PROFILE: 岡田敏/社長

国内バッグメーカーの大手クイーポは、ライセンスビジネス全盛だった1990年代にオリジナルブランド「ゲンテン」をスタート。エコとファッション性を両立したブランドは、ビジネスモデルにおいても、ソーシャルグッドなブランディングにおいても先駆的存在となった。そんな会社が見通す、2025年のバッグ業界、そして会社の姿とは?
ライセンス、インポート、オリジナルの3本柱に
OEMやODMの機能を拡充
WWD:バッグ業界、そしてクイーポの2024年は?
岡田敏社長(以下、岡田):市場の二極化はますます進行し、売れるアイテムも多様化が進んでいる。バッグ業界は、企業やブランドごとの好不調が鮮明になっている印象だ。クイーポは新事業の推進に伴う新しい顧客の獲得と、既存事業の活性化で、売り上げは23年に比べて2ケタ増。為替も含めて外部環境は厳しいが、アフターコロナは成長を続けている。コロナ禍で推進したDXと職務の効率化で、構造改革やブランド・販路の見直しを進めることができた。当時から百貨店の平場が将来的に減ることは予測していたので、直営の強化とオリジナルブランド「ゲンテン」の活性化、そしてECを含むDXに取り組んできた。今の売り上げは、百貨店で全体の半分、直営店で2割、ECで2割、そのほかの事業で1割だ。
WWD:かつての主力だったライセンスブランドも堅調か?業界全体では、残存者利益を奪い合っている印象だ。
岡田:一世を風靡した「ユナイテッド カラーズ オブ ベネトン」で、我々はライセンスビジネスの良さも怖さも知った。今はいずれも順調だ。四半世紀以上続ける「アナ スイ」や「ダックス」は、企画担当者が独創性やクリエイティビティーを追求する一方で販売員の声を聞き、同質化することなく独自性を保っている。一方の「クレイサス」は、完全にマーケットイン。「今、求められているもの」を常に研究して、我々のモノ作りで品質を担保している。「ランバン オン ブルー」は、ランバン グループと提携する伊藤忠商事がブランドを育み、ライセンシー各社と共に元気だ。
WWD:とはいえ、かつて販路の中心だった百貨店の平場は減少している。
岡田:それでも地方などに目を向ければ、平場を大事にしている百貨店は今も多い。だが百貨店が消滅した県が増えていることを考えると、今後は専門店と深く取り組んだり、インポーターのように自社ブランドを集積したセレクト業態などを検討したりの必要があるだろう。
WWD:インポーターとしての役割も加速している。
岡田:「ゲラルディーニ」は、軽量素材中心だが、しっかり戦えている。軽くて扱いやすい“ソフティ”のバッグは、高齢社会が進行する中でますます重要になるだろう。レザーアイテムも売れており、今年はすでに2店舗の拡大が決まっている。「フォレ・ル・パージュ」は18世紀からの歴史と、アイコニックな“エカイユ”のモチーフでインバウンドに人気。東南アジアのファンが日本橋三越本店に大挙してくださっている。韓国ブランドの「ジョセフアンドステイシー」で20代を、「RSVP」で30代の高感度層を捉えたい。今後も新たな年齢層にリーチできそうな、独特の素材を使ったブランドがあれば、積極的にインポートしたい。ゆくゆくはインポートブランドを集積して、新しい時代の百貨店のコーナーを作りたい。
WWD:インポートが主体の平場は、7万〜10万円くらいのバッグを欲する百貨店の需要に応えそうだ。
岡田:構造改革の一環で、インポートブランドを担う事業部が立ち上がっている。
WWD:「ゲンテン」は、昨年25周年を迎えた。
岡田:日本にサステナブルなんて言葉がない頃から、エコロジーとファッションの両立を目指してきた。幸い、得意先が早々に賛同して下さって、ナイロンバッグ全盛の時代、若い世代には新鮮で、年配にはなつかしいバッグとして支持を集めた。タンニンなめしのレザーの研究を続け、「経年変化」という言葉を使った第一人者だと自負している。先代の岡田國久は常々、「『ゲンテン』で大海に波紋を投げかけたい」と話していた。エコロジーという言葉はサステナブルに変わったが、結果彼の言葉通り、世の中の多くのブランドは地球環境とファッション性を両立するようになった。上代を抑えるために構えたタイの自社工場を含め、25年前からサステナブルなブランドとして先行投資してきた「ゲンテン」を日本発信のラグジュアリーブランドにしたい。海外のラグジュアリーブランドに絶対勝てないのは、歴史だけ。それ以外は、「ゲンテン」ならではのラグジュアリーを定義して、課題を一つずつクリアしていけば、絶対に勝てると思っている。付加価値を追求して高価格帯の商品を作ったり、環境意識が高い若い世代にアピールしたりの努力を続け、「ゲンテン」を常に輝きを持ったブランドに誘いたい。
WWD:ライセンス、インポート、そしてオリジナル、数千円から十数万円まで、さまざまなブランドを取り扱う。
岡田:目指すのは、バッグのディストリビューター。ここにOEM、ODMの機能も加え、バッグのことならクイーポに相談しようという存在になりたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
先代が夢見つつも形にできなかった「ゲンテン村」の準備を進めたい。美術館や博物館を周り感性を磨いて、次の3代目が「ゲンテン村」を実現できる土台を作る。
創業は1965年。ハンドバッグを中心としたファッションアイテムの企画・製造・販売を手掛け、創業60周年を迎えた。70年代には日本で初めてライセンスというビジネススタイルを始め、80年代からは数々のブランドと契約を結んで日本のバッグシーンをリードした。現在は「ゲンテン」などのオリジナルと、「アナ スイ」をはじめとしたライセンスブランドのほか、「フォレ・ル・パージュ」や「RSVP」「ジョセフアンドステイシー」などのインポートブランドを扱いタイに自社工場を構える。従業員数は200人
クイーポ(代表)
03-3268-9111
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【エスモードアート 祢冝裕貴CEO】人を笑顔にするビジネスを 心身健やかに暮らせる社会を目指して
PROFILE: 祢冝裕貴/CEO

表参道に実店舗を構えるジュエリーブランド「ステラハリウッド」とビーガンフードショップ「ザ ビー(THE_B)」が、20~40代の女性を中心に支持を集めている。これらを手掛けるのは、2021年創業のエスモードアート。祢冝裕貴CEOは「人を笑顔にするtoCビジネスがしたい」と話す。
ジュエリーとフードに次ぐ
基幹ブランドの開発目指す

WWD:エスモードアート創業の経緯は?
祢冝裕貴CEO(以下、祢冝):私は当社を立ち上げる以前、新聞社に広告営業として勤務したり、ファッションアイテムを扱うPR企業に所属したりしていた。どちらもtoBビジネスであり、「お客さまに直接アプローチできる事業を行いたい」という思いが高まっていたところ、ジュエリー市場に詳しい知人と共に「ステラハリウッド」をスタートした。そこから程なくしてサラダボウルやアサイーボウルを提供するカフェ「ザ ビー」もオープンし、これらを取りまとめる会社としてエスモードアートを設立した。“心身共に豊かに暮らせる社会を実現する”をミッションにしており、社名の「エス」にはソーシャルグッドなことをしたいという思いを込めて、“サステナブル”“ソーシャル”“ソリューション”などの頭文字「S」を盛り込んだ。
WWD:「ステラハリウッド」「ザ ビー」以外の事業は?
祢冝:アーティストやインフルエンサーが、アクセサリーや香水の新規ブランドを立ち上げる際のサポートもしている。そのほか、オリジナルのスキンケアブランド「ベグスキン」の企画販売や、韓国アパレルブランド「ビバスタジオ」の代理店業務を行う。
WWD:会社としての強みは?
祢冝:ファンマーケティングだ。人々は今、“誰から買うか”を重要視している。「商品の背景にいる人にどれほど共感を持てるか?」が消費者にとって購買の決め手になるし、共感を誘うアーティストやインフルエンサーをブランドの“顔”とすることで、彼らに納得度の高いショッピング体験を提供できる。私自身、広告やPRの現場にいたので、どんなアーティストやインフルエンサーが今、影響力が大きいのかは、自然に追えている。当社の社員も、ブランドとの親和性が高い魅力あふれるインフルエンサーを発掘することを得意としており、これまでに多くの協業を実施してきた。例えば「ステラハリウッド」では、24年のホリデーはジェンダーレスなイメージを打ち出したいと考え、ネットフリックスシリーズ「ボーイフレンド」で人気に火が付いた同性カップルのダイシュン(中井大&中西瞬)とコラボジュエリーを発売し、良い反響を得た。気兼ねなく提案したり、最近のトレンドなどについて意見をかったつに交換したりできる自由な社風も相まって、社員からの意見を吸い上げられている。23年3月にスタートした俳優の高橋文哉さんプロデュースのアクセサリーブランド「ブランク スペース」のように、こちらからブランド立ち上げを提案して、協業することもある。
WWD:業績は順調か?
祢冝:設立から10年以上がたつ「ステラハリウッド」は、堅調に売り上げを伸ばしてきた。卸はほとんど行わず、直営店とECで直販することによって、ブランドイメージと流通をコントロールし、少しずつ成長できる状態を作っている。映画のヒロインのように身に着ける人を輝かせるアクセサリーというコンセプトで、特にシェルパールのアイテムが人気。価格以上に見える品質とデザインのバランスが支持される要因と考えている。今後20年、30年続くブランドに育てるためには、お客さまに飽きられない状態を作る必要がある。フレグランスなど、カテゴリーを増やすことも検討している。「ザ ビー」もアサイーボウルブームを追い風に、店舗には連日行列ができており好調だ。24年12月には中目黒に2号店をオープンした。アサイーペーストなどECでの販売を強化する。食事は心身の健康を作る。お客さまに笑顔で過ごしてもらいたいと願っている。
WWD:現在の課題は?
祢冝:社員のお客さまに対する意識をさらに高めることだ。「ステラハリウッド」はECの売り上げ割合が大きく、直接顧客と接する機会が限られている。多くのお客さまに商品を手に取っていただいているにもかかわらず、その実感が持ちづらく、社員が顧客視点に立って考えることが難しいと感じている。
WWD:今後の展望は?
祢冝:現在の基幹ブランドを成長させながら、新事業の種まきを行う。具体的に25年に実施したいのは、サステナブルでウェルビーイングなブランドのローンチだ。人を笑顔にするためには、ウェルビーイング領域の強化が欠かせない。快適な生活をサポートできる着心地のよいアパレルアイテムを開発したい。また、ゆくゆくはアジア市場を中心に海外進出をしたいと考えている。韓国がエンタメやファッションの分野で勢いづいているように、日本も負けていられない。ただ、当社は、ビジネスの急成長に重きを置いていない。ゆっくり着実にお客さまのニーズに応えた上で、心身共に豊に暮らせる社会の輪を海外市場にも広げていきたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
独身なので結婚したい。現在、公私共に良きパートナーを見つけるため婚活中。エスモードアートは創業から3年がたち、事業数も増えて今が踏ん張りどころ。すてきな人に巡り会えれば、それが仕事に生きるはず。
2021年に祢冝裕貴CEOが設立。12年にジュエリーブランド「ステラハリウッド」を、18年にビーガンフードショップ「ザ ビー」を立ち上げたことから、両ブランドを運営する企業として始まった。現在は、これらに加えてスキンケアブランド「ベグスキン」の企画販売や韓国アパレルブランド「ビバスタジオ」の販売代理業務を手掛ける。モデルの梨花やインフルエンサーのダイシュンらとコラボ企画も実施してきた。現在の従業員数は68人で、売り上げは非公開
エスモードアート
03-6712-6461
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【和光 庭崎紀代子社長】対話を大切に、「新たな和光像」を提示する
PROFILE: 庭崎紀代子/社長

セイコーグループの傘下にあり、セイコーのラグジュアリーウオッチ「グランドセイコー」をはじめ、時計・宝飾品やアパレル、革製品、室内用品、食品を幅広く取りそろえる和光。銀座4丁目交差点に面し、銀座のランドマーク的存在でもある。2023年に社長に就任し、地階を「アーツアンドカルチャー」フロアにリニューアルするなど、歴史と伝統ある和光に変革をもたらしてきた庭崎紀代子社長に話を聞く。
WWD:和光の社長に就任して1年。2024年はどんな年だったか。
庭崎紀代子社長(以下、庭崎):総じて大変好調な1年だった。訪日外国人客の増加を背景に、和光にも海外からのお客さまがかなり増えている。国内のお客さまの売り上げも増加しているが、伸び率としてはインバウンド売り上げの方が若干高い。「グランドセイコー」などのウオッチはもちろん、近年注力している「アショカダイヤモンド」など、高額ジュエリーも好調に推移している。ファッションもオリジナル商材を増やしていて、レザーアイテムや、シーンに合わせて自由な組み合わせでコーディネートを楽しめるウィメンズアパレル「ニュークローゼット」も売り上げを伸ばしている。加えて、7月にリニューアルした地階の「アーツアンドカルチャー」フロアが20〜40代の新しいお客さまを呼び込み、和光の新たな入り口になっている。
WWD:地階のリニューアルに象徴される和光の変革はどのような経緯で進んだのか。
庭崎:和光は、お客さまと共に歳を重ね、危機感を抱いていた。ブランドは常に進化する必要がある。社内には変革に対する心配の声や抵抗もあったが、結果的に、コロナ禍が変革の直接的なきっかけとなった。銀座から人が消え、店舗を閉めざるを得ない期間に、前任の石井俊太郎(現・セイコーミュージアム 銀座館長)と「新たな和光像」について議論を重ねることができた。
人と人がつながる
日本文化の発信拠点へ
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WWD:目指すべき「新たな和光像」とは何か。
庭崎:インバウンド需要に見て取れるように、日本の文化やクラフツマンシップに対して、世界から関心と敬意が寄せられている。セイコーグループ全体として、時計やシステムソリューションを販売して高い技術力を提供するだけでなく、社会的価値や、人の心を動かす感性的価値も提供することを目指すなかで、和光こそ、日本の奥深い美意識、手仕事の繊細さ、おもてなし精神などの感性的価値を、実際に体験できる場所として存在意義があると感じる。「グランドセイコー」のように海外に出てていくのではなく、日本の素晴らしさを体感したいと考える海外の富裕層を迎え入れるのが、和光なりの目指すべきグローバルなあり方だ。
WWD:変革が必要な部分と、大事にすべき部分のバランスは、どのようにとっているのか。
庭崎:社員とオープンに議論をしている。ディレクターの強いリーダーシップで方向転換をする海外ブランドとは違い、組織で動くため、社員全体の考え方を変えていくには時間が必要だ。セイコーグループ創業者の服部金太郎が残した「常に時代の一歩先を行く」という言葉に象徴される創業精神など、大切なDNAは残しつつ、時代に応じて変化が必要な部分には手を加えていく。
WWD:地階「アーツアンドカルチャー」フロアは今後どのように発展していくのか。
庭崎:地階は、日本のクラフツマンシップや美意識を、より尖った形で表現できる場所。それは「CFCL」や「セッチュウ」などの取り扱いブランドや、フロア中央の舞台で行う展示にも現れている。展示作家も頻繁に在廊し、いつの間にかお客さまや作家同士で話し込んでいることもある。このように人と人とが自然につながっていくのが、モノを売る場所としてのあるべき姿だと感じる。時計の針を模した什器も、人が交差するイメージや、隣の人との会話が自然に生まれるヨーロッパのカフェの長テーブルに着想を得ている。今後、日本の作り手たちに場を提供し、交流の基盤になるような場所を目指す。
WWD:格式の高さや重厚感に目が行く従来の和光とは一味違った空間構成だ。
庭崎:新しいラグジュアリーを提示するため、軽やかで開放感のある空間を意識している。肩肘張らずに心地よく過ごせる場所こそ、現代の富裕層に響くのではないか。その上で「アメイジング 和光」というキャッチフレーズに象徴される「驚き」を提供していく。魅力的な売り場作りを通して、「セイコーグループの発信拠点」と言われる和光を、いずれは「日本文化の発信拠点」と言ってもらいたい。
WWD:25年以降の展望と目標について。
庭崎:一昨年、ディズニー創立100周年を記念し、期間限定で時計塔をミッキーマウスのデザインにした。賛否はあったが、多くの人は喜んでくれた。今後も、時に大胆に、日本のラグジュアリーブランドとしての和光を世界に発信するための施策を打つ。今、社内のモチベーションが非常に高く、自発的に提案をしてくれる社員が増えている。保守的にならず、皆でいろんなチャレンジをしたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
幾度も海外出張をしてきたが、訪問国カウントアプリによれば、訪れたことがあるのは約30カ国。治安の悪い地域は除き、現実的に50カ国を訪問するのが夢。今年は、スペインのリゾート地、サン・セバスチャンを訪れ、豊かな食文化を楽しみたい。
1881年創業の服部時計店の小売り部門を継承し、1947年に設立。銀座のランドマークとして知られる時計塔のある建物で、時計をはじめ、宝飾品、紳士・婦人用品、美術工芸品など、多岐にわたる品物を取り扱う。顧客の声を取り入れて独自に開発したオリジナルアイテムや、国内外から厳しい目で選び抜いた高品質の品物が店頭に並ぶ。長い歴史と伝統の中で培ってきた上質へのこだわりと、おもてなしの精神を大切にしている
和光
03-3562-2111
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【ミルボン 坂下秀憲 社長】付加価値創造を支援し、プライシング力を高める
PROFILE: 坂下秀憲/社長

サロン専売化粧品最大手のミルボン社長に坂下秀憲氏が就任して1年。自ら立ち上げた「milbon:iD」やスマートサロンなどの製品販売に関するインフラ整備、新たな教育コンテンツの導入などによって、美容師と美容室の付加価値創造を支援する。
付加価値向上、インフラ整備、ビューティソムリエの3つで
客数減少時代の成長戦略を描く
WWD:就任1年目に注力したことは?
坂下秀憲社長(以下、坂下):24年は初心者マークをつけて、二度と経験できない社長1年目を過ごした。創業者や先代の社長同様に行ったのは市場を回ること。国内外のサロン訪問300店、取引会社訪問30社、投資家面談30回、採用の最終面接100人以上を行った。これは毎年のレギュラーだが、さらに24年は全国20の営業所を回り、フィールドパーソン(営業・以下、FP)とわれわれの強みと課題についてディスカッションした。その結果、課題は社内にあることがよく分かった。これは5、10年後も同じかもしれないが、課題を現場と経営陣が共有し理解することが大切。社長2年目は他の部門でも同じことをやる。その積み重ねが自らの思考となり、社長としての使命感となる。
WWD:ディスカッションから見えてきた強みと課題は?
坂下:各自が個店対応し、課題を聞き出し、それを解決するのが弊社の営業スタイル。このやり方は時間がかかる面もあるが、うちの強みでもある。FP同士の会話の中で、担当美容室の入社1、2年目のスタッフの名前が出てくるのは、BtoBでも一般的な会社ではなかなかないと思う。一方で、教育担当の女性社員が結婚してからも仕事を続けるのが難しいという声も。今年はその課題を解決しつつ弊社の強みも出せる入店教育に力を入れる。
WWD:入店教育とは?
坂下:通常、美容室は閉店後に講習会などを開くことが多いが、営業時間中に入店して店の隅で講習やアドバイスを行う。海外では普通だが、日本では浸透していない。お客さまに実際に接している営業時間中だからこそ課題が発見できるし、その課題を解決することもできる。最近はヘアカラーを学ぶのもオンライン講習が主流。効率はいいが、アウトプットの検証ができない課題が残る。以前はそれを閉店後に行っていたが、働き方改革や家庭を持つ美容師が増え、残業が難しくなった今、営業時間中の入店教育はそれらを解決する方法だ。すでにやり始めているが、あらためて言語化して年始に発表し、多くの賛同を得た。結果的に美容室の業務メニューの付加価値向上となる。
WWD:好調な業績をけん引した製品は?
坂下:うねり毛髪に悩む人向けのアウトバストリートメント「エルジューダ(ELUJUDA)」の“フリッズフィクサー”が、画期的な製品としてヒットした。韓国の艶髪ブームが追い風となったため、今年は韓国の人気美容室と組んだ韓流ヘアのセミナーやコンテンツ発信も計画している。美髪への関心の高まりからスカルプケアにも注目が集まり、「オージュア(AUJUA)」の“プレセディア”も好調だった。オーガニックブランド「ヴィラロドラ(VILLA LODOLA)」のヘアカラー人気も根強く、付加価値向上に貢献している。
WWD:今後の美容室経営は厳しいという見方もある。
坂下:人口減少によって客数が減れば集客コストが高まり、働き手が減れば採用コストが高まる。さらにインフレで全てのコストが上がると予測できる。そういう時代に採るべき戦略は、業務メニューに高い付加価値をつけてプライシング力を高めること。先ほど話した入店教育もその支援の一つだ。できる挑戦はまだある。
WWD:その変化に対応しようとする美容室も多い。
坂下:そういった美容室に寄り添っていきたい。公式オンラインストア「milbon:iD」然り、スマートサロン然り、弊社の戦略がそうなっている。これは未来に向けた成長戦略であり、製品販売を最大化するためのインフラだ。「milbon:iD」は契約美容室がストア内にECサイトを出店し販売するもので、売り上げは美容室に計上され、サイト運営や物流業務を弊社が受託する。現在、会員数87万人で流通金額は43億円となり(24年12月現在)、昨年に比べ約6億5000万円増となっている。また、ミルボン社員やゲストが出演するライブコマースも、年間1億8000万円の流通金額と貢献した。お客さまが美容室内で手軽にサロン専売品を手に取り体験できるスマートサロンは50都市62店舗となった。今年はスマートサロンの交通広告の出稿なども考えている。
WWD:新たな試みが成功する美容室の要因は?
坂下:それらのインフラは整えたが、成長戦略の主役はあくまで美容師。力を発揮してもらうための美容師育成制度「ビューティソムリエ」を展開している。これは、技術、製品知識、提案力、カウンセリング力などを総合的に取得していることを認定するもので、今年もその育成に注力する。価格競争は根本的な解決策にはならないため、いずれ終焉するだろうし、プライシング力がなければ美容室経営は立ち行かなくなる。業務の付加価値向上、製品販売のインフラ整備、主役となるビューティソムリエ、この3つがそろうことで、客数減少時代の成長戦略が描ける。その成長戦略を美容室と共に進めていく。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
近所の「万葉の湯」は体を癒やしながら考えごとを整理するのに最適。2024年はゴールド会員になれたので、25年はさらに上のプラチナ会員を狙う。今年、研修センターが小田原に移転するが、その近くにも同施設があるため目標達成できるかも(笑)。
1960年、業務用ヘア化粧品の専売メーカーとしてユタカ美容化学が創立。65年、社名をミルボンに変更。2001年、東証一部銘柄に指定。04年にはニューヨークに連結子会社を設立するなど、積極的なグローバル展開を行う。17年にはコーセーとの合弁会社コーセー ミルボン コスメティクスを設立。24年12月期第3四半期累計売上高は前期比8.3%増の369億9300万円となった
ミルボンお客様窓口
0120-658-894
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【ミルボン 坂下秀憲 社長】付加価値創造を支援し、プライシング力を高める
PROFILE: 坂下秀憲/社長

サロン専売化粧品最大手のミルボン社長に坂下秀憲氏が就任して1年。自ら立ち上げた「milbon:iD」やスマートサロンなどの製品販売に関するインフラ整備、新たな教育コンテンツの導入などによって、美容師と美容室の付加価値創造を支援する。
付加価値向上、インフラ整備、ビューティソムリエの3つで
客数減少時代の成長戦略を描く
WWD:就任1年目に注力したことは?
坂下秀憲社長(以下、坂下):24年は初心者マークをつけて、二度と経験できない社長1年目を過ごした。創業者や先代の社長同様に行ったのは市場を回ること。国内外のサロン訪問300店、取引会社訪問30社、投資家面談30回、採用の最終面接100人以上を行った。これは毎年のレギュラーだが、さらに24年は全国20の営業所を回り、フィールドパーソン(営業・以下、FP)とわれわれの強みと課題についてディスカッションした。その結果、課題は社内にあることがよく分かった。これは5、10年後も同じかもしれないが、課題を現場と経営陣が共有し理解することが大切。社長2年目は他の部門でも同じことをやる。その積み重ねが自らの思考となり、社長としての使命感となる。
WWD:ディスカッションから見えてきた強みと課題は?
坂下:各自が個店対応し、課題を聞き出し、それを解決するのが弊社の営業スタイル。このやり方は時間がかかる面もあるが、うちの強みでもある。FP同士の会話の中で、担当美容室の入社1、2年目のスタッフの名前が出てくるのは、BtoBでも一般的な会社ではなかなかないと思う。一方で、教育担当の女性社員が結婚してからも仕事を続けるのが難しいという声も。今年はその課題を解決しつつ弊社の強みも出せる入店教育に力を入れる。
WWD:入店教育とは?
坂下:通常、美容室は閉店後に講習会などを開くことが多いが、営業時間中に入店して店の隅で講習やアドバイスを行う。海外では普通だが、日本では浸透していない。お客さまに実際に接している営業時間中だからこそ課題が発見できるし、その課題を解決することもできる。最近はヘアカラーを学ぶのもオンライン講習が主流。効率はいいが、アウトプットの検証ができない課題が残る。以前はそれを閉店後に行っていたが、働き方改革や家庭を持つ美容師が増え、残業が難しくなった今、営業時間中の入店教育はそれらを解決する方法だ。すでにやり始めているが、あらためて言語化して年始に発表し、多くの賛同を得た。結果的に美容室の業務メニューの付加価値向上となる。
WWD:好調な業績をけん引した製品は?
坂下:うねり毛髪に悩む人向けのアウトバストリートメント「エルジューダ(ELUJUDA)」の“フリッズフィクサー”が、画期的な製品としてヒットした。韓国の艶髪ブームが追い風となったため、今年は韓国の人気美容室と組んだ韓流ヘアのセミナーやコンテンツ発信も計画している。美髪への関心の高まりからスカルプケアにも注目が集まり、「オージュア(AUJUA)」の“プレセディア”も好調だった。オーガニックブランド「ヴィラロドラ(VILLA LODOLA)」のヘアカラー人気も根強く、付加価値向上に貢献している。
WWD:今後の美容室経営は厳しいという見方もある。
坂下:人口減少によって客数が減れば集客コストが高まり、働き手が減れば採用コストが高まる。さらにインフレで全てのコストが上がると予測できる。そういう時代に採るべき戦略は、業務メニューに高い付加価値をつけてプライシング力を高めること。先ほど話した入店教育もその支援の一つだ。できる挑戦はまだある。
WWD:その変化に対応しようとする美容室も多い。
坂下:そういった美容室に寄り添っていきたい。公式オンラインストア「milbon:iD」然り、スマートサロン然り、弊社の戦略がそうなっている。これは未来に向けた成長戦略であり、製品販売を最大化するためのインフラだ。「milbon:iD」は契約美容室がストア内にECサイトを出店し販売するもので、売り上げは美容室に計上され、サイト運営や物流業務を弊社が受託する。現在、会員数87万人で流通金額は43億円となり(24年12月現在)、昨年に比べ約6億5000万円増となっている。また、ミルボン社員やゲストが出演するライブコマースも、年間1億8000万円の流通金額と貢献した。お客さまが美容室内で手軽にサロン専売品を手に取り体験できるスマートサロンは50都市62店舗となった。今年はスマートサロンの交通広告の出稿なども考えている。
WWD:新たな試みが成功する美容室の要因は?
坂下:それらのインフラは整えたが、成長戦略の主役はあくまで美容師。力を発揮してもらうための美容師育成制度「ビューティソムリエ」を展開している。これは、技術、製品知識、提案力、カウンセリング力などを総合的に取得していることを認定するもので、今年もその育成に注力する。価格競争は根本的な解決策にはならないため、いずれ終焉するだろうし、プライシング力がなければ美容室経営は立ち行かなくなる。業務の付加価値向上、製品販売のインフラ整備、主役となるビューティソムリエ、この3つがそろうことで、客数減少時代の成長戦略が描ける。その成長戦略を美容室と共に進めていく。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
近所の「万葉の湯」は体を癒やしながら考えごとを整理するのに最適。2024年はゴールド会員になれたので、25年はさらに上のプラチナ会員を狙う。今年、研修センターが小田原に移転するが、その近くにも同施設があるため目標達成できるかも(笑)。
1960年、業務用ヘア化粧品の専売メーカーとしてユタカ美容化学が創立。65年、社名をミルボンに変更。2001年、東証一部銘柄に指定。04年にはニューヨークに連結子会社を設立するなど、積極的なグローバル展開を行う。17年にはコーセーとの合弁会社コーセー ミルボン コスメティクスを設立。24年12月期第3四半期累計売上高は前期比8.3%増の369億9300万円となった
ミルボンお客様窓口
0120-658-894
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【タカラベルモント 吉川秀隆会長兼社長】堅調な国内を基盤にヘッドスパカルチャーを海外へ
PROFILE: 吉川秀隆/会長兼社長

タカラベルモントは、理容室・美容室の設備機器、エステ・ネイルサロンおよび歯科・医療クリニックの業務用設備機器や化粧品などを製造販売している。昨年は堅調な国内市場を基盤とし、グローバルな成長が見込める美容室の設備機器や“ヘッドスパ”の浸透に注力した。
変化するヘアサロン業界の需要に
マッチする機器が好調
WWD:2024年はどんな1年だったか。
吉川秀隆会長兼社長(以下、吉川):24年は本格的にコロナ禍が明けて世の中が活発に動いた。コロナ禍を経てリモートという選択肢もできたが、だからこそフェイストゥフェイスのコミュニケーションの重要度が増している。そういった思いがあり、100周年を迎えた21年から自分自身で全ての営業所や工場に足を運んでいる。現場には必ず気づきがある。展示会やヘアサロンで聞く理美容師の皆さんの声は大切にしているし、それを形に変えていくのがわれわれメーカーの役割だ。
WWD:昨今のヘアサロン業界をどう見ているか。
吉川:サロンビジネスの在り方はここ10年で大きく変化している。24年も美容室の倒産件数は過去最多を更新し、大型チェーンの時代から個人店やフリーランスの時代に移行した。自宅を改造して1人で営むなど、開業手段のバリエーションも増えている。そのような背景も相まって、24年は23年7月に発売したシャンプー機器“ミニマルサロンユニット ワン”が順調に売り上げを積み上げた。スタイリングチェアとシャンプー台が一体となり、省スペースとフレキシブルな施術対応をかなえる機器で、人材不足という昨今の業界の課題解決につながったことも好調要因だ。

WWD:化粧品はどうか。
吉川:22年2月にローンチした髪質ケアシリーズ「ヒタ(HITA)」が好調だ。悩みが深く、複雑化するクセ毛マーケットにアプローチできないかという思いで製品開発がスタートした。悩みが深いぶん、自宅でケアを継続したいという需要も高く、店販が売れている。
WWD:美容室事業の柱でもあるシャンプー機器“YUMEシャンプー”はどうか。
吉川:国内では導入サロンが5万軒を超え、今は海外の導入店舗数を増やす段階にある。国内と同様、欧米でも中間層以上の美容室で支持を獲得しており、24年、ヨーロッパにおける“YUMEシャンプー”の売り上げは前期の2倍を超えた。ヨーロッパでは、シャンプーにリラクゼーションを求める文化が浸透しておらず、洗い流すだけの場合も多いため、心地よい場所でシャンプーをする体験はより新鮮味が増す。弊社の理・美容用椅子に座っていただくと違いがはっきりする。首が痛かったり、顔周りが濡れたり、座り心地が悪かったりするマイナスポイントを解消しており、そのまま眠ってしまうほど心地よい。そのような体験をした顧客からリピートの要望が増えれば、導入する美容室も増えていく。その流れで今後も浸透すると踏んでいるが、シャンプーメニューが客単価アップにつながると気づいていないオーナーも多いため、導入のメリットを同時に伝える必要がある。また、ヨーロッパの美容学校ではシャンプー教育にあまり重きが置かれていない。そのため、弊社の教育担当がシャンプーやヘッドスパの技術を伝授している。
WWD:海外に“YUMEシャンプー”が広がればヘッドスパサービスも同様に広がる。
吉川:導入店舗の増加とともに、“ジャパニーズヘッドスパ”としてヨーロッパで広がっている。24年9月に香港でホリスティックビューティブランド「エステシモ(ESTESSIMO)」をローンチした。この2つを弊社が提案するヘッドスパメニューとして今後アジアでも広げていきたい。国内でも、コロナ禍のリラックス需要がけん引し、ヘッドスパメニューが伸長した。訪日客の体験としても需要が高く、国内外ともにさらなる成長が見込める。
WWD:医療事業も持つからこその強みはあるか。
吉川:免疫力を高めることは肌や髪の美しさにつながると言われている。両者は相関関係があると考えており、そういったわれわれの融合が形になるのが25年の大阪・関西万博だ。美容と医療を融合して提案する美が30年、40年、50年先にどうなるかをイメージできる展示を予定している。例えば、宇宙での暮らしも夢じゃない時代に、シャンプーやトリートメント、ヘアスタイルがどう変化しているかなどの想像が膨らむ内容だ。
WWD:25年に注力することは。
吉川:万博を主軸に既存のベースアップが事業のポイントになる。55年前の大阪万博に参加した際、世界中の人にタカラベルモントを知ってもらい、それを機に弊社は飛躍していった。今回も世界中から来る人にタカラベルモントを知ってもらい、次なる飛躍のきっかけとしたい。また、24年10月にフランスの美容家具ブランドの商標権を取得。60年の歴史があり、海外のチェーン店とコネクションを持つブランドだ。これまではわれわれの製品がチェーンの美容室に広がっていなかったが、この変化がヨーロッパに弊社の製品が広がる起爆剤となることを期待する。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
アウトドアの趣味が多く、釣りは30〜40年前からやっている。特に海釣りが好きで、和歌山の海に船で行くことが多い。2023年に、和歌山の海で4m40cmのカジキを釣り上げた。今年は、5m級のカジキを釣りたい。
1921年に鋳物工場としてスタート。31年に理容椅子の製造を開始し理容・美容業界に進出。56年にニューヨークに現地法人を構え、海外事業をスタート。67年に歯科・医療機器の製造を開始。73年に日本に初めて機器を使用したエステティックを紹介し、77年に自社化粧品ブランド(現ルベル)を立ち上げる。82年には基礎化粧品の発売をスタート。2021年に創業100周年を迎えた
タカラベルモント広報室
06-7636-0856
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【タカラベルモント 吉川秀隆会長兼社長】堅調な国内を基盤にヘッドスパカルチャーを海外へ
PROFILE: 吉川秀隆/会長兼社長

タカラベルモントは、理容室・美容室の設備機器、エステ・ネイルサロンおよび歯科・医療クリニックの業務用設備機器や化粧品などを製造販売している。昨年は堅調な国内市場を基盤とし、グローバルな成長が見込める美容室の設備機器や“ヘッドスパ”の浸透に注力した。
変化するヘアサロン業界の需要に
マッチする機器が好調
WWD:2024年はどんな1年だったか。
吉川秀隆会長兼社長(以下、吉川):24年は本格的にコロナ禍が明けて世の中が活発に動いた。コロナ禍を経てリモートという選択肢もできたが、だからこそフェイストゥフェイスのコミュニケーションの重要度が増している。そういった思いがあり、100周年を迎えた21年から自分自身で全ての営業所や工場に足を運んでいる。現場には必ず気づきがある。展示会やヘアサロンで聞く理美容師の皆さんの声は大切にしているし、それを形に変えていくのがわれわれメーカーの役割だ。
WWD:昨今のヘアサロン業界をどう見ているか。
吉川:サロンビジネスの在り方はここ10年で大きく変化している。24年も美容室の倒産件数は過去最多を更新し、大型チェーンの時代から個人店やフリーランスの時代に移行した。自宅を改造して1人で営むなど、開業手段のバリエーションも増えている。そのような背景も相まって、24年は23年7月に発売したシャンプー機器“ミニマルサロンユニット ワン”が順調に売り上げを積み上げた。スタイリングチェアとシャンプー台が一体となり、省スペースとフレキシブルな施術対応をかなえる機器で、人材不足という昨今の業界の課題解決につながったことも好調要因だ。

WWD:化粧品はどうか。
吉川:22年2月にローンチした髪質ケアシリーズ「ヒタ(HITA)」が好調だ。悩みが深く、複雑化するクセ毛マーケットにアプローチできないかという思いで製品開発がスタートした。悩みが深いぶん、自宅でケアを継続したいという需要も高く、店販が売れている。
WWD:美容室事業の柱でもあるシャンプー機器“YUMEシャンプー”はどうか。
吉川:国内では導入サロンが5万軒を超え、今は海外の導入店舗数を増やす段階にある。国内と同様、欧米でも中間層以上の美容室で支持を獲得しており、24年、ヨーロッパにおける“YUMEシャンプー”の売り上げは前期の2倍を超えた。ヨーロッパでは、シャンプーにリラクゼーションを求める文化が浸透しておらず、洗い流すだけの場合も多いため、心地よい場所でシャンプーをする体験はより新鮮味が増す。弊社の理・美容用椅子に座っていただくと違いがはっきりする。首が痛かったり、顔周りが濡れたり、座り心地が悪かったりするマイナスポイントを解消しており、そのまま眠ってしまうほど心地よい。そのような体験をした顧客からリピートの要望が増えれば、導入する美容室も増えていく。その流れで今後も浸透すると踏んでいるが、シャンプーメニューが客単価アップにつながると気づいていないオーナーも多いため、導入のメリットを同時に伝える必要がある。また、ヨーロッパの美容学校ではシャンプー教育にあまり重きが置かれていない。そのため、弊社の教育担当がシャンプーやヘッドスパの技術を伝授している。
WWD:海外に“YUMEシャンプー”が広がればヘッドスパサービスも同様に広がる。
吉川:導入店舗の増加とともに、“ジャパニーズヘッドスパ”としてヨーロッパで広がっている。24年9月に香港でホリスティックビューティブランド「エステシモ(ESTESSIMO)」をローンチした。この2つを弊社が提案するヘッドスパメニューとして今後アジアでも広げていきたい。国内でも、コロナ禍のリラックス需要がけん引し、ヘッドスパメニューが伸長した。訪日客の体験としても需要が高く、国内外ともにさらなる成長が見込める。
WWD:医療事業も持つからこその強みはあるか。
吉川:免疫力を高めることは肌や髪の美しさにつながると言われている。両者は相関関係があると考えており、そういったわれわれの融合が形になるのが25年の大阪・関西万博だ。美容と医療を融合して提案する美が30年、40年、50年先にどうなるかをイメージできる展示を予定している。例えば、宇宙での暮らしも夢じゃない時代に、シャンプーやトリートメント、ヘアスタイルがどう変化しているかなどの想像が膨らむ内容だ。
WWD:25年に注力することは。
吉川:万博を主軸に既存のベースアップが事業のポイントになる。55年前の大阪万博に参加した際、世界中の人にタカラベルモントを知ってもらい、それを機に弊社は飛躍していった。今回も世界中から来る人にタカラベルモントを知ってもらい、次なる飛躍のきっかけとしたい。また、24年10月にフランスの美容家具ブランドの商標権を取得。60年の歴史があり、海外のチェーン店とコネクションを持つブランドだ。これまではわれわれの製品がチェーンの美容室に広がっていなかったが、この変化がヨーロッパに弊社の製品が広がる起爆剤となることを期待する。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
アウトドアの趣味が多く、釣りは30〜40年前からやっている。特に海釣りが好きで、和歌山の海に船で行くことが多い。2023年に、和歌山の海で4m40cmのカジキを釣り上げた。今年は、5m級のカジキを釣りたい。
1921年に鋳物工場としてスタート。31年に理容椅子の製造を開始し理容・美容業界に進出。56年にニューヨークに現地法人を構え、海外事業をスタート。67年に歯科・医療機器の製造を開始。73年に日本に初めて機器を使用したエステティックを紹介し、77年に自社化粧品ブランド(現ルベル)を立ち上げる。82年には基礎化粧品の発売をスタート。2021年に創業100周年を迎えた
タカラベルモント広報室
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【セイコーウオッチ 内藤昭男社長】日本の時計として存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大へ
PROFILE: 内藤昭男/社長

セイコーウオッチは「グランドセイコー(GRAND SEIKO)」として、スイス・ジュネーブの時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ」に2022年から継続して出展。また昨年は、北米にも「グランドセイコー」の専門ブティックを開店した。その成果もあり、日本国内外でジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチの地位を確立している。24年の世界戦略や国内外での商況はどうだったのか。内藤昭男社長に話を聞く。
「グランドセイコー」で
高級時計市場に風穴を
WWD:2024年は、セイコーウオッチにとってどんな年だったか。
内藤昭男社長(以下、内藤):昨年は「セイコー(SEIKO)」ブランドが誕生してちょうど100年という記念すべき年。「贅沢な旅行ができない代わりに高級品を購入する」という“コロナ消費”が終わり、国内外でラグジュアリービジネス全体が厳しい状況だった。そのため時計業界も、あまり良い状況ではない。しかし当社は、数字はまだ第3四半期までしか出ていないが、「グランドセイコー」と「セイコー」ブランド全体を合わせて、また国内市場と海外市場を合わせて、セイコーウオッチの創業以来、最高益を達成している。海外でも売り上げは堅調だが、インバウンド需要の高まりもあり、特に国内での売り上げが非常に好調で、逆境の中でも良い1年だった。
WWD:逆境の中でも好調の理由は?
内藤:ここ数年、「グランドセイコー」を中心に、世界的に推進してきたラグジュアリー化戦略の成果だと考えている。具体的には、22年に始まった欧州の老舗・名門ブランドのみが出展する国際的な時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ(以下、WWG)」への出展。また流通面においては「グランドセイコー」の取扱店舗を、優秀な販売員を配し上顧客を持つ小売店に限定したこと。さらには富裕層顧客に直接リーチするイベントの開催などだ。WWGへの出展は円安・スイスフラン高という為替レートの問題もあり莫大な費用を要するが、こうしたブランドイメージの向上に取り組んだ結果、かつては知名度が低かった「グランドセイコー」が「本当にラグジュアリーな時計ブランド」として評価を得て、国内でも海外でもスイスの名門ブランドと同等の扱いをしていただけるようになってきた。国内でもこれまで「グランドセイコー」を取り扱ってこなかった時計販売店から「『グランドセイコー』をぜひ」といわれている。
WWD:国内市場で注目していることは?
内藤:インバウンド需要の内容が、かつてのピークだった15年とはまったく違うものになっている状況に注目している。当時、インバウンドのお客さまは中国の方が中心で、価格帯では手頃な製品がよく売れ、「グランドセイコー」はほぼゼロだった。だが現在は欧米の方が中心で、「グランドセイコー」が売り上げのメーンだ。特にアメリカのお客さまは、インバウンド需要の半分を占めている。現場からは「日本に来たから『グランドセイコー』を買いたい」と来店された方が多いと聞く。これも海外での「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」戦略の成果だ。
WWD:海外市場の状況は? 24年は北米市場に加えてヨーロッパでも「グランドセイコー」を「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」として発展させるのが目標だった。
内藤:海外市場の状況は、地域により大きく違う。金利の上昇とインフレでラグジュアリービジネスが苦境に陥っているのは確かで、海外での売り上げは実は少し下がっている。だが、中国市場のように厳しいところがある一方で、好調な地域も多い。たとえばインドのように、2ケタで伸びていて、今後も大きな成長が期待できるところもある。また、昨年の大きな目標だったヨーロッパでの「グランドセイコー」の販売拡大については、不況の影響から時計販売店が仕入れ予算を削っているため、残念ながら計画通りに進んでいない。だが北米でもヨーロッパでも、直営ブティックでの「グランドセイコー」の売り上げが絶好調。昨年はアメリカ・ニューヨークのマンハッタンに売り場面積580㎡の直営ブティックをオープンしたが、ここでの売り上げも期待を大きく超えた。今後も、直営ブティックを、ヨーロッパをはじめ世界中の主要都市の中でも厳選されたエリアでオープンしていく。
WWD:25年の国内、海外での戦略と目標は?
内藤:昨年に続き、日本発の「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウォッチブランド」である「グランドセイコー」を中心に、「日本の時計」としての存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大を図る。この戦略でカギになるのが、かつての「異質なもの」から、マンガや食文化を通じて「素晴らしいもの」へと変わった“日本のイメージ”だ。このイメージを徹底的に活用することで、「グランドセイコー」でも「セイコー」ブランドでも、さらなる販売の拡大が図れると確信している。また、日本文化の魅力をクリエイターと発信するプロジェクト「THE GIFT OF TIME」などを通して、時計にこれまで興味がなかった人々、特に若い人々に興味を持っていただきたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
メーカーの技術者や独立時計師ら、世界中の時計技術を志向する人たちが垣根を越えて集まり、交流し、ともに勉強して、一緒に全く新しい時計を作ることを目指せるような「時計サロン」を作りたい。
セイコーは1881年、服部金太郎が時計の小売りと修理を生業とする服部時計店を創業し、外国商館から信用を得て発展するところから始まる。92年には小売業の成功を背景に精工舎を設立し、壁掛け時計の製造を開始。95年には懐中時計、1913年には国産初の腕時計“ローレル”を発売した。32年には現在のセイコーハウスにあたる銀座四丁目時計塔を竣工。60年、「グランドセイコー」を発売。2001年、純粋持株会社に移行して腕時計事業部門を分社化。セイコーウオッチを設立した
セイコーウオッチお客様相談室
0120-061-012
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【セイコーウオッチ 内藤昭男社長】日本の時計として存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大へ
PROFILE: 内藤昭男/社長

セイコーウオッチは「グランドセイコー(GRAND SEIKO)」として、スイス・ジュネーブの時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ」に2022年から継続して出展。また昨年は、北米にも「グランドセイコー」の専門ブティックを開店した。その成果もあり、日本国内外でジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチの地位を確立している。24年の世界戦略や国内外での商況はどうだったのか。内藤昭男社長に話を聞く。
「グランドセイコー」で
高級時計市場に風穴を
WWD:2024年は、セイコーウオッチにとってどんな年だったか。
内藤昭男社長(以下、内藤):昨年は「セイコー(SEIKO)」ブランドが誕生してちょうど100年という記念すべき年。「贅沢な旅行ができない代わりに高級品を購入する」という“コロナ消費”が終わり、国内外でラグジュアリービジネス全体が厳しい状況だった。そのため時計業界も、あまり良い状況ではない。しかし当社は、数字はまだ第3四半期までしか出ていないが、「グランドセイコー」と「セイコー」ブランド全体を合わせて、また国内市場と海外市場を合わせて、セイコーウオッチの創業以来、最高益を達成している。海外でも売り上げは堅調だが、インバウンド需要の高まりもあり、特に国内での売り上げが非常に好調で、逆境の中でも良い1年だった。
WWD:逆境の中でも好調の理由は?
内藤:ここ数年、「グランドセイコー」を中心に、世界的に推進してきたラグジュアリー化戦略の成果だと考えている。具体的には、22年に始まった欧州の老舗・名門ブランドのみが出展する国際的な時計フェア「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ(以下、WWG)」への出展。また流通面においては「グランドセイコー」の取扱店舗を、優秀な販売員を配し上顧客を持つ小売店に限定したこと。さらには富裕層顧客に直接リーチするイベントの開催などだ。WWGへの出展は円安・スイスフラン高という為替レートの問題もあり莫大な費用を要するが、こうしたブランドイメージの向上に取り組んだ結果、かつては知名度が低かった「グランドセイコー」が「本当にラグジュアリーな時計ブランド」として評価を得て、国内でも海外でもスイスの名門ブランドと同等の扱いをしていただけるようになってきた。国内でもこれまで「グランドセイコー」を取り扱ってこなかった時計販売店から「『グランドセイコー』をぜひ」といわれている。
WWD:国内市場で注目していることは?
内藤:インバウンド需要の内容が、かつてのピークだった15年とはまったく違うものになっている状況に注目している。当時、インバウンドのお客さまは中国の方が中心で、価格帯では手頃な製品がよく売れ、「グランドセイコー」はほぼゼロだった。だが現在は欧米の方が中心で、「グランドセイコー」が売り上げのメーンだ。特にアメリカのお客さまは、インバウンド需要の半分を占めている。現場からは「日本に来たから『グランドセイコー』を買いたい」と来店された方が多いと聞く。これも海外での「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」戦略の成果だ。
WWD:海外市場の状況は? 24年は北米市場に加えてヨーロッパでも「グランドセイコー」を「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウオッチブランド」として発展させるのが目標だった。
内藤:海外市場の状況は、地域により大きく違う。金利の上昇とインフレでラグジュアリービジネスが苦境に陥っているのは確かで、海外での売り上げは実は少し下がっている。だが、中国市場のように厳しいところがある一方で、好調な地域も多い。たとえばインドのように、2ケタで伸びていて、今後も大きな成長が期待できるところもある。また、昨年の大きな目標だったヨーロッパでの「グランドセイコー」の販売拡大については、不況の影響から時計販売店が仕入れ予算を削っているため、残念ながら計画通りに進んでいない。だが北米でもヨーロッパでも、直営ブティックでの「グランドセイコー」の売り上げが絶好調。昨年はアメリカ・ニューヨークのマンハッタンに売り場面積580㎡の直営ブティックをオープンしたが、ここでの売り上げも期待を大きく超えた。今後も、直営ブティックを、ヨーロッパをはじめ世界中の主要都市の中でも厳選されたエリアでオープンしていく。
WWD:25年の国内、海外での戦略と目標は?
内藤:昨年に続き、日本発の「ジャパニーズ・ラグジュアリー・ウォッチブランド」である「グランドセイコー」を中心に、「日本の時計」としての存在感を世界にアピールし、国内外で販売拡大を図る。この戦略でカギになるのが、かつての「異質なもの」から、マンガや食文化を通じて「素晴らしいもの」へと変わった“日本のイメージ”だ。このイメージを徹底的に活用することで、「グランドセイコー」でも「セイコー」ブランドでも、さらなる販売の拡大が図れると確信している。また、日本文化の魅力をクリエイターと発信するプロジェクト「THE GIFT OF TIME」などを通して、時計にこれまで興味がなかった人々、特に若い人々に興味を持っていただきたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
メーカーの技術者や独立時計師ら、世界中の時計技術を志向する人たちが垣根を越えて集まり、交流し、ともに勉強して、一緒に全く新しい時計を作ることを目指せるような「時計サロン」を作りたい。
セイコーは1881年、服部金太郎が時計の小売りと修理を生業とする服部時計店を創業し、外国商館から信用を得て発展するところから始まる。92年には小売業の成功を背景に精工舎を設立し、壁掛け時計の製造を開始。95年には懐中時計、1913年には国産初の腕時計“ローレル”を発売した。32年には現在のセイコーハウスにあたる銀座四丁目時計塔を竣工。60年、「グランドセイコー」を発売。2001年、純粋持株会社に移行して腕時計事業部門を分社化。セイコーウオッチを設立した
セイコーウオッチお客様相談室
0120-061-012
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【ZOZO澤田宏太郎 社長兼CEO】ファッションECの盟主が語る「AI × 新しい売り方」
PROFILE: 澤田宏太郎社長兼CEO

ゾゾタウン開設20周年を迎えたZOZOは、今年さらに進化する。来期に新たな取り組みの発表を予定し、事業領域の拡大のためM&Aにも積極的に取り組む。2026年ごろには独自開発のAI(人工知能)を用いてパーソナライズされた“似合う”を提案する次世代店舗のオープンを検討するなど、野心的で先進的な構想の実現に向け、アクセルを踏む。
「ゾゾタウン」開設20周年
来期に新たな取り組みを発表

WWD:2024年を振り返ると?
澤田宏太郎社長兼CEO(以下、澤田):ファッション業界全般に言えることだと思うが、天候には苦しめられた。3月は気温が上がらず春物が動かず、かと思えば4月以降に急に暖かくなり、それが10月、11月まで続いた。
WWD:いわゆる「長い夏」だが、対策は?
澤田:気温の変化に対してネットならではのスピード感で対応した。「ウェザーニュース」とのAPI連携やスマホのGPSと連携して、ユーザーの地域の気温に応じてプロモーションやリコメンドのアイテムを変えるような仕組みをスタートさせた。いわゆるパーソナライズだが、9月のように全国的に暑いと、それすらも効かない(苦笑)。ただ、天候に関しては万能で強力な解決策はない。0.01%でも改善できるような施策を10個、20個と積み上げていく。
WWD:抜本的な解決策はないものか?
澤田:そのアンサーの一つが、「メイドバイゾゾ(Made by ZOZO)」のような受注生産の仕組みだ。売れたものを素早く作ってお客さまに提供する、いわゆる無在庫モデルだ。現在の「メイドバイゾゾ」の仕組みをもっと磨き上げる必要があるが、結局はそこに行き着くと感じている。
WWD:コスメ販売の「ゾゾコスメ」は?
澤田:順調に拡大している。取扱高が100億円を超えた時点で日本最大級のコスメECにはなっていて、上期(24年4〜9月)も2ケタ増で推移している。ファッションとの併せ買いということもあってメイクアップが特に強い。ただ本来ECと相性が良く、収益にもつながるスキンケアをもっと伸ばしたい。コスメはこれまで培ってきたアパレルの施策やノウハウが生きる部分とそうでない部分は分かってきた。今はコスメならでは、ZOZOならではの施策や売り方を確立するステージだ。
WWD:26年ごろのお披露目を示唆している、AIと組み合わせた次世代店舗「シン・似合うラボ」の進捗は?
澤田:構想動画で見せた世界に一歩二歩くらいは近づいた。ただ、裏側のテクノロジーはかなり進んでいる。当社のAIエンジンは、基盤となる汎用AIに独自開発のAIを組み合わせて開発しているが、汎用AIが文字通り日進月歩で進化して、やれることが広がる。AIはとにかく進化が早い。動画で示唆した「“似合う”を提案する次世代店舗」は、実はかなり野心的な構想だったが、現在はかなり現実に近いものになっている。今のAIの進化のスピードを見ていると、いずれは誰かが実現する。そんな世界になりつつある。だから一番近い立ち位置にいるわれわれが最初にやらないと。売るための大まかなスキームは、ほぼ見えてきた。実装の際は、開発中のAIエンジンによる商品リコメンドだけでなく、ユーザーに対しておすすめする理由などを説明する「おしゃべりbot」のような機能も必要になりそうなことが分かってきた。すでにこの「おしゃべりbot」の開発にも着手している。
WWD:AIエンジンの実装はいつごろになりそうか?
澤田:開発中のAIエンジンは、「似合うラボ」店舗だけでなく、「ゾゾタウン」や「WEAR」も含めた全事業の基盤になる。ロードマップはあるが、公表する段階ではない。ただ、この数年で「ゾゾタウン」の売り方や使い方、見え方が大きく変わることになるだろう。
WWD:今後、服の売り買いはどう変わる?
澤田:人間が頭の中に浮かんだワードを検索するという時代は終わり、ユーザーをよく理解し、ユーザーに代わって行動する、あるいは相談相手になるような「AIエージェント」「パーソナルエージェント」の時代が近づいていることを実感している。ただ、一つの汎用AIが何でもする、とはならず、ファッションやビューティ分野にはそのアルゴリズムや特性を深く理解した特化型AIが必要になるだろう。この数年「ファッションの『こと』ならZOZO」と言い続けてきたが、AIでも同じことだ。
WWD:04年12月に開設した「ゾゾタウン」は20周年。25年をどう位置づける?
澤田:「ゾゾタウン」開設20周年を機に、来期から新しいサービスや機能、新企画など、派手に打ち出していく予定だ。この数年は「WEAR」のリニューアルや受注生産プラットフォーム「メイドバイゾゾ」などを通してファッション購買の上流から下流を強化してきた。いわば事業領域を縦に延ばしてきた。20周年の新たな取り組みは、もっと横に、つまりもっとウィングを広げ、新しいユーザーを取り込みたい。その一環でもあるが、M&Aも積極的に行う。専門組織をつくり、国内外の企業をリサーチしている。ファッションが中心になるとは思うが、今は特定の領域に絞らず、幅広く情報を集めている。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
ハイエースにバイク、自転車、釣り道具を積み込んで、全国を放浪したい。CEOになってからは、何も考えない時間がとても貴重に感じている。好きなものを全部積み込んで一人気ままに過ごしたい。
1998年に輸入レコードの通販を目的にスタート・トゥデイ(現ZOZO)設立。2000年1月に輸入レコードのオンライン通販を開始、04年12月「ゾゾタウン」スタート、07年12月東証マザーズに上場、12年2月東証一部(現東証プライム)に変更、19年9月にヤフー(現LINEヤフー)の傘下入りを発表。24年3月期の業績は商品取扱高5743億円、売上高1970億円、営業利益600億円、経常利益597億円、純利益443億円。従業員数は1681人(平均年齢33.8歳、24年3月末時点)
ZOZO
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【ZOZO澤田宏太郎 社長兼CEO】ファッションECの盟主が語る「AI × 新しい売り方」
PROFILE: 澤田宏太郎社長兼CEO

ゾゾタウン開設20周年を迎えたZOZOは、今年さらに進化する。来期に新たな取り組みの発表を予定し、事業領域の拡大のためM&Aにも積極的に取り組む。2026年ごろには独自開発のAI(人工知能)を用いてパーソナライズされた“似合う”を提案する次世代店舗のオープンを検討するなど、野心的で先進的な構想の実現に向け、アクセルを踏む。
「ゾゾタウン」開設20周年
来期に新たな取り組みを発表

WWD:2024年を振り返ると?
澤田宏太郎社長兼CEO(以下、澤田):ファッション業界全般に言えることだと思うが、天候には苦しめられた。3月は気温が上がらず春物が動かず、かと思えば4月以降に急に暖かくなり、それが10月、11月まで続いた。
WWD:いわゆる「長い夏」だが、対策は?
澤田:気温の変化に対してネットならではのスピード感で対応した。「ウェザーニュース」とのAPI連携やスマホのGPSと連携して、ユーザーの地域の気温に応じてプロモーションやリコメンドのアイテムを変えるような仕組みをスタートさせた。いわゆるパーソナライズだが、9月のように全国的に暑いと、それすらも効かない(苦笑)。ただ、天候に関しては万能で強力な解決策はない。0.01%でも改善できるような施策を10個、20個と積み上げていく。
WWD:抜本的な解決策はないものか?
澤田:そのアンサーの一つが、「メイドバイゾゾ(Made by ZOZO)」のような受注生産の仕組みだ。売れたものを素早く作ってお客さまに提供する、いわゆる無在庫モデルだ。現在の「メイドバイゾゾ」の仕組みをもっと磨き上げる必要があるが、結局はそこに行き着くと感じている。
WWD:コスメ販売の「ゾゾコスメ」は?
澤田:順調に拡大している。取扱高が100億円を超えた時点で日本最大級のコスメECにはなっていて、上期(24年4〜9月)も2ケタ増で推移している。ファッションとの併せ買いということもあってメイクアップが特に強い。ただ本来ECと相性が良く、収益にもつながるスキンケアをもっと伸ばしたい。コスメはこれまで培ってきたアパレルの施策やノウハウが生きる部分とそうでない部分は分かってきた。今はコスメならでは、ZOZOならではの施策や売り方を確立するステージだ。
WWD:26年ごろのお披露目を示唆している、AIと組み合わせた次世代店舗「シン・似合うラボ」の進捗は?
澤田:構想動画で見せた世界に一歩二歩くらいは近づいた。ただ、裏側のテクノロジーはかなり進んでいる。当社のAIエンジンは、基盤となる汎用AIに独自開発のAIを組み合わせて開発しているが、汎用AIが文字通り日進月歩で進化して、やれることが広がる。AIはとにかく進化が早い。動画で示唆した「“似合う”を提案する次世代店舗」は、実はかなり野心的な構想だったが、現在はかなり現実に近いものになっている。今のAIの進化のスピードを見ていると、いずれは誰かが実現する。そんな世界になりつつある。だから一番近い立ち位置にいるわれわれが最初にやらないと。売るための大まかなスキームは、ほぼ見えてきた。実装の際は、開発中のAIエンジンによる商品リコメンドだけでなく、ユーザーに対しておすすめする理由などを説明する「おしゃべりbot」のような機能も必要になりそうなことが分かってきた。すでにこの「おしゃべりbot」の開発にも着手している。
WWD:AIエンジンの実装はいつごろになりそうか?
澤田:開発中のAIエンジンは、「似合うラボ」店舗だけでなく、「ゾゾタウン」や「WEAR」も含めた全事業の基盤になる。ロードマップはあるが、公表する段階ではない。ただ、この数年で「ゾゾタウン」の売り方や使い方、見え方が大きく変わることになるだろう。
WWD:今後、服の売り買いはどう変わる?
澤田:人間が頭の中に浮かんだワードを検索するという時代は終わり、ユーザーをよく理解し、ユーザーに代わって行動する、あるいは相談相手になるような「AIエージェント」「パーソナルエージェント」の時代が近づいていることを実感している。ただ、一つの汎用AIが何でもする、とはならず、ファッションやビューティ分野にはそのアルゴリズムや特性を深く理解した特化型AIが必要になるだろう。この数年「ファッションの『こと』ならZOZO」と言い続けてきたが、AIでも同じことだ。
WWD:04年12月に開設した「ゾゾタウン」は20周年。25年をどう位置づける?
澤田:「ゾゾタウン」開設20周年を機に、来期から新しいサービスや機能、新企画など、派手に打ち出していく予定だ。この数年は「WEAR」のリニューアルや受注生産プラットフォーム「メイドバイゾゾ」などを通してファッション購買の上流から下流を強化してきた。いわば事業領域を縦に延ばしてきた。20周年の新たな取り組みは、もっと横に、つまりもっとウィングを広げ、新しいユーザーを取り込みたい。その一環でもあるが、M&Aも積極的に行う。専門組織をつくり、国内外の企業をリサーチしている。ファッションが中心になるとは思うが、今は特定の領域に絞らず、幅広く情報を集めている。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
ハイエースにバイク、自転車、釣り道具を積み込んで、全国を放浪したい。CEOになってからは、何も考えない時間がとても貴重に感じている。好きなものを全部積み込んで一人気ままに過ごしたい。
1998年に輸入レコードの通販を目的にスタート・トゥデイ(現ZOZO)設立。2000年1月に輸入レコードのオンライン通販を開始、04年12月「ゾゾタウン」スタート、07年12月東証マザーズに上場、12年2月東証一部(現東証プライム)に変更、19年9月にヤフー(現LINEヤフー)の傘下入りを発表。24年3月期の業績は商品取扱高5743億円、売上高1970億円、営業利益600億円、経常利益597億円、純利益443億円。従業員数は1681人(平均年齢33.8歳、24年3月末時点)
ZOZO
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【バロックジャパンリミテッド 村井博之 社長】“ニッチ”を突き詰め、再成長へ地盤固めの一年に
PROFILE: 村井博之/バロックジャパンリミテッド社長

成長のエンジンだった中国事業が不況で低迷し、屋台骨の国内SC事業もさえない。バロックジャパンリミテッドの村井博之社長は、そんな2024年を苦しい1年だったと振り返るが、表情に悲観の色は見えない。「25年は再出発の年になる」。“バロックらしさ”に立ち返り、商品企画の抜本的見直しで浮上を期す。
「不本意でもどかしい」24年からの再出発
WWD:24年を振り返って。
村井博之社長(以下、村井):不本意でもどかしい1年だった。中国は、ついさっきまで晴れていた空から急に雨が降ってきたような状況。それも1、2年で降り止まない大雨だ。(中国事業を)諦めるつもりはないが、いったんは北京、上海などの都心店を残しながらスクラップ&ビルドを進める。タフで我慢が必要な戦いになるだろう。
日本もかつてはバブル崩壊の不況の中から、渋谷109がけん引するギャルカルチャーが生まれ、バロックもその中心にいた。悲観的な状況の中でも前向きなパワーを生み出すのがファッション。中国でも今のどん底の状況から、また新しいカルチャーが萌芽するはずだ。現地の10〜30代のライフスタイルを常に観察し続け、変化の機微を捉えていく。
WWD:「アズールバイマウジー」を中心とする主力のSC事業が停滞している。
村井:マーケットがしぼんだのではなく、作り手である当社の問題。「アズール」の主戦場であるマス市場では、ファストファッションをはじめ競合との競争が苛烈さを増している。われわれの業績のふがいなさは、「バロックらしさとは?」に対する答えが提示できていないことの表れ。モノ作り、MD、価格設定を含めて、「自分たちが正しい」という思い込みを捨てて抜本的に変える。大胆なテコ入れも必要と考えている。
WWD:どんな方向性に変える?
村井:一つ言えるのは、「バロックじゃなくてもできるもの」は作らなくてもいいということ。かつてバロックのブランドというのは、どれをとっても“ニッチ”だった。売り上げの多寡ではなく、商品や店舗運営のスタイルが尖っていた。芸能人やモデルがこぞってバロックブランドを着用し、それに憧れる若い女の子の親御さんからは、「娘に着せたくない」という声も上がったくらい(笑)。少々のハレーションが起こるくらいのエッジィさが私たちの持ち味でもある。他の店でも手に入るような服なら、うちに置く必要はない。「路面店だから」「SC店だから」というふうにMDをはめ込んでいくから、店が面白みを失っていく。既成概念を取り払って、ゼロから品ぞろえを考える。

WWD:原宿の旗艦店「ザ・シェルター トーキョー」は免税売上高が前期比15%増と好調だ。
村井:入店客の約40%を海外のお客さまが占めている。欧米・アジアがメインだが、実は中東からのお客さまも一定数いらっしゃる。われわれの想像の範疇になかったビジネスチャンスを見出す場にもなっている。今後は、国内のお客さまにもさらなる面白みを提供したい。これまでは1階の明治通り側の区画で外部ブランドを誘致したポップアップ企画を実施してきたが、3層(地下1階〜地上2階)の空間を生かし、より大きなスケールでキュレーション展開する。ポップアップのスパンもより短サイクルにして、常に鮮度のある店を作りたい。
WWD:「ブラックバイマウジー」の今春での休止が発表された。SNSでは惜しむ声も多かった。
村井:近い将来、お客さまをあっと言わせる形での新しい展開を考えている。しっかりとしたファンダムがあることが分かっているからこそ、現在のコアな規模から、よりスケールアップした形で出直す。25年内には具体的な発表ができるはずだ。ブランド名は変わる。デニム軸のスタイリング提案というコンセプトにも捉われず、大人がより自分らしいファッションを楽しんでいただけるよう提案する。休止前は実店舗は2つだったが、より大きな規模で展開したい。
アパレルはデザイナー、販売員などあらゆる業種で“人”ありきのビジネスだ。限られた人材を最大限に生かすという意味では、「ブラックバイマウジー」に限らず、小規模なプロジェクトをある程度整理・統合していく必要があると考えている。
WWD:25年の展望は?
村井:再成長に向けた地盤を固める。好材料の一つが「マウジー」の25周年だ。手前味噌だが、ここまで長くお客さまの心を掴めるブランドはそうそうない。ずっとファンでいてくださるお客さまが年齢を重ねる一方、あるメディアの調査によれば、服飾系専門学生の「よく買うブランド」のランキング上位に食い込んでいる。後押ししているのがレトロブームによる渋谷109のリバイバルで、館の店舗も売り上げ好調だ。大人層からの人気商品とはまた違った商品を手に取り、自由にスタイリングを楽しむ若いお客さまがおり、ブランドにとって大いに刺激になっている。周年施策は、大人も若いお客さまも心から楽しんでいただけるものにしたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
2020年に設立したバロック村井博之財団では、若者の進学や研究に資金援助している。私自身にとっても、アパレルと違う世界の学問に触れることは大いに刺激になる。近い将来、財団からノーベル賞受賞者が生まれたら。
2000年にフェイクデリックとして設立し、「マウジー」「スライ」が“平成ギャルブーム”をけん引し大ヒット。08年にバロックジャパンリミテッドに商号変更。13年に中国の靴小売り大手ベル・インターナショナルとの合弁会社バロックチャイナを設立し、中国出店を加速。16年に東証1部(現プライム)市場上場。24年2月期の売上高は前期比2.5%増の602億円、営業利益は同9.1%減の19億円
バロックジャパンリミテッド
03-5738-5775
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【バロックジャパンリミテッド 村井博之 社長】“ニッチ”を突き詰め、再成長へ地盤固めの一年に
PROFILE: 村井博之/バロックジャパンリミテッド社長

成長のエンジンだった中国事業が不況で低迷し、屋台骨の国内SC事業もさえない。バロックジャパンリミテッドの村井博之社長は、そんな2024年を苦しい1年だったと振り返るが、表情に悲観の色は見えない。「25年は再出発の年になる」。“バロックらしさ”に立ち返り、商品企画の抜本的見直しで浮上を期す。
「不本意でもどかしい」24年からの再出発
WWD:24年を振り返って。
村井博之社長(以下、村井):不本意でもどかしい1年だった。中国は、ついさっきまで晴れていた空から急に雨が降ってきたような状況。それも1、2年で降り止まない大雨だ。(中国事業を)諦めるつもりはないが、いったんは北京、上海などの都心店を残しながらスクラップ&ビルドを進める。タフで我慢が必要な戦いになるだろう。
日本もかつてはバブル崩壊の不況の中から、渋谷109がけん引するギャルカルチャーが生まれ、バロックもその中心にいた。悲観的な状況の中でも前向きなパワーを生み出すのがファッション。中国でも今のどん底の状況から、また新しいカルチャーが萌芽するはずだ。現地の10〜30代のライフスタイルを常に観察し続け、変化の機微を捉えていく。
WWD:「アズールバイマウジー」を中心とする主力のSC事業が停滞している。
村井:マーケットがしぼんだのではなく、作り手である当社の問題。「アズール」の主戦場であるマス市場では、ファストファッションをはじめ競合との競争が苛烈さを増している。われわれの業績のふがいなさは、「バロックらしさとは?」に対する答えが提示できていないことの表れ。モノ作り、MD、価格設定を含めて、「自分たちが正しい」という思い込みを捨てて抜本的に変える。大胆なテコ入れも必要と考えている。
WWD:どんな方向性に変える?
村井:一つ言えるのは、「バロックじゃなくてもできるもの」は作らなくてもいいということ。かつてバロックのブランドというのは、どれをとっても“ニッチ”だった。売り上げの多寡ではなく、商品や店舗運営のスタイルが尖っていた。芸能人やモデルがこぞってバロックブランドを着用し、それに憧れる若い女の子の親御さんからは、「娘に着せたくない」という声も上がったくらい(笑)。少々のハレーションが起こるくらいのエッジィさが私たちの持ち味でもある。他の店でも手に入るような服なら、うちに置く必要はない。「路面店だから」「SC店だから」というふうにMDをはめ込んでいくから、店が面白みを失っていく。既成概念を取り払って、ゼロから品ぞろえを考える。

WWD:原宿の旗艦店「ザ・シェルター トーキョー」は免税売上高が前期比15%増と好調だ。
村井:入店客の約40%を海外のお客さまが占めている。欧米・アジアがメインだが、実は中東からのお客さまも一定数いらっしゃる。われわれの想像の範疇になかったビジネスチャンスを見出す場にもなっている。今後は、国内のお客さまにもさらなる面白みを提供したい。これまでは1階の明治通り側の区画で外部ブランドを誘致したポップアップ企画を実施してきたが、3層(地下1階〜地上2階)の空間を生かし、より大きなスケールでキュレーション展開する。ポップアップのスパンもより短サイクルにして、常に鮮度のある店を作りたい。
WWD:「ブラックバイマウジー」の今春での休止が発表された。SNSでは惜しむ声も多かった。
村井:近い将来、お客さまをあっと言わせる形での新しい展開を考えている。しっかりとしたファンダムがあることが分かっているからこそ、現在のコアな規模から、よりスケールアップした形で出直す。25年内には具体的な発表ができるはずだ。ブランド名は変わる。デニム軸のスタイリング提案というコンセプトにも捉われず、大人がより自分らしいファッションを楽しんでいただけるよう提案する。休止前は実店舗は2つだったが、より大きな規模で展開したい。
アパレルはデザイナー、販売員などあらゆる業種で“人”ありきのビジネスだ。限られた人材を最大限に生かすという意味では、「ブラックバイマウジー」に限らず、小規模なプロジェクトをある程度整理・統合していく必要があると考えている。
WWD:25年の展望は?
村井:再成長に向けた地盤を固める。好材料の一つが「マウジー」の25周年だ。手前味噌だが、ここまで長くお客さまの心を掴めるブランドはそうそうない。ずっとファンでいてくださるお客さまが年齢を重ねる一方、あるメディアの調査によれば、服飾系専門学生の「よく買うブランド」のランキング上位に食い込んでいる。後押ししているのがレトロブームによる渋谷109のリバイバルで、館の店舗も売り上げ好調だ。大人層からの人気商品とはまた違った商品を手に取り、自由にスタイリングを楽しむ若いお客さまがおり、ブランドにとって大いに刺激になっている。周年施策は、大人も若いお客さまも心から楽しんでいただけるものにしたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
2020年に設立したバロック村井博之財団では、若者の進学や研究に資金援助している。私自身にとっても、アパレルと違う世界の学問に触れることは大いに刺激になる。近い将来、財団からノーベル賞受賞者が生まれたら。
2000年にフェイクデリックとして設立し、「マウジー」「スライ」が“平成ギャルブーム”をけん引し大ヒット。08年にバロックジャパンリミテッドに商号変更。13年に中国の靴小売り大手ベル・インターナショナルとの合弁会社バロックチャイナを設立し、中国出店を加速。16年に東証1部(現プライム)市場上場。24年2月期の売上高は前期比2.5%増の602億円、営業利益は同9.1%減の19億円
バロックジャパンリミテッド
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【シロ 福永敬弘社長】モノ作りの価値基準を寛容に 廃棄物ゼロで地球環境を改善
PROFILE: 福永敬弘/社長

ブランド誕生から15周年を迎えた2024年、モノ作りと店舗作りの両軸で、全ての資源の価値を見つめ直す「15年目の宣言」を表明した。廃棄物ゼロを目指し、化粧品の枠にとらわれない取り組みを実行する。
“廃棄ゼロ”を実現
モノ作りの未来を描く

WWD:24年をどのように振り返るか。
福永敬弘社長(以下、福永):売上高は前年比26%増を記録し、店舗が同32%増、ECが同8%増とどちらも前年並みの成長率を維持している。中でもスキンケアが同81%増となり、数量限定の“旬”シリーズが成長を支える大きな柱となった。あらためて社員教育に力を注ぎ、スキンケアに対する熱量を上げたことも成果を生んだ。まずはアイテムを使うことを徹底し、実体験に基づいた感想を自身の言葉でお客さまに伝えることを重視している。
WWD:“旬”シリーズを続けるのは大変ではないか?
福永:“旬”シリーズは、旬の素材を肌や髪にも届けたいという想いから誕生した。原料となる植物を最適な状態で収穫して製品化するため、発売日や販売本数があらかじめ決まらないという特殊な形態を取っている。自社工場だからできることだが、スケジュールも極めてタイトだ。最短で発売日の6日前に工場から出荷し、4日前に倉庫に到着するというスピーディーかつ緻密な流通計画が必要となる。現場にとっては常に緊張感を伴う取り組みでもあるが、そこを上回るシロらしい価値を創造する製品であり、お客さまも楽しみに待っていてくださる。
WWD:循環型の未来を描く「廃棄物ゼロ」に向けたアクションの成果は。
福永:24年8月にスタートした「シロ リユースプロジェクト」のPoC(概念実証)を行い、店頭でシロの使用済みガラス容器約1万本を回収できた。その容器を洗浄してリユースできる状態にし、リニューアル前に余剰となった香料や手元にある資材を活用した限定フレグランス“ゼロ コレクション フレグランス”として新たな命を吹き込んだ。同製品は24年11月に渋谷パルコで開催したポップアップイベント「シロ ウィズ パスト」で2400本を販売した。今回の取り組みで、ガラス容器の回収、洗浄、充填、製品化といった一連のプロセスを内製化するおよその見通しが立った。一方で衣類は4カ月間で回収したのが3000着、販売は150着で課題が残った。今後の展開についてはより慎重に検討していく。
WWD:廃棄物ゼロに向けた次のアクションは?
福永:弊社は製品だけでなく、香料も含め資材の棚卸しも精緻に行っている。次のマーケティングカレンダーに反映させ活用するのが“ゼロ コレクション フレグランス”だ。他社も巻き込み、廃棄せざるを得ない資材を譲り受けて製品化していくというのが、25年のフェーズ。自分たちだけがゴミを出さなければそれでいいというわけではない。
WWD:利益の追求と廃棄物ゼロは両立できるか。
福永:両立するには自社工場は必須だ。OEMだけに依存していたら資材まで管理できないし、単価を下げるために量を作らざるを得ない。欠品は避けなければならないが、資材を有効活用して小ロットで作れば、利益を大きく損なうことはない。ただ、ガラス容器の再利用も余った資材の活用も、09年からエシカルなモノ作りにこだわってきた「シロ」というブランドの根っこがあるから理解していただけるのだと感じている。
WWD:海外での拡販も順調に進行している。
福永:海外での売り上げは3倍に伸びたが、シェアは2%程度。春には韓国の聖水(ソンス)に路面店のオープンを計画している。顧客体験も品ぞろえも現地に寄り添った内容にし、ゆくゆくは限定のスキンケア製品も作っていきたい。また、4月には昨今の為替レートに合わせて海外価格の値下げを行う予定だ。
WWD:昨年11月に北海道栗山町と協定を結び、森林作り活動にも着手している。
福永:森林を守りながら資源を活用することに取り組むが、今はそのために森の中の道を整備している。栗山町に自生するふきのとうを、23年に発売したフェイスミスト“ふき2023”で使わせていただいたこともある。ゆくゆくは、そういった栗山町の資源を使用した製品を栗山町のふるさと納税の返礼品とし、税収につなげていただき、森が良くなる循環を作っていきたい。われわれが目指すのは町が自走すること。現在は砂川市、栗山町、足寄町で行っているが、シロはさまざまな地域の産物を利用している。このような市や町との連携は今後も拡大し継続していきたい。
WWD:シロが未来に見据える「可能性」とは?
福永:日本人の価値基準を寛容にしたい。日本のモノ作りはすごく繊細かつ正確で安全・安心。それによって国際競争力を上げてきたが、裏を返せば、その厳しい基準がゴミを出しているという現実がある。そのスイッチをどこかのタイミングで切り替えないと、地球環境は改善していかない。パッケージのキズや容器の再利用などはもっと寛容になれる未来を作りたい。影響力を持つにはわれわれのビジネスをもっと拡大する必要があるが、既に原料調達にも影響が出るほど地球環境は悪化しており、待っている時間はない。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
幼少の頃から夢は小説家。大好きな白石一文さんのような文章を書ける人になりたかった。書きたいテーマは自伝でもビジネス書でもなくヒューマンストーリー。まだ書き始めてもいないが構想は常に頭の片隅にある。いつか上梓したい。
国内外で見つけた素材の力を最大限に引き出す、スキンケア、メイク、フレグランスを提案。自社内に製品の開発から販売まで全ての機能を持ち、創業当初からエシカルな信念に基づくモノ作りを続ける。日本全国に直営店舗を展開するほか、ロンドンや台湾に実店舗を構え、米国では自社EC、中国では越境ECでの販売を行う。23年創業の地である北海道砂川市に新工場と付帯施設を含む「みんなの工場」をオープン。食のセレクト「シロ ライフ」や宿泊施設「メゾン シロ」なども手掛ける
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【マッシュビューティーラボ 豊山YAMU陽子社長】既存店を磨き上げ戦略を武器に客数最大化
PROFILE: 豊山YAMU陽子/社長

2023年4月にマネジメント層を中心に組織を刷新。24年は新体制の下あらためてナチュラル&オーガニックの裾野を広げるため、店頭ツールからウェブ施策、コラボレーションに至るまで新たな策を講じ、実績につなげた。今年はその勢いを加速させ、チーム一丸となり客数最大化に挑む。
エンターテインメント性で
ナチュラル&オーガニックを訴求
WWD:社長就任2年目の手応えは?
豊山YAMU陽子社長(以下、豊山):24年8月期決算は売上高が前期比2%増で着地。直近の9〜11月の売上高は同21%増と、ここ数年の踊り場を脱しリテールもプライベートブランド(以下、PB)も好調に推移している。社長就任1年目は、基盤作りに注力した。組織が固まったことで、2年目は売り上げを生み出すことにフォーカスでき、ナチュラル&オーガニックのハードルを下げる施策を積み上げられた。コスメキッチンとして20年間、実直にナチュラル&オーガニックを伝えてきた一方で、お客さまにとってはまだまだ入り口の狭さや選択の難しさもあったと思う。24年はさまざまなチャレンジが実を結び、ファーストオーガニックとしてコスメキッチンやビープルの製品を手にしてくださるお客さまが増えた。
WWD:方向性を明確にして成果が表れた。
豊山:チーム全体が同じ方向に進む指針となったのが、24年にマッシュグループ全体で掲げた「シンク エンターテインメント」というスローガンだ。私たちのエンターテインメント性でナチュラル&オーガニックをお客さまの生活の一部にしていくことを決意し、可能性を引き出せた。その具体策の一つがコラボレーション。シーズンごとのテーマやイベントに多くのメーカーが賛同し、オリジナルパッケージやキットを作って訴求できたことは大きかった。
WWD:店頭でのエンターテインメント性の表現は?
豊山:初心に立ち返り、ショップのVMD設計を基礎から見直して改革に取り組んだ。選択肢の多さに悩むお客さま全員を、店頭で必ず接客できるわけではない。そんなとき入店の動機作りや商品購買のきっかけとなるのが店頭ディスプレイやPOPだ。何気なく思えるPOPの1つ1つの言葉に吟味を重ね、フォント選びやサイズまで徹底したクリエイティブを追求するほか、リアルな声を届ける手書きPOPも同時に再注力した。また、それに合わせてリテールの圧倒的なマーケティング力や、PBのクリエイティブを強化。製品のさらなる魅力を引き立たせることで、確固たるファンの獲得に寄与するなど、多角的に「お客さまへのアプローチ」を見直したことが成果につながった。
WWD:とくに注力したカテゴリーは?
豊山:ヘアケアの24年8月期の売上高は前期比13%増、9、10月はさらに動きが良く、前年同期比50%増で推移。同じくインナーケアは前期比37%増で、9、10月は前年の2倍の売り上げとなっている。また、5〜9月に力を入れたミストローションなどのクール商材は前期比150%増で、戦略的にSKUも数量も積んだことが功を奏した。このクール商材のように、お客さまの悩みを深掘りしたオンタイム対応によるシーズンプロモーションがはまった。
WWD:仕掛けが数字となって顕著に表れている。
豊山:戦略をしっかり組み立て、それに対して店頭、EC、VMD、PRとチーム全体が一つの方向に向かって全力を注いだ結果が数字に表れ、自信にもつながっている。それぞれの部署がどう「シンク エンターテインメント」していくのか、お客さまとどう会話して行くかを真剣に考え丁寧に実行したら、着実に数字として返ってくるという成功体験を重ねられた年だった。その過程でスタッフの士気と結束力が高まり、社内の雰囲気が変わったのを感じた。
WWD:「シンク エンターテインメント」があらゆる面で反映されている。
豊山:大きな催しとなったのが、6月と11月に開催した「ザ オーガニックデイズ」だ。「ナチュラル&オーガニック=難しい」ではなく、自分らしく楽しむ選択肢の1つとして取り入れてほしいとの思いから生まれたオーガニックの祭典で、限定キットやベストコスメの発表、オリジナルコンテンツを提供した。ECを中心としたイベントだが、店舗の売り上げに影響を与えず、相乗効果となって店舗の新客獲得に貢献した。今年もさらに拡大して開催する予定だ。

WWD:3年目となる25年のチャレンジは?
豊山:最優先は既存店を磨き上げること。既存店の売り上げは1.5〜2倍に成長させられると思っている。世界からお客さまが絶えない店にしたいし、長年愛してくださるお客さまには世界を旅しているような店、毎回新しい発見がある店、トレンドをキャッチできる店でありたい。さらにリテール事業では客数最大化を目指す。そして、PBもエクスクルーシブブランドも強化・拡大。現在、お客さまのニーズを捉えた自社企画製品や各メーカーとの共同開発に精力的に取り組んでいる。いずれの戦略も、若い世代のスタッフに期待しているし、そこから生まれるケミストリーが楽しみだ。「この会社で働きたい」と思ってもらえる企業No.1を目指し、環境に対してはもちろん、事業・企業としてのサステナビリティも追求していきたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
挑戦してみたいのは、ただのリトリートではなく、世界のウェルネスなツーリストたちが集まるような場。健康・美容に向き合い、恋愛・エンタメまで楽しめるような活力溢れる宿や高齢者向けの新感覚施設を作ってみたい。
マッシュグループの傘下として2010年に設立。ナチュラル&オーガニックコスメのセレクトショップ「コスメキッチン」や、コスメに加え食品やインナーケアアイテムをそろえる「ビープル」を運営する。「セルヴォーク(CELVOKE)」「トーン(TO/ONE)」「スナイデル ビューティ(SNIDEL BEAUTY)」などプライベートブランドも充実し、22年に発表した「ミティア オーガニック(MITEA ORGANIC)」ではファミリーマートと協業するほか、日本における総代理店として「ミー トゥデイ(ME TODAY)」「トリロジー(TRILOGY)」「インナーセンス(INNERSENSE)」などを展開
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【ポーラ 小林琢磨社長】ブランド価値や現場資産を活用 独自性で経営を“サイエンス”
PROFILE: 小林琢磨/社長

2025年1月1日付でポーラの社長に就任した小林琢磨社長は、これまでディセンシア、オルビスの事業構造を改革し大きな成果を創出している。ポーラでもその手腕を生かし、さらなるブランド価値向上と中長期的な顧客基盤構築推進のため経営を“サイエンス”していく。
「Science. Art. Love.」を合言葉に
ブランド価値を最大化
WWD:24年の取り組みとその成果は。
小林琢磨(以下、小林):直近まで経営をしたオルビスは、非常に好調な1年だった。売り上げ比率が高いスキンケアの中で最も高価格帯の製品が、売り上げや販売個数、客数の面で突出した成果を挙げることができた。中価格帯を主戦場とするオルビスにとって、一番高い製品が売れているのはとても稀有なこと。これはお客さまにブランドの付加価値を認められている証ともいえる。特に高価格ラインの“オルビスユー ドット”を中心に、高付加価値の美容液などのクロスセルが奏功。これにより全体の売り上げが大きく伸長した。また、エイジングケアシリーズ“ショットプラス”を立ち上げ、ドラッグストア市場への参入を果たした。オルビスはこれまで、ダイレクトマーケティングを主軸に展開してきたが、同シリーズはスキンケアラインとして初めて直販を行わない形態を採用。社内でも議論を呼んだが、生活者の購入生活圏に直接アプローチする必要性を考慮し決断した。
WWD:オルビスは18年から「量より質」のリブランディングで構造改革を行い、成果を出している。ポーラではどう取り組んでいく考えか?
小林:基幹ブランドの「ポーラ」は、24年9月までの実績では販売チャネルの店舗数減少による顧客接点の縮小が響き、国内事業全体で前年を下回る業績だ。加えて、海外事業においても中国大陸を中心に景気減速の影響が続き、売上高・営業利益共に前年を下回る厳しい状況となっている。しかし、“現場の強さ”は当社の競争優位の源泉。ポーラの合言葉でもある企業理念「Science. Art. Love.」は、その精神を的確に表現している。コロナ禍を経て生活者の価値観や購買行動が変化した一方、化粧品市場におけるEC比率の上昇は約2割にとどまった。このようにリアル店舗で購入したい人が大半の中、当社で活躍する地域に根付いた約2万3000人のビューティディレクター(BD)の存在は大きな財産である。「日本はおもてなしの国」と言われているが、人口減少による人手不足でAIの投入や隙間時間に働けるバイトアプリも盛んになり、満足な接客は受けられなくなりつつある。その中でブランドと共に何十年もの間歩み続けてきた愛を持ったBD組織を有することは、大きな強みだ。汗と資源の上に成り立つ差別性が独自性となる。
WWD:ダイレクトセリングの強みをさらに生かしていくためには。
小林:ポーラは創業からダイレクトセリングでブランドポートフォリオを築いてきたため、直接つながるお客さまとの解像度が高い状態。OMO戦略を推進し、新規顧客獲得から高LTV(顧客生涯価値)化までの転換促進を実現するブランド体験「One POLAモデル」の構築に注力している。23年から全チャネルを対象とするメンバーシッププログラム「ポーラ プレミアム パス」を始動し、顧客IDを統合したことにより国内で共通のサービス体験の提供が可能となった。この先は、一本化したIDから次に何を生み出すべきかを課題としている。
WWD:どのような構想か。
小林:ダイレクトマーケティングでは顧客のRFM分析(Recency=最終購入日、Frequency=購買回数、Monetary=購買金額)を実施しているが、例えばレスポンス率が下がっている場合、どこに手を打つか、どこを訪問すべきかなどを現場責任者であるコンサルタントと本社が一緒になり考えていくべき。ポーラのすごい点は、業績が下がっている時もブランドの資産価値は下がっていないこと。これは、製品の技術価値やクリエイティビティ、そして強い製品知識と愛を持って活動する販売現場の強さなど積み重ねてきた独自性があるから。これらのベースをもとに一本化した顧客IDを生かしながらコンサルタントと本社が一丸となり経営をサイエンスしていくことが重要だと考えている。
WWD:製品やブランドポートフォリオにおける課題は。
小林:すでに製品企画の開発力が非常に高く、ブランドの資産価値も高い。この強みは変えずにさらに強化していくことに注力するべきだと考えている。また、ハイプレステージブランド「B.A」については、グローバル市場で十分に競争力を発揮できる水準に達している。加えて、国内市場では若年層の富裕層が増加しており、ここにもチャンスがあるとみている。
WWD:25年は強みを伸ばしていくことに注力する。
小林:生かしきれていなかったブランド資産価値や現場の資産を高めていく。これを前提に、経営やマーケティングを“サイエンス”していく。ダイレクトセリングの強みを生かしてきたことはオルビスで経験済み。この得意分野をポーラでも築き上げていきたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
学生時代は東宝でバイトし、年間200本以上を観る映画マニア。紀里谷和明監督の引退作「世界の終わりから」の制作総指揮を務めた経験を持つ。かつてはクリエイティブの才能がないと諦めたが、また映画監督や映像制作に挑戦したい。
1929年に静岡市で創業。企業理念である「Science. Art. Love.」を軸として、「B.A」「リンクルショット」「ホワイトショット」「アペックス」などのスキンケアやメイクブランド、エステなどの美容サービスを展開。創業者の「最上のものを一人一人にあったお手入れとともに直接お手渡ししたい」という思いを大切に、一人一人の顧客と向き合い、美を提供
ポーラお客さま相談室
0120-117111
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【マッシュホールディングス 近藤広幸社長】営業利益100億円の先へ “人の力”を生かす組織で進む
PROFILE: 近藤広幸/マッシュホールディングス社長

2024年8月期に営業利益が初めて100億円を突破したマッシュグループ。盤石の強さを見せる主力ブランドに加え、メンズ、キッズ&ベビー、ライセンスといったチャレンジ領域も順調に成長。25年には伊藤忠商事と日本事業を共同運営する「レスポートサック」のアパレルを始動するなど挑戦を続ける一方、ネクストステップのカギは、「人の力を最大限に生かすこと」だと近藤広幸社長は話す。
組織、個人のKPIを見直し
さらなる伸び代を作る
WWD:営業利益が初めて100億円を突破した。
近藤広幸社長(以下、近藤):「ジェラート ピケ」(24年8月期売上高は前期比9%増)、「リリー ブラウン」(同5%増)といったブランドに加え、「スナイデル」から誕生した「スナイデル ホーム」(同35%増)、「スナイデル ビューティ」(同50%増)も成長を続け、本当によくやっている。
昨年は試練もあった。西武池袋本店の改装をはじめ、私たちにはどうすることもできない環境要因によって、当社の中でも売り上げトップクラスの店舗を一気に失ったダメージはとてつもなく大きい。出店コストも高騰する中で、そういった優良店をまた一から作るためには膨大な時間とエネルギーが必要になる。
ただ社員の努力があったからこそ、一つの目安としていた「営業利益100億円」という壁を打ち崩すことにつながったのだろうし、コロナ禍で試行錯誤しながら成長してきた総決算と言える。すでに現場では一人一人が「限界」といえるレベルまで奮闘してくれている。さらなる伸び代を作るには、経営として組織のあり方、個々のKPIを改めて考え直す必要があるとも感じている。
WWD:その具体的な考えは。
近藤:個人の力が十二分に事業に反映されるよう、適材適所の考え方で、もう一度組織を見直す。やりがいと責任のあるポジションを増やして、それぞれの持つ個性や強みをより輝かせていく。例えばだが、神奈川県のファッションの消費額はものすごく高い。これまでのように「関東」という大枠で見るのではなく、神奈川県を統括する営業責任者を立て、3カ年計画を作って戦略的に売り上げを作ったらどうか。そんなふうに既成概念を外して考えれば、ビジネスチャンスはいくらでも見出せる。才能ある若手や中堅を責任者に抜擢すれば、成長のチャンスになるし、ゆくゆくは会社の明るい未来を作っていく存在になる。
WWD:24年はライセンス事業への投資も活発だった。
近藤:ニュージーランドのベビー&キッズ「ジェイミーケイ」や米ラグジュアリーヘアケア「インナーセンス」、伊ラゲージの「FPM」を新規導入した。すでに22年から展開している「バブアー」は、私たちならではの企画力やコーディネート提案力によって女性ファンを大幅に増やすことができている。池袋サンシャインシティに出店した「セサミストリート マーケット」は、作品に通底する多様性を私たちらしい商品やストアデザインで表現し、連日盛況だ。こういった成功事例により、取引先からの商談が次々と舞い込んでいて、今年も新規導入の計画がある。ただしやみくもに数を増やすのではなく、私たちのウェルネスデザインの理念とマッチしているかが前提条件。私たちも共感とリスペクトを持ってブランドを育てていけば、お客さまも必ずついてきていただけるはずだ。
WWD:米ライフスタイルブランド「レスポートサック」の日本事業を伊藤忠商事と共同運営する。
近藤:主力はバッグだが、これまでのMDにはなかったアパレルを自社オリジナルで企画し、秋に導入する。「フレイ アイディー」を率いてきたディレクターを新たにチーフデザイナーに据える。女性の心をつかむデザイン力や感性を生かして、マッシュらしいウェルネスウエアに落とし込む。私としても、どんな化学反応が起こるか楽しみだ。
WWD:サステナビリティ推進の進捗は?
近藤:当社では22年にサステナブル推進委員会を発足し、全社でCO2削減の取り組みを進めている。アパレル製造を依頼している中国の取引先工場に対しては、環境への配慮について当社独自の監査基準でランク付けし、S・Aランクの工場には「エコファクトリー」の認定証をお渡ししている。すでに認定証を発行した取引先は100社にのぼり、そこを目標として努力していただいている工場も出てきた。エコファクトリーへの意識改革の流れを生み出せている手応えがある。他にも、昨春は「エミ」が環境にやさしい植物由来の素材「プラックス」を用いたコレクションを発表し、CO2排出削減量を数値化・開示した。こういった取り組みは他ブランドに水平展開していく。
WWD:25年のファッション業界をどう読む?
近藤:今は気候、特に猛暑対応が経営課題として立ちはだかっているが、その中でも守りに回らず「どう個性を出すか」というプラスワンの発想ができるかどうかで差がつく。コロナという大波を乗り越えたアパレル業界には、世の中に必要とされながら強かに生き残っていく企業が数多くあることを、改めて感じている。そういったプレーヤーと競い合いながら、私たちにとっても本当の実力が試される「勝負の年」になるだろう。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
マッシュグループは子供たちの未来を作る企業活動を続けているが、私個人として思い描いているのが漫画のプロデュース。子供たちに夢と希望を与えられるような作品を世に送り出せたら。
1998年、グラフィックデザイン会社として設立。2005年に「スナイデル」を立ち上げ、ファッション事業に参入。「ウェルネスデザイン」のスローガンの下、ビューティやフードにも裾野を拡大。24年8月期連結売上高は、前期比6%増の1202億円。国内事業が前期比6%増の1087億円で、内訳はファッションが同8%増の866億円、ビューティが同2%増の176億円。海外事業は同5%増の115億円だった。今期売上高は1300億円を計画する
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【マッシュホールディングス 近藤広幸社長】営業利益100億円の先へ “人の力”を生かす組織で進む
PROFILE: 近藤広幸/マッシュホールディングス社長

2024年8月期に営業利益が初めて100億円を突破したマッシュグループ。盤石の強さを見せる主力ブランドに加え、メンズ、キッズ&ベビー、ライセンスといったチャレンジ領域も順調に成長。25年には伊藤忠商事と日本事業を共同運営する「レスポートサック」のアパレルを始動するなど挑戦を続ける一方、ネクストステップのカギは、「人の力を最大限に生かすこと」だと近藤広幸社長は話す。
組織、個人のKPIを見直し
さらなる伸び代を作る
WWD:営業利益が初めて100億円を突破した。
近藤広幸社長(以下、近藤):「ジェラート ピケ」(24年8月期売上高は前期比9%増)、「リリー ブラウン」(同5%増)といったブランドに加え、「スナイデル」から誕生した「スナイデル ホーム」(同35%増)、「スナイデル ビューティ」(同50%増)も成長を続け、本当によくやっている。
昨年は試練もあった。西武池袋本店の改装をはじめ、私たちにはどうすることもできない環境要因によって、当社の中でも売り上げトップクラスの店舗を一気に失ったダメージはとてつもなく大きい。出店コストも高騰する中で、そういった優良店をまた一から作るためには膨大な時間とエネルギーが必要になる。
ただ社員の努力があったからこそ、一つの目安としていた「営業利益100億円」という壁を打ち崩すことにつながったのだろうし、コロナ禍で試行錯誤しながら成長してきた総決算と言える。すでに現場では一人一人が「限界」といえるレベルまで奮闘してくれている。さらなる伸び代を作るには、経営として組織のあり方、個々のKPIを改めて考え直す必要があるとも感じている。
WWD:その具体的な考えは。
近藤:個人の力が十二分に事業に反映されるよう、適材適所の考え方で、もう一度組織を見直す。やりがいと責任のあるポジションを増やして、それぞれの持つ個性や強みをより輝かせていく。例えばだが、神奈川県のファッションの消費額はものすごく高い。これまでのように「関東」という大枠で見るのではなく、神奈川県を統括する営業責任者を立て、3カ年計画を作って戦略的に売り上げを作ったらどうか。そんなふうに既成概念を外して考えれば、ビジネスチャンスはいくらでも見出せる。才能ある若手や中堅を責任者に抜擢すれば、成長のチャンスになるし、ゆくゆくは会社の明るい未来を作っていく存在になる。
WWD:24年はライセンス事業への投資も活発だった。
近藤:ニュージーランドのベビー&キッズ「ジェイミーケイ」や米ラグジュアリーヘアケア「インナーセンス」、伊ラゲージの「FPM」を新規導入した。すでに22年から展開している「バブアー」は、私たちならではの企画力やコーディネート提案力によって女性ファンを大幅に増やすことができている。池袋サンシャインシティに出店した「セサミストリート マーケット」は、作品に通底する多様性を私たちらしい商品やストアデザインで表現し、連日盛況だ。こういった成功事例により、取引先からの商談が次々と舞い込んでいて、今年も新規導入の計画がある。ただしやみくもに数を増やすのではなく、私たちのウェルネスデザインの理念とマッチしているかが前提条件。私たちも共感とリスペクトを持ってブランドを育てていけば、お客さまも必ずついてきていただけるはずだ。
WWD:米ライフスタイルブランド「レスポートサック」の日本事業を伊藤忠商事と共同運営する。
近藤:主力はバッグだが、これまでのMDにはなかったアパレルを自社オリジナルで企画し、秋に導入する。「フレイ アイディー」を率いてきたディレクターを新たにチーフデザイナーに据える。女性の心をつかむデザイン力や感性を生かして、マッシュらしいウェルネスウエアに落とし込む。私としても、どんな化学反応が起こるか楽しみだ。
WWD:サステナビリティ推進の進捗は?
近藤:当社では22年にサステナブル推進委員会を発足し、全社でCO2削減の取り組みを進めている。アパレル製造を依頼している中国の取引先工場に対しては、環境への配慮について当社独自の監査基準でランク付けし、S・Aランクの工場には「エコファクトリー」の認定証をお渡ししている。すでに認定証を発行した取引先は100社にのぼり、そこを目標として努力していただいている工場も出てきた。エコファクトリーへの意識改革の流れを生み出せている手応えがある。他にも、昨春は「エミ」が環境にやさしい植物由来の素材「プラックス」を用いたコレクションを発表し、CO2排出削減量を数値化・開示した。こういった取り組みは他ブランドに水平展開していく。
WWD:25年のファッション業界をどう読む?
近藤:今は気候、特に猛暑対応が経営課題として立ちはだかっているが、その中でも守りに回らず「どう個性を出すか」というプラスワンの発想ができるかどうかで差がつく。コロナという大波を乗り越えたアパレル業界には、世の中に必要とされながら強かに生き残っていく企業が数多くあることを、改めて感じている。そういったプレーヤーと競い合いながら、私たちにとっても本当の実力が試される「勝負の年」になるだろう。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
マッシュグループは子供たちの未来を作る企業活動を続けているが、私個人として思い描いているのが漫画のプロデュース。子供たちに夢と希望を与えられるような作品を世に送り出せたら。
1998年、グラフィックデザイン会社として設立。2005年に「スナイデル」を立ち上げ、ファッション事業に参入。「ウェルネスデザイン」のスローガンの下、ビューティやフードにも裾野を拡大。24年8月期連結売上高は、前期比6%増の1202億円。国内事業が前期比6%増の1087億円で、内訳はファッションが同8%増の866億円、ビューティが同2%増の176億円。海外事業は同5%増の115億円だった。今期売上高は1300億円を計画する
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【アルビオン 小林章一社長】熱狂と感動を生み出し続け、まだ見ぬ未来を切り拓く
PROFILE: 小林章一/社長

唯一無二の化粧水“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”が2024年に誕生50周年の節目を経て、高級化粧品専門メーカーとしてますます存在感を増すアルビオン。モノ作りと接客力を両輪に、さらなる成長に向けた攻めの姿勢を強めている。
“夢”と“やる気”が原動力
顧客の心に響く接客とモノ作りで成長加速

WWD:アルビオンが見据える未来の可能性とは?
小林章一社長(以下、小林):お客さまに熱狂的に支持していただける製品を生み出し続けることが、未来の可能性を切り拓くと信じている。大事なのは“夢”と“やる気”。リソースや環境にどんな制限があったとしてもそこに不可能はない。「お客さまを喜ばせたい」という夢、思いを込めた真摯なモノ作りや接客は人の心を動かし、それが結果的に売り上げにもつながっていく。
WWD:これまでも幾度となく“熱狂”を生み出してきた。
小林:琵琶湖のほとりに位置する滋賀県長浜市の人通りの少ない地で多い時には月400回ほどのお手入れを行い、年間約9000万円を売り上げている店舗がある。これも製品や接客が圧倒的であれば環境にかかわらずお客さまに支持いただけるという一例で、本社に「接客が素晴らしかった。ぜひ一言お礼を伝えたかった」とわざわざ電話してくださるお客さまも多くいる。こんな小さな“熱狂”を生むことが私にとって生きがいであり、喜びでもある。唯一無二のモノ作りと接客のレベルを磨き続け、私が現役でいる限りはその可能性を追求していきたい。どこまでも攻め続けたいという思いがある。
WWD:攻めの姿勢でヒット製品が生まれている。
小林:22年にスタートした“フラルネ”は、コロナ禍で静かな立ち上げとなったものの、今では中核シリーズに育ちつつある。昨年秋にパワーアップリニューアルした“アンフィネス”も話題を集めている。好調に推移している主軸製品に加え、7種のビタミンC誘導体を配合したスペシャル美容液“アンフィネス メンテナンス ショット 7”といった突き抜けた製品も誕生している。ただ、攻め続けるのと同時に当社が大切にしているのは“育てる”文化だ。本当に良い製品は手塩にかけて全社で育てていく。だからこそ昨年50周年を迎えた“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”のようなロングセラー製品も生まれる。業界を見ても50年続く製品はそう多くはないだろう。22年に刷新した“フレッシュハーバルオイル”も当初の想定を超え、今では年間20万個売れるヒット製品になった。強烈な個性を放つ製品は、根本を変えずに刷新を続けることで長く愛される唯一無二の存在に育っていく。コロナ禍で厳しい状況が続いたが、昨年「アルビオン」はおかげさまで久しぶりに2ケタ近い成長を遂げた。会員数も5年ぶりに増加し、良い勢いが継続している。
WWD:国際事業本部が手掛けるブランドの動向は。
小林:「ポール & ジョー ボーテ」は堅調に動いているが、もう少しテコ入れが必要。質感や色、ニュアンスの面でよりブランドらしさを打ち出していけるように力を注ぎたい。「アナ スイ コスメティックス」はECのシェアが伸長、「エレガンス」は10年ぶりに新色が登場したフェイスパウダー“ラ プードル オートニュアンス”が好調だが、ポイントメイクでもさらなる“可能性”の種蒔きを仕掛けていきたいと考えている。
WWD:1月にデジタル部門を発足した。
小林:秋からデジタルを活用したマーケティング施策を本格化させ、26年にはEC販売を開始する。背景には、お客さまから「EC販売はしないのか」という声が日増しに高まっている現状がある。コロナ禍の影響で廃業する化粧品専門店が相次ぐ中、近所に実店舗がないお客さまや、多忙な日々を送るお客さまにご不便をおかけしているのは本意ではない。昨年11月に開催した方針説明会では、取引先にも事情を説明し、EC販売の計画に対する理解を得た。あくまでも実店舗が主役で、ECはその補完という位置付け。アルビオンとして対面の接客を重視する姿勢は一貫して変わらない。デジタルマーケティング施策では新規客を実店舗に誘導することを目的にし、最新の肌測定機器の導入など、店頭でしか味わえないサービスや接客を一層強化していく。
WWD:美容部員の再育成も急務だ。
小林:美容部員は、コロナ禍の影響でお客さまの肌に直接触れる接客スタイルが制限され、自信を失う者も少なくなかった。人材の入れ替わりもあったが、教育やトレーニングに力を入れ、かつての接客レベルを取り戻す努力を続けてきた。今ではコロナ禍前のレベルまで戻っている。やはり実際肌に触れた数だけ成長できるもの。ようやくマスクをしなくなってきた今、日々の実践を通じてスキルを高めながら本領を発揮している。
WWD:25年、“可能性”を広げる新たな動きは?
小林:海外進出に向けて本格的に動き出す。欧州とのコネクションがある某美容家とタッグを組み、海外に向けた製品開発に取り組み始めている。また、「アルビオン」では“欠けているピース”ともいえるフレグランスの開発にも挑戦したい。そうすれば従来接点のなかった新たな層にリーチできる大きな一手となるだろう。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
20年以上続けているタップダンスでプロ級に上達したい。映画「タップ」を見て憧れて始めたこの趣味。いつかなかなか取れない長期休暇を使って、思い出の地、ニューヨークのブロードウェイダンスセンターのレッスンに通いたいと思っている。
「日本一、世界一の高級化粧品メーカーを目指す」という夢を掲げて、1956年に創業。乳液先行の独自の美容理論を確立。主軸のスキンケアブランド「アルビオン」には、創業時から販売する乳液や、74年に誕生した“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”など、ロングセラー製品が多数存在する。そのほか「エレガンス」「イグニス」「ポール & ジョー ボーテ」「アナ スイ コスメティックス」などを手掛ける
アルビオンお客様相談室
0120-114-225
(10:00〜17:00/土・日・祝日除く)
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【アルビオン 小林章一社長】熱狂と感動を生み出し続け、まだ見ぬ未来を切り拓く
PROFILE: 小林章一/社長

唯一無二の化粧水“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”が2024年に誕生50周年の節目を経て、高級化粧品専門メーカーとしてますます存在感を増すアルビオン。モノ作りと接客力を両輪に、さらなる成長に向けた攻めの姿勢を強めている。
“夢”と“やる気”が原動力
顧客の心に響く接客とモノ作りで成長加速

WWD:アルビオンが見据える未来の可能性とは?
小林章一社長(以下、小林):お客さまに熱狂的に支持していただける製品を生み出し続けることが、未来の可能性を切り拓くと信じている。大事なのは“夢”と“やる気”。リソースや環境にどんな制限があったとしてもそこに不可能はない。「お客さまを喜ばせたい」という夢、思いを込めた真摯なモノ作りや接客は人の心を動かし、それが結果的に売り上げにもつながっていく。
WWD:これまでも幾度となく“熱狂”を生み出してきた。
小林:琵琶湖のほとりに位置する滋賀県長浜市の人通りの少ない地で多い時には月400回ほどのお手入れを行い、年間約9000万円を売り上げている店舗がある。これも製品や接客が圧倒的であれば環境にかかわらずお客さまに支持いただけるという一例で、本社に「接客が素晴らしかった。ぜひ一言お礼を伝えたかった」とわざわざ電話してくださるお客さまも多くいる。こんな小さな“熱狂”を生むことが私にとって生きがいであり、喜びでもある。唯一無二のモノ作りと接客のレベルを磨き続け、私が現役でいる限りはその可能性を追求していきたい。どこまでも攻め続けたいという思いがある。
WWD:攻めの姿勢でヒット製品が生まれている。
小林:22年にスタートした“フラルネ”は、コロナ禍で静かな立ち上げとなったものの、今では中核シリーズに育ちつつある。昨年秋にパワーアップリニューアルした“アンフィネス”も話題を集めている。好調に推移している主軸製品に加え、7種のビタミンC誘導体を配合したスペシャル美容液“アンフィネス メンテナンス ショット 7”といった突き抜けた製品も誕生している。ただ、攻め続けるのと同時に当社が大切にしているのは“育てる”文化だ。本当に良い製品は手塩にかけて全社で育てていく。だからこそ昨年50周年を迎えた“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”のようなロングセラー製品も生まれる。業界を見ても50年続く製品はそう多くはないだろう。22年に刷新した“フレッシュハーバルオイル”も当初の想定を超え、今では年間20万個売れるヒット製品になった。強烈な個性を放つ製品は、根本を変えずに刷新を続けることで長く愛される唯一無二の存在に育っていく。コロナ禍で厳しい状況が続いたが、昨年「アルビオン」はおかげさまで久しぶりに2ケタ近い成長を遂げた。会員数も5年ぶりに増加し、良い勢いが継続している。
WWD:国際事業本部が手掛けるブランドの動向は。
小林:「ポール & ジョー ボーテ」は堅調に動いているが、もう少しテコ入れが必要。質感や色、ニュアンスの面でよりブランドらしさを打ち出していけるように力を注ぎたい。「アナ スイ コスメティックス」はECのシェアが伸長、「エレガンス」は10年ぶりに新色が登場したフェイスパウダー“ラ プードル オートニュアンス”が好調だが、ポイントメイクでもさらなる“可能性”の種蒔きを仕掛けていきたいと考えている。
WWD:1月にデジタル部門を発足した。
小林:秋からデジタルを活用したマーケティング施策を本格化させ、26年にはEC販売を開始する。背景には、お客さまから「EC販売はしないのか」という声が日増しに高まっている現状がある。コロナ禍の影響で廃業する化粧品専門店が相次ぐ中、近所に実店舗がないお客さまや、多忙な日々を送るお客さまにご不便をおかけしているのは本意ではない。昨年11月に開催した方針説明会では、取引先にも事情を説明し、EC販売の計画に対する理解を得た。あくまでも実店舗が主役で、ECはその補完という位置付け。アルビオンとして対面の接客を重視する姿勢は一貫して変わらない。デジタルマーケティング施策では新規客を実店舗に誘導することを目的にし、最新の肌測定機器の導入など、店頭でしか味わえないサービスや接客を一層強化していく。
WWD:美容部員の再育成も急務だ。
小林:美容部員は、コロナ禍の影響でお客さまの肌に直接触れる接客スタイルが制限され、自信を失う者も少なくなかった。人材の入れ替わりもあったが、教育やトレーニングに力を入れ、かつての接客レベルを取り戻す努力を続けてきた。今ではコロナ禍前のレベルまで戻っている。やはり実際肌に触れた数だけ成長できるもの。ようやくマスクをしなくなってきた今、日々の実践を通じてスキルを高めながら本領を発揮している。
WWD:25年、“可能性”を広げる新たな動きは?
小林:海外進出に向けて本格的に動き出す。欧州とのコネクションがある某美容家とタッグを組み、海外に向けた製品開発に取り組み始めている。また、「アルビオン」では“欠けているピース”ともいえるフレグランスの開発にも挑戦したい。そうすれば従来接点のなかった新たな層にリーチできる大きな一手となるだろう。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
20年以上続けているタップダンスでプロ級に上達したい。映画「タップ」を見て憧れて始めたこの趣味。いつかなかなか取れない長期休暇を使って、思い出の地、ニューヨークのブロードウェイダンスセンターのレッスンに通いたいと思っている。
「日本一、世界一の高級化粧品メーカーを目指す」という夢を掲げて、1956年に創業。乳液先行の独自の美容理論を確立。主軸のスキンケアブランド「アルビオン」には、創業時から販売する乳液や、74年に誕生した“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”など、ロングセラー製品が多数存在する。そのほか「エレガンス」「イグニス」「ポール & ジョー ボーテ」「アナ スイ コスメティックス」などを手掛ける
アルビオンお客様相談室
0120-114-225
(10:00〜17:00/土・日・祝日除く)
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【ポーラ・オルビスホールディングス 横手喜一社長】個×個から生まれる化学反応に期待
PROFILE: 横手喜一/社長

紛争や中国経済の低迷など不透明な時代の中でビジネスを遂行するには、スタッフ一人一人の自己理解の深化が必須とし、ポーラ・オルビスホールディングスの横手喜一社長は人材育成に徹する。1月1日付で実施した子会社のポーラ、オルビス、ディセンシアのトップ交代は個々の可能性を広げ、企業の進展を引き起こす一歩となる。
グループ内交流を積極化
WWD:一人一人が持つ思いやこだわり、強みなどを最大限引き出すA Person-Centered Managementを重視する。
横手喜一社長(以下、横手):組織の慣習や業界の常識が通用しない時代に入り、社会や生活者の変化も大きい中で、過去の成功例をなぞる事業のあり方は意味がなくなる。従来にない思いや観点で物事をとらえる必要がある。その元になるのは個が持つ課題認識や問いかけなどの内発的動機付け。それをどう吸い上げてエンパワーメントしていくかが自分の役割だと思っている。
WWD:それを具現化した一例が子会社のトップ交代の人事となる。
横手:ファッションメゾンのデザイナーは3〜5年で交代し、新たなデザイナーがブランドの歴史を再解釈し進化させている。それと同様に経験を積んできた人材に、別のステージに活躍の場を移してもらう。今回、オルビスの社長経験者がポーラの社長に就任、ディセンシア社長経験者がオルビスの社長に就いたが、ぶつかり合いや意見交換があるかもしれない。しかしそこに新しい問いや掛け合わせが生まれるはずだ。これはグループ全従業員にも当てはまることで、さまざまな環境を経験してもらい最適解を見つけてもらいたい。
WWD:グループ内の交流も積極的に実施する。
横手:自分自身もポーラ、フューチャーラボ(16年に売却)、中国の現地法人を経験したことが強みとなっていることもあり、さまざまなグループ横断研修を実施している。幹部クラスが対象の「ビジネス変革塾」や20〜30代の「未来研究会」などを実行してきたが、24年は新入社員を対象とした研修を開始した。従来の枠組みの中ではなく新しい価値観に触れて成長してもらうのが狙いだ。新卒採用に関してもこれまでの子会社ごとに加え、ホールディングス採用も始めた。来春は5人程度入社する予定で、各子会社に数年単位で横断配属し各種ビジネスモデルを経験してもらう。多様なビジネスモデルに触れながらキャリアを積むことは経営者育成にもつながるだろう。
WWD:子会社をどう捉えているのか。
横手:それぞれターゲットとするお客さま像がある。ポーラは美容意識が高く、感受性が豊かで自分の人生を楽しんでいる人から支持されている。ポーラではデジタルカルテを導入したが、カルテを確認すると購入商品のリストはもちろんだが日々の生活に関する会話の内容が記載してあるケースも。販売スタッフとのやりとりを見ていると“お客さま”というより“生活者”と捉えるべきと感じている。彼らの生活を豊かにするサポート役を果たすべきだろう。オルビスは人生で初めて出会うワクワクとドキドキを楽しみたい人に向けて商品やサービスを提供する。24年にドラッグコスメ市場に参入したのもその一環だ。1987年の創業時からの愛用者が1000人以上おり、約200万人の会員を有す。ワクワクの裏側にある繊細な感受性を持つお客さまに手を差し伸べる。アクロは都市生活を送る中で、本来人が持つエネルギーを植物の力で活気づけたいと感じている人に向けて、精油を活用しながら商品やストーリーを伝えていく。
WWD:海外市場については。
横手:ジュリークは現状厳しい状況下にあるが、今後3年で中国と香港、オーストラリア市場で基盤を固め収益性のある体制を構築していく。ポーラは、これまで中国のショッピングモールなどに出店してきたが、25年は富裕層に軸足を向ける。富裕層が住むマンションの近隣に隠れ家的なサロンを開設するなど生活圏に寄り添っていく。富裕層に人脈を持つオーナーを起用し、お客さまファーストの接客を徹底する。こうしたサロンを年内に展開する予定だ。
WWD:4年後に迎える創業100周年に向け、新たな地固めが進んでいる。
横手:売上高は年平均成長率約5%を見込むなど数値目標を達成するのはもちろんだが、当社らしさの再定義をグループ全体で自分事化してもらうことに注力する。A Person-Centered Managementや人と人との掛け合わせなど大切にしている価値観や姿勢を再解釈すると将来が見えてくるだろう。実務的なことでは、既存の化粧品事業だけでなく、美容医療事業などにも取り組み始めている。90年以上肌と心と体のメカニズムを研究してきたデータの蓄積を生かし、社会課題の解決やウェルビーイングの実現など新しい領域を開拓していく。
WWD:未来に掲げる可能性は?
横手:人の可能性に尽きる。人が成長する、経験する、重なり合う、掛け合わさることで生まれる化学反応を期待している。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
子会社の社長はそれぞれユニークで個性的。各社長が手腕を発揮し、それが報じられることで統率するホールディングスからの発信は不要だと「WWDJAPAN」から言われたい。
基幹ブランドを展開するポーラは1929年創業。2006年に純粋持株会社のポーラ・オルビスホールディングスを設立、10年上場。「ポーラ(POLA)」「オルビス(ORBIS)」を中心に「ディセンシア(DECENCIA)」など多様なブランドを展開し、個々のブランドが持つ独自性を生かしてターゲットにアプローチするマルチブランド戦略をとっている
ポーラ・オルビスホールディングス
03-3563-5517
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【ポーラ・オルビスホールディングス 横手喜一社長】個×個から生まれる化学反応に期待
PROFILE: 横手喜一/社長

紛争や中国経済の低迷など不透明な時代の中でビジネスを遂行するには、スタッフ一人一人の自己理解の深化が必須とし、ポーラ・オルビスホールディングスの横手喜一社長は人材育成に徹する。1月1日付で実施した子会社のポーラ、オルビス、ディセンシアのトップ交代は個々の可能性を広げ、企業の進展を引き起こす一歩となる。
グループ内交流を積極化
WWD:一人一人が持つ思いやこだわり、強みなどを最大限引き出すA Person-Centered Managementを重視する。
横手喜一社長(以下、横手):組織の慣習や業界の常識が通用しない時代に入り、社会や生活者の変化も大きい中で、過去の成功例をなぞる事業のあり方は意味がなくなる。従来にない思いや観点で物事をとらえる必要がある。その元になるのは個が持つ課題認識や問いかけなどの内発的動機付け。それをどう吸い上げてエンパワーメントしていくかが自分の役割だと思っている。
WWD:それを具現化した一例が子会社のトップ交代の人事となる。
横手:ファッションメゾンのデザイナーは3〜5年で交代し、新たなデザイナーがブランドの歴史を再解釈し進化させている。それと同様に経験を積んできた人材に、別のステージに活躍の場を移してもらう。今回、オルビスの社長経験者がポーラの社長に就任、ディセンシア社長経験者がオルビスの社長に就いたが、ぶつかり合いや意見交換があるかもしれない。しかしそこに新しい問いや掛け合わせが生まれるはずだ。これはグループ全従業員にも当てはまることで、さまざまな環境を経験してもらい最適解を見つけてもらいたい。
WWD:グループ内の交流も積極的に実施する。
横手:自分自身もポーラ、フューチャーラボ(16年に売却)、中国の現地法人を経験したことが強みとなっていることもあり、さまざまなグループ横断研修を実施している。幹部クラスが対象の「ビジネス変革塾」や20〜30代の「未来研究会」などを実行してきたが、24年は新入社員を対象とした研修を開始した。従来の枠組みの中ではなく新しい価値観に触れて成長してもらうのが狙いだ。新卒採用に関してもこれまでの子会社ごとに加え、ホールディングス採用も始めた。来春は5人程度入社する予定で、各子会社に数年単位で横断配属し各種ビジネスモデルを経験してもらう。多様なビジネスモデルに触れながらキャリアを積むことは経営者育成にもつながるだろう。
WWD:子会社をどう捉えているのか。
横手:それぞれターゲットとするお客さま像がある。ポーラは美容意識が高く、感受性が豊かで自分の人生を楽しんでいる人から支持されている。ポーラではデジタルカルテを導入したが、カルテを確認すると購入商品のリストはもちろんだが日々の生活に関する会話の内容が記載してあるケースも。販売スタッフとのやりとりを見ていると“お客さま”というより“生活者”と捉えるべきと感じている。彼らの生活を豊かにするサポート役を果たすべきだろう。オルビスは人生で初めて出会うワクワクとドキドキを楽しみたい人に向けて商品やサービスを提供する。24年にドラッグコスメ市場に参入したのもその一環だ。1987年の創業時からの愛用者が1000人以上おり、約200万人の会員を有す。ワクワクの裏側にある繊細な感受性を持つお客さまに手を差し伸べる。アクロは都市生活を送る中で、本来人が持つエネルギーを植物の力で活気づけたいと感じている人に向けて、精油を活用しながら商品やストーリーを伝えていく。
WWD:海外市場については。
横手:ジュリークは現状厳しい状況下にあるが、今後3年で中国と香港、オーストラリア市場で基盤を固め収益性のある体制を構築していく。ポーラは、これまで中国のショッピングモールなどに出店してきたが、25年は富裕層に軸足を向ける。富裕層が住むマンションの近隣に隠れ家的なサロンを開設するなど生活圏に寄り添っていく。富裕層に人脈を持つオーナーを起用し、お客さまファーストの接客を徹底する。こうしたサロンを年内に展開する予定だ。
WWD:4年後に迎える創業100周年に向け、新たな地固めが進んでいる。
横手:売上高は年平均成長率約5%を見込むなど数値目標を達成するのはもちろんだが、当社らしさの再定義をグループ全体で自分事化してもらうことに注力する。A Person-Centered Managementや人と人との掛け合わせなど大切にしている価値観や姿勢を再解釈すると将来が見えてくるだろう。実務的なことでは、既存の化粧品事業だけでなく、美容医療事業などにも取り組み始めている。90年以上肌と心と体のメカニズムを研究してきたデータの蓄積を生かし、社会課題の解決やウェルビーイングの実現など新しい領域を開拓していく。
WWD:未来に掲げる可能性は?
横手:人の可能性に尽きる。人が成長する、経験する、重なり合う、掛け合わさることで生まれる化学反応を期待している。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
子会社の社長はそれぞれユニークで個性的。各社長が手腕を発揮し、それが報じられることで統率するホールディングスからの発信は不要だと「WWDJAPAN」から言われたい。
基幹ブランドを展開するポーラは1929年創業。2006年に純粋持株会社のポーラ・オルビスホールディングスを設立、10年上場。「ポーラ(POLA)」「オルビス(ORBIS)」を中心に「ディセンシア(DECENCIA)」など多様なブランドを展開し、個々のブランドが持つ独自性を生かしてターゲットにアプローチするマルチブランド戦略をとっている
ポーラ・オルビスホールディングス
03-3563-5517
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【SK-II 西田文彦事業代表】若年層にもアプローチ プレステージスキンケアに勝機
PROFILE: 西田文彦/P&Gプレステージ「SK-II」事業代表

「SK-II」が多方面で進化している。最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”の発売では、富裕層を含む新規客を取り込むことに成功。若年層にアプローチする施策にも注力し、プレステージスキンケア市場のさらなる拡大を図る。
プレステージスキンケア市場の可能性に挑戦

WWD:2024年をどのように振り返る?
西田文彦「SK-II」事業代表(以下、西田):コロナ禍明けの2年間を経て国内客の勢いは落ち着いてきたが、訪日客の増加が全体の売り上げを押し上げた。9月に発売した最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”(全4品、5万1700〜7万1500円)で新たなマーケットを開拓したほか、俳優の永野芽郁さんをグローバルアンバサダーに起用したことで若年層にもアプローチできた。
WWD:“LXP 金継ぎ”シリーズの反響は?
西田:製品力と、「重ねる時を味方につけ、新たな美しさへと導く」というコンセプトが共感を呼んだ。スーパープレステージは海外ブランドの存在感が大きいが、クラフツマンシップにこだわり抜いてきた日本発ブランドの「SK-II」だからこその打ち出し方を考え抜いた。そこで出合ったのが陶磁器の伝統的な修復技法「金継ぎ」だ。金継ぎは欠けたり割れたりした器を修復し、新たな美しさや価値を見いだす技術。開発では肌の停滞を打破する鍵として肌の結合力に着目し、金継ぎはコンセプトに終わらないサイエンスにつながった。新規客と既存客どちらのエンゲージメントも高く、中国をはじめとした訪日客の売り上げも伸びている。時計・宝飾やファッションに比べると化粧品にはお金をかけていなかった富裕層からも注目された。
WWD:外商の取り組みは?
西田:美容部員の中で特化したチームを作り、百貨店の外商とともに肌のお手入れ会を行うなど、イベントを通してリーチしている。また外商のデジタル媒体などのタッチポイントも活用し、ソーシャルコンテンツを提供している。百貨店で化粧品を購入していなかった新規客を取り込むことで、取引先のカテゴリー成長にも貢献している。
WWD:プレステージスキンケア市場における戦略は?
西田:プレステージスキンケア市場の成長は、コロナ禍明けの2年間と比べると鈍化している。また同市場の日本国内での浸透率はわずか7%で、諸外国と比べてギャップは大きい。7%の中でシェアを奪い合うのではなく、可能性を切り開くようなイノベーションやコミュニケーション、店頭体験が重要になると考えている。24年3月に限定発売した「メゾン キツネ(MAISON KITSUNE)」とのコラボレーション第2弾では、ファッションには興味を持っているがプレステージスキンケアを買ったことがなかった層にもアプローチできた。
WWD:「ワイズ(Y'S)」とのコラボレーションにより美容部員のユニホームを刷新するなど、多方面での進化に意欲的だ。
西田:コロナ禍は訪日客の売り上げが低迷し、コロナ禍明けは原点であるピテラTM※1に回帰した。ピテラTMの魅力を最大限に引き出せるイノベーション開発に取り組み、“LXP 金継ぎ”シリーズが誕生した。美容部員の改称やユニホームの刷新、永野芽郁さんの起用含め、ピンチのときこそ新たな可能性に挑戦することを意識している。
WWD:“ピテラTM信者”という呼称があるほど、長年の愛用者が多い。
西田:「SK-II」はもともと広告を打っておらず、口コミで広がったブランドだ。2年以上使用している顧客の維持率が高く、製品力とカウンセリング、CRMが肝となっている。長年愛用してくださっているお客さまのコミュニケーションをより活発にすべく、SNS上でコミュニティー化を図っている。11月に開設した日本公式インスタグラム(@skii.jpn)では、一番の“ピテラTM信者”でもある美容部員のコンテンツ配信や、永野芽郁さんのライブ配信などを実施し、双方向のコミュニケーションを促進している。ピテラTMと、愛用者のブランドに対する熱量というブランドの強みを、コミュニケーションを通してさらに拡大していきたい。
WWD:25年に注力することは?
西田:25年、「SK-II」はブランド誕生45周年を迎える。ピテラTMにこだわり抜くところがブランドの強みなので、基幹製品である化粧水“フェイシャル トリートメント エッセンス”(75mL、1万2650円/160mL、2万3100円/230mL、2万9150円)や新製品を通して、ピテラTMの魅力をより広めていきたい。“フェイシャル トリートメント エッセンス”は3月に桜柄のデザインボトルを限定発売する予定で、新規客の獲得を狙っている。同時に、「『SK-II』と理想の素肌を目指そう」というコミュニケーションを行う。
WWD:予定している新製品は?
西田:4月20日にブランドNo.1※2美白※3美容液シリーズ“ジェノプティクス”からCCプライマーとUVクリームを発売する。ピテラTMやナイアシンアミドなどが日中のスキンケアをサポートし、輝く肌印象と心地よさを長時間保つ。上述の通り、プレステージスキンケア市場はまだまだ拡大できる。「SK-II」の製品をより多くのお客さまに試していただくため、価格を1万円以下に設定した。エントリー製品としても貢献するはずだ。
※1 特別な酵母の株を独自のプロセスで発酵させ生み出した、「SK-II」独自の天然由来成分(ガラクトミセス培養液、整肌保湿成分)
※2 2022年第1四半期〜24年第3四半期における「SK-II」ブライトニング製品群の売り上げデータに基づく
※3 メラニンの生成を抑えて、シミ、そばかすを防ぐこと
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
2025年に45歳を迎えるが、人の夢を助けることにパッションが燃える年齢になったと感じている。日本発のブランド「SK-II」のみならず、今後は日本発の人材をより多く世界へ羽ばたかせることがライフミッションだ。
日本酒の酒造で働く杜氏の手肌の美しさにヒントを得て1980年、特別な酵母の発酵がもたらす唯一無二の成分「ピテラTM」を配合したスキンケア製品“フェイシャル トリートメント エッセンス”が誕生。91年にマックスファクター傘下からプロクター・アンド・ギャンブル傘下に移った。プロクター・アンド・ギャンブルは「SK-II」製品の海外販売を開始し、2016年8月に社名をP&Gプレステージ合同会社に変更した
SK-II
0120-021325
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【SK-II 西田文彦事業代表】若年層にもアプローチ プレステージスキンケアに勝機
PROFILE: 西田文彦/P&Gプレステージ「SK-II」事業代表

「SK-II」が多方面で進化している。最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”の発売では、富裕層を含む新規客を取り込むことに成功。若年層にアプローチする施策にも注力し、プレステージスキンケア市場のさらなる拡大を図る。
プレステージスキンケア市場の可能性に挑戦

WWD:2024年をどのように振り返る?
西田文彦「SK-II」事業代表(以下、西田):コロナ禍明けの2年間を経て国内客の勢いは落ち着いてきたが、訪日客の増加が全体の売り上げを押し上げた。9月に発売した最高峰エイジングケアシリーズ“LXP 金継ぎ”(全4品、5万1700〜7万1500円)で新たなマーケットを開拓したほか、俳優の永野芽郁さんをグローバルアンバサダーに起用したことで若年層にもアプローチできた。
WWD:“LXP 金継ぎ”シリーズの反響は?
西田:製品力と、「重ねる時を味方につけ、新たな美しさへと導く」というコンセプトが共感を呼んだ。スーパープレステージは海外ブランドの存在感が大きいが、クラフツマンシップにこだわり抜いてきた日本発ブランドの「SK-II」だからこその打ち出し方を考え抜いた。そこで出合ったのが陶磁器の伝統的な修復技法「金継ぎ」だ。金継ぎは欠けたり割れたりした器を修復し、新たな美しさや価値を見いだす技術。開発では肌の停滞を打破する鍵として肌の結合力に着目し、金継ぎはコンセプトに終わらないサイエンスにつながった。新規客と既存客どちらのエンゲージメントも高く、中国をはじめとした訪日客の売り上げも伸びている。時計・宝飾やファッションに比べると化粧品にはお金をかけていなかった富裕層からも注目された。
WWD:外商の取り組みは?
西田:美容部員の中で特化したチームを作り、百貨店の外商とともに肌のお手入れ会を行うなど、イベントを通してリーチしている。また外商のデジタル媒体などのタッチポイントも活用し、ソーシャルコンテンツを提供している。百貨店で化粧品を購入していなかった新規客を取り込むことで、取引先のカテゴリー成長にも貢献している。
WWD:プレステージスキンケア市場における戦略は?
西田:プレステージスキンケア市場の成長は、コロナ禍明けの2年間と比べると鈍化している。また同市場の日本国内での浸透率はわずか7%で、諸外国と比べてギャップは大きい。7%の中でシェアを奪い合うのではなく、可能性を切り開くようなイノベーションやコミュニケーション、店頭体験が重要になると考えている。24年3月に限定発売した「メゾン キツネ(MAISON KITSUNE)」とのコラボレーション第2弾では、ファッションには興味を持っているがプレステージスキンケアを買ったことがなかった層にもアプローチできた。
WWD:「ワイズ(Y'S)」とのコラボレーションにより美容部員のユニホームを刷新するなど、多方面での進化に意欲的だ。
西田:コロナ禍は訪日客の売り上げが低迷し、コロナ禍明けは原点であるピテラTM※1に回帰した。ピテラTMの魅力を最大限に引き出せるイノベーション開発に取り組み、“LXP 金継ぎ”シリーズが誕生した。美容部員の改称やユニホームの刷新、永野芽郁さんの起用含め、ピンチのときこそ新たな可能性に挑戦することを意識している。
WWD:“ピテラTM信者”という呼称があるほど、長年の愛用者が多い。
西田:「SK-II」はもともと広告を打っておらず、口コミで広がったブランドだ。2年以上使用している顧客の維持率が高く、製品力とカウンセリング、CRMが肝となっている。長年愛用してくださっているお客さまのコミュニケーションをより活発にすべく、SNS上でコミュニティー化を図っている。11月に開設した日本公式インスタグラム(@skii.jpn)では、一番の“ピテラTM信者”でもある美容部員のコンテンツ配信や、永野芽郁さんのライブ配信などを実施し、双方向のコミュニケーションを促進している。ピテラTMと、愛用者のブランドに対する熱量というブランドの強みを、コミュニケーションを通してさらに拡大していきたい。
WWD:25年に注力することは?
西田:25年、「SK-II」はブランド誕生45周年を迎える。ピテラTMにこだわり抜くところがブランドの強みなので、基幹製品である化粧水“フェイシャル トリートメント エッセンス”(75mL、1万2650円/160mL、2万3100円/230mL、2万9150円)や新製品を通して、ピテラTMの魅力をより広めていきたい。“フェイシャル トリートメント エッセンス”は3月に桜柄のデザインボトルを限定発売する予定で、新規客の獲得を狙っている。同時に、「『SK-II』と理想の素肌を目指そう」というコミュニケーションを行う。
WWD:予定している新製品は?
西田:4月20日にブランドNo.1※2美白※3美容液シリーズ“ジェノプティクス”からCCプライマーとUVクリームを発売する。ピテラTMやナイアシンアミドなどが日中のスキンケアをサポートし、輝く肌印象と心地よさを長時間保つ。上述の通り、プレステージスキンケア市場はまだまだ拡大できる。「SK-II」の製品をより多くのお客さまに試していただくため、価格を1万円以下に設定した。エントリー製品としても貢献するはずだ。
※1 特別な酵母の株を独自のプロセスで発酵させ生み出した、「SK-II」独自の天然由来成分(ガラクトミセス培養液、整肌保湿成分)
※2 2022年第1四半期〜24年第3四半期における「SK-II」ブライトニング製品群の売り上げデータに基づく
※3 メラニンの生成を抑えて、シミ、そばかすを防ぐこと
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
2025年に45歳を迎えるが、人の夢を助けることにパッションが燃える年齢になったと感じている。日本発のブランド「SK-II」のみならず、今後は日本発の人材をより多く世界へ羽ばたかせることがライフミッションだ。
日本酒の酒造で働く杜氏の手肌の美しさにヒントを得て1980年、特別な酵母の発酵がもたらす唯一無二の成分「ピテラTM」を配合したスキンケア製品“フェイシャル トリートメント エッセンス”が誕生。91年にマックスファクター傘下からプロクター・アンド・ギャンブル傘下に移った。プロクター・アンド・ギャンブルは「SK-II」製品の海外販売を開始し、2016年8月に社名をP&Gプレステージ合同会社に変更した
SK-II
0120-021325
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【バーニーズ ジャパン ペニー・ルオ社長】スペシャリティーストアとして、唯一無二のポジションを確立する
PROFILE: ペニー・ルオ/社長

1923年にバーニー・プレスマンがニューヨーク・マンハッタンの7番街17丁目に創業し、唯一無二のスペシャリティーストア(専門店)として世界的に知られたのが「バーニーズ ニューヨーク(BARNEYS NEW YORK)」(以下、バーニーズ)だ。その精神は、バーニーズ ジャパンに色濃く受け継がれている。ペニー・ルオ(PENNY LUO)社長の下、復活に向けて「スクラップ&ビルド」が進む。
お客さまの潜在的ニーズをさらに深掘りして
ファンを作る

WWD:7月1日に社長に就任した。2024年を振り返ると?
ペニー・ルオ=バーニーズ ジャパン社長(以下、ペニー):チャレンジの年だった。23年からバーニーズに携わっているが、7月に代表に就任し、組織を変え、新しいメンバーも加わった。世間では百貨店やラグジュアリー市場が盛り上がっていたが、バーニーズはその波に乗れなかった。今の時代の波に乗れない理由を分析し、「ビルド」を行う準備段階、「スクラップ」の期間だった。
WWD:具体的にはどんな点が課題なのか?
ペニー:経営の土台となる収益構造の見直しや、新規顧客の獲得、ブランド価値と認知度の向上の必要性など。コロナ禍から販促費の抑制を続けていたので、マーケティングやPRがうまくできていなかった。扱う商品の価格帯も、物価高騰による価格改定で必然的に高くなり、手に取りやすい価格の商品が薄くなっていた。ラグジュアリーなイメージを保ちながら、これから消費力がついてくる方々に向けた商品とブランド、ファッション感度の高い方たちに刺さるような商品や旬のものを戦略的にそろえていく。われわれの顧客の95%が国内に住むお客さまで、インバウンドのお客さまを取り込めていないことも波に乗れなかった要因の1つ。逆に、強い顧客基盤も改めて見えた。いろいろと勉強したので、これからはアクションを大胆に実行していくフェーズに入る。
WWD:11月に銀座店で行った顧客向けクローズドイベントも購買意欲の高い顧客がショッピングを楽しんでいた。
ペニー:銀座本店を皮切りに旗艦5店で特別な体験をロイヤルカスタマーに提供する機会を作り、反応もお買い上げ実績もとても良かった。本当のニーズを知るいい機会になり、売り場のモチベーションアップにもなった。並行して、自社ブランドにも力を入れてきた。若い層に向けて新ロゴを発表し、スエットやトートバッグなどカジュアルで買いやすいアイテムを発売した。2月2日まで神宮前にポップアップストアを出しており、そこでは約300種類から選べる有料ワッペンでカスタマイズも楽しめる。新ロゴもポップアップも社内から出てきたアイデアで、挑戦するのにはいい機会だと考えた。ファッション感度の高い若い層にアプローチでき、バーニーズを知るインバウンド客も来店している。ここで出会ったお客さまにどう旗艦店にも足を運んでもらうかが重要。各旗艦店でもアート系やカルチャー系を含めてポップアップを積極的に開催し、お客さまの潜在的ニーズをさらに深掘りしてファンを作っていくつもりだ。
WWD:改めてバーニーズの強みとは?
ペニー:“バーニーズ”自体がブランドであること。商品知識とバーニーズへの愛にあふれ、お客さまとの深い関係作りや販売力に長けた社員、人というソフトの部分こそ、最大の強みだ。加えて、銀座をはじめ、六本木、横浜、神戸、福岡といった主要なエリアに立派な旗艦店を持っている。スペシャリティーストアとして、買い取りビジネスをこれだけの規模で展開できている企業は少ない。「マジックミックス」という言葉がバーニーズにはあるが、さまざまなブランドとオリジナル商品の組み合わせによるスタイリング提案ができるのも強みだ。
WWD:25年の計画は?
ペニー:まずは収益をきちんと確保するため、ビジネスモデルを見直す。同時にストアとしての魅力を再構築する。高揚感や心動かす仕掛けを作りつつ、ロイヤルカスタマーに対してはより特別感のあるサービスを提供できるスペースを作る。銀座本店から始めて、順次に店舗の改装に着手する。また、メンバーシップ「マイバーニーズ」を事業の新たな柱にする。飲食や旅行の情報提供や車や家の相談など、ライフスタイルコンシェルジュ的な役割を担えるようにしたい。ロイヤルカスタマーに向けたサービスをすることで派生する新規事業もあり得ると考えている。下期にはいろいろなプロジェクトを披露できると思う。
WWD:未来に見据える可能性は?
ペニー:スペシャリティーストアとして唯一無二のポジションの確立にあると思う。バーニーズで受け継がれてきた“TASTE, LUXURY, HUMOR”というステートメントがあり、それを磨き上げ、商品、サービス、環境を通して具現化する事によって必然的にマーケットにおいて差別化できる自信がある。日本の事業基盤を再構築し、アジアマーケットへの進出、ニューヨークへの再出店を社の大きな目標として掲げている。グローバルでも最近メキシコにバーニーズ レジデンスが立ち上がり、ブランドビジネスを拡大している。日本は、スペシャリティーストアとしての独自性を磨きつつ、これからはアジアのデザイナーのインキュベーターとしても機能したい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
エベレストやK2など、さまざまな山があるが、アマチュアが登れる1番高い山がキリマンジャロ。トレッキングが好きだが、登るのは大変。でも登り切ると全部忘れて、また「登りたい!」となってしまう。ハードな山に登りたいタイプ(笑)。
1923年創業の米国発スペシャリティーストア「バーニーズ ニューヨーク」のライセンシーとして、89年設立。イタリアを中心としたヨーロッパおよびアメリカの紳士服、婦人服、洋品雑貨、フレグランス、ギフト雑貨などを販売及び輸入する。銀座、六本木、横浜、神戸、福岡に旗艦店を構え、アウトレット、期間限定ストアを展開する
バーニーズ ジャパン
050-3615-3600
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【デイトナ・インターナショナル 佐々木聡社長執行役員CEO】世界のワクワク・ドキドキを届けるカルチャーメーカーに
PROFILE: 佐々木聡/社長執行役員CEO

NFTプラットフォームの開発や地方自治体と組んだSDGsプロジェクト、映画の配給・宣伝など、さまざまな“フリーク”(熱狂)を内包しながら、多方面に成長する。次に目指すは世界に向けてワクワク・ドキドキを発信するカルチャーメーカーだ。
多様なコミュニティーに向け
新しい体験価値を提供する

WWD:2024年を振り返ると?
佐々木聡社長執行役員CEO(以下、佐々木):人をワクワク・ドキドキさせるクリエイションを生み出し続けることが私たちの変わらないミッションだ。クリエイションというと、モノが想起されがちだが、店舗での接客などすべての業務も同じ。私たちは全てのサービスの根幹にはクリエイションがあると考える。24年も、大きく変化する環境の中で、柔軟にミッションに取り組んできたことで業績も好調だった。また「バイタミックス」などを取り扱うアントレックスとの業務提携やNFTプロジェクトなど新しい挑戦を通して、お客さまにワクワク・ドキドキを提供する幅が広げられたことは成果だ。
WWD:25年、具体的に注力するポイントは?
佐々木:海外展開および取り扱い商品の拡張をさらに強め、それを通じ新しい体験価値を提供する。私たちが目指すのは、お客さまにクリエイションを通じてワクワク・ドキドキをお届けするカルチャーメーカーになることだ。
WWD:カルチャーメーカーになるために必要なことは?
佐々木:売れた、売れないという数字のファクトばかりを見ていては、お客さまが何にワクワク・ドキドキしているのかが分からなくなってしまうので、大切にしていることは「人を感じる」ということ。「これが売れた」といったモノの話で終わらせず、その奥にどんな人々がいるのか、感動、カルチャー、価値観があるのか、を想像し感じることが大切だ。表層的なファクトばかりを見ていては、気持ちの動線が見えなくなってしまう。次の時代のベクトルを見据えてクリエイションすることがワクワク・ドキドキを作るうえで大切にしていること。
WWD:静岡市との包括連携をはじめ、地方自治体との連携を強めている印象だ。
佐々木:さまざまな取り組みの始まりは、茨城県古河市と組んで、当社の店舗の2階にコワーキングスペースを作ったこと。年間何万人といった来店がある中で、お客さまと買い物以外のコミュニケーションが取れるいいコミュニティーになった。静岡では、廃棄される地域の鰹の未利用部位を使ったパスタソースを開発したことを皮切りに始まった。取り組みを進めていくと、今度はわさびの生産者から若者のわさび離れをどうにかしてほしいという依頼があり、その解決のためのアクションなどを行っている。そのほかにも、長野県の耕作放棄地の再生など、デイトナと組むと地域の課題を魅力に変えられるという評価をいただいている。さまざまな取り組みがきっかけとなり、北九州市の小倉城で開催したイベントも、地元コミュニティーの方々からとても喜ばれた。一方で、ローソンと協業し「フリークス ストア」がコンビニアパレル商品を企画するといった取り組みもしている。こうしたさまざまなプロジェクトが、もしかしたらどこかでつながり発展する可能性もある。今はマーケットが「東名阪」と「ローカル」で語られる時代ではなく、どちらの魅力も等価値だ。そんな私たちが感じる各地の魅力を、できるだけ多くの人とシェアしたいし、まだ知られていない新たな魅力の発見にも貢献していきたい。
WWD:地域の課題解決に取り組むメリットをあらためて教えてほしい。
佐々木:私たちが大切にしていることは、「多様な価値観を尊重し繋がる」こと。私たちは、多様な「かっこいい」があり、つながるからこそケミストリーが生まれ、新しいビジネス=ワクワク・ドキドキを生み出すと信じている。地域コミュニティーでの取り組みにおけるメリットは、私たちが多様性を感じ、共創ができる点だろう。自分たちが多様性に対してオープンマインドで接していくことを通じ、自然と次のワクワク・ドキドキとの出合いが生まれることを学んだ。課題がテーマという入り口からさまざな制限がある中でソリューションを生み出すことに意義があり、私たちのクリエイティビティーも成長しコミュニティーが生まれている。
WWD:デイトナ・インターナショナルが感じる未来の可能性とは?
佐々木:コミュニティー(場)・人(クリエイション)・AIの掛け合わせに可能性を感じる。人とAIが生み出していくイノベーションが社会(コミュニティー)の構造を大きく変えていくと感じている。そして人のクリエイションがさらに新しいワクワク・ドキドキを紡いでいく。私たちは先進的なAI企業パークシャ・テクノロジーやサピートとの取り組みなどを通じ、さまざまな領域にAIの導入を進めていく。社員がクリエイティブな業務に使える時間を増やしていった結果、どんな新しいクリエイションが生まれてくるのだろうということに私が大きなワクワク・ドキドキを感じている。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
ドイツの伝統的なソーセージ、ヴァイスヴルストが好物。現地では出来たてのヴァイスヴルストを朝食に供する。日本の豆腐のように出来たてだけが美味しいこのソーセージの朝限定営業店を作る、または買えるお店ができてほしい。
1986年茨城県古河市に「フリークス ストア」1号店をオープン。90年デイトナ・インターナショナル設立。96年に渋谷店をオープンし全国へ展開。協業規格住宅「フリークスハウス」、コワーキングスペース「アンドフリーク」、再エネ電カプロジェクト「フリークス電気」、映像事業「フリークスムービー」など幅広く手がける。2024年には、NFTプロジェクト「NFTフリーク」を始動。グループ企業に「イノベーションスタジオ」や「スモーキーサンデー」など。従業員数は811人
デイトナ・インターナショナル
03-5770-8798
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【ユナイテッドアローズ 松崎善則社長】新しい価値創造に挑戦し、多面化・多層化を加速する
PROFILE: 松崎善則/社長執行役員CEO

コンサバティブだけでは語れないのが、今のユナイテッドアローズだ。「お客さまの明日を創り、生活文化のスタンダードを創造し続ける」理念に沿って、多面的な可能性の広がりを模索する。
挑戦する社風が生まれた24年
若手社員も活躍

WWD:2025年はどんな1年を目指す?
松崎善則社長執行役員CEO(以下、松崎):新しい価値創造を加速する。ひとつは海外展開の本格化だ。1月には中国・上海の中心部に直営店を初出店する。「ユナイテッドアローズ」の屋号で複数のレーベルを集結する。24年は現地にもよく足を運んだ。一時のバブル景気は終了したものの、5年前、10年前と比べるとだいぶ成熟したマーケットになった印象だ。「ロク」や「エイチ ビューティー&ユース」「ロエフ」などと親和性の高いファッション感度の高い層も多くいる。期待値は高い。もうひとつは日本のよさを再構築する新規事業に挑戦したい。まだ詳しくは言えないが、日本が今日まで大事にしてきたモノ作りや美意識を洋服以外の形で伝え、磨く取り組みを予定している。日本の美意識は、私たちのアイデンティティーとも重なる。今後ユナイテッドアローズを多面化・多層化していく上で、一つのキーワードになる。
WWD:24年は「チャレンジングな1年」を掲げ、さまざまな新規事業を始動した。
松崎:挑戦する社風が醸成されてきた。自発的に新しいスキルを学ぼうとする成長意欲の高い社員も増えた。ただ理想のポートフォリオに向けては、まだ1合目。25年もさまざまなチャレンジを計画しているところだ。
WWD:若手社員の活躍も目立ってきた。
松崎:20代社員をディレクターに起用した「アティセッション」は象徴的だが、そのほかにも「ビューティー&ユース」メンズで若手社員の視点で商品企画やバイイングをしてもらうなど、各ブランドで若手軸の取り組みが増えている。引き続き、次世代社員の活躍にも力を入れる。
WWD:25年3月期の連結営業利益は77億円を見込む。期中に予想を上方修正した。
松崎:24年も気候変動と円安の影響がビジネスを左右する2大要因だったが、いずれについてもうまく対応できた。主力事業は軒並み成長している。長い夏を見越したMDや気温に左右されずファッションへの好奇心を喚起する商品企画が功を奏した。円安や原料高を踏まえた値上げも、きちんと商品の質の改善を伴うことでお客さまにご理解いただけた。今後もシーズンレス対応ができるファッション性の高い商品を拡充する方針だ。これまでオリジナル商品は、インポート商品に比べて利幅が大きいことが優位点だった。しかし、その認識を変えて円安の状況下ならではの戦い方が確立できた。
WWD:新しい立地での挑戦となった麻布台ヒルズ店(UAウィメンズ)の手応えは?
松崎:非常に好調だ。虎ノ門エリアを含め近隣の住人やビジネスパーソンが、少し華やかな日常着を求めに立ち寄る。映画館や美術館などの娯楽施設のある六本木ヒルズとはまた違う買い方が目立つ。当初描いていたような理想的な形になっている。
WWD:24年は茨城県境町と包括協定を締結したことも話題になった。
松崎:日本の人口が減っていく中で、私たちのセンスを活用して何か地方の町に活力を与えるお手伝いができればと考えた次第だ。私たちとしても、普段出店しないような場所に新しい形でユナイテッドアローズに触れていただける機会を作れるのはありがたい。これを機に、各地に取り組みを広げられたらと思っている。
WWD:中期経営計画の主要戦略に掲げる「OMOの推進」ではどんな成果が生まれている?
松崎:24年10月に自社ECサイトの公式アプリのリニューアルを行った。各ユーザーのニーズに沿ったインターフェースの設計の過程にある。当社で買い物してくださるお客さまのうち、会員登録のある方の割合は5割以上に伸びてきた。お客さまの情報があれば、こちらも適切なサービスを届けられる。結果的に高いリピート率も見込める。会員向けプログラムも充実させたことで、年間500万円以上購入される上位顧客数も増えている。
WWD:サステナビリティ活動「サローズ」の進捗は?
松崎:複数の素材メーカーと環境負荷の低い商品開発に力を入れている。「サローズ」と銘打って発信したことで、社内でも環境負荷を下げようというマインドが浸透してきた。次はそれをお客さまに伝えるためにどうコミュニケーション取るか。店頭では、従来品よりも環境負荷の低い商品には下げ札を付けて販売するなどして試みている。
WWD:ユナイテッドアローズが見据える未来の可能性を教えてほしい。
松崎:ユナイテッドアローズがあらゆる形でお客さまの生活に携わらせていただくのが理想だ。ワードローブに1着、洗面所に化粧品が1個、もしくは私たちがリノベーションした住居に住んでいただくなど。お客さまに触れてもらえる可能性はまだまだある。そのためにユナイテッドアローズの多面化・多層化を進めていく。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
時間をかけて、地球のすばらしさを体感するために世界一周旅行をしてみたい。ファッション都市以外にも、訪問したことがない国々で、土地それぞれの風土や暮らしを体感したり、世界遺産を巡ったり、趣味のゴルフもスコットランドなどでしてみたい。
1989年10月設立。90年7月、原宿にセレクトショップ「ユナイテッドアローズ」1号店を開く。東証プライム市場に上場。主力事業は「ユナイテッドアローズ」「ビューティー&ユース」「グリーンレーベル リラクシング」。主なグループ会社にコーエンなど。24年3月期の連結業績は、売上高1342億円、純利益48億円だった。従業員数は3646人
ユナイテッドアローズ
03-5785-6325
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「ロキソニ」で初来日した“期待の新人” Luvcat(ラヴキャット) 「TikTokでのヒット」や「美学」を語る
いまや音楽業界においてTikTok発のヒットは珍しくない。だが、そのほとんどが一発屋で終わる中、これまでリリースした3枚のシングル全てがTikTokでバイラルヒットしたとなれば話は別だろう。英リバプール出身のラヴキャット(Luvcat)は、そんな異例のヒット連発で注目を集めているニューカマーだ。
ラヴキャットは、元々シンガー・ソングライターとして活動していたソフィー・モーガン(Sophie Morgan)の新たなプロジェクトとして2023年にスタート。ザ・キュアーの曲名からアーティスト名を拝借したことからも分かるように、その音楽性はややゴシックなインディーロックをベースに、シャンソンやキャバレー・ミュージック、フランク・シナトラなどからの影響を織り交ぜたもの。そして何より特徴的なのは歌詞の世界観だ。基本的にどれも「恋愛の深みにハマってしまう私」を描いているのだが、ティム・バートンさながらのゴシックでユーモラスな映画を観ているような場面設定がとにかく秀逸。
例えば「He’s My Man」は、愛する男性と一時たりとも離れたくないという想いから、その男性の食事に少しずつ毒を盛り、殺害してずっとそばにいようとする歌なのだ。TikTokで特に若い女性から熱烈な支持を集めているのも、ファンタジックでゴシックな世界観とそこに込められたリアルな恋愛感情が共感を呼んでいるからなのだろう。
そして今年は、ラヴキャットにとってさらなる飛躍の年となりそうだ。というのも、本国の複数の音楽メディア、そしてグラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーから、「今年期待の新人」として次々と名前を挙げられているのである。現在制作中だというデビュー・アルバムが、25年の注目作の一枚となることは間違いない。
1月4日、5日に幕張メッセにて開催されたフェス、「ロッキング・オン・ソニック(rockin'on sonic)」で初来日を果たしたラヴキャットに話を訊いた。
「ロッキング・オン・ソニック」を終えて
——「ロッキング・オン・ソニック」でのライブはいかがでしたか?
ラヴキャット:ええ、すごく美しかった。本当に、すごく非現実的な感じがして。思ったよりたくさんの人が来てくれたし、サイン用に私の写真をプリントして持ってきてくれたファンもいて。全体的に奇妙な夢みたいな感じがしたんだけど、大好きなバンドもたくさん出演していて、それがまた特別な体験になったっていう。
——こんなに大きなステージでやったのは初めて?
ラヴキャット:イギリスで夏にやったフェスが結構大きかったけど、それでも今回ほどお客さんは多くなくて。いつもはすごく小さい会場とかパブでやっているから、バンドのメンバーが私のすぐ隣にいる。でも今回はステージでみんなが遠く離れているように感じて、すごく不思議だったし、慣れるのはまだ難しいなって感じた。
——ステージ衣装もいつもよりゴージャスで、ちょっとマイ・ケミカル・ロマンスの「Black Parade」を思い出しました。
ラヴキャット:そう言ってもらえるのはうれしい。マイ・ケミカル・ロマンスは私にとってずっと大きな影響を与えてくれた存在で、9歳ごろから一番好きなバンド。彼らがロックンロールに持ち込んだ演劇的な要素が大好きで、それは私たちにも確実にインスピレーションを与えている。ステージでは、いつもバンドはスーツでそろえていて。黒いベルベットのスーツとか、ストライプのスーツとかね。私自身、ステージでゴージャスな気分になりたいし、全員がマッチした感じにしたいと思ってるから。
ただ日本では、ちょっとステップアップしようと思って。実は、最近ミュージック・ビデオの撮影で使ったマーチング・バンドの衣装があったから、それを使うことにしたの。私自身も、女の子バージョンの衣装を新しく作って、フェイクのメダルやドクロ・マークなんかをつけてみた。イギリスでやってたこととは違う雰囲気を出したかったし、初めての日本でのライブだし、しかもこんな大きなステージに立つのは特別なことだから、やるべきだと思って。
多様なアーティストからの影響
——マイ・ケミカル・ロマンスは小さいころから好きだったということですが、それ以外のアーティストで、ラヴキャットの音楽性や美学を形成する上で重要な影響を与えた存在というと?
ラヴキャット:子どものころ、おじいちゃんがフランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニアみたいな古い音楽をよく聴かせてくれていた。それから父がザ・キュアーやヴェルヴェット・アンダーグラウンドを教えてくれて、自分では19歳のころにレナード・コーエンやトム・ウェイツを見つけたの。そういういろんなものが奇妙な形で結びついた感じかな。あと、フランスの歌手、エディット・ピアフにもすごくインスパイアされてる。ちょっと奇妙な組み合わせだとは思うけど、たぶんそれが私の音楽が独特である理由なんじゃないかなって思ってる。
——まさにそういった多様なアーティストたちからの影響がラヴキャットの音楽からは聴き取れますが、具体的に彼らのどのようなところに魅力を感じたと言えますか?
ラヴキャット:私は音楽を耳だけじゃなく目でも聴いていたんだと思う。若いころ、歌詞の意味を理解するには幼過ぎたから、私を惹きつけたのはビジュアルだった。それが今まで私にとってアートワークやミュージック・ビデオがすごく重要だった理由でもあって。でも年を重ねるにつれて、詩を読むようになったり、歌詞を細かく読み解いたりする中で、それが一番大きな魅力になったっていう。トム・ウェイツの言葉に「美しいメロディーが恐ろしいことを語る」っていうのがあって、私もすごく共感してるんだけど、光と闇の混じり合いみたいなものが、私の音楽の指針になってるんだと思ってる。
——ラヴキャットのユニークな音楽性や美学というのは、比較的すぐに出来上がったものなのか、それともいろいろと試しながら徐々に出来上がったものなのか、どちらの方が近いのでしょうか?
ラヴキャット:私は、若い女性としていろんなことを試してきたと思ってる。でも、自分の核となる部分はほとんど変わってなくて。好きなものや考え方は基本的に同じだけど、見せ方が少しずつ変わった感じかな。最近は幸運な偶然も多くて、一度やってみたことが人々に響いて、それを続けるようになったこともある。
例えば、ヒョウ柄なんて全く着たことがなかったんだけど、あるライブのために(ヒョウ柄の)ドレスを見つけて、それを着てみたら、そのときの映像がネットに投稿されて、急に「ラヴキャット=ヒョウ柄」みたいなイメージができちゃった。でも実際にそれを着たのはその夜が初めてで。だから、明確にやりたいことを持ちながらも、周りの変化を受け入れる柔軟さがあったからこそ、今のスタイルが出来上がったんだと思う。
TiKToKでのバイラルヒット
——まさにそのヒョウ柄のドレスを着てた「Matador」のライブ映像がTikTokでバイラルしたことから一気に全てが動き出したと思いますが、あの動画のどんなところが人々の心をつかんだのだと思いますか?
ラヴキャット:たぶん、全体的な雰囲気かな。イギリスのパブって、独特の空気感があるでしょ。あのときの照明が緑と赤で、ちょっとデヴィッド・リンチっぽい感じがあったし、若いバンドがただ楽しくやっている様子が伝わったのかも。正直言って、なぜあれがそんなに響いたのかは分からない。ただ、友達が最前列で撮ってくれた、あんまり良くないクオリティーの動画を投稿しただけで、それが自分の人生を変えちゃうなんて、本当に魔法みたいな瞬間だった。でもそれに文句を言うつもりはないけど!(笑)。
——普通、TikTokでバイラルヒットするアーティストって、1曲だけの場合が多いですよね。でもあなたは、これまでのシングル3枚全てがバイラルヒットした。これってかなりすごいことですよね。
ラヴキャット:うん、私もこれについて考えてたんだけど、理由の一つとしては、最初のころにいろんな曲をシェアしてたことかな。1曲だけを何度も何度も投稿するんじゃなくて、クラブで30分のセットをやった時のいろんな曲の一部を投稿していて。そうやって、自分の世界観を少しずつ作り上げたから、人々をその中に招き入れることができたんじゃないかなって。だから、ファンやリスナーに「この人には一つの物語以上のものがある」って感じてもらえたのかも。
でも実を言うと、最初はTikTokには全然興味がなくて。友達に説得されてやっとダウンロードしたくらい。でも、素晴らしいプラットフォームだと思う。私みたいに音楽業界にコネもなくて、お金や広告もない人が、こんなに多くの人に届けられるなんてね。3曲全部がこんなにうまくいった理由は正直よく分からないんだけど、まあ、なんというか、本当に不思議だよね。
リアリズムとファンタジー
——では、自分たちの音楽におけるリアリズムとファンタジーのバランスはどのように考えていますか? 例えば、愛する男性をそばに置いておきたいあまり毒殺してしまう「He’s My Man」の歌詞は、もちろんファンタジーですよね。でも他の曲では、歌詞に実在する場所の名前も織り交ぜたりしていて、ストーリーがリアルに感じられるようにも工夫しています。
ラヴキャット:私ってそういう人だから。現実の世界で実在する人たちと関わり合いながらも、想像力はどんどん広がっていって、自分の中で物語を作り上げてしまうっていう。だから私は、常に半分は現実、半分はファンタジーの世界に生きている感じ。父はそれをよく冗談で、「ゆがんだ現実に住んでる」って言うんだけどね。それを「レモン・ワールド」って呼んでて……。
——レモン?
ラヴキャット:そう、レモン。レモンって、砂糖みたいに甘酸っぱくて、ちょっと現実離れしている感じだから。言葉でうまく説明できないんだけど、どこかおとぎ話のような世界観で、私はいつも半分はここにいて、半分は別の場所にいる感じ。例えば「He's My Man」は、愛が執着や依存に変わっていく、そういうとてもリアルな感情が基になっている。でもそこから自然と別の極端な方向に話を膨らませたくなったり。愛が人をどこまで狂わせるのかを考えるのが面白くて。例えば専業主婦が夫をあまりにも愛し過ぎて、仕事に行かせたくないあまりに、少しずつ彼の食べ物に毒を盛って病気にしてしまう、なんて話を歌にするのは楽しいなって思ったんだ。
——「He’s My Man」はマーダーバラッドですし、あなたの書く歌詞は基本的にダークですが、その一方でユーモラスな一面もあります。ちょっとティム・バートンの映画っぽいというか。ユーモラスな側面というのは、自分の音楽にとって重要な要素の一つですか?
ラヴキャット:私にとって、全てを深刻に捉え過ぎないことはすごく大切なんだと思う。若いころは、何もかも真剣でなきゃいけないっていう罠にハマってた時期もあったけど、やっぱり自分が一番好きな作家たちは、もっと皮肉っぽくて乾いたユーモアを持っているって気付いて。それに、アルバムを聴くときに、何かをちょっと茶化すような瞬間があると、その分シリアスな瞬間がさらに引き立つと思うから。明るい部分があるからこそ、暗い部分がより暗く感じられて、それがドラマチックさを増幅させるっていう。それに、それが私の性格そのものでもあって。私はいつも冗談を言ったり、自分のアイデアを遊び心を持って扱ったりしてるから、それが自然と歌詞に染み込んでいくんだと思う。でも本当に私としては、ただ自分が誰かと話しているみたいな感覚で書いてるだけなんだけどね。
——そういった自分の歌詞の書き方に影響を与えたアーティストはいるんですか?
ラヴキャット:主にトム・ウェイツかな。それに、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル、ルー・リードとか。若いころにたくさん詩を読んでいて、スパイク・ミリガンっていう詩人や、子どものころはドクター・スース(*アメリカの有名な絵本作家。彼の作品はリズミカルに韻を踏むことで知られている。)なんかにもすごく影響を受けた。韻に夢中になってた時期があってね。自分が伝えたいことをぴったり表現できる言葉を見つけて、さらにそれが最後の文で韻を踏んでると分かったときの感覚って、すごく気持ちがいいから。
——ラヴキャットの音楽においてはファンタジーやユーモアが大事にされていますが、特にポップ・ミュージックの世界では、最近は私小説的というか、現実の恋愛や人間関係をそのままリアルに反映させた歌詞も多いと思います。あなたから見て、最近のポップ・ミュージックにはファンタジーやユーモアの要素がやや欠けていると思いますか?
ラヴキャット:それはここ1年くらいで少し変わってきたように感じていて、またポップ・ミュージックにシアター的な要素が戻ってきてるのを目にするようになったと思う。一時期はそういうのが廃れてたけど、今は勢いよく復活してるんじゃないかな。で、私の音楽を聴く人にも、私が語っていることは真剣でリアルな経験に基づいてるって伝わるといいなと思ってる。私はまだ若い女性で、自分の世界観や恋愛、若い女性としてのいろんな経験を記録してるだけだから。でも、ファンタジーは私にとってずっと大きな情熱の一つで。さっきティム・バートンの話が出たけど、彼の映画は大人が見ても、すごくリアルな人間の感情を描いてる。でも同時に、映画を見ることで現実から少し逃避できるっていう。シュールな要素があるからこそ、そんな感覚が味わえるんだと思う。私もそんなバランスがすごく好き。
——シュールな設定の歌詞であっても、そのベースに自分のリアルな感情が込められていることが大事ということですよね?
ラヴキャット:うん、その通りで、私の曲のほとんどは……なんて言うんだろう、やっぱり素晴らしい本とか映画とか曲って、基本的に「愛」と「戦い」がテーマになってることが多いと思うの。その2つが合わさると、すごく強い感情が引き出される感じがする。ここでいう「戦い」って、昔ながらの戦争の話とかじゃなくて、心の中の葛藤とか、2人の間で起こる衝突みたいなもののことで。そういう「愛」と「戦い」っていう2つの感情が、私が曲を書くときに一番中心になってるテーマなんだよね。
社会と音楽
——ここ1年ほどでシアター的な要素を持つ音楽がまた増えているという話がありましたけど、考えてみると確かにそうで。あなたがヨーロッパ・ツアーを一緒に回ったザ・ラスト・ディナー・パーティーはまさに演劇的な要素があるし、チャペル・ローンなんかもそうですよね。歌詞におけるユーモアという観点で言えば、サブリナ・カーペンターの歌詞はかなりユーモラスです。
ラヴキャット:ザ・ラスト・ディナー・パーティーとのツアーは本当に素晴らしかった。彼女たちがやってることって、自分がいつかやりたいと思ってることで。大掛かりなステージ演出を取り入れることとかね。セットデザインもすごかったし、あれはまさにショーって感じで、古き良き時代に戻ったみたいだった。楽器を演奏するだけじゃなくて、ちゃんと世界観を作り上げて、それを観客に体験させてたのがすごい。私もただ演奏するだけじゃなくて、曲ごとに新しいビジュアルや体験を観客に届けたいって思ってる。
ザ・ラスト・ディナー・パーティーもそうだし、今名前を挙げてくれた他のアーティストたちも同じで、今の時代、みんなが求めてるのは「ちょっと現実から逃れられるもの」なんじゃないかなって感じる。COVID-19とかいろいろ嫌なことがたくさんあったでしょ。だからみんな、もっと楽しくて明るいものを求めてるんだと思う。
——実際、歴史的に見て、ファンタジーやエスケーピズム(現実逃避)の要素が強い音楽の台頭は、現実社会が直面している困難や不確実性の裏返しだということができますが、自分の音楽にもそういったところはあると思いますか?
ラヴキャット:たぶん、あると思う。実は、これを始める前はもっと真面目なフォーク・ミュージックを作ってたんだけど、飽きちゃって。もっと悪ふざけみたいな要素が欲しくなったし、若さとか反抗心とか自由な感じを味わいたかった。それが今の社会の状況と関係してるのか、それとも自然とそうなったのかは分からないけど。歴史的に見ても、現実世界の退屈さとか、それに対する反発から、ファンタジックな音楽が生まれることってあるよね。だから私の音楽も、ある意味、そういう流れの中にあるのかなって思ってる。
——では、少し違った角度からの質問です。ハラスメント気質の男性への依存を描いた「Matador」は、少しラナ・デル・レイを思い起こさせるところがあります。彼女はかつて虐待を美化していると批判されましたが、もし自分の音楽が同じ批判にさらされたら、どのように応答しますか?
ラヴキャット:そんなのクソ喰らえ!って感じ(笑)。
——ハハハッ!
ラヴキャット:好きなように言えばいいんじゃない?(笑)。私は自分の人生を生きて、それを記録してるだけ。アーティストだって完璧じゃないし、そもそも完璧な人間だなんて期待されるべきじゃないと思う。むしろ、誰もが欠けた部分を持っていて、ひどいことをしてしまったり、間違った人に惹かれたりするのが普通でしょ。私自身もずっと、問題を抱えた人たちとか、破天荒なタイプの人に惹かれてきたし、それが音楽の中に出てくる魔法みたいな部分を生んでるんだと思う。だから、アーティストに「天使みたいに生きてほしい」なんて期待するのは間違ってると思うし、そもそも私のライブに小さい子どもたちが来てほしいとも思わないしね。
——事実、仮にそのような批判があったとしても、その一方で、歌詞で描かれているのと同じような経験をして、そうした表現に共感する同年代の女性がたくさんいるわけで。その事実に目を向ける方が重要だと私は思います。
ラヴキャット:うん、私もそう思う。例えば、薬物を使っている人に恋をしたと歌うことで「薬物を美化してる」って言われるなら、それは残念だけど、私としては自分に起きたことを歌わないわけにはいかないから。それを宣伝したり推奨したりしてるわけじゃなくて、ただ自分の経験を正直に伝えて、それを韻を踏んで美しく聴こえるようにしてるだけ。それに、私が育ったときに聴いてたアーティストたちって、歌う内容がすごく際どかった。何を言ったら問題になるかなんて考えずに、とにかく自分が思ったことをそのまま歌ってた。音楽にもそういう自由があるべきだと思うし、コメディーでもそうだけど、適切かどうかのラインぎりぎりを攻めないと面白くないことってあるでしょ。それと同じだと思う。
——全くその通りだと思います。では最後に、今後のことについて訊かせてください。デビュー・アルバムはもう制作中なのでしょうか?
ラヴキャット:うん、デビュー・アルバムは確実に動き始めてる。もうレコーディングを始めてて、イギリスに戻ったら引き続き作業を進める予定。
——これまでの3枚のシングルで、ラヴキャットは音楽的にも歌詞的にも確固とした世界観を打ち出しています。来たるアルバムは、これまでのシングルで披露した世界観で固めたものになりそうですか?それとも、もっといろいろなことに挑戦している?
ラヴキャット:また違ったところを掘り下げる感じになると思う。これまでの3曲っていうのは、私の一部を切り取ったスナップショットみたいなものだから。間違いなく新しいテーマに挑戦する予定だし、今まで以上に幅広い内容になると思う。うん、そんな感じかな。
PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
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「ロキソニ」で初来日した“期待の新人” Luvcat(ラヴキャット) 「TikTokでのヒット」や「美学」を語る
いまや音楽業界においてTikTok発のヒットは珍しくない。だが、そのほとんどが一発屋で終わる中、これまでリリースした3枚のシングル全てがTikTokでバイラルヒットしたとなれば話は別だろう。英リバプール出身のラヴキャット(Luvcat)は、そんな異例のヒット連発で注目を集めているニューカマーだ。
ラヴキャットは、元々シンガー・ソングライターとして活動していたソフィー・モーガン(Sophie Morgan)の新たなプロジェクトとして2023年にスタート。ザ・キュアーの曲名からアーティスト名を拝借したことからも分かるように、その音楽性はややゴシックなインディーロックをベースに、シャンソンやキャバレー・ミュージック、フランク・シナトラなどからの影響を織り交ぜたもの。そして何より特徴的なのは歌詞の世界観だ。基本的にどれも「恋愛の深みにハマってしまう私」を描いているのだが、ティム・バートンさながらのゴシックでユーモラスな映画を観ているような場面設定がとにかく秀逸。
例えば「He’s My Man」は、愛する男性と一時たりとも離れたくないという想いから、その男性の食事に少しずつ毒を盛り、殺害してずっとそばにいようとする歌なのだ。TikTokで特に若い女性から熱烈な支持を集めているのも、ファンタジックでゴシックな世界観とそこに込められたリアルな恋愛感情が共感を呼んでいるからなのだろう。
そして今年は、ラヴキャットにとってさらなる飛躍の年となりそうだ。というのも、本国の複数の音楽メディア、そしてグラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーから、「今年期待の新人」として次々と名前を挙げられているのである。現在制作中だというデビュー・アルバムが、25年の注目作の一枚となることは間違いない。
1月4日、5日に幕張メッセにて開催されたフェス、「ロッキング・オン・ソニック(rockin'on sonic)」で初来日を果たしたラヴキャットに話を訊いた。
「ロッキング・オン・ソニック」を終えて
——「ロッキング・オン・ソニック」でのライブはいかがでしたか?
ラヴキャット:ええ、すごく美しかった。本当に、すごく非現実的な感じがして。思ったよりたくさんの人が来てくれたし、サイン用に私の写真をプリントして持ってきてくれたファンもいて。全体的に奇妙な夢みたいな感じがしたんだけど、大好きなバンドもたくさん出演していて、それがまた特別な体験になったっていう。
——こんなに大きなステージでやったのは初めて?
ラヴキャット:イギリスで夏にやったフェスが結構大きかったけど、それでも今回ほどお客さんは多くなくて。いつもはすごく小さい会場とかパブでやっているから、バンドのメンバーが私のすぐ隣にいる。でも今回はステージでみんなが遠く離れているように感じて、すごく不思議だったし、慣れるのはまだ難しいなって感じた。
——ステージ衣装もいつもよりゴージャスで、ちょっとマイ・ケミカル・ロマンスの「Black Parade」を思い出しました。
ラヴキャット:そう言ってもらえるのはうれしい。マイ・ケミカル・ロマンスは私にとってずっと大きな影響を与えてくれた存在で、9歳ごろから一番好きなバンド。彼らがロックンロールに持ち込んだ演劇的な要素が大好きで、それは私たちにも確実にインスピレーションを与えている。ステージでは、いつもバンドはスーツでそろえていて。黒いベルベットのスーツとか、ストライプのスーツとかね。私自身、ステージでゴージャスな気分になりたいし、全員がマッチした感じにしたいと思ってるから。
ただ日本では、ちょっとステップアップしようと思って。実は、最近ミュージック・ビデオの撮影で使ったマーチング・バンドの衣装があったから、それを使うことにしたの。私自身も、女の子バージョンの衣装を新しく作って、フェイクのメダルやドクロ・マークなんかをつけてみた。イギリスでやってたこととは違う雰囲気を出したかったし、初めての日本でのライブだし、しかもこんな大きなステージに立つのは特別なことだから、やるべきだと思って。
多様なアーティストからの影響
——マイ・ケミカル・ロマンスは小さいころから好きだったということですが、それ以外のアーティストで、ラヴキャットの音楽性や美学を形成する上で重要な影響を与えた存在というと?
ラヴキャット:子どものころ、おじいちゃんがフランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニアみたいな古い音楽をよく聴かせてくれていた。それから父がザ・キュアーやヴェルヴェット・アンダーグラウンドを教えてくれて、自分では19歳のころにレナード・コーエンやトム・ウェイツを見つけたの。そういういろんなものが奇妙な形で結びついた感じかな。あと、フランスの歌手、エディット・ピアフにもすごくインスパイアされてる。ちょっと奇妙な組み合わせだとは思うけど、たぶんそれが私の音楽が独特である理由なんじゃないかなって思ってる。
——まさにそういった多様なアーティストたちからの影響がラヴキャットの音楽からは聴き取れますが、具体的に彼らのどのようなところに魅力を感じたと言えますか?
ラヴキャット:私は音楽を耳だけじゃなく目でも聴いていたんだと思う。若いころ、歌詞の意味を理解するには幼過ぎたから、私を惹きつけたのはビジュアルだった。それが今まで私にとってアートワークやミュージック・ビデオがすごく重要だった理由でもあって。でも年を重ねるにつれて、詩を読むようになったり、歌詞を細かく読み解いたりする中で、それが一番大きな魅力になったっていう。トム・ウェイツの言葉に「美しいメロディーが恐ろしいことを語る」っていうのがあって、私もすごく共感してるんだけど、光と闇の混じり合いみたいなものが、私の音楽の指針になってるんだと思ってる。
——ラヴキャットのユニークな音楽性や美学というのは、比較的すぐに出来上がったものなのか、それともいろいろと試しながら徐々に出来上がったものなのか、どちらの方が近いのでしょうか?
ラヴキャット:私は、若い女性としていろんなことを試してきたと思ってる。でも、自分の核となる部分はほとんど変わってなくて。好きなものや考え方は基本的に同じだけど、見せ方が少しずつ変わった感じかな。最近は幸運な偶然も多くて、一度やってみたことが人々に響いて、それを続けるようになったこともある。
例えば、ヒョウ柄なんて全く着たことがなかったんだけど、あるライブのために(ヒョウ柄の)ドレスを見つけて、それを着てみたら、そのときの映像がネットに投稿されて、急に「ラヴキャット=ヒョウ柄」みたいなイメージができちゃった。でも実際にそれを着たのはその夜が初めてで。だから、明確にやりたいことを持ちながらも、周りの変化を受け入れる柔軟さがあったからこそ、今のスタイルが出来上がったんだと思う。
TiKToKでのバイラルヒット
——まさにそのヒョウ柄のドレスを着てた「Matador」のライブ映像がTikTokでバイラルしたことから一気に全てが動き出したと思いますが、あの動画のどんなところが人々の心をつかんだのだと思いますか?
ラヴキャット:たぶん、全体的な雰囲気かな。イギリスのパブって、独特の空気感があるでしょ。あのときの照明が緑と赤で、ちょっとデヴィッド・リンチっぽい感じがあったし、若いバンドがただ楽しくやっている様子が伝わったのかも。正直言って、なぜあれがそんなに響いたのかは分からない。ただ、友達が最前列で撮ってくれた、あんまり良くないクオリティーの動画を投稿しただけで、それが自分の人生を変えちゃうなんて、本当に魔法みたいな瞬間だった。でもそれに文句を言うつもりはないけど!(笑)。
——普通、TikTokでバイラルヒットするアーティストって、1曲だけの場合が多いですよね。でもあなたは、これまでのシングル3枚全てがバイラルヒットした。これってかなりすごいことですよね。
ラヴキャット:うん、私もこれについて考えてたんだけど、理由の一つとしては、最初のころにいろんな曲をシェアしてたことかな。1曲だけを何度も何度も投稿するんじゃなくて、クラブで30分のセットをやった時のいろんな曲の一部を投稿していて。そうやって、自分の世界観を少しずつ作り上げたから、人々をその中に招き入れることができたんじゃないかなって。だから、ファンやリスナーに「この人には一つの物語以上のものがある」って感じてもらえたのかも。
でも実を言うと、最初はTikTokには全然興味がなくて。友達に説得されてやっとダウンロードしたくらい。でも、素晴らしいプラットフォームだと思う。私みたいに音楽業界にコネもなくて、お金や広告もない人が、こんなに多くの人に届けられるなんてね。3曲全部がこんなにうまくいった理由は正直よく分からないんだけど、まあ、なんというか、本当に不思議だよね。
リアリズムとファンタジー
——では、自分たちの音楽におけるリアリズムとファンタジーのバランスはどのように考えていますか? 例えば、愛する男性をそばに置いておきたいあまり毒殺してしまう「He’s My Man」の歌詞は、もちろんファンタジーですよね。でも他の曲では、歌詞に実在する場所の名前も織り交ぜたりしていて、ストーリーがリアルに感じられるようにも工夫しています。
ラヴキャット:私ってそういう人だから。現実の世界で実在する人たちと関わり合いながらも、想像力はどんどん広がっていって、自分の中で物語を作り上げてしまうっていう。だから私は、常に半分は現実、半分はファンタジーの世界に生きている感じ。父はそれをよく冗談で、「ゆがんだ現実に住んでる」って言うんだけどね。それを「レモン・ワールド」って呼んでて……。
——レモン?
ラヴキャット:そう、レモン。レモンって、砂糖みたいに甘酸っぱくて、ちょっと現実離れしている感じだから。言葉でうまく説明できないんだけど、どこかおとぎ話のような世界観で、私はいつも半分はここにいて、半分は別の場所にいる感じ。例えば「He's My Man」は、愛が執着や依存に変わっていく、そういうとてもリアルな感情が基になっている。でもそこから自然と別の極端な方向に話を膨らませたくなったり。愛が人をどこまで狂わせるのかを考えるのが面白くて。例えば専業主婦が夫をあまりにも愛し過ぎて、仕事に行かせたくないあまりに、少しずつ彼の食べ物に毒を盛って病気にしてしまう、なんて話を歌にするのは楽しいなって思ったんだ。
——「He’s My Man」はマーダーバラッドですし、あなたの書く歌詞は基本的にダークですが、その一方でユーモラスな一面もあります。ちょっとティム・バートンの映画っぽいというか。ユーモラスな側面というのは、自分の音楽にとって重要な要素の一つですか?
ラヴキャット:私にとって、全てを深刻に捉え過ぎないことはすごく大切なんだと思う。若いころは、何もかも真剣でなきゃいけないっていう罠にハマってた時期もあったけど、やっぱり自分が一番好きな作家たちは、もっと皮肉っぽくて乾いたユーモアを持っているって気付いて。それに、アルバムを聴くときに、何かをちょっと茶化すような瞬間があると、その分シリアスな瞬間がさらに引き立つと思うから。明るい部分があるからこそ、暗い部分がより暗く感じられて、それがドラマチックさを増幅させるっていう。それに、それが私の性格そのものでもあって。私はいつも冗談を言ったり、自分のアイデアを遊び心を持って扱ったりしてるから、それが自然と歌詞に染み込んでいくんだと思う。でも本当に私としては、ただ自分が誰かと話しているみたいな感覚で書いてるだけなんだけどね。
——そういった自分の歌詞の書き方に影響を与えたアーティストはいるんですか?
ラヴキャット:主にトム・ウェイツかな。それに、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル、ルー・リードとか。若いころにたくさん詩を読んでいて、スパイク・ミリガンっていう詩人や、子どものころはドクター・スース(*アメリカの有名な絵本作家。彼の作品はリズミカルに韻を踏むことで知られている。)なんかにもすごく影響を受けた。韻に夢中になってた時期があってね。自分が伝えたいことをぴったり表現できる言葉を見つけて、さらにそれが最後の文で韻を踏んでると分かったときの感覚って、すごく気持ちがいいから。
——ラヴキャットの音楽においてはファンタジーやユーモアが大事にされていますが、特にポップ・ミュージックの世界では、最近は私小説的というか、現実の恋愛や人間関係をそのままリアルに反映させた歌詞も多いと思います。あなたから見て、最近のポップ・ミュージックにはファンタジーやユーモアの要素がやや欠けていると思いますか?
ラヴキャット:それはここ1年くらいで少し変わってきたように感じていて、またポップ・ミュージックにシアター的な要素が戻ってきてるのを目にするようになったと思う。一時期はそういうのが廃れてたけど、今は勢いよく復活してるんじゃないかな。で、私の音楽を聴く人にも、私が語っていることは真剣でリアルな経験に基づいてるって伝わるといいなと思ってる。私はまだ若い女性で、自分の世界観や恋愛、若い女性としてのいろんな経験を記録してるだけだから。でも、ファンタジーは私にとってずっと大きな情熱の一つで。さっきティム・バートンの話が出たけど、彼の映画は大人が見ても、すごくリアルな人間の感情を描いてる。でも同時に、映画を見ることで現実から少し逃避できるっていう。シュールな要素があるからこそ、そんな感覚が味わえるんだと思う。私もそんなバランスがすごく好き。
——シュールな設定の歌詞であっても、そのベースに自分のリアルな感情が込められていることが大事ということですよね?
ラヴキャット:うん、その通りで、私の曲のほとんどは……なんて言うんだろう、やっぱり素晴らしい本とか映画とか曲って、基本的に「愛」と「戦い」がテーマになってることが多いと思うの。その2つが合わさると、すごく強い感情が引き出される感じがする。ここでいう「戦い」って、昔ながらの戦争の話とかじゃなくて、心の中の葛藤とか、2人の間で起こる衝突みたいなもののことで。そういう「愛」と「戦い」っていう2つの感情が、私が曲を書くときに一番中心になってるテーマなんだよね。
社会と音楽
——ここ1年ほどでシアター的な要素を持つ音楽がまた増えているという話がありましたけど、考えてみると確かにそうで。あなたがヨーロッパ・ツアーを一緒に回ったザ・ラスト・ディナー・パーティーはまさに演劇的な要素があるし、チャペル・ローンなんかもそうですよね。歌詞におけるユーモアという観点で言えば、サブリナ・カーペンターの歌詞はかなりユーモラスです。
ラヴキャット:ザ・ラスト・ディナー・パーティーとのツアーは本当に素晴らしかった。彼女たちがやってることって、自分がいつかやりたいと思ってることで。大掛かりなステージ演出を取り入れることとかね。セットデザインもすごかったし、あれはまさにショーって感じで、古き良き時代に戻ったみたいだった。楽器を演奏するだけじゃなくて、ちゃんと世界観を作り上げて、それを観客に体験させてたのがすごい。私もただ演奏するだけじゃなくて、曲ごとに新しいビジュアルや体験を観客に届けたいって思ってる。
ザ・ラスト・ディナー・パーティーもそうだし、今名前を挙げてくれた他のアーティストたちも同じで、今の時代、みんなが求めてるのは「ちょっと現実から逃れられるもの」なんじゃないかなって感じる。COVID-19とかいろいろ嫌なことがたくさんあったでしょ。だからみんな、もっと楽しくて明るいものを求めてるんだと思う。
——実際、歴史的に見て、ファンタジーやエスケーピズム(現実逃避)の要素が強い音楽の台頭は、現実社会が直面している困難や不確実性の裏返しだということができますが、自分の音楽にもそういったところはあると思いますか?
ラヴキャット:たぶん、あると思う。実は、これを始める前はもっと真面目なフォーク・ミュージックを作ってたんだけど、飽きちゃって。もっと悪ふざけみたいな要素が欲しくなったし、若さとか反抗心とか自由な感じを味わいたかった。それが今の社会の状況と関係してるのか、それとも自然とそうなったのかは分からないけど。歴史的に見ても、現実世界の退屈さとか、それに対する反発から、ファンタジックな音楽が生まれることってあるよね。だから私の音楽も、ある意味、そういう流れの中にあるのかなって思ってる。
——では、少し違った角度からの質問です。ハラスメント気質の男性への依存を描いた「Matador」は、少しラナ・デル・レイを思い起こさせるところがあります。彼女はかつて虐待を美化していると批判されましたが、もし自分の音楽が同じ批判にさらされたら、どのように応答しますか?
ラヴキャット:そんなのクソ喰らえ!って感じ(笑)。
——ハハハッ!
ラヴキャット:好きなように言えばいいんじゃない?(笑)。私は自分の人生を生きて、それを記録してるだけ。アーティストだって完璧じゃないし、そもそも完璧な人間だなんて期待されるべきじゃないと思う。むしろ、誰もが欠けた部分を持っていて、ひどいことをしてしまったり、間違った人に惹かれたりするのが普通でしょ。私自身もずっと、問題を抱えた人たちとか、破天荒なタイプの人に惹かれてきたし、それが音楽の中に出てくる魔法みたいな部分を生んでるんだと思う。だから、アーティストに「天使みたいに生きてほしい」なんて期待するのは間違ってると思うし、そもそも私のライブに小さい子どもたちが来てほしいとも思わないしね。
——事実、仮にそのような批判があったとしても、その一方で、歌詞で描かれているのと同じような経験をして、そうした表現に共感する同年代の女性がたくさんいるわけで。その事実に目を向ける方が重要だと私は思います。
ラヴキャット:うん、私もそう思う。例えば、薬物を使っている人に恋をしたと歌うことで「薬物を美化してる」って言われるなら、それは残念だけど、私としては自分に起きたことを歌わないわけにはいかないから。それを宣伝したり推奨したりしてるわけじゃなくて、ただ自分の経験を正直に伝えて、それを韻を踏んで美しく聴こえるようにしてるだけ。それに、私が育ったときに聴いてたアーティストたちって、歌う内容がすごく際どかった。何を言ったら問題になるかなんて考えずに、とにかく自分が思ったことをそのまま歌ってた。音楽にもそういう自由があるべきだと思うし、コメディーでもそうだけど、適切かどうかのラインぎりぎりを攻めないと面白くないことってあるでしょ。それと同じだと思う。
——全くその通りだと思います。では最後に、今後のことについて訊かせてください。デビュー・アルバムはもう制作中なのでしょうか?
ラヴキャット:うん、デビュー・アルバムは確実に動き始めてる。もうレコーディングを始めてて、イギリスに戻ったら引き続き作業を進める予定。
——これまでの3枚のシングルで、ラヴキャットは音楽的にも歌詞的にも確固とした世界観を打ち出しています。来たるアルバムは、これまでのシングルで披露した世界観で固めたものになりそうですか?それとも、もっといろいろなことに挑戦している?
ラヴキャット:また違ったところを掘り下げる感じになると思う。これまでの3曲っていうのは、私の一部を切り取ったスナップショットみたいなものだから。間違いなく新しいテーマに挑戦する予定だし、今まで以上に幅広い内容になると思う。うん、そんな感じかな。
PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
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なぜニルヴァーナのビンテージTシャツは人気なのか? コレクター対談から探る
ロックバンド、ニルヴァーナ(NIRVANA)の超希少なビンテージTシャツコレクション200枚を掲載した「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」(リットーミュージック)が12月20日に発売された。
近年、世界的な盛り上がりを見せているビンテージTシャツでも特に人気のニルヴァーナのTシャツ。同書では、1990年代のTシャツの中でも、特に希少な200枚以上を掲載。その多くはニルヴァーナTシャツの世界的コレクターの門田健が所有するものだという。加えて、本書をプロデュースした「ベルベルジン」「フェイクα」のスタッフで、ニルヴァーナ・マニアの門畑明男による7万字に及ぶカート・コバーン評伝も掲載されている。
今回、書籍「HOW LOWNG?」の見どころとニルヴァーナTシャツの魅力について門畑と門田の2人に聞いた。
「HOW LOWNG?」の構成
WWD:「HOW LOWNG?」は門畑さんにとっては、2冊目のニルヴァーナTシャツ本ですが、出版の経緯は?
門畑明男(以下、門畑):もともと2018年に1冊目(「NIRVANA T-SHIRT BOOK HELLOH?」)を出版した時点で、ある程度自分の持っているコレクションは出し切ったので、2冊目は考えていませんでした。でも、ニルヴァーナTシャツを200枚以上持ってるというコレクターの門田さんと知り合って、門田さんのコレクションをお借りできれば2冊目もできるんじゃないかなと思い始めていた時に、1冊目の編集を担当した米田(圭一郎)さんから「カート(・コバーン)の本を出しませんか」と電話があって。ちょうどいいタイミングだなと思い、「カートの本ではないですが、ニルヴァーナのTシャツ本をもう1冊作りませんか」と提案して、それで2冊目を出すことになりました。
WWD:構成は前回と今回でどう変えたんですか?
門畑:今回掲載しているTシャツに関しては、9割ほどは門田さんのコレクションで、前回は基本「メード・イン・USA」が多かったんですけど、今回は「メード・イン・ヨーロッパ」の物が多いのと、90年代のブートも多く掲載しています。
門田健(以下、門田):1冊目は公式のアイテムや古着として価値の高い「メード・イン・USA」のTシャツが大半を占めていましたが、今回はヨーロッパの公式アイテムだったり、本当に手に入らない貴重なブートだったり、世界中の珍しいものを集めました。コレクターでもなかなか見たことがないTシャツも掲載しているので、本気のコレクターには今回の方が楽しめると思います。
WWD:やはりブートも人気なんですね。
門畑:そこはファンでも結構意見はわかれると思いますね。オフィシャルしか認めない人もいれば、ブートの方が好きという人もいる。オフィシャルはオフィシャルでデザインもしっかりしているんですけど、ブートの方が自由な発想で作っているので、デザイン的に遊び心もあって、面白いデザインも多くて、好きな人は多いですね。でも、そういった物って、基本的に店に出回らなくて、コレクター同士で取り引きされているので、なかなか見つけられない。今回の本は普段は表に出ないような貴重なTシャツが掲載されています。
門田:90年代は海外アーティストのライブ会場の外でよくTシャツを販売していたんです。「パーキングロット」、「駐車場Tシャツ」なんて言われてますが、日本でも海外の大物アーティストのライブに行くと、大抵売ってましたよね。個人が勝手にツアーの日程などを入れたものとか。
このラストアルバム「イン・ユーテロ」のジャケットデザインを大胆にアレンジしたTシャツは、94年の2月のイタリア公演の時に売られたもので。総柄で、アートワークも手描きで相当好きな人がデザインしたんだなって感じです。僕は2000年からニルヴァーナTシャツを集めてきて、これは他では見たことがないです。値段もつけられないくらい貴重な1枚ですね。
ニルヴァーナのTシャツの魅力
WWD:近年、ビンテージTシャツの値段がどんどん上がっています。その中でもニルヴァーナのTシャツは特に人気です。
門畑:もともと3000円、5000円だったものが、2010年前半ごろに7000〜8000円になって。10年代半ばにはそれが2万円くらいになって、17年には平均4万円ぐらいになっていきました。今だと平均10万円ぐらいじゃないですか。もちろん何百万円するものも、もっと安いものもありますけど。
WWD:ニルヴァーナTシャツの魅力は?
門田:僕はやっぱりその種類の多さだと思います。他のバンドと比べると、圧倒的に多い。だからまだ持っていないTシャツもあって、探す楽しさもあります。あとは、やっぱりカートの生き様もあって彼の死後も人気は衰えない。だからこそ、ニルヴァーナTシャツを着たいと思う人も多いんだと思います。
門畑:僕が初めて買った時は、ただニルヴァーナが好きで買って、気が付いたら130枚も持っている。コンプリートするのが他のバンドに比べて難しいっていうのも魅力だと思うんですけど、やっぱりニルヴァーナの音楽やカートがかっこいいからそこに惹かれるんだと思います。
WWD:2人はどのTシャツがお気に入りですか?
門田:僕はこういうヨーロッパのブートに多いタイダイ柄のものが好きです。最初に無地のTシャツをタイダイに染めて、その上にプリントするので、ニルヴァーナだけではなく、他のバンドでも同じ柄が存在するんですよ。でも、このタイダイ柄のニルヴァーナTシャツって作られた数が少なくて、なかなか見つからないんです。
門畑:僕はすごく価値があるわけではないですが、個人的にこのカートがギターを弾いているTシャツです。この写真がすごく好きで。カラーも黒、白、赤。これは20代前半の時に高円寺の古着屋で買ったんですけど、当時はよく着ていました。今回の本では、前回とTシャツはあまりかぶらないようにしてるんですけど、これだけは今回も最後の締めとして掲載しました。それくらいやっぱり好きですね。
WWD:Tシャツのサイズは基本XLかLですよね。
門田:90年代の海外のバンドTシャツはやっぱりサイズが大きいのが主流で、ほとんどLより上ですね。逆に80年代とかそれより前になると、ビンテージの価値は高いんですけど、サイズは小さかったりします。
門畑:昔はプリントする版が一緒で、おそらくLかXLに合わせて版を作っていたと思うので、SとかMサイズだとプリントが入りきらなかったというのもあるんだと思いますね。
WWD:2人はまだ探しているアイテムはありますか?
門畑:もともと僕は探して買ったというのはほとんどなくて。130枚持っているんですけど、どれも古着屋でたまたま見つけて買ったという感じで、個人的に探して買ってはいないです。昔はそこまで競争率も高くなかったので、それができていたんですが、今だと難しいですね。
門田:僕は探しているものはありますね。詳しく言ってしまうと僕が買えなくなってしまうので、言えないですが(笑)。
WWD:門田さんはどんなTシャツがあるのか、全部把握しているんですか?
門田:やっぱり20年以上見ているので、だんだん分かってきましたね。
WWD:それこそ今ニルヴァーナのビンテージTシャツを探すとなると、どこで探すんですか? タイやカンボジアなどは注目されてますけど?
門田:タイにはまだいっぱいあると思います。パキスタンからタイにいっぱい流れてるので。でも、今だともう素人でもオンラインで売れてしまう時代なので、日本人がかなり買いに行っていて、なかなか一般の人がいいビンテージTシャツを探すのは難しいですね。僕の場合は長くお付き合いして信頼関係を築いてきたヨーロッパや南米、アフリカの友人からの紹介で、売ってもらう方が多いです。
WWD:最後に今回の本のおすすめポイントは?
門畑:ニルヴァーナのTシャツを集めている人も、そうじゃない人も楽しめるようなTシャツのラインアップになっていますし、ニルヴァーナ好きな人なら楽しめると思います。
あと、個人的には一応Tシャツの本ではあるんですけど、7万字のカート・コバーンに関する評伝を書いたので、それもぜひ読んでほしいです。結構今はTシャツが独り歩きしちゃってるじゃないですか。ニルヴァーナは聴いたことはないけど、Tシャツは好きっていう。僕の場合はニルヴァーナが好きで、Tシャツを買い始めたので、もしニルヴァーナの曲を聴いたことがない人はこれをきっかけに聴いたり、過去のライブの映像を見たりしてほしいなっていう気持ちを込めて書きました。だからこそ、Tシャツだけではなく、少しでもニルヴァーナの音楽に興味を持ってもらえればいいなと思います。
PHOTOS:MASASHI URA
「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」
■「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」
著者:門畑明男
定価:6050円
仕様:B4変形判(240mm×240mm) / 144ページ
発行:リットーミュージック
https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3124317109/
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なぜニルヴァーナのビンテージTシャツは人気なのか? コレクター対談から探る
ロックバンド、ニルヴァーナ(NIRVANA)の超希少なビンテージTシャツコレクション200枚を掲載した「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」(リットーミュージック)が12月20日に発売された。
近年、世界的な盛り上がりを見せているビンテージTシャツでも特に人気のニルヴァーナのTシャツ。同書では、1990年代のTシャツの中でも、特に希少な200枚以上を掲載。その多くはニルヴァーナTシャツの世界的コレクターの門田健が所有するものだという。加えて、本書をプロデュースした「ベルベルジン」「フェイクα」のスタッフで、ニルヴァーナ・マニアの門畑明男による7万字に及ぶカート・コバーン評伝も掲載されている。
今回、書籍「HOW LOWNG?」の見どころとニルヴァーナTシャツの魅力について門畑と門田の2人に聞いた。
「HOW LOWNG?」の構成
WWD:「HOW LOWNG?」は門畑さんにとっては、2冊目のニルヴァーナTシャツ本ですが、出版の経緯は?
門畑明男(以下、門畑):もともと2018年に1冊目(「NIRVANA T-SHIRT BOOK HELLOH?」)を出版した時点で、ある程度自分の持っているコレクションは出し切ったので、2冊目は考えていませんでした。でも、ニルヴァーナTシャツを200枚以上持ってるというコレクターの門田さんと知り合って、門田さんのコレクションをお借りできれば2冊目もできるんじゃないかなと思い始めていた時に、1冊目の編集を担当した米田(圭一郎)さんから「カート(・コバーン)の本を出しませんか」と電話があって。ちょうどいいタイミングだなと思い、「カートの本ではないですが、ニルヴァーナのTシャツ本をもう1冊作りませんか」と提案して、それで2冊目を出すことになりました。
WWD:構成は前回と今回でどう変えたんですか?
門畑:今回掲載しているTシャツに関しては、9割ほどは門田さんのコレクションで、前回は基本「メード・イン・USA」が多かったんですけど、今回は「メード・イン・ヨーロッパ」の物が多いのと、90年代のブートも多く掲載しています。
門田健(以下、門田):1冊目は公式のアイテムや古着として価値の高い「メード・イン・USA」のTシャツが大半を占めていましたが、今回はヨーロッパの公式アイテムだったり、本当に手に入らない貴重なブートだったり、世界中の珍しいものを集めました。コレクターでもなかなか見たことがないTシャツも掲載しているので、本気のコレクターには今回の方が楽しめると思います。
WWD:やはりブートも人気なんですね。
門畑:そこはファンでも結構意見はわかれると思いますね。オフィシャルしか認めない人もいれば、ブートの方が好きという人もいる。オフィシャルはオフィシャルでデザインもしっかりしているんですけど、ブートの方が自由な発想で作っているので、デザイン的に遊び心もあって、面白いデザインも多くて、好きな人は多いですね。でも、そういった物って、基本的に店に出回らなくて、コレクター同士で取り引きされているので、なかなか見つけられない。今回の本は普段は表に出ないような貴重なTシャツが掲載されています。
門田:90年代は海外アーティストのライブ会場の外でよくTシャツを販売していたんです。「パーキングロット」、「駐車場Tシャツ」なんて言われてますが、日本でも海外の大物アーティストのライブに行くと、大抵売ってましたよね。個人が勝手にツアーの日程などを入れたものとか。
このラストアルバム「イン・ユーテロ」のジャケットデザインを大胆にアレンジしたTシャツは、94年の2月のイタリア公演の時に売られたもので。総柄で、アートワークも手描きで相当好きな人がデザインしたんだなって感じです。僕は2000年からニルヴァーナTシャツを集めてきて、これは他では見たことがないです。値段もつけられないくらい貴重な1枚ですね。
ニルヴァーナのTシャツの魅力
WWD:近年、ビンテージTシャツの値段がどんどん上がっています。その中でもニルヴァーナのTシャツは特に人気です。
門畑:もともと3000円、5000円だったものが、2010年前半ごろに7000〜8000円になって。10年代半ばにはそれが2万円くらいになって、17年には平均4万円ぐらいになっていきました。今だと平均10万円ぐらいじゃないですか。もちろん何百万円するものも、もっと安いものもありますけど。
WWD:ニルヴァーナTシャツの魅力は?
門田:僕はやっぱりその種類の多さだと思います。他のバンドと比べると、圧倒的に多い。だからまだ持っていないTシャツもあって、探す楽しさもあります。あとは、やっぱりカートの生き様もあって彼の死後も人気は衰えない。だからこそ、ニルヴァーナTシャツを着たいと思う人も多いんだと思います。
門畑:僕が初めて買った時は、ただニルヴァーナが好きで買って、気が付いたら130枚も持っている。コンプリートするのが他のバンドに比べて難しいっていうのも魅力だと思うんですけど、やっぱりニルヴァーナの音楽やカートがかっこいいからそこに惹かれるんだと思います。
WWD:2人はどのTシャツがお気に入りですか?
門田:僕はこういうヨーロッパのブートに多いタイダイ柄のものが好きです。最初に無地のTシャツをタイダイに染めて、その上にプリントするので、ニルヴァーナだけではなく、他のバンドでも同じ柄が存在するんですよ。でも、このタイダイ柄のニルヴァーナTシャツって作られた数が少なくて、なかなか見つからないんです。
門畑:僕はすごく価値があるわけではないですが、個人的にこのカートがギターを弾いているTシャツです。この写真がすごく好きで。カラーも黒、白、赤。これは20代前半の時に高円寺の古着屋で買ったんですけど、当時はよく着ていました。今回の本では、前回とTシャツはあまりかぶらないようにしてるんですけど、これだけは今回も最後の締めとして掲載しました。それくらいやっぱり好きですね。
WWD:Tシャツのサイズは基本XLかLですよね。
門田:90年代の海外のバンドTシャツはやっぱりサイズが大きいのが主流で、ほとんどLより上ですね。逆に80年代とかそれより前になると、ビンテージの価値は高いんですけど、サイズは小さかったりします。
門畑:昔はプリントする版が一緒で、おそらくLかXLに合わせて版を作っていたと思うので、SとかMサイズだとプリントが入りきらなかったというのもあるんだと思いますね。
WWD:2人はまだ探しているアイテムはありますか?
門畑:もともと僕は探して買ったというのはほとんどなくて。130枚持っているんですけど、どれも古着屋でたまたま見つけて買ったという感じで、個人的に探して買ってはいないです。昔はそこまで競争率も高くなかったので、それができていたんですが、今だと難しいですね。
門田:僕は探しているものはありますね。詳しく言ってしまうと僕が買えなくなってしまうので、言えないですが(笑)。
WWD:門田さんはどんなTシャツがあるのか、全部把握しているんですか?
門田:やっぱり20年以上見ているので、だんだん分かってきましたね。
WWD:それこそ今ニルヴァーナのビンテージTシャツを探すとなると、どこで探すんですか? タイやカンボジアなどは注目されてますけど?
門田:タイにはまだいっぱいあると思います。パキスタンからタイにいっぱい流れてるので。でも、今だともう素人でもオンラインで売れてしまう時代なので、日本人がかなり買いに行っていて、なかなか一般の人がいいビンテージTシャツを探すのは難しいですね。僕の場合は長くお付き合いして信頼関係を築いてきたヨーロッパや南米、アフリカの友人からの紹介で、売ってもらう方が多いです。
WWD:最後に今回の本のおすすめポイントは?
門畑:ニルヴァーナのTシャツを集めている人も、そうじゃない人も楽しめるようなTシャツのラインアップになっていますし、ニルヴァーナ好きな人なら楽しめると思います。
あと、個人的には一応Tシャツの本ではあるんですけど、7万字のカート・コバーンに関する評伝を書いたので、それもぜひ読んでほしいです。結構今はTシャツが独り歩きしちゃってるじゃないですか。ニルヴァーナは聴いたことはないけど、Tシャツは好きっていう。僕の場合はニルヴァーナが好きで、Tシャツを買い始めたので、もしニルヴァーナの曲を聴いたことがない人はこれをきっかけに聴いたり、過去のライブの映像を見たりしてほしいなっていう気持ちを込めて書きました。だからこそ、Tシャツだけではなく、少しでもニルヴァーナの音楽に興味を持ってもらえればいいなと思います。
PHOTOS:MASASHI URA
「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」
■「NIRVANA T-SHIRT BOOK HOW LOWNG?」
著者:門畑明男
定価:6050円
仕様:B4変形判(240mm×240mm) / 144ページ
発行:リットーミュージック
https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3124317109/
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「ディーゼル」グレン・マーティンスとkemioが語る熱狂の生み出し方
グレン・マーティンス=クリエイティブ・ディレクターが率いる「ディーゼル(DIESEL)」は、若者を熱狂させるファッション性を維持しつつ、責任あるビジネスの転換をアグレッシブに進めている。例えば使用するデニムの50%以上は、オーガニックやリジェネラティブ、リサイクルに置き換え、化学薬品や水の使用量を削減した加工技術にも投資する。2024年9月にミラノで開催した24-25年秋冬コレクションでは、デニムの循環性をテーマに、「ディーゼル」が描く未来に対するステートメントを発信した。同ショーに込めた思いを出発点にマーティンス=クリエイティブ・ディレクターのサステナビリティに対する考え方を聞いた。セッションのパートナーには、若い世代の心を動かすという共通点を持つ、クリエイターのkemioを迎えた。(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)
“デニムの惑星“を表現したショーに込めた思い
木村和花「WWDJAPAN」記者(以下、WWD):9月にミラノで開催された「ディーゼル」の2025年春夏コレクションのショー動画をご覧いただきました。kemioさん、いかがでしたか?
kemio:衝撃的でしたね。「ディーゼル」と言えば、ファッションもそうですが、ステージのプロダクションや音楽、インビテーション、アフターパーティーなど、さまざまな角度からファッションショーの枠組みを越えるエネルギーをいつも感じます。今回は「ディーゼル」のDNAでもあるデニムを大量に敷き詰めたランウエイで、その上をモデルたちが力強く歩くという演出から未来に対しての強いステートメントを感じました。
WWD:グレンにあのショーに込めた思いを聞いてみましょう。
グレン・マーティンス:「ディーゼル」はファッションブランドであると同時にライフスタイルブランドでもあります。つまり、ファッションの美しさを追求する以上に、私たちが掲げる“サクセスフルリビング“、くだらないことは抜きにして人生を全力で楽しもうという精神性を体現しています。「ディーゼル」では、典型的なショーはしません。大事にしているのは、人々を巻き込むこと。例えば過去には、約1万人の一般客を招いたレイブパーティーをしたこともありますし、会場にコンドームの山を作って無料で配布したこともあります。
私が「ディーゼル」に加わって4年目を迎えた今回は、ブランドのコアであるデニムを中心に構成しました。デニムは、国やジェンダー、貧富の差を超えて多くの人々が触れているという意味で最も民主的な素材とも言えます。一方で生産工程では、多くの水や化学薬品を使用する負の側面もあります。実験的なアプローチでみんなが驚く魔法のようなデニム製品を生み出してきた「ディーゼル」は今、未来にあるべき美しいデニムの姿を考え、日々技術革新に取り組んでいます。今回のショーは、その新しいデニムの姿を表現しました。
会場は工場から集めた1万5000kgデニムの端切れを床に敷き詰め、“デニムの惑星“のようなものを誕生させました。その上をモデルが歩く光景を通して、デニムとは何か、循環の可能性などについてディスカッションするきっかけになってほしいという思いを込めたんです。
WWD:ショーの後には、観客がデニムの山に飛び込んだり、自撮りをしたりと、しばらく興奮冷めやらぬといった状態でしたね。サステナビリティの話題はともするとシリアスになりすぎて、楽しいものに変換することがすごく難しい。グレンがサステナビリティをテーマに据えながらあの規模で多く人を熱狂させていた点に感動しました。そうしたショー後の熱狂も予想していたのでしょうか?
マーティンス:全くしていませんでした。私たちのショー会場はいつも熱気に溢れていてさまざまな予想外のインタラクションが発生します。2年前はショー開始前、準備を終えてみんながバックステージでスタンバイしているにも関わらず、観客が会場で盛り上がってしまい開始予定時刻になってもなかなかショーが始められなかったんです。その時は、みんなを席に座らせるために仕方なく会場の照明を全て落としました。急に真っ暗になったのでみんな驚いて叫んでいましたよ(笑)。今回の“デニムの惑星“でもみんなが本当に楽しそうにしていた光景が美しかった。「ディーゼル」は人々が楽しむためのプラットフォームです。たとえランウエイショーであってもそうなのだということが理解いただけたと思います。
デニムの50%以上を環境配慮型に切り替え「楽しみながらより良い未来を考える」
WWD:「ディーゼル」はさまざまな角度からサステナビリティに取り組んでいます。素材面では、デニムに使用するコットンの半分以上をコンベンショナルコットンからオーガニックやリサイクル、リジェネラティブなどに切り替えています。kemioさんは、こうした取り組みを知っていましたか?
kemio:「ディーゼル」のブランドイメージは、セクシーでホット。広告を通して多様性を訴えるなど、社会に対する大事なメッセージを発信していることは知っていましたが、環境面でのサステナビリティにここまで力を入れていることは正直知りませんでした。いつも店に行くと、まずかっこいいデザインに引かれて商品を手に取り、あとから環境配慮素材で作られているんだと知ることが多い。サステナビリティに詳しくないカスタマーに対しても響く、すごく自然なアプローチだと思います。
マーティンス:サステナビリティはつまらないものである必要はありません。私が「ディーゼル」に入った4年前は、リジェネラティブやオーガニック、リサイクルコットンの割合は3%程度でしたが、現在は50%を超えています。半分がよりクリーンな素材に置き換わっているということ。もちろん今も完璧ではありませんが、毎シーズン改善を重ねています。
ファッションに限らず多くのブランドが、全ての製品において自分の子供や孫の世代のために、という視点を持つことが重要でこれが責任あるビジネス、または生き方の核だと思います。デニム以外にも「ディーゼル」の水着でも、同じことが言えます。水着はストレッチや速乾性が必要なので一般的にポリエステルが使われますが、現在は全てリサイクルポリエステルに切り替えました。定番のジャージー製品にはオーガニックコットンを採用しています。素材を未来のためにより良いものに切り替えていくことは、セクシーであること、自由奔放でロックンロールなライフスタイルを送ることを妨げることにはなりません。むしろ、楽しみながらも未来を考えることが私たちの根本的な価値観です。この価値観を毎シーズン、少しずつ実現していこうとしています。
kemio:グレンはクリエイティブ・ディレクターに就任する以前は「ディーゼル」にどんな印象を持っていましたか?
マーティンス:私は昔から「ディーゼル」の大ファンでした。故郷であるベルギーのブルージュという小さな街ですら、「ディーゼル」は人気でした。15〜16歳のころ、バーで皿洗いのアルバイトをしていたのですが、「ディーゼル」のパンツを買うことを目標にお金を貯めていました。当時の私にとっては決して安い買い物ではありませんでしたが、あれが私が人生で初めて意思を持ってした買い物でしたね。
20年に「ディーゼル」に入ると決めた理由の一つは、このようなグローバルブランドであれば、より多くの人と会話ができるだろうと思ったこと。環境の話はもちろん、マイノリティーやセクシャリティーといった社会のサステビリティについても、人々の世の中に対する見方をより良いものに変えるために多くの人に語りかけたかったんです。
「ディーゼル」に加わった時、すでに“レスポンシブル・リビング“と名付けられた環境戦略が走りはじめていました。私も比較的初期の段階から参加することができました。私がしたことはその戦略に“燃料“を加えたことでしょうか。試行錯誤しましたが結果的に、4年でここまでの成果を出せたことを誇りに思っています。
WWD:デザイン工程では具体的にどのようにサステナビリティを意識していますか?
マーティンス:さまざまなレベルがあると思います。例えばランウエイで見せるショーピースは、加工やペインティングなどの表現に重きを置きます。現実的にはリサイクルは難しいですが、生産量が少ないのでより柔軟性を持って考えるようにしています。一方で世界展開する商品については、ケミカルウォッシュや過度な加工をしないことを重要視しています。激しい加工表現はレーザーやオゾンウォッシュなどの技術を使うことで、強力な化学薬品を使わず、水もほとんど使用しない方法を取り入れています。この4年間で、低環境負荷でクリエイティブなデザインを実現するためのデータベースを構築することができました。私には最高のデニムチームがいます。私は基準を提示し、チームがそれを商品に落とし込みますが、多くの場合深く議論する必要もありません。というのも、低環境負荷を前提としてクリエイティブを探求することが私たちのアプローチに組み込まれているからです。
WWD:「ディーゼル」は製品製造以外でも、販売後の製品回収プログラムやリメイクプロジェクトなどさまざまな取り組みを通して循環型経済を推進しています。そうした「ディーゼル」のサステナビリティに対する包括的な考え方を知ることができるのが、動画シリーズ「Behind the Denim(デニムの裏側)」です。ここでリジェネラティブ・コットンを題材にした回をご覧ください。
WWD:kemioさんはご覧になっていかがですか?
kemio:サステナビリティの話題は、詳しくないと関わらない方がいいんじゃないかと距離を置いてしまうこともあると思います。そんな人にとっても優しく寄り添い、コミカルに楽しく学ぶことができる内容ですね。リジェネラティブ・コットンは最近よく耳にするワードですが、土からあれだけの工夫をして今僕が着用しているデニムができていることには驚きました。
WWD:「Behind the Denim」の第1話にはグレンも登場します。その中で印象的だったのがグレンが「サステナブルな商品なんていうものは存在しない」と話し、“レスポンシブル(責任ある)“という言葉に置き換えてインタビューに答えているシーンでした。その意図を説明してもらえますか?
マーティンス:私たちが20年1月にスタートしたサステナビリティ戦略のタイトルは、「レスポンシブル・リビング」です。ここでは素材の原材料のほか、工場やサプライヤー、輸送方法など事業に関わる全てについて触れています。服そのものだけでなく、それを取り巻く全ての項目において、責任ある選択をしていくことを目指しているからです。kemioさんは「ディーゼル」に対してどんな印象を持っていますか?
kemio:今の時代、買い物は投票であるという意識が広まっているように感じます。自分が信じているものと一貫性があるからその服を買う——そんな買い物の仕方が当たり前になってきている。その中で「ディーゼル」を選ぶ行為は、自分の内側から何か熱いエネルギーが込み上げてくるような気持ちになります。
マーティンス:いつもエンパワーリングなkemioさんにそのように感じてもらえていることは光栄です。
WWD:サステナビリティは多くの人の行動変容が必要です。そのためには、人の心を動かす何かを媒介して伝えることが必要だと思います。サステナビリティとクールでセクシーは両立するのでしょうか?
マーティンス:サステナビリティは、日々の言葉や行動に根付くべきもので自己表現を妨げるものではありません。みんなが心の中に持つべき大事な価値観の1つなんだと思います。
「人は情熱を持って取り組んでいる人を応援する」
WWD:最後にこのセッションのテーマである「熱狂の生み出し方」について、2人にお伺いします。多くの人が2人のクリエイションに熱狂してきました。その理由はなんだと思いますか?
kemio:事前にこの質問をいただいたんですが、正直自分じゃ分からなくてChatGPTに聞いちゃいました(笑)。いわく、自分のユニークなバックグラウンドがいろんな人に興味を持ってもらうきっかけになっていると。コピー&ペーストですが、人は情熱を持って取り組んでいる姿を見ると応援したくなるそうです。確かにそういう気持ちは皆さんあるのではないでしょうか。僕自身、どうやったらみんなが熱狂してくれるのか計算できるタイプではないので意図的に何かをやるというよりは、自分に対して誠実に信念を持って続けることで必ず誰かが耳を傾けてくれたり、協力してくれたりするのだと信じています。
マーティンス:おっしゃる通りだと思います。だからこんなに「ディーゼル」が似合うわけですね。大胆であること、偽らないこと、自分らしく生きること、だと思います。常に人生を楽しんで、他者を尊重すること。それが「ディーゼル」が熱狂を生み出すことができる理由だと思います。
来場者とのQ&Aセッション
WWD:まず、kemioさんからどうぞ。
kemio:最近、AI技術がどんどん進化しています。今後ファッションにおいてはどのような影響をもたらすと思うかグレンに聞いてみたいです。
マーティンス:個人的にはTikTokも使えないくらいデジタルにはうといんです。ただ、まずはこの進歩を受け入れ、クリエイションにも組み込んでいかなければいけないと思っています。
質問者:私は出版社で10代向けのコミュニティーメディアを運営していて、若者にどうサステナビリティを自分ごと化してもらうかに関心があります。ブランドとしてカスタマーをどう巻き込んでサステナビリティにアプローチしていきますか?デニムに関して言えば、カスタマーが製品を洗濯し過ぎてしまうといった問題があると思います。また、kemioさんには、実践してみたい“ファン“なサステナビリティアクションはありますか?
マーティンス:私はファッションを次世代に教える立場でもありますが、実は若い世代の方が、環境・社会的意識が高く生活の中で実践していることが多いように思います。「ディーゼル」がZ世代に人気の理由の1つは、透明性だと思います。取り組みや考え方をクリアに発信することが魅力になっています。サステナブルな商品についても、少しずつでも説明をしようと努力をする。長々としたスピーチにしてしまっては、クールさやエッジィさが失われてしまう。冒頭で話したように、日常会話のトピックとしてコミュニケーションをとることが大事なのではないでしょうか。
デニムの洗濯については、一人一人がベストなバランスを見つけると良いですね。デニムは年月を経過することでより美しくなるということをもっと若い世代に理解してほしい。自分でダメージ加工をしてもいいし、パッチをつけて楽しんでもいい。自分らしくデニムに命を吹き込んでいる人たちを見るとうれしくなりますよ。問題なのはむしろ、ファストファッションを楽しんできたミレニアル世代。意識の変化が必要なのは、僕らの世代の方だと思います。
kemio:僕はいろいろな社会問題に関心を持つ入り口はなんでもいいと思います。よく分からないから抵抗を感じる瞬間も多いと思いますが、まずは関心を持ってみる。僕はサステナビリティのエキスパートではないので今回、ここに参加させていただくことを悩みました。ただここに立つことで、自分をきっかけに興味を持ってくれる人がいるかもしれない。きっかけ作りには貢献できると思って参加を決めました。きっかけはなんでもいいからスタートしてみる、が大事だと思います。
WWD:お時間になりました。本日はありがとうございました。
PROFILE: グレン・マーティンス/「ディーゼル」クリエイティブ・ディレクター

PROFILE: kemio/クリエイター、モデル

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バレンシアガのサステナビリティ戦略 デザインチームとの関係や注目の革新技術を語る
左:アニカ・モーア・ストーファルト/ バレンシアガ グローバル・サステナビリティ・ディレクター
スウェーデン出身。ヨーテボリ大学ビジネス・経済・法学部で経営学の修士号を取得。卒業後大手デジタルエージェンシーでキャリアをスタートさせ、さまざまな業界のアカウントを担当。その後、ファッションスクールのアンスティチュ・フランセ・ドゥ・ラ・モード(IFM)で、繊維・ファッションマネジメントの修士号を取得し、ファッション業界に転身。2004 年にケリングに入社し、06 年からバレンシアガで 勤務している。19 年にバレンシアガのグローバル・サステナビリティ・ディレクターに就任し、CEO 直属の新しい部署を立ち上げ、現在に至る。
右:ジェラルディン・ヴァレジョ /ケリング サステナビリティ プログラム ディレクター
フランスのエコール・ポリテクニーク卒業後、カリフォルニア・スタンフォード大学で、環境および土木工学の修士号を取得。建設およびコンセッション事業の世界的企業である VINCI グループで11年、世界的な主要インフラプロジェクトに携わり、その後VINCI SA と VINCI Concessionsで持続可能な開発と科学的パートナーシップのマネージャーを務める。2013 年にケリングに入社。グループ全体のサステナビリティ戦略とプログラムの実施をサポートする責務を担っている。国際的な専門家チームを監督し、持続可能な調達や生物多様性の保全、環境負荷の低い生産に関わる革新的なアプローチの創出と戦略的パートナーシップの構築に重点を置き、傘下のラグジュアリーブランドをサポートしている。Entreprises pour l'Environnement (EpE)の生物多様性委員会の委員長であり、Climate Fund For Nature の専門家委員会のメンバーも務める。PHOTO:TAMEKI OSHIRO
バレンシアガ(BALENCIAGA)の担当者が日本では初めて、同ブランドのサステナビリティ戦略について、グループ親会社であるケリングのグローバル・サステナビリティ・ディレクターとともに語った。いわずとしれたサステナビリティ先進企業である両社が描く未来、乗り越えてきた課題、注目している革新素材や技術、そしてデムナ「バレンシアガ」クリエイティブ・ディレクター率いるデザインチームとの対話とは?(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)
バレンシアガで18年、さまざまな部署を経験しサステナビリティの責任者に
向千鶴WWDJAPANサステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):アニカさんのこれまでのキャリアを教えてください。
アニカ・モーア・ストーファルト=バレンシアガ グローバル・サステナビリティ・ディレクター(以下、アニカ):私はスウェーデン出身で約25年前にパリに来ました。デジタルエージェンシーで働いていましたが、20年前にファッションの世界で自分を“リサイクル”しようと考え、フランスのモード研究所でファッションマネジメントの修士号を取得しました。バレンシアガでは18年ほど働いています。最初はサステナビリティの担当ではなく、小売、リテール、Eコマース、マーチャンダイジング、購買などを歴任してきました。サステナビリティを担当するようになったのは、この5年ほどです。サステナビリティの実践的な知識を得たいと考え、ケンブリッジ大学でサステナビリティの修士課程の一部を修了しました。
WWD:バレンシアガでの役割とは?
アニカ:サステナビリティ戦略の定義、リーダーシップ、実行を担当しており、その戦略を世界中のバリューチェーン全体の中で行っています。ご存知のように、私たちはケリングの一員ですから、非常に野心的な目標を掲げ、同時に私たちが活動するための強力なフレームワークもあります。もちろん、今日一緒に登壇しているジェラルディンやケリングのサステナビリティチームがガイダンスやツール、専門知識を提供してくれます。ケリングの方法論のひとつにEP&L(環境損益計算)という、環境損益を測定する手法があります。私たちは正しい優先順位に焦点を当て、具体的な進捗と結果をモニターできるように、私たちが行うすべてのことを測定しています。
WWD:バレンシアガでのサステナビリティの位置付けは?
アニカ:組織全体にとって非常に重要な6つのブランドバリューがあり、そのひとつが「サステナブルであること」です。それはバレンシアガで働く人たち一人ひとりがサステナビリティのアンバサダーであることを意味します。同時に年次業績評価において、全員が持続可能性に関する具体的な業績目標を持つことも意味します。目標は、もちろん各部門に特化したもので非常に実用的なものです。
また、組織内に“サステナブル・カルチャー”を築いています。例えば、各チームが持続可能な目標を達成できるよう、多くのトレーニングを実施しています。社内コミュニケーションも盛んです。ポットキャストを配信したり、“アウェアネス・セッション”といって意識向上、啓蒙活動をしたりしています。
WWD:個々人の年次業績評価における目標はトップダウンですか?それとも個々人が設定するのですか?
アニカ:持続可能性の目標にはさまざまな種類がありますが、弊社では私たちが達成したいゴールの中からチームメンバーに対して達成してほしい目標を伝えます。私の場合は持続可能性に全面的に取り組んでいるため、業績目標はすべてサステナビリティに関連しています。
科学的根拠に基づきサステナビリティの最前線に立ち続ける
WWD:ジェラルディンさんのケリングにおける役割を教えてください。
ジェラルディン・ヴァレジョ =ケリング サステナビリティ プログラム ディレクター
(以下、ジェラルディン):私はグループレベルで仕事をしています。私の役割は、すべてのブランドと協力し、誠実で科学的根拠に基づいたアプローチを通じて、サステナビリティの最前線に立ち続けるようガイド、サポートすることです。私のチームとともに、環境やイノベーションの多くの分野でブランドを支援しています。私はもともと機械工学を学び、素材を専門としてきました。その経験から、特に革新的な素材に情熱を持っています。また、過去11年間はイノベーションの仕事をしてきました。
WWD:11年間もイノベーションに携わるとは、常に最新に触れて刺激的ですね。
ジェラルディン:とてもエキサイティングです。なぜなら会う方、会う方、皆前向きでポジティブなエネルギーに満ちています。そしてバランスをとる必要もあります。結果を出すには時間がかかりますから忍耐も必要です。
ケリングのサステナビリティ戦略の優先事項は生物多様性と
WWD:ケリングのサステナビリティの優先事項は何ですか?
ジェラルディン:2025年までに達成すべき明確な目標を掲げた戦略を策定しています。特に、グループ全体でのEP&L(環境損益計算)を元にした削減目標を掲げ、全生産に必要な面積の6倍に相当する土地の再生と保護に関連した目標を設定しています。この目標に向けて懸命に取り組んでいますが、2025年以降の次なるサステナビリティ戦略も準備を進めています。新しい目標やトピックにも取り組んでいます。持続可能性とは固定された定義ではなく、進化する概念です。そのため、毎年新しい課題に取り組む必要があります。
2つ目は先ほど述べたように、イノベーション。それをどうスケールアップするか、です。私たちは日本に大変関心を持っており、「ケリング・ジェネレーション・アワード」を通じて、イノベーションをさらに拡大するイノベーターや方法を模索しています。最終選考に11名が残り、最終結果は3月に発表する予定です。この取り組みはファッションだけでなく、ビューティの分野にも広がっています。私たちは、明日のファッションと持続可能なファッションを生み出すイノベーターを探しています。
WWD:欧州規制とはどのような関係を築いているのか。
ジェラルディン:最優先事項は“進化”する規制に関することです。なぜなら、今後2年から4年の間に世界中で約35のファッションをよりサステナブルにするための重要な規制が施行される予定で、我々はそれに対応する必要があります。大半はヨーロッパ発です。私たちは長年にわたり持続可能性に取り組んできました。そのため、準備は十分に整っています。しかし、これからはトレーサビリティや消費者への情報提供をさらに充実させ、真の意味での循環型社会の実現に向けた新たな枠組みに深く踏み込む必要があります。
WWD:バレンシアガにとってのサステナビリティのポイントは?
アニカ:私たちはケリングの傘下にありますので、ケリングの戦略に沿っていますが、進め方はブランドそれぞれです。私たちはアプローチのポイントとなる3つの要素を選びました。それらはすべて、ケリングの3つの柱である「ケア(配慮)」「コラボレート(協働)」「クリエイト(創造)」を軸に展開されています。
1つ目は「インパクト」です。これは、サプライチェーンのあらゆるレベルにおいて、私たちの活動が環境に与える影響を低減し、ポジティブなインパクトを与えることを目指します。たとえば、再生可能な原料調達を選ぶことで、土壌の健全性を改善する“リジェネラティブ”も含まれます。また、私たちはEP&Lを活用し、自分たちの影響を測定することを重視しています。
2つ目は「製品」です。製品の原材料や製造工程における基準に合致するようにたえまなく改善し、持続可能な素材やプロセスを明確に定義するケリング・グループのガイドラインに基づいて行動します。ジェラルディンが指摘したように、今後の規制ではトレーサビリティがますます重要になります。誰がどこでどのように生産したものなのかを追跡することです。また、私たちは製品が良好な労働条件の下で製造されていることを監視する必要もあります。
最後の柱は「システムの変革」です。私たちは産業にたくさんのプレイヤーがいることを理解した上で自社の直接的な活動だけではなくより大きな産業や社会の一部として活動しています。この文脈で、イノベーションが重要なテーマとなります。私たちは、新興企業やイノベーターを含むエコシステム全体で、さまざまなイノベーションに取り組んでいます。これは、ブランドのDNAにおいてイノベーションが重要な価値観のひとつだからです。
コラボレーションもまた、システム変革の一部です。私たちだけでこの大変革を進めることはできません。そのため、ブランドやグループ内で共有するだけでなく、トレーサビリティのような非競争的なテーマについて、グループの外とのコラボレーションを広げています。また、これはサプライヤーへの圧力の軽減にもつながります。もちろん、製品、材料、プロセスなどを提供するあらゆるサプライヤーと協力する必要があるからです。また、ファッション協定やその他の組織的なプロジェクトや議論にも積極的に参加しています。
WWD:やるべきことがたくさんありますね。
アニカ:とても忙しくてエキサイティングです。退屈することはありません。
各ブランドとの目標や情報の共有の仕方
WWD:サステナビリティを推進するにあたり、バレンシアガを始め、各ブランドとの役割分担はどうなっているのでしょうか?目標や情報はどういった方法で共有していますか?
ジェラルディン:すべてのブランドには独自のDNAがあります。そのため、ケリング・グループ内の各ブランドが、自らにとって最も重要な要素にフォーカスすることが重要です。ケリングでは、国際的な枠組みであるサイエンス・ベース・ターゲット・ネットワークを活用し、科学的根拠に基づいて目標を設定しています。またパリ協定を基に、地球の気温上昇を摂氏1.5度以内に抑えるためにケリングとして何ができるかを検討しています。
各ブランドがこのターゲットに対して適応することが求められます。バレンシアガ、ブシュロン、ケリング アイウエア、ケリング ボーテなどそれぞれ異なる目標を設定します。重要なのは、これらの目標を早期に達成するための支援を提供することです。具体的には、専門知識やツールの提供が含まれます。その一例として、影響を計算しモニターするためのEP&Lが挙げられます。
ミラノにあるマテリアル・イノベーション・ラボでは、イタリアのサプライヤーや各ブランドの製品開発チームと協力し、より持続可能な素材を開発しています。このラボには、持続可能な素材を1,000種類以上集めた素晴らしいライブラリーもあります。しかし、クリエイティブチームにとっては、これだけでは十分ではありませんから、私たちは素材革新において、より革新的で持続可能な素材を活用することを目指しています。
WWD:改めて、EP&Lとは?
ジェラルディン:EP&Lは、自然が私たちに提供してくれる“サービス”、たとえばきれいな水や空気がかつては無限であったものの、現在では有限であるという認識から生まれた考え方です。この限られた資源の中で、経済システムに自然のサービスを組み込む必要性が強調されています。具体的には、自然が私たちに与えるすべてのサービスに価値を見出し、それをビジネスに反映させるという考え方が背景にあります。
EP&Lの目的は、金融のツールを使って自然を金融・経済システムの一部に組み込み、原材料の採取から製品の製造、店舗での販売、さらに製品の使用に至るまで、バリューチェーン全体を通じて環境への影響を計算することです。
このような取り組みが実現すれば、環境への影響が金銭的価値に直結するようになります。EP&Lの重要な点は、この活動が12年間継続されており、その過程で自然を大切にする文化が醸成され、自然には価値があるという意識が根付いたことです。その結果、ビジネスにおいても自然を保護し、再生する必要性が一層明確になりました。
自分のダッシュボードを活用して、たとえば異なるタイプの靴を比較し、それぞれの環境への影響や使用材料を可視化するツールがあります。このツールは、製品やブランドの共同デザインを支援するアプリケーションの一部でもあります。
バレンシアガとサステナビリティを理解する4つのポイント
WWD:バレンシアガがこれまで行ってきたサステナビリティに関わるアクション例を教えてください。
アニカ:4つ事例を挙げたいと思います。一つは、2022年冬コレクションで発表した「エッファ」と呼ばれるマッシュルームの菌糸(マイセリアム)から作られたコートです。レザーに似た質感を持つ代替素材で、バレンシアガのためだけに開発されたものです。バレンシアガとケリング、スタートアップのスクイム(SQIM)の共同開発の成果です。
2つ目は、2024年6月に発表したクチュール コレクションのルックナンバー2に取り入れました。モデルが着用しているパンツにスパイバーによる繊維が含まれています。最も格式の高いクチュールコレクションでも、「ブリュードプロテイン」のような革新的な素材が採用されています。
店舗からも事例を紹介します。バレンシアガでは、100以上の店舗がLEED認証を受けています。LEEDとは、エネルギーと環境デザインにおけるリーダーシップを意味するLeadership in Energy and Environmental Designの略称です。私たちは常にこの認証取得を目指しています。大規模な改装工事を行う際には、その対象となります。
最後に、拡張現実、ARの体験です。何が再生農業なのか、その認識を高めるための取り組みです。私たちは若い方と接することも多いのですが、彼らは特にゲームやゲーミフィケーションに高い関心を持っています。そのためインスタグラム、ティックトック、ウィチャットなどのソーシャルメディア・プラットフォームを活用し、ミニゲーム形式で再生農業について学べるビデオを提供しています。この中で、ユーザーはアバターを選び、種を植え、水を与え、堆肥化し、輪作などの技術を用いることで、再生農業の方法論を実践できます。これにより、少しでもそのプロセスを体感することができます。
デムナ率いるデザインチームとの緊密な関係
WWD:デムナ「バレンシアガ」クリエイティブ・ディレクターをはじめデザインチームとのコミュニケーションについて教えてください。具体的にどのような会議が社内で行われていますか?
アニカ:私たちは緊密に連携して仕事を進めています。特に私のチームは、デザインチームと密接に協力しています。デザインチームは車の運転席に座っているようなものです。彼らが行う選択は、製品のライフサイクル全体に大きな影響を及ぼします。しかし、会社には他にも非常に重要な役割があることを忘れてはなりません。製品のライフサイクルを決める、一つひとつの瞬間に関わる人たちです。開発、生産チーム、サプライヤーも重要な参加者であり、プロジェクトのドライバーとなることで、サステナビリティが実現するのです。
たとえば具体的なインスピレーションがスタジオのデザインチームから湧き上がってきたら、サステナビリティチームが開発チームやサプライヤーと協力してその解決策を模索します。また、サステナビリティチームでは、常に新しいスタートアップ、新しいイノベーション、新しいサプライチェーンを探してデザイナーたちに紹介をしています。
さらに、私たちはクリエイティブチームに対して、ケリング・スタンダードに従って具体的な調達基準について定期的にトレーニングを実施しています。このトレーニングにより、クリエイティブチームはサステナビリティを自分の業務範囲にどのように組み込むかを学んでいます。彼らはすでに高度な訓練を受けているといえるでしょう。
WWD:デムナのような傑出した才能と仕事をするのは面白そうですが大変そうでもあります。
アニカ:全然大変ではないですよ。私たちはデムナやクリエイティブチーム全体と、とても良い会話を交わしていますし、彼らも積極的に関わってくれています。
ケリングとバレンシアガが今必要としている技術や素材
WWD:ケリング、バレンシアガ、それぞれが今必要としている新しい技術や素材を教えてください。
ジェラルディン:私たちは、目標を達成し、サプライチェーンの透明性を向上させるために、環境負荷を軽減する技術革新を模索しています。なぜなら、原材料が環境負荷全体の約3分の2を占めているため、これが私たちの最初の焦点となったからです。バイオマスを原料とするもの、自然由来であること、バイオテクノロジーを駆使し、化学物質を一切使用しないもの、そしてデザインチームのエモーショナルなインパクトのあるものを探しています。心が刺激されないと新しいアイデアは生まれません。これらの基準を満たさない素材では、私たちのブランドの理念に合致しません。そのため、素材選びが優先事項です。
さらに、世界中で水に対する関心・懸念が高まっていることを背景に、私たちは水資源を適切に使用する必要があります。リテールや消費者とのエンゲージメントに関わるテクノロジーも常に探しています。これはファッションに限りません。1年半前、私たちはケリング ボーテを立ち上げ、美容分野も重点となっています。美容業界におけるサステナビリティは、私たちの新たな挑戦の一環です。
アニカが述べたように、イノベーションは競争以前の協調の場でもあります。最終的に私たちが望むのは、これらのイノベーションが業界全体のスタンダードとなることです。気候変動や生物多様性、水はすべての人が必要としているイノベーションですから。
WWD:サステナビリティは物づくりをする人にとってはある種の制約ですが、むしろそれをチャンスだととらえた方が良さそうですね。
ジェラルディン:そう思います。そのように見ることも必要ですし、チームにもそう伝えないといけません。制約としてチームに伝えるとうまくいきません。創造性の欠如は、私たちにとって致命的な問題と見なさなければなりません。それが私たちのアプローチそのものなのです。
最近、私たちのイノベーション・アワードにジュエリーの分野を設けました。そこでのトピックも廃棄物からいかにしてラグジュアリー生み出すか、です。ですから制約と見ることもできますが、素材の見方、廃棄してきたものの見方を変える、新しい意味でのクリエイティブになるということだと思います。
WWD:バレンシアガが今必要としている技術や素材とは?
アニカ:ジェラルディンが伝えたように、私たちは次の新しいプロジェクトに取り組んでいます。私たちは、環境への影響を削減することに非常に注力しています。そのため、即効性のある短期的なアプローチと、フットプリント(環境負荷)に関する現実的な分析を組み合わせています。同時に長期、次世代のイノベーションに焦点を当てています。なぜなら、私たちは「明日」を形作るための素材について議論しているからです。
スタジオでは、コレクションに使用される素材のリサーチやプレゼンテーションを行う際、従来の素材をより持続可能な素材に置き換える取り組みを続けています。この際、デザインや品質について妥協することはありません。おっしゃるように、サステナビリティは創造性を刺激する力を持っています。
そのため、例えばコットンやウールについては従来よりもインパクトの少ない素材を使用するよう努めています。たとえば、2021年にコンサベーション・インターナショナルと共に設立した「自然再生基金」からのサプライチェーンを活用するケースが増えています。
イノベーションは、バレンシアガのDNAの一部です。そのため、次世代素材だけでなく、革新的なプロセスにも焦点を当てています。ジェラルディンが述べたように、例えば、水をほとんど、あるいは全く使わずに染める技術を見つけることなどプロセスが、非常に重要な課題として注目されています。このような取り組みに、私たちは一層力を入れています。
冒頭でも述べたように、これらのプロジェクトには非常に時間がかかります。具体的な成果につながらないプロジェクトもたくさんあるでしょう。でも取り組まなければならないのです。たくさんのプロジェクトの一部が成功する。それを産業、商業規模に拡大し、より環境負荷の少ない明日の素材となることが期待されています。
WWD:お2人のそれぞれの次なるゴールとは?
ジェラルディン:このイノベーションをスケールアップさせ、さらにその実現を手助けできることが、私の個人的な目標であり、大きな希望でもあります。
アニカ:冒頭でも述べたように、まだやるべきことがたくさんあります。だからこそ、一番大きなポジティブなインパクトを残せるところにフォーカスして結果をもたらして具体的なアクションにつなげたいです。
イベント参加者とのQ&Aセッション
参加者:ヨーロッパではエコデザインに関する規制やルールの変更を踏まえてどのようにクリエイティブチームに伝えているのでしょうか、具体的に教えてください。
ジェラルディン:バリューチェーン全体におけるトレーサビリティの向上が規制の主眼です。そして、環境ラベリング形式で最終消費者へ伝えること、また廃棄物の削減と循環型経済の構築が規制の目標です。当局とも常にコミュニケーションをとり意見も出しています。これらの規制の本質は、「持続可能な製品」とは何かを定義することにあります。なぜなら、ファストファッションにおける持続可能な製品の定義と、ラグジュアリー製品におけるそれは同じではないからです。そのため、私たちは製品の物理的な耐久性だけでなく、情緒的な耐久性も考慮しています。これには、製品の価値を維持する方法や、製品を修理して再利用する取り組みも含まれます。
これを実現するため、グループレベルでは定期的なミーティングを行っています。3カ月に一度、各ブランドやその法務チームと会合を持ち、規制が私たちの業務にどのような影響を与えるかを共有し、ディスカッションしています。
現時点では、主にIT面での変更が主です。現時点では、法律が求める内容との整合性については問題ないのですが、細部に問題がある可能性があるから十分に注意する必要があります。私はこれらの法律を土台にして、さらに前進できると考えています。
アニカ:ジェラルディンが述べたように、私たちはこれをブランドに導入する際、トレーサビリティを重視しています。トレーサビリティは非常に複雑な作業ですが、ケリングの基準に沿った素材を使用することで、作業を効率化することができます。生産チームなどと部屋に集まり、資料やスクリーン、スライドを活用しながらトレーニングを進めます。もちろん規制や基準について詳しく議論します。
ただ規制は、それがあるから対応しているわけではありません。行うのは、それが「正しいこと」だからです。現在、規制が施行され始めています。私たちはまだ完璧ではありませんが、取り組みは組織全体に浸透しつつありすでにかなりの進展を遂げていると言えます。社内のすべての部署に理解してもらう必要があります。完璧とは言えませんが、私たちは懸命に努力し続けています。
参加者:「消費者の手に渡った後の流通」に関する質問です。リサイクルだけでなく、リセールプログラムが成功するための条件や、そこにある課題について教えてください。
ジェラルディン:リセールについて、私たちはテストと実践の段階ですが、興味深いモデルであると考えています。ケリングは、中古品プラットフォームであるヴェスティエール コレクティブに投資しています。これにより新しい顧客層へリーチできることがわかっています。つまり、従来のビジネスモデルとバッティングすることなく、新しい可能性を広げています。
完全に異なるロジスティクスですから、現時点では、独自のシステムよりもパートナーと協力する方が容易です。そして、次のステップとして何をすべきかを検討しています。
参加者:私はイノベーションが非常に重要なスポーツ業界の出身です。現在この業界では技術革新への投資はすべてサステナビリティを中心に行われています。この点は、ケリング・グループやバレンシアガにおいても同じでしょうか?
ジェラルディン:はい、そうです。サステナビリティとデジタル技術は、現在の技術革新と投資の原動力となる2つの重要な要素です。この2つの要素が組み合わさる例については、すでにお話ししましたが、その通りです。
参加者:イノベーションへの投資は、それが実際にポジティブな変化をもたらすものでない限り、基本的に価値を持ちません。また、ジェラルディンさんが先ほど述べたように、イノベーションへの投資のうち、10件中1件が成功すれば良いほうです。つまり、それは非常に大きな投資ですから、持続可能性に向けた大きな成果を目指しているということでしょうか?
ジェラルディン:はい、その通りです。特にラグジュアリー分野においては、すべてが完璧でなければならないため、なおさら難しいです。イノベーションには時間がかかり、うまくいかないこともあるため、そのフラストレーションを受け入れる必要があります。
参加者:トレーサビリティとは、すなわち透明性を意味します。すべて透明性を担保しないといけないのでしょうか?パーフェクトではない、ときにはよくない姿を見せないといけないと思いますが、ケリング、バレンシアガとしては100%透明性を担保しようとしていますか?
ジェラルディン:例えば、我々はEP&Lの結果をすべて公表しています。これにより、製品に関する完全な透明性、安定性、環境への影響などを理解していただけると思います。改善点も公開しています。持続可能性とは、終わりのない旅でもあります。そのため、現在地をしっかりと把握することが重要です。今日の世界では、何も隠すことはできません。
参加者:EUがグリーンウォッシングに対する規制を強化したことはよく知られています。このような法改正について、どのように捉えていますか?
アニカ:私たちは現在、この問題に気を配りながら、ガイドラインに基づいて精緻なコミュニケーションをしています。特に重要なのは、何をどのように伝えるべきか、どの単語を使うべきか、そして避けるべきか正確に伝えることが大切です。私たちが使う言葉も外部の専門家にその内容を確認してもらっています。バレンシアガにとってサステナビリティはマーケティングツールではありません。最善を尽くして行うものです。
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日本の繊維産地の可能性を各産地の新リーダーとデザイナー、識者が語る

日本の繊維産地は世界から見ても多様で、その技術は海外から高い評価を受けている。しかし、後継者不足など深刻な課題を抱えて久しい。その繊維産地から今、新たなリーダーが誕生し始め、一企業の枠を超えて地域と連携した活動が生まれている。日本のものづくりと産地継続に向けて、産地に関わるリーダーやデザイナー、識者がその可能性を語った。(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです。)
向千鶴WWDJAPANサステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):2つ目のセッションは日本の繊維産地の可能性について5名の方をお招きしてディスカッションをいたします。日本には素晴らしいものづくりを行う産地がたくさんあります。そして多くの課題を抱え、同時に可能性を秘めています。ファッションの持続可能性はものづくりの現場の持続可能性があってこそ。本セッションでは現場の声と、識者の声を交えてその未来を語っていただきます。オープニング映像で見ていただいたのはZOZONEXTさんから提供いただいた篠原テキスタイルさんのムービーです。ZOZO NEXTさんのユーチューブでもご覧いただけます。
それでは登壇者をご紹介します。スズサン営業・各種プロジェクト担当の井上彩花さん、糸編代表の宮浦晋哉さん、「フェティコ」デザイナーの舟山瑛美さん、オンラインから篠原テキスタイル社長の篠原由起さん、そして本セッションのファシリテーターを努めていただくA.T. カーニー シニアパートナーの福田稔さんです。福田さんにマイクをお渡しします。福田さんよろしくお願いします!
PROFILE: 福田稔/A.T. カーニー シニアパートナー

世界から見ても珍しい、日本の多様な産地
福田稔A.T. カーニー シニアパートナー(以下福田):まず「産地」と一口に言っても日本の繊維産地は非常に多様です。具体的にどのような多様性や魅力があるのか、詳しくお話していきたいと思います。その点について産地に詳しい宮浦さんからお話をいただければと思います。
宮浦晋哉・糸編代表取締役兼キュレーター(以下、宮浦):日本には和装の産地から、ファッション、インテリアの産地などたくさんの繊維産地があります。私たちがワークショップやファッション学校で教える際にはこのうち代表的な20の産地を例として挙げています。
北から南まで日本にはさまざまな繊維産地があるので、皆さまの出身地も実は繊維の生産地だったりしますが意外と知られていません。例えばお母さんやお父さん世代が「機織りの音が聞こえていた」「染めをしていた」という話を聞いたことがある方もいるかもしれません。実は繊維産地は日本の日常生活に非常に近い存在なのです。
繊維産地には日本ならではの文化や風土が独特の文脈で進化を遂げ、現在に至った背景があります。この小さな島国でさまざまな特徴を持つ繊維産地が存在していることは世界的に見ても非常に珍しいことです。
歴史を遡ってみると、綿花を栽培して木綿を織っていた産地もあれば、養蚕が盛んで蚕を育てて生糸を生産し反物にして発展してきた産地もあります。これからご紹介するのはもともと養蚕業を行い、シルクの織物を生産していた産地についてです。これらの産地はシルクの織物産地として発展しつつ、その後ナイロンやポリエステルへと進化を遂げたものもあります。それぞれの産地が独自の進化を遂げています。
例えば日本最大規模を誇る北陸の繊維産地は、ポリエステルやナイロンのテキスタイルの生産が盛んです。東京から近い群馬では桐生を中心にジャカード織りの柄を追求する産地として知られています。山形の米沢は、現在も高密度で非常に美しいシルクのテキスタイルを主力とし独自の地位を築いています。このように各産地がそれぞれの強みを活かして進化し、世界中にファンを持つ存在になっています。
続いて、綿花栽培を背景に持つ産地をご紹介します。これらの地域は日照時間が長く水はけが良いといった土壌や気候条件が綿花栽培に適していました。
オレンジ色の地域の出身の方はおおらかな性格の方が多い印象があります。日照時間が長く、太陽に照らされる環境の中で育まれる文化が影響しているのかもしれません。この地域では5月頃に綿の種を蒔き11~12月頃にコットンボールが弾けるというサイクルで和綿の栽培がされていました。ここから発展してきた繊維産地と言えば、世界に誇るジャパンデニムの産地である岡山から広島、今治のタオル、和歌山の丸編み、そして世界三大毛織物の一つである尾州などがあり、さまざまな製品が生まれています。
一気にお話しすると少し情報が多いかもしれませんが、日本全国にはさまざまな繊維産地があり、それぞれ独自の形で進化を遂げてきました。この多様性と進化こそが、日本ならではの魅力として世界中から注目され、毎シーズン世界各国のデザイナーやバイヤーが訪れるなど、日本の繊維産地は他に例を見ない特別な存在となっています
各産地に新しいリーダーが登場、斜陽産業からの脱却を目指す
福田:このように日本の繊維産地は非常に多様です。そして現在、世界から大きな注目を集めています。その背景には日本の繊維産業が持つ長い歴史があります。日本の繊維産業は、戦前から高度経済成長期にかけて国の基幹産業として大きく成長しました。しかしその後、生産拠点がコストの安い中国や新興国へと次々と移転し、それに伴い斜陽産業とも言われるようになりました。
ところが潮目が変わり、繊維産業が輸出産業として再び成長を始めています。実際、日本のテキスタイルの輸出額は3000億円以上でその金額は年々増加しています。また、近年では日本製のブランド、完成品の輸出も急速に伸びており直近では輸出額が1000億円を超えるまでになっています。
歴史を経て日本の繊維産業は再び成長しようとしています。この新たな成長期を牽引する新しいリーダーたちが登場しています。ここからは、そうしたリーダーの方々をご紹介したいと思います。まず、先ほどオンラインでご参加いただいた篠原テキスタイルの篠原さんをご紹介します。
篠原さんは40代で家業を継ぎ現在事業を拡大されています。ぜひ篠原さんから、新しい繊維産地をリーダーとしてどのように考えていらっしゃるのかお伺いしたいと思います。特に現在取り組まれていることやコメントがあれば、自己紹介を兼ねてお話しいただければと思います。
PROFILE: 篠原由起/篠原テキスタイル代表取締役

篠原由起・篠原テキスタイル代表取締役(以下、篠原):私は広島県福山市を拠点にしています。この福山市と隣接する岡山県の井原市と倉敷市が日本国内でも特に有名なデニムの産地となっています。
現在、同業他社さんと連携してデニム産地全体を盛り上げる活動に取り組んでいます。具体的には日本のデニム生地をさらに広めるために勉強会を開催したり、一般の方向けにはワークショップを行ったりしています。2024年はBtoB向けの展示会を実施したり、マルシェに参加したりして地元住民にも「福山にはデニムがあるんだ」と知っていただく活動を進めています。地域の皆さんに地元への誇りを持っていただきたいという思いもあり、シビックプライドの醸成にも力を入れています。
また、バイヤーさんを対象とした工場見学ツアーも行っており24年は30~40回ほど実施しました。現場を見ていただくことでデニムをより深く知っていただけたらと思っています。
さらに、私たちからも積極的に学校へ赴き「こんな面白いことをやっているんですよ」と紹介する勉強会を開催したり、他の産地を訪問して連携を深めたりしています。例えば、「ひつじサミット尾州」で交流したり、先週は播州を訪問してお互いの産地の取り組みを紹介、素材開発したりとさまざまな活動を行っています。
福田:続きまして他の産地のリーダーについてご紹介します。若い世代が新たなリーダーとして登場しており、この点については産地をつなぐ活動をされている宮浦さんにお話しいただければと思います。
PROFILE: 宮浦 晋哉/糸編代表取締役 キュレーター

宮浦:現在、篠原社長は5代目として活躍されていますが、他の産地でも代替わりが進んでいます。若い息子さんや娘さんが事業に参加するケースや外から移住してきた方が会社を経営する例も見られます。
例えば、世界三大毛織物の産地として知られる愛知県と岐阜県にまたぐ尾州産地でオープンファクトリーイベント「ひつじサミット尾州」を立ち上げたのが三星毛糸の岩田真吾さんです。尾州産地は大きい産地なのですが、岩田さんは旗振り役としてリーダーシップを発揮して、日々精力的に活躍されています。産地が自ら立ち上がり外に向けて楽しく開いていかなければならない、という強いメッセージを込めて活動をされています。このオープンファクトリーをはじめ、さまざまなインナーブランディングの取り組みも行っています。
遠州産地に目を向けると、綿の高級シャツ地を手掛ける古橋織布の4代目古橋佳織理さんがいらっしゃいます。男性だけでなく女性も社長や開発担当として活躍してそれぞれの産地で頑張っている時代になりました。和歌山産地ではエイガールズの山下智広社長など、各地で新しいリーダーが次々と現れ、それぞれの産地を盛り上げています。このように、日本全国で新しい世代が活躍している状況です。
福田:このように多くの新しいリーダーが登場している一方で、他の業界から繊維産地に飛び込む動きも見られるようになっています。そこで、経済産業省を経てMBAを取得し繊維産地に飛び込んだ井上さんにその経緯をお伺いしたいと思います。
PROFILE: 井上彩花/スズサン 営業担当

井上彩花スズサン 営業担当(以下、井上):私は現在、株式会社スズサンで営業などを担当しています。大学卒業後、経済産業省に入省し、クールジャパン政策を担当する部署に在籍していました。その際、福田さんに副座長、向さんに委員として参加いただいた有識者研究会「ファッション未来研究会」の事務局を担当させていただいたことがきっかけで、ファッション産業が抱える課題や向き合うべきテーマ、そして産業が持つ大きなポテンシャルについて深く知ることができました。
特に職人技術といった独自性の高いものをどのように海外に伝え、市場を作り出すかに興味を持ちました。フランスを中心としたラグジュアリーブランドが世界中で人気を集めている様子を見て、クールジャパンで目指していたことの反対側にある成功例の一つではないかと考え、ラグジュアリーブランドビジネスを学びにパリに約2年間留学をしました。
留学中は、世界中からラグジュアリーブランドビジネスを学びに集まった同級生とともに、その領域に深く携わるさまざまな機会を得ました。その中で、特にフランスでは、職人技術が非常に高い価値を持つものとして業界内で認識されていることを実感しました。また、現地でLVMHメティエダールでのインターン経験を通じて、日本の繊維や工芸といった手仕事に大きなポテンシャルがあること、同時に課題も直接感じることができました。
これらの経験を経て、手仕事のビジネスのよりリアルな部分を体験したいと思い帰国後、名古屋・有松に拠点を置く株式会社スズサンに転職しました。スズサンでは、江戸時代初期から400年以上続く国指定の伝統工芸「有松鳴海絞り」の技術をブランドの核とし、ファッション製品や、クッションやブランケットといったホーム製品に「有松鳴海絞り」の絞り柄を取り入れるブランドビジネスを展開しています。
福田:新しい人材が集まりつつある繊維産業ですが、ここでぜひ日本の繊維産業が持つ「ものづくりの魅力」や「強み」についてお話を伺いたいと思います。「フェティコ」のデザイナーとしてご活躍されている舟山さんにお尋ねします。舟山さんは、特に産地との連携が上手だとうかがっています。産地の魅力やデザイナーの視点から見た日本の産地について教えていただければと思います。
PROFILE: 舟山瑛美/「フェティコ」デザイナー

舟山瑛美「フェティコ」デザイナー(以下、舟山):まず、私のブランドについて簡単にご紹介します。私が産地でのものづくりを始めたきっかけは新卒で入社したいわゆるDCブランドといわれるデザイナーズブランドの会社でした。その会社は産地との絆が非常に深く、新入社員も率先して産地や工場に連れて行き、現場を見せてくれるような投資を惜しまない会社でした。この経験が私にとって非常に大きな影響を与えました。それまで私は、服がどのような場所で作られているのかを全く知りませんでした。しかし、実際に現場で働く方々と話す機会を得たことで、彼らがいかに大変な仕事をしているかを知りました。「後継者がいない」「仕事が大変」といった話を若い私に気軽にしてくれる一方で、工場の方々がものづくりに誇りを持っている様子がとても印象的でした。その姿を見て「自分も真剣に向き合わなければ」と覚悟を決めることになりました。
「フェティコ」を立ち上げるにあたり「少しでも産地の力になりたい」という思いが強くありました。いろんなブランドで働く中で時には海外生産を含むOEMで日本の生地を使わない製品を手がけることもありました。ただ、そういったものづくりでは、細かい部分で自分が表現したいことを洋服に落とし込むのが難しく、ジレンマを感じることが多かったです。
その経験を経て「どんな人たちがどんな場所で作っているのか」を見極め、どの産地のどの生地を使いどの縫製工場に頼めばどんなふうに仕上がるまでが見えるものづくりに強い価値を感じるようになりました。今では、日本で作れないもの以外は約90%の生地と縫製を日本国内で行っています。
具体例を挙げると、前シーズンでは桐生でオリジナルの柄のジャカード生地を作りました。同色で派手さのない素材なので一見地味に見えますが、実際に手に取ってもらうと独特の風合いが感じられます。日本で作るメリットの一つにオリジナルの生地を作るのに多額のコストがかからないということ、小さなブランドであっても製作に協力的な機屋さんがいるという点があります。こうした環境は本当にありがたいと感じています。
継続しているところでいうと、尾州のスーツ地があります。ブランドを構成する要素は多々ありますが、細かい工夫や積み重ねがブランドのアイデンティティを形成し、強めてくれると実感しています。同じ梳毛でも、仕上げの加工方法やブランドらしさを求めてオリジナルの色に染めていただくなど自分の求める形にしてもらえるのが魅力です。小さなブランドでもこうしたことができるのは、日本でデザイナーをやる大きなメリットだと思います。
もちろん、海外の素材にも素晴らしいものがたくさんありますが、日本は顔が見える人たちと一緒に理想を追求できる環境が整っています。この環境を活かさないのはもったいないと感じ、産地でのものづくりを続けています。
福田:ちなみに私も今日着ているのは尾州のスーツ生地を使った服です。桐生産地も素晴らしいと思います。さて、日本の産地の魅力を横断的に発信し、さらに世界中のラグジュアリーブランドをアテンドされている宮浦さんにお伺いしたいと思います。
宮浦:舟山さんのお話にも通じるところからいくと、他の国にも繊維産業が存在しますが、いろんな国のデザイナーや学生、先生たちと話していると、小ロットでどのくらい商売になるかわからない前提でファッションブランドにコミットしてくれる工場がなかなかないという状況で、あるとしたら日本とイタリアだと聞きます。それ以外の多くの国では繊維産業として一定の規模があっても、ほとんどが工業的な大量生産で回っているというのが現状です。こうした背景があるからこそ、イタリアやフランス、ドイツといった国々から学生たちが日本に研修に来るのだと感じています。
世界は「信頼の歴史」「技術者」「糸の開発力」を評価
僕自身、日本のテキスタイルの国際競争力をテーマに研究しています。これまで世界中で日本のテキスタイルを使うデザイナーや経営者に話を聞く中で、いくつか共通して言われることがあります。
当たり前のことかもしれませんが「検品をしっかりしてくれる」「品質が安定しており、汚れや染色むらがないものが確実に納期通りに届けられる」という日本全体が積み重ねてきた信頼の歴史が挙げられます。この「当たり前」を守り続けている点が、皆さん口をそろえて評価している部分です。さらに、昔からある機械を大切にリペアしながら使い続けているのも特徴的です。例えば、シャトル織機や和歌山の吊り編み機など、旧式の織機があって、今も扱える技術者がいることも評価されています。
もう一つ挙げられるのは、東レ、旭化成、帝人を代表する原糸メーカーです。糸だけの輸出額でも800億円ほどに上ると考えられます。この糸の開発力に織る技術、編む技術、加工技術をあわせて日本ならではの唯一無二のテキスタイルが生まれてきています。
福田:日本の産地として海外でも特に有名なのが、岡山、広島の三備産地です。日本のデニムがなぜ世界から高い評価を受けているのか、また篠原テキスタイルのデニムがどのように評価され、取引されているのかについて、篠原さんにお伺いしたいと思います。
篠原:宮浦さんが言われた通りだと思いますが、デニムの場合、まず重要なのは“ブルーの色目”です。どのような色落ちをするのか、その“色の変化”が非常に大事なポイントになります。この色のバリエーションが豊かであること、色が美しく繊細であることが評価されています。さらに、紡績の技術も重要です。経糸の微妙なむら感によって経年変化が異なるバリエーションを生み出します。これに生地のクオリティや品質の高さといった要素が組み合わさり、デニムが世界から評価されているのだと思います。
また、三備産地のデニム企業は創業100年以上の歴史を持つ企業が多いのも特徴です。当社も創業117年目になります。当社は「備後絣」という絣織物から、井原市では「備中小倉」と呼ばれる藍染綿織物から始まり、それが続いてデニムの産地になったという歴史が評価につながっているのだと感じます。
当社の場合、さまざまな織機を活用してデニムを製作しています。例えばシャトル織機やエアージェット織機を用い、従来のアメカジスタイルの綿100%のデニムだけではなく、それ以外の新しいデニムを次々に開発しています。
具体的には、新たに反毛原料とヴァージン綿のブレンドで糸を紡績さんと開発したり、糸を加えたり、カシミヤを織り込んだ生地を特殊な加工によって独自の表情を生み出したりしています。その結果、“これはデニムなのか、それともデニムではないのか”という新しい概念の製品を生み出せることが私たちの強みだと思っています。
当社は、テンセル素材のデニムも得意としています。経糸に風合いの良いテンセル糸を用い、横糸に違う触感の素材を織り込むことで新たな手触りの生地に仕上げています。また、紡績さんと一緒にリサイクルポリエステルを原料を独自にブレンドし、デニム調のポリエステル100%の生地を作ったり、極細番手のナイロンを打ち込んで紙のような質感のデニムを作ったりもしています。こうした“これまでになかったデニム”を生み出す取り組みが、海外からの高い評価につながっているのだと思います。
福田:それでは「有松鳴海絞り」についてお伺いします。名古屋で伝統的に受け継がれている絞り染めの技法を「スズサン」というブランドに昇華させ、世界で高い評価を受けています。現在、売り上げの8割が海外市場からだと伺っていますが、なぜ「スズサン」がこれほど海外で評価されているのか、その理由についてお伺いします。
井上:「スズサン」はクリエイティブ・ディレクターでCEOの村瀬弘行が2008年に立ち上げたブランドです。村瀬は当時、ドイツのデュッセルドルフに留学しており、その地でブランドを創設しました。スズサンの拠点は現在2カ所あり、デザインはドイツのデュッセルドルフで、生産は名古屋の有松で行っています。この2拠点体制がブランドの大きな特徴です。
いくつかポイントを挙げたいと思います。1つ目は、デザインをドイツで行っているからこそ、伝統工芸としてではなく、別の見せ方で海外の市場にアプローチしている点です。例えばパリの展示会で、お客さまが最初に注目するのは素材の良さやデザイン、色の使い方であることが多いです。「素材がいいね」「デザインが素敵だね」という入り口からまず製品に興味を持っていただくことができれば、その後に、伝統工芸としての技術的な背景や産地のストーリーなどお伝えできることは豊富にあります。「スズサン」のデザインの特徴として、アートのように大胆な色や柄の組み合わせが挙げられますが、このように現地の視点を取り入れたデザインが受け入れられているのかと考えています。
2つ目のポイントは「有松鳴海絞り」の製品が全て手作業で作られていて、この手作業による温かみや独自性を感じていただいていることだと考えています。「有松鳴海絞り」は絞り染めの技法です。さまざまな方法で素材の一部を防染し、染めの工程の後に防染された部分を残すことで、素材にデザインを作り出す技術です。例えば、私が着ているニットはグレーの部分が元々の製品の色です。製品の一部を四角い板で挟んで防染し、黒の染料で染色することで、板で挟まれていた部分の元の色が柄として残ります。挟む以外にも、糸と針を使った縫いの技法など、100種類程度の技法があります。
絞り加工は一つひとつ全て手仕事で行うため、一度に生産できる量は限定的です。現在、シーズンに合わせてコレクションを発表していますが、生産量としては、1シーズンで約2500点、年間ではおよそ5000点を目安に調整を行っています。
また、技法によっては柄の出方に表情が生まれることもありますし、プリントのように全く同じ柄を繰り返し作ることはできません。たとえば、25年春夏コレクションのFaceの柄の場合、口の大きさが一つ一つ微妙に異なったり、目の位置がわずかにずれたりすることがあります。こうした一点一点の違いについて、お客さまとコミュニケーションを取りながらご理解いただき、手仕事から生まれる一点ものの製品に愛着を持ってご使用いただけるよう努めています。
最後に、ドイツにも拠点があることでヨーロッパでのビジネスをスムーズに行える体制が整っており、言語のギャップや時差の影響を受けにくい点が強みです。このような体制が海外市場での展開を後押ししていると感じています。
技術継承の鍵は「時代の流れを読み取りビジネスを柔軟に変化させる」こと
福田:皆さん、これで産地のポテンシャルについてよく理解いただけたかと思います。産地とデザイナーがコラボしたり、伝統技法とコラボしたり、さらにはテキスタイルそのものがブランドとして成立したりと、さまざまな角度で日本の産地が世界中から注目を集めています。そして、それがビジネスに繋がっている点が大きな魅力です。
しかしながら、当然ながら良い話ばかりではありません。産地にはいくつかの課題があります。ここからは、大きく2つの課題についてお話ししたいと思います。1つ目は事業承継について、2つ目は欧州の規制対応についてです。まず、事業承継についてですが、これは日本全体で大きな問題となっています。後継者がなかなか見つからず、そのために廃業を余儀なくされる会社も少なくありません。一方で、篠原テキスタイルさんのように、若い世代が積極的に事業を引き継ぎうまく次世代に繋げていくことで、何代も続いている会社も存在します。
篠原:当社は創業から117年が経過しており、私は5代目になります。元々はさきほどもお話ししたように「備後絣」の手織り物から始まり、アフリカ向けにエンブロイダーマフラーというターバンの生地のようなものを織っていた時代がありました。その後、学生服用の生地を織る時代を経て、現在はデニムの生産を行っています。このように、時代に合わせて織物を変化させながら続けてきた中での事業承継になります。
私たちは3兄弟で会社を運営しており、私が代表を務め次男が営業、三男が現場管理を担当しています。それぞれ役割を決めてこれから30年、50年先に何を織っていくのかを考えながら進めています。「事業承継で何が大変だったか」と聞かれると、特に大きな困難はなかったと言えます。現状を受け入れつつ、徐々に変化させていくことを常に考えながら進めてきました。ただし、これまでの117年も織る物が時代とともに変化しているため、現場の技術は日々進化、改善が必要になってきています。
例えば「今までの機械ではこんな糸織れない」というケースでは機械メーカーと相談して改造をする必要がありますし、シャトル織機も40年前の機械を使っていますが、そのメンテナンス方法など、ベテランの職人から若手へ引き継ぐ時期に差し掛かっています。そのため職人さんが感覚で行っていた作業を動画に記録し、マニュアルを作成することに取り組んでいます。また、メーカーに存在しない部品は地元の鋳造メーカーさんや、金属加工メーカーさんに依頼して作ってもらうなど、周りの企業さんに助けていただきながら体制を整えています。新たな素材開発に向けて、こうした取り組みに最も時間を取られているかもしれませんね。
福田:篠原さんのお話を伺っていると、時代の流れを読み取りニーズに合わせた事業を展開し、ビジネスを柔軟に変化させていくことが非常に重要なポイントだと感じました。一方で、産地を訪れると後継者がいないという問題が多く聞かれます。このような問題に直面する中で、産地にさまざまな人を呼び込むためにどのような具体的な取り組みが行われているのかも気になるところです。産地活性化のためにどのような活動がされているのかについて、宮浦さんの視点から効果的な事例や取り組みをぜひ共有いただければと思います。
宮浦:十数年、教壇に立ちながら教えてきましたが、自分の教え子が産地に入ったり、自分たちで運営しているスクールを通じて多くの若い世代が産地に携わるようになってきました。もちろん、若い人だけではなく年齢を問わず産地に入る方もいらっしゃいます。産地での仕事は良くも悪くもアナログで、手触り感があります。そのリアルさに魅了されて産地に飛び込む人が多いように感じています。都会で仕事をしていたけれど、見学に行った際に産地のポテンシャルを感じて信じ、そこに飛び込む。そしてその魅力に取り込まれ、夢中になっていく。そんな流れが多く見られます。
そして、そんなIターン勢の姿を見た継ぐ気がなかった社長のお子さんたちが自分の会社に未来を感じたり、若い世代が入ってきていることを目の当たりにしたりすると責任を感じて経営者として戻るといった事例も最近増えています。
ただ、産地の魅力は言葉だけでは伝わりにくい部分があるので、いかに現地に足を運んでもらい、体験してもらうかが大切だと感じています。例えば、学生であればどんどん現地に行ってほしいですし、今日この場にいる何百人もの方々の中で産地に興味を持った方がいれば、ぜひ僕と一緒に産地を訪れてほしいなと思っています。
福田:皆さんも最近始まった「オープンファクトリー」という取り組みをぜひ見に行っていただければと思います。産地が開かれた形で見学できる機会が増えていますので、実際に足を運んでその魅力を感じていただければと思います。
そして、同じく産地である有松に関わられている井上さんですが、長い歴史を持つスズサンの家業をご覧になって、事業承継の難しさについてどのように感じられているか、ぜひお話を伺いたいと思います。家業を受け継ぐという点で、具体的な課題やその捉え方について教えていただけるとありがたいです。
井上:宮浦さんのお話されていた、血の通った、リアルな仕事というところに共感します。昔の街並みの残る、東海道沿いの有松では朝や夕方に綺麗に陽が入り、とても美しい景色が広がります。そんな光景を思い浮かべながらお話を伺っていました。
入社してから感じているのは、産地に対してポジティブな影響を与えるということについて、ブランドだからこそ担える役割があるいうことです。2つの側面があります。まず1つ目は「有松鳴海絞り」の分業制についてです。「有松鳴海絞り」はもともと1つの技法を一つの家族が代々受け継ぎ、分業制で生産を続けてきました。分業制は大きな需要を背景に大量生産が求められた時代には効率的だったのですが、手ぬぐいや浴衣の需要が低迷し、職人を辞める家族が出てきました。その結果、失われた技法も多くあると聞きます。技術の喪失によって将来ものを作れないという状況が生じる恐れがありますし、需要をコントロールできないとビジネスも安定しません。この状況に対して、「スズサン」ではブランドであることを生かして、自律的に国内外に市場を作り出せるように努めています。また、技法の喪失によってものづくりができなくなるという状況を防ぐため、自社工房を設け、13人の職人によって「有松鳴海絞り」の工程を一貫して生産できるような体制を構築しました。
2つ目は、BtoCのブランドビジネスには、自分たちのブランドストーリーと組み合わせて、産地のストーリーを直接伝える力がある点です。有松は1608年、東海道が整備された頃にできた村で、農業が適さない土地でした。そこで東海道を行き交う旅人が多いことに目を付け、旅の必需品である手ぬぐいに絞り染めでデザインを施し、ユニークなお土産品として販売したことが「有松鳴海絞り」の始まりだそうです。このような産地のストーリーをブランド独自のストーリーと組み合わせ、再編集してお客さまに伝えていくことができます。
また、留学中にラグジュアリーブランドを考える際には、「比較」ではなく「絶対」の独自性を作り上げることが重要だということを学びました。背景にある地域のストーリーと組み合わされたブランドストーリーは、絶対的な独自性を説明しやすく、相互作用的にブランドの価値を高めることにもつながると思います。
欧州の規制への対応、分業制が課題のひとつ
福田:事業承継における変化や仕組みの必要性について、非常に貴重なお話をありがとうございました。事業承継は産地の課題の1つとして重要なテーマですが、最近ではもう1つ注目されている課題が欧州における規制対応の問題です。たとえば、環境負荷情報の開示が求められることや、欧州で指定の認証を取得しなければならないといった課題が、産地の企業からよく聞かれるようになっています。次に、この規制対応についてお話を伺いたいと思います。まずは舟山さんにお伺いしたいのですが、デザイナーや作り手の目線で、サステナビリティがますます制約条件として浮上している現状について、どのように向き合いどのように感じていらっしゃるか、その現実についてぜひお聞かせいただければと思います。
舟山:この質問を受けたときに率直に思ったのは「デザインの規制」とまではまだ感じていない、ということです。現在の日本のマーケットの状況だと、サステナブルな基準を満たしていなくても良い製品であれば売れてしまうという現状があるように感じています。
私たちのような小さなブランドでは環境に配慮された素材を新しく開発するような規模感はありません。今すぐできることとして、ブランドとしては約8割の素材を少しでも環境に配慮されたものにシフトする取り組みを行っています。たとえば、よく作るチュールの商品ではバージンポリエステルからリサイクルポリエステルに切り替えました。
生地屋さんと商談するときには、「環境に配慮されたこういう素材はありませんか?」と積極的に話をしています。小さなブランドでも需要があることを生地屋さんに伝えていければと思っています。まだ少しずつではありますが、取り組みを進めているところです。
福田:非常に現実的なお話で、状況がよく理解できました。他方で、産地ではさまざまな課題が浮上しているということで、このあたりについて詳しい宮浦さんに規制対応や認証の現状についてお伺いできればと思います。
宮浦:皆さんのお手元に「サステナビリティ用語」を特集した「WWDJAPAN」があると思います。これを開いていただくと、聞き慣れない言葉がたくさん並んでいるのがわかると思います。ここ数年、環境保護の観点などから認証の種類が急速に増えたため、産業全体がその変化についていけていないのが現状です。さらに産地の多くは分業制が基本で、家族単位で運営している小規模な事業者も多いです。そういった事業者がサプライチェーン全体で協力し、全ての情報を開示しなければならないような認証制度に対応するのは非常に難しい状況です。
特に、綿や麻、ウールといった短繊維を扱う産地は原料の種類が多岐にわたるうえ、農場や農業の問題にも関わりサプライチェーンが長く複雑です。このためどの認証を取得すべきか判断するだけでも産地全体が対応しきれていないのが現状です。
当社でもヨーロッパ、アメリカ、アジアなどに製品を輸出していますが、最近では輸出が厳しくなっていると感じています。
福田:ありがとうございます。輸出が厳しくなっているというお話がありましたが、デニムはご存じのとおり、多くが輸出されている産品です。そんなデニムの生産地として有名な岡山や広島を中心とした三備産地では、どのように認証対応を進めようとしているのか、ぜひ篠原さんに伺いたいと思います。
篠原:三備産地では一貫生産を行っているような大規模な工場ではすでに複数の認証、例えばGOTS認証や、OCSを取得している会社もあります。ただ、当社のようにリーダー系中小規模の工場の場合、認証を取ろうとするとサプライチェーン全体の協力が必要になりますし、それに伴う費用も大きな負担となります。この課題をどうにか解決しなければならないと産地内で勉強会を開催し、「GOTS認証を取るにはどうすればいいのか」「OCSを取得するための具体的な取り組みは何か」などを共有し協力を求めています。
先日も、ブルーサインのお話を伺う機会がありました。認証取得に向けて前向きに動いているものの、まだ取得に至っている企業は限られています。また、認証とは別にサプライチェーン全体をまとめるような生産管理システムを構築し、トレーサビリティを確立しようという動きも進めています。このシステムにより、製品のトレーサビリティを開示できる体制を整えようとしています。
さらに、認証の中で特に重要とされる「働く方の労働環境」の改善にも注力しています。職場環境の改善を目指す動きが三備産地でも大きく広がりつつあります。
「循環型・再生型」を目指す動きも 「デニムの循環」と「クラフトツーリズム」
福田:このように産地としてさまざまな課題を抱えていますが、前半でお話ししたとおり、大きなポテンシャルを秘めており、海外からも非常に注目されています。そして今後という観点では、繊維産業だけでなく地域全体の魅力を活かし、観光やインバウンド需要とも連携しながら、産地を成長産業へと押し上げていくことが重要ではないかと考えています。
もう1つお話ししたいトピックがあります。それは、このセッションのテーマでもある「循環型・再生型」についてです。グローバルでは、サーキュラーエコノミー(循環型経済)の文脈の中で、いかに循環型の社会を実現していくか、そしてその先に地球を再生させる「リジェネレーション」(再生型)の仕組みへ移行していくか、といったテーマが非常に重要視されています。
今後、先ほど申し上げた「産地を盛り上げる」という観点から考えますと、この循環型や再生型といったコンセプトをどのように産地の取り組みに取り入れていくかが非常に重要なポイントになるのではないかと思います。このような新たな視点が産地の発展において鍵を握ると感じています。そこで、少しこの分野の取り組みについてお話を伺いたいと思います。井上さん、スズサンで行われている循環型の取り組みについてお伺いできればと思います。
井上:私たちスズサンは、ものづくりにおける透明性を高めることはもちろんですが、特に「技術を次世代に繋げていく」という視点を強く意識し、そこにフォーカスを置いています。その観点から私たちが考える「循環」についてご紹介させていただきます。
現在、私たちが力を入れている取り組みに「ツーリズム」と「まちづくり」があります。先ほども少し触れましたが、「有松鳴海絞り」は全て手作業で行われており、生産量には制限があります。年間で約5000点を生産しているため、ブランド設立直後の数年を除いたとしても、10年間で約5万人のお客さまに、有松から製品を届けてきたことになります。また、その約8割は海外のお客さまです。
このように、製品を媒介にして世界中のお客さまとコミュニケーションを行ってきたということを私たちはとてもポジティブに捉えています。そこで、これまで有松から世界に向けて製品を届けてきたことの反対に、次のステップとして有松の地にお客さまを招き入れる取り組みを進めています。有松で「有松鳴海絞り」の技術や歴史、その背景にあるストーリーを直接知っていただき、文化的な違いや言語の壁を越えた新たな「共感」を生み出していきたいと考えています。
このように、製品を媒介として地域の文化や伝統技術を伝えていくことは、有松に限らず、他の産地にも転用可能なアプローチであり、それぞれの地域の独自性を発揮しやすいフィールドだと考えています。
福田:すでにさまざまな取り組みをされているとのことで、素晴らしいと思います。この「循環型」「再生型」というコンセプトについて、ぜひ作り手のご意見も伺いたいと思っています。最近では、ステラ・マッカートニーのように再生型の視点まで踏み込んでものづくりを行っているブランドも登場しています。このような動きについて、舟山さんはどのようにお考えでしょうか。ぜひご意見をお聞かせいただければと思います。
舟山:少し話が逸れるかもしれませんが、ものづくりを始める際に「ゴミを作りたくない」という思いがありました。この世の中にはすでに多くのブランドや物が溢れている中で、自分が新たに何かを作るのであれば、価値のあるものを作らなければならないと感じたんです。価値のあるものであれば、お客さまに長く愛用していただけますし、その後ヴィンテージとして新たな価値を持つ可能性もあります。
ブランドとしては、個別でお客さまのお直しのご相談に出来る限り対応するようにもしています。新しいものを作り続けるだけでなく、既存の製品を長く愛用していただけるようにすることにもフォーカスしたいと考えています。
今後取り組みたいことは、古着のアップサイクルやデッドストック素材の活用があります。日本らしくて素敵な素材がたくさん眠っていると思います。それらは簡単に作られたものではなく、非常に多くの時間やコストがかけられて作られたものです。これらを無駄にせず、新たな形で活かしていきたいと考えています。ただ、現段階ではまだ手探りの状態ですので、ぜひ繋いでいただきたいです。
福田:おっしゃる通り、日本の産地を訪れるとデッドストックの素材が本当にたくさんあることに気づきますよね。こういった素材がより循環する仕組みができれば、循環型のモデルというものもさらに大きな広がりを持つ可能性があるのではないかと感じます。そこで、このテーマに関して産地のリアルな意見もぜひ伺いたいです。篠原さん、例えば端材の活用などについて、三備産地ではどのような循環型や再生型のモデルが試されているのかを教えていただけますでしょうか?
篠原:循環型や再生型という観点では、まず使用する素材をオーガニックやリジェネラティブコットンのような環境負荷の少ないものに切り替えた商品開発を進めています。しかしこういった素材を使用しても、生産過程でどうしても端材が出てしまいます。そこで、余った糸を活用して靴下に編立ててアップサイクル製品として販売したり、通常の流通ラインを活用した製品を地元の販売店さんで売ってもらうといった取り組みを行っています。
地域全体での取り組みとしては福山市と同業他社が協力し、福山市内の家庭から不要になったデニム製品を回収し、それを反毛(はんもう)して糸を作り新しい生地に生まれ変わらせ、地元企業の制服として活用いただくプロジェクトを行っています。こうした活動への参加企業も増えてきており、来年には回収拠点がさらに増えて福山市内での循環の輪が広がることを期待しています。
地域でものづくりを続けていくために、「これから何をすべきか」を常に考えながら活動しています。ただし、繊維産業やデニム産業だけに限定して考えるのではなく、家具や食品など他の製造業とも協力しながら、地域全体の在り方を再考して新しい形に編集し直して発信していくことが重要だと考えています。
そのために、私たちは「デニムのイトグチ」というデニム産業に携わる若手メンバーで構成された新しいグループを立ち上げ、情報発信や勉強会を開催しています。また、隣の府中市でHOTEL SMOKEという地域商社が新しく立ち上がりました。これは、2019年に始まったオープンファクトリー「瀬戸内ファクトリービュー」のメンバーが、地域文化の魅力を深堀し世界へ発信するという目的で設立したものです。こういった方々と連携し、この地域を再び編集し直して発信していく活動を今後も続けていきたいと思っています。
福田:循環型や再生型といったコンセプトは現在、世界中から求められており今後日本でもさらに広がっていくべき重要なテーマだと考えています。というのも、江戸時代の江戸は実は循環型社会の見本だったと言われています。
当時はさまざまなものが循環しており、繊維だけでなく食や農業など幅広い分野で資源を無駄なく活用し、環境負荷を抑えた社会が築かれていました。このように日本人は元来、循環型社会の概念に親和性が高く、この分野で世界をリードする素養を十分に持っているのではないかと個人的には感じています。
繊維産地を一つの起点として、日本が循環型社会の構築において国際的にリードを取る存在となることを夢見ています。そのような未来を思い描きながら、今回のセッションを締めくくらせていただきたいと思います。

来場者とのQ&Aセッション
質問者1:気づきが多く参考になることが多く、素晴らしい企画だと思いました。私の生まれは有松のすぐ近くの鳴海という町です。「有松鳴海絞り」の産地として有名な場所で、私も小さい頃からその文化に触れながら育ちました。お隣のおばちゃんや親戚のおばあちゃんが、一生懸命に手で絞っている姿を目の前で見ていたことが思い出され、とても懐かしい気持ちになりました。お話を伺って驚いたのは、ドイツ・デュッセルドルフを拠点にクリエイティブ活動をされ、海外の売上が8割にも及ぶということです。私が幼少期に見ていた風景と重ね合わせると、産地やものづくりがここまで変化し、発展していくことに感嘆しました。本当に素晴らしいことだと思います。
私が住んでいた鳴海の町も、江戸時代の東海道の名残が今でも所々に残っています。そうした風景を思い浮かべながら、伝統の大切さを改めて感じました。自分たちの持つ伝統や技術を大切にし、上手に活かしていくことで、それが世界と繋がりさらに広がっていく。お話を伺いながら、私自身そのように強く感じました。どうぞ、これからも素晴らしいお仕事を続けていただき、日本の産地の発展のためにますますご活躍されることを心より期待しております。ありがとうございます。
実は昨日、伊勢丹新宿店に伺った際に「フェティコ」のポップアップを拝見しました。一つひとつの製品をじっくりと見させていただきましたが、本当に素晴らしいセンスですね。私が言うのも何ですが、お店の担当者の方とお話した際にも「このデザイナーさんは本当に素晴らしい才能をお持ちです」と強調されていました。その担当者の方も深くうなずいておられ、本当にその通りだと思いました。
昨日の今日ですから、なおさら印象が強く心に残っています。舟山さん、ぜひこれからも素晴らしいデザイン活動を続けていただき、日本の産地の方々と力を合わせて、この素晴らしい文化をさらに盛り上げていってほしいと心から願っています。ありがとうございました。
質問者2:承継について。イタリアやドイツ、フランスの学生が日本で学んでいるという話でしたが、外国の方は日本の伝統を承継したいと技術を持ち帰りたいとやってくるのでしょうか。日本の伝統を続けていきたいという話は出ていますか?のれん分け的なことは可能なのでしょうか。
宮浦:承継しよう、技術を残したいという感覚よりもリスペクトして学びに来ている方が多い印象です。
篠原:当社は日本人だけですが、産地の中ではデニム好きでフランスから来て働いている方がいます。織物屋で「のれん分け」は今のところ見当たらないですが、縫製工場では独立して立ち上げる動きはあります。学生が興味を持ち工場見学や産地で働いてみたいという話もあります。「のれん分け」は可能性としてはなくはないと思います。
YouTube視聴はこちら
冒頭の篠原テキスタイルの映像はZOZONEXTから提供
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ゴールドウイン渡辺社長へ19歳の活動家から質問 「環境問題にどれくらい本気ですか?」
PROFILE:左:福代 美乃里(ふくしろ・みのり)/学生団体「やさしいせいふく」代表
都立高校に通う高校3年生。中学校の先生の影響で環境問題に関心を持つようになる。2021年11月に行われた第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)に、若者による気候変動の活動団体Fridays For Future Japanのメンバーとして参加する。学生団体「やさしいせいふく」は、人にも環境にもやさしい服づくりを目指して講演会の実施やGOTS認証のオーガニックコットンTシャツの販売などを行っている。24年夏には資金を集めて同シャツのコットンを生産するインドの農家や縫製工場を訪ねて、取材を行った。高校では陸上部に所属。
PROFILE:右:渡辺 貴生(わたなべ・たかお)/ゴールドウイン代表取締役社長
1960年生まれ。76年にザ・ノース・フェイスと出会い、「わたしたちはあらゆる機会を通じて地球環境保護の大切さを伝えていかなければならない」というブランドの思想に感銘し、82年、同ブランドを日本国内で展開するゴールドウインに入社。同ブランドの成長とともに国内のアウトドアファッションの定着にも貢献。05年より取締役執行役員ノースフェイス事業部長、17年より取締役副社長執行役員。20年4月1日より代表取締役社長に就任。27年には富山県内に体験型アウトドアフィールドを開設するプロジェクトを推進し、人と自然が共生する社会の実現と、地球環境再生を経営の最重要項目のひとつとして掲げるなど、サステナブルな経営を実践している。
ゴールドウインが支持集めている理由のひとつが人の心を捉える「デザイン」の力だ。その対象は、製品だけではなく地域創生など「社会」へと広がっている。イノベーションの力を借りてデザインの領域を広げているゴールドウインのデザインに対する考え方、その背景にあるサステナビリティの方針について、渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長を招いて紐解く。聞き手は高校3年生の活動家、福代美乃里。「ファッションが好きだから、真実を知りたい」と言う彼女から飛び出す質問とは?
(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)
WWD :最初の質問は、私から渡辺さんにお伺いします。学校を卒業して最初に就職したのがゴールドウインだったと伺っています。なぜ、ゴールドウインを選んだのですか?
渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長(以下、渡辺) :私は「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」というブランドが大好きで、その存在を初めて知ったのが1976年、高校2年生のときでした。当時、雑誌「メンズクラブ」で「ザ・ノース・フェイス」が紹介されていたんです。それまではアイビーファッションに憧れていましたが、その記事を読んで初めて「ヘビーデューティー」というスタイルに触れました。そして、「ザ・ノース・フェイス」がアメリカ・バークレーで行っているものづくりを知り、「自分のやりたいことに近い」と強く感じました。他の道も考えましたが、どうしても「ザ・ノース・フェイス」のような仕事に携わりたいと思い、最終的にゴールドウインへの入社を決めました。
WWD:写真はどこで撮ったものですか?渡辺:
これは、ゴールドウインに入社してしばらく経ち、「ザ・ノース・フェイス」のMD(マーチャンダイザー)になった頃の写真だと思います。おそらく1990年頃、ヨーロッパでの一枚ですね。2枚目はさらに前、1986年頃の写真です。私は現在、フライフィッシングが大好きですが、当時はまだ始めておらず、ルアーを使って芦ノ湖でブラックバスを釣っていました。これは、その頃、まだ釣りを始めたばかりのときの写真です。このとき着ているのは、「ザ・ノース・フェイス」のアウトレットで購入したもので、軍の端材を利用して作られた服です。つまり、余った生地を使って生産され、バークレーのアウトレットで販売されていた商品ですね。今でも大切に使っています。「ザ・ノース・フェイス」のロゴが入っていません。代わりに「Windy Pass by The North Face」というブランド名がついており、これはアウトレット専用ブランドでした。
WWD:昔からあまり変わらないスタイルが、現在の成功の理由の一つかもしれませんね。2005年から取締役執行役員として「ザ・ノース・フェイス」の事業部長を務められました。まさに現在に繋がる「ザ・ノース・フェイス」の時代を築かれた期間だったと思います。自己分析すると、なぜ「ザ・ノース・フェイス」はここまで認知され、人気を得ることができたのでしょうか?
渡辺:これは、私が創業者から学んだことが大きいですね。「ザ・ノース・フェイス」は、2人の創業者によって成り立っています。1人は、「ザ・ノース・フェイス」という名前を作ったダグラス・トンプキンスです。彼は、世界的な自然保護活動家としても有名でした。もう1人は、ブランドを製造メーカーとして発展させたケネス・ハップ・クロップです。彼は、社会の仕組みを変えるために新しい事業を始めたいと考え、「ザ・ノース・フェイス」のブランドを買い取り、ものづくりの会社へと発展させました。
当時、アメリカはベトナム戦争の真っ只中でした。その時代、若者たちは従来の社会システムに疑問を抱き、「コーポレート・アメリカ」と呼ばれる大企業中心の社会に対し、異なる選択肢を求める動きが広がっていました。そうした若者たちを応援するために、クロップはものづくりを始めたのです。写真に写っているのはバックパックですが、これは当時「アウトバックスタイル」と呼ばれていました。当時、まだ「バックパッキング」という言葉すら存在していませんでしたが、若者たちは「本当の生き方とは何か」「社会とどう向き合うべきか」「自分たちはどんな社会を作るべきか」と、自然の中で深く考えるようになっていました。そのムーブメントを支えるために生まれたのが、このバックパックです。
もともと「ザ・ノース・フェイス」は、クライミングギアのメーカーではなく、ライフスタイルをサポートするブランドとしてスタートしました。私自身も、その理念に非常に共感しました。地球や自然環境と密接に関わりながら生きることが、人間らしさを見直す大きなチャンスになると考えたからです。「ザ・ノース・フェイス」を単なるアウトドアブランドではなく、ライフスタイルブランドとして確立することを目標に掲げて取り組んできた点が、他のブランドとは大きく異なる特徴だと考えています。
渡辺:
これは1970年代初期の写真だと思います。当時のアメリカには、先進的な考えを持つ人々もいましたが、同時にヒッピーカルチャーが広がっていました。その中でも、新しい価値観を築こうとする真剣な人々が多く、さまざまな経験を積み重ねながら新たな思想を生み出していました。Appleの共同創業者であるスティーブ・ジョブズも、おそらく同じような考え方を持っていた一人だったのではないかと思います。WWD:なるほど、よく分かりました。そして、20年4月に代表取締役社長に就任されましたが、西田会長からは当時、どのような思いを託され、何を成し遂げようと考えて就任を決断されたのでしょうか?
渡辺 :そうですね。私の会社は、西田明男会長の前の社長、つまり西田会長のお父様が創業しました。私もその創業者から直接、多くのことを教えていただきました。お二人から常に言われていたのは「ものづくりの大切さを徹底的に貫いてほしい」ということでした。私たちの会社には「見えないものにこそ、『真実』の価値がある」という言葉があります。つまり、表面的なデザインにこだわるのではなく、本当に重要なのは、目には見えない緻密な作業であり、それを追求することで本当に価値のあるものが生まれる、という考え方です。
また「人生は100年ほどしかないのだから、自分の人生を燃えるように生きなさい」とも教えられました。その考え方を会社全体で共有し、社会に対して何か貢献できる企業でありたいと思っています。
WWD :「燃えるように生きる」と聞いた福代さんが良い笑顔を見せました。
福代 美乃里学生団体「やさしいせいふく」代表(以下、福代) :燃えるように生きたいと思っていますし、私も高校3年生で将来のこと、自分に与えられた人生をこれからどう使っていこうかとか、自分には何ができるんだろうかとこの一年考えてきていたので言葉が刺さりました。
WWD:ゴールドウインにとってサステナビリティは何どういう位置付けにありますか?
渡辺 :あらゆる人々に対して公正な未来を提供することこれが私が考えるサステナビリティですね。
高校3年生がサステナビリティに関心をもったきっかけ
WWD:ここから福代さんからの質問でその「サステナビリティ」について深めていきます。福代さん自己紹介をお願いします。
福代 :はじめまして、福代美乃里です。都立高校に通う高校3年生で現在、学生団体「やさしいせいふく」の代表を務めています。
WWD :そもそも、サステナビリティに関心を持ったきっかけは?
福代:もともと服が大好きで、買うのはもちろん、生地を購入して自分で服を作ることもありました。そんな中、中学3年生のときに、ちょうどコロナ禍で自宅にいる時間が増え、「ザ・トゥルー・コスト」というドキュメンタリー映画を観たんです。その映画を通して、それまで知らなかった ファッション業界の不都合な真実を知りました。
例えば、自分と同じくらいの年の子どもたちが、低賃金で長時間労働を強いられている こと。そして、私は自然が好きなのですが、服の生産が環境破壊につながっている という事実を知り、大きな衝撃を受けました。「おしゃれを楽しむことが、誰かを傷つけているかもしれない」。そのことがショックで、サステナビリティに強く関心を持つようになりました。
WWD :その映画を観てから服を買わなくなったのですか?
福代 :観た直後はまったく買えなくなりました。どの服を見ても、購入をためらってしまって。でも今は、サステナビリティに取り組んでいる企業を調べたり、古着を購入したりしながら、少しずつファッションを楽しめるようになっています。
WWD :福代さんの話を聞きながら、「そんな気持ちにさせてごめん…」という気持ちになりました。そんな福代さんですが、今年の夏、なんとインドのオーガニックコットン畑や縫製工場を訪ねました。
福代 :インドのコインバトールという地域にある工場やオーガニックコットンの畑や倉庫を現地の方に案内していただきながら、綿がどのように栽培・保管・管理されているのかを見学しました。一つひとつの工程を実際に見せてもらいながら学ぶことができました。
WWD :なぜインドへ行こうと思ったのですか?
福代 :今私が着ているTシャツは、私たちが企画した「やさしいTシャツ」というオーガニックコットンのTシャツです。この企画は、私と同じようにサステナビリティに関心を持つ学生たちが集まり、「普段売られている服がどのように作られているのか分からない。だったら、自分たちで作ってみよう!」という思いから始めました。けれど、ちょうどコロナ禍だったため、Tシャツの生産地であるインドに行くことができませんでした。オンラインでは工場と繋がっていたものの、やはり 現場を直接見てみたい、作ってくれた人たちに会いたい という気持ちが強くなり、今回の渡航を決意しました。
WWD :実際に現地を訪れて、どのようなことが見えましたか?
福代 :一つは「オーガニックコットンを選んで本当に良かった」という実感です。
現地の農家の方々に話を伺うと、以前は 農薬を使用した栽培を行っており、それによって健康被害が多発していたそうです。例えば、子どもたちががんを発症したり、亡くなったりするケースがあり、また農家の方々自身も視力障害や手足の痙攣などの深刻な影響を受けていたそうです。
しかし、化学農薬を使わないオーガニック栽培に切り替えたことで、こうした健康被害がなくなったと聞きました。実際にその話をしてくれた方々と直接対話したことで、自分の選択が遠い国の誰かの暮らしを少しでも良くしているかもしれない、と感動しましたね。
WWD :まさにサステナブルな選択の重要性を実感されたのではないでしょうか。
福代 :はい、オーガニックコットンの良さを実感すると同時に、普段私たちが購入する服がどこで、どのように作られているのかについて、消費者にはまだ見えにくい部分が多いとも感じました。
今回、最先端のサステナブルな取り組みを行っている工場も訪れましたが、こうした取り組みを行う工場で作られた服がもっと増えて、消費者が簡単にその背景を知ることができるようになればいいなと思いました。企業が積極的に情報を開示し、消費者も知ろうとする姿勢が大切だと改めて感じました。
WWD:貴重な経験ですね。実際に 現場を自分の目で見るということは非常に大切です。では、ここから本日のメインパートに移り福代さんから渡辺さんへ質問をしてもらいます。
「環境や人権への取り組みはどれくらい本気ですか?」
福代 :最初の質問ですが、御社のホームページを拝見した際、最初に目に入ったのが「人と自然の可能性を広げる」というメッセージでした。環境や人権を大切にされていることが強く伝わってきましたが、実際のところ渡辺さんご自身は、どのくらい本気で取り組まれているのかをお聞きしたいです。また、企業のビジョンとしてこの考えを中心に据えようと思った具体的なきっかけや思いがあれば、教えてください。
渡辺 :本気度については「かなり本気」です。社内では「パタゴニアくらいはやろう」と言っています。それくらいの覚悟でゴールドウインを日本におけるサステナブルな企業のリーダーとして確立したいと考えています。
実際に、私自身は1990年代から少しずつサステナブルな取り組みを始めてきました。ただ、会社として本格的に動き出したのは比較的最近です。それでも、この思いをしっかりと持ち続け、企業のビジョンの中心に据えるべきだと考えています。
その理由として、私たちの事業は スポーツやアウトドアに深く関わっています。私は米国のヨセミテ国立公園が大好きで、これまで何十回も訪れています。今年も6月に、役員の何人かを連れて一緒に訪問しました。
私たちの仕事はある意味「遊びの延長」です。しかし「遊びこそが人間らしさを育み、多くの人とのつながりを生むもの」だと考えています。だからこそ、単に「地球環境を守る」だけではなく、再生(リジェネラティブ) していくことこそが、私たちの存在意義であり企業のビジョンとして掲げるべきものだと考えています。
WWD :「守る」から「再生する」へ。これは本気も本気 という答えですね。
そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのか?
福代 :2つ目の質問です。そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのでしょうか?環境保全と事業成長を両立させるには、どのような方法があると思いますか?
渡辺:よく聞かれる質問です。私が事業成長が必要だと考える理由は、「地球を再生していくため」です。私たちが本質的に必要とする環境を、自分たちの手で作り上げていくことができれば、もっと人間は地球に貢献できるはずです。つまり、私たちの産業や事業を通じて、環境問題を解決することが、事業成長の目的であるべきだと考えています。そのため単なる「経済的な成長」ではなく、「人間としての成長」とは何かを考えながら事業を発展させることが、本当の意味で持続可能な成長を生み出すのではないかと思います。私自身も、そのような考えのもとで仕事に取り組んでいきたいと考えています。
福代 :ゴールドウインさんは 2050年までに、サプライチェーン全体でのカーボンニュートラル達成と廃棄ゼロを掲げていますよね。これは非常に難しい挑戦だと思いますが、それを達成するために最も必要な変化は何だと考えますか? 最大の課題について教えてください。
渡辺 :カーボンニュートラルを実現するためには、スコープ3の削減を徹底することが重要だと考えています。現在、私たちのCO2排出量は、スコープ1から3を合わせて約26万トンありますが、その99%がスコープ3によるものです。つまり、直接の排出ではなく サプライチェーン全体での排出が圧倒的に多いのです。そのため最も重要なのは、サプライチェーン全体で環境への配慮を共有し、協力し合う仕組みを作ることだと考えています。
まずは「自分たちは何のために事業をしているのか?」を明確にし、「どのような変化がプラスになるのか?」をしっかり示すことが必要です。さらに、具体的なアクションとプロセスをどのように変えていくのかを明確にし、発信していくことも大切だと思います。確かに大きな課題ではありますが、誰かが始めなければ変革の第一歩は生まれません。私たちは、そうした一つひとつの取り組みを、責任を持って進めていきたいと考えています。
WWD :今のお話の内容は、ゴールドウインの統合報告書にも具体的な数値として記載されています。後ほど、裏付けとなるデータもご覧いただければと思います。そしてこの質問は、ここにいる全員が 「19歳から投げかけられている問い」だと受け止めるべきものですね。
福代 :服は、大量生産・大量消費の象徴的な存在だと思います。現在もその考え方は根強く残っており、先ほど話に出た環境と事業成長の両立についても、大量生産・大量消費のままでは難しいのではないかと感じています。そこで、ゴールドウインとしてどのようにこの考え方を変えていこうとしているのかをお聞きしたいです。
渡辺 :そうですね。実は、ゴールドウインには以前から 大量生産・大量消費という考え方はあまりありません。もちろん、ブランドの人気が高まると売り上げが伸び、それに伴い生産量も増えるという側面はあります。しかし、私たちはそうした背景の中でも製品を長く使い続けてもらう仕組みを重視してきました。
例えば、1992年頃から リペアサービスを本格的に導入しています。GORE-TEX製品のような高額なウェアは、アウトドア環境で使用すると傷んだり破れたりすることがあります。しかし、それを修理できなければ、すぐに廃棄されてしまう可能性がありますよね。そこで、工場内に専用のリペアチームを設け、現在では年間約2万4000点の製品を修理し、お客様にお返ししています。
また、最近では子ども服のリサイクルにも取り組んでいます。子ども服は成長とともにすぐにサイズアウトしてしまいます。そこで、不要になった服を店舗で回収し、新しいデザインにアップサイクルして再び販売する取り組みを行っています。単に洗浄して再販するのではなく、新たなデザインを加えることでより魅力的なアイテムとして生まれ変わらせることを大切にしています。
さらに、私たちは「ワンフォーワンシステム」 という特別なものづくりの仕組みも導入しています。これは、人気のある商品についてお客様自身がオリジナルのデザインを作れるサービスです。特定の店舗では、お客様の体のサイズを測定し、カラーやファスナーの種類、その他の細かいパーツまで自由にカスタマイズできるようになっています。このサービスを利用することで、既製品ではなく自分のライフスタイルに合った一着を作ることができ、長く愛用してもらえるのです。この仕組みは、大量生産とは異なるアプローチです。
「自分の人生の中で、どんな服をどのように使いたいのか?」そんなことを考えながら、お客様とともにゴールドウインや「ザ・ノース・フェイス」の製品を作り上げていくサービスとして展開しています。こうした取り組みを通じて、単に新しい服を作って売るだけがビジネスではない という考え方を広めていきたいと考えています。
WWD :「新しい服を作って売るだけのビジネス」からの脱却ですね。
渡辺 :そうですね。服というものは 単なる衣類ではなく、そこに込められた想いや、人と人とのつながり、愛を大切にするものだと考えています。それが循環し、次の誰かへと受け継がれていくこと。それこそが、本当に重要なのではないでしょうか。
1枚の服を見たときに、何を想像する?
福代 :抽象的な質問かもしれませんが、1枚の服を見たときに渡辺さんは何を想像しますか?
WWD :質問の背景とは?福代さんご自身は、1枚の服を見たときに何を想像しますか?
福代 :私は服の生産背景に強い関心を持っています。自分が着る服が児童労働や環境破壊の上に成り立っているのは、とても嫌です。そのため、1枚の服を見たときに「この服はどこで作られたのか?」「作った人は幸せだろうか?」「生産された土地の環境は守られているのか?」といったことを想像しながら、慎重に選ぶようにしています。
渡辺 :この写真は、1989年から1990年にかけて、220日間で6,040kmを犬ぞりで南極大陸を横断し探検隊のユニフォームです。デザインを手がけたのは、当時 「ザ・ノース・フェイス」に在籍していた マーク・エリクソンというデザイナーでした。この南極大陸横断隊には、アメリカ・ロシア・中国・フランス・イギリス・日本の6カ国が参加していました。つまり、資本主義の国も共産主義の国も関係なく、世界の枠を超えて協力し合ったプロジェクトだったんです。
この服は、単なる防寒着ではなく、世界平和を象徴するユニフォームなのです。私は、ものづくりにおいて「目的」や「価値」を持たせることが重要だと考えています。最新のテクノロジーと優れたデザインからこのユニフォームに支えられたこの挑戦は、結果として 今も南極条約が守られ続けていることに繋がっています。1枚の服が与えるインパクトは計り知れません。そして、この服を見るたびに、私は「未来のために、平和利用のために服があるのだ」ということ思いますね。
福代 :たくさんの服を開発されている中でも、1枚の服に込められたストーリーや熱量が伝わってきました。ものづくりに対する 「大切にしたい」という強い思いを感じます
考えを大きく変えたアウトドアアクティビティとは?
福代:私もスポーツやアウトドアアクティビティが好きなのですが、渡辺さんもアウトドアが好きですよね。これまでの経験の中で、アウトドアアクティビティが ご自身の考えを大きく変えた出来事 があれば、教えてください。
渡辺 :私はアウトドアスポーツが好きで、この会社に入ってからも続けています。今は毎年北海道でフライフィッシングを楽しんでいます。もう30年以上通い続けている場所ですね。30年前は、あるシーズンに行くと1投すれば必ず1匹釣れるほど魚が豊富でした。ところがここ2〜3年は、まったく釣れなくなっているんです。これは、水温や気温の変化による影響が大きいのではないかと感じています。実際、魚の数が減っているように思います。
「世界を平和にしたい」。その言葉に打たれた
福代 :最新技術は、まだコストが高いことや、実用化できるか不確実性が高いため、普及には時間がかかると思います。ゴールドウインがスパイバーと服を作ろうと決断した理由は何だったのでしょうか?
渡辺:私は アウトドアスポーツが好きだったこともあり、これまで高機能な製品の開発に携わってきました。しかし、それらの製品はほとんどが化学繊維であり、化石燃料をベースとした素材を使っていたことは否めません。このような素材は、環境に大きな負荷を与えます。簡単に言えば、プラスチックは生分解しないため、長期的に環境に残り続けるという問題があります。そんなとき、私の知人である発酵技術の専門家から「発酵を利用して植物由来の新しい素材を開発している人がいる」と紹介を受けました。そこで実際に会いに行ったのが、スパイバーの代表である関山さんでした。関山さんに初めて会ったとき、彼が最初に言った言葉が「世界を平和にしたい」だったんです。その言葉に私は強く心を打たれました。
彼の話を聞く中で、スパイバーの技術は環境問題の解決だけでなく、貧困問題にもアプローチできる可能性があることを知りました。そのとき「自分がやるべき仕事はこれなんだ」と感じたんです。もちろん、ゴールドウインとしても環境負荷の低い素材を採用する取り組みは以前から進めていました。しかし、それは既存の素材の中で環境に配慮したものを選ぶという方法でした。スパイバーの技術は、それとはまったく異なるアプローチでした。つまり、従来の石油由来素材を完全に置き換える新たな選択肢だったんです。
この新たな選択肢があるのなら、誰かが最初に動かなければならない。正直、決断にはかなりの逡巡がありました。しかし最終的にゴールドウインとして創業以来最大規模の投資を行い、スパイバーとともに取り組むことを決断しました。このプロジェクトを進めることで、石油依存による環境問題を解決する一歩を踏み出せると確信したからです。
WWD :アウトドアの役割の一つは「命を守ること」です。そのために、機能が進化し、技術が発展し、そこに最適なデザインが追求されてきました。しかし、これまでの常識を覆しその根幹をまったく新しい選択肢に置き換えるという発想は、極めて画期的な取り組みだと思います。
「言葉のいらない遊び場。 未来に向けたデザイン
福代 :ゴールドウインさんは服の開発だけでなく、子どもたちの遊び場の創出やキャンプ事業など、さまざまなプロジェクトに取り組まれていますよね。その中で、渡辺さんご自身が特に印象に残っている取り組みは何でしょうか?
渡辺 :そうですね。一番印象に残っているのは、2022年に開催したイベントです。本来であれば、2020年の東京オリンピックに合わせて実施する予定でした。しかし、新型コロナウイルスの影響で無観客開催となり、私たちの計画も延期せざるを得ませんでした。
実はその年、ゴールドウインは創業70周年を迎えていました。そこで、世界中からオリンピックに来る人々に、ゴールドウインという会社を知ってもらうための記念事業を企画しました。当時、若いメンバーたちと話し合う中で「国や言語を超えて、みんなの気持ちが一つになるイベントは何か?」というテーマを考えました。
そこで私が提案したのが、「遊び」をテーマにしたデザインでした。私たちは、地球の五大要素である 水・火・土・空気をモチーフにした遊具を設計し、「地球を遊ぶ」体験を提供する空間を作ろうと考えたのです。言葉が通じなくても、そこに集まった人たちが 助け合いながら楽しめる場所を作ることが目的でした。
残念ながら、このイベントはオリンピック期間中には実施できませんでしたが、2年後の2022年に、六本木と富山で開催することができました。結果として、5万人以上の人々が遊びに訪れてくれました。このプロジェクトの背景には、ゴールドウインが掲げる「2050年にどんな会社でありたいか?」というビジョンがありました。その答えのひとつが「遊び」でした。スポーツの起源は「遊び」です。世界中の人々が「遊び」を通じてつながることができるのではないかという思いを込めて、このイベントを企画しました。
デザインは「社会の仕組み」を変える力を持つ
WWD:スポーツの起源は 遊びなんですね。今回のイベントのテーマのひとつに「デザインの力」があります。ゴールドウインは、単なる製品デザインだけでなく、地域創生や社会とのつながりをデザインするという視点も持っています。つまり、社会そのものをデザインすることも、ゴールドウインのデザインの範疇に含まれているのではないかと思うのですが、渡辺さんは 「デザインの力」についてどうお考えですか?
渡辺 :デザインには大きく二つの方向性があると考えています。一つは、これまでになかった機能や利便性を生み出すためのデザインです。新しい技術や素材を活かし、より快適で便利なものを作るという意味でのデザインですね。しかし、私が特に大切にしているのは「人の意識を変えるためのデザイン」です。これはアパレルやバックパックのデザインだけに限らず、空間デザインにも通じる考え方だと思います。
私はこれまでリテール(店舗)のデザインも手がけてきました。単なるショップの設計ではなく「今までにない空間」を生み出すことで、お客様の意識を変えるデザインを追求してきました。その結果、来店されたお客様の「ザ・ノース・フェイス」に対する考え方やデザインそのものへの価値観に変化が生まれてきたと感じています。
このように、デザインはあらゆる分野で応用できる考え方だと思います。デザインは単に「モノをつくる」ことに留まりません。それどころか、社会の大きな仕組みを変え、世界のシステムそのものを変える力を持っています。私自身、この考え方に大きな影響を受けたのが、ケネス・ハップ・クロップ です。彼のデザイン哲学に触れたことで、私は「デザインの本質とは、より良い社会を作ることだ」という考えを持つようになりました。私たちがデザインを通じてより良い社会を生み出すことができれば、私たちの考えや理念をより多くの人に伝えることができると思っています。これからも、私たちの事業の中でデザインの力を活かし、社会に貢献できる取り組みを進めていきたいと考えています。
WWD:これからゴールドウインとして成し遂げたいことについて教えてください。
渡辺 :ゴールドウインは、これまで 日本国内を中心にビジネスを展開してきました。ある意味「ローカルメジャー」と言える存在かもしれません。しかし、これからは海外市場にも積極的にアプローチしていきたい。特に、今後急速な成長が見込まれるアジア・インド・アフリカ などの地域において、スポーツや遊びを通じて、人々がより楽しく健やかに生きられる環境を提供することを目指しています。
「人と違うことをする」勇気を持つ
福代 :今の学生に向けて伝えておきたいことや、若いうちに知っておいてほしいことがあれば、教えてください。
渡辺 :若い学生の皆さんには、すでに素晴らしいビジョンを持っている方が多いと感じています。今日お話しした福代さんもそうですし、私がこれまで出会った若い世代の方々も、しっかりとした思いを持ち、真剣に考えている人が多い。ですから、特に何かを言う必要はないかもしれませんが、自分のやりたいことにしっかりと向き合い、責任を持って進んでいってほしい と思います。
世の中を変えていくことは、決して簡単なことではありません。しかし、「人と違うことをする」ことこそが、大切 だと思っています。ときには、自分が周りと違うことで 不安を感じたり、違和感を持ったり することもあるかもしれません。でも、その違いこそが、自分の魅力になるのです。だからこそ、「自分は人と違うから嫌だ」と思うのではなく、それを誇りに思って前に進んでいってほしいですね。
福代:お話を伺いながら、将来をとても深く見据えていると感じました。私自身も「こんな未来を作りたい」という思いはありますが、実際どう行動すればいいのか分からないことが多いです。特に、気候変動が進み、将来ご飯が食べられなくなるのではないか など、暗い未来ばかりを考えてしまいがちです。解決策を見つけたいと思っても、どの方向に進めばいいのか分からない ことが多いと感じています。しかし、スパイバーの取り組みや、公園のデザインに関するお話を聞いて、「未来に向けて具体的に行動し、決断し、自らの手で変えていこうとしている」姿勢がとても印象的でした。その姿勢から、強い意志と決断力 が伝わってきて、とてもかっこいいと感じましたし、私自身も 何か行動を起こしたいです。
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ゴールドウイン渡辺社長へ19歳の活動家から質問 「環境問題にどれくらい本気ですか?」
PROFILE:左:福代 美乃里(ふくしろ・みのり)/学生団体「やさしいせいふく」代表
都立高校に通う高校3年生。中学校の先生の影響で環境問題に関心を持つようになる。2021年11月に行われた第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)に、若者による気候変動の活動団体Fridays For Future Japanのメンバーとして参加する。学生団体「やさしいせいふく」は、人にも環境にもやさしい服づくりを目指して講演会の実施やGOTS認証のオーガニックコットンTシャツの販売などを行っている。24年夏には資金を集めて同シャツのコットンを生産するインドの農家や縫製工場を訪ねて、取材を行った。高校では陸上部に所属。
PROFILE:右:渡辺 貴生(わたなべ・たかお)/ゴールドウイン代表取締役社長
1960年生まれ。76年にザ・ノース・フェイスと出会い、「わたしたちはあらゆる機会を通じて地球環境保護の大切さを伝えていかなければならない」というブランドの思想に感銘し、82年、同ブランドを日本国内で展開するゴールドウインに入社。同ブランドの成長とともに国内のアウトドアファッションの定着にも貢献。05年より取締役執行役員ノースフェイス事業部長、17年より取締役副社長執行役員。20年4月1日より代表取締役社長に就任。27年には富山県内に体験型アウトドアフィールドを開設するプロジェクトを推進し、人と自然が共生する社会の実現と、地球環境再生を経営の最重要項目のひとつとして掲げるなど、サステナブルな経営を実践している。
ゴールドウインが支持集めている理由のひとつが人の心を捉える「デザイン」の力だ。その対象は、製品だけではなく地域創生など「社会」へと広がっている。イノベーションの力を借りてデザインの領域を広げているゴールドウインのデザインに対する考え方、その背景にあるサステナビリティの方針について、渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長を招いて紐解く。聞き手は高校3年生の活動家、福代美乃里。「ファッションが好きだから、真実を知りたい」と言う彼女から飛び出す質問とは?
(この対談は2024年12月13日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2024」から抜粋したものです)
WWD :最初の質問は、私から渡辺さんにお伺いします。学校を卒業して最初に就職したのがゴールドウインだったと伺っています。なぜ、ゴールドウインを選んだのですか?
渡辺貴生ゴールドウイン代表取締役社長(以下、渡辺) :私は「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」というブランドが大好きで、その存在を初めて知ったのが1976年、高校2年生のときでした。当時、雑誌「メンズクラブ」で「ザ・ノース・フェイス」が紹介されていたんです。それまではアイビーファッションに憧れていましたが、その記事を読んで初めて「ヘビーデューティー」というスタイルに触れました。そして、「ザ・ノース・フェイス」がアメリカ・バークレーで行っているものづくりを知り、「自分のやりたいことに近い」と強く感じました。他の道も考えましたが、どうしても「ザ・ノース・フェイス」のような仕事に携わりたいと思い、最終的にゴールドウインへの入社を決めました。
WWD:写真はどこで撮ったものですか?渡辺:
これは、ゴールドウインに入社してしばらく経ち、「ザ・ノース・フェイス」のMD(マーチャンダイザー)になった頃の写真だと思います。おそらく1990年頃、ヨーロッパでの一枚ですね。2枚目はさらに前、1986年頃の写真です。私は現在、フライフィッシングが大好きですが、当時はまだ始めておらず、ルアーを使って芦ノ湖でブラックバスを釣っていました。これは、その頃、まだ釣りを始めたばかりのときの写真です。このとき着ているのは、「ザ・ノース・フェイス」のアウトレットで購入したもので、軍の端材を利用して作られた服です。つまり、余った生地を使って生産され、バークレーのアウトレットで販売されていた商品ですね。今でも大切に使っています。「ザ・ノース・フェイス」のロゴが入っていません。代わりに「Windy Pass by The North Face」というブランド名がついており、これはアウトレット専用ブランドでした。
WWD:昔からあまり変わらないスタイルが、現在の成功の理由の一つかもしれませんね。2005年から取締役執行役員として「ザ・ノース・フェイス」の事業部長を務められました。まさに現在に繋がる「ザ・ノース・フェイス」の時代を築かれた期間だったと思います。自己分析すると、なぜ「ザ・ノース・フェイス」はここまで認知され、人気を得ることができたのでしょうか?
渡辺:これは、私が創業者から学んだことが大きいですね。「ザ・ノース・フェイス」は、2人の創業者によって成り立っています。1人は、「ザ・ノース・フェイス」という名前を作ったダグラス・トンプキンスです。彼は、世界的な自然保護活動家としても有名でした。もう1人は、ブランドを製造メーカーとして発展させたケネス・ハップ・クロップです。彼は、社会の仕組みを変えるために新しい事業を始めたいと考え、「ザ・ノース・フェイス」のブランドを買い取り、ものづくりの会社へと発展させました。
当時、アメリカはベトナム戦争の真っ只中でした。その時代、若者たちは従来の社会システムに疑問を抱き、「コーポレート・アメリカ」と呼ばれる大企業中心の社会に対し、異なる選択肢を求める動きが広がっていました。そうした若者たちを応援するために、クロップはものづくりを始めたのです。写真に写っているのはバックパックですが、これは当時「アウトバックスタイル」と呼ばれていました。当時、まだ「バックパッキング」という言葉すら存在していませんでしたが、若者たちは「本当の生き方とは何か」「社会とどう向き合うべきか」「自分たちはどんな社会を作るべきか」と、自然の中で深く考えるようになっていました。そのムーブメントを支えるために生まれたのが、このバックパックです。
もともと「ザ・ノース・フェイス」は、クライミングギアのメーカーではなく、ライフスタイルをサポートするブランドとしてスタートしました。私自身も、その理念に非常に共感しました。地球や自然環境と密接に関わりながら生きることが、人間らしさを見直す大きなチャンスになると考えたからです。「ザ・ノース・フェイス」を単なるアウトドアブランドではなく、ライフスタイルブランドとして確立することを目標に掲げて取り組んできた点が、他のブランドとは大きく異なる特徴だと考えています。
渡辺:
これは1970年代初期の写真だと思います。当時のアメリカには、先進的な考えを持つ人々もいましたが、同時にヒッピーカルチャーが広がっていました。その中でも、新しい価値観を築こうとする真剣な人々が多く、さまざまな経験を積み重ねながら新たな思想を生み出していました。Appleの共同創業者であるスティーブ・ジョブズも、おそらく同じような考え方を持っていた一人だったのではないかと思います。WWD:なるほど、よく分かりました。そして、20年4月に代表取締役社長に就任されましたが、西田会長からは当時、どのような思いを託され、何を成し遂げようと考えて就任を決断されたのでしょうか?
渡辺 :そうですね。私の会社は、西田明男会長の前の社長、つまり西田会長のお父様が創業しました。私もその創業者から直接、多くのことを教えていただきました。お二人から常に言われていたのは「ものづくりの大切さを徹底的に貫いてほしい」ということでした。私たちの会社には「見えないものにこそ、『真実』の価値がある」という言葉があります。つまり、表面的なデザインにこだわるのではなく、本当に重要なのは、目には見えない緻密な作業であり、それを追求することで本当に価値のあるものが生まれる、という考え方です。
また「人生は100年ほどしかないのだから、自分の人生を燃えるように生きなさい」とも教えられました。その考え方を会社全体で共有し、社会に対して何か貢献できる企業でありたいと思っています。
WWD :「燃えるように生きる」と聞いた福代さんが良い笑顔を見せました。
福代 美乃里学生団体「やさしいせいふく」代表(以下、福代) :燃えるように生きたいと思っていますし、私も高校3年生で将来のこと、自分に与えられた人生をこれからどう使っていこうかとか、自分には何ができるんだろうかとこの一年考えてきていたので言葉が刺さりました。
WWD:ゴールドウインにとってサステナビリティは何どういう位置付けにありますか?
渡辺 :あらゆる人々に対して公正な未来を提供することこれが私が考えるサステナビリティですね。
高校3年生がサステナビリティに関心をもったきっかけ
WWD:ここから福代さんからの質問でその「サステナビリティ」について深めていきます。福代さん自己紹介をお願いします。
福代 :はじめまして、福代美乃里です。都立高校に通う高校3年生で現在、学生団体「やさしいせいふく」の代表を務めています。
WWD :そもそも、サステナビリティに関心を持ったきっかけは?
福代:もともと服が大好きで、買うのはもちろん、生地を購入して自分で服を作ることもありました。そんな中、中学3年生のときに、ちょうどコロナ禍で自宅にいる時間が増え、「ザ・トゥルー・コスト」というドキュメンタリー映画を観たんです。その映画を通して、それまで知らなかった ファッション業界の不都合な真実を知りました。
例えば、自分と同じくらいの年の子どもたちが、低賃金で長時間労働を強いられている こと。そして、私は自然が好きなのですが、服の生産が環境破壊につながっている という事実を知り、大きな衝撃を受けました。「おしゃれを楽しむことが、誰かを傷つけているかもしれない」。そのことがショックで、サステナビリティに強く関心を持つようになりました。
WWD :その映画を観てから服を買わなくなったのですか?
福代 :観た直後はまったく買えなくなりました。どの服を見ても、購入をためらってしまって。でも今は、サステナビリティに取り組んでいる企業を調べたり、古着を購入したりしながら、少しずつファッションを楽しめるようになっています。
WWD :福代さんの話を聞きながら、「そんな気持ちにさせてごめん…」という気持ちになりました。そんな福代さんですが、今年の夏、なんとインドのオーガニックコットン畑や縫製工場を訪ねました。
福代 :インドのコインバトールという地域にある工場やオーガニックコットンの畑や倉庫を現地の方に案内していただきながら、綿がどのように栽培・保管・管理されているのかを見学しました。一つひとつの工程を実際に見せてもらいながら学ぶことができました。
WWD :なぜインドへ行こうと思ったのですか?
福代 :今私が着ているTシャツは、私たちが企画した「やさしいTシャツ」というオーガニックコットンのTシャツです。この企画は、私と同じようにサステナビリティに関心を持つ学生たちが集まり、「普段売られている服がどのように作られているのか分からない。だったら、自分たちで作ってみよう!」という思いから始めました。けれど、ちょうどコロナ禍だったため、Tシャツの生産地であるインドに行くことができませんでした。オンラインでは工場と繋がっていたものの、やはり 現場を直接見てみたい、作ってくれた人たちに会いたい という気持ちが強くなり、今回の渡航を決意しました。
WWD :実際に現地を訪れて、どのようなことが見えましたか?
福代 :一つは「オーガニックコットンを選んで本当に良かった」という実感です。
現地の農家の方々に話を伺うと、以前は 農薬を使用した栽培を行っており、それによって健康被害が多発していたそうです。例えば、子どもたちががんを発症したり、亡くなったりするケースがあり、また農家の方々自身も視力障害や手足の痙攣などの深刻な影響を受けていたそうです。
しかし、化学農薬を使わないオーガニック栽培に切り替えたことで、こうした健康被害がなくなったと聞きました。実際にその話をしてくれた方々と直接対話したことで、自分の選択が遠い国の誰かの暮らしを少しでも良くしているかもしれない、と感動しましたね。
WWD :まさにサステナブルな選択の重要性を実感されたのではないでしょうか。
福代 :はい、オーガニックコットンの良さを実感すると同時に、普段私たちが購入する服がどこで、どのように作られているのかについて、消費者にはまだ見えにくい部分が多いとも感じました。
今回、最先端のサステナブルな取り組みを行っている工場も訪れましたが、こうした取り組みを行う工場で作られた服がもっと増えて、消費者が簡単にその背景を知ることができるようになればいいなと思いました。企業が積極的に情報を開示し、消費者も知ろうとする姿勢が大切だと改めて感じました。
WWD:貴重な経験ですね。実際に 現場を自分の目で見るということは非常に大切です。では、ここから本日のメインパートに移り福代さんから渡辺さんへ質問をしてもらいます。
「環境や人権への取り組みはどれくらい本気ですか?」
福代 :最初の質問ですが、御社のホームページを拝見した際、最初に目に入ったのが「人と自然の可能性を広げる」というメッセージでした。環境や人権を大切にされていることが強く伝わってきましたが、実際のところ渡辺さんご自身は、どのくらい本気で取り組まれているのかをお聞きしたいです。また、企業のビジョンとしてこの考えを中心に据えようと思った具体的なきっかけや思いがあれば、教えてください。
渡辺 :本気度については「かなり本気」です。社内では「パタゴニアくらいはやろう」と言っています。それくらいの覚悟でゴールドウインを日本におけるサステナブルな企業のリーダーとして確立したいと考えています。
実際に、私自身は1990年代から少しずつサステナブルな取り組みを始めてきました。ただ、会社として本格的に動き出したのは比較的最近です。それでも、この思いをしっかりと持ち続け、企業のビジョンの中心に据えるべきだと考えています。
その理由として、私たちの事業は スポーツやアウトドアに深く関わっています。私は米国のヨセミテ国立公園が大好きで、これまで何十回も訪れています。今年も6月に、役員の何人かを連れて一緒に訪問しました。
私たちの仕事はある意味「遊びの延長」です。しかし「遊びこそが人間らしさを育み、多くの人とのつながりを生むもの」だと考えています。だからこそ、単に「地球環境を守る」だけではなく、再生(リジェネラティブ) していくことこそが、私たちの存在意義であり企業のビジョンとして掲げるべきものだと考えています。
WWD :「守る」から「再生する」へ。これは本気も本気 という答えですね。
そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのか?
福代 :2つ目の質問です。そもそも、なぜ企業にとって事業成長が必要なのでしょうか?環境保全と事業成長を両立させるには、どのような方法があると思いますか?
渡辺:よく聞かれる質問です。私が事業成長が必要だと考える理由は、「地球を再生していくため」です。私たちが本質的に必要とする環境を、自分たちの手で作り上げていくことができれば、もっと人間は地球に貢献できるはずです。つまり、私たちの産業や事業を通じて、環境問題を解決することが、事業成長の目的であるべきだと考えています。そのため単なる「経済的な成長」ではなく、「人間としての成長」とは何かを考えながら事業を発展させることが、本当の意味で持続可能な成長を生み出すのではないかと思います。私自身も、そのような考えのもとで仕事に取り組んでいきたいと考えています。
福代 :ゴールドウインさんは 2050年までに、サプライチェーン全体でのカーボンニュートラル達成と廃棄ゼロを掲げていますよね。これは非常に難しい挑戦だと思いますが、それを達成するために最も必要な変化は何だと考えますか? 最大の課題について教えてください。
渡辺 :カーボンニュートラルを実現するためには、スコープ3の削減を徹底することが重要だと考えています。現在、私たちのCO2排出量は、スコープ1から3を合わせて約26万トンありますが、その99%がスコープ3によるものです。つまり、直接の排出ではなく サプライチェーン全体での排出が圧倒的に多いのです。そのため最も重要なのは、サプライチェーン全体で環境への配慮を共有し、協力し合う仕組みを作ることだと考えています。
まずは「自分たちは何のために事業をしているのか?」を明確にし、「どのような変化がプラスになるのか?」をしっかり示すことが必要です。さらに、具体的なアクションとプロセスをどのように変えていくのかを明確にし、発信していくことも大切だと思います。確かに大きな課題ではありますが、誰かが始めなければ変革の第一歩は生まれません。私たちは、そうした一つひとつの取り組みを、責任を持って進めていきたいと考えています。
WWD :今のお話の内容は、ゴールドウインの統合報告書にも具体的な数値として記載されています。後ほど、裏付けとなるデータもご覧いただければと思います。そしてこの質問は、ここにいる全員が 「19歳から投げかけられている問い」だと受け止めるべきものですね。
福代 :服は、大量生産・大量消費の象徴的な存在だと思います。現在もその考え方は根強く残っており、先ほど話に出た環境と事業成長の両立についても、大量生産・大量消費のままでは難しいのではないかと感じています。そこで、ゴールドウインとしてどのようにこの考え方を変えていこうとしているのかをお聞きしたいです。
渡辺 :そうですね。実は、ゴールドウインには以前から 大量生産・大量消費という考え方はあまりありません。もちろん、ブランドの人気が高まると売り上げが伸び、それに伴い生産量も増えるという側面はあります。しかし、私たちはそうした背景の中でも製品を長く使い続けてもらう仕組みを重視してきました。
例えば、1992年頃から リペアサービスを本格的に導入しています。GORE-TEX製品のような高額なウェアは、アウトドア環境で使用すると傷んだり破れたりすることがあります。しかし、それを修理できなければ、すぐに廃棄されてしまう可能性がありますよね。そこで、工場内に専用のリペアチームを設け、現在では年間約2万4000点の製品を修理し、お客様にお返ししています。
また、最近では子ども服のリサイクルにも取り組んでいます。子ども服は成長とともにすぐにサイズアウトしてしまいます。そこで、不要になった服を店舗で回収し、新しいデザインにアップサイクルして再び販売する取り組みを行っています。単に洗浄して再販するのではなく、新たなデザインを加えることでより魅力的なアイテムとして生まれ変わらせることを大切にしています。
さらに、私たちは「ワンフォーワンシステム」 という特別なものづくりの仕組みも導入しています。これは、人気のある商品についてお客様自身がオリジナルのデザインを作れるサービスです。特定の店舗では、お客様の体のサイズを測定し、カラーやファスナーの種類、その他の細かいパーツまで自由にカスタマイズできるようになっています。このサービスを利用することで、既製品ではなく自分のライフスタイルに合った一着を作ることができ、長く愛用してもらえるのです。この仕組みは、大量生産とは異なるアプローチです。
「自分の人生の中で、どんな服をどのように使いたいのか?」そんなことを考えながら、お客様とともにゴールドウインや「ザ・ノース・フェイス」の製品を作り上げていくサービスとして展開しています。こうした取り組みを通じて、単に新しい服を作って売るだけがビジネスではない という考え方を広めていきたいと考えています。
WWD :「新しい服を作って売るだけのビジネス」からの脱却ですね。
渡辺 :そうですね。服というものは 単なる衣類ではなく、そこに込められた想いや、人と人とのつながり、愛を大切にするものだと考えています。それが循環し、次の誰かへと受け継がれていくこと。それこそが、本当に重要なのではないでしょうか。
1枚の服を見たときに、何を想像する?
福代 :抽象的な質問かもしれませんが、1枚の服を見たときに渡辺さんは何を想像しますか?
WWD :質問の背景とは?福代さんご自身は、1枚の服を見たときに何を想像しますか?
福代 :私は服の生産背景に強い関心を持っています。自分が着る服が児童労働や環境破壊の上に成り立っているのは、とても嫌です。そのため、1枚の服を見たときに「この服はどこで作られたのか?」「作った人は幸せだろうか?」「生産された土地の環境は守られているのか?」といったことを想像しながら、慎重に選ぶようにしています。
渡辺 :この写真は、1989年から1990年にかけて、220日間で6,040kmを犬ぞりで南極大陸を横断し探検隊のユニフォームです。デザインを手がけたのは、当時 「ザ・ノース・フェイス」に在籍していた マーク・エリクソンというデザイナーでした。この南極大陸横断隊には、アメリカ・ロシア・中国・フランス・イギリス・日本の6カ国が参加していました。つまり、資本主義の国も共産主義の国も関係なく、世界の枠を超えて協力し合ったプロジェクトだったんです。
この服は、単なる防寒着ではなく、世界平和を象徴するユニフォームなのです。私は、ものづくりにおいて「目的」や「価値」を持たせることが重要だと考えています。最新のテクノロジーと優れたデザインからこのユニフォームに支えられたこの挑戦は、結果として 今も南極条約が守られ続けていることに繋がっています。1枚の服が与えるインパクトは計り知れません。そして、この服を見るたびに、私は「未来のために、平和利用のために服があるのだ」ということ思いますね。
福代 :たくさんの服を開発されている中でも、1枚の服に込められたストーリーや熱量が伝わってきました。ものづくりに対する 「大切にしたい」という強い思いを感じます
考えを大きく変えたアウトドアアクティビティとは?
福代:私もスポーツやアウトドアアクティビティが好きなのですが、渡辺さんもアウトドアが好きですよね。これまでの経験の中で、アウトドアアクティビティが ご自身の考えを大きく変えた出来事 があれば、教えてください。
渡辺 :私はアウトドアスポーツが好きで、この会社に入ってからも続けています。今は毎年北海道でフライフィッシングを楽しんでいます。もう30年以上通い続けている場所ですね。30年前は、あるシーズンに行くと1投すれば必ず1匹釣れるほど魚が豊富でした。ところがここ2〜3年は、まったく釣れなくなっているんです。これは、水温や気温の変化による影響が大きいのではないかと感じています。実際、魚の数が減っているように思います。
「世界を平和にしたい」。その言葉に打たれた
福代 :最新技術は、まだコストが高いことや、実用化できるか不確実性が高いため、普及には時間がかかると思います。ゴールドウインがスパイバーと服を作ろうと決断した理由は何だったのでしょうか?
渡辺:私は アウトドアスポーツが好きだったこともあり、これまで高機能な製品の開発に携わってきました。しかし、それらの製品はほとんどが化学繊維であり、化石燃料をベースとした素材を使っていたことは否めません。このような素材は、環境に大きな負荷を与えます。簡単に言えば、プラスチックは生分解しないため、長期的に環境に残り続けるという問題があります。そんなとき、私の知人である発酵技術の専門家から「発酵を利用して植物由来の新しい素材を開発している人がいる」と紹介を受けました。そこで実際に会いに行ったのが、スパイバーの代表である関山さんでした。関山さんに初めて会ったとき、彼が最初に言った言葉が「世界を平和にしたい」だったんです。その言葉に私は強く心を打たれました。
彼の話を聞く中で、スパイバーの技術は環境問題の解決だけでなく、貧困問題にもアプローチできる可能性があることを知りました。そのとき「自分がやるべき仕事はこれなんだ」と感じたんです。もちろん、ゴールドウインとしても環境負荷の低い素材を採用する取り組みは以前から進めていました。しかし、それは既存の素材の中で環境に配慮したものを選ぶという方法でした。スパイバーの技術は、それとはまったく異なるアプローチでした。つまり、従来の石油由来素材を完全に置き換える新たな選択肢だったんです。
この新たな選択肢があるのなら、誰かが最初に動かなければならない。正直、決断にはかなりの逡巡がありました。しかし最終的にゴールドウインとして創業以来最大規模の投資を行い、スパイバーとともに取り組むことを決断しました。このプロジェクトを進めることで、石油依存による環境問題を解決する一歩を踏み出せると確信したからです。
WWD :アウトドアの役割の一つは「命を守ること」です。そのために、機能が進化し、技術が発展し、そこに最適なデザインが追求されてきました。しかし、これまでの常識を覆しその根幹をまったく新しい選択肢に置き換えるという発想は、極めて画期的な取り組みだと思います。
「言葉のいらない遊び場。 未来に向けたデザイン
福代 :ゴールドウインさんは服の開発だけでなく、子どもたちの遊び場の創出やキャンプ事業など、さまざまなプロジェクトに取り組まれていますよね。その中で、渡辺さんご自身が特に印象に残っている取り組みは何でしょうか?
渡辺 :そうですね。一番印象に残っているのは、2022年に開催したイベントです。本来であれば、2020年の東京オリンピックに合わせて実施する予定でした。しかし、新型コロナウイルスの影響で無観客開催となり、私たちの計画も延期せざるを得ませんでした。
実はその年、ゴールドウインは創業70周年を迎えていました。そこで、世界中からオリンピックに来る人々に、ゴールドウインという会社を知ってもらうための記念事業を企画しました。当時、若いメンバーたちと話し合う中で「国や言語を超えて、みんなの気持ちが一つになるイベントは何か?」というテーマを考えました。
そこで私が提案したのが、「遊び」をテーマにしたデザインでした。私たちは、地球の五大要素である 水・火・土・空気をモチーフにした遊具を設計し、「地球を遊ぶ」体験を提供する空間を作ろうと考えたのです。言葉が通じなくても、そこに集まった人たちが 助け合いながら楽しめる場所を作ることが目的でした。
残念ながら、このイベントはオリンピック期間中には実施できませんでしたが、2年後の2022年に、六本木と富山で開催することができました。結果として、5万人以上の人々が遊びに訪れてくれました。このプロジェクトの背景には、ゴールドウインが掲げる「2050年にどんな会社でありたいか?」というビジョンがありました。その答えのひとつが「遊び」でした。スポーツの起源は「遊び」です。世界中の人々が「遊び」を通じてつながることができるのではないかという思いを込めて、このイベントを企画しました。
デザインは「社会の仕組み」を変える力を持つ
WWD:スポーツの起源は 遊びなんですね。今回のイベントのテーマのひとつに「デザインの力」があります。ゴールドウインは、単なる製品デザインだけでなく、地域創生や社会とのつながりをデザインするという視点も持っています。つまり、社会そのものをデザインすることも、ゴールドウインのデザインの範疇に含まれているのではないかと思うのですが、渡辺さんは 「デザインの力」についてどうお考えですか?
渡辺 :デザインには大きく二つの方向性があると考えています。一つは、これまでになかった機能や利便性を生み出すためのデザインです。新しい技術や素材を活かし、より快適で便利なものを作るという意味でのデザインですね。しかし、私が特に大切にしているのは「人の意識を変えるためのデザイン」です。これはアパレルやバックパックのデザインだけに限らず、空間デザインにも通じる考え方だと思います。
私はこれまでリテール(店舗)のデザインも手がけてきました。単なるショップの設計ではなく「今までにない空間」を生み出すことで、お客様の意識を変えるデザインを追求してきました。その結果、来店されたお客様の「ザ・ノース・フェイス」に対する考え方やデザインそのものへの価値観に変化が生まれてきたと感じています。
このように、デザインはあらゆる分野で応用できる考え方だと思います。デザインは単に「モノをつくる」ことに留まりません。それどころか、社会の大きな仕組みを変え、世界のシステムそのものを変える力を持っています。私自身、この考え方に大きな影響を受けたのが、ケネス・ハップ・クロップ です。彼のデザイン哲学に触れたことで、私は「デザインの本質とは、より良い社会を作ることだ」という考えを持つようになりました。私たちがデザインを通じてより良い社会を生み出すことができれば、私たちの考えや理念をより多くの人に伝えることができると思っています。これからも、私たちの事業の中でデザインの力を活かし、社会に貢献できる取り組みを進めていきたいと考えています。
WWD:これからゴールドウインとして成し遂げたいことについて教えてください。
渡辺 :ゴールドウインは、これまで 日本国内を中心にビジネスを展開してきました。ある意味「ローカルメジャー」と言える存在かもしれません。しかし、これからは海外市場にも積極的にアプローチしていきたい。特に、今後急速な成長が見込まれるアジア・インド・アフリカ などの地域において、スポーツや遊びを通じて、人々がより楽しく健やかに生きられる環境を提供することを目指しています。
「人と違うことをする」勇気を持つ
福代 :今の学生に向けて伝えておきたいことや、若いうちに知っておいてほしいことがあれば、教えてください。
渡辺 :若い学生の皆さんには、すでに素晴らしいビジョンを持っている方が多いと感じています。今日お話しした福代さんもそうですし、私がこれまで出会った若い世代の方々も、しっかりとした思いを持ち、真剣に考えている人が多い。ですから、特に何かを言う必要はないかもしれませんが、自分のやりたいことにしっかりと向き合い、責任を持って進んでいってほしい と思います。
世の中を変えていくことは、決して簡単なことではありません。しかし、「人と違うことをする」ことこそが、大切 だと思っています。ときには、自分が周りと違うことで 不安を感じたり、違和感を持ったり することもあるかもしれません。でも、その違いこそが、自分の魅力になるのです。だからこそ、「自分は人と違うから嫌だ」と思うのではなく、それを誇りに思って前に進んでいってほしいですね。
福代:お話を伺いながら、将来をとても深く見据えていると感じました。私自身も「こんな未来を作りたい」という思いはありますが、実際どう行動すればいいのか分からないことが多いです。特に、気候変動が進み、将来ご飯が食べられなくなるのではないか など、暗い未来ばかりを考えてしまいがちです。解決策を見つけたいと思っても、どの方向に進めばいいのか分からない ことが多いと感じています。しかし、スパイバーの取り組みや、公園のデザインに関するお話を聞いて、「未来に向けて具体的に行動し、決断し、自らの手で変えていこうとしている」姿勢がとても印象的でした。その姿勢から、強い意志と決断力 が伝わってきて、とてもかっこいいと感じましたし、私自身も 何か行動を起こしたいです。
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【資生堂 藤原憲太郎社長 CEO】“本物”が生き残る時代 新たな価値創造に挑む
PROFILE: 藤原憲太郎/社長 CEO

藤原憲太郎社長CEOの指揮のもと、資生堂は変化の激しい市場環境に適応しながら安定した成長を追求する新たな道筋を描いている。2025年は事業基盤再構築に全力で挑み、新たな成長のステージへと歩みを進める。
藤原新体制が始動
「変わらないために変わり続ける」

WWD:2024年は日本事業が力強く成長した。
藤原憲太郎社長CEO(以下、藤原):日本事業は活気を取り戻した1年だった。日本事業が元気になることで、資生堂全体が元気になると思う。厳しい構造改革と成長戦略という一見相反する挑戦をしているが、どちらも順調に進展している。特にコアブランドの成長が目覚ましく、全体を押し上げる原動力となった。ヒット製品を生み出し、価値創造の面でも成果を出している。
WWD:日本事業の改革が進んでいる。
藤原:日本は「持続的な成長」「稼ぐ力」「生活者起点」の3つをテーマとして掲げ、これまでの活動を見直した。この3つの視点を基に、これまでの取り組みを続けるべきか、それとも変えるべきかをレビューしている。特に稼ぐ力については、組織内での意識改革が必要だった。そこで昨年、全国の店頭で働く6000人のパーソナルビューティーパートナー(以下、PBP)に5カ月かけて、稼ぐ力の本質を伝えた。損益計算書の仕組みとPBPの活動をリンクさせた教育を行い、稼ぐことのメリットを最初に享受できるのは自分自身であることを強調した。稼ぐことは決して後ろめたいことではない。まずは自分たちが幸せになることが重要で、そうすると取引先やお客さまにも波及し、事業成長につながる。これらを理解してもらうことに多くの時間を費やしてきた。
WWD:海外事業に目を向けると。
藤原:地域によって課題と成果が交錯した1年だった。欧州ではスキンケアとフレグランスともに好調で、現在は2ケタ成長を見込んでいる。一方、米州では主力の「ドランク エレファント」で上期に一時的な生産減・出荷減が生じ、売り上げに課題を残す結果となった。中国とトラベルリテール事業もまた、複雑な局面を迎えた。全体的に停滞が続く中国市場の中で、「クレ・ド・ポー ボーテ」と「ナーズ」は堅調な成長を見せており、回復が遅れている一部のブランドについては、今後の課題だと認識している。この1年で得られた教訓は、市場の不確実性を前提にした経営の必要性だ。これまでのように特定の市場が全体をけん引する成長モデルに頼るのではなく、不安定な環境下でもいかに成長を実現するかが問われた1年だった。
WWD:不安定な時代の中で重要なバリューとは。
藤原:最後は本物が残る。長らく事業を担当していた中国は、テクノロジーとデジタルの力を活用しながら成長を遂げてきた。しかしAIが台頭し、価値創造はますます模倣され、その精度や確度は高まるだろう。このような状況下で、ブランドや製品が持つ“本物”であることの重要性は一層増している。われわれは本来、“本物”であることを一番大切にしており得意であるはずだ。生活者のことを真に考え、心から良いモノをつくり出すという技術力や情熱は、何よりも大切にしなければならない。この「つくる力」に加え、消費者に「届ける力」も欠かせない要素である。
WWD:「届ける力」はどう拡張するのか。
藤原:新製品を投入することで売り上げ増加を見込むという従来のビジネスモデルから脱却を図っている。昨年ヒットした美容液ファンデーションの展開は、その一例として挙げられる。採用した技術自体は2年前から存在していたが、コミュニケーションを革新したことで新しい価値として再定義し、市場での成功につなげた。われわれの技術力は世界的に評価されている。それを迅速に消費者に届けるには、いかにスピーディーに価値創造を実現するかが重要である。「本物を届ける」というプライドを持ち、それを事業の根幹に据えることが、厳しい競争環境を生き抜くための鍵になると強く感じている。
WWD:現場力も高める。
藤原:経営を現場に返したいと考えている。現在のような不安定な時代には、経営は本社が行うものではなく、現場が主導すべきだ。特に営業は最前線でモノを売る役割を担っているからこそ、現場主導の経営は本来やりがいがあり楽しいはず。そこで今年から新たな挑戦として、19の戦略単位をつくり、それぞれのトップが利益の責任を負える仕組みを導入した。各現場の判断で投資を決め、リターンを考えながら利益をコントロールすることを可能とした。全く新しい挑戦であるため、リーダーシップチームのレギュレーションをつくり、不安や批判的な意見も受け止めながら一緒に進んでいく体制を構築している。一方で本社の機能は、ゆくゆくは価値創造に特化していくだろう。
WWD:25年からは藤原新体制となる。展望は。
藤原:資生堂のDNAを継承し、変わらないために変わり続ける。そして、美しいものを美しいと言える組織でありたい。ビューティーカンパニーとして美を語り合う議論を絶やさず続けることが、価値創造にもつながるはずだ。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
子どものころからの夢は「宝探し」。歴史的秘宝など、当時宝を持っていた人の生活や文化を想像するのが楽しいからだ。自身の海外経験も重なり、世界中の人々の暮らしに根差す文化や価値観を考えると、宝探しの魅力が一層増していく。
1872年創業。現在では約120の国と地域で事業を展開する。2024年に、変化の激しい市場でも安定的な利益拡大を実現するレジリエントな事業構造への進化に挑む2カ年計画「SHIFT 2025 and Beyond アクションプラン2025-2026」を策定。革新へ挑み続け、世界で勝てる日本発のグローバルビューティーカンパニーを目指す
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【コーセー 小林一俊 社長】脱・自前でグローバル化加速 協業などで持続的な未来へ
PROFILE: 小林一俊/社長

2026年に創業80周年を迎えるコーセーは、純粋持株会社体制への移行を表明した。グループのシナジーを極大化するとともにグローバルでの事業成長と基盤再構築を目指し、同社は“自前主義”脱却へと大きく舵を切る。
M&Aや提携でブランドポートフォリオをより強固に
WWD:昨年、中長期ビジョン「Vison for Lifelong Beauty Partner-Milestone2030」を発表した。
小林一俊社長(以下、小林):30年をマイルストーンとした大きな転換となる指針だ。当社と同じ思いを持つ企業やブランドと相互的な連携を図り、持続的な成長と企業価値向上を目指す「ビューティコンソーシアム構想」の実現を目的とする。これまで研究開発、生産、販促などあらゆる面において自社のリソースで完結することを信条としてきたが、今の時代それが強みになるとは限らない。そこでグローバル戦略の突破口として“脱・自前”に踏み切ることにした。他社と手を組み、当社にない知見を積極的に取り入れ、さらに地域に根付いたブランドを獲得するM&Aや提携によって当社のポートフォリオをより強固にしていくことを目指す。
WWD:タイ発のウェルネスブランド「パンピューリ(PANPURI)」を買収した。その狙いは?
小林:当社が注力するウェルネス領域との親和性も高く、最優先市場となるグローバルサウスを攻略するための一手である。オリエンタルな世界観と香りを打ち出す「パンピューリ」の製品は中国人観光客にも非常に人気があり、現在低調傾向にある中華圏からの需要も見込めるだろう。ありがたいことに百貨店や化粧品専門店からの問い合わせが殺到している。しかしまずはタイ国内でスパブランドである独自の世界観をじっくりと浸透させつつ、グローバルサウスでの展開に注力する。今後もグローバルサウスや欧米での当社のプレゼンスを高めるべく、さらなるM&Aや提携を進めていく。
WWD:30年には海外売り上げ比率を50%以上まで引き上げることを掲げる。
小林:そのためには現地起点のモノ作りやマーケティングも不可欠だ。これまでは日本で企画、開発、製造したメード・イン・ジャパンを強みとしてグローバル展開を推し進めていたため、なかなか海外に根付かせることが難しかった。今後は、モノ作りのローカライズや現地法人への権限移譲も進めていく。さらに、成分やエビデンス重視というグローバルでのトレンドに即応することでスピーディーな韓国コスメに太刀打ちしていくことも急務といえる。当社の厳格な品質基準のため自社製造では難しいものも多かったが、これも“脱・自前”を目指し、最先端の化粧品製造技術やトレンドを知り尽くす海外の大手ODM・OBMメーカーを積極的に活用すればより生産性を上げられるだろう。一方で、昨年7月には山梨県に「南アルプス工場」の建設を開始した。これに伴い、コーセー、生産子会社コーセーインダストリーズ、山梨県の3者で山梨県の豊かな水資源活用による持続可能な社会構築に向けた連携に基本合意した。日本の地産地消モデル工場として発展させていく。南アルプスから湧き出る清冽な水を活用した化粧品はこの土地でしか生み出せない。世界に誇れる唯一無二の価値を提供できるはずだ。
WWD:最近はブランド担当者の顔が生き生きしていると外部からも評判だ。
小林:ここ数年で取り組んでいる組織改革の成果が出てきた。ブランドごとに企画から販促、PRまで一気通貫して取り組める組織体制になったことで、各々が自律的に判断する姿勢が強まった。18年も社長職に就いているおかげで方針がぶれず社員に浸透するのも早くなっている。米MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手に広告出演いただいている「コスメデコルテ(DECORTE)」が表参道エリアをジャックした大型プロモーションは若手の男性社員が企画したもの。若手にも積極的に意見を出してもらい、ブランドの担当者として力をどんどん発揮してもらいたい。
WWD:利益創出にも力を入れる。そのための課題は?
小林:コロナ禍の攻めの戦略として、「コスメデコルテ」「雪肌精(SEKKISEI)」などで広告やプロモーションを積極的に投下した。一定の成果も残せたので、今後は事業の収益性、効率性改善のため、財務面を引き締め、「稼ぐ力」に磨きをかけ新たな市場攻略に振り向けていく。
WWD:25年以降はどんな可能性を見据えている?
小林:iPS細胞技術を活用したパーソナライズ美容製品の開発に向け、アイ・ピースとレジュの2社と技術提携し、医療機関を通じて提供するプロジェクトも始動した。これを機に美容医療分野や異業種からの引き合いも増えた。今後は大学研究機関やODMメーカーとの提携などもありうるだろう。“Your Lifelong Beauty Partner”のビジョンの下、多様なウェルビーイング製品や体験を提供する事業会社を傘下に置く“ホールディングスカンパニー”を目指していく。化粧品の枠を超えて一人一人の健康と美しさを彩る、そんな可能性に満ちた未来を描いている。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
NHKの朝の連続テレビ小説で創業者の奮闘ぶりなどを題材にしてもらう。日本の化粧文化や当社の歴史を日本国民に知ってもらうための良い機会になるだろう。キャスティングや配役も勝手に頭に描いており、ぜひとも実現させたい。
1946年に、小林孝三郎氏が化粧品の製造販売を行う小林合名会社を創業。48年小林コーセーを設立。60年代後半から香港、シンガポールなどアジア市場を皮切りに、北米、欧州にも積極的に進出。91年CIを導入し、コーセーに社名変更。企業メッセージとして「美しい知恵 人へ、地球へ。」を掲げ、あらゆる活動に組み込むと共に、一人一人の美しさを大切にするアダプタビリティの観点における価値提供を推進している。ブランドは「コスメデコルテ」「雪肌精」「アディクション(ADDICTION)」など
コーセー
03-3273-1511
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【日本ロレアル ジャン-ピエール・シャリトン社長】気鋭ブランドが続々と日本上陸 力強い成長を実現
PROFILE: ジャン-ピエール・シャリトン/社長

世界最大のビューティ企業、ロレアルグループの日本法人である日本ロレアルは、2024年3月に「プラダ ビューティ」のメイクアップ&スキンケアラインを本格ローンチした。9月には「3CE」、10月には「スキンシューティカルズ」の日本再上陸を果たすなど、日本市場でビジネスを精力的に拡大している。
勢いに乗る多様なブランドを擁し
ビューティ市場をけん引
WWD:24年も日本のビューティ市場は成長したが、そのペースを上回っている。
ジャン-ピエール・シャリトン社長(以下、シャリトン):国内のビューティ市場は24年、インバウンドとローカルの双方の購買力が後押しして、最終的に前年比4〜5%増※1の成長が見込まれている。その中で当社は、昨年に続いて市場を超える成長を遂げる見込みだ。マーケットの成長には、イノベーション、ディストリビューション(流通)、コミュニケーションの3要素が重要だ。革新的な技術を取り入れているか、オフラインとオンラインの流通が強固か、消費者とのエンゲージメントを高めているかが鍵となる。
WWD:3要素にどう取り組んだか。
シャリトン:イノベーションの観点では、「ランコム」を代表する美容液をリニューアルし、新製品“ジェニフィック アルティメ セラム”を発売した。肌本来の自己回復力を促進させる次世代成分を配合するなど卓越した技術が詰まっている。「ラ ロッシュ ポゼ」の保湿クリーム“シカプラスト リペアクリーム B5+”も日本処方で発売後、「アットコスメ」で上位にランクイン。流通の観点では、楽天と戦略的パートナーシップ契約の締結に向けて合意し、楽天のプラットフォームの消費者データを活用できる目処が立った。2大ブランド「ランコム」と「タカミ」はアマゾンにショップを開店し、百貨店ビジネスも好調だった。消費者とのコミュニケーションとしてインフルエンサー施策も積極的に行っている。
WWD:新ブランドの導入も重なった。
シャリトン:9月に韓国コスメブランド「3CE」、10月に美容施術スキンケアブランド「スキンシューティカルズ」が日本に再上陸した。「3CE」はファッション性の高さで競合優位性がある。拡大に時間はかかるが、初動は良く今後も投資を続けていく。「スキンシューティカルズ」は美容医療機器の研究開発や製造、販売を行うキュテラとのパートナーシップを通じて医師と協働して販売する。あたたかく迎えられて好調なスタートを切った。
WWD:21年に買収した「タカミ」の商況は?
シャリトン:日本ロレアルを介した買収事例における素晴らしい成功例となっている。買収時と比較して売り上げは4倍だ。リピーターの多さとヒーロープロダクト“タカミスキンピール”が売り上げをけん引している。中国や香港、台湾などでも発売しており、欧米への展開も見据える。予想を超える飛躍的な成長で、今後にも期待している。
WWD:「メイベリン ニューヨーク」も成長軌道に乗る。
シャリトン:コミュニケーションをラストマイルマーケティング(ローカルに合わせて調整するマーケティング戦略)という考え方に刷新した。“スカイハイ”の新色“ゆうぐもグレージュ”はその一例。“SPステイ ルミマット リキッド ファンデーション”のアンバサダーにTREASUREの4人を起用し、推し活する消費者の心をしっかりとつかんだ。数週間売り上げ1位※2をキープするなど成功を収めている。
WWD:オンラインの購入体験の向上にも力を注ぐ。
シャリトン:ECは戦略的な成長チャネルだ。ECの売り上げ比率は業界平均の2割を上回って伸長している。自社のECサイトはEフラッグシップと呼び、製品を選んで購入し、受け取った後まで最適な顧客体験を提供する。一方で、楽天やアマゾンではリーチの拡大を狙う。
WWD:サステナビリティ関連で掲げる目標は?
シャリトン:ロレアルグループは25年、全世界の自社拠点を100%再生可能エネルギーに切り替え、プラスチック製パッケージの100%を詰め替えもしくは再利用、リサイクル、堆肥化可能なものに変更する。30年までには製品輸送に関わる温室効果ガスの排出量を16年比で平均50%削減する。一方日本では、社内の250人がプライドパレードに参加したり、同性のパートナーシップ婚も正規の福利厚生を受けられる制度を導入したりするなど、ダイバーシティ&インクルージョンにも注力している。科学の分野で女性の躍進を表彰する「ジュン アシダ賞」も受賞した。
WWD:25年にビジネスで注力することは?
シャリトン:一つは新たなブランド「プラダ ビューティ」「3CE」「スキンシューティカルズ」を成功させること。二つ目は既存のブランドのイノベーションを成長させていくこと。引き続きイノベーション、ディストリビューション、コミュニケーションを軸に拡大していく。
WWD:未来に見据える可能性は?
シャリトン:ロレアルグループにおいて、日本はこれからもインスピレーション源であり続ける。日本は成熟したマーケットで消費者は洗練されており、国内で成功しているアイデアは世界でも通用する。日本ロレアルがアイデアを模索し、世界に広げていきたい。
※1矢野経済研究所調べ
※2インテージ調べ。2024年2〜12月までのバラエティー・ドラッグストアカテゴリー店舗(オンラインを除く)におけるリキッドファンデーション部門での売り上げ金額
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
日本には素晴らしい才能にあふれる優秀な人材がたくさんいる。彼らをサポートし、いつの日か私の役職に日本人が就任することを願っている。
世界最大の化粧品会社であるロレアルは、小林コーセー(現:コーセー)と提携しサロン向け商品の開発を行う合弁会社ロレコスを1963年に設立。76年に一般向け製品の販売をスタートし、95年には基礎研究所を茨城県つくば市に開設。96年にロレアルの日本法人である日本ロレアルを設立した。2009年、ロレアルが資本参加していた「シュウ ウエムラ」の株式を100%取得。グループ傘下に初めて日本発のブランドが加わった。21年には「タカミ」を買収した
日本ロレアル
03-6911-8100
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【オンワードHD 保元道宣社長】Z世代、グローバル市場、 新しい可能性を広げる
PROFILE: 保元道宣/社長

オンワードホールディングスは、昨年9月にカジュアルウエアのウィゴーを子会社化した。ウィゴーの売上高は283億円(2024年2月期)。これを保元道宣社長は「オンワードとの相乗効果で、中長期的に500億円に引き上げる」と話す。自信の裏付けは、業界をリードするOMO(オンラインとオフラインの融合)の知見だ。
ウィゴーとのシナジーを
最大限に生かす
WWD:ウィゴーの子会社化の狙いは?
保元道宣社長(以下、保元):オンワードの多様性を加速させるためだ。ウィゴーの顧客基盤は10代の中高生から20代前半で、オンワードにとっては手薄な世代だ。登録会員数(24年2月末時点)もオンワードの530万人に、ウィゴーの340万人が加わって約870万人に拡大する。社員も若く、SNS運用に優れており、学ぶべき点が多い。一方で自社ECの強みを生かしたOMOやサプライチェーン、財務に関しては当社に強みがある。補完し合うことで大きなシナジーが見込める。そして海外市場でも期待できる。
WWD:ウィゴーでアジア市場に進出する?
保元:ASEANをはじめアジアは若い人の人口構成が高く、ウィゴーの可能性を最大化できる市場だ。昨年10月に中国・上海で6日間のポップアップを開いた。推し活グッズとして人気の“痛バ(痛バッグ)”に絞ったイベントで、来店はネットでの予約のみに限定したが、約2万人の枠があっという間に埋まり、売上高も約1億円になった。若者文化に国境はなく、推し活の熱気はすさまじい。
WWD:常設店の出店予定は?
保元:将来的には考えられるが、従来のように常設店の数にこだわらなくてもよい。SNSやイベントでもお客さまとの関係はしっかり築けるからだ。中国、台湾、韓国、それにASEAN各国。国ごとに市場特性も異なるため、まずは出店にかかる投資をSNSやイベントに振り分ける。越境ECにも大きな可能性がある。
WWD:複数のブランドを集めたOMO業態「オンワード・クローゼットセレクト(OCS)」は、21年に出店を始めて現在は全国159店舗(24年11月末)に拡大した。
保元:手応えがある。岩手県の川徳のような地方百貨店から大丸東京店のような都心百貨店、あるいは郊外のショッピングセンター(SC)まで。百貨店向けブランドは百貨店でしか売れないという固定観念があったが、百貨店向けの「23区」がSCでも売れる。お客さまにとって選択肢が増えるだけでなく、クリック&トライ(C&T)によって店頭にない商品の取り寄せもうまく活用されている。一つの商業施設にブランドごとに複数の店舗を出していたときと比べて生産性が高い。生産性が上がれば賃金も上げられる。24年に販売職の10%の賃上げを実施したのに続き、25年はデザイナー、パタンナーなどの技術職の初任給を3.3万円引き上げるなど全社員の処遇改善を実行する。
WWD:OMO推進で見えてきたことは?
保元:お客さまの解像度が高まった。当社はEC売上高に占める自社ECの割合が9割ある。会員のお客さまの店舗とECでの消費行動がデータとして蓄積される。店頭では熟練のスタッフが何気ない会話からパーソナルな定性的データを得る。デジタルと人の力で適切な商品を適切なタイミングで提案すると、お客さまの満足度は上がり、年間の購買額が上昇する。今後は体験価値を高めたい。C&Tで何着もの服を取り寄せて、さらにスタッフがコーディネートアイテムを提案する。気持ちが高揚するような広くて贅沢な試着室を増やしたい。
WWD:新規出店の柱はOCSになるのか。
保元:SCは出店余地が大きく、積極的に出していく。一方でブランドの世界観を表現する旗艦店も必要だ。例えば「アンフィーロ」。24年3〜8月期の売上高は前年同期比1.9倍で年商100億円の大台も射程圏内に入ったが、販路は自社ECとOCS、ポップアップに限られる。さらなる飛躍のため近い将来に旗艦店の出店を計画している。オーダースーツの「カシヤマ」も出店要請が多い。コロナ禍を挟んで24年度に生産部門(中国・大連)と販売部門の両方が黒字化するので、25年度はさらにアクセルを踏む。
WWD:“長い夏”の対策も課題だ。24年6〜8月期で同期間としては17期ぶりに営業黒字を達成した。
保元:7月のセール以降も正価で売れる夏物衣料の充実が実を結んだ。今の課題は9〜11月期だ。従来であれば年間で最も稼ぐはずの9〜11月期に苦戦を強いられた。旧来の衣替えの概念自体が薄れ、店頭で夏物と秋冬物を並行して扱う必要が生まれた。地域ごとの気候も配慮して、店舗主導の品ぞろえに取り組む。素材から独自に作り込む当社にとって生産計画が重要なのは言うまでもないが、気候変化に柔軟な態勢も欠かせない。
WWD:新たなコーポレートメッセージを策定した。
保元:「世界に、愛を着せる。」。グループ会社を含めた20〜40代の若手・中堅社員が議論を重ねて策定した。私なりに解釈すれば、「愛を着せる」は愛着とも読める。当社が提供するのは、永く愛着を持っていただける商品だ。再来年で創業100年。お客さまともお取引先とも末永く愛をはぐくんでいきたい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
これまで出張やプライベートで世界のさまざまな場所を訪れており、空白地帯は案外少ない。先日、知人から南極と北極を旅した話を聞き、がぜん行ってみたいと思うようになった。スマホがつながらない極地に身を置くのもいいかもしれない。
1927年に樫山純三氏が大阪で樫山商店を創業し、戦後に日本を代表するアパレル企業に発展。中核会社のオンワード樫山は「23区」「ICB」「五大陸」「J.プレス」「アンフィーロ」などを展開。グループ会社には法人ビジネスのオンワードコーポレートデザイン、バレエ用品のチャコット、ペット用品のクリエイティブヨーコなどがある。2024年2月期連結業績は売上高1896億円、純利益66億円
オンワードホールディングス
03-4512-1070
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【ワールド 鈴木信輝社長】アパレル企業の枠を超えた、総合ファッションサービスの実現へ
PROFILE: 鈴木信輝/社長

ワールドは2024年11月に繊維商社・三菱商事ファッション(MCF)の子会社化を発表し、世間をあっと言わせた。また傘下の投資会社を通じてライトオンの経営再建にも乗り出す。鈴木信輝社長はアパレル企業の枠を超えた「総合ファッションサービスグループ」の実現に着々と手を打つ。
川上から川下まで連携し、
さらなる持続的成長をめざす
WWD:MCFの子会社化の狙いは?
鈴木信輝社長(以下、鈴木):BtoB領域を拡大してきたが、ワールドのプラットフォーム事業をもう一段上のステージに上げるためだ。MCFは長くBtoB事業を本業として営んできたBtoB事業運営の知見があり、世界的なサプライチェーンを有し、モノ作りのクオリティーやコストの面で競争力がある。モノ作りのエキスパートが豊富にいる。当社のプラットフォーム事業の成長のドライバーになる。
WWD:川上への投資としては大型案件だ。
鈴木:アパレルでは川下が注目される時代が長く続いた。EC(ネット通販)も含めて消費者起点が何より重要とされた。だが、今は川上にウイングを広げることも求められる。円安や原料高に加えて、地政学上のリスク、サステナビリティの高まりなど、生産の重要性が年々増している。原料までさかのぼるトレーサビリティが求められるし、環境問題の高まりで再生素材も増やす必要がある。時代によって川下と川上の重要性は振り子のように動く。
WWD:ワールドは消費者を起点に小売りから生産までを一気通貫させる「スパークス構想」を1990年代から打ち出してきた。
鈴木:やるべきことの本質は変わらない。お客さまとの接点である売り場と工場をいかにロスなくつなぐか。付加価値の源泉はそこにある。当社には素材や染色など川上の工場を傘下に入れ、川下とつないできた実績がある。誤解のないように言うが、MCFを自社ブランドの生産機能に組み込みたいわけでなく、あくまで他のアパレル企業に向けたBtoBを強化する。昔と今との違いは、スパークス構想をファッション産業全体に広げようとしていることだ。
WWD:普通のアパレル企業とは異なる事業領域だ。
鈴木:当社は「ストラスブルゴ」のような高級セレクトショップから「シューラルー」のような低価格業態、リユース品の買取・販売の「ラグタグ」、高級ブランドバッグの定額レンタルの「ラクサス」(24年12月から持分法適用会社に移行)まで幅広い業能を持っている。一方で生産・販売・店舗開発・内装・システムなどBtoBのプラットフォーム事業も拡充している。ファッションに関する仕事なら何でもできる企業になる。それぞれの事業が緩やかに連帯することで、ファッション産業全体の発展に貢献する。
WWD:傘下の投資会社W&Dインベストメントデザイン(W&DiD)を通じ、ライトオンにTOB(株式公開買い付け)を実施した。
鈴木:これまでもさまざまな経緯で企業の再生に取り組んできた。同じW&DiD経由で、ストラスブルゴや子供服のKPも早々に黒字化させた。なぜ早く立て直せたかといえば、当社のBtoBのプラットフォーム事業が有効に働くからだ。ライトオンは従来に比べて大型案件であり、当社としても腰を据えて再建していく。こうした再生型投資に関しては相談が次々に舞い込む。活躍できる場面はますます多くなるだろう。
WWD:将来への種まきが続いている印象だ。
鈴木:かれこれ10年以上、たくさんの種をまいてきた。見切りをつけたものもあれば、形になったものもある。目指すべき姿のために種をまき、水をやり続けるのが現在のフェーズだ。25年は海外市場にも種をまく。「ラグタグ」でタイの大手企業サハグループと組んで合弁会社を設立し、バンコクに1号店を開く予定だ。24年春にバンコクでポップアップを開催し、ブランド品のリユース販売の潜在需要を感じた。サハグループとは17年に合弁会社ワールド サハ ファッションを設立し、「タケオキクチ」をタイや台湾に出店してきた実績がある。
WWD:屋台骨であるブランド事業では長い夏に対応したMDの再構築が課題だ。
鈴木:気候とお客さまの服選びが変わっているのに、従来の常識を押し付けたら売れないのは当たり前。成功例として「オペーク ドット クリップ」は柔軟なMDできちんと結果を残した。24年秋から私と各ブランドの担当者が大きな部屋に全商品サンプルとカレンダーを広げて、改めてお客さま起点で「この週の各地の気温は?」「どんな仮説でこの週にこの商品を売るのか?」と是々非々で議論することを始めている。商売の基本を改めて徹底するのみだ。
WWD:ブランド事業で成長を見込む業態は?
鈴木:ショッピングセンター向けでは「オペーク ドット クリップ」「グローブ」「インデックス」は堅調だ。百貨店向けでは規模は小さいが「ギャレスト」「オブリオ」が期待できる。ファインジュエリーの「ココシュニック」も新しいニーズをとらえることに成功し、よく売れている。気候対応もそうだが、MDの精度を高めれば、収益はまだまだ底上げできる。既存店の伸び代は大きい。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
日々の仕事に追われていると、新しい分野をじっくり勉強する機会がどうしても減ってしまう。世界はこの10年で様変わりした。哲学、地政学、芸術、テクノロジーといった多様な分野の知識を学び直しながら、自分の視座をもっと磨き続けたい。
1959年、神戸で婦人ニットの卸売業として設立。93年、小売業に進出。「アンタイトル」「インディヴィ」「タケオキクチ」「シューラルー」「オペーク ドット クリップ」などのブランド事業のほか、プラットフォーム事業、デジタル事業の3セグメントを推進する。子会社として子供服のナルミヤ・インターナショナル、ブランド古着の買取・販売店「ラグタグ」を運営するティンパンアレイなどがある。2024年2月期(国際会計基準、決算期変更のため11カ月の変則決算)業績は、売上収益2023億円、純利益67億円
ワールド(代表)
078-302-3111
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【ジョイックスコーポレーション 塩川弘晃社長】「ポール・スミス」を磨き 次世代顧客を獲得する
PROFILE: 塩川弘晃/社長

ジョイックスコーポレーションは、主力ブランド「ポール・スミス」を磨き上げる。リアル店舗とデジタルを活用し、新しい顧客との接点を作ることが最大のテーマだ。強みであるテーラリング、革小物をはじめとした雑貨の潜在需要はまだまだ大きいと塩川弘晃社長は考える。
革小物とジュエリー、
そして強みのテーラリング
WWD:「ポール・スミス」は2024年ホリデーシーズンのキャンペーンにSEVENTEENのJEONGHANを起用した。
塩川弘晃社長(以下、塩川):力を入れたキャンペーンだった。既存店はもちろん、ラフォーレ原宿と心斎橋パルコでは革小物やジュエリーなどギフトをテーマにしたポップアップを開催した。渋谷駅ハチ公口でのインパクトのある屋外広告、加えてSNSでの露出も積極的に仕掛けた。日本上陸から40年以上が過ぎ、お客さまも40〜50代が中心になっている。KOL(キー・オピニオン・リーダー)の起用によって20〜30代にリーチするのが目的だ。反響は大きく、手応えを感じている。今後もマーケティング投資に注力するつもりだ。
WWD:25年は何を仕掛けるのか。
塩川:2つの軸がある。1つはKOLの起用に代表される若い世代の取り込み。ここでは革小物やジュエリーを前面に押し出す。もう1つは大人の世代を中心に、改めてテーラリングを訴求する。テーラリングはポール・スミス氏が最も得意とするところ。ブランドの強みのカテゴリーを生かす正攻法だ。
WWD:新しい顧客をつかむ策はあるか。
塩川:デジタルの活用で接点を増やさなければいけない。若い世代ほど価値と価格のバランスに厳しい目を持つ。商品を探す際、まずECサイトで価格のフィルターをかけ、気に入ったものがあれば来店する。ブランドの感度と品質を守った上で、手を伸ばせば届くエントリー商品が必要だ。財布などの革小物であれば2万円以下、スーツであれば10万円以下。全体の価格を下げるのではなく、あくまで入り口を広げ「ポール・スミス」の商品を体験してもらいやすくすることで新しい顧客を獲得していく。
WWD:革小物が入り口になっている例が多いと聞く。
塩川:そう、革小物は重要だ。25年春から当社企画の商品も市場に投入することになった。これまで以上にマーケットインのMDを組めるだろう。百貨店の平場は当社にとって初の取り組み。情報の収集・分析をしっかり行い、平場とブティックとで相乗効果を出す。23年から当社に移管されたウィメンズとともにブランドの世界観を磨いていきたい。
塩川:長い夏への対応も課題だ。
鈴木:「ポール・スミス」に関しては5月から10月の6カ月間を夏と捉え、5〜7月と8〜10月の前半・後半に分けてMDを考える。カットソーや布帛シャツなどの軽衣料でメリハリを出し、鮮度を高める。また話題性のあるコラボレーションや雑貨類を充実させ、天候リスクに左右されないようにする。重衣料で成長した会社だけに意識の切り替えはなかなか難しいが、もうけの構造にメスを入れないと立ち行かなくなる。スーツ、ジャケット、コートは売るべき時期にしっかり売ればいい。もともと「ポール・スミス」は店頭でセールをしない。それだけに適時・適品の精緻なMDを追求しなければいけない。
WWD:「ポール・スミス」は独立した会員プログラムを23年に導入している。
塩川::リアル店舗と自社ECの顧客データを一元化し、活用する体制は整った。現在はカスタマープロファイル別に施策を実施し、その効果を検証している。1度購入していただいたお客さまを2度目の購入に促すコミュニケーションの仕組みを構築したり、また、お客さまにブランドへロイヤルティーを感じてもらえるようさまざまなCRM施策を仕掛ける。
WWD:それ以外のブランドは?
塩川:「ランバン オン ブルー」から昨年4月、ファミリー層を対象にした実験的なライン「エッセンシャル」をスタートした。ラフォーレ原宿のポップアップではインバウンド(訪日客)がけん引してよく売れた。引き続きECでテストを重ねていく。「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ」でも23年に始めた「ザ・ダファー・アンド・ネフューズ」の調子がいい。高感度なセレクトショップに絞った展開だが、若い世代からの評価が高く、ブランド価値向上にもつながっている。
WWD:将来を担う人材は育っているか。
塩川:一昨年「ポール・スミス」のウィメンズ事業が当社に移管され、約20店舗の販売員や内勤スタッフが入社した。女性社員が一気に40人前後増えた。その中には当社の将来を担う幹部候補となる人材もいる。当社は紳士服出身のため、良くも悪くも男性的な企業体質があったが、女性社員が増えたことによる化学変化が起こりつつある。従来の常識にとらわれないアイデアが現場から上がってきている。彼女たちの力を最大限に生かせる環境を作るのが私の仕事だ。女性社員の活躍に大きな可能性を感じている。
実現の可能性はゼロじゃない私の夢
ゴルフではさいわい80台のスコアは出せるものの、何度挑戦しても80を切れない。今年は必ず70台でシングルプレーヤーの仲間入りをしたい。グリーン上では全身、当社の「サイコバニー」を着て、私自身が広告塔になる。だからスコアにはこだわる。
1971年設立。82年に英国ポール・スミス社と提携。その後、海外の複数のブランドとパートナーシップを結び、現在日本に170店舗以上を運営する。2024年3月期の売上高は304億円。伊藤忠商事のグループ会社の一つ
ジョイックスコーポレーション
03-5213-2500
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エディ・スリマンも注目するLAのポスト・パンク・バンド、オートマティック(Automatic)インタビュー
デモを聴いたLAヒップホップ/ビート・シーンの重鎮、ピーナッツ・バター・ウルフがほれ込み、彼が主宰するレーベル「Stones Throw」から2019年にデビュー・アルバム「Signal」をリリースしたLA在住のバンド、オートマティック(Automatic)。メンバーは、リード・ボーカル&シンセのイジー・グラウディーニ(Izzy Glaudini)、ボーカル&ドラムのローラ・ドンペ(Lola Dompé)、ベースのヘイリー・サクソン(Halle Saxon)の3人で17年に結成された。
1980年代のガールズ・パンク/ニューウェイブ・バンド、ゴーゴーズ(The Go-Go's)の曲から名前が取られた彼女たちのサウンドは、スーサイドやヒューマン・リーグを連想させるシンセ・パンク/エレクトロ・ポップにドリーミーでサイケデリックなフィーリングがミックスされた、いわく「アンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズム」に貫かれた代物。そんな彼女たちに寄せられるラブコールは、ツアーにフックアップしたヤー・ヤー・ヤーズやテーム・インパラから、ショーの音楽制作を依頼したエディ・スリマンをはじめ、「ミュウミュウ(MIU MIU)」や「ジバンシィ(GIVENCHY)」といったラグジュアリー・ブランドまで、絶え間がない。2年前には「グッチ(GUCCI)」とコラボレーションし、彼女たちの楽曲を使ったキャンペーン映像が話題を呼んだことも記憶に新しい。
現時点で彼女たちの最新作になる2ndアルバム「Excess」(2022年)は、ムーディーでメロディックなエレクトロと幽玄なボーカル・ワークが耳を引く、いわばレトロ・フューチャリスティックなモーターリック・ポップの1枚。加えて、格差や気候変動など今の社会が抱える問題を、地元LAの現実を通して描写したシリアスでポリティカルなメッセージが印象的だ。すでにレコーディングを終えた次のアルバムが完成間近に迫る彼女たちは、昨年末に初めてのジャパン・ツアーを開催。東京でのライブ直前、イジーとローラに話を聞いた。
アンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズム
——ニュー・アルバムの「Excess」がリリースされて3年近くがたちますが、作品のテーマやコンセプトについて改めて教えてもらえますか。
イジー・グラウディーニ(以下、イジー):「Excess」は、政治的な問題や世界情勢に対して、より意識的に向き合ったものだったと思う。COVID-19の時に制作したこともあって、世の中の不平等や矛盾について深く考えさせられました。つまり、なぜ何もかもが劣化して、こんなひどいことになったのかを考える以外、することがなかったというか(笑)。特にロサンゼルスという街は貧富の差が極端で、大邸宅が建ち並ぶ地域があるかと思えば、1ブロック歩くとテントとホームレスの掘っ立て小屋の街があるという光景は、今の社会が抱える問題を象徴しているように思います。そうした矛盾を目の当たりにして、音楽を通じて何かを伝えたいという思いを強くしました。
——サウンドについてはどうですか。1stアルバムの「Signal」と比べると演奏やプロダクションも洗練された印象を受けましたが、自分たちのどんなスタイルが打ち出されたアルバムだといえますか。
イジー:私たちはとても折衷的なバンドで、いろいろな音楽にインスピレーションをもらっています。トリップホップ、ヒップホップ、時にはクラシック・ロック、そしてマジー・スター、ニュー・オーダー、イエロー・マジック・オーケストラなど、影響を受けたものを挙げればきりがない。それで、それらの要素を全部混ぜ合わせて、自分たちだけのオリジナルなサウンドをつくっている。私たちのバンドがクールなところは、そうした影響を全て取り入れて、自分たちのものにできる“ミニマル”さだと思う。
——その“ミニマル”というところで言うと、ギター・レスであることもオートマティックの特徴の一つだと思います。
イジー:私たちがオートマティックを始めたころのアンダーグラウンド・シーンにはギター・バンドがたくさんいて、何か違うことをやってみたかったんです。周りのバンドはとても“男性的”で、過剰な感じがしたというか。もともと私はギターを弾いていて、それまでシンセに触ったこともなかったので興味を引かれたのもありました。私たちの音楽理念は、いわばアンチ・プロフェッショナリズムとミニマリズムのようなものです。面白い音楽をつくるのに技術的に優れている必要はない。シンセはとてもフレキシブルな楽器で、初心者に優しく、誰でもスイッチを入れてツマミをひねることでクールなサウンドをつくることができる。この先の作品ではギターを取り入れることもあるかもしれないけど、重要なのは進化し、新鮮であり続けることなんです。
——ボーカルをイジーさんとローラさんの2人で担当しているのは、どういう理由からだったんですか。
イジー:最初にジャムを始めた時から自然とそうでした。私たちの音楽はとてもシンプルでミニマルなので、2人の異なるボーカリストがいることで、曲のダイナミクスを高めることができる。それに、私たちは偶然にも正反対のタイプの声を持っていて。ローラは明るく、時にはパンクな声をしていて、私はもっと低音が効いていてすねたようなスタイルで、異なるエネルギーを組み合わせるのはクールだなって。
マッシヴ・アタックやポーティスヘッドからの影響
——「Excess」に収録されている「Automaton」はポーティスヘッドにインスパイアされた曲だそうですね。
イジー:ポーティスヘッドは私たちがやろうとしていることと似ていて、つまり、いろんなジャンルの音楽からたくさんの影響を受けています。サンプリングしたものをマッシュアップするDJカルチャーに近いというか。音楽に対する感性や、アイデアを組み合わせるセンスさえあれば、高度なテクニックはなくても、シンプルなビートやメロディから面白い曲はつくることができる。「Stones Throw」というレーベルが大好きな理由もそこにあって。あのレーベルの作品は、いろんな音楽の要素を混ぜ合わせて、独特な雰囲気を持った音楽をつくり出しているから。
ローラ・ドンペ(以下、ローラ):それに、「Excess」はダークでシネマチックな世界観を持った作品で、そこはマッシヴ・アタックやポーティスヘッドの影響も大きかったと思います。
——“シネマチック”と言えば、オートマティックはアルバムのジャケットやミュージック・ビデオ、ライブ中の映像演出も独創的です。アートワークのこだわり、またビジュアル面で影響を受けたアーティストを教えてください。
イジー:私たちのパフォーマン・スタイルはとてもストイックなので、プロジェクションや照明を使って、より魅力的なショーをつくるようにしています。ノワールで、ムーディーで、ちょっとSFチックなグラフィックが好きなんです。デヴィッド・リンチやアンディ・ウォーホル、フリッツ・ラングの映画、そしてLAで素晴らしいビデオやアートをつくっている友人たち――シルヴィー・レイクやアンバー・ナヴァロの映像作品から大きな影響を受けています。ちなみに、「Excess」のビジュアライザーはヤナ・パン(Yana PAN)が制作したもので、ヴァルター・ルットマンなどの1920年代のドイツのグラフィック・アーティストや、フリッツ・ラングのSF映画「メトロポリス」がインスピレーションになっています。
——LAには、あなたたちが所属する「Stones Throw」や「Leaving」といったレーベル、あるいは以前あった「Low End Theory」のようなパーティーに代表されるヒップホップやビート・シーンがあり、かたや、脈々と続くアンダーグラウンドでエクスペリメンタルなロック/ノイズ・シーンがあって。その二つのシーンが交差するところから面白い音楽が生まれているという印象があります。
ローラ:LAでは全てがつながっていて、私たちの音楽もいろんな要素が混ざり合って独自のスタイルをつくり上げている。だから「Stones Throw」と契約したんです。友達が何人かそこで働いていて、それでちょっとしたデモをつくって送ってみたら、ピーナッツ・バター・ウルフ(※「Stones Throw」の創設者)が気に入ってくれて。彼はポスト・パンクのバックグラウンドを持っていて、パンク・ミュージックの生々しいサウンドにこだわりがありました。それで私たちの音楽のパンクな部分に興奮してくれたみたいで、すぐに契約の話がまとまったんです。
イジー:私たちはドラムとベースが主体の音楽だから、リズムが前面に出ていて、スペースがたくさんある。そこは、ヒップホップのサンプリング・カルチャーやビートメイクに似ているところがある。私たちもドラムの音を細かく切り刻んだり、サンプラーを使って新しいサウンドをつくったりする。私たちはクラシックな訓練を受けたミュージシャンではないし、全て独学なんです。限られた環境の中で、クリエイティブに、自分たちの知っているやり方でやっていくしかない。それはある意味、ヒップホップのDIY精神に通じるものがあると思う。
ローラ:それに、私たちは女性でもある。だから、ちょっとしたアウトサイダーみたいな存在なんです。
——ちなみに、ローラさんのお姉さんはポカホーンテッド(Pocahaunted)のメンバーでしたよね。アンダーグラウンドなノイズ・シーンを代表するグループの一つで。
ローラ:2000年代は特に盛んでしたね。「Not Not Fun」とか。そう、あれは私たちが“生まれる前”のことで、直接その時代を経験したわけではないけれど、間違いなくインスピレーションを受けています。あのころは音楽シーンが今よりももっとエキサイティングで、DIY精神あふれるインディーズ・バンドがたくさん活躍していて。私はそういう音楽が身近にあったので、特に10代のころに聴いた音楽には大きな刺激を受けました。DIYの会場が街の至る所にあって、いつでも気軽にライブを観ることができた。この15年でだいぶ変わってしまったと思うけど、以前はもっと無邪気でパーティーみたいで、自由に音楽を楽しんでいたような気がする。今はよりシリアスで、ダークな雰囲気になったように感じます。
イジー:そして、とてもポリティカルになった――オバマの時代になってね。
ラグジュアリー・ブランドとのコラボ
——作品のリリースやライブと並行して、オートマティックはファッションとクロスオーバーした活動も盛んです。「セリーヌ」のショーのサウンドトラックの制作をはじめ、「ミュウミュウ」、「ジバンシィ」、「グッチ」といったラグジュアリー・ブランドとコラボレーションされていますが、どんなところに面白さを感じていますか。
イジー:全てブランドの方から声をかけてくれたんです。私たちの方からブランドのために音楽をつくるとか、何かを売り込むとか、そういうことを考えたことはなくて。でも、自分たちの曲がランウエイで流れるのはクールだし、とても新鮮です。自分たちの音楽を表現する手段の一つとして、ファッションはすごく面白いと思う。「ミュウミュウ」は素晴らしいブランドだし、「セリーヌ」はとてもクール。特にエディ・スリマンは音楽とファッションをクロスオーバーさせて、つねに新しい何かを生み出そうとしている。単なるブランドのデザイナーではなくて、スタイルやカルチャーを大切にしている人なんです。
今は企業が大きく関わっていて、商業的な要素が強くなった。だから面白くないと感じる部分もある。でも、もし私たちの音楽に心から共感してくれて、それに応えてくれるなら、大歓迎です。単に私たちの音楽を商品として扱おうとするような行為は、クソくらえだね(笑)。
——ちなみに、エディ・スリマンとはどんな形で知り合ったんですか。
イジー:私たちのバンドのベーシストのヘイリーが彼と知り合いで。彼女は以前、彼のモデルをやったことがあったんです
エディは、私が10代のころから好きだったミュージシャン、例えばガールズのクリストファー・オウエンスと一緒に仕事をしてきて。最近だと(テーム・インパラの)ケヴィン・パーカーもそう。そういえば前に、彼がLAのヘイリーウッド・パラディアムでやったファッションショーに行ったことがあって。イギー・ポップが来ていて、ストロークスやジョーン・ジェットのライブもあったりして、あれは最高でした。
ローラ:私たちの共通の友達が何人かモデルとしてランウエイを歩いていて。自分たちの身近なコミュニティーの人たちが、あんな大きなファッションショーに出ている姿を見るのはとてもクールで刺激的でした。異なる世界が一つにつながって、新しい何かが生まれていくような感覚があって。
——せっかくなので、2人が好きなブランドや、お気に入りのワードローブについて教えてください。
ローラ:「ミュウミュウ」は大好きなブランドです。それと、「ミュグレー(MUGLER)」の昔のコレクション。あと、90年代の「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」もよく着ています。着飾ることは、単なる自己表現じゃなくて、私たちにとってショーの一部なんです。その曲の世界観に入り込むことができて、エネルギーが湧いてくるというか。
イジー:それに、私たち3人はビンテージや古着のお店を見るのが大好きなんです。LAでは「グッドウィル」(※アメリカの有名スリフトストア)にもよく行くし、デザイナーの服を安く見つけるのは楽しい。クールな気分になるのにお金がかからないのは最高(笑)。特にヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)やティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)など、パンクの精神や美学を持ったデザイナーに憧れます。
(東京に来る前に)大阪に行った時は、デザイナーズ・ブランドの古着がたくさん置いてあるお店で、みんな夢中になっちゃって(笑)。つくりがしっかりしていて、長持ちするもの、そして見た目もかっこいいものを持つようにするのは大事なこと。個人的には、プリーツレザーを着るのが好きなんです。私みたいに面倒くさがりな人は、飲み物やブリトーのソースをこぼしても簡単に落とせるから(笑)。
——例えば、オートマティックの活動において、音楽とファッション、そして政治的なメッセージのバランスについてはどんなふうに考えていますか。
イジー:それについては時々考えることがあって。例えば、私が大好きなクラッシュには、政治的なメッセージを込めた音楽をつくりながらも、同時に楽観的なところがあり、ファッションやスタイルにもこだわる“本物”のかっこよさがありました。だから思うんです、政治的なテーマを扱っているからといって深刻になりすぎたり、シニカルになったりする必要はないって。音楽をつくるときには、楽しさや遊び心が大切だと思う――それってつまり、人生を謳歌するということだから。パンクは、ただ単に「何もかもが最悪だ」って現状への不満を叫ぶだけじゃなくて、世の中をもっと良くしたいという強い願いを込めた音楽だと思う。“革命的楽観主義”とでもいうか、物事を変えるために何かを信じる気持ちが必要だと思う。だから私たちも、政治的な問題を扱う時はただ暗くて絶望的な感じじゃなくて、聴いた人にインスピレーションを与えるような音楽をつくりたい。ファッションもそのための重要な要素の一つだと思っています。たとえ気候が悪化して、世の中が大変な状況でも、人生は楽しくあるべきだと思うから。
ローラ:ヴィヴィアン・ウエストウッドはまさにその良い例だと思う。彼女は、ファッションを通して社会問題に対する強いメッセージを発信しながらも、同時に人々を魅了するようなデザインをつくり上げた。つまり、楽しく、そして美的なものでなければいけなない。そうやって“境界線”を押し広げることが大切だと思います。
シネイド・オコナーのパンク精神
——先ほど「Excess」のテーマに関連してLAの貧富の問題について話してくれましたが、そうしたLAという都市の文化や風景が自分たちの作品や活動に与えている影響については、どう捉えていますか。
イジー:LAは、全てが過剰で、カートゥーンみたいな“つくり物”の都市なんです。サイケデリックで、ものすごくロマンチックで美しいんだけど、同時に、浅はかで恐ろしくてくだらない。そこが魅力的なところでもあり、ただ、それに抗っているような感覚が自分の中にはあって。映画に出てくるようなきらびやかな場所もあれば、ホームレスが何百人、何千人もいるような場所もある。そのギャップがすごくて、実際、そうした不合理な光景を目にするのは悲しいし、とてもつらい。家賃もクレイジーだし……。
毎日そこで生活していると、だんだん慣れてきてしまうんです。まるで夢と現実が入り混じったような……その雰囲気全体が私たちの音楽に影響を与えているのは間違いないと思います。「シュールレアリスム」というのは、まさにLAを表現するのにぴったりな言葉だと思う。「Excess」では、そうしたLAの光と影をそのまま表現したかったんです。
ローラ:世の中には、華やかでキラキラしたものがたくさんある。でも、その裏側には、目を背けたくなるような現実がある。その対比こそが、LAという街の日常であり、それが私たちを突き動かすエネルギーにもなっていると思います。
——そうした音楽を通じて社会と向き合うアクチュアルな姿勢に関して、自分たちのロールモデルになったアーティストを挙げるなら誰になりますか。
イジー:シネイド・オコナー、クリネックス(Kleenex)、ブロンディ、デビー・ヘイリー(ブロンディ)、ジーナ・エックス、マジースター、スージー・スー、サバーバン・ローンズ(Suburban Lawns)……私たちは女性だから、自然と他の女性アーティストに共感し、インスピレーションを受けることが多いんだと思います。それに、私たちが活動しているようなジャンルでは、女性アーティストが先駆者として道を切り開いてきた歴史がある。特に77年から82年のパンク・シーンの女性アーティストたちは、まさにその代表格だと思う。だけど、その時代の音楽の世界では、女性であることは大きなハンディキャップで、ある意味、とても“危険”だったと思う。ただ女性であるというだけで、多くのことと闘わなければならなかったから。
——シネイド・オコナーはどんなところに共感しますか。
イジー:彼女は、自分であることを貫き、自分の信じる道を真っすぐ突き進んだアーティストでした。そして、ローマカトリック教会内の性的虐待について声を上げたことで、世間から激しいバッシングを受け、まるで中世の魔女狩りのような扱いを受けた。本当に狂っている……でも、彼女は決してひるまなかった。ジャンヌ・ダルクのように、自分が正しいと思うことのために闘った。ボブ・ディランのコンサート(※1992年10月、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催された、ボブ・ディランのデビュー30周年を祝うコンサート)で何千人もの人がブーイングを浴びせる中、堂々と歌い続けた彼女の姿は(※予定していたボブ・ディランの曲をやめ、アカペラでボブ・マーリーの「WAR」を歌った)、まさにパンクの精神そのものでした。彼女は、世間の目を気にせず、自分の心の声に従った。私にとって彼女は、まさに真のパンク・アイコンなんです。
ローラ:彼女の声はとても力強く、それにあわせてクールな態度とスタイルを持っていました。
イジー:でも、社会は彼女が自分たちの望む姿に沿わなかったから、彼女を引き裂いた。なぜ丸刈りなのか、なぜドレスを着ないのか……そんなくだらない質問ばかり浴びせて。でも彼女は、そんな世間の期待に応えることなく、それに男性に受け入れられるかどうかを気にすることなく、アウトサイダーであること、政治的であることを貫くことで音楽業界の女性たちのために多くの扉を開いてくれた。彼女を愛しているミュージシャンは本当にたくさんいます。R.I.P.。とても悲しい。
——ローラさんにとっては、ミュージシャンとして活動する上でお父さん(※バウハウス(Bauhaus)のドラマーだったケヴィン・ハスキンス)の存在も大きなものがあったのではないでしょうか。
ローラ:私が父から受けた最も大きな影響は、彼の音楽に対する素晴らしいセンスと、ミニマルだけどインパクトのあるドラミングだと思う。
音楽と父に関する私の最も古い記憶は、父と母が親しい友人たちを招いてディナー・パーティーを開いている間、小さな子どもだった私はいつもリビングで遊んでいたこと。マッシヴ・アタックやデヴィッド・ボウイなど、父がパーティー中にかける音楽が大好きでした。音楽がその空間を盛り上げ、父とその友人たちがパーティーを楽しんでいる姿は、私の印象に強く残っています。
——ちなみに、次の新しいアルバムはどんな感じになりそうですか。
ローラ:次のアルバムでは、「Excess」のテーマをさらに掘り下げ、戦争についてももう少し言及したものになると思います。政治的な出来事に対して、人々がどんな反応をし、どう行動するのか。例えば、ある人は怒り、ある人は悲しみ、またある人は無関心を装うかもしれない。そんな、人々の複雑な感情や選択について歌っています。ソーシャルメディアや身近な人々の反応を通じて、同じような経験をしている人が世界中にたくさんいることに気づかされました。
——サウンドについてはどうでしょう?
ローラ:ライブで演奏するような、生のエネルギーをスタジオに持ち込みたいと思っていて。だから「Excess」とはまた違った、ダイナミックなサウンドになると思います。音の一つ一つが際立っていて、普段の私たちのサウンドをさらに昇華させたような感じかな。
イジー:ローレン・ハンフリー(Loren Humphrey)という新しいプロデューサーと一緒に制作していて、彼が全曲共同プロデュースという形で参加してくれています。ニューヨークのダイヤモンド・マインドというスタジオでレコーディングして、彼の家で一緒にミックスしました。全てアナログ機材で音を重ねていって、プラグインはあまり使っていない。そういう意味ではオールドスクールな感じというか、テープで録音したような温かみもありつつ、ちょっとパンクな要素も加わっていて……言葉では表現しにくいんだけど(笑)、生々しくてエッジの効いたサウンドになっていると思います。
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「コーチ」グローバルCMOが語る バッグメーカーから“自己表現のプラットフォーム”への脱皮
米タペストリー傘下の「コーチ(COACH)」はここ数年、老舗レザーブランドとしてのヘリテージを守りながら、着実に進歩を遂げてきた。
高品質な製品を、手に届くリアルな価格で提供する。そんな“アフォーダブル・ラグジュアリー”の先にある価値を追求するため、“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”を合言葉に、Z世代やアルファ世代などの若者の間で共感と支持を広げてきた。
バッグなどの生産工程で派生した端材などを生まれ変わらせて作る姉妹ブランド「コーチトピア(COACHTOPIA)」が象徴的な取り組みの一つだ。世界中のZ世代と「ベータ・コミュニティー」を形成し、サステナブルな価値観や考えを深めている。
「私たちはバッグを作るメーカーから、次世代の若者の自己表現のプラットフォームとして生まれ変わりたい」。そう語るのは、このほど来日した「コーチ」のグローバルチーフマーケティングオフィサー(CMO)であるサンディープ・セス(Sandeep Seth)氏。革製品メーカーを超えた視座でビジネスに取り組む「コーチ」のこれからをサンディープ氏に聞いた。
WWD:まず「コーチ」のグローバルビジネスの概況について聞きたい。
サンディープ・セス「コーチ」グローバルCMO(以下、サンディープ):堅調に成長している。それも健全に、値引きに頼らないビジネスができている。地域別では、まずアジアが好調だ。韓国では一昨年12月に着任した責任者の下で、商品企画の全面ローカライズを行った。また、ラッパーのイ・ヨンジを起用した2023秋のグローバルプロモーションは、現地のセレブのファッションや生活様式などを反映したクリエイティブが反響を呼んだ。
中国はマクロ経済の見通しが厳しいが、同国のZ世代の人口は5000万を超えるほどの規模がある。データ上では、私たちはそのわずか1%しか顧客化できていない。伸び代はまだまだあるということだ。北米もここしばらく景気が後退していたが、状況は良くなっている。ニューヨークの旗艦店のスタッフからは先日、「これまでで(単日の)最高の売り上げを達成した」という報告のメッセージが届いた。そして欧州ではここ2、3年、過去にないほどの伸長率を見せている。
WWD :好調要因をどう分析するか。
サンディープ:ターゲットを的確に理解し、求められている体験を届けられれば、よい反応を得られるということだ。コーチの80年以上のヘリテージは、変化の上では足かせにもなり得る。ときに、「シニアのためのブランド」と捉えられることもあった。だが近年は、次世代にふさわしいブランドに向け、着実なアップデートができている。強みのレザーバッグは、ブランドのヘリテージを大切にしながら若い層に向けて新鮮なエッセンスを提供できている。例えばアイコンバッグの“タビー”(TABBY)はZ世代の関心を引くような、これまでにない色や形の展開を広げた。“ブルックリン”“エンパイア”といった、ブランドのコアを再解釈し、新鮮な要素を取り入れた商品開発にも取り組んでいる。フットウエア、特にスニーカーは次なる柱に成長させられる確信があるから、もっと展開を強化したい。25年春夏のランウエイにも登場したスニーカーの“ソーホー”は私自身も愛用している、すばらしい一足だ。
WWD:ニューヨークで発表した25年春夏コレクションは、自由でポジティブな表現が目を引いた。
サンディープ:それが伝わって何よりだ。私たちは高品質な製品を通じたラグジュアリーな体験を、インクルーシブな価格帯で、なるべく多くの人に提供する。この価値はこれからも変わらないだろう。ただ、商品はあくまでブランドの一部であり、“Courage To Be Real(リアルに生きる勇気)”という我々のパーパスを実現する上での、重要なピースの一つだと捉えている。私たちは3年ほど前から“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”という新しい合言葉の下に変革を進めている。
WWD:“エクスプレッシブ・ラグジュアリー”とは。
サンディープ:セルフ・エクスプレッション。つまり自己表現をする人に自信を持ってもらえるような、新しい価値のこと。ラグジュアリーはこれまでステータスやロゴが重要視されてきたが、その価値観はZ世代やα世代の中で大きく変容している。彼・彼女たちにとってラグジュアリーとは、「見せびらかし」ではなく、自己表現そのものだ。
今、若い世代は2つの大きな変化の中にいる。一つはソーシャルメディアによる世界の変容。SNSでは、自分たちの行いや思いが全て記述されている。私の子供時代は、私のことは私の周りの友人しか知り得なかったが、今はそこに自分の全てが表現されているわけだ。今の若者は、自己表現への感度や意識が、私たちの子供の頃とまるで違う。
オンラインとオフラインが融和した世界の複雑さが、さまざまな個性や表現を生んでいる。1人のおとなしい若者が、ティックトックだとアグレッシブな性格に変わり、インスタでは別の人格で表現している。そんなことはザラにあるだろう。バーチャルアバターを持っているかもしれない。たくさんの自己表現の形が生まれる中で、「コーチ」は若い世代の自己表現のプラットフォームになりたいと考えている。
自己表現は、「Courage to Be Real」のパーパスを実現する上で欠かせないもの。24年秋冬の“Unlock Your Courage”(自分らしさの、その先へ)』のキャンペーンは、完璧さを求めることは、時に自己表現の妨げになることもあるからこそ、「ありのままの自分を受け入れる勇気を持ってもらいたい」というメッセージを込めた。
WWD:23年にスタートした姉妹ブランド「コーチトピア」は、Z世代を巻き込みながら、サステナビリティに本気でコミットしている。
サンディープ:「コーチトピア」は、「コーチ」のバッグを製造する上で生まれた歯切れから作られている。エンジニアリングに求められる投資や技術力は非常にヘビーなものだが、このようなイノベーションに、商品開発レベルから深く取り組んでいるファッション企業は他にはないと自負している。若い顧客を中心に非常にいいリアクションを頂いていて、発売後はすぐに完売することが多々ある。
「コーチトピア」では、Z世代を巻き込んだ「ベータ・コミュニティー」というグローバルコミュニティーを作っている。ファッション業界が与える環境負荷への課題認識を共有する学生やクリエイター、環境活動家など約200人が所属していて、各地でサステナビリティにまつわる意見交換などを通じ、考えを深めている。これも「自己表現の場」として、コーチが目指すべきモデルケースの一つになっている。
「コーチ」、Z世代200人と共創 循環型ブランド起点に広がるコミュニティー
WWD:新世代の価値観にキャッチアップするためには?
サンディープ:新しいチャレンジを連続すること。多くの人は壊れそうなものがあったら、そっとしておくはずだ。だが私は、まだ壊れていないものがあったら「壊せ」と言う。そこからまた、新しいものを作ることができる。でないと、周りから取り残されてしまう。足を止めてしまってはダメなんだ。今の世の中において物事の移り変わるスピードは加速度的だ。変化を理解し、予測するには、消費者を洞察することが欠かせない。
WWD:「洞察」とは具体的に?
サンディープ:僕はビジネスで「マジック」と「ロジック」という言葉を頻繁に使う。お客さまを魅了するマジック(魔法)を使うには、ビジネスのターゲットについて理解しないと、効力を発揮しない。そのロジック(論理)を理解するための材料がデータだ。ただ、定量調査だけでは足りない。傾向が分かっても、その背景が分からなければ、使い物にならない。だから定性調査、つまりリアルに“人”と接することが必要だ。
私は、オフィスで腰を落ち着けていることはあまりない。世界を飛び回り、各国のお客さまの自宅を訪問し、今の生活についてや憧れ、リアルな思いを聞いている。クローゼットの中身も見せてもらう。服を着たとき、バッグを持ったときにどういう気持ちになるか?を聞く。もちろん、お買い物にも同行させていただく。お客さま1人と4、5時間を一緒に過ごしていることはザラだ。
この前はソウルで、男の子のコンピューターゲームの集まりについて行って、若者たちに怪訝な目で見られたよ(笑)。福岡では24歳の女性に会って、ひどく感銘を受けた。彼女は学校を中退していて、ソーシャルメディアで2万人のフォロワーがいた。彼女が世の中をどういうふうに見ているかを話してくれた。きっとこの世代だったら、世界のあらゆることを変えられると感じた。そして、私の家にいる2人のZ世代、19歳の息子と14歳の娘からも常に学ぼうとしている。
WWD:若者たちから感じることは?
サンディープ:みんな、葛藤している。自己表現はしたいけれど、周りが受け止めてくれるかどうか?と悩んでいる。服をどう着こなし、どう行動したらいいか分からない。一歩が踏み出せないんだ。だから「コーチ」は彼・彼女たちに寄り添える、自己表現のプラットフォームになりたい。自信を持って自己表現するための、インスピレーション源になりたい。
だからバッグマーケットのシェアをひたすら奪取しようという視点からは、もうすでに離れている。「コーチ」といえば“バッグ”ではなく、“自己表現の場所”。皆さんからそう思ってもらえることを、心から望んでいるんだ。
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深川麻衣 × 若葉竜也 映画「嗤う蟲」で感じた「城定監督のすごさ」——「みんなの想像を超えてくる」
PROFILE: 右:深川麻衣/俳優 左:若葉竜也/俳優
城定秀夫(じょうじょう・ひでお)監督の快進撃が止まらない。青春映画「アルプススタンドのはしの方」(2020)や、恋愛映画「夜、鳥たちが啼く」(22)、ラブコメディー「愛なのに」(22)などジャンルを自由自在に行き来しながら、人間を深く活写する。2020年以降だけでもなんと16本の商業長編映画を監督している多作ぶりに驚かされる。
その城定監督の最新作「嗤う蟲(わらうむし)」が現在公開中だ。スローライフに憧れて田舎の村に移住したイラストレーターの杏奈(深川麻衣)と、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)のカップルが、村の掟に追い詰められていく姿を描くヴィレッジスリラー。
ジャンル映画でありながら、ありえないことが何一つないリアリティーにより、観客が自分事として没入できるこれぞエンターテインメント。現場を体験した深川と若葉へのインタビューから、城定秀夫監督のクリエイティブの秘密に迫る。
「嗤う蟲」の撮影について
——「嗤う蟲」に出演するにあたり、興味を惹かれた、もしくはやりがいを感じたポイントをお聞かせください。
深川麻衣(深川):サスペンスやミステリーを題材にしたものがもともと好きで、映画やドラマ、小説で楽しんでいました。閉鎖的な村を舞台にした作品がいろいろ作られてきた中で、「嗤う蟲」の後半で明らかになっていく、村の人たちが隠している秘密に対する着眼点に惹かれました。今までありそうでなかったなって。城定監督と初めてご一緒できることもうれしかったです。
若葉竜也(若葉):城定さんに対してずっと興味があったんです。今は大作も撮ってますけど、もともと割とアンダーグラウンドな場所で戦っていたイメージがあったので。その城定さんと、しっかりとメインストリームに君臨している深川麻衣という女優が一緒にやったときに、どんな化学反応が起きるのかなということに一番興味がありました。
——城定監督が現場ではどんな演出をするのか、とても興味があります。
若葉:「自由にやってください」みたいな感じでしたね。
深川:そんなに細かい演出はなくて、ピンポイントで入る程度なんですけど、それがすごく的確でした。杏奈がリモートで(担当の編集者と)打ち合わせしているシーンで、本番直前に「貧乏ゆすりをずっとしててほしい」と言われて。「どう撮るのかな、上半身と下半身のカットを分けるのかな」と思っていたら、貧乏ゆすりしている足元から愛想笑いしている顔までを、カメラがスーッと動いてワンカットで撮影したんです。すごく面白いなと思いました。
——あのカメラワーク、面白かったです。杏奈の貧乏ゆすりも強烈でした。
若葉:すごく長いシーンでも、ほとんどワンシーンをワンカットで撮ってました。「この尺感で、必要なものは全てフレームに詰め込める」という計算がある程度あるんだな、自信があるんだな、と思いました。段取りとテストを同時にやって、アングルも城定さんの中でほぼ決まっているからすぐに本番へ。毎日3時間くらい予定より早く終わってました。
深川:城定さんはすでに頭の中に絵が見えていたと思うのですが、ライブ感を大切にしていて、しっかりとお芝居を見ていてくださいました。家の軒先に蜘蛛の巣ができていたときは、蜘蛛の巣越しのカットにしようとか、現場でそのときの環境やお芝居を見て決めていくんです。トントントンっと撮影が進んでいくけれど、丁寧に撮るところはちゃんと時間をかけて準備をする。その進み方が心地よかったです。
若葉:アクションシーンだったらテストや段取りを積み重ねた方がいいと思いますし、感情的なシーンだったらテイク数もアングルも少なくしてほしいというのが役者の願いではあると思います。今回は(田口)トモロヲさんや松浦(祐也)さんといった(村の住民を演じる)個性豊かな俳優さんたちがどんなことをやってくるのか分からなかったので、それに対する生っぽいリアクションも撮れるという意味では、このスピード感は大切だったように感じます。
——村の人たちが仕掛けてくるものをいかに受けていくか、というお芝居だった。
若葉:そうですね。僕らは余計なことはしなかったです。
深川:基本、受け身でした。村人のみなさんの言動があってこそのリアクションだったので。ナチュラルに、余計なことをしないように。
若葉:みなさん全然違う毛色のお芝居でした。全員の演技を間近で見ることができたのは、特権だったかなと思います。
深川:台本を読んでいただけでは想像できなかったお芝居やアプローチがみなさんからどんどん飛び出してくるので、そこに新鮮な気持ちで反応していくという体験が面白かったです。
——特に強烈だった俳優さんはいますか?
若葉:僕は接する場面が多かったので、(自治会長の田久保役の)トモロヲさんですね。トモロヲさんはもともとばちかぶりというパンクバンドで大暴れしていた人で。すごく優しいし腰も低いけど、その中に潜んでいる狂気みたいなものがあって。それに触れた瞬間は、今までに触ったことのないものに触ってしまった、という感覚があってゾッとしました。
「作品に対してどう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事」
——杏奈と輝道が追い込まれてじわじわと変化していく様がそれぞれにリアルでした。終盤の杏奈は顔の面積の中で白目部分が占める割合が大きいというか、目がぎょろぎょろしていて異様というか…。多少体重を落としたり、特殊メイクをしたりしましたか?
深川:いえ、特別なことは何もしていないです。仕上がったものを見て、すごい顔をしているなと自分でも思いました(笑)。ジャンルレスな映画ということになっていますが、こういうヴィレッジスリラー的な題材のものはやはり、監督によっては分かりやすいお芝居を求められるときもあると思うんです。「もっと強く、分かりやすく気持ちを表現して」と。でも今回はかなり繊細にやらせていただけました。
——輝道の全身から漂う「諦めていく感じ」も素晴らしかったです。
若葉:作為的なものを入れることでもないなと思っていたので、台本に書かれている通りにやりました。あと、ロケ地があまり自分に合ってなかったです。その場所に行くのがどんどん嫌になっていったので、自分の精神と肉体が役とリンクしていた感じはあります。
深川:心霊体験もしてましたよね。
若葉:晴れていても暗い、閉鎖的な場所だったので、早く帰りたかったです(笑)。
深川:私は撮影した場所が緑が多くて、自然が好きなので生き生きしてました。
——受け取り方が全然違いますね(笑)。お2人は「愛がなんだ」(18/今泉力哉監督)以来の共演となります。今回は夫婦役ということで、どのように役柄の関係性をつくっていきましたか?
若葉:夫婦だから特別どうこうしようということはなかったです。夫婦も所詮他人なので、対人間として呼応していきました。
深川:特に「このシーンをこうしよう」とか話したわけではなく。でも、「愛がなんだ」で共演した経験から、何をやっても受け止めてくれるという信頼感と安心感が土台にありました。言い合いや殴るシーンもあったんですけど、若葉くんだから思い切り気持ちをぶつけることができました。
——若葉さんは過去のインタビューで、主演する作品では脚本の打ち合わせに入ることが多いとおっしゃっていました。今回は何か提案しましたか?
若葉:台詞の中の抽象を具象にしていきました。例えば「コンビニに行ってくるわ」という台詞があったとしたら、「セブン(イレブン)行ってくるわ」にした方が見てる人たちの環境と地続きになると思うんです。一つの接点になるというか。今回は「台詞の『電子タバコ』を『IQOS』にできますか?」という相談はしました。その作品に対してどういう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事だと思うので。
——深川さんは杏奈について提案したことはありますか?
深川:いくつかの台詞について「こう言った方が分かりやすいですかね?」という相談はしました。あと、今回杏奈は途中で出産するんですけど、世の中のお母さんが見たときに、杏奈の言動に違和感を持ってほしくないなと思って。出産経験のあるお友達に話を聞きました。(田久保の妻の)よしこさんがおせっかいで赤ちゃんの面倒を見に来ることになるシーンで、本当は嫌だけれどよしこさんに任せて、杏奈は2階で仕事をしてて。しばらくして杏奈が下に降りていくと、よしこさんがミルクを勝手にあげている。「何してるんですか!」と怒って、赤ちゃんを取り戻すんですけど、そのときの不快感ってどのぐらいなんだろうって。そこでお芝居として大きな嫌悪を出さなければいけない場合、そもそも目を離して仕事をしていることが違和感にならないかなと考えました。「第1子だったら特に慎重になるから、離れるときはベビーカメラを付けて見てたりするよ」という人もいて。この夫婦はスローライフに憧れてはいるけれどデジタルに頼っているところもあるので、ベビーカメラがあっても不思議じゃないのかなと思って、提案してみたりしました。
城定監督のすごさ
——城定監督の現場を体験したお2人から見て、監督が近年ハイペースで映画を撮ることができるのはなぜだと思いますか?
若葉:城定さんと1回プライベートでご飯を食べに行ったとき、「なんでこんなに急にとんでもない数の映画を撮り出したんですか?」と聞いたら、「いや分かんないけど、撮るスピードが速いし、予算もそんなかかんないし、プロデューサーからしたら便利なんじゃない?」と言ってました(笑)。でもそれだけじゃないですよね。やっぱりみんなの想像を超えるからじゃないでしょうか。僕も、撮影中と試写を見てからでこの映画の印象が変わりました。自分が思っていたリズムでは全然なかったんです。「あ、このリズムがこの人には見えていたんだ」と。正直、現場では「こんなにもワンカットでいっていいのかな」と不安になることが多かったんですけど、本編を見たら全くそんな心配はいらなかったことが分かりました。出来を見て「また一緒に仕事したいな」と思える監督は最高だと思います。
深川:演出と、判断の的確さが本当にすごいなと思います。私も今回ワンカット・ワンシーンが多かったので、つながったときにどういう映像になるのか全然想像がつかなくて。もうちょっとスローテンポの作品になるのかなと思ったんですけど(うなずく若葉)、試写を見たら、つなぎ方や間に入れるちょっとしたショットで、見ている人がハッとさせられたり、緊迫感のある不気味な空気が漂うシーンになっていました。城定さんは撮影しながら頭の中でこれをイメージできていたのか、という驚きがありました。
2024年を振り返って
——2024年は若葉さんにとって激動の年になったのではないでしょうか。「アンメット」で6年ぶりに民放の連ドラに出演し、「東京ドラマアウォード2024」で助演男優賞を受賞。「大きな転機になった作品だと思っています。良くも悪くもかもしれないですが」という受賞コメントが印象的です。これからどういう作品に出ていきたいかがより明確になりましたか?
若葉:激動でしたけど、自分の指針がブレることはまずないです。ただ、転機ということでいうと、生活しづらくなったなって(苦笑)。収入が爆発的に上がったわけでもないし、デメリットの方が大きいんですよね。顔が知られてしまって。
深川:世の中に。
若葉:そう。面倒くさいことの方が多くなりました。ただ、まだ解禁になってないんですけど、昨年末まで撮影していた作品で、自分が目標にしていた場所にたどり着いた感じがあったんです。
深川:そうなんですね。
若葉:演技に関してではなくて、「こんな人たちと、こんな風に、こんな作品を」というものを作れたんじゃないかと少し思えたんです。今から環境を変えるということではないですけど、ちょっと自分を裏切っていきたいなというか、視点を少し変えて違うステージを見つめていきたいな、みたいなことはぼんやりとは思いました。
——情報解禁が楽しみです。深川さんは何か転機や心境の変化はありましたか?
深川:2024年でいうと、3年ぶりに舞台ができたことが大きかったです。舞台はかなり気合を入れないと、本当に自分を奮い立たせないと怖くてできない場所なんです。今まで私が出演した舞台はコメディータッチのものが多かったんですけど、日常に沿うような舞台をやってみたいと思っていて、そういう題材の作品(「他と信頼と」)でたまたまオファーをいただけて、できたことが大きかったです。立て続けに朗読劇「ハロルドとモード」にも出ることができました。お話自体も大好きでしたし、ご一緒した黒柳徹子さんが「100歳まで舞台に立ちたい」とおっしゃっていて、本当にすてきでした。
若葉:(真剣な表情で)うん。
深川:2時間出ずっぱりですごくパワーも使う中、立ち居振る舞いも、誰に対しても同じ目線で話してくださるところも、とてもチャーミングでした。自分は100歳までできないかもしれないですけど、お仕事でも趣味でも意識して好きなものを探求していかないと駄目だなと思いました。「なんかないかなー」ではなくて、自分から意識して選択して、充実させて、ずっと新鮮な気持ちでやる。それが大事だなと思った年でした。
——昨年は若葉さんがメインストリームに再合流した年だったわけですが、できれば普段は地下に潜っていたい?
若葉:僕はそうですね。できることなら、メディアとかテレビとか一切出たくないですね(笑)。出ることで収入が150倍くらいになったらいいですけど、そんな感じでもないし。聖人君子か、聞き分けのいい子以外はめんどくさい人として扱われる世界なんで、僕は向いてないんですよね。
深川:うん(笑)。
若葉:この業界がこのままの方向に進んでいくんだったら、興味ないなという感じではあります。ただ、今はできることをやろうかなとは、ぼんやりとは思っています。
——その業界のメインストリームで戦ってきた深川さんのことはどうご覧になっていますか?
若葉:多分ご本人の中で嫌なこともあったとは思うんですけど、表舞台に立ってきた人の強さを感じます。迷いながらも戦ってきた面構えというか、懐の深さを感じました。深川麻衣さんと城定監督、そして曲者ぞろいの役者たち、すてきな化学反応を特等席で見せてもらいました。
——深川さん、曲者たちに全然負けていなかったです。
若葉:いやむしろ(笑)。
深川:ありがとうございます。でも私は全然メインストリームじゃないですよ!(笑)。
PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLING:[MAI FUKAGAWA]YAMAGUCHI KAHO、[RYUYA WAKABA]TOSHIO TAKEDA(MILD)
HAIR & MAKEUP:[MAI FUKAGAWA] AYA MURAKAMI
HAIR:[RYUYA WAKABA]ASASHI(ota office)
映画「嗤う蟲」
■映画「嗤う蟲」
全国公開中
出演:深川麻衣
若葉竜也
松浦祐也 片岡礼子 中山功太 / 杉田かおる
田口トモロヲ
監督:城定秀夫
脚本:内藤瑛亮、城定秀夫
音楽:ゲイリー芦屋
編集:城定秀夫
配給:ショウゲート
製作プロダクション:ダブ
2024年/日本/カラー/99分/5.1ch/シネスコ/PG-12
Ⓒ2024 映画「嗤う蟲」製作委員会
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深川麻衣 × 若葉竜也 映画「嗤う蟲」で感じた「城定監督のすごさ」——「みんなの想像を超えてくる」
PROFILE: 右:深川麻衣/俳優 左:若葉竜也/俳優
城定秀夫(じょうじょう・ひでお)監督の快進撃が止まらない。青春映画「アルプススタンドのはしの方」(2020)や、恋愛映画「夜、鳥たちが啼く」(22)、ラブコメディー「愛なのに」(22)などジャンルを自由自在に行き来しながら、人間を深く活写する。2020年以降だけでもなんと16本の商業長編映画を監督している多作ぶりに驚かされる。
その城定監督の最新作「嗤う蟲(わらうむし)」が現在公開中だ。スローライフに憧れて田舎の村に移住したイラストレーターの杏奈(深川麻衣)と、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)のカップルが、村の掟に追い詰められていく姿を描くヴィレッジスリラー。
ジャンル映画でありながら、ありえないことが何一つないリアリティーにより、観客が自分事として没入できるこれぞエンターテインメント。現場を体験した深川と若葉へのインタビューから、城定秀夫監督のクリエイティブの秘密に迫る。
「嗤う蟲」の撮影について
——「嗤う蟲」に出演するにあたり、興味を惹かれた、もしくはやりがいを感じたポイントをお聞かせください。
深川麻衣(深川):サスペンスやミステリーを題材にしたものがもともと好きで、映画やドラマ、小説で楽しんでいました。閉鎖的な村を舞台にした作品がいろいろ作られてきた中で、「嗤う蟲」の後半で明らかになっていく、村の人たちが隠している秘密に対する着眼点に惹かれました。今までありそうでなかったなって。城定監督と初めてご一緒できることもうれしかったです。
若葉竜也(若葉):城定さんに対してずっと興味があったんです。今は大作も撮ってますけど、もともと割とアンダーグラウンドな場所で戦っていたイメージがあったので。その城定さんと、しっかりとメインストリームに君臨している深川麻衣という女優が一緒にやったときに、どんな化学反応が起きるのかなということに一番興味がありました。
——城定監督が現場ではどんな演出をするのか、とても興味があります。
若葉:「自由にやってください」みたいな感じでしたね。
深川:そんなに細かい演出はなくて、ピンポイントで入る程度なんですけど、それがすごく的確でした。杏奈がリモートで(担当の編集者と)打ち合わせしているシーンで、本番直前に「貧乏ゆすりをずっとしててほしい」と言われて。「どう撮るのかな、上半身と下半身のカットを分けるのかな」と思っていたら、貧乏ゆすりしている足元から愛想笑いしている顔までを、カメラがスーッと動いてワンカットで撮影したんです。すごく面白いなと思いました。
——あのカメラワーク、面白かったです。杏奈の貧乏ゆすりも強烈でした。
若葉:すごく長いシーンでも、ほとんどワンシーンをワンカットで撮ってました。「この尺感で、必要なものは全てフレームに詰め込める」という計算がある程度あるんだな、自信があるんだな、と思いました。段取りとテストを同時にやって、アングルも城定さんの中でほぼ決まっているからすぐに本番へ。毎日3時間くらい予定より早く終わってました。
深川:城定さんはすでに頭の中に絵が見えていたと思うのですが、ライブ感を大切にしていて、しっかりとお芝居を見ていてくださいました。家の軒先に蜘蛛の巣ができていたときは、蜘蛛の巣越しのカットにしようとか、現場でそのときの環境やお芝居を見て決めていくんです。トントントンっと撮影が進んでいくけれど、丁寧に撮るところはちゃんと時間をかけて準備をする。その進み方が心地よかったです。
若葉:アクションシーンだったらテストや段取りを積み重ねた方がいいと思いますし、感情的なシーンだったらテイク数もアングルも少なくしてほしいというのが役者の願いではあると思います。今回は(田口)トモロヲさんや松浦(祐也)さんといった(村の住民を演じる)個性豊かな俳優さんたちがどんなことをやってくるのか分からなかったので、それに対する生っぽいリアクションも撮れるという意味では、このスピード感は大切だったように感じます。
——村の人たちが仕掛けてくるものをいかに受けていくか、というお芝居だった。
若葉:そうですね。僕らは余計なことはしなかったです。
深川:基本、受け身でした。村人のみなさんの言動があってこそのリアクションだったので。ナチュラルに、余計なことをしないように。
若葉:みなさん全然違う毛色のお芝居でした。全員の演技を間近で見ることができたのは、特権だったかなと思います。
深川:台本を読んでいただけでは想像できなかったお芝居やアプローチがみなさんからどんどん飛び出してくるので、そこに新鮮な気持ちで反応していくという体験が面白かったです。
——特に強烈だった俳優さんはいますか?
若葉:僕は接する場面が多かったので、(自治会長の田久保役の)トモロヲさんですね。トモロヲさんはもともとばちかぶりというパンクバンドで大暴れしていた人で。すごく優しいし腰も低いけど、その中に潜んでいる狂気みたいなものがあって。それに触れた瞬間は、今までに触ったことのないものに触ってしまった、という感覚があってゾッとしました。
「作品に対してどう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事」
——杏奈と輝道が追い込まれてじわじわと変化していく様がそれぞれにリアルでした。終盤の杏奈は顔の面積の中で白目部分が占める割合が大きいというか、目がぎょろぎょろしていて異様というか…。多少体重を落としたり、特殊メイクをしたりしましたか?
深川:いえ、特別なことは何もしていないです。仕上がったものを見て、すごい顔をしているなと自分でも思いました(笑)。ジャンルレスな映画ということになっていますが、こういうヴィレッジスリラー的な題材のものはやはり、監督によっては分かりやすいお芝居を求められるときもあると思うんです。「もっと強く、分かりやすく気持ちを表現して」と。でも今回はかなり繊細にやらせていただけました。
——輝道の全身から漂う「諦めていく感じ」も素晴らしかったです。
若葉:作為的なものを入れることでもないなと思っていたので、台本に書かれている通りにやりました。あと、ロケ地があまり自分に合ってなかったです。その場所に行くのがどんどん嫌になっていったので、自分の精神と肉体が役とリンクしていた感じはあります。
深川:心霊体験もしてましたよね。
若葉:晴れていても暗い、閉鎖的な場所だったので、早く帰りたかったです(笑)。
深川:私は撮影した場所が緑が多くて、自然が好きなので生き生きしてました。
——受け取り方が全然違いますね(笑)。お2人は「愛がなんだ」(18/今泉力哉監督)以来の共演となります。今回は夫婦役ということで、どのように役柄の関係性をつくっていきましたか?
若葉:夫婦だから特別どうこうしようということはなかったです。夫婦も所詮他人なので、対人間として呼応していきました。
深川:特に「このシーンをこうしよう」とか話したわけではなく。でも、「愛がなんだ」で共演した経験から、何をやっても受け止めてくれるという信頼感と安心感が土台にありました。言い合いや殴るシーンもあったんですけど、若葉くんだから思い切り気持ちをぶつけることができました。
——若葉さんは過去のインタビューで、主演する作品では脚本の打ち合わせに入ることが多いとおっしゃっていました。今回は何か提案しましたか?
若葉:台詞の中の抽象を具象にしていきました。例えば「コンビニに行ってくるわ」という台詞があったとしたら、「セブン(イレブン)行ってくるわ」にした方が見てる人たちの環境と地続きになると思うんです。一つの接点になるというか。今回は「台詞の『電子タバコ』を『IQOS』にできますか?」という相談はしました。その作品に対してどういう最善を尽くせるかを考えるのが役者の仕事だと思うので。
——深川さんは杏奈について提案したことはありますか?
深川:いくつかの台詞について「こう言った方が分かりやすいですかね?」という相談はしました。あと、今回杏奈は途中で出産するんですけど、世の中のお母さんが見たときに、杏奈の言動に違和感を持ってほしくないなと思って。出産経験のあるお友達に話を聞きました。(田久保の妻の)よしこさんがおせっかいで赤ちゃんの面倒を見に来ることになるシーンで、本当は嫌だけれどよしこさんに任せて、杏奈は2階で仕事をしてて。しばらくして杏奈が下に降りていくと、よしこさんがミルクを勝手にあげている。「何してるんですか!」と怒って、赤ちゃんを取り戻すんですけど、そのときの不快感ってどのぐらいなんだろうって。そこでお芝居として大きな嫌悪を出さなければいけない場合、そもそも目を離して仕事をしていることが違和感にならないかなと考えました。「第1子だったら特に慎重になるから、離れるときはベビーカメラを付けて見てたりするよ」という人もいて。この夫婦はスローライフに憧れてはいるけれどデジタルに頼っているところもあるので、ベビーカメラがあっても不思議じゃないのかなと思って、提案してみたりしました。
城定監督のすごさ
——城定監督の現場を体験したお2人から見て、監督が近年ハイペースで映画を撮ることができるのはなぜだと思いますか?
若葉:城定さんと1回プライベートでご飯を食べに行ったとき、「なんでこんなに急にとんでもない数の映画を撮り出したんですか?」と聞いたら、「いや分かんないけど、撮るスピードが速いし、予算もそんなかかんないし、プロデューサーからしたら便利なんじゃない?」と言ってました(笑)。でもそれだけじゃないですよね。やっぱりみんなの想像を超えるからじゃないでしょうか。僕も、撮影中と試写を見てからでこの映画の印象が変わりました。自分が思っていたリズムでは全然なかったんです。「あ、このリズムがこの人には見えていたんだ」と。正直、現場では「こんなにもワンカットでいっていいのかな」と不安になることが多かったんですけど、本編を見たら全くそんな心配はいらなかったことが分かりました。出来を見て「また一緒に仕事したいな」と思える監督は最高だと思います。
深川:演出と、判断の的確さが本当にすごいなと思います。私も今回ワンカット・ワンシーンが多かったので、つながったときにどういう映像になるのか全然想像がつかなくて。もうちょっとスローテンポの作品になるのかなと思ったんですけど(うなずく若葉)、試写を見たら、つなぎ方や間に入れるちょっとしたショットで、見ている人がハッとさせられたり、緊迫感のある不気味な空気が漂うシーンになっていました。城定さんは撮影しながら頭の中でこれをイメージできていたのか、という驚きがありました。
2024年を振り返って
——2024年は若葉さんにとって激動の年になったのではないでしょうか。「アンメット」で6年ぶりに民放の連ドラに出演し、「東京ドラマアウォード2024」で助演男優賞を受賞。「大きな転機になった作品だと思っています。良くも悪くもかもしれないですが」という受賞コメントが印象的です。これからどういう作品に出ていきたいかがより明確になりましたか?
若葉:激動でしたけど、自分の指針がブレることはまずないです。ただ、転機ということでいうと、生活しづらくなったなって(苦笑)。収入が爆発的に上がったわけでもないし、デメリットの方が大きいんですよね。顔が知られてしまって。
深川:世の中に。
若葉:そう。面倒くさいことの方が多くなりました。ただ、まだ解禁になってないんですけど、昨年末まで撮影していた作品で、自分が目標にしていた場所にたどり着いた感じがあったんです。
深川:そうなんですね。
若葉:演技に関してではなくて、「こんな人たちと、こんな風に、こんな作品を」というものを作れたんじゃないかと少し思えたんです。今から環境を変えるということではないですけど、ちょっと自分を裏切っていきたいなというか、視点を少し変えて違うステージを見つめていきたいな、みたいなことはぼんやりとは思いました。
——情報解禁が楽しみです。深川さんは何か転機や心境の変化はありましたか?
深川:2024年でいうと、3年ぶりに舞台ができたことが大きかったです。舞台はかなり気合を入れないと、本当に自分を奮い立たせないと怖くてできない場所なんです。今まで私が出演した舞台はコメディータッチのものが多かったんですけど、日常に沿うような舞台をやってみたいと思っていて、そういう題材の作品(「他と信頼と」)でたまたまオファーをいただけて、できたことが大きかったです。立て続けに朗読劇「ハロルドとモード」にも出ることができました。お話自体も大好きでしたし、ご一緒した黒柳徹子さんが「100歳まで舞台に立ちたい」とおっしゃっていて、本当にすてきでした。
若葉:(真剣な表情で)うん。
深川:2時間出ずっぱりですごくパワーも使う中、立ち居振る舞いも、誰に対しても同じ目線で話してくださるところも、とてもチャーミングでした。自分は100歳までできないかもしれないですけど、お仕事でも趣味でも意識して好きなものを探求していかないと駄目だなと思いました。「なんかないかなー」ではなくて、自分から意識して選択して、充実させて、ずっと新鮮な気持ちでやる。それが大事だなと思った年でした。
——昨年は若葉さんがメインストリームに再合流した年だったわけですが、できれば普段は地下に潜っていたい?
若葉:僕はそうですね。できることなら、メディアとかテレビとか一切出たくないですね(笑)。出ることで収入が150倍くらいになったらいいですけど、そんな感じでもないし。聖人君子か、聞き分けのいい子以外はめんどくさい人として扱われる世界なんで、僕は向いてないんですよね。
深川:うん(笑)。
若葉:この業界がこのままの方向に進んでいくんだったら、興味ないなという感じではあります。ただ、今はできることをやろうかなとは、ぼんやりとは思っています。
——その業界のメインストリームで戦ってきた深川さんのことはどうご覧になっていますか?
若葉:多分ご本人の中で嫌なこともあったとは思うんですけど、表舞台に立ってきた人の強さを感じます。迷いながらも戦ってきた面構えというか、懐の深さを感じました。深川麻衣さんと城定監督、そして曲者ぞろいの役者たち、すてきな化学反応を特等席で見せてもらいました。
——深川さん、曲者たちに全然負けていなかったです。
若葉:いやむしろ(笑)。
深川:ありがとうございます。でも私は全然メインストリームじゃないですよ!(笑)。
PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLING:[MAI FUKAGAWA]YAMAGUCHI KAHO、[RYUYA WAKABA]TOSHIO TAKEDA(MILD)
HAIR & MAKEUP:[MAI FUKAGAWA] AYA MURAKAMI
HAIR:[RYUYA WAKABA]ASASHI(ota office)
映画「嗤う蟲」
■映画「嗤う蟲」
全国公開中
出演:深川麻衣
若葉竜也
松浦祐也 片岡礼子 中山功太 / 杉田かおる
田口トモロヲ
監督:城定秀夫
脚本:内藤瑛亮、城定秀夫
音楽:ゲイリー芦屋
編集:城定秀夫
配給:ショウゲート
製作プロダクション:ダブ
2024年/日本/カラー/99分/5.1ch/シネスコ/PG-12
Ⓒ2024 映画「嗤う蟲」製作委員会
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中国コスメ「フローラシス」が初の海外旗艦店をギンザシックスにオープン 25店舗体制目指し出店加速
中国コスメ「フローラシス(花西子、FLORASIS)」は1月27日、初となる海外旗艦店をギンザシックスにオープンした。中国の伝統文化と古典美学を商品パッケージやデザインを施した国内外で人気のカラーメイク、スキンケア、フレグランスを集積。店舗限定商品などもそろえる。
「フローラシス」は2017年に誕生。日本は21年に初の国外進出としてアマゾンに出店。日本を重要なマーケティング市場と捉え23年からオフライン展開を強化する。百貨店などでポップアップを実施し顧客とのタッチポイントを増やしてきた。現在、アットコスメストア3店舗にコーナー展開するが同ブランドを手がける杭州宜格化粧品の任剛睿(ニン・コウエイ)=共同創業者は「ブランドの世界観を表現するスペースを十分に確保できていない」ことから旗艦店を開設した。
「フローラシス」のギンザシックス店の売り場面積は約52㎡。店舗は白を基調に、ブランドカラーで中国古代の女性が眉を描くために使用していた黛色(たいしょく)を随所に採用した。店舗のコンセプトは中国伝統の庭園である隠園(いんえん)。来店者に安らぎの時間を提供したいという思いが込められている。店舗中央部に位置するディスプレー台は中国の湖と山々の美しい景色を再現した曲水流觴台(きょくすいりゅうしょうだい)を備え、オープン記念として66個限定の手縫刺繍コレクション(5アテイム入、4万9500円)ほか、オフライン限定商品などをそろえている。
店内は、ブランドを代表する“百花同心錠 彫刻リップ”(6270円)や“京劇彫刻マルチパレット”(7920円)、“玉養桃花 ルースパウダー”(4620円)、“桃顔純潤 クリーム&フェイスベース”(7980円)などカラーメイク70%、スキンケア・フレグランス30%で構成する。タッチアップスペースを3席用意し、事前予約制で中国風メイクの体験サービスを提供する。
タッチポイント増やし、28年までに25店舗体制へ
任共同創業者が旗艦店開設に伴い来日。旗艦店への思いやブランドの未来像を語った。
WWD:海外初の旗艦店を日本で展開する狙いは。
任剛睿・杭州宜格化粧品共同創業者(以下、任):「フローラシス」をグローバルブランドに育成する中で、日本をマーケティング市場として注視する。リテールを重要視する日本でポップアップを積極的に開催してきた。今回、富裕層の訪日客が多く訪れるギンザシックスから出店のオファーをもらい、中国の伝統文化と古典美学が大切にするブランドストーリーが伝えやすく、サービスの提供ができるとして旗艦店をオープンした。実店舗1号店で旗艦店を22年12月に杭州・西湖に開設。売り場面積は約1000㎡でフルラインアップを展開するが、ギンザシックス店では日本で好調なアイテムを中心に本国旗艦店の7割程度の品ぞろえとした。
WWD:日本の旗艦店に期待することは。
任:顧客層は25歳前後を軸に18〜40歳と幅広い。中国伝統漢方の知恵と現代の美学を融合した製品を支持してくれている。店舗で中国風メイクサービスを提供するなどブランドの文化価値が伝わる取り組みを強めていく。売り上げ目標は非公表だが、旗艦店という新たな挑戦に期待を寄せている。
SNS発信と旗艦店が転機に
WWD:ブランドの転機は。
任:19年に中国伝統文化的なコンテンツをSNSで発信したこと。多くの女性が拡散してくれ、ブランドの知名度が向上した。そのほか、22年に中国で旗艦店出店したことも節目となった。顧客の生の声を聞くことができ、ブランドへの深度を高めることができた。
WWD:販売網が広がっている。
任:現在110カ国でオンライン販売を行なっている。売り上げ上位国は中国が1位で、日本とアメリカ、東南アジアと続く。全社の売上高は右肩上がりで成長している。
WWD:日本市場をどう捉えているのか。
任:上陸初日にアイコン商品の“百花同心錠 彫刻リップ”(5600円)が3時間で完売するなど、コロナ禍での進出だったがオンラインで展開したため初年度から好調に推移した。一方で「実際に製品を試したい」という顧客も増えたためリテール出店を強化中だ。28年までに25店舗体制を確立したい。
製品は年1〜3回見直しを行うが、その際に大切にするのは顧客のニーズを反映、最新技術を搭載、デザイン・美学の体験価値の提供だ。中国の伝統文化に触れたいと感じてくれる顧客は多いが、足りないのは日本のユーザーの声。リテールを強化することで日本のニーズを汲み取りローカライズした製品が展開できれば、日本での存在価値を高められるだろう。
WWD:今後注力する国は。
任:フランスとシンガポールだ。中国の伝統技法を表現した製品は、多くの女性を魅了できると信じている。
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「アニエスベー」×「ヘリーハンセン」 日本の漁港で発生した廃棄漁網由来の素材などを採用
ゴールドウインが展開するノルウェー発のマリンウエアブランド「ヘリーハンセン(HELLY HANSEN)」は、「アニエスベー(AGNES B.)」とコラボレーションし海洋問題をテーマに据えた日本限定コレクションを発売した。両ブランドがタッグを組むのは初。モリトアパレルが開発した廃棄漁網を原料にしたリサイクルナイロン「ミューロン(MURON)」や、東南アジア沿岸に漂着した廃棄ペットボトル由来のポリエステルなどを用いたユニセックスアイテム10型とキッズアイテム8型で、「アニエスベー」の一部直営店と公式オンラインストア、「ヘリーハンセン」の店舗および、公式オンラインストアで販売中だ。
コラボは「ヘリーハンセン」側からオファーした。企画を担当したゴールドウインの井上翔太・グローバルブランド事業本部・ヘリーハンセン事業部・企画グループMDは、「私たちは水資源を守る活動や海洋ゴミを原料とするリサイクル素材の採用などを進めてきたが、アウトドアブランドとしての立場からは届けられる人に限りがあると感じていた。より多くの人に海洋問題に関心を持ってもらうためには、ファッションの力が必要。アニエスほど、『海が好き』というメッセージをストレートに発信できるデザイナーはいない」とオファーに至った経緯を話す。デザイナーのアニエス・トゥルブレは海を愛し、2003年には海洋に特化した公益財団法人タラ オセアン財団を立ち上げ、海洋探査船タラ号とその活動をサポートしているという背景がある。
日本で回収した漁網素材を初めて製品化
注目は日本の漁港で回収された廃棄漁網を100%使用したリサイクルナイロン「ミューロン」を使ったアイテム群だ。同素材が製品化されるのは本コレクションが初。井上担当は、「トレーサビリティーの取れた素材で、お客さまによりストーリー性を感じてもらえると考えた」と話す。
「ミューロン」は廃棄漁網をケミカルリサイクルしバージンと同等の品質と安定性を持つ。コレクションに登場するウィンドブレーカーは、「ミューロン」と紡績工程で発生するナイロンの落ち綿を再生したリサイクルナイロンを高密度で打ち込んでハリ感のある風合いを実現した。内側には、アニエス自身が撮影した海の写真と“j’aime la mer! (海が好き!)”のメッセージを添えた特別ネームを配した。ウィンドブレーカーはキッズサイズも用意し「親子で着用していただき、一緒に海に出かけたり、次世代にこのテーマを伝えてもらえたりしたらうれしい」と井上担当。
「アニエスべー」らしいボーダーTシャツには、東南アジアに漂着したペットボトルを原料としたリサイクルポリエステルを使用している。これは「日本からでた海洋ゴミは東南アジアに漂着することが多いと知り、採用を決めた」という。
「ヘリーハンセン」渋谷店では、廃棄漁網を使ったディスプレーでもコレクションのストーリーを表現している。また「アニエスべー」渋谷店では1月30日まで、『j’aime la mer!(海が好き!)』をテーマにした写真展を開催中だ。
27日にはゴールドウイン本社で、モリトアパレルの担当者を招いて漁網のリサイクルを体験するワークショップを開催し社内理解を促した。井上担当は、「一度きりの発信では伝えきれない問題だ。継続的に取り組んでいきたい」と展望を語る。
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資生堂30年以上の肌免疫研究から生まれた世界初※1の最新知見とは
資生堂とサイエンスは切っても切り離せない。100年超の研究開発の歴史の中で、シワやシミ、たるみといった生活者の 不変の肌悩みに向き合うとともに、肌内部の状態に着目。ホリスティックなアプローチにつながる成果を生み出している。とくに肌免疫研究では世界で初めて※1皮ふの免疫細胞の一種CD4CTL※2(メモリーT細胞※3)が“老化細胞”を的確に除去することを発見した。
資生堂が取り組む肌内部研究の正体
さらに資生堂の研究開発では、「SkinBeauty INNOVATION」、「Sustainability INNOVATION」、「Future Beauty INNOVATION」という3つのイノベーションの柱と、「脱単一カルチャー」というアプローチを戦略として策定した。柱の1つである「Skin Beauty INNOVATION」では、シワやシミ、たるみといった生活者の不変の肌悩みの原因解明・ソリューション開発と同時に、血管やリンパ管、免疫、神経など肌内部の状態と肌表面の関連を明らかにすべく研究を進めてきた。とくに肌内部研究は世界トップレベルの研究機関との多岐に渡る共同研究を推進。化粧品技術に関する世界最大の権威ある研究発表会IFSCCでは化粧品メーカーでは世界トップの受賞回数を誇る。
「IFSCC」世界トップの受賞実績
肌のポテンシャルを引き上げる
未来の肌悩みを防ぐ肌免疫研究
3つの見えないものを見える化
肌の美しさを取り戻すアートなアプローチ

加治屋健太朗 資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター センター長(以下、加治屋):私たちは肌悩みを肌表面から対症療法的に治すのではなく、内側から自分の持つ力を最大限に生かしてケアしたいという東洋的な発想から研究を進めている。肌は目に見える表面だけでなく、表皮と真皮があり、さらに血管、免疫、神経が張り巡らされ、全身とつながっているからだ。肌の内側への強い興味を持ち、見えないものを見える化するというユニークな研究アプローチは強みだ。免疫研究もその一つだ。
WWD:見えないものの見える化について詳しく教えて。
加治屋:肌表面だけでなく、肌内部に加え、体、心、そして未来という見えないものの見える化を目指している。冒頭でも触れたが肌においては、免疫や血流、神経といったものを見える化すること。われわれの技術によって、血管や神経が全身と肌をつなぐとても美しい構造を持つ三次元的なネットワークを形成していることが可視化できるようになった。心に関しては、例えば化粧品は肌だけでなく、目には見えないが心にも作用すると言われる。そこで化粧品を使ったときの心の状態を可視化するための技術を開発している。未来については、シワやシミ、たるみといった今見えるものを改善することがメインストリームではあるが、肌・体・心のつながりを解明し、未来が見えれば予防がかなうはずだ。
加治屋:全身との接点という意味や、もともと持っているポテンシャルを生かすという意味で免疫に注目し、長らく研究してきた。そもそも免疫とは「疫(やまい)」から「免(のがれる)」と書くように、外敵から身を守るシステムのこと。一般的にいう免疫は全身に共通するものと、臓器によって局所的に異なるものがある。とくに肌の免疫には花粉やPM2.5、紫外線などの外敵に備える必要があり、ほかの器官の免疫と大きく異なる。
WWD:新知見に至った経緯は。
加治屋:「肌は本当に加齢によってのみ老化するのか」という基本的な疑問があった。20代と60代を比較すれば年齢と老化との相関はあるものの、老齢の皮ふでは分かっていなかった。研究を進める中で、免疫細胞が関係することが明らかになった。免疫は外敵からの逃れるために存在しているため、生体内で老化に対してそれほどの意味を持つとはこれまでは考えられていなかった。ところが今回の発見では、免疫細胞が老化細胞を皮ふにとって異物・不要なものと認識していることが明らかになった。この点が一番面白く、インパクトが大きかった。
加治屋:自らが持つ美のポテンシャルを免疫研究を通じて伝えていく。資生堂には「アート&サイエンス」というDNAがある。三次元的に肌の内部の構造を可視化したとき、研究員はサイエンスの中にアートを感じるはずだ。三次元の皮ふ構造をアートとして捉えると老化などの変化によって乱れた肌内部の美しさを免疫研究で取り戻すことは、結果的に肌の美しさにつながるだろう。
明らかになった肌免疫細胞が
老化細胞を除去するメカニズム
発見1 : 老齢の皮ふでは
老化細胞と年齢は相関しない
発見2 : 免疫細胞の一種CD4CTL(メモリーT細胞)が
多い皮ふほど老化細胞は少ない

Hasegawa T et al.,Cell. 2023(一部改変)
発見3 : CD4CTL(メモリーT細胞)が
老化細胞を選択的に除去する
発見4 : ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)が
CD4CTL(メモリーT細胞)の老化細胞除去を助ける
Solution : ツバキ種子発酵抽出液が
肌免疫細胞の老化細胞除去効果を高める
※2 Cytotoxic CD4+ T細胞(CD4CTL):T細胞の一種で、理想的な健康長寿のモデルとされる超長寿者に多い免疫細胞であることも知られている
※3 免疫細胞であるT細胞は病原体などの異物と遭遇し役割を果たすと、多くは死滅するが、体内に一部が残り、再感染や再発に備えて記憶し、同じ異物に対して迅速で強力な免疫応答をするのがメモリーT細胞である
※4 免疫細胞などの細胞の遊走を促進するタンパク質
※5 ツバキ種子発酵抽出液が肌の健やかさに重要な表皮因子(免疫細胞CD4CTLを誘引する因子)CXCL9の発現を促進する技術が世界初 先行技術調査を用いた資生堂調べ(2024年3月)
このページの内容は全て技術に関する情報です。
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「キークス」水原希子とローラ 耕作放棄地や後継者不足に光を当てるコラボを語る
PROFILE: 左:水原希子、右:ローラ

インスタグラムのフォロワー数は2人合わせて約1700万人。特に若い女性に大きな影響力を持つ水原希子とローラは、水原がプロデュースするブランド「キークス(KIIKS)」の第3弾アイテム「茶の実ヘアオイル(GREEN TEA SEED HAIR OIL)」で協業をした。この2つの製品の魅力は製品自体に加えて、その存在を通じて日本の地域課題「農業離れと耕作放棄地」および「後継者不足による伝統文化の衰退」に光を当てるところにある。「髪を美しく保ちながら社会課題解決の一助となる」という思いを掲げ、彼女たち行動を起こしている。
放棄茶畑では茶の木が花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける
「茶の実ヘアオイル」のお披露目の会は1月14日に、東京・渋谷の街中にひっそりとたたずむ小さな古民家で開かれた。靴を脱いで上がる昭和の佇まいの居間を展示スペースとし、水原とローラは終日説明にあたっていた。空間全体はヘアオイルの甘みのある爽やかな香りと、同時開催したワークショップで使用するハーブティーの香りで包まれていた。
フロア中央の木製ボウルには大量の茶色い殻に包まれた実が飾られている。これが製品の原点となる茶の実だ。茶葉は見たことがあっても、茶の実は見たことがない人は多いだろう。なぜなら現在の茶の栽培では一般的に、茶葉に栄養がいくよう新芽を摘んだ後、刈り取ってしまうため花を咲かせず、茶の実もならないからだ。しかし、放棄茶畑では茶の木が9月から11月にかけて花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける。「キークス」は、茶の実から抽出された茶実油使用のヘアオイルの開発を通じて地域の課題解決の一助となろうと考えた。
「キークス」チームは昨年秋に同地区の自治体との話し合いから始め、地元の人たちと耕作放棄茶畑に入り150キログラム近くの茶の実を収集。畑近くの体育館を借りての手作業で殻むきに始め、製品化へとつなげた。茶の実拾いから製品化まで2ヶ月弱というスピードだ。製品は茶の実油と桜島産の椿油をベースに、サンダルウッドとジャスミンのエッセンシャルオイルをブレンド。手に取るとふわりと広がる華やかで心地よい香りが誕生した。
薩摩つげ櫛にオイルを馴染ませ髪をすく
オイルと合わせて木原つげ櫛屋による「薩摩つげ櫛」も、お茶染めのケースに入れて発売する。このつげ櫛はオイルとの相性がとても良い。つげは成長が遅いために年輪が狭く、木材はきめ細かい弾力のある質感がある。黄色くなめらかな肌合いの櫛は、椿油を染み込ませて使うことで、髪をすく(梳く)たびに自然な艶と潤いを与えるという。最近は「髪をとかす」という表現が一般的だが、この櫛を手にすると「髪をすく」という描写がピッタリであることに気がつく。木製の櫛は静電気が発生しにくく、髪を傷めることが少なく、さらに天然の抗菌作用を持つため、長期間使用しても清潔に保つことができるという。
水原希子とローラの人を巻き込む推進力とコラボの力
2人から製造過程の説明を聞く中で印象的だったのは、コラボレーションの力だ。インスタグラムのフォロワー数は水原希子(i_am_kiko)783.2万人、ローラ(rolaofficial)908.9万人(いずれも2025年1月24日時点)と、それぞれに大きな影響力を持つ。その影響力を“正しく”掛け算し、「伝統工芸を守るきっかけとなる事を心から願う」と行動する。2人は互いの仕事をどう見ているのか?会場で話を聞いた。
WWD:お互いのクリエイションの強みについて教えてください。お互いをクリエイターとしてどのように評価していますか?
ローラ:私から見て希子ちゃんは「みんな一緒にやろうよ」というエネルギーがとても強い人です。そのエネルギーが、今回のプロジェクトにも大きく影響していると感じています。それと同時に希子ちゃんのセンスも素晴らしいです。彼女は長年ファッション業界に携わってきた経験を活かし、選び抜かれたセンスを持っています。今回のビジュアルもとてもかっこよく仕上がり、広告というよりアート作品のようになりました。
WWD:「良いこと」をセンス良く伝えることは大切ですね。それでも多くの人を巻き込むのは簡単ではないですよね。
ローラ:そうですね、簡単ではありません。同じ業界で働いていると、さまざまなしがらみや環境問題など、難しい課題がたくさん出てきます。しかし、それでも挑戦し続ける希子ちゃんの姿勢には本当に感心します。一人で心細くなることもありますが、それでも信念を持ち、進み続けるのは勇気のいることです。彼女の強さや情熱にはいつも刺激を受けています。
水原希子(以下、水原):ローラは努力家で、何事にも真摯に取り組み、常に新しいことを学び続けています。そして学んだことをみんなとシェアする姿勢がとても尊い。自分の学びを言葉で伝えることは簡単なことではありませんが、彼女はそれをスピーディーに、そしてピュアな思いで実践しています。その純粋さや優しさが、多くの人々を包み込む魅力になっています。また、彼女はネガティブな経験をすべてポジティブなエネルギーに変える力を持っていて、本当にすごいと思います。
ローラ:香りには特別なこだわりを持ちました。私はメディテーションをするのですが、瞑想やものづくりをする中で、自分を落ち着かせるためのエキゾチックな要素を取り入れたいと考えました。香りは感覚的で、内面を癒す力があると思います。
水原:私も椿オイルを使ったシンプルなヘアオイルを作りたいと考えていました。ローラと一緒に成分を一つ一つ選び抜きながら、学んできたことを活かして作りました。ローラの手作りコスメを使ったとき、その香りと効能に感動したのが、このプロジェクトを始めるきっかけでした。
WWD:耕作放棄茶畑でどのような経験をしたのですか?
水原:この商品は、多くのボランティアや地元の方々の協力がなければ実現しませんでした。放置された畑に入り、道を切り開きながら種を集める作業はとても大変でしたが、みんなで力を合わせてやり遂げました。地元の方々も日本の未来や環境問題について真剣に考えてくださり、目的を共有して取り組む姿勢がとても心強かったです。
WWD:地元の方々との交流で印象的だったことは?
ローラ:お茶を作る地元のおばあちゃんが話してくれた伝統や文化の話がとても印象的でした。お茶づくりを通じて自分を見つめ直し、伝統を未来につなげようとする姿勢に感動しました。
水原:お茶の実を拾う作業は大変でしたが、その過程で地元の方々と話す時間がとても有意義でした。皆さんの純粋な思いが、今回のプロジェクトに込められていると感じます。
WWD:いじわるな質問になりますが、後継者不足という課題はとてつもなく大きくて、一つのアクションがどのくらいの影響を生めるのでしょうか?
水原:実は、プロジェクト通じて出会った地元の若い方が畑を購入を決意し、すでに作業を始るなどの変化が生まれました。私たちの活動がきっかけで、一歩ずつですが前進していると感じます。
WWD:ワークショッを組み合わせた理由は?
水原:ワークショップでは、自分の体調に合わせたハーブティーをブレンドしたり、アロマオイルを作ったりと、感覚を研ぎ澄ませる体験を提供しています。商品だけでなく、体験そのものを持ち帰ってもらうことで、自分を知り、自分を癒すきっかけになればと願っています。
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「キークス」水原希子とローラ 耕作放棄地や後継者不足に光を当てるコラボを語る
PROFILE: 左:水原希子、右:ローラ

インスタグラムのフォロワー数は2人合わせて約1700万人。特に若い女性に大きな影響力を持つ水原希子とローラは、水原がプロデュースするブランド「キークス(KIIKS)」の第3弾アイテム「茶の実ヘアオイル(GREEN TEA SEED HAIR OIL)」で協業をした。この2つの製品の魅力は製品自体に加えて、その存在を通じて日本の地域課題「農業離れと耕作放棄地」および「後継者不足による伝統文化の衰退」に光を当てるところにある。「髪を美しく保ちながら社会課題解決の一助となる」という思いを掲げ、彼女たち行動を起こしている。
放棄茶畑では茶の木が花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける
「茶の実ヘアオイル」のお披露目の会は1月14日に、東京・渋谷の街中にひっそりとたたずむ小さな古民家で開かれた。靴を脱いで上がる昭和の佇まいの居間を展示スペースとし、水原とローラは終日説明にあたっていた。空間全体はヘアオイルの甘みのある爽やかな香りと、同時開催したワークショップで使用するハーブティーの香りで包まれていた。
フロア中央の木製ボウルには大量の茶色い殻に包まれた実が飾られている。これが製品の原点となる茶の実だ。茶葉は見たことがあっても、茶の実は見たことがない人は多いだろう。なぜなら現在の茶の栽培では一般的に、茶葉に栄養がいくよう新芽を摘んだ後、刈り取ってしまうため花を咲かせず、茶の実もならないからだ。しかし、放棄茶畑では茶の木が9月から11月にかけて花を咲かせ、秋にはたくさんの実をつける。「キークス」は、茶の実から抽出された茶実油使用のヘアオイルの開発を通じて地域の課題解決の一助となろうと考えた。
「キークス」チームは昨年秋に同地区の自治体との話し合いから始め、地元の人たちと耕作放棄茶畑に入り150キログラム近くの茶の実を収集。畑近くの体育館を借りての手作業で殻むきに始め、製品化へとつなげた。茶の実拾いから製品化まで2ヶ月弱というスピードだ。製品は茶の実油と桜島産の椿油をベースに、サンダルウッドとジャスミンのエッセンシャルオイルをブレンド。手に取るとふわりと広がる華やかで心地よい香りが誕生した。
薩摩つげ櫛にオイルを馴染ませ髪をすく
オイルと合わせて木原つげ櫛屋による「薩摩つげ櫛」も、お茶染めのケースに入れて発売する。このつげ櫛はオイルとの相性がとても良い。つげは成長が遅いために年輪が狭く、木材はきめ細かい弾力のある質感がある。黄色くなめらかな肌合いの櫛は、椿油を染み込ませて使うことで、髪をすく(梳く)たびに自然な艶と潤いを与えるという。最近は「髪をとかす」という表現が一般的だが、この櫛を手にすると「髪をすく」という描写がピッタリであることに気がつく。木製の櫛は静電気が発生しにくく、髪を傷めることが少なく、さらに天然の抗菌作用を持つため、長期間使用しても清潔に保つことができるという。
水原希子とローラの人を巻き込む推進力とコラボの力
2人から製造過程の説明を聞く中で印象的だったのは、コラボレーションの力だ。インスタグラムのフォロワー数は水原希子(i_am_kiko)783.2万人、ローラ(rolaofficial)908.9万人(いずれも2025年1月24日時点)と、それぞれに大きな影響力を持つ。その影響力を“正しく”掛け算し、「伝統工芸を守るきっかけとなる事を心から願う」と行動する。2人は互いの仕事をどう見ているのか?会場で話を聞いた。
WWD:お互いのクリエイションの強みについて教えてください。お互いをクリエイターとしてどのように評価していますか?
ローラ:私から見て希子ちゃんは「みんな一緒にやろうよ」というエネルギーがとても強い人です。そのエネルギーが、今回のプロジェクトにも大きく影響していると感じています。それと同時に希子ちゃんのセンスも素晴らしいです。彼女は長年ファッション業界に携わってきた経験を活かし、選び抜かれたセンスを持っています。今回のビジュアルもとてもかっこよく仕上がり、広告というよりアート作品のようになりました。
WWD:「良いこと」をセンス良く伝えることは大切ですね。それでも多くの人を巻き込むのは簡単ではないですよね。
ローラ:そうですね、簡単ではありません。同じ業界で働いていると、さまざまなしがらみや環境問題など、難しい課題がたくさん出てきます。しかし、それでも挑戦し続ける希子ちゃんの姿勢には本当に感心します。一人で心細くなることもありますが、それでも信念を持ち、進み続けるのは勇気のいることです。彼女の強さや情熱にはいつも刺激を受けています。
水原希子(以下、水原):ローラは努力家で、何事にも真摯に取り組み、常に新しいことを学び続けています。そして学んだことをみんなとシェアする姿勢がとても尊い。自分の学びを言葉で伝えることは簡単なことではありませんが、彼女はそれをスピーディーに、そしてピュアな思いで実践しています。その純粋さや優しさが、多くの人々を包み込む魅力になっています。また、彼女はネガティブな経験をすべてポジティブなエネルギーに変える力を持っていて、本当にすごいと思います。
ローラ:香りには特別なこだわりを持ちました。私はメディテーションをするのですが、瞑想やものづくりをする中で、自分を落ち着かせるためのエキゾチックな要素を取り入れたいと考えました。香りは感覚的で、内面を癒す力があると思います。
水原:私も椿オイルを使ったシンプルなヘアオイルを作りたいと考えていました。ローラと一緒に成分を一つ一つ選び抜きながら、学んできたことを活かして作りました。ローラの手作りコスメを使ったとき、その香りと効能に感動したのが、このプロジェクトを始めるきっかけでした。
WWD:耕作放棄茶畑でどのような経験をしたのですか?
水原:この商品は、多くのボランティアや地元の方々の協力がなければ実現しませんでした。放置された畑に入り、道を切り開きながら種を集める作業はとても大変でしたが、みんなで力を合わせてやり遂げました。地元の方々も日本の未来や環境問題について真剣に考えてくださり、目的を共有して取り組む姿勢がとても心強かったです。
WWD:地元の方々との交流で印象的だったことは?
ローラ:お茶を作る地元のおばあちゃんが話してくれた伝統や文化の話がとても印象的でした。お茶づくりを通じて自分を見つめ直し、伝統を未来につなげようとする姿勢に感動しました。
水原:お茶の実を拾う作業は大変でしたが、その過程で地元の方々と話す時間がとても有意義でした。皆さんの純粋な思いが、今回のプロジェクトに込められていると感じます。
WWD:いじわるな質問になりますが、後継者不足という課題はとてつもなく大きくて、一つのアクションがどのくらいの影響を生めるのでしょうか?
水原:実は、プロジェクト通じて出会った地元の若い方が畑を購入を決意し、すでに作業を始るなどの変化が生まれました。私たちの活動がきっかけで、一歩ずつですが前進していると感じます。
WWD:ワークショッを組み合わせた理由は?
水原:ワークショップでは、自分の体調に合わせたハーブティーをブレンドしたり、アロマオイルを作ったりと、感覚を研ぎ澄ませる体験を提供しています。商品だけでなく、体験そのものを持ち帰ってもらうことで、自分を知り、自分を癒すきっかけになればと願っています。
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LVMHグループのお墨付き 「モワナ」本国チームが語る最上位のクラフトマンシップ
LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)傘下の仏老舗バッグブランド「モワナ(MOYNAT)」とグラフィックデザインの巨匠・永井一正のコラボコレクションが、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。このほど来日した本国チームに、永井とのコラボレーションや、ベストセラーのキャンバスシリーズ“Mコレクション”、同ブランドのモノ作りについて深掘りした。
「モワナ」と永井 クリエイションの共鳴
本国チームは、「『モワナ』が持つブランドの奥深さは、永井の目にも魅力的に映ると確信があった」と自信を持って語り始める。「コラボレーションの話は、2024年2月に日本デザインセンター(東京)で永井と彼のチームに会ったときから本格化した。彼は94歳だったにも関わらず、毎週月曜日はここに来ていると話していた」と尊敬の念をにじませる。永井は長いキャリアの中で、三菱UFJフィナンシャル・グループやアサヒビール、1966年の札幌冬季オリンピックのシンボルマークなど、誰もが一度は見たことのある作品を手掛けている。「彼のダイナミックで印象的、かつ明るい作風は、私たちの打ち出したいコレクションにぴったりだと思った」。
今回のコラボコレクションでは、永井の代表作である“LIFE”シリーズを採用した。ライオンやチンパンジー、タコやヒトデなど水陸の生物をモチーフに、「生物にとって最も重要な“命”を表現している」(日本デザインセンター公式サイト)。コレクションの反応は、国を問わずポジティブだったという。「永井は日本を代表するグラフィックデザイナーだから、日本における売れ行きの良さは想像ができた。しかし、彼を知らない人、そして「モワナ」を知らない人にもこのキャッチーなデザインは響いた」。24年11月にコレクションを発売し、2週間で完売した。
老舗ブランドとしての誇りを胸に
「ドーバー ストリート マーケット ギンザ限定のコラボコレクションは、「モワナ」のベストセラー“Mコレクション”シリーズが主役だ。永井の作品が持つ「カラフル」「ハッピー」「ジョイフル」といった要素は、同シリーズが長年大切にしてきたことでもある。「“Mコレクション”は、新規顧客、特に若年層を引き付けている。『モワナ』は特にメーンターゲットを設けておらず、(今の段階で)若年層に特化した施策を打ち出してはいない。それでも“Mコレクション”を通して若い世代とつながれることをうれしく思う」。ローンチを記念したカクテルパーティーも、若者が中心となり活気のある雰囲気を作っていた。
バッグ市場では近年、“Mコレクション”のようなキャンバストート型のバッグにアーティストが描くモチーフをプリントする動きがある。「この流れに乗っているのは老舗が多く、どこもクラフトマンシップを謳っている。しかし、そのクラフトマンシップこそ私たちの強み。私たちはモノ作りを一切妥協しない。使用しているレザーはどれも一級品で、耐久性にもとことん向き合っている」と真っ直ぐ語る。「多くのレザーバッグがブラックやブラウンなのに対し、鮮やかなレッドやブルー、グリーンなど他にはないカラーバリエーションで作れるのも、『モワナ』の技術力があってこそだ」。
かつて「モワナ」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたアンリ・ラパン(Henri Rapin)は、庭園美術館(東京)の内装に関わっていた。「今回のコレクションも、日本とフランスの架け橋になるようなコラボにしたかった。この2国には通ずるものがあると信じている」。
■ドーバー ストリート マーケット ギンザ ポップアップ
日程:1月31日まで
時間:11:00〜20:00
場所:ドーバー ストリート マーケット ギンザ 3階 アクセサリースペース
住所:東京都中央区銀座6-9-5
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LVMHグループのお墨付き 「モワナ」本国チームが語る最上位のクラフトマンシップ
LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)傘下の仏老舗バッグブランド「モワナ(MOYNAT)」とグラフィックデザインの巨匠・永井一正のコラボコレクションが、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。このほど来日した本国チームに、永井とのコラボレーションや、ベストセラーのキャンバスシリーズ“Mコレクション”、同ブランドのモノ作りについて深掘りした。
「モワナ」と永井 クリエイションの共鳴
本国チームは、「『モワナ』が持つブランドの奥深さは、永井の目にも魅力的に映ると確信があった」と自信を持って語り始める。「コラボレーションの話は、2024年2月に日本デザインセンター(東京)で永井と彼のチームに会ったときから本格化した。彼は94歳だったにも関わらず、毎週月曜日はここに来ていると話していた」と尊敬の念をにじませる。永井は長いキャリアの中で、三菱UFJフィナンシャル・グループやアサヒビール、1966年の札幌冬季オリンピックのシンボルマークなど、誰もが一度は見たことのある作品を手掛けている。「彼のダイナミックで印象的、かつ明るい作風は、私たちの打ち出したいコレクションにぴったりだと思った」。
今回のコラボコレクションでは、永井の代表作である“LIFE”シリーズを採用した。ライオンやチンパンジー、タコやヒトデなど水陸の生物をモチーフに、「生物にとって最も重要な“命”を表現している」(日本デザインセンター公式サイト)。コレクションの反応は、国を問わずポジティブだったという。「永井は日本を代表するグラフィックデザイナーだから、日本における売れ行きの良さは想像ができた。しかし、彼を知らない人、そして「モワナ」を知らない人にもこのキャッチーなデザインは響いた」。24年11月にコレクションを発売し、2週間で完売した。
老舗ブランドとしての誇りを胸に
「ドーバー ストリート マーケット ギンザ限定のコラボコレクションは、「モワナ」のベストセラー“Mコレクション”シリーズが主役だ。永井の作品が持つ「カラフル」「ハッピー」「ジョイフル」といった要素は、同シリーズが長年大切にしてきたことでもある。「“Mコレクション”は、新規顧客、特に若年層を引き付けている。『モワナ』は特にメーンターゲットを設けておらず、(今の段階で)若年層に特化した施策を打ち出してはいない。それでも“Mコレクション”を通して若い世代とつながれることをうれしく思う」。ローンチを記念したカクテルパーティーも、若者が中心となり活気のある雰囲気を作っていた。
バッグ市場では近年、“Mコレクション”のようなキャンバストート型のバッグにアーティストが描くモチーフをプリントする動きがある。「この流れに乗っているのは老舗が多く、どこもクラフトマンシップを謳っている。しかし、そのクラフトマンシップこそ私たちの強み。私たちはモノ作りを一切妥協しない。使用しているレザーはどれも一級品で、耐久性にもとことん向き合っている」と真っ直ぐ語る。「多くのレザーバッグがブラックやブラウンなのに対し、鮮やかなレッドやブルー、グリーンなど他にはないカラーバリエーションで作れるのも、『モワナ』の技術力があってこそだ」。
かつて「モワナ」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたアンリ・ラパン(Henri Rapin)は、庭園美術館(東京)の内装に関わっていた。「今回のコレクションも、日本とフランスの架け橋になるようなコラボにしたかった。この2国には通ずるものがあると信じている」。
■ドーバー ストリート マーケット ギンザ ポップアップ
日程:1月31日まで
時間:11:00〜20:00
場所:ドーバー ストリート マーケット ギンザ 3階 アクセサリースペース
住所:東京都中央区銀座6-9-5
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GRe4N BOYZが語る映画「サンセット・サンライズ」のインスパイア・ソング「シオン」に込めた想い
PROFILE: GRe4N BOYZ
監督:岸善幸 × 脚本:宮藤官九郎 × 主演:菅田将暉による映画「サンセット・サンライズ」は、新型コロナのパンデミックに世の中が揺れた2020年の東北を舞台にした物語だ。大企業に勤める晋作(菅田将暉)は、リモートワークになったことをきっかけに東京から三陸の街に引っ越してきて大好きな釣り三昧の日々。そこで出会った地元の人々と触れ合うことで晋作は大きく変わっていく。コロナや東日本大震災などさまざまな問題を盛り込みながら、笑いと涙に満ちた人間ドラマに仕上がった本作。そのインスパイア・ソングを手掛けたのは、24年にGReeeeNから改名したGRe4N BOYZ(グリーンボーイズ)だ。大学時代を福島で過ごしたということもあり、映画から受けた印象だけではなく、東北で暮らす人の思いも反映させたというインスパイア・ソング「シオン」はどのようにして生まれたのか。メンバーのHIDEとnaviに話を聞いた。
——「シオン」は主題歌ではなくインスパイア・ソングということですが、どんな風に曲を作り上げていったのでしょうか。
HIDE:これまでインスパイア・ソングというのはやったことがなかったので、自分の中にどういう感情が生まれるのかを意識しながらまずは映画を観させていただきました。主題歌を書く時もそうなんですけど、事前に映画に関する情報は何も入れずに、初めて観た時に感じたことを大切にして曲を作ろうと思ったんです。
——映画を観てどう思われました?
HIDE:脚本が宮藤官九郎さんということもあって、笑いの要素もたくさんありますし、楽しく観られる映画だと思う反面、とても繊細な部分も描かれていました。その両方の部分を曲に反映させつつ、自分たちが東北で過ごしていた時のことや、震災直後に現地に入った時のことを思い出しながら曲にしていこうと思いました。
——naviさんは映画にはどんな感想を持たれました?
navi:いろんなテーマが重なっていて、それに対して登場人物の一人一人がそれぞれの立場で向き合っている姿が印象的でしたね。あと、映画の舞台になった三陸に親戚がいるんですけど、映画が現地の雰囲気をすごく捉えていることに驚きました。出てくる人たちの方言もすごくリアルで親近感を感じました。特に中村雅俊さんの方言のイントネーションが本物過ぎて。中村さんが地元の方だというのを後で知って「だからか!」と思いました。
——方言やイントネーションは大切ですよね。その土地の文化でもありますし。
navi:あと、コロナが広まっていった時の地方の小さな町の雰囲気もリアルに描かれていました。(コロナが広まっている)東京から人が来て大ごとになる感じとか、確かにそうだったよなって。当時、帰省する時は気を付けていましたが、しっかり検査して帰省したとしても目に見えない恐怖というのは拭い去れないので、地元では外から来る人を警戒していたんだろうなって改めて思いました。そういう距離感も映画ではうまく表現されていましたね。
HIDE:あと、地元のおいしいものがいろいろ出てくるのも良いですね。映画の後半に出てくる「芋煮会」は僕らもよくやっていたんです。友達と「芋煮会しようか」って。バーベキューとかお花見みたいなものなんですけど、友達と集まって一緒に芋を煮て食べるんです。
——映画では人間関係が煮詰まった時に芋煮会を開いて、そこで晋作が気持ちをさらけ出します。きっと、そういう雰囲気になる会なんですね。
HIDE:自然の中で仲間と鍋を囲むことで自分の心が裸になれるというか。だから、晋作の感情が爆発してしまうのも分かる。あそこは映画を観ていてシビれる展開でしたね。
「癒やしを必要な人に、癒やしが届く曲になれば良いな」
——インスパイア・ソングの「シオン」は、そんな風に強い感情が溢れ出すような曲ですね。いろんな要素、いろんな感情が詰まった映画でしたが、曲を作る時には映画のどんなところに焦点を当てたのでしょうか。
HIDE:自分たちが作った曲が映画を見た方にとっての何かになってほしい、と思った時に、この作品にはいろんな要素があるけれど、一番大きな要素は「癒やし」じゃないかと思ったんです。いま、癒やしを必要な人に癒やしが届く曲になれば良いな、と思いました。
navi:どんなメロディーや曲調にしたら映画の雰囲気に合うのかな、と考えながら映画を観させてもらったんですけど、いろんな要素がある映画なのでどんな曲でも合いそうだったんですよね。明るい曲にもできたし、もっとバラードっぽくもできた。でも、最終的に癒やしをテーマしたことでこの曲が生まれたんです。
HIDE:その一方で、癒やしに限らず、映画を観た方が必要としているものを届けられる曲にしたいとも思ったんです。そして、映画全体が醸し出している雰囲気みたいなものが曲になったらどんな風になるんだろう?と考えながらギターを弾いている時にメロディーが降りてきました。
——まず、メロディーが生まれたんですね。
HIDE:僕らの曲はいつもメロディーが先なんです。今回は「この映画を観て良かった。この曲を聴いて良かった」と思ってほしい相手を想像して、その人に向けて歌詞を考えました。
——「あなた」に語りかける歌詞になっていますね。季節が歌詞のモチーフになっているようにも思えたのですが。
HIDE:気が付いたらそうなっていた、という感じですね。設計図的なものはなく、自然に出てきた言葉をつなげて歌詞にしました。
——naviさんはHIDEさんが書いた歌詞について、どう思われました?
navi:季節を巡りつつ、最後に「私は生きていく」という強い意志を出すところが印象的でしたね。
HIDE:震災が起こってから、今も前に進めない方がたくさんいらっしゃると思うんですよ。でも、動けなくても今ある命を惜しみなく使っている。そういう気がしたんですよね。
——晋作が想いを寄せる百香(井上真央)も、震災以降に動けなくなった女性でしたね。「シオン」という曲名はどこから取られたのでしょうか。
HIDE:曲のタイトルを決めるのはいつも一番最後なんです。できた曲を聴いたり、歌詞を読んだりして、この曲は何を言っているんだろう?と考えて曲名を考えるんですけど、そこでたどり着いたのが「シオン」でした。シオン(紫苑)の花言葉が「追憶」で、それが映画や曲にも合っていると思ったんです。でも、「この曲名の意味は追憶です」と言い切りたくはなくて。ただ、「シオン」という言葉の響きがすてきだな、と思っていただいてもいいですし、曲を聴かれる方それぞれが好きなように感じてくれたら良いな、と思います。
——東日本大震災で傷ついた人々を、映画の題材として取り上げるのはとてもデリケートなことです。お二人は震災も体験し、HIDEさんは震災直後に歯科医師として現地に入られたりもされましたが、映画で描かれた震災が人々に与えた影響についてどう思われました?
HIDE:この映画で伝えたいのは、東北は時間はかかりながらもちゃんと前向いていますよっていうことだと思うんですよ。そういうことが映画をご覧になった方に伝わるのは素晴らしいし、そういう作品に参加できたのはありがたかったですね。
——晋作と衝突していた地元住民のケン(竹原ピストル)が、芋煮会で晋作に向かって「俺たちのことを見ててくれたらいいんだ」と言うのを聞いて、そういう想いもあるのか、と思いました。被災地で暮らす人々に対して、どんなふうに接していいのか分からない自分にとって心に響く言葉でした。
navi:僕も今、そのセリフを思い出していたんです。地元の人たちの意見はいろいろあると思うんですけど、「見ててくれたらいい」というのは、とてもバランスが取れた良い答えというか、あのセリフを聞いて「そうだよな」ってすごく納得しました。
GRe4N BOYZとしての新たなスタート
——昨年、GReeeeNはGRe4N BOYZとして再出発して新作アルバムもリリースされました。グループ名を変えたことで、音楽に対する向き合い方に変化は生まれました?
HIDE:急に何かが大きく変わったりはしないんですけど、名前が変わるというのは大きなことだというのは実感しました。新しいグループ名を認知していただくのがすごく大変で。でも、僕らのことや僕らの音楽を信じてライブに来ていただいたり、作品を聴いてくださったりしてる方たちが、こんなにもたくさんいてくださるんだということを知ることができた。そういう人々に対して恩返しをするというか、これから一緒に成長していけたら良いな、と思ってます。
navi:名前を変えてもついて来てくれるファンの方には本当に感謝してます。あと、GReeeeNだった時は、メンバーの間で「GReeeeNってこうだよね」ってなんとなく意識していることがあったんです。でも、GRe4N BOYZになってからは、そういうことは意識せずにいろんなことに挑戦するようになりました。そのおかげで音楽の幅が広がった気がするんですよね。
——晋作が三陸で暮らすようになって新しい人生を歩み始めたことと、GReeeeNがGRe4N BOYZとして再出発したことは重なるところがあるような気がします。
HIDE:そうですね。晋作は新しい価値観に触れて、今までとは違ったものを素敵だと思えるようになった。今の自分たちはそういう状態に近い気がします。これまで僕たちの音楽を聴いてくれていた人たちにとっても、そうだと思うんですよ。GRe4N BOYZの音楽に触れて、新しい魅力を感じてくれるとうれしいですね。
navi:晋作が前向きな姿勢で新しい価値観に向き合っているところにも共感していて。いま、僕たちもフレッシュな気持ちで音楽に向き合っていて、これからいろんなことに出会えそうだなって今すごくワクワクしているんです。
■映画「サンセット・サンライズ」
出演:菅田将暉
井上真央
竹原ピストル 山本浩司 好井まさお 藤間爽子 茅島みずき
白川和子 ビートきよし 半海一晃 宮崎吐夢 少路勇介 松尾貴史
三宅健 池脇千鶴 小日向文世 / 中村雅俊
脚本:宮藤官九郎
監督:岸善幸
原作:楡周平「サンセット・サンライズ」(講談社文庫)
音楽:網守将平
歌唱:⻘葉市子
企画・プロデュース:佐藤順子
制作プロダクション:テレビマンユニオン
配給:ワーナー・ブラザース映画
©︎楡周平/講談社 ©︎2024「サンセット・サンライズ」製作委員会
https://wwws.warnerbros.co.jp/sunsetsunrise/
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「ゲラン」新美容液はブラックビーハニーの修復力に着目 ボンテ博士が語る製品開発
「ゲラン(GUERLAIN)」は2月1日、ブランドを代表するライン“アベイユ ロイヤル”のブースト美容液“ウォータリー オイル セロム”(30mL、1万4300円/50mL、1万9800円)をリニューアル発売する。ミツバチとハチ由来成分の持つ自己修復力に関する研究プラットフォーム「ビー・ラボ(BEE LAB)」の研究を基に処方をアップデート。フレデリック・ボンテ(Frederic Bonte)=「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクターにリニューアルの重点や、「ゲラン」の製品開発について聞いた。
PROFILE: フレデリック・ボンテ/「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター

WWD:5代目となる製品のリニューアルの着想源は?
フレデリック・ボンテ=「ゲラン」サイエンティフィック コミュニケーション ディレクター(以下、ボンテ博士):美容医療における脂肪注入注射後の肌は、ボリューム感だけでなく質感の改善も見られることに着目した。そこから肌の修復や再生において重要な役割を持つ間葉系幹細胞の研究を進め、今回の処方を完成させた。
WWD:処方の特徴は?
ボンテ博士:「ゲラン」が持つ300種類を超えるハチミツの分析データをもとに、約3年かけて3種のブラックビーハニーを選び抜いた。独自ルートで調達したロイヤルゼリーとブレンドし、エイジングやストレスなどにより低下した間葉系幹細胞の活性化にアプローチする。輝きのある肌を演出する“グロウブースターコンプレックス”や、プロポリス、ヒアルロン酸も新たに配合した。オイル成分はマイクロビーズに配合することで、オイル美容液特有のベタつき感を解消。また天然由来成分を99%まで高めた。
WWD:5代目まででハチミツの何が分かってきたのか?
ボンテ博士:ハチミツの品種によって含有成分の違いや役割についての研究が進んでいる。分析の手法も年々進化してきた。ハチミツの栄養素をより細かく分析できるようになり、今回のリニューアルが実現した。同じブラックビーハニーでも、生息地や周っている花の種類などにより構成要素が全く異なる。今回はフランス、アイルランド、ノルウェーの黒ミツバチから採れたブラックビーハニーを採用した。
WWD:ハチミツ採取の仕組みは?
ボンテ博士:養蜂家の生産体制を細かく確認し、ハチミツの長期的な共有ができる強固なパートナーシップを結んでいる。フランスのウェッサン島には「ゲラン」のためだけに働いてくれる養蜂家もいる。「ゲラン」の研究者は年数回ウェッサン島やアイルランド、ノルウェーに赴き、現地の養蜂家と直接コミュニケーションを取っている。「ゲラン」は肌組織や成分の研究だけでなく、ミツバチの生態系や養蜂家の働き方も重視する。よい原料なくして、よい製品を作ることはできない。
WWD:6代目、7代目へ向けた計画は?
ボンテ博士:今後のプロジェクトはまだ秘密だ。「ゲラン」が注目する黒ミツバチは多くの可能性を秘めているので、ブラックビーハニーの研究を続けさらなる進化につなげたい。また皮膚間葉系幹細胞についても、老化科学と再生を研究するフランスの研究機関、リストア研究所と連携し研究を進める。
WWD:“ウォータリー オイル セロム”は特にどのような人におすすめなのか?
ボンテ博士:肌のハリや潤い、輝きを求める人に特におすすめだ。肌の深層部まで潤うことで、毛穴やキメの乱れの目立ちにくさにもつながる。評価テストでは肌の赤みが落ち着いた結果も見られたので、敏感肌の人も使用できる。単体でも効果を発揮するが、“アベイユ ロイヤル”の中では“アドバンスト ダブルR セロム”(30mL、2万570円/50mL、2万8160円)との組み合わせを推奨する。より肌状態を向上することができるだろう。

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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。
初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。
同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?
1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?
生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。
私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。
2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?
幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。
初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。
3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?
特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです
4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?
私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。
5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?
異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。
6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?
ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。
もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。
7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?
ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。
8:理想の休日の過ごし方は?
街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。
9:自分にとっての1番の宝物は?
宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。
10:これから叶えたい夢は?
私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。
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ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。
初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。
同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?
1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?
生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。
私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。
2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?
幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。
初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。
3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?
特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです
4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?
私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。
5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?
異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。
6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?
ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。
もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。
7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?
ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。
8:理想の休日の過ごし方は?
街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。
9:自分にとっての1番の宝物は?
宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。
10:これから叶えたい夢は?
私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。
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海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。
初回に取り上げるのは、ベルギー人デザイナーのジュリ・ケーゲル(Julie Kegels)。1998年生まれの彼女は、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メリル ロッゲ(MERYLL ROGGE)」やピーター・ミュリエ(Pieter Mulier)率いる「アライア(ALAIA)」でのアシスタント経験を経て、2024年アントワープを拠点に「ジュリ ケーゲル(JULIE KEGELS)」を立ち上げた。
同年2月、パリ・ファッション・ウイーク期間中にプレゼンテーションを開き、初のコレクション「50/50」を発表。全身が映る大きな三面鏡を使って、前後でデザインが全く異なる遊び心あふれるデザインを見せた。続く9月には、初のランウエイショーを開催。ヨーロッパのブルジョア的エレガンスとカリフォルニアの気楽なムード漂うサーフカルチャーを融合したコレクションを披露した。デビューからまだ2シーズンにして、早くもバイヤーからもメディアからも高い評価を得ている期待の新星は、どんな人物なのだろうか?
1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?
生まれ育ったのは、ベルギーのアントワープです。そこで、幼い頃から芸術とクリエイティビティーへの愛を育んできました。私は好奇心旺盛な子どもで、常に新しいことを探求し、学ぶことに熱心でした。また、両親もよく展覧会に連れて行ってくれましたし、歴史や人々に関する興味深い話をしてくれましたね。そのおかげで、想像力が豊かになったのだと思います。
私はシュタイナー学校に通っていたのですが、成績よりも個人としての成長に重きを置く環境でした。とても協力的で、信じられないほどのインスピレーションを与えてくれた先生たちには、今も感謝しています。ただ、その後、伝統的な高校への移行は大変でした。私は学業に集中するようになり、良い成績を収めるために一生懸命で、“ガリ勉“としか言いようのない存在に変わってしまいました。でも、ずっとファッションのキャリアを夢見ていましたね。
2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?
幼い頃の私は大きな夢を抱いていて、すっかり美しさに魅了されていました。マダム・グレ(Madame Gres)やポール・ポワレ(Paul Poiret)、ココ・シャネル(Coco Chanel)といったアイコニックなデザイナーに関する本を読みふけり、教室で彼らについてのプレゼンテーションもしました。当時9歳だったクラスメートは、私のスピーチにはまったく興味を持ってくれませんでしたけどね!そして、はっきりを覚えている記憶の一つは、ジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のキッズコレクション。とても美しい赤の色合いのプリーツスカートがあって、毎日そのスカートの夢を見るほど夢中になりました。
初めて作った服はベルトがスカートになったものだったんですが、ベルトの下に布を貼り付けただけ。そんなシンプルでちょっとした作品でしたが、ものすごく誇りに思っていました。振り返ってみると、その小さなプロジェクトは私のファッションへの愛が始まった瞬間のように感じます。
3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?
特定の瞬間を挙げることはできません。だって、子どもの頃からずっと抱き続けてきた夢でしたから。その当時でさえ、ファッションの世界がいかに難しいかということを周りから念押しされましたが、私にとっては、そんな世界がミステリアスで一層魅力的に感じたんです
4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?
私が学んだ最も大切な教訓は、常に自分の心に忠実であり続けること。心臓がドキドキするようなことがあれば、それは正しい方向に進んでいるサインだと思います。逆に、何も感じなければ、それは進路を変えるための明確な指標。自分の本能を信じることは、時に気が遠くなるに感じることもありますが、極めて重要です。
5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?
異なる世界を融合させて、自分ならではのものにすることが大好きです。私の目標は、人々の心に響き、記憶や感情を刺激するようなデザインを生み出すこと。私の作品が、何かとのつながりを呼び起こしたり、誰かの人生に懐かしさや喜びをもたらしたりすることができたら、一番幸せです。
6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?
ブランドも、私も、本当にホームだと感じられるアントワープを拠点にしています。私のお気に入りスポットはいくつかありますが、一つはスヘルデ川(別名:エスコー川)沿いの岸壁。そこに広がる荒々しい灰色の空間は、顔に吹き付ける風と相まって、私にエネルギーをもたらしてくれるんです。
もう一つの大切な場所は、フレイダグマルクト(Vrijdagsmarkt)にある私のパートナーが経営するブティックホテル、ア プレイス アントワープ(A Place Antwerp)。ホテル前の広場は今でもオーセンティックで、過度に観光業の影響を受けずにアントワープの素朴な精神を醸し出しています。近くには、街で最高のビールを楽しめる古いカフェ、デ・コルソ(De Corso)もありますよ。
7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?
ファッション以外だと、気分転換のためのスポーツや、旅行、人との会話など、アクティブでいるようにしています。これらのアクティビティーは、フレッシュな視点とインスピレーションを与えてくれますし、エネルギーを充電してクリエイティビティーを発揮し続けられるようにしてくれます。
8:理想の休日の過ごし方は?
街の中にある隠れ家的スポットでも、初めての体験でも、好奇心を掻き立てられるものでも、ワクワクするような新しい何かを見つけるのが大好き。でもそれと同時に、ただリラックスして生きていることのシンプルさを楽しむだけという、何もしない時間も大切にしています。
9:自分にとっての1番の宝物は?
宝物は一つではなく、たくさんあります。物を捨てることが苦手なので、ちょっと困ることもあるんですよね.......。でも、もし一つだけを選ばなければいけないなら、私にとって一番の宝物は姉。彼女は、どんなことがあっても私のそばにいてくれる心の支えです。
10:これから叶えたい夢は?
私の夢は、健全で順調に成長する会社を築くこと、そして、過去であれ未来であれ人々に夢を抱かせるようなブランドを確立することです。
The post ベルギーが生んだ期待の新星 デビュー2シーズン目にして業界のプロから高評価を得るジュリ・ケーゲル appeared first on WWDJAPAN.
フルート奏者から俳優へ 「東京産、ロサンゼルス製」のマルチクリエイターRiRiaの半生
PROFILE: RiRia/俳優、マルチクリエイター

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第6回はマルチクリエイターのRiRiaに、フルート奏者から俳優へ転向しマルチクリエイターとして活躍する半生を聞く。
マイケル・ジャクソンに胸を打たれてロサンゼルスへ
水嶋和恵(以下、水嶋):ロサンゼルスに至るまでの経歴は?
RiRia:3歳でリコーダー、7歳でクラシックフルートの演奏を始め、10歳でプロフルート奏者としてデビューしました。人生のとても早い段階でプロになり、14歳でプロフィギュアスケーターの浅田真央選手の競技使用曲を演奏しました。
水嶋:日本で活躍している中、なぜロサンゼルスに移住したのですか?
RiRia:16歳で自分の中で限界を感じてしまったんです。元々話すことが大好きで、両手と口がふさがるフルートの表現に限界を感じました。もっと大きいことがしたい、もっと表現がしたいと思っていた矢先、テレビをつけたらマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の姿が。2009年、彼が亡くなる4カ月前でした。エンターテイメントの世界で、同じ表現者でもこれだけ違うのかと衝撃を受けました。パフォーマーである彼から観客がエネルギーを感じ取っている。その姿を見て、マイケルがいるアメリカ・ロサンゼルスで表現者になりたいと思いました。彼を超えていく!と。

水嶋:人生のターニングポイントですね。
RiRia:はい。両親に米国移住の決意を伝えたところ、「次の国際大会で優勝したら、アメリカへの片道チケットをプレゼントする」と言ってくれました。11年のマクサンス・ラリュー国際フルートコンクールで最年少優勝することができ、12年1月、両親との約束を胸に、米国への移住を見据えてニューヨークとロサンゼルスを視察しました。行った時期のニューヨークが極寒だったこともあり、ロサンゼルスに行くことを決めました。
ただ、ロサンゼルスに来てがっかりしたこともあります。私はファッションが大好き。ロサンゼルスはセレブや水嶋さんのようなファッション業界のおしゃれな人であふれていると思っていたので、移住して最初の頃は、人々があまりにもカジュアルなのを見て、正直残念に感じましたね。それでも気候は素晴らしく、エンタメの中心地です。舞台ではなく映像で俳優をしたいという思いもあり、やはり自分が住むのにふさわしいのはハリウッドだと思いました。
水嶋:ロサンゼルスに来てすぐの頃は、どんな生活をしていましたか?
RiRia:移住をするのに高校卒業まで待てない自分がいて、高校2年生でロサンゼルスへ。最初は公立高校に通いながら、音楽大学付属のプレカレッジに通い、学生寮に住んでいました。俳優・表現者になりたいとロサンゼルスに来たけれど、最初の4~5年は音楽留学となってしまい、やりたいことを思うようにできない時期でした。
水嶋:移住した当初の英語力はどうでしたか?
RiRia:英語力は全くなく、人に話かけることもハグをすることもできなかったですね。いつの間にか英語力が身についたのですが、音楽をやってきたのは英語習得において、ラッキーだったかなと。
水嶋:リスニング(聴力)に長けていそうですよね!
RiRia:また、公立高校に通ったことで英語力がついたように思います。周りに日本人もいなかったので、その環境にもまれながら、高校生活を送れたのは大きかったです。
米国で俳優、マルチクリエイターとして活躍の幅を広げる
水嶋:卒業してから、仕事を得るまでの道のりはどのようなものでしたか?
RiRia:17年、EB-1ビザ(第一優先枠:突出した能力や知名度を持つ人物に与えられるビザ)を取得し、米国で就労可能に。そこから階段を登るように、表現者としてコマーシャル出演、さまざまな方のミュージックビデオ出演と仕事が決まっていき、エージェントもつきました。
水嶋:エンタメの地ロサンゼルスでは、多くの事務所が存在しますが、自分に合うエージェントを見つけるのは容易ではなかったのでは。
RiRia:巡り合わせがとても重要でした。大きな事務所だからといって、仕事が入ってくるとは限らない。小さい事務所だからこそ、親身になってくれる場合もあります。日本のマネージメントの仕組みとは異なり、米国では短い期間であっても、納得のいく結果が得られない場合は、タレントが事務所を変更できます。今までに7回事務所を変え、やっとしっくりくるマネージメントと共に仕事をしています。
水嶋:俳優業をしながら、グラフィックデザインや動画クリエイションをしていますが、マルチクリエーターとして活動するに至った経緯を教えてください。
RiRia:幼いときから、コラージュやペーパークラフトをはじめ、何かを創造するのが好きでした。パンデミック中に「おうち時間で何か楽しいことをしよう。みんなを勇気づけられたら」という思いで、自分の作品をソーシャルメディアに投稿したのがきっかけです。自分の体を紙人形に見立てて着せ替えするデジタル作品“RiRia紙人形”。この作品への反響がとても大きく、企業からのコラボ案件をいただくようになりました。
水嶋:紙人形という古くから日本に伝わるものを、デジタルで表現するなんて素敵ですね!
RiRia:ありがとうございます。この作品をきっかけに、韓国女性グループ 2NE1のメンバーの一人であるCLがソロデビューをする際のミュージックビデオ「+DONE161201+」を監修してほしいとの依頼が。本人からインスタグラム経由でオファーをいただいたので「見てくれている人がいる、こんなことがあるんだ」と驚きました。
水嶋:カメオ出演もされたんですよね。まさに、アメリカンドリーム!多くのミュージックビデオや広告のクリエイティブを担当していますが、最近はどのようなプロジェクトがありましたか?
RiRia:キャセイパシフィック航空のウェブCMのクリエイティブを担当しました。自分をコラージュにして、世界を舞台に「駆ける、架ける、賭けるRiRia」を表現したストップモーションビデオです。少しユーモアのある、遊び心のある作品に仕上がりました。
水嶋:トヨタ自動車とクリエイターとの共創プロジェクト「トヨタ ディレクターズカット(TOYOTA DIRECTORSCUT)」での、RiRiaさんの映像作品も記憶に新しいですが、いかがでしたか?
RiRia:空想のゲームをつくり、キャラクターをデザインし、グラフィックを作り込み、実写でも登場する。ディレクション、編集、そして出演もしたので、大変な作業でした。でも、自分の頭の中のものを一番忠実にアウトプットできるのは自分しかいないと思うので、自分で全てできてしまうのは、アーティストとしての強みだなと思います。
フルート奏者から俳優へ、気持ちが切り替わった転機
水嶋:俳優として出演した思い出深い作品はありますか?
RiRia:ユナイテッド航空のテレビCM出演が印象に残っています。フルートの演奏ができて、奇抜な容姿の俳優を探しているとのことでした。
水嶋:それは、RiRiaさんしかいないですね!
RiRia:私以外に誰かいるのかな?いるなら見てみたい!と思いましたね。撮影はグランドキャニオンの頂上で一人。クルーは数km先まで下山をし、ヘリコプターからの撮影でした。フルート奏者としての自分から、俳優としての自分に切り替わった瞬間に、自分の中で「これだ」と腑に落ちました。今まで積み重ねてきたことから、これから目指す自分が見えました。今でも、あのグランドキャニオンから見た夕焼けと、そのときの自分の感情を思い出します。
水嶋:プロの俳優として歩み出した、素晴らしいターニングポイントですね。
RiRia:そこからドラマ出演も決まるようになりました。「ドールフェイス」(Huluオリジナル)でチェリーという名のロックスター役で出演、またエミー賞9冠を受賞した「ハックス」(HBOオリジナル)に出演。実はスタイリスト役なんです!
水嶋:そうなのですね!ファッションが好きだとおっしゃっていましたが、現場の印象はいかがでしたか?
RiRia:ファッションが好きな私としては、憧れの職業でもあるスタイリストの役を演じられるのは、夢のような時間でした。セットの作り込みも、用意されている衣装も素晴らしく、その空間にいるだけで、ワクワクしました。少しでも自分の性格を投影できる役はしっくりきますね。日本人限定でキャスティングされるよりも、人種関係なく自分がハマる役に挑んでいきたいです。それが自分の役者スタイルだと思います。米国の人々が思う日本のイメージはあると思いますが、ニュー・トーキョー、ニュー・ジャパンを彷彿させる役者でいたいと思っています。
水嶋:RiRiaさんとの出会いは、ロサンゼルス日本大使館主催のイベント「JX」。女優のAKEMIさんが紹介してくれました。とてもファッショナブルで、日本人とは違う存在感とすてきなオーラを感じました。さすがハリウッドで活躍している人だと思いました。
RiRia:私は「東京産、ロサンゼルス製」。二つの土地の素晴らしさを融合して、クリエイションを続けたいです。日本に向けて何かを制作するのは、私にとってグローバル。25年は日本での活動も増やしていきたいです!
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フルート奏者から俳優へ 「東京産、ロサンゼルス製」のマルチクリエイターRiRiaの半生
PROFILE: RiRia/俳優、マルチクリエイター

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第6回はマルチクリエイターのRiRiaに、フルート奏者から俳優へ転向しマルチクリエイターとして活躍する半生を聞く。
マイケル・ジャクソンに胸を打たれてロサンゼルスへ
水嶋和恵(以下、水嶋):ロサンゼルスに至るまでの経歴は?
RiRia:3歳でリコーダー、7歳でクラシックフルートの演奏を始め、10歳でプロフルート奏者としてデビューしました。人生のとても早い段階でプロになり、14歳でプロフィギュアスケーターの浅田真央選手の競技使用曲を演奏しました。
水嶋:日本で活躍している中、なぜロサンゼルスに移住したのですか?
RiRia:16歳で自分の中で限界を感じてしまったんです。元々話すことが大好きで、両手と口がふさがるフルートの表現に限界を感じました。もっと大きいことがしたい、もっと表現がしたいと思っていた矢先、テレビをつけたらマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の姿が。2009年、彼が亡くなる4カ月前でした。エンターテイメントの世界で、同じ表現者でもこれだけ違うのかと衝撃を受けました。パフォーマーである彼から観客がエネルギーを感じ取っている。その姿を見て、マイケルがいるアメリカ・ロサンゼルスで表現者になりたいと思いました。彼を超えていく!と。

水嶋:人生のターニングポイントですね。
RiRia:はい。両親に米国移住の決意を伝えたところ、「次の国際大会で優勝したら、アメリカへの片道チケットをプレゼントする」と言ってくれました。11年のマクサンス・ラリュー国際フルートコンクールで最年少優勝することができ、12年1月、両親との約束を胸に、米国への移住を見据えてニューヨークとロサンゼルスを視察しました。行った時期のニューヨークが極寒だったこともあり、ロサンゼルスに行くことを決めました。
ただ、ロサンゼルスに来てがっかりしたこともあります。私はファッションが大好き。ロサンゼルスはセレブや水嶋さんのようなファッション業界のおしゃれな人であふれていると思っていたので、移住して最初の頃は、人々があまりにもカジュアルなのを見て、正直残念に感じましたね。それでも気候は素晴らしく、エンタメの中心地です。舞台ではなく映像で俳優をしたいという思いもあり、やはり自分が住むのにふさわしいのはハリウッドだと思いました。
水嶋:ロサンゼルスに来てすぐの頃は、どんな生活をしていましたか?
RiRia:移住をするのに高校卒業まで待てない自分がいて、高校2年生でロサンゼルスへ。最初は公立高校に通いながら、音楽大学付属のプレカレッジに通い、学生寮に住んでいました。俳優・表現者になりたいとロサンゼルスに来たけれど、最初の4~5年は音楽留学となってしまい、やりたいことを思うようにできない時期でした。
水嶋:移住した当初の英語力はどうでしたか?
RiRia:英語力は全くなく、人に話かけることもハグをすることもできなかったですね。いつの間にか英語力が身についたのですが、音楽をやってきたのは英語習得において、ラッキーだったかなと。
水嶋:リスニング(聴力)に長けていそうですよね!
RiRia:また、公立高校に通ったことで英語力がついたように思います。周りに日本人もいなかったので、その環境にもまれながら、高校生活を送れたのは大きかったです。
米国で俳優、マルチクリエイターとして活躍の幅を広げる
水嶋:卒業してから、仕事を得るまでの道のりはどのようなものでしたか?
RiRia:17年、EB-1ビザ(第一優先枠:突出した能力や知名度を持つ人物に与えられるビザ)を取得し、米国で就労可能に。そこから階段を登るように、表現者としてコマーシャル出演、さまざまな方のミュージックビデオ出演と仕事が決まっていき、エージェントもつきました。
水嶋:エンタメの地ロサンゼルスでは、多くの事務所が存在しますが、自分に合うエージェントを見つけるのは容易ではなかったのでは。
RiRia:巡り合わせがとても重要でした。大きな事務所だからといって、仕事が入ってくるとは限らない。小さい事務所だからこそ、親身になってくれる場合もあります。日本のマネージメントの仕組みとは異なり、米国では短い期間であっても、納得のいく結果が得られない場合は、タレントが事務所を変更できます。今までに7回事務所を変え、やっとしっくりくるマネージメントと共に仕事をしています。
水嶋:俳優業をしながら、グラフィックデザインや動画クリエイションをしていますが、マルチクリエーターとして活動するに至った経緯を教えてください。
RiRia:幼いときから、コラージュやペーパークラフトをはじめ、何かを創造するのが好きでした。パンデミック中に「おうち時間で何か楽しいことをしよう。みんなを勇気づけられたら」という思いで、自分の作品をソーシャルメディアに投稿したのがきっかけです。自分の体を紙人形に見立てて着せ替えするデジタル作品“RiRia紙人形”。この作品への反響がとても大きく、企業からのコラボ案件をいただくようになりました。
水嶋:紙人形という古くから日本に伝わるものを、デジタルで表現するなんて素敵ですね!
RiRia:ありがとうございます。この作品をきっかけに、韓国女性グループ 2NE1のメンバーの一人であるCLがソロデビューをする際のミュージックビデオ「+DONE161201+」を監修してほしいとの依頼が。本人からインスタグラム経由でオファーをいただいたので「見てくれている人がいる、こんなことがあるんだ」と驚きました。
水嶋:カメオ出演もされたんですよね。まさに、アメリカンドリーム!多くのミュージックビデオや広告のクリエイティブを担当していますが、最近はどのようなプロジェクトがありましたか?
RiRia:キャセイパシフィック航空のウェブCMのクリエイティブを担当しました。自分をコラージュにして、世界を舞台に「駆ける、架ける、賭けるRiRia」を表現したストップモーションビデオです。少しユーモアのある、遊び心のある作品に仕上がりました。
水嶋:トヨタ自動車とクリエイターとの共創プロジェクト「トヨタ ディレクターズカット(TOYOTA DIRECTORSCUT)」での、RiRiaさんの映像作品も記憶に新しいですが、いかがでしたか?
RiRia:空想のゲームをつくり、キャラクターをデザインし、グラフィックを作り込み、実写でも登場する。ディレクション、編集、そして出演もしたので、大変な作業でした。でも、自分の頭の中のものを一番忠実にアウトプットできるのは自分しかいないと思うので、自分で全てできてしまうのは、アーティストとしての強みだなと思います。
フルート奏者から俳優へ、気持ちが切り替わった転機
水嶋:俳優として出演した思い出深い作品はありますか?
RiRia:ユナイテッド航空のテレビCM出演が印象に残っています。フルートの演奏ができて、奇抜な容姿の俳優を探しているとのことでした。
水嶋:それは、RiRiaさんしかいないですね!
RiRia:私以外に誰かいるのかな?いるなら見てみたい!と思いましたね。撮影はグランドキャニオンの頂上で一人。クルーは数km先まで下山をし、ヘリコプターからの撮影でした。フルート奏者としての自分から、俳優としての自分に切り替わった瞬間に、自分の中で「これだ」と腑に落ちました。今まで積み重ねてきたことから、これから目指す自分が見えました。今でも、あのグランドキャニオンから見た夕焼けと、そのときの自分の感情を思い出します。
水嶋:プロの俳優として歩み出した、素晴らしいターニングポイントですね。
RiRia:そこからドラマ出演も決まるようになりました。「ドールフェイス」(Huluオリジナル)でチェリーという名のロックスター役で出演、またエミー賞9冠を受賞した「ハックス」(HBOオリジナル)に出演。実はスタイリスト役なんです!
水嶋:そうなのですね!ファッションが好きだとおっしゃっていましたが、現場の印象はいかがでしたか?
RiRia:ファッションが好きな私としては、憧れの職業でもあるスタイリストの役を演じられるのは、夢のような時間でした。セットの作り込みも、用意されている衣装も素晴らしく、その空間にいるだけで、ワクワクしました。少しでも自分の性格を投影できる役はしっくりきますね。日本人限定でキャスティングされるよりも、人種関係なく自分がハマる役に挑んでいきたいです。それが自分の役者スタイルだと思います。米国の人々が思う日本のイメージはあると思いますが、ニュー・トーキョー、ニュー・ジャパンを彷彿させる役者でいたいと思っています。
水嶋:RiRiaさんとの出会いは、ロサンゼルス日本大使館主催のイベント「JX」。女優のAKEMIさんが紹介してくれました。とてもファッショナブルで、日本人とは違う存在感とすてきなオーラを感じました。さすがハリウッドで活躍している人だと思いました。
RiRia:私は「東京産、ロサンゼルス製」。二つの土地の素晴らしさを融合して、クリエイションを続けたいです。日本に向けて何かを制作するのは、私にとってグローバル。25年は日本での活動も増やしていきたいです!
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小袋成彬が語る新作「Zatto」と「ロンドンでの出会い」 「ジャパニーズ・ソウルって感じですよね」
PROFILE: 小袋成彬/ミュージシャン
小袋成彬が、3年ぶり4枚目となるアルバム「Zatto」をリリースした。これまでもアルバムごとに作風を変えてきた彼だが、本作を聴いて分かる通り、今作の進化はかなりラディカルなものになっている。ロンドンで暮らしはじめて5年という月日が経過した今の小袋成彬だからこそ生み出せる、現地で出会ったミュージシャンたちと作り上げた結晶のような音。ロンドンでの生活と、そこで見聞きし考えたことが何なのか、詳しく訊いてみた。
「デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器」
——アルバム「Zatto」を聴きました。正直、かなり驚いています。これはどういう音楽かと聞かれたら、「音楽的にはジャズでソウルミュージックで……」って答えるんだけど、そんなものでは言い表せない小袋さんのソウルが鳴っています。
小袋成彬(以下、小袋):ジャパニーズ・ソウルって感じですよね。ちあきなおみや和田アキ子あたりの。
——何があってこんな境地にたどり着いたのか。
小袋:最初はハウスミュージックのアルバムを作ってたんですよ。でもコロナになって、ブラック・ライブズ・マターもあって、ウクライナやガザの戦争も起きて、日本に住んでたら関係なさそうな出来事が一気に身近になっていった。いつも行くパブで働くウクライナ人の女の子がどんどん憔悴していく感じとか見てると、もう無関係じゃないなって思えてきて。ハウスミュージック作ってる場合じゃないかも、って。それでハウスミュージックのアルバムは完成半ばで諦めたんですよ。
※その時に制作された楽曲のうち3曲はアルバムのリリース前に配信された。
次第に、ブルースやジャズが響くようになってきた。ロンドン生活が長くなってきて黒人の友達も増えてきたので、彼らが日々考えてる悩みも実感レベルで分かるようになってきたんです。そうすると、ダニー・ハサウェイががっつり入ってくるようになった。フリーダムっていう概念も、正直それまであまりピンと来てなかったんですよ。別に俺は生まれながらにフリーダムだけど、って思ってたし。でも、ロンドンは生まれながらに抑圧されている人たちがいっぱいいるんですよね。そういう延長線上で、今作は生まれていきました。
——世相の変化を受けて、踊っている場合じゃないという心境になってきたと。
小袋:踊ってても、戦争の映像とかがちらつくんですよ。なんか違うな、って思えてきた。
——そこからなぜジャパニーズ・ソウルに?
小袋:ダニー・ハサウェイみたいなカッコいいのを作りたいなと思うけど、やっぱり英語だと猿真似になっちゃうなって。試行錯誤していくうちにここにたどり着いたって感じです。でも、ロンドンの人たちに聴かせたらすごく自然に受け入れてくれてたから、日本語なんだけど譜割りやグルーブは西洋の影響を受けてるんじゃないかな。俺は普段は日本語を喋らないので。
——サウンドは、どのようなアプローチで生まれていったんでしょうか。
小袋:それぞれリファレンスはちゃんとありますよ。「Hanazakari」はボブ・マーリーの「Slave Driver」って曲があって、その弾き語りをずっと練習してたら生まれてきた。でも同じコードだとボブ・マーリーそのままになっちゃうから、いろいろ変えてみました。マイルス・デイヴィスに「All Blues」って曲があるんですよ。半音だけ転調する瞬間があるんですけどそれが手癖で出ていたり。今回はちゃんと楽器を手に取って作ろうという思いがあったので、デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器ですね。
ロンドンの多様なミュージシャンとの制作
——今作がすごく贅沢なのは、その演奏に集まっているミュージシャンが、今のロンドンのシーンを作っている活きのいい人たちばかりで。しかも、曲によってその座組みもバラバラです。これは、やりたいことに合わせてメンバーを変えていったということですよね。
小袋:まさにそうです。レゲエが弾ける人、チャーチミュージックが得意な人ってそれぞれに得手不得手があるので、特性を考えてバンドを組んでいます。だいたい1バンドにつき2曲で、4バンドで作ってますね。
——それぞれの演奏のアドリブについては、ミュージシャンにどの程度任せていたんですか?
小袋:アドリブもけっこう入ってますよ。でも、大きな設計図は自分が書きました。ここは誰々のソロです、ここのピアノはこういうリズムで弾いてください、というルールの中で遊んでもらってます。だから、今回は基本的にはジャズセッションのメンツを集めています。月曜、火曜にロンドンでフリージャズのセッションがあって、そこに通って出会った人たち。知った仲だし、ある程度どうなるかイメージは描けてました。
——出てきた演奏に対しては、小袋さんはどういったディレクションをされたんですか?
小袋:例えば「Shiranami」だと、英語で「White Waveだよ」って説明しても、ヨーロッパの人たちは南フランスのビーチとかを想像しちゃう(笑)。実際に日本の人たちが想起するのは、岩に打ちつける波しぶきや磯の匂いですよね。「違う違う、そんな弾き方しないでくれ!東映のロゴと一緒に出てくるあの波が日本のShiranamiだよ!」って言うと、理解してくれたり。
——なるほど(笑)。「Kamifubuki」も「Shiranami」と同じミュージシャンが集っていますけど、ニュアンスがまた全然違いますよね。だから、演奏については小袋さんのディレクションがけっこう入っているんだろうなと思いました。
小袋:一回バンドメンバーの前で英語で歌うんですよ。歌詞を理解してもらいたいから。「Shiranami」も、「旗を燃やして人の夢を照らす」っていうのを「Burning the flag to light up people’s dream」とか訳して歌うと、「yeah!!」って返ってくる。そもそも「Shiranami」に関しては、ダニー・ハサウェイがピンク・フロイドと一緒にやったらこんな感じになると思うんだけどって説明すると、あぁなるほどね! って。
——ロンドンのジャズシーンだと、そういったディレクションしながらのセッション&レコーディングは普通なんですか?
小袋:珍しいと思う。いろんなレコーディングに行きましたけど、こんなに明確なビジョンを持って入ることってそんなにない。だいたい皆、適当に入って適当に弾いて帰っていくから。今日のセッションって結局なんだったんだ? みたいなのも多いですよ。そんな感じだから、皆「これだけ分かりやすく説明してくれてありがとう」って言ってました。何をやればいいか理解できた、って。でも金払ってるの自分だし、もったいないことしたくないじゃないですか。だからこそ決めるところは決めつつ自由にやらせるところはやらせて、っていうのは意識しましたね。そういったアプローチや人間関係は、5年間ロンドンに住んで培ってきたもの。ほんと、いろんな人がいるから。そもそも時間通りに来ない人、昼飯行ったきり帰ってこない人……そういう奴に限って一番巧いからムカつくんだけどね(笑)。5年前だったら発狂してたけど、もう慣れました。
——ということは、今作は音楽性も演奏も含めて、小袋さんが5年間ロンドンに住んだ結果の集大成と言えるのかもしれないですね。5年前だったら絶対に生まれていないアルバム。
小袋:自分がディレクションする形でロンドンのミュージシャンと一緒にやったのは、宇多田(ヒカル)さんのセッションで「丸の内サディスティック」を演奏したのが最初だったんです。だけど、当時は英語も喋れないし、ミュージシャンの人たちのことを何も分かってないし、俺全然だめだわって思った。もちろん完成したものには満足してるんだけど、でもクリス・デイヴはじめいろんな人の特性や性格を分かってなかったから。未熟だった。今は一人ひとりのグラデーションが分かってきたし、そういう意味では今が集大成と言えますね。
日本語の歌詞
——そうやってロンドンのミュージシャンが集結して演奏していながらも、特に「Shiranami」あたりに顕著ですけど、演歌にも接近するような日本らしさが出てきているのはなぜでしょう。
小袋:やっぱり、日本語だからそうなっちゃうんだと思います。自分は、USラップを真似して英語っぽいラップをする意味が全然分かんなくて、日本語の良いところを出してこそだと考えてる。それこそ、洋楽の要素を取り入れつつ日本語の良いところを出す歌い方って、ちあきなおみや和田アキ子で完成したと思ってるんです。ラッツ&スターとかね。あの辺が、まだ日本語の響きを大切にしていた人たちなんじゃないかな。あの人たちのバックバンドって、すごく豪華だったりするじゃないですか。今作は、そういうことをやってるんですよ。で、そこにロンドンの多様性を入れた。
——洋楽の歌い方に影響を受けているんだけど日本語の良さを活かしたハメ方、ということですよね。そこに今のロンドンのミュージシャンに加わってもらうことで、1970年代の日本の歌謡曲・ポップスが、今の小袋さんでしか成し得ない音楽として表現されていると。
小袋:演歌って、譜割りを崩して歌うじゃないですか。このアルバムもかなり崩しているところがあるから、余計に演歌っぽく聴こえるんだと思う。でもそもそものメロディーの作りという点でも工夫していて、日本の歌って主音(音階を構成する最初の音。例えばラシドレミファソラというイ短調の場合、ラが主音となる)で終わる。サム・スミスとか聴いてると、英語だけどメロディーは主音で終わるし日本歌謡っぽいなと感じる。演歌っぽい。でも自分はそういったことはあまりしたくなくて、メロディーについては主音で終わらないようにしてます。だから、他の人には真似できないと思う。
——小袋さんはどんどん日本語を客観的に捉えるようになってきてますよね。だからこそ日本語の良さを活かすんだけど日本語っぽくない譜割りやメロディーを組み立てていくという独自の作風になってきてて、それが一周回って演歌っぽく聴こえるというのがすごく面白い。
小袋:そうですよね。演歌はコブシを効かせつつ、基本的にはオンでノるからグルーブがあまりないんだけど、そこが違うポイント。
——どちらが良いとは一概に言えないけれど、日本語ならではの発音と、洋楽の影響を受けたリズムや発声法のバランスという点では80年代は一つの完成と言えるかもしれないですね。
小袋:2000年代以降は、ドメスティックな方向にまた変化していますよね。スキマスイッチさんをはじめとした、ちゃんと日本語の歌を日本の譜割りで歌っていくんだという流れ。その一方で宇多田さんみたいに完全にニューヨーク仕込みの独自の譜割りで歌う人も出て来たけど。この前日本に帰ってきて紅白(歌合戦)を観てると、Mrs. GREEN APPLEさんは完全にオンでの歌い方でしたね。かえるの歌みたいな、日本語に合う形式の乗せ方。あれはあれで一つのドメスティックに進化した日本の歌だと思います。でも、ブルースはなくなってきてますよね。
「皆にカバーしてほしいし、教科書に載ってほしい」
——「Zatto」は、日本語の響きは大事にしつつも、小袋さんがロンドンで肌で感じているブルース的な心の痛みを歌っているのかもしれないですね。
小袋:ソウルを取り戻せ! ということですかね(笑)。今回参加してくれたミュージシャンたちに、曲の説明をする前にデモを聴かせた時点で皆が「やばいね」って言ってくれたんですよ。何かを歌っている、ソウルが出ている、というのが伝わったんじゃないかな。
——いやはや、ソウルって何なんでしょうか。小袋さんがロンドンで生活して感じたもの、としか言いようのない何かがある。
小袋:汚い屋台のケバブばっかり食べてないと、この音は出なかったかもしれない。前みたいに深夜にコンビニ行く甘ったれた生活じゃなくて、カチカチの寿司と、空っぽの冷蔵庫と……なんで33歳にもなってこんな生活してるんだろうっていう……食ってるもので出る音が違いますから(笑)。
——グルーブには、関わっている人や食べているものが出るって言いますよね。生活そのものだと。
小袋:絶対にあると思いますよ。ロンドンで暮らしてると、ビザがなくて1年間ずっとつらい思いをしている人もいるし、親父が戦争に行かされちゃったって言ってる人もいるし、そういった嘆きや苦しみが音に出ることでユニバーサルなソウルとして響くんだと思う。今回参加してくれたピアノのライル・バートン(Lyle Barton)も、ガイアナにルーツがあるって言ってて。ガイアナってどこ?! ってなるじゃないですか。ベースのロゼッタ・カー(Rosetta Carr)もイタリア生まれ、ロンドン在住という経歴だしね。本当にいろんなバックグラウンドの人がいるから。
——歌詞は、固有名詞がどんどん減ってきていて、今作は抽象的な言葉遣いが増えた印象です。
小袋:前とは英語の習熟度が違うというのも大きいと思います。あと「Zatto」のように日本語なんだけど言葉の響きが独特なもの。俺は、作ったらまず日本人じゃない人に聴かせて、そこで歌ってもらえたら勝ちじゃないですか。
——今作はそうやってロンドンでの小袋さんの生活そのものが音としてにじみ出ているんだけど、でもそれを極限まで突き詰めていった結果、ちょっと近寄りがたいものとして完成していますよね。俗世間にまみれたところから生まれたものではあるんだけど、どこか聖なるものに聴こえるというか。たぶん、音が削ぎ落とされ過ぎていて、完全に小袋さんという人間の骨格しか残っていないシンプルさゆえ、なのかもしれないですけど。
小袋:今回って、何も変わったことはしていなくて、全然難しくない。だから、皆にカバーしてほしいし教科書に載ってほしい。音も削ぎ落としてあるし、コードも本当に難しくない。日本の音楽って、コードにうるさいじゃないですか。「ここのコード進行が素晴らしい」とかよく言いますよね。日本はやっぱり、協調性を大事にしてるんだと思う。それぞれのリズムを奏でるよりも、ハーモニーを重視するから。西洋は全然そんなことない。コードなんてAマイナーとEマイナーだけで曲ができちゃうし、リズムとグルーブを重視する。J-POPの価値観は、ハーモニー重視で次にメロディー、そしてリズムは最後。メロディーの在り方も、ハーモニーの中でいかに自分を表現していくかという考え。それで言うと、今回の作品は「Shiranami」の最初とかマジでB♭マイナーしか弾いてないから(笑)。子どもでも弾けます。
——例えば最近の宇多田さんの作品を聴いていても、どんどん楽曲の骨格が際立ってきていますよね。スケルトン化している。小袋さんの今作も、ある意味で共振しているように思います。
小袋:宇多田さんはどんどんミニマルになってきてますよね。まあ、もともとあまりコードがどうって人ではないけど、ロンドンの良いプロデューサーと出会ったことでその傾向がさらに出てきてると思います。
——ちなみに、小袋さんは宇多田さんの「BADモード」についてはアルバム全体としてどう受け止めましたか?
小袋:やっぱりフローティング・ポインツ(Floating Points/サム・シェパード)の曲は良いなって思いました。真似できないしね。そういえば、ロンドンの店で飯食ってたらなぜか隣に偶然サムがいて。うわーって思って、「自分でミックスした段階の曲で、良かったら聴いてもらえない? あまり自信ないんだけど」って「Shiranami」を送ったんですよ。そしたら「自信ないなんて言うなよ」って言われて、しかも聴いてくれて「良かった」って返信が来て。あまりそういうこと言わない人だからめっちゃテンション上がりました。友達と「サムから良かったって返信きたよ!やばっ!」って盛り上がった(笑)。
レコーディングメンバーについて
——すごくレアな体験!(笑) ロンドンのミュージシャンとの交流についてもっと詳しく聞きたいんですけど、今作に参加しているジャズ・シーンの人たちはどういった方が多いんですか?
小袋:「Zatto」と「Tangerine」は、サンファ(Sampha)のバンドでベースを弾いているロゼッタ・カーという女の子で。彼女は歌も歌えて、しかも素敵なので、そこにココロコ(Kokoroko)のドラマーのアヨ・サラウ(Ayo Salawu)を呼びました。アヨは後ろ目でリズムをとる感じなので、ロゼッタと絶対合うなと思って。ピアノのアマネ・スガナミ(Amane Suganami)は知らなくて、今回ギターのティージョー・マン・チェン(Tjoe Man Cheung)に紹介してもらいました。
——アマネさんはイギリス生まれなんですよね。
小袋:ドラムのジェローム・ジョンソン(Jerome Johnson)は教会でずっとドラムを叩いてた人で、ソリッドな音を出すしめちゃくちゃ巧い。「Shiranami」にすごく合うだろうなと思ってティージョーが紹介してくれました。ピアノのローリー・レッドファーン(Rory Redfern)はモデルもやってる人。Daichi Yamamotoがイギリスに来た時にジャズセッションに連れてって、そこで弾いてるのを観て「あいつ巧くない?!」ってなって声をかけた。
——それが、「Kagero」と「Hanazakari」になるとまたガラッと音楽性が違いますよね。
小袋:その2曲はラテンとレゲエなので、また違うメンバーを集めています。ドラムのサム・ジョーンズ(Sam Jones)は、去年東京にいた時に彼がちょうど日本に来てて、一緒に「すしざんまい」に行きました(笑)。それで仲良くなってセッションすることになった。彼にピアノでいい人いない? って聞いたら、ヌバイア・ガルシアのバンドで一緒に演奏してるライル・バートンを紹介してくれて。あとはダブルベースを探してたんだけど、ティージョーにベン(Benjamin Crane)のことを教えてもらってライブを観に行って仲良くなった。それぞれの特性と関係性があって、全部詳しく説明すると長くなっちゃうけどそんな感じかな。
——ちなみに、エンジニアのこだわりは?
小袋:ミックスはディアンジェロの「Voodoo」をやっているラッセル・エレバド(Russell Elevado)という人で。一回、ペトロールズの「乱反射」という曲でお願いしたことがあって、今回もお願いしました。あとレコーディングをしてくれてるアンディ・ラムゼイ(Andy Ramsay)はステレオラボ(Stereolab)のドラマーなんです。
——そのスタジオ(Play Studio)は、アンディ・ラムゼイが所有してるんですか?
小袋:いや、これはアンディというよりステレオラボのスタジオなんですよ。キング・クルールやマウント・キンビーといった、俺ら世代のバンドが皆使ってますね。
——「Zatto」と「Kagero」の一部は日本でレコーディングしてますよね?
小袋:そうなんです。弦だけは向こうでレコーディングできなくて。お金かかるし、俺がスコアを書けないので、それだけはリモートで日本でやってもらいました。
「自分のアートを持つのが夢だった」
——今日の小袋さんの話を聞いていると、ロンドンで本当にいろんなミュージシャンと交流しているのが伝わってきました。その中でも、最もコアに関わっているコミュニティーというとどこになるんですか?
小袋:俺がいるのは、バイナルオンリーで自分たちでサウンドシステム作ってDJやる人たちの界隈です。東ロンドンでやってるんですけど、自分はもうそのクルーの一部なので、日曜にそこに行ってお酒飲んで遊んで。あと、演奏する人たちのコミュニティーは南ロンドンにあるので、新しいミュージシャンと交流しながら、「いいねぇ……!」って言って帰る(笑)。同じジャズでもシャバカ・ハッチングスとかのコミュニティーは年上で、声をかけるにはちょっと恐れ多い。ヌバイア・ガルシアとかヤズミン・レイシーの周りの人たちは歳が近いから声かけやすいんですけど。ロンドン・ジャズは一口に語れないグラデーションがありますよね。ロックも盛り上がってて、ブラック・ミディを一回観に行ったんだけどめっちゃ良かった! 詳しくないけど、あの界隈も熱いんでしょうね。
——アートワークは、Zatto=雑踏の中にいる小袋さん、というシチュエーションを表現しているんですか?
小袋:人ごみの中で、世界情勢について話している絵にしたかったんです。新聞読みながらコーヒーを飲んでる感じの。都会に埋もれている人間の苦しみじゃないけど、それについて考えつつちょっとユーモアもあって、みたいな。フォトグラファーのPiczoさんと土日のマーケットに出かけて、そこに面しているカフェで撮りました。
——今回、自主リリースになった経緯は?
小袋:ソニーをやめたんです。そもそもこれまでも全部自分で仕切って作ってたので、もう自分でできるじゃんってなって。でも、今回は打ち込み音を使ってないし、今までで一番お金かかりましたけどね。レーベルに属するとなんだか外注されてる気分になるけど、自分のアートを持つのが夢だったので、そういうありがたいことができて良かったです。全部自分でお金払ってるんで、全力注ぎましたよ。そもそもこんなにロンドンでたくさんレコーディングしたことなかったし、ブッキングもスタジオの予約も全部自分でやって。マジでDIYです。もらったデータも、今までならエンジニアに任せるけど全部自分で編集した。ミキシングもゼロからYouTubeで勉強して。へぇ、こうやるんだ! って。歌の編集も自分でやったんですけど、ピッチ直したら負けだなって思ったからデジタル処理はせずに作ったし。でも、ここまで全部自分でやるのはもう嫌かな(笑)。1年間これしかやってないから。33歳独身じゃないとできないですよこんなの(笑)。
——3月~4月には日本でアルバムのツアーがありますね。楽しみにしています。
小袋:さすがに向こうの人たちを全員は連れてこれないので、日本のミュージシャンでバンドを組みます。同期なしで、一発のセッションで。技術だけでいうと、日本のミュージシャンも演奏は巧いんですよね。だから全然心配してないです。良いライブになると思います。
PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
「Zatto」
■小袋成彬 4thアルバム「Zatto」
Tracklist
1. Zatto
2. Tangerine
3. Shiranami
4. Shigure
5. Kamifubuki
6. Kagero
7. Sayonara
8. Hanazakari
<デジタル配信>
リリース : 2025年1月15日
レーベル : Nariaki Obukuro
<CD盤>
リリース : 2025年2月26日
初回仕様限定ケース+オリジナルポスター
価格:3300円
購入リンク: https://erj.lnk.to/vASidK
<アナログ盤>
8曲40分
予約開始:2025年1月15日
【通常盤】歌詞カード、2L写真付き。
価格:4400円
購入リンク: https://shop.nariaki.jp/
■Nariaki Obukuro Japan Tour 2025 "Zatto"
<日程・会場>
3月15日(土)【大阪】 味園ユニバース
3月16日(日)【愛知】 名古屋CLUB QUATTRO
3月22日(土)【東京】 恵比寿リキッドルーム
3月29日(土)【福岡】 BEAT STATION
3月30日(日)【福岡】 BEAT STATION
4月3日(木)【北海道】 札幌ペニーレーン24
4月6日(日)【東京】 Zepp Diver City (TOKYO)
※追加公演 4月11日(金)【東京】 恵比寿リキッドルーム
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2556500
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小袋成彬が語る新作「Zatto」と「ロンドンでの出会い」 「ジャパニーズ・ソウルって感じですよね」
PROFILE: 小袋成彬/ミュージシャン
小袋成彬が、3年ぶり4枚目となるアルバム「Zatto」をリリースした。これまでもアルバムごとに作風を変えてきた彼だが、本作を聴いて分かる通り、今作の進化はかなりラディカルなものになっている。ロンドンで暮らしはじめて5年という月日が経過した今の小袋成彬だからこそ生み出せる、現地で出会ったミュージシャンたちと作り上げた結晶のような音。ロンドンでの生活と、そこで見聞きし考えたことが何なのか、詳しく訊いてみた。
「デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器」
——アルバム「Zatto」を聴きました。正直、かなり驚いています。これはどういう音楽かと聞かれたら、「音楽的にはジャズでソウルミュージックで……」って答えるんだけど、そんなものでは言い表せない小袋さんのソウルが鳴っています。
小袋成彬(以下、小袋):ジャパニーズ・ソウルって感じですよね。ちあきなおみや和田アキ子あたりの。
——何があってこんな境地にたどり着いたのか。
小袋:最初はハウスミュージックのアルバムを作ってたんですよ。でもコロナになって、ブラック・ライブズ・マターもあって、ウクライナやガザの戦争も起きて、日本に住んでたら関係なさそうな出来事が一気に身近になっていった。いつも行くパブで働くウクライナ人の女の子がどんどん憔悴していく感じとか見てると、もう無関係じゃないなって思えてきて。ハウスミュージック作ってる場合じゃないかも、って。それでハウスミュージックのアルバムは完成半ばで諦めたんですよ。
※その時に制作された楽曲のうち3曲はアルバムのリリース前に配信された。
次第に、ブルースやジャズが響くようになってきた。ロンドン生活が長くなってきて黒人の友達も増えてきたので、彼らが日々考えてる悩みも実感レベルで分かるようになってきたんです。そうすると、ダニー・ハサウェイががっつり入ってくるようになった。フリーダムっていう概念も、正直それまであまりピンと来てなかったんですよ。別に俺は生まれながらにフリーダムだけど、って思ってたし。でも、ロンドンは生まれながらに抑圧されている人たちがいっぱいいるんですよね。そういう延長線上で、今作は生まれていきました。
——世相の変化を受けて、踊っている場合じゃないという心境になってきたと。
小袋:踊ってても、戦争の映像とかがちらつくんですよ。なんか違うな、って思えてきた。
——そこからなぜジャパニーズ・ソウルに?
小袋:ダニー・ハサウェイみたいなカッコいいのを作りたいなと思うけど、やっぱり英語だと猿真似になっちゃうなって。試行錯誤していくうちにここにたどり着いたって感じです。でも、ロンドンの人たちに聴かせたらすごく自然に受け入れてくれてたから、日本語なんだけど譜割りやグルーブは西洋の影響を受けてるんじゃないかな。俺は普段は日本語を喋らないので。
——サウンドは、どのようなアプローチで生まれていったんでしょうか。
小袋:それぞれリファレンスはちゃんとありますよ。「Hanazakari」はボブ・マーリーの「Slave Driver」って曲があって、その弾き語りをずっと練習してたら生まれてきた。でも同じコードだとボブ・マーリーそのままになっちゃうから、いろいろ変えてみました。マイルス・デイヴィスに「All Blues」って曲があるんですよ。半音だけ転調する瞬間があるんですけどそれが手癖で出ていたり。今回はちゃんと楽器を手に取って作ろうという思いがあったので、デジタルプラグインも一切使ってないし、全てが生の楽器ですね。
ロンドンの多様なミュージシャンとの制作
——今作がすごく贅沢なのは、その演奏に集まっているミュージシャンが、今のロンドンのシーンを作っている活きのいい人たちばかりで。しかも、曲によってその座組みもバラバラです。これは、やりたいことに合わせてメンバーを変えていったということですよね。
小袋:まさにそうです。レゲエが弾ける人、チャーチミュージックが得意な人ってそれぞれに得手不得手があるので、特性を考えてバンドを組んでいます。だいたい1バンドにつき2曲で、4バンドで作ってますね。
——それぞれの演奏のアドリブについては、ミュージシャンにどの程度任せていたんですか?
小袋:アドリブもけっこう入ってますよ。でも、大きな設計図は自分が書きました。ここは誰々のソロです、ここのピアノはこういうリズムで弾いてください、というルールの中で遊んでもらってます。だから、今回は基本的にはジャズセッションのメンツを集めています。月曜、火曜にロンドンでフリージャズのセッションがあって、そこに通って出会った人たち。知った仲だし、ある程度どうなるかイメージは描けてました。
——出てきた演奏に対しては、小袋さんはどういったディレクションをされたんですか?
小袋:例えば「Shiranami」だと、英語で「White Waveだよ」って説明しても、ヨーロッパの人たちは南フランスのビーチとかを想像しちゃう(笑)。実際に日本の人たちが想起するのは、岩に打ちつける波しぶきや磯の匂いですよね。「違う違う、そんな弾き方しないでくれ!東映のロゴと一緒に出てくるあの波が日本のShiranamiだよ!」って言うと、理解してくれたり。
——なるほど(笑)。「Kamifubuki」も「Shiranami」と同じミュージシャンが集っていますけど、ニュアンスがまた全然違いますよね。だから、演奏については小袋さんのディレクションがけっこう入っているんだろうなと思いました。
小袋:一回バンドメンバーの前で英語で歌うんですよ。歌詞を理解してもらいたいから。「Shiranami」も、「旗を燃やして人の夢を照らす」っていうのを「Burning the flag to light up people’s dream」とか訳して歌うと、「yeah!!」って返ってくる。そもそも「Shiranami」に関しては、ダニー・ハサウェイがピンク・フロイドと一緒にやったらこんな感じになると思うんだけどって説明すると、あぁなるほどね! って。
——ロンドンのジャズシーンだと、そういったディレクションしながらのセッション&レコーディングは普通なんですか?
小袋:珍しいと思う。いろんなレコーディングに行きましたけど、こんなに明確なビジョンを持って入ることってそんなにない。だいたい皆、適当に入って適当に弾いて帰っていくから。今日のセッションって結局なんだったんだ? みたいなのも多いですよ。そんな感じだから、皆「これだけ分かりやすく説明してくれてありがとう」って言ってました。何をやればいいか理解できた、って。でも金払ってるの自分だし、もったいないことしたくないじゃないですか。だからこそ決めるところは決めつつ自由にやらせるところはやらせて、っていうのは意識しましたね。そういったアプローチや人間関係は、5年間ロンドンに住んで培ってきたもの。ほんと、いろんな人がいるから。そもそも時間通りに来ない人、昼飯行ったきり帰ってこない人……そういう奴に限って一番巧いからムカつくんだけどね(笑)。5年前だったら発狂してたけど、もう慣れました。
——ということは、今作は音楽性も演奏も含めて、小袋さんが5年間ロンドンに住んだ結果の集大成と言えるのかもしれないですね。5年前だったら絶対に生まれていないアルバム。
小袋:自分がディレクションする形でロンドンのミュージシャンと一緒にやったのは、宇多田(ヒカル)さんのセッションで「丸の内サディスティック」を演奏したのが最初だったんです。だけど、当時は英語も喋れないし、ミュージシャンの人たちのことを何も分かってないし、俺全然だめだわって思った。もちろん完成したものには満足してるんだけど、でもクリス・デイヴはじめいろんな人の特性や性格を分かってなかったから。未熟だった。今は一人ひとりのグラデーションが分かってきたし、そういう意味では今が集大成と言えますね。
日本語の歌詞
——そうやってロンドンのミュージシャンが集結して演奏していながらも、特に「Shiranami」あたりに顕著ですけど、演歌にも接近するような日本らしさが出てきているのはなぜでしょう。
小袋:やっぱり、日本語だからそうなっちゃうんだと思います。自分は、USラップを真似して英語っぽいラップをする意味が全然分かんなくて、日本語の良いところを出してこそだと考えてる。それこそ、洋楽の要素を取り入れつつ日本語の良いところを出す歌い方って、ちあきなおみや和田アキ子で完成したと思ってるんです。ラッツ&スターとかね。あの辺が、まだ日本語の響きを大切にしていた人たちなんじゃないかな。あの人たちのバックバンドって、すごく豪華だったりするじゃないですか。今作は、そういうことをやってるんですよ。で、そこにロンドンの多様性を入れた。
——洋楽の歌い方に影響を受けているんだけど日本語の良さを活かしたハメ方、ということですよね。そこに今のロンドンのミュージシャンに加わってもらうことで、1970年代の日本の歌謡曲・ポップスが、今の小袋さんでしか成し得ない音楽として表現されていると。
小袋:演歌って、譜割りを崩して歌うじゃないですか。このアルバムもかなり崩しているところがあるから、余計に演歌っぽく聴こえるんだと思う。でもそもそものメロディーの作りという点でも工夫していて、日本の歌って主音(音階を構成する最初の音。例えばラシドレミファソラというイ短調の場合、ラが主音となる)で終わる。サム・スミスとか聴いてると、英語だけどメロディーは主音で終わるし日本歌謡っぽいなと感じる。演歌っぽい。でも自分はそういったことはあまりしたくなくて、メロディーについては主音で終わらないようにしてます。だから、他の人には真似できないと思う。
——小袋さんはどんどん日本語を客観的に捉えるようになってきてますよね。だからこそ日本語の良さを活かすんだけど日本語っぽくない譜割りやメロディーを組み立てていくという独自の作風になってきてて、それが一周回って演歌っぽく聴こえるというのがすごく面白い。
小袋:そうですよね。演歌はコブシを効かせつつ、基本的にはオンでノるからグルーブがあまりないんだけど、そこが違うポイント。
——どちらが良いとは一概に言えないけれど、日本語ならではの発音と、洋楽の影響を受けたリズムや発声法のバランスという点では80年代は一つの完成と言えるかもしれないですね。
小袋:2000年代以降は、ドメスティックな方向にまた変化していますよね。スキマスイッチさんをはじめとした、ちゃんと日本語の歌を日本の譜割りで歌っていくんだという流れ。その一方で宇多田さんみたいに完全にニューヨーク仕込みの独自の譜割りで歌う人も出て来たけど。この前日本に帰ってきて紅白(歌合戦)を観てると、Mrs. GREEN APPLEさんは完全にオンでの歌い方でしたね。かえるの歌みたいな、日本語に合う形式の乗せ方。あれはあれで一つのドメスティックに進化した日本の歌だと思います。でも、ブルースはなくなってきてますよね。
「皆にカバーしてほしいし、教科書に載ってほしい」
——「Zatto」は、日本語の響きは大事にしつつも、小袋さんがロンドンで肌で感じているブルース的な心の痛みを歌っているのかもしれないですね。
小袋:ソウルを取り戻せ! ということですかね(笑)。今回参加してくれたミュージシャンたちに、曲の説明をする前にデモを聴かせた時点で皆が「やばいね」って言ってくれたんですよ。何かを歌っている、ソウルが出ている、というのが伝わったんじゃないかな。
——いやはや、ソウルって何なんでしょうか。小袋さんがロンドンで生活して感じたもの、としか言いようのない何かがある。
小袋:汚い屋台のケバブばっかり食べてないと、この音は出なかったかもしれない。前みたいに深夜にコンビニ行く甘ったれた生活じゃなくて、カチカチの寿司と、空っぽの冷蔵庫と……なんで33歳にもなってこんな生活してるんだろうっていう……食ってるもので出る音が違いますから(笑)。
——グルーブには、関わっている人や食べているものが出るって言いますよね。生活そのものだと。
小袋:絶対にあると思いますよ。ロンドンで暮らしてると、ビザがなくて1年間ずっとつらい思いをしている人もいるし、親父が戦争に行かされちゃったって言ってる人もいるし、そういった嘆きや苦しみが音に出ることでユニバーサルなソウルとして響くんだと思う。今回参加してくれたピアノのライル・バートン(Lyle Barton)も、ガイアナにルーツがあるって言ってて。ガイアナってどこ?! ってなるじゃないですか。ベースのロゼッタ・カー(Rosetta Carr)もイタリア生まれ、ロンドン在住という経歴だしね。本当にいろんなバックグラウンドの人がいるから。
——歌詞は、固有名詞がどんどん減ってきていて、今作は抽象的な言葉遣いが増えた印象です。
小袋:前とは英語の習熟度が違うというのも大きいと思います。あと「Zatto」のように日本語なんだけど言葉の響きが独特なもの。俺は、作ったらまず日本人じゃない人に聴かせて、そこで歌ってもらえたら勝ちじゃないですか。
——今作はそうやってロンドンでの小袋さんの生活そのものが音としてにじみ出ているんだけど、でもそれを極限まで突き詰めていった結果、ちょっと近寄りがたいものとして完成していますよね。俗世間にまみれたところから生まれたものではあるんだけど、どこか聖なるものに聴こえるというか。たぶん、音が削ぎ落とされ過ぎていて、完全に小袋さんという人間の骨格しか残っていないシンプルさゆえ、なのかもしれないですけど。
小袋:今回って、何も変わったことはしていなくて、全然難しくない。だから、皆にカバーしてほしいし教科書に載ってほしい。音も削ぎ落としてあるし、コードも本当に難しくない。日本の音楽って、コードにうるさいじゃないですか。「ここのコード進行が素晴らしい」とかよく言いますよね。日本はやっぱり、協調性を大事にしてるんだと思う。それぞれのリズムを奏でるよりも、ハーモニーを重視するから。西洋は全然そんなことない。コードなんてAマイナーとEマイナーだけで曲ができちゃうし、リズムとグルーブを重視する。J-POPの価値観は、ハーモニー重視で次にメロディー、そしてリズムは最後。メロディーの在り方も、ハーモニーの中でいかに自分を表現していくかという考え。それで言うと、今回の作品は「Shiranami」の最初とかマジでB♭マイナーしか弾いてないから(笑)。子どもでも弾けます。
——例えば最近の宇多田さんの作品を聴いていても、どんどん楽曲の骨格が際立ってきていますよね。スケルトン化している。小袋さんの今作も、ある意味で共振しているように思います。
小袋:宇多田さんはどんどんミニマルになってきてますよね。まあ、もともとあまりコードがどうって人ではないけど、ロンドンの良いプロデューサーと出会ったことでその傾向がさらに出てきてると思います。
——ちなみに、小袋さんは宇多田さんの「BADモード」についてはアルバム全体としてどう受け止めましたか?
小袋:やっぱりフローティング・ポインツ(Floating Points/サム・シェパード)の曲は良いなって思いました。真似できないしね。そういえば、ロンドンの店で飯食ってたらなぜか隣に偶然サムがいて。うわーって思って、「自分でミックスした段階の曲で、良かったら聴いてもらえない? あまり自信ないんだけど」って「Shiranami」を送ったんですよ。そしたら「自信ないなんて言うなよ」って言われて、しかも聴いてくれて「良かった」って返信が来て。あまりそういうこと言わない人だからめっちゃテンション上がりました。友達と「サムから良かったって返信きたよ!やばっ!」って盛り上がった(笑)。
レコーディングメンバーについて
——すごくレアな体験!(笑) ロンドンのミュージシャンとの交流についてもっと詳しく聞きたいんですけど、今作に参加しているジャズ・シーンの人たちはどういった方が多いんですか?
小袋:「Zatto」と「Tangerine」は、サンファ(Sampha)のバンドでベースを弾いているロゼッタ・カーという女の子で。彼女は歌も歌えて、しかも素敵なので、そこにココロコ(Kokoroko)のドラマーのアヨ・サラウ(Ayo Salawu)を呼びました。アヨは後ろ目でリズムをとる感じなので、ロゼッタと絶対合うなと思って。ピアノのアマネ・スガナミ(Amane Suganami)は知らなくて、今回ギターのティージョー・マン・チェン(Tjoe Man Cheung)に紹介してもらいました。
——アマネさんはイギリス生まれなんですよね。
小袋:ドラムのジェローム・ジョンソン(Jerome Johnson)は教会でずっとドラムを叩いてた人で、ソリッドな音を出すしめちゃくちゃ巧い。「Shiranami」にすごく合うだろうなと思ってティージョーが紹介してくれました。ピアノのローリー・レッドファーン(Rory Redfern)はモデルもやってる人。Daichi Yamamotoがイギリスに来た時にジャズセッションに連れてって、そこで弾いてるのを観て「あいつ巧くない?!」ってなって声をかけた。
——それが、「Kagero」と「Hanazakari」になるとまたガラッと音楽性が違いますよね。
小袋:その2曲はラテンとレゲエなので、また違うメンバーを集めています。ドラムのサム・ジョーンズ(Sam Jones)は、去年東京にいた時に彼がちょうど日本に来てて、一緒に「すしざんまい」に行きました(笑)。それで仲良くなってセッションすることになった。彼にピアノでいい人いない? って聞いたら、ヌバイア・ガルシアのバンドで一緒に演奏してるライル・バートンを紹介してくれて。あとはダブルベースを探してたんだけど、ティージョーにベン(Benjamin Crane)のことを教えてもらってライブを観に行って仲良くなった。それぞれの特性と関係性があって、全部詳しく説明すると長くなっちゃうけどそんな感じかな。
——ちなみに、エンジニアのこだわりは?
小袋:ミックスはディアンジェロの「Voodoo」をやっているラッセル・エレバド(Russell Elevado)という人で。一回、ペトロールズの「乱反射」という曲でお願いしたことがあって、今回もお願いしました。あとレコーディングをしてくれてるアンディ・ラムゼイ(Andy Ramsay)はステレオラボ(Stereolab)のドラマーなんです。
——そのスタジオ(Play Studio)は、アンディ・ラムゼイが所有してるんですか?
小袋:いや、これはアンディというよりステレオラボのスタジオなんですよ。キング・クルールやマウント・キンビーといった、俺ら世代のバンドが皆使ってますね。
——「Zatto」と「Kagero」の一部は日本でレコーディングしてますよね?
小袋:そうなんです。弦だけは向こうでレコーディングできなくて。お金かかるし、俺がスコアを書けないので、それだけはリモートで日本でやってもらいました。
「自分のアートを持つのが夢だった」
——今日の小袋さんの話を聞いていると、ロンドンで本当にいろんなミュージシャンと交流しているのが伝わってきました。その中でも、最もコアに関わっているコミュニティーというとどこになるんですか?
小袋:俺がいるのは、バイナルオンリーで自分たちでサウンドシステム作ってDJやる人たちの界隈です。東ロンドンでやってるんですけど、自分はもうそのクルーの一部なので、日曜にそこに行ってお酒飲んで遊んで。あと、演奏する人たちのコミュニティーは南ロンドンにあるので、新しいミュージシャンと交流しながら、「いいねぇ……!」って言って帰る(笑)。同じジャズでもシャバカ・ハッチングスとかのコミュニティーは年上で、声をかけるにはちょっと恐れ多い。ヌバイア・ガルシアとかヤズミン・レイシーの周りの人たちは歳が近いから声かけやすいんですけど。ロンドン・ジャズは一口に語れないグラデーションがありますよね。ロックも盛り上がってて、ブラック・ミディを一回観に行ったんだけどめっちゃ良かった! 詳しくないけど、あの界隈も熱いんでしょうね。
——アートワークは、Zatto=雑踏の中にいる小袋さん、というシチュエーションを表現しているんですか?
小袋:人ごみの中で、世界情勢について話している絵にしたかったんです。新聞読みながらコーヒーを飲んでる感じの。都会に埋もれている人間の苦しみじゃないけど、それについて考えつつちょっとユーモアもあって、みたいな。フォトグラファーのPiczoさんと土日のマーケットに出かけて、そこに面しているカフェで撮りました。
——今回、自主リリースになった経緯は?
小袋:ソニーをやめたんです。そもそもこれまでも全部自分で仕切って作ってたので、もう自分でできるじゃんってなって。でも、今回は打ち込み音を使ってないし、今までで一番お金かかりましたけどね。レーベルに属するとなんだか外注されてる気分になるけど、自分のアートを持つのが夢だったので、そういうありがたいことができて良かったです。全部自分でお金払ってるんで、全力注ぎましたよ。そもそもこんなにロンドンでたくさんレコーディングしたことなかったし、ブッキングもスタジオの予約も全部自分でやって。マジでDIYです。もらったデータも、今までならエンジニアに任せるけど全部自分で編集した。ミキシングもゼロからYouTubeで勉強して。へぇ、こうやるんだ! って。歌の編集も自分でやったんですけど、ピッチ直したら負けだなって思ったからデジタル処理はせずに作ったし。でも、ここまで全部自分でやるのはもう嫌かな(笑)。1年間これしかやってないから。33歳独身じゃないとできないですよこんなの(笑)。
——3月~4月には日本でアルバムのツアーがありますね。楽しみにしています。
小袋:さすがに向こうの人たちを全員は連れてこれないので、日本のミュージシャンでバンドを組みます。同期なしで、一発のセッションで。技術だけでいうと、日本のミュージシャンも演奏は巧いんですよね。だから全然心配してないです。良いライブになると思います。
PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
「Zatto」
■小袋成彬 4thアルバム「Zatto」
Tracklist
1. Zatto
2. Tangerine
3. Shiranami
4. Shigure
5. Kamifubuki
6. Kagero
7. Sayonara
8. Hanazakari
<デジタル配信>
リリース : 2025年1月15日
レーベル : Nariaki Obukuro
<CD盤>
リリース : 2025年2月26日
初回仕様限定ケース+オリジナルポスター
価格:3300円
購入リンク: https://erj.lnk.to/vASidK
<アナログ盤>
8曲40分
予約開始:2025年1月15日
【通常盤】歌詞カード、2L写真付き。
価格:4400円
購入リンク: https://shop.nariaki.jp/
■Nariaki Obukuro Japan Tour 2025 "Zatto"
<日程・会場>
3月15日(土)【大阪】 味園ユニバース
3月16日(日)【愛知】 名古屋CLUB QUATTRO
3月22日(土)【東京】 恵比寿リキッドルーム
3月29日(土)【福岡】 BEAT STATION
3月30日(日)【福岡】 BEAT STATION
4月3日(木)【北海道】 札幌ペニーレーン24
4月6日(日)【東京】 Zepp Diver City (TOKYO)
※追加公演 4月11日(金)【東京】 恵比寿リキッドルーム
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2556500
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注目の俳優・坂東龍汰が語る「映画『君の忘れ方』への向き合い方」と「創作の喜び」
PROFILE: 坂東龍汰/俳優
2017年のデビュー以来、振り幅の広い演技で注目を集めてきた坂東龍汰。初の映画単独主演作となる映画「君の忘れ方」が1月17日から公開される。坂東が演じるのは、結婚間近の恋人を突然亡くした青年、昴。同じような悲しみを抱えた人々が集まる「グリーフケア」との出会いを通じて、昴は自分自身と向き合っていく。昴の複雑な内面を坂東は繊細な演技で表現しているが、そこには個人的な体験も反映されているという。自分の過去と向き合いながらの撮影の舞台裏。そして、子供の頃から惹かれていた、何かを創作することの喜びについて語ってくれた。
「昴を演じて、これまでよりも前向きな気持ちになれた」
——映画「君の忘れ方」は坂東さんにとって初めての映画単独主演作ですが、どんな気持ちで作品に向き合われたのでしょうか。
坂東:話を頂いた時は身が引き締まる思いでした。まず脚本を読んで、他人事とは思えないくらい物語に引き込まれたんです。透明感があってすごく温かい話だと思ったので、「ぜひ、やらせていただきたい」と思いました。脚本と一緒に監督からの手紙を頂いたのですが、これまで僕が出演した作品を観てくださっていて、「あなたの真っすぐなお芝居を観てオファーさせてもらいました」ということを書いてあったのもうれしかったですね。
——他人事とは思えなかった、というのは、昴の葛藤に共感するものがあった?
坂東:僕は子供のころに身内を亡くしているんです。初めての単独主演作がこういう題材なのは不思議な巡り合わせだし、自分にとって大きなチャレンジになると思いました。これまで自分の中でフタをしていた部分と役を通じてちゃんと向き合うことになるわけなので。
昴を通じていろんな感情と出会いました。その中には自分自身の感情とリンクするものもたくさんあったんです。その全てと向き合って自分の傷を癒やすことができた、とまではいきませんでしたが、これまでよりも前向きな気持ちになれた気はします。それだけでも、この映画に参加した意味はあったと思いますし、僕や昴と同じように親しい人の死を経験した方の傷ついた心に寄り添える作品になった、という自信はあります。
——映画に出てくる登場人物たちは、いろんな形で大切な人を失った悲しみと向き合おうとします。その姿を見て、どんな風に思われました?
坂東:どのやり方が正しい、とか、答えがあることではないし、答えを見つける必要もないと思うんです。それぞれが自分に合ったやり方で悲しみと向き合っていけばいい。そんな中で、映画のセリフにもあるように時間が果たす役割は大きいと思いました。僕も時間が経ったからこそ、一度フタをした自分の感情に向き合えたんです。あと、グリーフケア(死別や災害などによる喪失を経験した人が、悲しみや痛みに寄り添い、立ち直り、自立できるよう支援すること)というものをこの映画をきっかけに知ったのが個人的には大きかったですね。海外の映画では見たことがあったのですが、日本でもそういう活動をされている方々がいるのを知って、今後、自分の人生でまた大切な人の死に直面した時に、一つの選択肢としてグリーフケアを考えようと思いました。
「普段は外に出していない自分の一面と向き合った」
——昴はグリーフケアに参加して交流するようなタイプではなく、いつも自分の中に何かを抱え込んでいるようなキャラクターでした。坂東さんは昴という人物のどんなところに興味を持たれました?
坂東:僕は昴とは真逆の性格なんです。僕自身は人との関わりや会話が好きだし、自分の身に起きたこととかを誰かと共有したいタイプなんです。だから、昴との共通点を見つけるのは難しかったのですが、昴の感情を探っていく中で普段は外に出していない自分の一面と向き合いました。
——役作りを通じて自分を見つめ直した?
坂東:僕は基本明るいんですけど、陰の部分も持っているんです。昨年公開された「若武者」という映画で、二ノ宮(隆太郎)監督はそういう部分を見たい、とおっしゃっていました。これまで演じてきた役も何かを抱えている役が多くて、作り手の人たちには自分の性格を見抜かれているのかもしれません(笑)。皆さん、友達とは違う面を見てくださっているんですよね。今回の映画も僕の核の部分で眠っている、普段は開けない引き出しを開けることで昴という人物を作り上げていきました。
——それは精神的にヘビーな作業だったのではないですか?
坂東:大変でしたね。これまでは、自分が演じる役を客観的に見て、分析しながら役を組み立てていくことが多かったんですよ。今回はそのやり方だと煮詰まってしまって。それで撮影に入る前に監督に相談したら、昴に関しては主観に徹して、その場その場で感じたことを拾っていってほしいと言われたんです。組み立てる作業はこちらでやるので、あなたは生まれたての赤ちゃんみたいに目の前で起こることに素直に反応してほしいと。
——実際、そんな風に演じてみていかがでした?
坂東:自分では気付かなかったのですが、気持ちの浮き沈みが激しくて、笑っているな思ったら、絶望的な表情になったり。特に映画の前半、東京のパートの撮影時はいつもと違う様子だったみたいです。。僕は当時のことは全然覚えていないんですよね。
——昴の精神状態に大きな影響を受けていたんですね。
坂東:みたいですね。これまではそういうことはなかったんです。僕は役と自分を切り替えられる方なんですよ。でも、この作品ではそれがうまくできなかった。監督は僕がそういう状態になるのを望んでいたらしくて、「しめしめと思った」とおっしゃっていました(笑)。みんなで野球をした後に昴がキレるシーンがありますが、本当はあんなに感情を爆発するシーンではなかったんです。でも、いざ撮影に入るとああいう演技になってしまって。周りは戸惑ったと思います。
——でも、監督はそのテイクを選んだ。
坂東:選んだというか、そのテイクしか撮ってないんです。どのシーンもほとんど一発本番。シーンによっては撮影準備ができるまで別室で待機して、現場にポンと入って本番ということもありました。
俳優を目指すきっかけ
——毎回、真剣勝負の現場だったんですね。それはかなり神経をすり減らす現場だったと思いますが、そもそも坂東さんが芝居に興味を持ったのはどういう経緯からだったのでしょう。
坂東:子供のころから、ルドルフ・シュタイナーという人の思想を基にした学校に通っていたのですが、 そこでは演劇が授業にあって芝居が身近な存在だったんです。それで姉と演劇塾に通っていたりもしていました。あと、父親が映画好きで、幼いころから映画を観ていたので俳優という仕事に興味はあったんです。自分がやっている演劇と映画の世界が天と地ほど違うというのは分かってはいたのですが、高校のころから人前で芝居をするのがだんだんと楽しくなってきて、自分もスクリーンも向こう側の世界に行ってみたいと思うようになりました。その気持ちの変化は自分にとって大きかったですね。
——気持ちが変化するきっかけが何かあったのですか?
坂東:シュタイナー学校は小中高一貫の学校で、高校を卒業する時に卒業演劇というのをやるんです。それは小学校から学んできたことの集大成で、生徒や保護者がすごく大事にしている行事なんですよ。その卒業演劇で、なぜか僕は主役をやりたいと手を挙げてしまい、これまでよりも演劇にしっかりと向き合うことになったんです。本番が迫ってくる恐怖、膨大なセリフが全然頭に入らない恐怖、いろいろとうまくいかない恐怖、いろんな恐怖と戦いました。学校が終わると、毎日、海に行って日が暮れるまでセリフの練習をしていたんです。本番までの準備期間中はものすごいストレスで、毎日やめたいと思っていたんですけど、本番で舞台に立った瞬間、ハイになったような高揚感を感じたんです。こんなに自分が生き生きとした瞬間は、これまでになかったと思いました。
——プレッシャーからの解放感もあったんでしょうね。
坂東:そうなんですよね。ずっと不安や恐怖と戦ってきたからこそ、こんなに楽しい時間があるんだ!と思いました。その体験がとにかく強烈で。学校を卒業する時、自分は何をしようかと考えたんですよ。絵とか写真とか音楽とか、趣味が多かったので好きなことを天秤にかけて考えてみたんですけど、これまでで一番心が動いたのが芝居だったので、これしかない!と思って上京したんです。
——そういえば、現在所属されている事務所に応募した時に、高校在学中に制作したクレイアニメーションの映像を提出されたとか。高校生でクレイアニメーションを制作するというのも珍しいですね。
坂東:父親がアニメーションの制作をしていたこともあって、それで興味を持ったんです。ストップモーションアニメが好きで子供のころからデジカメを使って大豆が走り出す映像を作ったりしていました。高校の時に作ったクレイアニメは、20分の作品を作るのに1年かけました。男女2人が登場するんですけど、戦争が始まって男性は戦争に行き、恋人の女性は男性を待ち続ける。最後に女性は男性を探しに行くんですけど、そこで嵐にあって力尽きてしまうんです。
——ドラマチックですね! 映画みたいじゃないですか。
坂東:コンテを描いたり、カメラのアングルを決めたりして、大変だったけど楽しかったです。
——子供のころからクリエイティブなことが好きだったんですね。
坂東:0から1を生み出すこと、この世に存在しないものをクリエイティブすることに子供の頃から魅了されて、その衝動に突き動かされてきたところはありますね。でも、それは自分を満足させるためではなくて、自分が創ったものに対する誰かのリアクションを求めているんです。例えば好きな人がいたとして、その人のために絵を描いたらどういうリアクションをするんだろう? 喜んでもらえるかな?って想像しながら描くのが楽しい。
——作品を通じて人や社会とコミュニケートしているのかもしれませんね。
坂東:そうですね。何かを創るというのはすごく労力がいるし、大変なことです。役者の仕事もそうで、撮影の準備期間も撮影をしている時も、自分に向き合いながら孤独の中で新しい表現を見つけないといけない。とても苦しい作業なんですけど、完成した作品を観た人が感想を伝えてくれて、その人に何かを与えることができたと知ることが次の仕事に向かう原動力になる。その繰り返しで仕事を続けてきました。だから「君の忘れ方」の感想を聞くのも楽しみにしています。
PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
STYLING:YASUKA LEE
HAIR&MAKEUP:YASUSHI GOTO(OLTA)
Tシャツ 2万5300円/コール(ダフオフィス)、シャツ2万9700円、パンツ 3万800円/共にアモーメント
映画「君の忘れ方」
■映画「君の忘れ方」
新宿ピカデリーほかで全国公開中
出演:坂東龍汰
西野七瀬
円井わん 小久保寿人 森優作 秋本奈緒美
津田寛治 岡田義徳 風間杜夫(友情出演)
南 果歩
監督・脚本:作道雄
エンディング歌唱:坂本美雨
音楽:平井真美子 徳澤青弦
共同脚本:伊藤基晴
配給:ラビットハウス
Ⓒ「君の忘れ方」製作委員会2024
https://kiminowasurekata.com
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是枝裕和が向田邦子の代表作をリメイク Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」で試みた女性像のアップデート
PROFILE: 是枝裕和/テレビディレクター・映画監督
映画「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞し、2023年「怪物」で脚本賞(坂元裕二)とクィア・パルム賞をW受賞するなど、世界的にも注目を集める映画監督・是枝裕和の最新作、Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」(全7話)の配信が1月9日からスタートした。1979〜80年にかけてNHKで放送された、向田邦子が脚本を手掛けたホームドラマを、是枝監督が新たに監督・脚色した。物語の中心になるのは竹沢家の四姉妹で、長女・綱子を宮沢りえが、次女・巻子を尾野真千子が、三女・滝子を蒼井優が、四女・咲子を広瀬すずが演じる。
「最も尊敬し、自分に一番影響を与えた」と敬愛する向田邦子の傑作をどう脚色し、四姉妹を演じる俳優たちをどう演出したのか。是枝監督に話を聞いた。
オリジナル版からの変更点
——「阿修羅のごとく」は八木康夫プロデューサーが企画して、是枝監督にオファーしたと聞いています。1979年から80年にかけて作られたドラマを、今の時代に再びドラマ化することに惹かれた理由から聞かせてください。
是枝裕和(以下、是枝):もちろん「これ(1979年の台本)をこのままやって、今伝わるかな」など、いろいろと考えましたが、はっきり言うと“今やる意義”みたいなことは後付けです。向田邦子さんには直接会えなかったから、書かれたものからしか分からないけれども、自分が一番影響を受けた脚本家の1人であることは間違いない。「阿修羅のごとく」は向田さんの代表作ですし、見事だなと思っていたので、自分のワークショップでも台本を使っていました。そこに、この4人(宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すず)で「阿修羅のごとく」をやらないか、という依頼が来たら断る理由がない。「お断りします」という演出家はいないんじゃないかな。
——ワークショップではどのシーンを使ったのでしょうか。また、是枝監督から見た「阿修羅のごとく」の脚本の見事さとは。
是枝:ワークショップで使ったのは1話の、お正月に4人が巻子の家に集まって、鏡餅で揚げ餅を作りながら父親の浮気について話す場面です。そこで4人それぞれの父親への距離感の違いが明らかになる。なおかつそれを通して、4人がどういう男性観を持っているのかという、娘たちの“側(がわ)”も見えてくる。ワンシチュエーションでのその書き分けが見事だなと、実際に演出してみてもすごく思いました。そして、台本を読み込んでいくと、あのシーンは実は巻子と(夫の)鷹男(本木雅弘)のシーンであることが分かってきた。「なるほど、そういう読み替えをしていくと、カット割りが変わってくるな」と。自分が撮るならどうするかを考え始めたのはそのへんからですね。
——今回、どのような方向性で脚色をされましたか。
是枝:オリジナルが相当に完成度の高い作品なので、初めは脚本を一字一句変えずにやろうと思っていました。制作するにあたり、実妹の向田和子さんにお会いしたところ、脚本は好きなようにしてくださいとおっしゃってくれて。それで少し手を入れてみようかと思い、脚色し始めたら、4人の俳優たちのキャラクターに沿って書き加えていくことが楽しくなってしまった。それなら女性像そのものもアップデートしていこうと思いました。
参考になった作品が「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」(グレタ・ガーウィグ監督、2020)です。「若草物語」という古典を現代的に解釈して、四姉妹の次女・ジョーが文筆業で自立するという着地のさせ方が非常に見事だった。もちろんオリジナルの映画も僕は大好きですが、不在だった父親が帰ってきたことで、欠けていたピースが埋まるというストーリーは、父親を家の中心であるとする古典的な家族観が色濃くあるようにもとれる。それを再解釈した「ストーリー〜」のような描き方ができるのであれば、「阿修羅のごとく」の中にあるそういう要素も、別の角度から描き直せると思ったんです。
読んだときに一番難しいなと思ったのは次女の巻子です。専業主婦で、家で夫の帰りを待ちながら、夫の浮気に悶々として、不安に苛まれて万引きまでしてしまう。そこを、尾野真千子さんのキャラクターも含めてどううまくアップデートできるかが1つのポイントでした。もう1つは、広瀬すずさんが演じた咲子の描き方。(NHKドラマ版で)風吹ジュンさんが演じた咲子は、姉との対比で言うと、自由恋愛をしていて、イメージとしてはとても現代的で、奔放な存在として描こうとして始まっている。にもかかわらず、意外と連れ合いに振り回されていて、実は一番古風で、むしろ母親と根底では近い男性観になっているところがやや気になりました。だから咲子も、広瀬さんの中にある「強い」イメージに寄せていき、男性のためではなく自分の幸せのために行動するという、ある種のエゴをちゃんと描く方向性でリライトしました。
——他に、NHKのドラマ版から改変はしましたか?
是枝:基本は変えていません。向田邦子ファンが不満に思う改変はしていないつもりです。僕もファンの1人なので。ただ、NHKのドラマ版は、もともと全3話で作ったものが好評で、パート2として4話プラスされて全7話になっているので、3話の終わりで「阿修羅だよね、女は」と鷹男が言ってしまう。これはもったいないなと思った。7話全体で1つのシリーズという捉え方で考えて、鷹男の台詞を7話まで取っておくという変更はしました。
「ローカルであることがネガティブには受け取られない」
——このドラマは、物事を全てつまびらかにしない、人が人を裁かないところにリアリティーがあり、そこが面白さだと感じました。近年の全てが説明される分かりやすいドラマに慣れている視聴者は困惑する気がします。私自身、10代の頃は映画やドラマに答えを求めていたので、当時の自分がこのドラマを見たら、心の底から面白みを感じられなかった気がします。是枝監督がそういう層への配慮をした部分はありますか?
是枝:普段からあまりそういうことは考えないので、今回も考えていません。多分ね、年齢は関係ないと思いますよ。
——そうでしょうか。というのも私自身、今回の「阿修羅のごとく」を見て、「これが理解できるのは年を取ったからだ。年を取ってよかった」と思ったんです。
是枝:年を取ると理解できることが増えていくかもしれないけれど、「説明してくれよ」という意見は、年代、世代を問わずある。それに対しては「分かろうよ」という話ですよね。
——確かに……。ちなみに海外の視聴者は意識しましたか。
是枝:これもいつもと同じで、していません。配信の影響かどうかは分かりませんが、ローカルであることがネガティブには受け取られないということを、この10年で強く感じているので。ドメスティックとローカルは多分違うと思うんですけど。ある種の地域性や時代性を深く掘り下げても、それが伝わらなくなることはないと考えて作っています。
——今回の企画で、是枝監督がチャレンジしたことはありますか。今までやってなかったけれど、この作品だからできたことなど。
是枝:そういうことも最初は考えていなかったです。ただ、作り始めてから、昭和のあの時代のドラマを今作るのは、時代劇を作るのと同じぐらい大変だなと実感しました。風景も建物も残っていないから。すごく優秀な制作部が探してきてくれたロケーションを長く一緒に仕事をしている三ツ松さんの作ってくれた素晴らしいセットと組み合わせて何とかなりましたけど、「もうこんなに残ってないんだね」という感じです。
この4人だからこそできた演技
——4人でおしゃべりするシーンをワンカットで撮影した場面が圧巻でした。どう演出したのかお聞きしたいです。
是枝:事前に本読みをやって、ポイントポイントで、現場でももちろんリハ(ーサル)をしました。
——台詞は一字一句、台本通りですか?
是枝:宮沢りえさん以外の台詞は台本から変わっていないと思います。宮沢さんは3人をおそらく信頼しているから、あまり固めずに現場に入って、4人の掛け合いの中で「分かった。(尾野)真知子がそうやるなら、私はこう動く」とつかんでいくタイプでした。現場で1回やれば、もう入る。そういう人が1人いた方が、ライブ感が出るからいいし、うまくバランスが取れたと思います。
食べながら台詞を言うときは、普通は聞きにくくなるからあまり口の中に入れないけれど、今回は「入れてくれ」と言いました。「聞こえなかったら『何?』って聞き返してくれればいいからね」という話をして。だから宮沢さんは目一杯食べ物を口に入れて台詞を言っています。あと、「相手の台詞に自分の台詞をかぶせていいから」という話もしました。それがあの4人にしてみると、やりやすかったというか、すごく面白かったみたいです。他の現場だと「編集できなくなるからかぶせないでくれ」と言われる、もしくはかぶったときに、アフレコをせざるを得なくなる。今回はそれがなかったのが、4人にとって良かったようです。
——ものすごくハイレベルなことですよね。
是枝:あの4人だからできたことだと思います。4話の頭の、ボヤの片付けをするシーンで5分近く長回ししたんです。あれは楽しかったですね。みんなで畳を上げたりなんかしてのポジション取りも、展開も。畳が倒れたりするのは全然想定外だったので。4人ともあのシーンが好きで、「つらくなるとあれが見たくなる」「嫌なことがあるとあれを見てから寝る」と言ってました(笑)。
——監督が4人のすごさを感じたシーンをお聞きしたいです。
是枝:本当はさりげないシーンが好きなんだけど、こうやって選ぶとなると、どうしてもエモーショナルなシーンになってしまうなあ……。尾野さんは3話の、母親が倒れたあとの病室で、父親・恒太郎(國村隼)に食って掛かるところ。あれ、すごかったね。仲裁に入った鷹男のことを本当に殴っていた。テイク1が思ってたよりも激しくて、カメラが追えていないんですよ。テイク2もすさまじくていいんだけど、テイク1の勢いを選びました。あのシーンを撮ったあと、尾野さんが「お腹すいた」と言ってました。そして宮沢さんが「今日はたくさんお昼食べていいよ」と(笑)。
——それだけエネルギーを使うお芝居だったということですね。
是枝:ご一緒するのは初めてでしたが、蒼井さんも素晴らしかったです。緩急どちらも好きなんですけど、7話の、病室で啖呵(たんか)を切る芝居は「すげえな」と思わず声がもれそうになりました。松田龍平さんとの掛け合いもすごく良かったです。龍平がずるいんだよね。
——ずるい?
是枝:いいところを持っていくんだよね。何もしてないのに(笑)。広瀬さんは、3人に本当に負けていなかった。僕が一番好きなのは病室で……全部病室だな(笑)、義母に「あんた、(息子の)体の調子が悪いって前から知ってたのにあんなこと(ボクシング)やらせたんやろ」と詰められる7話のシーン。オリジナルで加えた部分ですが、義母の言葉を聞いているときの顔が素晴らしかったです。
宮沢さんは6話の、玄関の扉を挟んで巻子と対峙するシーン。「お姉さん、自分がやってること恥ずかしくないの?」と言われて、「恥ずかしくないわ」と言い返す。あそこが宮沢さんらしくて好きです。あれは僕が書き足した台詞なんですけど。オリジナルだと、後半まで綱子の日陰者感がちょっと強いんですよね。彼女は彼女なりの幸せを自分で選ぶ、それは別に家庭ではないというポジティブ感を出そうと思って足しました。宮沢さんがそこを引き受けてくれて、良かったです。
制作環境の改善は業界全体の課題
——今回、インティマシーコーディネーターを起用した理由を聞かせてください。
是枝:たしか(NHK版の演出をした)和田勉さんのエッセイにあったんですけど、「ホームドラマにセックスを持ち込みたい」という向田さんの意向があって、このドラマは始まった。きちんと性の問題をやるのだ、ということでスタートしている。地上波のドラマだからストレートではないけれども、そういう描写が脚本の随所にあるので、「怪物」でご一緒した浅田智穂さんにご相談して、入っていただきました。そういうシーンに関しては、事前に浅田さんが役者さんとミーティングを持ってから撮影に入りました。
——「そういうシーン」には、物理的な接触、セクシャルなムード、肌の露出など、いろいろな要素がありますが、どれを指しますか?
是枝:それは全部ですね。
——どれか一つでもあれば入れた方がいい?
是枝:浅田さんはそういうスタンスです。心理的な部分での抑圧があるものに関しては入る。だから「怪物」では少年同士がやりとりする場面で入っていただきました。
——今回、浅田さんが入ったことによって俳優のパフォーマンスにどのような良い影響があったと思いますか。
是枝:それは、もし聞かれるのであれば役者さんに聞いた方がいいと思います。僕が何か言うのは難しい。なぜかというと、役者さんは僕ら監督とのやり取りの中で、「私は全然大丈夫です」「どう撮っていただいてもいいです」「演技であれば触られても全然私は大丈夫です」と言うかもしれない。浅田さんに入ってもらっているのは、そこで僕が「僕にはそう言ってたからOKだよね」と言うことを避けるため。僕に言えないことも彼女になら言えるという理解のもとでやっていることだから、僕から彼女たちについてここで言及するのはルール違反になる。
——確かにその通りですね。勉強になりました。是枝監督は、映画業界の制作環境の課題を改善する活動もされています。テレビドラマの制作環境についてはどう見てらっしゃいますか?
是枝:大変そうですよね。時間がないんだろうなと思います。そもそも本数が多すぎる気がします。
——多すぎて、全然視聴が追いつきません。
是枝:追いつかないですよね。今のままの制作環境だと、きっと事故が起きるだろうなというぐらい、間に合っていない。役者がかわいそうな感じがします。
——なぜこんなにたくさん制作しなければいけないのか。
是枝:誰の都合なのかはわかりませんが、それは日本映画も一緒ですよね。でも、僕の立場の人間は「多いよね」とは言いにくい。「じゃあお前が映画を作るなよ」という話になってしまうから。ドラマも映画も制作環境の改善は、業界全体を見渡して、誰かがやっていかなければいけない課題ではあると思います。
PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
■Netflix シリーズ「阿修羅のごとく」
独占配信中
キャスト:宮沢りえ 尾野真千子 蒼井優 広瀬すず
本木雅弘 / 松田龍平 藤原季節 / 内野聖陽
國村隼 / 松坂慶子
原作・脚本:向田邦子
監督・脚色・編集:是枝裕和
企画・プロデュース :八木康夫
プロデューサー:福間美由紀 北原栄治 田口聖
音楽:fox capture plan
撮影:瀧本幹也
照明:藤井稔恭
録音:冨田和彦
美術:三ツ松けいこ 布部雅人
装飾:龍田哲児 羽場しおり
衣裳デザイン:伊藤佐智子
ヘアメイク:酒井夢月
音響効果:岡瀬晶彦 長谷川剛
助監督:松尾崇
スクリプター:押田智子
制作担当:後藤一郎
ラインプロデューサー:菊地正亮
制作プロダクション:分福
製作:Netflix
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USインディー・ロック・バンド、ヒッポ・キャンパスが新作「Flood」で目指した「バンドらしい音楽」
2013年にアメリカ中西部のミネソタ州で結成されたヒッポ・キャンパス(Hippo Campus)は、流行の入れ替わりが激しいUSインディー・ロック・シーンで10年以上のキャリアを誇る実力派のバンドだ。メンバーは、リード・ボーカル&ギターのジェイク・ルッペン、リード・ギター&ボーカルのネイサン・ストッカー、ベースのザック・サットン、ドラムのウィスラー・アレンの4人。ジャズやオペラの素養を背景に持つ4人の演奏は実に多彩かつ巧みで、インディー・フォークとエモとエレクトロとアフロ・ポップが交差したサウンドは、The 1975やヴァンパイア・ウィークエンドも引き合いに出して語られるなど一貫して評価が高い。
そんな彼らが24年9月にリリースした4作目の最新アルバム「Flood」は、いわく「バンド」としての原点に立ち返った作品。実験的なプロダクションにこだわった前作「LP 3」(22年)と異なりライブ・レコーディングに近い形で制作され、生演奏のフィーリングとみずみずしいアコースティックの音色が歌やメロディーの魅力を引き立てる、親密な音づくりが大きな聴きどころだった。
そのニュー・アルバム「Flood」を引っ提げて行われた、昨年11月のジャパン・ツアー。これが初来日、しかも海外ではホール公演も埋める彼らをライブハウスで観られるということで、東京公演初日の場となった新大久保アースダムはもちろんソールドアウト。「今回のアルバムを通して僕たちは音楽の楽しさを改めて思い出したし、ファンとの絆も深まったと思う」。開演前にそう話してくれたジェイクとネイサンの2人に、そんな「Flood」と「バンド」を取り巻くさまざまなトピックについて聞いた。
「毎回、新しい挑戦をして、音楽を楽しみ続ける」
——ニュー・アルバムの「Flood」はライブ録音に近い形で制作されたということで、実際にライブで演奏していても、他のアルバムの曲とは違った手応えがあるのではないでしょうか。
ネイサン・ストッカー(以下、ネイサン):そうだね、「Flood」は、バンドが部屋で演奏するような、最もシンプルな状態に立ち返って、音楽の根源を追求したアルバムなんだ。無駄なものを削ぎ落として、生演奏のエネルギーにフォーカスすることで、音楽の本質をリスナーに届けたかった。だから、このアルバムをライブで演奏するのは僕たちにとっても新たな挑戦で、同時に大きな喜びなんだ。特に、日本のファンの前で演奏できることを楽しみにしてるよ。
——シンプルな状態に立ち返りたかったのは、どうして?
ジェイク・ルッペン(以下、ジェイク):過去の2枚のアルバムは、プロダクションに重点を置いて制作したものだった。ラップトップの使い方やレコーディング技術を追求して、とにかく音の限界を押し広げることに集中した。でもしばらくして、それが少しマンネリ化してきたように感じられて。スタジオで実験的なことをするのも楽しいけど、やっぱりライブでファンと直接つながることが大切だと思う。それで、音楽の本質であるライブ・パフォーマンスの重要性に気付かされて、ある意味、音楽の原点に戻ろうと思ったんだ。だから今回のアルバムでは、ライブで演奏することを前提に、より生々しく、ダイレクトなサウンドを目指した。今回のアルバムを通して、僕たちは音楽の楽しさを改めて思い出したし、よりダイレクトに感情が伝わることでファンとの絆も深まったと思う。
少なくともアメリカでは、僕たちはライブを中心に活動してきた。だから、それを象徴するようなアルバムをファンに届けたかったんだ。今回のアルバムは、ネイサンが言っていたように、可能な限り僕たちのコアに近い。でも次のアルバムでは、またクレイジーなサウンドづくりに戻るかもしれない。いや、その中間くらいかな(笑)。ただ、僕らにとっては、アルバムごとに異なるミッション・ステートメントを持つことが重要なんだ。毎回、新しい挑戦をして、音楽を楽しみ続けることが大事だと思う。
ネイサン:僕たちのアルバムは、いつも最後につくったアルバムに対するリアクションなんだ。だから次は、今までとは全く違うことをやってみたくなる。二度と同じことはしない。常に新鮮なものをつくり続けたいから。
——今回の曲づくりの過程は、試行錯誤の連続だったと聞いています。実際、今作のサウンドのフォルムやテイストに関しては、具体的にどんなイメージや方向性を持って制作は進められたのでしょうか。
ネイサン:今回のアルバムは、本当に自由な発想でつくったんだ。朝起きて、コーヒーを飲みながらスタジオに行って、何も考えずに楽器を演奏したり、即興で歌ってみたり。そんなことを繰り返して、自然に曲が生まれていった。曲づくりは、ジェイクがギターのリフを思いつくことから始まったり、僕とジェイクが一緒に歌詞を考えたり、みんなで集まって即興でセッションしてそこから新しいアイデアが生まれたり、本当にさまざまだった。
とにかく、僕たちはそれぞれの曲に全力を尽くして、完成させることに集中したんだ。それで全ての曲が完成したあとに、それらの曲に共通するテーマや、特に際立っている曲を見つけるために、何度も、何度も聴き比べた。結果、100曲以上のデモが出来上がって、そこからアルバムに収録する曲を厳選するのは本当に大変だった。曲づくりって、最初は本当に混沌としているんだよね。始めたばかりのころは、どの曲とどの曲が合うのかなんて、全く想像もつかない。だから、まずはそれぞれの曲を完成させて、最後にそれらを組み合わせて、アルバム全体としての一つの世界観をつくり出すんだ。まるで万華鏡みたいに、いろんな曲が組み合わさって、最終的に美しい絵が完成する。正直、僕自身も完成したアルバムを聴いて、自分でもどこへ向かっているのか分からなくなるときもあるよ(笑)。
ジェイク:今回のアルバムは、歌のメロディーや歌詞が特に重要な役割を果たしている。よりクラシックなロック・アルバムというか、歌詞とギター・コードが主導したつくりになっていて、心に響くような音楽を目指したんだ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズや、リック・ルービンが手掛けた作品のような、シンプルながらも深みのあるサウンドを参考にしながら、自分たちの音楽をつくり上げた。無駄なものは一切排除し、本当に必要な要素だけを詰め込むことで、より楽曲の完成度を高めることができた。今回のアルバムは、メロディーや歌詞が際立っているので、聴く人により深く感情移入してもらえると思う。
——「クラシックなロック・アルバム」とのことですが、ただ、楽曲の構成や音づくりはヒッポ・キャンパスらしく“モダン”だと思います。
ネイサン:オアシスやトム・ペティのような、どこか懐かしい感じがする音楽もいいけど、僕たちはもっと現代的なサウンドに挑戦したい。レディオヘッドのようにね。
ジェイク:そうそう。でも、特定のバンドや音楽ジャンルに影響を受けたというよりは、“音のエートス(性格、気質)”みたいなものかな。もっと感覚的なもので、自分たちの内側から湧き出てくる感情や感覚を表現した作品なんだ。なぜなら、僕たちは常に変化し続けているから。過去の自分たちにとらわれずに、新しい自分たちを表現したい。自分たちが「これだ!」って思うような音楽をね。だから、同じような感覚を共有できる音楽を探して聴いたりもするけど、必ずしもそれが音楽的な影響ってわけじゃないんだ。
今作で実現したかった“バンドらしさ”
——その「同じような感覚を共有できる音楽」というところでは、先ほど名前のあがったレッド・ホット・チリ・ペッパーズの他に、フェニックスやビッグ・シーフからもインスパイアされた部分があったそうですね。
ジェイク:フェニックスは、リズム・セクションのドライブ感にエネルギーがあって、僕たちの音楽も大きな影響をもらっている。だから今作でも、 特にリズム・セクションのウィスラー(・アレン、ドラム)とザック(・サットン、ベース)の演奏はタイトでパワフルで、グルービーで、聴いていて気持ちいい。僕たちがバンドを始めた頃から、フェニックスは大きなインスピレーションを与えてくれるバンドの一つなんだ。
それとビッグ・シーフは、歌詞の言葉選びやメロディーのつくり方がすごく魅力的で、サウンドも独特で面白い。それに加えて、彼らはとにかく多作だよね。彼らがこの数年でアメリカの音楽シーン、聴衆やソングライターに与えた影響は大きいと思う。僕たちが今回のアルバムで実現したかったのは、僕たちが“バンドのように見える”ということだった。僕たちも、ビッグ・シーフみたいに、メンバー全員が一体となって音楽をつくりたいと思っていた。お互いを尊重し合い、コミュニケーションを取りながら、自分たちの音楽を追求していく。それが、僕たちの理想の「バンド」の形なんだ。特にライブ・パフォーマンスにおいては、観客との一体感を大切にし、エネルギッシュなステージングを心掛けている。
ネイサン:その通りだね。今回のアルバムでは、特定の要素に注目してつくったというよりも、「バンド」であることを伝えたかったんだ。だから他のバンドから影響を受けることはあっても、最終的には自分たちのオリジナリティーを追求したかった。それに、最近の音楽シーンでは「バンド・サウンド」が少なくなっていると感じていたので、あえてバンドらしい、ライブ感のある音楽を表現してみたかったんだ。
——ビッグ・シーフもそうですが、生楽器のオーガニックな音色やフォーキーなテイストは、これまでもヒッポ・キャンパスのサウンドにおいて大きな魅力だったと思います。そこに改めてフォーカスを当てることも、今作の音づくりにおいて鍵となる部分の一つだったのでしょうか。
ジェイク:うん、そうだね。僕たちの曲は、実際に演奏する楽器から生まれることが多い。特にアコースティック楽器のフィジカルな要素——ギターの弦を弾く感触や、ピアノの鍵盤を叩く音など、楽器から直接生まれる感覚は音楽をつくる上でとても大切なんだ。楽器に触れて音を出すことで、自然とアイデアが浮かんでくるし、生演奏の持つ力って、やっぱり特別だと思う。そして、スタジオで録音した曲をライブで演奏することで、その音楽にさらに命が吹き込まれる。今回のアルバムのニッキー(ネイサン)のギターは素晴らしいよ。
ネイサン:昔のレコードでは、ギターの音にエフェクトをかけまくって歪ませたり、ドラムの音を機械っぽく加工したりすることが多かった。でもこのアルバムでは、生演奏のダイナミックさを最大限に引き出すために、ギターはギターらしく、ドラムはドラムらしく、なるべく自然な音を出すことにこだわった。シンセサイザーも極力控えて、生楽器の音を前面に出したかった。だから、このアルバムはオーガニックなサウンドになっていると思う。
——その「オーガニックなサウンド」という部分でいうと、今回プロデューサーを務めたブラッド・クックの貢献も大きかったと思うのですが、いかがですか。
ジェイク:レコーディングは最初、友人のカレブ(・ヒンツ。前作「LP 3」のプロデューサー)と一緒に始めたんだけど、“もう一人の耳”が必要だという段階になって、それでブラッドを呼んだんだ。ブラッドは、アーティストの個性を最大限に引き出すことに長けていて、僕たちの音楽をもっとアグレッシブに表現する方法を教えてくれた。彼は、アーティストにとって最も強力なツールは自分自身の声であり、過度にテクニックに頼る必要はない、それ以外のもので“遊ぶ”のは危険だってことに気付かせてくれた。
彼の考え方は、リック・ルービンみたいなプロデューサーにも通じるものがあって、シンプルでストレートなサウンドを追求するその信念にすごく共感できた。特にレコーディングの最終段階で、ブラッドが僕たちの音楽を信じてくれたおかげで、自信を持ってアルバムを完成させることができた。ブラッドとの仕事は本当に楽しかったし、彼の人柄も大好きだ。ちょっと変わったところもあるけど(笑)、最高のプロデューサーだよ。
——ブラッド・クックといえば近年、ワクサハッチーやボン・イヴェールと素晴らしい作品を残していますが、そうした彼の仕事も今作の参考になった部分はありましたか。
ジェイク:そうだね。それも自然の流れだった。それらのレコードから得たインスピレーションが、僕たちの音楽の根底にもあると思う。
ネイサン:このアルバムは、僕たちが目指していたドライで力強いサウンドを実現できたと思う。ブラッドは、その点において、まさに理想のプロデューサーだった。彼がボン・イヴェールやワクサハッチーの作品でやったこととこのアルバムには通じるものがあると思う。どれも独特の雰囲気を持っているけど、共通して言えるのは、アーティストの個性を最大限に尊重し、その才能を引き出すことに長けているということ。それに今回のアルバムでは、カレブの持つ実験的なアイデアを具現化するために、ブラッドは積極的に協力してくれた。彼のプロデュース・ワークのおかげで、僕たちの音楽は新たなステージへと到達できたと思うよ。
ジェイク:それに2人ともノースカロライナに住んでいるから、お隣さんだしね。
「大切なのは今の自分たちの感覚を大切にしながら、音楽を作り続けること」
——ところで、(ベースの)ザックは今回の「Flood」について「30代に突入した男たちのレコード(“guy-entering-his-thirties album.”)」と呼んでいるそうなんですけど。2人にとってもそういう認識はありますか。
ジェイク:いや(笑)、分からないなあ……ただ、ザックが言いたかったのは“限られた時間を受け入れる”ということだと思う。歳を取れば取るほど、それはより現実味を帯びてくるし、自分の死というものをより身近に感じるようになる。死は決して遠い存在ではなく、常に自分の中に存在していることに気付く。そのことを意識することで、音楽に対する向き合い方が大きく変わったんだ。そのシリアスさは、これまで経験したことのないような形でレコードに影響を与えたと思う。特に歌詞では、人生の儚さや、限られた時間の中で何を大切にするかといった、以前とは違う、より深いテーマを扱っている。それは、僕たちにとって新しい表現の試みだったと言える。
ネイサン:僕たちも若いころは、音楽業界のルールに縛られて、自分たちの音楽を表現することに苦労した。でも、この10年の間に音楽業界は大きく変わって、昔のような考え方は通用しなくなった。そして、年齢を重ねるにつれて、誰かに認められたいという気持ちが薄れていった。今は、ただ自分が楽しいと思える音楽をやりたい。子供のころからずっと音楽をやってきたけど、大人になった今もその気持ちは変わっていない。だから、僕たちの音楽は、どんなジャンルにも当てはまらないかもしれない。でも、それが僕たちのスタイル——今の僕らの“30代の音楽”なんだ。みんなに気に入ってもらえたらうれしいけど、そうでなくても、僕たちは自分たちの音楽を楽しみ続ける。それだけのことさ。
——前作から今回の「Flood」の間に、ネイサンは断酒のためのセラピーを受けたり、またバンドとしても一人ひとりが自分自身と向き合うための時間を多く過ごしたと聞きました。そうした自分たちのありのままの姿を記録したい、という思いが今作には強くあったのでしょうか。
ジェイク:うん、年齢は違えど、大切なのは今の自分たちの感覚を大切にしながら、音楽を作り続けることだから。バンドとしても、個人としても、常に成長し、創造的な野心と創造的なプロセスを通してそれを表現し続けたい。簡単なことじゃないけど、自分たちにとってそれが最もやりがいのあることなんだ。
「Flood」は、コロナ禍で生まれたアルバムだから、自分たちの内面を深く見つめ直すいい機会になった。以前は、ツアーに追われて、自分の人生についてじっくり考える余裕がなかった。でも、コロナ禍で活動が止まったことで、自分にとって本当に大切なものって何だろうって、改めて考えるようになった。このアルバムには、そんな自分たちの心の変化がそのまま反映されている。何が幸せで、何がそうでないのか——そんなことを考えながら、一つひとつの音を重ねていった。多くの曲は、自分自身と向き合いながら生まれたものなんだ。30代になった今、あの時、コロナ禍を経験できたことは幸運だったと思う。あのまま突っ走っていたら、きっと燃え尽きていたかもしれない。あのころは、とにかく働きづめだったからね。アメリカらしい働き方というか、とにかく働き続ける、それが当たり前だと思ってた。常に何かを成し遂げなければいけないというプレッシャーを感じていたんだ。
ネイサン:そう、だから、みんないつかは死ぬんだということを忘れてはいけない。でも、そうだね、あの活動休止期間は、バンドとしても、そして僕らがお互いを理解し合うためにもとても有益だったと思う。あの経験があったからこそ、ヒッポ・キャンパスの次のアルバム(「Flood」)はとても健康的で、より深みのあるものになったんだ。だから今は、音楽を心から楽しむことを再発見しているところなんだよ。
目指すべきロールモデルは?
——そんな今の2人にとって、例えばこんなふうにキャリアを重ねていきたい、音楽的にも充実した作品を作り続けていきたい、みたいなロールモデルとなるバンドやアーティストはいますか。
ネイサン:ミネアポリスにロウ(Low)というバンドがいて、ロウのアラン(・スパーホーク)は僕らの最初のEP(「Bashful Creatures」)をプロデュースしてくれたんだけど、彼らがアルバムを重ねるごとに音楽的な幅を広げていく姿を見て、本当に刺激を受けたんだ。アランはすでに50代なのに、常に新しい音楽に挑戦していて、僕がこれまで聴いてきた音楽の中でもかなり突き抜けた、プログレッシブな音楽をつくっている。アランは僕たちにとって、音楽的な目標のような存在なんだ。音楽をつくるってことは、ただ音を出すだけじゃなくて、常に新しいものを創造していくことだと思う。芸術性を高め続けることで、自分自身の表現を追求していく。そのためには、恐れずに挑戦し続けなければいけない。アランを見ているとそう強く思うんだ。
ジェイク:本当にそう思う。アランは音楽だけでなく、人としても尊敬できる人なんだ。彼はコミュニティーを大切にしていて、みんなから愛されている。ヒューマニティーの擁護者なんだ。彼は、音楽が人々をつなぎ、社会をより良くする力を持っていると信じている。まず他人を大切にし、その上で音楽をつくり、それがサウンドやギターの弾き方に反映される。彼の音楽には、そんな温かい心が感じられるんだ。
ネイサン:僕たちが尊敬するミュージシャンは、経済的な安定を築きながらも、音楽に対する情熱を失っていない。でも、彼らはメガ・スターではない。中流階級のミュージシャンというのは、僕らにとっても興味深い存在で、自分たちのやりたいことをするための自由や自らのエージェンシーを持ちながら、幸せで健康的な生活を送り、仕事をすることができている。デス・キャブ・フォー・キューティーもその一つだよね。彼らが、自分たちのスタイルを貫きながら、長く音楽活動を続けている姿は、僕たちにとっても大きな励みになっている。若い頃は、彼らのようなキャリアを築きたいって、本当に憧れたよ。彼らのキャリアは、僕たちのようなインディーズ・ミュージシャンにとって、一つの理想と言えるかもしれない。
ジェイク:でも、歳を重ねて、昔のようにエネルギッシュな音楽を奏でられなくなってしまうバンドを見ると、少し寂しい気持ちになるんだ。僕もいつかそうなるのかと思うと、正直怖い。アランはそんな僕たちの不安を払拭してくれる存在なんだ。彼は年齢を重ねてもなお、音楽に対する情熱を失っていない。そんなアランを見ていると、希望が持てるというか。
将来のことなんて、正直よく分からない。でも、彼らのように、長く愛されるバンドになりたいという気持ちは、誰しもが持っているんじゃないかな。彼らが長く音楽シーンで活躍していることには、ただただ尊敬の念しかないよ。だから今は、目の前の音楽に集中して、自分たちの表現を追求していきたい。難しいことばかりだけど、それが楽しいんだ。
——ロウは同じミネソタ州出身のバンドということで、やはり特別な存在なんですね。
ジェイク:そうだね。彼らはまさに、僕たちが目指す音楽の理想形なんだ。
——アランとは今でもやり取りがあったりするんですか。
ネイサン:先日、偶然彼とばったり会ったんだ。久しぶりに話せて嬉しかったよ。彼は最近、ゴッド・スピード・ユー・ブラック・エンペラーのオープニングアクトを務めたんだ。(日本語で)トッテモカッコイイデス。トッテモ最高(笑)。
でも、彼とはもうしばらく一緒に音楽をつくる機会がなくて、少し寂しい。彼の奥さん(※ロウのドラマーだったミミ・パーカー)が亡くなってから、もう1年半が経つ。彼の奥さんの葬儀にも参列したんだけど、その時にステージで息子さんと一緒に演奏している姿を見て、本当に感動した。息子さんがベースを弾いていて、その演奏はとても美しかった。彼の母親への想いが込められているように感じたよ。
ジェイク:アランは僕たちにとって、音楽の父親のような存在なんだ。本当にそう思うよ。
アメリカ大統領選が終わって
——ヒッポ・キャンパスといえば、#MeToo運動と連帯してサポートの声を上げたり、慈善活動に取り組んだりしていた姿も印象に残っています。アメリカ大統領選が終わって2週間弱が経ちましたが、結果を受けて率直にどんなことを感じていますか。
ネイサン:ふーーっ(笑)……複雑な気持ちだよ。いや、複雑じゃないな。悔しいし、混乱してるよ。
ジェイク:そう、つまりとても引き裂かれていて、直視するのが難しいんだ。特に、ソーシャル・メディアがアメリカをこんな風にしてしまったなんて、本当に残念だよ。みんなが怒っているのもよく分かる。あのような男が、僕たちの国の代表として世界に顔を晒している現状は耐え難いし、とても恥ずかしい。
ネイサン:アメリカの二大政党制は、もう機能していないよね。もはや完全に崩壊している。人々に2つの悪のうち、よりマシなほうを選ぶように迫るのは、とてもつらいことだよ。民主主義の理想からかけ離れている。どの選択肢も満足のいくものではないけれど、ただ、それでもこの状況を改善するために、何かしらの行動を起こさなければならない。投票に行かないという選択肢はない。だから今回の選挙でも、多くの人がそう感じていたはずだし、より良い未来を求めて投票所に足を運んだんだと思う。
ジェイク:アメリカは今、自分たちの選択の結果と向き合わなければならない。なぜこのようなことが起きたのか、なぜこのような人物を選んでしまったのか、深く考えなければいけない。そして次の4年間は、自分たちの社会をより良くするために、深く内観し、何ができるのかを真剣に考えたい。今のシステムは明らかにうまく機能していない。ただそうした中で、人々に再び希望を与える方法を考える必要がある。より公正で平等な社会を実現するために、僕たちは力を合わせなければならない。
ネイサン:アランがゴッドスピードのライブで言っていたんだ。真のコミュニティーは、ローカルで、より個人的なレベルで築かれるべきだって。人々が集まって、毎晩1時間、プロテスト・ソングを聴きながら、建設的な話し合いをすればいい。社会問題について語り合い、互いに理解を深める。怒らず、分裂せず、建設的な方法で、適切なコミュニケーションの取り方をお互いに教え合う。そんな場が理想的だね。でも、それをビジネスにすることなく行うのはとても難しい。そうなると突然、また資本主義のシステムに飲み込まれてしまう気がする。どうすればいいのか……時々、何もかも捨てて、静かな場所に引っ越したくなるよ(笑)。
——今回のアルバムの収録曲の“Paranoid”には、「ゴールの先には何かが待っているのだろうか?(Is there something waiting out there for us at the finish line?)」という歌詞があります。この問いの答えは見つかりましたか。
ネイサン:いや、これからも見つからないと思う。実は、その歌詞の直前には「もしかしたら(maybe)」という言葉があって、それが何かを考え始めるきっかけになっているんだよね。
永遠に続くものなんてあるのかな? それとも、「永久」って言葉は本当にあるんだろうか?——答えなんてない問いだけど、でもこのことは、僕たちが今いる場所を教えてくれる気がするんだ。それはつまり、まるでレースみたいに、僕たちは今、その真っ只中を走っているってこと。だから、どうすればもっと効率よく、健康に走り続けられるか、って考えるべきなんだ。ゴールなんて、ずっと先にあるかもしれない。でも、一度ゴールしたら、もう後戻りはできない。だから、意味があるのかどうかは分からないけど……最初はさ、自分よりもっと大きな力、ある種の実存的な、神様みたいなものがあるんじゃないかって思ったんだ。でも、30代になった今、お酒をやめて、ドナルド・トランプが大統領になったこの時代を生きている。だから何であれ、持っているもの全部を使って、その力を最大限に引き出せたら、きっと何かが変わるんじゃないかって。そう思うんだ。
——ところで、ネイサンの帽子(「巨」と書かれた帽子)がずっと気になっているんですけど(笑)、読売ジャイアンツの帽子っぽく見えるのですが、それは日本に来て買ったんですか。
ネイサン:これ? この漢字は「巨人=大きくて背が高い」っていう意味なんだよね。何年か前にウィスラーに誕生日プレゼントでもらったんだよ(笑)。
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新鋭アーティスト、杉山日向子が新作で伝える「今の自分を肯定すること」の大切さ
PROFILE: 杉山日向子/アーティスト
印象的な自画像で注目を集める新鋭アーティスト、杉山日向子による個展「Mirror Play」が渋谷パルコ4階の「パルコミュージアム トーキョー」で1月13日まで開催中だ。同展は新作絵画を中心に20点以上を展示する。
もともと自画像を描き始めたのは、「他人から容姿について誹謗中傷されたことへの反発から。最初は自分を守るために、他人の評価を否定するような形で自画像を描いていた」という杉山だが、新作では自分だけではなく、他者に寄り添う気持ちが強くなったという。
「ルッキズムが問題になっている今、自分をどんな形でも表面的に受け入れることが大切だと感じるようになった。外見や容姿に対する期待をどう求めるかは自由だけど、とりあえずは今の自分を受け入れることが鍵になると思っている」とステートメントにあるように、「今の自分を肯定する」、そんなメッセージが新作には込められている。
今回、杉山の今までの経歴を振り返りつつ、個展「Mirror Play」について話を聞いた。
WWD:杉山さんが絵を描き始めたきっかけは?
杉山日向子(以下、杉山): 小学生のころから絵が描くのは好きで、絵の教室に通っていました。その延長で中・高は美術系の学校に通って、大学は2浪して東京藝大に進学しました。
WWD:油画専攻を選んだ理由は?
杉山:アクリル絵の具が全然扱えなくて、一番得意だったのが油絵だったのと、油絵は制約がなくて、好きなことを自由に表現できるので選びました。
WWD:今の作品のように自画像を描くようになったのはいつごろからですか?
杉山:大学3年生ごろです。私は2浪して入学したこともあって、藝大に入った時点で、満足してしまっていて。同級生がどんどんその人らしい作風を見つけて、作品を作っているのに、自分はどんな作品を作ればいいのか分からなくて、2年生ごろまでは迷走していました。
自画像を描き始めたのは、最初は自分の見た目のコンプレックスからです。他人から容姿について誹謗中傷されて、当時は超絶尖っていて、「見返してやりたい」と怒りの気持ちで描き始めました。その時は「その作風」で評価されたいって気持ちもありました。
でも、今回の展示のステートメントにも書いたのですが、今はもう少し人に寄り添いたいというか、SNSって超ルッキズムが強い投稿がいっぱいあって、そういう投稿を見ているうちに、「きれいでも、かわいいでも、美しいでも、自分の理想を求めるのは自由だけど、自分が自分で満足できればいいよね」っていう気持ちが大きくなって。私も自画像を描いているのに、あまり自分には自信がないんですが、それでも私の作品を見て、「こういう人もいるんだ、 面白いね」とか「(人の意見を気にせず)自分は自分でいいよね」とか、思ってくれれば、それがうれしいです。
あと、誰かを描く時って、いろんなことを考慮しないといけないんですが、自分だと気を使わなくていいし、しかも無料だしってことで、なんとなく自画像を描き始めたのもあります。でも、初期の作品って、自画像といいつつ、少し加工していて、ちゃんと自分を描いていないんですよね。
WWD:NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の背景を描いたのは、自画像を描き始める前ですか?
杉山:そうです。まだ大学に入ったばっかりのころで、迷走している時期でした。私が浪人時代に描いていた絵を、アートディレクションを担当した奥山由之さんが見て、選んでくれました。それまで奥山さんとは面識がなく、急に依頼が来たので、びっくりしましたね。時間もなかったので、依頼が来て、次の日にはもう打ち合わせをして、すぐ制作に入ってという感じで、依頼から完成まで1ヵ月もなかったと思います。
「モノボケみたいな感じで考えてます」
WWD:今回の展示タイトル「Mirror Play」はどのように決めたんですか?杉山:「Mirror Play」は、今回のキービジュアルにも使っている作品の作品名なのですが、私の作風が“鏡遊び”みたいなのと、あまり聞いたこと言葉だったので、ちょっとスラングっぽくて面白いかなと思って、「Mirror Play」にしました。
WWD:今回の展示では新作も多く描かれていますね。
杉山:改めて、初期の作品から新作までを展示してみると、新作は全体的に彩度が低めになっていますね。自分の気持ちの変化もあって、色使いやポーズも変わっているのはすごく感じました。自分で描いたくせに、あまり自分のことって分かんないですよね。
WWD:色使いや衣装を含めて、全体的にシンプルになっていると感じました。
杉山:先ほども言ったんですけど、最初に自画像を描き始めた時は本当に尖っていて、「私はやることやってるんだよ。お前は何をやっているだ」みたいな怒りの気持ちが強くて。今はその気持ちも薄れてきたので、だから全体的に作品も落ち着いてきたのかなって思います。
WWD:杉山さんの作品はポーズにどこか違和感があって、面白いです。
杉山:まず自分でポーズを決めて、写真を撮って、それをもとに絵を描き始めるんですけど、ポーズを考える時は、体や影の形がかっこよくなるように、というのは心掛けています。でも、撮影中はずっと同じポーズをしなくちゃいけないので、結構腰とか痛くなるんですよね。それを何パターンか撮影して、撮ったものをパズルを組み合わせる感じで描いていくんですが、その組み合わせを考えるのが一番難しいです。
WWD:撮った写真でまずはコラージュを作ったりするんですか?
杉山:作らないですね。だから失敗する時もあります。絵を描き始めた時に、「なんか微妙かも」と思った時はうまくいかないことが多くて、一応最後まで描くんですけど、やっぱり納得がいかずに没にしています。最初にハマったと思ったら、結構順調に描けるんですけど。
WWD:撮影前にコンセプトは決めるんですか?
杉山:「今回はこの服を着て撮影しよう」とか「今回はヘルメットをかぶろう」とかは何となくワンテーマを決めて、そこからどう面白くするか、モノボケみたいな感じで考えていきます。だから「こんなことをやってる人がいて面白いな」ぐらいで見てもらえればいいかな。
WWD:ヘルメットをかぶっているプロフィール写真はインパクトがあります。ヘルメットを被るというところで、何かから自分を守りたいとか闘うっていう思いもあったんですか?
杉山:そこまで深い意味はなくて、作品用に撮った写真の中から没になった写真をそのままアーティスト写真にしています。なんか、かっこいいかなという感じで。
WWD:「Self Perfume 」 や「令和スナイパー」などタイトルもかなり面白くて、モノボケの話からも、お笑い好きの要素を感じます。やっぱりお笑い好きですか?
杉山:お笑い好きですね。今は例えば炎って芸人が好きです。新作を書いている時も「霜降り明星のANN」を聴きながら描いてました。
「絵を描く以外の仕事もやっていきたい」
WWD:以前、他メディアのインタビューで絵を描くのをやめようと思ったと話されていましたが?
杉山:多分このまま描かなくなるんだろうなっていう時期はありましたね。少し前はアートバブルで、若手の作品もすごく売れるみたいな感じだったけど、私の作品って、自画像というのもあって、小さい作品がたまに売れるぐらいでした。やっぱり売れても売れなくても描き続けるってことが、自分では難しいなってすごく実感して。このまま展示にも呼ばれなくなって、作品も売れなくなった時に、続けられるかって言われたら 現実的に無理だなって思いますし。そのインタビューの時も、多分そういう気持ちで言ったんだと思います。
WWD:今後、自画像以外の作品に挑戦したいという気持ちもありますか?
杉山:作品としては、自画像を描き続けたいとは思いますが、仕事としてはいろいろやっていきたいです。絵以外でも、立体や写真、アートディレクションにもすごく興味があります。ファッションも好きなので機会があったら、ファッション関連の仕事もやってみたいです。
PHOTOS:TAMEKI OSHIRO
■「Hinako Sugiyama solo exhibition “Mirror Play”」
会場:パルコミュージアム トーキョー(PARCO MUSEUM TOKYO)
会期:12月20日〜2025年1月13日
時間:11:00〜21:00 ※入場は閉場の30分前まで。最終日18時閉場
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ4階
料金:無料
https://art.parco.jp/museumtokyo/detail/?id=1620
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藤原ヒロシが語る新店「V.A.」と「タイムラグの面白さ」 「僕は未来にほしいものを買う」
2002年にオープンし、20年にわたって東京・表参道を行き交う人々を見続けてきたカフェ・ラウンジ「モントーク(montoak)」が、22年3月31日に惜しまれつつ閉店。それから2年が経ち、建物はそのまま、装いを新たに、カフェとショップが併設するコンセプトストア「V.A.(ヴイエー)」が24年12月15日に誕生した。もともと「モントーク」は、オープンカフェの先駆けとして1972年に開業した「カフェ ド ロペ(Café de Ropé)」を前身とする。
70年代から続く伝統を守りながら、今の時代に合わせて、全体のディレクションを藤原ヒロシが、カフェ監修を「バワリーキッチン(BOWERY KITCHEN)」などを運営する山本宇一が、ストアデザインを「ザ・パーキング銀座(THE PARK・ING GINZA)」などを手がけた荒木信雄が行った。
今回はプレオープンの会場で、ショップのコンセプトをはじめ、街の再開発、流行や情報との向き合い方についてなど、藤原ヒロシに話を聞いた。
プラスチックスの2人とお茶をしていたら……
——コンセプトストア「V.A.」のプロジェクトは、どのように進んでいたのでしょうか。
藤原ヒロシ(以下、藤原):「モントーク」が閉店したあと、建物や跡地をどう活用していくのかを模索していく中で、かつて「モントーク」がそうであったように、原宿のランドマークとして残していきたいということで、運営元のJUNから相談を受けました。
——「カフェ ド ロペ」や「モントーク」にもよくいらっしゃっていたと?
藤原:しょっちゅう来てましたね。原宿の歴史が語られる時って、1970年代のこと、原宿セントラルアパートと喫茶「レオン」を中心とした話が多いじゃないですか。僕もぎりぎり「レオン」には行ったことがありますが、上京したのが82年なので、個人的に原宿のカフェといえば「カフェ ド ロペ」と、その後の「モントーク」なんです。
——この場所での印象的な思い出はありますか。
藤原:当時プラスチックス(Plastics)のトシちゃん(中西俊夫)とチカちゃん(佐藤チカ)と僕の3人でお茶をしていたら、すごい人だかりができたんですよ。プラスチックスってこんなに有名なんだと思っていたら、少し離れた席にジュディ・オングがいて、人だかりはそっちだった。ジュディ・オングも来るんだなと思って、あれはちょっとびっくりしましたね。
アニエス本人による書き下ろしロゴのアイテムも
——V.A.=VARIOUS ARTISTSという店名はどのように?
藤原:チームで話し合う中で、最初は源馬(大輔)くんが言ったのかな。「V.A.」って昔はコンピレーションとかのCDやアナログレコードでよく見ましたよね。いろんなアーティストの楽曲が入っているアルバム。その感じで、多種多様な人たちの集合を表す名前でいいなと思いました。最近は音楽の聴き方が大きく変わって、そういうアルバムに接する機会も減ってしまったのもあって、逆に新鮮かなと。
——カフェとショップの併設というアイデアはどこから?
藤原:最初は洋服屋の中で、パン屋とかドーナツ屋をやりたかったんですよ。「ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)」って、基本的にどのお店も上層階に「ローズベーカリー」というカフェが併設されていますよね。でもニューヨーク店はベーカリーが1階にあって、中2階で「ナイキ(NIKE)」とかを見ていると、パンのいい匂いが漂ってくる。それがすごくいいなと思って、参考にしました。
——カフェ監修の山本さんやストアデザインを担当した荒木さんとはどんなことを話しながら、お店を作っていったんですか?
藤原:カフェに関しては、どんなメニューを出すかなど、全て山本さんにお任せしました。ストアに関しては、荒木さんは古いものを残しながら新しくアップデートしていくのが得意なので、今回も元の建物の構造自体は残してもらいたいってうのは伝えて、デザインを考えてもらいました。
——ショップに入るブランドのディレクションについては?
※オープン時のポップアップスペースでは「チャンピオン(CHAMPION)」、「エンダースキーマ(HENDER SCHEME)」、「リーバイス(LEVI'S®︎)」、「エル・エル・ビーン(L.L.BEAN)」、「ニューエラ(NEW ERA®︎)」などのブランドと協業したアイテムのほか、高橋盾「アンダーカバー(UNDERCOVER)」デザイナー、や西山徹「ダブルタップス(WTAPS)」「ディセンダント(DESCENDANT)」デザイナーが同ストアのために制作したアイテムをそろえる。
藤原:今のオープンの段階では、チームのみんなで選定したブランドに入ってもらっていますが、この先は「V.A.」という名前の通り、ポップアップストアとして、いろんなショップが出店する感じがいいかなと思っていて。そのためにカフェスペースの仕切りとかも可動式にしてあるんですよ。なので、1階のショップだけでなく、2階のカフェもあわせて、それなりに自由度をもって使ってもらえるので、期間ごとに違うお店に変わっていくようになっていったらいいですね。
——オープン記念のコラボレーションアイテムでは、デザイナーに旧知の仲である高橋盾さんや西山徹さんのほかにも、「アニエスベー(AGNES B.)」が入っていたりと、豊富なラインアップです。
藤原:「アニエス」はずっとキャップを愛用したりしていたので、入ってもらえたらいいなと思って。あの筆記体のロゴ、今でもアニエス本人の直筆なんですよ。なので、今回のアイテムに使われている「various artists」のロゴは、このためにアニエスが書き下ろしてくれました。
アーカイブにアクセスできることによってリバイバルの意味が変わった
——ファッションデザイナーについては、時代の変化は感じますか?
藤原:もちろん個別に面白いデザイナーはいるし、変化もありますけど、それよりも、「本気でアパレルを追求している人によるものではないブランド」が増えたような気がします。分かりやすいところでいうと、インフルエンサーやYouTuberがアパレルブランドを運営しているとか。そうなると、アパレル業界全体としてのファッション性は、相対的に落ちてきますよね。
——さまざまなアーカイブに簡単にアクセスできるようになったことで、クリエイティブにはどんな影響が出ていると思いますか?
藤原:安易なコピーとパクリが増えましたよね。しかも直近の流行をネタ元にして。僕らも散々サンプリングはしましたけど、やるからには真剣かつ緻密に、リスペクトを込めてコピーしてましたよ。
——まさにパクリとオマージュの違いですね。
藤原:それと、あえてネタ元を明かさないことによって生まれる、奥行きを楽しむようなことがなくなってしまったかな。日本の国民性みたいなことも関係しているのかもしれないけど、最初にネタバラシをしてから提供するようなところがあるでしょう。これは今に始まったことではなく、日本の翻訳を見てもその傾向は明らかで。アンデルセンの名作「裸の王様」って、英題は「The Emperor's New Clothes」なんですよ。「王様の新しい服」としか言っていないのと、タイトルで「裸」であるとネタバラシするのとでは、奥行きが全然違う。
——90年代リバイバルやY2Kと呼ばれる流行については?
藤原:僕らにとってのリバイバルと、今の若者にとってのリバイバルは、かなり様相が違うと思いますね。僕らの時代のリバイバルは、廃れて完全に消えてしまった過去のものを、苦労して探しまくって、ようやく手に入れていたけど、今のリバイバルはそういうことではないでしょう。いつでもアーカイブにアクセスできることで、「廃れる」という感覚もだいぶ薄くなった。あとは、分かりやすくメジャーなものがあったからこそ、そことは違うものを選ぶことで遊べていたのに、もはや大メジャーが存在しなくなって、ズラす楽しみは減ってしまったような気がしますね。
街は時代ごとに変わっていくことが必然
——現在進行形で再開発が進む原宿という街は、どう見ていますか。
藤原:以前は仕事場もあってよく来ていたのですが、最近は来ることも減りましたね。とはいえ、原宿という街の魅力は今も変わらないと思います。トレンドとかの話の前に、まずは立地ですよね。象徴として明治神宮があり、巨大な代々木公園があり、そこから真っ直ぐに竹下通りと表参道がそれぞれ別の方向に延びている。そのランドスケープがおもしろい。
——原宿に限らず、街が再開発で変わっていくことについては?
藤原:街は時代ごとに変わっていくことが必然だと思っていますよ。例えば西新宿は、僕にとってレコード屋街のイメージが強いけれど、今はそうではないし、レコード屋のイメージなんか全然ない人もたくさんいる。日本に地震が多いこととかも関係していると思いますが、とにかく作っては壊し、街がいつの間にか様変わりすることが日本の特徴。それが外国人観光客にとっては、とても魅力的にうつっていたりもしますからね。だってヨーロッパなんかへ行くと、100年前くらいの教会とかそこらじゅうにあって、ナポレオンが通ったレストランとかもあるくらいですから。
——街も情報も、スピード感は飛躍的に伸びたような気がします。
藤原:情報には僕自身も踊らされてきたし、仕事を始めてからは踊らせる方にもなったけれど、今は踊っている暇もない感じがしますよね。行列に並んでいる間にもう、新しい流行が次々にやってきちゃう。
——どんどん情報量が多くなっていく中で、どう情報を得ていますか?
藤原:例えば音楽だったら音楽好きな人たちの、ファッションだったらファッション好きな人たちのLINEグループがそれぞれあるので、そこの情報は結構信頼しています。そうやって知っている人のフィルターを通した情報を得るようにしています。
タイムラグを楽しめるお店になってほしい
——情報との関連でいうと、かつては音楽のジャンルとファッションが強く結びついていて、パンクでもヒップホップでも正装となるファッションがありましたが、そういうのもだいぶなくなりましたよね。
藤原:それは音楽フェスの影響が大きいと思いますね。ロックもハードロックもヒップホップも、全てが同じ会場で、観客たちは一律にアウトドアファッションになってしまった。昔はライブハウスごとに個性があって、そぐわない格好をしていると入れてもらえなかったりしたけれど、今はそんなことできないでしょう。それは雑誌なんかも同じで、「anan」と「JJ」では表紙のモデルからしてまったく違うカラーを打ち出して、思想的に相入れない雰囲気こそが面白かったのに、今はどの雑誌でも同じ人が表紙を飾っている。
——SNSを中心としたメディアの発達によって、消費行動にはどんな影響が出ていると思いますか。
藤原:かつてと比べると、今はモノも情報も使い捨て感がありますよね。その時だけの消費に偏っている感じ。僕の場合、未来にほしいものを買うんですよ。今は着る気分じゃないけど、これを5年後、10年後に着たいなと思って買う。基本、寝かせる。ただそれは、過去の情報が10年も経つと手に入らなくなっていくからこそ、面白かった。売っている当時はよく見たものが、10年後には「何それ見たことない」「いつの?」「どこの?」ってなるわけだから。でも今は10年経っても20年経っても、情報がずーっとネット上に残っているんですよね。
——検索すればすぐに、何年のどこのものか、分かってしまう。
藤原:情報に過去も未来もなくなって、みんな掘り起こしまくっているでしょう。そのせいで、寝かせることの面白さはだいぶ減ってしまった。なので、個人的には、過去においても未来においても、タイムラグがきちんとあって、そのことを楽しめるようになってほしいなと。そういう意味でも、「V.A.」はタイムラグの面白さがある、そういうお店になっていったらいいなと思っています。
■「V.A.」
オープン日:2024年12月15日
営業時間:10:00〜20:00
住所:東京都渋谷区神宮前6-1-9
定休日:不定
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山梨を“伝える”インタウンデザイナー土屋誠 “ハタフェス”やワイナリーをブランディング
PROFILE: 土屋誠/BEEK DESIGN代表 アートディレクター

2016年から山梨県富士吉田市で毎年開催されるハタオリマチフェスティバル、通称“ハタフェス”。織物産業に光が当たる産地観光の成功例としても注目を集める。今年は10月19~20日に開かれ、過去最高の2万4000人が訪れた。その総合プロデュースを任され、チームづくりや骨格となるデザイン、出店者の選定、運営などを市役所と連携して行っているのが山梨県韮崎市を拠点に活動するBEEK DESIGNの土屋誠代表だ。2013年に山梨にUターンして「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトに活動し、山梨をアップデートし続けている。
自腹刊行のフリーペーパー「BEEK」からローカルの仕事が広がる
土屋代表は東京で9年間、編集者やデザイナー、アートディレクターとして働き、13年に山梨にUターンした。「もともと山梨に戻るつもりで、10年に東京で独立した後は山梨の仕事も手掛けていた」と振り返る。山梨でまず始めたのは「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトにしたフリーペーパー「BEEK」の創刊だ。「まずは僕自身が山梨の今を知るために始めた。楽しく山梨を知ろうと毎号テーマを設けて会いたい人に会いに行き、写真撮影から原稿の執筆、レイアウトデザインまで全部ひとりで行った」。東京で覚えた雑誌編集やデザインのスキルが役立った。最初は5000~6000部を発行し、現在1万部を発行する。
「半年に1回発行して4号出した頃には仕事の9割が山梨の案件になっていた」。Uターン直後は95%が東京の仕事だったというから、山梨の今を伝えたいという想いが形になった「BEEK」を通じてローカルの仕事が舞い込むようになった。「広告なしの自腹で始めた『BEEK』の対価はお金ではなく、人との出会いやつながりだった」。
身近にあるいいものを知って使う。その暮らしが続くことが「いい暮らし」
土屋代表は自身をデザイナーとは名乗らない。「朝日広告賞を受賞して東京っぽさを携えデザイナーとして山梨に帰ってきた。でも機織りやワインなどモノ作りはもちろん売るところまでを考えて取り組む人を見ていると彼らこそクリエイティブだと感じた。そして自分はデザインの本質がわかっていなかったと気づいた。それ以降デザイナーとは名乗れないと感じ、自己紹介を求められると『伝える仕事をしている』と答えるようになった」という。
山梨に住む理由は「楽しく暮らしたいから。いいものが身近にあることが『いい暮らし』だと思う。それを伝える仕事はみんなの役に立つし、自分の生活の中に溶け込み生業になっている」と分析する。
「東京では消費社会の一端を担うような仕事が多かったが、山梨では伝えたいという気持ちが強くなった。身近な人が作るモノに『いい』と思うものが多く、使いたくなるものが多い。それを伝えるためのツールである編集やデザインが大事だと再認識した。例えば『BEEK』で発酵をテーマに特集して改めて気付いたのは、知らなったから手に取らなかったものが多いこと。知っていると知らないのでは大きく違う。一般的に山梨と言えば富士山、桃、ブドウというイメージで織物やジュエリーの産地であることを知る人は少ない。発信が弱く情報が届いていないともいえる。そうした山梨の今を知りたいと思い、伝えるための道筋作り、メディアを通じてどう伝えるかは編集とデザインが重要になる」。土屋代表の仕事は編集とデザイン、その両方のスキルによってつくられている。
“ハタフェス”の仕事も「BEEK」が起点だった。「BEEK」を見た県職員から「織物を伝える冊子を作りたい」と依頼があり15年に織物のフリーペーパー「ルーム」を作った。「冊子だけでは伝わらないと地元の人に向けて『ルーム』の完成と織物を伝える音楽会を開催した」。そこに(富士吉田市経済環境部)富士山課の勝俣美香さんがたまたま訪れた。「勝俣さんに機織りにフィーチャーしたイベントを開催したいと相談されたが、即答はできなかった。ちょうどそのころ一緒に運営できそうな仲間(後にハタフェスを共同で運営することになる藤枝大裕と赤松智志)が移住を決めた。彼らを巻き込めばできるのではと思い依頼を受けることにした」。この4人が柱となり“ハタフェス”の運営が始まった。
産地観光で重視したのは「町のためになる仕組みに編集すること」
“ハタフェス”を運営するにあたり大事にしたことは「町のためになる仕組みに編集すること。機織りだけのイベントにするのではなく、町を知ってもらい、機織りを知ってもらうイベントにすること、来場者にも出店者にも街を楽しんでもらうことを重視した」という。24年で7回目(19年は台風で20年は新型コロナウィルスの感染拡大により中止した)を迎え、産地観光イベントの中でも成功例として挙げられるほどになった。「近年はイベントが終わっても交流が続き新たな取り組みが始まっている。“ハタフェス”を通じて富士吉田がいい街だと知り、新たに店を始める人が増えた。“ハタフェス”の会場には空き家を活用していたが、今は空き家が店になって会場探しが難しくなった(笑)。インバウンドの影響もあるが、宿が増え滞在してくれる人も増えた。通り過ぎる街ではなく楽しんでもらえる街になり、経済効果も生み出している」。
“ハタフェス”で来場者アンケートを取ると満足度が高かったのは意外にもフードだという。「“ハタフェス”ほど山梨の有名店が集まるイベントはないとも思う。“ハタフェス”は普段の僕らの活動が集約されているともいえる。イベントもメディアの一つで、それを無理なく作ることが大切」だという。地場産業は継承することとアップデートの2軸が大切
簡単ではない地場産業の継続に土屋代表はどう向き合っているのか。「長く続いているからといってそのまま続けることができるかというとそうではない。時代の変化はもちろん、土地自体も変わっている。僕たちのような立場の人はまず土地にあるニュアンスや文化を知ることから始まる。そして現場に行って交流する。そして継承することとアップデートしていく気持ちの2軸を持つことが重要になる。長く続いているからこそ簡単に手放せないものもある。だからこそ手放すものを間違ってはいけない。さまざまな視点を持ち丁寧に見ることが大切だ。ナガオカケンメイさんに言われてしっくりしたのが『街のお医者さんみたいだね』という言葉。特効薬を出すのではなく、寄り添って一つ一つを丁寧に見て取り組みながらアップデートしてよりよい方向に持っていくようなイメージ」。
地場産業がさかんな山梨に暮らしながら仕事をすることは「東京で仕事をしていたときよりもハードルが高いが、だからこそやりがいがある」という。「土地に関わるのは、その歴史に関わることでもあり、何かを左右しかねないから責任感が必要になる。そして、デザインはもちろん人を見る目を養う必要がある。何より、楽しみながら暮らせれば自分にできることや役に立ちたいと思うことが見つかる。だからこそスキルも磨かねばと思うし、東京にいる頃よりも成長できていると感じる」と話す。
土屋代表の手掛けるプロジェクトは関わり続ける仕事が多い。甲州市塩山の福生里集落の「98wines」もその一つで、土屋代表はブランディング、ロゴや建物のサインなどを担当した。その「98wines」は2024年、「ワールズ・ベスト・ヴィンヤード 2024」で49位にランクインした。「日本のワイナリーで唯一トップ50に入った。建築家やランドスケープをデザインする人、施工を行う人など、関わる皆で出し合ったアイデアで化学反応を起こせたように感じる」。選出理由は「ワインで土地文化を表現したことが評価されたのではないか」と分析する。「風景として根付く新しいものを作れたように感じる。昔から多い石垣を活用しながら、自然に寄り添ったものができたのではないか」。
地場産業継続の先に見据えること
地場産業は担い手不足が叫ばれて久しいが、仮に担い手を獲得した先に何を見据えればいいのだろうか。「楽しく暮らす人が増えること。地場産業に携わりながら自分らしい暮らしができると思ってもらえる風土が育つことではないか」という。「山梨に暮らすようになって豊かさを感じている。生活に組み込める気持ちいいモノが当たり前にあるというか。僕の場合は温泉がそのひとつ」と土屋代表はいう。「僕は山梨で自分らしい暮らしができている。消費を含めて地場にあるもので暮らしができているから。僕はあるものをそのまま使って遊ぶスケーターカルチャーが好きで、地場産業もその感覚に近いと感じている。ある環境を大事にして生かすことがこれから大事になってくるのではないか」。
The post 山梨を“伝える”インタウンデザイナー土屋誠 “ハタフェス”やワイナリーをブランディング appeared first on WWDJAPAN.
山梨を“伝える”インタウンデザイナー土屋誠 “ハタフェス”やワイナリーをブランディング
PROFILE: 土屋誠/BEEK DESIGN代表 アートディレクター

2016年から山梨県富士吉田市で毎年開催されるハタオリマチフェスティバル、通称“ハタフェス”。織物産業に光が当たる産地観光の成功例としても注目を集める。今年は10月19~20日に開かれ、過去最高の2万4000人が訪れた。その総合プロデュースを任され、チームづくりや骨格となるデザイン、出店者の選定、運営などを市役所と連携して行っているのが山梨県韮崎市を拠点に活動するBEEK DESIGNの土屋誠代表だ。2013年に山梨にUターンして「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトに活動し、山梨をアップデートし続けている。
自腹刊行のフリーペーパー「BEEK」からローカルの仕事が広がる
土屋代表は東京で9年間、編集者やデザイナー、アートディレクターとして働き、13年に山梨にUターンした。「もともと山梨に戻るつもりで、10年に東京で独立した後は山梨の仕事も手掛けていた」と振り返る。山梨でまず始めたのは「やまなしの人や暮らしを伝える」をコンセプトにしたフリーペーパー「BEEK」の創刊だ。「まずは僕自身が山梨の今を知るために始めた。楽しく山梨を知ろうと毎号テーマを設けて会いたい人に会いに行き、写真撮影から原稿の執筆、レイアウトデザインまで全部ひとりで行った」。東京で覚えた雑誌編集やデザインのスキルが役立った。最初は5000~6000部を発行し、現在1万部を発行する。
「半年に1回発行して4号出した頃には仕事の9割が山梨の案件になっていた」。Uターン直後は95%が東京の仕事だったというから、山梨の今を伝えたいという想いが形になった「BEEK」を通じてローカルの仕事が舞い込むようになった。「広告なしの自腹で始めた『BEEK』の対価はお金ではなく、人との出会いやつながりだった」。
身近にあるいいものを知って使う。その暮らしが続くことが「いい暮らし」
土屋代表は自身をデザイナーとは名乗らない。「朝日広告賞を受賞して東京っぽさを携えデザイナーとして山梨に帰ってきた。でも機織りやワインなどモノ作りはもちろん売るところまでを考えて取り組む人を見ていると彼らこそクリエイティブだと感じた。そして自分はデザインの本質がわかっていなかったと気づいた。それ以降デザイナーとは名乗れないと感じ、自己紹介を求められると『伝える仕事をしている』と答えるようになった」という。
山梨に住む理由は「楽しく暮らしたいから。いいものが身近にあることが『いい暮らし』だと思う。それを伝える仕事はみんなの役に立つし、自分の生活の中に溶け込み生業になっている」と分析する。
「東京では消費社会の一端を担うような仕事が多かったが、山梨では伝えたいという気持ちが強くなった。身近な人が作るモノに『いい』と思うものが多く、使いたくなるものが多い。それを伝えるためのツールである編集やデザインが大事だと再認識した。例えば『BEEK』で発酵をテーマに特集して改めて気付いたのは、知らなったから手に取らなかったものが多いこと。知っていると知らないのでは大きく違う。一般的に山梨と言えば富士山、桃、ブドウというイメージで織物やジュエリーの産地であることを知る人は少ない。発信が弱く情報が届いていないともいえる。そうした山梨の今を知りたいと思い、伝えるための道筋作り、メディアを通じてどう伝えるかは編集とデザインが重要になる」。土屋代表の仕事は編集とデザイン、その両方のスキルによってつくられている。
“ハタフェス”の仕事も「BEEK」が起点だった。「BEEK」を見た県職員から「織物を伝える冊子を作りたい」と依頼があり15年に織物のフリーペーパー「ルーム」を作った。「冊子だけでは伝わらないと地元の人に向けて『ルーム』の完成と織物を伝える音楽会を開催した」。そこに(富士吉田市経済環境部)富士山課の勝俣美香さんがたまたま訪れた。「勝俣さんに機織りにフィーチャーしたイベントを開催したいと相談されたが、即答はできなかった。ちょうどそのころ一緒に運営できそうな仲間(後にハタフェスを共同で運営することになる藤枝大裕と赤松智志)が移住を決めた。彼らを巻き込めばできるのではと思い依頼を受けることにした」。この4人が柱となり“ハタフェス”の運営が始まった。
産地観光で重視したのは「町のためになる仕組みに編集すること」
“ハタフェス”を運営するにあたり大事にしたことは「町のためになる仕組みに編集すること。機織りだけのイベントにするのではなく、町を知ってもらい、機織りを知ってもらうイベントにすること、来場者にも出店者にも街を楽しんでもらうことを重視した」という。24年で7回目(19年は台風で20年は新型コロナウィルスの感染拡大により中止した)を迎え、産地観光イベントの中でも成功例として挙げられるほどになった。「近年はイベントが終わっても交流が続き新たな取り組みが始まっている。“ハタフェス”を通じて富士吉田がいい街だと知り、新たに店を始める人が増えた。“ハタフェス”の会場には空き家を活用していたが、今は空き家が店になって会場探しが難しくなった(笑)。インバウンドの影響もあるが、宿が増え滞在してくれる人も増えた。通り過ぎる街ではなく楽しんでもらえる街になり、経済効果も生み出している」。
“ハタフェス”で来場者アンケートを取ると満足度が高かったのは意外にもフードだという。「“ハタフェス”ほど山梨の有名店が集まるイベントはないとも思う。“ハタフェス”は普段の僕らの活動が集約されているともいえる。イベントもメディアの一つで、それを無理なく作ることが大切」だという。地場産業は継承することとアップデートの2軸が大切
簡単ではない地場産業の継続に土屋代表はどう向き合っているのか。「長く続いているからといってそのまま続けることができるかというとそうではない。時代の変化はもちろん、土地自体も変わっている。僕たちのような立場の人はまず土地にあるニュアンスや文化を知ることから始まる。そして現場に行って交流する。そして継承することとアップデートしていく気持ちの2軸を持つことが重要になる。長く続いているからこそ簡単に手放せないものもある。だからこそ手放すものを間違ってはいけない。さまざまな視点を持ち丁寧に見ることが大切だ。ナガオカケンメイさんに言われてしっくりしたのが『街のお医者さんみたいだね』という言葉。特効薬を出すのではなく、寄り添って一つ一つを丁寧に見て取り組みながらアップデートしてよりよい方向に持っていくようなイメージ」。
地場産業がさかんな山梨に暮らしながら仕事をすることは「東京で仕事をしていたときよりもハードルが高いが、だからこそやりがいがある」という。「土地に関わるのは、その歴史に関わることでもあり、何かを左右しかねないから責任感が必要になる。そして、デザインはもちろん人を見る目を養う必要がある。何より、楽しみながら暮らせれば自分にできることや役に立ちたいと思うことが見つかる。だからこそスキルも磨かねばと思うし、東京にいる頃よりも成長できていると感じる」と話す。
土屋代表の手掛けるプロジェクトは関わり続ける仕事が多い。甲州市塩山の福生里集落の「98wines」もその一つで、土屋代表はブランディング、ロゴや建物のサインなどを担当した。その「98wines」は2024年、「ワールズ・ベスト・ヴィンヤード 2024」で49位にランクインした。「日本のワイナリーで唯一トップ50に入った。建築家やランドスケープをデザインする人、施工を行う人など、関わる皆で出し合ったアイデアで化学反応を起こせたように感じる」。選出理由は「ワインで土地文化を表現したことが評価されたのではないか」と分析する。「風景として根付く新しいものを作れたように感じる。昔から多い石垣を活用しながら、自然に寄り添ったものができたのではないか」。
地場産業継続の先に見据えること
地場産業は担い手不足が叫ばれて久しいが、仮に担い手を獲得した先に何を見据えればいいのだろうか。「楽しく暮らす人が増えること。地場産業に携わりながら自分らしい暮らしができると思ってもらえる風土が育つことではないか」という。「山梨に暮らすようになって豊かさを感じている。生活に組み込める気持ちいいモノが当たり前にあるというか。僕の場合は温泉がそのひとつ」と土屋代表はいう。「僕は山梨で自分らしい暮らしができている。消費を含めて地場にあるもので暮らしができているから。僕はあるものをそのまま使って遊ぶスケーターカルチャーが好きで、地場産業もその感覚に近いと感じている。ある環境を大事にして生かすことがこれから大事になってくるのではないか」。
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「コーセー」が大谷翔平選手と小林社長の対談動画を公開 スキンケアの重要性や2025年の抱負を語る
コーセーは1月7日、2023年からグローバル広告契約を結ぶ大谷翔平選手と小林一俊社長の新春対談動画をオウンドメディア“コーセー スポーツ ビューティー(KOSE SPORTS BEAUTY)”で公開した。2人はアスリートにとってのスキンケアや紫外線対策の重要性や、2025年の抱負と目標について語っている。
子どもたちの間でも“大谷効果”が
対談は小林社長がインタビュアー役になり、大谷選手にさまざまな質問を投げかける構成。小林社長が「優勝の瞬間は東京でテレビを観ていたのですが、やっぱり黙っていられなくなりまして、ロサンゼルスの方に駆けつけて、優勝パレードと球場でのセレモニーを拝見させていただきまして」と大谷選手が所属するロサンゼルス・ドジャースのワールドシリーズ優勝に触れると、大谷選手は「優勝セレモニーの時にお会いしてお話しさせていただいたのですが、わざわざ来てもらって、ありがとうございます」と微笑んだ。
スキンケアや紫外線対策の話題になると、大谷選手は「特に外でスポーツする人にとっては、⻑時間炎天下の中で、紫外線が強い中でプレーするっていうのは、将来的に考えても問題が起きてくる場合が多いと思うので、今のうちから対策することが非常に大事なことかなと思っています」とコメント。小林社長は「大谷選手の影響で、最近野球少年、野球少女をはじめとしてお母さんに言われても日やけ止めをなかなかつけなかった子どもたちが、ちゃんと日やけ対策や日やけ止めをつけるようになっているようです」と“大谷効果”について触れ、「スポーツする人が紫外線に対してもっとケアをしていく世の中を一緒に作っていけたらいいなと思っていますので、引き続き協力をお願いいたします」と語りかけた。
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【ARISAK Lab vol.1】韓国アーティスト・Lil Cherry 「ドクターマーチン」と歩くカルチャーの街
フォトアーティスト・ARISAKがファッション&ビューティ業界の多彩なクリエイターと共鳴し、新たなビジュアル表現を追求する新連載【ARISAK Lab】。初回に登場するのは韓国の若手ラッパー、リル・チェリー(Lil Cherry)。ブラセ(BLASE)との楽曲「Loadin’」のミュージックビデオを撮影するため来日した彼女と、ウィンターコーデのアクセントにぴったりな「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」のバッグ&ブーツをまとい、年末らしい賑わいを見せる中野の町でシューティング。
母手製のコスチューム&「ドクターマーチン」で
カルチャーの宝庫「まんだらけ」へ
デザイナーの母が作ったというコスチューム(!)と、「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」のバッグ&ブーツをまとい彼女が最初に舞い降りたのは、ジャパンカルチャーの宝庫「まんだらけ 中野」内「変や」。
赤い鳥居が印象的なエントランスの奥には、昭和レトロなビンテージグッズがずらり。懐かしの商品がならぶ一方、どこか近未来的なフロアのライトアップが衣装的だ。1LOOK目は「ドクターマーチン」のメタリックのバッグに合わせ、モノトーンのコーディネートでまとめた。エッジが効いたスタイルの中にハートモチーフを取り入れてガーリー感も演出。クールでワイルド、そしてキュートな一面を持つ彼女にぴったりのルックだ。
飲食店が集まる仲見世商店街へ
目的は“MUKKBANG!”(=モッパン)!
中野ブロードウェイでジャパンカルチャーを堪能したリル・チェリー。兄とのヒット曲「MUKKBANG!」にちなみ、次なる目的は “モッパン”!ディープな魅力溢れる新仲見世商店街へ。
バッグに合わせたシルバーのブーツで商店街を闊歩し、まず見つけたのはモクモクと湯気が立ち上がる「手造りの中華点心 茶寮」。寒い日にぴったりの肉まんをオーダーしご満悦。さらに言わずと知れた餃子チェーン「餃子の王将 中野店」でテイクオーダーし、熱々の餃子をペロリ。
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撮影の最後に辿り着いたのは「魚の四文屋 中野店」。忘年会をしていた団体と乾杯し、撮影終了。中野の街の皆さん、ご協力ありがとうございました!
PROFILE: リル・チェリー/アーティスト

INTERVIEW:リル・チェリー
WWD:ARISAKとの出合いとは?また彼女の作風についてどんなイメージを持つ?
リル・チェリー:ラッパーの兄を通じて出会った。ARISAKのクリエイティブが大好きで尊敬してるし、大切な友達!彼女の撮影現場はいつも楽しくて、東京で一緒にプロジェクトをやろうって何カ月もやり取りしてたから、こうして実現できてすごく嬉しかった。現場でモニターを見てる時から、2024年一番のお気に入りの撮影になるって確信してた!
WWD:今回の撮影のお気に入りスポットは?
リル・チェリー:「まんだらけ」の「変や」。すごく明るい、ゲームの世界みたいなフロア照明と鳥居が作る世界観が、私の立体ドレスを引き立ててくれたと思う。そして全体の雰囲気も、私とARISAKのビジョンに共鳴していたと感じる。もちろん、商店街でのモッパンも楽しかった!今回のトリップで、「東京では本当にモッパンが浸透しているんだ」って感じられた。
WWD:今日本で気になっている人は?
リル・チェリー:アメージングで、とても多様な独自性を秘めているアーティスト、アイショーナカジマ(Aisho Nakajima)!2025年にコラボレーションする予定なんだ。
WWD:ファッションブランド「ヤーントゥゴー(YARNTOGO)」のデザイナーである母、ラッパーの兄を持つが、家族との関係は自身のクリエイティブにどのように影響している?
リル・チェリー:全員が一緒に暮らしているから、家の中は常にクリエイティビティーで溢れていると思う。企画、縫製、プロデュース、作曲など、複数のプロジェクトを同時にこなすことまで全部。クリエイティブなパワーハウスとして家族が結集し、チームとして1つのルックを完成させたり、プロジェクトを完成させたりするときは、信じられないような気持ちになるんだ。母が作った服を見たら、絶対に恋に落ちてしまうと思う。そして今回着用した立体的なドレスは1番のお気に入り!
WWD:今回「ドクターマーチン」のシルバーのアイテムをセレクトしたが、選んだ理由は?
リルチェリー:フェスティブシーズンにはキラキラの商品が欠かせない。「ドクターマーチン」の商品がルックにきらめきを与えてくれたの。特に2つ目のルックは、ビーニーも含めてアクセサリーをシルバーに統一したかったから、まさにぴったりだった。
WWD:撮影の翌日12月7日は誕生日だったが、どのような1日を過ごした?
リル・チェリー:最高の誕生日を過ごせたと思う。早朝から自然と目が覚めて、まるで体が今日は私のための日だって知っていたみたい。午前中は音楽を聴きながら身支度をして、ゆっくり過ごした。午後は特に計画もなく、ただ原宿をぶらぶら歩き、東京という新しい環境に浸ったの。自由で刺激的な気分だった。その後Airbnbに戻って、友人と夕食に行く前に軽く昼寝をした。ディナーはシンプルだったけど、完璧!一日中、リラックスして特別な気分で過ごすことができた、最高の誕生日だった!
WWD:最後に日本の読者にメッセージを!
リル・チェリー:今年はもっと新しい音楽とヴァイブスがやってくると思う!楽曲「FUEGO O NADA」をぜひ聞いてね!
MODEL:LIL CHERRY
HAIR & MAKEUP:JUNA UEHARA
LOGO DESIGN:HIROKIHISAJIMA
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“部屋着にならない”アーティストTシャツを目指す ユニバーサルミュージックのグループ企業が手掛けるブランド「ユーミュージック」とは?
PROFILE: (左)山崎勇次(右)堀内伸彦/ブラバド部長

ユニバーサルミュージックはこのほど、ファッションライン「ユーミュージック(U/MUSIC)」をローンチした。「従来のツアーグッズとは異なる、ファッション性を追求したモノ作り」をうたい、まずは“部屋着にならない”アーティストTシャツやロンT、スエットなどを製造・販売。ビームスでの経験が長い山崎勇次氏と業務委託契約を結び、ユニバーサルミュージックのグループ傘下でアーティストの公式/公認グッズを企画・製造・販売するブラバドが手掛ける。「ユーミュージック」の仕掛け人に、ブラバドや従来のアーティストTシャツとは異なる商品へのこだわりなどを聞いた。
音楽とファッションの不可分な関係性
WWD:「ユーミュージック」のビジネスのカギとなるのが、傘下にあるブラバドだ。
堀内伸彦ブラバド部長(以下、堀内):ブラバドは、米ニューヨークに本社を構える、現在はユニバーサルミュージックのグループ企業だ。アーティストの公式/公認ツアーグッズなどを製作するほか、彼らの姿やロゴ、ジャケット写真など、アーティストにまつわる知的財産(IP)を活用した商品を作ってもらいライセンス料を頂戴するエージェンシーとしても機能している。「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」とジャミロクワイのコラボレーションが代表例だ。ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)など、200を超えるアーティストのIPを管理している。日本のビジネスは、ライセンス事業が8割だが、2023年からは来日するアーティストに関するグッズの企画や製造、販売を自ら手掛けている。来日期間中にはポップアップを開催するなどもしている。
WWD:「ユーミュージック」を立ち上げた経緯は?
山崎勇次(以下、山崎):長年勤めたビームスを退社する際、親交があったユニバーサルミュージックから「ブラバドが抱える豊富なアーティストを使ったビジネスを考えている」と話があった。そうそうたるラインアップにビジネスが大成する可能性を感じた。
堀内:ライセンスビジネスでは、例えばアーティストが来日するタイミングでのポップアップなど、我々が売り出したいタイミングで商品を企画・製作できないもどかしさを感じていた。このジレンマが「ユーミュージック」の立ち上げを後押しした。
WWD:さまざまな商品が考えられる中、まず「ユーミュージック」ではファッションに注力する。
堀内:これまでのライセンス先は、約9割がファッション企業だった。音楽とファッションは、切っても切れない関係。音楽がコレクションの着想源になることは珍しくない。
山崎:ビームスのバイヤーを務めていた頃から、音楽に着想した洋服を数多く見てきた。だから音楽とファッションの関係を、ツアーグッズだけに留めたくない。もともと、アーティストとのコラボをファッション業界に深く浸透できないかと考えていた。「ユーミュージック」での役割は、商品をディレクションするだけでなく、従来通りのライセンス事業も発展させてブランドとのコラボを仕掛けること。特に国内の中堅ブランドとアーティストとのコラボは少ないので、「ユーミュージック」が一助となれば嬉しい。
堀内:「ユーミュージック」が企画・製造・販売する洋服が広く認知されれば、さまざまなアパレルブランドにファッションと音楽の親和性が伝わり、ライセンス事業も今まで以上に活発になるだろう。
音楽とファッションが交錯するモノ作り
WWD :具体的に、どのような商品に仕上げたのか?
山崎:部屋着ではなく、一張羅として着られる商品を作りたかった。ブランドの核となるTシャツは、「フミト ガンリュウ(FUMITO GANRYU)」の丸龍文人デザイナーにパターンを依頼した。従来のツアーグッズとは一線を画す、ファッション好きにもアピールできるTシャツに仕上がったと思う。ツアーグッズでは大きくフロントプリントしがちなグラフィティーを、「ユーミュージック」ではバックプリントすることもある。ちょっとした機転でコーディネートに取り入れやすくなるはずだ。まずは半袖TシャツやロンT、スエットからスタートし、今後は重衣料や小物なども検討したい。
堀内:「部屋着になるか、ならないか?」は、「ユーミュージック」の“ブランド力”次第。そして「ユーミュージック」の“ブランド力”が高まり、アーティストのIPを活用した洋服が多くの人の日常生活に溶け込めば、アーティストのためにもなる。ゆくゆくは邦楽アーティストにも興味を持ってもらえるような存在になりたい。邦楽アーティストのブランディングはこれまで、海外公演をすることそのものだったが、ここ数年でビジネスとして成功させようという意識が生まれている。邦楽アーティストが海外進出する際にも、ファッションで後押しできるブランドになるよう育てたい。
従来のライセンスやロックTとの違い
WWD:これまでブラバドも手掛けてきたブランドコラボとの違いは?
堀内:コラボは、どうしても相手先のブランドストーリーに沿った商品作りになってしまう。一方「ユーミュージック」では、アーティストを軸に商品企画ができる。これは「アーティストの思いを適切に商品に落とし込む」という私たちの本懐。Tシャツのグラフィティーに興味を持った人がアーティストを好きになるなど、「ファッションから音楽へ」という人の流れを作りたい。
WWD:一方、市場にはすでにロックバンドのビンテージTシャツなどが存在し、近年ますます熱視線が注がれているように思う。
堀内:別のマーケットだと思う。時に消費者は重複するだろうが、既存の商品は歴史や希少性、「ユーミュージック」の商品はファッション性と、それぞれ別の魅力を放つものなので共存できる。むしろ、「ユーミュージック」の商品がビンテージとして後世も愛されるよう、モノ作りを追求したい。
山崎:「ユーミュージック」の目標は、あくまでファッションを入り口としてアーティストを知ってもらうこと。ロックバンドのビンテージTシャツを求めている人は、すでにアーティストが好きな人が大半だろう。商品を手に取る動機に大きな違いがあると思う。
WWD:販路やコレクション発表のタイミングは?
堀内:公式ECやユニバーサルミュージックストア原宿で販売するほか、セレクトショップへの卸売りやポップアップの開催も予定している。ファッションブランドのため、基本的にはシーズンごとにコレクションを発表する。一方、来日や周年など、音楽業界として見逃せないタイミングでは、カプセルコレクションの発表やポップアップの開催も可能だ。
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“部屋着にならない”アーティストTシャツを目指す ユニバーサルミュージックのグループ企業が手掛けるブランド「ユーミュージック」とは?
PROFILE: (左)山崎勇次(右)堀内伸彦/ブラバド部長

ユニバーサルミュージックはこのほど、ファッションライン「ユーミュージック(U/MUSIC)」をローンチした。「従来のツアーグッズとは異なる、ファッション性を追求したモノ作り」をうたい、まずは“部屋着にならない”アーティストTシャツやロンT、スエットなどを製造・販売。ビームスでの経験が長い山崎勇次氏と業務委託契約を結び、ユニバーサルミュージックのグループ傘下でアーティストの公式/公認グッズを企画・製造・販売するブラバドが手掛ける。「ユーミュージック」の仕掛け人に、ブラバドや従来のアーティストTシャツとは異なる商品へのこだわりなどを聞いた。
音楽とファッションの不可分な関係性
WWD:「ユーミュージック」のビジネスのカギとなるのが、傘下にあるブラバドだ。
堀内伸彦ブラバド部長(以下、堀内):ブラバドは、米ニューヨークに本社を構える、現在はユニバーサルミュージックのグループ企業だ。アーティストの公式/公認ツアーグッズなどを製作するほか、彼らの姿やロゴ、ジャケット写真など、アーティストにまつわる知的財産(IP)を活用した商品を作ってもらいライセンス料を頂戴するエージェンシーとしても機能している。「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」とジャミロクワイのコラボレーションが代表例だ。ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)など、200を超えるアーティストのIPを管理している。日本のビジネスは、ライセンス事業が8割だが、2023年からは来日するアーティストに関するグッズの企画や製造、販売を自ら手掛けている。来日期間中にはポップアップを開催するなどもしている。
WWD:「ユーミュージック」を立ち上げた経緯は?
山崎勇次(以下、山崎):長年勤めたビームスを退社する際、親交があったユニバーサルミュージックから「ブラバドが抱える豊富なアーティストを使ったビジネスを考えている」と話があった。そうそうたるラインアップにビジネスが大成する可能性を感じた。
堀内:ライセンスビジネスでは、例えばアーティストが来日するタイミングでのポップアップなど、我々が売り出したいタイミングで商品を企画・製作できないもどかしさを感じていた。このジレンマが「ユーミュージック」の立ち上げを後押しした。
WWD:さまざまな商品が考えられる中、まず「ユーミュージック」ではファッションに注力する。
堀内:これまでのライセンス先は、約9割がファッション企業だった。音楽とファッションは、切っても切れない関係。音楽がコレクションの着想源になることは珍しくない。
山崎:ビームスのバイヤーを務めていた頃から、音楽に着想した洋服を数多く見てきた。だから音楽とファッションの関係を、ツアーグッズだけに留めたくない。もともと、アーティストとのコラボをファッション業界に深く浸透できないかと考えていた。「ユーミュージック」での役割は、商品をディレクションするだけでなく、従来通りのライセンス事業も発展させてブランドとのコラボを仕掛けること。特に国内の中堅ブランドとアーティストとのコラボは少ないので、「ユーミュージック」が一助となれば嬉しい。
堀内:「ユーミュージック」が企画・製造・販売する洋服が広く認知されれば、さまざまなアパレルブランドにファッションと音楽の親和性が伝わり、ライセンス事業も今まで以上に活発になるだろう。
音楽とファッションが交錯するモノ作り
WWD :具体的に、どのような商品に仕上げたのか?
山崎:部屋着ではなく、一張羅として着られる商品を作りたかった。ブランドの核となるTシャツは、「フミト ガンリュウ(FUMITO GANRYU)」の丸龍文人デザイナーにパターンを依頼した。従来のツアーグッズとは一線を画す、ファッション好きにもアピールできるTシャツに仕上がったと思う。ツアーグッズでは大きくフロントプリントしがちなグラフィティーを、「ユーミュージック」ではバックプリントすることもある。ちょっとした機転でコーディネートに取り入れやすくなるはずだ。まずは半袖TシャツやロンT、スエットからスタートし、今後は重衣料や小物なども検討したい。
堀内:「部屋着になるか、ならないか?」は、「ユーミュージック」の“ブランド力”次第。そして「ユーミュージック」の“ブランド力”が高まり、アーティストのIPを活用した洋服が多くの人の日常生活に溶け込めば、アーティストのためにもなる。ゆくゆくは邦楽アーティストにも興味を持ってもらえるような存在になりたい。邦楽アーティストのブランディングはこれまで、海外公演をすることそのものだったが、ここ数年でビジネスとして成功させようという意識が生まれている。邦楽アーティストが海外進出する際にも、ファッションで後押しできるブランドになるよう育てたい。
従来のライセンスやロックTとの違い
WWD:これまでブラバドも手掛けてきたブランドコラボとの違いは?
堀内:コラボは、どうしても相手先のブランドストーリーに沿った商品作りになってしまう。一方「ユーミュージック」では、アーティストを軸に商品企画ができる。これは「アーティストの思いを適切に商品に落とし込む」という私たちの本懐。Tシャツのグラフィティーに興味を持った人がアーティストを好きになるなど、「ファッションから音楽へ」という人の流れを作りたい。
WWD:一方、市場にはすでにロックバンドのビンテージTシャツなどが存在し、近年ますます熱視線が注がれているように思う。
堀内:別のマーケットだと思う。時に消費者は重複するだろうが、既存の商品は歴史や希少性、「ユーミュージック」の商品はファッション性と、それぞれ別の魅力を放つものなので共存できる。むしろ、「ユーミュージック」の商品がビンテージとして後世も愛されるよう、モノ作りを追求したい。
山崎:「ユーミュージック」の目標は、あくまでファッションを入り口としてアーティストを知ってもらうこと。ロックバンドのビンテージTシャツを求めている人は、すでにアーティストが好きな人が大半だろう。商品を手に取る動機に大きな違いがあると思う。
WWD:販路やコレクション発表のタイミングは?
堀内:公式ECやユニバーサルミュージックストア原宿で販売するほか、セレクトショップへの卸売りやポップアップの開催も予定している。ファッションブランドのため、基本的にはシーズンごとにコレクションを発表する。一方、来日や周年など、音楽業界として見逃せないタイミングでは、カプセルコレクションの発表やポップアップの開催も可能だ。
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注目のミュージシャン、クレア・ラウジーが奏でる「エモ・アンビエント」 ジャンルに縛られない音楽づくり
現在はロサンゼルスを拠点に活動し、2010年代の終わり頃からフィールド・レコーディングやミュージック・コンクレートを使った実験的な作品をつくり続けてきたクレア・ラウジー(claire rousay)。その彼女が一転、この春にリリースした最新アルバム「sentiment(センチメント)」では、自身のボーカルとギターを大きく取り入れたアプローチへと音楽のスタイルを更新。いわく“エモ・アンビエント”を標榜するナイーブで内省的なムードをたたえたサウンドと歌によって、インディ・フォークのシンガー・ソングライターも思わせる彼女の新たな作家性を強く印象づけた。その「sentiment」を携えて先日行われた、「FESTIVAL de FRUE 2024」への出演を含む初めてのジャパン・ツアー。彼女ひとり、機材の傍らでギターを構えて歌うショーは、アンビエントな電子音の響きとオートチューンの揺らぎが共鳴するようにしてステージを包み、ベッドルームを写した「sentiment」のアートワークさながらプライベートで親密な空気にあふれたものだった。
その東京公演の翌々日、渋谷のバーでラウジーに話を聞いた。彼女にとって聖域でありイマジネーションの源泉である「ベッドルーム」について、アンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージック・シーンとのつながり、そしてセルフケアやタトゥーのこだわりまで。話題は多岐にわたり、音楽性が変遷する中で彼女自身もまたどんな変化を辿ってきたのか、それが分かるテキストになっていると思う。
日本でのライブと「ベッドルーム」
——先日のショーを拝見したのですが、あなたの音楽が伝える親密なムードが感じられてとても良かったです。
クレア・ラウジー(以下、クレア):素晴らしい経験でした。あの会場は世界的にも知られた場所だし、アメリカからわざわざ聴きに来てくれた人もいたみたいで。海外での演奏とはまた違った感覚を得られて感動しました。
——海外のショーでは、自分の部屋を再現したセットをステージ上に組んでライブをされると聞いていたので、先日も期待していたところがあったのですが。
クレア:残念なことに、そのセットは飛行機で輸送中に壊れてしまって、今回のツアーに持ってくることができなかったんです。家で直そうとしたのですが、ここに来るまでに間に合わなくて。それで、新しいものを注文したところ、届くのが遅れてしまい……だから、今度のヨーロッパ・ツアーの一部も“ベッドルーム”なしでやることになると思います。
——そもそも、ステージ上にベッドルームを再現するというアイデアは、どういうところから生まれたものだったのでしょうか。
クレア:アルバム(「sentiment」)のジャケット写真にインスピレーションを得たアイデアでした。あれはスタジオ内につくったベッドルームだったのですが、あの空間でライブをやってみたいと思って。今回のアルバムに収録された曲のほとんどは自分のベッドルームでレコーディングしたもので、その時に感じた心地良さや親密な感覚をライブ・パフォーマンスにも取り入れたかったんです。自宅でつくった音楽を、ライブでそのまま再現できたら最高だろうなって。
——「sentiment」のジャケット写真は、あの作品のストーリーやムード、そしてサウンドの質感を象徴的に捉えた一枚だったと思います。実際、どのようなコンセプトをもってあのベッドルームはつくられたのでしょうか。
クレア:あの写真は、これまでに住んだベッドルームを全て組み合わせたような部屋をイメージしたものでした。だから、ちょっと子どもっぽい自分の側面と、今の大人になった自分とが混じり合った、少し不思議な感じのベッドルームになっていると思う。今回のアルバムに収録されている曲は、本当に長い時間をかけてつくられたものでした。なので、その間の自分の人生における全ての経験と、曲が書かれたさまざまなベッドルームの雰囲気を詰め込んで、一つの完璧なバージョンをつくりたかった。全ての曲が、10年以上かけていろんな場所で生まれたように、音楽と私の人生をつなげて、このアルバムとジャケット写真を通じて一つの作品として表現したかったんです。
——抽象的な聞き方になりますが、クレアさんにとって「ベッドルーム」はどんな場所だと言えますか。そこは他人が立ち入ることのできない聖域であり、世界とつながる場所でもあり、何よりイマジネーションの源泉となるような空間でもあると思いますが。
クレア:私にとっては、何よりも想像力が膨らむ場所です。自分の場合、音楽のアイデアを考えたり、人生のことを思い描いたりするときは、いつもベッドルームで過ごしていました。それに、ポップ・カルチャーの中で自分が好きなものの多くは、ベッドルームから生まれています。1960年代や70年代の有名なロック・スターたち——特にニューヨークのチェルシー・ホテルに住んでいたミュージシャンのベッドルームの写真が大好きで、とてもクールだなって。自分とはまったく違う世界を生きていて、けれどプライベートで親密な空気が感じられて、そんな想像と現実が混じり合ったような感じに惹かれます。だから自分もベッドルームで音楽をつくっている時には、そんなロック・スターの気分がちょっと味わえたりして(笑)。
——確かに、「sentiment」のジャケット写真は、パティ・スミスの初期の作品、例えば「Horses」や「Wave」を思い起こさせるところがあると思います。
クレア:そうですね(笑)。そうかもしれない。
——ちなみに、クレアさんの中で「ベッドルーム」から連想する音楽のイメージって何かありますか。
クレア:若い頃は“ベッドルーム・ポップ”というジャンルにハマっていました。Tumblrでベッドルームで音楽をつくっている人たちの写真を集めたり——クリスタル・キャッスルズの、あの雑然とした感じとか。今はあまり聴かないし、特別に影響を受けたりしたわけではないのですが、すごくパーソナルな自分の日常を特別なものに見せてくれるあの感じがすごく好きだったんです。
——例えば、「ベッドルーム」発の素晴らしい音楽を残しているアーティストとして、エリオット・スミスやスパークルホース、キャット・パワーなんかも挙げられますが、そのあたりはいかがでしょうか。
クレア:そうですね。前に何かで、エリオット・スミスのセカンド・アルバム(「Elliott Smith」、1995年)のレコーディングの話を読んだことがあって。友達の家を借りてレコーディングしていた時に、他の部屋やアパートからの音が入ってしまうため録音が中断されることがあって、タイミングを待たなければならなかったそうで。だから彼らの音楽には、周りの音とか生活の雑音とかがそのまま混ざっていて、外の世界とのつながりがすごく感じられるというか、自分だけの時間じゃなくて、周りの人の時間を共有してるような感覚があって。それって、彼らが自分の人生を音楽にぶつけているってことなんだと思う。そして、スパークルホースやキャット・パワーも、自分が好きなアーティストの作品にはそうした感覚を先取りしていたところがあったように思います。「sentiment」をつくっている時も同じような感覚があって——世界から切り離されていながら、少しだけつながっているような、そんな風に感じるところがあったんです。
「ヴェイパーウェイヴ」と「ハイパーポップ」
——ところで、クレアさんは「ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave)」って聴いていたりしましたか。というのも、以前クレアさんがモア・イーズと共作した「Never Stop Texting Me」のリリース元である「Orange Milk」はヴェイパーウェイヴの総本山的なレーベルだったこともあり、興味の対象だったりしたところもあるのかなと思って。
クレア:面白いと思う。実際、あのアルバムをつくっている間は「Orange Milk」の作品をよく聴いていました。でも、ヴェイパーウェイヴ全般がっていうよりは、「Orange Milk」が好きって感じかな。ただ時々、彼らが新しい作品を出すと、「あ、これはちょっと〈Orange Milk〉すぎるな」って思うことがあって(笑)。中にはカオス過ぎて自分にはついていけないと思うような作品もある。あちこちから同時にすごく抽象的な音が飛び込んできて、誰かにベッドルームをめちゃくちゃにされているような感覚というか(笑)。レーベルの共同運営のセス(・グラハム)とはとても仲が良くて、会うたびに新しい音楽をいろいろ教えてくれます。
——「ハイパーポップ」についてはどうでしょう? その「Never Stop Texting Me」は、サウンド的にはヴェイパーウェイヴというよりむしろハイパーホップとの比較で評価された作品だったように思います。
クレア:ハイパーポップはどれも大好きです。今はすごい人気で、チャーリー・xcxなんてロック・スターみたいな感じだけど、昔はもっとマイナーでアンダーグラウンドで、知る人ぞ知るって感じの音楽だった。あの頃のハイパーポップって、まるで培養器の中でどんどん変化し続けるウイルスみたいで、新しいものが次々に生まれてくるのを見るのがすごくクールで面白くて。でも今は、ハイパーポップがメジャーになりすぎて、一つのスタイルが確立され、誰もが同じスタイルを模倣しようとするようになってしまった気がする。5年前、つまり「Orange Milk」でマリ(モア・イーズイ)と一緒に音楽をつくっていた頃は、ハイパーポップってもっと自由で、なんでもありの無法地帯だった。だけど今は、みんなが“ハイパーポップな感じ”にするための公式に従っているように感じる。多くのハイパーポップはクールで最高だと思うけど、今の有名なアーティストの中には、ポップ・スターみたいにハイパーポップを扱っている人もいて。90年代にグランジがコマーシャライズされたみたいに、ハイパーポップもそうなってる感じがするというか。一つの音楽にみんながハマり過ぎると、その音楽のクールさが薄れてしまうのかもしれないですね。
実験的なサウンドへの志向
——「sentiment」と異なり、それまでのクレアさんの作品ではミュージック・コンクレートやフィールド・レコーディングを主体とした音楽が多く占めていましたが、そもそもそうした実験的なサウンドを志向するようになったのはどのようなきっかけからだったのでしょうか。
クレア:そのような音楽って、多くは控えめで繊細な印象が自分の中にはあって。自分の場合、その対極にあるようなエクストリームでラウドな音楽——マス・ロックやノイズ・ミュージックなどを通じて実験的な音楽に触れてきました。なので、同じくらい実験的で先鋭的でありながら、まったく反対の方向に振り切ったような音楽を探していたんです。
そんな時にマリと出会って、周りが誰も知らないようなディープでマニアックな音楽があることを教えてくれて。「5年後には流行るかもよ」って(笑)。彼女はアンビエント・ミュージックやミュージック・コンクレート、そしてローアーケース・ミュージック(※アンビエント・ミニマリズムの極端な形式)に詳しくて、しかもとても深いレベルで理解していた。それでマリが勧めてくれる音楽を聴くようになって、即興音楽やノイズ・ミュージックみたいな音楽をやっていた自分が、対極にあるようなスローで内省的な音楽にも興味を持つようになった。彼女のおかげで、新たな音楽の世界が広がったんです。
——興味を引いたのはどんなアーティストや作品でしたか。
クレア:グラハム・ラムキンやクリス・コール、それにオーレン・アンバーチのレーベル「Black Truffle」がリリースしている作品はどれも刺激的でした。個人的には、フィールド・レコーディング系の作品が好きでした。それと、前に住んでいたテキサスのオースティンに「Astral Spirits」というレーベルがあって、そこを運営しているネイト・クロスとは親友なんです。そのレーベルの初期のリリースの中には、マリが教えてくれたようなエレクトロ・アコースティック系の音楽に近いものがたくさんあって、よく聴いていました。
——クレアさんのBandcampに大量にアップされているような、フィールド・レコーディングの作品をつくるようになったのも、そうした音楽を聴き始めるようになってからですか。
クレア:たぶん2017年頃からだと思います。本格的にフィールド・レコーディングに興味を持ち始めたのは。Bandcampで「ミュージック・コンクレート」や「フィールド・レコーディング」のタグがついた音楽を探し回っていたら、ローレンス・イングリッシュが主宰するレーベル「room 40」を見つけたんです。それで彼の作品に出会い、フィールド・レコーディングの世界にドップリとハマって。フィールド・レコーディングって、音楽制作というだけでなく、自分だけの芸術的な探求みたいなものだって気づいたんです。とても神聖な作業であり、自分の心を揺さぶり、脳を興奮させるような体験が一人でできる。その時、これこそ自分が本当にやりたいことだって思ったんです。
新作「sentiment」での変化
——そこから、今回の「sentiment」のような自身のボーカルを使った音楽制作を始めるようになったのは、何がきっかけだったのでしょうか。
クレア:そこもまたマリのおかげで(笑)、ポップ・ミュージックや“歌もの”をつくってもいいって、最初に認めてくれたのが彼女でした。「大丈夫、興味があるなら何でもやりたいことをやればいい。一つのことにとらわれる必要はない」って。例えば、今やっている「sentiment」のような音楽が好きな人がいれば、それ以前に自分がつくっていたような音楽が好きな人もいる。多くの人は、一度成功した音楽ジャンルに固執しがちで、でもマリは、「みんなが好きな音楽じゃなくてもいいし、自分がやりたい音楽をやればいい」って言うんです。そのマリの言葉で、他の人の好みを気にせず、自分の好きな音楽をつくればいいんだって気付いたんです。
今のツアーはとても充実していて、歌を歌ったり「sentiment」の曲をライブで演奏したりできている機会にとても感謝しています。でも、今の自分が何に興味があるかというと、音楽的な関心はすでにその先へと向かっていて。例えば、最近完成したばかりの5時間の音楽は「sentiment」とは異質で、とてもスローで、実験的で、ミュージック・コンクレートやフィールド・レコーディングのようなものに近い。だから、自分が今、そういう(「sentiment」みたいな)音楽しかつくっていないと思わないでほしいというか、実験的な音楽が好きな人たちも私のことを忘れないでほしい(笑)。“彼ら”のための音楽もある。つまり、一つのジャンルに縛られなくても、いろんな音楽を自由に作ってもいいっていう話なんです。
——ただ、「sentiment」での変化の背景には、歌を通して伝えたいことが生まれた、歌声を使わなければ伝えられないことがあることに気付いた、という意識もあったのでは?
クレア:自分にとって音楽は、何かを具体的に表現したいという気持ちから始まったものでした。最初はドラムの即興演奏から入って、もっと直接的でリアルな音を出したいと思ってフィールド・レコーディングに切り替えた。でも、まだ何かが足りない気がして、ドローンやアンビエント・ミュージックを使ってストーリーを語るような音楽をつくってみた。ただ、それでもまだ十分ではなかった。それは、ある種の“弱さ”や“脆(もろ)さ”がそこに欠けていたんです。だから次に、フィールドレ・コーディングの上に歌を重ねてみて、さらにその上でギターを弾いて歌うことにした。それでようやく、自分が本当に表現したいものが形になったと手応えを感じることができました。
さっきも話した通り、自分の関心はすでに次に向かっています。ただ、「sentiment」においては、当時の私が、自分の感情や創造的な意図を可能な限り具体的に表現したいという強い願望を抱いていたからこそ、あのようなアプローチを取ったと考えています。
——その新たな音楽スタイルを模索する中で、自分の歌声をつくり上げていく過程というのは、クレアさんにとってどんな時間だったのでしょうか。自分の内面と向き合う作業だったのか、それとも、オートチューンの使用に見られるようにテクニカルな側面が大きかったのか。
クレア:どちらかというと後者でした。そこはやはり、オートチューンとの出会いが大きかったと思います。 フィールド・レコーディングで多くの音楽をつくっていた頃は、生の音をそのまま使いたくて加工にはあまり手を出していなかったのですが、ただ、オーディオ・プロセッシングにはとても興味があって。自分の感性に合った音の加工方法を探求したいと思ったんです。フィールド・レコーディングを加工するのも面白いですが、自分としては、人間の音声を操作して、人間離れしたサウンドをつくることに魅力を感じていました。それで、オートチューンを使った声とギターの音をどう組み合わせたら面白いハーモニーになるか、みたいなことに興味を持ち、いろいろな実験を始めるようになりました。自分は元々、リスナーとして“歌”のある音楽が好きだったので、そういった音楽をつくるためのオーディオ・エンジニアリングは自分への一つの挑戦でもありました。でもそのおかげで、歌と激しいプロセシングを組み合わせた、自分だけの音楽をつくれるようになったと思います。
——オートチューンを使って加工された声は、何か包み込むようなベッドルーム的なイメージを想起させると同時に、ジェンダーの揺らぎを表現するアプローチとしての側面もあるように思います。
クレア:両方あると思います。例えば、ハイパーポップには、オートチューンを使ってジェンダーやジェンダー・アイデンティティーについて実験している人たちがたくさんいます。これは10年ほど前から続いているトレンドです。そして、オートチューンを使って理想のサウンドをつくり出すという行為には、社会の規範に当てはまらない人たちが集まって、自分たちだけのコミュニティーや安全な場所みたいなものをつくり出すという側面があると思う。
例えばポップ・ミュージックの制作において、オートチューンの目的は可能な限り完璧なものをつくるためのツールとして使われることが多い。オートチューンは、完璧なメロディや歌い方をするために修正してくれます。 だから同時に、完璧なメロディや歌い方から外れると、自分が完璧でないことを思い知らされるというか、その完璧さの裏側にある人間の不完全さを見せつけるものでもあって。そんな矛盾が魅力なのかもしれない。人を楽しませるための、ちょっと皮肉が混じった遊びみたいな。完璧なはずなのに、どこか不自然で、だけど人間らしさが感じられる――それが面白いと思う。
セルフケアやアートワークについて
——セルフケア、心身のメンテナンスで心掛けていることは何かありますか。
クレア:そうですね、いろんなところを飛び回っているので、身体が常にジェットコースターに乗ってるみたいになってしまっていて。だから、家にいる時はなるべく身体を休ませるためにいろいろしています。ツアー中も、ホテルに泊まる時は必ず入浴剤を持ち歩いていて、毎晩、寝る前には30分くらい瞑想して身体を落ち着かせて。そして寝る時は、アイマスクをして、背中にホットパックを貼って、膝の下に枕を2つ挟んで寝ている……ちょっと変わってますよね(笑)。部屋も真っ暗にして、壁も窓も遮光して、完全に外界を遮断しないと眠れないんです。それとベッドにはこだわりがあって、特にシーツは高品質のものを選んでいます。朝はストレッチをたっぷりして、保湿剤を塗ったりパックする時間も、自分と向き合うことができる大切な時間なんです。自分は元々、そういうことは全然しないタイプで。詳しい友達がいて、彼女に教えてもらうまで、自分の身体を大切にすることってこんなに心地いいものだって知らなかった。以前は、移動もカバン一つで、たばこを吸ったり、一晩中お酒を飲んで、どうにでもなれ、みたいな感じで(笑)。でも今は、自分自身をケアするためのアイテムで、旅行カバンがほぼ埋まるくらいです。
——アーティスト写真や「sentiment」のアートワークではタトゥーも目を引きますが、どんなこだわりがありますか。
クレア:アメリカの伝統的なタトゥーが好きなんです。最初に彫ってもらったのは、ランディ・コナーというタトゥー・アーティストで、彼のスタイルは独特で、新しい形の伝統的なタトゥーという感じでとても繊細で素晴らしい。その後、彼に弟子入りしていたベン・フィルダーっていうアーティストにも彫ってもらって、さらに彼の弟子であるブランドンのタトゥーも足にあります。彼らは互いに影響し合っていて、だからある意味、自分は彼らのグループの実験台になったようなもので(笑)。実はこの夏にも、お腹に大きなタトゥーを入れたいと思っていたのですが、でもツアー中だからちょっと怖くて、それに大きなタトゥーを入れたらしばらく休まなければいけなくなるかもしれないので、今のところ保留にしていて。タトゥー仲間は他にもたくさんいて、みんなそれぞれ個性的なスタイルだから見ているだけでも楽しいです。
タトゥーを彫ってもらう時は、その人がどんなものに興味を持っているかとか、普段どんな絵を描いているのかとか、そういう話をよくします。そうすると、その人が得意なスタイルで、自分にぴったりのデザインを考えてくれる。だからタトゥーって、ただ単に自分の身体に作品を彫るというだけではなく、アーティストとの信頼関係とか、その時の自分自身の気持ちとか、いろんなものが詰まっているんです。
——ちなみに、気分が落ちた時はあえてメランコリックなソングライターの曲を聴くそうですが、おすすめはありますか。
クレア:そうですね……グルーパーかな。あれは究極の悲しい音楽だと思う。私は悲しい時、だいたい2パターンの音楽を聴くんです。グルーパーやエリオット・スミス、スパークルホースみたいなメロウな音楽か、セシル・テイラーみたいな燃え盛るフリー・ジャズを聴くか(笑)。お風呂でエリオット・スミスを聴きながら泣くと気分が落ち着くし、セシル・テイラーをかけると狂ったように心がかき乱されて解放されていくような感覚になる。だから、この2つの極端な音楽を交互に聴くことで、感情を浄化しているのかもしれない。
——先日のライブではアンコールで「Sigh In My Ear」を演奏する際に、「悲しい歌だからあまり歌いたくない」とMCで話していましたね。「Sigh In My Ear」は、音楽のスタイル的に「sentiment」への導線となった曲でもありますが、どんなエピソードがある曲なんでしょうか。
クレア:あの曲は自分で書いてレコーディングしたのですが、そのプロセス全体はとても楽しくていい経験でした。でも、完成してしばらく経ってから、その曲の本当の意味に気付いたんです。曲の前半は演奏してもいい感じなんですが、実は後半部分には、私の知り合いで、手首を切って自殺した人のことを書いた歌詞があって。だから、ライブで演奏するたびにその友達のことを思い出してしまって、すごく辛くなって。それに、ショーでこんな暗い曲を演奏するのは、ちょっと違うんじゃないかって思うようになったんです。観客にこんな悲しい歌を聴かせるのは、あまりにも残酷だって。
ただ、あの曲はやっぱり自分にとって特別な曲で、演奏するのはすごく勇気がいることでしたが、せっかく日本でのライブだったので、ここに来てくれたみんなに何か特別なことをしたいという思いがあったんです。
PHOTOS:TAKUROH TOYAMA
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元・銀ホスのアパレルプレスが語る仕事論 「今も“結果が全て”の世界だと思ってる」
世間では“水商売”呼ばわりされることもあり、人前では隠したくなるような経歴かもしれない。なのにそれを堂々と言ってのけるのは、バーンデストローズジャパンリミテッドの「スウィングル(SWINGLE)」でプレスを務める室薫さん(28)だ。
20代前半に六本木でキャバクラ、銀座でホステス業を経験したのち、アパレルプレスに転身。銀ホス時代には、企業社長など錚々たる上顧客と接する中で「人に信頼されること」「結果を出すこと」の大切さを学んだ。それは、アパレル業界で働く今も生きているという。
WWD:まず、経歴について教えてほしい。
室:美容の専門学校を卒業後にエステティシャンとして、その後は外資系ブランドの美容部員として働きました。バーンデストローズへの入社は2020年5月。小田急百貨店に店舗(現在はクローズ)がオープンするタイミングで、オープニングメンバーとして採用募集に応募しました。販売をしていたのは1年と少し。21年8月にプレスに異動になりました。
WWD:夜の仕事をしていたのは?
室:エステティシャン時代にお給料が少なかったので、職場にはヒミツにして六本木のキャバクラで働いていたんです。美容部員になってからも密かに続けていました。もう時効だと思って言いますが。あ、今は誓ってやっていないですよ(笑)。
大のお酒好きで、キャバクラでは遊び感覚で働いていたので、つい飲みすぎてしまっていました。次の日は二日酔いや、寝ないで出勤することもザラ。そのうち結果が出るにつれて、キャバクラの方がだんだん楽しくなってきてしまって。それと美容部員をやっているうちに、働いているブランドのことは好きだけど、メイク自体はそんなに好きじゃないかも?と気がつきました。何を今更って感じだったでしょうね。
入ったばかりの頃は、お客さまからわざわざお礼のメールをいただくほどの優良スタッフだったんですよ。辞めることを決めたときには、いただくのはクレームばかりになっていましたが。飽き性ということもあって、だんだんモチベーションが下がってしまって、キャバクラ一本で行こうと決めたんです。
WWD:ホステスになったきっかけは?
室:キャバクラのお客さまが、銀座でもよく遊んでらっしゃった方で。その方が「ホステスに向いているんじゃない?」と斡旋してくださったんです。それに、お客さまからの紹介の方が待遇もよかった。いいきっかけをいただけたと感じて、3つほどお店を回って決めました。
WWD:どんな店だった?
室:銀座のクラブ街では、いわゆる“老舗”の高級店でした。地下1階にあって、完全紹介制。実はクラブってワインやシャンパンボトルを派手に頼まなければ、時間制のキャバクラとかよりも全然リーズナブルなんですけどね。ただワインやシャンパンボトルは少なくとも1本10万円しますし、平均客単価は20〜30万円くらい。派手な遊び方をする、いわゆる“成金”のような方はいない、落ち着いた店でした。
若さとノリではついていけない世界
WWD:室さんのウリはなんだった?
室:若さとノリ(笑)。当時の私は22歳。銀座という立地もあって周りはだいぶお姉さんだったので、「同伴いつでも行けます!」「アフターも行けます!」ととにかくアピールしていました。クラブは土日休みだったんですが、オフの日もよくお客さまのご飯にお付き合いしていましたね。回らないお寿司屋さんで、100万円くらい使う方もいました。何かの部品の会社を経営されている方だったと思います。
WWD:辞めたきっかけは?
室:さっきと真逆なことを言うんですけど、ノリと若さだけで生きていけるほど、甘い世界ではなかったからですね。私の成績は、よかったときでも真ん中くらい。夜のお仕事でも、私のように夕方まで寝ているって人は、「結果を出している人ほど」いませんでした。大体みんな朝早く起きて、お客さまにラインであいさつをして、優雅にペットの散歩をしている。そういう中身の部分って、見抜かれるものだと思うんですよ。お店に来られる方は経営者も多いので、お客さまと同じ目線でできるよう、勉強も欠かさない。キラキラしているけれど、陰ですごく努力している人が多かったです。
それから、細やかな配慮も大事でした。銀座のクラブは接待での来店も多くて、そういう方々は大事な「仕事の場」として利用されている。だから私たちも楽しんでいただくだけでなく、場をうまく回す潤滑油にもならなきゃいけない。私のように、飲みすぎてお客さまのテーブルで粗相して、スタッフからブチギレられるなんてもってのほかでした。
WWD:今の室さんからは、ちょっと想像がつきませんね。
室:あはは(笑)。努力や気遣いのできるホステスさんたちが認められ、他の方へ紹介され、数珠繋ぎのようにお客さまが増えていく。そうやってのし上がっていく世界です。私にはプライベートで遊んでいただけるお客さまが一定数ついても、接待では使われなかったのは、多分「そういうこと」だったんだと思います。それでだんだん自信を失って、気分も落ちていって、ある日同伴の食事でご飯の味がしなくなったんです。きっと、限界だったんですね。その時はちょうどコロナが流行り始めて営業が制限され、銀座の夜の街にも光が灯らなくなっていた時期。先が見えない中で、夜の仕事から足を洗う決意をしました。
WWD:なぜアパレルに?
室:専門学校時代に有楽町マルイでアパレルのアルバイトをしていて、本当に楽しかったんです。服を売りたいという思いがまた芽生えていました。アルバイト時代の有楽町マルイの同じ階に「スウィングル」があったのを思い出して。次に働くならお姉さん向けブランドだと思っていましたし、ちょうど小田急新宿店の新店スタッフの採用をしていたので、思い切って応募しました。
ただやっぱり面接の時に突っ込まれたのが、夜の仕事をやっていた「空白期間」。これはもう隠しても仕方ないと思って、水商売をしていたことを正直に明かしました。ダメかと思いましたが、受かってびっくり。後から聞いた話では、上層部が「私を採用するか」という話になった時、「嘘をつかない素直さがいい」ということになったようです(笑)。
「絶対に社内ナンバーワンブランドにしたい」
WWD:銀ホスの経験は生きた?
室:やたらと“結果”にこだわるところでしょうか。小田急新宿店はそんなに客足が多い店ではなかったですが、それでもなんとか数字につなげようと、もがいていました。銀座のホステスは売り上げが全てで、性格とか人柄は関係ない世界。月末に成績表が張り出されて、結果次第では「がんばったね」と褒められるし、表の下の方にいる人は、まるで人権がないみたいな扱い。結果を出さないと、お店にいられなくなるし、うかうかしていると、私よりも新しい子がどんどん入ってくる。
それは、私がホステス業に参ってしまった原因でもあるんですが、ただアパレルでもそれと似た面があると思っていて。「弱肉強食」の世界にいることは、常に自覚しています。プレスに移ってからも、このポジションを目指している子は多いと思うから、安泰とは思っていない。だからやっぱり、“結果”には固執してしまうんです。
WWD :プレスは、数字としての成果が見えづらいポジションにも思える。
室:プレスの仕事の一つがビジュアルの撮影ですが、そのクオリティーにこだわると、ECの売り上げが急に伸びることもあります。話題性のあるコラボ企画を仕掛けるのも、私ができること。展示会に来てくださった芸能人やモデルの方に「今度コラボしませんか」と声をかけてみたり、いきなりDMしてみたりします。周りはびっくりしていますけどね。アパレルも自分の存在価値がないと埋もれちゃう世界。だから、「誰もやったことがないこと」をするよう心掛けています。
WWD:目標は?
室:「スウィングル」はスタート当初はエビちゃん(蛯原友里)がプロデュースしていて、赤文字雑誌の全盛期までバーンデストローズの基幹ブランドでした。ただ、残念ながら今は当時ほどの勢いはなくなってしまいました。大好きなブランドなのに、このポジションにいるのはすごく悔しい。「絶対に私が社内で売り上げ1位にしてやる」って心の中で思いながら、毎日仕事をしています。
沖圭祐「スウィングル」事業部長の話
2020年に新規出店した小田急新宿店は、正直いって“成功”と言える店ではなかった。ただ客足がなかなか伸びない中でも、一際背筋を伸ばしてがんばっていたのが、入社したばかりの室さんだった。半年後にはブランド一番店の有楽町マルイ店に抜擢した。
店長にもなったら、売り上げに意識が向いて当然とは思う。ただそうではないのに、やけに売り上げにうるさい子がいた。それも室さんだった。「私こんなに売りました」「昨日は10万円、20万円買ってくれる人がいたんです」。そんなふうに、毎日のようにしつこいくらいに報告してくる。それも結果にこだわる彼女の一面をよく表していた。
前任のプレスが辞めたタイミングで、「骨のあるやつがいる」と社長に直談判し、室さんに白羽の矢を立てた。大物の芸能人にコラボ話を持ちかけたり、いきなりDMしたりと、皆が物怖じするようなことも彼女はやってのけてしまう。だが現に、そうやって実現してきた企画もブランドの目玉になって、ECの数字は伸び続けている。結果へのこだわりだけでなく、「常に新しいチャレンジを起こす」ことをプレスの立場でやり続けているのが、彼女のすごいところだ。
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元・銀ホスのアパレルプレスが語る仕事論 「今も“結果が全て”の世界だと思ってる」
世間では“水商売”呼ばわりされることもあり、人前では隠したくなるような経歴かもしれない。なのにそれを堂々と言ってのけるのは、バーンデストローズジャパンリミテッドの「スウィングル(SWINGLE)」でプレスを務める室薫さん(28)だ。
20代前半に六本木でキャバクラ、銀座でホステス業を経験したのち、アパレルプレスに転身。銀ホス時代には、企業社長など錚々たる上顧客と接する中で「人に信頼されること」「結果を出すこと」の大切さを学んだ。それは、アパレル業界で働く今も生きているという。
WWD:まず、経歴について教えてほしい。
室:美容の専門学校を卒業後にエステティシャンとして、その後は外資系ブランドの美容部員として働きました。バーンデストローズへの入社は2020年5月。小田急百貨店に店舗(現在はクローズ)がオープンするタイミングで、オープニングメンバーとして採用募集に応募しました。販売をしていたのは1年と少し。21年8月にプレスに異動になりました。
WWD:夜の仕事をしていたのは?
室:エステティシャン時代にお給料が少なかったので、職場にはヒミツにして六本木のキャバクラで働いていたんです。美容部員になってからも密かに続けていました。もう時効だと思って言いますが。あ、今は誓ってやっていないですよ(笑)。
大のお酒好きで、キャバクラでは遊び感覚で働いていたので、つい飲みすぎてしまっていました。次の日は二日酔いや、寝ないで出勤することもザラ。そのうち結果が出るにつれて、キャバクラの方がだんだん楽しくなってきてしまって。それと美容部員をやっているうちに、働いているブランドのことは好きだけど、メイク自体はそんなに好きじゃないかも?と気がつきました。何を今更って感じだったでしょうね。
入ったばかりの頃は、お客さまからわざわざお礼のメールをいただくほどの優良スタッフだったんですよ。辞めることを決めたときには、いただくのはクレームばかりになっていましたが。飽き性ということもあって、だんだんモチベーションが下がってしまって、キャバクラ一本で行こうと決めたんです。
WWD:ホステスになったきっかけは?
室:キャバクラのお客さまが、銀座でもよく遊んでらっしゃった方で。その方が「ホステスに向いているんじゃない?」と斡旋してくださったんです。それに、お客さまからの紹介の方が待遇もよかった。いいきっかけをいただけたと感じて、3つほどお店を回って決めました。
WWD:どんな店だった?
室:銀座のクラブ街では、いわゆる“老舗”の高級店でした。地下1階にあって、完全紹介制。実はクラブってワインやシャンパンボトルを派手に頼まなければ、時間制のキャバクラとかよりも全然リーズナブルなんですけどね。ただワインやシャンパンボトルは少なくとも1本10万円しますし、平均客単価は20〜30万円くらい。派手な遊び方をする、いわゆる“成金”のような方はいない、落ち着いた店でした。
若さとノリではついていけない世界
WWD:室さんのウリはなんだった?
室:若さとノリ(笑)。当時の私は22歳。銀座という立地もあって周りはだいぶお姉さんだったので、「同伴いつでも行けます!」「アフターも行けます!」ととにかくアピールしていました。クラブは土日休みだったんですが、オフの日もよくお客さまのご飯にお付き合いしていましたね。回らないお寿司屋さんで、100万円くらい使う方もいました。何かの部品の会社を経営されている方だったと思います。
WWD:辞めたきっかけは?
室:さっきと真逆なことを言うんですけど、ノリと若さだけで生きていけるほど、甘い世界ではなかったからですね。私の成績は、よかったときでも真ん中くらい。夜のお仕事でも、私のように夕方まで寝ているって人は、「結果を出している人ほど」いませんでした。大体みんな朝早く起きて、お客さまにラインであいさつをして、優雅にペットの散歩をしている。そういう中身の部分って、見抜かれるものだと思うんですよ。お店に来られる方は経営者も多いので、お客さまと同じ目線でできるよう、勉強も欠かさない。キラキラしているけれど、陰ですごく努力している人が多かったです。
それから、細やかな配慮も大事でした。銀座のクラブは接待での来店も多くて、そういう方々は大事な「仕事の場」として利用されている。だから私たちも楽しんでいただくだけでなく、場をうまく回す潤滑油にもならなきゃいけない。私のように、飲みすぎてお客さまのテーブルで粗相して、スタッフからブチギレられるなんてもってのほかでした。
WWD:今の室さんからは、ちょっと想像がつきませんね。
室:あはは(笑)。努力や気遣いのできるホステスさんたちが認められ、他の方へ紹介され、数珠繋ぎのようにお客さまが増えていく。そうやってのし上がっていく世界です。私にはプライベートで遊んでいただけるお客さまが一定数ついても、接待では使われなかったのは、多分「そういうこと」だったんだと思います。それでだんだん自信を失って、気分も落ちていって、ある日同伴の食事でご飯の味がしなくなったんです。きっと、限界だったんですね。その時はちょうどコロナが流行り始めて営業が制限され、銀座の夜の街にも光が灯らなくなっていた時期。先が見えない中で、夜の仕事から足を洗う決意をしました。
WWD:なぜアパレルに?
室:専門学校時代に有楽町マルイでアパレルのアルバイトをしていて、本当に楽しかったんです。服を売りたいという思いがまた芽生えていました。アルバイト時代の有楽町マルイの同じ階に「スウィングル」があったのを思い出して。次に働くならお姉さん向けブランドだと思っていましたし、ちょうど小田急新宿店の新店スタッフの採用をしていたので、思い切って応募しました。
ただやっぱり面接の時に突っ込まれたのが、夜の仕事をやっていた「空白期間」。これはもう隠しても仕方ないと思って、水商売をしていたことを正直に明かしました。ダメかと思いましたが、受かってびっくり。後から聞いた話では、上層部が「私を採用するか」という話になった時、「嘘をつかない素直さがいい」ということになったようです(笑)。
「絶対に社内ナンバーワンブランドにしたい」
WWD:銀ホスの経験は生きた?
室:やたらと“結果”にこだわるところでしょうか。小田急新宿店はそんなに客足が多い店ではなかったですが、それでもなんとか数字につなげようと、もがいていました。銀座のホステスは売り上げが全てで、性格とか人柄は関係ない世界。月末に成績表が張り出されて、結果次第では「がんばったね」と褒められるし、表の下の方にいる人は、まるで人権がないみたいな扱い。結果を出さないと、お店にいられなくなるし、うかうかしていると、私よりも新しい子がどんどん入ってくる。
それは、私がホステス業に参ってしまった原因でもあるんですが、ただアパレルでもそれと似た面があると思っていて。「弱肉強食」の世界にいることは、常に自覚しています。プレスに移ってからも、このポジションを目指している子は多いと思うから、安泰とは思っていない。だからやっぱり、“結果”には固執してしまうんです。
WWD :プレスは、数字としての成果が見えづらいポジションにも思える。
室:プレスの仕事の一つがビジュアルの撮影ですが、そのクオリティーにこだわると、ECの売り上げが急に伸びることもあります。話題性のあるコラボ企画を仕掛けるのも、私ができること。展示会に来てくださった芸能人やモデルの方に「今度コラボしませんか」と声をかけてみたり、いきなりDMしてみたりします。周りはびっくりしていますけどね。アパレルも自分の存在価値がないと埋もれちゃう世界。だから、「誰もやったことがないこと」をするよう心掛けています。
WWD:目標は?
室:「スウィングル」はスタート当初はエビちゃん(蛯原友里)がプロデュースしていて、赤文字雑誌の全盛期までバーンデストローズの基幹ブランドでした。ただ、残念ながら今は当時ほどの勢いはなくなってしまいました。大好きなブランドなのに、このポジションにいるのはすごく悔しい。「絶対に私が社内で売り上げ1位にしてやる」って心の中で思いながら、毎日仕事をしています。
沖圭祐「スウィングル」事業部長の話
2020年に新規出店した小田急新宿店は、正直いって“成功”と言える店ではなかった。ただ客足がなかなか伸びない中でも、一際背筋を伸ばしてがんばっていたのが、入社したばかりの室さんだった。半年後にはブランド一番店の有楽町マルイ店に抜擢した。
店長にもなったら、売り上げに意識が向いて当然とは思う。ただそうではないのに、やけに売り上げにうるさい子がいた。それも室さんだった。「私こんなに売りました」「昨日は10万円、20万円買ってくれる人がいたんです」。そんなふうに、毎日のようにしつこいくらいに報告してくる。それも結果にこだわる彼女の一面をよく表していた。
前任のプレスが辞めたタイミングで、「骨のあるやつがいる」と社長に直談判し、室さんに白羽の矢を立てた。大物の芸能人にコラボ話を持ちかけたり、いきなりDMしたりと、皆が物怖じするようなことも彼女はやってのけてしまう。だが現に、そうやって実現してきた企画もブランドの目玉になって、ECの数字は伸び続けている。結果へのこだわりだけでなく、「常に新しいチャレンジを起こす」ことをプレスの立場でやり続けているのが、彼女のすごいところだ。
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箱根駅伝だけがなぜ特別? 有識者が語る、“厚底旋風”以降の箱根とシューズの関係
PROFILE: 藤原岳久/FS☆ランニング代表

年が明けたら、1月2、3日は箱根駅伝!選手の活躍はもちろん、近年は選手がどのブランドのどんなランニングシューズを履いているかも、メディアやSNSで大きな話題を呼ぶ。箱根路の神奈川・平塚でシューズ選びのコンサルタントをしている藤原岳久FS☆ランニング代表は、ここ10年ほど選手の着用シューズをブランド別に計測・分析しており、ランニング業界ではよく知られた人物。藤原代表に、近年の各社の傾向と2025年のシューズ争いの行方を聞いた。
WWD:藤原代表は箱根駅伝の選手のシューズ動向について、「アルペン グループ マガジン」上などで毎年分析をしている。他はどういった活動をしているのか。
藤原岳久FS☆ランニング代表(以下、藤原):もともとスポーツメーカーでランニングシューズの販売員をしており、独立後は平塚で、ランニングシューズの選び方や走り方のコンサルタントをしている。YouTubeやnoteでランニング業界の動向やシューズの新製品についての発信もしているほか、スポーツシューフィッターという資格講座の講師も10年ほど務めている。
箱根の選手の着用シューズを計測し始めたのは10年ほど前から。地元である往路の3、4区と、復路の7、8区を妻と手分けして現場で見て、それ以外はテレビ中継で計測。10年前は計測している人はわれわれ以外にあまりいなかった印象だが、17年に「ナイキ(NIKE)」が“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売し、21年に箱根での「ナイキ」着用率が95.7%を記録したあたりから、急激にシューズに着目する人が増えたように感じる。
WWD:21年の「ナイキ」厚底シューズ旋風は一般メディアでも大きく取り上げられた。まずはおさらいとして、「ナイキ」のシューズは何がすごかったのか。
藤原:「ナイキ」は速く走るという概念自体を変えた。それまでの薄底のシューズは接地感覚があって、自身の力を地面に伝えられる選手が速く走れるもの。一方、厚底のカーボンプレート入りシューズは、走り方や道具(シューズ)に対する考え方、接地感覚などが従来とは全く違うものだ。衝撃を受けた競合各社は、「ナイキ」の速く走るためのロジックを後追いで研究。まずは模倣から始め、徐々に個性あるシューズや素材の開発を進めてきた。
厚底のカーボン入りシューズが広がったことで、選手のランニングフォームはダイナミックになった。以前は独特な走り方をする有力選手もおり、それも個性だったが、スーパーシューズは靴に合わせた走り方が要求されるため、フォームの個性は無くなってきたと感じる。ケガもしやすくなった。それらはスーパーシューズの功罪の罪の部分だ。一方で、一昔前と比べて駅伝は非常に高速化している。世界で戦える選手の土壌ができてきたというのは、間違いなく功の部分だ。
「『アディダス』が
一歩抜きん出ている印象」
WWD:開発競争激化の中で、「ナイキ」は21年をピークに徐々にシェアを落としつつ、24年も着用率は42.6%で首位を維持した。ズバリ、25年のブランド別の着用率はどうなると予想するか。
藤原:「アディダス(ADIDAS)」「アシックス(ASICS)」「ナイキ」がそれぞれ30%前後となるんじゃないかと見ている。もしかしたら、「ナイキ」は一気に三番手になるかもしれない。各社拮抗しているが、個人的にはシリーズ最軽量を実現した“アディゼロ アディオス プロ エヴォ 1”を開発した「アディダス」が一歩抜きん出ている印象だ。三つ巴の次が「プーマ(PUMA)」。「プーマ」は学生とのコミュニケーションを深めており、ブランドがサポート契約している大学の選手は皆他社のシューズに浮気せず、「プーマ」を履きそうだといった噂も耳にしている。その次は昨年、全230人の出場選手の中、3人の着用者が出た「オン(ON)」と予想。「オン」は、どの区間でも誰かしらが履いているといったレベルのサプライズを起こすかもしれない。ただし、最終的に験担ぎを重視してシューズを決める選手もいるし、予想はあくまで予想だ。
WWD:箱根で選手に履いてもらうために、ブランド側はどのような取り組みをしているのか。
藤原:日本では箱根に合わせて11〜12月にシューズの新モデルを発売するブランドが多いが、選手は夏合宿の段階でいいと思わなければ履いてくれない。そのために、ブランド側の仕込みは春ごろから始まる。大学の合宿所を行脚してとにかく試着してもらう。例えば「プーマ」は、学生の夏の合宿のメッカである菅平高原(長野)に、無料で利用できるリカバリーステーションを24年夏に開設したが、それも学生と接点を広げるのが狙い。シューズは提供するが、学生とブランドとの間にお金のやり取りはなく、お金が発生するのはブランドが大学陸上部に対してサポート契約を結んでいるケース。その場合はブランドが大学側に強化費を支払う。そのように大学とブランドが契約していても、レースでどこのブランドのシューズを履くかの選択権は選手にある。
WWD:箱根駅伝は、シューズについての決まりごとなどはあるのか。
藤原:五輪や世界陸上では、世界陸連(ワールドアスレティックス)のシューズ規則に則ったシューズしか履くことができない。一般向けに発売している製品で、世界陸連に登録しているシューズでないとダメ、といったものだ。しかし、箱根は世界陸連の規制の範囲外であり、それゆえまだ発売されていないプロトタイプ(試作品)を履いた選手が多数登場する。“プロトタイプ天国”というのも、箱根駅伝の側面の一つ。メーカーにとってのテストの場であり、プロトタイプを履かせてもらえることに気概を持って走っている選手ももちろんいる。メーカー側はプロトタイプを提供していることがあからさまになることに配慮してか、プロトタイプであっても色合いやデザインを発売済みのモデルとあえて似せて、見分けがつきにくくしていることもある。
「市民ランナーは
ソール60ミリが当たり前になる」
WWD:箱根には規制が適用されないとのことだが、なぜ世界陸連は「一般発売している製品でないといけない」などのシューズ規制を設けているのか。
藤原:「ナイキ」が17年に“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売する前年の16年のリオ五輪で、ケニアのキプチョゲ選手ら有力選手が「ナイキ」のプロトタイプで出走し、キプチョゲ選手は男子マラソンで金メダルに輝いた。その後、20年に予定されていた東京五輪に向けて規制の議論が活発化した流れだ。一般販売していないプロトタイプでは、入手できる選手とできない選手とで不公平になってしまう。厚底やカーボンプレートについても、水着の“レーザーレーサー”のように可否が議論されたが、結果的にロードランではソールの厚さが40ミリまで、プレート1枚までならば世界陸連はオッケーとした。
ただし、規制があると発想やデザインは画一的になりがち。がんじがらめの規制を破ってランナーの可能性を広げるという意気込みで、世界陸連の規制外のスーパーシューズを作っているブランドもある。そもそも、大会で優勝や入賞に関わらない市民ランナーならば、どんな靴を履いていたって問題はない。将来的には市民ランナーは、ソール60ミリ前後のクッション性が非常に大きいシューズを履くようになるんじゃないかと僕は思っている。有力選手の履くシューズだけが規制に縛られ、かごの鳥であるというように見ることもできる。
WWD:話を箱根に戻すと、学生駅伝には出雲(10月)や全日本(11月)もあるが、一般知名度は箱根だけが段違いだ。何が違うのか。
藤原:日本人初の五輪マラソン選手であり、日本マラソンの功労者の金栗四三が考案して1920年に始まったのが箱根駅伝だ。ただ、箱根はあくまで関東地方のローカル大会で、87年にテレビ中継が開始されるまではそこまでの注目度はなかったと認識している。テレビ中継以降は人気が異常に高まって、高校ラグビーの選手が花園を目指すように、全国から有力選手が関東ローカル大会の箱根に集まってくるようになった。人気や注目度の高さゆえ、ブランドは箱根の出場選手にマーケティングの照準を合わせる。出雲や全日本で選手の着用シューズを計測すると、箱根の結果とは結構違っており、市民ランナーの着用率と近い。それは、関東以外の大学の選手は箱根の出場機会がないため、ブランドからシューズの提供を受けるといったことがなく、自分でシューズを買っているケースが多いからだ。
海外に目を向けると、アフリカや米欧の有力選手は、大学の段階ではシニアのステージに向けて無理せず準備をしているということも多い。一方で、日本は箱根で良くも悪くもかなり注目されてしまう。テレビで特番が組まれ、ブランドからシューズが提供され、選手を推す“駅女(エキジョ)”から黄色い声援も飛んでくる。選手にかかるプレッシャーはかなり大きい。箱根があれだけ盛り上がるのに、シニアで有力な結果を残す選手がそれほどは出てこないというのは、箱根以上の舞台がなかなか見つからないという面もあるのかもしれない。
「もっと気軽に走ることを楽しんで」
WWD:選手が箱根で履いたシューズは、実際に市民ランナーにも売れるのか。
藤原:箱根が終わると、スポーツ量販店では選手の履いていたシューズが売れるし、それを履いて普段のジョギングをしている市民ランナーをここ平塚ではよく見掛ける。レース用のスーパーシューズは耐久性もないため、ジョグで使うのはもったいないし、うまく走ることもできないと思う。僕自身もトレーニングでスーパーシューズは選ばない。ちゃんと自分のレベルに合ったシューズを選んでもらうため、ブランド側は駅伝向けパックとして発売する製品群にトレーニングシューズを含めている。色やデザインは選手用のレースシューズと似せることで、同じ気分を味わえるように工夫している。
WWD:選手が箱根の主役であることは大前提だが、改めてシューズを切り口にした箱根観戦の楽しみ方や、ランニングへの取り組み方などについて教えてほしい。
藤原:選手が履くシューズのために開発された最先端技術は、ゆくゆくは必ず一般向けのシューズに落とし込まれていく。ランナーではない人が履いている普段履きスニーカーのソールのフォーム素材が、実はスーパーシューズ用に開発されたものだった、ということがあり得る。誰もが必ず技術を満喫する日が訪れるので、無関係ではない。そう思って箱根の選手たちのシューズを観察すると、これまでとは違う興味もわいてくるのでは。
皆さんにはもっと気軽に走ることを楽しんでほしい。日本人は走るとなったらいきなりフルマラソン!という感じで、走ることのハードルが高い。5キロメートルの大会なら、練習不要で多くの人が明日にでも完走できるが、5キロの大会に出ることがどうも共感されづらいのが日本。24年の東京マラソンの参加人数は約3万7000人だったが、ぜひ6万人規模の大会になっていってほしいし、5キロの部も設けてほしい。ゴール地点をフルマラソンと同じに設定した5キロだったら、応援に来た人が思わず走ってしまうなんてことがあると思う。走ること自体は心にも体にもとてもいい。僕自身が、日々それを深く実感している。ランニングが選手や一部の人だけのものではなく、草の根のカルチャーとして日本に根付いていけばいいなと思っている。
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箱根駅伝だけがなぜ特別? 有識者が語る、“厚底旋風”以降の箱根とシューズの関係
PROFILE: 藤原岳久/FS☆ランニング代表

年が明けたら、1月2、3日は箱根駅伝!選手の活躍はもちろん、近年は選手がどのブランドのどんなランニングシューズを履いているかも、メディアやSNSで大きな話題を呼ぶ。箱根路の神奈川・平塚でシューズ選びのコンサルタントをしている藤原岳久FS☆ランニング代表は、ここ10年ほど選手の着用シューズをブランド別に計測・分析しており、ランニング業界ではよく知られた人物。藤原代表に、近年の各社の傾向と2025年のシューズ争いの行方を聞いた。
WWD:藤原代表は箱根駅伝の選手のシューズ動向について、「アルペン グループ マガジン」上などで毎年分析をしている。他はどういった活動をしているのか。
藤原岳久FS☆ランニング代表(以下、藤原):もともとスポーツメーカーでランニングシューズの販売員をしており、独立後は平塚で、ランニングシューズの選び方や走り方のコンサルタントをしている。YouTubeやnoteでランニング業界の動向やシューズの新製品についての発信もしているほか、スポーツシューフィッターという資格講座の講師も10年ほど務めている。
箱根の選手の着用シューズを計測し始めたのは10年ほど前から。地元である往路の3、4区と、復路の7、8区を妻と手分けして現場で見て、それ以外はテレビ中継で計測。10年前は計測している人はわれわれ以外にあまりいなかった印象だが、17年に「ナイキ(NIKE)」が“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売し、21年に箱根での「ナイキ」着用率が95.7%を記録したあたりから、急激にシューズに着目する人が増えたように感じる。
WWD:21年の「ナイキ」厚底シューズ旋風は一般メディアでも大きく取り上げられた。まずはおさらいとして、「ナイキ」のシューズは何がすごかったのか。
藤原:「ナイキ」は速く走るという概念自体を変えた。それまでの薄底のシューズは接地感覚があって、自身の力を地面に伝えられる選手が速く走れるもの。一方、厚底のカーボンプレート入りシューズは、走り方や道具(シューズ)に対する考え方、接地感覚などが従来とは全く違うものだ。衝撃を受けた競合各社は、「ナイキ」の速く走るためのロジックを後追いで研究。まずは模倣から始め、徐々に個性あるシューズや素材の開発を進めてきた。
厚底のカーボン入りシューズが広がったことで、選手のランニングフォームはダイナミックになった。以前は独特な走り方をする有力選手もおり、それも個性だったが、スーパーシューズは靴に合わせた走り方が要求されるため、フォームの個性は無くなってきたと感じる。ケガもしやすくなった。それらはスーパーシューズの功罪の罪の部分だ。一方で、一昔前と比べて駅伝は非常に高速化している。世界で戦える選手の土壌ができてきたというのは、間違いなく功の部分だ。
「『アディダス』が
一歩抜きん出ている印象」
WWD:開発競争激化の中で、「ナイキ」は21年をピークに徐々にシェアを落としつつ、24年も着用率は42.6%で首位を維持した。ズバリ、25年のブランド別の着用率はどうなると予想するか。
藤原:「アディダス(ADIDAS)」「アシックス(ASICS)」「ナイキ」がそれぞれ30%前後となるんじゃないかと見ている。もしかしたら、「ナイキ」は一気に三番手になるかもしれない。各社拮抗しているが、個人的にはシリーズ最軽量を実現した“アディゼロ アディオス プロ エヴォ 1”を開発した「アディダス」が一歩抜きん出ている印象だ。三つ巴の次が「プーマ(PUMA)」。「プーマ」は学生とのコミュニケーションを深めており、ブランドがサポート契約している大学の選手は皆他社のシューズに浮気せず、「プーマ」を履きそうだといった噂も耳にしている。その次は昨年、全230人の出場選手の中、3人の着用者が出た「オン(ON)」と予想。「オン」は、どの区間でも誰かしらが履いているといったレベルのサプライズを起こすかもしれない。ただし、最終的に験担ぎを重視してシューズを決める選手もいるし、予想はあくまで予想だ。
WWD:箱根で選手に履いてもらうために、ブランド側はどのような取り組みをしているのか。
藤原:日本では箱根に合わせて11〜12月にシューズの新モデルを発売するブランドが多いが、選手は夏合宿の段階でいいと思わなければ履いてくれない。そのために、ブランド側の仕込みは春ごろから始まる。大学の合宿所を行脚してとにかく試着してもらう。例えば「プーマ」は、学生の夏の合宿のメッカである菅平高原(長野)に、無料で利用できるリカバリーステーションを24年夏に開設したが、それも学生と接点を広げるのが狙い。シューズは提供するが、学生とブランドとの間にお金のやり取りはなく、お金が発生するのはブランドが大学陸上部に対してサポート契約を結んでいるケース。その場合はブランドが大学側に強化費を支払う。そのように大学とブランドが契約していても、レースでどこのブランドのシューズを履くかの選択権は選手にある。
WWD:箱根駅伝は、シューズについての決まりごとなどはあるのか。
藤原:五輪や世界陸上では、世界陸連(ワールドアスレティックス)のシューズ規則に則ったシューズしか履くことができない。一般向けに発売している製品で、世界陸連に登録しているシューズでないとダメ、といったものだ。しかし、箱根は世界陸連の規制の範囲外であり、それゆえまだ発売されていないプロトタイプ(試作品)を履いた選手が多数登場する。“プロトタイプ天国”というのも、箱根駅伝の側面の一つ。メーカーにとってのテストの場であり、プロトタイプを履かせてもらえることに気概を持って走っている選手ももちろんいる。メーカー側はプロトタイプを提供していることがあからさまになることに配慮してか、プロトタイプであっても色合いやデザインを発売済みのモデルとあえて似せて、見分けがつきにくくしていることもある。
「市民ランナーは
ソール60ミリが当たり前になる」
WWD:箱根には規制が適用されないとのことだが、なぜ世界陸連は「一般発売している製品でないといけない」などのシューズ規制を設けているのか。
藤原:「ナイキ」が17年に“ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%”を発売する前年の16年のリオ五輪で、ケニアのキプチョゲ選手ら有力選手が「ナイキ」のプロトタイプで出走し、キプチョゲ選手は男子マラソンで金メダルに輝いた。その後、20年に予定されていた東京五輪に向けて規制の議論が活発化した流れだ。一般販売していないプロトタイプでは、入手できる選手とできない選手とで不公平になってしまう。厚底やカーボンプレートについても、水着の“レーザーレーサー”のように可否が議論されたが、結果的にロードランではソールの厚さが40ミリまで、プレート1枚までならば世界陸連はオッケーとした。
ただし、規制があると発想やデザインは画一的になりがち。がんじがらめの規制を破ってランナーの可能性を広げるという意気込みで、世界陸連の規制外のスーパーシューズを作っているブランドもある。そもそも、大会で優勝や入賞に関わらない市民ランナーならば、どんな靴を履いていたって問題はない。将来的には市民ランナーは、ソール60ミリ前後のクッション性が非常に大きいシューズを履くようになるんじゃないかと僕は思っている。有力選手の履くシューズだけが規制に縛られ、かごの鳥であるというように見ることもできる。
WWD:話を箱根に戻すと、学生駅伝には出雲(10月)や全日本(11月)もあるが、一般知名度は箱根だけが段違いだ。何が違うのか。
藤原:日本人初の五輪マラソン選手であり、日本マラソンの功労者の金栗四三が考案して1920年に始まったのが箱根駅伝だ。ただ、箱根はあくまで関東地方のローカル大会で、87年にテレビ中継が開始されるまではそこまでの注目度はなかったと認識している。テレビ中継以降は人気が異常に高まって、高校ラグビーの選手が花園を目指すように、全国から有力選手が関東ローカル大会の箱根に集まってくるようになった。人気や注目度の高さゆえ、ブランドは箱根の出場選手にマーケティングの照準を合わせる。出雲や全日本で選手の着用シューズを計測すると、箱根の結果とは結構違っており、市民ランナーの着用率と近い。それは、関東以外の大学の選手は箱根の出場機会がないため、ブランドからシューズの提供を受けるといったことがなく、自分でシューズを買っているケースが多いからだ。
海外に目を向けると、アフリカや米欧の有力選手は、大学の段階ではシニアのステージに向けて無理せず準備をしているということも多い。一方で、日本は箱根で良くも悪くもかなり注目されてしまう。テレビで特番が組まれ、ブランドからシューズが提供され、選手を推す“駅女(エキジョ)”から黄色い声援も飛んでくる。選手にかかるプレッシャーはかなり大きい。箱根があれだけ盛り上がるのに、シニアで有力な結果を残す選手がそれほどは出てこないというのは、箱根以上の舞台がなかなか見つからないという面もあるのかもしれない。
「もっと気軽に走ることを楽しんで」
WWD:選手が箱根で履いたシューズは、実際に市民ランナーにも売れるのか。
藤原:箱根が終わると、スポーツ量販店では選手の履いていたシューズが売れるし、それを履いて普段のジョギングをしている市民ランナーをここ平塚ではよく見掛ける。レース用のスーパーシューズは耐久性もないため、ジョグで使うのはもったいないし、うまく走ることもできないと思う。僕自身もトレーニングでスーパーシューズは選ばない。ちゃんと自分のレベルに合ったシューズを選んでもらうため、ブランド側は駅伝向けパックとして発売する製品群にトレーニングシューズを含めている。色やデザインは選手用のレースシューズと似せることで、同じ気分を味わえるように工夫している。
WWD:選手が箱根の主役であることは大前提だが、改めてシューズを切り口にした箱根観戦の楽しみ方や、ランニングへの取り組み方などについて教えてほしい。
藤原:選手が履くシューズのために開発された最先端技術は、ゆくゆくは必ず一般向けのシューズに落とし込まれていく。ランナーではない人が履いている普段履きスニーカーのソールのフォーム素材が、実はスーパーシューズ用に開発されたものだった、ということがあり得る。誰もが必ず技術を満喫する日が訪れるので、無関係ではない。そう思って箱根の選手たちのシューズを観察すると、これまでとは違う興味もわいてくるのでは。
皆さんにはもっと気軽に走ることを楽しんでほしい。日本人は走るとなったらいきなりフルマラソン!という感じで、走ることのハードルが高い。5キロメートルの大会なら、練習不要で多くの人が明日にでも完走できるが、5キロの大会に出ることがどうも共感されづらいのが日本。24年の東京マラソンの参加人数は約3万7000人だったが、ぜひ6万人規模の大会になっていってほしいし、5キロの部も設けてほしい。ゴール地点をフルマラソンと同じに設定した5キロだったら、応援に来た人が思わず走ってしまうなんてことがあると思う。走ること自体は心にも体にもとてもいい。僕自身が、日々それを深く実感している。ランニングが選手や一部の人だけのものではなく、草の根のカルチャーとして日本に根付いていけばいいなと思っている。
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早稲田大学繊維研究会がファッションショーを開催 「みえないものをみるとき」
1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。最終回では、代表の井上航平さんと、小山萌恵さんが12月22日に代官山ヒルサイドプラザで開催したショーを振り返る。
WWD:コンセプト「みえないものをみるとき」に沿ってショーを作り上げた。
小山萌恵(以下、小山):今回のショーは19人の服造(ルックを製作する部門)による25ルックを発表しました。シアー素材や光を反射する素材を多用することで、今回のコンセプトの世界観を作り出しつつ、一つ一つのルックをコンセプトから設けたテーマの上にデザインしています。
WWD:井上さんが製作したルックは?
井上:2ルック製作し、1ルック目は実験音楽家であるジョン・ケージの代表曲「4分33秒」をモチーフに作りました。この楽曲の譜面は4分33秒間の休符のみで構成されており、4分33秒間無音が続くということを意味します。演奏会では、聴衆が「作られた無音」に耳を澄ますことで、逆に聴衆自らから発せられる音に意識が向く、いわば主体と客体の逆転現象が発生します。この「聴覚を通しての逆転現象」を視覚に置き換えることに取り組んだのが今回のルックです。このルックでは前後に鏡を配することで、モデルを見ていたはずなのにいつの間にかそこに映る自分の姿を見ていた、という現象の誘起を試みました。
WWD:2ルック目はルネ・マグリットの作品「世界大戦」をモチーフにした。
井上:マグリットは作品内で、まさに今回のテーマである「みえないもの」に取り組んできました。「世界大戦」は、一見すると青空の下で日傘をさす貴婦人の姿が描かれた美しい作品ですが、彼女の顔はなぜか急に現れたスミレの花束で隠されており、表情が判然とせず、どこか不穏な空気が漂います。「あえて隠す」部分を含んだ絵画作品は数あれど、この作品のように文脈を無視した全くの別レイヤーのモチーフで覆い隠す作品はそう多くはありません(普通であれば、この貴婦人に顔の前で花束を持たせて表情を見えないようにするはずです)。この手法によって、より「みえない度」は高まり鑑賞者による想像の幅の拡大に成功しています。今回はこの作品のように、どこか不穏な美しさを表現すべく、全身白のドレスを制作しました。前面にはフリルフラワーを100個近く取り付けることで華やかさを表現した一方、肩パッドを6個重ねて生み出したパワーショルダーで不穏さを表しました。
WWD:小山さんの1ルック目は?
小山:タイトルは「but I can hug you」という作品です。「みえないもの」として表面からはみえない、計り知れない他者の痛みにフォーカスしています。他者が抱える痛みを理解し尽くすことの難しさと、それでも相手を分かりたいと思うこと、相手の影の面まで知りたいと思うことの美しさ、そしてそのような感情があふれたとき私たちが衝動的に取ってしまう行動であると共に、私たちに取り得る最大の行動とも考える「抱擁」をテーマとしています。抱擁したときの、言葉では語り尽くせない心の深層が体温を通して伝達するイメージ、また抱擁によって痛みが融解されるイメージを、「氷染め」という染色手法で表現することを試みました。氷の上に複数の色の染料をまぶし、氷がゆっくりと解けていくことで染料が混ざり合って、じんわりとまだらに生地が染まっていく、過程そのものも含めてテーマを落とし込んでいます。
WWD:もう一つのルックタイトルは「that afterimage」。
小山:大切な人を失ったあとの残像をテーマとしており、複数の「喪失と再生」が主題の作品などがインスピレーションにありつつ、最大のデザインモチーフとなったのはバンド「フィッシュマンズ」のとあるライブ映像です。
80年代結成のフィッシュマンズはフロントマンであったボーカルの佐藤伸治が活動の最中で急逝してしまいます。約6年の活動休止を経て2005年バンドは佐藤不在のフィッシュマンズを再開する決断を下し、以来現在に至るまでさまざまな方法で「佐藤不在のフィッシュマンズ」を音楽的に意義あるかたちで続け、ライブを通して多くの人の心を震わせ続けています。再開後のライブ映像を見て、激しくドラムを叩きながら佐藤に代わって歌まで歌唱するドラマーの茂木欣一の姿から感じた悲壮感の中の覚悟や、そのとき印象的だった一点だけ簡素に光る照明が星になった佐藤のように捉えられたこと、そして、亡き人の軌跡が残された者の中で息づき続けるイメージを、胸元中心の星のような刺繍とそこから広がるように施したギャザーで表現しました。
WWD:小山さんがルックブックの装丁デザインを手掛けた。
小山:表紙に冠したモチーフは「」です。本来何かが介入されるはずの「」の間に何もない、という部分で、これから始まるのはみえないものを見出すことについてのショーである、というスタンスをはじめに表明する意図を込めています。“ない”方の部分を想像させることを誘発したいという思惑で、かぎかっこは写真を切り抜くことで描いています。さらに透明の素材で本冊にカバーをかけているのですが、こちらはそれ以外の全面に白のプリントを施すことで逆説的にかぎかっこを浮かび上がらせ“余白で描く”ことをここでも再現しました。本体のかっこの位置とあえてずらして配置することで、焦点が合わないけれど主体的に合わせようとする思考の動きを促せたら、と考えた装丁になります。タイトルなどのテキストはシルバーでプリントし、角度によって煌めくところもこだわりです。
WWD:ルックブックの中身のこだわりは?
井上:視覚上・触覚上での楽しさを重視し、ルックブックの内部には、ベースとなる厚めのマット紙に加えてポイント使いで2種類の素材を採用しました。水面や鏡など、反射をテーマにした写真の前に透明PET素材を挟み込むことによって、鋭すぎない、水面のような柔らかな反射を可能にしつつ、触覚上での変化を生み出しました。連続した動きのうち2つを切り取ったスナップショット的なページを並べ、その2ページを半透明のトレーシングペーパーに印刷することで、ページをめくる毎に被写体が動いて見える、パラパラ漫画のような仕組みを取り入れました。

WWD:会場の演出にも注力した。
井上:今回はテーマの「透き間」を生かした空間づくりに注力しました。三次元的なランウェイを作りたかったため、2フロア構成の代官山ヒルサイドプラザを会場に選びました。初の試みとして、壁2面へのオープニング映像を投影しました。オープニング映像は江ノ島の風景をメインとした構成となっており、今回のショーのファーストルックを着用した状態のモデルに出演してもらっています。モデルが光に向かって去って行くシーンで映像が終了し、シームレスにショーに移行後、彼女がファーストルックとして現れることで、まるで映像内のコンセプチュアルな空間からそのまま出てきたかのような演出を施しました。また、「みえないもの」の表現として、ランウェイのスタート位置である2階部分に白い布を垂らすことで、布越しにモデルのシルエットが浮かび上がる工夫をしました。
一般的なファッションショーでは、モデルが出口から歩いてきて客席前を通過後また戻っていく、という一方向的な構成が多いですが、オープニング映像の投影面、モデルの出口、1周目のモデルはけ口、フィナーレのモデルはけ口を横にも縦にもバラバラに配置することで「正面を決めない」三次元的なショー構成を実現させました。お客さまそれぞれが別の方向に顔を向けている、というのは他のファッションショーでは見られない光景でした。
WWD:ショーを振り返ると。
小山:当初はとりとめのない文章でしかなかったイメージが、部員、外部の方、みなさま、一人一人の力によって、大きく広がりを持って一つのショーとしてかたちにすることができたこと、発案者として心からうれしく、何度でも感激してしまいます。
私自身を含め部員の多くは、ショーをはじめとした繊維研究会がこれまで作り上げてきた作品、先輩から感銘を受けて入部しています。先輩に感じていた確固たるかっこよさのようなものを、私たちの代は持ち合わせてはいない、という自負をどこかにずっと抱いていたのですが、そんな私たちで、繊維研究会の名に値するまでのショーを作り上げることができたのではないかと、今は思えます。かつて自分が繊維研究会に心をつかまれ、自分もこれを作り上げる側になってみたい!と突き動かされたように、このショーを見て何か心を動かしてくださった人が一人でもいたとしたら、そんなにうれしいことはありません。
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資生堂魚谷雅彦会長CEO、本日付で退任 資生堂での10年間を振り返る
資生堂の魚谷雅彦会長CEOは2024年12月31日に任期満了を迎え、2025年1月1日には藤原憲太郎・代表執行役社長COOに自らの職と経営権を譲る。退任を目前に控える中、魚谷氏がニューヨークで米「WWD」のインタビューに応じた。
同氏は11月から上海、ソウル、台北、香港を巡り、12月初旬に最終地としてニューヨークを訪問したが、これは退任を労う送別の旅ではなかった。以前から社交的な人として知られる魚谷氏にとって、3万6000人の従業員や美容部員とコミュニケーションを図るため、定期的に行ってきたタウンホールミーティングの一環だ。自らの哲学について、「CEOとして突然目の前に現れ、『私たちが直面している問題について話してほしい』と語りかけるだけではダメだ。常に情熱と熱意を持って共通の言語で人々と話し、真につながる必要がある」と説く。
1983年にコロンビア大学経営大学院で経営学を学んでMBAを取得し、デール・カーネギー(Dale Carnegie)の講義でリーダーシップのスキルを磨いた魚谷氏は、日本コカ・コーラで社長、会長を歴任後、2014年に初の外部出身者として資生堂の社長CEOに就任した。日本最大のビューティ企業である資生堂を、日本企業として世界中に商品を販売する会社から、市場のダイナミズムと多様性を反映したグローバル企業へと変革させるというミッションを掲げた。「真のグローバル企業とは、金融アナリストのように国内外のビジネスを数字で分析する企業ではない。人材と文化の多様性が欠かせない。さまざまな場所で、異なる背景を持つ者たちが一緒に働く時、革新的なイノベーションが生まれると信じている」と魚谷氏はいう。
魚谷氏の功績には、同社の公用語を英語にしたことや、日本の官僚主義的なビジネス文化や制約を解体し、経営幹部にグローバルな人材を起用したことも含まれる。例えば、アンジェリカ・マンソン(Angelica Munson)=グローバル最高デジタル責任者は、ニューヨークでeコマースのグローバル上級副社長として入社し、5年後に東京への移住を経て経営幹部となった。現在はインド、ブラジル、中国の幹部を含むチームを統括している。また、資生堂は中途採用を強化し、美容業界内外から毎年約200人の新しい人材を積極的に採用している。「資生堂は学びを共有できる、興味深い文化を築き上げた。他社とは一線を画すハイブリッドな文化が生まれている」と魚谷氏はいう。
就任時、資生堂は低迷の最中だった。その後10年間で魚谷氏は資生堂を中国で重要なプレーヤーに育て上げ、クリーンビューティブランド「ドランク エレファント(DRUNK ELEPHANT)」を買収するなどいち早く急成長するカテゴリーに着目し、次世代につなぐ未来への基盤を築いた。
在任期間の最初の5年間で同社の業績は改善したものの、特にコロナの影響でここ3年間は苦戦を強いられていた。その後国内事業はパンデミックを経て回復したが、中国市場の減速により同社の営業利益は急落した。だが魚谷氏は、中国事業は今後2〜3年で回復すると信じており、中国でのプレステージブランド事業は依然として好調で、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」などが売り上げをけん引していることを強調している。
パンデミック以降は、資生堂を世界最高のスキンビューティカンパニーに育成するための戦略投資を強化し、戦略に不要な資産の売却にも徹した。「厳しい状況にある時は、自分の強みと弱みを俯瞰し、自分の強みに集中する必要がある。研究開発、テクノロジー、科学、美容部員、消費者とのつながり、約1億人のデータベースなど、スキンケアは当社が最も強みを持つ分野であることは明らかだ。私はスキンビューティと名付けたが、これはウェルビーイングの概念にも通ずるだろう。体の健康状態、肌の状態、良好な精神状態、これら3つの要素は相互に関連している」。
現職を退任後も、その活躍の勢いは止まることを知らない。日本経済団体連合会(経団連)のダイバーシティ推進委員会委員長を務め、女性活躍を推進するために選択的夫婦別姓制度の早期実現を求める提言書を提出。また、次世代のビジネスリーダーを育成するための教育機関「Shiseido Future University」で講義も行い、ヘアスタイリスト、メイクアップアーティスト、美容師を養成する資生堂ビューティアカデミーの理事長も務めている。2月にはダートマス大学とハーバードビジネススクールでの講演も依頼され、デジタル領域で多くの支援実績を持つアクセンチュア(ACCENTURE)の取締役にも就任するなど精力的だ。時代や形が変わっても彼のビジョンは決して変わらない。
魚谷氏は最後に、「私は後継者に、グローバルな専門知識のファシリテーターになるように伝えた。われわれが築き上げたグローバルな組織をとても誇りに思っている。国や文化の垣根を越えた人々がグローバルチームとして協力し合えば、素晴らしい多くのアイデアが生まれる。そしてそれが新しい未来を切り開くことになる」と語った。
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資生堂魚谷雅彦会長CEO、本日付で退任 資生堂での10年間を振り返る
資生堂の魚谷雅彦会長CEOは2024年12月31日に任期満了を迎え、2025年1月1日には藤原憲太郎・代表執行役社長COOに自らの職と経営権を譲る。退任を目前に控える中、魚谷氏がニューヨークで米「WWD」のインタビューに応じた。
同氏は11月から上海、ソウル、台北、香港を巡り、12月初旬に最終地としてニューヨークを訪問したが、これは退任を労う送別の旅ではなかった。以前から社交的な人として知られる魚谷氏にとって、3万6000人の従業員や美容部員とコミュニケーションを図るため、定期的に行ってきたタウンホールミーティングの一環だ。自らの哲学について、「CEOとして突然目の前に現れ、『私たちが直面している問題について話してほしい』と語りかけるだけではダメだ。常に情熱と熱意を持って共通の言語で人々と話し、真につながる必要がある」と説く。
1983年にコロンビア大学経営大学院で経営学を学んでMBAを取得し、デール・カーネギー(Dale Carnegie)の講義でリーダーシップのスキルを磨いた魚谷氏は、日本コカ・コーラで社長、会長を歴任後、2014年に初の外部出身者として資生堂の社長CEOに就任した。日本最大のビューティ企業である資生堂を、日本企業として世界中に商品を販売する会社から、市場のダイナミズムと多様性を反映したグローバル企業へと変革させるというミッションを掲げた。「真のグローバル企業とは、金融アナリストのように国内外のビジネスを数字で分析する企業ではない。人材と文化の多様性が欠かせない。さまざまな場所で、異なる背景を持つ者たちが一緒に働く時、革新的なイノベーションが生まれると信じている」と魚谷氏はいう。
魚谷氏の功績には、同社の公用語を英語にしたことや、日本の官僚主義的なビジネス文化や制約を解体し、経営幹部にグローバルな人材を起用したことも含まれる。例えば、アンジェリカ・マンソン(Angelica Munson)=グローバル最高デジタル責任者は、ニューヨークでeコマースのグローバル上級副社長として入社し、5年後に東京への移住を経て経営幹部となった。現在はインド、ブラジル、中国の幹部を含むチームを統括している。また、資生堂は中途採用を強化し、美容業界内外から毎年約200人の新しい人材を積極的に採用している。「資生堂は学びを共有できる、興味深い文化を築き上げた。他社とは一線を画すハイブリッドな文化が生まれている」と魚谷氏はいう。
就任時、資生堂は低迷の最中だった。その後10年間で魚谷氏は資生堂を中国で重要なプレーヤーに育て上げ、クリーンビューティブランド「ドランク エレファント(DRUNK ELEPHANT)」を買収するなどいち早く急成長するカテゴリーに着目し、次世代につなぐ未来への基盤を築いた。
在任期間の最初の5年間で同社の業績は改善したものの、特にコロナの影響でここ3年間は苦戦を強いられていた。その後国内事業はパンデミックを経て回復したが、中国市場の減速により同社の営業利益は急落した。だが魚谷氏は、中国事業は今後2〜3年で回復すると信じており、中国でのプレステージブランド事業は依然として好調で、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」などが売り上げをけん引していることを強調している。
パンデミック以降は、資生堂を世界最高のスキンビューティカンパニーに育成するための戦略投資を強化し、戦略に不要な資産の売却にも徹した。「厳しい状況にある時は、自分の強みと弱みを俯瞰し、自分の強みに集中する必要がある。研究開発、テクノロジー、科学、美容部員、消費者とのつながり、約1億人のデータベースなど、スキンケアは当社が最も強みを持つ分野であることは明らかだ。私はスキンビューティと名付けたが、これはウェルビーイングの概念にも通ずるだろう。体の健康状態、肌の状態、良好な精神状態、これら3つの要素は相互に関連している」。
現職を退任後も、その活躍の勢いは止まることを知らない。日本経済団体連合会(経団連)のダイバーシティ推進委員会委員長を務め、女性活躍を推進するために選択的夫婦別姓制度の早期実現を求める提言書を提出。また、次世代のビジネスリーダーを育成するための教育機関「Shiseido Future University」で講義も行い、ヘアスタイリスト、メイクアップアーティスト、美容師を養成する資生堂ビューティアカデミーの理事長も務めている。2月にはダートマス大学とハーバードビジネススクールでの講演も依頼され、デジタル領域で多くの支援実績を持つアクセンチュア(ACCENTURE)の取締役にも就任するなど精力的だ。時代や形が変わっても彼のビジョンは決して変わらない。
魚谷氏は最後に、「私は後継者に、グローバルな専門知識のファシリテーターになるように伝えた。われわれが築き上げたグローバルな組織をとても誇りに思っている。国や文化の垣根を越えた人々がグローバルチームとして協力し合えば、素晴らしい多くのアイデアが生まれる。そしてそれが新しい未来を切り開くことになる」と語った。
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“量より質”を体現するシャンパーニュ「テルモン」 元新聞記者のCEO右腕が語る「サステナにプランBはない」
環境に優しいシャンパーニュ「テルモン(TELMONT)」は、シャンパーニュ業界で最もサステナビリティに力を入れているブランドの代表格だ。“母なる自然の名のもとに”を掲げ、ブドウの有機栽培から輸送は海輸のみと徹底したサステナブルな企業活動を通して、シャンパーニュ業界に革新をもたらすと同時に、“量より質”をモットーにクオリティの高いシャンパーニュを届けている。「テルモン」を率いるのは、ルドヴィック・ドゥ・プレシ=テルモン最高経営責任者(CEO)。彼の右腕が、ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクターだ。元々はフランスの新聞「ル・モンド(LE MONDE)」の記者だったというミードに、記者からシャンパーニュメゾンの運営へ転身した道のりや“ソバーキュリオス”の動きなどについて聞いた。
WWD:「ル・モンド」の記者からアルコール業界へ転換したきっかけは?
ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクター(以下、ミード):記者として働き、コミュニケーション・エージェンシーでの経験もある。もともとお酒には興味があったし、記者としてではなく、違った視点で素晴らしい製品の重みのあるストーリーを伝えたいと思いモエ ヘネシーに転職し、シャンパーニュの世界を発見した。記者とシャンパーニュ業界での仕事を比較してみると、共通点がたくさんある。両方共、“真正性”や“情熱”が必須だし、真実に対する敬意がなくてはできない仕事だ。それからコニャックの世界に進んだ。
WWD:プレシCEOとの出会いや「テルモン」に携わるようになったきっかけは?
ミード:ルドヴィックとは、レミーコアントローの世界最高級コニャック「ルイ13世(LOUISⅠⅢ)」の仕事で出会った。彼がグローバル・ディレクターで、私はシニア・ブランド・マネジャーだったが、彼のチャレンジング精神とエネルギーに共感し、すぐに意気投合した。シャンパーニュもコニャックも高級で素晴らしい味わいが特徴。どちらも、自然の産物であるブドウがなければ作ることはできない。だから、徐々に自然やそれを育む地球を大切にするべきだという思いが芽生えた。それなしでは、これら最高の味わいは生まれないから。だから、ルドヴィックから環境に優しいシャンパーニュ「テルモン」の事業を手伝ってほしいと言われて「イエス」と即答したよ。「テルモン」はブドウ農家のシャンパーニュメゾンに対する暴動により1912年にアンリ・ロピタルが創業した。彼はブドウ作りを熟知しており、シャンパーニュも自分で作ろうと始めた当時のスタートアップ企業だ。ブドウ作りとシャンパーニュ作りは同じという精神を引き継ぎ、ルドヴィックとメゾンに第二次革命を起こしているところだ。
100年後にシャンパーニュを楽しむためにはプランBはない
WWD:数多くあるシャンパーニュブランドの中で「テルモン」の強みは?
ミード:シャンパーニュそのものが強みだ。それは、テロワール(ブドウが栽培される土地)そのものを表している。ボディーはしっかりしているけれども、とても軽やかな余韻がある点。フルーティで生命力があり、繊細な泡が特徴。それは、原料であるブドウの味に左右される。高品質のシャンパーニュをつくるには、いいブドウを栽培する必要がある。創業時からのブドウ作り=シャンパーニュ作りという考えを引き継ぎ、セラーマスターのベルトラン・ロピタルが1999年に有機栽培を始めた。畑を有機にすることは、新しい言語を学ぶほど大変なこと。長年かけて土壌を改善し、ここ数年で、除草剤、殺虫剤、防カビ剤、化学肥料を全く使用せず、100%の再生有機栽培に切り替えた。25年かけて生まれた完全有機栽培のブドウを使用したシャンパーニュは全体の約5%だ。
WWD:サステナビリティやトレーサビリティーへの取り組みには時間と投資が必要だが、ビジネス活動の主軸にそれを掲げるのは?
ミード:プランBは存在しないから。50年後、100年後にシャンパーニュを楽しみたいと思ったら、徹底したサステナビリティやトレーサビリティの活動を実行する以外に方法はない。われわれはサステナビリティへの取り組みを制限とは考えない。ビジネス活動を日々より良くする変化をもたらし、革新する大きなチャンスだと見ている。
WWD:具体的に行っている活動は?
ミード:まず、ギフトボックスを廃止。ボトルもリサイクルガラスを使用した色付きのボトルに切り替えて二酸化炭素の削減を行っている。「テルモン」は、グラスメーカーのヴェラリアと協業でシャンパーニュボトルとしては最軽量の800gのボトル(通常900g~1kg)を製作し、軽量化に成功した。通常は特許を取得し、他社との差別化を図るが、敢えてオープンソースにしている。より多くのシャンパーニュ業者がこの軽量ボトルを使用することで二酸化炭素排出量を減らせるから。「テルモン」の活動が小川だとしたら、それが業界全体に広がることで大きな川へとなる。オフィスや工場は全て再生エネルギーを使用しているし、トラクターもバイオ燃料に切り掛えた。通勤も全員、電車と自転車。雨の日は合羽を着て通勤しているよ。このように徹底的にサステナビリティにコミットすることで、「テルモン」は2050年までにネットゼロを達成した最初のシャンパーニュハウスになることを目指す。
品質や体験を重要視する“ソバーキュリアス”に商機あり
WWD:現在の課題は?
ミード:シャンパーニュの味自体やそれを製造する方法など、まだまだやることはたくさんある。サステナビリティの道は長い。「テルモン」のサステナビリティをビジネスの軸に据えた活動に続くワイン醸造家が増えることを期待している。
WWD:「テルモン」をより多くの人々に知ってもらうために行っていることは?
ミード:「テルモン」は、サステナビリティに関して一才妥協せずに、最高品質のシャンパーニュを提供するメゾンであることを伝える役割がある。われわれと共感してくれるディストリビューターやレストランなどとの関係性を築くのはもちろん、ラグジュアリー・ブランドをはじめ、サステナビリティ活動を積極的に行っているさまざまな他業種の会社とコラボレーションしている。イギリス発自転車「ブロンプトン(BROMPTON)」と協業でエコなワインツーリズムも提供している。パリから電車と「ブロンプトン」の自転車を使って、「テルモン」本社へ訪れるというものだ。
WWD:“ソバーキュリアス”の動きが広がり、アルコールフリーの飲料が増えているが、現在のアルコール業界をどのように分析するか?
ミード:ソバーキュリアスの動きは、確かにわれわれの業界に影響をもたらしている。それは、お酒の飲み方に対する意識が高まっているということ。「テルモン」のような量よりも品質や体験を重要視するブランドにとってはいい傾向だと思う。われわれにとって、この動きはポジティブなものでブランドの哲学ともマッチしている。高級アルコール飲料の未来は、透明性を持って本物と意味ある体験を提供することにあると思う。
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“量より質”を体現するシャンパーニュ「テルモン」 元新聞記者のCEO右腕が語る「サステナにプランBはない」
環境に優しいシャンパーニュ「テルモン(TELMONT)」は、シャンパーニュ業界で最もサステナビリティに力を入れているブランドの代表格だ。“母なる自然の名のもとに”を掲げ、ブドウの有機栽培から輸送は海輸のみと徹底したサステナブルな企業活動を通して、シャンパーニュ業界に革新をもたらすと同時に、“量より質”をモットーにクオリティの高いシャンパーニュを届けている。「テルモン」を率いるのは、ルドヴィック・ドゥ・プレシ=テルモン最高経営責任者(CEO)。彼の右腕が、ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクターだ。元々はフランスの新聞「ル・モンド(LE MONDE)」の記者だったというミードに、記者からシャンパーニュメゾンの運営へ転身した道のりや“ソバーキュリオス”の動きなどについて聞いた。
WWD:「ル・モンド」の記者からアルコール業界へ転換したきっかけは?
ジャスティン・ミード=テルモン グローバル・マーケティング&ビジネスデベロップメント・ディレクター(以下、ミード):記者として働き、コミュニケーション・エージェンシーでの経験もある。もともとお酒には興味があったし、記者としてではなく、違った視点で素晴らしい製品の重みのあるストーリーを伝えたいと思いモエ ヘネシーに転職し、シャンパーニュの世界を発見した。記者とシャンパーニュ業界での仕事を比較してみると、共通点がたくさんある。両方共、“真正性”や“情熱”が必須だし、真実に対する敬意がなくてはできない仕事だ。それからコニャックの世界に進んだ。
WWD:プレシCEOとの出会いや「テルモン」に携わるようになったきっかけは?
ミード:ルドヴィックとは、レミーコアントローの世界最高級コニャック「ルイ13世(LOUISⅠⅢ)」の仕事で出会った。彼がグローバル・ディレクターで、私はシニア・ブランド・マネジャーだったが、彼のチャレンジング精神とエネルギーに共感し、すぐに意気投合した。シャンパーニュもコニャックも高級で素晴らしい味わいが特徴。どちらも、自然の産物であるブドウがなければ作ることはできない。だから、徐々に自然やそれを育む地球を大切にするべきだという思いが芽生えた。それなしでは、これら最高の味わいは生まれないから。だから、ルドヴィックから環境に優しいシャンパーニュ「テルモン」の事業を手伝ってほしいと言われて「イエス」と即答したよ。「テルモン」はブドウ農家のシャンパーニュメゾンに対する暴動により1912年にアンリ・ロピタルが創業した。彼はブドウ作りを熟知しており、シャンパーニュも自分で作ろうと始めた当時のスタートアップ企業だ。ブドウ作りとシャンパーニュ作りは同じという精神を引き継ぎ、ルドヴィックとメゾンに第二次革命を起こしているところだ。
100年後にシャンパーニュを楽しむためにはプランBはない
WWD:数多くあるシャンパーニュブランドの中で「テルモン」の強みは?
ミード:シャンパーニュそのものが強みだ。それは、テロワール(ブドウが栽培される土地)そのものを表している。ボディーはしっかりしているけれども、とても軽やかな余韻がある点。フルーティで生命力があり、繊細な泡が特徴。それは、原料であるブドウの味に左右される。高品質のシャンパーニュをつくるには、いいブドウを栽培する必要がある。創業時からのブドウ作り=シャンパーニュ作りという考えを引き継ぎ、セラーマスターのベルトラン・ロピタルが1999年に有機栽培を始めた。畑を有機にすることは、新しい言語を学ぶほど大変なこと。長年かけて土壌を改善し、ここ数年で、除草剤、殺虫剤、防カビ剤、化学肥料を全く使用せず、100%の再生有機栽培に切り替えた。25年かけて生まれた完全有機栽培のブドウを使用したシャンパーニュは全体の約5%だ。
WWD:サステナビリティやトレーサビリティーへの取り組みには時間と投資が必要だが、ビジネス活動の主軸にそれを掲げるのは?
ミード:プランBは存在しないから。50年後、100年後にシャンパーニュを楽しみたいと思ったら、徹底したサステナビリティやトレーサビリティの活動を実行する以外に方法はない。われわれはサステナビリティへの取り組みを制限とは考えない。ビジネス活動を日々より良くする変化をもたらし、革新する大きなチャンスだと見ている。
WWD:具体的に行っている活動は?
ミード:まず、ギフトボックスを廃止。ボトルもリサイクルガラスを使用した色付きのボトルに切り替えて二酸化炭素の削減を行っている。「テルモン」は、グラスメーカーのヴェラリアと協業でシャンパーニュボトルとしては最軽量の800gのボトル(通常900g~1kg)を製作し、軽量化に成功した。通常は特許を取得し、他社との差別化を図るが、敢えてオープンソースにしている。より多くのシャンパーニュ業者がこの軽量ボトルを使用することで二酸化炭素排出量を減らせるから。「テルモン」の活動が小川だとしたら、それが業界全体に広がることで大きな川へとなる。オフィスや工場は全て再生エネルギーを使用しているし、トラクターもバイオ燃料に切り掛えた。通勤も全員、電車と自転車。雨の日は合羽を着て通勤しているよ。このように徹底的にサステナビリティにコミットすることで、「テルモン」は2050年までにネットゼロを達成した最初のシャンパーニュハウスになることを目指す。
品質や体験を重要視する“ソバーキュリアス”に商機あり
WWD:現在の課題は?
ミード:シャンパーニュの味自体やそれを製造する方法など、まだまだやることはたくさんある。サステナビリティの道は長い。「テルモン」のサステナビリティをビジネスの軸に据えた活動に続くワイン醸造家が増えることを期待している。
WWD:「テルモン」をより多くの人々に知ってもらうために行っていることは?
ミード:「テルモン」は、サステナビリティに関して一才妥協せずに、最高品質のシャンパーニュを提供するメゾンであることを伝える役割がある。われわれと共感してくれるディストリビューターやレストランなどとの関係性を築くのはもちろん、ラグジュアリー・ブランドをはじめ、サステナビリティ活動を積極的に行っているさまざまな他業種の会社とコラボレーションしている。イギリス発自転車「ブロンプトン(BROMPTON)」と協業でエコなワインツーリズムも提供している。パリから電車と「ブロンプトン」の自転車を使って、「テルモン」本社へ訪れるというものだ。
WWD:“ソバーキュリアス”の動きが広がり、アルコールフリーの飲料が増えているが、現在のアルコール業界をどのように分析するか?
ミード:ソバーキュリアスの動きは、確かにわれわれの業界に影響をもたらしている。それは、お酒の飲み方に対する意識が高まっているということ。「テルモン」のような量よりも品質や体験を重要視するブランドにとってはいい傾向だと思う。われわれにとって、この動きはポジティブなものでブランドの哲学ともマッチしている。高級アルコール飲料の未来は、透明性を持って本物と意味ある体験を提供することにあると思う。
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「ロンシャン」3代目が語る 「創造力とは冷蔵庫の余り物から一品作り上げる力」の意味
PROFILE: ソフィ・ドゥラフォンテーヌ/「ロンシャン」クリエイティブ・ディレクター

「ロンシャン(LONGCHAMP)」は近年、“現代のパリジェンヌ”を題材にコレクションを発表している。パリジェンヌといえば、トレンチコートやバギーパンツ、赤リップを身につけたパリ生まれの女性を想像するが、同ブランドが打ち出すのは、多様なバックグラウンドを持ちながらパリで人生を謳歌する女性たちだ。彼女たちの生き方や哲学に着想したコレクションを発表し、誰もがパリジェンヌになれると訴える。このほど来日したソフィ・ドゥラフォンテーヌ(Sophie Delafontaine)クリエイティブ・ディレクターに、2025年夏コレクションやアイコンバッグに抱く思い、ファミリービジネスの功罪、バッグ市場の見解などを聞いた。
夏コレクションの着想源は家庭菜園
WWD:2025年の夏コレクションについて教えてほしい。
ソフィ・ドゥラフォンテーヌ(以下、ドゥラフォンテーヌ):今季は「“現代のパリジェンヌ”がパリ郊外の菜園で家族や友人と過ごす姿」をルックで表現した。ガーデナーのエプロンに着想したドレスは、コレクションの象徴的な存在だ。あたたかなギンガムチェックを取り入れたルックも多く登場する。カラーパレットにも注目してほしい。「LIVE GREEN」をテーマに掲げ、夏の自然を思わせるグリーンをキーカラーとして打ち出しつつ、ビーツやアーティチョークなど、さまざまな野菜由来のカラーを取り入れた。
WWD:25年春コレクションは、ピンクをふんだんに取り入れた都会的なルックが印象的だった。今季、舞台をパリ郊外に移したのはなぜか?
ドゥラフォンテーヌ:大都会が持つエネルギーももちろん好きだが、時に喧騒から逃れ、自然に身を委ねたくなる。私自身、週末にファミリーハウスで過ごす穏やかな時間は、ただ楽しいだけでなくリセットの時間にもなっている。都会に生きるからこそ、自然と触れ合う時間を大切にしたい。その思いをコレクションで表現した。
WWD:今季は「菜園」がキーワードになっている。個人的な思い入れがあるのか?
ドゥラフォンテーヌ:若年層を中心に、「何を食べているのか」「それらがどのように作られたのか」に意識的になっている印象がある。私自身もパリ近郊の住居と南フランスの別荘に2つ菜園を持っており、家族や友人とトマトやズッキーニを育てたり、収穫した野菜でサラダを作るなど、家庭菜園を楽しんでいる。収穫した野菜から季節を感じられるのも、都会ではなかなか体験できないことだろう。
WWD:バッグもコレクションテーマを体現している。
ドゥラフォンテーヌ:野菜由来のカラーやギンガムチェックで彩った“ル ロゾ”はもちろん、青果市場に行くときに使用するバッグに着想したアイテム(※ルック画像2枚目)も今季らしいアイテムだ。
アイコニックなバッグの数々
WWD:「ロンシャン」と言えばバッグを思い浮かべる人も多い。まずは、代表格の“ル プリアージュ”について教えてほしい。
ドゥラフォンテーヌ:“ル プリアージュ”は、私の父が作ったバッグだ。シンプルでアイコニックな佇まいを両立するのは至難の技だが、“ル プリアージュ”は発売当初から実現している。「軽さ」「多彩さ」「自由さ」など、「ロンシャン」のモノ作りのスピリットを体現しているのも、ロングセラーである理由だろう。これまでさまざまなカラーや素材、コラボレーションを試してきたが、“ル プリアージュ”の可能性は無限。これからも世代や性別、国籍を問わず愛されるバッグであり続けたいと思う。
WWD:“ル ロゾ”も30周年を迎え、ロングセラーのバッグとして名高い。
ドゥラフォンテーヌ:流行り廃りが激しいファッション業界において、時代を超え愛されるバッグを生み出せたことを誇りに思う。“ル ロゾ”はこれまで、さまざまなデザインを試してきた。発売当初は、スマートフォンもなく荷物が多くなりがちだったため、“ル ロゾ”のサイズ感は多くの人々の心をつかんだことだろう。
WWD:比較的新しい“リプレイ”シリーズも、着実にファンを増やしている。
ドゥラフォンテーヌ:“リプレイ”は、メゾンで眠っていたストック素材をバッグに活用したシリーズだ。そのため、ストラップをバスケット型のバッグにしたり、レザーをクロスボディバッグにしたりと、使用する素材やカラーはシーズンごとに異なる。ただサステナブルなだけでない、素材やサプライヤーにこだわりを持つ「ロンシャン」ならではのシリーズだと言えるだろう。
WWD:「ロンシャン」は、ただサステナビリティに向き合うだけでなく、楽しみながらエコフレンドリーなモノ作りに取り組んでいるのが印象的だ。
ドゥラフォンテーヌ:サステナビリティとは、本来楽しく喜びをもたらすもの。そしてファッションの醍醐味も、装う楽しさを届けることだ。“リプレイ”を生み出す過程は、レシピを持って買い物へ行くというより、冷蔵庫の余り物をもとに料理する感覚に近い。ちょうど祖母が残ったフランスパンでフレンチトーストを作るように、材料を目の前に置き、そこから何かを生み出せるようなクリエイティビティーが求められている。
ファミリービジネスが広げるブランドの可能性
WWD:「ロンシャン」は、伝統的にファミリービジネスの形態をとっている。
ドゥラフォンテーヌ:ファミリービジネスは何事も長期的な視点に立ち考えられるのが強みだ。例えば、父が初来日した1960年代から、私たち家族、すなわち「ロンシャン」と日本の関係は絶えず続いている。加えて、家族だからこそ何事も率直に打ち明けられる。兄弟から「このバッグは良くない」と厳しい意見をもらうこともあるが、それもより良い商品を企画・製作するため。私も主張するため議論は続くが、5日後にはいつも通りの会話をしている。集まるのが容易なため、決断が早いことも大きなアドバンテージだろう。
WWD:家族経営だからこそ、さまざまな世代が集まる。
ドゥラフォンテーヌ:私の父がそうであったように、私もクリエイティブ・ディレクターとして、好奇心を持って人や文化に触れてきた。その経験が娘や甥に影響を与えることもあるだろうが、私自身も彼女たちが持つ若年層の視点を必要としている。お互いをインスパイアし合っているからこそ、「ロンシャン」の世代を超えて愛されるプロダクトが誕生している。
WWD:日本市場をどう見ているか?
ドゥラフォンテーヌ:日本市場と欧州市場は年々似通ってきている。昔こそ日本は小さめのバッグ、欧州は大きめのバッグが売れ筋だったが、今年のベストセラーは全く同じだった。そもそも、「ロンシャン」は国境で分けて考えることはしない。どこで生まれたか、どこに住んでいるかより、その人のライフスタイルやパーソナリティーに基づいて検討している。
WWD:その姿勢は、ロンシャンが定義する“現代のパリジェンヌ”に重なる。
ドゥラフォンテーヌ:私たちのミューズは、さまざまなバックグラウンドを持ちながら、あるがままの自分を楽しんでいる女性。そして、プロダクトを通して自信を与えるのが私の仕事だ。今後もクリエイティブ・ディレクターとしての役割を全うし、“現代のパリジェンヌ”が持つエネルギーをコレクションで表現し続けたい。
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「ロンシャン」3代目が語る 「創造力とは冷蔵庫の余り物から一品作り上げる力」の意味
PROFILE: ソフィ・ドゥラフォンテーヌ/「ロンシャン」クリエイティブ・ディレクター

「ロンシャン(LONGCHAMP)」は近年、“現代のパリジェンヌ”を題材にコレクションを発表している。パリジェンヌといえば、トレンチコートやバギーパンツ、赤リップを身につけたパリ生まれの女性を想像するが、同ブランドが打ち出すのは、多様なバックグラウンドを持ちながらパリで人生を謳歌する女性たちだ。彼女たちの生き方や哲学に着想したコレクションを発表し、誰もがパリジェンヌになれると訴える。このほど来日したソフィ・ドゥラフォンテーヌ(Sophie Delafontaine)クリエイティブ・ディレクターに、2025年夏コレクションやアイコンバッグに抱く思い、ファミリービジネスの功罪、バッグ市場の見解などを聞いた。
夏コレクションの着想源は家庭菜園
WWD:2025年の夏コレクションについて教えてほしい。
ソフィ・ドゥラフォンテーヌ(以下、ドゥラフォンテーヌ):今季は「“現代のパリジェンヌ”がパリ郊外の菜園で家族や友人と過ごす姿」をルックで表現した。ガーデナーのエプロンに着想したドレスは、コレクションの象徴的な存在だ。あたたかなギンガムチェックを取り入れたルックも多く登場する。カラーパレットにも注目してほしい。「LIVE GREEN」をテーマに掲げ、夏の自然を思わせるグリーンをキーカラーとして打ち出しつつ、ビーツやアーティチョークなど、さまざまな野菜由来のカラーを取り入れた。
WWD:25年春コレクションは、ピンクをふんだんに取り入れた都会的なルックが印象的だった。今季、舞台をパリ郊外に移したのはなぜか?
ドゥラフォンテーヌ:大都会が持つエネルギーももちろん好きだが、時に喧騒から逃れ、自然に身を委ねたくなる。私自身、週末にファミリーハウスで過ごす穏やかな時間は、ただ楽しいだけでなくリセットの時間にもなっている。都会に生きるからこそ、自然と触れ合う時間を大切にしたい。その思いをコレクションで表現した。
WWD:今季は「菜園」がキーワードになっている。個人的な思い入れがあるのか?
ドゥラフォンテーヌ:若年層を中心に、「何を食べているのか」「それらがどのように作られたのか」に意識的になっている印象がある。私自身もパリ近郊の住居と南フランスの別荘に2つ菜園を持っており、家族や友人とトマトやズッキーニを育てたり、収穫した野菜でサラダを作るなど、家庭菜園を楽しんでいる。収穫した野菜から季節を感じられるのも、都会ではなかなか体験できないことだろう。
WWD:バッグもコレクションテーマを体現している。
ドゥラフォンテーヌ:野菜由来のカラーやギンガムチェックで彩った“ル ロゾ”はもちろん、青果市場に行くときに使用するバッグに着想したアイテム(※ルック画像2枚目)も今季らしいアイテムだ。
アイコニックなバッグの数々
WWD:「ロンシャン」と言えばバッグを思い浮かべる人も多い。まずは、代表格の“ル プリアージュ”について教えてほしい。
ドゥラフォンテーヌ:“ル プリアージュ”は、私の父が作ったバッグだ。シンプルでアイコニックな佇まいを両立するのは至難の技だが、“ル プリアージュ”は発売当初から実現している。「軽さ」「多彩さ」「自由さ」など、「ロンシャン」のモノ作りのスピリットを体現しているのも、ロングセラーである理由だろう。これまでさまざまなカラーや素材、コラボレーションを試してきたが、“ル プリアージュ”の可能性は無限。これからも世代や性別、国籍を問わず愛されるバッグであり続けたいと思う。
WWD:“ル ロゾ”も30周年を迎え、ロングセラーのバッグとして名高い。
ドゥラフォンテーヌ:流行り廃りが激しいファッション業界において、時代を超え愛されるバッグを生み出せたことを誇りに思う。“ル ロゾ”はこれまで、さまざまなデザインを試してきた。発売当初は、スマートフォンもなく荷物が多くなりがちだったため、“ル ロゾ”のサイズ感は多くの人々の心をつかんだことだろう。
WWD:比較的新しい“リプレイ”シリーズも、着実にファンを増やしている。
ドゥラフォンテーヌ:“リプレイ”は、メゾンで眠っていたストック素材をバッグに活用したシリーズだ。そのため、ストラップをバスケット型のバッグにしたり、レザーをクロスボディバッグにしたりと、使用する素材やカラーはシーズンごとに異なる。ただサステナブルなだけでない、素材やサプライヤーにこだわりを持つ「ロンシャン」ならではのシリーズだと言えるだろう。
WWD:「ロンシャン」は、ただサステナビリティに向き合うだけでなく、楽しみながらエコフレンドリーなモノ作りに取り組んでいるのが印象的だ。
ドゥラフォンテーヌ:サステナビリティとは、本来楽しく喜びをもたらすもの。そしてファッションの醍醐味も、装う楽しさを届けることだ。“リプレイ”を生み出す過程は、レシピを持って買い物へ行くというより、冷蔵庫の余り物をもとに料理する感覚に近い。ちょうど祖母が残ったフランスパンでフレンチトーストを作るように、材料を目の前に置き、そこから何かを生み出せるようなクリエイティビティーが求められている。
ファミリービジネスが広げるブランドの可能性
WWD:「ロンシャン」は、伝統的にファミリービジネスの形態をとっている。
ドゥラフォンテーヌ:ファミリービジネスは何事も長期的な視点に立ち考えられるのが強みだ。例えば、父が初来日した1960年代から、私たち家族、すなわち「ロンシャン」と日本の関係は絶えず続いている。加えて、家族だからこそ何事も率直に打ち明けられる。兄弟から「このバッグは良くない」と厳しい意見をもらうこともあるが、それもより良い商品を企画・製作するため。私も主張するため議論は続くが、5日後にはいつも通りの会話をしている。集まるのが容易なため、決断が早いことも大きなアドバンテージだろう。
WWD:家族経営だからこそ、さまざまな世代が集まる。
ドゥラフォンテーヌ:私の父がそうであったように、私もクリエイティブ・ディレクターとして、好奇心を持って人や文化に触れてきた。その経験が娘や甥に影響を与えることもあるだろうが、私自身も彼女たちが持つ若年層の視点を必要としている。お互いをインスパイアし合っているからこそ、「ロンシャン」の世代を超えて愛されるプロダクトが誕生している。
WWD:日本市場をどう見ているか?
ドゥラフォンテーヌ:日本市場と欧州市場は年々似通ってきている。昔こそ日本は小さめのバッグ、欧州は大きめのバッグが売れ筋だったが、今年のベストセラーは全く同じだった。そもそも、「ロンシャン」は国境で分けて考えることはしない。どこで生まれたか、どこに住んでいるかより、その人のライフスタイルやパーソナリティーに基づいて検討している。
WWD:その姿勢は、ロンシャンが定義する“現代のパリジェンヌ”に重なる。
ドゥラフォンテーヌ:私たちのミューズは、さまざまなバックグラウンドを持ちながら、あるがままの自分を楽しんでいる女性。そして、プロダクトを通して自信を与えるのが私の仕事だ。今後もクリエイティブ・ディレクターとしての役割を全うし、“現代のパリジェンヌ”が持つエネルギーをコレクションで表現し続けたい。
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元アパレル販売員の整体師に聞く、販売員のためのお疲れリセット術
年も暮れるし、1年の溜まった疲れをリフレッシュしたいーー。そんなふうに思っているファッション&ビューティ業界人も多いことだろう。パソコンとにらめっこの毎日で、「首肩の硬さでは誰にも負けない」というバックオフィス社員。立ちっぱなしの毎日で、そろそろ足腰が限界を迎えている販売員。そんな皆さんを満身創痍の体から解き放ってくれるのが整体師だ。
東京・都立大学駅から徒歩5分のアパートの一室に「やくも整体院」が今年6月に開業した。オーナー整体師の若林篤史さんは、元アパレル販売員という異色の経歴の持ち主。丁寧かつ的確な施術を受けながら、立ち仕事の販売員が酷使しがちな体の部位、仕事の合間にもできるコリ・疲れ対策のストレッチや姿勢の工夫について、販売員の経験を交えながらアドバイスしてもらった。
WWD:すてきな整体院ですね。
若林:ありがとうございます。整体院なので清潔感が第一ですが、インテリアや音楽も好きなので、これから少しずつ自分らしい空間にしていきたいと思っています。
WWD:元々アパレルの販売員をされていたと聞きました。
若林:長くメンズファッションブランドの販売職をしていました。当時は体の線が今よりも全然細かったので、体をもっと大きくしようとジムに通い始めたんです。それをきっかけに、筋肉や骨格など、人体そのものにも興味が湧いていって。一念発起して仕事を辞めたのが2019年でした。国の助成金制度も活用して専門学校に3年ほど通って柔道整復師の国家資格を取得し、整骨院で2年ほど経験を積んでから、今年6月に独立・開院しました。
WWD:販売員時代に整体のお世話になっていたこともあった?
若林:幸い体は丈夫で、それは全然なかったですね(笑)。
WWD:開院して半年経ちましたが、進捗はいかがですか?
若林:最初は赤字覚悟でした。インスタ経由の完全予約制でひっそりと始め、施術者は僕1人だけ。店の近くに看板も出していないので、めちゃくちゃ分かりにくいと思います。でも幸いなことに、アパレル時代の知り合いが訪ねて来てくれたり、そこから口コミで広めてくれたりして。結構リピーターも増えてきているんですよ。
WWD:得意な施術は?
若林:手技(マッサージ)はもちろんですが、電気を使ってピンポイントに痛みをとる施術には自信があります。少しだけ体験してみませんか?
WWD:では、お言葉に甘えて。
若林:肩と首がガチガチですね。働きすぎじゃありませんか?大胸筋と腸腰筋もなかなかですね。
WWD:あいたたた。もう大丈夫です。……あれ、ちょっと触っていただいただけなのに、すごくラクになりました。ありがとうございます。ところで若林さんは元アパレル販売員ということで、お疲れの販売員にアドバイスはありませんか?
若林:でしたら、まずは正しい立ち姿勢からお伝えしましょうか。販売員の方って、基本的に前傾姿勢になりすぎている傾向があります。おそらく、お客さまをお出迎えしたり、接客したりするときに、ちょっとかしこまる感じで、体が前屈みになるからなんですよね。前腿とお尻のあたりが張ってしまって、腰痛などの原因にもなっていきます。
WWD:なるほど。負担のない立ち方のコツは?
若林:カンタンです。足の親指と小指の付け根、それからかかとの3つの点が接地しているかを確認してみてください。おそらく販売員の方は、かかとが浮いてしまっている方が多いのではないでしょうか。まずは、この3点で立つことを意識するだけでも、だいぶ変わるはずです。
それから販売員さんだと、店頭の品出しや整理で屈んだりする動作がキツいですよね。低いところの作業をするときは、横着をせず、「膝をしっかり曲げて」屈んでください。これも腰への負担を減らすポイントです。
WWD:仕事の合間にできそうなストレッチはありますか?
若林:お客さまの波が切れたタイミングで手軽にできて、かつ店長に怒られないような手軽なものを教えましょう(笑)。1つめはカンタン。片足立ちになって、体の後ろでつま先を持つだけ。これで縮こまった前腿を引き伸ばせます。片足10秒ずつくらいやってみてください。
次はこちら。体育の授業でよくやったアキレス腱を伸ばす運動に似て見えるんですが、効かせる場所はそけい部、つまり太ももの付け根のあたりを意識してください。少し反り返るようなイメージでやるといいと思います。
最後はこちら。休憩室の椅子に座ってやってみてください。足首をもう片方の膝に乗せて、体をグッと地面の方に伸ばします。お尻のあたりが引き伸ばされる感じがしませんか?
これらの3つを行うことで、前腿、そけい部、お尻の筋肉をほぐして、立ち仕事の疲れや重さ、だるさを軽減できるはず。大前提として、最初にお伝えした「3点で立つ」ことを意識してくださいね。それでも取れない疲れや辛さがあれば、当院にお越しください(笑)。
WWD:アパレルの仕事が今に生きていることはありますか?
若林:独立する前から「若林さんって丁寧だね」と褒められることは多かったように思います。言葉づかいや接遇の丁寧さは販売員時代にすごく意識していて、鍛えられた部分です。アパレルも整体師も、ざっくり言って“接客業”ということに変わりはないので。整体師としての技量だけでなく、お客さまのコミュニケーションはすごく大事だと思っています。
洋服を売るときも、その人の「欲しい」の裏側にある色やテイストの好み、暮らしまで見えてくると、より良い提案ができることを学びました。整体でもそれは同じで、じっくりお話をしたり、施術の回数を重ねる中でその人の暮らしや仕事、クセなどが想像できるようになってきて、的確な施術につながるのだと思います。
WWD:アパレルの仕事とは全く違うことも?
若林:やっぱり、人の体を預かるという責任は大きいですね。力の入れ方や圧をかける部分を間違えると、かえって状態を悪くしてしまいかねません。それから、アパレル時代はお客さまに「また来ていただきたい」と願ったものですが、整骨院では施術を受けた方ががずっと調子が良くなって、もう二度と来なくてよければ、それが一番だと思っていました。
ただこの「やくも整体院」は少し違うスタンスでやっていきたくて。一般的な整体院は回によって担当が変わることもありますし、繁忙期は十分にカウンセリングができないこともありますが、ここでは僕1人がカウンセリングから施術まで一貫して担当します。一度の訪問で終わらず、その後も定期的にご来院いただきながら、常に体を良い状態に保って頂きたい。体が徐々にいい方向に変わっていくことを、一緒に感動したり、喜んだりしながら、お客さま一人一人に寄り添える整体院にできればいいなと思っています。
■やくも整体院
住所:目黒区八雲1-12-20 アクティ八雲105
営業時間:10時〜21時(最終受付)
※インスタグラム(@yakumoseitai)から完全予約制
定休日:不定休
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元アパレル販売員の整体師に聞く、販売員のためのお疲れリセット術
年も暮れるし、1年の溜まった疲れをリフレッシュしたいーー。そんなふうに思っているファッション&ビューティ業界人も多いことだろう。パソコンとにらめっこの毎日で、「首肩の硬さでは誰にも負けない」というバックオフィス社員。立ちっぱなしの毎日で、そろそろ足腰が限界を迎えている販売員。そんな皆さんを満身創痍の体から解き放ってくれるのが整体師だ。
東京・都立大学駅から徒歩5分のアパートの一室に「やくも整体院」が今年6月に開業した。オーナー整体師の若林篤史さんは、元アパレル販売員という異色の経歴の持ち主。丁寧かつ的確な施術を受けながら、立ち仕事の販売員が酷使しがちな体の部位、仕事の合間にもできるコリ・疲れ対策のストレッチや姿勢の工夫について、販売員の経験を交えながらアドバイスしてもらった。
WWD:すてきな整体院ですね。
若林:ありがとうございます。整体院なので清潔感が第一ですが、インテリアや音楽も好きなので、これから少しずつ自分らしい空間にしていきたいと思っています。
WWD:元々アパレルの販売員をされていたと聞きました。
若林:長くメンズファッションブランドの販売職をしていました。当時は体の線が今よりも全然細かったので、体をもっと大きくしようとジムに通い始めたんです。それをきっかけに、筋肉や骨格など、人体そのものにも興味が湧いていって。一念発起して仕事を辞めたのが2019年でした。国の助成金制度も活用して専門学校に3年ほど通って柔道整復師の国家資格を取得し、整骨院で2年ほど経験を積んでから、今年6月に独立・開院しました。
WWD:販売員時代に整体のお世話になっていたこともあった?
若林:幸い体は丈夫で、それは全然なかったですね(笑)。
WWD:開院して半年経ちましたが、進捗はいかがですか?
若林:最初は赤字覚悟でした。インスタ経由の完全予約制でひっそりと始め、施術者は僕1人だけ。店の近くに看板も出していないので、めちゃくちゃ分かりにくいと思います。でも幸いなことに、アパレル時代の知り合いが訪ねて来てくれたり、そこから口コミで広めてくれたりして。結構リピーターも増えてきているんですよ。
WWD:得意な施術は?
若林:手技(マッサージ)はもちろんですが、電気を使ってピンポイントに痛みをとる施術には自信があります。少しだけ体験してみませんか?
WWD:では、お言葉に甘えて。
若林:肩と首がガチガチですね。働きすぎじゃありませんか?大胸筋と腸腰筋もなかなかですね。
WWD:あいたたた。もう大丈夫です。……あれ、ちょっと触っていただいただけなのに、すごくラクになりました。ありがとうございます。ところで若林さんは元アパレル販売員ということで、お疲れの販売員にアドバイスはありませんか?
若林:でしたら、まずは正しい立ち姿勢からお伝えしましょうか。販売員の方って、基本的に前傾姿勢になりすぎている傾向があります。おそらく、お客さまをお出迎えしたり、接客したりするときに、ちょっとかしこまる感じで、体が前屈みになるからなんですよね。前腿とお尻のあたりが張ってしまって、腰痛などの原因にもなっていきます。
WWD:なるほど。負担のない立ち方のコツは?
若林:カンタンです。足の親指と小指の付け根、それからかかとの3つの点が接地しているかを確認してみてください。おそらく販売員の方は、かかとが浮いてしまっている方が多いのではないでしょうか。まずは、この3点で立つことを意識するだけでも、だいぶ変わるはずです。
それから販売員さんだと、店頭の品出しや整理で屈んだりする動作がキツいですよね。低いところの作業をするときは、横着をせず、「膝をしっかり曲げて」屈んでください。これも腰への負担を減らすポイントです。
WWD:仕事の合間にできそうなストレッチはありますか?
若林:お客さまの波が切れたタイミングで手軽にできて、かつ店長に怒られないような手軽なものを教えましょう(笑)。1つめはカンタン。片足立ちになって、体の後ろでつま先を持つだけ。これで縮こまった前腿を引き伸ばせます。片足10秒ずつくらいやってみてください。
次はこちら。体育の授業でよくやったアキレス腱を伸ばす運動に似て見えるんですが、効かせる場所はそけい部、つまり太ももの付け根のあたりを意識してください。少し反り返るようなイメージでやるといいと思います。
最後はこちら。休憩室の椅子に座ってやってみてください。足首をもう片方の膝に乗せて、体をグッと地面の方に伸ばします。お尻のあたりが引き伸ばされる感じがしませんか?
これらの3つを行うことで、前腿、そけい部、お尻の筋肉をほぐして、立ち仕事の疲れや重さ、だるさを軽減できるはず。大前提として、最初にお伝えした「3点で立つ」ことを意識してくださいね。それでも取れない疲れや辛さがあれば、当院にお越しください(笑)。
WWD:アパレルの仕事が今に生きていることはありますか?
若林:独立する前から「若林さんって丁寧だね」と褒められることは多かったように思います。言葉づかいや接遇の丁寧さは販売員時代にすごく意識していて、鍛えられた部分です。アパレルも整体師も、ざっくり言って“接客業”ということに変わりはないので。整体師としての技量だけでなく、お客さまのコミュニケーションはすごく大事だと思っています。
洋服を売るときも、その人の「欲しい」の裏側にある色やテイストの好み、暮らしまで見えてくると、より良い提案ができることを学びました。整体でもそれは同じで、じっくりお話をしたり、施術の回数を重ねる中でその人の暮らしや仕事、クセなどが想像できるようになってきて、的確な施術につながるのだと思います。
WWD:アパレルの仕事とは全く違うことも?
若林:やっぱり、人の体を預かるという責任は大きいですね。力の入れ方や圧をかける部分を間違えると、かえって状態を悪くしてしまいかねません。それから、アパレル時代はお客さまに「また来ていただきたい」と願ったものですが、整骨院では施術を受けた方ががずっと調子が良くなって、もう二度と来なくてよければ、それが一番だと思っていました。
ただこの「やくも整体院」は少し違うスタンスでやっていきたくて。一般的な整体院は回によって担当が変わることもありますし、繁忙期は十分にカウンセリングができないこともありますが、ここでは僕1人がカウンセリングから施術まで一貫して担当します。一度の訪問で終わらず、その後も定期的にご来院いただきながら、常に体を良い状態に保って頂きたい。体が徐々にいい方向に変わっていくことを、一緒に感動したり、喜んだりしながら、お客さま一人一人に寄り添える整体院にできればいいなと思っています。
■やくも整体院
住所:目黒区八雲1-12-20 アクティ八雲105
営業時間:10時〜21時(最終受付)
※インスタグラム(@yakumoseitai)から完全予約制
定休日:不定休
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「フェティコ」舟山瑛美に聞く独特な女性像、そして日本の産地のモノ作り
PROFILE: 舟山瑛美/「フェティコ」デザイナー

「フェティコ(FETICO)」の登場は、多くの女性たちに勇気を与えている。大胆に肌を露出し、体のラインを強調するそのスタイルは日本のデザイナーズブランドでは珍しい。「自分の身体や欲望をありのまま愛でたい」。そんな女性たちの内なる声を「フェティコ」は代弁し、肯定してくれる。だから女性たちからの支持を得ているのだろう。ブランド立ち上げから4年目を迎え、改めてその世界観について、そして日本の産地を重んじるモノ作りの姿勢について舟山瑛美デザイナーに聞いた。
30歳になり、ある日スイッチが入りブランドを立ち上げる
WWD:ブランドのコンセプトは「The Figure:Feminine」。意味は「その姿、女性的」と詩的です。改めてその意味を教えて欲しい。
舟山瑛美「フェティコ」デザイナー(以下、舟山):ファッションの勉強をしている学生にはよくある話ですが、私も学生時代から、いつか自分のブランドを持ちたいという気持ちがありました。実現に至らないまま30歳になり、ある日スイッチが入ったのです。「他で吸収することはいったん終わりにして自分でモノ作りをしていこう」と決めました。決めたら次はコンセプトが重要。時代やトレンドが変わる中でも自分にとって変わらない軸は日本人女性であり、アジア人らしい体つきであること。そして私はいろいろな女性の体を美しいと感じる。だからそこを軸にしようと決めて言葉にしました。
WWD:スイッチが入ったきっかけは?
舟山:結婚をしたことかな。節目であり、今後の人生を考える一歩となりました。家族を持ったうえで自分が何をしたいか、と考えたとき、私の場合は子供以上にブランドを作りたい。そう自覚をして踏ん切りがつきました。彼がスタイリストで自分の名前で仕事をしており、それに憧れを持ったのもひとつの理由。自分の名前で仕事をしたい、と思いました。
そのタイミングで自分のウエディング用のドレスを作りました。長らくブランドに沿ったデザインをしてきたのですが、パタンナーとともに自分の納得がいく形を作り上げることが楽しくて、自分のブランドでそれを存分にする喜びを知りました。
WWD:企業デザイナー時代に吸収し、今の自分のベースになっていることは?
舟山:一番は「クリスチャンダダ(CHRISTIAN DADA)」時代に、パターンやサンプルを見ながらこれのどこを修正すればよりよくなるか、試行錯誤する中で感覚をつかんだことです。ダダでは、脱構築など入り組んだものを作っていたので、アイデアを商品に落とし込む経験を積んだことは大きかった。
あと、新卒で入った「ヒステリック グラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」は、担当アイテムを企画から生産まで一貫して見るという、少し変わった仕組みで服がどうやって工場に入り、付属がここで作られて、など基本的な服作りの流れを学びました。
WWD:感性的なことで外から受けた影響は?
舟山:それは不思議と、学生の頃からずっと変わらず。昔から体を強調する服が好きで大人になるにつれて、より深く広くなっている感覚はあります。
自分が魅力的であること、その見せ方をわかっている人に惹かれる
WWD:女性の体ってきれいだな、と最初に思ったのはいつですか?
舟山:高校生の頃からファッションを学んでおり、文化服装学院の夜間クラスで週一でヌードクロッキー実習を取ったときだと思います。いろいろな女性の体を描くことがとてもおもしろいと思った。人によってバランスが違ったり、単純にきれいだなと思ったり。
WWD:女性の体は色々な時代の芸術家のインスピレーションとなってきましたが、アーティストの視点から受けた影響はありますか?
舟山:衝撃を受けたのはロンドンで見た荒木経惟さん、アラーキーの展示です。高校卒業後に、ロンドンへ1年留学していたとき、荒木さんの大規模な展覧会があり、大きなプリント写真を見て、そのダークでエロティックな美しさには影響を受けました。
舟山:官能性、だと思います。
WWD:官能性は他人に見出すもの?それとも自分に向けたもの?
舟山:人に感じ取れるものでもあるし、自分自身に思うところもあります。
WWD:日本の“官能性”は、襟足や足首の素肌をチラッと見せる、といった“隠す”方向にありますが、舟山さんの“官能性”の表現は、堂々としていますね。
舟山:そうですね、自分で自分が魅力的であること、そしてその見せ方をわかっている人に惹かれるのだと思います。
WWD:女性にとって体は他人から「見られる」対象であり、どこか自分のものでない感覚がある人は多いと思う。「フェティコ」は「私の体」を自分側に取り戻してくれた。「好きだから見せる」という自発的で能動的な表現です。同時に「フェティコ」の中には、お姫様的な可愛さも共存しています。
舟山:少女性に惹かれるとことはあります。峰不二子みたいな“完璧なお姉さん”より、少しバランスが崩れているところが魅力的と感じます。
WWD:ブランド設立から4年が経ちました。
舟山:そうですね。私は洋服を作る仕事以外はできないから短期間で終わらせるつもりはなく、かといって一緒に始めたパタンナーと2人、自分たちが食べる分だけ稼げれば幸せだな、という感覚でもありました。
WWD:継続を決めてはいたけど、戦略的ではないのですね。振り返って何を思うことは?
舟山:作りたいものと世間が求めていることがマッチする部分がある、という感覚はつかめました。それを信じていけそう、が今の心境です。 最初に作ったボディコンシャスなニットドレスの反応が良くて「こういうブランドを待っていたよ!」といった声をもらい、こういう服を求めてくれる層がいるのだな、と気がつきました。ただ、関わる人が増えて、それぞれから「フェティコ」を広めてくれるようになっているから、より強いヴィジョンを示した方がよいのだろうな、と今は思う。発信するヴィジュアルやメッセージも大事です。
WWD:それもあってか、 2025年春夏コレクションはそれ以前と少し様子が変わりました。
舟山:いつもコレクションにはタイトルをつけずに制作を進めて、締め切りに追われながらムードをつかんでゆきます。核となる好きなコアがあり、リサーチすることでそこから一歩出た世界へ広げる感じです。
今回最初にピックアップしたのが、1980年代の雑誌「マリ・クレール」の旅支度をテーマにした一ページでした。 「アズディン アライア(AZZEDINE ALAIA)」を着たアフリカ系アメリカ人モデルのヴェロニカ・ウェブ(Veronica Webb)に惹かれ、そこから80年代のリサーチを進めてサスペンス映画「数に溺れて」もモチーフになりました。
WWD:珍しく色が使われていたのもそこから?
舟山:映画にはパステル調の色が使われていて、定番素材のチュールやシアー素材とパステルを組み合わせました。私は色を着ないのですが、ブランドを強くするために苦手に挑戦したい、というのもあります。ショーでスタイリングを担当している夫からは、いつも“また黒ばかり。もっと色ないの?”と聞かれます(笑)。
WWD:ブランドの世界観が明確になってくると、コラボレーションなどいろいろな声がけがありそうです。
舟山:次から次へと新しいことが起こることはいいことなのですが、今は起きたことに対処するのが精いっぱい。そろそろ、会社として中長期的なヴィジョンをちゃんと掲げたいと思っています。
日本の産地はなくてはならない存在。続いてもらわないと困る
WWD:ブランド紹介文には、“「フェティコ」のコレクションは日本国内の繊維産地や職人との取組みで丁寧に生産されています”とあります。これまで産地と取り組んできた中で印象的なものを教えてください。
舟山:2023-24年秋冬コレクションでお願いした、京都の職人さんによる着物用の引き染めは単純にとても美しいと思いました。着物用ではない、幅広の生地を前に3、4人で手で染めてゆく影像を見て驚きました。
舟山:はい。ベルベットが好きで通年で使います。こちらは北陸のベルベットに、桐生の刺しゅうでオリジナルの柄を入れました。刺しゅうにより収縮をかけることで凹凸感を出しています。スペシャルなピースです。スーツ地は尾州のものが多いです。
WWD:産地の生地を意識して使用する理由は?
舟山:最初の就職先である「ヒステリックグラマー」が新入社員を産地に連れて行ってくれる会社で、岡山の児島のデニムの工場の人たちに「新入社員、頑張れ~」などと声をかけてもらい、顔が見えてのモノづくりはよいなと思ったのが最初です。
自分のブランドを始めるときに「あの人にお願いしたい」と顔が浮かびました。「舟山さん始めるのか、じゃあ、一緒に頑張ろう」と言ってもらって嬉しかった。生地も縫製も顔が浮かぶ人たちと仕事をしたいという気持ちがあります。
WWD:顔が浮かぶ人との仕事は何がよいのでしょうか?
舟山:小さい工場さんも多いのですが、自分ごとにように扱ってくれます。仕事だけど楽しんで作ってくれて、難しいオーダーでも、どう縫ったらきれいになるかを前向きに考え提案してくれる。そのやりとりが好きです。「フェティコ」のように小さいブランドにとって日本の産地はなくてはならない存在。続いてもらわないと困るし、私もなるべく日本で続けたい。
WWD:やりとりの中から新しい技法と出会うこともあるでしょう。今、探している素材や加工は?
舟山:レザー風の加工です。レザーは元々が好きですし、長く着ることができるのでサステナブルでもある。ただ、直接肌につけるには少し抵抗があるので、コットン地でレザー風の箔加工などにトライしたいです。
WWD:日本の産地は存続の危機にあります。デザイナーとしてできることは何だと思いますか?
舟山:ブランドやデザイナーができることは、モノ作りの背景をもっと伝えることだと思います。モノ自体から伝わることも大事ですがもっと、積極的に「こういう職人の手があるからこういういいモノができる」といったストーリーを伝えたい。その手段は課題ですが、まずは展示会でバイヤーさんに伝え、そこから店頭の販売員さん、そしてお客さんへ伝わったらいいなと思う。
WWD:サステナビリティについて思うことは?
舟山:まずは、日本の縫製業や生地屋さに存続してもらえるように貢献すること。それはブランドが存続するためでもあります。もうひとつは、ゴミにはならない、価値がある服を作ること。ブランドを作るとき、すでに世の中にこんなに多くの服がある中で私たちが作らなくても誰も困らない。だからゴミになるものだけは作りたくない、と話しました。一シーズンで捨てられない服、気分でなくてもクローゼットにしまったり、誰かに譲ってもらったりされる服は品質が良く、デザインがおもしろいから。それもサステナビリティにつながると思う。
WWD:10年後となる2030年はどうなっていたい?
舟山:時代によって求められていることは変わっていると思うから、そこにフィットする柔軟な自分でありたいなと思う。そして店を持ち、コミュニケーションの場を持っていたい。売って終わりではなく世界観を体現できる場があってよりお客さんとつながれると思うから。
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齊藤工 × 竹林亮 ドキュメンタリー映画「大きな家」から考える「普通の家庭」
PROFILE: 齊藤工/俳優、映画監督(右)、竹林亮/映画監督(左)
俳優としても活動する齊藤工が企画・プロデュースを手掛けたドキュメンタリー映画「大きな家」の全国上映がスタートした。本作は、さまざまな理由で親と離れ、児童養護施設で暮らす子どもたちに焦点を当てた作品だ。監督は、青春リアリティー映画「14歳の栞」(2021年)を手掛けた竹林亮が務める。
本作は、親と離れて暮らす子どもたちが何を想い、何に悩み、そしてどのように大人へと成長していくのかを描く。7歳、11歳、14歳といった年齢ごとに子どもたちの姿を追い、それぞれの個別の物語に焦点を当てながら、その成長の過程を追っていく。また、配信やDVDなどでのパッケージ化は行わず、劇場公開のみで公開する。
齊藤は公開に先立ち、「私はこの作品を作るために、ずっと映画に関わってきたのかもしれません。そんな、自分の理由になるくらいの作品ができました」とコメントする。制作を通じて、齊藤と竹林が何を感じ、何を伝えたいと思ったのか。その想いを聞いた。
時間をかけて撮影
WWD:齊藤さんが児童養護施設と関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか?
齊藤工(以下、齊藤):あるイベントで初めて児童養護施設を訪れたのがきっかけです。そのイベントは1日限りのものでしたが、そこで「今度来た時にピアノを弾いてあげる」と言ってくれた子がいました。でも、その当時は再訪する予定がなく、その気持ちが表情に出てしまったんだと思います。それを見逃さなかったその子の眼差しが心に残り、自然と何度も足を運ぶようになりました。施設に通う中で、「ここで暮らす子どもたちのために記録映像を作れば喜んでもらえるかもしれない」と考え始めました。その頃、竹林監督のドキュメンタリー映画「14歳の栞」を観て、劇場限定で公開するという上映スタイルなら、子どもたちを守りながら映画にすることができるのではと思い、竹林監督にオファーをしました。そこから劇場公開に向けた話を進めていきました。
WWD:竹林監督は、最初にオファーを受けた時、どう思われましたか?
竹林亮(以下、竹林):ドキュメンタリー映画を作るには相当な体力と覚悟が必要です。ただ、齊藤さんとは以前にJICAの海外協力隊に密着した「いつか世界を変える力になる」という番組で約3年間一緒に仕事をしていて、その中で仕事への姿勢や映画に対する深い愛情を持っていて、とても尊敬していました。ですので、これもご縁だと思い、まずは児童養護施設を訪れてみることから始めることにしました。
当時、児童養護施設や「社会的養護」については詳しく知りませんでしたが、現場に足を運ぶと、職員の皆さんが子どもたちの人生と真摯に向き合う姿勢に心を打たれました。また、施設で暮らす子どもたちは葛藤を抱えながらも、人懐っこくてとても魅力的でした。そんな彼らに触れるうちに、「この場所を撮影したい」という気持ちが芽生えました。本作は、じっくりと時間をかける必要がある作品だと感じたため、覚悟を持ってゆっくり撮影を進めることにしました。
WWD:撮影を始める前に、カメラを持たず子どもたちと交流することから始めたそうですね。
竹林:しっかりと関係性を築かないと、撮られる側の子どもたちや職員の方たちにとっても、負荷が高いと思いました。そこで、最初の1年ほどは齊藤さんやプロデューサーの方々と共に、1〜2カ月に1回の頻度で施設を訪れ、挨拶をしたり、ハロウィンのお菓子を配ったりと、まずは顔を覚えてもらう活動をしました。その後、月に2〜3日程度の撮影から始め、徐々に撮影の日数を増やしていきました。子どもたちの信頼を得ることを第一に考えた結果、このようなスタートになりました。
子どもたちへの手紙のような映画
WWD:児童養護施設の子どもたちを撮影するにあたって、プライバシーの保護が非常に重要なポイントだったと思います。スタッフの間で、撮影に関して「こういうことは避けよう」といったルールを設けたのでしょうか?
齊藤:竹林監督の作品に被写体として参加した経験がある僕にとって、まず大前提として監督への全幅の信頼がありました。ただ、子どもたちをどう守るべきかについては慎重に考えました。
目線を隠したりモザイクをかけたりする方法はプライバシーの保護にはなりますが、それを見た本人がどう感じるか、という問題もあります。中には「自分の存在を認識してほしい」と感じる子どももいます。彼らは隠されるべき存在ではなく、限られた劇場公開という形であれば、むしろその存在が証明されるのではないかと思いました。
また、撮影において監督と具体的なルールを言葉で決めたわけではありませんが、「聞かれたくないことは聞かない」というスタンスは共有していました。もしかしたら壮絶な過去を子どもたちが涙ながらに語るような作品をイメージされる方もいるかもしれませんが、この映画はそういう内容ではありません。無理にドラマ性を作り出すようなことは一切しない、監督も現場で自然とそれを徹底してくださいました。
竹林:まずは出演してくれた子どもたちに「この作品に出て良かった」と思ってもらうことを何より大切にしました。作品完成前には本人や施設の職員の方々に観てもらい、感想を聞いて気になる点を修正する、といったプロセスを繰り返しました。
通常のテレビ番組制作では、こうした工程を取るのは難しいのですが、この作品に関してはそうした時間をかけることが必要でした。その結果、出演者たちも作品を気に入ってくれて、愛着を持ってくれています。この作り方を選んで本当に良かったと思っています。
WWD:ドキュメンタリー映画であっても、編集には監督の意図が反映されると思います。編集する上で特に意識したことは何でしょうか?
竹林:映像を編集する以上、何かしら作り手の意思が反映されるのは避けられません。だからこそ、どのような意思を持つかが非常に重要です。今回は、どんな形であれ、本人たちにとってとにかくいい影響が訪れるように願いながら撮る、編集することを心掛けました。
商業的なことはあまり考えず、「この場面をぜひ10年後に振り返ってみてほしい」「あなたのこういう面が本当にすてきだよ」など、出演してくれた子どもたちへの手紙のような気持ちで作りました。その純度を高く保つことだけを意識しました。
WWD:劇場でのみ公開するという形もいいですね。
齊藤:監督もおっしゃった通り、このプロジェクトは商業的な目的で立ち上げられたものではありません。竹林監督の「14歳の栞」のスタイルが参考になりましたが、こうした映画が存在することで、映画制作の新たな選択肢や劇場の意義、未来の映画館のあり方を示すものになるのではと考えました。
全国公開が始まり、これからが本当のスタートだと思っています。少しずつでも純度の高い形で上映を長く続け、作品を手渡しで届けていけたらと思っています。
まずは知ってもらうことが大事
WWD:本作を観た人に「こんなアクションを起こしてほしい」など、そういった思いはありますか?
齊藤:意図していたわけではないのですが、試写を観た方々から「自分の地元や住んでいるエリアに児童養護施設があるのは知っていたけれど、関わる方法を考えたり調べたりしたことがなかった。本作を観て、何かできることはないか調べてみた」といった声をいただきました。また、アーティストの方々からは「施設で演奏をしてみたい」というお話もありました。このように、作品をきっかけに児童養護施設との関わり方を考えたり、行動を起こそうとする声が多く届いていて、この映画の持つ強さを改めて感じています。僕自身も、偶然施設の存在を知ったことがきっかけで関わるようになりましたが、まずは知ることでこうした行動につながるのだなと実感しています。
WWD:竹林監督はいかがですか?
竹林:映画に登場する子どもたちと「友達になった」ような気持ちになってもらえたらうれしいですね。その上で、児童養護施設についてもっと調べてみたり、観た人同士で感想を語り合ったりと、より興味を持つきっかけになればいいなと思います。
加えて、親の立場であれば「親として子どもにどう向き合うべきか」や「自分は他者に対して何ができるのか」など、それぞれの立場で、人と人の関係性や「人に何ができるのか」について思いを巡らせてもらえたら、すごくいいなと思います。
WWD:私自身、児童養護施設の実情を全く知らなかったので、映画を通じて子どもたちの様子を知ることができたのは、とてもいいきっかけになりました。
竹林:全国には約600の児童養護施設があります。それぞれの施設ごとに状況や背景は異なるので、本作が児童養護施設全体を代弁するような発信の仕方にならないようには十分注意しなければならないと考えています。ただ、それでも全国にある600施設のうちの1つのリアルを知ることができるのは間違いありません。この作品がそのきっかけになればうれしいです。
「家族」について
WWD:作品の中で、施設で一緒に暮らす人との関係性について、「家族ではない」と答える子どもたちが多かったのが印象的でした。とても客観的に自分たちの状況を見ているように感じました。
竹林:客観的というよりは、「家族」という言葉自体の解釈に苦労しているのかなと感じました。「なぜ自分はここにいるんだろう」と思う時もあれば、逆に「ここにいることが自分にとって自然だ」と感じる時もある。そういった気持ちが日々揺れ動いていて、何を言葉として選べばいいのか分からない状態なのかもしれません。言葉の落としどころが見つからないまま、それぞれが変化し続けているように見えました。
ただ、長い時間を一緒に過ごすことで、実感として深いつながりを感じる瞬間もあるのだと思います。施設を卒業した男の子が「(施設で一緒に暮らした人は)家族だ」と答えたのは、そういったつながりを時間の中で育んだからではないかと感じています。
WWD:一般的には戸籍上の「家族」という概念があります。そのため、施設の子どもたちが「家族ではない」と答えたのも、そうした背景が影響しているのかもしれません。私自身は両親がいる家庭で育ちましたが、この作品についてコメントしようとする際に、「意図せず傷つけてしまうのでは?」と、どこか躊躇してしまう部分があります。
齊藤:施設で育っていない17、18歳の子どもでも、家族との関係に悩んでいる人は多いと思います。そのため、どんな「家族」なのかというよりも、むしろ個人差の方が大きいのではないかと感じます。施設を卒業した男の子などを見ていると、施設での生活が長ければ長いほど、口ではドライな表現をしていても、一緒に過ごした時間や共有した経験は揺るぎないもので、それが血のつながりを超えた特別な関係を生むこともあるように見えました。
ただ、施設の子どもたちや職員の方々も、いわゆる「普通の家庭」と比較することで、自分たちに対して何か構えてしまう部分があるように思います。例えば、学校のクラスメイトと比較して、行動にブレーキをかけてしまうことも少なくありません。そういった点を考えると、この作品で一番に考えるべきなのは、その「普通の家庭」というイメージのありようなのかなという気がするんです。
施設では、親ではないけれど、親のように深い言葉をかけてくれる職員の方々がいます。そうした環境をうらやましいと感じる人もきっといるのではないでしょうか。「普通の家庭」という概念の境界線がどこにあるのか分からないからこそ、この作品を通じて、その境界線を行き来するような体験をしてもらえるのではないかと思います。
竹林:本作では、「家族」や「親子」といった言葉ではくくられない、もっと広い意味での人と人のつながりに焦点を当てています。だからこそ、多くの人に「これは自分たちの話なんだ」と感じてもらえるのではないかと思います。
もし、「自分にはこういった環境に踏み込む資格がないのでは」と気を使いすぎてしまう人がいるなら、その壁を取っ払ってほしいですね。この作品がそういった壁をなくし、より深いつながりを考えるきっかけになればいいなと思います。
制作を通して知った新たな問題
WWD:実際に作品を通して、長期間にわたり児童養護施設で暮らす子どもたちと関わって、どのように感じましたか?
齊藤:作品に出演してくれた子どもたちのうち、何人かが撮影後に進路や将来について、竹林監督や僕に相談してくれることがありました。彼らが僕たちのことを仲間だと思ってくれているのは本当にうれしいですし、今回の撮影を通じて、彼らの未来への選択肢が広がったり、将来のことをより具体的に描けるきっかけになったのであれば、それは大きな希望だと感じています。
竹林:最初は、子どもたちとの距離感に気を使って、「これ以上踏み込むのは失礼かな」と思う場面もありましたが、関わっていくうちに、「損得勘定を抜きにして、その人のためにできることをやる」というスタンスでいいんだと思えるようになりました。ある意味では「おせっかいおじさん」みたいな存在になってもいいのかなと(笑)。もちろん、うざがられる場合もあるでしょうが、そうなったらやめればいいだけなので。
WWD:今後、取材した施設とはどのように関わっていく予定ですか?
齊藤:今でも施設とはつながりが続いていて、引き続き応援していきたいと思っています。また、子どもたちにとっても、この撮影が良い思い出だったと感じてもらえるよう、それを守っていきたいとも考えています。
一方で、施設が特定されないよう配慮することも大事だと感じています。実際、当初はさまざまな施設での上映を考えていたのですが、取材した施設が比較的環境が整っているという感想を他の施設関係者からいただいたこともあり、そうした意見にもしっかりと配慮しなければと思いました。
また、取材を始める前は、児童養護施設が「最後の砦」のような存在だと考えていたのですが、実際にはさまざまな事情で施設にすら入れない子どもたちがいるという現実を知りました。そうした子どもたちの行き場についても考えさせられましたし、さらに施設を卒業した後には本当に大変な試練が待っているということも知り、今作では描けていない卒業後の現実にも目を向ける必要があると感じました。その2つについて、個人としてできることを模索していきたいと思っています。
竹林:齊藤さんのおっしゃる通り、広い視野を持ちながら今後も施設との関わりを深めていきたいと思っています。また、一緒に映画を作った出演者の子どもたちとは、これからも末永く関係を続けていきたいですね。彼らが「この映画に出て良かった」とずっと思えるような関係でありたいと思っています。
PHOTOS:TAMEKI OSHIRO
「大きな家」
日本には、社会的養護が必要とされる子どもが約4万2000人おり、その約半数は児童養護施設で暮らしている。児童養護施設で暮らす子どもたちは、基本的に18歳になり、自立の準備ができた者から施設を退所し、そこからは自分の力で暮らしていかなければならない。本作は、そんな児童養護施設で育つ子どもたちの成長を追った長編映画。
■「大きな家」
12月20日から全国公開
監督・編集:竹林亮
企画・プロデュース:齊藤工
プロデューサー:山本妙 福田文香 永井千晴 竹林亮
音楽:大木嵩雄
撮影:幸前達之
録音:大高真吾
音響効果:西川良
編集:小林譲 佐川正弘 毛利陽平
カラリスト:平田藍
制作統括:福田文香
題字:大原大次郎
主題歌:ハンバート ハンバート「トンネル」
配給:PARCO
企画・製作:CHOCOLATE Inc.
©CHOCOLATE
https://bighome-cinema.com
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【ARISAK Lab vol.0】“未来の可能性”に魅了されて。若手フォトアーティスト・ARISAK の連載始動
大学生の頃にカメラを手にしたことをきっかけに、SNSを通じて唯一無二の作品を発信してきたフォトアーティスト・ARISAK。昨今、クリエイターの間では“Y2K”に次ぐ“Y3K”トレンドが注目されている中、ARISAKはいち早く近未来的な世界観に魅せられ、これまでにない表現を追求。自身のフィルターを通じ被写体の新たな一面をとらえてきた。最近では雑誌やファッション広告の撮影にとどまらず、自身も広告モデルとして抜てきされるなど、活動の幅を広げている。
そんな彼女のクリエイションに注目し、「WWDJAPAN」では25年1月から、【ARISAK Lab(アリサック・ラボ)】と題した写真連載を始動。毎回豪華なゲストを招きながら、新たなファッション&ビューティの表現を追求していく。
PROFILE: ARISAK/フォトアーティスト

フィギュアスケーターからフォトアーティストへ
ARISAKインタビュー
WWD:フォトアーティストとして活動を始めたきっかけは?
ARISAK:まだ将来の夢もなく、就職活動もしていなかった大学生の時に、友達の写真を撮影したことです。当時はアメーバブログが流行っていて、その友達からバナー写真を撮影してほしいと頼まれました。使ったカメラは友達から借りた「ペンタックス(PENTAX)」。完成した写真を見た友達から「写真やった方がいいよ」と言われ、自分自身も楽しめたことからやってみようと思いました。今振り返れば、親族にクリエイターがいて、昔から刺激を受けていたのも影響していたのかもしれません。
WWD:アーティスト名の由来は?
ARISAK:本名が“アリサ”というのですが、日本には同じ名前の人が多いので少し変化をつけたくて。何かあだ名をつけたいなと思った時にひらめいたのがARISAK。“たまごっち”みたいでいいなと思いました。
WWD:自身の作品の世界観を言葉で表現すると?
ARISAK:“ダークファンタジー”“Y3K”などでしょうか。カメラを始めたばかりの頃はカニエ・ウェスト(Kanye West。現在のイェ)の「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」というアルバムから影響を受けていました。そのアルバムに収録されている「Runaway」という曲のビデオがあるんですが、ダークな世界観から始まり、最後はファンタジーで終わるんです。結構残酷な感じのビデオなんですが、その美醜的な表現にすごく惹かれて。「自分がやりたいのはきっとこれなんだ」と気付かされました。
そしてコロナ禍では外に出られず、人に会うこともできなかった。アイデアが浮かんでも撮影できなくて辛かった時、未来に希望が欲しいと思いたどり着いたのが“Y3K”スタイルです。自分が熱意を注いだ作品でも、SNSでは一瞬でスワイプされてしまう昨今。「どうしたら価値が上がり、息の長い作品になるのか」を考えた時に、未来を考えてみようと思いました。
未来のことを予想するって、当たっていても、外れていたとしても面白いじゃないですか。内閣府のホームページからヒントを得たりして、これからどんな時代が来るのかを想像したりすることもあります。
WWD:かつてはフィギュアスケーターとして活動していた。そのキャリアは今の活動にどのように影響している?
ARISAK:フィギュアスケートは曲を題材に自分がパフォーマンスをする総合芸術的スポーツ。振り付けや衣装を自分で考えることも多く、無意識のうちにセルフディレクションを経験していたのだと思います。写真を撮る時にも、音楽から作品のインスピレーションを得ることが多いのは当時の影響が大きいと感じています。
自身のSNS連載【月刊ARISAK】と
今後スタートする【ARISAK Lab】
WWD:自身のSNSでは【月刊ARISAK】と題した連載を行なっているが、始めた背景とは?
ARISAK:表現する機会があまり得られなかったコロナ禍を経て、溜まった気持ちを出したいと思ったのが【月刊ARISAK】。元々、思っていることをうまく人に話せない性格で、内に秘めたことを作品にしないと消化不良を起こしてしまうんです。22年5月に始め、今はvol.19まで続いています。ただ「自分が好きなものを表現したい」というのは昔も今も変わりません。
WWD:1月からWWDJAPANでスタートする【ARISAK Lab】。連載名に込めた思いとは?
ARISAK:自分が大好きな人を招いたり、ブランドとコラボレーションするなど、いろいろな要素を1つの実験室で融合して新たな見せ方を研究する、という思いで “ラボ”という名前を取り入れました。
長い歴史の中で、日本にはたくさんの面白いカルチャーがあります。ファッション業界だけはなく、さまざまなバックグラウンドを持つ人をゲストとして招き、これまでに見たことがないような姿をお届けしていきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!
HAIR & MAKEUP:JUNA UEHARA
LOGO DESIGN:HIROKIHISAJIMA
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【ARISAK Lab vol.0】“未来の可能性”に魅了されて。若手フォトアーティスト・ARISAK の連載始動
大学生の頃にカメラを手にしたことをきっかけに、SNSを通じて唯一無二の作品を発信してきたフォトアーティスト・ARISAK。昨今、クリエイターの間では“Y2K”に次ぐ“Y3K”トレンドが注目されている中、ARISAKはいち早く近未来的な世界観に魅せられ、これまでにない表現を追求。自身のフィルターを通じ被写体の新たな一面をとらえてきた。最近では雑誌やファッション広告の撮影にとどまらず、自身も広告モデルとして抜てきされるなど、活動の幅を広げている。
そんな彼女のクリエイションに注目し、「WWDJAPAN」では25年1月から、【ARISAK Lab(アリサック・ラボ)】と題した写真連載を始動。毎回豪華なゲストを招きながら、新たなファッション&ビューティの表現を追求していく。
PROFILE: ARISAK/フォトアーティスト

フィギュアスケーターからフォトアーティストへ
ARISAKインタビュー
WWD:フォトアーティストとして活動を始めたきっかけは?
ARISAK:まだ将来の夢もなく、就職活動もしていなかった大学生の時に、友達の写真を撮影したことです。当時はアメーバブログが流行っていて、その友達からバナー写真を撮影してほしいと頼まれました。使ったカメラは友達から借りた「ペンタックス(PENTAX)」。完成した写真を見た友達から「写真やった方がいいよ」と言われ、自分自身も楽しめたことからやってみようと思いました。今振り返れば、親族にクリエイターがいて、昔から刺激を受けていたのも影響していたのかもしれません。
WWD:アーティスト名の由来は?
ARISAK:本名が“アリサ”というのですが、日本には同じ名前の人が多いので少し変化をつけたくて。何かあだ名をつけたいなと思った時にひらめいたのがARISAK。“たまごっち”みたいでいいなと思いました。
WWD:自身の作品の世界観を言葉で表現すると?
ARISAK:“ダークファンタジー”“Y3K”などでしょうか。カメラを始めたばかりの頃はカニエ・ウェスト(Kanye West。現在のイェ)の「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」というアルバムから影響を受けていました。そのアルバムに収録されている「Runaway」という曲のビデオがあるんですが、ダークな世界観から始まり、最後はファンタジーで終わるんです。結構残酷な感じのビデオなんですが、その美醜的な表現にすごく惹かれて。「自分がやりたいのはきっとこれなんだ」と気付かされました。
そしてコロナ禍では外に出られず、人に会うこともできなかった。アイデアが浮かんでも撮影できなくて辛かった時、未来に希望が欲しいと思いたどり着いたのが“Y3K”スタイルです。自分が熱意を注いだ作品でも、SNSでは一瞬でスワイプされてしまう昨今。「どうしたら価値が上がり、息の長い作品になるのか」を考えた時に、未来を考えてみようと思いました。
未来のことを予想するって、当たっていても、外れていたとしても面白いじゃないですか。内閣府のホームページからヒントを得たりして、これからどんな時代が来るのかを想像したりすることもあります。
WWD:かつてはフィギュアスケーターとして活動していた。そのキャリアは今の活動にどのように影響している?
ARISAK:フィギュアスケートは曲を題材に自分がパフォーマンスをする総合芸術的スポーツ。振り付けや衣装を自分で考えることも多く、無意識のうちにセルフディレクションを経験していたのだと思います。写真を撮る時にも、音楽から作品のインスピレーションを得ることが多いのは当時の影響が大きいと感じています。
自身のSNS連載【月刊ARISAK】と
今後スタートする【ARISAK Lab】
WWD:自身のSNSでは【月刊ARISAK】と題した連載を行なっているが、始めた背景とは?
ARISAK:表現する機会があまり得られなかったコロナ禍を経て、溜まった気持ちを出したいと思ったのが【月刊ARISAK】。元々、思っていることをうまく人に話せない性格で、内に秘めたことを作品にしないと消化不良を起こしてしまうんです。22年5月に始め、今はvol.19まで続いています。ただ「自分が好きなものを表現したい」というのは昔も今も変わりません。
WWD:1月からWWDJAPANでスタートする【ARISAK Lab】。連載名に込めた思いとは?
ARISAK:自分が大好きな人を招いたり、ブランドとコラボレーションするなど、いろいろな要素を1つの実験室で融合して新たな見せ方を研究する、という思いで “ラボ”という名前を取り入れました。
長い歴史の中で、日本にはたくさんの面白いカルチャーがあります。ファッション業界だけはなく、さまざまなバックグラウンドを持つ人をゲストとして招き、これまでに見たことがないような姿をお届けしていきたいと思います。どうぞ、お楽しみに!
HAIR & MAKEUP:JUNA UEHARA
LOGO DESIGN:HIROKIHISAJIMA
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「ファッション産業の未来は明るい」 東レ若手社員と学生が考える繊維とサステナビリティの可能性
世界を代表する日本の繊維メーカー、東レは、慶應義塾大学発の学生服飾団体「Keio Fashion Creator」(以下「KFC」)とともに、「世界を変えるために必要なこと」を考える機会を設けた。未来を明るくするために、今何を考えるべきか。そのヒントを探るべく、「KFC」のメンバーは東レが静岡県に置く三島工場と総合研修センターの展示スペースを見学。また今回、東レのリサイクル繊維ブランド「アンドプラス(&+)」を用いた開発に注力する入社3〜4年目の社員との座談会を実施した。Z世代の彼らはどんな疑問を持ち、ファッションの未来を見据えているのか。
若手社員が実現する
ファッション×サステナビリティの可能性
1 / 4
WWDJAPAN(以下WWD):東レ社員の皆さんの業務内容や「KFC」の活動について教えてください。
松尾直輝(東レ機能製品事業部東京ユニフォーム課):僕と宇佐美は機能製品部という部署で病院や飲食サービスなどのユニフォームアパレル向けのテキスタイル営業をしています。田中と橋本はスポーツ・衣料資材部で、カジュアルアパレル用テキスタイルの開発、生産、販売・マーケティングを担当しています。婦人・紳士衣料事業部の今井は、ファッション用テキスタイル販売を手掛けています。
上野莉湖(「KFC」代表):慶應義塾大学の「ファッションビジネス研究会」から独立する形で設立した「KFC」は、さまざまな学校からファッションをきっかけに集まった学生が集まるインカレサークルです。エスモードジャポンとの提携により、ファッションについて学びながら、社会に対する問いかけや主張を年に一度のファッションショーで表現しています。個々の思いや考えを自由に世界や社会へ発信していくため、非営利団体として活動しています。ショーでは、東レさんにご提供いただいたテキスタイルも使用しています。
橋本圭司(東レスポーツ・衣料資材事業部衣料資材課):今回の三島工場の見学はどうでしたか?「アンドプラス」の仕組みの展示に加え、糸を作る工程を見ていただいたと思います。普段はわれわれ社員も取引先の方もなかなか見られないので、貴重な体験だったと思います。
今村賢(「KFC」プレス):工場はすごく大きくて、まるで映画に入り込んだような感覚で、自分が今まで生きてきた世界とは全く違うところにいるなと新鮮でした。
増永和佳(「KFC」ディレクターチーフ):さまざまな機械やそれらを動かす人々の仕事ぶりにとても感動しました。それぞれの役割が成り立っているから、こうやって自分たちの着ている服が出来上がるんだと実感しました。
WWD:東レを代表する、使用済みのペットボトルを原料としたリサイクル繊維ブランド「アンドプラス」について、特徴など教えてください。
宇佐美宗親(東レ機能製品事業部学生衣料・大阪ユニフォーム課):「アンドプラス」の大きな特徴は、純度が非常に高いペットボトルのみを回収しポリエステルを作っていることです。リサイクルの技術は一般的にも進化していますが、東レは高付加価値となる、異物を除去するフィルタリング技術とペットボトルの高度な洗浄技術に特化することで原料の供給安定化を実現しています。
田子山舜(「KFC」プレスチーフ):私たちの生活にあふれる廃棄されるペットボトルを有償で集め、純度の高い素材に生まれ変わらせ、服の材料とする糸を作っている丁寧かつ労力のかかる工程にとても驚きました。最先端なサステナブルな取り組みがよくわかりました。
藤まいか(「KFC」デザイナー):今回のファッションショーでは、ご提供いただいた中から「アンドプラス」の糸を使った“KARUISHI”というテキスタイルでルックを制作しています。ふわふわと柔らかな風合いと蛍光イエローの発色の良さにとても惹かれました。ペットボトルをリサイクルして糸を作るという高度な技術とその難しさに東レの長年の企業努力が伺えましたし、一人一人の力で成り立っているブランドなんだなと感じました。
WWD:その他に、ファッションとサステナビリティについて、東レの最近の実例はありますか?
橋本(東レ):僕は靴やバッグ、日用品用途のテキスタイルの開発や生産、販売・マーケティングを行う部署に所属していて、東レが開発した100%植物由来のナイロン繊維“エコディアN510”を初めてバッグとして製品化するプロジェクトに携わりました。まだ市場に出ていない素材を採用いただき、これからの社会を変えていくという東レの理念に沿った取り組みになったのではないかと思います。
Z世代が真剣に見る
ファッションと環境問題
WWD:ファッションの環境への問題意識などどのように考えていますか?また、繊維産業の魅力を伝えるためにどんなことが必要でしょうか?
上野(KFC):ファッションが好きな「KFC」のメンバーはサステナビリティについての知識もありますが、そうじゃない同世代の友人たちは、どんどん消費されていくファストファッションに目が向いています。私たちが工場で体験した、人の熱意と熟練の技術によって作られるモノ作りのストーリーはとても貴重なものだと思いましたし、伝えていくことで、若い世代の環境に対しての意識も高まるのではないかなと思いました。
田中萌華(東レスポーツ・衣料資材事業部スポーツ・アウトドア課):東レという会社は業界では知名度がありますが、一般消費者に対してしっかりアピールできているかというとまだまだ課題があると思っています。
増永(KFC):私は大学で都市デザインを学んでいますが、例えば小さな町工場でもどう持続可能なものにしていくかと考えています。野菜が農家で生産されて流通する過程を学ぶように、身近な衣料についても工場見学などを通して一般の方に知ってもらうことで課題や問題について意識を高められるのではないでしょうか。
松尾(東レ):実は工場を視察されるアパレルメーカーの方はそう多くありません。僕たちとしてももっと現場を知ってほしいという気持ちもあって、アパレルメーカーを産地や工場へお連れして、一緒にモノ作りに取り組んでいこうと試みています。ただ服を見て買うだけじゃなく、作り手の思いをのせて製品にしてもらえたらと考えています。
WWD:モノ作りにおける課題について教えてください。
今井悠太郎(東レ 婦人・紳士部衣料事業部婦人・紳士織物第2課):昨今のテキスタイル開発においては、気候変動による猛暑や豪雨などに対応するための通気性や撥水など機能面や物価高騰によるコスト面などが課題になっています。リサイクル素材を使うことで、商品の値段が上がってしまうことについてどう思いますか?また普段どんな商品に魅力を感じますか?
田子山(KFC):新品がさらに1万円上がるなら、古着を選びます。より自分が買えるものを買うことも、サステナビリティを意識した服選びの一つの方法かなと考えています。
飯島恒典(「KFC」デザイナーチーフ):ファッションなどでも機能を果たさないデザインが魅力に感じられることも多いと思うんです。例えば、座りにくい椅子や着づらい服など。でももし、サステナブルなアイデアが加わると僕はほしくなるなって。東レさんのリサイクル生地がよりきれいな染め方ができたり、美しいドレープを作れたり、そんな付加価値に面白さを感じます。
宇佐美(東レ):現状としては、安価な商品の方が需要が高いです。なので、東レは生地を作る段階で特殊な技術を使って、高い機能性を持たせる付加価値こそ僕たちの強みだと思っています。適正な価格で提供することが僕たちの大きな使命でもあります。
WWD:東レで働くやりがいや業界の面白さってどんなところに感じますか?
今井(東レ):生地の元となる糸を作ることって簡単なことではありません。生地の風合いや機能性、生産性などの条件を全て一度でクリアできることってほとんどないんですよね。すごく優秀な技術者が何人も集まって、工場のメンバーと一日中機械を動かしてもうまくいかない。何度も試行錯誤しながら作っていきます。東レは挑戦できる環境がある。難しいけど、楽しさとやりがいを感じられることが僕のワークモチベーションにもなっています。
田中(東レ):好きなファッションの根本をゼロから作って販売もできることは仕事の楽しいところです。自分で店頭へ視察に行って、生地の構造をイメージして、糸や織り方の選定をして。オーダーメイドではないですけど、実際に自分で考えて作ることができて、店頭で商品化されたものを見るととてもうれしいですね。その瞬間に一番喜びを感じます。
宇佐美(東レ):自分で作った生地が服になるチャンスがある、消費者の方に着ていただく可能性を秘めていること。そんなワクワクする気持ちで仕事できるって本当にやりがいがあるなと思います。
「ファッション産業の根幹を支えたい」
「繊維の魅力を伝えたい」
1 / 4
WWD:最後にファッションの未来を若き皆さんはどう見据えていますか?東レの皆さんの野望やかなえたいことも教えてください。
橋本(東レ):僕はファッション産業の未来は明るいと考えています。まだ世界にない新しい価値を見出す生地を作って、産業の根幹を支えていきたい。そう夢見て仕事を頑張っています。
宇佐美(東レ):日本のハイレベルな技術は世界に誇れるものであり、東レの糸やテキスタイルもそうであると自負しています。国内外の工場やそこに携わる人々を支え、若い人にも働きがいを持ってもらえて、繊維産業の発展を担えるよう取り組んでいきたいと思います。
田中(東レ):他のメンバーが言っていたように、新しい製品を生み出すことは時間も労力もかかることなので、実績品を用いる方が利益も見積りやすいし楽ではあります。でも、この先の業界を盛り上げていくという視野では、新しいものを作って販売することを自分のモチベーションにしながら、お客さまにより魅力が伝わるような営業活動をしていきたいと考えています。
今井(東レ):僕はワークスタイルもスーツだけじゃなく、より自由に楽しく装いを楽しめるような、日常をも変えるテキスタイルを開発していきたいです。
上野(KFC):日本のモノづくりはこれから先も世界に誇れるものだと思うんです。課題はまだあると思いますが、産業としてその技術と伝統を守り、強化していくことで、ますます発展していけるのではないかと期待しています。
飯島(KFC):僕も日本のモノづくりが大好きで、今回三島工場で技術者の方に、技術を重ねた繊維の構造や開発に費やした努力についてお聞きして本当に感動しました。ファッションショーの時間って1ルック見せるのに数秒〜数分ですが、実はその過程には何十年も培ってきたノウハウや最新の技術が織り混ざっていて、それをデザインという形にしていく人のチカラはすばらしいなと、今回の体験を通して深く感じました。今後、繊維産業とショーをする僕たちのような団体が同じ作り手としてさらに思いをつないでいけたらうれしいなと思いますし、モノづくりにもいい変化を生み出せるのではないかなと思います。
今村(KFC):僕は繊維業界での就職を視野に入れています。今回お話をお聞きして、ファッションの根底に触れながら、企画から販売、広報まで携われることはすごくやりがいや楽しさがあるんだなって感じました。僕もたくさんの人に触れてもらえる生地を作ってみたいです。
東レ「アンドプラス」を使い、
「KFC」がショー開催へ
「KFC」は東レからのテキスタイル提供のサポートを受け、12月15日にファッションショーを開催した。今年は「How to Dress Love?」をテーマに、デザイナーそれぞれが未来に残したい自分のたちの愛の形を表現。学生らがファッションを通して抱える思いや注いできた情熱に、東レとのコラボレーションを通して感じたファッションの持つ楽しさや喜び、そして同じZ世代の東レ社員と語った繊維産業の希望をルックに込めた。次回3回目は、そのファッションショーの様子をリポート。若き彼らが紡ぐ新たなファッションの形を探る。
注:現在「アンドプラス(&+)」は、回収したペットボトルなどをリサイクルしたポリエステル繊維と、回収した漁網などをリサイクルしたナイロン繊維の2種類を展開している。なお、回収したペットボトルをチップにする工程は社外の協力企業にておこなわれている。
協業して映す「未来のファッション」
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「ファッション産業の未来は明るい」 東レ若手社員と学生が考える繊維とサステナビリティの可能性
世界を代表する日本の繊維メーカー、東レは、慶應義塾大学発の学生服飾団体「Keio Fashion Creator」(以下「KFC」)とともに、「世界を変えるために必要なこと」を考える機会を設けた。未来を明るくするために、今何を考えるべきか。そのヒントを探るべく、「KFC」のメンバーは東レが静岡県に置く三島工場と総合研修センターの展示スペースを見学。また今回、東レのリサイクル繊維ブランド「アンドプラス(&+)」を用いた開発に注力する入社3〜4年目の社員との座談会を実施した。Z世代の彼らはどんな疑問を持ち、ファッションの未来を見据えているのか。
若手社員が実現する
ファッション×サステナビリティの可能性
1 / 4
WWDJAPAN(以下WWD):東レ社員の皆さんの業務内容や「KFC」の活動について教えてください。
松尾直輝(東レ機能製品事業部東京ユニフォーム課):僕と宇佐美は機能製品部という部署で病院や飲食サービスなどのユニフォームアパレル向けのテキスタイル営業をしています。田中と橋本はスポーツ・衣料資材部で、カジュアルアパレル用テキスタイルの開発、生産、販売・マーケティングを担当しています。婦人・紳士衣料事業部の今井は、ファッション用テキスタイル販売を手掛けています。
上野莉湖(「KFC」代表):慶應義塾大学の「ファッションビジネス研究会」から独立する形で設立した「KFC」は、さまざまな学校からファッションをきっかけに集まった学生が集まるインカレサークルです。エスモードジャポンとの提携により、ファッションについて学びながら、社会に対する問いかけや主張を年に一度のファッションショーで表現しています。個々の思いや考えを自由に世界や社会へ発信していくため、非営利団体として活動しています。ショーでは、東レさんにご提供いただいたテキスタイルも使用しています。
橋本圭司(東レスポーツ・衣料資材事業部衣料資材課):今回の三島工場の見学はどうでしたか?「アンドプラス」の仕組みの展示に加え、糸を作る工程を見ていただいたと思います。普段はわれわれ社員も取引先の方もなかなか見られないので、貴重な体験だったと思います。
今村賢(「KFC」プレス):工場はすごく大きくて、まるで映画に入り込んだような感覚で、自分が今まで生きてきた世界とは全く違うところにいるなと新鮮でした。
増永和佳(「KFC」ディレクターチーフ):さまざまな機械やそれらを動かす人々の仕事ぶりにとても感動しました。それぞれの役割が成り立っているから、こうやって自分たちの着ている服が出来上がるんだと実感しました。
WWD:東レを代表する、使用済みのペットボトルを原料としたリサイクル繊維ブランド「アンドプラス」について、特徴など教えてください。
宇佐美宗親(東レ機能製品事業部学生衣料・大阪ユニフォーム課):「アンドプラス」の大きな特徴は、純度が非常に高いペットボトルのみを回収しポリエステルを作っていることです。リサイクルの技術は一般的にも進化していますが、東レは高付加価値となる、異物を除去するフィルタリング技術とペットボトルの高度な洗浄技術に特化することで原料の供給安定化を実現しています。
田子山舜(「KFC」プレスチーフ):私たちの生活にあふれる廃棄されるペットボトルを有償で集め、純度の高い素材に生まれ変わらせ、服の材料とする糸を作っている丁寧かつ労力のかかる工程にとても驚きました。最先端なサステナブルな取り組みがよくわかりました。
藤まいか(「KFC」デザイナー):今回のファッションショーでは、ご提供いただいた中から「アンドプラス」の糸を使った“KARUISHI”というテキスタイルでルックを制作しています。ふわふわと柔らかな風合いと蛍光イエローの発色の良さにとても惹かれました。ペットボトルをリサイクルして糸を作るという高度な技術とその難しさに東レの長年の企業努力が伺えましたし、一人一人の力で成り立っているブランドなんだなと感じました。
WWD:その他に、ファッションとサステナビリティについて、東レの最近の実例はありますか?
橋本(東レ):僕は靴やバッグ、日用品用途のテキスタイルの開発や生産、販売・マーケティングを行う部署に所属していて、東レが開発した100%植物由来のナイロン繊維“エコディアN510”を初めてバッグとして製品化するプロジェクトに携わりました。まだ市場に出ていない素材を採用いただき、これからの社会を変えていくという東レの理念に沿った取り組みになったのではないかと思います。
Z世代が真剣に見る
ファッションと環境問題
WWD:ファッションの環境への問題意識などどのように考えていますか?また、繊維産業の魅力を伝えるためにどんなことが必要でしょうか?
上野(KFC):ファッションが好きな「KFC」のメンバーはサステナビリティについての知識もありますが、そうじゃない同世代の友人たちは、どんどん消費されていくファストファッションに目が向いています。私たちが工場で体験した、人の熱意と熟練の技術によって作られるモノ作りのストーリーはとても貴重なものだと思いましたし、伝えていくことで、若い世代の環境に対しての意識も高まるのではないかなと思いました。
田中萌華(東レスポーツ・衣料資材事業部スポーツ・アウトドア課):東レという会社は業界では知名度がありますが、一般消費者に対してしっかりアピールできているかというとまだまだ課題があると思っています。
増永(KFC):私は大学で都市デザインを学んでいますが、例えば小さな町工場でもどう持続可能なものにしていくかと考えています。野菜が農家で生産されて流通する過程を学ぶように、身近な衣料についても工場見学などを通して一般の方に知ってもらうことで課題や問題について意識を高められるのではないでしょうか。
松尾(東レ):実は工場を視察されるアパレルメーカーの方はそう多くありません。僕たちとしてももっと現場を知ってほしいという気持ちもあって、アパレルメーカーを産地や工場へお連れして、一緒にモノ作りに取り組んでいこうと試みています。ただ服を見て買うだけじゃなく、作り手の思いをのせて製品にしてもらえたらと考えています。
WWD:モノ作りにおける課題について教えてください。
今井悠太郎(東レ 婦人・紳士部衣料事業部婦人・紳士織物第2課):昨今のテキスタイル開発においては、気候変動による猛暑や豪雨などに対応するための通気性や撥水など機能面や物価高騰によるコスト面などが課題になっています。リサイクル素材を使うことで、商品の値段が上がってしまうことについてどう思いますか?また普段どんな商品に魅力を感じますか?
田子山(KFC):新品がさらに1万円上がるなら、古着を選びます。より自分が買えるものを買うことも、サステナビリティを意識した服選びの一つの方法かなと考えています。
飯島恒典(「KFC」デザイナーチーフ):ファッションなどでも機能を果たさないデザインが魅力に感じられることも多いと思うんです。例えば、座りにくい椅子や着づらい服など。でももし、サステナブルなアイデアが加わると僕はほしくなるなって。東レさんのリサイクル生地がよりきれいな染め方ができたり、美しいドレープを作れたり、そんな付加価値に面白さを感じます。
宇佐美(東レ):現状としては、安価な商品の方が需要が高いです。なので、東レは生地を作る段階で特殊な技術を使って、高い機能性を持たせる付加価値こそ僕たちの強みだと思っています。適正な価格で提供することが僕たちの大きな使命でもあります。
WWD:東レで働くやりがいや業界の面白さってどんなところに感じますか?
今井(東レ):生地の元となる糸を作ることって簡単なことではありません。生地の風合いや機能性、生産性などの条件を全て一度でクリアできることってほとんどないんですよね。すごく優秀な技術者が何人も集まって、工場のメンバーと一日中機械を動かしてもうまくいかない。何度も試行錯誤しながら作っていきます。東レは挑戦できる環境がある。難しいけど、楽しさとやりがいを感じられることが僕のワークモチベーションにもなっています。
田中(東レ):好きなファッションの根本をゼロから作って販売もできることは仕事の楽しいところです。自分で店頭へ視察に行って、生地の構造をイメージして、糸や織り方の選定をして。オーダーメイドではないですけど、実際に自分で考えて作ることができて、店頭で商品化されたものを見るととてもうれしいですね。その瞬間に一番喜びを感じます。
宇佐美(東レ):自分で作った生地が服になるチャンスがある、消費者の方に着ていただく可能性を秘めていること。そんなワクワクする気持ちで仕事できるって本当にやりがいがあるなと思います。
「ファッション産業の根幹を支えたい」
「繊維の魅力を伝えたい」
1 / 4
WWD:最後にファッションの未来を若き皆さんはどう見据えていますか?東レの皆さんの野望やかなえたいことも教えてください。
橋本(東レ):僕はファッション産業の未来は明るいと考えています。まだ世界にない新しい価値を見出す生地を作って、産業の根幹を支えていきたい。そう夢見て仕事を頑張っています。
宇佐美(東レ):日本のハイレベルな技術は世界に誇れるものであり、東レの糸やテキスタイルもそうであると自負しています。国内外の工場やそこに携わる人々を支え、若い人にも働きがいを持ってもらえて、繊維産業の発展を担えるよう取り組んでいきたいと思います。
田中(東レ):他のメンバーが言っていたように、新しい製品を生み出すことは時間も労力もかかることなので、実績品を用いる方が利益も見積りやすいし楽ではあります。でも、この先の業界を盛り上げていくという視野では、新しいものを作って販売することを自分のモチベーションにしながら、お客さまにより魅力が伝わるような営業活動をしていきたいと考えています。
今井(東レ):僕はワークスタイルもスーツだけじゃなく、より自由に楽しく装いを楽しめるような、日常をも変えるテキスタイルを開発していきたいです。
上野(KFC):日本のモノづくりはこれから先も世界に誇れるものだと思うんです。課題はまだあると思いますが、産業としてその技術と伝統を守り、強化していくことで、ますます発展していけるのではないかと期待しています。
飯島(KFC):僕も日本のモノづくりが大好きで、今回三島工場で技術者の方に、技術を重ねた繊維の構造や開発に費やした努力についてお聞きして本当に感動しました。ファッションショーの時間って1ルック見せるのに数秒〜数分ですが、実はその過程には何十年も培ってきたノウハウや最新の技術が織り混ざっていて、それをデザインという形にしていく人のチカラはすばらしいなと、今回の体験を通して深く感じました。今後、繊維産業とショーをする僕たちのような団体が同じ作り手としてさらに思いをつないでいけたらうれしいなと思いますし、モノづくりにもいい変化を生み出せるのではないかなと思います。
今村(KFC):僕は繊維業界での就職を視野に入れています。今回お話をお聞きして、ファッションの根底に触れながら、企画から販売、広報まで携われることはすごくやりがいや楽しさがあるんだなって感じました。僕もたくさんの人に触れてもらえる生地を作ってみたいです。
東レ「アンドプラス」を使い、
「KFC」がショー開催へ
「KFC」は東レからのテキスタイル提供のサポートを受け、12月15日にファッションショーを開催した。今年は「How to Dress Love?」をテーマに、デザイナーそれぞれが未来に残したい自分のたちの愛の形を表現。学生らがファッションを通して抱える思いや注いできた情熱に、東レとのコラボレーションを通して感じたファッションの持つ楽しさや喜び、そして同じZ世代の東レ社員と語った繊維産業の希望をルックに込めた。次回3回目は、そのファッションショーの様子をリポート。若き彼らが紡ぐ新たなファッションの形を探る。
注:現在「アンドプラス(&+)」は、回収したペットボトルなどをリサイクルしたポリエステル繊維と、回収した漁網などをリサイクルしたナイロン繊維の2種類を展開している。なお、回収したペットボトルをチップにする工程は社外の協力企業にておこなわれている。
協業して映す「未来のファッション」
The post 「ファッション産業の未来は明るい」 東レ若手社員と学生が考える繊維とサステナビリティの可能性 appeared first on WWDJAPAN.
エイガールズの「マル」好調 ファクトリーブランドの「3万円の100%カシミヤインナー」が売れるワケ
和歌山のテキスタイルメーカーエイガールズのインナーウエアブランド「マル(MALU)」が好調だ。2021年に“Your Personal Luxury(自分だけの贅沢・自分にしか味わえない贅沢)”をコンセプトに6型で始動。手編みのような膨らみと柔らかさのあるカシミヤ100%のインナーウエアがウケて、22年秋には型数を10型に増やし、23年にはシルク100%9型をラインアップに加えた。23年の売上高は前年比140%増、24年の現時点でも前年比150%増と好調だ。リピーターが多く、人気デザイナーズブランドのデザイナーが何着もまとめ買いをして愛用するなどプロからの支持が厚い。販路は自社ECに加え、セレクトショップでのポップアップストアや店舗は限られるが卸売りも始めた。
24年には米国ニューヨークのセレクトショップで「マル」のポップアップストアを開きテストマーケティングを行った。山下装子エイガールズ副社長は「伸縮性があるニットとはいえサイズ展開が求められる米国でワンサイズ展開は難しいかもしれないという不安があったが、『One size fits all(全てのサイズに対応)』と好反応をいただきタンクトップやオープンネックが特に好評だった」と話す。25年1月からは台湾でもポップアップストアを開くなど販路を海外にも広げる。
「マル」で用いている生地はもともとエイガールズとしてさまざまなブランドに提案していたものだった。「筒状のインナーを作ってみてはどうかと提案していたが売れなかった。そもそも10年前はブランドがインナーを手掛けることはほとんどなかったし、下着ではなくインナーに特化したブランドもなかったことも理由だろう」と振り返る。カシミヤやシルクを100%使用し繊細に編み上げた生地は高価でもあった。「素晴らしい生地だから自分たちでブランドを始めようと決めた」。
ファクトリーブランドの成功が意味すること
好調の理由を装子副社長は「ファッションブランドではなくプロダクトプランドだった点、他にはない肌触りのインナーウエアだったという点がよかったのではないか」と分析する。
「マル」を編む小寸のビンテージ丸胴機械はシルクとカシミヤ用にそれぞれ2台。編み上がった生地をそのままボディに用いるためロスが少ない。この機械は最大18本の糸から編み上げることができるが、「マル」で用いるカシミヤ糸もシルク糸も極細のため、糸への負担をできる限り抑えながら2本の糸でゆっくり編み上げる。「1年で作ることができる枚数は限られているため、1年中編み機を回している」。
「用いるカシミヤやシルクの糸は引っ張るとすぐに切れるほど細い。世界でもこの極細糸を編み上げることができるのはおそらく当社だけだ」と「マル」を手掛けるニッターの南方俊二コメチゥ社長は胸を張る。コメチゥには他のニッターが根を上げたような難しい依頼が集まるという。装子副社長も「機械を理解している俊二さんだからこそできる唯一無二の製品だ」と語る。余談だが、南方社長は100年前のベントレー社製のチェーン編み機を、廃業を決めたニッターから譲り受け、全て分解して組み立て直すことで構造を理解して使い続けている。「約1500のパーツがあり3カ月かかった。構造を理解することでトラブルに対応できる」と南方社長。
「売上高の上限が見えた」と装子副社長はいうが、「マル」を始めて「単純に利益を上げることだけではない利点があった。例えば異業種への販路が広がった」という。「自社ブランドを運営することで今まで接点がなかった人とつながることができた。正直ファッション産業だけで商売を続けていくのは厳しい。レストランのリニューアルにあわせてクッションカバーやタペストリーの依頼があるなど、販路が広がっている」と話す。
エイガールズはラグジュアリーやデザイナーズ、カジュアルまで幅広いブランドから支持を集め、生地を販売しOEMも手掛ける。すでに多くのブランドが認知する有力テキスタイルメーカーではあるが、「最近では一度取引がなくなったブランドから『マル』を手掛けていることを知ってもらい、そのクオリティを評価してもらい『もう一度生地を見たい』とアプローチがあるなど相乗効果が生まれている」。
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エイガールズの「マル」好調 ファクトリーブランドの「3万円の100%カシミヤインナー」が売れるワケ
和歌山のテキスタイルメーカーエイガールズのインナーウエアブランド「マル(MALU)」が好調だ。2021年に“Your Personal Luxury(自分だけの贅沢・自分にしか味わえない贅沢)”をコンセプトに6型で始動。手編みのような膨らみと柔らかさのあるカシミヤ100%のインナーウエアがウケて、22年秋には型数を10型に増やし、23年にはシルク100%9型をラインアップに加えた。23年の売上高は前年比140%増、24年の現時点でも前年比150%増と好調だ。リピーターが多く、人気デザイナーズブランドのデザイナーが何着もまとめ買いをして愛用するなどプロからの支持が厚い。販路は自社ECに加え、セレクトショップでのポップアップストアや店舗は限られるが卸売りも始めた。
24年には米国ニューヨークのセレクトショップで「マル」のポップアップストアを開きテストマーケティングを行った。山下装子エイガールズ副社長は「伸縮性があるニットとはいえサイズ展開が求められる米国でワンサイズ展開は難しいかもしれないという不安があったが、『One size fits all(全てのサイズに対応)』と好反応をいただきタンクトップやオープンネックが特に好評だった」と話す。25年1月からは台湾でもポップアップストアを開くなど販路を海外にも広げる。
「マル」で用いている生地はもともとエイガールズとしてさまざまなブランドに提案していたものだった。「筒状のインナーを作ってみてはどうかと提案していたが売れなかった。そもそも10年前はブランドがインナーを手掛けることはほとんどなかったし、下着ではなくインナーに特化したブランドもなかったことも理由だろう」と振り返る。カシミヤやシルクを100%使用し繊細に編み上げた生地は高価でもあった。「素晴らしい生地だから自分たちでブランドを始めようと決めた」。
ファクトリーブランドの成功が意味すること
好調の理由を装子副社長は「ファッションブランドではなくプロダクトプランドだった点、他にはない肌触りのインナーウエアだったという点がよかったのではないか」と分析する。
「マル」を編む小寸のビンテージ丸胴機械はシルクとカシミヤ用にそれぞれ2台。編み上がった生地をそのままボディに用いるためロスが少ない。この機械は最大18本の糸から編み上げることができるが、「マル」で用いるカシミヤ糸もシルク糸も極細のため、糸への負担をできる限り抑えながら2本の糸でゆっくり編み上げる。「1年で作ることができる枚数は限られているため、1年中編み機を回している」。
「用いるカシミヤやシルクの糸は引っ張るとすぐに切れるほど細い。世界でもこの極細糸を編み上げることができるのはおそらく当社だけだ」と「マル」を手掛けるニッターの南方俊二コメチゥ社長は胸を張る。コメチゥには他のニッターが根を上げたような難しい依頼が集まるという。装子副社長も「機械を理解している俊二さんだからこそできる唯一無二の製品だ」と語る。余談だが、南方社長は100年前のベントレー社製のチェーン編み機を、廃業を決めたニッターから譲り受け、全て分解して組み立て直すことで構造を理解して使い続けている。「約1500のパーツがあり3カ月かかった。構造を理解することでトラブルに対応できる」と南方社長。
「売上高の上限が見えた」と装子副社長はいうが、「マル」を始めて「単純に利益を上げることだけではない利点があった。例えば異業種への販路が広がった」という。「自社ブランドを運営することで今まで接点がなかった人とつながることができた。正直ファッション産業だけで商売を続けていくのは厳しい。レストランのリニューアルにあわせてクッションカバーやタペストリーの依頼があるなど、販路が広がっている」と話す。
エイガールズはラグジュアリーやデザイナーズ、カジュアルまで幅広いブランドから支持を集め、生地を販売しOEMも手掛ける。すでに多くのブランドが認知する有力テキスタイルメーカーではあるが、「最近では一度取引がなくなったブランドから『マル』を手掛けていることを知ってもらい、そのクオリティを評価してもらい『もう一度生地を見たい』とアプローチがあるなど相乗効果が生まれている」。
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「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」の音楽を手掛けた渡邊琢磨が語る「映画音楽の魅力」
PROFILE: 渡邊琢磨/音楽家
近年、映画音楽の作曲家以外に、さまざまなミュージシャンがサントラを手掛けるようになった。渡邊琢磨もその一人。かつてキップ・ハンラハン、デヴィッド・シルヴィアンなど伝説的なミュージシャンとコラボレートし、映画音楽を手掛けるようになったのは2000年代に入ってから。近年は「いとみち」(横浜聡子監督、21年)、「はい、泳げません」(渡辺健作監督、22年)、「鯨の骨」(大江崇允監督、23年)などさまざまなタイプの作品のサントラを手掛けてきた。そんな中、今年は「Chime」「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」という話題作3本に携わり、まったく違ったアプローチでユニークなサントラをつくり上げた。映画界で注目を集めているに、「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」を中心に映画音楽について話を聞いた。
「ナミビアの砂漠」の電子音
——まず、「ナミビアの砂漠」について伺いたいのですが、どういう経緯で参加することになったのでしょうか。
渡邊琢磨(以下、渡邊):山中さんから映画のプロデューサーを介して連絡がありました。僕が音楽を担当したほかの映画作品を山中さんがご覧になったことがきっかけでお声掛けいただきました。オファーを受けた段階で映画の編集はセミオールくらいまで固まっていて、音楽だけが要不要含めて保留状態でした。そのあとオフラインを拝見したのですが、音楽は最小限もしくはなくてもよいのではと思い、その感想を山中さんと制作部にお伝えしたのですが、監督も当初音楽なしの案も考えていたそうで、音楽を当てるとしても4シーンくらいではないかとのことでした。
——映画に対しては、どんな感想を持たれました?
渡邊:主人公のカナ(河合優実)が、家の近所を無目的に歩くシーンが大変印象に残りました。その不安げで寄るべない散歩を見ているうちに、各シーンの出来事が何かしらの事実に帰結するのではなく、主人公に収れんしていくような映画ではないかと思い始めました。劇伴も主題を変奏する演出ではなく、主人公の空虚さや躍動を音にするのはどうかなと。
——山中監督のほうで、音楽をつけるのであればこういうものがいい、というイメージはあったのでしょうか。
渡邊:電子音という案が出たような気もしますが、ひとまず作業を進めて具体的な音のスケッチをお送りすることになりました。オフラインを観ながら起点となる音素材や音色を探す中で、電子音によるモチーフができたので、そちらを山中さんにお送りしたところ「こういう方向性も面白いですね」というような折り返しがありましたが、音楽の開始位置や音量に関しては改めて検討することになりました。
——「ナミビアの砂漠」で電子音が流れたとき、最初に連想したのがサファディ兄弟の監督作「神様なんてくそくらえ」(14年)でした。青春映画にひと昔前の冨田勲やタンジェリン・ドリームのシンセサイザー・ミュージックを使っているのが面白かったのですが、渡邊さんは「ナミビアの砂漠」のどういったところが電子音と合っていると思われたのでしょうか。
渡邊:山中さんの演出と撮影の米倉(伸)さんによる映像から着想を得たところが大きいと思います。メインテーマがあるようなスコアではなく、サウンドデザインや音響操作に近い音楽が適当ではないかと。
——確かにビートもメロディーもない音響的なサントラでしたね。この映画は、ヒロインのカナの内面についてあまり説明しません。カナ本人も自分が抱えている虚しさや葛藤を自覚していない。そんなカナが抱えている砂漠のような内面を、アブストラクトな電子音が表現しているような気がしました。
渡邊:電子音でビートや拍節感を出さないようにしたのは、ご指摘のとおり主人公に焦点を置いたような音楽の構想もあったからですが、そのような演出は映像に干渉しすぎる懸念もあり判断が難しいところでした。
「ナミビアの砂漠」の音づくり
——サントラはラッシュを見ながら即興で作っていったそうですね。そういう手法を取られたのはどうしてですか?渡邊:先ほどの話と重なりますが、「ナミビアの砂漠」では様式にとらわれず音楽をつくってみようと思い、モニターでオフラインを観ながら即興演奏をいくつか録音してみました。
——映像を見ながら即興でサントラを作る、というのは、マイルス・デイヴィスが「死刑台のエレベーター」(57年)のサントラをそうやって作ったという伝説を思い出します。
渡邊:ただ今回は録音した演奏をそのまま使うのではなく、即興でつくった素材を電子音に変換したり、原音が分からなくなるまで加工するなどの調整をしています。
——即興のときはどんな楽器を使ったのですか?
渡邊:ピアノやエレキベース、あとはフィールドレコーディングの素材です。カナが街中を走るシーンに、疾走感がありつつ拍節感はない音楽を当ててみようと思い、かなりの速さと音数で即興演奏したピアノから、ダイナミクスだけを抽出して電子音に変換してみたところ、粗粗しく無機的な粒子状の音響形態ができたので、その素材で2曲つくって監督と検討していきました。
——山中監督とのやり取りを通じて、監督の映画音楽に対する考え方やこだわりを感じたりはしました?
渡邊:「ナミビアの砂漠」で音楽が当たっているシーンは少なくて、それも前半から中盤のシーンに集中しています。カナとハヤシ(金子大地)の生活が始まって以降はエンドロールまで音楽がありません。音楽表を拝見した段階ではその構成の偏りに懸念もあったのですが、映画を通しで観ると中盤から音楽が退場することに違和感がなく驚きました。映画音楽を過不足なく当てる必要はありませんが、今回の音楽構成はイレギュラーだったので、山中さんの形式にとらわれない音楽演出は一つ発見でした。それから、全ての劇伴にはアレンジが微妙に異なるバージョンがいくつかあり、それらのリテイクは監督の修正案をもとにつくられていて、山中さんは音の細部や質感に鋭敏な方だと思いました。
——渡邊さんご自身は完成したサントラに対して、どんな感想を持たれましたか?
渡邊:感想……難しいですね。映画音楽の仕事は半ば締め切りによって完結することもありますし、サントラの印象に関しては宙に浮いたままです。「ナミビアの砂漠」では音楽が雰囲気をつくるというより、シーンによっては映像と音楽が拮抗することで、シーンにゆがみができればという構想はありました。しかし、野生動物が砂漠で水を飲んでいるエンドクレジットは難しかったです。エンド曲は3バージョンほどつくりましたが、山中さんとテイクの選定に当たって長考した覚えがあります。なので、映画完成後も少し不安がありました。
——自己評価が厳しいですね(笑)。個人的には合っていたと思いますし、新鮮さもありました。
渡邊:どんな音楽であれ映像に当ててみるとそれが最善に見えたり、何かしらの演出意図に思えてしまうのが、映画音楽の難しいところです。なのでつくった音楽に確信を持ちたいという気持ちに騙されないよう用心しています。
黒沢清監督との仕事
——その音楽が合っているかどうかは、最終的には監督の判断に委ねられるわけですね。では黒沢清監督の作品について伺いたいのですが、初めて黒沢作品を手掛けたのは「Chime」(24年)ですか?
渡邊:そうです。プロデューサーから送られてきた企画書をもとに、自分のオリジナル曲をいくつか選んで黒沢さんにお送りしたところ、そのうちの1曲があるシーンの音のイメージに近いということでオファーを頂きました。
——ということは、作曲に入る前にサントラの方向性はつかめていたわけですね。
渡邊:大まかにはそうですね。「Chime」で音楽を当てたシーンはラストとエンドロールの2カ所だけで、音楽の入りも演出も明快だったので作業は簡潔でした。
——そして、「Chime」の縁で「Cloud クラウド」につながったわけですね。黒沢監督は音楽の使い方には一貫したところがありますが、音楽に関してイメージを持たれている方なのでしょうか。
渡邊:僕が携わった映画に関しては、古典的な管弦楽を基調とした音色や響きが黒沢さんの念頭にあったと思います。それも漠然としたイメージではなく「木管楽器を使うのはどうでしょう」というように、音色や質感についても具体的なお話しがありました。併せてバーナード・ハーマンの音楽や、ジョン・ウィリアムズが音楽を手掛けた「宇宙戦争」(05年)のサウンドトラックなども参照されていたので、音楽の方向性はすぐに定まりました。
——黒沢監督のサントラはオーケストラ・サウンドを使った伝統的な映画音楽をもとにしたものが多いですが、「Cloud クラウド」もそうでしたね。
渡邊:シンフォニックな響きではありますが、それはクラシックというより、やはり映画から派生した音楽が起点となっているので、その点は「Cloud」でも踏まえました。ただ、音楽の主題に関しては悩みました。
——主題というのは、メインテーマの旋律をどうするか、ということですか?
渡邊:そうです。「Cloud」で最初に音楽が当たるシーンは、主人公の吉井(菅田将暉)が転売サイトで「まぼろしの健康器具」という謎の商品が完売するのを見届けて安堵するあたりですが、演出の方向性はつかんでいたものの、自分がしっくりくる音楽がなかなかつくれなくて。黒沢さんに完成した曲をお送りした直後にまた別のテイクをつくり出すこともありました。どうにも好奇心がわくというか、ほかの可能性を探りたくなる。締め切りを気にしつつペンを置くことが難しい映画でした。
——映像がそうさせるのでしょうか? だとしたら、渡邊さんは作曲する際に映像のどういったところにインスパイアされるのでしょうか。
渡邊:フレームの外にある見えない何かが喚起される映像といいますか……。何か見落としている気がするので、刺激というか凝視したくなります。蜃気楼のように近づくと遠ざかっていくので、その実体を見に行きたくなるのかもしれません。
「Cloud クラウド」での音づくり
——渡邊さんが「Cloud クラウド」の音楽をつくる上で手掛かりにしたものは、映像以外に何かありますか?
渡邊:音楽打ち合わせのときに、黒沢さんから「宿命」や「運命的」という主題が挙がりました。あと「地獄」というキーワードも出ましたが、黒沢さんは「Chime」のときも「地獄」に言及されましたので、こちらは何となくイメージできましたが、「宿命」や「運命」を念頭に作曲したことがなかったので、いろいろと試行錯誤しました。
——「Cloud クラウド」のサントラを改めて聴き直したとき感じたのは悲劇性でした。それはある意味、運命的ともいえるかもしれませんね。
渡邊:そうですね。難しかったのは、音楽でその待ち受ける出来事を先取りしてしまうと、映画の構造が破綻してしまうということです。しかし「運命」や「宿命」を演出する限りその音楽は予兆的でもあるので、そのパラドックスをどうやって解決すればいいのか悩みました。不穏な音楽で何かが起きることを暗示するホラーの演出でもなく、その「悲劇性」に寄せてマイナーの響きにするでもなし。楽器編成や音色は古典的ですが、旋律や響きのあんばいが難しかったです。アクションシーンも、弦を小刻みに演奏したり打楽器でアクセントをつくる感じでもなく。
——「Cloud クラウド」は優れたアクション映画でもありましたね。特にクライマックス。日本では嘘っぽくなる銃撃シーンに工夫を凝らしてリアルに演出しているのが分かりました。
渡邊:銃撃シーンが始まってしばらくの間、主人公の吉井は事態が飲み込めず、アシスタントの佐野(奥平大兼)から銃を手渡されてもどうしていいか分からない。そのあとの吉井と佐野が走り出すシーンで一瞬だけ音楽が使われていますが、当初この並走にも音楽を当てる予定はなくて、ダビング当日急きょほかのシーンに当たっていた音楽をアレンジして転用しました。黒沢さんから「今回のアクションシーンでは音楽をなるべく使わない方向で」と、打ち合わせ当初から伺っていましたし、あの銃撃シーン独特の緊張感は、乾いた銃声や息づかいなどの現実音や効果音によってつくり出された部分も多くあると思います。
「映画音楽にはルールがない」
——ジャンル映画のサントラは形式的なところがありますが、そこに独自のアプローチを加えることで化学変化を起こすことがある。それが映画音楽の醍醐味だと思うのですが、例えばサスペンス映画のフォーマットを作ったとも言われているマイケル・スモールが手掛けた「パララックス・ヴュー」(74年)のサントラも、映画から切り離して聴くとジャンルがわからない不思議な魅力がある。
渡邊:「パララックス・ヴュー」のサントラを採譜したことがありますが、あのマイケル・スモールの劇伴は、ほとんど発明に近いと思います。管弦楽法による音響像でもなくリファレンスもあまりない。マイケル・スモールとアラン・J・パクラ監督は、映画と音楽が拮抗しつつ一体化しているような独特の緊張関係をつくり上げたと思います。映画音楽史を調べていくと、トーキーが登場して以降、時代ごとに革新的な音楽が生まれていますが、おそらく直近でも転換点になるような音楽がつくられている気がします。例えば、ヨハン・ヨハンソンが手掛けた「ボーダーライン」(15年)のコントラバスのグリッサンド音ですとか。映画音楽は多分に派生的ですが、その典拠は時間がたってみないと分からないことが多いですね。
——トレント・レズナーの音響的なサントラもそうですね。レズナーもヨハンソンもロックのフィールドで活動していたミュージシャンですが、最近ではレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドやミカ・レヴィのように、映画音楽の作曲家以外のミュージシャンがサントラを手掛けるようになりました。渡邊さんもその1人ですが、そういった動きが映画音楽の世界に与える影響は大きいのではないでしょうか。
渡邊:映画音楽には定まった方法がありませんし、近年は音楽性がより多彩になってきたと思います。明確な主題があって口ずさめるような映画音楽もあれば、サウンドデザインや音響効果に近いサウンドトラックも多く、まさに映画音楽の変革期なのかもしれません。ただ、古典的なフィルムスコアリングの方法を引き継いでいくことも重要だと思います。個人的に文脈は大事ですし、過去作品に取り組むことで自分なりの方向性を見出すこともできます。「Cloud」の作曲に入る前には、ジョン・フリン監督の「組織」の音楽を手掛けたジェリー・フィールディングや、バーナード・ハーマンを聴いて「Cloud」のオーケストレーションなどを検討していました。
——そうやって文脈を見直しながら更新していくのは他のジャンルの音楽にもいえることですね。個人的にはミカ・レヴィと渡邊さんは通じるところがあるような気がします。両者とも専門的な音楽教育を受けていて、エレクトロニックな音楽からオーケストラ・サウンドまで手掛けることができるところとか、
渡邊:ミカ・レヴィの映画音楽にはいつも驚きと発見があります。ジョナサン・グレイザー監督の「アンダー・ザ・スキン」(13年)のサントラでは、木魚のような音が間を置きながら、「コツン、コツン」と鳴るのですが、その曇った打音と歪んだシンセサイザーの音がなんとも不気味で素晴らしく、人間とエイリアンの世界に溶け込んでいきます。「MONOS」(19年)でも笛のような音とティンパニーのロール音をうまく対比させるなど、音色や楽器の組み合わせも独創的で謎に満ちています。
——日本の映画界も、坂本龍一、細野晴臣、鈴木慶一といったベテラン、最近では石橋英子、岡田拓郎など、さまざまなミュージシャンが映画音楽を手掛けています。映画監督の音楽に対する意識も変化してきているのかもしれませんね。
渡邊:映画監督と音楽家の共同作業では、思いがけない発見や着想を得ることも多くありますね。映画の完成に際して、プリミックスから立ち会いをすることもありますが、映画監督の効果音に関するアイデアや判断は勉強になります。台詞や効果は映画内の音ですが、スタジオに立ち会っている自分からは気づけない細かな音にまで注意が行き届いていて、映画は音の情報が錯綜するので、音楽とのバランスを考える上で参考になります。それから、音楽は言語化することが難しくお互い専門知識も異なるので、演出の方向性をやりとりする上で難渋することもありますが、その際の互いの語彙というか、ひねり出される考えが逆に面白く着想につながることもあります。そういう解決困難なやり取りを経て、思いがけない音楽が引き出されます。
——監督とミュージシャンが共同でつくり上げていくという点でも映画音楽は独特ですね。だからこそ、面白いものが生まれる。
渡邊:僕は映画音楽の仕事と何にも付帯しない自分の音楽を分けて考えていません。映画音楽には時間などの制約もありますが、自分がベストと思えるぎりぎり手前の段階で音楽が手を離れたときの不条理な余白は、映画にあって手法や趣向を飛び越えた音に変化するような気もします。「ナミビアの砂漠」の即興をベースにした曲づくりも、「Cloud」の主題も半ば偶発的に着想しているので気がかりではありますが、それは常套(じょうとう)や習慣から逸脱した作業だからではないかと。個人的に作曲の仕事は漠然とした不安がある中で続けていることが多いです。
The post 「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」の音楽を手掛けた渡邊琢磨が語る「映画音楽の魅力」 appeared first on WWDJAPAN.
「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」の音楽を手掛けた渡邊琢磨が語る「映画音楽の魅力」
PROFILE: 渡邊琢磨/音楽家
近年、映画音楽の作曲家以外に、さまざまなミュージシャンがサントラを手掛けるようになった。渡邊琢磨もその一人。かつてキップ・ハンラハン、デヴィッド・シルヴィアンなど伝説的なミュージシャンとコラボレートし、映画音楽を手掛けるようになったのは2000年代に入ってから。近年は「いとみち」(横浜聡子監督、21年)、「はい、泳げません」(渡辺健作監督、22年)、「鯨の骨」(大江崇允監督、23年)などさまざまなタイプの作品のサントラを手掛けてきた。そんな中、今年は「Chime」「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」という話題作3本に携わり、まったく違ったアプローチでユニークなサントラをつくり上げた。映画界で注目を集めているに、「ナミビアの砂漠」「Cloud クラウド」を中心に映画音楽について話を聞いた。
「ナミビアの砂漠」の電子音
——まず、「ナミビアの砂漠」について伺いたいのですが、どういう経緯で参加することになったのでしょうか。
渡邊琢磨(以下、渡邊):山中さんから映画のプロデューサーを介して連絡がありました。僕が音楽を担当したほかの映画作品を山中さんがご覧になったことがきっかけでお声掛けいただきました。オファーを受けた段階で映画の編集はセミオールくらいまで固まっていて、音楽だけが要不要含めて保留状態でした。そのあとオフラインを拝見したのですが、音楽は最小限もしくはなくてもよいのではと思い、その感想を山中さんと制作部にお伝えしたのですが、監督も当初音楽なしの案も考えていたそうで、音楽を当てるとしても4シーンくらいではないかとのことでした。
——映画に対しては、どんな感想を持たれました?
渡邊:主人公のカナ(河合優実)が、家の近所を無目的に歩くシーンが大変印象に残りました。その不安げで寄るべない散歩を見ているうちに、各シーンの出来事が何かしらの事実に帰結するのではなく、主人公に収れんしていくような映画ではないかと思い始めました。劇伴も主題を変奏する演出ではなく、主人公の空虚さや躍動を音にするのはどうかなと。
——山中監督のほうで、音楽をつけるのであればこういうものがいい、というイメージはあったのでしょうか。
渡邊:電子音という案が出たような気もしますが、ひとまず作業を進めて具体的な音のスケッチをお送りすることになりました。オフラインを観ながら起点となる音素材や音色を探す中で、電子音によるモチーフができたので、そちらを山中さんにお送りしたところ「こういう方向性も面白いですね」というような折り返しがありましたが、音楽の開始位置や音量に関しては改めて検討することになりました。
——「ナミビアの砂漠」で電子音が流れたとき、最初に連想したのがサファディ兄弟の監督作「神様なんてくそくらえ」(14年)でした。青春映画にひと昔前の冨田勲やタンジェリン・ドリームのシンセサイザー・ミュージックを使っているのが面白かったのですが、渡邊さんは「ナミビアの砂漠」のどういったところが電子音と合っていると思われたのでしょうか。
渡邊:山中さんの演出と撮影の米倉(伸)さんによる映像から着想を得たところが大きいと思います。メインテーマがあるようなスコアではなく、サウンドデザインや音響操作に近い音楽が適当ではないかと。
——確かにビートもメロディーもない音響的なサントラでしたね。この映画は、ヒロインのカナの内面についてあまり説明しません。カナ本人も自分が抱えている虚しさや葛藤を自覚していない。そんなカナが抱えている砂漠のような内面を、アブストラクトな電子音が表現しているような気がしました。
渡邊:電子音でビートや拍節感を出さないようにしたのは、ご指摘のとおり主人公に焦点を置いたような音楽の構想もあったからですが、そのような演出は映像に干渉しすぎる懸念もあり判断が難しいところでした。
「ナミビアの砂漠」の音づくり
——サントラはラッシュを見ながら即興で作っていったそうですね。そういう手法を取られたのはどうしてですか?渡邊:先ほどの話と重なりますが、「ナミビアの砂漠」では様式にとらわれず音楽をつくってみようと思い、モニターでオフラインを観ながら即興演奏をいくつか録音してみました。
——映像を見ながら即興でサントラを作る、というのは、マイルス・デイヴィスが「死刑台のエレベーター」(57年)のサントラをそうやって作ったという伝説を思い出します。
渡邊:ただ今回は録音した演奏をそのまま使うのではなく、即興でつくった素材を電子音に変換したり、原音が分からなくなるまで加工するなどの調整をしています。
——即興のときはどんな楽器を使ったのですか?
渡邊:ピアノやエレキベース、あとはフィールドレコーディングの素材です。カナが街中を走るシーンに、疾走感がありつつ拍節感はない音楽を当ててみようと思い、かなりの速さと音数で即興演奏したピアノから、ダイナミクスだけを抽出して電子音に変換してみたところ、粗粗しく無機的な粒子状の音響形態ができたので、その素材で2曲つくって監督と検討していきました。
——山中監督とのやり取りを通じて、監督の映画音楽に対する考え方やこだわりを感じたりはしました?
渡邊:「ナミビアの砂漠」で音楽が当たっているシーンは少なくて、それも前半から中盤のシーンに集中しています。カナとハヤシ(金子大地)の生活が始まって以降はエンドロールまで音楽がありません。音楽表を拝見した段階ではその構成の偏りに懸念もあったのですが、映画を通しで観ると中盤から音楽が退場することに違和感がなく驚きました。映画音楽を過不足なく当てる必要はありませんが、今回の音楽構成はイレギュラーだったので、山中さんの形式にとらわれない音楽演出は一つ発見でした。それから、全ての劇伴にはアレンジが微妙に異なるバージョンがいくつかあり、それらのリテイクは監督の修正案をもとにつくられていて、山中さんは音の細部や質感に鋭敏な方だと思いました。
——渡邊さんご自身は完成したサントラに対して、どんな感想を持たれましたか?
渡邊:感想……難しいですね。映画音楽の仕事は半ば締め切りによって完結することもありますし、サントラの印象に関しては宙に浮いたままです。「ナミビアの砂漠」では音楽が雰囲気をつくるというより、シーンによっては映像と音楽が拮抗することで、シーンにゆがみができればという構想はありました。しかし、野生動物が砂漠で水を飲んでいるエンドクレジットは難しかったです。エンド曲は3バージョンほどつくりましたが、山中さんとテイクの選定に当たって長考した覚えがあります。なので、映画完成後も少し不安がありました。
——自己評価が厳しいですね(笑)。個人的には合っていたと思いますし、新鮮さもありました。
渡邊:どんな音楽であれ映像に当ててみるとそれが最善に見えたり、何かしらの演出意図に思えてしまうのが、映画音楽の難しいところです。なのでつくった音楽に確信を持ちたいという気持ちに騙されないよう用心しています。
黒沢清監督との仕事
——その音楽が合っているかどうかは、最終的には監督の判断に委ねられるわけですね。では黒沢清監督の作品について伺いたいのですが、初めて黒沢作品を手掛けたのは「Chime」(24年)ですか?
渡邊:そうです。プロデューサーから送られてきた企画書をもとに、自分のオリジナル曲をいくつか選んで黒沢さんにお送りしたところ、そのうちの1曲があるシーンの音のイメージに近いということでオファーを頂きました。
——ということは、作曲に入る前にサントラの方向性はつかめていたわけですね。
渡邊:大まかにはそうですね。「Chime」で音楽を当てたシーンはラストとエンドロールの2カ所だけで、音楽の入りも演出も明快だったので作業は簡潔でした。
——そして、「Chime」の縁で「Cloud クラウド」につながったわけですね。黒沢監督は音楽の使い方には一貫したところがありますが、音楽に関してイメージを持たれている方なのでしょうか。
渡邊:僕が携わった映画に関しては、古典的な管弦楽を基調とした音色や響きが黒沢さんの念頭にあったと思います。それも漠然としたイメージではなく「木管楽器を使うのはどうでしょう」というように、音色や質感についても具体的なお話しがありました。併せてバーナード・ハーマンの音楽や、ジョン・ウィリアムズが音楽を手掛けた「宇宙戦争」(05年)のサウンドトラックなども参照されていたので、音楽の方向性はすぐに定まりました。
——黒沢監督のサントラはオーケストラ・サウンドを使った伝統的な映画音楽をもとにしたものが多いですが、「Cloud クラウド」もそうでしたね。
渡邊:シンフォニックな響きではありますが、それはクラシックというより、やはり映画から派生した音楽が起点となっているので、その点は「Cloud」でも踏まえました。ただ、音楽の主題に関しては悩みました。
——主題というのは、メインテーマの旋律をどうするか、ということですか?
渡邊:そうです。「Cloud」で最初に音楽が当たるシーンは、主人公の吉井(菅田将暉)が転売サイトで「まぼろしの健康器具」という謎の商品が完売するのを見届けて安堵するあたりですが、演出の方向性はつかんでいたものの、自分がしっくりくる音楽がなかなかつくれなくて。黒沢さんに完成した曲をお送りした直後にまた別のテイクをつくり出すこともありました。どうにも好奇心がわくというか、ほかの可能性を探りたくなる。締め切りを気にしつつペンを置くことが難しい映画でした。
——映像がそうさせるのでしょうか? だとしたら、渡邊さんは作曲する際に映像のどういったところにインスパイアされるのでしょうか。
渡邊:フレームの外にある見えない何かが喚起される映像といいますか……。何か見落としている気がするので、刺激というか凝視したくなります。蜃気楼のように近づくと遠ざかっていくので、その実体を見に行きたくなるのかもしれません。
「Cloud クラウド」での音づくり
——渡邊さんが「Cloud クラウド」の音楽をつくる上で手掛かりにしたものは、映像以外に何かありますか?
渡邊:音楽打ち合わせのときに、黒沢さんから「宿命」や「運命的」という主題が挙がりました。あと「地獄」というキーワードも出ましたが、黒沢さんは「Chime」のときも「地獄」に言及されましたので、こちらは何となくイメージできましたが、「宿命」や「運命」を念頭に作曲したことがなかったので、いろいろと試行錯誤しました。
——「Cloud クラウド」のサントラを改めて聴き直したとき感じたのは悲劇性でした。それはある意味、運命的ともいえるかもしれませんね。
渡邊:そうですね。難しかったのは、音楽でその待ち受ける出来事を先取りしてしまうと、映画の構造が破綻してしまうということです。しかし「運命」や「宿命」を演出する限りその音楽は予兆的でもあるので、そのパラドックスをどうやって解決すればいいのか悩みました。不穏な音楽で何かが起きることを暗示するホラーの演出でもなく、その「悲劇性」に寄せてマイナーの響きにするでもなし。楽器編成や音色は古典的ですが、旋律や響きのあんばいが難しかったです。アクションシーンも、弦を小刻みに演奏したり打楽器でアクセントをつくる感じでもなく。
——「Cloud クラウド」は優れたアクション映画でもありましたね。特にクライマックス。日本では嘘っぽくなる銃撃シーンに工夫を凝らしてリアルに演出しているのが分かりました。
渡邊:銃撃シーンが始まってしばらくの間、主人公の吉井は事態が飲み込めず、アシスタントの佐野(奥平大兼)から銃を手渡されてもどうしていいか分からない。そのあとの吉井と佐野が走り出すシーンで一瞬だけ音楽が使われていますが、当初この並走にも音楽を当てる予定はなくて、ダビング当日急きょほかのシーンに当たっていた音楽をアレンジして転用しました。黒沢さんから「今回のアクションシーンでは音楽をなるべく使わない方向で」と、打ち合わせ当初から伺っていましたし、あの銃撃シーン独特の緊張感は、乾いた銃声や息づかいなどの現実音や効果音によってつくり出された部分も多くあると思います。
「映画音楽にはルールがない」
——ジャンル映画のサントラは形式的なところがありますが、そこに独自のアプローチを加えることで化学変化を起こすことがある。それが映画音楽の醍醐味だと思うのですが、例えばサスペンス映画のフォーマットを作ったとも言われているマイケル・スモールが手掛けた「パララックス・ヴュー」(74年)のサントラも、映画から切り離して聴くとジャンルがわからない不思議な魅力がある。
渡邊:「パララックス・ヴュー」のサントラを採譜したことがありますが、あのマイケル・スモールの劇伴は、ほとんど発明に近いと思います。管弦楽法による音響像でもなくリファレンスもあまりない。マイケル・スモールとアラン・J・パクラ監督は、映画と音楽が拮抗しつつ一体化しているような独特の緊張関係をつくり上げたと思います。映画音楽史を調べていくと、トーキーが登場して以降、時代ごとに革新的な音楽が生まれていますが、おそらく直近でも転換点になるような音楽がつくられている気がします。例えば、ヨハン・ヨハンソンが手掛けた「ボーダーライン」(15年)のコントラバスのグリッサンド音ですとか。映画音楽は多分に派生的ですが、その典拠は時間がたってみないと分からないことが多いですね。
——トレント・レズナーの音響的なサントラもそうですね。レズナーもヨハンソンもロックのフィールドで活動していたミュージシャンですが、最近ではレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドやミカ・レヴィのように、映画音楽の作曲家以外のミュージシャンがサントラを手掛けるようになりました。渡邊さんもその1人ですが、そういった動きが映画音楽の世界に与える影響は大きいのではないでしょうか。
渡邊:映画音楽には定まった方法がありませんし、近年は音楽性がより多彩になってきたと思います。明確な主題があって口ずさめるような映画音楽もあれば、サウンドデザインや音響効果に近いサウンドトラックも多く、まさに映画音楽の変革期なのかもしれません。ただ、古典的なフィルムスコアリングの方法を引き継いでいくことも重要だと思います。個人的に文脈は大事ですし、過去作品に取り組むことで自分なりの方向性を見出すこともできます。「Cloud」の作曲に入る前には、ジョン・フリン監督の「組織」の音楽を手掛けたジェリー・フィールディングや、バーナード・ハーマンを聴いて「Cloud」のオーケストレーションなどを検討していました。
——そうやって文脈を見直しながら更新していくのは他のジャンルの音楽にもいえることですね。個人的にはミカ・レヴィと渡邊さんは通じるところがあるような気がします。両者とも専門的な音楽教育を受けていて、エレクトロニックな音楽からオーケストラ・サウンドまで手掛けることができるところとか、
渡邊:ミカ・レヴィの映画音楽にはいつも驚きと発見があります。ジョナサン・グレイザー監督の「アンダー・ザ・スキン」(13年)のサントラでは、木魚のような音が間を置きながら、「コツン、コツン」と鳴るのですが、その曇った打音と歪んだシンセサイザーの音がなんとも不気味で素晴らしく、人間とエイリアンの世界に溶け込んでいきます。「MONOS」(19年)でも笛のような音とティンパニーのロール音をうまく対比させるなど、音色や楽器の組み合わせも独創的で謎に満ちています。
——日本の映画界も、坂本龍一、細野晴臣、鈴木慶一といったベテラン、最近では石橋英子、岡田拓郎など、さまざまなミュージシャンが映画音楽を手掛けています。映画監督の音楽に対する意識も変化してきているのかもしれませんね。
渡邊:映画監督と音楽家の共同作業では、思いがけない発見や着想を得ることも多くありますね。映画の完成に際して、プリミックスから立ち会いをすることもありますが、映画監督の効果音に関するアイデアや判断は勉強になります。台詞や効果は映画内の音ですが、スタジオに立ち会っている自分からは気づけない細かな音にまで注意が行き届いていて、映画は音の情報が錯綜するので、音楽とのバランスを考える上で参考になります。それから、音楽は言語化することが難しくお互い専門知識も異なるので、演出の方向性をやりとりする上で難渋することもありますが、その際の互いの語彙というか、ひねり出される考えが逆に面白く着想につながることもあります。そういう解決困難なやり取りを経て、思いがけない音楽が引き出されます。
——監督とミュージシャンが共同でつくり上げていくという点でも映画音楽は独特ですね。だからこそ、面白いものが生まれる。
渡邊:僕は映画音楽の仕事と何にも付帯しない自分の音楽を分けて考えていません。映画音楽には時間などの制約もありますが、自分がベストと思えるぎりぎり手前の段階で音楽が手を離れたときの不条理な余白は、映画にあって手法や趣向を飛び越えた音に変化するような気もします。「ナミビアの砂漠」の即興をベースにした曲づくりも、「Cloud」の主題も半ば偶発的に着想しているので気がかりではありますが、それは常套(じょうとう)や習慣から逸脱した作業だからではないかと。個人的に作曲の仕事は漠然とした不安がある中で続けていることが多いです。
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ジェイミー・xxが影響を受けた音楽とは? 「人生のサウンドトラック」から探る
現代のイギリスを代表するインディー・バンドの一組、ザ・エックス・エックス(The xx)のトラックメイカーであるジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)が2024年9月にリリースした2作目のソロ・アルバム「In Waves」は、コロナ禍後に再び活気を取り戻した英国クラブ・シーンの熱気をダイレクトに反映したものだった。だからこそ、同作のツアーの一環として行われた11月の来日公演は、日本での過去のライブを遥かにしのぐ強烈なエネルギーがほとばしっていた。特にドラムンベースを含む怒濤のビートの応酬で攻め立てた前半は圧巻。「In Waves」制作前は一時的に音楽へのモチベーションを失いかけていたと語っていたジェイミーだが、今は完全に復活し、ダンス・ミュージックへの情熱を取り戻していることが生き生きと伝わってきた。無論、その激しい前半からメロディアスでドラマティックな中盤、再びギアを上げる後半へと移行していく流れも素晴らしく、オーディエンスが終始、歓喜と熱狂に包まれた大充実の120分だった。
このインタビューは、そんな素晴らしいライブの前日に行われたもの。アルバムについてはリリース時に取材を行っているため、今回はジェイミーの人生のさまざまな場面を彩ってきた音楽について、その時の思い出も含めて話してもらった。カジュアルな会話の中から、ジェイミー・エックス・エックスというアーティストの音楽観やパーソナリティーが浮き彫りになってくるのが感じ取れるだろう。
「In Waves」の反響
——「WWDJAPAN」では最新作「In Waves」がリリースされた時に一度取材※をしているので、今回はあなたのこれまでの人生を彩ってきたさまざまな音楽、言わば「人生のサウンドトラック」について話を訊かせてもらおうと思っています。
※https://www.wwdjapan.com/articles/1913177
ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):クールだね、面白そう。
——と言いつつ、まずはアルバム関連の質問も幾つか。「In Waves」がリリースされてから2カ月ほどが経ちましたが、これまでの反応で最も納得がいったものと、最も意外だったものはそれぞれ何でしたか?
ジェイミー:そうだなあ……ある映画監督をしてる古い友人から、ロンドンでアルバム・リリースのために行ったショーについて、とても長いボイス・メッセージが送られてきたんだ。それが本当に詳細で情熱的な内容で、すごくうれしかった。それからというもの、実はあまりフィードバックを受けていなくてね。レビューを見るのを避けるようにしているし、音楽について友人と話すこともないんだ。ただ普段通りの生活をしてるから、他の人たちの反応をあまり知らないんだよね。うん、でも今のところはすごく順調だと思う。どのライブも素晴らしいし、一番うれしいのは、新しい音楽がリリースされたことで、「In Colour」やそれ以前の楽曲を演奏するのが以前よりも楽しく感じられるようになったことかな。新しいアルバムを作れない間は、昔の曲を聴くのがちょっとしんどかったけど、今は「昔の曲もそんなに悪くなかったな」って思えるようになったんだ。
——その映画監督をしている友人から送られてきたボイス・メッセージがどんな内容だったのか、教えてもらうことはできますか?
ジェイミー:正確には覚えてないんだけど、ただそのメッセージを受け取ってすごくいい気分になったのを覚えていて。彼は学生時代からの友人で、普段はあまり会わないんだけど、最近ロンドンに短期間滞在してた時に夕食を一緒にしたんだ。その時、彼が映画制作を始めた頃の話をしてくれたんだよ。彼が初めて作った作品のプレミア上映をやった時、誰かが近づいてきて、すごく詳細なフィードバックをくれたらしいんだ。そのフィードバックが、「これからも続けていける」って彼が思えるきっかけになったみたいで。だから彼は、フィードバックを人に伝えるのはとても大事なんだって言ってたよ。誰の人生に影響を与えるかなんて分からないからね。
——なるほど。ちょうど昨日、「Waited All Night」のニア・アーカイヴス(Nia Archives)・リミックスがリリースされたばかりですよね。彼女に依頼しようと思った理由は?
ジェイミー:彼女は今ロンドンで本当に面白いことをやっているアーティストの一人と思うんだ。UKから生まれたジャングルやドラムンベース、それにハッピー・ハードコアみたいな音楽を再び取り入れつつ、新しいツイストを加えているよね。で、それにすごく興奮してる人たちがたくさんいるっていう。つい最近、彼女はブリクストン・アカデミーで初めてのショーをやったんだよ。あそこってすごく大きな会場だし、彼女みたいなアーティストが境界を押し広げていくのは本当に素晴らしいことだと思う。それに、彼女が手掛けてくれたリミックスがすごく気に入ってるんだ。今、他にも何人かのアーティストにリミックスをお願いしているところなんだけど、それぞれがダンス・ミュージックの違うジャンルで独自性を持ってる人たちで。最終的には、多様でエクレクティックなリミックス・コレクションができあがるんじゃないかと期待しているよ。
——まさにニア・アーカイヴスがやっているようなジャングルやドラムンベースはイギリスで再び盛り上がっていますが、その理由はどこにあると思いますか?
ジェイミー:シーンの流行っていうのは常にサイクルがあるからね。それは世界的に見てもそうだし、イギリスに限った話でもそう。人々は20年前の音楽を参照にしたりして、ある夏にはその音楽ばかりが流行ってるみたいな感じになるんだよね。でもその後、また方向が変わって、自分自身のしっぽを追いかけるように進化していく。それがダンス・ミュージックの魅力だと思うんだ。ちゃんと追いかけていれば、目まぐるしく変化するトレンドをしっかり追うことができるし、毎週クラブに通えば、その進化をリアルタイムで感じられる。他のどんなジャンルも、これほど速いスピードで進化することはないと思うよ。
人生で初めて夢中になった曲
——まったく同感です。では、先ほど言った「人生のサウンドトラック」について訊かせてください。
ジェイミー:OK。
——まず、人生で初めて夢中になった曲は何ですか?
ジェイミー:えっと、多分なんだけど、最初に夢中になったのは曲と言うよりアルバム全体で、両親が持っていたアルバムだったね。ロンドンで行われたスタックス・レコーズのショーケースのライブ・レコーディングだった(1967年リリースの「The Stax/Volt Revue Volume One Live In London」か?)。サム&デイヴやオーティス・レディング、ブッカー・T & ザ・MG’sといったスタックス・レコーズのアーティストが勢ぞろいしていてね。その録音には観客の声も入っていて、彼らがどれだけ興奮していたかが伝わってくるんだ。それに、もちろんその音楽自体も素晴らしかった。で、実はそのショーに父が実際に行っていて、(そのショーが録音された)レコードを買ったんだよ。だから、自分自身でレコードを買う前は、家のレコードプレーヤーでそのレコードを飽きるほど聴いてたんだ。
——そのアルバムは、その後の自分の音楽観に何かしらの影響を与えたと思いますか?
ジェイミー:うん、間違いなくね。そのことは結構よく考えるよ。最近、HBOでスタックス・レコーズについての新しいドキュメンタリー(「Stax: Soulsville USA」)が公開されたんだ。それを見て、またいろいろ考えさせられて。当時のアメリカでは、まだ人種による分離が色濃く残ってたけど、スタックス・レコーズは白人と黒人のミュージシャンが毎日スタジオで一緒に仕事をしていたんだ。でも、アメリカではその音楽があまり受け入れられなかったから、よりたくさんの観客を求めてイギリスに来る必要があって。イギリスでは観客の大半が白人だったけど、アメリカにあったような人種の境界線はなかった。僕がこれまで愛してきた音楽の多くも、そういった境界がないものだったと思うし、自分がサンプリングしたり音楽を作ったりする時も、そういった面を意識したことはあまりないんだ。スタックス・レコーズは、まさにそういう姿勢を象徴しているんだと思う。
——なるほど。では、自分がダンス・ミュージックに夢中になるきっかけとなった曲は?
ジェイミー:多分、ブリアル(Burial)の「Archangel」だと思う。というのも、それ以前にもたくさんのダンス・ミュージックを聴いてたし、10歳の頃からDJをやってたんだけど、この曲が出た時、それまでのどんな音楽とも違う新しい響きがあったんだ。それがロンドン発の音楽で、全てが自分の中でつながった感じがしたし、「音楽の境界線ってここまで広げられるんだ」って気づかせられたんだよ。
——デビュー当初のザ・エックス・エックスはブリアルと比較されることもありましたよね。ブリアルのバンド的展開といった感じで。それは納得がいく比較だったということでしょうか?
ジェイミー:うん、すごくうれしいよ。自分はそういう比較を聞いたことがないけど、確かにどちらの音楽にも余白というか、空間的な部分があるよね。そんな比較をされるのは光栄だし、自分にはもったいない気がする。
——それにしても、10歳の時からDJをやっていたんですね。だいぶ早熟だと思いますが。
ジェイミー:僕の叔父は2人ともDJだったんだ。彼らがプレイしているところを見に行ったことがある。7歳くらいの時には、叔父がプレイしているバーや、彼らが出演しているラジオ局に行ったりしてたよ。それで、僕が10歳の時にターンテーブルをくれたんだ。小さい頃からずっと欲しいってお願いしていたからね。彼らが使っていた古いターンテーブルを譲ってくれたんだよ。
メンバーとの思い出が詰まった曲
——「In Waves」はサンプリングをたくさん使ったアルバムですが、サンプリング・ミュージックに目覚めたきっかけの音楽は?
ジェイミー:RJD2(アールジェイディーツー)の「Ghostwriter」だと思う。それまでヒップホップでサンプリングを聴いたことは何度もあったけど、サンプル自体が楽器みたいにアレンジされて、完全に新しい音楽を作り出しているのを聴いたのはそれが初めてだったんだ。それが僕の好きなサンプリングのやり方だね。
——これは曲単位の話ではないのですが、初めて行ったクラブのことは覚えています?
ジェイミー:正直、あんまりいいクラブじゃなかったんだ。
——(笑)では、初めて最高のクラブを体験した時のことを教えてください。
ジェイミー:それだったら、初めてプラスティック・ピープル(ロンドンのクラブ、2015年に閉店)に行った時かな。ほとんど誰もいなくて、暗い部屋に自分含めて4人くらいしかいなかったんだ。でもその日はドラムンベース・ナイトで、今まで聴いた中で一番良い音が流れてて。ただ暗い隅っこで何時間も聴いていられるのがすごく幸せだったんだよね。それまでのクラブ体験って、もっと酔っぱらったり、ただ若さに任せて無茶したりするような感じで、それもそれで楽しいんだけど、でもこれは全然違う体験だったんだ。
——その時のDJが誰だったか、覚えていますか?
ジェイミー:いや、覚えてないんだ。多分そのイベントの名前はウォーム(Warm)だったと思うけど。でも、正直わからないね。ただふらっと入っただけだからさ。
——僕もプラスティック・ピープルには何回か行ったことがあって、その音の良さに衝撃を受けたんですけど、今ロンドンにあれと同じくらい良い音のクラブはあるんですか?
ジェイミー:いや、残念だけどないんだ。でも、僕がロンドンでザ・フロアっていう自分のクラブ・イベントをやった時、プラスティック・ピープルを参考にしたんだ。天井を低くして、新しいサウンドシステムを全部導入して、部屋全体をプラスティック・ピープルにできるだけ近づけるようにしたんだよ。それから、プラスティック・ピープルのオーナーで僕の大好きなDJのアデを招いてプレイしてもらったんだ。プラスティック・ピープルで働いてたり、プレイしてた友達もみんな来てくれてね。それはもう、タイムマシンに乗ったみたいな感覚だったよ。
——それはぜひ行ってみたかったですね。では、ザ・エックス・エックスのメンバーとの思い出が詰まった曲と言えば?
ジェイミー:うん、それはいい質問だね。オリヴァー(・シム)に関しては、そうだな……グレイス・ジョーンズかな。オリヴァーがステージに立っている時、彼女と似たようなエネルギーを感じるんだよね。でも、オリヴァーをバンドの一員じゃなくて、ただの友達として思い浮かべると、ミッシー・エリオットとかマライア・キャリーとか、90年代のR&Bを聴いてたのを思い出すよ。僕たちが初めて会った11歳の頃、オリヴァーはそんな音楽を聴いてたんだよね。
——ロミーの方は?
ジェイミー:ロミーに関してはまた全然違うんだ。思い浮かぶのはザ・ディスティラーズだね。ニュー・パンクのバンドだよ。ロミーが10代の頃によく聴いていて、それは僕が当時聴いてたものとは全然違ったんだけど、それでも一緒に音楽を作りたいと思ったんだ。それからフリートウッド・マックの「Dreams」も思い出すよ。
——聴いていた音楽がそれぞれ全然違ったのに、一緒にバンドをやりたいと思ったのはなぜなんですか?
ジェイミー:ただみんな音楽が大好きだったからだと思う。それに、学校にいるよりも音楽をやる方がずっとワクワクする何かがあったんだよね。誰もいない部屋で演奏したりするだけでも、学校にいるよりずっと楽しかった。本当に自然な流れだったんだよ。
2024年のベスト・トラック
——「In Waves」制作前、ロックダウン中はダンス・ミュージックではなく昔のレコードばかり聴いていたと以前のインタビューで教えてくれましたが、その時に特に心に響いた曲を挙げるとすれば?
ジェイミー:クルセイダーズのベスト盤だね、赤いジャケットでシンプルなデザインのやつ(1976年リリースの「The Best Of The Crusaders」と思われる)。子どもの頃によく聴いてたから、レコード・ショップで見かけるたびに買っちゃうんだよね。いや、値段は5ポンドくらいで、ほとんど(ビンテージとしての)価値はないし、すごく一般的なレコードなんだけど、でも子どもの頃を思い出させてくれるし、今でも聴くのが好きなんだ。ロックダウン中もそれをたくさん聴いてたと思うよ。
——それ以外には、どんな曲をロックダウンの時は聴いていたんですか?
ジェイミー:結構フォーク・ミュージックを聴いてたよ。落ち着いた感じの音楽とかね。あと、トリップするのに良さそうな音楽とか。つまり、それまでずっと聴いてた音楽とは全く正反対のものを聴いてた感じかな。
——あなたの地元サウス・ロンドンを象徴する曲は何かと訊かれたら、どんなものが思い浮かびますか?
ジェイミー:やっぱりそれも、間違いなくブリアルだね。
——具体的な曲名やアルバム名で言うと?
ジェイミー:「Untrue」っていうアルバム。彼は、僕やフォー・テット(Four Tet)と同じ学校に通ってたんだ。だから、僕が育ったエリアをすごく象徴してると思う。でも、それだけじゃなくて、サウス・ロンドンからは本当にたくさんの音楽が生まれた。初期のダブステップとかね。DMZ Recordsの音楽もそうだな。ブリクストンのザ・チャーチでやってた彼らのクラブ・イベントに通ってたんだけど、DMZから出たレコードはどれも僕にとってサウス・ロンドンそのものって感じなんだよね。
——もう来日は何度もしていると思いますが、日本での思い出と結びついた曲は何かありますか?
ジェイミー:それなら、「DEMENTOS」っていうレコード。日本のアーティストだけど、名前が思い出せないな(清水靖晃。同作収録の「FIND NO WORD TO SAY 絶句」は翌日のライブでもプレイしていた)。実は去年になって初めて見つけたもので、本当に素晴らしいんだよ。最近はよくプレイしていて、僕のギグにもすごく役立ってるんだ。僕にとっては、これが日本を象徴していると思う。だって、日本に来るたびに、ここでしか見つからないような素晴らしい音楽をいつも新しく発見するんだから。
——あそこのテーブルの上にも買ってきたばかりのレコードが幾つも置いてありますが、やっぱり日本のレコード屋はいいですか?
ジェイミー:うん、世界一だね。
——ちなみに、日本でお気に入りのレコード屋ってあったりするんですか?
ジェイミー:毎回変わるんだよね。日本に来るたびに、どこかのレコード・ショップが一番いいものを揃えていて、それが毎回違うから。でも今回の滞在では、HMVに行って、そこでほとんどのレコードを買ったよ。disk unionやFace Recordsも好きだね。
——では最後に、2024年のベスト・トラックを教えてください。
ジェイミー:ジョイ・オービソン(Joy Orbison)の「flight fm」かな。今年のリリースだと思うんだけど……。
——今年ですね。なぜその曲がベストなんですか?
ジェイミー:あれが最後にダンス・ミュージックを本当に動かした曲だと思うんだ。もう、どこに行ってもかかってたからね。
PHOTOS:TAKUROH TOYAMA
■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
CD 国内盤(解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14157
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ジェイミー・xxが影響を受けた音楽とは? 「人生のサウンドトラック」から探る
現代のイギリスを代表するインディー・バンドの一組、ザ・エックス・エックス(The xx)のトラックメイカーであるジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)が2024年9月にリリースした2作目のソロ・アルバム「In Waves」は、コロナ禍後に再び活気を取り戻した英国クラブ・シーンの熱気をダイレクトに反映したものだった。だからこそ、同作のツアーの一環として行われた11月の来日公演は、日本での過去のライブを遥かにしのぐ強烈なエネルギーがほとばしっていた。特にドラムンベースを含む怒濤のビートの応酬で攻め立てた前半は圧巻。「In Waves」制作前は一時的に音楽へのモチベーションを失いかけていたと語っていたジェイミーだが、今は完全に復活し、ダンス・ミュージックへの情熱を取り戻していることが生き生きと伝わってきた。無論、その激しい前半からメロディアスでドラマティックな中盤、再びギアを上げる後半へと移行していく流れも素晴らしく、オーディエンスが終始、歓喜と熱狂に包まれた大充実の120分だった。
このインタビューは、そんな素晴らしいライブの前日に行われたもの。アルバムについてはリリース時に取材を行っているため、今回はジェイミーの人生のさまざまな場面を彩ってきた音楽について、その時の思い出も含めて話してもらった。カジュアルな会話の中から、ジェイミー・エックス・エックスというアーティストの音楽観やパーソナリティーが浮き彫りになってくるのが感じ取れるだろう。
「In Waves」の反響
——「WWDJAPAN」では最新作「In Waves」がリリースされた時に一度取材※をしているので、今回はあなたのこれまでの人生を彩ってきたさまざまな音楽、言わば「人生のサウンドトラック」について話を訊かせてもらおうと思っています。
※https://www.wwdjapan.com/articles/1913177
ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):クールだね、面白そう。
——と言いつつ、まずはアルバム関連の質問も幾つか。「In Waves」がリリースされてから2カ月ほどが経ちましたが、これまでの反応で最も納得がいったものと、最も意外だったものはそれぞれ何でしたか?
ジェイミー:そうだなあ……ある映画監督をしてる古い友人から、ロンドンでアルバム・リリースのために行ったショーについて、とても長いボイス・メッセージが送られてきたんだ。それが本当に詳細で情熱的な内容で、すごくうれしかった。それからというもの、実はあまりフィードバックを受けていなくてね。レビューを見るのを避けるようにしているし、音楽について友人と話すこともないんだ。ただ普段通りの生活をしてるから、他の人たちの反応をあまり知らないんだよね。うん、でも今のところはすごく順調だと思う。どのライブも素晴らしいし、一番うれしいのは、新しい音楽がリリースされたことで、「In Colour」やそれ以前の楽曲を演奏するのが以前よりも楽しく感じられるようになったことかな。新しいアルバムを作れない間は、昔の曲を聴くのがちょっとしんどかったけど、今は「昔の曲もそんなに悪くなかったな」って思えるようになったんだ。
——その映画監督をしている友人から送られてきたボイス・メッセージがどんな内容だったのか、教えてもらうことはできますか?
ジェイミー:正確には覚えてないんだけど、ただそのメッセージを受け取ってすごくいい気分になったのを覚えていて。彼は学生時代からの友人で、普段はあまり会わないんだけど、最近ロンドンに短期間滞在してた時に夕食を一緒にしたんだ。その時、彼が映画制作を始めた頃の話をしてくれたんだよ。彼が初めて作った作品のプレミア上映をやった時、誰かが近づいてきて、すごく詳細なフィードバックをくれたらしいんだ。そのフィードバックが、「これからも続けていける」って彼が思えるきっかけになったみたいで。だから彼は、フィードバックを人に伝えるのはとても大事なんだって言ってたよ。誰の人生に影響を与えるかなんて分からないからね。
——なるほど。ちょうど昨日、「Waited All Night」のニア・アーカイヴス(Nia Archives)・リミックスがリリースされたばかりですよね。彼女に依頼しようと思った理由は?
ジェイミー:彼女は今ロンドンで本当に面白いことをやっているアーティストの一人と思うんだ。UKから生まれたジャングルやドラムンベース、それにハッピー・ハードコアみたいな音楽を再び取り入れつつ、新しいツイストを加えているよね。で、それにすごく興奮してる人たちがたくさんいるっていう。つい最近、彼女はブリクストン・アカデミーで初めてのショーをやったんだよ。あそこってすごく大きな会場だし、彼女みたいなアーティストが境界を押し広げていくのは本当に素晴らしいことだと思う。それに、彼女が手掛けてくれたリミックスがすごく気に入ってるんだ。今、他にも何人かのアーティストにリミックスをお願いしているところなんだけど、それぞれがダンス・ミュージックの違うジャンルで独自性を持ってる人たちで。最終的には、多様でエクレクティックなリミックス・コレクションができあがるんじゃないかと期待しているよ。
——まさにニア・アーカイヴスがやっているようなジャングルやドラムンベースはイギリスで再び盛り上がっていますが、その理由はどこにあると思いますか?
ジェイミー:シーンの流行っていうのは常にサイクルがあるからね。それは世界的に見てもそうだし、イギリスに限った話でもそう。人々は20年前の音楽を参照にしたりして、ある夏にはその音楽ばかりが流行ってるみたいな感じになるんだよね。でもその後、また方向が変わって、自分自身のしっぽを追いかけるように進化していく。それがダンス・ミュージックの魅力だと思うんだ。ちゃんと追いかけていれば、目まぐるしく変化するトレンドをしっかり追うことができるし、毎週クラブに通えば、その進化をリアルタイムで感じられる。他のどんなジャンルも、これほど速いスピードで進化することはないと思うよ。
人生で初めて夢中になった曲
——まったく同感です。では、先ほど言った「人生のサウンドトラック」について訊かせてください。
ジェイミー:OK。
——まず、人生で初めて夢中になった曲は何ですか?
ジェイミー:えっと、多分なんだけど、最初に夢中になったのは曲と言うよりアルバム全体で、両親が持っていたアルバムだったね。ロンドンで行われたスタックス・レコーズのショーケースのライブ・レコーディングだった(1967年リリースの「The Stax/Volt Revue Volume One Live In London」か?)。サム&デイヴやオーティス・レディング、ブッカー・T & ザ・MG’sといったスタックス・レコーズのアーティストが勢ぞろいしていてね。その録音には観客の声も入っていて、彼らがどれだけ興奮していたかが伝わってくるんだ。それに、もちろんその音楽自体も素晴らしかった。で、実はそのショーに父が実際に行っていて、(そのショーが録音された)レコードを買ったんだよ。だから、自分自身でレコードを買う前は、家のレコードプレーヤーでそのレコードを飽きるほど聴いてたんだ。
——そのアルバムは、その後の自分の音楽観に何かしらの影響を与えたと思いますか?
ジェイミー:うん、間違いなくね。そのことは結構よく考えるよ。最近、HBOでスタックス・レコーズについての新しいドキュメンタリー(「Stax: Soulsville USA」)が公開されたんだ。それを見て、またいろいろ考えさせられて。当時のアメリカでは、まだ人種による分離が色濃く残ってたけど、スタックス・レコーズは白人と黒人のミュージシャンが毎日スタジオで一緒に仕事をしていたんだ。でも、アメリカではその音楽があまり受け入れられなかったから、よりたくさんの観客を求めてイギリスに来る必要があって。イギリスでは観客の大半が白人だったけど、アメリカにあったような人種の境界線はなかった。僕がこれまで愛してきた音楽の多くも、そういった境界がないものだったと思うし、自分がサンプリングしたり音楽を作ったりする時も、そういった面を意識したことはあまりないんだ。スタックス・レコーズは、まさにそういう姿勢を象徴しているんだと思う。
——なるほど。では、自分がダンス・ミュージックに夢中になるきっかけとなった曲は?
ジェイミー:多分、ブリアル(Burial)の「Archangel」だと思う。というのも、それ以前にもたくさんのダンス・ミュージックを聴いてたし、10歳の頃からDJをやってたんだけど、この曲が出た時、それまでのどんな音楽とも違う新しい響きがあったんだ。それがロンドン発の音楽で、全てが自分の中でつながった感じがしたし、「音楽の境界線ってここまで広げられるんだ」って気づかせられたんだよ。
——デビュー当初のザ・エックス・エックスはブリアルと比較されることもありましたよね。ブリアルのバンド的展開といった感じで。それは納得がいく比較だったということでしょうか?
ジェイミー:うん、すごくうれしいよ。自分はそういう比較を聞いたことがないけど、確かにどちらの音楽にも余白というか、空間的な部分があるよね。そんな比較をされるのは光栄だし、自分にはもったいない気がする。
——それにしても、10歳の時からDJをやっていたんですね。だいぶ早熟だと思いますが。
ジェイミー:僕の叔父は2人ともDJだったんだ。彼らがプレイしているところを見に行ったことがある。7歳くらいの時には、叔父がプレイしているバーや、彼らが出演しているラジオ局に行ったりしてたよ。それで、僕が10歳の時にターンテーブルをくれたんだ。小さい頃からずっと欲しいってお願いしていたからね。彼らが使っていた古いターンテーブルを譲ってくれたんだよ。
メンバーとの思い出が詰まった曲
——「In Waves」はサンプリングをたくさん使ったアルバムですが、サンプリング・ミュージックに目覚めたきっかけの音楽は?
ジェイミー:RJD2(アールジェイディーツー)の「Ghostwriter」だと思う。それまでヒップホップでサンプリングを聴いたことは何度もあったけど、サンプル自体が楽器みたいにアレンジされて、完全に新しい音楽を作り出しているのを聴いたのはそれが初めてだったんだ。それが僕の好きなサンプリングのやり方だね。
——これは曲単位の話ではないのですが、初めて行ったクラブのことは覚えています?
ジェイミー:正直、あんまりいいクラブじゃなかったんだ。
——(笑)では、初めて最高のクラブを体験した時のことを教えてください。
ジェイミー:それだったら、初めてプラスティック・ピープル(ロンドンのクラブ、2015年に閉店)に行った時かな。ほとんど誰もいなくて、暗い部屋に自分含めて4人くらいしかいなかったんだ。でもその日はドラムンベース・ナイトで、今まで聴いた中で一番良い音が流れてて。ただ暗い隅っこで何時間も聴いていられるのがすごく幸せだったんだよね。それまでのクラブ体験って、もっと酔っぱらったり、ただ若さに任せて無茶したりするような感じで、それもそれで楽しいんだけど、でもこれは全然違う体験だったんだ。
——その時のDJが誰だったか、覚えていますか?
ジェイミー:いや、覚えてないんだ。多分そのイベントの名前はウォーム(Warm)だったと思うけど。でも、正直わからないね。ただふらっと入っただけだからさ。
——僕もプラスティック・ピープルには何回か行ったことがあって、その音の良さに衝撃を受けたんですけど、今ロンドンにあれと同じくらい良い音のクラブはあるんですか?
ジェイミー:いや、残念だけどないんだ。でも、僕がロンドンでザ・フロアっていう自分のクラブ・イベントをやった時、プラスティック・ピープルを参考にしたんだ。天井を低くして、新しいサウンドシステムを全部導入して、部屋全体をプラスティック・ピープルにできるだけ近づけるようにしたんだよ。それから、プラスティック・ピープルのオーナーで僕の大好きなDJのアデを招いてプレイしてもらったんだ。プラスティック・ピープルで働いてたり、プレイしてた友達もみんな来てくれてね。それはもう、タイムマシンに乗ったみたいな感覚だったよ。
——それはぜひ行ってみたかったですね。では、ザ・エックス・エックスのメンバーとの思い出が詰まった曲と言えば?
ジェイミー:うん、それはいい質問だね。オリヴァー(・シム)に関しては、そうだな……グレイス・ジョーンズかな。オリヴァーがステージに立っている時、彼女と似たようなエネルギーを感じるんだよね。でも、オリヴァーをバンドの一員じゃなくて、ただの友達として思い浮かべると、ミッシー・エリオットとかマライア・キャリーとか、90年代のR&Bを聴いてたのを思い出すよ。僕たちが初めて会った11歳の頃、オリヴァーはそんな音楽を聴いてたんだよね。
——ロミーの方は?
ジェイミー:ロミーに関してはまた全然違うんだ。思い浮かぶのはザ・ディスティラーズだね。ニュー・パンクのバンドだよ。ロミーが10代の頃によく聴いていて、それは僕が当時聴いてたものとは全然違ったんだけど、それでも一緒に音楽を作りたいと思ったんだ。それからフリートウッド・マックの「Dreams」も思い出すよ。
——聴いていた音楽がそれぞれ全然違ったのに、一緒にバンドをやりたいと思ったのはなぜなんですか?
ジェイミー:ただみんな音楽が大好きだったからだと思う。それに、学校にいるよりも音楽をやる方がずっとワクワクする何かがあったんだよね。誰もいない部屋で演奏したりするだけでも、学校にいるよりずっと楽しかった。本当に自然な流れだったんだよ。
2024年のベスト・トラック
——「In Waves」制作前、ロックダウン中はダンス・ミュージックではなく昔のレコードばかり聴いていたと以前のインタビューで教えてくれましたが、その時に特に心に響いた曲を挙げるとすれば?
ジェイミー:クルセイダーズのベスト盤だね、赤いジャケットでシンプルなデザインのやつ(1976年リリースの「The Best Of The Crusaders」と思われる)。子どもの頃によく聴いてたから、レコード・ショップで見かけるたびに買っちゃうんだよね。いや、値段は5ポンドくらいで、ほとんど(ビンテージとしての)価値はないし、すごく一般的なレコードなんだけど、でも子どもの頃を思い出させてくれるし、今でも聴くのが好きなんだ。ロックダウン中もそれをたくさん聴いてたと思うよ。
——それ以外には、どんな曲をロックダウンの時は聴いていたんですか?
ジェイミー:結構フォーク・ミュージックを聴いてたよ。落ち着いた感じの音楽とかね。あと、トリップするのに良さそうな音楽とか。つまり、それまでずっと聴いてた音楽とは全く正反対のものを聴いてた感じかな。
——あなたの地元サウス・ロンドンを象徴する曲は何かと訊かれたら、どんなものが思い浮かびますか?
ジェイミー:やっぱりそれも、間違いなくブリアルだね。
——具体的な曲名やアルバム名で言うと?
ジェイミー:「Untrue」っていうアルバム。彼は、僕やフォー・テット(Four Tet)と同じ学校に通ってたんだ。だから、僕が育ったエリアをすごく象徴してると思う。でも、それだけじゃなくて、サウス・ロンドンからは本当にたくさんの音楽が生まれた。初期のダブステップとかね。DMZ Recordsの音楽もそうだな。ブリクストンのザ・チャーチでやってた彼らのクラブ・イベントに通ってたんだけど、DMZから出たレコードはどれも僕にとってサウス・ロンドンそのものって感じなんだよね。
——もう来日は何度もしていると思いますが、日本での思い出と結びついた曲は何かありますか?
ジェイミー:それなら、「DEMENTOS」っていうレコード。日本のアーティストだけど、名前が思い出せないな(清水靖晃。同作収録の「FIND NO WORD TO SAY 絶句」は翌日のライブでもプレイしていた)。実は去年になって初めて見つけたもので、本当に素晴らしいんだよ。最近はよくプレイしていて、僕のギグにもすごく役立ってるんだ。僕にとっては、これが日本を象徴していると思う。だって、日本に来るたびに、ここでしか見つからないような素晴らしい音楽をいつも新しく発見するんだから。
——あそこのテーブルの上にも買ってきたばかりのレコードが幾つも置いてありますが、やっぱり日本のレコード屋はいいですか?
ジェイミー:うん、世界一だね。
——ちなみに、日本でお気に入りのレコード屋ってあったりするんですか?
ジェイミー:毎回変わるんだよね。日本に来るたびに、どこかのレコード・ショップが一番いいものを揃えていて、それが毎回違うから。でも今回の滞在では、HMVに行って、そこでほとんどのレコードを買ったよ。disk unionやFace Recordsも好きだね。
——では最後に、2024年のベスト・トラックを教えてください。
ジェイミー:ジョイ・オービソン(Joy Orbison)の「flight fm」かな。今年のリリースだと思うんだけど……。
——今年ですね。なぜその曲がベストなんですか?
ジェイミー:あれが最後にダンス・ミュージックを本当に動かした曲だと思うんだ。もう、どこに行ってもかかってたからね。
PHOTOS:TAKUROH TOYAMA
■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
CD 国内盤(解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤(数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14157
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「飯沼一家に謝罪します」大森時生 × 皆口大地 「今回は徹底的に『謝罪』の怖さに向き合った」
PROFILE: 大森時生/プロデューサー・ディレクター(左)、皆口大地/映像作家
今年5月に放送されたTXQ FICTION第1弾「イシナガキクエを探しています」は、放送の度にXで日本トレンド1位を獲得するなど、大きな話題となった。そのTXQ FICTIONの第2弾、「飯沼一家に謝罪します」が12月23日から26日まで、4夜連続でテレビ東京で放送される。
制作スタッフは前作と同じく、テレビ東京の大森時生、「ゾゾゾ」「フェイクドキュメンタリーQ」の皆口大地、「フェイクドキュメンタリーQ」「心霊マスターテープ」の寺内康太郎、第2回日本ホラー映画大賞を受賞し、来年「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」の上映を控える近藤亮太が参加している。
「イシナガキクエ」では公開捜索番組がモチーフだったが、新作「飯沼一家に謝罪します」は家族チャレンジ番組がモチーフだ。なぜ、そのモチーフを選んだのか。そしてなぜ「謝罪」というテーマにしたのか。「イシナガキクエ」を振り返りつつ、「飯沼一家に謝罪します」について大森と皆口に聞いた。
※本文中には一部「飯沼一家に謝罪します」の内容に触れる記述があります。
前作「イシナガキクエを探しています」の反響
——前作「イシナガキクエを探しています」の反響は?
皆口大地(以下、皆口):自分の周りでもテレビで見ていただいた方が多くて、改めてテレビの力というか、規模が違うんだなというのはすごく実感しました。
大森時生(以下、大森):僕は「フェイクドキュメンタリーQ」にいちファンとして夢中になっていたので、何かのタイミングで皆口さんをはじめとした「Q」のスタッフの方々とご一緒としたいと思っていました。そして「イシナガキクエ」を放送したとき、テレビの同時性=同時間にみんなが見ることの面白さを、改めて感じました。
——ネット上では盛んに考察などが行われていました。
皆口:作っていく中で、チームの中ではストーリーのちゃんとした縦軸みたいなものはしっかりあったんですけど、見られた方々が展開する考察って、受け取り方やアングル次第で作品の見え方が変わるんだなという印象がすごく強かったですね。だから、「この人が言っているのは全然違うな」とかは思わなくて。正解・不正解みたいなものではなく、そういう見え方もするんだという。作品に深みが増した感じがしました。
大森:フェイクドキュメンタリーって本当に生き物っぽいところがあるなあと思っていて。例えば、僕という人間をAさんが話すときとBさんが話すときで、まったく違うことを言うと思うんですよね。それがフェイクドキュメンタリーでもそのまま起こっている。そのアングルによって語り方、見える部分とか怖がる部分、持つ感情とかも変わっていく。ドラマ的なフィクションほど、感情の行く先がサジェストされていないから、こんなにそれが出るかと驚きました。
——これまでの作品よりもそれが顕著だった?
大森:「イシナガキクエ」は、疑似生放送の体裁だったじゃないですか。だからスタジオの安東(弘樹)さんは、普通のフェイクドキュメンタリーよりも自由にしゃべれないんですよね。公開捜索番組という設定上、安藤さんは特に自分の感情については一切出すことができない。テレビに出ている人が何を考えているのかよく分からないから、より想像力が膨らむ。それが良い方向に行った部分もあれば、悪い方向に行った部分もあるなと個人的には思いました。「Q」は余白の具合が絶妙なんですよね。それでコアなファンにも新規のファンにもウケているところがすごく大きいと思うんですけど、「イシナガキクエ」は「Q」よりも余白の部分が少し大きくなっていたかもしれないというのは、今回の2作目をやる会議の最初に話題に上がりましたね。
——前作は電話番号も公開して視聴者に情報提供を呼びかけましたね。
大森:こんなに一瞬で電話回線がパンクしてしまうんだっていうのは驚きました。特に1話のときは開始5秒くらいでパンクしちゃって。
皆口:よく(電話を)かけますよね。自分だったら怖くてかけられない。だから、それにびっくりしました。
大森:しかも次の日から留守電に残っている人たちにかけ直したわけですから。ちゃんとビビってましたね、かけ直された人たちは。
——かけ直すっていうのは最初から決めていたんですか?
大森:いや、第1話の後に、こんなにかけてくれるんならかけ直そうってなりました。留守電の音声を聴くとすごく面白かったんですよ。ある種、フェイクドキュメンタリーに対するリテラシーも上がっているから、たぶんフェイクだとはわかった上で、そのことには一切触れずに、出演者の1人のような形でコメントしてくれている人が多くて。
——乗っかってくれているんですね。
大森:そうなんです。例えば、霊能でお祓いをやっているという人にかけ直したら、「イシナガキクエさんが狭いところに閉じ込められているのが見える」っていう話を30分くらい話しているんですよ。さすがにそのまま切るのは倫理的に良くないなと思って、この番組がフェイクドキュメンタリーであることを説明したら、「もちろん分かってます」って。先ほど触れた通り、演者が言える部分が少ない分、「イシナガキクエ」では視聴者との相互コミュニケーションのような形式にしましたけど、今回の「飯沼一家に謝罪します」はどちらかというともう少し、フィクション=物語に寄っていると思います。
「根幹を担ってくださっているのは寺内さん」
——錚々たるメンバーが集結して作られていますが、役割分担はどのようになっているんですか?
大森:結構ファジーですよね。
皆口:そうですね。最初にどんなことをやりたいかをみんなで集まって話をしてできるものの中から現実的に面白そうなものはどれだろうと組んでいく感じです。
大森:「Q」の寺内(康太郎)さんと福井(鶴)さんにアイデアを持ってきていただき、それについて話し合う。その後ドラマでいう脚本的なものをつくってもらい、それを元にまたみんなで話し合うという感じです。だから現場の監督は寺内さんで、出演もしている演出部の近藤(亮太)さんが、出演者として演技をすることも多く「これをスタッフは言いにくい」といったジャッジをしてくれる。僕や皆口さんは、ある程度俯瞰で見ながら気になったところを言っていくというスタイルですね。だから、強く言っておきたいのは、こういう取材でも僕が前面に出させていただいてますけど、根幹を担ってくださっているのは寺内さん、福井さんなんです。
——2人から見て寺内さんのスゴさは?
皆口:寺内さんって実際に料理がお上手なんですけど、まさに監督としてもそんな感じ。「こういうテーマで作ったら面白くないですか?」みたいな、ある意味無茶振りのようなことをバーっと言っても、それを形にできる力は、絶対に真似できない。食材はこれとこれと言ったら、おいしいものをつくってくれるという信頼があります。
大森:現場的なことで言えば、素材でまず本物じゃないと許さない感じがすごく面白いなと思います。僕はテレビの人間なので、やっぱり編集文化で育っているんですよ。編集して最終的にできあがったものが成立していればいいと思ってしまう。撮影したAの部分とBの部分を組み合わせて、順番を入れ替えたりすれば、こういうふうにつながるなみたいに考えるんですけど、寺内さんは、それをあまり好まない。1回の撮影で、さらにいうとワンカットで本物だと思えるようなものを撮る。その嗅覚みたいなものが一朝一夕で身につけたものじゃない感じがあってスゴいなと思います。
——それは具体的にはどのようなやり方なんですか?
大森:僕からしたら、そんなにダメだったかな?ってところでも粘って撮影を続けるんです。1回目のテイクとそこまで変わらないかなと思うんですけど、編集で上がってきたものを見ると、ああ、寺内さんはこの表情を撮りたいと思ったんだっていうのがすごく分かる。寺内さんの中で、それが明確に見えているんだと思います。でも、寺内さんは俳優の方たちに「僕が言った通りに直さないでいいですよ」って言うこともあるんです。「僕がこういうところがダメだと思っていることを理解して、その上であなたが咀嚼(そしゃく)してもう1回やってほしい」と。そしたら本当に狙って起こせないような怖さだったり、不気味さが撮れるんですよ。寺内さんは、もう普通の本物っぽさでは満足できないくらい変態的なレベルに達しているのかもしれないです(笑)。僕は自分の脳内に浮かぶものをちゃんと反映させることを目指すけど、寺内さんはそれを超えたものを見せてくれっていう発想なんです。
——「イシナガキクエ」でいえば、米原さんの存在感も得も言われぬ不気味さでした。
大森:最初は米原さん役の方の顔を見ても不気味だとかはまったく思ってなかったんです。でも、いざ現場で寺内さんが演出をつけると不気味になる。たぶん、「イシナガキクエ」で一番リテイクしたのが、「イシナガキクエはいないんじゃないですか?」ってスタッフに聞かれて「え?」って米原さんが聞き返すシーン。ネットでも一番反響があったシーンですけど、あれはさっきの寺内さん流の演出の結果、スゴいところにたどり着いたなってシーンでしたね。
——カメラワークも印象的ですね。
大森:実は「TXQ FICTION」では、川滝(悟司)さんという「情熱大陸」などでもディレクターをしている方がカメラで入っていて、自分の意思で動かしているんです。「ドキュメンタリーで自分が密着するとしたら、どういうカメラワークにするかで撮ってください」と全部お任せ。カメラマンって、特にバラエティーのカメラマンはディレクターが撮ってほしいものを撮る職人でもあるから、例えば、グッと目だけに寄るみたいなことは指示を受けない限りすることは少ないです。ディレクターがそうじゃないと思ったときに替えがきかなくなってしまうから。でも川滝さんは、それを自ら画をディレクションしてくださり、画を決めてくださるからこそ出せる迫力がある。今回の「飯沼一家」でも、まさにそういう大胆なカメラワークのシーンがありました。
皆口:そうですね。すごく生き生きとしたものが撮れましたね。
大森:逆にここで表情を撮らないんだ、みたいなことも多い。僕とかだとやっぱり保険のためにここは顔も撮っておいて、後でインサートで物を撮ろうとか思うんですけど、それよりもグルーヴみたいなものを大事にして撮るものを瞬時に決めている。それがリアルっぽさと迫力につながっているなと思いました。
「より密度が濃い作品」
——「イシナガキクエ」では、公開捜索番組がモチーフでしたが、新作「飯沼一家に謝罪します」は、家族チャレンジ番組がモチーフになっています。
大森:「番組枠を買い取ったっていう概念が面白いよね」というのが最初のスタートで、買い取った先に何をするかで「謝罪」というテーマが出てきた。謝罪の対象者として、幸せそうな家族に謝るというのは面白いだろうと。
皆口:やっぱり「しあわせ家族計画」(TBS)のような家族チャレンジものって幸せの象徴みたいな番組じゃないですか。失敗しても別に地獄に落ちるわけでもないし。だからその幸せの象徴みたいなものの裏に「TXQ FICTION」味の不穏なものがバックボーンにくっついていたりしたら面白いんじゃないかと。
大森:「謝罪」というテーマも面白いんじゃないかと思いましたね。「謝罪」って現代社会ですごく怖い。とにかく隙あらば謝罪に追い込まれるし、謝罪も必要に迫られたから謝罪しますっていうのがほとんどで、その謝罪も別に何の効果もない。みんなその謝罪にまた怒るだけ。もうこの5年くらいで、謝罪というものの曖昧さがすごく増した感じがするんですよね。だから「謝罪」というテーマが出てきたときに、とてもいいなと思いました。字もよく考えたら怖いですよね。「罪」を「謝」る。
——確かに。
大森:今回は「イシナガキクエ」より圧倒的に渋くなっていて、「イシナガキクエ」ともまったく違う手触り・面白さだと思います。
皆口:自分は京都が好きなんですけど、京都って入り口がめちゃくちゃ狭いじゃないですか。でも入って見ると道がすごく広がっている。今回の作品はそれに近いんじゃないかと思います。
大森:冒頭の第1話が特に渋いですからね(笑)。
皆口:ちゃんと2話、3話、4話と見ていただければ、面白くなったと言っていただけると思います。自分は根が曲がっている人間なので、こういう作品の方がやっていて楽しいし、見ていただきたいなと思いますね。今回は4夜連続なので、毎日続けて見られるからこそ許される複雑さもあります。
——そういう入り口の狭さや分かりにくさみたいなものは、視聴者をある程度信頼していないとできないことだと思いますが、視聴者にはどのような思いがありますか?
皆口:こんなことを言ったら怒られるかもしれないですけど、自分は視聴者の方に対する思いってそんなにないんです。自分が見たいものを愚直に追い求めている。だから視聴者の方にメッセージがあるとしたら「こういうの見たかったよね!」っていうことですね。視聴者が望むことばかりを追いかけても、シリーズが丸くなっていくだけだと思うので。
大森:それは本当にそうですね。
皆口:やっぱりどこかでエゴを出していかないといけないし、それが求められているんだろうなとも思います。教科書のような“いい子”のフェイクドキュメンタリーはもっとちゃんとしたところが作ってくれるんじゃないかなって(笑)。
大森:僕も感覚的には近いところがあって、やっぱりマーケティング的にものを作るってかなり危険でもあると思っているんです。短期的には成功する可能性はあるけど、それによって作品の寿命が縮むことがある。僕の中にもやっぱりクリエイター寄りの自分と、マーケター寄りの自分がいるんですけど、やっぱり自分たちが一番面白いと思っているもの、自分たちが打てる一番強いパンチを打つことがまず先にあって、その上で、一番広がる方法はなんだろうっていうのをいつも考えたいと思っています。
「大森さんとストレートな心霊番組を作ってみたい」
——皆口さんは「TXQ FICTION」について「自分のテレビ愛を込めたかった」とおっしゃっていますが、昔からテレビは好きだったんですか?
皆口:テレビっ子ですね。いまでも家にいるときはずっとテレビをつけっぱなしです。自分はYouTubeで「ゾゾゾ」という番組をやっていますけど、YouTubeで活躍されている方って、テレビと比べられがちなところがあるじゃないですか。YouTubeの方が面白いよね、とか。自分は一切そういうのを感じなくて。だから、そんな意見へのアンチテーゼじゃないですけど、テレビを愛している人間もここにいるんだぞ、みたいな気持ちもあって「ザ・テレビ」みたいな題材を選んだんです。「イシナガキクエ」や「飯沼一家」をYouTubeやNetflixでやっても意味がない。テレビでやるからこそ意味があるんだっていうテレビっ子なりのこだわりがありましたね。
——どんなテレビ番組が好きだったんですか?
皆口:ドラマも好きでしたし、バラエティも、それこそ心霊番組とかが好きですね。世代的にバラエティーでいえば「ガチンコ!」(TBS)とか、心霊系では、「奇跡体験!アンビリバボー」(フジテレビ)や「USO!?ジャパン」(TBS)を見てましたね。
——そういう真っすぐな心霊番組をテレビでやりたいという気持ちは?
皆口:すごくありますね! それこそ大森さんとストレートな心霊番組を作ってみたい。大森さんとやったらどんなものができるのかなって。大森さんが心霊番組に真剣に向き合うとどういう発想と作り方をするのかすごく興味がありますね。
大森:逆に僕はそんなに心霊を通ってきてない。だから、心霊番組を作るとしたらちょっと楽しいかもと思いますね。たぶん、皆口さんからしたら「今更そこ?」みたいな部分が気になってしまうかもしれないですが。それに、心霊番組だったら、めちゃめちゃいい時間でできますし(笑)。「真夏の絶恐映像」みたいにゴールデンで3時間スペシャルとかテレ東は毎年のようにやっているので。
——大森さんたちが作る「真夏の絶恐映像」は、「TXQ FICTION」とはまた一味違う面白さがありそうです!
大森:「TXQ FICTION」は、まさかの1作目より時間帯が深くなるという(笑)。でも、深夜2時に見るという面白さは絶対にあると思っていて。深夜2時に誰かが誰かに謝罪しているところを見たい人はいるんじゃないかと。
PHOTOS:TAMEKI OSHIRO
■TXQ FICTION「飯沼一家に謝罪します」放送日:2024年12月23〜26日
時間:(毎夜)深夜2時00分〜2時30分
放送局:テレビ東京
https://tver.jp/series/srog0v9atu?utm_source=tvtokyo_plus&utm_medium=article&utm_campaign=txqfiction_20241216
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