イタリア発マルチブランド・リテール、スローウエアに新CEOがもたらす進化

PROFILE: ピエロ・ブラガ/スローウエア最高経営責任者

ピエロ・ブラガ/スローウエア最高経営責任者
PROFILE: 「ゼニア」「トッズ」で小売と卸売の経験を積み、直近では「グッチ」で時計部門の最高経営責任者からインダイレクトチャネル、アウトレット、トラベルリテール部門のエグゼクティブ・バイスプレジデントを務める。2021年にスローウエア創業者のロベルト・コンパーニョが亡くなったのを受け、23年に現職就任  PHOTO: MASASHI URA

イタリア・ヴェニスで1951年に創業したトラウザーブランドの「インコテックス(INCOTEX)」を筆頭に、ニットウエアの「ザノーネ(ZANONE)」、アウターウエアの「モンテドーロ(MONTEDORO)」、シャツの「グランシャツ(GRANSHIRTS)」を擁するマルチブランド・リテール企業のスローウエア(SLOWEAR)。東京やミラノ、ロンドン、パリ、ニューヨークなどの都市に30店舗以上を展開する旗艦店では、洋服だけでなく、アートやアクセサリー、雑貨類も取り揃え、スローウエア(slow + wear)という名の通り、ゆったりとした贅沢な時間を過ごすことができる。

そんなスローウエアは、成長を牽引したロベルト・カンパーニョ(Roberto Compagno)前CEOが2021年に他界したことを受け、23年、ピエロ・ブラガ(Piero Braga)をCEOに任命。就任から1年を経て新CEOは何を思うのか。スローウエアの哲学、イタリアンクラシコの神髄、そしてマルチブランドリテールとして描くビジョンを語ってもらった。

「第二の肌」として、顧客の人生に寄り添う服作り

WWD:「ゼニア(ZEGNA)」「トッズ(TOD'S)」そして「グッチ(GUCCI)」というビッグメゾンを経て2021年にスローウエアのCEOに就任した。その経緯は?

ピエロ・ブラガ最高経営責任者(以下、ブラガCEO):わたしが参画した時、会社は大きな嵐のような状態から抜け出したタイミングだった。コロナ禍で大きな影響を受け、創業者のロベルト・カンパーニョが62歳の若さで亡くなった後だった。仕事を引き受けたのは、ビッグメゾンでの仕事を長年経験し、自分の個性や性格よりもブランド名が前に出る状況が続いたことで、あらためて自分自身の物語を作り上げていきたいと感じたから。そんな時にスローウエアの話をもらった。

WWD:トップに就任して3年。改めて「スローウエア」とはどんなブランドか?

ブラガCEO:スローウエアとはブランド名でも、創始者やオーナーの名前でもなく、概念や考え方。もとは「スローウエア」という屋根の下にトラウザーズの「インコテックス」、ニットの「ザノーネ」、アウターの「モンテドーロ」、シャツの「グランシャツ」という卓越した各ブランドを擁するコンセプトリテールだ。小規模で、決して知名度も高くはないが、ファンには非常に重要なブランド。社長になって、ロイヤルカスタマーの多さに驚き、感動した。

私たちが目指すのは、洗練のエレガンスと、一つのものに固着しないしなやかさ。そして、機能性と使い勝手の良さに宿る美しさ。それらを体現する洋服は、顧客の人生に寄り添う。着心地の良さと機能性を追求するからこそ、各アイテムは、顧客の「第二の肌」となる。それらは全て「着用」できるだけでなく、「使用」できるものだ。

WWD:「着用」と「使用」の違いとは?

ブラガCEO:警察や軍隊の制服やサラリーマンのスーツは「着用」するもの。それはある種のユニフォームで、相手に自分が「警察」や「サラリーマン」であることを伝える役割がある。必ずしも作りが良いわけではなく、職業の固定的なイメージに基づいた見え方が大事なのだろう。一方、服を「使用」することは、その日にどんな経験をするかを考えた上で、数ある中から自分を高めてくれる服を選んで着ること。私たちは、顧客に自分を表現してもらいたい。だからこそ、いろんな種類の生地や色を揃えている。ある種のゆるやかさを持つことも大事だ。凝り固まらず、ちょっとした「間違い」を含み持つぐらいが良い。完璧なエレガンスを想像した時に思い浮かぶのは、当たり前過ぎないコーディネートだ。

イタリアンクラシコのアップデート

WWD:「スローウエア」は「イタリアンクラシコ」のブランドと捉えて良いのか?

ブラガCEO:近年、現代的にアレンジされたクラシックスタイルはファッショニスタをも魅了するトレンドとなっている。このトレンドがいつまで続くかはわからないが、それをできる限り享受したいし、スローウエアをその最前線を走るブランドにしたい。

WWD:「イタリアンクラシコ」は、変わらなければ衰退する一方、急激に変わると受け入れられないというジレンマを抱えているように思う。

ブラガCEO:確かに、コンテンポラリー・クラシックの文脈でブランドが進化していくには、単純にデザインを新しくすれば済むわけではなく、形、生地、機能性、ディテール、アーカイブなどの要素で実験をし、折り合いをつけていかなければならない。だからこそ、いわゆる普通のファッションブランドを刷新させていくことよりも難しい。とは言え、例えば「ゼニア」や「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」はクラシックだが、同時に現代的でもある。「イタリアンクラシコ」は、現代的にも進化できる。ただブランドを進化できず、旧態依然としたモノ作りをしているものもいる。素晴らしいプロダクトを作ってはいるが、先ほどの例で言えば「ユニフォーム」のような価値観に固執して服を作っているようなブランドだ。

スローウエアを前進させていくために
強化するブランド間のコミュニケーション

WWD:その中で、スローウエアはどのように進化していく?

ブラガCEO:スローウエアは、縦割り構造の中で、各ブランドの専門性を大事に育ててきたブランド。そのルーツはもちろん大事にしつつ、「ライフスタイル」という概念により大きな力点を置きたいと考えている。だからこそ、この縦割り構造を越えて、進化していきたい。

WWD:具体的には?

ブラガ:私たちのビジネスの核となるメンズウエアについて言えば、商品の企画は、各製造担当者に委ねられてきた。担当者間に十分なコミュニケーションがなかったため、それぞれのブランドで色に統一感がない、などの問題があったのは事実だ。ブランドごとに専門性を高めることは良いことだが、その専門性は檻になってはいけない。またトラウザーズ専門ブランドの「インコテックス」からスーツを発売したとしても、トラウザーズ専門のブランドゆえ、ジャケットにはブランド名がつけられないという実務的な問題も起きていた。ジャケット専門のブランド「モンテドール」でも同様のことが起きたことがある。

そこで、ブランド間のコミュニケーションを強化し、統合的なアプローチをとるために、全ブランドを担当するデザイナーを一名任命した。すでに統合的なアプローチをとっていたウィメンズのコレクションを担当してきた人物だ。今後は、ジェンダーやカテゴリーを越えて全てのデザインを担当する。また同じく全ブランドを担うマーチャンダイザーも新たに一名任命した。

WWD:スローウエアにとって、それはかなり大きい変化では?

ブラガCEO:CEOに就任した当初、この会社固有の縦割りのシステムはロマンがあるものに思えて、むしろ良いと感じた。各セクションを収める屋根としてスローウエアを強化することで、ファッションECの「ネッタポルテ(NET-A-PORTER)」や「ミスターポーター(MR.PORTER.COM)」のように発展させられるかもしれないと考えた。だがそれは私たちのような作り手が担うべきことではなく、リテールの仕事だろうと思うようになった。

大きな転機は、このスローウエアというプロジェクトをトータルのルックで考えるようになったこと。その一歩を踏み出すとき、社内でも大きな抵抗があったのは事実だが、それを乗り越え、結果的にリブランディングにつながっていった。

WWD:では今後は、靴やバッグなどのアイテムをリリースすることもありえる?

ブラガCEO:可能性は十分にある。それらはブランドの成功に不可欠なアイテムだ。もちろん今はリブランディングに集中しなければいけないが、自分自身もアクセサリーやシューズの経験が豊富なので、ブランドにとって良いチャレンジになるだろう。

WWD:先ほど少し話にも出たウィメンズの今後の展開は?

ブラガCEO:ウィメンズは、会社にとっても大切な要素だ。成長の原動力になるし、メンズコレクションとの比較もできる。1970年代の「モンテドーロ」のデザインに注目した。当時はメンズのスタイルを着想源に、カッティングを変えることでウィメンズにアレンジし、男女のコーディネートがリンクしていた。男女とも同じ生地のコートを着たコーディネートを前面に出した70年代の広告も残っている。ボーイフレンドルックやリンクコーデのアイデアは、多くの示唆を与えてくれる。そのままコピーするつもりはないが、ノウハウを活用すれば、オーセンティックでありながら、特別なコレクションが作れる。

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「ボナベンチュラ」がイタリア大使館でイベント開催 CEOが「顧客中心」のブランド理念を語る

イタリア・ミラノ発のラグジュアリーレザーグッズブランド「ボナベンチュラ(BONAVENTURA)」は10月31日、東京・三田の駐日イタリア大使館で、ブランドのモノづくりへの思いと、イタリアの卓越した職人技とデザインへのこだわりを発信するイベント「Discover BONAVENTURA: A Journey into Italian Luxury」を開催した。

イベント冒頭で登壇したジャンルイジ・ベネディッティ駐日イタリア大使は「『ボナベンチュラ』は単なる商業的なサクセスストーリーではなく、イタリアと日本の産業を発展させることの可能性を示す一例だ」と語り、イベントの開催を祝った。

今回のイベントのためにイタリアから来日した「ボナベンチュラ」のジャコモ・コルテジ最高経営責任者(CEO)は「『幸福』というブランド名の通り、幸せを創造し、その幸せを顧客と共有できる存在でありたい」と理念を語った。そのために貫くのは「顧客中心主義」。さまざまなタッチポイントで吸い上げた顧客からの声を真摯に受け止め、それを商品展開やデザインに反映する。「フェラガモ(FERRAGAMO)」や「セラピアン(SERAPIAN)」、コンパニー フィナンシエール リシュモン(COMPAGNIE FINANCIERE RICHEMONT)で長年経験を積み、今年2月に現職に就任したコルテジCEOは「ビッグメゾンや競合との大きな違いは、私たちがボトムアップのブランドであること」と語る。実際に、ポケットがついたレザーのiPhoneケースのヒットで火がついた「ボナベンチュラ」だが、バッグやトラベルグッズなどは、顧客のリクエストに応じて増やしてきたという。

ブランドが下す判断の軸は、全て「顧客がまた『ボナベンチュラ』の商品を手に取りたいと思ってくれるか」。そのために顧客サービスにも力を入れる。商品の保証は「永年保証」をかかげ、マニュアル通りの対応ではなく一つ一つのケースに真摯に向き合う。その結果、パーソナルな要望にも応えることができるようになったという。

「顧客中心」の思考は、ブランドの「ラグジュアリー」のとらえ方にも反映されている。「昨今、多くのブランドが価格を上げてラグジュアリー路線に舵を切るが、私たちはそうなりたいとは思わない。『ビヨンド・ラグジュアリー(ラグジュアリーを越えて)』という考えのもと、品質と機能性に基づいた、上品で洗練されたライフスタイルを公正な価格で提供する」。そのために、オペレーション効率を考慮した少数精鋭の組織体制の構築に取り組むとともに、価値観を共有でき、最高の技術を持ったタンナーや工場とパートナーシップを組む。

銀座と表参道に路面店を構えるほか、主要な百貨店や商業施設にインショップやコーナーを構える。「日本はブランドにとって最も重要な市場の一つ。10月の日本での売上高は、前年同期比で55%増。私たちも驚くほどビジネスは好調だ」と自信を滲ませる。そして「利益のために自分たちの価値観を曲げることはない」と言い切る。「私たちにとっての成功とは、身近なものを上質で機能性に優れたものに変え、お客さまにいつもより幸せを感じていただける日常を届けること」。

イベントではレザーのiPhoneケースや、多用途で知られる“ミアトート バッグ”や“エマ バッグ”、コンパクトさが人気のウォレットまで、さまざまな商品を展示。クオリティーの高いレザーとイタリアのクラフツマンシップをアピールし、ゲストは「ボナベンチュラ」のブランド理念に触れた。

問い合わせ先
BONAVENTURA カスタマーサポート
050-3204-4803

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東レ最後のキャンペーンガール、間瀬遥花さんが語る「私と東レ」

東レは11月6日、1981年以来43年にわたって続いてきた「東レ水着キャンペーンガール」を終了すると発表した。当初は水着素材のプロモーションを目的にスタート、2015年から水着を外し、「東レキャンペーンガール」という名称で続けてきた。最後の「東レキャンペーンガール」になる間瀬遥花さんに直撃した。

東レの国内全拠点の社員と交流

WWD:一番の思い出は?

間瀬遥花(以下、間瀬):うーん。たくさんあって選べないです。いろいろなお仕事に挑戦させてもらいました。東レの全国の事業拠点を回ったり、ときには「1日署長」をやらせていただいたり。3年間(2022〜24)もやらせていただいたので、全国にある東レの全事業所の社員の方々と交流できました。これはとてもいい経験になりましたし、歴代のキャンペーンガールとしても希少だったと思います。

WWD:東レのキャンペーンガールになって、何が変わった?

間瀬:モデルとして活動していた名古屋から上京して、初めて受けたオーディションが「東レキャンペーンガール」でした。それまでは大勢の人の前に出て話したり、取材を受けたり、といったこともほとんどなく、モデル以外のお仕事としても、上京して初めてのお仕事としても、とても貴重な経験でした。いま振り返ってみても、東レを通して、日本の企業がどういったことをしているのかを知ったり、そこで働く人たちとの交流を通して、いろいろなことを吸収できたことはとても貴重な経験でした。

WWD:今日の会見でもカンペを見ず、質問に相手をしっかりと見ながら答える姿が印象的でした。今後は?

間瀬:キャンペーンモデルの先輩方のように、もっと活動の幅を広げるべく、いまは演技のお勉強もしています。そういった部分でも「東レキャンペーンモデル」での経験が生きてくる。そう思っています。まだ少し続きますが、これまでありがとうございました。

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意味のない言葉が有機的につながっていく作品群 コラージュ作家MARCOMONKこと大石祐介インタビュー

PROFILE: 大石祐介(MARCOMONK)/フォトグラファー、コラージュアーティスト、映像作家

大石祐介(MARCOMONK)/フォトグラファー、コラージュアーティスト、映像作家
PROFILE: 1980年、北海道函館市出身。青春時代を函館と札幌で過ごし、2006年に上京。08年から写真、10年からは映像をそれぞれ独学で始める。余韻を残しつつも刹那的な表現が観るものを惹きつけ、国内外のアーティストやファッション、雑誌、広告など幅広いジャンルで活躍する。18年に写真集「SPECIAL EDITION - LIFE THROUGH MY EYES」を発表。今年の10月にコラージュ作品の個展「PAPERPELLED」を開催した。PHOTO:HIROTO NAGASAWA

フォトグラファー、ビデオグラファーのMARCOMONKこと大石祐介がコラージュ作家としての活動を初めたのが2020年。以降、展示のほかにInstagramでも精力的に作品を発表し続けてきた。先月には中目黒・アート喫茶フライで個展「PAPERPELLED」を開催した。展示では、バスケットボールやダンス、スケートボードといったアメリカのカルチャーに傾倒した若い頃の風景や周辺の仲間、先輩、遊んでいた場所なども登場し、過去と現代を縦横無尽に紡いだ作品が並んだ。

フォトグラファーとして活動する写真にはドキュメンタリーやライブ感など写る人や場所の息づかいが聞こえるような作品が多い。グラフィックデザインの経験がないため、限りなくアナログな手法で作るコラージュ作品はファンタジーでありながらも、どこかリアルな印象も受ける。今回はコラージュアーティストとしての活動に加えて、フォトグラファー、映像作家としての創作の原体験まで広く話を聞いた。

意味を持たないタイトルの展覧会

WWD:今回の展示「PAPERPELLED」のテーマを教えてもらえますか?

大石祐介(以下、大石):作品の制作過程でコラージュだけでは物足りない感覚があって、タイトルを載せてみたら少しだけやりたいことの輪郭がはっきりしてきました。ですが、もう一歩という感覚がどこかで引っかかっていたんです。たまたま国内外の雑誌をかなり読んでいて時だったこともあって、架空の雑誌の表紙を作ろうと考えました。

でも、言葉が意味を持つのは違うと思い始めて、架空の雑誌を作る上で言語のすべてに“意味がない“ことに決めました。タイトルもコピーの言葉も文字面を見た時の気持ち良さだったり、好きな形で選んでいます。ちなみにタイトルの“PAPERPELLED”は鎌倉の「Cy」での展示と同じなんです。言葉に意味はないですけど、それが有機的につながっていくのがおもしろいと感じて。Tシャツなどのマーチャンダイズも含めてシリーズ化できたらいいなとも思っています。

WWD:“Untitled(無題)“にはしなかったんですね。

大石:「なんなんだろう?」っていう感覚が楽しいから、何かに引っ張られたりする感覚だったり没入感でいうと、今回は意味のない言葉がしっくりきたんですよね。しかも、それがずらっと並んでるとさらに不思議に感じるでしょ。

WWD:ちなみに、特定のインスピレーション源はないということですが、大石さんの場合、写真家でもあるので自分の昔の写真になるのかなと思いました。

大石:作品の1番の売りというか、大事にしていることは実際に自分の写真をハサミで切って並べて撮影すること。以降はデジタルの作業になりますが、基本はアナログなんです。全てデジタルで作業する人もいるでしょうし、やり方はひとそれぞれですが、自分がフォトグラファーなのでこのゴールの仕方が美しいっていうか、いい形だなと思います。自分の写真を別の作品に落とし込むことは、コラージュの作家性も大切ですけど、フォトグラファーの写真作品としても機能するのではないかなと。仕事になると他者の素材を使う場合もあるけど、作品はすべて自分の写真を自分で切る。自分の写真だから大胆にもなれますよね。

WWD:例えば、作品のために「この素材がほしい」というような感覚で撮ることはあるんですか?

大石:それも一応あります。あるっていうか、こんな素材があったらおもしろい作品が作れそうっていうモチベーションで撮ることはありますね。

WWD:コラージュするときのストックみたいな感覚ですか?

大石:コラージュをやり始めてからそういう撮り方もするようになりました。自転車で走っているときに、「あのビルを切り取りたいな」とか。それが作品に使えるかどうかは全然わからないですけどね。だから、撮ってみようという場合はあります。

WWD:編集者っぽい考え方でもありますよね。

大石:自分が影響を受けたというか、拾ってくれた先輩が元「ワープ(WARP)」の編集長の伊藤(啓祐)さんなんです。「フランク(FRANK)」の日本版の編集長でもあって、本を作っているのを側で見ていたので、当時は意識的に編集の仕事をしたことはなかったけど楽しそうだなとは思っていました。

WWD:ウェブメディア「グッドエラーマガジン(GOOD ERROR MAGAZINE)」では副編集長を務めていますが、その影響も少なからずあるのでしょうか?

大石:自分は編集の仕事をしたことがないので素人。立ち上げ当初にいろんな人に相談したら、「素人のままでいいと思う」と言われたんですよね。その時に、無理に何かになろうとするんじゃなくて、自分たちの発想をいかに表現できるかっていうことが大事と考えるようにはなりました。

WWD:ニューヨークのローカルなライフスタイルをまとめた写真集「LIFE THROUGH MY EYES」もそうでしたが、ライブ感だったり人や街の息づかいを感じるというか、写真が1枚の勝負と考えるとコラージュの考え方は正反対な気がするんですが。

大石:自分でも分かんないです。作品についてはその時の感情とか感覚で作ることが多いので、考えるより動いてますね。子どもの頃からそんな感じだったので、大人になって考えることが多くなると嫌だなとは思ってますね(笑)。ゴールもないし、もしかしたら、もっとおもしろいことに出合うかもしれない。それは写真でも、コラージュでもない違うものにたどり着く可能性もあります。今は写真もコラージュも楽しいですから、やりながらいつか全部変わってしまうかもしれない。

ジャンルを横断する作家の原点

WWD:作品の中にはバスケットボールやダンス、スケートボードという要素がありますが、写真を始めたきっかけなども今回の作品に生きているんですか?

大石:それはあるかもしれないですね。バスケは学生時代に、ダンスも若い頃にやっていたので、自分が生きてきた流れを切り取ったように見えるかもしれませんね。ある部分が過去で、それが今になって表出してくるような。これまで適当に生きてきたけど、 それも無駄になってないっていう使い方をしているのかな。適当さも、だらしなかった時代の“跡”は全部使いたいですね。

WWD:どういう経緯でフォトグラファーになったんですか?

大石:地元が北海道の函館で、札幌の大学に進学して大学2年からダンスを始めたんです。実は小学校からダンサーになりたくて、卒業文集の将来の夢に“ダンサー“って書いた覚えがあります。札幌でずっと活動していて、ラッキーなことに大会で優勝もしたので20歳で1回夢叶えているというか、それなりに楽しく過ごしてたんですけど、26歳の時に体調を崩したんですよね。ダンスもできなくなっちゃってリハビリで始めたのが写真です。父親に借金してカメラを買ったんですよ。その頃は東京にいたんですけど、体調が悪いからスタジオにも行けないし、学校に行くにもお金はないし。誰かに師事するシステムも知らないから、本屋で買えない高い入門編を立ち読みしては、家にダッシュで帰り勉強してましたね(笑)。そうしているうちに、ダンスは好きだったのでダンサーとかDJを撮影するようなパーティーフォトを撮ることが多くなってきました。当時は原宿の「UC」によく行っていたけど、そこにいた人たちが自分の恩人ですね。家のように通っていたから、ただ撮り続けてたって感じでした。

WWD:クラブや音楽、ダンスが活動の原体験。写真や映像を独学で体得してから、どうコラージュの世界に足を踏み入れたんですか?

大石:かなり後ですね……コロナ禍で偶然に始めました。それまで漠然とコラージュに引かれてはいたけど、普段は撮影してる側なので他人の写真を勝手に切り取るという事に抵抗がありました。その頃、コロナで断捨離をしていた時にニューヨークで撮影した時の写真が大量に出てきたんですよね。その時にどうせ処分するなら、自分で撮影した写真だし切ってみようとハサミを入れたら楽しかった。最初は見せられるものではなかったけど、図画工作の授業を思い出してその時のノリで切っては貼ってを繰り返してました。恥ずかしながら周りの友達に見せたらかなりポジティブな反応が返ってきたので、いけるかもしれないと思ったんです。

続けているとクオリティーは上がっていきますから、数カ月間没頭していたらできる幅が広がっていって、信頼している先輩からも評価してもらえたタイミングで「仕事にする」って宣言をした後すぐに「ニューバランス(NEW BALANCE)」に声をかけてもらったんです。

WWD:すごいタイミングですね。

大石:アシストしてくれたのは三浦大知くん。コラージュをInstagramにあげたら、大知くんが反応してくれて。その時、大知くんは「ニューバランス」のコラボTシャツ企画があって、そこに参加することになりました。ニューバランスを着た大知くんの写真はいっぱい撮ってたから、その素材で作りました。本人と分かるような感じのコラージュじゃないけど、一発OKだったのでありがたかったですね。それより、元々仕事は一緒にやっているけど、見ててくれたのは素直にうれしかった。その後もコンスタントにアーティストの宣材とかアルバムジャケット、コロナ禍には、札幌のノットホテルでマスクのデザインになったり、どんどん進んでいった感覚です。

WWD:写真も映像もコラージュも誰かから影響を受けたりしたことはありましたか?

大石:何かに影響されたというよりも、同い年の彫刻家の小畑多丘の存在。彼の作品はもちろん言うまでもなくめちゃくちゃすごいんですけど、それ以上に存在自体が素晴らしくて、同い歳という事もあって、一緒に遊んだり、踊ったり、身近にいると刺激たっぷりなので、そういった意味では影響受けてるかもしれないですね。後は、「グッド エラー マガジン」の編集長でもあり、“THE FASCINATED “というサボテンのプロジェクトをやってるyoqo くん。彼のセンスは最高で、やることなす事全てが自分の中には無い発想でクリエイトしていくので、身近に居ながらハッとさせられるし、影響を受けるというよりは、じゃあ自分は何が出来るかなという気持ちにしてくれる1人です。

WWD:好きだけど、影響を受けるまでには至らないようにしている。

大石:わからないですけど、誰かの真似はしたくないし、引っ張られるのも嫌なんです。その可能性があることは避けるようにはしています。写真でも映像でも、初期衝動は重要ですが、必要以上に掘り下げることはしないですね。ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)やスパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)も大好きですし、好きな写真家もたくさんいます。だけど、特定のアーティストだったりクリエイターではなくて、遊びの中だったり誰かを追いかけている現場で見たもの、感じたことに影響を受けています。もちろん、ニューヨークで撮影していた時に見たアートに感激したこととかはありますけど。札幌に住んでいた時にプレシャスホールによく行っていて、フライヤーのデザインがかっこよかったので集めたりしてましたね。

WWD:誰かとの出会いだったり、現場の出来事が数珠つなぎに自然と作品に反映されていくんでしょうね。作品を作る上で大切にしていることは何ですか?

大石:写真や映像に関しては、感覚が少しずつ変わったりはしますね。写真集を出した頃は、映画のワンシーンを切り取るような撮り方を意識していました。で、やりすぎちゃって縦の写真が撮れなくなった後に、ひたすら縦で撮影したこともありましたね。映像でいうと、ドキュメンタリーは好きだけど、自分の思うように撮影して音楽を組み合わせる、ダンス的な部分というか、音と映像のリズムの心地良さを追及している作業が一番楽しいですね。

理屈抜きに気持ちいいっていうのは写真にも映像にも共通して目指していることかもしれないですね。コンセプトとかテーマとかも関係ない……普遍的な要素というか。だから写真を撮っていて楽しいのは常に日常です。仕事の場合は出来る範囲はやりますけど、レタッチとかはなるべくしたくない、出来るだけ自然な写真が好きなので。

WWD:クライアントワークでは説得性だったり、明確なメッセージを求められる場面も多いと思うのですが、広告と作品で考え方を分けていることはありますか?

大石:ほとんどないです。クライアントも含めて僕を選んでくれた人たちとの相性が良かったっていうこともありますけど、すごく苦労したことはそこまでないですね。自分の提案がたまたま通じたことが多い気がします。辛い記憶を消しているのかもしれないけど(笑)。

WWD:ここでも、人だったりコミュニティーが重要になってくるんですね。

大石:自分は基本コミュニティーとかをあまり意識していなくて。ボヤっとしてるんですが、友達の派閥というかセグメントみたいなものはあまり得意ではないんです。ただ、自分がおもしろい!楽しい!みたいな感覚を共有できる人達と関係を築いている感じですね。とにかく、人と人がつながって行くのがおもしろい。なので、最近はタイミングかあれば地元の函館にもなるべく帰るようにしています。知らない世代との交流は本当に楽しいんです。

WWD:何かを俯瞰で見たり、距離感を取ることは作品にも反映されたりするのでしょうか?

大石:距離感はとても大事にしてます。自然に身についた部分もあります。でも、作品に反映されているかはわからないですね。コラージュに関しては初期衝動がすべてだと思うので、見る人が自由に感じてもらえればうれいしです。

WWD:展示から1週間で全作品が売り切れたと聞きました。

大石:最初は売れるのかな?と思っていましたけど、そもそも単純に「おもしろい」「配色が好き」「見ていて楽しい」という意見をもらえたことが一番嬉しいです。これまでの写真やコラージュでも “売る“を意識して作ったことはなくて。アートを買う行為にハードルの高さを感じる人がいますけど、僕の作品は気に入ったフライヤーの気分で見てほしいです。「なんか良かった」が最高の褒め言葉ですし、コンセプトも分からないし語れない、だから僕はアーティストではないんです。結果、完売したのはとてもありがたくて、めちゃくちゃうれしいですけどね(笑)。

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SUMIRE×兵頭功海 「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」制作秘話と共演者達への思い

ABEMAで現在放送中のドラマシリーズ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」は、作家・沖田臥竜によるクライムノベル「INFORMAⅡ -Hit and Away-」が原作だ。昨年1月に放送された「インフォーマ」に続く新シリーズとなる。本作品では、タイと東京を舞台に、桐谷健太演じる情報屋=通称“インフォーマ”の木原慶次郎と、佐野玲於演じるゴシップ週刊誌「週刊タイムズ」の記者・三島寛治を中心に巻き起こる情報戦を描く。

前作に続き、森田剛や一ノ瀬ワタルら実力派俳優が出演するほか、今作では新たに二宮和也や莉子ら個性豊かなキャストがラインアップ。そして木原、三島コンビと対峙するのは、池内博之扮する鬼塚拓真を筆頭に、忠実な部下・二階堂と優吉で構成される“偽インフォーマ”だ。悪の組織としてアクションを繰り広げ、存在感を示したSUMIREと兵頭功海に、本作品の見どころと、過酷な撮影を共にしたキャストや制作陣への思いを聞いた。

SUMIRE×兵頭功海
ドラマ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」
インタビュー

WWD:それぞれ悪の組織の一員として、どのような心持ちで撮影に望んだ?

SUMIRE:前作を観た時に、出演者全員が光るかっこいい作品だと感じました。まさか次のシーズンに参加できると思っていなかったので、とても嬉しかったです。その一方で「どうにかやり切らなきゃ」と自分に圧をかけました。

兵頭功海(以下、兵頭):僕もリアルタイムで前作を観ていたので、オファーをいただいてとても嬉しかったです。前作に続き、今回僕たちが演じた悪の組織も3人組。同じ3人組の悪役でも、前作とは違うダークさを表現したいと思い、試行錯誤しました。

SUMIRE:兵頭さんとはこの作品を通じて初めて出会ったので、最初は「どんな人だろう」と探り探り。タイに行く便が一緒で、現地についた時にやっとお話しできました。共通の友達もいて、とても親しみやすくて安心しました。

兵頭:僕は海外渡航にあまり慣れていないので、空港のチェックアウトやWi-fiの接続に手こずってしまったのですが、SUMIREさんに色々教えてもらいました。撮影中もフラットに話せる、心強い仲間でした。

WWD:“偽インフォーマ”3人、現地ではどのように過ごしましたか?

兵頭:現地で少し時間ができて、池内さんと僕達3人で食事に行くことになったんです。僕達は何となく日本料理を食べに行こうとしてたのですが、池内さんが「せっかく来たんだから!」とホテルから少し歩いた屋台に連れて行ってくれることに。本場のタイ料理に少し圧倒されながらも「ここでしか食べられない」と思い楽しみました。その後池内さんがバーに連れて行ってくれて、少しお酒も飲んだり。まだタイに着いて数日なのに、池内さんはもうボトルキープまでしているんです(笑)。

SUMIRE:池内さんは、作中は怖い役柄ですが、普段は本当に優しくて可愛らしい人。プライベートも含めてすごくバランスが良い3人で、今回ご一緒できてうれしかったです。

WWD:タイでの1カ月の撮影はどのように進んだ?

兵頭:とても過酷でした。毎日のようにスコールが降るのですが、濡れた地面もすぐに乾いてしまうほど暑いんです。気温が40度ぐらいあり、ずっとスチームサウナの中にいるような状態。スタッフ全員の支えがあってこその撮影期間でした。

SUMIRE:私達役者が倒れてしまったらどうにもならないということもあるとは思いますが、本当にその場にいた全員が助け合っていたと思います。「これはみんなで作り上げるものなんだ」と強く感じた1カ月でした。

兵頭:帰国して日本パートの撮影をしている時も、タイでの過酷な撮影を経験したメンバーの結束力は強かったと思います。今でもスタッフ同士で集まることもあるんですよ。

WWD:灼熱のタイで行われた過酷な撮影、特に記憶に残るシーンは?

SUMIRE:やっぱりアクションシーンは難しかったです。特に序盤の屋上のシーンでは、2人を相手にアクションをしていたので、動き方にも工夫が必要でした。映像で観ると自分で思っているよりも動けていなかったり。でも私、ちょっと負けず嫌いなところがあるので、できないのが悔しくて…撮影中は優吉をはじめ他の人のアクションも見ることができので、すごく勉強になりました。

兵頭:アクションシーンは現地で少し合わせて撮影に臨んだのですが、暑い中動き続けるのはやっぱり大変。特にSUMIREさんはあの暑い中、レザージャケットを着て動き続けていたから大変だったと思います。僕はバイクに乗っているシーンがあるんですが、どうやって落ちないようにするか必死でした。バッグを持ちながら片手でバイクに捕まっていたので結構怖くて。カーブは本当にヒヤヒヤしましたね。

WWD:SUMIREさんは二階堂、兵頭さんは優吉。脚本からそれぞれの役柄をどのように読み解き、演じましたか?

兵頭:今回、最終的に仲間を裏切る役柄なのですが、その背景にある優吉の人柄ってどんなものなのかーー作品を読んだ時に、優吉の行動の色々な部分から弱さを感じました。だけど、全身黒の衣装で、ピストルを持って、ロン毛でタトゥーも入っているとなると、僕は体格も大きいしどうしても強そうなイメージになってしまう。内側から滲み出る弱さを、演技や声色でどう表現するかが課題でした。弱い相手には強気に出るのに、強い相手に対しては声が上ずったり…相手によって態度を変えてしまうのは弱い人がやることだと思うので、この役を演じる時に自分は弱い人間だというマインドセットで臨みました。

SUMIRE:私が演じたのは、言葉を発することができない心因性失声症をもつ二階堂。話すことはできなくても仕事ができて、リーダーの鬼塚にすごく忠実。犬みたいに目で見て状況を素早く汲み取り、的確に動くというイメージを持って演じました。言葉を話せない役柄は過去に演じたことがありましたが、心因性失声症の役を演じたのは今回が初めて。実際にそういう人達がどんなふうに過ごしているのかを調べて、たくさんの動画を観ました。二階堂は言葉を話せなくても、感情と共に声を出すことはできる。実際に怪我をしたり、悲しい表現をするシーンでは声を出すのですが、通常喋れない役だからこそ声を出すタイミングがすごく難しい。でも逆に、喋れないからこそ伝えられるものが大きかったりもするんだと思います。

WWD:本作にはどのようなメッセージが込められていると感じる?

兵頭:ドラマの世界だけではなく、誰かにとって都合が悪い情報が世の中に発信されそうになった時、それを消そうとするようにさまざまな話題が流されていることって、実際にあるのだと思います。多くの人が表面的な情報を信じてしまう中で、鋭い視点を持ってほしいというのがこの作品が伝えたいことなんじゃないかな、と感じました。

SUMIRE:私自身、あまり追いつけていない部分もあるんですが、今ってSNSがメインのような時代じゃないですか。本当は真実ではないとしても、SNSで発信されていることをそのまま信じてしまう人もいるかもしれないーー自分で考えて答えを持つことが減って、だんだんと自分の意見がなくなっている世の中になってしまっているように思います。この作品には、「自分自身を大切にすることで、より良い道が開ける」ということに気づいてもらいたいという意図があるのかもしれない。私もこの作品を通じて、自分の軸を大切にしていきたいと改めて感じました。

WWD:若くして活躍するお二人。今後俳優として挑戦したいことは?

SUMIRE:以前からアクションに挑戦したいという気持ちがあったのですが、今回の作品を通じて、もっと極めたいという気持ちになりました。映画を観ていても、アクションのシーンに一瞬で引き込まれてしまいます。そうやって私も、観る人を魅了できるようになりたいですね。

兵頭:楽しい作品だけではなく、悲しくなってしまうような作品も好きなので、切ない純愛ストーリーにもチャレンジしてみたいですね。そして最近「今の年齢だからこそできる演技、残せる作品があるんじゃないか」と考えるようになりました。自分の変化や成長と共に役柄にもいい影響をもたらせたらいいなと思います。

2人が制作スタッフに贈るメッセージ

撮影期間や作品に込めた想いを聞かせてくれたSUMIREと兵頭。最後に、長い撮影期間を共にしたキャストや制作スタッフに向けたエピソードを、ホリデーに向け贈りたいギフトを添えて聞かせてくれた。

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SUMIRE×兵頭功海 「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」制作秘話と共演者達への思い

ABEMAで現在放送中のドラマシリーズ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」は、作家・沖田臥竜によるクライムノベル「INFORMAⅡ -Hit and Away-」が原作だ。昨年1月に放送された「インフォーマ」に続く新シリーズとなる。本作品では、タイと東京を舞台に、桐谷健太演じる情報屋=通称“インフォーマ”の木原慶次郎と、佐野玲於演じるゴシップ週刊誌「週刊タイムズ」の記者・三島寛治を中心に巻き起こる情報戦を描く。

前作に続き、森田剛や一ノ瀬ワタルら実力派俳優が出演するほか、今作では新たに二宮和也や莉子ら個性豊かなキャストがラインアップ。そして木原、三島コンビと対峙するのは、池内博之扮する鬼塚拓真を筆頭に、忠実な部下・二階堂と優吉で構成される“偽インフォーマ”だ。悪の組織としてアクションを繰り広げ、存在感を示したSUMIREと兵頭功海に、本作品の見どころと、過酷な撮影を共にしたキャストや制作陣への思いを聞いた。

SUMIRE×兵頭功海
ドラマ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」
インタビュー

WWD:それぞれ悪の組織の一員として、どのような心持ちで撮影に望んだ?

SUMIRE:前作を観た時に、出演者全員が光るかっこいい作品だと感じました。まさか次のシーズンに参加できると思っていなかったので、とても嬉しかったです。その一方で「どうにかやり切らなきゃ」と自分に圧をかけました。

兵頭功海(以下、兵頭):僕もリアルタイムで前作を観ていたので、オファーをいただいてとても嬉しかったです。前作に続き、今回僕たちが演じた悪の組織も3人組。同じ3人組の悪役でも、前作とは違うダークさを表現したいと思い、試行錯誤しました。

SUMIRE:兵頭さんとはこの作品を通じて初めて出会ったので、最初は「どんな人だろう」と探り探り。タイに行く便が一緒で、現地についた時にやっとお話しできました。共通の友達もいて、とても親しみやすくて安心しました。

兵頭:僕は海外渡航にあまり慣れていないので、空港のチェックアウトやWi-fiの接続に手こずってしまったのですが、SUMIREさんに色々教えてもらいました。撮影中もフラットに話せる、心強い仲間でした。

WWD:“偽インフォーマ”3人、現地ではどのように過ごしましたか?

兵頭:現地で少し時間ができて、池内さんと僕達3人で食事に行くことになったんです。僕達は何となく日本料理を食べに行こうとしてたのですが、池内さんが「せっかく来たんだから!」とホテルから少し歩いた屋台に連れて行ってくれることに。本場のタイ料理に少し圧倒されながらも「ここでしか食べられない」と思い楽しみました。その後池内さんがバーに連れて行ってくれて、少しお酒も飲んだり。まだタイに着いて数日なのに、池内さんはもうボトルキープまでしているんです(笑)。

SUMIRE:池内さんは、作中は怖い役柄ですが、普段は本当に優しくて可愛らしい人。プライベートも含めてすごくバランスが良い3人で、今回ご一緒できてうれしかったです。

WWD:タイでの1カ月の撮影はどのように進んだ?

兵頭:とても過酷でした。毎日のようにスコールが降るのですが、濡れた地面もすぐに乾いてしまうほど暑いんです。気温が40度ぐらいあり、ずっとスチームサウナの中にいるような状態。スタッフ全員の支えがあってこその撮影期間でした。

SUMIRE:私達役者が倒れてしまったらどうにもならないということもあるとは思いますが、本当にその場にいた全員が助け合っていたと思います。「これはみんなで作り上げるものなんだ」と強く感じた1カ月でした。

兵頭:帰国して日本パートの撮影をしている時も、タイでの過酷な撮影を経験したメンバーの結束力は強かったと思います。今でもスタッフ同士で集まることもあるんですよ。

WWD:灼熱のタイで行われた過酷な撮影、特に記憶に残るシーンは?

SUMIRE:やっぱりアクションシーンは難しかったです。特に序盤の屋上のシーンでは、2人を相手にアクションをしていたので、動き方にも工夫が必要でした。映像で観ると自分で思っているよりも動けていなかったり。でも私、ちょっと負けず嫌いなところがあるので、できないのが悔しくて…撮影中は優吉をはじめ他の人のアクションも見ることができので、すごく勉強になりました。

兵頭:アクションシーンは現地で少し合わせて撮影に臨んだのですが、暑い中動き続けるのはやっぱり大変。特にSUMIREさんはあの暑い中、レザージャケットを着て動き続けていたから大変だったと思います。僕はバイクに乗っているシーンがあるんですが、どうやって落ちないようにするか必死でした。バッグを持ちながら片手でバイクに捕まっていたので結構怖くて。カーブは本当にヒヤヒヤしましたね。

WWD:SUMIREさんは二階堂、兵頭さんは優吉。脚本からそれぞれの役柄をどのように読み解き、演じましたか?

兵頭:今回、最終的に仲間を裏切る役柄なのですが、その背景にある優吉の人柄ってどんなものなのかーー作品を読んだ時に、優吉の行動の色々な部分から弱さを感じました。だけど、全身黒の衣装で、ピストルを持って、ロン毛でタトゥーも入っているとなると、僕は体格も大きいしどうしても強そうなイメージになってしまう。内側から滲み出る弱さを、演技や声色でどう表現するかが課題でした。弱い相手には強気に出るのに、強い相手に対しては声が上ずったり…相手によって態度を変えてしまうのは弱い人がやることだと思うので、この役を演じる時に自分は弱い人間だというマインドセットで臨みました。

SUMIRE:私が演じたのは、言葉を発することができない心因性失声症をもつ二階堂。話すことはできなくても仕事ができて、リーダーの鬼塚にすごく忠実。犬みたいに目で見て状況を素早く汲み取り、的確に動くというイメージを持って演じました。言葉を話せない役柄は過去に演じたことがありましたが、心因性失声症の役を演じたのは今回が初めて。実際にそういう人達がどんなふうに過ごしているのかを調べて、たくさんの動画を観ました。二階堂は言葉を話せなくても、感情と共に声を出すことはできる。実際に怪我をしたり、悲しい表現をするシーンでは声を出すのですが、通常喋れない役だからこそ声を出すタイミングがすごく難しい。でも逆に、喋れないからこそ伝えられるものが大きかったりもするんだと思います。

WWD:本作にはどのようなメッセージが込められていると感じる?

兵頭:ドラマの世界だけではなく、誰かにとって都合が悪い情報が世の中に発信されそうになった時、それを消そうとするようにさまざまな話題が流されていることって、実際にあるのだと思います。多くの人が表面的な情報を信じてしまう中で、鋭い視点を持ってほしいというのがこの作品が伝えたいことなんじゃないかな、と感じました。

SUMIRE:私自身、あまり追いつけていない部分もあるんですが、今ってSNSがメインのような時代じゃないですか。本当は真実ではないとしても、SNSで発信されていることをそのまま信じてしまう人もいるかもしれないーー自分で考えて答えを持つことが減って、だんだんと自分の意見がなくなっている世の中になってしまっているように思います。この作品には、「自分自身を大切にすることで、より良い道が開ける」ということに気づいてもらいたいという意図があるのかもしれない。私もこの作品を通じて、自分の軸を大切にしていきたいと改めて感じました。

WWD:若くして活躍するお二人。今後俳優として挑戦したいことは?

SUMIRE:以前からアクションに挑戦したいという気持ちがあったのですが、今回の作品を通じて、もっと極めたいという気持ちになりました。映画を観ていても、アクションのシーンに一瞬で引き込まれてしまいます。そうやって私も、観る人を魅了できるようになりたいですね。

兵頭:楽しい作品だけではなく、悲しくなってしまうような作品も好きなので、切ない純愛ストーリーにもチャレンジしてみたいですね。そして最近「今の年齢だからこそできる演技、残せる作品があるんじゃないか」と考えるようになりました。自分の変化や成長と共に役柄にもいい影響をもたらせたらいいなと思います。

2人が制作スタッフに贈るメッセージ

撮影期間や作品に込めた想いを聞かせてくれたSUMIREと兵頭。最後に、長い撮影期間を共にしたキャストや制作スタッフに向けたエピソードを、ホリデーに向け贈りたいギフトを添えて聞かせてくれた。

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名古屋「スズサン」、伝統工芸でハイエンド市場参入に成功、その戦略と展望をCEOが語る

PROFILE: 村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター

村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1982年愛知県名古屋市生まれ。英国のサリー美術大学を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科を卒業。在学中の2008年にデュッセルドルフでsuzusan e.K. (現Suzusan GmbH & Co. KG)を設立。自社ブランド「スズサン」をスタートした。14年に法人化した家業のスズサン(旧鈴三商店)を4代目の父から継承し、20年から現職。現在もデュッセルドルフで暮らしながら、デザインや有松でのモノづくりを監修している PHOTO:HIROMICHI TABATA

日本の伝統工芸がハイエンド市場から注目を集めている。「有松鳴海絞り」の「スズサン(SUZUSAN)」は、欧州で人気に火が付きパリ「レクレルール(L'ECLAIREUR)」、ミラノ「ビッフィ(Biffi)」、ベルリン「アンドレアス ムルクディス(ANDREAS MURKUDIS)」といった好感度セレクトショップに並び、現在30カ国80都市120店舗に販路を持つ。自社ブランドの製造販売だけでなく、「ディオール(DIOR)」など数々のラグジュアリーブランドから依頼を受け、絞りを施したテキスタイルを提供する。2008年に3人でブランドを立ち上げ、現在の社員数はドイツ法人が7人、日本が20人(取締役を除く)にまで増えた。4代目の父1人だった技法の担い手は沖縄や兵庫からの移住者も含め12人に。7~8工程の分業制の技術「有松鳴海絞り」を、スズサンでは一貫生産しそれぞれの工程も担い手たちが重複して行っている。「有松鳴海絞り」の高付加価値化と伝統工芸の担い手育成を成功させたのが5代目の村瀬弘行スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクターだ。村瀬CEOにどのようにして伝統工芸をハイエンド市場にマッチさせたのか、その市場開拓の戦略や今後の展望を聞く。

WWD:まず「有松鳴海絞り」の特徴について教えてほしい。

村瀬弘行CEO兼クリエイティブ・ディレクター(以下、村瀬):200種類以上の技法があること。これは世界にも類を見ない。現存している染色技術は4000年前に生まれ、インドやアフリカ、南米などで見られるがその多くは1つの地域に2~3技法。有松の歴史は1608年の江戸初期に始まり、江戸時代は専売制が敷かれ「絞りは有松だけ」というお触れによって産業として発展した。歩いて15分圏内に「誰々さん家は〇〇絞り」といった具合に200以上の技法が生まれた。

WWD:そもそも村瀬さんはアーティストになりたくて海外に留学した。なぜ「有松鳴海絞り」を?

村瀬:きっかけは2006年に父が英国で開いた展示を手伝ったことだった。365日見続けていた「有松鳴海絞り」を久々に英国で見ると美しいと感じた。近すぎて見えなかったものが見え、その技術がなくなりつつある現実を聞かされて興味が沸いた。当時、父は50代後半で絞りの職人としても最後の世代でその下の世代がいなかった。

そして、そのときに父から預かった布が当時同じ寮に住んでいた友人の目に留まった。その後、彼はビジネスパートナーになるのだが、経営学を学んでいた彼は卒業論文のテーマに「日本の手仕事が海外のラグジュアリーマーケットで販路を築けるか」を選んだ。これがベースになりスズサンを立ち上げた。

卒論きっかけで始まった「スズサン」、リーマンショックでどん底スタート

立ち上げ時はブランドもプロダクトもなかった。手元にはあと数年でなくなる技術のみ。「なくなりそうな手仕事を次につなげたい」という想いをどうビジネスにするかーーブランドを作ることで自ら需要を生み出せると考えた。父の仕事を振り返るとオーダー数によって右往左往していたし、OEMは生産者の顔が見えないから、作り手にリスペクトが届かない。ブランドとして毎シーズン必ず絞りを用いた製品を提案すれば需要が生み出せるし、モノ作りする人の声や顔を届けることができると考えた。

WWD:日本の伝統技法を洋服やクッション、ラグといった西欧的なアイテムで表現するとうまくはまらないことが多い。「スズサン」の色や柄は汎用性が高く、洗練された印象だ。

村瀬:立ち上げ時に有松の絞りを見直したときのこと。有松の風景では着られるけど、出ると着られないものがほとんどだった。デザインチームにはよく「風通しのいいデザインを作ろう」と伝えているが、この言葉は美術の先生が教えてくれたもので、平面的にモノを見るのではなく、後ろにも空間があることを感じながらデッサンしなさいというもの。この考え方を大切にしている。製品の後ろにニューヨークのマンハッタンやミラノのモンテナポレオーネ通り、地中海の島などさまざまな風景に溶け込むことをイメージしている。風通しがよいデザインになればいろんな場所で生かされる製品になる。

WWD:実際に製品にするときに「有松鳴海絞り」をどのように応用しようと考えたか。

村瀬:スズサンで「何を残して何を変えるか」を考えた時に、絞りの文化を素材、技術、用途の3つに分けて考えた。400年の間、素材は木綿、技術は絞り、用途は浴衣やてぬぐいで成り立ってきた。それをそのまま海外に持っていっても売れない。素材は木綿からカシミヤやアルパカ、ランプシェードにはポリエステルを用い、コアの絞りは残して、用途をストールやプルオーバー、クッションやブランケットに変えることで、日本で日本の伝統工芸好きしか使えなかったものが、世界中に販路を作ることができる製品になる。

WWD:販路開拓の戦略はラグジュアリー市場を意識したように見受けられる。

村瀬:最初から戦略があったわけではなかった。手仕事なので立ち上げ時からハイエンドマーケットにフォーカスはしていた。他のブランドに比べてもモノ作りにおいて優位性があり、ストーリーがある。とはいえ卒論通りにはいかないし、会社を設立した08年はリーマンショックが起こりどん底からのスタート。売ろうにも電話もメールも取り合ってくれない状態だったので作ったサンプルをトランクに入れて、ビジネスパートナーの弟がくれたおんぼろカーで欧州中を駆けずり回り、草の根の中で販路を広げた。その車は最後には床に穴が開き廃車にした(笑)。

WWD:販路拡大のきっかけはあったか。

村瀬:ただただ地道に続けて120店舗になったというのが実感だ。トランクを担いでさまざまな店を回ったのがとても勉強になった。店にどんなブランドが並びどんな製品がいいのかを直接見ることができたから。

そして、バイヤーは断りたいから断り文句を考え、「色が」「素材が」といちゃもんを付けてくる。そのバイヤーが指摘した点を改善してサンプルを新しく作って持っていくと、根負けしてオーダーしてくれるということもあった。

パリ・ファッション・ウイーク中に開催される合同展示会「TORANOI」に出て10年目になるが、そこからバイヤーが来てくれるようにもなった。

WWD:思い入れがあり狙い打ちした店は?

村瀬:ミラノのビッフィとその姉妹店バンネル。古くは「ケンゾー(KENZO)」や「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」を発掘し、ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)を学生の頃に見出した目利きの店で、セレクションも内装も素晴らしく、初めて訪れたときにその美しさに感動した。「スズサン」を取り扱って欲しいと思ったが当時はこのレベルに達していないとも思った。店の人が話しかけてくれて、「僕は日本人のデザイナーでこの素晴らしい店に出合えて嬉しい」と伝えると「あなたの製品が並ぶのを待っているわ」と答えてくれた。その3年後、ミラノの合同展示会「ホワイト(WHITE)」に出展すると小柄な女性がやってきて買い付けてくれた。店の名前を尋ねるとビッフィだった。最近ではミラノ・ファッション・ウイーク中にビッフィのウィンドーを手掛けている。今年3月、ビッフィのオーナーが有松に来てくれて、一緒にワークショップをした。ベルリンのアンドレアス(・ムルクディス)も有松にも来てくれた。

WWD:「スズサン」の取り扱い店の幅が広い。ブランドのポジショニングをどう考えているか。

村瀬:試行錯誤した結果築いたポジショニングだ。色、柄、型、サイズをカスタマイズして1点から作ることができることが強みになっている。市場を分析するためにファッションブランドやセレクトショップの傾向や価格帯から「ラグジュアリー」「プレミアム」「アッパー」「デイリー」「マス」とピラミッド型の分布図を作った。さらに僕たちがターゲットとしている「プレミアム」を、「アーバン、ダーク、マスキュリン、アヴァンギャルド」「ジョイ、コンテンポラリー、カラフル、フェミニン」「リラックス、エフォートレス、ナチュラル、クラフト」「コンサバティブ、クオリティ、ネームバリュー、タイムレス」の4つに分類するとファッションブランドとセレクトショップはいずれかにはまる。具体的なブランド名やショップ名は控えるが、ブランドの多くは、カテゴリー内にある店のみで取り扱われていることがわかった。

強調したいのは「スズサン」は全てのカテゴリーの店に販路があるということ。

同じように4つのカテゴリー全てにはまるブランドは「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」だ。「ドリス」はメンズとウィメンズを年4回毎シーズン約1500点の新作を作ると聞いたことがあるが、柄や色のバリエーションが多く圧倒的型数でマーケットを築き、幅広くリーチできている。「スズサン」は「ドリス」とは比較にならないほど規模は小さいが、「黒に染めて」「ピンクに染めて」に1点から対応できる。毎シーズン6型4柄あるニットは、サイズも入れると576パターンあり、カスタマイズすることで各店が求める製品を供給できる。

WWD:「スズサン」の製品を購入、支持する人は何に惹かれていると考えているのか。

村瀬:袖通して肌触りがいいとか、色が好き、から始まる。製品のクオリティが担保されていることは絶対だ。日本の産地でモノ作りをしており、他の国で作れない編み方や織り方がある。例えばカシミヤニットは大阪の深喜毛織で糸を紡績して山形で編み立て、有松で絞りを施している。布帛は尾州の素材を使い岐阜で縫製している。日本はきらびやかなモノ作りは得意ではないかもしれないが、品質の良さやマニアックなモノ作りは日本でしかできないものがたくさんあり、それが優位性になっている。

WWD:人気アイテムはカシミヤのニット製品だ。

村瀬:やわらかい素材に絞りを施すのは技術的にかなり難しく、失敗を重ねてここまでたどり着いた。欧州は年中、カシミヤを着る。今後、販路をさらに分散していく戦略なので売れる製品が変わるかもしれない。

WWD:海外の関係者にどのように価値を理解してもらったのか。

村瀬:背景にあるストーリーだ。

「アンドレアス」も「レクレルール」もケリング(Kering)やLVMHからのオーダーをやめた。製品価格が上がり、オーダー方法もどんどん厳しくなったと聞く。バイヤーの力量は本来セレクションで問われるが、それができない環境になったから一切止めたと聞いた。ブランドイメージを作る意味では、大手のやり方が間違いではないとしても、肥大化したファッションビジネスの中で、バイヤーは売れるから仕方なく買っているようにも見える。

アンドレアスや「レクレ」のオーナーのバルマンさんは、誰も発見したことのない優れたものを探し、新しい価値を紹介するのがバイヤーの仕事でお店のあるべき姿だと考えていて、そこには有名や無名は関係なく、良ければ扱うというわかりやすい基準がある。

次のラグジュアリーは「共感を覚えるもの」「一方方向ではないもの」

WWD:「ラグジュアリー」という言葉をどう捉えているか。

村瀬:ラグジュアリーは今までは“憧れ”が形作っていた。象徴していたのはダイヤモンドやゴールド、オートクチュールのドレスといったきらびやかなもの。欧州からトップダウン的に、華やかなショーを開いて発信して世界中にインフルエンスさせることでマーケットを作ってきており、世界中のファッションデザイナーはパリを目指し、パリのサントノレ通り(有力ファッションブランドが軒を連ねる)やヴァンドーム広場(有力ジュエラーが軒を連ねる)に店を出すことがデザイナーとしての一番のステータスだった。

「ラグジュアリー」の言葉の代わりになる言葉が必要だと感じている。

あえてラグジュリーという言葉を使うなら、次に来るのは「共感を覚えるもの」「一方方向ではないもの」。世界中のローカルでそこでしかできない体験や風景を見ることがよりラグジュアリーになると感じている。アイフォンをスワイプすれば「シャネル(CHANEL)」のショーから有松の風景に飛ぶ状況で、トップダウンのインフルエンスがそんなに意味がないとも感じている。

「『スズサン』はファッションショーをやらないのか」と聞かれるが、リアリティを感じないから興味がない。もっと親近感や共感を得られるものが大切だと考えているから。例えば海外でも開催している絞りのワークショップは、3時間くらい話しながらモノを作り、できたときは喜びを分かち合う。高価なものではないけれど時間としての価値や生きる意味として大きな価値がある。

WWD:今、有松を訪れる顧客が増えていると聞いた。

村瀬:さっきもドイツの隣町に住む知り合いにばったり会った。「日本に来たからあなたの工房があると聞いた有松に来た」と声をかけてくれて嬉しかったし、実際訪れてくれる方は増えている。毎シーズン20~30代の若手と地域のおばあちゃんが2500~3000点を染め、年間5000点を10年間売ってきたとすると、5万人のユーザーがいる。ここでしかできない体験をして、目の前で職人のモノ作りを見て、自分が着ているシャツはこの人が作ったとわかる。飛行機と電車を乗り継いでわざわざ訪ねて来た人から賞賛されるのは作り手側の尊厳にもつながる。買う側は、作ることで伝統工芸の継続に貢献はできないけど、購買することで協力することができるからと、応援購買に近いマインドがある方が多い。

WWD:手染めは個体差が生まれやすい。化学染料を用いることでコントロールしていると聞いたが、それでも難しいのではないか。個体差はクラフト業界では自明のことで“味”になるが、一般的なファッション・繊維製品において個体差はクレーム・返品対象になりかねない。個体差を「不良品」と認識させないために、どのような対応をしているのか。

村瀬:もともと、同じものがいいと伝えてない。世界中のラグジュアリーブランドの店では同じかばんが並んでいて、やっていることは「マクドナルド」と変わらないと感じる。「有松鳴海絞り」は型を用いることも多くリピートができる。個体差がありながら、コントロールしやすいのが特徴だ。

「ヒューマニティのある循環と継続」を目指す

WWD:「スズサン」のビジネスの展望について、クラフト・ツーリズムに向けての進捗などあれば教えてほしい。

村瀬:ヒューマニティのある循環と継続を目指す。よく「グローバルなビジネスをやっていますね」と言われるが、一つの大きなことをやっている感覚はなく、製品を通じて有松というローカルと世界中のローカルをつなぐビジネスをやっているという感覚だ。2年前に企業理念「We are Bridge」を作った。文化と文化の橋渡しをする会社という意味を込めている。この15年は有松から世界中に「有松鳴海絞り」を発信した。次の15年は5万人の「スズサン」ユーザーが有松に来る循環を作りたい。そのために地域事業部を新設した。有松を「面」で見られる場所にしたい。

現在は10~17時の日帰りで有松をぐるっと案内する「スズサンディスカバリーツアー」を開催している。徳川家が来た茶室や地域の食材を使ったレストランでの食事、職人の超絶技法や、若い職人たちが携わっているところを見て、実際に自分でも絞りを体験して店にも立ち寄ってもらうというものだ。丸一日の体験を通じて、袖を通している服が特別なモノになることを目指している。

WWD:宿泊施設やレストランなども視野に入れるのか。

村瀬:ホテルは念頭にあった。でも箱を作っても人が入らなきゃ意味がないので、まずは人を呼び込むツーリズムというソフトを整えることに注力している。有松は空襲がひどかった名古屋の中でも、米軍の捕虜収容所があったため、空襲を免れ建物や風景が残っている。そして、観光地にある顔はめパネルではない、生活の文化も残っている。「おー弘之帰ってきたか、お茶でも」と声をかけてくれる人々の暮らしがある。オーセンティックな暮らしがあることは訪れる人にとっては特別なものになる。欧米の方の日本滞在に長期滞在が増えている。今は1日のツアーのみだが、今後は1週間有松に滞在できるような街にしたい。

伝統工芸の海外進出をサポートする新会社設立

WWD:日本の産地における技法や技術継承や価値向上について、どこが課題だと認識しているのか、反対にどこに可能性があるとみているか。未来につなげていくために必要なこととは?

村瀬:経産省が指定する伝統的工芸品は北海道から沖縄まで241ある。抱えている課題は一緒で後継者がいないことや高齢化がある。名古屋市の調査によると、伝統工芸に携わっている従業員数は、1人が37%、2~5人が37%と大半を占める。年齢分布は、20代7%、30代13%,40代以上が80%。これから、有松の事例を他の産地で応用することに取り組む。日本の中小企業の海外進出をサポートする新会社「TOBIRA DESIGN」を作り始動する。これまで僕らが穴があったら落ちて、地雷があったら踏んでいたような知見を有効に活用して、日本の見過ごされている価値を世界に発信できるのではないかと考えた。具体的には準備(言語含む)、製品(サイズや用途などマーケットのニーズ)、ブランディング(継続的なビジネスに向けた戦略)、セールス(契約書などの書類や金銭回収)、物流などさまざまな課題に対応できる新しい仕組みを作り、職人と世界中の取引先とのやり取りを整えることを考えている。

行政ができることと民間ができることは異なる。井上さんは「スズサン」を大きくすることが目的ではなく、僕たちが日本の地域文化を発信できる切り口になると思ってくれて入社してくれた。

WWD:日本の産地の多くは経済的課題に直面し海外企業連携は重要である一方、寡占状態に陥るのは危険だともいえる。産地で生きる人の自律性をどのように維持することが望ましいのか?

村瀬:今までは受注する側と発注する柄の上下関係があった。大資本の企業が力を持ち、イニシアチブを取るのが通例だったが、変わりつつある。欧州は目利き集団による価値付け上手な「目の文化」、日本はモノ作りが残る「手の文化」。欧州は「手の文化」がなくなっていく中で、「手の文化」が一つの価値として認められるようになったと肌で感じる。価値の交換は上下関係ではなく対等な立場で行われつつあり、巨大資本の企業が僕らのところに来るのは彼らができないからで、そこにはリスペクトがある。こちら側もクリエイションにリスペクトを持つことが大切だ。

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藤原季節が語る「俳優という仕事」 「演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる」

PROFILE: 藤原季節/俳優

PROFILE: (ふじわら・きせつ)1993年1月18日生まれ、北海道出身。小劇場での活動を経て2013年から俳優としてのキャリアをスタート。20年には、主演を務めた「佐々木、イン、マイマイン」がスマッシュヒットを記録し、「his」とあわせて同年の第42回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。翌年には第13回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を受賞するなど、デビュー以降、映画のみならずドラマ、舞台など幅広く活動を続けている。その他の近作として、映画「空白」(21)、「わたし達はおとな」(22)、「少女は卒業しない」(23)、「辰巳」(24)など。現在、映画「東京ランドマーク」(林知亜季監督)が全国順次公開中。

巨大生物が大量に発生して、ホテルから出られなくなった12人の人々。そこで繰り広げられるドラマを描いた映画「あるいは、ユートピア」は東京国際映画祭Amazon Prime Videoテイクワン賞受賞の取り組みの一環として、Amazon MGM Studiosによって製作された。新進気鋭の監督、金允洙(キム・ユンス)のもと、渋川清彦、渡辺真起子、吉岡睦雄、原日出子、大場みなみ、麿赤兒など、個性豊かなキャストが集結した。そこで主人公の牧雄一郎を演じたのは藤原季節。3週間にわたってキャスト全員が同じホテルに宿泊して撮影を行うという現場で、藤原はどのように役に向き合ったのか。演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる、という藤原に、映画のこと、そして、演じることについて話を聞いた。

「脚本をどれだけ深く読解できるか」

——本作はホテルを舞台にした密室劇のようなところがありますが、実際にホテルを借り切って撮影が行われたそうですね。

藤原季節(以下、藤原):そうです。全部のシーンが同じホテルで撮影されて、キャストやスタッフはそのホテルに宿泊しました。キャストは3週間くらい泊まって、スタッフさんはもっと長かったんじゃないでしょうか。そんなふうに関係者全員が同じホテルに長期間滞在して撮影するのは珍しいと思いますね。

——3週間も! それだけ一緒にいたら、映画の登場人物たちと同じように連帯感が生まれそうですね。

藤原:連帯感はかなりありましたね。キャストもスタッフも一緒にご飯を食べていましたし、キャストの原日出子さんが手料理を振る舞ってくださったり。ご飯を食べた後も、気が付いたらみんなで一緒に歌を歌ったり、本当に“ユートピア”みたいでした。日が経つにつれて、どんどん外の世界から隔離されたような感覚になっていきました。

——朝から夜まで一緒ということは、脚本の読み合わせやリハーサルは念入りにやられたんですか?

藤原:繰り返し念入りにやりました。カメラが回った瞬間に表出してくる生の感情が良いっていうのも分かるんですけど、そこで何を大切にしなきゃいけないかは脚本の中に書かれていると思っていて。脚本をどれだけ深く読解できるかっていうのが一番大切なことだと僕は思っています。その作業を自分一人じゃなくて、ほかのキャストや監督とできるのは、僕にとってめちゃくちゃありがたいことでしたね。本読みでディスカッションをして準備を重ねておいて、現場に入った時に生の感情で初めて勝負するようにしていました。

——脚本を読むときに大切にしていることはありますか?

藤原:まず、最初は観客として読みます。子供が初めてお話を読んでるときのような純粋な気持ちで読むことを意識していますが、それ以外だと、いろんな人間になりきって声を出してみたりもしていますね。

——例えばどんな感じで?

藤原:いろんな映画で役者が演じている登場人物になって読んでみたりするんです。例えばアル・パチーノさんとか森山未來さんが演じているようにやってみたり、とか。そうすることで、何か新しい視点が見つからないか探ってみたりしています。

——そういうことができるのは、日頃、映画や舞台を通じて役者の演技をシビアに見てるってことですよね。

藤原:というよりは、もともとモノマネが大好きなんです。「ジョーカー」を演じているホアキン・フェニックスとか、役者さんの台詞の言い回しとかを真似して脚本を読んでみる。そこで発見したものを演技に取り入れたりもしています。

——今回、個性的な共演者が多かったのでかなり刺激を受けられたのでは?

藤原:もう、刺激しかなかったですね。これだけの映画人の方々に囲まれてお芝居をさせていただけるというのは夢のような時間で。毎晩、渋川清彦さんや渡辺真起子さんと映画の話をたくさんして本当幸せでしたね。

——渋川さんとの共演シーンはヒリヒリしました。

藤原:渋川さんと演技していると、ロックが頭の中に流れるんですよ。これが不思議で。あるシーンで共演したときは、「フィッシュストーリー」という映画に出てくる「逆鱗」っていうバンドの曲が頭の中に流れて。なんでだろう?と思って部屋に戻って「フィッシュストーリー」のことを調べたら、なんと逆鱗でドラムを叩いているのが渋川さんだったんです(笑)。それを知って、めっちゃ興奮しました。記憶の点と点がバン!ってつながって、めちゃくちゃヒリヒリする瞬間でしたね。

何者かを演じることで仮面を取ることができる

——驚きですね! 今回の物語は極限状態に置かれた人々を描いていますが、ホテルで展開していく人間関係をどんなふうに思われました?

藤原:こういうどこかに閉じ込められるドラマって、登場人物たちがどんどん追い詰められて、殺し合いが起こったりすることが多いじゃないですか。狂気に走っていくというか。でも、この物語では牧雄一郎が秩序を提案して、争いなく生きていこうとする。そして、自分たちがいる世界を良くしようとしているうちに、破滅に向かっている外の世界のことにだんだん無関心になっていく。そういうところが今っぽいと思いました。

——みんな社会でうまくやっていけなかった人たちだから、相手を押しのけようとする悪意は持っていない。だからこそ、奇妙な共同生活が成り立つのかもしれませんね。

藤原:そうですね。ホテルに残された人たちって、今まで生きていた世界が嫌で仕方なくホテルに来た人ばかりじゃないですか。でも、謎の巨大生物が発生したことによって、自分が関わった社会や自分の知り合いとの関係が途切れてしまう。そこで彼らは自分自身に立ち戻って、自分が何のために生きているのか、何がしたかったのかを改めて考えて生きることを選択する。そういうところはピュアだと思いますね。

——そんな中で牧は小説を書き始めます。

藤原:世界が終わるかもしれない。食料がいつかは尽きることが分かっているのに小説を書く。欲望の一番深いところに「物語を書きたい!」という気持ちがあるのが、めちゃくちゃ素敵だと思いました。じゃあ、自分が同じ状況にいたら、一人芝居を始めるのかなって考えたりしますよね。みんなこれまで苦しい思いをして生きてきたから、リセットできる機会を得た時に自分がなりたいものになろうとする。前向きに未来に向き合おうとするんでしょうね。それが素晴らしいと思いました。

——自分のなりたいものになろうとする、というのは、何かを演じる、ということでもありますよね。それは役者が役を演じることと近いと思われますか?

藤原:めちゃくちゃ近いと思いますね。僕はどこかで現実の自分に嫌気が差していて。役を演じることで誰かになりたいっていう気持ちがすごくあるんです。社会で生きていくというのは、多かれ少なかれ仮面をかぶって自分の本心を隠していると思うんです。でも、何者かを演じていると、その仮面を取ってもいい瞬間があるんです。

——演技の時は役という仮面をかぶるのではなく、逆に仮面を取るんですか。

藤原:そうなんです。演技のときは、仮面をかぶるのではなく取るんです。そうじゃないと、言葉が人に届かなかったりするんです。僕にとって本当に感動する演技というのは、役者が仮面を外して裸の心を見せてくれたときで。そういう瞬間に観客の心は動くので、自分もそういうことができる俳優でありたいと思っていますね。

演技というのは原則的には嘘なんですけど、その嘘の中にも真実があると思っていて。フィクションだからこそ、人の胸を打つ本心が描き出せる。そのためには、リスクを背負ってでも、日常で被ってきた仮面を捨てて本当の自分で勝負しなくてはいけない。それができたときに、俳優という仕事の一番の醍醐味を感じるんですよね。

——思えば人は仮面をつけて生きているのかもしれませんね。親に対して、友達に対して、恋人に対して、それぞれ違う仮面をつけて自分を演じている。

藤原:そういう意識は子供の頃からありました。話す相手によって自分が違っていたので、本当の自分はどこにいるんだろうって思っていたんです。でも、19歳で初めて演劇をやったとき、誰かが書いた台詞を読んでいるのに本当の自分が出せた気がして、すごく快感を覚えたんです。めちゃくちゃ不思議な現象でしたね。

——演技以外では、そういう体験はなかった?

藤原:ありませんでした。いろんな表現方法があると思うんですけど、自分には何かを演じることがフィットしたんだと思います。それ以来、生きていく上で役者の仕事はすごく重要なことになったんです。どんなぜいたくをしても、演技をしたときのように心が満たされることはないと思いますね。

「自分にできることを精一杯やるしかない」

——これから役者として、こんな表現ができるようになりたいとか、何か目指していることはありますか?

藤原:ありますね。佇まいっていうものがすごく大切だと思っていて。それって、自分が普段何を考えて、どんなふうに生きているかっていうことが身体からにじむということなのかなって思っているんですけど、そういうものが感じられるような人になりたい。自分が影響を受けた先輩方には、そういう佇まいを感じるんです。

今僕は31歳なんですけど、佇まいが出るには場合によっては30年以上かかるかもしれない。それまで、どうしようかと思っていて。今、自分にできることを精一杯やるしかないんですけど、最近、限界を感じ始めているというか、もっと新しい自分になりたい。どうやったら生き方が濃くなるだろうって考えながら、一生懸命、日々を過ごしています。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLING:TAKASHI USUI(THYMON Inc.)
HAIR&MAKEUP:MOTOKO SUGA
シャツ 12万1000円、パンツ14万3000円、シューズ 8万6900円/全てエンポリオ アルマーニ(ジョルジオ アルマーニ ジャパン 03-6274-7070)

■映画「あるいは、ユートピア」
渋谷・ユーロスペースで2024年11月16〜29日まで期間限定で劇場公開

大量発生した謎の巨大生物によってホテルに残された12人。非暴力&不干渉を合言葉に助け合いながら平穏に暮らしている。そんな中、一人の人物が遺体となって発見される。轟音が鳴りやまないながらも平和な日々は、果たして地獄か理想郷か。第34回東京国際映画祭Amazon Prime Video テイクワン賞受賞者の金允洙監督長編デビュー作。

出演:藤原季節 渋川清彦 吉岡睦雄 原日出子 渡辺真起子 大場みなみ
杉田雷麟 松浦りょう 愛鈴 金井勇太 / 吉原光夫 篠井英介 麿赤兒
監督・脚本:金允洙
プロデューサー:森重晃、菊地陽介 
音楽:竹久圏
撮影:古屋幸一
編集:日下部元孝
ポストプロダクション:ソニーPCL 
制作プロダクション:レプロエンタテインメント
製作:Amazon MGM Studios
©2024 Amazon Content Services LLC or its Affiliates.

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藤原季節が語る「俳優という仕事」 「演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる」

PROFILE: 藤原季節/俳優

PROFILE: (ふじわら・きせつ)1993年1月18日生まれ、北海道出身。小劇場での活動を経て2013年から俳優としてのキャリアをスタート。20年には、主演を務めた「佐々木、イン、マイマイン」がスマッシュヒットを記録し、「his」とあわせて同年の第42回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。翌年には第13回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を受賞するなど、デビュー以降、映画のみならずドラマ、舞台など幅広く活動を続けている。その他の近作として、映画「空白」(21)、「わたし達はおとな」(22)、「少女は卒業しない」(23)、「辰巳」(24)など。現在、映画「東京ランドマーク」(林知亜季監督)が全国順次公開中。

巨大生物が大量に発生して、ホテルから出られなくなった12人の人々。そこで繰り広げられるドラマを描いた映画「あるいは、ユートピア」は東京国際映画祭Amazon Prime Videoテイクワン賞受賞の取り組みの一環として、Amazon MGM Studiosによって製作された。新進気鋭の監督、金允洙(キム・ユンス)のもと、渋川清彦、渡辺真起子、吉岡睦雄、原日出子、大場みなみ、麿赤兒など、個性豊かなキャストが集結した。そこで主人公の牧雄一郎を演じたのは藤原季節。3週間にわたってキャスト全員が同じホテルに宿泊して撮影を行うという現場で、藤原はどのように役に向き合ったのか。演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる、という藤原に、映画のこと、そして、演じることについて話を聞いた。

「脚本をどれだけ深く読解できるか」

——本作はホテルを舞台にした密室劇のようなところがありますが、実際にホテルを借り切って撮影が行われたそうですね。

藤原季節(以下、藤原):そうです。全部のシーンが同じホテルで撮影されて、キャストやスタッフはそのホテルに宿泊しました。キャストは3週間くらい泊まって、スタッフさんはもっと長かったんじゃないでしょうか。そんなふうに関係者全員が同じホテルに長期間滞在して撮影するのは珍しいと思いますね。

——3週間も! それだけ一緒にいたら、映画の登場人物たちと同じように連帯感が生まれそうですね。

藤原:連帯感はかなりありましたね。キャストもスタッフも一緒にご飯を食べていましたし、キャストの原日出子さんが手料理を振る舞ってくださったり。ご飯を食べた後も、気が付いたらみんなで一緒に歌を歌ったり、本当に“ユートピア”みたいでした。日が経つにつれて、どんどん外の世界から隔離されたような感覚になっていきました。

——朝から夜まで一緒ということは、脚本の読み合わせやリハーサルは念入りにやられたんですか?

藤原:繰り返し念入りにやりました。カメラが回った瞬間に表出してくる生の感情が良いっていうのも分かるんですけど、そこで何を大切にしなきゃいけないかは脚本の中に書かれていると思っていて。脚本をどれだけ深く読解できるかっていうのが一番大切なことだと僕は思っています。その作業を自分一人じゃなくて、ほかのキャストや監督とできるのは、僕にとってめちゃくちゃありがたいことでしたね。本読みでディスカッションをして準備を重ねておいて、現場に入った時に生の感情で初めて勝負するようにしていました。

——脚本を読むときに大切にしていることはありますか?

藤原:まず、最初は観客として読みます。子供が初めてお話を読んでるときのような純粋な気持ちで読むことを意識していますが、それ以外だと、いろんな人間になりきって声を出してみたりもしていますね。

——例えばどんな感じで?

藤原:いろんな映画で役者が演じている登場人物になって読んでみたりするんです。例えばアル・パチーノさんとか森山未來さんが演じているようにやってみたり、とか。そうすることで、何か新しい視点が見つからないか探ってみたりしています。

——そういうことができるのは、日頃、映画や舞台を通じて役者の演技をシビアに見てるってことですよね。

藤原:というよりは、もともとモノマネが大好きなんです。「ジョーカー」を演じているホアキン・フェニックスとか、役者さんの台詞の言い回しとかを真似して脚本を読んでみる。そこで発見したものを演技に取り入れたりもしています。

——今回、個性的な共演者が多かったのでかなり刺激を受けられたのでは?

藤原:もう、刺激しかなかったですね。これだけの映画人の方々に囲まれてお芝居をさせていただけるというのは夢のような時間で。毎晩、渋川清彦さんや渡辺真起子さんと映画の話をたくさんして本当幸せでしたね。

——渋川さんとの共演シーンはヒリヒリしました。

藤原:渋川さんと演技していると、ロックが頭の中に流れるんですよ。これが不思議で。あるシーンで共演したときは、「フィッシュストーリー」という映画に出てくる「逆鱗」っていうバンドの曲が頭の中に流れて。なんでだろう?と思って部屋に戻って「フィッシュストーリー」のことを調べたら、なんと逆鱗でドラムを叩いているのが渋川さんだったんです(笑)。それを知って、めっちゃ興奮しました。記憶の点と点がバン!ってつながって、めちゃくちゃヒリヒリする瞬間でしたね。

何者かを演じることで仮面を取ることができる

——驚きですね! 今回の物語は極限状態に置かれた人々を描いていますが、ホテルで展開していく人間関係をどんなふうに思われました?

藤原:こういうどこかに閉じ込められるドラマって、登場人物たちがどんどん追い詰められて、殺し合いが起こったりすることが多いじゃないですか。狂気に走っていくというか。でも、この物語では牧雄一郎が秩序を提案して、争いなく生きていこうとする。そして、自分たちがいる世界を良くしようとしているうちに、破滅に向かっている外の世界のことにだんだん無関心になっていく。そういうところが今っぽいと思いました。

——みんな社会でうまくやっていけなかった人たちだから、相手を押しのけようとする悪意は持っていない。だからこそ、奇妙な共同生活が成り立つのかもしれませんね。

藤原:そうですね。ホテルに残された人たちって、今まで生きていた世界が嫌で仕方なくホテルに来た人ばかりじゃないですか。でも、謎の巨大生物が発生したことによって、自分が関わった社会や自分の知り合いとの関係が途切れてしまう。そこで彼らは自分自身に立ち戻って、自分が何のために生きているのか、何がしたかったのかを改めて考えて生きることを選択する。そういうところはピュアだと思いますね。

——そんな中で牧は小説を書き始めます。

藤原:世界が終わるかもしれない。食料がいつかは尽きることが分かっているのに小説を書く。欲望の一番深いところに「物語を書きたい!」という気持ちがあるのが、めちゃくちゃ素敵だと思いました。じゃあ、自分が同じ状況にいたら、一人芝居を始めるのかなって考えたりしますよね。みんなこれまで苦しい思いをして生きてきたから、リセットできる機会を得た時に自分がなりたいものになろうとする。前向きに未来に向き合おうとするんでしょうね。それが素晴らしいと思いました。

——自分のなりたいものになろうとする、というのは、何かを演じる、ということでもありますよね。それは役者が役を演じることと近いと思われますか?

藤原:めちゃくちゃ近いと思いますね。僕はどこかで現実の自分に嫌気が差していて。役を演じることで誰かになりたいっていう気持ちがすごくあるんです。社会で生きていくというのは、多かれ少なかれ仮面をかぶって自分の本心を隠していると思うんです。でも、何者かを演じていると、その仮面を取ってもいい瞬間があるんです。

——演技の時は役という仮面をかぶるのではなく、逆に仮面を取るんですか。

藤原:そうなんです。演技のときは、仮面をかぶるのではなく取るんです。そうじゃないと、言葉が人に届かなかったりするんです。僕にとって本当に感動する演技というのは、役者が仮面を外して裸の心を見せてくれたときで。そういう瞬間に観客の心は動くので、自分もそういうことができる俳優でありたいと思っていますね。

演技というのは原則的には嘘なんですけど、その嘘の中にも真実があると思っていて。フィクションだからこそ、人の胸を打つ本心が描き出せる。そのためには、リスクを背負ってでも、日常で被ってきた仮面を捨てて本当の自分で勝負しなくてはいけない。それができたときに、俳優という仕事の一番の醍醐味を感じるんですよね。

——思えば人は仮面をつけて生きているのかもしれませんね。親に対して、友達に対して、恋人に対して、それぞれ違う仮面をつけて自分を演じている。

藤原:そういう意識は子供の頃からありました。話す相手によって自分が違っていたので、本当の自分はどこにいるんだろうって思っていたんです。でも、19歳で初めて演劇をやったとき、誰かが書いた台詞を読んでいるのに本当の自分が出せた気がして、すごく快感を覚えたんです。めちゃくちゃ不思議な現象でしたね。

——演技以外では、そういう体験はなかった?

藤原:ありませんでした。いろんな表現方法があると思うんですけど、自分には何かを演じることがフィットしたんだと思います。それ以来、生きていく上で役者の仕事はすごく重要なことになったんです。どんなぜいたくをしても、演技をしたときのように心が満たされることはないと思いますね。

「自分にできることを精一杯やるしかない」

——これから役者として、こんな表現ができるようになりたいとか、何か目指していることはありますか?

藤原:ありますね。佇まいっていうものがすごく大切だと思っていて。それって、自分が普段何を考えて、どんなふうに生きているかっていうことが身体からにじむということなのかなって思っているんですけど、そういうものが感じられるような人になりたい。自分が影響を受けた先輩方には、そういう佇まいを感じるんです。

今僕は31歳なんですけど、佇まいが出るには場合によっては30年以上かかるかもしれない。それまで、どうしようかと思っていて。今、自分にできることを精一杯やるしかないんですけど、最近、限界を感じ始めているというか、もっと新しい自分になりたい。どうやったら生き方が濃くなるだろうって考えながら、一生懸命、日々を過ごしています。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLING:TAKASHI USUI(THYMON Inc.)
HAIR&MAKEUP:MOTOKO SUGA
シャツ 12万1000円、パンツ14万3000円、シューズ 8万6900円/全てエンポリオ アルマーニ(ジョルジオ アルマーニ ジャパン 03-6274-7070)

■映画「あるいは、ユートピア」
渋谷・ユーロスペースで2024年11月16〜29日まで期間限定で劇場公開

大量発生した謎の巨大生物によってホテルに残された12人。非暴力&不干渉を合言葉に助け合いながら平穏に暮らしている。そんな中、一人の人物が遺体となって発見される。轟音が鳴りやまないながらも平和な日々は、果たして地獄か理想郷か。第34回東京国際映画祭Amazon Prime Video テイクワン賞受賞者の金允洙監督長編デビュー作。

出演:藤原季節 渋川清彦 吉岡睦雄 原日出子 渡辺真起子 大場みなみ
杉田雷麟 松浦りょう 愛鈴 金井勇太 / 吉原光夫 篠井英介 麿赤兒
監督・脚本:金允洙
プロデューサー:森重晃、菊地陽介 
音楽:竹久圏
撮影:古屋幸一
編集:日下部元孝
ポストプロダクション:ソニーPCL 
制作プロダクション:レプロエンタテインメント
製作:Amazon MGM Studios
©2024 Amazon Content Services LLC or its Affiliates.

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森勉、「モロー・パリ」とのコラボを語る 「犬の散歩が全ての発端でした」

PROFILE: (左)森勉/アーティスト (右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー

(左)森勉/アーティスト<br />
(右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー
PROFILE: (左)東京生まれ。日本人の父、アメリカ人の母をもつ。ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに入学し、グラフィックデザインを専攻。卒業後は帰国し、ビーズインターナショナルでグラフィックデザイナーとして活躍する。2010年、伊藤忠商事とデザイナーの豊田洋人とともに「ホワイト・レーベン」を立ち上げた。ファッション業界で活躍するかたわら、アート活動も精力的に継続。2015 年から 2016 年には、セゾン現代美術館が運営するアートギャラリーのメイン契約作家にも抜擢された。現在は、アーティストの活動に専念している PHOTO:SHUHEI SHINE

「犬の散歩友達」「サイクリング仲間」「飲み友」――アーティストの森勉とファビアン・フルーリー=メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャーの関係性を表す言葉はたくさんあるが、今回は初めてお互いを「コラボレーター」と呼び合う。森はこのほど、仏バッグブランド「モロー・パリ(MOREAU PARIS)」とのコラボレーションを発表した。両者に由縁のあるハチをモチーフにしたバッグを、三越銀座店でマーカージュ(ペインティング加工)演出とともにお披露目する。「このコラボは2人の関係性があって実現した」と語る森に、自身の作風やコラボの内容を深掘りした。

幼少期の環境を土台に、現在の作風へ

祖母はファッションデザイナーの森英恵。育ってきた環境は、作風に大きな影響を与えたと森勉は語る。「大胆な色使いは、間違いなく祖母からの影響です。また、祖母の『真に美しいものには、ある種の気持ち悪さが宿る』という言葉にも共感しており、私が爬虫類に魅せられる理由のように感じています。そういえば、得意とする立体点描も、ワニやヘビのうろこを点で描いていたのが始まりでした。そのとき、一気に作品が引き締まったと感じたんですよね」。

立体点描とは、粘着力の強い絵の具を使用し、極限の集中力のもと、極小の点で描き上げる手法。「ポイントとなるのは絵の具で、今では何千個と手元にそろえています。一般的な画材屋はもちろん、海外の滞在先でもつい見てしまいますし、最近はヤフオクやメルカリでも良い絵の具に出合うことができます」。

“自然発生”したコラボ? 両者をつなぐ縁

今回のコラボで採用したのはハチのモチーフだ。ハチの腹部は、森勉と「モロー・パリ」の頭文字“M”をもとにデザインした。トリコロールで、フランスへのリスペクトを表現したという。「慣れないバッグへのペイントですが、『モロー・パリ』はスムースな素材を使用しているため、『バッグへのペイント』と意識することなく描けます。ペイントの耐久性を上げるため、レザー用の絵の具やアクリルのトップコートを使用するなど、普段と違う工程も新鮮です」とはにかむ。

ハチは、ポジティブな意味合いが強く、かのナポレオンも繁栄と豊穣の象徴として紋章にあしらっていたことで知られる。「モロー・パリ」創設者のルイ・モローがナポレオンお抱えの家具職人であったこと、森も昆虫や爬虫類を主題に作品を発表していることから、「これしかない!」と満場一致で決定したという。

「今回のコラボは、自然で作り込まれた感がないはずです。実現の経緯もとてもナチュラル。実は、立役者のファビアンは、5年来の友人なんです。犬の散歩中に仲良くなり、意気投合。スタジオにも足を運んでくれ、彼がペイントサービスに定評のある『モロー・パリ』に勤めていることから、コラボの話が自然に浮上しました。そこからはとんとん拍子で事が進み、今回のポップアップに至ります」。インタビュー中、繰り返し出てきたのは“自然体”“ナチュラル”という言葉。「自分に正直でなければ、厚みのあるアートは生まれない」とまっすぐ語る森に、時流に飲まれず生き様を貫く“アーティストの本懐”を見る。

◼️「モロー・パリ」ポップアップストア
日程:11月13日~26日
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ
住所:東京都中央区銀座4-6-16

◼️森勉によるマーカージュ実演
日程:11月 13日、16日、17日、23日、24日
時間:14:00〜18:00
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ(同上)
住所:東京都中央区銀座4-6-16(同上)

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森勉、「モロー・パリ」とのコラボを語る 「犬の散歩が全ての発端でした」

PROFILE: (左)森勉/アーティスト (右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー

(左)森勉/アーティスト<br />
(右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー
PROFILE: (左)東京生まれ。日本人の父、アメリカ人の母をもつ。ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに入学し、グラフィックデザインを専攻。卒業後は帰国し、ビーズインターナショナルでグラフィックデザイナーとして活躍する。2010年、伊藤忠商事とデザイナーの豊田洋人とともに「ホワイト・レーベン」を立ち上げた。ファッション業界で活躍するかたわら、アート活動も精力的に継続。2015 年から 2016 年には、セゾン現代美術館が運営するアートギャラリーのメイン契約作家にも抜擢された。現在は、アーティストの活動に専念している PHOTO:SHUHEI SHINE

「犬の散歩友達」「サイクリング仲間」「飲み友」――アーティストの森勉とファビアン・フルーリー=メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャーの関係性を表す言葉はたくさんあるが、今回は初めてお互いを「コラボレーター」と呼び合う。森はこのほど、仏バッグブランド「モロー・パリ(MOREAU PARIS)」とのコラボレーションを発表した。両者に由縁のあるハチをモチーフにしたバッグを、三越銀座店でマーカージュ(ペインティング加工)演出とともにお披露目する。「このコラボは2人の関係性があって実現した」と語る森に、自身の作風やコラボの内容を深掘りした。

幼少期の環境を土台に、現在の作風へ

祖母はファッションデザイナーの森英恵。育ってきた環境は、作風に大きな影響を与えたと森勉は語る。「大胆な色使いは、間違いなく祖母からの影響です。また、祖母の『真に美しいものには、ある種の気持ち悪さが宿る』という言葉にも共感しており、私が爬虫類に魅せられる理由のように感じています。そういえば、得意とする立体点描も、ワニやヘビのうろこを点で描いていたのが始まりでした。そのとき、一気に作品が引き締まったと感じたんですよね」。

立体点描とは、粘着力の強い絵の具を使用し、極限の集中力のもと、極小の点で描き上げる手法。「ポイントとなるのは絵の具で、今では何千個と手元にそろえています。一般的な画材屋はもちろん、海外の滞在先でもつい見てしまいますし、最近はヤフオクやメルカリでも良い絵の具に出合うことができます」。

“自然発生”したコラボ? 両者をつなぐ縁

今回のコラボで採用したのはハチのモチーフだ。ハチの腹部は、森勉と「モロー・パリ」の頭文字“M”をもとにデザインした。トリコロールで、フランスへのリスペクトを表現したという。「慣れないバッグへのペイントですが、『モロー・パリ』はスムースな素材を使用しているため、『バッグへのペイント』と意識することなく描けます。ペイントの耐久性を上げるため、レザー用の絵の具やアクリルのトップコートを使用するなど、普段と違う工程も新鮮です」とはにかむ。

ハチは、ポジティブな意味合いが強く、かのナポレオンも繁栄と豊穣の象徴として紋章にあしらっていたことで知られる。「モロー・パリ」創設者のルイ・モローがナポレオンお抱えの家具職人であったこと、森も昆虫や爬虫類を主題に作品を発表していることから、「これしかない!」と満場一致で決定したという。

「今回のコラボは、自然で作り込まれた感がないはずです。実現の経緯もとてもナチュラル。実は、立役者のファビアンは、5年来の友人なんです。犬の散歩中に仲良くなり、意気投合。スタジオにも足を運んでくれ、彼がペイントサービスに定評のある『モロー・パリ』に勤めていることから、コラボの話が自然に浮上しました。そこからはとんとん拍子で事が進み、今回のポップアップに至ります」。インタビュー中、繰り返し出てきたのは“自然体”“ナチュラル”という言葉。「自分に正直でなければ、厚みのあるアートは生まれない」とまっすぐ語る森に、時流に飲まれず生き様を貫く“アーティストの本懐”を見る。

◼️「モロー・パリ」ポップアップストア
日程:11月13日~26日
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ
住所:東京都中央区銀座4-6-16

◼️森勉によるマーカージュ実演
日程:11月 13日、16日、17日、23日、24日
時間:14:00〜18:00
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ(同上)
住所:東京都中央区銀座4-6-16(同上)

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有村架純と脚本家・岡田惠和が語るドラマ「さよならのつづき」での新たな挑戦

PROFILE: 有村架純/俳優(右)、岡田惠和/脚本家(左)

PROFILE: (ありむら・かすみ)1993年、兵庫県生まれ。2010年に「ハガネの女」でドラマデビューし、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」(13)の好演で注目を集める。映画「ビリギャル」(15)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞・新人俳優賞W受賞。同作と「ストロボ・エッジ」(15)で、ブルーリボン賞主演女優受賞。「何者」、「夏美のホタル」(16)で日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞新人賞受賞。「ひよっこ」(18)で橋田賞 新人賞、「花束みたいな恋をした」で、日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞受賞。その他の主な出演作に、映画「コーヒーが冷めないうちに」(18)、Netflix 映画「ちひろさん」(23)、ドラマ「太陽の子」(20)、「姉ちゃんの恋人」(22)、NHK大河ドラマ「どうする家康」(23)、「海のはじまり」(24)など。今後も映画「花まんま」(25年春公開)や映画「ブラック・ショーマン」(25年公開)などの作品が控えている。 (おかだ・よしかず)1959年、東京都出身。99年にドラマ「彼女たちの時代」で芸術選奨新人賞放送部門受賞。2001年、NHK 連続テレビ小説「ちゅらさん」で向田邦子賞・橋田賞。19 年に紫綬褒章受賞。主な作品に、ドラマ「最後から二番目の恋」(12)、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」(17)、「そして、生きる」(19)、「姉ちゃんの恋人」(20)、「日曜の夜ぐらいは…」(23)、「南くんが恋人!?」(24)、映画「いま、会いにゆきます」(04)、「8年越しの花嫁 奇跡の実話」(17)、「余命10年」(22)、「メタモルフォーゼの縁側」(22)など。

有村架純と坂口健太郎がダブル主演を務めるNetflixシリーズ「さよならのつづき」の配信が11月14日にスタートした。本作で有村が演じるのは、傷ついた人を笑顔にする最高においしいコーヒーを世界に広めようと奮闘する菅原さえ子。一方の坂口は、子供の頃から体が弱く多くのことを諦めてきた大学職員の成瀬和正を演じる。事故で最愛の恋人を失ったさえ子と、その恋人に命を救われた成瀬。北海道、ハワイの壮大な風景を舞台に、運命に翻弄される2人の美しくも切ない、“さよなら”から始まる愛の物語だ。

完全オリジナルストーリーである本作の脚本を手掛けたのはNHK連続テレビ小説「ひよっこ」や映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」「余命10年」などで知られる岡田惠和。

これまでに何度もタッグを組んできた有村と岡田。「さよならのつづき」での新たな挑戦について、2人の対話から探っていく。

海外を見据えた脚本

——有村さんが、今回の「さよならのつづき」の脚本を読んで、これまでにない新たな部分を感じたところはありましたか?

有村架純(以下、有村):今回も、岡田さんらしさというものは決して失われずに、でもどこか今まで見ていた視点と違うところからアプローチして書かれているのかなーということは脚本を読みながら感じました。岡田さんの脚本にはいつも「・・・」が多かったんです。でも今回はあまり「・・・」がなくて。ちゃんと主人公のさえ子が、自分の気持ちを言葉にして、誠実に人生を歩んでいくという人物像になっているからかなと思いました。

岡田惠和(以下、岡田):今回、最初はいつも通り書いて、その後に自分で編集するみたいな感じで書きました。いろんな国の言葉に翻訳されるんだろうなと思ったので、訳しにくい言葉にはしないようにと考えました。

——「・・・」を少なくしようと意識されたのでしょうか?

岡田:僕の場合、「・・・」は確かに多いんですよ。それは、演じる役者さんの思う間で演じてほしいという思いがありました。でも、今回はテンポが落ちない方がいいと思ったので、多少、少なくしました。それでも残っていたとは思うんですけどね。

——岡田さんは今回、ハリウッドで行われたバイブルワークショップにも行かれたそうですね。

岡田:世界に通用するキャラクターとは何かというレッスンを受けた後、ハリウッドでショーランナーとして長年活動してきた方に書き上げたプロットを見せてトークセッションをしたりしました。Netflixの仕事は初めてでしたが、今回は全てにおいて新鮮でした。早く脚本を書き始められたことも、脚本を全部書いてから撮影に入れたことも新鮮でした。いつもの連続ドラマは、撮影と並行して脚本を書くことも多く、できあがった映像を見ながら少し脚本にフィードバックしていく、ということもあったんですけど、それは今回はありませんでした。でも、撮影に入る前に、何度も直せる時間もあって、それが楽しかったですね。

——NHKの朝ドラ「ひよっこ」からご一緒されている黒崎博監督にとっても、新しい試みが多かったのではないかと思うのですが、有村さんが撮影現場で何か感じられたことはありましたか?

有村:「ひよっこ」のときも、「映画 太陽の子」のときも、黒崎さんは自分の明確なイメージを持って演出されているという方だと思っていました。でも今回は、いろんな意見を受け止めたり、現場で生まれるものをより細かくキャッチして、一緒に作っていこうという感じを受けました。今回、黒崎監督だけでなく、撮影監督も美術監督もいらっしゃったので、現場には3人の監督がいるような感じがありました。そういう撮影も、黒崎監督も初めてだったのではないかと思います。ワンシーン撮るごとに、3人でこの画はいるのかどうかということを意見交換しながら撮影していたので、きっと柔らかい姿勢で臨まれていたのかなと想像しました。

「岡田さんの作品には人柄とか生き様みたいなものがにじみ出ている」(有村)

——長い準備期間に有村さんと岡田さんのお2人が直接この作品についてお話しされたことはあったのでしょうか。

岡田:直接話すことはそんなになかったんですが、このドラマのプロデューサーの岡野真紀子さんとは本当に時間をかけて話し合っています。だから岡野さんは、この部分はこういう気持ちで書いているっていう正解を100%知っているので、(岡野さんが)有村さんと話されるときも、僕の書いたときの気持ちが正確に伝わっていたと思います。

——有村さんは撮影に入って、岡野さんや監督とやりとりする中で、さらに解釈が深まった部分はありましたか?

有村:そうですね。さえ子というキャラクターについて、周りの皆さんと話している中で、エネルギッシュで自分の気持ちにいつも誠実に向き合って生きている女性像にしようということになりました。私にとっても、さえ子は演じたことのないような女性だったので、さえ子という人を知っていく中で、どんどん魅力的に感じました。

——坂口健太郎さんが演じる大学職員の成瀬和正とのシーンは、繊細なシーンばかりだったのではないでしょうか?

有村:今回も、とても難しい作品を一緒にチャレンジさせてもらいました。過去作品でも坂口さんとは、お互いに傷つけあう役どころだったり、思いあっているけれど、別の人生を歩んでいく役だったりと、一筋縄ではいかないものばかりでした。今回も2人で、「とっても難しい作品だね」って話していました。2人で話し合った結果、「もしかしたら、こういうシーンがあったらいいんじゃないか」と思うところがあって、すごく短い部分ではありますが、追加のシーンを撮ることになったりということもありました。本当に、みんなで一緒になって作っていきました。

——それはどのようなシーンだったんですか?

有村:成瀬が働く大学の施設の中にカフェを作ろうということになって、コーヒーの専門家であるさえ子が偶然、一緒に働くことになるんです。そのときに、2人が一緒になにかを成し遂げるプロセスを見せるシーンがあまりなかったので、それを少しだけ追加してもらいました。2人が恋愛とかそういうことではなく、なんとなく一緒に行動することで通じ合ったという気持ちが、少しだけ濃く見えたらいいのかなっていうことで、追加してもらったんです。

——岡田さんにお聞きしたいんですが、有村さんが演じるからこそ書けた「さえ子」像というものはありましたか?

岡田:何度か一緒にお仕事をさせてもらっているので、やっぱり有村さんに「同じ球」は投げたくないんですよね。しかも、有村さんは僕の脚本も、ほかの方の脚本もたくさん読まれているので、こちらの気合が入ってなかったりしたらすぐにバレてしまうだろうなと(笑)。今回は、いつもと少し違うアプローチをしようとしたことも、有村さんには気付いていただけたのかなと。今までの日本のドラマに登場するヒロインって、か弱く見えたり、耐えるキャラクターだったりという部分があったと思うんですね。今回はそういう要素を書くというよりも、基本的に全部、自分で決定しますっていう潔い感じにしたいなというのがありました。今まで書いたことのないもので有村さんとご一緒できて幸せでした。

——全て書き終わったあとに、一話をかなり書きかえたとのことですが、それは本当ですか?

岡田:書き直しましたよ。でもそれもぜいたくなことで、1回ゼロにしても書ける時間がありましたから。一話の中で、坂口健太郎さん演じる成瀬がどこでどんな風に登場するかということにたどり着くまでに紆余曲折もありました。プロデューサーから「一話の内容を変えませんか?」って言われたときは、一瞬、思考が止まりましたけどね(笑)。でも、一度書いたものを変えていける時間や余裕があるということは、ありがたかったですね。

——有村さんは、初めて脚本を読まれたとき、どんな感覚を受けましたか?

有村:岡田さんから生まれるキャラクターはいつでも同じではないですし、岡田さんのセリフは、いつも心に残るものがあります。今回も、すごく身近に感じられる素敵なセリフがたくさんあるなと思いながら読みました。それとやっぱり、岡田さんの作品には、岡田さんの人柄とか生き様みたいなものがにじみ出ているもので、今回もそれを感じました。

「自分が書くときにしんどい方の道を選ぶ」(岡田)

——途中は厳しいこともたくさんあるけれど、たどり着いたところはとても温かいものになっていて、そんなところも岡田さんらしい脚本なのかなと思いました。最後の着地点については、最初から決まっていたのでしょうか?

岡田:今回はある程度は決まっていたという感じですね。やっぱり書いていく中で役が育っていくということはあります。今回は、最初に設定ができあがったときから、全員きつい道を歩む役だなと思ってたんです。さえ子にしても、坂口さんが演じる成瀬にしても、中村ゆりさん演じるミキにしても。この3人はそれぞれ、答えの出ない厳しい選択をしなくてはいけないし、そういうドラマなんです。厳しいだけに、最終的にどんな選択をすれば気持ちよく終わらせられるかということが大事だったんですね。だから、途中は、それぞれがあんまり楽な方に行かないように、自分が書くときにしんどい方の道を選びました。そうすると演じる俳優の3人にとってもしんどいことになると思うけれど、これはそういうドラマなんだなと自分でも思いました。

——「しんどい方の道を選ぶ」という書き方は、普段はされないことなんですか?

岡田:そうですね。今回は3人ともに、誰も悪くないんだけど、なんでこんなにしんどいことになるんだろうということになっています。さえ子とミキのシーンを書いているときは、自分でも気分が重かったです。ここは勝負なんだという感じで。

——その「しんどい」ところから、結末に至るまではいかがでしたか?

岡田:2回目のさえ子とミキのシーンを書けたのでなんとかなりました。さえ子とミキは、ドラマの中で2回しか会わないんですけど、2人の俳優さんを信じたからこそ書けた感覚があって、うれしかったですね。

——有村さんは、演じてみていかがでしたか?

有村:私もさえ子とミキのシーンを演じるときにものすごく緊張がありました。このシーンの撮影が来ないでほしいと思ってたくらいでした。でも、今岡田さんのお話を聞いたら、自分がこのシーンしんどいなって思ってたとき、岡田さんもしんどいなって思いながら書いてたんだって分かりました。作品って、監督も脚本家さんも演者も、みんな闘ってできているんだなとも思いました。ミキの気持ちも分かるからこそ、自分がもしさえ子の立場だったら、「ごめんなさい」って言って身を引いてしまうと思うんですけど、でもさえ子も、自分の気持ちに誠実だからこそ、「なんで会っちゃいけないんですか」という気持ちをこぼしてしまう。そのセリフを言うときのさえ子の気持ちの強さが少し怖くて……。でも、ちゃんと説得力のあるものにしなきゃって思って演じていました。

——できあがった映像を見て、岡田さんはどう感じられましたか?

岡田:できあがった作品を見て、そのクレジットの中に自分の名前があることが誇らしいなと思ったし、いろんな方の力を感じて幸せでした。有村さんとも、何作も一緒にやってこられたことが幸せだと思ったし、でも決して慣れ合っているとかではなくて、毎回緊張感もあって、そんな関係であることもうれしいですし。そして、さえ子が大好きだなと思いました。

——この作品は、海外でも見られることが多いんじゃないかと思います。有村さんは、「第29回釜山国際映画祭・オンスクリーン部門」で上映されたときに韓国で舞台挨拶をされたんですよね。反響はいかがでしたか?

有村:韓国で見られた方たちが、「なんで2話だけしか見られないの?」とおっしゃっていたようで、ちゃんと続きを見たいって思ってくださったんだな、のめり込んで見てくださったんだなって分かってすごくうれしかったです。いろんな国の方に届く作品になるんじゃないかと思えました。

岡田:祈るような気持ちで、いろんな方に「伝わる」といいなと思っていたので、その反響はうれしいですね。でも、どこの場所で見てもらっても、本質的には変わらないことを書いた物語ではあると思っているので、たくさんの方に届けばいいなと思っています。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLIST:[KASUMI ARIMURA]YUMIKO SEGAWA、[YOSHIKAZU OKADA]DAN
HAIR & MAKEUP:[KASUMI ARIMURA]IZUMI OMAGARI、[YOSHIKAZU OKADA]MAKI SASAURA(emu)

[KASUMI ARIMURA]トップス 4万7300円/ヨウヘイ オオノ(03-5760-6039)、パンツ 4万9500円/コトナ(kotona@kotona.jp.net)、ネックレス 2万6400円/メゾンドパルス(hello@maisondpulse.com)、リング 28万7100円/e.m.(03-6712-6798)[YOSHIKAZU OKADA]ジャケット 7万7000円、パンツ 3万7400円/ともにグラフペーパー(グラフペーパー東京 03-6381-6171)、その他 スタイリスト私物

■Netflixシリーズ「さよならのつづき」
出演:有村架純 坂口健太郎 
中村ゆり 奥野瑛太  
伊藤歩 古舘寛治 宮崎美子 斉藤由貴 イッセー尾形
生田斗真/三浦友和
脚本:岡田惠和
監督:黒崎博
音楽:アスカ・マツミヤ
主題歌:米津玄師「Azalea」 
撮影監督:山田康介
美術監督:原田満生
エグゼクティブプロデューサー:岡野真紀子
制作プロダクション:テレパック
原案・企画・製作:Netflix
話数:全8話(一挙配信)
Netflix作品ページ:https://www.netflix.com/さよならのつづき

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.4「コスメブランドにクリエイターは不要?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:Vol.2でメイクアップカテゴリーの重要性を語られましたが、このところメイクアップアーティストを「クリエイティブディレクター」や「アーティスティックディレクター」に立てることをやめるブランドが増えているのが気になります。ブランドのキャラクターを作るには欠かせない存在だと思うのですが。

石橋寧(以下、石橋):確かに時代が変わってきて、クリエイティブディレクターとかアーティストの時代ではなくなってきてますね。「RMK」が誕生した90年代は「ボビイ ブラウン(BOBBI BROWN)」や「ローラ メルシエ(LAURA MERCIER)」、「ナーズ(NARS)」といった、いわゆるアーティストコスメ全盛期でした。それが今どうなったかというと、クリエイターがいない、もしくはいても表に出てこない内製化の時代に入っている。その結果は? 個性がなくなり、面白くない商品ばかりですね。

――:まったく同感です。伝説のアーティストたちがバトンをつないできた「インウイ(INOUI)」はブランド復活と同時にアーティストの起用をやめ、最近でも「スリー(THREE)」、「セルヴォーク(CELVOKE)」と続いています。

石橋:クリエイティブディレクターにはクリエイティブディレクターの、アーティストにはアーティストの役割、存在感があり、だからそういう人を使う。でもそれを内製化したら、僕に言わせればマーケティングに商品のどれほどのことが分かるんだ、と。例えば広告代理店などのトレンド予測サービスが“今年の流行色”をその1年くらい前に出して、それをベースに商品を作るから、皆さん似たような色を出されるわけですよね、情報源が同じだから。一方アーティストブランドは、季節に関係なくまったく異なる提案をしてくる。そこが面白いんですよ。RUMIKOさんなんかまさにそうだったけど、昔、「RMK」で秋にピンクだけ出したことがあってそれが大ヒットした。秋だったらワイン系、ブラウン系、ベージュ系が定番じゃないですか。それが、9.11の翌年の秋だったんですよね。アメリカ同時多発テロで世の中が落ち込んでいるからハッピーにしたいということで、全てのアイテムをピンクで出してきた。他のブランドと傾向がまるで違う。それがクリエイティブディレクター、アーティストがいるブランドの強みなわけです。当たり外れはある。毎回当たるわけではない。でも野球選手だって4割バッターはいないんだから。よくて3割。10回プロモーション打ったうちの3回当たればいいと思わないと。必要か必要じゃないかと言われれば、僕はそういう人の能力を高く評価します。

――:トレンドは時代のムードだから、それが投影されてこそワクワクするものが生まれる。アーティストは撮影やショーの現場を踏んでいるから、そういう意味でも強いですよね。

石橋:10年ほど前にピーター・フィリップスが「シャネル(CHANEL)」から「ディオール(DIOR)」に移りましたよね。その時僕は、数年後に「ディオール」の時代がやってくるんだろうなあと思った。お会いしたこともないけれど(笑)。一方「RMK」も「アディクション(ADDICTION)」も昔に比べてクリエイターの存在感が薄いですよね、露出が少ないし。「スック(SUQQU)」も田中宥久子さん以降は表に出していない。時代の流れもあるけれど、結局は経営陣がその人の持っている能力をどう評価するかということですね。

――:日本でアーティストを立てない傾向にあるのは、評価できる経営陣がそもそも少ない?

石橋:何千万円も契約金を払うんだったらやめちまえ、という発想になる。わがまま言うし(笑)。ブランドが大きくなるとクリエイターが自分のブランドだと勘違いしてくることもある。それはそれでいいところもあるんだけれど、経営陣にしてみればわがままでうっとうしく感じるうえ、契約金も跳ね上がるから、以前は10年あたりを節目に変えることが多かったですね。やはり経営陣がクリエイティブディレクターをよく理解し、うまくコミュニケーションを取り続けることが大切になってきます。

――:そういう点では石橋さんはうまくやっていたということですね。

石橋:普通は同じクリエイターを二度も起用することはないからね。世間はどう思われたか分からないけれど、僕が「アンプリチュード(AMPLITUDE)」を立ち上げる時、高品質のかっこいいブランドを日本のブランドとして作りたかったわけですよ。当時ディオールやシャネルが急成長していて、そこで闘えるブランドを作ろうと思った。じゃあそれを誰にやらせよう、誰に関わってもらおうかと考えた時の答えがRUMIKOさんだった。かっこよくて高品質、そして日本のブランドだからどこかに日本を感じるものがなければいけないよ、と。そうして日本の藍色としての“ブラックネイビー”とジパングの“ゴールド”を使った「アンプリチュード」が生まれたわけです。

――:石橋さんはスキンケアにもクリエイティブディレクター的な立場の方を置いていましたよね?

石橋:「スリー(THREE)」も「イトリン(ITRIM)」も同じ女性にお願いしていましたが、通常は自社の研究所なりが作った商品であって、スキンケアのクリエイティブディレクターというのはほぼいません。そういう人だからこそ、今までにない新しい発想の商品ができてくるわけです。僕がブランドビジョンを感覚的に伝え、彼女がそれを具体的に、科学的に商品に落とし込む。作る商品の目的をきちんと話すと、彼女は持てうる知識で提案してくる。そして全国各地の農家や農協に会いに、一緒にいっぱい旅をしましたね。オタクといえばオタクだったけれど、僕にとってのブレーンとしてしっかりと役割を果たしてくれました。

――:「スリー」のメイクアップラインにはRIEさんの感性と哲学が生き生きと表れていたので、今後の展開がどうなるのか非常に気になるところです。

石橋:かねてから難しいなあと思っていたのは、私だけじゃなくていずれはみんないなくなる。その後どうなるの? 僕は自ら海外にも出かけてやってきた。でも同じことを次の人ができるとは限らない。だからACROの経営陣には、せめて年に1回は海外の代理店に挨拶もイベントも含めて絶対に行くように言いましたね。自分がオーナーだったら死ぬまで影響力を与えられるけど、雇われマダムだから(笑)、変わっていくのは仕方がない。自分のコピーはできないけれど、後を託した人には僕が弱かった部分をちゃんとやってもらって、その人ができないことは他にできる人を作ればいいわけで。そういう体制を作り切れるかどうか。商品に詳しい人を外部からでもいいから引っ張ってきて担当にするとか、強いチームでやっていくことが大切だと思いますね。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.4「コスメブランドにクリエイターは不要?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:Vol.2でメイクアップカテゴリーの重要性を語られましたが、このところメイクアップアーティストを「クリエイティブディレクター」や「アーティスティックディレクター」に立てることをやめるブランドが増えているのが気になります。ブランドのキャラクターを作るには欠かせない存在だと思うのですが。

石橋寧(以下、石橋):確かに時代が変わってきて、クリエイティブディレクターとかアーティストの時代ではなくなってきてますね。「RMK」が誕生した90年代は「ボビイ ブラウン(BOBBI BROWN)」や「ローラ メルシエ(LAURA MERCIER)」、「ナーズ(NARS)」といった、いわゆるアーティストコスメ全盛期でした。それが今どうなったかというと、クリエイターがいない、もしくはいても表に出てこない内製化の時代に入っている。その結果は? 個性がなくなり、面白くない商品ばかりですね。

――:まったく同感です。伝説のアーティストたちがバトンをつないできた「インウイ(INOUI)」はブランド復活と同時にアーティストの起用をやめ、最近でも「スリー(THREE)」、「セルヴォーク(CELVOKE)」と続いています。

石橋:クリエイティブディレクターにはクリエイティブディレクターの、アーティストにはアーティストの役割、存在感があり、だからそういう人を使う。でもそれを内製化したら、僕に言わせればマーケティングに商品のどれほどのことが分かるんだ、と。例えば広告代理店などのトレンド予測サービスが“今年の流行色”をその1年くらい前に出して、それをベースに商品を作るから、皆さん似たような色を出されるわけですよね、情報源が同じだから。一方アーティストブランドは、季節に関係なくまったく異なる提案をしてくる。そこが面白いんですよ。RUMIKOさんなんかまさにそうだったけど、昔、「RMK」で秋にピンクだけ出したことがあってそれが大ヒットした。秋だったらワイン系、ブラウン系、ベージュ系が定番じゃないですか。それが、9.11の翌年の秋だったんですよね。アメリカ同時多発テロで世の中が落ち込んでいるからハッピーにしたいということで、全てのアイテムをピンクで出してきた。他のブランドと傾向がまるで違う。それがクリエイティブディレクター、アーティストがいるブランドの強みなわけです。当たり外れはある。毎回当たるわけではない。でも野球選手だって4割バッターはいないんだから。よくて3割。10回プロモーション打ったうちの3回当たればいいと思わないと。必要か必要じゃないかと言われれば、僕はそういう人の能力を高く評価します。

――:トレンドは時代のムードだから、それが投影されてこそワクワクするものが生まれる。アーティストは撮影やショーの現場を踏んでいるから、そういう意味でも強いですよね。

石橋:10年ほど前にピーター・フィリップスが「シャネル(CHANEL)」から「ディオール(DIOR)」に移りましたよね。その時僕は、数年後に「ディオール」の時代がやってくるんだろうなあと思った。お会いしたこともないけれど(笑)。一方「RMK」も「アディクション(ADDICTION)」も昔に比べてクリエイターの存在感が薄いですよね、露出が少ないし。「スック(SUQQU)」も田中宥久子さん以降は表に出していない。時代の流れもあるけれど、結局は経営陣がその人の持っている能力をどう評価するかということですね。

――:日本でアーティストを立てない傾向にあるのは、評価できる経営陣がそもそも少ない?

石橋:何千万円も契約金を払うんだったらやめちまえ、という発想になる。わがまま言うし(笑)。ブランドが大きくなるとクリエイターが自分のブランドだと勘違いしてくることもある。それはそれでいいところもあるんだけれど、経営陣にしてみればわがままでうっとうしく感じるうえ、契約金も跳ね上がるから、以前は10年あたりを節目に変えることが多かったですね。やはり経営陣がクリエイティブディレクターをよく理解し、うまくコミュニケーションを取り続けることが大切になってきます。

――:そういう点では石橋さんはうまくやっていたということですね。

石橋:普通は同じクリエイターを二度も起用することはないからね。世間はどう思われたか分からないけれど、僕が「アンプリチュード(AMPLITUDE)」を立ち上げる時、高品質のかっこいいブランドを日本のブランドとして作りたかったわけですよ。当時ディオールやシャネルが急成長していて、そこで闘えるブランドを作ろうと思った。じゃあそれを誰にやらせよう、誰に関わってもらおうかと考えた時の答えがRUMIKOさんだった。かっこよくて高品質、そして日本のブランドだからどこかに日本を感じるものがなければいけないよ、と。そうして日本の藍色としての“ブラックネイビー”とジパングの“ゴールド”を使った「アンプリチュード」が生まれたわけです。

――:石橋さんはスキンケアにもクリエイティブディレクター的な立場の方を置いていましたよね?

石橋:「スリー(THREE)」も「イトリン(ITRIM)」も同じ女性にお願いしていましたが、通常は自社の研究所なりが作った商品であって、スキンケアのクリエイティブディレクターというのはほぼいません。そういう人だからこそ、今までにない新しい発想の商品ができてくるわけです。僕がブランドビジョンを感覚的に伝え、彼女がそれを具体的に、科学的に商品に落とし込む。作る商品の目的をきちんと話すと、彼女は持てうる知識で提案してくる。そして全国各地の農家や農協に会いに、一緒にいっぱい旅をしましたね。オタクといえばオタクだったけれど、僕にとってのブレーンとしてしっかりと役割を果たしてくれました。

――:「スリー」のメイクアップラインにはRIEさんの感性と哲学が生き生きと表れていたので、今後の展開がどうなるのか非常に気になるところです。

石橋:かねてから難しいなあと思っていたのは、私だけじゃなくていずれはみんないなくなる。その後どうなるの? 僕は自ら海外にも出かけてやってきた。でも同じことを次の人ができるとは限らない。だからACROの経営陣には、せめて年に1回は海外の代理店に挨拶もイベントも含めて絶対に行くように言いましたね。自分がオーナーだったら死ぬまで影響力を与えられるけど、雇われマダムだから(笑)、変わっていくのは仕方がない。自分のコピーはできないけれど、後を託した人には僕が弱かった部分をちゃんとやってもらって、その人ができないことは他にできる人を作ればいいわけで。そういう体制を作り切れるかどうか。商品に詳しい人を外部からでもいいから引っ張ってきて担当にするとか、強いチームでやっていくことが大切だと思いますね。

The post 「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.4「コスメブランドにクリエイターは不要?」 appeared first on WWDJAPAN.

「セモー」のデザイナー上山浩征とプロスケーター荒木塁が目指した ファッションとカルチャーの境界線を超える服づくり

PROFILE: (左)上山浩征/「セモー」デザイナー(右)荒木塁/ プロスケートボーダー・写真家

(左)上山浩征/「セモー」デザイナー(右)荒木塁/ プロスケートボーダー・写真家
PROFILE: (うえやま・ひろゆき)生地や衣服にまつわる多様な職やフランスアンティークに精通する職を経て、2012年春夏シーズンより衣類ブランド「セモー(SEMOH)」をスタート。ミュージシャンや俳優などの衣装使用も多く、企業からのデザイン/製作仕事なども行っている。現代アートとの協業をはじめ、衣料品以外でのプロダクション/プロデュースも行う (あらき・るい)神戸市出身、東京都在住。プロスケートボーダー/写真家。90年代後半からNYCのデッキカンパニー”ZOO YORK”に所属し、現在もスキルとスタイルを確立したプロスケーターでありながら、写真家としても活動 PHOTO: KOZO KANEDA

「セモー(SEMOH)」は上山浩征デザイナーの「人が意思表示をしたり、他人を認識する第一線は、交わす言葉とまとった衣服である」という理念のもと、在宅時の解放感と外出時の緊張感など、「表裏一体」の中にある調和をコンセプトに2012年にスタートしたブランドだ。

上山デザイナーはキャリアの早い時期から、アート、音楽、文学などへの造詣を深め、感性的なカルチャーをデザインに落とし込み、妥協のない素材選びや丁寧な縫製にこだわる服作りの方向性を築いていった。また、これまでにアーティストの佃宏樹をはじめ、各分野のタレントとのコラボレーションを手がけている。

今期はプロスケーターで写真家の荒木塁とのコラボレーション・コレクションを発表。荒木の作品「TEST PRINT」のイメージを大胆にプリントした生地で仕立てた上質なアイテムを展開した。専門分野が異なる2人が共鳴した要素や具体的なコラボレーションの進行について、上山デザイナーと荒木に話を聞いた。

ファッション、カルチャー、クラフトマンシップ
三者の交差が生むコラージュとしての衣服

――「セモー」24年秋冬コレクションでは、荒木さんの「TEST PRINT」シリーズのモンタージュ作品を採用しました。経緯や背景について教えてください。

上山浩征(以下、上山):スケートシーンやカルチャーが好きだったので、以前からプロスケーターとして荒木さんの存在は知っており、プライベートでも親交がありました。最初のコラボレーションは17年春夏で、服をデザインした上に荒木さんの作品をプリントしたコレクションでした。この時は荒木さんがスケートをする映像作品も撮りました。

当時はまだ「TEST PRINT」は生まれておらず、僕がファンだったもうひとつの荒木さんのシグネチャー作品を使わせていただきました。ストリートからビルの合間を見上げて、空を十字架状にフレーミングする作品です。2回目のコラボレーションである今回は「TEST PRINT」の生地を作って洋服を作りたいと依頼しました。

――上山さんから見た荒木さんの作品の魅力とは?

上山:荒木さんの写真の良さはスケーターの視点から街が切り取られていること。「TEST PRINT」は、荒木さんが街を眺める目線や景色を偶発的に収めたフィルムのテストプリントをコラージュしたもので、唯一性と作品としての美しさを兼ね備えています。

服を作る際、「これで生地を作りたい」と感じるアート作品に出会うと、コラボレーションのイメージが湧いてきます。アート作品と一緒に、美しいもの、示唆に富んだものを作りたいと思うんです。「TEST PRINT」の場合は純粋に大きいサイズで見たいという気持ちもありました。

荒木塁(以下、荒木):普段は自宅の暗室でプリントしているので、大きなプリントはできないんです。

上山:生地が完成すると裁断し、縫製するのですが、その工程で荒木さんのコラージュ作品が、作品に直接関わっていない服飾専門の職人達によって、さらにコラージュされていく。そして新しいものに生まれ変わっていく。そこは一番面白いと思えたポイントです。

――「TEST PRINT」シリーズのモンタージュ作品は即興や偶然性の要素を強く感じます。このシリーズをはじめ、作品の制作背景についてお聞かせください。

荒木:確かに「TEST PRINT」は「これを作ろう」と思って取り組んだ作品ではなく、いろいろとトライした結果、偶然生まれた作品です。

自宅の暗室でのテストプリント(色味や明るさを確認するための使われないプリント)が綺麗だったので、それが何になるか分からないまま、捨てずに保管していました。ある時、海外の友達のブランドからスケートボードを作りたいという依頼があり、デザインを考えていた時に、ふとテストプリントの切れ端を集めて並べたら、いい感じになったんです。このテストプリントのコラージュでスケートボードを作ったのが「TEST PRINT」の始まりです。

「TEST PRINT」は視覚的な美しさがポイントで、今回の作品はニューヨークで撮った写真のみでコラージュしています。日本で撮影した写真だけを使用したものや、さまざまなロケーションの写真を使ったものもあります。使用する写真や並べ方は試行錯誤していて、今も実験中です。

カルチャーへの敬意と相互への信頼から生まれる
創造的なコラボレーション

――今回のコラボレーションは「ストリートカルチャーと仕立ての良さの融合」がテーマです。コラボレーションの具体的な進行について教えてください。

上山:荒木さんから作品を預かり、できあがりのイメージを簡単に共有しました。アイテムは「セモー」定番のテーラードジャケットやシャツ、パンツの展開。スケートのための服ではないですが「良質なアートやカルチャーをベーシックで作りの良い服を通して見せたい」という思いを体現したコレクションです。

私の世代は、カルチャーをリスペクトして取り入れながら上質な服作りをする先輩たちから影響を受けてきました。荒木さんは同世代で同じような影響を受けてきたからこそ、価値観や感覚の面で信頼関係があり、進行もスムーズでした。

荒木:ぼくは生地から服を作ることはできないし、良いものができる予感がしたので、全面的にお任せしました。「セモー」との過去のコラボレーション内容も大きかったです。ブランドの服作りのことも、上山さんの価値観や人となりも知っているので、彼から提示されたイメージを見てすぐに一緒にやりたいと思いました。

上山:共通のゴールを描き、各々の専門性によって責務を果たすと、気持ち良い仕事になる。プロセスが進んでみないと分からなかったことも、常に想像以上の結果になりましたし、リスペクトし合う関係性が良い相互作用を生みました。

――「セモー」の服作りは在宅時の解放感と外出時の緊張感など、「表裏一体」の中にある調和をコンセプトにかかげています。

上山:あらゆる物事に存在する境界や垣根をどう越えていくかに関心があります。ドレッシーな服をカジュアルな場面でどう着るのか。アパレルの人間が作った洋服が、アート界隈でどう受け入れられるのか。アートやカルチャーの人たちを結びつける服とはどのようなものか。クリエイションを通してそれらを問うための大前提として、洋服の作りの良さ、質の高さは大事にしています。

――「セモー」は、これまでにも佃宏樹さんなどのアーティストとのコラボレーションをしてきました。このような経験が、洋服作りにどのような影響や効果をもたらしますか。

上山:私自身が好きでも携われていないことを実現している方に対する尊敬の念がベースにあります。お互いの知識や技術を発揮することで新しいものが生まれたり、さまざまな発見があったりする。自分の創造性を広げてくれる面もあるコラボレーションは本当にありがたい機会だと感じています。

洋服という分野のアドバンテージは、目に留まる可能性が大きい事です。バイアスを生む可能性もありますが、取り払うこともできる。少しでも見てもらえる機会が増えるのなら、自分にとっても、コラボレーションの相手にとってもメリットになると考えています。

人々が視野を広げ、立場やジャンルを超えるためのトリガーを創りたい

――荒木さんはスケーター、アーティスト、アパレルブランドのディレクターとして活躍されています。それぞれについて、どのようにバランスをとっていますか。

荒木:写真とスケートの比重が同じくらい大きくなってきています。写真は「記録できる」ということに魅力を感じて、小学生くらいの時に撮り始めました。それからずっと撮り続けていて、26歳ごろから真剣に取り組むようになりました。

スケートのために海外によく行っていたので、フリーの時間に街を歩いては写真を撮っていました。スケーターと一緒に行動するので彼らの写真も撮っていますが、スケートの写真というよりはストリートスナップの側面が強いと思います。街やストリートでの自由な状況や自然な瞬間を撮ることが好きですね。意識はしてないですが、自ずとスケーターの視点で写真を撮っているのかもしれません。

――今回のコレクションのアイテムを身につける人に、どんな世界観や想いを伝えたいですか。

上山:「セモー」のコンセプトの通り、境界線を超えて欲しいです。例えばテーラードジャケットは好きだけどスケートカルチャーには興味がない人がいたら、これをきっかけに荒木さんを知ったり、スケートカルチャーに興味を持ったりしてもらいたい。逆に荒木さんのファンで普段シャツを着ない人がいたら、今回のコレクションを機にシャツやジャケットを着てみようとか、一歩踏み出して新しい自分を発見してもらえたら嬉しいです。

荒木:ぼくも全く同じです(笑)。

上山:以前のコラボでは、荒木さんが「セモー」の服を着てスケートする映像を制作しました。そのビデオを見たスケーターにブランドについて知ってもらい、「服を着ることを楽しんでもらう」という相乗効果を生み出したかったからです。今回もそこは変わりません。ビデオ撮影は田中秀典さんというスケーターのビデオグラファーにオファーしたのですが、彼の作品を知ってもらうことも裏テーマでした。

荒木:彼には僕個人としてもビデオを撮ってもらったことがあって、好きな作家さんです。

上山:境界線を超えたところにある何かを吸収して、生活をより豊かにする。「セモー」の服がそのきっかけになったらと思います。

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テレビ東京・大森時生 × 漫画家・魚豊 「陰謀論」から「エンタメの未来」まで、大いに語る

PROFILE: 左:魚豊/漫画家 右:大森時生/プロデューサー、ディレクター

PROFILE: 右:(おおもり・ときお)1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」「祓除」「イシナガキクエを探しています」を担当。Aマッソの単独公演「滑稽」でも企画・演出を務めた。昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出。今夏「行方不明展」も手掛けた。 左(うおと)1997年生まれ、東京都出身。2018年「ひゃくえむ。」で連載デビュー。20年から連載した「チ。―地球の運動について―」にてマンガ大賞2年連続ランクイン、手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞など数々の漫画賞を受賞。23年から「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」を連載し、現在は完結。25年上旬から「週刊少年チャンピオン」で原案とネーム協力を担当する「Dr.マッスルビートル」(画:古町)が連載予定。

フェイクドキュメンタリー番組「イシナガキクエを探しています」のほか、約7万人の来場者を記録した「行方不明展」の企画・プロデュースを手掛けたテレビ東京の大森時生。そして、漫画「チ。―地球の運動について―」で手塚治虫文化賞をはじめ数々の賞を受賞し、現在はテレビアニメ版も放送中の漫画家・魚豊(うおと)。今回は大森の最新作となるBLドラマ「フィクショナル」と、最終4巻が発売されたばかりの魚豊の最新作「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」を中心に、それぞれが考える作品の特性と、情報があふれる現代において、作品およびエンターテインメントはどうあるべきか、話を聞いた。

「フィクショナル」
黒沢清監督が注目の若手監督として名前を挙げた酒井善三が脚本・演出、大森時生がプロデュースを務めるBLドラマ。9月に1話1〜3分のショートドラマとして動画プラットフォーム「BUMP」で配信され、11月15日から「シモキタエキマエシネマ K2」他で劇場公開が決定。うだつの上がらない映像制作業者・神保(清水尚弥)のもとに、ある日、大学時代の先輩・及川(木村文)から連絡が来る。憧れの先輩との共同業務に、気分が湧き立つ神保だったが、その仕事は怪しいディープフェイク映像制作の下請けであった。やがて迫りくる自身の「仕事」の影響と責任……神保は徐々にリアルとフェイクの境目に堕ちていくのだった……。

「シモキタ-エキマエ-シネマ『K2』」の上映チケットは11月12日朝10時からK2のオフィシャルサイトで販売開始。
魚豊・大森時生・酒井善三監督のアフタートークつき上映チケットもオフィシャルサイトで販売中。
https://k2-cinema.com/

「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」
「チ。」「ひゃくえむ。」の魚豊が描く、恋と陰謀。圧倒的新機軸、前代未聞のラブコメストーリー。小さな不信感から始まり、傾倒した“陰謀論”。しかし、嘘に裏切られ、手元に残ったのはいくつかの疑問だった。“陰謀論”を信じた青年の恋路はどこに着地するのか……。全4巻。

「『FACT』は媚びを排除して描いたつもり」(魚豊)

大森時生(以下、大森):「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」(以下「FACT」)すごくおもしろかったです。先日直接お伝えしましたが、ここ10年でも数本の指に入るくらい好きでした。

魚豊:ありがとうございます。いやぁ、でも自分としては、趣味に走りすぎちゃったな、と思うところはあるんです(笑)。「チ。」に比べると、売り上げも厳しかったので。

大森:そうなんですか? 僕の趣味も一般的にはズレてるとは思いますけど……「陰謀論」というテーマは現代においては多くの人が興味あるものだと思ってました。それこそ、趣味性だけでいえば「チ。」で描いた地動説の方が高いような。

魚豊:あとは、主人公のキャラクターが応援しづらい、というのも大きかった。「チ。」における地動説も、別の「ひゃくえむ。」という漫画で描いた陸上競技も、基本は読者が応援できるものじゃないですか。それに比べると「FACT」の陰謀論って、まぁ応援できない。でも読者が応援できないことに夢中になっている主人公を描きたかったんですよね。

大森:主人公の「渡辺」ですね。「FACT」は恋愛もテーマになっていましたけど、陰謀論にハマる渡辺くんの恋路は応援できない人が多かったんですかね。好きな女性を相手に陰謀論を熱心に説くような。

魚豊:やっぱり読者の方はああいったキャラクターにヘイトがたまる人が一定数いるんじゃないのかなって。あと「FACT」は「マンガワン」という漫画アプリで配信されたんですけど、作品の内容と掲載媒体との相性もめちゃくちゃ良かったわけではないのかなと。もちろん、作品に力があれば突破できるので、そこは自分の至らなさなんですけど。

大森:漫画をアプリで読む層に届けないといけない、っていうのは、週刊誌を読む層に届けるのとはまた違った闘いな感じもありますもんね。

魚豊:ですね。「FACT」は響かせられなかった。世の中には、連載を例え無料で読めても好きなら必ず単行本も買う層と、無料で読むだけで一切単行本は買わない層と、2つに分かれているといわれがちなんですけど、第三の層として、無料で読めるなら無料で読むけど、無料で読めないならお金を出すっていう層がいると思うんです。で、もしかしたら自分や今回の作品はこの第三の層に入ってしまったのかも、と言い訳気味に勘繰っております。

自分が消費者の立場になってみると、僕はクエンティン・タランティーノもクリストファー・ノーランも好きなのに、作品のDVDは1つも持ってないんですよ。配信で観ているから。ただ、配信が有料のレンタルだった場合は躊躇なくお金を払える。まぁ当然僕はそんな偉大なクリエイターではないし、映画と漫画で翻訳不可な要素はいろいろとある訳ですが、とはいえ、そういう消費行動はあり得るし、その層に買っていただくにはどうすればいいのか、新たな視点というか、挑戦すべき疑問ができたのを、今回の怪我の功名としてます(笑)。

——そういった消費行動の差は、作品の質とも相関関係があると思いますか?

魚豊:あると思います。まず、キャラが刺さってる場合はお金を出して漫画を買いやすいと思います。あとは、サブカル的に、本棚に並べたいから買う、というパターンもあると思っていて。「チ。」は「週刊ビッグコミックスピリッツ」に載ったっていうのもありますし、マンガ大賞の2位になってメディアが取り上げてくれたり、いろんな複合的な要素はあると思うんですけど、そういう層に刺さったのでは?と思っています。でも「FACT」は刺さらなかった。日々反省ですね。

大森:正直なことを言うと、僕としては「FACT」の方がより刺さりはしたんですが……一般的には「チ。」なんですね。

魚豊:抑圧されている主人公は応援しやすい、みたいな王道の要素も当然あるんですけど。それと比べると「FACT」は買う動機が少なかった。自分としては「FACT」も肝いりですし、サブカルに絶対媚びない、みたいな制作意識もあった。挑戦作ではあったんですけど、しかしコレも反省ですね。

「近しい人がうっすら陰謀論にハマるリアルは、
フィクションやエンタメでは語られない」(大森)

大森:先ほどおっしゃった「サブカルに絶対媚びない」っていうのは、具体的にはどういう部分ですか?

魚豊:絶対に露悪的にしないようにする、しょうもなさを描く、という点です。

大森:あぁ、それは読んでいて思いました。陰謀論というテーマを考えた時に、もっとダウナーで絶望的な取り返しがつかないところに到達する話になっていきそうなところを、「FACT」はそうならなかった。主人公は陰謀論の奥の奥にはいかず、かなり浅瀬のところで戻ってきましたよね。

魚豊:それをやりたかったんですよ。陰謀論だけど、めっちゃしょうもないっていう。ひいては、それが日本の政治環境を反映しているから。主人公をはじめとした作中の陰謀論に染まっている人たちは、歴史に接続できていなくて、要は日本の対米従属的な関係性の中で、逆輸入的に陰謀論に接しているんですけど、そういう重みに接続できていないことを登場人物たちに象徴させたかった。

——重さの話でいうと、恋愛が絡むことも含めて、2000年代初頭における古谷実のダークさにいかなかったことが、非常に現代的だなと思いました。

魚豊:あー、まさに。今こういうテーマをやるなら、古谷実先生らしい重さにならないように、っていうのはめっちゃ意識しました。あるいは、鬼頭莫宏先生もそう。そういう、いわゆる世紀末/新世紀っぽい感じ、その“カッコ良さ”は目指せないし、目指すべきではないと設定していました。ひたすらしょうもない、登場人物全員ダサい、その上で「無敵の人」にもならない、そういう漫画を描きたかったんです

——「しょうもないことが現代の象徴」っていうのは、分かりやすく露悪にいくことに比べて、文脈が複雑になるので、そこが売り上げにつながらないのかもしれないですね。

魚豊:ですよね。その方がリアリティーはあると思ったんですけど……反省です(笑)。

大森:魚豊さんの言うことはめっちゃ分かります。そのお話を聞いて、黒沢清さんを想起しました。黒沢清監督は、ジャンル映画・エンターテインメント作品を志向しますが、実際は日本の監督の中でトップクラスにアートハウス系の文脈で評価されています。ある種のねじれのようなものがありますよね。魚豊さんはそこに通ずる部分もあるのかなと。

魚豊:いやいや、黒沢清監督は巨匠ですけど、僕は全然まだまだ新人なので。

大森:でも僕は、浅瀬の陰謀論にハマりながら、そこに恋愛も絡んでくるっていう物語は、エンタメとしても、シンプルにリズムとしても、すごくおもしろいと思いました。そもそも陰謀論をテーマにする時って、Qアノンが議事堂に突撃した事件とかが象徴になりがちですけど、実際に一番リアルで不気味に感じるのは、親だったり近しい人がうっすら陰謀論にハマってるくらいのことじゃないですか。なのに、フィクションやエンタメではそこが語られない。そういう機微をフィクションで語るには、あまりに微妙で複雑ゆえに難しいからだと思うんですけど、「FACT」はそこをど真ん中に描き切った時点で、僕の中では一線を画す漫画なんですよね。

魚豊:あぁ……大森さんにそう言っていただけて、もう十分、ようやく浮かばれました。

大森:少し前に「ここはすべての夜明けまえ」(著:間宮改衣、早川書房)という小説を読んだんですけど、SFにしてもホラーにしても、大きな主題を扱うよりも、今はもっと小さな物語を読みたい感覚が僕にはあって。「FACT」は大きな主題を扱っていながら、ちゃんと自分ごとの小さな物語に落とし込めているところが素晴らしいと思ったんですよ。

魚豊:マジでうれしいです……。僕が思う作家の使命って、どんな人にでも伝わる強度のあるセリフを描くことだと思っていて、と同時に、そんなものは絶対にないとも思っている。どんな言葉であろうと、何かしらの反論がある。例えば「空が青いだけで幸せだ」といった場合でも、じゃあ空が見えない人はどうなのっていう。それと同じジレンマで、何かに夢中になっている人を描いた場合、それが地動説ならいいの? 陸上競技なら? 「FACT」における陰謀論はどうなの? カルトに夢中になっている人は? そうやってどんどん考えていくと、もはや対象に良いも悪いもないんじゃないかなって思うんです。どんな対象であれ、夢中になることは肯定的な面はあるはずだ、という前提で描くしかない。僕は漫画を描くことに夢中になっていて、奇跡的にそれを仕事にもできて、毎日を夢見心地で過ごしているけど、別の誰かが夢中になるものが、いわゆる世の中的に悪しきことだとしたら、それを理由に否定していいのだろうか。たまたま夢中になったものが、今の社会にそぐわないというだけで否定され、欲望の達成に向かって努力することさえ許されないのだとしたら、あまりに残酷だと思うんですよね。そういう意味では、「FACT」で陰謀論にハマった主人公も、「チ。」や「ひゃくえむ。」の主人公と同等に、何かに夢中になっている人間なわけで、構造としては同じなんです。

「漫画業界は、『作品さえ良ければ必ず売れるはず』という思想が強すぎる」(魚豊)

大森:魚豊さんは読者層の分析とか、作品をどうやって世に広めていくかとか、もっと言うと媒体の収益化の仕組みとか、そういう話をよくされる印象がありますけど、漫画家なら誰もが考えていることなんですか?

魚豊:いや、あまりないと思います。僕も全然考えられてるタイプじゃないですし、大森さんや他ジャンルの人とお話しするとお恥ずかしい限りです。漫画家も編集者も内容のことだけを考えてる人がほとんどです。作画についてとか、キャラの造形、展開や見せ場をどうする、基本的にそういうことだけ。媒体の運用システムの話などは、もちろんそれのプロフェッショナルではないですし、話すべきではないかもという意識はあります。

大森:テレビ局員も、制作の部署は特に、番組内容の話ばっかりしてますよ。でも僕は、どういう文脈を踏まえて、どこでどう出すとか、そういう話も好きなんです。

魚豊:ですよね。だから大森さんとか、共通の知人であるDos Monosのタイタンさんと話すと、いつも刺激的なんです。だって「行方不明展」とか、本来的にはテレビ局員が仕掛けることじゃないですよね? 扱うジャンル的に、一部の層に留まりそうな表現を、広く届ける設計までちゃんと考えてる。媒体によって出力が違うのは当たり前だし、そこを考えることはめっちゃ重要なはすですが「作品さえ良ければ必ず売れるはず」という思想が強すぎるんですよね。もちろんそれは一面の真理ですが、それだけじゃないはずです。

実際細かいデータを持ってないので、孫引きの情報ですが、一説によると漫画業界自体の売り上げは上がっているけれど、雑誌などの売り上げは落ちている。それが何を意味するのかが、今の漫画業界の主要なテーマだと思います。今後人口が減っていって、さらに雑誌が弱くなっていくとすれば、雑誌が担っていたキュレーターの役割も弱くなっていくということ。雑誌さえ載ってれば宣伝は完了、という時代はもうとっくの前に終わってると思いますが、今後はより加速すると思います。その時、作品単体を「どの様に売るか」という要素は大事になっていくはずです。

スティーブ・ジョブズ以降、もっと前のディズニーもそうですけど、世界を生きていくためには、中身だけじゃなく、側(がわ)のことも考えられるのが、僕にとっては真のアーティストです。僕は、売ることまで考えている人を心から尊敬しています

大森:「行方不明展」に来ていただいた時も、展示の内容というより、イベントとしての構造についてめっちゃ褒めてくれましたよね(笑)。

魚豊:だってあんな不気味なジャンルのコンテンツを、誰もが盛り上がる夏イベントに仕上げるなんて、同世代の夢ですよ。一人で来るサラリーマンも、デートの学生も、友達連れも家族連れもいて、仕事ではすれ違わない人たちが大挙してた。そういう「ひと夏の思い出」を作れるのって、めっちゃヤバい。

大森:コンセプトとしては、ああいう不気味なものをもとから好きな人以外にも来てもらうために、「ここではないどこか」っていうのを狙ったんです。ホラーという入り口は広いようで狭いんです。もっと広いのは「いなくなりたい」くらいのささやかな現実逃避への甘い誘いなんだと思います。それが夏の思い出につながったのかも。

魚豊:そのコンセプトがもう素晴らしくて。じゃあ実際「ここではないどこか」ってどこなんだっていうのは明示しないまま、「ここではないどこか」というコンセプトだけがある。部屋から出て「ここではないどこか」に行きたい人たちが、「ここではないどこか」というコンセプトの展覧会に行くって、もはや自分に会いに行っているのと同じで、その意味では別に部屋から出ていない。ただ気持ちが循環してるだけ。気持ちだけが大事って、底が抜けた現代社会を端的に表しているし、そんな奇妙な構図を作って大盛況にするって、とんでもないですよ。みんな疲れてるし、消えたすぎる。部屋にいる元気もないから外に出たいだけですもんね。

大森:そこまで分析してくださるのは魚豊さんだけですけど(笑)、めっちゃうれしいです。

魚豊:しかも、それをテレビ局員が設計しているっていうのが現代の最前線ですよ。僕はまだ漫画を描くことしかできていないので、とても憧れます。

「ジャンルの拡大に尽力しているBADHOPのYZERRと
ダウ90000の蓮見翔は超ヒーロー」(魚豊)

大森:テレビ局はだいぶ変わってきましたけど、漫画の世界では仕掛けから考えるっていうことが、漫画家の領分ではないって思われているんでしょうね、今はまだ。

魚豊:領分もありますけど、美学の問題もあると思います。漫画家って、職人気質な方が多い。何度も同じような線を引きながら、「この線じゃない」と悩むみたいな。そのストイックさは尊敬していますが、僕にはとても無理です。

大森:魚豊さんとは真逆で、ひたすら漫画のことだけを考えたいタイプの漫画家さんもいるでしょうし。いるというか、その方が主流なのかな。

魚豊:そうですね。売ることを考えて実践したいなら、漫画家じゃなく、出版社の社員になればいいじゃん、っていう話になっちゃう。僕は単に「自分の漫画」の、しかも「内容の」専門家なだけですし、他にも口出しすべきじゃないと思うことはよくあります。とはいえ、売ることを考える筋トレもしていかなければならないとは思っています。

大森:それぞれに役割があるから。

魚豊:ただ、それとは別で、作品が売れないよりは、単純に作品をたくさん売ったほうが、いろいろと嬉しいじゃないですか。第一にはお財布にとってですが、文化にとってもそうだと言えると思います。

大森:売れた方が文化にとっていい、っていうのは本当にそう思いますね。お金の話だけじゃなく、ジャンルのマンネリ化問題というのがあって……。

魚豊:うわぁ。

大森:既存のファンに向けて、その人たちだけが熱狂することをずっと続けていたら、絶対にマンネリ化するんですよね。ジャンルの外にまで届けることは、ジャンルや業界を存続させるためでもある。それって儲かるとかのお金の話よりも、実はもっと深刻で。

魚豊:あー、マジでそうですね。なので、自分と世代が近いところでいうと、BADHOPのYZERRとダウ90000の蓮見翔は、ジャンルの拡大と存続のために本気で活動している超ヒーローなんですよ。その文化を根付かせて、次の世代につなげるって、コンテンツを作るだけより壮大で、めっちゃかっこいいじゃないですか。

——それでいうと、漫画というジャンルはもうだいぶ根付いてますよね?

魚豊:そうですね、そこがぜいたくな悩みです。ヒップホップや演劇はこの国において使命があるけど、漫画はもう、歴史の後というか。ヒップホップのライブに行ったことがない人、演劇やコントを劇場で観たことがない人と比べて、漫画を読んだことがないっていう人は圧倒的に少ない。手塚治虫といわず、1980年代の鳥山明とかの時代はまだ、漫画は大人が読むものじゃないっていう認識もあったと思うので、やるべきことがあったと推測しますけど、今の漫画は市民権も得まくって、もはや完成した後の世界を生きているくらいの感覚。でも僕は、それでもまだやれることを見つけたくて、35歳くらいになったらそっちの方に力を入れたいとボヤッと思っています。

——それと、売る話をすることへの忌避感については、マーケティングだけを説く胡散臭い人の存在感が大きくなり過ぎた、っていうのもある気がします。

大森:僕もそれはあると思います。売る才能があり過ぎて、全然おもしろくないものまで売っちゃう人っていますからね。それでも、愛情があればまだいい方で、そうではなく、売りたいものに対する愛情とかは一切関係ないまま、マーケティングだけが好きな人がたくさんいて、存在感もある。自己弁護のためにいうと、魚豊さんや僕がもっと広く届けたい、ちゃんと売ることも考えたいと思っているのは、まず愛情ありきだと思ってます(笑)。

魚豊:そうですね。

「ポスト・トゥルース時代の最後のファクトは淡い恋心かもしれない」(大森)

——大森さんにはフェイクドキュメンタリーのイメージがありましたが、だんだんとフィクション味が強くなり、最新作「フィクショナル」ではいよいよドラマにたどり着きました。

大森:フェイクドキュメンタリーについては、僕なりに可能性を広げたなという感覚もあって、その上で自分の好きな「不気味」なものを、日本だけではなく世界に届けてみたい。それには、やっぱりフィクションの力が必要だと思っているんです。純然たるフィクションであるということが、より広い世界に接続するためには必要だと感じています。

魚豊:僕が「フィクショナル」を観て思ったのは、大森さんはテレビというものをどう思っているんだろうなって。ドラマの中にもテレビ報道は出てきましたけど、大森さんはテレビの公共性とか将来性について、どう思っているのか、気になりました。

大森:「フィクショナル」の中では、フェイク動画がSNSで一気に拡散する様子を描いていますが、テレビは主人公の神野が現実と接続するシーンで象徴的に出てきます。しかも、それはある種「偶然」目にして、自分が犯したことの大きさを知るわけです。その偶然という要素が、ある種現実を気づくためのツールとなりうると思います。自分で選択して、もしくはアルゴリズムにいざなわれて見たいものを見る時代に、数少ない見たくないものを見てしまう機器、テレビ。その不便さがこれからの時代、逆におもしろく意義深くなっていく可能性は感じます。

魚豊:「フィクショナル」で描かれていたような、あれも嘘でこれも嘘で、もう全部が嘘なんじゃないかっていう世界線は、アメリカの大統領選を見るだけでも、普通に現実に起こってますよね。

大森:SNSで出回る動画を見て、どれがフェイクでどれがリアルなのかを判断するのって、もうほとんど不可能ですよね。一つひとつのファクトチェックに時間をかけている間にも、どんどん次のフェイクが出てくるし、コミュニティノート自体がフェイクの可能性だってある。そういう情報の不確かさと、自分と他者との境界が曖昧になることは、ほぼイコールだと思います。もはや何が真実かというよりも、現実はフェイクだらけであるってことだけが真実、みたいな。

魚豊:だからこそ「フィクショナル」は、最後までフィクションであることを押し通したのが良かったです。それで僕が思ったのは、フェイクドキュメンタリーとか不気味なものって、根底に“あるある”が存在しているからこそ成立しますよね。多くの人が理解できる“あるある”があって、そこからはずれるから不気味になる。でもそういう“あるある”って、今後どんどん成立しなくなるんじゃないのかなって。

大森:僕が「イシナガキクエを探しています」以降、完全にフィクションと銘打って、ちゃんと物語を描こうと思ったのは、まさにそういうことです。現実の“あるある”からはずれることで感じる恐怖みたいなことは、そろそろ限界を迎える可能性がある。だからこそ、今は物語を通じて不穏な感情を起こしたいです。

——そもそも「フィクショナル」でフェイク動画や陰謀論をモチーフにしようと思ったのは、どういう経緯で?

大森:僕と、監督の酒井さんが共通して好んでいる要素としてあるのが「現実と虚構の境目がぶれてくる」ということ、そして「一人の妄想かと思われていたものが伝染していく」ということです。それが現代社会で一番近いところにあるのは、フェイクニュースや陰謀論だと感じました。フェイクニュースは、内容が右派でも左派でも、フェイク動画を制作しているのは実は同じ人だったりするという話を聞いたことがあります。動画を制作している業者なり個人は、その内容については何とも思ってなくて、仕事として請け負ったからやっているだけ。なので、フェイク動画を作っている人を突き止めたところで、まったく思想犯とかじゃないんです。そういう現実をドラマとして戯画的に描きたいっていうのは出発点としてありました。それこそポスト・トゥルースだなって。

魚豊:いやぁ、めっちゃこわいですね。

大森:それと「フィクショナル」は「BLドラマ」を謳っているんですけど、それを踏まえた酒井さんの脚本で興味深いと思ったのは、主人公が目の前で起こることに対して感情的になり、妄想的な思考にどんどん振り回されていくのに、こと恋愛に関してだけは、感情的にもならず、まったく振り回されないんです。その脚本を読んで、人ってどんなに過激な思想に陥っても、意外と恋心だけは淡いままキープできるのかもなって。だからポスト・トゥルースの時代における最後のファクトは、そういう恋心みたいな、淡い気持ちなんじゃないかなって思いました。まぁだいぶ入り組んではいますけど(笑)。

魚豊:僕も「FACT」では陰謀論と恋愛を描いたんですけど、それは根底が一緒だと思ったからです。それらを分け隔てるのは、陰謀論は情報で、恋愛は心っていうこと。心は情報の束になれない。そこがめっちゃ重要で。最終的に陰謀論に夢中になれないのは、それが情報に過ぎなくて、心がないからだと僕は思うんですよね。

大森:その辺の意識はやっぱり「フィクショナル」とも通じますね。ただ、心というか、ヒューマニズム的なものが最後には残るとして、それが救いにはならないっていうのが現実のつらいところではあるんですけど。

「圧倒的な『力』は思想も政治も全てを超越する」(魚豊)

魚豊:結局エンターテインメントって、もちろん楽しさを提供するものではあるんだけど、最後は「力」だけでいいと思っているんです。圧倒的な力を感じさせることができれば、思想とか立場とか、全てを超越できる、と信じてる。例えば映画の「オッペンハイマー」って、ずっと政治の話をしているように見せて、実は力の話をしている。超巨大な爆発という力に人間が圧倒されているだけというか。ここ何年か、政治の話ばっかりしている様に見えて、本当は力の話をしている人もいて。最近だと、Dos Monosの「Dos Atomos」っていうアルバムは、政治的なリリックが頻出するのにまったく政治的じゃなく、完全に力の作品。僕は漫画家としてそっちを目指したい。

大森:僕が面白いと思うのも、魚豊さんと同じで、単純に迫力があるもの。「迫力あるものを描いたら、そこに政治的なメッセージが付随してきた、でもそれが何か問題でも?」というスタンスが好きです。空音央の映画「HAPPYEND」はまさにそれを感じました。政治的なものを避けるあまり、結果的に何よりも政治的になっているものは、ある種それが中心的になってしまっているように見えます。それは逆にコンテンツ自体の力も損なう。

魚豊:クリストファー・ノーランは最終的には力を描きたい人だと思います。

大森:誤解を恐れずにいうと、今回「フィクショナル」では、陰謀論やフェイク動画を扱いましたけど、僕もそのことによって政治的なメッセージを届けたいとか啓蒙をしたいとかではなくて、フィクションの題材としておもしろいから扱っただけなんです。そのおもしろさこそが力だし、魚豊さんの言うように、それは政治性を超えるのかもしれない。

魚豊:人間はありがたいことに、結局はおもしろくないと反応してくれないし、何か伝えたいものがあったとしても、つまらないと見向きもしない。その市場の無慈悲さというか、弱肉強食さはとてもいいことだと思います。

大森:こんなにショート動画があふれる世界で、おもしろくないものが届くわけないというか。

魚豊:本当にそうで、その世界の中で真に届くおもしろいを目指すのは、難しいですけど、それだけやる価値があると思います。

——そんな魚豊さんが漫画家であり続けているのは、なぜですか?

魚豊:一つ言えるのは、自分がめっちゃ好きなものが、めっちゃ売れているからですね。そのことで自分に自信を持てるし、読者をパーフェクトに信頼できる。もし自分がめっちゃ好きなものが、世間で1ミリも相手にされていなかったら、創作はできていないと思います。でも、ノーランにしてもタランティーノにしても、福本伸行先生も「闇金ウシジマくん」も、テーマは全然違うけど、全部めっちゃ売れている。しかも「闇金ウシジマくん」なんて、ものすごいコアな題材なのにめっちゃ売れてるって、漫画の可能性すごいなって思いますね。だからもし売れなかったら、それは読者のせいではなくて、僕の出力ミスのせい。読者はすさまじい審美眼を持ってると思います。

——最後に。あえて漠然とした質問をしますが、この先の未来については、どう考えていますか? 短期的でも、長期的でも、答えやすい方で。

魚豊:長期的に見れば、僕は絶対に良くなると思います。というか、おもしろくはなるだろうなって。それはやっぱり技術が進歩するので。今の時代に生まれたことはすごい残念に思ってます。もっと未来に生まれたかった。ちょっと話は飛びますが、例えば理論物理屋は、強い力、弱い力、電磁気力、重力、自然界にあるこの4つの力を統合することが大きな仕事としてあると思いますが、今のところ3つはなんとなくわかってる。だけど、重力だけはいまだにめっちゃ謎で、あると言われている未知の粒子が解明できれば、世界は一気に加速します。電磁気力の謎がわかってきたのが、ざっと200年くらい前で、その電磁気力を使ったiPhoneとかの商品化には200年くらい時間かかっている。蒸気で機械を動かしていた時代と、iPhoneがある世界と、どっちがおもしろいかって言ったら、僕はiPhoneがある世界の方がおもしろいと思う。そう考えると、この先、重力の謎が解明されて、そこから商品化までは300年くらいかかるでしょうけど、そこまでいって、重力を操作できるようになれば、空飛ぶ車も余裕だし、いろんなことができるでしょう。あらゆる問題は時間が解決するともいえる。核融合ができたりしていろいろと解決したり。新しい技術を使った商品やサービスもどんどん増えると思うので、未来は絶対おもしろいなって思うんです。

大森:僕はそこまで長期的ではないですが、この先良くはならないだろうなと思っちゃいますね。悲観主義ってわけではないし、魚豊さんのような理屈があるわけでもないので、信じられるのは自分の体感だけだとすると、良くなる感覚が全然ないです。でも、それがおもしろいし、逆にワクワクするとも思っています。魚豊さんとは全く異なる目線かもしれないですが(笑)。僕と同じように、どうにもならない虚無感を抱えた人たちが増え続け、臨界点を迎えた時、何が起こるのかとても興味深いです。ある意味での破壊衝動が自分にはあるので。厨二病的な「世界が終わってしまえばいいのに」ともまた違って、虚無の臨界超えを見てみたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

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エレクトロニック・ユニット、キアスモスが語る——10年振りの新作、そして音楽と自然の関係性について

PROFILE: キアスモス(Kiasmos)

キアスモス(Kiasmos)
PROFILE: 2007年結成。アイスランドの作曲家オーラヴル・アルナルズ(Ólafur Arnalds)と、エレクトロポップ・バンド、ブラッドグループ(Bloodgroup)で活動していたヤヌス・ラスムセン(Janus Rasmussen)によるエレクトロニック・ユニット。2009年にRival Consolesとのスプリット12インチ「65/Milo」、12年に2曲の新曲とフォルティDL(FaltyDL)、65デイズオブスタティック(65daysofstatic)によるリミックスを収録した12インチ「Thrown EP」をリリース。 14年にデビューアルバム「Kiasmos(キアスモス)」をリリース。18年にはフェス「タイコクラブ」にヤヌスがKiasmos DJ Setとして来日。24年7月5日に10年振りのフルアルバム「Ⅱ(トゥー)」をリリースし、10月にキアスモスとして初来日公演を行った。オーラヴル・アルナルズ(左)とヤヌス・ラスムセン(右)。PHOTO:YUKI KAWASHIMA

アイスランド出身のオーラヴル・アルナルズとヤヌス・ラスムセンによるエレクトロニック・ユニット、キアスモス(Kiasmos)。その結成は古く、かたや映画やドラマのスコア制作でも高い評価を得る「ポスト・クラシカル」の雄として、かたやエレクトロ・ポップ・バンドのブラッドグループ(Bloodgroup)のメンバーとして、オーラヴルとヤヌスが個々に築いてきたキャリアと並走するかたちで営まれてきた活動は、今年ではや15年になる。キアスモスの魅力は、そんな2人の個性やスタイルのダイナミックな交差にあり、そのサウンドはアンビエントやミニマル・テクノ、レイヴ、UKガラージなどクラブ・ミュージックの間を自在に行き来しながらスケール感溢れる“映像喚起”的な世界をつくり上げている。2014年に発表したデビュー・アルバム「Kiasmos」は、ピアノやストリングスなど多彩な生楽器と硬質なエレクトロニクスが相乗効果をもたらし、クラシック音楽の壮大で深遠な美しさをダンスフロアに召喚したような傑作だった。

対して、今年の7月5日に10年ぶりにリリースされたニュー・アルバム「Ⅱ(トゥー)」では、アイスランドを離れてバリ島で行われたレコーディングの経験が彼らの音楽に新たなインスピレーションをもたらしている。変化の目まぐるしいビート、柔らかくも力強く推進するグルーヴ、オーケストラを導入したシネマティックで高揚感に満ちたサウンドスケープはそのままに、ガムランの金属的なパーカッションや民族楽器のサンプリング、そして自然環境のフィールド・レコーディングが彩るオーガニックで開放感のあるアトモスフェリアが印象的だ。

「音楽の原点に立ち返ったような感覚だった」――そう今作の制作について振り返るヤヌス。そんな好奇心と冒険心に突き動かされた新作について、さらにその背景にある音楽と「自然」や「スピリチュアリティ」をめぐる哲学について、ライブ直前の2人に聞いた。

ライブ環境について

——キアスモスとしては今回が初来日ということで、今夜(10月11日)のライブも楽しみですが、特に明日の「朝霧ジャム」のステージは特別な体験になるのではと期待しています。2人にとって、クラブや都市型のフェスではなく、自然に囲まれた野外でパフォーマンスを行うことの意義や醍醐味はどんなところに感じていますか。

オーラヴル・アルナルズ(以下、オーラヴル):正直言うと、野外でのライブは親密さが少し失われる感じがして(笑)。人が多いし、エネルギーで溢れているからね。だから個人的には、こういうクラブ(※恵比寿LIQUIDROOM)の方が本当は好きなんだ。こぢんまりとしていて、タイトで、汗だくでムンムンしていてね。

ヤヌス・ラスムセン(以下、ヤヌス):フェスティバルって、何が起こるか分からないというか、天候とかいろんな要素で想定外のことが起こったりするから。雨が降ってグチャグチャになっちゃうこともあるし、人が多すぎて身動きが取れなくなることもある。その点、クラブの方がコントロールしやすいし、安全というか、僕たちにとっては音楽を始めた原点でもあるからね。

——そうなんですね。ただ、キアスモスのサウンドは自然の風景やオープンエアな環境と親和性がとても高いと思います。

オーラヴル:僕たちもやりながら自然を感じられたらいいんだけどね。というのも、パフォーマンス中の僕たちって、ステージの上でライトに照らされている状態だから(笑)。だから周りの環境を意識することって難しくて。でも、フェスティバルによって場所が変わると、まったく違う感覚を味わえることがある。たまにはね。

——例えば、野外でのステージ用にセットやアレンジを変えたり、視覚的な演出を変えたりすることはありますか。

ヤヌス:どうだろう? 通常、フェスティバルだと演奏時間が短くてね。でもクラブだとたっぷり演奏できるから、今夜も長めのセットを用意したんだ。85分くらいかな。ただ、いったん曲の順番や照明とか、音響を含めた全体のプロダクションを決めてしまうと、しばらくはその通りにやるのが普通なんだよね。だから唯一アレンジする可能性があるとすれば、3曲くらいを通しで演奏して、それをセットの前半か後半かに移動させることぐらいかな。

——そういえば、7月にフランスのシストロンで行われたライブの映像を見ました。あの美しい自然と城塞の遺構に囲まれた中でのパフォーマンスは、さすがに特別な体験だったのではないですか。

オーラヴル:そうだね。あれは素晴らしかったな。山の壮大さに圧倒されて、自然の力強さを全身で感じることができた、特別な体験だったよ」

ヤヌス:特に、昼間に始まって終わったのが日が暮れるころだったから、昼の自然な光の中で演奏する時間と、夜になって照明がきらめく中で演奏する時間と、両方のエネルギーを感じることができた。昼は山の緑や空の青が僕たちの演奏に彩りを加えてくれて、夜はクラブみたいに、集まった人たちの熱気が会場を一つにしていて。確かにあれは忘れられない瞬間だったね。

ニュー・アルバムの「II」とフィールドレコーディング

——今度のニュー・アルバムの「II」は、一部がバリ島でレコーディングされたと聞きました。アイスランドとはまったく異なる環境だったと思いますが、バリ島はどんなインスピレーションを与えてくれる場所でしたか。

ヤヌス:とても楽しい経験だったよ。アイスランドや自分のスタジオとはまったく違う環境で一緒に曲を作ったのは初めてだったし、それが曲のサウンドにかなり影響したと思う。普段使っている機材もなかったからね。だから最初は戸惑うこともあったけど、それが楽しかったし、大きなチャレンジでもあった。限られた環境の中で、僕たちは音楽の原点に立ち返ったような感覚だった。自然の音を取り入れながら、手づくりで音楽をつくり上げる――それはまるで音楽的な冒険に出かけたようなもので、本当に刺激的だった。普段とは違う環境だからこそ、新しいサウンドを生み出すことができたのは大きな収穫だったよ。

——確かに、今度のアルバムからは、これまでのキアスモスのサウンドでは聴かれなかったさまざまな“音”が聞こえてきますよね。

オーラヴル:環境によって聞こえる音はさまざまで、それが僕たちの作る音楽にも大きな影響を与えている。例えば、バリ島ではコオロギの鳴き声とか自然の音がとても身近に感じられる。また、ガムランという伝統楽器もバリの音楽に独特の雰囲気を与えている一つで、今回僕たちの曲でもその音色を少し取り入れてみた。一方、アイスランドはもっと静かで、自然の音も少ない。その“静けさ”が僕たちの音楽にも影響し、より繊細で落ち着いたサウンドをつくり上げているというのはあるんじゃないかな。

——そもそも、どうしてバリ島でレコーディングすることになったんですか。

オーラヴル:妻がジャカルタ生まれで、バリ島で育ったんだ。だからバリとは深いつながりがあって。それで2017年ぐらいから年に数カ月ほど、そこを拠点に生活しているんだ。

——そうだったんですね。ちなみに、今回のアルバムで使われているフィールド・レコーディングは全てバリ島で録音されたものですか。

オーラヴル:そうだね。というか、アイスランドではこうした経験はまったくないから(笑)。実はピアノの一部をバリ島でレコーディングしたんだけど、そしたらコオロギの鳴き声が偶然混混ざっていて。ただ、それを完全に消してしまうのはかえって不自然だと思って、そのまま残すことにしたんだ。結果的に、その音が曲に独特の雰囲気を出してくれて、とても気に入っているよ。

——コオロギの鳴き声以外にも、何か面白い音は録れましたか。

ヤヌス:うん。早朝にバリの山で録音した、とても美しい音がある。「Dazed」で聴くことができるんだけど、鳥たちが目覚めていく様子と、日の出の音を録音したんだ。鳥たちのさえずりと日の出の音が重なり合って、素晴らしいハーモニーを生み出していた。その瞬間、自然と音楽が一体になったような、特別な体験だったよ。

——そうしたフィールド・レコーディングを取り入れることで、どんな効果やフィーリングを自分たちの音楽に持ち込みたいというアイデアがあったのでしょうか。

ヤヌス:いや、特に具体的な計画は立てずに、ただレコーダーを持って早朝の山へと出かけたんだ。すると、鳥のさえずりや風の音など、自然が奏でる美しいハーモニーが耳に入ってきた。その音をそのまま録音して、曲に取り入れてみた感じだったんだ。

オーラヴル:僕たちが自然の音を音楽に取り入れるのは、単に楽器の音を重ねるだけではなく、音楽にストーリー性を持たせたかったから。例えば、鳥のさえずりを加えることで、聴いている人に早朝の森の中にいるようなイメージを喚起させたり、川のせせらぎの音で穏やかな時間の流れを感じてもらったりね。楽器だけでは表現できない、自然の奥深さを音楽に表現したいと思って。それは、音楽に新たなレイヤーを加えて、聴く人に没入感を与えるためでもある。

——例えば、KLFの「Chill Out」のような、フィールド・レコーディングを取り入れた作品で好きなものとかあったりしますか。

ヤヌス:どうだろう? 自然の音を音楽に取り入れる試みって、古くから多くのアーティストによって行われてきたわけで。自然の音は、音楽に豊かなインスピレーションを与える素材としてアーティストたちに愛されてきた。中には、フィールド・レコーディングのみを作品として発表するアーティストもいて、個人的には、そういった作品をよく聴いてきた感じかな。

——併せて、「Sailed」や「Flown」で聴けるように、今度のアルバムでガムランや民族音楽の要素を取り入れることになったのも、いつもと違う制作環境だったからこその試みだったりするのでしょうか。

ヤヌス:というか、実はバリ島に到着した初日に、持っていたシンセサイザーが壊れてしまってね(笑)。それで急遽、アンティークショップで竹製と金属製のガムランを2台購入して。それらを組み合わせて新しい楽器を作り、サンプリングして、楽曲に取り入れてみたんだ。結果、今回の音楽制作に欠かせない要素になったし、独自のサウンドを生み出していると思うよ。

オーラヴル:竹は柔らかいものから硬いものまでさまざまな素材を重ねて作られていて、それをバチの種類や叩き方を変えることでいろんな音色を試してみたんだ。そうした音をレイヤーすることで、より深みのあるサウンドを作り出すことができたんじゃないかな。

音楽と自然の関係性

——先日、ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins)にインタビューした際、彼の近作が「自然」や「スピリチュアリティ」をテーマとしていることを伺いました。音楽と自然の関係性は、それこそバロックや古典の時代から多くの作曲家によって探求されてきたテーマです。単に自然の音を模倣するだけでなく、自然に対する人間の心象を音楽で表現するなど、その表現方法は多岐にわたります。2人がこうしたテーマについてどのような見解を持っているのか、興味があります。

オーラヴル:場所が音楽に与える影響はとても大きい。アイスランド、日本、バリ島など、演奏する場所によって生まれる音はまったく異なるし、同じ楽器であっても場所が変われば奏でられる音楽は違う表情を見せる。それは、自然の景色だけでなく、その場所の空気感や聞こえる音、そしてそこに身を置いたときの感覚が音楽に大きな影響を与えるからだと思う。

ヤヌス:僕が個人的に自然の音に惹かれる理由は、音はどこから生まれ、なぜ僕たちが音楽や自然を美しいと感じるのかという根源的な問いに対する探究心が強いからだと思う。僕たちが奏でる音楽は複雑なアレンジやテクニックを用いて作られているけど、その根源には、自然のリズムや鳥のさえずりなどシンプルな自然の音がある。つまり音楽の多くには、自然を模倣している側面があると思う。だから結局、僕たちの音楽も分解してみればただの自然の音なんじゃないかな。音楽と自然は、けっして切り離すことのできない、密接な関係にあると信じているよ。

——なるほど。ただ、あなたたちの音楽は、単に自然の音を書き写そうとしてやっているものではないですよね?

オーラブル:そうだね。それよりもフィーリングが大事なんだ。

——例えば、コロナ以降、アンビエントなどのエレクトロニック・ミュージックはセラピーや瞑想、マインドフルネスを促すものとして特に求められている傾向があるように感じます。自分たちの音楽にもそうした“効能”があると思いますか。

ヤヌス:僕たちの音楽が好き人は、さまざまなシチュエーションで、それぞれのスタイルで楽しんでくれている。料理を作りながら聴く人もいれば、ヨガや瞑想をしているときに聴く人、ビールを飲みながらパーティーで踊っているときに聴く人もいる。本当に人それぞれだと思う。僕たち音楽家は、単に音を重ね合わせるだけでなく、聴く人々に何かを感じてもらうために音楽を作っている。聴く人が何を思うかは自由で、メロディーを紡いでいく中で、音楽が自然と感情を呼び起こす瞬間があることに気づかされる。少しメランコリックな気分にさせる曲もあれば、高揚感を与える曲もある。ただ、それはけっして意図的なものではなく、音楽が持つ自然な力なんじゃないかな。だからどんな瞬間にも、僕たちの音楽が寄り添えることを願っているよ。

オーラヴル:音楽はマインドフルネスや瞑想の一種であり、それが“音楽を聴く”ということなんだと思う。ジャズ、アンビエント、ダンス・ミュージック、どんなジャンルも関係ない。大切なのは、音楽に心を委ね、その瞬間に没頭することなんじゃないかな。

——ちなみに、キアスモスのコンセプトは「ダンス・フロアで泣かせること」だと読みました。それも一種のセラピーだったり、マインドフルネスへの働きかけを意識してのことだったりするのでしょうか。

オーラヴル:まあ、それは冗談で言ってるところもあるんだけどね(笑)。

ヤヌス:僕たちのライブに足を運んでくれる人の中には、僕たちの音楽を静かなものだと捉えている人が多いみたいなんだ。アルバムによっては、激しい曲よりも落ち着いた曲が中心のものもあるから、そう思われているのかもしれない。だから実際にライブに来ると、クラブで観客が踊り狂うような激しいパフォーマンスをしていることに驚くみたいで。エモーショナルでありながら多幸感溢れるライブを目指しているから、時には涙を流しながら踊っている観客の姿を目にすることもある。僕たちのライブでは、さまざまな感情的な体験を提供したいと思っているんだ。静かに音楽に耳を傾けたり、時には涙を流しながら踊ったりと、それぞれがさまざまな形で音楽を楽しんでくれたらって思っているよ。

——ここまで話してきたことともつながるかと思いますが――最後に、昨年亡くなった坂本龍一さんについてコメントをいただけますか。特にオーラヴルさんは坂本さんと共演もあり、その影響について公言されてきましたが、あらためて、坂本龍一という音楽家はオーラヴルさんにとってどんな存在でしたか。

オーラヴル:実は今朝、そのことについてたっぷり喋ってきたばかりなんだ(笑)。それはともかく……彼の音楽は、クラシック楽器を巧みに使いながらも、どこかエレクトロニックな雰囲気が漂っていて、従来のクラシック音楽の概念を覆すような、新鮮な驚きを与えてくれるものだった。12〜14歳のころ、クラシック音楽といえばオーケストラや伝統的な楽器で演奏されるものだと信じていた僕にとって、彼との出会いは音楽に対する固定観念を打ち破る衝撃的なものだったんだ。音楽の境界線を超えて、新たな可能性を切り開いてくれるようなね。だから彼を見つけたことは本当に大きな発見だったし、彼の音楽はまったく新しい音楽の世界へと僕を導いてくれるきっかけだったんだよ。

——ありがとうございます。ところで、今回のアルバムは曲名が全て過去形や過去分詞なのはどうして?

ヤヌス:いい質問だね。ただ、その質問には答えがない。理由はないんだ。ただそうすることに決めたってだけでね。でも、制約があるのはいいことだよ。そうすることでユニークなものになるんだ。だからいい質問だけど、“いい答え”はないんだよ(笑)。

Translation:Kazumi Someya

■「Ⅱ (トゥー)」
アーティスト:Kiasmos(キアスモス)
レーベル:Erased Tapes
発売日:2024年7月5日
価格:国内流通盤CD 3190円、国内流通盤2枚組LP(全世界2000枚限定Clear Vinyl)7260円、国内流通盤2枚組LP 6820円
https://www.inpartmaint.com/site/39125/

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エレクトロニック・ユニット、キアスモスが語る——10年振りの新作、そして音楽と自然の関係性について

PROFILE: キアスモス(Kiasmos)

キアスモス(Kiasmos)
PROFILE: 2007年結成。アイスランドの作曲家オーラヴル・アルナルズ(Ólafur Arnalds)と、エレクトロポップ・バンド、ブラッドグループ(Bloodgroup)で活動していたヤヌス・ラスムセン(Janus Rasmussen)によるエレクトロニック・ユニット。2009年にRival Consolesとのスプリット12インチ「65/Milo」、12年に2曲の新曲とフォルティDL(FaltyDL)、65デイズオブスタティック(65daysofstatic)によるリミックスを収録した12インチ「Thrown EP」をリリース。 14年にデビューアルバム「Kiasmos(キアスモス)」をリリース。18年にはフェス「タイコクラブ」にヤヌスがKiasmos DJ Setとして来日。24年7月5日に10年振りのフルアルバム「Ⅱ(トゥー)」をリリースし、10月にキアスモスとして初来日公演を行った。オーラヴル・アルナルズ(左)とヤヌス・ラスムセン(右)。PHOTO:YUKI KAWASHIMA

アイスランド出身のオーラヴル・アルナルズとヤヌス・ラスムセンによるエレクトロニック・ユニット、キアスモス(Kiasmos)。その結成は古く、かたや映画やドラマのスコア制作でも高い評価を得る「ポスト・クラシカル」の雄として、かたやエレクトロ・ポップ・バンドのブラッドグループ(Bloodgroup)のメンバーとして、オーラヴルとヤヌスが個々に築いてきたキャリアと並走するかたちで営まれてきた活動は、今年ではや15年になる。キアスモスの魅力は、そんな2人の個性やスタイルのダイナミックな交差にあり、そのサウンドはアンビエントやミニマル・テクノ、レイヴ、UKガラージなどクラブ・ミュージックの間を自在に行き来しながらスケール感溢れる“映像喚起”的な世界をつくり上げている。2014年に発表したデビュー・アルバム「Kiasmos」は、ピアノやストリングスなど多彩な生楽器と硬質なエレクトロニクスが相乗効果をもたらし、クラシック音楽の壮大で深遠な美しさをダンスフロアに召喚したような傑作だった。

対して、今年の7月5日に10年ぶりにリリースされたニュー・アルバム「Ⅱ(トゥー)」では、アイスランドを離れてバリ島で行われたレコーディングの経験が彼らの音楽に新たなインスピレーションをもたらしている。変化の目まぐるしいビート、柔らかくも力強く推進するグルーヴ、オーケストラを導入したシネマティックで高揚感に満ちたサウンドスケープはそのままに、ガムランの金属的なパーカッションや民族楽器のサンプリング、そして自然環境のフィールド・レコーディングが彩るオーガニックで開放感のあるアトモスフェリアが印象的だ。

「音楽の原点に立ち返ったような感覚だった」――そう今作の制作について振り返るヤヌス。そんな好奇心と冒険心に突き動かされた新作について、さらにその背景にある音楽と「自然」や「スピリチュアリティ」をめぐる哲学について、ライブ直前の2人に聞いた。

ライブ環境について

——キアスモスとしては今回が初来日ということで、今夜(10月11日)のライブも楽しみですが、特に明日の「朝霧ジャム」のステージは特別な体験になるのではと期待しています。2人にとって、クラブや都市型のフェスではなく、自然に囲まれた野外でパフォーマンスを行うことの意義や醍醐味はどんなところに感じていますか。

オーラヴル・アルナルズ(以下、オーラヴル):正直言うと、野外でのライブは親密さが少し失われる感じがして(笑)。人が多いし、エネルギーで溢れているからね。だから個人的には、こういうクラブ(※恵比寿LIQUIDROOM)の方が本当は好きなんだ。こぢんまりとしていて、タイトで、汗だくでムンムンしていてね。

ヤヌス・ラスムセン(以下、ヤヌス):フェスティバルって、何が起こるか分からないというか、天候とかいろんな要素で想定外のことが起こったりするから。雨が降ってグチャグチャになっちゃうこともあるし、人が多すぎて身動きが取れなくなることもある。その点、クラブの方がコントロールしやすいし、安全というか、僕たちにとっては音楽を始めた原点でもあるからね。

——そうなんですね。ただ、キアスモスのサウンドは自然の風景やオープンエアな環境と親和性がとても高いと思います。

オーラヴル:僕たちもやりながら自然を感じられたらいいんだけどね。というのも、パフォーマンス中の僕たちって、ステージの上でライトに照らされている状態だから(笑)。だから周りの環境を意識することって難しくて。でも、フェスティバルによって場所が変わると、まったく違う感覚を味わえることがある。たまにはね。

——例えば、野外でのステージ用にセットやアレンジを変えたり、視覚的な演出を変えたりすることはありますか。

ヤヌス:どうだろう? 通常、フェスティバルだと演奏時間が短くてね。でもクラブだとたっぷり演奏できるから、今夜も長めのセットを用意したんだ。85分くらいかな。ただ、いったん曲の順番や照明とか、音響を含めた全体のプロダクションを決めてしまうと、しばらくはその通りにやるのが普通なんだよね。だから唯一アレンジする可能性があるとすれば、3曲くらいを通しで演奏して、それをセットの前半か後半かに移動させることぐらいかな。

——そういえば、7月にフランスのシストロンで行われたライブの映像を見ました。あの美しい自然と城塞の遺構に囲まれた中でのパフォーマンスは、さすがに特別な体験だったのではないですか。

オーラヴル:そうだね。あれは素晴らしかったな。山の壮大さに圧倒されて、自然の力強さを全身で感じることができた、特別な体験だったよ」

ヤヌス:特に、昼間に始まって終わったのが日が暮れるころだったから、昼の自然な光の中で演奏する時間と、夜になって照明がきらめく中で演奏する時間と、両方のエネルギーを感じることができた。昼は山の緑や空の青が僕たちの演奏に彩りを加えてくれて、夜はクラブみたいに、集まった人たちの熱気が会場を一つにしていて。確かにあれは忘れられない瞬間だったね。

ニュー・アルバムの「II」とフィールドレコーディング

——今度のニュー・アルバムの「II」は、一部がバリ島でレコーディングされたと聞きました。アイスランドとはまったく異なる環境だったと思いますが、バリ島はどんなインスピレーションを与えてくれる場所でしたか。

ヤヌス:とても楽しい経験だったよ。アイスランドや自分のスタジオとはまったく違う環境で一緒に曲を作ったのは初めてだったし、それが曲のサウンドにかなり影響したと思う。普段使っている機材もなかったからね。だから最初は戸惑うこともあったけど、それが楽しかったし、大きなチャレンジでもあった。限られた環境の中で、僕たちは音楽の原点に立ち返ったような感覚だった。自然の音を取り入れながら、手づくりで音楽をつくり上げる――それはまるで音楽的な冒険に出かけたようなもので、本当に刺激的だった。普段とは違う環境だからこそ、新しいサウンドを生み出すことができたのは大きな収穫だったよ。

——確かに、今度のアルバムからは、これまでのキアスモスのサウンドでは聴かれなかったさまざまな“音”が聞こえてきますよね。

オーラヴル:環境によって聞こえる音はさまざまで、それが僕たちの作る音楽にも大きな影響を与えている。例えば、バリ島ではコオロギの鳴き声とか自然の音がとても身近に感じられる。また、ガムランという伝統楽器もバリの音楽に独特の雰囲気を与えている一つで、今回僕たちの曲でもその音色を少し取り入れてみた。一方、アイスランドはもっと静かで、自然の音も少ない。その“静けさ”が僕たちの音楽にも影響し、より繊細で落ち着いたサウンドをつくり上げているというのはあるんじゃないかな。

——そもそも、どうしてバリ島でレコーディングすることになったんですか。

オーラヴル:妻がジャカルタ生まれで、バリ島で育ったんだ。だからバリとは深いつながりがあって。それで2017年ぐらいから年に数カ月ほど、そこを拠点に生活しているんだ。

——そうだったんですね。ちなみに、今回のアルバムで使われているフィールド・レコーディングは全てバリ島で録音されたものですか。

オーラヴル:そうだね。というか、アイスランドではこうした経験はまったくないから(笑)。実はピアノの一部をバリ島でレコーディングしたんだけど、そしたらコオロギの鳴き声が偶然混混ざっていて。ただ、それを完全に消してしまうのはかえって不自然だと思って、そのまま残すことにしたんだ。結果的に、その音が曲に独特の雰囲気を出してくれて、とても気に入っているよ。

——コオロギの鳴き声以外にも、何か面白い音は録れましたか。

ヤヌス:うん。早朝にバリの山で録音した、とても美しい音がある。「Dazed」で聴くことができるんだけど、鳥たちが目覚めていく様子と、日の出の音を録音したんだ。鳥たちのさえずりと日の出の音が重なり合って、素晴らしいハーモニーを生み出していた。その瞬間、自然と音楽が一体になったような、特別な体験だったよ。

——そうしたフィールド・レコーディングを取り入れることで、どんな効果やフィーリングを自分たちの音楽に持ち込みたいというアイデアがあったのでしょうか。

ヤヌス:いや、特に具体的な計画は立てずに、ただレコーダーを持って早朝の山へと出かけたんだ。すると、鳥のさえずりや風の音など、自然が奏でる美しいハーモニーが耳に入ってきた。その音をそのまま録音して、曲に取り入れてみた感じだったんだ。

オーラヴル:僕たちが自然の音を音楽に取り入れるのは、単に楽器の音を重ねるだけではなく、音楽にストーリー性を持たせたかったから。例えば、鳥のさえずりを加えることで、聴いている人に早朝の森の中にいるようなイメージを喚起させたり、川のせせらぎの音で穏やかな時間の流れを感じてもらったりね。楽器だけでは表現できない、自然の奥深さを音楽に表現したいと思って。それは、音楽に新たなレイヤーを加えて、聴く人に没入感を与えるためでもある。

——例えば、KLFの「Chill Out」のような、フィールド・レコーディングを取り入れた作品で好きなものとかあったりしますか。

ヤヌス:どうだろう? 自然の音を音楽に取り入れる試みって、古くから多くのアーティストによって行われてきたわけで。自然の音は、音楽に豊かなインスピレーションを与える素材としてアーティストたちに愛されてきた。中には、フィールド・レコーディングのみを作品として発表するアーティストもいて、個人的には、そういった作品をよく聴いてきた感じかな。

——併せて、「Sailed」や「Flown」で聴けるように、今度のアルバムでガムランや民族音楽の要素を取り入れることになったのも、いつもと違う制作環境だったからこその試みだったりするのでしょうか。

ヤヌス:というか、実はバリ島に到着した初日に、持っていたシンセサイザーが壊れてしまってね(笑)。それで急遽、アンティークショップで竹製と金属製のガムランを2台購入して。それらを組み合わせて新しい楽器を作り、サンプリングして、楽曲に取り入れてみたんだ。結果、今回の音楽制作に欠かせない要素になったし、独自のサウンドを生み出していると思うよ。

オーラヴル:竹は柔らかいものから硬いものまでさまざまな素材を重ねて作られていて、それをバチの種類や叩き方を変えることでいろんな音色を試してみたんだ。そうした音をレイヤーすることで、より深みのあるサウンドを作り出すことができたんじゃないかな。

音楽と自然の関係性

——先日、ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins)にインタビューした際、彼の近作が「自然」や「スピリチュアリティ」をテーマとしていることを伺いました。音楽と自然の関係性は、それこそバロックや古典の時代から多くの作曲家によって探求されてきたテーマです。単に自然の音を模倣するだけでなく、自然に対する人間の心象を音楽で表現するなど、その表現方法は多岐にわたります。2人がこうしたテーマについてどのような見解を持っているのか、興味があります。

オーラヴル:場所が音楽に与える影響はとても大きい。アイスランド、日本、バリ島など、演奏する場所によって生まれる音はまったく異なるし、同じ楽器であっても場所が変われば奏でられる音楽は違う表情を見せる。それは、自然の景色だけでなく、その場所の空気感や聞こえる音、そしてそこに身を置いたときの感覚が音楽に大きな影響を与えるからだと思う。

ヤヌス:僕が個人的に自然の音に惹かれる理由は、音はどこから生まれ、なぜ僕たちが音楽や自然を美しいと感じるのかという根源的な問いに対する探究心が強いからだと思う。僕たちが奏でる音楽は複雑なアレンジやテクニックを用いて作られているけど、その根源には、自然のリズムや鳥のさえずりなどシンプルな自然の音がある。つまり音楽の多くには、自然を模倣している側面があると思う。だから結局、僕たちの音楽も分解してみればただの自然の音なんじゃないかな。音楽と自然は、けっして切り離すことのできない、密接な関係にあると信じているよ。

——なるほど。ただ、あなたたちの音楽は、単に自然の音を書き写そうとしてやっているものではないですよね?

オーラブル:そうだね。それよりもフィーリングが大事なんだ。

——例えば、コロナ以降、アンビエントなどのエレクトロニック・ミュージックはセラピーや瞑想、マインドフルネスを促すものとして特に求められている傾向があるように感じます。自分たちの音楽にもそうした“効能”があると思いますか。

ヤヌス:僕たちの音楽が好き人は、さまざまなシチュエーションで、それぞれのスタイルで楽しんでくれている。料理を作りながら聴く人もいれば、ヨガや瞑想をしているときに聴く人、ビールを飲みながらパーティーで踊っているときに聴く人もいる。本当に人それぞれだと思う。僕たち音楽家は、単に音を重ね合わせるだけでなく、聴く人々に何かを感じてもらうために音楽を作っている。聴く人が何を思うかは自由で、メロディーを紡いでいく中で、音楽が自然と感情を呼び起こす瞬間があることに気づかされる。少しメランコリックな気分にさせる曲もあれば、高揚感を与える曲もある。ただ、それはけっして意図的なものではなく、音楽が持つ自然な力なんじゃないかな。だからどんな瞬間にも、僕たちの音楽が寄り添えることを願っているよ。

オーラヴル:音楽はマインドフルネスや瞑想の一種であり、それが“音楽を聴く”ということなんだと思う。ジャズ、アンビエント、ダンス・ミュージック、どんなジャンルも関係ない。大切なのは、音楽に心を委ね、その瞬間に没頭することなんじゃないかな。

——ちなみに、キアスモスのコンセプトは「ダンス・フロアで泣かせること」だと読みました。それも一種のセラピーだったり、マインドフルネスへの働きかけを意識してのことだったりするのでしょうか。

オーラヴル:まあ、それは冗談で言ってるところもあるんだけどね(笑)。

ヤヌス:僕たちのライブに足を運んでくれる人の中には、僕たちの音楽を静かなものだと捉えている人が多いみたいなんだ。アルバムによっては、激しい曲よりも落ち着いた曲が中心のものもあるから、そう思われているのかもしれない。だから実際にライブに来ると、クラブで観客が踊り狂うような激しいパフォーマンスをしていることに驚くみたいで。エモーショナルでありながら多幸感溢れるライブを目指しているから、時には涙を流しながら踊っている観客の姿を目にすることもある。僕たちのライブでは、さまざまな感情的な体験を提供したいと思っているんだ。静かに音楽に耳を傾けたり、時には涙を流しながら踊ったりと、それぞれがさまざまな形で音楽を楽しんでくれたらって思っているよ。

——ここまで話してきたことともつながるかと思いますが――最後に、昨年亡くなった坂本龍一さんについてコメントをいただけますか。特にオーラヴルさんは坂本さんと共演もあり、その影響について公言されてきましたが、あらためて、坂本龍一という音楽家はオーラヴルさんにとってどんな存在でしたか。

オーラヴル:実は今朝、そのことについてたっぷり喋ってきたばかりなんだ(笑)。それはともかく……彼の音楽は、クラシック楽器を巧みに使いながらも、どこかエレクトロニックな雰囲気が漂っていて、従来のクラシック音楽の概念を覆すような、新鮮な驚きを与えてくれるものだった。12〜14歳のころ、クラシック音楽といえばオーケストラや伝統的な楽器で演奏されるものだと信じていた僕にとって、彼との出会いは音楽に対する固定観念を打ち破る衝撃的なものだったんだ。音楽の境界線を超えて、新たな可能性を切り開いてくれるようなね。だから彼を見つけたことは本当に大きな発見だったし、彼の音楽はまったく新しい音楽の世界へと僕を導いてくれるきっかけだったんだよ。

——ありがとうございます。ところで、今回のアルバムは曲名が全て過去形や過去分詞なのはどうして?

ヤヌス:いい質問だね。ただ、その質問には答えがない。理由はないんだ。ただそうすることに決めたってだけでね。でも、制約があるのはいいことだよ。そうすることでユニークなものになるんだ。だからいい質問だけど、“いい答え”はないんだよ(笑)。

Translation:Kazumi Someya

■「Ⅱ (トゥー)」
アーティスト:Kiasmos(キアスモス)
レーベル:Erased Tapes
発売日:2024年7月5日
価格:国内流通盤CD 3190円、国内流通盤2枚組LP(全世界2000枚限定Clear Vinyl)7260円、国内流通盤2枚組LP 6820円
https://www.inpartmaint.com/site/39125/

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鯖江で「小さな産業革命」、インタウンデザイナー新山直広に聞く地場産業の継続と価値創出に必要なこと

PROFILE: 新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター

新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター
PROFILE: 1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。2009年福井県鯖江市に移住。応用芸術研究所、鯖江市役所を経て15年に地域特化型クリエイティブカンパニーTSUGIを設立。「福井を創造的な地域にする」をビジョンに、通常のデザインワークだけではなく、眼鏡素材を転用したアクセサリーブランド「Sur」、福井の産品を扱う物産店「SAVA!STORE」の運営、産業観光イベント「RENEW」のディレクションなど、地域に何が大切で何が必要かという問いに対して、リサーチとプランニングを繰り返しながら、これからの時代に向けた創造的な地域づくりを実践。22年に越前鯖江地域の観光まちづくりを行う一般社団法人SOEを設立。23年にはこれからの地域とデザインを探究するLIVEDESIGN Schoolを開校するなど、近年ではものづくり・まちづくり・ひとづくりといった領域で活動。グッドデザイン賞特別賞、国土交通省地域づくり表彰最高賞など受賞多数。著書に「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる」(学芸出版社)がある

福井県鯖江市で興味深い変化が起きている。鯖江市は眼鏡をはじめ漆器や和紙などモノ作りがさかんな地域だったが、産業は衰退の一途だった。しかし今、「伝統工芸で元気な街」と言われるまでになった。その立役者の1人が2009年に鯖江に移住した新山直広ツギ(TSUGI)代表だ。“インタウンデザイナー”を提唱し、デザイン力を多方面で発揮して、地場産業の魅力を高めてその価値向上に取り組む。「福井を創造的な地域にする」と3人で始めたツギの従業員数は現在20人に。スタッフの多くが県外からの移住者だ。現在は政策デザインアドバイザーとして鯖江市や福井県の政策立案も行う。若者の鯖江への移住者は130人を超え、OEM中心のビジネスだった企業は自社ブランドを立ち上げ、新店舗をオープンしている。その数10年間で35店舗。きっかけは新山代表が15年に始めたオープンファクトリーイベント「RENEW(リニュー)」で、産業構造だけでなく人々の意識変化をもたらした。新山代表に鯖江の変化について、デザイナーが“インタウン”である重要性とやりがいについて聞いた。

意識高い系学生が町に溶け込むまで

WWD:鯖江市に移住を決めた決定打は何か?

新山:これからは地域の時代だと思ったこと。ただ鯖江でないといけない理由はなかった。京都精華大学で建築を学んでいたときにゼミの先生が行っていたプロジェクト「河和田アートキャンプ」に参加した。その頃はちょうど日本の人口がピークでリーマンショックの直後。もう建物を新築する時代じゃないだろうと感じていた。これからは今ある環境をどうよくするか、コミュニティデザインが主流になると考え、先生が運営する応用芸術研究所に入り、その勤務先が鯖江だった。

WWD:大阪や京都で生活してきた新山さんにとって公共交通機関が少ない街への移住のハードルは高くなかった?

新山:その頃、恥ずかしいくらい意識高い系の学生だった(笑)。偉そうに日本の都市がどうなるか語っていた。分かりもせんのに。移住のモチベーションは「僕が地域を活性化してあげます」だったから、今思えばマジでくそ野郎だった。一番あってはならない気持ちで移住してしまった。

WWD:実際に住んで見えた課題は?

新山:課題は大きく2つ。1つ目は自分自身の課題で、町に溶け込む必要があった。今でこそ鯖江は移住者が多いが、地域活性の文脈で移住したのは僕が第一号だった。そして会社や行政から「お前がミスると次が来ないから絶対にミスるな」と脅されていたから、まずはなじもうと必死にがんばった。夏祭りなど地域行事には積極的に参加して、地区の青少年健全協議会のオブザーバーなど声がかかったもの全部に行って信頼を獲得しようとしていた。

WWD:「嫌われないように保守的に動く」と「地域の課題解決に向けた動き」はつながりにくいのでは?

新山:移住後2年くらいは野望や野心があまりなくて、なじむことを一生懸命考えていたが、その中で直面したのが地域の本当の意味の課題だった。つまり2つ目の課題、産業がオワコン過ぎるということ。移住1年目は市からの委託で産業調査を行っていた。越前漆器の職人さんや問屋さんを100件くらい回り、後継者や売り上げ、未来の展望を聞いていた。その9割が「もうやばい、終わりだ。息子に継がしたら一生恨まれるわ」という状態。2年目は越前漆器の売り場調査を行った。結果どこにも売ってなかった。業務用のtoBビジネスは縮小傾向だし、そもそもtoCはなかった。国内の漆器流通上に越前漆器はなく、そもそも売り場自体も縮小している。このままいくと産業が衰退する一方だ、という課題が浮き彫りになった。

その時僕が思ったのは、この町には圧倒的にデザインが必要だということ。他産地を見ると、例えば石川輪島のキリモトは三越日本橋店に直営店を出しているし、富山高岡の鋳物メーカー能作もデザインされた製品を売っている。技術は負けていないのに見せ方や伝え方、デザインが足りていない。僕はそこを手伝う必要があると思った。移住して1年半が経った10年の年末だった。

コミュニティデザインや地域活性をしたくて移住したが、職人さんには「お前は全然わかっていない。鯖江は眼鏡、漆器、繊維とモノ作りの町。モノ作りが元気にならないと地域活性しない」と言われたことも大きかった。

町の人にデザイナーになりたいと宣言すると「デザイナーなんて大嫌いだ。作品みたいなものを作りやがって。あいつら詐欺師だ」とデザイナーをネガティブにとらえていた。この町でデザインを生業にするならモノを作るだけではなくて流通や販路まで手伝わないと通用しないと思った。“流通までできるデザイナー”になろうと考えた。

流通までできるデザイナーになる

WWD:移住して3年は河和田アートキャンプの運営会社で働きながらリサーチャーとしても活動、12~15年は鯖江市役所広報課で働いたのち独立したのは15年。そもそもこれまでデザインは取り組んだことがなかった。

新山:約5年の間に独学で学んだ。未経験で福井のデザイン事務所で雇ってはもらえないだろうし、東京にあるデザイン会社に行きたいと考えていた。面接に行くお金がなくてうだうだしていると鯖江市役所から電話があり、「移住者第一号が3年で抜けると市政の失態だ」と言われ、役所で働くことになった。でもそれはやりたいことと違う。それを伝えると市長室に呼ばれた。当時市長だった牧野百男さんに「お前は全然わかっていない。行政は最大のサービス業だ。そもそも行政にデザイン視点がないのがおかしい。お前がそれをやれ」と言われた。牧野さんは支持率8割のカリスマ市長で伝説の市長。「若者に居場所と出番を」という考えを持っていて、若者にやりたいことをやらせて俺が全部責任を取るという姿勢だった。臨時職員として商工政策課に入り、地場産業の支援を始めることになった。具体的には眼鏡のウェブマガジンや観光パンフレットのデザインをした。思った以上に面白くてやりがいを感じていた一方、産業振興は行政組織として公平公正であることが難しく、限界がある。そんな葛藤を抱えながら仕事をしていると、日々倒産情報がファックスで入ってくる。この勢いだと10年後に産業がなくなると思い、早めに独立して流通までできるデザイナーになるしかないと思った。

オープンファクトリーイベント「RENEW」を始動、小さな産業革命が起きる

WWD:鯖江の産業の中でもWWDJAPAN読者になじみがあるのは眼鏡産業。現在の課題は何か、また課題に対する取り組みで評価できるものは何が?

新山:現在の課題は大M&A時代に入ったこと。それ以前の課題はOEM中心のビジネスだったため、受注が減ったことで仕事がどんどんなくなり、どうするんだと自社ブランドを作る動きが生まれ始めていた。そのときに立ち上げたのが「RENEW」だ。

WWD:今年で10年になる。成果は?

新山:OEMを生業の中心としていた町に35の新規店舗ができた。工場の一部を自社ブランドを売る店にしたファクトリーショップのような形態。大げさかもしれないが「RENEW」によって小さな産業革命が起きた。意識変化が起き、新しい稼ぎ口を見出した事業者は多かった。

WWD:鯖江の眼鏡は分業制で、自社ブランドのためのサプライチェーン作りが大変そうだ。リードタイムが長くなっていることが課題だとも聞く。

新山:分業とはいえ、メーカーは他の工程を依頼して取りまとめることで売ることができる。どちらかというと今の課題はリードタイムが長過ぎること。15~21年はリードタイムが3~5か月だったのに対して一時期は1年3か月まで伸びた。今は1年程度だが、あまりに伸びると資金繰りやキャッシュフローが難しくなる。分業制を売りにしていた町だが、どこかの工程が止まればサプライチェーンが崩壊し、最終製品まで至らない。漁業でいうところの乱獲した結果、魚がいなくなったのに近く、課題はわかっていたのに手を付けなかったともいえる。人材は育たないし、結果的に作れない産地になった。

WWD:別の課題も生まれ、厳しい状況は続いているが、いい形で産業を継続させるためにはどこを目指せばいいのか。

新山:今僕が期待しているのは3代目社長。ちょうど2代目から3代目への代替わりの時期で、3代目の多くは40代。2代目は家族経営が中心で家族が食べていければいい、という感じだったが、3代目の経営者は共存共栄の視点を持っている。自分たちが儲かればいい、ではなく、産地の生態系まで考えた経営しようとしている方々がいる。例えば佐々木セルロイド(母体は兵庫県の企業)は独立支援コースができ、独立前提の雇用計画を進めている。何年か働いた後に独立されると会社としては大変になるかもしれないけど、産地にとっては作り手が増えるのでよしとしている。

沢正眼鏡は家族経営6人の小さな会社で平均年齢が約60歳だったが、息子が4月に社長になり、新たにスタッフを雇用しようと労務環境の改善を目指している。例えば「技術は目で盗むもの」というのが通例だったが、マニュアルを作りDX化を促進している。面白いのは、空き家対策事業を始め、会社のまわりの空き家を買い取って改装し、若い人向けのシェアハウスにしていること。“働く×暮らす”の環境作りをすることで担い手を作ろうとしている。

マーベルは給与水準を上げることを目指して給与体系を作り、給与を高くしたことで若い人が入社した。社風もイケイケになっていて、眼鏡業界では新しい風になっている。

WWD:新山さん自身がこれから取り組む課題は?

新山:廃棄物と労務だ。眼鏡は単一素材ではないし、例えば「土に還るやさしい素材」とうたっている素材はあるが、資源環境についてしっかり取り組まないと産業自体が危うくなる。本当に土壌分解するのか。眼鏡は単一素材ではない。具体的なアクションは難しく、儲からないと止まる。産地の意識変化を5年かけて取り組んでいく。

労務についてはいろいろ見えてきていて、鯖江市の労働環境の課題は、「給料が安い」「離職率が高い」「採用応募数が少ない」「高齢化」に加え、「技術伝承の遅れ」「分業化の限界」などがある。解決策として考えられるのは、HR(ヒューマンリソース)を重視した世界観。産地の中で人材育成をしっかりして、従業員のエンゲージメントを上げることなどに取り組みたい。

ツギが目指すこと、デザイナーの可能性

WWD:ツギはグラフィックデザインからブランディング、商品開発、プロジェクト運営、施設運営に加えて、自社ブランドも作っている。

新山:自社ブランドを作り地元の人に作ってもらったり、「SAVASTORE!」という小売店を立ち上げたり、福井のアンテナショップの運営を行うなど出口まで作ることを心掛けている。

WWD:自社ブランドを作る理由は?

新山:2つある。1つ目は自社ブランドを作り運営することでノウハウを貯めてフィードバックするため。2つ目は請負仕事だけではなく、自分たちで企画し土地の技術を生かした製品作りをすることは産地貢献の一つだと考えているため。「頼まれないとできない」というデザイナーの職能を幻想だと思っている。リアクションだけではなく、アクションをすることも大切だ。デザインの仕事を請け負ったときにボツになったネタをやらせてほしい、と自社ブランドとして始めたケースもある。

WWD:改めて“インタウンデザイナー”であることの重要性、意義とは何か?日本の地場産業を維持し成長するために必要な点とは?

新山:日本にデザイナーは約20万人いるが、その多くが東京に集中している。消費地としてデザインが求められることはわかるが、生産する町だからこそできるデザインが地域には絶対ある。本質を見つけ出し、地域資源を結びつけて新しい価値を作る“インタウンデザイナー”が増えると国が良くなるんじゃないかと思っている。国力、上がるんじゃね?と。そういう人を増やしたい。例えば漁業の町だったら漁業的視点の“インタウンデザイナー”が生まれるはずだと考えている。僕はモノ作りの町の“インタウンデザイナー”の一つのモデルを作る。

WWD:“インタウンデザイナー”のやりがいは?

新山:消費されるものではなく、長く続ける生態系を作ることができる。それが地域の良さ。春夏、秋冬といった時間軸ではない。そもそも商品開発が全てではなく、町医者のような感覚を持っている。「おなかが痛い」と来た人の話を聞いて、「原因は別にあるんじゃない?」と診断することもある。つまりアウトプットは製品のデザインでなく、労務にもなりえる、ということ。僕らの町は経営者と話せるし、意思決定が早い。二人三脚で事業を成長させる素地は十分にある。生産地でやれる醍醐味は物事の本質――そもそもやる意味があるのかーーから関わることができる、という点において意義がある仕事だと思う。

WWD:消費地では「なぜ」よりも「どうやって」が多いが、「なぜ」から取り組むことができるのはデザイナーとしても人としても鍛えられそうだ。

新山:規模が小さいがゆえに直接アプローチできる社長や行政の意思決定が変わると、イノベーションが起きる。何度もそういう現場を見ることができたし、できるんだと思った。政治家ではないけれど、デザイナーも地域をよくしていける存在。それがデザイナーの価値向上にもつながっている。「町を動かすには政治家になるしかない」ではない。政治家にならなくても、デザインで町をよくできる。

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鯖江で「小さな産業革命」、インタウンデザイナー新山直広に聞く地場産業の継続と価値創出に必要なこと

PROFILE: 新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター

新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター
PROFILE: 1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。2009年福井県鯖江市に移住。応用芸術研究所、鯖江市役所を経て15年に地域特化型クリエイティブカンパニーTSUGIを設立。「福井を創造的な地域にする」をビジョンに、通常のデザインワークだけではなく、眼鏡素材を転用したアクセサリーブランド「Sur」、福井の産品を扱う物産店「SAVA!STORE」の運営、産業観光イベント「RENEW」のディレクションなど、地域に何が大切で何が必要かという問いに対して、リサーチとプランニングを繰り返しながら、これからの時代に向けた創造的な地域づくりを実践。22年に越前鯖江地域の観光まちづくりを行う一般社団法人SOEを設立。23年にはこれからの地域とデザインを探究するLIVEDESIGN Schoolを開校するなど、近年ではものづくり・まちづくり・ひとづくりといった領域で活動。グッドデザイン賞特別賞、国土交通省地域づくり表彰最高賞など受賞多数。著書に「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる」(学芸出版社)がある

福井県鯖江市で興味深い変化が起きている。鯖江市は眼鏡をはじめ漆器や和紙などモノ作りがさかんな地域だったが、産業は衰退の一途だった。しかし今、「伝統工芸で元気な街」と言われるまでになった。その立役者の1人が2009年に鯖江に移住した新山直広ツギ(TSUGI)代表だ。“インタウンデザイナー”を提唱し、デザイン力を多方面で発揮して、地場産業の魅力を高めてその価値向上に取り組む。「福井を創造的な地域にする」と3人で始めたツギの従業員数は現在20人に。スタッフの多くが県外からの移住者だ。現在は政策デザインアドバイザーとして鯖江市や福井県の政策立案も行う。若者の鯖江への移住者は130人を超え、OEM中心のビジネスだった企業は自社ブランドを立ち上げ、新店舗をオープンしている。その数10年間で35店舗。きっかけは新山代表が15年に始めたオープンファクトリーイベント「RENEW(リニュー)」で、産業構造だけでなく人々の意識変化をもたらした。新山代表に鯖江の変化について、デザイナーが“インタウン”である重要性とやりがいについて聞いた。

意識高い系学生が町に溶け込むまで

WWD:鯖江市に移住を決めた決定打は何か?

新山:これからは地域の時代だと思ったこと。ただ鯖江でないといけない理由はなかった。京都精華大学で建築を学んでいたときにゼミの先生が行っていたプロジェクト「河和田アートキャンプ」に参加した。その頃はちょうど日本の人口がピークでリーマンショックの直後。もう建物を新築する時代じゃないだろうと感じていた。これからは今ある環境をどうよくするか、コミュニティデザインが主流になると考え、先生が運営する応用芸術研究所に入り、その勤務先が鯖江だった。

WWD:大阪や京都で生活してきた新山さんにとって公共交通機関が少ない街への移住のハードルは高くなかった?

新山:その頃、恥ずかしいくらい意識高い系の学生だった(笑)。偉そうに日本の都市がどうなるか語っていた。分かりもせんのに。移住のモチベーションは「僕が地域を活性化してあげます」だったから、今思えばマジでくそ野郎だった。一番あってはならない気持ちで移住してしまった。

WWD:実際に住んで見えた課題は?

新山:課題は大きく2つ。1つ目は自分自身の課題で、町に溶け込む必要があった。今でこそ鯖江は移住者が多いが、地域活性の文脈で移住したのは僕が第一号だった。そして会社や行政から「お前がミスると次が来ないから絶対にミスるな」と脅されていたから、まずはなじもうと必死にがんばった。夏祭りなど地域行事には積極的に参加して、地区の青少年健全協議会のオブザーバーなど声がかかったもの全部に行って信頼を獲得しようとしていた。

WWD:「嫌われないように保守的に動く」と「地域の課題解決に向けた動き」はつながりにくいのでは?

新山:移住後2年くらいは野望や野心があまりなくて、なじむことを一生懸命考えていたが、その中で直面したのが地域の本当の意味の課題だった。つまり2つ目の課題、産業がオワコン過ぎるということ。移住1年目は市からの委託で産業調査を行っていた。越前漆器の職人さんや問屋さんを100件くらい回り、後継者や売り上げ、未来の展望を聞いていた。その9割が「もうやばい、終わりだ。息子に継がしたら一生恨まれるわ」という状態。2年目は越前漆器の売り場調査を行った。結果どこにも売ってなかった。業務用のtoBビジネスは縮小傾向だし、そもそもtoCはなかった。国内の漆器流通上に越前漆器はなく、そもそも売り場自体も縮小している。このままいくと産業が衰退する一方だ、という課題が浮き彫りになった。

その時僕が思ったのは、この町には圧倒的にデザインが必要だということ。他産地を見ると、例えば石川輪島のキリモトは三越日本橋店に直営店を出しているし、富山高岡の鋳物メーカー能作もデザインされた製品を売っている。技術は負けていないのに見せ方や伝え方、デザインが足りていない。僕はそこを手伝う必要があると思った。移住して1年半が経った10年の年末だった。

コミュニティデザインや地域活性をしたくて移住したが、職人さんには「お前は全然わかっていない。鯖江は眼鏡、漆器、繊維とモノ作りの町。モノ作りが元気にならないと地域活性しない」と言われたことも大きかった。

町の人にデザイナーになりたいと宣言すると「デザイナーなんて大嫌いだ。作品みたいなものを作りやがって。あいつら詐欺師だ」とデザイナーをネガティブにとらえていた。この町でデザインを生業にするならモノを作るだけではなくて流通や販路まで手伝わないと通用しないと思った。“流通までできるデザイナー”になろうと考えた。

流通までできるデザイナーになる

WWD:移住して3年は河和田アートキャンプの運営会社で働きながらリサーチャーとしても活動、12~15年は鯖江市役所広報課で働いたのち独立したのは15年。そもそもこれまでデザインは取り組んだことがなかった。

新山:約5年の間に独学で学んだ。未経験で福井のデザイン事務所で雇ってはもらえないだろうし、東京にあるデザイン会社に行きたいと考えていた。面接に行くお金がなくてうだうだしていると鯖江市役所から電話があり、「移住者第一号が3年で抜けると市政の失態だ」と言われ、役所で働くことになった。でもそれはやりたいことと違う。それを伝えると市長室に呼ばれた。当時市長だった牧野百男さんに「お前は全然わかっていない。行政は最大のサービス業だ。そもそも行政にデザイン視点がないのがおかしい。お前がそれをやれ」と言われた。牧野さんは支持率8割のカリスマ市長で伝説の市長。「若者に居場所と出番を」という考えを持っていて、若者にやりたいことをやらせて俺が全部責任を取るという姿勢だった。臨時職員として商工政策課に入り、地場産業の支援を始めることになった。具体的には眼鏡のウェブマガジンや観光パンフレットのデザインをした。思った以上に面白くてやりがいを感じていた一方、産業振興は行政組織として公平公正であることが難しく、限界がある。そんな葛藤を抱えながら仕事をしていると、日々倒産情報がファックスで入ってくる。この勢いだと10年後に産業がなくなると思い、早めに独立して流通までできるデザイナーになるしかないと思った。

オープンファクトリーイベント「RENEW」を始動、小さな産業革命が起きる

WWD:鯖江の産業の中でもWWDJAPAN読者になじみがあるのは眼鏡産業。現在の課題は何か、また課題に対する取り組みで評価できるものは何が?

新山:現在の課題は大M&A時代に入ったこと。それ以前の課題はOEM中心のビジネスだったため、受注が減ったことで仕事がどんどんなくなり、どうするんだと自社ブランドを作る動きが生まれ始めていた。そのときに立ち上げたのが「RENEW」だ。

WWD:今年で10年になる。成果は?

新山:OEMを生業の中心としていた町に35の新規店舗ができた。工場の一部を自社ブランドを売る店にしたファクトリーショップのような形態。大げさかもしれないが「RENEW」によって小さな産業革命が起きた。意識変化が起き、新しい稼ぎ口を見出した事業者は多かった。

WWD:鯖江の眼鏡は分業制で、自社ブランドのためのサプライチェーン作りが大変そうだ。リードタイムが長くなっていることが課題だとも聞く。

新山:分業とはいえ、メーカーは他の工程を依頼して取りまとめることで売ることができる。どちらかというと今の課題はリードタイムが長過ぎること。15~21年はリードタイムが3~5か月だったのに対して一時期は1年3か月まで伸びた。今は1年程度だが、あまりに伸びると資金繰りやキャッシュフローが難しくなる。分業制を売りにしていた町だが、どこかの工程が止まればサプライチェーンが崩壊し、最終製品まで至らない。漁業でいうところの乱獲した結果、魚がいなくなったのに近く、課題はわかっていたのに手を付けなかったともいえる。人材は育たないし、結果的に作れない産地になった。

WWD:別の課題も生まれ、厳しい状況は続いているが、いい形で産業を継続させるためにはどこを目指せばいいのか。

新山:今僕が期待しているのは3代目社長。ちょうど2代目から3代目への代替わりの時期で、3代目の多くは40代。2代目は家族経営が中心で家族が食べていければいい、という感じだったが、3代目の経営者は共存共栄の視点を持っている。自分たちが儲かればいい、ではなく、産地の生態系まで考えた経営しようとしている方々がいる。例えば佐々木セルロイド(母体は兵庫県の企業)は独立支援コースができ、独立前提の雇用計画を進めている。何年か働いた後に独立されると会社としては大変になるかもしれないけど、産地にとっては作り手が増えるのでよしとしている。

沢正眼鏡は家族経営6人の小さな会社で平均年齢が約60歳だったが、息子が4月に社長になり、新たにスタッフを雇用しようと労務環境の改善を目指している。例えば「技術は目で盗むもの」というのが通例だったが、マニュアルを作りDX化を促進している。面白いのは、空き家対策事業を始め、会社のまわりの空き家を買い取って改装し、若い人向けのシェアハウスにしていること。“働く×暮らす”の環境作りをすることで担い手を作ろうとしている。

マーベルは給与水準を上げることを目指して給与体系を作り、給与を高くしたことで若い人が入社した。社風もイケイケになっていて、眼鏡業界では新しい風になっている。

WWD:新山さん自身がこれから取り組む課題は?

新山:廃棄物と労務だ。眼鏡は単一素材ではないし、例えば「土に還るやさしい素材」とうたっている素材はあるが、資源環境についてしっかり取り組まないと産業自体が危うくなる。本当に土壌分解するのか。眼鏡は単一素材ではない。具体的なアクションは難しく、儲からないと止まる。産地の意識変化を5年かけて取り組んでいく。

労務についてはいろいろ見えてきていて、鯖江市の労働環境の課題は、「給料が安い」「離職率が高い」「採用応募数が少ない」「高齢化」に加え、「技術伝承の遅れ」「分業化の限界」などがある。解決策として考えられるのは、HR(ヒューマンリソース)を重視した世界観。産地の中で人材育成をしっかりして、従業員のエンゲージメントを上げることなどに取り組みたい。

ツギが目指すこと、デザイナーの可能性

WWD:ツギはグラフィックデザインからブランディング、商品開発、プロジェクト運営、施設運営に加えて、自社ブランドも作っている。

新山:自社ブランドを作り地元の人に作ってもらったり、「SAVASTORE!」という小売店を立ち上げたり、福井のアンテナショップの運営を行うなど出口まで作ることを心掛けている。

WWD:自社ブランドを作る理由は?

新山:2つある。1つ目は自社ブランドを作り運営することでノウハウを貯めてフィードバックするため。2つ目は請負仕事だけではなく、自分たちで企画し土地の技術を生かした製品作りをすることは産地貢献の一つだと考えているため。「頼まれないとできない」というデザイナーの職能を幻想だと思っている。リアクションだけではなく、アクションをすることも大切だ。デザインの仕事を請け負ったときにボツになったネタをやらせてほしい、と自社ブランドとして始めたケースもある。

WWD:改めて“インタウンデザイナー”であることの重要性、意義とは何か?日本の地場産業を維持し成長するために必要な点とは?

新山:日本にデザイナーは約20万人いるが、その多くが東京に集中している。消費地としてデザインが求められることはわかるが、生産する町だからこそできるデザインが地域には絶対ある。本質を見つけ出し、地域資源を結びつけて新しい価値を作る“インタウンデザイナー”が増えると国が良くなるんじゃないかと思っている。国力、上がるんじゃね?と。そういう人を増やしたい。例えば漁業の町だったら漁業的視点の“インタウンデザイナー”が生まれるはずだと考えている。僕はモノ作りの町の“インタウンデザイナー”の一つのモデルを作る。

WWD:“インタウンデザイナー”のやりがいは?

新山:消費されるものではなく、長く続ける生態系を作ることができる。それが地域の良さ。春夏、秋冬といった時間軸ではない。そもそも商品開発が全てではなく、町医者のような感覚を持っている。「おなかが痛い」と来た人の話を聞いて、「原因は別にあるんじゃない?」と診断することもある。つまりアウトプットは製品のデザインでなく、労務にもなりえる、ということ。僕らの町は経営者と話せるし、意思決定が早い。二人三脚で事業を成長させる素地は十分にある。生産地でやれる醍醐味は物事の本質――そもそもやる意味があるのかーーから関わることができる、という点において意義がある仕事だと思う。

WWD:消費地では「なぜ」よりも「どうやって」が多いが、「なぜ」から取り組むことができるのはデザイナーとしても人としても鍛えられそうだ。

新山:規模が小さいがゆえに直接アプローチできる社長や行政の意思決定が変わると、イノベーションが起きる。何度もそういう現場を見ることができたし、できるんだと思った。政治家ではないけれど、デザイナーも地域をよくしていける存在。それがデザイナーの価値向上にもつながっている。「町を動かすには政治家になるしかない」ではない。政治家にならなくても、デザインで町をよくできる。

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動物も人も愛護、「セーブ・ザ・ダック」CEOが語る「ビジネス、規制、ESG」

PROFILE: ニコラス・バルジ/セーブ・ザ・ダック最高経営責任者

ニコラス・バルジ/セーブ・ザ・ダック最高経営責任者
PROFILE: 1970年イタリア・フィレンツェ生まれ。バイリンガル教育を受け、経済学の学位を取得後、ミラノで10年間PRマネージャーとして勤務。家業にも携わった後、2012年にセーブ・ザ・ダックを設立。趣味はサーフィン

伊「セーブ・ザ・ダック(SAVE THE DUCK)」は帝人フロンティアと共同出資して5月にセーブ・ザ・ダック・ジャパンを設立した。日本での事業拡大に向け来日したニコラス・バルジ=セーブ・ザ・ダック最高経営責任者(CEO)に日本でのビジネス戦略やブランド設立の経緯、動物・人・環境に配慮したビジネスについて聞いた。

WWD:ジャパン社設立にあたり帝人フロンティアと組んだ理由は?

ニコラス・バルジ=セーブ・ザ・ダックCEO(以下、バルジ):帝人フロンティアは2012年の創業当初から生地や素材の供給を受ける、最も重要な素材サプライヤーの一つだった。帝人フロンティアとはESGの観点から同じコンセプトやアイデアを持っていた。日本市場の開拓の際にも、まずは代理店として2020年秋冬物から協業した。ビジネスが順調に成長したため共同出資によるジャパン社を設立した。出資比率は本国が51%、帝人フロンティアが49%だ。

WWD:日本事業の今後の計画は?

バルジ:これまで日本では伊勢丹や高島屋といった主要百貨店を中心に50~60平方メートルのポップアップストアを開きビジネスを成長させてきた。秋冬期間は42カ所、春夏は20カ所程度、期間は長いところで10カ月、短いところは1週間程度。今後、この規模の店舗を5店舗程度オープンする予定だ。現在注力しているのは来冬に路面店を開けること。銀座エリアを検討しているが、場所が見つからなかった場合は表参道エリアも候補に入れる。

WWD:現在のビジネスの状況を教えてほしい。

バルジ:42カ国に販路を持ち、昨年の売上高は6400万ユーロ(約105億6000万円)。今年は7200万ユーロ(約118億8000万円)を予定している。本来はもう少し高い数字を掲げていたが欧州の状況がかなり厳しい。特にドイツ、オーストリア、スイス、フランス、北欧が厳しく卸売事業は昨年比12%減だった。一方直販事業は同30%増。今年は過去2年に比べて、欧州の冬の始まりが早く天候が味方している。

成長しているのは米国で全売り上げの20%を占めるほどに成長した。現地法人を設立し、ニューヨークのソーホーに直営店を構えた。ブルーミングデールズ(BLOOMINGDALE'S)やサックス・フィフス・アベニュー(SAKS FIFTH AVENUE)、ノードストローム(NORDSTROM)など有力百貨店全てと提携している。

日本は全売り上げの8%だが、1年ごとに50%ずつ成長しておりさらなる成長が期待できる。米国、日本いずれも直販チャネルが成長に貢献している。

「動物と人の扱われ方にショックを受けた」

WWD:そもそもなぜ羽毛の代替品を作ろうと思ったのか。

バルジ:ファミリービジネスに参画し、約3年間で荷物運びから物流部門、出張販売などあらゆることを経験し会社の全行程を学んだ。その後、デザインやモノ作りに興味が芽生え、多くの国々を飛び回り、良い工場も悪い工場もさまざまな工場を見た。私が働き出した1990年代は今とは全く異なりかなりひどい状況。非常にショックを受ける出来事を何度も目にした。

WWD:具体的には?

バルジ:特に動物と人、2つについて話したい。90年代のダウン工場に行ったときのこと。臭いが強く死んだアヒルが床に転がっていて、実際にアヒルを殺しているのも目にした。別の工場ではアヒルの毛を何度も利用するために生きた状態で毛をむしり取り、再び毛が生えるのを待ちまたむしり取っていた。それを3~4回繰り返すとアヒルは病気にかかって死んでしまう。これを目にすると二度とダウン製品を着たくなくなるだろう。

もう一つは児童労働だ。90年代の話だが、父の会社ではある大きな工場に注文していて、その工場は下請けを使い下請けはさらに下請けに注文していた。最終検査に行ったときのこと。全ての商品がひどい出来で「どうしたんだ」と尋ねると、下請け工場では子どもたちを働かせていることがわかった。その工場に赴くと子どもたちがミシンで縫製作業をしていたが、賃金は支払われていなかった。子どもたちは私に「工場に支払いがなければ私は給料がもらえない」と泣きながら訴えてきた。本来だったら品質に問題があったので突き返すこともできたかもしれないが、私は代金を支払い修理をしてその商品を販売した。この一件で私は生産工程の全てを確認することが重要だと学んだ。これは子どもたちだけの話ではなく、労働者が一日に何時間働いているか、快適なベッドはあるか、食べられているか、どんな生活をしているか、その全てを知る必要があるろいうこと。

WWD:今以上に90年代は搾取工場が多かった。

バルジ:その頃すでにアウトドア業界は地球に目を向けていたが、ファッション業界は気にしておらず、イメージに集中していた。どちらも衣類を生産するのになぜこんなに違うのか――私はファッション業界に身を置いていたので、ファッション業界に一ひねり加えてアウトドア業界がすでに着手していたことを応用しようと考えた。つまり、動物、人、自然に敬意を持った方法で、ファッション業界に変化をもたらすためにビジネスをしようと決めた。

WWD:羽毛の代替素材についての優位性や機能性について教えてほしい。

バルジ:倫理的な問題だけでなく、技術についてもメリットしかない。合成繊維は通気性がある。ダウンは着用したときからとても暖かく感じるが、汗をかくと湿気がこもりさらに汗をかく。「プラムテック(PLUMTECH、ペットボトルをリサイクルした微粒子をポリエステル繊維と配合したもの。軽量で通気性、速乾性、保湿性などに優れており、家庭用洗濯機で丸洗いもできる)」は、通気性があるため湿気を放出でき暖かさだけが体を包み込む。最初はダウンに比べて暖かく感じないかもしれないが、数時間着て動き回ると合成繊維の方がずっと快適だと感じられる。

もう一つの利点はメンテナンスだ。ダウンは時間が経つと羽根が抜け落ち劣化する。洗う回数にもよるが、少なくとも「プラムテック」はダウンよりも2倍以上は長持ちするし、10年は着られる。

eBayと連携した再販プログラムを提供

WWD:いわゆる羽毛の代替品の提案だけではなく商品カテゴリーが増えている。カテゴリーを増やしながらビジネスを拡大していくのか。

バルジ:温暖化の影響によりアウターウエアは、シェルとウォーマーのレイヤードが重要になってきており、シェルとウォーマーの組み合わせに注力している。例えば旅行者は軽量のこの2つのアイテムで雨や寒さに対応でき、単独で使用すれば雨や暑い日、寒い日にも対応できる。これが春夏コレクションにおけるアウターウエアの方向性だ。

また新しいレジャーの形として「スマートレジャー」を提案している。機能繊維を用いて軽量で通気性があり、手入れも簡単で速乾性があり汚れが付きにくく型崩れをしないものを提供している。これも旅行者向けで特に若い世代をターゲットにしている。合成繊維を使用すると衣類のメンテナンスが簡単になり、長持ちもするからエコデザインと言える。

WWD:ブランドとして地球環境への敬意を掲げているが、地球環境を思えば商品カテゴリーを増やしてたくさん作ることは反しているのではないか。

バルジ:われわれの広告キャンペーンを見ればわかると思うが、常に環境保護を目的としており公平な視点を盛り込んでいる。例えば、動物、人々、水、CO2、化学物質といった特定の事柄で、その重要性を理解してもらうよう努めている。もちろん洋服も取り上げてはいるが、「購入することは責任を負うということ」であるという説明を加えている。

もう一つはデジタルプロダクトパスポートの活用だ。全製品に付いているQRコードをスキャンすると、衣類がどこでどのように作られたかや、生地やファスナーがどこから来たかもわかるようになっている。工場名は公表していないが地域は公表している。

さらに再販ボタンも用意しており、このシステムを使うことでeBayのプラットフォームとつながり、写真と価格を入力すれば出品できる。これが生産量を減らす最も倫理的な方法だ。洋服を捨てずに済むし洋服に第二の命を与えることができる。リセールによる唯一の影響は輸送だが、その影響は非常に小さい。

WWD:PFASフリーを達成できた理由は?欧州や米国では法規制も進んでいる。

バルジ:当初は完全にPFASフリーと言っていたが、現在は基本的には使用していないが非常に限定的に存在していると表現している。というのも、今後法規制ではPFASの使用をある程度認めることになると思う。なぜならPFASは触れた瞬間に汚染されるから。例えば、PFASを使用した生地と同じ工程でそのままPFASフリーの生地を処理するとたちまちPFASに汚染されてしまう。つまり、PFASの現実は使用しないように管理は必要だがある程度許容されるべきであること。PFASを100%除去することはできない。私の考えではあるが、最終的には10を1に減らす法律ができると考えている。ただし許可される「1」は、誰にも害を与えないものである必要はある。

私はこれまでESGを学んできたが、ESGに関しては極端であってはならないと考えている。ESGに取り組むと必ずプラス面があるが常にマイナス面もある。そのバランスを見つけなければならない。

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記憶の向こう側をくすぐる中毒性のある作品 トレーディングミュージアムで展示中のミナミリョウヘイが語る創造の原点

PROFILE: ミナミリョウヘイ/現代美術家

ミナミリョウヘイ/現代美術家
PROFILE: 美術家。絵画・立体・映像・音・写真・灯体・既製品・ゴミなど多種多様な要素で空間構成した「場」に漂う雰囲気の質感にフォーカスしたインスタレーション作品を軸に活動。ミナミは、作者の意図する内容や付随させた意味よりも、言葉にすると劣化してしまうような「感覚する何かの質感」に興味を持つ。 それは「雰囲気の向こう側をくすぐられるような感覚」の探求でもある。一方、民族 M・DOBUTSU・ナマスコワンツなどの名義で音楽活動をし、複合表現集団 ANTIBODIES Collectiveではコンテンポラリーダンサー・音楽家・インスタレーション作家として所属。またDIYオルタナティブレーベル〈A NiCE FORM〉主宰と、その活動領域は縦横無尽である。主な個展に[PaRoooLe] CALM & PUNK GALLERY(2023、東京)、グループ展に[Art Fair NAKANOJO 2024](2024、旧廣盛酒造, 群馬)、[MUSIC LOVES ART - MICUSRAT] SUMMER SONIC 2024, 幕張メッセ(2024、千葉)などがある。 PHOTO:TAKAO IWASAWA

画家、造形作家、映像作家、写真家、ミュージシャン、ダンサーなどさまざまなジャンルをシームレスに活動するミナミリョウヘイの大型インスタレーションが、「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」のコンセプトストアであるトレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン(以下、トレーディングミュージアム) の2店舗で開催している。期間は11月25日まで。ミナミは、記憶や感覚の質感に注視し、絵画や彫刻、映像、音楽など多様な要素で空間を構成するインスタレーション作品を軸に活動してきた。CDやレコードジャケットのアートワークを手掛けながら、自身もDJやコンテンポラリーダンサー、音楽家としてアンチボディズ・コレクティブ(ANTIBODIES Collective)に所属。さらにはオルタナティブレーベル「ア ナイスフォーム(A NiCE FORM)」を主宰する。今回は最新作のインスターレーションの制作背景から、縦横無尽に活動を続ける思考の軌跡や見据えるこの先を探る。

WWD:ペインティングや映像作品、立体作品、ミュージシャン、ダンサーと幅広く活動されていますが、モノ作りを始めたきっかけを教えていただけますか?

ミナミリョウヘイ(以下、ミナミ):小学校の頃に漫画をトレースするのが好きで、そこから何かを描いたりしていましたね。自主的に何かを作った記憶は中学生の頃。 “作品“という意識はないですけど、岡先生っていう美術の担当に自分で作ったあれこれを見せるのが好きでしたね。ある時、3階の美術室の窓から階下のケント紙に向けて絵の具を適当に垂れ流していたんですけど、ベチャベチャと溜まったものを撮影したり掲げたりして遊んでいた時に「これじゃないか」って思ったことが創作の始まりだと思います。言葉にしづらいですけど自分で感じたことを全部混ぜたジュースみたいな感覚でした。

WWD:意図して何かを作るというより、遊びの延長で出来上がったんですね。

ミナミ:そうですね。「何か変で、何かヤバいもの」。それこそ、段ボールを適当に合体させた変な立体物を作ってはすぐ壊す。それが自分の中で “作品“っていう感覚がありました。

WWD:そこから活動領域はどのように広がっていったんでしょうか?ミナミさんの活動にとって音楽は切り離せないと思いますが。

ミナミ:そうですね。音楽は根本です。僕が小5の頃、中学生の兄が「ニルヴァーナ(Nirvana)」とか「オアシス(Oasis)」とか、いわゆるMTVジャパンで流れているようなアーティストをよく聴いていたんですけど、そこから急に「エイフェックスツイン(Aphex Twin)」とか「スクエアプッシャー(Squarepusher)」とかを聴き出したんですよ。その影響もあって、「エイフェックスツイン」が好きになりました。その頃にはジャンル関係なく聴いていましたね。

WWD:音楽の話ができる同年代の友達はいたんですか?

ミナミ:誰も話が合わないから、兄が唯一の友達みたいな(笑)。そこから自分でも掘るようになって、ミックステープを作ってました。そのジャケを自分で描いてもいましたね。世には出ていないけど、自分のレーベルが始まっていたという感覚があって、勝手に楽しんでいました。

WWD:架空のレーベルのミックステープが意図して作ったものの原体験。

ミナミ:ある意味、自分だけの商品みたいな感じです。

WWD:ミナミさんにとって、音楽がペインティングやドローイング、インスタレーション、立体などの他の作品にもたらす影響についてはどう考えていますか?

ミナミ:僕にとっては基本的に全部同じ素材です。音も視覚表現も身体表現も。制作の基本はコラージュなので、いろいろな素材をカットアップしていくように全部に影響し合いますから。さっきのミックステープを作る感覚が完全に今と一緒ですね。僕は音も映像も絵画も立体作品も作るのですが、録音してからジャケを作るまでの一連の作業は、本当だったらグラフィックデザイナーやイラストレーターとかが関わりますが、全部自分がやりたいことなんですよ。だから結局、絵を描いてもそこに音楽や映像が欲しくなってきて、誰かに頼むよりも自分で作った方が早いし、理想の質感に出来上がるように「カセットテープのジャケットが欲しいから自分で描く」感覚でジャンルが増えていきました。立体物では、空間に対する要素も欲しくなるから、映像も含めたインスタレーションになっていきました。初めの展覧会は絵画だけだったんです。何か経緯があるのではなくて、そもそも必要な素材は自分で集めてきて、自分で合体させるみたいなことを昔から続けていたので。

WWD:ミナミさんが主宰のレーベル「ア ナイスフォーム(A NiCE FORM)」もこれまでDIYで作品を作られてきたことがベースにあるのでしょうか。

ミナミ:そうですね。まだCDしか出してないけど、バイナルもリリースしたいですし。ある意味ジャケありきで音源を作りたいですね。今はサブスクだけでいいというようなレーベルもありますけど、やっぱり印刷物が好きです。そんなきっかけでレーベルをやりだしました。自分のモチベーションに正直にいるだけです。昨年「カーム アンド パンクギャラリー(CALM & PUNK GALLERY、以下、カーム アンド パンク)」の展示でも似たような話になったんですけど、僕にコンセプチュアルなことは一切ないんです。批判するつもりはないですけど、コンセプトに興味がなくて。だから必要もないなと。鑑賞者の記憶をくすぐるような作品を作りたいだけなんです。

WWD:記憶をくすぐるとは?

ミナミ:記憶も触覚のように触るというか。ガラスや布、鉄を触ったりする触覚での質感とは違うけれど、記憶にも“質感“と呼ばざるを得ないものが伴います。それを振り分けてるのが海馬の手前あたりの器官らしいんですね。その質感の異なる個々のクオリアが大切だと思うんです。要するに記憶っていろんな引き出しにしまうじゃないですか。振り分けられる手前で、例えば風景でも“甘い風景“って感じたり、音なのに“黒い音“とか“青い音“とか、いろんな感覚器官が混ざった質感を僕らは記憶で持っているんです。“向こう側“って僕は呼んでるんですけど、そこの記憶をくすぐる時に一番大切なのは雰囲気という概念。雰囲気には日常で常に触れていますが、ノイズとか言葉にしづらい「いいな」という感覚は人ぞれぞれですよね。各々センサーが違うからでしょうけど、雰囲気のちょっと向こう側をくすぐられた感覚にあるんですよね。その“向こう側系“に触れられた時の記憶に新しい質感を覚えてるのだと思います。「何だこれは?」っていう記憶に残る中毒性。

WWD:言葉ではなかなか理解しづらい気もしますね。

ミナミ:理解しなくていいと思うんです。記憶の向こう側に触っていることを言語化してしまうと、どんどん劣化してしまいますから。刺身をレンジでチンした感覚というか。要は生モノなんです。初期衝動とか何かをくらった時の感覚はある種、質感のバグだとも思っています。記憶の質感は全員違っていい。今回の作品も、1つの作品をじっくり鑑賞してもいいですし、でもやっぱり全体のインパクトが強いから、その雰囲気の質感にくらってほしいというこだわりはありますね。

WWD:明確なコンセプトがあって理解を深めてくという展示の仕方ではなく、全体でどんどん沼にハマっていく感覚でしょうか。

ミナミ:そういう意味のコンセプトなのかもしれないです。ただ、コンセプチュアルアートと考えたことはないですけど。

「ギャルソン」からの直接オファーで決まったインスタレーション

WWD:ちなみに今回の展示はどうやって決まったんでしょうか。

ミナミ:2020年に岡本太郎賞に入選した作品を「コム デ ギャルソン」の榎本さんが見にこられていて、気にしてくださっていたそうなんです。そこから今回のタイミングでトレーディング ミュージアムの2店舗で展示したいとお声掛けいただきました。

WWD:話を聞いた時はどういう気持ちでしたか?

ミナミ:「ギャルソン」から連絡がきて、すぐに「やります」とお伝えしました。当時は日本の最高位のブランドという認識くらいしかありませんでした。知れば知るほどすごいことだと感じるようになりましたけど、いつも通りにしようとは思ってました。

WWD:「トレーディングミュージアム」を見てどのように作り上げていったんでしょうか?

ミナミ:構想とかはざっくりとしか決めませんでしたね。円柱の中に世界を作ることでしたが、実はエスキースが苦手で。「ジャイル」の店舗はパイプ椅子のコラージュだけの世界で、ミッドタウンはそこから即興的に作り上げていきました。チェーンソーで切って、ボンドを混ぜた絵の具を垂れ流した木彫りの立体彫刻とそこから空間をコラージュしていくように、即興的に仕上がっていきました。結局、質感が全く異なるものがメイクできました。自分が全開という感覚はあります。

WWD:ちなみに今回の円柱の構成からいうと、木彫の作品を置くことも結果的に作ってからのアイデアだったんですか?

ミナミ:これは「カームアンドパンク」の展示からスタートしたシリーズで、新作を作りたいとは思っていました。これまでは色が入った作品が多かったんですが、今年はほとんどモノクロのドローイングの作品を描いていたのでそのイメージが漠然と頭に浮かんではいました。今回の展示がタイムリーだったと思いますね。

WWD:ブランドの定番でもある黒が偶然のタイミングで合致したということですね。

ミナミ:そう。タイムリー過ぎて驚きました。今、自分ではモノクロがアツいんです。

WWD:川久保(玲)さんとの会話で印象に残っていることは何ですか?

ミナミ:何より打ち合わせで「好きにやってください」という言葉をいただいたことですね。じっくりお話ししてみたいです。

WWD:創作とクライアントワークの違いがあるとすればどういうポイントでしょうか?

ミナミ:今回、自由にさせていただいたので楽しかったです。昔、あるバンドのジャケットのデザインを作った時もボーカルの方が「完全自由に作ってほしい」と言ってくれました。そういう意味でのクライアントワークはあるかもしれませんが、自分の作品と一緒みたいなので。今回の展示でも、入り口の円柱を使う時に間の壁が干渉したのですが、ブランドが自由に作れるようパーテーションを施工してくれたんです。それで入り口から右側に続く作品の流れを作ることができました。初めは、2つの円柱で作り始めたんですけど、作品のフローができなかったんです。

WWD:世界観に没入するためにフローは重要なんですね。

ミナミ:そうです。僕はラップもやるんですけど、フローじゃないですか。僕はパロールって呼んでいます。誰もが思考するときに絶対に縛られてしまう。僕らだったら日本語ですけど、住んでいる環境でつく話す癖がありますよね。声の高さ、スピードとか。ソシュールのスティルという概念で、ロラン・バルトとか後の構造主義者の人たちはパロールと呼びました。パロールは言語学で制度化された体系としての言語で、日常のフロウ。何かしら環境などの影響から出来上がっているわけなんですよね。そもそも自分の中からしか生まれない、変な結晶みたいなものを僕らは芸術と呼んでいると思うんです。その芸術の中にもさらに結晶があって、それがパロールだと思っています。僕はそれだけをピックアップして、パロールだけでやっている感覚があります。ちなみに昨年の個展のタイトルも「PaRoooLE」でしたけど、今回の展示も含めてようやく言葉の輪郭が浮かんできたと感じました。

WWD:冒頭で話していた、ジュースの話にもつながるように思いました。

ミナミ:全部、100%のジュースです。ただ自分がおもしろいと感じたものしか混ぜていない。パロールを出しまくって、それをコラージュしてフロウにしていくのが僕の展覧会のスタイルでもあります。

WWD:展覧会などもある種のフロウになっていくというか、経験がミナミさんのパロールになっているのかなと感じました。

ミナミ:本当にそう思っているし、今後ももっと爆発させていくだけだと思っています。それが音楽やコラージュ、絵画、映像も同じ感覚で、結局全部むき出しでやっていると思います。もっとスケールも大きくしていきたいですね。

イベント概要

◾️ミナミリョウヘイ ミーツ トレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン

会期:11月25日まで
会場:トレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン ジャイル、トレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン ミッドタウン
住所:東京都渋谷区神宮前5-10-1(ジャイル)、東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア1階(ミッドタウン)

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現存する世界最古のジュエラー「メレリオ」 15代目が語るメゾンの歴史の継承と未来への覚悟

PROFILE: コーム・メレリオ / メレリオ インターナショナル・ビジネス・ディベロップメント・ディレクター

コーム・メレリオ / メレリオ インターナショナル・ビジネス・ディベロップメント・ディレクター
PROFILE: 1994年フランス生まれ。メレリオ家15代目。ISG経営大学院で経営学を学んだ後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校でMBAを取得。メレリオでインターナショナル・ビジネス・デベロップメント・ディレクターとして指揮を取る PHOTO:SHUHEI SHINE

現存する世界最古のジュエラー「メレリオ(MELLERIO)」のコーム・メレリオ=メレリオ インターナショナル・ビジネス・デベロップメント・ディレクターがイベントために来日した。同ブランドは1613年にフランス・パリで創業。顧客には、マリー・アントワネット(Marie Antoinette)に始まり、ジョゼフィーヌ皇后(Joséphine de Beauharnais)やウジェニー皇后(Eugenie de Montijo)が名を連ねる王室御用達の宝石商としてフランスの歴史と共に歩んできた。4世紀以上を経ても創業一族が運営に携わる稀有なジュエラーであり、多くのジュエラーが軒を連ねるヴァンドーム広場界隈のラ・ペ通りに1815年に構えた店舗でジュエリーを生み出している。15代目当主であるメレリオ・ディレクターに話を聞いた。

最先端のジュエリーを4世紀以上にわたり提供

WWD:「メレリオ」はイタリアにルーツがあるが、創業のきっかけは?

コーム・メレリオ=メレリオ インターナショナル・ビジネス・デベロップメント・ディレクター(以下、メレリオ):先祖はフランス国境に近いイタリア北部の出身。1515年にフランスに渡り、1613年にフランスに嫁いだマリー・ド・メディシス(Marie de Medicis)王妃の子、ルイ13世の暗殺計画を未然に防いだ功績によりフランス国内で自由に商いをする特権を与えられ、王室御用達宝石商として歩み始めた。ルイ13世の戴冠式の王冠で使用された歴史的なダイヤモンドは「メレリオ」によるものだ。今でもそのモチーフは、メゾンのアイコンとして“リビエラ”コレクションや時計の文字盤に使用されている。イタリアの太陽やドルチェ・ビータというイメージとフランス・パリのシックな部分を融合した「メレリオ」だけが提案できる独自のスタイルのジュエリーを提供している。

WWD:「メレリオ」の一番の強みは?

メレリオ:現存する世界最古のジュエラーで創業家が経営を担っている点。4世紀以上の激動の歴史をその時代と共に歩んできたし、今後もそうしていく。われわれの看板には貴金属商、ビジュー、ジュエリーという表記がある。創業当時、ジュエリーはティアラなど権力の象徴であり、ビジューとは日常のおしゃれや侍女が楽しむ小さなジュエリーのことを指し、それら全てを制作していた。ラ・ペの店舗には50万点ものアーカイブ作品や台帳などがある。台帳を見れば、フランス革命直前もジュエリーを受注していたことがわかる。「メレリオ」は、その時代のコンテンポラリーを提案するジュエラーとしてモードの最先端を彩ってきた。

WWD:時代を彩ってきた象徴的なジュエリーとは?

メレリオ:18世紀にはアンティークカメオが流行り、当時マリー・アントワネットが侍女のためにオーダーしたジュエリーがある。それを買い戻したものがわれわれのアーカイブに残っている。19世紀、王政の崩壊後、1日に何度も着替えるのが貴族のファッションだった。ところが、フランス革命で貴族たちの財力が弱まり、装いに合わせてアレンジのできるジュエリーが生まれた。第二帝政時代には、ウジェニー皇后とナポレオン3世(NapoleonⅢ)の従妹がサロンを開き、ファッションやジュエリーを競うようになった。その時代を代表するジュエラーが「メレリオ」だった。このように、フランスにおけるジュエリーの歴史の最先端にいたのが「メレリオ」だ。

WWD:「メレリオ」にとってのコンテンポラリーとは?

メレリオ:グローバル化が進み、今ではファッショントレンドに時差はあまりない。だから、よりパーソナルな提案が重要だと考える。「メレリオ」では17~19世紀のスタイルへオマージュを寄せて現代風にアレンジしたジュエリーを提案している。 “ピエーリー”は19世紀のファッションを現代の装いにマッチするようにアップデートしたもので、“キャビネ ド キュリオジテ”は、さまざまなアイテムをパーソナライズして重ね付けするスタイルを提案。歴史のあるブランドだが、Tシャツやファーにハイジュエリーを合わせるなど、ビジュアルでもインパクトのあるコンテンポラリーな発信を行っている。

グランサンクで唯一の独立系ジュエラーとしての誇り

WWD:ビジネス戦略は?

メレリオ:昔から、権力を表すものであったジュエリーと、よりカジュアルなビジューがあったように、ハイジュエリーからエントリー価格のジュエリーまで、全ての価格帯でバランスの良いラインアップを提案する。また、ラグジュアリー=高額という概念になりがちだが、購入してもらえなければ意味がない。購入してもらえる価格で提供するのが大切だ。歴史に培われたクラフツマンシップと品質、「メレリオ」として永遠の価値を持ち続けるジュエリーを提供する。

WWD:15代当主として歴史をどのように継承して伝えていくか?

メレリオ:「メレリオ」をはじめ、「ヴァン クリーフ&アーペル(VAN CLEEF & ARPELS)」「ブシュロン(BOUCHERON)」「ショーメ(CHAUMET)」「モーブッサン(MAUBUSSIN)」から構成されるグランサンク(パリを代表する5大ジュエラー)のうち4社は全てグループ企業の傘下だが、「メレリオ」は独立企業だ。400 年以上、同族で経営してきて、将来的にも一族で役割を分担して質の高いジュエリーを生み出していく。そのためには、市場に飲み込まれない覚悟が必要だ。ラ・ペの店舗はアーカイブがあるだけでなく、そこでジュエリーを作り続けてきた場所。その空気感を守り続けるのが私の使命だ。「メレリオ」には、歴史とノウハウがあり、それを元に新しい世代に訴えかける魅力的なジュエラーにしたい。

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菊地凛子と磯村勇斗、ネットフリックスプロデューサーが登壇 ケリングと考える映画業界の女性の働きやすさ

「グッチ(GUCCI)」などを擁するケリングはこのほど、10月28日~11月6日に開催された東京国際映画祭の公式プログラムの一環で、映画界における男女平等をテーマにした特別トークショー「ウーマン・イン・モーション」を開催した。俳優の菊地凛子、磯村勇斗、ネットフリックス(NETFLIX)の岡野真紀子プロデューサーをゲストに迎え、映像業界の女性を取り巻く環境や課題などについて意見を交わした。

インティマシー・コディネーターやリスペクト・トレーニングで進む現場の改革

映画業界では、ハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン(Harvey Weinstein)による性暴力の被害を受けた女性たちが次々に告発し、大きな社会運動に発展した#MeToo運動をきっかけに、さまざまな改革が進められている。

その1つが、国際的に導入が進むインティマシー・コーディネーターの存在だ。インティマシー・コーディネーターとは、ラブシーンなどセンシティブと思われる場面で俳優と監督・プロデューサーなどの間に入ってコミュニケーションの仲介役を担う。

ネットフリックスは、日本で初めてインティマシー・コーディネーターを採用した。映画「クレイジークルーズ」やドラマシリーズ「さよならのつづき」などエグゼクティブプロデューサーとして日本発のオリジナル作品を多数手掛けてきた岡野プロデューサーは、ネットフリックス入社以降、全ての作品においてインティマシー・コーディネーターを採用しているという。

岡野プロデューサーは、「私がインティマシーなシーンだと思わなくても、俳優は思うかもしれない。コーディネーターの方に台本を全て読んでいただいて、『こういったシーンは、インティマシー・シーンだと考えてもいいのでは』とアドバイスをもらうようにしている」と話し、俳優が演技に集中しやすい環境づくりの具体例を示した。

磯村は、演者としても「インティマシー・コーディネーターが介在する現場では安心感が違う」と話した。加えて男性を取り巻く配慮の欠如についても実体験をもとに言及し、男性のインティマシー・コーディネーターの必要性について訴えた。

スタッフや演者など立場の異なる人同士が円滑なコミュニケーションが取れるように指導する「リスペクト・トレーニング」も普及している。このトレーニングは、演者やスタッフら制作に関わる全ての人が参加し、ハラスメントについて学びを深めるというもの。

過去に「リスペクト・トレーニング」を受けた菊池は、「自分の目線だけでは気付かないようなハラスメントのリスクについて知り、それまで気付いていなかった自分にショックを受けると同時に大事な学びになった。こうした互いを尊重するための環境づくりに意義を感じる」とコメントした。

世代間のコミュニケーションの取りづらさに話題が及ぶと、岡野プロデューサーは「ケータリングに美味しいお菓子やコーヒーを用意すれば、みんなが自然に集まって会話が始まる。制作費を握っている立場として、それもある意味クリエイティブな場の一つと捉えて投資している。飲み会などあらたまった場所を設定しなくても、日常的にコミュニケーションがとりやすい環境が大事なのでは」と意見した。

最後に今後さらに女性が働きやすい業界を目指していくために必要なことを聞かれると、磯村は当事者以外のアライアンシップの重要性を踏まえ、「男性もしっかりと理解を深め、自分が発信できることがあれば声をあげていきたい。僕の周りには同じ問題意識を持った俳優仲間がたくさんいて心強い。先輩と若い世代をつなげて、ムーブメントを広げていきたい」とコメント。菊池は、「こうしたイベントが現状を知るきっかけになる。(違和感や不平等を)言葉にしていくには、時間も勇気も必要だが、一人一人が意識改革できたら」と締め括った。

ケリングは2015年のカンヌ国際映画祭をきっかけに、映画業界で働く女性たちに光を当てる「ウーマン・イン・モーション」プロジェクトを発足。アート、デザイン、音楽、ダンスなど、さまざまな分野で才能を発揮する女性を表彰するアワードやトークイベントなどを継続的に実施する。東京国際映画祭での同トークイベントの開催は、19年を皮切りに今年で4回目を迎えた。

オープニング・スピーチを行った映画監督の是枝裕和は、「数年前にカンヌ国際映画祭で『「ウーマン・イン・モーション』のイベントに参加し、プロジェクトの本気度を感じた。今は日本に限らず、映画の文化を豊かに発展させていくためのかけがえのないパートナーだ」と語った。

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新進気鋭の韓国ブランドが続々と日本上陸 グレース代表に聞く日韓ビジネス拡大戦略

1991年に韓国で設立したグローバルヘルス&ビューティ企業、グレース(GRACE)は、韓国内外のブランドを250以上取り扱う。2023年にジャパン社を立ち上げ、日本市場では現在25ブランドを2000店舗以上で展開するなど、事業拡大を図る。日本展開するブランドは、韓国の伝統茶に着想したバス&ボディーケアブランド「ティーコレクティブ(TEA COLLECTIVE)」や、トレンドの産毛スタイリングができるヘアマスカラを展開する「ナルカ(NARKA)」など、独自性の高いものが多い。来日したチョ・アブラハムソン代表に、日韓でのビジネスを拡大する戦略を聞いた。

WWD:日本法人を設立した狙いは?

チョ・アブラハムソン代表(以下、アブラハムソン代表):創業時は海外のブランドを韓国に輸入するのが主流で、輸入業が9割を占めていた。その中で、韓国と日本のビジネスを組み合わせたらもっと相乗効果があるのではないかと考えたのがきっかけだ。日本の強みは先進的な製造力とノウハウ、韓国の強みはグローバルマーケティング力だ。Kビューティの人気の高まりにも後押しを受け、将来的には日本市場が大きくなり、日本と韓国、台湾を基盤にグローバル展開していく狙いだ。現在すでに約29カ国に輸出を行っている。例えばドバイでは、韓国の化粧品も日本の化粧品も人気だ。日韓の人材が力を合わせてグローバルな組織を作りたい。

WWD:独自性の高いブランドが多い中、日本展開するブランドはどのように選定した?

アブラハムソン代表:ローカライズが可能なユニークなブランドを選んだ。「ティーコレクティブ」では韓国の伝統茶だけでなく、日本のお茶も取り入れたボディーケアアイテムを発売したいと考えている。また、日本にすでにあるカテゴリーだけでなく、ラグジュアリーオーラルケアなど新しいカテゴリーも取り入れた。来春日本上陸予定のスウェーデン発「セラハティン(SELAHATIN)」は、非日常感のあるラグジュアリーなマウスウォッシュや歯磨き粉をそろえる。日本オリジナル商品も開発したい。共通するのは、東アジアで最も重要な日本市場で挑戦したいという思いがあるブランドだ。

WWD:メイクアップカテゴリーでの戦略は?

アブラハムソン代表:トレンディーで刺激的なブランドを強化していく。「オッドタイプ(ODDTYPE)」は韓国のファッションEC「ムシンサ(MUSINSA)」がプロデュースしている。トレンドの服に合わせた新商品を提案できるのが魅力だ。

WWD:特に好調なブランドは?

アブラハムソン代表:韓国と日本で同時に発売したヘアケアブランド「ナルカ」だ。韓国人と日本人のモデルを起用し、インフルエンサーマーケティングが成功した。韓国の化粧品専門店オリーブヤング(OLIVE YOUNG)でも好評で、感度が高い人に支持されている。現在2500〜3500円の価格帯だが、11月から価格を下げて販路拡大し、既存のECのほかドラッグストアでの展開も見据えている。韓国で有名になってから日本上陸する流れではない、日韓で一緒に成長していくブランドだ。クリーンインナービューティブランド「オニスト(OWNIST)」も好調だ。コラーゲンやビタミンをメインに、内側からの美しさをサポートする。アプリケーターが特徴的で、ゼリータイプやジュースで割るものなど新しい飲み方を提案している。

WWD:日本でのKビューティの盛り上がりをどのように見ている?

アブラハムソン代表:肌で熱気を感じている。十数年前、BBクリームがきっかけとなり韓国コスメブームがあった。当時は高い年齢層から支持を得ていたが、若年層へ移行している。ブームを持続させるためにはローカライズの注力と、現地クリエイターとの協力が不可欠。また、韓国ブランドの強みはOEMだ。それぞれのOEM工場の強みを生かし、マーケティングと連動して生産していることで機敏にトレンドに対応できる。

WWD:今後のミッションは?

アブラハムソン代表:日本ではドラッグ・バラエティーショップや卸売り企業などパートナーとの信頼関係を築いていく。いかに日本に受け入れられていくか、ブランドの独自性は保ちながらローカライズしていくことが課題。日本はとても厳しい市場だが、一定の成果を出しAPACに広げるきっかけになったら。ビューティ業界は美容機器やインナービューティなどカテゴリーが拡張しており、韓国はスピーディーに動いている。体感が良いものが求められ、見た目より中身の美しさが重視され始めている中、内面の美しさにこだわるブランドも増やしていきたい。

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新進気鋭の韓国ブランドが続々と日本上陸 グレース代表に聞く日韓ビジネス拡大戦略

1991年に韓国で設立したグローバルヘルス&ビューティ企業、グレース(GRACE)は、韓国内外のブランドを250以上取り扱う。2023年にジャパン社を立ち上げ、日本市場では現在25ブランドを2000店舗以上で展開するなど、事業拡大を図る。日本展開するブランドは、韓国の伝統茶に着想したバス&ボディーケアブランド「ティーコレクティブ(TEA COLLECTIVE)」や、トレンドの産毛スタイリングができるヘアマスカラを展開する「ナルカ(NARKA)」など、独自性の高いものが多い。来日したチョ・アブラハムソン代表に、日韓でのビジネスを拡大する戦略を聞いた。

WWD:日本法人を設立した狙いは?

チョ・アブラハムソン代表(以下、アブラハムソン代表):創業時は海外のブランドを韓国に輸入するのが主流で、輸入業が9割を占めていた。その中で、韓国と日本のビジネスを組み合わせたらもっと相乗効果があるのではないかと考えたのがきっかけだ。日本の強みは先進的な製造力とノウハウ、韓国の強みはグローバルマーケティング力だ。Kビューティの人気の高まりにも後押しを受け、将来的には日本市場が大きくなり、日本と韓国、台湾を基盤にグローバル展開していく狙いだ。現在すでに約29カ国に輸出を行っている。例えばドバイでは、韓国の化粧品も日本の化粧品も人気だ。日韓の人材が力を合わせてグローバルな組織を作りたい。

WWD:独自性の高いブランドが多い中、日本展開するブランドはどのように選定した?

アブラハムソン代表:ローカライズが可能なユニークなブランドを選んだ。「ティーコレクティブ」では韓国の伝統茶だけでなく、日本のお茶も取り入れたボディーケアアイテムを発売したいと考えている。また、日本にすでにあるカテゴリーだけでなく、ラグジュアリーオーラルケアなど新しいカテゴリーも取り入れた。来春日本上陸予定のスウェーデン発「セラハティン(SELAHATIN)」は、非日常感のあるラグジュアリーなマウスウォッシュや歯磨き粉をそろえる。日本オリジナル商品も開発したい。共通するのは、東アジアで最も重要な日本市場で挑戦したいという思いがあるブランドだ。

WWD:メイクアップカテゴリーでの戦略は?

アブラハムソン代表:トレンディーで刺激的なブランドを強化していく。「オッドタイプ(ODDTYPE)」は韓国のファッションEC「ムシンサ(MUSINSA)」がプロデュースしている。トレンドの服に合わせた新商品を提案できるのが魅力だ。

WWD:特に好調なブランドは?

アブラハムソン代表:韓国と日本で同時に発売したヘアケアブランド「ナルカ」だ。韓国人と日本人のモデルを起用し、インフルエンサーマーケティングが成功した。韓国の化粧品専門店オリーブヤング(OLIVE YOUNG)でも好評で、感度が高い人に支持されている。現在2500〜3500円の価格帯だが、11月から価格を下げて販路拡大し、既存のECのほかドラッグストアでの展開も見据えている。韓国で有名になってから日本上陸する流れではない、日韓で一緒に成長していくブランドだ。クリーンインナービューティブランド「オニスト(OWNIST)」も好調だ。コラーゲンやビタミンをメインに、内側からの美しさをサポートする。アプリケーターが特徴的で、ゼリータイプやジュースで割るものなど新しい飲み方を提案している。

WWD:日本でのKビューティの盛り上がりをどのように見ている?

アブラハムソン代表:肌で熱気を感じている。十数年前、BBクリームがきっかけとなり韓国コスメブームがあった。当時は高い年齢層から支持を得ていたが、若年層へ移行している。ブームを持続させるためにはローカライズの注力と、現地クリエイターとの協力が不可欠。また、韓国ブランドの強みはOEMだ。それぞれのOEM工場の強みを生かし、マーケティングと連動して生産していることで機敏にトレンドに対応できる。

WWD:今後のミッションは?

アブラハムソン代表:日本ではドラッグ・バラエティーショップや卸売り企業などパートナーとの信頼関係を築いていく。いかに日本に受け入れられていくか、ブランドの独自性は保ちながらローカライズしていくことが課題。日本はとても厳しい市場だが、一定の成果を出しAPACに広げるきっかけになったら。ビューティ業界は美容機器やインナービューティなどカテゴリーが拡張しており、韓国はスピーディーに動いている。体感が良いものが求められ、見た目より中身の美しさが重視され始めている中、内面の美しさにこだわるブランドも増やしていきたい。

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「コヒナ」がサザビーリーグに合流した理由 “D2C”の枠を超え「小柄女性の一生に寄り添う」

小柄女性向けアパレルブランド「コヒナ(COHINA)」が9月、サザビーリーグに加わった。起業家の中川綾太郎が社長を務めるnewnからの事業譲渡(取引金額は非公開)。2018年、自身も148cmと小柄だった田中絢子ディレクターは、自分と同じように低身長で服装選びに悩む女性に向けて、小柄だからこそ似合う服を提案する「コヒナ」を立ち上げた。EC主販ながらSNSでファンを広げ、立ち上げから3年で月商は1億円を超えるほどに成長。そして成長のネクストステップを踏むべくnewnを巣立ち、サザビーリーグに加わる決断をした。田中ディレクターと、今回の買収を主導し、「コヒナ」を運営する新会社EGBAのトップに就任した帰山元成サザビーリーグ執行役員に、これから見据える先を聞いた。

WWD :まず、サザビーリーグに加わった経緯について。

田中絢子「コヒナ」ディレクター(以下、田中):報道が出てからは「中川(綾太郎)さんと何かあったのか」「喧嘩別れか」などと聞かれる。円満でポジティブな別れ方なので、どうかご安心を(笑)。最終意思決定以外のプロセスでは中川もそこまでコミットしているわけでなく、私自身の決断による部分が大きい。ブランドを立ち上げたときから「ずっとnewnに留まるかは分からない」と思っていたし、今の「コヒナ」がさらなる成長を目指していく上では、次のパートナー探しをしないといけないと考えていた。帰山さんも、かなり早い段階から「コヒナ」を気にかけていただいていた。

帰山元成サザビーリーグ執行役員 EGBA社長(以下、帰山):「コヒナ」は立ち上げのときからずっとウオッチしていた。僕はサザビーリーグの新規事業全体を管轄する立場として、ジュエリーブランドの「アルティーダ ウード(ARTIDA OUD)」をはじめとしたブランドの成長に携わってきた。その点で、D2Cブランドのビジネスモデルの理解度や新規事業立ち上げ、ガバナンスにおいても、当社の中では自分が適任だと自負する部分もあり、自分が新会社EGBAの社長として「コヒナ」の責任者を務めることになった。

WWD:「コヒナ」は小柄女性向けに特化した、SNSでコアなマーケティングとファン作りに特徴があるブランド。サザビーリーグのノウハウは生きるのか。

帰山:確かに「コヒナ」は、これまでわれわれが作ってきたブランドとは少し毛色が異なる。われわれの全ての事業の根幹にあるのは「エモーション」だが、「コヒナ」は「ソリューション」の側面も強いブランドだと思う。心がときめくようなデザインとともに、小柄な女性を幸せにするという、明確な意思が服から伝わってくる。D2Cブランドが雨後の筍のように出てきた時期を経ても生き残っているというのは、ブランドのパーパスや提供する価値がしっかりしている証拠。ファンもしっかりとついてきている。われわれが得意とする「エモーション」、つまりは服のデザインやビジュアルのムードを磨いていくことで、「コヒナ」のポテンシャルをもっと引き出せるはず。

WWD:「コヒナ」の強みと課題をそれぞれどう捉えるか。

田中:私たちはオンライン主体の運営でも、お客さまとの密度のあるつながりを大切にしてきた。特にインスタライブは毎日欠かさず続け、連続配信5周年を達成することができた。節目の回は公開生収録として、オフィスでの配信の様子をお客さまにも見ていただけるようにしたところ、予想を超えてたくさんの視聴者がいらっしゃった。ライブ配信をきっかけに購入した服を着てきてくださり、服にまつわるエピソードをうれしそうに話してくださる方、岐阜や三重など遠方からいらっしゃる方もいた。改めて、「コヒナ」はお客さまの熱量に支えていただけているブランドだと実感した。

SNSのフォロワー(24年11月現在で22.7万人)は順調に伸びているが、それ以上に、お客さま1人あたりの年間購入頻度が高い。世の中にこれだけたくさんの選択肢がある中で、「コヒナ」でしか買いたくないというお客さま、目移りしてもまた戻ってきてくださるお客さまに、もっと信頼していただきたいという思いがある。これまで月に2回ほどポップアップストアを実施してきたが、特定のスタッフに深いエンゲージメントのあるファンがついてきた。期間中は、スタッフのシフトに合わせて何度も来店いただくようなお客さまもいるほど。やはりファンの皆さまの期待に応えていくには、リアルの場は不可欠だと感じる。

ただリアルの接点形成はnewnの得意分野ではないし、初期費用がガツンとかかってしまう。店頭でブランドの価値を伝える販売員のリソースや育成ノウハウもない。これまで培ってきた「コヒナ」らしさを大切にしながら、リアルビジネスのノウハウがあり、しかもスピード感を持って成長を実現できそうなパートナーとして、サザビーリーグはベストな選択だと直感した。

WWD:サザビーリーグで活用できるリソースとは、具体的に?

帰山:「コヒナ」の若さと情熱で突き進んできたエネルギーをそのままに、商品自体のクオリティーの底上げと緻密なCRM(顧客関係管理)でより満足度を高めていく。当社には10年、20年、50年近く続いているブランドもあるが、いかにお客さまのLTV(顧客生涯価値)を高め、長く愛していただくかという視点を忘れたことはない。われわれのスピリットを注入し、「コヒナ」を末長く愛していただけるブランドにしていきたい。

WWD:モデルケースとなるブランドは。

帰山:やはり、「アルティーダ ウード」。今年4月にニュウマン新宿にリアル店舗を出した。D2Cブランドがリアルの接点を持つことでどう(成長の天井を)ブレイクスルーしていくかが理解できてきてきたところだ。モノ作りや顧客体験の設計などの面で言えば、「アナイ(ANAYI)」や「エストネーション(ESTNATION)」「ロンハーマン(RON HERMAN)」といったブランドの蓄積は確実に生きてくるだろう。

田中:これまでスタートアップよろしく、良くも悪くもユニークな運営をしてきた自覚がある(笑)。熱量の高い人材の集まりでやってきた分、個々のオペレーションは属人的になってきている面は否めない。そういったところでベターな組織運営や仕事の回し方があればどんどん改善していきたいと考えている。

帰山:ロジスティクスや在庫管理などの面でも、合理化によって利益の改善余地があると見ている。事業を引き受けるにあたって、すでにデューデリジェンス(投資前の調査)はさせてもらっているものの、これから深く入り込んで侃侃諤諤やっていくつもりだ。

WWD:改善余地の一方で、「コヒナ」ならではユニークネスもあるはず。大手のサザビーリーグに参画することで、そういった「尖り」が失われてしまう可能性もあるのではないか。

帰山:ブランドの“個”を立たせることにおいては、僕たちの右に出るものはないという自負がある。熱意を持った現場の人間が花開く土壌は、鈴木陸三(創業社長)の時代から耕してきた。店の看板を外して、商品のタグを取ってみた。そうしたら、どこの服から分からないというようなブランドにしてしまったら、(「コヒナ」)が当社の仲間になった意味がない。感覚的なニュアンスではあるが、中で働く人も作るモノも、「コヒナっぽさ」が常にあるようにしたい。

「コヒナ」は“小柄女性のため”というパーパスに向き合い、研究を重ねてきていることがよく分かる。パターンやデザインについて技術者と話していると「なるほど」と思う部分が多い。通常のアパレルの、S、M、Lとサイズをグレーディングして対応するのとは一味違う、小柄女性のための気遣いやディテールが息づいている。これは絶対に殺しちゃいけない部分。当社のアパレル経験値の豊かな人間から見て、「コヒナ」の役に立ち、“らしさ”と折り合いがつけられる仕組みがあるなら取り入れればいい。ただ、「郷に入ったら郷に従え」というつもりは全くない。熱量の矛先や進むべき道に向かってハンドリングし、応援するのがわれわれの役目だ。

田中:今回パートナー探しをするにあたって手を挙げてくださった会社はたくさんあった。だが、サザビーリーグがいい意味で一番“ブランド任せ”だった。これからも、私たちが進みたい方向に進んでいけると感じた。

WWD:サザビーリーグ加入に際し、「コヒナ」のメンバーからの反応は?

田中:もちろんびっくりしたとは思うが、ポジティブな反応が大きかった。メンバーにはサザビーリーグのブランドのファンも多く、10年後、30年後と続いていくブランドのビジョンはより鮮明になったのではないかと思う。私たち低身長は、ずっと低身長として生きていく。だからこそ、自分たちと同じ個性と悩みを持ったお客さまに、一生寄り添い続けることが大事だと思っている。たとえ歳を重ねておばあちゃんになったとしても、「コヒナ」があれば一生困らないと思ってもらえるブランドにしたい。だから、(サザビーリーグへの加入で)ブランドの足腰をしっかりさせることは、お客さまへの誠意であるとも感じている。

WWD:実店舗の出店に関しては。

帰山:例えば(「アナイ」のように全国に数十店舗を出していくようなビジネスモデルは描いていない。「メゾンスペシャル(MAISON SPECIAL)」のように、「EC」「ハイトラフィックな立地重視の店舗」「世界観を発信する路面店」という役割を明確化した販路戦略はモデルケースになりうる。まだ会社のボードメンバーで話している最中ではあるが、数でいえば「10店舗」は1つの指標になる。常設店という形にとらわれず、小さな面積でもお客さまと接する場を積極的に設けていく。

田中:まだコロナ禍の最中の21年に、在庫を持たない試着専門店を表参道で運営していた。毎週のように通ってくださるお客さまもいて、最終日は雨の中だったが長い並び列ができた。スタッフと手を取り合って泣いているようなお客さまもいた。実店舗は、お客さまとのつながりを感じられる場にしたい。商品ラインアップも再構築の必要がある。常設店を構えるなら、在庫を最小限にしてキャッシュアウトを抑えるという、ECベースのやり方では通用しない部分がある。これまでも在庫を抑えたがゆえに人気商品が不足し、お客さまの元に届けきれないということもあった。現在は渋谷ヒカリエで半年間のポップアップストアを実施しており、そこでの店頭動向も参考にしたい。

WWD:D2Cブランドのブームは一巡したとも言われているが。

田中:D2Cという画一的な呼び方は、その必要性とともになくなっていくのではないだろうか。ECを含め、ブランドがお客さまに「何をどう届けるか?」という形が多様化していく過程で、無理やりカテゴライズするためのワードだったのだろう。店舗を持たずオンライン専業でやるという意味が“D2C”なら、私たちはこれを機にそうじゃなくなる。

帰山:お客さまの満足を維持するため、ブランドは時代に合わせた変化も必要になる。逆に「ロンハーマン」はネット販売をしない姿勢をずっと保ってきたが、コロナ禍で環境が変化する中で自社ECを始めるという決断をした。

田中:「小柄女性のための」というところは絶対にぶれないが、それ以外は固定観念なく変えていいと思っている。特に、デザインや質のアップグレードは絶対にやりたい。やはりサザビーリーグはクリエイティブでモノ作りに強い会社で、そういう部分は私たちがまだまだ至らないところ。目の肥えたお客さまに向けた、これまでオンラインだけでは伝えきれなかったモノ作りにも、リミッターを外して挑戦していきたい。

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「コヒナ」がサザビーリーグに合流した理由 “D2C”の枠を超え「小柄女性の一生に寄り添う」

小柄女性向けアパレルブランド「コヒナ(COHINA)」が9月、サザビーリーグに加わった。起業家の中川綾太郎が社長を務めるnewnからの事業譲渡(取引金額は非公開)。2018年、自身も148cmと小柄だった田中絢子ディレクターは、自分と同じように低身長で服装選びに悩む女性に向けて、小柄だからこそ似合う服を提案する「コヒナ」を立ち上げた。EC主販ながらSNSでファンを広げ、立ち上げから3年で月商は1億円を超えるほどに成長。そして成長のネクストステップを踏むべくnewnを巣立ち、サザビーリーグに加わる決断をした。田中ディレクターと、今回の買収を主導し、「コヒナ」を運営する新会社EGBAのトップに就任した帰山元成サザビーリーグ執行役員に、これから見据える先を聞いた。

WWD :まず、サザビーリーグに加わった経緯について。

田中絢子「コヒナ」ディレクター(以下、田中):報道が出てからは「中川(綾太郎)さんと何かあったのか」「喧嘩別れか」などと聞かれる。円満でポジティブな別れ方なので、どうかご安心を(笑)。最終意思決定以外のプロセスでは中川もそこまでコミットしているわけでなく、私自身の決断による部分が大きい。ブランドを立ち上げたときから「ずっとnewnに留まるかは分からない」と思っていたし、今の「コヒナ」がさらなる成長を目指していく上では、次のパートナー探しをしないといけないと考えていた。帰山さんも、かなり早い段階から「コヒナ」を気にかけていただいていた。

帰山元成サザビーリーグ執行役員 EGBA社長(以下、帰山):「コヒナ」は立ち上げのときからずっとウオッチしていた。僕はサザビーリーグの新規事業全体を管轄する立場として、ジュエリーブランドの「アルティーダ ウード(ARTIDA OUD)」をはじめとしたブランドの成長に携わってきた。その点で、D2Cブランドのビジネスモデルの理解度や新規事業立ち上げ、ガバナンスにおいても、当社の中では自分が適任だと自負する部分もあり、自分が新会社EGBAの社長として「コヒナ」の責任者を務めることになった。

WWD:「コヒナ」は小柄女性向けに特化した、SNSでコアなマーケティングとファン作りに特徴があるブランド。サザビーリーグのノウハウは生きるのか。

帰山:確かに「コヒナ」は、これまでわれわれが作ってきたブランドとは少し毛色が異なる。われわれの全ての事業の根幹にあるのは「エモーション」だが、「コヒナ」は「ソリューション」の側面も強いブランドだと思う。心がときめくようなデザインとともに、小柄な女性を幸せにするという、明確な意思が服から伝わってくる。D2Cブランドが雨後の筍のように出てきた時期を経ても生き残っているというのは、ブランドのパーパスや提供する価値がしっかりしている証拠。ファンもしっかりとついてきている。われわれが得意とする「エモーション」、つまりは服のデザインやビジュアルのムードを磨いていくことで、「コヒナ」のポテンシャルをもっと引き出せるはず。

WWD:「コヒナ」の強みと課題をそれぞれどう捉えるか。

田中:私たちはオンライン主体の運営でも、お客さまとの密度のあるつながりを大切にしてきた。特にインスタライブは毎日欠かさず続け、連続配信5周年を達成することができた。節目の回は公開生収録として、オフィスでの配信の様子をお客さまにも見ていただけるようにしたところ、予想を超えてたくさんの視聴者がいらっしゃった。ライブ配信をきっかけに購入した服を着てきてくださり、服にまつわるエピソードをうれしそうに話してくださる方、岐阜や三重など遠方からいらっしゃる方もいた。改めて、「コヒナ」はお客さまの熱量に支えていただけているブランドだと実感した。

SNSのフォロワー(24年11月現在で22.7万人)は順調に伸びているが、それ以上に、お客さま1人あたりの年間購入頻度が高い。世の中にこれだけたくさんの選択肢がある中で、「コヒナ」でしか買いたくないというお客さま、目移りしてもまた戻ってきてくださるお客さまに、もっと信頼していただきたいという思いがある。これまで月に2回ほどポップアップストアを実施してきたが、特定のスタッフに深いエンゲージメントのあるファンがついてきた。期間中は、スタッフのシフトに合わせて何度も来店いただくようなお客さまもいるほど。やはりファンの皆さまの期待に応えていくには、リアルの場は不可欠だと感じる。

ただリアルの接点形成はnewnの得意分野ではないし、初期費用がガツンとかかってしまう。店頭でブランドの価値を伝える販売員のリソースや育成ノウハウもない。これまで培ってきた「コヒナ」らしさを大切にしながら、リアルビジネスのノウハウがあり、しかもスピード感を持って成長を実現できそうなパートナーとして、サザビーリーグはベストな選択だと直感した。

WWD:サザビーリーグで活用できるリソースとは、具体的に?

帰山:「コヒナ」の若さと情熱で突き進んできたエネルギーをそのままに、商品自体のクオリティーの底上げと緻密なCRM(顧客関係管理)でより満足度を高めていく。当社には10年、20年、50年近く続いているブランドもあるが、いかにお客さまのLTV(顧客生涯価値)を高め、長く愛していただくかという視点を忘れたことはない。われわれのスピリットを注入し、「コヒナ」を末長く愛していただけるブランドにしていきたい。

WWD:モデルケースとなるブランドは。

帰山:やはり、「アルティーダ ウード」。今年4月にニュウマン新宿にリアル店舗を出した。D2Cブランドがリアルの接点を持つことでどう(成長の天井を)ブレイクスルーしていくかが理解できてきてきたところだ。モノ作りや顧客体験の設計などの面で言えば、「アナイ(ANAYI)」や「エストネーション(ESTNATION)」「ロンハーマン(RON HERMAN)」といったブランドの蓄積は確実に生きてくるだろう。

田中:これまでスタートアップよろしく、良くも悪くもユニークな運営をしてきた自覚がある(笑)。熱量の高い人材の集まりでやってきた分、個々のオペレーションは属人的になってきている面は否めない。そういったところでベターな組織運営や仕事の回し方があればどんどん改善していきたいと考えている。

帰山:ロジスティクスや在庫管理などの面でも、合理化によって利益の改善余地があると見ている。事業を引き受けるにあたって、すでにデューデリジェンス(投資前の調査)はさせてもらっているものの、これから深く入り込んで侃侃諤諤やっていくつもりだ。

WWD:改善余地の一方で、「コヒナ」ならではユニークネスもあるはず。大手のサザビーリーグに参画することで、そういった「尖り」が失われてしまう可能性もあるのではないか。

帰山:ブランドの“個”を立たせることにおいては、僕たちの右に出るものはないという自負がある。熱意を持った現場の人間が花開く土壌は、鈴木陸三(創業社長)の時代から耕してきた。店の看板を外して、商品のタグを取ってみた。そうしたら、どこの服から分からないというようなブランドにしてしまったら、(「コヒナ」)が当社の仲間になった意味がない。感覚的なニュアンスではあるが、中で働く人も作るモノも、「コヒナっぽさ」が常にあるようにしたい。

「コヒナ」は“小柄女性のため”というパーパスに向き合い、研究を重ねてきていることがよく分かる。パターンやデザインについて技術者と話していると「なるほど」と思う部分が多い。通常のアパレルの、S、M、Lとサイズをグレーディングして対応するのとは一味違う、小柄女性のための気遣いやディテールが息づいている。これは絶対に殺しちゃいけない部分。当社のアパレル経験値の豊かな人間から見て、「コヒナ」の役に立ち、“らしさ”と折り合いがつけられる仕組みがあるなら取り入れればいい。ただ、「郷に入ったら郷に従え」というつもりは全くない。熱量の矛先や進むべき道に向かってハンドリングし、応援するのがわれわれの役目だ。

田中:今回パートナー探しをするにあたって手を挙げてくださった会社はたくさんあった。だが、サザビーリーグがいい意味で一番“ブランド任せ”だった。これからも、私たちが進みたい方向に進んでいけると感じた。

WWD:サザビーリーグ加入に際し、「コヒナ」のメンバーからの反応は?

田中:もちろんびっくりしたとは思うが、ポジティブな反応が大きかった。メンバーにはサザビーリーグのブランドのファンも多く、10年後、30年後と続いていくブランドのビジョンはより鮮明になったのではないかと思う。私たち低身長は、ずっと低身長として生きていく。だからこそ、自分たちと同じ個性と悩みを持ったお客さまに、一生寄り添い続けることが大事だと思っている。たとえ歳を重ねておばあちゃんになったとしても、「コヒナ」があれば一生困らないと思ってもらえるブランドにしたい。だから、(サザビーリーグへの加入で)ブランドの足腰をしっかりさせることは、お客さまへの誠意であるとも感じている。

WWD:実店舗の出店に関しては。

帰山:例えば(「アナイ」のように全国に数十店舗を出していくようなビジネスモデルは描いていない。「メゾンスペシャル(MAISON SPECIAL)」のように、「EC」「ハイトラフィックな立地重視の店舗」「世界観を発信する路面店」という役割を明確化した販路戦略はモデルケースになりうる。まだ会社のボードメンバーで話している最中ではあるが、数でいえば「10店舗」は1つの指標になる。常設店という形にとらわれず、小さな面積でもお客さまと接する場を積極的に設けていく。

田中:まだコロナ禍の最中の21年に、在庫を持たない試着専門店を表参道で運営していた。毎週のように通ってくださるお客さまもいて、最終日は雨の中だったが長い並び列ができた。スタッフと手を取り合って泣いているようなお客さまもいた。実店舗は、お客さまとのつながりを感じられる場にしたい。商品ラインアップも再構築の必要がある。常設店を構えるなら、在庫を最小限にしてキャッシュアウトを抑えるという、ECベースのやり方では通用しない部分がある。これまでも在庫を抑えたがゆえに人気商品が不足し、お客さまの元に届けきれないということもあった。現在は渋谷ヒカリエで半年間のポップアップストアを実施しており、そこでの店頭動向も参考にしたい。

WWD:D2Cブランドのブームは一巡したとも言われているが。

田中:D2Cという画一的な呼び方は、その必要性とともになくなっていくのではないだろうか。ECを含め、ブランドがお客さまに「何をどう届けるか?」という形が多様化していく過程で、無理やりカテゴライズするためのワードだったのだろう。店舗を持たずオンライン専業でやるという意味が“D2C”なら、私たちはこれを機にそうじゃなくなる。

帰山:お客さまの満足を維持するため、ブランドは時代に合わせた変化も必要になる。逆に「ロンハーマン」はネット販売をしない姿勢をずっと保ってきたが、コロナ禍で環境が変化する中で自社ECを始めるという決断をした。

田中:「小柄女性のための」というところは絶対にぶれないが、それ以外は固定観念なく変えていいと思っている。特に、デザインや質のアップグレードは絶対にやりたい。やはりサザビーリーグはクリエイティブでモノ作りに強い会社で、そういう部分は私たちがまだまだ至らないところ。目の肥えたお客さまに向けた、これまでオンラインだけでは伝えきれなかったモノ作りにも、リミッターを外して挑戦していきたい。

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話題のIS:SUE、2ndシングルに込めた想い——人とは違う自分に自信を持てるように

PROFILE: IS:SUE

PROFILE: (イッシュ)日本エンターテインメント界において過去最大級のサバイバルオーディション番組、初のガールズ版「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」ファイナリスト、RIN、NANO、YUUKI、RINOによる4人組ガールズグループで、今年6月にデビューシングル「1st IS:SUE」でメジャーデビュー。グループ名には「常に注目や話題性(ISSUE)を持って人々を魅了する、魅力的で“異種”な存在」という意味が込められている。11月13日には、2ndシングル「Welcome Strangers 〜2nd IS:SUE〜」をリリースする。

日本最大級のサバイバルオーディション番組、初のガールズ版「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」のファイナリスト、RIN(リン)、NANO(ナノ)、YUUKI(ユウキ)、RINO(リノ)による話題の4人組ガールズグループIS:SUE(イッシュ)。今年6月にリリースしたデビューシングル「1st IS:SUE」が、多くのランキングで1位を獲得。2024年上半期Z世代が選ぶネクストトレンド予想ランキングにランクインするなど、今注目の存在だ。

そのIS:SUEが、待望の2ndシングル「Welcome Strangers 〜2nd IS:SUE〜」(4曲収録)を11月13日にリリースする。タイトル「Welcome Strangers(ようこそ!変わり者たちの世界へ)」が表すように、同作ではマイノリティーの味方となるような、内面・外面問わず、人とは違って変わっている自分に自信を持つこと、そして自分らしくあることについて表現している。

今回、メンバーそれぞれの好きなものを細部に投影したという衣装やヘアメイクから「Welcome Strangers」に込めた想い、そしてデビュー後に感じた成長や共同生活まで、メンバー4人にたっぷりと語ってもらった。

好きなものを詰め込んだ衣装に注目

——2ndシングル「Welcome Strangers」は「自分らしくあること」を表現した作品だそうですが、皆さんの個性豊かな衣装に目を惹かれました。すごく華やかですね。

NANO:ありがとうございます! まず制作スタッフさんから、「好きなものを5つずつ教えてください」という事前アンケートをもらったんです。その回答をもとに、1人ひとりのキャラクターを考えてくれて、それに合わせてスタイリングを組んでくださいました。

——それぞれの衣装のコンセプトと、注目ポイントを教えていただけますか?

RIN:私は星と動物が好きだと回答したんです。今日は違うんですけど、ネイルなどいろんなところに星が配置されていて、服にも動物がいたり。あとは、漫画「NANA」(矢沢あい)が好きなので、パンクロックの要素が入ったチェックのスカートがポイントです。

——すごくカラフルですね! 髪色も明るくなりました。

RIN:今回はカラフル担当です!(笑)。スタイリストさんが、矢沢あいさんの世界観もイメージしてくれたそうです。人生初のブリーチで、最初は見慣れなかったんですけど、1カ月くらい経って、今はようやく慣れてきました。

——NANOさんは猫耳のようなヘアがとてもかわいいです。

NANO:かわいいですよね! これはゴムを1本も使ってなくて、ピンだけで完成しているんですよ。私はアンケートで甘いもの、キラキラしたもの、かわいくてファンシーなものが好きと書いたんですが、それで甘いものとキラキラしたものが好きな、“ちょっとおかしな女の子”というイメージのキャラクターを作ってもらいました。リード曲「THE FLASH GIRL」のミュージックビデオでも、大きなケーキをフライパンで焼いたり、シリアルを斬新な食べ方で食べてみたり、ユニークな行動を取っているんです。

——YUUKIさんはワイドジーンズがポイントで、マニッシュな印象です。

YUUKI:ボーイッシュな雰囲気の、かっこいいキャラクターです。ジャケット撮影でオートバイに乗りましたし、MVではスパイダーマンみたいに人を救うシーンを演じました。その救い方がスゴ技なので、人から変な目で見られるという、面白い役です(笑)。私はアンケートに「白くてもちもちしたものが好き」と書いたんですよ。ファンの方もよく、私の顔と白くてもちもちしたものの比較画像をSNSに載せてくださったりするんです(笑)。それにちなんで真っ白なマシュマロみたいな帽子を被ったり、白くてふわふわしたネイルチップを着けていたりするので、そこにも注目してほしいです。

—RINOさんはメイクもインパクトが強く、ハードなスタイリングですね。

RINO:目の下の赤いチークが目立っていますよね。お団子も、中から永遠に何かが出てきそうなくらいの規格外な大きさで(笑)。中に入れ毛が入ってはいますけど、基本的には地毛で結っています! 私は実家でワンちゃんを飼っているので、アンケートでは「犬、ぬいぐるみ、ファッションが好き」と回答しました。なのでジャケット撮影ではワンちゃんのバッグを持っています。MVの個人シーンではベッドの上にぬいぐるみが山積みになっていたり、クッションや洋服がたくさんあったり、私の好きなものが集まったようなセットで、すごくかわいかったです。

NANO:最初はみんなのスタイルが斬新でびっくりしたけど、みんなそれぞれ似合っていて、すごくしっくりきていますね。

——真似して衣装を作ったりするファンの方もいそうですよね。

YUUKI:(NANOのヘアスタイルを指して)ライブにその髪型で来る人、いそうじゃない?

NANO:確かに! 猫耳スタイルのREBORN(ファンネーム)に会えたらうれしいです。

——ちなみにIS:SUEのYouTubeで公開されたコンテンツ「Extra IS:SUE -vol.02」では、メンバー4人のパーソナルカラーが春夏秋冬できれいに分かれていることが明らかになり、話題を集めていましたよね。その後は私服コーディネートの際に、自分に合う色味を意識するようになりましたか?

YUUKI:りんりん、薄い色を買うようになったって言ってたよね?

RIN:うん。以前は黒ばっかり買ってたんですけど、黒が私にとってのワーストカラーだったんです(笑)。パーソナルカラーを聞いてからは、同じ型の服でカラーバリエーションが用意されていたら「黒じゃなくて水色に挑戦してみようかな」と思うようになりましたね。今までは絶対に水色とかは着なかったので、新鮮に感じます。

RINO:私は、普段から選ぶ色が自分のパーソナルカラーだったんです。意外と自然に惹かれていたのかな?と思いました。好きでも顔色がよく見えない色味の服は避けたり、より意識して買い物をするようになりましたね。

NANO:YUUKIはイエベだと思ってたんだよね。

YUUKI:そう。メイクはイエベに合う色を買うことが多かったので、ブルベと診断されて、少し違う色を選ぶようになったかな。でも洋服では青や緑がもともと好きだったので、似合う色でよかったなと思っています!

2ndシングル「Welcome Strangers」の聞きどころ

——「Welcome Strangers」の収録曲についても教えてください。リード曲「THE FLASH GIRL」はスーパーヒーローとなったIS:SUEが明るいメッセージを伝える楽曲で、デビュー曲「CONNECT」とはガラリと印象が変わりましたね。

RINO:誰かの背中を押すような、メッセージ性のある歌詞です。「CONNECT」もメッセージ性がありましたけど、それとはまた違う思いが込められているなって。私自身も練習しながら「やっぱりいい歌詞だな」と感じるし、自分自身も勇気づけられるんですよね。いろんな方の心に刺さったらうれしいです。

RIN:振り付けもキャッチーだし、「CONNECT」より表情に笑顔が多いんです。指を使った振り付けが多くて真似しやすいから、TikTokで流行ったらうれしいなと思っています。

NANO:激しさはあるんだけどね(笑)。

YUUKI:うん、簡単に見えるけど、左か右か、上か下か……と、けっこう腕の筋肉がこんがらがる(笑)。でも視覚的に面白いと思いますし、ステージで披露したら印象に残るんじゃないかな。

——レコーディングは、デビューシングルよりもスムーズにいきましたか?

YUUKI:デビューシングルは2曲だったんですが、今回は4曲あって、それぞれ全然色が違ったんです。「前作より上手くやりたい」という欲もあったので、難しい部分もありました。でもがんばった分、個人的にはすごく満足しています。

NANO:限られた時間の中で、それぞれの曲に合い、かつ曲の魅力を最大限に引き出せる声のトーンを作るのにけっこう苦戦しました。でもすごく楽しい作業で、楽しみながらできたと思います。レコーディングで自分の歌を作っていく作業に少しずつ慣れてきたというか、自分の成長を感じられましたね。

——「THE FLASH GIRL」終盤のパートは、ライブで盛り上がりそうで楽しみです。

NANO:お客さんにも一緒に歌ってほしいし、全員で一体化できそうなパートですよね! 私も披露するのが今からすごく楽しみです。

——YUUKIさんは「Breaking Thru the Line」でラップの作詞に初めて参加していますね。

YUUKI:はい! 作詞を習ったこともないですし、ダジャレを考えるような感覚で「この音にこの言葉を合わせたら面白いかな?」と思いついたところだけ書いてみたんですが、使っていただけてすごくうれしかったです。「Breaking Thru the Line」は「THE FLASH GIRL」に比べるとヒップホップ色が強い曲で、手を挙げてライブで歌えるパートがあるので、これも披露するのが楽しみですね。ラップの尺が長いんですけど、「みんなで航海に出よう、一緒に冒険しよう」という開けたイメージが感じられると思います。すごく好きな曲です!

デビュー5カ月で成長を感じた部分は?

——デビューから約5カ月が経ちますが、これまでの活動で印象的だったことや、「夢がかなった」と感じた瞬間は?

RIN:一番記憶に残っているのは、IS:SUEとして初めてのステージだった「KCON JAPAN 2024」です。IS:SUEのお披露目ということもあり、大きい舞台だったこともあり……みんなでたくさん準備した成果を出せるかとめちゃくちゃ緊張したから、印象深いですね。

RINO:私は「M COUNTDOWN」や「CDTVライブ!ライブ!」など、自分がいち視聴者として観ていた音楽番組に出演したときに、「ああ、ついに私が出る側になれたんだ」と感動しました。すごく楽しくて、思い出に残っていますね。

——さまざまなステージを経験する中で、グループとして成長を感じる部分はどこでしょうか。

YUUKI:イベントで自分たちの出番の時間をある程度長めにいただけたとき、MCも含めてステージを作るということに、最初はなかなか慣れなくて。「うふふ」と謎の間が生まれたりしてしまっていたんですけど(笑)、回を重ねるごとにみんなすごく上手になってきたし、自分の中での体力の配分や調整もうまくできるようになってきたと思います。

NANO:ステージでの対応力が上がってきたよね。どの場所からパフォーマンスを始めたらいいのかすら、初めの頃はあたふたしてしまって、ダンスの先生から指示をもらって移動することも多かったんです。最近は自分たちで判断していろんなことができるようになってきたので、成長を感じますね。

——9月の「第39回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 AUTUMN/WINTER」でのステージでは、NANOさんとRINOさんが「CONNECT」のサビ部分で少し声を張っていたり、アレンジしているのが印象に残ったんです。そうしたライブならではの見せ方は意識していますか?

NANO:はい、ライブ感は大事にしています! しっかりピッチを合わせて歌わなければいけない部分ももちろんあると思うんですが、やっぱりライブだからこそ伝えられるものや、作れる盛り上がりがあると思うので、毎回「どの部分をアレンジしよう」と試行錯誤してやっています。メンバーそれぞれ、振り付けをちょっと変えるなど、毎回飽きさせないパフォーマンスをできるように心がけていると思います。

——お互いを見ていて、変化や成長を感じる部分は?

NANO:うーん、なんだろう。エブリデイ24時間一緒にいるので、変化に気づいていないだけかもしれないんですけど(笑)。みんな表現力も元から高いし……。

RIN:ステージの後は毎回全員で反省会をして、改善点を明確にまとめて話すので、成長はしていると思います。

YUUKI:私は最近音楽番組の収録をしたときに、RINがしたアレンジにすごくグッとくるものがあったんです。モニタリングしていて感動しちゃって、巻き戻してもう1回見ました(笑)。メンバー全員がそうやってサプライズを入れて、常に更新していこうという意識を見せてくれるので、自分もがんばろうと思いますね。

4人での共同生活

——4人での共同生活にも、だいぶ慣れてきましたか?

NANO:すごく平和に、楽しく暮らせています!

YUUKI:私は寝る時間も起きる時間もバラバラなので、みんながとても規則正しく見えます。(NANOを見て)お姉さんは生活スタイルがすごく安定してるよね。

NANO:最近は本当に眠くて、夜の9、10時には寝てしまうんです。そして朝5、6時に目が覚める。1人だけおばあちゃんのような体内時計で生きています(笑)。みんなを起こさないよう、忍者のように静かに朝は過ごしていますね。コップを置くときも、1人で「音を立てない選手権」を開催して。

RINO:(笑)。部屋割りは、私とRINちゃん、NANOちゃんとYUUKIちゃんがそれぞれ一緒なんです。この間、RINちゃんの寝相で面白かったエピソードがあって……(RINを見て)あの話、してもいい?

RIN:いいよ(笑)。

RINO:私がお風呂上がりでリビングにいたら、RINちゃんから「先に寝るね。ちょっとおかしい寝方をしてるかもしれないけど、気にしないで」ってLINEが来て。どういうことだろう?と部屋に行ってみたら……。

YUUKI:どんな寝方だったの?

RINO:ベッドの下にヨガマットを敷いて、ヨガマットに上半身を預けて、脚をベッドの上に掛けて寝てたの。

NANO:(笑)体が痛くならないの?

RIN:なる(笑)。でも韓国での1人部屋のときもずっとそうしてたな。脚を上げて寝たくて。いつもは掛け布団や枕を置いて脚を上げるんだけど、それだと起きた時に下がってしまってることが多いから。朝まで脚を上げた姿勢を保つために編み出したのが、その寝方です。

RINO:さらにアイマスクまでしてて、もうびっくりしちゃった(笑)。でも私が部屋に入った音で起きちゃったのか、片手で謎のグッドポーズをしてきて(笑)。そのあとは普通に寝てました。最近ではそれがめちゃくちゃ面白かったですね。

——にぎやかな暮らしぶりが伝わってきます(笑)。これからのIS:SUEの活動で、どんな姿を見せていきたいですか?

NANO:「CONEECT」はカッコいい系のコンセプトで、あまり笑わずにクールな表情で踊ることも多かったんですが、今回は明るいムードで、笑顔が前回よりも増えていると思います。前作とはギャップがある、ポップで楽しい私たちを見せていきたいですね。新しいIS:SUEのカラーを楽しんでもらえるようにがんばりたいです。

■IS:SUE 2ndシングル「Welcome Strangers 〜2nd IS:SUE〜」
11月13日リリース
1. THE FLASH GIRL
2. Breaking Thru the Line
3. Tiny Step
4. Butterfly
https://is-sue.jp/feature/2nd_issue

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綾瀬はるか × 大沢一菜 初共演の映画「ルート29」で生まれた2人の絆

PROFILE: 右:綾瀬はるか/俳優 左:大沢一菜/俳優

PROFILE: (あやせ・はるか)1985年3月24日生まれ、広島県出身。2000年、デビュー。04年に「雨鱒の川」で長編映画初主演を果たす。同年、ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」(TBS)でゴールデン・アロー賞新人賞を受賞。以降、「白夜行」(06/TBS)や「ホタルノヒカリ」シリーズ(07、10/日本テレビ)など多くの主演ドラマが話題を集める。13年にはNHK大河ドラマ「八重の桜」で主演を務めた。15年「海街diary」で毎日映画コンクール、ヨコハマ映画祭の主演女優賞を受賞。その他の出演作に、ドラマ「JIN-仁-」シリーズ(09、11/TBS)、「義母と娘のブルース」シリーズ(18~24/TBS)、映画「はい、泳げません」(22)、「レジェンド&バタフライ」(23)、「リボルバー・リリー」(23)などがある。 (おおさわ・かな)2011年6月16日生まれ、東京都出身。22年の映画「こちらあみ子」で応募総数330人の中からオーディションで選ばれ、主人公のあみ子役でスクリーンデビューを飾った。同作で第36回高崎映画祭最優秀新人俳優賞を受賞する。その後、ドラマ「姪のメイ」(23/テレビ東京)や宮藤官九郎が企画・監督・脚本を担当した配信ドラマ「季節のない街」(23/Disney+STAR)などに出演。24年にはRM(BTS)の2ndソロアルバム「Right Place,Wrong Person」に収録されている“Domodachi (feat. Little Simz)”のMVにも出演した。

2022年公開の監督デビュー作「こちらあみ子」がさまざまな映画賞を受賞して注目を集めた森井勇佑監督。11月8日に公開される最新作「ルート29」は、中尾太一の詩集「ルート29、解放」からインスピレーションを受けて制作した不思議なロードムービーだ。鳥取で清掃員として働くのり子は、仕事で訪れた病院で入院患者から頼まれて、遠く離れた姫路で暮らしている彼女の娘、ハルを病院まで連れて来ることになる。秘密基地を作って遊んでいるハルは、ちょっと風変わりな女の子。早速、ハルに「トンボ」とあだ名をつけられたのり子は、姫路から鳥取まで国道29号線を一緒に旅をする。

のり子役は「台本を読んで自然に涙が出た」と語る綾瀬はるか。ハル役は「こちらあみ子」で鮮烈なスクリーンデビューを飾った13歳の大沢一菜(おおさわ・かな)。撮影を通じてすっかり仲良くなった2人に映画について話を訊いた。

魅力的な目を持つ2人

——綾瀬さんは大沢さんと初めて共演して、どんな感想をも持たれました?

綾瀬はるか(以下、綾瀬):初めて一菜ちゃんに会った時は、「わあ、あみ子が大きくなってる!」って驚きました。すごくシャイで、かわいくて、一菜ちゃんに釘付けでしたね。そこからだんだん仲良くなっていくと、すごく優しいところとカッコいいところが見えてきて、ハルに近いなって思いました。監督も言ってましたけど、目が魅力的なんですよね。セリフがなくても目で気持ちを伝えている。

——大沢さん、うれしそうに笑ってますね(笑)。大沢さんは綾瀬さんと共演してどう思いました?

大沢一菜(以下、大沢):テレビで見ていて、きれいだし、かわいいし、絶対優しいだろうなって思っていました。実際に会ったやっぱり優しかったし、テレビよりホンモノの方がすごくかわいくて、最初はとても緊張しました。

——ハルの秘密基地で2人が初めて出会うシーンがすごく印象的でした。あそこが初めて撮影した、2人がセリフを交わすシーンだったとか。

綾瀬:一菜ちゃんの顔が草の中からニョキっと出てきた時は、すごくインパクトがありました。

大沢:私は「本物の綾瀬はるかさんが目の前にいる!」っていうことしか考えてなかったです。それで頭の中が真っ白になったんですけど、綾瀬さんの目がすごく魅力的でした。

のり子とハルの演技

——2人とも魅力的な目が共通点なんですね。のり子はハルに「お母さんのところに連れていくよ」と声をかけて、2人は一緒に旅をすることになります。突然、知らない人に声をかけられて、なぜハルはついて行こうと思ったのでしょう。

大沢:ハルは離ればなれになったお母さんに会いたかったんだと思います。でも、1人だと姫路から鳥取まで行けないし、そういう大人を探してたのかもしれない。だから、トンボの「お母さんに会わせてあげる」っていう言葉を聞いて、お母さんに会いたい気持ちがいっぱいになって、ついて行ったのかなって思いました。

——一方、のり子は旅をしながら、だんだんハルを身近に感じるようになります。のり子はハルのどんなところに惹かれたんだと思いますか?

綾瀬:無邪気さじゃないでしょうか。のり子に突然、「今日からお前、トンボな」って言ったりして、無邪気に生きて毎日を楽しんでいる。のり子はハルのそういうところに惹かれたんじゃないかと思います。

——ハルは森井監督が大沢さんをイメージして作ったキャラクターだそうですね。

大沢:台本を読んだ時に、自分のことが書いてあるなって思いました。だからやりやすいところもあったけど、完全に似ているわけじゃないから、似てない部分を集中して演じようと思いました。

——あみ子を演じた時と、役に対する向き合い方に違いはありました?

大沢:違いはなかったです。でも、あみ子の時は監督からは何も言われなくて自由に演じてたけど、今回は「宇宙で独りぼっちでいるような気持ちになってやってみて」って言われたこともあって、どういう意味なんだろう?って考えながら演じたりしました。

——監督の演出の仕方に違いがあったんですね。綾瀬さんは大沢さんと共演して、プロの役者さんとは違う感覚はありました?

綾瀬:ハルがそこにいる、という感じで、役を演じているふうには思えなかったですね。

——綾瀬さんは監督から何か言われたことはありました?

綾瀬:最初に監督に言われたのが、のり子は若い時に自分が言っていたことを大人たちに勘違いされて、周りに積極的に関わりを持つのをやめている人かもしれない、ということでした。でも、それで暗くなっているわけではなく、自分の中の宇宙がすごくある人かもしれないって。

——自分の中に宇宙がある、というのは、ハルと同じですね。のり子を演じてみてどんな感想を持たれました?

綾瀬:最初、監督に「演じなくていいので、綾瀬さんそのままでいてください」って言われてたんですが、やっぱり掛け合いのお芝居では伝えようとしちゃうんですよね。演技を積み重ねて役になっていくことが多いし。今回はそういうことを全部削ぎ落として、なるべく“無”でいるようにした方がいいんだなって思いました。

——いつもとは違うアプローチで役に向き合ったんですね。

綾瀬:最初は難しいなって思いました。でも、10代の時はこういうふうだったなって思い出したんです。演じて作っていく役とは違って、自分じゃないけど自分の延長にいるみたいな役、というのが懐かしい感じがしました。

撮影の合間の遊び

——国道29号線に沿って旅をするようにロケ撮影をされたそうですが、撮影で印象に残っていることはありました?

大沢:鳥取って全部が砂丘だと思ってたけど違いました(笑)。砂丘は初めてで砂に座ったら気持ち良かったです。

綾瀬:砂丘のシーンは朝早かったんですよね。誰もいない砂丘を歩くのは気持ち良かった。あと、今回は森の中のシーンが多かったので、一菜ちゃんと一緒に虫とカエルを捕ったりしていました。監督と3人でお祭りを見に行ったりもしましたね。

——夏休みっぽくていいですね。映画の中でハルがやる囚人ごっこは大沢さんが思いついた遊びだとか。撮影の合間にそういう遊びをすることで距離が近づいていったんでしょうね。

大沢:(綾瀬さんとは)いろんな遊びをしました。石積みとかアクションごっことか。

——「アクションごっこ」というのは?

大沢:監督を見たら、「敵がいるぞ!」って言って爆弾を投げる(笑)。投げるふりだけど。

綾瀬:私も一緒に「油断するな、そこにもいるぞ!」って(笑)。

——別のお芝居がそこで始まる(笑)。綾瀬さんは子供の頃は、どんな遊びをしていたのですか?

綾瀬:男子に混じって走り回っていました。鬼ごっこをしたり、川跳びをしたり。

——アクションもこなせる綾瀬さんは、子供の頃から体を動かすのが好きだったんですね。

綾瀬:身体と心はつながっているので、アクションも表現の一つだと思っています。今回の撮影で素足になって土を感じながら演技したのも良い経験でした。

————日常生活でも自然との触れ合いは大切にされていますか?

綾瀬:窓から木が見えるのが好きなんですよ。だから引っ越す時は窓から木が見える家にしています。ぼーっと風に揺れる木の枝を見たりするのが好きなんですよ。

森井監督の子供っぽさ

——心が落ち着きますね。そういえば、大沢さんはプライベートでも監督と遊んでいるそうですね。

大沢:はい。友達と遊んでいる時に、みんなが「誰か誘おうぜ!」って言うから、監督を呼んだらすぐ来て。一緒に鬼ごっこしました。「プール行こうぜ!」って連絡したり、こういう友達がいるのもいいなって思います。

——呼び出す方もすごいですが、来る監督もすごい(笑)。映画を観て思いましたが、森井監督は子供の感性を失っていない方なんですね。

大沢:うん。子供っぽい大人。仲間って感じがする(笑)。

綾瀬:確かに少年のままなところがありますね。すごく優しいし、本当に映画が好きなんだなって思います。撮りたいものがすごくはっきりしていて、それを信じているから厳しい時は厳しいし、すごくシンプルな気がしますね。

——監督も、ハルやのり子のように宇宙を持っている人なんでしょうね。大沢さんは監督みたいに綾瀬さんと友達になれたと思います?

大沢:(うなずいて)綾瀬さんは監督より大人っぽい気がします。監督はいつも「アヒヒヒ〜」って感じだけど綾瀬さんはメリハリがある。

綾瀬:監督もメリハリあるよ!(笑)。

——大人の基準はメリハリ。確かにそうかもしれませんね。

綾瀬:一菜ちゃんは大人なところがあるんですよ。撮影中に「大丈夫? 疲れてない?」って気づかってくれたり。

大沢:大切な友達には言います(照)。大人になったら、綾瀬さんみたいにアクションができる俳優になりたいです!

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLIST:[HARUKA AYASE]MAYUMI NISHI、[KANA OSAWA]MIHOKO TANAKA
HAIR & MAKEUP:[HARUKA AYASE]MASAKO IDE、[JIRO SATO]GO UTSUGI

[HARUKA AYASE]シャツ24万6400円、トラウザー 19万6900円、ベルト 6万1600円、シューズ 16万3900円/以上、ロエベ(ロエベ ジャパン クライアントサービス 03-6215-6116)、イヤカフ 1万7600円(参考価格)/バランス(ザ・ウォール ショールーム 050‐3802-5577)、チョーカー 5万7200円/サピア バハール(フィルグ ショールーム 03-5357-8771)

■映画「ルート29」
11月8日からTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
出演:綾瀬はるか
大沢一菜
伊佐山ひろ子 高良健吾 原田琥之佑 大西力 松浦伸也/河井青葉 渡辺美佐子/市川実日子
監督・脚本:森井勇佑
原作:中尾太一「ルート29、解放」(書肆子午線刊)
製作:東京テアトル U -NEXT ホリプロ ハーベストフィルム リトルモア
配給:東京テアトル リトルモア
https://route29-movie.com
©︎2024「ルート29」製作委員会

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BLACKPINKの着用や「レスポ」コラボで話題 韓国ブランド「グロウニー」が20代に支持を集める理由

PROFILE: ジェーン/「グロウニー」創立者兼デザイナー

ジェーン/「グロウニー」創立者兼デザイナー
PROFILE: 韓国に生まれ、幼少期に米・フィラデルフィアに移住。米国生活の中で、ビンテージ感あるファッションブランドを立ち上げたいと考えるようになる。2020年、妹のジーホとともにセレクトショップ「スプーニング」を創設。翌年、「グロウニー」に改名し、自らデザインを開始した PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

毎月のように話題性あるコラボを発表している「レスポートサック(LESPORTSAC)」。現在は、韓国のファッションブランド「グロウニー(GLOWNY)」とのコラボコレクションを販売中だ。同ブランドは、ジェーン(Jane)とジーホ(Jiho)姉妹が手掛け、レトロガーリーな世界観と両デザイナーの等身大の感覚が、20代を中心に共感を集めている。ブラックピンク(BLACKPINK)のジェニー(Jennie)やロゼ(Rose)を始めとした韓国アイドルの着用も、人気に拍車をかけた。ここでは、このほど来日したジェーン「グロウニー」創立者兼デザイナーに、ブランドについてやコラボへの思いを聞く。

WWD:「グロウニー」の強みを教えてほしい。

ジェーン:「グロウニー」にまつわる全ては、私の人生にインスパイアされている。普段使いしやすい“ジークラシック(G CLASSIC)”ラインと、ドレスなどオケージョン向けのアイテムもそろう“コレクション(COLLECTION)”ラインを設けたのも、ファッションのオンとオフがはっきりしている米国での経験があったから。そこに「こんなシーンにはこんな服が着たい」という等身大の感覚を落とし込んでいる。

また、私自身“グロウナー(グロウニーのファンの通称)”の1人として、彼女たちの視点に立ってデザインしていることも強みだと思う。“グロウナー”は20代の女性が中心。私はもう30歳近くなるが、20代を通過したからこそデザインの押さえどころが分かる。

WWD:人気アイテムは?

ジェーン:オフショルダーの“イザ ニット(ISA KNIT)”は、“グロウナー”の間で「この服を着ていると必ず電話番号を聞かれる」という通説があるほど、勝負服として定着している。また、ベーシックなTシャツ“ジー ベイビー ティー(G BABY TEE)”も看板アイテムだ。

WWD:日本からインスピレーションを受けたことは?
ジェーン:
日本の色彩は「グロウニー」に大きな影響を与えている。特にピンクやブルーなどのパステルカラーは、見かけたらいつも写真を撮ってしまうほど。

コラボの理由はシンプル「私の好きなブランドだから」

WWD:「レスポートサック」とのコラボに至った経緯について。

ジェーン:今回のコラボは「レスポートサック」からラブコールを受け実現した。一方、私は10代のころ「レスポートサック」のバッグを好んで身に付けていた。好きなブランドとコラボできることに加え、同ブランドのシンプルなデザインは「グロウニー」とも相性が良いと思い快諾した。

WWD:パステルピンク・アイボリー・ブラックの3色を選んだ理由は?

ジェーン:パステルピンクは、今シーズンの“コレクション”ラインのテーマカラー。そこに「グロウニー」のシグニチャーカラーであるアイボリーと、普段使いしやすいブラックを加えた。

WWD:「内面も外面も自らを愛する」をテーマに据えた理由は?

ジェーン:幼少期に過ごした米国ではさまざまな個性やバックグランドをもつ人と接する機会が多く、他者の個性を尊重する大切さを学んだ。他者を愛するためには、まず自分を愛することも。今回のテーマはその学びを反映した。

WWD:どのような人に身につけてほしい?

ジェーン:10代のころ、「レスポートサック」に憧れていたが、金銭的に手が届かなかった女性もいるのではないだろうか。そんな過去を経て、経済的に自立した20代の女性に手に取ってほしい。

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宮沢りえ × 佐藤二朗 中村佳穂の楽曲から着想を得た舞台「そのいのち」で表現する“生命への讃歌”

PROFILE: 左:宮沢りえ 右:佐藤二朗

PROFILE: 左:(みやざわ・りえ)1973年生まれ。東京都出身。88年公開の初主演映画「ぼくらの七日間戦争」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。以後、ドラマ、映画、舞台など、幅広く活躍。5度にわたる日本アカデミー賞主演女優賞や読売演劇大賞大賞・最優秀主演女優賞など、数多くの受賞歴を持つ。最近の主な出演作品は、映画「月」(23年)、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK/22年)、舞台「アンナ・カレーニナ」(23年)など。本年は舞台「骨と軽蔑」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出)、「オーランド」(栗山民也演出)に出演。 右:(さとう・じろう):1969年生まれ。愛知県出身。96年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。数々のドラマ、映画に出演。また脚本家、映画監督としても活動。映画「memo」(08年)、映画「はるヲうるひと」(21年)、共に原作・脚本・監督・出演。「はるヲうるひと」では、韓国の江陵国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞。さらに自身が書いた映画脚本が漫画になり、初の漫画原作となる「名無し」が現在コミプレにて連載中。近年の主な出演作は、映画「変な家」(24年)、映画「あんのこと」(24年)など。12月に映画「聖☆おにいさん THE MOVIE〜ホーリーメンVS悪魔軍団〜」が公開予定。

俳優、脚本家、映画監督など、多彩な才能を発揮して活躍する佐藤二朗。12年ぶりに書き上げた舞台の新作戯曲「そのいのち」の公演が11月9日からスタートする。同作は、ミュージシャンの中村佳穂の同名曲からインスパイアされたもので、介護ヘルパーが障がいを持った新しい雇い主との交流を通じて、次第に変化していくという物語だ。ヒロインの山田里見を演じるのは宮沢りえ。いつか佐藤と共演したいと思っていた宮沢は、脚本を読んで衝撃を受けて出演を快諾した。ハンディキャップを持ちながら俳優として活躍する佳山明、上甲にかがダブルキャストで出演することでも話題を呼んでいる本作について、舞台初共演となる佐藤と宮沢に話を訊いた。

楽曲「そのいのち」を舞台化した理由

——本作は中村佳穂さんの同名の曲がきっかけで生まれたそうですね。

佐藤二朗(以下、佐藤):妻がすすめてくれたんです。それで曲を聴いて「ぐわーん!」ときたんですよ。歌から物語が浮かんだというより、この歌が流れる物語を書きたいと思ったんです。

宮沢りえ(以下、宮沢):二朗さんのそういう気持ち、分かるような気がします。役者をやる時の原動力も自分から出てくるものだけじゃなくて、いろんなものに影響を受けることが多々あるんですよ。例えば、時代劇をやっている時に、着物を着たままハードなロックを聴いて元気を出す時もある(笑)。具体的な理由がなくても、自分が触れたものによって突き動かされる、何か創作の火種になることってあるんですよね。

佐藤:そうなんですよ。曲の歌詞の意味はよく分からなくて、いろんな解釈がされているみたいですけど、「いけいけいきとしGO GO」というサビの歌詞を聴いた時、生命への讃歌だな、と受け取ったんです。だから、生命への讃歌になるような物語を書こうと思いました。ただ、そこで明るいことばかりじゃない現実。人間のちょっとドス黒い部分とか、そういうのを描かないと生命への讃歌にはならないとは思いました。

——佐藤さんは脚本を書いている段階から、主役に宮沢さんをイメージされていたのでしょうか。

佐藤:頭の中にはありました。でもビッグネームだし、現実的には無理だろうなと思っていたんです。それで脚本を書き終えた時、プロデューサーに「無理かもしれないけど主役は宮沢りえさんでお願いしたい」と電話で言ったら「僕もそう思っていました!」って即答だったんですよ。それで実際にオファーしたら快諾いただけて。

「この難しいお芝居に挑んでみたい」(宮沢)

——願いがかなったわけですね。宮沢さんは脚本を読んでどう思われたのでしょう。

宮沢:脚本が届いた時って、今やっているお芝居に集中するために読まずに寝かしておくことがあるんです。でも、この脚本はすぐ読みました。「そのいのち 佐藤二朗」と表紙に書いてあるのを見て、どんな物語なんだろうって気になってしまって。

私が演じるヒロインの中にある、絶対人には見せてはいけないものが最後に吹き出てくる。その緩急が面白かった。自分の役だけではなく、登場人物それぞれの人間関係から生まれるものに関しても、これをどういう風に舞台にしていくんだろう?って興味をもって。この難しいお芝居に挑んでみたいと思ったんです。あと、シンプルに二朗さんと芝居がしたかったんですよね。「こんな芝居、他に誰ができるんだろう。他に代わりのいない役者さんだな」って思っていました。そういう人と芝居するのはとても怖いけど、一緒にやってみたい!って。もう、肉体からしてエネルギッシュな人じゃないですか。

佐藤:どういうことですか!?(笑)。骨太ではありますけどね。

宮沢:存在がエネルギッシュなんですよね。その一方で、すごくハッピーなキャラ。そのギャップが良いですね。

——佐藤さんから見て、宮沢さんの役者としての魅力はどんなところですか?

佐藤:抑圧が似合う女優さんだなって思います。りえちゃんが主演した「紙の月」という映画を観ていると泣きそうになるんですよ。「私は悲劇のヒロイン」というお芝居は全然やっていない。むしろ本当に前を向きたい女性なのに、抑圧されているのが伝わってくる。それもあって、この役をオファーしたんですよ。

負を力にするのが生きるということ

——そうだったんですね。今回、宮沢さんに加えて、佳山明さん、上甲にかさんという、ハンディキャップを持った2人の俳優がダブルキャストで参加することも話題を呼んでいます。

佐藤:僕にとって、負を力にするのが生きるということなんです。負を生命を燃やす燃料に変えることを55歳の僕は祈るような気持ちで信じていて、それがこの物語を書いた理由でもあるんです。鈴木裕美っていう仲が良い演出家がいるんですけど、一緒に飲んでいてこの芝居の話をしたことがあったんです。その時、喫煙場所でタバコを吸ってたら、裕美さんに「さっき言ってた芝居。すごい意義があるからやったほうがいい」って言われたんですよ。それが社会的な意義なのか、演劇的な意義なのかは言いませんでしたけどね。

それで後日、りえちゃんに役を受けてもらえたことを伝えたら、「よかったじゃん」って言ってくれたんです。他にも「意義がある」と言ってくれる人が多くて。それで実際に2人(佳山さん、上甲さん)に会って話をした時に、彼女たちから「どうしても演技がしたい!」という熱を感じたんです。それに触れて、「負が力になる」姿をできればこの目で見てみたいと強く思ったんです。

宮沢:私は去年、「月」という実際にあった事件をもとにした映画に出演したんです。ハンディキャップを持っている方が預けられている施設を舞台にした作品だったので、撮影に入る前に施設を利用されている家族の方に話を聞いたり、自分で実際に施設に伺ったりしました。私が伺った施設は朝来て夜に家に帰る施設でしたが、映画で描かれる施設は森の中にあって、24時間、外の世界から閉ざされているんです。そういうところに隔離されてしまった人もいれば、自分の可能性を開こうと舞台に立つ人もいる。今回、その違いについて考えましたね。

——それは大きな問題ですね。

宮沢:「月」に出演したことでいろんなことを学びました。世間ではハンディキャップがある/ないで分けられることが多いですけど、ハンディキャップがある方の中には当然のようにさまざまな個性があるし、さまざまな感情が渦巻いている。それを知れたことが自分にとっては大きかった。だから今回、お2人が舞台で役を演じきるのを一緒に体験したいと思っています。

——負を力にする、という話がありましたが、それがこのお芝居でどんな風に描かれているのか、演技を通じてどんな風に伝わるのかが楽しみです。

佐藤:負を力にする、というのは、負を違うものに変換するということではなくて、負は負のままあるんです。それがどこかにいっちゃうわけでもないし、良いものになるわけでもない。今日や昨日と同じように、明日も負はそこにあるんだけど、負があるからこそ良いこともあるんじゃないかと思っていて。負は相変わらずあるけれど、それでも半歩、前を向こうと思えるようになるのが人間らしい感じがして、そういう物語を書きたいといつも思っているんです。

——ちょっとしたことで気持ちが変化することってありますね。そうすることで負との向き合い方が少し変わったりする。

佐藤:そう。すごく些細なことでいいんです。例えば雨が降っている中を傘をさして歩いていて、ふと思い立って傘をたたんで、ずぶ濡れになって家まで走って帰ってみる。そうすることで、なんだか分からないけど「頑張ってみようかな」っていう気持ちになったりすることに僕はすごく人間の面白さを感じるんですよ。

宮沢:登場人物それぞれから剝(む)き出しになって出てくるものが、どこにどんなふうに届くのかは舞台を見る人によって違ってくると思うんですよね。私は脚本を読んだ時に、鳥肌が立った瞬間があったんです。舞台を観にきてくださった方にも、そういう瞬間があればいいなって思います。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO
STYLIST:[RIE MIYAZAWA]KEIKO SASAKI (AGENCE HIRATA)、[JIRO SATO]MIYOKO ONIZUKA(Ange)
HAIR & MAKEUP:[RIE MIYAZAWA]KEIZO KURODA(Iris)、[JIRO SATO]AKI KONNO (A.m Lab)

[JIRO SATO]・ジャケット 10万4500円、シャツ 11万円、パンツ 7万1500円/全てY's for men(ワイズプレスルーム 03-5463-1500)

■「そのいのち」
出演:宮沢りえ、佳山明/上甲にか(Wキャスト)、鈴木楽/工藤凌士(Wキャスト)、福田学人/徐斌(Wキャスト)、今藤洋子、本間剛、佐藤二朗
脚本:佐藤二朗
演出:堤泰之
https://www.ktv.jp/event/sonoinochi/

東京公演
日程:2024年11月9〜17日(※12日休演)
会場:世田谷パブリックシアター
時間:①13:00〜、②18:00〜
入場料金:(全席指定) S席 1万2000円、A席 9900円

兵庫公演
日程:2024年11月22〜24日
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
時間:①12:00〜、②14:00〜、③17:00〜
入場料金:(全席指定)1万1000円

宮城公演
日程:2024年11月28日
会場:東京エレクトロンホール宮城
時間:①13:30〜、②18:30〜
入場料金:(全席指定)S席 1万1000円、A席 9900円

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宮沢りえ × 佐藤二朗 中村佳穂の楽曲から着想を得た舞台「そのいのち」で表現する“生命への讃歌”

PROFILE: 左:宮沢りえ 右:佐藤二朗

PROFILE: 左:(みやざわ・りえ)1973年生まれ。東京都出身。88年公開の初主演映画「ぼくらの七日間戦争」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。以後、ドラマ、映画、舞台など、幅広く活躍。5度にわたる日本アカデミー賞主演女優賞や読売演劇大賞大賞・最優秀主演女優賞など、数多くの受賞歴を持つ。最近の主な出演作品は、映画「月」(23年)、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK/22年)、舞台「アンナ・カレーニナ」(23年)など。本年は舞台「骨と軽蔑」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出)、「オーランド」(栗山民也演出)に出演。 右:(さとう・じろう):1969年生まれ。愛知県出身。96年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。数々のドラマ、映画に出演。また脚本家、映画監督としても活動。映画「memo」(08年)、映画「はるヲうるひと」(21年)、共に原作・脚本・監督・出演。「はるヲうるひと」では、韓国の江陵国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞。さらに自身が書いた映画脚本が漫画になり、初の漫画原作となる「名無し」が現在コミプレにて連載中。近年の主な出演作は、映画「変な家」(24年)、映画「あんのこと」(24年)など。12月に映画「聖☆おにいさん THE MOVIE〜ホーリーメンVS悪魔軍団〜」が公開予定。

俳優、脚本家、映画監督など、多彩な才能を発揮して活躍する佐藤二朗。12年ぶりに書き上げた舞台の新作戯曲「そのいのち」の公演が11月9日からスタートする。同作は、ミュージシャンの中村佳穂の同名曲からインスパイアされたもので、介護ヘルパーが障がいを持った新しい雇い主との交流を通じて、次第に変化していくという物語だ。ヒロインの山田里見を演じるのは宮沢りえ。いつか佐藤と共演したいと思っていた宮沢は、脚本を読んで衝撃を受けて出演を快諾した。ハンディキャップを持ちながら俳優として活躍する佳山明、上甲にかがダブルキャストで出演することでも話題を呼んでいる本作について、舞台初共演となる佐藤と宮沢に話を訊いた。

楽曲「そのいのち」を舞台化した理由

——本作は中村佳穂さんの同名の曲がきっかけで生まれたそうですね。

佐藤二朗(以下、佐藤):妻がすすめてくれたんです。それで曲を聴いて「ぐわーん!」ときたんですよ。歌から物語が浮かんだというより、この歌が流れる物語を書きたいと思ったんです。

宮沢りえ(以下、宮沢):二朗さんのそういう気持ち、分かるような気がします。役者をやる時の原動力も自分から出てくるものだけじゃなくて、いろんなものに影響を受けることが多々あるんですよ。例えば、時代劇をやっている時に、着物を着たままハードなロックを聴いて元気を出す時もある(笑)。具体的な理由がなくても、自分が触れたものによって突き動かされる、何か創作の火種になることってあるんですよね。

佐藤:そうなんですよ。曲の歌詞の意味はよく分からなくて、いろんな解釈がされているみたいですけど、「いけいけいきとしGO GO」というサビの歌詞を聴いた時、生命への讃歌だな、と受け取ったんです。だから、生命への讃歌になるような物語を書こうと思いました。ただ、そこで明るいことばかりじゃない現実。人間のちょっとドス黒い部分とか、そういうのを描かないと生命への讃歌にはならないとは思いました。

——佐藤さんは脚本を書いている段階から、主役に宮沢さんをイメージされていたのでしょうか。

佐藤:頭の中にはありました。でもビッグネームだし、現実的には無理だろうなと思っていたんです。それで脚本を書き終えた時、プロデューサーに「無理かもしれないけど主役は宮沢りえさんでお願いしたい」と電話で言ったら「僕もそう思っていました!」って即答だったんですよ。それで実際にオファーしたら快諾いただけて。

「この難しいお芝居に挑んでみたい」(宮沢)

——願いがかなったわけですね。宮沢さんは脚本を読んでどう思われたのでしょう。

宮沢:脚本が届いた時って、今やっているお芝居に集中するために読まずに寝かしておくことがあるんです。でも、この脚本はすぐ読みました。「そのいのち 佐藤二朗」と表紙に書いてあるのを見て、どんな物語なんだろうって気になってしまって。

私が演じるヒロインの中にある、絶対人には見せてはいけないものが最後に吹き出てくる。その緩急が面白かった。自分の役だけではなく、登場人物それぞれの人間関係から生まれるものに関しても、これをどういう風に舞台にしていくんだろう?って興味をもって。この難しいお芝居に挑んでみたいと思ったんです。あと、シンプルに二朗さんと芝居がしたかったんですよね。「こんな芝居、他に誰ができるんだろう。他に代わりのいない役者さんだな」って思っていました。そういう人と芝居するのはとても怖いけど、一緒にやってみたい!って。もう、肉体からしてエネルギッシュな人じゃないですか。

佐藤:どういうことですか!?(笑)。骨太ではありますけどね。

宮沢:存在がエネルギッシュなんですよね。その一方で、すごくハッピーなキャラ。そのギャップが良いですね。

——佐藤さんから見て、宮沢さんの役者としての魅力はどんなところですか?

佐藤:抑圧が似合う女優さんだなって思います。りえちゃんが主演した「紙の月」という映画を観ていると泣きそうになるんですよ。「私は悲劇のヒロイン」というお芝居は全然やっていない。むしろ本当に前を向きたい女性なのに、抑圧されているのが伝わってくる。それもあって、この役をオファーしたんですよ。

負を力にするのが生きるということ

——そうだったんですね。今回、宮沢さんに加えて、佳山明さん、上甲にかさんという、ハンディキャップを持った2人の俳優がダブルキャストで参加することも話題を呼んでいます。

佐藤:僕にとって、負を力にするのが生きるということなんです。負を生命を燃やす燃料に変えることを55歳の僕は祈るような気持ちで信じていて、それがこの物語を書いた理由でもあるんです。鈴木裕美っていう仲が良い演出家がいるんですけど、一緒に飲んでいてこの芝居の話をしたことがあったんです。その時、喫煙場所でタバコを吸ってたら、裕美さんに「さっき言ってた芝居。すごい意義があるからやったほうがいい」って言われたんですよ。それが社会的な意義なのか、演劇的な意義なのかは言いませんでしたけどね。

それで後日、りえちゃんに役を受けてもらえたことを伝えたら、「よかったじゃん」って言ってくれたんです。他にも「意義がある」と言ってくれる人が多くて。それで実際に2人(佳山さん、上甲さん)に会って話をした時に、彼女たちから「どうしても演技がしたい!」という熱を感じたんです。それに触れて、「負が力になる」姿をできればこの目で見てみたいと強く思ったんです。

宮沢:私は去年、「月」という実際にあった事件をもとにした映画に出演したんです。ハンディキャップを持っている方が預けられている施設を舞台にした作品だったので、撮影に入る前に施設を利用されている家族の方に話を聞いたり、自分で実際に施設に伺ったりしました。私が伺った施設は朝来て夜に家に帰る施設でしたが、映画で描かれる施設は森の中にあって、24時間、外の世界から閉ざされているんです。そういうところに隔離されてしまった人もいれば、自分の可能性を開こうと舞台に立つ人もいる。今回、その違いについて考えましたね。

——それは大きな問題ですね。

宮沢:「月」に出演したことでいろんなことを学びました。世間ではハンディキャップがある/ないで分けられることが多いですけど、ハンディキャップがある方の中には当然のようにさまざまな個性があるし、さまざまな感情が渦巻いている。それを知れたことが自分にとっては大きかった。だから今回、お2人が舞台で役を演じきるのを一緒に体験したいと思っています。

——負を力にする、という話がありましたが、それがこのお芝居でどんな風に描かれているのか、演技を通じてどんな風に伝わるのかが楽しみです。

佐藤:負を力にする、というのは、負を違うものに変換するということではなくて、負は負のままあるんです。それがどこかにいっちゃうわけでもないし、良いものになるわけでもない。今日や昨日と同じように、明日も負はそこにあるんだけど、負があるからこそ良いこともあるんじゃないかと思っていて。負は相変わらずあるけれど、それでも半歩、前を向こうと思えるようになるのが人間らしい感じがして、そういう物語を書きたいといつも思っているんです。

——ちょっとしたことで気持ちが変化することってありますね。そうすることで負との向き合い方が少し変わったりする。

佐藤:そう。すごく些細なことでいいんです。例えば雨が降っている中を傘をさして歩いていて、ふと思い立って傘をたたんで、ずぶ濡れになって家まで走って帰ってみる。そうすることで、なんだか分からないけど「頑張ってみようかな」っていう気持ちになったりすることに僕はすごく人間の面白さを感じるんですよ。

宮沢:登場人物それぞれから剝(む)き出しになって出てくるものが、どこにどんなふうに届くのかは舞台を見る人によって違ってくると思うんですよね。私は脚本を読んだ時に、鳥肌が立った瞬間があったんです。舞台を観にきてくださった方にも、そういう瞬間があればいいなって思います。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO
STYLIST:[RIE MIYAZAWA]KEIKO SASAKI (AGENCE HIRATA)、[JIRO SATO]MIYOKO ONIZUKA(Ange)
HAIR & MAKEUP:[RIE MIYAZAWA]KEIZO KURODA(Iris)、[JIRO SATO]AKI KONNO (A.m Lab)

[JIRO SATO]・ジャケット 10万4500円、シャツ 11万円、パンツ 7万1500円/全てY's for men(ワイズプレスルーム 03-5463-1500)

■「そのいのち」
出演:宮沢りえ、佳山明/上甲にか(Wキャスト)、鈴木楽/工藤凌士(Wキャスト)、福田学人/徐斌(Wキャスト)、今藤洋子、本間剛、佐藤二朗
脚本:佐藤二朗
演出:堤泰之
https://www.ktv.jp/event/sonoinochi/

東京公演
日程:2024年11月9〜17日(※12日休演)
会場:世田谷パブリックシアター
時間:①13:00〜、②18:00〜
入場料金:(全席指定) S席 1万2000円、A席 9900円

兵庫公演
日程:2024年11月22〜24日
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
時間:①12:00〜、②14:00〜、③17:00〜
入場料金:(全席指定)1万1000円

宮城公演
日程:2024年11月28日
会場:東京エレクトロンホール宮城
時間:①13:30〜、②18:30〜
入場料金:(全席指定)S席 1万1000円、A席 9900円

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「SHOGUN 将軍」でエミー賞受賞のフィルムエディター三宅愛架 映像編集職の深い魅力を語る

PROFILE: 三宅愛架/フィルムエディター

三宅愛架/フィルムエディター
PROFILE: (みやけ・あいか)愛知県出身。テレビ会社やスタジオ勤務を経て、19年に渡米しフィルムエディターとして活動する。ビヨンセのミュージックフィルム「ブラック・イズ・キング」に参加。「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第5回はドラマ「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞したフィルムエディターの三宅愛架に話を聞いた。

日本語の魅力を再発見した編集作業

水嶋和恵(以下、水嶋):エミー賞受賞、おめでとうございます!三宅さんとは、以前ヴェニスビーチ映画祭(Venice Beach Film Festival)のファウンダー、エリオット・チャロフ(Eliot Charof)を通じて出会いました。とても気さくでおおらかな印象でした。今回の受賞で改めて、仕事をとことんやり抜く芯の強さを感じ尊敬しています。受賞した今の心境を教えてください。

三宅愛架(以下、三宅):夢のようです。まだ実感がありません。ここまで到達できてうれしい気持ちでいっぱいです。自分の受賞はもちろんですが、俳優の真田広之さんや澤井杏奈さんの受賞がうれしく、作品自体が多くの方々に観てもらえて、認められました。目標にしてきたものが達成でき、「SHOGUN 将軍」のチームとしても最高の結果が出せたと感じています。

水嶋:「SHOGUN 将軍」に携わり、苦労はありましたか?

三宅:時代劇というカテゴリーに詳しいわけではなかったので、劇中の日本語の解釈が難しかったです。日本語の台詞を読んでも意味が分からない単語も多く、私自身学びの多い現場でした。日本語というのは、英語と比べるととてもポエティックで、こんなに素晴らしく美しい文化が存在するのだと再確認し、誇らしい気持ちになりました。

撮影はバンクーバーと極寒の中でしたが、コロナ期間だったため、私はロサンゼルスの自宅で一人、毎日編集作業をしていました。フィクションとは言えど、切腹などのヘビーなシーンが多く登場したため、自分のメンタルケアを心掛けていました。「SHOGUN 将軍」のストーリーを通して、恵まれている自分の環境に感謝をしようという気持ちになりましたね。「SHOGUN 将軍」は戦国時代が舞台ですが、たとえ50年前に生まれていたとしても、日本人女性である私が、自分の好きな土地、好きなフィールドでここまで活躍するのは難しかったかもしれません。

場面をつなぐのが編集の仕事 
映像は独特な言語

水嶋:私も同じ気持ちです。ロサンゼルスに移住して自分が望むフィールドに身を置くことができている。感謝の気持ちでいっぱいです。“編集”というのは具体的にどんな仕事ですか?

三宅:私が担当しているのは、オフライン編集というものです。撮影映像のテイクを選び場面ごとにつなぎ合わせる、それが編集の仕事です。編集者は、ポストプロダクション(映像作品の撮影後に編集する作業の総称)で最初に関わります。細かいニュアンスを表現しながら、視聴者にストーリーが伝わるかを確認し、その上でどこまで芸術的に感情を表現するか。そんな部分を考えてつないでいきます。映像というのは独特な言語だと感じています。ワイドからクローズアップになるのも、一つの言語です。今回の作品では、特に日本人女性の感情を表に出さない微差な演技が重要だったため、細かな目の動きなどを見逃さないようにしました。素晴らしいシーンと演技ばかりで、選ぶのがとても大変でした。

水嶋:スタイリストと似ているところがあると感じます。素材があって、その魅力を最大限に引き出し、ストーリーをつくっていくか。

三宅:似ていますね!それぞれのフィールドで違う表現方法が存在していて、面白いですね。編集をしていて、一番面白いと感じるのは”オーディオ・ビジュアル”。怒りや愛情、もやもやした感情、ストレスがリリースした様、そういった自分の気持ちをアートの表現の一種として、音と絵のバイブレーションでどう表現するか。そこに興味がありますね。それがニュアンスとして観客に伝わっていくんですよね。私の意図することが観客に伝わるとうれしいですね。

父の他界を経験し、自らの道を切り開く

水嶋:カリフォルニアへ行こうと思ったターニングポイントは何だったのでしょうか?

三宅:17歳の時に父が亡くなりました。自分の人生を自分でなんとか切りひらいていかなければという意識になりました。そこで、どう生きたいのかを考え、渡米をすることに。2年間アルバイトをしたのち20歳でカリフォルニアのコミュニティーカレッジに通いはじめました。比較的学費が安く、さまざまなカテゴリーのクラスをとることができます。当時いろいろなことに興味があり、人類学や環境科学などを受講しました。3年経てば英語力が高まり、何か仕事につながるという期待もありました。目標はフィルムのコースを最後にとることでした。そのクラスでディレクターやシネマフォトグラファーを務めたのですが、編集の仕事を学んだときにしっくりきたんです。そのときに「自分にはこの道しかないかもれない」と思いました。

水嶋:卒業後はどんな仕事に就いたんですか?

三宅:日本に帰国して最初に入社したのは、テレビのオンライン編集をメインにしている会社でした。その当時はテープでの納品だったのですが、テレビの場合、収録後には監督が自らオフライン編集をします。それを私たちが受け取り、タイトルやテロップをのせ、音付けをする。そういったポリッシング作業を3年ほどしていましたが、自分のやりたいことはストーリーテリングであり、ポリッシングではないと気づき、フリーランスの道を選びました。そこから、小さいコマーシャルの企画の仕事をする中で、自分のやりたい仕事の形を模索しました。

そんな時、シカゴのポストプロダクションの会社、カッターズ・スタジオ(Cutters Studio)が、東京オフィスを開設すると聞き、アシスタントとして雇ってもらうことに。「ナイキ(NIKE)」のコマーシャルの編集をしている姿を見て「自分がやりたかったのは、こういう編集だ!」と気づき、気持ちが加速しました。自分の進む道を決めることになったターニングポイントだったと思います。広告業界の“クリエイティブ・エディット”と呼ばれる仕事で、その職に出合ったことをきっかけに19年に米国に来ました。

水嶋: 19年に渡米したときには、既に仕事が決まっていたのですか?

三宅:ポストプロダクションの会社で契約が決まっていて、ビザもサポートしてもらえました。これからアメリカで仕事をしたいと思っている人に薦めたいのは、日本とアメリカを行ったり来たりすること。私は拠点を決めずに、自分がやりたい仕事が導いてくれる場所で仕事をしています。

エミー賞受賞するも、まだまだこれから

水嶋:三宅さんのやりたい仕事が、ここロサンゼルスにあったということですね。それはどういった仕事でしょうか?

三宅:やはり、映画ですね!映画=ハリウッド。今回エミー賞を受賞するという長年の夢は叶えたものの、まだまだつま先が入ったかな、という感じです。

水嶋:ロサンゼルスでは主にどのような仕事をされていますか?

三宅:フィルムでは「SHOGUN 将軍」「シェフのテーブル」、ビヨンセ(Beyonce)の「ブラック・イズ・キング」などを、広告では「ナイキ」「ゲータレード(GATORADE)」「エックスボックス(XBOX)」などを編集しています。

水嶋:どのような暮らしを送っていますか?

三宅:ロサンゼルスのアートシーンが楽しく、アート関連のオープニングイベントに行きます。ロサンゼルスはカジュアルなコンテンポラリー・アート、ポップで楽しい感じの作品が多いと感じます。今流行しているセラミックも好きです。至福の時は、自宅で愛猫とゆっくり過ごす時間ですね。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

三宅:小さな映画館で古い映画が再上映されていることが多々あるのは発見でした。さまざま小規模のイベントが、あちらこちらで開催されているのはロサンゼルスの楽しい一面ですよね。

水嶋:今後かなえたい夢や目標は何ですか?

三宅:編集を続けていきたいです。編集を始めて17年になりますが、やればやるほど編集というものの奥深さを感じます。編集をしているときがとにかく楽しく、アワードは目指すものというよりうれしい結果であり、ご褒美ですね。また、世間からのエディター・編集のイメージを変えていきたいです。テクニカルな仕事だと思われがちですが、芸術的な面もあり、皆さんに親近感を持ってもらい、次世代につながっていってほしいです。

周りを気にせず、自分のやれることをやるだけ

水嶋:常にポジティブで、素敵な笑顔の三宅さん。どのようにそのマインドをキープしているのですか?

三宅:海外で日本人女性というと、どうしても二の次にされてしまうことがありますが、気にせずに自分のやれることをやれるだけやっていこう、そう思っています。あとは常に自分に正直な選択をすることですね。

水嶋:同じロサンゼルスを舞台に活動している身として、私も三宅さんのような思考を持ち、がんばりたいと思いました。物事の結果だけでなくプロセスも大事ですよね。

三宅:その通りですね。ネガティブなことがあったとしても、どう対応したかで、自分を誇れると思います。どんな苦境でも、解決方法を探してポジティブでいたいですね。

水嶋:フィルムエディターの仕事は「裏方で地味な仕事に思われがちだけれど、もっと前に!」という言葉や、女性が活躍する場が少ない業界の中で引け目を感じずポジティブに挑む姿にも、女性として共感を覚えました。

TEXT:ERI BEVERLY

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「SHOGUN 将軍」でエミー賞受賞のフィルムエディター三宅愛架 映像編集職の深い魅力を語る

PROFILE: 三宅愛架/フィルムエディター

三宅愛架/フィルムエディター
PROFILE: (みやけ・あいか)愛知県出身。テレビ会社やスタジオ勤務を経て、19年に渡米しフィルムエディターとして活動する。ビヨンセのミュージックフィルム「ブラック・イズ・キング」に参加。「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第5回はドラマ「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞したフィルムエディターの三宅愛架に話を聞いた。

日本語の魅力を再発見した編集作業

水嶋和恵(以下、水嶋):エミー賞受賞、おめでとうございます!三宅さんとは、以前ヴェニスビーチ映画祭(Venice Beach Film Festival)のファウンダー、エリオット・チャロフ(Eliot Charof)を通じて出会いました。とても気さくでおおらかな印象でした。今回の受賞で改めて、仕事をとことんやり抜く芯の強さを感じ尊敬しています。受賞した今の心境を教えてください。

三宅愛架(以下、三宅):夢のようです。まだ実感がありません。ここまで到達できてうれしい気持ちでいっぱいです。自分の受賞はもちろんですが、俳優の真田広之さんや澤井杏奈さんの受賞がうれしく、作品自体が多くの方々に観てもらえて、認められました。目標にしてきたものが達成でき、「SHOGUN 将軍」のチームとしても最高の結果が出せたと感じています。

水嶋:「SHOGUN 将軍」に携わり、苦労はありましたか?

三宅:時代劇というカテゴリーに詳しいわけではなかったので、劇中の日本語の解釈が難しかったです。日本語の台詞を読んでも意味が分からない単語も多く、私自身学びの多い現場でした。日本語というのは、英語と比べるととてもポエティックで、こんなに素晴らしく美しい文化が存在するのだと再確認し、誇らしい気持ちになりました。

撮影はバンクーバーと極寒の中でしたが、コロナ期間だったため、私はロサンゼルスの自宅で一人、毎日編集作業をしていました。フィクションとは言えど、切腹などのヘビーなシーンが多く登場したため、自分のメンタルケアを心掛けていました。「SHOGUN 将軍」のストーリーを通して、恵まれている自分の環境に感謝をしようという気持ちになりましたね。「SHOGUN 将軍」は戦国時代が舞台ですが、たとえ50年前に生まれていたとしても、日本人女性である私が、自分の好きな土地、好きなフィールドでここまで活躍するのは難しかったかもしれません。

場面をつなぐのが編集の仕事 
映像は独特な言語

水嶋:私も同じ気持ちです。ロサンゼルスに移住して自分が望むフィールドに身を置くことができている。感謝の気持ちでいっぱいです。“編集”というのは具体的にどんな仕事ですか?

三宅:私が担当しているのは、オフライン編集というものです。撮影映像のテイクを選び場面ごとにつなぎ合わせる、それが編集の仕事です。編集者は、ポストプロダクション(映像作品の撮影後に編集する作業の総称)で最初に関わります。細かいニュアンスを表現しながら、視聴者にストーリーが伝わるかを確認し、その上でどこまで芸術的に感情を表現するか。そんな部分を考えてつないでいきます。映像というのは独特な言語だと感じています。ワイドからクローズアップになるのも、一つの言語です。今回の作品では、特に日本人女性の感情を表に出さない微差な演技が重要だったため、細かな目の動きなどを見逃さないようにしました。素晴らしいシーンと演技ばかりで、選ぶのがとても大変でした。

水嶋:スタイリストと似ているところがあると感じます。素材があって、その魅力を最大限に引き出し、ストーリーをつくっていくか。

三宅:似ていますね!それぞれのフィールドで違う表現方法が存在していて、面白いですね。編集をしていて、一番面白いと感じるのは”オーディオ・ビジュアル”。怒りや愛情、もやもやした感情、ストレスがリリースした様、そういった自分の気持ちをアートの表現の一種として、音と絵のバイブレーションでどう表現するか。そこに興味がありますね。それがニュアンスとして観客に伝わっていくんですよね。私の意図することが観客に伝わるとうれしいですね。

父の他界を経験し、自らの道を切り開く

水嶋:カリフォルニアへ行こうと思ったターニングポイントは何だったのでしょうか?

三宅:17歳の時に父が亡くなりました。自分の人生を自分でなんとか切りひらいていかなければという意識になりました。そこで、どう生きたいのかを考え、渡米をすることに。2年間アルバイトをしたのち20歳でカリフォルニアのコミュニティーカレッジに通いはじめました。比較的学費が安く、さまざまなカテゴリーのクラスをとることができます。当時いろいろなことに興味があり、人類学や環境科学などを受講しました。3年経てば英語力が高まり、何か仕事につながるという期待もありました。目標はフィルムのコースを最後にとることでした。そのクラスでディレクターやシネマフォトグラファーを務めたのですが、編集の仕事を学んだときにしっくりきたんです。そのときに「自分にはこの道しかないかもれない」と思いました。

水嶋:卒業後はどんな仕事に就いたんですか?

三宅:日本に帰国して最初に入社したのは、テレビのオンライン編集をメインにしている会社でした。その当時はテープでの納品だったのですが、テレビの場合、収録後には監督が自らオフライン編集をします。それを私たちが受け取り、タイトルやテロップをのせ、音付けをする。そういったポリッシング作業を3年ほどしていましたが、自分のやりたいことはストーリーテリングであり、ポリッシングではないと気づき、フリーランスの道を選びました。そこから、小さいコマーシャルの企画の仕事をする中で、自分のやりたい仕事の形を模索しました。

そんな時、シカゴのポストプロダクションの会社、カッターズ・スタジオ(Cutters Studio)が、東京オフィスを開設すると聞き、アシスタントとして雇ってもらうことに。「ナイキ(NIKE)」のコマーシャルの編集をしている姿を見て「自分がやりたかったのは、こういう編集だ!」と気づき、気持ちが加速しました。自分の進む道を決めることになったターニングポイントだったと思います。広告業界の“クリエイティブ・エディット”と呼ばれる仕事で、その職に出合ったことをきっかけに19年に米国に来ました。

水嶋: 19年に渡米したときには、既に仕事が決まっていたのですか?

三宅:ポストプロダクションの会社で契約が決まっていて、ビザもサポートしてもらえました。これからアメリカで仕事をしたいと思っている人に薦めたいのは、日本とアメリカを行ったり来たりすること。私は拠点を決めずに、自分がやりたい仕事が導いてくれる場所で仕事をしています。

エミー賞受賞するも、まだまだこれから

水嶋:三宅さんのやりたい仕事が、ここロサンゼルスにあったということですね。それはどういった仕事でしょうか?

三宅:やはり、映画ですね!映画=ハリウッド。今回エミー賞を受賞するという長年の夢は叶えたものの、まだまだつま先が入ったかな、という感じです。

水嶋:ロサンゼルスでは主にどのような仕事をされていますか?

三宅:フィルムでは「SHOGUN 将軍」「シェフのテーブル」、ビヨンセ(Beyonce)の「ブラック・イズ・キング」などを、広告では「ナイキ」「ゲータレード(GATORADE)」「エックスボックス(XBOX)」などを編集しています。

水嶋:どのような暮らしを送っていますか?

三宅:ロサンゼルスのアートシーンが楽しく、アート関連のオープニングイベントに行きます。ロサンゼルスはカジュアルなコンテンポラリー・アート、ポップで楽しい感じの作品が多いと感じます。今流行しているセラミックも好きです。至福の時は、自宅で愛猫とゆっくり過ごす時間ですね。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

三宅:小さな映画館で古い映画が再上映されていることが多々あるのは発見でした。さまざま小規模のイベントが、あちらこちらで開催されているのはロサンゼルスの楽しい一面ですよね。

水嶋:今後かなえたい夢や目標は何ですか?

三宅:編集を続けていきたいです。編集を始めて17年になりますが、やればやるほど編集というものの奥深さを感じます。編集をしているときがとにかく楽しく、アワードは目指すものというよりうれしい結果であり、ご褒美ですね。また、世間からのエディター・編集のイメージを変えていきたいです。テクニカルな仕事だと思われがちですが、芸術的な面もあり、皆さんに親近感を持ってもらい、次世代につながっていってほしいです。

周りを気にせず、自分のやれることをやるだけ

水嶋:常にポジティブで、素敵な笑顔の三宅さん。どのようにそのマインドをキープしているのですか?

三宅:海外で日本人女性というと、どうしても二の次にされてしまうことがありますが、気にせずに自分のやれることをやれるだけやっていこう、そう思っています。あとは常に自分に正直な選択をすることですね。

水嶋:同じロサンゼルスを舞台に活動している身として、私も三宅さんのような思考を持ち、がんばりたいと思いました。物事の結果だけでなくプロセスも大事ですよね。

三宅:その通りですね。ネガティブなことがあったとしても、どう対応したかで、自分を誇れると思います。どんな苦境でも、解決方法を探してポジティブでいたいですね。

水嶋:フィルムエディターの仕事は「裏方で地味な仕事に思われがちだけれど、もっと前に!」という言葉や、女性が活躍する場が少ない業界の中で引け目を感じずポジティブに挑む姿にも、女性として共感を覚えました。

TEXT:ERI BEVERLY

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「リステア」が注目する韓国ブランドが渋谷パルコに集結

セレクトショップの「リステア(RESTIR)」は、気鋭の韓国ブランドを集めたポップアップイベントを渋谷パルコで11月12日まで開催中だ。柴田麻衣子クリエイティブ・ディレクターが注目する5つの韓国ブランドに加え、自社ブランドの「アイレネ(IRENE)」「ルシェルブルー(LE CIEL BLEU)」も並ぶ。

「リステア」が渋谷パルコでのポップアップを開催するのは今回初。柴田クリエイティブ・ディレクターは、「私たちはラグジュアリーセレクトとして知られてきたが、あらためて自分たちが面白いと思うアップカミングなブランドにフォーカスしたいと思った。常に進化し続けるエネルギー溢れるブランドを集めた」と開催意図を語る。

例えばリー・ヒュンミ(Lee Hyemee)が2015年に始めた「インク(EENK)」は、日常になじむモード服の提案が強み。韓国セレブやファッション、アート業界関係者から支持を集める。リーデザイナーは、ウィメンズウエアからメンズ、子ども服、アクセサリーまで多様な分野でキャリアを積んだ。「インク」で目指すのは、「価値のあるビンテージになる服を作ること」だ。

ポップアップに合わせ来日したリーデザイナーは、「私にとってアジアの女性に支持されることはとても大事。特に日本は、トレンドに流されやすい韓国に比べ、個性を大事にするファッション観があり、日本で認められることに意味がある。『リステア』とともに挑戦できることが心強い」とコメントした。

柴田クリエイティブ・ディレクターは、「日本には若年層向けの韓国ブランドは入ってきているが、ハイエンドな韓国ブランドの面白さはまだまだ知られていない。そういう韓国ファッションを求めている層を開拓したい」と話す。

2021年秋冬シーズンにデビューした「ボンボム(BONBOM)」は、柴田クリエイティブ・ディレクターがデビュー前から注目していたというデザイナーだ。1993年生まれのボンボムデザイナーは、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションでメンズウェアを専攻したのち、「Y/プロジェクト(Y/PROJECT)」でインターンを経験する。ジェンダーレスな感性でストリートカジュアルウェアの時代における、ドレスアップスタイルを追求する。最近ではBLACKPINK などK-P0Pの衣装にも抜擢され、存在感を高めている。

来日したボンボムデザイナーは「『リステア』は僕が初めて東京に来た時に訪れたお店。今こうして一緒に仕事ができていることがすごく誇らしい。今回のポップアップでは、まだブランドを知らない日本の若者たちにブランドを知ってほしい」と話した。

「アジアブランドとの連携を強める」

同イベントではそのほか、ロク・ファン(Rok Hwang)が手掛ける「ロク(ROKH)」、クォン・スンジンによるカジュアルウエアの「ヴェルソ(VERSO)」、ヘアアクセサリーの「ヘイップ(HEYP)」を取り扱う。

柴田ディレクターは2025年春夏から韓国ブランドの買い付けを強化。「今後、日本を含むアジアブランドとの連携を強め、『リステア』にしかできない施策に力を入れたい」と話す。

■RESTIR WOMENS DESIGNERS -work in progress- TOKYO x SEOUL

日程:10月30日〜11月12日
場所:渋谷パルコ 2階
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1

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カサビアンのサージ・ピッツォーノが語る新アルバムからステージ衣装、地元レスターまで

PROFILE: セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー

セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー
PROFILE: 1980年生まれ、イングランド・デボン州出身レスター育ち。幼い頃はサッカー選手になるのが夢で、地元レスター・シティFCのFWを目指していたが、11歳の時にカサビアンの前身となるバンドを結成し、1997年からカサビアンのメンバーとして活動。大のファッション好きとして知られ、過去には「シーピー カンパニー」や「ジースター ロゥ」とコラボコレクションを制作した PHOTO:NAOKI USUDA

イングランド・ロンドンから150kmほど北に位置する多民族都市がレスターだ。同地で1997年に結成し、これまでリリースした8作のアルバムのうち7作で全英1位を獲得、世界最大級の音楽フェス「グラストンベリー フェスティバル(Glastonbury Festival)」ではヘッドライナーを務めるなど、名実共に英国を代表するロックバンドに成長したのがカサビアン(Kasabian)である。2020年に、結成時からボーカルを務めていたトム・ミーガン(Tom Meighan)と袂を分かち、現在はギタリストのサージことセルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)がフロントマンを務める新体制で活動している。

10月中旬、カサビアンの12年ぶりとなる単独ツアーのため来日していたサージにインタビューを敢行。7月にリリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」についてはもちろん、作詞作曲に関するあれこれ、ファッション好きとして知られる一面、日本と地元レスターへの思いなどについても聞いてみた。

「時には制限がある方が自由なんだ」

ーーまずは、先日リリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」について聞かせてください。今作を含めてほぼ全てのアルバムを2〜3年周期で発表していますね。

セルジオ・ピッツォーノ(以下、サージ):ツアーで全世界を回ると最低でも1年半はかかるんだけど、それから自宅に戻ってアルバムに着手するとなると、自然とその周期になるんだ。新しい作品を発表することと同じくらい、ライブは僕たちの活動における大事な要素だから蔑ろにはしたくないし、最速のサイクルじゃないかな。制作期間中は、取り憑かれたように没頭するから人生において最も濃密な時間で、人生そのものが楽曲制作だけのような感覚に陥るよ。

ーーなるほど。その中で、今作は制作にあたって具体的な糸口があったのでしょうか?

サージ:はっきりと作品のビジョンが浮かぶまでは、なるべくリラックスして暮らしているんだ。その中でも、感性をスパークさせるようなインスピレーションは常に探していて、映画をはじめとした芸術や歌詞的な何かに触れると、「OK、準備ができた」みたいな感じで制作が始まるね。そして、大抵は明確なアイデアがある状態で進めていくんだけど、今回は“サイコポップレコード”にしたいと思っていたら、収録曲の「Call」が最初に完成したから、「Call」こそがスパークでアイデアと言えるかな。

ーー収録内容は、全10曲で28分5秒と非常にコンパクトですが、意識されたのでしょうか?

サージ:疾走感がありながらコーラスやメロディは壮大で、それを極限まで短く編集して攻撃的なまでに簡潔な作品にしたかったんだ。ラモーンズ(Ramones、1970~90年代に活躍したニューヨーク・パンクを代表するバンド)のような精神性にダンス・サイケデリックポップのフィルターをかけることで、コンパクトだけど複雑な楽曲群になったと思っているよ。

あとは、多くの人たちがどんな情報もダイジェストに消費している今の時代に対して、僕なりにメッセージを問いかけたんだ。ユーチューブには、名作の映画や小説を数分で解説する動画があるよね。僕からすると、「たったそれだけで作品を理解できるのか」と驚くし信じられないけど、この情報の取得方法が今の人たちには心地がいいみたいだから、それを逆手に取ったんだ。どういうことかと言うと、「Happenings」を制作する段階で頭の中に箱を用意した。この箱の中は自由だけど、箱から出てはいけないーーそう、この箱は“簡潔な作品”という制限なんだ。

ーー“制限こそ創造性を高める”と言いますよね。

サージ:そうそう!真っ白な大きい紙を前にしたら何をすればいいか迷うけど、ノートという枠とペンがあれば自然と文字や絵を描くことに導かれるように、時には制限がある方が自由なんだよね。

ーーでは、どのような状況下で楽曲を生み出すことが最も多いですか?

サージ:不思議なことに、僕自身もいつ、どこから生み出しているのか分からないんだ。朝起きて、そのままギターを手にすると20分後には1つの楽曲ができてしまうこともあるし、特に決まったルーティーンはないね。ただ、僕は誰かが何かを叩く音も音楽に聴こえてしまうし、友人がタバコの灰を落とすタイミングもリズムと捉えてしまうから、とにかく敏感なんだと思う。同時に、人は毎秒、毎分、毎時間、常に何かしらのインスピレーションに触れ続けていることを理解している。“世界を感じる”とでも言えばいいのかな?その状態で映画を観ちゃうと一瞬のストリングスの音ですら過敏に反応してしまうから、正直疲れるけどね(笑)。

あとは、今こうして東京を訪れて散歩中に見つけたジャケットを羽織っただけでも、マインドに変化が生まれてギターの持ち方が少し変わるから、ある意味で洋服もインスピレーションの源だね。こういう話をすると、ファッションに興味がない人から馬鹿げた考えだと思われてしまうのは分かっている。でも、僕のように人前でパフォーマンスをする人間にとっては、ステージに立つ前に靴を履き替えるだけで、信じられないくらい気持ちが切り替わるものなんだ。自分の好きな洋服を身にまとうことで生じる気持ちは、本当に大切にすべき。クソみたいな気持ちの時でも、クソみたいな格好をしている時でも、好きなアイテムを身に着けるだけで気分が一新するんだよ。

「小さい頃からファッションが自分の一部だった」

ーーそうおっしゃられるということは、ステージ衣装には並々ならぬこだわりがあると思いますが、いかがですか?個人的には、今年の「グラストンベリー フェスティバル」の衣装が最高でした!

サージ:「これを着てほしい」と言われても着たくなかったら着ないタイプだから、ステージ衣装は基本的に自分で用意するようにしていて、忙しいときだけスタイリストにお願いするね。力の入れ具合は、普段の格好が10段階の“7”だとしたら、ステージが“10”で、スタジオだと“2”かな(笑)。「グラストンベリー」の衣装は、デザイナーのフェイ・オークンフル(Faye Oakenfull)が手掛けた「リーバイス(LEVI’S)」と僕のコラボによる一点モノのギリースーツで、あれを着てステージに立てたことは本当に誇りさ。

ーーライブ映像を観ていると、足元が「コンバース(CONVERSE)」をはじめとしたスニーカーを履かれていることが多く、今日の足元も「ステューシー(STUSSY)」のコラボモデルです。これも一種のこだわりなのでしょうか?

サージ:「コンバース」は、セットアップと合わせたらクールでロックンロールな感じがするし、スキニージーンズにもバギージーンズにも合うし、どんな衣装でも履くだけで全体の統一感が生まれる魔法のようなスニーカーだから大好きなんだ。それに、ステージ上で動きやすいのが何よりも大きなポイントだね。ステージで履きたいブーツもいろいろあるんだけど、動き回ったりジャンプしたりしたら脚を痛めてしまうから(笑)。

ーーフロントマンとして立ち回るようになった2021年以降、フロントマン然としたステージ衣装を意識するようにはなりましたか?

サージ:もともと子どもの頃から洋服が大好きで、ステージ衣装には前々からこだわってきたけど、今はより意識するようになったかな。ファッションは自分のクリエイティビティの一環であり、表現の一種であり、形成する一部であると強く思っている。というのも、母親はいつもスタイリッシュでエレガントだったし、叔母が洋服屋を営んでいたんだよ。彼女は先見の明がある人で、イギリスでは手に入りづらいフランスやイタリアの洋服を仕入れてファッションショーを行ったり、オリジナルのビジュアルを作ったりして、僕は小さい頃から手伝っていたからファッションが自然と自分の一部になったんだ。

偉大なアーティストは、それぞれがオリジナルのファッションスタイルを持っているよね。たとえば、カート・コバーン(Kurt Cobain)に代表されるグランジファッションは、本来はアンチテーゼから生まれたスタイルだけど、彼のカリスマ性もあってクールに変貌した。オリジナルになるためには、全て古着屋で買ったものでもいいし、特にブランドにこだわる必要もないし、何を組み合わせたらコーディネートとして面白いかなんだ。逆を言えば、ファッションセンスがイマイチなアーティストは、音楽的にも思うことがある(笑)。とにかく、クリエイティブなアイデアをファッション的な形に表すことができるなら、より良いことだよ。

ーーちなみに、今回の来日公演の衣装は?

サージ:東京公演初日に着ていたジャケットは、イギリスの郵便局員が着るようなものを日本の古着屋で3000円で購入したというおかしな話。ジーンズは、“S”から始まる韓国のブランドのもので、名前は思い出せないけど作りがピカイチなんだ。トップスは……妻のクローゼットから勝手に拝借したもので、バレたら怒られるから内緒ね(笑)。東京公演2日目は、サイズ感が気に入っている「キス(KITH)」のニットジャケットと、架空のホテルブランド「レイト チェックアウト(LATE CHECKOUT)」のTシャツを着たよ。

「日本に滞在中、生まれ育ったような錯覚を覚える」

ーーカサビアンは来日公演が多いですが、プライベートでの来日経験はありますか?

サージ:17回ほど来日しているんだけど、実はプライベートの旅行は一度もないんだ。ライブ会場に向かう車窓越しの日本ばかり楽しんでいるから、いつかちゃんと旅行したいんだよね。家族とはすでに計画していて、息子も必ず気に入ってくれると思うよ。

ーーあなたの琴線に触れる日本のカルチャーなどがあれば教えてください。

サージ:日本の映画を結構観るし、ダモ鈴木(実験的即興演奏で知られる音楽家で、2024年2月に74歳で死去)とカン(Can、ダモ鈴木がボーカルを務めた西ドイツのロックバンド)のファンで、彼がやっていたことはネクストレベルだと思う。あと、カルチャーとは少し違うんだけど、日本の滞在中はまるで家にいるような、生まれ育ったような錯覚を覚えるんだよね。僕はすごく背が高いから(197cm)、どうしても着られる洋服が限られてしまう。でも、不思議なことに日本の洋服はフィットすることが多くて、そういうときに自分が日本の一部だと感じてしまう。それに、道行く人たちが本当にスタイリッシュで、ファッションが好きな気持ちが通じるというか。これはプロモーションで来日しているからでも、君がファッションメディアの人間だから言っているわけでもないと分かってほしい(笑)。

ーー最後に、日本のファンに向けて地元レスターやロンドンのおすすめスポットを紹介していただけますか?

サージ:ロンドンだったら、ありきたりだけどドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)は服好きなら間違いなく行ってほしい。カムデン(古着屋やライブハウスで知られるエリア)も定番とはいえ、歩いていたら思わぬお宝に巡り合えることがあるから楽しいよ。ショーディッチ(古着屋が多いショッピングエリア)も歩き回るにはおすすめで、セレクトショップの「グッドフッド(Goodhood)」にはよく行くね。

レスターに関しては、10年前にこのインタビューを受けていればリストを作れたんだけど、オンラインストアの影響で気に入っていた個人店がいくつもなくなってしまったんだ。テナント料が高すぎて、エッジィなセンスがある個人店は店を畳まざるを得ず、センスがある若い子も新店をオープンできない状況で、ショッピングモールやチェーン店ばかりが増えてしまっている。だから、「学生やアーティストにはテナント料などを下げてほしい」と、レスター議会に対して働きかけようとしているんだ。そうすることで、街の外からも人が訪れて地域活性化につながるからね。

ーーそうだったんですね。では、観光名所となるとキング パワー スタジアム(King Power Stadium、レスター・シティFCの本拠地)になるんですかね?

サージ:キング パワー スタジアムは最高だよ(笑)!でも、フットボールに興味がない人もいるだろうから、一般的にはリチャード3世が埋葬されているレスター大聖堂が良いかな。

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カサビアンのサージ・ピッツォーノが語る新アルバムからステージ衣装、地元レスターまで

PROFILE: セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー

セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー
PROFILE: 1980年生まれ、イングランド・デボン州出身レスター育ち。幼い頃はサッカー選手になるのが夢で、地元レスター・シティFCのFWを目指していたが、11歳の時にカサビアンの前身となるバンドを結成し、1997年からカサビアンのメンバーとして活動。大のファッション好きとして知られ、過去には「シーピー カンパニー」や「ジースター ロゥ」とコラボコレクションを制作した PHOTO:NAOKI USUDA

イングランド・ロンドンから150kmほど北に位置する多民族都市がレスターだ。同地で1997年に結成し、これまでリリースした8作のアルバムのうち7作で全英1位を獲得、世界最大級の音楽フェス「グラストンベリー フェスティバル(Glastonbury Festival)」ではヘッドライナーを務めるなど、名実共に英国を代表するロックバンドに成長したのがカサビアン(Kasabian)である。2020年に、結成時からボーカルを務めていたトム・ミーガン(Tom Meighan)と袂を分かち、現在はギタリストのサージことセルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)がフロントマンを務める新体制で活動している。

10月中旬、カサビアンの12年ぶりとなる単独ツアーのため来日していたサージにインタビューを敢行。7月にリリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」についてはもちろん、作詞作曲に関するあれこれ、ファッション好きとして知られる一面、日本と地元レスターへの思いなどについても聞いてみた。

「時には制限がある方が自由なんだ」

ーーまずは、先日リリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」について聞かせてください。今作を含めてほぼ全てのアルバムを2〜3年周期で発表していますね。

セルジオ・ピッツォーノ(以下、サージ):ツアーで全世界を回ると最低でも1年半はかかるんだけど、それから自宅に戻ってアルバムに着手するとなると、自然とその周期になるんだ。新しい作品を発表することと同じくらい、ライブは僕たちの活動における大事な要素だから蔑ろにはしたくないし、最速のサイクルじゃないかな。制作期間中は、取り憑かれたように没頭するから人生において最も濃密な時間で、人生そのものが楽曲制作だけのような感覚に陥るよ。

ーーなるほど。その中で、今作は制作にあたって具体的な糸口があったのでしょうか?

サージ:はっきりと作品のビジョンが浮かぶまでは、なるべくリラックスして暮らしているんだ。その中でも、感性をスパークさせるようなインスピレーションは常に探していて、映画をはじめとした芸術や歌詞的な何かに触れると、「OK、準備ができた」みたいな感じで制作が始まるね。そして、大抵は明確なアイデアがある状態で進めていくんだけど、今回は“サイコポップレコード”にしたいと思っていたら、収録曲の「Call」が最初に完成したから、「Call」こそがスパークでアイデアと言えるかな。

ーー収録内容は、全10曲で28分5秒と非常にコンパクトですが、意識されたのでしょうか?

サージ:疾走感がありながらコーラスやメロディは壮大で、それを極限まで短く編集して攻撃的なまでに簡潔な作品にしたかったんだ。ラモーンズ(Ramones、1970~90年代に活躍したニューヨーク・パンクを代表するバンド)のような精神性にダンス・サイケデリックポップのフィルターをかけることで、コンパクトだけど複雑な楽曲群になったと思っているよ。

あとは、多くの人たちがどんな情報もダイジェストに消費している今の時代に対して、僕なりにメッセージを問いかけたんだ。ユーチューブには、名作の映画や小説を数分で解説する動画があるよね。僕からすると、「たったそれだけで作品を理解できるのか」と驚くし信じられないけど、この情報の取得方法が今の人たちには心地がいいみたいだから、それを逆手に取ったんだ。どういうことかと言うと、「Happenings」を制作する段階で頭の中に箱を用意した。この箱の中は自由だけど、箱から出てはいけないーーそう、この箱は“簡潔な作品”という制限なんだ。

ーー“制限こそ創造性を高める”と言いますよね。

サージ:そうそう!真っ白な大きい紙を前にしたら何をすればいいか迷うけど、ノートという枠とペンがあれば自然と文字や絵を描くことに導かれるように、時には制限がある方が自由なんだよね。

ーーでは、どのような状況下で楽曲を生み出すことが最も多いですか?

サージ:不思議なことに、僕自身もいつ、どこから生み出しているのか分からないんだ。朝起きて、そのままギターを手にすると20分後には1つの楽曲ができてしまうこともあるし、特に決まったルーティーンはないね。ただ、僕は誰かが何かを叩く音も音楽に聴こえてしまうし、友人がタバコの灰を落とすタイミングもリズムと捉えてしまうから、とにかく敏感なんだと思う。同時に、人は毎秒、毎分、毎時間、常に何かしらのインスピレーションに触れ続けていることを理解している。“世界を感じる”とでも言えばいいのかな?その状態で映画を観ちゃうと一瞬のストリングスの音ですら過敏に反応してしまうから、正直疲れるけどね(笑)。

あとは、今こうして東京を訪れて散歩中に見つけたジャケットを羽織っただけでも、マインドに変化が生まれてギターの持ち方が少し変わるから、ある意味で洋服もインスピレーションの源だね。こういう話をすると、ファッションに興味がない人から馬鹿げた考えだと思われてしまうのは分かっている。でも、僕のように人前でパフォーマンスをする人間にとっては、ステージに立つ前に靴を履き替えるだけで、信じられないくらい気持ちが切り替わるものなんだ。自分の好きな洋服を身にまとうことで生じる気持ちは、本当に大切にすべき。クソみたいな気持ちの時でも、クソみたいな格好をしている時でも、好きなアイテムを身に着けるだけで気分が一新するんだよ。

「小さい頃からファッションが自分の一部だった」

ーーそうおっしゃられるということは、ステージ衣装には並々ならぬこだわりがあると思いますが、いかがですか?個人的には、今年の「グラストンベリー フェスティバル」の衣装が最高でした!

サージ:「これを着てほしい」と言われても着たくなかったら着ないタイプだから、ステージ衣装は基本的に自分で用意するようにしていて、忙しいときだけスタイリストにお願いするね。力の入れ具合は、普段の格好が10段階の“7”だとしたら、ステージが“10”で、スタジオだと“2”かな(笑)。「グラストンベリー」の衣装は、デザイナーのフェイ・オークンフル(Faye Oakenfull)が手掛けた「リーバイス(LEVI’S)」と僕のコラボによる一点モノのギリースーツで、あれを着てステージに立てたことは本当に誇りさ。

ーーライブ映像を観ていると、足元が「コンバース(CONVERSE)」をはじめとしたスニーカーを履かれていることが多く、今日の足元も「ステューシー(STUSSY)」のコラボモデルです。これも一種のこだわりなのでしょうか?

サージ:「コンバース」は、セットアップと合わせたらクールでロックンロールな感じがするし、スキニージーンズにもバギージーンズにも合うし、どんな衣装でも履くだけで全体の統一感が生まれる魔法のようなスニーカーだから大好きなんだ。それに、ステージ上で動きやすいのが何よりも大きなポイントだね。ステージで履きたいブーツもいろいろあるんだけど、動き回ったりジャンプしたりしたら脚を痛めてしまうから(笑)。

ーーフロントマンとして立ち回るようになった2021年以降、フロントマン然としたステージ衣装を意識するようにはなりましたか?

サージ:もともと子どもの頃から洋服が大好きで、ステージ衣装には前々からこだわってきたけど、今はより意識するようになったかな。ファッションは自分のクリエイティビティの一環であり、表現の一種であり、形成する一部であると強く思っている。というのも、母親はいつもスタイリッシュでエレガントだったし、叔母が洋服屋を営んでいたんだよ。彼女は先見の明がある人で、イギリスでは手に入りづらいフランスやイタリアの洋服を仕入れてファッションショーを行ったり、オリジナルのビジュアルを作ったりして、僕は小さい頃から手伝っていたからファッションが自然と自分の一部になったんだ。

偉大なアーティストは、それぞれがオリジナルのファッションスタイルを持っているよね。たとえば、カート・コバーン(Kurt Cobain)に代表されるグランジファッションは、本来はアンチテーゼから生まれたスタイルだけど、彼のカリスマ性もあってクールに変貌した。オリジナルになるためには、全て古着屋で買ったものでもいいし、特にブランドにこだわる必要もないし、何を組み合わせたらコーディネートとして面白いかなんだ。逆を言えば、ファッションセンスがイマイチなアーティストは、音楽的にも思うことがある(笑)。とにかく、クリエイティブなアイデアをファッション的な形に表すことができるなら、より良いことだよ。

ーーちなみに、今回の来日公演の衣装は?

サージ:東京公演初日に着ていたジャケットは、イギリスの郵便局員が着るようなものを日本の古着屋で3000円で購入したというおかしな話。ジーンズは、“S”から始まる韓国のブランドのもので、名前は思い出せないけど作りがピカイチなんだ。トップスは……妻のクローゼットから勝手に拝借したもので、バレたら怒られるから内緒ね(笑)。東京公演2日目は、サイズ感が気に入っている「キス(KITH)」のニットジャケットと、架空のホテルブランド「レイト チェックアウト(LATE CHECKOUT)」のTシャツを着たよ。

「日本に滞在中、生まれ育ったような錯覚を覚える」

ーーカサビアンは来日公演が多いですが、プライベートでの来日経験はありますか?

サージ:17回ほど来日しているんだけど、実はプライベートの旅行は一度もないんだ。ライブ会場に向かう車窓越しの日本ばかり楽しんでいるから、いつかちゃんと旅行したいんだよね。家族とはすでに計画していて、息子も必ず気に入ってくれると思うよ。

ーーあなたの琴線に触れる日本のカルチャーなどがあれば教えてください。

サージ:日本の映画を結構観るし、ダモ鈴木(実験的即興演奏で知られる音楽家で、2024年2月に74歳で死去)とカン(Can、ダモ鈴木がボーカルを務めた西ドイツのロックバンド)のファンで、彼がやっていたことはネクストレベルだと思う。あと、カルチャーとは少し違うんだけど、日本の滞在中はまるで家にいるような、生まれ育ったような錯覚を覚えるんだよね。僕はすごく背が高いから(197cm)、どうしても着られる洋服が限られてしまう。でも、不思議なことに日本の洋服はフィットすることが多くて、そういうときに自分が日本の一部だと感じてしまう。それに、道行く人たちが本当にスタイリッシュで、ファッションが好きな気持ちが通じるというか。これはプロモーションで来日しているからでも、君がファッションメディアの人間だから言っているわけでもないと分かってほしい(笑)。

ーー最後に、日本のファンに向けて地元レスターやロンドンのおすすめスポットを紹介していただけますか?

サージ:ロンドンだったら、ありきたりだけどドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)は服好きなら間違いなく行ってほしい。カムデン(古着屋やライブハウスで知られるエリア)も定番とはいえ、歩いていたら思わぬお宝に巡り合えることがあるから楽しいよ。ショーディッチ(古着屋が多いショッピングエリア)も歩き回るにはおすすめで、セレクトショップの「グッドフッド(Goodhood)」にはよく行くね。

レスターに関しては、10年前にこのインタビューを受けていればリストを作れたんだけど、オンラインストアの影響で気に入っていた個人店がいくつもなくなってしまったんだ。テナント料が高すぎて、エッジィなセンスがある個人店は店を畳まざるを得ず、センスがある若い子も新店をオープンできない状況で、ショッピングモールやチェーン店ばかりが増えてしまっている。だから、「学生やアーティストにはテナント料などを下げてほしい」と、レスター議会に対して働きかけようとしているんだ。そうすることで、街の外からも人が訪れて地域活性化につながるからね。

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サージ:キング パワー スタジアムは最高だよ(笑)!でも、フットボールに興味がない人もいるだろうから、一般的にはリチャード3世が埋葬されているレスター大聖堂が良いかな。

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単なるファッションブランド以上の存在に 「ニューバランス」の最新コラボレーター「ブリックス&ウッド」

10月18日、「ニューバランス(NEW BALANCE)」と米ロサンゼルスのサウス・セントラルを拠点とするブランド「ブリックス&ウッド(BRICKS & WOOD)」の3作目のコラボスニーカー“1906 ユーティリティ エコーズ オブ ア バタフライ(1906 UTILITY ECHOES OF A BUTTERFLY)”が、日本国内で発売を迎えた。

この前日、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)は「ブリックス&ウッド」のブランドチームを日本に招へいし、関係者や友人を招いた発売記念朝食会を7階に併設するカフェ「ローズ ベーカリー(ROSE BAKERY)」で開催。この日のためだけに考案されたスペシャルメニューが振る舞われ、参加者たちは東京とロサンゼルスの太平洋を越えた交流を楽しんだ。そして、朝食会を終えて満足気な様子を見せていたファウンダーのケイシー・リンチ(Kacey Lynch)とデザイナーのダニ・バラザ(Dani Barraza)にインタビューを敢行。「ブリックス&ウッド」の設立経緯から、「ニューバランス」とのコラボのきっかけ、今作の制作秘話、そして2人が気になっていることまで、たっぷりと話を聞いた。

単なるファッションブランド以上の存在に

ーーまずは、「ブリックス&ウッド」というブランドのイントロデュースからお願いしたく、設立経緯を教えてください。

ケイシー・リンチ(以下、ケイシー):「ブリックス&ウッド」は、俺がファウンダーとして2014年にカリフォルニア・ロサンゼルスのサウス・セントラルで設立したブランドで、ストーリーをきちんと語ることのできるプロダクトが作りたいという思いがベースにある。というのも、設立以前に某ストリートブランドで働いていたんだけど、ファッション業界はモノを作って売ることばかりが先行していて、属しているカルチャーやコミュニティーへの恩返しの気持ちをはじめ、愛情や感動などが欠けていると思うことが多かったんだ。だから、何かモノを作ることでカルチャーやコミュニティーに還元しながら俺たちの気持ちも伝えられる、ストーリーのあるプロダクトを作り始めたのさ。今、「ブリックス&ウッド」では「こういう背景があるから作った」と説明できないアイテムは一切販売していない。俺たちは大人数で動いているチームではないが、誰もがクリエイターであり、ファンのエデュケートを考えながら取り組んでいるよ。

ーー単なるファッションブランド以上の存在ということですね。

ケイシー:まさに。まぁ、いまだにブランドとはどういう場であるべきか考えているけどね。少なくとも“モノを作り売った”、そんな取り引きだけで終わるようなブランドにはしたくない。買ってくれたファンが、「『ブリックス&ウッド』を身に付けている」だけでなく「こんな気持ちになれるんだ」とまで周りに言えるような、ブランド以上の大きな存在を目指しているよ。

ーーブランド名にも、同様の思いが込められているのでしょうか?

ケイシー:「ブリックス&ウッド」はストーリーが大事だからね、ちゃんと背景があるよ。由来をかいつまんで話すと、俺がもっとも影響を受けてきた人物でありメンターでもある父親が、ある日、自分の車の上に葉っぱが落ちてきた話をしたんだ。ちょうどその頃、俺は自分のブランドを立ち上げる準備をしていて、「ブリックス&ウッド」をブランド名の候補として考えていた。それで、彼から「葉っぱは美しく、質感や手触りも良い」と聞いて、木であれ、花であれ、石であれ、命を生み出す自然の源こそブランド名に最適だと気付いたんだ。父親に相談したら「いいじゃないか」と承認が下りたから、帰宅するなりインスタグラムやタンブラーといったSNSを開設したよ。ただ、「ブリックス&ウッド」と耳にした時、どう感じてもらっても問題はなくて、それぞれの感覚に任せている。俺個人としては、単純に音の響きも好きだね。

「『NB』は、レーダーの外側にいるブランドだった」

ーーここからは「ニューバランス」とのコラボについてお伺いしたいのですが、どのような流れで21年に初協業が実現したのでしょうか?

ケイシー:とてもありがたいことに、共通の友人を通じて「ニューバランス」からアプローチがあったんだ。正直に言うと、当時ロサンゼルスで「ニューバランス」を履いている人は全然いなくて、いわゆるレーダーの外側にいるブランドという認識だったから、コラボの話を聞いてもエキサイティンな気持ちにならなかった。でも裏を返せば、「ニューバランス」がロサンゼルスのスニーカー勢力図を塗り替えられる余白があったということ。思い返すと良いタイミングだったし、俺たちが成長するきっかけにもなったね。もちろん、今では毎日履いてるよ(笑)。

ダニ・バラザ(以下、ダニ):ケイシーの言う通り、ロサンゼルスで存在感を確立していない「ニューバランス」と手を組むことで、お互いがワンランク上の階層にいけると思っていたから、結果的には大成功だったね。今じゃ、どこもかしこもだけど(笑)。

ーー当時というか今もですが、ロサンゼルスだけでなくアメリカといえば「ナイキ(NIKE)」のイメージは強いです。

ケイシー:その通りさ。俺もコラボ以前の「ニューバランス」のイメージは、ダッドシューズだったり、ランニングやトレーニングなど、ファッションというよりもスポーティーで機能的なイメージが強かったよ。ただ、その頃の「ニューバランス」はストリートウエアに合うようなスニーカーを発売したり、今のようなファッショナブルな打ち出し方を模索している過渡期で、それが俺たちにもインセンティブになったからコラボしたんだ。

ーーその中で、3作目のコラボモデルとして“1906 ユーティリティ エコーズ オブ ア バタフライ”を発表されましたが、モデル名にも入っている“バタフライ”を着想源とした理由を教えてください。

ダニ:まず、「ニューバランス」と“1906 ユーティリティ”をベースにコラボすることが決まったんだけど、「何かカッコいいものを作らなきゃいけない」というプレッシャーがあったし、普段デザインする場合はストーリーや背景をベースにしていることもあって、思うようにプロジェクトが進まなかったのね。でもある日、ケイシーと仕事の話をしていたら目の前にチョウが止まって、「こうして私たちが話している小さなことも、思いがけない大きなことにつながるかもしれないよね」と、バタフライエフェクトの話になった流れでチョウを着想源にしたの。

ケイシー:コラボモデルのデザインをする時間が無くて焦っていたのに、まさか飛んできたチョウから全てがスムーズに進むとは思わなかったよ。

ーーロサンゼルスには、こんなにも鮮やかなチョウがいるんですか?それとも、飛んできたチョウと着想源としたチョウは別種ですか?

ケイシー:話をしている時に飛んできたのは、ロサンゼルスによくいるオオカバマダラで、着想源にしたのは別種だね。

ダニ:チョウについてリサーチしている中で、“世界でもっとも美しい鱗翅類(りんしるい)”と称されるマダガスカルサンセットモス(和名:ニシキオオツバメガ)というマダガスカル島にしかいない固有種を見つけて、正式に着想源をチョウにすることになった感じ。マダガスカルサンセットモスは、正確にはチョウじゃなくてガなんだけどね(笑)。

ーー全体のカラーリングはマダガスカルサンセットモスが由来で、それぞれのカラーごとに異なる素材を採用しているんですね。

ダニ:そうなの。メッシュ地のトゥのアンダーレイでバタフライエフェクトを、リップストップ生地のサイドパーツで虫取り網を、レザー地のダブルアイレットにドットをあしらうことでチョウの羽模様を、湾曲したプラスチックパーツのヒールでチョウが水の上を羽ばたいた時にできる波紋を表現していて、クイックシューレースの先端もあえてバラバラにすることで、チョウの触覚をイメージしたわ。あとは、右足のサイドにだけ「ブリックス&ウッド」のブランド名をあしらっているのがポイントかな。

ーー本作をはじめ、これまで「ニューバランス」と3つのコラボスニーカーをデザインしてきましたが、重要視してきたことはなんでしょうか?また、普段のアパレルのデザインフローとは異なるものでしたか?

ケイシー:最高の質問だね!普段アパレルをデザインするときは、まずダイレクトにリーチできる地元サウス・セントラルのコミュニティを想定し、どうストーリーテリングするかを考えているけど、スニーカーに関してはそもそもの畑が違う。そして、「ニューバランス」にはオリジナルのファンがいるわけだ。彼らは、俺たちが普段接しているような層とは異なり、おそらく世界各地の一般大衆に近いと思う。だから、「日本人やフランス人は、俺たちがデザインしたスニーカーを気に入ってくれるかな」といった具合に、今まで考えていなかったロサンゼルスを離れた視点が必要になったんだ。要するに、コンフォートゾーンから抜け出して、オープンマインドにならなければいけない。それに、スニーカーというアイテムの特性上、独特のこだわりやスタイルを持ったヘッズとナードが多いから、そこの新たな知見も必要だったね。

ーーということは、「ニューバランス」との3度のコラボを経て「ブリックス&ウッド」での仕事にも変化はありそうですね。

ケイシー:方向性も、働き方も、俺個人も100%変わったと言って過言ではないね。ビジネスのスケールが圧倒的に大きくなったし、成長速度も想定よりずっと速くなっているよ。ファンも変わって、以前までは「ブリックス&ウッド」は知っているけど「ニューバランス」をあまり知らないパターンが多かったのに、今はどちらにも理解がある感じがするね。

2人が気になること、日本からの影響について

ーーDSMGで来日記念イベントが開かれたように、世界が「ブリックス&ウッド」の動向に注目している一方で、あなた方が注目しているモノやコトはありますか?

ケイシー:ざっくりとした答えになるけど、経済かな。特にキャッシュフローに興味があって、ここ数年のコロナショックによる経済危機を経て、今の消費者はどうお金を稼ぎ、何に使い、なぜ貯めるのかを知りたい。だからといって、金繰りを意識しすぎて「ブリックス&ウッド」がスケールダウンするような動きはしたくないし、バランスの取り方を考えているよ。あと、今年のアメリカ大統領選挙の結果次第で変わってくることが多そうだから、期待も心配もあるね。

ダニ:私が興味のあることもケイシーと少し似ていて、自分が何にどれだけ消費しているか。食べ物でも、音楽でも、オンラインで何かに課金するでも、これまでは頭の中が消費行動でいっぱいで、あまりにも多くのものを過剰に消費しすぎていたと思うの。だから、最近は行動整理しながら消費の仕方と量を考えるようにしているね。

ーー消費というと、「ブリックス&ウッド」のオンラインストア「SPACE(S)」では、いくつかの日本の雑誌を取り扱っていますよね?

ケイシー:そもそも、俺はファッションスクールでデザインの勉強をしたこともスキルもないし、夢はセレクトショップをオープンすることだったんだ。自分のブランドのアイテムだけではなく、キャンドルからパフューム、ハンディファンまで、今まで購入して良かったアイテムや好きなモノを全て並べるのが理想で、そのうちのひとつが日本の雑誌ってわけ。あと、オレゴン州ポートランドにあった革製品専門店「タンナー グッズ(Tanner Goods)」で5年ほど働いていたんだけど、オーナーが「ポパイ(POPEYE)」や「ブルータス(BRUTUS)」などの日本の雑誌を置いていて、店舗のレイアウトも日本の店舗や雑誌を参考にしていたから、俺も自分のお店を持ったら同じようなことをしたかったのさ。日本には2019年に初めて訪れて、価値観が変わるくらい日本人の親切心や礼儀、清潔感などに感銘を受けて、学ぶべき文化がたくさんあると感じたね。

ダニ:私は今回が初めての日本で、まだ滞在日数は2日だけどすでにマインドセットが変わりつつあるね。日本人は本当にみんな優しくて、「見習って、もっと素敵な人間にならないと!」と思わされている(笑)。

ーー先ほど、ケイシーはファッションスクール出身ではないと話されていましたが、同じく「ニューバランス」のコラボレーターであるジョー・フレッシュグッズ(Joe Freshgoods)も卒業しておらず、ダニはいかがですか?

ダニ:今まさに在学中で、12月に卒業するの!ただ、ストリートウエアの世界では、コミュニティ内のコミュニケーションで学ぶことの方が多いし、必ずしもスクールに通う必要はないと思うわ。だけど、私は人から何かを教わることが大好きだし、何より大学の学位を取得して両親を安心させたいのが本音(笑)。

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経産省を休職してパリの名門ビジネススクールで学び、名古屋スズサンへ 「日本の職人技を海外市場で横展開する」未来を描く 井上彩花

PROFILE: 井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当

井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当
PROFILE: 慶應義塾大学経済学部卒業後、2016年に経済産業省に入省。通商政策局などを経て、19年4月からファッション政策室、クールジャパン政策課。22年8月から、フランスのビジネススクールでラグジュアリーブランドマネジメントを学ぶ。24年8月から現職

経済産業省ファッション政策室を休職してパリの名門ビジネススクールに留学、帰国後は経産省に戻らずに有松鳴海絞りで知られるスズサンへ――ユニークなキャリアパスで日本の職人技の価値を創造し、世界に売り出そうと試みる井上彩花。新しい発想とそれを実現しようとする姿勢はイノベーターともいえるだろう。そんな彼女にパリで学び得た気づきや日本の産地の可能性とこれから実践していきたいことについて話を聞いた。

官と民の架け橋になることを目指して

WWD:経産省を休職してパリに留学した理由は?

井上彩花・スズサン営業、各種プロジェクト担当(以下、井上):経産省時代はクールジャパン政策課のチームにいて、その考え方のベースに官民が連携して海外に日本のいいものを高く売っていくことがあった。日本の人口減少や市場縮小、内需に偏重していた状況下で、海外市場で高い金額に納得して買ってもらえるかを検討するチームでキャリアを積むことができた。その中で「ファッション未来研究会」を担当させていただき、さまざまな主体の取り組みを知りその熱量を感じ、私も何かできないかと考え始めた。そして選んだのがパリのエセックビジネススクール(ESSEC business school)への留学だった。エセックは28~29年前、世界初のラグジュアリーブランドに特化したビジネススクール(大学院)のコースを設立したところ。クールジャパンが取り組んでいたことをすでに成功させたフランスのビジネススクールで何を学べるのかを経験したいと思った。

WWD:ビジネススクールやインターンをしたことで得た気づきは?

井上:学校は座学と約30のフランスブランドの本社や工房の訪問やインターン含めた実地研修があり、ブランドで働くマネジャーやディレクタークラスと話す機会も多く、ビジネスに入り込んで学べるのでさまざまな気づきが得られた。まず学ぶのはラグジュアリーの考え方について。「ティファニー(TIFFANY & CO.)」のハイジュエリーと木や動物の歯で作られた古代のネックレスを見せられて、両方ラグジュアリーだと学ぶ。そこからラグジュアリービジネスの成立過程、例えば“田舎の国”だったフランスがラグジュアリーブランドのイメージを作りだした経緯を学んだ。

ラグジュアリーが「普通の人の特別」になる経緯を体系的に学び、いろんな気づきや関心が生まれた。職人技の価値やコミュニケーションの重要性、スタッフ教育の重要性、オンラインでのマーケティングコミュニケーション、顧客情報の管理など、ビジネススクールで学ぶ要素を一つのテーマに沿って学ぶことができた。

WWD:その中で特に印象的だったことは?

井上:「エルメス(HERMES)」のナンバー2でエセックの卒業生であるギヨーム・ド・セインヌ(Guillaume de Seynes)=エルメス・エグゼクティブ・ヴァイスプレジデント・マニファクチャリング部門兼エクイティ投資に「クラフトマンシップとクリエイティビティ、どちらもラグジュアリーブランドにとって大切な要素。この二つの重要性やバランスはラグジュアリーにとって普遍/不変か」と投げかけた時の答えで、「『エルメス』のコアはクラフトマンシップとクリエイティビティ(職人とデザイナー)の折衷をすること」と言い切っていたこと。何がラグジュアリーなのかや、顧客が求めるものが変わっても、クラフトマンシップとクリエイティビティの折衷から生まれる価値が大切であることは変わらないと。クラフトマンシップの評価は多面的に強調していた。

WWD:帰国後は経産省でのキャリアではなく、スズサンを選んだ。スズサンだった理由は?

井上:クールジャパンに取り組んだときのアイデアや意識が軸にあったからこそ、パリでのいろんな経験を自分なりにかみ砕くことができ、人と話す機会や出会いを作ることができた。この領域で役に立ちたいと考えた。ビジネスサイドでできることの解像度を高めることができれば将来、いい形で官と民の架け橋のようになれるのではないか。そのための具体的な事業の経験をしたいと考えた。

「スズサン(SUZUSAN)」はフランスで学んだラグジュアリーブランドの考え方と合致するところがありつつも、ラグジュアリーという言葉では説明できない日本のモノ作りの価値を兼ね備えたブランドであると思った。具体的には4つポイントがある。

1つ目は拠点が2カ所あること。ドイツ・デュッセルドルフで(CEO兼クリエイティブ・ディレクターの)村瀬率いる多国籍のデザインチームがデザインを手掛け、有松でモノ作りをするブランド運営である点。デザインと生産の場が別々の場所にあることで、クリエイティブとクラフトマンシップの折衷が社内で常時行われている。ビジネススクールで繰り返し指摘されているブランドのDNAやアイコンといった要素がスズサンには詰まっている。

有松では職人がインハウスで働いていて、この染めはこの人、この絞りはこの人というように顔が見える。その職人のほとんどが4代目から直接技術を学ぶ20~30代。日々切磋琢磨していて、その手の動きが美しく、絞りがデザインになり、絞り染めを施されたテキスタイルが干してある様子は感情を揺さぶる、訴えてくる美しさがある。有松に生産のコアがあり、そこに触れられることが価値である。

2つ目は村瀬というアイコンが存在していること。

3つ目はモノ作りの背景とストーリーがあること。ブランドのコアである有松鳴海絞りには400年の歴史があり、土地と深い関わりがある。有松の町は東海道が開通したタイミングの1608年、宿場町に挟まれた通過点で旅人たちに手ぬぐいを絞ってお土産品として販売したのが始まりで400年以上職人が絞り染めのビジネスを支えてきた。

4つ目は村瀬が考える「欧州は目の文化、日本は手の文化」という考え方に共感したこと。ブランドの中心にある有松鳴海絞りは国の指定伝統工芸品として指定されており、見せ方が無限大にあるのが面白いと感じる。加えて、いわゆる顧客の生活を彩るための製品をそろえるラグジュアリーブランドブランドとは異なるアプローチができる。「スズサン」は布を中心とした提案なので、生活を彩る全てを提供できない。つまり「スズサン」一色でなくてもよく、お客さまと関係性も“ゆるやか”に築ける。

“ゆるやか”というのは、「スズサン」の製品だけではなく「手仕事を提案する他の事業者」とお客さまがつながるきっかけとなり、横に広がりを作る余白があるということ。例えば2021年から3年間、村瀬が個人の仕事としてクリエイティブ・ディレクター兼事業統括コーディネーターとして参加した名古屋市主催のクリエイションダイアログの事業では、名古屋市の工芸を主体とする約10社の企業の欧州市場に向けた販路開拓を目的に、現地でのプレゼンからマッチングなど総合的に支援するもの。そういった企業が手仕事を提案する他の事業者例として挙げられる。

WWD:これからスズサンで取り組みたいことは?

井上:勉強させていただきながら2カ月が経った。1番はこれまで村瀬が個人として取り組んできた事業が組織化していくタイミングなので、民でできるクールジャパンの実践として強い想いで取り組みたい。留学中に展示会場を訪れたが、15年ビジネスをしてきた村瀬だからこそ、官では手が届かないところにまで道しるべを示すことができていると感じた。官は、一時的に伴走支援はできても長期的には限界がある。官を超えて少しずつでもやっていくことが実績になると感じている。「スズサン」のブランドビジネスでもビジネススクールで学んだことを実践していきたい。

伝統工芸がまだたくさんあり続いていることが大きな価値

WWD:現在の日本の産地における技法・技術継承や価値向上について、どのような課題や可能性があるとみているか?

井上:有松と有松鳴海絞りのように土地と密接に結びついた産地としてのストーリーを持つ地域は日本には多い。伝統工芸に指定されているものだけでも241ある。指定されていない工芸もたくさんあると考えると、今いろんな課題がありつつ危機を迎えているとしても、たくさんあり、それらが続いていることが大きな価値と考える。

有松では、最盛期には1万人いた職人が今では200人くらいとされる。昔は各家族が1技法ずつ受け継いできたが、最盛期に500あった技法も100程度が残るばかり。継承されず消えた技法は取り戻すことが非常に難しい。村瀬は2008年のブランド立ち上げ前に家業の職人とは違う道を志したが、他地域でも伝統工芸に関わる事業継承に多くの課題があると認識している。

他方で場所や見方を変えれば、自身の価値に気が付くこともある。村瀬はアートを学ぼうと留学したが、地元を離れてから有松絞りの技法の面白さやデザインの美しさに気づき、デュッセルドルフでスズサンを立ち上げた。これは他の工芸においても起こりうることであり、そういう流れが起こっていると感じる。どう異なる価値観や視点を取り入れていくかがポイントだ。外的な支援だけでなく、共創的な活動も増えている。組織自体に異なる考え方を取り入れながら強化していくことや変化を受け入れることとは痛み、覚悟を伴う。小規模ではあれど、大きなジャンプをしっかりしていくことが大きな可能性につながると思う。

世界で日本の職人技が注目される理由

WWD:フランス(の企業)にとって日本の職人技の何が価値創出の源になっているのか?工芸的なモノ作りにおける超絶技巧は他国にもあるが、なぜ日本にも注目しているのか?

井上:日本の職人技はビジネススクールでもたびたび例に挙がった。フランスで日本の職人技が評価されている点は、細かいところまで妥協がない点や品質を追求する姿勢、職人らしさを強調されていた。手仕事によるモノ作りが多くの産地に残っている。こういった真正性のあるモノ作りは、フランス、ヨーロッパで高く評価されていると思う。欧州では2000年前後に職人の手仕事の存続が危機的状況となり、「シャネル(CHANEL)」が複数の工房を傘下にして2002年からメティエダール・コレクションを始めるなど、ラグジュアリーブランドが主体となった職人への投資、育成が今も行われている。

WWD:日本の産地の多くは経済的課題に直面しており海外企業との連携は重要だといえる一方、寡占状態に陥るのは危険(提携解消により廃業に陥るなど、産地の自律性が失われかねない)だともいえる。寡占状態をかわすためにどのような対策がありうると考えられるのか?産地で生きる人の自律性をどのように維持することが望ましいのか?

井上:スズサンの例を挙げながら、規模が異なると状況が異なることは前提として紹介したい。ベースとして海外企業との連携は大切だと思う。技術革新のきっかけや、組織の意識改革、新規市場開拓、知見を広げるためにも新しい人と付き合うことは大切。新しいことに常に取り組み、現代性を意識しながら変わり続けることが大切だと学んだ。そのうえで依存しすぎないという意味では、狙うマーケットでビジネスパートナーを複数持つことが対策になる。スズサンは世界30カ国、80都市、120の店舗と取引をしている。似た価値基準の友達を増やす感覚に近いと感じていて、それがスズサンの共感する姿勢の一つ。得られることの一つの学びは深い付き合いの中で、濃度も密度も高いものになる。

自律性の面では、インターンシップでグローバル企業の立場から日本の企業に関わる経験をした。両面から見られたことが面白い経験だった。違う主体が協業する中で起こりやすいコミュニケーションの課題として、言語の壁や商習慣の不理解がある。

言葉の壁は、外国語能力が前提になると思う。流暢でなくとも、いい雰囲気で会談を終えられるような社長のコミュニケーション力や前向きさが、ブランディングの観点からも重要。これに加え、ビジネスのチームで英語でコミュニケーションする人材を雇い、育てることは必要だろう。商習慣の不理解についてはビジネスのスピード感など前提となる考え方が違う可能性があり、一つ一つコミュニケーションで解決するしかない。自律性を担保することと柔軟性を失うのは違うことで、組織だけではなく自分個人としても感じた点だ。

有松を起点に人の循環を生み出す

WWD:今回のWWDJAPAN SUSTAINABILITY SUMMITでは地方の産地の循環型、再生型のビジネスがテーマの一つだが、どのようなことが考えられると思うか?

井上:「スズサン」のブランドの存続意義がモノを作って技術を次世代につなげることがある。そして、循環を違う風にとらえると、有松を起点に人の循環を生み出していくことを通じて地域に裨益させていきたいと考えている。現在の売り上げの8割が海外で、次の15年は、お客さまに有松・鳴海に来てもらうことに取り組みたい。毎シーズン2500~3000点、1年で約5000点を職人が製作していて、15年間のブランド運営で駆け出しの5年間を抜いても5万点の商品を作ってきた。ほとんど受注生産を続けているような状態で、1人1品購入していただいたとしても5万人に届いてきたことを考えると小さくない数字だと考えている。

地域に技術のコアがあることを踏まえても、有松・鳴海に来てもらうことをかなえてもらうためにツーリズム事業を手掛け始めたところ。ブランドのコアに技術があること、地域との接続性が無視できない大切なところで存続意義がそこにある。私たちの取り組みで有松の町への効果が波及していくかをデザインしていくことを忘れてはならないと思っている。有松から各国の各地、他の地域からもローカルtoローカルズを横展開できるような未来を作っていきたい。

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経産省を休職してパリの名門ビジネススクールで学び、名古屋スズサンへ 「日本の職人技を海外市場で横展開する」未来を描く 井上彩花

PROFILE: 井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当

井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当
PROFILE: 慶應義塾大学経済学部卒業後、2016年に経済産業省に入省。通商政策局などを経て、19年4月からファッション政策室、クールジャパン政策課。22年8月から、フランスのビジネススクールでラグジュアリーブランドマネジメントを学ぶ。24年8月から現職

経済産業省ファッション政策室を休職してパリの名門ビジネススクールに留学、帰国後は経産省に戻らずに有松鳴海絞りで知られるスズサンへ――ユニークなキャリアパスで日本の職人技の価値を創造し、世界に売り出そうと試みる井上彩花。新しい発想とそれを実現しようとする姿勢はイノベーターともいえるだろう。そんな彼女にパリで学び得た気づきや日本の産地の可能性とこれから実践していきたいことについて話を聞いた。

官と民の架け橋になることを目指して

WWD:経産省を休職してパリに留学した理由は?

井上彩花・スズサン営業、各種プロジェクト担当(以下、井上):経産省時代はクールジャパン政策課のチームにいて、その考え方のベースに官民が連携して海外に日本のいいものを高く売っていくことがあった。日本の人口減少や市場縮小、内需に偏重していた状況下で、海外市場で高い金額に納得して買ってもらえるかを検討するチームでキャリアを積むことができた。その中で「ファッション未来研究会」を担当させていただき、さまざまな主体の取り組みを知りその熱量を感じ、私も何かできないかと考え始めた。そして選んだのがパリのエセックビジネススクール(ESSEC business school)への留学だった。エセックは28~29年前、世界初のラグジュアリーブランドに特化したビジネススクール(大学院)のコースを設立したところ。クールジャパンが取り組んでいたことをすでに成功させたフランスのビジネススクールで何を学べるのかを経験したいと思った。

WWD:ビジネススクールやインターンをしたことで得た気づきは?

井上:学校は座学と約30のフランスブランドの本社や工房の訪問やインターン含めた実地研修があり、ブランドで働くマネジャーやディレクタークラスと話す機会も多く、ビジネスに入り込んで学べるのでさまざまな気づきが得られた。まず学ぶのはラグジュアリーの考え方について。「ティファニー(TIFFANY & CO.)」のハイジュエリーと木や動物の歯で作られた古代のネックレスを見せられて、両方ラグジュアリーだと学ぶ。そこからラグジュアリービジネスの成立過程、例えば“田舎の国”だったフランスがラグジュアリーブランドのイメージを作りだした経緯を学んだ。

ラグジュアリーが「普通の人の特別」になる経緯を体系的に学び、いろんな気づきや関心が生まれた。職人技の価値やコミュニケーションの重要性、スタッフ教育の重要性、オンラインでのマーケティングコミュニケーション、顧客情報の管理など、ビジネススクールで学ぶ要素を一つのテーマに沿って学ぶことができた。

WWD:その中で特に印象的だったことは?

井上:「エルメス(HERMES)」のナンバー2でエセックの卒業生であるギヨーム・ド・セインヌ(Guillaume de Seynes)=エルメス・エグゼクティブ・ヴァイスプレジデント・マニファクチャリング部門兼エクイティ投資に「クラフトマンシップとクリエイティビティ、どちらもラグジュアリーブランドにとって大切な要素。この二つの重要性やバランスはラグジュアリーにとって普遍/不変か」と投げかけた時の答えで、「『エルメス』のコアはクラフトマンシップとクリエイティビティ(職人とデザイナー)の折衷をすること」と言い切っていたこと。何がラグジュアリーなのかや、顧客が求めるものが変わっても、クラフトマンシップとクリエイティビティの折衷から生まれる価値が大切であることは変わらないと。クラフトマンシップの評価は多面的に強調していた。

WWD:帰国後は経産省でのキャリアではなく、スズサンを選んだ。スズサンだった理由は?

井上:クールジャパンに取り組んだときのアイデアや意識が軸にあったからこそ、パリでのいろんな経験を自分なりにかみ砕くことができ、人と話す機会や出会いを作ることができた。この領域で役に立ちたいと考えた。ビジネスサイドでできることの解像度を高めることができれば将来、いい形で官と民の架け橋のようになれるのではないか。そのための具体的な事業の経験をしたいと考えた。

「スズサン(SUZUSAN)」はフランスで学んだラグジュアリーブランドの考え方と合致するところがありつつも、ラグジュアリーという言葉では説明できない日本のモノ作りの価値を兼ね備えたブランドであると思った。具体的には4つポイントがある。

1つ目は拠点が2カ所あること。ドイツ・デュッセルドルフで(CEO兼クリエイティブ・ディレクターの)村瀬率いる多国籍のデザインチームがデザインを手掛け、有松でモノ作りをするブランド運営である点。デザインと生産の場が別々の場所にあることで、クリエイティブとクラフトマンシップの折衷が社内で常時行われている。ビジネススクールで繰り返し指摘されているブランドのDNAやアイコンといった要素がスズサンには詰まっている。

有松では職人がインハウスで働いていて、この染めはこの人、この絞りはこの人というように顔が見える。その職人のほとんどが4代目から直接技術を学ぶ20~30代。日々切磋琢磨していて、その手の動きが美しく、絞りがデザインになり、絞り染めを施されたテキスタイルが干してある様子は感情を揺さぶる、訴えてくる美しさがある。有松に生産のコアがあり、そこに触れられることが価値である。

2つ目は村瀬というアイコンが存在していること。

3つ目はモノ作りの背景とストーリーがあること。ブランドのコアである有松鳴海絞りには400年の歴史があり、土地と深い関わりがある。有松の町は東海道が開通したタイミングの1608年、宿場町に挟まれた通過点で旅人たちに手ぬぐいを絞ってお土産品として販売したのが始まりで400年以上職人が絞り染めのビジネスを支えてきた。

4つ目は村瀬が考える「欧州は目の文化、日本は手の文化」という考え方に共感したこと。ブランドの中心にある有松鳴海絞りは国の指定伝統工芸品として指定されており、見せ方が無限大にあるのが面白いと感じる。加えて、いわゆる顧客の生活を彩るための製品をそろえるラグジュアリーブランドブランドとは異なるアプローチができる。「スズサン」は布を中心とした提案なので、生活を彩る全てを提供できない。つまり「スズサン」一色でなくてもよく、お客さまと関係性も“ゆるやか”に築ける。

“ゆるやか”というのは、「スズサン」の製品だけではなく「手仕事を提案する他の事業者」とお客さまがつながるきっかけとなり、横に広がりを作る余白があるということ。例えば2021年から3年間、村瀬が個人の仕事としてクリエイティブ・ディレクター兼事業統括コーディネーターとして参加した名古屋市主催のクリエイションダイアログの事業では、名古屋市の工芸を主体とする約10社の企業の欧州市場に向けた販路開拓を目的に、現地でのプレゼンからマッチングなど総合的に支援するもの。そういった企業が手仕事を提案する他の事業者例として挙げられる。

WWD:これからスズサンで取り組みたいことは?

井上:勉強させていただきながら2カ月が経った。1番はこれまで村瀬が個人として取り組んできた事業が組織化していくタイミングなので、民でできるクールジャパンの実践として強い想いで取り組みたい。留学中に展示会場を訪れたが、15年ビジネスをしてきた村瀬だからこそ、官では手が届かないところにまで道しるべを示すことができていると感じた。官は、一時的に伴走支援はできても長期的には限界がある。官を超えて少しずつでもやっていくことが実績になると感じている。「スズサン」のブランドビジネスでもビジネススクールで学んだことを実践していきたい。

伝統工芸がまだたくさんあり続いていることが大きな価値

WWD:現在の日本の産地における技法・技術継承や価値向上について、どのような課題や可能性があるとみているか?

井上:有松と有松鳴海絞りのように土地と密接に結びついた産地としてのストーリーを持つ地域は日本には多い。伝統工芸に指定されているものだけでも241ある。指定されていない工芸もたくさんあると考えると、今いろんな課題がありつつ危機を迎えているとしても、たくさんあり、それらが続いていることが大きな価値と考える。

有松では、最盛期には1万人いた職人が今では200人くらいとされる。昔は各家族が1技法ずつ受け継いできたが、最盛期に500あった技法も100程度が残るばかり。継承されず消えた技法は取り戻すことが非常に難しい。村瀬は2008年のブランド立ち上げ前に家業の職人とは違う道を志したが、他地域でも伝統工芸に関わる事業継承に多くの課題があると認識している。

他方で場所や見方を変えれば、自身の価値に気が付くこともある。村瀬はアートを学ぼうと留学したが、地元を離れてから有松絞りの技法の面白さやデザインの美しさに気づき、デュッセルドルフでスズサンを立ち上げた。これは他の工芸においても起こりうることであり、そういう流れが起こっていると感じる。どう異なる価値観や視点を取り入れていくかがポイントだ。外的な支援だけでなく、共創的な活動も増えている。組織自体に異なる考え方を取り入れながら強化していくことや変化を受け入れることとは痛み、覚悟を伴う。小規模ではあれど、大きなジャンプをしっかりしていくことが大きな可能性につながると思う。

世界で日本の職人技が注目される理由

WWD:フランス(の企業)にとって日本の職人技の何が価値創出の源になっているのか?工芸的なモノ作りにおける超絶技巧は他国にもあるが、なぜ日本にも注目しているのか?

井上:日本の職人技はビジネススクールでもたびたび例に挙がった。フランスで日本の職人技が評価されている点は、細かいところまで妥協がない点や品質を追求する姿勢、職人らしさを強調されていた。手仕事によるモノ作りが多くの産地に残っている。こういった真正性のあるモノ作りは、フランス、ヨーロッパで高く評価されていると思う。欧州では2000年前後に職人の手仕事の存続が危機的状況となり、「シャネル(CHANEL)」が複数の工房を傘下にして2002年からメティエダール・コレクションを始めるなど、ラグジュアリーブランドが主体となった職人への投資、育成が今も行われている。

WWD:日本の産地の多くは経済的課題に直面しており海外企業との連携は重要だといえる一方、寡占状態に陥るのは危険(提携解消により廃業に陥るなど、産地の自律性が失われかねない)だともいえる。寡占状態をかわすためにどのような対策がありうると考えられるのか?産地で生きる人の自律性をどのように維持することが望ましいのか?

井上:スズサンの例を挙げながら、規模が異なると状況が異なることは前提として紹介したい。ベースとして海外企業との連携は大切だと思う。技術革新のきっかけや、組織の意識改革、新規市場開拓、知見を広げるためにも新しい人と付き合うことは大切。新しいことに常に取り組み、現代性を意識しながら変わり続けることが大切だと学んだ。そのうえで依存しすぎないという意味では、狙うマーケットでビジネスパートナーを複数持つことが対策になる。スズサンは世界30カ国、80都市、120の店舗と取引をしている。似た価値基準の友達を増やす感覚に近いと感じていて、それがスズサンの共感する姿勢の一つ。得られることの一つの学びは深い付き合いの中で、濃度も密度も高いものになる。

自律性の面では、インターンシップでグローバル企業の立場から日本の企業に関わる経験をした。両面から見られたことが面白い経験だった。違う主体が協業する中で起こりやすいコミュニケーションの課題として、言語の壁や商習慣の不理解がある。

言葉の壁は、外国語能力が前提になると思う。流暢でなくとも、いい雰囲気で会談を終えられるような社長のコミュニケーション力や前向きさが、ブランディングの観点からも重要。これに加え、ビジネスのチームで英語でコミュニケーションする人材を雇い、育てることは必要だろう。商習慣の不理解についてはビジネスのスピード感など前提となる考え方が違う可能性があり、一つ一つコミュニケーションで解決するしかない。自律性を担保することと柔軟性を失うのは違うことで、組織だけではなく自分個人としても感じた点だ。

有松を起点に人の循環を生み出す

WWD:今回のWWDJAPAN SUSTAINABILITY SUMMITでは地方の産地の循環型、再生型のビジネスがテーマの一つだが、どのようなことが考えられると思うか?

井上:「スズサン」のブランドの存続意義がモノを作って技術を次世代につなげることがある。そして、循環を違う風にとらえると、有松を起点に人の循環を生み出していくことを通じて地域に裨益させていきたいと考えている。現在の売り上げの8割が海外で、次の15年は、お客さまに有松・鳴海に来てもらうことに取り組みたい。毎シーズン2500~3000点、1年で約5000点を職人が製作していて、15年間のブランド運営で駆け出しの5年間を抜いても5万点の商品を作ってきた。ほとんど受注生産を続けているような状態で、1人1品購入していただいたとしても5万人に届いてきたことを考えると小さくない数字だと考えている。

地域に技術のコアがあることを踏まえても、有松・鳴海に来てもらうことをかなえてもらうためにツーリズム事業を手掛け始めたところ。ブランドのコアに技術があること、地域との接続性が無視できない大切なところで存続意義がそこにある。私たちの取り組みで有松の町への効果が波及していくかをデザインしていくことを忘れてはならないと思っている。有松から各国の各地、他の地域からもローカルtoローカルズを横展開できるような未来を作っていきたい。

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「プラダ」青山店でリジー・フィッチとライアン・トレカーティンの個展開催中 &TEAMも来場

「プラダ(PRADA)」は、プラダ財団の企画によりアーティストのリジー・フィッチ(Lizzie Fitch)とライアン・トレカーティン(Ryan Trecartin)の展覧会「LIZZIE FITCH / RYAN TRECARTIN: IT WAIVES BACK」展を1月13日まで青山店で開催中だ。開幕日前日の23日には、青山店で両アーティストを招いたトークセッションを行った。

フィッチとトレカーティンは、ともに1981年生まれのアメリカ人アーティストデュオ。2000年から共同で活動する。現在は米オハイオ州を拠点とし、映像作品や没入型インスタレーションを通じて現代社会の人間関係、デジタル社会、アイデンティティー、消費主義といったテーマを探求する。

「LIZZIE FITCH / RYAN TRECARTIN: IT WAIVES BACK」展は、新作の大型インスタレーションと2本の映像作品、彫刻作品群で構成する。「領土」と「所有地」という概念、そしてその概念が個人のアイデンティティー形成に与える影響というテーマを核に据えた。今回の映像作品では、過去の作品を再編集し、新たな文脈に落とし込むことに挑戦。会場内には木造の劇場をモチーフにしたセットを組み、来場者はその中で作品を鑑賞する。彫刻作品は、オハイオ地域でよく見られる建設技術を活用して、墓跡や記念、ヤードサイン、公共のランドマーク的建物などに着想を得て製作した。

フィッチとトレカーティンはトークショー内で、「自分たちの過去の作品を振り返り、当時の意図やそれが今どんな意味を持つのかといった、時間的な距離感を意識しながら製作した。加えて、映像にはホラーやSF的な要素もあり、“IT WAIVES BACK”というフレーズが持つ不気味さも重ねられると思った。権利を放棄するという意味の“WAIVE”という単語は、波を意味する“wave”と音が似ていること。この展示が内包する世論の波、互いに影響し合う関係性などさまざまなメッセージに呼応している」と説明した。

フィッチとトレカーティンの代表的な展示はこれまで、二ューヨーク近代美術館(MoMA)、ホイットニー美術館、ニューミュージアムなどで行われており、アジアおよび日本での個展開催は初となる。

レセプションパーティーには、アーティストのimase、JO、HARUA(&TEAM)、俳優の向里祐香、俳優の波瑠、俳優の渡邊圭祐らが出席した。

「LIZZIE FITCH | RYAN TRECARTIN: IT WAIVES BACK」

会期:2024年10月24日(木)~2025年1月13日(月)
場所:プラダ 青山店 6F
住所:東京都港区南青山 5-2-6
入場料:無料

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元「テンダーパーソン」のビアンカが新ブランド 「絶対に見返してやる」

「テンダーパーソン(TENDERPERSON)」元デザイナーのメンドンサ・ビアンカ・サユリ(以下、ビアンカ=デザイナー)は、新ブランド「リブリオ メンドンサ(LIBRIO MENDONCA)」を2025年春夏シーズンに立ち上げた。ファーストコレクションは30型で、価格帯はトップス2万5000〜5万5000円、アウター8万〜20万円、ボトムス3万3000〜9万円、雑貨小物が6000〜4万円。デザイナー自身の明るく人懐こい性格を表すように、カラフルな色使いとポップなムードが持ち味だ。

ビアンカ=デザイナーは、文化服装学院に在学中の2014年、同級生のヤシゲユウト=デザイナーと「テンダーパーソン」を立ち上げた。20年には初の直営店を東京・南青山にオープンし(現在は閉店)、21年に初のランウエイショーを実施、22年に「東京ファッションアワード(TOKYO FASHION AWARD)」を受賞した。ブランドとして知名度を徐々に広げてきた矢先、ビアンカ=デザイナーは「一身上の都合」で今年6月に同ブランドからの退社を発表。その後わずか3カ月という期間で自身のブランド「リブリオ メンドンサ」立ち上げから制作までを行った。彼女は何を思い、次のステージへ進むことを決めたのか。

WWD:なぜ「テンダーパーソン」を退社したのか。

ビアンカ=デザイナー:これまでがむしゃらに走りすぎてしまっていたからです。自分はキャリアとプライベートのバランスをどうしていきたいのか、自分らしく生きるにはどうすべきか、自分は何がしたいのか……。そう葛藤するようになるにつれて、「中途半端な状態で服作りはすべきでないし、そんな作り手の服はお客さまにとって失礼になるかもしれない」と考えたんです。2014年に「テンダーパーソン」を始めてから10年が経ったことと、私が30歳になったことというキリの良さも後押しになりました。

WWD:新ブランドを立ち上げた経緯は?

ビアンカ=デザイナー:「テンダーパーソン」を辞めた後、実は一般企業に就職しようとしていたんです。自分で何かを作りたいという考えもそこまで強くなかったし、企業やブランドから、デザインチームのデザイナーとしてのオファーもいただいたので。でも周囲からは「『テンダーパーソン』の肩書きがないビアンカちゃんなんて価値がないよ」という厳しい言葉をもらったんです。私は負けず嫌いな性格なので、逆に「なんかやってやろう!」「自分の進みたい道に挑もう」という気持ちがメラメラと湧いてきてしまった。そこで自分のブランドを始めることにしました。

WWD:「リブリオ メンドンサ」はどのようなブランド?

ビアンカ=デザイナー:私が日々の生活の中で感じたことを、自由な表現でドキュメンタリーのように服に落とし込むブランドです。何かに縛られるのが好きじゃないので、年齢や人種、ジェンダーにとらわれないユニセックスブランドにしました。ファッションが好きで楽しんでいる人に着てほしいです。プリントやディテールを通して、アイテムにメッセージ性を加えることが得意なので、着た人を強く、ハッピーにするお守りのような服を届けます。

私のルーツはブラジルにあります。だからブランド名の“リブリオ”は、私の好きな花であるユリを意味するポルトガル語“LIRIO”に、ビアンカのBを加えた造語にしました。与えられた自由ではなく、自ら自由を掴み取るという気概も踏まえて、“LIBERTY(自由)”というダブルミーニングも込めています。“メンドンサ”は私のファミリーネームです。

WWD:ファーストシーズンの特徴は?

ビアンカ=デザイナー:シーズンタイトルは、ポルトガル語で“反逆者”を意味する「リベルテ」です。ブランドを始める前に人から言われた悔しい言葉に対して、「見返してやる」と思ったことが由来です。

ただ、ブランドを始めると決意した当初は、具体的にどんなことをするべきか固まっておらず、モヤモヤしていました。でも、ふとその感情が、幼少期に歯医者に行く前の嫌な感覚に似ていると気づいたんです。歯医者の予約の1週間前から、カレンダーを見ては鳥肌を立てていたことや、待合室で憂鬱になっていたことを思い出し、コレクションで表現しています。歯のレントゲン写真のようなモチーフをプリントしたブルゾンや、鳥肌に見立てたポンポンを施したシャツ、締め付けられるような心をギャザーで表したストライプシャツなどが代表例です。今の自分にとって洋服を作ることは、歯医者に行くことのように“治療”の側面があります。

WWD:自分の経験をかなりストレートに服で表現している。

ビアンカ=デザイナー:自分の知人や友人も着想源になっています。今付き合っているパートナーがLINEで全く絵文字を使ってくれないので、そのヤキモキした気持ちを、絵文字モチーフのニットをつなげたカーディガンで訴えたり、毎日シワだらけの服を着ている友人をモデルに、凹凸のある生地でTシャツを作ったり。

WWD:6月に「テンダーパーソン」を退社してから、わずか3カ月ほどでのコレクション発表だ。

ビアンカ=デザイナー:期間を空けてしまったら、自分の気持ちが盛り下がってしまうように感じたからです。「こんな過酷なスケジュールをこなせた自分、好き!」と自信を持つためにも、急いで仕上げました。ただ、周囲の人たちが快く協力してくれたことが大きいです。工場の人も「手伝うからなんでも言ってね」と応援してくれたり、知人が展示会の1カ月前に頼んだのPRを引き受けてくれたり。なんだか泣けてきますね。

WWD:今後の目標は?

ビアンカ=デザイナー:まずは卸販売中心でブランドの土台を作ります。都内から地方まで販路を獲得できたので、今後はそれらを安定させるほか、海外の卸先も目指したいです。ファッションショーでブランドの世界観を披露することです。前のブランドの時に、パリで展示会を開いたことがとても刺激になったので、「リブリオ メンドンサ」でもそこを目指したい。あとはいつか城を建てるのが夢です(笑)。

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資生堂の30年にわたる基底膜研究 美肌への新スキンケアアプローチ誕生

資生堂,SHISEIDO

肌の美しさを保つにはスキンケアが大切だということは周知の事実だろう。では、スキンケアをする上でどこに働きかければ効果が期待できるのか。その1つが「基底膜」という肌内部に存在する膜へのアプローチだ。基底膜は、表皮と真皮の間に存在し、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の非常に薄い膜ではあるが、その役割は大きな可能性を秘めている。基底膜について、1991年から30年以上にわたって研究を続けているパイオニア的存在が資生堂だ。同社は基底膜研究を続ける中で、紫外線によって基底膜がダメージを受けると光老化が進行しエイジングサインが現れることを発見。さらに、基底膜にダメージを与える酵素を抑制し、バリア機能や潤い、シワに効果を発揮する高機能成分「コアキシマイド」を独自開発した。その研究の最先端に迫るべく、エディター・ライターの松本千登世氏が資生堂の研究開発拠点「資生堂グローバルイノベーションセンター(以下GIC)」を訪問。入山俊介研究員の解説とともに、肌本来の再生力を取り戻す次世代のスキンケアアプローチ「基底膜ケア」に迫る。

松本千登世氏がエバンジェリストとして
資生堂の研究開発拠点を訪問 
美のリーディングカンパニーの
知見に迫る

GICは基底膜研究をはじめ、資生堂の最先端技術を用いた研究が日々行われている場所である。今回は美を伝えるエバンジェリストとして松本氏がその内部に潜入し、基底膜にアプローチする画期的な成分「コアキシマイド」を見いだすに至った実際の研究実験も体験した。入山研究員の解説により、肌再生の源である基底膜の重要な役割、毎日のケアがいかに大切であるかについて理解をさらに深めた。そして同時に、世界にも認められた資生堂の技術力の高さに改めて感嘆した。

スキンケアのプロも注目 
基底膜ケアへの期待

肌再生の源・基底膜へのアプローチ 
たどり着いた答えは
高機能成分「コアキシマイド」

WWD:肌再生の源ともいわれる、基底膜とは?

入山俊介研究員(以下、入山):肌内部の表皮と真皮の間にある、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の薄い膜が基底膜です。基底膜は表皮と真皮をつないで情報や物質をやりとりする働きを持ち、健やかな肌を再生するのに重要な役割を果たす、まさに肌再生の源として注目のシート状のタンパク質構造体です。

WWD:基底膜の働きについて。

入山:基底膜には3つの働きがあります。1つ目は、表皮と真皮を接着剤のようにつなぎ留めて肌の正しい形状を維持すること。2つ目は、表皮と真皮のコミュニケーションを通して、栄養素などの移動を制御し、肌を健やかな状態に保つこと。3つ目は、表皮幹細胞の維持です。基底膜の表面には表皮細胞を生み出す表皮幹細胞が並んでいますが、近年の研究結果により、基底膜には表皮幹細胞を育み表皮と真皮を安定した状態に保つ役割があることが分かりました。

WWD:なぜいま「基底膜」ケアが重要なのか?

入山:基底膜は表皮にも真皮にも作用する源となる部分であり、美容の領域やエイジング領域、皮膚の老化領域において基底膜ケアが重要であると啓発活動できるくらい情報や知見が集まったためです。これは、当社が早くから基底膜が「肌再生の源」であるという新たな考えのもと研究を蓄積してなせたことですね。紫外線など外的要因により基底膜がダメージを受けると、表皮のバリア機能が低下して乾燥や肌荒れの原因となります。同時に、真皮のコラーゲンが減少してシワやたるみなどエイジングサインが現れやすくもなる。そのため、基底膜を健康な状態に維持することで表皮や真皮も良好な状態が促進され、美肌を保つことにつながります。

WWD:資生堂の研究により、肌の構成成分の分解酵素である「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」が紫外線によって活性化することで基底膜にダメージを与え、光老化を促進していることを突き止めた。さらに、この2大酵素の働きを抑制する成分として「コアキシマイド」を開発した。

入山:研究を重ね、2万種を超える候補の中から、2大酵素の働きを同時に抑制する成分を見いだしました。「コアキシマイド」は、「酵素ヘパラナーゼ」の活性を3時間で、「酵素MMP-9」の活性を30分で抑制することが可能です。速やかに分解酵素の働きを抑えることで、バリア機能・肌の潤い・シワなどの表皮、真皮への効果が確認されています。

WWD:今後の基底膜研究について。

入山:基底膜研究は構造の変化、機能の発見、肌再生の源と進んできているが、今後も新知見に期待してほしいです。近年生活者は、より一人ひとりが持って生まれた今ある肌をどれだけ大切にし、良い状態にするかということに注目しつつあると感じます。そのために、研究もさまざまな分野で融合できれば、より生活者のスキンケアへの選択肢も広がると考えます。

「コアキシマイド」で
新たなスキンケアアプローチ

資生堂,SHISEIDO

資生堂の基底膜研究により、基底膜にダメージを与える2大酵素が「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」であると特定した。そしてこの2大酵素の働きを同時に抑制する高機能成分として「コアキシマイド」を独自開発。「コアキシマイド」のアプローチにより基底膜の健康な状態が維持されると表皮幹細胞が安定化する。これにより、肌のバリア機能に重要な成分のフィラグリンや表皮ヒアルロン酸、コラーゲン産生が促進されて肌のバリア機能回復や潤いアップ、シワの減少が期待できる。基底膜研究のトップランナーである資生堂の30年の研究で行き着いた答えが「コアキシマイド」の開発であり、同成分を用いた「基底膜ケア」という新たなスキンケアアプローチの誕生である。

※技術に関する情報です

PHOTOS : TAMEKI OSHIRO
MOVIE DIRECTION : KEIICHIRO TOKUNAGA(INFAS.COM)
MOVIE CAMERA : NOBUTAKA SHIRAHAM,
KATUHIKO MIYATA,YUKI FURUSAWA
HAIR & MAKEUP:NOZOMI FUJIMOTO (CHITOSE MATSUMOTO)
EDIT & TEXT : WAKANA NAKADE

問い合わせ先
資生堂
https://corp.Shiseido.com/jp/inquiry

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資生堂の30年にわたる基底膜研究 美肌への新スキンケアアプローチ誕生

資生堂,SHISEIDO

肌の美しさを保つにはスキンケアが大切だということは周知の事実だろう。では、スキンケアをする上でどこに働きかければ効果が期待できるのか。その1つが「基底膜」という肌内部に存在する膜へのアプローチだ。基底膜は、表皮と真皮の間に存在し、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の非常に薄い膜ではあるが、その役割は大きな可能性を秘めている。基底膜について、1991年から30年以上にわたって研究を続けているパイオニア的存在が資生堂だ。同社は基底膜研究を続ける中で、紫外線によって基底膜がダメージを受けると光老化が進行しエイジングサインが現れることを発見。さらに、基底膜にダメージを与える酵素を抑制し、バリア機能や潤い、シワに効果を発揮する高機能成分「コアキシマイド」を独自開発した。その研究の最先端に迫るべく、エディター・ライターの松本千登世氏が資生堂の研究開発拠点「資生堂グローバルイノベーションセンター(以下GIC)」を訪問。入山俊介研究員の解説とともに、肌本来の再生力を取り戻す次世代のスキンケアアプローチ「基底膜ケア」に迫る。

松本千登世氏がエバンジェリストとして
資生堂の研究開発拠点を訪問 
美のリーディングカンパニーの
知見に迫る

GICは基底膜研究をはじめ、資生堂の最先端技術を用いた研究が日々行われている場所である。今回は美を伝えるエバンジェリストとして松本氏がその内部に潜入し、基底膜にアプローチする画期的な成分「コアキシマイド」を見いだすに至った実際の研究実験も体験した。入山研究員の解説により、肌再生の源である基底膜の重要な役割、毎日のケアがいかに大切であるかについて理解をさらに深めた。そして同時に、世界にも認められた資生堂の技術力の高さに改めて感嘆した。

スキンケアのプロも注目 
基底膜ケアへの期待

肌再生の源・基底膜へのアプローチ 
たどり着いた答えは
高機能成分「コアキシマイド」

WWD:肌再生の源ともいわれる、基底膜とは?

入山俊介研究員(以下、入山):肌内部の表皮と真皮の間にある、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の薄い膜が基底膜です。基底膜は表皮と真皮をつないで情報や物質をやりとりする働きを持ち、健やかな肌を再生するのに重要な役割を果たす、まさに肌再生の源として注目のシート状のタンパク質構造体です。

WWD:基底膜の働きについて。

入山:基底膜には3つの働きがあります。1つ目は、表皮と真皮を接着剤のようにつなぎ留めて肌の正しい形状を維持すること。2つ目は、表皮と真皮のコミュニケーションを通して、栄養素などの移動を制御し、肌を健やかな状態に保つこと。3つ目は、表皮幹細胞の維持です。基底膜の表面には表皮細胞を生み出す表皮幹細胞が並んでいますが、近年の研究結果により、基底膜には表皮幹細胞を育み表皮と真皮を安定した状態に保つ役割があることが分かりました。

WWD:なぜいま「基底膜」ケアが重要なのか?

入山:基底膜は表皮にも真皮にも作用する源となる部分であり、美容の領域やエイジング領域、皮膚の老化領域において基底膜ケアが重要であると啓発活動できるくらい情報や知見が集まったためです。これは、当社が早くから基底膜が「肌再生の源」であるという新たな考えのもと研究を蓄積してなせたことですね。紫外線など外的要因により基底膜がダメージを受けると、表皮のバリア機能が低下して乾燥や肌荒れの原因となります。同時に、真皮のコラーゲンが減少してシワやたるみなどエイジングサインが現れやすくもなる。そのため、基底膜を健康な状態に維持することで表皮や真皮も良好な状態が促進され、美肌を保つことにつながります。

WWD:資生堂の研究により、肌の構成成分の分解酵素である「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」が紫外線によって活性化することで基底膜にダメージを与え、光老化を促進していることを突き止めた。さらに、この2大酵素の働きを抑制する成分として「コアキシマイド」を開発した。

入山:研究を重ね、2万種を超える候補の中から、2大酵素の働きを同時に抑制する成分を見いだしました。「コアキシマイド」は、「酵素ヘパラナーゼ」の活性を3時間で、「酵素MMP-9」の活性を30分で抑制することが可能です。速やかに分解酵素の働きを抑えることで、バリア機能・肌の潤い・シワなどの表皮、真皮への効果が確認されています。

WWD:今後の基底膜研究について。

入山:基底膜研究は構造の変化、機能の発見、肌再生の源と進んできているが、今後も新知見に期待してほしいです。近年生活者は、より一人ひとりが持って生まれた今ある肌をどれだけ大切にし、良い状態にするかということに注目しつつあると感じます。そのために、研究もさまざまな分野で融合できれば、より生活者のスキンケアへの選択肢も広がると考えます。

「コアキシマイド」で
新たなスキンケアアプローチ

資生堂,SHISEIDO

資生堂の基底膜研究により、基底膜にダメージを与える2大酵素が「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」であると特定した。そしてこの2大酵素の働きを同時に抑制する高機能成分として「コアキシマイド」を独自開発。「コアキシマイド」のアプローチにより基底膜の健康な状態が維持されると表皮幹細胞が安定化する。これにより、肌のバリア機能に重要な成分のフィラグリンや表皮ヒアルロン酸、コラーゲン産生が促進されて肌のバリア機能回復や潤いアップ、シワの減少が期待できる。基底膜研究のトップランナーである資生堂の30年の研究で行き着いた答えが「コアキシマイド」の開発であり、同成分を用いた「基底膜ケア」という新たなスキンケアアプローチの誕生である。

※技術に関する情報です

PHOTOS : TAMEKI OSHIRO
MOVIE DIRECTION : KEIICHIRO TOKUNAGA(INFAS.COM)
MOVIE CAMERA : NOBUTAKA SHIRAHAM,
KATUHIKO MIYATA,YUKI FURUSAWA
HAIR & MAKEUP:NOZOMI FUJIMOTO (CHITOSE MATSUMOTO)
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映画監督・白石和彌が語る「時代劇の可能性」 「海外の人たちって日本の時代劇が大好きなんです」

PROFILE: 白石和彌/映画監督

白石和彌/映画監督
PROFILE: (しらいし・かずや)1974年12月17日生まれ、北海道出身。95年に中村幻児監督主催の映像塾に参加した後、若松孝二監督に師事。助監督時代を経て、ノンフィクションベストセラー小説を実写化した映画「凶悪」(2013)で第37回日本アカデミー賞優秀作品賞と監督賞ほか各映画賞を総なめした。さらに、17年に映画「彼女がその名を知らない鳥たち」でブルーリボン賞監督賞を受賞すると18年も「孤狼の血」を含む3作品で同賞を受賞。近年の主な監督作は、映画「孤狼の血 LEVEL2」(21)、「死刑にいたる病」(22)、「碁盤斬り」(24)などがある。

今、日本で熱いエンターテインメント映画を撮れる監督といえば白石和彌だ。初めて時代劇に挑戦して話題を呼んだ映画「碁盤斬り」(2024年)やNetflixシリーズ「極悪女王」(24年)に続いて完成させた映画「十一人の賊軍」が11月1日に公開される。本作は戊辰戦争を背景にし、罪人たちが藩の命運を握る砦を守るために戦うアクション集団抗争時代劇だ。名脚本家、笠原和夫が遺したプロットを基に、アクションに次ぐアクションのエンターテインメント大作でありながら、そこには戦争に巻き込まれていく人間の悲しさも描き込まれている。どんな想いで、笠原が残した物語を映画化したのか。そして、時代劇の可能性について白石監督に話を訊いた。

「十一人の賊軍」への想い

——「十一人の賊軍」は東映が1960年代に始めた集団抗争時代劇へのオマージュを感じて、時代劇好きにはたまらない作品です。脚本家の笠原和夫さんが原案でクレジットされていますが、どういう経緯でこの作品が生まれたのでしょうか。

白石和彌(以下、白石):1964年に東映が集団抗争劇を撮っていた時代に笠原さんが脚本を書いたんです。それを京都の撮影所で東映の幹部が集まって読んだんですけど、撮影所の所長だった岡田茂さんが、ラストで11人全員が死ぬことに不満で「そんな辛気臭い話はやらせない!」って言って企画がボツになったんです。それで笠原さんはブチ切れて脚本を破り捨てた。でも、プロットは残っていて、それを基に脚本を新たに書きました。

——その際に新たに脚色したことはありますか?

白石:岡田さんが言うのももっともで、全員死んで暗たんたる気持ちで終わるのはヌケがないなと思ったんですよ。そこで最後に生き残る人物を作ったのと、政(山田孝之)というキャラクターを笠原さんのプロットよりも立てました。本当は真っすぐな男なんだけど、賊軍に入れられることで、自分だけ助かろうとしたり、いろんな動きをする。元のプロットでは鷲尾兵士郎(仲野太賀)が主人公っぽい感じだったんです。

——藩に忠義を尽くして砦で戦おうとする剣術道場の道場主である兵士郎。無理やり賊軍に入れられて侍に恨みを持っている町人の政。2人の対比が物語を面白くしていますね。

白石:アイアンマンとキャプテン・アメリカみたいですよね。組織のために戦ってきたキャプテン・アメリカは最後に自分の人生を選択したし、アイアンマンはずっと個人主義だったけど最後にみんなのために死ぬ。そういう対比は面白いかなって思いました。でも、笠原さんが描きたかったのは、阿部サダヲが演じた新発田藩の城代家老、溝口内匠だったんじゃないかと思います。

——溝口は言ってみれば本作の悪役キャラですが、必ずしも悪役とはいえない複雑さを持っています。藩を守るために冷酷なこともやってのけるけど、自分の欲望のためではなく全ては藩のため、殿様のため。家族も大事にしている。

白石:溝口は戦禍から藩を守るためにいろんな計略をして領民からは感謝されるけど、その裏ではひどいことをしている。そういう政治家って今もいると思うんですよ。溝口が悪いやつかっていうとそういうわけではなく、彼と同じ立場に置かれたら同じことをする人は多いと思うんですよね。笠原さんが描く脚本の魅力はそういうところで、登場人物それぞれに違う正義があって、それがぶつかって軋轢(あつれき)を生み、人を悲しみの淵に追いやる。そこに完全な悪人はいなくて白黒がつかない世界なんです。

——それぞれの正義が軋轢を生む、というのはつまり戦争を描くということでもありますよね。ウクライナ侵攻が始まる中で、監督は戊辰戦争の話を撮られた、そこでヒーローを描かず、全員を犠牲者として描いているところに、監督のメッセージを感じました。

白石:ありがとうございます。この映画の冒頭に何人か登場人物の名前と役職がテロップで入るんですけど、そこには主人公たちの名前は入っていないんです。「全員の名前を入れたら?」という提案もあったんですけど、そうじゃないんだと。名前を入れているのはゲーム・オブ・ウォーをやっている人たち、安全なところにいて生き残る人たちで、テロップを入れない賊軍の連中は名もなき人たちなんです。彼らが藩を守るために死んだことは領民は誰も知らない。だから名前を入れなくてもいい。実は映画の冒頭からメッセージを入れているんです。

——なるほど。物語を通じて反権力が貫かれていますね。

白石:ただ、権力側にいる奴が完全に悪いというわけではないんですよね。人というものは、そういう立場になったらそういう行動をとるということでしかないと思うんです。

時代劇の魅力

——そこは溝口に対する視線に通じるところがありますね。本作は「碁盤斬り」に続いての時代劇ですが、時代劇としての美意識にこだわった「碁盤斬り」に対して、今回は徹底的にアクションです。

白石:今回は完全なるアクション映画だと思って撮りました。ただ、最近のワイヤー使いまくりのアクションというのより、地に足が着いたアクションにしたかった。人間が持っている力を超えた動きをするのが好きではないので、泥臭い殺陣になったと思います。阪妻(阪東妻三郎)の古い映画を意識したりもしたし。

——兵士郎役の仲野太賀さんが殺陣に初挑戦されていましたが、すごい気迫でした。

白石:彼はがんばりましたよ。一番戦わないといけないし、一番剣術が強いという設定でしたからね。基本的なところから始めて4〜5カ月みっちりやったんです。撮影に入ってからも空いている時間は常に殺陣を練習していました。クライマックスの殺陣のシーンは一番完成されていたと思います。

——とにかく本作の殺陣はエモーショナルで、賊軍の一人、爺っつぁん(本山力)の最後の戦いの立ち回りもすごかった。監督が爺っつぁんという役を大切にしていることが伝わってきました。

白石:アクション部のスタッフも、みんな爺っつぁんが好きなんですよ(笑)。演じてくれた本山力さんは東映剣会(東映京都撮影所所属の殺陣俳優専門の集団)で修行をしてきて東映剣会仕込みの殺陣を今に伝える数少ない一人なんです。

——東映のチャンバラ精神を受け継いだ人なんですね。

白石:三池崇史監督が「十三人の刺客」(10年)のリメイクを撮った時は、松方弘樹さんがいたんです。松方さんはスター俳優であり、殺陣のプロじゃないですか。でも、松方さんが亡くなった今、そういう存在がいないんですよ。だから、スター俳優ではないけれど本山さんにお願いしました。本山さんは脚本を読んだ時、震えたって言ってましたね。

——震えますよね、この役は。監督は続けて時代劇を撮られましたが、監督にとって時代劇の魅力とはどんなところでしょう。

白石:時代劇ってファンタジーだと思うんですよ。調べれば資料は出てくるけど、実際にそれを見た人はいないじゃないですか。だから、こっちで想像する余地がある。昔、深作欣二監督が撮った時代劇(「柳生一族の陰謀」78年)で成田三樹夫さんが演じる公家に「〜でおじゃる」っていうしゃべり方をさせたら、テレビ局とか他の映画でも使い始めて歴史が変わったんです(笑)。黒澤監督の「七人の侍」(54年)のセリフも当時は「時代劇のしゃべり方じゃない」と言われたと思うんですよ。でも、そうやって変わっていくのは豊かなことだと思うんですよね。「ひばり・チエミの弥次喜多道中」(62年)とか、いきなり歌い始めたり、しかもそれがマンボだったりする。今は「時代劇とはこういうもの」というカタに収められがちですけど、昔はもっと自由だったんです。

——昔の時代劇は、その中にミュージカル、アクション、コメディー、ホラーなど、いろんなジャンルがありましたね。

白石:そうなんですよね。日本で時代劇が撮りにくいのなら、海外向けに製作するのもいいと思うんですよ。真田広之さんのドラマ「SHOGUN 将軍」が成功したじゃないですか。海外の人たちって日本の時代劇が大好きなんです。映画祭に行くと、なんでもっと時代劇映画を撮らないんだって聞かれるんですよ。一度、映画祭で海外の方に話しかけられたことがあって。その方は「子連れ狼」のコミックをカバンから出して、「これを映画化してほしい」って言うんですよ。もう映画化されてるよって言ったら、知ってるけれどミスター・シライシにまた映画化してほしいんだって(笑)。

これから挑戦したいこと

——僕も白石監督版を観たいです(笑)。それにしても、今年に入って「碁盤斬り」、「極悪女王」、本作と新作が続きますが、今監督の映画作りの推進力になっているものは何でしょう。

白石:本数を重ねて年齢を重ねていくと、情熱が少しずつ薄れていくのは感じるんですよ。それに抗いながらどこに自分のものづくりの衝動を持つようにするのか、というのはいつも考えていますね。でも、「十一人の賊軍」は笠原さんのプロットを読んだ時から、すごい衝動を感じていたんです。今は無事完成して抜け殻状態(笑)。最近になって割と時間もできたので、映画を観たり、本を読んだりしてインプットしている時期です。忙しい時って目の前のことをこなすだけでいっぱいいっぱいなんですよ。なんでもない時間を過ごしていると、いろんな発見がある。ニュースを見てても、当事者の気持ちを考えてみたりね。そういう時間は大切だと思いますね。

——そういう時に新作のヒントが生まれるのかもしれないですね、これから映画監督として挑戦してみたいことはありますか?

白石:映画を撮れば撮るほど、自分がやりたいのはエンタメなんだなって思うんですよ、今回の作品はそんなに明るくはない作品なので、一回、「白石らしくない」って言われるくらい明るいものを撮りたいですね。例えば等身大の高校生のラブストーリー……いや、高校生は等身大じゃないか(笑)。おっさんの純愛映画なんて、いいかもしれないですね。

PHOTOS:MASASHI URA

■映画「十一人の賊軍」
11月1日から全国公開
出演:山田孝之 仲野太賀
尾上右近 鞘師里保 佐久本宝 千原せいじ 岡山天音 松浦祐也 一ノ瀬颯 小柳亮太 本山力 野村周平 音尾琢真 / 玉木宏
阿部サダヲ
監督:白石和彌
企画・プロデュース:紀伊宗之
原案:笠原和夫
脚本:池上純哉
音楽:松隈ケンタ
配給:東映
https://11zokugun.com
©2024「⼗⼀⼈の賊軍」製作委員会

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「地元の人も楽しめるホテルに」 沖縄の高級ホテル「セブン バイ セブン 石垣」ディレクターが語る

PROFILE: デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター

デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター
PROFILE: ニューヨークを拠点に、霞ヶ関キャピタルの連結⼦会社であるファブ ホスピタリティ グループが手掛けるホテルブランド「ファブ」や「セブン バイ セブン」のブランディングやデザイン監修などを行っている。過去には世界最大のマーケティング会社アイリスワールドワイドで勤めていた経験もあり、「ランボルギーニ」や「ネットフリックス」、グローバル展開するラグジュアリーホテルなど、多くのブランド開発に関わった PHOTO:Leslie kee

沖縄・石垣島にラグジュアリーホテル「セブン バイ セブン(seven x seven)⽯垣」が9月9日にオープンした。福岡・糸島に続く2施設目となる。

同ホテルは、インフィニティープールやファミリープールをメーンに、サウナやバーなどを完備した、老若男女問わず楽しめる宿だ。客室は全121室21タイプで、石垣の美しい海や景色を眺められるよう、全室テラス付き。プライベートプールとサウナ付きのスイートルームや、ジャグジーを備えた客室などもあり、10月8日にはホテル最上階にあるメゾネットスイートルーム「ザ・ペントハウス」(1泊、55万7000円〜)の予約受け付けを開始した。

今回は、そんなホテルを手掛けたデイビット・ミスキン(David Miskin)=チーフ クリエイティブ ディレクターにインタビュー。ニューヨークを拠点に活動している彼が惚れ込んだ石垣島の魅力、ホテルのこだわりなどを聞いた。

石垣島の人々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現

WWD:石垣島に「セブン バイ セブン」をオープンしようと思ったきっかけは?

デイビット・ミスキン=チーフ クリエイティブ ディレクター(以下、デイビット):石垣島が大好きで、約1年で視察も含め30回以上は訪れている。自然や海の美しさ、地元の方々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現できないかなと思ったことがきっかけだった。

WWD:全く新しい石垣島の表現を意識したとか。

デイビット:地元の人が来ても、新鮮な気持ちで楽しんでもらえるような場所にしたかった。非日常な空間や感動を味わって欲しいので、ホテル全体のベースはホワイトでモダンな印象に仕上げ、石垣島へのリスペクトの気持ちを込めて、ホテル内に“琉球⽯灰岩”やシーサーなどの素材やオブジェを散りばめた。

また、私たちがここで感じてほしい感情や地元の方々と話した時の印象をどのように落とし込むかと考えたときに、色使いが重要だった。木々を取り入れてボタニカルな空間を演出しつつ、「セブン バイ セブン」のキーカラーであるイエローをアクセントに差し込み、エネルギーあふれる内装にまとめ上げた。

WWD:強い“日本愛”を感じる。

デイビット:自分のキャリアの中でいろいろなブランドと仕事をしてきたが、日本に来ることが多かった。来るたびに感動の連続で、日本の方々の丁寧なサービス、日本文化のすばらしさをさまざまな場面で感じる。また、日本のファッションやインテリアはトレンドの最先端であり、大変参考にしている。あとは「ドン・キホーテ」が好きだからね(笑)。

WWD:自ら家具を搬入したり、位置を調整する姿も見られた。

デイビット:ビジョンを伝えて終わりにするのではなく、自分もチームの一員として動き、細かなところまでこだわることを忘れてはいけない。「セブン バイ セブン」のDNAを継承し続けられるのは私であり、チームワークを高めるためにも、こういった仕事は積極的にこなしていきたい。

WWD:レストラン「バティーダ(BATIDA)」やグローサリーショップの運営はどのように関わった?

デイビット:食を軸に音楽やアート、ホテル、サウナなどの多様なコンテンツをかけ合わせた空間をつくる会社フライデーズに運営を依頼し、友人の米沢弘志代表と一緒に作り上げた。期待値を超えるすてきなレストランになった。

WWD:お気に入りの場所は?

デイビット:バー「レッド(Red.)」だ。初めて、小川潤之霞ヶ関キャピタル取締役会長から「これまでに見たことがないバーを作って欲しい」と言われた場所であり、空間デザインからインテリア、ドリンクまで100%こだわった。宿泊者だけでなく、ビジターも気軽に楽しめる。

「セブン バイ セブン」の開発事業を加速 2〜3年で7施設をオープン

WWD:KPIは?

デイビット:予約率や客数、利益も気にするべきだが、一番はカスタマーエクスペリエンス。どれだけのお客さまに感動体験を提供できているのか、満足してもらえるサービスや客室を用意できているかを重視している。また、このホテルをより良くしていくため、積極的に顧客からのフィードバックも集めるようにする。

WWD:今後の展望は?

デイビット:「セブン バイ セブン」の開発事業を加速させ、直近2〜3年で7施設をオープンする予定だ。

先日、老舗高級ホテルに宿泊したが、家具にシミが付いていたりと気になる点が多かった。些細なことかもしれないが、あまり心地良い体験ができなかったのを覚えている。この学びから常に美しさを保ち、サービスに磨きをかけて何度もリピートしてもらえるようなホテルを目指していきたい。

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「地元の人も楽しめるホテルに」 沖縄の高級ホテル「セブン バイ セブン 石垣」ディレクターが語る

PROFILE: デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター

デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター
PROFILE: ニューヨークを拠点に、霞ヶ関キャピタルの連結⼦会社であるファブ ホスピタリティ グループが手掛けるホテルブランド「ファブ」や「セブン バイ セブン」のブランディングやデザイン監修などを行っている。過去には世界最大のマーケティング会社アイリスワールドワイドで勤めていた経験もあり、「ランボルギーニ」や「ネットフリックス」、グローバル展開するラグジュアリーホテルなど、多くのブランド開発に関わった PHOTO:Leslie kee

沖縄・石垣島にラグジュアリーホテル「セブン バイ セブン(seven x seven)⽯垣」が9月9日にオープンした。福岡・糸島に続く2施設目となる。

同ホテルは、インフィニティープールやファミリープールをメーンに、サウナやバーなどを完備した、老若男女問わず楽しめる宿だ。客室は全121室21タイプで、石垣の美しい海や景色を眺められるよう、全室テラス付き。プライベートプールとサウナ付きのスイートルームや、ジャグジーを備えた客室などもあり、10月8日にはホテル最上階にあるメゾネットスイートルーム「ザ・ペントハウス」(1泊、55万7000円〜)の予約受け付けを開始した。

今回は、そんなホテルを手掛けたデイビット・ミスキン(David Miskin)=チーフ クリエイティブ ディレクターにインタビュー。ニューヨークを拠点に活動している彼が惚れ込んだ石垣島の魅力、ホテルのこだわりなどを聞いた。

石垣島の人々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現

WWD:石垣島に「セブン バイ セブン」をオープンしようと思ったきっかけは?

デイビット・ミスキン=チーフ クリエイティブ ディレクター(以下、デイビット):石垣島が大好きで、約1年で視察も含め30回以上は訪れている。自然や海の美しさ、地元の方々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現できないかなと思ったことがきっかけだった。

WWD:全く新しい石垣島の表現を意識したとか。

デイビット:地元の人が来ても、新鮮な気持ちで楽しんでもらえるような場所にしたかった。非日常な空間や感動を味わって欲しいので、ホテル全体のベースはホワイトでモダンな印象に仕上げ、石垣島へのリスペクトの気持ちを込めて、ホテル内に“琉球⽯灰岩”やシーサーなどの素材やオブジェを散りばめた。

また、私たちがここで感じてほしい感情や地元の方々と話した時の印象をどのように落とし込むかと考えたときに、色使いが重要だった。木々を取り入れてボタニカルな空間を演出しつつ、「セブン バイ セブン」のキーカラーであるイエローをアクセントに差し込み、エネルギーあふれる内装にまとめ上げた。

WWD:強い“日本愛”を感じる。

デイビット:自分のキャリアの中でいろいろなブランドと仕事をしてきたが、日本に来ることが多かった。来るたびに感動の連続で、日本の方々の丁寧なサービス、日本文化のすばらしさをさまざまな場面で感じる。また、日本のファッションやインテリアはトレンドの最先端であり、大変参考にしている。あとは「ドン・キホーテ」が好きだからね(笑)。

WWD:自ら家具を搬入したり、位置を調整する姿も見られた。

デイビット:ビジョンを伝えて終わりにするのではなく、自分もチームの一員として動き、細かなところまでこだわることを忘れてはいけない。「セブン バイ セブン」のDNAを継承し続けられるのは私であり、チームワークを高めるためにも、こういった仕事は積極的にこなしていきたい。

WWD:レストラン「バティーダ(BATIDA)」やグローサリーショップの運営はどのように関わった?

デイビット:食を軸に音楽やアート、ホテル、サウナなどの多様なコンテンツをかけ合わせた空間をつくる会社フライデーズに運営を依頼し、友人の米沢弘志代表と一緒に作り上げた。期待値を超えるすてきなレストランになった。

WWD:お気に入りの場所は?

デイビット:バー「レッド(Red.)」だ。初めて、小川潤之霞ヶ関キャピタル取締役会長から「これまでに見たことがないバーを作って欲しい」と言われた場所であり、空間デザインからインテリア、ドリンクまで100%こだわった。宿泊者だけでなく、ビジターも気軽に楽しめる。

「セブン バイ セブン」の開発事業を加速 2〜3年で7施設をオープン

WWD:KPIは?

デイビット:予約率や客数、利益も気にするべきだが、一番はカスタマーエクスペリエンス。どれだけのお客さまに感動体験を提供できているのか、満足してもらえるサービスや客室を用意できているかを重視している。また、このホテルをより良くしていくため、積極的に顧客からのフィードバックも集めるようにする。

WWD:今後の展望は?

デイビット:「セブン バイ セブン」の開発事業を加速させ、直近2〜3年で7施設をオープンする予定だ。

先日、老舗高級ホテルに宿泊したが、家具にシミが付いていたりと気になる点が多かった。些細なことかもしれないが、あまり心地良い体験ができなかったのを覚えている。この学びから常に美しさを保ち、サービスに磨きをかけて何度もリピートしてもらえるようなホテルを目指していきたい。

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「服造」を0から探求 早稲田大学繊維研究会、ショーに向けて服作りにまい進

1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。第1回のコンセプト決定とルック撮影に続き、第2回では代表の井上航平さんと、小山萌恵さんがショータイトルの決定と服作りについて語る。

WWD:12月に迎えるファッションショーに向けて、進捗は?

井上航平早稲田大学繊維研究会代表(以下、井上):今年度のショーのタイトルを「透き間、仄めき」に決定しました。前回お話しした小山発案のコンセプト「みえないものをみるとき」を元に僕が考案しましたが、コンセプトの抽象度が高いだけになかなか筆が進まず苦戦しました。そこで日常における「みえないもの」の例や、ルック撮影を行った江ノ島での記憶(具体的には湘南港ヨットハウスのガラス越しの光景、鵠沼駅で江ノ電が近づいてくるときに浴びたあたたかな風、七里ヶ浜の水面に陽の光が乱反射する様子など)をイメージして考え始めました。まず始めに小山が「みえないもの」の例として挙げていた余白の美学からの連想で「すきま」という単語が浮かんできました。

WWD:タイトルの「透き間」と「隙間」は異なる?

井上:一般的に用いられる「隙間」と違い、「透き間」は“意図した上で生まれる空間”を意味します。また、のぞく動作が入ることが想定される「隙間」に対して、「透き間」からはふとした時に目に入ってくる、そんな情緒を感じて選びました。もちろん、単純に字面で見たときの爽やかな雰囲気もポイントです。これに続く「仄めき」は当然、ほのかに見えるという意味から思いついたのですが、自分としては意味というよりむしろ「仄」という漢字の密度の小ささ=「透き間感」に引かれて採用しました。

当団体ではこれまで「編み目に浮かびながら」、「纏う空箱」のように合成語をタイトルとしてきたのに対して、今回はこの二つの単語をシンプルに読点で結んだのですが、読点それ自体も声に出して読んだときに間を生み出す、いわば休符で奏でる(これは音楽における「見えないもの」です)役割を果たしています。

WWD:告知フライヤーのこだわりは?

井上:8月にフォトグラファーのカズキ ヒオキ(Kazuki Hioki)さんに撮影いただいた写真を元に作りました。例年は使用する写真の選択からデザインまでの全てを担当者にお願いしていたのですが、今年は学年や部署によってショーに対する熱量に差が出ないよう、みんなで決めるプロセスを重視して、部内で話し合って決定しました。

もちろんどの写真も素敵でしたが、フライヤーとなると単純な写真の良さで決めるわけにもいかず、「これはインパクトに欠ける」「逆にこれは迫力がありすぎて“らしさ”が損なわれる」「この写真だとランウェイモデル=主体、観客=客体と完全に切り分けているように感じるが、こちらならお客さんも一体となってショーをする感じに見える」など活発に意見が飛び交いました。

最終的には、写真のモデルさんの視線・地面に置いた右手・左側に伸びる影から「なんとなく見えないものを見つめている感じがして、かつA4サイズにしたときに収まり良く文字を入れやすい」という話になり、予定の会議時間を大幅オーバーしながらも、全員が納得いく形でフライヤー写真が決まりました。

写真のセレクト後、文字入れは大学でデザインを学ぶ部員にお願いしたのですが、さすがのセンスを見せてくれました。まだ構想段階ですが、インターネットで全て見ることのできる時代に「紙のフライヤーを印刷する意味」を見出せるよう、単純な光沢紙ではなく紙にもこだわりたいと考えています。

WWD:服作りの過程は?

小山萌恵(以下、小山):私たちはルックを製作する部門を「服造(ふくぞう)」と呼んでいます。服造は、デザインから製作、ヘアメイクの考案まで、各々の作品作りにおける全てのプロセスを担います。コーチや講習会を設けていない私たちですが、服造に所属する部員のほとんどは入部して初めて服作りに挑戦した、という部員です。自力で0から探求するからこそのクリエイティブな感覚が、ルックにも表れているように感じます。

私自身は数少ない服飾学生の身なのですが、皆の服作りに対する純度の高いモチベーションや理論に捉われない自由な発想には、いつも刺激を受けています。

ファッション批評を掲げる繊維研究会は、単に批評をして終わりとはしない「理論と実践の両面からの活動」を目指しています。 まさに「実践」の役割を大きく担う服造はショーで発表するルックを「メディアとしての衣服」と捉え、コンセプトをもとに各々がそこから連想したテーマを立てて、デザインへと落とし込みます。

WWD:今年度の特徴は?

小山:「みえないもの」に焦点を当てる今年度は、さまざまな角度からデザイン画が集まりました。陸から見る水中といった具体的なみえないものをモチーフにしたものもあれば、記憶や感情などの抽象的な概念をデザインソースにしたものもあり、自身にとっての私的なみえないものをいかに表現するかに注力したアプローチもあれば、観客にみえないものを見出してもらうことを促すためのアプローチもあり、その視点やデザインへの落とし込み方にもそれぞれの感性や個性、学んでいる専門分野が滲み出るのがおもしろいです。ただかわいさや華やかさを追求するだけでは獲得し得ない厚みと奥行きが、繊維研究会のルックにはあると、わがことながら思います。

WWD:12月のファッションショーとは別に、タキヒヨーとDress the Lifeとの合同展示会を計画している。

小山:本展示会では、タキヒヨーから生分解性のあるPLA素材を使用した生地を、Dress the Lifeからドレス制作時に生じる残布をご提供いただき、繊維研究会で作品を製作しました。ファッション業界に批評意識を持ち、真摯な姿勢でデザインに向き合う私たちにしかできないサステナブルなアプローチがあると思っています。複数の企業と1つの取り組みを行うことも、展示という発表形態自体も初の試みであるため、初めて直面するさまざまな課題に試行錯誤しながらも、開催へ向け奮闘しているところです。ぜひ足をお運びいただけたらうれしいです。

■タキヒヨー×Dress the Life×繊維研究会合同展示会「夢幻泡影」
日程:11月17日
時間:10:30~15:30
場所:BABABASE
住所:東京都豊島区高田3‐3‐16 広研印刷株式会社 新館1階

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2代目バチェロレッテ尾﨑美紀、一時の経営混乱も「今は超いい感じ」

ファッションブランド「エステラ・ケー(Estella.K)」を展開するジャミン(東京・渋谷、坪内良夫社長)はこのほど、新ブランド「メリン(Meline M.)」をスタートする。ディレクターを務めるのは、起業家で2代目「バチェロレッテ」の尾﨑美紀ディネット代表だ。価格帯はトップス 1.2〜1.6万円、ワンピースが2万円〜2.5万円、アウター3万円台で、25〜34歳の女性がターゲットになる。

一方、尾﨑代表が率いるディネットは、まつ毛美容液のヒットで知られる「フィービービューティーアップ(以下、フィービー)」を展開しているが、昨年から今年に掛けて成長を支えた幹部が相次いで退任するなど、一時期経営が混乱した。だが「今は嵐を乗り越えて、今は超いい感じ」という。尾﨑代表にブランドやディネットの今後を直撃した。

ディレクターに起業家を起用、異色のインフルエンサーブランドの背景

WWD:「メリン」のディレクターになった経緯は?

尾﨑美紀ディネット代表(以下、尾﨑):もともとジャミンの展開するブランド「エステラ・ケー」をプライベートでもよく着ていて、「バチェロレッテ」の放映を見たジャミンの坪内良夫社長から連絡をもらった。私自身もファッションが好きで、いつかはブランドをやってみたいという思いもあった。ただ、自社で手掛けるのがさすがにハードルが高いとずっと思っていた。そうした中での坪内社長からの「プロデュースをしてみないか?」というオファーだった。「エステラ・ケー」を自分自身が着ていて服もしっかり作っているという印象だった上、坪内社長からの「起業家がディレクターという新機軸だからこそ面白い」という申し出にも、心が動いた。

WWD:ディレクターの主な役割は?

尾﨑:在庫の持ち方や売り方はジャミンが担い、私の役割はコンセプトの設定から情報発信、そして服のデザインの指示まで、いわゆるインフルエンサーブランドのディレクター的な位置づけです。服に関しては全くの素人なので、当初は苦労しましたが、ジャミンさんの持ってくるサンプルをベースにディテールや着心地など、細かい部分までいろいろ口を出させてもらってます。

仕事のペースは10日〜2週間に一度くらい打ち合わせ、年4回の撮影ですね。ブランドの公式インスタアカウントはジャミンさん側ですが、随時私もアカウントでも情報発信します。こちらはジャミンさんの意向で特に契約で取り決めなどはしておらず、私のペースで行います。

WWD:ターゲットは?

尾﨑:この部分は「フィービー」と同じで、コアターゲットは25〜34歳の感度の高い女性です。内面から出てくる美しさにフォーカスし、ブランド名の「メリン」にもそうした思いを込めました。

WWD:今後は?

尾﨑:夏の長期化を受けて、ジャミンさんとは「本格的な展開は来春夏物から」と話しています。百貨店でのポップアップもしてみたいし、有楽町マルイの「フィービー」店舗でのコラボもやりたい。もちろんその際は私も店頭に立ちたい。ただ、現在はモデルが私も務めていますが、いずれは私の存在は薄くしていき、ブランド自体が自立していけたらと思っています。

WWD:利益配分は?

尾﨑:レベニューシェアです。売れた分だけ、会社(ディネット)に入るようになっています。

相次いで幹部が退社、一時経営が混乱

PROFILE: 尾﨑美紀/ディネット代表取締役

尾﨑美紀/ディネット代表取締役<br />
PROFILE: 1993年1月18日生まれ、愛知県出身。中央大学在学中に芸能活動を行う一方で、D2Cブランドを運営するスタートアップ企業でのインターンシップを経験。2017年3月30日にディネットを設立。2019年2月にD2Cコスメブランド「フィービービューティーアップ」をスタート、21年11月に有楽町マルイに初の直営店をオープン。2022年7月7日から配信した「バチェロレッテ・ジャパン」シーズン2で、2代目バチェロレッテとして登場

WWD:登記簿によると、この2年で取締役が3人退任、あるいは辞任している。理由は?

尾﨑:戦略や人事、組織の変更によるものです。これまでのようにトップライン(売り上げ)だけを追うのではなく、LTV(顧客生涯価値)を重視する、より顧客一人あたりの満足度を上げる戦略に転換する中で、人や組織が混乱してしまいました。振り返ってみれば、私の能力不足がすべての原因なのですが、起業8期目にして初めての経験で、まるで嵐のようでした。これまでがむしゃらに突っ走ってきて、売り上げも人員も右肩上がりでずっと増えてきた。もちろんスタートアップなので、走りながら人も組織も整える、という形になるのもわかっていたつもりでしたが、直面してみると本当に大変で。ただ、今はもう「いい経験だった」と言えるくらいにまでは持ち直しましたし、嵐を乗り越えた今となっては、創業直後くらいの結束力・団結力があって、自分も会社も組織もびっくりするくらい強くなりました。今は超いい感じです。全員が「やるぞー!」って感じで燃えています。

WWD:一番大変だった時期は?

尾﨑:5月ごろです。そんな中で「メリン」のプロジェクトもスタートして、かなり病んでいました(笑)。基本的に大変なときも社員の前では顔似出さないようにしているのですが、ある社員に「美紀さん、わたしたちが支えます」と言われたときには、二人で手を取り合って号泣してしまいました。

WWD:ベンチャーキャピタル(VC)からの出資も多い。経営の混乱で株主からの出資の引き上げ要請などはなかったのか?

尾﨑:いえ。全く逆で、ものすごく支えてもらいました。主要株主の大和企業投資とセレスの担当者には、精神的に大変な時期には食事に誘ってもらったり、戦略の転換に伴うリソースを補うべく、その道のプロを紹介してもらったり。とにかくお世話になりっぱなしでした。株主と社員にには感謝しかありません。

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取り扱いサロン6000店舗突破 サロンと一般流通の双方で躍進する「シンピュルテ」の流通戦略

2022年秋に先行販売した美容室で5日で全3種が完売し、大きな話題となった「シンピュルテ(SINN PURETE)」の“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”。発売から2か月で6万7000本を突破し、約3000サロンで導入が進み、サロン市場で一躍存在感を高めた。今年に入って、“マインドフル シャンプー&トリートメント”を発売し、ヘアケアカテゴリーを拡張。現在取り扱いサロンは6000店舗超と成長を遂げている。

「シンピュルテ」はもともとスキンケアやフレグランスを取りそろえ、ECやセミセルフショップを中心に流通してきた。オイルの発売を機に美容ディーラーのダリアと独占契約を結び、サロン流通を開始した。ヘアサロンは体験を伴い、ファッション感度の高い美容師を通じて商品を発信できるとあって注目するコスメブランドも多いが、B to B to Cという独自の商習慣やヘアサロンにとって一般的に流通している商品を取り扱うことは差別化に欠けることから、なかなか一般流通との二軸で成功するブランドは少ないのが現状だ。その中で「シンピュルテ」が美容師から支持を集め成長している背景を、ブランド、美容ディーラー、美容師、三者の視点からひもとく。

ホリスティックなアプローチで
コロナ禍に一躍認知度度が上昇

WWD:「シンピュルテ」とはどのようなブランドですか?

上妻善弘 アナイスカンパニー ファウンダー(以下、上妻):「シンピュルテ」は、オーガニックの良さと科学の力を融合させたハイブリッドナチュラル処方を特徴とするブランドです。2012年に「ジョンマスターオーガニック(JOHN MASTERS ORGANICS)」から誕生し、2020年に当社が傘下に収め、「マインドフルビューティー」をコンセプトにリブランディングしました。それまで我々はデザインを軸にブランディングやコンサルティングなどを請け負うデザインコンサルティングファームでしたが、新たな挑戦の機会と捉え、「シンピュルテ」の運営に乗り出しました。当時は新型コロナウイルスが流行し、緊急事態宣言が出た直後。あらゆることが未知数でしたが、ある意味で新たな事業にトライするタイミングだったと今は思います。

WWD:癒やしを求めて「シンピュルテ」を支持する声が上がり、コロナ禍のお家需要とマッチしてフレグランスアイテムがSNSなどで話題になっていたのを覚えています。

上妻:当時、ビューティの分野では「時短」というキーワードが流行していましたが、自分の美と向き合う大切な時間を「時短」と捉えることに対して少し疑問を感じていました。むしろ、スキンケアにかける例えば15分という時間をどれだけ充実させられるかが重要だと考え、香りに注目しました。コロナ禍以前の日本では、香りを取り入れたスキンケアブランドはほとんど見られなかったように思います。そこで、香りを通じてストレスを解消しながらスキンケアを楽しめるような、ホリスティックかつメディカルなアプローチを、慶應義塾大学の満倉靖恵教授と共に進めました。

PROFILE: 上妻善弘/アナイスカンパニー ファウンダー

上妻善弘/アナイスカンパニー ファウンダー
PROFILE: (こうづま・よしひろ):1981年、福岡県出身。高校時代からアパレルのセレクトショップで働き、ファッション業界に触れる。大学卒業後はソフトバンクグループでコンサルティング営業からマーケティングを経験し、独立。デザイン制作会社の取締役を経て、2012年にアナイスカンパニーを設立。これまで数多くの企業やブラン ド、プロジェクトに関わるクリエイティブディレクション、 新規事業の企画立案から事業戦略、ブランディング戦略、広告やカタログ、 ウェブ、映像のデザイン制作に至るまで、幅広く携わる PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:最近ではヘアサロンでの流通も定着し、美容師からの注目度が増しています。

上妻:ヘアケアに関しては、当社が以前「ジョンマスターオーガニック」を支援していた経験が大きく影響しています。同ブランドは本国ではプロフェッショナルなヘアケアのイメージがありましたが、日本に上陸した当初は知名度が全くなく、オーガニック市場自体も芽が出始めたばかりの状況でした。ゆえにサロン流通に関して、美容ディーラーの中で優先順位を上げるのは難しかったことを覚えています。そこでまずはおしゃれなセレクトショップやセンスの良いライフスタイルショップにアプローチし、店頭で取り扱ってもらうことで感度の高い美容師にブランドを知ってもらい、逆に美容師が気になる存在になるようブランドへと育てるという戦略を取りました。こうして徐々にサロンでの流通が広がっていった経緯があります。

当時、サロンとショップ(一般流通)の展開が互いに競合する印象を持たれることもありましたが、実際には相乗効果が生まれていました。特に売上の良い直営店の周辺では、「ジョンマスターオーガニック」を取り扱うサロンにも活気があり、互いの存在が顧客を引き寄せる相乗効果をもたらしていたのです。また取り扱いサロンが比較的多いエリアに直営店を出店すると、お客さまの集まりが非常に良く、サロンでの体験を通じて「もっとさまざまな商品を使ってみたい」という意欲が生まれ、ブランドの価値が向上していきました。この経験をもとに、当時は実現できなかったことも多かったため、今「シンピュルテ」で再び挑戦し、一般流通とサロン流通の両方をまたぐブランドに育てていきたいと考えています。

競争激しいオイルで勝負
「香りで選ぶ」強みを生かした提案

WWD:サロン流通のパートナーにダリアを選んだのはなぜ?

上妻:ダリアとの協力関係は、その信頼性と営業力の高さに加え、地元が福岡という共通点や、「シンピュルテ」の製品哲学、商品力、香りを使ったマーケティング戦略に興味を持っていただいたことがきっかけで始まりました。ダリアは多くの美容師とコネクションを持っており、情報交換を通じて多くの気づきを得ることができ、われわれ自身も商品をさらに磨くことができます。また、ダリアを通じてより多くのプロフェッショナルなサロンにアプローチすることができ、結果として市場拡大にもつながっています。

WWD:プロジェクトがもともとあったのではなく、情報交換からスタートしているのですね。ちなみに美容ディーラーとはどのような事業を行っているのでしょうか。ダリアの事業内容を教えてください。

中島努 ダリア 営業推進室課長 兼 マーチャンダイジング部 次長 兼 MD企画室 室長 兼 CS室 室長(以下、中島):ダリアは本社が福岡にあり西日本のサロンを中心に支えられ成長してきました。美容ディーラーということからも、取引先の99%が美容室です。昨今のヘアサロン市場には複数のディーラーがあり、取り扱いメーカーや商品数の多さだけでは差別化にはつながりません。ダリアが選ばれるためには付加価値が大切です。そこでわれわれは美容師のみなさんが豊かであるために、経営強化や生産性の向上をキーワードに、オリジナルポスの開発やECサービスのサポート、さらには日本最大級の技術コンテストの開催など色々な仕掛けをしています。「シンピュルテ」との取り組みについては、われわれだけが取り扱うことのできる強力なアイテムを提案したいという期待値があってスタートしました。

PROFILE: 中島努/ダリア 営業推進室課長 兼 マーチャンダイジング部 次長 兼 MD企画室 室長 兼 CS室 室長

中島努/ダリア 営業推進室課長 兼 マーチャンダイジング部 次長 兼 MD企画室 室長 兼 CS室 室長
PROFILE: (なかじま・つとむ)1987年、愛知県出身。2010年ダリアに入社。多くのサロン様に関る営業経験を経て、受発注システム・POS・ECサービス・アプリサービスなどのCRM開発プロジェクトを担当。オリジナルブランドのサプリメント開発をはじめとする商品企画からマーケティング・営業に至るまで、幅広い業務・プロジェクトに携わる PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:そうして生まれたのが、“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”ですか?美容室で先行発売しましたよね。

上妻:先行発売は、競争が激しいヘアサロン市場での本格的な闘いに挑むための戦略的な決定でした。“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”も“マインドフル シャンプー&トリートメント”も、開発段階からダリアに協力してもらいました。プロのスタイリストからのリアルなフィードバックをもとに商品をブラッシュアップすることで、顧客の期待に応える最適なフォーミュラを開発できると確信しています。このアプローチにより、サロン専売品としての地位を固め、プロフェッショナル市場での認知度と信頼性を高めることが目的です。“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”により、好スタートを切れたと感じています。

谷口翠彩「クイーンズガーデン バイ ケイトゥー(QUEEN’S GARDEN by K-two)銀座」エグゼクティブディレクター(以下、谷口):私はダリアからの紹介で「シンピュルテ」を使い始めました。日頃からシャンプーやボディソープは3種類程度香りの違うものお風呂場に置いていt、気分で使い分けるぐらい香りを重要視しています。なので、「シンピュルテ」は香りで選べるところがまずお気に入り。コロナ禍を経てマインドフルネスというキーワードにも親しみができて、機能性も大事だけど癒やされたいという気持ちが大きくなりました。そんな自分自身にすごくフィットしたブランドです。ヘアメイクとしても活動しているので、現場でフレグランスを吹きかけて空間づくりをすることも。パッケージが可愛いからこちらから提案せずとも、興味を持ってもらえて話が広がります。

PROFILE: 谷口翠彩/「クイーンズガーデン バイ ケイトゥー 銀座」エグゼクティブディレクター

谷口翠彩/「クイーンズガーデン バイ ケイトゥー 銀座」エグゼクティブディレクター
PROFILE: (たにぐち・みどり)2009年「ケイトゥー(K-two)」に入社。女性らしい柔らかさのあるアンニュイなヘアデザイン、メイクに定評あり。サロンワークの傍ら、ヘア&メイクアップアーティストとしても活動。女性誌やイベント、セミナーなど幅広く活躍する Instagram:@xxmido_txx PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:世の中にはたくさんのヘアオイルが溢れています。その中でも「シン ピュルテ」がこれほど支持されている理由は?

谷口:ヘアオイルは本当に差別化が難しいと思います。テクスチャーの人気には傾向がありますが、お客さまに違いを伝えるのはなかなか難しいんです。そうなると香りとパッケージが重要ですよね。私だけでなくスタッフからもそう聞きます。「シンピュルテ」はヘアサロンへの導入が始まった当初からセミナーなどを担当させていただいていて、当サロンでも早い段階から取り扱いをスタートしました。

“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”は同じテクスチャーで香りが3種類あるので、シンプルに好きな香りで選べるのが良いんです。女性は毎日ヘアスタイルにもファッションにも気を配っているから、香りまで作り込むとさらに気持ちが上がると思うんです。1つを使い続けるとマンネリに陥りがちなので、香りのバリエーションが欲しいことも。そんなときに純粋に香りで選べるのはメリットだと思います。複数買いしていただいたり、使い切ったら違う香りを購入する方もいますよ。テクスチャーによって香りが違うアイテムも市場にはありますが、重いテクスチャーが好きだけど香りは軽い方が好きといったミスマッチが生じてしまうことも。香りが好みでないと選択肢から外れてしまうので、香りはとても重要です。

中島:開発時の思いとしては、本当の意味でマルチオイルが作りたかったんです。肌にすっとなじんで、髪への保湿感も十分に得られるようなフォーミュラにこだわりました。

谷口:たしかに商品名に「ヘアオイル」と入っていないのも良いですよね。ヘアメーカー発のオイルはマルチオイルをうたっていても、なんとなく体につけることに抵抗感があるんです。もちろんいい商品だけれど髪の毛のためのものというイメージが強いと言いますか。その点、「シンピュルテ」はスキンケアブランドのイメージが定着しているので、お風呂上がりのボディケアにも使いやすいですよね。

「いいブランドを教えてくれる人」の
イメージが作れるブランド

WWD:「シンピュルテ」にとってヘアサロンはどのような売り場でしょうか?

上妻:ヘアサロンは商品を直接顧客に提供し、体験していただく場として非常に重要であり、商品とブランドを磨き上げるための絶好の場です。サロンを通じてブランドの信頼性を高め、市場でのポジショニングを強化していきたいと考えています。

WWD:サロン流通と一般流通をまたぐブランドは数少ないと思いますが、美容師目線ではどう捉えていますか。

谷口:「シンピュルテ」の取り組みとしてヘアケアアイテムはサロンで、スキンケアなどは直営店で、というのは良い取り組みだと思っています。サロンで「シン ピュルテ」を知ったお客さまがセミセルフショップでスキンケアを購入したという報告を受けることもあります。そして「ヘアオイルは売ってなかったんです」と聞くこともあって、ヘアケアはサロンでプロの手から購入してもらうことができるのはありがたいです。また「シンピュルテ」を紹介するときに、「実はスキンケアもあるんですよ」とお話しすると興味を持ってくださることも多いんです。商品がオイルだけだとアプローチしにくいですが、ビューティに力を入れているブランドとして切り口がたくさんあるので話のネタがつきません。

WWD:一般流通もあることがブランドの魅力になっている?

谷口:そう思います。私は「シンピュルテ」のシートマスクが大のお気に入りなのですが、お客さまにはプレゼントや自分へのご褒美にお勧めすることも。実はヘアオイルをきっかけにスキンケアを購入したという声も聞くことが多いんです。ハイクオリティなのに、価格帯も手に取りやすく、セミセルフの売り場で購入できるので、男性からも好評です。もしかしたらサロンでレジ横商品として1枚から購入できたら面白いかもしれません。サロンではスキンケアのタッチアップがなかなかできないので、フルラインナップ欲しい人は別の場で。直接的に店販として売り上げにつなげようというよりも、きっかけをサロンが作るという考え方が適しているのかもしれません。美容師としては「いいブランドを教えてくれる人」のイメージがつくと、お客さまからの信頼につながります。生涯顧客を育むことにもつながります。「シンピュルテ」はそんなアプローチができるブランドです。

中島:最近はサロン流通のスキンケアブランドも登場していますが、さまざまな障壁も感じています。谷口さんがお話ししているような広がり方が受け入れられやすいのかもしれませんね。「シンピュルテ」の導入サロンはしっかりとトレンドやお客さまのヘアデザインと向き合っているサロンが多い印象です。ブランドイメージとマッチしていることもあってか、販売数も伸びています。何よりも「マインドフルビューティ」というコンセプトはこれまでのサロン市場にはなかったものなので、差別化につながっていると考えています。

WWD:「シンピュルテ」として今後サロン市場で取り組みたいことを教えてください。

上妻:現代は商品も情報もチャネルもさまざま。その中でも美容師がヘアデザインを作る中で商品を使い、スタイリングし、使い方を説明するヘアサロンでの体験は、とてもリッチな購買体験です。「シンピュルテ」は美容室を通して販売することは顧客体験に魅力を感じています。今後は、サロン専売製品のラインナップを拡充し、サロン向けのサービスとコミュニケーションを強化したいと考えています。さらに、ファッションブランドやアーティストとのコラボレーションを通じて、サロン顧客に響くプロモーションを展開し、市場をさらに広げる予定です。ファッションとビューティの架け橋としての役割を担うことも目指しています。

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韓国のメイク・スキンケア・ヘアの2024年秋冬トレンドは? ウォン・ジョンヨらが徹底解説

最近、渡韓の目的の1つとして、「プロにヘアメイクをしてもらい、ポートレイト写真を撮る」人が急増しているという。日本でも東京・原宿エリアに「韓国ヘアメイクサロン」が続々オープンしており、10月には韓国ヘアメイクとプロカメラマンによる撮影が体験できるスタジオ「RIZZ」(渋谷区・神宮前)がオープンした。同店にはINIやIS:SUEも担当するヘアメイクアーティストが在籍する。最もリーズナブルなAプランは、アーティストがヘアスタイリング&メイクを行い、セルフ撮影で撮影データは全て提供、3枚までレタッチが無料。120分コースで価格は3万8500円。最上位の「Dプラン」は、現役チーフヘアメイクアーティストがヘアメイクを行い、プロフェッショナルカメラマンが撮影する11万円のプランだ。

「RIZZ」はオープン以降、20〜30代の女性を中心に予約が絶えず好調だという。そこで今回は、最新の韓国トレンドに精通するパク・ネジュ「ビット&ブート(BIT&BOOT)」CEO兼ヘアアーティスト、同サロン共同代表で、コスメブランド「ウォンジョンヨ(WONJUNGYO)」の監修を務めるメイクアップアーティストのウォン・ジョンヨ氏、カン・ハンナ「ミラリ(MIRARI)」代表に、「ヘア」「メイク」「スキンケア」のネクストトレンドについて聞いた。

PROFILE: パク・ネジュ/「ビット&ブート(BIT&BOOT)」CEO

パク・ネジュ/「ビット&ブート(BIT&BOOT)」CEO
PROFILE: 2018年に韓国・清潭洞に美容室「ビット&ブート(BIT&BOOT)」をオープン。EXO、BTS、パク・ボゴムなど、多くの芸能人を担当。最近導入した「ネジュ(NEJOO)」“Don’t Wash Treatment”(150mL、3960円)が好調だ。パク・ネジュ氏の施術指名はできないが、「NAVER(ネイバー)」(韓国語のみ対応)からは「ビット&ブート(BIT&BOOT)」でのカットやカラーの予約が可能。最近では、ユーチューバーのはじめしゃちょーが来店し話題になった PHOTO:HARUYO ITO

――― 24年秋冬、韓国の「ヘア」トレンドは?

パク・ネジュ(以下、パク):24年春夏は、メンズ&ウィメンズともにブリーチ、ハイトーンがトレンドだった。メンズはロングヘアが人気で、女性はストレートヘアのムードだった。秋冬になるにつれ、男女共にダークブラウンなど重みのあるカラーが主流になっていく。また、女性ではウェーブの中でも、根元から細かく強くかける「ヒッピーパーマ」が流行するだろう。前髪にもヒッピーパーマをかけて仕上げるのがポイントだ。

韓国でのヘアトレンドは、世界的メゾンのアンバサダーを務める芸能人がけん引している。ブランドの広告で、どのようなコーディネート、ヘア、メイクをしているのかは、クリエイターを含めて多くの人が参考にしている。

――― 日本では「パーソナルカラー」が浸透し、ヘアカラーの参考にする人も多いが、韓国では?

パク:韓国でもここ1~2年はパーソナルカラーがとても流行していたが、僕個人としては固執しすぎているようにも思う。ヘアカラーで大切にしたいのは、その人の肌のトーンだ。肌トーンが明るいのか暗いのか、目の色、眉の色に合わせて選ぶことが多い。もともとの地肌が明るい人はブリーチで明るくするか思い切って暗い色にすると似合う。一方で肌のトーンが暗めの人は、どのカラーが最も肌を明るく見せてくれるかを見極める必要がある。顧客にも、その人の肌トーンを最も美しく見せるカラーを提案している。

――日本と韓国でトレンドスタイルに差はある?

パク:韓国では、最近、全体的にボリュームを抑えたスタイルにポイントカラー、またはデザインが入ったスタイルを多く手掛けている。日本は韓国よりもブラウンカラーのバリエーションが豊富で、スリックやウェットなスタイルが多い印象だ。

―――愛用しているアイテムは?

パク:「ダシュ(DASHU)」“エアリーポリッシュオイル”(100mL、2612円※編集部調べ)は軽いテクスチャーでウェットスタイルによく使う。「カーリーシール(CURLYCHYLL)」“スタイル グラビティ ワックス”(100mL、3060円※編集部調べ)は、ナチュラルに仕上げたいときに。「エルネット(ELNETT)」“エルネット サテン <ローズフレグランス>”(207g、1540円※編集部調べ)は、キープ力があるハードスプレーで、1日に何回か髪型をチェンジする仕事現場でも重宝している。


PROFILE: ウォン・ジョンヨ/「ウォンジョンヨ(WONJUNGYO)」ブランドプロデューサー

ウォン・ジョンヨ/「ウォンジョンヨ(WONJUNGYO)」ブランドプロデューサー
PROFILE: 2008年からメイクアップアーティストとして活動を開始。ソヒョン(少女時代)、LE SSERAFIMなど韓国トップアイドルや女優を担当するメイクアップアーティストとして活躍。TWICE 9人中4人のメイクを専属で担当し、涙袋メイクの第一人者としても知られる

――― 24年秋冬、韓国の「メイク」トレンドについての見解は?

ウォン・ジョンヨ(以下、ウォン):ベースメイクは長くツヤ肌ブームだったが、これからはツヤ過ぎないセミマットが流行りになるだろう。ハイライトやリップは、引き続きツヤ感のあるアイテムを。カラーは、あまり派手すぎないカラーが引き続き人気を集める。

――― 現在、韓国で特に人気が高まっているメイクの特長は?

ウォン:自然で軽いメイクがトレンドになっている。そのため、 彩度が高くラメ感が強いメイクよりも、自然な血色感を出すようなメイクが特長になっている。幼く見える童顔メイクへの関心も依然として高く、顔をできるだけ小さく短く見せるために、ハイライトとシェーディングで顔の輪郭を補正するメイクが注目を集めている。最近は、日韓の流行は似通っていて、国境を越えたトレンドの違いがほとんどなくなってきたように感じる。

――― 愛用のメイクアップアイテムは?日本でも購入できる?

ウォン:「ウォンジョンヨ」では、“ウォンジョンヨ トーンアップベース 02 ライムイエロー”(25g、1430円)“ウォンジョンヨ モイストリッププライマー”(1430円)“ウォンジョンヨ Wデイリームードアップパレット 04クライローズ”(2420円)を特に使っている。他にも、「スナイデル ビューティ(SNIDEL BEAUTY)」“スキン グロスキン グロウ ブラッシュ”(全6色、各3300円)、「シセイドウ(SHISEIDO)」“シンクロスキン セルフリフレッシング コンシーラー”(全4色、各4400円)、「RMK」“ピュア コンプレクション ブラッシュ”(全10色、各3630円)を愛用している。


PROFILE: カン・ハンナ/「ミラリ(MIRARI)」代表

カン・ハンナ/「ミラリ(MIRARI)」代表
PROFILE: 20年11月に100%ヴィーガンコスメブランド「ミラリ」を創業。コスメキッチンとの共同開発にて2年半以上の歳月をかけてつくり上げた“ミラリ オーガニック”は、世界初の韓方オーガニックスキンケアライン。オリジナルのコンプレックス原料とともに3アイテム全てが韓国発のCOSMOSオーガニック認証(KTR、CONTROL UNION)を取得

―――24年秋冬、韓国の「スキンケア」トレンドは?

カン・ハンナ(以下、カン):韓国ではスキンケア市場で「スキニーマリズム(Skinimalism)」が新しいトレンドとなっている。これは、スキンケア(Skin-care)とミニマリズム(minimalism)を組み合わせた造語で、スキンケアから化粧までの過程で製品を 5つまでしか使わない、できるだけシンプルなもので自分の美を整えることを指す。もうひとつは、「スローエイジング(Slow Aging)」。アンチエイジングの概念とは異なり、年齢に合った自然体の自分を大事にしながら、ゆっくりと年を重ねるため丁寧に肌を管理するスキンケア方法を意味する。「スローエイジング(Slow Aging)」トレンドの影響で、様々なブランドから「抗酸化アンプル」や「毛穴美容液」が出ている。具体的には、「ディマル3(DEMAR3)」の“シグネチャーエストゥードプロテクター5.2 アンプル”(170mL、8468円※編集部調べ)、「ドクターディファレント(DR.DIFFERENT)」“シーキュー アンチオキシダント セラム”(15mL、5600円※編集部調べ)などだ。

――― 現在、韓国で注目されはじめている「美容成分」は?

カン:「ペプチド」など肌の弾力やシワケアに期待できる成分が注目を集めている。この流れは韓国だけではなく、イギリスのあるコスメ専門メディアでも2024年のスキンケアトレンドTOP5の1位に「ペプチド」が選ばれるほどグローバルな動きだ。「ペプチド」は人の肌に刺激を与えないやさしい成分でありながら、吸収率が高く、安全性が高いことも含め、「スローエイジング」の注目成分として開発が進んでいる。

日本のスキンケアトレンドの中心は主に「原料」があると思うが、韓国のスキンケ アトレンドは「原料」だけでなく、結果として「どんな肌に仕上がるのか」がいちばんホットな印象だ。韓国では、「毛穴」「鎮静」「トーンアップ」などのワードがトレンドの中心にある。

―――愛用しているスキンケアアイテムは?

カン:韓国でトレンドとなっている「スローエイジング」ケアを私も最も大事にしている。歳を重ねていくことには抵抗感がないものの、ゆっくりゆっくりと歳を重ねていくような健康的な肌を目指す。そのためには日常から自然由来のものを中心としたエイジングケアが大事になるので、「ミラリ オーガニック(MIRARI ORGANIC)」“コンセントレーティッドバランスローション”(120mL、4180円)、“グローイプランツセラム”(30mL、5830円)、“トリートメント モイスチャークリーム”(52mL、5060円)の3ステップをベースに日によって美容オイルやマスクパック、アイクリームを加える。「タリサカウム(TALITHA KOUM)」“HMバリアマルチバーム”(9g、9000円※編集部調べ)、「ミラリ(MIRARI)」“more calm down Facial Treatment Mask”(5枚入り、2750円)、「ソルファス(SULWHASOO)」“コンセントレート ジンセン リニューイング アイ クリーム”(20mL、12990円)を使っている。

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Z世代に支持されるSNS、BeRealが広告表示を開始 Voodoo傘下で収益化目指す

今年6月にフランスのゲーム会社Voodooに買収されたBeReal(ビーリアル)は、利用者の64%が20歳未満(今年9月時点)という若いユーザーから圧倒的支持を集めるソーシャルプラットフォームだ。ユーザーの81%が毎日投稿を行い、他のソーシャルプラットフォームと比較し高いエンゲージメントを獲得している。

Voodoo傘下になったBeRealの舵を切る新CEOは、VoodooでSNS関連サービスをけん引してきたアイメリック・ロフェ(Aymeric Roffe)。Voodoo傘下になったことで、より経済的に安定し、幅広いネットワークを持ったBeRealは、今後も躍進的なアップデートを続けることだろう。実際に7月には広告機能を追加し、「広告がないSNS」というBeRealのイメージを覆した。その意図や特徴について、ロフェCEOが回答してくれた。

PROFILE: アイメリック・ロフェ/BeReal CEO

アイメリック・ロフェ/BeReal CEO
PROFILE: PROFILE:幼い頃からテクノロジーに関心を持ち、14才の時にプログラミングを学び始める。Voodooの子会社Wizzを立ち上げた。今年6月にVoodooが買収したBeRealの新CEOに就任

Voodoo傘下になったBeReal
買収の背景とメリット

WWD:BeReal買収とCEO就任の経緯とは?
アイメリック・ロッフェ=BeReal CEO(以下、ロフェ):BeRealは成長を続ける中で、経済的に持続可能な未来を築く経験を持つ企業と提携することが大きなメリットになると考えていた。その企業こそがVoodooであり、それ以来、私達は共に前進し続けることを決めた。両社は価値観やZ世代へのアプローチが一致しており、タイミングも絶好の機会だったため、買収はうまく進んだ。

Wizzでの経験や、ソーシャルメディアプラットフォームへの情熱が、CEO就任の決断を容易にした。私はBeRealが業界にもたらす従来とは異なるソーシャルメディアの視点に共感している。現代において本物の、そしてリアルなつながりを見つけることの重要性を強く感じてきた。この挑戦を引き受けられることは大変光栄であり、今後がとても楽しみだ。

WWD:買収により、VoodooとBeRealが受ける恩恵とは?
ロフェ: BeRealの強みは、ユーザーに新しい挑戦をさせるパワーにある。ありのままの自分を見せ、本物のつながりを作り、ソーシャルメディアに対して恐れずに挑む姿勢を促している。一方でVoodooは、ユーザーの増加計画や収益戦略の構築、そしてこれらをユーザー体験を損なうことなく実現することに貢献できる存在だ。そこにこそ、VoodooがBeRealを次のレベルへ引き上げる大きな役割があると感じている。

逆にBeRealはVoodooに新たな専門知識と新たなオーディエンスをもたらしてくれるだろう。BeRealのデータベースによりZ世代のニーズをより理解し、どのように彼らに向けたサービスを提供し成長させていくかを学ぶ貴重な機会を得られる。そのため、今の私達の焦点はBeRealの独自性を保ちながら成功させることである。

7月に追加した新機能
“インフィードネイティブ広告”

WWD: 新体制が掲げる目標とは?
ロフェ:現時点では具体的な数字を伝えることはできないが、まずはユーザー数の増加や収益の確保を視野に入れている。BeRealは、友達と一緒に楽しむことでより良い体験が得られると信じているため、引き続きユーザーベースの拡大を図る必要がある。

WWD:7月に導入した広告機能の特徴とその強みとは?
ロフェ:BeRealの広告に対するアプローチはとてもユニークで、競合他社とは一線を画していると思う。最大の特徴は、アプリの機能と投稿形式の両方において“リアル”を大切にしている点だ。通常投稿と同様、広告も前後のカメラで撮影したようなフォーマットを採用している。従来の広告とは違うスタイルで、ユーザーとより深くつながる機会を提供したい。1日限定で広告枠をすべて買い切ることができるプランも展開している。

WWD:現時点でどのような人がBeRealの広告機能を利用し、どのような反響を得ているのか?

ロフェ:現在は主にZ世代をターゲットにした様々な業界のブランドやサービスと提携している。BeRealのユニークな形式は、ユーザーとブランドがコミュニケーションを取ることで高い熱量が生まれることだ。日本ではNetflixと初のキャンペーンを行い、他のプラットフォームではなかなか得難い高いクリック率を達成した。このように、企業がBeRealのコンセプトやスタイルを上手く活用すれば素晴らしい結果を得ることができる。

WWD:広告機能をつけることで、既存のファンを失う可能性はないのか?
ロフェ:私たちが注力している広告は、独自の形式と信憑性を大切にする姿勢を活かしており、ユーザーが普段目にする広告とは違った体験を提供している。例えば、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のBeReal投稿を見られるとしたら、ユーザーはそのバッグがどのように作られているかを知ることに興味を持つだろう。従来の広告とは違う感覚で受け止めるため、ユーザーをがっかりさせることはないと考えている。これこそが我々が広告を行う意義だろう。

日本での広告事例はまだ少ないものの、若い世代に向け圧倒的な影響力を持つBeReal。すでに一部の企業では、この“インフィードネイティブ広告”を活用したプランの提案をスタートしている。

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ドラバラコスメに一石を投じる新ブランド「シンビ メソッド」 ほぼ2000円以下の成分推しスキンケア

ストーリアが、ドラッグストア・バラエティーストア(以下、ドラバラ)向けの新ブランド「シンビメソッド(SHIMBI METHOD)」を立ち上げた。アゼライン酸やバクチオール、ナイアシンアミド、ビタミンCなど、それぞれの成分に特化した美容液を筆頭に、シートマスクや化粧水、クレンジング、洗顔料の全16種をそろえる。価格帯は330〜3520円。全国のマツモトキヨシグループやココカラファイングループ、トモズ、ドンキ・ホーテ、ロフトなどの一部店舗、アマゾンや楽天市場、公式ECなどで取り扱う。将来的に海外進出も視野に入れる。

同社によると、美容医療市場は「より身近な存在となりカジュアルになってきた」と分析。この背景から、スキンケア市場でメディカルコスメやドクターズコスメが台頭し、“成分特化”のコスメも増えているという。独自のアンケート調査においても、商品購入の決め手で価格の次に成分を重視する傾向が強いという結果が出た。

一方で「選ぶのが難しい」「他の成分と併用していいのか分からない」といった悩みを抱えている声も散見された。ブランド担当者は、「今は、1成分に特化した商品構成のブランドが多い。しかし、消費者は1成分につき1アイテムで満足していて、ラインで使わない人が大半だ」と話す。そこで、消費者ニーズに寄り添うブランドとして、支持の高い各成分をそれぞれ商品に落とし込んだアイテムをラインアップする。

主力の美容液は6種を用意。成分の配合率を商品名にしているのが特徴で、スポッツ美容液“ダーマセラム アゼライン酸 15%”(15mL、1980円)をはじめ、“ダーマセラム アゼライン酸5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ビタミンC誘導体5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ナイアシンアミド30%”(30mL、1980円)、“ダーマセラム バクチオール1%×レチノール誘導体”(15mL×2、3520円)に加え、“薬用ダブルホワイトニングセラムA”(30mL、1980円)を用意する。

化粧水は2種(120mL、各1760円)を用意。水を一切使わない「ボタニカルハーブの蒸留水」から生まれた化粧水“ダーマローション ハーブボタニカルウォーター92%”と水を一切使わず、水の代わりにシルクウォーターを83%配合した“ダーマローション シルクウォーター83%”を展開する。

洗顔料は、竹炭とクレイの力で毛穴ケアをする泡洗顔料“ダブル酵素洗顔フォーム”(120mL、1200円)の1アイテムを用意。ロフトの先行販売で「即完売した」という。メイク落とし“トリプルレイヤークレンジング”(150mL、1800円)は3層タイプで、クリアな肌に整える。

フェイスマスクは6種(各330円)を用意。共通でCICAエクソソーム(ツボクサ葉小胞)を配合。レチノール、アゼライン酸、ビタミンC、ナイアシンアミド、ティーツリー、セラミドの6成分別に配合する。

“成分迷子”をサポート

「シンビメソッド」は、「クリニック品質をお家で毎日体感できるように」という思いで誕生した。ブランド名は「審美眼を持って選ぶ」「真の美しさを求める」から由来する“シンビ”と“メソッド”を掛け合わせた。コアターゲットは20〜40代の女性で、手に取りやすい価格帯にもこだわった。「毎日のスキンケアに取り入れやすく、気兼ねなく使い続けられるような価格設定にした」。

店頭の棚は、ブランドの世界観を「しっかり伝えられる」広さを確保。棚には、NFC機能ツール「momenTouch」を使い、美容メディア「ヴォーチェ(VOCE)」のコンテンツ「美容成分辞典」と連動して、スマートフォンで成分情報を確認できる仕組みを導入した。「『成分がわからない』という“穴”を埋められるようにしたかった」と、機会ロスを防ぐ。

菱谷圭吾ストーリア社長は、「お客さまの肌悩みを解決することがブランドの存在理由だ」と強調する。初年度は店頭でブランドの世界観を十分に伝えられるパートナーと組み、日本市場での確固たる基盤を築く考えだ。「日本の化粧品の基礎技術は世界で注目されている。『シンビメソッド』は日本の基礎技術の伝統に敬意を払いながら、イノベーションを起こし、“成分美容”を世界中に広げていきたい」と青写真を描く。

ラインアップする16アイテム

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ドラバラコスメに一石を投じる新ブランド「シンビ メソッド」 ほぼ2000円以下の成分推しスキンケア

ストーリアが、ドラッグストア・バラエティーストア(以下、ドラバラ)向けの新ブランド「シンビメソッド(SHIMBI METHOD)」を立ち上げた。アゼライン酸やバクチオール、ナイアシンアミド、ビタミンCなど、それぞれの成分に特化した美容液を筆頭に、シートマスクや化粧水、クレンジング、洗顔料の全16種をそろえる。価格帯は330〜3520円。全国のマツモトキヨシグループやココカラファイングループ、トモズ、ドンキ・ホーテ、ロフトなどの一部店舗、アマゾンや楽天市場、公式ECなどで取り扱う。将来的に海外進出も視野に入れる。

同社によると、美容医療市場は「より身近な存在となりカジュアルになってきた」と分析。この背景から、スキンケア市場でメディカルコスメやドクターズコスメが台頭し、“成分特化”のコスメも増えているという。独自のアンケート調査においても、商品購入の決め手で価格の次に成分を重視する傾向が強いという結果が出た。

一方で「選ぶのが難しい」「他の成分と併用していいのか分からない」といった悩みを抱えている声も散見された。ブランド担当者は、「今は、1成分に特化した商品構成のブランドが多い。しかし、消費者は1成分につき1アイテムで満足していて、ラインで使わない人が大半だ」と話す。そこで、消費者ニーズに寄り添うブランドとして、支持の高い各成分をそれぞれ商品に落とし込んだアイテムをラインアップする。

主力の美容液は6種を用意。成分の配合率を商品名にしているのが特徴で、スポッツ美容液“ダーマセラム アゼライン酸 15%”(15mL、1980円)をはじめ、“ダーマセラム アゼライン酸5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ビタミンC誘導体5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ナイアシンアミド30%”(30mL、1980円)、“ダーマセラム バクチオール1%×レチノール誘導体”(15mL×2、3520円)に加え、“薬用ダブルホワイトニングセラムA”(30mL、1980円)を用意する。

化粧水は2種(120mL、各1760円)を用意。水を一切使わない「ボタニカルハーブの蒸留水」から生まれた化粧水“ダーマローション ハーブボタニカルウォーター92%”と水を一切使わず、水の代わりにシルクウォーターを83%配合した“ダーマローション シルクウォーター83%”を展開する。

洗顔料は、竹炭とクレイの力で毛穴ケアをする泡洗顔料“ダブル酵素洗顔フォーム”(120mL、1200円)の1アイテムを用意。ロフトの先行販売で「即完売した」という。メイク落とし“トリプルレイヤークレンジング”(150mL、1800円)は3層タイプで、クリアな肌に整える。

フェイスマスクは6種(各330円)を用意。共通でCICAエクソソーム(ツボクサ葉小胞)を配合。レチノール、アゼライン酸、ビタミンC、ナイアシンアミド、ティーツリー、セラミドの6成分別に配合する。

“成分迷子”をサポート

「シンビメソッド」は、「クリニック品質をお家で毎日体感できるように」という思いで誕生した。ブランド名は「審美眼を持って選ぶ」「真の美しさを求める」から由来する“シンビ”と“メソッド”を掛け合わせた。コアターゲットは20〜40代の女性で、手に取りやすい価格帯にもこだわった。「毎日のスキンケアに取り入れやすく、気兼ねなく使い続けられるような価格設定にした」。

店頭の棚は、ブランドの世界観を「しっかり伝えられる」広さを確保。棚には、NFC機能ツール「momenTouch」を使い、美容メディア「ヴォーチェ(VOCE)」のコンテンツ「美容成分辞典」と連動して、スマートフォンで成分情報を確認できる仕組みを導入した。「『成分がわからない』という“穴”を埋められるようにしたかった」と、機会ロスを防ぐ。

菱谷圭吾ストーリア社長は、「お客さまの肌悩みを解決することがブランドの存在理由だ」と強調する。初年度は店頭でブランドの世界観を十分に伝えられるパートナーと組み、日本市場での確固たる基盤を築く考えだ。「日本の化粧品の基礎技術は世界で注目されている。『シンビメソッド』は日本の基礎技術の伝統に敬意を払いながら、イノベーションを起こし、“成分美容”を世界中に広げていきたい」と青写真を描く。

ラインアップする16アイテム

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植野有砂が「LUMIX S9」と共に切り取る、日常と自分らしさ

植野有砂:(うえの・ありさ)1989年12月21日生まれ、東京都出身。学生時代はティーン誌のモデルとして活動。現在はコンテンツクリエイターやDJなどマルチな肩書きで世界中を飛び回る。2018年に米ビルボードの「Hot 100」に日本人アーティストとしてランクイン。公式インスタグラム(@alisaueno)のフォロワー数は60万人超え、ユーチューブ公式チャンネル「Alisa Ueno」の登録者数は15万人を超える(2024年10月現在)
コンテンツクリエイターやDJとして、日本のみならず世界を飛び回る植野有砂。彼女のSNSを見ると、ファッションやライフスタイルなど、その土地土地で収められた写真がずらりと並ぶ。写真のクオリティーの高さはもちろんのこと、彼女の何気ない日常が切り取られたSNSは、まるで一冊のアルバムを見ているかのよう。そんな植野が、パナソニックのフルサイズミラーレス一眼カメラ「LUMIX S9」を片手に、ロンドンと京都へトリップ。彼女ならではの視点で切り取った一枚のストーリーを教えてもらいながら、「LUMIX S9」の魅力について語ってもらった。

撮影の可能性を広げてくれる、小さき相棒

インフルエンサーとしてもファンから支持を得ている植野は、インスタグラムの投稿やユーチューブの配信など、常に発信する日々を送っている。撮影の相棒となるカメラは、毎日の生活において欠かせないアイテムだ。「ユーチューブを撮影することもあり、カバンの中には必ずカメラ1台を入れています。コンデジや平成デジカメなどもいれると、20台ほど所有していますね」。植野が日常的にカメラを使うようになったのは、学生時代に始めたブログがきっかけ。「写真を撮ることは 私にとっては“記憶と記録”であり、生活の一部なんです。さまざまなカメラに触れながらスペックや色味の違いなどを自分なりに勉強しながら、表現の幅を広げてきました。SNSへの投稿が多いため、コントラストや明るさを手軽に調整できるのもカメラに求めるポイントですね」。
そんな植野が使用した「LUMIX S9」は、“SNSライフを革新するカメラ”をテーマに開発されたモデル。日常で持ち運びやすい約403g(本体のみ)という小型軽量に加え、主にSNS投稿においてカメラを使う彼女にぴったりな機能が充実している。「旅行や出張先では、重厚感のある一眼レフだと持ち運ぶには不便。でも『LUMIX S9』はコンパクトなサイズ感にもかかわらず、一眼ならではの高画質で驚きました」。
スマホ用アプリ「LUMIX Lab」と連携して使うことで、編集スキルがなくても撮影した写真と動画の色味などをコントロールしながら、その場でSNSに簡単に投稿できるのも「LUMIX S9」の特徴だ。「リアルタイムLUTは、コントラストが強いものやフィルムのようなレトロな質感など、自分好みに合わせて使えるフィルターが豊富。カメラ1台で自由な表現を楽しめますね」。なかでも植野がお気に入りなのは、自撮りがしやすいこと。「レンズが広角なうえに、背面にフリーアングルモニターが付いているので、さまざまな角度に向けて確認できるのがうれしい。手ブレ補正してくれるので、歩きながらの撮影にも便利。ボディーのフラットなデザインもかわいくて、友人から『どこのカメラ?』と、よく聞かれました」。

旅先で撮影したのは、
日常の何気ないワンシーン

植野は「LUMIX S9」を片手に、ロンドンと京都へ旅に出た。シャッターが切られたのは、観光名所でも食べ物でもなく、旅先で過ごした何気ないワンシーン。「LUMIX S9」は、そんな日常のふとした瞬間を彩るパートナーになってくれる。

切り離せない、
ファッションとカメラの関係性

「LUMIX S9」は “タイムレスなデザイン”を目指し、モダンとクラシカルを両立するフラットな見た目に仕上げた。グリップレスやダイヤルの埋め込みなどにより、ファッション性と機能性を備えたスタイリッシュな印象だ。ボディーのカラーを選べるエクステリア張り替えサービスも実施中(有償)。カジュアルな服装にマッチしそうなキャメルオレンジやターコイズブルー、モードなスタイルにも合うダークオリーブやナイトブルーなどから、自身のスタイリングに合わせたカスタマイズができる。ファッションアイコンとしても定評がある植野は、差し色になりそうなキャメルオレンジをピックアップ。カメラに合わせた着こなしを、2コーディネート披露してもらった。
「秋冬トレンドの一つであるレオパード柄を主役にコーディネートを組みました。カメラのオレンジ色がカジュアルなスタイルに合うと思ったので、パンツはデニムをチョイス。レオパード柄はパワフルな印象になりやすいので、柔らかなオレンジカラーで中和させて少し抜け感をプラス」
「張り感のあるリジッドデニムのセットアップで、クリーンな印象の佇まいに。濃紺にカメラのオレンジ色が映えるスタイルです。パンツの裾はロールアップして全体のバランスを調整。ガジェットとしてだけでなく、アクセサリー感覚で合わせられるのもいいですよね」

デザイン性と機能性を両立する、
SNSユーザー向けモデル

エクステリア張り替えサービス例
「LUMIX S」シリーズから、新世代フルサイズミラーレス一眼カメラ「LUMIX S9」が登場した。約403g(本体のみ)という小型軽量なボディーとフラットデザインが特徴。約2420万画素のフルサイズCMOSセンサーを搭載し、強力な静止画手ブレ補正機能で、目で見たそのままを忠実に再現する。リアルタイムLUT機能で、PCを使わずに撮影した写真を好みの色へ。アプリ「LUMIX Lab」を合わせて使えば、撮影したデータをスマホに高速転送することが可能だ。外装デザインは、有償のエクステリア張り替えサービスで「パナソニックストアプラス」から好みの色に張り替えられて、既存のボディーからキャメルオレンジ(写真左上から)、ジェットブラック、ダークオリーブ、スモーキーホワイト、ターコイズブルー、クリムゾンレッド、ナイトブルーの7色にカスタマイズできる。
PHOTOS:MIYU TERASAWA
HAIR & MAKEUP:YUKIE TSUJIMURA
TEXT:FUMIKA OGURA
問い合わせ先
パナソニック
https://panasonic.jp/dc/support.html

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ファッション業界のメンタルヘルスの問題とは? ベルリンのクリエイティブエージェンシー代表のフロリアン・ミュラーに聞く

PROFILE: フロリアン・ミュラー

フロリアン・ミュラー
PROFILE: ベルリンとパリで経営学と心理学を学び、パリではファッションPRを学んだ後、「マルタン マルジェラ」のチームに参加。ベルリンに戻ってから自身のクリエイティブ・エージェンシー、ミュラーPR&コンサルティングを設立。主に広報やイベント企画、コンサルティングの分野で活動している。ベルリンやパリのファッションウィークではイベントのゲストマネジメントを担い、東アジア諸国においてもイベントを手掛ける。国内外の大学で広報とメンタルヘルスについて教えているほか、心理療法を実践するための教育、ベルリンの危機ネットワークやベルリン商工会議所のサステナビリティ委員会でもボランティア活動を行っている。2023年1月に、ドイツユネスコ委員会と連邦教育研究省が主催するイベント「Education for Sustainable Development(ESD)」で、ファッション業界のメンタルヘルスに関する研究を発表。この発表を機に、ファッション業界での精神的な健康の重要性を提唱する活動を本格的に始動した。

ベルリン拠点のミュラーPR&コンサルティング(MÜLLER PR & CONSULTING)代表のフロリアン・ミュラー(Florian Muller)は、2023年に「Mental Health in Fashion」キャンペーンを立ち上げ、ファッション業界における精神疾患の問題をテーマに、ベルリンや日本を含むアジア諸国など世界各地で講演活動を行っている。

11月7〜10日に、パリの「ドーバー ストリート マーケット(Dover Street Market)」で開催するダイアン・ペルネ(Diane Pernet)主催のファッションに特化した映画祭「ASVOFF(A Shaded View on Fashion Film Festival)」にキュレーターとして参加することが決定している。

ミュラーは「ショーやパーティーなど華やかなイメージのあるファッション業界の裏側には目に見えない様々な深刻な問題が潜んでおり、従事する人々の精神に悪影響を与えている」という。実際にはどういったことが問題になっているのだろうか?

――「Mental Health in Fashion」キャンペーンを始めたのはなぜですか?

フロリアン・ミュラー(以下、ミュラー):20年以上にわたり、ファッション業界で仕事をしていますが、精神疾患における重要な問題が存在することに気付きました。ファッション業界に入る以前から問題を抱えている人もいれば、厳しい業界構造やプレッシャーによって新たに問題を抱えてしまう人もいます。まずは、ファッション業界における精神疾患の問題が存在することを多くの人に知ってもらい、注目を集めることで意識を変えたいと思い、キャンペーンを立ち上げました。精神疾患への差別や偏見を取り払い、可視化を図ることを目的に活動しています。また、既存の構造を変えることにも取り組んでいます。それにより、人々が病気にならないように、もしくは既存のメンタル疾患や特別なニーズがあってもより良く保護されるようにすることを目指しています。

――多様性が重要視されている時代ですが、ファッション業界における精神疾患への差別や偏見とは具体的にどのようなことですか?

ミュラー:ファッション業界における多様性はますます強調されていますが、精神疾患に関しては見落とされがちです。ファッション業界では、外見の美しさに価値が置かれる傾向がありますが、それだけでなく、ファッション業界が常に推奨する完璧なイメージ、つまり誰もが憧れる華やかな世界で抱えている問題を見たくもないし、見せたくもないのです。

また、精神的な問題を抱えていることを公表することが難しく、多くの人々は精神疾患があることによって職を失ったり、自分の評判を落とすことを恐れ、誰かに話すことさえできない。燃え尽き症候群も同様ですが、勤勉や献身の証などと見なされ、オーバーワークが美化される傾向もあります。そのために燃え尽き症候群は深刻な問題として認識されず、うつ病や不安障害など深刻な問題を抱えていてもきちんとサポートされない一因となっています。

――サステナビリティが常識となる中で、過剰消費がメンタルヘルスに悪影響を与えることはあまり知られていないように思いますが、具体的な問題とは何ですか?

ミュラー:サステナビリティはファッション業界においてトレンドや常識として描かれることが多いですが、たとえ「サステナブル」とラベルに記されているブランドであっても供給チェーン全体を保護しているとは言えません。「サステナブル」という言葉を使えば、環境に優しく、フェアトレードであるという印象を与えるかもしれませんが、実際には依然として重大な問題があり、解決もされていません。

過剰消費については、大量生産による環境への悪影響だけでなく、精神疾患に対しても深刻な悪影響をもたらしています。これは消費者だけでなく、供給チェーン全体にも同じことがいえます。例えば、低賃金の労働者は常に不安定な条件や環境に恐怖を覚え、メンタルに負担をかけています。デザイナーやモデル、PRなどは、より多く、より早く生産することへの圧力から燃え尽き症候群や他の精神疾患の問題を抱えるリスクが高まります。

しかし、消費を完全に拒否することや人々にぜいたくをさせないことが目的ではありません。身体的、精神的に健康であるだけでなく、社会的、経済的にも良好で満たされている状態を意味する「ウェルビーイング」の実現が大切だと考えています。

――メンタルヘルスの問題を抱える人に対して偏見を持ってはいけいないことは一般的にも理解されていると思いますが、正しい接し方や解決方法を理解している人は少ないのではないでしょうか?個々の意識を変え、それを行動に移すためにはどうすればよいのでしょうか?

ミュラー:普遍的な解決策は存在せず、状況ごとに考慮する必要があります。まず、ファッション業界内の構造を改革し、メンタルヘルス問題から個人を守り、既に影響を受けている人々に適切なサポートを提供することが重要です。活動を行う中で、突然発生した急性のメンタルヘルス問題にどのように対処すればよいのか分からないという企業に出会いますが、メンタルヘルスに関するタブーが存在し、影響を受けた人々やその周囲がこの話題を避ける傾向があるためです。そのような企業には、職場のリーダーが適切に対応できるようにトレーニングを行い、問題を抱える従業員をフォローするための知識を提供します。直接的な治療を提供することが目的ではなく、問題を隠さずにオープンに議論できる環境を作ることが重要です。

さらに、教育機関や企業がメンタルヘルスについて学び、どのように労働環境を改善できるかを教えることも重要です。私の授業では、学生たちに過剰消費の実践的な代替案を見つけさせ、供給チェーン全体に対する理解を深めさせ、過剰消費に伴うメンタルヘルスの負担が、労働者、モデル、デザイナー、PRなど、供給チェーン全体にどのように影響を及ぼすかについても議論しています。

――文化服装学院とエスモード東京で講演されていますが、いかがでしたか?

ミュラー:キャンペーンを始めて以来、「ファッション業界におけるメンタルヘルス」に言及することが難しいと認識しています。それは、しばしばデリケートなテーマと見なされるからです。そのため、講演の機会を与えてくれた両校にはとても感謝しています。この重要なテーマに真剣に取り組んでくれた学生たちすべてに尊敬の意も込めてとても感謝しています。学生たちが自身のメンタルヘルスに関する経験や、ファッション業界における視点を率直に共有してくれたことに非常に感動しました。まさに、私が目指しているのはこのような対話です。私が学生だった頃と比べて、今の若い世代はメンタルヘルスについてはるかにオープンであり、それが私に大きな希望を与えてくれました。

――これは少し異なるテーマですが、一部の縫製工場では劣悪な労働条件が世界的に問題視されています。たとえ肉体的にも精神的にも健康であっても他に選択肢がなく、このような状況下で働かなくてはならない弱い立場の人たちがいます。それについてはどの考えていますか?また、どのような解決策が考えられるでしょうか?

ミュラー:これは非常に複雑な問題であり、簡単に答えを出すことはできません。選択肢が限られている人々は不安定な状況に置かれているか、または、そのような状況に無理やり押し込まれていることが多いです。サプライチェーンの末端の状況は、ファッションブランドの華やかなイメージの中で見落とされがちだからです。理想としては、各国がこれらの脆弱なグループを保護し、生活費をカバーする最低賃金を義務付けることが望ましいです。また、労働者が医療だけでなく、心理的なケアも受けられることが望ましいですが、これは労働条件が根本的に変わる場合に限ります。解決策としては、これらの人々をさらに耐えさせるのではなく、労働構造を根本的に変える必要があります。消費者として、そしてファッション業界全体として、世界中で適切な労働条件を確保する責任を果たすことが重要です。

重要なのは、私たち消費者が自分たちの購入行動がどのような結果をもたらしているかを問い直すことです。不思議なほど安価な服を購入する際、誰でも平等に利益を得ているとは考えにくいです。高価なブランドだからと言って必ずしも品質が良いとは限りません。したがって、消費者は服がどのように、どのような条件で生産されているのかに知ることが望ましいです。多くの人にとって不快なことかもしれませんが、自分自身の消費習慣を問い直し、フェアトレードでないブランドを支持しないことが重要です。フェアな労働条件を守っているブランドもありますが、西洋諸国のプレスリリースで良いように見えるプログラムや良いポジションに就いている従業員向けの保育オプションなどが、実は劣悪な条件で働くサプライチェーン末端の人々の犠牲になっていることもあるのです。

――映画祭「ASVOFF」で「Mental Health in Fashion」をカテゴリーに追加し、キュレーションを手掛けることになった経緯を教えてください。

ミュラー:ダイアンとは20年来の付き合いになりますが、実は私がファッション界で初めて出会った人が彼女なのです。それ以来、さまざまなサポートをしてくれています。私も彼女のファッションプラットフォーム「A Shaded View on Fashion」で執筆をしたり、「ASVOFF」のゲスト管理の手伝いやサステナビリティー部門の審査員も務めたことがあります。前回の映画祭の際に「Mental Health in Fashion」キャンペーンについてダイアンに話し、新たなカテゴリーとしてキュレーションしたいと提案したところ、すぐに承諾してくれました。

精神疾患の問題を教育の場だけでなく、ファッション業界内でも直接可視化することが重要だと考えています。「ASVOFF」のようなファッション界の重鎮たちが集まるイベントは完璧なプラットフォームですし、この機会を持てたことを大変光栄に思っています。

――「ASVOFF」では、どのようなメッセージを伝えたいですか?

ミュラー:「ASVOFF」で「Mental Health in Fashion」カテゴリーを導入することによって、ファッション業界に大きな影響を与えることを期待しています。デザインスタジオや生産工場、そして、消費者行動における精神疾患の問題について意識を高め、差別や偏見を減少させ、ファッション業界がウェルビーイングに与える影響や課題をサプライチェーン全体で浮き彫りにすることが目標です。

審査員には、ソッツァーニ財団のクリエイティブディレクターのサラ・ソッツァーニ・マイノ、GmbHデザイナーのベンジャミン・アレクサンダー・ヒューズビー、「VOGUE」や「i-D」などを手掛けるエディターのアレクサンドラ・ボンディ・デ・アントニアを始めとするファッション、心理カウンセリング、クリエイティブアーツの分野における専門家8名を選びました。彼らの独自の視点が、ファッションとメンタルヘルスの関連性を深く理解する手助けをしてくれると期待しています。

――今後のビジョンと目標について教えてください。

ミュラー:将来的には、日本を含む様々な国でこのキャンペーン活動を拡大したいです。精神疾患の問題というテーマがどれだけ早く進展し、ファッション業界の多くの人が積極的に取り組んでいるかを実際に見たいです。最終的な目標は、一時的なトレンドではなく、問題に対する意識を長期間に渡って高め、持続可能でポジティブな変化を社会全体にもたらすことです。

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アパレルリサイクルのショーイチ、孤児や避難民支援にも注力 「自分たちの得意分野で社会の役に立ちたい」

アパレルの余剰在庫買い取り大手のショーイチ(大阪、山本昌一社長)は、近年衣料品のリサイクル事業にも注力している。ショーイチが国内産地の反毛業者などと組んで進めているリサイクルの仕組みは、協業相手やその品質に対して厳しい基準を持つラグジュアリーブランドにもじわじわと支持を広げている。そんなショーイチは2019年から、「TASUKEAI 0 PROJECT(以下、たすけあいプロジェクト)」という名称で、社会貢献活動にも取り組んでいる。

個人的なストーリーが貢献活動の原点

「たすけあいプロジェクト」は、ショーイチが企業から衣料品を買い取り、衣料品や現金を海外で子どもたちや戦争避難民の支援活動を行っているNPOやNGOに寄付するというもの。カンボジアの孤児院を支援する活動からスタートし、22年のロシアによるウクライナ侵攻以降は、ウクライナにも支援物資を送っている。

山本社長が「たすけあいプロジェクト」をスタートしたのは、非常にプライベートな理由から。「離婚を経験し、子どもと以前のようには会えなくなって、とても気分が落ち込んだ時期がある。母親に『ボランティアをしてみたら?』と提案され、自宅そばの養護施設でボランティアをさせてもらって寄付をしたら、少し心が軽くなった気がした。それが活動の原点」と山本社長は振り返る。「会社がある程度大きくなって、何らかの社会貢献をしたいとも考えていた。カンボジアを旅した際に孤児院を支援している現地の団体に出合ったこともあり、子どもたちに服を送る活動から始めた。余剰在庫の買い取りやリサイクルを本業としているわれわれは、服ならば比較的手配がしやすい。それを生かそうと考えた。服を送ることに加えて、今は日本語学校の先生も孤児院に派遣している」。

「支援物資の仕分けができるのは
当社ぐらい」

自分たちができること、得意なことで社会に貢献するというあり方を山本社長は意識しているという。ウクライナへの支援では、多様な支援物資が大量に集まって、それをどう仕分けするかに困っていたウクライナ大使館の声を受け、ショーイチが倉庫を借り、フォークリフトを使い物資の仕分けを行った。「こうした物資の仕分けを手際よく行えるのは、うちのような企業しかない。自分たちが負担なく続けられることの中で、『何が必要ですか?』と相手に支援内容を聞くようにしている」。

仕分け作業を行うだけでなく、ウクライナにはショーイチとして衣料品支援も実施。関西ファッション連合と共同の枠組みで、ウクライナの国内避難民などに22〜23年にかけて計6万着を送った。

近鉄百貨店も活動に共感
店頭で衣料品を回収

「たすけあいプロジェクト」に共感し、ショーイチと組んで社会貢献活動を始めた企業もある。近鉄百貨店は21年8月から、あべのハルカス近鉄本店を含む全9店の店頭に、年2回(1〜4月、8〜9月)回収ボックスを設置。客から不要な衣料品を回収し、ショーイチを通して海外への支援に充てている。1回あたり最大10着の持ち込みが可能で、1回の持ち込みにつき食料品売り場で使える100円のクーポンを配布している。使い古されて支援物資には適さない衣料品は、ショーイチ経由で資材などにリサイクルする。

「店頭回収を継続していることで、リピーターとして何度も持ち込んでくださるお客さまもいる。回収できるアイテムとできないアイテムとがあると店頭スタッフがその場で判断せねばならず、負担が大きくなってしまう。その点、ショーイチは名前の刺しゅうが入った制服なども引き取ってくれるため、取り組みがしやすい」と、近鉄百貨店 本店 営業政策統括部 営業政策部 森下彩絵係長。近鉄百貨店として、24年は1〜4、8、9月の計6カ月間で、1万7114着を店頭で回収し、支援やリサイクルに充てることになったという。

「子どもたちに貢献がしたい」

「社会貢献活動をするときに、一般的に大きくは3つの理由があると思う」と山本社長。いわく、1つ目はビジネスとして、2つ目はイメージアップのために、3つ目が山本社長がボランティアを始めたきっかけのような個人的なストーリーだ。「僕は子どもたちに貢献がしたいという気持ちが強い。それで『たすけあいプロジェクト』を行っているが、どうせやるなら知ってもらいたいと会社のサイトで告知もしている。イメージアップのためにやっていると言われたらそうかもしれないが、告知もしていることで近鉄百貨店さんのように賛同してくださる人たちもいる。本業の在庫買い取りやリサイクル事業と同様に、社会貢献活動も今後も力を注いでいく」と話す。

問い合わせ先
ショーイチ
050-3151-5247

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イメージ刷新後に売上高2桁増の「メルヴィータ」 創業40年で急成長を遂げた理由

PROFILE: 左:ディディエ・テブナン/ブランド開発ディレクター&アドボカシー 右:ナタエル・ダヴスト/グローバルジェネラルマネージャー

左:ディディエ・テブナン/ブランド開発ディレクター&アドボカシー 右:ナタエル・ダヴスト/グローバルジェネラルマネージャー
PROFILE: ディディエ・テブナン/ブランド開発ディレクター&アドボカシー(左):1963 年生まれ。18 歳まで南米、アジアなど海外で過ごす。インテリアデザイナーの PR を経て、98 年ロクシタングループに入社し、ヨーロッパ地区のトレーニングディレクターを務める。2009 年に「メルヴィータ」に参加。 トレーニング部門を立ち上げ、新しい市場の開拓をサポートした後、現職  ナタエル・ダヴスト/グローバルジェネラルマネージャー(右):化粧品業界で約20年、マーケティング、デジタル変革、経営全般にわたる豊富な経験、専門知識を有する。2007年にロクシタン・グループに入社。「ル クヴォン メゾン ド パルファム」のインターナショナル・セールス・ディレクター、ロクシタン・ジャパンのマーケティング&デジタル・シニア・ディレクターなどを経て、19年に香港とマカオのゼネラルマネージャーに就任。21年から現職

仏発オーガニックコスメブランド「メルヴィータ(MELVITA)」は、今年ブランドイメージを一新した。1983年の創業時から使用するロゴを刷新。コンセプトに「バイオリジェネラティブビューティー(BIO-REGENERATIVEBEAUTY)/自然の再生力で、美しさが目覚める。」を掲げ、変革を起こしている。このほどディディエ・テブナン(Didier Thevenin)ブランド開発ディレクター&アドボカシーとナタエル・ダヴスト(Nathaëlle Davoust)=グローバルジェネラルマネージャーが来日し、新生「メルヴィータ」の未来像を語った。

WWD:コンセプトやロゴ、パッケージなどを一新したが、あらためてその狙いは。

ディディエ・テブナン=ブランド開発ディレクター&アドボカシー(以下、テブナン):「メルヴィータ」は昨年創業から40周年を迎え、そのタイミングで顧客層を見直しました。ブランドの成長と共に顧客の年齢も上がり、現在の中心顧客層は40〜50代。この状況を歌手に例えると分かりやすいと思うのですが、歌手はお客さまのために歌いますよね。その歌手が年齢を重ねるとお客さまの年齢も上がっていきます。そして、お客さまの子どもや孫なども引き込み、幅広いお客さま層を獲得しています。「メルヴィータ」も歌手と同じように2世代、3世代のお客さまを獲得したいのです。さらにオーガニックに興味・関心のある人を取り込むために、新たなロゴやパッケージ、コンセプトが必要だったわけです。ロゴは創業時から使用しており、柔らかくかわいらしい印象だったため近代的で洗練されたロゴやパッケージに変更しました。

ナタエル・ダヴスト=グローバルジェネラルマネージャー(以下、ダヴスト):これまではオーガニックブランドであるということを訴求し、マイナスなことやネガティブなことを取り除くことにコミットしてきました。今後は、それに加えて自然に対してポジティブなことを広く伝えたい。そしてお客さまの肌を自然の力を使い再生、美しくできたらと思っています。「メルヴィータ」はオーガニックブランドの先駆者としてオーガニックブランドがかなえられるさまざまな可能性を示していかなければなりません。

WWD:その具体例は?

ダヴスト:新コンセプトの「自然の再生力で、美しさが目覚める」を体現した葉脈とシャープな印象の文字を組み合わせたロゴを採用しましたが、この葉脈のように自然の素晴らしいバランスをコミュニケーションや商品開発に生かしたいですね。また、これらの思いをお客さまや取引先に伝えるためウエブサイトやSNSを活用して発信していきます。

テブナン:あとは販売スタッフの教育ですね。販売スタッフがお客さまと接点を持ちブランドの思いを伝えてくれています。彼らにわれわれがどのような方針や活動を推進しているのかを随時共有。商品や店舗などを通じて、その思いをお客さまに届けていきます。

オーガニック イズ ポップを訴求

WWD:ターゲットを広げるために取り組んでいることは。

ダヴスト:ターゲット層をユニバーサルにしていきます。母から子へ、友人から友人へなど口コミ的な広がりも重要視しています。そのためにまずはコミュニケーションの見直しですね。これまでは、自然由来成分を使用したオーガニックブランドであることを強めてきました。現在は、それに加えて効果・実感が得られ、視覚的にも楽しめる商品をそろえていることを訴求していきます。そうすることでスキンケアだけでなく、オーラルケアやボディーケアアイテムなど生活環境に必要なものがオーガニック商品で満たされていくと考えています。

テブナン:商品軸においては、一例を挙げると化粧水“ソルスデローズ エッセンスローション”があります。ブランド初のオイルフラクションテクノロジーを採用したもので、オーガニックのローズヒップオイルを配合したピンク色のマイクロオイルの粒が視覚的にも楽しめ肌効果も実感できると、お客さまからモダンなオーガニックスキンケアとして高評価を得ています。われわれは“オーガニック イズ ポップ”と呼称していますが、若い層にも響くような技術だったり中身の色味だったりを取り入れて日々進化をしていきます。

10年ぶりに新シリーズ投入

WWD:日本の森林浴からインスピレーションを得たボディーケアの新シリーズ“ロルベジタル”を10月9日に発売した。

ダヴスト:ボディーケアの新シリーズは2014年以来の10年ぶりです。単なる保湿ケアではなく、古い角質を除去するなど、さまざまな技術を搭載しています。“ロルベジタル”シリーズは、マッサージ効果も期待できるボディーソープ“エクスフォリエイティング ソープ”(125g 、3080円)、オイル30%、美容液70%で構成した2層式のボディー用保湿美容液“ハイドレーティング ボディセラム”(100mL、6600円)、ブランドの故郷であるアルデーシュ地方で手摘みにより採取された保湿力のある栗の葉のエキスとアロエベラを配合したボディークリーム“ ハイドレーティング ボディクリーム ”(200mL、5500円)の3品をそろえています。

テブナン:フランスでは6月末頃から販売しましたが、インフルエンサーやプレス関係者からの評価も高く、すでにベストセラーになるほど支持を集めています。3品の中でも“ハイドレーティング ボディセラム”の売れ行きがよいですね。

ダヴスト:お客さまから、ユーカリやミント、ローズマリーのフレッシュなトップノートから始まり、シダーやクラリセージ、ガルバナムのハートノート、パチョリとフランキンセンスのベースに移行する森が持つ癒しの香りと、セラムの軽いテクスチャーやクリームのベルベットのような上質な滑らかななどの質感、森林浴をイメージできるグリーンのパッケージがよいとお褒めの言葉をいただきます。ユニセックスで若い層からも人気で、ギフトとして購入が多いのも特徴的ですね。

テブナン:男性は髭剃りの後にローションを塗布することが多かったですが、プラスαでクリームも手にする人もいるようです。日本は20〜30代の男性の美容感度が高まっているので、その層に向けても発信していきたいです。

シンプルでスマートな店舗づくり

WWD:新規客と出会うための新たなタッチポイントは。

テブナン:世界中でポップアップを実施しています。“ロルベジタル”シリーズを発売して以降、われわれからアプローチしなくてもお客さまが来店してくれるうれしい驚きがありました。“ロルベジタル”シリーズからブランドに興味を持っていただく人も多いようです。

ダヴスト:店舗の陳列もブラッシュアップしています。日本ではこれまでは商品にポップやシールなどを貼って訴求していましたが、それによってお客さまの目線がさまざまな方向に向いていました。何を選んだらよいか分からないという戸惑いの声もあったんです。そこで、シールなどは全て剥がし、シンプルに商品の良さだけを伝えるコミュニケーションに変更しました。SNSに関しても従来とは異なる言葉の使い方など全てを一新しています。商品は変わってなくても見せ方を工夫することで、お客さまの興味関心を集めることができると実感しています。グローバルのイメージに合わせてルミネ横浜店やルミネ大宮店、うめだ阪急店など日本の売り上げトップ5の店舗をリニューアルしました。これまでの木目調の店舗から、ブランドカラーのダークグリーン基調に変え、ブランドを代表するアルガンオイルはシリーズごとで展開していたものを一番目に入りやすい壁面に集積するなど、シンプルで分かりやすい仕様にしたところ、リニューアル後の各店舗の月商は前年同月比で40〜70%増と大幅に伸長しています。

テブナン:これまでの店舗の違いを理解していますが、以前はお客さまを呼び込まないと来店してもらえないことが多かったのです。リニューアル後は自然にお客さまが足を運んでくれるようになりました。ルミネ横浜店へ視察に行きましたが、他で見たことがないほど多くの来店客で賑わっていました。現時点で日本の店舗は17店舗ありますが、順次一新していきます。

リニューアル後は新規客4倍

WWD:日本同様にブランドコンセプトなどを一新したことで成功を収めている国は。

ダヴスト:マレーシアのクアラルンプールの店舗ですね。リニューアル前と比べて新規客は4倍となります。売り上げも1.5〜2倍に。リニューアル後の最初の週末は前年同日比で3倍だったんですよ。香港はリノベーションの真っ最中ですが、売上高はリニューアル前と比較して40%増になると予測しています。フランスでは2月にリノベーションを実施しましたが、それ以降毎月15〜45%増で推移しています。

テブナン:これまでイタリアで新店舗出店に苦戦をしていたのですが、リノベーション後は店舗も拡大できています。リノベーションは魔法の扉のようですね。

ダヴスト:今年は転換期ですが、来期はグローバルで売上高は2桁成長ができると確信しています。現在15カ国で展開し、売り上げトップ3はフランス、日本、中国、香港になります。この4つの国と知識で全体の75%の売り上げを占めています。今後は、イギリスやオーストラリアでの店舗開設やヨーロッパやアジアではセフォラのようなセレクトショップでの展開にも注力していきます。

テブナン:モロッコ、ジョージア、モーリシャスに近い将来進出する計画もあります。

WWD:今後も好調を維持するためには?

ダヴスト:イノベーションを続けていくことですね。ジェンダーレスな分野の開拓も進めます。お客さまの声を吸い上げ、お客さまのバスルーム、生活に何が必要かを理解し商品化することを重視していきます。

テブナン:勢いを保つためには、モチベーションのある人と一緒に仕事をすることも大切だと思っています。 オーガニックであること、グリーンバリューを持つことはパリのグローバルチームだけではなくて、世界のスタッフにも持っていてほしい。例えば、年に3回グリーンデーを設けてオーガニックや環境について考え、それを周囲の人に意識的に伝えるなど情熱を持てる人と働きたいですね。

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【前編】「ヨーク」寺田デザイナーが“人生を賭けた”初の直営店

「ヨーク(YOKE)」は、青山に初のフラグシップストアを2024年10月19日にオープンした。
そのショップができるまでを取材した動画を前編と後編に分けて公開。

本動画では、「ヨーク」のアトリエに訪問し、寺田典夫デザイナーに店を作る決意をした経緯から、どのような場所を目指すかまで、さまざまな思いを聞いた。また、開業前のスペースで行った2025年春夏コレクションの展示会で、寺田デザイナーと交流の深い関係者に、デザイナーの人柄や初の店舗への期待感についてもコメントしてもらった。
展示会場の床や壁は、コンクリートのままで無機質な雰囲気を残しつつ、ショー映像が視聴できるブースや今回のコレクションで取り上げたアーティストの絵を飾っており、まるで美術館のような空間。
ショップオープンに向けて「わざわざ内装を変えなくていいじゃないか」と、展示会に訪れた多くが口をそろえていたが、「この展示会会場を超える店舗にする」と、寺田デザイナーの強い意志でオープンまで準備は進んでいく。
寺田デザイナーが、そこまでして店にかける理由は何なのだろうか。ショップオープンの先に目指す「ヨーク」の次のステージとは。内装作業や、いよいよ完成したショップツアーは後編で公開する。

■YOKE AOYAMA
10/19(土)より通常営業いたします。
住所:〒107-0061 東京都港区北青山2-11-15 町田ビル2F
営業時間:12:00 – 19:00 (水曜日定休)
TEL:03-6804-3330
>公式サイト
>ブランドインスタグラム
>ショップインスタグラム

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「L3リフト」の産みの親でまつ毛の守護神JUMIが考える まつ毛業界の今とこれから

PROFILE: UMI Riiorbit代表・「クピド アイラッシュ デザイン」オーナー

UMI Riiorbit代表・「クピド アイラッシュ デザイン」オーナー
PROFILE: じゅみ):2000年代にアイデザイナーになり、2010年に独立。「クピド アイラッシュ デザイン」を開業。美容室の一角で営業したのち、15年に三軒茶屋に単独出店。19年にはサロン規模を拡大し、6席を備えるエリア最大級のアイラッシュサロンに。23年に下北沢に2店舗目をオープン。プロユース商材ブランド「ジュノ プロダクツ(JUNO products)」「 ラッシュリンク シリーズ」「L3 リフトⓇ」の開発販売を手がけるほか、ニューヨーク発のアイラッシュ商材「ボリュームラッシュズ コー  ジャパン(Volume Lashes Co Japan)」日本総代理店を務める。現役施術者としても 指名料 5500 円で 2か月先まで予約が埋まり、月間指名リピート率は100%。22年まつ毛エクステの装着技法の特許取得。国内外のアイラッシュコンテストで合計7つのトロフィーを獲得。コンペの審査員や、コンテストの主催・運営なども行う。 Instagrama:@jumi_cupido PHOTO:SOICHI ISHIDA

コロナ禍で一躍ニーズが高まり、定着したアイビューティサロン。リクルートの美容に関する調査研究機関「ホットペッパービューティーアカデミー」が発表する「美容センサス 2024年上半期〈アイビューティーサロン編〉」によると、その市場規模は1179億円(前年比28.9%増)と推計され、ここ5年で最高額に達したと発表されている。同調査で1390億円(同16.3%増)と発表されているネイルの市場規に迫る勢いだ。

国内のアイビューティサロンの歴史は、2000年代から徐々に広がったまつ毛エクステに始まる。芸能人やセレブから人気を集めたが、店舗数が激増しトラブルが増えたことから2008年には厚生労働省による法整備によりまつ毛エクステ施術には美容師免許が必須に。施術場所も衛生管理基準を満たした美容所登録が必要となった。その後10年代に入ると、価格競争により施術料金がリーズナブルになり一般化が進んだ。さらにメニューの多角化をはかるサロンではコロナ禍以前からじわじわとまつ毛パーマやアイブロウ施術の導入が始まり、コロナ禍ではブームになった。

アイビューティサロン黎明期にアイデザイナーとしてのキャリアをスタートした「クピド アイラッシュ デザイン(CUPIDO Eyelash Design)」のJUMIオーナーは、指名料5500円平均顧客単価1万9000円にも関わらず、技術力と人柄から2か月先まで予約が埋まるトップアイデザイナーだ。サロンワークとサロン経営に加えて、21年にはまつ毛専用の施術用処理剤「ラッシュリンク(LASH LINK)」を開発。アイラッシュ施術を繰り返しても、健康毛に近い状態に自まつ毛を保ち、カールの持続力が高い「ラッシュリンク」を用いたまつ毛パーマメニュー「L3リフトⓇ」は、全国のアイビューティサロンで導入が進んでいる。ほかにも書籍を手がけたり、技術コンテストを主催するなど、まつ毛業界全体の技術力やクオリティの底上げに尽力する。そんなJUMIオーナーに成長を続けるまつ毛業界の今とこれからを聞いた。

まつ毛エクステからまつ毛パーマへ
キャリアの中で体感した人気の移り変わり

WWD:イデザイナーとして働き始めたきっかけは?

JUMI Riiorbit代表・「クピド アイラッシュ デザイン」オーナー:元々は客室乗務員を目指していたのですが、就職氷河期で思うように希望の職種に就職ができず、どの道に進もうかと考えた先に、小さなころから好きだった美容の道に。人がきれいになっていく姿を見るのが好きで、最初は美容クリニックのレセプションとして働き始めました。当時は施術者ではなかったので、次第に自分が施すことで人のきれいをつくりたいと思うようになりました。“手に職を”ということでネイリストを視野に入れましたが、スクールの学費や資金面などを考えた結果、いろいろなご縁もありアイデザイナーを選びました。

WWD:当時はアイデザイナーという職業はめずらしかったのでは?

JUMI:そうですね。ちょうどまつ毛エクステの施術が広まり始めたころで、まつ毛の仕事は未知の世界。本当に興味本位でした。働き始めてみたら私がツィザー(まつ毛エクステを装着するために使用するピンセット)2本でエクステを付けることに、お客さまがとっても喜んでくださるんです。まつ毛の仕上がり次第で女性が内面までポジティブに変わっていく姿を目の当たりにして、それまで何をしてもしっくりこず三日坊主だった私がどんどんのめりこんでいきました。もともと細かい作業が好きだったこともあり、ぴったりな仕事に出合えたと思います。

WWD:2008年にまつ毛エクステの施術者には美容師免許の取得が義務付けられました。そのときに、美容師免許を取得した?

JUMI:アイデザイナーとして働き始めて2年目でした。そのときすでに独立していて、知人のヘアサロンの一角を借りて営業していました。なので施術ができなくなってしまうのは死活問題。ほかの仕事をしながら美容師免許の取得のために3年間(通信課)学ぶのはかなりの負担ですし、ものすごく葛藤しました。けれどもまつ毛以外にやりたい仕事も見つからず、決意。お店を休業して、美容師資格取得に励みました。

WWD:キャリアが断たれたアイデザイナーも多かったのでは?

JUMI:多かったと思います。中にはお客さまの施術を辞めて、指導者になる方もいました。けれども今だから言えることですが、一定の規制ができたことはまつ毛業界にとっては良かったんだと思います。まつ毛エクステがブームになる一方で、施術するにあたって必要な資格がなく目元のトラブルが急増していたのも事実です。まつ毛エクステの施術そのものを規制する動きもありましたから、一定の規制ができたことでアイデザイナーという職業が無くなることなく、今のまつ毛業界の盛り上がりにつながったと考えています。

WWD:休業から美容師免許を取得して、再オープンしたときにはお客さまは戻ってきましたか?

JUMI:「絶対に美容師資格を取る!」と宣言して、復帰のタイミングに合わせて予約を取っていました。ありがたいことに信じて待ってくださっていたお客さまが多かったです。当時はエクステが大ブームだったこともあり、集客に困ったことはなかったですし、100本装着で2万円程度の単価で施術をしていました。しかし世の中では次第に安価なサロンが増えて価格競争が激化していきます。価格競争が起きると安価で質のよくない商材が使われるようになりトラブルが増えますし、アイデザイナーも顧客数をこなすので精一杯になり、施術の質が低下。サロン迷子になってしまったお客さまが、紹介や口コミで私のもとに足を運んでくださることもありました。

WWD:たしかにまつ毛エクステは「すぐに取れてしまった」「仕上がりのイメージが思っていたのと違った」といった声を聞くこともあります。

JUMI:とっても残念なことです。さらにコロナ禍でサロンに足を運びづらくなると、まつ毛エクステのメンテナンスができずにエクステ離れが加速しました。エクステはまつ毛の生え替わりのタイミングなどで、時間が経つと寂しい印象になってしまうので、メンテナンスがどうしても必要です。定期的に来店できないときれいに保つのが難しかったりします。ただしマスクをする中で目元の印象が大切にされるようになり、まつ毛パーマや眉毛の施術がフォーカスされるようになりました。

WWD:まつ毛パーマはまつ毛エクステに比べてメンテナンスが簡単?

JUMI:まつ毛パーマはどちらかというと、施術後日数経過とともにカールがゆるくなり元の状態にも戻っていくイメージなので、まつ毛エクステほど気にならないのかもしれません。また素材勝負なので非常にナチュラルな印象になるのも特徴です。ただし私は独立後、まつ毛パーマの施術は行っていませんでした。というのも、薬剤ダメージでとにかくまつ毛が傷んでしまうから。当時はまつ毛美容液でセルフケアをするという概念もなかったので、施術を繰り返すほどに、まつ毛がボロボロになる負のループ。まつ毛をきれいにするための施術がしたいのに、私は何をやっているんだろうと心が痛くなり、独立後はまつ毛パーマの提供をやめました。しかし、コロナ禍のあまりのまつ毛パーマの盛り上がりに、当サロンでもスタートしようかと。

WWD:ビジネスチャンスではあったんですね。

JUMI:はい。それでも「自まつげの健康を最優先に」というポリシーは変えたくありませんでした。納得して満足のいく仕上がりを提供したかったので、パーマ薬剤によるダメージを抑制できるトリートメント剤を探すなど、かなり試行錯誤しました。結果的に「ラッシュリンク」という処理剤を開発。まつ毛パーマ=痛むものというイメージを覆すような、高持続かつ毛質改善ができるまつ毛パーマメソッド「L3リフトⓇ」を作りました。

まつ毛パーマにも適切な処理の概念を
自まつ毛がきれいなまま継続施術がかなう

WWD:「ラッシュリンク」とはどのような薬剤?

JUMI:まつ毛の構造やケミカルの理論に基づいて開発した、3ステップの高濃度トリートメント処理剤です。髪の毛の施術に置き換えると、ヘアカラー剤やパーマ剤だけを使うのではなく、ダメージレベルに合わせて前処理や中間処理、後処理を行い、施術で失われた栄養分を毛髪に補うことで、施術の髪の毛のpHやキューティクルを健康毛に近い状態に戻して施術をするイメージです。ヘアサロンで施術してもらっているときに髪の毛に対してはさまざまな処理・トリートメント工程があるのに、まつ毛の施術に施されていないのはなぜかと思ったことがきっかけでした。ヘアケアの知識が豊富な美容師の方のもとでケミカルの勉強をさせていただきながら、同じ毛とはいえまつ毛と髪の毛は構造が多少違うことと、目元は粘膜に近く非常にデリケートな部分のためまつ毛専用のアイテムを作ることに。施術時のダメージをおさえることはもちろん、パーマの施術を受けながら毛質改善も期待できるため、処理剤を用いない従来のまつ毛パーマだとカールの持続平均3〜4週間のところ、「ラッシュリンク」を使うと平均6〜8週間までアップします。

WWD:サロンにとっては単価アップなどにもつながる?

JUMI:「ラッシュリンク」を使ったまつ毛パーマメニューは「L3リフトⓇ」というメニュー名で、全国で7000円以上の単価設定を推奨しています。平均的なまつ毛パーマの施術料が4000〜5000円と考えると1.5倍に近い価格になります。しかしカールが仕上がった時の艶やしなやかな弾力、カールの美しさ・持続力を一度体感していただくと、高価格でもお客さまに納得してもらえます。なによりも圧倒的に美しく長持ちするので満足度が高く、お店や施術者の方への信頼感が増し、ファンになってもらうことができます。さらにサロンにとっては他店との差別化につながったり、メンテナンススパンが長くなるため、1人のお客さまの年間の来店回数が減る分、その新規客の予約枠を増やすことができ、安定的な顧客数を維持することができます。お客さまにとっても、サロンにとってもウィンウィンのメリットのあるメニューなのです。当サロンでは私のほかに、6人の施術者がいますが、コロナ禍中の導入直後から予約が常に埋まり、リピート率90%以上、そのほとんどが「L3リフトⓇ」をご希望のお客さまです。

WWD:今ではサロンワークとサロン経営、メーカー業の三本柱で活動している?

JUMI:独立してから5年は美容室の一角で従業員を雇うことなく、一人サロンでやってきました。それがアイビューティサロンとして単独出店するにあたり、初めてスタッフに入ってもらうことに。技術職ゆえに、体感や感覚で働いてきたので、自分が作った看板が崩れてしまうのではと当初は不安も大きかったです。しかしここ数年で、店舗展開をしたり、メーカー業を始めたり、従業員の力を借りているからこそ、自分のやりたいことができるんだ、と考え方がプレイヤー思考から経営思考にシフトしました。

今は自分のお店の成功や繁盛だけでなく、まつ毛をダメージさせてしまうサロンを一店舗でも無くしたいという思いが強くあります。「ラッシュリンク」シリーズはそんな私の夢がかなう商材です。今では全国で500店舗以上のサロンに「L3リフトⓇ」の導入が進んでいます。21年の誕生から3年が経ちますが、正直ここまで広がるとは思っていませんでした。今となっては必要なことをやっていなかったという言葉につきますが、まつ毛パーマに専門の処理剤やケアといった概念はありませんでした。専門職でありながら、アイデザイナーの多くが薬剤・処理理論やまつ毛の構造についての知識が薄く、なぜ処理剤が必要なのかピンときていないという人もまだ多いと思います。夏に書籍を発売しましたが、アイデザイナーの知識向上にも努めていきたいです。

WWD:今後の展望は?

JUMI:「ラッシュリンク」シリーズを使用した「L3リフトⓇ」に関しては5年後に1万店舗の導入を目指しています。それに伴い、まつげをダメージさせないまつ毛パーマのシェアが今以上に上がるはずです。現在9%といわれていますが、30%ぐらいまでは上げていきたいですね。きっとアイラッシュ業界全体としてアイデザイナーの知識量と技術力が上がると、価格競争ではない次なるアイビューティサロンの戦国時代が訪れると思います。そんな時代を生き残るサロンに必要なのは、お客さまの“なりたい”に心から寄り添える人間力も問われるでしょう。

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「ジーユー」とコラボした「ロク」のロク・ファンに聞く 「ゼロから一緒に新しいものを作った」

PROFILE: ロク・ファン/「ロク」デザイナー

ロク・ファン/「ロク」デザイナー
PROFILE: 韓国ソウル生まれ、米テキサス・オースティン育ち。ロンドンのセント・マーチン美術大学でメンズウエアとウィメンズウエアを学ぶ。2010年にフィービー・ファイロによる「セリーヌ」で3年間アシスタントデザイナーを経験後、フリーランスデザイナーとして「ルイ・ヴィトン」や「クロエ」のデザインを手掛ける。16年に自身のブランド「ロク」を立ち上げ、18年度の「LVMHプライズ」で特別賞を受賞。19-20年秋冬に初のランウエイショーをパリで発表。来日時によく行くのは「ビックカメラ」とのこと PHOTO:SHUHEI SHINE

「ジーユー(GU)」は10月18日、韓国系アメリカ人のロク・ファン(Rok Hwang)が手掛けるブランド「ロク(ROKH)」とのコラボレーションコレクション全16型を発売する。24年8月期に売上高3000億円を突破し、9月に待望のニューヨーク出店を果たした「ジーユー」は、真のグローバルブランドへのステップアップの時期を迎えている。「ロク」とのコラボは、「『ジーユー』はここまでできるんだということを知っていただく」(海老澤玲子ジーユーR&D部 ウィメンズ部長)上で、重要なコレクションだ。実際にお披露目イベントで商品を手に取ったメディア関係者からは、「このクオリティーがこの価格で実現できるとは」といった声も上がっている。来日したロク・ファンと海老澤部長に、コラボについて聞いた。

WWD:コラボの前から「ジーユー」のことは知っていたか。

ロク・ファン「ロク」デザイナー(以下、ファン):来日するたびに何度も店を訪ねており、「ジーユー」がどういったブランドか、どんなことをしているのかはよく知っていたし、「ユニクロ(UNIQLO)」の妹ブランドだということももちろん知っていた。若い層のお客さまに向けて、普段の生活に不可欠なアイテムを作っているブランドというイメージをコラボ前から抱いていた。コラボにあたって、実は2年以上も前から「ジーユー」とは話をしていた。最初はお互いに何ができるか、時期としてはいつがいいかなど、カジュアルに意見交換をしていた感じだ。話が本格化し、モノ作りに向けてしっかり動き出したのは1年前。長い時間をかけて、密接にやり取りしながらコラボを進めていった。

WWD:コラボにあたってお互いに重視したものは何か。

ファン:意見交換する中で、コラボの目的や方向性を定義するキーフレーズとして“Play in Style”を掲げた。先ほど言ったように、何度も「ジーユー」の店を訪ねる中で「ジーユー」のお客さまのイメージも一定つかんでいたが、お客さまがどんな人たちなのかをより深く知り、理解することに時間をかけた。「ジーユー」のお客さまは、自分のスタイルがあって、遊び心を持って、恐れることなくファッションを楽しんでいる人たち。コラボを進める上で、これはとても大切で重視すべきアイデアだと思ったので、“Play in Style”という言葉に落とし込んだ。「ロク」のアーカイブアイテムをコラボとして再度作り直すといったことではなく、ゴールをどこに設定するかという話し合いから始めて、スクラッチで(=ゼロから)新しいものを作ったコラボだ。

WWD:全16型の中で、特に印象深いアイテムやお気に入りは何か。

ファン:どのアイテムもお互いに非常に深く考えて作ったものだが、自分たちが表現したいことがうまく形になったと最初に感じたのはボンバージャケットだ。“プレイフルネス(遊び心)”を明確に示しているけれど、同時にさまざまな人に受け入れられるデザイン。男性も女性も着られる魅力があって、秋口から冬まで長い季節にも対応できる。袖のジッパーを開け閉めすることでシルエットが変えられ、素材感もちょっと変わっている。お客さまがそれぞれのスタイルで着こなしを楽しむことができるという、コラボが目指したものがうまく反映されたアイテムだ。

「お互いに学びがたくさんあった」

WWD:ジッパーの開閉などで何通りにも着られるといったアイデアは、「ロク」でよく採り上げているデザインでもある。

ファン:お客さまそれぞれが思うように着こなせるというのは、まさに“自由”を象徴していると思う。ジップの開閉だけでなく、ドレーピングやカッティングなどさまざまな手法で、どのように“自由”を表現できるか、かつその表現が楽しいものになるかを、自分は「ロク」でも今回のコラボにおいても探っている。「ジーユー」というブランド名はもともと“自由”という言葉からきているんだということは、コラボの話し合いの最初の段階で教えてもらった。

WWD:そのように自身のシグネチャーコレクションとコラボとで共通するアプローチもあると思うが、逆に、考え方を変えて作っているのはどういった点か。

ファン:誰のためにデザインしているかという部分は異なっている。「ジーユー」とのコラボでは、(一部のファッション好きだけでなく)世界中の全ての人に向けて服を作った。あらゆる人の体形に合うカッティングを追求し、さまざまな人種のモデルを起用してフィッティングを何度も繰り返している。「ロク」ではアイデアやコンセプトをいかに美しく届けるか、美しいものを提案するかを最重視しているので、アプローチや考え方はコラボとは異なっている。コラボを通して、自分と「ジーユー」のチームとが、お互いに学ぶことが多々あったと思う。私にとっては、より幅広いお客さまに向けて服を作るという、大きな視点を持ついい機会になった。

「着た時の肌触りを強く意識」

WWD:コラボの中で苦労した点はどういったところか。

ファン:挑戦やチャレンジはお互いにとって常に必要なものであり、コラボの過程を楽しむことができたと思う。例えば生地を作るのにも、まず糸選びの段階から関わり、色合わせはどうするかといったことも含めてかなり細かく関わった。店頭に届く商品が全て一定の品質となるかという部分も注視しており、あらゆるレベルで細心の注意を払ったコレクションになっている。また、今回のコラボのアイテムは、お客さまの手持ちの服とも合わせられることを目指している。それを本当に実現するためにも、「ジーユー」と挑戦を重ねた。「ロク」でもオリジナルのプリントや素材をたくさん作ってきたが、今回のコラボでも素材にはかなり注力して取り組んでいる。日常的に着る服を作るということで、素材そのものの質感に加えて、実際に着た時に人がどう感じるか、肌触りを強く意識して開発した点は、新しいと感じた。

WWD:この品質でこの価格ということに対しては、驚きの声も上がっている。

ファン:実際、この価格設定が実現できることに対しては驚いているが、だからといって、(コラボが広がることでシグネチャーラインが売れなくなるといった)恐れは抱いていない。ターゲットが違うため、心配する必要はない。「ロク」では精緻なクラフトマンシップにフォーカスしている。一方で、コラボではあらゆる人が楽しめる服を追求した。


「『ジーユー』はここまでできると伝えたい」

【海老澤玲子ジーユーR&D部 ウィメンズ部長】

「ジーユー」としてグローバルブランドを目指す中で、世界の最前線で活躍しているデザイナーと組むことで得た学びは非常に大きい。例えば、ロクさんはフィッティングでとにかくよくモデルを動かせる。歩いても座っても、どんな動きの中でも「美しい服」というのは、こういうアプローチによって生まれるのだと実感した。素材や縫製工場など、生産背景は通常の「ジーユー」商品と変えてはいない。ただ、ロクさんの求めるクオリティーにどこまで近づけるかに注力したし、私自身も工場に足を運ぶなどして、「『ジーユー』はここまでできるんだ」ということを知っていただくために力を尽くした。

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米フットウエア「キーン」のPFASフリーへの道 2018年に達成できた理由

環境影響が大きく日本でも注目を集めるPFAS(ピーファス、有機フッ素化合物)。現在多くのブランドがPFASフリーに向けて取り組んではいるが達成した企業は少ない。そこで注目したいのが、米ポートランド発のアウトドア・フットウエア「キーン(KEEN)」だ。同社は2018年にPFASフリーを達成、21年からは他社がより短時間で達成できるよう、同社が約1万時間、4年を要したPFASフリーへのプロセスを「グリーンペーパー(GREEN PAPER)」としてオープンソース化した。なぜ「キーン」は早々に達成できたのか。キルステン・ブラックバーン(Kirsten Blackburn)=「キーン エフェクト」ディレクターとローレン・フッド(Lauren Hood)=同シニア・サステナビリティ・マネジャーに聞く。

PROFILE: (左)キルステン・ブラックバーン/「キーン エフェクト」ディレクター (右)ローレン・フッド/「キーン エフェクト」シニア・サステナビリティ・マネジャー

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(左)キルステン・ブラックバーン/「キーン エフェクト」ディレクター<br />
(右)ローレン・フッド/「キーン エフェクト」シニア・サステナビリティ・マネジャー
PROFILE: ブラックバーン:コンサベーション・アライアンスのアドボカシー・ディレクターを経て現職。現在、社会的・環境的インパクト活動(コミュニティ投資やパートナーシップから気候変動対策まで)の戦略と実施を監督する。「キーン・エフェクト」は「キーン」の社会貢献・環境保護活動。モンタナ州ミズーラのラトルスネーク原生林のそばで幼い双子とパートナーとともに暮らす フッド:ニューヨークのウィメンズウエアブランドで、持続可能な製造に焦点を当てた生産管理に従事。ニューヨーク滞在中にコロンビア大学でサステナビリティ・マネジメントの修士課程も修了。その後サステナビリティ・コンサルタントとして小売業界大手企業のESG戦略や報告書に関するアドバイスを行い。「キーン」では製品の製造方法の改善と環境負荷低減のためのシステム作りを担当。ミネソタ州ツインシティーズで夫と娘とともに暮らす

サプライヤーへは化学物質制限の依頼だけでなく代替物質を提案

 「キーン」がPFASフリーに取り組み始めたのは2014年のこと。きっかけはフットウエアの専門家にフットウエア製造における懸念点を聞いたことだった。「夜も眠れなくなるような問題はPFASだと指摘された。さまざまなものに使われているのにコントロールが非常に難しいうえ、その広がりを十分に把握できない。さらにどのような悪影響を及ぼすかがわからない点を指摘された」とキルステン・ブラックバーン=エフェクトディレクターは語る。PFAS(パーフルオロアルキル、ポリフルオロアルキル物質)はパーフルオロケミカル(PFCs)とも呼ばれ、約4700種類のフッ素化合物を含む人工化学物質群で、アウトドア用品やフットウエアの撥水・防汚加工に使われている。その残留性の高さから「フォーエバーケミカル(永遠の化学物質)」とも呼ばれる。分解されにくく環境に残留し、食物連鎖にも入り込んでいるやっかいな物質だ。「社内で議論を進め、PFASへの理解を深めると製品に使用すべきではないことが明らかになり、”解毒の旅“を始めることになった。『キーン』の信条のひとつに“Do the right thing(正しいことをする)”がある」とローレン・フッド=シニア・サステナビリティ・マネジャーは語る。

 しかし、複雑なサプライチェーンでサプライヤーの協力を得てPFASの使用を把握して除去し、代替薬品を見つけて同等の機能性を担保するのは容易ではない。「生地、部品、トリムなど各サプライヤーと緊密に連携し、当社が求める基準を理解してもらうことが重要だった。それは現在も続いていて終わることのない大変な仕事。PFASフリーは当社が達成した素晴らしい成果のように見えるかもしれないが継続中であり、本当に安堵できることではない」とフッド・マネジャーは言う。

初期に取ったいくつかのステップがその後の進展につながった。「特にフットウエアに特化した制限物質リストと化学物質管理方針を迅速に作成し、全てのサプライヤーに説明した。この基準を遵守することを約束してもらうことが、その後の作業を少し容易にしたファーストステップだった」とフッド・マネジャーは振り返る。しかし、PFAS以外の物質で撥水・防汚加工するのは簡単ではないし、代替加工はどのように実現したのか。「当社が靴に適用するPFASフリーの防水加工を実現できる化学物質をリサーチしてサプライヤーに提示した。代替加工は安全性、効果、手頃な価格という3つの要素を満たすことを追求した。幸いにもPFASフリーの撥水材を製造しているサプライヤーがいたので、その撥水材のテストを当社で行い採用した」とフッド・マネジャー。特に大変だったのは「素材によって異なる耐久性や撥水性の反応を示すことから、素材と化学物質の適応性について理解する必要があったこと。幸いサプライヤーの一社に化学者がいてその研究で明らかになった」とフッド・マネジャー。「キーン」の撥水・防汚加工の多くはアッパー生地に塗布した耐水撥水加工(DWR)と内側の独自開発した防水透湿機能を備えたメンブレン“キーン・ドライ(KEEN.DRY)”、2つの技術によって実現している。いずれも最適な代替薬品を見つけることができた。

オーバースペックを求め過ぎていないか

 そもそもPFASフリーに向けてどの製品に使われているかを確認する過程で、撥水・防汚加工が必要なのかを見直したという。「素材や部品への撥水・防汚加工について最初に私たちが使用状況を見直したところ、65%が不要であることが分かった。これらは防水加工が施されているものの、必要のない機能だった。例えば、水辺で履く/水に入ることを想定したサンダルなどだ。足は濡れるが、サンダルの素材に防水加工は必要なく濡れてもすぐに乾く素材であればよいからだ」とローレン・マネジャーは話す。

また、製品のPFASを除去したとしても製品テストをしたときにPFASが検出されたとも明かす。「なぜ検出されたのかを突き止めるために多くの調査とテストを行う必要があった。「PFASはDWRとして使用されるほかに、オイルやグリースなどをはじく目的でも使用されていることが分かった。パームオイルのように機械に吹きかけることもあり、非常に広範囲に使用されており、さまざまな部品にPFASが付着していたことが確認された」とブラックバーン・ディレクターは振り返る。「PFASを意図的に使わないことは可能でも100%混入していないと言い切るのは非常に難しい。当社の製品も製品に使用していなくてもPFASの化学物質テストはごくごく微量に検出されることがある。意図的な使用とそうでない使用に大きな違いがあり、当社は意図的には使用していない。けれど、そういった意味で当社は95%+PFASフリーと表現している」とフッド・マネジャーはいい、「包装材にリサイクル素材を使用した場合、PFASが含まれている可能性があることも分かった。当社は現在包装材も含めてテストを行っている」と加える。PFASの完全除去に向けて試行錯誤が続いている。

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奇抜なスタイルも着こなすアニャ・テイラー=ジョイ 彼女が極める“パーソナル・スタイル”とは

映画のプレミアツアーで着た「パコ ラバンヌ(PACO RABANNE)」のミニドレスにはいくつもの矢が刺さり、座れないほどトゲトゲ。カンヌ映画祭には空も飛べそうなほど大きな「ジャックムス(JACQUEMUS)」のストローハットを選び、深夜のテレビインタビュー出演時には「ミュグレー(MUGLER)」の真っ赤なボンデージドレスを着る――アニャ・テイラー=ジョイ(Anya Taylor Joy)にとっては、どれも難しいことではない。

アニャは「ジャガー・ルクルト(JAEGER LECOULTRE)」と「ディオール(DIOR)」のグローバルアンバサダーとしてクラシック・エレガンスをけん引する一方、数多くの大胆なルックを着こなし、ファッションアイコンとしての地位を確立してきた。そして彼女は今、より“自分らしいスタイル”を追求しようとしている。

「子供の頃の自分に、『アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)』のショーについて調べて、その背景にある歴史を知るような人間になるんだと言ったとしても、当時の私はきっと信じないわ」と彼女は言う。

アメリカン・ゴシックに魅了されて

2020年のNetflixのヒット作「クイーンズ・ギャンビット(The Queen's Gambit)」では、1960年代のスタイルで勝ち気なチェスの天才を演じ、ゴールデングローブ賞、SAGアワード(全米映画俳優組合賞)、クリティック・チョイス・アワード(放送映画批評家協会賞)を受賞。ポップカルチャーの殿堂入りを果たした。

ヒロインを演じた22年のコメディ・ホラー映画「ザ・メニュー(The Menu)」では、ニューヨークを拠点とする高級ランジェリーブランド「フルール・デュ・マル(FLEUR DU MAL)」の500ドルのスリップドレスに身を包み、同じく「ジャガー・ルクルト」のブランド・アンバサダーであるニコラス・ホルト(Nicholas Hoult)と共演。その後彼女は「マッドマックス:フュリオサ(Furiosa: A Mad Max Saga)」で主人公のキックアスを演じ、「デューン 砂の惑星 PART2(Dune: Part Two)」にサプライズ登場して世界を震撼させた。

各所に引っ張りだこの躍進ぶりを見せる中、22年にミュージシャンのマルコム・マクレー(Malcolm McRae)と結婚。ニューオーリンズでひっそりと式を挙げ、翌年ヴェニスで家族や友人を招いて祝宴を開いた。

「アメリカン・ゴシックにはとても惹かれるものがある。ストーリーだけでなく、建築物にもね。長い間そこにあって、ちょっとボロボロになっているような――でも本当にロマンチック。そんなものが大好きなの」と、彼女は歴史ある町・ニューオーリンズを結婚式の地として選んだ理由を明かす。

アニャは今でこそ生粋のLAっ子に見えるが、生まれはマイアミで、ブエノスアイレスとロンドンで育った。当時、ファッションは彼女の世界とは無縁だった。「兄や姉のお下がりをたくさん着ていたし、いつも外に出て馬に乗ったり、泥だらけになって遊ぶのが大好きだった。映画の仕事をするうちに、本当に好きになったスタイルがある。それは本当にパワーとアイデンティティーを表現しているの」と、ジェーン・オースティン(Jane Austen )の同名の名作を原作にした20年の映画「EMMA エマ(Emma)」の衣装について語る。

「オータム・デ・ワイルド(Autumn de Wilde)監督は、視覚的に細心の注意を払っていた。服はすべて私の体に合うように作られたから、服が作られる間、私は何時間もひたすら立っていたの。そのおかげで、デザイナーのアレクサンドラ・バーン(Alexandra Byrne)と私は本当に親しくなったのよ」。

レッドカーペットのためにドレスを着ることは、キャラクターになりきることでもある。「最初はレッドカーペットに圧倒されないように、自己防衛のために服を着ていたわ」。この夏行われた「フュリオサ」のプレスツアーでは、「リック・オウエンス(RICK OWENS)」や「ロバート・ウン(ROBERT WUN)」の衣装を選び、映画のキャラクターのパワーを現実世界に投影した、戦士にふさわしいルックを着てみせた。

「スタイリストのライアン・ヘイスティングス(Ryan Hastings)とレッドカーペットのルックを完成させるまで、映画の仕事は終わらない気がするの。自分自身と役柄が融合したようなルックに仕上がることでやっと、その作品を手放すことができる」と彼女は言う。

アニャ・テイラー=ジョイのモデル時代

彼女が初めてハイファッションに触れたのは、実はモデルとして活動した時のことだ。17歳のとき、ロンドンのナイツブリッジにあるデパート、ハロッズ(Harrods)の前で犬の散歩をしていたところ、ストーム・マネージメントの創設者サラ・ドゥーカス(Sarah Doukas)にスカウトされた。アニャは“演技を最優先し、追求し続ける”という条件で、このエージェンシーと契約したのだ。

「いつも現場に行って、全ての服を見ては誰が着るのか見極めるのが大好きだった」と彼女は言い、才能のあるデザイナーや職人と仕事をするだけでなく、好奇心も彼女の糧になったことを明かした。「情熱的な人にとても惹かれる。もしあなたが税金に情熱を持っているなら、私はじっくりと話を聞くわ」とユーモラスに語る。

今や彼女はファッションに魅了され、プレスツアーの衣装のアイデアのために常にランウエイを見たり、4年間一緒に仕事をしているライアンにメールを送ったりもすると言う。「私とライアン、ヘアスタイリストのグレゴリー・ラッセル(Gregory Russell)、メイクアップアーティストのジョージー・アイズデル(Georgie Eisdell)の間では、常にメールが飛び交っているわ。私達はみんなとても仲良し!自分達の映画のキャラクターが何を体現しようとしているのか話し合うの」。

「私がファッションを好きな理由の1つは、ファッションにはファンタジーの要素があるから」。シドニーで開催された「フュリオサ」のプレミアで、「パコ ラバンヌ」の96年春のオートクチュール・ルックを着用したことは大きなミッションだった。「『ランウエイを歩いて以来、誰もこれを着ていない』と言われたの。ゾクゾクしたわ。矢はプラスチックで作られていて、絶対に座ることはできなかった。一番重かったのはヘッドピースで、信じられないような構造。夜が明ける頃には、矢が頭から外れてもいいと思うほどよ」。アニャはヘッドピースが大好きだ。「あまり活用されていなくて、もったいないと思うわ」。

「ディオール」から学んだこと

21年に「ディオール」のグローバル・アンバサダーに任命されて以来、今年のアカデミー賞で着用したガウンの他にも、49年秋コレクションの傑作“ジュノン”と“ヴィーナス”をモダンにアレンジしたドレスを着用。たびたび「ディオール」の衝撃的なルックを披露してきた。

「私は歴史が大好きなので、豊かな歴史を持つブランドで仕事ができることをとても幸運に感じる。『ディオール』のクチュールと香水、両方のアーカイブでかなりの時間を過ごすことができた」と語り、「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)本人に関する本もたくさん読んだわ。ニュールックが世界の服の見解にどのような革命をもたらしたか――あのシルエットは本当に新しい時代を象徴していると思う」と続けた。

彼女が「ディオール」から得た学びの中で、最大の驚きとは?「私の頭の中では、アトリエのチームはもっと大きいものだと想像していたの。でも実際は、このような素晴らしい服を作っているのはほんの数人。その人達が何時間も費やして作っていることにいつも驚かされる」。

「デューン 砂の惑星 PART2」のロンドン・ワールドプレミアでは、61年のマーク・ボーハン(Marc Bohan)期の「ディオール」にインスパイアされた白いガウンとフードを着用。アフターパーティでは、シアーなフードを脱ぎ、ローカットのマキシドレス姿を披露した。

「このような歴史を持つファミリーと仕事をすることの素晴らしさは、アーカイブを深く掘り下げることができること。そして、“私のキャラクターが誰なのか”“映画の中で彼女はどのような人物なのか”がわかった時、このウエディングドレスを見て即座に『イエス』と答えた。唯一変えたのは下のドレスで、オリジナルは上にリボンがついていた。そして、もう少し肌を見せようと思ったの。スタイリストのライアンと私がお互い『これだ!』って思う瞬間が大好きなの。そして、『ディオール』は私達にそれを体験させてくれたのよ」。

彼女はまた、結婚式で着用したウエディングドレスも「ディオール」に依頼した。ハチドリが花に近づく姿など、繊細に、華麗に刺繍されたドレスは、アニャとマクレーの愛の物語を表現している。

「私達の愛の物語をドレスに刺繍したかったの。小さなスピードボートがあるのは、私の父が若い頃、パワーボートの世界チャンピオンだったから。それに夫の家族のためのコーディネートもあるのよ。私は結婚式の写真をSNSで公開しなつもりだったけど、マリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)はとても優しく時間をかけて、常に気遣ってくれた。つまり彼女は、ただ愛のもと引き受けてくれたということよ」。

「ジャガー・ルクルト」との関係も、実は個人的なものだ。「ザ・メニュー」の共演者であるホルトから、彼女がこのブランドと「きっとすごく気が合うはず」と勧められたことがきっかけだった。

「ジャガー・ルクルト」と刻む時間

「『ジャガー・ルクルト』の“レベルソ・ウォッチ”が、ポロ競技の槌で時計の文字盤を叩き割られないようにするために考案されたということを知った時は、かなりクレイジーだと感じた」。31年にアール・デコのラインでデビューした“レベルソ・ウォッチ”は、ポロ競技の激しさに耐えられるように作られた。先駆的なリバーシブル・ケースを備え、やがて世界中で知られる時計デザインの1つとなった。

「時計というものは大抵の場合、特に男性にとって“成功の証”であるように感じていた。だから私にとって、この時計はとても特別なものよ」。アニャの時間に対する概念は、とても几帳面である。「私は5分以上遅刻しないように最善を尽くしているの。それはきっとバレエから植え付けられたもので、決まりの時間にはちゃんとクラスにいなければならなかったから」と、彼女は3歳から15歳までセミプロのバレエスクールでダンスを学んだ幼少時代について振り返る。「だから、私は時間通りに撮影現場にいることにとても厳格なの。私の体にはちょっとした体内時計がある。でも、もっと時間があればと思うことはよくあるわ」。

「ロサンゼルスの家にいる時間がもっとあれば」と思うこともあるそうだ。「仕事のスピードが速すぎて、私生活が追いつかないことが多い。今の家を持つようになって2、3年経つけど、まだ完全に荷解きができていないわ。ただ、とても住みやすいのよ」。

ファッションに関して言えば、衣装とレッドカーペットの間にあるもの――彼女ならではのスタイルの追求に、アニャは今夢中になっている。

アニャ・テイラー=ジョイの“パーソナル・スタイル”

「常に仕事と結びついているから、私自身のパーソナルなスタイルはそれほど重要ではなかったの。私が考えなければならなかった唯一のことは、朝の3時に撮影現場に行って、その日の残りの時間、別の服に着替えるときにいかに快適でいられるのは何かということ。だから何年もスウエットパンツを履いていたわ。でもファッションに夢中になるにつれて、よくビンテージショップに行くようになった」。

ビンテージの「ジャン・ポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」のバイカージャケット、ホットパンツ、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」の“タビ ローファー”…「最近は『ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIENNE WESTWOOD)』のビンテージに夢中なの。ビンテージショップに行って一目惚れするたびに、スタッフが『それは“ウエストウッド”のだ』って言うの。ワードローブ全部を“ウエストウッド”だけで揃えたいくらい」と彼女は言い、お気に入りのビンテージショップはLAのレプリカ(Replica)だと明かす。「あのお店はもはや、歴史の一部を所有しているようなものよ」。

「最近はとてもスペシャルな『ミュグレー』の服を買ったの」と言う彼女に「レッドカーペットのため?それとも実生活用?」と尋ねると、「私のためだと思うわ」とアニャ。

「友達から食事に誘われたとき、私が持っていたのは舞踏会用のガウンかセットアップだけだった。カジュアルに着られるものを持っていないの」。彼女のレッドカーペットでの大胆さを見ると、そのクローゼットでも納得だ。「“小くて赤いレザーグローブ”みたいな感じのファッションが好きなのかも。昔の人の着こなしは魅力的だし、とても興味をそそられるの」。

この秋、彼女はロマン・ガヴラス(Romain Gavras)監督の次回作「サクリファイス(The Sacrifice)」の撮影でヨーロッパを回る予定だ。「あまり詳しくは明かせないけど、とても緊迫感のある作品よ。監督はとてもアーティスティックだから、撮影をスタートするのが待ちきれないわ」。

アニャは9月末にパリで開催された「ディオール」の2025年春のプレタポルテ・ショーにも出席した。「以前は人混みを恐れていたけど、今はもっとエネルギーを持って出席できるわ。どのデザイナーがどんな道を辿るのか見るためにね。毎回旅行のような気分なの」。

この業界のプロフェッショナルのように語る彼女は、将来的にファッションビジネスに挑戦するのだろうか?――ミステリアスな彼女のアンサーは、「そうね、否定はしないわ」。

PHOTO:MILAN ZRNIC(WWD)

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若月佑美が“やめたこと”は「完全防備の日焼け対策」 コスメ愛とこだわりの美容法を語る

PROFILE: 若月佑美/女優・モデル

若月佑美/女優・モデル
PROFILE: PROFILE:(わかつき・ゆみ)6月27日生まれ、静岡県出身。2011年から乃木坂46で1期生として活動し、18年11月にグループを卒業。その後は女優やモデルとして活動の場を移し、ドラマでは「今日から俺は!!」(日本テレビ)、「私の家政夫ナギサさん」(TBS)、「共演NG」(テレビ東京)などに多数出演。20年に雑誌「オッジ(Oggi)」6月号から美容専属モデルを務めた経験もあり、21年7月に発売した9月号では初の単独表紙登場を果たした。現在放送中のNHKの“朝ドラ”「おむすび」にも出演している。 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

雑誌「オッジ(Oggi)」の美容専属モデルを担当する一方で、ドラマや映画などの俳優としても活躍している若月佑美。2024年1月ごろ、大胆なイメージチェンジでベリーショートに。Xではこれに関する一般ユーザーのポストが相次ぎ、一部の投稿に4.4万いいね、3.9万いいねが付くバズが巻き起こった。引用リポスト欄には「イケメン過ぎる」「推しが万バズしてる!」などの絶賛の声が相次ぎ、注目を浴びた。

そんな彼女は11月3日からスタートする舞台「有頂天家族」で、妖艶でミステリアスな女性の弁天を演じる。同作は、シリーズ累計55万部を誇る森見登美彦の人気小説で、下鴨神社の糺(ただす)の森に暮らすたぬき一家を中心に京都の地で、たぬき・てんぐ・人間が繰り広げる奇想天外、波乱万丈な物語だ。ドラマやアニメにもなるほど多くの人に親しまれている。

今回は、自他共に認める美容好きだという若月にこだわりの美容法や舞台ならではのメイク術、弁天を演じる難しさなどについて聞いた。

“もったいない精神”で、新商品も愛用品も使い回す

WWD:ようやく長い夏が終わりました。若月さんはきれいな“透明美肌”ですが、この夏日焼けしないように気を付けたことはありますか。

若月佑美(以下、若月):場面に合わせて日焼け止めを使い分けています。レジャー中だったり、長時間日光に当たるときは不快感の少ないジェルタイプを使いつつ、塗りなおしには香りの良いスプレータイプを併用するなどしています。

アイドル時代は「絶対に日焼けをするな」という通達が出ていて、野外会場のリハーサルのときでもアームカバー、帽子、サングラス、日焼け防止のフェースカバーをして完全防備していましたが、今はそこまで徹底はしていないです。もちろん日焼け対策はしっかりしますが、頑張り過ぎないくらいにしています。

WWD:季節の変わり目のスキンケアで意識していることは?

若月:やっぱり保湿ですね。たっぷり水分を補給して、インナードライにならないように気を付けています。あとは、化粧水の浸透をより良くするために必ず導入美容液を使うこと。夏に蓄積した古い角質を柔らかくするため、ターンオーバーを促進するアイテムを取り入れたりしています。

WWD:普段のメイクで心掛けていることがあれば教えてください。

若月:美容好きなので、コスメはたくさん持っているのですが、「同じものを無理に使い続けない」ことですね。自分に合いそうだなと思った新商品は積極的に購入して、愛用しているアイテムと併用するんです。気合を入れたい日は新商品を、家で過ごす日や家族とお出かけをする日は使い慣れているものを使用するなどして、バランス良く使い分けています。

“もったいない精神”を意識することで無駄もなくなり、新しい自分に毎日出会えるんです。

WWD:プライベートと仕事のオンオフはどうやって切り替えていますか。

若月:仕事のことを家に持ち帰ることはあまりなく、私服に着替えた瞬間に仕事モードがオフになります。自宅で台本を軽く読んだり、セリフを言ったりすることはありますが、そこにストレスはありません。

仕事に向かう前はルーティンがあって、車の中で必ずホットアイマスクをします。リラックス効果だけでなく、むくみも取れて一石二鳥です。極論ですけど、おしぼりで顔を拭くみたいな(笑)。その感覚に近いんだと思います。これだけはやらないと、仕事のスイッチが入らないですね。

WWD:疲れた日のご褒美はどうしていますか。

若月:大好きなアイスクリームは毎日食べているので……王道ですが、たまに食べる焼肉!「明日何してる?」を気楽に言える、秋元真夏ちゃんや佐々木史帆ちゃんを誘って行くことが多いかな。

WWD:バスタイムのお供は?

若月:絶対に入浴剤を入れます。小さいときからこれが当たり前になってしまっていて、透明なお湯に入れないんです(笑)。温浴効果も高まり、香りの癒やし効果もあるので入れないと気が済まないですね。最近はクレイにハマっていて、肌はツルツルになるし、毛穴の汚れがごっそり取れる気がします。

「蓄えた知識をアウトプットしないまま死ぬのはもったいない」

WWD:今後トライしてみたいことは?

若月:ファッションに関しては、ヘアをベリーショートにしたのでメンズライクな服装を楽しむということ。美容は、ニキビ痕に悩んでいるのでハーブピーリングをしてみたいです!

WWD:ダウンタイムが気になりますが……お仕事柄長期休みを取ることは可能なのでしょうか。

若月:1週間ほど、ピーリング休みが欲しいですね(笑)。いつできるか分からないので、今は「アラサー世代の人はどのくらいの期間でニキビ痕がきれいになるのか」というのを日頃のスキンケアで試しています。例えば約1年かかると立証できれば、同じ悩みを抱えている人が「1カ月で治るわけないか」と気が楽になりますよね?小さなことですが、誰かを救えるかもしれない!なんて考えています。そんな情報を美容が好きな方やファンの皆さんに発信したいです。

WWD:どこまでもファンファーストなんですね。

若月:ファンの皆さんも知りたいことだと思うので、私が蓄えた知識とか、やってきた経験をアウトプットしないまま死ぬのはもったいないなと思って。誰かの人生を1日でも早く豊かにしてあげられるお手伝いがしたいんです。自分が10年かかった知識を誰かに教えることができれば、その人は10年楽しく過ごせるのと思うので。誰かの力になれるとうれしいですね。

自身と真逆な女性“弁天”を演じる

WWD:舞台メイクのこだわりは?

若月:基本的に舞台だと、メイクは自分、ヘアはプロのメイクさんにしてもらうことが多いです。その役に合ったメイク方法を学ぶため、事前にレクチャーを受けたりもします。もちろん、役になりきるということが一番ですが、個人的には映像になったときに「やり過ぎていないか」をチェックするようにしています。

舞台メイクと聞くと、ライティングに負けないように濃く、目立つメイクをしているイメージがあると思います。ですが、昨今の舞台はオンライン配信をすることもあるので、映像にしたときにメイクが濃過ぎたりすると、画面越しに見てくれている方々が物語に集中できない可能性があります。キャラクターの雰囲気を損なうことなく、しっかりと表現できるように「ここまでなら大丈夫だろう」というギリギリのラインを攻めてメイクをしています。小さなこだわりですが、会場だけでなく、画面の先にいるファンの皆さんのことも考えてメイクするようにしていますね。

WWD:そこまで考えているのですね。美容業界は今、艶肌ブームが来ていますが舞台上ではどうしていますか?

若月:舞台ではクッションファンデーションなどの艶が出るアイテムは使わないようにしています。後からハイライターで艶を足すことはありますが、土台はマット一択。最後にフィックスミストをかけて、汗をかいても崩れないベースメイクに仕上げています。また、男の子の役を演じるときは自分の肌色よりもワントーン暗い色味を選んだりするなど、肌作りは自分で工夫することが多いです。

WWD:今回の舞台「有頂天家族」で演じる弁天の見どころを教えてください。

若月:弁天は人間にも、たぬきにも、てんぐにも寄らないミステリアスで妖艶な女性なんですよね。その様子がより際立つような演出が入る予定なので、マンガやアニメとはまた違った弁天が楽しめると思います。

WWD:弁天を演じるに際し、苦労したことは?

若月:私と真逆の性格や雰囲気なので、色気や妖艶な雰囲気をどう表現したら良いのか悩みました。弁天はてんぐなので、物語では飛んだり、急に姿を消したりする場面があるんです。舞台では演出や装置で助けてもらうかもしれないのですが、自分自身もちゃんと気配を消せるように、表情やしぐさで演じなければいけないと思っています。

WWD:最後に、舞台「有頂天家族」への意気込みを聞かせてください。

若月:フィクションではあるんですけど、舞台が京都なので、実際にある場所を思い浮かべて見ていただき、物語の世界にふと入ってしまったという印象を持ってもらえるような公演にしたいと、チームの一員として考えています。

弁天としては、Wキャストを務める下鴨矢三郎役の中村鷹之資さんと、濱田龍臣さんをサポートし、ちゃんと2人を立てられるような立ち位置でいられるよう尽くしたいです。また、会場には森見登美彦先生の作品が好きな方がたくさんいらっしゃると思うので、その方たちにも楽しんでいただけるように頑張ります。

▪️「有頂天家族」
11月3〜11日新橋演舞場、11月16〜23日南座、11月30日〜12月1日御園座
出演:中村鷹之資、濱田龍臣、若月佑美、渡部秀、池田成志、相島一之、檀れいほか
原作:森見登美彦(『有頂天家族』幻冬舎刊)
脚本・演出:G2

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若月佑美が“やめたこと”は「完全防備の日焼け対策」 コスメ愛とこだわりの美容法を語る

PROFILE: 若月佑美/女優・モデル

若月佑美/女優・モデル
PROFILE: PROFILE:(わかつき・ゆみ)6月27日生まれ、静岡県出身。2011年から乃木坂46で1期生として活動し、18年11月にグループを卒業。その後は女優やモデルとして活動の場を移し、ドラマでは「今日から俺は!!」(日本テレビ)、「私の家政夫ナギサさん」(TBS)、「共演NG」(テレビ東京)などに多数出演。20年に雑誌「オッジ(Oggi)」6月号から美容専属モデルを務めた経験もあり、21年7月に発売した9月号では初の単独表紙登場を果たした。現在放送中のNHKの“朝ドラ”「おむすび」にも出演している。 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

雑誌「オッジ(Oggi)」の美容専属モデルを担当する一方で、ドラマや映画などの俳優としても活躍している若月佑美。2024年1月ごろ、大胆なイメージチェンジでベリーショートに。Xではこれに関する一般ユーザーのポストが相次ぎ、一部の投稿に4.4万いいね、3.9万いいねが付くバズが巻き起こった。引用リポスト欄には「イケメン過ぎる」「推しが万バズしてる!」などの絶賛の声が相次ぎ、注目を浴びた。

そんな彼女は11月3日からスタートする舞台「有頂天家族」で、妖艶でミステリアスな女性の弁天を演じる。同作は、シリーズ累計55万部を誇る森見登美彦の人気小説で、下鴨神社の糺(ただす)の森に暮らすたぬき一家を中心に京都の地で、たぬき・てんぐ・人間が繰り広げる奇想天外、波乱万丈な物語だ。ドラマやアニメにもなるほど多くの人に親しまれている。

今回は、自他共に認める美容好きだという若月にこだわりの美容法や舞台ならではのメイク術、弁天を演じる難しさなどについて聞いた。

“もったいない精神”で、新商品も愛用品も使い回す

WWD:ようやく長い夏が終わりました。若月さんはきれいな“透明美肌”ですが、この夏日焼けしないように気を付けたことはありますか。

若月佑美(以下、若月):場面に合わせて日焼け止めを使い分けています。レジャー中だったり、長時間日光に当たるときは不快感の少ないジェルタイプを使いつつ、塗りなおしには香りの良いスプレータイプを併用するなどしています。

アイドル時代は「絶対に日焼けをするな」という通達が出ていて、野外会場のリハーサルのときでもアームカバー、帽子、サングラス、日焼け防止のフェースカバーをして完全防備していましたが、今はそこまで徹底はしていないです。もちろん日焼け対策はしっかりしますが、頑張り過ぎないくらいにしています。

WWD:季節の変わり目のスキンケアで意識していることは?

若月:やっぱり保湿ですね。たっぷり水分を補給して、インナードライにならないように気を付けています。あとは、化粧水の浸透をより良くするために必ず導入美容液を使うこと。夏に蓄積した古い角質を柔らかくするため、ターンオーバーを促進するアイテムを取り入れたりしています。

WWD:普段のメイクで心掛けていることがあれば教えてください。

若月:美容好きなので、コスメはたくさん持っているのですが、「同じものを無理に使い続けない」ことですね。自分に合いそうだなと思った新商品は積極的に購入して、愛用しているアイテムと併用するんです。気合を入れたい日は新商品を、家で過ごす日や家族とお出かけをする日は使い慣れているものを使用するなどして、バランス良く使い分けています。

“もったいない精神”を意識することで無駄もなくなり、新しい自分に毎日出会えるんです。

WWD:プライベートと仕事のオンオフはどうやって切り替えていますか。

若月:仕事のことを家に持ち帰ることはあまりなく、私服に着替えた瞬間に仕事モードがオフになります。自宅で台本を軽く読んだり、セリフを言ったりすることはありますが、そこにストレスはありません。

仕事に向かう前はルーティンがあって、車の中で必ずホットアイマスクをします。リラックス効果だけでなく、むくみも取れて一石二鳥です。極論ですけど、おしぼりで顔を拭くみたいな(笑)。その感覚に近いんだと思います。これだけはやらないと、仕事のスイッチが入らないですね。

WWD:疲れた日のご褒美はどうしていますか。

若月:大好きなアイスクリームは毎日食べているので……王道ですが、たまに食べる焼肉!「明日何してる?」を気楽に言える、秋元真夏ちゃんや佐々木史帆ちゃんを誘って行くことが多いかな。

WWD:バスタイムのお供は?

若月:絶対に入浴剤を入れます。小さいときからこれが当たり前になってしまっていて、透明なお湯に入れないんです(笑)。温浴効果も高まり、香りの癒やし効果もあるので入れないと気が済まないですね。最近はクレイにハマっていて、肌はツルツルになるし、毛穴の汚れがごっそり取れる気がします。

「蓄えた知識をアウトプットしないまま死ぬのはもったいない」

WWD:今後トライしてみたいことは?

若月:ファッションに関しては、ヘアをベリーショートにしたのでメンズライクな服装を楽しむということ。美容は、ニキビ痕に悩んでいるのでハーブピーリングをしてみたいです!

WWD:ダウンタイムが気になりますが……お仕事柄長期休みを取ることは可能なのでしょうか。

若月:1週間ほど、ピーリング休みが欲しいですね(笑)。いつできるか分からないので、今は「アラサー世代の人はどのくらいの期間でニキビ痕がきれいになるのか」というのを日頃のスキンケアで試しています。例えば約1年かかると立証できれば、同じ悩みを抱えている人が「1カ月で治るわけないか」と気が楽になりますよね?小さなことですが、誰かを救えるかもしれない!なんて考えています。そんな情報を美容が好きな方やファンの皆さんに発信したいです。

WWD:どこまでもファンファーストなんですね。

若月:ファンの皆さんも知りたいことだと思うので、私が蓄えた知識とか、やってきた経験をアウトプットしないまま死ぬのはもったいないなと思って。誰かの人生を1日でも早く豊かにしてあげられるお手伝いがしたいんです。自分が10年かかった知識を誰かに教えることができれば、その人は10年楽しく過ごせるのと思うので。誰かの力になれるとうれしいですね。

自身と真逆な女性“弁天”を演じる

WWD:舞台メイクのこだわりは?

若月:基本的に舞台だと、メイクは自分、ヘアはプロのメイクさんにしてもらうことが多いです。その役に合ったメイク方法を学ぶため、事前にレクチャーを受けたりもします。もちろん、役になりきるということが一番ですが、個人的には映像になったときに「やり過ぎていないか」をチェックするようにしています。

舞台メイクと聞くと、ライティングに負けないように濃く、目立つメイクをしているイメージがあると思います。ですが、昨今の舞台はオンライン配信をすることもあるので、映像にしたときにメイクが濃過ぎたりすると、画面越しに見てくれている方々が物語に集中できない可能性があります。キャラクターの雰囲気を損なうことなく、しっかりと表現できるように「ここまでなら大丈夫だろう」というギリギリのラインを攻めてメイクをしています。小さなこだわりですが、会場だけでなく、画面の先にいるファンの皆さんのことも考えてメイクするようにしていますね。

WWD:そこまで考えているのですね。美容業界は今、艶肌ブームが来ていますが舞台上ではどうしていますか?

若月:舞台ではクッションファンデーションなどの艶が出るアイテムは使わないようにしています。後からハイライターで艶を足すことはありますが、土台はマット一択。最後にフィックスミストをかけて、汗をかいても崩れないベースメイクに仕上げています。また、男の子の役を演じるときは自分の肌色よりもワントーン暗い色味を選んだりするなど、肌作りは自分で工夫することが多いです。

WWD:今回の舞台「有頂天家族」で演じる弁天の見どころを教えてください。

若月:弁天は人間にも、たぬきにも、てんぐにも寄らないミステリアスで妖艶な女性なんですよね。その様子がより際立つような演出が入る予定なので、マンガやアニメとはまた違った弁天が楽しめると思います。

WWD:弁天を演じるに際し、苦労したことは?

若月:私と真逆の性格や雰囲気なので、色気や妖艶な雰囲気をどう表現したら良いのか悩みました。弁天はてんぐなので、物語では飛んだり、急に姿を消したりする場面があるんです。舞台では演出や装置で助けてもらうかもしれないのですが、自分自身もちゃんと気配を消せるように、表情やしぐさで演じなければいけないと思っています。

WWD:最後に、舞台「有頂天家族」への意気込みを聞かせてください。

若月:フィクションではあるんですけど、舞台が京都なので、実際にある場所を思い浮かべて見ていただき、物語の世界にふと入ってしまったという印象を持ってもらえるような公演にしたいと、チームの一員として考えています。

弁天としては、Wキャストを務める下鴨矢三郎役の中村鷹之資さんと、濱田龍臣さんをサポートし、ちゃんと2人を立てられるような立ち位置でいられるよう尽くしたいです。また、会場には森見登美彦先生の作品が好きな方がたくさんいらっしゃると思うので、その方たちにも楽しんでいただけるように頑張ります。

▪️「有頂天家族」
11月3〜11日新橋演舞場、11月16〜23日南座、11月30日〜12月1日御園座
出演:中村鷹之資、濱田龍臣、若月佑美、渡部秀、池田成志、相島一之、檀れいほか
原作:森見登美彦(『有頂天家族』幻冬舎刊)
脚本・演出:G2

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ゴールドウイン渡辺社長が語るグローバル戦略 「プレミアムスポーツブランドで世界へ」

ゴールドウイン,GOLDWIN

ゴールドウインが、自社ブランド「ゴールドウイン(Goldwin)」の海外戦略を加速している。10年後に売上高500億円(2024年3月期実績は32億円)、アジア100店舗体制を掲げた“ゴールドウイン500”プロジェクトを、7月に同社の新中期経営計画の骨子として発表した。21年に開業し、既に売上規模で日本の店舗を抜いているという北京店に続いて、中国では8月に成都、9月に上海にも大型直営店を出店済みだ。25年以降、韓国や欧米でも出店を計画している。「ゴールドウイン」がブランドとして目指すあり方や企業ゴールドウインが掲げる姿勢を、渡辺貴生社長のインタビューを交え深掘りする。

「世界中の人が長く着られる、
普遍的で美しい製品を作りたい」

ゴールドウインは、「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」などの海外ブランドと提携し、日本市場に合うようにデザイン性と機能性を独自開発して成長してきた企業だ。一方で、自社ブランドの育成は遅れていた。「自分たちの考えを自由に形にしてお客さまの役に立つ製品を作り、世界中で自分たちの存在を知っていただくには、提携ブランドでは限界がある」と渡辺貴生ゴールドウイン社長。世界に目を向けていく中で、渡辺社長が現職に就いた20年以降、自社ブランドの「ゴールドウイン」でフィロソフィーやコンセプトの部分から見直しを進めてきたという。

従来は競技や種目を軸にした開発が一般的であったスポーツウエアにおいて、「ゴールドウイン」ではパフォーマンス(機能性)やファッション、ライフスタイルを高次元でミックスしていくようなブランドのあり方を目指している。「強く抱いているのは、普遍的な製品を作りたいという思い。どの国のどんな人が手に取っても同じ感覚を呼び覚まし、陳腐化することなく長く着られるデザインを追求している」と渡辺社長。近年はラグジュアリーブランドなどもスポーツやアウトドア領域に進出し、“プレミアムスポーツウエア”市場が形成されつつあるが、「企業として長年築いてきた高いパフォーマンス性と、リジェネラティブ(環境再生型)であることの2点を重視する点が、われわれは他ブランドとは異なる」と分析する。

リジェネラティブという面では、ゴールドウインは15年からスパイバーと共同研究し、構造タンパク質「ブリュード・プロテイン」の開発も進めてきた。「『ブリュード・プロテイン』を、石油由来の合成繊維の代替として世界に広めることはわれわれの大きな使命」と渡辺社長。「長く使えるもの、圧倒的に機能に優れたものを作りたい。どこよりも機能性の高い製品を美しくデザインできる会社になりたいと昔から思ってきた。機能性には、環境負荷を限りなくゼロにするということも含んでいる。“循環性”“越境性”“共創性”の3つをキーワードに、『ゴールドウイン』で“プレミアムスポーツブランド”としてのポジションを確立する」と語る。

ゴールドウインとして24年4月には、「人を挑戦に導き、人と自然の可能性をひろげる」というパーパスも新たに制定した。「人類の歴史で気候変動は今が一番厳しい状況にあるが、それを招いたのも人類。自然を収奪し、産業を前進させるあり方でよかったのか。人間も自然の一部と認識し、事業の進め方、暮らし方を変える必要がある」と渡辺社長。「お客さまも事業のパートナーとして、多くの人が積極的に環境を守れるような、そんな事業をわれわれがデザインすることを目指す」と続ける。

10年後にアジア100店体制、
北京店は既に年間売り上げ2億円

10年後に売上高500億円を目指す「ゴールドウイン」にとって、核となる地域は中国、日本、韓国。10年後の目標店舗数は、フランチャイズを含めアジアで100店だ。そのために中韓では、現地企業と販売合弁会社も設立した。最大市場と期待する中国では、今後年間4店のペースで、一級都市を中心に出店していく。今秋出店した成都、上海に続き、年内に杭州、南京にも出店予定だ。21年に出店した北京店は、既に年間売り上げ2億円規模となっている。

「スポーツは老若男女が楽しむことができ、日常でもスポーツウエアを着る人は多い。だからこそ、スポーツウエアでは国や文化を超えたデザインが可能」と渡辺社長。10年後に500億円という目標を「野心的」などと評する声もあるが、「全くそうは思わない。『ザ・ノース・フェイス』も過去10年で規模は5倍になった。ブランドは、何か1つ現状を突き抜けるきっかけがあれば、共鳴してくれる人に支えられて成長していく。それは私自身が『ザ・ノース・フェイス』で経験したことだ」と続ける。

24年秋冬は
「OAMC」ともコラボ

「ゴールドウイン」は、ゴールドウインが企業として長年つちかってきた機能性と共に、デザインとしての美しさも強く探求している。グローバルでの認知強化のために、6月には25年春夏のパリ・メンズファッションウイークに合わせ、マレ地区で初めて単独展示会も開催。クリエイティブチームにも海外有力メーカーのR&D出身者などが加わり、グローバル標準でのモノ作りが進んでいる。

そうした動きを象徴するのが、24年秋冬に打ち出している「OAMC」とのコラボレーションだ。現在、「ジル サンダー(JIL SANDER)」のデザインも手掛ける「OAMC」共同創業者のルーク・メイヤー(Luke Meier)は、今回のコラボについて「深い知識と高い品質を誇り、パフォーマンス製品のリーダーであるゴールドウインと仕事ができることを楽しみにしていた」とコメントしている。「ゴールドウイン」では25年春夏以降も、注目度の高いコラボをいくつか企画しているという。

人間と自然の関係性をデザイン

「モノを売って収益を得るだけでなく、環境を正しい方向にデザインしていくような事業を今後は目指す」。渡辺社長がそう話すように、ゴールドウインは人が自然を楽しみ、その中で環境を守り次世代に引き継いでいくような取り組みを強めている。22年春夏に、東京・六本木や創業地の富山で行った「プレイアースパーク(PLAY EARTH PARK)」はその一例だ。スポーツの起源である遊びを通し、子どもたちが未来につながる体験を得られることを目指したイベントで、両地でファミリー層を中心に約5万2000人を集客した。

「環境をデザインする」という考えのもと、富山・南砺では、自然と遊ぶ公園「プレイアースパーク ネイチャリング フォレスト(PLAY EARTH PARK NATURING FOREST)」を計画中だ。27年初夏の開業予定で、SUPや釣りが楽しめる桜ヶ池の周りに、キャンプ場、フラワーパーク、農園、レストラン、アウトドアアクティビティー施設を設ける。周辺地域とも連携し、クライミングやトレッキング、冬季はスノースポーツなど、さまざまなアクティビティーが楽しめるようにする。

問い合わせ先
ゴールドウイン カスタマーサービスセンター
0120-307-560

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大谷やキャメロン・ディアスを撮影する写真家、俵山忠 雑誌編集からビルボードを飾るまでの道

PROFILE: 俵山忠/フォトグラファー

俵山忠/フォトグラファー
PROFILE: (たわらやま・ただし)1977年6月3日生まれ、東京都葛飾区出身。雑誌編集を経て2000年に渡米後、現地コーディネーターを務めながら独学で写真を学ぶ。01年からロサンゼルス・サンタモニカを拠点にフリーランスフォトグラファーとして活動。以降、雑誌や企業広告を中心に多くの撮影を手掛ける。13年にクリエイティブチーム、セブンブロス ピクチャーズ(SEVEN BROS. PICTURES)を設立し代表を務める

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第4回は大谷翔平選手やキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)の撮影も手掛けるフォトグラファー、俵山忠に恩師と語る人物や半生を聞いた。

水嶋和恵(以下、水嶋):フォトグラファーとして、移住先にロサンゼルスを選んだ理由を教えてください。

俵山忠(以下、俵山):ロサンゼルスの空が好きだからですね。この空の下で撮る写真は、全ての被写体の発色が鮮やかで他の場所で撮る写真とは空気感が違うんです。そこに魅了されています。ニューヨークも好きですが、住むのはロサンゼルスが良いですね。

幼少期はアドベンチャー系の映画を観るのが好きでした。特に映画「グーニーズ(The Goonies)」の世界観に強く引かれ、撮影場所や舞台も知らなかったのですが、海岸がある街での学生たちの姿を観て、子ども心にアメリカのライフスタイルに憧れました。当時西海岸には親戚や先輩が住んでいたこともあり、16〜18歳の2年間ロサンゼルスに留学し、高校を卒業しました。その後帰国して就職した先が、タレントの所ジョージさんの事務所、ティ・ヴィクラブでした。スケーターをはじめとするサブカルチャーに憧れがあり、世田谷の事務所にスケボーで通っていましたね。所さんは当時、日本で西海岸のカルチャーに一番近い存在だったと思います。そんな彼のライフスタイルを間近で見ながら、彼の元で雑誌「ライトニング(Lightning)」の編集者として社会経験をし、後には西海岸へ移住して仕事をしたいと思うようになっていきました。

その後、枻出版社へ移籍し、米国に住み仕事のできるビザをサポートしてもらい、2000年22歳の時にロサンゼルスに移住しました。振り返ると、人との繋がりの先に米国移住があったという感じですね。フィルム写真、スケート、音楽、そしてバイク、自分の中の「海外のカッコいい」を感じられる全てがLAにはそろっていたのです。

水嶋:時期は異なりますが、私は所さんのスタイリングを担当していたので、今こうして俵山さんとロサンゼルスでご一緒することに縁を感じます。人生のターニングポイントはいつでしたか?

俵山:人との出会いや経験、全てが人生のターニングポイントだった気がします。やってみたいことはすぐに行動に移すので、僕の人生はターニングポイントだらけですね。フォトグラファーとしての転機は、25歳の時に雑誌「ライトニング」の表紙を撮影したとき、そして32歳で自分の作品がビルボードデビューしたときです。

編集時代の先輩がのちに「ライトニング」編集長に就任し、僕の米国移住の際に写真撮影に必要なものを一式プレゼントしてくれ、後にロサンゼルスでのイベント撮影の仕事を依頼してくださいました。その際、編集としてだけではなく、いただいたフィルムカメラでカメラマンとしても稼働したんです。ロサンゼルスでの初めての仕事が表紙に採用されました。書店に並ぶ雑誌を見て、この仕事を続けていきたいと思ったのを今でも覚えています。ロサンゼルスには日本から有能なカメラマンが大勢撮影に訪れます。現地で彼らのアシスタントをする機会も多く、人と環境に恵まれていましたね。

ビルボードに自分の作品が掲載された時も同様です。日本から写真界の巨匠ケイ・オガタさんをお招きし、女優のキャメロン・ディアスさんを起用したソフトバンクの広告撮影でした。3日間に及ぶ大規模な撮影の中、3日目に多忙なスケジュールで動いていたケイさんは次の海外の現場へ、僕はその撮影でスナップ写真を任されました。1、2日目でケイさんが担当していたメインスチールの撮影は終了しており、僕はCM撮影隊の邪魔にならないよう、そしてスチールチームの役に立てるように、大きな脚立を持参し必死にシャッターを切っていました。

後日プロダクションから連絡があり、思いもよらない事を告げられたんです。「撮った写真がビルボード広告に起用されるかもしれない」と。耳を疑いました。その時は、嬉しいという気持ちの前に、直ぐにケイさんに事実確認をしなくてはという、焦りの気持ちが先立ちました。しかし僕の心配をよそに、ケイさんは「嬉しいねぇ〜、君が撮った写真が素晴らしかったからだね」と、おっしゃられたんです。

その言葉を聞いた瞬間、僕はこんなに寛大な方とお仕事をご一緒させていただけていたのか!と鳥肌が立ちました。このとき、心の底からケイさんみたいなカメラマンになりたい!と思い、今でも唯一の師匠と尊敬しています。こうしてビルボードデビューを果たし、カメラマンとしてのキャリアのターニングポイントになりました。

水嶋:素晴らしい人格者ですね。エピソードから、俵山さんが出会ってきた人々の、俵山さんを信じる気持ちの強さを感じます。この連載でロサンゼルスで活躍する日本人の方々にインタビューしていますが、みなさん共通して人とのつながりが大きな影響を与えています。

俵山:振り返ると妻との出会いがあった34歳も大きなターニングポイントでしたし、僕が掲載写真のディレクションを務める「クラッチ・マガジン(CLUTCH magazine)」創刊時は、メンズ読者に向けてクラフツマンシップが伝わる色気や味のある写真を掲載し、”クラッチっぽさ”という形容詞が生まれ、フォトグラファーとしての自信もつきました。サンタモニカにスタジオ・オフィスを構えたのもこの頃です。

水嶋:ロサンゼルスでは、現在どのような仕事をされていますか?

俵山:主に広告の撮影を担当しています。先に述べた作品たちが、強く思い出に残っていますが、最近ではドジャースの大谷翔平選手の撮影を担当しました。彼とは度々撮影をご一緒していますが、集中力や洞察力、そして反射能力は素晴らしいです。

アスリートである彼は、常に撮影の場に身を置いているわけではなく、分からないこともあるかと思いますが、現場での集中力が長けていて、求められているものを瞬時に察知します。撮影現場では柔らかな物腰でありながら、周囲が全部見えているのだろうと思わせる動きをされます。

アスリートを撮影することも多いですが、彼らは自身のパフォーマンスの“フィールド”を大事にしていて、そこが現場でご一緒して楽しいと感じる部分です。撮影現場は僕にとっての公式試合のような、フィールド。そこで彼らとセッションするのは、最高に楽しいです。

水嶋:ロサンゼルスで活躍するハードルは高いと思いますか?

俵山:ロサンゼルスに限らず、いつでもどこでも、ハードルが高いと感じるタイプです。日本を離れて、異国の地で活躍するには、英語力やクリエイティブ力が備わってやっと現地のクリエイターと肩を並べることができる。そのプレッシャーは常に感じてきました。だから頑張ろうという気持ちにもなれます。外国人としてハンデはあると思いますが、それも自分のキャラクターだと捉えています。

水嶋:ロサンゼルスでは、どのようなライフスタイルを送っていますか?

俵山:コロナが明けてからロサンゼルス中心部から離れ、パームスプリングスという場所に家族で移住し、ゆったりとした時の流れを楽しんでいます。撮影でロサンゼルス中心部へはもちろん、州外、日本、さまざまな場所を訪れています。パンデミックの中、ロサンゼルスの中心地に住む必要性に変化がありました。移住に関しても、「やってみたい」をすぐに実行しましたね。ここはほどよい規模の街なので、僕が16歳で留学したときに見た人と人のつながりや助け合い、そんな古き良きロサンゼルスのコミュニティのあるべき姿を、ここパームスプリングスで感じることが出来ています。

TEXT:ERI BEVERLY

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「ショパール」の“アルパイン イーグル”の新ビジュアルが登場 ラグビー選手の稲垣啓太が語るメイキングから私生活まで

スイス発ウオッチ&ジュエリーメゾンの「ショパール(CHOPARD)」のウオッチ"アルパイン イーグル"の新ビジュアルが登場する。同ビジュアルには、アンバサダーを務めるラグビー選手の稲垣啓太が“アルパイン イーグル”や“アイスキューブ”のジュエリーを着用して登場。荘厳なアルプスの山々や自然をバックに威厳あるたたずまいをアピールしている。同ブランドは、ビジュアルの公開を記念し、稲垣のインタビューを公開。彼は、撮影の感想から今後の目標、私生活までを語った。

撮影について稲垣は、「アルプスは過酷な場所。自分も過酷な環境の中で強さを発揮できるように練習、努力、鍛錬を行っている。それを撮影で表現したいと思った」と語る。表現の一つとして手の血管の出方までこだわり試行錯誤して撮影に臨んだという。着用した“アルパイン イーグル 41 XP フローズン サミット”は世界に8本しかない貴重なモデル。稲垣は、「重量感、輝きが素晴らしく、身が引き締まる思いだった。この時計の輝きのように、アスリートとして光り続けたい」とコメント。

“笑わない男”として知られる稲垣に、自身の強みを聞くと、「メンタリティー」という答えが返ってきた。「メンタルの準備をした人間のみが実力を発揮できる。常に自分を極限状態まで追い込む必要があると思う。それが自分の強みだ」と話す。“アルパイン イーグル XL クロノ”については、「チタン製なので軽く、さまざまなアクティビティーにふさわしい。スポーツ・ラグジュアリーを象徴する時計だ」。稲垣はジェンダーレスなジュエリー“アイスキューブ”も着用している。「角ばったものが好き」という彼は、連結したキューブとダイヤモンドの輝きのコントラストに感動したようだ。

妻の稲垣貴子と仲睦まじい様子が話題になっている稲垣。“おそろい”という言葉にウキウキするという彼は、妻とおそろいのスマホケースや化粧水を使用しているそうだ。一緒に仕事をする際は、モデルとして活躍する妻からのアドバイスもあるという。「プロではない私に意見を求めてくれる妻は、器が大きいと感じる」。ケガにより、復帰のリハビリ中の稲垣だが、ケガをプラスに捉えている。実戦に戻る一歩手前という彼が目標にしているのは、「フィールドに戻ったとき、圧倒的なパフォーマンスで自分の存在を世界に知らしめることだ」。その意味も込めて稲垣は、「復活の秋」という言葉で自身の気持ちを表現した。

問い合わせ先
ショパール ジャパン プレス
03-5524-8922

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「フランス レストラン ウィーク 2024」シェフの確かな腕による洗練された味が人気のオールデーダイニング 「メゾン マルノウチ」のラウル・サヴィ・シェフ

「ダイナースクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナースクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・丸の内「メゾン マルノウチ(MAISON MARUNOUCHI)」のラウル・サヴィ・シェフと特別コースについて紹介する。

素材の旨味が響き合うスペシャリテと絶品ミルフィーユ

フォーシーズンズホテル丸の内の「メゾン マルノウチ」は、同ホテル内のミシュラン二つ星「SEZANNE(セザン)」を率いる総料理長ダニエル・カルバートが監修するオールデー・フレンチビストロだ。朝食からディナーまで楽しめる同店舗は、東京駅を見渡せる開放的な空間が特徴。アフタヌーンティーが人気で、多彩なメニューをそろえている。今回初参加のイベントでは、ランチコース(5000円、1万円)とディナーコース(1万円)を用意した。

イベントのフォーカスシェフに選ばれたサヴィ・シェフのスペシャリテは、パテ アンクルート。シカとポークのソーセージとブーダンノワール(ブラッドソーセージ)とフォワグラをパイで包んでいる。この伝統料理は、どちらかというと素朴な料理だが、見た目が美しく、組み合わされた素材の旨味が響き合うおいしさ。エクスプレスランチ(5000円)のメインのヒヨコ豆のスパイスタジンは、トマトの旨味が凝縮されたソースとさまざまなハープをミックスしたクスクスが融合した複雑で繊細な味わいだ。肉を使用していないので、ベジタリアンにも人気だという。期間限定で提供している秋の味覚を堪能できるデザートの抹茶と栗のミルフィーユは、サクサクのパイ生地と軽くなめらかなクリームが織りなす上品な甘さが楽しめる。

旬の素材の魅力を最大限に引き出すフレンチ

サヴィ・シェフは、エストニア出身。幼少の頃から料理に興味があったが、職業に選ぶとは思っていなかったという。ところが、大学時代に世界を旅していたときに、イギリスの湖水地方にある高級ホテル「リンスウェイト ハウス(LINTHWAITE HOUSE)」の厨房で働きはじめ、シェフの道を目指すようになったという。サヴィ・シェフは、「偶然の出来事だったが、厨房の雰囲気や仕事に対するメンタリティーが気に入った。シェフの仕事は、人生を通して学び続けることだと感じた」と話す。イギリスの著名シェフであるマルコ・ピエール・ホワイトの下で修行を積んだ後、約2年前に来日。「メゾン マルノウチ」のシェフとしてサステイナブルな食材や調理にこだわった料理を提供している。

同店のコンセプトは、“リラックス・ダイニング”。2つ星店の「セザン」の洗練された雰囲気を持ちながらも、さまざまなシチュエーションで楽しめる。サヴィ・シェフのこだわりは、その土地の旬の素材を使用すること。生産者から直接仕入れるので、他国から空輸するよりも、ずっと環境に優しい。「味、品質において旬の素材に優るものはない。旬の素材の味を最大限にいかすのが、シェフの腕の見せ所だ」。「フレンチ レストラン ウィーク 2024」については、「フレンチを楽しむいい機会。いろいろ試して楽しんでほしい」と言う。彼が目指すのは、カルバート総料理長だ。「シェフとして大成功しているけど、とても謙虚で、素晴らしいボス。日々、料理のレベルを上げる努力をしているし、われわれの提案にも耳を傾け、指導してくれる。一緒に働けて本当にラッキーだ」。

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「フランス レストラン ウィーク 2024」シェフの確かな腕による洗練された味が人気のオールデーダイニング 「メゾン マルノウチ」のラウル・サヴィ・シェフ

「ダイナースクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナースクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・丸の内「メゾン マルノウチ(MAISON MARUNOUCHI)」のラウル・サヴィ・シェフと特別コースについて紹介する。

素材の旨味が響き合うスペシャリテと絶品ミルフィーユ

フォーシーズンズホテル丸の内の「メゾン マルノウチ」は、同ホテル内のミシュラン二つ星「SEZANNE(セザン)」を率いる総料理長ダニエル・カルバートが監修するオールデー・フレンチビストロだ。朝食からディナーまで楽しめる同店舗は、東京駅を見渡せる開放的な空間が特徴。アフタヌーンティーが人気で、多彩なメニューをそろえている。今回初参加のイベントでは、ランチコース(5000円、1万円)とディナーコース(1万円)を用意した。

イベントのフォーカスシェフに選ばれたサヴィ・シェフのスペシャリテは、パテ アンクルート。シカとポークのソーセージとブーダンノワール(ブラッドソーセージ)とフォワグラをパイで包んでいる。この伝統料理は、どちらかというと素朴な料理だが、見た目が美しく、組み合わされた素材の旨味が響き合うおいしさ。エクスプレスランチ(5000円)のメインのヒヨコ豆のスパイスタジンは、トマトの旨味が凝縮されたソースとさまざまなハープをミックスしたクスクスが融合した複雑で繊細な味わいだ。肉を使用していないので、ベジタリアンにも人気だという。期間限定で提供している秋の味覚を堪能できるデザートの抹茶と栗のミルフィーユは、サクサクのパイ生地と軽くなめらかなクリームが織りなす上品な甘さが楽しめる。

旬の素材の魅力を最大限に引き出すフレンチ

サヴィ・シェフは、エストニア出身。幼少の頃から料理に興味があったが、職業に選ぶとは思っていなかったという。ところが、大学時代に世界を旅していたときに、イギリスの湖水地方にある高級ホテル「リンスウェイト ハウス(LINTHWAITE HOUSE)」の厨房で働きはじめ、シェフの道を目指すようになったという。サヴィ・シェフは、「偶然の出来事だったが、厨房の雰囲気や仕事に対するメンタリティーが気に入った。シェフの仕事は、人生を通して学び続けることだと感じた」と話す。イギリスの著名シェフであるマルコ・ピエール・ホワイトの下で修行を積んだ後、約2年前に来日。「メゾン マルノウチ」のシェフとしてサステイナブルな食材や調理にこだわった料理を提供している。

同店のコンセプトは、“リラックス・ダイニング”。2つ星店の「セザン」の洗練された雰囲気を持ちながらも、さまざまなシチュエーションで楽しめる。サヴィ・シェフのこだわりは、その土地の旬の素材を使用すること。生産者から直接仕入れるので、他国から空輸するよりも、ずっと環境に優しい。「味、品質において旬の素材に優るものはない。旬の素材の味を最大限にいかすのが、シェフの腕の見せ所だ」。「フレンチ レストラン ウィーク 2024」については、「フレンチを楽しむいい機会。いろいろ試して楽しんでほしい」と言う。彼が目指すのは、カルバート総料理長だ。「シェフとして大成功しているけど、とても謙虚で、素晴らしいボス。日々、料理のレベルを上げる努力をしているし、われわれの提案にも耳を傾け、指導してくれる。一緒に働けて本当にラッキーだ」。

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「フランス レストラン ウィーク 2024」気軽に楽しめる“本物の味”を二子玉川で提供 「ナチュラム」の杉浦和也シェフ 

「ダイナーズクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナーズクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・二子玉川の人気店「ナチュラム(NATURAM)」の杉浦和哉シェフと特別コースについて紹介する。

秋を感じる食材をエレガントに仕上げたコース

二子玉川の駅に程近い「ナチュラム」は、テラスがあるカフェレストランのようなたたずまいだ。カウンターがある広々とした店内は、木の温かみが印象的な居心地の良い空間になっている。

夏から秋へ移行する季節を食材で表現したという特別ランチコース(2500円)。青トロナスとカツオのクレソンソース添えの前菜は、サラダ仕立ての紅ダイコンをのせた色鮮やかな一皿。ナスのトロトロした食感に、香ばしいカツオの旨味とサラダの甘酸っぱさが融合し、マリネされた各食材の味わいとソースが引き立て合う。メインの肉料理は、秋を感じさせる色合いの古白ドリのロースト。辛味のあるジンジャーソースを合わせることで肉料理なのにさっぱりとした仕上がりだ。一方で、バターナッツカボチャのピューレが濃厚な味わいがプラスされている。肉に添えられたジャガイモのドフィノワは絶品。ミルフィーユ状にしたジャガイモグラタンが、これほど美味しくなるとは驚きだ。マッシュルームを添えるなど、シェフの丁寧な仕事がうかがえる。デザートは、グレープフルーツとシャーベットを添えたムース。河内晩柑という和製グレープフルーツの爽やかな酸味が特徴で、レモンバームのシャーベットを添えることで複雑かつ驚きのある味わいだ。どれも彩りが美しく、季節感あふれるエレガントな料理に仕上がっている。ランチに訪れる二子玉川マダムも多いというのも納得だ。

“みんなの街のためのレストラン”を目指して

 

子どもの頃からキッチンで母親の料理を手伝うのが好きだったという杉浦シェフ。高校へ進学したものの、勉強にはあまり関心がなく、進路も決まらなかった。担任の先生からは、「魚市場か、パチンコ屋の店員だな」と言われていたという。彼は、「シェフになりたい」と地元の洋食屋へ就職して厨房で働く。店の料理長からフランスでの修行話を聞き、20歳で渡仏。杉浦シェフは「フランス語も話せず、ビザもなく無謀だった」と話す。パリのレストランへ飛び込みで「働きたい」と行っても相手にされず、資金が尽きた頃に日本人シェフに出会いブルターニュ地方の店を紹介された。そこで住み込みで働き、南仏のマントンのレストランで修行して帰国。その後、都内やパリのレストランでシェフとして活躍後、18年に「ナチュラム」をオープンした。

同店のコンセプトは、気軽に入れるフレンチだ。杉浦シェフは、「フレンチというと敷居が高いイメージがある。カジュアルだけど味は本格的な店にしたかった。いろいろな人にフレンチを楽しんでほしい」と話す。また、使用する素材や器は“メード・イン・ジャパン”にこだわっている。日本の四季や日本人の感性をフランス料理で表現しているという。杉浦シェフが目指すのは、“街のためのレストラン”だ。彼が参考にするのは、フランス・オーベルニュ地方のサンボネ・ル・フロワ村に店を構えるミシュラン3つ星シェフのレジス・マルコンだ。マルコンのレストランが村に雇用を生み、村を美食で有名にした。「その土地に必要とされる“あたたかい料理”を提供するレストランにしたい」と杉浦シェフ。「ナチュラム」では、ウエディングなども手掛けており、毎年記念日に同店を訪れるカップルも多いという。若い人からお年寄りまで幅広い層に愛される地元のフレンチとして歩んでいくようだ。

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「フランス レストラン ウィーク 2024」気軽に楽しめる“本物の味”を二子玉川で提供 「ナチュラム」の杉浦和也シェフ 

「ダイナーズクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナーズクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・二子玉川の人気店「ナチュラム(NATURAM)」の杉浦和哉シェフと特別コースについて紹介する。

秋を感じる食材をエレガントに仕上げたコース

二子玉川の駅に程近い「ナチュラム」は、テラスがあるカフェレストランのようなたたずまいだ。カウンターがある広々とした店内は、木の温かみが印象的な居心地の良い空間になっている。

夏から秋へ移行する季節を食材で表現したという特別ランチコース(2500円)。青トロナスとカツオのクレソンソース添えの前菜は、サラダ仕立ての紅ダイコンをのせた色鮮やかな一皿。ナスのトロトロした食感に、香ばしいカツオの旨味とサラダの甘酸っぱさが融合し、マリネされた各食材の味わいとソースが引き立て合う。メインの肉料理は、秋を感じさせる色合いの古白ドリのロースト。辛味のあるジンジャーソースを合わせることで肉料理なのにさっぱりとした仕上がりだ。一方で、バターナッツカボチャのピューレが濃厚な味わいがプラスされている。肉に添えられたジャガイモのドフィノワは絶品。ミルフィーユ状にしたジャガイモグラタンが、これほど美味しくなるとは驚きだ。マッシュルームを添えるなど、シェフの丁寧な仕事がうかがえる。デザートは、グレープフルーツとシャーベットを添えたムース。河内晩柑という和製グレープフルーツの爽やかな酸味が特徴で、レモンバームのシャーベットを添えることで複雑かつ驚きのある味わいだ。どれも彩りが美しく、季節感あふれるエレガントな料理に仕上がっている。ランチに訪れる二子玉川マダムも多いというのも納得だ。

“みんなの街のためのレストラン”を目指して

 

子どもの頃からキッチンで母親の料理を手伝うのが好きだったという杉浦シェフ。高校へ進学したものの、勉強にはあまり関心がなく、進路も決まらなかった。担任の先生からは、「魚市場か、パチンコ屋の店員だな」と言われていたという。彼は、「シェフになりたい」と地元の洋食屋へ就職して厨房で働く。店の料理長からフランスでの修行話を聞き、20歳で渡仏。杉浦シェフは「フランス語も話せず、ビザもなく無謀だった」と話す。パリのレストランへ飛び込みで「働きたい」と行っても相手にされず、資金が尽きた頃に日本人シェフに出会いブルターニュ地方の店を紹介された。そこで住み込みで働き、南仏のマントンのレストランで修行して帰国。その後、都内やパリのレストランでシェフとして活躍後、18年に「ナチュラム」をオープンした。

同店のコンセプトは、気軽に入れるフレンチだ。杉浦シェフは、「フレンチというと敷居が高いイメージがある。カジュアルだけど味は本格的な店にしたかった。いろいろな人にフレンチを楽しんでほしい」と話す。また、使用する素材や器は“メード・イン・ジャパン”にこだわっている。日本の四季や日本人の感性をフランス料理で表現しているという。杉浦シェフが目指すのは、“街のためのレストラン”だ。彼が参考にするのは、フランス・オーベルニュ地方のサンボネ・ル・フロワ村に店を構えるミシュラン3つ星シェフのレジス・マルコンだ。マルコンのレストランが村に雇用を生み、村を美食で有名にした。「その土地に必要とされる“あたたかい料理”を提供するレストランにしたい」と杉浦シェフ。「ナチュラム」では、ウエディングなども手掛けており、毎年記念日に同店を訪れるカップルも多いという。若い人からお年寄りまで幅広い層に愛される地元のフレンチとして歩んでいくようだ。

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もう「アメリ」はダメかもしれないと思ったーー 走り続けた10年、黒石奈央子の葛藤と“託す”決意

ビーストーン(東京、黒石奈央子社長)の「アメリ(AMERI)」は、間違いなく近年のウィメンズリアルクローズ市場をけん引してきたブランドの一つだ。自ら会社を立ち上げ、「アメリ」のビジネスからクリエイティブまで陣頭指揮を執る黒石社長の存在は、男性社会のアパレル業界で起業を目指す女性たちを勇気づけてきた。この10月でブランド10周年を迎えるにあたり、黒石社長にこれまでと今後を聞いた。

WWD:10年の節目を迎えた今、起業当時を振り返ると。

黒石奈央子ビーストーン社長(以下、黒石):ビーストーンを立ち上げた2014年ごろは、カリスマ的人気の販売員など、影響力を持つ個人によるブランドの立ち上げが盛んになっていた時期。私が起業する以前に所属していたのも、そういったブランドプロデュース術に長けたウィメンズアパレル会社だった。その中で成功例も失敗例もたくさん見てきたから、一個人としてブランドをやるというビジョンは自然に芽生えた。

ただ、そういった企業であっても、内実は事業部長など「お金」を握るのは男性で、女性はデザインやPRをするといった役割分担が明確にあったのも事実だった。私がビーストーンを立ち上げた時は本当に1人だったし、数字から逃げることはできなかったから、すべて自分でやるしかなかった。この経験は私にとって困難でもあったし、財産にもなった。

WWD:近年は個人がプロデュースするD2Cブランドも増えた。黒石さんに影響を受けた女性経営者は多いはずだ。

黒石:ただルックスがかわいい子が着ているというだけで、服が売れる時代ではないと思う。当たり前のように聞こえるかも知れないが、やはり服自体に魅了がなければいずれ立ち行かなくなる。確固としたスタイルがあって、それをデザインに落とし込めているブランドは生き残ることができる。

ウィメンズアパレルブランドを経営する上で感じるのは、特に商品のプライシングの部分は、手にとって着る女性だからこそ適切な値付けができるということ。「この服だったら、このくらいまで(お金を)出すよね」という肌感はやっぱり大事だし、そういった「リアル感」と「憧れ」のバランスのよさはアメリの強みになっていると思う。

WWD:「アメリ」といえばワンピースのイメージがある。

黒石:日本のウィメンズマーケットはフェミニンを好む層が厚く、「アメリ」でもそういったアイテムが必然的に売れるから、お客さまの間ではそういったイメージが強いのかも。ただ私としては特定の商品ジャンルには偏らないように、「売れるかどうか」よりも「欲しいかどうか」を大事に服を作っている。作り手である自分自身が年齢を重ねるにつれ、作る服のシルエットやバランスがだんだん変わってきた部分もある。そういった無意識な変化はあるにせよ、“ノールール・フォー・ファッション”というブランドのコンセプトがブレたことは一度もない。ツーウエイ、スリーウエイ、メニーウエイで使える着回しのしやすさと、お客さまの個性に合わせて自由に表現できる懐の広さ。それがお客さまに伝わり、受け入れられてきたから「アメリ」がここまで来れた自負がある。

WWD:25年春夏コレクションについて。

黒石:これまでの物作りとは地続きではあるけれど、従来のシーズンのアーカイブ柄やデザインを取り入れて、今着たい気分の服として復刻した。「アメリ」を有名にさせてくれた“アマンダ柄”という花柄を使ったアイテム、私がブランドで最初に作りたいと思っていた“ディメンショナルドレス”という立体感が特徴のワンピースは、最近「アメリ」を知ったお客さまにもぜひ着てもらいたい。10周年を機にブランドロゴも刷新した。「リブランディング」としてブランドの方向性を変えていくわけではなく、今までのブランドのスピリットを引継ぎながら、さらに進化させていく決意を込めた。

WWD:マンネリや限界を感じることはない?

黒石:会社が大きくなる中で新しいメンバーもジョインしてくれているし、そういう子たちから新しいヒントやアイデアを絶えず浴び続けられる毎日は、刺激的なことばかり。ただ、壁に突き当たったと感じたのがちょうど去年。それまではブランドの業績がずっと右肩上がりで伸びていて、「どこまで伸ばせるんだろう?」というワクワク感があったし、それがブランドを続ける上での原動力にもなっていた。ただその成長率が緩くなってきて、私の中でも「(ブランドの)トレンドが終わってしまうのか」「もうダメかもしれない」と気持ちがマイナスに傾いていった。ちょうどインスタグラムのアルゴリズムが変わって、お客さまのリアクションが見えづらくなった時期でもあった。「私がブランドをやっていていいのだろうか」とまで考え詰めた時期もあった。

一方で、昨年は私自身のライフステージの転機でもあった。妊娠(〜現在)をきっかけに、会社における立場や後進の育成について改めて考えた。私の育休中にも、ブランドが走り続けられるにはどうしたらいいだろう。立ち止まって出した答えは、現在の「アメリ」のトップデザイナーをディレクターに据え、ブランドに関わる意思決定や責任をすべて託すこと。それでうまく回っていけば、私が現場に戻ったときも、全部「元に戻す」ことはしなくていいと思っている。私が社長業に専念することで会社がうまく回っていくなら、それがベストな選択だから。それに私のキャリアをモデルケースにしたいと思ってくれている子はたくさんいるし、ビーストーンの将来を考えた時に、彼女たちの背中を押すことはいずれ会社の財産になる。私自身、後進の育成や人のプロデュースに力を入れていきたいという考えはずっとあった。

WWD:9月には青山商事との協業ブランド「シス(CIS.)」を発売。ビジネススーツ量販店とのコラボは意外だった。

黒石:私もお声掛け頂いたときは少し迷いがあったが、自分の中で「ザ・スーツ」と呼べるものをデザインしたことがなかったし、実際にやってみると「どうしたら今の女性にスーツを着たいと思ってもらえるだろう?」と考えることは貴重な学びになった。こういった外からの学びやヒントをブランドの前進、発展につなげていくことも、これからの私の役割になるだろう。

WWD:次の15年、20年を考えると。

黒石:今は、この“成熟期”にあるブランドの現在地をマイナスに捉えてはいない。これまで「アメリ」をずっと好きでいてくださったお客さまを裏切らず、いかに進化させていけるかを考えたい。会社が大きくなり、成熟するにつれて、私の力だけでは手に負えなくなってきている部分もある。経営に関しては本当に自己流でやってきたから、さらなるステップアップには外部の助けや視点が必要になるだろう。現段階でのイメージとしては、他社との資本提携のような大枠のスキームではなく、あくまで“人”ベース。アドバイザーや社外取締役など、実際に私が頼りになると感じた人材を経営の中枢に招き入れる。

近い将来、まず目指すは売上高100億円。そしてずっと思い描いてきたニューヨークへの出店という夢も、「アメリ」を立ち上げた時からずっと変わってはいない。

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もう「アメリ」はダメかもしれないと思ったーー 走り続けた10年、黒石奈央子の葛藤と“託す”決意

ビーストーン(東京、黒石奈央子社長)の「アメリ(AMERI)」は、間違いなく近年のウィメンズリアルクローズ市場をけん引してきたブランドの一つだ。自ら会社を立ち上げ、「アメリ」のビジネスからクリエイティブまで陣頭指揮を執る黒石社長の存在は、男性社会のアパレル業界で起業を目指す女性たちを勇気づけてきた。この10月でブランド10周年を迎えるにあたり、黒石社長にこれまでと今後を聞いた。

WWD:10年の節目を迎えた今、起業当時を振り返ると。

黒石奈央子ビーストーン社長(以下、黒石):ビーストーンを立ち上げた2014年ごろは、カリスマ的人気の販売員など、影響力を持つ個人によるブランドの立ち上げが盛んになっていた時期。私が起業する以前に所属していたのも、そういったブランドプロデュース術に長けたウィメンズアパレル会社だった。その中で成功例も失敗例もたくさん見てきたから、一個人としてブランドをやるというビジョンは自然に芽生えた。

ただ、そういった企業であっても、内実は事業部長など「お金」を握るのは男性で、女性はデザインやPRをするといった役割分担が明確にあったのも事実だった。私がビーストーンを立ち上げた時は本当に1人だったし、数字から逃げることはできなかったから、すべて自分でやるしかなかった。この経験は私にとって困難でもあったし、財産にもなった。

WWD:近年は個人がプロデュースするD2Cブランドも増えた。黒石さんに影響を受けた女性経営者は多いはずだ。

黒石:ただルックスがかわいい子が着ているというだけで、服が売れる時代ではないと思う。当たり前のように聞こえるかも知れないが、やはり服自体に魅了がなければいずれ立ち行かなくなる。確固としたスタイルがあって、それをデザインに落とし込めているブランドは生き残ることができる。

ウィメンズアパレルブランドを経営する上で感じるのは、特に商品のプライシングの部分は、手にとって着る女性だからこそ適切な値付けができるということ。「この服だったら、このくらいまで(お金を)出すよね」という肌感はやっぱり大事だし、そういった「リアル感」と「憧れ」のバランスのよさはアメリの強みになっていると思う。

WWD:「アメリ」といえばワンピースのイメージがある。

黒石:日本のウィメンズマーケットはフェミニンを好む層が厚く、「アメリ」でもそういったアイテムが必然的に売れるから、お客さまの間ではそういったイメージが強いのかも。ただ私としては特定の商品ジャンルには偏らないように、「売れるかどうか」よりも「欲しいかどうか」を大事に服を作っている。作り手である自分自身が年齢を重ねるにつれ、作る服のシルエットやバランスがだんだん変わってきた部分もある。そういった無意識な変化はあるにせよ、“ノールール・フォー・ファッション”というブランドのコンセプトがブレたことは一度もない。ツーウエイ、スリーウエイ、メニーウエイで使える着回しのしやすさと、お客さまの個性に合わせて自由に表現できる懐の広さ。それがお客さまに伝わり、受け入れられてきたから「アメリ」がここまで来れた自負がある。

WWD:25年春夏コレクションについて。

黒石:これまでの物作りとは地続きではあるけれど、従来のシーズンのアーカイブ柄やデザインを取り入れて、今着たい気分の服として復刻した。「アメリ」を有名にさせてくれた“アマンダ柄”という花柄を使ったアイテム、私がブランドで最初に作りたいと思っていた“ディメンショナルドレス”という立体感が特徴のワンピースは、最近「アメリ」を知ったお客さまにもぜひ着てもらいたい。10周年を機にブランドロゴも刷新した。「リブランディング」としてブランドの方向性を変えていくわけではなく、今までのブランドのスピリットを引継ぎながら、さらに進化させていく決意を込めた。

WWD:マンネリや限界を感じることはない?

黒石:会社が大きくなる中で新しいメンバーもジョインしてくれているし、そういう子たちから新しいヒントやアイデアを絶えず浴び続けられる毎日は、刺激的なことばかり。ただ、壁に突き当たったと感じたのがちょうど去年。それまではブランドの業績がずっと右肩上がりで伸びていて、「どこまで伸ばせるんだろう?」というワクワク感があったし、それがブランドを続ける上での原動力にもなっていた。ただその成長率が緩くなってきて、私の中でも「(ブランドの)トレンドが終わってしまうのか」「もうダメかもしれない」と気持ちがマイナスに傾いていった。ちょうどインスタグラムのアルゴリズムが変わって、お客さまのリアクションが見えづらくなった時期でもあった。「私がブランドをやっていていいのだろうか」とまで考え詰めた時期もあった。

一方で、昨年は私自身のライフステージの転機でもあった。妊娠(〜現在)をきっかけに、会社における立場や後進の育成について改めて考えた。私の育休中にも、ブランドが走り続けられるにはどうしたらいいだろう。立ち止まって出した答えは、現在の「アメリ」のトップデザイナーをディレクターに据え、ブランドに関わる意思決定や責任をすべて託すこと。それでうまく回っていけば、私が現場に戻ったときも、全部「元に戻す」ことはしなくていいと思っている。私が社長業に専念することで会社がうまく回っていくなら、それがベストな選択だから。それに私のキャリアをモデルケースにしたいと思ってくれている子はたくさんいるし、ビーストーンの将来を考えた時に、彼女たちの背中を押すことはいずれ会社の財産になる。私自身、後進の育成や人のプロデュースに力を入れていきたいという考えはずっとあった。

WWD:9月には青山商事との協業ブランド「シス(CIS.)」を発売。ビジネススーツ量販店とのコラボは意外だった。

黒石:私もお声掛け頂いたときは少し迷いがあったが、自分の中で「ザ・スーツ」と呼べるものをデザインしたことがなかったし、実際にやってみると「どうしたら今の女性にスーツを着たいと思ってもらえるだろう?」と考えることは貴重な学びになった。こういった外からの学びやヒントをブランドの前進、発展につなげていくことも、これからの私の役割になるだろう。

WWD:次の15年、20年を考えると。

黒石:今は、この“成熟期”にあるブランドの現在地をマイナスに捉えてはいない。これまで「アメリ」をずっと好きでいてくださったお客さまを裏切らず、いかに進化させていけるかを考えたい。会社が大きくなり、成熟するにつれて、私の力だけでは手に負えなくなってきている部分もある。経営に関しては本当に自己流でやってきたから、さらなるステップアップには外部の助けや視点が必要になるだろう。現段階でのイメージとしては、他社との資本提携のような大枠のスキームではなく、あくまで“人”ベース。アドバイザーや社外取締役など、実際に私が頼りになると感じた人材を経営の中枢に招き入れる。

近い将来、まず目指すは売上高100億円。そしてずっと思い描いてきたニューヨークへの出店という夢も、「アメリ」を立ち上げた時からずっと変わってはいない。

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映像作家・空音央が初の長編劇映画「HAPPYEND」で見せたこだわりの演出術

PROFILE: 空音央/映像作家

空音央/映像作家
PROFILE: (そら・ねお)1991年アメリカで生まれ、日米で育つ。ニューヨークと東京をベースに映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動している。また個人での活動と並行してアーティストグループZakkubalanの1人として、写真と映画が交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。2020年、志賀直哉の短編小説をベースにした監督短編作品「The Chicken」が映画祭で上映される。Filmmaker Magazineで新進気鋭の映画人が選ばれる「25 New Faces of Independent Film」の1人に選出された。坂本龍一のコンサートドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」(2024)は、世界中の映画祭で上映、絶賛された。「HAPPYEND」が長編劇映画デビュー作となる。

ニューヨークで生まれ育った映像作家、空音央(そら・ねお)。これまで実験的な映像作品で注目を集め、坂本龍一の演奏を記録したドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」は大きな話題を呼んだ。そんな中、初めての長編劇映画「HAPPYEND」が10月4日に公開される。大好きな音楽のことだけ考えていたいユウタ(栗原颯人)。次第に政治的な問題に目覚めていく親友のコウ(日高由起刀)。2人の高校生の友情を軸に、近未来の日本を舞台にした「HAPPYEND」は、空監督がこれまでやりたかったことを全て詰め込んだ作品だという。映像作家としての新たな出発点ともいえる「HAPPYEND」を通じて、空監督の作品に対する向き合い方を探った。

「HAPPYEND」に込めた想い

——「HAPPYEND」は監督にとって初めてのフィクション長編ですね。これまで監督はドキュメンタリーやアート色の強い作品を撮られてきましたが、初のフィクション長編が青春映画というのが意外でした。

空音央(以下、空):この作品は映像作品を撮り始める前、2017年頃から構想を練っていたんです。この作品を撮りたかった理由はいくつかあるのですが、一番大きいのは、自分が大人になりかけていた頃の感情を鮮明に覚えているうちに形にしたいということでした。時間が経つにつれて当時の記憶が薄れてしまうので、緊急性が高かったんです。

——ユウタとコウを中心にしたメインキャラクターの5人に対する監督の眼差しがとても優しくて、監督の個人的な経験が反映されているのでは、と思っていました。

空:そうなんですよ(笑)。自分が高校や大学で経験したことが物語に反映されています。当時の友達との付き合いが今の自分を形成していると思っていて、自分にとって友達はとても大事な存在です。この物語では特に大学の頃に経験したことが反映されていて。友達が政治や社会問題に興味を持ったことで、関係を切られてしまったことがあったんです。逆に僕の方から違う友達との関係を切ったこともありました。だから切る方、切られる方、両方の気持ちがよく分かるんです。

——コウが政治に興味を持ったことで、大好きな音楽のことだけ考えていたいユウタとの友情に亀裂が入っていく、という物語は、監督自身が経験したことだったんですね。物語の舞台を近未来にしたのはどうしてですか?

空:関東大震災で起こった朝鮮人虐殺のことを調べたことがあったんです。なぜ、日本でこんなことが起きたんだろう?と思って。そしたら、調べていた時期に日本で大きなヘイトスピーチのデモがあったんですよ。それを知って、今でも差別が日本の社会に根強く残っていることを知りました。最近、南海トラフ地震が必ずくる、と言われているじゃないですか。そうなると、また朝鮮人虐殺のようなことが起こる可能性は大きいんじゃないかと思って、近未来の日本のことを想像するようになったんです。

——パンデミックのマスク不足や最近の米騒動など、いまだに人々の不安がパニックを生み出していますね。

空:人は目に見えない恐怖にあおられやすいんでしょうね。あと、経済が悪くなると自分の身の回りのことしか考えなくなってしまって、人間の本性——とは言いたくはないですけど、負の部分があぶり出されることになるんじゃないでしょうか。

——映画ではたびたび、地震が起こります。地震は「目に見えない恐怖」のメタファーなのでしょうか。

空:未来に対する不安や恐怖。友情の決裂。社会構造の崩壊。そういったさまざまなことのメタファーであると同時に、実際に起こる自然現象として描いています。地震で被害に遭われた方もいるので、単なるメタファーにはしたくないんですよ。それに僕は日本に来ている時に地震が起こると怖いんです。ニューヨークではほとんど地震が起きないので、震度1のレベルでみんな大騒ぎですから。

キャスティングと演出

——地震は日本人が抱えている潜在的な恐怖とも言えるかもしれませんね。今回、主要キャスト5人のうち4人がスクリーンデビューということもあって新鮮な顔ぶれでした。キャスティングで心掛けたことはありますか?

空:この映画で一番大切なのがキャスティングでした。これまで短編を撮ってきて、「自分の直感は当たるし大事だ」ということが分かったんです。だから、キャスティングは直感を大事にしました。オーディションで参加者が部屋に入って来た時、「多分、この人になるだろうな」と直感したことが、今回の主要キャストに関しては必ずあったんです。それで実際に演技をしてもらうと、みんなうまいし変なクセもついてない。そして、それぞれに話を聞くと、演じてもらった役にすごく近い背景や感性を持っているんです。それには驚きましたね。

——直感はもともと大切にする方ですか?

空:何に対してかにもよりますが、作品に関する決断は直感を大事にするようにしています。というのも以前、「いい感じなんだけど、どこか違和感あるな」と感じた時って、必ずその違和感が後々問題になったんです。

——今回のキャスティングに関しても直感が当たったんですね。役者に対するディレクションは細かくする方ですか?

空:撮影や編集など技術的なことはこれまでやって来たので大体分かるんですけど、演技の演出は経験不足だと思っていたので、いろんな方に相談しました。その1人が濱口竜介さん。濱口さんは「ハッピーアワー」で演技未経験の役者に演出をしているので、本作のことを話してアドバイスをしていただきました。その後も、いろんな方から話を伺った中で注目したのがマイズナー・メソッドという、サンフォード・マイズナー(Sanford Meisner)という演技の先生の演出法です。マイズナー・メソッドで大事なのは、想像上の設定の中でいかに自分らしくいられるか。演技をする時、共演者から投げかけられる感情に対して、感情を作らずに素直な自分を出す練習をするんです。マイズナー・メソッドを演出の指針にして、俳優たちにもそうするように伝えました。

——5人の自然な演技が良かったです。5人が一緒にいる時の親密な空気感も嘘がなくて、そこは本作の要ですね。

空:そうですね。マイズナー・メソッドでは自分自身を出す練習をしてもらうので、撮影に入る前に5人の関係性を築くというのがすごく大事でした。最初、彼らは緊張していたみたいですが、ワークショップをやっていくうちに何年も前からの友達みたいに関係性が深まっていった。ワークショップの後に、こちらが何も言わないのに一緒にご飯を食べにいったりして、すっかり仲良くなったんです。だから、撮影の初日から打ち解けていましたね。選んだ5人の相性が良かったのはラッキーでした。

——撮影に関して伺いたいのですが、「Ryuichi Sakamoto | Opus」でも撮影を担当していたカメラマンのビル・キルスタイン(Bill Kirstein)さんとは長い付き合いですね。本作の撮影にあたって、どんな話をされたのでしょう。

空:ビルとの間で共有していたのは、「映画を観終わったら、しばらく話してない友達に電話したくなるような気持ちになる作品にしよう」ということでした。そういう作品にするために、このシーンをどう見せるか。最初にシーンの核みたいなものを2人で考えて、それをショットに分解していきました。そして、カメラのポジションが大体決まったら、あとはほとんどビルに任せていましたね。そんな風に任せられるのは、彼とセンスやテイストが共有できているからなんです。好きな映画もよく似ているし。

——「Ryuichi Sakamoto | Opus」を観て、抑制されたカメラワークでありながらも感情が伝わってくる映像だと思いました。

空:ビルはとても詩的なことを考える人なんです。「Ryuichi Sakamoto | Opus」ではドリー(移動しながら撮影すること)を多用したんですけど、ビルに「どういう特機部(撮影用の特殊機械を操作するスタッフ)がいいの?」って聞いたら、「音楽を聴いて泣ける人」って言うんです。今回、『HAPPYEND』でお願いした特機部の方は「PERFECT DAYS」にも参加された感情を深く理解される人で、カメラの動きにも画にも感情が乗ったんです。

——では、サントラを手掛けられたリア・オユヤン・ルスリ(Lia Ouyang Rusli)さんには、どんなふうに発注されたんでしょうか?

空:彼は映画音楽のスコアをやりつつ、オユヤン(OHYUNG)というテクノ・アンビエントのソロプロジェクトもやっている人で、本作にはピッタリだと思いました。本作における音楽の使い方には、最初から方針があったんです。ユウタとコウが僕と同い年の33歳になって、自分の高校時代を思い出したらどういう感情になるんだろう?というのを想像して音楽を作ってもらったんです。近未来という設定なのに、どこか過去を思い出しているような。時制が交差しているような物語を、古典的なピアノにシンセを混ぜた音楽で表現してくれました。

——本作は脚本や演出はもとより、撮影や音楽など、隅々まで考え抜いて作られた作品なんですね。

:大学を卒業してからフリーランスで映像の仕事をやっていたんですけど、フリーランスだと、企画、脚本、監督、撮影、編集、サウンドデザインまで全部自分でやらなければいけない。僕は全工程が好きなんですけど、作品を作っていく中で「こういうことを試してみたい」という課題がいくつか出てきて。今回はそれを全部、作品にぶつけました。初めてのフィクション映画であり、ある意味、映画監督としてのデビュー作とも言える本作では、やってみたかったことを全部やってみたかったんです。

「エドワード・ヤン監督は永遠のアイドル」

——「HAPPYEND」を撮るにあたって、リファレンスとして観直した作品はありました?

空:作品を作る時に必ず観直すのは、エドワード・ヤン監督の「牯嶺街少年殺人事件」です。あとはホウ・シャオシェンの「風櫃の少年」とかツァイ・ミンリャンの「青春神話」とか。

——台湾映画が続きますね。

空:台湾映画はすごく好きですね。あとファスビンダーの「マリア・ブラウンの結婚」。ジャック・タチやダグラス・サークの作品なんかも好きです。

——どの作品も素晴らしいですが、毎回、観直す「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」はどういうところに惹かれますか?



空:僕の中では、これ以上ないと思うくらい完璧な映画なんです。歴史のある瞬間を主題の一つとして描いているにもかかわらず、人物たちを中心に据えている。そのバランスが見事で、彼の全ての作品についてそう思うんですよね。だから、僕にとってエドワード・ヤンは永遠のアイドルなんです。

——エドワード・ヤンは緻密に計算してショットを積み重ねている気がしますが、そういうところは空監督にも通じるのでは?



空:確かにそうですね。エドワード・ヤンはもともとコンピューターのエンジニアだったんです。僕はエンジニアじゃないですけど、作り方がすごく構造的なんですよ。あまりバラしたくはないのですが(笑)、緻密に、構造的に作っていく。多分、天才と言われている監督は有機的にすごいものが撮れちゃう人もいると思うんですけど、僕はどうしてもパーツを組み立てるようにして作りたい、というか、作らざるをえない。そういう映画作りの究極の形をエドワード・ヤンが見せてくれている気がします。

——コウに影響を与えるフミとコウの関係とか、映像のタッチとか、「HAPPYEND」は「牯嶺街少年殺人事件」を思わせるところがありますね。

空:そういえば偶然なんですけど、 大学時代に「やっぱり、映画を作りたい!」って思わせてくれた映画の一つがヴェルナー・ヘルツォーク監督の「アギーレ/神の怒り」で。その後、エドワード・ヤンを好きになった時に彼のインタビュー読むと、彼もシアトルで「アギーレ/神の怒り」を観て、「映画ってこういうことができるんだ!」と思って映画作りを始めたそうなんです。それを知った時には親しみがわきましたね。

——「アギーレ/神の怒り」はアマゾンの奥地に向かったスペイン探検隊を描いた壮絶な物語でしたが、いつか「アギーレ/神の怒り」みたいな映画も撮ってみたいと思われます?

空:あれは僕にはちょっと(笑)。狂人にしか撮れない作品ですからね。次はエルンスト・ルビッチみたいなものを撮ってみたいです。ルビッチの「生活の設計」が大好きで。三角関係の話じゃないですか。ある意味、今回の映画も三角関係の話だから、欲望とか嫉妬の描き方を参考にさせてもらったんです。

PHOTOS:MASASHI URA

■「HAPPYEND」
10月4日から新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
出演:栗原颯人、日高由起刀
林裕太、シナ・ペン、ARAZI、祷キララ
中島歩、矢作マサル、PUSHIM、渡辺真起子/佐野史郎
監督・脚本:空音央
撮影:ビル・キルスタイン
美術:安宅紀史
プロデューサー:アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ、アレックス・ロー、アンソニー・チェン
製作・制作:ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile
配給:ビターズ・エンド
日本・アメリカ/2024/カラー/DCP/113分/5.1ch/1.85:1
© 2024 Music Research Club LLC
https://www.bitters.co.jp/HAPPYEND/

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繊維産地に胎動 “世界が評価する技と人を活かして循環型を目指せ” 宮浦晋哉×福田稔

PROFILE: 左:宮浦晋哉 糸編 代表取締役/キュレーター、右:福田稔A.T. カーニー シニアパートナー

PROFILE: 宮浦晋哉(みやうら・しんや) 糸編 代表取締役/キュレーター 1987年千葉県生まれ。大学卒業後にキュレーターとして全国の繊維産地を回り始める。2013年東京・月島でコミュニティスペース「セコリ荘」を開設。2016年名古屋芸術大学特別客員教授。創業から年間200以上の工場を訪れながら、学校や媒体や空間を通じて繊維産地の魅力の発信し、繋げている。2017年に株式会社糸編を設立。主な著書は『Secori Book』(2013年) 『FASHION∞TEXTILE』(2017年) 福田稔(ふくだ・みのる) A.T. カーニー シニアパートナー 1978年東京生まれ。慶應義塾大学卒、IESEビジネススクール経営学修士(MBA)、ノースウェスタン大学ケロッグビジネススクールMBA exchange program修了。電通総研(旧電通国際情報サービス)、ローランド・ベルガーを経てA.T.カーニー入社。消費財・小売プラクティスのコアメンバー。主にアパレル・繊維、ラグジュアリー、化粧品、小売、飲料、ネットサービスなどのライフスタイル領域を中心に、戦略策定、ブランドマネジメント、GX、DXなどのコンサルティングに従事。プライベートエイティやスタートアップへの支援経験も豊富。経済産業省 産業構造審議会 繊維産業小委員会委員、これからのファッションを考える研究会~ファッション未来研究会~副座長など、アパレル・繊維、ライフスタイル産業に関わる多くの政策支援にも従事する。著書に『2030年アパレルの未来 日本企業が半分になる日』『2040年アパレルの未来 「成長なき世界」で創る、循環型・再生型ビジネス』(いずれも東洋経済新報社)など。

最近、日本の繊維産地から新たな何かが始まる胎動が伝わってくる。衣料品の国内生産の規模は年々縮小を続け、高い技術を持つ工場では後継者不足といった課題は深刻だ。一方で、外資ラグジュアリーからの日本の技術の評価は依然高く、投資対象ともなっている。明暗が交差する産地で何が起きているのか?繊維産地の訪問を重ねながら、マッチングや素材製品開発、ものづくりの学校の運営などを行っている宮浦晋哉 糸編代表取締役と、『2040年アパレルの未来 「成長なき世界」で創る、循環型・再生型ビジネス』の著者でもある、福田稔A.T. カーニー シニア パートナーの対談を通じて、その課題と可能性を考える。

コロナ後の繊維産地でリーダーシップを発揮する後継者たち

WWD:最近、日本の繊維産地から胎動のようなものを受け取る。何が起きているのか?

宮浦晋哉 糸編代表取締役(以下、宮浦):産地は“似たようなもの”を作る競合の集合体だから“隣の会社とは実は仲が良くない”が実情だった。しかしそれでは生き残れず、時代が“産地全体でどう協力するか”のフェーズに入ってきている。

WWD:その意味でリーダーシップがある産地や人物の一例は?

宮浦:デニムであれば、広島県福山市の篠原テキスタイルの5代目、篠原由起代表取締役社長の顔が浮かぶ。篠原テキスタイルは、1907年に備後絣から始まった老舗で篠原社長は2022年に就任した。今の産地には、産地全体で“面”を作り認知度を上げて、働く人を獲得するためのリーダーシップが必要で、篠原さんがそれを率先している。行政との混沌とした話し合いを毎週毎晩、根気よく続けて一歩一歩事業化していく牽引力だ。他には名古屋・一宮の尾州産地にある三星グループの5代目である岩田真吾代表、静岡・遠州産地の古橋織物の4代目、古橋佳織理代表取締役などの顔が浮かぶ。

WWD:その動きは最近始まったこと?

宮浦:コロナ後、ビジネスが再び動き始めた頃から顕著になった。勉強会を開いたり、組合や市役所と一般向けのバスツアーを組んだり、産地フェスやオープンファクトリーを企画したり、大学で講義を行ったりといった“誰かがやらねばならないこと”を率先し、結果、それらの産地の知名度が明らかに変わってきている。

WWD:福田さんはコンサルタントとして、今の話をどう解釈する?

福田稔A.T. カーニー シニア パートナー(以下、福田):2つの観点から重要だ。ひとつ目は個別企業で成長し、生き残ることが難しくなっており、経済活動の観点からも産地が“面”となって自らを押し出すことが重要になっている。インバウンドを絡めて地域に潤いをもたらすには横の連携が大切。企業同士、産地同士をつなげる動きはポジティブな要素だ。ふたつ目は産地に限らず日本の社会が、循環型、再生型への移行を目指す中、各企業が単独で動いても実現は難しく、行政と民間、生活者も含めた地域全体が一体化すること、アパレルだけでなく衣食住を含めた横連携が重要になる。

WWD:老舗の「代替わり」はポイントだ。

宮浦:残っていくためには必要なこと。ただし子どもたちが継ぎたくても、親が継がせたくないケースもある。自分たちの時代が良かったからこそ「無理しなくていい」となる。その逆もあり、あちらこちらで家族会議が白熱している。

WWD:事業継承がうまくいっている企業の特徴は?

宮浦:会社の将来の描き方にもよるが、組織をある程度大きくするなら外部から人を効果的に入れたほうがいいだろう。「ファミリーではない社員が大事」という認識がある会社は、先代や現役の会長・社長が、過去10~20年スパンで、若い人材を積極的に入れてきた。すると後継世代も「若い人が活躍している自社は可能性があるのだな」と客観的に判断ができる。

WWD:簡単ではない話。ところで宮浦さんはなぜ産地の仕事に一生懸命なのか。

宮浦:日本の各産地に面白いものがたくさんあるのに、知られていなくてもったいない、という一点だ。今も新しい発見が毎週のようにある。日本の素材の技術には可能性があるからどんどん変わるべきだ。次世代には悩んでいるなら継いでみた方がいいと思う、と伝えている。また、尾州の小塚毛織がカナーレのテキスタイル作りをサポートしているように、属人的な技術を継承するためのM&Aも出てきている。

福田:繊維産地に限らず、中小企業の事業継承の枠組みや基盤作りは日本全体の社会課題であり、メガバンクやコンサルティングファームが事業承継をスムーズにするための仕組みを作り始めている。国からのバックアップがあるタイミングだから外から人材を入れて事業を大きくする動きが加速してほしい。

“終わった”産業がデザインで蘇る

WWD:宮浦さんが産地で日々出会う新しい発見とは?

宮浦:“終わった”と言われる産業が、デザインや見せ方を変えると新しくなることは多い。福岡・久留米絣は「うなぎの寝床」が登場し、絣をモダンに見せたことで売り上げを伸ばした。そういう例が全国にたくさんある。

福田:名古屋で400年以上の歴史がある有松絞りのスズサンもまさにそう。売り上げの8割が海外と聞く。自社が持つ伝統技法やアセットの扱い方を、時代に合わせてアップデートすることで大きく変わる。

WWD:アップデートするとは?

福田:いろいろなアングルがあるが、スズサンの場合は1982年生まれの村瀬弘行代表取締役CEO兼クリエイティブ・ディレクターがリードし、当初から海外市場を意識し、オリジナルブランド「スズサン」では欧米のサイズ感ありきでモダンな服を作りそこに有松絞りを生かしている。京都で1688年に創業した西陣織の細尾は、80センチ幅だった織り幅を150センチとしたことで壁紙などさまざまなテキスタイルのニーズを掘り起こし、伝統技法を進化させ、世界へ一気に広まった。京都の民谷螺鈿京都もしかりだ。

WWD:グローバル市場の視点を最初から入れることが重要になる。

福田:高付加価値で手のかかる製品は当然安くはないので国内市場は限られる。他方、“海外にどう売るか”の視点でマーケティングができた企業は、未来が見えている。グローバルニッチ戦略により事業拡大が可能となるからだ。

宮浦:先ほど紹介した次世代リーダーたちは、次のステージを考えている。デニムは“ジャパンデニム”としてすでに世界に知られているが、そこにとどまらず、たとえば篠原テキスタイルは、クラボウと組んで反毛糸を使ったデニムを作ったり、スパイバーの糸を使ったりしている。

福田:クラボウの裁断片の再生技術「ループラス」は、デニム以外にも今治や奈良の産地から綿の端材を集めて商品化している。大企業がリードしての産地の垣根を超えた連携の良い例だ。

海外から高い評価を得ている日本の職人技

WWD:最近、LVMH メティエ ダールが細尾やクロキと提携するなど、欧州のラグジュアリーから日本の技術が注目されている。宮浦さんは、海外ラグジュアリーとの接点も多いが、日本のクラフツマンシップは海外からどう見られているのか?

宮浦:大学の研究で日本の繊維輸出を調べている。ラグジュアリーブランドへもインタビューするが、多くの人が「コツコツと丁寧な仕事をする繊維産地はもう日本にしかない」という。海外では敬遠されがちな細かい作業や、スピードの遅い織機を使った織物、特殊な加工などが評価されている。

WWD:それをファッションが必要としている?

宮浦:している。手作業に近い機械仕事がクラフツマンシップとして認識され、語られている。蒸し暑い工場で黙々と検反できるなんて、普通のことではない。

WWD:徹底したルーティンも職人技ということだ。

福田:世界のラグジュアリーの今後の重要なテーマが希少性。ラグジュアリー自体がコモディティ化するなかで、従来の豪華絢爛で西洋的なラグジュアリーから脱しつつ、今の価格を維持しながら差別化するには、希少なものをミックスすることが重要。日本の産地や技術はまだまだ知られてない、極めてユニークなものがたくさんあるから、彼らは取り込みやすい技術をどんどん取り入れる姿勢だ。デニムがその典型だろう。

WWD:消費者がブランドに求めるものも変わってきているということ?

福田:本当に価値があるものが求められている。また、ラグジュアリーにとって“伝統の保護”は投資の意義が見出しやすい。

日本の技術の多くが“未発見”である理由

WWD:それだけ商業的価値があるものが、なぜまだ世界から“未発見”なのか?

福田:日本人すら知らない技術、場所がたくさんある。それだけ日本は地域ごとにユニークな伝統技法がある。それは衣食住全てそうで、まだまだ世界に発信されていない。

宮浦:国内のデザイナーも産地を開拓しきれてない。知られてないけど面白いものがたくさんある。海外からは日本の商流は間に商社や問屋が入りすぎて情報がつかみずらいと聞く。「だから自分の目で見るのだ」と来日が盛んで、この夏もあるラグジュアリーブランドの担当者を1週間アテンドした。情報が入ってこないから自分の足で歩き、目で見る。そして「得るものが多かった」と帰ってゆく。結果、シンプルな天竺が何十万メートル決まったなんて話も聞く。

WWD:その流れに乗れない企業や産地の共通課題は?

宮浦:強烈なリーダーがいない産地。逆に、問屋や産元商社が強すぎると現場が前に出づらくオープンファクトリーの開催などが難しそうだ。最大の共通課題は、人手不足。安定した生産基盤がないと、大量注文を受けても乗り切れず、産地自体が持続可能でなくなる。冒頭で伝えたように、強いリーダーシップで産地の方向性を考え、自治体がそれを形にし、求人の動機を作ってゆく必要がある。

WWD:産地と循環や再生を接続するには、誰かがより大きなビジョンを描く必要がある。

福田:川下のアパレルが人に投資をすべきだ。イタリアの「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」はウンブリア州ソロメオ村で職人養成学校を運営し、産地に人を集めている。「シャネル(CHANEL)」や「エルメス(HERMES)」も職人に投資をしている。日本でも大手企業やブランドが産地に投資をして人を集めて育成するような取り組みが起きてほしい。

WWD:イタリアも長らくフランスの生産地だったが、80、90年代以降ファクトリーブランドとして旗上げしブランディングに成功した例が多い。

福田:イタリアの場合、「マックスマーラ (MAX MARA)」や「ヘルノ(HERNO)」のように地方で創業し、ブランドを生み出し、シャワー効果で産地に利益をもたらしている例が多い。日本の場合は、商流が細分化されていることと、アパレルの多くが価格重視で中国など海外生産を行っており成功例がなかなか出てこない。

宮浦:一つでも成功事例があれば、と思うが。実際のところは初期投資の覚悟には至らないケースが多い。

WWD:「ブルネロ クチネリ」は創業者が地域復興の思想を持っていた。そこもまた人。誰に期待する?

福田:産地との連携という観点では、「CFCL」の高橋悠介さんや「ビズビム(VISVIM)」の中村ヒロキさんに期待している。お二人ともアプローチは違えど、グローバルな視点を持ち、日本が持つアセットや独自性を、うまく服作りに活かしていることは共通している。かつサステナビリティを念頭にビジネスを作り込んでいるから強い。

宮浦:生産者初の発信も日本から出てほしい。課題はディレクターがいないこと。糸も編みも織りも染めも技術はあるが人がいない。海外でファッションを学び帰国した人がアパレルブランドではなく、産地に入りその魅力を最大化する、そんな流れを作りたい。

サステナビリティ関連の欧州法規制をインストール

WWD:最近はグローバルビジネスを進めるためには、欧州のサステナビリティ関連法規制を最初から視野に入れる必要がある。循環を実現するには、法規制もインストールしないといけない。

宮浦:日本は中小企業が多くたとえばGOTSなどの認証取得が難しい。

福田:厳しいが、欧州の規制には頑張って対応してゆくしかないのが現実。経済産業省がガイドラインを出していることからわかるように日本の行政も「産業を持続可能とするために守ってください」という考えだ。

WWD:特に染色や撥水加工など化学薬品を扱う工程が関連してくるリーチ規制への対応は急務だが、産地に情報が伝わっていない。法規制はある意味覇権争いだからすべてに誠実に対応することだけが正解じゃないが、言語の壁も大きく微細をキャッチアップするのが難しい。

宮浦:産地には情報が十分に入っておらず混乱している。トップダウンで徹底してほしいと思う。

福田:ここはやはり、商社中心に変革をうながしてほしい。基本体力があるうえ川上と川下をつなげるのも商社だからだ。

ファッション産業で閉じない循環を目指せ

福田:ここまでの話は、産地の現状のビジネス的観点が多かった。いわゆる循環型・再生型との産地の接続については、角度を変えて話したい。

WWD:循環型とは、作って売るだけではない、長く着る、リペア・リセールといった“売らないビジネス”を含めた産業への転換のこと?

福田:ファッションの視点ではそうだが、本当に循環型社会を作ろうとするなら、衣食住全体で考える必要がある。一例だが、服がたい肥になる、逆に他産業から出た素材で服を作るなど循環型社会の中でファッションがどうはまっていくか、という視点だ。アパレル関係者は産業内で考えがちだが、ファッション産業だけで循環型は無理があると思う。循環型社会の先進国である北欧は街全体をいかに循環型にしてゆくか、その一部としてアパレル産業を位置付けるかという考え方で、日本にはまだその発想がない。
 
WWD:循環は日本全体よりも地域、地域といった単位の方が実現しやすいだろう。

福田:循環の点からも日本の産地は、ちょうどいいぐらいのサイズ。「もったいない」に代表されるように、日本の文化はさまざまな物を再生して使い回してきた。産地内の衣食住で循環型のロールモデルの作り海外にアピールしてインバウンドを招いたりといった可能性があると思う。

宮浦:繊維産業の原料はほぼ輸入。一方で、役所の方と話していると、過去に植えすぎた木が環境を破壊し林業が苦しんでいると聞く。林業を原料に国産セルロースを作ってリサイクルしてゆくなどできたら面白い。

福田:フィンランドのスピノバ(SPINNOVA)はまさにそれ、農業の廃棄物からセルロースを精製する技術を持ち、昨年1000トンクラスの工場を立ち上げた。

WWD:夢がある話。地域に点在している課題の解決や、つなぎ役としてファッション産業が力になれることはありそうだ。つなぐためにファッション産業がハブになれる。

福田:スウェーデンには、中古品だけを扱う面白いショッピングモール、リトゥナ(RETUNE)があり、不要品を持ち込むとアップサイクルとしも販売される。

WWD:そういうアイデアを聞くと前出の産地の新しいリーダーたちはピンと来てすぐ動き出しそうだ。

宮浦:間違いない。

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「シビル・ウォー アメリカ最後の日」アレックス・ガーランド監督が語る「撮影の裏側」

「ムーンライト」「ミッドサマー」「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」ほか、設立10年ほどで革新的な映画を次々に送り出し、日本でもファンが急増しているNYの映画会社A24。同社が最大規模の予算を投じて製作した「シビル・ウォー アメリカ最後の日」が、10月4日に劇場公開を迎える。

本作は、アメリカで内戦が勃発し、国内が二分化された「もし」を描いた物語。混乱が日常化した中、4人の戦場カメラマンとジャーナリストは大統領に直撃インタビューをしようとNYから首都ワシントンD.C.にあるホワイトハウスを目指すが――。

AIロボットとの心理戦を描きアカデミー賞に輝いた「エクス・マキナ」や、ワーケーション先での恐怖を強烈な映像表現で魅せた「MEN 同じ顔の男たち」ほか、A24の信頼も厚いアレックス・ガーランド(Alex Garland)監督によるオリジナル作品だ。来日を果たした彼に、舞台裏を聞いた。

映画化に向けて

——ガーランド監督が脚本に着手されたのが2020年と伺っています。本作を拝見した際に「よく映像化できたな」と衝撃を受けましたが、まずは書いてみようという心持ちだったのか、ある程度ゴールが見えた状態で書き始めたのか、どちらでしょう?

アレックス・ガーランド(以下、ガーランド):自分でもよく作れたなと思います。25年ほどこの仕事をしているため、プロセスに関しては今後どう展開していくかは割と読めるようにはなりました。長年組んでいる人々といつも一緒に仕事をしますし、何が可能で何が不可能かは一応把握した上で作っているつもりではあります。「シビル・ウォー」は確かに予算がかかりそうな物語ではあるし、テーマ的にも問題作になるであろうリスクはあったのですが、ある程度予算レベルを押さえておけばA24あたりが手を挙げてくれるだろうと予想しながら書いていきました。もしこれが大手スタジオだったら、絶対にそんなチャンスはなかったと思います。

A24に的を絞りながら、コストをある程度抑えつつもエッジの効いた部分は妥協せずに初稿を書き上げました。そしてA24に声をかけたら、予算も聞かずに即答で「YES」と言ってくれたんです。その後、プリプロダクション(撮影に向けた準備)に入ると予算がどんどんと増えていってしまったのですが、A24は質問も文句もなく「大丈夫」と100%サポートしてくれました。本作のテーマ性を考えると、それは非常に勇気がいることだったと思います。

——本作はロードムービー仕立てになっていて、アメリカ国内の現在の情勢や政治・地理について予備知識がなくてもスッと入り込めます。このアプローチは発明だと感じました。

ガーランド:ありがとうございます。私が意識していたことは「こういうテーマだからさまざまな怒りを買うに違いない、それを防ぎつつ、多くの人々が本質に対峙してくれるためにはどうしたらいいか」でした。そのために、裏口から入ってきてテーマを語るような手法を取っています。それが「ジャーナリストたちのロードムービー」でした。タイトルこそ「内戦」と直球ではありますが、物語の主軸をジャーナリストたちの旅にして、画面の隅っこで「こういうことを描いているのか」という本題を描けば、皆さん諍(いさか)いを起こすことなく観てくれて対話の種になると考えたのです。

——まんまとその狙いにハマってしまいました。ガーランド監督は、「エクス・マキナ」「アナイアレイション -全滅領域-」「MEN 同じ顔の男たち」と、ある種の異空間に新参者が入り込み、困惑するさまを描いてきたのではないかと思いますが、お好きな作劇なのでしょうか。

ガーランド:私が作る作品には、確かにそうした共通項があるかもしれませんね。ただ、英語で「between a rock and a hard place(八方ふさがり)」というように、にっちもさっちもいかない状況にキャラクターを置くのはドラマそのものの性質のようにも思います。極端な状況にキャラクターを放り込んで「さてどういった行動をとるでしょう」と提示し、観客は「自分ならどうするか」と自身を重ねながら物語を追っていく――この基本に則って、繰り返しやっているような気もします。

大変だったガソリンスタンドの撮影

——なるほど。ちなみに、実際に撮影していく中で実現が大変だった部分などはありましたか?

ガーランド:毎日がロジ的(ロジスティックス。一連の手続きや準備)な悩みばかりでした。皆さん監督業に対して、「俳優の繊細な演技を引き出す」演出が仕事だろうと考えているかと思いますが、それは1%程度でしかありません。全体の85%はロジ的なものに支配されています。例えば会社の経営者が「国内の端から端へ金属のボックスを輸送しなければならない。さてどうしようか」と考えているのと同じです。「シビル・ウォー」でいうと、実は序盤のガソリンスタンドのシーンはかなり難しい部類に入ります。

時間的に半日で撮りきらなければならないのに、スタッフの人手が足りていなくて車止め要員が確保できなくて、撮影中に一般の方がガソリンを入れに来てカメラのフレームに入ってきてしまう――というような事態が発生していました。もちろんテーマがテーマですからそれなりに予算のかかる映画ではありましたが、A24製作映画ですからインディーズのやり方になります。私は日々そうした問題処理に奔走していて、ガソリンスタンドのシーンではスタッフを一人つかまえて「今から10分間カメラを回すからとにかく車を止めてほしい」と指示して急いで現場に戻る――といったことをやっていました。

——そんな手作り感あふれる現場だったとは! 本作は日本でもIMAXを含めたラージフォーマットで上映されますが、撮影段階から想定されていたのでしょうか。

ガーランド:いえ、IMAX上映はサプライズでした。そのような映画だと思わずに撮っていたので、まさかOKになるとは思わずびっくりしました。カメラもIMAX用のものではなく、DJI Roninという小さなカメラを使っています。そこに、「ライカ(LEICA)」の35ミリのスチール用レンズをつけて撮っていました。このレンズを使っている映画はあまりないように思います。

DJI Roninはとても使いやすいカメラでした。スタビライザー(手ブレ防止機能)がついているため自由に動き回ってもスムーズに撮ってくれますし、普通の映画用のカメラだったらドリー用のレールを敷いてそれに合わせて撮るところを、手持ちで走り回ることができました。そういう撮影形式だったのでIMAXのような大画面に耐えうる作品になるとは思っていませんでしたが、どうやらOKだったようです。

そして、安い。私が監督を始めたころのカメラといったら、5万~6万ドルが当たり前でした。でも今回使ったカメラは、そのあたりのお店で6000ドルくらいで買えるものです。今回は照明も使っておらず、映画学校の学生のようにカメラ1台で撮った作品です。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
10月4日からTOHO シネマズ 日比谷ほか全国公開
キャスト:キルステン・ダンスト、ワグネル・モウラ、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ケイリー・スピーニ―
監督/脚本:アレックス・ガーランド
配給:ハピネットファントム・スタジオ
原題:CIVIL WAR|2024年|アメリカ・イギリス映画|109分|PG12 公式
https://happinet-phantom.com/a24/civilwar/
©︎2023 Miller Avenue Rights LLC; IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved.
IMAX® is a registered trademark of IMAX Corporation.

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日向坂46・金村美玖が初の写真展「みとめる」に込めた思い 「自分のことを少しでも認めてあげたい」

PROFILE: 金村美玖/日向坂46

金村美玖/日向坂46
PROFILE: (かねむら・みく)2002年9月10日生まれ、埼玉県出身。日本大学藝術学部写真学科在学中。アイドルグループ「日向坂46」のメンバー。個人としても、ファッション誌専属モデルをはじめ、ラジオパーソナリティー、ドラマ出演、バラエティー出演と、活躍は多岐にわたる。

日向坂46の金村美玖の初となる写真展「みとめる」が10月6日まで、東京・神保町のギャラリー「New Gallery」にて開催されている。

同展は、金村が2023年の冬から24年春まで旅をしながら撮影したセルフポートレートと風景写真が展示されている。展示作品のコンセプト、撮影、モデル、衣装、ロケーションなど、全て金村自身が1人で考え、制作したという。

写真展の開催にあたり、金村は、「撮影を始めたきっかけは衝動的なものでしたが、撮り続けていくうちにこの写真たちが誰かのこころに寄り添えるものになってほしいと考えるようになりました。タイトルの『みとめる』は自信がなかった自分へのメッセージであり、鑑賞していただいた方への『みとめる』きっかけにという思いを込めました。誰もが抱えている見えない感情と向き合える展示です。金村美玖として発表する初めての作品をぜひお楽しみください」とメッセージを寄せる。

今回、個展会場で、同展に対する金村の思いを聞いた。

大学での思い出

WWD:まずは金村さんが写真を撮り始めたきっかけから教えてください。

金村美玖(以下、金村):中学3年生ごろに中古でミラーレスの一眼レフカメラを買ってもらったのがきっかけです。当時、SNSが流行っていて、スマホで写真を撮ってアップしていたんですが、もっとクオリティーの高い写真を撮りたいと思い、親にお願いして買ってもらいました。でも、買ってもらってから少ししたら「けやき坂46」のオーディションに受かり、しばらくは忙しくてあまり写真は撮っていなかったんです。だんだんと活動を続ける中で自分が撮影してもらう機会も増えて、「そういえばカメラ買ってもらったな」と思い出して、そこからまた本格的に撮るようになりました。それが17〜18歳ごろだったと思います。

WWD:そこから日本大学の藝術学部写真学科に進学します。進学の経緯は?

金村:もともとアート系の大学への進学は考えていました。芸能の仕事をしているのもあり、一番興味があるのがアートや表現の分野でした。その中で、ご縁があったのが、日芸の写真学科でした。だから、もともとすごく写真がやりたかったかといえば、そうではなくて。写真はもちろん好きでしたけど、入学してからより写真にのめり込んでいったという方が近いかなと思います。

WWD:大学でどんな写真の勉強をされているんですか?

金村:最初は座学から始まって、まずカメラの構造や仕組み、写真の歴史とかを学んだり、有名な写真家の方にお話を聞く授業もありました。そこから実技でポートレートの撮影をはじめ、光も変えて撮影したり、いろんな撮影方法を試したりして。フィルムの写真も好きだったので、3年生の時はフィルムの授業を選択して、撮影して暗室で現像してプリントしてっていうのを繰り返していました。

WWD:大学入学してすぐコロナになった感じですか?

金村:そうです。なので、1、2年生はオンライン授業も多くて、登校も週に1回とかでした。

WWD:そんな中で大学の生活で印象に残っていることは?

金村:大学2年生の時のゼミの授業です。その時の先生がすごく面白い先生で、授業なのに、ゲームとかトランプしたり、みんなでただ話をしたり、写真展とかも見に行ったりして。あと写真だけでなく、絵本や詩を紹介してくれたり、先生が小説みたいなものを毎週書いてきてくれたりとかして。写真とはいえ、文章を書いたり、言語化できる能力っていうのがやっぱり必要なので、いっぱい人と話したり、文章に触れる機会が多くて、とても勉強になることがたくさんありましたし、とても思い出に残っています。

WWD:現在4年生ですが、卒業制作の方は?

金村:卒業制作は絶賛制作中です。でもまだちょっとまとまっていなくて。もう少し練っていいものにしたいと考えています。

WWD:写真を学んだことが日向坂46の活動に生かされていたりしますか?

金村:そうですね。やっぱり写真を勉強することで、被写体として自分が撮影される時にカメラマンさんの気持ちをくむことができるようになったと実感しています。

WWD:写真を撮るのと撮られるのはどちらが好きですか?

金村:どちらも同じぐらい好きなので、選ぶのは難しいですね。

セルフポートレートの理由

WWD:写真展「みとめる」はいつごろから企画されていたんですか?

金村:もともと大学に入学したころから、最終的な目標として、いつかは写真展を開きたいという思いはずっとありました。現実的に動き始めたのは、今年の初めごろでした。

それまでも写真はずっと撮ってはいたんですが、こんなにも早く夢がかなう機会をいただけてびっくりしましたし、やるからには一番素敵な状態で開催したいなって思っていました。こうして運良く自分の誕生日(9月10日)から会期がスタートできたので、すごくうれしかったです。

WWD:展示の写真は2023年冬から今年の春まで撮影したセルフポートレートと風景の写真で構成されていますね。

金村:今回は自分1人でコンセプトから、セルフポートレートという撮影方法、ロケーションを考えました。実際に現地に行くのも1人で、ヘアメイクや衣装も自分で手掛けています。

WWD:セルフポートレートという撮影方法は意外でした。なぜセルフポートレートを選んだのですか?

金村:以前から興味を持っていたんですけど、なかなかチャレンジする時間がなくて。普段は主にグループのメンバーを撮影することが多くて、自分が写る機会が少なくて、それで1回挑戦してみようと思い、旅に出たのがきっかけです。

実際に旅先でセルフポートレートを撮ると、自分で自由に時間を使えるし、たくさん撮っても誰にも怒られない。セルフポートレートの撮影って側(はた)から見ていると1人ですごく寂しそうに見えるんですけど、自分の表現に好きなだけ時間をかけることができるので、私にとってはそれがよかったです。

WWD:セルフポートレートの撮影ってすごく難しそうですが。

金村:最初はかなり苦戦し、時間もかかりました。撮り始めたのが2023年冬の北海道 雪のロケーションだったので 、その中を歩くのですら大変で…人の迷惑にならない場所を探して撮影していくのも一苦労でした。

最初、三脚を立てて自分で撮るとなると、決まった画角や表情など、結構同じような写真が続いてしまうことが多かったので、途中からいろんな撮り方や表情をするように意識をしています。なので、いろんな表情の私が垣間見らえると思います。

WWD:ロケ地はどのような基準で選んだのですか?

金村:もともと旅が好きだったので、行きたい場所の候補はたくさんあったんですけど、仕事の合間に1泊2日とかで行くことが多くて、前々から予定を立てるというよりかは、前日に「行こう」と決めることが多くて。それだと海外は難しいですし、飛行機のチケットや宿が運良く取れた場所に行きました。

WWD:思い出に残っている写真は?

金村: やっぱり最初の北海道の旅が一番記憶に残っています。ちょうどこの時期すごく暗い気持ちだったんですけど、素敵なご家族のと所にホームステイをしまして。一緒にいた犬や子供とも遊んだりして、前向きになれる機会をいただけたのが印象的です。

タイトル「みとめる」に込めた思い

WWD:展示の写真のセレクトやレイアウトも金村さんが決めたんですか?

金村:そうです。本当はもっと飾りたい作品もある中で、アドバイスも頂きながら、額装や配置の仕方、サイズ感を考慮して心に響く写真を選びました。

WWD:展示の中に鏡がありましたが、あれはどういった意図なのですか?

金村:私はアイドルなので自撮りする機会はあるんですけど、皆さんは日常生活の中で自分で自分を撮る機会ってあまりないと思うので、会場に来た人に鏡を使って、自撮りを体験していただけたら、(セルフポートレートをした)私の気持ちも少し理解していただけるんじゃないかなという思いを込めて展示しています。

WWD:実際に写真展がスタートして反響は?

金村:始まる前は、自分が思っていることが伝わるか不安だったんですけど、SNSで写真展の感想を見ていると私が伝えたかったことがちゃんと届いているなと思う感想も多くて、すごくうれしかったですね。

WWD:写真展のタイトルの「みとめる」に込めた思いは?

金村:タイトルは結構悩みました。やっぱりタイトルってかなり重要なので、旅のことだったり、自分自身のことを箇条書きにして、いろいろと考えたんですけど、この「みとめる」が一番私っぽいし、意味がすごく合っていると思ったので、このタイトルにしました。

WWD:プレスリリースのコメントでは、「自信がなかった自分へのメッセージ」とありました。

金村:本当に自分への言葉でもありますし、見ていただいた皆さんへのメッセージでもあります。強い言葉ではなく、「少しでも自分をのことを認められたらいいな」っていうニュアンスです。私は、自分のことをすごく否定しがちな性格なので、今回の展示をこうして形にして、皆さんに見ていただいて、改めてしっかりと自分のことを認めることができたらいいなっていう意味を込めています。

ただ、今回の写真展はすごく自信のある作品に仕上がったなと思っているので、 それに関しては、「ほんとに全然自分なんか……」っていうよりかは、ぜひ見てほしいなっていう気持ちが強いです。

今後について

WWD:今後、写真家としてやってみたいことは?

金村:今でも写真の連載をさせていただいていますし、写真に携わる仕事もさせていただいて、すごく充実して、これ以上の幸せがあるのかという気持ちでいっぱいなんですけど、やっぱり自分の1st写真集(「羅針盤」)がすごく思い出深くて大好きなので、いずれまた違った形で何かしら本にできる機会があったらいいなとは思ってます。

WWD:普段はメンバーの写真も撮られていますよね。

金村:メンバーはいつ何時もかわいいのですが、よく撮ってるのはやっぱり楽屋とか舞台裏とか。そこはファンの方がなかなか見られない部分だと思うので、自然な姿捉えるべく撮影しています。近くで見られるのが私の特権なので(笑)。

WWD:今カメラは何台持っているのですか?

金村:3台です。デジタルが「ソニー」の“α7 III”をメインでずっと使っていて、あとはフィルムの一眼カメラ「コンタックス」の“Aria”とコンパクトカメラの「フジフイルム」の“NATURA S”も使っています。

WWD:好きな写真家はいますか?

金村:川内倫子さんと木村和平さんの写真は好きで、写真集も持っています。言葉がなくても、その写真から言葉を感じるというか、言葉で伝えなくても伝わるのが素敵だなと。落ち着いた雰囲気で、日常の風景なのに、すごくきらめいて見える。それは写真を通して見るからこんなに素敵に見えるんだなっていうのはすごく感じていて、自分の写真もそうでありたいなと願っています。

WWD:最後に日向坂46としての目標は?

金村:グループとしては、年末の東京ドームまでの全国ツアーがあるので、そこに向けてまずはたくさんの方に来ていただいて、成功させるというのが一番の目標というか、やるべきことかなって思っています。その先はまたみんなと話し合いをして、5期生も加入しますし、日向坂としてより高みを目指していきたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■金村美玖 写真展「みとめる」
会期:9月10日〜10月6日
時間:12:00〜20:00(最終入館 19:30)
休日:水曜日
会場:New Gallery
住所:東京都千代田区神田神保町1-28-1 mirio神保町1階
料金:1000円
当日券販売対象期間:9月21日~10月6日
当日券販売日時:各日10:00から販売開始
当日券販売サイト
https://eplus.jp/kanemuramiku/
※6歳未満未就学児入場無料
※来場者特典:フォトカード(全5種ランダム/57mm×88mm)
https://newgallery-tokyo.com/mitomeru/

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資生堂EMEAのフレグランス事業トップが語る他社との差別化 メリハリのあるポートフォリオと年に1度のローンチ

PROFILE: トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント

トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント
PROFILE: イスラエル・テルアビブ生まれ。財務とマーケティングの修士を修了後、ロレアルの「ランコム」の欧州免税店部門でキャリアをスタート。1999年プーチでシニア・ブランドマネジャーとして活躍後、コティでフレグランス・ライフスタイルのマーケティング部門でバイスプレジデントを務める。2020年資生堂EMEAへ入社し、グローバルフレグランスブランドバイスプレジデントに就任 PHOTO:SHUHEI SHINE

資生堂EMEAは、「イッセイ ミヤケ パルファム(ISSEY MIYAKE PARFUMS)以下、イッセイ ミヤケ」や「ナルシソ ロドリゲス(NARCISO RODRIGUEZ)」などのフレグランスブランド事業をはじめ、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」「ドランクンエレファント(DRUNKEN ELEPHANT)」などの販売を行っている。社名のEMEAは、欧州、中東、アフリカを表すもので、パリに本社を構え、88の国と地域に10社、4500人の社員を擁する。また、フレグランスセンター・オブ・エクセレンス(CoE)の拠点を持ち、ほぼ全てのフレグランスの生産をフランス国内で手掛けている。8月末に東京で行われた「イッセイ ミヤケ」の新作フレグランス“ル セルドゥ イッセイ”の発表イベントのために来日したヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント(VP)に話を聞いた。

ブランドとの信頼関係と革新性が強み

ーー「イッセイ ミヤケ」新作フレグランスの発表イベントに参加した感想は?

ヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドVP(以下、トゥイル)
三宅一生さんがつくった東京の「21_21 デザインサイト ギャラリー3(21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3)」で発表できて嬉しい。エモーショナルなイベントになったと思う。

ーー資生堂EMEA組織とオペレーションは?

トゥイル:パリに拠点があり、ヨーロッパ、中東、アフリカなどをカバーしている。また、フレグランスのCoE、コスメティックヴァレーに2つの工場がある。

ーーフレグランス事業部の一番の強みは何か?

トゥイル:ブランドやデザイナーが本来持つ、DNAや価値を大切にしている点。協業する上で、核となる価値を変更することは一切しない。それを表現するための専門知識があるし、投資もしている。だから、協業するデザイナーやブランドとは信頼関係で結ばれている。また、消費者の声を吸い上げて具現化する革新性を持っている。何よりも、情熱を持って働くチームがあり、人材が宝だと思っている。

ーーここ数年のフレグランス事業部の年商の推移は?

トゥイル:グローバルの2022年度の売上高は前年比12%増、23年度は同22%増。

ーーフレグランス事業部のトップ3市場は?今後強化したい市場は?

トゥイル:ビジネス全体の6割を占めるのがEMEA(ヨーロッパ、中東、アフリカ)。中でも、フランス、イギリス、イタリア、ドイツが大きな市場だ。北米も主要市場で、トラベルリテールも各国の市場を補完する市場として重要だ。欧米や中東は長年ビジネスをしている成熟した市場。中南米やアジアパシフィック、中国の市場は2ケタ成長しているので、さらに、浸透させていきたい。日本におけるビジネスの割合は、1位がスキンケア、2位がメイクアップ、3位がフレグランス。フレグランスに関しては、前年上期と比べると2ケタ伸長しているので、まだまだ伸びると思う。

ブランドに絞った打ち出しでメッセージを届ける

ーー競合企業は?それらとどのように戦うか?

トゥイル:「シャネル(CHANEL)」「ディオール(DIOR)」などファッションとつながりのあるラグジュアリー・ブランドをはじめ、ニッチブランド全てが競合。我々は、他社とアプローチが異なり、パーソナリティーの訴求に注力している。表現の仕方も異なるし、消費者との対話を重視している。だから、全てのブランドで新作を毎年出すわけではなく、ブランドを絞って新作を発表。各ブランドが伝えたいメッセージにフォーカスして、アイコニックなブランドに育てている。例えば、「イッセイ ミヤケ」では、1994年に“ロードゥ イッセイ”を発売し、今年新作の“ル セルドゥ イッセイ”を出したが、時代のニーズに合わせてブランドを育ててきた。また、セレブリティーを広告に使用しない点も差別化のポイントだ。それよりも、クリエイティビティーや革新性といった面でブランドのメッセージを伝えている。「ナルシソ ロドリゲス」は、フェミニニティーを追求し、女性が持つ内なる強さを香りで表現。ムスクがシグニチャーで、女性をエンパワーメントするような香りだ。「ザディグ&ヴォルテール(ZADIG & VOLTAIRE)」はヨーロピアンテイストで、ロックンロールなイメージだ。

ーー展開しているフレグランスのビジネスシェアは?

トゥイル:「イッセイ ミヤケ」と「ナルシソ ロドリゲス」の構成比が大きく同じ程度。その次が「ザディグ&ヴォルテール」。今はヨーロッパ中心の販売だが、オーストラリアやニュージーランド、韓国、中南米など販路を広げ、来年にはグローバルローンチを予定している。

フレグランスは記憶に残るエキサイティングな商材

ーー日本におけるビジネス戦略は?課題と強化点は?

トゥイル:日本の消費者の行動様式は他国と異なる。フレグランス部門は2ケタ成長しており、消費者のマインドが変化していると感じる。消費者との対話を通してエモーショナルな最高の製品を提供することで、消費者のフレグランスに対する感覚を変えていきたい。若い世代はいろいろな香を楽しむ傾向にあるのでターゲットを絞って訴求していきたい。また、日本市場に合う商品のカスタマイズなどにもチャレンジする。

ーー今後、どのようにポートフォリオを強化していくか?

トゥイル:現在展開しているブランドを補完するような新しいブランドを追加していく。新たに契約を結んだ「マックスマーラ(MAX MARA)」は日本市場における歴史が長く、資生堂の価値観とも親和性がある。

ーーここ数年のフレグランス市場の動向をどのように分析するか?

トゥイル:コロナ禍で伸びたカテゴリーは、唯一フレグランス。スキンケアはシワ改善など効果が感じられる処方を期待されるし、メイクは色味や発色などが重要視される。一方で、フレグランスは、感情に訴えかける商材だ。香りは、場所や人を思い出させる。形のないものだが心に直結しており、記憶に残るエキサイティングなものだ。女性は、アイデンティティーの表現にフレグランスを使うことが多いが、男性は、魅力を伝えるためのものとして選ぶケースが多い。今後、フレグランス市場は、デジタライゼーションによりワクワクした状況になるはずだ。AIなどを活用したテーラーメード、パーソナライズドといったサービスも増えるだろう。

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資生堂EMEAのフレグランス事業トップが語る他社との差別化 メリハリのあるポートフォリオと年に1度のローンチ

PROFILE: トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント

トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント
PROFILE: イスラエル・テルアビブ生まれ。財務とマーケティングの修士を修了後、ロレアルの「ランコム」の欧州免税店部門でキャリアをスタート。1999年プーチでシニア・ブランドマネジャーとして活躍後、コティでフレグランス・ライフスタイルのマーケティング部門でバイスプレジデントを務める。2020年資生堂EMEAへ入社し、グローバルフレグランスブランドバイスプレジデントに就任 PHOTO:SHUHEI SHINE

資生堂EMEAは、「イッセイ ミヤケ パルファム(ISSEY MIYAKE PARFUMS)以下、イッセイ ミヤケ」や「ナルシソ ロドリゲス(NARCISO RODRIGUEZ)」などのフレグランスブランド事業をはじめ、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」「ドランクンエレファント(DRUNKEN ELEPHANT)」などの販売を行っている。社名のEMEAは、欧州、中東、アフリカを表すもので、パリに本社を構え、88の国と地域に10社、4500人の社員を擁する。また、フレグランスセンター・オブ・エクセレンス(CoE)の拠点を持ち、ほぼ全てのフレグランスの生産をフランス国内で手掛けている。8月末に東京で行われた「イッセイ ミヤケ」の新作フレグランス“ル セルドゥ イッセイ”の発表イベントのために来日したヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント(VP)に話を聞いた。

ブランドとの信頼関係と革新性が強み

ーー「イッセイ ミヤケ」新作フレグランスの発表イベントに参加した感想は?

ヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドVP(以下、トゥイル)
三宅一生さんがつくった東京の「21_21 デザインサイト ギャラリー3(21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3)」で発表できて嬉しい。エモーショナルなイベントになったと思う。

ーー資生堂EMEA組織とオペレーションは?

トゥイル:パリに拠点があり、ヨーロッパ、中東、アフリカなどをカバーしている。また、フレグランスのCoE、コスメティックヴァレーに2つの工場がある。

ーーフレグランス事業部の一番の強みは何か?

トゥイル:ブランドやデザイナーが本来持つ、DNAや価値を大切にしている点。協業する上で、核となる価値を変更することは一切しない。それを表現するための専門知識があるし、投資もしている。だから、協業するデザイナーやブランドとは信頼関係で結ばれている。また、消費者の声を吸い上げて具現化する革新性を持っている。何よりも、情熱を持って働くチームがあり、人材が宝だと思っている。

ーーここ数年のフレグランス事業部の年商の推移は?

トゥイル:グローバルの2022年度の売上高は前年比12%増、23年度は同22%増。

ーーフレグランス事業部のトップ3市場は?今後強化したい市場は?

トゥイル:ビジネス全体の6割を占めるのがEMEA(ヨーロッパ、中東、アフリカ)。中でも、フランス、イギリス、イタリア、ドイツが大きな市場だ。北米も主要市場で、トラベルリテールも各国の市場を補完する市場として重要だ。欧米や中東は長年ビジネスをしている成熟した市場。中南米やアジアパシフィック、中国の市場は2ケタ成長しているので、さらに、浸透させていきたい。日本におけるビジネスの割合は、1位がスキンケア、2位がメイクアップ、3位がフレグランス。フレグランスに関しては、前年上期と比べると2ケタ伸長しているので、まだまだ伸びると思う。

ブランドに絞った打ち出しでメッセージを届ける

ーー競合企業は?それらとどのように戦うか?

トゥイル:「シャネル(CHANEL)」「ディオール(DIOR)」などファッションとつながりのあるラグジュアリー・ブランドをはじめ、ニッチブランド全てが競合。我々は、他社とアプローチが異なり、パーソナリティーの訴求に注力している。表現の仕方も異なるし、消費者との対話を重視している。だから、全てのブランドで新作を毎年出すわけではなく、ブランドを絞って新作を発表。各ブランドが伝えたいメッセージにフォーカスして、アイコニックなブランドに育てている。例えば、「イッセイ ミヤケ」では、1994年に“ロードゥ イッセイ”を発売し、今年新作の“ル セルドゥ イッセイ”を出したが、時代のニーズに合わせてブランドを育ててきた。また、セレブリティーを広告に使用しない点も差別化のポイントだ。それよりも、クリエイティビティーや革新性といった面でブランドのメッセージを伝えている。「ナルシソ ロドリゲス」は、フェミニニティーを追求し、女性が持つ内なる強さを香りで表現。ムスクがシグニチャーで、女性をエンパワーメントするような香りだ。「ザディグ&ヴォルテール(ZADIG & VOLTAIRE)」はヨーロピアンテイストで、ロックンロールなイメージだ。

ーー展開しているフレグランスのビジネスシェアは?

トゥイル:「イッセイ ミヤケ」と「ナルシソ ロドリゲス」の構成比が大きく同じ程度。その次が「ザディグ&ヴォルテール」。今はヨーロッパ中心の販売だが、オーストラリアやニュージーランド、韓国、中南米など販路を広げ、来年にはグローバルローンチを予定している。

フレグランスは記憶に残るエキサイティングな商材

ーー日本におけるビジネス戦略は?課題と強化点は?

トゥイル:日本の消費者の行動様式は他国と異なる。フレグランス部門は2ケタ成長しており、消費者のマインドが変化していると感じる。消費者との対話を通してエモーショナルな最高の製品を提供することで、消費者のフレグランスに対する感覚を変えていきたい。若い世代はいろいろな香を楽しむ傾向にあるのでターゲットを絞って訴求していきたい。また、日本市場に合う商品のカスタマイズなどにもチャレンジする。

ーー今後、どのようにポートフォリオを強化していくか?

トゥイル:現在展開しているブランドを補完するような新しいブランドを追加していく。新たに契約を結んだ「マックスマーラ(MAX MARA)」は日本市場における歴史が長く、資生堂の価値観とも親和性がある。

ーーここ数年のフレグランス市場の動向をどのように分析するか?

トゥイル:コロナ禍で伸びたカテゴリーは、唯一フレグランス。スキンケアはシワ改善など効果が感じられる処方を期待されるし、メイクは色味や発色などが重要視される。一方で、フレグランスは、感情に訴えかける商材だ。香りは、場所や人を思い出させる。形のないものだが心に直結しており、記憶に残るエキサイティングなものだ。女性は、アイデンティティーの表現にフレグランスを使うことが多いが、男性は、魅力を伝えるためのものとして選ぶケースが多い。今後、フレグランス市場は、デジタライゼーションによりワクワクした状況になるはずだ。AIなどを活用したテーラーメード、パーソナライズドといったサービスも増えるだろう。

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沖縄コスメLIST.4 「ゆめじん」沖縄本島のやんばる地域、今帰仁村で有機栽培したハイビスカスなどをぜいたくに採用したオーガニックコスメ

県内外で定評のある〝沖縄コスメブランド″を紹介する企画の第4弾。今回取り上げるブランドは、沖縄本島北部・やんばると呼ばれる森林が広がる地域に自社農園をもち、オーガニックコスメを開発している「ゆめじん(YUMEJIN)」。江中直人・ゆめじん専務に取材した。
 
――:「ゆめじん」を立ち上げたきっかけは?

 
江中直人・YUMEJIN・ゆめじん専務(以下、江中):創業は1997年です。先代である諸喜田篤(しょきた・あつし)が、今帰仁村にある2億年前の岩石から抽出したミネラルをもとにした、自然にやさしい土壌改良剤を販売していまして。ある日、お客さまがそれを「自然にやさしいなら、人肌にもやさしいだろう」と肌に塗ったところ、疥癬の症状が改善したという報告があり、それを機にスキンケア研究をはじめました。ちなみに、そのミネラル抽出水は、現在も〝今帰仁ウォーター″として販売しています。
 
 
――:現在の主力商品は?
 
江中:有機農法で育てたハイビスカスや月桃から抽出したエキスを配合したヘアケアです。沖縄ならではの唯一無二な化粧品を、ということで考えていたところ、先代の母親がハイビスカスのエキスを洗髪に使っていたことを思い出して、研究・開発した商品です。こちらは低刺激処方で、しかもハイビスカス葉エキスの保湿力が地肌と毛髪にうるおいを与えるため、非常にリピーターが多い商品になっています。
 
 
また、現在はメジャーになりつつある〝月桃コスメ″も弊社が先駆けて開発しており、当時発売した月桃蒸留水もロングセラーになっています。月桃の種類は複数ありますが、弊社では〝タイリンゲットウ″という品種を採用しています。花は咲くものの実にはならない品種で、清潔感のあるさわやかな香りと、精油の採油量が多いことが特長です。葉だけではなく茎からも精油は採れるのですが、香りに雑味が出てしまうのが難点でして。そのため、弊社では透明感ある香りを追求すべく、月桃の葉のみを使用しています。
 


――:そのような栽培方法や製法へのこだわりから、高級ホテルへのアメニティー採用も続いています。
 
江中:大変ありがたいことに、2023年7月からは「ザ・リッツ・カールトン沖縄」のアメニティーとして採用していただいています。「ゆめじん」は全ての工程をハンドメイドで行っているため、商品単価を抑えることができず、アメニティーとしての採用は難しいと考えていました。ですが、先方が私たちの〝土壌からは育てる″というプロセスにご賛同いただいたことで採用に至りました。

ほかにも古宇利島の「ワンスイート ザ・グランド」、「Yuki Suite Kourijima」、瀬底島の「瀬底山水」など、多くの高級ホテルやヴィラで、アメニティーとして採用していただいています。
 


 
――:本島北部・今帰仁村にある本社・自社農園に併設されたファクトリーショップでは、オーガニックハイビスカスの花びらを用いたフラワースムージーを楽しめますね。
 

江中:こちらでしかオーダーできないスムージーとして人気です。ひとつのスムージーにはオーガニックハイビスカスの花、約30個分の花びらを使用していまして、体の内側からビタミンやポリフェノールを補っていただけます。実はイベントや物産展からの引き合いも多いスムージーなのですが、こちらは朝摘みしたハイビスカスのみを使用しているのですが、その保存が難しく、作る手間もかかるため、こちらの店舗でしかご提供できません。そのため、ぜひ今帰仁村まで足を運んでいただければうれしいです。
 


 ■ユメジン オキナワン コスメ ファクトリー ショップ
住所:沖縄県国頭郡今帰仁村兼次18-2
電話:080-5858-2659
営業時間:9:00〜17:00(月~金) 10:00〜17:00(土)
定休日:日曜
Instagram:@yumejin_official
 

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売り上げは1240億円、日本SCでトップ 御殿場アウトレットが好調なワケ

三菱地所・サイモンの運営する「御殿場プレミアム・アウトレット(以下、御殿場PO)」が好調だ。2024年3期の売上高は1240億円と、過去最高を更新した。店舗数約290店舗、店舗面積約6.1万㎡の御殿場POの売上高は、アウトレットモールとして最大規模であるだけでなく、大型ショッピングモールやファッションビルを含めた日本のショッピングセンターとしてもトップになる(コロナ禍以降、非公表の成田空港のリテール事業を除く)。円安に伴う訪日客の増加を受け、24年4〜9月も前年以上のペースで推移している。好調の理由を加藤健太・御殿場プレミアム・アウトレット支配人に聞いた。

好調要因は、「インバウンドより国内」

WWD:好調の理由は?

加藤健太・御殿場プレミアム・アウトレット支配人(以下、加藤):24年3月期は前期比27.0%増で、客数は9.4増の1118万人だった。いずれも過去最高だった。昨年下期から猛烈に伸びた。訪日外国人客による免税売り上げはそれなりに好調だが、客数はコロナ禍前にピークだった2018年の数字には戻ってはいない。むしろ国内客の客足と売り上げがしっかりと伸ばせているのが要因だ。

WWD:好調なブランドは?

加藤:外資のラグジュアリーブランドと「ナイキ」「アディダス」といったスポーツブランドに加え、「メゾン キツネ(MAISON KITSUNE)」「アミ パリス(AMI PARIS)」といったデザイナーブランドが伸びている。

WWD:25年3月期の見通しは?

加藤:上期は、前年下期の勢いそのままに絶好調だった。下期もやや不透明感はあるものの、トータルでは前年をクリアできそうだ。

WWD:円安は落ち着きつつあり、「インバウンドバブル」は落ち着きを見せている。影響は?

加藤:免税売り上げの数字は公表していないものの、「御殿場プレミアム・アウトレット」はコロナ禍前から、割合はかなり高く、都心の大型百貨店並みと、かなり高かった。都心ではいわゆる「インバウンドバブル」の様相は落ち着きつつあると思うが、御殿場に関しては、まだ伸び代は大きい。コロナ禍前は、中国からの訪日客を中心に連日200台以上の大型バスに乗り込んだ客が押し寄せていたが、今はそれほどでもない。ピークの18年と比べると客数でいうと半分程度だ。「インバウンド」自体の質が大きく変わったこともあるが、中国からの客足自体が戻っていない。だが客単価がかなり伸びていることと、下期は「国慶節」「紅葉シーズン」「春節」と大型イベントが目白押しで、御殿場に関しては免税売り上げはまだ伸びる可能性が高い。

人手不足解消のため、「ES」施策を強化

WWD:課題は?

加藤:人手不足だ。御殿場は、周囲に有力企業の工場が多く、以前から慢性的な人手不足に悩まされてきた。テナントからは「規模に(販売スタッフの数が)追いついていない」という悩みもよく寄せられる。運営側の我々としては、保育園を併設するなどの販売スタッフの方々のES(従業員満足度)を高め施策を行ってきた。

WWD:成果は?

加藤:テナントの多くが時給や給与の引き上げを行っているが、そもそも就業可能人口が少なく、必ずしも給与の高さのみがネックになっているわけではなく、特効薬はない。御殿場POでは約4000人のスタッフが働いているが、基本的には地道にESを高める施策を行い、一度就労したスタッフにできるだけ長く働いてもらうというのが王道の考え方になる。やりがいを高めるべく、独自のロープレ大会の実施や、閉館後のイベントとして従業員を対象にした露店や大型花火を打ち上げるナイトイベント「おつかれNight!!」を実施しているほか、スタッフにフォーカスし、接客技術とホスピタリティをフォーカスした新制度「プレミアムアウトレット スタッフアワード」を新設し,オウンドメディアで紹介している。

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「ドリス」にも影響受けた働き方 「テルマ」のコレクションができるまで【アトリエツアー】

中島輝道/「テルマ(TELMA)」デザイナー

アントワープ王⽴芸術アカデミー在学中の卒業コレクションが評価され、「Christine Mathys賞」および「Louis賞」を歴代、かつ日本人として初めてダブル受賞。同コレクションがアントワープ市内にあるセレクトショップLOUISのウィンドーディスプレーを飾った。2010年の卒業後は「ドリス ヴァン ノッテン」に入社し、アシスタントデザイナーとしてウィメンズデザインを担当。その後、⽇本的なモノづくりを学ぶために帰国し、14年に「イッセイ ミヤケ」 へ⼊社後は独⾃のシルエット表現と国内産地との素材開発を学んだ。22年に「テルマ」を設立。 

2022年に始動したウィメンズブランド「テルマ(TELMA)」の中島輝道デザイナーのアトリエを訪問した。中島デザイナーは「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」や「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」で経験を積んだ実力者。ファッションを好きになったきっかけやインスピレーション源、学生時代や「ドリス ヴァン ノッテン」でのエピソードなどを、アトリエの紹介やブランド初のショーに向けた生地製作やフィッティングに密着しながら聞いた。

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大根仁が語る「地面師たち」と「演出家の仕事」 「50代以降は誰かのためになるような仕事をしたい」

PROFILE: 大根仁/映像ディレクター

大根仁/映像ディレクター
PROFILE: (おおね・ひとし)1968年生まれ、東京都出身。「アキハバラ@DEEP」(2006)、「湯けむりスナイパー」(09)、「モテキ」(10)など、ドラマや舞台、CM、MVを数々手掛けたのち、映画「モテキ」(11)で映画監督デビュー。主な演出作に、「まほろ駅前番外地」(13)、「リバースエッジ 大川端探偵社」(14)、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(19)、「エルピス —希望、あるいは災い—」(22)などのドラマ作品。監督作に、「恋の渦」(13)、「バクマン。」(15)、「DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~」(15)、「SCOOP!」(16)、「SUNNY 強い気持ち・強い愛」(18)などがある。Netflixシリーズ「地面師たち」が初の世界同時配信作となる。Netflixと5年独占契約を結び、新作のシリーズ・映画を複数制作することが9月30日に発表された。

「湯けむりスナイパー」や「まほろ駅前番外地」といった深夜ドラマから、映画「モテキ」や「バクマン。」などの脚本・監督、そして、大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」やドラマ「エルピス —希望、あるいは災い—」では演出を務めた大根仁の最新作、Netflixの配信ドラマ「地面師たち」が大ヒットしている。本作は2017年に起きた実際の地面師詐欺事件をもとにした小説「地面師たち」(著:新庄耕)を原作に、大根自らが映像化を企画、キャスティング案から脚本・監督までを手がけた意欲作。これまでのキャリアの総決算ともいえる本作の制作過程を中心に、ここに至るまでのディレクター人生についても話を聞いた。

Netflixが広く普及した今だからこそのヒット

——7月25日に配信されたNetflixシリーズ「地面師たち」が、日本におけるNetflix週間TOP10で長らく首位をキープするなど、反響の大きさについてはどう受け止めていますか。

大根仁(以下、大根):これまで自分が関わってきた作品とはまったく感触が違いますね。例えば、2022年に放送された「エルピス」とか、もっと前だと深夜ドラマから映画になった「モテキ」とか、業界内だったり一部の層の間ではある程度の話題になった感覚はありますけど、「地面師たち」はそういう規模じゃないんですよ。大げさじゃなく、飲み屋とかいろんな店で客が話題にしているのを耳にするし、飛行機に乗ったらタブレットで観ている人も見かけるし。

つい先日も、ヒットしたお祝いでリリー(・フランキー)さんに銀座の高級クラブに連れていってもらったら、入れ替わるお姉さんたち10人くらいが全員観てるって。店に来るお客さんたちも全員観てるって言ってました。そういう店ではお客さんとの話題づくりのためっていうのもあるとは思うけど、全員が観てるっていうのはすごいなと。今日なんかは五反田のサウナに入ってたら、若者とかではなく、人生の先輩たち……まぁ言っちゃえばそこらへんのじいさんたちが「あの『地面師たち』ってのはヤバいな」とか話してましたから。

ただこれは、作品に力があるのは前提としても、いまやNetflixが多くの人にとって手軽に観られるメディアになっている、というのが関係しているんだと思います。誰かにすすめられた時に、テレビドラマや映画を観るにはそれなりのステップが必要だけど、Netflixならスマホで帰りの電車の中でも観られるわけで。そういう視聴環境の要因は強く感じています。

——Netflixの普及がヒットの下地になっていると。

大根:「地面師たち」をきっかけに加入した人もけっこうな数いるでしょうから、そのへんはギャラとは別にボーナスという形でもらえるのかなって期待してますけど(笑)。あとは数字の話だと、映画だったら興行収入、テレビだったら今はもうだいぶあやしいとはいえ視聴率という明確な数字が出ますが、Netflixはよく分からないんですよ。日本のNetflix週間TOP10で何週間連続1位とか言われても、それがどういう数字なのか。

——メディアからの取材についても、映画なら公開前、ドラマなら放送前が定石ですが、配信ドラマだとタイミングに関係なく受けられますし。

大根:テレビドラマは放送が終わったらそれまでですし、映画でも公開後に話題になったから取材が増えるっていうのもほとんどないですからね。今回の場合、配信前よりも、配信後の方が3倍くらい多く取材を受けてますよ。「地面師たち」が数字を持っているのか、俺がペラペラ何でもしゃべると思われているのか分かりませんが(笑)。

あらゆる面で非常に人道的な制作現場

——Netflix作品ということでの最大の特異点は?

大根:表現の自由度が高い、というのは言わずもがなですが、制作の現場目線でいうと、一番は労働環境の真っ当さですかね。余裕のある制作期間が設けられた中で、1日の撮影時間もきっちり決まっていて、間に休みが必ずあって、あらゆる面で非常に人道的でした。僕自身、かつてはそういう時代だったとはいえ、鉄火場みたいな現場を散々渡り歩いてきて、タイトなスケジュールは当たり前、低予算こそ正義くらいに思っていた時期もありましたし、だからこそ生まれたような作品にも立ち会ってきましたけど、時間も予算もあるに越したことはないですからね。

——制作体制の規模が大きくなることで、意思の疎通に時間と手間がかかったりなどの不都合もなく?

大根:不都合はとくに感じませんでした。この例えが適切かどうか分からないけど、山下達郎さんが、ライブハウスの観客をちゃんと盛り上げることができたら、どんなに会場が大きくなっても大丈夫、でもその逆はない、というようなことを言っていて。そういう感じなのかな。これまでと変わらず現場で判断することは当然あるし、感覚を曲げることもなかったし、予算やスタッフの人数が増えたからといって柔軟性がなくなった、とかもなかったですね。それはこの「地面師たち」が自分の立ち上げた企画で、脚本と監督の両方をやれている、という出発点が大きいのかもしれませんが。

——「表現の自由度」ということでいえば、本作には暴力シーンやセックスシーンもありました。

大根:一部の人たちから「セックスシーンでなぜ服を着てるんだ」「リアルじゃない」みたいな反応がありましたけど、正直そこはもっと想像力を働かせてほしいなと思いましたね。別にあえて演出の意図を話す必要はないんだけど、もう言ってもいいかなと思って言うようにしているので言いますが、まず住職の川井菜摘がホストたちと複数プレイをしているシーンは、お目当てのホストの楓という男がその場にいて、自分以外のホストとのセックスでは脱がせない、裸になるのは俺とセックスする時だけだ的な、ある種の焦らしプレイという意図があっての着衣です。もう一つ、デベロッパーの青柳が服も脱がずに行為に及んでいるのは、彼のキャラクターを考えれば、そういうのが好きな男に決まってるでしょ。こんな野暮なこと言いたくないですが、とりあえず「Netflixから規制がかかってる」とか「コンプライアンスを意識してひよってる」とかの憶測は筋違いです。まあネットのそういう反応は想定内だし、観た人が何を言おうが自由ですけど、少なくとも作り手はその何千倍も考えて作ってますよと、そのくらいは想像してねって感じですかね。

そもそも演出家としての自分は、総合格闘家みたいなものだと思っていて、キックがダメとか寝技がダメというルールならそれに従いますし、何でもありならそれに相応しい試合をするだけ。そういう意味でNetflixは、限りなく何でもありに近い環境でしたよ。

フィクションの中で悪行を魅力的に描くことの倫理観

——本作は犯罪ものであり、企業ものでもあり、刑事ものでもあるという、ジャンルのミックスが感じられました。

大根:これまで自分はストレートな犯罪ものや企業もの、刑事ものをやったことがなくて、いつかそういうジャンルもののミクスチャーはやりたいと思っていたので、「地面師たち」の原作小説を読んだ時に、この作品ならできると思ったんですよね。

——ジャンルのミクスチャー感だけではなく、それぞれのシーンや描写ごとに、ここはリアルに忠実に、一方で、ここはファンタジックに、というような加減もミックスされているように見えました。

大根:おそらく原作小説の段階でもそういったイメージを持って書かれていたと思います。著者である新庄耕先生は、事件のことを散々調べた結果、実際の事件や現実がどうだったのか、例えば、詐欺師たちがどんな服装で、どんな場所に集まっていたかとかは、ある程度分かってはいたはずで。ただ、エンターテインメントである以上、Netflix作品であるということも含めて、そのへんのリアルを追求することだけが正解なのか。もちろん、シーンによってはリアリティーを重視した部分もありますが、ケイパー(犯罪映画のサブジャンル。泥棒、詐欺などを犯人側の視点で描くのが特徴)ものならではのケレン味だったりの見せ方の方を意識した部分も多くあります。

ただ、青柳のキャラクターは原作からもだいぶデフォルメしたのですが、実際に不動産会社で働いている知り合いが観たあとに連絡をくれて、「ああいうやついました」って(笑)。なので、いくらデフォルメしてファンタジーに寄せたとしても、ちゃんと刺さるものはあるんだろうなと思いますね。それは「半沢直樹」とかの、僕が勝手に「サラリーマン時代劇」と呼んでいる作品も同じで。

——登場人物たちを魅力的に描く、という点で意識したことは?

大根:今回のキャスティングが成功した時点で、もう十分に魅力的な作品になるだろうとは分かっていたので、そこからさらに演出なりでキャラクターをどうこう、というのはあんまり考えなかったですね。物語の性質上、観た人に憧れを抱かせたり、「こういう人になりたい」とか思われても困りますし(笑)。

——その点でいうと、物語の根幹である詐欺はもちろん、作中の暴力や殺人といった悪行の数々を魅力的に描くことの倫理観については、どう捉えていますか。
 
大根:基本的に自分の考えとしては、こう言うと語弊があるかもしれないけど、犯罪や悪事を扱うエンターテインメント作品においては、表現は自由でいい、と思っています。犯罪行為も暴力もファンタジーの一要素として存在させる以上、そこはとことん追求するべきだっていう考えです。中途半端な嘘で嫌な気分にさせるよりは、振り切ってファンタジーとして魅力的に描いた方がいい。今回の暴力や殺人のシーンなんて、リアリティーという意味では全然リアルじゃないでしょう。

そもそも、現実の地面師たちは殺人までは犯してないわけで、そこを突いて、本物の地面師は殺人を犯してないのにおかしい、サイコパスな人間は詐欺師にはならない、みたいな批評を見かけましたけど、この作品はフィクションでありエンターテインメントですよ、っていう。地面師詐欺事件のリアルを追求した作品ではないですからね。まあこれもまた観た人の自由ですけど、それなりに批評性がある識者とされている人がその程度のことを言ってるとガッカリはしますよね。

「瀧さんは詐欺師役です」「じゃあやる」

——本作ではインティマシーコーディネーターとして浅田智穂さんが入っていますが、大根さんは以前にドラマ「エルピス」でもご一緒されています。

大根:「エルピス」の時はそこまでセクシャルなシーンはなかったのですが、プロデューサーの佐野亜裕美さんがインティマシーコーディネーターを入れたいというので、参加してもらいました。個人的にはその「エルピス」の現場が初めてで、非常にやりやすかったですね。

それで、今回の現場でも改めて感じたのですが、インティマシーコーディネーターというと、役者の側に立つ人というイメージを持っている人が多いかもしれませんけど、実際は基本的に監督の側にも立ってくれる人です。どういったシーンを撮りたいかの意図を汲みながら、役者とコミュニケーションをとる、という役割。もし役者が演出意図に対して「それはちょっと……」ということがあれば、間に入って緩衝材になりつつ、撮影を進めてくれる。なので、もし“現場の敵”みたいなネガティブなイメージを持たれている方がいるのであれば、それはまったく違います。

——現場における演出家の仕事については、どういう役割だと捉えていますか。

大根:演出の仕事って、究極は2つしかないと思っていて。一つは脚本よりおもしろく撮ること。もう一つは、役者を魅力的に撮ること。テクニカルなことも最終的にはそのどちらかに内包されていくんですよね。

——今回は原作の小説を読みながらキャスティングを考えて、脚本もご自身で書いたということで、ほぼ当て書きだったと。

大根:そうですね。キャスティングについては、これまでに何回か一緒にやったことがある役者は当然として、初めての人だとしても、過去の作品を観たりすると、その役者のポテンシャルも分かるし、リミッターがどこにあるのかもなんとなく分かります。その上で、どういうタイプの芝居だったらリミッターをはずせるのか、感覚として掴めるんですよね。その勘を利かせることも演出家としては大事だと思うので、それが今回はうまくいったのかな。この先もしその勘が鈍くなったら、演出家としては潮時なのかもしれません。

——そして本作では、大根さんが監督を務めた「DENKI GROOVE THE MOVIE?〜石野卓球とピエール瀧〜」に限らず、公私ともに関係の深い電気グルーヴが2人そろって参加しています。ピエール瀧さんは詐欺師役、石野卓球さんが音楽(劇伴)と。

大根:瀧さんの芝居が話題として大きく取り上げられているのも誇らしいですけど、卓球さんの音楽もかなり重要な要素を占めています。もともと世界的なDJとして、聴衆を飽きさせることなく6時間とかの長いセットを組める人ですから、その感じで全7話の音楽をやってもらいました。

瀧さんが役者として出演する作品に卓球さんが参加するっていうパターンは今までなかったので、最初どうかなと思ったんですけど、話をしに行った時に「悪い奴ばっかり出てくるひどい話で、これなら卓球さんの音楽がばっちりハマります」「瀧さんは詐欺師役です」って伝えたら、「じゃあやる」って。そこから楽曲のイメージを伝えて、脚本を読んでもらい、デモ曲を何曲か作ってもらったのですが、もう最初から素晴らしかったですよ。

自分が一番喜ぶ仕事は40代で終わった

——大根さんのこれまでのキャリアを振り返ると、数々の深夜ドラマを手がけていた時期をへて、企画から参加するような映画の脚本・監督の仕事が中心となり、そのあとは演出家として依頼を受ける形で参加するタイプの仕事が続き……という変遷がありますが、ターニングポイントはありましたか。

大根:「モテキ」の映画化が2011年で、それ以降テレビから映画の方へ比重が移って、18年の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」で脚本と監督をやったあとくらいかな、この先、同じ方向性で仕事を続けていっても、縮小再生産になるような危機感があったんですよね。作品単体の出来や良し悪しではなく、自分の中で「この手法は前にも使ったよな」みたいなことが気になる感じ。それが50になる年だったので、このまま50代を乗り切るのはきついぞって思ってました。

それで、自分発信の企画や得意ジャンルの仕事はいったん休んで、別の角度からアイデアだったり手法や技術を学べるような仕事をしたいと思っていたところに、「いだてん〜東京オリムピック噺〜」のオファーが来たんです。大河ドラマはこれまでとはまったく違う方向性だし、でも脚本は宮藤官九郎さんだったので自分なりにできることもあるし、これはちょうどいいっていう。

あとは、17年からキリン一番搾りのCMの演出をやっていて、それが意外と自分の中では大きいです。CMの仕事は、ドラマや映画とは目的からしてまったく違うものなので、演出家としての自由度は少ないのですが、スタッフィングはそれなりに自由にできるんですよ。なので、これまで頼みたかったけど機会がなかった撮影監督や照明技師の人たちとCMの現場で初めて仕事をすることができて、だいぶいい経験になってますね。

——「地面師たち」で再び企画から脚本・監督までを務めたのは、依頼仕事をしていく中で、もう一度企画から最後まで自分が関わる仕事をしたい、という思いがあったからでしょうか。

大根:いや、正直なところ、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、自分が一番喜べる仕事はもう40代で終わっていて、50代以降は誰かのためになるような仕事をしたいと思ってやっているんです。「地面師たち」は自分から企画を持ち込んだので、結果的に自分も喜ぶ形にはなりましたけど、それよりも、日本発のNetflix作品が国内だけではなくグローバルレベルでヒットしているという祭りに乗っかっている意識の方が強いんですよね。今のヒットしている状況は大変うれしいですが、それもNetflixのためというか、配信メディアがもっと盛り上がった方が、映像業界全体が活気づくんじゃないかという、どこか冷静に見ている感じではあるんです。

——ドラマや映画に限らず、ミュージックビデオやライブ映像の演出、若い頃にはバラエティー番組まで、幅広く雑食的に仕事をしてきたことは、どう今につながっているでしょうか。それこそ、大根さんのディレクターデビューは宮沢りえのデビュー曲「ドリームラッシュ」のカラオケビデオという。

大根:そうそう、小室哲哉プロデュースの曲。しかもミュージックビデオじゃなく、カラオケで流れるビデオの方っていうね。若い頃はそういうカラオケビデオだけじゃなく、クイズ番組から健康番組まで、人がやりたがらない仕事もたくさんやってましたよ。そこからドラマや映画の監督になるっていうのはなかなか考えづらい道のりだけど、当時そういう仕事を下積みだったと感じていたかといえば、そうでもないんですよね。誰からも見向きもされないような仕事だったとしても、一つくらいは得るものがあったと今では思えるんです。いいスタッフと出会ったとか、いいロケ地が見つかったとか、些細なことでいいので、得たものがあればのちのち仕事に生かすことができる。

あとは、ドブ板仕事をやりながらも、好きなものを追いかけることはやめなかったというのがよかったのかもしれません。どうしても抜けないサブカル気質があるせいで、どんなに忙しくてもライブに行ったり、新作をチェックしたり、それだけは続けていました。当時は「いつかこの人たちと仕事するぞ」とかも思ってないし、ただ好きだから追いかけていただけですけど、結果的にそのことが今になってつながっているのは確かですね。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

■Netflixシリーズ「地面師たち」
Netflixにて独占配信中
全7話
出演:綾野剛、豊川悦司
北村一輝、小池栄子、ピエール瀧、染谷将太
松岡依都美、吉村界人、アントニー、松尾諭、駿河太郎、マキタスポーーツ
池田エライザ、リリー・フランキー、山本耕史
監督・脚本:大根仁
原作:新庄耕「地面師たち」(集英社文庫刊)
音楽:石野卓球
製作:Netflix
制作プロダクション:日活 ブースタープロジェクト
©新庄耕/集英社
「地面師たち」作品ページ

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大根仁が語る「地面師たち」と「演出家の仕事」 「50代以降は誰かのためになるような仕事をしたい」

PROFILE: 大根仁/映像ディレクター

大根仁/映像ディレクター
PROFILE: (おおね・ひとし)1968年生まれ、東京都出身。「アキハバラ@DEEP」(2006)、「湯けむりスナイパー」(09)、「モテキ」(10)など、ドラマや舞台、CM、MVを数々手掛けたのち、映画「モテキ」(11)で映画監督デビュー。主な演出作に、「まほろ駅前番外地」(13)、「リバースエッジ 大川端探偵社」(14)、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(19)、「エルピス —希望、あるいは災い—」(22)などのドラマ作品。監督作に、「恋の渦」(13)、「バクマン。」(15)、「DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~」(15)、「SCOOP!」(16)、「SUNNY 強い気持ち・強い愛」(18)などがある。Netflixシリーズ「地面師たち」が初の世界同時配信作となる。Netflixと5年独占契約を結び、新作のシリーズ・映画を複数制作することが9月30日に発表された。

「湯けむりスナイパー」や「まほろ駅前番外地」といった深夜ドラマから、映画「モテキ」や「バクマン。」などの脚本・監督、そして、大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」やドラマ「エルピス —希望、あるいは災い—」では演出を務めた大根仁の最新作、Netflixの配信ドラマ「地面師たち」が大ヒットしている。本作は2017年に起きた実際の地面師詐欺事件をもとにした小説「地面師たち」(著:新庄耕)を原作に、大根自らが映像化を企画、キャスティング案から脚本・監督までを手がけた意欲作。これまでのキャリアの総決算ともいえる本作の制作過程を中心に、ここに至るまでのディレクター人生についても話を聞いた。

Netflixが広く普及した今だからこそのヒット

——7月25日に配信されたNetflixシリーズ「地面師たち」が、日本におけるNetflix週間TOP10で長らく首位をキープするなど、反響の大きさについてはどう受け止めていますか。

大根仁(以下、大根):これまで自分が関わってきた作品とはまったく感触が違いますね。例えば、2022年に放送された「エルピス」とか、もっと前だと深夜ドラマから映画になった「モテキ」とか、業界内だったり一部の層の間ではある程度の話題になった感覚はありますけど、「地面師たち」はそういう規模じゃないんですよ。大げさじゃなく、飲み屋とかいろんな店で客が話題にしているのを耳にするし、飛行機に乗ったらタブレットで観ている人も見かけるし。

つい先日も、ヒットしたお祝いでリリー(・フランキー)さんに銀座の高級クラブに連れていってもらったら、入れ替わるお姉さんたち10人くらいが全員観てるって。店に来るお客さんたちも全員観てるって言ってました。そういう店ではお客さんとの話題づくりのためっていうのもあるとは思うけど、全員が観てるっていうのはすごいなと。今日なんかは五反田のサウナに入ってたら、若者とかではなく、人生の先輩たち……まぁ言っちゃえばそこらへんのじいさんたちが「あの『地面師たち』ってのはヤバいな」とか話してましたから。

ただこれは、作品に力があるのは前提としても、いまやNetflixが多くの人にとって手軽に観られるメディアになっている、というのが関係しているんだと思います。誰かにすすめられた時に、テレビドラマや映画を観るにはそれなりのステップが必要だけど、Netflixならスマホで帰りの電車の中でも観られるわけで。そういう視聴環境の要因は強く感じています。

——Netflixの普及がヒットの下地になっていると。

大根:「地面師たち」をきっかけに加入した人もけっこうな数いるでしょうから、そのへんはギャラとは別にボーナスという形でもらえるのかなって期待してますけど(笑)。あとは数字の話だと、映画だったら興行収入、テレビだったら今はもうだいぶあやしいとはいえ視聴率という明確な数字が出ますが、Netflixはよく分からないんですよ。日本のNetflix週間TOP10で何週間連続1位とか言われても、それがどういう数字なのか。

——メディアからの取材についても、映画なら公開前、ドラマなら放送前が定石ですが、配信ドラマだとタイミングに関係なく受けられますし。

大根:テレビドラマは放送が終わったらそれまでですし、映画でも公開後に話題になったから取材が増えるっていうのもほとんどないですからね。今回の場合、配信前よりも、配信後の方が3倍くらい多く取材を受けてますよ。「地面師たち」が数字を持っているのか、俺がペラペラ何でもしゃべると思われているのか分かりませんが(笑)。

あらゆる面で非常に人道的な制作現場

——Netflix作品ということでの最大の特異点は?

大根:表現の自由度が高い、というのは言わずもがなですが、制作の現場目線でいうと、一番は労働環境の真っ当さですかね。余裕のある制作期間が設けられた中で、1日の撮影時間もきっちり決まっていて、間に休みが必ずあって、あらゆる面で非常に人道的でした。僕自身、かつてはそういう時代だったとはいえ、鉄火場みたいな現場を散々渡り歩いてきて、タイトなスケジュールは当たり前、低予算こそ正義くらいに思っていた時期もありましたし、だからこそ生まれたような作品にも立ち会ってきましたけど、時間も予算もあるに越したことはないですからね。

——制作体制の規模が大きくなることで、意思の疎通に時間と手間がかかったりなどの不都合もなく?

大根:不都合はとくに感じませんでした。この例えが適切かどうか分からないけど、山下達郎さんが、ライブハウスの観客をちゃんと盛り上げることができたら、どんなに会場が大きくなっても大丈夫、でもその逆はない、というようなことを言っていて。そういう感じなのかな。これまでと変わらず現場で判断することは当然あるし、感覚を曲げることもなかったし、予算やスタッフの人数が増えたからといって柔軟性がなくなった、とかもなかったですね。それはこの「地面師たち」が自分の立ち上げた企画で、脚本と監督の両方をやれている、という出発点が大きいのかもしれませんが。

——「表現の自由度」ということでいえば、本作には暴力シーンやセックスシーンもありました。

大根:一部の人たちから「セックスシーンでなぜ服を着てるんだ」「リアルじゃない」みたいな反応がありましたけど、正直そこはもっと想像力を働かせてほしいなと思いましたね。別にあえて演出の意図を話す必要はないんだけど、もう言ってもいいかなと思って言うようにしているので言いますが、まず住職の川井菜摘がホストたちと複数プレイをしているシーンは、お目当てのホストの楓という男がその場にいて、自分以外のホストとのセックスでは脱がせない、裸になるのは俺とセックスする時だけだ的な、ある種の焦らしプレイという意図があっての着衣です。もう一つ、デベロッパーの青柳が服も脱がずに行為に及んでいるのは、彼のキャラクターを考えれば、そういうのが好きな男に決まってるでしょ。こんな野暮なこと言いたくないですが、とりあえず「Netflixから規制がかかってる」とか「コンプライアンスを意識してひよってる」とかの憶測は筋違いです。まあネットのそういう反応は想定内だし、観た人が何を言おうが自由ですけど、少なくとも作り手はその何千倍も考えて作ってますよと、そのくらいは想像してねって感じですかね。

そもそも演出家としての自分は、総合格闘家みたいなものだと思っていて、キックがダメとか寝技がダメというルールならそれに従いますし、何でもありならそれに相応しい試合をするだけ。そういう意味でNetflixは、限りなく何でもありに近い環境でしたよ。

フィクションの中で悪行を魅力的に描くことの倫理観

——本作は犯罪ものであり、企業ものでもあり、刑事ものでもあるという、ジャンルのミックスが感じられました。

大根:これまで自分はストレートな犯罪ものや企業もの、刑事ものをやったことがなくて、いつかそういうジャンルもののミクスチャーはやりたいと思っていたので、「地面師たち」の原作小説を読んだ時に、この作品ならできると思ったんですよね。

——ジャンルのミクスチャー感だけではなく、それぞれのシーンや描写ごとに、ここはリアルに忠実に、一方で、ここはファンタジックに、というような加減もミックスされているように見えました。

大根:おそらく原作小説の段階でもそういったイメージを持って書かれていたと思います。著者である新庄耕先生は、事件のことを散々調べた結果、実際の事件や現実がどうだったのか、例えば、詐欺師たちがどんな服装で、どんな場所に集まっていたかとかは、ある程度分かってはいたはずで。ただ、エンターテインメントである以上、Netflix作品であるということも含めて、そのへんのリアルを追求することだけが正解なのか。もちろん、シーンによってはリアリティーを重視した部分もありますが、ケイパー(犯罪映画のサブジャンル。泥棒、詐欺などを犯人側の視点で描くのが特徴)ものならではのケレン味だったりの見せ方の方を意識した部分も多くあります。

ただ、青柳のキャラクターは原作からもだいぶデフォルメしたのですが、実際に不動産会社で働いている知り合いが観たあとに連絡をくれて、「ああいうやついました」って(笑)。なので、いくらデフォルメしてファンタジーに寄せたとしても、ちゃんと刺さるものはあるんだろうなと思いますね。それは「半沢直樹」とかの、僕が勝手に「サラリーマン時代劇」と呼んでいる作品も同じで。

——登場人物たちを魅力的に描く、という点で意識したことは?

大根:今回のキャスティングが成功した時点で、もう十分に魅力的な作品になるだろうとは分かっていたので、そこからさらに演出なりでキャラクターをどうこう、というのはあんまり考えなかったですね。物語の性質上、観た人に憧れを抱かせたり、「こういう人になりたい」とか思われても困りますし(笑)。

——その点でいうと、物語の根幹である詐欺はもちろん、作中の暴力や殺人といった悪行の数々を魅力的に描くことの倫理観については、どう捉えていますか。
 
大根:基本的に自分の考えとしては、こう言うと語弊があるかもしれないけど、犯罪や悪事を扱うエンターテインメント作品においては、表現は自由でいい、と思っています。犯罪行為も暴力もファンタジーの一要素として存在させる以上、そこはとことん追求するべきだっていう考えです。中途半端な嘘で嫌な気分にさせるよりは、振り切ってファンタジーとして魅力的に描いた方がいい。今回の暴力や殺人のシーンなんて、リアリティーという意味では全然リアルじゃないでしょう。

そもそも、現実の地面師たちは殺人までは犯してないわけで、そこを突いて、本物の地面師は殺人を犯してないのにおかしい、サイコパスな人間は詐欺師にはならない、みたいな批評を見かけましたけど、この作品はフィクションでありエンターテインメントですよ、っていう。地面師詐欺事件のリアルを追求した作品ではないですからね。まあこれもまた観た人の自由ですけど、それなりに批評性がある識者とされている人がその程度のことを言ってるとガッカリはしますよね。

「瀧さんは詐欺師役です」「じゃあやる」

——本作ではインティマシーコーディネーターとして浅田智穂さんが入っていますが、大根さんは以前にドラマ「エルピス」でもご一緒されています。

大根:「エルピス」の時はそこまでセクシャルなシーンはなかったのですが、プロデューサーの佐野亜裕美さんがインティマシーコーディネーターを入れたいというので、参加してもらいました。個人的にはその「エルピス」の現場が初めてで、非常にやりやすかったですね。

それで、今回の現場でも改めて感じたのですが、インティマシーコーディネーターというと、役者の側に立つ人というイメージを持っている人が多いかもしれませんけど、実際は基本的に監督の側にも立ってくれる人です。どういったシーンを撮りたいかの意図を汲みながら、役者とコミュニケーションをとる、という役割。もし役者が演出意図に対して「それはちょっと……」ということがあれば、間に入って緩衝材になりつつ、撮影を進めてくれる。なので、もし“現場の敵”みたいなネガティブなイメージを持たれている方がいるのであれば、それはまったく違います。

——現場における演出家の仕事については、どういう役割だと捉えていますか。

大根:演出の仕事って、究極は2つしかないと思っていて。一つは脚本よりおもしろく撮ること。もう一つは、役者を魅力的に撮ること。テクニカルなことも最終的にはそのどちらかに内包されていくんですよね。

——今回は原作の小説を読みながらキャスティングを考えて、脚本もご自身で書いたということで、ほぼ当て書きだったと。

大根:そうですね。キャスティングについては、これまでに何回か一緒にやったことがある役者は当然として、初めての人だとしても、過去の作品を観たりすると、その役者のポテンシャルも分かるし、リミッターがどこにあるのかもなんとなく分かります。その上で、どういうタイプの芝居だったらリミッターをはずせるのか、感覚として掴めるんですよね。その勘を利かせることも演出家としては大事だと思うので、それが今回はうまくいったのかな。この先もしその勘が鈍くなったら、演出家としては潮時なのかもしれません。

——そして本作では、大根さんが監督を務めた「DENKI GROOVE THE MOVIE?〜石野卓球とピエール瀧〜」に限らず、公私ともに関係の深い電気グルーヴが2人そろって参加しています。ピエール瀧さんは詐欺師役、石野卓球さんが音楽(劇伴)と。

大根:瀧さんの芝居が話題として大きく取り上げられているのも誇らしいですけど、卓球さんの音楽もかなり重要な要素を占めています。もともと世界的なDJとして、聴衆を飽きさせることなく6時間とかの長いセットを組める人ですから、その感じで全7話の音楽をやってもらいました。

瀧さんが役者として出演する作品に卓球さんが参加するっていうパターンは今までなかったので、最初どうかなと思ったんですけど、話をしに行った時に「悪い奴ばっかり出てくるひどい話で、これなら卓球さんの音楽がばっちりハマります」「瀧さんは詐欺師役です」って伝えたら、「じゃあやる」って。そこから楽曲のイメージを伝えて、脚本を読んでもらい、デモ曲を何曲か作ってもらったのですが、もう最初から素晴らしかったですよ。

自分が一番喜ぶ仕事は40代で終わった

——大根さんのこれまでのキャリアを振り返ると、数々の深夜ドラマを手がけていた時期をへて、企画から参加するような映画の脚本・監督の仕事が中心となり、そのあとは演出家として依頼を受ける形で参加するタイプの仕事が続き……という変遷がありますが、ターニングポイントはありましたか。

大根:「モテキ」の映画化が2011年で、それ以降テレビから映画の方へ比重が移って、18年の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」で脚本と監督をやったあとくらいかな、この先、同じ方向性で仕事を続けていっても、縮小再生産になるような危機感があったんですよね。作品単体の出来や良し悪しではなく、自分の中で「この手法は前にも使ったよな」みたいなことが気になる感じ。それが50になる年だったので、このまま50代を乗り切るのはきついぞって思ってました。

それで、自分発信の企画や得意ジャンルの仕事はいったん休んで、別の角度からアイデアだったり手法や技術を学べるような仕事をしたいと思っていたところに、「いだてん〜東京オリムピック噺〜」のオファーが来たんです。大河ドラマはこれまでとはまったく違う方向性だし、でも脚本は宮藤官九郎さんだったので自分なりにできることもあるし、これはちょうどいいっていう。

あとは、17年からキリン一番搾りのCMの演出をやっていて、それが意外と自分の中では大きいです。CMの仕事は、ドラマや映画とは目的からしてまったく違うものなので、演出家としての自由度は少ないのですが、スタッフィングはそれなりに自由にできるんですよ。なので、これまで頼みたかったけど機会がなかった撮影監督や照明技師の人たちとCMの現場で初めて仕事をすることができて、だいぶいい経験になってますね。

——「地面師たち」で再び企画から脚本・監督までを務めたのは、依頼仕事をしていく中で、もう一度企画から最後まで自分が関わる仕事をしたい、という思いがあったからでしょうか。

大根:いや、正直なところ、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、自分が一番喜べる仕事はもう40代で終わっていて、50代以降は誰かのためになるような仕事をしたいと思ってやっているんです。「地面師たち」は自分から企画を持ち込んだので、結果的に自分も喜ぶ形にはなりましたけど、それよりも、日本発のNetflix作品が国内だけではなくグローバルレベルでヒットしているという祭りに乗っかっている意識の方が強いんですよね。今のヒットしている状況は大変うれしいですが、それもNetflixのためというか、配信メディアがもっと盛り上がった方が、映像業界全体が活気づくんじゃないかという、どこか冷静に見ている感じではあるんです。

——ドラマや映画に限らず、ミュージックビデオやライブ映像の演出、若い頃にはバラエティー番組まで、幅広く雑食的に仕事をしてきたことは、どう今につながっているでしょうか。それこそ、大根さんのディレクターデビューは宮沢りえのデビュー曲「ドリームラッシュ」のカラオケビデオという。

大根:そうそう、小室哲哉プロデュースの曲。しかもミュージックビデオじゃなく、カラオケで流れるビデオの方っていうね。若い頃はそういうカラオケビデオだけじゃなく、クイズ番組から健康番組まで、人がやりたがらない仕事もたくさんやってましたよ。そこからドラマや映画の監督になるっていうのはなかなか考えづらい道のりだけど、当時そういう仕事を下積みだったと感じていたかといえば、そうでもないんですよね。誰からも見向きもされないような仕事だったとしても、一つくらいは得るものがあったと今では思えるんです。いいスタッフと出会ったとか、いいロケ地が見つかったとか、些細なことでいいので、得たものがあればのちのち仕事に生かすことができる。

あとは、ドブ板仕事をやりながらも、好きなものを追いかけることはやめなかったというのがよかったのかもしれません。どうしても抜けないサブカル気質があるせいで、どんなに忙しくてもライブに行ったり、新作をチェックしたり、それだけは続けていました。当時は「いつかこの人たちと仕事するぞ」とかも思ってないし、ただ好きだから追いかけていただけですけど、結果的にそのことが今になってつながっているのは確かですね。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

■Netflixシリーズ「地面師たち」
Netflixにて独占配信中
全7話
出演:綾野剛、豊川悦司
北村一輝、小池栄子、ピエール瀧、染谷将太
松岡依都美、吉村界人、アントニー、松尾諭、駿河太郎、マキタスポーーツ
池田エライザ、リリー・フランキー、山本耕史
監督・脚本:大根仁
原作:新庄耕「地面師たち」(集英社文庫刊)
音楽:石野卓球
製作:Netflix
制作プロダクション:日活 ブースタープロジェクト
©新庄耕/集英社
「地面師たち」作品ページ

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嘘をつくぐらいだったら「嫌われてもいい」 漫画編集者・林士平がポッドキャスト番組でこぼす本音とヒット作の舞台裏

PROFILE: 林士平/漫画編集者

林士平/漫画編集者
PROFILE: 2006年に集英社に入社。「月刊少年ジャンプ」「ジャンプ SQ.」の編集者を歴任し、現在は株式会社ミックスグリーン代表取締役・「少年ジャンプ+」編集部員。現在の担当作品は「SPY×FAMILY」「チェンソーマン」「HEART GEAR」「ダンダダン」「幼稚園WARS」「BEAT&MOTION」「ケントゥリア」「おぼろとまち」「さらしもの」「クニゲイ〜大國大学藝術学部映画学科〜」。過去の立ち上げ作品は「ファイアパンチ」「左ききのエレン」「地獄楽」「カッコカワイイ宣言!」「ルックバック」「さよなら絵梨」など。アニメ・舞台・イベントの監修やプロデュース、アプリ「World Maker」企画なども手掛けている。

「少年シャンプ+」の編集者・林士平。これまで自身が担当してきた作品は「チェンソーマン」「SPY×FAMILY」「ダンダダン」などヒット作ばかりだ。ネット上では度々「有能」と形容される林が、7月から「Amazon Music」独占配信ポッドキャスト番組「イナズマフラッシュ」を開始した。各界のトップランナーをゲストに呼び、作品の舞台裏や仕事の悩みなどを赤裸々に展開しているが、なぜ「ポッドキャスト」を始めたのだろうか。番組で吐露されてきた漫画編集者としての葛藤や、音声メディアならではの「こぼれ話」についても聞いた。

目、疲れてませんか? 音声メディアの活路

——どういうきっかけでポッドキャスト番組を始めることになったのでしょうか?

林士平(以下、林):以前、この番組のプロデューサーの石井玄さんとイベントでご一緒させてもらった時に、楽屋で「ポッドキャストの番組をやりませんか」と声をかけていただきました。それで流されるように始まったというか、音声メディアに興味があったので、良い機会なので挑戦しよう、と思った次第です。1人しゃべりが苦手なのでもう少しトークの腕を磨きたいなと、課題感を持って挑んでいます。あと、ゲストを呼べるので、自分が会ってみたい人に会える機会だと捉えています。

個人的に音声メディアに期待している点は、「ながら」でインプットできることです。仕事でもプライベートでもディスプレイを使う時間が長いので目が疲れている。まず、聴く側として可能性を感じていました。

僕は動画配信のサブスクリプションはほぼ全部入ってるものの、見る時間が取れてないんです。ダウンロードして細切れになんとか……みたいな。大好きな読書も集中力を要するので積ん読が増えていくばかり。Kindleの本棚にある冊数を数えてみたら2万冊買ってることが判明して(笑)、最近は「Audible」を聴くことも多いです。

——「イナズマフラッシュ」のメインビジュアルは「SPY×FAMILY」の遠藤達哉さん、サウンドは牛尾憲輔さんが担当していますが、これは林さんからのオファーですか?

林:プロデューサーの石井さんからの提案でした。遠藤達哉先生には私から打診させていただき、ご快諾いただけました。サウンドの牛尾さんは、石井さんからソニーミュージックさんに依頼していただいた、と伺っております。素晴らしい絵と、キャッチーで耳に残る音楽で彩っていただいて、メチャうれしいです。

——「イナズマフラッシュ」では「これ話しちゃっていいの⁉︎」という所まで語ってますよね。

林:まだ手探りなところが大きいですけど、初回ゲストとして出ていただいた津田健次郎さんがすごかったですね(笑)。声のカッコよさだけでなく、トーク力の高さにも感服しました。ゲストに話を引き出していただいてしまいました。

——実際に番組を始めてみて、手応えは?

林:パーソナリティー側として感じるのは、リスナーとの近さ。顔が見えないからかな? 肩肘を張らないでいい空気を感じてます。独特のコミュニティーを感じることがあって、ついとりとめもない話をしてしまいます。今後の課題ですね。テンポ良く、リスナーの皆さまに面白い、役立つと思ってもらえるトークの濃度を上げていきたいです!あと、リスナーの皆さまからのメールもすごくありがたいので、どしどし待ってます。

素晴らしい声優さんや、コンテンツを作っている社長さん、脚本家さん、歌手の方や俳優さん、芸人さん、実写・アニメの監督など、第一線のさまざまな職種の方とお話ししていこうと企画中なので、全てのトークが、編集者としての糧になっている、いくであろうと実感しております!

——第2回では、アップル(Apple)から電話がかかってきたという話もされてました。

林:アメリカから電話があった話もしてましたね。内容は、マンガの表現についてでした。この手の表現の規制がこれからも広がっていくと厳しいことになるやも、と少し危惧しております。それでも「ジャンプ+」のアプリケーション自体が海外のプラットフォームに乗ってる限りは彼らのルールに従わなくてはいけないので複雑ですね。

——番組では、バナーの画像で胸の谷間の線を描くのも厳しいと苦言を呈されていて……。

林:ありましたね。「ジャンプ+」の場合は、7〜8カ国言語ぐらいで同時翻訳されているのですが、国によってもNGラインは全然違う。多少のローカライズは仕方がないと思っています。各国に適した表現に微調整しながらも、可能な限り全世界に作品をお届けするのも大事だと思います。

ただ、ローカライズで各国のルールに従うことは許容だとしても、日本において「日本人向け」に展開する表現のラインを他国に手渡すのは違うと思います。もっと議論していければいいんですけれど。

——難しさに直面する一方で、海外市場の可能性は大きそうです。番組ではロンドンの図書館に「ルックバック」が置いてあったと話されていて驚きました。

林:僕も驚いて、思わず写真を撮りました(笑)。売り上げで言うとフランスが大きいので、今度渡仏した際は書店さんだけでなく、図書館にも行ってみようかと思います。

「ダンダダン」は巻数が浅い時にフランスの一等地に広告を打っていただきました。フランスは日本のマンガをたくさん売ろうという意気込みが強くてありがたいです。フランス一カ国だけで、日本国内よりも売り上げている作品もありますよ。印税も日本より高いので、海外からの印税で暮らしている作家さんも増えています。

毎年、漫画の読者が世界中で増えている実感があるので、夢を見られる産業だと思います。いろいろな作品が売れて、お客さんと一緒に育っている。一方で日本の読者にまず受け入れてもらわないと意味がないので、現段階では最初から世界を狙って企画を始めることはありません。

常務にLINEで人事異動?

——林さんは「ジャンプ+」の編集者としてのイメージが強いのですが、この部署への異動は、ご自身で希望されたそうですね。

林:僕はもともと「月刊少年ジャンプ」「ジャンプSQ.」にいたんですけれど、なんだろうなぁ……面白いと思う作品がなかなか会議で通らなくて、自分に限界を感じていたんです。

自分の力不足が大きいですが、当時の編集方針下では「ファイアパンチ」は複数回会議に落ちましたし、「地獄楽」もなかなか通りませんでした。だんだんと、これまでとは違う場所でボールを投げてみたいと思うようになり、当時の常務にLINEをしました。

——人事ではなく?

林:常務とはお酒を一緒に飲むことが多かったので距離が近かったんです。常務に「お話があるんですけど、お時間ください」と送ったら、顔を合わせた途端「辞めるのか?」と聞かれました(笑)。「辞めたいのではなく、別の媒体でチャレンジしたい」と伝え、異動の希望を伝えました。

「ジャンプ+」に僕が入った時は、人手も作品も足りていなかったので、楽しく全力全方位で仕事をさせていただきました。あれもこれもやらないと回らない。そういう忙しさが自分には合っていたんだと思います。

——デジタルの部署になって作家さんの働き方も変わったそうですね。

林:そうですね。「ジャンプ+」の場合は、クオリティーが落ちたり健康を害したりするんだったら休む提案ができます。もちろん、休載すると読者はがっかりする。その点も踏まえて作家さんと相談しながら判断をしています。あと、作家さんや作品ごとに、週刊や月刊など連載ペースを選べますし、読み切りを365日掲載できる点も好きですね。

嘘をつくぐらいだったら「嫌われてもいい」

——漫画家さんへのフィードバックで気をつけていることは何でしょう?

林:思ったことは全部伝えちゃってます。ロジックで説明できることはみなさん納得してくれますし、分かりにくかった場合は「どうしてこの流れに?」と質問して議論すればいい。

「面白い」「つまらない」は感性によるので、「こうした方が面白いと思う」と提案はしつつ、相手に委ねます。ただ、描いたものが「つまらない」と言われたら大抵の人は傷つくので、言い方に気をつけつつも、ある程度は、敬意を持ってお伝えしているのであれば、作家さんも受け止めてくれると思っております。

逆に「面白い」と思っていないのに、お世辞を言う方がひどい気がします。お世辞は自分が作家さんに嫌われないためにつく嘘とも言えるじゃないですか。1回嘘をついたら永遠に続けないといけないのでコミュニケーションのカロリーも高い。僕は作品を良くするのが仕事なので、最悪……真摯に向き合った結果なのであれば、作家さんから嫌われてもいいんです。

あ、でも締め切りの嘘はあります(笑)。新年会などで先生たちが集合する時はヒヤヒヤしています。「ジャンプ+」では毎月5000ページを刷ってるので、入稿校了をズラさないと運営が厳しい事情もあるのですが。

——健康面やメンタル面はどうやってサポートされてますか?

林:「食べてます? 寝てます?」は打ち合わせでよく聞きます。漫画稼業は、スポーツ選手と似ているので身体のメンテナンスは大事。不健康だとメンタルにも支障が出てしまいます。

作家さんたちのスケジュールを見て、整体や鍼の予約案内をすることもありますし、この前は連載作家さんと2人でピラティスに行きました。プロだからこそ身体のケアも大事な仕事だと思ってます。

——編集者の仕事として、アニメ、舞台、映画などの監修もカロリーが高くなっていると伺いました。

林:作家さんによって関わり方はそれぞれです。「SPY×FAMILY」の遠藤先生は、隔週連載しながらアニメの脚本・美術設定・絵コンテなどを全部確認していましたし、全面的に託してくださる方もいます。

メディア展開する際は、原作の中で守らなくてはいけないことと、各メディアの約束事の落とし所をいつも探してます。昔からアフレコの現場には全話行ってましたし、最近はミュージカル脚本の調整もやりました。

——「SPY×FAMILY」ですね。

林:はい。スケジュール的に遠藤先生の監修が厳しかったこともあり、企画書を見せた上でオーディションなどは見ていただきましたが、「ここからの監修はお預けします」となりました。僕らもミュージカルの監修は初めてだったので、正直言ってかなり不安でした。ミュージカルは歌が多いし、短い時間の中で物語全てを追うのも難しい。歌が随所にあるので、自然な盛り上がりも必要です。とはいえ、物語の核となる部分が伝わらないのであれば「SPY×FAMILY」でやる意味がないし、登場人物が絶対しない言動があると、そのキャラクターが死んでしまう。脚本家や演出家の方々とは丁寧に議論を重ねました。遠藤先生には初日公演に来ていただいたのですが、緊張しながら観た記憶があります。結果的に皆さんにご満足いただけたので安心しました。

漫画における表現

——ポッドキャストで、「昔は若い時はよく怒っていた」と話されていて驚きました。林さんは順風満帆に見えるので。

林:あはは。怒りの感情は決して悪いものだけではないですからね。良い仕事を生み出すエネルギーに転換できるか、が大事だと、個人的には捉えております。

——先ほどの「アップル」の話に通じますが、表現を妥協すると物語の強度が落ちますね。表現のNGラインは曖昧な部分も多そうです。

林:そうですね。90年代によく見られた表現とか一部のギャグは、もう描けなくなってきていますよね。「今は大丈夫」でも未来はどうなるのか分からない。だからこそ「今の感性」で作ろうと思ってます。

誰も傷つかない表現は……多分、無理なんじゃないでしょうか。いたずらに誰かを傷つけるつもりはなくても、絵とストーリーがある時点で、どうしたって誰かを傷つけてしまう可能性がある。でも、傷つく範囲はどれくらいで、どういう傷なのかを自覚すること、そこの折り合いを探すのも編集者の仕事なのかなと思っています。自分ができることは「気をつけ続ける努力」しかないと思っています。

逆に「今までの普通」で傷ついてきた側の物語が出やすいのが漫画でもあるような気もしています。恋愛感情を抱かないセクシュアリティの「アロマンティック」を題材にした作品を担当させてもらったこともありますが、名前がついているだけで解決していない問題はたくさんある。こういう作品も世に出していきたいとも思っています。

——今後やりたいことは?

林:目先の話だと、あまたあるポッドキャスト番組の中で「イナズマフラッシュ」の存在感をしっかり出して、リスナーに届く番組にしていきたいです。また、ゲストの皆さまと、この場だけでなく、番組から生まれる何か、をお届けしていけたらうれしいなと願っています。

編集者としては、あと5年……10年は走り続けたいですね。あとは「イナズマフラッシュ」もそうですが、いろんな仕事ができるようになったので、毎日刺激で溢れてます。全部、漫画に生かせていければと思います。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)

■林士平のイナズマフラッシュ
毎週月曜日午前6時に最新エピソードを配信
メインビジュアル:遠藤達哉
サウンド:牛尾憲輔(agraph)
プロデューサー:石井玄(玄石)
制作:ニッポン放送
https://www.amazon.co.jp/inazumaflash

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英「10 マガジン」日本版の勝算 増田さをり編集長が渡辺三津子に語る

PROFILE: (左)増田さをり/「10 マガジン ジャパン」編集長(右)渡辺三津子/ファッション・ジャーナリスト

(左)増田さをり/「10 マガジン ジャパン」編集長(右)渡辺三津子/ファッション・ジャーナリスト
PROFILE: (ますだ・さをり)ラグジュアリーブランドのPRを経て、2005年にコンデナスト ジャパンに入社。「ヴォーグ ジャパン」編集部で要職を歴任し、08年にファッション・ディレクターに就任する。表紙撮影や海外でのファッションストーリーなどを担当したほか、多くのデザイナーインタビューも行った。23年2月に独立し、同年11月に「10 マガジン ジャパン」編集長に就任 PROFILE:(わたなべ・みつこ)資生堂「花椿」や「フィガロ ジャポン」「エル ジャポン」編集部を経て、2000年にコンデナスト ジャパンに入社。08年に現「ヴォーグ ジャパン」編集長に就任し、本誌だけでなくデジタルコンテンツの強化を13年以上にわたって進めた。22年に独立し、エディトリアル・ディレクターやファッション・ジャーナリストとしてさまざまな分野で執筆やプロデュースを行う

英国発ファッション誌「10 マガジン(10 MAGAZINE)」の日本版が9月18日に創刊した。編集長は「ヴォーグ ジャパン(VOGUE JAPAN)」でファッション・ディレクターだった増田さをりで、出版は世界文化社が担う。メディア事業が多角化する中、新たな紙媒体を発行する狙いとは。同誌にも参画し、「ヴォーグ ジャパン」時代の盟友である渡辺三津子が聞いた。

「10 マガジン」とは

渡辺三津子(以下、渡辺):さをりさんとは「ヴォーグ ジャパン」編集部で長く一緒に仕事をしてきたので、編集長となったさをりさんと新雑誌創刊の過程をご一緒できてとてもうれしいです。まずは、「10 マガジン ジャパン」の説明をお願いします。

増田さをり(以下、増田):「10 マガジン」はソフィア・ネオフィトゥ・アポストロウ(Sophia Neophitou-Apostolou)がロンドンで2000年に創刊しました。ソフィアはもともとスタイリストで、インディペンデントマガジン激戦区のロンドンで同世代の人たちが雑誌を出すのを見て、自分が発信できるビジュアル誌を作りたいと考えたそうです。同時にスタイリストとして「ヴォーグ」でも日本や中国、ロシア版などに関わり、私はそこで知り合いました。UK版は1冊約600ページもあり、家に置いて長く楽しんでほしいという考え方で、半年に1回、ウィメンズとメンズ版両方出版されています。今回の日本版はそれを合わせた作りで、創刊号は約340ページあります。

渡辺:内容はファッション、ビューティ、ジュエリーだけでなく、カルチャー、アート、旅など多岐にわたり、ビジュアルの力強さが印象的です。

増田:ロンドンはスタイリストもフォトグラファーも面白い人が常に周りにいるので、若手のクリエイティブな人材が出てきやすい環境です。ライターもSNSで連絡してくるので、興味があればすぐ編集者が会っていますし、スージー・メンケス(Suzy Menkes)やサラ・モーア(Sarah Mower)ら業界の第一線で活躍している人々も執筆しています。

渡辺:ロンドンはファッションを学べる学校が多く、世界中から若者が集まるという背景もあるでしょうね。そのあたりは日本も学ぶべきところがあると感じます。「10 マガジン」としては、そういう個性的な才能やジャーナリスティックな視点を重要視しているのですね。

増田:ものの見方がはっきりある方に参加していただきたい。撮影に関しては、今回の創刊号では日本的あるいはアジア的、つまり「西から」ではなく、「東から見たファッション」という視点を提案したかったので、関わる方たちもそういう絞り方になりました。

渡辺:今号の全体のテーマはソフィアと話し合って決めたのですか?

増田:全体のテーマは各国共通で、“Renaissance, Renew, Rising”でした。「多様なことを同時にできる才能を持った人々が新しい時代を開拓していく」という趣旨なのですが、それぞれの国でどういう誌面を作るかは自由です。毎週4カ国の編集長とのミーティングがあり、特集のテーマなどを共有します。制作したものはドロップボックスにビジュアルとテキストが順次上がるので、すぐジャッジできます。どの国の何を選んでどうエディットするかも自由なんです。

渡辺:私が今まで経験したグローバルマガジンでは、使用に際してある程度、許可や交渉が必要でしたが手間がなくていいですね。日本制作と海外のものとの割合はどれくらいでした?

増田:半々ぐらいで、日本が少し多いです。旅やデザインのテーマも面白かったので予定より他国のものが多めになりました。それと、4カ国とも同じ9月18日発売なんです。組織が小さいから(笑)、カジュアルな良さやライトさがある。それは一つのメリットだし、新しい形なのかなと思います。

渡辺:その共有の速さと自由さは少し驚き(笑)。インディペンデントな雑誌として25年間継続しているのはすごいことですね。

増田:ソフィアが編集者であると同時にものすごくビジネスマインドを持った人だからで、続けながら学んできたのだと思います。

渡辺:最初にオファーを受けた時はどう感じたの?

増田:迷いはなかったです。実際、日本でインディペンデントマガジンを1人でできるのかはちょっと不安でしたけど。1年前に創刊した「10 マガジン」US版の編集長が、昔「ヴォーグ ジャパン」のNYオフィスにいた同僚だったことも大きな助けになりました。

渡辺:さをりさんは、「ヴォーグ ジャパン」ではファッション・ディレクターでしたが、今回は会社を立ち上げて編集長になり、どこが一番違いましたか?

増田:大変だったけど面白かったのは、この年齢になっても新しいことが学べたこと。編集作業の一つ一つが改めて楽しいと感じられました。写真を見るだけでうれしく、テキストを読んで感動して。こんな気持ちになれたのはひさびさで、最初の読者として感動できたことが一番うれしかった。

渡辺:一通りいろいろなことを経験してきた後に、さらに心が動くことに挑戦できたのは素晴らしいと思います。さをりさんはブランドのPRの経験もあり、マルチなタレントを発揮している先駆け的な1人ですよね。これは一度どこかで発表したかったのですが、さをりさんを「ヴォーグ」に呼びたいと発案したのは私なんですよ(笑)。語学の堪能さだけでなく、世界のファッション業界の人々と“同じ言語”でコミュニケーションできる希少な存在だと思ったからです。そんなさをりさんが作るグローバルマガジンの今後が楽しみです。

増田:大丈夫かな(笑)。デジタルと違い、紙の媒体はページをめくる体験ができて、考えながら戻ることもできる。雑誌にこだわって人間味や温かみのあるものを提供したいし、瞬時に消費されるのではなく何年後かに見ても面白いストーリーだったな、こういう時代だったな、と思えるものをつくれたらいいなと考えています。

インディペンデント誌の強み

渡辺:ここ数年で「10 マガジン」はさまざまな国で創刊していますが、グローバル戦略の動きがあるのですか?

増田:伝統的な出版社の動きが新しい時代への対応に追われて最近、変化してきたという背景はあるかもしれません。そこで、小回りの利く媒体の強みが生かされるのではないかと。

渡辺:なるほど。それには、オリジナリティーとクオリティーを常に高く保つ必要がありますよね。

増田:ただの情報提供ではなく、誰かの視点が大切で、それが強ければ読者の意識にも残るし、同時にその時代を反映するものになると思います。実際、UKではテキストが面白くなければリライト依頼やボツになることもある。写真家も無難にきれいに撮るのではなく、「この人でなければ撮れない写真」ということに私もこだわりました。ビジョンがなければ何かを伝えることはできないと感じます。

渡辺:ちょっと心配になりましたが、私の日本デザイナーの特集の原稿は大丈夫だったでしょうか?

増田:急に何ですか(笑)。読んですぐ面白かったって伝えたじゃないですか。

渡辺:「10 マガジン」の基準がそんなに厳しいと今知ったから(笑)。一方で編集とは別の話ですが、幅広い部数を狙う雑誌ではないからこそ、そのビジネスモデルも気になります。

増田:「10 マガジン」の営業担当は、実は世界全体でロンドンに1人だけなんですよ(笑)。やっぱり最終的にはクリエイティビティーなのだと思うんです。より強く、よりエッジィな視点で他と差別化できるコンテンツが作れるということが一番の強みになり、広告のクライアントに対するビジネスが成立するのだと感じます。

渡辺:同じようなものばかり並んでも価値は生まれません。同質化する状況に一石投じられる存在になるといいですね。

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「こうなった以上、青瓦台に行く」脚本家ユン・ソンホ ユーモアとホープパンクで、日常に希望を

PROFILE: ユン・ソンホ/脚本家、演出家、監督

ユン・ソンホ/脚本家、演出家、監督
PROFILE: 2001年、大学生の時に短編映画「三千浦へ行く道」を制作。その後、21年間で短編20作、長編3作、ドラマ15作を発表した。ウェブドラマの初期の頃の作品が多く、代表作に「空腹な女」や「抜群な女」がある。最近では、Waavveオリジナルドラマ「こうなった以上、青瓦台に行く」やTVINGオリジナルドラマ「ミジの世界 s2e1」の脚本・演出を手掛けている PHOTO:BEAK JONG HEON

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にも繋つながっているのは明白だ。その韓流ドラマ人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの作品の脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッション性に至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.6は、ユン・ソンホ。代表作「こうなった以上、青瓦台に行く」(以下、「青瓦台に行く」)は政治を風刺したブラックコメディ。同作は2021年に韓国のVODストリーミングサービス「ウェーブ(waavve)」で公開され、シネ21誌で「今年を輝かせた作品」第1位に選ばれ、第58回百想芸術大賞では作品賞、演出賞、脚本賞、助演男優賞の4部門にノミネートされた。ユニークでありながらも、憎しみを生まない作風に定評があるソンホに、予想外な展開のモノ作りの裏話、風刺作品についてや影響を受けた日本の映画やドラマまでを尋ねた。

――脚本を書く際、現代社会の不安を煽るような言葉を避けるなど意識していることはありますか?

ユン・ソンホ (以下、ソンホ):誰かを傷つけるような作品にならないために意識していることの1つは、言葉の使い方に基準を設けることです。刺激的な表現を多用しないように気をつけています。

一方で、差別的な言葉や侮辱的な表現を意図的に使うことで、視聴者にそれ自体が問題であることを認識させるようにしています。問題意識を高め、差別的な表現が容認されるべきではないというメッセージを伝えられるからです。

例えば「青瓦台に行く」の中で、 ある男性が「ターモンヌンダ(따먹는다)」といういかがわしい言葉を女性にかけたとき、彼女は笑いながら「あなたは何様なの?」 と言い返すシーンがあります。下品な言葉を掛けられた人の抗う反応を描くことで、視聴者が同様の問題に直面した際にどのように対応すべきかを考える助けになると思います。

――「青瓦台に行く」で、政治家たちの会議は形式的で実質的な進展がない、まるでプロレスの試合のようだと表現していました。

ソンホ:その表現はネットの書き込みやコメントを参考にしました。中には私がドラマで作ったナレーションよりも、韓国の与党と野党がやり合っている状況を上手に言い表しているコメントがたくさんあります。例えば、「政治討論は本当の議論ではなく、形式的に会議をすすめているように見えるから『空手の組手』」と言う人もいました。韓国は政権が変わると社会も様変わりするので、世界的に見ても国民たちの政治への関心はとても高いですね。

――ネガティブなテーマを笑いに転換させるテクニックを教えてください。

ソンホ:まず、私は脚本と演出の両方を手がけているため作品のコントロールがしやすいことが前提ですが、ブラックコメディを作る上でセリフの意図やニュアンス、トーン、言い回しをしっかり俳優に伝え、お互いに確認しながら進めることが重要です。

あとは個人的な感情と一定の距離を置くことですね。政治、仕事、男女関係などあらゆるテーマをブラックコメディとして扱えますが、主題から離れた客観的な視点を持つからこそ、物事を別の視点から考察する様子が描けると思います。

――影響を受けた作品はなんですか?

ソンホ:国内外の作品から影響を受けています。例えば、日本の作品はシリアスなテーマを扱いつつも、 意図的ではない絶妙な間で笑いの要素を入れているところにおもしろさを感じます。特に今村昌平監督の「楢山節考」にブラックコメディの要素を感じますね。人間関係の本質を追求したシリアスな作品ですが、登場人物を俯瞰して見るような描き方に学ぶものが多くありました。この作品は、すごくリアルに人間の生きる姿を描いているものの、状況を大袈裟に描いたり、残酷な姿や苦しんでいる表情をクローズアップしません。全体を見渡すことで、あらゆる感情が交差しているように感じられる素晴らしい作品だと思います。

――最近の作品ではどうでしょうか?

ソンホ:坂元裕二さんが脚本を担当した「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう(以下、いつ恋)」や「最高の離婚」がとてもおもしろかったです。自分も「いつ恋」の現実的で不穏な雰囲気と昔の日本のドラマ「ロングバケーション」の楽観性を掛け合わせたような作品をいつか作りたいですね。余談ですが、韓国のロマンティックコメディを作る脚本家たちは、1990年代の日本のドラマから影響を受けている人が多いと思います。

――韓国のドラマや映画の中で食事をしているシーンに特にエネルギーを感じます。過去に作ったモバイルドラマシリーズでは、日本の「食」に影響を受けたそうですね。

ソンホ:世界には、シェフやレストランをテーマにした作品はとても多いですが、これまで日本の食を取り上げた作品の多くは料理人よりも日常の食卓やリアルな食事風景を描いてきたと思います。

日本の脚本家は、日常の何気ない瞬間を描くのがとても上手ですよね。例えば、買い物から料理、食事に至るまでのプロセスをエネルギッシュに描き、その後のシーンで「今日も1日終わりだね」と締めくくることで、どこかホッとするような楽観的なシーンが多いように感じます。しかし、私がもし脚本を描くなら、食事が終わった後に「おなかはいっぱいになったけど、まだ解決しない問題が残っている。それでも、今日はこのまま終わっていくんだ」と描くと思います。日常で解決できない問題や悩みがあっても、それを抱えながら過ごしていくというリアルな一面を表現したいからです。

――韓国のドラマや映画は世界に広く普及していますが、今後のキャリアをどのように考えていますか?

ソンホ:脚本も演出もやっているため、今は現場で監督と呼ばれることが多いんですが、今日の取材で脚本家と呼ばれることがとても嬉しいです。今後は、演出よりも脚本を書くことに専念していきたいですね。

体力的な理由もありますが、世界で起こっている戦争や環境問題、災害など複雑な問題を違った側面から描きたいからです。現在のドラマや映画の多くは、これらの問題を極端に表現するか、全く反映させないかに分かれているように感じます。アポカリプスやディストピアの物語が人気の一方で複雑な問題の中でもささやかな日々の楽しさを描く物語、「ホープパンク」の精神で希望を描きたいですね。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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菅田将暉 × 黒沢清 映画「Cloud クラウド」が描く「普通の人がギリギリに追い込まれる現代社会」

PROFILE: 左:菅田将暉/俳優 右:黒沢清/映画監督

左:菅田将暉/俳優 右:黒沢清/映画監督
PROFILE: 左:(すだ・まさき)1993年2月21日生まれ、大阪府出身。2009年、「仮面ライダーW」で俳優デビュー。「共喰い」(13)で第37回日本アカデミー賞新人俳優賞、「あゝ、荒野」(17)で第41回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。近年の主な映画出演作に「銀河鉄道の父」(23)、「君たちはどう生きるか」(23/声の出演)、「ミステリと言う勿れ」(23)、「笑いのカイブツ」(24)、「劇場版 君と世界が終わる日に FINAL」(24)などがある。25年には映画「サンセット・サンライズ」(25年1月公開)ほか、Netflixシリーズ「グラスハート」が控えている。 右:(くろさわ・きよし)1955年7月19日生まれ、兵庫県出身。大学時代から8ミリ映画を撮り始め、長谷川和彦、相米慎二に師事。「CURE」(97)で世界的な注目を集め、「回路」(00)で第54回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。「トウキョウソナタ」(08)では、第61回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞ならびに第3回アジア・フィルム・アワード作品賞を受賞。連続ドラマ「贖罪」(11/WOWOW)では、第69回ヴェネツィア国際映画祭にテレビドラマとして異例の出品を果たしたほか、多くの国際映画祭で上映された。2024年は、配信作品としてはじまった「Chime」、フランス製作のセルフリメイク「蛇の道」が公開され、3作目となる「Cloud クラウド」が公開する。

今年に入って、「蛇の道」「Chime」と新作の公開が相次ぐ黒沢清監督。そんな中で新たに公開される「Cloud クラウド」は、近年、社会的に問題になっている転売屋を主人公にしたスリラー作品だ。工場で働くかたわら、転売で稼いでいる吉井。吉井が知らず知らずにまいた憎しみの種はネットで大きく成長して、やがて吉井に襲いかかる。吉井を演じたのは黒沢作品に初めて参加した菅田将暉。黒沢監督が絶賛する演技力で菅田は物語を引っ張っている。現代社会に生きる「普通の人」が巻き起こす恐怖を描いた本作について2人が語ってくれた。

※記事内には映画のストーリーに関する記述が含まれています。

——「Cloud クラウド」の主人公、吉井は転売で儲けることに夢中で、そのために他人が傷ついても構わない。でも、根っからの悪人ではなく、ごく普通の男ですね。吉井というキャラクターはどのようにして生まれたのでしょうか。

黒沢清(以下、黒沢):たまたま僕の知り合いに転売をやっている男がいるんです。彼はごく普通の男で一生懸命に転売をやっているんですよね。なんで転売をしているかというと、一度、会社に勤めたんだけど全然うまくいかなくて、そこを辞めて1人で生きていくために転売を始めたんです。転売があまり良いことではないと知っていながらも、朝から夜まで商品を梱包したり、発送したり、実に真面目に働いている姿が、ある意味、微笑ましく、悲しく、ちょっと愉快でもありました。「こうやって、人はどんな苦境の中でもしたたかに生きていくんだな」と感じたんです。そして、転売というのは、現代社会ではありふれた生き方の一つなんだろうな、とも思いました。そういったことが興味深くて、吉井というキャラクターを考える上で友人のことは参考にさせてもらいました。

——菅田さんは吉井という人物のどんなところに興味を持ちました?

菅田将暉(以下、菅田):まず、どんなキャラクターか分からないところに興味を持ちました。でも、どういう人物なのか、ということを掘り下げることはしませんでした。というのも、台本を読めば彼の行動がキャラクターを表していることが分かったからです。台本に書かれていることをしっかり遂行していけば大丈夫だと思いました。ただ、会話している時の声のトーン、息をするポイント、視線を通じて、話をしている相手に「こいつムカつくな」と思わせるポイントを、ところどころ入れなきゃいけないとは思っていて。そこはちょっと難しいところでした。

——吉井は窪田正孝さんが演じる先輩に「自分は関係ないって顔するなよ」と言われたりしますが、吉井は本人が意識していないところで相手をイラつかせる何かを発してしまっているんですね。

菅田:そうなんですよね。相手にまったく興味がないわけではないんです。吉井なりに話を聞いているけど、ちょっと違う方向に気がいっているだけで。そういうところをどうやって出していくかは、現場で調整して監督に判断してもらえば良いと思っていました。

黒沢:今、思い出したんですけど、「自分は関係ないって顔するなよ」って言われるくだりで、吉井がゲームで先輩に勝ってしまうところの菅田さんのリアクションはうまかったですね。

菅田:ああ、あそこは面白かったですね(笑)。

黒沢:吉井は先輩に勝ったら気まずいのが分かっていながら、うっかり勝ってしまった。「あ、どうしよう」と思った吉井の気持ちが手の動きで表現されているんです。僕は何も指示していなかったんですけど、その手の動きを見て「吉井ってこういうヤツなんだよな」っていうのが伝わってきました。「あなたとはずっとこれぐらいの距離感で、近づきも遠ざかりもしたくない」って思っているのが。

——吉井は他人との距離感に敏感で、他人に近づいたり、近づかれたりすることを負担に感じるんでしょうね。だから人間関係がこじれてしまう。

黒沢:そうなんですよ。

菅田:「よっしゃ! 先輩、俺勝ちましたよ」って言えば、どれだけかわいいかっていう話なんですけどね(笑)。

——荒川良々さんが演じる会社の上司が吉井のアパートを訪ねてきた時、吉井が慌てて居留守を使うシーンがサスペンスフルに描かれていたのが印象的で、吉井にとって人間関係がネックなのが伝わってきました。

菅田:そのシーンは現場に行くまで、あれほどスリリングなものになるとは思ってなかったです。現場で黒沢さんに動きをつけてもらう中で、これはただ事じゃないな、と分かってきた。想像していた以上に丁寧に演じました。

——そういうエピソードを通じて吉井の普通さが伝わってきて面白いですね。

菅田:吉井が淡々と悪事を遂行していく様子は、バカバカしく見える時もあれば、頭がキレる犯罪者のように見える時もあるし、普通の青年に見えることもある。本人は真面目に悪事を働いているだけなのに、どんどん環境が変わって物語が動いていくんです。

吉井の変化

——吉井も他のキャラクターと同様に状況に翻弄されているんでしょうね。最初、吉井は感情をあまり表には出しませんが、映画の後半になって追い詰められることで人間的な感情が出てくる。映画を通じて吉井が大きく変化していくのも本作の見どころです。

黒沢:順番に撮っていったわけではないのですが、菅田さんの演技は見事に計算されていました。おっしゃる通り、話が進むにつれて吉井は恐怖でだんだん感情を見せるようになり、最終的にはその恐怖の感情を超えたところに至る。感情面でものすごく振り幅がある役なんですけど、菅田さんはそれを見事に表現されていました。吉井の大きくうねる感情を、そして、その感情がまだ爆発しない曖昧な状態も全部表現されていた。だから、観客は吉井に乗っかって最後まで観ることができるんです。

菅田:ちゃんと素直にリアクションするところ、しないところというのは意識していました。例えば目の前で初めて人が殺されると素直に怖いしパニックになる。でも、そういった出来事が終わった瞬間、「ネットに出した商品、どうなってるかな?」と言い出す余裕のなさみたいなものも一貫していて。だから、常に感情は複合的に、と思っていました。一つの感情で動くことはなかったと思います。

——菅田さんは黒沢監督の作品に出演されるのは今回が初めてですが、監督の演出はいかがでした?

菅田:ほんとうに楽しかったです。撮影の流れはどの現場もおおむね同じですけど、黒沢さんが「じゃあ、このシーンをやります」と決めて、演者に説明や動きをつけていく時は、宝箱が一つひとつ開いていくような感じなんです。「あ、ここはこんなこと起こるんだ」って、黒沢さんが出してくるアイデアが毎回楽しかったです。黒沢さんの頭の中が覗けるようで。

リアリティーのある演技を追求

——映画は予想外の展開をしますね。最初はサスペンスフルに進みながらも、途中から物語の雰囲気がガラリと変わって激しいアクションが繰り広げられていきます。

黒沢:今回の映画の出発点は、現代の日本社会に生きる普通の人々が、最終的に殺す、殺されるというすさまじい関係になっていく物語を作りたい、ということでした。普通の人ってどういう人?と言われると難しいのですが、基本的には反応が曖昧な人というか。そこではっきりと決断していれば人生が変わったかもしれないのに、心の中で葛藤があってすぐに決断ができない。というのが、普通の人にありがちなことじゃないかと思います。この映画の登場人物は、ギリギリになるまではっきりしないまま生きてきた人たち。そういう人たちが曖昧なままでは済まされない状態に立たされるんです。

——最後にはとんでもない状況になります。日本の映画の多くは、銃が出てきた途端に嘘っぽく見えますが、本作ではアメリカ映画のように自然に銃が映像に溶け込んでいました。

黒沢:そういう作品になるために頑張りました。日本では銃を日常生活の中で見ることはありません。銃を初めて見た人、握った人、撃った人はどんな感じになるのか。そういうことを想像しつつ、アメリカの映画とかドキュメンタリーを観直して、日本でも起こりうることとして描こうと思いました。銃を抜いたりすると、日本の映画では銃にカメラのフォーカスを当てるんですよ。でも、アメリカでは役者の顔を映す。銃を撃つからといって銃をことさら意識しない。日常の中に銃があるから、銃を抜くのは当然の成り行きとして撮影しているんです。そこがすごいと思って、今回の撮影でもその辺りは気をつけていました。銃撃戦にリアリティーを出すために、照明、小道具、音響、みんな一丸となって頑張ったし、俳優さんにも銃を撃った時の反動とか、芝居も工夫してもらいました。

菅田:この映画の銃撃シーンは、「撃つぞ!」と叫んで銃を撃って相手が倒れる、という段取りではないんです。何かをしている時に撃たれたりするし、撃たれてうめいている人の横を移動したりする。だから、目の前で起こっていることや銃撃音にちゃんとリアクションするようにしていました。

——普通の人たちが追い詰められて殺し合いを始める。そういった状況が、閉塞した現代社会を表現しているようにも思えました。そこでインターネットが重要な役割を果たしていて、相手の顔が見えない中で、インターネットで悪意や憎悪が広がっていくのも現代的ですね。

黒沢:確かにそうですが、「インターネットが全ての原因」という物語にはせず、インターネットは現代社会のありふれたものとして使わせていただきました。きっかけはインターネットですが、一番の問題は普通に生きてきた人たちが、気がついたら「殺す」「殺される」みたいな状況になるギリギリのところにいた、ということなんです。いろんなところでいろんな人が、実は崖っぷちギリギリまでいってしまっている、というのが今の社会なのかな、と思いますね。それがテーマではなかったのですが、結果的にこの映画は現代社会を描いたものにもなっていると思います。

——確かに今の社会は、貧困だったり人間関係だったり、いろんな理由で「普通の人たち」の多くが精神的に追い詰められている気がします。

黒沢:その原因がどこにあるのか分からないから、より追い詰められるんですよね。原因が何か分かっていれば、そこから距離が取れるんですけど、原因が分からないまま崖っぷちにいる人が多いんじゃないでしょうか。

——吉井も工場で働きながら転売をやって、ギリギリ感がありますよね。そして、「普通の人たち」の1人だった吉井も、極限状態に立たされて最後に大きな決断を迫られる。

菅田:良くも悪くも、最初は不特定多数のうちの1人だった吉井が、最後に何者かになってしまうような瞬間がある。もう引き返せないところまで来てしまう。多分、銃撃戦の前までなら、吉井は引き返せるところにいたんです。死を前にした時に人間性って出るじゃないですか。そういうギリギリの人たちの描き方も、この映画の特徴だと思います。

黒沢:ここまで特別な経験をした吉井は何かの強さを持ったかもしれない。もしかしたら、この後、吉井は世の中をひっくり返すようなことをするかもしれない、と観客が想像してくれたらいいなあと思ったりもしているんですよね。それは希望と言えるものではないのですが、そう感じてもらうことで観客が普通のアクション映画とは全然違う爽快感を味わってくれたらいいな、と密かに期待しています。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLIST:(菅田)KEITA IZUKA
HAIR&MAKEUP:(菅田)AZUMA(M-rep by MONDO artist-group)

■「Cloud クラウド」
9月27日全国公開
出演:菅田将暉
古川琴音 奥平大兼 岡山天音 荒川良々 窪田正孝
赤堀雅秋 吉岡睦雄 三河悠冴 山田真歩 矢柴俊博 森下能幸 千葉哲也 / 松重 豊
監督・脚本:黒沢清
音楽:渡邊琢磨
撮影:佐々木靖之
製作幹事・配給:日活 東京テアトル
制作プロダクション」日活 ジャンゴフィルム
©2024「Cloud」製作委員会
https://cloud-movie.com

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髙石あかり × 伊澤彩織 「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が見せる「日本発アクション映画の面白さ」

PROFILE: 左:髙石あかり 右:伊澤彩織

PROFILE: 左:(たかいし・あかり)2002年12月19日生まれ、宮崎県出身。2019年に女優活動を本格化。その後も映画をはじめ、舞台や数々のテレビドラマへの出演を重ねている。2021年の映画初主演作「ベイビーわるきゅーれ」が大ヒット。23年には、「わたしの幸せな結婚」、「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」などでの演技が評価され第15回TAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞。近年の主な作品は、「新米記者トロッ子 私がやらねば誰がやる!」(24)、声優として参加した「きみの色」(24)などがあるほか、11月1日公開予定の映画「スマホを落としただけなのに~最終章~ファイナルハッキングゲーム」や12月27日公開予定の「わたしにふさわしいホテル」などが控えている。 右:(いざわ・さおり)1994年2月16日生まれ、埼玉県出身。スタントとして映画「るろうに剣心最終章 The Final/The Beginning」(21)、「ジョン・ウィック:コンセクエンス」(23)などに参加。2021年に「ある用務員」で俳優デビューし、「ベイビーわるきゅーれ」では第31回日本映画批評家大賞新人女優賞を受賞。最近の主な出演にクリープハイプ「青梅」やドレスコーズ「聖者」、Tofubeats「I can feel it」のMV、舞台「Saga the STAGE ~再生の絆~」などがある。24年7月に発売されたゲーム「祇:Path of the Goddess」ではアクションコーディネーターを担当している。

社会にうまく適合できない殺し屋女子2人組のゆるい日常と、躍動感のある本格アクションが交わる唯一無二の世界観で、2021年第1作の公開直後から瞬く間に話題となった阪元裕吾監督の青春バイオレンスアクション映画「ベイビーわるきゅーれ」シリーズ。その第3弾となる「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が9月27日から公開された。

殺し屋協会に所属する「ちさまひ」こと杉本ちさとと深川まひろの殺し屋コンビが、出張先で史上最強の敵に追い詰められていく本作は宮崎各地でロケを敢行。これまでにない驚きのロケーションや規模でのアクションが展開される。杉本ちさとを髙石あかりが、深川まひろを伊澤彩織が演じるほか、水石亜飛夢、中井友望、飛永翼(ラバーガール)らおなじみのキャストも出演。過去最強の敵である一匹狼の殺し屋・冬村かえでを演じるのは「ぼくのお日さま」「本心」など話題作の出演が続く池松壮亮。そしてちさまひに同行する先輩殺し屋・入鹿みなみ役には「一月の声に歓びを刻め」での名演が記憶に新しい前田敦子が参加する。

製作陣が全力を振り絞り作り上げた「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」の見どころについて、主演の髙石あかりと伊澤彩織に語ってもらった。

——「ナイスデイズ」の台本を初めて読んだ時の感想を教えてください。

髙石あかり(以下、髙石):阪元さんの作る台本って、他とはまた違う読みごたえがあるんです。漫画や小説に近い、それだけで一つの作品として出せるレベルで。アクション場面も単にアクションが書かれているわけではなく「この時この人はこう思った」というような心情もみっちり書かれているんです。だから仕事として「台詞を覚えるために台本を読む」というより、物語としてどうなっていくんだろうと思いながら読んでいました。私も「ベビわる」の物語のファンの1人として、続きが読めてうれしかったです。

伊澤彩織(以下、伊澤):確かに私も自分が演じるものとしてではなく、「ベビわる」続編の小説を読んでいる感じでした。ちさまひと同時にかえでの気持ちにも胸が苦しくなっちゃって。初めて読んだ時は泣きながら「面白い……!」ってなってました(笑)。

——阪元監督は1作目の段階で、3作目の話が浮かんでいて皆さんにその話をしていたと伺いました。その時に聞いていた内容と、今回の内容は同じだったんでしょうか?

髙石:当時なんて言ってたっけ……。監督は結構「4はこう、5はこう」みたいな話をするんですよ。だからもうどれがどれか分かんなくなる(笑)。

伊澤:もともと2作目と3作目は同じ時期に撮影する予定だったんです。その時撮影予定だった「幻の3」も実はあるんですよ。でも3の撮影を1年延期したことによって、全然違う内容の作品ができました。

髙石:「幻の3」もボロ泣きでした。すごい話だったのでまたどこかでやりたいです。

伊澤:そうやって監督の中に、ちさまひで描きたい物語がいろいろあるのはすごくうれしいですよね。

——今回の敵・冬村かえでを演じた池松壮亮さんは素晴らしい迫力でしたね。

伊澤:池松さんが画面に映った瞬間、引き込まれ方が全然違いますよね。監督から「前作と前々作は2人が仕事をしている話ではなかったから、今回はちさまひが仕事をする話にします」と言われていて、アクション監督の園村(健介)さんともこれまでと違うシリアスな殺し合いのアクションシーンをやりたいねと話をしていたんです。それをかなえてくれたのが池松さんでしたね。「ベビわる」の世界を一気に緊張感MAXにしてくれました。

髙石:圧倒的な力を持っていて怖いのに、かわいらしさや人間らしさもかえでという役に詰め込まれていて……池松さんがいたことで「ベイビーわるきゅーれ」の質が変わる続編になったのかなと思います。

——一方で先輩殺し屋・入鹿みなみ役を演じた前田敦子さんには笑わされました。前田さんと現場でご一緒されていかがでしたか?

伊澤:とっても優しかったです。パンを私たち2人に「食べて」って差し入れをしてくれて。撮影が昨年の9月くらいでハロウィンが近かったので、泊まっていたシーガイアのパン屋さんにはグルグル巻いたミイラのパンとか、一つ目小僧のパンとかたくさんあって。あれおいしかったな。

髙石:ちょうどこの映画が公開される時期がハロウィンに近いので、宮崎に行けば皆さんも食べられんじゃないかなと。前田さんが差し入れをくれたのが、オープニングのアクションシーンを夜遅くまで撮るぞってタイミングだったので……優しさがしみました。

宮崎県での撮影

——「ナイスデイズ」の舞台となる宮崎県での撮影はいかがでしたか?

髙石:私は宮崎が地元なんですが、長年ご一緒している伊澤さんや阪元監督、スタッフの皆さんと地元で撮影ができることは大きな喜びでした。宮崎に大好きな人たちが来てくれて、またプライベートでも行きたいと言ってくれる方もいて、それが何よりうれしかったです。

伊澤:私もプライベートで行きたいな。

髙石:うれしい!

伊澤:撮影期間中はチキン南蛮定食を食べたくらいで、あんまりどこにも行けなかったんですよね。もっと焼酎を浴びたかったんですけど……。

髙石:買って帰ってたよね(笑)。

伊澤:撮影中はあんまりお酒が飲めなかったので。

髙石:でもシーガイアに泊まってたじゃないですか。私は実家でしたけど。シーガイアっていうのは今回の撮影でも使わせていただいているホテルなんですが、そこに泊まれるなんて宮崎の夢ですよ。私も人生で1回しか泊まったことがない。

伊澤:3週間泊まっちゃった(笑)。

髙石:いいな〜〜〜!私も部屋に遊びに行って、一緒に寝て、休憩したりはしていました。

——髙石さんの実家には行かれたんですか?

伊澤:行きたかったんですが……行けなかったんですよね。

髙石:でも親が撮影を見に来てくれてあいさつはしましたよね。

伊澤:おにぎりと豚汁を差し入れに持ってきてくださって。

髙石:でっかい給食みたいな鍋でね。「おかわりいる人!?」って感じで。監督はめっちゃおかわりしてました(笑)。

伊澤:お弁当生活が続いてたからしみましたね……。監督も「これ!これですよ!」って言いながら豚汁の温もりをかみしめていました(笑)。

「2人で1つ」から「1人じゃない」へ

——「ナイスデイズ」ではちさまひの距離感がかつてないほど親密に描かれていますが、本作の2人の関係性について阪元監督からどのようなディレクションがあったのでしょうか?

伊澤:ちょっとしたニュアンスの違いですが、前作の時は「2人で1つ」と言われていたのが、「ナイスデイズ」は「1人じゃない」って言われて。同じ意味のようだけど、少し違うというか。

髙石:確かに!シーンごとにそのつどディレクションはありましたけど、作中で一貫していたのは「1人じゃない」でしたね。

——若い女性を主人公にしながら、女性性を強調したり、ありがちな恋愛などを描かないことも「ベイビーわるきゅーれ」の魅力の一つと感じていますが、阪元監督のこのような人物描写についてどう思われますか?

伊澤:やっとこういう人が現れたというのは思いましたね。これまでアクションシーンにも女性性や制服が求められたりだとか、動きとは関係ない意味を持ったアクションシーンを求められることがあったんです。「ベビわる」のアクション監督である園村さんが手掛けた「HYDRA」(2019)を観た時に「私がやりたいアクションはこういうものだ」と感じたのですが、それをかなえてくれたのが園村さんと阪元さんでした。今まで悶々としてた分、ちゃんと自分がやりたい形でアクションができているなというのは自覚していますね。

——フォーマルからゆるいものまで、「ナイスデイズ」の見どころの一つが幅のある2人のフッションですよね。着られた2人の考える、衣装の注目ポイントはどこでしょうか?

伊澤:まひろは基本的に戦いやすいダボっとした格好が多いのが特徴で、今回も相変わらずバンドTシャツを着ています。一番のお気に入りは2人で自転車に乗ってるシーンで被っている悪魔のツノが生えたニット帽かな。かわいくて好きでした。

髙石:あれ素敵だよね。ちさとは前作から「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」をよく着ているんです。スタイリストさんが「これ似合うと思うから」って持ってきてくださったんですが、偶然にも私も普段からよく着てるブランドで。それも最近のものではなく一昔前のもので、今ではなかなか手に入らないようなレアな衣装が本作でも全編にちりばめられています。それがやっぱりかわいいんですよね。

伊澤:舞台挨拶とかすると、お客さんがちさまひの衣装を着てくれていたりするんですよね。まひろが着ている「ナイキ」の服とか、バンドTや、かばんまで。どこで見つけたんだろうっていつも驚かされます。

見どころはアクションと会話

——現在放送中の連続ドラマの展開も楽しみですね。

髙石:「ナイスデイズ」とは真逆と言ってもいいくらいに違いますよ。

伊澤:逆張りです(笑)。

髙石:ドラマのラストはヤバいですよね。

伊澤:ドラマも初めて台本を読んだ時は泣いた。

髙石:私は逆にドラマの方がボロボロ泣いたかもしれない。また違ったちさまひと、2人を取り囲む環境が描かれていて。「ベビわる」シリーズ全部に関わってくれているスタッフさんが「このドラマ、伝説……!!」って言ってました(笑)。

伊澤:新しいメンバーたちもいて。すんごいことになってます。毎日面白いシーンが撮れて楽しいし、監督がシーンを撮るたび「これは勝った!」って言ってます(笑)

髙石:これまであまり描かれてこなかった、お互いの家庭環境がどうなのかって部分もドラマには詰め込まれていたり。

伊澤:過去を感じさせるというか、ちさとが何でこうなったんだとか……。

髙石:ギリギリ言えるのはここまでかな。ドラマは坂元さんに加え、平波さん、工藤さんの3人が監督をされているんですが、皆さん撮影しながらずっと楽しそうで、ひたすら笑ってくれているのもうれしいです。ドラマならではのカットとか、長回しもあったり、いろんな要素が詰め込まれていて。「ベビわる」がこれまでとまた違った輝きを見せてくれるんじゃないかなと……。

伊澤:パズルのように場面を撮っているので、それがどう組み立てられるのか楽しみです。

——最後に、本作の見どころを教えてください。

髙石:やっぱりアクションですね。序盤からぶっ飛ばしてますから。

伊澤:アクションの手数もすごく多くて、初めからギアを超上げていきました。実は撮影中に監督に言われて救われた言葉があるんです。2の撮影時に、1のアクションを超えなきゃというプレッシャーでメンタルを参らせていた時があって。それで今回もまた「前回を超えるためにはどうすればいいんだろう」と悩んでいたら、阪元さんが「超えなくていいんじゃないですか」って言ってくれたんですよ。1も2もその時の「ベビわる」チームが作った完成形だし、今作も過酷な撮影スケジュールで「全員野球だ!」と皆で作り上げた結果なので……悔いはないです。キャッチコピー通り「これで最後」という気持ちでやっていました。

髙石:皆で日々限界を超えながら作ったので、皆の全力が注ぎ込まれたアクションを楽しんでもらえればうれしいです。

伊澤:あとは、ちさまひの長回し会話シーンで「あ、これが『ベビわる』だった!」となりました。そんなちさまひの日常とアクションのギャップがやっぱり見どころかな。今回は私情とかではなく、ちさまひがちゃんとお仕事をしているので、それがどんなものかという部分も見ていただけると。

髙石:宮崎ロケなので画変わりもすごいですよね。

伊澤:ヤシの木もあるし、南の島に来た気分でした。

髙石:聖地になりうる素敵な場所もいっぱいありましたよね。「県庁で殺し合いとかダメでしょ……いいの?」って思いましたよ。そしたら「OK出ましたー!」って(笑)。ガッツリとアクションやってますからね。

伊澤:壁とか階段とかでめちゃくちゃやってますから。まねしちゃダメですよ。

髙石:そして濃いキャラクターもたくさん出てくるので、そこも楽しんでもらえればと思います!

PHOTOS:HIDETOSHI NARITA

■「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」
9月27日(金) 新宿ピカデリーほか全国公開
髙石あかり、伊澤彩織
水石亜飛夢、中井友望、飛永翼(ラバーガール)、大谷主水、かいばしら、カルマ、Mr.バニー
前田敦子、池松壮亮
監督・脚本:阪元裕吾
音楽:SUPA LOVE
アクション監督:園村健介
配給:渋谷プロダクション
©2024「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」製作委員会

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「アルジタル」創業者フェラーロ博士に聞く、創業45周年を迎えたブランドの原点と今後

PROFILE: ジュゼッペ・フェラーロ/アルジタル創業者

ジュゼッペ・フェラーロ/アルジタル創業者
PROFILE: イタリア・シチリア島生まれ。ミラノの大学で生化学の博士号を取得し、1979年にアルジタルを創設。2005年から創設に携わったSOFAI(イタリア人智学薬剤師協会)のメンバーとして、医師や薬剤師とともに医療や健康に貢献する活動を行っている © ARGITAL

グローバルオーガニックブランド「アルジタル(ARGITAL)」は1979年にイタリア・シチリアで誕生し、現在約35の国と地域で展開する。長らく続くオーガニック・ナチュラルコスメブームの波に翻弄されることのない強さはどこにあるのか、創業者のジュゼッペ・フェラーロに聞いた。 

――:生化学者と聞いていますが、まずはブランド立ち上げの背景を聞かせてください。

ジュゼッペ・フェラーロ博士(以下、フェラーロ博士):ミラノの大学で生化学を研究しつつ、並行して鍼灸やハーブ、マクロビオティックなども研究していました。1970年代当時、マクロビオティックの研究者である久司道夫が考案した久司マクロビオティックスが欧米で非常に注目されていたのですが、これは陰陽の考え方を食に応用したように思えたし、鍼灸にも通じるものがあり、すごく興味を引かれました。そうして友人と自然食品などを輸入する店を経営し、その一方でホリスティックセンターも創設。そこでは自然医学やヨガなどのセミナーを開いていました。ショップではクレイ入り歯磨き粉をフランスから輸入していたのですが、それが全く良くないことを顧客の一人であるオーガニック食品のパイオニアに話したところ、「それなら自分で作ってみたら?僕が販売するから」と勧められて作ったのが、アルジタルの始まりです。

――:その後「人智学(アントロポゾフィー)」を核にブランドを展開していくわけですね。

フェラーロ博士:人智学に惹かれる理由は、それが化学も物理学も全てをエシカルにまとめる力を持っているから。アルジタルでの仕事のほとんどは、ルドルフ・シュタイナーの残したさまざまな概念や考え方から多くのインスピレーションを得ています。例えば商品原料は必ず有機栽培やバイオダイナミック農法によるものを選択します。そうでない原料は簡単に安く手に入れることができますが、殺虫剤や化学肥料を使用した原料を使うことは、間接的に土地の砂漠化に貢献することになる。私たちは土からの恩恵を多大に受けているのですから、それを守る義務があります。西洋文化では「全ての概念の中心に人がある」と考えますが、今はパラダイムの転換が必要で、あらゆる考え方の中心に地球を置くべきなのです。

――:アルジタルのキー成分である「グリーンクレイ」を、博士はどのように捉えていますか?

フェラーロ博士:シチリアのシクリの丘で採掘されるグリーンクレイを使っていますが、シクリの丘は約1600万年前は深い海底でした。その当時の地球の生命力を封じ込めたまま海泥となって存在しているのです。人智学には「ポラリティ(両極性)」という考え方があり、これは陰陽に似ていますが、両極が分離することなくつながりを持って存在し、互いに影響を与え合うと考えます。これに当てはめるとクレイには光の極と暗闇の極があり、光にはシリカが、暗闇には石灰が対応し、体全体あるいは肌の全ての層に働きかけると考えます。だからグリーンクレイは古来、民間療法で飲用されていたし、アルジタルではほぼ全ての商品に配合しているのです。

――:極めてユニークな考え方です。新商品はどのように発案するのですか?

フェラーロ博士:「今みんなが必要としているものは何か?」から発想しますね。現在開発しているのはヤドリギのエキスを配合したクリームです。ヤドリギエキスは古来、鎮静作用のある生薬として使われていましたが、それをグリーンクレイと組み合わせてニキビ肌用のクリームとして進めています。今後もオーガニック植物とグリーンクレイを使って、従来型のコスメに代わる商品を提案していきます。

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「調査官ク・ギョンイ」脚本家ユニット のソンチョイ「チームの結束からおもしろい作品が生まれる」

PROFILE: ソンチョイ/脚本家

ソンチョイ/脚本家
PROFILE: 映画業界でそれぞれキャリアを積んできた二人の脚本家によるユニット。「自分たちが見たいドラマを作る」ために結成し、「ソンチョイ」という名前で共通のアイデンティティを表している。代表作「調査官ク・ギョンイ」は、スリルとユーモアが絶妙に交錯するコミカルな追跡劇として世界的にヒット。ゲーム中毒の保険調査員ク・ギョンイが、事故に見せかけた連続殺人事件を解明していくストーリーで、個性的な女性キャラクターたちや男性クィアカップルの登場が話題を呼び、韓国ドラマに新たな視点をもたらした。 PHOTO:PARK SEUNG HWA

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクターからファッションに至るまでの知られざる話を紹介する。

Vol.5は脚本家ユニット 、ソンチョイが登場する。代表作「調査官ク・ギョンイ」は韓国のネット社会を反映させたスピード感のある脚本で話題になった。同作の制作秘話から、映像コンテンツ業界の現状と今後の課題までを聞いた。

――韓国のどのような社会問題が脚本に影響を与えていますか?

ソンチョイ:ある事件の被害者がメディアの矢面に立つことで、社会的なアクションにつながる事件に注目することが多いですね。

具体的な例としては、最近あった「モッタン(たくさん食べる、大食い)」女性ユーチューバーへの虐待事件です。女性自らが元恋人からの暴力や恐喝を動画で訴えたことで、自然にユーザーが彼を糾弾する動きが起こりました。ネット上で見られる反応は性別ではっきりと分かれていて、20〜30代の女性たちは支持や共感する声が多く、同年代の男性たちは真逆の反応でした。こういった現象は韓国社会でも何度も繰り返されてきましたが、被害者が社会改革のために行動を強いられてから初めて内情や誹謗中傷に対する理解が広がるのではなく、周囲が被害者を守りながら変化を起こしていくことが大切です。

加えてさまざまなニュースがありますが、政治や経済に関する話題に意識が向くことが多いですので、投票を通じてしっかりと自分の意見を反映させたいと考えています。

――韓国の映像業界の現状についてどう思いますか?

ソンチョイ:世界的に韓国ドラマや映画は人気があったため、コロナ禍前は市場が急成長していて予算も含めて大規模な物語の制作依頼が相次ぎました。しかしコロナ禍後は、急激に市場が縮小し、低予算で小規模なものを作る風潮になっていますので、作家が描きたい物語をつくるのは難しい状況です。

加えて、韓国のコンテンツが世界に通用するという認識が広まる中で、以前は国内向けに書いていたストーリーも海外の視聴者を意識するようになりました。韓国だけで共感される物語よりも、もっと人間の普遍的な物語を書く必要性も感じています。

――海外向けと国内向けのもの作りで異なる点はどのようなことですか?

ソンチョイ:海外でもヒットしたドラマ「調査官ク・ギョンイ」は、韓国人向けの言葉遊びやネットミームを多用したため、韓国のネット文化を知っている人ほど楽しめる脚本でした。後にこの作品は世界へ発信されることが決まったのですが、言葉の意味だけでなく文脈や感情、ニュアンスなども含めて翻訳する難しさがありました。今後はそうしたドメスティックでニッチな部分はできるだけ少なくして、どの国の人が見ても同じように楽しめる、誠実さや素直な気持ちが込められた物語が書きたいですね。

――今後のキャリアをどう考えますか?

ソンチョイ:明日どう生きていくかもわからない状況です(笑)。先ほどお話した通り、業界は縮小傾向にあるので、市場がどのように変わっていくか正直わからないですね。でも、物語の力は必ずあると思うので、その核となる部分を作る必要性を感じています。 ですので、今年、今まで映画やドラマで一緒に仕事をしてきた友人たちと会社を立ち上げました。代表は、「調査官ク・ギョンイ」に出演していた俳優兼映画監督のチョ・ヒョンチョルさんで、他にも映画監督がいます。もっと精力的に映像作品を作っていく予定です。

――会社を立ち上げた理由を教えてください。

ソンチョイ:フリーランスは単発の仕事に追われがちなので長期的な目標に向けた活動がしづらく、キャリアの蓄積につながらない印象がありました。ですが、2人で活動することでお互いを支援したり、高め合えることができました。今後は会社としての機能を持ちながら、多くのスタッフとの結束を強めることでより良い仕事ができると考えています。

――「調査官ク・ギョンイ」の主人公は人気俳優のイ・ヨンエさんで、引きこもりの元警察官のボサボサヘアとトレンチコート、ジャージ姿など、絶妙にハズしたファッションに定評がありました。キャラクターを作る上でファッションの重要性はどのように考えていますか?

ソンチョイ:キャラクターの特徴を視覚的に伝える衣装やヘアスタイルは本当に大切な要素ですね。プロセスは私たちがキャラクターの服やアクセサリー、髪型の参考になる画像や資料を事前に集めておき、監督や俳優たちにイメージとして共有します。「調査官ク・ギョンイ」の場合は、毎日ゲームをやっているアルコール中毒の引きこもり中年女性だったので、ジャージ姿に何日も洗っていないような乱れたヘアスタイルをイメージしていました。そのアイデアをもとに、俳優自身の創造性を加えてキャラクターを作り上げていきます。主人公がTシャツを反対に着ているシーンがありますが、私たちのイメージではなく、イ・ヨンエさんがだらしなさやナードを表現したものです。あの時はすごく感動しましたね。

ドラマ撮影に入っていく過程で、俳優やスタッフたちの力は絶大です。私たちは、コンセプトを共有しますが、それを発展させていくのは俳優やスタッフたちですから。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21, CINE21, CUON

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ピース綾部の現在地 渡米5年を機にLAへ移住 「エンタメの地で挑戦することをやめない」

PROFILE: 綾部祐二/芸人

綾部祐二/芸人
PROFILE: (あやべ・ゆうじ)1977年12月13日生まれ。2000年にデビューし、03年に又吉直樹とお笑いコンビ、ピースを結成。15年に「WWDJAPAN」のノージェンダー特集の表紙を飾る。16年にお笑いの活動を休止し翌年ニューヨークへ、22年にロサンゼルスへ移住。著書にアメリカでの生活をつづったエッセイ集「HI, HOW ARE YOU?」。現在YouTube チャンネル「YUJI AYABE from AMERICA」を運営する

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第3回は芸人の綾部祐二が登場。渡米までの人生から現在の居住地ロサンゼルスでのライフスタイルまでを聞く。

レッドカーペットを歩く日を夢見て渡米

水嶋和恵(以下、水嶋):米国へ移住したきっかけは?

綾部祐二(以下、綾部):ハリウッドのレッドカーペットを歩くという夢のためです。ニューヨークに5 年住み、直感的にハリウッドがあるロサンゼルスの地を見てみたいと思い、2022年にロサンゼルスへ移住しました。逆に言えば、ハリウッドがなければロサンゼルスを選んでいなかったと思います。

世界中に、その土地土地のエンタメは存在しますよね。でも、グローバルなエンタメを展開する唯一の地がアメリカだと思うんです。世界中誰もが知る俳優や歌手、テレビ番組や映画が存在し、僕にとってエンタメの“the Highest Mountain(山の頂上)”が、ここハリウッドです。住む場所を選ぶのなら、究極のエンタメ都市であるニューヨークかロサンゼルスの二択でした。ニューヨークに住み、東京の素晴らしさを再認識しましたし、ニューヨークからロサンゼルスに移ったことでニューヨークの良さをさらに感じています。

水嶋:私はロサンゼルスの自然の壮大さに引かれていますが、綾部さんはいかがですか?

綾部:ロサンゼルスが好きな人は、豊かな自然や気候を理由にあげることが多いと思いますが、僕の移住理由は刺激やインスピレーションを受けるためです。都市が好きなんです。東京の恵比寿、原宿、表参道、渋谷のカルチャーも好きですね。あとは、京都にも引かれます。ディズニーランドも外せません!僕にとっては、アーバンカルチャーが主としてあってこそ、自然の存在の素晴らしさを感じることができるんです。

また、ハーレーに乗るので、東京やニューヨークより、カリフォルニアの方が適していました。ニューメキシコ州、コロラド州、ユタ州、アリゾナ州、さまざまな場所をハーレーで駆け巡ります。ロサンゼルスの壮大なエンタメと自然の融合は、東京では感じられないです。都会がありながら、山、森、海へも行くことができるロサンゼルスは、今の僕にとって丁度良い場所です。心地が良いです。

「芸人さん」に憧れた幼少期、工場勤務から上京

綾部:自分の中でのターニングポイントは2つ。芸人を目指し茨城から上京した時と、日本から米国へ移住した時です。まず、小学3〜4年生の時に幼馴染と描いていた夢が「芸人さん」でした。中学、高校と進級するにつれ、幼い頃に思い描いていた夢は、遠いものになっていきましたが、今思えば、お笑いというものを常にテレビ番組を通して追いかけて観ていましたね。

茨城での工場勤務時代は、給料のほとんどをアパレルに散財するほどファッションが好きだったので、東京に上京しショップ店員になろうと思っていました。ある時、いつものように幼馴染と東京に行き買い物をしていると、テレビ番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」のロケに遭遇したんです。「まっちゃん!いつも見ているよ!」と、偶然にも松本さんに声をかけることができました。そして撮影中にダウンタウンさんへ向けられた凄まじい歓声に衝撃を受け、まるで時が止まったようでした。

その夜茨城へ帰り、幼馴染と行きつけの居酒屋で「今俺たちは20歳。10年後の自分たは、子どもが2人ぐらい居て少し太って、ここの居酒屋で『もしかしたら俺らも芸人になっていたかもな』なんて話しているかもね」と。俺たちの夢は芸人になることだったはず。やってダメならまだしも、たられば話をするなんてクソダサい、その時そう思いました。

この出来事がきっかけとなり、上京して吉本の芸人養成所に入り、7年の時を経て松本人志さんと「すべらない話」でテレビ共演も果たしました。そこからブレイクするまでにさらに4年。11年の下積み時代を経て、自分が思い描いていた「芸人さん」になる夢をかなえました。

人気絶頂の最中に米国移住 その真意は

水嶋:コメディアンとしての地位はもちろん、9本のレギュラー番組を持ち、テレビのMCなど多岐に渡って活躍していた最中、なぜ拠点を米国に移したのですか?

綾部:16年には芸人としての仕事を辞め、米国移住への準備を始めました。17年、40歳の時にニューヨークへ。20歳のターニングポイントと同様、10年後の自分を想して「もしかしたら自分はアメリカで活躍していたかもしれない」と思うのは嫌だなと。最初から、無理だ、叶うわけがない、と思いながら夢を追いかける人はいないですよね。自分自身が、絶対にできる、もしくはもしかしたらできる、と信じることが大切だと思うんです。

水嶋:自分の描く夢がきっとかなうと思わせてくれる、素敵な言葉ですね。夢があっても踏み出せない人へ、何かアドバイスはありますか?

綾部:単純に僕は「できなかったことはあるけど、やらなかったことはない」と思って人生を終えたいんです。やって出来なかった後悔より、あの時やっていればの後悔は一生自分につきまとう。やって出来なかったことは経験としてプラスになるけれど、あの時やっていればの気持ちは怨念として残る。

水嶋:私も同じ気持ちです。ロサンゼルスへの強い気持ちがあり、渡米を決断して本当に良かったと思います。米国への移住、そして異国の地で夢をかなえることは、ハードルが高いでしょうか?

綾部:米国に移住するなんて大変!と思われる方もいるかもしれませんが、自分は特にハードルが高いと思ったことはありません。行きたい場所がアメリカだった。それだけです!

水嶋:ロサンゼルスでは、どのような活動をしていますか?

綾部:連載の「ロサンゼルスで活躍するクリエイター」と趣旨は異なるかもしれませんが、夢に向かってもがいているのが仕事ですかね。そう言っても良いですか?(笑)

水嶋:自分の好きなことを、好きな場所でしている、それが既に成功なのではと私は感じます。綾部さんはどのようなライフスタイルを送っていますか?

綾部:ハーレーに乗ってランカスターやマリブへ行ったり、バイク仲間のいる行きつけのショップに行ったりして過ごしています。

水嶋:ローカルの仲間との触れ合いは素敵ですね。綾部さんのSNSで垣間見られますが、他にはどのようなコンテンツを発信していますか?

綾部:僕のYouTube チャンネル「YUJI AYABE from AMERICA」では、自分の好きなタイミングで、自分の好きなものを撮影して発信しています。それを楽しく観てくれる人がいれば十分ですね。インスタグラムは、自分を振り返るフォトアルバムみたいな感覚です。

エンタメの地で挑戦することをやめない

水嶋:米国での暮らしでは英語力が必要不可欠だと感じています。英語力の取得に関して自論はありますか?

綾部:移住して7年。英語力は向上したと感じますが、まだまだお話になりません。学生時代は勉強が好きではなくてサボっていましたが、英語というのはきちんと自分が勉強し努力したゼロからイチに持っていく基礎が大事ですよね。甘えず、勉強しないと。最低限自分の思いや思考を相手に伝えたいですし、相手が伝えようとしていることを知りたい。僕にとって究極の永遠の課題が英語ですね。日本語を操るように英語も操り、ここハリウッドでエンタメの仕事をしていきたいと思います。光と影が共存するからこの世界は魅力的。苦があるから、その先の未来があると思っています。このエンタメの地で挑戦することをやめません。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY, LOCATION:Deus Ex Machina

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世界的写真家集団マグナム・フォトがユニクロと組んだ理由 「ストーリーを届けることを大切にしてきた」

PROFILE: Olivia Arthur/写真家

Olivia Arthur/写真家
PROFILE: (オリヴィア・アーサー)1980年、英ロンドン生まれ。人々と彼らの私的および文化的なアイデンティティを深く掘り下げる作品で知られる、ドキュメンタリー写真家。2013年にマグナム・フォトの会員となり、20年から22年まで会長を務めた。世界中で展覧会が開催され、作品は、各地のミュージアムや関連機関に収蔵。ロンドンの出版社および写真ギャラリー「Fishbar」の共同創立者でもある PHOTO:KOHEY KANNO

東京・渋谷、国際連合大学前広場。誰でも出入りできる屋外のオープンスペースで、9月21日から3日間、ユニクロと写真家集団マグナム・フォトのコラボレーションによる写真展「GLOBAL PHOTO EXHIBITION - PEACE FOR ALL」が開かれた。

マグナム・フォトは1947年、ロバート・キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンらが設立。世界でもっとも有名で、もっともクリエイティブなドキュメンタリー写真家の集団である。

今回の企画では、ユニクロが2022年より行なっているチャリティーTシャツプロジェクト「ピース・フォー・オール(PEACE FOR ALL)」の新しい取り組みとして、マグナム・フォトが協業。「ピース・フォー・オール」は、Tシャツの販売収益を3つの国際的な人道的支援団体(国連難民高等弁務官事務所 UNHCR、セーブ・ザ・チルドレン、プラン・インターナショナル)に寄付してきたが、その現場にマグナム・フォトの写真家3人がカメラを持って訪れた。

マグナム・フォト会長でもあるクリスティーナ・デ・ミデル氏はベトナムのプラン・インターナショナルへ、前会長でもあるオリヴィア・アーサー氏はルーマニアのセーブ・ザ・チルドレン、そしてリンドグシェ・ソベクワ氏はUNHCRが支援しているエチオピアの難民キャンプへ。写真展では、そこで撮影された支援活動や周辺の人々の暮らしを紹介。またそのうちそれぞれ選りすぐりの1カットをモチーフに新たなチャリティーTシャツを製作した。

「マグナム・フォトにとっても、これは重要なコラボレーションワークになったと思います」とは、アーサー氏の言葉だ。「また、Tシャツを媒体に支援の輪を広げていくアイデアも興味深いですね。Tシャツはいつでも、どこでも、そして誰でも着られる。そして、着るだけでひとつのアクションになる。とても民主的なアプローチです」。今回のコラボレーションの意義や印象的だった現場でのエピソードについて、アーサー氏に話を聞いた。

「循環させながら、支援の輪を広げる」

ーーなぜ、ユニクロと組んだのか。また、写真家として、今回のチャリティープロジェクトの取り組みにどのような期待を抱いていますか?

オリヴィア・アーサー(以下、アーサー):「ユニクロ(UNIQLO)」はグローバルなブランドであり、プロジェクトを通して、私たちが今、伝えるべきメッセージを大勢の人に届けられること、それがその答えのひとつでしょう。

また、今回の取り組みは、マグナム・フォトにとっても新しく意義のある試みだったと思います。プロジェクトではまず、寄付金を集め、それを支援団体に送り、困っている人を助ける。そして、私たちが、その現場や周辺の人々の暮らしにカメラを向け、ストーリーとして伝えていく。また、それは、多くの人にとって、世界の状況を知り、それぞれアクションにつなげていくきっかけになるかもしれない。そうやって循環させながら、支援の輪を大きくしていくようなプロジェクトになっています。

そこに、マグナム・フォトが関わる意義は大きい。特に、マグナム・フォトはドキュメンタリー写真家の集団ですが、“ストーリー”を届けるということをずっと大切にしてきましたので。

ーー今回のプロジェクトで、アーサーさんはルーマニアの「セーブ・ザ・チルドレン」へ。現地で印象的だったことは?

アーサー:私が訪れたのは、ルーマニアのセーブ・ザ・チルドレンのカウンセリング・ハブ。隣国のウクライナから逃れてきた難民の子どもたちも受け入れているスペースで、子どもたちのための教育支援やメンタルヘルケア、食糧支援などの活動を行なっている場所です。

そこで、一連の支援活動についてのレクチャーを受けたあと、私は、そこで暮らす子どもたちに向けて写真のワークショップを行おうと決めました。具体的には、マグナム・フォトのアーカイブを印刷し、そこに子どもたちが自由にペイントを加えるような創作の場を用意したり、スペースに簡易的なスタジオを設け、子どもたちにお互いの写真を撮って遊んでもったり。また、そうやって子どもたちが作ったアートワークを、コラージュにしてまとめたりもしました。

ーー写真が、オリヴィアさんと子どもたち、子どもたち同士のコミュニケーションツールにもなったっていうことですね。

アーサー:そうですね。撮影した写真についても、その場でプリントし、スタジオの壁に貼り付けていきました。子どもたちも自分たちが撮られた様子を見られるように。それは、確かにコミュニケーションツールになりましたし、子どもたちが、私が何をしているのかを理解し、そこに自分も参加していること、つまり自分事としてこの撮影を捉えてもらうことにも役立ちました。

ーーそのなかで、特に印象的だったことは?

アーサー:スタジオを作ったスペースは、窓から強い日差しが入る場所だったんですね。その光がスタジオの幕に影を落とす様子を見て、私は“影絵で遊べるんじゃないか”と思ったんです。しかし、周りをみたら、私が教えてあげる前に、すでに子どもたちが影絵で遊んでいて。私も子どもたちも、あの瞬間の同じことを考えていたんです。いい思い出ですね。

「想像する力は
誰からも奪うことはできない」

ーーその影絵で遊んでいる様子を切り取った写真は、今回、Tシャツに使われています。チョウのようなモチーフですが、この写真を選んだ理由は?

アーサー:この写真のモチーフが、どこか自由を象徴しているような気がしたからです。またこのモチーフについては、チョウだという人も、鳥だという人もいます。そうやって、人によって違う捉え方ができる点でも、この写真を気に入っています。

ーーTシャツには、その写真の周りには「imagine」の文字をプリントしています。子どもたちの手書き文字ですか?

アーサー:この言葉ーー「想像する」ということこそ、私が今回、子どもたちに伝えたかったことでした。「どんな困難な状況でも、想像することはできる」ということ。そして「その力を、あなた(子ども)たちから奪うことは、誰にもできない」ということです。実際に、たくさんの子どもたちにこの文字を書いてもらい、アートワークに活かしました。

ーー改めて、写真の力は、ファッションと組み合わせることでどう増幅されていくと思いますか。

アーサー:やはり、今回のように写真のもつメッセージやストーリーを、幅広く届けられることでしょう。(一部の写真ファンやアートファンなど)限られた人だけでなく、ファッションと組み合わさることで、多くの人がアクセスできるものになる。その意味でも、今回の写真展が、公共のスペースで誰でも見られるようなかたちになっているのも、非常に大きな意義があることだと思っています。

ーー今回は3人の写真家がプロジェクトに参加。他の2人の作品を見た感想は?

アーサー:2人の作品からは、ポジティブな感情やエネルギーを感じました。それは私の作品にも共通していることでしょう。どんなに困難な状況であっても、不安な生活を強いられながらも、未来をポジティブに想像し、そのように変えていく努力をする、アクションするーーそれが重要なのだと改めて思います。

■「GLOBAL PHOTO EXHIBITION - PEACE FOR ALL」
順次世界各地で開催予定、日本では以下を予定している
「ユニクロ原宿店」:9月24日〜10月6日
ひろしまゲートパーク:10月9〜15日

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世界中で大ヒット「ゲルカヤノ」の生みの親・アシックス榧野さんってどんな人?

PROFILE: 榧野俊一/アシックス アシックススポーツミュージアム アーカイブ担当リーダー

榧野俊一/アシックス アシックススポーツミュージアム アーカイブ担当リーダー
PROFILE: (かやの・としかず)鳥取県生まれ。大阪芸術大学を卒業後、1987年アシックスに入社。シューズデザイナーとして“ゲルエクストリーム“”ゲルカヤノ“”ゲルニンバス“”GT2000ニューヨーク“など同社を代表するモデルを作り続けた。現在はアシックスの歴史的なシューズを保管・展示するアシックススポーツミュージアム(神戸本社内)に勤務 PHOTO:TOMOKI HASE

アシックスのランニングシューズ“ゲルカヤノ(GEL-KAYANO)“は1993年の発売以来、30年以上にわたって世界中のランナーに愛されるロングセラー商品である。近年は過去のモデルをベースにしたファッションスニーカーが人気で、特に“ゲルカヤノ14”は爆発的ヒット商品になった。このカヤノの生みの親こそ、アシックスのシューズデザイナー榧野俊一(かやの・としかず)氏である。競技向けからファッションまで、その名を世界にとどろかせるカヤノの榧野氏とはどんな人物なのか。

WWD:もともとシューズデザイナーを目指していたのですか。

榧野俊一アシックススポーツミュージアム アーカイブ担当リーダー(以下、榧野):大学で工業デザインを専攻していました。自動車や電化製品のデザイナーになりたかったけど、大手メーカーはいずれも狭き門でした。中学・高校の美術教師にも興味があって、教育実習を経て合格をもらっていました。でもデザイナーの夢は捨て難く、進路に迷っていた。そんなとき運良くアシックスから内定が出たのです。僕の故郷はアシックス創業者・鬼塚喜八郎さんと同じ鳥取県。地元には昔からシューズ工場(現・山陰アシックス)もあって、鬼塚さんは地元の有名人でした。親孝行にもなるかなと思って入社を決めました。

WWD:それまでアシックスのシューズは履いていましたか。

榧野:柔道部だったので馴染みはありませんでした。それに工業デザイナー志望だからスポーツ用品の中でもギアの方に興味があった。新規事業部というのがあって自転車を作っていたため、そちらへの配属を希望しました。(人事部からは)アシックスの花形のシューズでなく、自転車を選ぶ変わり者と思われたことでしょう。それくらいシューズに関心がなかったのです。

WWD:ではシューズに関わるようになったきっかけは?

榧野:1987年当時、アシックスの新入社員研修は半年間。でも僕は2週間で研修を打ち切られ、ランニングシューズの底(アウトソール)の図面を描いて(工場に)発注してくれ、と命じられました。右も左も分からず、既存の商品をベースに見よう見まねで描きました。続いて「バスケットボールシューズをやってくれ」と言われて、手掛けたのが米国市場向けのバッシュ“ゲルエクストリーム(GEL-EXTREME)“。私の実質的なデビュー作です。

WWD:新入社員なのに、いきなり大抜擢ですね。

榧野:入社したばかりでバスケに必要とされる機能もよく分かりません。体育の授業のバスケも苦手で、いい思い出がなかった。上からは「過去のバッシュをベースにしながらデザインしろ」と言われて、いきなりコートに立たされたわけです。今では考えられない無茶ぶりですよ。でも工業デザインを学んできたおかげで、人の足で負荷がかかったり、曲がったりするのはこの辺りだろうなと想像はつきました。

後から振り返ると、スポーツシューズにおけるデザインの重要性が増してきた時代でした。従来の常識にとらわれない若手を登用しようという気運だったのでしょう。3社統合でアシックスが誕生してわずか10年(シューズのオニツカ、スポーツウエアのジィティオ、ニットウエアのジェレンクが1977年に対等合併)。総合スポーツメーカーとしては黎明期でした。せっかくの高性能をデザインとしてうまく表現できていないのが会社の課題だった。そんな時代にスポーツシューズの世界に飛び込んだのです。

WWD:バッシュでいえば、マイケル・ジョーダンが履いた「ナイキ」の“ジョーダン“シリーズが一世を風靡し、白ばかりだったバッシュがカラフルになっていった時期ですね。“ゲルエクストリーム“にはどう取り組みましたか。

榧野:とにかくカッコよさを追求しました。アシックスのバッシュは高品質だけど、地味過ぎてもったいないと感じていました。スポーツには必ず美しい瞬間があります。そこから着想を広げるのが僕のやり方です。バスケでいえば、迫力あるダンクシュートや堅実なサイドステップに美を感じ、イメージを膨らませました。

初めて米国に出張した際、飛行機から眺めたグランドキャニオンや摩天楼のビル群に感動しました。アメリカの景色から得た着想を靴底に取り入れました。機能的なことは先輩方に助言をもらいながら作り上げました。NBAの契約選手に履いてもらうため、チームカラーを取り入れることになりましたが、人気チームであるロサンゼルス・レイカーズのチームカラー(黄色と紫)すら知らなかった。本当に手探りだったけど、思い出深い一足です。

“ゲルカヤノ“は仮の名前だった

WWD:そして、まだ27歳だった93年に現在まで続くランキングシューズの基幹モデル“ゲルヤカノ“を発表するわけですね。

榧野:“ゲルヤカノ“も米国市場向けに企画したシューズです。時代背景から説明した方がいいでしょう。当時の米国はフィットネスブームによって、ランニングとフィットネスの境がなくなっていました。新作のターゲットは健康を目的に走る人たち。市場ではフィットネスランニングという言葉が浸透していました。今は走りに特化したパフォーマンスランニングという表現が一般的です。同じランニングでも時代によって意味合いは変わるのです。

初期の“ゲルヤカノ“には、今のランニングシューズにはあまり使われない固いパーツも使われています。だから27.0cmで500g近くになり、現在から見たらかなり重たいモデルでした(最新の“ゲルカヤノ31”は305g)。ジムのトレーニングに兼用できるよう耐久性を追求したためです。

米国法人からは「デザインのイノベーションを起こしてくれ」とリクエストされました。行き詰まっていたら、ある日突然、クワガタのイメージが浮かんだのです。カッコいい角(つの)と硬い鎧を身にまとったクワガタ。強いだけでなく俊敏なところもランニングシューズにぴったり。われながらいいアイデアだと思って先輩に話したら「ふざけすぎだ」と一蹴されましたが、僕はめげません。デザインにこっそり盛り込みました。米国法人の担当者は面白がってくれて、米国市場ではこのデザインコンセプトを宣伝しました。遊び心も米国のランナーに伝わって上々の売れ行きでした。

WWD:「ナイキ」の“ジョーダン“や「アディダス」の“スタンスミス“などアスリートの名前がスポーツシューズに採用される例は多いけれど、社員デザイナーの名前がつく例は珍しいですね。

榧野:当社の場合は過去にいくつありました。でも長続きせず、1、2年で終わってしまう。“ゲルカヤノ“のように30年以上続くことは確かに珍しいです。この名前は僕の意向ではありません。米国法人の担当者が開発中のコードネームとして言い始め、そのまま発売されてしまったのです。カヤノという言葉の響きがアメリカ人にとって異国情緒があって魅力的なので、「そのまま行くよ」となりました。初代は“ゲルカヤノトレーナー“、翌年の2代目モデルから“ゲルカヤノ“になりました。

WWD:自分の名前がついたシューズが発売されて、米国でヒットしたときの気分はどうでしたか。

榧野:入社5年目で将来に迷いもありました。米国市場で実績を重ねると、現地の大手スポーツ企業から良い待遇を持ちかけられることもあります。でもシューズに自分の名前が付けられ、十字架を背負わされたような気持ちになりました。“ゲルカヤノ“は僕1人で作ったわけでなく、多くの仲間と作り上げたシューズですから責任を感じます。エラいことしてくれたな、というのが偽らざる気持ちでした(笑)。引き抜きの話があっても「僕はサムライ魂があるので」と断ってきました。

「ガンダムチック」なデザインの評価が時代で変わった

WWD:以来、“ゲルカヤノ“は今年発売された“ゲルカヤノ31”まで30年以上、全世界で累計300万〜400万足を売るロングセラーになったわけですが、これほど息の長い商品になった理由はなんでしょう?

榧野:ずっとランナーに寄り添ってきたからだと思います。時代の変化と共にユーザーやポジションも変化しています。当初のフィットネスランニングから始まり、今はパフォーマンスランニングの定番モデルになりました。スポーツシューズは「機能性」「テクノロジー」「デザイン」の3要素の三角形で構成されます。この三角形の形は、時代ごとに変わる。今は「機能性」と「テクノロジー」が突出していて、「デザイン」の山は低い。結果として各社ともシンプルでミニマルなデザインになっています。シューズにもサステナブルが求められるようになり、パーツを減らしたデザインが主流になりました。僕が得意としたような遊び心が入り込む余地は少なくなりました。でも、それはお客さまや市場が求めていることなので間違いではありません。

WWD:榧野さんた直接手がけていた“ゲルカヤノ“の初代から“13”までは装飾的な要素が多いですね。

榧野:自分は情緒を盛り込みたいタイプのデザイナーです。先ほどのクワガタもそうですが、人間の心臓や肺などの内蔵をデザインモチーフにしたり、隠れキャラのようなデザインメッセージを密かに盛り込んだり。“ゲルカヤノ11"は日本の戦国時代の武士の甲冑、翌年の“ゲルカヤノ12”は西洋の騎士の鎧をデザインモチーフにしています。

オニツカ時代から選手ファーストで機能とテクノロジーを大事にしてきた歴史をリスペクトしつつ、そこに情緒を加味するのが僕の役目でした。今、アシックスの(1990〜2000、10年代のスポーツシューズをファッションスニーカーに刷新した)「スポーツスタイル」が売れていますが、そういった情緒が若い世代にとっては新鮮なのかもしれません。

WWD:確かに街中でアシックスのスニーカーを履く若者を多く見かけるようになりました。少し前までファッションスニーカーは「ナイキ」「アディダス」「ニューバランス」など欧米一辺倒で、「アシックス」は部活動のイメージが強いためか…

榧野:ダサいと言われてきました。辛かったなぁ。ファッションはつかみどころがない。会社からも小売店からも「ファッション性の高いものを作れ」と言われ続けてきましたが、具体的にファッション性の高いシューズの答えは誰も持っていません。僕が得意な情緒的なデザインがファッション性に結びついているのかは分かりません。でも醸し出されるデザインのバックストーリーを感じ取ってくれているような気がします。僕のシューズは「ガンダムチックなデザイン」「メカっぽい」と言われたりしましたが、時代が進んで評価されるのだから面白いですね。

“ゲルカヤノ14"の大ヒットはうれしいけど、悔しい

WWD:“ゲルカヤノ14”がファッションスニーカーとして世界中で大ヒットしています。

榧野:カッコいいよね。きょう僕が履いているのも“ゲルカヤノ14"。これは韓国の「アンダーマイカー」とコラボしたスニーカーです。でも残念ながら僕は2008年発売の“14”のオリジナルに携わっていません。僕は担当したのは初代から“13"までなんです。だから“14”が大ブレイクして悔しいですよ(笑)。

“14"のデザイナーは、僕の大学の後輩の山下秀則(現・アパレルエクィップメント統括部デザイン部部長)です。山下は“13”までのデザイン哲学を踏襲し、さらに昇華させてくれました。本当に素晴らしいし、世界中で売れるのも納得です。うれしい。けれど、悔しい。複雑な気持ちです。

WWD:正直ですね(笑)。しかし榧野さんがオリジナルをデザインしたシューズは「スポーツスタイル」の人気商品です。最初のバッシュ“ゲルエクストリーム“も復刻されて“EX89”、ランニングシューズの“GT2000"“ゲルニンバス“シリーズもストリートで愛されています。

榧野:僕は基礎を作っただけです。“ゲルカヤノ”とコラボするコラボするクリエイターはこの部屋(貴重なアーカイブ品が保管される神戸本社の資料室)に招き、アシックスのこれまでの歩みを紹介します。さまざまなアスリートの足元を支えてきた歴代のシューズはインスピレーションの宝庫。みんな一様に感動して帰ります。国内外のクリエイターによって僕らが作ってきたシューズに新しい魅力が加わる。デザイナー冥利に尽きます。

若い世代にシューズデザインを伝えたい

WWD:アスリートの名前を冠したスポーツシューズは、売り上げに応じてアスリートにインセンティブが入ることが多いようです。

榧野:僕の懐には1円も入りません。一会社員ですから。もし30年分の“ゲルカヤノ“のインセンティブが入ったら、すごいことになりますね(笑)。若いときに取得した特許や意匠登録があるので、毎年おこづかい程度の額は入ります。これも期限があるため年々減ります。

WWD:“ゲルカヤノ“がアシックスの社員デザイナーの名前だと知らない人も多いようですね。

榧野:ランニングが文化として浸透している海外では、僕の知名度はそれなりにあるようです。昨年は“ゲルカヤノ“デビュー30周年を記念して、米国と豪州の講演に呼ばれました。会社の歴史や“ゲルカヤノ“の開発秘話を話すと、みなさん、熱心に聞き入ってくれます。終わるとサイン攻めにあいました。

日本でもデザインを担当していた頃は、“ゲルカヤノ“の新作を出すたび店頭の販売応援に立ちました。懇意にしていただいていたスポーツミツハシ(京都の有力スポーツ専門店)が多かった。デザイナーとしてではなく、単なるメーカーからの販売応援スタッフとして、お客さんに応対します。「アシックスよりもナイキのデザインが好きなの」とか忌憚のない声を聞くことができます。プラスの声、マイナスの声も含めて、次の開発に生かすのです。

WWD:アシックスは過去10年で売上高が2倍近く成長し、海外売上高が8割以上というグローバル企業になりました。会社はどう変わりましたか。

榧野:だいぶ変わりました。もともとはコンサバな体育会系の社風でした。カルチャー好きな僕は異端だった。周りからは好き勝手やっているように見えたことでしょう。でも結果を残すために相当のエネルギーを費やしてきました。さいわい担当した商品で売り上げを伸ばしたから、自由が確保できた。シューズ作りはチームワークが大切だけど、デザインの出発点は個人のインスピレーションであるべきです。僕は表現できるのが本当に楽しかった。いま社内の後進育成も行っています。今の若いデザイナーは真面目で優秀ですよ。好きなことをとことん突き詰めてほしいな。

来年3月で定年退職の予定です。その先は決めていません。ただ、やりたいことはあります。芸大や美大でスポーツシューズのデザインを教えることです。ときどき講師として招かれることもありますが、可能性に満ちあふれた学生さんと話すのは本当に楽しい。自分の経験を伝えていけたら幸せです。

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「寄生獣 -ザ・グレイ-」監督ヨン・サンホ 極限状況での人間の選択への興味

PROFILE: ヨン・サンホ/映画監督、脚本家

ヨン・サンホ/映画監督、脚本家
PROFILE: 短編アニメからキャリアをスタートする。1997年に「Megalomania of D」で初監督を務める。2011年に長編アニメ初監督作品「豚の王」が公開。同作はカンヌ国際映画祭の「監督週間」に出品された。16年に「新感染 ファイナル・エクスプレス」で初の長編作品を手掛ける。多数の映画やドラマのほか、「新感染 ファイナル・エクスプレス」続編の「新感染半島 ファイナル・ステージ」がカンヌ国際映画祭「Official Selection 2020」に選出される。24年に岩明均の漫画「寄生獣」をベースに、舞台を韓国に置き換えたNetflixシリーズ「寄生獣 -ザ・グレイ-」を監督した PHOTO:CHO SUNG YOUL

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッションに至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.4はヨン・サンホへインタビュー。代表作「新感染 ファイナル・エクスプレス」はカンヌ国際映画祭で上映され国際的な評価を獲得。「地獄が呼んでいる」はネットフリックス(NETFLIX)で大ヒットし、彼の名を世界に知らしめた。日本でもファンの多いにサンホに、現在制作中の物語や創作活動までを聞いた。

――日本の映画や漫画にも影響を受けているそうですが、今は何を読んでいますか?

ヨン・サンホ(以下、サンホ):まだ具体的な内容はお伝えできませんが、現在制作中の作品の参考資料として日本の小説や映画をみています。小説は大江健三郎の「万延元年のフットボール」や奥田英朗の「オリンピックの身代金」。映画は今村昌平の「復讐するは我にあり」や時代劇などです。

過去の日本の社会的背景や人々の情緒や感受性が知りたいですし、 日本の作品をインプットすることで韓国との違いが見えてくることが多いため読んでいます。例えば「オリンピックの身代金」は東京オリンピックが題材であり、韓国映画「上渓洞(サンゲドン)オリンピック1988」はソウルオリンピック。「上渓洞」は社会的弱者を彼らが住む地域から追い出してそこに競技場を建設しようとする話なのですが、両作品を比較しながら読んでいます。

――確立された様式に合わせることと、映画制作における新しいアプローチを模索することのバランスをどのように取っていますか?

サンホ:私は、さまざまなジャンルの垣根を越えるような作品を手掛けているんですが、ジャンルものを作る上で一定の枠組みがあると考えています。典型的な物語の枠組みの中でセオリーに習いながらも、どのような展開に新しい要素を見つけられるか。そのためには感情や感受性を磨いていくことが重要です。主人公の態度や感情を探りながら、似たような状況を取り扱っている本や映画を参考にしながら物語を構築しています。

――韓国の映像業界におけるトレンドにはどのようなものがありますか?

サンホ:最近はドラマも映画も、世界に通用するジャンルものが人気です。直感的に緊張感を与えたり、刺激的な作品などは、SNSなどで話題になるのが速いですね。

それとは別に、魅力のある物語には同時代に生きているからこその共通する感情があると思います。何かと聞かれると断定できるものではないのですが、共通する感情によって多くの人たちの心が動かされます。さまざまなものを見ながら時代を形作る感情を探しています。

――動画配信サービスの普及で、ドラマや映画の観られ方も多様になっていますね。

サンホ:OTTなどの配信サービスが発達した影響で、制作側も観客もより結果を重視する傾向にあります。自分が見たいことよりも、話題作という理由で作品を選びがち。そうではなくて、自分が物語に引かれるからその作品を見たいというような視聴者が、もう少し増えて欲しいと感じています。

今まで大規模な作品を手掛けてきましたが、小規模でも独特の雰囲気のある作品も並行して作っていきたいですね。マイナーな作品も好きなんですよ。

――キャラクターを作る上で衣装の重要性はどのように考えていますか?

サンホ:衣装やヘアスタイルはキャラクターの性格を表すものです。キャラクターのリアリティを演出するために、衣装が何度変わってもその人物だとわかる同一性とスタイルを持たせるようにしています。

――ゾンビやSF、信仰などさまざまなジャンルの作品を手掛けていますが、必要な素材はどのように集めていますか?

サンホ:興味があるのは人間が生きるか死ぬかという究極の選択や、大切な人を守るために何かを犠牲にする状況に置かれた時の選択です。その動機はさまざまで、ある人にとってはアイデンティティーであり、ある人にとっては愛だったりする。信仰も選択の1つであり、何かを決断するときの基準になります。その状況での心情や英雄的な行動や、自己犠牲の精神などのヒロイズムを考えた上で、物語を構築する段階でゾンビやSFなどのジャンルと結合させます。最初に少しお話しましたが、日本の方々にも楽しんでもらえる作品を制作中ですので、ご期待ください。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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ハーモニー・コリンが語る「新しい映画作り」——映画とゲームの融合、そしてテクノロジーによる表現の実験

取材場所に指定されたバーに着くと、蛍光イエローの目出し帽を被った男が紅色のソファーに座り、フォトグラファーとフォトセッションをしている。傍らにあるテーブルには灰皿が置かれ、その上の葉巻はかすかにくすぶっている。

ラリー・クラーク(Larry Clark)の映画「KIDS/キッズ」の脚本を書いた時、彼は19歳だった。その後、「ガンモ」で監督としてデビューし、“恐るべき子ども”と評された。「スプリング・ブレイカーズ」や「ビーチ・バム まじめに不真面目」で映画監督としてのキャリアを重ね51歳になった彼は現在、南米やアジア出身の才気あふれる若いクリエイターたちとEDGLRD(エッジロード)を立ち上げ、新しい映画作りに挑んでいる。「映画作り」というには語弊があるかもしれない。彼らが作っているのは、まったく新しい「体験」なのだから。

EDGLRDはマイアミのビーチハウスに拠点を置く、デザイン集団である。CGデザイナーやゲームデザイナー、スケーター、現代美術家、プログラマーによって構成され(中にはマーベル・スタジオや大手ゲーム会社で働いていた人物もいる)、スケートビデオから3Dプリンタを用いた立体作品、トラヴィス・スコットの「カクタス・ジャック(CACTUS JACK) 」と「ナイキ(NIKE)」のコラボスニーカーのキャンペーンビジュアル、ザ・ウィークエンド(The Weekend)と雑誌「032c」のためのコンセプトムービーなど、多岐にわたるフォーマットで作品を発表している。この謎多きクリエイティブスタジオが、2024年に満を持して公開したのが「AGGRO DR1FT(アグロ ドリフト)」だ。公開とはいえ、映画祭や限定上映を除けば、この映像を映画館で観られるチャンスはほとんどない。「AGGRO DR1FT」のワールドツアーは、世界各地の音楽ベニューやストリップクラブ、ギャラリーを舞台に、DJやダンサーによるパフォーマンスとセットで上映するという興行スタイルがとられているのだ。

「AGGRO DR1FT」のあらすじは、家族想いの殺し屋が業界から足を洗うために、悪魔のようなターゲットの暗殺任務を遂行する、とまとめることができる。ストーリーは至ってシンプルで、語り口にひねりがあるわけでもない。べネチア国際映画祭の上映で観客の半数が途中退場したのも、さもありなんといった感じだ(残りの半数は10分間のスタンディングオベーションを送った)。トラヴィス・スコットが出演することでも耳目を集めたが、全編がNASA所有の赤外線カメラで撮影されているために、表情はちっとも見えない(シルエットだけでトラヴィスだと分かるのだが)。さらに、ボイスオーバーで何度となく繰り返される主人公の独白は両手で数えられるほどのパターンしかなく、暗殺対象のボスは昨今では珍しいほど単純化された、絵に描いたような“悪人”だ。しかし、それらは全て明確な意図の下に設計されているのだ。近年は映画を観ず、ゲーム三昧の日々を過ごしているという監督の意図の下に——。

「AGGRO DR1FT」はなぜ映画館で上映しないのか。EDGLRDが共有する「ゲームコア」という美学はいかなるものなのか。そして、今一番お気に入りのミーム映像とは。マスクを脱ぎ、葉巻をくわえたハーモニー・コリン(Harmony Korine)が語りはじめる。

——EDGLRDには多分野にまたがる若手クリエイターが世界中から集まっているそうですね。

ハーモニー・コリン(以下、コリン):うん、みんな若い。僕が最年長だからね。テクノロジーに基づくデザイン集団で、ゲーム開発者やグラフィックデザイナー、AIの専門家みたいな視覚効果の分野出身者もいれば、コーダーやハッカーのような技術者もいる。マイアミのスタジオにいつも集まっていてね。頭に浮かんだことはなんでも創ることができる場所だよ。

——アイデアをすぐに具現化できる?

コリン:そう、なんでもね。

——チーム作りはどうやって? 面接されることもあるのでしょうか?

コリン:たまにね。でも、若い子たちは自分の作ったものをインスタグラムやXで送ってきてくれるんだ。面白かったら採用する。それにチームの中には、SNSで面白いクリエイターがいないか探す担当がいて、見つけたら僕に見せてくれるんだ。ブラジル、アルゼンチン、中国、世界中から集まってきているよ。

——今のチームの規模は?

コリン:50人くらいかな。会社ができたのがほんの1年前。1年目は、制作と開発に集中していたから、最近ようやくその成果を世に送り出すことができるようになった。これからどんどん発表していくよ。例えば、今は、頭で思い描いたものをそのまま映像化する技術を開発していてね。プロンプトは要らない。思考を直接スクリーンに映し出すんだ。「ドリームボックス」って呼んでるよ。寝ている間に見た夢を丸ごとダウンロードすることも可能になる。

——どういう仕組みなんですか?

コリン:外付けのマイクロチップなんかを使って、脳波を読み取るんだ。

——「AGGRO DR1FT」にはゲームの「グランド・セフト・オート」のようなノリと世界観がありますが、ゲームは普段からプレイされますか?

コリン:うん。というか、最近はもっぱらゲームだね。ここ2、3年は映画も観なくなったから、本当にゲームばかりしているよ。

——ちなみにタイトルは?

コリン:最近はずっと「レインボーシックス シージ」をやってたよ。1人称視点のシューティングゲームでは一番好きかな。「エルデンリング」もたくさんプレイしているし、「Halo」もやり直してる。EDGLRDのチームは「Call of Duty」が好きで、仕事終わりにみんなでプレイすることもある。あと、そうだ、新しい「ゼルダ」(「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」)もやってるよ。あれは素晴らしいゲームだね。

脚本のない映画作りと、新しいナラティブ

——EDGLRDのチームは「ゲームコア」という固有の美学を共有しているそうですが、それはどういったものなのでしょう?

コリン:僕らがゲームを好きな理由、あるいは僕がクリアするまでに何カ月もかかるようなゲームに時間を溶かす理由はね、中毒性があるのはもちろんだけど、なにより満足感があるんだ。この前「フォートナイト」で20キルしたんだけど、その時の満足感といったらなかったね。最近のゲームのグラフィックやアニメーションは、レベルが高過ぎるよ。ゲームは映画を観るよりも能動的だし、ずっと報われるんだ。だから、あらゆるものをゲーム化する実験を始めたというわけさ。「AGGRO DR1FT」もいろんな点で、すごくゲーム的だよ。もうすぐ完成する「BABY INVASION」は、ゲーム化のアイデアをさらに発展させたものだしね。今までにない作品になってるよ。映画であるかどうかさえ僕にも定かじゃない。まあ、映画とゲームの合いの子といったところかな。

——ゲームのインタラクション性に興味があるのでしょうか?

コリン:そうだね。映画でも僕らはまず、登場人物のスキンを作るんだ。それは、もしかしたら終わりのない映画かもしれない。場面を新たにデザインしたり、その順番を入れ替えたりしてね。そう、僕は今映画をプレイし始めているんだ。

——ゲームとして遊びたい映画はありますか?

コリン:「カーター」っていう韓国映画(2022)があってね。アクションシーンがすっごくいいんだ。ゲームにしたら最高だろうね。

——近年は「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」が興行的に成功し、「デス・ストランディング」の映画化が発表されたりと、ゲームと映画が融合してきています。その接近についてはどう思われますか?

コリン:今はあらゆるものが融合してきているよね。EDGRADを立ち上げた理由はつまり……僕はEDGLRDでクリエイティブ・ディレクターのような役割なんだ。僕らがやろうとしているのは、若い子が参加できるようなあらゆる種類のテクノロジーを用意すること、そして、テクノロジーを使って表現形式を推し進めたり、実験したりするのを可能にすることにある。だって今なら、ゲームエンジンだけで1本の映画を作れるかもしれないんだからね。昔は映画1本を撮るのに何年もかかっていた。でも、今僕らが試しているのは1カ月で映画を作る方法なんだ。

——「AGGRO DR1FT」には脚本がないのだとか。

コリン:そう、脚本はもう使ってないからね。というか、ずっと前からそれを目指していたんだ。「AGGRO DR1FT」では基本的に場面のドローイングを描いた。撮影現場で瞬間的に場面を描いては役者たちに伝え、それを基にまた場面を描く。コンセプトに基づいて、フリースタイルで映画を作ってるんだ。というのも、僕は脚本家として映画の道に入ったわけだけど、少しずつ脚本に対する興味を失っていてね。

——脚本がないのであれば、映画の完成はどのように判断するのでしょう?

コリン:これでいい、と思える時が来るんだ。絵に近いかもしれないね。作品を作っていると、全部出し切った気がする瞬間があるんだ。そこに至れば、自然と分かる。言葉で表そうとすると難しいんだけどさ。

——「AGGRO DR1FT」は映画館ではない(ライブハウスなどの)ベニューを巡業していますが、それはなぜでしょう?

コリン:映画館で上映するのがしっくりこなかったんだ。「AGGRO DR1FT」が映画だという確証もなかったし。それで感覚的な体験にしたいと思ってね。映画を観ながら音楽を聴き、TikTokを観る、それが今の生活なんじゃないかな。

全てのまばたきは編集である

——ゲーム以外にも、TikTokで短いクリップを見るのにハマっているそうですね。

コリン:そう。脳が腐る感じもするし、毒みたいなものもたくさんある。でも大好きなんだ。XやYouTubeのリールやインスタグラムで見るものは、僕の作った映画を超えてるよ。例えば、砂の中から3本足の男がはい出てくる動画があるんだけど、この前もそれがどうして存在するのか、一日中考えていたよ。文脈がないっていうのがミソなんだろうね。誰が考えたのか、どうやって存在しているのか、本物なのかそうでないのか……それが分からないからこそ、たまらなく面白いんだ。

——特に好きなクリップはありますか?

コリン:ブドウを踏みつけている女性の動画がお気に入りかな。見たことある? ニュースの映像なんだけど……そう、これこれ。


——Midjourneyのような画像生成AIでも遊びますか?

コリン:もちろん。いろんなAIを試しているし、自分たちで独自のLLMを構築してもいるよ。新しい美学をあらゆるジャンルに導入しているんだ。

——チーム内では「ブリンク」という概念を共有しているそうですね。どんな概念なのか改めて聞かせてください。

コリン:ヒトはまばたき(ブリンク)をするたびに時間を編集しているってことだよ。つまり、人生が1本の映画だとしたら、まばたきは編集なんだ。

——確かに。

コリン:僕は、従来のリニア(直線的)なナラティブに収まらないようなものを考えていたんだ。それは映画ではないかもしれない。15分の長さでもいいし、5秒未満でもいい。それが「ブリンク」だった。それでEDGLRDのスタジオでは、多くのフォーマットを「ブリンク」と呼んでいるんだ。

——EDGLRDの成果物はさまざまな形式にまたがりますが、中心になる分野や形式はありますか。それぞれどのようにマッピングしているのでしょう?

コリン:中心になるもの……どうだろう。でも、EDGLRDを立ち上げてからいろんなアニメーションと出会っているのは間違いない。すでに書き終えたアニメも1本ある。次作はそれに取り組みたいね。でも全部が映画になるわけじゃない。フィルターになるかもしれないし、スケートデッキのグラフィックになるかもしれない。だから、スケートビデオを作っているような感じだね。今の環境は素晴らしいよ。スタジオには大部屋があるんだけど、部屋から部屋へ歩き回って「あれをやろう、これをやろう」って次々試せるんだからね。巨大な3Dプリンターが3台あって、マスクや立体作品を作ることもできるし、服だって作れる。それ自体が(創作の)糧になっていくんだ。

——マスクといえば、あなたの映画にはよくマスクが登場しますよね。

コリン:アイデンティティーを曖昧にしたり、変えたりできるのがいいのかもね。(マスクの多用は)意識しているわけではないけど、アイデンティティーというものには昔から興味があったんだ。

——以前インタビューで、マイアミで毎日のように「タコベル」を食べていると読みましたが、今でも相変わらずの食生活ですか?

コリン:うん。「タコベル」は大好物だからね。マウンテンデューもよく飲むよ。

——好きなメニューは?

コリン:クランチラップ スプリーム。あれなら10個だっていけるよ。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

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「ルイ・ヴィトン」からダミエ・モチーフのファインジュエリーが登場 メゾンのDNAをジュエリーに昇華

「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUTTON)」は、ブランドを象徴するダミエをモチーフにしたジュエリー“ル ダミエ ドゥ ルイ・ヴィトン”を発売する。同ブランドのウオッチ&ジュエリー部門のアーティスティック・ディレクターを務めるフランチェスカ・アムフィテアトロフ(Francesca Amfitheatrof)は、「このコレクションはダイヤモンドで描いたパターンが特徴だ」と話す。ダミエ柄は1888年に誕生。競合に薄型トランクをコピーされ始め、創業者のルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)が差別化のために必要に迫られて作ったもので、メゾンのDNAとしてすぐに認識されるようになった。ジュエリーでは、ダミエの特徴的なツートーンのチェックパターンがスクエアモチーフのゴールドとダイヤモンドで表現されている。

官能的なしなやかさとメカニズムを融合したジュエリー

アムフィテアトロフは、「官能的なしなやかさをメカニズムと結びつけることで、肌触りが良いジュエリーに仕上げ、ジュエリーに触りたいという気持ちを起こさせる。その感覚自体が貴重なのだ」と話す。コレクションの中心は幅にバリエーションがあるリング。中でも、ダミエのグラフィカルな面を強調した4列のデザインリングはインパクトたっぷりだ。2列のデザインは、1月に発売されたメンズファインジュエリーの“レ ガストン ヴィトン”のように、日常で着用でき、重ね着けも楽しめるようになっている。

ブレスレットは特に、腕の動きに合わせてしなやかに動くテニスブレスレットのカジュアルなラグジュアリー感を出したかったという。メゾンを象徴するモチーフでジュエリーを刷新するアムフィテアトロフの技は、ベテランのジュエリーデザイナーならではだ。彼女は、視覚的なシグニチャーとしてダミエを作り出したメゾンの創業者の大胆さを新作ジュエリーに重ねている。「ダミエをモダンでユニセックスなデザインで仕上げ、大胆かつモダンであると同時に、『ルイ・ヴィトン』だと分かるものにしたかった」。

ピラミッドの三角形をデザインに反映

もう一つの特徴は、幾何学的なラインを中央に施し、サイドから見るとVの形を描いている点。彼女は、「三角形は矢のような形なので、意識的にデザインに使用している。三角形は、幾何学のシンボリックな形。『ルイ・ヴィトン』は旅への情熱を表すメゾンなので、ピラミッドの形を施すことでエネルギーがプラスされた力強いデザインになる」と話す。また、テニスブレスレットの繊細かつクラシックな要素と相反する必要があると感じたという。「普遍的なデザインを今日らしく、アップデートした」という。このコレクションは10月に発売予定だ。予定価格は、リングが67万6500〜194万7000円、ブレスレットが227万7000〜476万3000円、ペンダントが97万9000円、ピアスが168万3000円。

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まずは挑戦してみるポジティブさで 店頭もデジタルもマルチに活躍 「クレ・ド・ポー ボーテ」三瓶祐里奈さん

PROFILE: 三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト

三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト
PROFILE: ((さんぺい・ゆりな)大学卒業後、資生堂に入社。京王百貨店吉祥寺店に勤務後、2021年に新宿伊勢丹本店に移動。デジタル パーソナル ビューティ スペシャリストとして、ライブ配信やスタッフレビューで活躍。22年にはリーダーに就任 PHOTO:YUKIE SUGANO

クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)にとって伊勢丹新宿本店は、本館2階の化粧品売場と伊勢丹会館にサロンを有する、ブランドの顔となる店舗の一つだ。そんな同店でリーダーを務めるのがパーソナル ビューティ スペシャリスト(以下、PBS)の三瓶祐里奈さんだ。学生時代はスポーツやマッサージ、美容が好きで、就職活動をする中で美容に関わる仕事がしたいという思いが固まったという。「資生堂といえば、ビューティの中でも日本を代表する企業の1社。華やかでいつも賑わっているイメージがありました」と入社当時を振り返る。(この記事は「WWDJAPAN」2024年9月23日号から抜粋・加筆しています)

京王百貨店吉祥寺店に勤務後、コロナ禍真っ只中だった2021年に伊勢丹新宿本店に移動した。店頭がクローズする中でデジタルに注力しようというブランドの方針の下、デジタルPBSに選ばれ、デジタル上での接客術を模索。「ウェブカウンセリングをして商品を紹介したり、YouTube上で配信をするなど、これまでとは全く異なる活動でした。配信は何百人ものお客さまに見ていただき、たくさんのレビューもいただきました。回数を重ねるにつれてポジティブなお声が増えていきましたね」とデジタルPBSの仕事を語る。加えて三越伊勢丹化粧品オンラインストア「ミーコ(meeco)」でのスタッフレビューもデジタルPBSとしての軸となる活動だ。ペルソナを立てて発信内容を精査し、写真の取り方や見出し、テキストを吟味。三瓶さんの発信はコンバージョンがよく、支持されているという。

リアル店舗では、PBSの中でも有する人はごく少数というフェイシャルトリートメントのライセンスを取得。ブランドならではの施術を提供する機会も多い。「サロンでは約1時間半をかけてお客さまと1対1で接することができるため、店頭とは異なる関わり方ができるので、ライセンスを取得してよかったです。カウンターでの接客では肌への触れ方が心地よいとお褒めいただくことがあり、相乗効果も感じています」と語る。

自己分析は場を重ねて成長するタイプ

デジタルとリアルと双方で顧客からお褒めの声をもらうことも多いという三瓶さんだが、デジタル PBSとして活動するきっかけも、フェイシャルトリートメントのライセンスを取得するきっかけもブランドの打診があってのことだという。

「プライベートでもSNSで発信することがそこまで得意というわけではありませんでした。デジタルPBSを始めた当初と今では写真や編集の方法も全く違っていて、やっていく中で磨き上げていきました。ライセンス取得も、ブランドならではのサービスなのでまずは挑戦してみようという思いが強かったです。私は最初からできちゃうタイプではありません。新しいことに挑戦するときは、毎回恐怖心や不安があります。けれども不安だからこそ、努力するし、場を重ねて成長するタイプだと自己分析しています」と三瓶さん。挑戦したことがいま実を結び、デジタルとリアルの相乗効果を感じることがあるという。

「デジタルPBSの活動を通して、想定するターゲットに対して分かりやすく魅力的に商品を伝える言葉選びや、どんな伝え方をすればイメージを持っていただきやすいかが分かるようになりました。デジタルPBS活動での学びは、店頭での接客にもつなげられます。今やらせていただいているそれぞれの活動にすごくやりがいを感じているので、さらに強化して、目標の数字を立て顧客を増やしていきたいですね」と語る。

コロナ禍から日常が戻り、インバウンド客も増えている伊勢丹新宿本店の化粧品売り場の店頭は毎日かなり忙しい状況だという。デジタルとリアルの双方に取り組むPBSでありリーダーである三平さんだからこそ、後輩スタッフが同じルートを希望する際には結果が出せるように忙しさに負けず「スタッフの育成にも力を入れたい」と今後の目標を語る。

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