「プラダ」が青山店で海洋保護イベントを開催 環境写真家やユネスコ科学者らが意見を交わす

プラダ・グループとユネスコは12月11日、「プラダ(PRADA)」青山店・エピセンターで、2019年から協働で進めている教育プログラム「シービヨンド(SEA BEYOND)」をテーマとしたトークイベントを開催した。

「シービヨンド」はプラダ・グループとユネスコの政府間海洋学委員会(IOC)が持続可能性と海洋保護に対する意識向上を目指して実施しているもので、トークイベント「プラダ ポッシブル カンバセーション」は、世界中の思想家、文化人、科学者、ファッションリーダーが集まり各地のプラダ・エピセンターで行っている。

今回はエミー賞ノミネートの経歴を持つ環境写真家・アーティストのエンツォ・バラッコ(Enzo Barracco)とフランチェスカ・サントロ(Francesca Santoro)ユネスコ-IOC シニアプログラムオフィサが登壇し、さらに海洋エコシステムの理解と保護促進を目的とする組織、全米海洋教育者協会(NMEA)を代表してメーガン・マレロ(Meghan Marrero)とジョアンナ・フィリッポフ(Joanna Philippoff)も参加した。魚類学者のさかなクンもビデオメッセージを通じて議論に意見を寄せた。

イベント会場には、エンツォが撮影したインパクトある環境写真も併せて展示した。プラダ・グループCSR担当責任者のロレンツォ・ベルテッリ(Lorenzo Bertelli)はイベントの意義について「多様なオーディエンスにリーチし、より大きなインパクトを起こすことを願っている。そしてアートフォトは、知識を深め、変化を導き実現するためのパワフルなツールのひとつだと信じている」と話している。

「写真には複雑なストーリーをシンプルに伝える力がある」

「WWDJAPAN」はトークセッションの後、登壇者の2人に単独インタビューを行った。科学者と写真家という異なる立場の2人に海を守ること、そのために私たち自身ができることについて聞いた。

WWD:写真の力とは?

エンツォ・バラッコ(以下、パラッコ):写真には複雑なストーリーをシンプルに伝える力がある。私が自然を体験して自然の美に触れたように、写真を通じて見て気になり、その背景にある事実を科学者の力を借りて知れば考え方が変わるきっかけになるだろう。南極で氷山のアンバランスな形を見て私は美しいと思ったが、同行していた大学教授である科学者は「一部が解けてバランスが変容したあの氷山は、生き残りをかけて戦っている形なのだ」と教えてくれた。同じようなことを写真を見る人にも体験してほしい。

WWD:あなたは長らくファッション撮影の第一線で活躍した後に、南極大陸に魅せられて自然の美に目覚めたと聞く。人造的であり欲望を掻き立てる権威的なファッションの美の力とありのままの自然の美しさは、同じ“ビューティ”でも異なる。その両方に触れて思うことは?

パラッコ:確かに私は自然に触れ、その美しさを発見した。自然の美しさの本質、つまり儚さと同時に美しさを解き放つようなものだ。最近は、ファッションの概念が少し変わってきたと思う。今は「プラダ」をはじめ、それぞれのブランドが保全や持続可能性に対するアプローチを熱心に行っている。私たちのファッションが自然に対してもう少し敬意を払い、自然からインスピレーションを得るようになり、自然をただ利用するのではなくなったことは、とても興味深い。

WWD:例えば?

パラッコ:今日私は「リナイロン」を使用した「プラダ」のブルゾンを着ている。デザインはもちろん素晴らしく、とても快適。でも、もっと重要なのは、この製品が「シービヨンド」のようなプロジェクトの資金調達に役立つということだ。このブルゾンは、ファッションの美しさと私たちが達成すべき主な目標である海や原則についての創造的な意識を結びつける、とても簡単な方法なのだ。つまり、“目的を持ったファッション(fashion with the purpose)”だ。

WWD:あなた自身は変わることを楽しんでいるが多くの人にとって変わることは容易ではない。

パラッコ:地球には緊急の問題が迫っており、私たちは変革を迫られているのです。確かに変わることは難しい。が、私たちがこれは生き残るために必要な変化なのだ。

「情報や知識があれば変わることへの恐れはなくなる」

WWD:今日は子供たちを対象とした海洋教育の話をたくさん聞き、いかに体験を通じた体験が重要であるかを理解した。同時に子ども以上に大人の方が変わるのは難しいし、変えることを強制されることに恐怖すら感じる。海を守るために大人の意識を変えていけることは?

フランチェスカ・サントロ(Francesca Santoro)ユネスコ-IOC シニアプログラムオフィサ(以下、サントロ):その感覚はよく理解できる。人々が恐れる理由は、知識や情報が十分ではないからだと思う。逆に言えば、情報や知識があれば恐れはなく、人々を動機づけ、感情的な観点からも動かすことができる。例えば、海がなぜ重要なのか、なぜ私たちの健康にとって重要なのかを大人にも説明することが大切。基本的な要素を理解しなければ、人々は決して行動を起こそうとはしないから。私が科学者であり、「知識を増やすこと」の力を本当に信じている。

WWD:その具体的な方法とは?

サントロ:知識を増やすには多くの方法がある。例えば、芸術やゲーム、あるいは本やドキュメンタリー映画を読むことなど。人によって情報の入手方法は異なるか私たちは、情報を伝えるさまざまな方法についても試している。ポッドキャストを好む人もいれば、ドキュメンタリー映画を好む人もいますし、展覧会に行くのが好きな人もいる。私たち一人一人が異なる料理人であるように、例えば動物に興味を持つ人もいれば、物理的な環境に興味を持つ人もいる。だから、私たちは本当にさまざまな方法で情報を発信しなければならない。それが、ジャーナリストやコミュニケーション担当者と多く仕事をする理由でもある。

WWD:ユネスコで働き、科学者でもあるあなたは海を守る活動を通じてさまざまな産業と対話をしていると思うが、ファッション業界はあなたの目にはどう映っている?

サントロ:ファッション業界のすべての人々ではありませんが、ファッション、特に「プラダ」のような大きなブランドは、海を守るメッセージが多くの人々にリーチする手助けができると思う。なぜなら「プラダ」は多くの人々に知られており、多くの人々がその製品やソーシャルメディアに注目しているから。特に、科学的事実にはあまり興味のないコミュニティの人々に届けることができる。ファッションも文化の一部であり、文化は人々にメッセージを届けるための非常に重要な手段であり、人々を動かす力がある。

WWD:さまざまな環境問題がある中で、何から取り組んでよいか迷う企業は多いと思う。「プラダ」のように海にフォーカスする意義とは?

サントロ:海は「プラダ」ファミリーのDNAやバックグラウンドのひとつ。そして海は地球にとって海は本当に重要な存在だ。この事実を知っている人は多くないが、海をより健康的なものにできれば私たち人間もより健康的になる。地球の70%が海で覆われており、生命は海から始まった。また、海から遠く離れた場所に住んでいても、海は多くのものの源であり、海を守ることは、未来への投資となる。海がもし国であれば世界第4位の経済大国になるという研究結果もある。つまり、海には非常に大きな経済的価値があるということ。海運、商品、輸送、観光、インターネットケーブル、石油やガスなど、海に関係する産業は本当にたくさんある。数字で示せば、海が経済的にも非常に重要になっていることがわかるだろう。

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誰もが映像監督になれる! 「TOYOTA DIRECTORSCUT」第3弾が作品募集中 テーマは「SUPER FORMULA」

TOYOTA,トヨタ自動車,トヨタ ディレクターズカット,全日本スーパーフォーミュラ選手権,SUPER FORMULA DIRECTORSCUT
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トヨタ自動車(以下:トヨタ)は、クリエイターとの共創プロジェクト「TOYOTA DIRECTORSCUT(トヨタ ディレクターズカット)」の第3弾である「SUPER FORMULA DIRECTORSCUT(スーパーフォーミュラ ディレクターズカット」をスタートした。同プロジェクトは、創造的な挑戦を続けるあらゆるクリエイターの活躍の場を作ることを目的として、過去には「ヤリス」シリーズと「アスリート(GTTA)」をテーマに、クリエイターの自由な創作を世界中に発信してきた。

第3弾となる今回は、国内最高峰で最速のフォーミュラレースシリーズ「全日本スーパーフォーミュラ選手権(SUPER FORMULA)」をテーマに、新撮300カット以上の映像素材、アーティスト14組による合計20曲のオリジナル楽曲を素材として提供。クリエイターは、それらを自由に使って映像作品を作ることができる。審査員によって選定された優秀作品は、2025年3⽉上旬に行われる開幕戦のレース告知として、多様なメディアで大々的に取り上げられるなど、多くの人の目に触れる機会を得る。クリエイターとして、新たな可能性が無限に広がるだろう。

国内最高峰で最高の
フォーミュラレース

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「SUPER FORMULA」は、日本で開催されるトップクラスのフォーミュラカーレースシリーズだ。全チームが基本的に同じ車両を使用する「ワンメイク方式」が採用される。これは参加者間の公平性を保ち、レースの勝敗をドライバーの技量やチームの戦略に依存させるため。世界中から優れたドライバーが参戦し、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットといった日本屈指の有名サーキットで開催。高い技術レベルと戦略性が必要とされ、世界中のモータースポーツファンに支持されている。また近年、環境対応技術を積極的に導入しており、カーボンニュートラル燃料の採用や車両開発でのエコロジー技術のテストを進めている。「SUPER FORMULA」の車両は、モータースポーツの未来を切り開く技術の集大成であり、見る者を魅了するスピードと技術の結晶と言えるのだ。

本プロジェクトに賛同し、レーシングチーム「KONDO RACING TEAM」の監督であり、日本レースプロモーション(JRP)の会長でもある歌手の近藤真彦、音楽プロデューサーの中臺孝樹、動画ディレクターの田中裕介が審査員として参加。さらに、2024年「SUPER FORMULA」のチャンピオンドライバー、坪井翔も加わる。そのほかの審査員は後日発表予定。
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オリジナル楽曲制作に参加した14組のアーティスト、AIJ、Aya Taniguchi、Double Clapperz、GRP、Kaito Mori、KAY、Masayoshi Iimori、松隈ケンタ feat 蝶(GBB)、MAYKIDZ、中村佳紀、RINZO、SARUKANI、TOMOKO IDA、Zuma(順不同)。「SUPER FORMULA」からインスピレーションを得た全20曲を素材として提供する。

若き映像クリエイター
RYO SUGIMOTOが映像を製作

クリエイティブ制作を行うアンノウンノウンズのRYO SUGIMOTOクリエイティブ・ディレクターが「SUPER FORMULA DIRECTORSCUT」の動画を手掛けた。デジタルネイティブの知見を生かした映像が、ファッション業界からも高い評価を得る1998年生まれの25歳が設けたテーマは、“「時間はコントロールできる。それを信じた者だけが勝つ」―意思と絆が新しい未来を創る―”。プロジェクトに対して、「クリエイターではなくても、誰でも簡単に映像を作れる気軽さがいい」と語る。だが、そのコンセプトには、やはりプロフェッショナルさを感じさせる。RYO SUGIMOTOに、製作した動画について聞いた。

競技と人生に通じる
“時間のコントロール”

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──映像のテーマについて、詳しく教えてください。

RYO SUGIMOTO(以下、SUGIMOTO):「SUPER FORMULA」という競技のルールでは、タイムや時間が重要なポイントになりますよね。それをチームメイトとコントロールするという考え方が、競技だけでなく、人生にも通じると考えました。僕らも限られた24時間というルールの中で生きていますから。最近、特にこのテーマを意識するようになりましたし、このプロジェクトを通じてその意識がさらに強まりました。

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──特にこだわった点はなんですか?

SUGIMOTO:まずは、素材比率として表方のドライバーに偏ることのない構成を意識しました。全ての人間の力が組み合わさり、この車体を動かしているということが視覚的に伝達できるようにこだわりました。また、現実世界のフォーミュラは“スピード/時間”のコントロールが勝敗を分ける競技ですが、デジタルならではの表現として、“スピード/時間”のコントロールにより視覚的エンターテイメント性を生み出すということを意識しています。

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資本主義から少し外れた
「平等な競争」

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──「SUPER FORMULA」について、どのような魅力や面白さを感じましたか?

SUGIMOTO:「SUPER FORMULA」の特徴は、機械的な性能や拡張性を度外視している点だと思います。例えば、機械的な機能を拡張すると資本力の戦いになりがちですが、この競技はそうではなく、同じルールの中で競い合う点が非常に面白い。均一な車両性能を採用している背景には、資本力における優位性を抑え、チームやドライバーの実力、戦略、団結力に焦点を当てているからだと思います。資本主義の中で見落としがちな「根本の人間力」というテーマを実現しようとしているところにも共感できます。資本主義の世界の中で、僕らは「根本の人間力」と「オーガニックでオリジナリティ溢れるアイデア」を武器に戦って行かないくてはいけません。SNSという社会がそれを多少自由に解放してくれたことで、その気付きの加速は感じますが、競技のルールに反映して、その概念を伝えていく活動団体はとても大切だと感じました。同時に、この「TOYOTA DIRECTORSCUT」プロジェクトは、資本主義から少し外れた「平等な競争」が共感を得ているのではないか、と個人的には感じています。誰でも参加できるこのプロジェクトの“平等なルール”がもっと広まれば、多くの人に受け入れられるのではないでしょうか。

──今後、「TOYOTA DIRECTORSCUT」で手掛けてみたいテーマを教えてください。

SUGIMOTO:電動車の“開発”や“お客さまの元に届くまで”というテーマには、とても興味があります。これは、未来を創る一つの要素であり、現在世界で開発競争が激化している分野と認識しています。お客さまに届くまでの間に開発研究、製造ライン、運輸など予想すらできない多くの人々が関わっています。将来的には電動車が主流になっていると思います。その未来を作る要素として、電動車について深く考え、作品を通じてその未来を表現することは、とても意義深いと感じます。そのビハインドをもっと届けて、普段、僕らが使用している自動車をただの自動車と思わせないような感情を与えることができたらうれしいです。

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RYO SUGIMOTO/クリエイティブディレクター
PROFILE:1998年神奈川生まれ。中学、高校時代をバドミントンに捧げる。高校最後の大会は神奈川ベスト8で惜しくも全国への切符を逃す。大学で英語を学び、オーストラリアをはじめ海外を放浪する。海外滞在中に写真や映像に出会い、帰国後、企業のスチールや映像制作を請け負う。大学卒業後、2022年にアンノウンノウンズ設立。現在、同社CEO兼クリエイティブ・ディレクター

募集要項は以下の通り。応募期間は11月8日~25年1月10日。映像制作のルールは、提供するいずれかの映像素材を入れること。車両映像は、提供されたもののみの使用に限り、独自で撮影することは禁止。提供する楽曲の中から映像楽曲を選定すること。そして、提供する「SUPER FORMULA DIRECTORSCUT」のロゴを映像のどこかに入れること。

25年1月中の審査を予定し、最優秀賞1人、優秀賞1人を2月中旬に発表(その他、審査員賞などの特別賞を設ける予定)する。優秀作品には、各審査員がコメントをフィードバックし、3⽉上旬の「SUPER FORMULA」開幕戦におけるレース告知として各メディアで使用する。

「TOYOTA DIRECTORSCUT」は、トヨタとクリエイターがオープンにつながることのできる共創プラットフォームだ。第1弾の「YARIS DIRECTORSCUT」では、ヤリスシリーズ3車種の映像素材279カットとサカナクションの映像素材全40カットに加え、楽曲「エウリュノメー」のトラックデータ全21素材を公開し、クリエイターがアレンジ可能な素材として提供。3223人のクリエイターと共創した総計301の作品をプロジェクトサイトや公式SNS、CMなどで公開した。

アスリート×クリエイターの共創をテーマにした第2弾「GTTA DIRECTORSCUT」では、国籍、競技、パラスポーツと健常者スポーツの垣根を越えて、はるかな高みを目指すアスリートが集う「グローバルチームトヨタアスリート(GTTA)」と映像を共創した。

INTERVIEW & TEXT : YUKI KOIKE
問い合わせ先
SUPER FORMULA DIRECTORSCUT事務局

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世界が注目する韓国発のブランド「ポスト アーカイブ ファクション」とは? デザイナーのドンジュン・リムに聞く

PROFILE: ドンジュン・リム(Dongjoon Lim)/「ポスト アーカイブ ファクション」クリエイティブ・ディレクター

PROFILE: 1992年生まれ。大学で工業デザインを学び、2018年にスキョ・ジョンと共に「ポスト アーカイブ ファクション」をスタート。21年にはLVMH プライズのファイナリストにノミネート。22年には「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー」や、24年にはスイスのスポーツブランドである「オン」とコラボレーションを実現した。韓国で注目を集めるファッションデザイナーの一人。「2024 HYPEBEAST 100」にも選出された。

2018年にスタートした韓国発のアパレルブランド「ポスト アーカイブ ファクション(POST ARCHIVE FACTION)」。アシンメトリーな構造、シワ加工技術、重厚なパネリングなど、機能的かつデザイン性の高い服が話題となり、21年にLVMH プライズのファイナリストにノミネートされると、世界から注目される存在となった。

22年にはヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)の「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH)」と、24年にはスイスのスポーツブランド「オン(ON)」とコラボし、日本でも人気が高まっている。先日発表された「2024 HYPEBEAST 100」にも選出された。

「ポスト アーカイブ ファクション」がいかにして誕生したのか。11月に渋谷パルコでポップアップを行ったタイミングで来日した同ブランドのクリエイティブ・ディレクター、ドンジュン・リムが、現在勉強中だという日本語でインタビューに答えてくれた。

「最初は自分のための服作りだった」

WWD:ドンジュンさんは大学で工業デザインと空間デザインを学んで、その後、IT企業でUXデザイナーとして働き、そこから独学でデザイナーとしてスタートしたそうですね。

ドンジュン・リム(以下、ドンジュン):大学はソウルにある弘益(ホンイク)大学で、そこで工業デザインと空間デザインを学びました。でもそこでの授業が自分が思い描いていたものとは違い、3年生のときに大学を中退しました。その後兵役を経てUXデザイナーとして働きながら、独学でファッションを勉強し始めました。

WWD:ファッションスクールに通おうとは考えなかった?

ドンジュン:服を作り始めたときは「ファッションブランドを作る」という意識ではなく、まずは自分が着たい服を作ることが目的だったので、そこまでは考えていませんでした。

基本的に「ポスト アーカイブ ファクション」の服は「ユニホーム」のようなものです。韓国では小学校から高校、兵役まで約10年間ユニホームを着る文化があります。私もそのように育ち、兵役後はどんな服を着たらよいか分からなくなりました。それで自分が着たい「ユニホーム」を作ろうと思い、ネットで調べながら服作りを始めました。当初はそれでお金を稼ぎ、海外でアートを勉強するつもりでした。

しかし、服作りを続けるうちに独学に限界を感じ、服をちゃんと勉強した人が必要だと思い、18年に共同創業者のスキョ・ジョン(Sookyo Jeong)を誘って「ポスト アーカイブ ファクション」を立ち上げました。ブランドの運営を続ける中で人気が高まり、大きなブランドともコラボレーションができるようになり、今では仕事が楽しいです。

WWD:ドンジュンさんとスキョさんとの役割はどのように分担している?

ドンジュン:自分がデザインやクリエイティブディレクション、あとマネジメントも担当しています。肩書きとしてはCEOです。スキョは実際にプロダクトの品質や生産管理を担当しており、CPO(=Chief Product Officer、最高プロダクト責任者)としての役割を担っています。

「造形的に美しく、機能的に優れた服」を目指す

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」のブランド名の由来は?

ドンジュン:僕の世代は、前の世代が作り上げた膨大なアーカイブにアクセスできる環境にあります。その一方で、今から自分たちが一生懸命、服を作り続ければ、将来「ポストアーカイブ」として新しいアーカイブを築けるのではないかと考えました。そして、同じ志を持つ仲間たちを表す「ファクション」という言葉を組み合わせ、ブランド名にしました。

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」のデザイン哲学は?

ドンジュン:「造形的に美しく、機能的に優れた服を作る」のが一番の目標です。でも、これを実現するのは簡単ではありません。常に試行錯誤を重ねています。

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」は“ライト(RIGHT)” “センター(CENTER)”“レフト(LEFT)”という3つのラインに分かれています。それぞれの特徴は?

ドンジュン:“ライト”は日常的に着やすいシンプルなデザインが特徴です。一方、“レフト”は装飾的で実験的なデザインを追求したラインです。“センター”はその中間に位置し、両方の特徴をバランスよく取り入れたラインだと考えています。この3つのラインをバランスよく作ることがブランドとして重要だと考えています。

WWD:それぞれのラインの割合は?

ドンジュン:“センター”と“ライト”が各40%ぐらいで、レフトが20%ほどです。

WWD:「ポスト アーカイブ ファクション」は機能性を重視しているが、「洋服」の役割についてはどう考えている? 

ドンジュン:洋服の役割は2つあると思います。1つ目は「プロテクション(保護)」、つまり寒さや雨から肌を守ることです。2つ目は文化的な役割で、個人の性格や趣味・嗜好を表現することです。洋服は人間の延長線上にある存在だと考えています。

WWD:カラーはブラック、グレー、ホワイトなどモノトーンが多いが、色に関してのこだわりは?

ドンジュン:僕がデザインを勉強したときはミニマルなものはトレンドで、個人的にもそういうものが好きです。だからブランドロゴもないし、色もモノトーンや優しい色が好きなんです。

WWD:2024年春夏、秋冬のようにシーズンで名はなく、6.0、7.0など「バージョン」として発表している理由は?

ドンジュン:最初に服を作ったときに、自分ではあまり満足ができなくて、もっと上手になりたいなと思ったんです。それは正直今も思っていることですけど。だからシーズンではなく、常にアップデートを目指す「バージョン」という表記にしています。

WWD:「オン」や「オフ-ホワイト」とのコラボに関して、「ポスト アーカイブ ファクション」として、どういうことを心がけた?

ドンジュン:一番大事にしたのは、良いプロダクト、かっこいいプロダクトを作ることです。また、「ファクション」という言葉には“新しい潮流”という意味も込めています。大きな川から新しい流れが生まれるよう。「オン」や「オフ-ホワイト」とのコラボでは、これまでにないデザインを提案し、そこから新しい可能性を創り出すことを意識しました。

日本と韓国のファッションについて

WWD:日本のファッションシーンについてはどう見ていますか。韓国との違いなどで感じることがあれば教えてください。

ドンジュン:自分も「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」や「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」、「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」が好きで、ブランドを立ち上げる際にも多くの日本のブランドを参考にしました。日本のデザイナーは私にとってファッションの先生たちのような存在です。

韓国ではここ10年でようやくデザイナーズブランドが増え始め、特にこの5年ほどで盛り上がってきたと感じます。「ナインティナイン パーセント イズ(99%IS-)」や「ヘインソ(HYEIN SEO)」といったブランドも注目されていますが、多くは日本のブランドに影響を受けていると思います。

最近は少し面白い状況で、日本の若い人が韓国のカルチャーを、韓国の若い人が日本のカルチャーを好きになっています。これはファッションでも同じで、10年前までは韓国の人が日本のファッションに片思いしているような状況でしたが、今はお互いに影響を与え合っていると感じます。

WWD:日本でも「ポスト アーカイブ ファクション」は人気だが、手応えは感じている? 

ドンジュン:本当に光栄です。日本のお客さんは基準が高いので、そんな方々に支持されるのはとてもうれしいですし、感謝しています。韓国のお店でも1日のうち約30%が日本から来たお客さんです。それもあって、直接お話しできるように今年3月から日本語を勉強しています。

もともとアニメが好きだったので、聞き取ることは少しできましたが、話すことは難しかったです。ただ、日本の文化が好きなので、いつか日本でもお店をオープンできたらいいなと思い、勉強をがんばっています。

WWD:今回のインタビューも日本語で行っていて、とても今年から日本語を勉強したばかりとは思えないレベルです。日本語は毎日勉強してるんですか。

ドンジュン:はい。毎日勉強しています。このインタビュー中も少し成長していると思います(笑)。

WWD:日本に限らず好きなファッションブランドやデザイナーがいれば教えてください。

ドンジュン:先ほど言った「コム デ ギャルソン」「ヨウジヤマモト」「イッセイ ミヤケ」はもちろん、ラフ・シモンズ(Raf Simons)やヘルムート・ラング(Helmut Lang)、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」の高橋盾さんなど、好きなデザイナーはたくさんいます。

最近は、日本の「オーラリー(AURALEE)」やスウェーデンの「アワーレガシー(OUR LEGACY)」も好きです。「オーラリー」は素材使いがすばらしく、「アワーレガシー」はその独自の世界観が参考になりますね。

WWD:ファッション以外で興味があることは?

ドンジュン:最近はランニングや水泳、サイクリングなど運動に興味があります。アートも好きで、ずっとやりたいと思っています。高橋盾さんが最近ペインティングの作品を発表しているのを見て、自分も機会があれば挑戦したいと思っています。

WWD:21年にはLVMH プライズのファイナリストにノミネートされたが、そこから大きな変化はあった?

ドンジュン:確かにノミネートされて、グローバルでの知名度は高まりました。

WWD:ブランドスタートから6年ほど経ち、ブランドは当初思い描いてた感じになっているか?

ドンジュン:先ほども話しましたが、最初はここまでブランドとしてやっていくとは思わなかったので、目標とかは特にありませんでした。今はサーフィンみたいに波が来たらそれに乗っていこうという感覚でいます。

WWD:今度のブランドが目指す未来について教えてください。

ドンジュン:未来に向けていろいろな準備を進めています。新しいブランドやウィメンズ展開の可能性もありますが、まずは「今」に集中して、目の前のことを全力でがんばろうと思っています。

WWD:ランウエイショーを開催する予定は?

ドンジュン:あります。まず来年1月にパリで開催される25年秋冬パリメンズコレでプレゼンテーションをして、来年の6月の26年春夏パリメンズコレではランウエイショーをやりたいと思っています。

PHOTOS:MASASHI URA

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ヘネシーが2種のコラボボトルを限定販売 「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル」が魅せる輝き

MHD モエ ヘネシー ディアジオ(Moet Hennessy Diageo)が取り扱うコニャックブランド「ヘネシー(HENNESSY)」は、巨大な彫刻や吹きガラスの作品で世界的に知られる現代アーティストのジャン=ミシェル・オトニエル(Jean-Michel Othoniel)とのコラボレーションで制作した「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル(Hennessy X.O by Jean-Michel Othoniel)」を発表。“マスターピース”と“リミテッドエディション”の2種類のボトルを10月に数量限定で発売した。価格は、世界108本限定で、シリアルナンバー入りのアートピースでもある“マスターピース”は616万円、その“マスターピース”に着想して製作した“リミテッドエディション”は3万1240円だ。

長年、才能あるクリエイターたちとのコラボレーションを展開してきた「ヘネシー」が、今回コラボレーションしたジャン=ミシェル・オトニエルとはどんなアーティストなのか。本人の言葉を通して、伝統と革新を融合させる彼の哲学をひもとく。

クリスタルが“ヘネシー X.O”の多面性を表現

WWD:今回発売した「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル」の2種類のコラボレーションボトルが生まれた経緯を教えてください。

ジャン=ミシェル・オトニエル(以下、オトニエル):フランス人にとって、コニャックはなくてはならないもの。その中でも「ヘネシー」というコニャックハウスは、私にとって特別な存在です。「ヘネシー」との親しい関係は17年前に始まりました。創業者のリチャード・ヘネシーの子孫で、1970年代からCEOとして会社を率いた故キリアン・ヘネシーの100歳を祝うパーティーに招待され、ご本人はもちろん、家族とも親しく話す機会に恵まれました。その時に生まれた絆が、今回のコラボレーションにつながりました。

WWD:ではまず、108本限定の“マスターピース”について教えてください。色とりどりのクリスタルがあしらわれた手彫りのボトルケースは、光や色、クリスタルなどの要素を取り入れて作品を制作するオトニエルさんらしい仕上がりです。

オトニエル:多数のファセット(カット面)を持つボトルを包み込む“マスターピース”は、酒だるになぞらえてオーク製で製作しました。この独特の形状は、“ヘネシー X.O”を保護しつつ、ガラスボトルの輝きを強調するためのもの。ケースに取り付けられたジュエリーのようなクリスタルは、“ヘネシー X.O”の多面的な色味と複雑な味わいを表現しています。

WWD:多面的な色味や複雑な味わいとは具体的にどのようなものでしょうか。

オトニエル:“ヘネシー X.O”の味は、時にチョコレートやピーマンにも例えられます。その複雑な味の要素と、時間や場所によって変幻自在に見え方が変わる琥珀色の絶妙な色味を表しています。

WWD:“マスターピース”から着想を得て制作した“リミテッドエディション”についてはいかがですか?

オトニエル:金色の金属ケースに施した複雑なカットは、“マスターピース”と同様に“ヘネシー X.O”が含み持つ多面性を際立たせるためのものです。鏡のように反射するカットの一つ一つが、コニャックの琥珀色の輝きを象徴的に表現しています。

職人との協働
伝統技術は時にインスピレーションに

WWD:今回のコラボレーションにあたり、オトニエルさんは「ヘネシー」と仕事をする職人の元を訪れ、コニャックの生産や酒だるの製造プロセスについて学んだそうですね。

オトニエル:はい。酒だるの職人が柏の木をどのように扱うのかを目の当たりにして、ものづくりをする人間として多くを学び、刺激を受けました。

WWD:オトニエルさんは、ご自身の作品制作でも職人との協働を得意としています。アーティストとして職人さん一緒に仕事をするのはどのような感覚ですか?

オトニエル:オーケストラの指揮者のような感覚です。作曲をするようにアイデアを構想し、演奏者を集めるように、それを具現化できる技術者を集めて作品を作ります。そうやって、ある種の美しいハーモニーを生み出すんです。伝統文化や職人技が、時にインスピレーションにもなることもあります。

WWD:日本にも何度もいらっしゃっているオトニエルさんから見て、日本の職人技や文化はどう見えますか?

オトニエル:日本の方達が細部に向ける眼差しは素晴らしいものがありますし、自分の作品とも相性が良いと感じます。日本に来るたびに、伝統文化や職人技に触れるためにいろいろな場所を訪れます。過去には湯島天満宮で開催される「文京菊まつり」に感銘を受けて、菊の花をテーマに作品を制作したこともあるんです。

WWD:日本でも、「菊」の作品を展示されていましたね。最後に、「ヘネシー X.O by ジャン=ミシェル・オトニエル」を手に取った人たちに、自身の作品とヘネシー X.Oをどのように楽しんでもらいたいですか?

オトニエル:気心の知れた友人とこのボトルを囲み、大切な時間を分かち合いながら作品とお酒を楽しんでほしいです。なぜなら“ヘネシー X.O”は喜びを象徴するものだから。

伝統と歴史に裏打ちされた
世界で最も有名なコニャックハウス「ヘネシー」

「ヘネシー」は、フランスのコニャックに本社を置くコニャック・ハウス。1765年に、創業者のリチャード・ヘネシーが自らの名を冠したコニャックを世に送り出して以来、こだわりは8世代にわたってヘネシー家に受け継がれてきた。厳選した畑のブドウによるオー・ド・ヴィー(原酒)のみを使用し、世界最大35万だる以上に及ぶ貯蔵量の中から最高の相性のブレンドを見つけ出して製造されたコニャックは、世界で最も有名なコニャックとして知られる。日本でも1868年に初めて輸入され、多くのファンを持つ。

 中でも1870年に世界で初めて“エクストラ・オールド(X.O)”の名が与えられた“ヘネシー X.O”は、約100種類のオー・ド・ヴィーをブレンドして作られた「ヘネシー」を代表するコニャックの一つ。近年多くのクリエイターたちとコラボレーションを展開しており、過去には、ファッションデザイナーのキム・ジョーンズ、建築家のフランク・ゲーリー、アーティストの蔡国強、映画監督のリドリー・スコットらと協業し、限定ボトルやキャンペーンを発表してきた。

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韓国のベストセラー作家イ・スラが“家女長“の視点で語る未来

PROFILE: イ・スラ/小説家

イ・スラ/小説家<br />
PROFILE: 1992 年生まれ、ソウル出身。有料メールマガジン「日刊イ・スラ」の発行人。ヘオム出版社代表。大学在学中からヌードモデル、文章教室の講師として働き、雑誌ライターなどを経て2013 年に短編小説「商人たち」で作家としてデビュー。著書にエッセイ集「日刊イ・スラ」(原田里美、宮里綾羽訳、朝日出版社)、小説「29歳、今日から私が家長です。」(清水知佐子訳、CCCメディアハウス)などがある。 Instagram:@sullalee

2024年ノーベル文学賞に韓国の作家ハン・ガンがアジア人女性として初選出され、韓国文学の勢いはますます加速している。その中で、23年に韓国読者が選ぶ若い作家1位となり、日本でも話題の小説「29歳、今日から私が家長です。(以下、29歳)」(清水知佐子訳、CCCメディアハウス)の著者イ・スラが、11月23日と24日に神保町で開催された「K-BOOKフェスティバル 2024 in Japan(以下、K-BOOKフェス)」に初来日した。

初めての小説「29歳では、家父長制に代わる新たな家族の形「家女長(娘が家長)」を提案し、ドラマ化も決定。その革新的な視点は、書店「Yes24」の読者投票で5万票以上を集め、「韓国文学の未来を担う若い作家」第一位に選ばれた。

既存の枠組みに捉われず、自分らしい生き方を表現するスラに、作家としてのインスピレーション源や、家族観をどのように捉えているか、今後の作品に対する展望などを聞いた。

――K-BOOKフェスのサイン会は長蛇の列でしたね。男性ファンも多かったと聞きましたが、来場者とどのような会話をしましたか?

イ・スラ(以下、スラ):日本人だけでなく、在日コリアンや日本に留学中の韓国人の方々もいました。一番多かった感想は「家族、特に母親との関係性をもう1回考え直した」「勇気をもらった」という言葉でした。「一緒に暮らしていると喧嘩が多くなるから、離れて暮らしている。でも別々に暮らしていると仲は良くなるけど、寂しい」という声も多かったですね。私の父親と同年代の男性たちから、家長という役割から解放されたいという気持ちが感じられたこともとても印象的でした。

家族というテーマは普遍的であり、そもそも家族が一緒に暮らしていくことは簡単なことではありませんよね。日本でも母子の関係で悩みがあり、新しい家族のあり方、女性の新しい生き方が求めらているんだなと感じました。

――家族が同居しながら仲良く暮らす方法はありますか?

スラ:「29歳」の中でスラが家族と仲良く過ごせる理由の1つは、血縁関係だけにとどまらず、娘が社長で父母が社員という雇用関係があるからです。この仕事の関係性が、お互いに礼儀や節度を保つ基盤を作っています。さらに、この家族は共通の認識として、家族間でもさえ完全に分かり合えないことを理解していることも、良い関係を築くための一因となっています。

――スラさんは既婚者ですが、社会制度としての結婚をどのように定義されますか?

スラ:元々結婚に対する幻想はなかったので、ウエディングドレスを着たいとも思いませんでしたし、結婚はしないだろうと考えていました。でも、信頼できるパートナーと出会い、一緒に過ごすうちに、自然と心地よさを感じるようになりました。パートナーは礼節を重んじるタイプで、互いに尊重し合い、支え合う関係が築けることの大切さに気づきました。そんな日々の中で、結婚に対する考え方も少しずつ変わっていきました。どちらかというと、パートナーがいわゆる妻的な役割を担い、私は夫的な役割を担っています。今はその役割分担でうまくいっていますが、今後はその境界線をもっと曖昧にしていきたいと思っています。

私たちはたまたま異性愛者同士だったため、現在の結婚という制度を比較的簡単に受け入れることができました。一方で、先日対談をしたファン・ソヌさんは(異性愛者として)女性二人で暮らしていますし、他にも友人同士の同居や同性カップルで暮らしているケースもあります。結婚という制度に縛られず、生活のパートナーとして共に暮らすための制度は、まだまだ整っていないのが現実です。物語を通じて、既存の制度に疑問を投げかけることは、今後も続けていきたいと考えています。

――「29歳」 は新しい生き方を提案しつつ、自己主張の押し付けがなく、包容力と軽やかさで反発を引き起こさずに人々の耳を引き寄せます。執筆の際に意識したことを教えてください。

スラ:文体のリズムを一番大切にしました。ずっと読んでいたくなるような、書き手の声が聞こえてくるような文章を意識しました。同じテーマを扱っても、その作家によって発せられる声は違い、それぞれに独特の響きを持っています。そういう自分にしか出せない“声”を追求していきたいですね。

20代の頃に子どもたちに文章を教える教室を運営していました。私自身も文章の作成と朗読をしていたのですが、長文だとすぐに飽きてしまう子が多かったんです。それで、短く簡潔で、なおかつ面白おもしろく伝えることを意識していました。こうした工夫がリズムの良い文章を書くことに繋つながったのかもしれませんね。この本を通じて、読書が身近でない人たちにも楽しさを感じてもらえたら嬉しいです。

――この作品を書くうえで、影響を受けたものはありますか?

スラ:子どもの頃に祖父と一緒に見た韓国の家族をテーマにしたドラマ、や日本の「逃げるは恥だが役に立つ」からインスピレーションを得ました。家事労働は報酬を伴う専門的な仕事であると、このドラマを通して強く実感しました。

限られた登場人物たちの中で物語が展開するという点では、アメリカのシットコム(シチュエーション・コメディ)「オフィス」が参考になっています。現実では問題に直面すると立ち直るまでに時間がかかりますが、シットコムの主人公たちは常に新しい出来事が常に起こるため、立ち直りが早く前向きです。どんな人にも弱さはありますがその部分はあえて描かない、積極的に未来を切り開く物語が好きです。

――現在は、ドラマ化が決定した「29歳」 の脚本を執筆されているそうですね。原作に近いもの、あるいは派生物として新しい発展があるのでしょうか?

スラ:予定よりも少し時間がかかっていますが、来年にはキャスティングに入りたいですね。原作には、主人公が乗り越えるべき大きな葛藤はありませんでしたが、ドラマでは主人公が予想外の困難に立ち向かう様子や、家族の興味深い秘密が次第に明らかになっていく展開を描くことで、物語に深みを持たせるつもりです。

家女長として成長していく過程をしっかり描くために、苦しい時期を乗り越えてきたこと、弱さや未熟さをきちんと描くことが必要だと思います。

――娘が家族を支えるという新しい考え方を提唱し、韓国をはじめ台湾や日本でも注目を集めています。そうした立場に対してプレッシャーを感じることはありますか?

スラ:新しい価値観の先駆者として取り上げられることに、負担を全く感じないわけではありません。それでも、誰にも読まれないという状況を避けるため、多くの人に届けることを最優先に考えています。誤解なども受け入れる覚悟で、読んでもらうことを目指しています。

――スラさんはファッションアイコンとしても人気ですが、イベントやSNSの投稿でも、個性的で流行に捉われない着こなしが印象的です。

スラ:子供どもの頃から20代まで、母がユーズドショップを経営していた影響で、古着をよく着ていました。その中には日本の古着もあって、いろんなコーディネートやスタイルを楽しみました。自分の好きなものを自由に着る感覚はその時に培ったのかもしれませんね。

――ファッションやヘアスタイルは個性を表現する要素のひとつでありながら、表現方法はリアルからバーチャルまで益々多様化しています。スラさんにとって、「自己表現」とはどのようなものでしょうか?

スラ:若い頃には多くの人が似た経験をするかもしれませんが、10代の頃は外見に対するコンプレックスが強く、鏡を見たくありませんでした。韓国ではアイドルのように痩せていて、目鼻立ちがはっきりした人が理想とされる価値観も関係していました。

外見に対する不安を抱えていた私が、自分らしく生きるきっかけをつかんだのは、作家になる前の絵画のヌードモデルの経験です。美大へ行き、油絵を描く人たちのモデルをしながら気づいたのは、彼らの絵に映る人物が不思議と書き手自身に似ていることでした。他人を見ているようで、実は自分を投影している人が多いのだと気づいて以来、周りの視線を気にしすぎず、心が軽くなりました。

今でも人が、コンプレックスや足りない部分をどうやって補完するのかにはとても興味があります。

――生活に豊かさを感じる瞬間はどんな時ですか?

スラ:自分らしく自然体で過ごせるようになったのは30代に入ってからで、それが豊かさを感じる瞬間でもあります。心が安らぐのは、仕事が終わって、ベットに入りパートナーとNetflixを楽しんでいる時です。ただ、うまく書けなかった日は気持ちが沈んでいます。

――作家、ハン・ガンさんのノーベル賞受賞で、さらに世界的に韓国のカルチャーに注目が集まっています。

スラ:ハン・ガンさんの受賞は、私にとっても本当に嬉しいニュースでした。年々、書籍を手に取る人が減っている中で、世界中で韓国の文学が注目を集めている状況に勇気をもらいました。

私の作品も、イタリア、スペイン、アメリカなどから翻訳版権の依頼が届いています。海外でも、経済的に成功した子供たちが親の生活の面倒を見る機会が増えていると聞いています。でも「家女長」というテーマはこれまであまり扱われてこなかったようですね。先日会ったイタリアの出版社代表の女性から「私は家女長だ。この版権を絶対に買いたい」と言われました。

――今後は、世界を意識して作品を書かれていくのでしょうか?

スラ:世界を意識して創作活動を始めたのは、今年に入ってからです。日本や台湾の読者の方々と交流したり、欧米の出版社との翻訳版権の交渉にも立ち合ったことで、自分の作品が世界に届いていく感覚を覚えました。

日本の読者と話して驚いたのは、韓国語が上手な日本人の方が多いことでした。とてもありがたいですし、言語を超えたつながりを実感します。欧米での交渉では、英語を使うことが当然視されているように感じ、英語圏以外の文化や背景への配慮が欠けているように思う場面もあります。それは、国際的な優位性を意識した態度とも受け取れますね。そういった経験から、自分の作品も含めて韓国文学に対する関心の高まりを実感すると同時に、改めて母国語や自国の文化に対する自負心も芽生えました。

過去に私たちが西洋諸国からさまざまなカルチャーを学んだように、これからは私たちの豊かな文化がもっと広く理解され、楽しんでもらえたら幸せです。

――韓国特有の文化を取り上げた方が、世界に対しておもしろい物語が書けるのでしょうか?

スラ:そうかもしれませんね。韓国の生活、私たちの日常を書くことはとても大切です。一方で、自国のことを書くにはその状況を俯瞰して見直す作業も必要ですよね。私のパートナーは、20〜30代をアメリカで過ごしていたので異なる文化圏の価値観を持っています。外の視点をもつ人と暮らしていると、自分では気づくことのなかった韓国特有の文化や価値観を自覚させられる瞬間も多くあります。

とても身近なことで例をあげると、スーパーのレジ待ちで、人との間隔が一番狭いのは韓国だと聞きました。皆、せっかちで早く会計を済ませたいんですね(笑)。

TRANSLATION:HWANG RIE

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NewJeansとのタイアップ企画に爆発的反響の渋谷109 SNS発信力が強いブランドが好調(2024年上半期)

渋谷を象徴するファッションビルとして、訪日外国人客が多く訪れるのが渋谷109だ。若者に人気のアーティストとのタイアップで話題をふりまき、ファッションとエンタメのトレンドに敏感な若者に刺さるイベント企画にも力を入れている。SHIBUYA109エンタテイメントの丸山康太SHIBUYA109渋谷店総支配人に好調要因を聞いた。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年8月26日号会員限定特別付録「ビジネスリポート2024年上半期」からの抜粋です)

WWD:2024年上半期の商況は?

丸山康太SHIBUYA109渋谷店総支配人(以下、丸山):売上高は前年同期比9.2%増。予算も前年をクリアした。3月は気温の低下で春物が動かず初めて前年を割ったものの、4月以降は非常に好調で一安心した。5月はエンタメ系コンテンツが非常に良く、INI限定店、アニメの「ウィンドブレイカー」やアイドルのジャムズコレクションのポップアップイベントがヒット。また、春のリニューアルの反響がよく、コスメブランド「セルブ」との複合店を初出店した「ダーリッチ(DARICH)」と、常設初出店のD2Cブランド「ピウム(PIUM)」が牽引。それぞれ開店初日に800万円と500万円を売り上げ、以降も予想以上の売れ行きで、周辺店舗にも良い影響が出ている。

WWD:他に好調だったブランドは?

丸山:絶好調なのは「リズリサ(LIZLISA)。海外SNS拡散力が圧倒的で、ブランド認知度が上がり訪日客の売り上げが全体の約半分を占めている。日本ならではのテイストが海外でウケており、サイズ対応できている。接客力も高く、店長が物怖じせず海外客にもしっかり売っているところも高評価。同じくSNS戦略が上手な「シークレットハニー バイ ハニーバンチ」も国内外の客から支持。コラボレーション企画の投入タイミングが良く、話題作りに寄与している。他にも「エピヌ(EPINU)」は引き続き売れている。好調ブランドはSNS発信力があり、プロパー商品がしっかり消化できる構図ができあがっている。

WWD:特に効果的だった取り組みは?

丸山:館の45周年を記念して4月28日にスタートしたNewJeansとのタイアップが爆発的にヒット。アパレルを売った1階「リミテッドポップアップブリッジドット(以下、ブリッジ)」とグッズを売った地下1階「DISP!!!」にドーム公演に向けたアイテムを求めるファンが行列を作り、爆発的に売れた。ラブジーンズ企画を立ち上げてY2Kを意識したデニムコーデを館内で訴求する企画を提案したところ、40近くの店舗が手を挙げてくれて良い反響があった。若者の間でトップファッションアイコンの彼女たちと取り組めたことは、ブランディング効果も絶大だった。館の開業記念日ということで他にもさまざまな施策を打ったこともあり、その日の来館者数が4万2000人で、今年1番の集客になった。

WWD:コスメは?

丸山:1階の「ドレステーブル バイ シンクス ビューティー パレット」が「シャネル(CHANEL)」を導入したところ、売り上げが急上昇。「ディオール(DIOR)」と「シャネル」がそろうセミセルフ店舗は少ない。

WWD:ポップアップスペース「ブリッジ」の手応えは?

丸山:3月のオープンから続けて13ブランドのポップアップを開催し、概ね好評だ。館のファッション感度を高める狙いではあるが、売り上げも好調。ファンをしっかりつかんでいるD2Cブランドは、リアル店舗にもちゃんと来店してくれる。4月に開催した「ビーデン(BEEDEN)」は特に良かった。内装や什器がそろい、ウインドーも活用できて路面店感覚でオープンできることに加え、立地が館内で一番良いことはブランド側にとってのメリットも大きいだろう。コスメの「アニヴェン」もよく売れた。短期集中で売りたいという声とリピートの要望もすでに届いており、11月まで出店スケジュールは埋まっている。

WWD:訪日客売り上げについては?

丸山:全館売上高の免税額比率は16%に上がり、免税対応店舗は54店舗になった。特に大盛況だったのが6月。前年同期比2倍の2億円を売り上げた。アニメ「ウィンドブレイカー」のポップアップ効果が大きく、中国人バイヤーの行列が絶えなかった。施策では主に台湾や韓国に向けた販促キャンペーンをSNSに絞って打ち出している。メタ社と組んで、海外への発信力が高い日本人インフルエンサーと一緒に館内体験動画を2回配信した。今後は、秋にお土産企画を計画。「OMIYAGE」というワードは海外で浸透しており、おすすめ商品を集めて9月にカタログとSNS配信を展開する。

WWD:今後の計画は?

丸山:8月に8階「DISP!!!」を拡大するほか、9月にかけて店舗のリニューアルと新店導入を行う。また、この秋も暑さが続くと見込んで、秋冬物の販促企画を強化。新しい取り組みとして11月にブラックフライデーを開催する。いつもと違うショッピング体験が楽しめるイベントを企画している。暖冬における秋冬ファッションの売り方は重要課題としてしっかり取り組んでいきたい。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.5(最終回) 「化粧品のサステナビリティ問題」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:いよいよ最終回ということで、やはり「スリー(THREE)」を立ち上げられた石橋さんにはサステナビリティについてお伺いしたいと思います。

石橋寧(以下、石橋):化粧品でサステナビリティっていうとすごく難しさがあるんだけれど、人類が地球上に誕生して約700万年と言われているんですよね。それで産業革命が起きてまだ200年余り。ということは、人類は長らく自然由来のものに頼って生きてきたわけです。植物、動物、魚介など自然の恵みを食して生きてきた。ところが産業革命が起こり、その後エネルギー革命が起こって石油化学技術が発達しました。歴史的に見れば世の中が一瞬にしてすごく便利になり、治らない病気も治るようになって長生きするようになっているわけだけど、本質的には700万年に対しての200年程度でしかないから、化学物質に対する免疫ができていないわけです。例えば頭痛がして薬を飲むとすぐ治るけれど、それはピンポイントであってそれ以外の効果はないし、飲み続けるのも良くない。ところが漢方薬や生薬は、即効性はないけれども体全体に行き渡らせることができる。それが何千年と続いているわけです。SARSとかコロナウイルス感染症とかアトピー性皮膚炎とか、カタカナ表記の疾患は産業革命以降に誕生したもので人類には免疫がなく、漢字やひらがなで表記される疾患には本来の免疫システムが作用する、というのが大前提としてある。そんな考え方で「スリー」にも「イトリン(ITRIM)」にも自然素材を原料に採用したというのがあります。

 

――:どちらのブランドも国産原料に徹底してこだわっていましたね。

石橋:「スリー」でキー成分に使っているティーシードオイルは、静岡県の牧之原産の茶の実から抽出したオイルで、これは本来使われずに捨てられていたものを初めて化粧品の原料に採用したんですね。しかもこのティーシードオイルはヒトの皮脂の組成に近いという特性があり、ほとんどの商品に配合しています。一方、2023年に販売終了した「イトリン」では夕張メロンの種子油やビワの葉のエキスをキー成分に使っていましたね。ビワの葉は昔から生薬として使われていたように、日本人は古来、ヘチマ水や米ぬかなど自然素材を化粧品原料として使ってきたという長い歴史があります。だからその知恵を生かしたかったわけです。また「スリー」ではガラスボトルを基本としていましたが、それは“化粧品の品格”。一般的にはプレミアムなコスメでも樹脂を使うことが多いけれど、僕に言わせればそれは高級品ではなく高額品。樹脂を使えば安く大量に生産できるけれども、使い終わればリサイクルできず、ただのゴミ。ガラスボトルだったら一輪挿しにもできるくらいの見栄えの良さがある。少し前に空容器を回収するという動きが活発だったけれど、結局今も続いているの?という感じですよね。美しさと持続可能性の両立は、現代のひとつの答えだと思います。

 

――:15年に国連サミットでSDGsが採択されたのち、あらゆるコスメブランドが17のゴールに向かって邁進した結果、今やオーガニックコスメの存在意義が見えにくくなっています。

石橋:女性が化粧をする理由はなんなのか? それはやっぱり、美しくなりたいから。シミにもシワにも無縁の肌で美しく年を重ねていく。まずそれが化粧品に求める女性の心理ですよね。それが第一。自分の肌に合い、整っていけば一番いいわけで、それがケミカルなのかオーガニックなのかは次の段階。オーガニックのほうがイメージも含めて肌に優しいというのがあるけれど、でも全く効果がなかったら使わないですよね、前提はキレイになりたいわけだから。さらにその次に高価格か低価格か、という順番になる。所詮は化粧品ですから、それを使って自分がキレイになれるかどうかが第一優先。これは男性にも言えることで、まずはそこに応えてあげればいいと思うんです。これだけ再生医療やらを含めて技術が進歩していますから、より良いものはこれから先も出てくると思う。昼間に化粧品の通販番組が多いのは、それだけキレイになりたいというニーズが多いという証しですよね。

――:では新たなコスメブランドをプロデュースするとしたら、どうしますか?

石橋:最近注目しているブランドがあって、カネボウ化粧品の「センサイ(SENSAI)」がインバウンドも含めて新宿伊勢丹本店、阪急うめだ本店で異常値を叩き出していると百貨店のバイヤーさんから聞いたんですよ。日本の百貨店ではジェイアール名古屋タカシマヤを含めて3店舗でしか扱っていないと思うけれど、阪急うめだ本店では売り上げトップ3に入り、3店舗ですごく売り上げを伸ばしている、と。元々1980年代に欧州からスタートしたブランドだから、欧州と台湾・香港・中国などアジアの人は円安で爆買いしているだろうし、日本の顧客も少しずつ増えているようですね。外資系ブランドは徐々に値上げをして高価格になっている一方、日本のブランドは価格を変えないから、そういうのも相まって日本人の購入客が増えているというのはあるだろうけど、なぜ「センサイ」なのか。シルクは古くから外科手術の縫合糸に使用されているくらい生体と相性がいい素材だから、イメージも含めて「小石丸シルク」というワードが響いているのか、あるいはメイクアップもそろえているからなのか、要因が気になるところですね。

話が外れちゃったけれど、もし僕がプロデュースするとして、スキンケアだったら「官能的であること」。なんとも言えない心地いいテクスチャーと香りで、ずっと使い続けたいと思わせられるものですね。配合成分の効果はもちろん大事なんだけれど、それ以上に気持ちというか「キレイになれるかも」と感情に訴えかける。成分の効果はそれなりについてくればいい。11年の東日本大震災の時、被災地に「スリー」のメイクアップ商品を送るよう指示を出したんです。いろんなメーカーがハンドソープとかシャンプーとかで支援していたけれど、3日、4日経って落ち着いてくると、口紅をつけたくなってくるのが女心ですよね。手元にないだろうし店も開いていないし。

――:メイクセラピーという言葉もあるくらい、メイクアップはQOLの向上に役立つことが分かっています。

石橋:実現がかなり難しいんだけれど、「イトリン」でそのうちやりたいと密かに考えていたのが、天然由来成分比率の高いメイクアップ商品。山形のベニバナはまだ口紅の一部にしか使われていないんですよ。口紅やチーク、アイシャドウならいいものが作れるんじゃないかと思っていて。和服は古いものでもきちんと管理されていれば、今でも色鮮やかですよね。日本には高い染色技術があって、基本は植物色素でシルクを染めている。同じようにメイクアップ商品の色を再現できないかなあと。何歳になっても夢だけはあります(笑)。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.5(最終回) 「化粧品のサステナビリティ問題」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:いよいよ最終回ということで、やはり「スリー(THREE)」を立ち上げられた石橋さんにはサステナビリティについてお伺いしたいと思います。

石橋寧(以下、石橋):化粧品でサステナビリティっていうとすごく難しさがあるんだけれど、人類が地球上に誕生して約700万年と言われているんですよね。それで産業革命が起きてまだ200年余り。ということは、人類は長らく自然由来のものに頼って生きてきたわけです。植物、動物、魚介など自然の恵みを食して生きてきた。ところが産業革命が起こり、その後エネルギー革命が起こって石油化学技術が発達しました。歴史的に見れば世の中が一瞬にしてすごく便利になり、治らない病気も治るようになって長生きするようになっているわけだけど、本質的には700万年に対しての200年程度でしかないから、化学物質に対する免疫ができていないわけです。例えば頭痛がして薬を飲むとすぐ治るけれど、それはピンポイントであってそれ以外の効果はないし、飲み続けるのも良くない。ところが漢方薬や生薬は、即効性はないけれども体全体に行き渡らせることができる。それが何千年と続いているわけです。SARSとかコロナウイルス感染症とかアトピー性皮膚炎とか、カタカナ表記の疾患は産業革命以降に誕生したもので人類には免疫がなく、漢字やひらがなで表記される疾患には本来の免疫システムが作用する、というのが大前提としてある。そんな考え方で「スリー」にも「イトリン(ITRIM)」にも自然素材を原料に採用したというのがあります。

 

――:どちらのブランドも国産原料に徹底してこだわっていましたね。

石橋:「スリー」でキー成分に使っているティーシードオイルは、静岡県の牧之原産の茶の実から抽出したオイルで、これは本来使われずに捨てられていたものを初めて化粧品の原料に採用したんですね。しかもこのティーシードオイルはヒトの皮脂の組成に近いという特性があり、ほとんどの商品に配合しています。一方、2023年に販売終了した「イトリン」では夕張メロンの種子油やビワの葉のエキスをキー成分に使っていましたね。ビワの葉は昔から生薬として使われていたように、日本人は古来、ヘチマ水や米ぬかなど自然素材を化粧品原料として使ってきたという長い歴史があります。だからその知恵を生かしたかったわけです。また「スリー」ではガラスボトルを基本としていましたが、それは“化粧品の品格”。一般的にはプレミアムなコスメでも樹脂を使うことが多いけれど、僕に言わせればそれは高級品ではなく高額品。樹脂を使えば安く大量に生産できるけれども、使い終わればリサイクルできず、ただのゴミ。ガラスボトルだったら一輪挿しにもできるくらいの見栄えの良さがある。少し前に空容器を回収するという動きが活発だったけれど、結局今も続いているの?という感じですよね。美しさと持続可能性の両立は、現代のひとつの答えだと思います。

 

――:15年に国連サミットでSDGsが採択されたのち、あらゆるコスメブランドが17のゴールに向かって邁進した結果、今やオーガニックコスメの存在意義が見えにくくなっています。

石橋:女性が化粧をする理由はなんなのか? それはやっぱり、美しくなりたいから。シミにもシワにも無縁の肌で美しく年を重ねていく。まずそれが化粧品に求める女性の心理ですよね。それが第一。自分の肌に合い、整っていけば一番いいわけで、それがケミカルなのかオーガニックなのかは次の段階。オーガニックのほうがイメージも含めて肌に優しいというのがあるけれど、でも全く効果がなかったら使わないですよね、前提はキレイになりたいわけだから。さらにその次に高価格か低価格か、という順番になる。所詮は化粧品ですから、それを使って自分がキレイになれるかどうかが第一優先。これは男性にも言えることで、まずはそこに応えてあげればいいと思うんです。これだけ再生医療やらを含めて技術が進歩していますから、より良いものはこれから先も出てくると思う。昼間に化粧品の通販番組が多いのは、それだけキレイになりたいというニーズが多いという証しですよね。

――:では新たなコスメブランドをプロデュースするとしたら、どうしますか?

石橋:最近注目しているブランドがあって、カネボウ化粧品の「センサイ(SENSAI)」がインバウンドも含めて新宿伊勢丹本店、阪急うめだ本店で異常値を叩き出していると百貨店のバイヤーさんから聞いたんですよ。日本の百貨店ではジェイアール名古屋タカシマヤを含めて3店舗でしか扱っていないと思うけれど、阪急うめだ本店では売り上げトップ3に入り、3店舗ですごく売り上げを伸ばしている、と。元々1980年代に欧州からスタートしたブランドだから、欧州と台湾・香港・中国などアジアの人は円安で爆買いしているだろうし、日本の顧客も少しずつ増えているようですね。外資系ブランドは徐々に値上げをして高価格になっている一方、日本のブランドは価格を変えないから、そういうのも相まって日本人の購入客が増えているというのはあるだろうけど、なぜ「センサイ」なのか。シルクは古くから外科手術の縫合糸に使用されているくらい生体と相性がいい素材だから、イメージも含めて「小石丸シルク」というワードが響いているのか、あるいはメイクアップもそろえているからなのか、要因が気になるところですね。

話が外れちゃったけれど、もし僕がプロデュースするとして、スキンケアだったら「官能的であること」。なんとも言えない心地いいテクスチャーと香りで、ずっと使い続けたいと思わせられるものですね。配合成分の効果はもちろん大事なんだけれど、それ以上に気持ちというか「キレイになれるかも」と感情に訴えかける。成分の効果はそれなりについてくればいい。11年の東日本大震災の時、被災地に「スリー」のメイクアップ商品を送るよう指示を出したんです。いろんなメーカーがハンドソープとかシャンプーとかで支援していたけれど、3日、4日経って落ち着いてくると、口紅をつけたくなってくるのが女心ですよね。手元にないだろうし店も開いていないし。

――:メイクセラピーという言葉もあるくらい、メイクアップはQOLの向上に役立つことが分かっています。

石橋:実現がかなり難しいんだけれど、「イトリン」でそのうちやりたいと密かに考えていたのが、天然由来成分比率の高いメイクアップ商品。山形のベニバナはまだ口紅の一部にしか使われていないんですよ。口紅やチーク、アイシャドウならいいものが作れるんじゃないかと思っていて。和服は古いものでもきちんと管理されていれば、今でも色鮮やかですよね。日本には高い染色技術があって、基本は植物色素でシルクを染めている。同じようにメイクアップ商品の色を再現できないかなあと。何歳になっても夢だけはあります(笑)。

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「ディプティック」と協業した“フェルトの女王”に聞くコラボからクリスマスの過ごし方まで

「ディプティック(DIPTYQUE)」は今年のホリデーコレクションで、イギリス人のアーティストであるルーシー・スパロー(Lucy Sparrow)とコラボレーションした。スパローは、“フェルトの女王”と呼ばれるアーティスト。フェルトで作った「ハインツ(HEINZ)」のケチャップや「ケロッグス(KELLOGGS)」のコーンフレークス、「スキッピー(SKIPPY)」のピーナッツバターなど9000個ものアイテムを並べたコンビニエンスストアやベーグルやキャンディを並べたベーカリーの展示など、独自の世界観で注目を集めている。彼女は、「ディプティック」のホリデーコレクションのために、モミの木やジンジャーブレッドマンなどのモチーフをデザイン。パリとロンドンの旗艦店であるメゾン ディプティックの高級デリカテッセンのインスタレーションも手掛けた。スパローに、コラボの感想やクリスマスの過ごし方などについて聞いた。

子どもの頃の興奮をアドベントカレンダーで表現

WWD:「ディプティック」とコラボした感想は?

ルーシー・スパロー(以下、スパロー):創業者3人のインスピレーションを忠実に守り続けているところが大好き。パリのアーカイブを訪れたときは、スケッチブックや世界中を旅して集めたオブジェ、フェルトのアート作品など、私自身のクリエイションと重なるものがあった。「ディプティック」は“遊び心”と“喜び”に満ちたブランド。その2つの要素は私のクリエイションの核でもある。

WWD:「ディプティック」のイメージは?
スパロー:美しいだけでなく、ハンドメードにこだわった職人的なアプローチがある。世界観にフィットするものを作るためにディテールに気を配り、手間のかかる努力をしている。今回のホリデーキャンドルの新コレクションに私の手縫いのフェルトを取り入れてくれてとても嬉しい。

WWD:「ディプティック」の世界観や香りの世界をどのようにコラボで表現したか?

スパロー:メゾンとしての文化はもちろん、パリのメゾン ディプティックのインスタレーションのためにフランスの伝統的なホリデーについて学んだ。遊び心と情熱を加えて表現したつもり。「ディプティック」のパリのチームは素晴らしかった。ロンドンのメゾン ディプティックを何度も訪れ、すっかりスタッフと友人になった。ぶらぶらするだけで楽しい場所で、何時間も過ごせる。

WWD:コラボで苦労した点と楽しかった点は?

スパロー:「ディプティック」のオードトワレやオードパルファン、キャンドルなどの複雑なディテールを描き出すのが難しかった。おなじみの楕円形のロゴはもちろん、住所など細部まで再現した。コラボの制作中に「ディプティック」と1万回は描いたと思う。ソーイングボックス型のアドベントカレンダーについては、明確なビジョンを持っていた。私が子どもの頃に初めて裁縫箱を手にしたときの興奮を表現した。裁縫箱はクリエイションの可能性に満ちた世界に私を解き放ってくれた。その驚きを閉じ込めたつもり。

クリスマスに欠かせないのは「ディプティック」のキャンドル

WWD:「ディプティック」でお気に入りの香りとその理由は?

スパロー:ロンドン旗艦店の限定キャンドル“107 ニューボンドストリート”。なぜなら、私の故郷を思い起こさせる香りでコレクションを制作するときにずっと焚いていたから。

WWD:世界各地のイベントではフェルト作品が完売するほどの人気だが?

スパロー:特に1950年代初期のレトロなものから80年代のテクノカラーのパッケージまで、アメリカのブランドデザインの進化に影響を受けている。中でも、カラフルなラベルで日々の生活に欠かせない洗剤に夢中。自分のインスタレーションを通して、多くの人が特定のブランドや製品に個人的な関心を示すことに気づくようになった。おそらく、子どもの頃に買ってもらったお菓子や初めて味わったビールとか・・・・・・。それが私にとってのインスピレーション源。クリエイション過程で生まれる会話やエピソードは大好きだ。自分の作品が、人々を日常生活から離れた場所に誘うことができること願っている。

WWD:今年のクリスマスはどこでどのように過ごす?

スパロー:暖かい場所に旅行する予定だけど、お気に入りのフェルトのクリスマス・スターを持っていくつもり。

WWD:クリスマスに欠かせないものは?

スパロー:「ディプティック」のキャンドルは欠かせない。あとは、暖かい靴下とオレンジ、そして、大好きなチョコレートをたくさん。

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注目のオルタナティブ・ロック・バンド、ニューダッド(NewDad) ピクシーズやザ・キュアーからの影響を語る

PROFILE: ニューダッド(NewDad)

PROFILE: アイルランド、ゴールウェイ出身の4人組インディー・ロック・バンド。フロントマンのボーカル/ギター、ジュリー・ドーソン(Julie Dawson)を中心に学校で知り合ったベースのエインドル・オーバイン(Aindle O‘Beim)、ドラムスのフィアクラ・パースロー(Fiacra Parslow)で2018年に結成。20年にギタリストのショーン・オダウド(Sean O’Dowd)が加入。22年にカーラ・ジョシ(Cara Joshi)がアーインドルに代わって加わり、現在のラインアップとなった。2021年に自主制作でEP「WAVES」を、22年にEP「BANSHEE」をリリース。24年2月にフル・アルバムを「Madra(マドラー)」発売した。

フォンテインズD.C.の登場以降、活況が続いているアイルランドのロック・シーン。中でも、今年を代表するホープの筆頭といえるのが、港町のゴールウェイで結成された4人組のバンド、ニューダッド(NewDad)だ。その魅力は、シューゲイザーやグランジ、ドリーム・ポップなど1980〜90年代のオルタナティブ・ロックの影響を受けた没入感のあるサウンド。そして、敬愛するザ・キュアーの面影も重なるダークでメランコリックなムード。さらに加えて、チャーリー・xcxやピンクパンサレスのカバー/リワークにも窺えるポップ・ミュージックへの鋭い感覚を持ち合わせたソングライティングが、彼女らの音楽を華やかに際立たせている。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやスマッシング・パンプキンズの作品で知られるアラン・モウルダーがミキシングを手がけたデビュー・アルバム「Madra(マドラー)」は、そんな彼女らの個性が凝縮された目覚ましい成果だった。

今はアイルランドを離れ、ロンドンに新たな活動拠点を置いているニューダッド。早くも次のアルバムを制作中と伝えられる中、「Madra」のブレイクによって拓けたバンドの現在地を彼らはどう見ているのか。その音楽的な背景や創作のインスピレーション、そして彼女らが直面しているアイリッシュネスの問題について、先日大盛況に終わったジャパン・ツアーの東京公演2日目のライブ直前、ボーカリストでソングライターのジュリー・ドーソンに話を聞いた。

初来日について

——日本での初めてのライブはどうでした?

ジュリー・ドーソン(以下、ジュリー):最高だった! ずっと楽しみにしていたツアーだったので、ここに来られて本当に嬉しい。こんな素晴らしい場所は初めてだし、観客のみんなも温かく迎えてくれて感動しました。だから、この場所を離れるのが今からもう寂しくて(笑)。

——東京をぶらぶらする時間はありましたか。

ジュリー:今日は一日中ショッピングを楽しみました。キャットストリートだっけ? 原宿をあちこち歩き回って、可愛い洋服やぬいぐるみとか、たくさん買い物ができて大満足です(笑)。

——一番のお気に入りは?

ジュリー:古着屋で「シモーン ロシャ(SIMONE ROCHA)」のスカートを見つけて! シモーン・ロシャ(Simone Rocha)はアイルランド出身の素晴らしいデザイナーで、彼女の服が大好きなんです。だから最高に嬉しい。しかもとても安く買えて、ラッキーでした(笑)。

——今日のファッションも素敵ですが、タトゥーも個性的で目を惹きます。

ジュリー:(日本語で)アリガトウゴザイマス(笑)。ほとんどのタトゥーは友達のサラがデザインしてくれたもので。中でも一番のお気に入りは、(ワシリー・)カンディンスキーの絵をモチーフにしたもの。ゴールウェイの私の家に飾ってあった絵がずっと好きで、その一部を参考にデザインしてもらいました。あの絵の、虹の橋を渡るような神秘的なイメージがずっと心に残っていて、タトゥーを入れられる年齢になったら入れたいって思っていたんです。それと、ケイト・ブッシュの「Hounds of Love」からインスピレーションを得たこれも気に入っています。このいかつい表情をした2匹の犬は、「Hounds of Love」ってタイトルから連想したイメージなんです(笑)。

影響を受けたアーティスト

——デビュー・アルバムの「Madra」は大きな反響を呼びました。自分たちとしてはどんな手応えを感じていますか。

ジュリー:正直、リリースされた当初はあまり注目されてなかった気がしていて。でも、ここ数カ月の間にアートワークがバズり始めたり、より多くの人に知ってもらえるようになって、みんなが自分たちの曲を大好きだってって言ってくれるようになった。だから、最近になってあらためてあのアルバムへの愛が深まった気がするし、バンドとして着実に成長していることを実感できていて嬉しいです。

——最近リリースされた新曲の「Under My Skin」は、そうしたバンドを取り巻く世界の広がりを象徴するナンバーですよね。

ジュリー:はい。「Under My Skin」は当初、「Madra」の収録曲としてレコーディングされた曲だったんだけど、その後、「Life is Strange」というビデオゲームのサウンドトラックとして使われることになって。あの曲をゲームに登場するキャラクターのストーリーと重ねて聴いてくれているファンがいて、そうした“相乗効果”を見るのはとてもクールだし楽しい。聴いた人がそれぞれにいろんなものを感じ取ってくれることは、私たちにとっても大きな喜びなんです。

——ニューダッドのサウンドからは1980年代や90年代のオルタナティブ・ロックの影響が強く感じられますが、実際にどんなアーティストがインスピレーションになっているのでしょうか。

ジュリー:私たちの音楽を聴いてそう感じてもらえたなら嬉しい。私たちがバンドを始めたきっかけはピクシーズで、彼らが奏でるベース・サウンドや、独特な表現スタイルに惹かれて自分たちもバンドをやりたいって思ったんです。そこから90年代のギター・バンドやスロウダイブにハマって、ザ・キュアーやコクトー・ツインズのようなバンドからも影響を受けながら曲をつくり始めるようになりました。彼らのような、夢見心地でワクワクするような感覚を自分たちも音楽で表現したいなって。

——ライブではキュアーの「Just Like Heaven」のカバーをレパートリーに入れていますが、キュアーはやはりニューダッドにとって特別なバンドですか。

ジュリー:はい、みんなキュアーを聴いて育ったようなものなので(笑)。ニューダッドを始めた頃、ダブリンでジャスト・マスタードというアイルランドのバンドがキュアーの前座を務めたのを観て。ダンドーク出身の小さなバンドが、世界でも最も偉大なバンドをサポートしていて、私たちもいつかこんなステージに立てたらいいなって夢を抱くようになりました。キュアーへの愛は、私たちの音楽の原点と言えるんじゃないかな。それに、ロバート・スミスはやっぱり最高のソングライターだと思う。

——同じソングライターとして、ロバート・スミスのどんなところに惹かれますか。

ジュリー:ちょっと陰鬱な雰囲気が好きなんです(笑)。彼の曲は、とても美しくて繊細で、でも同時にゾッとするようなところがあって。抱きしめられるような、それでいて突き放されるような感じというか。何か新しいものが生まれそうな予感があって面白いし、その相反する感覚をうまく調和させているところが魅力だと思う。

——ちなみに、カバーについて本人から何か反応はありましたか。

ジュリー:そう、彼がリツイートしてくれて! とても興奮しました(笑)。いつか彼と共演できたら最高。それが今の私たちの目標なんです。

憧れのアラン・モウルダーのミックス

——「Madra」はミックスをアラン・モウルダーが手がけたことも話題ですが、ニューダッドの音楽性を考えると、彼の貢献は大きなものがあったのではないでしょうか。

ジュリー:アランとは2枚目か3枚目、それか4枚目のアルバムで一緒に仕事ができたらって思っていて。だからデビュー・アルバムのミックスをやってくれるなんて夢にも思っていなかったし、彼から返事が戻ってきて、私たちの曲を気に入ってくれたと聞いたときはとても興奮しました。彼は、私たちに影響を与えた90年代の素晴らしいギター・バンドの作品を生み出したひとだから。スタジオで完成した楽曲も素晴らしい出来だったけど、アランの手によってさらに磨きがかかり、完成度は格段に向上しました。彼の才能にあらためて気付かされたし、彼に仕事を引き受けてもらえてとても感謝しています。

——アラン・モウルダーが手がけた作品の中で、お気に入りの一枚は?

ジュリー:そうだな……スマッシング・パンプキンズの「Mellon Collie and the Infinite Sadness」かな。あとは……そうだ、彼が「Loveless」(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)をやっていたのをすっかり忘れていました! 同じアイルランドのバンドなのに……こういう大事なことを忘れてしまうところがあるんです、私は(笑)。でもそうですね、「Loveless」は間違いなく彼の代表作の一つだと思います。

——そういえば、「Madra」のリファレンスとして、ピクシーズの「Doolittle」と共にウィーザーのファーストを挙げていましたね。リブァース・クォモの詩はナーディーというか……。

ジュリー:うん、わかります(笑)。

——(笑)なので少し意外な気もしたんですが、あのアルバムのどんなところに繋がりを感じていますか。

ジュリー:学生の頃に大好きだったバンドの一つなんです。16歳のときの私は、とにかくクールになりたくて、誰にどう思われても気にしない!みたいな感じで。既存のルールにとらわれず、周囲の目を気にしないような自分になりたかった。ウィーザーみたいな“スラッカー・ロック”はまさにそうした私の心情を代弁した音楽で、友達のパーティーで彼らの「Undone – The Sweater Song」を初めて演奏した時の興奮は今もはっきりと覚えています。

私が書くギター・ラインの多くは彼らの音楽から生まれたもので、とてもシンプルだけど彼らの楽曲に込められた世界観は、私自身のアイデンティティーの形成に大きな影響を与えています。自分たちがどうありたい、どんな音楽を作りたいかを模索しているとき、その初期の段階で彼らからたくさんのインスピレーションをもらったんです。

ポップミュージックとの関わり

——一方で、ニューダッドはチャーリー・xcxのカバー(「ILY2」)やピンクパンサレスのリワーク(「Angel」)もやっていたりと、今のポップ・ミュージックへの関心も窺えますが、そのあたりはいかがですか。

ジュリー:ポップ・ミュージックは大好きです。最近は自分が書く曲もだんだんとポップな要素が強くなってきたように思うし、大衆に広く受け入れられるものって確立された構造や巧みな表現技法があって、やっぱりよくできているというか(笑)。例えばチャペル・ローンみたいなアーティストを見て、自分ももっとうまく歌いたいって思うし、学ぶことがたくさんあって、何より聴いていて楽しい。それにライブの前とか、気難しいロックを聴くよりもチャーリー・xcxみたいなポップ・ミュージックを聴く方が気分転換になるし、パフォーマンスも上がる気がする。結局、私ってどんなものでも音楽は好きだし、自分の中でジャンルの区別ってないタイプなんです。

——最近書いている曲というのは、次のアルバム用の曲のことですか。

ジュリー:そうです。「Madra」の「Nightmares」や「Nosebleed」でコラボレーションしたジャスティン・パーカーとまた一緒に曲を書いていて。もうかれこれ何度も仕事をしているからお互いのことを深く理解し合えているし、とても高いレベルで曲づくりができていると思う。どれもポップな曲なんだけど、それをスタジオに持ち込んで生ドラムとかギターを重ねて、より立体感のあるサウンドに仕上げているところです。

——ジャスティン・パーカーといえば、ラナ・デル・レイやデュア・リパ、リアーナとのコラボレーションでも知られる、今のポップ・ミュージックと関わりの深いソングライターでありプロデューサーですよね。

ジュリー:ジャスティンは本当にすごいソングライターで、学ぶことが多いし、彼とのプロジェクトはとても刺激的です。例えば、ジャスティンはセッション中にレディオヘッドを聴かせてくれて、楽曲の構成やアレンジだったり、彼らの音楽から学ぶべきポイントをいろいろとディレクションしてくれます。特に「In Rainbows」は、作曲の前に必ず聴くアルバムになっていて。レディオヘッドは昔から好きだったけど、ジャスティンのおかげで彼らの音楽に対する理解が深まったというか、いろんなヒントをもらったりインスピレーション受けるようになりました。そんなふうにしてジャスティンは、私がもっといいソングライターになるように背中を押してくれます。今制作している曲は、今までやったどの曲よりも満足しているし、これまでで最も満足のいく出来栄えだと思う。

母国アイルランドへの思い

——今はアイルランドを離れてロンドンを拠点に活動されているそうですが、刺激を受けるところはありますか。

ジュリー:ロンドンではたくさんのライブを観れるのが楽しい。でも、個人的に一番刺激をもらっているのは、他のアイリッシュのアーティストたちの音楽なんです。カーディナルズっていうバンドはトラッド・ロックみたいなことをやっていてかっこいいし、スプリントもイギリスとかヨーロッパやアメリカでも大規模なツアーを回っててすごく活躍していて、とても刺激になる。友達のCiaraがやっているKynsyっていうプロジェクトも大好き。それに、フォンテインズD.C.も地元のこととかいろいろ話してくれて、新しい街に引っ越してきたばかりの私たちにとって彼らみたいな先輩がいるのは心強く、学ぶことが多くてとても助かっています。

——離れてみたことで、母国への想いや見方が変化したようなことはありますか。

ジュリー:愛着がより深まった気がします。ロンドンみたいに賑やかで大きな街と比べると、故郷の静けさがすごく心地よく感じる。ロンドンは私が慣れ親しんできたものとはまったく違っていて、だからゴールウェイに帰るととても穏やかで、平和なんです。ロンドンに引っ越すまでは、その素晴らしさをよくわかっていなかったんだと思う。だからアイルランドがもっと好きになりました。

——例えば、フォンテインズD.C.の「Skinty Fia」というアルバムでは、同じくアイルランドを離れてロンドンで暮らすようになり、そこで感じた葛藤や故郷への複雑な思い、アイルランド人としてのアイデンティティーがテーマになっていました。今のあなたたちも大いに共感するところがあるのではないでしょうか。

ジュリー:とても共感します。すごくありきたりかもしれないけど、次のアルバムでは、故郷を離れて暮らすことについて歌っていて。新しい国って、最初は期待に胸を膨らませてワクワクするけど、いざ住んでみると孤独で、家族と離れて暮らすのは本当につらい――特に私は家族ととても仲がいいから。グリアン・チャッテンが書く歌詞からは、そうした新しい環境への期待と現実の厳しさとのギャップに悩みながら、心の奥底から湧き出るような正直な感情が感じられて感心させられるし、とてもストレートで心に響いてくる。それでいてとても詩的で、いつか彼のように自分も率直な気持ちを歌えるようになりたいって思います。

彼がアイルランドについて書くのが好きなんです。アイルランドは完璧な国ではないし、多くの問題を抱えている。でも彼にとってかけがえのない故郷であるということが、彼の楽曲から伝わってきます。アイルランドへの深い愛着を持ちながら、その国の光と影を描き出していて、その2つのバランスを取る書き方が本当に面白いし、的確だと思う。とても力強くて説得力があるし、彼の楽曲は、現代のアイルランドの若者が感じていることを完璧に表現していると思う。

——「Madra」では、鬱や孤独など、10代が抱える不安が親密なトーンで綴られています。ジュリーさんが歌詞を書く上で大事にしていることは何ですか。

ジュリー:「Madra」は、まさに10代の自分そのもののような作品でした。あの頃の経験が私たちの音楽の根底にあって、「Madra」を聴くと10代の頃の自分に戻ったような気がします。私にとって、ハッピーな曲やラブソングを書くのは難しくて、どこか嘘っぽくて安っぽく感じてしまう。本心から楽しめなくて、心が重くなる。むしろ、心の奥底にある孤独や憂鬱な感情を掘り下げて音楽にぶつけると、心が軽くなる。表現の幅が広がる気がするし、大げさに書いたり深く考え込んだりできるから、そういう方が音楽を作るのが楽しいんです。

学生時代に曲を書き始めて、20代前半になって、10代の頃の経験から学んだことを振り返るようになりました。だから「Madra」は、私の人生のある章を要約したものなんだと思います。でも、次のアルバムは、24歳になり、新しい街で新しいことを始めた今の私の姿を映し出したものなんです。

——今年の春に開催されたSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)では、米軍からのスポンサーシップをめぐってボイコットの動きが起こりました。ニューダッドをはじめ多くのバンドやアーティストが抗議の声を上げましたが、あの経験を今どのように受け止めていますか。

ジュリー:行動を起こしてよかったと思います。あの出来事を通じて、アイルランドのアーティスト同士が団結して、互いに協力し合い、連帯感を深めることができました。その結果、彼らは資金援助を打ち切った。あのボイコットには効果があったし、そこから多くのことを学ぶことができました。最初は不安もあったけど、現地を訪れ、みんなと一緒に行動したことで、自分たちの決断は正しかったと心の底から思えたんです。あの経験は、私にとって大きな意味がありました。

——勇気づけられたリアクションはありましたか。

ジュリー:インターネット上では、些細なことで過剰な反応を示されることが多くて残念に思います。でも、私たちのファンは本当に優しい。特にアイルランドの人たちは、今回のことでさらに応援してくれるようになった。何か新しいことを始めようとすると、反対意見が生じることは避けられない。でも、そんなの気にしなくていいと思うんです。大切なのは、本当に私たちのことを応援してくれる人たちなんだから。

——そうしたある種のポリティカルな視点も、今作っているアルバムに反映されそうですか。

ジュリー:うーん、それはないと思う。私自身、特に曲作りに関してはそういうことを言葉にするのに自信がないというか、自分が感じたことや個人的な経験しか表現できない。でも、いつか自分の音楽でそういうメッセージを伝えられるようなソングライターになりたいと思います。だから今はまだ、自分の内面と向き合ってる感じかな。

——改めて、次のアルバムはどんな感じになりそうですか。

ジュリー:もっとアコースティックな感じで、フォークっぽい曲が多いかな。「Modra」みたいに重たい感じじゃなくて、もっと軽やかで明るいサウンドになると思う。今、もう一人の新しいソングライターと一緒に仕事をしていて。彼はチェロ奏者でありながら素晴らしいギタリストで、彼が弾くアコースティックギターの音色が素晴らしくて、楽曲に心地よい響きや温かみを添えてくれています。だから「Madra」が深い海の底みたいな感じなら、次のアルバムは春の小川みたいに清澄というか、そんなイメージかな。

——アイルランドといえばトラッド・ミュージックが盛んですが、そうしたアイリッシュ・フォーク的なものもジュリーさんのルーツにあるのでしょうか。

ジュリー:いえ、個人的にはそれほど聴いてなくて。アイルランドでは小さな子供はみんな、ティン・ホイッスル(※アイルランドの伝統的な笛)を習うんだけど、フィアクラ(Dr)は歩けるようになる前からアイリッシュ・ミュージックに触れて育っていて、そうした影響がニューダッドの音楽にも出ているところはあるかもしれない。ステージでバウロン(※アイルランドの伝統的な打楽器)を演奏することがあるのも故郷へのリスペクトからで、そういうつながりがあるのは大切なことだと思います。

PHOTS:MASASHI URA

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【ハースト婦人画報社 ハースト メディア ソリューションズ】新規事業を創出する“感性×データ”の強力な掛け合わせ

ハースト婦人画報社は、1996年の「エル・オンライン(ELLE ONLINE)」立ち上げなど、出版社としていち早くデジタルに参入した。現在は、16メディアと3つのeコマースを運営し、そのCRM(顧客関係管理)やビッグデータは同社の大きな財産だ。それらを新事業へとつなげるのが、2020年に発足したハースト メディア ソリューションズである。組織にはビデオ制作の機能もあり、クライアントに対し最適解を導き出す体制を整えている。

WWD:「エル」のデジタル参入は、紙媒体が主流だった当時のファッションメディアにおいて先進的な取り組みだった。

山口大介・本部長(以下、山口):「エル」というメディアを軸に、情報発信をしながら、ファッションからフード、インテリアまで360度の生活の中で「エル」を感じてほしいと立ち上げました。さらに、eコマースやイベントでも多角的にユーザーを増やして得た情報が、私たちが大切にしているデータです。当社は定期購読のプロモーションも積極的に行ってきたので、メディアの価値を丁寧に伝えてきたことも多くのユーザー獲得につながった一因です。11年には「婦人画報のお取り寄せ」、21年には「ウィメンズヘルスショップ(Women's Health SHOP)」のeコマースも始め、自社で保有するデータは現在115万IDに達しています。

WWD:そのデータを生かす、データソリューションズの役割とは。

前西克哉マーケティング部 データ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、前西):データを使った、マーケティング課題解決のための専門部隊です。当社の強みである具体的なユーザーデータを年齢や職業などのデモグラフィックから、ライフスタイルなどを分析したサイコグラフィックまで可視化し、クライアントニーズに応えます。富裕層のデータを、ラグジュアリーブランドのターゲティングや、事前調査などに役立てるケースも増えています。例えば、購買データはパフォーマンスを求めるクライアントに重宝されています。また、フルファネルソリューションというサービスを活用し、通期で広告商品の訴求を可能にする取り組みも始めました。今後は各メディアでもログイン機能を導入し、カスタマージャーニーを細分化するなど、オリジナルの指標を作成して、データ活用における施策効果の可視化と最適化に挑戦していきたいです。

WWD:ビデオソリューションズは20年の発足から急成長している。要因は?

小林敬太マーケティング部 ビデオ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、小林):組織が発足した20年はちょうどコロナ禍で、ファッションにおいてもデジタル活用の動きが活発になり、クライアントとのライブ配信もすぐに取り組むことができました。SNSを軸に動画広告市場は年々活性化していて、動画制作とプランニングを行うデジタル領域の売上高も毎年2ケタ増の成長を遂げています。今年はすでに1000本を超える動画広告を制作しました。

WWD:最近特にニーズが高いのは?

小林:ショート動画が一番伸びており、あらゆるSNSに合わせたパターンを制作し、それぞれ異なる結果を分析することで、次のプランニングに生かしています。例えば、あるブランドのファッションチームの成功事例を同社のビューティチームが参考にすることで、同じ世界観を違う形で制作することも可能です。一方で、中長期的に提案するブランデッドムービーは、クリエイティブチームの創造性と作家性を強みに、出版社レベルを超えたクオリティーだと大変好評です。ブランドスータビリティ(広告とコンテンツの適合性)を意識することで、メディアの編集コンテンツ力との相乗効果となり、好感度がどれだけ増したかのブランドリフト調査にも大きく影響しています。

新たなチャレンジを蓄積し
財産に変えていく

WWD:組織として、他社にはない“ナンバーワン”の強みは?

小林:編集者の感性と、データが融合できる点です。編集者が思うトレンドなど、ユーザーのインサイトの目利きが制作側の“感性”にあたります。新たに取り組む場合は彼らのアイデアを基にチャレンジし、オリジナルの数値として可視化させます。そうした編集制作のさまざまな試みが徐々に蓄積し、ブランドとの継続的な関係性にも奏功しています。

WWD:デジタルの売上成長についてはどう分析している?

前西:前年比で20%伸びており、タイアップ案件の約4分の1はデータ活用したものになっています。もともとメディアブランドとして、ブランディングや広告の観点でのクリエイティブの高さをクライアントから評価いただいていました。そのユーザーのデータを活用することで特定のニーズにもアプローチでき、戦略的な広告を打ち出すことができています。

WWD:新たな領域を見いだす富裕層マーケティング活動「ビジネス トゥ ラグジュアリー(B2L)」とは何か。

山口:当社のメディアに存在する、感度の高い富裕層の女性に特化した消費動向のレポートです。男性の例はありますが、女性に特化したデータ保有は企業としては非常に珍しいと自負しています。リサーチから戦略策定まで提供するマーケティングサービスは、私たちのユニークな部分であり、強みとしているところ。「B2L」の調査レポート平均回答ユーザー数は3000人で、そこから女性の“消費スイッチ”が発動するポイントを分析することで、より精度の高い提案が可能となります。

WWD:今後の計画は。

山口:まずは、今後も当社メディアのユーザーインサイトをあらゆるデータから可視化すること、その精度を上げ続ける事が重要と考えます。そのデータを基に根拠ある提案と分析をクライアント企業に提供しプレミアムマーケティング領域のパートナーとなることを目指します。組織としての役割は増えますがチームをただ拡大するのではなく、既存メンバーから市場価値の高いマーケターを育てていく人材育成にも注力していきます。

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

問い合わせ先
ハースト婦人画報社 広報
corporatepr@hearst.co.jp

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【ハースト婦人画報社 ハースト メディア ソリューションズ】新規事業を創出する“感性×データ”の強力な掛け合わせ

ハースト婦人画報社は、1996年の「エル・オンライン(ELLE ONLINE)」立ち上げなど、出版社としていち早くデジタルに参入した。現在は、16メディアと3つのeコマースを運営し、そのCRM(顧客関係管理)やビッグデータは同社の大きな財産だ。それらを新事業へとつなげるのが、2020年に発足したハースト メディア ソリューションズである。組織にはビデオ制作の機能もあり、クライアントに対し最適解を導き出す体制を整えている。

WWD:「エル」のデジタル参入は、紙媒体が主流だった当時のファッションメディアにおいて先進的な取り組みだった。

山口大介・本部長(以下、山口):「エル」というメディアを軸に、情報発信をしながら、ファッションからフード、インテリアまで360度の生活の中で「エル」を感じてほしいと立ち上げました。さらに、eコマースやイベントでも多角的にユーザーを増やして得た情報が、私たちが大切にしているデータです。当社は定期購読のプロモーションも積極的に行ってきたので、メディアの価値を丁寧に伝えてきたことも多くのユーザー獲得につながった一因です。11年には「婦人画報のお取り寄せ」、21年には「ウィメンズヘルスショップ(Women's Health SHOP)」のeコマースも始め、自社で保有するデータは現在115万IDに達しています。

WWD:そのデータを生かす、データソリューションズの役割とは。

前西克哉マーケティング部 データ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、前西):データを使った、マーケティング課題解決のための専門部隊です。当社の強みである具体的なユーザーデータを年齢や職業などのデモグラフィックから、ライフスタイルなどを分析したサイコグラフィックまで可視化し、クライアントニーズに応えます。富裕層のデータを、ラグジュアリーブランドのターゲティングや、事前調査などに役立てるケースも増えています。例えば、購買データはパフォーマンスを求めるクライアントに重宝されています。また、フルファネルソリューションというサービスを活用し、通期で広告商品の訴求を可能にする取り組みも始めました。今後は各メディアでもログイン機能を導入し、カスタマージャーニーを細分化するなど、オリジナルの指標を作成して、データ活用における施策効果の可視化と最適化に挑戦していきたいです。

WWD:ビデオソリューションズは20年の発足から急成長している。要因は?

小林敬太マーケティング部 ビデオ ソリューションズ ジェネラル マネージャー(以下、小林):組織が発足した20年はちょうどコロナ禍で、ファッションにおいてもデジタル活用の動きが活発になり、クライアントとのライブ配信もすぐに取り組むことができました。SNSを軸に動画広告市場は年々活性化していて、動画制作とプランニングを行うデジタル領域の売上高も毎年2ケタ増の成長を遂げています。今年はすでに1000本を超える動画広告を制作しました。

WWD:最近特にニーズが高いのは?

小林:ショート動画が一番伸びており、あらゆるSNSに合わせたパターンを制作し、それぞれ異なる結果を分析することで、次のプランニングに生かしています。例えば、あるブランドのファッションチームの成功事例を同社のビューティチームが参考にすることで、同じ世界観を違う形で制作することも可能です。一方で、中長期的に提案するブランデッドムービーは、クリエイティブチームの創造性と作家性を強みに、出版社レベルを超えたクオリティーだと大変好評です。ブランドスータビリティ(広告とコンテンツの適合性)を意識することで、メディアの編集コンテンツ力との相乗効果となり、好感度がどれだけ増したかのブランドリフト調査にも大きく影響しています。

新たなチャレンジを蓄積し
財産に変えていく

WWD:組織として、他社にはない“ナンバーワン”の強みは?

小林:編集者の感性と、データが融合できる点です。編集者が思うトレンドなど、ユーザーのインサイトの目利きが制作側の“感性”にあたります。新たに取り組む場合は彼らのアイデアを基にチャレンジし、オリジナルの数値として可視化させます。そうした編集制作のさまざまな試みが徐々に蓄積し、ブランドとの継続的な関係性にも奏功しています。

WWD:デジタルの売上成長についてはどう分析している?

前西:前年比で20%伸びており、タイアップ案件の約4分の1はデータ活用したものになっています。もともとメディアブランドとして、ブランディングや広告の観点でのクリエイティブの高さをクライアントから評価いただいていました。そのユーザーのデータを活用することで特定のニーズにもアプローチでき、戦略的な広告を打ち出すことができています。

WWD:新たな領域を見いだす富裕層マーケティング活動「ビジネス トゥ ラグジュアリー(B2L)」とは何か。

山口:当社のメディアに存在する、感度の高い富裕層の女性に特化した消費動向のレポートです。男性の例はありますが、女性に特化したデータ保有は企業としては非常に珍しいと自負しています。リサーチから戦略策定まで提供するマーケティングサービスは、私たちのユニークな部分であり、強みとしているところ。「B2L」の調査レポート平均回答ユーザー数は3000人で、そこから女性の“消費スイッチ”が発動するポイントを分析することで、より精度の高い提案が可能となります。

WWD:今後の計画は。

山口:まずは、今後も当社メディアのユーザーインサイトをあらゆるデータから可視化すること、その精度を上げ続ける事が重要と考えます。そのデータを基に根拠ある提案と分析をクライアント企業に提供しプレミアムマーケティング領域のパートナーとなることを目指します。組織としての役割は増えますがチームをただ拡大するのではなく、既存メンバーから市場価値の高いマーケターを育てていく人材育成にも注力していきます。

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

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【ハースト婦人画報社「エスクァイア」】ジャーナリズムの視点を加え刷新、年4回発行と動画強化

ハースト婦人画報社はメンズメディアの体制を刷新し、「エスクァイア(Esquire)」日本版の編集長は、佐藤俊紀「エスクァイア」「メンズクラブ(MEN'S CLUB)」「モダンリビング(MODERN LIVING)」グループ編集局長が兼任する。これに伴い、「エスクァイア・ザ・ビッグ・ブラック・ブック(Esquire The Big Black Book以下、BBB)」を終了し、「メンズクラブ」は不定期刊行に、「エスクァイア」は来年2月にリニューアル号を発行する。佐藤俊紀編集長は、新生「エスクァイア」のかじをどう切っていくのだろうか。

WWD:「エスクァイア」のリニューアルについて教えてほしい。

佐藤俊紀・編集長(以下、佐藤):「エスクァイア」はこれまで2018年にローンチしたデジタルメディア「エスクァイア・デジタル」を主軸に、年2回発行の雑誌「BBB」と連動しながら、コンテンツ作りをしていましたが、来年からはブランドとして一本化し、年4回発行、200ページ超えの定期誌とデジタルメディアにそれぞれ注力していきます。コアターゲットは35~45歳の探求心と好奇心旺盛な新富裕層。“Focusing on all creativity with a journalistic eye(創造の物語を、ジャーナリスティックな目線で)”をテーマに、21の国と地域で展開する「エスクァイア」のネットワークを用い、ファッションやライフスタイル、ジャーナリズムに焦点を当てたコンテンツを提供します。

WWD:リニューアルの目的とメンズメディア編成の背景にあったこととは。

佐藤:23年に、「BBB」の総編集長に十河ひろ美、編集長に柳川啓子「リシェス(Richesse)」副編集長、ファッション ディレクターに西川昌宏「メンズクラブ」編集長が就き、当社が得意とするファッションラグジュアリーの経験と知見を「エスクァイア」のフィルターで発信してきました。結果、新規ユーザーの獲得につながり、当社のラグジュアリーメディアのポートフォリオの一つとして「エスクァイア」の新たな形を見いだすことができました。

WWD:「エスクァイア」と同じくメンズメディアの一つである「メンズクラブ」が不定期刊行になる。

佐藤:10年後にも「メンズクラブ」の価値を残すために、コンテンツの魅力を凝縮した新しい形で提供することになりました。「メンズクラブ」が得意としてきた紳士服の豊富で確かな知識を「エスクァイア」でも発揮できると期待しています。

「なぜこの記事が必要か」
選定の精度を磨いていく

WWD:「エスクァイア」のコンテンツについて、具体的な方向性は。

佐藤:「エスクァイア」というブランドをシンプルでシームレスな体制にし、「BBB」のハイエンドで専門性の高い世界観を踏襲することで、カテゴリーの幅を広げられると考えています。例えば、海外のルポタージュ記事。イタリア版の巨大コンテナ船に潜入した記事では、わずかな乗組員のみで切り盛りされる知られざる運行事情のみならず、温暖化により北極海の氷が溶け出すことでもたらされる物流への影響など、環境問題に触れています。こうした世界で実際に起こっている物事の背景や裏側を書いたリアルな記事は、「エスクァイア」というブランドにおいて新境地になり得ると考えていますし、「エスクァイア」世代である新富裕層の関心も得られるでしょう。デジタルでは、海外版の多様な視点をより幅広く取り入れていく予定です。信頼性のある記事はラグジュアリーマーケティングを強化する上で必要不可欠だと考えています。

WWD:記事の信頼性や精度を高めるために力を入れることはあるか。

佐藤:なぜこの記事を取り上げるのか、なぜ必要かといった議論を大切にしたいと考えています。事実確認や法律の視点においてもどこよりも丁寧に取り組んでいくつもりですし、グリーンウォッシュ社内研修などを通じてナレッジのアップデートにも力を入れています。

WWD:デジタルで注力する点は?

佐藤:グローバル視点の記事の質に加え、撮り下ろしビジュアルのクオリティーやSNSでの動画表現を強化します。動画においては、当社が注力するデータ分析とデジタルマーケティングを駆使し、クリエイティブ制作を積極的に行います。

WWD:「エスクァイア」は1933年にアメリカで誕生した歴史の長いメディアだが、日本上陸から11年。その概念など変わった点はあるか。

佐藤:実は変わっていません。リニューアルに合わせ、本国ディレクターらとも何度も話し合いを重ねてきましたが、“Man at His Best(最高の自分になる)” というコンセプト、そして、情報過多のSNS時代においても物事の本質を分かっていて、自分に合ったスタイルや考えを根幹に持っている層にアプローチしていくという考えはグローバルで一貫しています。そうした男性像を持つ若い世代にも寄り添えるメディアでもありたいと考えています。

WWD:これまでの経験から自身のどんな強みを生かせられると思うか。

佐藤:振り返れば、自動車専門誌にカルチャー&ライフスタイル誌、ウィメンズのモード誌といった一通りのジャンルのメディアを経験してきました。海外向けメディアのプロデュースやコンテンツの発掘など、海外から日本のコンテンツがどう見られているかなど、さまざまな視点で企画や編集を考えてきました。「エスクァイア」で生かせる知見も多いと考えています。

WWD:新生「エスクァイア」の収益モデルをどう設計するか。

佐藤:基本的にはメディアとして、読者を増やして、広告の収益化を図りますが、「エスクァイア」の新たな世界観のもと、将来的には親和性の高い小規模のコミュニティー向けイベントの実施などを構想しています。さらには、「エスクァイア」読者とクライアントのお客さまという、同じ共通項を持つ方々との第3のコラボレーションも実現したい。そのために、メンバーシップの構築や読者との接点作りは積極的に行っていこうと思っています。

WWD:今後の展望は?

佐藤:1年目はまず下地を整え、3年後にはより信頼性のある情報基盤として力をつけ、日本の男性が常に触れておきたいと思えるメディアとして確立したいです。


「エスクァイア」(ハースト婦人画報社) DATA
【MAGAZINE】創刊:2013年 発行部数:5万部
【WEB】月間UU:300万 月間総PV:非公表
【SNS】X:2万 IG:4万1000 FB:6万4000 LINE:21万 YT:7100

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

問い合わせ先
ハースト婦人画報社 広報
corporatepr@hearst.co.jp

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【小学館「プレシャス」】真のエレガンスを追い続ける唯一無二のラグジュアリー誌に

小学館初のラグジュアリー誌として誕生した「プレシャス(PRECIOUS)」が今年4月号で創刊20周年を迎えた。同誌はその名前を意味する「貴重な」「高価な」「尊敬すべき」に通ずるエレガンス、そしてラグジュアリーの本質を創刊から問うてきた。「エレガンスとはなんですか」 ―その探求心は、細部に宿る美にこだわりながら、誌面において美しく贅沢に表現されている。池永裕子新編集長に、同誌の揺るがない指針について聞く。

WWD:2025年1月号から率いる「プレシャス」の方向性は?

池永裕子編集長(以下、池永):根本的には大きく変えるつもりはありません。今もなお第一線で活躍されている方々を含め、フォトグラファーやエディトリアルデザイナー、スタイリスト、ヘアメイク、ライターら創刊メンバーも多く携わっていて、20年間打ち出している“エレガンス”と“ラグジュアリー”を探求する根幹は継続していきます。

WWD:「プレシャス」の根幹について改めて教えてほしい。

池永:情報過多の時代において、自分にとってのラグジュアリーとは何か、その本質とは何かを見極められる審美眼、そして内面も外面も輝いていたいと思う人の気持ちは創刊から大事にしています。トレンドは最優先にはしていません。かといって、必要じゃないということではなく、自分を潤してくれるものを求める読者にとって最終的に役立つものを厳選しています。

WWD:読者に役立つ、そして生き方につながるラグジュアリーな提案とは。

池永:例えば、上質なカシミヤのブランケットを紹介するために、森林に囲まれた別荘にある、暖炉とソファーを置いた温かな部屋の中心にブランケットをさりげなく置く。そうすることで、豊かな週末を思い描くことができます。なぜこのアイテムがここにあるのか、なぜこの人がここにいるのかという違和感のある写真にならないように、絵コンテからシーンを考え、単にモノにフォーカスするということではなく、ライフスタイルに寄り添った提案を心掛けています。

WWD:強みとしてきた“本質”の提案は、今のラグジュアリーブランドが打ち出していることに近いのでは?

池永:そうですね。“シンプル・ラグジュアリー”を以前から提案してきた雑誌なので、インティメートになってきたなという感覚はあります。アイテムの素晴らしさを伝えるために、サヴォアフェールのストーリーや上質な素材のテクスチャーだけでなく、実用性を伝えるスペックもしっかり説明するよう徹底しています。今やコスメも成分買いが主流ですが、ラグジュアリーアイテムを熟知する「プレシャス」読者もそうしたモノ作りの背景やエビデンスを大切にしています。どういう思いや経緯で生まれたアイテムなのか、そこにロマンを感じられるんですよね。

本質を知るため触れて理解する  
デジタル以前の編集の基本を徹底

WWD:変わりゆく時代の中、“変わらないもの”を続けることのやりづらさはないか。

池永:ていねいな交渉は必要です。名品を集めた人気の特集では、私たちが考える、受け継がれてきた絶対的人気の“永遠の名品”を紹介しています。必ずしも、店頭に並ぶ最新商品ではないため、その場合は編集部から、なぜこのアイテムが必要かをきちんと説明するようにしています。本誌のためにお力を貸してくださるPRのみなさまには、心より感謝申し上げます。

WWD:紙媒体としてのこだわりや、公式サイト「Precious.jp」との差別化は?

池永:紙の魅力はやはり写真だと思うのです。モデルやアイテムと、背景の余白をどう使うことで美しいビジュアルが作れるか、細かくこだわっています。なので、ロケハンにもよく行きますし、先方からアイテム画像だけを提供いただくことは極力避けています。“本質”を探求する上で、アイテムは必ず手に取り、重さや素材の風合いを理解します。そこから、フォトグラファーとどんなライティングにすれば、起毛した素材やダイヤモンドのきらめきを伝えられるドラマティックな撮影ができるか考えていきます。アイテムは必ず全方位見ること。デジタルがない時代の編集の基本ですよね。一方で、「Precious.jp」はラグジュアリー体験の入り口のような場所。紙は色校正を2回出す早めの進行スケジュールのため、キャッチーな情報を取りこぼしてしまうことがあるので、そこを補完する役割も担っています。

WWD:24年4月号から頻繁に発行している別冊付録は、本誌とは異なる、より身近なライフスタイルの視点、そしてクオリティーの高さが多くの反響を呼んでいる。

池永:「プレシャス」は当初から現物の付録文化のある媒体モデルではなかったので、単行本を作る気持ちで制作しています。世界各地のアマン、オープンしたばかりの麻布台ヒルズを丸々一冊紹介する編集企画もありますが、読者のライフスタイルの延長線にあるシーンやアイテムを、本誌とは違う切り口で考えています。トライアルで企画することも多く、たとえ1ブランドフォーカスでも媒体として今必要であると思えば、ブランド協力を得て編集企画として制作することもあります。付録の良さは長く読んでもらえること。ありがたいことに発行から数カ月〜数年後に問い合わせを頂くことがあるほど、継続的な反響もあり、売り上げに寄与していると実感しています。

WWD:今後の展望は?

池永:さらに20年後にもバトンをつなげたいという思いで取り組んでいます。創刊号で紹介したアイテムを、最新号でもう一度名品として紹介しているのも「プレシャス」という媒体だからこそ。やはり、持続していくことは、すごく難しい。私たちは未来にしか歩いていけないので、その未来を照らしてくれるものを常に提案していきたいです。いいものをきちんと見極めて、ちゃんと更新していきたい、ライフステージに合ったものを身につけていたいと思う人たちと常に対話をしながら誌面を作っているので、媒体を大きくし、もっと有名にするために違う方向性を考えるということはしていません。流動的な時代の中で、変化し続けるラグジュアリーの定義を自分自身に常に問いかけながら、真のエレガンスを探求していきたいです。


「プレシャス」(小学館) DATA
【MAGAZINE】創刊:2004年4月 発行部数:3万9000部
【WEB】月間UU:359万 月間PV:564万
【SNS】X:1万 IG:24万 LINE:84万 YT:7900

TEXT : RIE KAMOI
PHOTO : HIDEAKI NAGATA
問い合わせ先
小学館
03-3230-5350

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【マガジンハウス「ギンザ」】“知的好奇心をくすぐる毒っ気”を継承する新体制の強み

矢部光樹子編集長が率いる新体制の「ギンザ(GINZA)」が、2024年10月発売号からスタートした。同誌は1997年の創刊以降、東京らしい視点でビューティやさまざまなカルチャーを新しいかたちで融合してきた。歴代編集長が作り上げてきた「ギンザ」の個性を引き継いだ矢部編集長は、「ギンザ」の強みをどう捉え、メディアとして進化させていくのか。誌面と連動させる仕掛けや、今後強化してくこと、目標について聞いた。

WWD:新体制の「ギンザ」をどのように率いていきたい?

矢部光樹子編集長(以下、矢部):まず、「ギンザ」がこれまでに作り上げてきたファッションとカルチャーを融合させたメディアとしての形は、引き継いでいきたいです。「ギンザ」は読者の中で「こういうテイストの雑誌」というイメージが確立している媒体です。大きな影響力を持つ媒体の強みは継承しつつ、どんなカラーで仕上げていくかを今後実践していくつもりなので、現状では大幅なリニューアルは考えていません。誌面のアートディレクターも変更せずにスタートしました。

WWD:特にこだわっていきたい点は?

矢部:洋服の見せ方です。まずは誌面巻頭のファッションビジュアルで、二次元バーコードとウェブを連動させました。ウェブでは洋服の物撮りを見ることができ、洋服のフォームからディテールまで情報がしっかり届くようにしました。「ギンザ」読者は洋服をしっかり見極めたいと思うほどファッション感度が高いため、満足度をさらに上げていくことが目的です。また、そうすることで誌面でさらに世界観重視の思い切ったチャレンジができるようになると思っています。また、その号を象徴するビジュアルページからスタートするといった新たな構成にも挑戦しています。

WWD:前任の編集長から引き継いだことは?

矢部:マガジンハウス入社以降、編集者として「ギンザ」に携わることも、編集長という役割も初めてなので、前任の芦谷富美子には基本的な編集長業務から心構えについてなど質問攻めの毎日でした。同時に、マガジンハウス入社1年目に受けた研修で「見慣れたはずのものであっても、どこに光を当てるかで見え方が全然変わる。それが編集だよ」と言われた言葉に改めて思いを馳せています。新鮮な情報や人選を常に追いながらも、視点を変えることで新しい面を引き出していきたいです。

WWD:編集長として「ギンザ」のナンバーワンをどう捉えているのか。

矢部:“情報に対する高い感度”と“ビジュアルの強さ”、そして“人選”です。それらが「ギンザ」らしさにつながり、クライアントからもアウトプットを任せていただける要因の一つなのだと自負しています。「ギンザ」らしさをひと言で表すなら、“知的好奇心をくすぐる毒っ気”。身の回りにあるハッピーなものを取り扱いながら、必ずどこかに仕掛けがあります。

WWD:「ギンザ」らしい人選はビジネスと相互作用していそうだ。

矢部:人選への期待は多方面からも当然大きいですし、実際にクライアントから喜んでいただけるケースも多いです。それも“ギンザはこういうもの”という像が脈々と受け継がれ、広く認知されているから成立することだと思います。

「これがギンザ」―
雑誌を面白くする強い結束力

WWD:初号の特集“モードなドラマたち”にはどのような思いを込めたのか。

矢部:読むことで前向きな気持ちになり、綴った言葉から気付きが得られる媒体でありたい。そんな思いから、ファッションと一見関連性のない“ドラマ”という切り口に至りました。中面はファッションページをはじめ、ドラマ衣装に関わるスタイリストの話やクリエイターインタビューなどの読み物企画。ファッションページは映像作品としてのドラマを切り口にしたページもあれば、“ドラマチック”という言葉を切り口にしたページもあり、広い解釈で捉えています。

WWD:「ギンザ」はファッションページ以外に特集内のコラムや連載ページなど読み物企画も充実している印象だ。

矢部:私自身、これまで培ったことを最も生かせるのが読み物企画なのかもしれません。編集者として見聞きした有益な情報を届けることが一番のモチベーションで、世の中にある多くの情報から何をピックし、プリントメディアという限られたページ枠でいかに面白く収めるかを考え続けてきたことで鍛えられた面はあります。何より、編集部員たちと外部スタッフ一人一人が本当にプロフェッショナル。今、「ギンザ」チームは比較的若い世代が中心になりつつあります。実際に読者として「ギンザ」を楽しんできたからこそ「こんな企画がやりたい」という思いを形にしてくれるので、心強いです。

WWD:矢部編集長はK-POPカルチャーに強いと聞いた。

矢部:一例ですが、かなり早くからBTSを「アンアン(anan)」で継続的に記事にしていました。22年に彼らを特集した号は、重販分も完売になるほど好評でした。K-POPに限らず、ポップカルチャーは関心がもともと強い部分です。これまでの「ギンザ」のカルチャー感にミックスしながらまた新しい層を築いていければと考えています。オルタナティブな存在を大切にする「ギンザ」に、フレッシュさも常に取り入れ続けたいです。

WWD:今後の展望は?

矢部:ビューティも強化したいと考えています。近年はインスタグラムを見て興味を持ち、そこから読者になってくださるケースが増えているので、面白くて役に立つSNSコンテンツは充実させる必要があります。ウェブは昨年リニューアルしたばかりなので、ここからどうアプローチしていくかを組み立てていく段階ですが、連載企画が特に人気です。綾瀬はるかさんや森星さんら、著名な方がほかでは読めない文章をつづってくださっています。また、ウェブからムック化した連載企画もあります。デジタルで大事なのは、熱心なファンが定期的にチェックしに来てくれる、面白い記事が届けられているかどうか。本誌同様これからも力を入れていく予定です。


「ギンザ」(マガジンハウス) DATA
【MAGAZINE】創刊:1997年3月 発行部数:4万5833部 印刷証明付き
【WEB】月間UU:111万8500 月間総PV:882万6900
【SNS】X:26万9900 IG:40万8000 LINE:33万9200 YT:1万1600 TikTok:7800

TEXT : KEISUKE HONDA
PHOTO : HIDEAKI NAGATA

問い合わせ先
マガジンハウス
gn_websales@magazine.co.jp

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音楽家・渋谷慶一郎と香水ブランド「ラニュイ パルファン」、アーティスト・和泉侃がつくる“音楽×香り”の一夜 ピアノソロコンサート「Living Room」が提示する可能性

今年6月に、アンドロイドとオーケストラ、仏教音楽・声明が交錯する前代未聞のオペラ作品「MIRROR」(初演:2022年・ドバイ)の凱旋公演を成功させた音楽家・渋谷慶一郎。そんな渋谷のピアノソロコンサートが12月19日に東京・紀尾井ホールで開催される。

「Keiichiro Shibuya Playing Piano−Living Room」と題された今回の公演は、"架空のリビングルーム”をテーマに、ステージには建築家・妹島和世がデザイン・制作してきた家具や、同氏が所有するルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、以下、ミース)やル・コルビュジェ(Le Corbusier、以下、コルビジェ)の家具が配置された「リビングルーム」のような空間を再現。気鋭のバイオリニスト・石上真由子をゲストに迎え、渋谷の楽曲の他、エリック・サティ(Erik Satie)やアルヴォ・ペルト(Arvo Part)、高橋悠治らの楽曲を演奏する。

特筆すべきは、「香り」とのコラボレーション。会場は香水ブランド「ラニュイ パルファン(LA NUIT PARFUM)」とアーティスト・和泉侃(いずみ かん)が、渋谷のアルバム「for maria」を着想源として制作した香りで満たされることになる。この他に類を見ないコンサートは、いかにして実現に至ったのか。制作背景や狙い、その可能性について、渋谷と和泉、「ラニュイ パルファン」代表・海老原光宏の3人に話を聞いた。

「架空のリビングルーム」をコンセプトとした理由

——まず、渋谷さんが「架空のリビングルーム」というコンセプトのもとにピアノソロコンサートを開催しようと思った経緯についてお聞かせください。

渋谷慶一郎(以下、渋谷):6月に凱旋公演を行ったアンドロイド・オペラは、規模が大きく未来的で、観客に「手元から離れたものを見ている」ような感覚を与えるパフォーマンスでした。続けて12月にピアノソロコンサートを開催するにあたり、アンドロイド・オペラとは全く異なるものにしたいと考え構想を練っていた時に、「リビングルーム」というコンセプトが思い浮かびました。

——「リビングルーム」という言葉・イメージにはリファレンスがあるのでしょうか?

渋谷:「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」のコレクションの舞台裏に迫った写真集も出しているニック・ワプリントン(Nick Waplington)というフォトグラファーの写真集を集めていたことがありました。彼の一番有名な写真集のタイトルが、確か「リビングルーム」と近いニュアンスの言葉だったんです。

海老原光宏(以下、海老原):ニック・ワプリントンは、「Living Room」という写真集を出してますね。

渋谷:あ、完全に一緒でしたか。何かがおぼろげに分かっている時や、モチーフになりそうなイメージやキーワードが思い浮かんだりしている時は、オリジナルソースを遡らないようにしているんです。 今回の話でも、実際にニック・ワプリントンの写真集を見返してしまうと、アイデアがそのイメージに収斂し、独自の創作への発展が難しくなってしまうので。

話を戻すと、ニック・ワプリントンの「Living Room」という写真集のイメージが頭にありつつ、家具が配置されたどこか不気味なリビングルームをステージ上に再現し、そこで僕が演奏しているのを観客が見ているみたいなパフォーマンスが実現できたら、新しいコンサート体験を提示できるのでは、と考えました。

ステージ演出を具体化するにあたって妹島和世さんに相談し、その結果、妹島さんが制作されてきたインテリアと、所有するミースやコルビュジェらによるインテリアをミックスしてコンポジションすることになりました。

「ラニュイ パルファン」、和泉とのコラボレーションが生まれた経緯

——海老原さんとのご関係についても教えてください。

渋谷:海老原さんとやり取りをするようになったのは、3年ぐらい前。今回のピアノソロの会場でもある紀尾井ホールで開催された田中彩子さんのコンサートで、編集者の太田睦子さんに紹介してもらったんです。その時から「いつか一緒に何かできたらいいですね」って話はずっとしていて、今回ようやく実現することができました。

——海老原さんは渋谷さんのご活動をどのようにご覧になっていましたか?

海老原:今に続く間柄になったのは渋谷さんがお話しされていたタイミングなんですけど、実は、渋谷さんがボーカロイドオペラ「THE END」 をBunkamuraオーチャードホールで上演された2013年に、編集者として取材させてもらったことがありました。渋谷さんは東京藝術大学ご出身でオーセンティックな音楽の基盤を持ちながら、現代の新しい音楽を切り開くという稀有なご活動をされているので「ラニュイ パルファン」を立ち上げた頃から、機会があればご一緒したいと思っていました。

——そもそも「ラニュイ パルファン」はなぜクラシック音楽に根ざした香水をつくっているのでしょうか?

海老原:私はクラシック音楽が大好きで、趣味でピアノを弾きます。その趣味が高じて、コロナ禍に少し時間の余裕ができたタイミングで編集業の傍ら「ラニュイ パルファン」を立ち上げました。背景には「クラシック音楽があまり聴かれていないのはなぜか?」という問題意識があります。

クラシック音楽は決して難しいものではないにも関わらず、魅力が多くの人に伝わらないのは、クラシック音楽がライフスタイルと繋がっていないからだと考えたんです。よって、クラシック音楽を日常的に使うプロダクトに落とし込むことができれば、より多くの人にリーチできると思い、検討とリサーチを重ね、香水でクラシック音楽を表現するプロジェクトを始めることにしたんです。最初にリリースした香水はモーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)のピアノ曲をモチーフとした「夜のガスパール」。調香は今回のプロジェクトにも参加している(和泉)侃さんに担当してもらいました。

音楽から香りをつくり出すプロセス・方法論

——和泉さんは今回のプロジェクトで渋谷さんの楽曲「for maria」をモチーフとした香りを制作されたと伺っていますが、調香のプロセスについて教えていただけますか?

和泉侃(以下、和泉):制作に入る前に、渋谷さんがフランスから帰国されているタイミングでお会いする機会があって、その際に、亡くなられたマリア(maria)さんのことや、アルバム制作時に精神安定剤を服用されていて「凪」のような精神状態だったこと、この作品を契機に先進的な電子音楽だけではなくアコースティックな作品も発表するようになったことなど、「for maria」という作品にまつわるさまざまなことを教えてもらいました。

作品や作者にシンクロというか憑依するように制作するのが僕の基本的なスタイル。渋谷さんからのお話を受け止め、「for maria」を何度も繰り返し聴きながら、頭の中に浮かんでくる映像を香りに変換するイメージで、まずは3パターンのサンプルを制作しました。

渋谷:僕の方ではパリに送ってくれたサンプルを実際につけて生活してみて、そこで感じたことや、自分なりの意見を和泉さんにお伝えしました。その時、和泉さんが「作者が生きているのが嬉しい」と言っていたのが印象的でした。

和泉:僕が「ラニュイ パルファン」で携わるプロジェクトでは、前出のラヴェルやヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)など故人に関連するものが多く、今回のように作者である渋谷さんとコミュニケーションしながら制作できること自体がとても貴重で、嬉しい経験です。

——打ち合わせを経て、どのように香りをアップデートしていきましたか?

和泉:振り返ってみて、最初に制作した3つのサンプルは、1曲を解釈し過ぎた結果、曲とあまりにも調和し過ぎてしまい、既に自体で完成している「for maria」に対して蛇足になっていたと反省しました。そこで、「for maria」というアルバム全体から捉え直し、そこから得たインスピレーションで何を表現したいかを考え、香りに落とし込むことにしました。

また、最初のサンプル制作の段階では、自分自身の表現をどこまで前面に出すべきか迷いがありました。お二人との打ち合わせを経て、渋谷さんの「for maria」という問いかけに対して、自分の感情や解釈をもっと自由にぶつけてもいいんだと後押ししてもらった感覚があります。

——和泉さんが「for maria」に対して表現したいものとは?

和泉:生命のサイクル、でしょうか。芽吹いて伸びていくけれど、最終的には枯れ果てていく——。そんな生命の在りようを、ボタニカルでフレッシュなトップノートからだんだん緑を深めていきながらも、焦げたような匂いのラストノートへ変化していくような香りで表現できればと、新たなサンプルを制作しました。その背景には、命は尊く愛しいものであるという主観的な感情と、生まれたものが別け隔てなく死んでいくという自然の摂理という二極が相殺しあい、「凪」のような静寂をつくりだしているようなイメージもあります。

——お話を聞き、今回のプロジェクトがアーティスト同士のコラボレーションであることがよくわかりました。

渋谷:そうですね。和泉さんがアーティストだから今回のプロジェクトを一緒にやれています。もっと業務的な調香師の方だったら難しかったと思います。当たり前ですけど、僕は香水のビジネスをやりたいわけじゃなくて、一緒に新しいものや体験を作りたいだけなんです。

あと、和泉さんと話していて面白かったのは、昔、新品のマックブックを箱から開いた時の匂いを再現してみたことがあるということですね。

和泉:マックブックを箱から出して最初に開いた時って、独特の匂いがします。素材であるアルミ自体とアルマイト加工された表面の匂い、そして紙とインクの匂いが入り混じった近未来的な匂いで。もう10年前ぐらいの処方ですが、渋谷さんに合いそうだなと思い、久しぶりに持ち出してきて見返してみたんです。

渋谷:最終的にグリーンでオーガニックな方向性にたどり着くにしても、最初の段階でそういう人工的で未来的な香りが存在していたのは、「for maria」という作品の背景や僕のキャリアにもぴったり合っていて、とても興味深く感じました。

——渋谷さんと和泉さんという2人アーティストの間に立ちプロジェクトを実現させる上で、海老原さんが心掛けられていたことがあれば教えてください。

海老原:編集の仕事でもアーティストやフォトグラファー、スタイリストの方々と一緒に仕事をすることがあるじゃないですか。その時に私が何を大切にしているかといったら、スピード感以外になくて。「ラニュイ パルファン」のプロジェクトでも一緒で、納期をスケジュールに合わせるのが私の責任で、とにかく早く進行する以外に意識することは何もないですね。両者ともに卓越したアーティストで、お二人にやっていただけさえすればクオリティの高いアウトプットが生まれるのは間違いないので、そのためにスケジュールを整備して進行を徹底するだけです。あとは出てきたもののコストに見合った適正な値付けをするのが私の仕事ですね。

音楽と香りが共にあることで、何が生まれるのか

——音楽と香りの関係性や、両者のコラボレーションで生まれる可能性などについて、皆さんのお考えを聞かせていただけますか?

海老原:「ラニュイ パルファン」でも香水を発売しているアレクサンドル・スクリャービン(Alexander Scriabin)というロシアの作曲家は、共感覚を持ち、音から色が見えていたと言われています。晩年に構想していた未完作「神秘劇」では香りも取り入れ、聴覚・視覚・嗅覚が混然一体となった世界を実現しようとしていました。そんなスクリャービンを敬愛する自分にとって、今回、渋谷さんと侃さんと一緒に、音楽と香りが織りなす特別な体験を作り出せるのは、とても嬉しいことです。

あと、香りの最も魅力的な点は、その場に行かなければ体験できないという稀少性だと思っています。それは音についても同じこと。録音は可能ですけど、「生の音」はその場でしか聴くことができません。あらゆるものがデジタル化された現代において、直接的な体験こそが最も貴重で、そこに真にラグジュアリーな価値が宿っていると言えるのではないでしょうか。

和泉:匂いは情報です。動物は食べ物や敵味方、交配の時期などさまざまな情報を匂いから受け取っています。それは人間も同じで、古い家に足を踏み入れると、匂いからその家が過ごしてきた時間の蓄積を情報として受け取ることができる。そして、どんな空間にも音と匂いは存在しています。匂いの中に音という情報が含まれていると考えることもできますし、逆に、ある音や音楽が鳴っている空間に本来あるべき香りとはどんなものかと想像を巡らすこともできる。そういう意味で、匂いと音は切り離せないもの、欠けている要素を埋め合う相互補完的なものだと思っているんです。

また、コンディショニングという観点でも両者の親和性は高く、香りはより良い状態で音楽を聴くための手助けにもなります。昨年開催された「アンビエント キョウト(Ambient Kyoto)」で、僕は「聴覚のための香りのリサーチ」という展示のための香りの制作しました。聴覚を向上させる成分を研究し、会場の空間に適した香りに落とし込む試みです。音楽を聴く耳を研ぎ澄ませ、脳や身体のコンディションを最適化するという点でも、音と香りは非常に相性が良いと考えています。

渋谷:僕はコンサートでサウンドチェックをしている時、PAの方に「お客さんが楽器の中にいると感じられるような音響にしてほしい」とよく言うんです。お客さんが音に包まれているような空間をつくることには、まだまだ新しい可能性が残されていると考えています。

今回のピアノソロで香りを取り入れたのは、コンサートにおける新しい全方位的な体験を実現したかったから。聴覚だけの体験も、視覚と聴覚に訴えるオーディオ&ヴィジュアル体験もさまざま実施されていますが、嗅覚を使った音楽体験には、まだまだ開拓の余地がある。それに、オーディエンス側の体験だけではなく、演奏する自分にどういう効果が生じるのかということにも、興味があります。

前例のない体験をつくり出すために

——前例のない音楽体験を志向するという意味で、アンドロイドオペラでも今回のピアノソロでも、渋谷さんの姿勢は一貫していると感じます。

渋谷:僕は劇場で何かやるときは、新しい体験を創造することに注力しています。しかし、文化を受容する多くの人たちが、音楽や香りといった「消えていくもの」「所有できないもの」に対して十分な価値を認めていないと感じていて、そこに憤りを覚えることもあります。

今、現代アートが流行っていますが、所有・売買できるという資産的価値ありきの熱狂みたいなところがありますよね。これは日本だけじゃなく世界全体の話になりますが、文化的成熟度を測る上で「所有できないもの」の価値を認識できるのは重要で、今、人類が次の段階へ到達できるか否かが試されているとすら考えています。

——作品の受容の話で言うと、プレスリリースに寄せたコメントではエリック・サティにも触れていましたね。サティが観客に対して「自由に振る舞え」と言っても、結局みんな音楽を聴き入ってしまう。そういった状況をステージ側から壊したい、と。

渋谷:サティの「家具の音楽」についても、僕は思うところがあって。僕はオーディエンスと自分との関係をいかにフレキシブルにしていくかということに興味がありますが、 ほとんどの人は「自由にしていいよ」なんて言われても、自由どころか、もっと不自由になるだけです。

だけど、自由にやっている人を見るのは、みんな好きなんです。だから「リビングルーム」というコンセプトのもとに空間を構成しパフォーマンスを行うことで、コンサート体験の枠組みや演者とオーディエンスの関係性について、新しい枠組みや可能性を提示できるのではないかと考えました。

——具体的な演出や選曲についても教えていただけますか?

渋谷:家具が配置されたステージでは、ゲストのバイオリニストである石上真由子さんが、曲を弾き終えてもステージからはけずにソファに座って休んだり、次の曲を準備したりするなど、よりシアトリカルな演出を検討しています。

そんな環境でパフォーマンスする上で、どういう選曲がいいかと考えた結果、アルヴォ・ペルトや高橋悠治さんの曲も弾くことに決めました。ただ心地良いだけの音楽も、ただ不快なだけの音楽も、圧倒的に情報量が少ないんです。コンサート全体としてそのどちらでもないものにしようとする時に、人によっては僕の曲だけを弾いた方が喜ぶと思うのですが、彼らの曲も弾いた方が新しいバランスになると思いました。

——最後に、和泉さんと海老原さんからもコンサート込めた思いを聞かせてください。

和泉:コラボレーションって、すごく難しいと思うんです。ただの足し算で終わっているもの、つまり「僕はこれできます」「私はあれできます」という感じで、銘々が出してきたものをただ並べているようなものがたくさんある。そんな中で、意見のキャッチボールをしながら1つのものを本当の意味で一緒に作り上げていくっていうことを、今やっていて。

もちろん渋谷さんの音楽がメインではありますが、本当のコラボレーションをすると、ただの音楽でもただの香りでもなく、そのジャンル自体が変わるというか、作品の形態として別のものになるという感覚を、身をもって感じています。ぜひその新しい感覚を、1人でも多くの人に体験していただきたいです。

海老原:かつてベル・エポック期のパリでは、サティやココ・シャネル(Coco Chanel)、サルバドール・ダリ(Salvador Dali)といった芸術家が舞台作品を共同制作し、結集した創造力で新たな芸術を生み出しました。渋谷さんに妹島さん、石上さん、侃さんが協力し作り上げる今回のコンサートもまた、この上なく創造的で貴重な一夜となります。会場では「ラニュイ パルファン」の香水「for maria」の先行発売も予定していますので、特別な体験の記憶とともに香りを持ち帰っていただき、コンサートが終わった後の日々でも愉しんでいただけると嬉しいです。 

⚫︎インフォメーション
「Keiichiro Shibuya Playing Piano―Living Room」
日時:2024 年12 月19 日(木)開場18:20、開演19:00
会場:紀尾井ホール(〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町6-5)
前売料金:S 席 11,000 円、A 席7,700 円、B 席 5,500 円、C 席 3,300 円

⚫︎クレジット
ピアノ:渋谷慶一郎
ヴァイオリン:石上真由子
ステージデザイン:妹島和世
フレグランス:La Nuit parfum
セントデザイン:和泉侃

⚫︎プログラム
for maria ‒ 渋谷慶一郎
Midnight Swan ‒ 渋谷慶一郎
Scary Beauty ‒ 渋谷慶一郎
Painful ‒ 渋谷慶一郎
Gnossiennes ‒ Erik Satie
Fratres ‒ Arvo Pärt
Spiegel im Spiegel ‒ Arvo Pärt
Furniture Renku ‒ 高橋悠治 他
※曲目や演出は変更の可能性があります。

主催:アタック・トーキョー株式会社
協賛:株式会社 ポーラ、株式会社ソウワ・ディライト
協力:一般社団法人コミュニケーション・デザイン・センター
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[ 東京ライブ・ステージ応援助成]

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サステナビリティの事業実装に奮闘する 100年企業タカラベルモントの取り組み

タカラベルモント,takarabelmont

理美容室、エステ・ネイルサロンおよび歯科・医療クリニックの業務用設備機器や化粧品・空間デザインなどを手掛けるタカラベルモント。創業から100年以上の歴史を持つモノづくり企業である同社が、次の100年を視野にビジネスに実装しようと試行錯誤しているのがサステナビリティだ。23年には「人と地球の『らしさ』輝く社会をつくる。」をスローガンとし、「5つの領域と6つのマテリアリティ(重要課題)」などを含むサステナビリティポリシーを制定。社会課題と向き合うとともに、SDGsへの貢献を宣言した。

その上で標語だけで終わることなく、サステナビリティを事業へと落とし込むべく、「サステナビリティ推進プロジェクト」を発足。部署の垣根を超えてメンバーが集まり、25年発表予定の事業計画へと盛り込み、ビジネスへの実装を進める。同プロジェクトの2人のキーマンが、1年の活動を振り返り、タカラベルモントのサステナビリティへの向き合い方や未来像を語る。

一貫性のない活動に疑問符
サステナビリティに
企業としてどう向き合うか

WWD:「サステナビリティ推進プロジェクト」の立ち上げ背景を教えてください。

日野翔人 タカラベルモント 経営管理室(以下、日野):プロジェクトが立ち上がったのは、サステナビリティポリシーを定めた昨年の8月です。ポリシーを耳触りの良い言葉や雰囲気で終わらせるのではなく、企業活動の中で機能させてより具体的な活動へと落とし込むために、全社横断的なプロジェクトとしてスタートしました。

WWD:何らかの課題感があって動き始めた?

日野:プロジェクト発足以前の話ですが、そもそもポリシーがないことに問題意識を持っていました。当社は以前から、当たり前のように社会貢献や環境配慮などの活動に取り組んでいました。そういった活動を世の中のSDGsへの関心の高まりから、ホームページなどで開示するようになったときに、一貫性がなく取り組んでいる理由が不鮮明で疑問に感じることがありました。当てはまるからといって持続可能な開発目標に当てはめて発信しているのではウォッシュになりかねません。そうならないようにするためにはポリシーが不可欠です。その上でサステナビリティの重要度が増す中で、企業活動として利益を産みながら推進するべきと考えました。

中山健太郎 タカラベルモント 開発本部 インキュベーションラボ マネージャー(以下、中山):私もそんな現状に課題感を感じることが多く、日野によく相談していました。日頃は新規事業の開発に携わっていますが、企業がビジネス視点で取り組むサステナビリティと、一般の人が生活の中で取り組むサステナビリティは視点も意図も違います。世の中が目まぐるしく変わる中でこのままではビジネスチャンスを逃してしまうと危機感を感じていました。サステナビリティポリシーの設定は、企業としてかじを切るべきタイミングに実行できたと思います。

日野:近年は就活生にサステナビリティについてどのような取り組みを行っているのかを聞かれることも増えました。その答えや活動の方向性は経営層の間で共有されているべきだし、胸を張って取り組む意義や未来像を伝えていきたい。そのために僕が所属する経営管理室で、ポリシーの策定を行い、プロジェクトの立ち上げを交渉しました。

ポリシーを具体的に事業に落とし込むための
解像度アップと意識の共有

WWD:プロジェクト発足後にまず取り組んだことは?

中山:具体的な行動を起こすには、「地球環境にいいことをしましょう」「脱炭素に向けて取り組みましょう」では動けません。解像度を上げて、各事業部門へとブレイクダウンするために、6つのマテリアリティ(重要課題)を17のターゲットへと具体的に設定していきました。昨年8月から今年の3月までにおおよそをまとめました。

WWD:どのようなプロセスで、どういったターゲットが設定された?

中山:例えば水の領域を上げると、まずは社会から何を求められているかを調査し、世の中にあるガイドラインと照らし合わせて、具体的にどういった活動が必要なのかを理解します。その上で各事業部門でどのような取り組みができるのかを話し合いました。例えば機器や化粧品の製造において水の使用は欠かせません。しかし地球の立場から見つめてみると、当社のシャンプー機器での施術を通して理美容室で使われる水の量のほうがはるかに多く、対策した際の環境への貢献度が大きい点に着目して取り組みを進めることに。

WWD:プロジェクトを進める中では苦労も多かったのでは?

中山:推進するにあたり取捨選択は必ず必要で、優先的に取り組む領域に対して、決してもう一方がどうでもいいわけではないんです。そのあたりは難しいですよね。またわれわれの事業を通じてどのような社会を実現したいか、各部門の担当者には自分の言葉でビジョンを語ってもらいたいんです。しかし意見交換をする中で事業の課題はたくさん出てくるのですが、社会課題へと結びつけてもらうことがなかなかできなくて、何度も会話を重ねました。

日野:例えば理美容サロンで使う水の使用量を減らすことで、どのような社会につながるのか。グローバル視点で考えると当社はシャンプーも製造しているので、水を十分に使えない地域でも気持ちの良いシャンプーのサービスを受けることができて、美容文化が育っていったらうれしい。そんな夢を語ってほしいと考えています。一方で、新入社員の間でサステナビリティの研修を行うと、それぞれが感じている社会課題と、それを解決するタカラベルモントらしい事業のアイディアがたくさんでてきます。

中山:世代間でサステナビリティへの意識の差が大きいため、役員や各部門の担当者、中間管理職を集めてセミナーを行うこともプロジェクトの重要な取り組みでした。

ゴールを決めてプロジェクトを推進
過去最大級の社内イベントを開催

WWD:プロジェクトを通してどのような成果が得られた?

日野:特に大きな成果の一つは社内イベントで生まれた意識の高まりや共通認識の醸成です。全国からミドルマネジメント以上のポジションにつく社員を可能な限り大阪の拠点ティービースクエア オオサカに集めて、「タカラサステナビリティフェス 2024 -Change the Angle」を開催しました。全従業員向けたオンライン配信も含めると、全社員の3分の1にあたる520人ほどが参加。社内イベントとしては最大級の催しになりました。ミドルマネジメント層はとくに若手からのボトムアップを受けたとき、経営陣に連携し事業につなげる存在。そんな彼ら・彼女らがサステナビリティへの共通認識をもつことで、スムーズに事業が進むと考えました。

中山:小出しに意識改革やリテラシーアップを目指してもあまりうまく浸透しなかった過去の事例を鑑みて、インパクトとスピード感を重視し、大きなイベントで発信することに決めました。

日野:サステナビリティの活動は結果や成果の実感を得られるまでに時間がかかります。そこで、「サステナビリティ推進プロジェクト」ではプロジェクトのゴールを社内イベントに決め、その過程に細かな目標を設定することでメンバーのモチベーション維持に努めました。社内イベントまでに目指す状態、当日の目標などを決めて取り組めたことは、プロジェクトを進める上で大切だったと思います。

中山:イベント後にはサステナビリティを語る際に、ビジネスの中で取り扱う必要性を理解できたという意識変化の声が上がるようになってきました。一方で地域の活動やボランティアをすればサステナビリティにつながると考えていた人の中には悩み出した人がいるのも見受けられます。疑問が生まれていることはポジティブな成果だと考えています。サステナビリティを実現するためには、事業自体をサステナブルな方向へとシフトする必要があります。企業活動の中でビジネス視点で、サステナビリティについてできることを考え始めているのは良い傾向です。

老舗企業として
リーダーシップを発揮したい

WWD:タカラベルモントがサステナビリティに取り組むことで、理美容産業にどのような影響を与えたい?

日野:理美容産業にはあまたの企業がありますが、これまではそのシェアを広げることがビジネスであり、何もしなければこれからもその構造が変わることはないと思います。けれども、同じ産業でビジネスしているからこそ解決できる共通の課題もあると思いますので、これから先は課題を解決するビジネスをやりたいですね。当社がアクションを起こそうとしたときに、集まってくれる企業もあるはず。競うことから、共創へとシフトして、持続可能な産業にしたいです。創業から104年。歴史と実績のある老舗企業というメリットを生かして、リーダーシップを発揮したいです。

中山:私は二つあります。一つは理美容産業がリーディング産業といわれる未来を作りたいです。私たちがリーダーシップをとって、アクションを起こすことで、ほかの産業にも良い影響を与えていけるような社会のロールモデルを作っていきたいです。もう一つは、理美容室を通じて日本全国にサステナビリティの意識改革を巻き起こしたいです。世の中の大半の人は1年に数回、理美容室を利用しているはずです。ゆえに通う理美容室の意識が変われば、お客さまの意識が変わり、結果的に全国民の意識を変えられると考えています。タカラベルモントが変われば日本が変わる可能性さえも秘めています。B to B to Cのビジネスであるからこそ、理美容室を通じて日本全国にサステナビリティの意識改革が巻き起こせると信じています。

TEXT : NATSUMI YONEYAMA
問い合わせ先
タカラベルモント 広報室
06-7636-0856

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【集英社「ウオモ」】20周年を機に“40歳男子”は5本柱で進化する

集英社のメンズファッション誌「ウオモ(UOMO)」が、来年2月に創刊20周年を迎える。同誌は2005年の創刊後、男性のあらゆるニーズをカバーしながら、現在は“40歳男子”や“文化系男子”という巧みなワードとともにスタイルを確立させてきた。25年に向けて“40代男性の関心や挑戦をサポートするメディア”として多角的なコンテンツをスタートしている。企画を先導する山崎貴之ブランド統括と池田誠編集長が、今後の展望について語る。

WWD:来年創刊20年を迎える「ウオモ」の次なる動きは?
山崎貴之ブランド統括(以下、山崎):これまでは本誌とデジタルの2軸を中心にしていましたが、今後は新たに3つの軸を加え、5本柱として事業を拡大していきます。新たな柱は漫画、フェス、ECです。これからの「ウオモ」は、チャレンジに前向きな大人にとっての“はじめて”を応援するメディアを目指します。

WWD:“はじめて”とは具体的に?

山崎:現代のライフステージの進行速度は、ひと昔前と比べるとゆっくりです。結婚や子育て、高級時計や車、住宅の購入など、従来なら若い頃に一度はしていたことを、40代で初めて経験する人もいるでしょう。現代の40代は昔よりもっと“男子”です。彼らにとって“はじめて”の経験はとても貴重なこと。さまざまなきっかけを与える存在でいられたらと思っています。

池田誠編集長(以下、池田):今の読者はファッションだけに興味があるわけではありません。もともと、僕ら編集部側と読者の間には、洋服ばかりに気を配ることだけがおしゃれではないという共通認識がありました。その思いは、コロナウィルス後の生活スタイルの変化でさらに深まったように感じます。リモートワークの普及でカジュアル中心の「ウオモ」のファッションが多くの男性のリアルな選択肢になりました。さらに生活全般への興味が高まり、特に美容需要の増加は顕著です。ビューティやライフスタイルの企画は以前とは違った読者層の獲得にもつながっています。

WWD:2021年から、本誌とデジタルそれぞれに編集長を据える現体制になった。

山崎:紙のオリジナリティーと、デジタルの即興性、拡散力。本誌とウェブでは人気コンテンツも違いますが、同じ興味関心を持つ「ウオモ」読者がメディアごとの切り口の違いを理解しつつ、それぞれの記事を楽しんでくれているんだと思います。

池田:本誌「ウオモ」では洋服の発信だけにとどまらないチャレンジが必要です。一冊丸ごと車の特集号、旅の特集号などワンテーマで構成する機会を増やしています。最新の1月号は、一冊丸ごと車と時計、ジュエリーの特別号となっています。

WWD:ウェブ編集長就任後の成果は?

山崎:初年度は収益化に注力し、結果的に広告収入は前年比約360%を達成しました。もともと動画制作に長けていたことや、本誌企画との連動でうまく伸長できたのが要因です。2年目は、新たに漫画連載をスタート。3年目となった今年の春には、サイトの大リニューアルを済ませました。それまでのサイトは動画コンテンツに特化した画期的な構造だったものの、UI・UXの観点で難しい面も多く、読者にとってより親切な現在の仕様へと変更しました。

WWD:漫画の企画も読者に人気だ。

池田:編集長の立場であっても、漫画の担当を持って日々学んでいます。僕は清野とおる先生を、山崎はタナカカツキ先生を担当しています。タナカ先生は11月に単行本発売、清野先生は来年2月に『スペアタウン〜』2巻を刊行予定です。

山崎:編集者や媒体にとっても“はじめて”の体験が必要です。漫画の編集は経験がなかったものの、やれば分かることがあるかもと、自由度の高いウェブで連載を開始しました。集英社は漫画IPや知見に絶大の信頼がありますし、ウオモの連載陣はタイアップ企画にも前向きです。

「試着フェス®」が大ヒット
読者の信頼を勝ち取るリアル

WWD:「試着フェス®」をはじめ、誌面とウェブ共に人気企画に共通していることは?

山崎:「試着フェス®」初掲載は19年でした。ファッション誌によくあるステレオタイプなキャプションが昔から大嫌いで、であれば「この服はここがいい」「でも、この点はだめ」と誰かが着て感想を正直に伝えればいいのでは、と試着をテーマにした企画を発案しました。どんな反応が得られるのか未知数でしたが、試着そのものが思った以上に楽しいという声が参加者からありました。買うことへのプレッシャーがある店とは違い、試着自体がエンターテインメントでもある。実際に体験することの興奮がうまく伝わっているとうれしいですね。

池田:店頭でなかなか見ることのできない小規模なブランドの掲載も多く、「このブランドの実物を初めて見た」といった声もあります。好きなものを見つけた人たちの素直な感想に触れるとこちらの心も洗われます。美容編や時計編を充実させつつ、今後は車の試乗やフードの試食など、規模を広げていく予定です。「試着フェス®」だけでなく、今春まで実施していた藤原ヒロシさんの特別講義「フラグメント ユニバーシティ」などのリアルイベントにも注力していきます。

WWD:EC事業の今後の予定は?

池田:「フラグメント ユニバーシティ」とのコラボをはじめ、イベントとも連動した企画を練っている最中です。集英社のECサイト「ミラベラオム(MIRABELLA HOMME)」を通じ、数カ月に1度のペースでアイテムをリリースするポップアップ的な展開を考えています。

WWD:「ウオモ」のナンバーワンは何か?

池田:1番は人です。メディアの面白さは、物事に対して明確なアティチュードや言葉を持つプロたちと、世界観を共有しながら一緒に何かを作り上げること。雑誌が主な情報源だった時代に比べて、ウェブやSNSなど発信の場が増えましたが、「この人が語っているなら」と信頼できる情報にこそ価値があると信じています。

山崎:「ウオモ」の情報にはリアリティーが重要です。読者が地に足がついて現実的な人たちだからこそ、本当の声で新しいことを伝えたい。われわれ編集者も、自分たちのリアルに忠実でありたいです。


「ウオモ」(集英社) DATA
【MAGAZINE】創刊:2005年2月 発行部数:4万1000部
【WEB】月間UU:105万9000 月間総PV:954万5000
【SNS】X:2万8000 IG:12万4000 LINE:6000 FB:4万3000 

TEXT : KEISUKE HONDA
PHOTO : HIDEAKI NAGATA
問い合わせ先
集英社メディアビジネス部
03-3230-6202

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【集英社「ウオモ」】20周年を機に“40歳男子”は5本柱で進化する

集英社のメンズファッション誌「ウオモ(UOMO)」が、来年2月に創刊20周年を迎える。同誌は2005年の創刊後、男性のあらゆるニーズをカバーしながら、現在は“40歳男子”や“文化系男子”という巧みなワードとともにスタイルを確立させてきた。25年に向けて“40代男性の関心や挑戦をサポートするメディア”として多角的なコンテンツをスタートしている。企画を先導する山崎貴之ブランド統括と池田誠編集長が、今後の展望について語る。

WWD:来年創刊20年を迎える「ウオモ」の次なる動きは?
山崎貴之ブランド統括(以下、山崎):これまでは本誌とデジタルの2軸を中心にしていましたが、今後は新たに3つの軸を加え、5本柱として事業を拡大していきます。新たな柱は漫画、フェス、ECです。これからの「ウオモ」は、チャレンジに前向きな大人にとっての“はじめて”を応援するメディアを目指します。

WWD:“はじめて”とは具体的に?

山崎:現代のライフステージの進行速度は、ひと昔前と比べるとゆっくりです。結婚や子育て、高級時計や車、住宅の購入など、従来なら若い頃に一度はしていたことを、40代で初めて経験する人もいるでしょう。現代の40代は昔よりもっと“男子”です。彼らにとって“はじめて”の経験はとても貴重なこと。さまざまなきっかけを与える存在でいられたらと思っています。

池田誠編集長(以下、池田):今の読者はファッションだけに興味があるわけではありません。もともと、僕ら編集部側と読者の間には、洋服ばかりに気を配ることだけがおしゃれではないという共通認識がありました。その思いは、コロナウィルス後の生活スタイルの変化でさらに深まったように感じます。リモートワークの普及でカジュアル中心の「ウオモ」のファッションが多くの男性のリアルな選択肢になりました。さらに生活全般への興味が高まり、特に美容需要の増加は顕著です。ビューティやライフスタイルの企画は以前とは違った読者層の獲得にもつながっています。

WWD:2021年から、本誌とデジタルそれぞれに編集長を据える現体制になった。

山崎:紙のオリジナリティーと、デジタルの即興性、拡散力。本誌とウェブでは人気コンテンツも違いますが、同じ興味関心を持つ「ウオモ」読者がメディアごとの切り口の違いを理解しつつ、それぞれの記事を楽しんでくれているんだと思います。

池田:本誌「ウオモ」では洋服の発信だけにとどまらないチャレンジが必要です。一冊丸ごと車の特集号、旅の特集号などワンテーマで構成する機会を増やしています。最新の1月号は、一冊丸ごと車と時計、ジュエリーの特別号となっています。

WWD:ウェブ編集長就任後の成果は?

山崎:初年度は収益化に注力し、結果的に広告収入は前年比約360%を達成しました。もともと動画制作に長けていたことや、本誌企画との連動でうまく伸長できたのが要因です。2年目は、新たに漫画連載をスタート。3年目となった今年の春には、サイトの大リニューアルを済ませました。それまでのサイトは動画コンテンツに特化した画期的な構造だったものの、UI・UXの観点で難しい面も多く、読者にとってより親切な現在の仕様へと変更しました。

WWD:漫画の企画も読者に人気だ。

池田:編集長の立場であっても、漫画の担当を持って日々学んでいます。僕は清野とおる先生を、山崎はタナカカツキ先生を担当しています。タナカ先生は11月に単行本発売、清野先生は来年2月に『スペアタウン〜』2巻を刊行予定です。

山崎:編集者や媒体にとっても“はじめて”の体験が必要です。漫画の編集は経験がなかったものの、やれば分かることがあるかもと、自由度の高いウェブで連載を開始しました。集英社は漫画IPや知見に絶大の信頼がありますし、ウオモの連載陣はタイアップ企画にも前向きです。

「試着フェス®」が大ヒット
読者の信頼を勝ち取るリアル

WWD:「試着フェス®」をはじめ、誌面とウェブ共に人気企画に共通していることは?

山崎:「試着フェス®」初掲載は19年でした。ファッション誌によくあるステレオタイプなキャプションが昔から大嫌いで、であれば「この服はここがいい」「でも、この点はだめ」と誰かが着て感想を正直に伝えればいいのでは、と試着をテーマにした企画を発案しました。どんな反応が得られるのか未知数でしたが、試着そのものが思った以上に楽しいという声が参加者からありました。買うことへのプレッシャーがある店とは違い、試着自体がエンターテインメントでもある。実際に体験することの興奮がうまく伝わっているとうれしいですね。

池田:店頭でなかなか見ることのできない小規模なブランドの掲載も多く、「このブランドの実物を初めて見た」といった声もあります。好きなものを見つけた人たちの素直な感想に触れるとこちらの心も洗われます。美容編や時計編を充実させつつ、今後は車の試乗やフードの試食など、規模を広げていく予定です。「試着フェス®」だけでなく、今春まで実施していた藤原ヒロシさんの特別講義「フラグメント ユニバーシティ」などのリアルイベントにも注力していきます。

WWD:EC事業の今後の予定は?

池田:「フラグメント ユニバーシティ」とのコラボをはじめ、イベントとも連動した企画を練っている最中です。集英社のECサイト「ミラベラオム(MIRABELLA HOMME)」を通じ、数カ月に1度のペースでアイテムをリリースするポップアップ的な展開を考えています。

WWD:「ウオモ」のナンバーワンは何か?

池田:1番は人です。メディアの面白さは、物事に対して明確なアティチュードや言葉を持つプロたちと、世界観を共有しながら一緒に何かを作り上げること。雑誌が主な情報源だった時代に比べて、ウェブやSNSなど発信の場が増えましたが、「この人が語っているなら」と信頼できる情報にこそ価値があると信じています。

山崎:「ウオモ」の情報にはリアリティーが重要です。読者が地に足がついて現実的な人たちだからこそ、本当の声で新しいことを伝えたい。われわれ編集者も、自分たちのリアルに忠実でありたいです。


「ウオモ」(集英社) DATA
【MAGAZINE】創刊:2005年2月 発行部数:4万1000部
【WEB】月間UU:105万9000 月間総PV:954万5000
【SNS】X:2万8000 IG:12万4000 LINE:6000 FB:4万3000 

TEXT : KEISUKE HONDA
PHOTO : HIDEAKI NAGATA
問い合わせ先
集英社メディアビジネス部
03-3230-6202

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早稲田大学繊維研究会がタキヒヨーとドレスザライフと合同展示会 PLA素材の可能性を探る

1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。第3回では、代表の井上航平さんと、小山萌恵さんが11月に実施した展示会リポートと今月に迫るショーの進捗を語る。

WWD:11月17日にタキヒヨーと、ウェディングドレスショップのドレスザライフと合同展示会を実施した。
小山萌恵(以下、小山):タキヒヨーからPLAを活用した素材(100%植物由来で生分解性が高く環境への負荷が少ない、タキヒヨー企画開発の生地)を、ドレスザライフからドレス制作時の残布を提供してもらいルックを製作しました。PLAが生地の終わりまで考慮されていることや、ドレス生地の繊細さに注目し、生地の持つ儚さから私たちの人生の儚さを連想して、世の儚さを意味する仏教語「夢幻泡影」をコンセプトに掲げました。

WWD:PLA素材を使用する上で、工夫した点は?
小山:サステナブルな性質を考慮し、繊維研究会としてこの展示会でどのようなスタンスをとるべきか、というところから議論を始めました。サステナブルな衣服というと一辺倒な表現に陥りがちな現状に対し、私たちのクリエイションによって表現の幅を広げることを目標にしました。水面や花のモチーフを組み合わせ、生地を寄せたりたゆませたりしたルックや、PLAの循環サイクルから人間の一生を想起し、ベビードレスにほころびという相反する要素を施したルックなど、一つ一つがコンセプチュアルなたたずまいをまとい、私たちにしかできないアウトプットができたのではないでしょうか。タキヒヨーの担当者から「PLA素材の新たな可能性を感じた」という感想をいただけてうれしかったですね。

WWD:発表にはどんな苦労があったか?
小山:展示会となると、これまで培ってきたファッションショーのノウハウをそのまま応用できず、たびたび頭を悩ませながら、自分たちの力で向き合った過程は大きな学びとなりました。当日設営を終え、みんなのアイデアやがんばり、こだわり抜いたクリエイティブ魂が作用し合って成立している一つの空間を見渡したときには、無事に開催できた安堵と共に、胸に迫るものがありました。

素敵な感想もたくさんもらい、あの場でしか生まれ得ない温かなつながりが確かにありました。私たちの経験値や結束力も一層高まり、有意義な取り組みができました。この経験を糧に、残り一カ月を切ったショーに向けても精進していきます。

WWD:ファッションショーでは会場の音響にもこだわる。
井上航平代表(以下、井上):中島哲也監督の映画「告白」に楽曲提供を行っている音楽プロデューサーのcokiyuさんに、今回のオープニング映像とショーのBGMの制作をお願いしました。打ち合わせでは、来場者にルックの細部まで見えやすいよう、通常のファッションショーと比べてゆっくりとモデルさんに歩いてもらうことを想定して、全体のBPM(曲のテンポ)を75程度(一般的な速さは120程度)と細かく指定したほか、江ノ島で撮影したルック写真や映像素材を見せながら、「透明感」「曖昧さ」「漂い」「揺らぎ」「煌めき」「乱反射」など、コンセプトから連想する単語を伝えました。実際に歌詞を乗せるわけではないため、どうすればこのような抽象的な単語を曲として表現できるのか、僕たち自身でも全くイメージできていない状態でした。しかしcokiyuさんは抽象的な方がむしろ分かりやすいと言ってくださり、タイトなスケジュールの中でイメージを完璧に落とし込んだ曲に仕上げてくれました。

WWD:ルックブックの準備も進めている。
小山:繊維研究会のファッションショーでは毎年、来場者にルックブックを配っています。第1回で話したルック撮影時のデータをもとに、デザインやレイアウト、構成はもちろんのこと、紙質や製本方法、印刷方法まで、細部まで丁寧に作り上げています。ひとりよがりな作品にならないよう意識し、互いに言語化して伝え合うことを心がけています。より良い意見を柔軟に取り入れたり、意見をぶつけ合ったりすることで新たな発想が生まれ、作品作りには対話を重ねることが重要だと実感します。ルックブックはショーの後も手元に残る唯一のもののため、何度も見返したくなるような、見返すたび新鮮に心が動くようなものにしたいです。ラストスパートの大詰め、がんばります。

井上:当団体は、今年度に至るまで、メディアではもちろん、SNSにおいてもショーまでの過程や、こだわったポイントなどをお話することはありませんでした。明確なルールがあったわけではなく、代々「語らない美学」が受け継がれてきたためです。この考えには共感する点もありながら、ショー本編の20分~30分程度の中で自分たちのこだわり全てに気づいてもらえるわけではないことに、もどかしい思いを抱えていました(一方で気づいてもらえない意匠はそれまでのもの、という気持ちもあります)。今回の連載では、ルックのデザインだけでなく、ショーに至る過程にスポットを当ててお話してきました。今年は映像ではなく生でショーを見る意味、というものをこれまで以上に大切にしています。ぜひ実際にお越しいただき、ルックのデザインはもちろん、それ以外の部分にも注目いただければうれしいです。

■早稲田大学繊維研究会2024年度ショー「透き間、仄めき」
日程:12月22日
時間:①開場12:30〜、開演13:00〜 ②開場15:00〜、開演15:30〜 ③開場17:30〜、開演18:00〜
場所:代官山ヒルサイドプラザ
住所:東京都渋谷区猿楽町29 ヒルサイドテラス

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技術継承と染め直し、D&DEPARTMENTのファッション産業の課題への向き合い方

ロングライフデザインを提唱するディアンドデパートメント(D&DEPARTMENT)は2014年からテキスタイルメーカーのデッドストック生地を活用したバッグを提案する「ライフストック(LIFE STOCK)」と、シミや色あせなどで着られなくなった服を染め替えてよみがえらせるプロジェクト「ディ アンド リウェア(d&RE WEAR)」を立ち上げ、取り組む。24年までに「ライフストック」に活用した生地は2万9430m(生地幅120cm)、東京ドームの敷地に換算すると75.5個分。現在までに9700着を預かり染め直した。23年からは「生地を作ることができる職人と環境が失われる」との危機感から新たな需要を生み出すために「アーカイブス(ARCHIVES)」をスタート。日本の産地を回り、同プロジェクトを指揮する重松久恵ファッション部門コーディネーターに、産地の現状とディアンドデパートメントが取り組む意義を聞く。 

PROFILE: 重松久恵(しげまつ ひさえ)/D&DEPARTMENT ファッション部門コーディネーター

重松久恵(しげまつ ひさえ)/D&DEPARTMENT ファッション部門コーディネーター
PROFILE: ファッション誌の編集、デザイン会社などのマネジメントを経て2014年、「ライフストック」、洋服染め直しの「ディ アンド リウェア」プロジェクト発足時に「『D&DEPARTMENT』のコーディネーターに。中小企業診断士の資格を58歳で取得し、さまざまな会社のアドバイザーとしても活躍。旅と料理、手仕事をこよなく愛す

きっかけはラナ・プラザ崩落事故、ファッション産業の課題に向き合う

ディアンドデパートメントが「ライフストック」と「ディ アンド リウェア」に取り組み始めたのは2014年のこと。今でこそ、デッドストックの活用や染め直しを行う企業が少しずつ増えてきてはいるが、同社は早かった。両プロジェクトを手掛ける重松コーディネーターは「13年のラナ・プラザ倒壊事故によってファッション産業の課題が浮き彫りになり、向き合う必要があると感じていた。ちょうどその頃、『ディアンドデパートメント』からファッション部門を手伝ってほしいと依頼があり、同社らしくファッション産業の課題に向き合うことができる取り組みとは何かを考えた」と振り返る。

「ディアンドデパートメント」は10年、金沢21世紀美術館で行った企画展示「本当のデザインだけがリサイクルできる Only honest design can be recyclable. D&DEPARTMENT PROJECT」の際に、ミュージアムショップで残反を用いて製作したバッグを販売していた経緯がある。「私自身産地を回る中で、決算前にバッタ屋が残布を買いに行くのを知っていた。こうした残布を活用できないかと考えた」。

「残反購入だけでは貢献できない」、技術継承のための新プロジェクト

「ライフストック」では「10産地10生地で100種類作ろうと考えた。半分は懇意にしている産地に頼み込み、半分は中小企業診断士の資格を生かし商工会議所を通じて声をかけてもらった」。現在は小さな地域を含めると20カ所程度と取り組む。人気はビンテージ生地やマス見本(色合わせのサンプル布で同じ柄を色違いで数色プリントした布)だ。「特にマス見本は絶対に捨てられる運命なうえ、レアでもある。こうした背景をお客さまに説明するとマス見本ファンになり、マス見本狙いの方も増えた」。

23年から「アーカイブス」をスタートした。残反の入手が難しくなったからだ。「理由は2つある。1つ目は16年頃に日本で始まったSDGsの活動の気運が高まるにつれて、残反を活用したモノ作りをする人が増えたこと。2つ目はメーカーの生産量が減ったこと。生産すればその分残反もB反も出るが、特にこの3年少なくなったと感じる。そして、残反を買うだけでは産地に貢献できなくなったとも感じていた」と話す。

「1mが8000~1万円の手が込んだ特殊な生地は、高度な技術がないと作ることができない。他方で一般的には高額で購入が難しく、海外ブランドに販売していることが多い。こうした素晴らしい技術を残したいし、作る職人がいることを知らしめたいと思った。そのためには高度な技術を要する生地を作り続けて発信することが大切で、バッグは要尺が少ないので気軽に持つことができる価格で提案できると考えた」。

「アーカイブス」では「産地の定番で一般的に知られている生地でも次世代の担い手や需要を生み出す必要があると考え」会津木綿や伊勢木綿、久留米絣などの活用も始める。3月から箱型バッグを順次発売する。小幅生地の特性を最大に生かし、生地の無駄が極力出ないパターンを作成した。「生地にかけられる金額を上げ、工場と一緒に歩む持続可能なものづくりのカタチを探る」。

「多くの産地で倒産が増えている」、産地の抱える課題

産地の状況は刻々と変化している。産地の多くが「作れない産地」になりつつあり、モノ作りのリードタイムが長くなっている。「多くの産地で倒産が増えている。いろんな産地でいろんな変化があり、一概に何が原因とはいえないが、共通しているのはリーマンショック後から緩やかに沈みはじめ、新型コロナウイルスの感染拡大が拍車をかけたこと。コロナ禍では補助金や融資があったが、その返済が難しくなり、事業者に高齢の方が多いこともあってか、疲れてしまって廃業や倒産を選ぶ事業者が増えている。今、特殊な技術を持つ方の多くは60代後半から70代。彼らが今まで日本のモノ作りを支えてくれているが、後継者がいないし、現状は少量生産で取り組むしかない。例えば、チェーンステッチで脇を縫う人がいなくなったら、縫製の仕様書自体を変えなきゃいけなくなる。こういうことが連続的に起こっている」と話す。

モノ作りを絶やさないために考えられること

日本でモノ作りできる環境を残すにはどうすればいいのか。

「一つの方向として、製造メーカーが自社ブランドを立ち上げることがある。例えば山梨の『WAFU.(ワフ)』は縫製業だけでは言い値で安い賃金で請け負うことになってしまうと危惧して自社ブランドを立ち上げた。今ではOEMを一切せずに自社ブランドのみで利益を出せる体質に移行できている。『ワフ』のように高付加価値のモノ作りの自社ブランドを立ち上げるメーカーは増えており、自社ブランドの利益比率を上げようと取り組む企業が増えている。自社ブランドとOEMの黄金比は各企業により異なるが、両軸を持つことが会社の安定につながるケースが多い。たとえ、自社ブランドの売り上げが伸び悩んでも自社ブランドを通じて発信ができるため、OEMの依頼が増えて会社が安定することもある」。

廃業する工場を産地のメーカーがM&Aを行うケースも散見するようになった。「例えば、2011年に継続できなくなった新潟県の織物工場をマツオインターナショナルの松尾産業が子会社にしたケースでは、設備投資や機械を独自改造することでオリジナル生地の生産ができるようになった。友人のテキスタイルデザイナーや若いデザイナーたちがそこで生地を作っている。このケースのように技術を引き継いでいければいいと思う一方、難しいケースも多い。最近ではニット産地の山形できらやか銀行の経営悪化によって取引先が相次いで倒産し大きな影響を及ぼしている。取引先のニッターも倒産した。一緒に取り組むデザイナーと話し合い、彼は出資し合って小規模ロットの対応ができる工場を共同運営することも考えたいと話していた。そんなときに候補にあった廃業予定の小さなニット工場が『もう少し頑張ってみる』と継続を決めた。けれどM&Aを行うような体力のある会社もなかなか見つからない状況で見通しは不透明だ。もう一つは、工場に無理をさせない方法でモノ作りを行うことも大切だ。私たちは秋物の納期を5月に設定し、閑散期に無理をせずに生産していただいている」。

産地内で築けていたサプライチェーンの一つでも欠ければモノ作りのリードタイムはさらに伸びるが、M&Aを行うのはハードルが高い。「例えば、『オソク(OSOCU)』の谷佳津臣さんは元縫製工場を賃貸で借りて、古いミシンを活用しながら業務委託や新規雇用で技術者に参画してもらっている。工場を購入したわけではないが、場所を借りて縫製業の内製化を実現して自社ブランドをマイペースに展開している。新たなに人を雇用して職人を育てることは大変な挑戦だが、谷さんのように場所を活用しながらチャレンジしている人もいる」という。

特に染色や仕上げを行う工場が少なくなっていると聞くが、「別の産地に頼まなければいけない状況は増えている。もう一つの方向性としては一貫生産がある。先日訪れた京丹後の工場は撚糸・織り・染めを自社で行えるように整えていた。実際問題、染色や仕上げの機械を数台入れ、一貫生産に向かえるところは向かわないと厳しいのではないか」と指摘する。

一貫生産は強味にもなる。「赤ちゃんの製品を手掛ける工場はエコテックス認証取得を求められるなどあるが、外注すると取れるかわからない。特に染色は空きがなくて納期が大変なこともあり、縫製工場でも設備投資をして染色の機械を入れた工場もある。自社で染色を行うことで認証を横串で取れるようにしていた。織り専門だった富士吉田のとある工場も、糸染めも布染めもできる機械をそろえていた」。

対処療法の先に見据えること

今後向かう方向性について尋ねた。「小規模で高付加価値のもの、ははまるかもしれない」。

また、「職人が格好いいという文化を作っていく必要がある。サードウェーブコーヒーの文化が生まれたとき、コーヒーを焙煎する人が格好いいと焙煎士が増えたでしょう?そういう単純なことでもある。布作りの職人が格好いいとなれば興味が沸く人は増える。実際に布を作り、布のあるオシャレな生活を送っている人も多い。織機が動く動画をよく見るけど、生地を手掛けている人やその人の暮らしを紹介する人は少ない。そういう職人の暮らしを知ってもらいたいとも思う。“布を作ってオシャレな生活ができる”“これで食える”となれば、やってみたいという若者が増えるのではないか。機織りが職業の選択肢の一つになる。私の周りで織物に取り組む若い男性が増えていて、彼らに『何で』と尋ねると海外育ちの人が多く『職人がめちゃめちゃ格好いいし、この仕事は一生できるじゃない』との答え。彼らは素敵な生活をインスタグラムで発信していたりする。人間は恰好いいにあこがれるじゃない?」。

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編集長に聞く 2024年下半期ベスコスの見どころは?〜「美的」編〜

半期に一回、コスメ好きの間で盛り上がるベストコスメ企画。本企画では各美容誌が発表するベストコスメ企画の見どころを探る。今回は美容誌のコスメ好きな玄人に愛される「美的」の中野瑠美小学館 美的ブランド室 室長・編集長に話を聞いた。

「美的」ベストコスメを知る

「美的」のベストコスメとは?

美容のプロが感動した最新コスメの知見・魅力を、美容好きな読者に分かりやすく伝えるベストコスメ。

2024年下半期は?

「美的」読者に人気で信頼されている美容のプロ、今年の「美的」で人気があった企画に登場した人、「美的」読者についてよく知っている人、合計84人。

ここが違う!「美的」のベストコスメ

読者が「自分に合う」アイテムが分かるようにサポートアイコンを付けている。ジェンダーフリーメディア「美的HEN」や韓国コスメのベスコスも実施している。

「美的」ベストコスメの見どころ

WWD:2024年下半期ベストコスメの傾向で象徴的だった受賞商品は?

中野瑠美小学館 美的ブランド室 室長・編集長(以下、中野編集長):総合ランキングで1位、かつ他3部門も受賞した「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」の“ル・セラムⅡ”。人気アイテムの進化ということで注目度が高かったが、新知見に基づいた新たな処方、成分、使用感の良さが圧倒的という意見が多数だった。総合1位、スキンケア部門のアンチエイジング美容液編1位、ブースター編1位、保湿美容液編2位と、さまざまなカテゴリーで賞を独占した。

「スック(SUQQU)」 “ザ プライマー”は総合ランキング4位、ベースメイク部門下地編1位を受賞した。ベースメイクに定評のある「スック」から満を持して出された「ザ(THE)」を冠する下地。スキンケアのような潤いとハリ艶実感、この下地だけで肌のノイズを消して立体感を出してくれるため、素肌にも自信をもたらしてくれる、大人にこそおすすめしたいと票を集めた。

「ディオール(DIOR)」“ディオールスキン ルージュ ブラッシュ カラー&グロウ287"はベースメイク部門ハイライター・シェーディング編1位、メイクアップ部門チーク編2位を獲得。今年の“チーライト(チークとハイライト)”ブームを生み出したキーアイテム。人気の“ブルベみ”ながら、どんな肌にもテクニックレスに透明感と血色感、立体感を出してくれる。「スック」の“ブラーリング カラー ブラッシュ”がチーク1位、ハイラーター・シェーディングの4位で、アイテムの垣根がますますなくなっているのも面白い。

WWD:2024年下半期の傾向は?

中野編集長:編集の立場としては「カテゴリー分け」が大変だが、全てのアイテムにおいて多機能性、マルチ化がますます進み、用途や対応するがシームレスになったため複数のカテゴリーで受賞するアイテムが増えた。スキンケアはブースター的な使い方をするアイテムが数多く登場し、洗顔後の素肌につけるアイテムの重要性が高まった。

WWD:来期以降のビューティ業界に期待することは?

中野編集長:スキンケアはもはや美容医療級の即効性・効果実感があるアイテムも当たり前になってきており、新商品のさらなる進化が楽しみ。同時に、化粧品は忙しい日々を送る人たちの生活を彩るものでもあるので、アイテム(コンセプト)の時代性にも期待している。

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「メゾンスペシャル」仕掛け人の頭の中 「3つの新ブランド」「売上高200億円」

近年の国内ウィメンズリアルクローズ市場において、台風の目になってきたブランドが「メゾンスペシャル(MAISON SPECIAL)」だ。後発の姉妹ブランド「プランク プロジェクト(PRANK PROJECT)」も順調に成長している中、運営会社であるサザビーリーグ子会社・プレイプロダクトスタジオは攻勢を緩める気配を見せない。菅井隆行社長は新たに3ブランドの立ち上げと、中期的な会社の売上高目標として200億円を構想している。

既存2ブランドは、業績を順調に拡大してきた。「メゾンスペシャル」は2019年春の立ち上げから5年で売上高45億円(2024年2月期)に成長。ブランディングを鑑みると「現在の規模(国内7店舗)が最適」とみて、今後はアジアを中心とした海外での卸売りを成長ドライブにする。22年春に立ち上げた「プランクプロジェクト」も前期比40%増と順調に伸ばし、売上高10億円で着地した。ポテンシャルは「メゾンスペシャル」と同等と考えているといい、今後は商品のプライスレンジを引き上げて勝負する。

両ブランドの合計で、現在のプレイプロダクトスタジオの売上高は55億円。今後のさらなる伸び代として、3ブランドの立ち上げを計画している。近い将来に5ブランド合計で「売上高200億円」を目指す。これが実現できれば、グループ内では「ロンハーマン(RON HERMAN)」を展開するリトルリーグや、「アフタヌーンティー ティールーム(AFTERNOON TEA TEAROOM)」を運営するアイビーカンパニーといった主力子会社に「比肩する規模になる」。

ファッションと掛け算した
“フレグランスブランド”

3つの新ブランドの立ち上げ時期はそれぞれ未定だが、すでに動き出しているのが新ジャンルとなるフレグランスブランド。「純粋な香りなブランドというよりも、当社が得意なファッションのイメージを前面に打ち出していく。たとえば、店舗が商業施設のファッションフロアのど真ん中にあってもいいと思っている」。残りの2ブランドはアパレルで、来春から具体化へ向け動き出す。一方は既存ブランドよりもストリートテイストを強め、もう一方は比較的ベーシックなテイストで、メンズ・ウィメンズを両展開する。

「メゾンスペシャル」「プランク プロジェクト」は同質化傾向のあるリアルクローズ市場において、エッジィかつユニークなデザイン、それによる固定ファンの獲得が成長要因になってきた。新ブランドにおいても、「デザインは突き抜けつつ、着てくださるお客さまの姿をしっかり想像すること」「売れ筋の縦売りに固執せず、かつ捨て品番を作らないこと」といった商品企画やMDの考えを共通させる。いずれも常設出店を前提とせず、「まずはポップアップストアなどの形で感触を確かめたい」と話す。

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編集長に聞く 2024年下半期ベスコスの見どころは?〜「ヴォーチェ」編〜

半期に一回、コスメ好きの間で盛り上がるベストコスメ企画。本企画では各美容誌が発表するベストコスメ企画の見どころを探る。今回は美容誌のトップランナー「ヴォーチェ(VOCE)」の遠藤友子事業部長・編集長に話を聞いた。

「ヴォーチェ」ベストコスメを知る

「ヴォーチェ」のベストコスメとは?

メインの読者層であるアラサーの女性に合う新作コスメを、広告クライアントへの忖度は一切なしに、プロの目で選ぶ企画。スキンケアは何が最新知見で、コスメがどのように進化しているかが分かるように構成し、メイクは最新の色味や質感が分かるように色番まで指定して選考する。

2024年下半期の選者は?

選考委員は美容ジャーナリスト、ヘアメイク、美容ライター、美容家、本誌編集者など美容の専門家計64人。コスメの進化を見続けてきた、あらゆるコスメを試して手入れ法を伝え続けてきた、など長く蓄積された知見を持つ人を選者に選定した。また、メイク編の選考精度を上げるために、最先端のビジュアルを作り出しているヘアメイクにも依頼する。

ここが違う!「ヴォーチェ」のベストコスメ

日本の美容雑誌で初めてベストコスメを実施した「ヴォーチェ」は、「クライアントなどに一切忖度しないガチ選考」という伝統を持つ。1位受賞のアイテムを選出した後、さらに再投票し、1位の中の1位を選出する“二段階選考”も特徴の一つ。スキンケア編最優秀賞、優秀賞とメイク編最優秀賞、優秀賞を決めている。また、部門をアイテム別にして、読者が買いやすく探しやすいことを第一に考える。

「ヴォーチェ」ベストコスメの見どころ

WWD:2024年下半期ベストコスメの傾向で象徴的だった受賞商品は?

遠藤友子「ヴォーチェ」事業部長・編集長(以下、遠藤編集長):スキンケア編最優秀賞と先行美容液部門1位を獲得した「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」の“ル・セラムⅡ”。「肌は悪い刺激をブロックする力を持っている」という大発見は、新商品が出るたびに肌の可能性を信じさせてくれる同ブランドの真骨頂。最新知見、浸透のよさ、滑らかさをすぐに実感できる即効感、癒しの香りとテクスチャー……コスメに求める全てを兼ね備えた“王者の美容液”だ。

スキンケア編優秀賞と化粧水部門1位の「エスト(EST)」の“G.P セラムイン ローション”も注目。「同じ肌悩みを持っていても、人によって原因が違う」という真実に真っ向から向き合い、老化の要因を3つに集約、3種のパーソナライズ化粧水を生み出した。新生「エスト」は「本気で肌悩みを解決したい」というブランドの誠意の結晶!「スック(SUQQU)」ではメイク編最優秀賞、下地部門1位を受賞した“ザ プライマー”が、「肌ノイズを、“隠した感”なくカバーしたい」「艶は欲しいけれどテカりたくない」「品格が欲しい」というわがままな女性の願いを全てかなえてみせた。

WWD:2024年下半期の傾向は?

遠藤編集長:なんといっても美容液部門の激戦が印象的だった。名品のリニューアルが相次ぎ、それぞれに肌本来がもつ能力をパワーアップさせる機能が搭載している。「肌を元気にすることでエイジングをゆるやかにする」というアプローチがメインになった。また、コメ由来の発酵スキンケアが注目を浴びた。メイクはハイライト×青みのチークが豊作。血色感のあるベージュワントーンメイクがトレンドの顔になった。

WWD:「ヴォーチェ」のベスコスにまつわるエピソードは?

遠藤編集長:「ヴォーチェ」のベスコスの発表後から、売り上げが何倍にもなったという話はよく聞く。クライアント各社からは「『ヴォーチェ』のベストコスメが一番獲りづらい。だからこそ価値を感じる」という声もいただく。

WWD:来期以降のビューティ業界に期待することは?

遠藤編集長:美容好き読者が自分の可能性をもっと信じたくなるような、そして自分を好きになれるようなコスメの誕生に期待している。

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ドレイクやジェイムス・ブレイクも注目するシャーロット・デイ・ウィルソン その音楽の根底にあるものとは?

PROFILE: シャーロット・デイ・ウィルソン

PROFILE: カナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、プロデューサー、マルチ・インストゥルメンタリスト。2016年のEP「CDW」と18年のEP「Stone Woman」が高い評価を受け、21年にセルフ・リリースで発表したデビュー・アルバム「Alpha」が世界から絶賛され、これまでにドレイク、ジョン・メイヤー、ジェイムス・ブレイクがシャーロットをサンプリングでフィーチャーし、最近ではパティ・スミスが「CDW」収録のシングル 「Work」を称賛し、カバーしている。24年5月にニューアルバム「Cyan Blue」をリリースした。

10月、「朝霧JAM 2024」への出演を含む初のジャパン・ツアーを行ったカナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、シャーロット・デイ・ウィルソン(Charlotte Day Wilson)。ジャズやソウル、R&B、アンビエントなど多彩なテイストが織りなすムーディーで繊細なサウンドの雰囲気。ドレイクやジェイムス・ブレイクも惹きつけた彼女の音楽だが、ステージではそうした音の一つ一つを丁寧に磨き上げ、楽曲の魅力を新たに伝え直すようなリッチでオーガニックなバンド演奏が印象に残った。2021年にセルフ・リリースしたデビュー・アルバム「Alpha」を経て、今年5月にアメリカ西海岸の自然に囲まれた環境の中で制作されたニュー・アルバム「Cyan Blue」。時にフォーク・ロックやラウドなギター・サウンドも聞かせたこの日の鮮やかなパフォーマンスは、こうした経験が彼女にもたらした影響を想像させる、自由でオープンなインスピレーションに満ちたものだったように思う。

今回の「Cyan Blue」の制作過程について、シャーロットは過去の自分を見つめ直すような時間だったと振り返っている。「シアン・ブルー(※緑みがかった青)」というタイトルは彼女の瞳の色に由来するもので、制作中やこれまでの人生の中で出会ったさまざまな「青」にまつわる記憶や感情についてアルバムでは綴られている。そんな“青の時代”をめぐる親密でパーソナルな音楽をつくり上げた彼女は今、何を思い、何を感じているのか。東京公演の翌日に中目黒のオフィスで話を聞いた。

「青」に惹かれる理由

——昨夜のライブですが、楽曲の新たな魅力を引き出すようなパフォーマンスで素晴らしかったです。MCでバンドのメンバーを称える場面もありましたね。

シャーロット・デイ・ウィルソン(以下、シャーロット):ギタリストのイアンとはもう5、6年の付き合いで、ドラマーのライアンは彼の親友で、誰と演奏しても旅を楽しんでいるような人なので(笑)、イアンの推薦もあってバンドに加わってもらうことになったの。チェロとハープと鍵盤を弾いていたウーリ(Ouri)は、モントリオールを拠点に活動しているアーティスト仲間で、彼女の音楽は私にとって大きなインスピレーションになっている。今回、このアルバムの制作にあたり思い切って彼女に声をかけて、バンドの一員として参加してもらえないかとお願いした。そしたら快く引き受けてくれた。

——ちなみに、ステージでは曲によって2色のライトが使い分けられていたのも印象的でした。新作の「Cyan Blue」の曲はアルバムのキーカラーである青、そのほかの曲はオレンジ(※以前の彼女は、自分がつくる音楽について「オレンジと黄色のオンブレ」のイメージと語っていた)のライトが使われていたのかな、と終演後にふと思ったのですが。

シャーロット:会場のライティング・テクニックを使っていたのでそこまで意図的ではなかったけど、ただ、使用する色についてはかなり具体的に指示を出したので、その範囲内でスタッフが自由にクリエイティブな裁量を発揮してくれたんだと思う。

——その新作のキーカラーである「青」は、アルバムのアートワークやアーティスト写真にも象徴的に取り入れられていて、そのイメージは愛や内省をテーマにした作品のストーリーとも深く結びついています。その制作にあたってインスピレーションを受けたものとして、アート評論家のマギー・ネルソン(Maggie Nelson)が2009年に書いた「Bluets」という本を挙げられていましたが、それはどういった示唆を与えてくれた本だったのでしょうか。

シャーロット:あの本は、なんというか……表現するのが難しいけど、ある種の“アート小説”のようなものというか。著者が人生のある時期、「青」という色に深く魅せられて、その色を通して世界と自分自身をつなぎ留めるための“ポエティック”な方法を見つける——というような内容で。つまり、彼女にとって「青」は、特定の場所や状況で現れることで、周囲の環境とのつながりを感じさせる特別な色だったんだと思う。そして、このアルバムに取り組んでいる間、私も同じような経験をしたの。「青」という色に強く惹かれ、マギー・ネルソンをはじめとする、私にとって重要なアーティストたちとの共鳴を感じて。私も、彼女らが人生で経験した“青の時代”をめぐる対話に参加したかった。私たちはみんな、人生においてお互いにつながっていると感じたいと思っているし、自分のいる世界と深く関わっていたいと願っている。そのことにあの本を読んであらためて気付かされたわ。

——シャーロットさんの記憶に残る“青の時代”、また「Cyan Blue」の制作中に出会った「青」について教えてください。

シャーロット:アルバムに「Cyan Blue」と名付けた理由の一つは、最初に出会ったパートナーに、私の目はシアン・ブルーだと言われたから。だからこのアルバムは基本的に、グリーンとブルーをした私の目そのものなの。そして、初恋が人生においていかに大きな変化をもたらすかということを思い出した。その“時代”というのは、人生の中で全てがとても重く、とても意味深く、とても豊かな感情に満ち溢れていたのを覚えている。それで、もう一度あの目を通して人生を見つめ直したい、あの目を通して音楽を感じたい、あの目を通して自分の感情を取り戻したいって思ったの。

他にもそういう経験をたくさんしたわ。甥っ子がクレヨンを拾ったんだけど、その色がまさにシアン・ブルーだった。で、母のところに行って「すごくいい色だね」って言ったの。すると母は「あら、本当にそうね」って、そしたら彼は、まるで私の目のようだと言って。そういう小さな瞬間がたくさんあった。そして、周りの世界が意味を持っているように感じた。そんなふうにして私たちはみんな、自分の周りの世界につながりを見いだし、インスピレーションを得ようとしているんだと思う。

——その本では、“青の時代”を象徴するエピソードとして、ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の「Blue」についても触れられているそうですね。シャーロットさんにとっても、今回の「Cyan Blue」において「Blue」は大きなインスピレーションになりましたか。

シャーロット:ええ。ジョニ・ミニッチェルは、特にカナダの歴史において影響力のある重要なソングライターで。そして、彼女はロサンゼルスのローレル・キャニオンに引っ越して、そこで「Blue」を書いた。私もローレル・キャニオンで今回のアルバムをつくっていたので、どこか自分と重なるものを感じていた。自分の世界や、過去に影響を受けた人たちとのつながりを求める気持ちがあって。実際、「Blue」は音楽史に残る重要な作品だし、私を含めて多くの人たちにとって普遍的な共感を呼ぶ聖典的なアルバムだと思う。

お気に入りのアーティスト

——ローレル・キャニオンのロケーションはいかがでしたか。

シャーロット:とても美しい地域だった。毎日、丘陵地帯をドライブしてスタジオに通うのが日課で、その風景が私のインスピレーションの源になっていたわ。そのとき乗っていた車を(「Cyan Blue」の)アートワークに入れたのは、そういう理由もあって。近所をドライブするだけで無数のアイデアが湧き上がってくるような、そんな感覚があった。

——ローレル・キャニオンといえば、1960〜70年代からフォーク・ミュージックの聖地として知られていますが、そうした音楽からの影響についてはどうでしょうか。昨日のライブでは、終盤で演奏された「Dought」がサイケデリックなフォーク・ロック調にアレンジされていたのも印象的でした。

シャーロット:もちろん、ジョニ・ミッチェルは大好きなフォーク・アーティストの一人。それに、高校時代はフリート・フォクシーズをよく聴いていたわ。それから“サイケデリック”といえば、ピンク・フロイドもそう。ザ・ビートルズには素晴らしいサイケデリックなチャプターがたくさんあるし、プリンスも独特のサイケデリックな世界観を持ったアーティストだと思う。

——以前にカバーされたこともあるニール・ヤングは? 彼もまた母国であるカナダの重要なアーティストの一人ですよね。

シャーロット:そうだった(笑)。ニール・ヤングも大好きなカナダのレジェンドで、高校生の頃、音楽を聴くために2台のスピーカーを持っていて、ベッドに横になって聴くのが習慣だった。こうやって頭の両側にスピーカーを置いて(笑)、ニール・ヤングの「Heart Of Gold」をよく聴いていた。とてもハイになって、心が解き放たれるような、特別な体験だったのを覚えているわ。

——昨日のライブではシャーロットさんが弾くギターも鮮烈でした。ちなみに、好きなギタリストは誰かいますか。

シャーロット:ニール・ヤングのギターは大好き。彼はテクニック的に特別優れたギタリストというわけではないかもしれない。私もギターがうまくはないけど、ギターで曲を書くのは楽しいし、弾くのも楽しい。それが彼のギターからは伝わってくるから。それと、ファイストも大好きなギタリストの一人。ジョニ・ミッチェルやジョン・メイヤー、あとエイドリアン・レンカーも独自のスタイルでギターを奏でる素晴らしいミュージシャンだと思う。

——そういえば、過去にエイドリアン・レンカーをプロデュースしたいと話していたこともありましたね。同じソングライターとして、彼女のどんなところに惹かれますか。

シャーロット:とても“アコースティック”なところかな。アコースティック楽器が奏でる温かみや、彼女の声と歌詞の親密な雰囲気が好き。彼女の音楽からはそんなアコースティックな要素が存分に引き出されていて、とても惹かれるの。

「タイムレスで普遍的なものをつくりたい」

——そういえば、日本には花言葉に似た「色言葉」というのがあって、シアン・ブルーには「気高さ」や「品格」、「粘り強く困難に立ち向かう忍耐力の人」という意味合いがあるとか。

シャーロット:本当? すてき。

——新作の「Cyan Blue」は、若い頃の自分の視点から曲を書くこと、若い頃の自分に語りかけることがテーマだったと聞きました。それっていうのはやはり、年齢やキャリアを重ねた今だからからこそ至った境地だったりするのでしょうか。

シャーロット:どうなんだろう……人は人生のどの段階にあっても、若い頃の自分と話がしたいという願望や衝動に駆られることがあるんだと思う。それは、過去の経験が今の自分を作り上げているという確信からくるのかもしれない。それに、私は実存主義者なので、過去を振り返ることは自分自身をより深く理解し、時には未知の未来を理解するための方法だと考えているところがあって。なので、何がどうあれ、そういう作品をつくることになっていたんだと思う。

——逆に、若い頃の自分が今の自分に語りかけてくるような感覚を覚えることもあった?

シャーロット:ええ、それはいつも感じていて、今の私、過去の私、そして未来の私、どの自分に対しても敬意を払いたい。それは、どんな自分であっても、その存在を認め、尊重したいという気持ちからかもしれない。それって、今の自分と向き合うことを避けているってことなのかもしれないけど……でも私は常に、時間というものに縛られることなく自分自身を称えたいと思っていて。過去も未来も、そして今の私も含めて全てをつなぐような、そういうタイムレスで普遍的なものをつくりたいという願いがあるからなの。

——初期に発表された作品で、「Stone Woman」という曲がありますよね。「Stone Woman」という言葉は、自身が主宰しているレーベルの名前にも取られている特別なフレーズだと思いますが、あの曲で称えられていた美のあり方――“強さのなかにある冷徹で硬質な美しさ”というイメージが深く印象に残っています。あのあり方というのは、今もあなたが惹かれる美しさの規範の一つだったりするのでしょうか。

シャーロット:少しは成長したと思う……うん、そう思うな。以前の方がガードが固かったし、少し傷つきやすくなったのかもしれない。でも、自分の芯の部分には、常に少しストイックな要素があるのは確かだと思う。今朝、私の一番親しい友達の一人から「あなたが何を考えているかまったく分からない」って言われたの(笑)。考えてみると、私は自分の感情があまり表情に出ないタイプなのかもしれない。なので、もっと積極的に気持ちを伝えなければいけないって思うの。楽しい時はそれを伝え、感謝の気持ちも言葉にしたい。周りの人に「愛している」って伝えなければいけないって。

「歌を歌うことが癒やし」

——今日や昨日のライブもそうですが、シャーロットさんというと「黒」のイメージがあり、アーティスト写真などを拝見すると、スポーティーな服を好んで着られている印象があります。心地よさや自分らしさを感じるファッションのこだわりがあったら教えてください。

シャーロット:アスレチックで機能的な服が好き。でも同時に、服の細かなディテールにもこだわりがあるの。

——「黒」へのこだわりはありますか。

シャーロット:黒は私にとって、ちょうどいいデフォルトというか(笑)。他の人にとってはそうではないかもしれないけど、私にとってはどんな色とも合わせやすく、ニュートラルな色。

——シャーロットさんの曲は、パーソナルで繊細な感情を歌ったものが多く、書いたり歌ったりしていて感情が消耗することもあるかと思いますが、セルフケアで気にかけていることなどありますか。

シャーロット:歌を歌うと癒される。逆に、私が最も嫌いなのは、ステージで歌を歌っていて何も感じないことで。観客が私の歌に共感してくれなければ、私も感情移入することができない。ただ曲を完唱するだけで、まるでロボットのような歌い方になってしまう。それに私は普段、歌に込められた感情を思い出して歌うということはしないタイプで。でも昨夜のライブは特別で、観客が本当に私と一緒にいてくれた。観客が一緒に歌ってくれて、熱心に聴いてくれていると感じることができて、本当に一体感が生まれていました。そのおかげで、曲の世界観に深く入り込み、感情を込めて心から歌えた。その曲が何について歌っていたのかという場所に戻って、その曲と本当につながろうとしていたんだと思う。それが私にとって癒やしであり、カタルシスを感じられる瞬間なの。

——そういえば、来日してからもテニスをされていたそうですね。その様子をSNSにアップしていましたが、身体を動かすことも“癒やし”の一つですか。

シャーロット:そうね、テニスは私を正気に保ってくれるの(笑)。だから毎日プレーするようにしているわ。

——バスケやホッケーもやられていたそうですが、小さい頃から身体を動かすことが好きだったんですか。

シャーロット:昔から運動神経は良く、スポーツをするのが好きだった。どこかでエネルギーのはけ口を求めていたのかもしれない。スポーツは私にとって、生意気な自分でも許される環境というか、ワイルドな自分を出せる場所だったように思う。そして、ストイックな自分という素の私に立ち戻ることができる。実際、スポーツをしている時の私はありのままの感情が解放されていて(笑)、普段とは違う自分になれるのが気持ちいいの。

——昨日のライブでは最後に新曲を披露されました。日本のファンにとって最高のサプライズになりましたが、どんな曲か教えていただけますか。

シャーロット:自分の場合、夢から覚めた直後のぼんやりとした意識の中で歌詞が浮かんでくることが多くて、すぐに書き留めることができればいいけど、また眠ってしまい、目が覚めたら忘れてしまってもどかしい思いをすることがあるの。でもこの曲は、目が覚めてからもハッキリと歌詞のイメージが残っていたんです。まるで「おはよう、愛しい人よ」みたいな、温かい言葉が自然と口をついて出るような感覚だった。

ある恋愛のとき、私たちは一時的に距離を置いていたことがあって。でも、相手は私のことを待ち続けてくれていて、その気持ちに応えたくてボイス・メッセージを送ったの。それは、私が今どこにいるのか、どんな気持ちなのかを伝えるサインのようなもので、それで生まれたのがあの曲だった。

——今回のアルバムに収録された「虹の彼方に(Over the Rainbow)」のカバーですが、当初は自分で歌詞を書き換えたものを収録する予定だったそうですね。許可が降りなくて断念したそうですが、どんな内容の歌詞だったのでしょうか。

シャーロット:ああ(笑)、あれはとても辛らつな歌詞で。元の曲とは真逆のもので、あの曲をひっくり返して、もっと過酷なことを歌おうとしたの。でも今は、それを出さなくてよかったと思っているわ(笑)。

——昨日のライブであなたのバージョンが聴けるのかな、と思ったのですが。

シャーロット:いいかも(笑)。やってみたい。きっと楽しいと思う。

PHOTOS:RIE AMANO

■「Cyan Blue」
Charlotte Day Wilson
リリース日:2024年8月9日
レーベル:XL Recordings

TRACKLISTING
01. My Way
02. Money
03. Dovetail
04. Forever (feat. Snoh Aalegra)
05. Do U Still
06. New Day
07. Last Call
08. Canopy
09. Over The Rainbow
10. Kiss & Tell
11. I Don’t Love You
12. Cyan Blue
13. Walk With Me
14. Life After (Bonus Track for Japan)
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13954

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ドレイクやジェイムス・ブレイクも注目するシャーロット・デイ・ウィルソン その音楽の根底にあるものとは?

PROFILE: シャーロット・デイ・ウィルソン

PROFILE: カナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、プロデューサー、マルチ・インストゥルメンタリスト。2016年のEP「CDW」と18年のEP「Stone Woman」が高い評価を受け、21年にセルフ・リリースで発表したデビュー・アルバム「Alpha」が世界から絶賛され、これまでにドレイク、ジョン・メイヤー、ジェイムス・ブレイクがシャーロットをサンプリングでフィーチャーし、最近ではパティ・スミスが「CDW」収録のシングル 「Work」を称賛し、カバーしている。24年5月にニューアルバム「Cyan Blue」をリリースした。

10月、「朝霧JAM 2024」への出演を含む初のジャパン・ツアーを行ったカナダ・トロント出身のシンガー・ソングライター、シャーロット・デイ・ウィルソン(Charlotte Day Wilson)。ジャズやソウル、R&B、アンビエントなど多彩なテイストが織りなすムーディーで繊細なサウンドの雰囲気。ドレイクやジェイムス・ブレイクも惹きつけた彼女の音楽だが、ステージではそうした音の一つ一つを丁寧に磨き上げ、楽曲の魅力を新たに伝え直すようなリッチでオーガニックなバンド演奏が印象に残った。2021年にセルフ・リリースしたデビュー・アルバム「Alpha」を経て、今年5月にアメリカ西海岸の自然に囲まれた環境の中で制作されたニュー・アルバム「Cyan Blue」。時にフォーク・ロックやラウドなギター・サウンドも聞かせたこの日の鮮やかなパフォーマンスは、こうした経験が彼女にもたらした影響を想像させる、自由でオープンなインスピレーションに満ちたものだったように思う。

今回の「Cyan Blue」の制作過程について、シャーロットは過去の自分を見つめ直すような時間だったと振り返っている。「シアン・ブルー(※緑みがかった青)」というタイトルは彼女の瞳の色に由来するもので、制作中やこれまでの人生の中で出会ったさまざまな「青」にまつわる記憶や感情についてアルバムでは綴られている。そんな“青の時代”をめぐる親密でパーソナルな音楽をつくり上げた彼女は今、何を思い、何を感じているのか。東京公演の翌日に中目黒のオフィスで話を聞いた。

「青」に惹かれる理由

——昨夜のライブですが、楽曲の新たな魅力を引き出すようなパフォーマンスで素晴らしかったです。MCでバンドのメンバーを称える場面もありましたね。

シャーロット・デイ・ウィルソン(以下、シャーロット):ギタリストのイアンとはもう5、6年の付き合いで、ドラマーのライアンは彼の親友で、誰と演奏しても旅を楽しんでいるような人なので(笑)、イアンの推薦もあってバンドに加わってもらうことになったの。チェロとハープと鍵盤を弾いていたウーリ(Ouri)は、モントリオールを拠点に活動しているアーティスト仲間で、彼女の音楽は私にとって大きなインスピレーションになっている。今回、このアルバムの制作にあたり思い切って彼女に声をかけて、バンドの一員として参加してもらえないかとお願いした。そしたら快く引き受けてくれた。

——ちなみに、ステージでは曲によって2色のライトが使い分けられていたのも印象的でした。新作の「Cyan Blue」の曲はアルバムのキーカラーである青、そのほかの曲はオレンジ(※以前の彼女は、自分がつくる音楽について「オレンジと黄色のオンブレ」のイメージと語っていた)のライトが使われていたのかな、と終演後にふと思ったのですが。

シャーロット:会場のライティング・テクニックを使っていたのでそこまで意図的ではなかったけど、ただ、使用する色についてはかなり具体的に指示を出したので、その範囲内でスタッフが自由にクリエイティブな裁量を発揮してくれたんだと思う。

——その新作のキーカラーである「青」は、アルバムのアートワークやアーティスト写真にも象徴的に取り入れられていて、そのイメージは愛や内省をテーマにした作品のストーリーとも深く結びついています。その制作にあたってインスピレーションを受けたものとして、アート評論家のマギー・ネルソン(Maggie Nelson)が2009年に書いた「Bluets」という本を挙げられていましたが、それはどういった示唆を与えてくれた本だったのでしょうか。

シャーロット:あの本は、なんというか……表現するのが難しいけど、ある種の“アート小説”のようなものというか。著者が人生のある時期、「青」という色に深く魅せられて、その色を通して世界と自分自身をつなぎ留めるための“ポエティック”な方法を見つける——というような内容で。つまり、彼女にとって「青」は、特定の場所や状況で現れることで、周囲の環境とのつながりを感じさせる特別な色だったんだと思う。そして、このアルバムに取り組んでいる間、私も同じような経験をしたの。「青」という色に強く惹かれ、マギー・ネルソンをはじめとする、私にとって重要なアーティストたちとの共鳴を感じて。私も、彼女らが人生で経験した“青の時代”をめぐる対話に参加したかった。私たちはみんな、人生においてお互いにつながっていると感じたいと思っているし、自分のいる世界と深く関わっていたいと願っている。そのことにあの本を読んであらためて気付かされたわ。

——シャーロットさんの記憶に残る“青の時代”、また「Cyan Blue」の制作中に出会った「青」について教えてください。

シャーロット:アルバムに「Cyan Blue」と名付けた理由の一つは、最初に出会ったパートナーに、私の目はシアン・ブルーだと言われたから。だからこのアルバムは基本的に、グリーンとブルーをした私の目そのものなの。そして、初恋が人生においていかに大きな変化をもたらすかということを思い出した。その“時代”というのは、人生の中で全てがとても重く、とても意味深く、とても豊かな感情に満ち溢れていたのを覚えている。それで、もう一度あの目を通して人生を見つめ直したい、あの目を通して音楽を感じたい、あの目を通して自分の感情を取り戻したいって思ったの。

他にもそういう経験をたくさんしたわ。甥っ子がクレヨンを拾ったんだけど、その色がまさにシアン・ブルーだった。で、母のところに行って「すごくいい色だね」って言ったの。すると母は「あら、本当にそうね」って、そしたら彼は、まるで私の目のようだと言って。そういう小さな瞬間がたくさんあった。そして、周りの世界が意味を持っているように感じた。そんなふうにして私たちはみんな、自分の周りの世界につながりを見いだし、インスピレーションを得ようとしているんだと思う。

——その本では、“青の時代”を象徴するエピソードとして、ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の「Blue」についても触れられているそうですね。シャーロットさんにとっても、今回の「Cyan Blue」において「Blue」は大きなインスピレーションになりましたか。

シャーロット:ええ。ジョニ・ミニッチェルは、特にカナダの歴史において影響力のある重要なソングライターで。そして、彼女はロサンゼルスのローレル・キャニオンに引っ越して、そこで「Blue」を書いた。私もローレル・キャニオンで今回のアルバムをつくっていたので、どこか自分と重なるものを感じていた。自分の世界や、過去に影響を受けた人たちとのつながりを求める気持ちがあって。実際、「Blue」は音楽史に残る重要な作品だし、私を含めて多くの人たちにとって普遍的な共感を呼ぶ聖典的なアルバムだと思う。

お気に入りのアーティスト

——ローレル・キャニオンのロケーションはいかがでしたか。

シャーロット:とても美しい地域だった。毎日、丘陵地帯をドライブしてスタジオに通うのが日課で、その風景が私のインスピレーションの源になっていたわ。そのとき乗っていた車を(「Cyan Blue」の)アートワークに入れたのは、そういう理由もあって。近所をドライブするだけで無数のアイデアが湧き上がってくるような、そんな感覚があった。

——ローレル・キャニオンといえば、1960〜70年代からフォーク・ミュージックの聖地として知られていますが、そうした音楽からの影響についてはどうでしょうか。昨日のライブでは、終盤で演奏された「Dought」がサイケデリックなフォーク・ロック調にアレンジされていたのも印象的でした。

シャーロット:もちろん、ジョニ・ミッチェルは大好きなフォーク・アーティストの一人。それに、高校時代はフリート・フォクシーズをよく聴いていたわ。それから“サイケデリック”といえば、ピンク・フロイドもそう。ザ・ビートルズには素晴らしいサイケデリックなチャプターがたくさんあるし、プリンスも独特のサイケデリックな世界観を持ったアーティストだと思う。

——以前にカバーされたこともあるニール・ヤングは? 彼もまた母国であるカナダの重要なアーティストの一人ですよね。

シャーロット:そうだった(笑)。ニール・ヤングも大好きなカナダのレジェンドで、高校生の頃、音楽を聴くために2台のスピーカーを持っていて、ベッドに横になって聴くのが習慣だった。こうやって頭の両側にスピーカーを置いて(笑)、ニール・ヤングの「Heart Of Gold」をよく聴いていた。とてもハイになって、心が解き放たれるような、特別な体験だったのを覚えているわ。

——昨日のライブではシャーロットさんが弾くギターも鮮烈でした。ちなみに、好きなギタリストは誰かいますか。

シャーロット:ニール・ヤングのギターは大好き。彼はテクニック的に特別優れたギタリストというわけではないかもしれない。私もギターがうまくはないけど、ギターで曲を書くのは楽しいし、弾くのも楽しい。それが彼のギターからは伝わってくるから。それと、ファイストも大好きなギタリストの一人。ジョニ・ミッチェルやジョン・メイヤー、あとエイドリアン・レンカーも独自のスタイルでギターを奏でる素晴らしいミュージシャンだと思う。

——そういえば、過去にエイドリアン・レンカーをプロデュースしたいと話していたこともありましたね。同じソングライターとして、彼女のどんなところに惹かれますか。

シャーロット:とても“アコースティック”なところかな。アコースティック楽器が奏でる温かみや、彼女の声と歌詞の親密な雰囲気が好き。彼女の音楽からはそんなアコースティックな要素が存分に引き出されていて、とても惹かれるの。

「タイムレスで普遍的なものをつくりたい」

——そういえば、日本には花言葉に似た「色言葉」というのがあって、シアン・ブルーには「気高さ」や「品格」、「粘り強く困難に立ち向かう忍耐力の人」という意味合いがあるとか。

シャーロット:本当? すてき。

——新作の「Cyan Blue」は、若い頃の自分の視点から曲を書くこと、若い頃の自分に語りかけることがテーマだったと聞きました。それっていうのはやはり、年齢やキャリアを重ねた今だからからこそ至った境地だったりするのでしょうか。

シャーロット:どうなんだろう……人は人生のどの段階にあっても、若い頃の自分と話がしたいという願望や衝動に駆られることがあるんだと思う。それは、過去の経験が今の自分を作り上げているという確信からくるのかもしれない。それに、私は実存主義者なので、過去を振り返ることは自分自身をより深く理解し、時には未知の未来を理解するための方法だと考えているところがあって。なので、何がどうあれ、そういう作品をつくることになっていたんだと思う。

——逆に、若い頃の自分が今の自分に語りかけてくるような感覚を覚えることもあった?

シャーロット:ええ、それはいつも感じていて、今の私、過去の私、そして未来の私、どの自分に対しても敬意を払いたい。それは、どんな自分であっても、その存在を認め、尊重したいという気持ちからかもしれない。それって、今の自分と向き合うことを避けているってことなのかもしれないけど……でも私は常に、時間というものに縛られることなく自分自身を称えたいと思っていて。過去も未来も、そして今の私も含めて全てをつなぐような、そういうタイムレスで普遍的なものをつくりたいという願いがあるからなの。

——初期に発表された作品で、「Stone Woman」という曲がありますよね。「Stone Woman」という言葉は、自身が主宰しているレーベルの名前にも取られている特別なフレーズだと思いますが、あの曲で称えられていた美のあり方――“強さのなかにある冷徹で硬質な美しさ”というイメージが深く印象に残っています。あのあり方というのは、今もあなたが惹かれる美しさの規範の一つだったりするのでしょうか。

シャーロット:少しは成長したと思う……うん、そう思うな。以前の方がガードが固かったし、少し傷つきやすくなったのかもしれない。でも、自分の芯の部分には、常に少しストイックな要素があるのは確かだと思う。今朝、私の一番親しい友達の一人から「あなたが何を考えているかまったく分からない」って言われたの(笑)。考えてみると、私は自分の感情があまり表情に出ないタイプなのかもしれない。なので、もっと積極的に気持ちを伝えなければいけないって思うの。楽しい時はそれを伝え、感謝の気持ちも言葉にしたい。周りの人に「愛している」って伝えなければいけないって。

「歌を歌うことが癒やし」

——今日や昨日のライブもそうですが、シャーロットさんというと「黒」のイメージがあり、アーティスト写真などを拝見すると、スポーティーな服を好んで着られている印象があります。心地よさや自分らしさを感じるファッションのこだわりがあったら教えてください。

シャーロット:アスレチックで機能的な服が好き。でも同時に、服の細かなディテールにもこだわりがあるの。

——「黒」へのこだわりはありますか。

シャーロット:黒は私にとって、ちょうどいいデフォルトというか(笑)。他の人にとってはそうではないかもしれないけど、私にとってはどんな色とも合わせやすく、ニュートラルな色。

——シャーロットさんの曲は、パーソナルで繊細な感情を歌ったものが多く、書いたり歌ったりしていて感情が消耗することもあるかと思いますが、セルフケアで気にかけていることなどありますか。

シャーロット:歌を歌うと癒される。逆に、私が最も嫌いなのは、ステージで歌を歌っていて何も感じないことで。観客が私の歌に共感してくれなければ、私も感情移入することができない。ただ曲を完唱するだけで、まるでロボットのような歌い方になってしまう。それに私は普段、歌に込められた感情を思い出して歌うということはしないタイプで。でも昨夜のライブは特別で、観客が本当に私と一緒にいてくれた。観客が一緒に歌ってくれて、熱心に聴いてくれていると感じることができて、本当に一体感が生まれていました。そのおかげで、曲の世界観に深く入り込み、感情を込めて心から歌えた。その曲が何について歌っていたのかという場所に戻って、その曲と本当につながろうとしていたんだと思う。それが私にとって癒やしであり、カタルシスを感じられる瞬間なの。

——そういえば、来日してからもテニスをされていたそうですね。その様子をSNSにアップしていましたが、身体を動かすことも“癒やし”の一つですか。

シャーロット:そうね、テニスは私を正気に保ってくれるの(笑)。だから毎日プレーするようにしているわ。

——バスケやホッケーもやられていたそうですが、小さい頃から身体を動かすことが好きだったんですか。

シャーロット:昔から運動神経は良く、スポーツをするのが好きだった。どこかでエネルギーのはけ口を求めていたのかもしれない。スポーツは私にとって、生意気な自分でも許される環境というか、ワイルドな自分を出せる場所だったように思う。そして、ストイックな自分という素の私に立ち戻ることができる。実際、スポーツをしている時の私はありのままの感情が解放されていて(笑)、普段とは違う自分になれるのが気持ちいいの。

——昨日のライブでは最後に新曲を披露されました。日本のファンにとって最高のサプライズになりましたが、どんな曲か教えていただけますか。

シャーロット:自分の場合、夢から覚めた直後のぼんやりとした意識の中で歌詞が浮かんでくることが多くて、すぐに書き留めることができればいいけど、また眠ってしまい、目が覚めたら忘れてしまってもどかしい思いをすることがあるの。でもこの曲は、目が覚めてからもハッキリと歌詞のイメージが残っていたんです。まるで「おはよう、愛しい人よ」みたいな、温かい言葉が自然と口をついて出るような感覚だった。

ある恋愛のとき、私たちは一時的に距離を置いていたことがあって。でも、相手は私のことを待ち続けてくれていて、その気持ちに応えたくてボイス・メッセージを送ったの。それは、私が今どこにいるのか、どんな気持ちなのかを伝えるサインのようなもので、それで生まれたのがあの曲だった。

——今回のアルバムに収録された「虹の彼方に(Over the Rainbow)」のカバーですが、当初は自分で歌詞を書き換えたものを収録する予定だったそうですね。許可が降りなくて断念したそうですが、どんな内容の歌詞だったのでしょうか。

シャーロット:ああ(笑)、あれはとても辛らつな歌詞で。元の曲とは真逆のもので、あの曲をひっくり返して、もっと過酷なことを歌おうとしたの。でも今は、それを出さなくてよかったと思っているわ(笑)。

——昨日のライブであなたのバージョンが聴けるのかな、と思ったのですが。

シャーロット:いいかも(笑)。やってみたい。きっと楽しいと思う。

PHOTOS:RIE AMANO

■「Cyan Blue」
Charlotte Day Wilson
リリース日:2024年8月9日
レーベル:XL Recordings

TRACKLISTING
01. My Way
02. Money
03. Dovetail
04. Forever (feat. Snoh Aalegra)
05. Do U Still
06. New Day
07. Last Call
08. Canopy
09. Over The Rainbow
10. Kiss & Tell
11. I Don’t Love You
12. Cyan Blue
13. Walk With Me
14. Life After (Bonus Track for Japan)
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13954

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大阪のミッドウエストで気鋭のデザイナー15人が語ったこと

名古屋を拠点とする大型セレクトショップ「ミッドウエスト(MIDWEST)」は10月12日、大阪の商業施設「ハービスPLAZA ENT(プラザ エント)」の店舗で、開業20周年を記念し、総勢15組の日本のデザイナーを招いたトークイベント「ミッドウエストデザイナートークショーフェスティバル(MIDWEST DESIGNER TALK SHOW FESTIVAL))」を開催した。

日本の気鋭ブランド15人・組のデザイナーたちは5つのグループに分かれてクロストークを繰り広げ、イベントに連動した別注アイテムなども販売するポップアップイベントも実施した。この模様を車椅子ファッションジャーナリストの德永啓太が当日の様子を取材し、「ミッドウエスト」を運営するファッションコアミッドウエストの大澤武徳社長にもインタビューを行った。

10月12日当日、気温は28度と10月とは思えない真夏日を迎えた。振り返れば、若手注目株からパリで活躍するブランドまで15名のデザイナーが1箇所に集まっているのだからその熱量が気温と比例したのだろう。来場者は地元大阪の方が集まると思いきや東京で顔を合わせる人がチラホラ。他県からこのイベントのために来たという方まで。各ブランドに合わせて一張羅で来ているファンも多く、会場の熱量も高くフェスティバルという名に相応しい気合の入った雰囲気を醸し出していた。自分も若かりし頃、何もないが故にファッション業界に少しでも近づきたいと様々なところに足繁く通ったことを思い出す。10年前と比べるとファッション業界に夢がない・憧れないと言われる昨今であるが、来場者の雰囲気を見る限りまだまだ悪くないと感じた。

グループA:「アキコアオキ(AKIKOAOKI)」青木明子デザイナー、「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」吉田圭佑デザイナー、「ヴィヴィアーノ「(VIVIANO)」ヴィヴィアーノ・スーデザイナー

グループAは「アキコアオキ(AKIKOAOKI)」青木明子デザイナー、「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」吉田圭佑デザイナー、「ヴィヴィアーノ「(VIVIANO)」ヴィヴィアーノ・スーデザイナーのセッション。ショーを継続することについて「好奇心を持ち続け、変わっていくことを肯定するのがファッション」(「ケイスケヨシダ」吉田圭佑デザイナー)。「時代に合った人間性や社会と対峙しながらも1歩先の提案をするのがファッションデザイナーの役目」(「アキコアオキ」青木明子デザイナー)。ブランドが提示したい人間像を表現するにはショーが一番伝わりやすい方法である。「好きなファッションに実直であることも重要」(「ヴィヴィアーノ」ヴィヴィアーノスーデザイナー)、1度きりのショーのプレッシャーに向き合いながらも服のあり方を社会に提示する。インディペンデントブランドでしかできない責任と目標が伝わる内容だった。

グループB:「エムエーエスユー(M A S U)」後藤愼平デザイナー、「ダイリク(DAIRIKU)」岡本大陸デザイナー、「カミヤ(KAMIYA)」神谷康司デザイナー

グループBは「エムエーエスユー(M A S U)」後藤愼平デザイナー、「ダイリク(DAIRIKU)」岡本大陸デザイナー、「カミヤ(KAMIYA)」神谷康司デザイナーのセッションで、”好きなもの”にはカルチャーがありコミュニティがあるという部分にフォーカスした。「ヴィンテージや映画、音楽について深掘りしてくれるファンと一緒にファッションを楽しみたい」(「カミヤ」神谷康司デザイナー)。「カルチャーからブランドを知ったり、ブランドからカルチャーを知ったり、とにかくいろんな角度からファッションを好きになってもらうことが重要」(「ダイリク」岡本大陸デザイナー)、「ブランドを愛してくれる人はマイノリティ側の些細な出来事に気づける人たち。そういう気づきをファンと高め合って大事にしたい」(「エムエーエスユー」後藤愼平デザイナー)ファッションに興味を持つきっかけづくりとそこから派生するカルチャーをファンと育み、時に耕していくことを熱く語った。

グループC:「フミエタナカ(FUMIE-TANAKA)」田中文江デザイナー、「ヨーク(YOKE)」寺田典夫デザイナー、「リコール(RE:QUAL≡)」土居哲也デザイナー

「フミエタナカ(FUMIE-TANAKA)」田中文江デザイナー、「ヨーク(YOKE)」寺田典夫デザイナー、「リコール(RE:QUAL≡)」土居哲也デザイナーのセッション。カルチャーや音楽と結びつくことの重要性に加え、物作りの責任も問われるのがデザイナーだ。サステナブルの考え方について、「人工的なタンパク質で生成した糸を採用し少しでも環境に負荷がかからないような洋服を届けることに努めている」(「ヨーク」寺田典夫デザイナー)「伝統的なクチュールの素晴らしい文化や考え方を次世代に紡いでいくことが重要」(「リコール」土居哲也デザイナー)「これまで生産できた生地も後継者がいないことで再現不可能になった生産工場や機械を再稼働させることで地域活性にも貢献できる」(「フミエタナカ」田中文江デザイナー)様々な角度で「継続と循環」を提案した。

グループD:「ベイシックス(BASICKS)」森川マサノリデザイナー、「フェティコ(FETICO)」舟山瑛美デザイナー、「ブラン(BLANC)」渡辺利幸デザイナー

グループDでは「ベイシックス(BASICKS)」森川マサノリデザイナー、「フェティコ(FETICO)」舟山瑛美デザイナー、「ブラン(BLANC)」渡辺利幸デザイナーが、社会問題に向き合いながらも、人間の欲望は叶えたい。そのためには時に社会の常識や流行に背き、ブランドがオルタナティブなデザインを提案することに触れた。「主流よりも日本人がスタイリングしやすい名脇役なアイウェアを提案したい」(「ブラン」渡辺利幸デザイナー)「前ブランド(クリスチャンダダ)では誰もやったことがないことをやっていた。今でもやりたい気持ちはある」(「ベーシックス)森川マサノリデザイナー」「誰にでも受け入れやすい服は作りたくない。刺さる人に刺さってもらえたら」(「フェティコ」舟山瑛美デザイナー)。人と違うことを恐れず愛用者の自己肯定を後押しすることもデザイナーの役目である。

グループE:「ダブレット(doublet)」井野将之デザイナー、「チカキサダ(CHIKAKISADA)」幾左田千佳デザイナー、「サルバム(sulvam)」藤田哲平デザイナー

グループEの「ダブレット(doublet)」井野将之デザイナー、「チカキサダ(CHIKAKISADA)」幾左田千佳デザイナー、「サルバム(sulvam)」藤田哲平デザイナーでは、グローバルで展開すると「なぜ美しいと思ったのか、何に美しいと感じるのか」とバイヤーからの問いに応える場面が多いという。「子供の尊さや可憐さはその瞬間しかない。みんな大人になっていくけど誰しもが持っているピュアな心」(「サルバム」藤田哲平デザイナー)「他人の評価より自分が美しいと思えることが重要。僕は海外で 『ビューティフル』と発した声や反応が美しいと感じた」(「ダブレット」井野将之デザイナー)「唯一無二なモノ、誰かにとっては不必要でも誰かにとっては特別で重要なモノ。先生や先輩からの助言が必ずしも正しいわけではない」(「チカキサダ」幾左田千佳デザイナー」)。ファッションデザイナーとして自分の美学や哲学を持つことの重要性を語ってくれた。

質疑応答ではこれからデザイナーを目指す学生から現在アパレルで働いている人まで、現役デザイナーに問いかける内容は濃く、それに対して真摯に答える各デザイナーたち。このやり取りだけでも「ファッションには夢がある」と考えている若者が多いことがわかった。最終的には立ち見の人も多く、イベントは大盛況に終わった。このイベントを実施できたこと、また15名の現役デザイナーを集められるのはMIDWESTという老舗セレクトショップであり、イベントのディレクションをした大澤社長の人柄が大きく反映されていると感じ、私は改めて当日のイベントを振り返りながら話を聞いた。

大澤社長に直撃、「デザイナーを店頭に呼ぶ理由」

ーー大盛況だったが今回のイベントはどのような経緯で?

大澤武徳ファッションコアミッドウエスト社長(以下、大澤):ミッドウエスト大阪店はハービスプラザENTの商業施設内にあるので、施設側から20周年イベントの一環としてお声がけいただきましたが、ネットの時代だからこそ、このイベントはやらないといけないという使命感はありました。

ーー運営は誰が?

大澤:イベントのキャスティングから空間展示、音響からヴィジュアルまで全て自社のスタッフです。今回は大々的に行いましたが普段からポップアップやイベントを行っているので、これまで我々が行ってきたイベントの集大成といっても良いかもしれません。

ーートークの内容やキャスティングはどのように?

大澤:キャスティングは僕が独断で決めましたが、事前準備はなく当日は全てアドリブです。あえていうなら事前に顔見せと打ち上げを込めて、弊社にデザイナーを招待してバーベキューを開きました。意外にもそこで初対面だったデザイナーたちもいたようですが、自然と仲良くなっていた様子でした。僕はそれぞれのデザイナーたちとは会食を重ねているので、もしかしたら信頼してくれているのかなと思うくらい終盤は皆さん酔っ払って楽しそうでしたね。

ーーデザイナーの決め手は?

大澤:売上や実績の云々ではなく、デザイナーが魂込めてこだわった服が僕は大好きなんです。「流行り」は重要ではありません。デザイナーと会食を重ねて、どうやったらお客様が喜んでくれるか対話をするのも大好きです。お客さまやファンにリアルな体感をすることで純度の高い経験をお客様に提供したい。こういったお話に好意的なデザイナーにお声がけしました。

小売のプロとしての役割

ーーデザイナーとはどのように話を?

大澤:長年ショップを運営していてわかることは、常連のお客様でも趣味嗜好や環境が変わるので、3年に1度の周期で客層の雰囲気がガラッと変わるんです。だからその度に新しいお客様を迎えるためにどんな仕掛けをしたらいいかをデザイナーとよく話をしています。ただしデザインの助言は一切しません。小売のプロとしてデザイナーとお客様の間に入って繋げることが我々の役割なのでその仕掛け作りの対話を繰り返します。会食だったりポップアップの合間だったり日々デザイナーとのコミュニケーションの中でトークイベントのアイデアが生まれます。毎週のようにイベントを開いてデザイナーやブランド関係者と会食を重ねる生活は気つけばもう20年以上になりますね

ーーデザイナーとの出会いは?

大澤:当社は今年で創業48年になりますが、デザイナーとの出会いは「ご縁」だと思っています。今回のイベントにはブランド創設時に自らショップへ足を運んでくださったデザイナーも、最近お付き合いを始めさせていただいているデザイナーも両方いらっしゃるのですが、全てご縁です。なるべく長くお付き合いしたいと思っていても、お客様だけじゃなくて社会も変わりますし、世界情勢も含めるとインポートも難しくなってくる。なのでその都度ショップも変わっていかないといけません。ショップの雰囲気を変えたいと意識しているときに出会えるデザイナーとはご縁を感じますし、逆にブランド側も体制を変えたり、PRを変えたりと今までと違うアクションを起こしている際に我々と繋がるときは、デザイナーとショップの波長が合う場合が多いので「一緒に盛り上げていこう」と展開が早いです。だから「ご縁」だなと常々感じます。

ーーデザイナーとの交流で印象に残るエピソードは?

大澤:ありがたい話ではあるのですが、熱量のあるデザイナーは独立したらショップまで持ってきてくれるんです。「どこどこのブランドで働いていた〇〇と申します。ブランドを始めたので見てください」って。とあるデザイナーが当時そのブランドで働いていたことを僕は覚えていなくて(笑)、ただ持ってきた服は前働いていたブランドの系譜を受け継いでいて、経験上「師匠は越えられない」というのが僕の見解なのでこんな話をしました。

「エディスリマンのファーストアシスタントだったクリスヴァンアッシュは独立したときエディの雰囲気と真逆なコレクションを発表し、当時のバイヤーから苦い顔をされていた。僕はその姿勢に感銘を受けとてもいいコレクションだと思ったけどファーストは4社ほどしかつかなかったそうだ。でも今やスターダムを駆け上がっている。」

そうすると彼は考え方が変わったようで。とはいえひとまずはお客様に知ってもらわないと始まらないのでショップで受注会をする機会を提供していたら、今やパリコレに参加するほどのブランドになっちゃって(笑)

他にもブランド創設時から付き合いのあるデザイナーとは対話を重ねてショップでポップアップを開くのですが、なかなか知ってもらえなかったり動きが悪かったり、、デザイナー自身も実際に店頭に立って売ることの難しさを肌で体感されてますし我々もその姿を身近で見てきました。経験上悔しい思いをして、それを跳ね返す気合のあるデザイナーは必ず成長します。だからこそ「一緒にファンを育てていこう、一緒に時代を作っていこう」と。そういった毎日の積み重ねやお互いに切磋琢磨した経験があるので、普段は表に出ないようなデザイナーたちもこういったイベントに協力してくださるのかなと思います。

「三方よし」の哲学を大切に

ーーイベントに来場されたお客さまの熱量も高かった。ネットでいろんな情報を掴めたり購入できるが、実際に出向いてデザイナーと交流したり、ファッションを語り合う「体験」をすることに勝るものはないなと改めて感じた。

大澤:デザイナーは積極的にお客様へ話しかけづらい立場でもあると思いますし、熱量の高いファンからするとデザイナーは芸能人と同等ですよね。でも本当はデザイナーもお客様も互いに気になってるしお話ししたいんです。だからデザイナーとファン双方ともに交流のある我々スタッフがその間に入って場の空気を作るのが役目なんです。スタッフにはその場のプロだという意識を持ってもらってます。ただ急にスタッフが空気を作ることはできないので、日々のお客様との交流であったり、各デザイナーの思いやブランドの姿勢を理解するという毎日の小さな努力の積み重ねによって大々的なイベントにも対応できていると思います。現代はネットの時代で、もちろんオンラインもやらせていただいてますが、現場スタッフが情熱を持って接客しないとモノは売れません。ネットではデザイナーの魂が反映されないんです。だからこそ”現場の体験”というものに重きを置いています。昔から経営哲学の「三方よし」という言葉を大切にしています。デザイナー・ショップ、お客様全てがよくなる。ファッションで三方よしにするには目先の利益よりもトークイベントのようにそれぞれの心地よい経験が積み重なって業界が盛り上がっていくことが大事なんじゃないかな。

ーーーーーーーーー
トークショー終了後、アフターパーティが行われ来場者との交流が行われた。代表の大澤社長のいうようにファンからするとデザイナーはスターである。当日購入したお客様は各デザイナーからサインをもらっていた。ファンからすると忘れられない一日となっただろう。そしてサイン入りのアイテムは代替の効かない宝物である。この体験ひとつがファンの人生に大きく影響し、「ファッションには夢がある、希望がある」と思わせてくれる。この濃密な1日はファンだけでなく、デザイナー並びにショップにも大きな出来事になったことだろう。現役デザイナーもプロになる前はどこかのブランドに影響を受け追っかけていたはずだ。少なくとも今回参加したデザイナーはファッションに対する愛情が深く信念があることがトークから感じられた。そんな彼・彼女らは次世代を引き継ぐ学生にファッションの哲学そして愛情を紡いでいく出番である。大澤社長の「デザイナーが魂込めてこだわった服が大好き」という答えに、今回参加したデザイナーの顔ぶれを見ると頷ける。どのブランドもファッションに対する熱量は高く、揺るがない価値観があり、社会と対峙しながらも強固たる「個」を貫くブランドばかりだ。トークショーの質疑応答で何度も手を挙げた学生がいた。自分の悩みさえ人前で吐露しながら素直になれる勇気のある行動。その若者は将来有望なデザイナーになりそうだ。当日話しかけることはできなかったが、大澤社長の言葉を借りるのならば「ご縁」があればあの学生と話ができるときを楽しみにしている。

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日本での存在感を高める「パンドラ」 “フル“ジュエリーブランドへの進化を担う2人が大切にする自己表現と包摂性

PROFILE: フランチェスコ・テルッツォ(左)&A.フィリッポ・フィカレリ「パンドラ」シニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクター

フランチェスコ・テルッツォ(左)&A.フィリッポ・フィカレリ「パンドラ」シニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 共にイタリア出身。2000年代初頭に出会い、04年に2人でメンズウエアブランド「ミー マイン」を設立。その後、主にアクセサリーを手掛けるファッションブランド向けのコンサルタントとしても活動。10年には、ミラノのコンサルティング会社GB ストゥディオの共同クリエイティブ・ディレクターに就任した。数年間にわたって「パンドラ」のコレクションをコンサルティングした後、17年にバイスプレジデント(VP)兼クリエイティブ・ディレクターに就任。23年にシニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクターに昇進し、現在に至る

世界100カ国以上で販売されているデンマーク発のジュエリーブランド「パンドラ(PANDORA)」が、日本での存在感を高めている。日本上陸自体は2011年だが、今年に入ってからは出店を加速。渋谷センター街や名古屋栄、京都河原町の路面店をはじめ、関東圏と関西圏を中心に29店舗をオープンし、今後も全国での店舗網拡大を計画している。また10月24日には、グローバルアンバサダーに就任した韓国の5人組ガールズグループ、レッドベルベット(Red Velvet)を迎えたVIP限定のライブイベントを大阪で開催した。

そんな「パンドラ」は現在、自由にカスタムできるアイコニックなチャームブレスレットだけでなく、フルラインアップのジュエリーブランドとしての認知を高めるために取り組んでいる。その一翼を担うのが、17年に就任したフランチェスコ・テルッツォ(Francesco Terzo)&A.フィリッポ・フィカレリ(A. Filippo Ficarelli)=シニア・バイスプレジデント(SVP)兼クリエイティブ・ディレクターだ。20年以上デュオとして活動し、現在はコペンハーゲンとミラノを行き来する2人に、ブランドにもたらした変化やジュエリーに対する考えを聞いた。

表現するのは、あらゆる形の愛

WWD:クリエイティブ・ディレクターに就任してから約8年になるが、「パンドラ」のジュエリーとどのように向き合い、変化をもたらしてきたか?

A.フィリッポ・フィカレリ「パンドラ」SVP兼クリエイティブ・ディレクター(以下、フィカレリ):就任当時から、私たちのミッションは「パンドラ」を“フル“ジュエリーブランドへと変えること。象徴的なチャームブレスレットの背景にある“パーソナライズ“や”自己表現“というアイデアを幅広いジュエリーを通して表現することに取り組んでいる。また、ジュエリーは素晴らしい業界だが、伝統的な慣習も多く、“ロマンチックな愛“や”女性への贈り物“といった特定の文脈で捉えられがち。そこに、現代的で新しい視点を持ち込んだ。

WWD:そのリブランディングの一環として「LOVES」を新たなコンセプトに掲げ、これまで愛にまつわるさまざまなプロジェクトやキャンペーンを手掛けてきた。今年スタートしたグローバルキャンペーン「BE LOVE」もその一つだと思う。その背景には、どんな思いがあるのか?

フランチェスコ・テルッツォ「パンドラ」SVP兼クリエイティブ・ディレクター(以下、テルッツォ):「愛」という概念は、「パンドラ」にとって重要な要素。しかし、フィリッポが話したように恋愛的な文脈で語られることが今でも多く、「愛」にまつわるストーリーを私たちの視点で書き換えたかった。私たちが表現するのは、恋人という関係性だけでなく、さまざまな色で彩られた、あらゆる形の愛。そして、愛を行動で示すということ。そのコンセプトを伝えるのが、「BE LOVE」だ。ブランドにとって次のチャプターでもある「BE LOVE」は、単なるシーズンキャンペーンではなくムーブメント。さまざまな世代やコミュニティーの声に光を当て、皆を巻き込んでいくことでムーブメントを起こせればと考えている。

フィカレリ:愛には力がある。暗いことも多い時代だからこそ、ポジティブなメッセージが必要だ。「パンドラ」で仕事を始めた当初から刺激を受けているのは、世界的な規模を生かして多くの人にアプローチできるということ。文化もジェンダーも年齢も異なる人々に、インクルーシブなメッセージを届けていきたい。

WWD: 2人にとって「パンドラ」のジュエリーとは?

フィカレリ:エモーショナルで、一人一人の人生にとって深い意味のあるもの。単に身に着けるオブジェではなく、パーソナルな思い出やアイデンティティー、それぞれが伝えたいストーリーに強く結び付いていると思う。ルールにとらわれず自由に身に着けることで自信やパワー、喜びを感じてもらいたい。

テルッツォ:私たちのアイデンティティーの一部であるのはもちろん、タリスマン(お守り)のような役割もあるし、己の中の“ストーリーテラー“を解き放つもの。そして、「パンドラ」のジュエリーは特別なシーンのためだけでなく、毎日の生活を称えるものだ。

WWD:コレクションを制作する時には、何からインスピレーションを得ることが多い?

テルッツォ:私たちはいろんな国を訪れているけれど、そこで出会う人々が大きなインスピレーションになっている。今を生きるということは、この時代を生きる人々の声とつながり、互いに刺激し合うこと。さまざまなストーリーに耳を傾けることが、私たち自身のクリエイティブなエネルギーにつながっている。ただ、都会の中では何もかもがとてもスピーディーに進んでいくから、クリエイションの過程では静かな自然の中に過ごす時間も大切。そうすることで、自分たちが吸収したことを振り返ったり、整理したりすることができるからね。

チャームは、パワフルな言語

WWD:「パンドラ」にとってチャームは欠かせない要素。拡大するアイテムのラインアップの中で、チャームをどのように捉えているか?

フィカレリ:チャームは、人それぞれのストーリーを表現できるパワフルな言語であり、常に進化させていきたいと考えている。ジュエリーの歴史において、チャームの起源は古代エジプトまでさかのぼり、異なる文化の中でさまざまな形で取り入れられてきた。「パンドラ」のチャームは、私たちが生きる時代の文化を捉えられるものであり、タトゥーやスニーカーと近いと考えている。チャームは身に着ける人にとって大切な何かを表しているため、着用者との関連性がカギ。だから、一つの要素を選り好みしたり、押し付けたりするのではなく、さまざまな人が魅力を感じたり、共鳴したりするものを提案している。さらに好きな言葉やシンボルをエングレービング(刻印)できるサービスも始め、よりパーソナルな表現ができるようになった。

テルッツォ:最近では、「BE LOVE」と名付けたハートのチャームもローンチした。これは、「パンドラ」がチャームブレスレットを発売した2000年にデザインされたものを私たちなりに再解釈したもの。ふっくらと丸みがありながら、先が尖っているデザインが特徴で、刻印もできる。ハートの背景にはさまざまな意味合いがあるけれど、多くの人が身近に感じられるモチーフだと思う。

WWD:近年は、ラボグロウンダイヤモンドを用いたジュエリーを制作したり、自然の有機的な形状に着想を得た“エッセンス(ESSENCE)“コレクションをローンチしたりと、新しい提案も多く見られる。これからの目標は?

フィカレリ:今後も、「BE LOVE」というメッセージをフルラインアップのコレクションを通して広げていくことに取り組んでいく。そして将来に向けては、文化と深く結び付く“カルチュラル・プレーヤー“としてブランドを確立したい。

テルッツォ:具体的には、文化的かつクリエイティブなプラットフォームとして、アーティストやミュージシャンとコラボレーションしていく。重要なのは、表面的な知名度ではなく、その人が伝えたいメッセージやストーリーを持っているかということ。さまざまな才能に「パンドラ」のプロジェクトの門戸を開き、アイデアを共有することで、多様なクリエイティビティーがつながり合う世界を築きたい。

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俳優・成田凌が「死ぬ以外何でもやる」という気持ちで挑んだ映画「雨の中の慾情」

PROFILE: 成田凌/俳優

PROFILE: (なりた りょう)1993年11月22日生まれ、埼玉県出身。2013年にメンズノンノモデルオーディションに合格。14年にドラマ「FLASHBACK」で俳優デビューし、数々の話題作に出演する。映画「スマホを落としただけなのに」、「ビブリア古書堂の事件手帖」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。近年は、ドラマ「降り積もれ孤独な死よ」、「1122 いいふうふ」や、映画「くれなずめ」、「ニワトリ☆フェニックス」、「スマホを落としただけなのに 〜最終章〜 ファイナル ハッキング ゲーム」など・映画「【推しの子】-The Final Act-」(12月20日公開予定)の公開も控えている。

ドラマと映画を分け隔てることなく、精力的に作品に出演し続けている俳優の成田凌。フィルモグラフィーが猛スピードで上書きされていく中で、絶対に見逃してはいけない主演作にして代表作が誕生した。それが11月29日から公開される片山慎三監督の「雨の中の慾情」だ。

「岬の兄妹」「さがす」と同じく、本作の脚本は片山監督によるオリジナルだ。漫画家・つげ義春の短編「雨の中の慾情」を原作に、つげの「夏の思いで」「池袋百点会」「隣りの女」の要素を融合させて、数奇なラブストーリーに編み上げた。

成田が演じる主人公は、売れない漫画家の義男。未亡人・福子(中村映里子)と小説家志望の男・伊守(森田剛)との三角関係が、純粋な欲望としたたかな打算が交差する中で展開し、シュールレアリスム、ファンタジー、戦争映画、ヒューマンドラマといったジャンルを横断しながらマジックリアリズム的な映画体験で圧倒する。

片山慎三とつげ義春、2人の芸術家の創造力が最高次元で融合したこの大傑作の現場で何があったのか? 成田凌に、主演俳優の視点でたっぷりと語ってもらった。

「最初の撮影から手応えを感じた」

——「雨の中の慾情」、本当に素晴らしかったです。俳優・成田凌の代表作が誕生したと思いました。

成田凌(以下、成田):そう言っていただけてうれしいです。ありがとうございます。

——どの時点で手応えを感じましたか?

成田:初日です。自分の芝居を修正するために、撮ったものはその場ですぐに映像チェックするのですが、今回は撮影監督の池田直矢さんの映像がもともとすごく好きだったので、余計に早くチェックしたくて。ファーストカットの映像を現場で見た時に、「わー、これは、いいなあ……」と思いました。手応えを感じたのはその時ですね。でも、現場の人間同士で「これはいい作品になるね」みたいなことはあえて言わないようにしていました。そこで満足しない危機感と、常に「本当にこれでいいのか?」という疑問を持ち続けながら、監督、スタッフ、キャスト全員がクランクインからクランクアップまで現場にいました。そこにあったのは熱……という言葉では収まらない、「いい作品を作る」という一種類の気持ちだけでした。

——最初に撮ったのはどのシーンですか?

成田:義男の家で、O子(李沐薰)と対峙するシーンでした。なんか、緊張しました。でも本当にあの家の美術が素敵で。実際に人が住んでいる家をお借りして、そこに暮らしている犬も登場して。

——あの動じない犬! もともと彼のテリトリーだから、あのくつろぎ方だったんですね。

成田:みんなに愛されていましたね。

——初日を迎えるまでどんな準備をしたか、どんな心境だったかを教えてください。

成田:体型の準備はしましたけど、一番は「覚悟していく」でした。どの作品でもそうですが、片山さんの作品は特に生半可な気持ちでは入れないですからね。作品期間中は「死ぬ以外いいや」と本気で思ってました。台湾の田舎の田んぼやドブで、自分が這いつくばらなきゃいけない場所の、衛生状態がかなり悪かったんです。「うわ!」とは思うけど、そこを通過していくことが義男を作っていくことだから、本当に「死ぬ以外何でもやる」という気持ちでした。いろいろ大変でしたけど、とにかく体力はある方なので、そういう人間でよかったなと思いました。

——成田さんにそこまで覚悟をさせた片山監督は、どんな存在でしたか。

成田:「いつか必ず一緒に仕事がしたい」と思って生きていました。片山さんの作品に出たい俳優はたくさんいると思います。いろいろなことに対して逃げずにまっすぐ挑んでいく監督と一緒に作品を作りたい。この作品に携わることができて、本当に良かったです。

「めちゃめちゃ考えて演技しました」

——前情報を入れずに「雨の中の慾情」を見始めると、たくさんの「?」が芽生えていきました。戦争のシーンをきっかけに全ての「?」が回収されていき、ものすごくスッキリしました。

成田:ありがとうございます。戦争のシーンは特に思い入れがあって。あのワンカットを撮るために、朝から日が暮れるまで、1日がかりでみんなで撮ったんです。練習に練習を重ねて、「じゃあ(本番)回してみようか」と。「すごいことだな」と思いながら演じた結果、すごい画になりましたよね。

——あのワンカット撮影には圧倒されました。ただ、もしも義男がこんなにも可愛くて魅力的でなかったら、前半のたくさんの「?」を途中で諦めてしまったかもしれません。

成田:この「雨の中の慾情」の取材では、女性陣が義男を愛でてくださいます。それは自分の中の目標としてありました。(義男が)いなくなった時の寂しさがあったらいいなって。義男には流される瞬間と、欲望のままに生きる瞬間、すごく悪い人間になる瞬間もあると思うんですけど、彼の優しさが見える瞬間がたまにあることで、「優しいんだこの人は」と思っていただけたらいいなと。

——義男のその欲望も、ある設定の中での発露であり、戦争のシーンで明らかになった義男の人生を考えるといたたまれない気持ちになりました。この映画のように、観客に疑問符を与えて混乱させながらも最後まで連れて行くのは、映画という表現形式の醍醐味ですよね。

成田:そう思います。ご覧になる方がこの映画の世界にスムーズに入ってきてくださったらいいなと思って、冒頭のシーンで義男という人が伝わるようにしました。脚本は監督からの手紙のようなものなので、とにかく丁寧に、脚本に書いてあることを一つ一つ形にしていく感覚でした。何も考えずに感情のままやりました、とか言えたらかっこいいですけど、めちゃめちゃ考えました。立ち方一つから、走り方から。

——義男の走り方は確かに独特でした。そしてよく走りました!

成田:監督から「義男はこう走ると思います」と言っていただいたんです。肘を曲げない。手はまっすぐ。腕を振らない。そうだよな、と思いました。走り方に人間が出ると思うし、走るシーンが義男の全てを映し出していると言っても過言ではないかもしれません。脚本では「義男、走る」の1行ですけど、現場では朝晩、毎日このシーンを撮影していました。

——さまざまな場所を走る義男のシーンを一連でつないだシーンが、とてもエモーショナルでした。でも、現場では地道に走り続けていたわけですよね。

成田:基本的には行ったロケ地で、その日のシーンを撮る前と撮り終わったあとに走りました。義男が歩んできた人生の道を走る。完成版を観たらしっかりと使われていて、感情が揺さぶられるすごく良いシーンになっていたので、がんばりが報われた想いです。あと、福子(中村映里子)と伊守(森田剛)が義男の家に転がり込んできて、その2人を隣の部屋から覗(のぞ)くシーンでは、監督から「義男さんは猫になってください」と言われました。地面からゆ〜っくり覗きにいくような猫になって、と(笑)。

——「こっちに5センチ動いて」「2秒待って」といった演出もあると思いますが、「猫になってください」という演出は成田さんにとってどうでしたか。

成田:監督の「こうして」「ああして」という言葉の一つ一つがとにかくピュアでまっすぐなんです。たまに「こういう感じで」と演じてくださったりもするので分かりやすかったです。自分は結構選択肢を持って現場に行ったり、現場で「こうしたいな、ああしたいな」と生まれてくるものもあったりするので、監督と相談しながら進めていく場面もありました。監督はもちろん、撮影監督の池田さんにも「どう思いますか?」と聞いたりもしてましたね。

——池田さんにはどんなことを質問するのですか。

成田:「こういう画角だったらこういう動きの方がいいですか?」とか。舘野(秀樹)さんがすごくきれいな照明を作ってくださったので、「どの角度で当たった方がいいのかな?」とか。言葉では説明できないんですけど、自分の中で「これは監督に聞こう」「これは撮影監督に聞こう」という違いがあるんです。池田さんはずーっと全体を見て、人間を見て、感情を見てくださっている方。気持ちを共有して撮っていただくと、全然違うものになると思うんですよね。僕に撮らせてくれることもありました。

——え? カメラで?

成田:はい。走ってるシーンで1つと、義男の足元のカットを1つ。どっちから言ったのかな……。義男の目線のショットだったので、「僕が撮りましょうか?」と提案したのかもしれません。

——監督と池田さんのコンビネーションは、成田さんから見ていかがでしたか? 池田さんは監督の目、なのでしょうか。

成田:池田さんだけじゃなくて、スタッフ全員の信頼関係がすごかったです。本当に全員が信頼しあっている、愛とエネルギーに満ち溢れた現場でした。すごくいい現場。なんか、笑っちゃうぐらい(笑)。みんなで台湾に行って、大変な思いをしてますから。

——台湾というロケ地が演技に与えた影響は大きかったでしょうね。

成田:台湾に行きっぱなしであの空気の中で撮るということで、僕が考えるべきことは2つだけでした。この作品のことと、この作品のスタッフと共演者の健康についてだけ。本当に幸せですよね。「あー、今日帰って部屋片付けなきゃ」といった生活が一切ない。それは本当にすごいことなんですよ。

——ずっと義男のままいられる感覚なのでしょうか。

成田:ちゃんと自分には戻るんですけど、身体のどこかにずっと(義男の感覚が)ある。泊まっている場所からちょっと外に出ると、この作品の中にある景色と空気、匂いがある。とにかくぜいたくな日々でした。

「この仕事をやっているのも、こういう作品と出合うため」

——今回の映画でツボだったのが、義男のきれいな横顔でした。

成田:僕って“横顔系”ですよね(笑)。

——(笑)。スタッフさんもそれを共有していたから、車の中で福子と口づけをするカットの横顔が本当に美しかったです。予告編でも使われているのでお聞きしますが、あそこで2人の間に電流が走ることは知っていましたか?

成田:知らなかったです。上がったものを見たら、電流が走ってました(笑)。監督に聞いてもきっと「なんなんだろうね〜」って言うと思います(笑)。多分、これは現実ではないというノイズみたいなものなんですかね。現場では常にちょっとずつノイズが入っている感覚がありました。福子さんに言われる「義男さんはここにいるべきではない」という台詞とか、引っ掛かりみたいなものがありました。

——伊守に「いい顔するねえ、義男くんは」と小馬鹿にされた後のカットは正面からでしたね。「いい顔」をどう表現するかというハードルがあったと思います。

成田:すごく難しかったです。いろいろ考えましたけど、現場に行ってみないとな、という感じでした。でも、あそこはそんなにテイクを重ねることはなかったですね。

——片山監督はテイク数が多いとお聞きしますが、実際多かったですか?

成田:多かったです。でも、すごく納得できるテイクの重ね方でした。みなさんが何年もかけて準備してきたものだから、当たり前だとも思います。片山監督は諦めない。難しいことだと思うんですよね。もう1回、もう1回と、10テイク以上を重ねていく決断をするのって。逆に、“止める決断力”に感動することもありました。すごく長い期間準備して、ロケハンして、砂漠でこういうシーンを撮ろうとけっこうな長い時間をかけて車で移動して、監督とプロデューサーが来て、「やっぱりここでは撮りません」と。「完璧ではないから」と。いい作品を作るためにそういう決断をするっていうのは本当にすごいことだと思います。

——今回の作品で義男を演じたことで、役者という職業の面白さややりがいに変化はありましたか。

成田:俳優部の1人として、「いい座組っていいなあ〜」と思いました。部署ごとに自分の仕事をしっかりする、ということがちゃんと成立していれば、部署同士が信頼しあっていい組になる。そして、部署の垣根を越えて手伝いもできる。今回、みんながお互いに手伝ってたんですよ。さらにこの作品ではいろいろとセンシティブなことが扱われていますが、監督もスタッフも、まっすぐに向き合っていました。

——成田さんも逃げなかった。

成田:そうですね。この仕事をやっているのも、こういう作品と出合うためなので。自分にとってものすごくぜいたくな時間でした。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
STYLING:KAWASE 136(afnormal)
HAIR & MAKEUP:GO TAKAKUSAGI

ジャケット 43万円、ニット 31万円、タンクトップ 12万円、パンツ 26万5000円、シューズ 21万円/全てアミリ(スタッフ インターナショナル ジャパン クライアントサービス 0120-106-067)、その他スタイリスト私物

■映画「雨の中の慾情」
11月29日 TOHO シネマズ日比谷ほか全国公開
出演:成田凌
中村映里子、森田剛
足立智充、中西柚貴、松浦祐也、梁秩誠、李沐薰、伊島空
李杏/ 竹中直人
監督・脚本:片山慎三
原作:つげ義春「雨の中の慾情」
音楽:髙位妃楊子
衣裳デザイン・扮装統括:柘植伊佐夫
撮影:池田直矢 
美術:磯貝さやか 
編集:片岡葉寿紀 
制作:セディックインターナショナル 日商賽奇客有限公司 井風國際娛樂有限公司
製作:映画「雨の中の慾情」製作委員会
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/

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UKダンスシーンをけん引するOvermonoが語る「フレッド・アゲイン&リル・ヨッティ、ザ・ストリーツとのコラボ」

トム・ラッセルとエド・ラッセルの兄弟からなるオーヴァーモノ(Overmono)が2021年にリリースした「So U Kno」はちょっとした衝撃だった。UKガラージからの影響が色濃いヘビーなビートの上でR&B風のボーカル・サンプルをループさせたこのどう猛なブレイクビーツは、コロナ禍が収束した後のダンスフロアの熱狂を予感させる十分な強度を持っていた。さらに、そんな「So U Kno」から始まるミックス「Fabric presents Overmono」(21年)では、ダブステップからUKガラージ、ジャングル、プログレッシブ・ハウス、ベース・ミュージック、テクノまでを自由連想のようにつなぎ、UKクラブ・カルチャーの底力を我々に強く印象づける。そして、昨年満を持して発表したデビュー・アルバム「Good Lies」では、上記のような多彩なビートを交えながら、「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を巧みに表現し、UKクラブ・カルチャーとメインストリーム・ポップスの間を軽やかに横断してみせた。そんなオーヴァーモノの現況を確認すべく、ツアーで来日した2人に対面取材を敢行。今年リリースした素晴らしいトラックの数々やファッションについてざっくばらんに語ってもらった。

フレッド・アゲインとリル・ヨッティとのコラボ

——デビュー作「Good Lies」リリースから1年半ほど経ちました。心境の変化はありますか。

エド・ラッセル(以下、エド):ライブの内容をアップデートしていることかな。新しい機材を取り入れたりとか、ビジュアルをいろいろ変えていったりとか。あと絶え間なく新曲を作っているから、それらをライブで披露して感触を確かめているよ。

——今改めて振り返ってみて、「Good Lies」を作って何が良かったと思いますか。

エド:アルバムという形にはなっていなかったけど、このアルバムを作る前から何年も積み重ねて音楽を作っていて、その間ずっと作曲というプロセスを楽しんでいたんだ。このオーヴァーモノをやる前は2人ともソロで活動していて(エドは「テセラ(Tessela)」名義で、トムは「トラス(Truss)」名義で活動)、ソロで活動していく上でさまざまな制限があったけど、オーヴァーモノではその制限がなくなって、かなり自由に曲作りを進めることができたように思うよ。そこからアルバムという形がだんだんと見え始めてきて、コアとなる曲ができて、そのコアな曲に焦点を当ててアルバムを作っていったんだ。

——それでは、ここからは今年に入ってあなたたちがリリースした楽曲についていくつかお伺いしたいと思います。今年の2月にフレッド・アゲイン(Fred Again)とリル・ヨッティ(Lil Yachty)とのコラボレーション・トラック「stayinit」をリリースしました。この驚きのコラボレーションは何がきっかけでスタートして、どのように制作を進めていったのでしょうか。また、彼らの魅力は何でしょうか。

エド:フレッド・アゲインとは何年も前から一緒に何か作ろうと話をしていたんだ。そうしているうちにフレッドがアイデアを送ってくれて。そのトラックはヨッティのボーカルが入ったベーシックなもので、ドラムとかが入ってなかったから、俺たちがその要素をいくつか加えてフレッドに返したんだ。そのあとロンドンでフレッドと作業してから、ニューヨークでヨッティと会って曲を仕上げたんだよ。そんなに難しくはなくて、自然に曲がまとまっていったように思うね。

トム・ラッセル(以下、トム):俺たちは他のアーティストとあまりコラボレーションしないから、コラボレーションすること自体とても興味深いものだったよ。作曲のプロセスが違うし、とても勉強になるんだ。フレッドと作業したときも、彼の作曲のプロセスを垣間見ることができたし、お互いに学び合うことがあると思うんだよね。例えば、フレッドは歌の部分にフォーカスを当てるのがうまいけど、俺たちはもう少しカオティックな音響にフォーカスしたり。あと、ヨッティは大ファンだったから、コラボレーションできて本当に嬉しいよ。彼のオンとオフの切り替えがとても面白くて、普段はすごくスイートな人なんだけど、でもいざレコーディングになると、ゾーンに入ったように集中するんだ。

大音量で聴くと威力を発揮する音

——4月にはザ・ストリーツ(The Streets)ことマイク・スキナー(Mike Skinner)の「Turn The Page」を再構築したシングルをリリースしました。オリジナルはストリーツの最高のデビュー作「Original Pirate Material」の冒頭を飾るトラックですが、どうしてこの曲を再構築しようと思ったのか教えてください。

トム:実は最初のバージョンは2、3年前に作ったんだ。もともと俺たちはストリーツのファンだったし、「Turn The Page」のDJセットやライブで使えるバージョンをずっと作りたいと思っていたんだ。それで最初のバージョンを作ったあとにしばらく寝かせて、1年後くらいにまた聴き返して、粗かった部分を修正してライブとかで使ってみたら、とても盛り上がったんだよ。だからすぐにでもリリースしたいと思ってマイクに相談したら、とても良い返事をもらってようやくリリースできたんだ。

——ストリーツの音楽との出会いはいつだったんですか。

トム:「Original Pirate Material」がリリースされたとき(02年)、イギリスでは大反響で、自分たちもそのときに聴いたんだ。エドが15歳くらいで学生だったと思うんだけど、当時聴いていた音楽って今でも自分たちに影響を与えているし、自分たちを形成する一部だと思っているよ。

エド:「Original Pirate Material」の歌詞やトラックって当時のイギリスの社会状況やクラブ・カルチャーを鮮明に表現していて、そのころの自分たちを思い出させてくれるんだ。当時彼の音楽を聴いていたイギリスの人の多くはきっとそう思っているんじゃないかな。イギリスの若者の平凡でつまらない日常生活をすごく詩的かつ写実的に美しく表現していて、素晴らしい才能だと驚いたよ。

——最新シングル「Gem Lingo (ovr now) 」ではラスヴェン(Ruthven)をフィーチャーしていますよね。

トム:俺たちはサンプリングのリサーチにすごく時間を費やすんだ。作曲と同じくらいね。ラスヴェンのことは少しだけ知ってはいたんだけど、彼の「Hypothalamus」(18年)を聴いてすごくかっこいいと思ったんだ。それでボーカルをサンプリングしてひたすらに切り刻み、エディットしまくって曲を仕上げたんだよ。

エド:ビートの話をすると、俺たちって変わった方法でドラムの音を作るんだ。機材からささいな小さい音を拾ってきて、いくつものエフェクターを通して加工していくんだけど、そうすることによって面白い音ができるんだ。それは普通の音量で聴いたら面白くないかもしれないんだけど、大音量で聴くと威力を発揮するんだよね。それでとても大事にしているのは、ドラムとドラムとの間にある空間に漂っているノイズ。それをさらに加工して、ミニマルなビートの空間にあるテクスチャーにする。普通の人はドラム・キットから音を作るかもしれないけど、俺たちは10個くらいのシンセを使って、いろんな加工を施しながら音を作るんだよ。

——なるほど。

エド:あと「Gem Lingo(ovr now )」ではギター・ペダルをたくさん使っているんだよ。今日ちょっと取材時間に遅れたのは(笑)、楽器屋に行って日本製のペダルを見ていて、いくつか買ってきたせい(渋谷の「えちごやミュージック」に行っていたそう)。それでこの曲では、例えばニルヴァーナがコーラスの音に毎回使っていたものとかスティングが使っていたものとかを使っているんだ。もちろん音は加工しているからそれらのペダルを使っているかは分からないと思うんだけど、もしかしたらファンが音を聴いたときに無意識のところでニルヴァーナを感じるかもしれない。そうやって今と昔がつながると面白い気がするんだよね。

「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽

——オーヴァーモノの音楽、特に「Good Lies」で鳴っている音楽は、極端に言えば「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽のように思います。ライブにおいてそれをどのように表現するのでしょうか。

トム:俺たちがスタジオで作っている音楽ってライブのために作っているところがあるんだよ。俺たちのライブは音とビジュアルを組み合わせるんだけど、そこで最高の体験をしてもらいたいんだ。君が指摘してくれたように、俺たちの音楽は「いくつかの異なる感情の狭間」を表現することがキーになっていることは確かだし、それをライブで表現するというのが自分たちの究極の目的なんだよ。

エド:感情ってそのときの気分とか状況によって変わってくると思うんだ。例えば、気分の良い日に音楽を聴けばさらに高揚するかもしれないし、調子の悪い日に音楽を聴いて落ち込むこともあるかもしれない。俺たちはライブに来てくれるファンがそういったさまざまな感情を持っていることを考えながら、最高のライブを届けたいと思っているんだ。

——少しファッションとの関係性についてお伺いします。あなたたちは、昨年3月には「ジバンシィ(GIVENCHY)」のショーに楽曲を提供し、今年6月にパリ・ファッション・ウイークで「1017 アリックス 9SM(1017 ALYX 9SM)」のローンチパーティーをマシュー・ウィリアムズとともにキュレーションしました。自分たちの音楽がファッションと関わりを持つことを想像したことがありましたか。

エド:音楽を始めたときはまったくファッションとつながりを持つなんて考えていなかったよ。だからそうやって声をかけてくれてとても嬉しいんだ。ジバンシィのときも俺たちに全ての自由を与えてくれて、最高だと思えることをやってくれって言われてたんだよ。マシュー・ウィリアムズは俺たちのカルチャーも分かっているデザイナーだからすごくやりやすかったね。ファッションであれ音楽であれ、自分たちのやっていることに誇りや情熱を持っている人とつながることができるってすごく幸せなことだと思うんだ。マシューが服に懸けている情熱と俺たちの音楽に向き合う姿勢はつながっていると思うから、彼とのコラボレーションには無理がないんだよ。

——それでは最後の質問です。レコードショップの棚に「Good Lies」を置くとしたら、その両隣にはどんなアーティストの作品を並べますか。

トム:キャッシュ・コバーン(Cash Cobain)と、やっぱりジョイ・オービソン(Joy Orbison)だね。ピート(ジョイ・オービソン)はとても素晴らしいプロデューサーだと思うよ。その2人の作品の間に「Good Lies」があったら最高だね。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA

■Overmono「Good Lies」
2023年5月12日リリース
レーベル:XL Recordings
価格:CD国内盤(解説・歌詞対訳付/ボーナス・トラック追加収録/特典ステッカー)2320円、CD輸入盤2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13234

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UKダンスシーンをけん引するOvermonoが語る「フレッド・アゲイン&リル・ヨッティ、ザ・ストリーツとのコラボ」

トム・ラッセルとエド・ラッセルの兄弟からなるオーヴァーモノ(Overmono)が2021年にリリースした「So U Kno」はちょっとした衝撃だった。UKガラージからの影響が色濃いヘビーなビートの上でR&B風のボーカル・サンプルをループさせたこのどう猛なブレイクビーツは、コロナ禍が収束した後のダンスフロアの熱狂を予感させる十分な強度を持っていた。さらに、そんな「So U Kno」から始まるミックス「Fabric presents Overmono」(21年)では、ダブステップからUKガラージ、ジャングル、プログレッシブ・ハウス、ベース・ミュージック、テクノまでを自由連想のようにつなぎ、UKクラブ・カルチャーの底力を我々に強く印象づける。そして、昨年満を持して発表したデビュー・アルバム「Good Lies」では、上記のような多彩なビートを交えながら、「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を巧みに表現し、UKクラブ・カルチャーとメインストリーム・ポップスの間を軽やかに横断してみせた。そんなオーヴァーモノの現況を確認すべく、ツアーで来日した2人に対面取材を敢行。今年リリースした素晴らしいトラックの数々やファッションについてざっくばらんに語ってもらった。

フレッド・アゲインとリル・ヨッティとのコラボ

——デビュー作「Good Lies」リリースから1年半ほど経ちました。心境の変化はありますか。

エド・ラッセル(以下、エド):ライブの内容をアップデートしていることかな。新しい機材を取り入れたりとか、ビジュアルをいろいろ変えていったりとか。あと絶え間なく新曲を作っているから、それらをライブで披露して感触を確かめているよ。

——今改めて振り返ってみて、「Good Lies」を作って何が良かったと思いますか。

エド:アルバムという形にはなっていなかったけど、このアルバムを作る前から何年も積み重ねて音楽を作っていて、その間ずっと作曲というプロセスを楽しんでいたんだ。このオーヴァーモノをやる前は2人ともソロで活動していて(エドは「テセラ(Tessela)」名義で、トムは「トラス(Truss)」名義で活動)、ソロで活動していく上でさまざまな制限があったけど、オーヴァーモノではその制限がなくなって、かなり自由に曲作りを進めることができたように思うよ。そこからアルバムという形がだんだんと見え始めてきて、コアとなる曲ができて、そのコアな曲に焦点を当ててアルバムを作っていったんだ。

——それでは、ここからは今年に入ってあなたたちがリリースした楽曲についていくつかお伺いしたいと思います。今年の2月にフレッド・アゲイン(Fred Again)とリル・ヨッティ(Lil Yachty)とのコラボレーション・トラック「stayinit」をリリースしました。この驚きのコラボレーションは何がきっかけでスタートして、どのように制作を進めていったのでしょうか。また、彼らの魅力は何でしょうか。

エド:フレッド・アゲインとは何年も前から一緒に何か作ろうと話をしていたんだ。そうしているうちにフレッドがアイデアを送ってくれて。そのトラックはヨッティのボーカルが入ったベーシックなもので、ドラムとかが入ってなかったから、俺たちがその要素をいくつか加えてフレッドに返したんだ。そのあとロンドンでフレッドと作業してから、ニューヨークでヨッティと会って曲を仕上げたんだよ。そんなに難しくはなくて、自然に曲がまとまっていったように思うね。

トム・ラッセル(以下、トム):俺たちは他のアーティストとあまりコラボレーションしないから、コラボレーションすること自体とても興味深いものだったよ。作曲のプロセスが違うし、とても勉強になるんだ。フレッドと作業したときも、彼の作曲のプロセスを垣間見ることができたし、お互いに学び合うことがあると思うんだよね。例えば、フレッドは歌の部分にフォーカスを当てるのがうまいけど、俺たちはもう少しカオティックな音響にフォーカスしたり。あと、ヨッティは大ファンだったから、コラボレーションできて本当に嬉しいよ。彼のオンとオフの切り替えがとても面白くて、普段はすごくスイートな人なんだけど、でもいざレコーディングになると、ゾーンに入ったように集中するんだ。

大音量で聴くと威力を発揮する音

——4月にはザ・ストリーツ(The Streets)ことマイク・スキナー(Mike Skinner)の「Turn The Page」を再構築したシングルをリリースしました。オリジナルはストリーツの最高のデビュー作「Original Pirate Material」の冒頭を飾るトラックですが、どうしてこの曲を再構築しようと思ったのか教えてください。

トム:実は最初のバージョンは2、3年前に作ったんだ。もともと俺たちはストリーツのファンだったし、「Turn The Page」のDJセットやライブで使えるバージョンをずっと作りたいと思っていたんだ。それで最初のバージョンを作ったあとにしばらく寝かせて、1年後くらいにまた聴き返して、粗かった部分を修正してライブとかで使ってみたら、とても盛り上がったんだよ。だからすぐにでもリリースしたいと思ってマイクに相談したら、とても良い返事をもらってようやくリリースできたんだ。

——ストリーツの音楽との出会いはいつだったんですか。

トム:「Original Pirate Material」がリリースされたとき(02年)、イギリスでは大反響で、自分たちもそのときに聴いたんだ。エドが15歳くらいで学生だったと思うんだけど、当時聴いていた音楽って今でも自分たちに影響を与えているし、自分たちを形成する一部だと思っているよ。

エド:「Original Pirate Material」の歌詞やトラックって当時のイギリスの社会状況やクラブ・カルチャーを鮮明に表現していて、そのころの自分たちを思い出させてくれるんだ。当時彼の音楽を聴いていたイギリスの人の多くはきっとそう思っているんじゃないかな。イギリスの若者の平凡でつまらない日常生活をすごく詩的かつ写実的に美しく表現していて、素晴らしい才能だと驚いたよ。

——最新シングル「Gem Lingo (ovr now) 」ではラスヴェン(Ruthven)をフィーチャーしていますよね。

トム:俺たちはサンプリングのリサーチにすごく時間を費やすんだ。作曲と同じくらいね。ラスヴェンのことは少しだけ知ってはいたんだけど、彼の「Hypothalamus」(18年)を聴いてすごくかっこいいと思ったんだ。それでボーカルをサンプリングしてひたすらに切り刻み、エディットしまくって曲を仕上げたんだよ。

エド:ビートの話をすると、俺たちって変わった方法でドラムの音を作るんだ。機材からささいな小さい音を拾ってきて、いくつものエフェクターを通して加工していくんだけど、そうすることによって面白い音ができるんだ。それは普通の音量で聴いたら面白くないかもしれないんだけど、大音量で聴くと威力を発揮するんだよね。それでとても大事にしているのは、ドラムとドラムとの間にある空間に漂っているノイズ。それをさらに加工して、ミニマルなビートの空間にあるテクスチャーにする。普通の人はドラム・キットから音を作るかもしれないけど、俺たちは10個くらいのシンセを使って、いろんな加工を施しながら音を作るんだよ。

——なるほど。

エド:あと「Gem Lingo(ovr now )」ではギター・ペダルをたくさん使っているんだよ。今日ちょっと取材時間に遅れたのは(笑)、楽器屋に行って日本製のペダルを見ていて、いくつか買ってきたせい(渋谷の「えちごやミュージック」に行っていたそう)。それでこの曲では、例えばニルヴァーナがコーラスの音に毎回使っていたものとかスティングが使っていたものとかを使っているんだ。もちろん音は加工しているからそれらのペダルを使っているかは分からないと思うんだけど、もしかしたらファンが音を聴いたときに無意識のところでニルヴァーナを感じるかもしれない。そうやって今と昔がつながると面白い気がするんだよね。

「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽

——オーヴァーモノの音楽、特に「Good Lies」で鳴っている音楽は、極端に言えば「いくつかの異なる感情の交錯点、狭間」を表現した音楽のように思います。ライブにおいてそれをどのように表現するのでしょうか。

トム:俺たちがスタジオで作っている音楽ってライブのために作っているところがあるんだよ。俺たちのライブは音とビジュアルを組み合わせるんだけど、そこで最高の体験をしてもらいたいんだ。君が指摘してくれたように、俺たちの音楽は「いくつかの異なる感情の狭間」を表現することがキーになっていることは確かだし、それをライブで表現するというのが自分たちの究極の目的なんだよ。

エド:感情ってそのときの気分とか状況によって変わってくると思うんだ。例えば、気分の良い日に音楽を聴けばさらに高揚するかもしれないし、調子の悪い日に音楽を聴いて落ち込むこともあるかもしれない。俺たちはライブに来てくれるファンがそういったさまざまな感情を持っていることを考えながら、最高のライブを届けたいと思っているんだ。

——少しファッションとの関係性についてお伺いします。あなたたちは、昨年3月には「ジバンシィ(GIVENCHY)」のショーに楽曲を提供し、今年6月にパリ・ファッション・ウイークで「1017 アリックス 9SM(1017 ALYX 9SM)」のローンチパーティーをマシュー・ウィリアムズとともにキュレーションしました。自分たちの音楽がファッションと関わりを持つことを想像したことがありましたか。

エド:音楽を始めたときはまったくファッションとつながりを持つなんて考えていなかったよ。だからそうやって声をかけてくれてとても嬉しいんだ。ジバンシィのときも俺たちに全ての自由を与えてくれて、最高だと思えることをやってくれって言われてたんだよ。マシュー・ウィリアムズは俺たちのカルチャーも分かっているデザイナーだからすごくやりやすかったね。ファッションであれ音楽であれ、自分たちのやっていることに誇りや情熱を持っている人とつながることができるってすごく幸せなことだと思うんだ。マシューが服に懸けている情熱と俺たちの音楽に向き合う姿勢はつながっていると思うから、彼とのコラボレーションには無理がないんだよ。

——それでは最後の質問です。レコードショップの棚に「Good Lies」を置くとしたら、その両隣にはどんなアーティストの作品を並べますか。

トム:キャッシュ・コバーン(Cash Cobain)と、やっぱりジョイ・オービソン(Joy Orbison)だね。ピート(ジョイ・オービソン)はとても素晴らしいプロデューサーだと思うよ。その2人の作品の間に「Good Lies」があったら最高だね。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA

■Overmono「Good Lies」
2023年5月12日リリース
レーベル:XL Recordings
価格:CD国内盤(解説・歌詞対訳付/ボーナス・トラック追加収録/特典ステッカー)2320円、CD輸入盤2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13234

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K-POPや多業界からラブコール! 3Dアーティスト、DAMOの作る“誰も完璧じゃなくていい”不安定な世界

PROFILE: DAMO / 3Dアーティスト

DAMO / 3Dアーティスト

PROFILE:DAMO 1997年生まれ、韓国ソウル出身。大学では視覚伝達デザインを専攻し、グラフィックデザインを学ぶ傍ら授業の一環として学んだ3Dという表現方法に引かれ独学で技術を習得する。大学卒業後は3Dアーティストとして、K-POPアイドルを始め、さまざまな企業のクリエイティブに携わると共に、版画、セラミックなどのマルチメディア作業を行うアーティストグループ、ムルッカ(MURRCCA)としての活動や、韓国発アパレルブランド「ユースバス(YOUTHBATH)」でグラフィックデザイナーを担当するなどマルチに活躍の場を国内外へと広げている。2025年1月には、映像作家・吉岡美樹との合同展示会を表参道のギャラリーROCKETで開催予定だ

日々、新鮮なコンテンツが生まれトレンドが移り変わっていく韓国。エンターテインメント業界やビューティ業界はもちろん、少し街を歩くだけでカフェやレストランまでもクリエイティブにかなり力を入れている事がよく分かる。そんな韓国・ソウルで唯一無二の世界観で人々の心を掴み続けている3DアーティストのDAMO。一度見たら忘れられない少し不思議で可愛いDAMOの作品は、ニュージーンズ(NewJeans)やストレイキッズ(Stray Kids)などといったK-popアイドルから、現在韓国で大人気のインディーズバンド出身のシリカ・ゲル(Silica Gel)まで幅広いアーティストや企業からラブコールが止まらない。そんな多くの業界のクリエイティブに携わる人気3DアーティストのDAMOに、インスピレーションの源や制作にかける思いを聞いた。

3Dとの出合い

WWD:3Dアーティストとなった経緯は?

DAMO:大学で視覚デザインを専攻する中で3Dの授業を受ける機会があり、それが3Dとの出合いでした。3Dを作る事がとても面白いと思ったことと、元々ストップモーションアニメーションを制作したいと思っていたのですが、やりたかった表現が3Dでも制作できるのではないかと思ったり、色々な考えがつながって1人でも本格的に3Dの勉強を始めました。

WWD:3Dを知らない人間からすると複雑に見える3D技術を独学で勉強したとの事だが、本などを読んで勉強したのか?

DAMO:大学の授業でちょっと勉強した以外は大体YouTubeにあがっている動画を見て勉強しました。動画の中で分からないことがあれば3Dを勉強する人たちの集まる掲示板に質問を投げ掛けたりして、特に専門書を読んだことはないんです。自力で技術は勉強してきました。

WWD:DAMOさんの作品は、頭の中を覗いて見たくなる様なユニークな作品が多いが、制作のインスピレーションはどこで得ることが多い?

DAMO:昔は、夢をたくさん見たので夢の中の自分が見た事をアイディアに制作を行っていました。最近は、夢の中よりも日常の中からインスピレーションを得ている気がします。道を歩きながら1人でした想像の世界を作品で表現しています。

WWD:3Dでの制作以外にも、セラミック作品やタトゥー、人形制作まで幅広い手法で制作をされている。今後チャレンジしたいアイディアは?

DAMO:巨大な作品を作りたいです!いつも最初は3Dで制作を行い、そこで生まれた作品をもとにセラミック作品や人形などを作っているんですが、次は、画面の中で作った3Dのイメージを使って、現実世界で見ることのできるすごくすごく大きな人形を作りたいです。

WWD:DAMOさんは常に自分らしい唯一無二の世界観を貫いている。制作にあたって大きな軸となるテーマはある?

DAMO::私はいつも作品を説明する時に“不安定な存在”を作っていると話しています。私が、不安定な世界を作ればその世界では誰も完璧じゃなくて大丈夫なんです。そんな作品に込められたストーリーが人々へ伝わったら良いなと思い制作をしてます。

音楽業界からファッションブランドまで広がり続けるDAMOの世界

WWD:ニュージーンズやストレイキッズ、最近カムバックしたル セラフィムまでK-pop好きなら必ずDamoさんの携わった作品を見たことがあるのでは。幅広いアーティストや企業と仕事をする中で最も反響が大きかった仕事があったら教えてほしい

DAMO::インディーズ出身のバンド、シリカ・ゲル(Silica Gel)のMVが一番反応が大きかったと思います。MVは、実写映像の中に私の作った3Dアニメーションが入る構成だったのですが、それが新鮮で面白いと思ってくれたようです。ストーリーの中で必ず必要だけれど実際に実写で撮影することが難しい部分を私が3Dで作った感じです。

WWD:K-POPアーティストの仕事はどのようなきっかけですることになったのか?

DAMO::3Dアーティストとしての活動を始めた時は、インスタグラムに個人制作を載せていく中でラッパーなどヒップホップアーティストの方々から仕事の依頼のDMを多く受けるようになり、そこで作った作品からエンターテインメント界の方が私を知ってくださったようで、仕事を受けたらそこからまた違う企業やアーティストにつながって……。といった形でどんどん仕事が増えていきました。

WWD:独特な世界観を維持しながらパーソナルワークだけではなく、多くの企業とも仕事をされている。ご自身の制作とクライアントワークの制作を行う中で意識の違いがあったら教えてほしい

DAMO::もちろん個人制作では100%自分のやりたい事や言いたい事を自由に表現するようにしています。しかし、どうしても個人の制作ではなくて、クライアントワークという形になると皆さん私の作品スタイルをいいなと思って仕事を依頼して下さっていますが、それでもその方々がはっきりと望むものがあるので、もちろん、自分のやりたいように全部制作することは難しいです。特にK-POP業界は制限も多いので最初は戸惑うこともありましたが、クライアントの方々も私の色々な部分を見て連絡を下さっていると思うので

WWD:トレンドの移り変わりの激しい韓国ですが、DAMOさんが注目している最新トレンドは?

DAMO::これは韓国だけではなくて世界的なトレンドですが、AI技術です。本当に多様な分野でよく見るようになりましたが、人間だけができた芸術という分野にもAIを使って制作する人が増えましたよね。特に最近韓国では、ヒョゴ(hyukoh)というバンドが久しぶりにカムバックした際にAI技術をたくさん使用した作品を発表しましたが、韓国ではヒョゴがやったらイケてるというイメージがあるので、人々は無条件に肯定的に受け入れているんじゃないかなと思います。しかし、私は個人的に人々がAI技術を無条件に受け入れるのではなくて、分離してもらえるようにできたら良いなと考えています。あまりにもAI技術に頼らないである程度、”人間にしかできない事”をできないかと思います。あまりにもトレンドが早く変わっていますね。

WWD:いつかAI技術を駆使して制作を行う気持ちはあるか?

DAMO::いつか自分にすごく合うAI技術が誕生したら私も使うかもしれませんが、今はまだ使いたくないという気持ちが大きい気がします。でもすごく嫌いで絶対無理!って訳ではないです。でもやはり、将来的にも無条件にAIだけで芸術を作っていくことは避けたいとは思います。

WWD:韓国発ファッションブランド「ユースバス」でグラフィックデザイナーとしても活躍されている。アパレルアイテムに向けてのグラフィックやイラスト制作で意識していることは?また、意識しているトレンドがあったら教えてほしい。

DAMO:「ユースバス(YOUTH BATH)」では、ファッションデザイナーがいらっしゃるのでその方のデザインに沿ってグラフィックを制作していますが、やはり洋服なので多くの人に良いと思ってもらえるように、自分の好きなスタイルだけにとらわれないようにトレンドや、流行っているスタイルを取り入れる様に努めています。意識している事やトレンドを一つ上げるとするとやはり”Y2K”トレンドの人気が強いので意識しています。

WWD:ソウルでお気に入りのスポットがあったら教えてほしい

DAMO::私は、”ソンス”ではなく“ サンス”が好きです(笑)。ソンスやホンデには流行を追うことに夢中な人が多いですが、サンスには自分のスタイルが明確にある人やお店が集まっているイメージがあります。自分が好きなものや似合うものを良く分かっているような。東京に訪れると古着が好きなので下北沢や高円寺に行くことが多いんですがサンスは東京で例えるなら、多分高円寺っぽい雰囲気があると思います。

WWD:今後一緒に仕事をしたいアーティストやブランドはあるか?

DAMO::日本のインディーズバンドと一緒に仕事をしてみたいです!普段からキリンジ(KIRINJI)を始めとした日本のバンドの音楽を聞くこともあって、すごく詳しい訳じゃないんですが、日本のアーティストたちはやりたいことを自由にやっているイメージがあります。なので、そんな自由に作られた音楽を受け取って、自分が短編アニメーションの様なMVを作ったりしてみたいですね。

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「メディア業界は連携を」 ハースト婦人画報社が脱炭素に向け呼びかけ

PROFILE: 池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー

池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー
PROFILE: 総合商社、留学、クレジットカード会社広報を経て、2012年にハースト婦人画報社に入社。広報機能の立ち上げを行い、事業がプリントからデジタルへ移行する変革期をコミュニケーションの側面からサポート。17年からは人事にも携わり、最終的には本部長として人事制度の刷新をリード。育休を経て、21年に復帰し現職。企業広報とサステナビリティを統括

「エル(ELLE)」や「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」「ヴァンサンカン(25ans)」などを展開するハースト婦人画報社は、事業全体における温室効果ガス(GHG)排出量を削減する脱炭素に取り組む。2023年には環境省が主催する「製品・サービスのカーボンフットプリントに係るモデル事業」に参加し、イベント開催にかかるカーボンフットプリントを測定した。今年7月からは、同社が手掛ける雑誌全14媒体で雑誌製造にかかるカーボンフットプリント数値の開示も開始している。

カーボンフットプリントとは、製品の原材料調達から廃棄、リサイクルに至るまでのライフサイクル全体で排出されるGHGの量を、二酸化炭素に換算して表示する仕組みのこと。雑誌の製造工程においては、紙の調達先から製紙、インクの調達先、印刷工程、輸送といった工程のGHG排出量データを取得する必要がある。メディア業界ではまだまだ実践事例が少ないカーボンフットプリントの算定・開示に、同社はなぜ着手したのか。社内の脱炭素を推進する池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャーに、メディア企業において取り組む意義を聞いた。

社をあげてカーボンフットプリントの測定に取り組む

WWD:ハースト婦人画報社が脱炭素に取り組むようになったきっかけは。

池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャー(以下、池原):大きなきっかけは、ニコラ・フロケ(Nicolas Floquet)が2018年に社長に就任したこと。以前も植物油を含有した印刷インキや「FSC認証」取得済の紙の採用などを進めてきたが、彼が就任時に、経営の根幹にサステナビリティを置くと発信したことで社全体を上げて取り組む優先事項になった。

WWD:池原さんに任されたミッションは?

池原:私がサステナビリティチームに加わったのは22年ごろ。会社全体でカーボンフットプリントを測定するプロジェクトが動き出した時だった。その旗振り役が最初のミッションだった。ただ私自身、GHGの算定に取り組むのは初めて。「スコープ1、2、3」といった知らない専門用語ばかりだったが、本を読んだり、外部のコンサルに教えていただいたりしながら、いちから勉強した。現在はサステナビリティマネージャーの大竹紘子と2人で社全体の取り組みを推進している。

WWD:26年までに広告主に対して、「脱炭素支援広告プラン」を提供する計画と聞いた。

池原:これは広告出稿やイベント実施におけるGHGを算定し、できるだけ減らしていくという広告プランだ。現在実現に向けて、事業部ごとにGHG排出量を算定し削減アクションプランを練っている最中だ。

WWD:実際にクライアントから「脱炭素支援広告」プランへの要望があるのか?

池原:過去に欧米のラグジュアリーブランドから、別冊制作にかかったCO2排出量を報告してほしいと言われたことがあった。多くはないが、こうした声は増えていくはず。ハーストのイギリス支社のサステナビリティ担当者からは、CO2排出量の報告が請求書と一緒に提出が求められるようになる時代も近いだろうというような話も聞く。そうした傾向も踏まえ、少なくとも算定できる状態を整えておくことは急務だろうと考えた。

全社員、サプライヤーまでを巻き込む難しさ

WWD:現在各部署でどんな工夫を?

池原:まずは、社員一人ひとりが理解を深めることが大切。イベントや雑誌製造におけるGHG排出の算定に加え、取材や撮影などのコンテンツ制作における算定も始めている。全編集部において、少なくとも1件の取材やタイアップにかかるカーボンフットプリントの算定を実施してもらった。日々の仕事のどんな部分に、どれだけのGHGが出ているのか、自分の手を動かして測定することでカーボンフットプリントの仕組みが理解できる。こちらから、GHG排出量の高いタクシー利用をなるべく控えてくださいといった呼びかけもするが、仕組みを理解すれば自発的に工夫ができるようになる。また昨年からは、気候変動やグリーンウォッシュについて理解を深める研修を強化している。全社員必修で実施し、当社の社員としての最低限のリテラシーとして身につけてもらうようにしている。

WWD:社員全員の理解を得るのにはハードルもあったのでは?

池原:メディアに携わる人間として、全く興味がない人は少なかったように思う。とはいえ、普段の仕事に加えて、GHG算定の業務や研修を受けてもらったりするには、なかなか時間が取れないといった反応はあったし、直近の売り上げに直結するわけではないなか優先順位を上げてもらうのは難しかった。意識したのは、脱炭素の取り組みが社員にとっても得だと思ってもらえるようコミュニケーションすること。今ではサステナビリティに力を入れていることが、社員の誇りにつながるようになってきた実感があるし、若手の社員からサステナビリティが当社の強みの1つとして自然に上がってくるようになった。

WWD:具体的に脱炭素に向けて工夫している点は?

池原:23年からは「グリーン電力証書」を使い、全14媒体の定期刊行紙における印刷・製本にまつわる電力に再生可能エネルギーを適用している。そのほか、プラスチック素材を使用していた雑誌の表面加工を変えたり、付録のプラスチック梱包を減らしたりして、雑誌事業におけるプラスチック使用量も減らしている。22年には19年度比で80%減らすことができた。国内出張方針も変えた。GHG排出量の高い飛行機の使用は控え、移動時間が4.5時間以内の場合は電車を使ってもらうように呼びかけている。実際に、実務をどう変革していくかは非常に難しい。でもそこで思考停止せず、できるところから1つずつ地道に実践している。

WWD:社外に向けてはどのように協力を仰いだ?

池原:そこは大変であると同時に特に重要な部分。私たちは製造業の側面もあるものの、フットプリントを計ると自社で削減できる部分はわずか1%しかない。残りの99%は製紙会社、印刷会社などのサプライヤーの協力なくしては削減できない。当初サプライヤーの方にGHG排出量のデータを求めると、「重要なのは分かるが、どこから始めればよいかわからない」「社内のコンセンサスをとる事に時間がかかる」といった反応が多かった。雑誌製造に関してのフットプリント算定は、前例がなく分からない部分や不透明な部分も多々あった。各社と協力し一歩進んでは半歩戻り、と互いに学び合いながら進めてきた。今振り返ると、何も分からない地点から諦めずに取り組んできたチームのような意識がある。

WWD:社内では環境負荷の削減とビジネス成長のバランスについて、どのような議論がある?

池原:サステナビリティの概念は、環境面だけではなくビジネスの持続可能性も踏まえて議論すべきだ。そうでなければ極論、雑誌やイベントもいらないのではないかという話になりかねない。両輪で捉えた上で私たちが今注力しているのは、排出してしまう項目をいかに努力で減らせるか。例えばイベントの会場設備も、新しく作るのではなく既存のものを再利用できないか、廃棄物を減らしつつどう魅力的な空間を作れるかを考える。そうした創意工夫ができるチームに育つことが今後社の強みにもなる。

メディア業界に統一規格を

WWD:メディア企業として脱炭素に取り組む意義とは?

池原:一般的な事業会社とメディアの大きな違いは発信力だろう。特に脱炭素は、多くの人の行動変容が求められる。当社のサステナビリティの取り組みの柱の1つとして掲げているのが、「エデュケーティング・ザ・パブリック」。読者にきちんとした情報をお届けし、当社のコンテンツに触れる多くの人たちに気付きのきっかけを作ることが力の発揮どころだと思う。

WWD:メディア業界全体ではどのような連携が必要だと思う?

池原:カーボンフットプリントの算定を実施して感じたのは、統一規格の必要性だ。計る側もいちから情報を集めるのは非常に手間と工数がかかるし、算定値を受け取る消費者の混乱も招きかねない。業界として足並みをそろえる必要性を強く感じた。現在全雑誌で算定数値の開示を始めたが、おそらくその数字の意味まで理解している読者は少ないだろう。それでも雑誌の製造に二酸化炭素が発生していることを知ってもらうことに意味がある。

WWD:理想は?

池原:社長のフロケが掲げている標語は「ビルド・トラスト」。有象無象な情報が錯綜する世の中において、当社は消費者にとって信頼のおける発信拠点でありたい。サステナビリティの分野でもグリーン・ウォッシュをしないよう社員教育に力を入れているところだ。当社としてもできる努力を進めつつ、透明性のある信頼できるメディアからの質の高い情報を発信していきたい。面白いのは、社外向けの勉強会などのイベントを開くと媒体の枠を超えてみんなで力を結集しようという姿勢を感じる。当社としても、積極的にメディア間の連携を生み出していきたい。

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「メディア業界は連携を」 ハースト婦人画報社が脱炭素に向け呼びかけ

PROFILE: 池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー

池原亜矢子/ハースト婦人画報社・ハースト・デジタル・ジャパン 社長室ジェネラルマネージャー
PROFILE: 総合商社、留学、クレジットカード会社広報を経て、2012年にハースト婦人画報社に入社。広報機能の立ち上げを行い、事業がプリントからデジタルへ移行する変革期をコミュニケーションの側面からサポート。17年からは人事にも携わり、最終的には本部長として人事制度の刷新をリード。育休を経て、21年に復帰し現職。企業広報とサステナビリティを統括

「エル(ELLE)」や「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」「ヴァンサンカン(25ans)」などを展開するハースト婦人画報社は、事業全体における温室効果ガス(GHG)排出量を削減する脱炭素に取り組む。2023年には環境省が主催する「製品・サービスのカーボンフットプリントに係るモデル事業」に参加し、イベント開催にかかるカーボンフットプリントを測定した。今年7月からは、同社が手掛ける雑誌全14媒体で雑誌製造にかかるカーボンフットプリント数値の開示も開始している。

カーボンフットプリントとは、製品の原材料調達から廃棄、リサイクルに至るまでのライフサイクル全体で排出されるGHGの量を、二酸化炭素に換算して表示する仕組みのこと。雑誌の製造工程においては、紙の調達先から製紙、インクの調達先、印刷工程、輸送といった工程のGHG排出量データを取得する必要がある。メディア業界ではまだまだ実践事例が少ないカーボンフットプリントの算定・開示に、同社はなぜ着手したのか。社内の脱炭素を推進する池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャーに、メディア企業において取り組む意義を聞いた。

社をあげてカーボンフットプリントの測定に取り組む

WWD:ハースト婦人画報社が脱炭素に取り組むようになったきっかけは。

池原亜矢子・社長室ジェネラルマネージャー(以下、池原):大きなきっかけは、ニコラ・フロケ(Nicolas Floquet)が2018年に社長に就任したこと。以前も植物油を含有した印刷インキや「FSC認証」取得済の紙の採用などを進めてきたが、彼が就任時に、経営の根幹にサステナビリティを置くと発信したことで社全体を上げて取り組む優先事項になった。

WWD:池原さんに任されたミッションは?

池原:私がサステナビリティチームに加わったのは22年ごろ。会社全体でカーボンフットプリントを測定するプロジェクトが動き出した時だった。その旗振り役が最初のミッションだった。ただ私自身、GHGの算定に取り組むのは初めて。「スコープ1、2、3」といった知らない専門用語ばかりだったが、本を読んだり、外部のコンサルに教えていただいたりしながら、いちから勉強した。現在はサステナビリティマネージャーの大竹紘子と2人で社全体の取り組みを推進している。

WWD:26年までに広告主に対して、「脱炭素支援広告プラン」を提供する計画と聞いた。

池原:これは広告出稿やイベント実施におけるGHGを算定し、できるだけ減らしていくという広告プランだ。現在実現に向けて、事業部ごとにGHG排出量を算定し削減アクションプランを練っている最中だ。

WWD:実際にクライアントから「脱炭素支援広告」プランへの要望があるのか?

池原:過去に欧米のラグジュアリーブランドから、別冊制作にかかったCO2排出量を報告してほしいと言われたことがあった。多くはないが、こうした声は増えていくはず。ハーストのイギリス支社のサステナビリティ担当者からは、CO2排出量の報告が請求書と一緒に提出が求められるようになる時代も近いだろうというような話も聞く。そうした傾向も踏まえ、少なくとも算定できる状態を整えておくことは急務だろうと考えた。

全社員、サプライヤーまでを巻き込む難しさ

WWD:現在各部署でどんな工夫を?

池原:まずは、社員一人ひとりが理解を深めることが大切。イベントや雑誌製造におけるGHG排出の算定に加え、取材や撮影などのコンテンツ制作における算定も始めている。全編集部において、少なくとも1件の取材やタイアップにかかるカーボンフットプリントの算定を実施してもらった。日々の仕事のどんな部分に、どれだけのGHGが出ているのか、自分の手を動かして測定することでカーボンフットプリントの仕組みが理解できる。こちらから、GHG排出量の高いタクシー利用をなるべく控えてくださいといった呼びかけもするが、仕組みを理解すれば自発的に工夫ができるようになる。また昨年からは、気候変動やグリーンウォッシュについて理解を深める研修を強化している。全社員必修で実施し、当社の社員としての最低限のリテラシーとして身につけてもらうようにしている。

WWD:社員全員の理解を得るのにはハードルもあったのでは?

池原:メディアに携わる人間として、全く興味がない人は少なかったように思う。とはいえ、普段の仕事に加えて、GHG算定の業務や研修を受けてもらったりするには、なかなか時間が取れないといった反応はあったし、直近の売り上げに直結するわけではないなか優先順位を上げてもらうのは難しかった。意識したのは、脱炭素の取り組みが社員にとっても得だと思ってもらえるようコミュニケーションすること。今ではサステナビリティに力を入れていることが、社員の誇りにつながるようになってきた実感があるし、若手の社員からサステナビリティが当社の強みの1つとして自然に上がってくるようになった。

WWD:具体的に脱炭素に向けて工夫している点は?

池原:23年からは「グリーン電力証書」を使い、全14媒体の定期刊行紙における印刷・製本にまつわる電力に再生可能エネルギーを適用している。そのほか、プラスチック素材を使用していた雑誌の表面加工を変えたり、付録のプラスチック梱包を減らしたりして、雑誌事業におけるプラスチック使用量も減らしている。22年には19年度比で80%減らすことができた。国内出張方針も変えた。GHG排出量の高い飛行機の使用は控え、移動時間が4.5時間以内の場合は電車を使ってもらうように呼びかけている。実際に、実務をどう変革していくかは非常に難しい。でもそこで思考停止せず、できるところから1つずつ地道に実践している。

WWD:社外に向けてはどのように協力を仰いだ?

池原:そこは大変であると同時に特に重要な部分。私たちは製造業の側面もあるものの、フットプリントを計ると自社で削減できる部分はわずか1%しかない。残りの99%は製紙会社、印刷会社などのサプライヤーの協力なくしては削減できない。当初サプライヤーの方にGHG排出量のデータを求めると、「重要なのは分かるが、どこから始めればよいかわからない」「社内のコンセンサスをとる事に時間がかかる」といった反応が多かった。雑誌製造に関してのフットプリント算定は、前例がなく分からない部分や不透明な部分も多々あった。各社と協力し一歩進んでは半歩戻り、と互いに学び合いながら進めてきた。今振り返ると、何も分からない地点から諦めずに取り組んできたチームのような意識がある。

WWD:社内では環境負荷の削減とビジネス成長のバランスについて、どのような議論がある?

池原:サステナビリティの概念は、環境面だけではなくビジネスの持続可能性も踏まえて議論すべきだ。そうでなければ極論、雑誌やイベントもいらないのではないかという話になりかねない。両輪で捉えた上で私たちが今注力しているのは、排出してしまう項目をいかに努力で減らせるか。例えばイベントの会場設備も、新しく作るのではなく既存のものを再利用できないか、廃棄物を減らしつつどう魅力的な空間を作れるかを考える。そうした創意工夫ができるチームに育つことが今後社の強みにもなる。

メディア業界に統一規格を

WWD:メディア企業として脱炭素に取り組む意義とは?

池原:一般的な事業会社とメディアの大きな違いは発信力だろう。特に脱炭素は、多くの人の行動変容が求められる。当社のサステナビリティの取り組みの柱の1つとして掲げているのが、「エデュケーティング・ザ・パブリック」。読者にきちんとした情報をお届けし、当社のコンテンツに触れる多くの人たちに気付きのきっかけを作ることが力の発揮どころだと思う。

WWD:メディア業界全体ではどのような連携が必要だと思う?

池原:カーボンフットプリントの算定を実施して感じたのは、統一規格の必要性だ。計る側もいちから情報を集めるのは非常に手間と工数がかかるし、算定値を受け取る消費者の混乱も招きかねない。業界として足並みをそろえる必要性を強く感じた。現在全雑誌で算定数値の開示を始めたが、おそらくその数字の意味まで理解している読者は少ないだろう。それでも雑誌の製造に二酸化炭素が発生していることを知ってもらうことに意味がある。

WWD:理想は?

池原:社長のフロケが掲げている標語は「ビルド・トラスト」。有象無象な情報が錯綜する世の中において、当社は消費者にとって信頼のおける発信拠点でありたい。サステナビリティの分野でもグリーン・ウォッシュをしないよう社員教育に力を入れているところだ。当社としてもできる努力を進めつつ、透明性のある信頼できるメディアからの質の高い情報を発信していきたい。面白いのは、社外向けの勉強会などのイベントを開くと媒体の枠を超えてみんなで力を結集しようという姿勢を感じる。当社としても、積極的にメディア間の連携を生み出していきたい。

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お騒がせ系デザイナー「アヴァヴァヴ」の意外な素顔 「最後はユーモアが勝つ」

PROFILE: ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター

ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1995年生まれ、ストックホルム出身。2021年に「アヴァヴァヴ」をイタリアのフィレンツェで立ち上げ、現在はスウェーデン・ストックホルムに拠点を置く。インターネット時代に育ち、エンドカスタマーと直接つながる未来志向のファッションブランドの構築に注力。コレクションでは、フェミニンなラグジュアリーストリートウエアに重きを置いたアパレル、アクセサリー、フットウェアを展開。プロダクトの大半をヨーロッパで製造し、イタリア製高級生地のデッドストックを多く使用する PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

スウェーデン・ストックホルムを拠点とする若手ブランド「アヴァヴァヴ(AVAVAV)」は、9月の2025年春夏ミラノ・ファッション・ウイークで「アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)」と初めてのコラボレーションを披露した。アイテムは、4本指カバー付きの“スーパースター(SUPERSTAR)“やクロップドジャケット、ボリューミーなシルエットのパファージャケットなど。「アディダス オリジナルス」の一部店舗および公式アプリ「CONFIRMEDアプリ」、グレイト(GR8)、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。

「アヴァヴァヴ」はベアテ・カールソン(Beate Karlsson)が21年に立ち上げ、今年で5シーズン目を迎えた。毎シーズンパフォーマティブなショーを続けており、SNSなどを中心に話題を集めている。SNS上の誹謗中傷をテーマにした23-24年秋冬コレクションでは、観客がゴミをモデルに投げつける演出が賛否を呼んだり、“No time to design, no time to explain”と題した24年春夏コレクションでは、着替え途中のモデルがランウエイを全速力で走り抜け、目まぐるしいスピードで回転するファッション産業を皮肉ったりした。

11月には、東京・平和島の「グレイト エンタープライズ」で行われた「アディダス オリジナルス」とのコラボコレクションのローンチイベントに合わせ、カールソン=クリエイティブ・ディレクターが来日した。奇抜なショーとは裏腹に、おとなしく控えめな印象のカールソン=クリエイティブ・ディレクターは“過激”と言われるブランドの信念を静かに語った。

「アヴァヴァヴ」とは“エボリューション”

WWD:ブランドのコンセプトを教えてほしい。

ベアテ・カールソン=クリエイティブ・ディレクター(以下、カールソン):この質問は 1時間以上話せるわ。でも、1つ大事な要素を挙げるとすれば、“エボリューション(進化)”。同じところに止まるのは嫌い。常に進化、発展、変化したいと思っている。着方やシルエットもそうだし、私の興味の矛先もいろんなジャンルに変化し、発展しているの。

WWD:「アディダス」とのコラボが実現した背景は?

カールソン:「アディダス」からコンタクトしてくれた。とても貴重な機会ですごくうれしかった。スポーツとは全く無縁の私たちが(笑)、スポーツを解釈するとしたら?というのがコンセプトの出発点。ドイツの本社に行って、アーカイブやブランドの歴史を改めて学んだの。そこから「アディダス」のクラシックな要素であるトラックスーツやエアライナーバッグを、「アヴァヴァヴ」風に“進化”させてできたのが今回のコレクションよ。

WWD:東京でイベントを開催した意図は?

カールソン:「アディダス」の日本チームからの提案だった。私は日本の文化が大好きだから、これは絶好のチャンスと思って飛びついた。ミニゴルフのセットにしたのは、私たちに身近なスポーツといえばミニゴルフくらいだったから(笑)。

ショーは認知療法のようなもの

WWD:毎シーズン話題を呼ぶショーの演出はどのように企画している?

カールソン:ショーは私たちにとってすごく大切な場。大抵は私がパートナーのダニエルに相談しながらいろんなアイデアを練るの。ダニエルは映像監督でコメディアン。彼が私のアイデアをチームに伝えて、全員でそれを形にするから、ショーの制作期間はファッションブランドというより制作会社みたい。私たちにとってショーは、観客を巻き込んだ認知行動療法みたいなもの。人が無意識に恐れているものや避けているものを意図的にテーマにして、凝り固まった考え方をほぐすセラピーね。たとえば最初のショーは、「ランウエイで起こりうる最悪な出来事」からイメージを膨らませて、モデルのドレスが壊れたり、ランウエイ上で転んだりする演出にしたの。

WWD:競技場で開催した2025年春夏のファッションショーは、モデルが歩いたり、転んだりの短距離走形式だった。

カールソン:「最後は必ずユーモアが勝つ」が私の信条。ファッションもスポーツもシリアスになりすぎで、ユーモアが足りていないと思うの。ショー前には毎回モデルたちと入念に打ち合わせをして、彼らがショーのコンセプトについてどう思うか、パフォーマンスに本当に参加したいかどうか、演出に違和感を感じる部分はないかを確認する。その上で今回は、スポーツのコンセプトに入り込んで、とにかく全力を出し切ってとお願いした。でもアイコンシューズのフィンガーシューズはめちゃくちゃ走りづらいから、結果ああいう形になったの(笑)。

WWD:コンセプチュアルなショーは賛否を呼ぶこともある。

カールソン:他の人の受け止め方は絶対にコントロールできない。私たちにとって重要なのは、「アヴァヴァヴ」の視点を提示すること。私たちが信じているものを明確にできさえすれば、それをどう解釈するかは受け手次第だから。いろんな人の受け止め方が、また新しいアイデアにつながることもあるしね。とはいえ、たまにムカつく時もあるけど(笑)。

WWD:毎シーズン、ファッション産業へのアンチテーゼが込められているが、特にどんな部分にストレスを感じる?

カールソン:一番はスピードが早すぎること。パートナーや妹しかり、私のまわりには映像業界にいる人たちが多くて、彼らは1つの作品を作り上げるのに1年くらいかけるの。もちろん、映像業界や音楽業界にはそれぞれの難しさがたくさんあるだろうけど、単純に時間をかけて作品作りができるという点ではすごくうらやましい。

WWD:それでもファッションが好きな理由は?

カールソン:進化の余地がたくさんあるからかな。ファッションの前進する勢いに魅了される。それに、ファッションビジネスもゲームみたいで面白いから。例えばこの業界には、常に新しさを求める“ルール”みたいなものがあるでしょう。まず学ぶべきルールがたくさんあって、ルールを知ると、アレンジを加えて自分たちなりの遊び方ができる。私たちみたいな若いデザイナーは、ルールばかりに従いすぎると振り回されて、遊び方や面白さを見失ってしまう。自分が本当に愛せるデザインに価値を置くことが重要で、そこから何か新しさを生み出すことが勝ち筋なんだと考えるの。今まさに、自分たちらしいファッションビジネスの楽しみ方を学んでいる最中よ。

WWD:そもそもファッションデザイナーを目指したきっかけは?

カールソン:昔から音楽かデザインかどちらかの道に進もうと思っていた。スウェーデンの音楽学校に6年間通い、自分の曲もたくさん作ったわ。音楽の周りにあるカルチャーもすごく好きで、ファッションは音楽とカルチャーの交差点のようなものだった。それでファッションに興味を持ち始めて、ファッションビジネスの複雑な仕組みにも引き込まれていった。もともと多ジャンルのクリエイティブなフィールドには興味があって、「アヴァヴァヴ」のショーでも、音楽の制作にも関わったり、ショーの記録映像をドキュメンタリー作品にしたりもしている。「アヴァヴァヴ」はファッションデザインだけのブランドではなく、多彩なクリエイティブが発揮できるプラットホームであるのが理想ね。

WWD:コレクション会場には、若者を中心に熱狂的なブランドのファンが集まり、「アヴァヴァヴ」コミュニティーが広がっている印象を受ける。ブランドのファンから何を期待されていると思う?

カールソン:ユーモアかな。それから、クールでアイロニックなアティチュード。カッコつけていながら、そんな自分をどこかで面白がっているようなアティチュード。毎回ショーが終わると、みんなでショーの感想を言い合ったり、TikTokに投稿したりして、楽しんでくれている姿がすごくかわいくて、そういう光景を見られることがとてもうれしいの。

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お騒がせ系デザイナー「アヴァヴァヴ」の意外な素顔 「最後はユーモアが勝つ」

PROFILE: ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター

ベアテ・カールソン/「アヴァヴァヴ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1995年生まれ、ストックホルム出身。2021年に「アヴァヴァヴ」をイタリアのフィレンツェで立ち上げ、現在はスウェーデン・ストックホルムに拠点を置く。インターネット時代に育ち、エンドカスタマーと直接つながる未来志向のファッションブランドの構築に注力。コレクションでは、フェミニンなラグジュアリーストリートウエアに重きを置いたアパレル、アクセサリー、フットウェアを展開。プロダクトの大半をヨーロッパで製造し、イタリア製高級生地のデッドストックを多く使用する PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

スウェーデン・ストックホルムを拠点とする若手ブランド「アヴァヴァヴ(AVAVAV)」は、9月の2025年春夏ミラノ・ファッション・ウイークで「アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)」と初めてのコラボレーションを披露した。アイテムは、4本指カバー付きの“スーパースター(SUPERSTAR)“やクロップドジャケット、ボリューミーなシルエットのパファージャケットなど。「アディダス オリジナルス」の一部店舗および公式アプリ「CONFIRMEDアプリ」、グレイト(GR8)、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で販売中だ。

「アヴァヴァヴ」はベアテ・カールソン(Beate Karlsson)が21年に立ち上げ、今年で5シーズン目を迎えた。毎シーズンパフォーマティブなショーを続けており、SNSなどを中心に話題を集めている。SNS上の誹謗中傷をテーマにした23-24年秋冬コレクションでは、観客がゴミをモデルに投げつける演出が賛否を呼んだり、“No time to design, no time to explain”と題した24年春夏コレクションでは、着替え途中のモデルがランウエイを全速力で走り抜け、目まぐるしいスピードで回転するファッション産業を皮肉ったりした。

11月には、東京・平和島の「グレイト エンタープライズ」で行われた「アディダス オリジナルス」とのコラボコレクションのローンチイベントに合わせ、カールソン=クリエイティブ・ディレクターが来日した。奇抜なショーとは裏腹に、おとなしく控えめな印象のカールソン=クリエイティブ・ディレクターは“過激”と言われるブランドの信念を静かに語った。

「アヴァヴァヴ」とは“エボリューション”

WWD:ブランドのコンセプトを教えてほしい。

ベアテ・カールソン=クリエイティブ・ディレクター(以下、カールソン):この質問は 1時間以上話せるわ。でも、1つ大事な要素を挙げるとすれば、“エボリューション(進化)”。同じところに止まるのは嫌い。常に進化、発展、変化したいと思っている。着方やシルエットもそうだし、私の興味の矛先もいろんなジャンルに変化し、発展しているの。

WWD:「アディダス」とのコラボが実現した背景は?

カールソン:「アディダス」からコンタクトしてくれた。とても貴重な機会ですごくうれしかった。スポーツとは全く無縁の私たちが(笑)、スポーツを解釈するとしたら?というのがコンセプトの出発点。ドイツの本社に行って、アーカイブやブランドの歴史を改めて学んだの。そこから「アディダス」のクラシックな要素であるトラックスーツやエアライナーバッグを、「アヴァヴァヴ」風に“進化”させてできたのが今回のコレクションよ。

WWD:東京でイベントを開催した意図は?

カールソン:「アディダス」の日本チームからの提案だった。私は日本の文化が大好きだから、これは絶好のチャンスと思って飛びついた。ミニゴルフのセットにしたのは、私たちに身近なスポーツといえばミニゴルフくらいだったから(笑)。

ショーは認知療法のようなもの

WWD:毎シーズン話題を呼ぶショーの演出はどのように企画している?

カールソン:ショーは私たちにとってすごく大切な場。大抵は私がパートナーのダニエルに相談しながらいろんなアイデアを練るの。ダニエルは映像監督でコメディアン。彼が私のアイデアをチームに伝えて、全員でそれを形にするから、ショーの制作期間はファッションブランドというより制作会社みたい。私たちにとってショーは、観客を巻き込んだ認知行動療法みたいなもの。人が無意識に恐れているものや避けているものを意図的にテーマにして、凝り固まった考え方をほぐすセラピーね。たとえば最初のショーは、「ランウエイで起こりうる最悪な出来事」からイメージを膨らませて、モデルのドレスが壊れたり、ランウエイ上で転んだりする演出にしたの。

WWD:競技場で開催した2025年春夏のファッションショーは、モデルが歩いたり、転んだりの短距離走形式だった。

カールソン:「最後は必ずユーモアが勝つ」が私の信条。ファッションもスポーツもシリアスになりすぎで、ユーモアが足りていないと思うの。ショー前には毎回モデルたちと入念に打ち合わせをして、彼らがショーのコンセプトについてどう思うか、パフォーマンスに本当に参加したいかどうか、演出に違和感を感じる部分はないかを確認する。その上で今回は、スポーツのコンセプトに入り込んで、とにかく全力を出し切ってとお願いした。でもアイコンシューズのフィンガーシューズはめちゃくちゃ走りづらいから、結果ああいう形になったの(笑)。

WWD:コンセプチュアルなショーは賛否を呼ぶこともある。

カールソン:他の人の受け止め方は絶対にコントロールできない。私たちにとって重要なのは、「アヴァヴァヴ」の視点を提示すること。私たちが信じているものを明確にできさえすれば、それをどう解釈するかは受け手次第だから。いろんな人の受け止め方が、また新しいアイデアにつながることもあるしね。とはいえ、たまにムカつく時もあるけど(笑)。

WWD:毎シーズン、ファッション産業へのアンチテーゼが込められているが、特にどんな部分にストレスを感じる?

カールソン:一番はスピードが早すぎること。パートナーや妹しかり、私のまわりには映像業界にいる人たちが多くて、彼らは1つの作品を作り上げるのに1年くらいかけるの。もちろん、映像業界や音楽業界にはそれぞれの難しさがたくさんあるだろうけど、単純に時間をかけて作品作りができるという点ではすごくうらやましい。

WWD:それでもファッションが好きな理由は?

カールソン:進化の余地がたくさんあるからかな。ファッションの前進する勢いに魅了される。それに、ファッションビジネスもゲームみたいで面白いから。例えばこの業界には、常に新しさを求める“ルール”みたいなものがあるでしょう。まず学ぶべきルールがたくさんあって、ルールを知ると、アレンジを加えて自分たちなりの遊び方ができる。私たちみたいな若いデザイナーは、ルールばかりに従いすぎると振り回されて、遊び方や面白さを見失ってしまう。自分が本当に愛せるデザインに価値を置くことが重要で、そこから何か新しさを生み出すことが勝ち筋なんだと考えるの。今まさに、自分たちらしいファッションビジネスの楽しみ方を学んでいる最中よ。

WWD:そもそもファッションデザイナーを目指したきっかけは?

カールソン:昔から音楽かデザインかどちらかの道に進もうと思っていた。スウェーデンの音楽学校に6年間通い、自分の曲もたくさん作ったわ。音楽の周りにあるカルチャーもすごく好きで、ファッションは音楽とカルチャーの交差点のようなものだった。それでファッションに興味を持ち始めて、ファッションビジネスの複雑な仕組みにも引き込まれていった。もともと多ジャンルのクリエイティブなフィールドには興味があって、「アヴァヴァヴ」のショーでも、音楽の制作にも関わったり、ショーの記録映像をドキュメンタリー作品にしたりもしている。「アヴァヴァヴ」はファッションデザインだけのブランドではなく、多彩なクリエイティブが発揮できるプラットホームであるのが理想ね。

WWD:コレクション会場には、若者を中心に熱狂的なブランドのファンが集まり、「アヴァヴァヴ」コミュニティーが広がっている印象を受ける。ブランドのファンから何を期待されていると思う?

カールソン:ユーモアかな。それから、クールでアイロニックなアティチュード。カッコつけていながら、そんな自分をどこかで面白がっているようなアティチュード。毎回ショーが終わると、みんなでショーの感想を言い合ったり、TikTokに投稿したりして、楽しんでくれている姿がすごくかわいくて、そういう光景を見られることがとてもうれしいの。

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小嶋陽菜「前はアイドル、今は社長」 約10年ぶりの写真集「かもしれない」で魅せた久々の“マシュマロボディ”

PROFILE: 小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO

PROFILE: 1988年4月19日生まれ、埼玉県出身。2005年にAKB48の1期生として活動を開始し、17年4月に卒業。現在は、自身がプロデュースしているライフスタイルブランド「ハーリップトゥ」を運営するheart relationの代表取締役CCOを務める。SNSの総フォロワー数は1000万人を超え、憧れのボディーとファッションセンスで、男性のみならず多くの女性からも支持されている。 PHOTO:SHUHEI SHINE

タレントとしてだけでなく、社長としても活躍する小嶋陽菜は10月28日、写真集「かもしれない」(宝島社、3080円)を出版した。AKB48時代の写真集「どうする?」(宝島社)に続く2作品目となり、今回の写真集がラストになる“かもしれない”そうだ。

小嶋は現在タレントとして活動する一方で、ライフスタイルブランド「ハーリップトゥ(HER LIP TO)」のプロデューサー兼heart relationを経営する社長としても注目されており、2024年8月、yutori(東京、片石貴展社長)との資本提携を発表したことは記憶に新しい。今回は、そんな彼女が写真集の見どころやこだわり、“元祖マシュマロボディ”の体作り、社長業の今後などについて聞いた。

キャッチコピーは
“社長、ときどきマシュマロボディ”

WWD:まずは写真集「かもしれない」の見どころを教えてください。

小嶋陽菜(以下、小嶋):約10年ぶりの写真集となるので、最近は会社の社長というイメージが強いと思うんですけど、こういったグラビアの姿は久しぶりにお披露目します。私にとって写真集の発売は、ファンサービスなんです。10年前はアイドル、今は社長。年齢的にも、立場的にもまた当時とは違った自分が出せているかなと思いますね。

WWD:写真集のタイトル「かもしれない」はどのように決めたのか。

小嶋:「かもしれない」は写真集の撮影中にスタッフみんなでよく使っていた言葉で、まさか本当にこのタイトルになるとは思っていなかった。「どうかしてる」という案も出てきたけど、前作のタイトルが「どうする?」だったので、今回もその先を想像させるような言い切らないタイトルが良いんじゃないかということで、「かもしれない」に決まりました。表紙の写真も自分の案が採用されました。

WWD:帯に書いてある“社長、ときどきマシュマロボディ”というキャッチコピーがすてきです。

小嶋:私もこのフレーズがお気に入りで、社長である私じゃないと記せない、とってもうれしいキャッチコピーを付けてもらいました。

WWD:衣装の選定はどのように関わったのか。

小嶋:ほとんどお任せで、衣装の打ち合わせも参加しませんでした。「ハーリップトゥ」の事業に関しては全て私が管理しているんですけど、この写真集は前作とほぼ同じメンバーで撮影に臨んだので、信頼できるスタッフさんばかりでした。だから、「今の私を自由に料理してください!」みたいな気持ちでお願いしました。

WWD:自身の私物もいくつか持参したと聞いている。

小嶋:ランジェリーを集めるのが好きで、少し変わったデザインや海外のかわいらしいものがあったらよく購入しているのですが、家にどうしたらいいか分からないアイテムがたくさんあるので一部持って行ったんです。スタイリストさんとその場で相談して、ロケーションに合うランジェリーを選んで撮影してもらいました。

あとは、ピンクのミュールのミニワンピースも持参しました。かわいいんだけど、どこに着て行けばいいのか分からないデザインで、ずっとクローゼットに眠っていたんです。この撮影で使ってもらえることになって、この子(服)も喜んでいると思います(笑)。

WWD:撮影はスペインで、3日間にわたり行ったそう。かなりハードな日々が続いたとか。

小嶋:私、人一倍体力があるんです。「ハーリップトゥ」の撮影は自分でディレクションからモデルまで担当し、1日に30カット撮ったりするのですが、今回もそのノリで臨んだらさすがにスタッフのみんなは疲れていましたね(笑)。私はできれば朝から夜までずっと撮ってほしいくらい、写真を撮られるのが好きなんですけど(笑)。

WWD:どんな人に読んでもらいたい?

小嶋:男性はもちろん、女性にもぜひ読んでもらいたい。ファッションやヘアメイク、スペインの美しい景色、おしゃれで“映える”写真の構図など、いろいろな角度からこの写真集を楽しんでもらいたいですね。

頼れる時短スキンケアアイテム2品を紹介

WWD:撮影前の体作りはどのくらい追い込んだ?

小嶋:普段は仕事で忙しいので何もしていなかったんですけど、撮影開始1カ月前は週4回ジムに、週2回エステに通ったりしました。また、食事制限は撮影の2週間ほど前に開始して、夜は豆腐に納豆とキムチをかけたものを食べていました。最近はそんなダイエットのお供になるおいしい納豆を探すのにハマっていて、山形の「塩納豆」という商品があるのですが、これが本当においしいんです!

WWD:疲れた日は暴飲暴食したくなりませんか?

小嶋:頭をよく使った日は、めちゃくちゃラーメンが食べたくなります(笑)。仕事中に口寂しくなったときは、コーヒーやプーアール茶を大きな水筒に入れて飲んで、空腹を紛らわしています。

WWD:帰宅が遅くなると、ケアに時間をかけられない日もあるのでは。

小嶋:少しでも早く体をゆっくり休ませることを優先して、ボディーケアやスキンケアをオールインワンアイテムで済ませたり、本当に疲れた日はお風呂に入らず寝てしまう日もあります……。

WWD:美容に対してストイックなイメージがあったので、少し親近感が湧きました(笑)。そんな小嶋さんの頼れる時短スキンケアアイテムは?

小嶋:何もやる気が起きない日や美容のモチベーションが上がらない日の頼れるアイテムは、「コスメデコルテ(DECORTE)」が9月に発売した“薬用 マイクロバーム ローション”です。私はミストタイプを愛用しているのですが、顔にも体にも使えて、1本で化粧水とクリームの2役を担ってくれるんです。

あとは、同じブランドの“リポソーム アドバンスト リペアクリーム”を信頼しています。“3時間多く眠ったような肌へ”とうたっているフェイスクリームで、睡眠不足の翌日でも肌の調子が良いんです。新作のクリームはどんどん登場していますが、これはもう5回くらいリピートしています。

WWD:“マシュマロボディ”の秘訣は?

小嶋:これといってないのですが……豆乳をよく飲むことかな。エストロゲン(女性ホルモン)を増やすことは、女性らしい体作りに深く関わっているとよく聞くので。あずき豆乳が好きで、ラフォーレ原宿と吉祥寺にある豆乳専門店「豆漿日和(どうじゃんびより)」のドリンクがめっちゃおいしいんです!そして、とにかく水分をしっかりと取ること。外側からも内側からも保湿することを心掛けると、水分が満たされているような艶肌に整う気がします。

yutoriとの協業でheart relationはどう変わる?

WWD:ここからは社長業について少し教えてください。スタッフとのコミュニケーションはどのように取っているか。

小嶋:私が直接指導する場面は最近あまりない分、憧れられる存在でいるというのは常日頃意識しています。社長として、仕事面でも、ビジュアル面でも「すてきだな」と思ってもらえるように努力しています。

WWD:フレグランスの新商品発表会に行った際、スタッフ全員で服装からヘアメイク、たたずまいまで「ハーリップトゥ」の世界観を体現していた。

小嶋:そう言ってもらえてうれしい。私は約19年間、表舞台に立ってきた人間なので“魅せ方”にはかなりこだわりを持っています。その一環として個人面談を定期的に行い、スタッフ一人ひとりに合ったアドバイスをしています。

WWD:自身のメンタルケアは?

小嶋:普段からあまり感情の波がないんですよね。元アイドルが社長って、周囲からするとちょっと不安に思う人もいると思うので、ネガティブな姿は見せたくないし、自分がブレてはいけないと思っています。

WWD:yutoriと協業することが決まり、heart relationは今後どう変わっていくのか。

小嶋:yutoriが「自由にしてください」というスタンスなので、今のところすぐに何かしようとは思っていないです。片石社長と「一緒にブランドを作ったりするのも面白いね」という話をしたりしますが、きっとまだ先の話になるかな。

WWD:個人目標は?

小嶋:自分が面白いと思ったことを積極的に取り入れつつ、みんなが驚くような意外性のある仕事をしたいです。また、今までは自分軸で動いてきましたが、これからは下の世代やスタートアップの企業などを応援することもしていきたい。培ってきた自分の経験を、どこかで生かせたらいいなとは思っています。

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エイガールズが地元和歌山でイベント その背景にある「産地の危機」と「その先の希望」

エイガールズは11月23日、和歌山の本社でイベント「KASA」を実施している。和歌山県のニッター10社による「和歌山ニットプロジェクト」を軸に、カシミヤ100%の肌着ブランド「マル(MALU)」、名作ビンテージ家具職人「シープシェッドショップ(SHEEPSHED SHOP)」やフラワーショップ「ボワドゥギ(BOIS DE GUI)」、女優・モデルで薬膳料理家の菊井亜希さんとコラボレーションした4つのワークショップ、を実施している。同社の和歌山本社は2022年10月に建て替えており、今回のイベント名の「KASA」という同名のイベントスペースを併設していた。イベントは本日24日まで。

エイガールズの本社のある和歌山市三葛(みかずら)と隣接する紀三井寺(きみいでら)エリアは、西国三十三所の巡礼地地の2番目の札所として知られる紀三井寺の足元にあり、多数の丸編み工場がひしめく。これに車で数分ほどの距離にある和歌山市和田エリアを加えた「和歌山ニット」は、日本最大のニット産地である和歌山の大半を生産する丸編み地の生産地になる。エイガールズのほか、「ループウィラー(LOOPWHEELER)」のサプライヤーで吊り編み機ニットで知られるカネキチ工業(紀三井寺)、最新のジャカード機や経糸(たていと)を通せる日本唯一の丸編機バランサーキュラーなどハイテク丸編機を多数所有する丸和ニット(和田)、70年前の希少な丸胴ニット機に特化したコメチゥ(三葛)などがひしめく。

「和歌山ニットプロジェクト」は上記の企業もほか、風神莫大小(カゼカミメリヤス)、紀南莫大小工場、阪和、フジボウテキスタイル、美和繊維工業、ヤマヨジャージィ、豊染工を加え、エイガールズの開発したインドの超長綿糸「ロータス」を軸に裏毛スウェットやカットソー、タンクトップなどを直売するプロジェクト。ニューヨークや東京(代官山蔦屋書店)など国内外を巡回してきた。

なぜ今、和歌山でイベントを開催するのか。その狙いとは?その背景には「産地消滅」に対する強い危機感と、産地ブランディングや産業ツーリズムで乗り越えようという強い意志がある。プロジェクトを主導するエイガールズの山下智広社長と山下装子・副社長に聞いた。

世界で評価される「和歌山ニット発」のイベントで産地復興

WWD:なぜ地元和歌山でイベントを?

山下装子・副社長(以下、山下装子):22年10月に本社を建て替えた際、本社に隣接する形で別棟の「KASA」というイベントをスペースを作った。アパレル業界では和歌山が丸編産地だと知っている人はいても、業界の外に出れば、和歌山の人でも和歌山がニット産地だと知る人はほとんどいない。エイガールズや「MALU」はこの和歌山の丸編企業の優れた技術で成り立っている。「KASA」は、和歌山県内だけでなく、日本、あるいは世界に向けて発信する拠点として作った。

WWD:「和歌山ニット」は具体的に何が優れているのか?

山下装子:「MALU」は、カシミヤやシルクを100%使い、コメチゥが今では世界的にも希少な小寸のビンテージ丸胴機で編み上げている。自分で言うのもなんだが、信じられないほど肌触りがいいため、熱狂的なファンを抱えている。カシミヤの細く柔らかな糸は、生産性を追求している高速の最新機では、編み上げることが難しいし、高い糸だと失敗したときのダメージが大きい。細かい話になってしまうが、編み機は生産性を上げるために、多いときには数十本もの糸を一緒にセットして編み上げていくが、「MALU」は編み上げの失敗をできるだけミニマイズするために2本だけセットして編み上げている。1時間で1mやっと編み上げられるかどうかくらいのスピードだ。だが、それをできるのも古い機械だからだ。こうしたやり方に行き着くまでにも、失敗を重ねながら、機械を調整しながらようやく完成した。コメチゥには日本最古の100年前のベントレー社製のチェーン編み機も稼働しており、こんなことに付き合ってくれる工場は、希少な機械を含めて、世界中を探しても恐らくない。

とても素晴らしい工場だが、単体で見せても、外部の人にはわからないかもしれない。イベントで人を呼び、ファクトリーツアーと組み合わせることで、こうした工場の魅力を発信し、産地全体をブランディングしていく。

WWD:なぜ産地全体のブランディングを?イベント実施の背景には何があるのか?

山下智広社長(以下、山下智広):エイガールズは20年前にプルミエール・ヴィジョン(以下、PV)の出展をきっかけに、海外市場、特に欧州や米国のメゾンブランドの販路を開拓し、それなりに実績も積んできた。その一方で、この20年を取ってみても、産地の疲弊は激しい。当社は大半をこの和歌山産地でモノ作りしており、かなりリアルに以前のようなモノ作りがどんどんできなくなっている。

WWD:具体的には?

山下智広:商品企画よりも生産面の制約が大きい。PVに出展してから10年くらいは、小ロットで小回りがきき、かつスピーディーに対応できることが強みだった。だが、以前は数週間の納期で対応できたものが、数ヵ月という状況が常態化している。吊り編み機やビンテージな丸胴など、小規模な設備や人員でこなせる技術はまだなんとか維持できているが、染色や仕上げなど、大掛かりな設備や人員の必要な工程が厳しい。こうした状況は、小規模な丸編工場にもボディーブローのように効いており、あるタイミングを境に一気に廃業や倒産につながる可能性が高い。

WWD:課題は?

山下装子:最も大きいのは、人手不足だ。働き手が確保できず、経営側は後継者にも悩んでいる。

山下智広:これは、自分たちも含めて地方の中小企業の本当に大きな経営課題だ。処方箋で言えば教科書的に言えば「働く環境を整備・改善」し、「賃金を上げる」ことになるだろう。前者は経営者の努力や意識次第で、なんとかなる。これは例えば組合や「和歌山ニットプロジェクト」でコラボレーションした企業とは、同じ地元だし、情報交換したり、お互いに刺激し合いながらどんどん改善している実感がある。

難しいのは後者だ。日本のアパレル市場が縮小する中で、トップライン(売り上げ)を上げるのはかなり難しい。だから利益を上げる、つまり商品単価を上げるしかない。そのための一つが海外の市場の開拓だ。「和歌山ニットプロジェクト」の狙いの一つに、当社のこれまで蓄積してきた輸出のノウハウの共有があった。かつては商社がこうした部分を担ってきてくれたが、ロットが小さくなれば彼らの旨味が少なくなり、営業活動から細かな貿易業務まで、自分たちでやらなければならない。こうした細かな業務まで含めた実務的なノウハウは、アイテムや企業規模によっても変わるから、同業者が一番よくわかる。エイガールズとしてはこうしたノウハウを全く隠すつもりはない。

「和歌山ニットプロジェクト」の参加企業の多くは生地メーカーで、最終消費者に完成品を売るという経験に乏しい企業ばかりだった。それでも、直売に加え、海外での実施にこだわったのは、単価を上げ、利益を上げ、海外で売るノウハウを、実務を通して共有したかったからだ。これだけ聞くと綺麗事のようにも聞こえるかもしれないが、それだけいま産地は危機的な状況にあることの裏返しだ。リアルにわれわれがモノ作りをできなくなるという危機感が常にある。

WWD:解決の処方箋は?

山下智広:一社だけではできることには限りがある。かつて世界トップレベルに合ったと言われる日本の繊維業は本当に危機的な状況にある。それこそ業界が一体になった上で、地方レベルでは行政と、全国レベルでは産地を越えて連携していく必要がある。それでも産地の疲弊や縮小を止めることはできないだろう。縮小のスピードを遅くしながら、新しい販路の開拓や高付加価値化を同時に進めるしかない。

山下装子:今回のイベントでは、初日に代官山蔦屋書店と同程度の売上が挙げられたのは驚きだった。参加した企業が実際に店頭に立った代官山蔦屋のイベントでは、大盛況な上に客単価8万円もあった。正直都心だからという気持ちもあったが、この和歌山でも同じような売上があったのは、驚くべき成果だった。

今後はこうしたイベントを年1回くらいのペースで実施したい。イベントの最終的な目的は産地のブランディングだ。和歌山にはニット以外にも、「ぶどう山椒」など知られていないが世界に誇れる物品がある。県内だけでなく県外のクリエイターと一緒にコラボレーションして、テキスタイル以外も含めた高感度なイベントを実施していきたい。

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イタリア発マルチブランド・リテール、スローウエアに新CEOがもたらす進化

PROFILE: ピエロ・ブラガ/スローウエア最高経営責任者

ピエロ・ブラガ/スローウエア最高経営責任者
PROFILE: 「ゼニア」「トッズ」で小売と卸売の経験を積み、直近では「グッチ」で時計部門の最高経営責任者からインダイレクトチャネル、アウトレット、トラベルリテール部門のエグゼクティブ・バイスプレジデントを務める。2021年にスローウエア創業者のロベルト・コンパーニョが亡くなったのを受け、23年に現職就任  PHOTO: MASASHI URA

イタリア・ヴェニスで1951年に創業したトラウザーブランドの「インコテックス(INCOTEX)」を筆頭に、ニットウエアの「ザノーネ(ZANONE)」、アウターウエアの「モンテドーロ(MONTEDORO)」、シャツの「グランシャツ(GRANSHIRTS)」を擁するマルチブランド・リテール企業のスローウエア(SLOWEAR)。東京やミラノ、ロンドン、パリ、ニューヨークなどの都市に30店舗以上を展開する旗艦店では、洋服だけでなく、アートやアクセサリー、雑貨類も取り揃え、スローウエア(slow + wear)という名の通り、ゆったりとした贅沢な時間を過ごすことができる。

そんなスローウエアは、成長を牽引したロベルト・カンパーニョ(Roberto Compagno)前CEOが2021年に他界したことを受け、23年、ピエロ・ブラガ(Piero Braga)をCEOに任命。就任から1年を経て新CEOは何を思うのか。スローウエアの哲学、イタリアンクラシコの神髄、そしてマルチブランドリテールとして描くビジョンを語ってもらった。

「第二の肌」として、顧客の人生に寄り添う服作り

WWD:「ゼニア(ZEGNA)」「トッズ(TOD'S)」そして「グッチ(GUCCI)」というビッグメゾンを経て2021年にスローウエアのCEOに就任した。その経緯は?

ピエロ・ブラガ最高経営責任者(以下、ブラガCEO):わたしが参画した時、会社は大きな嵐のような状態から抜け出したタイミングだった。コロナ禍で大きな影響を受け、創業者のロベルト・カンパーニョが62歳の若さで亡くなった後だった。仕事を引き受けたのは、ビッグメゾンでの仕事を長年経験し、自分の個性や性格よりもブランド名が前に出る状況が続いたことで、あらためて自分自身の物語を作り上げていきたいと感じたから。そんな時にスローウエアの話をもらった。

WWD:トップに就任して3年。改めて「スローウエア」とはどんなブランドか?

ブラガCEO:スローウエアとはブランド名でも、創始者やオーナーの名前でもなく、概念や考え方。もとは「スローウエア」という屋根の下にトラウザーズの「インコテックス」、ニットの「ザノーネ」、アウターの「モンテドーロ」、シャツの「グランシャツ」という卓越した各ブランドを擁するコンセプトリテールだ。小規模で、決して知名度も高くはないが、ファンには非常に重要なブランド。社長になって、ロイヤルカスタマーの多さに驚き、感動した。

私たちが目指すのは、洗練のエレガンスと、一つのものに固着しないしなやかさ。そして、機能性と使い勝手の良さに宿る美しさ。それらを体現する洋服は、顧客の人生に寄り添う。着心地の良さと機能性を追求するからこそ、各アイテムは、顧客の「第二の肌」となる。それらは全て「着用」できるだけでなく、「使用」できるものだ。

WWD:「着用」と「使用」の違いとは?

ブラガCEO:警察や軍隊の制服やサラリーマンのスーツは「着用」するもの。それはある種のユニフォームで、相手に自分が「警察」や「サラリーマン」であることを伝える役割がある。必ずしも作りが良いわけではなく、職業の固定的なイメージに基づいた見え方が大事なのだろう。一方、服を「使用」することは、その日にどんな経験をするかを考えた上で、数ある中から自分を高めてくれる服を選んで着ること。私たちは、顧客に自分を表現してもらいたい。だからこそ、いろんな種類の生地や色を揃えている。ある種のゆるやかさを持つことも大事だ。凝り固まらず、ちょっとした「間違い」を含み持つぐらいが良い。完璧なエレガンスを想像した時に思い浮かぶのは、当たり前過ぎないコーディネートだ。

イタリアンクラシコのアップデート

WWD:「スローウエア」は「イタリアンクラシコ」のブランドと捉えて良いのか?

ブラガCEO:近年、現代的にアレンジされたクラシックスタイルはファッショニスタをも魅了するトレンドとなっている。このトレンドがいつまで続くかはわからないが、それをできる限り享受したいし、スローウエアをその最前線を走るブランドにしたい。

WWD:「イタリアンクラシコ」は、変わらなければ衰退する一方、急激に変わると受け入れられないというジレンマを抱えているように思う。

ブラガCEO:確かに、コンテンポラリー・クラシックの文脈でブランドが進化していくには、単純にデザインを新しくすれば済むわけではなく、形、生地、機能性、ディテール、アーカイブなどの要素で実験をし、折り合いをつけていかなければならない。だからこそ、いわゆる普通のファッションブランドを刷新させていくことよりも難しい。とは言え、例えば「ゼニア」や「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」はクラシックだが、同時に現代的でもある。「イタリアンクラシコ」は、現代的にも進化できる。ただブランドを進化できず、旧態依然としたモノ作りをしているものもいる。素晴らしいプロダクトを作ってはいるが、先ほどの例で言えば「ユニフォーム」のような価値観に固執して服を作っているようなブランドだ。

スローウエアを前進させていくために
強化するブランド間のコミュニケーション

WWD:その中で、スローウエアはどのように進化していく?

ブラガCEO:スローウエアは、縦割り構造の中で、各ブランドの専門性を大事に育ててきたブランド。そのルーツはもちろん大事にしつつ、「ライフスタイル」という概念により大きな力点を置きたいと考えている。だからこそ、この縦割り構造を越えて、進化していきたい。

WWD:具体的には?

ブラガ:私たちのビジネスの核となるメンズウエアについて言えば、商品の企画は、各製造担当者に委ねられてきた。担当者間に十分なコミュニケーションがなかったため、それぞれのブランドで色に統一感がない、などの問題があったのは事実だ。ブランドごとに専門性を高めることは良いことだが、その専門性は檻になってはいけない。またトラウザーズ専門ブランドの「インコテックス」からスーツを発売したとしても、トラウザーズ専門のブランドゆえ、ジャケットにはブランド名がつけられないという実務的な問題も起きていた。ジャケット専門のブランド「モンテドール」でも同様のことが起きたことがある。

そこで、ブランド間のコミュニケーションを強化し、統合的なアプローチをとるために、全ブランドを担当するデザイナーを一名任命した。すでに統合的なアプローチをとっていたウィメンズのコレクションを担当してきた人物だ。今後は、ジェンダーやカテゴリーを越えて全てのデザインを担当する。また同じく全ブランドを担うマーチャンダイザーも新たに一名任命した。

WWD:スローウエアにとって、それはかなり大きい変化では?

ブラガCEO:CEOに就任した当初、この会社固有の縦割りのシステムはロマンがあるものに思えて、むしろ良いと感じた。各セクションを収める屋根としてスローウエアを強化することで、ファッションECの「ネッタポルテ(NET-A-PORTER)」や「ミスターポーター(MR.PORTER.COM)」のように発展させられるかもしれないと考えた。だがそれは私たちのような作り手が担うべきことではなく、リテールの仕事だろうと思うようになった。

大きな転機は、このスローウエアというプロジェクトをトータルのルックで考えるようになったこと。その一歩を踏み出すとき、社内でも大きな抵抗があったのは事実だが、それを乗り越え、結果的にリブランディングにつながっていった。

WWD:では今後は、靴やバッグなどのアイテムをリリースすることもありえる?

ブラガCEO:可能性は十分にある。それらはブランドの成功に不可欠なアイテムだ。もちろん今はリブランディングに集中しなければいけないが、自分自身もアクセサリーやシューズの経験が豊富なので、ブランドにとって良いチャレンジになるだろう。

WWD:先ほど少し話にも出たウィメンズの今後の展開は?

ブラガCEO:ウィメンズは、会社にとっても大切な要素だ。成長の原動力になるし、メンズコレクションとの比較もできる。1970年代の「モンテドーロ」のデザインに注目した。当時はメンズのスタイルを着想源に、カッティングを変えることでウィメンズにアレンジし、男女のコーディネートがリンクしていた。男女とも同じ生地のコートを着たコーディネートを前面に出した70年代の広告も残っている。ボーイフレンドルックやリンクコーデのアイデアは、多くの示唆を与えてくれる。そのままコピーするつもりはないが、ノウハウを活用すれば、オーセンティックでありながら、特別なコレクションが作れる。

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「ボナベンチュラ」がイタリア大使館でイベント開催 CEOが「顧客中心」のブランド理念を語る

イタリア・ミラノ発のラグジュアリーレザーグッズブランド「ボナベンチュラ(BONAVENTURA)」は10月31日、東京・三田の駐日イタリア大使館で、ブランドのモノづくりへの思いと、イタリアの卓越した職人技とデザインへのこだわりを発信するイベント「Discover BONAVENTURA: A Journey into Italian Luxury」を開催した。

イベント冒頭で登壇したジャンルイジ・ベネディッティ駐日イタリア大使は「『ボナベンチュラ』は単なる商業的なサクセスストーリーではなく、イタリアと日本の産業を発展させることの可能性を示す一例だ」と語り、イベントの開催を祝った。

今回のイベントのためにイタリアから来日した「ボナベンチュラ」のジャコモ・コルテジ最高経営責任者(CEO)は「『幸福』というブランド名の通り、幸せを創造し、その幸せを顧客と共有できる存在でありたい」と理念を語った。そのために貫くのは「顧客中心主義」。さまざまなタッチポイントで吸い上げた顧客からの声を真摯に受け止め、それを商品展開やデザインに反映する。「フェラガモ(FERRAGAMO)」や「セラピアン(SERAPIAN)」、コンパニー フィナンシエール リシュモン(COMPAGNIE FINANCIERE RICHEMONT)で長年経験を積み、今年2月に現職に就任したコルテジCEOは「ビッグメゾンや競合との大きな違いは、私たちがボトムアップのブランドであること」と語る。実際に、ポケットがついたレザーのiPhoneケースのヒットで火がついた「ボナベンチュラ」だが、バッグやトラベルグッズなどは、顧客のリクエストに応じて増やしてきたという。

ブランドが下す判断の軸は、全て「顧客がまた『ボナベンチュラ』の商品を手に取りたいと思ってくれるか」。そのために顧客サービスにも力を入れる。商品の保証は「永年保証」をかかげ、マニュアル通りの対応ではなく一つ一つのケースに真摯に向き合う。その結果、パーソナルな要望にも応えることができるようになったという。

「顧客中心」の思考は、ブランドの「ラグジュアリー」のとらえ方にも反映されている。「昨今、多くのブランドが価格を上げてラグジュアリー路線に舵を切るが、私たちはそうなりたいとは思わない。『ビヨンド・ラグジュアリー(ラグジュアリーを越えて)』という考えのもと、品質と機能性に基づいた、上品で洗練されたライフスタイルを公正な価格で提供する」。そのために、オペレーション効率を考慮した少数精鋭の組織体制の構築に取り組むとともに、価値観を共有でき、最高の技術を持ったタンナーや工場とパートナーシップを組む。

銀座と表参道に路面店を構えるほか、主要な百貨店や商業施設にインショップやコーナーを構える。「日本はブランドにとって最も重要な市場の一つ。10月の日本での売上高は、前年同期比で55%増。私たちも驚くほどビジネスは好調だ」と自信を滲ませる。そして「利益のために自分たちの価値観を曲げることはない」と言い切る。「私たちにとっての成功とは、身近なものを上質で機能性に優れたものに変え、お客さまにいつもより幸せを感じていただける日常を届けること」。

イベントではレザーのiPhoneケースや、多用途で知られる“ミアトート バッグ”や“エマ バッグ”、コンパクトさが人気のウォレットまで、さまざまな商品を展示。クオリティーの高いレザーとイタリアのクラフツマンシップをアピールし、ゲストは「ボナベンチュラ」のブランド理念に触れた。

問い合わせ先
BONAVENTURA カスタマーサポート
050-3204-4803

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東レ最後のキャンペーンガール、間瀬遥花さんが語る「私と東レ」

東レは11月6日、1981年以来43年にわたって続いてきた「東レ水着キャンペーンガール」を終了すると発表した。当初は水着素材のプロモーションを目的にスタート、2015年から水着を外し、「東レキャンペーンガール」という名称で続けてきた。最後の「東レキャンペーンガール」になる間瀬遥花さんに直撃した。

東レの国内全拠点の社員と交流

WWD:一番の思い出は?

間瀬遥花(以下、間瀬):うーん。たくさんあって選べないです。いろいろなお仕事に挑戦させてもらいました。東レの全国の事業拠点を回ったり、ときには「1日署長」をやらせていただいたり。3年間(2022〜24)もやらせていただいたので、全国にある東レの全事業所の社員の方々と交流できました。これはとてもいい経験になりましたし、歴代のキャンペーンガールとしても希少だったと思います。

WWD:東レのキャンペーンガールになって、何が変わった?

間瀬:モデルとして活動していた名古屋から上京して、初めて受けたオーディションが「東レキャンペーンガール」でした。それまでは大勢の人の前に出て話したり、取材を受けたり、といったこともほとんどなく、モデル以外のお仕事としても、上京して初めてのお仕事としても、とても貴重な経験でした。いま振り返ってみても、東レを通して、日本の企業がどういったことをしているのかを知ったり、そこで働く人たちとの交流を通して、いろいろなことを吸収できたことはとても貴重な経験でした。

WWD:今日の会見でもカンペを見ず、質問に相手をしっかりと見ながら答える姿が印象的でした。今後は?

間瀬:キャンペーンモデルの先輩方のように、もっと活動の幅を広げるべく、いまは演技のお勉強もしています。そういった部分でも「東レキャンペーンモデル」での経験が生きてくる。そう思っています。まだ少し続きますが、これまでありがとうございました。

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意味のない言葉が有機的につながっていく作品群 コラージュ作家MARCOMONKこと大石祐介インタビュー

PROFILE: 大石祐介(MARCOMONK)/フォトグラファー、コラージュアーティスト、映像作家

大石祐介(MARCOMONK)/フォトグラファー、コラージュアーティスト、映像作家
PROFILE: 1980年、北海道函館市出身。青春時代を函館と札幌で過ごし、2006年に上京。08年から写真、10年からは映像をそれぞれ独学で始める。余韻を残しつつも刹那的な表現が観るものを惹きつけ、国内外のアーティストやファッション、雑誌、広告など幅広いジャンルで活躍する。18年に写真集「SPECIAL EDITION - LIFE THROUGH MY EYES」を発表。今年の10月にコラージュ作品の個展「PAPERPELLED」を開催した。PHOTO:HIROTO NAGASAWA

フォトグラファー、ビデオグラファーのMARCOMONKこと大石祐介がコラージュ作家としての活動を初めたのが2020年。以降、展示のほかにInstagramでも精力的に作品を発表し続けてきた。先月には中目黒・アート喫茶フライで個展「PAPERPELLED」を開催した。展示では、バスケットボールやダンス、スケートボードといったアメリカのカルチャーに傾倒した若い頃の風景や周辺の仲間、先輩、遊んでいた場所なども登場し、過去と現代を縦横無尽に紡いだ作品が並んだ。

フォトグラファーとして活動する写真にはドキュメンタリーやライブ感など写る人や場所の息づかいが聞こえるような作品が多い。グラフィックデザインの経験がないため、限りなくアナログな手法で作るコラージュ作品はファンタジーでありながらも、どこかリアルな印象も受ける。今回はコラージュアーティストとしての活動に加えて、フォトグラファー、映像作家としての創作の原体験まで広く話を聞いた。

意味を持たないタイトルの展覧会

WWD:今回の展示「PAPERPELLED」のテーマを教えてもらえますか?

大石祐介(以下、大石):作品の制作過程でコラージュだけでは物足りない感覚があって、タイトルを載せてみたら少しだけやりたいことの輪郭がはっきりしてきました。ですが、もう一歩という感覚がどこかで引っかかっていたんです。たまたま国内外の雑誌をかなり読んでいて時だったこともあって、架空の雑誌の表紙を作ろうと考えました。

でも、言葉が意味を持つのは違うと思い始めて、架空の雑誌を作る上で言語のすべてに“意味がない“ことに決めました。タイトルもコピーの言葉も文字面を見た時の気持ち良さだったり、好きな形で選んでいます。ちなみにタイトルの“PAPERPELLED”は鎌倉の「Cy」での展示と同じなんです。言葉に意味はないですけど、それが有機的につながっていくのがおもしろいと感じて。Tシャツなどのマーチャンダイズも含めてシリーズ化できたらいいなとも思っています。

WWD:“Untitled(無題)“にはしなかったんですね。

大石:「なんなんだろう?」っていう感覚が楽しいから、何かに引っ張られたりする感覚だったり没入感でいうと、今回は意味のない言葉がしっくりきたんですよね。しかも、それがずらっと並んでるとさらに不思議に感じるでしょ。

WWD:ちなみに、特定のインスピレーション源はないということですが、大石さんの場合、写真家でもあるので自分の昔の写真になるのかなと思いました。

大石:作品の1番の売りというか、大事にしていることは実際に自分の写真をハサミで切って並べて撮影すること。以降はデジタルの作業になりますが、基本はアナログなんです。全てデジタルで作業する人もいるでしょうし、やり方はひとそれぞれですが、自分がフォトグラファーなのでこのゴールの仕方が美しいっていうか、いい形だなと思います。自分の写真を別の作品に落とし込むことは、コラージュの作家性も大切ですけど、フォトグラファーの写真作品としても機能するのではないかなと。仕事になると他者の素材を使う場合もあるけど、作品はすべて自分の写真を自分で切る。自分の写真だから大胆にもなれますよね。

WWD:例えば、作品のために「この素材がほしい」というような感覚で撮ることはあるんですか?

大石:それも一応あります。あるっていうか、こんな素材があったらおもしろい作品が作れそうっていうモチベーションで撮ることはありますね。

WWD:コラージュするときのストックみたいな感覚ですか?

大石:コラージュをやり始めてからそういう撮り方もするようになりました。自転車で走っているときに、「あのビルを切り取りたいな」とか。それが作品に使えるかどうかは全然わからないですけどね。だから、撮ってみようという場合はあります。

WWD:編集者っぽい考え方でもありますよね。

大石:自分が影響を受けたというか、拾ってくれた先輩が元「ワープ(WARP)」の編集長の伊藤(啓祐)さんなんです。「フランク(FRANK)」の日本版の編集長でもあって、本を作っているのを側で見ていたので、当時は意識的に編集の仕事をしたことはなかったけど楽しそうだなとは思っていました。

WWD:ウェブメディア「グッドエラーマガジン(GOOD ERROR MAGAZINE)」では副編集長を務めていますが、その影響も少なからずあるのでしょうか?

大石:自分は編集の仕事をしたことがないので素人。立ち上げ当初にいろんな人に相談したら、「素人のままでいいと思う」と言われたんですよね。その時に、無理に何かになろうとするんじゃなくて、自分たちの発想をいかに表現できるかっていうことが大事と考えるようにはなりました。

WWD:ニューヨークのローカルなライフスタイルをまとめた写真集「LIFE THROUGH MY EYES」もそうでしたが、ライブ感だったり人や街の息づかいを感じるというか、写真が1枚の勝負と考えるとコラージュの考え方は正反対な気がするんですが。

大石:自分でも分かんないです。作品についてはその時の感情とか感覚で作ることが多いので、考えるより動いてますね。子どもの頃からそんな感じだったので、大人になって考えることが多くなると嫌だなとは思ってますね(笑)。ゴールもないし、もしかしたら、もっとおもしろいことに出合うかもしれない。それは写真でも、コラージュでもない違うものにたどり着く可能性もあります。今は写真もコラージュも楽しいですから、やりながらいつか全部変わってしまうかもしれない。

ジャンルを横断する作家の原点

WWD:作品の中にはバスケットボールやダンス、スケートボードという要素がありますが、写真を始めたきっかけなども今回の作品に生きているんですか?

大石:それはあるかもしれないですね。バスケは学生時代に、ダンスも若い頃にやっていたので、自分が生きてきた流れを切り取ったように見えるかもしれませんね。ある部分が過去で、それが今になって表出してくるような。これまで適当に生きてきたけど、 それも無駄になってないっていう使い方をしているのかな。適当さも、だらしなかった時代の“跡”は全部使いたいですね。

WWD:どういう経緯でフォトグラファーになったんですか?

大石:地元が北海道の函館で、札幌の大学に進学して大学2年からダンスを始めたんです。実は小学校からダンサーになりたくて、卒業文集の将来の夢に“ダンサー“って書いた覚えがあります。札幌でずっと活動していて、ラッキーなことに大会で優勝もしたので20歳で1回夢叶えているというか、それなりに楽しく過ごしてたんですけど、26歳の時に体調を崩したんですよね。ダンスもできなくなっちゃってリハビリで始めたのが写真です。父親に借金してカメラを買ったんですよ。その頃は東京にいたんですけど、体調が悪いからスタジオにも行けないし、学校に行くにもお金はないし。誰かに師事するシステムも知らないから、本屋で買えない高い入門編を立ち読みしては、家にダッシュで帰り勉強してましたね(笑)。そうしているうちに、ダンスは好きだったのでダンサーとかDJを撮影するようなパーティーフォトを撮ることが多くなってきました。当時は原宿の「UC」によく行っていたけど、そこにいた人たちが自分の恩人ですね。家のように通っていたから、ただ撮り続けてたって感じでした。

WWD:クラブや音楽、ダンスが活動の原体験。写真や映像を独学で体得してから、どうコラージュの世界に足を踏み入れたんですか?

大石:かなり後ですね……コロナ禍で偶然に始めました。それまで漠然とコラージュに引かれてはいたけど、普段は撮影してる側なので他人の写真を勝手に切り取るという事に抵抗がありました。その頃、コロナで断捨離をしていた時にニューヨークで撮影した時の写真が大量に出てきたんですよね。その時にどうせ処分するなら、自分で撮影した写真だし切ってみようとハサミを入れたら楽しかった。最初は見せられるものではなかったけど、図画工作の授業を思い出してその時のノリで切っては貼ってを繰り返してました。恥ずかしながら周りの友達に見せたらかなりポジティブな反応が返ってきたので、いけるかもしれないと思ったんです。

続けているとクオリティーは上がっていきますから、数カ月間没頭していたらできる幅が広がっていって、信頼している先輩からも評価してもらえたタイミングで「仕事にする」って宣言をした後すぐに「ニューバランス(NEW BALANCE)」に声をかけてもらったんです。

WWD:すごいタイミングですね。

大石:アシストしてくれたのは三浦大知くん。コラージュをInstagramにあげたら、大知くんが反応してくれて。その時、大知くんは「ニューバランス」のコラボTシャツ企画があって、そこに参加することになりました。ニューバランスを着た大知くんの写真はいっぱい撮ってたから、その素材で作りました。本人と分かるような感じのコラージュじゃないけど、一発OKだったのでありがたかったですね。それより、元々仕事は一緒にやっているけど、見ててくれたのは素直にうれしかった。その後もコンスタントにアーティストの宣材とかアルバムジャケット、コロナ禍には、札幌のノットホテルでマスクのデザインになったり、どんどん進んでいった感覚です。

WWD:写真も映像もコラージュも誰かから影響を受けたりしたことはありましたか?

大石:何かに影響されたというよりも、同い年の彫刻家の小畑多丘の存在。彼の作品はもちろん言うまでもなくめちゃくちゃすごいんですけど、それ以上に存在自体が素晴らしくて、同い歳という事もあって、一緒に遊んだり、踊ったり、身近にいると刺激たっぷりなので、そういった意味では影響受けてるかもしれないですね。後は、「グッド エラー マガジン」の編集長でもあり、“THE FASCINATED “というサボテンのプロジェクトをやってるyoqo くん。彼のセンスは最高で、やることなす事全てが自分の中には無い発想でクリエイトしていくので、身近に居ながらハッとさせられるし、影響を受けるというよりは、じゃあ自分は何が出来るかなという気持ちにしてくれる1人です。

WWD:好きだけど、影響を受けるまでには至らないようにしている。

大石:わからないですけど、誰かの真似はしたくないし、引っ張られるのも嫌なんです。その可能性があることは避けるようにはしています。写真でも映像でも、初期衝動は重要ですが、必要以上に掘り下げることはしないですね。ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)やスパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)も大好きですし、好きな写真家もたくさんいます。だけど、特定のアーティストだったりクリエイターではなくて、遊びの中だったり誰かを追いかけている現場で見たもの、感じたことに影響を受けています。もちろん、ニューヨークで撮影していた時に見たアートに感激したこととかはありますけど。札幌に住んでいた時にプレシャスホールによく行っていて、フライヤーのデザインがかっこよかったので集めたりしてましたね。

WWD:誰かとの出会いだったり、現場の出来事が数珠つなぎに自然と作品に反映されていくんでしょうね。作品を作る上で大切にしていることは何ですか?

大石:写真や映像に関しては、感覚が少しずつ変わったりはしますね。写真集を出した頃は、映画のワンシーンを切り取るような撮り方を意識していました。で、やりすぎちゃって縦の写真が撮れなくなった後に、ひたすら縦で撮影したこともありましたね。映像でいうと、ドキュメンタリーは好きだけど、自分の思うように撮影して音楽を組み合わせる、ダンス的な部分というか、音と映像のリズムの心地良さを追及している作業が一番楽しいですね。

理屈抜きに気持ちいいっていうのは写真にも映像にも共通して目指していることかもしれないですね。コンセプトとかテーマとかも関係ない……普遍的な要素というか。だから写真を撮っていて楽しいのは常に日常です。仕事の場合は出来る範囲はやりますけど、レタッチとかはなるべくしたくない、出来るだけ自然な写真が好きなので。

WWD:クライアントワークでは説得性だったり、明確なメッセージを求められる場面も多いと思うのですが、広告と作品で考え方を分けていることはありますか?

大石:ほとんどないです。クライアントも含めて僕を選んでくれた人たちとの相性が良かったっていうこともありますけど、すごく苦労したことはそこまでないですね。自分の提案がたまたま通じたことが多い気がします。辛い記憶を消しているのかもしれないけど(笑)。

WWD:ここでも、人だったりコミュニティーが重要になってくるんですね。

大石:自分は基本コミュニティーとかをあまり意識していなくて。ボヤっとしてるんですが、友達の派閥というかセグメントみたいなものはあまり得意ではないんです。ただ、自分がおもしろい!楽しい!みたいな感覚を共有できる人達と関係を築いている感じですね。とにかく、人と人がつながって行くのがおもしろい。なので、最近はタイミングかあれば地元の函館にもなるべく帰るようにしています。知らない世代との交流は本当に楽しいんです。

WWD:何かを俯瞰で見たり、距離感を取ることは作品にも反映されたりするのでしょうか?

大石:距離感はとても大事にしてます。自然に身についた部分もあります。でも、作品に反映されているかはわからないですね。コラージュに関しては初期衝動がすべてだと思うので、見る人が自由に感じてもらえればうれいしです。

WWD:展示から1週間で全作品が売り切れたと聞きました。

大石:最初は売れるのかな?と思っていましたけど、そもそも単純に「おもしろい」「配色が好き」「見ていて楽しい」という意見をもらえたことが一番嬉しいです。これまでの写真やコラージュでも “売る“を意識して作ったことはなくて。アートを買う行為にハードルの高さを感じる人がいますけど、僕の作品は気に入ったフライヤーの気分で見てほしいです。「なんか良かった」が最高の褒め言葉ですし、コンセプトも分からないし語れない、だから僕はアーティストではないんです。結果、完売したのはとてもありがたくて、めちゃくちゃうれしいですけどね(笑)。

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SUMIRE×兵頭功海 「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」制作秘話と共演者達への思い

ABEMAで現在放送中のドラマシリーズ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」は、作家・沖田臥竜によるクライムノベル「INFORMAⅡ -Hit and Away-」が原作だ。昨年1月に放送された「インフォーマ」に続く新シリーズとなる。本作品では、タイと東京を舞台に、桐谷健太演じる情報屋=通称“インフォーマ”の木原慶次郎と、佐野玲於演じるゴシップ週刊誌「週刊タイムズ」の記者・三島寛治を中心に巻き起こる情報戦を描く。

前作に続き、森田剛や一ノ瀬ワタルら実力派俳優が出演するほか、今作では新たに二宮和也や莉子ら個性豊かなキャストがラインアップ。そして木原、三島コンビと対峙するのは、池内博之扮する鬼塚拓真を筆頭に、忠実な部下・二階堂と優吉で構成される“偽インフォーマ”だ。悪の組織としてアクションを繰り広げ、存在感を示したSUMIREと兵頭功海に、本作品の見どころと、過酷な撮影を共にしたキャストや制作陣への思いを聞いた。

SUMIRE×兵頭功海
ドラマ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」
インタビュー

WWD:それぞれ悪の組織の一員として、どのような心持ちで撮影に望んだ?

SUMIRE:前作を観た時に、出演者全員が光るかっこいい作品だと感じました。まさか次のシーズンに参加できると思っていなかったので、とても嬉しかったです。その一方で「どうにかやり切らなきゃ」と自分に圧をかけました。

兵頭功海(以下、兵頭):僕もリアルタイムで前作を観ていたので、オファーをいただいてとても嬉しかったです。前作に続き、今回僕たちが演じた悪の組織も3人組。同じ3人組の悪役でも、前作とは違うダークさを表現したいと思い、試行錯誤しました。

SUMIRE:兵頭さんとはこの作品を通じて初めて出会ったので、最初は「どんな人だろう」と探り探り。タイに行く便が一緒で、現地についた時にやっとお話しできました。共通の友達もいて、とても親しみやすくて安心しました。

兵頭:僕は海外渡航にあまり慣れていないので、空港のチェックアウトやWi-fiの接続に手こずってしまったのですが、SUMIREさんに色々教えてもらいました。撮影中もフラットに話せる、心強い仲間でした。

WWD:“偽インフォーマ”3人、現地ではどのように過ごしましたか?

兵頭:現地で少し時間ができて、池内さんと僕達3人で食事に行くことになったんです。僕達は何となく日本料理を食べに行こうとしてたのですが、池内さんが「せっかく来たんだから!」とホテルから少し歩いた屋台に連れて行ってくれることに。本場のタイ料理に少し圧倒されながらも「ここでしか食べられない」と思い楽しみました。その後池内さんがバーに連れて行ってくれて、少しお酒も飲んだり。まだタイに着いて数日なのに、池内さんはもうボトルキープまでしているんです(笑)。

SUMIRE:池内さんは、作中は怖い役柄ですが、普段は本当に優しくて可愛らしい人。プライベートも含めてすごくバランスが良い3人で、今回ご一緒できてうれしかったです。

WWD:タイでの1カ月の撮影はどのように進んだ?

兵頭:とても過酷でした。毎日のようにスコールが降るのですが、濡れた地面もすぐに乾いてしまうほど暑いんです。気温が40度ぐらいあり、ずっとスチームサウナの中にいるような状態。スタッフ全員の支えがあってこその撮影期間でした。

SUMIRE:私達役者が倒れてしまったらどうにもならないということもあるとは思いますが、本当にその場にいた全員が助け合っていたと思います。「これはみんなで作り上げるものなんだ」と強く感じた1カ月でした。

兵頭:帰国して日本パートの撮影をしている時も、タイでの過酷な撮影を経験したメンバーの結束力は強かったと思います。今でもスタッフ同士で集まることもあるんですよ。

WWD:灼熱のタイで行われた過酷な撮影、特に記憶に残るシーンは?

SUMIRE:やっぱりアクションシーンは難しかったです。特に序盤の屋上のシーンでは、2人を相手にアクションをしていたので、動き方にも工夫が必要でした。映像で観ると自分で思っているよりも動けていなかったり。でも私、ちょっと負けず嫌いなところがあるので、できないのが悔しくて…撮影中は優吉をはじめ他の人のアクションも見ることができので、すごく勉強になりました。

兵頭:アクションシーンは現地で少し合わせて撮影に臨んだのですが、暑い中動き続けるのはやっぱり大変。特にSUMIREさんはあの暑い中、レザージャケットを着て動き続けていたから大変だったと思います。僕はバイクに乗っているシーンがあるんですが、どうやって落ちないようにするか必死でした。バッグを持ちながら片手でバイクに捕まっていたので結構怖くて。カーブは本当にヒヤヒヤしましたね。

WWD:SUMIREさんは二階堂、兵頭さんは優吉。脚本からそれぞれの役柄をどのように読み解き、演じましたか?

兵頭:今回、最終的に仲間を裏切る役柄なのですが、その背景にある優吉の人柄ってどんなものなのかーー作品を読んだ時に、優吉の行動の色々な部分から弱さを感じました。だけど、全身黒の衣装で、ピストルを持って、ロン毛でタトゥーも入っているとなると、僕は体格も大きいしどうしても強そうなイメージになってしまう。内側から滲み出る弱さを、演技や声色でどう表現するかが課題でした。弱い相手には強気に出るのに、強い相手に対しては声が上ずったり…相手によって態度を変えてしまうのは弱い人がやることだと思うので、この役を演じる時に自分は弱い人間だというマインドセットで臨みました。

SUMIRE:私が演じたのは、言葉を発することができない心因性失声症をもつ二階堂。話すことはできなくても仕事ができて、リーダーの鬼塚にすごく忠実。犬みたいに目で見て状況を素早く汲み取り、的確に動くというイメージを持って演じました。言葉を話せない役柄は過去に演じたことがありましたが、心因性失声症の役を演じたのは今回が初めて。実際にそういう人達がどんなふうに過ごしているのかを調べて、たくさんの動画を観ました。二階堂は言葉を話せなくても、感情と共に声を出すことはできる。実際に怪我をしたり、悲しい表現をするシーンでは声を出すのですが、通常喋れない役だからこそ声を出すタイミングがすごく難しい。でも逆に、喋れないからこそ伝えられるものが大きかったりもするんだと思います。

WWD:本作にはどのようなメッセージが込められていると感じる?

兵頭:ドラマの世界だけではなく、誰かにとって都合が悪い情報が世の中に発信されそうになった時、それを消そうとするようにさまざまな話題が流されていることって、実際にあるのだと思います。多くの人が表面的な情報を信じてしまう中で、鋭い視点を持ってほしいというのがこの作品が伝えたいことなんじゃないかな、と感じました。

SUMIRE:私自身、あまり追いつけていない部分もあるんですが、今ってSNSがメインのような時代じゃないですか。本当は真実ではないとしても、SNSで発信されていることをそのまま信じてしまう人もいるかもしれないーー自分で考えて答えを持つことが減って、だんだんと自分の意見がなくなっている世の中になってしまっているように思います。この作品には、「自分自身を大切にすることで、より良い道が開ける」ということに気づいてもらいたいという意図があるのかもしれない。私もこの作品を通じて、自分の軸を大切にしていきたいと改めて感じました。

WWD:若くして活躍するお二人。今後俳優として挑戦したいことは?

SUMIRE:以前からアクションに挑戦したいという気持ちがあったのですが、今回の作品を通じて、もっと極めたいという気持ちになりました。映画を観ていても、アクションのシーンに一瞬で引き込まれてしまいます。そうやって私も、観る人を魅了できるようになりたいですね。

兵頭:楽しい作品だけではなく、悲しくなってしまうような作品も好きなので、切ない純愛ストーリーにもチャレンジしてみたいですね。そして最近「今の年齢だからこそできる演技、残せる作品があるんじゃないか」と考えるようになりました。自分の変化や成長と共に役柄にもいい影響をもたらせたらいいなと思います。

2人が制作スタッフに贈るメッセージ

撮影期間や作品に込めた想いを聞かせてくれたSUMIREと兵頭。最後に、長い撮影期間を共にしたキャストや制作スタッフに向けたエピソードを、ホリデーに向け贈りたいギフトを添えて聞かせてくれた。

From SUMIRE

From 兵頭功海

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SUMIRE×兵頭功海 「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」制作秘話と共演者達への思い

ABEMAで現在放送中のドラマシリーズ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」は、作家・沖田臥竜によるクライムノベル「INFORMAⅡ -Hit and Away-」が原作だ。昨年1月に放送された「インフォーマ」に続く新シリーズとなる。本作品では、タイと東京を舞台に、桐谷健太演じる情報屋=通称“インフォーマ”の木原慶次郎と、佐野玲於演じるゴシップ週刊誌「週刊タイムズ」の記者・三島寛治を中心に巻き起こる情報戦を描く。

前作に続き、森田剛や一ノ瀬ワタルら実力派俳優が出演するほか、今作では新たに二宮和也や莉子ら個性豊かなキャストがラインアップ。そして木原、三島コンビと対峙するのは、池内博之扮する鬼塚拓真を筆頭に、忠実な部下・二階堂と優吉で構成される“偽インフォーマ”だ。悪の組織としてアクションを繰り広げ、存在感を示したSUMIREと兵頭功海に、本作品の見どころと、過酷な撮影を共にしたキャストや制作陣への思いを聞いた。

SUMIRE×兵頭功海
ドラマ「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」
インタビュー

WWD:それぞれ悪の組織の一員として、どのような心持ちで撮影に望んだ?

SUMIRE:前作を観た時に、出演者全員が光るかっこいい作品だと感じました。まさか次のシーズンに参加できると思っていなかったので、とても嬉しかったです。その一方で「どうにかやり切らなきゃ」と自分に圧をかけました。

兵頭功海(以下、兵頭):僕もリアルタイムで前作を観ていたので、オファーをいただいてとても嬉しかったです。前作に続き、今回僕たちが演じた悪の組織も3人組。同じ3人組の悪役でも、前作とは違うダークさを表現したいと思い、試行錯誤しました。

SUMIRE:兵頭さんとはこの作品を通じて初めて出会ったので、最初は「どんな人だろう」と探り探り。タイに行く便が一緒で、現地についた時にやっとお話しできました。共通の友達もいて、とても親しみやすくて安心しました。

兵頭:僕は海外渡航にあまり慣れていないので、空港のチェックアウトやWi-fiの接続に手こずってしまったのですが、SUMIREさんに色々教えてもらいました。撮影中もフラットに話せる、心強い仲間でした。

WWD:“偽インフォーマ”3人、現地ではどのように過ごしましたか?

兵頭:現地で少し時間ができて、池内さんと僕達3人で食事に行くことになったんです。僕達は何となく日本料理を食べに行こうとしてたのですが、池内さんが「せっかく来たんだから!」とホテルから少し歩いた屋台に連れて行ってくれることに。本場のタイ料理に少し圧倒されながらも「ここでしか食べられない」と思い楽しみました。その後池内さんがバーに連れて行ってくれて、少しお酒も飲んだり。まだタイに着いて数日なのに、池内さんはもうボトルキープまでしているんです(笑)。

SUMIRE:池内さんは、作中は怖い役柄ですが、普段は本当に優しくて可愛らしい人。プライベートも含めてすごくバランスが良い3人で、今回ご一緒できてうれしかったです。

WWD:タイでの1カ月の撮影はどのように進んだ?

兵頭:とても過酷でした。毎日のようにスコールが降るのですが、濡れた地面もすぐに乾いてしまうほど暑いんです。気温が40度ぐらいあり、ずっとスチームサウナの中にいるような状態。スタッフ全員の支えがあってこその撮影期間でした。

SUMIRE:私達役者が倒れてしまったらどうにもならないということもあるとは思いますが、本当にその場にいた全員が助け合っていたと思います。「これはみんなで作り上げるものなんだ」と強く感じた1カ月でした。

兵頭:帰国して日本パートの撮影をしている時も、タイでの過酷な撮影を経験したメンバーの結束力は強かったと思います。今でもスタッフ同士で集まることもあるんですよ。

WWD:灼熱のタイで行われた過酷な撮影、特に記憶に残るシーンは?

SUMIRE:やっぱりアクションシーンは難しかったです。特に序盤の屋上のシーンでは、2人を相手にアクションをしていたので、動き方にも工夫が必要でした。映像で観ると自分で思っているよりも動けていなかったり。でも私、ちょっと負けず嫌いなところがあるので、できないのが悔しくて…撮影中は優吉をはじめ他の人のアクションも見ることができので、すごく勉強になりました。

兵頭:アクションシーンは現地で少し合わせて撮影に臨んだのですが、暑い中動き続けるのはやっぱり大変。特にSUMIREさんはあの暑い中、レザージャケットを着て動き続けていたから大変だったと思います。僕はバイクに乗っているシーンがあるんですが、どうやって落ちないようにするか必死でした。バッグを持ちながら片手でバイクに捕まっていたので結構怖くて。カーブは本当にヒヤヒヤしましたね。

WWD:SUMIREさんは二階堂、兵頭さんは優吉。脚本からそれぞれの役柄をどのように読み解き、演じましたか?

兵頭:今回、最終的に仲間を裏切る役柄なのですが、その背景にある優吉の人柄ってどんなものなのかーー作品を読んだ時に、優吉の行動の色々な部分から弱さを感じました。だけど、全身黒の衣装で、ピストルを持って、ロン毛でタトゥーも入っているとなると、僕は体格も大きいしどうしても強そうなイメージになってしまう。内側から滲み出る弱さを、演技や声色でどう表現するかが課題でした。弱い相手には強気に出るのに、強い相手に対しては声が上ずったり…相手によって態度を変えてしまうのは弱い人がやることだと思うので、この役を演じる時に自分は弱い人間だというマインドセットで臨みました。

SUMIRE:私が演じたのは、言葉を発することができない心因性失声症をもつ二階堂。話すことはできなくても仕事ができて、リーダーの鬼塚にすごく忠実。犬みたいに目で見て状況を素早く汲み取り、的確に動くというイメージを持って演じました。言葉を話せない役柄は過去に演じたことがありましたが、心因性失声症の役を演じたのは今回が初めて。実際にそういう人達がどんなふうに過ごしているのかを調べて、たくさんの動画を観ました。二階堂は言葉を話せなくても、感情と共に声を出すことはできる。実際に怪我をしたり、悲しい表現をするシーンでは声を出すのですが、通常喋れない役だからこそ声を出すタイミングがすごく難しい。でも逆に、喋れないからこそ伝えられるものが大きかったりもするんだと思います。

WWD:本作にはどのようなメッセージが込められていると感じる?

兵頭:ドラマの世界だけではなく、誰かにとって都合が悪い情報が世の中に発信されそうになった時、それを消そうとするようにさまざまな話題が流されていることって、実際にあるのだと思います。多くの人が表面的な情報を信じてしまう中で、鋭い視点を持ってほしいというのがこの作品が伝えたいことなんじゃないかな、と感じました。

SUMIRE:私自身、あまり追いつけていない部分もあるんですが、今ってSNSがメインのような時代じゃないですか。本当は真実ではないとしても、SNSで発信されていることをそのまま信じてしまう人もいるかもしれないーー自分で考えて答えを持つことが減って、だんだんと自分の意見がなくなっている世の中になってしまっているように思います。この作品には、「自分自身を大切にすることで、より良い道が開ける」ということに気づいてもらいたいという意図があるのかもしれない。私もこの作品を通じて、自分の軸を大切にしていきたいと改めて感じました。

WWD:若くして活躍するお二人。今後俳優として挑戦したいことは?

SUMIRE:以前からアクションに挑戦したいという気持ちがあったのですが、今回の作品を通じて、もっと極めたいという気持ちになりました。映画を観ていても、アクションのシーンに一瞬で引き込まれてしまいます。そうやって私も、観る人を魅了できるようになりたいですね。

兵頭:楽しい作品だけではなく、悲しくなってしまうような作品も好きなので、切ない純愛ストーリーにもチャレンジしてみたいですね。そして最近「今の年齢だからこそできる演技、残せる作品があるんじゃないか」と考えるようになりました。自分の変化や成長と共に役柄にもいい影響をもたらせたらいいなと思います。

2人が制作スタッフに贈るメッセージ

撮影期間や作品に込めた想いを聞かせてくれたSUMIREと兵頭。最後に、長い撮影期間を共にしたキャストや制作スタッフに向けたエピソードを、ホリデーに向け贈りたいギフトを添えて聞かせてくれた。

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名古屋「スズサン」、伝統工芸でハイエンド市場参入に成功、その戦略と展望をCEOが語る

PROFILE: 村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター

村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1982年愛知県名古屋市生まれ。英国のサリー美術大学を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科を卒業。在学中の2008年にデュッセルドルフでsuzusan e.K. (現Suzusan GmbH & Co. KG)を設立。自社ブランド「スズサン」をスタートした。14年に法人化した家業のスズサン(旧鈴三商店)を4代目の父から継承し、20年から現職。現在もデュッセルドルフで暮らしながら、デザインや有松でのモノづくりを監修している PHOTO:HIROMICHI TABATA

日本の伝統工芸がハイエンド市場から注目を集めている。「有松鳴海絞り」の「スズサン(SUZUSAN)」は、欧州で人気に火が付きパリ「レクレルール(L'ECLAIREUR)」、ミラノ「ビッフィ(Biffi)」、ベルリン「アンドレアス ムルクディス(ANDREAS MURKUDIS)」といった好感度セレクトショップに並び、現在30カ国80都市120店舗に販路を持つ。自社ブランドの製造販売だけでなく、「ディオール(DIOR)」など数々のラグジュアリーブランドから依頼を受け、絞りを施したテキスタイルを提供する。2008年に3人でブランドを立ち上げ、現在の社員数はドイツ法人が7人、日本が20人(取締役を除く)にまで増えた。4代目の父1人だった技法の担い手は沖縄や兵庫からの移住者も含め12人に。7~8工程の分業制の技術「有松鳴海絞り」を、スズサンでは一貫生産しそれぞれの工程も担い手たちが重複して行っている。「有松鳴海絞り」の高付加価値化と伝統工芸の担い手育成を成功させたのが5代目の村瀬弘行スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクターだ。村瀬CEOにどのようにして伝統工芸をハイエンド市場にマッチさせたのか、その市場開拓の戦略や今後の展望を聞く。

WWD:まず「有松鳴海絞り」の特徴について教えてほしい。

村瀬弘行CEO兼クリエイティブ・ディレクター(以下、村瀬):200種類以上の技法があること。これは世界にも類を見ない。現存している染色技術は4000年前に生まれ、インドやアフリカ、南米などで見られるがその多くは1つの地域に2~3技法。有松の歴史は1608年の江戸初期に始まり、江戸時代は専売制が敷かれ「絞りは有松だけ」というお触れによって産業として発展した。歩いて15分圏内に「誰々さん家は〇〇絞り」といった具合に200以上の技法が生まれた。

WWD:そもそも村瀬さんはアーティストになりたくて海外に留学した。なぜ「有松鳴海絞り」を?

村瀬:きっかけは2006年に父が英国で開いた展示を手伝ったことだった。365日見続けていた「有松鳴海絞り」を久々に英国で見ると美しいと感じた。近すぎて見えなかったものが見え、その技術がなくなりつつある現実を聞かされて興味が沸いた。当時、父は50代後半で絞りの職人としても最後の世代でその下の世代がいなかった。

そして、そのときに父から預かった布が当時同じ寮に住んでいた友人の目に留まった。その後、彼はビジネスパートナーになるのだが、経営学を学んでいた彼は卒業論文のテーマに「日本の手仕事が海外のラグジュアリーマーケットで販路を築けるか」を選んだ。これがベースになりスズサンを立ち上げた。

卒論きっかけで始まった「スズサン」、リーマンショックでどん底スタート

立ち上げ時はブランドもプロダクトもなかった。手元にはあと数年でなくなる技術のみ。「なくなりそうな手仕事を次につなげたい」という想いをどうビジネスにするかーーブランドを作ることで自ら需要を生み出せると考えた。父の仕事を振り返るとオーダー数によって右往左往していたし、OEMは生産者の顔が見えないから、作り手にリスペクトが届かない。ブランドとして毎シーズン必ず絞りを用いた製品を提案すれば需要が生み出せるし、モノ作りする人の声や顔を届けることができると考えた。

WWD:日本の伝統技法を洋服やクッション、ラグといった西欧的なアイテムで表現するとうまくはまらないことが多い。「スズサン」の色や柄は汎用性が高く、洗練された印象だ。

村瀬:立ち上げ時に有松の絞りを見直したときのこと。有松の風景では着られるけど、出ると着られないものがほとんどだった。デザインチームにはよく「風通しのいいデザインを作ろう」と伝えているが、この言葉は美術の先生が教えてくれたもので、平面的にモノを見るのではなく、後ろにも空間があることを感じながらデッサンしなさいというもの。この考え方を大切にしている。製品の後ろにニューヨークのマンハッタンやミラノのモンテナポレオーネ通り、地中海の島などさまざまな風景に溶け込むことをイメージしている。風通しがよいデザインになればいろんな場所で生かされる製品になる。

WWD:実際に製品にするときに「有松鳴海絞り」をどのように応用しようと考えたか。

村瀬:スズサンで「何を残して何を変えるか」を考えた時に、絞りの文化を素材、技術、用途の3つに分けて考えた。400年の間、素材は木綿、技術は絞り、用途は浴衣やてぬぐいで成り立ってきた。それをそのまま海外に持っていっても売れない。素材は木綿からカシミヤやアルパカ、ランプシェードにはポリエステルを用い、コアの絞りは残して、用途をストールやプルオーバー、クッションやブランケットに変えることで、日本で日本の伝統工芸好きしか使えなかったものが、世界中に販路を作ることができる製品になる。

WWD:販路開拓の戦略はラグジュアリー市場を意識したように見受けられる。

村瀬:最初から戦略があったわけではなかった。手仕事なので立ち上げ時からハイエンドマーケットにフォーカスはしていた。他のブランドに比べてもモノ作りにおいて優位性があり、ストーリーがある。とはいえ卒論通りにはいかないし、会社を設立した08年はリーマンショックが起こりどん底からのスタート。売ろうにも電話もメールも取り合ってくれない状態だったので作ったサンプルをトランクに入れて、ビジネスパートナーの弟がくれたおんぼろカーで欧州中を駆けずり回り、草の根の中で販路を広げた。その車は最後には床に穴が開き廃車にした(笑)。

WWD:販路拡大のきっかけはあったか。

村瀬:ただただ地道に続けて120店舗になったというのが実感だ。トランクを担いでさまざまな店を回ったのがとても勉強になった。店にどんなブランドが並びどんな製品がいいのかを直接見ることができたから。

そして、バイヤーは断りたいから断り文句を考え、「色が」「素材が」といちゃもんを付けてくる。そのバイヤーが指摘した点を改善してサンプルを新しく作って持っていくと、根負けしてオーダーしてくれるということもあった。

パリ・ファッション・ウイーク中に開催される合同展示会「TORANOI」に出て10年目になるが、そこからバイヤーが来てくれるようにもなった。

WWD:思い入れがあり狙い打ちした店は?

村瀬:ミラノのビッフィとその姉妹店バンネル。古くは「ケンゾー(KENZO)」や「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」を発掘し、ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)を学生の頃に見出した目利きの店で、セレクションも内装も素晴らしく、初めて訪れたときにその美しさに感動した。「スズサン」を取り扱って欲しいと思ったが当時はこのレベルに達していないとも思った。店の人が話しかけてくれて、「僕は日本人のデザイナーでこの素晴らしい店に出合えて嬉しい」と伝えると「あなたの製品が並ぶのを待っているわ」と答えてくれた。その3年後、ミラノの合同展示会「ホワイト(WHITE)」に出展すると小柄な女性がやってきて買い付けてくれた。店の名前を尋ねるとビッフィだった。最近ではミラノ・ファッション・ウイーク中にビッフィのウィンドーを手掛けている。今年3月、ビッフィのオーナーが有松に来てくれて、一緒にワークショップをした。ベルリンのアンドレアス(・ムルクディス)も有松にも来てくれた。

WWD:「スズサン」の取り扱い店の幅が広い。ブランドのポジショニングをどう考えているか。

村瀬:試行錯誤した結果築いたポジショニングだ。色、柄、型、サイズをカスタマイズして1点から作ることができることが強みになっている。市場を分析するためにファッションブランドやセレクトショップの傾向や価格帯から「ラグジュアリー」「プレミアム」「アッパー」「デイリー」「マス」とピラミッド型の分布図を作った。さらに僕たちがターゲットとしている「プレミアム」を、「アーバン、ダーク、マスキュリン、アヴァンギャルド」「ジョイ、コンテンポラリー、カラフル、フェミニン」「リラックス、エフォートレス、ナチュラル、クラフト」「コンサバティブ、クオリティ、ネームバリュー、タイムレス」の4つに分類するとファッションブランドとセレクトショップはいずれかにはまる。具体的なブランド名やショップ名は控えるが、ブランドの多くは、カテゴリー内にある店のみで取り扱われていることがわかった。

強調したいのは「スズサン」は全てのカテゴリーの店に販路があるということ。

同じように4つのカテゴリー全てにはまるブランドは「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」だ。「ドリス」はメンズとウィメンズを年4回毎シーズン約1500点の新作を作ると聞いたことがあるが、柄や色のバリエーションが多く圧倒的型数でマーケットを築き、幅広くリーチできている。「スズサン」は「ドリス」とは比較にならないほど規模は小さいが、「黒に染めて」「ピンクに染めて」に1点から対応できる。毎シーズン6型4柄あるニットは、サイズも入れると576パターンあり、カスタマイズすることで各店が求める製品を供給できる。

WWD:「スズサン」の製品を購入、支持する人は何に惹かれていると考えているのか。

村瀬:袖通して肌触りがいいとか、色が好き、から始まる。製品のクオリティが担保されていることは絶対だ。日本の産地でモノ作りをしており、他の国で作れない編み方や織り方がある。例えばカシミヤニットは大阪の深喜毛織で糸を紡績して山形で編み立て、有松で絞りを施している。布帛は尾州の素材を使い岐阜で縫製している。日本はきらびやかなモノ作りは得意ではないかもしれないが、品質の良さやマニアックなモノ作りは日本でしかできないものがたくさんあり、それが優位性になっている。

WWD:人気アイテムはカシミヤのニット製品だ。

村瀬:やわらかい素材に絞りを施すのは技術的にかなり難しく、失敗を重ねてここまでたどり着いた。欧州は年中、カシミヤを着る。今後、販路をさらに分散していく戦略なので売れる製品が変わるかもしれない。

WWD:海外の関係者にどのように価値を理解してもらったのか。

村瀬:背景にあるストーリーだ。

「アンドレアス」も「レクレルール」もケリング(Kering)やLVMHからのオーダーをやめた。製品価格が上がり、オーダー方法もどんどん厳しくなったと聞く。バイヤーの力量は本来セレクションで問われるが、それができない環境になったから一切止めたと聞いた。ブランドイメージを作る意味では、大手のやり方が間違いではないとしても、肥大化したファッションビジネスの中で、バイヤーは売れるから仕方なく買っているようにも見える。

アンドレアスや「レクレ」のオーナーのバルマンさんは、誰も発見したことのない優れたものを探し、新しい価値を紹介するのがバイヤーの仕事でお店のあるべき姿だと考えていて、そこには有名や無名は関係なく、良ければ扱うというわかりやすい基準がある。

次のラグジュアリーは「共感を覚えるもの」「一方方向ではないもの」

WWD:「ラグジュアリー」という言葉をどう捉えているか。

村瀬:ラグジュアリーは今までは“憧れ”が形作っていた。象徴していたのはダイヤモンドやゴールド、オートクチュールのドレスといったきらびやかなもの。欧州からトップダウン的に、華やかなショーを開いて発信して世界中にインフルエンスさせることでマーケットを作ってきており、世界中のファッションデザイナーはパリを目指し、パリのサントノレ通り(有力ファッションブランドが軒を連ねる)やヴァンドーム広場(有力ジュエラーが軒を連ねる)に店を出すことがデザイナーとしての一番のステータスだった。

「ラグジュアリー」の言葉の代わりになる言葉が必要だと感じている。

あえてラグジュリーという言葉を使うなら、次に来るのは「共感を覚えるもの」「一方方向ではないもの」。世界中のローカルでそこでしかできない体験や風景を見ることがよりラグジュアリーになると感じている。アイフォンをスワイプすれば「シャネル(CHANEL)」のショーから有松の風景に飛ぶ状況で、トップダウンのインフルエンスがそんなに意味がないとも感じている。

「『スズサン』はファッションショーをやらないのか」と聞かれるが、リアリティを感じないから興味がない。もっと親近感や共感を得られるものが大切だと考えているから。例えば海外でも開催している絞りのワークショップは、3時間くらい話しながらモノを作り、できたときは喜びを分かち合う。高価なものではないけれど時間としての価値や生きる意味として大きな価値がある。

WWD:今、有松を訪れる顧客が増えていると聞いた。

村瀬:さっきもドイツの隣町に住む知り合いにばったり会った。「日本に来たからあなたの工房があると聞いた有松に来た」と声をかけてくれて嬉しかったし、実際訪れてくれる方は増えている。毎シーズン20~30代の若手と地域のおばあちゃんが2500~3000点を染め、年間5000点を10年間売ってきたとすると、5万人のユーザーがいる。ここでしかできない体験をして、目の前で職人のモノ作りを見て、自分が着ているシャツはこの人が作ったとわかる。飛行機と電車を乗り継いでわざわざ訪ねて来た人から賞賛されるのは作り手側の尊厳にもつながる。買う側は、作ることで伝統工芸の継続に貢献はできないけど、購買することで協力することができるからと、応援購買に近いマインドがある方が多い。

WWD:手染めは個体差が生まれやすい。化学染料を用いることでコントロールしていると聞いたが、それでも難しいのではないか。個体差はクラフト業界では自明のことで“味”になるが、一般的なファッション・繊維製品において個体差はクレーム・返品対象になりかねない。個体差を「不良品」と認識させないために、どのような対応をしているのか。

村瀬:もともと、同じものがいいと伝えてない。世界中のラグジュアリーブランドの店では同じかばんが並んでいて、やっていることは「マクドナルド」と変わらないと感じる。「有松鳴海絞り」は型を用いることも多くリピートができる。個体差がありながら、コントロールしやすいのが特徴だ。

「ヒューマニティのある循環と継続」を目指す

WWD:「スズサン」のビジネスの展望について、クラフト・ツーリズムに向けての進捗などあれば教えてほしい。

村瀬:ヒューマニティのある循環と継続を目指す。よく「グローバルなビジネスをやっていますね」と言われるが、一つの大きなことをやっている感覚はなく、製品を通じて有松というローカルと世界中のローカルをつなぐビジネスをやっているという感覚だ。2年前に企業理念「We are Bridge」を作った。文化と文化の橋渡しをする会社という意味を込めている。この15年は有松から世界中に「有松鳴海絞り」を発信した。次の15年は5万人の「スズサン」ユーザーが有松に来る循環を作りたい。そのために地域事業部を新設した。有松を「面」で見られる場所にしたい。

現在は10~17時の日帰りで有松をぐるっと案内する「スズサンディスカバリーツアー」を開催している。徳川家が来た茶室や地域の食材を使ったレストランでの食事、職人の超絶技法や、若い職人たちが携わっているところを見て、実際に自分でも絞りを体験して店にも立ち寄ってもらうというものだ。丸一日の体験を通じて、袖を通している服が特別なモノになることを目指している。

WWD:宿泊施設やレストランなども視野に入れるのか。

村瀬:ホテルは念頭にあった。でも箱を作っても人が入らなきゃ意味がないので、まずは人を呼び込むツーリズムというソフトを整えることに注力している。有松は空襲がひどかった名古屋の中でも、米軍の捕虜収容所があったため、空襲を免れ建物や風景が残っている。そして、観光地にある顔はめパネルではない、生活の文化も残っている。「おー弘之帰ってきたか、お茶でも」と声をかけてくれる人々の暮らしがある。オーセンティックな暮らしがあることは訪れる人にとっては特別なものになる。欧米の方の日本滞在に長期滞在が増えている。今は1日のツアーのみだが、今後は1週間有松に滞在できるような街にしたい。

伝統工芸の海外進出をサポートする新会社設立

WWD:日本の産地における技法や技術継承や価値向上について、どこが課題だと認識しているのか、反対にどこに可能性があるとみているか。未来につなげていくために必要なこととは?

村瀬:経産省が指定する伝統的工芸品は北海道から沖縄まで241ある。抱えている課題は一緒で後継者がいないことや高齢化がある。名古屋市の調査によると、伝統工芸に携わっている従業員数は、1人が37%、2~5人が37%と大半を占める。年齢分布は、20代7%、30代13%,40代以上が80%。これから、有松の事例を他の産地で応用することに取り組む。日本の中小企業の海外進出をサポートする新会社「TOBIRA DESIGN」を作り始動する。これまで僕らが穴があったら落ちて、地雷があったら踏んでいたような知見を有効に活用して、日本の見過ごされている価値を世界に発信できるのではないかと考えた。具体的には準備(言語含む)、製品(サイズや用途などマーケットのニーズ)、ブランディング(継続的なビジネスに向けた戦略)、セールス(契約書などの書類や金銭回収)、物流などさまざまな課題に対応できる新しい仕組みを作り、職人と世界中の取引先とのやり取りを整えることを考えている。

行政ができることと民間ができることは異なる。井上さんは「スズサン」を大きくすることが目的ではなく、僕たちが日本の地域文化を発信できる切り口になると思ってくれて入社してくれた。

WWD:日本の産地の多くは経済的課題に直面し海外企業連携は重要である一方、寡占状態に陥るのは危険だともいえる。産地で生きる人の自律性をどのように維持することが望ましいのか?

村瀬:今までは受注する側と発注する柄の上下関係があった。大資本の企業が力を持ち、イニシアチブを取るのが通例だったが、変わりつつある。欧州は目利き集団による価値付け上手な「目の文化」、日本はモノ作りが残る「手の文化」。欧州は「手の文化」がなくなっていく中で、「手の文化」が一つの価値として認められるようになったと肌で感じる。価値の交換は上下関係ではなく対等な立場で行われつつあり、巨大資本の企業が僕らのところに来るのは彼らができないからで、そこにはリスペクトがある。こちら側もクリエイションにリスペクトを持つことが大切だ。

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藤原季節が語る「俳優という仕事」 「演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる」

PROFILE: 藤原季節/俳優

PROFILE: (ふじわら・きせつ)1993年1月18日生まれ、北海道出身。小劇場での活動を経て2013年から俳優としてのキャリアをスタート。20年には、主演を務めた「佐々木、イン、マイマイン」がスマッシュヒットを記録し、「his」とあわせて同年の第42回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。翌年には第13回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を受賞するなど、デビュー以降、映画のみならずドラマ、舞台など幅広く活動を続けている。その他の近作として、映画「空白」(21)、「わたし達はおとな」(22)、「少女は卒業しない」(23)、「辰巳」(24)など。現在、映画「東京ランドマーク」(林知亜季監督)が全国順次公開中。

巨大生物が大量に発生して、ホテルから出られなくなった12人の人々。そこで繰り広げられるドラマを描いた映画「あるいは、ユートピア」は東京国際映画祭Amazon Prime Videoテイクワン賞受賞の取り組みの一環として、Amazon MGM Studiosによって製作された。新進気鋭の監督、金允洙(キム・ユンス)のもと、渋川清彦、渡辺真起子、吉岡睦雄、原日出子、大場みなみ、麿赤兒など、個性豊かなキャストが集結した。そこで主人公の牧雄一郎を演じたのは藤原季節。3週間にわたってキャスト全員が同じホテルに宿泊して撮影を行うという現場で、藤原はどのように役に向き合ったのか。演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる、という藤原に、映画のこと、そして、演じることについて話を聞いた。

「脚本をどれだけ深く読解できるか」

——本作はホテルを舞台にした密室劇のようなところがありますが、実際にホテルを借り切って撮影が行われたそうですね。

藤原季節(以下、藤原):そうです。全部のシーンが同じホテルで撮影されて、キャストやスタッフはそのホテルに宿泊しました。キャストは3週間くらい泊まって、スタッフさんはもっと長かったんじゃないでしょうか。そんなふうに関係者全員が同じホテルに長期間滞在して撮影するのは珍しいと思いますね。

——3週間も! それだけ一緒にいたら、映画の登場人物たちと同じように連帯感が生まれそうですね。

藤原:連帯感はかなりありましたね。キャストもスタッフも一緒にご飯を食べていましたし、キャストの原日出子さんが手料理を振る舞ってくださったり。ご飯を食べた後も、気が付いたらみんなで一緒に歌を歌ったり、本当に“ユートピア”みたいでした。日が経つにつれて、どんどん外の世界から隔離されたような感覚になっていきました。

——朝から夜まで一緒ということは、脚本の読み合わせやリハーサルは念入りにやられたんですか?

藤原:繰り返し念入りにやりました。カメラが回った瞬間に表出してくる生の感情が良いっていうのも分かるんですけど、そこで何を大切にしなきゃいけないかは脚本の中に書かれていると思っていて。脚本をどれだけ深く読解できるかっていうのが一番大切なことだと僕は思っています。その作業を自分一人じゃなくて、ほかのキャストや監督とできるのは、僕にとってめちゃくちゃありがたいことでしたね。本読みでディスカッションをして準備を重ねておいて、現場に入った時に生の感情で初めて勝負するようにしていました。

——脚本を読むときに大切にしていることはありますか?

藤原:まず、最初は観客として読みます。子供が初めてお話を読んでるときのような純粋な気持ちで読むことを意識していますが、それ以外だと、いろんな人間になりきって声を出してみたりもしていますね。

——例えばどんな感じで?

藤原:いろんな映画で役者が演じている登場人物になって読んでみたりするんです。例えばアル・パチーノさんとか森山未來さんが演じているようにやってみたり、とか。そうすることで、何か新しい視点が見つからないか探ってみたりしています。

——そういうことができるのは、日頃、映画や舞台を通じて役者の演技をシビアに見てるってことですよね。

藤原:というよりは、もともとモノマネが大好きなんです。「ジョーカー」を演じているホアキン・フェニックスとか、役者さんの台詞の言い回しとかを真似して脚本を読んでみる。そこで発見したものを演技に取り入れたりもしています。

——今回、個性的な共演者が多かったのでかなり刺激を受けられたのでは?

藤原:もう、刺激しかなかったですね。これだけの映画人の方々に囲まれてお芝居をさせていただけるというのは夢のような時間で。毎晩、渋川清彦さんや渡辺真起子さんと映画の話をたくさんして本当幸せでしたね。

——渋川さんとの共演シーンはヒリヒリしました。

藤原:渋川さんと演技していると、ロックが頭の中に流れるんですよ。これが不思議で。あるシーンで共演したときは、「フィッシュストーリー」という映画に出てくる「逆鱗」っていうバンドの曲が頭の中に流れて。なんでだろう?と思って部屋に戻って「フィッシュストーリー」のことを調べたら、なんと逆鱗でドラムを叩いているのが渋川さんだったんです(笑)。それを知って、めっちゃ興奮しました。記憶の点と点がバン!ってつながって、めちゃくちゃヒリヒリする瞬間でしたね。

何者かを演じることで仮面を取ることができる

——驚きですね! 今回の物語は極限状態に置かれた人々を描いていますが、ホテルで展開していく人間関係をどんなふうに思われました?

藤原:こういうどこかに閉じ込められるドラマって、登場人物たちがどんどん追い詰められて、殺し合いが起こったりすることが多いじゃないですか。狂気に走っていくというか。でも、この物語では牧雄一郎が秩序を提案して、争いなく生きていこうとする。そして、自分たちがいる世界を良くしようとしているうちに、破滅に向かっている外の世界のことにだんだん無関心になっていく。そういうところが今っぽいと思いました。

——みんな社会でうまくやっていけなかった人たちだから、相手を押しのけようとする悪意は持っていない。だからこそ、奇妙な共同生活が成り立つのかもしれませんね。

藤原:そうですね。ホテルに残された人たちって、今まで生きていた世界が嫌で仕方なくホテルに来た人ばかりじゃないですか。でも、謎の巨大生物が発生したことによって、自分が関わった社会や自分の知り合いとの関係が途切れてしまう。そこで彼らは自分自身に立ち戻って、自分が何のために生きているのか、何がしたかったのかを改めて考えて生きることを選択する。そういうところはピュアだと思いますね。

——そんな中で牧は小説を書き始めます。

藤原:世界が終わるかもしれない。食料がいつかは尽きることが分かっているのに小説を書く。欲望の一番深いところに「物語を書きたい!」という気持ちがあるのが、めちゃくちゃ素敵だと思いました。じゃあ、自分が同じ状況にいたら、一人芝居を始めるのかなって考えたりしますよね。みんなこれまで苦しい思いをして生きてきたから、リセットできる機会を得た時に自分がなりたいものになろうとする。前向きに未来に向き合おうとするんでしょうね。それが素晴らしいと思いました。

——自分のなりたいものになろうとする、というのは、何かを演じる、ということでもありますよね。それは役者が役を演じることと近いと思われますか?

藤原:めちゃくちゃ近いと思いますね。僕はどこかで現実の自分に嫌気が差していて。役を演じることで誰かになりたいっていう気持ちがすごくあるんです。社会で生きていくというのは、多かれ少なかれ仮面をかぶって自分の本心を隠していると思うんです。でも、何者かを演じていると、その仮面を取ってもいい瞬間があるんです。

——演技の時は役という仮面をかぶるのではなく、逆に仮面を取るんですか。

藤原:そうなんです。演技のときは、仮面をかぶるのではなく取るんです。そうじゃないと、言葉が人に届かなかったりするんです。僕にとって本当に感動する演技というのは、役者が仮面を外して裸の心を見せてくれたときで。そういう瞬間に観客の心は動くので、自分もそういうことができる俳優でありたいと思っていますね。

演技というのは原則的には嘘なんですけど、その嘘の中にも真実があると思っていて。フィクションだからこそ、人の胸を打つ本心が描き出せる。そのためには、リスクを背負ってでも、日常で被ってきた仮面を捨てて本当の自分で勝負しなくてはいけない。それができたときに、俳優という仕事の一番の醍醐味を感じるんですよね。

——思えば人は仮面をつけて生きているのかもしれませんね。親に対して、友達に対して、恋人に対して、それぞれ違う仮面をつけて自分を演じている。

藤原:そういう意識は子供の頃からありました。話す相手によって自分が違っていたので、本当の自分はどこにいるんだろうって思っていたんです。でも、19歳で初めて演劇をやったとき、誰かが書いた台詞を読んでいるのに本当の自分が出せた気がして、すごく快感を覚えたんです。めちゃくちゃ不思議な現象でしたね。

——演技以外では、そういう体験はなかった?

藤原:ありませんでした。いろんな表現方法があると思うんですけど、自分には何かを演じることがフィットしたんだと思います。それ以来、生きていく上で役者の仕事はすごく重要なことになったんです。どんなぜいたくをしても、演技をしたときのように心が満たされることはないと思いますね。

「自分にできることを精一杯やるしかない」

——これから役者として、こんな表現ができるようになりたいとか、何か目指していることはありますか?

藤原:ありますね。佇まいっていうものがすごく大切だと思っていて。それって、自分が普段何を考えて、どんなふうに生きているかっていうことが身体からにじむということなのかなって思っているんですけど、そういうものが感じられるような人になりたい。自分が影響を受けた先輩方には、そういう佇まいを感じるんです。

今僕は31歳なんですけど、佇まいが出るには場合によっては30年以上かかるかもしれない。それまで、どうしようかと思っていて。今、自分にできることを精一杯やるしかないんですけど、最近、限界を感じ始めているというか、もっと新しい自分になりたい。どうやったら生き方が濃くなるだろうって考えながら、一生懸命、日々を過ごしています。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLING:TAKASHI USUI(THYMON Inc.)
HAIR&MAKEUP:MOTOKO SUGA
シャツ 12万1000円、パンツ14万3000円、シューズ 8万6900円/全てエンポリオ アルマーニ(ジョルジオ アルマーニ ジャパン 03-6274-7070)

■映画「あるいは、ユートピア」
渋谷・ユーロスペースで2024年11月16〜29日まで期間限定で劇場公開

大量発生した謎の巨大生物によってホテルに残された12人。非暴力&不干渉を合言葉に助け合いながら平穏に暮らしている。そんな中、一人の人物が遺体となって発見される。轟音が鳴りやまないながらも平和な日々は、果たして地獄か理想郷か。第34回東京国際映画祭Amazon Prime Video テイクワン賞受賞者の金允洙監督長編デビュー作。

出演:藤原季節 渋川清彦 吉岡睦雄 原日出子 渡辺真起子 大場みなみ
杉田雷麟 松浦りょう 愛鈴 金井勇太 / 吉原光夫 篠井英介 麿赤兒
監督・脚本:金允洙
プロデューサー:森重晃、菊地陽介 
音楽:竹久圏
撮影:古屋幸一
編集:日下部元孝
ポストプロダクション:ソニーPCL 
制作プロダクション:レプロエンタテインメント
製作:Amazon MGM Studios
©2024 Amazon Content Services LLC or its Affiliates.

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藤原季節が語る「俳優という仕事」 「演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる」

PROFILE: 藤原季節/俳優

PROFILE: (ふじわら・きせつ)1993年1月18日生まれ、北海道出身。小劇場での活動を経て2013年から俳優としてのキャリアをスタート。20年には、主演を務めた「佐々木、イン、マイマイン」がスマッシュヒットを記録し、「his」とあわせて同年の第42回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。翌年には第13回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を受賞するなど、デビュー以降、映画のみならずドラマ、舞台など幅広く活動を続けている。その他の近作として、映画「空白」(21)、「わたし達はおとな」(22)、「少女は卒業しない」(23)、「辰巳」(24)など。現在、映画「東京ランドマーク」(林知亜季監督)が全国順次公開中。

巨大生物が大量に発生して、ホテルから出られなくなった12人の人々。そこで繰り広げられるドラマを描いた映画「あるいは、ユートピア」は東京国際映画祭Amazon Prime Videoテイクワン賞受賞の取り組みの一環として、Amazon MGM Studiosによって製作された。新進気鋭の監督、金允洙(キム・ユンス)のもと、渋川清彦、渡辺真起子、吉岡睦雄、原日出子、大場みなみ、麿赤兒など、個性豊かなキャストが集結した。そこで主人公の牧雄一郎を演じたのは藤原季節。3週間にわたってキャスト全員が同じホテルに宿泊して撮影を行うという現場で、藤原はどのように役に向き合ったのか。演じているときだけ本当の自分をさらけ出せる、という藤原に、映画のこと、そして、演じることについて話を聞いた。

「脚本をどれだけ深く読解できるか」

——本作はホテルを舞台にした密室劇のようなところがありますが、実際にホテルを借り切って撮影が行われたそうですね。

藤原季節(以下、藤原):そうです。全部のシーンが同じホテルで撮影されて、キャストやスタッフはそのホテルに宿泊しました。キャストは3週間くらい泊まって、スタッフさんはもっと長かったんじゃないでしょうか。そんなふうに関係者全員が同じホテルに長期間滞在して撮影するのは珍しいと思いますね。

——3週間も! それだけ一緒にいたら、映画の登場人物たちと同じように連帯感が生まれそうですね。

藤原:連帯感はかなりありましたね。キャストもスタッフも一緒にご飯を食べていましたし、キャストの原日出子さんが手料理を振る舞ってくださったり。ご飯を食べた後も、気が付いたらみんなで一緒に歌を歌ったり、本当に“ユートピア”みたいでした。日が経つにつれて、どんどん外の世界から隔離されたような感覚になっていきました。

——朝から夜まで一緒ということは、脚本の読み合わせやリハーサルは念入りにやられたんですか?

藤原:繰り返し念入りにやりました。カメラが回った瞬間に表出してくる生の感情が良いっていうのも分かるんですけど、そこで何を大切にしなきゃいけないかは脚本の中に書かれていると思っていて。脚本をどれだけ深く読解できるかっていうのが一番大切なことだと僕は思っています。その作業を自分一人じゃなくて、ほかのキャストや監督とできるのは、僕にとってめちゃくちゃありがたいことでしたね。本読みでディスカッションをして準備を重ねておいて、現場に入った時に生の感情で初めて勝負するようにしていました。

——脚本を読むときに大切にしていることはありますか?

藤原:まず、最初は観客として読みます。子供が初めてお話を読んでるときのような純粋な気持ちで読むことを意識していますが、それ以外だと、いろんな人間になりきって声を出してみたりもしていますね。

——例えばどんな感じで?

藤原:いろんな映画で役者が演じている登場人物になって読んでみたりするんです。例えばアル・パチーノさんとか森山未來さんが演じているようにやってみたり、とか。そうすることで、何か新しい視点が見つからないか探ってみたりしています。

——そういうことができるのは、日頃、映画や舞台を通じて役者の演技をシビアに見てるってことですよね。

藤原:というよりは、もともとモノマネが大好きなんです。「ジョーカー」を演じているホアキン・フェニックスとか、役者さんの台詞の言い回しとかを真似して脚本を読んでみる。そこで発見したものを演技に取り入れたりもしています。

——今回、個性的な共演者が多かったのでかなり刺激を受けられたのでは?

藤原:もう、刺激しかなかったですね。これだけの映画人の方々に囲まれてお芝居をさせていただけるというのは夢のような時間で。毎晩、渋川清彦さんや渡辺真起子さんと映画の話をたくさんして本当幸せでしたね。

——渋川さんとの共演シーンはヒリヒリしました。

藤原:渋川さんと演技していると、ロックが頭の中に流れるんですよ。これが不思議で。あるシーンで共演したときは、「フィッシュストーリー」という映画に出てくる「逆鱗」っていうバンドの曲が頭の中に流れて。なんでだろう?と思って部屋に戻って「フィッシュストーリー」のことを調べたら、なんと逆鱗でドラムを叩いているのが渋川さんだったんです(笑)。それを知って、めっちゃ興奮しました。記憶の点と点がバン!ってつながって、めちゃくちゃヒリヒリする瞬間でしたね。

何者かを演じることで仮面を取ることができる

——驚きですね! 今回の物語は極限状態に置かれた人々を描いていますが、ホテルで展開していく人間関係をどんなふうに思われました?

藤原:こういうどこかに閉じ込められるドラマって、登場人物たちがどんどん追い詰められて、殺し合いが起こったりすることが多いじゃないですか。狂気に走っていくというか。でも、この物語では牧雄一郎が秩序を提案して、争いなく生きていこうとする。そして、自分たちがいる世界を良くしようとしているうちに、破滅に向かっている外の世界のことにだんだん無関心になっていく。そういうところが今っぽいと思いました。

——みんな社会でうまくやっていけなかった人たちだから、相手を押しのけようとする悪意は持っていない。だからこそ、奇妙な共同生活が成り立つのかもしれませんね。

藤原:そうですね。ホテルに残された人たちって、今まで生きていた世界が嫌で仕方なくホテルに来た人ばかりじゃないですか。でも、謎の巨大生物が発生したことによって、自分が関わった社会や自分の知り合いとの関係が途切れてしまう。そこで彼らは自分自身に立ち戻って、自分が何のために生きているのか、何がしたかったのかを改めて考えて生きることを選択する。そういうところはピュアだと思いますね。

——そんな中で牧は小説を書き始めます。

藤原:世界が終わるかもしれない。食料がいつかは尽きることが分かっているのに小説を書く。欲望の一番深いところに「物語を書きたい!」という気持ちがあるのが、めちゃくちゃ素敵だと思いました。じゃあ、自分が同じ状況にいたら、一人芝居を始めるのかなって考えたりしますよね。みんなこれまで苦しい思いをして生きてきたから、リセットできる機会を得た時に自分がなりたいものになろうとする。前向きに未来に向き合おうとするんでしょうね。それが素晴らしいと思いました。

——自分のなりたいものになろうとする、というのは、何かを演じる、ということでもありますよね。それは役者が役を演じることと近いと思われますか?

藤原:めちゃくちゃ近いと思いますね。僕はどこかで現実の自分に嫌気が差していて。役を演じることで誰かになりたいっていう気持ちがすごくあるんです。社会で生きていくというのは、多かれ少なかれ仮面をかぶって自分の本心を隠していると思うんです。でも、何者かを演じていると、その仮面を取ってもいい瞬間があるんです。

——演技の時は役という仮面をかぶるのではなく、逆に仮面を取るんですか。

藤原:そうなんです。演技のときは、仮面をかぶるのではなく取るんです。そうじゃないと、言葉が人に届かなかったりするんです。僕にとって本当に感動する演技というのは、役者が仮面を外して裸の心を見せてくれたときで。そういう瞬間に観客の心は動くので、自分もそういうことができる俳優でありたいと思っていますね。

演技というのは原則的には嘘なんですけど、その嘘の中にも真実があると思っていて。フィクションだからこそ、人の胸を打つ本心が描き出せる。そのためには、リスクを背負ってでも、日常で被ってきた仮面を捨てて本当の自分で勝負しなくてはいけない。それができたときに、俳優という仕事の一番の醍醐味を感じるんですよね。

——思えば人は仮面をつけて生きているのかもしれませんね。親に対して、友達に対して、恋人に対して、それぞれ違う仮面をつけて自分を演じている。

藤原:そういう意識は子供の頃からありました。話す相手によって自分が違っていたので、本当の自分はどこにいるんだろうって思っていたんです。でも、19歳で初めて演劇をやったとき、誰かが書いた台詞を読んでいるのに本当の自分が出せた気がして、すごく快感を覚えたんです。めちゃくちゃ不思議な現象でしたね。

——演技以外では、そういう体験はなかった?

藤原:ありませんでした。いろんな表現方法があると思うんですけど、自分には何かを演じることがフィットしたんだと思います。それ以来、生きていく上で役者の仕事はすごく重要なことになったんです。どんなぜいたくをしても、演技をしたときのように心が満たされることはないと思いますね。

「自分にできることを精一杯やるしかない」

——これから役者として、こんな表現ができるようになりたいとか、何か目指していることはありますか?

藤原:ありますね。佇まいっていうものがすごく大切だと思っていて。それって、自分が普段何を考えて、どんなふうに生きているかっていうことが身体からにじむということなのかなって思っているんですけど、そういうものが感じられるような人になりたい。自分が影響を受けた先輩方には、そういう佇まいを感じるんです。

今僕は31歳なんですけど、佇まいが出るには場合によっては30年以上かかるかもしれない。それまで、どうしようかと思っていて。今、自分にできることを精一杯やるしかないんですけど、最近、限界を感じ始めているというか、もっと新しい自分になりたい。どうやったら生き方が濃くなるだろうって考えながら、一生懸命、日々を過ごしています。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLING:TAKASHI USUI(THYMON Inc.)
HAIR&MAKEUP:MOTOKO SUGA
シャツ 12万1000円、パンツ14万3000円、シューズ 8万6900円/全てエンポリオ アルマーニ(ジョルジオ アルマーニ ジャパン 03-6274-7070)

■映画「あるいは、ユートピア」
渋谷・ユーロスペースで2024年11月16〜29日まで期間限定で劇場公開

大量発生した謎の巨大生物によってホテルに残された12人。非暴力&不干渉を合言葉に助け合いながら平穏に暮らしている。そんな中、一人の人物が遺体となって発見される。轟音が鳴りやまないながらも平和な日々は、果たして地獄か理想郷か。第34回東京国際映画祭Amazon Prime Video テイクワン賞受賞者の金允洙監督長編デビュー作。

出演:藤原季節 渋川清彦 吉岡睦雄 原日出子 渡辺真起子 大場みなみ
杉田雷麟 松浦りょう 愛鈴 金井勇太 / 吉原光夫 篠井英介 麿赤兒
監督・脚本:金允洙
プロデューサー:森重晃、菊地陽介 
音楽:竹久圏
撮影:古屋幸一
編集:日下部元孝
ポストプロダクション:ソニーPCL 
制作プロダクション:レプロエンタテインメント
製作:Amazon MGM Studios
©2024 Amazon Content Services LLC or its Affiliates.

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森勉、「モロー・パリ」とのコラボを語る 「犬の散歩が全ての発端でした」

PROFILE: (左)森勉/アーティスト (右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー

(左)森勉/アーティスト<br />
(右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー
PROFILE: (左)東京生まれ。日本人の父、アメリカ人の母をもつ。ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに入学し、グラフィックデザインを専攻。卒業後は帰国し、ビーズインターナショナルでグラフィックデザイナーとして活躍する。2010年、伊藤忠商事とデザイナーの豊田洋人とともに「ホワイト・レーベン」を立ち上げた。ファッション業界で活躍するかたわら、アート活動も精力的に継続。2015 年から 2016 年には、セゾン現代美術館が運営するアートギャラリーのメイン契約作家にも抜擢された。現在は、アーティストの活動に専念している PHOTO:SHUHEI SHINE

「犬の散歩友達」「サイクリング仲間」「飲み友」――アーティストの森勉とファビアン・フルーリー=メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャーの関係性を表す言葉はたくさんあるが、今回は初めてお互いを「コラボレーター」と呼び合う。森はこのほど、仏バッグブランド「モロー・パリ(MOREAU PARIS)」とのコラボレーションを発表した。両者に由縁のあるハチをモチーフにしたバッグを、三越銀座店でマーカージュ(ペインティング加工)演出とともにお披露目する。「このコラボは2人の関係性があって実現した」と語る森に、自身の作風やコラボの内容を深掘りした。

幼少期の環境を土台に、現在の作風へ

祖母はファッションデザイナーの森英恵。育ってきた環境は、作風に大きな影響を与えたと森勉は語る。「大胆な色使いは、間違いなく祖母からの影響です。また、祖母の『真に美しいものには、ある種の気持ち悪さが宿る』という言葉にも共感しており、私が爬虫類に魅せられる理由のように感じています。そういえば、得意とする立体点描も、ワニやヘビのうろこを点で描いていたのが始まりでした。そのとき、一気に作品が引き締まったと感じたんですよね」。

立体点描とは、粘着力の強い絵の具を使用し、極限の集中力のもと、極小の点で描き上げる手法。「ポイントとなるのは絵の具で、今では何千個と手元にそろえています。一般的な画材屋はもちろん、海外の滞在先でもつい見てしまいますし、最近はヤフオクやメルカリでも良い絵の具に出合うことができます」。

“自然発生”したコラボ? 両者をつなぐ縁

今回のコラボで採用したのはハチのモチーフだ。ハチの腹部は、森勉と「モロー・パリ」の頭文字“M”をもとにデザインした。トリコロールで、フランスへのリスペクトを表現したという。「慣れないバッグへのペイントですが、『モロー・パリ』はスムースな素材を使用しているため、『バッグへのペイント』と意識することなく描けます。ペイントの耐久性を上げるため、レザー用の絵の具やアクリルのトップコートを使用するなど、普段と違う工程も新鮮です」とはにかむ。

ハチは、ポジティブな意味合いが強く、かのナポレオンも繁栄と豊穣の象徴として紋章にあしらっていたことで知られる。「モロー・パリ」創設者のルイ・モローがナポレオンお抱えの家具職人であったこと、森も昆虫や爬虫類を主題に作品を発表していることから、「これしかない!」と満場一致で決定したという。

「今回のコラボは、自然で作り込まれた感がないはずです。実現の経緯もとてもナチュラル。実は、立役者のファビアンは、5年来の友人なんです。犬の散歩中に仲良くなり、意気投合。スタジオにも足を運んでくれ、彼がペイントサービスに定評のある『モロー・パリ』に勤めていることから、コラボの話が自然に浮上しました。そこからはとんとん拍子で事が進み、今回のポップアップに至ります」。インタビュー中、繰り返し出てきたのは“自然体”“ナチュラル”という言葉。「自分に正直でなければ、厚みのあるアートは生まれない」とまっすぐ語る森に、時流に飲まれず生き様を貫く“アーティストの本懐”を見る。

◼️「モロー・パリ」ポップアップストア
日程:11月13日~26日
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ
住所:東京都中央区銀座4-6-16

◼️森勉によるマーカージュ実演
日程:11月 13日、16日、17日、23日、24日
時間:14:00〜18:00
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ(同上)
住所:東京都中央区銀座4-6-16(同上)

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森勉、「モロー・パリ」とのコラボを語る 「犬の散歩が全ての発端でした」

PROFILE: (左)森勉/アーティスト (右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー

(左)森勉/アーティスト<br />
(右)ファビアン・フルーリー/メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャー兼VMDマネージャー
PROFILE: (左)東京生まれ。日本人の父、アメリカ人の母をもつ。ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに入学し、グラフィックデザインを専攻。卒業後は帰国し、ビーズインターナショナルでグラフィックデザイナーとして活躍する。2010年、伊藤忠商事とデザイナーの豊田洋人とともに「ホワイト・レーベン」を立ち上げた。ファッション業界で活躍するかたわら、アート活動も精力的に継続。2015 年から 2016 年には、セゾン現代美術館が運営するアートギャラリーのメイン契約作家にも抜擢された。現在は、アーティストの活動に専念している PHOTO:SHUHEI SHINE

「犬の散歩友達」「サイクリング仲間」「飲み友」――アーティストの森勉とファビアン・フルーリー=メゾンモロージャパン セールスプロモーションマネージャーの関係性を表す言葉はたくさんあるが、今回は初めてお互いを「コラボレーター」と呼び合う。森はこのほど、仏バッグブランド「モロー・パリ(MOREAU PARIS)」とのコラボレーションを発表した。両者に由縁のあるハチをモチーフにしたバッグを、三越銀座店でマーカージュ(ペインティング加工)演出とともにお披露目する。「このコラボは2人の関係性があって実現した」と語る森に、自身の作風やコラボの内容を深掘りした。

幼少期の環境を土台に、現在の作風へ

祖母はファッションデザイナーの森英恵。育ってきた環境は、作風に大きな影響を与えたと森勉は語る。「大胆な色使いは、間違いなく祖母からの影響です。また、祖母の『真に美しいものには、ある種の気持ち悪さが宿る』という言葉にも共感しており、私が爬虫類に魅せられる理由のように感じています。そういえば、得意とする立体点描も、ワニやヘビのうろこを点で描いていたのが始まりでした。そのとき、一気に作品が引き締まったと感じたんですよね」。

立体点描とは、粘着力の強い絵の具を使用し、極限の集中力のもと、極小の点で描き上げる手法。「ポイントとなるのは絵の具で、今では何千個と手元にそろえています。一般的な画材屋はもちろん、海外の滞在先でもつい見てしまいますし、最近はヤフオクやメルカリでも良い絵の具に出合うことができます」。

“自然発生”したコラボ? 両者をつなぐ縁

今回のコラボで採用したのはハチのモチーフだ。ハチの腹部は、森勉と「モロー・パリ」の頭文字“M”をもとにデザインした。トリコロールで、フランスへのリスペクトを表現したという。「慣れないバッグへのペイントですが、『モロー・パリ』はスムースな素材を使用しているため、『バッグへのペイント』と意識することなく描けます。ペイントの耐久性を上げるため、レザー用の絵の具やアクリルのトップコートを使用するなど、普段と違う工程も新鮮です」とはにかむ。

ハチは、ポジティブな意味合いが強く、かのナポレオンも繁栄と豊穣の象徴として紋章にあしらっていたことで知られる。「モロー・パリ」創設者のルイ・モローがナポレオンお抱えの家具職人であったこと、森も昆虫や爬虫類を主題に作品を発表していることから、「これしかない!」と満場一致で決定したという。

「今回のコラボは、自然で作り込まれた感がないはずです。実現の経緯もとてもナチュラル。実は、立役者のファビアンは、5年来の友人なんです。犬の散歩中に仲良くなり、意気投合。スタジオにも足を運んでくれ、彼がペイントサービスに定評のある『モロー・パリ』に勤めていることから、コラボの話が自然に浮上しました。そこからはとんとん拍子で事が進み、今回のポップアップに至ります」。インタビュー中、繰り返し出てきたのは“自然体”“ナチュラル”という言葉。「自分に正直でなければ、厚みのあるアートは生まれない」とまっすぐ語る森に、時流に飲まれず生き様を貫く“アーティストの本懐”を見る。

◼️「モロー・パリ」ポップアップストア
日程:11月13日~26日
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ
住所:東京都中央区銀座4-6-16

◼️森勉によるマーカージュ実演
日程:11月 13日、16日、17日、23日、24日
時間:14:00〜18:00
場所:三越銀座店 本館1階 GINZAステージ(同上)
住所:東京都中央区銀座4-6-16(同上)

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有村架純と脚本家・岡田惠和が語るドラマ「さよならのつづき」での新たな挑戦

PROFILE: 有村架純/俳優(右)、岡田惠和/脚本家(左)

PROFILE: (ありむら・かすみ)1993年、兵庫県生まれ。2010年に「ハガネの女」でドラマデビューし、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」(13)の好演で注目を集める。映画「ビリギャル」(15)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞・新人俳優賞W受賞。同作と「ストロボ・エッジ」(15)で、ブルーリボン賞主演女優受賞。「何者」、「夏美のホタル」(16)で日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞新人賞受賞。「ひよっこ」(18)で橋田賞 新人賞、「花束みたいな恋をした」で、日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞受賞。その他の主な出演作に、映画「コーヒーが冷めないうちに」(18)、Netflix 映画「ちひろさん」(23)、ドラマ「太陽の子」(20)、「姉ちゃんの恋人」(22)、NHK大河ドラマ「どうする家康」(23)、「海のはじまり」(24)など。今後も映画「花まんま」(25年春公開)や映画「ブラック・ショーマン」(25年公開)などの作品が控えている。 (おかだ・よしかず)1959年、東京都出身。99年にドラマ「彼女たちの時代」で芸術選奨新人賞放送部門受賞。2001年、NHK 連続テレビ小説「ちゅらさん」で向田邦子賞・橋田賞。19 年に紫綬褒章受賞。主な作品に、ドラマ「最後から二番目の恋」(12)、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」(17)、「そして、生きる」(19)、「姉ちゃんの恋人」(20)、「日曜の夜ぐらいは…」(23)、「南くんが恋人!?」(24)、映画「いま、会いにゆきます」(04)、「8年越しの花嫁 奇跡の実話」(17)、「余命10年」(22)、「メタモルフォーゼの縁側」(22)など。

有村架純と坂口健太郎がダブル主演を務めるNetflixシリーズ「さよならのつづき」の配信が11月14日にスタートした。本作で有村が演じるのは、傷ついた人を笑顔にする最高においしいコーヒーを世界に広めようと奮闘する菅原さえ子。一方の坂口は、子供の頃から体が弱く多くのことを諦めてきた大学職員の成瀬和正を演じる。事故で最愛の恋人を失ったさえ子と、その恋人に命を救われた成瀬。北海道、ハワイの壮大な風景を舞台に、運命に翻弄される2人の美しくも切ない、“さよなら”から始まる愛の物語だ。

完全オリジナルストーリーである本作の脚本を手掛けたのはNHK連続テレビ小説「ひよっこ」や映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」「余命10年」などで知られる岡田惠和。

これまでに何度もタッグを組んできた有村と岡田。「さよならのつづき」での新たな挑戦について、2人の対話から探っていく。

海外を見据えた脚本

——有村さんが、今回の「さよならのつづき」の脚本を読んで、これまでにない新たな部分を感じたところはありましたか?

有村架純(以下、有村):今回も、岡田さんらしさというものは決して失われずに、でもどこか今まで見ていた視点と違うところからアプローチして書かれているのかなーということは脚本を読みながら感じました。岡田さんの脚本にはいつも「・・・」が多かったんです。でも今回はあまり「・・・」がなくて。ちゃんと主人公のさえ子が、自分の気持ちを言葉にして、誠実に人生を歩んでいくという人物像になっているからかなと思いました。

岡田惠和(以下、岡田):今回、最初はいつも通り書いて、その後に自分で編集するみたいな感じで書きました。いろんな国の言葉に翻訳されるんだろうなと思ったので、訳しにくい言葉にはしないようにと考えました。

——「・・・」を少なくしようと意識されたのでしょうか?

岡田:僕の場合、「・・・」は確かに多いんですよ。それは、演じる役者さんの思う間で演じてほしいという思いがありました。でも、今回はテンポが落ちない方がいいと思ったので、多少、少なくしました。それでも残っていたとは思うんですけどね。

——岡田さんは今回、ハリウッドで行われたバイブルワークショップにも行かれたそうですね。

岡田:世界に通用するキャラクターとは何かというレッスンを受けた後、ハリウッドでショーランナーとして長年活動してきた方に書き上げたプロットを見せてトークセッションをしたりしました。Netflixの仕事は初めてでしたが、今回は全てにおいて新鮮でした。早く脚本を書き始められたことも、脚本を全部書いてから撮影に入れたことも新鮮でした。いつもの連続ドラマは、撮影と並行して脚本を書くことも多く、できあがった映像を見ながら少し脚本にフィードバックしていく、ということもあったんですけど、それは今回はありませんでした。でも、撮影に入る前に、何度も直せる時間もあって、それが楽しかったですね。

——NHKの朝ドラ「ひよっこ」からご一緒されている黒崎博監督にとっても、新しい試みが多かったのではないかと思うのですが、有村さんが撮影現場で何か感じられたことはありましたか?

有村:「ひよっこ」のときも、「映画 太陽の子」のときも、黒崎さんは自分の明確なイメージを持って演出されているという方だと思っていました。でも今回は、いろんな意見を受け止めたり、現場で生まれるものをより細かくキャッチして、一緒に作っていこうという感じを受けました。今回、黒崎監督だけでなく、撮影監督も美術監督もいらっしゃったので、現場には3人の監督がいるような感じがありました。そういう撮影も、黒崎監督も初めてだったのではないかと思います。ワンシーン撮るごとに、3人でこの画はいるのかどうかということを意見交換しながら撮影していたので、きっと柔らかい姿勢で臨まれていたのかなと想像しました。

「岡田さんの作品には人柄とか生き様みたいなものがにじみ出ている」(有村)

——長い準備期間に有村さんと岡田さんのお2人が直接この作品についてお話しされたことはあったのでしょうか。

岡田:直接話すことはそんなになかったんですが、このドラマのプロデューサーの岡野真紀子さんとは本当に時間をかけて話し合っています。だから岡野さんは、この部分はこういう気持ちで書いているっていう正解を100%知っているので、(岡野さんが)有村さんと話されるときも、僕の書いたときの気持ちが正確に伝わっていたと思います。

——有村さんは撮影に入って、岡野さんや監督とやりとりする中で、さらに解釈が深まった部分はありましたか?

有村:そうですね。さえ子というキャラクターについて、周りの皆さんと話している中で、エネルギッシュで自分の気持ちにいつも誠実に向き合って生きている女性像にしようということになりました。私にとっても、さえ子は演じたことのないような女性だったので、さえ子という人を知っていく中で、どんどん魅力的に感じました。

——坂口健太郎さんが演じる大学職員の成瀬和正とのシーンは、繊細なシーンばかりだったのではないでしょうか?

有村:今回も、とても難しい作品を一緒にチャレンジさせてもらいました。過去作品でも坂口さんとは、お互いに傷つけあう役どころだったり、思いあっているけれど、別の人生を歩んでいく役だったりと、一筋縄ではいかないものばかりでした。今回も2人で、「とっても難しい作品だね」って話していました。2人で話し合った結果、「もしかしたら、こういうシーンがあったらいいんじゃないか」と思うところがあって、すごく短い部分ではありますが、追加のシーンを撮ることになったりということもありました。本当に、みんなで一緒になって作っていきました。

——それはどのようなシーンだったんですか?

有村:成瀬が働く大学の施設の中にカフェを作ろうということになって、コーヒーの専門家であるさえ子が偶然、一緒に働くことになるんです。そのときに、2人が一緒になにかを成し遂げるプロセスを見せるシーンがあまりなかったので、それを少しだけ追加してもらいました。2人が恋愛とかそういうことではなく、なんとなく一緒に行動することで通じ合ったという気持ちが、少しだけ濃く見えたらいいのかなっていうことで、追加してもらったんです。

——岡田さんにお聞きしたいんですが、有村さんが演じるからこそ書けた「さえ子」像というものはありましたか?

岡田:何度か一緒にお仕事をさせてもらっているので、やっぱり有村さんに「同じ球」は投げたくないんですよね。しかも、有村さんは僕の脚本も、ほかの方の脚本もたくさん読まれているので、こちらの気合が入ってなかったりしたらすぐにバレてしまうだろうなと(笑)。今回は、いつもと少し違うアプローチをしようとしたことも、有村さんには気付いていただけたのかなと。今までの日本のドラマに登場するヒロインって、か弱く見えたり、耐えるキャラクターだったりという部分があったと思うんですね。今回はそういう要素を書くというよりも、基本的に全部、自分で決定しますっていう潔い感じにしたいなというのがありました。今まで書いたことのないもので有村さんとご一緒できて幸せでした。

——全て書き終わったあとに、一話をかなり書きかえたとのことですが、それは本当ですか?

岡田:書き直しましたよ。でもそれもぜいたくなことで、1回ゼロにしても書ける時間がありましたから。一話の中で、坂口健太郎さん演じる成瀬がどこでどんな風に登場するかということにたどり着くまでに紆余曲折もありました。プロデューサーから「一話の内容を変えませんか?」って言われたときは、一瞬、思考が止まりましたけどね(笑)。でも、一度書いたものを変えていける時間や余裕があるということは、ありがたかったですね。

——有村さんは、初めて脚本を読まれたとき、どんな感覚を受けましたか?

有村:岡田さんから生まれるキャラクターはいつでも同じではないですし、岡田さんのセリフは、いつも心に残るものがあります。今回も、すごく身近に感じられる素敵なセリフがたくさんあるなと思いながら読みました。それとやっぱり、岡田さんの作品には、岡田さんの人柄とか生き様みたいなものがにじみ出ているもので、今回もそれを感じました。

「自分が書くときにしんどい方の道を選ぶ」(岡田)

——途中は厳しいこともたくさんあるけれど、たどり着いたところはとても温かいものになっていて、そんなところも岡田さんらしい脚本なのかなと思いました。最後の着地点については、最初から決まっていたのでしょうか?

岡田:今回はある程度は決まっていたという感じですね。やっぱり書いていく中で役が育っていくということはあります。今回は、最初に設定ができあがったときから、全員きつい道を歩む役だなと思ってたんです。さえ子にしても、坂口さんが演じる成瀬にしても、中村ゆりさん演じるミキにしても。この3人はそれぞれ、答えの出ない厳しい選択をしなくてはいけないし、そういうドラマなんです。厳しいだけに、最終的にどんな選択をすれば気持ちよく終わらせられるかということが大事だったんですね。だから、途中は、それぞれがあんまり楽な方に行かないように、自分が書くときにしんどい方の道を選びました。そうすると演じる俳優の3人にとってもしんどいことになると思うけれど、これはそういうドラマなんだなと自分でも思いました。

——「しんどい方の道を選ぶ」という書き方は、普段はされないことなんですか?

岡田:そうですね。今回は3人ともに、誰も悪くないんだけど、なんでこんなにしんどいことになるんだろうということになっています。さえ子とミキのシーンを書いているときは、自分でも気分が重かったです。ここは勝負なんだという感じで。

——その「しんどい」ところから、結末に至るまではいかがでしたか?

岡田:2回目のさえ子とミキのシーンを書けたのでなんとかなりました。さえ子とミキは、ドラマの中で2回しか会わないんですけど、2人の俳優さんを信じたからこそ書けた感覚があって、うれしかったですね。

——有村さんは、演じてみていかがでしたか?

有村:私もさえ子とミキのシーンを演じるときにものすごく緊張がありました。このシーンの撮影が来ないでほしいと思ってたくらいでした。でも、今岡田さんのお話を聞いたら、自分がこのシーンしんどいなって思ってたとき、岡田さんもしんどいなって思いながら書いてたんだって分かりました。作品って、監督も脚本家さんも演者も、みんな闘ってできているんだなとも思いました。ミキの気持ちも分かるからこそ、自分がもしさえ子の立場だったら、「ごめんなさい」って言って身を引いてしまうと思うんですけど、でもさえ子も、自分の気持ちに誠実だからこそ、「なんで会っちゃいけないんですか」という気持ちをこぼしてしまう。そのセリフを言うときのさえ子の気持ちの強さが少し怖くて……。でも、ちゃんと説得力のあるものにしなきゃって思って演じていました。

——できあがった映像を見て、岡田さんはどう感じられましたか?

岡田:できあがった作品を見て、そのクレジットの中に自分の名前があることが誇らしいなと思ったし、いろんな方の力を感じて幸せでした。有村さんとも、何作も一緒にやってこられたことが幸せだと思ったし、でも決して慣れ合っているとかではなくて、毎回緊張感もあって、そんな関係であることもうれしいですし。そして、さえ子が大好きだなと思いました。

——この作品は、海外でも見られることが多いんじゃないかと思います。有村さんは、「第29回釜山国際映画祭・オンスクリーン部門」で上映されたときに韓国で舞台挨拶をされたんですよね。反響はいかがでしたか?

有村:韓国で見られた方たちが、「なんで2話だけしか見られないの?」とおっしゃっていたようで、ちゃんと続きを見たいって思ってくださったんだな、のめり込んで見てくださったんだなって分かってすごくうれしかったです。いろんな国の方に届く作品になるんじゃないかと思えました。

岡田:祈るような気持ちで、いろんな方に「伝わる」といいなと思っていたので、その反響はうれしいですね。でも、どこの場所で見てもらっても、本質的には変わらないことを書いた物語ではあると思っているので、たくさんの方に届けばいいなと思っています。

PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
STYLIST:[KASUMI ARIMURA]YUMIKO SEGAWA、[YOSHIKAZU OKADA]DAN
HAIR & MAKEUP:[KASUMI ARIMURA]IZUMI OMAGARI、[YOSHIKAZU OKADA]MAKI SASAURA(emu)

[KASUMI ARIMURA]トップス 4万7300円/ヨウヘイ オオノ(03-5760-6039)、パンツ 4万9500円/コトナ(kotona@kotona.jp.net)、ネックレス 2万6400円/メゾンドパルス(hello@maisondpulse.com)、リング 28万7100円/e.m.(03-6712-6798)[YOSHIKAZU OKADA]ジャケット 7万7000円、パンツ 3万7400円/ともにグラフペーパー(グラフペーパー東京 03-6381-6171)、その他 スタイリスト私物

■Netflixシリーズ「さよならのつづき」
出演:有村架純 坂口健太郎 
中村ゆり 奥野瑛太  
伊藤歩 古舘寛治 宮崎美子 斉藤由貴 イッセー尾形
生田斗真/三浦友和
脚本:岡田惠和
監督:黒崎博
音楽:アスカ・マツミヤ
主題歌:米津玄師「Azalea」 
撮影監督:山田康介
美術監督:原田満生
エグゼクティブプロデューサー:岡野真紀子
制作プロダクション:テレパック
原案・企画・製作:Netflix
話数:全8話(一挙配信)
Netflix作品ページ:https://www.netflix.com/さよならのつづき

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.4「コスメブランドにクリエイターは不要?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:Vol.2でメイクアップカテゴリーの重要性を語られましたが、このところメイクアップアーティストを「クリエイティブディレクター」や「アーティスティックディレクター」に立てることをやめるブランドが増えているのが気になります。ブランドのキャラクターを作るには欠かせない存在だと思うのですが。

石橋寧(以下、石橋):確かに時代が変わってきて、クリエイティブディレクターとかアーティストの時代ではなくなってきてますね。「RMK」が誕生した90年代は「ボビイ ブラウン(BOBBI BROWN)」や「ローラ メルシエ(LAURA MERCIER)」、「ナーズ(NARS)」といった、いわゆるアーティストコスメ全盛期でした。それが今どうなったかというと、クリエイターがいない、もしくはいても表に出てこない内製化の時代に入っている。その結果は? 個性がなくなり、面白くない商品ばかりですね。

――:まったく同感です。伝説のアーティストたちがバトンをつないできた「インウイ(INOUI)」はブランド復活と同時にアーティストの起用をやめ、最近でも「スリー(THREE)」、「セルヴォーク(CELVOKE)」と続いています。

石橋:クリエイティブディレクターにはクリエイティブディレクターの、アーティストにはアーティストの役割、存在感があり、だからそういう人を使う。でもそれを内製化したら、僕に言わせればマーケティングに商品のどれほどのことが分かるんだ、と。例えば広告代理店などのトレンド予測サービスが“今年の流行色”をその1年くらい前に出して、それをベースに商品を作るから、皆さん似たような色を出されるわけですよね、情報源が同じだから。一方アーティストブランドは、季節に関係なくまったく異なる提案をしてくる。そこが面白いんですよ。RUMIKOさんなんかまさにそうだったけど、昔、「RMK」で秋にピンクだけ出したことがあってそれが大ヒットした。秋だったらワイン系、ブラウン系、ベージュ系が定番じゃないですか。それが、9.11の翌年の秋だったんですよね。アメリカ同時多発テロで世の中が落ち込んでいるからハッピーにしたいということで、全てのアイテムをピンクで出してきた。他のブランドと傾向がまるで違う。それがクリエイティブディレクター、アーティストがいるブランドの強みなわけです。当たり外れはある。毎回当たるわけではない。でも野球選手だって4割バッターはいないんだから。よくて3割。10回プロモーション打ったうちの3回当たればいいと思わないと。必要か必要じゃないかと言われれば、僕はそういう人の能力を高く評価します。

――:トレンドは時代のムードだから、それが投影されてこそワクワクするものが生まれる。アーティストは撮影やショーの現場を踏んでいるから、そういう意味でも強いですよね。

石橋:10年ほど前にピーター・フィリップスが「シャネル(CHANEL)」から「ディオール(DIOR)」に移りましたよね。その時僕は、数年後に「ディオール」の時代がやってくるんだろうなあと思った。お会いしたこともないけれど(笑)。一方「RMK」も「アディクション(ADDICTION)」も昔に比べてクリエイターの存在感が薄いですよね、露出が少ないし。「スック(SUQQU)」も田中宥久子さん以降は表に出していない。時代の流れもあるけれど、結局は経営陣がその人の持っている能力をどう評価するかということですね。

――:日本でアーティストを立てない傾向にあるのは、評価できる経営陣がそもそも少ない?

石橋:何千万円も契約金を払うんだったらやめちまえ、という発想になる。わがまま言うし(笑)。ブランドが大きくなるとクリエイターが自分のブランドだと勘違いしてくることもある。それはそれでいいところもあるんだけれど、経営陣にしてみればわがままでうっとうしく感じるうえ、契約金も跳ね上がるから、以前は10年あたりを節目に変えることが多かったですね。やはり経営陣がクリエイティブディレクターをよく理解し、うまくコミュニケーションを取り続けることが大切になってきます。

――:そういう点では石橋さんはうまくやっていたということですね。

石橋:普通は同じクリエイターを二度も起用することはないからね。世間はどう思われたか分からないけれど、僕が「アンプリチュード(AMPLITUDE)」を立ち上げる時、高品質のかっこいいブランドを日本のブランドとして作りたかったわけですよ。当時ディオールやシャネルが急成長していて、そこで闘えるブランドを作ろうと思った。じゃあそれを誰にやらせよう、誰に関わってもらおうかと考えた時の答えがRUMIKOさんだった。かっこよくて高品質、そして日本のブランドだからどこかに日本を感じるものがなければいけないよ、と。そうして日本の藍色としての“ブラックネイビー”とジパングの“ゴールド”を使った「アンプリチュード」が生まれたわけです。

――:石橋さんはスキンケアにもクリエイティブディレクター的な立場の方を置いていましたよね?

石橋:「スリー(THREE)」も「イトリン(ITRIM)」も同じ女性にお願いしていましたが、通常は自社の研究所なりが作った商品であって、スキンケアのクリエイティブディレクターというのはほぼいません。そういう人だからこそ、今までにない新しい発想の商品ができてくるわけです。僕がブランドビジョンを感覚的に伝え、彼女がそれを具体的に、科学的に商品に落とし込む。作る商品の目的をきちんと話すと、彼女は持てうる知識で提案してくる。そして全国各地の農家や農協に会いに、一緒にいっぱい旅をしましたね。オタクといえばオタクだったけれど、僕にとってのブレーンとしてしっかりと役割を果たしてくれました。

――:「スリー」のメイクアップラインにはRIEさんの感性と哲学が生き生きと表れていたので、今後の展開がどうなるのか非常に気になるところです。

石橋:かねてから難しいなあと思っていたのは、私だけじゃなくていずれはみんないなくなる。その後どうなるの? 僕は自ら海外にも出かけてやってきた。でも同じことを次の人ができるとは限らない。だからACROの経営陣には、せめて年に1回は海外の代理店に挨拶もイベントも含めて絶対に行くように言いましたね。自分がオーナーだったら死ぬまで影響力を与えられるけど、雇われマダムだから(笑)、変わっていくのは仕方がない。自分のコピーはできないけれど、後を託した人には僕が弱かった部分をちゃんとやってもらって、その人ができないことは他にできる人を作ればいいわけで。そういう体制を作り切れるかどうか。商品に詳しい人を外部からでもいいから引っ張ってきて担当にするとか、強いチームでやっていくことが大切だと思いますね。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.4「コスメブランドにクリエイターは不要?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:Vol.2でメイクアップカテゴリーの重要性を語られましたが、このところメイクアップアーティストを「クリエイティブディレクター」や「アーティスティックディレクター」に立てることをやめるブランドが増えているのが気になります。ブランドのキャラクターを作るには欠かせない存在だと思うのですが。

石橋寧(以下、石橋):確かに時代が変わってきて、クリエイティブディレクターとかアーティストの時代ではなくなってきてますね。「RMK」が誕生した90年代は「ボビイ ブラウン(BOBBI BROWN)」や「ローラ メルシエ(LAURA MERCIER)」、「ナーズ(NARS)」といった、いわゆるアーティストコスメ全盛期でした。それが今どうなったかというと、クリエイターがいない、もしくはいても表に出てこない内製化の時代に入っている。その結果は? 個性がなくなり、面白くない商品ばかりですね。

――:まったく同感です。伝説のアーティストたちがバトンをつないできた「インウイ(INOUI)」はブランド復活と同時にアーティストの起用をやめ、最近でも「スリー(THREE)」、「セルヴォーク(CELVOKE)」と続いています。

石橋:クリエイティブディレクターにはクリエイティブディレクターの、アーティストにはアーティストの役割、存在感があり、だからそういう人を使う。でもそれを内製化したら、僕に言わせればマーケティングに商品のどれほどのことが分かるんだ、と。例えば広告代理店などのトレンド予測サービスが“今年の流行色”をその1年くらい前に出して、それをベースに商品を作るから、皆さん似たような色を出されるわけですよね、情報源が同じだから。一方アーティストブランドは、季節に関係なくまったく異なる提案をしてくる。そこが面白いんですよ。RUMIKOさんなんかまさにそうだったけど、昔、「RMK」で秋にピンクだけ出したことがあってそれが大ヒットした。秋だったらワイン系、ブラウン系、ベージュ系が定番じゃないですか。それが、9.11の翌年の秋だったんですよね。アメリカ同時多発テロで世の中が落ち込んでいるからハッピーにしたいということで、全てのアイテムをピンクで出してきた。他のブランドと傾向がまるで違う。それがクリエイティブディレクター、アーティストがいるブランドの強みなわけです。当たり外れはある。毎回当たるわけではない。でも野球選手だって4割バッターはいないんだから。よくて3割。10回プロモーション打ったうちの3回当たればいいと思わないと。必要か必要じゃないかと言われれば、僕はそういう人の能力を高く評価します。

――:トレンドは時代のムードだから、それが投影されてこそワクワクするものが生まれる。アーティストは撮影やショーの現場を踏んでいるから、そういう意味でも強いですよね。

石橋:10年ほど前にピーター・フィリップスが「シャネル(CHANEL)」から「ディオール(DIOR)」に移りましたよね。その時僕は、数年後に「ディオール」の時代がやってくるんだろうなあと思った。お会いしたこともないけれど(笑)。一方「RMK」も「アディクション(ADDICTION)」も昔に比べてクリエイターの存在感が薄いですよね、露出が少ないし。「スック(SUQQU)」も田中宥久子さん以降は表に出していない。時代の流れもあるけれど、結局は経営陣がその人の持っている能力をどう評価するかということですね。

――:日本でアーティストを立てない傾向にあるのは、評価できる経営陣がそもそも少ない?

石橋:何千万円も契約金を払うんだったらやめちまえ、という発想になる。わがまま言うし(笑)。ブランドが大きくなるとクリエイターが自分のブランドだと勘違いしてくることもある。それはそれでいいところもあるんだけれど、経営陣にしてみればわがままでうっとうしく感じるうえ、契約金も跳ね上がるから、以前は10年あたりを節目に変えることが多かったですね。やはり経営陣がクリエイティブディレクターをよく理解し、うまくコミュニケーションを取り続けることが大切になってきます。

――:そういう点では石橋さんはうまくやっていたということですね。

石橋:普通は同じクリエイターを二度も起用することはないからね。世間はどう思われたか分からないけれど、僕が「アンプリチュード(AMPLITUDE)」を立ち上げる時、高品質のかっこいいブランドを日本のブランドとして作りたかったわけですよ。当時ディオールやシャネルが急成長していて、そこで闘えるブランドを作ろうと思った。じゃあそれを誰にやらせよう、誰に関わってもらおうかと考えた時の答えがRUMIKOさんだった。かっこよくて高品質、そして日本のブランドだからどこかに日本を感じるものがなければいけないよ、と。そうして日本の藍色としての“ブラックネイビー”とジパングの“ゴールド”を使った「アンプリチュード」が生まれたわけです。

――:石橋さんはスキンケアにもクリエイティブディレクター的な立場の方を置いていましたよね?

石橋:「スリー(THREE)」も「イトリン(ITRIM)」も同じ女性にお願いしていましたが、通常は自社の研究所なりが作った商品であって、スキンケアのクリエイティブディレクターというのはほぼいません。そういう人だからこそ、今までにない新しい発想の商品ができてくるわけです。僕がブランドビジョンを感覚的に伝え、彼女がそれを具体的に、科学的に商品に落とし込む。作る商品の目的をきちんと話すと、彼女は持てうる知識で提案してくる。そして全国各地の農家や農協に会いに、一緒にいっぱい旅をしましたね。オタクといえばオタクだったけれど、僕にとってのブレーンとしてしっかりと役割を果たしてくれました。

――:「スリー」のメイクアップラインにはRIEさんの感性と哲学が生き生きと表れていたので、今後の展開がどうなるのか非常に気になるところです。

石橋:かねてから難しいなあと思っていたのは、私だけじゃなくていずれはみんないなくなる。その後どうなるの? 僕は自ら海外にも出かけてやってきた。でも同じことを次の人ができるとは限らない。だからACROの経営陣には、せめて年に1回は海外の代理店に挨拶もイベントも含めて絶対に行くように言いましたね。自分がオーナーだったら死ぬまで影響力を与えられるけど、雇われマダムだから(笑)、変わっていくのは仕方がない。自分のコピーはできないけれど、後を託した人には僕が弱かった部分をちゃんとやってもらって、その人ができないことは他にできる人を作ればいいわけで。そういう体制を作り切れるかどうか。商品に詳しい人を外部からでもいいから引っ張ってきて担当にするとか、強いチームでやっていくことが大切だと思いますね。

The post 「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.4「コスメブランドにクリエイターは不要?」 appeared first on WWDJAPAN.

「セモー」のデザイナー上山浩征とプロスケーター荒木塁が目指した ファッションとカルチャーの境界線を超える服づくり

PROFILE: (左)上山浩征/「セモー」デザイナー(右)荒木塁/ プロスケートボーダー・写真家

(左)上山浩征/「セモー」デザイナー(右)荒木塁/ プロスケートボーダー・写真家
PROFILE: (うえやま・ひろゆき)生地や衣服にまつわる多様な職やフランスアンティークに精通する職を経て、2012年春夏シーズンより衣類ブランド「セモー(SEMOH)」をスタート。ミュージシャンや俳優などの衣装使用も多く、企業からのデザイン/製作仕事なども行っている。現代アートとの協業をはじめ、衣料品以外でのプロダクション/プロデュースも行う (あらき・るい)神戸市出身、東京都在住。プロスケートボーダー/写真家。90年代後半からNYCのデッキカンパニー”ZOO YORK”に所属し、現在もスキルとスタイルを確立したプロスケーターでありながら、写真家としても活動 PHOTO: KOZO KANEDA

「セモー(SEMOH)」は上山浩征デザイナーの「人が意思表示をしたり、他人を認識する第一線は、交わす言葉とまとった衣服である」という理念のもと、在宅時の解放感と外出時の緊張感など、「表裏一体」の中にある調和をコンセプトに2012年にスタートしたブランドだ。

上山デザイナーはキャリアの早い時期から、アート、音楽、文学などへの造詣を深め、感性的なカルチャーをデザインに落とし込み、妥協のない素材選びや丁寧な縫製にこだわる服作りの方向性を築いていった。また、これまでにアーティストの佃宏樹をはじめ、各分野のタレントとのコラボレーションを手がけている。

今期はプロスケーターで写真家の荒木塁とのコラボレーション・コレクションを発表。荒木の作品「TEST PRINT」のイメージを大胆にプリントした生地で仕立てた上質なアイテムを展開した。専門分野が異なる2人が共鳴した要素や具体的なコラボレーションの進行について、上山デザイナーと荒木に話を聞いた。

ファッション、カルチャー、クラフトマンシップ
三者の交差が生むコラージュとしての衣服

――「セモー」24年秋冬コレクションでは、荒木さんの「TEST PRINT」シリーズのモンタージュ作品を採用しました。経緯や背景について教えてください。

上山浩征(以下、上山):スケートシーンやカルチャーが好きだったので、以前からプロスケーターとして荒木さんの存在は知っており、プライベートでも親交がありました。最初のコラボレーションは17年春夏で、服をデザインした上に荒木さんの作品をプリントしたコレクションでした。この時は荒木さんがスケートをする映像作品も撮りました。

当時はまだ「TEST PRINT」は生まれておらず、僕がファンだったもうひとつの荒木さんのシグネチャー作品を使わせていただきました。ストリートからビルの合間を見上げて、空を十字架状にフレーミングする作品です。2回目のコラボレーションである今回は「TEST PRINT」の生地を作って洋服を作りたいと依頼しました。

――上山さんから見た荒木さんの作品の魅力とは?

上山:荒木さんの写真の良さはスケーターの視点から街が切り取られていること。「TEST PRINT」は、荒木さんが街を眺める目線や景色を偶発的に収めたフィルムのテストプリントをコラージュしたもので、唯一性と作品としての美しさを兼ね備えています。

服を作る際、「これで生地を作りたい」と感じるアート作品に出会うと、コラボレーションのイメージが湧いてきます。アート作品と一緒に、美しいもの、示唆に富んだものを作りたいと思うんです。「TEST PRINT」の場合は純粋に大きいサイズで見たいという気持ちもありました。

荒木塁(以下、荒木):普段は自宅の暗室でプリントしているので、大きなプリントはできないんです。

上山:生地が完成すると裁断し、縫製するのですが、その工程で荒木さんのコラージュ作品が、作品に直接関わっていない服飾専門の職人達によって、さらにコラージュされていく。そして新しいものに生まれ変わっていく。そこは一番面白いと思えたポイントです。

――「TEST PRINT」シリーズのモンタージュ作品は即興や偶然性の要素を強く感じます。このシリーズをはじめ、作品の制作背景についてお聞かせください。

荒木:確かに「TEST PRINT」は「これを作ろう」と思って取り組んだ作品ではなく、いろいろとトライした結果、偶然生まれた作品です。

自宅の暗室でのテストプリント(色味や明るさを確認するための使われないプリント)が綺麗だったので、それが何になるか分からないまま、捨てずに保管していました。ある時、海外の友達のブランドからスケートボードを作りたいという依頼があり、デザインを考えていた時に、ふとテストプリントの切れ端を集めて並べたら、いい感じになったんです。このテストプリントのコラージュでスケートボードを作ったのが「TEST PRINT」の始まりです。

「TEST PRINT」は視覚的な美しさがポイントで、今回の作品はニューヨークで撮った写真のみでコラージュしています。日本で撮影した写真だけを使用したものや、さまざまなロケーションの写真を使ったものもあります。使用する写真や並べ方は試行錯誤していて、今も実験中です。

カルチャーへの敬意と相互への信頼から生まれる
創造的なコラボレーション

――今回のコラボレーションは「ストリートカルチャーと仕立ての良さの融合」がテーマです。コラボレーションの具体的な進行について教えてください。

上山:荒木さんから作品を預かり、できあがりのイメージを簡単に共有しました。アイテムは「セモー」定番のテーラードジャケットやシャツ、パンツの展開。スケートのための服ではないですが「良質なアートやカルチャーをベーシックで作りの良い服を通して見せたい」という思いを体現したコレクションです。

私の世代は、カルチャーをリスペクトして取り入れながら上質な服作りをする先輩たちから影響を受けてきました。荒木さんは同世代で同じような影響を受けてきたからこそ、価値観や感覚の面で信頼関係があり、進行もスムーズでした。

荒木:ぼくは生地から服を作ることはできないし、良いものができる予感がしたので、全面的にお任せしました。「セモー」との過去のコラボレーション内容も大きかったです。ブランドの服作りのことも、上山さんの価値観や人となりも知っているので、彼から提示されたイメージを見てすぐに一緒にやりたいと思いました。

上山:共通のゴールを描き、各々の専門性によって責務を果たすと、気持ち良い仕事になる。プロセスが進んでみないと分からなかったことも、常に想像以上の結果になりましたし、リスペクトし合う関係性が良い相互作用を生みました。

――「セモー」の服作りは在宅時の解放感と外出時の緊張感など、「表裏一体」の中にある調和をコンセプトにかかげています。

上山:あらゆる物事に存在する境界や垣根をどう越えていくかに関心があります。ドレッシーな服をカジュアルな場面でどう着るのか。アパレルの人間が作った洋服が、アート界隈でどう受け入れられるのか。アートやカルチャーの人たちを結びつける服とはどのようなものか。クリエイションを通してそれらを問うための大前提として、洋服の作りの良さ、質の高さは大事にしています。

――「セモー」は、これまでにも佃宏樹さんなどのアーティストとのコラボレーションをしてきました。このような経験が、洋服作りにどのような影響や効果をもたらしますか。

上山:私自身が好きでも携われていないことを実現している方に対する尊敬の念がベースにあります。お互いの知識や技術を発揮することで新しいものが生まれたり、さまざまな発見があったりする。自分の創造性を広げてくれる面もあるコラボレーションは本当にありがたい機会だと感じています。

洋服という分野のアドバンテージは、目に留まる可能性が大きい事です。バイアスを生む可能性もありますが、取り払うこともできる。少しでも見てもらえる機会が増えるのなら、自分にとっても、コラボレーションの相手にとってもメリットになると考えています。

人々が視野を広げ、立場やジャンルを超えるためのトリガーを創りたい

――荒木さんはスケーター、アーティスト、アパレルブランドのディレクターとして活躍されています。それぞれについて、どのようにバランスをとっていますか。

荒木:写真とスケートの比重が同じくらい大きくなってきています。写真は「記録できる」ということに魅力を感じて、小学生くらいの時に撮り始めました。それからずっと撮り続けていて、26歳ごろから真剣に取り組むようになりました。

スケートのために海外によく行っていたので、フリーの時間に街を歩いては写真を撮っていました。スケーターと一緒に行動するので彼らの写真も撮っていますが、スケートの写真というよりはストリートスナップの側面が強いと思います。街やストリートでの自由な状況や自然な瞬間を撮ることが好きですね。意識はしてないですが、自ずとスケーターの視点で写真を撮っているのかもしれません。

――今回のコレクションのアイテムを身につける人に、どんな世界観や想いを伝えたいですか。

上山:「セモー」のコンセプトの通り、境界線を超えて欲しいです。例えばテーラードジャケットは好きだけどスケートカルチャーには興味がない人がいたら、これをきっかけに荒木さんを知ったり、スケートカルチャーに興味を持ったりしてもらいたい。逆に荒木さんのファンで普段シャツを着ない人がいたら、今回のコレクションを機にシャツやジャケットを着てみようとか、一歩踏み出して新しい自分を発見してもらえたら嬉しいです。

荒木:ぼくも全く同じです(笑)。

上山:以前のコラボでは、荒木さんが「セモー」の服を着てスケートする映像を制作しました。そのビデオを見たスケーターにブランドについて知ってもらい、「服を着ることを楽しんでもらう」という相乗効果を生み出したかったからです。今回もそこは変わりません。ビデオ撮影は田中秀典さんというスケーターのビデオグラファーにオファーしたのですが、彼の作品を知ってもらうことも裏テーマでした。

荒木:彼には僕個人としてもビデオを撮ってもらったことがあって、好きな作家さんです。

上山:境界線を超えたところにある何かを吸収して、生活をより豊かにする。「セモー」の服がそのきっかけになったらと思います。

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テレビ東京・大森時生 × 漫画家・魚豊 「陰謀論」から「エンタメの未来」まで、大いに語る

PROFILE: 左:魚豊/漫画家 右:大森時生/プロデューサー、ディレクター

PROFILE: 右:(おおもり・ときお)1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」「祓除」「イシナガキクエを探しています」を担当。Aマッソの単独公演「滑稽」でも企画・演出を務めた。昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出。今夏「行方不明展」も手掛けた。 左(うおと)1997年生まれ、東京都出身。2018年「ひゃくえむ。」で連載デビュー。20年から連載した「チ。―地球の運動について―」にてマンガ大賞2年連続ランクイン、手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞など数々の漫画賞を受賞。23年から「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」を連載し、現在は完結。25年上旬から「週刊少年チャンピオン」で原案とネーム協力を担当する「Dr.マッスルビートル」(画:古町)が連載予定。

フェイクドキュメンタリー番組「イシナガキクエを探しています」のほか、約7万人の来場者を記録した「行方不明展」の企画・プロデュースを手掛けたテレビ東京の大森時生。そして、漫画「チ。―地球の運動について―」で手塚治虫文化賞をはじめ数々の賞を受賞し、現在はテレビアニメ版も放送中の漫画家・魚豊(うおと)。今回は大森の最新作となるBLドラマ「フィクショナル」と、最終4巻が発売されたばかりの魚豊の最新作「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」を中心に、それぞれが考える作品の特性と、情報があふれる現代において、作品およびエンターテインメントはどうあるべきか、話を聞いた。

「フィクショナル」
黒沢清監督が注目の若手監督として名前を挙げた酒井善三が脚本・演出、大森時生がプロデュースを務めるBLドラマ。9月に1話1〜3分のショートドラマとして動画プラットフォーム「BUMP」で配信され、11月15日から「シモキタエキマエシネマ K2」他で劇場公開が決定。うだつの上がらない映像制作業者・神保(清水尚弥)のもとに、ある日、大学時代の先輩・及川(木村文)から連絡が来る。憧れの先輩との共同業務に、気分が湧き立つ神保だったが、その仕事は怪しいディープフェイク映像制作の下請けであった。やがて迫りくる自身の「仕事」の影響と責任……神保は徐々にリアルとフェイクの境目に堕ちていくのだった……。

「シモキタ-エキマエ-シネマ『K2』」の上映チケットは11月12日朝10時からK2のオフィシャルサイトで販売開始。
魚豊・大森時生・酒井善三監督のアフタートークつき上映チケットもオフィシャルサイトで販売中。
https://k2-cinema.com/

「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」
「チ。」「ひゃくえむ。」の魚豊が描く、恋と陰謀。圧倒的新機軸、前代未聞のラブコメストーリー。小さな不信感から始まり、傾倒した“陰謀論”。しかし、嘘に裏切られ、手元に残ったのはいくつかの疑問だった。“陰謀論”を信じた青年の恋路はどこに着地するのか……。全4巻。

「『FACT』は媚びを排除して描いたつもり」(魚豊)

大森時生(以下、大森):「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」(以下「FACT」)すごくおもしろかったです。先日直接お伝えしましたが、ここ10年でも数本の指に入るくらい好きでした。

魚豊:ありがとうございます。いやぁ、でも自分としては、趣味に走りすぎちゃったな、と思うところはあるんです(笑)。「チ。」に比べると、売り上げも厳しかったので。

大森:そうなんですか? 僕の趣味も一般的にはズレてるとは思いますけど……「陰謀論」というテーマは現代においては多くの人が興味あるものだと思ってました。それこそ、趣味性だけでいえば「チ。」で描いた地動説の方が高いような。

魚豊:あとは、主人公のキャラクターが応援しづらい、というのも大きかった。「チ。」における地動説も、別の「ひゃくえむ。」という漫画で描いた陸上競技も、基本は読者が応援できるものじゃないですか。それに比べると「FACT」の陰謀論って、まぁ応援できない。でも読者が応援できないことに夢中になっている主人公を描きたかったんですよね。

大森:主人公の「渡辺」ですね。「FACT」は恋愛もテーマになっていましたけど、陰謀論にハマる渡辺くんの恋路は応援できない人が多かったんですかね。好きな女性を相手に陰謀論を熱心に説くような。

魚豊:やっぱり読者の方はああいったキャラクターにヘイトがたまる人が一定数いるんじゃないのかなって。あと「FACT」は「マンガワン」という漫画アプリで配信されたんですけど、作品の内容と掲載媒体との相性もめちゃくちゃ良かったわけではないのかなと。もちろん、作品に力があれば突破できるので、そこは自分の至らなさなんですけど。

大森:漫画をアプリで読む層に届けないといけない、っていうのは、週刊誌を読む層に届けるのとはまた違った闘いな感じもありますもんね。

魚豊:ですね。「FACT」は響かせられなかった。世の中には、連載を例え無料で読めても好きなら必ず単行本も買う層と、無料で読むだけで一切単行本は買わない層と、2つに分かれているといわれがちなんですけど、第三の層として、無料で読めるなら無料で読むけど、無料で読めないならお金を出すっていう層がいると思うんです。で、もしかしたら自分や今回の作品はこの第三の層に入ってしまったのかも、と言い訳気味に勘繰っております。

自分が消費者の立場になってみると、僕はクエンティン・タランティーノもクリストファー・ノーランも好きなのに、作品のDVDは1つも持ってないんですよ。配信で観ているから。ただ、配信が有料のレンタルだった場合は躊躇なくお金を払える。まぁ当然僕はそんな偉大なクリエイターではないし、映画と漫画で翻訳不可な要素はいろいろとある訳ですが、とはいえ、そういう消費行動はあり得るし、その層に買っていただくにはどうすればいいのか、新たな視点というか、挑戦すべき疑問ができたのを、今回の怪我の功名としてます(笑)。

——そういった消費行動の差は、作品の質とも相関関係があると思いますか?

魚豊:あると思います。まず、キャラが刺さってる場合はお金を出して漫画を買いやすいと思います。あとは、サブカル的に、本棚に並べたいから買う、というパターンもあると思っていて。「チ。」は「週刊ビッグコミックスピリッツ」に載ったっていうのもありますし、マンガ大賞の2位になってメディアが取り上げてくれたり、いろんな複合的な要素はあると思うんですけど、そういう層に刺さったのでは?と思っています。でも「FACT」は刺さらなかった。日々反省ですね。

大森:正直なことを言うと、僕としては「FACT」の方がより刺さりはしたんですが……一般的には「チ。」なんですね。

魚豊:抑圧されている主人公は応援しやすい、みたいな王道の要素も当然あるんですけど。それと比べると「FACT」は買う動機が少なかった。自分としては「FACT」も肝いりですし、サブカルに絶対媚びない、みたいな制作意識もあった。挑戦作ではあったんですけど、しかしコレも反省ですね。

「近しい人がうっすら陰謀論にハマるリアルは、
フィクションやエンタメでは語られない」(大森)

大森:先ほどおっしゃった「サブカルに絶対媚びない」っていうのは、具体的にはどういう部分ですか?

魚豊:絶対に露悪的にしないようにする、しょうもなさを描く、という点です。

大森:あぁ、それは読んでいて思いました。陰謀論というテーマを考えた時に、もっとダウナーで絶望的な取り返しがつかないところに到達する話になっていきそうなところを、「FACT」はそうならなかった。主人公は陰謀論の奥の奥にはいかず、かなり浅瀬のところで戻ってきましたよね。

魚豊:それをやりたかったんですよ。陰謀論だけど、めっちゃしょうもないっていう。ひいては、それが日本の政治環境を反映しているから。主人公をはじめとした作中の陰謀論に染まっている人たちは、歴史に接続できていなくて、要は日本の対米従属的な関係性の中で、逆輸入的に陰謀論に接しているんですけど、そういう重みに接続できていないことを登場人物たちに象徴させたかった。

——重さの話でいうと、恋愛が絡むことも含めて、2000年代初頭における古谷実のダークさにいかなかったことが、非常に現代的だなと思いました。

魚豊:あー、まさに。今こういうテーマをやるなら、古谷実先生らしい重さにならないように、っていうのはめっちゃ意識しました。あるいは、鬼頭莫宏先生もそう。そういう、いわゆる世紀末/新世紀っぽい感じ、その“カッコ良さ”は目指せないし、目指すべきではないと設定していました。ひたすらしょうもない、登場人物全員ダサい、その上で「無敵の人」にもならない、そういう漫画を描きたかったんです

——「しょうもないことが現代の象徴」っていうのは、分かりやすく露悪にいくことに比べて、文脈が複雑になるので、そこが売り上げにつながらないのかもしれないですね。

魚豊:ですよね。その方がリアリティーはあると思ったんですけど……反省です(笑)。

大森:魚豊さんの言うことはめっちゃ分かります。そのお話を聞いて、黒沢清さんを想起しました。黒沢清監督は、ジャンル映画・エンターテインメント作品を志向しますが、実際は日本の監督の中でトップクラスにアートハウス系の文脈で評価されています。ある種のねじれのようなものがありますよね。魚豊さんはそこに通ずる部分もあるのかなと。

魚豊:いやいや、黒沢清監督は巨匠ですけど、僕は全然まだまだ新人なので。

大森:でも僕は、浅瀬の陰謀論にハマりながら、そこに恋愛も絡んでくるっていう物語は、エンタメとしても、シンプルにリズムとしても、すごくおもしろいと思いました。そもそも陰謀論をテーマにする時って、Qアノンが議事堂に突撃した事件とかが象徴になりがちですけど、実際に一番リアルで不気味に感じるのは、親だったり近しい人がうっすら陰謀論にハマってるくらいのことじゃないですか。なのに、フィクションやエンタメではそこが語られない。そういう機微をフィクションで語るには、あまりに微妙で複雑ゆえに難しいからだと思うんですけど、「FACT」はそこをど真ん中に描き切った時点で、僕の中では一線を画す漫画なんですよね。

魚豊:あぁ……大森さんにそう言っていただけて、もう十分、ようやく浮かばれました。

大森:少し前に「ここはすべての夜明けまえ」(著:間宮改衣、早川書房)という小説を読んだんですけど、SFにしてもホラーにしても、大きな主題を扱うよりも、今はもっと小さな物語を読みたい感覚が僕にはあって。「FACT」は大きな主題を扱っていながら、ちゃんと自分ごとの小さな物語に落とし込めているところが素晴らしいと思ったんですよ。

魚豊:マジでうれしいです……。僕が思う作家の使命って、どんな人にでも伝わる強度のあるセリフを描くことだと思っていて、と同時に、そんなものは絶対にないとも思っている。どんな言葉であろうと、何かしらの反論がある。例えば「空が青いだけで幸せだ」といった場合でも、じゃあ空が見えない人はどうなのっていう。それと同じジレンマで、何かに夢中になっている人を描いた場合、それが地動説ならいいの? 陸上競技なら? 「FACT」における陰謀論はどうなの? カルトに夢中になっている人は? そうやってどんどん考えていくと、もはや対象に良いも悪いもないんじゃないかなって思うんです。どんな対象であれ、夢中になることは肯定的な面はあるはずだ、という前提で描くしかない。僕は漫画を描くことに夢中になっていて、奇跡的にそれを仕事にもできて、毎日を夢見心地で過ごしているけど、別の誰かが夢中になるものが、いわゆる世の中的に悪しきことだとしたら、それを理由に否定していいのだろうか。たまたま夢中になったものが、今の社会にそぐわないというだけで否定され、欲望の達成に向かって努力することさえ許されないのだとしたら、あまりに残酷だと思うんですよね。そういう意味では、「FACT」で陰謀論にハマった主人公も、「チ。」や「ひゃくえむ。」の主人公と同等に、何かに夢中になっている人間なわけで、構造としては同じなんです。

「漫画業界は、『作品さえ良ければ必ず売れるはず』という思想が強すぎる」(魚豊)

大森:魚豊さんは読者層の分析とか、作品をどうやって世に広めていくかとか、もっと言うと媒体の収益化の仕組みとか、そういう話をよくされる印象がありますけど、漫画家なら誰もが考えていることなんですか?

魚豊:いや、あまりないと思います。僕も全然考えられてるタイプじゃないですし、大森さんや他ジャンルの人とお話しするとお恥ずかしい限りです。漫画家も編集者も内容のことだけを考えてる人がほとんどです。作画についてとか、キャラの造形、展開や見せ場をどうする、基本的にそういうことだけ。媒体の運用システムの話などは、もちろんそれのプロフェッショナルではないですし、話すべきではないかもという意識はあります。

大森:テレビ局員も、制作の部署は特に、番組内容の話ばっかりしてますよ。でも僕は、どういう文脈を踏まえて、どこでどう出すとか、そういう話も好きなんです。

魚豊:ですよね。だから大森さんとか、共通の知人であるDos Monosのタイタンさんと話すと、いつも刺激的なんです。だって「行方不明展」とか、本来的にはテレビ局員が仕掛けることじゃないですよね? 扱うジャンル的に、一部の層に留まりそうな表現を、広く届ける設計までちゃんと考えてる。媒体によって出力が違うのは当たり前だし、そこを考えることはめっちゃ重要なはすですが「作品さえ良ければ必ず売れるはず」という思想が強すぎるんですよね。もちろんそれは一面の真理ですが、それだけじゃないはずです。

実際細かいデータを持ってないので、孫引きの情報ですが、一説によると漫画業界自体の売り上げは上がっているけれど、雑誌などの売り上げは落ちている。それが何を意味するのかが、今の漫画業界の主要なテーマだと思います。今後人口が減っていって、さらに雑誌が弱くなっていくとすれば、雑誌が担っていたキュレーターの役割も弱くなっていくということ。雑誌さえ載ってれば宣伝は完了、という時代はもうとっくの前に終わってると思いますが、今後はより加速すると思います。その時、作品単体を「どの様に売るか」という要素は大事になっていくはずです。

スティーブ・ジョブズ以降、もっと前のディズニーもそうですけど、世界を生きていくためには、中身だけじゃなく、側(がわ)のことも考えられるのが、僕にとっては真のアーティストです。僕は、売ることまで考えている人を心から尊敬しています

大森:「行方不明展」に来ていただいた時も、展示の内容というより、イベントとしての構造についてめっちゃ褒めてくれましたよね(笑)。

魚豊:だってあんな不気味なジャンルのコンテンツを、誰もが盛り上がる夏イベントに仕上げるなんて、同世代の夢ですよ。一人で来るサラリーマンも、デートの学生も、友達連れも家族連れもいて、仕事ではすれ違わない人たちが大挙してた。そういう「ひと夏の思い出」を作れるのって、めっちゃヤバい。

大森:コンセプトとしては、ああいう不気味なものをもとから好きな人以外にも来てもらうために、「ここではないどこか」っていうのを狙ったんです。ホラーという入り口は広いようで狭いんです。もっと広いのは「いなくなりたい」くらいのささやかな現実逃避への甘い誘いなんだと思います。それが夏の思い出につながったのかも。

魚豊:そのコンセプトがもう素晴らしくて。じゃあ実際「ここではないどこか」ってどこなんだっていうのは明示しないまま、「ここではないどこか」というコンセプトだけがある。部屋から出て「ここではないどこか」に行きたい人たちが、「ここではないどこか」というコンセプトの展覧会に行くって、もはや自分に会いに行っているのと同じで、その意味では別に部屋から出ていない。ただ気持ちが循環してるだけ。気持ちだけが大事って、底が抜けた現代社会を端的に表しているし、そんな奇妙な構図を作って大盛況にするって、とんでもないですよ。みんな疲れてるし、消えたすぎる。部屋にいる元気もないから外に出たいだけですもんね。

大森:そこまで分析してくださるのは魚豊さんだけですけど(笑)、めっちゃうれしいです。

魚豊:しかも、それをテレビ局員が設計しているっていうのが現代の最前線ですよ。僕はまだ漫画を描くことしかできていないので、とても憧れます。

「ジャンルの拡大に尽力しているBADHOPのYZERRと
ダウ90000の蓮見翔は超ヒーロー」(魚豊)

大森:テレビ局はだいぶ変わってきましたけど、漫画の世界では仕掛けから考えるっていうことが、漫画家の領分ではないって思われているんでしょうね、今はまだ。

魚豊:領分もありますけど、美学の問題もあると思います。漫画家って、職人気質な方が多い。何度も同じような線を引きながら、「この線じゃない」と悩むみたいな。そのストイックさは尊敬していますが、僕にはとても無理です。

大森:魚豊さんとは真逆で、ひたすら漫画のことだけを考えたいタイプの漫画家さんもいるでしょうし。いるというか、その方が主流なのかな。

魚豊:そうですね。売ることを考えて実践したいなら、漫画家じゃなく、出版社の社員になればいいじゃん、っていう話になっちゃう。僕は単に「自分の漫画」の、しかも「内容の」専門家なだけですし、他にも口出しすべきじゃないと思うことはよくあります。とはいえ、売ることを考える筋トレもしていかなければならないとは思っています。

大森:それぞれに役割があるから。

魚豊:ただ、それとは別で、作品が売れないよりは、単純に作品をたくさん売ったほうが、いろいろと嬉しいじゃないですか。第一にはお財布にとってですが、文化にとってもそうだと言えると思います。

大森:売れた方が文化にとっていい、っていうのは本当にそう思いますね。お金の話だけじゃなく、ジャンルのマンネリ化問題というのがあって……。

魚豊:うわぁ。

大森:既存のファンに向けて、その人たちだけが熱狂することをずっと続けていたら、絶対にマンネリ化するんですよね。ジャンルの外にまで届けることは、ジャンルや業界を存続させるためでもある。それって儲かるとかのお金の話よりも、実はもっと深刻で。

魚豊:あー、マジでそうですね。なので、自分と世代が近いところでいうと、BADHOPのYZERRとダウ90000の蓮見翔は、ジャンルの拡大と存続のために本気で活動している超ヒーローなんですよ。その文化を根付かせて、次の世代につなげるって、コンテンツを作るだけより壮大で、めっちゃかっこいいじゃないですか。

——それでいうと、漫画というジャンルはもうだいぶ根付いてますよね?

魚豊:そうですね、そこがぜいたくな悩みです。ヒップホップや演劇はこの国において使命があるけど、漫画はもう、歴史の後というか。ヒップホップのライブに行ったことがない人、演劇やコントを劇場で観たことがない人と比べて、漫画を読んだことがないっていう人は圧倒的に少ない。手塚治虫といわず、1980年代の鳥山明とかの時代はまだ、漫画は大人が読むものじゃないっていう認識もあったと思うので、やるべきことがあったと推測しますけど、今の漫画は市民権も得まくって、もはや完成した後の世界を生きているくらいの感覚。でも僕は、それでもまだやれることを見つけたくて、35歳くらいになったらそっちの方に力を入れたいとボヤッと思っています。

——それと、売る話をすることへの忌避感については、マーケティングだけを説く胡散臭い人の存在感が大きくなり過ぎた、っていうのもある気がします。

大森:僕もそれはあると思います。売る才能があり過ぎて、全然おもしろくないものまで売っちゃう人っていますからね。それでも、愛情があればまだいい方で、そうではなく、売りたいものに対する愛情とかは一切関係ないまま、マーケティングだけが好きな人がたくさんいて、存在感もある。自己弁護のためにいうと、魚豊さんや僕がもっと広く届けたい、ちゃんと売ることも考えたいと思っているのは、まず愛情ありきだと思ってます(笑)。

魚豊:そうですね。

「ポスト・トゥルース時代の最後のファクトは淡い恋心かもしれない」(大森)

——大森さんにはフェイクドキュメンタリーのイメージがありましたが、だんだんとフィクション味が強くなり、最新作「フィクショナル」ではいよいよドラマにたどり着きました。

大森:フェイクドキュメンタリーについては、僕なりに可能性を広げたなという感覚もあって、その上で自分の好きな「不気味」なものを、日本だけではなく世界に届けてみたい。それには、やっぱりフィクションの力が必要だと思っているんです。純然たるフィクションであるということが、より広い世界に接続するためには必要だと感じています。

魚豊:僕が「フィクショナル」を観て思ったのは、大森さんはテレビというものをどう思っているんだろうなって。ドラマの中にもテレビ報道は出てきましたけど、大森さんはテレビの公共性とか将来性について、どう思っているのか、気になりました。

大森:「フィクショナル」の中では、フェイク動画がSNSで一気に拡散する様子を描いていますが、テレビは主人公の神野が現実と接続するシーンで象徴的に出てきます。しかも、それはある種「偶然」目にして、自分が犯したことの大きさを知るわけです。その偶然という要素が、ある種現実を気づくためのツールとなりうると思います。自分で選択して、もしくはアルゴリズムにいざなわれて見たいものを見る時代に、数少ない見たくないものを見てしまう機器、テレビ。その不便さがこれからの時代、逆におもしろく意義深くなっていく可能性は感じます。

魚豊:「フィクショナル」で描かれていたような、あれも嘘でこれも嘘で、もう全部が嘘なんじゃないかっていう世界線は、アメリカの大統領選を見るだけでも、普通に現実に起こってますよね。

大森:SNSで出回る動画を見て、どれがフェイクでどれがリアルなのかを判断するのって、もうほとんど不可能ですよね。一つひとつのファクトチェックに時間をかけている間にも、どんどん次のフェイクが出てくるし、コミュニティノート自体がフェイクの可能性だってある。そういう情報の不確かさと、自分と他者との境界が曖昧になることは、ほぼイコールだと思います。もはや何が真実かというよりも、現実はフェイクだらけであるってことだけが真実、みたいな。

魚豊:だからこそ「フィクショナル」は、最後までフィクションであることを押し通したのが良かったです。それで僕が思ったのは、フェイクドキュメンタリーとか不気味なものって、根底に“あるある”が存在しているからこそ成立しますよね。多くの人が理解できる“あるある”があって、そこからはずれるから不気味になる。でもそういう“あるある”って、今後どんどん成立しなくなるんじゃないのかなって。

大森:僕が「イシナガキクエを探しています」以降、完全にフィクションと銘打って、ちゃんと物語を描こうと思ったのは、まさにそういうことです。現実の“あるある”からはずれることで感じる恐怖みたいなことは、そろそろ限界を迎える可能性がある。だからこそ、今は物語を通じて不穏な感情を起こしたいです。

——そもそも「フィクショナル」でフェイク動画や陰謀論をモチーフにしようと思ったのは、どういう経緯で?

大森:僕と、監督の酒井さんが共通して好んでいる要素としてあるのが「現実と虚構の境目がぶれてくる」ということ、そして「一人の妄想かと思われていたものが伝染していく」ということです。それが現代社会で一番近いところにあるのは、フェイクニュースや陰謀論だと感じました。フェイクニュースは、内容が右派でも左派でも、フェイク動画を制作しているのは実は同じ人だったりするという話を聞いたことがあります。動画を制作している業者なり個人は、その内容については何とも思ってなくて、仕事として請け負ったからやっているだけ。なので、フェイク動画を作っている人を突き止めたところで、まったく思想犯とかじゃないんです。そういう現実をドラマとして戯画的に描きたいっていうのは出発点としてありました。それこそポスト・トゥルースだなって。

魚豊:いやぁ、めっちゃこわいですね。

大森:それと「フィクショナル」は「BLドラマ」を謳っているんですけど、それを踏まえた酒井さんの脚本で興味深いと思ったのは、主人公が目の前で起こることに対して感情的になり、妄想的な思考にどんどん振り回されていくのに、こと恋愛に関してだけは、感情的にもならず、まったく振り回されないんです。その脚本を読んで、人ってどんなに過激な思想に陥っても、意外と恋心だけは淡いままキープできるのかもなって。だからポスト・トゥルースの時代における最後のファクトは、そういう恋心みたいな、淡い気持ちなんじゃないかなって思いました。まぁだいぶ入り組んではいますけど(笑)。

魚豊:僕も「FACT」では陰謀論と恋愛を描いたんですけど、それは根底が一緒だと思ったからです。それらを分け隔てるのは、陰謀論は情報で、恋愛は心っていうこと。心は情報の束になれない。そこがめっちゃ重要で。最終的に陰謀論に夢中になれないのは、それが情報に過ぎなくて、心がないからだと僕は思うんですよね。

大森:その辺の意識はやっぱり「フィクショナル」とも通じますね。ただ、心というか、ヒューマニズム的なものが最後には残るとして、それが救いにはならないっていうのが現実のつらいところではあるんですけど。

「圧倒的な『力』は思想も政治も全てを超越する」(魚豊)

魚豊:結局エンターテインメントって、もちろん楽しさを提供するものではあるんだけど、最後は「力」だけでいいと思っているんです。圧倒的な力を感じさせることができれば、思想とか立場とか、全てを超越できる、と信じてる。例えば映画の「オッペンハイマー」って、ずっと政治の話をしているように見せて、実は力の話をしている。超巨大な爆発という力に人間が圧倒されているだけというか。ここ何年か、政治の話ばっかりしている様に見えて、本当は力の話をしている人もいて。最近だと、Dos Monosの「Dos Atomos」っていうアルバムは、政治的なリリックが頻出するのにまったく政治的じゃなく、完全に力の作品。僕は漫画家としてそっちを目指したい。

大森:僕が面白いと思うのも、魚豊さんと同じで、単純に迫力があるもの。「迫力あるものを描いたら、そこに政治的なメッセージが付随してきた、でもそれが何か問題でも?」というスタンスが好きです。空音央の映画「HAPPYEND」はまさにそれを感じました。政治的なものを避けるあまり、結果的に何よりも政治的になっているものは、ある種それが中心的になってしまっているように見えます。それは逆にコンテンツ自体の力も損なう。

魚豊:クリストファー・ノーランは最終的には力を描きたい人だと思います。

大森:誤解を恐れずにいうと、今回「フィクショナル」では、陰謀論やフェイク動画を扱いましたけど、僕もそのことによって政治的なメッセージを届けたいとか啓蒙をしたいとかではなくて、フィクションの題材としておもしろいから扱っただけなんです。そのおもしろさこそが力だし、魚豊さんの言うように、それは政治性を超えるのかもしれない。

魚豊:人間はありがたいことに、結局はおもしろくないと反応してくれないし、何か伝えたいものがあったとしても、つまらないと見向きもしない。その市場の無慈悲さというか、弱肉強食さはとてもいいことだと思います。

大森:こんなにショート動画があふれる世界で、おもしろくないものが届くわけないというか。

魚豊:本当にそうで、その世界の中で真に届くおもしろいを目指すのは、難しいですけど、それだけやる価値があると思います。

——そんな魚豊さんが漫画家であり続けているのは、なぜですか?

魚豊:一つ言えるのは、自分がめっちゃ好きなものが、めっちゃ売れているからですね。そのことで自分に自信を持てるし、読者をパーフェクトに信頼できる。もし自分がめっちゃ好きなものが、世間で1ミリも相手にされていなかったら、創作はできていないと思います。でも、ノーランにしてもタランティーノにしても、福本伸行先生も「闇金ウシジマくん」も、テーマは全然違うけど、全部めっちゃ売れている。しかも「闇金ウシジマくん」なんて、ものすごいコアな題材なのにめっちゃ売れてるって、漫画の可能性すごいなって思いますね。だからもし売れなかったら、それは読者のせいではなくて、僕の出力ミスのせい。読者はすさまじい審美眼を持ってると思います。

——最後に。あえて漠然とした質問をしますが、この先の未来については、どう考えていますか? 短期的でも、長期的でも、答えやすい方で。

魚豊:長期的に見れば、僕は絶対に良くなると思います。というか、おもしろくはなるだろうなって。それはやっぱり技術が進歩するので。今の時代に生まれたことはすごい残念に思ってます。もっと未来に生まれたかった。ちょっと話は飛びますが、例えば理論物理屋は、強い力、弱い力、電磁気力、重力、自然界にあるこの4つの力を統合することが大きな仕事としてあると思いますが、今のところ3つはなんとなくわかってる。だけど、重力だけはいまだにめっちゃ謎で、あると言われている未知の粒子が解明できれば、世界は一気に加速します。電磁気力の謎がわかってきたのが、ざっと200年くらい前で、その電磁気力を使ったiPhoneとかの商品化には200年くらい時間かかっている。蒸気で機械を動かしていた時代と、iPhoneがある世界と、どっちがおもしろいかって言ったら、僕はiPhoneがある世界の方がおもしろいと思う。そう考えると、この先、重力の謎が解明されて、そこから商品化までは300年くらいかかるでしょうけど、そこまでいって、重力を操作できるようになれば、空飛ぶ車も余裕だし、いろんなことができるでしょう。あらゆる問題は時間が解決するともいえる。核融合ができたりしていろいろと解決したり。新しい技術を使った商品やサービスもどんどん増えると思うので、未来は絶対おもしろいなって思うんです。

大森:僕はそこまで長期的ではないですが、この先良くはならないだろうなと思っちゃいますね。悲観主義ってわけではないし、魚豊さんのような理屈があるわけでもないので、信じられるのは自分の体感だけだとすると、良くなる感覚が全然ないです。でも、それがおもしろいし、逆にワクワクするとも思っています。魚豊さんとは全く異なる目線かもしれないですが(笑)。僕と同じように、どうにもならない虚無感を抱えた人たちが増え続け、臨界点を迎えた時、何が起こるのかとても興味深いです。ある意味での破壊衝動が自分にはあるので。厨二病的な「世界が終わってしまえばいいのに」ともまた違って、虚無の臨界超えを見てみたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

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エレクトロニック・ユニット、キアスモスが語る——10年振りの新作、そして音楽と自然の関係性について

PROFILE: キアスモス(Kiasmos)

キアスモス(Kiasmos)
PROFILE: 2007年結成。アイスランドの作曲家オーラヴル・アルナルズ(Ólafur Arnalds)と、エレクトロポップ・バンド、ブラッドグループ(Bloodgroup)で活動していたヤヌス・ラスムセン(Janus Rasmussen)によるエレクトロニック・ユニット。2009年にRival Consolesとのスプリット12インチ「65/Milo」、12年に2曲の新曲とフォルティDL(FaltyDL)、65デイズオブスタティック(65daysofstatic)によるリミックスを収録した12インチ「Thrown EP」をリリース。 14年にデビューアルバム「Kiasmos(キアスモス)」をリリース。18年にはフェス「タイコクラブ」にヤヌスがKiasmos DJ Setとして来日。24年7月5日に10年振りのフルアルバム「Ⅱ(トゥー)」をリリースし、10月にキアスモスとして初来日公演を行った。オーラヴル・アルナルズ(左)とヤヌス・ラスムセン(右)。PHOTO:YUKI KAWASHIMA

アイスランド出身のオーラヴル・アルナルズとヤヌス・ラスムセンによるエレクトロニック・ユニット、キアスモス(Kiasmos)。その結成は古く、かたや映画やドラマのスコア制作でも高い評価を得る「ポスト・クラシカル」の雄として、かたやエレクトロ・ポップ・バンドのブラッドグループ(Bloodgroup)のメンバーとして、オーラヴルとヤヌスが個々に築いてきたキャリアと並走するかたちで営まれてきた活動は、今年ではや15年になる。キアスモスの魅力は、そんな2人の個性やスタイルのダイナミックな交差にあり、そのサウンドはアンビエントやミニマル・テクノ、レイヴ、UKガラージなどクラブ・ミュージックの間を自在に行き来しながらスケール感溢れる“映像喚起”的な世界をつくり上げている。2014年に発表したデビュー・アルバム「Kiasmos」は、ピアノやストリングスなど多彩な生楽器と硬質なエレクトロニクスが相乗効果をもたらし、クラシック音楽の壮大で深遠な美しさをダンスフロアに召喚したような傑作だった。

対して、今年の7月5日に10年ぶりにリリースされたニュー・アルバム「Ⅱ(トゥー)」では、アイスランドを離れてバリ島で行われたレコーディングの経験が彼らの音楽に新たなインスピレーションをもたらしている。変化の目まぐるしいビート、柔らかくも力強く推進するグルーヴ、オーケストラを導入したシネマティックで高揚感に満ちたサウンドスケープはそのままに、ガムランの金属的なパーカッションや民族楽器のサンプリング、そして自然環境のフィールド・レコーディングが彩るオーガニックで開放感のあるアトモスフェリアが印象的だ。

「音楽の原点に立ち返ったような感覚だった」――そう今作の制作について振り返るヤヌス。そんな好奇心と冒険心に突き動かされた新作について、さらにその背景にある音楽と「自然」や「スピリチュアリティ」をめぐる哲学について、ライブ直前の2人に聞いた。

ライブ環境について

——キアスモスとしては今回が初来日ということで、今夜(10月11日)のライブも楽しみですが、特に明日の「朝霧ジャム」のステージは特別な体験になるのではと期待しています。2人にとって、クラブや都市型のフェスではなく、自然に囲まれた野外でパフォーマンスを行うことの意義や醍醐味はどんなところに感じていますか。

オーラヴル・アルナルズ(以下、オーラヴル):正直言うと、野外でのライブは親密さが少し失われる感じがして(笑)。人が多いし、エネルギーで溢れているからね。だから個人的には、こういうクラブ(※恵比寿LIQUIDROOM)の方が本当は好きなんだ。こぢんまりとしていて、タイトで、汗だくでムンムンしていてね。

ヤヌス・ラスムセン(以下、ヤヌス):フェスティバルって、何が起こるか分からないというか、天候とかいろんな要素で想定外のことが起こったりするから。雨が降ってグチャグチャになっちゃうこともあるし、人が多すぎて身動きが取れなくなることもある。その点、クラブの方がコントロールしやすいし、安全というか、僕たちにとっては音楽を始めた原点でもあるからね。

——そうなんですね。ただ、キアスモスのサウンドは自然の風景やオープンエアな環境と親和性がとても高いと思います。

オーラヴル:僕たちもやりながら自然を感じられたらいいんだけどね。というのも、パフォーマンス中の僕たちって、ステージの上でライトに照らされている状態だから(笑)。だから周りの環境を意識することって難しくて。でも、フェスティバルによって場所が変わると、まったく違う感覚を味わえることがある。たまにはね。

——例えば、野外でのステージ用にセットやアレンジを変えたり、視覚的な演出を変えたりすることはありますか。

ヤヌス:どうだろう? 通常、フェスティバルだと演奏時間が短くてね。でもクラブだとたっぷり演奏できるから、今夜も長めのセットを用意したんだ。85分くらいかな。ただ、いったん曲の順番や照明とか、音響を含めた全体のプロダクションを決めてしまうと、しばらくはその通りにやるのが普通なんだよね。だから唯一アレンジする可能性があるとすれば、3曲くらいを通しで演奏して、それをセットの前半か後半かに移動させることぐらいかな。

——そういえば、7月にフランスのシストロンで行われたライブの映像を見ました。あの美しい自然と城塞の遺構に囲まれた中でのパフォーマンスは、さすがに特別な体験だったのではないですか。

オーラヴル:そうだね。あれは素晴らしかったな。山の壮大さに圧倒されて、自然の力強さを全身で感じることができた、特別な体験だったよ」

ヤヌス:特に、昼間に始まって終わったのが日が暮れるころだったから、昼の自然な光の中で演奏する時間と、夜になって照明がきらめく中で演奏する時間と、両方のエネルギーを感じることができた。昼は山の緑や空の青が僕たちの演奏に彩りを加えてくれて、夜はクラブみたいに、集まった人たちの熱気が会場を一つにしていて。確かにあれは忘れられない瞬間だったね。

ニュー・アルバムの「II」とフィールドレコーディング

——今度のニュー・アルバムの「II」は、一部がバリ島でレコーディングされたと聞きました。アイスランドとはまったく異なる環境だったと思いますが、バリ島はどんなインスピレーションを与えてくれる場所でしたか。

ヤヌス:とても楽しい経験だったよ。アイスランドや自分のスタジオとはまったく違う環境で一緒に曲を作ったのは初めてだったし、それが曲のサウンドにかなり影響したと思う。普段使っている機材もなかったからね。だから最初は戸惑うこともあったけど、それが楽しかったし、大きなチャレンジでもあった。限られた環境の中で、僕たちは音楽の原点に立ち返ったような感覚だった。自然の音を取り入れながら、手づくりで音楽をつくり上げる――それはまるで音楽的な冒険に出かけたようなもので、本当に刺激的だった。普段とは違う環境だからこそ、新しいサウンドを生み出すことができたのは大きな収穫だったよ。

——確かに、今度のアルバムからは、これまでのキアスモスのサウンドでは聴かれなかったさまざまな“音”が聞こえてきますよね。

オーラヴル:環境によって聞こえる音はさまざまで、それが僕たちの作る音楽にも大きな影響を与えている。例えば、バリ島ではコオロギの鳴き声とか自然の音がとても身近に感じられる。また、ガムランという伝統楽器もバリの音楽に独特の雰囲気を与えている一つで、今回僕たちの曲でもその音色を少し取り入れてみた。一方、アイスランドはもっと静かで、自然の音も少ない。その“静けさ”が僕たちの音楽にも影響し、より繊細で落ち着いたサウンドをつくり上げているというのはあるんじゃないかな。

——そもそも、どうしてバリ島でレコーディングすることになったんですか。

オーラヴル:妻がジャカルタ生まれで、バリ島で育ったんだ。だからバリとは深いつながりがあって。それで2017年ぐらいから年に数カ月ほど、そこを拠点に生活しているんだ。

——そうだったんですね。ちなみに、今回のアルバムで使われているフィールド・レコーディングは全てバリ島で録音されたものですか。

オーラヴル:そうだね。というか、アイスランドではこうした経験はまったくないから(笑)。実はピアノの一部をバリ島でレコーディングしたんだけど、そしたらコオロギの鳴き声が偶然混混ざっていて。ただ、それを完全に消してしまうのはかえって不自然だと思って、そのまま残すことにしたんだ。結果的に、その音が曲に独特の雰囲気を出してくれて、とても気に入っているよ。

——コオロギの鳴き声以外にも、何か面白い音は録れましたか。

ヤヌス:うん。早朝にバリの山で録音した、とても美しい音がある。「Dazed」で聴くことができるんだけど、鳥たちが目覚めていく様子と、日の出の音を録音したんだ。鳥たちのさえずりと日の出の音が重なり合って、素晴らしいハーモニーを生み出していた。その瞬間、自然と音楽が一体になったような、特別な体験だったよ。

——そうしたフィールド・レコーディングを取り入れることで、どんな効果やフィーリングを自分たちの音楽に持ち込みたいというアイデアがあったのでしょうか。

ヤヌス:いや、特に具体的な計画は立てずに、ただレコーダーを持って早朝の山へと出かけたんだ。すると、鳥のさえずりや風の音など、自然が奏でる美しいハーモニーが耳に入ってきた。その音をそのまま録音して、曲に取り入れてみた感じだったんだ。

オーラヴル:僕たちが自然の音を音楽に取り入れるのは、単に楽器の音を重ねるだけではなく、音楽にストーリー性を持たせたかったから。例えば、鳥のさえずりを加えることで、聴いている人に早朝の森の中にいるようなイメージを喚起させたり、川のせせらぎの音で穏やかな時間の流れを感じてもらったりね。楽器だけでは表現できない、自然の奥深さを音楽に表現したいと思って。それは、音楽に新たなレイヤーを加えて、聴く人に没入感を与えるためでもある。

——例えば、KLFの「Chill Out」のような、フィールド・レコーディングを取り入れた作品で好きなものとかあったりしますか。

ヤヌス:どうだろう? 自然の音を音楽に取り入れる試みって、古くから多くのアーティストによって行われてきたわけで。自然の音は、音楽に豊かなインスピレーションを与える素材としてアーティストたちに愛されてきた。中には、フィールド・レコーディングのみを作品として発表するアーティストもいて、個人的には、そういった作品をよく聴いてきた感じかな。

——併せて、「Sailed」や「Flown」で聴けるように、今度のアルバムでガムランや民族音楽の要素を取り入れることになったのも、いつもと違う制作環境だったからこその試みだったりするのでしょうか。

ヤヌス:というか、実はバリ島に到着した初日に、持っていたシンセサイザーが壊れてしまってね(笑)。それで急遽、アンティークショップで竹製と金属製のガムランを2台購入して。それらを組み合わせて新しい楽器を作り、サンプリングして、楽曲に取り入れてみたんだ。結果、今回の音楽制作に欠かせない要素になったし、独自のサウンドを生み出していると思うよ。

オーラヴル:竹は柔らかいものから硬いものまでさまざまな素材を重ねて作られていて、それをバチの種類や叩き方を変えることでいろんな音色を試してみたんだ。そうした音をレイヤーすることで、より深みのあるサウンドを作り出すことができたんじゃないかな。

音楽と自然の関係性

——先日、ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins)にインタビューした際、彼の近作が「自然」や「スピリチュアリティ」をテーマとしていることを伺いました。音楽と自然の関係性は、それこそバロックや古典の時代から多くの作曲家によって探求されてきたテーマです。単に自然の音を模倣するだけでなく、自然に対する人間の心象を音楽で表現するなど、その表現方法は多岐にわたります。2人がこうしたテーマについてどのような見解を持っているのか、興味があります。

オーラヴル:場所が音楽に与える影響はとても大きい。アイスランド、日本、バリ島など、演奏する場所によって生まれる音はまったく異なるし、同じ楽器であっても場所が変われば奏でられる音楽は違う表情を見せる。それは、自然の景色だけでなく、その場所の空気感や聞こえる音、そしてそこに身を置いたときの感覚が音楽に大きな影響を与えるからだと思う。

ヤヌス:僕が個人的に自然の音に惹かれる理由は、音はどこから生まれ、なぜ僕たちが音楽や自然を美しいと感じるのかという根源的な問いに対する探究心が強いからだと思う。僕たちが奏でる音楽は複雑なアレンジやテクニックを用いて作られているけど、その根源には、自然のリズムや鳥のさえずりなどシンプルな自然の音がある。つまり音楽の多くには、自然を模倣している側面があると思う。だから結局、僕たちの音楽も分解してみればただの自然の音なんじゃないかな。音楽と自然は、けっして切り離すことのできない、密接な関係にあると信じているよ。

——なるほど。ただ、あなたたちの音楽は、単に自然の音を書き写そうとしてやっているものではないですよね?

オーラブル:そうだね。それよりもフィーリングが大事なんだ。

——例えば、コロナ以降、アンビエントなどのエレクトロニック・ミュージックはセラピーや瞑想、マインドフルネスを促すものとして特に求められている傾向があるように感じます。自分たちの音楽にもそうした“効能”があると思いますか。

ヤヌス:僕たちの音楽が好き人は、さまざまなシチュエーションで、それぞれのスタイルで楽しんでくれている。料理を作りながら聴く人もいれば、ヨガや瞑想をしているときに聴く人、ビールを飲みながらパーティーで踊っているときに聴く人もいる。本当に人それぞれだと思う。僕たち音楽家は、単に音を重ね合わせるだけでなく、聴く人々に何かを感じてもらうために音楽を作っている。聴く人が何を思うかは自由で、メロディーを紡いでいく中で、音楽が自然と感情を呼び起こす瞬間があることに気づかされる。少しメランコリックな気分にさせる曲もあれば、高揚感を与える曲もある。ただ、それはけっして意図的なものではなく、音楽が持つ自然な力なんじゃないかな。だからどんな瞬間にも、僕たちの音楽が寄り添えることを願っているよ。

オーラヴル:音楽はマインドフルネスや瞑想の一種であり、それが“音楽を聴く”ということなんだと思う。ジャズ、アンビエント、ダンス・ミュージック、どんなジャンルも関係ない。大切なのは、音楽に心を委ね、その瞬間に没頭することなんじゃないかな。

——ちなみに、キアスモスのコンセプトは「ダンス・フロアで泣かせること」だと読みました。それも一種のセラピーだったり、マインドフルネスへの働きかけを意識してのことだったりするのでしょうか。

オーラヴル:まあ、それは冗談で言ってるところもあるんだけどね(笑)。

ヤヌス:僕たちのライブに足を運んでくれる人の中には、僕たちの音楽を静かなものだと捉えている人が多いみたいなんだ。アルバムによっては、激しい曲よりも落ち着いた曲が中心のものもあるから、そう思われているのかもしれない。だから実際にライブに来ると、クラブで観客が踊り狂うような激しいパフォーマンスをしていることに驚くみたいで。エモーショナルでありながら多幸感溢れるライブを目指しているから、時には涙を流しながら踊っている観客の姿を目にすることもある。僕たちのライブでは、さまざまな感情的な体験を提供したいと思っているんだ。静かに音楽に耳を傾けたり、時には涙を流しながら踊ったりと、それぞれがさまざまな形で音楽を楽しんでくれたらって思っているよ。

——ここまで話してきたことともつながるかと思いますが――最後に、昨年亡くなった坂本龍一さんについてコメントをいただけますか。特にオーラヴルさんは坂本さんと共演もあり、その影響について公言されてきましたが、あらためて、坂本龍一という音楽家はオーラヴルさんにとってどんな存在でしたか。

オーラヴル:実は今朝、そのことについてたっぷり喋ってきたばかりなんだ(笑)。それはともかく……彼の音楽は、クラシック楽器を巧みに使いながらも、どこかエレクトロニックな雰囲気が漂っていて、従来のクラシック音楽の概念を覆すような、新鮮な驚きを与えてくれるものだった。12〜14歳のころ、クラシック音楽といえばオーケストラや伝統的な楽器で演奏されるものだと信じていた僕にとって、彼との出会いは音楽に対する固定観念を打ち破る衝撃的なものだったんだ。音楽の境界線を超えて、新たな可能性を切り開いてくれるようなね。だから彼を見つけたことは本当に大きな発見だったし、彼の音楽はまったく新しい音楽の世界へと僕を導いてくれるきっかけだったんだよ。

——ありがとうございます。ところで、今回のアルバムは曲名が全て過去形や過去分詞なのはどうして?

ヤヌス:いい質問だね。ただ、その質問には答えがない。理由はないんだ。ただそうすることに決めたってだけでね。でも、制約があるのはいいことだよ。そうすることでユニークなものになるんだ。だからいい質問だけど、“いい答え”はないんだよ(笑)。

Translation:Kazumi Someya

■「Ⅱ (トゥー)」
アーティスト:Kiasmos(キアスモス)
レーベル:Erased Tapes
発売日:2024年7月5日
価格:国内流通盤CD 3190円、国内流通盤2枚組LP(全世界2000枚限定Clear Vinyl)7260円、国内流通盤2枚組LP 6820円
https://www.inpartmaint.com/site/39125/

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エレクトロニック・ユニット、キアスモスが語る——10年振りの新作、そして音楽と自然の関係性について

PROFILE: キアスモス(Kiasmos)

キアスモス(Kiasmos)
PROFILE: 2007年結成。アイスランドの作曲家オーラヴル・アルナルズ(Ólafur Arnalds)と、エレクトロポップ・バンド、ブラッドグループ(Bloodgroup)で活動していたヤヌス・ラスムセン(Janus Rasmussen)によるエレクトロニック・ユニット。2009年にRival Consolesとのスプリット12インチ「65/Milo」、12年に2曲の新曲とフォルティDL(FaltyDL)、65デイズオブスタティック(65daysofstatic)によるリミックスを収録した12インチ「Thrown EP」をリリース。 14年にデビューアルバム「Kiasmos(キアスモス)」をリリース。18年にはフェス「タイコクラブ」にヤヌスがKiasmos DJ Setとして来日。24年7月5日に10年振りのフルアルバム「Ⅱ(トゥー)」をリリースし、10月にキアスモスとして初来日公演を行った。オーラヴル・アルナルズ(左)とヤヌス・ラスムセン(右)。PHOTO:YUKI KAWASHIMA

アイスランド出身のオーラヴル・アルナルズとヤヌス・ラスムセンによるエレクトロニック・ユニット、キアスモス(Kiasmos)。その結成は古く、かたや映画やドラマのスコア制作でも高い評価を得る「ポスト・クラシカル」の雄として、かたやエレクトロ・ポップ・バンドのブラッドグループ(Bloodgroup)のメンバーとして、オーラヴルとヤヌスが個々に築いてきたキャリアと並走するかたちで営まれてきた活動は、今年ではや15年になる。キアスモスの魅力は、そんな2人の個性やスタイルのダイナミックな交差にあり、そのサウンドはアンビエントやミニマル・テクノ、レイヴ、UKガラージなどクラブ・ミュージックの間を自在に行き来しながらスケール感溢れる“映像喚起”的な世界をつくり上げている。2014年に発表したデビュー・アルバム「Kiasmos」は、ピアノやストリングスなど多彩な生楽器と硬質なエレクトロニクスが相乗効果をもたらし、クラシック音楽の壮大で深遠な美しさをダンスフロアに召喚したような傑作だった。

対して、今年の7月5日に10年ぶりにリリースされたニュー・アルバム「Ⅱ(トゥー)」では、アイスランドを離れてバリ島で行われたレコーディングの経験が彼らの音楽に新たなインスピレーションをもたらしている。変化の目まぐるしいビート、柔らかくも力強く推進するグルーヴ、オーケストラを導入したシネマティックで高揚感に満ちたサウンドスケープはそのままに、ガムランの金属的なパーカッションや民族楽器のサンプリング、そして自然環境のフィールド・レコーディングが彩るオーガニックで開放感のあるアトモスフェリアが印象的だ。

「音楽の原点に立ち返ったような感覚だった」――そう今作の制作について振り返るヤヌス。そんな好奇心と冒険心に突き動かされた新作について、さらにその背景にある音楽と「自然」や「スピリチュアリティ」をめぐる哲学について、ライブ直前の2人に聞いた。

ライブ環境について

——キアスモスとしては今回が初来日ということで、今夜(10月11日)のライブも楽しみですが、特に明日の「朝霧ジャム」のステージは特別な体験になるのではと期待しています。2人にとって、クラブや都市型のフェスではなく、自然に囲まれた野外でパフォーマンスを行うことの意義や醍醐味はどんなところに感じていますか。

オーラヴル・アルナルズ(以下、オーラヴル):正直言うと、野外でのライブは親密さが少し失われる感じがして(笑)。人が多いし、エネルギーで溢れているからね。だから個人的には、こういうクラブ(※恵比寿LIQUIDROOM)の方が本当は好きなんだ。こぢんまりとしていて、タイトで、汗だくでムンムンしていてね。

ヤヌス・ラスムセン(以下、ヤヌス):フェスティバルって、何が起こるか分からないというか、天候とかいろんな要素で想定外のことが起こったりするから。雨が降ってグチャグチャになっちゃうこともあるし、人が多すぎて身動きが取れなくなることもある。その点、クラブの方がコントロールしやすいし、安全というか、僕たちにとっては音楽を始めた原点でもあるからね。

——そうなんですね。ただ、キアスモスのサウンドは自然の風景やオープンエアな環境と親和性がとても高いと思います。

オーラヴル:僕たちもやりながら自然を感じられたらいいんだけどね。というのも、パフォーマンス中の僕たちって、ステージの上でライトに照らされている状態だから(笑)。だから周りの環境を意識することって難しくて。でも、フェスティバルによって場所が変わると、まったく違う感覚を味わえることがある。たまにはね。

——例えば、野外でのステージ用にセットやアレンジを変えたり、視覚的な演出を変えたりすることはありますか。

ヤヌス:どうだろう? 通常、フェスティバルだと演奏時間が短くてね。でもクラブだとたっぷり演奏できるから、今夜も長めのセットを用意したんだ。85分くらいかな。ただ、いったん曲の順番や照明とか、音響を含めた全体のプロダクションを決めてしまうと、しばらくはその通りにやるのが普通なんだよね。だから唯一アレンジする可能性があるとすれば、3曲くらいを通しで演奏して、それをセットの前半か後半かに移動させることぐらいかな。

——そういえば、7月にフランスのシストロンで行われたライブの映像を見ました。あの美しい自然と城塞の遺構に囲まれた中でのパフォーマンスは、さすがに特別な体験だったのではないですか。

オーラヴル:そうだね。あれは素晴らしかったな。山の壮大さに圧倒されて、自然の力強さを全身で感じることができた、特別な体験だったよ」

ヤヌス:特に、昼間に始まって終わったのが日が暮れるころだったから、昼の自然な光の中で演奏する時間と、夜になって照明がきらめく中で演奏する時間と、両方のエネルギーを感じることができた。昼は山の緑や空の青が僕たちの演奏に彩りを加えてくれて、夜はクラブみたいに、集まった人たちの熱気が会場を一つにしていて。確かにあれは忘れられない瞬間だったね。

ニュー・アルバムの「II」とフィールドレコーディング

——今度のニュー・アルバムの「II」は、一部がバリ島でレコーディングされたと聞きました。アイスランドとはまったく異なる環境だったと思いますが、バリ島はどんなインスピレーションを与えてくれる場所でしたか。

ヤヌス:とても楽しい経験だったよ。アイスランドや自分のスタジオとはまったく違う環境で一緒に曲を作ったのは初めてだったし、それが曲のサウンドにかなり影響したと思う。普段使っている機材もなかったからね。だから最初は戸惑うこともあったけど、それが楽しかったし、大きなチャレンジでもあった。限られた環境の中で、僕たちは音楽の原点に立ち返ったような感覚だった。自然の音を取り入れながら、手づくりで音楽をつくり上げる――それはまるで音楽的な冒険に出かけたようなもので、本当に刺激的だった。普段とは違う環境だからこそ、新しいサウンドを生み出すことができたのは大きな収穫だったよ。

——確かに、今度のアルバムからは、これまでのキアスモスのサウンドでは聴かれなかったさまざまな“音”が聞こえてきますよね。

オーラヴル:環境によって聞こえる音はさまざまで、それが僕たちの作る音楽にも大きな影響を与えている。例えば、バリ島ではコオロギの鳴き声とか自然の音がとても身近に感じられる。また、ガムランという伝統楽器もバリの音楽に独特の雰囲気を与えている一つで、今回僕たちの曲でもその音色を少し取り入れてみた。一方、アイスランドはもっと静かで、自然の音も少ない。その“静けさ”が僕たちの音楽にも影響し、より繊細で落ち着いたサウンドをつくり上げているというのはあるんじゃないかな。

——そもそも、どうしてバリ島でレコーディングすることになったんですか。

オーラヴル:妻がジャカルタ生まれで、バリ島で育ったんだ。だからバリとは深いつながりがあって。それで2017年ぐらいから年に数カ月ほど、そこを拠点に生活しているんだ。

——そうだったんですね。ちなみに、今回のアルバムで使われているフィールド・レコーディングは全てバリ島で録音されたものですか。

オーラヴル:そうだね。というか、アイスランドではこうした経験はまったくないから(笑)。実はピアノの一部をバリ島でレコーディングしたんだけど、そしたらコオロギの鳴き声が偶然混混ざっていて。ただ、それを完全に消してしまうのはかえって不自然だと思って、そのまま残すことにしたんだ。結果的に、その音が曲に独特の雰囲気を出してくれて、とても気に入っているよ。

——コオロギの鳴き声以外にも、何か面白い音は録れましたか。

ヤヌス:うん。早朝にバリの山で録音した、とても美しい音がある。「Dazed」で聴くことができるんだけど、鳥たちが目覚めていく様子と、日の出の音を録音したんだ。鳥たちのさえずりと日の出の音が重なり合って、素晴らしいハーモニーを生み出していた。その瞬間、自然と音楽が一体になったような、特別な体験だったよ。

——そうしたフィールド・レコーディングを取り入れることで、どんな効果やフィーリングを自分たちの音楽に持ち込みたいというアイデアがあったのでしょうか。

ヤヌス:いや、特に具体的な計画は立てずに、ただレコーダーを持って早朝の山へと出かけたんだ。すると、鳥のさえずりや風の音など、自然が奏でる美しいハーモニーが耳に入ってきた。その音をそのまま録音して、曲に取り入れてみた感じだったんだ。

オーラヴル:僕たちが自然の音を音楽に取り入れるのは、単に楽器の音を重ねるだけではなく、音楽にストーリー性を持たせたかったから。例えば、鳥のさえずりを加えることで、聴いている人に早朝の森の中にいるようなイメージを喚起させたり、川のせせらぎの音で穏やかな時間の流れを感じてもらったりね。楽器だけでは表現できない、自然の奥深さを音楽に表現したいと思って。それは、音楽に新たなレイヤーを加えて、聴く人に没入感を与えるためでもある。

——例えば、KLFの「Chill Out」のような、フィールド・レコーディングを取り入れた作品で好きなものとかあったりしますか。

ヤヌス:どうだろう? 自然の音を音楽に取り入れる試みって、古くから多くのアーティストによって行われてきたわけで。自然の音は、音楽に豊かなインスピレーションを与える素材としてアーティストたちに愛されてきた。中には、フィールド・レコーディングのみを作品として発表するアーティストもいて、個人的には、そういった作品をよく聴いてきた感じかな。

——併せて、「Sailed」や「Flown」で聴けるように、今度のアルバムでガムランや民族音楽の要素を取り入れることになったのも、いつもと違う制作環境だったからこその試みだったりするのでしょうか。

ヤヌス:というか、実はバリ島に到着した初日に、持っていたシンセサイザーが壊れてしまってね(笑)。それで急遽、アンティークショップで竹製と金属製のガムランを2台購入して。それらを組み合わせて新しい楽器を作り、サンプリングして、楽曲に取り入れてみたんだ。結果、今回の音楽制作に欠かせない要素になったし、独自のサウンドを生み出していると思うよ。

オーラヴル:竹は柔らかいものから硬いものまでさまざまな素材を重ねて作られていて、それをバチの種類や叩き方を変えることでいろんな音色を試してみたんだ。そうした音をレイヤーすることで、より深みのあるサウンドを作り出すことができたんじゃないかな。

音楽と自然の関係性

——先日、ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins)にインタビューした際、彼の近作が「自然」や「スピリチュアリティ」をテーマとしていることを伺いました。音楽と自然の関係性は、それこそバロックや古典の時代から多くの作曲家によって探求されてきたテーマです。単に自然の音を模倣するだけでなく、自然に対する人間の心象を音楽で表現するなど、その表現方法は多岐にわたります。2人がこうしたテーマについてどのような見解を持っているのか、興味があります。

オーラヴル:場所が音楽に与える影響はとても大きい。アイスランド、日本、バリ島など、演奏する場所によって生まれる音はまったく異なるし、同じ楽器であっても場所が変われば奏でられる音楽は違う表情を見せる。それは、自然の景色だけでなく、その場所の空気感や聞こえる音、そしてそこに身を置いたときの感覚が音楽に大きな影響を与えるからだと思う。

ヤヌス:僕が個人的に自然の音に惹かれる理由は、音はどこから生まれ、なぜ僕たちが音楽や自然を美しいと感じるのかという根源的な問いに対する探究心が強いからだと思う。僕たちが奏でる音楽は複雑なアレンジやテクニックを用いて作られているけど、その根源には、自然のリズムや鳥のさえずりなどシンプルな自然の音がある。つまり音楽の多くには、自然を模倣している側面があると思う。だから結局、僕たちの音楽も分解してみればただの自然の音なんじゃないかな。音楽と自然は、けっして切り離すことのできない、密接な関係にあると信じているよ。

——なるほど。ただ、あなたたちの音楽は、単に自然の音を書き写そうとしてやっているものではないですよね?

オーラブル:そうだね。それよりもフィーリングが大事なんだ。

——例えば、コロナ以降、アンビエントなどのエレクトロニック・ミュージックはセラピーや瞑想、マインドフルネスを促すものとして特に求められている傾向があるように感じます。自分たちの音楽にもそうした“効能”があると思いますか。

ヤヌス:僕たちの音楽が好き人は、さまざまなシチュエーションで、それぞれのスタイルで楽しんでくれている。料理を作りながら聴く人もいれば、ヨガや瞑想をしているときに聴く人、ビールを飲みながらパーティーで踊っているときに聴く人もいる。本当に人それぞれだと思う。僕たち音楽家は、単に音を重ね合わせるだけでなく、聴く人々に何かを感じてもらうために音楽を作っている。聴く人が何を思うかは自由で、メロディーを紡いでいく中で、音楽が自然と感情を呼び起こす瞬間があることに気づかされる。少しメランコリックな気分にさせる曲もあれば、高揚感を与える曲もある。ただ、それはけっして意図的なものではなく、音楽が持つ自然な力なんじゃないかな。だからどんな瞬間にも、僕たちの音楽が寄り添えることを願っているよ。

オーラヴル:音楽はマインドフルネスや瞑想の一種であり、それが“音楽を聴く”ということなんだと思う。ジャズ、アンビエント、ダンス・ミュージック、どんなジャンルも関係ない。大切なのは、音楽に心を委ね、その瞬間に没頭することなんじゃないかな。

——ちなみに、キアスモスのコンセプトは「ダンス・フロアで泣かせること」だと読みました。それも一種のセラピーだったり、マインドフルネスへの働きかけを意識してのことだったりするのでしょうか。

オーラヴル:まあ、それは冗談で言ってるところもあるんだけどね(笑)。

ヤヌス:僕たちのライブに足を運んでくれる人の中には、僕たちの音楽を静かなものだと捉えている人が多いみたいなんだ。アルバムによっては、激しい曲よりも落ち着いた曲が中心のものもあるから、そう思われているのかもしれない。だから実際にライブに来ると、クラブで観客が踊り狂うような激しいパフォーマンスをしていることに驚くみたいで。エモーショナルでありながら多幸感溢れるライブを目指しているから、時には涙を流しながら踊っている観客の姿を目にすることもある。僕たちのライブでは、さまざまな感情的な体験を提供したいと思っているんだ。静かに音楽に耳を傾けたり、時には涙を流しながら踊ったりと、それぞれがさまざまな形で音楽を楽しんでくれたらって思っているよ。

——ここまで話してきたことともつながるかと思いますが――最後に、昨年亡くなった坂本龍一さんについてコメントをいただけますか。特にオーラヴルさんは坂本さんと共演もあり、その影響について公言されてきましたが、あらためて、坂本龍一という音楽家はオーラヴルさんにとってどんな存在でしたか。

オーラヴル:実は今朝、そのことについてたっぷり喋ってきたばかりなんだ(笑)。それはともかく……彼の音楽は、クラシック楽器を巧みに使いながらも、どこかエレクトロニックな雰囲気が漂っていて、従来のクラシック音楽の概念を覆すような、新鮮な驚きを与えてくれるものだった。12〜14歳のころ、クラシック音楽といえばオーケストラや伝統的な楽器で演奏されるものだと信じていた僕にとって、彼との出会いは音楽に対する固定観念を打ち破る衝撃的なものだったんだ。音楽の境界線を超えて、新たな可能性を切り開いてくれるようなね。だから彼を見つけたことは本当に大きな発見だったし、彼の音楽はまったく新しい音楽の世界へと僕を導いてくれるきっかけだったんだよ。

——ありがとうございます。ところで、今回のアルバムは曲名が全て過去形や過去分詞なのはどうして?

ヤヌス:いい質問だね。ただ、その質問には答えがない。理由はないんだ。ただそうすることに決めたってだけでね。でも、制約があるのはいいことだよ。そうすることでユニークなものになるんだ。だからいい質問だけど、“いい答え”はないんだよ(笑)。

Translation:Kazumi Someya

■「Ⅱ (トゥー)」
アーティスト:Kiasmos(キアスモス)
レーベル:Erased Tapes
発売日:2024年7月5日
価格:国内流通盤CD 3190円、国内流通盤2枚組LP(全世界2000枚限定Clear Vinyl)7260円、国内流通盤2枚組LP 6820円
https://www.inpartmaint.com/site/39125/

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鯖江で「小さな産業革命」、インタウンデザイナー新山直広に聞く地場産業の継続と価値創出に必要なこと

PROFILE: 新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター

新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター
PROFILE: 1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。2009年福井県鯖江市に移住。応用芸術研究所、鯖江市役所を経て15年に地域特化型クリエイティブカンパニーTSUGIを設立。「福井を創造的な地域にする」をビジョンに、通常のデザインワークだけではなく、眼鏡素材を転用したアクセサリーブランド「Sur」、福井の産品を扱う物産店「SAVA!STORE」の運営、産業観光イベント「RENEW」のディレクションなど、地域に何が大切で何が必要かという問いに対して、リサーチとプランニングを繰り返しながら、これからの時代に向けた創造的な地域づくりを実践。22年に越前鯖江地域の観光まちづくりを行う一般社団法人SOEを設立。23年にはこれからの地域とデザインを探究するLIVEDESIGN Schoolを開校するなど、近年ではものづくり・まちづくり・ひとづくりといった領域で活動。グッドデザイン賞特別賞、国土交通省地域づくり表彰最高賞など受賞多数。著書に「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる」(学芸出版社)がある

福井県鯖江市で興味深い変化が起きている。鯖江市は眼鏡をはじめ漆器や和紙などモノ作りがさかんな地域だったが、産業は衰退の一途だった。しかし今、「伝統工芸で元気な街」と言われるまでになった。その立役者の1人が2009年に鯖江に移住した新山直広ツギ(TSUGI)代表だ。“インタウンデザイナー”を提唱し、デザイン力を多方面で発揮して、地場産業の魅力を高めてその価値向上に取り組む。「福井を創造的な地域にする」と3人で始めたツギの従業員数は現在20人に。スタッフの多くが県外からの移住者だ。現在は政策デザインアドバイザーとして鯖江市や福井県の政策立案も行う。若者の鯖江への移住者は130人を超え、OEM中心のビジネスだった企業は自社ブランドを立ち上げ、新店舗をオープンしている。その数10年間で35店舗。きっかけは新山代表が15年に始めたオープンファクトリーイベント「RENEW(リニュー)」で、産業構造だけでなく人々の意識変化をもたらした。新山代表に鯖江の変化について、デザイナーが“インタウン”である重要性とやりがいについて聞いた。

意識高い系学生が町に溶け込むまで

WWD:鯖江市に移住を決めた決定打は何か?

新山:これからは地域の時代だと思ったこと。ただ鯖江でないといけない理由はなかった。京都精華大学で建築を学んでいたときにゼミの先生が行っていたプロジェクト「河和田アートキャンプ」に参加した。その頃はちょうど日本の人口がピークでリーマンショックの直後。もう建物を新築する時代じゃないだろうと感じていた。これからは今ある環境をどうよくするか、コミュニティデザインが主流になると考え、先生が運営する応用芸術研究所に入り、その勤務先が鯖江だった。

WWD:大阪や京都で生活してきた新山さんにとって公共交通機関が少ない街への移住のハードルは高くなかった?

新山:その頃、恥ずかしいくらい意識高い系の学生だった(笑)。偉そうに日本の都市がどうなるか語っていた。分かりもせんのに。移住のモチベーションは「僕が地域を活性化してあげます」だったから、今思えばマジでくそ野郎だった。一番あってはならない気持ちで移住してしまった。

WWD:実際に住んで見えた課題は?

新山:課題は大きく2つ。1つ目は自分自身の課題で、町に溶け込む必要があった。今でこそ鯖江は移住者が多いが、地域活性の文脈で移住したのは僕が第一号だった。そして会社や行政から「お前がミスると次が来ないから絶対にミスるな」と脅されていたから、まずはなじもうと必死にがんばった。夏祭りなど地域行事には積極的に参加して、地区の青少年健全協議会のオブザーバーなど声がかかったもの全部に行って信頼を獲得しようとしていた。

WWD:「嫌われないように保守的に動く」と「地域の課題解決に向けた動き」はつながりにくいのでは?

新山:移住後2年くらいは野望や野心があまりなくて、なじむことを一生懸命考えていたが、その中で直面したのが地域の本当の意味の課題だった。つまり2つ目の課題、産業がオワコン過ぎるということ。移住1年目は市からの委託で産業調査を行っていた。越前漆器の職人さんや問屋さんを100件くらい回り、後継者や売り上げ、未来の展望を聞いていた。その9割が「もうやばい、終わりだ。息子に継がしたら一生恨まれるわ」という状態。2年目は越前漆器の売り場調査を行った。結果どこにも売ってなかった。業務用のtoBビジネスは縮小傾向だし、そもそもtoCはなかった。国内の漆器流通上に越前漆器はなく、そもそも売り場自体も縮小している。このままいくと産業が衰退する一方だ、という課題が浮き彫りになった。

その時僕が思ったのは、この町には圧倒的にデザインが必要だということ。他産地を見ると、例えば石川輪島のキリモトは三越日本橋店に直営店を出しているし、富山高岡の鋳物メーカー能作もデザインされた製品を売っている。技術は負けていないのに見せ方や伝え方、デザインが足りていない。僕はそこを手伝う必要があると思った。移住して1年半が経った10年の年末だった。

コミュニティデザインや地域活性をしたくて移住したが、職人さんには「お前は全然わかっていない。鯖江は眼鏡、漆器、繊維とモノ作りの町。モノ作りが元気にならないと地域活性しない」と言われたことも大きかった。

町の人にデザイナーになりたいと宣言すると「デザイナーなんて大嫌いだ。作品みたいなものを作りやがって。あいつら詐欺師だ」とデザイナーをネガティブにとらえていた。この町でデザインを生業にするならモノを作るだけではなくて流通や販路まで手伝わないと通用しないと思った。“流通までできるデザイナー”になろうと考えた。

流通までできるデザイナーになる

WWD:移住して3年は河和田アートキャンプの運営会社で働きながらリサーチャーとしても活動、12~15年は鯖江市役所広報課で働いたのち独立したのは15年。そもそもこれまでデザインは取り組んだことがなかった。

新山:約5年の間に独学で学んだ。未経験で福井のデザイン事務所で雇ってはもらえないだろうし、東京にあるデザイン会社に行きたいと考えていた。面接に行くお金がなくてうだうだしていると鯖江市役所から電話があり、「移住者第一号が3年で抜けると市政の失態だ」と言われ、役所で働くことになった。でもそれはやりたいことと違う。それを伝えると市長室に呼ばれた。当時市長だった牧野百男さんに「お前は全然わかっていない。行政は最大のサービス業だ。そもそも行政にデザイン視点がないのがおかしい。お前がそれをやれ」と言われた。牧野さんは支持率8割のカリスマ市長で伝説の市長。「若者に居場所と出番を」という考えを持っていて、若者にやりたいことをやらせて俺が全部責任を取るという姿勢だった。臨時職員として商工政策課に入り、地場産業の支援を始めることになった。具体的には眼鏡のウェブマガジンや観光パンフレットのデザインをした。思った以上に面白くてやりがいを感じていた一方、産業振興は行政組織として公平公正であることが難しく、限界がある。そんな葛藤を抱えながら仕事をしていると、日々倒産情報がファックスで入ってくる。この勢いだと10年後に産業がなくなると思い、早めに独立して流通までできるデザイナーになるしかないと思った。

オープンファクトリーイベント「RENEW」を始動、小さな産業革命が起きる

WWD:鯖江の産業の中でもWWDJAPAN読者になじみがあるのは眼鏡産業。現在の課題は何か、また課題に対する取り組みで評価できるものは何が?

新山:現在の課題は大M&A時代に入ったこと。それ以前の課題はOEM中心のビジネスだったため、受注が減ったことで仕事がどんどんなくなり、どうするんだと自社ブランドを作る動きが生まれ始めていた。そのときに立ち上げたのが「RENEW」だ。

WWD:今年で10年になる。成果は?

新山:OEMを生業の中心としていた町に35の新規店舗ができた。工場の一部を自社ブランドを売る店にしたファクトリーショップのような形態。大げさかもしれないが「RENEW」によって小さな産業革命が起きた。意識変化が起き、新しい稼ぎ口を見出した事業者は多かった。

WWD:鯖江の眼鏡は分業制で、自社ブランドのためのサプライチェーン作りが大変そうだ。リードタイムが長くなっていることが課題だとも聞く。

新山:分業とはいえ、メーカーは他の工程を依頼して取りまとめることで売ることができる。どちらかというと今の課題はリードタイムが長過ぎること。15~21年はリードタイムが3~5か月だったのに対して一時期は1年3か月まで伸びた。今は1年程度だが、あまりに伸びると資金繰りやキャッシュフローが難しくなる。分業制を売りにしていた町だが、どこかの工程が止まればサプライチェーンが崩壊し、最終製品まで至らない。漁業でいうところの乱獲した結果、魚がいなくなったのに近く、課題はわかっていたのに手を付けなかったともいえる。人材は育たないし、結果的に作れない産地になった。

WWD:別の課題も生まれ、厳しい状況は続いているが、いい形で産業を継続させるためにはどこを目指せばいいのか。

新山:今僕が期待しているのは3代目社長。ちょうど2代目から3代目への代替わりの時期で、3代目の多くは40代。2代目は家族経営が中心で家族が食べていければいい、という感じだったが、3代目の経営者は共存共栄の視点を持っている。自分たちが儲かればいい、ではなく、産地の生態系まで考えた経営しようとしている方々がいる。例えば佐々木セルロイド(母体は兵庫県の企業)は独立支援コースができ、独立前提の雇用計画を進めている。何年か働いた後に独立されると会社としては大変になるかもしれないけど、産地にとっては作り手が増えるのでよしとしている。

沢正眼鏡は家族経営6人の小さな会社で平均年齢が約60歳だったが、息子が4月に社長になり、新たにスタッフを雇用しようと労務環境の改善を目指している。例えば「技術は目で盗むもの」というのが通例だったが、マニュアルを作りDX化を促進している。面白いのは、空き家対策事業を始め、会社のまわりの空き家を買い取って改装し、若い人向けのシェアハウスにしていること。“働く×暮らす”の環境作りをすることで担い手を作ろうとしている。

マーベルは給与水準を上げることを目指して給与体系を作り、給与を高くしたことで若い人が入社した。社風もイケイケになっていて、眼鏡業界では新しい風になっている。

WWD:新山さん自身がこれから取り組む課題は?

新山:廃棄物と労務だ。眼鏡は単一素材ではないし、例えば「土に還るやさしい素材」とうたっている素材はあるが、資源環境についてしっかり取り組まないと産業自体が危うくなる。本当に土壌分解するのか。眼鏡は単一素材ではない。具体的なアクションは難しく、儲からないと止まる。産地の意識変化を5年かけて取り組んでいく。

労務についてはいろいろ見えてきていて、鯖江市の労働環境の課題は、「給料が安い」「離職率が高い」「採用応募数が少ない」「高齢化」に加え、「技術伝承の遅れ」「分業化の限界」などがある。解決策として考えられるのは、HR(ヒューマンリソース)を重視した世界観。産地の中で人材育成をしっかりして、従業員のエンゲージメントを上げることなどに取り組みたい。

ツギが目指すこと、デザイナーの可能性

WWD:ツギはグラフィックデザインからブランディング、商品開発、プロジェクト運営、施設運営に加えて、自社ブランドも作っている。

新山:自社ブランドを作り地元の人に作ってもらったり、「SAVASTORE!」という小売店を立ち上げたり、福井のアンテナショップの運営を行うなど出口まで作ることを心掛けている。

WWD:自社ブランドを作る理由は?

新山:2つある。1つ目は自社ブランドを作り運営することでノウハウを貯めてフィードバックするため。2つ目は請負仕事だけではなく、自分たちで企画し土地の技術を生かした製品作りをすることは産地貢献の一つだと考えているため。「頼まれないとできない」というデザイナーの職能を幻想だと思っている。リアクションだけではなく、アクションをすることも大切だ。デザインの仕事を請け負ったときにボツになったネタをやらせてほしい、と自社ブランドとして始めたケースもある。

WWD:改めて“インタウンデザイナー”であることの重要性、意義とは何か?日本の地場産業を維持し成長するために必要な点とは?

新山:日本にデザイナーは約20万人いるが、その多くが東京に集中している。消費地としてデザインが求められることはわかるが、生産する町だからこそできるデザインが地域には絶対ある。本質を見つけ出し、地域資源を結びつけて新しい価値を作る“インタウンデザイナー”が増えると国が良くなるんじゃないかと思っている。国力、上がるんじゃね?と。そういう人を増やしたい。例えば漁業の町だったら漁業的視点の“インタウンデザイナー”が生まれるはずだと考えている。僕はモノ作りの町の“インタウンデザイナー”の一つのモデルを作る。

WWD:“インタウンデザイナー”のやりがいは?

新山:消費されるものではなく、長く続ける生態系を作ることができる。それが地域の良さ。春夏、秋冬といった時間軸ではない。そもそも商品開発が全てではなく、町医者のような感覚を持っている。「おなかが痛い」と来た人の話を聞いて、「原因は別にあるんじゃない?」と診断することもある。つまりアウトプットは製品のデザインでなく、労務にもなりえる、ということ。僕らの町は経営者と話せるし、意思決定が早い。二人三脚で事業を成長させる素地は十分にある。生産地でやれる醍醐味は物事の本質――そもそもやる意味があるのかーーから関わることができる、という点において意義がある仕事だと思う。

WWD:消費地では「なぜ」よりも「どうやって」が多いが、「なぜ」から取り組むことができるのはデザイナーとしても人としても鍛えられそうだ。

新山:規模が小さいがゆえに直接アプローチできる社長や行政の意思決定が変わると、イノベーションが起きる。何度もそういう現場を見ることができたし、できるんだと思った。政治家ではないけれど、デザイナーも地域をよくしていける存在。それがデザイナーの価値向上にもつながっている。「町を動かすには政治家になるしかない」ではない。政治家にならなくても、デザインで町をよくできる。

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鯖江で「小さな産業革命」、インタウンデザイナー新山直広に聞く地場産業の継続と価値創出に必要なこと

PROFILE: 新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター

新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター
PROFILE: 1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。2009年福井県鯖江市に移住。応用芸術研究所、鯖江市役所を経て15年に地域特化型クリエイティブカンパニーTSUGIを設立。「福井を創造的な地域にする」をビジョンに、通常のデザインワークだけではなく、眼鏡素材を転用したアクセサリーブランド「Sur」、福井の産品を扱う物産店「SAVA!STORE」の運営、産業観光イベント「RENEW」のディレクションなど、地域に何が大切で何が必要かという問いに対して、リサーチとプランニングを繰り返しながら、これからの時代に向けた創造的な地域づくりを実践。22年に越前鯖江地域の観光まちづくりを行う一般社団法人SOEを設立。23年にはこれからの地域とデザインを探究するLIVEDESIGN Schoolを開校するなど、近年ではものづくり・まちづくり・ひとづくりといった領域で活動。グッドデザイン賞特別賞、国土交通省地域づくり表彰最高賞など受賞多数。著書に「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる」(学芸出版社)がある

福井県鯖江市で興味深い変化が起きている。鯖江市は眼鏡をはじめ漆器や和紙などモノ作りがさかんな地域だったが、産業は衰退の一途だった。しかし今、「伝統工芸で元気な街」と言われるまでになった。その立役者の1人が2009年に鯖江に移住した新山直広ツギ(TSUGI)代表だ。“インタウンデザイナー”を提唱し、デザイン力を多方面で発揮して、地場産業の魅力を高めてその価値向上に取り組む。「福井を創造的な地域にする」と3人で始めたツギの従業員数は現在20人に。スタッフの多くが県外からの移住者だ。現在は政策デザインアドバイザーとして鯖江市や福井県の政策立案も行う。若者の鯖江への移住者は130人を超え、OEM中心のビジネスだった企業は自社ブランドを立ち上げ、新店舗をオープンしている。その数10年間で35店舗。きっかけは新山代表が15年に始めたオープンファクトリーイベント「RENEW(リニュー)」で、産業構造だけでなく人々の意識変化をもたらした。新山代表に鯖江の変化について、デザイナーが“インタウン”である重要性とやりがいについて聞いた。

意識高い系学生が町に溶け込むまで

WWD:鯖江市に移住を決めた決定打は何か?

新山:これからは地域の時代だと思ったこと。ただ鯖江でないといけない理由はなかった。京都精華大学で建築を学んでいたときにゼミの先生が行っていたプロジェクト「河和田アートキャンプ」に参加した。その頃はちょうど日本の人口がピークでリーマンショックの直後。もう建物を新築する時代じゃないだろうと感じていた。これからは今ある環境をどうよくするか、コミュニティデザインが主流になると考え、先生が運営する応用芸術研究所に入り、その勤務先が鯖江だった。

WWD:大阪や京都で生活してきた新山さんにとって公共交通機関が少ない街への移住のハードルは高くなかった?

新山:その頃、恥ずかしいくらい意識高い系の学生だった(笑)。偉そうに日本の都市がどうなるか語っていた。分かりもせんのに。移住のモチベーションは「僕が地域を活性化してあげます」だったから、今思えばマジでくそ野郎だった。一番あってはならない気持ちで移住してしまった。

WWD:実際に住んで見えた課題は?

新山:課題は大きく2つ。1つ目は自分自身の課題で、町に溶け込む必要があった。今でこそ鯖江は移住者が多いが、地域活性の文脈で移住したのは僕が第一号だった。そして会社や行政から「お前がミスると次が来ないから絶対にミスるな」と脅されていたから、まずはなじもうと必死にがんばった。夏祭りなど地域行事には積極的に参加して、地区の青少年健全協議会のオブザーバーなど声がかかったもの全部に行って信頼を獲得しようとしていた。

WWD:「嫌われないように保守的に動く」と「地域の課題解決に向けた動き」はつながりにくいのでは?

新山:移住後2年くらいは野望や野心があまりなくて、なじむことを一生懸命考えていたが、その中で直面したのが地域の本当の意味の課題だった。つまり2つ目の課題、産業がオワコン過ぎるということ。移住1年目は市からの委託で産業調査を行っていた。越前漆器の職人さんや問屋さんを100件くらい回り、後継者や売り上げ、未来の展望を聞いていた。その9割が「もうやばい、終わりだ。息子に継がしたら一生恨まれるわ」という状態。2年目は越前漆器の売り場調査を行った。結果どこにも売ってなかった。業務用のtoBビジネスは縮小傾向だし、そもそもtoCはなかった。国内の漆器流通上に越前漆器はなく、そもそも売り場自体も縮小している。このままいくと産業が衰退する一方だ、という課題が浮き彫りになった。

その時僕が思ったのは、この町には圧倒的にデザインが必要だということ。他産地を見ると、例えば石川輪島のキリモトは三越日本橋店に直営店を出しているし、富山高岡の鋳物メーカー能作もデザインされた製品を売っている。技術は負けていないのに見せ方や伝え方、デザインが足りていない。僕はそこを手伝う必要があると思った。移住して1年半が経った10年の年末だった。

コミュニティデザインや地域活性をしたくて移住したが、職人さんには「お前は全然わかっていない。鯖江は眼鏡、漆器、繊維とモノ作りの町。モノ作りが元気にならないと地域活性しない」と言われたことも大きかった。

町の人にデザイナーになりたいと宣言すると「デザイナーなんて大嫌いだ。作品みたいなものを作りやがって。あいつら詐欺師だ」とデザイナーをネガティブにとらえていた。この町でデザインを生業にするならモノを作るだけではなくて流通や販路まで手伝わないと通用しないと思った。“流通までできるデザイナー”になろうと考えた。

流通までできるデザイナーになる

WWD:移住して3年は河和田アートキャンプの運営会社で働きながらリサーチャーとしても活動、12~15年は鯖江市役所広報課で働いたのち独立したのは15年。そもそもこれまでデザインは取り組んだことがなかった。

新山:約5年の間に独学で学んだ。未経験で福井のデザイン事務所で雇ってはもらえないだろうし、東京にあるデザイン会社に行きたいと考えていた。面接に行くお金がなくてうだうだしていると鯖江市役所から電話があり、「移住者第一号が3年で抜けると市政の失態だ」と言われ、役所で働くことになった。でもそれはやりたいことと違う。それを伝えると市長室に呼ばれた。当時市長だった牧野百男さんに「お前は全然わかっていない。行政は最大のサービス業だ。そもそも行政にデザイン視点がないのがおかしい。お前がそれをやれ」と言われた。牧野さんは支持率8割のカリスマ市長で伝説の市長。「若者に居場所と出番を」という考えを持っていて、若者にやりたいことをやらせて俺が全部責任を取るという姿勢だった。臨時職員として商工政策課に入り、地場産業の支援を始めることになった。具体的には眼鏡のウェブマガジンや観光パンフレットのデザインをした。思った以上に面白くてやりがいを感じていた一方、産業振興は行政組織として公平公正であることが難しく、限界がある。そんな葛藤を抱えながら仕事をしていると、日々倒産情報がファックスで入ってくる。この勢いだと10年後に産業がなくなると思い、早めに独立して流通までできるデザイナーになるしかないと思った。

オープンファクトリーイベント「RENEW」を始動、小さな産業革命が起きる

WWD:鯖江の産業の中でもWWDJAPAN読者になじみがあるのは眼鏡産業。現在の課題は何か、また課題に対する取り組みで評価できるものは何が?

新山:現在の課題は大M&A時代に入ったこと。それ以前の課題はOEM中心のビジネスだったため、受注が減ったことで仕事がどんどんなくなり、どうするんだと自社ブランドを作る動きが生まれ始めていた。そのときに立ち上げたのが「RENEW」だ。

WWD:今年で10年になる。成果は?

新山:OEMを生業の中心としていた町に35の新規店舗ができた。工場の一部を自社ブランドを売る店にしたファクトリーショップのような形態。大げさかもしれないが「RENEW」によって小さな産業革命が起きた。意識変化が起き、新しい稼ぎ口を見出した事業者は多かった。

WWD:鯖江の眼鏡は分業制で、自社ブランドのためのサプライチェーン作りが大変そうだ。リードタイムが長くなっていることが課題だとも聞く。

新山:分業とはいえ、メーカーは他の工程を依頼して取りまとめることで売ることができる。どちらかというと今の課題はリードタイムが長過ぎること。15~21年はリードタイムが3~5か月だったのに対して一時期は1年3か月まで伸びた。今は1年程度だが、あまりに伸びると資金繰りやキャッシュフローが難しくなる。分業制を売りにしていた町だが、どこかの工程が止まればサプライチェーンが崩壊し、最終製品まで至らない。漁業でいうところの乱獲した結果、魚がいなくなったのに近く、課題はわかっていたのに手を付けなかったともいえる。人材は育たないし、結果的に作れない産地になった。

WWD:別の課題も生まれ、厳しい状況は続いているが、いい形で産業を継続させるためにはどこを目指せばいいのか。

新山:今僕が期待しているのは3代目社長。ちょうど2代目から3代目への代替わりの時期で、3代目の多くは40代。2代目は家族経営が中心で家族が食べていければいい、という感じだったが、3代目の経営者は共存共栄の視点を持っている。自分たちが儲かればいい、ではなく、産地の生態系まで考えた経営しようとしている方々がいる。例えば佐々木セルロイド(母体は兵庫県の企業)は独立支援コースができ、独立前提の雇用計画を進めている。何年か働いた後に独立されると会社としては大変になるかもしれないけど、産地にとっては作り手が増えるのでよしとしている。

沢正眼鏡は家族経営6人の小さな会社で平均年齢が約60歳だったが、息子が4月に社長になり、新たにスタッフを雇用しようと労務環境の改善を目指している。例えば「技術は目で盗むもの」というのが通例だったが、マニュアルを作りDX化を促進している。面白いのは、空き家対策事業を始め、会社のまわりの空き家を買い取って改装し、若い人向けのシェアハウスにしていること。“働く×暮らす”の環境作りをすることで担い手を作ろうとしている。

マーベルは給与水準を上げることを目指して給与体系を作り、給与を高くしたことで若い人が入社した。社風もイケイケになっていて、眼鏡業界では新しい風になっている。

WWD:新山さん自身がこれから取り組む課題は?

新山:廃棄物と労務だ。眼鏡は単一素材ではないし、例えば「土に還るやさしい素材」とうたっている素材はあるが、資源環境についてしっかり取り組まないと産業自体が危うくなる。本当に土壌分解するのか。眼鏡は単一素材ではない。具体的なアクションは難しく、儲からないと止まる。産地の意識変化を5年かけて取り組んでいく。

労務についてはいろいろ見えてきていて、鯖江市の労働環境の課題は、「給料が安い」「離職率が高い」「採用応募数が少ない」「高齢化」に加え、「技術伝承の遅れ」「分業化の限界」などがある。解決策として考えられるのは、HR(ヒューマンリソース)を重視した世界観。産地の中で人材育成をしっかりして、従業員のエンゲージメントを上げることなどに取り組みたい。

ツギが目指すこと、デザイナーの可能性

WWD:ツギはグラフィックデザインからブランディング、商品開発、プロジェクト運営、施設運営に加えて、自社ブランドも作っている。

新山:自社ブランドを作り地元の人に作ってもらったり、「SAVASTORE!」という小売店を立ち上げたり、福井のアンテナショップの運営を行うなど出口まで作ることを心掛けている。

WWD:自社ブランドを作る理由は?

新山:2つある。1つ目は自社ブランドを作り運営することでノウハウを貯めてフィードバックするため。2つ目は請負仕事だけではなく、自分たちで企画し土地の技術を生かした製品作りをすることは産地貢献の一つだと考えているため。「頼まれないとできない」というデザイナーの職能を幻想だと思っている。リアクションだけではなく、アクションをすることも大切だ。デザインの仕事を請け負ったときにボツになったネタをやらせてほしい、と自社ブランドとして始めたケースもある。

WWD:改めて“インタウンデザイナー”であることの重要性、意義とは何か?日本の地場産業を維持し成長するために必要な点とは?

新山:日本にデザイナーは約20万人いるが、その多くが東京に集中している。消費地としてデザインが求められることはわかるが、生産する町だからこそできるデザインが地域には絶対ある。本質を見つけ出し、地域資源を結びつけて新しい価値を作る“インタウンデザイナー”が増えると国が良くなるんじゃないかと思っている。国力、上がるんじゃね?と。そういう人を増やしたい。例えば漁業の町だったら漁業的視点の“インタウンデザイナー”が生まれるはずだと考えている。僕はモノ作りの町の“インタウンデザイナー”の一つのモデルを作る。

WWD:“インタウンデザイナー”のやりがいは?

新山:消費されるものではなく、長く続ける生態系を作ることができる。それが地域の良さ。春夏、秋冬といった時間軸ではない。そもそも商品開発が全てではなく、町医者のような感覚を持っている。「おなかが痛い」と来た人の話を聞いて、「原因は別にあるんじゃない?」と診断することもある。つまりアウトプットは製品のデザインでなく、労務にもなりえる、ということ。僕らの町は経営者と話せるし、意思決定が早い。二人三脚で事業を成長させる素地は十分にある。生産地でやれる醍醐味は物事の本質――そもそもやる意味があるのかーーから関わることができる、という点において意義がある仕事だと思う。

WWD:消費地では「なぜ」よりも「どうやって」が多いが、「なぜ」から取り組むことができるのはデザイナーとしても人としても鍛えられそうだ。

新山:規模が小さいがゆえに直接アプローチできる社長や行政の意思決定が変わると、イノベーションが起きる。何度もそういう現場を見ることができたし、できるんだと思った。政治家ではないけれど、デザイナーも地域をよくしていける存在。それがデザイナーの価値向上にもつながっている。「町を動かすには政治家になるしかない」ではない。政治家にならなくても、デザインで町をよくできる。

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動物も人も愛護、「セーブ・ザ・ダック」CEOが語る「ビジネス、規制、ESG」

PROFILE: ニコラス・バルジ/セーブ・ザ・ダック最高経営責任者

ニコラス・バルジ/セーブ・ザ・ダック最高経営責任者
PROFILE: 1970年イタリア・フィレンツェ生まれ。バイリンガル教育を受け、経済学の学位を取得後、ミラノで10年間PRマネージャーとして勤務。家業にも携わった後、2012年にセーブ・ザ・ダックを設立。趣味はサーフィン

伊「セーブ・ザ・ダック(SAVE THE DUCK)」は帝人フロンティアと共同出資して5月にセーブ・ザ・ダック・ジャパンを設立した。日本での事業拡大に向け来日したニコラス・バルジ=セーブ・ザ・ダック最高経営責任者(CEO)に日本でのビジネス戦略やブランド設立の経緯、動物・人・環境に配慮したビジネスについて聞いた。

WWD:ジャパン社設立にあたり帝人フロンティアと組んだ理由は?

ニコラス・バルジ=セーブ・ザ・ダックCEO(以下、バルジ):帝人フロンティアは2012年の創業当初から生地や素材の供給を受ける、最も重要な素材サプライヤーの一つだった。帝人フロンティアとはESGの観点から同じコンセプトやアイデアを持っていた。日本市場の開拓の際にも、まずは代理店として2020年秋冬物から協業した。ビジネスが順調に成長したため共同出資によるジャパン社を設立した。出資比率は本国が51%、帝人フロンティアが49%だ。

WWD:日本事業の今後の計画は?

バルジ:これまで日本では伊勢丹や高島屋といった主要百貨店を中心に50~60平方メートルのポップアップストアを開きビジネスを成長させてきた。秋冬期間は42カ所、春夏は20カ所程度、期間は長いところで10カ月、短いところは1週間程度。今後、この規模の店舗を5店舗程度オープンする予定だ。現在注力しているのは来冬に路面店を開けること。銀座エリアを検討しているが、場所が見つからなかった場合は表参道エリアも候補に入れる。

WWD:現在のビジネスの状況を教えてほしい。

バルジ:42カ国に販路を持ち、昨年の売上高は6400万ユーロ(約105億6000万円)。今年は7200万ユーロ(約118億8000万円)を予定している。本来はもう少し高い数字を掲げていたが欧州の状況がかなり厳しい。特にドイツ、オーストリア、スイス、フランス、北欧が厳しく卸売事業は昨年比12%減だった。一方直販事業は同30%増。今年は過去2年に比べて、欧州の冬の始まりが早く天候が味方している。

成長しているのは米国で全売り上げの20%を占めるほどに成長した。現地法人を設立し、ニューヨークのソーホーに直営店を構えた。ブルーミングデールズ(BLOOMINGDALE'S)やサックス・フィフス・アベニュー(SAKS FIFTH AVENUE)、ノードストローム(NORDSTROM)など有力百貨店全てと提携している。

日本は全売り上げの8%だが、1年ごとに50%ずつ成長しておりさらなる成長が期待できる。米国、日本いずれも直販チャネルが成長に貢献している。

「動物と人の扱われ方にショックを受けた」

WWD:そもそもなぜ羽毛の代替品を作ろうと思ったのか。

バルジ:ファミリービジネスに参画し、約3年間で荷物運びから物流部門、出張販売などあらゆることを経験し会社の全行程を学んだ。その後、デザインやモノ作りに興味が芽生え、多くの国々を飛び回り、良い工場も悪い工場もさまざまな工場を見た。私が働き出した1990年代は今とは全く異なりかなりひどい状況。非常にショックを受ける出来事を何度も目にした。

WWD:具体的には?

バルジ:特に動物と人、2つについて話したい。90年代のダウン工場に行ったときのこと。臭いが強く死んだアヒルが床に転がっていて、実際にアヒルを殺しているのも目にした。別の工場ではアヒルの毛を何度も利用するために生きた状態で毛をむしり取り、再び毛が生えるのを待ちまたむしり取っていた。それを3~4回繰り返すとアヒルは病気にかかって死んでしまう。これを目にすると二度とダウン製品を着たくなくなるだろう。

もう一つは児童労働だ。90年代の話だが、父の会社ではある大きな工場に注文していて、その工場は下請けを使い下請けはさらに下請けに注文していた。最終検査に行ったときのこと。全ての商品がひどい出来で「どうしたんだ」と尋ねると、下請け工場では子どもたちを働かせていることがわかった。その工場に赴くと子どもたちがミシンで縫製作業をしていたが、賃金は支払われていなかった。子どもたちは私に「工場に支払いがなければ私は給料がもらえない」と泣きながら訴えてきた。本来だったら品質に問題があったので突き返すこともできたかもしれないが、私は代金を支払い修理をしてその商品を販売した。この一件で私は生産工程の全てを確認することが重要だと学んだ。これは子どもたちだけの話ではなく、労働者が一日に何時間働いているか、快適なベッドはあるか、食べられているか、どんな生活をしているか、その全てを知る必要があるろいうこと。

WWD:今以上に90年代は搾取工場が多かった。

バルジ:その頃すでにアウトドア業界は地球に目を向けていたが、ファッション業界は気にしておらず、イメージに集中していた。どちらも衣類を生産するのになぜこんなに違うのか――私はファッション業界に身を置いていたので、ファッション業界に一ひねり加えてアウトドア業界がすでに着手していたことを応用しようと考えた。つまり、動物、人、自然に敬意を持った方法で、ファッション業界に変化をもたらすためにビジネスをしようと決めた。

WWD:羽毛の代替素材についての優位性や機能性について教えてほしい。

バルジ:倫理的な問題だけでなく、技術についてもメリットしかない。合成繊維は通気性がある。ダウンは着用したときからとても暖かく感じるが、汗をかくと湿気がこもりさらに汗をかく。「プラムテック(PLUMTECH、ペットボトルをリサイクルした微粒子をポリエステル繊維と配合したもの。軽量で通気性、速乾性、保湿性などに優れており、家庭用洗濯機で丸洗いもできる)」は、通気性があるため湿気を放出でき暖かさだけが体を包み込む。最初はダウンに比べて暖かく感じないかもしれないが、数時間着て動き回ると合成繊維の方がずっと快適だと感じられる。

もう一つの利点はメンテナンスだ。ダウンは時間が経つと羽根が抜け落ち劣化する。洗う回数にもよるが、少なくとも「プラムテック」はダウンよりも2倍以上は長持ちするし、10年は着られる。

eBayと連携した再販プログラムを提供

WWD:いわゆる羽毛の代替品の提案だけではなく商品カテゴリーが増えている。カテゴリーを増やしながらビジネスを拡大していくのか。

バルジ:温暖化の影響によりアウターウエアは、シェルとウォーマーのレイヤードが重要になってきており、シェルとウォーマーの組み合わせに注力している。例えば旅行者は軽量のこの2つのアイテムで雨や寒さに対応でき、単独で使用すれば雨や暑い日、寒い日にも対応できる。これが春夏コレクションにおけるアウターウエアの方向性だ。

また新しいレジャーの形として「スマートレジャー」を提案している。機能繊維を用いて軽量で通気性があり、手入れも簡単で速乾性があり汚れが付きにくく型崩れをしないものを提供している。これも旅行者向けで特に若い世代をターゲットにしている。合成繊維を使用すると衣類のメンテナンスが簡単になり、長持ちもするからエコデザインと言える。

WWD:ブランドとして地球環境への敬意を掲げているが、地球環境を思えば商品カテゴリーを増やしてたくさん作ることは反しているのではないか。

バルジ:われわれの広告キャンペーンを見ればわかると思うが、常に環境保護を目的としており公平な視点を盛り込んでいる。例えば、動物、人々、水、CO2、化学物質といった特定の事柄で、その重要性を理解してもらうよう努めている。もちろん洋服も取り上げてはいるが、「購入することは責任を負うということ」であるという説明を加えている。

もう一つはデジタルプロダクトパスポートの活用だ。全製品に付いているQRコードをスキャンすると、衣類がどこでどのように作られたかや、生地やファスナーがどこから来たかもわかるようになっている。工場名は公表していないが地域は公表している。

さらに再販ボタンも用意しており、このシステムを使うことでeBayのプラットフォームとつながり、写真と価格を入力すれば出品できる。これが生産量を減らす最も倫理的な方法だ。洋服を捨てずに済むし洋服に第二の命を与えることができる。リセールによる唯一の影響は輸送だが、その影響は非常に小さい。

WWD:PFASフリーを達成できた理由は?欧州や米国では法規制も進んでいる。

バルジ:当初は完全にPFASフリーと言っていたが、現在は基本的には使用していないが非常に限定的に存在していると表現している。というのも、今後法規制ではPFASの使用をある程度認めることになると思う。なぜならPFASは触れた瞬間に汚染されるから。例えば、PFASを使用した生地と同じ工程でそのままPFASフリーの生地を処理するとたちまちPFASに汚染されてしまう。つまり、PFASの現実は使用しないように管理は必要だがある程度許容されるべきであること。PFASを100%除去することはできない。私の考えではあるが、最終的には10を1に減らす法律ができると考えている。ただし許可される「1」は、誰にも害を与えないものである必要はある。

私はこれまでESGを学んできたが、ESGに関しては極端であってはならないと考えている。ESGに取り組むと必ずプラス面があるが常にマイナス面もある。そのバランスを見つけなければならない。

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記憶の向こう側をくすぐる中毒性のある作品 トレーディングミュージアムで展示中のミナミリョウヘイが語る創造の原点

PROFILE: ミナミリョウヘイ/現代美術家

ミナミリョウヘイ/現代美術家
PROFILE: 美術家。絵画・立体・映像・音・写真・灯体・既製品・ゴミなど多種多様な要素で空間構成した「場」に漂う雰囲気の質感にフォーカスしたインスタレーション作品を軸に活動。ミナミは、作者の意図する内容や付随させた意味よりも、言葉にすると劣化してしまうような「感覚する何かの質感」に興味を持つ。 それは「雰囲気の向こう側をくすぐられるような感覚」の探求でもある。一方、民族 M・DOBUTSU・ナマスコワンツなどの名義で音楽活動をし、複合表現集団 ANTIBODIES Collectiveではコンテンポラリーダンサー・音楽家・インスタレーション作家として所属。またDIYオルタナティブレーベル〈A NiCE FORM〉主宰と、その活動領域は縦横無尽である。主な個展に[PaRoooLe] CALM & PUNK GALLERY(2023、東京)、グループ展に[Art Fair NAKANOJO 2024](2024、旧廣盛酒造, 群馬)、[MUSIC LOVES ART - MICUSRAT] SUMMER SONIC 2024, 幕張メッセ(2024、千葉)などがある。 PHOTO:TAKAO IWASAWA

画家、造形作家、映像作家、写真家、ミュージシャン、ダンサーなどさまざまなジャンルをシームレスに活動するミナミリョウヘイの大型インスタレーションが、「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」のコンセプトストアであるトレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン(以下、トレーディングミュージアム) の2店舗で開催している。期間は11月25日まで。ミナミは、記憶や感覚の質感に注視し、絵画や彫刻、映像、音楽など多様な要素で空間を構成するインスタレーション作品を軸に活動してきた。CDやレコードジャケットのアートワークを手掛けながら、自身もDJやコンテンポラリーダンサー、音楽家としてアンチボディズ・コレクティブ(ANTIBODIES Collective)に所属。さらにはオルタナティブレーベル「ア ナイスフォーム(A NiCE FORM)」を主宰する。今回は最新作のインスターレーションの制作背景から、縦横無尽に活動を続ける思考の軌跡や見据えるこの先を探る。

WWD:ペインティングや映像作品、立体作品、ミュージシャン、ダンサーと幅広く活動されていますが、モノ作りを始めたきっかけを教えていただけますか?

ミナミリョウヘイ(以下、ミナミ):小学校の頃に漫画をトレースするのが好きで、そこから何かを描いたりしていましたね。自主的に何かを作った記憶は中学生の頃。 “作品“という意識はないですけど、岡先生っていう美術の担当に自分で作ったあれこれを見せるのが好きでしたね。ある時、3階の美術室の窓から階下のケント紙に向けて絵の具を適当に垂れ流していたんですけど、ベチャベチャと溜まったものを撮影したり掲げたりして遊んでいた時に「これじゃないか」って思ったことが創作の始まりだと思います。言葉にしづらいですけど自分で感じたことを全部混ぜたジュースみたいな感覚でした。

WWD:意図して何かを作るというより、遊びの延長で出来上がったんですね。

ミナミ:そうですね。「何か変で、何かヤバいもの」。それこそ、段ボールを適当に合体させた変な立体物を作ってはすぐ壊す。それが自分の中で “作品“っていう感覚がありました。

WWD:そこから活動領域はどのように広がっていったんでしょうか?ミナミさんの活動にとって音楽は切り離せないと思いますが。

ミナミ:そうですね。音楽は根本です。僕が小5の頃、中学生の兄が「ニルヴァーナ(Nirvana)」とか「オアシス(Oasis)」とか、いわゆるMTVジャパンで流れているようなアーティストをよく聴いていたんですけど、そこから急に「エイフェックスツイン(Aphex Twin)」とか「スクエアプッシャー(Squarepusher)」とかを聴き出したんですよ。その影響もあって、「エイフェックスツイン」が好きになりました。その頃にはジャンル関係なく聴いていましたね。

WWD:音楽の話ができる同年代の友達はいたんですか?

ミナミ:誰も話が合わないから、兄が唯一の友達みたいな(笑)。そこから自分でも掘るようになって、ミックステープを作ってました。そのジャケを自分で描いてもいましたね。世には出ていないけど、自分のレーベルが始まっていたという感覚があって、勝手に楽しんでいました。

WWD:架空のレーベルのミックステープが意図して作ったものの原体験。

ミナミ:ある意味、自分だけの商品みたいな感じです。

WWD:ミナミさんにとって、音楽がペインティングやドローイング、インスタレーション、立体などの他の作品にもたらす影響についてはどう考えていますか?

ミナミ:僕にとっては基本的に全部同じ素材です。音も視覚表現も身体表現も。制作の基本はコラージュなので、いろいろな素材をカットアップしていくように全部に影響し合いますから。さっきのミックステープを作る感覚が完全に今と一緒ですね。僕は音も映像も絵画も立体作品も作るのですが、録音してからジャケを作るまでの一連の作業は、本当だったらグラフィックデザイナーやイラストレーターとかが関わりますが、全部自分がやりたいことなんですよ。だから結局、絵を描いてもそこに音楽や映像が欲しくなってきて、誰かに頼むよりも自分で作った方が早いし、理想の質感に出来上がるように「カセットテープのジャケットが欲しいから自分で描く」感覚でジャンルが増えていきました。立体物では、空間に対する要素も欲しくなるから、映像も含めたインスタレーションになっていきました。初めの展覧会は絵画だけだったんです。何か経緯があるのではなくて、そもそも必要な素材は自分で集めてきて、自分で合体させるみたいなことを昔から続けていたので。

WWD:ミナミさんが主宰のレーベル「ア ナイスフォーム(A NiCE FORM)」もこれまでDIYで作品を作られてきたことがベースにあるのでしょうか。

ミナミ:そうですね。まだCDしか出してないけど、バイナルもリリースしたいですし。ある意味ジャケありきで音源を作りたいですね。今はサブスクだけでいいというようなレーベルもありますけど、やっぱり印刷物が好きです。そんなきっかけでレーベルをやりだしました。自分のモチベーションに正直にいるだけです。昨年「カーム アンド パンクギャラリー(CALM & PUNK GALLERY、以下、カーム アンド パンク)」の展示でも似たような話になったんですけど、僕にコンセプチュアルなことは一切ないんです。批判するつもりはないですけど、コンセプトに興味がなくて。だから必要もないなと。鑑賞者の記憶をくすぐるような作品を作りたいだけなんです。

WWD:記憶をくすぐるとは?

ミナミ:記憶も触覚のように触るというか。ガラスや布、鉄を触ったりする触覚での質感とは違うけれど、記憶にも“質感“と呼ばざるを得ないものが伴います。それを振り分けてるのが海馬の手前あたりの器官らしいんですね。その質感の異なる個々のクオリアが大切だと思うんです。要するに記憶っていろんな引き出しにしまうじゃないですか。振り分けられる手前で、例えば風景でも“甘い風景“って感じたり、音なのに“黒い音“とか“青い音“とか、いろんな感覚器官が混ざった質感を僕らは記憶で持っているんです。“向こう側“って僕は呼んでるんですけど、そこの記憶をくすぐる時に一番大切なのは雰囲気という概念。雰囲気には日常で常に触れていますが、ノイズとか言葉にしづらい「いいな」という感覚は人ぞれぞれですよね。各々センサーが違うからでしょうけど、雰囲気のちょっと向こう側をくすぐられた感覚にあるんですよね。その“向こう側系“に触れられた時の記憶に新しい質感を覚えてるのだと思います。「何だこれは?」っていう記憶に残る中毒性。

WWD:言葉ではなかなか理解しづらい気もしますね。

ミナミ:理解しなくていいと思うんです。記憶の向こう側に触っていることを言語化してしまうと、どんどん劣化してしまいますから。刺身をレンジでチンした感覚というか。要は生モノなんです。初期衝動とか何かをくらった時の感覚はある種、質感のバグだとも思っています。記憶の質感は全員違っていい。今回の作品も、1つの作品をじっくり鑑賞してもいいですし、でもやっぱり全体のインパクトが強いから、その雰囲気の質感にくらってほしいというこだわりはありますね。

WWD:明確なコンセプトがあって理解を深めてくという展示の仕方ではなく、全体でどんどん沼にハマっていく感覚でしょうか。

ミナミ:そういう意味のコンセプトなのかもしれないです。ただ、コンセプチュアルアートと考えたことはないですけど。

「ギャルソン」からの直接オファーで決まったインスタレーション

WWD:ちなみに今回の展示はどうやって決まったんでしょうか。

ミナミ:2020年に岡本太郎賞に入選した作品を「コム デ ギャルソン」の榎本さんが見にこられていて、気にしてくださっていたそうなんです。そこから今回のタイミングでトレーディング ミュージアムの2店舗で展示したいとお声掛けいただきました。

WWD:話を聞いた時はどういう気持ちでしたか?

ミナミ:「ギャルソン」から連絡がきて、すぐに「やります」とお伝えしました。当時は日本の最高位のブランドという認識くらいしかありませんでした。知れば知るほどすごいことだと感じるようになりましたけど、いつも通りにしようとは思ってました。

WWD:「トレーディングミュージアム」を見てどのように作り上げていったんでしょうか?

ミナミ:構想とかはざっくりとしか決めませんでしたね。円柱の中に世界を作ることでしたが、実はエスキースが苦手で。「ジャイル」の店舗はパイプ椅子のコラージュだけの世界で、ミッドタウンはそこから即興的に作り上げていきました。チェーンソーで切って、ボンドを混ぜた絵の具を垂れ流した木彫りの立体彫刻とそこから空間をコラージュしていくように、即興的に仕上がっていきました。結局、質感が全く異なるものがメイクできました。自分が全開という感覚はあります。

WWD:ちなみに今回の円柱の構成からいうと、木彫の作品を置くことも結果的に作ってからのアイデアだったんですか?

ミナミ:これは「カームアンドパンク」の展示からスタートしたシリーズで、新作を作りたいとは思っていました。これまでは色が入った作品が多かったんですが、今年はほとんどモノクロのドローイングの作品を描いていたのでそのイメージが漠然と頭に浮かんではいました。今回の展示がタイムリーだったと思いますね。

WWD:ブランドの定番でもある黒が偶然のタイミングで合致したということですね。

ミナミ:そう。タイムリー過ぎて驚きました。今、自分ではモノクロがアツいんです。

WWD:川久保(玲)さんとの会話で印象に残っていることは何ですか?

ミナミ:何より打ち合わせで「好きにやってください」という言葉をいただいたことですね。じっくりお話ししてみたいです。

WWD:創作とクライアントワークの違いがあるとすればどういうポイントでしょうか?

ミナミ:今回、自由にさせていただいたので楽しかったです。昔、あるバンドのジャケットのデザインを作った時もボーカルの方が「完全自由に作ってほしい」と言ってくれました。そういう意味でのクライアントワークはあるかもしれませんが、自分の作品と一緒みたいなので。今回の展示でも、入り口の円柱を使う時に間の壁が干渉したのですが、ブランドが自由に作れるようパーテーションを施工してくれたんです。それで入り口から右側に続く作品の流れを作ることができました。初めは、2つの円柱で作り始めたんですけど、作品のフローができなかったんです。

WWD:世界観に没入するためにフローは重要なんですね。

ミナミ:そうです。僕はラップもやるんですけど、フローじゃないですか。僕はパロールって呼んでいます。誰もが思考するときに絶対に縛られてしまう。僕らだったら日本語ですけど、住んでいる環境でつく話す癖がありますよね。声の高さ、スピードとか。ソシュールのスティルという概念で、ロラン・バルトとか後の構造主義者の人たちはパロールと呼びました。パロールは言語学で制度化された体系としての言語で、日常のフロウ。何かしら環境などの影響から出来上がっているわけなんですよね。そもそも自分の中からしか生まれない、変な結晶みたいなものを僕らは芸術と呼んでいると思うんです。その芸術の中にもさらに結晶があって、それがパロールだと思っています。僕はそれだけをピックアップして、パロールだけでやっている感覚があります。ちなみに昨年の個展のタイトルも「PaRoooLE」でしたけど、今回の展示も含めてようやく言葉の輪郭が浮かんできたと感じました。

WWD:冒頭で話していた、ジュースの話にもつながるように思いました。

ミナミ:全部、100%のジュースです。ただ自分がおもしろいと感じたものしか混ぜていない。パロールを出しまくって、それをコラージュしてフロウにしていくのが僕の展覧会のスタイルでもあります。

WWD:展覧会などもある種のフロウになっていくというか、経験がミナミさんのパロールになっているのかなと感じました。

ミナミ:本当にそう思っているし、今後ももっと爆発させていくだけだと思っています。それが音楽やコラージュ、絵画、映像も同じ感覚で、結局全部むき出しでやっていると思います。もっとスケールも大きくしていきたいですね。

イベント概要

◾️ミナミリョウヘイ ミーツ トレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン

会期:11月25日まで
会場:トレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン ジャイル、トレーディング ミュージアム コム デ ギャルソン ミッドタウン
住所:東京都渋谷区神宮前5-10-1(ジャイル)、東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア1階(ミッドタウン)

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現存する世界最古のジュエラー「メレリオ」 15代目が語るメゾンの歴史の継承と未来への覚悟

PROFILE: コーム・メレリオ / メレリオ インターナショナル・ビジネス・ディベロップメント・ディレクター

コーム・メレリオ / メレリオ インターナショナル・ビジネス・ディベロップメント・ディレクター
PROFILE: 1994年フランス生まれ。メレリオ家15代目。ISG経営大学院で経営学を学んだ後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校でMBAを取得。メレリオでインターナショナル・ビジネス・デベロップメント・ディレクターとして指揮を取る PHOTO:SHUHEI SHINE

現存する世界最古のジュエラー「メレリオ(MELLERIO)」のコーム・メレリオ=メレリオ インターナショナル・ビジネス・デベロップメント・ディレクターがイベントために来日した。同ブランドは1613年にフランス・パリで創業。顧客には、マリー・アントワネット(Marie Antoinette)に始まり、ジョゼフィーヌ皇后(Joséphine de Beauharnais)やウジェニー皇后(Eugenie de Montijo)が名を連ねる王室御用達の宝石商としてフランスの歴史と共に歩んできた。4世紀以上を経ても創業一族が運営に携わる稀有なジュエラーであり、多くのジュエラーが軒を連ねるヴァンドーム広場界隈のラ・ペ通りに1815年に構えた店舗でジュエリーを生み出している。15代目当主であるメレリオ・ディレクターに話を聞いた。

最先端のジュエリーを4世紀以上にわたり提供

WWD:「メレリオ」はイタリアにルーツがあるが、創業のきっかけは?

コーム・メレリオ=メレリオ インターナショナル・ビジネス・デベロップメント・ディレクター(以下、メレリオ):先祖はフランス国境に近いイタリア北部の出身。1515年にフランスに渡り、1613年にフランスに嫁いだマリー・ド・メディシス(Marie de Medicis)王妃の子、ルイ13世の暗殺計画を未然に防いだ功績によりフランス国内で自由に商いをする特権を与えられ、王室御用達宝石商として歩み始めた。ルイ13世の戴冠式の王冠で使用された歴史的なダイヤモンドは「メレリオ」によるものだ。今でもそのモチーフは、メゾンのアイコンとして“リビエラ”コレクションや時計の文字盤に使用されている。イタリアの太陽やドルチェ・ビータというイメージとフランス・パリのシックな部分を融合した「メレリオ」だけが提案できる独自のスタイルのジュエリーを提供している。

WWD:「メレリオ」の一番の強みは?

メレリオ:現存する世界最古のジュエラーで創業家が経営を担っている点。4世紀以上の激動の歴史をその時代と共に歩んできたし、今後もそうしていく。われわれの看板には貴金属商、ビジュー、ジュエリーという表記がある。創業当時、ジュエリーはティアラなど権力の象徴であり、ビジューとは日常のおしゃれや侍女が楽しむ小さなジュエリーのことを指し、それら全てを制作していた。ラ・ペの店舗には50万点ものアーカイブ作品や台帳などがある。台帳を見れば、フランス革命直前もジュエリーを受注していたことがわかる。「メレリオ」は、その時代のコンテンポラリーを提案するジュエラーとしてモードの最先端を彩ってきた。

WWD:時代を彩ってきた象徴的なジュエリーとは?

メレリオ:18世紀にはアンティークカメオが流行り、当時マリー・アントワネットが侍女のためにオーダーしたジュエリーがある。それを買い戻したものがわれわれのアーカイブに残っている。19世紀、王政の崩壊後、1日に何度も着替えるのが貴族のファッションだった。ところが、フランス革命で貴族たちの財力が弱まり、装いに合わせてアレンジのできるジュエリーが生まれた。第二帝政時代には、ウジェニー皇后とナポレオン3世(NapoleonⅢ)の従妹がサロンを開き、ファッションやジュエリーを競うようになった。その時代を代表するジュエラーが「メレリオ」だった。このように、フランスにおけるジュエリーの歴史の最先端にいたのが「メレリオ」だ。

WWD:「メレリオ」にとってのコンテンポラリーとは?

メレリオ:グローバル化が進み、今ではファッショントレンドに時差はあまりない。だから、よりパーソナルな提案が重要だと考える。「メレリオ」では17~19世紀のスタイルへオマージュを寄せて現代風にアレンジしたジュエリーを提案している。 “ピエーリー”は19世紀のファッションを現代の装いにマッチするようにアップデートしたもので、“キャビネ ド キュリオジテ”は、さまざまなアイテムをパーソナライズして重ね付けするスタイルを提案。歴史のあるブランドだが、Tシャツやファーにハイジュエリーを合わせるなど、ビジュアルでもインパクトのあるコンテンポラリーな発信を行っている。

グランサンクで唯一の独立系ジュエラーとしての誇り

WWD:ビジネス戦略は?

メレリオ:昔から、権力を表すものであったジュエリーと、よりカジュアルなビジューがあったように、ハイジュエリーからエントリー価格のジュエリーまで、全ての価格帯でバランスの良いラインアップを提案する。また、ラグジュアリー=高額という概念になりがちだが、購入してもらえなければ意味がない。購入してもらえる価格で提供するのが大切だ。歴史に培われたクラフツマンシップと品質、「メレリオ」として永遠の価値を持ち続けるジュエリーを提供する。

WWD:15代当主として歴史をどのように継承して伝えていくか?

メレリオ:「メレリオ」をはじめ、「ヴァン クリーフ&アーペル(VAN CLEEF & ARPELS)」「ブシュロン(BOUCHERON)」「ショーメ(CHAUMET)」「モーブッサン(MAUBUSSIN)」から構成されるグランサンク(パリを代表する5大ジュエラー)のうち4社は全てグループ企業の傘下だが、「メレリオ」は独立企業だ。400 年以上、同族で経営してきて、将来的にも一族で役割を分担して質の高いジュエリーを生み出していく。そのためには、市場に飲み込まれない覚悟が必要だ。ラ・ペの店舗はアーカイブがあるだけでなく、そこでジュエリーを作り続けてきた場所。その空気感を守り続けるのが私の使命だ。「メレリオ」には、歴史とノウハウがあり、それを元に新しい世代に訴えかける魅力的なジュエラーにしたい。

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菊地凛子と磯村勇斗、ネットフリックスプロデューサーが登壇 ケリングと考える映画業界の女性の働きやすさ

「グッチ(GUCCI)」などを擁するケリングはこのほど、10月28日~11月6日に開催された東京国際映画祭の公式プログラムの一環で、映画界における男女平等をテーマにした特別トークショー「ウーマン・イン・モーション」を開催した。俳優の菊地凛子、磯村勇斗、ネットフリックス(NETFLIX)の岡野真紀子プロデューサーをゲストに迎え、映像業界の女性を取り巻く環境や課題などについて意見を交わした。

インティマシー・コディネーターやリスペクト・トレーニングで進む現場の改革

映画業界では、ハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン(Harvey Weinstein)による性暴力の被害を受けた女性たちが次々に告発し、大きな社会運動に発展した#MeToo運動をきっかけに、さまざまな改革が進められている。

その1つが、国際的に導入が進むインティマシー・コーディネーターの存在だ。インティマシー・コーディネーターとは、ラブシーンなどセンシティブと思われる場面で俳優と監督・プロデューサーなどの間に入ってコミュニケーションの仲介役を担う。

ネットフリックスは、日本で初めてインティマシー・コーディネーターを採用した。映画「クレイジークルーズ」やドラマシリーズ「さよならのつづき」などエグゼクティブプロデューサーとして日本発のオリジナル作品を多数手掛けてきた岡野プロデューサーは、ネットフリックス入社以降、全ての作品においてインティマシー・コーディネーターを採用しているという。

岡野プロデューサーは、「私がインティマシーなシーンだと思わなくても、俳優は思うかもしれない。コーディネーターの方に台本を全て読んでいただいて、『こういったシーンは、インティマシー・シーンだと考えてもいいのでは』とアドバイスをもらうようにしている」と話し、俳優が演技に集中しやすい環境づくりの具体例を示した。

磯村は、演者としても「インティマシー・コーディネーターが介在する現場では安心感が違う」と話した。加えて男性を取り巻く配慮の欠如についても実体験をもとに言及し、男性のインティマシー・コーディネーターの必要性について訴えた。

スタッフや演者など立場の異なる人同士が円滑なコミュニケーションが取れるように指導する「リスペクト・トレーニング」も普及している。このトレーニングは、演者やスタッフら制作に関わる全ての人が参加し、ハラスメントについて学びを深めるというもの。

過去に「リスペクト・トレーニング」を受けた菊池は、「自分の目線だけでは気付かないようなハラスメントのリスクについて知り、それまで気付いていなかった自分にショックを受けると同時に大事な学びになった。こうした互いを尊重するための環境づくりに意義を感じる」とコメントした。

世代間のコミュニケーションの取りづらさに話題が及ぶと、岡野プロデューサーは「ケータリングに美味しいお菓子やコーヒーを用意すれば、みんなが自然に集まって会話が始まる。制作費を握っている立場として、それもある意味クリエイティブな場の一つと捉えて投資している。飲み会などあらたまった場所を設定しなくても、日常的にコミュニケーションがとりやすい環境が大事なのでは」と意見した。

最後に今後さらに女性が働きやすい業界を目指していくために必要なことを聞かれると、磯村は当事者以外のアライアンシップの重要性を踏まえ、「男性もしっかりと理解を深め、自分が発信できることがあれば声をあげていきたい。僕の周りには同じ問題意識を持った俳優仲間がたくさんいて心強い。先輩と若い世代をつなげて、ムーブメントを広げていきたい」とコメント。菊池は、「こうしたイベントが現状を知るきっかけになる。(違和感や不平等を)言葉にしていくには、時間も勇気も必要だが、一人一人が意識改革できたら」と締め括った。

ケリングは2015年のカンヌ国際映画祭をきっかけに、映画業界で働く女性たちに光を当てる「ウーマン・イン・モーション」プロジェクトを発足。アート、デザイン、音楽、ダンスなど、さまざまな分野で才能を発揮する女性を表彰するアワードやトークイベントなどを継続的に実施する。東京国際映画祭での同トークイベントの開催は、19年を皮切りに今年で4回目を迎えた。

オープニング・スピーチを行った映画監督の是枝裕和は、「数年前にカンヌ国際映画祭で『「ウーマン・イン・モーション』のイベントに参加し、プロジェクトの本気度を感じた。今は日本に限らず、映画の文化を豊かに発展させていくためのかけがえのないパートナーだ」と語った。

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新進気鋭の韓国ブランドが続々と日本上陸 グレース代表に聞く日韓ビジネス拡大戦略

1991年に韓国で設立したグローバルヘルス&ビューティ企業、グレース(GRACE)は、韓国内外のブランドを250以上取り扱う。2023年にジャパン社を立ち上げ、日本市場では現在25ブランドを2000店舗以上で展開するなど、事業拡大を図る。日本展開するブランドは、韓国の伝統茶に着想したバス&ボディーケアブランド「ティーコレクティブ(TEA COLLECTIVE)」や、トレンドの産毛スタイリングができるヘアマスカラを展開する「ナルカ(NARKA)」など、独自性の高いものが多い。来日したチョ・アブラハムソン代表に、日韓でのビジネスを拡大する戦略を聞いた。

WWD:日本法人を設立した狙いは?

チョ・アブラハムソン代表(以下、アブラハムソン代表):創業時は海外のブランドを韓国に輸入するのが主流で、輸入業が9割を占めていた。その中で、韓国と日本のビジネスを組み合わせたらもっと相乗効果があるのではないかと考えたのがきっかけだ。日本の強みは先進的な製造力とノウハウ、韓国の強みはグローバルマーケティング力だ。Kビューティの人気の高まりにも後押しを受け、将来的には日本市場が大きくなり、日本と韓国、台湾を基盤にグローバル展開していく狙いだ。現在すでに約29カ国に輸出を行っている。例えばドバイでは、韓国の化粧品も日本の化粧品も人気だ。日韓の人材が力を合わせてグローバルな組織を作りたい。

WWD:独自性の高いブランドが多い中、日本展開するブランドはどのように選定した?

アブラハムソン代表:ローカライズが可能なユニークなブランドを選んだ。「ティーコレクティブ」では韓国の伝統茶だけでなく、日本のお茶も取り入れたボディーケアアイテムを発売したいと考えている。また、日本にすでにあるカテゴリーだけでなく、ラグジュアリーオーラルケアなど新しいカテゴリーも取り入れた。来春日本上陸予定のスウェーデン発「セラハティン(SELAHATIN)」は、非日常感のあるラグジュアリーなマウスウォッシュや歯磨き粉をそろえる。日本オリジナル商品も開発したい。共通するのは、東アジアで最も重要な日本市場で挑戦したいという思いがあるブランドだ。

WWD:メイクアップカテゴリーでの戦略は?

アブラハムソン代表:トレンディーで刺激的なブランドを強化していく。「オッドタイプ(ODDTYPE)」は韓国のファッションEC「ムシンサ(MUSINSA)」がプロデュースしている。トレンドの服に合わせた新商品を提案できるのが魅力だ。

WWD:特に好調なブランドは?

アブラハムソン代表:韓国と日本で同時に発売したヘアケアブランド「ナルカ」だ。韓国人と日本人のモデルを起用し、インフルエンサーマーケティングが成功した。韓国の化粧品専門店オリーブヤング(OLIVE YOUNG)でも好評で、感度が高い人に支持されている。現在2500〜3500円の価格帯だが、11月から価格を下げて販路拡大し、既存のECのほかドラッグストアでの展開も見据えている。韓国で有名になってから日本上陸する流れではない、日韓で一緒に成長していくブランドだ。クリーンインナービューティブランド「オニスト(OWNIST)」も好調だ。コラーゲンやビタミンをメインに、内側からの美しさをサポートする。アプリケーターが特徴的で、ゼリータイプやジュースで割るものなど新しい飲み方を提案している。

WWD:日本でのKビューティの盛り上がりをどのように見ている?

アブラハムソン代表:肌で熱気を感じている。十数年前、BBクリームがきっかけとなり韓国コスメブームがあった。当時は高い年齢層から支持を得ていたが、若年層へ移行している。ブームを持続させるためにはローカライズの注力と、現地クリエイターとの協力が不可欠。また、韓国ブランドの強みはOEMだ。それぞれのOEM工場の強みを生かし、マーケティングと連動して生産していることで機敏にトレンドに対応できる。

WWD:今後のミッションは?

アブラハムソン代表:日本ではドラッグ・バラエティーショップや卸売り企業などパートナーとの信頼関係を築いていく。いかに日本に受け入れられていくか、ブランドの独自性は保ちながらローカライズしていくことが課題。日本はとても厳しい市場だが、一定の成果を出しAPACに広げるきっかけになったら。ビューティ業界は美容機器やインナービューティなどカテゴリーが拡張しており、韓国はスピーディーに動いている。体感が良いものが求められ、見た目より中身の美しさが重視され始めている中、内面の美しさにこだわるブランドも増やしていきたい。

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新進気鋭の韓国ブランドが続々と日本上陸 グレース代表に聞く日韓ビジネス拡大戦略

1991年に韓国で設立したグローバルヘルス&ビューティ企業、グレース(GRACE)は、韓国内外のブランドを250以上取り扱う。2023年にジャパン社を立ち上げ、日本市場では現在25ブランドを2000店舗以上で展開するなど、事業拡大を図る。日本展開するブランドは、韓国の伝統茶に着想したバス&ボディーケアブランド「ティーコレクティブ(TEA COLLECTIVE)」や、トレンドの産毛スタイリングができるヘアマスカラを展開する「ナルカ(NARKA)」など、独自性の高いものが多い。来日したチョ・アブラハムソン代表に、日韓でのビジネスを拡大する戦略を聞いた。

WWD:日本法人を設立した狙いは?

チョ・アブラハムソン代表(以下、アブラハムソン代表):創業時は海外のブランドを韓国に輸入するのが主流で、輸入業が9割を占めていた。その中で、韓国と日本のビジネスを組み合わせたらもっと相乗効果があるのではないかと考えたのがきっかけだ。日本の強みは先進的な製造力とノウハウ、韓国の強みはグローバルマーケティング力だ。Kビューティの人気の高まりにも後押しを受け、将来的には日本市場が大きくなり、日本と韓国、台湾を基盤にグローバル展開していく狙いだ。現在すでに約29カ国に輸出を行っている。例えばドバイでは、韓国の化粧品も日本の化粧品も人気だ。日韓の人材が力を合わせてグローバルな組織を作りたい。

WWD:独自性の高いブランドが多い中、日本展開するブランドはどのように選定した?

アブラハムソン代表:ローカライズが可能なユニークなブランドを選んだ。「ティーコレクティブ」では韓国の伝統茶だけでなく、日本のお茶も取り入れたボディーケアアイテムを発売したいと考えている。また、日本にすでにあるカテゴリーだけでなく、ラグジュアリーオーラルケアなど新しいカテゴリーも取り入れた。来春日本上陸予定のスウェーデン発「セラハティン(SELAHATIN)」は、非日常感のあるラグジュアリーなマウスウォッシュや歯磨き粉をそろえる。日本オリジナル商品も開発したい。共通するのは、東アジアで最も重要な日本市場で挑戦したいという思いがあるブランドだ。

WWD:メイクアップカテゴリーでの戦略は?

アブラハムソン代表:トレンディーで刺激的なブランドを強化していく。「オッドタイプ(ODDTYPE)」は韓国のファッションEC「ムシンサ(MUSINSA)」がプロデュースしている。トレンドの服に合わせた新商品を提案できるのが魅力だ。

WWD:特に好調なブランドは?

アブラハムソン代表:韓国と日本で同時に発売したヘアケアブランド「ナルカ」だ。韓国人と日本人のモデルを起用し、インフルエンサーマーケティングが成功した。韓国の化粧品専門店オリーブヤング(OLIVE YOUNG)でも好評で、感度が高い人に支持されている。現在2500〜3500円の価格帯だが、11月から価格を下げて販路拡大し、既存のECのほかドラッグストアでの展開も見据えている。韓国で有名になってから日本上陸する流れではない、日韓で一緒に成長していくブランドだ。クリーンインナービューティブランド「オニスト(OWNIST)」も好調だ。コラーゲンやビタミンをメインに、内側からの美しさをサポートする。アプリケーターが特徴的で、ゼリータイプやジュースで割るものなど新しい飲み方を提案している。

WWD:日本でのKビューティの盛り上がりをどのように見ている?

アブラハムソン代表:肌で熱気を感じている。十数年前、BBクリームがきっかけとなり韓国コスメブームがあった。当時は高い年齢層から支持を得ていたが、若年層へ移行している。ブームを持続させるためにはローカライズの注力と、現地クリエイターとの協力が不可欠。また、韓国ブランドの強みはOEMだ。それぞれのOEM工場の強みを生かし、マーケティングと連動して生産していることで機敏にトレンドに対応できる。

WWD:今後のミッションは?

アブラハムソン代表:日本ではドラッグ・バラエティーショップや卸売り企業などパートナーとの信頼関係を築いていく。いかに日本に受け入れられていくか、ブランドの独自性は保ちながらローカライズしていくことが課題。日本はとても厳しい市場だが、一定の成果を出しAPACに広げるきっかけになったら。ビューティ業界は美容機器やインナービューティなどカテゴリーが拡張しており、韓国はスピーディーに動いている。体感が良いものが求められ、見た目より中身の美しさが重視され始めている中、内面の美しさにこだわるブランドも増やしていきたい。

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「コヒナ」がサザビーリーグに合流した理由 “D2C”の枠を超え「小柄女性の一生に寄り添う」

小柄女性向けアパレルブランド「コヒナ(COHINA)」が9月、サザビーリーグに加わった。起業家の中川綾太郎が社長を務めるnewnからの事業譲渡(取引金額は非公開)。2018年、自身も148cmと小柄だった田中絢子ディレクターは、自分と同じように低身長で服装選びに悩む女性に向けて、小柄だからこそ似合う服を提案する「コヒナ」を立ち上げた。EC主販ながらSNSでファンを広げ、立ち上げから3年で月商は1億円を超えるほどに成長。そして成長のネクストステップを踏むべくnewnを巣立ち、サザビーリーグに加わる決断をした。田中ディレクターと、今回の買収を主導し、「コヒナ」を運営する新会社EGBAのトップに就任した帰山元成サザビーリーグ執行役員に、これから見据える先を聞いた。

WWD :まず、サザビーリーグに加わった経緯について。

田中絢子「コヒナ」ディレクター(以下、田中):報道が出てからは「中川(綾太郎)さんと何かあったのか」「喧嘩別れか」などと聞かれる。円満でポジティブな別れ方なので、どうかご安心を(笑)。最終意思決定以外のプロセスでは中川もそこまでコミットしているわけでなく、私自身の決断による部分が大きい。ブランドを立ち上げたときから「ずっとnewnに留まるかは分からない」と思っていたし、今の「コヒナ」がさらなる成長を目指していく上では、次のパートナー探しをしないといけないと考えていた。帰山さんも、かなり早い段階から「コヒナ」を気にかけていただいていた。

帰山元成サザビーリーグ執行役員 EGBA社長(以下、帰山):「コヒナ」は立ち上げのときからずっとウオッチしていた。僕はサザビーリーグの新規事業全体を管轄する立場として、ジュエリーブランドの「アルティーダ ウード(ARTIDA OUD)」をはじめとしたブランドの成長に携わってきた。その点で、D2Cブランドのビジネスモデルの理解度や新規事業立ち上げ、ガバナンスにおいても、当社の中では自分が適任だと自負する部分もあり、自分が新会社EGBAの社長として「コヒナ」の責任者を務めることになった。

WWD:「コヒナ」は小柄女性向けに特化した、SNSでコアなマーケティングとファン作りに特徴があるブランド。サザビーリーグのノウハウは生きるのか。

帰山:確かに「コヒナ」は、これまでわれわれが作ってきたブランドとは少し毛色が異なる。われわれの全ての事業の根幹にあるのは「エモーション」だが、「コヒナ」は「ソリューション」の側面も強いブランドだと思う。心がときめくようなデザインとともに、小柄な女性を幸せにするという、明確な意思が服から伝わってくる。D2Cブランドが雨後の筍のように出てきた時期を経ても生き残っているというのは、ブランドのパーパスや提供する価値がしっかりしている証拠。ファンもしっかりとついてきている。われわれが得意とする「エモーション」、つまりは服のデザインやビジュアルのムードを磨いていくことで、「コヒナ」のポテンシャルをもっと引き出せるはず。

WWD:「コヒナ」の強みと課題をそれぞれどう捉えるか。

田中:私たちはオンライン主体の運営でも、お客さまとの密度のあるつながりを大切にしてきた。特にインスタライブは毎日欠かさず続け、連続配信5周年を達成することができた。節目の回は公開生収録として、オフィスでの配信の様子をお客さまにも見ていただけるようにしたところ、予想を超えてたくさんの視聴者がいらっしゃった。ライブ配信をきっかけに購入した服を着てきてくださり、服にまつわるエピソードをうれしそうに話してくださる方、岐阜や三重など遠方からいらっしゃる方もいた。改めて、「コヒナ」はお客さまの熱量に支えていただけているブランドだと実感した。

SNSのフォロワー(24年11月現在で22.7万人)は順調に伸びているが、それ以上に、お客さま1人あたりの年間購入頻度が高い。世の中にこれだけたくさんの選択肢がある中で、「コヒナ」でしか買いたくないというお客さま、目移りしてもまた戻ってきてくださるお客さまに、もっと信頼していただきたいという思いがある。これまで月に2回ほどポップアップストアを実施してきたが、特定のスタッフに深いエンゲージメントのあるファンがついてきた。期間中は、スタッフのシフトに合わせて何度も来店いただくようなお客さまもいるほど。やはりファンの皆さまの期待に応えていくには、リアルの場は不可欠だと感じる。

ただリアルの接点形成はnewnの得意分野ではないし、初期費用がガツンとかかってしまう。店頭でブランドの価値を伝える販売員のリソースや育成ノウハウもない。これまで培ってきた「コヒナ」らしさを大切にしながら、リアルビジネスのノウハウがあり、しかもスピード感を持って成長を実現できそうなパートナーとして、サザビーリーグはベストな選択だと直感した。

WWD:サザビーリーグで活用できるリソースとは、具体的に?

帰山:「コヒナ」の若さと情熱で突き進んできたエネルギーをそのままに、商品自体のクオリティーの底上げと緻密なCRM(顧客関係管理)でより満足度を高めていく。当社には10年、20年、50年近く続いているブランドもあるが、いかにお客さまのLTV(顧客生涯価値)を高め、長く愛していただくかという視点を忘れたことはない。われわれのスピリットを注入し、「コヒナ」を末長く愛していただけるブランドにしていきたい。

WWD:モデルケースとなるブランドは。

帰山:やはり、「アルティーダ ウード」。今年4月にニュウマン新宿にリアル店舗を出した。D2Cブランドがリアルの接点を持つことでどう(成長の天井を)ブレイクスルーしていくかが理解できてきてきたところだ。モノ作りや顧客体験の設計などの面で言えば、「アナイ(ANAYI)」や「エストネーション(ESTNATION)」「ロンハーマン(RON HERMAN)」といったブランドの蓄積は確実に生きてくるだろう。

田中:これまでスタートアップよろしく、良くも悪くもユニークな運営をしてきた自覚がある(笑)。熱量の高い人材の集まりでやってきた分、個々のオペレーションは属人的になってきている面は否めない。そういったところでベターな組織運営や仕事の回し方があればどんどん改善していきたいと考えている。

帰山:ロジスティクスや在庫管理などの面でも、合理化によって利益の改善余地があると見ている。事業を引き受けるにあたって、すでにデューデリジェンス(投資前の調査)はさせてもらっているものの、これから深く入り込んで侃侃諤諤やっていくつもりだ。

WWD:改善余地の一方で、「コヒナ」ならではユニークネスもあるはず。大手のサザビーリーグに参画することで、そういった「尖り」が失われてしまう可能性もあるのではないか。

帰山:ブランドの“個”を立たせることにおいては、僕たちの右に出るものはないという自負がある。熱意を持った現場の人間が花開く土壌は、鈴木陸三(創業社長)の時代から耕してきた。店の看板を外して、商品のタグを取ってみた。そうしたら、どこの服から分からないというようなブランドにしてしまったら、(「コヒナ」)が当社の仲間になった意味がない。感覚的なニュアンスではあるが、中で働く人も作るモノも、「コヒナっぽさ」が常にあるようにしたい。

「コヒナ」は“小柄女性のため”というパーパスに向き合い、研究を重ねてきていることがよく分かる。パターンやデザインについて技術者と話していると「なるほど」と思う部分が多い。通常のアパレルの、S、M、Lとサイズをグレーディングして対応するのとは一味違う、小柄女性のための気遣いやディテールが息づいている。これは絶対に殺しちゃいけない部分。当社のアパレル経験値の豊かな人間から見て、「コヒナ」の役に立ち、“らしさ”と折り合いがつけられる仕組みがあるなら取り入れればいい。ただ、「郷に入ったら郷に従え」というつもりは全くない。熱量の矛先や進むべき道に向かってハンドリングし、応援するのがわれわれの役目だ。

田中:今回パートナー探しをするにあたって手を挙げてくださった会社はたくさんあった。だが、サザビーリーグがいい意味で一番“ブランド任せ”だった。これからも、私たちが進みたい方向に進んでいけると感じた。

WWD:サザビーリーグ加入に際し、「コヒナ」のメンバーからの反応は?

田中:もちろんびっくりしたとは思うが、ポジティブな反応が大きかった。メンバーにはサザビーリーグのブランドのファンも多く、10年後、30年後と続いていくブランドのビジョンはより鮮明になったのではないかと思う。私たち低身長は、ずっと低身長として生きていく。だからこそ、自分たちと同じ個性と悩みを持ったお客さまに、一生寄り添い続けることが大事だと思っている。たとえ歳を重ねておばあちゃんになったとしても、「コヒナ」があれば一生困らないと思ってもらえるブランドにしたい。だから、(サザビーリーグへの加入で)ブランドの足腰をしっかりさせることは、お客さまへの誠意であるとも感じている。

WWD:実店舗の出店に関しては。

帰山:例えば(「アナイ」のように全国に数十店舗を出していくようなビジネスモデルは描いていない。「メゾンスペシャル(MAISON SPECIAL)」のように、「EC」「ハイトラフィックな立地重視の店舗」「世界観を発信する路面店」という役割を明確化した販路戦略はモデルケースになりうる。まだ会社のボードメンバーで話している最中ではあるが、数でいえば「10店舗」は1つの指標になる。常設店という形にとらわれず、小さな面積でもお客さまと接する場を積極的に設けていく。

田中:まだコロナ禍の最中の21年に、在庫を持たない試着専門店を表参道で運営していた。毎週のように通ってくださるお客さまもいて、最終日は雨の中だったが長い並び列ができた。スタッフと手を取り合って泣いているようなお客さまもいた。実店舗は、お客さまとのつながりを感じられる場にしたい。商品ラインアップも再構築の必要がある。常設店を構えるなら、在庫を最小限にしてキャッシュアウトを抑えるという、ECベースのやり方では通用しない部分がある。これまでも在庫を抑えたがゆえに人気商品が不足し、お客さまの元に届けきれないということもあった。現在は渋谷ヒカリエで半年間のポップアップストアを実施しており、そこでの店頭動向も参考にしたい。

WWD:D2Cブランドのブームは一巡したとも言われているが。

田中:D2Cという画一的な呼び方は、その必要性とともになくなっていくのではないだろうか。ECを含め、ブランドがお客さまに「何をどう届けるか?」という形が多様化していく過程で、無理やりカテゴライズするためのワードだったのだろう。店舗を持たずオンライン専業でやるという意味が“D2C”なら、私たちはこれを機にそうじゃなくなる。

帰山:お客さまの満足を維持するため、ブランドは時代に合わせた変化も必要になる。逆に「ロンハーマン」はネット販売をしない姿勢をずっと保ってきたが、コロナ禍で環境が変化する中で自社ECを始めるという決断をした。

田中:「小柄女性のための」というところは絶対にぶれないが、それ以外は固定観念なく変えていいと思っている。特に、デザインや質のアップグレードは絶対にやりたい。やはりサザビーリーグはクリエイティブでモノ作りに強い会社で、そういう部分は私たちがまだまだ至らないところ。目の肥えたお客さまに向けた、これまでオンラインだけでは伝えきれなかったモノ作りにも、リミッターを外して挑戦していきたい。

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「コヒナ」がサザビーリーグに合流した理由 “D2C”の枠を超え「小柄女性の一生に寄り添う」

小柄女性向けアパレルブランド「コヒナ(COHINA)」が9月、サザビーリーグに加わった。起業家の中川綾太郎が社長を務めるnewnからの事業譲渡(取引金額は非公開)。2018年、自身も148cmと小柄だった田中絢子ディレクターは、自分と同じように低身長で服装選びに悩む女性に向けて、小柄だからこそ似合う服を提案する「コヒナ」を立ち上げた。EC主販ながらSNSでファンを広げ、立ち上げから3年で月商は1億円を超えるほどに成長。そして成長のネクストステップを踏むべくnewnを巣立ち、サザビーリーグに加わる決断をした。田中ディレクターと、今回の買収を主導し、「コヒナ」を運営する新会社EGBAのトップに就任した帰山元成サザビーリーグ執行役員に、これから見据える先を聞いた。

WWD :まず、サザビーリーグに加わった経緯について。

田中絢子「コヒナ」ディレクター(以下、田中):報道が出てからは「中川(綾太郎)さんと何かあったのか」「喧嘩別れか」などと聞かれる。円満でポジティブな別れ方なので、どうかご安心を(笑)。最終意思決定以外のプロセスでは中川もそこまでコミットしているわけでなく、私自身の決断による部分が大きい。ブランドを立ち上げたときから「ずっとnewnに留まるかは分からない」と思っていたし、今の「コヒナ」がさらなる成長を目指していく上では、次のパートナー探しをしないといけないと考えていた。帰山さんも、かなり早い段階から「コヒナ」を気にかけていただいていた。

帰山元成サザビーリーグ執行役員 EGBA社長(以下、帰山):「コヒナ」は立ち上げのときからずっとウオッチしていた。僕はサザビーリーグの新規事業全体を管轄する立場として、ジュエリーブランドの「アルティーダ ウード(ARTIDA OUD)」をはじめとしたブランドの成長に携わってきた。その点で、D2Cブランドのビジネスモデルの理解度や新規事業立ち上げ、ガバナンスにおいても、当社の中では自分が適任だと自負する部分もあり、自分が新会社EGBAの社長として「コヒナ」の責任者を務めることになった。

WWD:「コヒナ」は小柄女性向けに特化した、SNSでコアなマーケティングとファン作りに特徴があるブランド。サザビーリーグのノウハウは生きるのか。

帰山:確かに「コヒナ」は、これまでわれわれが作ってきたブランドとは少し毛色が異なる。われわれの全ての事業の根幹にあるのは「エモーション」だが、「コヒナ」は「ソリューション」の側面も強いブランドだと思う。心がときめくようなデザインとともに、小柄な女性を幸せにするという、明確な意思が服から伝わってくる。D2Cブランドが雨後の筍のように出てきた時期を経ても生き残っているというのは、ブランドのパーパスや提供する価値がしっかりしている証拠。ファンもしっかりとついてきている。われわれが得意とする「エモーション」、つまりは服のデザインやビジュアルのムードを磨いていくことで、「コヒナ」のポテンシャルをもっと引き出せるはず。

WWD:「コヒナ」の強みと課題をそれぞれどう捉えるか。

田中:私たちはオンライン主体の運営でも、お客さまとの密度のあるつながりを大切にしてきた。特にインスタライブは毎日欠かさず続け、連続配信5周年を達成することができた。節目の回は公開生収録として、オフィスでの配信の様子をお客さまにも見ていただけるようにしたところ、予想を超えてたくさんの視聴者がいらっしゃった。ライブ配信をきっかけに購入した服を着てきてくださり、服にまつわるエピソードをうれしそうに話してくださる方、岐阜や三重など遠方からいらっしゃる方もいた。改めて、「コヒナ」はお客さまの熱量に支えていただけているブランドだと実感した。

SNSのフォロワー(24年11月現在で22.7万人)は順調に伸びているが、それ以上に、お客さま1人あたりの年間購入頻度が高い。世の中にこれだけたくさんの選択肢がある中で、「コヒナ」でしか買いたくないというお客さま、目移りしてもまた戻ってきてくださるお客さまに、もっと信頼していただきたいという思いがある。これまで月に2回ほどポップアップストアを実施してきたが、特定のスタッフに深いエンゲージメントのあるファンがついてきた。期間中は、スタッフのシフトに合わせて何度も来店いただくようなお客さまもいるほど。やはりファンの皆さまの期待に応えていくには、リアルの場は不可欠だと感じる。

ただリアルの接点形成はnewnの得意分野ではないし、初期費用がガツンとかかってしまう。店頭でブランドの価値を伝える販売員のリソースや育成ノウハウもない。これまで培ってきた「コヒナ」らしさを大切にしながら、リアルビジネスのノウハウがあり、しかもスピード感を持って成長を実現できそうなパートナーとして、サザビーリーグはベストな選択だと直感した。

WWD:サザビーリーグで活用できるリソースとは、具体的に?

帰山:「コヒナ」の若さと情熱で突き進んできたエネルギーをそのままに、商品自体のクオリティーの底上げと緻密なCRM(顧客関係管理)でより満足度を高めていく。当社には10年、20年、50年近く続いているブランドもあるが、いかにお客さまのLTV(顧客生涯価値)を高め、長く愛していただくかという視点を忘れたことはない。われわれのスピリットを注入し、「コヒナ」を末長く愛していただけるブランドにしていきたい。

WWD:モデルケースとなるブランドは。

帰山:やはり、「アルティーダ ウード」。今年4月にニュウマン新宿にリアル店舗を出した。D2Cブランドがリアルの接点を持つことでどう(成長の天井を)ブレイクスルーしていくかが理解できてきてきたところだ。モノ作りや顧客体験の設計などの面で言えば、「アナイ(ANAYI)」や「エストネーション(ESTNATION)」「ロンハーマン(RON HERMAN)」といったブランドの蓄積は確実に生きてくるだろう。

田中:これまでスタートアップよろしく、良くも悪くもユニークな運営をしてきた自覚がある(笑)。熱量の高い人材の集まりでやってきた分、個々のオペレーションは属人的になってきている面は否めない。そういったところでベターな組織運営や仕事の回し方があればどんどん改善していきたいと考えている。

帰山:ロジスティクスや在庫管理などの面でも、合理化によって利益の改善余地があると見ている。事業を引き受けるにあたって、すでにデューデリジェンス(投資前の調査)はさせてもらっているものの、これから深く入り込んで侃侃諤諤やっていくつもりだ。

WWD:改善余地の一方で、「コヒナ」ならではユニークネスもあるはず。大手のサザビーリーグに参画することで、そういった「尖り」が失われてしまう可能性もあるのではないか。

帰山:ブランドの“個”を立たせることにおいては、僕たちの右に出るものはないという自負がある。熱意を持った現場の人間が花開く土壌は、鈴木陸三(創業社長)の時代から耕してきた。店の看板を外して、商品のタグを取ってみた。そうしたら、どこの服から分からないというようなブランドにしてしまったら、(「コヒナ」)が当社の仲間になった意味がない。感覚的なニュアンスではあるが、中で働く人も作るモノも、「コヒナっぽさ」が常にあるようにしたい。

「コヒナ」は“小柄女性のため”というパーパスに向き合い、研究を重ねてきていることがよく分かる。パターンやデザインについて技術者と話していると「なるほど」と思う部分が多い。通常のアパレルの、S、M、Lとサイズをグレーディングして対応するのとは一味違う、小柄女性のための気遣いやディテールが息づいている。これは絶対に殺しちゃいけない部分。当社のアパレル経験値の豊かな人間から見て、「コヒナ」の役に立ち、“らしさ”と折り合いがつけられる仕組みがあるなら取り入れればいい。ただ、「郷に入ったら郷に従え」というつもりは全くない。熱量の矛先や進むべき道に向かってハンドリングし、応援するのがわれわれの役目だ。

田中:今回パートナー探しをするにあたって手を挙げてくださった会社はたくさんあった。だが、サザビーリーグがいい意味で一番“ブランド任せ”だった。これからも、私たちが進みたい方向に進んでいけると感じた。

WWD:サザビーリーグ加入に際し、「コヒナ」のメンバーからの反応は?

田中:もちろんびっくりしたとは思うが、ポジティブな反応が大きかった。メンバーにはサザビーリーグのブランドのファンも多く、10年後、30年後と続いていくブランドのビジョンはより鮮明になったのではないかと思う。私たち低身長は、ずっと低身長として生きていく。だからこそ、自分たちと同じ個性と悩みを持ったお客さまに、一生寄り添い続けることが大事だと思っている。たとえ歳を重ねておばあちゃんになったとしても、「コヒナ」があれば一生困らないと思ってもらえるブランドにしたい。だから、(サザビーリーグへの加入で)ブランドの足腰をしっかりさせることは、お客さまへの誠意であるとも感じている。

WWD:実店舗の出店に関しては。

帰山:例えば(「アナイ」のように全国に数十店舗を出していくようなビジネスモデルは描いていない。「メゾンスペシャル(MAISON SPECIAL)」のように、「EC」「ハイトラフィックな立地重視の店舗」「世界観を発信する路面店」という役割を明確化した販路戦略はモデルケースになりうる。まだ会社のボードメンバーで話している最中ではあるが、数でいえば「10店舗」は1つの指標になる。常設店という形にとらわれず、小さな面積でもお客さまと接する場を積極的に設けていく。

田中:まだコロナ禍の最中の21年に、在庫を持たない試着専門店を表参道で運営していた。毎週のように通ってくださるお客さまもいて、最終日は雨の中だったが長い並び列ができた。スタッフと手を取り合って泣いているようなお客さまもいた。実店舗は、お客さまとのつながりを感じられる場にしたい。商品ラインアップも再構築の必要がある。常設店を構えるなら、在庫を最小限にしてキャッシュアウトを抑えるという、ECベースのやり方では通用しない部分がある。これまでも在庫を抑えたがゆえに人気商品が不足し、お客さまの元に届けきれないということもあった。現在は渋谷ヒカリエで半年間のポップアップストアを実施しており、そこでの店頭動向も参考にしたい。

WWD:D2Cブランドのブームは一巡したとも言われているが。

田中:D2Cという画一的な呼び方は、その必要性とともになくなっていくのではないだろうか。ECを含め、ブランドがお客さまに「何をどう届けるか?」という形が多様化していく過程で、無理やりカテゴライズするためのワードだったのだろう。店舗を持たずオンライン専業でやるという意味が“D2C”なら、私たちはこれを機にそうじゃなくなる。

帰山:お客さまの満足を維持するため、ブランドは時代に合わせた変化も必要になる。逆に「ロンハーマン」はネット販売をしない姿勢をずっと保ってきたが、コロナ禍で環境が変化する中で自社ECを始めるという決断をした。

田中:「小柄女性のための」というところは絶対にぶれないが、それ以外は固定観念なく変えていいと思っている。特に、デザインや質のアップグレードは絶対にやりたい。やはりサザビーリーグはクリエイティブでモノ作りに強い会社で、そういう部分は私たちがまだまだ至らないところ。目の肥えたお客さまに向けた、これまでオンラインだけでは伝えきれなかったモノ作りにも、リミッターを外して挑戦していきたい。

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話題のIS:SUE、2ndシングルに込めた想い——人とは違う自分に自信を持てるように

PROFILE: IS:SUE

PROFILE: (イッシュ)日本エンターテインメント界において過去最大級のサバイバルオーディション番組、初のガールズ版「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」ファイナリスト、RIN、NANO、YUUKI、RINOによる4人組ガールズグループで、今年6月にデビューシングル「1st IS:SUE」でメジャーデビュー。グループ名には「常に注目や話題性(ISSUE)を持って人々を魅了する、魅力的で“異種”な存在」という意味が込められている。11月13日には、2ndシングル「Welcome Strangers 〜2nd IS:SUE〜」をリリースする。

日本最大級のサバイバルオーディション番組、初のガールズ版「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」のファイナリスト、RIN(リン)、NANO(ナノ)、YUUKI(ユウキ)、RINO(リノ)による話題の4人組ガールズグループIS:SUE(イッシュ)。今年6月にリリースしたデビューシングル「1st IS:SUE」が、多くのランキングで1位を獲得。2024年上半期Z世代が選ぶネクストトレンド予想ランキングにランクインするなど、今注目の存在だ。

そのIS:SUEが、待望の2ndシングル「Welcome Strangers 〜2nd IS:SUE〜」(4曲収録)を11月13日にリリースする。タイトル「Welcome Strangers(ようこそ!変わり者たちの世界へ)」が表すように、同作ではマイノリティーの味方となるような、内面・外面問わず、人とは違って変わっている自分に自信を持つこと、そして自分らしくあることについて表現している。

今回、メンバーそれぞれの好きなものを細部に投影したという衣装やヘアメイクから「Welcome Strangers」に込めた想い、そしてデビュー後に感じた成長や共同生活まで、メンバー4人にたっぷりと語ってもらった。

好きなものを詰め込んだ衣装に注目

——2ndシングル「Welcome Strangers」は「自分らしくあること」を表現した作品だそうですが、皆さんの個性豊かな衣装に目を惹かれました。すごく華やかですね。

NANO:ありがとうございます! まず制作スタッフさんから、「好きなものを5つずつ教えてください」という事前アンケートをもらったんです。その回答をもとに、1人ひとりのキャラクターを考えてくれて、それに合わせてスタイリングを組んでくださいました。

——それぞれの衣装のコンセプトと、注目ポイントを教えていただけますか?

RIN:私は星と動物が好きだと回答したんです。今日は違うんですけど、ネイルなどいろんなところに星が配置されていて、服にも動物がいたり。あとは、漫画「NANA」(矢沢あい)が好きなので、パンクロックの要素が入ったチェックのスカートがポイントです。

——すごくカラフルですね! 髪色も明るくなりました。

RIN:今回はカラフル担当です!(笑)。スタイリストさんが、矢沢あいさんの世界観もイメージしてくれたそうです。人生初のブリーチで、最初は見慣れなかったんですけど、1カ月くらい経って、今はようやく慣れてきました。

——NANOさんは猫耳のようなヘアがとてもかわいいです。

NANO:かわいいですよね! これはゴムを1本も使ってなくて、ピンだけで完成しているんですよ。私はアンケートで甘いもの、キラキラしたもの、かわいくてファンシーなものが好きと書いたんですが、それで甘いものとキラキラしたものが好きな、“ちょっとおかしな女の子”というイメージのキャラクターを作ってもらいました。リード曲「THE FLASH GIRL」のミュージックビデオでも、大きなケーキをフライパンで焼いたり、シリアルを斬新な食べ方で食べてみたり、ユニークな行動を取っているんです。

——YUUKIさんはワイドジーンズがポイントで、マニッシュな印象です。

YUUKI:ボーイッシュな雰囲気の、かっこいいキャラクターです。ジャケット撮影でオートバイに乗りましたし、MVではスパイダーマンみたいに人を救うシーンを演じました。その救い方がスゴ技なので、人から変な目で見られるという、面白い役です(笑)。私はアンケートに「白くてもちもちしたものが好き」と書いたんですよ。ファンの方もよく、私の顔と白くてもちもちしたものの比較画像をSNSに載せてくださったりするんです(笑)。それにちなんで真っ白なマシュマロみたいな帽子を被ったり、白くてふわふわしたネイルチップを着けていたりするので、そこにも注目してほしいです。

—RINOさんはメイクもインパクトが強く、ハードなスタイリングですね。

RINO:目の下の赤いチークが目立っていますよね。お団子も、中から永遠に何かが出てきそうなくらいの規格外な大きさで(笑)。中に入れ毛が入ってはいますけど、基本的には地毛で結っています! 私は実家でワンちゃんを飼っているので、アンケートでは「犬、ぬいぐるみ、ファッションが好き」と回答しました。なのでジャケット撮影ではワンちゃんのバッグを持っています。MVの個人シーンではベッドの上にぬいぐるみが山積みになっていたり、クッションや洋服がたくさんあったり、私の好きなものが集まったようなセットで、すごくかわいかったです。

NANO:最初はみんなのスタイルが斬新でびっくりしたけど、みんなそれぞれ似合っていて、すごくしっくりきていますね。

——真似して衣装を作ったりするファンの方もいそうですよね。

YUUKI:(NANOのヘアスタイルを指して)ライブにその髪型で来る人、いそうじゃない?

NANO:確かに! 猫耳スタイルのREBORN(ファンネーム)に会えたらうれしいです。

——ちなみにIS:SUEのYouTubeで公開されたコンテンツ「Extra IS:SUE -vol.02」では、メンバー4人のパーソナルカラーが春夏秋冬できれいに分かれていることが明らかになり、話題を集めていましたよね。その後は私服コーディネートの際に、自分に合う色味を意識するようになりましたか?

YUUKI:りんりん、薄い色を買うようになったって言ってたよね?

RIN:うん。以前は黒ばっかり買ってたんですけど、黒が私にとってのワーストカラーだったんです(笑)。パーソナルカラーを聞いてからは、同じ型の服でカラーバリエーションが用意されていたら「黒じゃなくて水色に挑戦してみようかな」と思うようになりましたね。今までは絶対に水色とかは着なかったので、新鮮に感じます。

RINO:私は、普段から選ぶ色が自分のパーソナルカラーだったんです。意外と自然に惹かれていたのかな?と思いました。好きでも顔色がよく見えない色味の服は避けたり、より意識して買い物をするようになりましたね。

NANO:YUUKIはイエベだと思ってたんだよね。

YUUKI:そう。メイクはイエベに合う色を買うことが多かったので、ブルベと診断されて、少し違う色を選ぶようになったかな。でも洋服では青や緑がもともと好きだったので、似合う色でよかったなと思っています!

2ndシングル「Welcome Strangers」の聞きどころ

——「Welcome Strangers」の収録曲についても教えてください。リード曲「THE FLASH GIRL」はスーパーヒーローとなったIS:SUEが明るいメッセージを伝える楽曲で、デビュー曲「CONNECT」とはガラリと印象が変わりましたね。

RINO:誰かの背中を押すような、メッセージ性のある歌詞です。「CONNECT」もメッセージ性がありましたけど、それとはまた違う思いが込められているなって。私自身も練習しながら「やっぱりいい歌詞だな」と感じるし、自分自身も勇気づけられるんですよね。いろんな方の心に刺さったらうれしいです。

RIN:振り付けもキャッチーだし、「CONNECT」より表情に笑顔が多いんです。指を使った振り付けが多くて真似しやすいから、TikTokで流行ったらうれしいなと思っています。

NANO:激しさはあるんだけどね(笑)。

YUUKI:うん、簡単に見えるけど、左か右か、上か下か……と、けっこう腕の筋肉がこんがらがる(笑)。でも視覚的に面白いと思いますし、ステージで披露したら印象に残るんじゃないかな。

——レコーディングは、デビューシングルよりもスムーズにいきましたか?

YUUKI:デビューシングルは2曲だったんですが、今回は4曲あって、それぞれ全然色が違ったんです。「前作より上手くやりたい」という欲もあったので、難しい部分もありました。でもがんばった分、個人的にはすごく満足しています。

NANO:限られた時間の中で、それぞれの曲に合い、かつ曲の魅力を最大限に引き出せる声のトーンを作るのにけっこう苦戦しました。でもすごく楽しい作業で、楽しみながらできたと思います。レコーディングで自分の歌を作っていく作業に少しずつ慣れてきたというか、自分の成長を感じられましたね。

——「THE FLASH GIRL」終盤のパートは、ライブで盛り上がりそうで楽しみです。

NANO:お客さんにも一緒に歌ってほしいし、全員で一体化できそうなパートですよね! 私も披露するのが今からすごく楽しみです。

——YUUKIさんは「Breaking Thru the Line」でラップの作詞に初めて参加していますね。

YUUKI:はい! 作詞を習ったこともないですし、ダジャレを考えるような感覚で「この音にこの言葉を合わせたら面白いかな?」と思いついたところだけ書いてみたんですが、使っていただけてすごくうれしかったです。「Breaking Thru the Line」は「THE FLASH GIRL」に比べるとヒップホップ色が強い曲で、手を挙げてライブで歌えるパートがあるので、これも披露するのが楽しみですね。ラップの尺が長いんですけど、「みんなで航海に出よう、一緒に冒険しよう」という開けたイメージが感じられると思います。すごく好きな曲です!

デビュー5カ月で成長を感じた部分は?

——デビューから約5カ月が経ちますが、これまでの活動で印象的だったことや、「夢がかなった」と感じた瞬間は?

RIN:一番記憶に残っているのは、IS:SUEとして初めてのステージだった「KCON JAPAN 2024」です。IS:SUEのお披露目ということもあり、大きい舞台だったこともあり……みんなでたくさん準備した成果を出せるかとめちゃくちゃ緊張したから、印象深いですね。

RINO:私は「M COUNTDOWN」や「CDTVライブ!ライブ!」など、自分がいち視聴者として観ていた音楽番組に出演したときに、「ああ、ついに私が出る側になれたんだ」と感動しました。すごく楽しくて、思い出に残っていますね。

——さまざまなステージを経験する中で、グループとして成長を感じる部分はどこでしょうか。

YUUKI:イベントで自分たちの出番の時間をある程度長めにいただけたとき、MCも含めてステージを作るということに、最初はなかなか慣れなくて。「うふふ」と謎の間が生まれたりしてしまっていたんですけど(笑)、回を重ねるごとにみんなすごく上手になってきたし、自分の中での体力の配分や調整もうまくできるようになってきたと思います。

NANO:ステージでの対応力が上がってきたよね。どの場所からパフォーマンスを始めたらいいのかすら、初めの頃はあたふたしてしまって、ダンスの先生から指示をもらって移動することも多かったんです。最近は自分たちで判断していろんなことができるようになってきたので、成長を感じますね。

——9月の「第39回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 AUTUMN/WINTER」でのステージでは、NANOさんとRINOさんが「CONNECT」のサビ部分で少し声を張っていたり、アレンジしているのが印象に残ったんです。そうしたライブならではの見せ方は意識していますか?

NANO:はい、ライブ感は大事にしています! しっかりピッチを合わせて歌わなければいけない部分ももちろんあると思うんですが、やっぱりライブだからこそ伝えられるものや、作れる盛り上がりがあると思うので、毎回「どの部分をアレンジしよう」と試行錯誤してやっています。メンバーそれぞれ、振り付けをちょっと変えるなど、毎回飽きさせないパフォーマンスをできるように心がけていると思います。

——お互いを見ていて、変化や成長を感じる部分は?

NANO:うーん、なんだろう。エブリデイ24時間一緒にいるので、変化に気づいていないだけかもしれないんですけど(笑)。みんな表現力も元から高いし……。

RIN:ステージの後は毎回全員で反省会をして、改善点を明確にまとめて話すので、成長はしていると思います。

YUUKI:私は最近音楽番組の収録をしたときに、RINがしたアレンジにすごくグッとくるものがあったんです。モニタリングしていて感動しちゃって、巻き戻してもう1回見ました(笑)。メンバー全員がそうやってサプライズを入れて、常に更新していこうという意識を見せてくれるので、自分もがんばろうと思いますね。

4人での共同生活

——4人での共同生活にも、だいぶ慣れてきましたか?

NANO:すごく平和に、楽しく暮らせています!

YUUKI:私は寝る時間も起きる時間もバラバラなので、みんながとても規則正しく見えます。(NANOを見て)お姉さんは生活スタイルがすごく安定してるよね。

NANO:最近は本当に眠くて、夜の9、10時には寝てしまうんです。そして朝5、6時に目が覚める。1人だけおばあちゃんのような体内時計で生きています(笑)。みんなを起こさないよう、忍者のように静かに朝は過ごしていますね。コップを置くときも、1人で「音を立てない選手権」を開催して。

RINO:(笑)。部屋割りは、私とRINちゃん、NANOちゃんとYUUKIちゃんがそれぞれ一緒なんです。この間、RINちゃんの寝相で面白かったエピソードがあって……(RINを見て)あの話、してもいい?

RIN:いいよ(笑)。

RINO:私がお風呂上がりでリビングにいたら、RINちゃんから「先に寝るね。ちょっとおかしい寝方をしてるかもしれないけど、気にしないで」ってLINEが来て。どういうことだろう?と部屋に行ってみたら……。

YUUKI:どんな寝方だったの?

RINO:ベッドの下にヨガマットを敷いて、ヨガマットに上半身を預けて、脚をベッドの上に掛けて寝てたの。

NANO:(笑)体が痛くならないの?

RIN:なる(笑)。でも韓国での1人部屋のときもずっとそうしてたな。脚を上げて寝たくて。いつもは掛け布団や枕を置いて脚を上げるんだけど、それだと起きた時に下がってしまってることが多いから。朝まで脚を上げた姿勢を保つために編み出したのが、その寝方です。

RINO:さらにアイマスクまでしてて、もうびっくりしちゃった(笑)。でも私が部屋に入った音で起きちゃったのか、片手で謎のグッドポーズをしてきて(笑)。そのあとは普通に寝てました。最近ではそれがめちゃくちゃ面白かったですね。

——にぎやかな暮らしぶりが伝わってきます(笑)。これからのIS:SUEの活動で、どんな姿を見せていきたいですか?

NANO:「CONEECT」はカッコいい系のコンセプトで、あまり笑わずにクールな表情で踊ることも多かったんですが、今回は明るいムードで、笑顔が前回よりも増えていると思います。前作とはギャップがある、ポップで楽しい私たちを見せていきたいですね。新しいIS:SUEのカラーを楽しんでもらえるようにがんばりたいです。

■IS:SUE 2ndシングル「Welcome Strangers 〜2nd IS:SUE〜」
11月13日リリース
1. THE FLASH GIRL
2. Breaking Thru the Line
3. Tiny Step
4. Butterfly
https://is-sue.jp/feature/2nd_issue

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綾瀬はるか × 大沢一菜 初共演の映画「ルート29」で生まれた2人の絆

PROFILE: 右:綾瀬はるか/俳優 左:大沢一菜/俳優

PROFILE: (あやせ・はるか)1985年3月24日生まれ、広島県出身。2000年、デビュー。04年に「雨鱒の川」で長編映画初主演を果たす。同年、ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」(TBS)でゴールデン・アロー賞新人賞を受賞。以降、「白夜行」(06/TBS)や「ホタルノヒカリ」シリーズ(07、10/日本テレビ)など多くの主演ドラマが話題を集める。13年にはNHK大河ドラマ「八重の桜」で主演を務めた。15年「海街diary」で毎日映画コンクール、ヨコハマ映画祭の主演女優賞を受賞。その他の出演作に、ドラマ「JIN-仁-」シリーズ(09、11/TBS)、「義母と娘のブルース」シリーズ(18~24/TBS)、映画「はい、泳げません」(22)、「レジェンド&バタフライ」(23)、「リボルバー・リリー」(23)などがある。 (おおさわ・かな)2011年6月16日生まれ、東京都出身。22年の映画「こちらあみ子」で応募総数330人の中からオーディションで選ばれ、主人公のあみ子役でスクリーンデビューを飾った。同作で第36回高崎映画祭最優秀新人俳優賞を受賞する。その後、ドラマ「姪のメイ」(23/テレビ東京)や宮藤官九郎が企画・監督・脚本を担当した配信ドラマ「季節のない街」(23/Disney+STAR)などに出演。24年にはRM(BTS)の2ndソロアルバム「Right Place,Wrong Person」に収録されている“Domodachi (feat. Little Simz)”のMVにも出演した。

2022年公開の監督デビュー作「こちらあみ子」がさまざまな映画賞を受賞して注目を集めた森井勇佑監督。11月8日に公開される最新作「ルート29」は、中尾太一の詩集「ルート29、解放」からインスピレーションを受けて制作した不思議なロードムービーだ。鳥取で清掃員として働くのり子は、仕事で訪れた病院で入院患者から頼まれて、遠く離れた姫路で暮らしている彼女の娘、ハルを病院まで連れて来ることになる。秘密基地を作って遊んでいるハルは、ちょっと風変わりな女の子。早速、ハルに「トンボ」とあだ名をつけられたのり子は、姫路から鳥取まで国道29号線を一緒に旅をする。

のり子役は「台本を読んで自然に涙が出た」と語る綾瀬はるか。ハル役は「こちらあみ子」で鮮烈なスクリーンデビューを飾った13歳の大沢一菜(おおさわ・かな)。撮影を通じてすっかり仲良くなった2人に映画について話を訊いた。

魅力的な目を持つ2人

——綾瀬さんは大沢さんと初めて共演して、どんな感想をも持たれました?

綾瀬はるか(以下、綾瀬):初めて一菜ちゃんに会った時は、「わあ、あみ子が大きくなってる!」って驚きました。すごくシャイで、かわいくて、一菜ちゃんに釘付けでしたね。そこからだんだん仲良くなっていくと、すごく優しいところとカッコいいところが見えてきて、ハルに近いなって思いました。監督も言ってましたけど、目が魅力的なんですよね。セリフがなくても目で気持ちを伝えている。

——大沢さん、うれしそうに笑ってますね(笑)。大沢さんは綾瀬さんと共演してどう思いました?

大沢一菜(以下、大沢):テレビで見ていて、きれいだし、かわいいし、絶対優しいだろうなって思っていました。実際に会ったやっぱり優しかったし、テレビよりホンモノの方がすごくかわいくて、最初はとても緊張しました。

——ハルの秘密基地で2人が初めて出会うシーンがすごく印象的でした。あそこが初めて撮影した、2人がセリフを交わすシーンだったとか。

綾瀬:一菜ちゃんの顔が草の中からニョキっと出てきた時は、すごくインパクトがありました。

大沢:私は「本物の綾瀬はるかさんが目の前にいる!」っていうことしか考えてなかったです。それで頭の中が真っ白になったんですけど、綾瀬さんの目がすごく魅力的でした。

のり子とハルの演技

——2人とも魅力的な目が共通点なんですね。のり子はハルに「お母さんのところに連れていくよ」と声をかけて、2人は一緒に旅をすることになります。突然、知らない人に声をかけられて、なぜハルはついて行こうと思ったのでしょう。

大沢:ハルは離ればなれになったお母さんに会いたかったんだと思います。でも、1人だと姫路から鳥取まで行けないし、そういう大人を探してたのかもしれない。だから、トンボの「お母さんに会わせてあげる」っていう言葉を聞いて、お母さんに会いたい気持ちがいっぱいになって、ついて行ったのかなって思いました。

——一方、のり子は旅をしながら、だんだんハルを身近に感じるようになります。のり子はハルのどんなところに惹かれたんだと思いますか?

綾瀬:無邪気さじゃないでしょうか。のり子に突然、「今日からお前、トンボな」って言ったりして、無邪気に生きて毎日を楽しんでいる。のり子はハルのそういうところに惹かれたんじゃないかと思います。

——ハルは森井監督が大沢さんをイメージして作ったキャラクターだそうですね。

大沢:台本を読んだ時に、自分のことが書いてあるなって思いました。だからやりやすいところもあったけど、完全に似ているわけじゃないから、似てない部分を集中して演じようと思いました。

——あみ子を演じた時と、役に対する向き合い方に違いはありました?

大沢:違いはなかったです。でも、あみ子の時は監督からは何も言われなくて自由に演じてたけど、今回は「宇宙で独りぼっちでいるような気持ちになってやってみて」って言われたこともあって、どういう意味なんだろう?って考えながら演じたりしました。

——監督の演出の仕方に違いがあったんですね。綾瀬さんは大沢さんと共演して、プロの役者さんとは違う感覚はありました?

綾瀬:ハルがそこにいる、という感じで、役を演じているふうには思えなかったですね。

——綾瀬さんは監督から何か言われたことはありました?

綾瀬:最初に監督に言われたのが、のり子は若い時に自分が言っていたことを大人たちに勘違いされて、周りに積極的に関わりを持つのをやめている人かもしれない、ということでした。でも、それで暗くなっているわけではなく、自分の中の宇宙がすごくある人かもしれないって。

——自分の中に宇宙がある、というのは、ハルと同じですね。のり子を演じてみてどんな感想を持たれました?

綾瀬:最初、監督に「演じなくていいので、綾瀬さんそのままでいてください」って言われてたんですが、やっぱり掛け合いのお芝居では伝えようとしちゃうんですよね。演技を積み重ねて役になっていくことが多いし。今回はそういうことを全部削ぎ落として、なるべく“無”でいるようにした方がいいんだなって思いました。

——いつもとは違うアプローチで役に向き合ったんですね。

綾瀬:最初は難しいなって思いました。でも、10代の時はこういうふうだったなって思い出したんです。演じて作っていく役とは違って、自分じゃないけど自分の延長にいるみたいな役、というのが懐かしい感じがしました。

撮影の合間の遊び

——国道29号線に沿って旅をするようにロケ撮影をされたそうですが、撮影で印象に残っていることはありました?

大沢:鳥取って全部が砂丘だと思ってたけど違いました(笑)。砂丘は初めてで砂に座ったら気持ち良かったです。

綾瀬:砂丘のシーンは朝早かったんですよね。誰もいない砂丘を歩くのは気持ち良かった。あと、今回は森の中のシーンが多かったので、一菜ちゃんと一緒に虫とカエルを捕ったりしていました。監督と3人でお祭りを見に行ったりもしましたね。

——夏休みっぽくていいですね。映画の中でハルがやる囚人ごっこは大沢さんが思いついた遊びだとか。撮影の合間にそういう遊びをすることで距離が近づいていったんでしょうね。

大沢:(綾瀬さんとは)いろんな遊びをしました。石積みとかアクションごっことか。

——「アクションごっこ」というのは?

大沢:監督を見たら、「敵がいるぞ!」って言って爆弾を投げる(笑)。投げるふりだけど。

綾瀬:私も一緒に「油断するな、そこにもいるぞ!」って(笑)。

——別のお芝居がそこで始まる(笑)。綾瀬さんは子供の頃は、どんな遊びをしていたのですか?

綾瀬:男子に混じって走り回っていました。鬼ごっこをしたり、川跳びをしたり。

——アクションもこなせる綾瀬さんは、子供の頃から体を動かすのが好きだったんですね。

綾瀬:身体と心はつながっているので、アクションも表現の一つだと思っています。今回の撮影で素足になって土を感じながら演技したのも良い経験でした。

————日常生活でも自然との触れ合いは大切にされていますか?

綾瀬:窓から木が見えるのが好きなんですよ。だから引っ越す時は窓から木が見える家にしています。ぼーっと風に揺れる木の枝を見たりするのが好きなんですよ。

森井監督の子供っぽさ

——心が落ち着きますね。そういえば、大沢さんはプライベートでも監督と遊んでいるそうですね。

大沢:はい。友達と遊んでいる時に、みんなが「誰か誘おうぜ!」って言うから、監督を呼んだらすぐ来て。一緒に鬼ごっこしました。「プール行こうぜ!」って連絡したり、こういう友達がいるのもいいなって思います。

——呼び出す方もすごいですが、来る監督もすごい(笑)。映画を観て思いましたが、森井監督は子供の感性を失っていない方なんですね。

大沢:うん。子供っぽい大人。仲間って感じがする(笑)。

綾瀬:確かに少年のままなところがありますね。すごく優しいし、本当に映画が好きなんだなって思います。撮りたいものがすごくはっきりしていて、それを信じているから厳しい時は厳しいし、すごくシンプルな気がしますね。

——監督も、ハルやのり子のように宇宙を持っている人なんでしょうね。大沢さんは監督みたいに綾瀬さんと友達になれたと思います?

大沢:(うなずいて)綾瀬さんは監督より大人っぽい気がします。監督はいつも「アヒヒヒ〜」って感じだけど綾瀬さんはメリハリがある。

綾瀬:監督もメリハリあるよ!(笑)。

——大人の基準はメリハリ。確かにそうかもしれませんね。

綾瀬:一菜ちゃんは大人なところがあるんですよ。撮影中に「大丈夫? 疲れてない?」って気づかってくれたり。

大沢:大切な友達には言います(照)。大人になったら、綾瀬さんみたいにアクションができる俳優になりたいです!

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLIST:[HARUKA AYASE]MAYUMI NISHI、[KANA OSAWA]MIHOKO TANAKA
HAIR & MAKEUP:[HARUKA AYASE]MASAKO IDE、[JIRO SATO]GO UTSUGI

[HARUKA AYASE]シャツ24万6400円、トラウザー 19万6900円、ベルト 6万1600円、シューズ 16万3900円/以上、ロエベ(ロエベ ジャパン クライアントサービス 03-6215-6116)、イヤカフ 1万7600円(参考価格)/バランス(ザ・ウォール ショールーム 050‐3802-5577)、チョーカー 5万7200円/サピア バハール(フィルグ ショールーム 03-5357-8771)

■映画「ルート29」
11月8日からTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
出演:綾瀬はるか
大沢一菜
伊佐山ひろ子 高良健吾 原田琥之佑 大西力 松浦伸也/河井青葉 渡辺美佐子/市川実日子
監督・脚本:森井勇佑
原作:中尾太一「ルート29、解放」(書肆子午線刊)
製作:東京テアトル U -NEXT ホリプロ ハーベストフィルム リトルモア
配給:東京テアトル リトルモア
https://route29-movie.com
©︎2024「ルート29」製作委員会

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BLACKPINKの着用や「レスポ」コラボで話題 韓国ブランド「グロウニー」が20代に支持を集める理由

PROFILE: ジェーン/「グロウニー」創立者兼デザイナー

ジェーン/「グロウニー」創立者兼デザイナー
PROFILE: 韓国に生まれ、幼少期に米・フィラデルフィアに移住。米国生活の中で、ビンテージ感あるファッションブランドを立ち上げたいと考えるようになる。2020年、妹のジーホとともにセレクトショップ「スプーニング」を創設。翌年、「グロウニー」に改名し、自らデザインを開始した PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

毎月のように話題性あるコラボを発表している「レスポートサック(LESPORTSAC)」。現在は、韓国のファッションブランド「グロウニー(GLOWNY)」とのコラボコレクションを販売中だ。同ブランドは、ジェーン(Jane)とジーホ(Jiho)姉妹が手掛け、レトロガーリーな世界観と両デザイナーの等身大の感覚が、20代を中心に共感を集めている。ブラックピンク(BLACKPINK)のジェニー(Jennie)やロゼ(Rose)を始めとした韓国アイドルの着用も、人気に拍車をかけた。ここでは、このほど来日したジェーン「グロウニー」創立者兼デザイナーに、ブランドについてやコラボへの思いを聞く。

WWD:「グロウニー」の強みを教えてほしい。

ジェーン:「グロウニー」にまつわる全ては、私の人生にインスパイアされている。普段使いしやすい“ジークラシック(G CLASSIC)”ラインと、ドレスなどオケージョン向けのアイテムもそろう“コレクション(COLLECTION)”ラインを設けたのも、ファッションのオンとオフがはっきりしている米国での経験があったから。そこに「こんなシーンにはこんな服が着たい」という等身大の感覚を落とし込んでいる。

また、私自身“グロウナー(グロウニーのファンの通称)”の1人として、彼女たちの視点に立ってデザインしていることも強みだと思う。“グロウナー”は20代の女性が中心。私はもう30歳近くなるが、20代を通過したからこそデザインの押さえどころが分かる。

WWD:人気アイテムは?

ジェーン:オフショルダーの“イザ ニット(ISA KNIT)”は、“グロウナー”の間で「この服を着ていると必ず電話番号を聞かれる」という通説があるほど、勝負服として定着している。また、ベーシックなTシャツ“ジー ベイビー ティー(G BABY TEE)”も看板アイテムだ。

WWD:日本からインスピレーションを受けたことは?
ジェーン:
日本の色彩は「グロウニー」に大きな影響を与えている。特にピンクやブルーなどのパステルカラーは、見かけたらいつも写真を撮ってしまうほど。

コラボの理由はシンプル「私の好きなブランドだから」

WWD:「レスポートサック」とのコラボに至った経緯について。

ジェーン:今回のコラボは「レスポートサック」からラブコールを受け実現した。一方、私は10代のころ「レスポートサック」のバッグを好んで身に付けていた。好きなブランドとコラボできることに加え、同ブランドのシンプルなデザインは「グロウニー」とも相性が良いと思い快諾した。

WWD:パステルピンク・アイボリー・ブラックの3色を選んだ理由は?

ジェーン:パステルピンクは、今シーズンの“コレクション”ラインのテーマカラー。そこに「グロウニー」のシグニチャーカラーであるアイボリーと、普段使いしやすいブラックを加えた。

WWD:「内面も外面も自らを愛する」をテーマに据えた理由は?

ジェーン:幼少期に過ごした米国ではさまざまな個性やバックグランドをもつ人と接する機会が多く、他者の個性を尊重する大切さを学んだ。他者を愛するためには、まず自分を愛することも。今回のテーマはその学びを反映した。

WWD:どのような人に身につけてほしい?

ジェーン:10代のころ、「レスポートサック」に憧れていたが、金銭的に手が届かなかった女性もいるのではないだろうか。そんな過去を経て、経済的に自立した20代の女性に手に取ってほしい。

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宮沢りえ × 佐藤二朗 中村佳穂の楽曲から着想を得た舞台「そのいのち」で表現する“生命への讃歌”

PROFILE: 左:宮沢りえ 右:佐藤二朗

PROFILE: 左:(みやざわ・りえ)1973年生まれ。東京都出身。88年公開の初主演映画「ぼくらの七日間戦争」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。以後、ドラマ、映画、舞台など、幅広く活躍。5度にわたる日本アカデミー賞主演女優賞や読売演劇大賞大賞・最優秀主演女優賞など、数多くの受賞歴を持つ。最近の主な出演作品は、映画「月」(23年)、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK/22年)、舞台「アンナ・カレーニナ」(23年)など。本年は舞台「骨と軽蔑」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出)、「オーランド」(栗山民也演出)に出演。 右:(さとう・じろう):1969年生まれ。愛知県出身。96年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。数々のドラマ、映画に出演。また脚本家、映画監督としても活動。映画「memo」(08年)、映画「はるヲうるひと」(21年)、共に原作・脚本・監督・出演。「はるヲうるひと」では、韓国の江陵国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞。さらに自身が書いた映画脚本が漫画になり、初の漫画原作となる「名無し」が現在コミプレにて連載中。近年の主な出演作は、映画「変な家」(24年)、映画「あんのこと」(24年)など。12月に映画「聖☆おにいさん THE MOVIE〜ホーリーメンVS悪魔軍団〜」が公開予定。

俳優、脚本家、映画監督など、多彩な才能を発揮して活躍する佐藤二朗。12年ぶりに書き上げた舞台の新作戯曲「そのいのち」の公演が11月9日からスタートする。同作は、ミュージシャンの中村佳穂の同名曲からインスパイアされたもので、介護ヘルパーが障がいを持った新しい雇い主との交流を通じて、次第に変化していくという物語だ。ヒロインの山田里見を演じるのは宮沢りえ。いつか佐藤と共演したいと思っていた宮沢は、脚本を読んで衝撃を受けて出演を快諾した。ハンディキャップを持ちながら俳優として活躍する佳山明、上甲にかがダブルキャストで出演することでも話題を呼んでいる本作について、舞台初共演となる佐藤と宮沢に話を訊いた。

楽曲「そのいのち」を舞台化した理由

——本作は中村佳穂さんの同名の曲がきっかけで生まれたそうですね。

佐藤二朗(以下、佐藤):妻がすすめてくれたんです。それで曲を聴いて「ぐわーん!」ときたんですよ。歌から物語が浮かんだというより、この歌が流れる物語を書きたいと思ったんです。

宮沢りえ(以下、宮沢):二朗さんのそういう気持ち、分かるような気がします。役者をやる時の原動力も自分から出てくるものだけじゃなくて、いろんなものに影響を受けることが多々あるんですよ。例えば、時代劇をやっている時に、着物を着たままハードなロックを聴いて元気を出す時もある(笑)。具体的な理由がなくても、自分が触れたものによって突き動かされる、何か創作の火種になることってあるんですよね。

佐藤:そうなんですよ。曲の歌詞の意味はよく分からなくて、いろんな解釈がされているみたいですけど、「いけいけいきとしGO GO」というサビの歌詞を聴いた時、生命への讃歌だな、と受け取ったんです。だから、生命への讃歌になるような物語を書こうと思いました。ただ、そこで明るいことばかりじゃない現実。人間のちょっとドス黒い部分とか、そういうのを描かないと生命への讃歌にはならないとは思いました。

——佐藤さんは脚本を書いている段階から、主役に宮沢さんをイメージされていたのでしょうか。

佐藤:頭の中にはありました。でもビッグネームだし、現実的には無理だろうなと思っていたんです。それで脚本を書き終えた時、プロデューサーに「無理かもしれないけど主役は宮沢りえさんでお願いしたい」と電話で言ったら「僕もそう思っていました!」って即答だったんですよ。それで実際にオファーしたら快諾いただけて。

「この難しいお芝居に挑んでみたい」(宮沢)

——願いがかなったわけですね。宮沢さんは脚本を読んでどう思われたのでしょう。

宮沢:脚本が届いた時って、今やっているお芝居に集中するために読まずに寝かしておくことがあるんです。でも、この脚本はすぐ読みました。「そのいのち 佐藤二朗」と表紙に書いてあるのを見て、どんな物語なんだろうって気になってしまって。

私が演じるヒロインの中にある、絶対人には見せてはいけないものが最後に吹き出てくる。その緩急が面白かった。自分の役だけではなく、登場人物それぞれの人間関係から生まれるものに関しても、これをどういう風に舞台にしていくんだろう?って興味をもって。この難しいお芝居に挑んでみたいと思ったんです。あと、シンプルに二朗さんと芝居がしたかったんですよね。「こんな芝居、他に誰ができるんだろう。他に代わりのいない役者さんだな」って思っていました。そういう人と芝居するのはとても怖いけど、一緒にやってみたい!って。もう、肉体からしてエネルギッシュな人じゃないですか。

佐藤:どういうことですか!?(笑)。骨太ではありますけどね。

宮沢:存在がエネルギッシュなんですよね。その一方で、すごくハッピーなキャラ。そのギャップが良いですね。

——佐藤さんから見て、宮沢さんの役者としての魅力はどんなところですか?

佐藤:抑圧が似合う女優さんだなって思います。りえちゃんが主演した「紙の月」という映画を観ていると泣きそうになるんですよ。「私は悲劇のヒロイン」というお芝居は全然やっていない。むしろ本当に前を向きたい女性なのに、抑圧されているのが伝わってくる。それもあって、この役をオファーしたんですよ。

負を力にするのが生きるということ

——そうだったんですね。今回、宮沢さんに加えて、佳山明さん、上甲にかさんという、ハンディキャップを持った2人の俳優がダブルキャストで参加することも話題を呼んでいます。

佐藤:僕にとって、負を力にするのが生きるということなんです。負を生命を燃やす燃料に変えることを55歳の僕は祈るような気持ちで信じていて、それがこの物語を書いた理由でもあるんです。鈴木裕美っていう仲が良い演出家がいるんですけど、一緒に飲んでいてこの芝居の話をしたことがあったんです。その時、喫煙場所でタバコを吸ってたら、裕美さんに「さっき言ってた芝居。すごい意義があるからやったほうがいい」って言われたんですよ。それが社会的な意義なのか、演劇的な意義なのかは言いませんでしたけどね。

それで後日、りえちゃんに役を受けてもらえたことを伝えたら、「よかったじゃん」って言ってくれたんです。他にも「意義がある」と言ってくれる人が多くて。それで実際に2人(佳山さん、上甲さん)に会って話をした時に、彼女たちから「どうしても演技がしたい!」という熱を感じたんです。それに触れて、「負が力になる」姿をできればこの目で見てみたいと強く思ったんです。

宮沢:私は去年、「月」という実際にあった事件をもとにした映画に出演したんです。ハンディキャップを持っている方が預けられている施設を舞台にした作品だったので、撮影に入る前に施設を利用されている家族の方に話を聞いたり、自分で実際に施設に伺ったりしました。私が伺った施設は朝来て夜に家に帰る施設でしたが、映画で描かれる施設は森の中にあって、24時間、外の世界から閉ざされているんです。そういうところに隔離されてしまった人もいれば、自分の可能性を開こうと舞台に立つ人もいる。今回、その違いについて考えましたね。

——それは大きな問題ですね。

宮沢:「月」に出演したことでいろんなことを学びました。世間ではハンディキャップがある/ないで分けられることが多いですけど、ハンディキャップがある方の中には当然のようにさまざまな個性があるし、さまざまな感情が渦巻いている。それを知れたことが自分にとっては大きかった。だから今回、お2人が舞台で役を演じきるのを一緒に体験したいと思っています。

——負を力にする、という話がありましたが、それがこのお芝居でどんな風に描かれているのか、演技を通じてどんな風に伝わるのかが楽しみです。

佐藤:負を力にする、というのは、負を違うものに変換するということではなくて、負は負のままあるんです。それがどこかにいっちゃうわけでもないし、良いものになるわけでもない。今日や昨日と同じように、明日も負はそこにあるんだけど、負があるからこそ良いこともあるんじゃないかと思っていて。負は相変わらずあるけれど、それでも半歩、前を向こうと思えるようになるのが人間らしい感じがして、そういう物語を書きたいといつも思っているんです。

——ちょっとしたことで気持ちが変化することってありますね。そうすることで負との向き合い方が少し変わったりする。

佐藤:そう。すごく些細なことでいいんです。例えば雨が降っている中を傘をさして歩いていて、ふと思い立って傘をたたんで、ずぶ濡れになって家まで走って帰ってみる。そうすることで、なんだか分からないけど「頑張ってみようかな」っていう気持ちになったりすることに僕はすごく人間の面白さを感じるんですよ。

宮沢:登場人物それぞれから剝(む)き出しになって出てくるものが、どこにどんなふうに届くのかは舞台を見る人によって違ってくると思うんですよね。私は脚本を読んだ時に、鳥肌が立った瞬間があったんです。舞台を観にきてくださった方にも、そういう瞬間があればいいなって思います。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO
STYLIST:[RIE MIYAZAWA]KEIKO SASAKI (AGENCE HIRATA)、[JIRO SATO]MIYOKO ONIZUKA(Ange)
HAIR & MAKEUP:[RIE MIYAZAWA]KEIZO KURODA(Iris)、[JIRO SATO]AKI KONNO (A.m Lab)

[JIRO SATO]・ジャケット 10万4500円、シャツ 11万円、パンツ 7万1500円/全てY's for men(ワイズプレスルーム 03-5463-1500)

■「そのいのち」
出演:宮沢りえ、佳山明/上甲にか(Wキャスト)、鈴木楽/工藤凌士(Wキャスト)、福田学人/徐斌(Wキャスト)、今藤洋子、本間剛、佐藤二朗
脚本:佐藤二朗
演出:堤泰之
https://www.ktv.jp/event/sonoinochi/

東京公演
日程:2024年11月9〜17日(※12日休演)
会場:世田谷パブリックシアター
時間:①13:00〜、②18:00〜
入場料金:(全席指定) S席 1万2000円、A席 9900円

兵庫公演
日程:2024年11月22〜24日
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
時間:①12:00〜、②14:00〜、③17:00〜
入場料金:(全席指定)1万1000円

宮城公演
日程:2024年11月28日
会場:東京エレクトロンホール宮城
時間:①13:30〜、②18:30〜
入場料金:(全席指定)S席 1万1000円、A席 9900円

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宮沢りえ × 佐藤二朗 中村佳穂の楽曲から着想を得た舞台「そのいのち」で表現する“生命への讃歌”

PROFILE: 左:宮沢りえ 右:佐藤二朗

PROFILE: 左:(みやざわ・りえ)1973年生まれ。東京都出身。88年公開の初主演映画「ぼくらの七日間戦争」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。以後、ドラマ、映画、舞台など、幅広く活躍。5度にわたる日本アカデミー賞主演女優賞や読売演劇大賞大賞・最優秀主演女優賞など、数多くの受賞歴を持つ。最近の主な出演作品は、映画「月」(23年)、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK/22年)、舞台「アンナ・カレーニナ」(23年)など。本年は舞台「骨と軽蔑」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出)、「オーランド」(栗山民也演出)に出演。 右:(さとう・じろう):1969年生まれ。愛知県出身。96年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。数々のドラマ、映画に出演。また脚本家、映画監督としても活動。映画「memo」(08年)、映画「はるヲうるひと」(21年)、共に原作・脚本・監督・出演。「はるヲうるひと」では、韓国の江陵国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞。さらに自身が書いた映画脚本が漫画になり、初の漫画原作となる「名無し」が現在コミプレにて連載中。近年の主な出演作は、映画「変な家」(24年)、映画「あんのこと」(24年)など。12月に映画「聖☆おにいさん THE MOVIE〜ホーリーメンVS悪魔軍団〜」が公開予定。

俳優、脚本家、映画監督など、多彩な才能を発揮して活躍する佐藤二朗。12年ぶりに書き上げた舞台の新作戯曲「そのいのち」の公演が11月9日からスタートする。同作は、ミュージシャンの中村佳穂の同名曲からインスパイアされたもので、介護ヘルパーが障がいを持った新しい雇い主との交流を通じて、次第に変化していくという物語だ。ヒロインの山田里見を演じるのは宮沢りえ。いつか佐藤と共演したいと思っていた宮沢は、脚本を読んで衝撃を受けて出演を快諾した。ハンディキャップを持ちながら俳優として活躍する佳山明、上甲にかがダブルキャストで出演することでも話題を呼んでいる本作について、舞台初共演となる佐藤と宮沢に話を訊いた。

楽曲「そのいのち」を舞台化した理由

——本作は中村佳穂さんの同名の曲がきっかけで生まれたそうですね。

佐藤二朗(以下、佐藤):妻がすすめてくれたんです。それで曲を聴いて「ぐわーん!」ときたんですよ。歌から物語が浮かんだというより、この歌が流れる物語を書きたいと思ったんです。

宮沢りえ(以下、宮沢):二朗さんのそういう気持ち、分かるような気がします。役者をやる時の原動力も自分から出てくるものだけじゃなくて、いろんなものに影響を受けることが多々あるんですよ。例えば、時代劇をやっている時に、着物を着たままハードなロックを聴いて元気を出す時もある(笑)。具体的な理由がなくても、自分が触れたものによって突き動かされる、何か創作の火種になることってあるんですよね。

佐藤:そうなんですよ。曲の歌詞の意味はよく分からなくて、いろんな解釈がされているみたいですけど、「いけいけいきとしGO GO」というサビの歌詞を聴いた時、生命への讃歌だな、と受け取ったんです。だから、生命への讃歌になるような物語を書こうと思いました。ただ、そこで明るいことばかりじゃない現実。人間のちょっとドス黒い部分とか、そういうのを描かないと生命への讃歌にはならないとは思いました。

——佐藤さんは脚本を書いている段階から、主役に宮沢さんをイメージされていたのでしょうか。

佐藤:頭の中にはありました。でもビッグネームだし、現実的には無理だろうなと思っていたんです。それで脚本を書き終えた時、プロデューサーに「無理かもしれないけど主役は宮沢りえさんでお願いしたい」と電話で言ったら「僕もそう思っていました!」って即答だったんですよ。それで実際にオファーしたら快諾いただけて。

「この難しいお芝居に挑んでみたい」(宮沢)

——願いがかなったわけですね。宮沢さんは脚本を読んでどう思われたのでしょう。

宮沢:脚本が届いた時って、今やっているお芝居に集中するために読まずに寝かしておくことがあるんです。でも、この脚本はすぐ読みました。「そのいのち 佐藤二朗」と表紙に書いてあるのを見て、どんな物語なんだろうって気になってしまって。

私が演じるヒロインの中にある、絶対人には見せてはいけないものが最後に吹き出てくる。その緩急が面白かった。自分の役だけではなく、登場人物それぞれの人間関係から生まれるものに関しても、これをどういう風に舞台にしていくんだろう?って興味をもって。この難しいお芝居に挑んでみたいと思ったんです。あと、シンプルに二朗さんと芝居がしたかったんですよね。「こんな芝居、他に誰ができるんだろう。他に代わりのいない役者さんだな」って思っていました。そういう人と芝居するのはとても怖いけど、一緒にやってみたい!って。もう、肉体からしてエネルギッシュな人じゃないですか。

佐藤:どういうことですか!?(笑)。骨太ではありますけどね。

宮沢:存在がエネルギッシュなんですよね。その一方で、すごくハッピーなキャラ。そのギャップが良いですね。

——佐藤さんから見て、宮沢さんの役者としての魅力はどんなところですか?

佐藤:抑圧が似合う女優さんだなって思います。りえちゃんが主演した「紙の月」という映画を観ていると泣きそうになるんですよ。「私は悲劇のヒロイン」というお芝居は全然やっていない。むしろ本当に前を向きたい女性なのに、抑圧されているのが伝わってくる。それもあって、この役をオファーしたんですよ。

負を力にするのが生きるということ

——そうだったんですね。今回、宮沢さんに加えて、佳山明さん、上甲にかさんという、ハンディキャップを持った2人の俳優がダブルキャストで参加することも話題を呼んでいます。

佐藤:僕にとって、負を力にするのが生きるということなんです。負を生命を燃やす燃料に変えることを55歳の僕は祈るような気持ちで信じていて、それがこの物語を書いた理由でもあるんです。鈴木裕美っていう仲が良い演出家がいるんですけど、一緒に飲んでいてこの芝居の話をしたことがあったんです。その時、喫煙場所でタバコを吸ってたら、裕美さんに「さっき言ってた芝居。すごい意義があるからやったほうがいい」って言われたんですよ。それが社会的な意義なのか、演劇的な意義なのかは言いませんでしたけどね。

それで後日、りえちゃんに役を受けてもらえたことを伝えたら、「よかったじゃん」って言ってくれたんです。他にも「意義がある」と言ってくれる人が多くて。それで実際に2人(佳山さん、上甲さん)に会って話をした時に、彼女たちから「どうしても演技がしたい!」という熱を感じたんです。それに触れて、「負が力になる」姿をできればこの目で見てみたいと強く思ったんです。

宮沢:私は去年、「月」という実際にあった事件をもとにした映画に出演したんです。ハンディキャップを持っている方が預けられている施設を舞台にした作品だったので、撮影に入る前に施設を利用されている家族の方に話を聞いたり、自分で実際に施設に伺ったりしました。私が伺った施設は朝来て夜に家に帰る施設でしたが、映画で描かれる施設は森の中にあって、24時間、外の世界から閉ざされているんです。そういうところに隔離されてしまった人もいれば、自分の可能性を開こうと舞台に立つ人もいる。今回、その違いについて考えましたね。

——それは大きな問題ですね。

宮沢:「月」に出演したことでいろんなことを学びました。世間ではハンディキャップがある/ないで分けられることが多いですけど、ハンディキャップがある方の中には当然のようにさまざまな個性があるし、さまざまな感情が渦巻いている。それを知れたことが自分にとっては大きかった。だから今回、お2人が舞台で役を演じきるのを一緒に体験したいと思っています。

——負を力にする、という話がありましたが、それがこのお芝居でどんな風に描かれているのか、演技を通じてどんな風に伝わるのかが楽しみです。

佐藤:負を力にする、というのは、負を違うものに変換するということではなくて、負は負のままあるんです。それがどこかにいっちゃうわけでもないし、良いものになるわけでもない。今日や昨日と同じように、明日も負はそこにあるんだけど、負があるからこそ良いこともあるんじゃないかと思っていて。負は相変わらずあるけれど、それでも半歩、前を向こうと思えるようになるのが人間らしい感じがして、そういう物語を書きたいといつも思っているんです。

——ちょっとしたことで気持ちが変化することってありますね。そうすることで負との向き合い方が少し変わったりする。

佐藤:そう。すごく些細なことでいいんです。例えば雨が降っている中を傘をさして歩いていて、ふと思い立って傘をたたんで、ずぶ濡れになって家まで走って帰ってみる。そうすることで、なんだか分からないけど「頑張ってみようかな」っていう気持ちになったりすることに僕はすごく人間の面白さを感じるんですよ。

宮沢:登場人物それぞれから剝(む)き出しになって出てくるものが、どこにどんなふうに届くのかは舞台を見る人によって違ってくると思うんですよね。私は脚本を読んだ時に、鳥肌が立った瞬間があったんです。舞台を観にきてくださった方にも、そういう瞬間があればいいなって思います。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO
STYLIST:[RIE MIYAZAWA]KEIKO SASAKI (AGENCE HIRATA)、[JIRO SATO]MIYOKO ONIZUKA(Ange)
HAIR & MAKEUP:[RIE MIYAZAWA]KEIZO KURODA(Iris)、[JIRO SATO]AKI KONNO (A.m Lab)

[JIRO SATO]・ジャケット 10万4500円、シャツ 11万円、パンツ 7万1500円/全てY's for men(ワイズプレスルーム 03-5463-1500)

■「そのいのち」
出演:宮沢りえ、佳山明/上甲にか(Wキャスト)、鈴木楽/工藤凌士(Wキャスト)、福田学人/徐斌(Wキャスト)、今藤洋子、本間剛、佐藤二朗
脚本:佐藤二朗
演出:堤泰之
https://www.ktv.jp/event/sonoinochi/

東京公演
日程:2024年11月9〜17日(※12日休演)
会場:世田谷パブリックシアター
時間:①13:00〜、②18:00〜
入場料金:(全席指定) S席 1万2000円、A席 9900円

兵庫公演
日程:2024年11月22〜24日
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
時間:①12:00〜、②14:00〜、③17:00〜
入場料金:(全席指定)1万1000円

宮城公演
日程:2024年11月28日
会場:東京エレクトロンホール宮城
時間:①13:30〜、②18:30〜
入場料金:(全席指定)S席 1万1000円、A席 9900円

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「SHOGUN 将軍」でエミー賞受賞のフィルムエディター三宅愛架 映像編集職の深い魅力を語る

PROFILE: 三宅愛架/フィルムエディター

三宅愛架/フィルムエディター
PROFILE: (みやけ・あいか)愛知県出身。テレビ会社やスタジオ勤務を経て、19年に渡米しフィルムエディターとして活動する。ビヨンセのミュージックフィルム「ブラック・イズ・キング」に参加。「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第5回はドラマ「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞したフィルムエディターの三宅愛架に話を聞いた。

日本語の魅力を再発見した編集作業

水嶋和恵(以下、水嶋):エミー賞受賞、おめでとうございます!三宅さんとは、以前ヴェニスビーチ映画祭(Venice Beach Film Festival)のファウンダー、エリオット・チャロフ(Eliot Charof)を通じて出会いました。とても気さくでおおらかな印象でした。今回の受賞で改めて、仕事をとことんやり抜く芯の強さを感じ尊敬しています。受賞した今の心境を教えてください。

三宅愛架(以下、三宅):夢のようです。まだ実感がありません。ここまで到達できてうれしい気持ちでいっぱいです。自分の受賞はもちろんですが、俳優の真田広之さんや澤井杏奈さんの受賞がうれしく、作品自体が多くの方々に観てもらえて、認められました。目標にしてきたものが達成でき、「SHOGUN 将軍」のチームとしても最高の結果が出せたと感じています。

水嶋:「SHOGUN 将軍」に携わり、苦労はありましたか?

三宅:時代劇というカテゴリーに詳しいわけではなかったので、劇中の日本語の解釈が難しかったです。日本語の台詞を読んでも意味が分からない単語も多く、私自身学びの多い現場でした。日本語というのは、英語と比べるととてもポエティックで、こんなに素晴らしく美しい文化が存在するのだと再確認し、誇らしい気持ちになりました。

撮影はバンクーバーと極寒の中でしたが、コロナ期間だったため、私はロサンゼルスの自宅で一人、毎日編集作業をしていました。フィクションとは言えど、切腹などのヘビーなシーンが多く登場したため、自分のメンタルケアを心掛けていました。「SHOGUN 将軍」のストーリーを通して、恵まれている自分の環境に感謝をしようという気持ちになりましたね。「SHOGUN 将軍」は戦国時代が舞台ですが、たとえ50年前に生まれていたとしても、日本人女性である私が、自分の好きな土地、好きなフィールドでここまで活躍するのは難しかったかもしれません。

場面をつなぐのが編集の仕事 
映像は独特な言語

水嶋:私も同じ気持ちです。ロサンゼルスに移住して自分が望むフィールドに身を置くことができている。感謝の気持ちでいっぱいです。“編集”というのは具体的にどんな仕事ですか?

三宅:私が担当しているのは、オフライン編集というものです。撮影映像のテイクを選び場面ごとにつなぎ合わせる、それが編集の仕事です。編集者は、ポストプロダクション(映像作品の撮影後に編集する作業の総称)で最初に関わります。細かいニュアンスを表現しながら、視聴者にストーリーが伝わるかを確認し、その上でどこまで芸術的に感情を表現するか。そんな部分を考えてつないでいきます。映像というのは独特な言語だと感じています。ワイドからクローズアップになるのも、一つの言語です。今回の作品では、特に日本人女性の感情を表に出さない微差な演技が重要だったため、細かな目の動きなどを見逃さないようにしました。素晴らしいシーンと演技ばかりで、選ぶのがとても大変でした。

水嶋:スタイリストと似ているところがあると感じます。素材があって、その魅力を最大限に引き出し、ストーリーをつくっていくか。

三宅:似ていますね!それぞれのフィールドで違う表現方法が存在していて、面白いですね。編集をしていて、一番面白いと感じるのは”オーディオ・ビジュアル”。怒りや愛情、もやもやした感情、ストレスがリリースした様、そういった自分の気持ちをアートの表現の一種として、音と絵のバイブレーションでどう表現するか。そこに興味がありますね。それがニュアンスとして観客に伝わっていくんですよね。私の意図することが観客に伝わるとうれしいですね。

父の他界を経験し、自らの道を切り開く

水嶋:カリフォルニアへ行こうと思ったターニングポイントは何だったのでしょうか?

三宅:17歳の時に父が亡くなりました。自分の人生を自分でなんとか切りひらいていかなければという意識になりました。そこで、どう生きたいのかを考え、渡米をすることに。2年間アルバイトをしたのち20歳でカリフォルニアのコミュニティーカレッジに通いはじめました。比較的学費が安く、さまざまなカテゴリーのクラスをとることができます。当時いろいろなことに興味があり、人類学や環境科学などを受講しました。3年経てば英語力が高まり、何か仕事につながるという期待もありました。目標はフィルムのコースを最後にとることでした。そのクラスでディレクターやシネマフォトグラファーを務めたのですが、編集の仕事を学んだときにしっくりきたんです。そのときに「自分にはこの道しかないかもれない」と思いました。

水嶋:卒業後はどんな仕事に就いたんですか?

三宅:日本に帰国して最初に入社したのは、テレビのオンライン編集をメインにしている会社でした。その当時はテープでの納品だったのですが、テレビの場合、収録後には監督が自らオフライン編集をします。それを私たちが受け取り、タイトルやテロップをのせ、音付けをする。そういったポリッシング作業を3年ほどしていましたが、自分のやりたいことはストーリーテリングであり、ポリッシングではないと気づき、フリーランスの道を選びました。そこから、小さいコマーシャルの企画の仕事をする中で、自分のやりたい仕事の形を模索しました。

そんな時、シカゴのポストプロダクションの会社、カッターズ・スタジオ(Cutters Studio)が、東京オフィスを開設すると聞き、アシスタントとして雇ってもらうことに。「ナイキ(NIKE)」のコマーシャルの編集をしている姿を見て「自分がやりたかったのは、こういう編集だ!」と気づき、気持ちが加速しました。自分の進む道を決めることになったターニングポイントだったと思います。広告業界の“クリエイティブ・エディット”と呼ばれる仕事で、その職に出合ったことをきっかけに19年に米国に来ました。

水嶋: 19年に渡米したときには、既に仕事が決まっていたのですか?

三宅:ポストプロダクションの会社で契約が決まっていて、ビザもサポートしてもらえました。これからアメリカで仕事をしたいと思っている人に薦めたいのは、日本とアメリカを行ったり来たりすること。私は拠点を決めずに、自分がやりたい仕事が導いてくれる場所で仕事をしています。

エミー賞受賞するも、まだまだこれから

水嶋:三宅さんのやりたい仕事が、ここロサンゼルスにあったということですね。それはどういった仕事でしょうか?

三宅:やはり、映画ですね!映画=ハリウッド。今回エミー賞を受賞するという長年の夢は叶えたものの、まだまだつま先が入ったかな、という感じです。

水嶋:ロサンゼルスでは主にどのような仕事をされていますか?

三宅:フィルムでは「SHOGUN 将軍」「シェフのテーブル」、ビヨンセ(Beyonce)の「ブラック・イズ・キング」などを、広告では「ナイキ」「ゲータレード(GATORADE)」「エックスボックス(XBOX)」などを編集しています。

水嶋:どのような暮らしを送っていますか?

三宅:ロサンゼルスのアートシーンが楽しく、アート関連のオープニングイベントに行きます。ロサンゼルスはカジュアルなコンテンポラリー・アート、ポップで楽しい感じの作品が多いと感じます。今流行しているセラミックも好きです。至福の時は、自宅で愛猫とゆっくり過ごす時間ですね。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

三宅:小さな映画館で古い映画が再上映されていることが多々あるのは発見でした。さまざま小規模のイベントが、あちらこちらで開催されているのはロサンゼルスの楽しい一面ですよね。

水嶋:今後かなえたい夢や目標は何ですか?

三宅:編集を続けていきたいです。編集を始めて17年になりますが、やればやるほど編集というものの奥深さを感じます。編集をしているときがとにかく楽しく、アワードは目指すものというよりうれしい結果であり、ご褒美ですね。また、世間からのエディター・編集のイメージを変えていきたいです。テクニカルな仕事だと思われがちですが、芸術的な面もあり、皆さんに親近感を持ってもらい、次世代につながっていってほしいです。

周りを気にせず、自分のやれることをやるだけ

水嶋:常にポジティブで、素敵な笑顔の三宅さん。どのようにそのマインドをキープしているのですか?

三宅:海外で日本人女性というと、どうしても二の次にされてしまうことがありますが、気にせずに自分のやれることをやれるだけやっていこう、そう思っています。あとは常に自分に正直な選択をすることですね。

水嶋:同じロサンゼルスを舞台に活動している身として、私も三宅さんのような思考を持ち、がんばりたいと思いました。物事の結果だけでなくプロセスも大事ですよね。

三宅:その通りですね。ネガティブなことがあったとしても、どう対応したかで、自分を誇れると思います。どんな苦境でも、解決方法を探してポジティブでいたいですね。

水嶋:フィルムエディターの仕事は「裏方で地味な仕事に思われがちだけれど、もっと前に!」という言葉や、女性が活躍する場が少ない業界の中で引け目を感じずポジティブに挑む姿にも、女性として共感を覚えました。

TEXT:ERI BEVERLY

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「SHOGUN 将軍」でエミー賞受賞のフィルムエディター三宅愛架 映像編集職の深い魅力を語る

PROFILE: 三宅愛架/フィルムエディター

三宅愛架/フィルムエディター
PROFILE: (みやけ・あいか)愛知県出身。テレビ会社やスタジオ勤務を経て、19年に渡米しフィルムエディターとして活動する。ビヨンセのミュージックフィルム「ブラック・イズ・キング」に参加。「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第5回はドラマ「SHOGUN 将軍」でエミー賞ドラマ部門映像編集賞を受賞したフィルムエディターの三宅愛架に話を聞いた。

日本語の魅力を再発見した編集作業

水嶋和恵(以下、水嶋):エミー賞受賞、おめでとうございます!三宅さんとは、以前ヴェニスビーチ映画祭(Venice Beach Film Festival)のファウンダー、エリオット・チャロフ(Eliot Charof)を通じて出会いました。とても気さくでおおらかな印象でした。今回の受賞で改めて、仕事をとことんやり抜く芯の強さを感じ尊敬しています。受賞した今の心境を教えてください。

三宅愛架(以下、三宅):夢のようです。まだ実感がありません。ここまで到達できてうれしい気持ちでいっぱいです。自分の受賞はもちろんですが、俳優の真田広之さんや澤井杏奈さんの受賞がうれしく、作品自体が多くの方々に観てもらえて、認められました。目標にしてきたものが達成でき、「SHOGUN 将軍」のチームとしても最高の結果が出せたと感じています。

水嶋:「SHOGUN 将軍」に携わり、苦労はありましたか?

三宅:時代劇というカテゴリーに詳しいわけではなかったので、劇中の日本語の解釈が難しかったです。日本語の台詞を読んでも意味が分からない単語も多く、私自身学びの多い現場でした。日本語というのは、英語と比べるととてもポエティックで、こんなに素晴らしく美しい文化が存在するのだと再確認し、誇らしい気持ちになりました。

撮影はバンクーバーと極寒の中でしたが、コロナ期間だったため、私はロサンゼルスの自宅で一人、毎日編集作業をしていました。フィクションとは言えど、切腹などのヘビーなシーンが多く登場したため、自分のメンタルケアを心掛けていました。「SHOGUN 将軍」のストーリーを通して、恵まれている自分の環境に感謝をしようという気持ちになりましたね。「SHOGUN 将軍」は戦国時代が舞台ですが、たとえ50年前に生まれていたとしても、日本人女性である私が、自分の好きな土地、好きなフィールドでここまで活躍するのは難しかったかもしれません。

場面をつなぐのが編集の仕事 
映像は独特な言語

水嶋:私も同じ気持ちです。ロサンゼルスに移住して自分が望むフィールドに身を置くことができている。感謝の気持ちでいっぱいです。“編集”というのは具体的にどんな仕事ですか?

三宅:私が担当しているのは、オフライン編集というものです。撮影映像のテイクを選び場面ごとにつなぎ合わせる、それが編集の仕事です。編集者は、ポストプロダクション(映像作品の撮影後に編集する作業の総称)で最初に関わります。細かいニュアンスを表現しながら、視聴者にストーリーが伝わるかを確認し、その上でどこまで芸術的に感情を表現するか。そんな部分を考えてつないでいきます。映像というのは独特な言語だと感じています。ワイドからクローズアップになるのも、一つの言語です。今回の作品では、特に日本人女性の感情を表に出さない微差な演技が重要だったため、細かな目の動きなどを見逃さないようにしました。素晴らしいシーンと演技ばかりで、選ぶのがとても大変でした。

水嶋:スタイリストと似ているところがあると感じます。素材があって、その魅力を最大限に引き出し、ストーリーをつくっていくか。

三宅:似ていますね!それぞれのフィールドで違う表現方法が存在していて、面白いですね。編集をしていて、一番面白いと感じるのは”オーディオ・ビジュアル”。怒りや愛情、もやもやした感情、ストレスがリリースした様、そういった自分の気持ちをアートの表現の一種として、音と絵のバイブレーションでどう表現するか。そこに興味がありますね。それがニュアンスとして観客に伝わっていくんですよね。私の意図することが観客に伝わるとうれしいですね。

父の他界を経験し、自らの道を切り開く

水嶋:カリフォルニアへ行こうと思ったターニングポイントは何だったのでしょうか?

三宅:17歳の時に父が亡くなりました。自分の人生を自分でなんとか切りひらいていかなければという意識になりました。そこで、どう生きたいのかを考え、渡米をすることに。2年間アルバイトをしたのち20歳でカリフォルニアのコミュニティーカレッジに通いはじめました。比較的学費が安く、さまざまなカテゴリーのクラスをとることができます。当時いろいろなことに興味があり、人類学や環境科学などを受講しました。3年経てば英語力が高まり、何か仕事につながるという期待もありました。目標はフィルムのコースを最後にとることでした。そのクラスでディレクターやシネマフォトグラファーを務めたのですが、編集の仕事を学んだときにしっくりきたんです。そのときに「自分にはこの道しかないかもれない」と思いました。

水嶋:卒業後はどんな仕事に就いたんですか?

三宅:日本に帰国して最初に入社したのは、テレビのオンライン編集をメインにしている会社でした。その当時はテープでの納品だったのですが、テレビの場合、収録後には監督が自らオフライン編集をします。それを私たちが受け取り、タイトルやテロップをのせ、音付けをする。そういったポリッシング作業を3年ほどしていましたが、自分のやりたいことはストーリーテリングであり、ポリッシングではないと気づき、フリーランスの道を選びました。そこから、小さいコマーシャルの企画の仕事をする中で、自分のやりたい仕事の形を模索しました。

そんな時、シカゴのポストプロダクションの会社、カッターズ・スタジオ(Cutters Studio)が、東京オフィスを開設すると聞き、アシスタントとして雇ってもらうことに。「ナイキ(NIKE)」のコマーシャルの編集をしている姿を見て「自分がやりたかったのは、こういう編集だ!」と気づき、気持ちが加速しました。自分の進む道を決めることになったターニングポイントだったと思います。広告業界の“クリエイティブ・エディット”と呼ばれる仕事で、その職に出合ったことをきっかけに19年に米国に来ました。

水嶋: 19年に渡米したときには、既に仕事が決まっていたのですか?

三宅:ポストプロダクションの会社で契約が決まっていて、ビザもサポートしてもらえました。これからアメリカで仕事をしたいと思っている人に薦めたいのは、日本とアメリカを行ったり来たりすること。私は拠点を決めずに、自分がやりたい仕事が導いてくれる場所で仕事をしています。

エミー賞受賞するも、まだまだこれから

水嶋:三宅さんのやりたい仕事が、ここロサンゼルスにあったということですね。それはどういった仕事でしょうか?

三宅:やはり、映画ですね!映画=ハリウッド。今回エミー賞を受賞するという長年の夢は叶えたものの、まだまだつま先が入ったかな、という感じです。

水嶋:ロサンゼルスでは主にどのような仕事をされていますか?

三宅:フィルムでは「SHOGUN 将軍」「シェフのテーブル」、ビヨンセ(Beyonce)の「ブラック・イズ・キング」などを、広告では「ナイキ」「ゲータレード(GATORADE)」「エックスボックス(XBOX)」などを編集しています。

水嶋:どのような暮らしを送っていますか?

三宅:ロサンゼルスのアートシーンが楽しく、アート関連のオープニングイベントに行きます。ロサンゼルスはカジュアルなコンテンポラリー・アート、ポップで楽しい感じの作品が多いと感じます。今流行しているセラミックも好きです。至福の時は、自宅で愛猫とゆっくり過ごす時間ですね。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

三宅:小さな映画館で古い映画が再上映されていることが多々あるのは発見でした。さまざま小規模のイベントが、あちらこちらで開催されているのはロサンゼルスの楽しい一面ですよね。

水嶋:今後かなえたい夢や目標は何ですか?

三宅:編集を続けていきたいです。編集を始めて17年になりますが、やればやるほど編集というものの奥深さを感じます。編集をしているときがとにかく楽しく、アワードは目指すものというよりうれしい結果であり、ご褒美ですね。また、世間からのエディター・編集のイメージを変えていきたいです。テクニカルな仕事だと思われがちですが、芸術的な面もあり、皆さんに親近感を持ってもらい、次世代につながっていってほしいです。

周りを気にせず、自分のやれることをやるだけ

水嶋:常にポジティブで、素敵な笑顔の三宅さん。どのようにそのマインドをキープしているのですか?

三宅:海外で日本人女性というと、どうしても二の次にされてしまうことがありますが、気にせずに自分のやれることをやれるだけやっていこう、そう思っています。あとは常に自分に正直な選択をすることですね。

水嶋:同じロサンゼルスを舞台に活動している身として、私も三宅さんのような思考を持ち、がんばりたいと思いました。物事の結果だけでなくプロセスも大事ですよね。

三宅:その通りですね。ネガティブなことがあったとしても、どう対応したかで、自分を誇れると思います。どんな苦境でも、解決方法を探してポジティブでいたいですね。

水嶋:フィルムエディターの仕事は「裏方で地味な仕事に思われがちだけれど、もっと前に!」という言葉や、女性が活躍する場が少ない業界の中で引け目を感じずポジティブに挑む姿にも、女性として共感を覚えました。

TEXT:ERI BEVERLY

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「リステア」が注目する韓国ブランドが渋谷パルコに集結

セレクトショップの「リステア(RESTIR)」は、気鋭の韓国ブランドを集めたポップアップイベントを渋谷パルコで11月12日まで開催中だ。柴田麻衣子クリエイティブ・ディレクターが注目する5つの韓国ブランドに加え、自社ブランドの「アイレネ(IRENE)」「ルシェルブルー(LE CIEL BLEU)」も並ぶ。

「リステア」が渋谷パルコでのポップアップを開催するのは今回初。柴田クリエイティブ・ディレクターは、「私たちはラグジュアリーセレクトとして知られてきたが、あらためて自分たちが面白いと思うアップカミングなブランドにフォーカスしたいと思った。常に進化し続けるエネルギー溢れるブランドを集めた」と開催意図を語る。

例えばリー・ヒュンミ(Lee Hyemee)が2015年に始めた「インク(EENK)」は、日常になじむモード服の提案が強み。韓国セレブやファッション、アート業界関係者から支持を集める。リーデザイナーは、ウィメンズウエアからメンズ、子ども服、アクセサリーまで多様な分野でキャリアを積んだ。「インク」で目指すのは、「価値のあるビンテージになる服を作ること」だ。

ポップアップに合わせ来日したリーデザイナーは、「私にとってアジアの女性に支持されることはとても大事。特に日本は、トレンドに流されやすい韓国に比べ、個性を大事にするファッション観があり、日本で認められることに意味がある。『リステア』とともに挑戦できることが心強い」とコメントした。

柴田クリエイティブ・ディレクターは、「日本には若年層向けの韓国ブランドは入ってきているが、ハイエンドな韓国ブランドの面白さはまだまだ知られていない。そういう韓国ファッションを求めている層を開拓したい」と話す。

2021年秋冬シーズンにデビューした「ボンボム(BONBOM)」は、柴田クリエイティブ・ディレクターがデビュー前から注目していたというデザイナーだ。1993年生まれのボンボムデザイナーは、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションでメンズウェアを専攻したのち、「Y/プロジェクト(Y/PROJECT)」でインターンを経験する。ジェンダーレスな感性でストリートカジュアルウェアの時代における、ドレスアップスタイルを追求する。最近ではBLACKPINK などK-P0Pの衣装にも抜擢され、存在感を高めている。

来日したボンボムデザイナーは「『リステア』は僕が初めて東京に来た時に訪れたお店。今こうして一緒に仕事ができていることがすごく誇らしい。今回のポップアップでは、まだブランドを知らない日本の若者たちにブランドを知ってほしい」と話した。

「アジアブランドとの連携を強める」

同イベントではそのほか、ロク・ファン(Rok Hwang)が手掛ける「ロク(ROKH)」、クォン・スンジンによるカジュアルウエアの「ヴェルソ(VERSO)」、ヘアアクセサリーの「ヘイップ(HEYP)」を取り扱う。

柴田ディレクターは2025年春夏から韓国ブランドの買い付けを強化。「今後、日本を含むアジアブランドとの連携を強め、『リステア』にしかできない施策に力を入れたい」と話す。

■RESTIR WOMENS DESIGNERS -work in progress- TOKYO x SEOUL

日程:10月30日〜11月12日
場所:渋谷パルコ 2階
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1

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カサビアンのサージ・ピッツォーノが語る新アルバムからステージ衣装、地元レスターまで

PROFILE: セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー

セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー
PROFILE: 1980年生まれ、イングランド・デボン州出身レスター育ち。幼い頃はサッカー選手になるのが夢で、地元レスター・シティFCのFWを目指していたが、11歳の時にカサビアンの前身となるバンドを結成し、1997年からカサビアンのメンバーとして活動。大のファッション好きとして知られ、過去には「シーピー カンパニー」や「ジースター ロゥ」とコラボコレクションを制作した PHOTO:NAOKI USUDA

イングランド・ロンドンから150kmほど北に位置する多民族都市がレスターだ。同地で1997年に結成し、これまでリリースした8作のアルバムのうち7作で全英1位を獲得、世界最大級の音楽フェス「グラストンベリー フェスティバル(Glastonbury Festival)」ではヘッドライナーを務めるなど、名実共に英国を代表するロックバンドに成長したのがカサビアン(Kasabian)である。2020年に、結成時からボーカルを務めていたトム・ミーガン(Tom Meighan)と袂を分かち、現在はギタリストのサージことセルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)がフロントマンを務める新体制で活動している。

10月中旬、カサビアンの12年ぶりとなる単独ツアーのため来日していたサージにインタビューを敢行。7月にリリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」についてはもちろん、作詞作曲に関するあれこれ、ファッション好きとして知られる一面、日本と地元レスターへの思いなどについても聞いてみた。

「時には制限がある方が自由なんだ」

ーーまずは、先日リリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」について聞かせてください。今作を含めてほぼ全てのアルバムを2〜3年周期で発表していますね。

セルジオ・ピッツォーノ(以下、サージ):ツアーで全世界を回ると最低でも1年半はかかるんだけど、それから自宅に戻ってアルバムに着手するとなると、自然とその周期になるんだ。新しい作品を発表することと同じくらい、ライブは僕たちの活動における大事な要素だから蔑ろにはしたくないし、最速のサイクルじゃないかな。制作期間中は、取り憑かれたように没頭するから人生において最も濃密な時間で、人生そのものが楽曲制作だけのような感覚に陥るよ。

ーーなるほど。その中で、今作は制作にあたって具体的な糸口があったのでしょうか?

サージ:はっきりと作品のビジョンが浮かぶまでは、なるべくリラックスして暮らしているんだ。その中でも、感性をスパークさせるようなインスピレーションは常に探していて、映画をはじめとした芸術や歌詞的な何かに触れると、「OK、準備ができた」みたいな感じで制作が始まるね。そして、大抵は明確なアイデアがある状態で進めていくんだけど、今回は“サイコポップレコード”にしたいと思っていたら、収録曲の「Call」が最初に完成したから、「Call」こそがスパークでアイデアと言えるかな。

ーー収録内容は、全10曲で28分5秒と非常にコンパクトですが、意識されたのでしょうか?

サージ:疾走感がありながらコーラスやメロディは壮大で、それを極限まで短く編集して攻撃的なまでに簡潔な作品にしたかったんだ。ラモーンズ(Ramones、1970~90年代に活躍したニューヨーク・パンクを代表するバンド)のような精神性にダンス・サイケデリックポップのフィルターをかけることで、コンパクトだけど複雑な楽曲群になったと思っているよ。

あとは、多くの人たちがどんな情報もダイジェストに消費している今の時代に対して、僕なりにメッセージを問いかけたんだ。ユーチューブには、名作の映画や小説を数分で解説する動画があるよね。僕からすると、「たったそれだけで作品を理解できるのか」と驚くし信じられないけど、この情報の取得方法が今の人たちには心地がいいみたいだから、それを逆手に取ったんだ。どういうことかと言うと、「Happenings」を制作する段階で頭の中に箱を用意した。この箱の中は自由だけど、箱から出てはいけないーーそう、この箱は“簡潔な作品”という制限なんだ。

ーー“制限こそ創造性を高める”と言いますよね。

サージ:そうそう!真っ白な大きい紙を前にしたら何をすればいいか迷うけど、ノートという枠とペンがあれば自然と文字や絵を描くことに導かれるように、時には制限がある方が自由なんだよね。

ーーでは、どのような状況下で楽曲を生み出すことが最も多いですか?

サージ:不思議なことに、僕自身もいつ、どこから生み出しているのか分からないんだ。朝起きて、そのままギターを手にすると20分後には1つの楽曲ができてしまうこともあるし、特に決まったルーティーンはないね。ただ、僕は誰かが何かを叩く音も音楽に聴こえてしまうし、友人がタバコの灰を落とすタイミングもリズムと捉えてしまうから、とにかく敏感なんだと思う。同時に、人は毎秒、毎分、毎時間、常に何かしらのインスピレーションに触れ続けていることを理解している。“世界を感じる”とでも言えばいいのかな?その状態で映画を観ちゃうと一瞬のストリングスの音ですら過敏に反応してしまうから、正直疲れるけどね(笑)。

あとは、今こうして東京を訪れて散歩中に見つけたジャケットを羽織っただけでも、マインドに変化が生まれてギターの持ち方が少し変わるから、ある意味で洋服もインスピレーションの源だね。こういう話をすると、ファッションに興味がない人から馬鹿げた考えだと思われてしまうのは分かっている。でも、僕のように人前でパフォーマンスをする人間にとっては、ステージに立つ前に靴を履き替えるだけで、信じられないくらい気持ちが切り替わるものなんだ。自分の好きな洋服を身にまとうことで生じる気持ちは、本当に大切にすべき。クソみたいな気持ちの時でも、クソみたいな格好をしている時でも、好きなアイテムを身に着けるだけで気分が一新するんだよ。

「小さい頃からファッションが自分の一部だった」

ーーそうおっしゃられるということは、ステージ衣装には並々ならぬこだわりがあると思いますが、いかがですか?個人的には、今年の「グラストンベリー フェスティバル」の衣装が最高でした!

サージ:「これを着てほしい」と言われても着たくなかったら着ないタイプだから、ステージ衣装は基本的に自分で用意するようにしていて、忙しいときだけスタイリストにお願いするね。力の入れ具合は、普段の格好が10段階の“7”だとしたら、ステージが“10”で、スタジオだと“2”かな(笑)。「グラストンベリー」の衣装は、デザイナーのフェイ・オークンフル(Faye Oakenfull)が手掛けた「リーバイス(LEVI’S)」と僕のコラボによる一点モノのギリースーツで、あれを着てステージに立てたことは本当に誇りさ。

ーーライブ映像を観ていると、足元が「コンバース(CONVERSE)」をはじめとしたスニーカーを履かれていることが多く、今日の足元も「ステューシー(STUSSY)」のコラボモデルです。これも一種のこだわりなのでしょうか?

サージ:「コンバース」は、セットアップと合わせたらクールでロックンロールな感じがするし、スキニージーンズにもバギージーンズにも合うし、どんな衣装でも履くだけで全体の統一感が生まれる魔法のようなスニーカーだから大好きなんだ。それに、ステージ上で動きやすいのが何よりも大きなポイントだね。ステージで履きたいブーツもいろいろあるんだけど、動き回ったりジャンプしたりしたら脚を痛めてしまうから(笑)。

ーーフロントマンとして立ち回るようになった2021年以降、フロントマン然としたステージ衣装を意識するようにはなりましたか?

サージ:もともと子どもの頃から洋服が大好きで、ステージ衣装には前々からこだわってきたけど、今はより意識するようになったかな。ファッションは自分のクリエイティビティの一環であり、表現の一種であり、形成する一部であると強く思っている。というのも、母親はいつもスタイリッシュでエレガントだったし、叔母が洋服屋を営んでいたんだよ。彼女は先見の明がある人で、イギリスでは手に入りづらいフランスやイタリアの洋服を仕入れてファッションショーを行ったり、オリジナルのビジュアルを作ったりして、僕は小さい頃から手伝っていたからファッションが自然と自分の一部になったんだ。

偉大なアーティストは、それぞれがオリジナルのファッションスタイルを持っているよね。たとえば、カート・コバーン(Kurt Cobain)に代表されるグランジファッションは、本来はアンチテーゼから生まれたスタイルだけど、彼のカリスマ性もあってクールに変貌した。オリジナルになるためには、全て古着屋で買ったものでもいいし、特にブランドにこだわる必要もないし、何を組み合わせたらコーディネートとして面白いかなんだ。逆を言えば、ファッションセンスがイマイチなアーティストは、音楽的にも思うことがある(笑)。とにかく、クリエイティブなアイデアをファッション的な形に表すことができるなら、より良いことだよ。

ーーちなみに、今回の来日公演の衣装は?

サージ:東京公演初日に着ていたジャケットは、イギリスの郵便局員が着るようなものを日本の古着屋で3000円で購入したというおかしな話。ジーンズは、“S”から始まる韓国のブランドのもので、名前は思い出せないけど作りがピカイチなんだ。トップスは……妻のクローゼットから勝手に拝借したもので、バレたら怒られるから内緒ね(笑)。東京公演2日目は、サイズ感が気に入っている「キス(KITH)」のニットジャケットと、架空のホテルブランド「レイト チェックアウト(LATE CHECKOUT)」のTシャツを着たよ。

「日本に滞在中、生まれ育ったような錯覚を覚える」

ーーカサビアンは来日公演が多いですが、プライベートでの来日経験はありますか?

サージ:17回ほど来日しているんだけど、実はプライベートの旅行は一度もないんだ。ライブ会場に向かう車窓越しの日本ばかり楽しんでいるから、いつかちゃんと旅行したいんだよね。家族とはすでに計画していて、息子も必ず気に入ってくれると思うよ。

ーーあなたの琴線に触れる日本のカルチャーなどがあれば教えてください。

サージ:日本の映画を結構観るし、ダモ鈴木(実験的即興演奏で知られる音楽家で、2024年2月に74歳で死去)とカン(Can、ダモ鈴木がボーカルを務めた西ドイツのロックバンド)のファンで、彼がやっていたことはネクストレベルだと思う。あと、カルチャーとは少し違うんだけど、日本の滞在中はまるで家にいるような、生まれ育ったような錯覚を覚えるんだよね。僕はすごく背が高いから(197cm)、どうしても着られる洋服が限られてしまう。でも、不思議なことに日本の洋服はフィットすることが多くて、そういうときに自分が日本の一部だと感じてしまう。それに、道行く人たちが本当にスタイリッシュで、ファッションが好きな気持ちが通じるというか。これはプロモーションで来日しているからでも、君がファッションメディアの人間だから言っているわけでもないと分かってほしい(笑)。

ーー最後に、日本のファンに向けて地元レスターやロンドンのおすすめスポットを紹介していただけますか?

サージ:ロンドンだったら、ありきたりだけどドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)は服好きなら間違いなく行ってほしい。カムデン(古着屋やライブハウスで知られるエリア)も定番とはいえ、歩いていたら思わぬお宝に巡り合えることがあるから楽しいよ。ショーディッチ(古着屋が多いショッピングエリア)も歩き回るにはおすすめで、セレクトショップの「グッドフッド(Goodhood)」にはよく行くね。

レスターに関しては、10年前にこのインタビューを受けていればリストを作れたんだけど、オンラインストアの影響で気に入っていた個人店がいくつもなくなってしまったんだ。テナント料が高すぎて、エッジィなセンスがある個人店は店を畳まざるを得ず、センスがある若い子も新店をオープンできない状況で、ショッピングモールやチェーン店ばかりが増えてしまっている。だから、「学生やアーティストにはテナント料などを下げてほしい」と、レスター議会に対して働きかけようとしているんだ。そうすることで、街の外からも人が訪れて地域活性化につながるからね。

ーーそうだったんですね。では、観光名所となるとキング パワー スタジアム(King Power Stadium、レスター・シティFCの本拠地)になるんですかね?

サージ:キング パワー スタジアムは最高だよ(笑)!でも、フットボールに興味がない人もいるだろうから、一般的にはリチャード3世が埋葬されているレスター大聖堂が良いかな。

■Kasabian「Happenings」
●国内盤アルバム
販売中
2860円 / SICP-6580
- 初回仕様限定ステッカーシート封入
- ボーナス・トラック1曲収録
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●配信アルバム
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カサビアンのサージ・ピッツォーノが語る新アルバムからステージ衣装、地元レスターまで

PROFILE: セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー

セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)/ボーカリスト、ギタリスト、プロデューサー
PROFILE: 1980年生まれ、イングランド・デボン州出身レスター育ち。幼い頃はサッカー選手になるのが夢で、地元レスター・シティFCのFWを目指していたが、11歳の時にカサビアンの前身となるバンドを結成し、1997年からカサビアンのメンバーとして活動。大のファッション好きとして知られ、過去には「シーピー カンパニー」や「ジースター ロゥ」とコラボコレクションを制作した PHOTO:NAOKI USUDA

イングランド・ロンドンから150kmほど北に位置する多民族都市がレスターだ。同地で1997年に結成し、これまでリリースした8作のアルバムのうち7作で全英1位を獲得、世界最大級の音楽フェス「グラストンベリー フェスティバル(Glastonbury Festival)」ではヘッドライナーを務めるなど、名実共に英国を代表するロックバンドに成長したのがカサビアン(Kasabian)である。2020年に、結成時からボーカルを務めていたトム・ミーガン(Tom Meighan)と袂を分かち、現在はギタリストのサージことセルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)がフロントマンを務める新体制で活動している。

10月中旬、カサビアンの12年ぶりとなる単独ツアーのため来日していたサージにインタビューを敢行。7月にリリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」についてはもちろん、作詞作曲に関するあれこれ、ファッション好きとして知られる一面、日本と地元レスターへの思いなどについても聞いてみた。

「時には制限がある方が自由なんだ」

ーーまずは、先日リリースしたばかりの8thアルバム「Happenings」について聞かせてください。今作を含めてほぼ全てのアルバムを2〜3年周期で発表していますね。

セルジオ・ピッツォーノ(以下、サージ):ツアーで全世界を回ると最低でも1年半はかかるんだけど、それから自宅に戻ってアルバムに着手するとなると、自然とその周期になるんだ。新しい作品を発表することと同じくらい、ライブは僕たちの活動における大事な要素だから蔑ろにはしたくないし、最速のサイクルじゃないかな。制作期間中は、取り憑かれたように没頭するから人生において最も濃密な時間で、人生そのものが楽曲制作だけのような感覚に陥るよ。

ーーなるほど。その中で、今作は制作にあたって具体的な糸口があったのでしょうか?

サージ:はっきりと作品のビジョンが浮かぶまでは、なるべくリラックスして暮らしているんだ。その中でも、感性をスパークさせるようなインスピレーションは常に探していて、映画をはじめとした芸術や歌詞的な何かに触れると、「OK、準備ができた」みたいな感じで制作が始まるね。そして、大抵は明確なアイデアがある状態で進めていくんだけど、今回は“サイコポップレコード”にしたいと思っていたら、収録曲の「Call」が最初に完成したから、「Call」こそがスパークでアイデアと言えるかな。

ーー収録内容は、全10曲で28分5秒と非常にコンパクトですが、意識されたのでしょうか?

サージ:疾走感がありながらコーラスやメロディは壮大で、それを極限まで短く編集して攻撃的なまでに簡潔な作品にしたかったんだ。ラモーンズ(Ramones、1970~90年代に活躍したニューヨーク・パンクを代表するバンド)のような精神性にダンス・サイケデリックポップのフィルターをかけることで、コンパクトだけど複雑な楽曲群になったと思っているよ。

あとは、多くの人たちがどんな情報もダイジェストに消費している今の時代に対して、僕なりにメッセージを問いかけたんだ。ユーチューブには、名作の映画や小説を数分で解説する動画があるよね。僕からすると、「たったそれだけで作品を理解できるのか」と驚くし信じられないけど、この情報の取得方法が今の人たちには心地がいいみたいだから、それを逆手に取ったんだ。どういうことかと言うと、「Happenings」を制作する段階で頭の中に箱を用意した。この箱の中は自由だけど、箱から出てはいけないーーそう、この箱は“簡潔な作品”という制限なんだ。

ーー“制限こそ創造性を高める”と言いますよね。

サージ:そうそう!真っ白な大きい紙を前にしたら何をすればいいか迷うけど、ノートという枠とペンがあれば自然と文字や絵を描くことに導かれるように、時には制限がある方が自由なんだよね。

ーーでは、どのような状況下で楽曲を生み出すことが最も多いですか?

サージ:不思議なことに、僕自身もいつ、どこから生み出しているのか分からないんだ。朝起きて、そのままギターを手にすると20分後には1つの楽曲ができてしまうこともあるし、特に決まったルーティーンはないね。ただ、僕は誰かが何かを叩く音も音楽に聴こえてしまうし、友人がタバコの灰を落とすタイミングもリズムと捉えてしまうから、とにかく敏感なんだと思う。同時に、人は毎秒、毎分、毎時間、常に何かしらのインスピレーションに触れ続けていることを理解している。“世界を感じる”とでも言えばいいのかな?その状態で映画を観ちゃうと一瞬のストリングスの音ですら過敏に反応してしまうから、正直疲れるけどね(笑)。

あとは、今こうして東京を訪れて散歩中に見つけたジャケットを羽織っただけでも、マインドに変化が生まれてギターの持ち方が少し変わるから、ある意味で洋服もインスピレーションの源だね。こういう話をすると、ファッションに興味がない人から馬鹿げた考えだと思われてしまうのは分かっている。でも、僕のように人前でパフォーマンスをする人間にとっては、ステージに立つ前に靴を履き替えるだけで、信じられないくらい気持ちが切り替わるものなんだ。自分の好きな洋服を身にまとうことで生じる気持ちは、本当に大切にすべき。クソみたいな気持ちの時でも、クソみたいな格好をしている時でも、好きなアイテムを身に着けるだけで気分が一新するんだよ。

「小さい頃からファッションが自分の一部だった」

ーーそうおっしゃられるということは、ステージ衣装には並々ならぬこだわりがあると思いますが、いかがですか?個人的には、今年の「グラストンベリー フェスティバル」の衣装が最高でした!

サージ:「これを着てほしい」と言われても着たくなかったら着ないタイプだから、ステージ衣装は基本的に自分で用意するようにしていて、忙しいときだけスタイリストにお願いするね。力の入れ具合は、普段の格好が10段階の“7”だとしたら、ステージが“10”で、スタジオだと“2”かな(笑)。「グラストンベリー」の衣装は、デザイナーのフェイ・オークンフル(Faye Oakenfull)が手掛けた「リーバイス(LEVI’S)」と僕のコラボによる一点モノのギリースーツで、あれを着てステージに立てたことは本当に誇りさ。

ーーライブ映像を観ていると、足元が「コンバース(CONVERSE)」をはじめとしたスニーカーを履かれていることが多く、今日の足元も「ステューシー(STUSSY)」のコラボモデルです。これも一種のこだわりなのでしょうか?

サージ:「コンバース」は、セットアップと合わせたらクールでロックンロールな感じがするし、スキニージーンズにもバギージーンズにも合うし、どんな衣装でも履くだけで全体の統一感が生まれる魔法のようなスニーカーだから大好きなんだ。それに、ステージ上で動きやすいのが何よりも大きなポイントだね。ステージで履きたいブーツもいろいろあるんだけど、動き回ったりジャンプしたりしたら脚を痛めてしまうから(笑)。

ーーフロントマンとして立ち回るようになった2021年以降、フロントマン然としたステージ衣装を意識するようにはなりましたか?

サージ:もともと子どもの頃から洋服が大好きで、ステージ衣装には前々からこだわってきたけど、今はより意識するようになったかな。ファッションは自分のクリエイティビティの一環であり、表現の一種であり、形成する一部であると強く思っている。というのも、母親はいつもスタイリッシュでエレガントだったし、叔母が洋服屋を営んでいたんだよ。彼女は先見の明がある人で、イギリスでは手に入りづらいフランスやイタリアの洋服を仕入れてファッションショーを行ったり、オリジナルのビジュアルを作ったりして、僕は小さい頃から手伝っていたからファッションが自然と自分の一部になったんだ。

偉大なアーティストは、それぞれがオリジナルのファッションスタイルを持っているよね。たとえば、カート・コバーン(Kurt Cobain)に代表されるグランジファッションは、本来はアンチテーゼから生まれたスタイルだけど、彼のカリスマ性もあってクールに変貌した。オリジナルになるためには、全て古着屋で買ったものでもいいし、特にブランドにこだわる必要もないし、何を組み合わせたらコーディネートとして面白いかなんだ。逆を言えば、ファッションセンスがイマイチなアーティストは、音楽的にも思うことがある(笑)。とにかく、クリエイティブなアイデアをファッション的な形に表すことができるなら、より良いことだよ。

ーーちなみに、今回の来日公演の衣装は?

サージ:東京公演初日に着ていたジャケットは、イギリスの郵便局員が着るようなものを日本の古着屋で3000円で購入したというおかしな話。ジーンズは、“S”から始まる韓国のブランドのもので、名前は思い出せないけど作りがピカイチなんだ。トップスは……妻のクローゼットから勝手に拝借したもので、バレたら怒られるから内緒ね(笑)。東京公演2日目は、サイズ感が気に入っている「キス(KITH)」のニットジャケットと、架空のホテルブランド「レイト チェックアウト(LATE CHECKOUT)」のTシャツを着たよ。

「日本に滞在中、生まれ育ったような錯覚を覚える」

ーーカサビアンは来日公演が多いですが、プライベートでの来日経験はありますか?

サージ:17回ほど来日しているんだけど、実はプライベートの旅行は一度もないんだ。ライブ会場に向かう車窓越しの日本ばかり楽しんでいるから、いつかちゃんと旅行したいんだよね。家族とはすでに計画していて、息子も必ず気に入ってくれると思うよ。

ーーあなたの琴線に触れる日本のカルチャーなどがあれば教えてください。

サージ:日本の映画を結構観るし、ダモ鈴木(実験的即興演奏で知られる音楽家で、2024年2月に74歳で死去)とカン(Can、ダモ鈴木がボーカルを務めた西ドイツのロックバンド)のファンで、彼がやっていたことはネクストレベルだと思う。あと、カルチャーとは少し違うんだけど、日本の滞在中はまるで家にいるような、生まれ育ったような錯覚を覚えるんだよね。僕はすごく背が高いから(197cm)、どうしても着られる洋服が限られてしまう。でも、不思議なことに日本の洋服はフィットすることが多くて、そういうときに自分が日本の一部だと感じてしまう。それに、道行く人たちが本当にスタイリッシュで、ファッションが好きな気持ちが通じるというか。これはプロモーションで来日しているからでも、君がファッションメディアの人間だから言っているわけでもないと分かってほしい(笑)。

ーー最後に、日本のファンに向けて地元レスターやロンドンのおすすめスポットを紹介していただけますか?

サージ:ロンドンだったら、ありきたりだけどドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)は服好きなら間違いなく行ってほしい。カムデン(古着屋やライブハウスで知られるエリア)も定番とはいえ、歩いていたら思わぬお宝に巡り合えることがあるから楽しいよ。ショーディッチ(古着屋が多いショッピングエリア)も歩き回るにはおすすめで、セレクトショップの「グッドフッド(Goodhood)」にはよく行くね。

レスターに関しては、10年前にこのインタビューを受けていればリストを作れたんだけど、オンラインストアの影響で気に入っていた個人店がいくつもなくなってしまったんだ。テナント料が高すぎて、エッジィなセンスがある個人店は店を畳まざるを得ず、センスがある若い子も新店をオープンできない状況で、ショッピングモールやチェーン店ばかりが増えてしまっている。だから、「学生やアーティストにはテナント料などを下げてほしい」と、レスター議会に対して働きかけようとしているんだ。そうすることで、街の外からも人が訪れて地域活性化につながるからね。

ーーそうだったんですね。では、観光名所となるとキング パワー スタジアム(King Power Stadium、レスター・シティFCの本拠地)になるんですかね?

サージ:キング パワー スタジアムは最高だよ(笑)!でも、フットボールに興味がない人もいるだろうから、一般的にはリチャード3世が埋葬されているレスター大聖堂が良いかな。

■Kasabian「Happenings」
●国内盤アルバム
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単なるファッションブランド以上の存在に 「ニューバランス」の最新コラボレーター「ブリックス&ウッド」

10月18日、「ニューバランス(NEW BALANCE)」と米ロサンゼルスのサウス・セントラルを拠点とするブランド「ブリックス&ウッド(BRICKS & WOOD)」の3作目のコラボスニーカー“1906 ユーティリティ エコーズ オブ ア バタフライ(1906 UTILITY ECHOES OF A BUTTERFLY)”が、日本国内で発売を迎えた。

この前日、ドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)は「ブリックス&ウッド」のブランドチームを日本に招へいし、関係者や友人を招いた発売記念朝食会を7階に併設するカフェ「ローズ ベーカリー(ROSE BAKERY)」で開催。この日のためだけに考案されたスペシャルメニューが振る舞われ、参加者たちは東京とロサンゼルスの太平洋を越えた交流を楽しんだ。そして、朝食会を終えて満足気な様子を見せていたファウンダーのケイシー・リンチ(Kacey Lynch)とデザイナーのダニ・バラザ(Dani Barraza)にインタビューを敢行。「ブリックス&ウッド」の設立経緯から、「ニューバランス」とのコラボのきっかけ、今作の制作秘話、そして2人が気になっていることまで、たっぷりと話を聞いた。

単なるファッションブランド以上の存在に

ーーまずは、「ブリックス&ウッド」というブランドのイントロデュースからお願いしたく、設立経緯を教えてください。

ケイシー・リンチ(以下、ケイシー):「ブリックス&ウッド」は、俺がファウンダーとして2014年にカリフォルニア・ロサンゼルスのサウス・セントラルで設立したブランドで、ストーリーをきちんと語ることのできるプロダクトが作りたいという思いがベースにある。というのも、設立以前に某ストリートブランドで働いていたんだけど、ファッション業界はモノを作って売ることばかりが先行していて、属しているカルチャーやコミュニティーへの恩返しの気持ちをはじめ、愛情や感動などが欠けていると思うことが多かったんだ。だから、何かモノを作ることでカルチャーやコミュニティーに還元しながら俺たちの気持ちも伝えられる、ストーリーのあるプロダクトを作り始めたのさ。今、「ブリックス&ウッド」では「こういう背景があるから作った」と説明できないアイテムは一切販売していない。俺たちは大人数で動いているチームではないが、誰もがクリエイターであり、ファンのエデュケートを考えながら取り組んでいるよ。

ーー単なるファッションブランド以上の存在ということですね。

ケイシー:まさに。まぁ、いまだにブランドとはどういう場であるべきか考えているけどね。少なくとも“モノを作り売った”、そんな取り引きだけで終わるようなブランドにはしたくない。買ってくれたファンが、「『ブリックス&ウッド』を身に付けている」だけでなく「こんな気持ちになれるんだ」とまで周りに言えるような、ブランド以上の大きな存在を目指しているよ。

ーーブランド名にも、同様の思いが込められているのでしょうか?

ケイシー:「ブリックス&ウッド」はストーリーが大事だからね、ちゃんと背景があるよ。由来をかいつまんで話すと、俺がもっとも影響を受けてきた人物でありメンターでもある父親が、ある日、自分の車の上に葉っぱが落ちてきた話をしたんだ。ちょうどその頃、俺は自分のブランドを立ち上げる準備をしていて、「ブリックス&ウッド」をブランド名の候補として考えていた。それで、彼から「葉っぱは美しく、質感や手触りも良い」と聞いて、木であれ、花であれ、石であれ、命を生み出す自然の源こそブランド名に最適だと気付いたんだ。父親に相談したら「いいじゃないか」と承認が下りたから、帰宅するなりインスタグラムやタンブラーといったSNSを開設したよ。ただ、「ブリックス&ウッド」と耳にした時、どう感じてもらっても問題はなくて、それぞれの感覚に任せている。俺個人としては、単純に音の響きも好きだね。

「『NB』は、レーダーの外側にいるブランドだった」

ーーここからは「ニューバランス」とのコラボについてお伺いしたいのですが、どのような流れで21年に初協業が実現したのでしょうか?

ケイシー:とてもありがたいことに、共通の友人を通じて「ニューバランス」からアプローチがあったんだ。正直に言うと、当時ロサンゼルスで「ニューバランス」を履いている人は全然いなくて、いわゆるレーダーの外側にいるブランドという認識だったから、コラボの話を聞いてもエキサイティンな気持ちにならなかった。でも裏を返せば、「ニューバランス」がロサンゼルスのスニーカー勢力図を塗り替えられる余白があったということ。思い返すと良いタイミングだったし、俺たちが成長するきっかけにもなったね。もちろん、今では毎日履いてるよ(笑)。

ダニ・バラザ(以下、ダニ):ケイシーの言う通り、ロサンゼルスで存在感を確立していない「ニューバランス」と手を組むことで、お互いがワンランク上の階層にいけると思っていたから、結果的には大成功だったね。今じゃ、どこもかしこもだけど(笑)。

ーー当時というか今もですが、ロサンゼルスだけでなくアメリカといえば「ナイキ(NIKE)」のイメージは強いです。

ケイシー:その通りさ。俺もコラボ以前の「ニューバランス」のイメージは、ダッドシューズだったり、ランニングやトレーニングなど、ファッションというよりもスポーティーで機能的なイメージが強かったよ。ただ、その頃の「ニューバランス」はストリートウエアに合うようなスニーカーを発売したり、今のようなファッショナブルな打ち出し方を模索している過渡期で、それが俺たちにもインセンティブになったからコラボしたんだ。

ーーその中で、3作目のコラボモデルとして“1906 ユーティリティ エコーズ オブ ア バタフライ”を発表されましたが、モデル名にも入っている“バタフライ”を着想源とした理由を教えてください。

ダニ:まず、「ニューバランス」と“1906 ユーティリティ”をベースにコラボすることが決まったんだけど、「何かカッコいいものを作らなきゃいけない」というプレッシャーがあったし、普段デザインする場合はストーリーや背景をベースにしていることもあって、思うようにプロジェクトが進まなかったのね。でもある日、ケイシーと仕事の話をしていたら目の前にチョウが止まって、「こうして私たちが話している小さなことも、思いがけない大きなことにつながるかもしれないよね」と、バタフライエフェクトの話になった流れでチョウを着想源にしたの。

ケイシー:コラボモデルのデザインをする時間が無くて焦っていたのに、まさか飛んできたチョウから全てがスムーズに進むとは思わなかったよ。

ーーロサンゼルスには、こんなにも鮮やかなチョウがいるんですか?それとも、飛んできたチョウと着想源としたチョウは別種ですか?

ケイシー:話をしている時に飛んできたのは、ロサンゼルスによくいるオオカバマダラで、着想源にしたのは別種だね。

ダニ:チョウについてリサーチしている中で、“世界でもっとも美しい鱗翅類(りんしるい)”と称されるマダガスカルサンセットモス(和名:ニシキオオツバメガ)というマダガスカル島にしかいない固有種を見つけて、正式に着想源をチョウにすることになった感じ。マダガスカルサンセットモスは、正確にはチョウじゃなくてガなんだけどね(笑)。

ーー全体のカラーリングはマダガスカルサンセットモスが由来で、それぞれのカラーごとに異なる素材を採用しているんですね。

ダニ:そうなの。メッシュ地のトゥのアンダーレイでバタフライエフェクトを、リップストップ生地のサイドパーツで虫取り網を、レザー地のダブルアイレットにドットをあしらうことでチョウの羽模様を、湾曲したプラスチックパーツのヒールでチョウが水の上を羽ばたいた時にできる波紋を表現していて、クイックシューレースの先端もあえてバラバラにすることで、チョウの触覚をイメージしたわ。あとは、右足のサイドにだけ「ブリックス&ウッド」のブランド名をあしらっているのがポイントかな。

ーー本作をはじめ、これまで「ニューバランス」と3つのコラボスニーカーをデザインしてきましたが、重要視してきたことはなんでしょうか?また、普段のアパレルのデザインフローとは異なるものでしたか?

ケイシー:最高の質問だね!普段アパレルをデザインするときは、まずダイレクトにリーチできる地元サウス・セントラルのコミュニティを想定し、どうストーリーテリングするかを考えているけど、スニーカーに関してはそもそもの畑が違う。そして、「ニューバランス」にはオリジナルのファンがいるわけだ。彼らは、俺たちが普段接しているような層とは異なり、おそらく世界各地の一般大衆に近いと思う。だから、「日本人やフランス人は、俺たちがデザインしたスニーカーを気に入ってくれるかな」といった具合に、今まで考えていなかったロサンゼルスを離れた視点が必要になったんだ。要するに、コンフォートゾーンから抜け出して、オープンマインドにならなければいけない。それに、スニーカーというアイテムの特性上、独特のこだわりやスタイルを持ったヘッズとナードが多いから、そこの新たな知見も必要だったね。

ーーということは、「ニューバランス」との3度のコラボを経て「ブリックス&ウッド」での仕事にも変化はありそうですね。

ケイシー:方向性も、働き方も、俺個人も100%変わったと言って過言ではないね。ビジネスのスケールが圧倒的に大きくなったし、成長速度も想定よりずっと速くなっているよ。ファンも変わって、以前までは「ブリックス&ウッド」は知っているけど「ニューバランス」をあまり知らないパターンが多かったのに、今はどちらにも理解がある感じがするね。

2人が気になること、日本からの影響について

ーーDSMGで来日記念イベントが開かれたように、世界が「ブリックス&ウッド」の動向に注目している一方で、あなた方が注目しているモノやコトはありますか?

ケイシー:ざっくりとした答えになるけど、経済かな。特にキャッシュフローに興味があって、ここ数年のコロナショックによる経済危機を経て、今の消費者はどうお金を稼ぎ、何に使い、なぜ貯めるのかを知りたい。だからといって、金繰りを意識しすぎて「ブリックス&ウッド」がスケールダウンするような動きはしたくないし、バランスの取り方を考えているよ。あと、今年のアメリカ大統領選挙の結果次第で変わってくることが多そうだから、期待も心配もあるね。

ダニ:私が興味のあることもケイシーと少し似ていて、自分が何にどれだけ消費しているか。食べ物でも、音楽でも、オンラインで何かに課金するでも、これまでは頭の中が消費行動でいっぱいで、あまりにも多くのものを過剰に消費しすぎていたと思うの。だから、最近は行動整理しながら消費の仕方と量を考えるようにしているね。

ーー消費というと、「ブリックス&ウッド」のオンラインストア「SPACE(S)」では、いくつかの日本の雑誌を取り扱っていますよね?

ケイシー:そもそも、俺はファッションスクールでデザインの勉強をしたこともスキルもないし、夢はセレクトショップをオープンすることだったんだ。自分のブランドのアイテムだけではなく、キャンドルからパフューム、ハンディファンまで、今まで購入して良かったアイテムや好きなモノを全て並べるのが理想で、そのうちのひとつが日本の雑誌ってわけ。あと、オレゴン州ポートランドにあった革製品専門店「タンナー グッズ(Tanner Goods)」で5年ほど働いていたんだけど、オーナーが「ポパイ(POPEYE)」や「ブルータス(BRUTUS)」などの日本の雑誌を置いていて、店舗のレイアウトも日本の店舗や雑誌を参考にしていたから、俺も自分のお店を持ったら同じようなことをしたかったのさ。日本には2019年に初めて訪れて、価値観が変わるくらい日本人の親切心や礼儀、清潔感などに感銘を受けて、学ぶべき文化がたくさんあると感じたね。

ダニ:私は今回が初めての日本で、まだ滞在日数は2日だけどすでにマインドセットが変わりつつあるね。日本人は本当にみんな優しくて、「見習って、もっと素敵な人間にならないと!」と思わされている(笑)。

ーー先ほど、ケイシーはファッションスクール出身ではないと話されていましたが、同じく「ニューバランス」のコラボレーターであるジョー・フレッシュグッズ(Joe Freshgoods)も卒業しておらず、ダニはいかがですか?

ダニ:今まさに在学中で、12月に卒業するの!ただ、ストリートウエアの世界では、コミュニティ内のコミュニケーションで学ぶことの方が多いし、必ずしもスクールに通う必要はないと思うわ。だけど、私は人から何かを教わることが大好きだし、何より大学の学位を取得して両親を安心させたいのが本音(笑)。

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経産省を休職してパリの名門ビジネススクールで学び、名古屋スズサンへ 「日本の職人技を海外市場で横展開する」未来を描く 井上彩花

PROFILE: 井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当

井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当
PROFILE: 慶應義塾大学経済学部卒業後、2016年に経済産業省に入省。通商政策局などを経て、19年4月からファッション政策室、クールジャパン政策課。22年8月から、フランスのビジネススクールでラグジュアリーブランドマネジメントを学ぶ。24年8月から現職

経済産業省ファッション政策室を休職してパリの名門ビジネススクールに留学、帰国後は経産省に戻らずに有松鳴海絞りで知られるスズサンへ――ユニークなキャリアパスで日本の職人技の価値を創造し、世界に売り出そうと試みる井上彩花。新しい発想とそれを実現しようとする姿勢はイノベーターともいえるだろう。そんな彼女にパリで学び得た気づきや日本の産地の可能性とこれから実践していきたいことについて話を聞いた。

官と民の架け橋になることを目指して

WWD:経産省を休職してパリに留学した理由は?

井上彩花・スズサン営業、各種プロジェクト担当(以下、井上):経産省時代はクールジャパン政策課のチームにいて、その考え方のベースに官民が連携して海外に日本のいいものを高く売っていくことがあった。日本の人口減少や市場縮小、内需に偏重していた状況下で、海外市場で高い金額に納得して買ってもらえるかを検討するチームでキャリアを積むことができた。その中で「ファッション未来研究会」を担当させていただき、さまざまな主体の取り組みを知りその熱量を感じ、私も何かできないかと考え始めた。そして選んだのがパリのエセックビジネススクール(ESSEC business school)への留学だった。エセックは28~29年前、世界初のラグジュアリーブランドに特化したビジネススクール(大学院)のコースを設立したところ。クールジャパンが取り組んでいたことをすでに成功させたフランスのビジネススクールで何を学べるのかを経験したいと思った。

WWD:ビジネススクールやインターンをしたことで得た気づきは?

井上:学校は座学と約30のフランスブランドの本社や工房の訪問やインターン含めた実地研修があり、ブランドで働くマネジャーやディレクタークラスと話す機会も多く、ビジネスに入り込んで学べるのでさまざまな気づきが得られた。まず学ぶのはラグジュアリーの考え方について。「ティファニー(TIFFANY & CO.)」のハイジュエリーと木や動物の歯で作られた古代のネックレスを見せられて、両方ラグジュアリーだと学ぶ。そこからラグジュアリービジネスの成立過程、例えば“田舎の国”だったフランスがラグジュアリーブランドのイメージを作りだした経緯を学んだ。

ラグジュアリーが「普通の人の特別」になる経緯を体系的に学び、いろんな気づきや関心が生まれた。職人技の価値やコミュニケーションの重要性、スタッフ教育の重要性、オンラインでのマーケティングコミュニケーション、顧客情報の管理など、ビジネススクールで学ぶ要素を一つのテーマに沿って学ぶことができた。

WWD:その中で特に印象的だったことは?

井上:「エルメス(HERMES)」のナンバー2でエセックの卒業生であるギヨーム・ド・セインヌ(Guillaume de Seynes)=エルメス・エグゼクティブ・ヴァイスプレジデント・マニファクチャリング部門兼エクイティ投資に「クラフトマンシップとクリエイティビティ、どちらもラグジュアリーブランドにとって大切な要素。この二つの重要性やバランスはラグジュアリーにとって普遍/不変か」と投げかけた時の答えで、「『エルメス』のコアはクラフトマンシップとクリエイティビティ(職人とデザイナー)の折衷をすること」と言い切っていたこと。何がラグジュアリーなのかや、顧客が求めるものが変わっても、クラフトマンシップとクリエイティビティの折衷から生まれる価値が大切であることは変わらないと。クラフトマンシップの評価は多面的に強調していた。

WWD:帰国後は経産省でのキャリアではなく、スズサンを選んだ。スズサンだった理由は?

井上:クールジャパンに取り組んだときのアイデアや意識が軸にあったからこそ、パリでのいろんな経験を自分なりにかみ砕くことができ、人と話す機会や出会いを作ることができた。この領域で役に立ちたいと考えた。ビジネスサイドでできることの解像度を高めることができれば将来、いい形で官と民の架け橋のようになれるのではないか。そのための具体的な事業の経験をしたいと考えた。

「スズサン(SUZUSAN)」はフランスで学んだラグジュアリーブランドの考え方と合致するところがありつつも、ラグジュアリーという言葉では説明できない日本のモノ作りの価値を兼ね備えたブランドであると思った。具体的には4つポイントがある。

1つ目は拠点が2カ所あること。ドイツ・デュッセルドルフで(CEO兼クリエイティブ・ディレクターの)村瀬率いる多国籍のデザインチームがデザインを手掛け、有松でモノ作りをするブランド運営である点。デザインと生産の場が別々の場所にあることで、クリエイティブとクラフトマンシップの折衷が社内で常時行われている。ビジネススクールで繰り返し指摘されているブランドのDNAやアイコンといった要素がスズサンには詰まっている。

有松では職人がインハウスで働いていて、この染めはこの人、この絞りはこの人というように顔が見える。その職人のほとんどが4代目から直接技術を学ぶ20~30代。日々切磋琢磨していて、その手の動きが美しく、絞りがデザインになり、絞り染めを施されたテキスタイルが干してある様子は感情を揺さぶる、訴えてくる美しさがある。有松に生産のコアがあり、そこに触れられることが価値である。

2つ目は村瀬というアイコンが存在していること。

3つ目はモノ作りの背景とストーリーがあること。ブランドのコアである有松鳴海絞りには400年の歴史があり、土地と深い関わりがある。有松の町は東海道が開通したタイミングの1608年、宿場町に挟まれた通過点で旅人たちに手ぬぐいを絞ってお土産品として販売したのが始まりで400年以上職人が絞り染めのビジネスを支えてきた。

4つ目は村瀬が考える「欧州は目の文化、日本は手の文化」という考え方に共感したこと。ブランドの中心にある有松鳴海絞りは国の指定伝統工芸品として指定されており、見せ方が無限大にあるのが面白いと感じる。加えて、いわゆる顧客の生活を彩るための製品をそろえるラグジュアリーブランドブランドとは異なるアプローチができる。「スズサン」は布を中心とした提案なので、生活を彩る全てを提供できない。つまり「スズサン」一色でなくてもよく、お客さまと関係性も“ゆるやか”に築ける。

“ゆるやか”というのは、「スズサン」の製品だけではなく「手仕事を提案する他の事業者」とお客さまがつながるきっかけとなり、横に広がりを作る余白があるということ。例えば2021年から3年間、村瀬が個人の仕事としてクリエイティブ・ディレクター兼事業統括コーディネーターとして参加した名古屋市主催のクリエイションダイアログの事業では、名古屋市の工芸を主体とする約10社の企業の欧州市場に向けた販路開拓を目的に、現地でのプレゼンからマッチングなど総合的に支援するもの。そういった企業が手仕事を提案する他の事業者例として挙げられる。

WWD:これからスズサンで取り組みたいことは?

井上:勉強させていただきながら2カ月が経った。1番はこれまで村瀬が個人として取り組んできた事業が組織化していくタイミングなので、民でできるクールジャパンの実践として強い想いで取り組みたい。留学中に展示会場を訪れたが、15年ビジネスをしてきた村瀬だからこそ、官では手が届かないところにまで道しるべを示すことができていると感じた。官は、一時的に伴走支援はできても長期的には限界がある。官を超えて少しずつでもやっていくことが実績になると感じている。「スズサン」のブランドビジネスでもビジネススクールで学んだことを実践していきたい。

伝統工芸がまだたくさんあり続いていることが大きな価値

WWD:現在の日本の産地における技法・技術継承や価値向上について、どのような課題や可能性があるとみているか?

井上:有松と有松鳴海絞りのように土地と密接に結びついた産地としてのストーリーを持つ地域は日本には多い。伝統工芸に指定されているものだけでも241ある。指定されていない工芸もたくさんあると考えると、今いろんな課題がありつつ危機を迎えているとしても、たくさんあり、それらが続いていることが大きな価値と考える。

有松では、最盛期には1万人いた職人が今では200人くらいとされる。昔は各家族が1技法ずつ受け継いできたが、最盛期に500あった技法も100程度が残るばかり。継承されず消えた技法は取り戻すことが非常に難しい。村瀬は2008年のブランド立ち上げ前に家業の職人とは違う道を志したが、他地域でも伝統工芸に関わる事業継承に多くの課題があると認識している。

他方で場所や見方を変えれば、自身の価値に気が付くこともある。村瀬はアートを学ぼうと留学したが、地元を離れてから有松絞りの技法の面白さやデザインの美しさに気づき、デュッセルドルフでスズサンを立ち上げた。これは他の工芸においても起こりうることであり、そういう流れが起こっていると感じる。どう異なる価値観や視点を取り入れていくかがポイントだ。外的な支援だけでなく、共創的な活動も増えている。組織自体に異なる考え方を取り入れながら強化していくことや変化を受け入れることとは痛み、覚悟を伴う。小規模ではあれど、大きなジャンプをしっかりしていくことが大きな可能性につながると思う。

世界で日本の職人技が注目される理由

WWD:フランス(の企業)にとって日本の職人技の何が価値創出の源になっているのか?工芸的なモノ作りにおける超絶技巧は他国にもあるが、なぜ日本にも注目しているのか?

井上:日本の職人技はビジネススクールでもたびたび例に挙がった。フランスで日本の職人技が評価されている点は、細かいところまで妥協がない点や品質を追求する姿勢、職人らしさを強調されていた。手仕事によるモノ作りが多くの産地に残っている。こういった真正性のあるモノ作りは、フランス、ヨーロッパで高く評価されていると思う。欧州では2000年前後に職人の手仕事の存続が危機的状況となり、「シャネル(CHANEL)」が複数の工房を傘下にして2002年からメティエダール・コレクションを始めるなど、ラグジュアリーブランドが主体となった職人への投資、育成が今も行われている。

WWD:日本の産地の多くは経済的課題に直面しており海外企業との連携は重要だといえる一方、寡占状態に陥るのは危険(提携解消により廃業に陥るなど、産地の自律性が失われかねない)だともいえる。寡占状態をかわすためにどのような対策がありうると考えられるのか?産地で生きる人の自律性をどのように維持することが望ましいのか?

井上:スズサンの例を挙げながら、規模が異なると状況が異なることは前提として紹介したい。ベースとして海外企業との連携は大切だと思う。技術革新のきっかけや、組織の意識改革、新規市場開拓、知見を広げるためにも新しい人と付き合うことは大切。新しいことに常に取り組み、現代性を意識しながら変わり続けることが大切だと学んだ。そのうえで依存しすぎないという意味では、狙うマーケットでビジネスパートナーを複数持つことが対策になる。スズサンは世界30カ国、80都市、120の店舗と取引をしている。似た価値基準の友達を増やす感覚に近いと感じていて、それがスズサンの共感する姿勢の一つ。得られることの一つの学びは深い付き合いの中で、濃度も密度も高いものになる。

自律性の面では、インターンシップでグローバル企業の立場から日本の企業に関わる経験をした。両面から見られたことが面白い経験だった。違う主体が協業する中で起こりやすいコミュニケーションの課題として、言語の壁や商習慣の不理解がある。

言葉の壁は、外国語能力が前提になると思う。流暢でなくとも、いい雰囲気で会談を終えられるような社長のコミュニケーション力や前向きさが、ブランディングの観点からも重要。これに加え、ビジネスのチームで英語でコミュニケーションする人材を雇い、育てることは必要だろう。商習慣の不理解についてはビジネスのスピード感など前提となる考え方が違う可能性があり、一つ一つコミュニケーションで解決するしかない。自律性を担保することと柔軟性を失うのは違うことで、組織だけではなく自分個人としても感じた点だ。

有松を起点に人の循環を生み出す

WWD:今回のWWDJAPAN SUSTAINABILITY SUMMITでは地方の産地の循環型、再生型のビジネスがテーマの一つだが、どのようなことが考えられると思うか?

井上:「スズサン」のブランドの存続意義がモノを作って技術を次世代につなげることがある。そして、循環を違う風にとらえると、有松を起点に人の循環を生み出していくことを通じて地域に裨益させていきたいと考えている。現在の売り上げの8割が海外で、次の15年は、お客さまに有松・鳴海に来てもらうことに取り組みたい。毎シーズン2500~3000点、1年で約5000点を職人が製作していて、15年間のブランド運営で駆け出しの5年間を抜いても5万点の商品を作ってきた。ほとんど受注生産を続けているような状態で、1人1品購入していただいたとしても5万人に届いてきたことを考えると小さくない数字だと考えている。

地域に技術のコアがあることを踏まえても、有松・鳴海に来てもらうことをかなえてもらうためにツーリズム事業を手掛け始めたところ。ブランドのコアに技術があること、地域との接続性が無視できない大切なところで存続意義がそこにある。私たちの取り組みで有松の町への効果が波及していくかをデザインしていくことを忘れてはならないと思っている。有松から各国の各地、他の地域からもローカルtoローカルズを横展開できるような未来を作っていきたい。

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経産省を休職してパリの名門ビジネススクールで学び、名古屋スズサンへ 「日本の職人技を海外市場で横展開する」未来を描く 井上彩花

PROFILE: 井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当

井上彩花/スズサン営業、各種プロジェクト担当
PROFILE: 慶應義塾大学経済学部卒業後、2016年に経済産業省に入省。通商政策局などを経て、19年4月からファッション政策室、クールジャパン政策課。22年8月から、フランスのビジネススクールでラグジュアリーブランドマネジメントを学ぶ。24年8月から現職

経済産業省ファッション政策室を休職してパリの名門ビジネススクールに留学、帰国後は経産省に戻らずに有松鳴海絞りで知られるスズサンへ――ユニークなキャリアパスで日本の職人技の価値を創造し、世界に売り出そうと試みる井上彩花。新しい発想とそれを実現しようとする姿勢はイノベーターともいえるだろう。そんな彼女にパリで学び得た気づきや日本の産地の可能性とこれから実践していきたいことについて話を聞いた。

官と民の架け橋になることを目指して

WWD:経産省を休職してパリに留学した理由は?

井上彩花・スズサン営業、各種プロジェクト担当(以下、井上):経産省時代はクールジャパン政策課のチームにいて、その考え方のベースに官民が連携して海外に日本のいいものを高く売っていくことがあった。日本の人口減少や市場縮小、内需に偏重していた状況下で、海外市場で高い金額に納得して買ってもらえるかを検討するチームでキャリアを積むことができた。その中で「ファッション未来研究会」を担当させていただき、さまざまな主体の取り組みを知りその熱量を感じ、私も何かできないかと考え始めた。そして選んだのがパリのエセックビジネススクール(ESSEC business school)への留学だった。エセックは28~29年前、世界初のラグジュアリーブランドに特化したビジネススクール(大学院)のコースを設立したところ。クールジャパンが取り組んでいたことをすでに成功させたフランスのビジネススクールで何を学べるのかを経験したいと思った。

WWD:ビジネススクールやインターンをしたことで得た気づきは?

井上:学校は座学と約30のフランスブランドの本社や工房の訪問やインターン含めた実地研修があり、ブランドで働くマネジャーやディレクタークラスと話す機会も多く、ビジネスに入り込んで学べるのでさまざまな気づきが得られた。まず学ぶのはラグジュアリーの考え方について。「ティファニー(TIFFANY & CO.)」のハイジュエリーと木や動物の歯で作られた古代のネックレスを見せられて、両方ラグジュアリーだと学ぶ。そこからラグジュアリービジネスの成立過程、例えば“田舎の国”だったフランスがラグジュアリーブランドのイメージを作りだした経緯を学んだ。

ラグジュアリーが「普通の人の特別」になる経緯を体系的に学び、いろんな気づきや関心が生まれた。職人技の価値やコミュニケーションの重要性、スタッフ教育の重要性、オンラインでのマーケティングコミュニケーション、顧客情報の管理など、ビジネススクールで学ぶ要素を一つのテーマに沿って学ぶことができた。

WWD:その中で特に印象的だったことは?

井上:「エルメス(HERMES)」のナンバー2でエセックの卒業生であるギヨーム・ド・セインヌ(Guillaume de Seynes)=エルメス・エグゼクティブ・ヴァイスプレジデント・マニファクチャリング部門兼エクイティ投資に「クラフトマンシップとクリエイティビティ、どちらもラグジュアリーブランドにとって大切な要素。この二つの重要性やバランスはラグジュアリーにとって普遍/不変か」と投げかけた時の答えで、「『エルメス』のコアはクラフトマンシップとクリエイティビティ(職人とデザイナー)の折衷をすること」と言い切っていたこと。何がラグジュアリーなのかや、顧客が求めるものが変わっても、クラフトマンシップとクリエイティビティの折衷から生まれる価値が大切であることは変わらないと。クラフトマンシップの評価は多面的に強調していた。

WWD:帰国後は経産省でのキャリアではなく、スズサンを選んだ。スズサンだった理由は?

井上:クールジャパンに取り組んだときのアイデアや意識が軸にあったからこそ、パリでのいろんな経験を自分なりにかみ砕くことができ、人と話す機会や出会いを作ることができた。この領域で役に立ちたいと考えた。ビジネスサイドでできることの解像度を高めることができれば将来、いい形で官と民の架け橋のようになれるのではないか。そのための具体的な事業の経験をしたいと考えた。

「スズサン(SUZUSAN)」はフランスで学んだラグジュアリーブランドの考え方と合致するところがありつつも、ラグジュアリーという言葉では説明できない日本のモノ作りの価値を兼ね備えたブランドであると思った。具体的には4つポイントがある。

1つ目は拠点が2カ所あること。ドイツ・デュッセルドルフで(CEO兼クリエイティブ・ディレクターの)村瀬率いる多国籍のデザインチームがデザインを手掛け、有松でモノ作りをするブランド運営である点。デザインと生産の場が別々の場所にあることで、クリエイティブとクラフトマンシップの折衷が社内で常時行われている。ビジネススクールで繰り返し指摘されているブランドのDNAやアイコンといった要素がスズサンには詰まっている。

有松では職人がインハウスで働いていて、この染めはこの人、この絞りはこの人というように顔が見える。その職人のほとんどが4代目から直接技術を学ぶ20~30代。日々切磋琢磨していて、その手の動きが美しく、絞りがデザインになり、絞り染めを施されたテキスタイルが干してある様子は感情を揺さぶる、訴えてくる美しさがある。有松に生産のコアがあり、そこに触れられることが価値である。

2つ目は村瀬というアイコンが存在していること。

3つ目はモノ作りの背景とストーリーがあること。ブランドのコアである有松鳴海絞りには400年の歴史があり、土地と深い関わりがある。有松の町は東海道が開通したタイミングの1608年、宿場町に挟まれた通過点で旅人たちに手ぬぐいを絞ってお土産品として販売したのが始まりで400年以上職人が絞り染めのビジネスを支えてきた。

4つ目は村瀬が考える「欧州は目の文化、日本は手の文化」という考え方に共感したこと。ブランドの中心にある有松鳴海絞りは国の指定伝統工芸品として指定されており、見せ方が無限大にあるのが面白いと感じる。加えて、いわゆる顧客の生活を彩るための製品をそろえるラグジュアリーブランドブランドとは異なるアプローチができる。「スズサン」は布を中心とした提案なので、生活を彩る全てを提供できない。つまり「スズサン」一色でなくてもよく、お客さまと関係性も“ゆるやか”に築ける。

“ゆるやか”というのは、「スズサン」の製品だけではなく「手仕事を提案する他の事業者」とお客さまがつながるきっかけとなり、横に広がりを作る余白があるということ。例えば2021年から3年間、村瀬が個人の仕事としてクリエイティブ・ディレクター兼事業統括コーディネーターとして参加した名古屋市主催のクリエイションダイアログの事業では、名古屋市の工芸を主体とする約10社の企業の欧州市場に向けた販路開拓を目的に、現地でのプレゼンからマッチングなど総合的に支援するもの。そういった企業が手仕事を提案する他の事業者例として挙げられる。

WWD:これからスズサンで取り組みたいことは?

井上:勉強させていただきながら2カ月が経った。1番はこれまで村瀬が個人として取り組んできた事業が組織化していくタイミングなので、民でできるクールジャパンの実践として強い想いで取り組みたい。留学中に展示会場を訪れたが、15年ビジネスをしてきた村瀬だからこそ、官では手が届かないところにまで道しるべを示すことができていると感じた。官は、一時的に伴走支援はできても長期的には限界がある。官を超えて少しずつでもやっていくことが実績になると感じている。「スズサン」のブランドビジネスでもビジネススクールで学んだことを実践していきたい。

伝統工芸がまだたくさんあり続いていることが大きな価値

WWD:現在の日本の産地における技法・技術継承や価値向上について、どのような課題や可能性があるとみているか?

井上:有松と有松鳴海絞りのように土地と密接に結びついた産地としてのストーリーを持つ地域は日本には多い。伝統工芸に指定されているものだけでも241ある。指定されていない工芸もたくさんあると考えると、今いろんな課題がありつつ危機を迎えているとしても、たくさんあり、それらが続いていることが大きな価値と考える。

有松では、最盛期には1万人いた職人が今では200人くらいとされる。昔は各家族が1技法ずつ受け継いできたが、最盛期に500あった技法も100程度が残るばかり。継承されず消えた技法は取り戻すことが非常に難しい。村瀬は2008年のブランド立ち上げ前に家業の職人とは違う道を志したが、他地域でも伝統工芸に関わる事業継承に多くの課題があると認識している。

他方で場所や見方を変えれば、自身の価値に気が付くこともある。村瀬はアートを学ぼうと留学したが、地元を離れてから有松絞りの技法の面白さやデザインの美しさに気づき、デュッセルドルフでスズサンを立ち上げた。これは他の工芸においても起こりうることであり、そういう流れが起こっていると感じる。どう異なる価値観や視点を取り入れていくかがポイントだ。外的な支援だけでなく、共創的な活動も増えている。組織自体に異なる考え方を取り入れながら強化していくことや変化を受け入れることとは痛み、覚悟を伴う。小規模ではあれど、大きなジャンプをしっかりしていくことが大きな可能性につながると思う。

世界で日本の職人技が注目される理由

WWD:フランス(の企業)にとって日本の職人技の何が価値創出の源になっているのか?工芸的なモノ作りにおける超絶技巧は他国にもあるが、なぜ日本にも注目しているのか?

井上:日本の職人技はビジネススクールでもたびたび例に挙がった。フランスで日本の職人技が評価されている点は、細かいところまで妥協がない点や品質を追求する姿勢、職人らしさを強調されていた。手仕事によるモノ作りが多くの産地に残っている。こういった真正性のあるモノ作りは、フランス、ヨーロッパで高く評価されていると思う。欧州では2000年前後に職人の手仕事の存続が危機的状況となり、「シャネル(CHANEL)」が複数の工房を傘下にして2002年からメティエダール・コレクションを始めるなど、ラグジュアリーブランドが主体となった職人への投資、育成が今も行われている。

WWD:日本の産地の多くは経済的課題に直面しており海外企業との連携は重要だといえる一方、寡占状態に陥るのは危険(提携解消により廃業に陥るなど、産地の自律性が失われかねない)だともいえる。寡占状態をかわすためにどのような対策がありうると考えられるのか?産地で生きる人の自律性をどのように維持することが望ましいのか?

井上:スズサンの例を挙げながら、規模が異なると状況が異なることは前提として紹介したい。ベースとして海外企業との連携は大切だと思う。技術革新のきっかけや、組織の意識改革、新規市場開拓、知見を広げるためにも新しい人と付き合うことは大切。新しいことに常に取り組み、現代性を意識しながら変わり続けることが大切だと学んだ。そのうえで依存しすぎないという意味では、狙うマーケットでビジネスパートナーを複数持つことが対策になる。スズサンは世界30カ国、80都市、120の店舗と取引をしている。似た価値基準の友達を増やす感覚に近いと感じていて、それがスズサンの共感する姿勢の一つ。得られることの一つの学びは深い付き合いの中で、濃度も密度も高いものになる。

自律性の面では、インターンシップでグローバル企業の立場から日本の企業に関わる経験をした。両面から見られたことが面白い経験だった。違う主体が協業する中で起こりやすいコミュニケーションの課題として、言語の壁や商習慣の不理解がある。

言葉の壁は、外国語能力が前提になると思う。流暢でなくとも、いい雰囲気で会談を終えられるような社長のコミュニケーション力や前向きさが、ブランディングの観点からも重要。これに加え、ビジネスのチームで英語でコミュニケーションする人材を雇い、育てることは必要だろう。商習慣の不理解についてはビジネスのスピード感など前提となる考え方が違う可能性があり、一つ一つコミュニケーションで解決するしかない。自律性を担保することと柔軟性を失うのは違うことで、組織だけではなく自分個人としても感じた点だ。

有松を起点に人の循環を生み出す

WWD:今回のWWDJAPAN SUSTAINABILITY SUMMITでは地方の産地の循環型、再生型のビジネスがテーマの一つだが、どのようなことが考えられると思うか?

井上:「スズサン」のブランドの存続意義がモノを作って技術を次世代につなげることがある。そして、循環を違う風にとらえると、有松を起点に人の循環を生み出していくことを通じて地域に裨益させていきたいと考えている。現在の売り上げの8割が海外で、次の15年は、お客さまに有松・鳴海に来てもらうことに取り組みたい。毎シーズン2500~3000点、1年で約5000点を職人が製作していて、15年間のブランド運営で駆け出しの5年間を抜いても5万点の商品を作ってきた。ほとんど受注生産を続けているような状態で、1人1品購入していただいたとしても5万人に届いてきたことを考えると小さくない数字だと考えている。

地域に技術のコアがあることを踏まえても、有松・鳴海に来てもらうことをかなえてもらうためにツーリズム事業を手掛け始めたところ。ブランドのコアに技術があること、地域との接続性が無視できない大切なところで存続意義がそこにある。私たちの取り組みで有松の町への効果が波及していくかをデザインしていくことを忘れてはならないと思っている。有松から各国の各地、他の地域からもローカルtoローカルズを横展開できるような未来を作っていきたい。

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「プラダ」青山店でリジー・フィッチとライアン・トレカーティンの個展開催中 &TEAMも来場

「プラダ(PRADA)」は、プラダ財団の企画によりアーティストのリジー・フィッチ(Lizzie Fitch)とライアン・トレカーティン(Ryan Trecartin)の展覧会「LIZZIE FITCH / RYAN TRECARTIN: IT WAIVES BACK」展を1月13日まで青山店で開催中だ。開幕日前日の23日には、青山店で両アーティストを招いたトークセッションを行った。

フィッチとトレカーティンは、ともに1981年生まれのアメリカ人アーティストデュオ。2000年から共同で活動する。現在は米オハイオ州を拠点とし、映像作品や没入型インスタレーションを通じて現代社会の人間関係、デジタル社会、アイデンティティー、消費主義といったテーマを探求する。

「LIZZIE FITCH / RYAN TRECARTIN: IT WAIVES BACK」展は、新作の大型インスタレーションと2本の映像作品、彫刻作品群で構成する。「領土」と「所有地」という概念、そしてその概念が個人のアイデンティティー形成に与える影響というテーマを核に据えた。今回の映像作品では、過去の作品を再編集し、新たな文脈に落とし込むことに挑戦。会場内には木造の劇場をモチーフにしたセットを組み、来場者はその中で作品を鑑賞する。彫刻作品は、オハイオ地域でよく見られる建設技術を活用して、墓跡や記念、ヤードサイン、公共のランドマーク的建物などに着想を得て製作した。

フィッチとトレカーティンはトークショー内で、「自分たちの過去の作品を振り返り、当時の意図やそれが今どんな意味を持つのかといった、時間的な距離感を意識しながら製作した。加えて、映像にはホラーやSF的な要素もあり、“IT WAIVES BACK”というフレーズが持つ不気味さも重ねられると思った。権利を放棄するという意味の“WAIVE”という単語は、波を意味する“wave”と音が似ていること。この展示が内包する世論の波、互いに影響し合う関係性などさまざまなメッセージに呼応している」と説明した。

フィッチとトレカーティンの代表的な展示はこれまで、二ューヨーク近代美術館(MoMA)、ホイットニー美術館、ニューミュージアムなどで行われており、アジアおよび日本での個展開催は初となる。

レセプションパーティーには、アーティストのimase、JO、HARUA(&TEAM)、俳優の向里祐香、俳優の波瑠、俳優の渡邊圭祐らが出席した。

「LIZZIE FITCH | RYAN TRECARTIN: IT WAIVES BACK」

会期:2024年10月24日(木)~2025年1月13日(月)
場所:プラダ 青山店 6F
住所:東京都港区南青山 5-2-6
入場料:無料

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元「テンダーパーソン」のビアンカが新ブランド 「絶対に見返してやる」

「テンダーパーソン(TENDERPERSON)」元デザイナーのメンドンサ・ビアンカ・サユリ(以下、ビアンカ=デザイナー)は、新ブランド「リブリオ メンドンサ(LIBRIO MENDONCA)」を2025年春夏シーズンに立ち上げた。ファーストコレクションは30型で、価格帯はトップス2万5000〜5万5000円、アウター8万〜20万円、ボトムス3万3000〜9万円、雑貨小物が6000〜4万円。デザイナー自身の明るく人懐こい性格を表すように、カラフルな色使いとポップなムードが持ち味だ。

ビアンカ=デザイナーは、文化服装学院に在学中の2014年、同級生のヤシゲユウト=デザイナーと「テンダーパーソン」を立ち上げた。20年には初の直営店を東京・南青山にオープンし(現在は閉店)、21年に初のランウエイショーを実施、22年に「東京ファッションアワード(TOKYO FASHION AWARD)」を受賞した。ブランドとして知名度を徐々に広げてきた矢先、ビアンカ=デザイナーは「一身上の都合」で今年6月に同ブランドからの退社を発表。その後わずか3カ月という期間で自身のブランド「リブリオ メンドンサ」立ち上げから制作までを行った。彼女は何を思い、次のステージへ進むことを決めたのか。

WWD:なぜ「テンダーパーソン」を退社したのか。

ビアンカ=デザイナー:これまでがむしゃらに走りすぎてしまっていたからです。自分はキャリアとプライベートのバランスをどうしていきたいのか、自分らしく生きるにはどうすべきか、自分は何がしたいのか……。そう葛藤するようになるにつれて、「中途半端な状態で服作りはすべきでないし、そんな作り手の服はお客さまにとって失礼になるかもしれない」と考えたんです。2014年に「テンダーパーソン」を始めてから10年が経ったことと、私が30歳になったことというキリの良さも後押しになりました。

WWD:新ブランドを立ち上げた経緯は?

ビアンカ=デザイナー:「テンダーパーソン」を辞めた後、実は一般企業に就職しようとしていたんです。自分で何かを作りたいという考えもそこまで強くなかったし、企業やブランドから、デザインチームのデザイナーとしてのオファーもいただいたので。でも周囲からは「『テンダーパーソン』の肩書きがないビアンカちゃんなんて価値がないよ」という厳しい言葉をもらったんです。私は負けず嫌いな性格なので、逆に「なんかやってやろう!」「自分の進みたい道に挑もう」という気持ちがメラメラと湧いてきてしまった。そこで自分のブランドを始めることにしました。

WWD:「リブリオ メンドンサ」はどのようなブランド?

ビアンカ=デザイナー:私が日々の生活の中で感じたことを、自由な表現でドキュメンタリーのように服に落とし込むブランドです。何かに縛られるのが好きじゃないので、年齢や人種、ジェンダーにとらわれないユニセックスブランドにしました。ファッションが好きで楽しんでいる人に着てほしいです。プリントやディテールを通して、アイテムにメッセージ性を加えることが得意なので、着た人を強く、ハッピーにするお守りのような服を届けます。

私のルーツはブラジルにあります。だからブランド名の“リブリオ”は、私の好きな花であるユリを意味するポルトガル語“LIRIO”に、ビアンカのBを加えた造語にしました。与えられた自由ではなく、自ら自由を掴み取るという気概も踏まえて、“LIBERTY(自由)”というダブルミーニングも込めています。“メンドンサ”は私のファミリーネームです。

WWD:ファーストシーズンの特徴は?

ビアンカ=デザイナー:シーズンタイトルは、ポルトガル語で“反逆者”を意味する「リベルテ」です。ブランドを始める前に人から言われた悔しい言葉に対して、「見返してやる」と思ったことが由来です。

ただ、ブランドを始めると決意した当初は、具体的にどんなことをするべきか固まっておらず、モヤモヤしていました。でも、ふとその感情が、幼少期に歯医者に行く前の嫌な感覚に似ていると気づいたんです。歯医者の予約の1週間前から、カレンダーを見ては鳥肌を立てていたことや、待合室で憂鬱になっていたことを思い出し、コレクションで表現しています。歯のレントゲン写真のようなモチーフをプリントしたブルゾンや、鳥肌に見立てたポンポンを施したシャツ、締め付けられるような心をギャザーで表したストライプシャツなどが代表例です。今の自分にとって洋服を作ることは、歯医者に行くことのように“治療”の側面があります。

WWD:自分の経験をかなりストレートに服で表現している。

ビアンカ=デザイナー:自分の知人や友人も着想源になっています。今付き合っているパートナーがLINEで全く絵文字を使ってくれないので、そのヤキモキした気持ちを、絵文字モチーフのニットをつなげたカーディガンで訴えたり、毎日シワだらけの服を着ている友人をモデルに、凹凸のある生地でTシャツを作ったり。

WWD:6月に「テンダーパーソン」を退社してから、わずか3カ月ほどでのコレクション発表だ。

ビアンカ=デザイナー:期間を空けてしまったら、自分の気持ちが盛り下がってしまうように感じたからです。「こんな過酷なスケジュールをこなせた自分、好き!」と自信を持つためにも、急いで仕上げました。ただ、周囲の人たちが快く協力してくれたことが大きいです。工場の人も「手伝うからなんでも言ってね」と応援してくれたり、知人が展示会の1カ月前に頼んだのPRを引き受けてくれたり。なんだか泣けてきますね。

WWD:今後の目標は?

ビアンカ=デザイナー:まずは卸販売中心でブランドの土台を作ります。都内から地方まで販路を獲得できたので、今後はそれらを安定させるほか、海外の卸先も目指したいです。ファッションショーでブランドの世界観を披露することです。前のブランドの時に、パリで展示会を開いたことがとても刺激になったので、「リブリオ メンドンサ」でもそこを目指したい。あとはいつか城を建てるのが夢です(笑)。

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資生堂の30年にわたる基底膜研究 美肌への新スキンケアアプローチ誕生

資生堂,SHISEIDO

肌の美しさを保つにはスキンケアが大切だということは周知の事実だろう。では、スキンケアをする上でどこに働きかければ効果が期待できるのか。その1つが「基底膜」という肌内部に存在する膜へのアプローチだ。基底膜は、表皮と真皮の間に存在し、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の非常に薄い膜ではあるが、その役割は大きな可能性を秘めている。基底膜について、1991年から30年以上にわたって研究を続けているパイオニア的存在が資生堂だ。同社は基底膜研究を続ける中で、紫外線によって基底膜がダメージを受けると光老化が進行しエイジングサインが現れることを発見。さらに、基底膜にダメージを与える酵素を抑制し、バリア機能や潤い、シワに効果を発揮する高機能成分「コアキシマイド」を独自開発した。その研究の最先端に迫るべく、エディター・ライターの松本千登世氏が資生堂の研究開発拠点「資生堂グローバルイノベーションセンター(以下GIC)」を訪問。入山俊介研究員の解説とともに、肌本来の再生力を取り戻す次世代のスキンケアアプローチ「基底膜ケア」に迫る。

松本千登世氏がエバンジェリストとして
資生堂の研究開発拠点を訪問 
美のリーディングカンパニーの
知見に迫る

GICは基底膜研究をはじめ、資生堂の最先端技術を用いた研究が日々行われている場所である。今回は美を伝えるエバンジェリストとして松本氏がその内部に潜入し、基底膜にアプローチする画期的な成分「コアキシマイド」を見いだすに至った実際の研究実験も体験した。入山研究員の解説により、肌再生の源である基底膜の重要な役割、毎日のケアがいかに大切であるかについて理解をさらに深めた。そして同時に、世界にも認められた資生堂の技術力の高さに改めて感嘆した。

スキンケアのプロも注目 
基底膜ケアへの期待

肌再生の源・基底膜へのアプローチ 
たどり着いた答えは
高機能成分「コアキシマイド」

WWD:肌再生の源ともいわれる、基底膜とは?

入山俊介研究員(以下、入山):肌内部の表皮と真皮の間にある、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の薄い膜が基底膜です。基底膜は表皮と真皮をつないで情報や物質をやりとりする働きを持ち、健やかな肌を再生するのに重要な役割を果たす、まさに肌再生の源として注目のシート状のタンパク質構造体です。

WWD:基底膜の働きについて。

入山:基底膜には3つの働きがあります。1つ目は、表皮と真皮を接着剤のようにつなぎ留めて肌の正しい形状を維持すること。2つ目は、表皮と真皮のコミュニケーションを通して、栄養素などの移動を制御し、肌を健やかな状態に保つこと。3つ目は、表皮幹細胞の維持です。基底膜の表面には表皮細胞を生み出す表皮幹細胞が並んでいますが、近年の研究結果により、基底膜には表皮幹細胞を育み表皮と真皮を安定した状態に保つ役割があることが分かりました。

WWD:なぜいま「基底膜」ケアが重要なのか?

入山:基底膜は表皮にも真皮にも作用する源となる部分であり、美容の領域やエイジング領域、皮膚の老化領域において基底膜ケアが重要であると啓発活動できるくらい情報や知見が集まったためです。これは、当社が早くから基底膜が「肌再生の源」であるという新たな考えのもと研究を蓄積してなせたことですね。紫外線など外的要因により基底膜がダメージを受けると、表皮のバリア機能が低下して乾燥や肌荒れの原因となります。同時に、真皮のコラーゲンが減少してシワやたるみなどエイジングサインが現れやすくもなる。そのため、基底膜を健康な状態に維持することで表皮や真皮も良好な状態が促進され、美肌を保つことにつながります。

WWD:資生堂の研究により、肌の構成成分の分解酵素である「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」が紫外線によって活性化することで基底膜にダメージを与え、光老化を促進していることを突き止めた。さらに、この2大酵素の働きを抑制する成分として「コアキシマイド」を開発した。

入山:研究を重ね、2万種を超える候補の中から、2大酵素の働きを同時に抑制する成分を見いだしました。「コアキシマイド」は、「酵素ヘパラナーゼ」の活性を3時間で、「酵素MMP-9」の活性を30分で抑制することが可能です。速やかに分解酵素の働きを抑えることで、バリア機能・肌の潤い・シワなどの表皮、真皮への効果が確認されています。

WWD:今後の基底膜研究について。

入山:基底膜研究は構造の変化、機能の発見、肌再生の源と進んできているが、今後も新知見に期待してほしいです。近年生活者は、より一人ひとりが持って生まれた今ある肌をどれだけ大切にし、良い状態にするかということに注目しつつあると感じます。そのために、研究もさまざまな分野で融合できれば、より生活者のスキンケアへの選択肢も広がると考えます。

「コアキシマイド」で
新たなスキンケアアプローチ

資生堂,SHISEIDO

資生堂の基底膜研究により、基底膜にダメージを与える2大酵素が「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」であると特定した。そしてこの2大酵素の働きを同時に抑制する高機能成分として「コアキシマイド」を独自開発。「コアキシマイド」のアプローチにより基底膜の健康な状態が維持されると表皮幹細胞が安定化する。これにより、肌のバリア機能に重要な成分のフィラグリンや表皮ヒアルロン酸、コラーゲン産生が促進されて肌のバリア機能回復や潤いアップ、シワの減少が期待できる。基底膜研究のトップランナーである資生堂の30年の研究で行き着いた答えが「コアキシマイド」の開発であり、同成分を用いた「基底膜ケア」という新たなスキンケアアプローチの誕生である。

※技術に関する情報です

PHOTOS : TAMEKI OSHIRO
MOVIE DIRECTION : KEIICHIRO TOKUNAGA(INFAS.COM)
MOVIE CAMERA : NOBUTAKA SHIRAHAM,
KATUHIKO MIYATA,YUKI FURUSAWA
HAIR & MAKEUP:NOZOMI FUJIMOTO (CHITOSE MATSUMOTO)
EDIT & TEXT : WAKANA NAKADE

問い合わせ先
資生堂
https://corp.Shiseido.com/jp/inquiry

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資生堂の30年にわたる基底膜研究 美肌への新スキンケアアプローチ誕生

資生堂,SHISEIDO

肌の美しさを保つにはスキンケアが大切だということは周知の事実だろう。では、スキンケアをする上でどこに働きかければ効果が期待できるのか。その1つが「基底膜」という肌内部に存在する膜へのアプローチだ。基底膜は、表皮と真皮の間に存在し、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の非常に薄い膜ではあるが、その役割は大きな可能性を秘めている。基底膜について、1991年から30年以上にわたって研究を続けているパイオニア的存在が資生堂だ。同社は基底膜研究を続ける中で、紫外線によって基底膜がダメージを受けると光老化が進行しエイジングサインが現れることを発見。さらに、基底膜にダメージを与える酵素を抑制し、バリア機能や潤い、シワに効果を発揮する高機能成分「コアキシマイド」を独自開発した。その研究の最先端に迫るべく、エディター・ライターの松本千登世氏が資生堂の研究開発拠点「資生堂グローバルイノベーションセンター(以下GIC)」を訪問。入山俊介研究員の解説とともに、肌本来の再生力を取り戻す次世代のスキンケアアプローチ「基底膜ケア」に迫る。

松本千登世氏がエバンジェリストとして
資生堂の研究開発拠点を訪問 
美のリーディングカンパニーの
知見に迫る

GICは基底膜研究をはじめ、資生堂の最先端技術を用いた研究が日々行われている場所である。今回は美を伝えるエバンジェリストとして松本氏がその内部に潜入し、基底膜にアプローチする画期的な成分「コアキシマイド」を見いだすに至った実際の研究実験も体験した。入山研究員の解説により、肌再生の源である基底膜の重要な役割、毎日のケアがいかに大切であるかについて理解をさらに深めた。そして同時に、世界にも認められた資生堂の技術力の高さに改めて感嘆した。

スキンケアのプロも注目 
基底膜ケアへの期待

肌再生の源・基底膜へのアプローチ 
たどり着いた答えは
高機能成分「コアキシマイド」

WWD:肌再生の源ともいわれる、基底膜とは?

入山俊介研究員(以下、入山):肌内部の表皮と真皮の間にある、厚さわずか0.1μm(マイクロメートル)の薄い膜が基底膜です。基底膜は表皮と真皮をつないで情報や物質をやりとりする働きを持ち、健やかな肌を再生するのに重要な役割を果たす、まさに肌再生の源として注目のシート状のタンパク質構造体です。

WWD:基底膜の働きについて。

入山:基底膜には3つの働きがあります。1つ目は、表皮と真皮を接着剤のようにつなぎ留めて肌の正しい形状を維持すること。2つ目は、表皮と真皮のコミュニケーションを通して、栄養素などの移動を制御し、肌を健やかな状態に保つこと。3つ目は、表皮幹細胞の維持です。基底膜の表面には表皮細胞を生み出す表皮幹細胞が並んでいますが、近年の研究結果により、基底膜には表皮幹細胞を育み表皮と真皮を安定した状態に保つ役割があることが分かりました。

WWD:なぜいま「基底膜」ケアが重要なのか?

入山:基底膜は表皮にも真皮にも作用する源となる部分であり、美容の領域やエイジング領域、皮膚の老化領域において基底膜ケアが重要であると啓発活動できるくらい情報や知見が集まったためです。これは、当社が早くから基底膜が「肌再生の源」であるという新たな考えのもと研究を蓄積してなせたことですね。紫外線など外的要因により基底膜がダメージを受けると、表皮のバリア機能が低下して乾燥や肌荒れの原因となります。同時に、真皮のコラーゲンが減少してシワやたるみなどエイジングサインが現れやすくもなる。そのため、基底膜を健康な状態に維持することで表皮や真皮も良好な状態が促進され、美肌を保つことにつながります。

WWD:資生堂の研究により、肌の構成成分の分解酵素である「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」が紫外線によって活性化することで基底膜にダメージを与え、光老化を促進していることを突き止めた。さらに、この2大酵素の働きを抑制する成分として「コアキシマイド」を開発した。

入山:研究を重ね、2万種を超える候補の中から、2大酵素の働きを同時に抑制する成分を見いだしました。「コアキシマイド」は、「酵素ヘパラナーゼ」の活性を3時間で、「酵素MMP-9」の活性を30分で抑制することが可能です。速やかに分解酵素の働きを抑えることで、バリア機能・肌の潤い・シワなどの表皮、真皮への効果が確認されています。

WWD:今後の基底膜研究について。

入山:基底膜研究は構造の変化、機能の発見、肌再生の源と進んできているが、今後も新知見に期待してほしいです。近年生活者は、より一人ひとりが持って生まれた今ある肌をどれだけ大切にし、良い状態にするかということに注目しつつあると感じます。そのために、研究もさまざまな分野で融合できれば、より生活者のスキンケアへの選択肢も広がると考えます。

「コアキシマイド」で
新たなスキンケアアプローチ

資生堂,SHISEIDO

資生堂の基底膜研究により、基底膜にダメージを与える2大酵素が「酵素ヘパラナーゼ」と「酵素MMP-9」であると特定した。そしてこの2大酵素の働きを同時に抑制する高機能成分として「コアキシマイド」を独自開発。「コアキシマイド」のアプローチにより基底膜の健康な状態が維持されると表皮幹細胞が安定化する。これにより、肌のバリア機能に重要な成分のフィラグリンや表皮ヒアルロン酸、コラーゲン産生が促進されて肌のバリア機能回復や潤いアップ、シワの減少が期待できる。基底膜研究のトップランナーである資生堂の30年の研究で行き着いた答えが「コアキシマイド」の開発であり、同成分を用いた「基底膜ケア」という新たなスキンケアアプローチの誕生である。

※技術に関する情報です

PHOTOS : TAMEKI OSHIRO
MOVIE DIRECTION : KEIICHIRO TOKUNAGA(INFAS.COM)
MOVIE CAMERA : NOBUTAKA SHIRAHAM,
KATUHIKO MIYATA,YUKI FURUSAWA
HAIR & MAKEUP:NOZOMI FUJIMOTO (CHITOSE MATSUMOTO)
EDIT & TEXT : WAKANA NAKADE

問い合わせ先
資生堂
https://corp.Shiseido.com/jp/inquiry

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映画監督・白石和彌が語る「時代劇の可能性」 「海外の人たちって日本の時代劇が大好きなんです」

PROFILE: 白石和彌/映画監督

白石和彌/映画監督
PROFILE: (しらいし・かずや)1974年12月17日生まれ、北海道出身。95年に中村幻児監督主催の映像塾に参加した後、若松孝二監督に師事。助監督時代を経て、ノンフィクションベストセラー小説を実写化した映画「凶悪」(2013)で第37回日本アカデミー賞優秀作品賞と監督賞ほか各映画賞を総なめした。さらに、17年に映画「彼女がその名を知らない鳥たち」でブルーリボン賞監督賞を受賞すると18年も「孤狼の血」を含む3作品で同賞を受賞。近年の主な監督作は、映画「孤狼の血 LEVEL2」(21)、「死刑にいたる病」(22)、「碁盤斬り」(24)などがある。

今、日本で熱いエンターテインメント映画を撮れる監督といえば白石和彌だ。初めて時代劇に挑戦して話題を呼んだ映画「碁盤斬り」(2024年)やNetflixシリーズ「極悪女王」(24年)に続いて完成させた映画「十一人の賊軍」が11月1日に公開される。本作は戊辰戦争を背景にし、罪人たちが藩の命運を握る砦を守るために戦うアクション集団抗争時代劇だ。名脚本家、笠原和夫が遺したプロットを基に、アクションに次ぐアクションのエンターテインメント大作でありながら、そこには戦争に巻き込まれていく人間の悲しさも描き込まれている。どんな想いで、笠原が残した物語を映画化したのか。そして、時代劇の可能性について白石監督に話を訊いた。

「十一人の賊軍」への想い

——「十一人の賊軍」は東映が1960年代に始めた集団抗争時代劇へのオマージュを感じて、時代劇好きにはたまらない作品です。脚本家の笠原和夫さんが原案でクレジットされていますが、どういう経緯でこの作品が生まれたのでしょうか。

白石和彌(以下、白石):1964年に東映が集団抗争劇を撮っていた時代に笠原さんが脚本を書いたんです。それを京都の撮影所で東映の幹部が集まって読んだんですけど、撮影所の所長だった岡田茂さんが、ラストで11人全員が死ぬことに不満で「そんな辛気臭い話はやらせない!」って言って企画がボツになったんです。それで笠原さんはブチ切れて脚本を破り捨てた。でも、プロットは残っていて、それを基に脚本を新たに書きました。

——その際に新たに脚色したことはありますか?

白石:岡田さんが言うのももっともで、全員死んで暗たんたる気持ちで終わるのはヌケがないなと思ったんですよ。そこで最後に生き残る人物を作ったのと、政(山田孝之)というキャラクターを笠原さんのプロットよりも立てました。本当は真っすぐな男なんだけど、賊軍に入れられることで、自分だけ助かろうとしたり、いろんな動きをする。元のプロットでは鷲尾兵士郎(仲野太賀)が主人公っぽい感じだったんです。

——藩に忠義を尽くして砦で戦おうとする剣術道場の道場主である兵士郎。無理やり賊軍に入れられて侍に恨みを持っている町人の政。2人の対比が物語を面白くしていますね。

白石:アイアンマンとキャプテン・アメリカみたいですよね。組織のために戦ってきたキャプテン・アメリカは最後に自分の人生を選択したし、アイアンマンはずっと個人主義だったけど最後にみんなのために死ぬ。そういう対比は面白いかなって思いました。でも、笠原さんが描きたかったのは、阿部サダヲが演じた新発田藩の城代家老、溝口内匠だったんじゃないかと思います。

——溝口は言ってみれば本作の悪役キャラですが、必ずしも悪役とはいえない複雑さを持っています。藩を守るために冷酷なこともやってのけるけど、自分の欲望のためではなく全ては藩のため、殿様のため。家族も大事にしている。

白石:溝口は戦禍から藩を守るためにいろんな計略をして領民からは感謝されるけど、その裏ではひどいことをしている。そういう政治家って今もいると思うんですよ。溝口が悪いやつかっていうとそういうわけではなく、彼と同じ立場に置かれたら同じことをする人は多いと思うんですよね。笠原さんが描く脚本の魅力はそういうところで、登場人物それぞれに違う正義があって、それがぶつかって軋轢(あつれき)を生み、人を悲しみの淵に追いやる。そこに完全な悪人はいなくて白黒がつかない世界なんです。

——それぞれの正義が軋轢を生む、というのはつまり戦争を描くということでもありますよね。ウクライナ侵攻が始まる中で、監督は戊辰戦争の話を撮られた、そこでヒーローを描かず、全員を犠牲者として描いているところに、監督のメッセージを感じました。

白石:ありがとうございます。この映画の冒頭に何人か登場人物の名前と役職がテロップで入るんですけど、そこには主人公たちの名前は入っていないんです。「全員の名前を入れたら?」という提案もあったんですけど、そうじゃないんだと。名前を入れているのはゲーム・オブ・ウォーをやっている人たち、安全なところにいて生き残る人たちで、テロップを入れない賊軍の連中は名もなき人たちなんです。彼らが藩を守るために死んだことは領民は誰も知らない。だから名前を入れなくてもいい。実は映画の冒頭からメッセージを入れているんです。

——なるほど。物語を通じて反権力が貫かれていますね。

白石:ただ、権力側にいる奴が完全に悪いというわけではないんですよね。人というものは、そういう立場になったらそういう行動をとるということでしかないと思うんです。

時代劇の魅力

——そこは溝口に対する視線に通じるところがありますね。本作は「碁盤斬り」に続いての時代劇ですが、時代劇としての美意識にこだわった「碁盤斬り」に対して、今回は徹底的にアクションです。

白石:今回は完全なるアクション映画だと思って撮りました。ただ、最近のワイヤー使いまくりのアクションというのより、地に足が着いたアクションにしたかった。人間が持っている力を超えた動きをするのが好きではないので、泥臭い殺陣になったと思います。阪妻(阪東妻三郎)の古い映画を意識したりもしたし。

——兵士郎役の仲野太賀さんが殺陣に初挑戦されていましたが、すごい気迫でした。

白石:彼はがんばりましたよ。一番戦わないといけないし、一番剣術が強いという設定でしたからね。基本的なところから始めて4〜5カ月みっちりやったんです。撮影に入ってからも空いている時間は常に殺陣を練習していました。クライマックスの殺陣のシーンは一番完成されていたと思います。

——とにかく本作の殺陣はエモーショナルで、賊軍の一人、爺っつぁん(本山力)の最後の戦いの立ち回りもすごかった。監督が爺っつぁんという役を大切にしていることが伝わってきました。

白石:アクション部のスタッフも、みんな爺っつぁんが好きなんですよ(笑)。演じてくれた本山力さんは東映剣会(東映京都撮影所所属の殺陣俳優専門の集団)で修行をしてきて東映剣会仕込みの殺陣を今に伝える数少ない一人なんです。

——東映のチャンバラ精神を受け継いだ人なんですね。

白石:三池崇史監督が「十三人の刺客」(10年)のリメイクを撮った時は、松方弘樹さんがいたんです。松方さんはスター俳優であり、殺陣のプロじゃないですか。でも、松方さんが亡くなった今、そういう存在がいないんですよ。だから、スター俳優ではないけれど本山さんにお願いしました。本山さんは脚本を読んだ時、震えたって言ってましたね。

——震えますよね、この役は。監督は続けて時代劇を撮られましたが、監督にとって時代劇の魅力とはどんなところでしょう。

白石:時代劇ってファンタジーだと思うんですよ。調べれば資料は出てくるけど、実際にそれを見た人はいないじゃないですか。だから、こっちで想像する余地がある。昔、深作欣二監督が撮った時代劇(「柳生一族の陰謀」78年)で成田三樹夫さんが演じる公家に「〜でおじゃる」っていうしゃべり方をさせたら、テレビ局とか他の映画でも使い始めて歴史が変わったんです(笑)。黒澤監督の「七人の侍」(54年)のセリフも当時は「時代劇のしゃべり方じゃない」と言われたと思うんですよ。でも、そうやって変わっていくのは豊かなことだと思うんですよね。「ひばり・チエミの弥次喜多道中」(62年)とか、いきなり歌い始めたり、しかもそれがマンボだったりする。今は「時代劇とはこういうもの」というカタに収められがちですけど、昔はもっと自由だったんです。

——昔の時代劇は、その中にミュージカル、アクション、コメディー、ホラーなど、いろんなジャンルがありましたね。

白石:そうなんですよね。日本で時代劇が撮りにくいのなら、海外向けに製作するのもいいと思うんですよ。真田広之さんのドラマ「SHOGUN 将軍」が成功したじゃないですか。海外の人たちって日本の時代劇が大好きなんです。映画祭に行くと、なんでもっと時代劇映画を撮らないんだって聞かれるんですよ。一度、映画祭で海外の方に話しかけられたことがあって。その方は「子連れ狼」のコミックをカバンから出して、「これを映画化してほしい」って言うんですよ。もう映画化されてるよって言ったら、知ってるけれどミスター・シライシにまた映画化してほしいんだって(笑)。

これから挑戦したいこと

——僕も白石監督版を観たいです(笑)。それにしても、今年に入って「碁盤斬り」、「極悪女王」、本作と新作が続きますが、今監督の映画作りの推進力になっているものは何でしょう。

白石:本数を重ねて年齢を重ねていくと、情熱が少しずつ薄れていくのは感じるんですよ。それに抗いながらどこに自分のものづくりの衝動を持つようにするのか、というのはいつも考えていますね。でも、「十一人の賊軍」は笠原さんのプロットを読んだ時から、すごい衝動を感じていたんです。今は無事完成して抜け殻状態(笑)。最近になって割と時間もできたので、映画を観たり、本を読んだりしてインプットしている時期です。忙しい時って目の前のことをこなすだけでいっぱいいっぱいなんですよ。なんでもない時間を過ごしていると、いろんな発見がある。ニュースを見てても、当事者の気持ちを考えてみたりね。そういう時間は大切だと思いますね。

——そういう時に新作のヒントが生まれるのかもしれないですね、これから映画監督として挑戦してみたいことはありますか?

白石:映画を撮れば撮るほど、自分がやりたいのはエンタメなんだなって思うんですよ、今回の作品はそんなに明るくはない作品なので、一回、「白石らしくない」って言われるくらい明るいものを撮りたいですね。例えば等身大の高校生のラブストーリー……いや、高校生は等身大じゃないか(笑)。おっさんの純愛映画なんて、いいかもしれないですね。

PHOTOS:MASASHI URA

■映画「十一人の賊軍」
11月1日から全国公開
出演:山田孝之 仲野太賀
尾上右近 鞘師里保 佐久本宝 千原せいじ 岡山天音 松浦祐也 一ノ瀬颯 小柳亮太 本山力 野村周平 音尾琢真 / 玉木宏
阿部サダヲ
監督:白石和彌
企画・プロデュース:紀伊宗之
原案:笠原和夫
脚本:池上純哉
音楽:松隈ケンタ
配給:東映
https://11zokugun.com
©2024「⼗⼀⼈の賊軍」製作委員会

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「地元の人も楽しめるホテルに」 沖縄の高級ホテル「セブン バイ セブン 石垣」ディレクターが語る

PROFILE: デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター

デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター
PROFILE: ニューヨークを拠点に、霞ヶ関キャピタルの連結⼦会社であるファブ ホスピタリティ グループが手掛けるホテルブランド「ファブ」や「セブン バイ セブン」のブランディングやデザイン監修などを行っている。過去には世界最大のマーケティング会社アイリスワールドワイドで勤めていた経験もあり、「ランボルギーニ」や「ネットフリックス」、グローバル展開するラグジュアリーホテルなど、多くのブランド開発に関わった PHOTO:Leslie kee

沖縄・石垣島にラグジュアリーホテル「セブン バイ セブン(seven x seven)⽯垣」が9月9日にオープンした。福岡・糸島に続く2施設目となる。

同ホテルは、インフィニティープールやファミリープールをメーンに、サウナやバーなどを完備した、老若男女問わず楽しめる宿だ。客室は全121室21タイプで、石垣の美しい海や景色を眺められるよう、全室テラス付き。プライベートプールとサウナ付きのスイートルームや、ジャグジーを備えた客室などもあり、10月8日にはホテル最上階にあるメゾネットスイートルーム「ザ・ペントハウス」(1泊、55万7000円〜)の予約受け付けを開始した。

今回は、そんなホテルを手掛けたデイビット・ミスキン(David Miskin)=チーフ クリエイティブ ディレクターにインタビュー。ニューヨークを拠点に活動している彼が惚れ込んだ石垣島の魅力、ホテルのこだわりなどを聞いた。

石垣島の人々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現

WWD:石垣島に「セブン バイ セブン」をオープンしようと思ったきっかけは?

デイビット・ミスキン=チーフ クリエイティブ ディレクター(以下、デイビット):石垣島が大好きで、約1年で視察も含め30回以上は訪れている。自然や海の美しさ、地元の方々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現できないかなと思ったことがきっかけだった。

WWD:全く新しい石垣島の表現を意識したとか。

デイビット:地元の人が来ても、新鮮な気持ちで楽しんでもらえるような場所にしたかった。非日常な空間や感動を味わって欲しいので、ホテル全体のベースはホワイトでモダンな印象に仕上げ、石垣島へのリスペクトの気持ちを込めて、ホテル内に“琉球⽯灰岩”やシーサーなどの素材やオブジェを散りばめた。

また、私たちがここで感じてほしい感情や地元の方々と話した時の印象をどのように落とし込むかと考えたときに、色使いが重要だった。木々を取り入れてボタニカルな空間を演出しつつ、「セブン バイ セブン」のキーカラーであるイエローをアクセントに差し込み、エネルギーあふれる内装にまとめ上げた。

WWD:強い“日本愛”を感じる。

デイビット:自分のキャリアの中でいろいろなブランドと仕事をしてきたが、日本に来ることが多かった。来るたびに感動の連続で、日本の方々の丁寧なサービス、日本文化のすばらしさをさまざまな場面で感じる。また、日本のファッションやインテリアはトレンドの最先端であり、大変参考にしている。あとは「ドン・キホーテ」が好きだからね(笑)。

WWD:自ら家具を搬入したり、位置を調整する姿も見られた。

デイビット:ビジョンを伝えて終わりにするのではなく、自分もチームの一員として動き、細かなところまでこだわることを忘れてはいけない。「セブン バイ セブン」のDNAを継承し続けられるのは私であり、チームワークを高めるためにも、こういった仕事は積極的にこなしていきたい。

WWD:レストラン「バティーダ(BATIDA)」やグローサリーショップの運営はどのように関わった?

デイビット:食を軸に音楽やアート、ホテル、サウナなどの多様なコンテンツをかけ合わせた空間をつくる会社フライデーズに運営を依頼し、友人の米沢弘志代表と一緒に作り上げた。期待値を超えるすてきなレストランになった。

WWD:お気に入りの場所は?

デイビット:バー「レッド(Red.)」だ。初めて、小川潤之霞ヶ関キャピタル取締役会長から「これまでに見たことがないバーを作って欲しい」と言われた場所であり、空間デザインからインテリア、ドリンクまで100%こだわった。宿泊者だけでなく、ビジターも気軽に楽しめる。

「セブン バイ セブン」の開発事業を加速 2〜3年で7施設をオープン

WWD:KPIは?

デイビット:予約率や客数、利益も気にするべきだが、一番はカスタマーエクスペリエンス。どれだけのお客さまに感動体験を提供できているのか、満足してもらえるサービスや客室を用意できているかを重視している。また、このホテルをより良くしていくため、積極的に顧客からのフィードバックも集めるようにする。

WWD:今後の展望は?

デイビット:「セブン バイ セブン」の開発事業を加速させ、直近2〜3年で7施設をオープンする予定だ。

先日、老舗高級ホテルに宿泊したが、家具にシミが付いていたりと気になる点が多かった。些細なことかもしれないが、あまり心地良い体験ができなかったのを覚えている。この学びから常に美しさを保ち、サービスに磨きをかけて何度もリピートしてもらえるようなホテルを目指していきたい。

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「地元の人も楽しめるホテルに」 沖縄の高級ホテル「セブン バイ セブン 石垣」ディレクターが語る

PROFILE: デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター

デイビット・ミスキン/霞ヶ関キャピタル チーフ クリエイティブ ディレクター
PROFILE: ニューヨークを拠点に、霞ヶ関キャピタルの連結⼦会社であるファブ ホスピタリティ グループが手掛けるホテルブランド「ファブ」や「セブン バイ セブン」のブランディングやデザイン監修などを行っている。過去には世界最大のマーケティング会社アイリスワールドワイドで勤めていた経験もあり、「ランボルギーニ」や「ネットフリックス」、グローバル展開するラグジュアリーホテルなど、多くのブランド開発に関わった PHOTO:Leslie kee

沖縄・石垣島にラグジュアリーホテル「セブン バイ セブン(seven x seven)⽯垣」が9月9日にオープンした。福岡・糸島に続く2施設目となる。

同ホテルは、インフィニティープールやファミリープールをメーンに、サウナやバーなどを完備した、老若男女問わず楽しめる宿だ。客室は全121室21タイプで、石垣の美しい海や景色を眺められるよう、全室テラス付き。プライベートプールとサウナ付きのスイートルームや、ジャグジーを備えた客室などもあり、10月8日にはホテル最上階にあるメゾネットスイートルーム「ザ・ペントハウス」(1泊、55万7000円〜)の予約受け付けを開始した。

今回は、そんなホテルを手掛けたデイビット・ミスキン(David Miskin)=チーフ クリエイティブ ディレクターにインタビュー。ニューヨークを拠点に活動している彼が惚れ込んだ石垣島の魅力、ホテルのこだわりなどを聞いた。

石垣島の人々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現

WWD:石垣島に「セブン バイ セブン」をオープンしようと思ったきっかけは?

デイビット・ミスキン=チーフ クリエイティブ ディレクター(以下、デイビット):石垣島が大好きで、約1年で視察も含め30回以上は訪れている。自然や海の美しさ、地元の方々の温かさやハッピーな雰囲気をホテルで表現できないかなと思ったことがきっかけだった。

WWD:全く新しい石垣島の表現を意識したとか。

デイビット:地元の人が来ても、新鮮な気持ちで楽しんでもらえるような場所にしたかった。非日常な空間や感動を味わって欲しいので、ホテル全体のベースはホワイトでモダンな印象に仕上げ、石垣島へのリスペクトの気持ちを込めて、ホテル内に“琉球⽯灰岩”やシーサーなどの素材やオブジェを散りばめた。

また、私たちがここで感じてほしい感情や地元の方々と話した時の印象をどのように落とし込むかと考えたときに、色使いが重要だった。木々を取り入れてボタニカルな空間を演出しつつ、「セブン バイ セブン」のキーカラーであるイエローをアクセントに差し込み、エネルギーあふれる内装にまとめ上げた。

WWD:強い“日本愛”を感じる。

デイビット:自分のキャリアの中でいろいろなブランドと仕事をしてきたが、日本に来ることが多かった。来るたびに感動の連続で、日本の方々の丁寧なサービス、日本文化のすばらしさをさまざまな場面で感じる。また、日本のファッションやインテリアはトレンドの最先端であり、大変参考にしている。あとは「ドン・キホーテ」が好きだからね(笑)。

WWD:自ら家具を搬入したり、位置を調整する姿も見られた。

デイビット:ビジョンを伝えて終わりにするのではなく、自分もチームの一員として動き、細かなところまでこだわることを忘れてはいけない。「セブン バイ セブン」のDNAを継承し続けられるのは私であり、チームワークを高めるためにも、こういった仕事は積極的にこなしていきたい。

WWD:レストラン「バティーダ(BATIDA)」やグローサリーショップの運営はどのように関わった?

デイビット:食を軸に音楽やアート、ホテル、サウナなどの多様なコンテンツをかけ合わせた空間をつくる会社フライデーズに運営を依頼し、友人の米沢弘志代表と一緒に作り上げた。期待値を超えるすてきなレストランになった。

WWD:お気に入りの場所は?

デイビット:バー「レッド(Red.)」だ。初めて、小川潤之霞ヶ関キャピタル取締役会長から「これまでに見たことがないバーを作って欲しい」と言われた場所であり、空間デザインからインテリア、ドリンクまで100%こだわった。宿泊者だけでなく、ビジターも気軽に楽しめる。

「セブン バイ セブン」の開発事業を加速 2〜3年で7施設をオープン

WWD:KPIは?

デイビット:予約率や客数、利益も気にするべきだが、一番はカスタマーエクスペリエンス。どれだけのお客さまに感動体験を提供できているのか、満足してもらえるサービスや客室を用意できているかを重視している。また、このホテルをより良くしていくため、積極的に顧客からのフィードバックも集めるようにする。

WWD:今後の展望は?

デイビット:「セブン バイ セブン」の開発事業を加速させ、直近2〜3年で7施設をオープンする予定だ。

先日、老舗高級ホテルに宿泊したが、家具にシミが付いていたりと気になる点が多かった。些細なことかもしれないが、あまり心地良い体験ができなかったのを覚えている。この学びから常に美しさを保ち、サービスに磨きをかけて何度もリピートしてもらえるようなホテルを目指していきたい。

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「服造」を0から探求 早稲田大学繊維研究会、ショーに向けて服作りにまい進

1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。第1回のコンセプト決定とルック撮影に続き、第2回では代表の井上航平さんと、小山萌恵さんがショータイトルの決定と服作りについて語る。

WWD:12月に迎えるファッションショーに向けて、進捗は?

井上航平早稲田大学繊維研究会代表(以下、井上):今年度のショーのタイトルを「透き間、仄めき」に決定しました。前回お話しした小山発案のコンセプト「みえないものをみるとき」を元に僕が考案しましたが、コンセプトの抽象度が高いだけになかなか筆が進まず苦戦しました。そこで日常における「みえないもの」の例や、ルック撮影を行った江ノ島での記憶(具体的には湘南港ヨットハウスのガラス越しの光景、鵠沼駅で江ノ電が近づいてくるときに浴びたあたたかな風、七里ヶ浜の水面に陽の光が乱反射する様子など)をイメージして考え始めました。まず始めに小山が「みえないもの」の例として挙げていた余白の美学からの連想で「すきま」という単語が浮かんできました。

WWD:タイトルの「透き間」と「隙間」は異なる?

井上:一般的に用いられる「隙間」と違い、「透き間」は“意図した上で生まれる空間”を意味します。また、のぞく動作が入ることが想定される「隙間」に対して、「透き間」からはふとした時に目に入ってくる、そんな情緒を感じて選びました。もちろん、単純に字面で見たときの爽やかな雰囲気もポイントです。これに続く「仄めき」は当然、ほのかに見えるという意味から思いついたのですが、自分としては意味というよりむしろ「仄」という漢字の密度の小ささ=「透き間感」に引かれて採用しました。

当団体ではこれまで「編み目に浮かびながら」、「纏う空箱」のように合成語をタイトルとしてきたのに対して、今回はこの二つの単語をシンプルに読点で結んだのですが、読点それ自体も声に出して読んだときに間を生み出す、いわば休符で奏でる(これは音楽における「見えないもの」です)役割を果たしています。

WWD:告知フライヤーのこだわりは?

井上:8月にフォトグラファーのカズキ ヒオキ(Kazuki Hioki)さんに撮影いただいた写真を元に作りました。例年は使用する写真の選択からデザインまでの全てを担当者にお願いしていたのですが、今年は学年や部署によってショーに対する熱量に差が出ないよう、みんなで決めるプロセスを重視して、部内で話し合って決定しました。

もちろんどの写真も素敵でしたが、フライヤーとなると単純な写真の良さで決めるわけにもいかず、「これはインパクトに欠ける」「逆にこれは迫力がありすぎて“らしさ”が損なわれる」「この写真だとランウェイモデル=主体、観客=客体と完全に切り分けているように感じるが、こちらならお客さんも一体となってショーをする感じに見える」など活発に意見が飛び交いました。

最終的には、写真のモデルさんの視線・地面に置いた右手・左側に伸びる影から「なんとなく見えないものを見つめている感じがして、かつA4サイズにしたときに収まり良く文字を入れやすい」という話になり、予定の会議時間を大幅オーバーしながらも、全員が納得いく形でフライヤー写真が決まりました。

写真のセレクト後、文字入れは大学でデザインを学ぶ部員にお願いしたのですが、さすがのセンスを見せてくれました。まだ構想段階ですが、インターネットで全て見ることのできる時代に「紙のフライヤーを印刷する意味」を見出せるよう、単純な光沢紙ではなく紙にもこだわりたいと考えています。

WWD:服作りの過程は?

小山萌恵(以下、小山):私たちはルックを製作する部門を「服造(ふくぞう)」と呼んでいます。服造は、デザインから製作、ヘアメイクの考案まで、各々の作品作りにおける全てのプロセスを担います。コーチや講習会を設けていない私たちですが、服造に所属する部員のほとんどは入部して初めて服作りに挑戦した、という部員です。自力で0から探求するからこそのクリエイティブな感覚が、ルックにも表れているように感じます。

私自身は数少ない服飾学生の身なのですが、皆の服作りに対する純度の高いモチベーションや理論に捉われない自由な発想には、いつも刺激を受けています。

ファッション批評を掲げる繊維研究会は、単に批評をして終わりとはしない「理論と実践の両面からの活動」を目指しています。 まさに「実践」の役割を大きく担う服造はショーで発表するルックを「メディアとしての衣服」と捉え、コンセプトをもとに各々がそこから連想したテーマを立てて、デザインへと落とし込みます。

WWD:今年度の特徴は?

小山:「みえないもの」に焦点を当てる今年度は、さまざまな角度からデザイン画が集まりました。陸から見る水中といった具体的なみえないものをモチーフにしたものもあれば、記憶や感情などの抽象的な概念をデザインソースにしたものもあり、自身にとっての私的なみえないものをいかに表現するかに注力したアプローチもあれば、観客にみえないものを見出してもらうことを促すためのアプローチもあり、その視点やデザインへの落とし込み方にもそれぞれの感性や個性、学んでいる専門分野が滲み出るのがおもしろいです。ただかわいさや華やかさを追求するだけでは獲得し得ない厚みと奥行きが、繊維研究会のルックにはあると、わがことながら思います。

WWD:12月のファッションショーとは別に、タキヒヨーとDress the Lifeとの合同展示会を計画している。

小山:本展示会では、タキヒヨーから生分解性のあるPLA素材を使用した生地を、Dress the Lifeからドレス制作時に生じる残布をご提供いただき、繊維研究会で作品を製作しました。ファッション業界に批評意識を持ち、真摯な姿勢でデザインに向き合う私たちにしかできないサステナブルなアプローチがあると思っています。複数の企業と1つの取り組みを行うことも、展示という発表形態自体も初の試みであるため、初めて直面するさまざまな課題に試行錯誤しながらも、開催へ向け奮闘しているところです。ぜひ足をお運びいただけたらうれしいです。

■タキヒヨー×Dress the Life×繊維研究会合同展示会「夢幻泡影」
日程:11月17日
時間:10:30~15:30
場所:BABABASE
住所:東京都豊島区高田3‐3‐16 広研印刷株式会社 新館1階

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2代目バチェロレッテ尾﨑美紀、一時の経営混乱も「今は超いい感じ」

ファッションブランド「エステラ・ケー(Estella.K)」を展開するジャミン(東京・渋谷、坪内良夫社長)はこのほど、新ブランド「メリン(Meline M.)」をスタートする。ディレクターを務めるのは、起業家で2代目「バチェロレッテ」の尾﨑美紀ディネット代表だ。価格帯はトップス 1.2〜1.6万円、ワンピースが2万円〜2.5万円、アウター3万円台で、25〜34歳の女性がターゲットになる。

一方、尾﨑代表が率いるディネットは、まつ毛美容液のヒットで知られる「フィービービューティーアップ(以下、フィービー)」を展開しているが、昨年から今年に掛けて成長を支えた幹部が相次いで退任するなど、一時期経営が混乱した。だが「今は嵐を乗り越えて、今は超いい感じ」という。尾﨑代表にブランドやディネットの今後を直撃した。

ディレクターに起業家を起用、異色のインフルエンサーブランドの背景

WWD:「メリン」のディレクターになった経緯は?

尾﨑美紀ディネット代表(以下、尾﨑):もともとジャミンの展開するブランド「エステラ・ケー」をプライベートでもよく着ていて、「バチェロレッテ」の放映を見たジャミンの坪内良夫社長から連絡をもらった。私自身もファッションが好きで、いつかはブランドをやってみたいという思いもあった。ただ、自社で手掛けるのがさすがにハードルが高いとずっと思っていた。そうした中での坪内社長からの「プロデュースをしてみないか?」というオファーだった。「エステラ・ケー」を自分自身が着ていて服もしっかり作っているという印象だった上、坪内社長からの「起業家がディレクターという新機軸だからこそ面白い」という申し出にも、心が動いた。

WWD:ディレクターの主な役割は?

尾﨑:在庫の持ち方や売り方はジャミンが担い、私の役割はコンセプトの設定から情報発信、そして服のデザインの指示まで、いわゆるインフルエンサーブランドのディレクター的な位置づけです。服に関しては全くの素人なので、当初は苦労しましたが、ジャミンさんの持ってくるサンプルをベースにディテールや着心地など、細かい部分までいろいろ口を出させてもらってます。

仕事のペースは10日〜2週間に一度くらい打ち合わせ、年4回の撮影ですね。ブランドの公式インスタアカウントはジャミンさん側ですが、随時私もアカウントでも情報発信します。こちらはジャミンさんの意向で特に契約で取り決めなどはしておらず、私のペースで行います。

WWD:ターゲットは?

尾﨑:この部分は「フィービー」と同じで、コアターゲットは25〜34歳の感度の高い女性です。内面から出てくる美しさにフォーカスし、ブランド名の「メリン」にもそうした思いを込めました。

WWD:今後は?

尾﨑:夏の長期化を受けて、ジャミンさんとは「本格的な展開は来春夏物から」と話しています。百貨店でのポップアップもしてみたいし、有楽町マルイの「フィービー」店舗でのコラボもやりたい。もちろんその際は私も店頭に立ちたい。ただ、現在はモデルが私も務めていますが、いずれは私の存在は薄くしていき、ブランド自体が自立していけたらと思っています。

WWD:利益配分は?

尾﨑:レベニューシェアです。売れた分だけ、会社(ディネット)に入るようになっています。

相次いで幹部が退社、一時経営が混乱

PROFILE: 尾﨑美紀/ディネット代表取締役

尾﨑美紀/ディネット代表取締役<br />
PROFILE: 1993年1月18日生まれ、愛知県出身。中央大学在学中に芸能活動を行う一方で、D2Cブランドを運営するスタートアップ企業でのインターンシップを経験。2017年3月30日にディネットを設立。2019年2月にD2Cコスメブランド「フィービービューティーアップ」をスタート、21年11月に有楽町マルイに初の直営店をオープン。2022年7月7日から配信した「バチェロレッテ・ジャパン」シーズン2で、2代目バチェロレッテとして登場

WWD:登記簿によると、この2年で取締役が3人退任、あるいは辞任している。理由は?

尾﨑:戦略や人事、組織の変更によるものです。これまでのようにトップライン(売り上げ)だけを追うのではなく、LTV(顧客生涯価値)を重視する、より顧客一人あたりの満足度を上げる戦略に転換する中で、人や組織が混乱してしまいました。振り返ってみれば、私の能力不足がすべての原因なのですが、起業8期目にして初めての経験で、まるで嵐のようでした。これまでがむしゃらに突っ走ってきて、売り上げも人員も右肩上がりでずっと増えてきた。もちろんスタートアップなので、走りながら人も組織も整える、という形になるのもわかっていたつもりでしたが、直面してみると本当に大変で。ただ、今はもう「いい経験だった」と言えるくらいにまでは持ち直しましたし、嵐を乗り越えた今となっては、創業直後くらいの結束力・団結力があって、自分も会社も組織もびっくりするくらい強くなりました。今は超いい感じです。全員が「やるぞー!」って感じで燃えています。

WWD:一番大変だった時期は?

尾﨑:5月ごろです。そんな中で「メリン」のプロジェクトもスタートして、かなり病んでいました(笑)。基本的に大変なときも社員の前では顔似出さないようにしているのですが、ある社員に「美紀さん、わたしたちが支えます」と言われたときには、二人で手を取り合って号泣してしまいました。

WWD:ベンチャーキャピタル(VC)からの出資も多い。経営の混乱で株主からの出資の引き上げ要請などはなかったのか?

尾﨑:いえ。全く逆で、ものすごく支えてもらいました。主要株主の大和企業投資とセレスの担当者には、精神的に大変な時期には食事に誘ってもらったり、戦略の転換に伴うリソースを補うべく、その道のプロを紹介してもらったり。とにかくお世話になりっぱなしでした。株主と社員にには感謝しかありません。

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取り扱いサロン6000店舗突破 サロンと一般流通の双方で躍進する「シンピュルテ」の流通戦略

2022年秋に先行販売した美容室で5日で全3種が完売し、大きな話題となった「シンピュルテ(SINN PURETE)」の“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”。発売から2か月で6万7000本を突破し、約3000サロンで導入が進み、サロン市場で一躍存在感を高めた。今年に入って、“マインドフル シャンプー&トリートメント”を発売し、ヘアケアカテゴリーを拡張。現在取り扱いサロンは6000店舗超と成長を遂げている。

「シンピュルテ」はもともとスキンケアやフレグランスを取りそろえ、ECやセミセルフショップを中心に流通してきた。オイルの発売を機に美容ディーラーのダリアと独占契約を結び、サロン流通を開始した。ヘアサロンは体験を伴い、ファッション感度の高い美容師を通じて商品を発信できるとあって注目するコスメブランドも多いが、B to B to Cという独自の商習慣やヘアサロンにとって一般的に流通している商品を取り扱うことは差別化に欠けることから、なかなか一般流通との二軸で成功するブランドは少ないのが現状だ。その中で「シンピュルテ」が美容師から支持を集め成長している背景を、ブランド、美容ディーラー、美容師、三者の視点からひもとく。

ホリスティックなアプローチで
コロナ禍に一躍認知度度が上昇

WWD:「シンピュルテ」とはどのようなブランドですか?

上妻善弘 アナイスカンパニー ファウンダー(以下、上妻):「シンピュルテ」は、オーガニックの良さと科学の力を融合させたハイブリッドナチュラル処方を特徴とするブランドです。2012年に「ジョンマスターオーガニック(JOHN MASTERS ORGANICS)」から誕生し、2020年に当社が傘下に収め、「マインドフルビューティー」をコンセプトにリブランディングしました。それまで我々はデザインを軸にブランディングやコンサルティングなどを請け負うデザインコンサルティングファームでしたが、新たな挑戦の機会と捉え、「シンピュルテ」の運営に乗り出しました。当時は新型コロナウイルスが流行し、緊急事態宣言が出た直後。あらゆることが未知数でしたが、ある意味で新たな事業にトライするタイミングだったと今は思います。

WWD:癒やしを求めて「シンピュルテ」を支持する声が上がり、コロナ禍のお家需要とマッチしてフレグランスアイテムがSNSなどで話題になっていたのを覚えています。

上妻:当時、ビューティの分野では「時短」というキーワードが流行していましたが、自分の美と向き合う大切な時間を「時短」と捉えることに対して少し疑問を感じていました。むしろ、スキンケアにかける例えば15分という時間をどれだけ充実させられるかが重要だと考え、香りに注目しました。コロナ禍以前の日本では、香りを取り入れたスキンケアブランドはほとんど見られなかったように思います。そこで、香りを通じてストレスを解消しながらスキンケアを楽しめるような、ホリスティックかつメディカルなアプローチを、慶應義塾大学の満倉靖恵教授と共に進めました。

PROFILE: 上妻善弘/アナイスカンパニー ファウンダー

上妻善弘/アナイスカンパニー ファウンダー
PROFILE: (こうづま・よしひろ):1981年、福岡県出身。高校時代からアパレルのセレクトショップで働き、ファッション業界に触れる。大学卒業後はソフトバンクグループでコンサルティング営業からマーケティングを経験し、独立。デザイン制作会社の取締役を経て、2012年にアナイスカンパニーを設立。これまで数多くの企業やブラン ド、プロジェクトに関わるクリエイティブディレクション、 新規事業の企画立案から事業戦略、ブランディング戦略、広告やカタログ、 ウェブ、映像のデザイン制作に至るまで、幅広く携わる PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:最近ではヘアサロンでの流通も定着し、美容師からの注目度が増しています。

上妻:ヘアケアに関しては、当社が以前「ジョンマスターオーガニック」を支援していた経験が大きく影響しています。同ブランドは本国ではプロフェッショナルなヘアケアのイメージがありましたが、日本に上陸した当初は知名度が全くなく、オーガニック市場自体も芽が出始めたばかりの状況でした。ゆえにサロン流通に関して、美容ディーラーの中で優先順位を上げるのは難しかったことを覚えています。そこでまずはおしゃれなセレクトショップやセンスの良いライフスタイルショップにアプローチし、店頭で取り扱ってもらうことで感度の高い美容師にブランドを知ってもらい、逆に美容師が気になる存在になるようブランドへと育てるという戦略を取りました。こうして徐々にサロンでの流通が広がっていった経緯があります。

当時、サロンとショップ(一般流通)の展開が互いに競合する印象を持たれることもありましたが、実際には相乗効果が生まれていました。特に売上の良い直営店の周辺では、「ジョンマスターオーガニック」を取り扱うサロンにも活気があり、互いの存在が顧客を引き寄せる相乗効果をもたらしていたのです。また取り扱いサロンが比較的多いエリアに直営店を出店すると、お客さまの集まりが非常に良く、サロンでの体験を通じて「もっとさまざまな商品を使ってみたい」という意欲が生まれ、ブランドの価値が向上していきました。この経験をもとに、当時は実現できなかったことも多かったため、今「シンピュルテ」で再び挑戦し、一般流通とサロン流通の両方をまたぐブランドに育てていきたいと考えています。

競争激しいオイルで勝負
「香りで選ぶ」強みを生かした提案

WWD:サロン流通のパートナーにダリアを選んだのはなぜ?

上妻:ダリアとの協力関係は、その信頼性と営業力の高さに加え、地元が福岡という共通点や、「シンピュルテ」の製品哲学、商品力、香りを使ったマーケティング戦略に興味を持っていただいたことがきっかけで始まりました。ダリアは多くの美容師とコネクションを持っており、情報交換を通じて多くの気づきを得ることができ、われわれ自身も商品をさらに磨くことができます。また、ダリアを通じてより多くのプロフェッショナルなサロンにアプローチすることができ、結果として市場拡大にもつながっています。

WWD:プロジェクトがもともとあったのではなく、情報交換からスタートしているのですね。ちなみに美容ディーラーとはどのような事業を行っているのでしょうか。ダリアの事業内容を教えてください。

中島努 ダリア 営業推進室課長 兼 マーチャンダイジング部 次長 兼 MD企画室 室長 兼 CS室 室長(以下、中島):ダリアは本社が福岡にあり西日本のサロンを中心に支えられ成長してきました。美容ディーラーということからも、取引先の99%が美容室です。昨今のヘアサロン市場には複数のディーラーがあり、取り扱いメーカーや商品数の多さだけでは差別化にはつながりません。ダリアが選ばれるためには付加価値が大切です。そこでわれわれは美容師のみなさんが豊かであるために、経営強化や生産性の向上をキーワードに、オリジナルポスの開発やECサービスのサポート、さらには日本最大級の技術コンテストの開催など色々な仕掛けをしています。「シンピュルテ」との取り組みについては、われわれだけが取り扱うことのできる強力なアイテムを提案したいという期待値があってスタートしました。

PROFILE: 中島努/ダリア 営業推進室課長 兼 マーチャンダイジング部 次長 兼 MD企画室 室長 兼 CS室 室長

中島努/ダリア 営業推進室課長 兼 マーチャンダイジング部 次長 兼 MD企画室 室長 兼 CS室 室長
PROFILE: (なかじま・つとむ)1987年、愛知県出身。2010年ダリアに入社。多くのサロン様に関る営業経験を経て、受発注システム・POS・ECサービス・アプリサービスなどのCRM開発プロジェクトを担当。オリジナルブランドのサプリメント開発をはじめとする商品企画からマーケティング・営業に至るまで、幅広い業務・プロジェクトに携わる PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:そうして生まれたのが、“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”ですか?美容室で先行発売しましたよね。

上妻:先行発売は、競争が激しいヘアサロン市場での本格的な闘いに挑むための戦略的な決定でした。“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”も“マインドフル シャンプー&トリートメント”も、開発段階からダリアに協力してもらいました。プロのスタイリストからのリアルなフィードバックをもとに商品をブラッシュアップすることで、顧客の期待に応える最適なフォーミュラを開発できると確信しています。このアプローチにより、サロン専売品としての地位を固め、プロフェッショナル市場での認知度と信頼性を高めることが目的です。“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”により、好スタートを切れたと感じています。

谷口翠彩「クイーンズガーデン バイ ケイトゥー(QUEEN’S GARDEN by K-two)銀座」エグゼクティブディレクター(以下、谷口):私はダリアからの紹介で「シンピュルテ」を使い始めました。日頃からシャンプーやボディソープは3種類程度香りの違うものお風呂場に置いていt、気分で使い分けるぐらい香りを重要視しています。なので、「シンピュルテ」は香りで選べるところがまずお気に入り。コロナ禍を経てマインドフルネスというキーワードにも親しみができて、機能性も大事だけど癒やされたいという気持ちが大きくなりました。そんな自分自身にすごくフィットしたブランドです。ヘアメイクとしても活動しているので、現場でフレグランスを吹きかけて空間づくりをすることも。パッケージが可愛いからこちらから提案せずとも、興味を持ってもらえて話が広がります。

PROFILE: 谷口翠彩/「クイーンズガーデン バイ ケイトゥー 銀座」エグゼクティブディレクター

谷口翠彩/「クイーンズガーデン バイ ケイトゥー 銀座」エグゼクティブディレクター
PROFILE: (たにぐち・みどり)2009年「ケイトゥー(K-two)」に入社。女性らしい柔らかさのあるアンニュイなヘアデザイン、メイクに定評あり。サロンワークの傍ら、ヘア&メイクアップアーティストとしても活動。女性誌やイベント、セミナーなど幅広く活躍する Instagram:@xxmido_txx PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:世の中にはたくさんのヘアオイルが溢れています。その中でも「シン ピュルテ」がこれほど支持されている理由は?

谷口:ヘアオイルは本当に差別化が難しいと思います。テクスチャーの人気には傾向がありますが、お客さまに違いを伝えるのはなかなか難しいんです。そうなると香りとパッケージが重要ですよね。私だけでなくスタッフからもそう聞きます。「シンピュルテ」はヘアサロンへの導入が始まった当初からセミナーなどを担当させていただいていて、当サロンでも早い段階から取り扱いをスタートしました。

“トゥーグッド マルチベネフィットオイル”は同じテクスチャーで香りが3種類あるので、シンプルに好きな香りで選べるのが良いんです。女性は毎日ヘアスタイルにもファッションにも気を配っているから、香りまで作り込むとさらに気持ちが上がると思うんです。1つを使い続けるとマンネリに陥りがちなので、香りのバリエーションが欲しいことも。そんなときに純粋に香りで選べるのはメリットだと思います。複数買いしていただいたり、使い切ったら違う香りを購入する方もいますよ。テクスチャーによって香りが違うアイテムも市場にはありますが、重いテクスチャーが好きだけど香りは軽い方が好きといったミスマッチが生じてしまうことも。香りが好みでないと選択肢から外れてしまうので、香りはとても重要です。

中島:開発時の思いとしては、本当の意味でマルチオイルが作りたかったんです。肌にすっとなじんで、髪への保湿感も十分に得られるようなフォーミュラにこだわりました。

谷口:たしかに商品名に「ヘアオイル」と入っていないのも良いですよね。ヘアメーカー発のオイルはマルチオイルをうたっていても、なんとなく体につけることに抵抗感があるんです。もちろんいい商品だけれど髪の毛のためのものというイメージが強いと言いますか。その点、「シンピュルテ」はスキンケアブランドのイメージが定着しているので、お風呂上がりのボディケアにも使いやすいですよね。

「いいブランドを教えてくれる人」の
イメージが作れるブランド

WWD:「シンピュルテ」にとってヘアサロンはどのような売り場でしょうか?

上妻:ヘアサロンは商品を直接顧客に提供し、体験していただく場として非常に重要であり、商品とブランドを磨き上げるための絶好の場です。サロンを通じてブランドの信頼性を高め、市場でのポジショニングを強化していきたいと考えています。

WWD:サロン流通と一般流通をまたぐブランドは数少ないと思いますが、美容師目線ではどう捉えていますか。

谷口:「シンピュルテ」の取り組みとしてヘアケアアイテムはサロンで、スキンケアなどは直営店で、というのは良い取り組みだと思っています。サロンで「シン ピュルテ」を知ったお客さまがセミセルフショップでスキンケアを購入したという報告を受けることもあります。そして「ヘアオイルは売ってなかったんです」と聞くこともあって、ヘアケアはサロンでプロの手から購入してもらうことができるのはありがたいです。また「シンピュルテ」を紹介するときに、「実はスキンケアもあるんですよ」とお話しすると興味を持ってくださることも多いんです。商品がオイルだけだとアプローチしにくいですが、ビューティに力を入れているブランドとして切り口がたくさんあるので話のネタがつきません。

WWD:一般流通もあることがブランドの魅力になっている?

谷口:そう思います。私は「シンピュルテ」のシートマスクが大のお気に入りなのですが、お客さまにはプレゼントや自分へのご褒美にお勧めすることも。実はヘアオイルをきっかけにスキンケアを購入したという声も聞くことが多いんです。ハイクオリティなのに、価格帯も手に取りやすく、セミセルフの売り場で購入できるので、男性からも好評です。もしかしたらサロンでレジ横商品として1枚から購入できたら面白いかもしれません。サロンではスキンケアのタッチアップがなかなかできないので、フルラインナップ欲しい人は別の場で。直接的に店販として売り上げにつなげようというよりも、きっかけをサロンが作るという考え方が適しているのかもしれません。美容師としては「いいブランドを教えてくれる人」のイメージがつくと、お客さまからの信頼につながります。生涯顧客を育むことにもつながります。「シンピュルテ」はそんなアプローチができるブランドです。

中島:最近はサロン流通のスキンケアブランドも登場していますが、さまざまな障壁も感じています。谷口さんがお話ししているような広がり方が受け入れられやすいのかもしれませんね。「シンピュルテ」の導入サロンはしっかりとトレンドやお客さまのヘアデザインと向き合っているサロンが多い印象です。ブランドイメージとマッチしていることもあってか、販売数も伸びています。何よりも「マインドフルビューティ」というコンセプトはこれまでのサロン市場にはなかったものなので、差別化につながっていると考えています。

WWD:「シンピュルテ」として今後サロン市場で取り組みたいことを教えてください。

上妻:現代は商品も情報もチャネルもさまざま。その中でも美容師がヘアデザインを作る中で商品を使い、スタイリングし、使い方を説明するヘアサロンでの体験は、とてもリッチな購買体験です。「シンピュルテ」は美容室を通して販売することは顧客体験に魅力を感じています。今後は、サロン専売製品のラインナップを拡充し、サロン向けのサービスとコミュニケーションを強化したいと考えています。さらに、ファッションブランドやアーティストとのコラボレーションを通じて、サロン顧客に響くプロモーションを展開し、市場をさらに広げる予定です。ファッションとビューティの架け橋としての役割を担うことも目指しています。

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韓国のメイク・スキンケア・ヘアの2024年秋冬トレンドは? ウォン・ジョンヨらが徹底解説

最近、渡韓の目的の1つとして、「プロにヘアメイクをしてもらい、ポートレイト写真を撮る」人が急増しているという。日本でも東京・原宿エリアに「韓国ヘアメイクサロン」が続々オープンしており、10月には韓国ヘアメイクとプロカメラマンによる撮影が体験できるスタジオ「RIZZ」(渋谷区・神宮前)がオープンした。同店にはINIやIS:SUEも担当するヘアメイクアーティストが在籍する。最もリーズナブルなAプランは、アーティストがヘアスタイリング&メイクを行い、セルフ撮影で撮影データは全て提供、3枚までレタッチが無料。120分コースで価格は3万8500円。最上位の「Dプラン」は、現役チーフヘアメイクアーティストがヘアメイクを行い、プロフェッショナルカメラマンが撮影する11万円のプランだ。

「RIZZ」はオープン以降、20〜30代の女性を中心に予約が絶えず好調だという。そこで今回は、最新の韓国トレンドに精通するパク・ネジュ「ビット&ブート(BIT&BOOT)」CEO兼ヘアアーティスト、同サロン共同代表で、コスメブランド「ウォンジョンヨ(WONJUNGYO)」の監修を務めるメイクアップアーティストのウォン・ジョンヨ氏、カン・ハンナ「ミラリ(MIRARI)」代表に、「ヘア」「メイク」「スキンケア」のネクストトレンドについて聞いた。

PROFILE: パク・ネジュ/「ビット&ブート(BIT&BOOT)」CEO

パク・ネジュ/「ビット&ブート(BIT&BOOT)」CEO
PROFILE: 2018年に韓国・清潭洞に美容室「ビット&ブート(BIT&BOOT)」をオープン。EXO、BTS、パク・ボゴムなど、多くの芸能人を担当。最近導入した「ネジュ(NEJOO)」“Don’t Wash Treatment”(150mL、3960円)が好調だ。パク・ネジュ氏の施術指名はできないが、「NAVER(ネイバー)」(韓国語のみ対応)からは「ビット&ブート(BIT&BOOT)」でのカットやカラーの予約が可能。最近では、ユーチューバーのはじめしゃちょーが来店し話題になった PHOTO:HARUYO ITO

――― 24年秋冬、韓国の「ヘア」トレンドは?

パク・ネジュ(以下、パク):24年春夏は、メンズ&ウィメンズともにブリーチ、ハイトーンがトレンドだった。メンズはロングヘアが人気で、女性はストレートヘアのムードだった。秋冬になるにつれ、男女共にダークブラウンなど重みのあるカラーが主流になっていく。また、女性ではウェーブの中でも、根元から細かく強くかける「ヒッピーパーマ」が流行するだろう。前髪にもヒッピーパーマをかけて仕上げるのがポイントだ。

韓国でのヘアトレンドは、世界的メゾンのアンバサダーを務める芸能人がけん引している。ブランドの広告で、どのようなコーディネート、ヘア、メイクをしているのかは、クリエイターを含めて多くの人が参考にしている。

――― 日本では「パーソナルカラー」が浸透し、ヘアカラーの参考にする人も多いが、韓国では?

パク:韓国でもここ1~2年はパーソナルカラーがとても流行していたが、僕個人としては固執しすぎているようにも思う。ヘアカラーで大切にしたいのは、その人の肌のトーンだ。肌トーンが明るいのか暗いのか、目の色、眉の色に合わせて選ぶことが多い。もともとの地肌が明るい人はブリーチで明るくするか思い切って暗い色にすると似合う。一方で肌のトーンが暗めの人は、どのカラーが最も肌を明るく見せてくれるかを見極める必要がある。顧客にも、その人の肌トーンを最も美しく見せるカラーを提案している。

――日本と韓国でトレンドスタイルに差はある?

パク:韓国では、最近、全体的にボリュームを抑えたスタイルにポイントカラー、またはデザインが入ったスタイルを多く手掛けている。日本は韓国よりもブラウンカラーのバリエーションが豊富で、スリックやウェットなスタイルが多い印象だ。

―――愛用しているアイテムは?

パク:「ダシュ(DASHU)」“エアリーポリッシュオイル”(100mL、2612円※編集部調べ)は軽いテクスチャーでウェットスタイルによく使う。「カーリーシール(CURLYCHYLL)」“スタイル グラビティ ワックス”(100mL、3060円※編集部調べ)は、ナチュラルに仕上げたいときに。「エルネット(ELNETT)」“エルネット サテン <ローズフレグランス>”(207g、1540円※編集部調べ)は、キープ力があるハードスプレーで、1日に何回か髪型をチェンジする仕事現場でも重宝している。


PROFILE: ウォン・ジョンヨ/「ウォンジョンヨ(WONJUNGYO)」ブランドプロデューサー

ウォン・ジョンヨ/「ウォンジョンヨ(WONJUNGYO)」ブランドプロデューサー
PROFILE: 2008年からメイクアップアーティストとして活動を開始。ソヒョン(少女時代)、LE SSERAFIMなど韓国トップアイドルや女優を担当するメイクアップアーティストとして活躍。TWICE 9人中4人のメイクを専属で担当し、涙袋メイクの第一人者としても知られる

――― 24年秋冬、韓国の「メイク」トレンドについての見解は?

ウォン・ジョンヨ(以下、ウォン):ベースメイクは長くツヤ肌ブームだったが、これからはツヤ過ぎないセミマットが流行りになるだろう。ハイライトやリップは、引き続きツヤ感のあるアイテムを。カラーは、あまり派手すぎないカラーが引き続き人気を集める。

――― 現在、韓国で特に人気が高まっているメイクの特長は?

ウォン:自然で軽いメイクがトレンドになっている。そのため、 彩度が高くラメ感が強いメイクよりも、自然な血色感を出すようなメイクが特長になっている。幼く見える童顔メイクへの関心も依然として高く、顔をできるだけ小さく短く見せるために、ハイライトとシェーディングで顔の輪郭を補正するメイクが注目を集めている。最近は、日韓の流行は似通っていて、国境を越えたトレンドの違いがほとんどなくなってきたように感じる。

――― 愛用のメイクアップアイテムは?日本でも購入できる?

ウォン:「ウォンジョンヨ」では、“ウォンジョンヨ トーンアップベース 02 ライムイエロー”(25g、1430円)“ウォンジョンヨ モイストリッププライマー”(1430円)“ウォンジョンヨ Wデイリームードアップパレット 04クライローズ”(2420円)を特に使っている。他にも、「スナイデル ビューティ(SNIDEL BEAUTY)」“スキン グロスキン グロウ ブラッシュ”(全6色、各3300円)、「シセイドウ(SHISEIDO)」“シンクロスキン セルフリフレッシング コンシーラー”(全4色、各4400円)、「RMK」“ピュア コンプレクション ブラッシュ”(全10色、各3630円)を愛用している。


PROFILE: カン・ハンナ/「ミラリ(MIRARI)」代表

カン・ハンナ/「ミラリ(MIRARI)」代表
PROFILE: 20年11月に100%ヴィーガンコスメブランド「ミラリ」を創業。コスメキッチンとの共同開発にて2年半以上の歳月をかけてつくり上げた“ミラリ オーガニック”は、世界初の韓方オーガニックスキンケアライン。オリジナルのコンプレックス原料とともに3アイテム全てが韓国発のCOSMOSオーガニック認証(KTR、CONTROL UNION)を取得

―――24年秋冬、韓国の「スキンケア」トレンドは?

カン・ハンナ(以下、カン):韓国ではスキンケア市場で「スキニーマリズム(Skinimalism)」が新しいトレンドとなっている。これは、スキンケア(Skin-care)とミニマリズム(minimalism)を組み合わせた造語で、スキンケアから化粧までの過程で製品を 5つまでしか使わない、できるだけシンプルなもので自分の美を整えることを指す。もうひとつは、「スローエイジング(Slow Aging)」。アンチエイジングの概念とは異なり、年齢に合った自然体の自分を大事にしながら、ゆっくりと年を重ねるため丁寧に肌を管理するスキンケア方法を意味する。「スローエイジング(Slow Aging)」トレンドの影響で、様々なブランドから「抗酸化アンプル」や「毛穴美容液」が出ている。具体的には、「ディマル3(DEMAR3)」の“シグネチャーエストゥードプロテクター5.2 アンプル”(170mL、8468円※編集部調べ)、「ドクターディファレント(DR.DIFFERENT)」“シーキュー アンチオキシダント セラム”(15mL、5600円※編集部調べ)などだ。

――― 現在、韓国で注目されはじめている「美容成分」は?

カン:「ペプチド」など肌の弾力やシワケアに期待できる成分が注目を集めている。この流れは韓国だけではなく、イギリスのあるコスメ専門メディアでも2024年のスキンケアトレンドTOP5の1位に「ペプチド」が選ばれるほどグローバルな動きだ。「ペプチド」は人の肌に刺激を与えないやさしい成分でありながら、吸収率が高く、安全性が高いことも含め、「スローエイジング」の注目成分として開発が進んでいる。

日本のスキンケアトレンドの中心は主に「原料」があると思うが、韓国のスキンケ アトレンドは「原料」だけでなく、結果として「どんな肌に仕上がるのか」がいちばんホットな印象だ。韓国では、「毛穴」「鎮静」「トーンアップ」などのワードがトレンドの中心にある。

―――愛用しているスキンケアアイテムは?

カン:韓国でトレンドとなっている「スローエイジング」ケアを私も最も大事にしている。歳を重ねていくことには抵抗感がないものの、ゆっくりゆっくりと歳を重ねていくような健康的な肌を目指す。そのためには日常から自然由来のものを中心としたエイジングケアが大事になるので、「ミラリ オーガニック(MIRARI ORGANIC)」“コンセントレーティッドバランスローション”(120mL、4180円)、“グローイプランツセラム”(30mL、5830円)、“トリートメント モイスチャークリーム”(52mL、5060円)の3ステップをベースに日によって美容オイルやマスクパック、アイクリームを加える。「タリサカウム(TALITHA KOUM)」“HMバリアマルチバーム”(9g、9000円※編集部調べ)、「ミラリ(MIRARI)」“more calm down Facial Treatment Mask”(5枚入り、2750円)、「ソルファス(SULWHASOO)」“コンセントレート ジンセン リニューイング アイ クリーム”(20mL、12990円)を使っている。

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Z世代に支持されるSNS、BeRealが広告表示を開始 Voodoo傘下で収益化目指す

今年6月にフランスのゲーム会社Voodooに買収されたBeReal(ビーリアル)は、利用者の64%が20歳未満(今年9月時点)という若いユーザーから圧倒的支持を集めるソーシャルプラットフォームだ。ユーザーの81%が毎日投稿を行い、他のソーシャルプラットフォームと比較し高いエンゲージメントを獲得している。

Voodoo傘下になったBeRealの舵を切る新CEOは、VoodooでSNS関連サービスをけん引してきたアイメリック・ロフェ(Aymeric Roffe)。Voodoo傘下になったことで、より経済的に安定し、幅広いネットワークを持ったBeRealは、今後も躍進的なアップデートを続けることだろう。実際に7月には広告機能を追加し、「広告がないSNS」というBeRealのイメージを覆した。その意図や特徴について、ロフェCEOが回答してくれた。

PROFILE: アイメリック・ロフェ/BeReal CEO

アイメリック・ロフェ/BeReal CEO
PROFILE: PROFILE:幼い頃からテクノロジーに関心を持ち、14才の時にプログラミングを学び始める。Voodooの子会社Wizzを立ち上げた。今年6月にVoodooが買収したBeRealの新CEOに就任

Voodoo傘下になったBeReal
買収の背景とメリット

WWD:BeReal買収とCEO就任の経緯とは?
アイメリック・ロッフェ=BeReal CEO(以下、ロフェ):BeRealは成長を続ける中で、経済的に持続可能な未来を築く経験を持つ企業と提携することが大きなメリットになると考えていた。その企業こそがVoodooであり、それ以来、私達は共に前進し続けることを決めた。両社は価値観やZ世代へのアプローチが一致しており、タイミングも絶好の機会だったため、買収はうまく進んだ。

Wizzでの経験や、ソーシャルメディアプラットフォームへの情熱が、CEO就任の決断を容易にした。私はBeRealが業界にもたらす従来とは異なるソーシャルメディアの視点に共感している。現代において本物の、そしてリアルなつながりを見つけることの重要性を強く感じてきた。この挑戦を引き受けられることは大変光栄であり、今後がとても楽しみだ。

WWD:買収により、VoodooとBeRealが受ける恩恵とは?
ロフェ: BeRealの強みは、ユーザーに新しい挑戦をさせるパワーにある。ありのままの自分を見せ、本物のつながりを作り、ソーシャルメディアに対して恐れずに挑む姿勢を促している。一方でVoodooは、ユーザーの増加計画や収益戦略の構築、そしてこれらをユーザー体験を損なうことなく実現することに貢献できる存在だ。そこにこそ、VoodooがBeRealを次のレベルへ引き上げる大きな役割があると感じている。

逆にBeRealはVoodooに新たな専門知識と新たなオーディエンスをもたらしてくれるだろう。BeRealのデータベースによりZ世代のニーズをより理解し、どのように彼らに向けたサービスを提供し成長させていくかを学ぶ貴重な機会を得られる。そのため、今の私達の焦点はBeRealの独自性を保ちながら成功させることである。

7月に追加した新機能
“インフィードネイティブ広告”

WWD: 新体制が掲げる目標とは?
ロフェ:現時点では具体的な数字を伝えることはできないが、まずはユーザー数の増加や収益の確保を視野に入れている。BeRealは、友達と一緒に楽しむことでより良い体験が得られると信じているため、引き続きユーザーベースの拡大を図る必要がある。

WWD:7月に導入した広告機能の特徴とその強みとは?
ロフェ:BeRealの広告に対するアプローチはとてもユニークで、競合他社とは一線を画していると思う。最大の特徴は、アプリの機能と投稿形式の両方において“リアル”を大切にしている点だ。通常投稿と同様、広告も前後のカメラで撮影したようなフォーマットを採用している。従来の広告とは違うスタイルで、ユーザーとより深くつながる機会を提供したい。1日限定で広告枠をすべて買い切ることができるプランも展開している。

WWD:現時点でどのような人がBeRealの広告機能を利用し、どのような反響を得ているのか?

ロフェ:現在は主にZ世代をターゲットにした様々な業界のブランドやサービスと提携している。BeRealのユニークな形式は、ユーザーとブランドがコミュニケーションを取ることで高い熱量が生まれることだ。日本ではNetflixと初のキャンペーンを行い、他のプラットフォームではなかなか得難い高いクリック率を達成した。このように、企業がBeRealのコンセプトやスタイルを上手く活用すれば素晴らしい結果を得ることができる。

WWD:広告機能をつけることで、既存のファンを失う可能性はないのか?
ロフェ:私たちが注力している広告は、独自の形式と信憑性を大切にする姿勢を活かしており、ユーザーが普段目にする広告とは違った体験を提供している。例えば、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のBeReal投稿を見られるとしたら、ユーザーはそのバッグがどのように作られているかを知ることに興味を持つだろう。従来の広告とは違う感覚で受け止めるため、ユーザーをがっかりさせることはないと考えている。これこそが我々が広告を行う意義だろう。

日本での広告事例はまだ少ないものの、若い世代に向け圧倒的な影響力を持つBeReal。すでに一部の企業では、この“インフィードネイティブ広告”を活用したプランの提案をスタートしている。

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ドラバラコスメに一石を投じる新ブランド「シンビ メソッド」 ほぼ2000円以下の成分推しスキンケア

ストーリアが、ドラッグストア・バラエティーストア(以下、ドラバラ)向けの新ブランド「シンビメソッド(SHIMBI METHOD)」を立ち上げた。アゼライン酸やバクチオール、ナイアシンアミド、ビタミンCなど、それぞれの成分に特化した美容液を筆頭に、シートマスクや化粧水、クレンジング、洗顔料の全16種をそろえる。価格帯は330〜3520円。全国のマツモトキヨシグループやココカラファイングループ、トモズ、ドンキ・ホーテ、ロフトなどの一部店舗、アマゾンや楽天市場、公式ECなどで取り扱う。将来的に海外進出も視野に入れる。

同社によると、美容医療市場は「より身近な存在となりカジュアルになってきた」と分析。この背景から、スキンケア市場でメディカルコスメやドクターズコスメが台頭し、“成分特化”のコスメも増えているという。独自のアンケート調査においても、商品購入の決め手で価格の次に成分を重視する傾向が強いという結果が出た。

一方で「選ぶのが難しい」「他の成分と併用していいのか分からない」といった悩みを抱えている声も散見された。ブランド担当者は、「今は、1成分に特化した商品構成のブランドが多い。しかし、消費者は1成分につき1アイテムで満足していて、ラインで使わない人が大半だ」と話す。そこで、消費者ニーズに寄り添うブランドとして、支持の高い各成分をそれぞれ商品に落とし込んだアイテムをラインアップする。

主力の美容液は6種を用意。成分の配合率を商品名にしているのが特徴で、スポッツ美容液“ダーマセラム アゼライン酸 15%”(15mL、1980円)をはじめ、“ダーマセラム アゼライン酸5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ビタミンC誘導体5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ナイアシンアミド30%”(30mL、1980円)、“ダーマセラム バクチオール1%×レチノール誘導体”(15mL×2、3520円)に加え、“薬用ダブルホワイトニングセラムA”(30mL、1980円)を用意する。

化粧水は2種(120mL、各1760円)を用意。水を一切使わない「ボタニカルハーブの蒸留水」から生まれた化粧水“ダーマローション ハーブボタニカルウォーター92%”と水を一切使わず、水の代わりにシルクウォーターを83%配合した“ダーマローション シルクウォーター83%”を展開する。

洗顔料は、竹炭とクレイの力で毛穴ケアをする泡洗顔料“ダブル酵素洗顔フォーム”(120mL、1200円)の1アイテムを用意。ロフトの先行販売で「即完売した」という。メイク落とし“トリプルレイヤークレンジング”(150mL、1800円)は3層タイプで、クリアな肌に整える。

フェイスマスクは6種(各330円)を用意。共通でCICAエクソソーム(ツボクサ葉小胞)を配合。レチノール、アゼライン酸、ビタミンC、ナイアシンアミド、ティーツリー、セラミドの6成分別に配合する。

“成分迷子”をサポート

「シンビメソッド」は、「クリニック品質をお家で毎日体感できるように」という思いで誕生した。ブランド名は「審美眼を持って選ぶ」「真の美しさを求める」から由来する“シンビ”と“メソッド”を掛け合わせた。コアターゲットは20〜40代の女性で、手に取りやすい価格帯にもこだわった。「毎日のスキンケアに取り入れやすく、気兼ねなく使い続けられるような価格設定にした」。

店頭の棚は、ブランドの世界観を「しっかり伝えられる」広さを確保。棚には、NFC機能ツール「momenTouch」を使い、美容メディア「ヴォーチェ(VOCE)」のコンテンツ「美容成分辞典」と連動して、スマートフォンで成分情報を確認できる仕組みを導入した。「『成分がわからない』という“穴”を埋められるようにしたかった」と、機会ロスを防ぐ。

菱谷圭吾ストーリア社長は、「お客さまの肌悩みを解決することがブランドの存在理由だ」と強調する。初年度は店頭でブランドの世界観を十分に伝えられるパートナーと組み、日本市場での確固たる基盤を築く考えだ。「日本の化粧品の基礎技術は世界で注目されている。『シンビメソッド』は日本の基礎技術の伝統に敬意を払いながら、イノベーションを起こし、“成分美容”を世界中に広げていきたい」と青写真を描く。

ラインアップする16アイテム

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ドラバラコスメに一石を投じる新ブランド「シンビ メソッド」 ほぼ2000円以下の成分推しスキンケア

ストーリアが、ドラッグストア・バラエティーストア(以下、ドラバラ)向けの新ブランド「シンビメソッド(SHIMBI METHOD)」を立ち上げた。アゼライン酸やバクチオール、ナイアシンアミド、ビタミンCなど、それぞれの成分に特化した美容液を筆頭に、シートマスクや化粧水、クレンジング、洗顔料の全16種をそろえる。価格帯は330〜3520円。全国のマツモトキヨシグループやココカラファイングループ、トモズ、ドンキ・ホーテ、ロフトなどの一部店舗、アマゾンや楽天市場、公式ECなどで取り扱う。将来的に海外進出も視野に入れる。

同社によると、美容医療市場は「より身近な存在となりカジュアルになってきた」と分析。この背景から、スキンケア市場でメディカルコスメやドクターズコスメが台頭し、“成分特化”のコスメも増えているという。独自のアンケート調査においても、商品購入の決め手で価格の次に成分を重視する傾向が強いという結果が出た。

一方で「選ぶのが難しい」「他の成分と併用していいのか分からない」といった悩みを抱えている声も散見された。ブランド担当者は、「今は、1成分に特化した商品構成のブランドが多い。しかし、消費者は1成分につき1アイテムで満足していて、ラインで使わない人が大半だ」と話す。そこで、消費者ニーズに寄り添うブランドとして、支持の高い各成分をそれぞれ商品に落とし込んだアイテムをラインアップする。

主力の美容液は6種を用意。成分の配合率を商品名にしているのが特徴で、スポッツ美容液“ダーマセラム アゼライン酸 15%”(15mL、1980円)をはじめ、“ダーマセラム アゼライン酸5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ビタミンC誘導体5%”(30mL、1760円)、“ダーマセラム ナイアシンアミド30%”(30mL、1980円)、“ダーマセラム バクチオール1%×レチノール誘導体”(15mL×2、3520円)に加え、“薬用ダブルホワイトニングセラムA”(30mL、1980円)を用意する。

化粧水は2種(120mL、各1760円)を用意。水を一切使わない「ボタニカルハーブの蒸留水」から生まれた化粧水“ダーマローション ハーブボタニカルウォーター92%”と水を一切使わず、水の代わりにシルクウォーターを83%配合した“ダーマローション シルクウォーター83%”を展開する。

洗顔料は、竹炭とクレイの力で毛穴ケアをする泡洗顔料“ダブル酵素洗顔フォーム”(120mL、1200円)の1アイテムを用意。ロフトの先行販売で「即完売した」という。メイク落とし“トリプルレイヤークレンジング”(150mL、1800円)は3層タイプで、クリアな肌に整える。

フェイスマスクは6種(各330円)を用意。共通でCICAエクソソーム(ツボクサ葉小胞)を配合。レチノール、アゼライン酸、ビタミンC、ナイアシンアミド、ティーツリー、セラミドの6成分別に配合する。

“成分迷子”をサポート

「シンビメソッド」は、「クリニック品質をお家で毎日体感できるように」という思いで誕生した。ブランド名は「審美眼を持って選ぶ」「真の美しさを求める」から由来する“シンビ”と“メソッド”を掛け合わせた。コアターゲットは20〜40代の女性で、手に取りやすい価格帯にもこだわった。「毎日のスキンケアに取り入れやすく、気兼ねなく使い続けられるような価格設定にした」。

店頭の棚は、ブランドの世界観を「しっかり伝えられる」広さを確保。棚には、NFC機能ツール「momenTouch」を使い、美容メディア「ヴォーチェ(VOCE)」のコンテンツ「美容成分辞典」と連動して、スマートフォンで成分情報を確認できる仕組みを導入した。「『成分がわからない』という“穴”を埋められるようにしたかった」と、機会ロスを防ぐ。

菱谷圭吾ストーリア社長は、「お客さまの肌悩みを解決することがブランドの存在理由だ」と強調する。初年度は店頭でブランドの世界観を十分に伝えられるパートナーと組み、日本市場での確固たる基盤を築く考えだ。「日本の化粧品の基礎技術は世界で注目されている。『シンビメソッド』は日本の基礎技術の伝統に敬意を払いながら、イノベーションを起こし、“成分美容”を世界中に広げていきたい」と青写真を描く。

ラインアップする16アイテム

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植野有砂が「LUMIX S9」と共に切り取る、日常と自分らしさ

植野有砂:(うえの・ありさ)1989年12月21日生まれ、東京都出身。学生時代はティーン誌のモデルとして活動。現在はコンテンツクリエイターやDJなどマルチな肩書きで世界中を飛び回る。2018年に米ビルボードの「Hot 100」に日本人アーティストとしてランクイン。公式インスタグラム(@alisaueno)のフォロワー数は60万人超え、ユーチューブ公式チャンネル「Alisa Ueno」の登録者数は15万人を超える(2024年10月現在)
コンテンツクリエイターやDJとして、日本のみならず世界を飛び回る植野有砂。彼女のSNSを見ると、ファッションやライフスタイルなど、その土地土地で収められた写真がずらりと並ぶ。写真のクオリティーの高さはもちろんのこと、彼女の何気ない日常が切り取られたSNSは、まるで一冊のアルバムを見ているかのよう。そんな植野が、パナソニックのフルサイズミラーレス一眼カメラ「LUMIX S9」を片手に、ロンドンと京都へトリップ。彼女ならではの視点で切り取った一枚のストーリーを教えてもらいながら、「LUMIX S9」の魅力について語ってもらった。

撮影の可能性を広げてくれる、小さき相棒

インフルエンサーとしてもファンから支持を得ている植野は、インスタグラムの投稿やユーチューブの配信など、常に発信する日々を送っている。撮影の相棒となるカメラは、毎日の生活において欠かせないアイテムだ。「ユーチューブを撮影することもあり、カバンの中には必ずカメラ1台を入れています。コンデジや平成デジカメなどもいれると、20台ほど所有していますね」。植野が日常的にカメラを使うようになったのは、学生時代に始めたブログがきっかけ。「写真を撮ることは 私にとっては“記憶と記録”であり、生活の一部なんです。さまざまなカメラに触れながらスペックや色味の違いなどを自分なりに勉強しながら、表現の幅を広げてきました。SNSへの投稿が多いため、コントラストや明るさを手軽に調整できるのもカメラに求めるポイントですね」。
そんな植野が使用した「LUMIX S9」は、“SNSライフを革新するカメラ”をテーマに開発されたモデル。日常で持ち運びやすい約403g(本体のみ)という小型軽量に加え、主にSNS投稿においてカメラを使う彼女にぴったりな機能が充実している。「旅行や出張先では、重厚感のある一眼レフだと持ち運ぶには不便。でも『LUMIX S9』はコンパクトなサイズ感にもかかわらず、一眼ならではの高画質で驚きました」。
スマホ用アプリ「LUMIX Lab」と連携して使うことで、編集スキルがなくても撮影した写真と動画の色味などをコントロールしながら、その場でSNSに簡単に投稿できるのも「LUMIX S9」の特徴だ。「リアルタイムLUTは、コントラストが強いものやフィルムのようなレトロな質感など、自分好みに合わせて使えるフィルターが豊富。カメラ1台で自由な表現を楽しめますね」。なかでも植野がお気に入りなのは、自撮りがしやすいこと。「レンズが広角なうえに、背面にフリーアングルモニターが付いているので、さまざまな角度に向けて確認できるのがうれしい。手ブレ補正してくれるので、歩きながらの撮影にも便利。ボディーのフラットなデザインもかわいくて、友人から『どこのカメラ?』と、よく聞かれました」。

旅先で撮影したのは、
日常の何気ないワンシーン

植野は「LUMIX S9」を片手に、ロンドンと京都へ旅に出た。シャッターが切られたのは、観光名所でも食べ物でもなく、旅先で過ごした何気ないワンシーン。「LUMIX S9」は、そんな日常のふとした瞬間を彩るパートナーになってくれる。

切り離せない、
ファッションとカメラの関係性

「LUMIX S9」は “タイムレスなデザイン”を目指し、モダンとクラシカルを両立するフラットな見た目に仕上げた。グリップレスやダイヤルの埋め込みなどにより、ファッション性と機能性を備えたスタイリッシュな印象だ。ボディーのカラーを選べるエクステリア張り替えサービスも実施中(有償)。カジュアルな服装にマッチしそうなキャメルオレンジやターコイズブルー、モードなスタイルにも合うダークオリーブやナイトブルーなどから、自身のスタイリングに合わせたカスタマイズができる。ファッションアイコンとしても定評がある植野は、差し色になりそうなキャメルオレンジをピックアップ。カメラに合わせた着こなしを、2コーディネート披露してもらった。
「秋冬トレンドの一つであるレオパード柄を主役にコーディネートを組みました。カメラのオレンジ色がカジュアルなスタイルに合うと思ったので、パンツはデニムをチョイス。レオパード柄はパワフルな印象になりやすいので、柔らかなオレンジカラーで中和させて少し抜け感をプラス」
「張り感のあるリジッドデニムのセットアップで、クリーンな印象の佇まいに。濃紺にカメラのオレンジ色が映えるスタイルです。パンツの裾はロールアップして全体のバランスを調整。ガジェットとしてだけでなく、アクセサリー感覚で合わせられるのもいいですよね」

デザイン性と機能性を両立する、
SNSユーザー向けモデル

エクステリア張り替えサービス例
「LUMIX S」シリーズから、新世代フルサイズミラーレス一眼カメラ「LUMIX S9」が登場した。約403g(本体のみ)という小型軽量なボディーとフラットデザインが特徴。約2420万画素のフルサイズCMOSセンサーを搭載し、強力な静止画手ブレ補正機能で、目で見たそのままを忠実に再現する。リアルタイムLUT機能で、PCを使わずに撮影した写真を好みの色へ。アプリ「LUMIX Lab」を合わせて使えば、撮影したデータをスマホに高速転送することが可能だ。外装デザインは、有償のエクステリア張り替えサービスで「パナソニックストアプラス」から好みの色に張り替えられて、既存のボディーからキャメルオレンジ(写真左上から)、ジェットブラック、ダークオリーブ、スモーキーホワイト、ターコイズブルー、クリムゾンレッド、ナイトブルーの7色にカスタマイズできる。
PHOTOS:MIYU TERASAWA
HAIR & MAKEUP:YUKIE TSUJIMURA
TEXT:FUMIKA OGURA
問い合わせ先
パナソニック
https://panasonic.jp/dc/support.html

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ファッション業界のメンタルヘルスの問題とは? ベルリンのクリエイティブエージェンシー代表のフロリアン・ミュラーに聞く

PROFILE: フロリアン・ミュラー

フロリアン・ミュラー
PROFILE: ベルリンとパリで経営学と心理学を学び、パリではファッションPRを学んだ後、「マルタン マルジェラ」のチームに参加。ベルリンに戻ってから自身のクリエイティブ・エージェンシー、ミュラーPR&コンサルティングを設立。主に広報やイベント企画、コンサルティングの分野で活動している。ベルリンやパリのファッションウィークではイベントのゲストマネジメントを担い、東アジア諸国においてもイベントを手掛ける。国内外の大学で広報とメンタルヘルスについて教えているほか、心理療法を実践するための教育、ベルリンの危機ネットワークやベルリン商工会議所のサステナビリティ委員会でもボランティア活動を行っている。2023年1月に、ドイツユネスコ委員会と連邦教育研究省が主催するイベント「Education for Sustainable Development(ESD)」で、ファッション業界のメンタルヘルスに関する研究を発表。この発表を機に、ファッション業界での精神的な健康の重要性を提唱する活動を本格的に始動した。

ベルリン拠点のミュラーPR&コンサルティング(MÜLLER PR & CONSULTING)代表のフロリアン・ミュラー(Florian Muller)は、2023年に「Mental Health in Fashion」キャンペーンを立ち上げ、ファッション業界における精神疾患の問題をテーマに、ベルリンや日本を含むアジア諸国など世界各地で講演活動を行っている。

11月7〜10日に、パリの「ドーバー ストリート マーケット(Dover Street Market)」で開催するダイアン・ペルネ(Diane Pernet)主催のファッションに特化した映画祭「ASVOFF(A Shaded View on Fashion Film Festival)」にキュレーターとして参加することが決定している。

ミュラーは「ショーやパーティーなど華やかなイメージのあるファッション業界の裏側には目に見えない様々な深刻な問題が潜んでおり、従事する人々の精神に悪影響を与えている」という。実際にはどういったことが問題になっているのだろうか?

――「Mental Health in Fashion」キャンペーンを始めたのはなぜですか?

フロリアン・ミュラー(以下、ミュラー):20年以上にわたり、ファッション業界で仕事をしていますが、精神疾患における重要な問題が存在することに気付きました。ファッション業界に入る以前から問題を抱えている人もいれば、厳しい業界構造やプレッシャーによって新たに問題を抱えてしまう人もいます。まずは、ファッション業界における精神疾患の問題が存在することを多くの人に知ってもらい、注目を集めることで意識を変えたいと思い、キャンペーンを立ち上げました。精神疾患への差別や偏見を取り払い、可視化を図ることを目的に活動しています。また、既存の構造を変えることにも取り組んでいます。それにより、人々が病気にならないように、もしくは既存のメンタル疾患や特別なニーズがあってもより良く保護されるようにすることを目指しています。

――多様性が重要視されている時代ですが、ファッション業界における精神疾患への差別や偏見とは具体的にどのようなことですか?

ミュラー:ファッション業界における多様性はますます強調されていますが、精神疾患に関しては見落とされがちです。ファッション業界では、外見の美しさに価値が置かれる傾向がありますが、それだけでなく、ファッション業界が常に推奨する完璧なイメージ、つまり誰もが憧れる華やかな世界で抱えている問題を見たくもないし、見せたくもないのです。

また、精神的な問題を抱えていることを公表することが難しく、多くの人々は精神疾患があることによって職を失ったり、自分の評判を落とすことを恐れ、誰かに話すことさえできない。燃え尽き症候群も同様ですが、勤勉や献身の証などと見なされ、オーバーワークが美化される傾向もあります。そのために燃え尽き症候群は深刻な問題として認識されず、うつ病や不安障害など深刻な問題を抱えていてもきちんとサポートされない一因となっています。

――サステナビリティが常識となる中で、過剰消費がメンタルヘルスに悪影響を与えることはあまり知られていないように思いますが、具体的な問題とは何ですか?

ミュラー:サステナビリティはファッション業界においてトレンドや常識として描かれることが多いですが、たとえ「サステナブル」とラベルに記されているブランドであっても供給チェーン全体を保護しているとは言えません。「サステナブル」という言葉を使えば、環境に優しく、フェアトレードであるという印象を与えるかもしれませんが、実際には依然として重大な問題があり、解決もされていません。

過剰消費については、大量生産による環境への悪影響だけでなく、精神疾患に対しても深刻な悪影響をもたらしています。これは消費者だけでなく、供給チェーン全体にも同じことがいえます。例えば、低賃金の労働者は常に不安定な条件や環境に恐怖を覚え、メンタルに負担をかけています。デザイナーやモデル、PRなどは、より多く、より早く生産することへの圧力から燃え尽き症候群や他の精神疾患の問題を抱えるリスクが高まります。

しかし、消費を完全に拒否することや人々にぜいたくをさせないことが目的ではありません。身体的、精神的に健康であるだけでなく、社会的、経済的にも良好で満たされている状態を意味する「ウェルビーイング」の実現が大切だと考えています。

――メンタルヘルスの問題を抱える人に対して偏見を持ってはいけいないことは一般的にも理解されていると思いますが、正しい接し方や解決方法を理解している人は少ないのではないでしょうか?個々の意識を変え、それを行動に移すためにはどうすればよいのでしょうか?

ミュラー:普遍的な解決策は存在せず、状況ごとに考慮する必要があります。まず、ファッション業界内の構造を改革し、メンタルヘルス問題から個人を守り、既に影響を受けている人々に適切なサポートを提供することが重要です。活動を行う中で、突然発生した急性のメンタルヘルス問題にどのように対処すればよいのか分からないという企業に出会いますが、メンタルヘルスに関するタブーが存在し、影響を受けた人々やその周囲がこの話題を避ける傾向があるためです。そのような企業には、職場のリーダーが適切に対応できるようにトレーニングを行い、問題を抱える従業員をフォローするための知識を提供します。直接的な治療を提供することが目的ではなく、問題を隠さずにオープンに議論できる環境を作ることが重要です。

さらに、教育機関や企業がメンタルヘルスについて学び、どのように労働環境を改善できるかを教えることも重要です。私の授業では、学生たちに過剰消費の実践的な代替案を見つけさせ、供給チェーン全体に対する理解を深めさせ、過剰消費に伴うメンタルヘルスの負担が、労働者、モデル、デザイナー、PRなど、供給チェーン全体にどのように影響を及ぼすかについても議論しています。

――文化服装学院とエスモード東京で講演されていますが、いかがでしたか?

ミュラー:キャンペーンを始めて以来、「ファッション業界におけるメンタルヘルス」に言及することが難しいと認識しています。それは、しばしばデリケートなテーマと見なされるからです。そのため、講演の機会を与えてくれた両校にはとても感謝しています。この重要なテーマに真剣に取り組んでくれた学生たちすべてに尊敬の意も込めてとても感謝しています。学生たちが自身のメンタルヘルスに関する経験や、ファッション業界における視点を率直に共有してくれたことに非常に感動しました。まさに、私が目指しているのはこのような対話です。私が学生だった頃と比べて、今の若い世代はメンタルヘルスについてはるかにオープンであり、それが私に大きな希望を与えてくれました。

――これは少し異なるテーマですが、一部の縫製工場では劣悪な労働条件が世界的に問題視されています。たとえ肉体的にも精神的にも健康であっても他に選択肢がなく、このような状況下で働かなくてはならない弱い立場の人たちがいます。それについてはどの考えていますか?また、どのような解決策が考えられるでしょうか?

ミュラー:これは非常に複雑な問題であり、簡単に答えを出すことはできません。選択肢が限られている人々は不安定な状況に置かれているか、または、そのような状況に無理やり押し込まれていることが多いです。サプライチェーンの末端の状況は、ファッションブランドの華やかなイメージの中で見落とされがちだからです。理想としては、各国がこれらの脆弱なグループを保護し、生活費をカバーする最低賃金を義務付けることが望ましいです。また、労働者が医療だけでなく、心理的なケアも受けられることが望ましいですが、これは労働条件が根本的に変わる場合に限ります。解決策としては、これらの人々をさらに耐えさせるのではなく、労働構造を根本的に変える必要があります。消費者として、そしてファッション業界全体として、世界中で適切な労働条件を確保する責任を果たすことが重要です。

重要なのは、私たち消費者が自分たちの購入行動がどのような結果をもたらしているかを問い直すことです。不思議なほど安価な服を購入する際、誰でも平等に利益を得ているとは考えにくいです。高価なブランドだからと言って必ずしも品質が良いとは限りません。したがって、消費者は服がどのように、どのような条件で生産されているのかに知ることが望ましいです。多くの人にとって不快なことかもしれませんが、自分自身の消費習慣を問い直し、フェアトレードでないブランドを支持しないことが重要です。フェアな労働条件を守っているブランドもありますが、西洋諸国のプレスリリースで良いように見えるプログラムや良いポジションに就いている従業員向けの保育オプションなどが、実は劣悪な条件で働くサプライチェーン末端の人々の犠牲になっていることもあるのです。

――映画祭「ASVOFF」で「Mental Health in Fashion」をカテゴリーに追加し、キュレーションを手掛けることになった経緯を教えてください。

ミュラー:ダイアンとは20年来の付き合いになりますが、実は私がファッション界で初めて出会った人が彼女なのです。それ以来、さまざまなサポートをしてくれています。私も彼女のファッションプラットフォーム「A Shaded View on Fashion」で執筆をしたり、「ASVOFF」のゲスト管理の手伝いやサステナビリティー部門の審査員も務めたことがあります。前回の映画祭の際に「Mental Health in Fashion」キャンペーンについてダイアンに話し、新たなカテゴリーとしてキュレーションしたいと提案したところ、すぐに承諾してくれました。

精神疾患の問題を教育の場だけでなく、ファッション業界内でも直接可視化することが重要だと考えています。「ASVOFF」のようなファッション界の重鎮たちが集まるイベントは完璧なプラットフォームですし、この機会を持てたことを大変光栄に思っています。

――「ASVOFF」では、どのようなメッセージを伝えたいですか?

ミュラー:「ASVOFF」で「Mental Health in Fashion」カテゴリーを導入することによって、ファッション業界に大きな影響を与えることを期待しています。デザインスタジオや生産工場、そして、消費者行動における精神疾患の問題について意識を高め、差別や偏見を減少させ、ファッション業界がウェルビーイングに与える影響や課題をサプライチェーン全体で浮き彫りにすることが目標です。

審査員には、ソッツァーニ財団のクリエイティブディレクターのサラ・ソッツァーニ・マイノ、GmbHデザイナーのベンジャミン・アレクサンダー・ヒューズビー、「VOGUE」や「i-D」などを手掛けるエディターのアレクサンドラ・ボンディ・デ・アントニアを始めとするファッション、心理カウンセリング、クリエイティブアーツの分野における専門家8名を選びました。彼らの独自の視点が、ファッションとメンタルヘルスの関連性を深く理解する手助けをしてくれると期待しています。

――今後のビジョンと目標について教えてください。

ミュラー:将来的には、日本を含む様々な国でこのキャンペーン活動を拡大したいです。精神疾患の問題というテーマがどれだけ早く進展し、ファッション業界の多くの人が積極的に取り組んでいるかを実際に見たいです。最終的な目標は、一時的なトレンドではなく、問題に対する意識を長期間に渡って高め、持続可能でポジティブな変化を社会全体にもたらすことです。

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アパレルリサイクルのショーイチ、孤児や避難民支援にも注力 「自分たちの得意分野で社会の役に立ちたい」

アパレルの余剰在庫買い取り大手のショーイチ(大阪、山本昌一社長)は、近年衣料品のリサイクル事業にも注力している。ショーイチが国内産地の反毛業者などと組んで進めているリサイクルの仕組みは、協業相手やその品質に対して厳しい基準を持つラグジュアリーブランドにもじわじわと支持を広げている。そんなショーイチは2019年から、「TASUKEAI 0 PROJECT(以下、たすけあいプロジェクト)」という名称で、社会貢献活動にも取り組んでいる。

個人的なストーリーが貢献活動の原点

「たすけあいプロジェクト」は、ショーイチが企業から衣料品を買い取り、衣料品や現金を海外で子どもたちや戦争避難民の支援活動を行っているNPOやNGOに寄付するというもの。カンボジアの孤児院を支援する活動からスタートし、22年のロシアによるウクライナ侵攻以降は、ウクライナにも支援物資を送っている。

山本社長が「たすけあいプロジェクト」をスタートしたのは、非常にプライベートな理由から。「離婚を経験し、子どもと以前のようには会えなくなって、とても気分が落ち込んだ時期がある。母親に『ボランティアをしてみたら?』と提案され、自宅そばの養護施設でボランティアをさせてもらって寄付をしたら、少し心が軽くなった気がした。それが活動の原点」と山本社長は振り返る。「会社がある程度大きくなって、何らかの社会貢献をしたいとも考えていた。カンボジアを旅した際に孤児院を支援している現地の団体に出合ったこともあり、子どもたちに服を送る活動から始めた。余剰在庫の買い取りやリサイクルを本業としているわれわれは、服ならば比較的手配がしやすい。それを生かそうと考えた。服を送ることに加えて、今は日本語学校の先生も孤児院に派遣している」。

「支援物資の仕分けができるのは
当社ぐらい」

自分たちができること、得意なことで社会に貢献するというあり方を山本社長は意識しているという。ウクライナへの支援では、多様な支援物資が大量に集まって、それをどう仕分けするかに困っていたウクライナ大使館の声を受け、ショーイチが倉庫を借り、フォークリフトを使い物資の仕分けを行った。「こうした物資の仕分けを手際よく行えるのは、うちのような企業しかない。自分たちが負担なく続けられることの中で、『何が必要ですか?』と相手に支援内容を聞くようにしている」。

仕分け作業を行うだけでなく、ウクライナにはショーイチとして衣料品支援も実施。関西ファッション連合と共同の枠組みで、ウクライナの国内避難民などに22〜23年にかけて計6万着を送った。

近鉄百貨店も活動に共感
店頭で衣料品を回収

「たすけあいプロジェクト」に共感し、ショーイチと組んで社会貢献活動を始めた企業もある。近鉄百貨店は21年8月から、あべのハルカス近鉄本店を含む全9店の店頭に、年2回(1〜4月、8〜9月)回収ボックスを設置。客から不要な衣料品を回収し、ショーイチを通して海外への支援に充てている。1回あたり最大10着の持ち込みが可能で、1回の持ち込みにつき食料品売り場で使える100円のクーポンを配布している。使い古されて支援物資には適さない衣料品は、ショーイチ経由で資材などにリサイクルする。

「店頭回収を継続していることで、リピーターとして何度も持ち込んでくださるお客さまもいる。回収できるアイテムとできないアイテムとがあると店頭スタッフがその場で判断せねばならず、負担が大きくなってしまう。その点、ショーイチは名前の刺しゅうが入った制服なども引き取ってくれるため、取り組みがしやすい」と、近鉄百貨店 本店 営業政策統括部 営業政策部 森下彩絵係長。近鉄百貨店として、24年は1〜4、8、9月の計6カ月間で、1万7114着を店頭で回収し、支援やリサイクルに充てることになったという。

「子どもたちに貢献がしたい」

「社会貢献活動をするときに、一般的に大きくは3つの理由があると思う」と山本社長。いわく、1つ目はビジネスとして、2つ目はイメージアップのために、3つ目が山本社長がボランティアを始めたきっかけのような個人的なストーリーだ。「僕は子どもたちに貢献がしたいという気持ちが強い。それで『たすけあいプロジェクト』を行っているが、どうせやるなら知ってもらいたいと会社のサイトで告知もしている。イメージアップのためにやっていると言われたらそうかもしれないが、告知もしていることで近鉄百貨店さんのように賛同してくださる人たちもいる。本業の在庫買い取りやリサイクル事業と同様に、社会貢献活動も今後も力を注いでいく」と話す。

問い合わせ先
ショーイチ
050-3151-5247

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イメージ刷新後に売上高2桁増の「メルヴィータ」 創業40年で急成長を遂げた理由

PROFILE: 左:ディディエ・テブナン/ブランド開発ディレクター&アドボカシー 右:ナタエル・ダヴスト/グローバルジェネラルマネージャー

左:ディディエ・テブナン/ブランド開発ディレクター&アドボカシー 右:ナタエル・ダヴスト/グローバルジェネラルマネージャー
PROFILE: ディディエ・テブナン/ブランド開発ディレクター&アドボカシー(左):1963 年生まれ。18 歳まで南米、アジアなど海外で過ごす。インテリアデザイナーの PR を経て、98 年ロクシタングループに入社し、ヨーロッパ地区のトレーニングディレクターを務める。2009 年に「メルヴィータ」に参加。 トレーニング部門を立ち上げ、新しい市場の開拓をサポートした後、現職  ナタエル・ダヴスト/グローバルジェネラルマネージャー(右):化粧品業界で約20年、マーケティング、デジタル変革、経営全般にわたる豊富な経験、専門知識を有する。2007年にロクシタン・グループに入社。「ル クヴォン メゾン ド パルファム」のインターナショナル・セールス・ディレクター、ロクシタン・ジャパンのマーケティング&デジタル・シニア・ディレクターなどを経て、19年に香港とマカオのゼネラルマネージャーに就任。21年から現職

仏発オーガニックコスメブランド「メルヴィータ(MELVITA)」は、今年ブランドイメージを一新した。1983年の創業時から使用するロゴを刷新。コンセプトに「バイオリジェネラティブビューティー(BIO-REGENERATIVEBEAUTY)/自然の再生力で、美しさが目覚める。」を掲げ、変革を起こしている。このほどディディエ・テブナン(Didier Thevenin)ブランド開発ディレクター&アドボカシーとナタエル・ダヴスト(Nathaëlle Davoust)=グローバルジェネラルマネージャーが来日し、新生「メルヴィータ」の未来像を語った。

WWD:コンセプトやロゴ、パッケージなどを一新したが、あらためてその狙いは。

ディディエ・テブナン=ブランド開発ディレクター&アドボカシー(以下、テブナン):「メルヴィータ」は昨年創業から40周年を迎え、そのタイミングで顧客層を見直しました。ブランドの成長と共に顧客の年齢も上がり、現在の中心顧客層は40〜50代。この状況を歌手に例えると分かりやすいと思うのですが、歌手はお客さまのために歌いますよね。その歌手が年齢を重ねるとお客さまの年齢も上がっていきます。そして、お客さまの子どもや孫なども引き込み、幅広いお客さま層を獲得しています。「メルヴィータ」も歌手と同じように2世代、3世代のお客さまを獲得したいのです。さらにオーガニックに興味・関心のある人を取り込むために、新たなロゴやパッケージ、コンセプトが必要だったわけです。ロゴは創業時から使用しており、柔らかくかわいらしい印象だったため近代的で洗練されたロゴやパッケージに変更しました。

ナタエル・ダヴスト=グローバルジェネラルマネージャー(以下、ダヴスト):これまではオーガニックブランドであるということを訴求し、マイナスなことやネガティブなことを取り除くことにコミットしてきました。今後は、それに加えて自然に対してポジティブなことを広く伝えたい。そしてお客さまの肌を自然の力を使い再生、美しくできたらと思っています。「メルヴィータ」はオーガニックブランドの先駆者としてオーガニックブランドがかなえられるさまざまな可能性を示していかなければなりません。

WWD:その具体例は?

ダヴスト:新コンセプトの「自然の再生力で、美しさが目覚める」を体現した葉脈とシャープな印象の文字を組み合わせたロゴを採用しましたが、この葉脈のように自然の素晴らしいバランスをコミュニケーションや商品開発に生かしたいですね。また、これらの思いをお客さまや取引先に伝えるためウエブサイトやSNSを活用して発信していきます。

テブナン:あとは販売スタッフの教育ですね。販売スタッフがお客さまと接点を持ちブランドの思いを伝えてくれています。彼らにわれわれがどのような方針や活動を推進しているのかを随時共有。商品や店舗などを通じて、その思いをお客さまに届けていきます。

オーガニック イズ ポップを訴求

WWD:ターゲットを広げるために取り組んでいることは。

ダヴスト:ターゲット層をユニバーサルにしていきます。母から子へ、友人から友人へなど口コミ的な広がりも重要視しています。そのためにまずはコミュニケーションの見直しですね。これまでは、自然由来成分を使用したオーガニックブランドであることを強めてきました。現在は、それに加えて効果・実感が得られ、視覚的にも楽しめる商品をそろえていることを訴求していきます。そうすることでスキンケアだけでなく、オーラルケアやボディーケアアイテムなど生活環境に必要なものがオーガニック商品で満たされていくと考えています。

テブナン:商品軸においては、一例を挙げると化粧水“ソルスデローズ エッセンスローション”があります。ブランド初のオイルフラクションテクノロジーを採用したもので、オーガニックのローズヒップオイルを配合したピンク色のマイクロオイルの粒が視覚的にも楽しめ肌効果も実感できると、お客さまからモダンなオーガニックスキンケアとして高評価を得ています。われわれは“オーガニック イズ ポップ”と呼称していますが、若い層にも響くような技術だったり中身の色味だったりを取り入れて日々進化をしていきます。

10年ぶりに新シリーズ投入

WWD:日本の森林浴からインスピレーションを得たボディーケアの新シリーズ“ロルベジタル”を10月9日に発売した。

ダヴスト:ボディーケアの新シリーズは2014年以来の10年ぶりです。単なる保湿ケアではなく、古い角質を除去するなど、さまざまな技術を搭載しています。“ロルベジタル”シリーズは、マッサージ効果も期待できるボディーソープ“エクスフォリエイティング ソープ”(125g 、3080円)、オイル30%、美容液70%で構成した2層式のボディー用保湿美容液“ハイドレーティング ボディセラム”(100mL、6600円)、ブランドの故郷であるアルデーシュ地方で手摘みにより採取された保湿力のある栗の葉のエキスとアロエベラを配合したボディークリーム“ ハイドレーティング ボディクリーム ”(200mL、5500円)の3品をそろえています。

テブナン:フランスでは6月末頃から販売しましたが、インフルエンサーやプレス関係者からの評価も高く、すでにベストセラーになるほど支持を集めています。3品の中でも“ハイドレーティング ボディセラム”の売れ行きがよいですね。

ダヴスト:お客さまから、ユーカリやミント、ローズマリーのフレッシュなトップノートから始まり、シダーやクラリセージ、ガルバナムのハートノート、パチョリとフランキンセンスのベースに移行する森が持つ癒しの香りと、セラムの軽いテクスチャーやクリームのベルベットのような上質な滑らかななどの質感、森林浴をイメージできるグリーンのパッケージがよいとお褒めの言葉をいただきます。ユニセックスで若い層からも人気で、ギフトとして購入が多いのも特徴的ですね。

テブナン:男性は髭剃りの後にローションを塗布することが多かったですが、プラスαでクリームも手にする人もいるようです。日本は20〜30代の男性の美容感度が高まっているので、その層に向けても発信していきたいです。

シンプルでスマートな店舗づくり

WWD:新規客と出会うための新たなタッチポイントは。

テブナン:世界中でポップアップを実施しています。“ロルベジタル”シリーズを発売して以降、われわれからアプローチしなくてもお客さまが来店してくれるうれしい驚きがありました。“ロルベジタル”シリーズからブランドに興味を持っていただく人も多いようです。

ダヴスト:店舗の陳列もブラッシュアップしています。日本ではこれまでは商品にポップやシールなどを貼って訴求していましたが、それによってお客さまの目線がさまざまな方向に向いていました。何を選んだらよいか分からないという戸惑いの声もあったんです。そこで、シールなどは全て剥がし、シンプルに商品の良さだけを伝えるコミュニケーションに変更しました。SNSに関しても従来とは異なる言葉の使い方など全てを一新しています。商品は変わってなくても見せ方を工夫することで、お客さまの興味関心を集めることができると実感しています。グローバルのイメージに合わせてルミネ横浜店やルミネ大宮店、うめだ阪急店など日本の売り上げトップ5の店舗をリニューアルしました。これまでの木目調の店舗から、ブランドカラーのダークグリーン基調に変え、ブランドを代表するアルガンオイルはシリーズごとで展開していたものを一番目に入りやすい壁面に集積するなど、シンプルで分かりやすい仕様にしたところ、リニューアル後の各店舗の月商は前年同月比で40〜70%増と大幅に伸長しています。

テブナン:これまでの店舗の違いを理解していますが、以前はお客さまを呼び込まないと来店してもらえないことが多かったのです。リニューアル後は自然にお客さまが足を運んでくれるようになりました。ルミネ横浜店へ視察に行きましたが、他で見たことがないほど多くの来店客で賑わっていました。現時点で日本の店舗は17店舗ありますが、順次一新していきます。

リニューアル後は新規客4倍

WWD:日本同様にブランドコンセプトなどを一新したことで成功を収めている国は。

ダヴスト:マレーシアのクアラルンプールの店舗ですね。リニューアル前と比べて新規客は4倍となります。売り上げも1.5〜2倍に。リニューアル後の最初の週末は前年同日比で3倍だったんですよ。香港はリノベーションの真っ最中ですが、売上高はリニューアル前と比較して40%増になると予測しています。フランスでは2月にリノベーションを実施しましたが、それ以降毎月15〜45%増で推移しています。

テブナン:これまでイタリアで新店舗出店に苦戦をしていたのですが、リノベーション後は店舗も拡大できています。リノベーションは魔法の扉のようですね。

ダヴスト:今年は転換期ですが、来期はグローバルで売上高は2桁成長ができると確信しています。現在15カ国で展開し、売り上げトップ3はフランス、日本、中国、香港になります。この4つの国と知識で全体の75%の売り上げを占めています。今後は、イギリスやオーストラリアでの店舗開設やヨーロッパやアジアではセフォラのようなセレクトショップでの展開にも注力していきます。

テブナン:モロッコ、ジョージア、モーリシャスに近い将来進出する計画もあります。

WWD:今後も好調を維持するためには?

ダヴスト:イノベーションを続けていくことですね。ジェンダーレスな分野の開拓も進めます。お客さまの声を吸い上げ、お客さまのバスルーム、生活に何が必要かを理解し商品化することを重視していきます。

テブナン:勢いを保つためには、モチベーションのある人と一緒に仕事をすることも大切だと思っています。 オーガニックであること、グリーンバリューを持つことはパリのグローバルチームだけではなくて、世界のスタッフにも持っていてほしい。例えば、年に3回グリーンデーを設けてオーガニックや環境について考え、それを周囲の人に意識的に伝えるなど情熱を持てる人と働きたいですね。

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【前編】「ヨーク」寺田デザイナーが“人生を賭けた”初の直営店

「ヨーク(YOKE)」は、青山に初のフラグシップストアを2024年10月19日にオープンした。
そのショップができるまでを取材した動画を前編と後編に分けて公開。

本動画では、「ヨーク」のアトリエに訪問し、寺田典夫デザイナーに店を作る決意をした経緯から、どのような場所を目指すかまで、さまざまな思いを聞いた。また、開業前のスペースで行った2025年春夏コレクションの展示会で、寺田デザイナーと交流の深い関係者に、デザイナーの人柄や初の店舗への期待感についてもコメントしてもらった。
展示会場の床や壁は、コンクリートのままで無機質な雰囲気を残しつつ、ショー映像が視聴できるブースや今回のコレクションで取り上げたアーティストの絵を飾っており、まるで美術館のような空間。
ショップオープンに向けて「わざわざ内装を変えなくていいじゃないか」と、展示会に訪れた多くが口をそろえていたが、「この展示会会場を超える店舗にする」と、寺田デザイナーの強い意志でオープンまで準備は進んでいく。
寺田デザイナーが、そこまでして店にかける理由は何なのだろうか。ショップオープンの先に目指す「ヨーク」の次のステージとは。内装作業や、いよいよ完成したショップツアーは後編で公開する。

■YOKE AOYAMA
10/19(土)より通常営業いたします。
住所:〒107-0061 東京都港区北青山2-11-15 町田ビル2F
営業時間:12:00 – 19:00 (水曜日定休)
TEL:03-6804-3330
>公式サイト
>ブランドインスタグラム
>ショップインスタグラム

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「L3リフト」の産みの親でまつ毛の守護神JUMIが考える まつ毛業界の今とこれから

PROFILE: UMI Riiorbit代表・「クピド アイラッシュ デザイン」オーナー

UMI Riiorbit代表・「クピド アイラッシュ デザイン」オーナー
PROFILE: じゅみ):2000年代にアイデザイナーになり、2010年に独立。「クピド アイラッシュ デザイン」を開業。美容室の一角で営業したのち、15年に三軒茶屋に単独出店。19年にはサロン規模を拡大し、6席を備えるエリア最大級のアイラッシュサロンに。23年に下北沢に2店舗目をオープン。プロユース商材ブランド「ジュノ プロダクツ(JUNO products)」「 ラッシュリンク シリーズ」「L3 リフトⓇ」の開発販売を手がけるほか、ニューヨーク発のアイラッシュ商材「ボリュームラッシュズ コー  ジャパン(Volume Lashes Co Japan)」日本総代理店を務める。現役施術者としても 指名料 5500 円で 2か月先まで予約が埋まり、月間指名リピート率は100%。22年まつ毛エクステの装着技法の特許取得。国内外のアイラッシュコンテストで合計7つのトロフィーを獲得。コンペの審査員や、コンテストの主催・運営なども行う。 Instagrama:@jumi_cupido PHOTO:SOICHI ISHIDA

コロナ禍で一躍ニーズが高まり、定着したアイビューティサロン。リクルートの美容に関する調査研究機関「ホットペッパービューティーアカデミー」が発表する「美容センサス 2024年上半期〈アイビューティーサロン編〉」によると、その市場規模は1179億円(前年比28.9%増)と推計され、ここ5年で最高額に達したと発表されている。同調査で1390億円(同16.3%増)と発表されているネイルの市場規に迫る勢いだ。

国内のアイビューティサロンの歴史は、2000年代から徐々に広がったまつ毛エクステに始まる。芸能人やセレブから人気を集めたが、店舗数が激増しトラブルが増えたことから2008年には厚生労働省による法整備によりまつ毛エクステ施術には美容師免許が必須に。施術場所も衛生管理基準を満たした美容所登録が必要となった。その後10年代に入ると、価格競争により施術料金がリーズナブルになり一般化が進んだ。さらにメニューの多角化をはかるサロンではコロナ禍以前からじわじわとまつ毛パーマやアイブロウ施術の導入が始まり、コロナ禍ではブームになった。

アイビューティサロン黎明期にアイデザイナーとしてのキャリアをスタートした「クピド アイラッシュ デザイン(CUPIDO Eyelash Design)」のJUMIオーナーは、指名料5500円平均顧客単価1万9000円にも関わらず、技術力と人柄から2か月先まで予約が埋まるトップアイデザイナーだ。サロンワークとサロン経営に加えて、21年にはまつ毛専用の施術用処理剤「ラッシュリンク(LASH LINK)」を開発。アイラッシュ施術を繰り返しても、健康毛に近い状態に自まつ毛を保ち、カールの持続力が高い「ラッシュリンク」を用いたまつ毛パーマメニュー「L3リフトⓇ」は、全国のアイビューティサロンで導入が進んでいる。ほかにも書籍を手がけたり、技術コンテストを主催するなど、まつ毛業界全体の技術力やクオリティの底上げに尽力する。そんなJUMIオーナーに成長を続けるまつ毛業界の今とこれからを聞いた。

まつ毛エクステからまつ毛パーマへ
キャリアの中で体感した人気の移り変わり

WWD:イデザイナーとして働き始めたきっかけは?

JUMI Riiorbit代表・「クピド アイラッシュ デザイン」オーナー:元々は客室乗務員を目指していたのですが、就職氷河期で思うように希望の職種に就職ができず、どの道に進もうかと考えた先に、小さなころから好きだった美容の道に。人がきれいになっていく姿を見るのが好きで、最初は美容クリニックのレセプションとして働き始めました。当時は施術者ではなかったので、次第に自分が施すことで人のきれいをつくりたいと思うようになりました。“手に職を”ということでネイリストを視野に入れましたが、スクールの学費や資金面などを考えた結果、いろいろなご縁もありアイデザイナーを選びました。

WWD:当時はアイデザイナーという職業はめずらしかったのでは?

JUMI:そうですね。ちょうどまつ毛エクステの施術が広まり始めたころで、まつ毛の仕事は未知の世界。本当に興味本位でした。働き始めてみたら私がツィザー(まつ毛エクステを装着するために使用するピンセット)2本でエクステを付けることに、お客さまがとっても喜んでくださるんです。まつ毛の仕上がり次第で女性が内面までポジティブに変わっていく姿を目の当たりにして、それまで何をしてもしっくりこず三日坊主だった私がどんどんのめりこんでいきました。もともと細かい作業が好きだったこともあり、ぴったりな仕事に出合えたと思います。

WWD:2008年にまつ毛エクステの施術者には美容師免許の取得が義務付けられました。そのときに、美容師免許を取得した?

JUMI:アイデザイナーとして働き始めて2年目でした。そのときすでに独立していて、知人のヘアサロンの一角を借りて営業していました。なので施術ができなくなってしまうのは死活問題。ほかの仕事をしながら美容師免許の取得のために3年間(通信課)学ぶのはかなりの負担ですし、ものすごく葛藤しました。けれどもまつ毛以外にやりたい仕事も見つからず、決意。お店を休業して、美容師資格取得に励みました。

WWD:キャリアが断たれたアイデザイナーも多かったのでは?

JUMI:多かったと思います。中にはお客さまの施術を辞めて、指導者になる方もいました。けれども今だから言えることですが、一定の規制ができたことはまつ毛業界にとっては良かったんだと思います。まつ毛エクステがブームになる一方で、施術するにあたって必要な資格がなく目元のトラブルが急増していたのも事実です。まつ毛エクステの施術そのものを規制する動きもありましたから、一定の規制ができたことでアイデザイナーという職業が無くなることなく、今のまつ毛業界の盛り上がりにつながったと考えています。

WWD:休業から美容師免許を取得して、再オープンしたときにはお客さまは戻ってきましたか?

JUMI:「絶対に美容師資格を取る!」と宣言して、復帰のタイミングに合わせて予約を取っていました。ありがたいことに信じて待ってくださっていたお客さまが多かったです。当時はエクステが大ブームだったこともあり、集客に困ったことはなかったですし、100本装着で2万円程度の単価で施術をしていました。しかし世の中では次第に安価なサロンが増えて価格競争が激化していきます。価格競争が起きると安価で質のよくない商材が使われるようになりトラブルが増えますし、アイデザイナーも顧客数をこなすので精一杯になり、施術の質が低下。サロン迷子になってしまったお客さまが、紹介や口コミで私のもとに足を運んでくださることもありました。

WWD:たしかにまつ毛エクステは「すぐに取れてしまった」「仕上がりのイメージが思っていたのと違った」といった声を聞くこともあります。

JUMI:とっても残念なことです。さらにコロナ禍でサロンに足を運びづらくなると、まつ毛エクステのメンテナンスができずにエクステ離れが加速しました。エクステはまつ毛の生え替わりのタイミングなどで、時間が経つと寂しい印象になってしまうので、メンテナンスがどうしても必要です。定期的に来店できないときれいに保つのが難しかったりします。ただしマスクをする中で目元の印象が大切にされるようになり、まつ毛パーマや眉毛の施術がフォーカスされるようになりました。

WWD:まつ毛パーマはまつ毛エクステに比べてメンテナンスが簡単?

JUMI:まつ毛パーマはどちらかというと、施術後日数経過とともにカールがゆるくなり元の状態にも戻っていくイメージなので、まつ毛エクステほど気にならないのかもしれません。また素材勝負なので非常にナチュラルな印象になるのも特徴です。ただし私は独立後、まつ毛パーマの施術は行っていませんでした。というのも、薬剤ダメージでとにかくまつ毛が傷んでしまうから。当時はまつ毛美容液でセルフケアをするという概念もなかったので、施術を繰り返すほどに、まつ毛がボロボロになる負のループ。まつ毛をきれいにするための施術がしたいのに、私は何をやっているんだろうと心が痛くなり、独立後はまつ毛パーマの提供をやめました。しかし、コロナ禍のあまりのまつ毛パーマの盛り上がりに、当サロンでもスタートしようかと。

WWD:ビジネスチャンスではあったんですね。

JUMI:はい。それでも「自まつげの健康を最優先に」というポリシーは変えたくありませんでした。納得して満足のいく仕上がりを提供したかったので、パーマ薬剤によるダメージを抑制できるトリートメント剤を探すなど、かなり試行錯誤しました。結果的に「ラッシュリンク」という処理剤を開発。まつ毛パーマ=痛むものというイメージを覆すような、高持続かつ毛質改善ができるまつ毛パーマメソッド「L3リフトⓇ」を作りました。

まつ毛パーマにも適切な処理の概念を
自まつ毛がきれいなまま継続施術がかなう

WWD:「ラッシュリンク」とはどのような薬剤?

JUMI:まつ毛の構造やケミカルの理論に基づいて開発した、3ステップの高濃度トリートメント処理剤です。髪の毛の施術に置き換えると、ヘアカラー剤やパーマ剤だけを使うのではなく、ダメージレベルに合わせて前処理や中間処理、後処理を行い、施術で失われた栄養分を毛髪に補うことで、施術の髪の毛のpHやキューティクルを健康毛に近い状態に戻して施術をするイメージです。ヘアサロンで施術してもらっているときに髪の毛に対してはさまざまな処理・トリートメント工程があるのに、まつ毛の施術に施されていないのはなぜかと思ったことがきっかけでした。ヘアケアの知識が豊富な美容師の方のもとでケミカルの勉強をさせていただきながら、同じ毛とはいえまつ毛と髪の毛は構造が多少違うことと、目元は粘膜に近く非常にデリケートな部分のためまつ毛専用のアイテムを作ることに。施術時のダメージをおさえることはもちろん、パーマの施術を受けながら毛質改善も期待できるため、処理剤を用いない従来のまつ毛パーマだとカールの持続平均3〜4週間のところ、「ラッシュリンク」を使うと平均6〜8週間までアップします。

WWD:サロンにとっては単価アップなどにもつながる?

JUMI:「ラッシュリンク」を使ったまつ毛パーマメニューは「L3リフトⓇ」というメニュー名で、全国で7000円以上の単価設定を推奨しています。平均的なまつ毛パーマの施術料が4000〜5000円と考えると1.5倍に近い価格になります。しかしカールが仕上がった時の艶やしなやかな弾力、カールの美しさ・持続力を一度体感していただくと、高価格でもお客さまに納得してもらえます。なによりも圧倒的に美しく長持ちするので満足度が高く、お店や施術者の方への信頼感が増し、ファンになってもらうことができます。さらにサロンにとっては他店との差別化につながったり、メンテナンススパンが長くなるため、1人のお客さまの年間の来店回数が減る分、その新規客の予約枠を増やすことができ、安定的な顧客数を維持することができます。お客さまにとっても、サロンにとってもウィンウィンのメリットのあるメニューなのです。当サロンでは私のほかに、6人の施術者がいますが、コロナ禍中の導入直後から予約が常に埋まり、リピート率90%以上、そのほとんどが「L3リフトⓇ」をご希望のお客さまです。

WWD:今ではサロンワークとサロン経営、メーカー業の三本柱で活動している?

JUMI:独立してから5年は美容室の一角で従業員を雇うことなく、一人サロンでやってきました。それがアイビューティサロンとして単独出店するにあたり、初めてスタッフに入ってもらうことに。技術職ゆえに、体感や感覚で働いてきたので、自分が作った看板が崩れてしまうのではと当初は不安も大きかったです。しかしここ数年で、店舗展開をしたり、メーカー業を始めたり、従業員の力を借りているからこそ、自分のやりたいことができるんだ、と考え方がプレイヤー思考から経営思考にシフトしました。

今は自分のお店の成功や繁盛だけでなく、まつ毛をダメージさせてしまうサロンを一店舗でも無くしたいという思いが強くあります。「ラッシュリンク」シリーズはそんな私の夢がかなう商材です。今では全国で500店舗以上のサロンに「L3リフトⓇ」の導入が進んでいます。21年の誕生から3年が経ちますが、正直ここまで広がるとは思っていませんでした。今となっては必要なことをやっていなかったという言葉につきますが、まつ毛パーマに専門の処理剤やケアといった概念はありませんでした。専門職でありながら、アイデザイナーの多くが薬剤・処理理論やまつ毛の構造についての知識が薄く、なぜ処理剤が必要なのかピンときていないという人もまだ多いと思います。夏に書籍を発売しましたが、アイデザイナーの知識向上にも努めていきたいです。

WWD:今後の展望は?

JUMI:「ラッシュリンク」シリーズを使用した「L3リフトⓇ」に関しては5年後に1万店舗の導入を目指しています。それに伴い、まつげをダメージさせないまつ毛パーマのシェアが今以上に上がるはずです。現在9%といわれていますが、30%ぐらいまでは上げていきたいですね。きっとアイラッシュ業界全体としてアイデザイナーの知識量と技術力が上がると、価格競争ではない次なるアイビューティサロンの戦国時代が訪れると思います。そんな時代を生き残るサロンに必要なのは、お客さまの“なりたい”に心から寄り添える人間力も問われるでしょう。

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「ジーユー」とコラボした「ロク」のロク・ファンに聞く 「ゼロから一緒に新しいものを作った」

PROFILE: ロク・ファン/「ロク」デザイナー

ロク・ファン/「ロク」デザイナー
PROFILE: 韓国ソウル生まれ、米テキサス・オースティン育ち。ロンドンのセント・マーチン美術大学でメンズウエアとウィメンズウエアを学ぶ。2010年にフィービー・ファイロによる「セリーヌ」で3年間アシスタントデザイナーを経験後、フリーランスデザイナーとして「ルイ・ヴィトン」や「クロエ」のデザインを手掛ける。16年に自身のブランド「ロク」を立ち上げ、18年度の「LVMHプライズ」で特別賞を受賞。19-20年秋冬に初のランウエイショーをパリで発表。来日時によく行くのは「ビックカメラ」とのこと PHOTO:SHUHEI SHINE

「ジーユー(GU)」は10月18日、韓国系アメリカ人のロク・ファン(Rok Hwang)が手掛けるブランド「ロク(ROKH)」とのコラボレーションコレクション全16型を発売する。24年8月期に売上高3000億円を突破し、9月に待望のニューヨーク出店を果たした「ジーユー」は、真のグローバルブランドへのステップアップの時期を迎えている。「ロク」とのコラボは、「『ジーユー』はここまでできるんだということを知っていただく」(海老澤玲子ジーユーR&D部 ウィメンズ部長)上で、重要なコレクションだ。実際にお披露目イベントで商品を手に取ったメディア関係者からは、「このクオリティーがこの価格で実現できるとは」といった声も上がっている。来日したロク・ファンと海老澤部長に、コラボについて聞いた。

WWD:コラボの前から「ジーユー」のことは知っていたか。

ロク・ファン「ロク」デザイナー(以下、ファン):来日するたびに何度も店を訪ねており、「ジーユー」がどういったブランドか、どんなことをしているのかはよく知っていたし、「ユニクロ(UNIQLO)」の妹ブランドだということももちろん知っていた。若い層のお客さまに向けて、普段の生活に不可欠なアイテムを作っているブランドというイメージをコラボ前から抱いていた。コラボにあたって、実は2年以上も前から「ジーユー」とは話をしていた。最初はお互いに何ができるか、時期としてはいつがいいかなど、カジュアルに意見交換をしていた感じだ。話が本格化し、モノ作りに向けてしっかり動き出したのは1年前。長い時間をかけて、密接にやり取りしながらコラボを進めていった。

WWD:コラボにあたってお互いに重視したものは何か。

ファン:意見交換する中で、コラボの目的や方向性を定義するキーフレーズとして“Play in Style”を掲げた。先ほど言ったように、何度も「ジーユー」の店を訪ねる中で「ジーユー」のお客さまのイメージも一定つかんでいたが、お客さまがどんな人たちなのかをより深く知り、理解することに時間をかけた。「ジーユー」のお客さまは、自分のスタイルがあって、遊び心を持って、恐れることなくファッションを楽しんでいる人たち。コラボを進める上で、これはとても大切で重視すべきアイデアだと思ったので、“Play in Style”という言葉に落とし込んだ。「ロク」のアーカイブアイテムをコラボとして再度作り直すといったことではなく、ゴールをどこに設定するかという話し合いから始めて、スクラッチで(=ゼロから)新しいものを作ったコラボだ。

WWD:全16型の中で、特に印象深いアイテムやお気に入りは何か。

ファン:どのアイテムもお互いに非常に深く考えて作ったものだが、自分たちが表現したいことがうまく形になったと最初に感じたのはボンバージャケットだ。“プレイフルネス(遊び心)”を明確に示しているけれど、同時にさまざまな人に受け入れられるデザイン。男性も女性も着られる魅力があって、秋口から冬まで長い季節にも対応できる。袖のジッパーを開け閉めすることでシルエットが変えられ、素材感もちょっと変わっている。お客さまがそれぞれのスタイルで着こなしを楽しむことができるという、コラボが目指したものがうまく反映されたアイテムだ。

「お互いに学びがたくさんあった」

WWD:ジッパーの開閉などで何通りにも着られるといったアイデアは、「ロク」でよく採り上げているデザインでもある。

ファン:お客さまそれぞれが思うように着こなせるというのは、まさに“自由”を象徴していると思う。ジップの開閉だけでなく、ドレーピングやカッティングなどさまざまな手法で、どのように“自由”を表現できるか、かつその表現が楽しいものになるかを、自分は「ロク」でも今回のコラボにおいても探っている。「ジーユー」というブランド名はもともと“自由”という言葉からきているんだということは、コラボの話し合いの最初の段階で教えてもらった。

WWD:そのように自身のシグネチャーコレクションとコラボとで共通するアプローチもあると思うが、逆に、考え方を変えて作っているのはどういった点か。

ファン:誰のためにデザインしているかという部分は異なっている。「ジーユー」とのコラボでは、(一部のファッション好きだけでなく)世界中の全ての人に向けて服を作った。あらゆる人の体形に合うカッティングを追求し、さまざまな人種のモデルを起用してフィッティングを何度も繰り返している。「ロク」ではアイデアやコンセプトをいかに美しく届けるか、美しいものを提案するかを最重視しているので、アプローチや考え方はコラボとは異なっている。コラボを通して、自分と「ジーユー」のチームとが、お互いに学ぶことが多々あったと思う。私にとっては、より幅広いお客さまに向けて服を作るという、大きな視点を持ついい機会になった。

「着た時の肌触りを強く意識」

WWD:コラボの中で苦労した点はどういったところか。

ファン:挑戦やチャレンジはお互いにとって常に必要なものであり、コラボの過程を楽しむことができたと思う。例えば生地を作るのにも、まず糸選びの段階から関わり、色合わせはどうするかといったことも含めてかなり細かく関わった。店頭に届く商品が全て一定の品質となるかという部分も注視しており、あらゆるレベルで細心の注意を払ったコレクションになっている。また、今回のコラボのアイテムは、お客さまの手持ちの服とも合わせられることを目指している。それを本当に実現するためにも、「ジーユー」と挑戦を重ねた。「ロク」でもオリジナルのプリントや素材をたくさん作ってきたが、今回のコラボでも素材にはかなり注力して取り組んでいる。日常的に着る服を作るということで、素材そのものの質感に加えて、実際に着た時に人がどう感じるか、肌触りを強く意識して開発した点は、新しいと感じた。

WWD:この品質でこの価格ということに対しては、驚きの声も上がっている。

ファン:実際、この価格設定が実現できることに対しては驚いているが、だからといって、(コラボが広がることでシグネチャーラインが売れなくなるといった)恐れは抱いていない。ターゲットが違うため、心配する必要はない。「ロク」では精緻なクラフトマンシップにフォーカスしている。一方で、コラボではあらゆる人が楽しめる服を追求した。


「『ジーユー』はここまでできると伝えたい」

【海老澤玲子ジーユーR&D部 ウィメンズ部長】

「ジーユー」としてグローバルブランドを目指す中で、世界の最前線で活躍しているデザイナーと組むことで得た学びは非常に大きい。例えば、ロクさんはフィッティングでとにかくよくモデルを動かせる。歩いても座っても、どんな動きの中でも「美しい服」というのは、こういうアプローチによって生まれるのだと実感した。素材や縫製工場など、生産背景は通常の「ジーユー」商品と変えてはいない。ただ、ロクさんの求めるクオリティーにどこまで近づけるかに注力したし、私自身も工場に足を運ぶなどして、「『ジーユー』はここまでできるんだ」ということを知っていただくために力を尽くした。

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