいんですけど。ロンドン・ジャズは一口に語れないグラデーションがありますよね。ロックも盛り上がってて、ブラック・ミディを一回観に行ったんだけどめっちゃ良かった! 詳しくないけど、あの界隈も熱いんでしょうね。

——アートワークは、Zatto=雑踏の中にいる小袋さん、というシチュエーションを表現しているんですか?

小袋:人ごみの中で、世界情勢について話している絵にしたかったんです。新聞読みながらコーヒーを飲んでる感じの。都会に埋もれている人間の苦しみじゃないけど、それについて考えつつちょっとユーモアもあって、みたいな。フォトグラファーのPiczoさんと土日のマーケットに出かけて、そこに面しているカフェで撮りました。

——今回、自主リリースになった経緯は?

小袋:ソニーをやめたんです。そもそもこれまでも全部自分で仕切って作ってたので、もう自分でできるじゃんってなって。でも、今回は打ち込み音を使ってないし、今までで一番お金かかりましたけどね。レーベルに属するとなんだか外注されてる気分になるけど、自分のアートを持つのが夢だったので、そういうありがたいことができて良かったです。全部自分でお金払ってるんで、全力注ぎましたよ。そもそもこんなにロンドンでたくさんレコーディングしたことなかったし、ブッキングもスタジオの予約も全部自分でやって。マジでDIYです。もらったデータも、今までならエンジニアに任せるけど全部自分で編集した。ミキシングもゼロからYouTubeで勉強して。へぇ、こうやるんだ! って。歌の編集も自分でやったんですけど、ピッチ直したら負けだなって思ったからデジタル処理はせずに作ったし。でも、ここまで全部自分でやるのはもう嫌かな(笑)。1年間これしかやってないから。33歳独身じゃないとできないですよこんなの(笑)。

——3月~4月には日本でアルバムのツアーがありますね。楽しみにしています。

小袋:さすがに向こうの人たちを全員は連れてこれないので、日本のミュージシャンでバンドを組みます。同期なしで、一発のセッションで。技術だけでいうと、日本のミュージシャンも演奏は巧いんですよね。だから全然心配してないです。良いライブになると思います。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

「Zatto」

■小袋成彬 4thアルバム「Zatto」

Tracklist
1. Zatto

2. Tangerine

3. Shiranami

4. Shigure

5. Kamifubuki

6. Kagero

7. Sayonara

8. Hanazakari

<デジタル配信>

リリース : 2025年1月15日
レーベル : Nariaki Obukuro

<CD盤>

リリース : 2025年2月26日
初回仕様限定ケース+オリジナルポスター
価格:3300円
購入リンク: https://erj.lnk.to/vASidK

<アナログ盤>

8曲40分
予約開始:2025年1月15日
【通常盤】歌詞カード、2L写真付き。
価格:4400円
購入リンク: https://shop.nariaki.jp/

■Nariaki Obukuro Japan Tour 2025 "Zatto"

<日程・会場>
3月15日(土)【大阪】 味園ユニバース

3月16日(日)【愛知】 名古屋CLUB QUATTRO

3月22日(土)【東京】 恵比寿リキッドルーム

3月29日(土)【福岡】 BEAT STATION

3月30日(日)【福岡】 BEAT STATION

4月3日(木)【北海道】 札幌ペニーレーン24

4月6日(日)【東京】 Zepp Diver City (TOKYO)
※追加公演 4月11日(金)【東京】 恵比寿リキッドルーム

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2556500

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小袋成彬が語る新作「Zatto」と「ロンドンでの出会い」 「ジャパニーズ・ソウルって感じですよね」

PROFILE: 小袋成彬/ミュージシャン

PROFILE: (おぶくろ・なりあき)1991年生まれ。埼玉県さいたま市出身、ロンドン在住。立教大学を卒業後、プロデューサーのYaffleと共に音楽プロダクション「TOKA」を設立。2018年、宇多田ヒカルをフィーチャリングに迎えたシングル「Lonely One」でメジャーデビューを果たし、同年リリースのデビューアルバム「分離派の夏」は第11回CDショップ大賞2019にノミネートされた。19年、セルフプロデュースによる2ndアルバム「Piercing」、2021年には3rdアルバム「Strides」をリリース。19年以降、活動拠点をイギリスに移し、世界各国のミュージシャンとのコラボレーションを展開。J-WAVEの音楽番組「Flip Side Planet」のMCも務めている。

小袋成彬が、3年ぶり4枚目となるアルバム「Zatto」をリリースした。これまでもアルバムごとに作風を変えてきた彼だが、本作を聴いて分かる通り、今作の進化はかなりラディカルなものになっている。ロンドンで暮らしはじめて5年という月日が経過した今の小袋成彬だからこそ生み出せる、現地で出会ったミュージシャンたちと作り上げた結晶のような音。ロンドンでの生活と、そこで見聞きし考えたことが何なのか、詳しく訊いてみた。

「デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器」

——アルバム「Zatto」を聴きました。正直、かなり驚いています。これはどういう音楽かと聞かれたら、「音楽的にはジャズでソウルミュージックで……」って答えるんだけど、そんなものでは言い表せない小袋さんのソウルが鳴っています。

小袋成彬(以下、小袋):ジャパニーズ・ソウルって感じですよね。ちあきなおみや和田アキ子あたりの。

——何があってこんな境地にたどり着いたのか。

小袋:最初はハウスミュージックのアルバムを作ってたんですよ。でもコロナになって、ブラック・ライブズ・マターもあって、ウクライナやガザの戦争も起きて、日本に住んでたら関係なさそうな出来事が一気に身近になっていった。いつも行くパブで働くウクライナ人の女の子がどんどん憔悴していく感じとか見てると、もう無関係じゃないなって思えてきて。ハウスミュージック作ってる場合じゃないかも、って。それでハウスミュージックのアルバムは完成半ばで諦めたんですよ。
※その時に制作された楽曲のうち3曲はアルバムのリリース前に配信された。

次第に、ブルースやジャズが響くようになってきた。ロンドン生活が長くなってきて黒人の友達も増えてきたので、彼らが日々考えてる悩みも実感レベルで分かるようになってきたんです。そうすると、ダニー・ハサウェイががっつり入ってくるようになった。フリーダムっていう概念も、正直それまであまりピンと来てなかったんですよ。別に俺は生まれながらにフリーダムだけど、って思ってたし。でも、ロンドンは生まれながらに抑圧されている人たちがいっぱいいるんですよね。そういう延長線上で、今作は生まれていきました。

——世相の変化を受けて、踊っている場合じゃないという心境になってきたと。

小袋:踊ってても、戦争の映像とかがちらつくんですよ。なんか違うな、って思えてきた。

——そこからなぜジャパニーズ・ソウルに?

小袋:ダニー・ハサウェイみたいなカッコいいのを作りたいなと思うけど、やっぱり英語だと猿真似になっちゃうなって。試行錯誤していくうちにここにたどり着いたって感じです。でも、ロンドンの人たちに聴かせたらすごく自然に受け入れてくれてたから、日本語なんだけど譜割りやグルーブは西洋の影響を受けてるんじゃないかな。俺は普段は日本語を喋らないので。

——サウンドは、どのようなアプローチで生まれていったんでしょうか。

小袋:それぞれリファレンスはちゃんとありますよ。「Hanazakari」はボブ・マーリーの「Slave Driver」って曲があって、その弾き語りをずっと練習してたら生まれてきた。でも同じコードだとボブ・マーリーそのままになっちゃうから、いろいろ変えてみました。マイルス・デイヴィスに「All Blues」って曲があるんですよ。半音だけ転調する瞬間があるんですけどそれが手癖で出ていたり。今回はちゃんと楽器を手に取って作ろうという思いがあったので、デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器ですね。

ロンドンの多様なミュージシャンとの制作

——今作がすごく贅沢なのは、その演奏に集まっているミュージシャンが、今のロンドンのシーンを作っている活きのいい人たちばかりで。しかも、曲によってその座組みもバラバラです。これは、やりたいことに合わせてメンバーを変えていったということですよね。

小袋:まさにそうです。レゲエが弾ける人、チャーチミュージックが得意な人ってそれぞれに得手不得手があるので、特性を考えてバンドを組んでいます。だいたい1バンドにつき2曲で、4バンドで作ってますね。

——それぞれの演奏のアドリブについては、ミュージシャンにどの程度任せていたんですか?

小袋:アドリブもけっこう入ってますよ。でも、大きな設計図は自分が書きました。ここは誰々のソロです、ここのピアノはこういうリズムで弾いてください、というルールの中で遊んでもらってます。だから、今回は基本的にはジャズセッションのメンツを集めています。月曜、火曜にロンドンでフリージャズのセッションがあって、そこに通って出会った人たち。知った仲だし、ある程度どうなるかイメージは描けてました。

——出てきた演奏に対しては、小袋さんはどういったディレクションをされたんですか?

小袋:例えば「Shiranami」だと、英語で「White Waveだよ」って説明しても、ヨーロッパの人たちは南フランスのビーチとかを想像しちゃう(笑)。実際に日本の人たちが想起するのは、岩に打ちつける波しぶきや磯の匂いですよね。「違う違う、そんな弾き方しないでくれ!東映のロゴと一緒に出てくるあの波が日本のShiranamiだよ!」って言うと、理解してくれたり。

——なるほど(笑)。「Kamifubuki」も「Shiranami」と同じミュージシャンが集っていますけど、ニュアンスがまた全然違いますよね。だから、演奏については小袋さんのディレクションがけっこう入っているんだろうなと思いました。

小袋:一回バンドメンバーの前で英語で歌うんですよ。歌詞を理解してもらいたいから。「Shiranami」も、「旗を燃やして人の夢を照らす」っていうのを「Burning the flag to light up people’s dream」とか訳して歌うと、「yeah!!」って返ってくる。そもそも「Shiranami」に関しては、ダニー・ハサウェイがピンク・フロイドと一緒にやったらこんな感じになると思うんだけどって説明すると、あぁなるほどね! って。

——ロンドンのジャズシーンだと、そういったディレクションしながらのセッション&レコーディングは普通なんですか?

小袋:珍しいと思う。いろんなレコーディングに行きましたけど、こんなに明確なビジョンを持って入ることってそんなにない。だいたい皆、適当に入って適当に弾いて帰っていくから。今日のセッションって結局なんだったんだ? みたいなのも多いですよ。そんな感じだから、皆「これだけ分かりやすく説明してくれてありがとう」って言ってました。何をやればいいか理解できた、って。でも金払ってるの自分だし、もったいないことしたくないじゃないですか。だからこそ決めるところは決めつつ自由にやらせるところはやらせて、っていうのは意識しましたね。そういったアプローチや人間関係は、5年間ロンドンに住んで培ってきたもの。ほんと、いろんな人がいるから。そもそも時間通りに来ない人、昼飯行ったきり帰ってこない人……そういう奴に限って一番巧いからムカつくんだけどね(笑)。5年前だったら発狂してたけど、もう慣れました。

——ということは、今作は音楽性も演奏も含めて、小袋さんが5年間ロンドンに住んだ結果の集大成と言えるのかもしれないですね。5年前だったら絶対に生まれていないアルバム。

小袋:自分がディレクションする形でロンドンのミュージシャンと一緒にやったのは、宇多田(ヒカル)さんのセッションで「丸の内サディスティック」を演奏したのが最初だったんです。だけど、当時は英語も喋れないし、ミュージシャンの人たちのことを何も分かってないし、俺全然だめだわって思った。もちろん完成したものには満足してるんだけど、でもクリス・デイヴはじめいろんな人の特性や性格を分かってなかったから。未熟だった。今は一人ひとりのグラデーションが分かってきたし、そういう意味では今が集大成と言えますね。

日本語の歌詞

——そうやってロンドンのミュージシャンが集結して演奏していながらも、特に「Shiranami」あたりに顕著ですけど、演歌にも接近するような日本らしさが出てきているのはなぜでしょう。

小袋:やっぱり、日本語だからそうなっちゃうんだと思います。自分は、USラップを真似して英語っぽいラップをする意味が全然分かんなくて、日本語の良いところを出してこそだと考えてる。それこそ、洋楽の要素を取り入れつつ日本語の良いところを出す歌い方って、ちあきなおみや和田アキ子で完成したと思ってるんです。ラッツ&スターとかね。あの辺が、まだ日本語の響きを大切にしていた人たちなんじゃないかな。あの人たちのバックバンドって、すごく豪華だったりするじゃないですか。今作は、そういうことをやってるんですよ。で、そこにロンドンの多様性を入れた。

——洋楽の歌い方に影響を受けているんだけど日本語の良さを活かしたハメ方、ということですよね。そこに今のロンドンのミュージシャンに加わってもらうことで、1970年代の日本の歌謡曲・ポップスが、今の小袋さんでしか成し得ない音楽として表現されていると。

小袋:演歌って、譜割りを崩して歌うじゃないですか。このアルバムもかなり崩しているところがあるから、余計に演歌っぽく聴こえるんだと思う。でもそもそものメロディーの作りという点でも工夫していて、日本の歌って主音(音階を構成する最初の音。例えばラシドレミファソラというイ短調の場合、ラが主音となる)で終わる。サム・スミスとか聴いてると、英語だけどメロディーは主音で終わるし日本歌謡っぽいなと感じる。演歌っぽい。でも自分はそういったことはあまりしたくなくて、メロディーについては主音で終わらないようにしてます。だから、他の人には真似できないと思う。

——小袋さんはどんどん日本語を客観的に捉えるようになってきてますよね。だからこそ日本語の良さを活かすんだけど日本語っぽくない譜割りやメロディーを組み立てていくという独自の作風になってきてて、それが一周回って演歌っぽく聴こえるというのがすごく面白い。

小袋:そうですよね。演歌はコブシを効かせつつ、基本的にはオンでノるからグルーブがあまりないんだけど、そこが違うポイント。

——どちらが良いとは一概に言えないけれど、日本語ならではの発音と、洋楽の影響を受けたリズムや発声法のバランスという点では80年代は一つの完成と言えるかもしれないですね。

小袋:2000年代以降は、ドメスティックな方向にまた変化していますよね。スキマスイッチさんをはじめとした、ちゃんと日本語の歌を日本の譜割りで歌っていくんだという流れ。その一方で宇多田さんみたいに完全にニューヨーク仕込みの独自の譜割りで歌う人も出て来たけど。この前日本に帰ってきて紅白(歌合戦)を観てると、Mrs. GREEN APPLEさんは完全にオンでの歌い方でしたね。かえるの歌みたいな、日本語に合う形式の乗せ方。あれはあれで一つのドメスティックに進化した日本の歌だと思います。でも、ブルースはなくなってきてますよね。

「皆にカバーしてほしいし、教科書に載ってほしい」

——「Zatto」は、日本語の響きは大事にしつつも、小袋さんがロンドンで肌で感じているブルース的な心の痛みを歌っているのかもしれないですね。

小袋:ソウルを取り戻せ! ということですかね(笑)。今回参加してくれたミュージシャンたちに、曲の説明をする前にデモを聴かせた時点で皆が「やばいね」って言ってくれたんですよ。何かを歌っている、ソウルが出ている、というのが伝わったんじゃないかな。

——いやはや、ソウルって何なんでしょうか。小袋さんがロンドンで生活して感じたもの、としか言いようのない何かがある。

小袋:汚い屋台のケバブばっかり食べてないと、この音は出なかったかもしれない。前みたいに深夜にコンビニ行く甘ったれた生活じゃなくて、カチカチの寿司と、空っぽの冷蔵庫と……なんで33歳にもなってこんな生活してるんだろうっていう……食ってるもので出る音が違いますから(笑)。

——グルーブには、関わっている人や食べているものが出るって言いますよね。生活そのものだと

小袋:絶対にあると思いますよ。ロンドンで暮らしてると、ビザがなくて1年間ずっとつらい思いをしている人もいるし、親父が戦争に行かされちゃったって言ってる人もいるし、そういった嘆きや苦しみが音に出ることでユニバーサルなソウルとして響くんだと思う。今回参加してくれたピアノのライル・バートン(Lyle Barton)も、ガイアナにルーツがあるって言ってて。ガイアナってどこ?! ってなるじゃないですか。ベースのロゼッタ・カー(Rosetta Carr)もイタリア生まれ、ロンドン在住という経歴だしね。本当にいろんなバックグラウンドの人がいるから。

——歌詞は、固有名詞がどんどん減ってきていて、今作は抽象的な言葉遣いが増えた印象です。

小袋:前とは英語の習熟度が違うというのも大きいと思います。あと「Zatto」のように日本語なんだけど言葉の響きが独特なもの。俺は、作ったらまず日本人じゃない人に聴かせて、そこで歌ってもらえたら勝ちじゃないですか。

——今作はそうやってロンドンでの小袋さんの生活そのものが音としてにじみ出ているんだけど、でもそれを極限まで突き詰めていった結果、ちょっと近寄りがたいものとして完成していますよね。俗世間にまみれたところから生まれたものではあるんだけど、どこか聖なるものに聴こえるというか。たぶん、音が削ぎ落とされ過ぎていて、完全に小袋さんという人間の骨格しか残っていないシンプルさゆえ、なのかもしれないですけど。

小袋:今回って、何も変わったことはしていなくて、全然難しくない。だから、皆にカバーしてほしいし教科書に載ってほしい。音も削ぎ落としてあるし、コードも本当に難しくない。日本の音楽って、コードにうるさいじゃないですか。「ここのコード進行が素晴らしい」とかよく言いますよね。日本はやっぱり、協調性を大事にしてるんだと思う。それぞれのリズムを奏でるよりも、ハーモニーを重視するから。西洋は全然そんなことない。コードなんてAマイナーとEマイナーだけで曲ができちゃうし、リズムとグルーブを重視する。J-POPの価値観は、ハーモニー重視で次にメロディー、そしてリズムは最後。メロディーの在り方も、ハーモニーの中でいかに自分を表現していくかという考え。それで言うと、今回の作品は「Shiranami」の最初とかマジでB♭マイナーしか弾いてないから(笑)。子どもでも弾けます。

——例えば最近の宇多田さんの作品を聴いていても、どんどん楽曲の骨格が際立ってきていますよね。スケルトン化している。小袋さんの今作も、ある意味で共振しているように思います。

小袋:宇多田さんはどんどんミニマルになってきてますよね。まあ、もともとあまりコードがどうって人ではないけど、ロンドンの良いプロデューサーと出会ったことでその傾向がさらに出てきてると思います。

——ちなみに、小袋さんは宇多田さんの「BADモード」についてはアルバム全体としてどう受け止めましたか?

小袋:やっぱりフローティング・ポインツ(Floating Points/サム・シェパード)の曲は良いなって思いました。真似できないしね。そういえば、ロンドンの店で飯食ってたらなぜか隣に偶然サムがいて。うわーって思って、「自分でミックスした段階の曲で、良かったら聴いてもらえない? あまり自信ないんだけど」って「Shiranami」を送ったんですよ。そしたら「自信ないなんて言うなよ」って言われて、しかも聴いてくれて「良かった」って返信が来て。あまりそういうこと言わない人だからめっちゃテンション上がりました。友達と「サムから良かったって返信きたよ!やばっ!」って盛り上がった(笑)。

レコーディングメンバーについて

——すごくレアな体験!(笑) ロンドンのミュージシャンとの交流についてもっと詳しく聞きたいんですけど、今作に参加しているジャズ・シーンの人たちはどういった方が多いんですか?

小袋:「Zatto」と「Tangerine」は、サンファ(Sampha)のバンドでベースを弾いているロゼッタ・カーという女の子で。彼女は歌も歌えて、しかも素敵なので、そこにココロコ(Kokoroko)のドラマーのアヨ・サラウ(Ayo Salawu)を呼びました。アヨは後ろ目でリズムをとる感じなので、ロゼッタと絶対合うなと思って。ピアノのアマネ・スガナミ(Amane Suganami)は知らなくて、今回ギターのティージョー・マン・チェン(Tjoe Man Cheung)に紹介してもらいました。

——アマネさんはイギリス生まれなんですよね。

小袋:ドラムのジェローム・ジョンソン(Jerome Johnson)は教会でずっとドラムを叩いてた人で、ソリッドな音を出すしめちゃくちゃ巧い。「Shiranami」にすごく合うだろうなと思ってティージョーが紹介してくれました。ピアノのローリー・レッドファーン(Rory Redfern)はモデルもやってる人。Daichi Yamamotoがイギリスに来た時にジャズセッションに連れてって、そこで弾いてるのを観て「あいつ巧くない?!」ってなって声をかけた。

——それが、「Kagero」と「Hanazakari」になるとまたガラッと音楽性が違いますよね。

小袋:その2曲はラテンとレゲエなので、また違うメンバーを集めています。ドラムのサム・ジョーンズ(Sam Jones)は、去年東京にいた時に彼がちょうど日本に来てて、一緒に「すしざんまい」に行きました(笑)。それで仲良くなってセッションすることになった。彼にピアノでいい人いない? って聞いたら、ヌバイア・ガルシアのバンドで一緒に演奏してるライル・バートンを紹介してくれて。あとはダブルベースを探してたんだけど、ティージョーにベン(Benjamin Crane)のことを教えてもらってライブを観に行って仲良くなった。それぞれの特性と関係性があって、全部詳しく説明すると長くなっちゃうけどそんな感じかな。

——ちなみに、エンジニアのこだわりは?

小袋:ミックスはディアンジェロの「Voodoo」をやっているラッセル・エレバド(Russell Elevado)という人で。一回、ペトロールズの「乱反射」という曲でお願いしたことがあって、今回もお願いしました。あとレコーディングをしてくれてるアンディ・ラムゼイ(Andy Ramsay)はステレオラボ(Stereolab)のドラマーなんです。

——そのスタジオ(Play Studio)は、アンディ・ラムゼイが所有してるんですか?

小袋:いや、これはアンディというよりステレオラボのスタジオなんですよ。キング・クルールやマウント・キンビーといった、俺ら世代のバンドが皆使ってますね。

——「Zatto」と「Kagero」の一部は日本でレコーディングしてますよね?

小袋:そうなんです。弦だけは向こうでレコーディングできなくて。お金かかるし、俺がスコアを書けないので、それだけはリモートで日本でやってもらいました。

「自分のアートを持つのが夢だった」

—今日の小袋さんの話を聞いていると、ロンドンで本当にいろんなミュージシャンと交流しているのが伝わってきました。その中でも、最もコアに関わっているコミュニティーというとどこになるんですか?

小袋:俺がいるのは、バイナルオンリーで自分たちでサウンドシステム作ってDJやる人たちの界隈です。東ロンドンでやってるんですけど、自分はもうそのクルーの一部なので、日曜にそこに行ってお酒飲んで遊んで。あと、演奏する人たちのコミュニティーは南ロンドンにあるので、新しいミュージシャンと交流しながら、「いいねぇ……!」って言って帰る(笑)。同じジャズでもシャバカ・ハッチングスとかのコミュニティーは年上で、声をかけるにはちょっと恐れ多い。ヌバイア・ガルシアとかヤズミン・レイシーの周りの人たちは歳が近いから声かけやすいんですけど。ロンドン・ジャズは一口に語れないグラデーションがありますよね。ロックも盛り上がってて、ブラック・ミディを一回観に行ったんだけどめっちゃ良かった! 詳しくないけど、あの界隈も熱いんでしょうね。

——アートワークは、Zatto=雑踏の中にいる小袋さん、というシチュエーションを表現しているんですか?

小袋:人ごみの中で、世界情勢について話している絵にしたかったんです。新聞読みながらコーヒーを飲んでる感じの。都会に埋もれている人間の苦しみじゃないけど、それについて考えつつちょっとユーモアもあって、みたいな。フォトグラファーのPiczoさんと土日のマーケットに出かけて、そこに面しているカフェで撮りました。

——今回、自主リリースになった経緯は?

小袋:ソニーをやめたんです。そもそもこれまでも全部自分で仕切って作ってたので、もう自分でできるじゃんってなって。でも、今回は打ち込み音を使ってないし、今までで一番お金かかりましたけどね。レーベルに属するとなんだか外注されてる気分になるけど、自分のアートを持つのが夢だったので、そういうありがたいことができて良かったです。全部自分でお金払ってるんで、全力注ぎましたよ。そもそもこんなにロンドンでたくさんレコーディングしたことなかったし、ブッキングもスタジオの予約も全部自分でやって。マジでDIYです。もらったデータも、今までならエンジニアに任せるけど全部自分で編集した。ミキシングもゼロからYouTubeで勉強して。へぇ、こうやるんだ! って。歌の編集も自分でやったんですけど、ピッチ直したら負けだなって思ったからデジタル処理はせずに作ったし。でも、ここまで全部自分でやるのはもう嫌かな(笑)。1年間これしかやってないから。33歳独身じゃないとできないですよこんなの(笑)。

——3月~4月には日本でアルバムのツアーがありますね。楽しみにしています。

小袋:さすがに向こうの人たちを全員は連れてこれないので、日本のミュージシャンでバンドを組みます。同期なしで、一発のセッションで。技術だけでいうと、日本のミュージシャンも演奏は巧いんですよね。だから全然心配してないです。良いライブになると思います。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

「Zatto」

■小袋成彬 4thアルバム「Zatto」

Tracklist
1. Zatto

2. Tangerine

3. Shiranami

4. Shigure

5. Kamifubuki

6. Kagero

7. Sayonara

8. Hanazakari

<デジタル配信>

リリース : 2025年1月15日
レーベル : Nariaki Obukuro

<CD盤>

リリース : 2025年2月26日
初回仕様限定ケース+オリジナルポスター
価格:3300円
購入リンク: https://erj.lnk.to/vASidK

<アナログ盤>

8曲40分
予約開始:2025年1月15日
【通常盤】歌詞カード、2L写真付き。
価格:4400円
購入リンク: https://shop.nariaki.jp/

■Nariaki Obukuro Japan Tour 2025 "Zatto"

<日程・会場>
3月15日(土)【大阪】 味園ユニバース

3月16日(日)【愛知】 名古屋CLUB QUATTRO

3月22日(土)【東京】 恵比寿リキッドルーム

3月29日(土)【福岡】 BEAT STATION

3月30日(日)【福岡】 BEAT STATION

4月3日(木)【北海道】 札幌ペニーレーン24

4月6日(日)【東京】 Zepp Diver City (TOKYO)
※追加公演 4月11日(金)【東京】 恵比寿リキッドルーム

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2556500

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注目の俳優・坂東龍汰が語る「映画『君の忘れ方』への向き合い方」と「創作の喜び」

PROFILE: 坂東龍汰/俳優

PROFILE: (ばんどう・りょうた)1997年5月24日、アメリカ・ニューヨーク生まれ、北海道育ち。2017年デビュー。「フタリノセカイ」(22/飯塚花笑監督)で映画初主演を務め、第32回日本映画批評家大賞の新人男優賞(南俊子賞)を受賞。主な出演作に映画「春に散る」(23/瀬々敬久監督)、「若武者」(24/二ノ宮隆太郎監督)、「シサㇺ」(24/中尾浩之監督)、劇場アニメ「ふれる。」(24/長井龍雪監督)、ドラマ「RoOT / ルート」(24)、「366日」(24)、「ライオンの隠れ家」(24)などがある。

2017年のデビュー以来、振り幅の広い演技で注目を集めてきた坂東龍汰。初の映画単独主演作となる映画「君の忘れ方」が1月17日から公開される。坂東が演じるのは、結婚間近の恋人を突然亡くした青年、昴。同じような悲しみを抱えた人々が集まる「グリーフケア」との出会いを通じて、昴は自分自身と向き合っていく。昴の複雑な内面を坂東は繊細な演技で表現しているが、そこには個人的な体験も反映されているという。自分の過去と向き合いながらの撮影の舞台裏。そして、子供の頃から惹かれていた、何かを創作することの喜びについて語ってくれた。

「昴を演じて、これまでよりも前向きな気持ちになれた」

——映画「君の忘れ方」は坂東さんにとって初めての映画単独主演作ですが、どんな気持ちで作品に向き合われたのでしょうか。

坂東:話を頂いた時は身が引き締まる思いでした。まず脚本を読んで、他人事とは思えないくらい物語に引き込まれたんです。透明感があってすごく温かい話だと思ったので、「ぜひ、やらせていただきたい」と思いました。脚本と一緒に監督からの手紙を頂いたのですが、これまで僕が出演した作品を観てくださっていて、「あなたの真っすぐなお芝居を観てオファーさせてもらいました」ということを書いてあったのもうれしかったですね。

——他人事とは思えなかった、というのは、昴の葛藤に共感するものがあった?

坂東:僕は子供のころに身内を亡くしているんです。初めての単独主演作がこういう題材なのは不思議な巡り合わせだし、自分にとって大きなチャレンジになると思いました。これまで自分の中でフタをしていた部分と役を通じてちゃんと向き合うことになるわけなので。

昴を通じていろんな感情と出会いました。その中には自分自身の感情とリンクするものもたくさんあったんです。その全てと向き合って自分の傷を癒やすことができた、とまではいきませんでしたが、これまでよりも前向きな気持ちになれた気はします。それだけでも、この映画に参加した意味はあったと思いますし、僕や昴と同じように親しい人の死を経験した方の傷ついた心に寄り添える作品になった、という自信はあります。

——映画に出てくる登場人物たちは、いろんな形で大切な人を失った悲しみと向き合おうとします。その姿を見て、どんな風に思われました?

坂東:どのやり方が正しい、とか、答えがあることではないし、答えを見つける必要もないと思うんです。それぞれが自分に合ったやり方で悲しみと向き合っていけばいい。そんな中で、映画のセリフにもあるように時間が果たす役割は大きいと思いました。僕も時間が経ったからこそ、一度フタをした自分の感情に向き合えたんです。あと、グリーフケア(死別や災害などによる喪失を経験した人が、悲しみや痛みに寄り添い、立ち直り、自立できるよう支援すること)というものをこの映画をきっかけに知ったのが個人的には大きかったですね。海外の映画では見たことがあったのですが、日本でもそういう活動をされている方々がいるのを知って、今後、自分の人生でまた大切な人の死に直面した時に、一つの選択肢としてグリーフケアを考えようと思いました。

「普段は外に出していない自分の一面と向き合った」

——昴はグリーフケアに参加して交流するようなタイプではなく、いつも自分の中に何かを抱え込んでいるようなキャラクターでした。坂東さんは昴という人物のどんなところに興味を持たれました?

坂東:僕は昴とは真逆の性格なんです。僕自身は人との関わりや会話が好きだし、自分の身に起きたこととかを誰かと共有したいタイプなんです。だから、昴との共通点を見つけるのは難しかったのですが、昴の感情を探っていく中で普段は外に出していない自分の一面と向き合いました。

——役作りを通じて自分を見つめ直した?

坂東:僕は基本明るいんですけど、陰の部分も持っているんです。昨年公開された「若武者」という映画で、二ノ宮(隆太郎)監督はそういう部分を見たい、とおっしゃっていました。これまで演じてきた役も何かを抱えている役が多くて、作り手の人たちには自分の性格を見抜かれているのかもしれません(笑)。皆さん、友達とは違う面を見てくださっているんですよね。今回の映画も僕の核の部分で眠っている、普段は開けない引き出しを開けることで昴という人物を作り上げていきました。

——それは精神的にヘビーな作業だったのではないですか?

坂東:大変でしたね。これまでは、自分が演じる役を客観的に見て、分析しながら役を組み立てていくことが多かったんですよ。今回はそのやり方だと煮詰まってしまって。それで撮影に入る前に監督に相談したら、昴に関しては主観に徹して、その場その場で感じたことを拾っていってほしいと言われたんです。組み立てる作業はこちらでやるので、あなたは生まれたての赤ちゃんみたいに目の前で起こることに素直に反応してほしいと。

——実際、そんな風に演じてみていかがでした?

坂東:自分では気付かなかったのですが、気持ちの浮き沈みが激しくて、笑っているな思ったら、絶望的な表情になったり。特に映画の前半、東京のパートの撮影時はいつもと違う様子だったみたいです。。僕は当時のことは全然覚えていないんですよね。

——昴の精神状態に大きな影響を受けていたんですね。

坂東:みたいですね。これまではそういうことはなかったんです。僕は役と自分を切り替えられる方なんですよ。でも、この作品ではそれがうまくできなかった。監督は僕がそういう状態になるのを望んでいたらしくて、「しめしめと思った」とおっしゃっていました(笑)。みんなで野球をした後に昴がキレるシーンがありますが、本当はあんなに感情を爆発するシーンではなかったんです。でも、いざ撮影に入るとああいう演技になってしまって。周りは戸惑ったと思います。

——でも、監督はそのテイクを選んだ。

坂東:選んだというか、そのテイクしか撮ってないんです。どのシーンもほとんど一発本番。シーンによっては撮影準備ができるまで別室で待機して、現場にポンと入って本番ということもありました。

俳優を目指すきっかけ

——毎回、真剣勝負の現場だったんですね。それはかなり神経をすり減らす現場だったと思いますが、そもそも坂東さんが芝居に興味を持ったのはどういう経緯からだったのでしょう。

坂東:子供のころから、ルドルフ・シュタイナーという人の思想を基にした学校に通っていたのですが、 そこでは演劇が授業にあって芝居が身近な存在だったんです。それで姉と演劇塾に通っていたりもしていました。あと、父親が映画好きで、幼いころから映画を観ていたので俳優という仕事に興味はあったんです。自分がやっている演劇と映画の世界が天と地ほど違うというのは分かってはいたのですが、高校のころから人前で芝居をするのがだんだんと楽しくなってきて、自分もスクリーンも向こう側の世界に行ってみたいと思うようになりました。その気持ちの変化は自分にとって大きかったですね。

——気持ちが変化するきっかけが何かあったのですか?

坂東:シュタイナー学校は小中高一貫の学校で、高校を卒業する時に卒業演劇というのをやるんです。それは小学校から学んできたことの集大成で、生徒や保護者がすごく大事にしている行事なんですよ。その卒業演劇で、なぜか僕は主役をやりたいと手を挙げてしまい、これまでよりも演劇にしっかりと向き合うことになったんです。本番が迫ってくる恐怖、膨大なセリフが全然頭に入らない恐怖、いろいろとうまくいかない恐怖、いろんな恐怖と戦いました。学校が終わると、毎日、海に行って日が暮れるまでセリフの練習をしていたんです。本番までの準備期間中はものすごいストレスで、毎日やめたいと思っていたんですけど、本番で舞台に立った瞬間、ハイになったような高揚感を感じたんです。こんなに自分が生き生きとした瞬間は、これまでになかったと思いました。

——プレッシャーからの解放感もあったんでしょうね。

坂東:そうなんですよね。ずっと不安や恐怖と戦ってきたからこそ、こんなに楽しい時間があるんだ!と思いました。その体験がとにかく強烈で。学校を卒業する時、自分は何をしようかと考えたんですよ。絵とか写真とか音楽とか、趣味が多かったので好きなことを天秤にかけて考えてみたんですけど、これまでで一番心が動いたのが芝居だったので、これしかない!と思って上京したんです。

——そういえば、現在所属されている事務所に応募した時に、高校在学中に制作したクレイアニメーションの映像を提出されたとか。高校生でクレイアニメーションを制作するというのも珍しいですね。

坂東:父親がアニメーションの制作をしていたこともあって、それで興味を持ったんです。ストップモーションアニメが好きで子供のころからデジカメを使って大豆が走り出す映像を作ったりしていました。高校の時に作ったクレイアニメは、20分の作品を作るのに1年かけました。男女2人が登場するんですけど、戦争が始まって男性は戦争に行き、恋人の女性は男性を待ち続ける。最後に女性は男性を探しに行くんですけど、そこで嵐にあって力尽きてしまうんです。

——ドラマチックですね! 映画みたいじゃないですか。

坂東:コンテを描いたり、カメラのアングルを決めたりして、大変だったけど楽しかったです。

——子供のころからクリエイティブなことが好きだったんですね。

坂東:0から1を生み出すこと、この世に存在しないものをクリエイティブすることに子供の頃から魅了されて、その衝動に突き動かされてきたところはありますね。でも、それは自分を満足させるためではなくて、自分が創ったものに対する誰かのリアクションを求めているんです。例えば好きな人がいたとして、その人のために絵を描いたらどういうリアクションをするんだろう? 喜んでもらえるかな?って想像しながら描くのが楽しい。

——作品を通じて人や社会とコミュニケートしているのかもしれませんね。

坂東:そうですね。何かを創るというのはすごく労力がいるし、大変なことです。役者の仕事もそうで、撮影の準備期間も撮影をしている時も、自分に向き合いながら孤独の中で新しい表現を見つけないといけない。とても苦しい作業なんですけど、完成した作品を観た人が感想を伝えてくれて、その人に何かを与えることができたと知ることが次の仕事に向かう原動力になる。その繰り返しで仕事を続けてきました。だから「君の忘れ方」の感想を聞くのも楽しみにしています。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
STYLING:YASUKA LEE
HAIR&MAKEUP:YASUSHI GOTO(OLTA)

Tシャツ 2万5300円/コール(ダフオフィス)、シャツ2万9700円、パンツ 3万800円/共にアモーメント

映画「君の忘れ方」

■映画「君の忘れ方」
新宿ピカデリーほかで全国公開中
出演:坂東龍汰
西野七瀬
円井わん 小久保寿人 森優作 秋本奈緒美
津田寛治 岡田義徳 風間杜夫(友情出演)
南 果歩
監督・脚本:作道雄
エンディング歌唱:坂本美雨
音楽:平井真美子 徳澤青弦
共同脚本:伊藤基晴
配給:ラビットハウス
Ⓒ「君の忘れ方」製作委員会2024
https://kiminowasurekata.com

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