米フットウエア「キーン」のPFASフリーへの道 2018年に達成できた理由

環境影響が大きく日本でも注目を集めるPFAS(ピーファス、有機フッ素化合物)。現在多くのブランドがPFASフリーに向けて取り組んではいるが達成した企業は少ない。そこで注目したいのが、米ポートランド発のアウトドア・フットウエア「キーン(KEEN)」だ。同社は2018年にPFASフリーを達成、21年からは他社がより短時間で達成できるよう、同社が約1万時間、4年を要したPFASフリーへのプロセスを「グリーンペーパー(GREEN PAPER)」としてオープンソース化した。なぜ「キーン」は早々に達成できたのか。キルステン・ブラックバーン(Kirsten Blackburn)=「キーン エフェクト」ディレクターとローレン・フッド(Lauren Hood)=同シニア・サステナビリティ・マネジャーに聞く。

PROFILE: (左)キルステン・ブラックバーン/「キーン エフェクト」ディレクター (右)ローレン・フッド/「キーン エフェクト」シニア・サステナビリティ・マネジャー

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(左)キルステン・ブラックバーン/「キーン エフェクト」ディレクター<br />
(右)ローレン・フッド/「キーン エフェクト」シニア・サステナビリティ・マネジャー
PROFILE: ブラックバーン:コンサベーション・アライアンスのアドボカシー・ディレクターを経て現職。現在、社会的・環境的インパクト活動(コミュニティ投資やパートナーシップから気候変動対策まで)の戦略と実施を監督する。「キーン・エフェクト」は「キーン」の社会貢献・環境保護活動。モンタナ州ミズーラのラトルスネーク原生林のそばで幼い双子とパートナーとともに暮らす フッド:ニューヨークのウィメンズウエアブランドで、持続可能な製造に焦点を当てた生産管理に従事。ニューヨーク滞在中にコロンビア大学でサステナビリティ・マネジメントの修士課程も修了。その後サステナビリティ・コンサルタントとして小売業界大手企業のESG戦略や報告書に関するアドバイスを行い。「キーン」では製品の製造方法の改善と環境負荷低減のためのシステム作りを担当。ミネソタ州ツインシティーズで夫と娘とともに暮らす

サプライヤーへは化学物質制限の依頼だけでなく代替物質を提案

 「キーン」がPFASフリーに取り組み始めたのは2014年のこと。きっかけはフットウエアの専門家にフットウエア製造における懸念点を聞いたことだった。「夜も眠れなくなるような問題はPFASだと指摘された。さまざまなものに使われているのにコントロールが非常に難しいうえ、その広がりを十分に把握できない。さらにどのような悪影響を及ぼすかがわからない点を指摘された」とキルステン・ブラックバーン=エフェクトディレクターは語る。PFAS(パーフルオロアルキル、ポリフルオロアルキル物質)はパーフルオロケミカル(PFCs)とも呼ばれ、約4700種類のフッ素化合物を含む人工化学物質群で、アウトドア用品やフットウエアの撥水・防汚加工に使われている。その残留性の高さから「フォーエバーケミカル(永遠の化学物質)」とも呼ばれる。分解されにくく環境に残留し、食物連鎖にも入り込んでいるやっかいな物質だ。「社内で議論を進め、PFASへの理解を深めると製品に使用すべきではないことが明らかになり、”解毒の旅“を始めることになった。『キーン』の信条のひとつに“Do the right thing(正しいことをする)”がある」とローレン・フッド=シニア・サステナビリティ・マネジャーは語る。

 しかし、複雑なサプライチェーンでサプライヤーの協力を得てPFASの使用を把握して除去し、代替薬品を見つけて同等の機能性を担保するのは容易ではない。「生地、部品、トリムなど各サプライヤーと緊密に連携し、当社が求める基準を理解してもらうことが重要だった。それは現在も続いていて終わることのない大変な仕事。PFASフリーは当社が達成した素晴らしい成果のように見えるかもしれないが継続中であり、本当に安堵できることではない」とフッド・マネジャーは言う。

初期に取ったいくつかのステップがその後の進展につながった。「特にフットウエアに特化した制限物質リストと化学物質管理方針を迅速に作成し、全てのサプライヤーに説明した。この基準を遵守することを約束してもらうことが、その後の作業を少し容易にしたファーストステップだった」とフッド・マネジャーは振り返る。しかし、PFAS以外の物質で撥水・防汚加工するのは簡単ではないし、代替加工はどのように実現したのか。「当社が靴に適用するPFASフリーの防水加工を実現できる化学物質をリサーチしてサプライヤーに提示した。代替加工は安全性、効果、手頃な価格という3つの要素を満たすことを追求した。幸いにもPFASフリーの撥水材を製造しているサプライヤーがいたので、その撥水材のテストを当社で行い採用した」とフッド・マネジャー。特に大変だったのは「素材によって異なる耐久性や撥水性の反応を示すことから、素材と化学物質の適応性について理解する必要があったこと。幸いサプライヤーの一社に化学者がいてその研究で明らかになった」とフッド・マネジャー。「キーン」の撥水・防汚加工の多くはアッパー生地に塗布した耐水撥水加工(DWR)と内側の独自開発した防水透湿機能を備えたメンブレン“キーン・ドライ(KEEN.DRY)”、2つの技術によって実現している。いずれも最適な代替薬品を見つけることができた。

オーバースペックを求め過ぎていないか

 そもそもPFASフリーに向けてどの製品に使われているかを確認する過程で、撥水・防汚加工が必要なのかを見直したという。「素材や部品への撥水・防汚加工について最初に私たちが使用状況を見直したところ、65%が不要であることが分かった。これらは防水加工が施されているものの、必要のない機能だった。例えば、水辺で履く/水に入ることを想定したサンダルなどだ。足は濡れるが、サンダルの素材に防水加工は必要なく濡れてもすぐに乾く素材であればよいからだ」とローレン・マネジャーは話す。

また、製品のPFASを除去したとしても製品テストをしたときにPFASが検出されたとも明かす。「なぜ検出されたのかを突き止めるために多くの調査とテストを行う必要があった。「PFASはDWRとして使用されるほかに、オイルやグリースなどをはじく目的でも使用されていることが分かった。パームオイルのように機械に吹きかけることもあり、非常に広範囲に使用されており、さまざまな部品にPFASが付着していたことが確認された」とブラックバーン・ディレクターは振り返る。「PFASを意図的に使わないことは可能でも100%混入していないと言い切るのは非常に難しい。当社の製品も製品に使用していなくてもPFASの化学物質テストはごくごく微量に検出されることがある。意図的な使用とそうでない使用に大きな違いがあり、当社は意図的には使用していない。けれど、そういった意味で当社は95%+PFASフリーと表現している」とフッド・マネジャーはいい、「包装材にリサイクル素材を使用した場合、PFASが含まれている可能性があることも分かった。当社は現在包装材も含めてテストを行っている」と加える。PFASの完全除去に向けて試行錯誤が続いている。

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奇抜なスタイルも着こなすアニャ・テイラー=ジョイ 彼女が極める“パーソナル・スタイル”とは

映画のプレミアツアーで着た「パコ ラバンヌ(PACO RABANNE)」のミニドレスにはいくつもの矢が刺さり、座れないほどトゲトゲ。カンヌ映画祭には空も飛べそうなほど大きな「ジャックムス(JACQUEMUS)」のストローハットを選び、深夜のテレビインタビュー出演時には「ミュグレー(MUGLER)」の真っ赤なボンデージドレスを着る――アニャ・テイラー=ジョイ(Anya Taylor Joy)にとっては、どれも難しいことではない。

アニャは「ジャガー・ルクルト(JAEGER LECOULTRE)」と「ディオール(DIOR)」のグローバルアンバサダーとしてクラシック・エレガンスをけん引する一方、数多くの大胆なルックを着こなし、ファッションアイコンとしての地位を確立してきた。そして彼女は今、より“自分らしいスタイル”を追求しようとしている。

「子供の頃の自分に、『アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)』のショーについて調べて、その背景にある歴史を知るような人間になるんだと言ったとしても、当時の私はきっと信じないわ」と彼女は言う。

アメリカン・ゴシックに魅了されて

2020年のNetflixのヒット作「クイーンズ・ギャンビット(The Queen's Gambit)」では、1960年代のスタイルで勝ち気なチェスの天才を演じ、ゴールデングローブ賞、SAGアワード(全米映画俳優組合賞)、クリティック・チョイス・アワード(放送映画批評家協会賞)を受賞。ポップカルチャーの殿堂入りを果たした。

ヒロインを演じた22年のコメディ・ホラー映画「ザ・メニュー(The Menu)」では、ニューヨークを拠点とする高級ランジェリーブランド「フルール・デュ・マル(FLEUR DU MAL)」の500ドルのスリップドレスに身を包み、同じく「ジャガー・ルクルト」のブランド・アンバサダーであるニコラス・ホルト(Nicholas Hoult)と共演。その後彼女は「マッドマックス:フュリオサ(Furiosa: A Mad Max Saga)」で主人公のキックアスを演じ、「デューン 砂の惑星 PART2(Dune: Part Two)」にサプライズ登場して世界を震撼させた。

各所に引っ張りだこの躍進ぶりを見せる中、22年にミュージシャンのマルコム・マクレー(Malcolm McRae)と結婚。ニューオーリンズでひっそりと式を挙げ、翌年ヴェニスで家族や友人を招いて祝宴を開いた。

「アメリカン・ゴシックにはとても惹かれるものがある。ストーリーだけでなく、建築物にもね。長い間そこにあって、ちょっとボロボロになっているような――でも本当にロマンチック。そんなものが大好きなの」と、彼女は歴史ある町・ニューオーリンズを結婚式の地として選んだ理由を明かす。

アニャは今でこそ生粋のLAっ子に見えるが、生まれはマイアミで、ブエノスアイレスとロンドンで育った。当時、ファッションは彼女の世界とは無縁だった。「兄や姉のお下がりをたくさん着ていたし、いつも外に出て馬に乗ったり、泥だらけになって遊ぶのが大好きだった。映画の仕事をするうちに、本当に好きになったスタイルがある。それは本当にパワーとアイデンティティーを表現しているの」と、ジェーン・オースティン(Jane Austen )の同名の名作を原作にした20年の映画「EMMA エマ(Emma)」の衣装について語る。

「オータム・デ・ワイルド(Autumn de Wilde)監督は、視覚的に細心の注意を払っていた。服はすべて私の体に合うように作られたから、服が作られる間、私は何時間もひたすら立っていたの。そのおかげで、デザイナーのアレクサンドラ・バーン(Alexandra Byrne)と私は本当に親しくなったのよ」。

レッドカーペットのためにドレスを着ることは、キャラクターになりきることでもある。「最初はレッドカーペットに圧倒されないように、自己防衛のために服を着ていたわ」。この夏行われた「フュリオサ」のプレスツアーでは、「リック・オウエンス(RICK OWENS)」や「ロバート・ウン(ROBERT WUN)」の衣装を選び、映画のキャラクターのパワーを現実世界に投影した、戦士にふさわしいルックを着てみせた。

「スタイリストのライアン・ヘイスティングス(Ryan Hastings)とレッドカーペットのルックを完成させるまで、映画の仕事は終わらない気がするの。自分自身と役柄が融合したようなルックに仕上がることでやっと、その作品を手放すことができる」と彼女は言う。

アニャ・テイラー=ジョイのモデル時代

彼女が初めてハイファッションに触れたのは、実はモデルとして活動した時のことだ。17歳のとき、ロンドンのナイツブリッジにあるデパート、ハロッズ(Harrods)の前で犬の散歩をしていたところ、ストーム・マネージメントの創設者サラ・ドゥーカス(Sarah Doukas)にスカウトされた。アニャは“演技を最優先し、追求し続ける”という条件で、このエージェンシーと契約したのだ。

「いつも現場に行って、全ての服を見ては誰が着るのか見極めるのが大好きだった」と彼女は言い、才能のあるデザイナーや職人と仕事をするだけでなく、好奇心も彼女の糧になったことを明かした。「情熱的な人にとても惹かれる。もしあなたが税金に情熱を持っているなら、私はじっくりと話を聞くわ」とユーモラスに語る。

今や彼女はファッションに魅了され、プレスツアーの衣装のアイデアのために常にランウエイを見たり、4年間一緒に仕事をしているライアンにメールを送ったりもすると言う。「私とライアン、ヘアスタイリストのグレゴリー・ラッセル(Gregory Russell)、メイクアップアーティストのジョージー・アイズデル(Georgie Eisdell)の間では、常にメールが飛び交っているわ。私達はみんなとても仲良し!自分達の映画のキャラクターが何を体現しようとしているのか話し合うの」。

「私がファッションを好きな理由の1つは、ファッションにはファンタジーの要素があるから」。シドニーで開催された「フュリオサ」のプレミアで、「パコ ラバンヌ」の96年春のオートクチュール・ルックを着用したことは大きなミッションだった。「『ランウエイを歩いて以来、誰もこれを着ていない』と言われたの。ゾクゾクしたわ。矢はプラスチックで作られていて、絶対に座ることはできなかった。一番重かったのはヘッドピースで、信じられないような構造。夜が明ける頃には、矢が頭から外れてもいいと思うほどよ」。アニャはヘッドピースが大好きだ。「あまり活用されていなくて、もったいないと思うわ」。

「ディオール」から学んだこと

21年に「ディオール」のグローバル・アンバサダーに任命されて以来、今年のアカデミー賞で着用したガウンの他にも、49年秋コレクションの傑作“ジュノン”と“ヴィーナス”をモダンにアレンジしたドレスを着用。たびたび「ディオール」の衝撃的なルックを披露してきた。

「私は歴史が大好きなので、豊かな歴史を持つブランドで仕事ができることをとても幸運に感じる。『ディオール』のクチュールと香水、両方のアーカイブでかなりの時間を過ごすことができた」と語り、「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)本人に関する本もたくさん読んだわ。ニュールックが世界の服の見解にどのような革命をもたらしたか――あのシルエットは本当に新しい時代を象徴していると思う」と続けた。

彼女が「ディオール」から得た学びの中で、最大の驚きとは?「私の頭の中では、アトリエのチームはもっと大きいものだと想像していたの。でも実際は、このような素晴らしい服を作っているのはほんの数人。その人達が何時間も費やして作っていることにいつも驚かされる」。

「デューン 砂の惑星 PART2」のロンドン・ワールドプレミアでは、61年のマーク・ボーハン(Marc Bohan)期の「ディオール」にインスパイアされた白いガウンとフードを着用。アフターパーティでは、シアーなフードを脱ぎ、ローカットのマキシドレス姿を披露した。

「このような歴史を持つファミリーと仕事をすることの素晴らしさは、アーカイブを深く掘り下げることができること。そして、“私のキャラクターが誰なのか”“映画の中で彼女はどのような人物なのか”がわかった時、このウエディングドレスを見て即座に『イエス』と答えた。唯一変えたのは下のドレスで、オリジナルは上にリボンがついていた。そして、もう少し肌を見せようと思ったの。スタイリストのライアンと私がお互い『これだ!』って思う瞬間が大好きなの。そして、『ディオール』は私達にそれを体験させてくれたのよ」。

彼女はまた、結婚式で着用したウエディングドレスも「ディオール」に依頼した。ハチドリが花に近づく姿など、繊細に、華麗に刺繍されたドレスは、アニャとマクレーの愛の物語を表現している。

「私達の愛の物語をドレスに刺繍したかったの。小さなスピードボートがあるのは、私の父が若い頃、パワーボートの世界チャンピオンだったから。それに夫の家族のためのコーディネートもあるのよ。私は結婚式の写真をSNSで公開しなつもりだったけど、マリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)はとても優しく時間をかけて、常に気遣ってくれた。つまり彼女は、ただ愛のもと引き受けてくれたということよ」。

「ジャガー・ルクルト」との関係も、実は個人的なものだ。「ザ・メニュー」の共演者であるホルトから、彼女がこのブランドと「きっとすごく気が合うはず」と勧められたことがきっかけだった。

「ジャガー・ルクルト」と刻む時間

「『ジャガー・ルクルト』の“レベルソ・ウォッチ”が、ポロ競技の槌で時計の文字盤を叩き割られないようにするために考案されたということを知った時は、かなりクレイジーだと感じた」。31年にアール・デコのラインでデビューした“レベルソ・ウォッチ”は、ポロ競技の激しさに耐えられるように作られた。先駆的なリバーシブル・ケースを備え、やがて世界中で知られる時計デザインの1つとなった。

「時計というものは大抵の場合、特に男性にとって“成功の証”であるように感じていた。だから私にとって、この時計はとても特別なものよ」。アニャの時間に対する概念は、とても几帳面である。「私は5分以上遅刻しないように最善を尽くしているの。それはきっとバレエから植え付けられたもので、決まりの時間にはちゃんとクラスにいなければならなかったから」と、彼女は3歳から15歳までセミプロのバレエスクールでダンスを学んだ幼少時代について振り返る。「だから、私は時間通りに撮影現場にいることにとても厳格なの。私の体にはちょっとした体内時計がある。でも、もっと時間があればと思うことはよくあるわ」。

「ロサンゼルスの家にいる時間がもっとあれば」と思うこともあるそうだ。「仕事のスピードが速すぎて、私生活が追いつかないことが多い。今の家を持つようになって2、3年経つけど、まだ完全に荷解きができていないわ。ただ、とても住みやすいのよ」。

ファッションに関して言えば、衣装とレッドカーペットの間にあるもの――彼女ならではのスタイルの追求に、アニャは今夢中になっている。

アニャ・テイラー=ジョイの“パーソナル・スタイル”

「常に仕事と結びついているから、私自身のパーソナルなスタイルはそれほど重要ではなかったの。私が考えなければならなかった唯一のことは、朝の3時に撮影現場に行って、その日の残りの時間、別の服に着替えるときにいかに快適でいられるのは何かということ。だから何年もスウエットパンツを履いていたわ。でもファッションに夢中になるにつれて、よくビンテージショップに行くようになった」。

ビンテージの「ジャン・ポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」のバイカージャケット、ホットパンツ、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」の“タビ ローファー”…「最近は『ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIENNE WESTWOOD)』のビンテージに夢中なの。ビンテージショップに行って一目惚れするたびに、スタッフが『それは“ウエストウッド”のだ』って言うの。ワードローブ全部を“ウエストウッド”だけで揃えたいくらい」と彼女は言い、お気に入りのビンテージショップはLAのレプリカ(Replica)だと明かす。「あのお店はもはや、歴史の一部を所有しているようなものよ」。

「最近はとてもスペシャルな『ミュグレー』の服を買ったの」と言う彼女に「レッドカーペットのため?それとも実生活用?」と尋ねると、「私のためだと思うわ」とアニャ。

「友達から食事に誘われたとき、私が持っていたのは舞踏会用のガウンかセットアップだけだった。カジュアルに着られるものを持っていないの」。彼女のレッドカーペットでの大胆さを見ると、そのクローゼットでも納得だ。「“小くて赤いレザーグローブ”みたいな感じのファッションが好きなのかも。昔の人の着こなしは魅力的だし、とても興味をそそられるの」。

この秋、彼女はロマン・ガヴラス(Romain Gavras)監督の次回作「サクリファイス(The Sacrifice)」の撮影でヨーロッパを回る予定だ。「あまり詳しくは明かせないけど、とても緊迫感のある作品よ。監督はとてもアーティスティックだから、撮影をスタートするのが待ちきれないわ」。

アニャは9月末にパリで開催された「ディオール」の2025年春のプレタポルテ・ショーにも出席した。「以前は人混みを恐れていたけど、今はもっとエネルギーを持って出席できるわ。どのデザイナーがどんな道を辿るのか見るためにね。毎回旅行のような気分なの」。

この業界のプロフェッショナルのように語る彼女は、将来的にファッションビジネスに挑戦するのだろうか?――ミステリアスな彼女のアンサーは、「そうね、否定はしないわ」。

PHOTO:MILAN ZRNIC(WWD)

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若月佑美が“やめたこと”は「完全防備の日焼け対策」 コスメ愛とこだわりの美容法を語る

PROFILE: 若月佑美/女優・モデル

若月佑美/女優・モデル
PROFILE: PROFILE:(わかつき・ゆみ)6月27日生まれ、静岡県出身。2011年から乃木坂46で1期生として活動し、18年11月にグループを卒業。その後は女優やモデルとして活動の場を移し、ドラマでは「今日から俺は!!」(日本テレビ)、「私の家政夫ナギサさん」(TBS)、「共演NG」(テレビ東京)などに多数出演。20年に雑誌「オッジ(Oggi)」6月号から美容専属モデルを務めた経験もあり、21年7月に発売した9月号では初の単独表紙登場を果たした。現在放送中のNHKの“朝ドラ”「おむすび」にも出演している。 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

雑誌「オッジ(Oggi)」の美容専属モデルを担当する一方で、ドラマや映画などの俳優としても活躍している若月佑美。2024年1月ごろ、大胆なイメージチェンジでベリーショートに。Xではこれに関する一般ユーザーのポストが相次ぎ、一部の投稿に4.4万いいね、3.9万いいねが付くバズが巻き起こった。引用リポスト欄には「イケメン過ぎる」「推しが万バズしてる!」などの絶賛の声が相次ぎ、注目を浴びた。

そんな彼女は11月3日からスタートする舞台「有頂天家族」で、妖艶でミステリアスな女性の弁天を演じる。同作は、シリーズ累計55万部を誇る森見登美彦の人気小説で、下鴨神社の糺(ただす)の森に暮らすたぬき一家を中心に京都の地で、たぬき・てんぐ・人間が繰り広げる奇想天外、波乱万丈な物語だ。ドラマやアニメにもなるほど多くの人に親しまれている。

今回は、自他共に認める美容好きだという若月にこだわりの美容法や舞台ならではのメイク術、弁天を演じる難しさなどについて聞いた。

“もったいない精神”で、新商品も愛用品も使い回す

WWD:ようやく長い夏が終わりました。若月さんはきれいな“透明美肌”ですが、この夏日焼けしないように気を付けたことはありますか。

若月佑美(以下、若月):場面に合わせて日焼け止めを使い分けています。レジャー中だったり、長時間日光に当たるときは不快感の少ないジェルタイプを使いつつ、塗りなおしには香りの良いスプレータイプを併用するなどしています。

アイドル時代は「絶対に日焼けをするな」という通達が出ていて、野外会場のリハーサルのときでもアームカバー、帽子、サングラス、日焼け防止のフェースカバーをして完全防備していましたが、今はそこまで徹底はしていないです。もちろん日焼け対策はしっかりしますが、頑張り過ぎないくらいにしています。

WWD:季節の変わり目のスキンケアで意識していることは?

若月:やっぱり保湿ですね。たっぷり水分を補給して、インナードライにならないように気を付けています。あとは、化粧水の浸透をより良くするために必ず導入美容液を使うこと。夏に蓄積した古い角質を柔らかくするため、ターンオーバーを促進するアイテムを取り入れたりしています。

WWD:普段のメイクで心掛けていることがあれば教えてください。

若月:美容好きなので、コスメはたくさん持っているのですが、「同じものを無理に使い続けない」ことですね。自分に合いそうだなと思った新商品は積極的に購入して、愛用しているアイテムと併用するんです。気合を入れたい日は新商品を、家で過ごす日や家族とお出かけをする日は使い慣れているものを使用するなどして、バランス良く使い分けています。

“もったいない精神”を意識することで無駄もなくなり、新しい自分に毎日出会えるんです。

WWD:プライベートと仕事のオンオフはどうやって切り替えていますか。

若月:仕事のことを家に持ち帰ることはあまりなく、私服に着替えた瞬間に仕事モードがオフになります。自宅で台本を軽く読んだり、セリフを言ったりすることはありますが、そこにストレスはありません。

仕事に向かう前はルーティンがあって、車の中で必ずホットアイマスクをします。リラックス効果だけでなく、むくみも取れて一石二鳥です。極論ですけど、おしぼりで顔を拭くみたいな(笑)。その感覚に近いんだと思います。これだけはやらないと、仕事のスイッチが入らないですね。

WWD:疲れた日のご褒美はどうしていますか。

若月:大好きなアイスクリームは毎日食べているので……王道ですが、たまに食べる焼肉!「明日何してる?」を気楽に言える、秋元真夏ちゃんや佐々木史帆ちゃんを誘って行くことが多いかな。

WWD:バスタイムのお供は?

若月:絶対に入浴剤を入れます。小さいときからこれが当たり前になってしまっていて、透明なお湯に入れないんです(笑)。温浴効果も高まり、香りの癒やし効果もあるので入れないと気が済まないですね。最近はクレイにハマっていて、肌はツルツルになるし、毛穴の汚れがごっそり取れる気がします。

「蓄えた知識をアウトプットしないまま死ぬのはもったいない」

WWD:今後トライしてみたいことは?

若月:ファッションに関しては、ヘアをベリーショートにしたのでメンズライクな服装を楽しむということ。美容は、ニキビ痕に悩んでいるのでハーブピーリングをしてみたいです!

WWD:ダウンタイムが気になりますが……お仕事柄長期休みを取ることは可能なのでしょうか。

若月:1週間ほど、ピーリング休みが欲しいですね(笑)。いつできるか分からないので、今は「アラサー世代の人はどのくらいの期間でニキビ痕がきれいになるのか」というのを日頃のスキンケアで試しています。例えば約1年かかると立証できれば、同じ悩みを抱えている人が「1カ月で治るわけないか」と気が楽になりますよね?小さなことですが、誰かを救えるかもしれない!なんて考えています。そんな情報を美容が好きな方やファンの皆さんに発信したいです。

WWD:どこまでもファンファーストなんですね。

若月:ファンの皆さんも知りたいことだと思うので、私が蓄えた知識とか、やってきた経験をアウトプットしないまま死ぬのはもったいないなと思って。誰かの人生を1日でも早く豊かにしてあげられるお手伝いがしたいんです。自分が10年かかった知識を誰かに教えることができれば、その人は10年楽しく過ごせるのと思うので。誰かの力になれるとうれしいですね。

自身と真逆な女性“弁天”を演じる

WWD:舞台メイクのこだわりは?

若月:基本的に舞台だと、メイクは自分、ヘアはプロのメイクさんにしてもらうことが多いです。その役に合ったメイク方法を学ぶため、事前にレクチャーを受けたりもします。もちろん、役になりきるということが一番ですが、個人的には映像になったときに「やり過ぎていないか」をチェックするようにしています。

舞台メイクと聞くと、ライティングに負けないように濃く、目立つメイクをしているイメージがあると思います。ですが、昨今の舞台はオンライン配信をすることもあるので、映像にしたときにメイクが濃過ぎたりすると、画面越しに見てくれている方々が物語に集中できない可能性があります。キャラクターの雰囲気を損なうことなく、しっかりと表現できるように「ここまでなら大丈夫だろう」というギリギリのラインを攻めてメイクをしています。小さなこだわりですが、会場だけでなく、画面の先にいるファンの皆さんのことも考えてメイクするようにしていますね。

WWD:そこまで考えているのですね。美容業界は今、艶肌ブームが来ていますが舞台上ではどうしていますか?

若月:舞台ではクッションファンデーションなどの艶が出るアイテムは使わないようにしています。後からハイライターで艶を足すことはありますが、土台はマット一択。最後にフィックスミストをかけて、汗をかいても崩れないベースメイクに仕上げています。また、男の子の役を演じるときは自分の肌色よりもワントーン暗い色味を選んだりするなど、肌作りは自分で工夫することが多いです。

WWD:今回の舞台「有頂天家族」で演じる弁天の見どころを教えてください。

若月:弁天は人間にも、たぬきにも、てんぐにも寄らないミステリアスで妖艶な女性なんですよね。その様子がより際立つような演出が入る予定なので、マンガやアニメとはまた違った弁天が楽しめると思います。

WWD:弁天を演じるに際し、苦労したことは?

若月:私と真逆の性格や雰囲気なので、色気や妖艶な雰囲気をどう表現したら良いのか悩みました。弁天はてんぐなので、物語では飛んだり、急に姿を消したりする場面があるんです。舞台では演出や装置で助けてもらうかもしれないのですが、自分自身もちゃんと気配を消せるように、表情やしぐさで演じなければいけないと思っています。

WWD:最後に、舞台「有頂天家族」への意気込みを聞かせてください。

若月:フィクションではあるんですけど、舞台が京都なので、実際にある場所を思い浮かべて見ていただき、物語の世界にふと入ってしまったという印象を持ってもらえるような公演にしたいと、チームの一員として考えています。

弁天としては、Wキャストを務める下鴨矢三郎役の中村鷹之資さんと、濱田龍臣さんをサポートし、ちゃんと2人を立てられるような立ち位置でいられるよう尽くしたいです。また、会場には森見登美彦先生の作品が好きな方がたくさんいらっしゃると思うので、その方たちにも楽しんでいただけるように頑張ります。

▪️「有頂天家族」
11月3〜11日新橋演舞場、11月16〜23日南座、11月30日〜12月1日御園座
出演:中村鷹之資、濱田龍臣、若月佑美、渡部秀、池田成志、相島一之、檀れいほか
原作:森見登美彦(『有頂天家族』幻冬舎刊)
脚本・演出:G2

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若月佑美が“やめたこと”は「完全防備の日焼け対策」 コスメ愛とこだわりの美容法を語る

PROFILE: 若月佑美/女優・モデル

若月佑美/女優・モデル
PROFILE: PROFILE:(わかつき・ゆみ)6月27日生まれ、静岡県出身。2011年から乃木坂46で1期生として活動し、18年11月にグループを卒業。その後は女優やモデルとして活動の場を移し、ドラマでは「今日から俺は!!」(日本テレビ)、「私の家政夫ナギサさん」(TBS)、「共演NG」(テレビ東京)などに多数出演。20年に雑誌「オッジ(Oggi)」6月号から美容専属モデルを務めた経験もあり、21年7月に発売した9月号では初の単独表紙登場を果たした。現在放送中のNHKの“朝ドラ”「おむすび」にも出演している。 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

雑誌「オッジ(Oggi)」の美容専属モデルを担当する一方で、ドラマや映画などの俳優としても活躍している若月佑美。2024年1月ごろ、大胆なイメージチェンジでベリーショートに。Xではこれに関する一般ユーザーのポストが相次ぎ、一部の投稿に4.4万いいね、3.9万いいねが付くバズが巻き起こった。引用リポスト欄には「イケメン過ぎる」「推しが万バズしてる!」などの絶賛の声が相次ぎ、注目を浴びた。

そんな彼女は11月3日からスタートする舞台「有頂天家族」で、妖艶でミステリアスな女性の弁天を演じる。同作は、シリーズ累計55万部を誇る森見登美彦の人気小説で、下鴨神社の糺(ただす)の森に暮らすたぬき一家を中心に京都の地で、たぬき・てんぐ・人間が繰り広げる奇想天外、波乱万丈な物語だ。ドラマやアニメにもなるほど多くの人に親しまれている。

今回は、自他共に認める美容好きだという若月にこだわりの美容法や舞台ならではのメイク術、弁天を演じる難しさなどについて聞いた。

“もったいない精神”で、新商品も愛用品も使い回す

WWD:ようやく長い夏が終わりました。若月さんはきれいな“透明美肌”ですが、この夏日焼けしないように気を付けたことはありますか。

若月佑美(以下、若月):場面に合わせて日焼け止めを使い分けています。レジャー中だったり、長時間日光に当たるときは不快感の少ないジェルタイプを使いつつ、塗りなおしには香りの良いスプレータイプを併用するなどしています。

アイドル時代は「絶対に日焼けをするな」という通達が出ていて、野外会場のリハーサルのときでもアームカバー、帽子、サングラス、日焼け防止のフェースカバーをして完全防備していましたが、今はそこまで徹底はしていないです。もちろん日焼け対策はしっかりしますが、頑張り過ぎないくらいにしています。

WWD:季節の変わり目のスキンケアで意識していることは?

若月:やっぱり保湿ですね。たっぷり水分を補給して、インナードライにならないように気を付けています。あとは、化粧水の浸透をより良くするために必ず導入美容液を使うこと。夏に蓄積した古い角質を柔らかくするため、ターンオーバーを促進するアイテムを取り入れたりしています。

WWD:普段のメイクで心掛けていることがあれば教えてください。

若月:美容好きなので、コスメはたくさん持っているのですが、「同じものを無理に使い続けない」ことですね。自分に合いそうだなと思った新商品は積極的に購入して、愛用しているアイテムと併用するんです。気合を入れたい日は新商品を、家で過ごす日や家族とお出かけをする日は使い慣れているものを使用するなどして、バランス良く使い分けています。

“もったいない精神”を意識することで無駄もなくなり、新しい自分に毎日出会えるんです。

WWD:プライベートと仕事のオンオフはどうやって切り替えていますか。

若月:仕事のことを家に持ち帰ることはあまりなく、私服に着替えた瞬間に仕事モードがオフになります。自宅で台本を軽く読んだり、セリフを言ったりすることはありますが、そこにストレスはありません。

仕事に向かう前はルーティンがあって、車の中で必ずホットアイマスクをします。リラックス効果だけでなく、むくみも取れて一石二鳥です。極論ですけど、おしぼりで顔を拭くみたいな(笑)。その感覚に近いんだと思います。これだけはやらないと、仕事のスイッチが入らないですね。

WWD:疲れた日のご褒美はどうしていますか。

若月:大好きなアイスクリームは毎日食べているので……王道ですが、たまに食べる焼肉!「明日何してる?」を気楽に言える、秋元真夏ちゃんや佐々木史帆ちゃんを誘って行くことが多いかな。

WWD:バスタイムのお供は?

若月:絶対に入浴剤を入れます。小さいときからこれが当たり前になってしまっていて、透明なお湯に入れないんです(笑)。温浴効果も高まり、香りの癒やし効果もあるので入れないと気が済まないですね。最近はクレイにハマっていて、肌はツルツルになるし、毛穴の汚れがごっそり取れる気がします。

「蓄えた知識をアウトプットしないまま死ぬのはもったいない」

WWD:今後トライしてみたいことは?

若月:ファッションに関しては、ヘアをベリーショートにしたのでメンズライクな服装を楽しむということ。美容は、ニキビ痕に悩んでいるのでハーブピーリングをしてみたいです!

WWD:ダウンタイムが気になりますが……お仕事柄長期休みを取ることは可能なのでしょうか。

若月:1週間ほど、ピーリング休みが欲しいですね(笑)。いつできるか分からないので、今は「アラサー世代の人はどのくらいの期間でニキビ痕がきれいになるのか」というのを日頃のスキンケアで試しています。例えば約1年かかると立証できれば、同じ悩みを抱えている人が「1カ月で治るわけないか」と気が楽になりますよね?小さなことですが、誰かを救えるかもしれない!なんて考えています。そんな情報を美容が好きな方やファンの皆さんに発信したいです。

WWD:どこまでもファンファーストなんですね。

若月:ファンの皆さんも知りたいことだと思うので、私が蓄えた知識とか、やってきた経験をアウトプットしないまま死ぬのはもったいないなと思って。誰かの人生を1日でも早く豊かにしてあげられるお手伝いがしたいんです。自分が10年かかった知識を誰かに教えることができれば、その人は10年楽しく過ごせるのと思うので。誰かの力になれるとうれしいですね。

自身と真逆な女性“弁天”を演じる

WWD:舞台メイクのこだわりは?

若月:基本的に舞台だと、メイクは自分、ヘアはプロのメイクさんにしてもらうことが多いです。その役に合ったメイク方法を学ぶため、事前にレクチャーを受けたりもします。もちろん、役になりきるということが一番ですが、個人的には映像になったときに「やり過ぎていないか」をチェックするようにしています。

舞台メイクと聞くと、ライティングに負けないように濃く、目立つメイクをしているイメージがあると思います。ですが、昨今の舞台はオンライン配信をすることもあるので、映像にしたときにメイクが濃過ぎたりすると、画面越しに見てくれている方々が物語に集中できない可能性があります。キャラクターの雰囲気を損なうことなく、しっかりと表現できるように「ここまでなら大丈夫だろう」というギリギリのラインを攻めてメイクをしています。小さなこだわりですが、会場だけでなく、画面の先にいるファンの皆さんのことも考えてメイクするようにしていますね。

WWD:そこまで考えているのですね。美容業界は今、艶肌ブームが来ていますが舞台上ではどうしていますか?

若月:舞台ではクッションファンデーションなどの艶が出るアイテムは使わないようにしています。後からハイライターで艶を足すことはありますが、土台はマット一択。最後にフィックスミストをかけて、汗をかいても崩れないベースメイクに仕上げています。また、男の子の役を演じるときは自分の肌色よりもワントーン暗い色味を選んだりするなど、肌作りは自分で工夫することが多いです。

WWD:今回の舞台「有頂天家族」で演じる弁天の見どころを教えてください。

若月:弁天は人間にも、たぬきにも、てんぐにも寄らないミステリアスで妖艶な女性なんですよね。その様子がより際立つような演出が入る予定なので、マンガやアニメとはまた違った弁天が楽しめると思います。

WWD:弁天を演じるに際し、苦労したことは?

若月:私と真逆の性格や雰囲気なので、色気や妖艶な雰囲気をどう表現したら良いのか悩みました。弁天はてんぐなので、物語では飛んだり、急に姿を消したりする場面があるんです。舞台では演出や装置で助けてもらうかもしれないのですが、自分自身もちゃんと気配を消せるように、表情やしぐさで演じなければいけないと思っています。

WWD:最後に、舞台「有頂天家族」への意気込みを聞かせてください。

若月:フィクションではあるんですけど、舞台が京都なので、実際にある場所を思い浮かべて見ていただき、物語の世界にふと入ってしまったという印象を持ってもらえるような公演にしたいと、チームの一員として考えています。

弁天としては、Wキャストを務める下鴨矢三郎役の中村鷹之資さんと、濱田龍臣さんをサポートし、ちゃんと2人を立てられるような立ち位置でいられるよう尽くしたいです。また、会場には森見登美彦先生の作品が好きな方がたくさんいらっしゃると思うので、その方たちにも楽しんでいただけるように頑張ります。

▪️「有頂天家族」
11月3〜11日新橋演舞場、11月16〜23日南座、11月30日〜12月1日御園座
出演:中村鷹之資、濱田龍臣、若月佑美、渡部秀、池田成志、相島一之、檀れいほか
原作:森見登美彦(『有頂天家族』幻冬舎刊)
脚本・演出:G2

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ゴールドウイン渡辺社長が語るグローバル戦略 「プレミアムスポーツブランドで世界へ」

ゴールドウイン,GOLDWIN

ゴールドウインが、自社ブランド「ゴールドウイン(Goldwin)」の海外戦略を加速している。10年後に売上高500億円(2024年3月期実績は32億円)、アジア100店舗体制を掲げた“ゴールドウイン500”プロジェクトを、7月に同社の新中期経営計画の骨子として発表した。21年に開業し、既に売上規模で日本の店舗を抜いているという北京店に続いて、中国では8月に成都、9月に上海にも大型直営店を出店済みだ。25年以降、韓国や欧米でも出店を計画している。「ゴールドウイン」がブランドとして目指すあり方や企業ゴールドウインが掲げる姿勢を、渡辺貴生社長のインタビューを交え深掘りする。

「世界中の人が長く着られる、
普遍的で美しい製品を作りたい」

ゴールドウインは、「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」などの海外ブランドと提携し、日本市場に合うようにデザイン性と機能性を独自開発して成長してきた企業だ。一方で、自社ブランドの育成は遅れていた。「自分たちの考えを自由に形にしてお客さまの役に立つ製品を作り、世界中で自分たちの存在を知っていただくには、提携ブランドでは限界がある」と渡辺貴生ゴールドウイン社長。世界に目を向けていく中で、渡辺社長が現職に就いた20年以降、自社ブランドの「ゴールドウイン」でフィロソフィーやコンセプトの部分から見直しを進めてきたという。

従来は競技や種目を軸にした開発が一般的であったスポーツウエアにおいて、「ゴールドウイン」ではパフォーマンス(機能性)やファッション、ライフスタイルを高次元でミックスしていくようなブランドのあり方を目指している。「強く抱いているのは、普遍的な製品を作りたいという思い。どの国のどんな人が手に取っても同じ感覚を呼び覚まし、陳腐化することなく長く着られるデザインを追求している」と渡辺社長。近年はラグジュアリーブランドなどもスポーツやアウトドア領域に進出し、“プレミアムスポーツウエア”市場が形成されつつあるが、「企業として長年築いてきた高いパフォーマンス性と、リジェネラティブ(環境再生型)であることの2点を重視する点が、われわれは他ブランドとは異なる」と分析する。

リジェネラティブという面では、ゴールドウインは15年からスパイバーと共同研究し、構造タンパク質「ブリュード・プロテイン」の開発も進めてきた。「『ブリュード・プロテイン』を、石油由来の合成繊維の代替として世界に広めることはわれわれの大きな使命」と渡辺社長。「長く使えるもの、圧倒的に機能に優れたものを作りたい。どこよりも機能性の高い製品を美しくデザインできる会社になりたいと昔から思ってきた。機能性には、環境負荷を限りなくゼロにするということも含んでいる。“循環性”“越境性”“共創性”の3つをキーワードに、『ゴールドウイン』で“プレミアムスポーツブランド”としてのポジションを確立する」と語る。

ゴールドウインとして24年4月には、「人を挑戦に導き、人と自然の可能性をひろげる」というパーパスも新たに制定した。「人類の歴史で気候変動は今が一番厳しい状況にあるが、それを招いたのも人類。自然を収奪し、産業を前進させるあり方でよかったのか。人間も自然の一部と認識し、事業の進め方、暮らし方を変える必要がある」と渡辺社長。「お客さまも事業のパートナーとして、多くの人が積極的に環境を守れるような、そんな事業をわれわれがデザインすることを目指す」と続ける。

10年後にアジア100店体制、
北京店は既に年間売り上げ2億円

10年後に売上高500億円を目指す「ゴールドウイン」にとって、核となる地域は中国、日本、韓国。10年後の目標店舗数は、フランチャイズを含めアジアで100店だ。そのために中韓では、現地企業と販売合弁会社も設立した。最大市場と期待する中国では、今後年間4店のペースで、一級都市を中心に出店していく。今秋出店した成都、上海に続き、年内に杭州、南京にも出店予定だ。21年に出店した北京店は、既に年間売り上げ2億円規模となっている。

「スポーツは老若男女が楽しむことができ、日常でもスポーツウエアを着る人は多い。だからこそ、スポーツウエアでは国や文化を超えたデザインが可能」と渡辺社長。10年後に500億円という目標を「野心的」などと評する声もあるが、「全くそうは思わない。『ザ・ノース・フェイス』も過去10年で規模は5倍になった。ブランドは、何か1つ現状を突き抜けるきっかけがあれば、共鳴してくれる人に支えられて成長していく。それは私自身が『ザ・ノース・フェイス』で経験したことだ」と続ける。

24年秋冬は
「OAMC」ともコラボ

「ゴールドウイン」は、ゴールドウインが企業として長年つちかってきた機能性と共に、デザインとしての美しさも強く探求している。グローバルでの認知強化のために、6月には25年春夏のパリ・メンズファッションウイークに合わせ、マレ地区で初めて単独展示会も開催。クリエイティブチームにも海外有力メーカーのR&D出身者などが加わり、グローバル標準でのモノ作りが進んでいる。

そうした動きを象徴するのが、24年秋冬に打ち出している「OAMC」とのコラボレーションだ。現在、「ジル サンダー(JIL SANDER)」のデザインも手掛ける「OAMC」共同創業者のルーク・メイヤー(Luke Meier)は、今回のコラボについて「深い知識と高い品質を誇り、パフォーマンス製品のリーダーであるゴールドウインと仕事ができることを楽しみにしていた」とコメントしている。「ゴールドウイン」では25年春夏以降も、注目度の高いコラボをいくつか企画しているという。

人間と自然の関係性をデザイン

「モノを売って収益を得るだけでなく、環境を正しい方向にデザインしていくような事業を今後は目指す」。渡辺社長がそう話すように、ゴールドウインは人が自然を楽しみ、その中で環境を守り次世代に引き継いでいくような取り組みを強めている。22年春夏に、東京・六本木や創業地の富山で行った「プレイアースパーク(PLAY EARTH PARK)」はその一例だ。スポーツの起源である遊びを通し、子どもたちが未来につながる体験を得られることを目指したイベントで、両地でファミリー層を中心に約5万2000人を集客した。

「環境をデザインする」という考えのもと、富山・南砺では、自然と遊ぶ公園「プレイアースパーク ネイチャリング フォレスト(PLAY EARTH PARK NATURING FOREST)」を計画中だ。27年初夏の開業予定で、SUPや釣りが楽しめる桜ヶ池の周りに、キャンプ場、フラワーパーク、農園、レストラン、アウトドアアクティビティー施設を設ける。周辺地域とも連携し、クライミングやトレッキング、冬季はスノースポーツなど、さまざまなアクティビティーが楽しめるようにする。

問い合わせ先
ゴールドウイン カスタマーサービスセンター
0120-307-560

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大谷やキャメロン・ディアスを撮影する写真家、俵山忠 雑誌編集からビルボードを飾るまでの道

PROFILE: 俵山忠/フォトグラファー

俵山忠/フォトグラファー
PROFILE: (たわらやま・ただし)1977年6月3日生まれ、東京都葛飾区出身。雑誌編集を経て2000年に渡米後、現地コーディネーターを務めながら独学で写真を学ぶ。01年からロサンゼルス・サンタモニカを拠点にフリーランスフォトグラファーとして活動。以降、雑誌や企業広告を中心に多くの撮影を手掛ける。13年にクリエイティブチーム、セブンブロス ピクチャーズ(SEVEN BROS. PICTURES)を設立し代表を務める

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第4回は大谷翔平選手やキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)の撮影も手掛けるフォトグラファー、俵山忠に恩師と語る人物や半生を聞いた。

水嶋和恵(以下、水嶋):フォトグラファーとして、移住先にロサンゼルスを選んだ理由を教えてください。

俵山忠(以下、俵山):ロサンゼルスの空が好きだからですね。この空の下で撮る写真は、全ての被写体の発色が鮮やかで他の場所で撮る写真とは空気感が違うんです。そこに魅了されています。ニューヨークも好きですが、住むのはロサンゼルスが良いですね。

幼少期はアドベンチャー系の映画を観るのが好きでした。特に映画「グーニーズ(The Goonies)」の世界観に強く引かれ、撮影場所や舞台も知らなかったのですが、海岸がある街での学生たちの姿を観て、子ども心にアメリカのライフスタイルに憧れました。当時西海岸には親戚や先輩が住んでいたこともあり、16〜18歳の2年間ロサンゼルスに留学し、高校を卒業しました。その後帰国して就職した先が、タレントの所ジョージさんの事務所、ティ・ヴィクラブでした。スケーターをはじめとするサブカルチャーに憧れがあり、世田谷の事務所にスケボーで通っていましたね。所さんは当時、日本で西海岸のカルチャーに一番近い存在だったと思います。そんな彼のライフスタイルを間近で見ながら、彼の元で雑誌「ライトニング(Lightning)」の編集者として社会経験をし、後には西海岸へ移住して仕事をしたいと思うようになっていきました。

その後、枻出版社へ移籍し、米国に住み仕事のできるビザをサポートしてもらい、2000年22歳の時にロサンゼルスに移住しました。振り返ると、人との繋がりの先に米国移住があったという感じですね。フィルム写真、スケート、音楽、そしてバイク、自分の中の「海外のカッコいい」を感じられる全てがLAにはそろっていたのです。

水嶋:時期は異なりますが、私は所さんのスタイリングを担当していたので、今こうして俵山さんとロサンゼルスでご一緒することに縁を感じます。人生のターニングポイントはいつでしたか?

俵山:人との出会いや経験、全てが人生のターニングポイントだった気がします。やってみたいことはすぐに行動に移すので、僕の人生はターニングポイントだらけですね。フォトグラファーとしての転機は、25歳の時に雑誌「ライトニング」の表紙を撮影したとき、そして32歳で自分の作品がビルボードデビューしたときです。

編集時代の先輩がのちに「ライトニング」編集長に就任し、僕の米国移住の際に写真撮影に必要なものを一式プレゼントしてくれ、後にロサンゼルスでのイベント撮影の仕事を依頼してくださいました。その際、編集としてだけではなく、いただいたフィルムカメラでカメラマンとしても稼働したんです。ロサンゼルスでの初めての仕事が表紙に採用されました。書店に並ぶ雑誌を見て、この仕事を続けていきたいと思ったのを今でも覚えています。ロサンゼルスには日本から有能なカメラマンが大勢撮影に訪れます。現地で彼らのアシスタントをする機会も多く、人と環境に恵まれていましたね。

ビルボードに自分の作品が掲載された時も同様です。日本から写真界の巨匠ケイ・オガタさんをお招きし、女優のキャメロン・ディアスさんを起用したソフトバンクの広告撮影でした。3日間に及ぶ大規模な撮影の中、3日目に多忙なスケジュールで動いていたケイさんは次の海外の現場へ、僕はその撮影でスナップ写真を任されました。1、2日目でケイさんが担当していたメインスチールの撮影は終了しており、僕はCM撮影隊の邪魔にならないよう、そしてスチールチームの役に立てるように、大きな脚立を持参し必死にシャッターを切っていました。

後日プロダクションから連絡があり、思いもよらない事を告げられたんです。「撮った写真がビルボード広告に起用されるかもしれない」と。耳を疑いました。その時は、嬉しいという気持ちの前に、直ぐにケイさんに事実確認をしなくてはという、焦りの気持ちが先立ちました。しかし僕の心配をよそに、ケイさんは「嬉しいねぇ〜、君が撮った写真が素晴らしかったからだね」と、おっしゃられたんです。

その言葉を聞いた瞬間、僕はこんなに寛大な方とお仕事をご一緒させていただけていたのか!と鳥肌が立ちました。このとき、心の底からケイさんみたいなカメラマンになりたい!と思い、今でも唯一の師匠と尊敬しています。こうしてビルボードデビューを果たし、カメラマンとしてのキャリアのターニングポイントになりました。

水嶋:素晴らしい人格者ですね。エピソードから、俵山さんが出会ってきた人々の、俵山さんを信じる気持ちの強さを感じます。この連載でロサンゼルスで活躍する日本人の方々にインタビューしていますが、みなさん共通して人とのつながりが大きな影響を与えています。

俵山:振り返ると妻との出会いがあった34歳も大きなターニングポイントでしたし、僕が掲載写真のディレクションを務める「クラッチ・マガジン(CLUTCH magazine)」創刊時は、メンズ読者に向けてクラフツマンシップが伝わる色気や味のある写真を掲載し、”クラッチっぽさ”という形容詞が生まれ、フォトグラファーとしての自信もつきました。サンタモニカにスタジオ・オフィスを構えたのもこの頃です。

水嶋:ロサンゼルスでは、現在どのような仕事をされていますか?

俵山:主に広告の撮影を担当しています。先に述べた作品たちが、強く思い出に残っていますが、最近ではドジャースの大谷翔平選手の撮影を担当しました。彼とは度々撮影をご一緒していますが、集中力や洞察力、そして反射能力は素晴らしいです。

アスリートである彼は、常に撮影の場に身を置いているわけではなく、分からないこともあるかと思いますが、現場での集中力が長けていて、求められているものを瞬時に察知します。撮影現場では柔らかな物腰でありながら、周囲が全部見えているのだろうと思わせる動きをされます。

アスリートを撮影することも多いですが、彼らは自身のパフォーマンスの“フィールド”を大事にしていて、そこが現場でご一緒して楽しいと感じる部分です。撮影現場は僕にとっての公式試合のような、フィールド。そこで彼らとセッションするのは、最高に楽しいです。

水嶋:ロサンゼルスで活躍するハードルは高いと思いますか?

俵山:ロサンゼルスに限らず、いつでもどこでも、ハードルが高いと感じるタイプです。日本を離れて、異国の地で活躍するには、英語力やクリエイティブ力が備わってやっと現地のクリエイターと肩を並べることができる。そのプレッシャーは常に感じてきました。だから頑張ろうという気持ちにもなれます。外国人としてハンデはあると思いますが、それも自分のキャラクターだと捉えています。

水嶋:ロサンゼルスでは、どのようなライフスタイルを送っていますか?

俵山:コロナが明けてからロサンゼルス中心部から離れ、パームスプリングスという場所に家族で移住し、ゆったりとした時の流れを楽しんでいます。撮影でロサンゼルス中心部へはもちろん、州外、日本、さまざまな場所を訪れています。パンデミックの中、ロサンゼルスの中心地に住む必要性に変化がありました。移住に関しても、「やってみたい」をすぐに実行しましたね。ここはほどよい規模の街なので、僕が16歳で留学したときに見た人と人のつながりや助け合い、そんな古き良きロサンゼルスのコミュニティのあるべき姿を、ここパームスプリングスで感じることが出来ています。

TEXT:ERI BEVERLY

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「ショパール」の“アルパイン イーグル”の新ビジュアルが登場 ラグビー選手の稲垣啓太が語るメイキングから私生活まで

スイス発ウオッチ&ジュエリーメゾンの「ショパール(CHOPARD)」のウオッチ"アルパイン イーグル"の新ビジュアルが登場する。同ビジュアルには、アンバサダーを務めるラグビー選手の稲垣啓太が“アルパイン イーグル”や“アイスキューブ”のジュエリーを着用して登場。荘厳なアルプスの山々や自然をバックに威厳あるたたずまいをアピールしている。同ブランドは、ビジュアルの公開を記念し、稲垣のインタビューを公開。彼は、撮影の感想から今後の目標、私生活までを語った。

撮影について稲垣は、「アルプスは過酷な場所。自分も過酷な環境の中で強さを発揮できるように練習、努力、鍛錬を行っている。それを撮影で表現したいと思った」と語る。表現の一つとして手の血管の出方までこだわり試行錯誤して撮影に臨んだという。着用した“アルパイン イーグル 41 XP フローズン サミット”は世界に8本しかない貴重なモデル。稲垣は、「重量感、輝きが素晴らしく、身が引き締まる思いだった。この時計の輝きのように、アスリートとして光り続けたい」とコメント。

“笑わない男”として知られる稲垣に、自身の強みを聞くと、「メンタリティー」という答えが返ってきた。「メンタルの準備をした人間のみが実力を発揮できる。常に自分を極限状態まで追い込む必要があると思う。それが自分の強みだ」と話す。“アルパイン イーグル XL クロノ”については、「チタン製なので軽く、さまざまなアクティビティーにふさわしい。スポーツ・ラグジュアリーを象徴する時計だ」。稲垣はジェンダーレスなジュエリー“アイスキューブ”も着用している。「角ばったものが好き」という彼は、連結したキューブとダイヤモンドの輝きのコントラストに感動したようだ。

妻の稲垣貴子と仲睦まじい様子が話題になっている稲垣。“おそろい”という言葉にウキウキするという彼は、妻とおそろいのスマホケースや化粧水を使用しているそうだ。一緒に仕事をする際は、モデルとして活躍する妻からのアドバイスもあるという。「プロではない私に意見を求めてくれる妻は、器が大きいと感じる」。ケガにより、復帰のリハビリ中の稲垣だが、ケガをプラスに捉えている。実戦に戻る一歩手前という彼が目標にしているのは、「フィールドに戻ったとき、圧倒的なパフォーマンスで自分の存在を世界に知らしめることだ」。その意味も込めて稲垣は、「復活の秋」という言葉で自身の気持ちを表現した。

問い合わせ先
ショパール ジャパン プレス
03-5524-8922

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「フランス レストラン ウィーク 2024」シェフの確かな腕による洗練された味が人気のオールデーダイニング 「メゾン マルノウチ」のラウル・サヴィ・シェフ

「ダイナースクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナースクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・丸の内「メゾン マルノウチ(MAISON MARUNOUCHI)」のラウル・サヴィ・シェフと特別コースについて紹介する。

素材の旨味が響き合うスペシャリテと絶品ミルフィーユ

フォーシーズンズホテル丸の内の「メゾン マルノウチ」は、同ホテル内のミシュラン二つ星「SEZANNE(セザン)」を率いる総料理長ダニエル・カルバートが監修するオールデー・フレンチビストロだ。朝食からディナーまで楽しめる同店舗は、東京駅を見渡せる開放的な空間が特徴。アフタヌーンティーが人気で、多彩なメニューをそろえている。今回初参加のイベントでは、ランチコース(5000円、1万円)とディナーコース(1万円)を用意した。

イベントのフォーカスシェフに選ばれたサヴィ・シェフのスペシャリテは、パテ アンクルート。シカとポークのソーセージとブーダンノワール(ブラッドソーセージ)とフォワグラをパイで包んでいる。この伝統料理は、どちらかというと素朴な料理だが、見た目が美しく、組み合わされた素材の旨味が響き合うおいしさ。エクスプレスランチ(5000円)のメインのヒヨコ豆のスパイスタジンは、トマトの旨味が凝縮されたソースとさまざまなハープをミックスしたクスクスが融合した複雑で繊細な味わいだ。肉を使用していないので、ベジタリアンにも人気だという。期間限定で提供している秋の味覚を堪能できるデザートの抹茶と栗のミルフィーユは、サクサクのパイ生地と軽くなめらかなクリームが織りなす上品な甘さが楽しめる。

旬の素材の魅力を最大限に引き出すフレンチ

サヴィ・シェフは、エストニア出身。幼少の頃から料理に興味があったが、職業に選ぶとは思っていなかったという。ところが、大学時代に世界を旅していたときに、イギリスの湖水地方にある高級ホテル「リンスウェイト ハウス(LINTHWAITE HOUSE)」の厨房で働きはじめ、シェフの道を目指すようになったという。サヴィ・シェフは、「偶然の出来事だったが、厨房の雰囲気や仕事に対するメンタリティーが気に入った。シェフの仕事は、人生を通して学び続けることだと感じた」と話す。イギリスの著名シェフであるマルコ・ピエール・ホワイトの下で修行を積んだ後、約2年前に来日。「メゾン マルノウチ」のシェフとしてサステイナブルな食材や調理にこだわった料理を提供している。

同店のコンセプトは、“リラックス・ダイニング”。2つ星店の「セザン」の洗練された雰囲気を持ちながらも、さまざまなシチュエーションで楽しめる。サヴィ・シェフのこだわりは、その土地の旬の素材を使用すること。生産者から直接仕入れるので、他国から空輸するよりも、ずっと環境に優しい。「味、品質において旬の素材に優るものはない。旬の素材の味を最大限にいかすのが、シェフの腕の見せ所だ」。「フレンチ レストラン ウィーク 2024」については、「フレンチを楽しむいい機会。いろいろ試して楽しんでほしい」と言う。彼が目指すのは、カルバート総料理長だ。「シェフとして大成功しているけど、とても謙虚で、素晴らしいボス。日々、料理のレベルを上げる努力をしているし、われわれの提案にも耳を傾け、指導してくれる。一緒に働けて本当にラッキーだ」。

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「フランス レストラン ウィーク 2024」シェフの確かな腕による洗練された味が人気のオールデーダイニング 「メゾン マルノウチ」のラウル・サヴィ・シェフ

「ダイナースクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナースクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・丸の内「メゾン マルノウチ(MAISON MARUNOUCHI)」のラウル・サヴィ・シェフと特別コースについて紹介する。

素材の旨味が響き合うスペシャリテと絶品ミルフィーユ

フォーシーズンズホテル丸の内の「メゾン マルノウチ」は、同ホテル内のミシュラン二つ星「SEZANNE(セザン)」を率いる総料理長ダニエル・カルバートが監修するオールデー・フレンチビストロだ。朝食からディナーまで楽しめる同店舗は、東京駅を見渡せる開放的な空間が特徴。アフタヌーンティーが人気で、多彩なメニューをそろえている。今回初参加のイベントでは、ランチコース(5000円、1万円)とディナーコース(1万円)を用意した。

イベントのフォーカスシェフに選ばれたサヴィ・シェフのスペシャリテは、パテ アンクルート。シカとポークのソーセージとブーダンノワール(ブラッドソーセージ)とフォワグラをパイで包んでいる。この伝統料理は、どちらかというと素朴な料理だが、見た目が美しく、組み合わされた素材の旨味が響き合うおいしさ。エクスプレスランチ(5000円)のメインのヒヨコ豆のスパイスタジンは、トマトの旨味が凝縮されたソースとさまざまなハープをミックスしたクスクスが融合した複雑で繊細な味わいだ。肉を使用していないので、ベジタリアンにも人気だという。期間限定で提供している秋の味覚を堪能できるデザートの抹茶と栗のミルフィーユは、サクサクのパイ生地と軽くなめらかなクリームが織りなす上品な甘さが楽しめる。

旬の素材の魅力を最大限に引き出すフレンチ

サヴィ・シェフは、エストニア出身。幼少の頃から料理に興味があったが、職業に選ぶとは思っていなかったという。ところが、大学時代に世界を旅していたときに、イギリスの湖水地方にある高級ホテル「リンスウェイト ハウス(LINTHWAITE HOUSE)」の厨房で働きはじめ、シェフの道を目指すようになったという。サヴィ・シェフは、「偶然の出来事だったが、厨房の雰囲気や仕事に対するメンタリティーが気に入った。シェフの仕事は、人生を通して学び続けることだと感じた」と話す。イギリスの著名シェフであるマルコ・ピエール・ホワイトの下で修行を積んだ後、約2年前に来日。「メゾン マルノウチ」のシェフとしてサステイナブルな食材や調理にこだわった料理を提供している。

同店のコンセプトは、“リラックス・ダイニング”。2つ星店の「セザン」の洗練された雰囲気を持ちながらも、さまざまなシチュエーションで楽しめる。サヴィ・シェフのこだわりは、その土地の旬の素材を使用すること。生産者から直接仕入れるので、他国から空輸するよりも、ずっと環境に優しい。「味、品質において旬の素材に優るものはない。旬の素材の味を最大限にいかすのが、シェフの腕の見せ所だ」。「フレンチ レストラン ウィーク 2024」については、「フレンチを楽しむいい機会。いろいろ試して楽しんでほしい」と言う。彼が目指すのは、カルバート総料理長だ。「シェフとして大成功しているけど、とても謙虚で、素晴らしいボス。日々、料理のレベルを上げる努力をしているし、われわれの提案にも耳を傾け、指導してくれる。一緒に働けて本当にラッキーだ」。

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「フランス レストラン ウィーク 2024」気軽に楽しめる“本物の味”を二子玉川で提供 「ナチュラム」の杉浦和也シェフ 

「ダイナーズクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナーズクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・二子玉川の人気店「ナチュラム(NATURAM)」の杉浦和哉シェフと特別コースについて紹介する。

秋を感じる食材をエレガントに仕上げたコース

二子玉川の駅に程近い「ナチュラム」は、テラスがあるカフェレストランのようなたたずまいだ。カウンターがある広々とした店内は、木の温かみが印象的な居心地の良い空間になっている。

夏から秋へ移行する季節を食材で表現したという特別ランチコース(2500円)。青トロナスとカツオのクレソンソース添えの前菜は、サラダ仕立ての紅ダイコンをのせた色鮮やかな一皿。ナスのトロトロした食感に、香ばしいカツオの旨味とサラダの甘酸っぱさが融合し、マリネされた各食材の味わいとソースが引き立て合う。メインの肉料理は、秋を感じさせる色合いの古白ドリのロースト。辛味のあるジンジャーソースを合わせることで肉料理なのにさっぱりとした仕上がりだ。一方で、バターナッツカボチャのピューレが濃厚な味わいがプラスされている。肉に添えられたジャガイモのドフィノワは絶品。ミルフィーユ状にしたジャガイモグラタンが、これほど美味しくなるとは驚きだ。マッシュルームを添えるなど、シェフの丁寧な仕事がうかがえる。デザートは、グレープフルーツとシャーベットを添えたムース。河内晩柑という和製グレープフルーツの爽やかな酸味が特徴で、レモンバームのシャーベットを添えることで複雑かつ驚きのある味わいだ。どれも彩りが美しく、季節感あふれるエレガントな料理に仕上がっている。ランチに訪れる二子玉川マダムも多いというのも納得だ。

“みんなの街のためのレストラン”を目指して

 

子どもの頃からキッチンで母親の料理を手伝うのが好きだったという杉浦シェフ。高校へ進学したものの、勉強にはあまり関心がなく、進路も決まらなかった。担任の先生からは、「魚市場か、パチンコ屋の店員だな」と言われていたという。彼は、「シェフになりたい」と地元の洋食屋へ就職して厨房で働く。店の料理長からフランスでの修行話を聞き、20歳で渡仏。杉浦シェフは「フランス語も話せず、ビザもなく無謀だった」と話す。パリのレストランへ飛び込みで「働きたい」と行っても相手にされず、資金が尽きた頃に日本人シェフに出会いブルターニュ地方の店を紹介された。そこで住み込みで働き、南仏のマントンのレストランで修行して帰国。その後、都内やパリのレストランでシェフとして活躍後、18年に「ナチュラム」をオープンした。

同店のコンセプトは、気軽に入れるフレンチだ。杉浦シェフは、「フレンチというと敷居が高いイメージがある。カジュアルだけど味は本格的な店にしたかった。いろいろな人にフレンチを楽しんでほしい」と話す。また、使用する素材や器は“メード・イン・ジャパン”にこだわっている。日本の四季や日本人の感性をフランス料理で表現しているという。杉浦シェフが目指すのは、“街のためのレストラン”だ。彼が参考にするのは、フランス・オーベルニュ地方のサンボネ・ル・フロワ村に店を構えるミシュラン3つ星シェフのレジス・マルコンだ。マルコンのレストランが村に雇用を生み、村を美食で有名にした。「その土地に必要とされる“あたたかい料理”を提供するレストランにしたい」と杉浦シェフ。「ナチュラム」では、ウエディングなども手掛けており、毎年記念日に同店を訪れるカップルも多いという。若い人からお年寄りまで幅広い層に愛される地元のフレンチとして歩んでいくようだ。

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「フランス レストラン ウィーク 2024」気軽に楽しめる“本物の味”を二子玉川で提供 「ナチュラム」の杉浦和也シェフ 

「ダイナーズクラブ フランス レストラン ウィーク 2024」は日本全国500店以上のフレンチレストランが参加する国内最大級グルメイベントだ。10月14日まで開催中の同イベントでは、ダイナーズクラブ会員でなくても、イベント特別価格のコース料理を楽しむことができる。料金は、2500円、5000円、1万円(レストランにより異なる)から選ぶことができ、星付きレストランや地元のお店で気軽にフレンチを試せるイベントになっている。今年のフォーカスシェフに選ばれた東京・二子玉川の人気店「ナチュラム(NATURAM)」の杉浦和哉シェフと特別コースについて紹介する。

秋を感じる食材をエレガントに仕上げたコース

二子玉川の駅に程近い「ナチュラム」は、テラスがあるカフェレストランのようなたたずまいだ。カウンターがある広々とした店内は、木の温かみが印象的な居心地の良い空間になっている。

夏から秋へ移行する季節を食材で表現したという特別ランチコース(2500円)。青トロナスとカツオのクレソンソース添えの前菜は、サラダ仕立ての紅ダイコンをのせた色鮮やかな一皿。ナスのトロトロした食感に、香ばしいカツオの旨味とサラダの甘酸っぱさが融合し、マリネされた各食材の味わいとソースが引き立て合う。メインの肉料理は、秋を感じさせる色合いの古白ドリのロースト。辛味のあるジンジャーソースを合わせることで肉料理なのにさっぱりとした仕上がりだ。一方で、バターナッツカボチャのピューレが濃厚な味わいがプラスされている。肉に添えられたジャガイモのドフィノワは絶品。ミルフィーユ状にしたジャガイモグラタンが、これほど美味しくなるとは驚きだ。マッシュルームを添えるなど、シェフの丁寧な仕事がうかがえる。デザートは、グレープフルーツとシャーベットを添えたムース。河内晩柑という和製グレープフルーツの爽やかな酸味が特徴で、レモンバームのシャーベットを添えることで複雑かつ驚きのある味わいだ。どれも彩りが美しく、季節感あふれるエレガントな料理に仕上がっている。ランチに訪れる二子玉川マダムも多いというのも納得だ。

“みんなの街のためのレストラン”を目指して

 

子どもの頃からキッチンで母親の料理を手伝うのが好きだったという杉浦シェフ。高校へ進学したものの、勉強にはあまり関心がなく、進路も決まらなかった。担任の先生からは、「魚市場か、パチンコ屋の店員だな」と言われていたという。彼は、「シェフになりたい」と地元の洋食屋へ就職して厨房で働く。店の料理長からフランスでの修行話を聞き、20歳で渡仏。杉浦シェフは「フランス語も話せず、ビザもなく無謀だった」と話す。パリのレストランへ飛び込みで「働きたい」と行っても相手にされず、資金が尽きた頃に日本人シェフに出会いブルターニュ地方の店を紹介された。そこで住み込みで働き、南仏のマントンのレストランで修行して帰国。その後、都内やパリのレストランでシェフとして活躍後、18年に「ナチュラム」をオープンした。

同店のコンセプトは、気軽に入れるフレンチだ。杉浦シェフは、「フレンチというと敷居が高いイメージがある。カジュアルだけど味は本格的な店にしたかった。いろいろな人にフレンチを楽しんでほしい」と話す。また、使用する素材や器は“メード・イン・ジャパン”にこだわっている。日本の四季や日本人の感性をフランス料理で表現しているという。杉浦シェフが目指すのは、“街のためのレストラン”だ。彼が参考にするのは、フランス・オーベルニュ地方のサンボネ・ル・フロワ村に店を構えるミシュラン3つ星シェフのレジス・マルコンだ。マルコンのレストランが村に雇用を生み、村を美食で有名にした。「その土地に必要とされる“あたたかい料理”を提供するレストランにしたい」と杉浦シェフ。「ナチュラム」では、ウエディングなども手掛けており、毎年記念日に同店を訪れるカップルも多いという。若い人からお年寄りまで幅広い層に愛される地元のフレンチとして歩んでいくようだ。

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もう「アメリ」はダメかもしれないと思ったーー 走り続けた10年、黒石奈央子の葛藤と“託す”決意

ビーストーン(東京、黒石奈央子社長)の「アメリ(AMERI)」は、間違いなく近年のウィメンズリアルクローズ市場をけん引してきたブランドの一つだ。自ら会社を立ち上げ、「アメリ」のビジネスからクリエイティブまで陣頭指揮を執る黒石社長の存在は、男性社会のアパレル業界で起業を目指す女性たちを勇気づけてきた。この10月でブランド10周年を迎えるにあたり、黒石社長にこれまでと今後を聞いた。

WWD:10年の節目を迎えた今、起業当時を振り返ると。

黒石奈央子ビーストーン社長(以下、黒石):ビーストーンを立ち上げた2014年ごろは、カリスマ的人気の販売員など、影響力を持つ個人によるブランドの立ち上げが盛んになっていた時期。私が起業する以前に所属していたのも、そういったブランドプロデュース術に長けたウィメンズアパレル会社だった。その中で成功例も失敗例もたくさん見てきたから、一個人としてブランドをやるというビジョンは自然に芽生えた。

ただ、そういった企業であっても、内実は事業部長など「お金」を握るのは男性で、女性はデザインやPRをするといった役割分担が明確にあったのも事実だった。私がビーストーンを立ち上げた時は本当に1人だったし、数字から逃げることはできなかったから、すべて自分でやるしかなかった。この経験は私にとって困難でもあったし、財産にもなった。

WWD:近年は個人がプロデュースするD2Cブランドも増えた。黒石さんに影響を受けた女性経営者は多いはずだ。

黒石:ただルックスがかわいい子が着ているというだけで、服が売れる時代ではないと思う。当たり前のように聞こえるかも知れないが、やはり服自体に魅了がなければいずれ立ち行かなくなる。確固としたスタイルがあって、それをデザインに落とし込めているブランドは生き残ることができる。

ウィメンズアパレルブランドを経営する上で感じるのは、特に商品のプライシングの部分は、手にとって着る女性だからこそ適切な値付けができるということ。「この服だったら、このくらいまで(お金を)出すよね」という肌感はやっぱり大事だし、そういった「リアル感」と「憧れ」のバランスのよさはアメリの強みになっていると思う。

WWD:「アメリ」といえばワンピースのイメージがある。

黒石:日本のウィメンズマーケットはフェミニンを好む層が厚く、「アメリ」でもそういったアイテムが必然的に売れるから、お客さまの間ではそういったイメージが強いのかも。ただ私としては特定の商品ジャンルには偏らないように、「売れるかどうか」よりも「欲しいかどうか」を大事に服を作っている。作り手である自分自身が年齢を重ねるにつれ、作る服のシルエットやバランスがだんだん変わってきた部分もある。そういった無意識な変化はあるにせよ、“ノールール・フォー・ファッション”というブランドのコンセプトがブレたことは一度もない。ツーウエイ、スリーウエイ、メニーウエイで使える着回しのしやすさと、お客さまの個性に合わせて自由に表現できる懐の広さ。それがお客さまに伝わり、受け入れられてきたから「アメリ」がここまで来れた自負がある。

WWD:25年春夏コレクションについて。

黒石:これまでの物作りとは地続きではあるけれど、従来のシーズンのアーカイブ柄やデザインを取り入れて、今着たい気分の服として復刻した。「アメリ」を有名にさせてくれた“アマンダ柄”という花柄を使ったアイテム、私がブランドで最初に作りたいと思っていた“ディメンショナルドレス”という立体感が特徴のワンピースは、最近「アメリ」を知ったお客さまにもぜひ着てもらいたい。10周年を機にブランドロゴも刷新した。「リブランディング」としてブランドの方向性を変えていくわけではなく、今までのブランドのスピリットを引継ぎながら、さらに進化させていく決意を込めた。

WWD:マンネリや限界を感じることはない?

黒石:会社が大きくなる中で新しいメンバーもジョインしてくれているし、そういう子たちから新しいヒントやアイデアを絶えず浴び続けられる毎日は、刺激的なことばかり。ただ、壁に突き当たったと感じたのがちょうど去年。それまではブランドの業績がずっと右肩上がりで伸びていて、「どこまで伸ばせるんだろう?」というワクワク感があったし、それがブランドを続ける上での原動力にもなっていた。ただその成長率が緩くなってきて、私の中でも「(ブランドの)トレンドが終わってしまうのか」「もうダメかもしれない」と気持ちがマイナスに傾いていった。ちょうどインスタグラムのアルゴリズムが変わって、お客さまのリアクションが見えづらくなった時期でもあった。「私がブランドをやっていていいのだろうか」とまで考え詰めた時期もあった。

一方で、昨年は私自身のライフステージの転機でもあった。妊娠(〜現在)をきっかけに、会社における立場や後進の育成について改めて考えた。私の育休中にも、ブランドが走り続けられるにはどうしたらいいだろう。立ち止まって出した答えは、現在の「アメリ」のトップデザイナーをディレクターに据え、ブランドに関わる意思決定や責任をすべて託すこと。それでうまく回っていけば、私が現場に戻ったときも、全部「元に戻す」ことはしなくていいと思っている。私が社長業に専念することで会社がうまく回っていくなら、それがベストな選択だから。それに私のキャリアをモデルケースにしたいと思ってくれている子はたくさんいるし、ビーストーンの将来を考えた時に、彼女たちの背中を押すことはいずれ会社の財産になる。私自身、後進の育成や人のプロデュースに力を入れていきたいという考えはずっとあった。

WWD:9月には青山商事との協業ブランド「シス(CIS.)」を発売。ビジネススーツ量販店とのコラボは意外だった。

黒石:私もお声掛け頂いたときは少し迷いがあったが、自分の中で「ザ・スーツ」と呼べるものをデザインしたことがなかったし、実際にやってみると「どうしたら今の女性にスーツを着たいと思ってもらえるだろう?」と考えることは貴重な学びになった。こういった外からの学びやヒントをブランドの前進、発展につなげていくことも、これからの私の役割になるだろう。

WWD:次の15年、20年を考えると。

黒石:今は、この“成熟期”にあるブランドの現在地をマイナスに捉えてはいない。これまで「アメリ」をずっと好きでいてくださったお客さまを裏切らず、いかに進化させていけるかを考えたい。会社が大きくなり、成熟するにつれて、私の力だけでは手に負えなくなってきている部分もある。経営に関しては本当に自己流でやってきたから、さらなるステップアップには外部の助けや視点が必要になるだろう。現段階でのイメージとしては、他社との資本提携のような大枠のスキームではなく、あくまで“人”ベース。アドバイザーや社外取締役など、実際に私が頼りになると感じた人材を経営の中枢に招き入れる。

近い将来、まず目指すは売上高100億円。そしてずっと思い描いてきたニューヨークへの出店という夢も、「アメリ」を立ち上げた時からずっと変わってはいない。

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もう「アメリ」はダメかもしれないと思ったーー 走り続けた10年、黒石奈央子の葛藤と“託す”決意

ビーストーン(東京、黒石奈央子社長)の「アメリ(AMERI)」は、間違いなく近年のウィメンズリアルクローズ市場をけん引してきたブランドの一つだ。自ら会社を立ち上げ、「アメリ」のビジネスからクリエイティブまで陣頭指揮を執る黒石社長の存在は、男性社会のアパレル業界で起業を目指す女性たちを勇気づけてきた。この10月でブランド10周年を迎えるにあたり、黒石社長にこれまでと今後を聞いた。

WWD:10年の節目を迎えた今、起業当時を振り返ると。

黒石奈央子ビーストーン社長(以下、黒石):ビーストーンを立ち上げた2014年ごろは、カリスマ的人気の販売員など、影響力を持つ個人によるブランドの立ち上げが盛んになっていた時期。私が起業する以前に所属していたのも、そういったブランドプロデュース術に長けたウィメンズアパレル会社だった。その中で成功例も失敗例もたくさん見てきたから、一個人としてブランドをやるというビジョンは自然に芽生えた。

ただ、そういった企業であっても、内実は事業部長など「お金」を握るのは男性で、女性はデザインやPRをするといった役割分担が明確にあったのも事実だった。私がビーストーンを立ち上げた時は本当に1人だったし、数字から逃げることはできなかったから、すべて自分でやるしかなかった。この経験は私にとって困難でもあったし、財産にもなった。

WWD:近年は個人がプロデュースするD2Cブランドも増えた。黒石さんに影響を受けた女性経営者は多いはずだ。

黒石:ただルックスがかわいい子が着ているというだけで、服が売れる時代ではないと思う。当たり前のように聞こえるかも知れないが、やはり服自体に魅了がなければいずれ立ち行かなくなる。確固としたスタイルがあって、それをデザインに落とし込めているブランドは生き残ることができる。

ウィメンズアパレルブランドを経営する上で感じるのは、特に商品のプライシングの部分は、手にとって着る女性だからこそ適切な値付けができるということ。「この服だったら、このくらいまで(お金を)出すよね」という肌感はやっぱり大事だし、そういった「リアル感」と「憧れ」のバランスのよさはアメリの強みになっていると思う。

WWD:「アメリ」といえばワンピースのイメージがある。

黒石:日本のウィメンズマーケットはフェミニンを好む層が厚く、「アメリ」でもそういったアイテムが必然的に売れるから、お客さまの間ではそういったイメージが強いのかも。ただ私としては特定の商品ジャンルには偏らないように、「売れるかどうか」よりも「欲しいかどうか」を大事に服を作っている。作り手である自分自身が年齢を重ねるにつれ、作る服のシルエットやバランスがだんだん変わってきた部分もある。そういった無意識な変化はあるにせよ、“ノールール・フォー・ファッション”というブランドのコンセプトがブレたことは一度もない。ツーウエイ、スリーウエイ、メニーウエイで使える着回しのしやすさと、お客さまの個性に合わせて自由に表現できる懐の広さ。それがお客さまに伝わり、受け入れられてきたから「アメリ」がここまで来れた自負がある。

WWD:25年春夏コレクションについて。

黒石:これまでの物作りとは地続きではあるけれど、従来のシーズンのアーカイブ柄やデザインを取り入れて、今着たい気分の服として復刻した。「アメリ」を有名にさせてくれた“アマンダ柄”という花柄を使ったアイテム、私がブランドで最初に作りたいと思っていた“ディメンショナルドレス”という立体感が特徴のワンピースは、最近「アメリ」を知ったお客さまにもぜひ着てもらいたい。10周年を機にブランドロゴも刷新した。「リブランディング」としてブランドの方向性を変えていくわけではなく、今までのブランドのスピリットを引継ぎながら、さらに進化させていく決意を込めた。

WWD:マンネリや限界を感じることはない?

黒石:会社が大きくなる中で新しいメンバーもジョインしてくれているし、そういう子たちから新しいヒントやアイデアを絶えず浴び続けられる毎日は、刺激的なことばかり。ただ、壁に突き当たったと感じたのがちょうど去年。それまではブランドの業績がずっと右肩上がりで伸びていて、「どこまで伸ばせるんだろう?」というワクワク感があったし、それがブランドを続ける上での原動力にもなっていた。ただその成長率が緩くなってきて、私の中でも「(ブランドの)トレンドが終わってしまうのか」「もうダメかもしれない」と気持ちがマイナスに傾いていった。ちょうどインスタグラムのアルゴリズムが変わって、お客さまのリアクションが見えづらくなった時期でもあった。「私がブランドをやっていていいのだろうか」とまで考え詰めた時期もあった。

一方で、昨年は私自身のライフステージの転機でもあった。妊娠(〜現在)をきっかけに、会社における立場や後進の育成について改めて考えた。私の育休中にも、ブランドが走り続けられるにはどうしたらいいだろう。立ち止まって出した答えは、現在の「アメリ」のトップデザイナーをディレクターに据え、ブランドに関わる意思決定や責任をすべて託すこと。それでうまく回っていけば、私が現場に戻ったときも、全部「元に戻す」ことはしなくていいと思っている。私が社長業に専念することで会社がうまく回っていくなら、それがベストな選択だから。それに私のキャリアをモデルケースにしたいと思ってくれている子はたくさんいるし、ビーストーンの将来を考えた時に、彼女たちの背中を押すことはいずれ会社の財産になる。私自身、後進の育成や人のプロデュースに力を入れていきたいという考えはずっとあった。

WWD:9月には青山商事との協業ブランド「シス(CIS.)」を発売。ビジネススーツ量販店とのコラボは意外だった。

黒石:私もお声掛け頂いたときは少し迷いがあったが、自分の中で「ザ・スーツ」と呼べるものをデザインしたことがなかったし、実際にやってみると「どうしたら今の女性にスーツを着たいと思ってもらえるだろう?」と考えることは貴重な学びになった。こういった外からの学びやヒントをブランドの前進、発展につなげていくことも、これからの私の役割になるだろう。

WWD:次の15年、20年を考えると。

黒石:今は、この“成熟期”にあるブランドの現在地をマイナスに捉えてはいない。これまで「アメリ」をずっと好きでいてくださったお客さまを裏切らず、いかに進化させていけるかを考えたい。会社が大きくなり、成熟するにつれて、私の力だけでは手に負えなくなってきている部分もある。経営に関しては本当に自己流でやってきたから、さらなるステップアップには外部の助けや視点が必要になるだろう。現段階でのイメージとしては、他社との資本提携のような大枠のスキームではなく、あくまで“人”ベース。アドバイザーや社外取締役など、実際に私が頼りになると感じた人材を経営の中枢に招き入れる。

近い将来、まず目指すは売上高100億円。そしてずっと思い描いてきたニューヨークへの出店という夢も、「アメリ」を立ち上げた時からずっと変わってはいない。

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映像作家・空音央が初の長編劇映画「HAPPYEND」で見せたこだわりの演出術

PROFILE: 空音央/映像作家

空音央/映像作家
PROFILE: (そら・ねお)1991年アメリカで生まれ、日米で育つ。ニューヨークと東京をベースに映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動している。また個人での活動と並行してアーティストグループZakkubalanの1人として、写真と映画が交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。2020年、志賀直哉の短編小説をベースにした監督短編作品「The Chicken」が映画祭で上映される。Filmmaker Magazineで新進気鋭の映画人が選ばれる「25 New Faces of Independent Film」の1人に選出された。坂本龍一のコンサートドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」(2024)は、世界中の映画祭で上映、絶賛された。「HAPPYEND」が長編劇映画デビュー作となる。

ニューヨークで生まれ育った映像作家、空音央(そら・ねお)。これまで実験的な映像作品で注目を集め、坂本龍一の演奏を記録したドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」は大きな話題を呼んだ。そんな中、初めての長編劇映画「HAPPYEND」が10月4日に公開される。大好きな音楽のことだけ考えていたいユウタ(栗原颯人)。次第に政治的な問題に目覚めていく親友のコウ(日高由起刀)。2人の高校生の友情を軸に、近未来の日本を舞台にした「HAPPYEND」は、空監督がこれまでやりたかったことを全て詰め込んだ作品だという。映像作家としての新たな出発点ともいえる「HAPPYEND」を通じて、空監督の作品に対する向き合い方を探った。

「HAPPYEND」に込めた想い

——「HAPPYEND」は監督にとって初めてのフィクション長編ですね。これまで監督はドキュメンタリーやアート色の強い作品を撮られてきましたが、初のフィクション長編が青春映画というのが意外でした。

空音央(以下、空):この作品は映像作品を撮り始める前、2017年頃から構想を練っていたんです。この作品を撮りたかった理由はいくつかあるのですが、一番大きいのは、自分が大人になりかけていた頃の感情を鮮明に覚えているうちに形にしたいということでした。時間が経つにつれて当時の記憶が薄れてしまうので、緊急性が高かったんです。

——ユウタとコウを中心にしたメインキャラクターの5人に対する監督の眼差しがとても優しくて、監督の個人的な経験が反映されているのでは、と思っていました。

空:そうなんですよ(笑)。自分が高校や大学で経験したことが物語に反映されています。当時の友達との付き合いが今の自分を形成していると思っていて、自分にとって友達はとても大事な存在です。この物語では特に大学の頃に経験したことが反映されていて。友達が政治や社会問題に興味を持ったことで、関係を切られてしまったことがあったんです。逆に僕の方から違う友達との関係を切ったこともありました。だから切る方、切られる方、両方の気持ちがよく分かるんです。

——コウが政治に興味を持ったことで、大好きな音楽のことだけ考えていたいユウタとの友情に亀裂が入っていく、という物語は、監督自身が経験したことだったんですね。物語の舞台を近未来にしたのはどうしてですか?

空:関東大震災で起こった朝鮮人虐殺のことを調べたことがあったんです。なぜ、日本でこんなことが起きたんだろう?と思って。そしたら、調べていた時期に日本で大きなヘイトスピーチのデモがあったんですよ。それを知って、今でも差別が日本の社会に根強く残っていることを知りました。最近、南海トラフ地震が必ずくる、と言われているじゃないですか。そうなると、また朝鮮人虐殺のようなことが起こる可能性は大きいんじゃないかと思って、近未来の日本のことを想像するようになったんです。

——パンデミックのマスク不足や最近の米騒動など、いまだに人々の不安がパニックを生み出していますね。

空:人は目に見えない恐怖にあおられやすいんでしょうね。あと、経済が悪くなると自分の身の回りのことしか考えなくなってしまって、人間の本性——とは言いたくはないですけど、負の部分があぶり出されることになるんじゃないでしょうか。

——映画ではたびたび、地震が起こります。地震は「目に見えない恐怖」のメタファーなのでしょうか。

空:未来に対する不安や恐怖。友情の決裂。社会構造の崩壊。そういったさまざまなことのメタファーであると同時に、実際に起こる自然現象として描いています。地震で被害に遭われた方もいるので、単なるメタファーにはしたくないんですよ。それに僕は日本に来ている時に地震が起こると怖いんです。ニューヨークではほとんど地震が起きないので、震度1のレベルでみんな大騒ぎですから。

キャスティングと演出

——地震は日本人が抱えている潜在的な恐怖とも言えるかもしれませんね。今回、主要キャスト5人のうち4人がスクリーンデビューということもあって新鮮な顔ぶれでした。キャスティングで心掛けたことはありますか?

空:この映画で一番大切なのがキャスティングでした。これまで短編を撮ってきて、「自分の直感は当たるし大事だ」ということが分かったんです。だから、キャスティングは直感を大事にしました。オーディションで参加者が部屋に入って来た時、「多分、この人になるだろうな」と直感したことが、今回の主要キャストに関しては必ずあったんです。それで実際に演技をしてもらうと、みんなうまいし変なクセもついてない。そして、それぞれに話を聞くと、演じてもらった役にすごく近い背景や感性を持っているんです。それには驚きましたね。

——直感はもともと大切にする方ですか?

空:何に対してかにもよりますが、作品に関する決断は直感を大事にするようにしています。というのも以前、「いい感じなんだけど、どこか違和感あるな」と感じた時って、必ずその違和感が後々問題になったんです。

——今回のキャスティングに関しても直感が当たったんですね。役者に対するディレクションは細かくする方ですか?

空:撮影や編集など技術的なことはこれまでやって来たので大体分かるんですけど、演技の演出は経験不足だと思っていたので、いろんな方に相談しました。その1人が濱口竜介さん。濱口さんは「ハッピーアワー」で演技未経験の役者に演出をしているので、本作のことを話してアドバイスをしていただきました。その後も、いろんな方から話を伺った中で注目したのがマイズナー・メソッドという、サンフォード・マイズナー(Sanford Meisner)という演技の先生の演出法です。マイズナー・メソッドで大事なのは、想像上の設定の中でいかに自分らしくいられるか。演技をする時、共演者から投げかけられる感情に対して、感情を作らずに素直な自分を出す練習をするんです。マイズナー・メソッドを演出の指針にして、俳優たちにもそうするように伝えました。

——5人の自然な演技が良かったです。5人が一緒にいる時の親密な空気感も嘘がなくて、そこは本作の要ですね。

空:そうですね。マイズナー・メソッドでは自分自身を出す練習をしてもらうので、撮影に入る前に5人の関係性を築くというのがすごく大事でした。最初、彼らは緊張していたみたいですが、ワークショップをやっていくうちに何年も前からの友達みたいに関係性が深まっていった。ワークショップの後に、こちらが何も言わないのに一緒にご飯を食べにいったりして、すっかり仲良くなったんです。だから、撮影の初日から打ち解けていましたね。選んだ5人の相性が良かったのはラッキーでした。

——撮影に関して伺いたいのですが、「Ryuichi Sakamoto | Opus」でも撮影を担当していたカメラマンのビル・キルスタイン(Bill Kirstein)さんとは長い付き合いですね。本作の撮影にあたって、どんな話をされたのでしょう。

空:ビルとの間で共有していたのは、「映画を観終わったら、しばらく話してない友達に電話したくなるような気持ちになる作品にしよう」ということでした。そういう作品にするために、このシーンをどう見せるか。最初にシーンの核みたいなものを2人で考えて、それをショットに分解していきました。そして、カメラのポジションが大体決まったら、あとはほとんどビルに任せていましたね。そんな風に任せられるのは、彼とセンスやテイストが共有できているからなんです。好きな映画もよく似ているし。

——「Ryuichi Sakamoto | Opus」を観て、抑制されたカメラワークでありながらも感情が伝わってくる映像だと思いました。

空:ビルはとても詩的なことを考える人なんです。「Ryuichi Sakamoto | Opus」ではドリー(移動しながら撮影すること)を多用したんですけど、ビルに「どういう特機部(撮影用の特殊機械を操作するスタッフ)がいいの?」って聞いたら、「音楽を聴いて泣ける人」って言うんです。今回、『HAPPYEND』でお願いした特機部の方は「PERFECT DAYS」にも参加された感情を深く理解される人で、カメラの動きにも画にも感情が乗ったんです。

——では、サントラを手掛けられたリア・オユヤン・ルスリ(Lia Ouyang Rusli)さんには、どんなふうに発注されたんでしょうか?

空:彼は映画音楽のスコアをやりつつ、オユヤン(OHYUNG)というテクノ・アンビエントのソロプロジェクトもやっている人で、本作にはピッタリだと思いました。本作における音楽の使い方には、最初から方針があったんです。ユウタとコウが僕と同い年の33歳になって、自分の高校時代を思い出したらどういう感情になるんだろう?というのを想像して音楽を作ってもらったんです。近未来という設定なのに、どこか過去を思い出しているような。時制が交差しているような物語を、古典的なピアノにシンセを混ぜた音楽で表現してくれました。

——本作は脚本や演出はもとより、撮影や音楽など、隅々まで考え抜いて作られた作品なんですね。

:大学を卒業してからフリーランスで映像の仕事をやっていたんですけど、フリーランスだと、企画、脚本、監督、撮影、編集、サウンドデザインまで全部自分でやらなければいけない。僕は全工程が好きなんですけど、作品を作っていく中で「こういうことを試してみたい」という課題がいくつか出てきて。今回はそれを全部、作品にぶつけました。初めてのフィクション映画であり、ある意味、映画監督としてのデビュー作とも言える本作では、やってみたかったことを全部やってみたかったんです。

「エドワード・ヤン監督は永遠のアイドル」

——「HAPPYEND」を撮るにあたって、リファレンスとして観直した作品はありました?

空:作品を作る時に必ず観直すのは、エドワード・ヤン監督の「牯嶺街少年殺人事件」です。あとはホウ・シャオシェンの「風櫃の少年」とかツァイ・ミンリャンの「青春神話」とか。

——台湾映画が続きますね。

空:台湾映画はすごく好きですね。あとファスビンダーの「マリア・ブラウンの結婚」。ジャック・タチやダグラス・サークの作品なんかも好きです。

——どの作品も素晴らしいですが、毎回、観直す「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」はどういうところに惹かれますか?



空:僕の中では、これ以上ないと思うくらい完璧な映画なんです。歴史のある瞬間を主題の一つとして描いているにもかかわらず、人物たちを中心に据えている。そのバランスが見事で、彼の全ての作品についてそう思うんですよね。だから、僕にとってエドワード・ヤンは永遠のアイドルなんです。

——エドワード・ヤンは緻密に計算してショットを積み重ねている気がしますが、そういうところは空監督にも通じるのでは?



空:確かにそうですね。エドワード・ヤンはもともとコンピューターのエンジニアだったんです。僕はエンジニアじゃないですけど、作り方がすごく構造的なんですよ。あまりバラしたくはないのですが(笑)、緻密に、構造的に作っていく。多分、天才と言われている監督は有機的にすごいものが撮れちゃう人もいると思うんですけど、僕はどうしてもパーツを組み立てるようにして作りたい、というか、作らざるをえない。そういう映画作りの究極の形をエドワード・ヤンが見せてくれている気がします。

——コウに影響を与えるフミとコウの関係とか、映像のタッチとか、「HAPPYEND」は「牯嶺街少年殺人事件」を思わせるところがありますね。

空:そういえば偶然なんですけど、 大学時代に「やっぱり、映画を作りたい!」って思わせてくれた映画の一つがヴェルナー・ヘルツォーク監督の「アギーレ/神の怒り」で。その後、エドワード・ヤンを好きになった時に彼のインタビュー読むと、彼もシアトルで「アギーレ/神の怒り」を観て、「映画ってこういうことができるんだ!」と思って映画作りを始めたそうなんです。それを知った時には親しみがわきましたね。

——「アギーレ/神の怒り」はアマゾンの奥地に向かったスペイン探検隊を描いた壮絶な物語でしたが、いつか「アギーレ/神の怒り」みたいな映画も撮ってみたいと思われます?

空:あれは僕にはちょっと(笑)。狂人にしか撮れない作品ですからね。次はエルンスト・ルビッチみたいなものを撮ってみたいです。ルビッチの「生活の設計」が大好きで。三角関係の話じゃないですか。ある意味、今回の映画も三角関係の話だから、欲望とか嫉妬の描き方を参考にさせてもらったんです。

PHOTOS:MASASHI URA

■「HAPPYEND」
10月4日から新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
出演:栗原颯人、日高由起刀
林裕太、シナ・ペン、ARAZI、祷キララ
中島歩、矢作マサル、PUSHIM、渡辺真起子/佐野史郎
監督・脚本:空音央
撮影:ビル・キルスタイン
美術:安宅紀史
プロデューサー:アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ、アレックス・ロー、アンソニー・チェン
製作・制作:ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile
配給:ビターズ・エンド
日本・アメリカ/2024/カラー/DCP/113分/5.1ch/1.85:1
© 2024 Music Research Club LLC
https://www.bitters.co.jp/HAPPYEND/

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繊維産地に胎動 “世界が評価する技と人を活かして循環型を目指せ” 宮浦晋哉×福田稔

PROFILE: 左:宮浦晋哉 糸編 代表取締役/キュレーター、右:福田稔A.T. カーニー シニアパートナー

PROFILE: 宮浦晋哉(みやうら・しんや) 糸編 代表取締役/キュレーター 1987年千葉県生まれ。大学卒業後にキュレーターとして全国の繊維産地を回り始める。2013年東京・月島でコミュニティスペース「セコリ荘」を開設。2016年名古屋芸術大学特別客員教授。創業から年間200以上の工場を訪れながら、学校や媒体や空間を通じて繊維産地の魅力の発信し、繋げている。2017年に株式会社糸編を設立。主な著書は『Secori Book』(2013年) 『FASHION∞TEXTILE』(2017年) 福田稔(ふくだ・みのる) A.T. カーニー シニアパートナー 1978年東京生まれ。慶應義塾大学卒、IESEビジネススクール経営学修士(MBA)、ノースウェスタン大学ケロッグビジネススクールMBA exchange program修了。電通総研(旧電通国際情報サービス)、ローランド・ベルガーを経てA.T.カーニー入社。消費財・小売プラクティスのコアメンバー。主にアパレル・繊維、ラグジュアリー、化粧品、小売、飲料、ネットサービスなどのライフスタイル領域を中心に、戦略策定、ブランドマネジメント、GX、DXなどのコンサルティングに従事。プライベートエイティやスタートアップへの支援経験も豊富。経済産業省 産業構造審議会 繊維産業小委員会委員、これからのファッションを考える研究会~ファッション未来研究会~副座長など、アパレル・繊維、ライフスタイル産業に関わる多くの政策支援にも従事する。著書に『2030年アパレルの未来 日本企業が半分になる日』『2040年アパレルの未来 「成長なき世界」で創る、循環型・再生型ビジネス』(いずれも東洋経済新報社)など。

最近、日本の繊維産地から新たな何かが始まる胎動が伝わってくる。衣料品の国内生産の規模は年々縮小を続け、高い技術を持つ工場では後継者不足といった課題は深刻だ。一方で、外資ラグジュアリーからの日本の技術の評価は依然高く、投資対象ともなっている。明暗が交差する産地で何が起きているのか?繊維産地の訪問を重ねながら、マッチングや素材製品開発、ものづくりの学校の運営などを行っている宮浦晋哉 糸編代表取締役と、『2040年アパレルの未来 「成長なき世界」で創る、循環型・再生型ビジネス』の著者でもある、福田稔A.T. カーニー シニア パートナーの対談を通じて、その課題と可能性を考える。

コロナ後の繊維産地でリーダーシップを発揮する後継者たち

WWD:最近、日本の繊維産地から胎動のようなものを受け取る。何が起きているのか?

宮浦晋哉 糸編代表取締役(以下、宮浦):産地は“似たようなもの”を作る競合の集合体だから“隣の会社とは実は仲が良くない”が実情だった。しかしそれでは生き残れず、時代が“産地全体でどう協力するか”のフェーズに入ってきている。

WWD:その意味でリーダーシップがある産地や人物の一例は?

宮浦:デニムであれば、広島県福山市の篠原テキスタイルの5代目、篠原由起代表取締役社長の顔が浮かぶ。篠原テキスタイルは、1907年に備後絣から始まった老舗で篠原社長は2022年に就任した。今の産地には、産地全体で“面”を作り認知度を上げて、働く人を獲得するためのリーダーシップが必要で、篠原さんがそれを率先している。行政との混沌とした話し合いを毎週毎晩、根気よく続けて一歩一歩事業化していく牽引力だ。他には名古屋・一宮の尾州産地にある三星グループの5代目である岩田真吾代表、静岡・遠州産地の古橋織物の4代目、古橋佳織理代表取締役などの顔が浮かぶ。

WWD:その動きは最近始まったこと?

宮浦:コロナ後、ビジネスが再び動き始めた頃から顕著になった。勉強会を開いたり、組合や市役所と一般向けのバスツアーを組んだり、産地フェスやオープンファクトリーを企画したり、大学で講義を行ったりといった“誰かがやらねばならないこと”を率先し、結果、それらの産地の知名度が明らかに変わってきている。

WWD:福田さんはコンサルタントとして、今の話をどう解釈する?

福田稔A.T. カーニー シニア パートナー(以下、福田):2つの観点から重要だ。ひとつ目は個別企業で成長し、生き残ることが難しくなっており、経済活動の観点からも産地が“面”となって自らを押し出すことが重要になっている。インバウンドを絡めて地域に潤いをもたらすには横の連携が大切。企業同士、産地同士をつなげる動きはポジティブな要素だ。ふたつ目は産地に限らず日本の社会が、循環型、再生型への移行を目指す中、各企業が単独で動いても実現は難しく、行政と民間、生活者も含めた地域全体が一体化すること、アパレルだけでなく衣食住を含めた横連携が重要になる。

WWD:老舗の「代替わり」はポイントだ。

宮浦:残っていくためには必要なこと。ただし子どもたちが継ぎたくても、親が継がせたくないケースもある。自分たちの時代が良かったからこそ「無理しなくていい」となる。その逆もあり、あちらこちらで家族会議が白熱している。

WWD:事業継承がうまくいっている企業の特徴は?

宮浦:会社の将来の描き方にもよるが、組織をある程度大きくするなら外部から人を効果的に入れたほうがいいだろう。「ファミリーではない社員が大事」という認識がある会社は、先代や現役の会長・社長が、過去10~20年スパンで、若い人材を積極的に入れてきた。すると後継世代も「若い人が活躍している自社は可能性があるのだな」と客観的に判断ができる。

WWD:簡単ではない話。ところで宮浦さんはなぜ産地の仕事に一生懸命なのか。

宮浦:日本の各産地に面白いものがたくさんあるのに、知られていなくてもったいない、という一点だ。今も新しい発見が毎週のようにある。日本の素材の技術には可能性があるからどんどん変わるべきだ。次世代には悩んでいるなら継いでみた方がいいと思う、と伝えている。また、尾州の小塚毛織がカナーレのテキスタイル作りをサポートしているように、属人的な技術を継承するためのM&Aも出てきている。

福田:繊維産地に限らず、中小企業の事業継承の枠組みや基盤作りは日本全体の社会課題であり、メガバンクやコンサルティングファームが事業承継をスムーズにするための仕組みを作り始めている。国からのバックアップがあるタイミングだから外から人材を入れて事業を大きくする動きが加速してほしい。

“終わった”産業がデザインで蘇る

WWD:宮浦さんが産地で日々出会う新しい発見とは?

宮浦:“終わった”と言われる産業が、デザインや見せ方を変えると新しくなることは多い。福岡・久留米絣は「うなぎの寝床」が登場し、絣をモダンに見せたことで売り上げを伸ばした。そういう例が全国にたくさんある。

福田:名古屋で400年以上の歴史がある有松絞りのスズサンもまさにそう。売り上げの8割が海外と聞く。自社が持つ伝統技法やアセットの扱い方を、時代に合わせてアップデートすることで大きく変わる。

WWD:アップデートするとは?

福田:いろいろなアングルがあるが、スズサンの場合は1982年生まれの村瀬弘行代表取締役CEO兼クリエイティブ・ディレクターがリードし、当初から海外市場を意識し、オリジナルブランド「スズサン」では欧米のサイズ感ありきでモダンな服を作りそこに有松絞りを生かしている。京都で1688年に創業した西陣織の細尾は、80センチ幅だった織り幅を150センチとしたことで壁紙などさまざまなテキスタイルのニーズを掘り起こし、伝統技法を進化させ、世界へ一気に広まった。京都の民谷螺鈿京都もしかりだ。

WWD:グローバル市場の視点を最初から入れることが重要になる。

福田:高付加価値で手のかかる製品は当然安くはないので国内市場は限られる。他方、“海外にどう売るか”の視点でマーケティングができた企業は、未来が見えている。グローバルニッチ戦略により事業拡大が可能となるからだ。

宮浦:先ほど紹介した次世代リーダーたちは、次のステージを考えている。デニムは“ジャパンデニム”としてすでに世界に知られているが、そこにとどまらず、たとえば篠原テキスタイルは、クラボウと組んで反毛糸を使ったデニムを作ったり、スパイバーの糸を使ったりしている。

福田:クラボウの裁断片の再生技術「ループラス」は、デニム以外にも今治や奈良の産地から綿の端材を集めて商品化している。大企業がリードしての産地の垣根を超えた連携の良い例だ。

海外から高い評価を得ている日本の職人技

WWD:最近、LVMH メティエ ダールが細尾やクロキと提携するなど、欧州のラグジュアリーから日本の技術が注目されている。宮浦さんは、海外ラグジュアリーとの接点も多いが、日本のクラフツマンシップは海外からどう見られているのか?

宮浦:大学の研究で日本の繊維輸出を調べている。ラグジュアリーブランドへもインタビューするが、多くの人が「コツコツと丁寧な仕事をする繊維産地はもう日本にしかない」という。海外では敬遠されがちな細かい作業や、スピードの遅い織機を使った織物、特殊な加工などが評価されている。

WWD:それをファッションが必要としている?

宮浦:している。手作業に近い機械仕事がクラフツマンシップとして認識され、語られている。蒸し暑い工場で黙々と検反できるなんて、普通のことではない。

WWD:徹底したルーティンも職人技ということだ。

福田:世界のラグジュアリーの今後の重要なテーマが希少性。ラグジュアリー自体がコモディティ化するなかで、従来の豪華絢爛で西洋的なラグジュアリーから脱しつつ、今の価格を維持しながら差別化するには、希少なものをミックスすることが重要。日本の産地や技術はまだまだ知られてない、極めてユニークなものがたくさんあるから、彼らは取り込みやすい技術をどんどん取り入れる姿勢だ。デニムがその典型だろう。

WWD:消費者がブランドに求めるものも変わってきているということ?

福田:本当に価値があるものが求められている。また、ラグジュアリーにとって“伝統の保護”は投資の意義が見出しやすい。

日本の技術の多くが“未発見”である理由

WWD:それだけ商業的価値があるものが、なぜまだ世界から“未発見”なのか?

福田:日本人すら知らない技術、場所がたくさんある。それだけ日本は地域ごとにユニークな伝統技法がある。それは衣食住全てそうで、まだまだ世界に発信されていない。

宮浦:国内のデザイナーも産地を開拓しきれてない。知られてないけど面白いものがたくさんある。海外からは日本の商流は間に商社や問屋が入りすぎて情報がつかみずらいと聞く。「だから自分の目で見るのだ」と来日が盛んで、この夏もあるラグジュアリーブランドの担当者を1週間アテンドした。情報が入ってこないから自分の足で歩き、目で見る。そして「得るものが多かった」と帰ってゆく。結果、シンプルな天竺が何十万メートル決まったなんて話も聞く。

WWD:その流れに乗れない企業や産地の共通課題は?

宮浦:強烈なリーダーがいない産地。逆に、問屋や産元商社が強すぎると現場が前に出づらくオープンファクトリーの開催などが難しそうだ。最大の共通課題は、人手不足。安定した生産基盤がないと、大量注文を受けても乗り切れず、産地自体が持続可能でなくなる。冒頭で伝えたように、強いリーダーシップで産地の方向性を考え、自治体がそれを形にし、求人の動機を作ってゆく必要がある。

WWD:産地と循環や再生を接続するには、誰かがより大きなビジョンを描く必要がある。

福田:川下のアパレルが人に投資をすべきだ。イタリアの「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」はウンブリア州ソロメオ村で職人養成学校を運営し、産地に人を集めている。「シャネル(CHANEL)」や「エルメス(HERMES)」も職人に投資をしている。日本でも大手企業やブランドが産地に投資をして人を集めて育成するような取り組みが起きてほしい。

WWD:イタリアも長らくフランスの生産地だったが、80、90年代以降ファクトリーブランドとして旗上げしブランディングに成功した例が多い。

福田:イタリアの場合、「マックスマーラ (MAX MARA)」や「ヘルノ(HERNO)」のように地方で創業し、ブランドを生み出し、シャワー効果で産地に利益をもたらしている例が多い。日本の場合は、商流が細分化されていることと、アパレルの多くが価格重視で中国など海外生産を行っており成功例がなかなか出てこない。

宮浦:一つでも成功事例があれば、と思うが。実際のところは初期投資の覚悟には至らないケースが多い。

WWD:「ブルネロ クチネリ」は創業者が地域復興の思想を持っていた。そこもまた人。誰に期待する?

福田:産地との連携という観点では、「CFCL」の高橋悠介さんや「ビズビム(VISVIM)」の中村ヒロキさんに期待している。お二人ともアプローチは違えど、グローバルな視点を持ち、日本が持つアセットや独自性を、うまく服作りに活かしていることは共通している。かつサステナビリティを念頭にビジネスを作り込んでいるから強い。

宮浦:生産者初の発信も日本から出てほしい。課題はディレクターがいないこと。糸も編みも織りも染めも技術はあるが人がいない。海外でファッションを学び帰国した人がアパレルブランドではなく、産地に入りその魅力を最大化する、そんな流れを作りたい。

サステナビリティ関連の欧州法規制をインストール

WWD:最近はグローバルビジネスを進めるためには、欧州のサステナビリティ関連法規制を最初から視野に入れる必要がある。循環を実現するには、法規制もインストールしないといけない。

宮浦:日本は中小企業が多くたとえばGOTSなどの認証取得が難しい。

福田:厳しいが、欧州の規制には頑張って対応してゆくしかないのが現実。経済産業省がガイドラインを出していることからわかるように日本の行政も「産業を持続可能とするために守ってください」という考えだ。

WWD:特に染色や撥水加工など化学薬品を扱う工程が関連してくるリーチ規制への対応は急務だが、産地に情報が伝わっていない。法規制はある意味覇権争いだからすべてに誠実に対応することだけが正解じゃないが、言語の壁も大きく微細をキャッチアップするのが難しい。

宮浦:産地には情報が十分に入っておらず混乱している。トップダウンで徹底してほしいと思う。

福田:ここはやはり、商社中心に変革をうながしてほしい。基本体力があるうえ川上と川下をつなげるのも商社だからだ。

ファッション産業で閉じない循環を目指せ

福田:ここまでの話は、産地の現状のビジネス的観点が多かった。いわゆる循環型・再生型との産地の接続については、角度を変えて話したい。

WWD:循環型とは、作って売るだけではない、長く着る、リペア・リセールといった“売らないビジネス”を含めた産業への転換のこと?

福田:ファッションの視点ではそうだが、本当に循環型社会を作ろうとするなら、衣食住全体で考える必要がある。一例だが、服がたい肥になる、逆に他産業から出た素材で服を作るなど循環型社会の中でファッションがどうはまっていくか、という視点だ。アパレル関係者は産業内で考えがちだが、ファッション産業だけで循環型は無理があると思う。循環型社会の先進国である北欧は街全体をいかに循環型にしてゆくか、その一部としてアパレル産業を位置付けるかという考え方で、日本にはまだその発想がない。
 
WWD:循環は日本全体よりも地域、地域といった単位の方が実現しやすいだろう。

福田:循環の点からも日本の産地は、ちょうどいいぐらいのサイズ。「もったいない」に代表されるように、日本の文化はさまざまな物を再生して使い回してきた。産地内の衣食住で循環型のロールモデルの作り海外にアピールしてインバウンドを招いたりといった可能性があると思う。

宮浦:繊維産業の原料はほぼ輸入。一方で、役所の方と話していると、過去に植えすぎた木が環境を破壊し林業が苦しんでいると聞く。林業を原料に国産セルロースを作ってリサイクルしてゆくなどできたら面白い。

福田:フィンランドのスピノバ(SPINNOVA)はまさにそれ、農業の廃棄物からセルロースを精製する技術を持ち、昨年1000トンクラスの工場を立ち上げた。

WWD:夢がある話。地域に点在している課題の解決や、つなぎ役としてファッション産業が力になれることはありそうだ。つなぐためにファッション産業がハブになれる。

福田:スウェーデンには、中古品だけを扱う面白いショッピングモール、リトゥナ(RETUNE)があり、不要品を持ち込むとアップサイクルとしも販売される。

WWD:そういうアイデアを聞くと前出の産地の新しいリーダーたちはピンと来てすぐ動き出しそうだ。

宮浦:間違いない。

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「シビル・ウォー アメリカ最後の日」アレックス・ガーランド監督が語る「撮影の裏側」

「ムーンライト」「ミッドサマー」「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」ほか、設立10年ほどで革新的な映画を次々に送り出し、日本でもファンが急増しているNYの映画会社A24。同社が最大規模の予算を投じて製作した「シビル・ウォー アメリカ最後の日」が、10月4日に劇場公開を迎える。

本作は、アメリカで内戦が勃発し、国内が二分化された「もし」を描いた物語。混乱が日常化した中、4人の戦場カメラマンとジャーナリストは大統領に直撃インタビューをしようとNYから首都ワシントンD.C.にあるホワイトハウスを目指すが――。

AIロボットとの心理戦を描きアカデミー賞に輝いた「エクス・マキナ」や、ワーケーション先での恐怖を強烈な映像表現で魅せた「MEN 同じ顔の男たち」ほか、A24の信頼も厚いアレックス・ガーランド(Alex Garland)監督によるオリジナル作品だ。来日を果たした彼に、舞台裏を聞いた。

映画化に向けて

——ガーランド監督が脚本に着手されたのが2020年と伺っています。本作を拝見した際に「よく映像化できたな」と衝撃を受けましたが、まずは書いてみようという心持ちだったのか、ある程度ゴールが見えた状態で書き始めたのか、どちらでしょう?

アレックス・ガーランド(以下、ガーランド):自分でもよく作れたなと思います。25年ほどこの仕事をしているため、プロセスに関しては今後どう展開していくかは割と読めるようにはなりました。長年組んでいる人々といつも一緒に仕事をしますし、何が可能で何が不可能かは一応把握した上で作っているつもりではあります。「シビル・ウォー」は確かに予算がかかりそうな物語ではあるし、テーマ的にも問題作になるであろうリスクはあったのですが、ある程度予算レベルを押さえておけばA24あたりが手を挙げてくれるだろうと予想しながら書いていきました。もしこれが大手スタジオだったら、絶対にそんなチャンスはなかったと思います。

A24に的を絞りながら、コストをある程度抑えつつもエッジの効いた部分は妥協せずに初稿を書き上げました。そしてA24に声をかけたら、予算も聞かずに即答で「YES」と言ってくれたんです。その後、プリプロダクション(撮影に向けた準備)に入ると予算がどんどんと増えていってしまったのですが、A24は質問も文句もなく「大丈夫」と100%サポートしてくれました。本作のテーマ性を考えると、それは非常に勇気がいることだったと思います。

——本作はロードムービー仕立てになっていて、アメリカ国内の現在の情勢や政治・地理について予備知識がなくてもスッと入り込めます。このアプローチは発明だと感じました。

ガーランド:ありがとうございます。私が意識していたことは「こういうテーマだからさまざまな怒りを買うに違いない、それを防ぎつつ、多くの人々が本質に対峙してくれるためにはどうしたらいいか」でした。そのために、裏口から入ってきてテーマを語るような手法を取っています。それが「ジャーナリストたちのロードムービー」でした。タイトルこそ「内戦」と直球ではありますが、物語の主軸をジャーナリストたちの旅にして、画面の隅っこで「こういうことを描いているのか」という本題を描けば、皆さん諍(いさか)いを起こすことなく観てくれて対話の種になると考えたのです。

——まんまとその狙いにハマってしまいました。ガーランド監督は、「エクス・マキナ」「アナイアレイション -全滅領域-」「MEN 同じ顔の男たち」と、ある種の異空間に新参者が入り込み、困惑するさまを描いてきたのではないかと思いますが、お好きな作劇なのでしょうか。

ガーランド:私が作る作品には、確かにそうした共通項があるかもしれませんね。ただ、英語で「between a rock and a hard place(八方ふさがり)」というように、にっちもさっちもいかない状況にキャラクターを置くのはドラマそのものの性質のようにも思います。極端な状況にキャラクターを放り込んで「さてどういった行動をとるでしょう」と提示し、観客は「自分ならどうするか」と自身を重ねながら物語を追っていく――この基本に則って、繰り返しやっているような気もします。

大変だったガソリンスタンドの撮影

——なるほど。ちなみに、実際に撮影していく中で実現が大変だった部分などはありましたか?

ガーランド:毎日がロジ的(ロジスティックス。一連の手続きや準備)な悩みばかりでした。皆さん監督業に対して、「俳優の繊細な演技を引き出す」演出が仕事だろうと考えているかと思いますが、それは1%程度でしかありません。全体の85%はロジ的なものに支配されています。例えば会社の経営者が「国内の端から端へ金属のボックスを輸送しなければならない。さてどうしようか」と考えているのと同じです。「シビル・ウォー」でいうと、実は序盤のガソリンスタンドのシーンはかなり難しい部類に入ります。

時間的に半日で撮りきらなければならないのに、スタッフの人手が足りていなくて車止め要員が確保できなくて、撮影中に一般の方がガソリンを入れに来てカメラのフレームに入ってきてしまう――というような事態が発生していました。もちろんテーマがテーマですからそれなりに予算のかかる映画ではありましたが、A24製作映画ですからインディーズのやり方になります。私は日々そうした問題処理に奔走していて、ガソリンスタンドのシーンではスタッフを一人つかまえて「今から10分間カメラを回すからとにかく車を止めてほしい」と指示して急いで現場に戻る――といったことをやっていました。

——そんな手作り感あふれる現場だったとは! 本作は日本でもIMAXを含めたラージフォーマットで上映されますが、撮影段階から想定されていたのでしょうか。

ガーランド:いえ、IMAX上映はサプライズでした。そのような映画だと思わずに撮っていたので、まさかOKになるとは思わずびっくりしました。カメラもIMAX用のものではなく、DJI Roninという小さなカメラを使っています。そこに、「ライカ(LEICA)」の35ミリのスチール用レンズをつけて撮っていました。このレンズを使っている映画はあまりないように思います。

DJI Roninはとても使いやすいカメラでした。スタビライザー(手ブレ防止機能)がついているため自由に動き回ってもスムーズに撮ってくれますし、普通の映画用のカメラだったらドリー用のレールを敷いてそれに合わせて撮るところを、手持ちで走り回ることができました。そういう撮影形式だったのでIMAXのような大画面に耐えうる作品になるとは思っていませんでしたが、どうやらOKだったようです。

そして、安い。私が監督を始めたころのカメラといったら、5万~6万ドルが当たり前でした。でも今回使ったカメラは、そのあたりのお店で6000ドルくらいで買えるものです。今回は照明も使っておらず、映画学校の学生のようにカメラ1台で撮った作品です。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
10月4日からTOHO シネマズ 日比谷ほか全国公開
キャスト:キルステン・ダンスト、ワグネル・モウラ、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ケイリー・スピーニ―
監督/脚本:アレックス・ガーランド
配給:ハピネットファントム・スタジオ
原題:CIVIL WAR|2024年|アメリカ・イギリス映画|109分|PG12 公式
https://happinet-phantom.com/a24/civilwar/
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日向坂46・金村美玖が初の写真展「みとめる」に込めた思い 「自分のことを少しでも認めてあげたい」

PROFILE: 金村美玖/日向坂46

金村美玖/日向坂46
PROFILE: (かねむら・みく)2002年9月10日生まれ、埼玉県出身。日本大学藝術学部写真学科在学中。アイドルグループ「日向坂46」のメンバー。個人としても、ファッション誌専属モデルをはじめ、ラジオパーソナリティー、ドラマ出演、バラエティー出演と、活躍は多岐にわたる。

日向坂46の金村美玖の初となる写真展「みとめる」が10月6日まで、東京・神保町のギャラリー「New Gallery」にて開催されている。

同展は、金村が2023年の冬から24年春まで旅をしながら撮影したセルフポートレートと風景写真が展示されている。展示作品のコンセプト、撮影、モデル、衣装、ロケーションなど、全て金村自身が1人で考え、制作したという。

写真展の開催にあたり、金村は、「撮影を始めたきっかけは衝動的なものでしたが、撮り続けていくうちにこの写真たちが誰かのこころに寄り添えるものになってほしいと考えるようになりました。タイトルの『みとめる』は自信がなかった自分へのメッセージであり、鑑賞していただいた方への『みとめる』きっかけにという思いを込めました。誰もが抱えている見えない感情と向き合える展示です。金村美玖として発表する初めての作品をぜひお楽しみください」とメッセージを寄せる。

今回、個展会場で、同展に対する金村の思いを聞いた。

大学での思い出

WWD:まずは金村さんが写真を撮り始めたきっかけから教えてください。

金村美玖(以下、金村):中学3年生ごろに中古でミラーレスの一眼レフカメラを買ってもらったのがきっかけです。当時、SNSが流行っていて、スマホで写真を撮ってアップしていたんですが、もっとクオリティーの高い写真を撮りたいと思い、親にお願いして買ってもらいました。でも、買ってもらってから少ししたら「けやき坂46」のオーディションに受かり、しばらくは忙しくてあまり写真は撮っていなかったんです。だんだんと活動を続ける中で自分が撮影してもらう機会も増えて、「そういえばカメラ買ってもらったな」と思い出して、そこからまた本格的に撮るようになりました。それが17〜18歳ごろだったと思います。

WWD:そこから日本大学の藝術学部写真学科に進学します。進学の経緯は?

金村:もともとアート系の大学への進学は考えていました。芸能の仕事をしているのもあり、一番興味があるのがアートや表現の分野でした。その中で、ご縁があったのが、日芸の写真学科でした。だから、もともとすごく写真がやりたかったかといえば、そうではなくて。写真はもちろん好きでしたけど、入学してからより写真にのめり込んでいったという方が近いかなと思います。

WWD:大学でどんな写真の勉強をされているんですか?

金村:最初は座学から始まって、まずカメラの構造や仕組み、写真の歴史とかを学んだり、有名な写真家の方にお話を聞く授業もありました。そこから実技でポートレートの撮影をはじめ、光も変えて撮影したり、いろんな撮影方法を試したりして。フィルムの写真も好きだったので、3年生の時はフィルムの授業を選択して、撮影して暗室で現像してプリントしてっていうのを繰り返していました。

WWD:大学入学してすぐコロナになった感じですか?

金村:そうです。なので、1、2年生はオンライン授業も多くて、登校も週に1回とかでした。

WWD:そんな中で大学の生活で印象に残っていることは?

金村:大学2年生の時のゼミの授業です。その時の先生がすごく面白い先生で、授業なのに、ゲームとかトランプしたり、みんなでただ話をしたり、写真展とかも見に行ったりして。あと写真だけでなく、絵本や詩を紹介してくれたり、先生が小説みたいなものを毎週書いてきてくれたりとかして。写真とはいえ、文章を書いたり、言語化できる能力っていうのがやっぱり必要なので、いっぱい人と話したり、文章に触れる機会が多くて、とても勉強になることがたくさんありましたし、とても思い出に残っています。

WWD:現在4年生ですが、卒業制作の方は?

金村:卒業制作は絶賛制作中です。でもまだちょっとまとまっていなくて。もう少し練っていいものにしたいと考えています。

WWD:写真を学んだことが日向坂46の活動に生かされていたりしますか?

金村:そうですね。やっぱり写真を勉強することで、被写体として自分が撮影される時にカメラマンさんの気持ちをくむことができるようになったと実感しています。

WWD:写真を撮るのと撮られるのはどちらが好きですか?

金村:どちらも同じぐらい好きなので、選ぶのは難しいですね。

セルフポートレートの理由

WWD:写真展「みとめる」はいつごろから企画されていたんですか?

金村:もともと大学に入学したころから、最終的な目標として、いつかは写真展を開きたいという思いはずっとありました。現実的に動き始めたのは、今年の初めごろでした。

それまでも写真はずっと撮ってはいたんですが、こんなにも早く夢がかなう機会をいただけてびっくりしましたし、やるからには一番素敵な状態で開催したいなって思っていました。こうして運良く自分の誕生日(9月10日)から会期がスタートできたので、すごくうれしかったです。

WWD:展示の写真は2023年冬から今年の春まで撮影したセルフポートレートと風景の写真で構成されていますね。

金村:今回は自分1人でコンセプトから、セルフポートレートという撮影方法、ロケーションを考えました。実際に現地に行くのも1人で、ヘアメイクや衣装も自分で手掛けています。

WWD:セルフポートレートという撮影方法は意外でした。なぜセルフポートレートを選んだのですか?

金村:以前から興味を持っていたんですけど、なかなかチャレンジする時間がなくて。普段は主にグループのメンバーを撮影することが多くて、自分が写る機会が少なくて、それで1回挑戦してみようと思い、旅に出たのがきっかけです。

実際に旅先でセルフポートレートを撮ると、自分で自由に時間を使えるし、たくさん撮っても誰にも怒られない。セルフポートレートの撮影って側(はた)から見ていると1人ですごく寂しそうに見えるんですけど、自分の表現に好きなだけ時間をかけることができるので、私にとってはそれがよかったです。

WWD:セルフポートレートの撮影ってすごく難しそうですが。

金村:最初はかなり苦戦し、時間もかかりました。撮り始めたのが2023年冬の北海道 雪のロケーションだったので 、その中を歩くのですら大変で…人の迷惑にならない場所を探して撮影していくのも一苦労でした。

最初、三脚を立てて自分で撮るとなると、決まった画角や表情など、結構同じような写真が続いてしまうことが多かったので、途中からいろんな撮り方や表情をするように意識をしています。なので、いろんな表情の私が垣間見らえると思います。

WWD:ロケ地はどのような基準で選んだのですか?

金村:もともと旅が好きだったので、行きたい場所の候補はたくさんあったんですけど、仕事の合間に1泊2日とかで行くことが多くて、前々から予定を立てるというよりかは、前日に「行こう」と決めることが多くて。それだと海外は難しいですし、飛行機のチケットや宿が運良く取れた場所に行きました。

WWD:思い出に残っている写真は?

金村: やっぱり最初の北海道の旅が一番記憶に残っています。ちょうどこの時期すごく暗い気持ちだったんですけど、素敵なご家族のと所にホームステイをしまして。一緒にいた犬や子供とも遊んだりして、前向きになれる機会をいただけたのが印象的です。

タイトル「みとめる」に込めた思い

WWD:展示の写真のセレクトやレイアウトも金村さんが決めたんですか?

金村:そうです。本当はもっと飾りたい作品もある中で、アドバイスも頂きながら、額装や配置の仕方、サイズ感を考慮して心に響く写真を選びました。

WWD:展示の中に鏡がありましたが、あれはどういった意図なのですか?

金村:私はアイドルなので自撮りする機会はあるんですけど、皆さんは日常生活の中で自分で自分を撮る機会ってあまりないと思うので、会場に来た人に鏡を使って、自撮りを体験していただけたら、(セルフポートレートをした)私の気持ちも少し理解していただけるんじゃないかなという思いを込めて展示しています。

WWD:実際に写真展がスタートして反響は?

金村:始まる前は、自分が思っていることが伝わるか不安だったんですけど、SNSで写真展の感想を見ていると私が伝えたかったことがちゃんと届いているなと思う感想も多くて、すごくうれしかったですね。

WWD:写真展のタイトルの「みとめる」に込めた思いは?

金村:タイトルは結構悩みました。やっぱりタイトルってかなり重要なので、旅のことだったり、自分自身のことを箇条書きにして、いろいろと考えたんですけど、この「みとめる」が一番私っぽいし、意味がすごく合っていると思ったので、このタイトルにしました。

WWD:プレスリリースのコメントでは、「自信がなかった自分へのメッセージ」とありました。

金村:本当に自分への言葉でもありますし、見ていただいた皆さんへのメッセージでもあります。強い言葉ではなく、「少しでも自分をのことを認められたらいいな」っていうニュアンスです。私は、自分のことをすごく否定しがちな性格なので、今回の展示をこうして形にして、皆さんに見ていただいて、改めてしっかりと自分のことを認めることができたらいいなっていう意味を込めています。

ただ、今回の写真展はすごく自信のある作品に仕上がったなと思っているので、 それに関しては、「ほんとに全然自分なんか……」っていうよりかは、ぜひ見てほしいなっていう気持ちが強いです。

今後について

WWD:今後、写真家としてやってみたいことは?

金村:今でも写真の連載をさせていただいていますし、写真に携わる仕事もさせていただいて、すごく充実して、これ以上の幸せがあるのかという気持ちでいっぱいなんですけど、やっぱり自分の1st写真集(「羅針盤」)がすごく思い出深くて大好きなので、いずれまた違った形で何かしら本にできる機会があったらいいなとは思ってます。

WWD:普段はメンバーの写真も撮られていますよね。

金村:メンバーはいつ何時もかわいいのですが、よく撮ってるのはやっぱり楽屋とか舞台裏とか。そこはファンの方がなかなか見られない部分だと思うので、自然な姿捉えるべく撮影しています。近くで見られるのが私の特権なので(笑)。

WWD:今カメラは何台持っているのですか?

金村:3台です。デジタルが「ソニー」の“α7 III”をメインでずっと使っていて、あとはフィルムの一眼カメラ「コンタックス」の“Aria”とコンパクトカメラの「フジフイルム」の“NATURA S”も使っています。

WWD:好きな写真家はいますか?

金村:川内倫子さんと木村和平さんの写真は好きで、写真集も持っています。言葉がなくても、その写真から言葉を感じるというか、言葉で伝えなくても伝わるのが素敵だなと。落ち着いた雰囲気で、日常の風景なのに、すごくきらめいて見える。それは写真を通して見るからこんなに素敵に見えるんだなっていうのはすごく感じていて、自分の写真もそうでありたいなと願っています。

WWD:最後に日向坂46としての目標は?

金村:グループとしては、年末の東京ドームまでの全国ツアーがあるので、そこに向けてまずはたくさんの方に来ていただいて、成功させるというのが一番の目標というか、やるべきことかなって思っています。その先はまたみんなと話し合いをして、5期生も加入しますし、日向坂としてより高みを目指していきたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■金村美玖 写真展「みとめる」
会期:9月10日〜10月6日
時間:12:00〜20:00(最終入館 19:30)
休日:水曜日
会場:New Gallery
住所:東京都千代田区神田神保町1-28-1 mirio神保町1階
料金:1000円
当日券販売対象期間:9月21日~10月6日
当日券販売日時:各日10:00から販売開始
当日券販売サイト
https://eplus.jp/kanemuramiku/
※6歳未満未就学児入場無料
※来場者特典:フォトカード(全5種ランダム/57mm×88mm)
https://newgallery-tokyo.com/mitomeru/

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資生堂EMEAのフレグランス事業トップが語る他社との差別化 メリハリのあるポートフォリオと年に1度のローンチ

PROFILE: トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント

トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント
PROFILE: イスラエル・テルアビブ生まれ。財務とマーケティングの修士を修了後、ロレアルの「ランコム」の欧州免税店部門でキャリアをスタート。1999年プーチでシニア・ブランドマネジャーとして活躍後、コティでフレグランス・ライフスタイルのマーケティング部門でバイスプレジデントを務める。2020年資生堂EMEAへ入社し、グローバルフレグランスブランドバイスプレジデントに就任 PHOTO:SHUHEI SHINE

資生堂EMEAは、「イッセイ ミヤケ パルファム(ISSEY MIYAKE PARFUMS)以下、イッセイ ミヤケ」や「ナルシソ ロドリゲス(NARCISO RODRIGUEZ)」などのフレグランスブランド事業をはじめ、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」「ドランクンエレファント(DRUNKEN ELEPHANT)」などの販売を行っている。社名のEMEAは、欧州、中東、アフリカを表すもので、パリに本社を構え、88の国と地域に10社、4500人の社員を擁する。また、フレグランスセンター・オブ・エクセレンス(CoE)の拠点を持ち、ほぼ全てのフレグランスの生産をフランス国内で手掛けている。8月末に東京で行われた「イッセイ ミヤケ」の新作フレグランス“ル セルドゥ イッセイ”の発表イベントのために来日したヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント(VP)に話を聞いた。

ブランドとの信頼関係と革新性が強み

ーー「イッセイ ミヤケ」新作フレグランスの発表イベントに参加した感想は?

ヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドVP(以下、トゥイル)
三宅一生さんがつくった東京の「21_21 デザインサイト ギャラリー3(21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3)」で発表できて嬉しい。エモーショナルなイベントになったと思う。

ーー資生堂EMEA組織とオペレーションは?

トゥイル:パリに拠点があり、ヨーロッパ、中東、アフリカなどをカバーしている。また、フレグランスのCoE、コスメティックヴァレーに2つの工場がある。

ーーフレグランス事業部の一番の強みは何か?

トゥイル:ブランドやデザイナーが本来持つ、DNAや価値を大切にしている点。協業する上で、核となる価値を変更することは一切しない。それを表現するための専門知識があるし、投資もしている。だから、協業するデザイナーやブランドとは信頼関係で結ばれている。また、消費者の声を吸い上げて具現化する革新性を持っている。何よりも、情熱を持って働くチームがあり、人材が宝だと思っている。

ーーここ数年のフレグランス事業部の年商の推移は?

トゥイル:グローバルの2022年度の売上高は前年比12%増、23年度は同22%増。

ーーフレグランス事業部のトップ3市場は?今後強化したい市場は?

トゥイル:ビジネス全体の6割を占めるのがEMEA(ヨーロッパ、中東、アフリカ)。中でも、フランス、イギリス、イタリア、ドイツが大きな市場だ。北米も主要市場で、トラベルリテールも各国の市場を補完する市場として重要だ。欧米や中東は長年ビジネスをしている成熟した市場。中南米やアジアパシフィック、中国の市場は2ケタ成長しているので、さらに、浸透させていきたい。日本におけるビジネスの割合は、1位がスキンケア、2位がメイクアップ、3位がフレグランス。フレグランスに関しては、前年上期と比べると2ケタ伸長しているので、まだまだ伸びると思う。

ブランドに絞った打ち出しでメッセージを届ける

ーー競合企業は?それらとどのように戦うか?

トゥイル:「シャネル(CHANEL)」「ディオール(DIOR)」などファッションとつながりのあるラグジュアリー・ブランドをはじめ、ニッチブランド全てが競合。我々は、他社とアプローチが異なり、パーソナリティーの訴求に注力している。表現の仕方も異なるし、消費者との対話を重視している。だから、全てのブランドで新作を毎年出すわけではなく、ブランドを絞って新作を発表。各ブランドが伝えたいメッセージにフォーカスして、アイコニックなブランドに育てている。例えば、「イッセイ ミヤケ」では、1994年に“ロードゥ イッセイ”を発売し、今年新作の“ル セルドゥ イッセイ”を出したが、時代のニーズに合わせてブランドを育ててきた。また、セレブリティーを広告に使用しない点も差別化のポイントだ。それよりも、クリエイティビティーや革新性といった面でブランドのメッセージを伝えている。「ナルシソ ロドリゲス」は、フェミニニティーを追求し、女性が持つ内なる強さを香りで表現。ムスクがシグニチャーで、女性をエンパワーメントするような香りだ。「ザディグ&ヴォルテール(ZADIG & VOLTAIRE)」はヨーロピアンテイストで、ロックンロールなイメージだ。

ーー展開しているフレグランスのビジネスシェアは?

トゥイル:「イッセイ ミヤケ」と「ナルシソ ロドリゲス」の構成比が大きく同じ程度。その次が「ザディグ&ヴォルテール」。今はヨーロッパ中心の販売だが、オーストラリアやニュージーランド、韓国、中南米など販路を広げ、来年にはグローバルローンチを予定している。

フレグランスは記憶に残るエキサイティングな商材

ーー日本におけるビジネス戦略は?課題と強化点は?

トゥイル:日本の消費者の行動様式は他国と異なる。フレグランス部門は2ケタ成長しており、消費者のマインドが変化していると感じる。消費者との対話を通してエモーショナルな最高の製品を提供することで、消費者のフレグランスに対する感覚を変えていきたい。若い世代はいろいろな香を楽しむ傾向にあるのでターゲットを絞って訴求していきたい。また、日本市場に合う商品のカスタマイズなどにもチャレンジする。

ーー今後、どのようにポートフォリオを強化していくか?

トゥイル:現在展開しているブランドを補完するような新しいブランドを追加していく。新たに契約を結んだ「マックスマーラ(MAX MARA)」は日本市場における歴史が長く、資生堂の価値観とも親和性がある。

ーーここ数年のフレグランス市場の動向をどのように分析するか?

トゥイル:コロナ禍で伸びたカテゴリーは、唯一フレグランス。スキンケアはシワ改善など効果が感じられる処方を期待されるし、メイクは色味や発色などが重要視される。一方で、フレグランスは、感情に訴えかける商材だ。香りは、場所や人を思い出させる。形のないものだが心に直結しており、記憶に残るエキサイティングなものだ。女性は、アイデンティティーの表現にフレグランスを使うことが多いが、男性は、魅力を伝えるためのものとして選ぶケースが多い。今後、フレグランス市場は、デジタライゼーションによりワクワクした状況になるはずだ。AIなどを活用したテーラーメード、パーソナライズドといったサービスも増えるだろう。

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資生堂EMEAのフレグランス事業トップが語る他社との差別化 メリハリのあるポートフォリオと年に1度のローンチ

PROFILE: トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント

トゥイル・ヤエル/資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント
PROFILE: イスラエル・テルアビブ生まれ。財務とマーケティングの修士を修了後、ロレアルの「ランコム」の欧州免税店部門でキャリアをスタート。1999年プーチでシニア・ブランドマネジャーとして活躍後、コティでフレグランス・ライフスタイルのマーケティング部門でバイスプレジデントを務める。2020年資生堂EMEAへ入社し、グローバルフレグランスブランドバイスプレジデントに就任 PHOTO:SHUHEI SHINE

資生堂EMEAは、「イッセイ ミヤケ パルファム(ISSEY MIYAKE PARFUMS)以下、イッセイ ミヤケ」や「ナルシソ ロドリゲス(NARCISO RODRIGUEZ)」などのフレグランスブランド事業をはじめ、「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」や「ナーズ(NARS)」「ドランクンエレファント(DRUNKEN ELEPHANT)」などの販売を行っている。社名のEMEAは、欧州、中東、アフリカを表すもので、パリに本社を構え、88の国と地域に10社、4500人の社員を擁する。また、フレグランスセンター・オブ・エクセレンス(CoE)の拠点を持ち、ほぼ全てのフレグランスの生産をフランス国内で手掛けている。8月末に東京で行われた「イッセイ ミヤケ」の新作フレグランス“ル セルドゥ イッセイ”の発表イベントのために来日したヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドバイスプレジデント(VP)に話を聞いた。

ブランドとの信頼関係と革新性が強み

ーー「イッセイ ミヤケ」新作フレグランスの発表イベントに参加した感想は?

ヤエル・トゥイル資生堂EMEAグローバルフレグランスブランドVP(以下、トゥイル)
三宅一生さんがつくった東京の「21_21 デザインサイト ギャラリー3(21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3)」で発表できて嬉しい。エモーショナルなイベントになったと思う。

ーー資生堂EMEA組織とオペレーションは?

トゥイル:パリに拠点があり、ヨーロッパ、中東、アフリカなどをカバーしている。また、フレグランスのCoE、コスメティックヴァレーに2つの工場がある。

ーーフレグランス事業部の一番の強みは何か?

トゥイル:ブランドやデザイナーが本来持つ、DNAや価値を大切にしている点。協業する上で、核となる価値を変更することは一切しない。それを表現するための専門知識があるし、投資もしている。だから、協業するデザイナーやブランドとは信頼関係で結ばれている。また、消費者の声を吸い上げて具現化する革新性を持っている。何よりも、情熱を持って働くチームがあり、人材が宝だと思っている。

ーーここ数年のフレグランス事業部の年商の推移は?

トゥイル:グローバルの2022年度の売上高は前年比12%増、23年度は同22%増。

ーーフレグランス事業部のトップ3市場は?今後強化したい市場は?

トゥイル:ビジネス全体の6割を占めるのがEMEA(ヨーロッパ、中東、アフリカ)。中でも、フランス、イギリス、イタリア、ドイツが大きな市場だ。北米も主要市場で、トラベルリテールも各国の市場を補完する市場として重要だ。欧米や中東は長年ビジネスをしている成熟した市場。中南米やアジアパシフィック、中国の市場は2ケタ成長しているので、さらに、浸透させていきたい。日本におけるビジネスの割合は、1位がスキンケア、2位がメイクアップ、3位がフレグランス。フレグランスに関しては、前年上期と比べると2ケタ伸長しているので、まだまだ伸びると思う。

ブランドに絞った打ち出しでメッセージを届ける

ーー競合企業は?それらとどのように戦うか?

トゥイル:「シャネル(CHANEL)」「ディオール(DIOR)」などファッションとつながりのあるラグジュアリー・ブランドをはじめ、ニッチブランド全てが競合。我々は、他社とアプローチが異なり、パーソナリティーの訴求に注力している。表現の仕方も異なるし、消費者との対話を重視している。だから、全てのブランドで新作を毎年出すわけではなく、ブランドを絞って新作を発表。各ブランドが伝えたいメッセージにフォーカスして、アイコニックなブランドに育てている。例えば、「イッセイ ミヤケ」では、1994年に“ロードゥ イッセイ”を発売し、今年新作の“ル セルドゥ イッセイ”を出したが、時代のニーズに合わせてブランドを育ててきた。また、セレブリティーを広告に使用しない点も差別化のポイントだ。それよりも、クリエイティビティーや革新性といった面でブランドのメッセージを伝えている。「ナルシソ ロドリゲス」は、フェミニニティーを追求し、女性が持つ内なる強さを香りで表現。ムスクがシグニチャーで、女性をエンパワーメントするような香りだ。「ザディグ&ヴォルテール(ZADIG & VOLTAIRE)」はヨーロピアンテイストで、ロックンロールなイメージだ。

ーー展開しているフレグランスのビジネスシェアは?

トゥイル:「イッセイ ミヤケ」と「ナルシソ ロドリゲス」の構成比が大きく同じ程度。その次が「ザディグ&ヴォルテール」。今はヨーロッパ中心の販売だが、オーストラリアやニュージーランド、韓国、中南米など販路を広げ、来年にはグローバルローンチを予定している。

フレグランスは記憶に残るエキサイティングな商材

ーー日本におけるビジネス戦略は?課題と強化点は?

トゥイル:日本の消費者の行動様式は他国と異なる。フレグランス部門は2ケタ成長しており、消費者のマインドが変化していると感じる。消費者との対話を通してエモーショナルな最高の製品を提供することで、消費者のフレグランスに対する感覚を変えていきたい。若い世代はいろいろな香を楽しむ傾向にあるのでターゲットを絞って訴求していきたい。また、日本市場に合う商品のカスタマイズなどにもチャレンジする。

ーー今後、どのようにポートフォリオを強化していくか?

トゥイル:現在展開しているブランドを補完するような新しいブランドを追加していく。新たに契約を結んだ「マックスマーラ(MAX MARA)」は日本市場における歴史が長く、資生堂の価値観とも親和性がある。

ーーここ数年のフレグランス市場の動向をどのように分析するか?

トゥイル:コロナ禍で伸びたカテゴリーは、唯一フレグランス。スキンケアはシワ改善など効果が感じられる処方を期待されるし、メイクは色味や発色などが重要視される。一方で、フレグランスは、感情に訴えかける商材だ。香りは、場所や人を思い出させる。形のないものだが心に直結しており、記憶に残るエキサイティングなものだ。女性は、アイデンティティーの表現にフレグランスを使うことが多いが、男性は、魅力を伝えるためのものとして選ぶケースが多い。今後、フレグランス市場は、デジタライゼーションによりワクワクした状況になるはずだ。AIなどを活用したテーラーメード、パーソナライズドといったサービスも増えるだろう。

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沖縄コスメLIST.4 「ゆめじん」沖縄本島のやんばる地域、今帰仁村で有機栽培したハイビスカスなどをぜいたくに採用したオーガニックコスメ

県内外で定評のある〝沖縄コスメブランド″を紹介する企画の第4弾。今回取り上げるブランドは、沖縄本島北部・やんばると呼ばれる森林が広がる地域に自社農園をもち、オーガニックコスメを開発している「ゆめじん(YUMEJIN)」。江中直人・ゆめじん専務に取材した。
 
――:「ゆめじん」を立ち上げたきっかけは?

 
江中直人・YUMEJIN・ゆめじん専務(以下、江中):創業は1997年です。先代である諸喜田篤(しょきた・あつし)が、今帰仁村にある2億年前の岩石から抽出したミネラルをもとにした、自然にやさしい土壌改良剤を販売していまして。ある日、お客さまがそれを「自然にやさしいなら、人肌にもやさしいだろう」と肌に塗ったところ、疥癬の症状が改善したという報告があり、それを機にスキンケア研究をはじめました。ちなみに、そのミネラル抽出水は、現在も〝今帰仁ウォーター″として販売しています。
 
 
――:現在の主力商品は?
 
江中:有機農法で育てたハイビスカスや月桃から抽出したエキスを配合したヘアケアです。沖縄ならではの唯一無二な化粧品を、ということで考えていたところ、先代の母親がハイビスカスのエキスを洗髪に使っていたことを思い出して、研究・開発した商品です。こちらは低刺激処方で、しかもハイビスカス葉エキスの保湿力が地肌と毛髪にうるおいを与えるため、非常にリピーターが多い商品になっています。
 
 
また、現在はメジャーになりつつある〝月桃コスメ″も弊社が先駆けて開発しており、当時発売した月桃蒸留水もロングセラーになっています。月桃の種類は複数ありますが、弊社では〝タイリンゲットウ″という品種を採用しています。花は咲くものの実にはならない品種で、清潔感のあるさわやかな香りと、精油の採油量が多いことが特長です。葉だけではなく茎からも精油は採れるのですが、香りに雑味が出てしまうのが難点でして。そのため、弊社では透明感ある香りを追求すべく、月桃の葉のみを使用しています。
 


――:そのような栽培方法や製法へのこだわりから、高級ホテルへのアメニティー採用も続いています。
 
江中:大変ありがたいことに、2023年7月からは「ザ・リッツ・カールトン沖縄」のアメニティーとして採用していただいています。「ゆめじん」は全ての工程をハンドメイドで行っているため、商品単価を抑えることができず、アメニティーとしての採用は難しいと考えていました。ですが、先方が私たちの〝土壌からは育てる″というプロセスにご賛同いただいたことで採用に至りました。

ほかにも古宇利島の「ワンスイート ザ・グランド」、「Yuki Suite Kourijima」、瀬底島の「瀬底山水」など、多くの高級ホテルやヴィラで、アメニティーとして採用していただいています。
 


 
――:本島北部・今帰仁村にある本社・自社農園に併設されたファクトリーショップでは、オーガニックハイビスカスの花びらを用いたフラワースムージーを楽しめますね。
 

江中:こちらでしかオーダーできないスムージーとして人気です。ひとつのスムージーにはオーガニックハイビスカスの花、約30個分の花びらを使用していまして、体の内側からビタミンやポリフェノールを補っていただけます。実はイベントや物産展からの引き合いも多いスムージーなのですが、こちらは朝摘みしたハイビスカスのみを使用しているのですが、その保存が難しく、作る手間もかかるため、こちらの店舗でしかご提供できません。そのため、ぜひ今帰仁村まで足を運んでいただければうれしいです。
 


 ■ユメジン オキナワン コスメ ファクトリー ショップ
住所:沖縄県国頭郡今帰仁村兼次18-2
電話:080-5858-2659
営業時間:9:00〜17:00(月~金) 10:00〜17:00(土)
定休日:日曜
Instagram:@yumejin_official
 

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売り上げは1240億円、日本SCでトップ 御殿場アウトレットが好調なワケ

三菱地所・サイモンの運営する「御殿場プレミアム・アウトレット(以下、御殿場PO)」が好調だ。2024年3期の売上高は1240億円と、過去最高を更新した。店舗数約290店舗、店舗面積約6.1万㎡の御殿場POの売上高は、アウトレットモールとして最大規模であるだけでなく、大型ショッピングモールやファッションビルを含めた日本のショッピングセンターとしてもトップになる(コロナ禍以降、非公表の成田空港のリテール事業を除く)。円安に伴う訪日客の増加を受け、24年4〜9月も前年以上のペースで推移している。好調の理由を加藤健太・御殿場プレミアム・アウトレット支配人に聞いた。

好調要因は、「インバウンドより国内」

WWD:好調の理由は?

加藤健太・御殿場プレミアム・アウトレット支配人(以下、加藤):24年3月期は前期比27.0%増で、客数は9.4増の1118万人だった。いずれも過去最高だった。昨年下期から猛烈に伸びた。訪日外国人客による免税売り上げはそれなりに好調だが、客数はコロナ禍前にピークだった2018年の数字には戻ってはいない。むしろ国内客の客足と売り上げがしっかりと伸ばせているのが要因だ。

WWD:好調なブランドは?

加藤:外資のラグジュアリーブランドと「ナイキ」「アディダス」といったスポーツブランドに加え、「メゾン キツネ(MAISON KITSUNE)」「アミ パリス(AMI PARIS)」といったデザイナーブランドが伸びている。

WWD:25年3月期の見通しは?

加藤:上期は、前年下期の勢いそのままに絶好調だった。下期もやや不透明感はあるものの、トータルでは前年をクリアできそうだ。

WWD:円安は落ち着きつつあり、「インバウンドバブル」は落ち着きを見せている。影響は?

加藤:免税売り上げの数字は公表していないものの、「御殿場プレミアム・アウトレット」はコロナ禍前から、割合はかなり高く、都心の大型百貨店並みと、かなり高かった。都心ではいわゆる「インバウンドバブル」の様相は落ち着きつつあると思うが、御殿場に関しては、まだ伸び代は大きい。コロナ禍前は、中国からの訪日客を中心に連日200台以上の大型バスに乗り込んだ客が押し寄せていたが、今はそれほどでもない。ピークの18年と比べると客数でいうと半分程度だ。「インバウンド」自体の質が大きく変わったこともあるが、中国からの客足自体が戻っていない。だが客単価がかなり伸びていることと、下期は「国慶節」「紅葉シーズン」「春節」と大型イベントが目白押しで、御殿場に関しては免税売り上げはまだ伸びる可能性が高い。

人手不足解消のため、「ES」施策を強化

WWD:課題は?

加藤:人手不足だ。御殿場は、周囲に有力企業の工場が多く、以前から慢性的な人手不足に悩まされてきた。テナントからは「規模に(販売スタッフの数が)追いついていない」という悩みもよく寄せられる。運営側の我々としては、保育園を併設するなどの販売スタッフの方々のES(従業員満足度)を高め施策を行ってきた。

WWD:成果は?

加藤:テナントの多くが時給や給与の引き上げを行っているが、そもそも就業可能人口が少なく、必ずしも給与の高さのみがネックになっているわけではなく、特効薬はない。御殿場POでは約4000人のスタッフが働いているが、基本的には地道にESを高める施策を行い、一度就労したスタッフにできるだけ長く働いてもらうというのが王道の考え方になる。やりがいを高めるべく、独自のロープレ大会の実施や、閉館後のイベントとして従業員を対象にした露店や大型花火を打ち上げるナイトイベント「おつかれNight!!」を実施しているほか、スタッフにフォーカスし、接客技術とホスピタリティをフォーカスした新制度「プレミアムアウトレット スタッフアワード」を新設し,オウンドメディアで紹介している。

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「ドリス」にも影響受けた働き方 「テルマ」のコレクションができるまで【アトリエツアー】

中島輝道/「テルマ(TELMA)」デザイナー

アントワープ王⽴芸術アカデミー在学中の卒業コレクションが評価され、「Christine Mathys賞」および「Louis賞」を歴代、かつ日本人として初めてダブル受賞。同コレクションがアントワープ市内にあるセレクトショップLOUISのウィンドーディスプレーを飾った。2010年の卒業後は「ドリス ヴァン ノッテン」に入社し、アシスタントデザイナーとしてウィメンズデザインを担当。その後、⽇本的なモノづくりを学ぶために帰国し、14年に「イッセイ ミヤケ」 へ⼊社後は独⾃のシルエット表現と国内産地との素材開発を学んだ。22年に「テルマ」を設立。 

2022年に始動したウィメンズブランド「テルマ(TELMA)」の中島輝道デザイナーのアトリエを訪問した。中島デザイナーは「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」や「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」で経験を積んだ実力者。ファッションを好きになったきっかけやインスピレーション源、学生時代や「ドリス ヴァン ノッテン」でのエピソードなどを、アトリエの紹介やブランド初のショーに向けた生地製作やフィッティングに密着しながら聞いた。

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大根仁が語る「地面師たち」と「演出家の仕事」 「50代以降は誰かのためになるような仕事をしたい」

PROFILE: 大根仁/映像ディレクター

大根仁/映像ディレクター
PROFILE: (おおね・ひとし)1968年生まれ、東京都出身。「アキハバラ@DEEP」(2006)、「湯けむりスナイパー」(09)、「モテキ」(10)など、ドラマや舞台、CM、MVを数々手掛けたのち、映画「モテキ」(11)で映画監督デビュー。主な演出作に、「まほろ駅前番外地」(13)、「リバースエッジ 大川端探偵社」(14)、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(19)、「エルピス —希望、あるいは災い—」(22)などのドラマ作品。監督作に、「恋の渦」(13)、「バクマン。」(15)、「DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~」(15)、「SCOOP!」(16)、「SUNNY 強い気持ち・強い愛」(18)などがある。Netflixシリーズ「地面師たち」が初の世界同時配信作となる。Netflixと5年独占契約を結び、新作のシリーズ・映画を複数制作することが9月30日に発表された。

「湯けむりスナイパー」や「まほろ駅前番外地」といった深夜ドラマから、映画「モテキ」や「バクマン。」などの脚本・監督、そして、大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」やドラマ「エルピス —希望、あるいは災い—」では演出を務めた大根仁の最新作、Netflixの配信ドラマ「地面師たち」が大ヒットしている。本作は2017年に起きた実際の地面師詐欺事件をもとにした小説「地面師たち」(著:新庄耕)を原作に、大根自らが映像化を企画、キャスティング案から脚本・監督までを手がけた意欲作。これまでのキャリアの総決算ともいえる本作の制作過程を中心に、ここに至るまでのディレクター人生についても話を聞いた。

Netflixが広く普及した今だからこそのヒット

——7月25日に配信されたNetflixシリーズ「地面師たち」が、日本におけるNetflix週間TOP10で長らく首位をキープするなど、反響の大きさについてはどう受け止めていますか。

大根仁(以下、大根):これまで自分が関わってきた作品とはまったく感触が違いますね。例えば、2022年に放送された「エルピス」とか、もっと前だと深夜ドラマから映画になった「モテキ」とか、業界内だったり一部の層の間ではある程度の話題になった感覚はありますけど、「地面師たち」はそういう規模じゃないんですよ。大げさじゃなく、飲み屋とかいろんな店で客が話題にしているのを耳にするし、飛行機に乗ったらタブレットで観ている人も見かけるし。

つい先日も、ヒットしたお祝いでリリー(・フランキー)さんに銀座の高級クラブに連れていってもらったら、入れ替わるお姉さんたち10人くらいが全員観てるって。店に来るお客さんたちも全員観てるって言ってました。そういう店ではお客さんとの話題づくりのためっていうのもあるとは思うけど、全員が観てるっていうのはすごいなと。今日なんかは五反田のサウナに入ってたら、若者とかではなく、人生の先輩たち……まぁ言っちゃえばそこらへんのじいさんたちが「あの『地面師たち』ってのはヤバいな」とか話してましたから。

ただこれは、作品に力があるのは前提としても、いまやNetflixが多くの人にとって手軽に観られるメディアになっている、というのが関係しているんだと思います。誰かにすすめられた時に、テレビドラマや映画を観るにはそれなりのステップが必要だけど、Netflixならスマホで帰りの電車の中でも観られるわけで。そういう視聴環境の要因は強く感じています。

——Netflixの普及がヒットの下地になっていると。

大根:「地面師たち」をきっかけに加入した人もけっこうな数いるでしょうから、そのへんはギャラとは別にボーナスという形でもらえるのかなって期待してますけど(笑)。あとは数字の話だと、映画だったら興行収入、テレビだったら今はもうだいぶあやしいとはいえ視聴率という明確な数字が出ますが、Netflixはよく分からないんですよ。日本のNetflix週間TOP10で何週間連続1位とか言われても、それがどういう数字なのか。

——メディアからの取材についても、映画なら公開前、ドラマなら放送前が定石ですが、配信ドラマだとタイミングに関係なく受けられますし。

大根:テレビドラマは放送が終わったらそれまでですし、映画でも公開後に話題になったから取材が増えるっていうのもほとんどないですからね。今回の場合、配信前よりも、配信後の方が3倍くらい多く取材を受けてますよ。「地面師たち」が数字を持っているのか、俺がペラペラ何でもしゃべると思われているのか分かりませんが(笑)。

あらゆる面で非常に人道的な制作現場

——Netflix作品ということでの最大の特異点は?

大根:表現の自由度が高い、というのは言わずもがなですが、制作の現場目線でいうと、一番は労働環境の真っ当さですかね。余裕のある制作期間が設けられた中で、1日の撮影時間もきっちり決まっていて、間に休みが必ずあって、あらゆる面で非常に人道的でした。僕自身、かつてはそういう時代だったとはいえ、鉄火場みたいな現場を散々渡り歩いてきて、タイトなスケジュールは当たり前、低予算こそ正義くらいに思っていた時期もありましたし、だからこそ生まれたような作品にも立ち会ってきましたけど、時間も予算もあるに越したことはないですからね。

——制作体制の規模が大きくなることで、意思の疎通に時間と手間がかかったりなどの不都合もなく?

大根:不都合はとくに感じませんでした。この例えが適切かどうか分からないけど、山下達郎さんが、ライブハウスの観客をちゃんと盛り上げることができたら、どんなに会場が大きくなっても大丈夫、でもその逆はない、というようなことを言っていて。そういう感じなのかな。これまでと変わらず現場で判断することは当然あるし、感覚を曲げることもなかったし、予算やスタッフの人数が増えたからといって柔軟性がなくなった、とかもなかったですね。それはこの「地面師たち」が自分の立ち上げた企画で、脚本と監督の両方をやれている、という出発点が大きいのかもしれませんが。

——「表現の自由度」ということでいえば、本作には暴力シーンやセックスシーンもありました。

大根:一部の人たちから「セックスシーンでなぜ服を着てるんだ」「リアルじゃない」みたいな反応がありましたけど、正直そこはもっと想像力を働かせてほしいなと思いましたね。別にあえて演出の意図を話す必要はないんだけど、もう言ってもいいかなと思って言うようにしているので言いますが、まず住職の川井菜摘がホストたちと複数プレイをしているシーンは、お目当てのホストの楓という男がその場にいて、自分以外のホストとのセックスでは脱がせない、裸になるのは俺とセックスする時だけだ的な、ある種の焦らしプレイという意図があっての着衣です。もう一つ、デベロッパーの青柳が服も脱がずに行為に及んでいるのは、彼のキャラクターを考えれば、そういうのが好きな男に決まってるでしょ。こんな野暮なこと言いたくないですが、とりあえず「Netflixから規制がかかってる」とか「コンプライアンスを意識してひよってる」とかの憶測は筋違いです。まあネットのそういう反応は想定内だし、観た人が何を言おうが自由ですけど、少なくとも作り手はその何千倍も考えて作ってますよと、そのくらいは想像してねって感じですかね。

そもそも演出家としての自分は、総合格闘家みたいなものだと思っていて、キックがダメとか寝技がダメというルールならそれに従いますし、何でもありならそれに相応しい試合をするだけ。そういう意味でNetflixは、限りなく何でもありに近い環境でしたよ。

フィクションの中で悪行を魅力的に描くことの倫理観

——本作は犯罪ものであり、企業ものでもあり、刑事ものでもあるという、ジャンルのミックスが感じられました。

大根:これまで自分はストレートな犯罪ものや企業もの、刑事ものをやったことがなくて、いつかそういうジャンルもののミクスチャーはやりたいと思っていたので、「地面師たち」の原作小説を読んだ時に、この作品ならできると思ったんですよね。

——ジャンルのミクスチャー感だけではなく、それぞれのシーンや描写ごとに、ここはリアルに忠実に、一方で、ここはファンタジックに、というような加減もミックスされているように見えました。

大根:おそらく原作小説の段階でもそういったイメージを持って書かれていたと思います。著者である新庄耕先生は、事件のことを散々調べた結果、実際の事件や現実がどうだったのか、例えば、詐欺師たちがどんな服装で、どんな場所に集まっていたかとかは、ある程度分かってはいたはずで。ただ、エンターテインメントである以上、Netflix作品であるということも含めて、そのへんのリアルを追求することだけが正解なのか。もちろん、シーンによってはリアリティーを重視した部分もありますが、ケイパー(犯罪映画のサブジャンル。泥棒、詐欺などを犯人側の視点で描くのが特徴)ものならではのケレン味だったりの見せ方の方を意識した部分も多くあります。

ただ、青柳のキャラクターは原作からもだいぶデフォルメしたのですが、実際に不動産会社で働いている知り合いが観たあとに連絡をくれて、「ああいうやついました」って(笑)。なので、いくらデフォルメしてファンタジーに寄せたとしても、ちゃんと刺さるものはあるんだろうなと思いますね。それは「半沢直樹」とかの、僕が勝手に「サラリーマン時代劇」と呼んでいる作品も同じで。

——登場人物たちを魅力的に描く、という点で意識したことは?

大根:今回のキャスティングが成功した時点で、もう十分に魅力的な作品になるだろうとは分かっていたので、そこからさらに演出なりでキャラクターをどうこう、というのはあんまり考えなかったですね。物語の性質上、観た人に憧れを抱かせたり、「こういう人になりたい」とか思われても困りますし(笑)。

——その点でいうと、物語の根幹である詐欺はもちろん、作中の暴力や殺人といった悪行の数々を魅力的に描くことの倫理観については、どう捉えていますか。
 
大根:基本的に自分の考えとしては、こう言うと語弊があるかもしれないけど、犯罪や悪事を扱うエンターテインメント作品においては、表現は自由でいい、と思っています。犯罪行為も暴力もファンタジーの一要素として存在させる以上、そこはとことん追求するべきだっていう考えです。中途半端な嘘で嫌な気分にさせるよりは、振り切ってファンタジーとして魅力的に描いた方がいい。今回の暴力や殺人のシーンなんて、リアリティーという意味では全然リアルじゃないでしょう。

そもそも、現実の地面師たちは殺人までは犯してないわけで、そこを突いて、本物の地面師は殺人を犯してないのにおかしい、サイコパスな人間は詐欺師にはならない、みたいな批評を見かけましたけど、この作品はフィクションでありエンターテインメントですよ、っていう。地面師詐欺事件のリアルを追求した作品ではないですからね。まあこれもまた観た人の自由ですけど、それなりに批評性がある識者とされている人がその程度のことを言ってるとガッカリはしますよね。

「瀧さんは詐欺師役です」「じゃあやる」

——本作ではインティマシーコーディネーターとして浅田智穂さんが入っていますが、大根さんは以前にドラマ「エルピス」でもご一緒されています。

大根:「エルピス」の時はそこまでセクシャルなシーンはなかったのですが、プロデューサーの佐野亜裕美さんがインティマシーコーディネーターを入れたいというので、参加してもらいました。個人的にはその「エルピス」の現場が初めてで、非常にやりやすかったですね。

それで、今回の現場でも改めて感じたのですが、インティマシーコーディネーターというと、役者の側に立つ人というイメージを持っている人が多いかもしれませんけど、実際は基本的に監督の側にも立ってくれる人です。どういったシーンを撮りたいかの意図を汲みながら、役者とコミュニケーションをとる、という役割。もし役者が演出意図に対して「それはちょっと……」ということがあれば、間に入って緩衝材になりつつ、撮影を進めてくれる。なので、もし“現場の敵”みたいなネガティブなイメージを持たれている方がいるのであれば、それはまったく違います。

——現場における演出家の仕事については、どういう役割だと捉えていますか。

大根:演出の仕事って、究極は2つしかないと思っていて。一つは脚本よりおもしろく撮ること。もう一つは、役者を魅力的に撮ること。テクニカルなことも最終的にはそのどちらかに内包されていくんですよね。

——今回は原作の小説を読みながらキャスティングを考えて、脚本もご自身で書いたということで、ほぼ当て書きだったと。

大根:そうですね。キャスティングについては、これまでに何回か一緒にやったことがある役者は当然として、初めての人だとしても、過去の作品を観たりすると、その役者のポテンシャルも分かるし、リミッターがどこにあるのかもなんとなく分かります。その上で、どういうタイプの芝居だったらリミッターをはずせるのか、感覚として掴めるんですよね。その勘を利かせることも演出家としては大事だと思うので、それが今回はうまくいったのかな。この先もしその勘が鈍くなったら、演出家としては潮時なのかもしれません。

——そして本作では、大根さんが監督を務めた「DENKI GROOVE THE MOVIE?〜石野卓球とピエール瀧〜」に限らず、公私ともに関係の深い電気グルーヴが2人そろって参加しています。ピエール瀧さんは詐欺師役、石野卓球さんが音楽(劇伴)と。

大根:瀧さんの芝居が話題として大きく取り上げられているのも誇らしいですけど、卓球さんの音楽もかなり重要な要素を占めています。もともと世界的なDJとして、聴衆を飽きさせることなく6時間とかの長いセットを組める人ですから、その感じで全7話の音楽をやってもらいました。

瀧さんが役者として出演する作品に卓球さんが参加するっていうパターンは今までなかったので、最初どうかなと思ったんですけど、話をしに行った時に「悪い奴ばっかり出てくるひどい話で、これなら卓球さんの音楽がばっちりハマります」「瀧さんは詐欺師役です」って伝えたら、「じゃあやる」って。そこから楽曲のイメージを伝えて、脚本を読んでもらい、デモ曲を何曲か作ってもらったのですが、もう最初から素晴らしかったですよ。

自分が一番喜ぶ仕事は40代で終わった

——大根さんのこれまでのキャリアを振り返ると、数々の深夜ドラマを手がけていた時期をへて、企画から参加するような映画の脚本・監督の仕事が中心となり、そのあとは演出家として依頼を受ける形で参加するタイプの仕事が続き……という変遷がありますが、ターニングポイントはありましたか。

大根:「モテキ」の映画化が2011年で、それ以降テレビから映画の方へ比重が移って、18年の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」で脚本と監督をやったあとくらいかな、この先、同じ方向性で仕事を続けていっても、縮小再生産になるような危機感があったんですよね。作品単体の出来や良し悪しではなく、自分の中で「この手法は前にも使ったよな」みたいなことが気になる感じ。それが50になる年だったので、このまま50代を乗り切るのはきついぞって思ってました。

それで、自分発信の企画や得意ジャンルの仕事はいったん休んで、別の角度からアイデアだったり手法や技術を学べるような仕事をしたいと思っていたところに、「いだてん〜東京オリムピック噺〜」のオファーが来たんです。大河ドラマはこれまでとはまったく違う方向性だし、でも脚本は宮藤官九郎さんだったので自分なりにできることもあるし、これはちょうどいいっていう。

あとは、17年からキリン一番搾りのCMの演出をやっていて、それが意外と自分の中では大きいです。CMの仕事は、ドラマや映画とは目的からしてまったく違うものなので、演出家としての自由度は少ないのですが、スタッフィングはそれなりに自由にできるんですよ。なので、これまで頼みたかったけど機会がなかった撮影監督や照明技師の人たちとCMの現場で初めて仕事をすることができて、だいぶいい経験になってますね。

——「地面師たち」で再び企画から脚本・監督までを務めたのは、依頼仕事をしていく中で、もう一度企画から最後まで自分が関わる仕事をしたい、という思いがあったからでしょうか。

大根:いや、正直なところ、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、自分が一番喜べる仕事はもう40代で終わっていて、50代以降は誰かのためになるような仕事をしたいと思ってやっているんです。「地面師たち」は自分から企画を持ち込んだので、結果的に自分も喜ぶ形にはなりましたけど、それよりも、日本発のNetflix作品が国内だけではなくグローバルレベルでヒットしているという祭りに乗っかっている意識の方が強いんですよね。今のヒットしている状況は大変うれしいですが、それもNetflixのためというか、配信メディアがもっと盛り上がった方が、映像業界全体が活気づくんじゃないかという、どこか冷静に見ている感じではあるんです。

——ドラマや映画に限らず、ミュージックビデオやライブ映像の演出、若い頃にはバラエティー番組まで、幅広く雑食的に仕事をしてきたことは、どう今につながっているでしょうか。それこそ、大根さんのディレクターデビューは宮沢りえのデビュー曲「ドリームラッシュ」のカラオケビデオという。

大根:そうそう、小室哲哉プロデュースの曲。しかもミュージックビデオじゃなく、カラオケで流れるビデオの方っていうね。若い頃はそういうカラオケビデオだけじゃなく、クイズ番組から健康番組まで、人がやりたがらない仕事もたくさんやってましたよ。そこからドラマや映画の監督になるっていうのはなかなか考えづらい道のりだけど、当時そういう仕事を下積みだったと感じていたかといえば、そうでもないんですよね。誰からも見向きもされないような仕事だったとしても、一つくらいは得るものがあったと今では思えるんです。いいスタッフと出会ったとか、いいロケ地が見つかったとか、些細なことでいいので、得たものがあればのちのち仕事に生かすことができる。

あとは、ドブ板仕事をやりながらも、好きなものを追いかけることはやめなかったというのがよかったのかもしれません。どうしても抜けないサブカル気質があるせいで、どんなに忙しくてもライブに行ったり、新作をチェックしたり、それだけは続けていました。当時は「いつかこの人たちと仕事するぞ」とかも思ってないし、ただ好きだから追いかけていただけですけど、結果的にそのことが今になってつながっているのは確かですね。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

■Netflixシリーズ「地面師たち」
Netflixにて独占配信中
全7話
出演:綾野剛、豊川悦司
北村一輝、小池栄子、ピエール瀧、染谷将太
松岡依都美、吉村界人、アントニー、松尾諭、駿河太郎、マキタスポーーツ
池田エライザ、リリー・フランキー、山本耕史
監督・脚本:大根仁
原作:新庄耕「地面師たち」(集英社文庫刊)
音楽:石野卓球
製作:Netflix
制作プロダクション:日活 ブースタープロジェクト
©新庄耕/集英社
「地面師たち」作品ページ

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大根仁が語る「地面師たち」と「演出家の仕事」 「50代以降は誰かのためになるような仕事をしたい」

PROFILE: 大根仁/映像ディレクター

大根仁/映像ディレクター
PROFILE: (おおね・ひとし)1968年生まれ、東京都出身。「アキハバラ@DEEP」(2006)、「湯けむりスナイパー」(09)、「モテキ」(10)など、ドラマや舞台、CM、MVを数々手掛けたのち、映画「モテキ」(11)で映画監督デビュー。主な演出作に、「まほろ駅前番外地」(13)、「リバースエッジ 大川端探偵社」(14)、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(19)、「エルピス —希望、あるいは災い—」(22)などのドラマ作品。監督作に、「恋の渦」(13)、「バクマン。」(15)、「DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~」(15)、「SCOOP!」(16)、「SUNNY 強い気持ち・強い愛」(18)などがある。Netflixシリーズ「地面師たち」が初の世界同時配信作となる。Netflixと5年独占契約を結び、新作のシリーズ・映画を複数制作することが9月30日に発表された。

「湯けむりスナイパー」や「まほろ駅前番外地」といった深夜ドラマから、映画「モテキ」や「バクマン。」などの脚本・監督、そして、大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」やドラマ「エルピス —希望、あるいは災い—」では演出を務めた大根仁の最新作、Netflixの配信ドラマ「地面師たち」が大ヒットしている。本作は2017年に起きた実際の地面師詐欺事件をもとにした小説「地面師たち」(著:新庄耕)を原作に、大根自らが映像化を企画、キャスティング案から脚本・監督までを手がけた意欲作。これまでのキャリアの総決算ともいえる本作の制作過程を中心に、ここに至るまでのディレクター人生についても話を聞いた。

Netflixが広く普及した今だからこそのヒット

——7月25日に配信されたNetflixシリーズ「地面師たち」が、日本におけるNetflix週間TOP10で長らく首位をキープするなど、反響の大きさについてはどう受け止めていますか。

大根仁(以下、大根):これまで自分が関わってきた作品とはまったく感触が違いますね。例えば、2022年に放送された「エルピス」とか、もっと前だと深夜ドラマから映画になった「モテキ」とか、業界内だったり一部の層の間ではある程度の話題になった感覚はありますけど、「地面師たち」はそういう規模じゃないんですよ。大げさじゃなく、飲み屋とかいろんな店で客が話題にしているのを耳にするし、飛行機に乗ったらタブレットで観ている人も見かけるし。

つい先日も、ヒットしたお祝いでリリー(・フランキー)さんに銀座の高級クラブに連れていってもらったら、入れ替わるお姉さんたち10人くらいが全員観てるって。店に来るお客さんたちも全員観てるって言ってました。そういう店ではお客さんとの話題づくりのためっていうのもあるとは思うけど、全員が観てるっていうのはすごいなと。今日なんかは五反田のサウナに入ってたら、若者とかではなく、人生の先輩たち……まぁ言っちゃえばそこらへんのじいさんたちが「あの『地面師たち』ってのはヤバいな」とか話してましたから。

ただこれは、作品に力があるのは前提としても、いまやNetflixが多くの人にとって手軽に観られるメディアになっている、というのが関係しているんだと思います。誰かにすすめられた時に、テレビドラマや映画を観るにはそれなりのステップが必要だけど、Netflixならスマホで帰りの電車の中でも観られるわけで。そういう視聴環境の要因は強く感じています。

——Netflixの普及がヒットの下地になっていると。

大根:「地面師たち」をきっかけに加入した人もけっこうな数いるでしょうから、そのへんはギャラとは別にボーナスという形でもらえるのかなって期待してますけど(笑)。あとは数字の話だと、映画だったら興行収入、テレビだったら今はもうだいぶあやしいとはいえ視聴率という明確な数字が出ますが、Netflixはよく分からないんですよ。日本のNetflix週間TOP10で何週間連続1位とか言われても、それがどういう数字なのか。

——メディアからの取材についても、映画なら公開前、ドラマなら放送前が定石ですが、配信ドラマだとタイミングに関係なく受けられますし。

大根:テレビドラマは放送が終わったらそれまでですし、映画でも公開後に話題になったから取材が増えるっていうのもほとんどないですからね。今回の場合、配信前よりも、配信後の方が3倍くらい多く取材を受けてますよ。「地面師たち」が数字を持っているのか、俺がペラペラ何でもしゃべると思われているのか分かりませんが(笑)。

あらゆる面で非常に人道的な制作現場

——Netflix作品ということでの最大の特異点は?

大根:表現の自由度が高い、というのは言わずもがなですが、制作の現場目線でいうと、一番は労働環境の真っ当さですかね。余裕のある制作期間が設けられた中で、1日の撮影時間もきっちり決まっていて、間に休みが必ずあって、あらゆる面で非常に人道的でした。僕自身、かつてはそういう時代だったとはいえ、鉄火場みたいな現場を散々渡り歩いてきて、タイトなスケジュールは当たり前、低予算こそ正義くらいに思っていた時期もありましたし、だからこそ生まれたような作品にも立ち会ってきましたけど、時間も予算もあるに越したことはないですからね。

——制作体制の規模が大きくなることで、意思の疎通に時間と手間がかかったりなどの不都合もなく?

大根:不都合はとくに感じませんでした。この例えが適切かどうか分からないけど、山下達郎さんが、ライブハウスの観客をちゃんと盛り上げることができたら、どんなに会場が大きくなっても大丈夫、でもその逆はない、というようなことを言っていて。そういう感じなのかな。これまでと変わらず現場で判断することは当然あるし、感覚を曲げることもなかったし、予算やスタッフの人数が増えたからといって柔軟性がなくなった、とかもなかったですね。それはこの「地面師たち」が自分の立ち上げた企画で、脚本と監督の両方をやれている、という出発点が大きいのかもしれませんが。

——「表現の自由度」ということでいえば、本作には暴力シーンやセックスシーンもありました。

大根:一部の人たちから「セックスシーンでなぜ服を着てるんだ」「リアルじゃない」みたいな反応がありましたけど、正直そこはもっと想像力を働かせてほしいなと思いましたね。別にあえて演出の意図を話す必要はないんだけど、もう言ってもいいかなと思って言うようにしているので言いますが、まず住職の川井菜摘がホストたちと複数プレイをしているシーンは、お目当てのホストの楓という男がその場にいて、自分以外のホストとのセックスでは脱がせない、裸になるのは俺とセックスする時だけだ的な、ある種の焦らしプレイという意図があっての着衣です。もう一つ、デベロッパーの青柳が服も脱がずに行為に及んでいるのは、彼のキャラクターを考えれば、そういうのが好きな男に決まってるでしょ。こんな野暮なこと言いたくないですが、とりあえず「Netflixから規制がかかってる」とか「コンプライアンスを意識してひよってる」とかの憶測は筋違いです。まあネットのそういう反応は想定内だし、観た人が何を言おうが自由ですけど、少なくとも作り手はその何千倍も考えて作ってますよと、そのくらいは想像してねって感じですかね。

そもそも演出家としての自分は、総合格闘家みたいなものだと思っていて、キックがダメとか寝技がダメというルールならそれに従いますし、何でもありならそれに相応しい試合をするだけ。そういう意味でNetflixは、限りなく何でもありに近い環境でしたよ。

フィクションの中で悪行を魅力的に描くことの倫理観

——本作は犯罪ものであり、企業ものでもあり、刑事ものでもあるという、ジャンルのミックスが感じられました。

大根:これまで自分はストレートな犯罪ものや企業もの、刑事ものをやったことがなくて、いつかそういうジャンルもののミクスチャーはやりたいと思っていたので、「地面師たち」の原作小説を読んだ時に、この作品ならできると思ったんですよね。

——ジャンルのミクスチャー感だけではなく、それぞれのシーンや描写ごとに、ここはリアルに忠実に、一方で、ここはファンタジックに、というような加減もミックスされているように見えました。

大根:おそらく原作小説の段階でもそういったイメージを持って書かれていたと思います。著者である新庄耕先生は、事件のことを散々調べた結果、実際の事件や現実がどうだったのか、例えば、詐欺師たちがどんな服装で、どんな場所に集まっていたかとかは、ある程度分かってはいたはずで。ただ、エンターテインメントである以上、Netflix作品であるということも含めて、そのへんのリアルを追求することだけが正解なのか。もちろん、シーンによってはリアリティーを重視した部分もありますが、ケイパー(犯罪映画のサブジャンル。泥棒、詐欺などを犯人側の視点で描くのが特徴)ものならではのケレン味だったりの見せ方の方を意識した部分も多くあります。

ただ、青柳のキャラクターは原作からもだいぶデフォルメしたのですが、実際に不動産会社で働いている知り合いが観たあとに連絡をくれて、「ああいうやついました」って(笑)。なので、いくらデフォルメしてファンタジーに寄せたとしても、ちゃんと刺さるものはあるんだろうなと思いますね。それは「半沢直樹」とかの、僕が勝手に「サラリーマン時代劇」と呼んでいる作品も同じで。

——登場人物たちを魅力的に描く、という点で意識したことは?

大根:今回のキャスティングが成功した時点で、もう十分に魅力的な作品になるだろうとは分かっていたので、そこからさらに演出なりでキャラクターをどうこう、というのはあんまり考えなかったですね。物語の性質上、観た人に憧れを抱かせたり、「こういう人になりたい」とか思われても困りますし(笑)。

——その点でいうと、物語の根幹である詐欺はもちろん、作中の暴力や殺人といった悪行の数々を魅力的に描くことの倫理観については、どう捉えていますか。
 
大根:基本的に自分の考えとしては、こう言うと語弊があるかもしれないけど、犯罪や悪事を扱うエンターテインメント作品においては、表現は自由でいい、と思っています。犯罪行為も暴力もファンタジーの一要素として存在させる以上、そこはとことん追求するべきだっていう考えです。中途半端な嘘で嫌な気分にさせるよりは、振り切ってファンタジーとして魅力的に描いた方がいい。今回の暴力や殺人のシーンなんて、リアリティーという意味では全然リアルじゃないでしょう。

そもそも、現実の地面師たちは殺人までは犯してないわけで、そこを突いて、本物の地面師は殺人を犯してないのにおかしい、サイコパスな人間は詐欺師にはならない、みたいな批評を見かけましたけど、この作品はフィクションでありエンターテインメントですよ、っていう。地面師詐欺事件のリアルを追求した作品ではないですからね。まあこれもまた観た人の自由ですけど、それなりに批評性がある識者とされている人がその程度のことを言ってるとガッカリはしますよね。

「瀧さんは詐欺師役です」「じゃあやる」

——本作ではインティマシーコーディネーターとして浅田智穂さんが入っていますが、大根さんは以前にドラマ「エルピス」でもご一緒されています。

大根:「エルピス」の時はそこまでセクシャルなシーンはなかったのですが、プロデューサーの佐野亜裕美さんがインティマシーコーディネーターを入れたいというので、参加してもらいました。個人的にはその「エルピス」の現場が初めてで、非常にやりやすかったですね。

それで、今回の現場でも改めて感じたのですが、インティマシーコーディネーターというと、役者の側に立つ人というイメージを持っている人が多いかもしれませんけど、実際は基本的に監督の側にも立ってくれる人です。どういったシーンを撮りたいかの意図を汲みながら、役者とコミュニケーションをとる、という役割。もし役者が演出意図に対して「それはちょっと……」ということがあれば、間に入って緩衝材になりつつ、撮影を進めてくれる。なので、もし“現場の敵”みたいなネガティブなイメージを持たれている方がいるのであれば、それはまったく違います。

——現場における演出家の仕事については、どういう役割だと捉えていますか。

大根:演出の仕事って、究極は2つしかないと思っていて。一つは脚本よりおもしろく撮ること。もう一つは、役者を魅力的に撮ること。テクニカルなことも最終的にはそのどちらかに内包されていくんですよね。

——今回は原作の小説を読みながらキャスティングを考えて、脚本もご自身で書いたということで、ほぼ当て書きだったと。

大根:そうですね。キャスティングについては、これまでに何回か一緒にやったことがある役者は当然として、初めての人だとしても、過去の作品を観たりすると、その役者のポテンシャルも分かるし、リミッターがどこにあるのかもなんとなく分かります。その上で、どういうタイプの芝居だったらリミッターをはずせるのか、感覚として掴めるんですよね。その勘を利かせることも演出家としては大事だと思うので、それが今回はうまくいったのかな。この先もしその勘が鈍くなったら、演出家としては潮時なのかもしれません。

——そして本作では、大根さんが監督を務めた「DENKI GROOVE THE MOVIE?〜石野卓球とピエール瀧〜」に限らず、公私ともに関係の深い電気グルーヴが2人そろって参加しています。ピエール瀧さんは詐欺師役、石野卓球さんが音楽(劇伴)と。

大根:瀧さんの芝居が話題として大きく取り上げられているのも誇らしいですけど、卓球さんの音楽もかなり重要な要素を占めています。もともと世界的なDJとして、聴衆を飽きさせることなく6時間とかの長いセットを組める人ですから、その感じで全7話の音楽をやってもらいました。

瀧さんが役者として出演する作品に卓球さんが参加するっていうパターンは今までなかったので、最初どうかなと思ったんですけど、話をしに行った時に「悪い奴ばっかり出てくるひどい話で、これなら卓球さんの音楽がばっちりハマります」「瀧さんは詐欺師役です」って伝えたら、「じゃあやる」って。そこから楽曲のイメージを伝えて、脚本を読んでもらい、デモ曲を何曲か作ってもらったのですが、もう最初から素晴らしかったですよ。

自分が一番喜ぶ仕事は40代で終わった

——大根さんのこれまでのキャリアを振り返ると、数々の深夜ドラマを手がけていた時期をへて、企画から参加するような映画の脚本・監督の仕事が中心となり、そのあとは演出家として依頼を受ける形で参加するタイプの仕事が続き……という変遷がありますが、ターニングポイントはありましたか。

大根:「モテキ」の映画化が2011年で、それ以降テレビから映画の方へ比重が移って、18年の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」で脚本と監督をやったあとくらいかな、この先、同じ方向性で仕事を続けていっても、縮小再生産になるような危機感があったんですよね。作品単体の出来や良し悪しではなく、自分の中で「この手法は前にも使ったよな」みたいなことが気になる感じ。それが50になる年だったので、このまま50代を乗り切るのはきついぞって思ってました。

それで、自分発信の企画や得意ジャンルの仕事はいったん休んで、別の角度からアイデアだったり手法や技術を学べるような仕事をしたいと思っていたところに、「いだてん〜東京オリムピック噺〜」のオファーが来たんです。大河ドラマはこれまでとはまったく違う方向性だし、でも脚本は宮藤官九郎さんだったので自分なりにできることもあるし、これはちょうどいいっていう。

あとは、17年からキリン一番搾りのCMの演出をやっていて、それが意外と自分の中では大きいです。CMの仕事は、ドラマや映画とは目的からしてまったく違うものなので、演出家としての自由度は少ないのですが、スタッフィングはそれなりに自由にできるんですよ。なので、これまで頼みたかったけど機会がなかった撮影監督や照明技師の人たちとCMの現場で初めて仕事をすることができて、だいぶいい経験になってますね。

——「地面師たち」で再び企画から脚本・監督までを務めたのは、依頼仕事をしていく中で、もう一度企画から最後まで自分が関わる仕事をしたい、という思いがあったからでしょうか。

大根:いや、正直なところ、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、自分が一番喜べる仕事はもう40代で終わっていて、50代以降は誰かのためになるような仕事をしたいと思ってやっているんです。「地面師たち」は自分から企画を持ち込んだので、結果的に自分も喜ぶ形にはなりましたけど、それよりも、日本発のNetflix作品が国内だけではなくグローバルレベルでヒットしているという祭りに乗っかっている意識の方が強いんですよね。今のヒットしている状況は大変うれしいですが、それもNetflixのためというか、配信メディアがもっと盛り上がった方が、映像業界全体が活気づくんじゃないかという、どこか冷静に見ている感じではあるんです。

——ドラマや映画に限らず、ミュージックビデオやライブ映像の演出、若い頃にはバラエティー番組まで、幅広く雑食的に仕事をしてきたことは、どう今につながっているでしょうか。それこそ、大根さんのディレクターデビューは宮沢りえのデビュー曲「ドリームラッシュ」のカラオケビデオという。

大根:そうそう、小室哲哉プロデュースの曲。しかもミュージックビデオじゃなく、カラオケで流れるビデオの方っていうね。若い頃はそういうカラオケビデオだけじゃなく、クイズ番組から健康番組まで、人がやりたがらない仕事もたくさんやってましたよ。そこからドラマや映画の監督になるっていうのはなかなか考えづらい道のりだけど、当時そういう仕事を下積みだったと感じていたかといえば、そうでもないんですよね。誰からも見向きもされないような仕事だったとしても、一つくらいは得るものがあったと今では思えるんです。いいスタッフと出会ったとか、いいロケ地が見つかったとか、些細なことでいいので、得たものがあればのちのち仕事に生かすことができる。

あとは、ドブ板仕事をやりながらも、好きなものを追いかけることはやめなかったというのがよかったのかもしれません。どうしても抜けないサブカル気質があるせいで、どんなに忙しくてもライブに行ったり、新作をチェックしたり、それだけは続けていました。当時は「いつかこの人たちと仕事するぞ」とかも思ってないし、ただ好きだから追いかけていただけですけど、結果的にそのことが今になってつながっているのは確かですね。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

■Netflixシリーズ「地面師たち」
Netflixにて独占配信中
全7話
出演:綾野剛、豊川悦司
北村一輝、小池栄子、ピエール瀧、染谷将太
松岡依都美、吉村界人、アントニー、松尾諭、駿河太郎、マキタスポーーツ
池田エライザ、リリー・フランキー、山本耕史
監督・脚本:大根仁
原作:新庄耕「地面師たち」(集英社文庫刊)
音楽:石野卓球
製作:Netflix
制作プロダクション:日活 ブースタープロジェクト
©新庄耕/集英社
「地面師たち」作品ページ

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嘘をつくぐらいだったら「嫌われてもいい」 漫画編集者・林士平がポッドキャスト番組でこぼす本音とヒット作の舞台裏

PROFILE: 林士平/漫画編集者

林士平/漫画編集者
PROFILE: 2006年に集英社に入社。「月刊少年ジャンプ」「ジャンプ SQ.」の編集者を歴任し、現在は株式会社ミックスグリーン代表取締役・「少年ジャンプ+」編集部員。現在の担当作品は「SPY×FAMILY」「チェンソーマン」「HEART GEAR」「ダンダダン」「幼稚園WARS」「BEAT&MOTION」「ケントゥリア」「おぼろとまち」「さらしもの」「クニゲイ〜大國大学藝術学部映画学科〜」。過去の立ち上げ作品は「ファイアパンチ」「左ききのエレン」「地獄楽」「カッコカワイイ宣言!」「ルックバック」「さよなら絵梨」など。アニメ・舞台・イベントの監修やプロデュース、アプリ「World Maker」企画なども手掛けている。

「少年シャンプ+」の編集者・林士平。これまで自身が担当してきた作品は「チェンソーマン」「SPY×FAMILY」「ダンダダン」などヒット作ばかりだ。ネット上では度々「有能」と形容される林が、7月から「Amazon Music」独占配信ポッドキャスト番組「イナズマフラッシュ」を開始した。各界のトップランナーをゲストに呼び、作品の舞台裏や仕事の悩みなどを赤裸々に展開しているが、なぜ「ポッドキャスト」を始めたのだろうか。番組で吐露されてきた漫画編集者としての葛藤や、音声メディアならではの「こぼれ話」についても聞いた。

目、疲れてませんか? 音声メディアの活路

——どういうきっかけでポッドキャスト番組を始めることになったのでしょうか?

林士平(以下、林):以前、この番組のプロデューサーの石井玄さんとイベントでご一緒させてもらった時に、楽屋で「ポッドキャストの番組をやりませんか」と声をかけていただきました。それで流されるように始まったというか、音声メディアに興味があったので、良い機会なので挑戦しよう、と思った次第です。1人しゃべりが苦手なのでもう少しトークの腕を磨きたいなと、課題感を持って挑んでいます。あと、ゲストを呼べるので、自分が会ってみたい人に会える機会だと捉えています。

個人的に音声メディアに期待している点は、「ながら」でインプットできることです。仕事でもプライベートでもディスプレイを使う時間が長いので目が疲れている。まず、聴く側として可能性を感じていました。

僕は動画配信のサブスクリプションはほぼ全部入ってるものの、見る時間が取れてないんです。ダウンロードして細切れになんとか……みたいな。大好きな読書も集中力を要するので積ん読が増えていくばかり。Kindleの本棚にある冊数を数えてみたら2万冊買ってることが判明して(笑)、最近は「Audible」を聴くことも多いです。

——「イナズマフラッシュ」のメインビジュアルは「SPY×FAMILY」の遠藤達哉さん、サウンドは牛尾憲輔さんが担当していますが、これは林さんからのオファーですか?

林:プロデューサーの石井さんからの提案でした。遠藤達哉先生には私から打診させていただき、ご快諾いただけました。サウンドの牛尾さんは、石井さんからソニーミュージックさんに依頼していただいた、と伺っております。素晴らしい絵と、キャッチーで耳に残る音楽で彩っていただいて、メチャうれしいです。

——「イナズマフラッシュ」では「これ話しちゃっていいの⁉︎」という所まで語ってますよね。

林:まだ手探りなところが大きいですけど、初回ゲストとして出ていただいた津田健次郎さんがすごかったですね(笑)。声のカッコよさだけでなく、トーク力の高さにも感服しました。ゲストに話を引き出していただいてしまいました。

——実際に番組を始めてみて、手応えは?

林:パーソナリティー側として感じるのは、リスナーとの近さ。顔が見えないからかな? 肩肘を張らないでいい空気を感じてます。独特のコミュニティーを感じることがあって、ついとりとめもない話をしてしまいます。今後の課題ですね。テンポ良く、リスナーの皆さまに面白い、役立つと思ってもらえるトークの濃度を上げていきたいです!あと、リスナーの皆さまからのメールもすごくありがたいので、どしどし待ってます。

素晴らしい声優さんや、コンテンツを作っている社長さん、脚本家さん、歌手の方や俳優さん、芸人さん、実写・アニメの監督など、第一線のさまざまな職種の方とお話ししていこうと企画中なので、全てのトークが、編集者としての糧になっている、いくであろうと実感しております!

——第2回では、アップル(Apple)から電話がかかってきたという話もされてました。

林:アメリカから電話があった話もしてましたね。内容は、マンガの表現についてでした。この手の表現の規制がこれからも広がっていくと厳しいことになるやも、と少し危惧しております。それでも「ジャンプ+」のアプリケーション自体が海外のプラットフォームに乗ってる限りは彼らのルールに従わなくてはいけないので複雑ですね。

——番組では、バナーの画像で胸の谷間の線を描くのも厳しいと苦言を呈されていて……。

林:ありましたね。「ジャンプ+」の場合は、7〜8カ国言語ぐらいで同時翻訳されているのですが、国によってもNGラインは全然違う。多少のローカライズは仕方がないと思っています。各国に適した表現に微調整しながらも、可能な限り全世界に作品をお届けするのも大事だと思います。

ただ、ローカライズで各国のルールに従うことは許容だとしても、日本において「日本人向け」に展開する表現のラインを他国に手渡すのは違うと思います。もっと議論していければいいんですけれど。

——難しさに直面する一方で、海外市場の可能性は大きそうです。番組ではロンドンの図書館に「ルックバック」が置いてあったと話されていて驚きました。

林:僕も驚いて、思わず写真を撮りました(笑)。売り上げで言うとフランスが大きいので、今度渡仏した際は書店さんだけでなく、図書館にも行ってみようかと思います。

「ダンダダン」は巻数が浅い時にフランスの一等地に広告を打っていただきました。フランスは日本のマンガをたくさん売ろうという意気込みが強くてありがたいです。フランス一カ国だけで、日本国内よりも売り上げている作品もありますよ。印税も日本より高いので、海外からの印税で暮らしている作家さんも増えています。

毎年、漫画の読者が世界中で増えている実感があるので、夢を見られる産業だと思います。いろいろな作品が売れて、お客さんと一緒に育っている。一方で日本の読者にまず受け入れてもらわないと意味がないので、現段階では最初から世界を狙って企画を始めることはありません。

常務にLINEで人事異動?

——林さんは「ジャンプ+」の編集者としてのイメージが強いのですが、この部署への異動は、ご自身で希望されたそうですね。

林:僕はもともと「月刊少年ジャンプ」「ジャンプSQ.」にいたんですけれど、なんだろうなぁ……面白いと思う作品がなかなか会議で通らなくて、自分に限界を感じていたんです。

自分の力不足が大きいですが、当時の編集方針下では「ファイアパンチ」は複数回会議に落ちましたし、「地獄楽」もなかなか通りませんでした。だんだんと、これまでとは違う場所でボールを投げてみたいと思うようになり、当時の常務にLINEをしました。

——人事ではなく?

林:常務とはお酒を一緒に飲むことが多かったので距離が近かったんです。常務に「お話があるんですけど、お時間ください」と送ったら、顔を合わせた途端「辞めるのか?」と聞かれました(笑)。「辞めたいのではなく、別の媒体でチャレンジしたい」と伝え、異動の希望を伝えました。

「ジャンプ+」に僕が入った時は、人手も作品も足りていなかったので、楽しく全力全方位で仕事をさせていただきました。あれもこれもやらないと回らない。そういう忙しさが自分には合っていたんだと思います。

——デジタルの部署になって作家さんの働き方も変わったそうですね。

林:そうですね。「ジャンプ+」の場合は、クオリティーが落ちたり健康を害したりするんだったら休む提案ができます。もちろん、休載すると読者はがっかりする。その点も踏まえて作家さんと相談しながら判断をしています。あと、作家さんや作品ごとに、週刊や月刊など連載ペースを選べますし、読み切りを365日掲載できる点も好きですね。

嘘をつくぐらいだったら「嫌われてもいい」

——漫画家さんへのフィードバックで気をつけていることは何でしょう?

林:思ったことは全部伝えちゃってます。ロジックで説明できることはみなさん納得してくれますし、分かりにくかった場合は「どうしてこの流れに?」と質問して議論すればいい。

「面白い」「つまらない」は感性によるので、「こうした方が面白いと思う」と提案はしつつ、相手に委ねます。ただ、描いたものが「つまらない」と言われたら大抵の人は傷つくので、言い方に気をつけつつも、ある程度は、敬意を持ってお伝えしているのであれば、作家さんも受け止めてくれると思っております。

逆に「面白い」と思っていないのに、お世辞を言う方がひどい気がします。お世辞は自分が作家さんに嫌われないためにつく嘘とも言えるじゃないですか。1回嘘をついたら永遠に続けないといけないのでコミュニケーションのカロリーも高い。僕は作品を良くするのが仕事なので、最悪……真摯に向き合った結果なのであれば、作家さんから嫌われてもいいんです。

あ、でも締め切りの嘘はあります(笑)。新年会などで先生たちが集合する時はヒヤヒヤしています。「ジャンプ+」では毎月5000ページを刷ってるので、入稿校了をズラさないと運営が厳しい事情もあるのですが。

——健康面やメンタル面はどうやってサポートされてますか?

林:「食べてます? 寝てます?」は打ち合わせでよく聞きます。漫画稼業は、スポーツ選手と似ているので身体のメンテナンスは大事。不健康だとメンタルにも支障が出てしまいます。

作家さんたちのスケジュールを見て、整体や鍼の予約案内をすることもありますし、この前は連載作家さんと2人でピラティスに行きました。プロだからこそ身体のケアも大事な仕事だと思ってます。

——編集者の仕事として、アニメ、舞台、映画などの監修もカロリーが高くなっていると伺いました。

林:作家さんによって関わり方はそれぞれです。「SPY×FAMILY」の遠藤先生は、隔週連載しながらアニメの脚本・美術設定・絵コンテなどを全部確認していましたし、全面的に託してくださる方もいます。

メディア展開する際は、原作の中で守らなくてはいけないことと、各メディアの約束事の落とし所をいつも探してます。昔からアフレコの現場には全話行ってましたし、最近はミュージカル脚本の調整もやりました。

——「SPY×FAMILY」ですね。

林:はい。スケジュール的に遠藤先生の監修が厳しかったこともあり、企画書を見せた上でオーディションなどは見ていただきましたが、「ここからの監修はお預けします」となりました。僕らもミュージカルの監修は初めてだったので、正直言ってかなり不安でした。ミュージカルは歌が多いし、短い時間の中で物語全てを追うのも難しい。歌が随所にあるので、自然な盛り上がりも必要です。とはいえ、物語の核となる部分が伝わらないのであれば「SPY×FAMILY」でやる意味がないし、登場人物が絶対しない言動があると、そのキャラクターが死んでしまう。脚本家や演出家の方々とは丁寧に議論を重ねました。遠藤先生には初日公演に来ていただいたのですが、緊張しながら観た記憶があります。結果的に皆さんにご満足いただけたので安心しました。

漫画における表現

——ポッドキャストで、「昔は若い時はよく怒っていた」と話されていて驚きました。林さんは順風満帆に見えるので。

林:あはは。怒りの感情は決して悪いものだけではないですからね。良い仕事を生み出すエネルギーに転換できるか、が大事だと、個人的には捉えております。

——先ほどの「アップル」の話に通じますが、表現を妥協すると物語の強度が落ちますね。表現のNGラインは曖昧な部分も多そうです。

林:そうですね。90年代によく見られた表現とか一部のギャグは、もう描けなくなってきていますよね。「今は大丈夫」でも未来はどうなるのか分からない。だからこそ「今の感性」で作ろうと思ってます。

誰も傷つかない表現は……多分、無理なんじゃないでしょうか。いたずらに誰かを傷つけるつもりはなくても、絵とストーリーがある時点で、どうしたって誰かを傷つけてしまう可能性がある。でも、傷つく範囲はどれくらいで、どういう傷なのかを自覚すること、そこの折り合いを探すのも編集者の仕事なのかなと思っています。自分ができることは「気をつけ続ける努力」しかないと思っています。

逆に「今までの普通」で傷ついてきた側の物語が出やすいのが漫画でもあるような気もしています。恋愛感情を抱かないセクシュアリティの「アロマンティック」を題材にした作品を担当させてもらったこともありますが、名前がついているだけで解決していない問題はたくさんある。こういう作品も世に出していきたいとも思っています。

——今後やりたいことは?

林:目先の話だと、あまたあるポッドキャスト番組の中で「イナズマフラッシュ」の存在感をしっかり出して、リスナーに届く番組にしていきたいです。また、ゲストの皆さまと、この場だけでなく、番組から生まれる何か、をお届けしていけたらうれしいなと願っています。

編集者としては、あと5年……10年は走り続けたいですね。あとは「イナズマフラッシュ」もそうですが、いろんな仕事ができるようになったので、毎日刺激で溢れてます。全部、漫画に生かせていければと思います。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)

■林士平のイナズマフラッシュ
毎週月曜日午前6時に最新エピソードを配信
メインビジュアル:遠藤達哉
サウンド:牛尾憲輔(agraph)
プロデューサー:石井玄(玄石)
制作:ニッポン放送
https://www.amazon.co.jp/inazumaflash

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英「10 マガジン」日本版の勝算 増田さをり編集長が渡辺三津子に語る

PROFILE: (左)増田さをり/「10 マガジン ジャパン」編集長(右)渡辺三津子/ファッション・ジャーナリスト

(左)増田さをり/「10 マガジン ジャパン」編集長(右)渡辺三津子/ファッション・ジャーナリスト
PROFILE: (ますだ・さをり)ラグジュアリーブランドのPRを経て、2005年にコンデナスト ジャパンに入社。「ヴォーグ ジャパン」編集部で要職を歴任し、08年にファッション・ディレクターに就任する。表紙撮影や海外でのファッションストーリーなどを担当したほか、多くのデザイナーインタビューも行った。23年2月に独立し、同年11月に「10 マガジン ジャパン」編集長に就任 PROFILE:(わたなべ・みつこ)資生堂「花椿」や「フィガロ ジャポン」「エル ジャポン」編集部を経て、2000年にコンデナスト ジャパンに入社。08年に現「ヴォーグ ジャパン」編集長に就任し、本誌だけでなくデジタルコンテンツの強化を13年以上にわたって進めた。22年に独立し、エディトリアル・ディレクターやファッション・ジャーナリストとしてさまざまな分野で執筆やプロデュースを行う

英国発ファッション誌「10 マガジン(10 MAGAZINE)」の日本版が9月18日に創刊した。編集長は「ヴォーグ ジャパン(VOGUE JAPAN)」でファッション・ディレクターだった増田さをりで、出版は世界文化社が担う。メディア事業が多角化する中、新たな紙媒体を発行する狙いとは。同誌にも参画し、「ヴォーグ ジャパン」時代の盟友である渡辺三津子が聞いた。

「10 マガジン」とは

渡辺三津子(以下、渡辺):さをりさんとは「ヴォーグ ジャパン」編集部で長く一緒に仕事をしてきたので、編集長となったさをりさんと新雑誌創刊の過程をご一緒できてとてもうれしいです。まずは、「10 マガジン ジャパン」の説明をお願いします。

増田さをり(以下、増田):「10 マガジン」はソフィア・ネオフィトゥ・アポストロウ(Sophia Neophitou-Apostolou)がロンドンで2000年に創刊しました。ソフィアはもともとスタイリストで、インディペンデントマガジン激戦区のロンドンで同世代の人たちが雑誌を出すのを見て、自分が発信できるビジュアル誌を作りたいと考えたそうです。同時にスタイリストとして「ヴォーグ」でも日本や中国、ロシア版などに関わり、私はそこで知り合いました。UK版は1冊約600ページもあり、家に置いて長く楽しんでほしいという考え方で、半年に1回、ウィメンズとメンズ版両方出版されています。今回の日本版はそれを合わせた作りで、創刊号は約340ページあります。

渡辺:内容はファッション、ビューティ、ジュエリーだけでなく、カルチャー、アート、旅など多岐にわたり、ビジュアルの力強さが印象的です。

増田:ロンドンはスタイリストもフォトグラファーも面白い人が常に周りにいるので、若手のクリエイティブな人材が出てきやすい環境です。ライターもSNSで連絡してくるので、興味があればすぐ編集者が会っていますし、スージー・メンケス(Suzy Menkes)やサラ・モーア(Sarah Mower)ら業界の第一線で活躍している人々も執筆しています。

渡辺:ロンドンはファッションを学べる学校が多く、世界中から若者が集まるという背景もあるでしょうね。そのあたりは日本も学ぶべきところがあると感じます。「10 マガジン」としては、そういう個性的な才能やジャーナリスティックな視点を重要視しているのですね。

増田:ものの見方がはっきりある方に参加していただきたい。撮影に関しては、今回の創刊号では日本的あるいはアジア的、つまり「西から」ではなく、「東から見たファッション」という視点を提案したかったので、関わる方たちもそういう絞り方になりました。

渡辺:今号の全体のテーマはソフィアと話し合って決めたのですか?

増田:全体のテーマは各国共通で、“Renaissance, Renew, Rising”でした。「多様なことを同時にできる才能を持った人々が新しい時代を開拓していく」という趣旨なのですが、それぞれの国でどういう誌面を作るかは自由です。毎週4カ国の編集長とのミーティングがあり、特集のテーマなどを共有します。制作したものはドロップボックスにビジュアルとテキストが順次上がるので、すぐジャッジできます。どの国の何を選んでどうエディットするかも自由なんです。

渡辺:私が今まで経験したグローバルマガジンでは、使用に際してある程度、許可や交渉が必要でしたが手間がなくていいですね。日本制作と海外のものとの割合はどれくらいでした?

増田:半々ぐらいで、日本が少し多いです。旅やデザインのテーマも面白かったので予定より他国のものが多めになりました。それと、4カ国とも同じ9月18日発売なんです。組織が小さいから(笑)、カジュアルな良さやライトさがある。それは一つのメリットだし、新しい形なのかなと思います。

渡辺:その共有の速さと自由さは少し驚き(笑)。インディペンデントな雑誌として25年間継続しているのはすごいことですね。

増田:ソフィアが編集者であると同時にものすごくビジネスマインドを持った人だからで、続けながら学んできたのだと思います。

渡辺:最初にオファーを受けた時はどう感じたの?

増田:迷いはなかったです。実際、日本でインディペンデントマガジンを1人でできるのかはちょっと不安でしたけど。1年前に創刊した「10 マガジン」US版の編集長が、昔「ヴォーグ ジャパン」のNYオフィスにいた同僚だったことも大きな助けになりました。

渡辺:さをりさんは、「ヴォーグ ジャパン」ではファッション・ディレクターでしたが、今回は会社を立ち上げて編集長になり、どこが一番違いましたか?

増田:大変だったけど面白かったのは、この年齢になっても新しいことが学べたこと。編集作業の一つ一つが改めて楽しいと感じられました。写真を見るだけでうれしく、テキストを読んで感動して。こんな気持ちになれたのはひさびさで、最初の読者として感動できたことが一番うれしかった。

渡辺:一通りいろいろなことを経験してきた後に、さらに心が動くことに挑戦できたのは素晴らしいと思います。さをりさんはブランドのPRの経験もあり、マルチなタレントを発揮している先駆け的な1人ですよね。これは一度どこかで発表したかったのですが、さをりさんを「ヴォーグ」に呼びたいと発案したのは私なんですよ(笑)。語学の堪能さだけでなく、世界のファッション業界の人々と“同じ言語”でコミュニケーションできる希少な存在だと思ったからです。そんなさをりさんが作るグローバルマガジンの今後が楽しみです。

増田:大丈夫かな(笑)。デジタルと違い、紙の媒体はページをめくる体験ができて、考えながら戻ることもできる。雑誌にこだわって人間味や温かみのあるものを提供したいし、瞬時に消費されるのではなく何年後かに見ても面白いストーリーだったな、こういう時代だったな、と思えるものをつくれたらいいなと考えています。

インディペンデント誌の強み

渡辺:ここ数年で「10 マガジン」はさまざまな国で創刊していますが、グローバル戦略の動きがあるのですか?

増田:伝統的な出版社の動きが新しい時代への対応に追われて最近、変化してきたという背景はあるかもしれません。そこで、小回りの利く媒体の強みが生かされるのではないかと。

渡辺:なるほど。それには、オリジナリティーとクオリティーを常に高く保つ必要がありますよね。

増田:ただの情報提供ではなく、誰かの視点が大切で、それが強ければ読者の意識にも残るし、同時にその時代を反映するものになると思います。実際、UKではテキストが面白くなければリライト依頼やボツになることもある。写真家も無難にきれいに撮るのではなく、「この人でなければ撮れない写真」ということに私もこだわりました。ビジョンがなければ何かを伝えることはできないと感じます。

渡辺:ちょっと心配になりましたが、私の日本デザイナーの特集の原稿は大丈夫だったでしょうか?

増田:急に何ですか(笑)。読んですぐ面白かったって伝えたじゃないですか。

渡辺:「10 マガジン」の基準がそんなに厳しいと今知ったから(笑)。一方で編集とは別の話ですが、幅広い部数を狙う雑誌ではないからこそ、そのビジネスモデルも気になります。

増田:「10 マガジン」の営業担当は、実は世界全体でロンドンに1人だけなんですよ(笑)。やっぱり最終的にはクリエイティビティーなのだと思うんです。より強く、よりエッジィな視点で他と差別化できるコンテンツが作れるということが一番の強みになり、広告のクライアントに対するビジネスが成立するのだと感じます。

渡辺:同じようなものばかり並んでも価値は生まれません。同質化する状況に一石投じられる存在になるといいですね。

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「こうなった以上、青瓦台に行く」脚本家ユン・ソンホ ユーモアとホープパンクで、日常に希望を

PROFILE: ユン・ソンホ/脚本家、演出家、監督

ユン・ソンホ/脚本家、演出家、監督
PROFILE: 2001年、大学生の時に短編映画「三千浦へ行く道」を制作。その後、21年間で短編20作、長編3作、ドラマ15作を発表した。ウェブドラマの初期の頃の作品が多く、代表作に「空腹な女」や「抜群な女」がある。最近では、Waavveオリジナルドラマ「こうなった以上、青瓦台に行く」やTVINGオリジナルドラマ「ミジの世界 s2e1」の脚本・演出を手掛けている PHOTO:BEAK JONG HEON

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にも繋つながっているのは明白だ。その韓流ドラマ人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの作品の脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッション性に至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.6は、ユン・ソンホ。代表作「こうなった以上、青瓦台に行く」(以下、「青瓦台に行く」)は政治を風刺したブラックコメディ。同作は2021年に韓国のVODストリーミングサービス「ウェーブ(waavve)」で公開され、シネ21誌で「今年を輝かせた作品」第1位に選ばれ、第58回百想芸術大賞では作品賞、演出賞、脚本賞、助演男優賞の4部門にノミネートされた。ユニークでありながらも、憎しみを生まない作風に定評があるソンホに、予想外な展開のモノ作りの裏話、風刺作品についてや影響を受けた日本の映画やドラマまでを尋ねた。

――脚本を書く際、現代社会の不安を煽るような言葉を避けるなど意識していることはありますか?

ユン・ソンホ (以下、ソンホ):誰かを傷つけるような作品にならないために意識していることの1つは、言葉の使い方に基準を設けることです。刺激的な表現を多用しないように気をつけています。

一方で、差別的な言葉や侮辱的な表現を意図的に使うことで、視聴者にそれ自体が問題であることを認識させるようにしています。問題意識を高め、差別的な表現が容認されるべきではないというメッセージを伝えられるからです。

例えば「青瓦台に行く」の中で、 ある男性が「ターモンヌンダ(따먹는다)」といういかがわしい言葉を女性にかけたとき、彼女は笑いながら「あなたは何様なの?」 と言い返すシーンがあります。下品な言葉を掛けられた人の抗う反応を描くことで、視聴者が同様の問題に直面した際にどのように対応すべきかを考える助けになると思います。

――「青瓦台に行く」で、政治家たちの会議は形式的で実質的な進展がない、まるでプロレスの試合のようだと表現していました。

ソンホ:その表現はネットの書き込みやコメントを参考にしました。中には私がドラマで作ったナレーションよりも、韓国の与党と野党がやり合っている状況を上手に言い表しているコメントがたくさんあります。例えば、「政治討論は本当の議論ではなく、形式的に会議をすすめているように見えるから『空手の組手』」と言う人もいました。韓国は政権が変わると社会も様変わりするので、世界的に見ても国民たちの政治への関心はとても高いですね。

――ネガティブなテーマを笑いに転換させるテクニックを教えてください。

ソンホ:まず、私は脚本と演出の両方を手がけているため作品のコントロールがしやすいことが前提ですが、ブラックコメディを作る上でセリフの意図やニュアンス、トーン、言い回しをしっかり俳優に伝え、お互いに確認しながら進めることが重要です。

あとは個人的な感情と一定の距離を置くことですね。政治、仕事、男女関係などあらゆるテーマをブラックコメディとして扱えますが、主題から離れた客観的な視点を持つからこそ、物事を別の視点から考察する様子が描けると思います。

――影響を受けた作品はなんですか?

ソンホ:国内外の作品から影響を受けています。例えば、日本の作品はシリアスなテーマを扱いつつも、 意図的ではない絶妙な間で笑いの要素を入れているところにおもしろさを感じます。特に今村昌平監督の「楢山節考」にブラックコメディの要素を感じますね。人間関係の本質を追求したシリアスな作品ですが、登場人物を俯瞰して見るような描き方に学ぶものが多くありました。この作品は、すごくリアルに人間の生きる姿を描いているものの、状況を大袈裟に描いたり、残酷な姿や苦しんでいる表情をクローズアップしません。全体を見渡すことで、あらゆる感情が交差しているように感じられる素晴らしい作品だと思います。

――最近の作品ではどうでしょうか?

ソンホ:坂元裕二さんが脚本を担当した「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう(以下、いつ恋)」や「最高の離婚」がとてもおもしろかったです。自分も「いつ恋」の現実的で不穏な雰囲気と昔の日本のドラマ「ロングバケーション」の楽観性を掛け合わせたような作品をいつか作りたいですね。余談ですが、韓国のロマンティックコメディを作る脚本家たちは、1990年代の日本のドラマから影響を受けている人が多いと思います。

――韓国のドラマや映画の中で食事をしているシーンに特にエネルギーを感じます。過去に作ったモバイルドラマシリーズでは、日本の「食」に影響を受けたそうですね。

ソンホ:世界には、シェフやレストランをテーマにした作品はとても多いですが、これまで日本の食を取り上げた作品の多くは料理人よりも日常の食卓やリアルな食事風景を描いてきたと思います。

日本の脚本家は、日常の何気ない瞬間を描くのがとても上手ですよね。例えば、買い物から料理、食事に至るまでのプロセスをエネルギッシュに描き、その後のシーンで「今日も1日終わりだね」と締めくくることで、どこかホッとするような楽観的なシーンが多いように感じます。しかし、私がもし脚本を描くなら、食事が終わった後に「おなかはいっぱいになったけど、まだ解決しない問題が残っている。それでも、今日はこのまま終わっていくんだ」と描くと思います。日常で解決できない問題や悩みがあっても、それを抱えながら過ごしていくというリアルな一面を表現したいからです。

――韓国のドラマや映画は世界に広く普及していますが、今後のキャリアをどのように考えていますか?

ソンホ:脚本も演出もやっているため、今は現場で監督と呼ばれることが多いんですが、今日の取材で脚本家と呼ばれることがとても嬉しいです。今後は、演出よりも脚本を書くことに専念していきたいですね。

体力的な理由もありますが、世界で起こっている戦争や環境問題、災害など複雑な問題を違った側面から描きたいからです。現在のドラマや映画の多くは、これらの問題を極端に表現するか、全く反映させないかに分かれているように感じます。アポカリプスやディストピアの物語が人気の一方で複雑な問題の中でもささやかな日々の楽しさを描く物語、「ホープパンク」の精神で希望を描きたいですね。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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菅田将暉 × 黒沢清 映画「Cloud クラウド」が描く「普通の人がギリギリに追い込まれる現代社会」

PROFILE: 左:菅田将暉/俳優 右:黒沢清/映画監督

左:菅田将暉/俳優 右:黒沢清/映画監督
PROFILE: 左:(すだ・まさき)1993年2月21日生まれ、大阪府出身。2009年、「仮面ライダーW」で俳優デビュー。「共喰い」(13)で第37回日本アカデミー賞新人俳優賞、「あゝ、荒野」(17)で第41回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。近年の主な映画出演作に「銀河鉄道の父」(23)、「君たちはどう生きるか」(23/声の出演)、「ミステリと言う勿れ」(23)、「笑いのカイブツ」(24)、「劇場版 君と世界が終わる日に FINAL」(24)などがある。25年には映画「サンセット・サンライズ」(25年1月公開)ほか、Netflixシリーズ「グラスハート」が控えている。 右:(くろさわ・きよし)1955年7月19日生まれ、兵庫県出身。大学時代から8ミリ映画を撮り始め、長谷川和彦、相米慎二に師事。「CURE」(97)で世界的な注目を集め、「回路」(00)で第54回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。「トウキョウソナタ」(08)では、第61回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞ならびに第3回アジア・フィルム・アワード作品賞を受賞。連続ドラマ「贖罪」(11/WOWOW)では、第69回ヴェネツィア国際映画祭にテレビドラマとして異例の出品を果たしたほか、多くの国際映画祭で上映された。2024年は、配信作品としてはじまった「Chime」、フランス製作のセルフリメイク「蛇の道」が公開され、3作目となる「Cloud クラウド」が公開する。

今年に入って、「蛇の道」「Chime」と新作の公開が相次ぐ黒沢清監督。そんな中で新たに公開される「Cloud クラウド」は、近年、社会的に問題になっている転売屋を主人公にしたスリラー作品だ。工場で働くかたわら、転売で稼いでいる吉井。吉井が知らず知らずにまいた憎しみの種はネットで大きく成長して、やがて吉井に襲いかかる。吉井を演じたのは黒沢作品に初めて参加した菅田将暉。黒沢監督が絶賛する演技力で菅田は物語を引っ張っている。現代社会に生きる「普通の人」が巻き起こす恐怖を描いた本作について2人が語ってくれた。

※記事内には映画のストーリーに関する記述が含まれています。

——「Cloud クラウド」の主人公、吉井は転売で儲けることに夢中で、そのために他人が傷ついても構わない。でも、根っからの悪人ではなく、ごく普通の男ですね。吉井というキャラクターはどのようにして生まれたのでしょうか。

黒沢清(以下、黒沢):たまたま僕の知り合いに転売をやっている男がいるんです。彼はごく普通の男で一生懸命に転売をやっているんですよね。なんで転売をしているかというと、一度、会社に勤めたんだけど全然うまくいかなくて、そこを辞めて1人で生きていくために転売を始めたんです。転売があまり良いことではないと知っていながらも、朝から夜まで商品を梱包したり、発送したり、実に真面目に働いている姿が、ある意味、微笑ましく、悲しく、ちょっと愉快でもありました。「こうやって、人はどんな苦境の中でもしたたかに生きていくんだな」と感じたんです。そして、転売というのは、現代社会ではありふれた生き方の一つなんだろうな、とも思いました。そういったことが興味深くて、吉井というキャラクターを考える上で友人のことは参考にさせてもらいました。

——菅田さんは吉井という人物のどんなところに興味を持ちました?

菅田将暉(以下、菅田):まず、どんなキャラクターか分からないところに興味を持ちました。でも、どういう人物なのか、ということを掘り下げることはしませんでした。というのも、台本を読めば彼の行動がキャラクターを表していることが分かったからです。台本に書かれていることをしっかり遂行していけば大丈夫だと思いました。ただ、会話している時の声のトーン、息をするポイント、視線を通じて、話をしている相手に「こいつムカつくな」と思わせるポイントを、ところどころ入れなきゃいけないとは思っていて。そこはちょっと難しいところでした。

——吉井は窪田正孝さんが演じる先輩に「自分は関係ないって顔するなよ」と言われたりしますが、吉井は本人が意識していないところで相手をイラつかせる何かを発してしまっているんですね。

菅田:そうなんですよね。相手にまったく興味がないわけではないんです。吉井なりに話を聞いているけど、ちょっと違う方向に気がいっているだけで。そういうところをどうやって出していくかは、現場で調整して監督に判断してもらえば良いと思っていました。

黒沢:今、思い出したんですけど、「自分は関係ないって顔するなよ」って言われるくだりで、吉井がゲームで先輩に勝ってしまうところの菅田さんのリアクションはうまかったですね。

菅田:ああ、あそこは面白かったですね(笑)。

黒沢:吉井は先輩に勝ったら気まずいのが分かっていながら、うっかり勝ってしまった。「あ、どうしよう」と思った吉井の気持ちが手の動きで表現されているんです。僕は何も指示していなかったんですけど、その手の動きを見て「吉井ってこういうヤツなんだよな」っていうのが伝わってきました。「あなたとはずっとこれぐらいの距離感で、近づきも遠ざかりもしたくない」って思っているのが。

——吉井は他人との距離感に敏感で、他人に近づいたり、近づかれたりすることを負担に感じるんでしょうね。だから人間関係がこじれてしまう。

黒沢:そうなんですよ。

菅田:「よっしゃ! 先輩、俺勝ちましたよ」って言えば、どれだけかわいいかっていう話なんですけどね(笑)。

——荒川良々さんが演じる会社の上司が吉井のアパートを訪ねてきた時、吉井が慌てて居留守を使うシーンがサスペンスフルに描かれていたのが印象的で、吉井にとって人間関係がネックなのが伝わってきました。

菅田:そのシーンは現場に行くまで、あれほどスリリングなものになるとは思ってなかったです。現場で黒沢さんに動きをつけてもらう中で、これはただ事じゃないな、と分かってきた。想像していた以上に丁寧に演じました。

——そういうエピソードを通じて吉井の普通さが伝わってきて面白いですね。

菅田:吉井が淡々と悪事を遂行していく様子は、バカバカしく見える時もあれば、頭がキレる犯罪者のように見える時もあるし、普通の青年に見えることもある。本人は真面目に悪事を働いているだけなのに、どんどん環境が変わって物語が動いていくんです。

吉井の変化

——吉井も他のキャラクターと同様に状況に翻弄されているんでしょうね。最初、吉井は感情をあまり表には出しませんが、映画の後半になって追い詰められることで人間的な感情が出てくる。映画を通じて吉井が大きく変化していくのも本作の見どころです。

黒沢:順番に撮っていったわけではないのですが、菅田さんの演技は見事に計算されていました。おっしゃる通り、話が進むにつれて吉井は恐怖でだんだん感情を見せるようになり、最終的にはその恐怖の感情を超えたところに至る。感情面でものすごく振り幅がある役なんですけど、菅田さんはそれを見事に表現されていました。吉井の大きくうねる感情を、そして、その感情がまだ爆発しない曖昧な状態も全部表現されていた。だから、観客は吉井に乗っかって最後まで観ることができるんです。

菅田:ちゃんと素直にリアクションするところ、しないところというのは意識していました。例えば目の前で初めて人が殺されると素直に怖いしパニックになる。でも、そういった出来事が終わった瞬間、「ネットに出した商品、どうなってるかな?」と言い出す余裕のなさみたいなものも一貫していて。だから、常に感情は複合的に、と思っていました。一つの感情で動くことはなかったと思います。

——菅田さんは黒沢監督の作品に出演されるのは今回が初めてですが、監督の演出はいかがでした?

菅田:ほんとうに楽しかったです。撮影の流れはどの現場もおおむね同じですけど、黒沢さんが「じゃあ、このシーンをやります」と決めて、演者に説明や動きをつけていく時は、宝箱が一つひとつ開いていくような感じなんです。「あ、ここはこんなこと起こるんだ」って、黒沢さんが出してくるアイデアが毎回楽しかったです。黒沢さんの頭の中が覗けるようで。

リアリティーのある演技を追求

——映画は予想外の展開をしますね。最初はサスペンスフルに進みながらも、途中から物語の雰囲気がガラリと変わって激しいアクションが繰り広げられていきます。

黒沢:今回の映画の出発点は、現代の日本社会に生きる普通の人々が、最終的に殺す、殺されるというすさまじい関係になっていく物語を作りたい、ということでした。普通の人ってどういう人?と言われると難しいのですが、基本的には反応が曖昧な人というか。そこではっきりと決断していれば人生が変わったかもしれないのに、心の中で葛藤があってすぐに決断ができない。というのが、普通の人にありがちなことじゃないかと思います。この映画の登場人物は、ギリギリになるまではっきりしないまま生きてきた人たち。そういう人たちが曖昧なままでは済まされない状態に立たされるんです。

——最後にはとんでもない状況になります。日本の映画の多くは、銃が出てきた途端に嘘っぽく見えますが、本作ではアメリカ映画のように自然に銃が映像に溶け込んでいました。

黒沢:そういう作品になるために頑張りました。日本では銃を日常生活の中で見ることはありません。銃を初めて見た人、握った人、撃った人はどんな感じになるのか。そういうことを想像しつつ、アメリカの映画とかドキュメンタリーを観直して、日本でも起こりうることとして描こうと思いました。銃を抜いたりすると、日本の映画では銃にカメラのフォーカスを当てるんですよ。でも、アメリカでは役者の顔を映す。銃を撃つからといって銃をことさら意識しない。日常の中に銃があるから、銃を抜くのは当然の成り行きとして撮影しているんです。そこがすごいと思って、今回の撮影でもその辺りは気をつけていました。銃撃戦にリアリティーを出すために、照明、小道具、音響、みんな一丸となって頑張ったし、俳優さんにも銃を撃った時の反動とか、芝居も工夫してもらいました。

菅田:この映画の銃撃シーンは、「撃つぞ!」と叫んで銃を撃って相手が倒れる、という段取りではないんです。何かをしている時に撃たれたりするし、撃たれてうめいている人の横を移動したりする。だから、目の前で起こっていることや銃撃音にちゃんとリアクションするようにしていました。

——普通の人たちが追い詰められて殺し合いを始める。そういった状況が、閉塞した現代社会を表現しているようにも思えました。そこでインターネットが重要な役割を果たしていて、相手の顔が見えない中で、インターネットで悪意や憎悪が広がっていくのも現代的ですね。

黒沢:確かにそうですが、「インターネットが全ての原因」という物語にはせず、インターネットは現代社会のありふれたものとして使わせていただきました。きっかけはインターネットですが、一番の問題は普通に生きてきた人たちが、気がついたら「殺す」「殺される」みたいな状況になるギリギリのところにいた、ということなんです。いろんなところでいろんな人が、実は崖っぷちギリギリまでいってしまっている、というのが今の社会なのかな、と思いますね。それがテーマではなかったのですが、結果的にこの映画は現代社会を描いたものにもなっていると思います。

——確かに今の社会は、貧困だったり人間関係だったり、いろんな理由で「普通の人たち」の多くが精神的に追い詰められている気がします。

黒沢:その原因がどこにあるのか分からないから、より追い詰められるんですよね。原因が何か分かっていれば、そこから距離が取れるんですけど、原因が分からないまま崖っぷちにいる人が多いんじゃないでしょうか。

——吉井も工場で働きながら転売をやって、ギリギリ感がありますよね。そして、「普通の人たち」の1人だった吉井も、極限状態に立たされて最後に大きな決断を迫られる。

菅田:良くも悪くも、最初は不特定多数のうちの1人だった吉井が、最後に何者かになってしまうような瞬間がある。もう引き返せないところまで来てしまう。多分、銃撃戦の前までなら、吉井は引き返せるところにいたんです。死を前にした時に人間性って出るじゃないですか。そういうギリギリの人たちの描き方も、この映画の特徴だと思います。

黒沢:ここまで特別な経験をした吉井は何かの強さを持ったかもしれない。もしかしたら、この後、吉井は世の中をひっくり返すようなことをするかもしれない、と観客が想像してくれたらいいなあと思ったりもしているんですよね。それは希望と言えるものではないのですが、そう感じてもらうことで観客が普通のアクション映画とは全然違う爽快感を味わってくれたらいいな、と密かに期待しています。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLIST:(菅田)KEITA IZUKA
HAIR&MAKEUP:(菅田)AZUMA(M-rep by MONDO artist-group)

■「Cloud クラウド」
9月27日全国公開
出演:菅田将暉
古川琴音 奥平大兼 岡山天音 荒川良々 窪田正孝
赤堀雅秋 吉岡睦雄 三河悠冴 山田真歩 矢柴俊博 森下能幸 千葉哲也 / 松重 豊
監督・脚本:黒沢清
音楽:渡邊琢磨
撮影:佐々木靖之
製作幹事・配給:日活 東京テアトル
制作プロダクション」日活 ジャンゴフィルム
©2024「Cloud」製作委員会
https://cloud-movie.com

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髙石あかり × 伊澤彩織 「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が見せる「日本発アクション映画の面白さ」

PROFILE: 左:髙石あかり 右:伊澤彩織

PROFILE: 左:(たかいし・あかり)2002年12月19日生まれ、宮崎県出身。2019年に女優活動を本格化。その後も映画をはじめ、舞台や数々のテレビドラマへの出演を重ねている。2021年の映画初主演作「ベイビーわるきゅーれ」が大ヒット。23年には、「わたしの幸せな結婚」、「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」などでの演技が評価され第15回TAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞。近年の主な作品は、「新米記者トロッ子 私がやらねば誰がやる!」(24)、声優として参加した「きみの色」(24)などがあるほか、11月1日公開予定の映画「スマホを落としただけなのに~最終章~ファイナルハッキングゲーム」や12月27日公開予定の「わたしにふさわしいホテル」などが控えている。 右:(いざわ・さおり)1994年2月16日生まれ、埼玉県出身。スタントとして映画「るろうに剣心最終章 The Final/The Beginning」(21)、「ジョン・ウィック:コンセクエンス」(23)などに参加。2021年に「ある用務員」で俳優デビューし、「ベイビーわるきゅーれ」では第31回日本映画批評家大賞新人女優賞を受賞。最近の主な出演にクリープハイプ「青梅」やドレスコーズ「聖者」、Tofubeats「I can feel it」のMV、舞台「Saga the STAGE ~再生の絆~」などがある。24年7月に発売されたゲーム「祇:Path of the Goddess」ではアクションコーディネーターを担当している。

社会にうまく適合できない殺し屋女子2人組のゆるい日常と、躍動感のある本格アクションが交わる唯一無二の世界観で、2021年第1作の公開直後から瞬く間に話題となった阪元裕吾監督の青春バイオレンスアクション映画「ベイビーわるきゅーれ」シリーズ。その第3弾となる「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が9月27日から公開された。

殺し屋協会に所属する「ちさまひ」こと杉本ちさとと深川まひろの殺し屋コンビが、出張先で史上最強の敵に追い詰められていく本作は宮崎各地でロケを敢行。これまでにない驚きのロケーションや規模でのアクションが展開される。杉本ちさとを髙石あかりが、深川まひろを伊澤彩織が演じるほか、水石亜飛夢、中井友望、飛永翼(ラバーガール)らおなじみのキャストも出演。過去最強の敵である一匹狼の殺し屋・冬村かえでを演じるのは「ぼくのお日さま」「本心」など話題作の出演が続く池松壮亮。そしてちさまひに同行する先輩殺し屋・入鹿みなみ役には「一月の声に歓びを刻め」での名演が記憶に新しい前田敦子が参加する。

製作陣が全力を振り絞り作り上げた「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」の見どころについて、主演の髙石あかりと伊澤彩織に語ってもらった。

——「ナイスデイズ」の台本を初めて読んだ時の感想を教えてください。

髙石あかり(以下、髙石):阪元さんの作る台本って、他とはまた違う読みごたえがあるんです。漫画や小説に近い、それだけで一つの作品として出せるレベルで。アクション場面も単にアクションが書かれているわけではなく「この時この人はこう思った」というような心情もみっちり書かれているんです。だから仕事として「台詞を覚えるために台本を読む」というより、物語としてどうなっていくんだろうと思いながら読んでいました。私も「ベビわる」の物語のファンの1人として、続きが読めてうれしかったです。

伊澤彩織(以下、伊澤):確かに私も自分が演じるものとしてではなく、「ベビわる」続編の小説を読んでいる感じでした。ちさまひと同時にかえでの気持ちにも胸が苦しくなっちゃって。初めて読んだ時は泣きながら「面白い……!」ってなってました(笑)。

——阪元監督は1作目の段階で、3作目の話が浮かんでいて皆さんにその話をしていたと伺いました。その時に聞いていた内容と、今回の内容は同じだったんでしょうか?

髙石:当時なんて言ってたっけ……。監督は結構「4はこう、5はこう」みたいな話をするんですよ。だからもうどれがどれか分かんなくなる(笑)。

伊澤:もともと2作目と3作目は同じ時期に撮影する予定だったんです。その時撮影予定だった「幻の3」も実はあるんですよ。でも3の撮影を1年延期したことによって、全然違う内容の作品ができました。

髙石:「幻の3」もボロ泣きでした。すごい話だったのでまたどこかでやりたいです。

伊澤:そうやって監督の中に、ちさまひで描きたい物語がいろいろあるのはすごくうれしいですよね。

——今回の敵・冬村かえでを演じた池松壮亮さんは素晴らしい迫力でしたね。

伊澤:池松さんが画面に映った瞬間、引き込まれ方が全然違いますよね。監督から「前作と前々作は2人が仕事をしている話ではなかったから、今回はちさまひが仕事をする話にします」と言われていて、アクション監督の園村(健介)さんともこれまでと違うシリアスな殺し合いのアクションシーンをやりたいねと話をしていたんです。それをかなえてくれたのが池松さんでしたね。「ベビわる」の世界を一気に緊張感MAXにしてくれました。

髙石:圧倒的な力を持っていて怖いのに、かわいらしさや人間らしさもかえでという役に詰め込まれていて……池松さんがいたことで「ベイビーわるきゅーれ」の質が変わる続編になったのかなと思います。

——一方で先輩殺し屋・入鹿みなみ役を演じた前田敦子さんには笑わされました。前田さんと現場でご一緒されていかがでしたか?

伊澤:とっても優しかったです。パンを私たち2人に「食べて」って差し入れをしてくれて。撮影が昨年の9月くらいでハロウィンが近かったので、泊まっていたシーガイアのパン屋さんにはグルグル巻いたミイラのパンとか、一つ目小僧のパンとかたくさんあって。あれおいしかったな。

髙石:ちょうどこの映画が公開される時期がハロウィンに近いので、宮崎に行けば皆さんも食べられんじゃないかなと。前田さんが差し入れをくれたのが、オープニングのアクションシーンを夜遅くまで撮るぞってタイミングだったので……優しさがしみました。

宮崎県での撮影

——「ナイスデイズ」の舞台となる宮崎県での撮影はいかがでしたか?

髙石:私は宮崎が地元なんですが、長年ご一緒している伊澤さんや阪元監督、スタッフの皆さんと地元で撮影ができることは大きな喜びでした。宮崎に大好きな人たちが来てくれて、またプライベートでも行きたいと言ってくれる方もいて、それが何よりうれしかったです。

伊澤:私もプライベートで行きたいな。

髙石:うれしい!

伊澤:撮影期間中はチキン南蛮定食を食べたくらいで、あんまりどこにも行けなかったんですよね。もっと焼酎を浴びたかったんですけど……。

髙石:買って帰ってたよね(笑)。

伊澤:撮影中はあんまりお酒が飲めなかったので。

髙石:でもシーガイアに泊まってたじゃないですか。私は実家でしたけど。シーガイアっていうのは今回の撮影でも使わせていただいているホテルなんですが、そこに泊まれるなんて宮崎の夢ですよ。私も人生で1回しか泊まったことがない。

伊澤:3週間泊まっちゃった(笑)。

髙石:いいな〜〜〜!私も部屋に遊びに行って、一緒に寝て、休憩したりはしていました。

——髙石さんの実家には行かれたんですか?

伊澤:行きたかったんですが……行けなかったんですよね。

髙石:でも親が撮影を見に来てくれてあいさつはしましたよね。

伊澤:おにぎりと豚汁を差し入れに持ってきてくださって。

髙石:でっかい給食みたいな鍋でね。「おかわりいる人!?」って感じで。監督はめっちゃおかわりしてました(笑)。

伊澤:お弁当生活が続いてたからしみましたね……。監督も「これ!これですよ!」って言いながら豚汁の温もりをかみしめていました(笑)。

「2人で1つ」から「1人じゃない」へ

——「ナイスデイズ」ではちさまひの距離感がかつてないほど親密に描かれていますが、本作の2人の関係性について阪元監督からどのようなディレクションがあったのでしょうか?

伊澤:ちょっとしたニュアンスの違いですが、前作の時は「2人で1つ」と言われていたのが、「ナイスデイズ」は「1人じゃない」って言われて。同じ意味のようだけど、少し違うというか。

髙石:確かに!シーンごとにそのつどディレクションはありましたけど、作中で一貫していたのは「1人じゃない」でしたね。

——若い女性を主人公にしながら、女性性を強調したり、ありがちな恋愛などを描かないことも「ベイビーわるきゅーれ」の魅力の一つと感じていますが、阪元監督のこのような人物描写についてどう思われますか?

伊澤:やっとこういう人が現れたというのは思いましたね。これまでアクションシーンにも女性性や制服が求められたりだとか、動きとは関係ない意味を持ったアクションシーンを求められることがあったんです。「ベビわる」のアクション監督である園村さんが手掛けた「HYDRA」(2019)を観た時に「私がやりたいアクションはこういうものだ」と感じたのですが、それをかなえてくれたのが園村さんと阪元さんでした。今まで悶々としてた分、ちゃんと自分がやりたい形でアクションができているなというのは自覚していますね。

——フォーマルからゆるいものまで、「ナイスデイズ」の見どころの一つが幅のある2人のフッションですよね。着られた2人の考える、衣装の注目ポイントはどこでしょうか?

伊澤:まひろは基本的に戦いやすいダボっとした格好が多いのが特徴で、今回も相変わらずバンドTシャツを着ています。一番のお気に入りは2人で自転車に乗ってるシーンで被っている悪魔のツノが生えたニット帽かな。かわいくて好きでした。

髙石:あれ素敵だよね。ちさとは前作から「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」をよく着ているんです。スタイリストさんが「これ似合うと思うから」って持ってきてくださったんですが、偶然にも私も普段からよく着てるブランドで。それも最近のものではなく一昔前のもので、今ではなかなか手に入らないようなレアな衣装が本作でも全編にちりばめられています。それがやっぱりかわいいんですよね。

伊澤:舞台挨拶とかすると、お客さんがちさまひの衣装を着てくれていたりするんですよね。まひろが着ている「ナイキ」の服とか、バンドTや、かばんまで。どこで見つけたんだろうっていつも驚かされます。

見どころはアクションと会話

——現在放送中の連続ドラマの展開も楽しみですね。

髙石:「ナイスデイズ」とは真逆と言ってもいいくらいに違いますよ。

伊澤:逆張りです(笑)。

髙石:ドラマのラストはヤバいですよね。

伊澤:ドラマも初めて台本を読んだ時は泣いた。

髙石:私は逆にドラマの方がボロボロ泣いたかもしれない。また違ったちさまひと、2人を取り囲む環境が描かれていて。「ベビわる」シリーズ全部に関わってくれているスタッフさんが「このドラマ、伝説……!!」って言ってました(笑)。

伊澤:新しいメンバーたちもいて。すんごいことになってます。毎日面白いシーンが撮れて楽しいし、監督がシーンを撮るたび「これは勝った!」って言ってます(笑)

髙石:これまであまり描かれてこなかった、お互いの家庭環境がどうなのかって部分もドラマには詰め込まれていたり。

伊澤:過去を感じさせるというか、ちさとが何でこうなったんだとか……。

髙石:ギリギリ言えるのはここまでかな。ドラマは坂元さんに加え、平波さん、工藤さんの3人が監督をされているんですが、皆さん撮影しながらずっと楽しそうで、ひたすら笑ってくれているのもうれしいです。ドラマならではのカットとか、長回しもあったり、いろんな要素が詰め込まれていて。「ベビわる」がこれまでとまた違った輝きを見せてくれるんじゃないかなと……。

伊澤:パズルのように場面を撮っているので、それがどう組み立てられるのか楽しみです。

——最後に、本作の見どころを教えてください。

髙石:やっぱりアクションですね。序盤からぶっ飛ばしてますから。

伊澤:アクションの手数もすごく多くて、初めからギアを超上げていきました。実は撮影中に監督に言われて救われた言葉があるんです。2の撮影時に、1のアクションを超えなきゃというプレッシャーでメンタルを参らせていた時があって。それで今回もまた「前回を超えるためにはどうすればいいんだろう」と悩んでいたら、阪元さんが「超えなくていいんじゃないですか」って言ってくれたんですよ。1も2もその時の「ベビわる」チームが作った完成形だし、今作も過酷な撮影スケジュールで「全員野球だ!」と皆で作り上げた結果なので……悔いはないです。キャッチコピー通り「これで最後」という気持ちでやっていました。

髙石:皆で日々限界を超えながら作ったので、皆の全力が注ぎ込まれたアクションを楽しんでもらえればうれしいです。

伊澤:あとは、ちさまひの長回し会話シーンで「あ、これが『ベビわる』だった!」となりました。そんなちさまひの日常とアクションのギャップがやっぱり見どころかな。今回は私情とかではなく、ちさまひがちゃんとお仕事をしているので、それがどんなものかという部分も見ていただけると。

髙石:宮崎ロケなので画変わりもすごいですよね。

伊澤:ヤシの木もあるし、南の島に来た気分でした。

髙石:聖地になりうる素敵な場所もいっぱいありましたよね。「県庁で殺し合いとかダメでしょ……いいの?」って思いましたよ。そしたら「OK出ましたー!」って(笑)。ガッツリとアクションやってますからね。

伊澤:壁とか階段とかでめちゃくちゃやってますから。まねしちゃダメですよ。

髙石:そして濃いキャラクターもたくさん出てくるので、そこも楽しんでもらえればと思います!

PHOTOS:HIDETOSHI NARITA

■「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」
9月27日(金) 新宿ピカデリーほか全国公開
髙石あかり、伊澤彩織
水石亜飛夢、中井友望、飛永翼(ラバーガール)、大谷主水、かいばしら、カルマ、Mr.バニー
前田敦子、池松壮亮
監督・脚本:阪元裕吾
音楽:SUPA LOVE
アクション監督:園村健介
配給:渋谷プロダクション
©2024「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」製作委員会

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「アルジタル」創業者フェラーロ博士に聞く、創業45周年を迎えたブランドの原点と今後

PROFILE: ジュゼッペ・フェラーロ/アルジタル創業者

ジュゼッペ・フェラーロ/アルジタル創業者
PROFILE: イタリア・シチリア島生まれ。ミラノの大学で生化学の博士号を取得し、1979年にアルジタルを創設。2005年から創設に携わったSOFAI(イタリア人智学薬剤師協会)のメンバーとして、医師や薬剤師とともに医療や健康に貢献する活動を行っている © ARGITAL

グローバルオーガニックブランド「アルジタル(ARGITAL)」は1979年にイタリア・シチリアで誕生し、現在約35の国と地域で展開する。長らく続くオーガニック・ナチュラルコスメブームの波に翻弄されることのない強さはどこにあるのか、創業者のジュゼッペ・フェラーロに聞いた。 

――:生化学者と聞いていますが、まずはブランド立ち上げの背景を聞かせてください。

ジュゼッペ・フェラーロ博士(以下、フェラーロ博士):ミラノの大学で生化学を研究しつつ、並行して鍼灸やハーブ、マクロビオティックなども研究していました。1970年代当時、マクロビオティックの研究者である久司道夫が考案した久司マクロビオティックスが欧米で非常に注目されていたのですが、これは陰陽の考え方を食に応用したように思えたし、鍼灸にも通じるものがあり、すごく興味を引かれました。そうして友人と自然食品などを輸入する店を経営し、その一方でホリスティックセンターも創設。そこでは自然医学やヨガなどのセミナーを開いていました。ショップではクレイ入り歯磨き粉をフランスから輸入していたのですが、それが全く良くないことを顧客の一人であるオーガニック食品のパイオニアに話したところ、「それなら自分で作ってみたら?僕が販売するから」と勧められて作ったのが、アルジタルの始まりです。

――:その後「人智学(アントロポゾフィー)」を核にブランドを展開していくわけですね。

フェラーロ博士:人智学に惹かれる理由は、それが化学も物理学も全てをエシカルにまとめる力を持っているから。アルジタルでの仕事のほとんどは、ルドルフ・シュタイナーの残したさまざまな概念や考え方から多くのインスピレーションを得ています。例えば商品原料は必ず有機栽培やバイオダイナミック農法によるものを選択します。そうでない原料は簡単に安く手に入れることができますが、殺虫剤や化学肥料を使用した原料を使うことは、間接的に土地の砂漠化に貢献することになる。私たちは土からの恩恵を多大に受けているのですから、それを守る義務があります。西洋文化では「全ての概念の中心に人がある」と考えますが、今はパラダイムの転換が必要で、あらゆる考え方の中心に地球を置くべきなのです。

――:アルジタルのキー成分である「グリーンクレイ」を、博士はどのように捉えていますか?

フェラーロ博士:シチリアのシクリの丘で採掘されるグリーンクレイを使っていますが、シクリの丘は約1600万年前は深い海底でした。その当時の地球の生命力を封じ込めたまま海泥となって存在しているのです。人智学には「ポラリティ(両極性)」という考え方があり、これは陰陽に似ていますが、両極が分離することなくつながりを持って存在し、互いに影響を与え合うと考えます。これに当てはめるとクレイには光の極と暗闇の極があり、光にはシリカが、暗闇には石灰が対応し、体全体あるいは肌の全ての層に働きかけると考えます。だからグリーンクレイは古来、民間療法で飲用されていたし、アルジタルではほぼ全ての商品に配合しているのです。

――:極めてユニークな考え方です。新商品はどのように発案するのですか?

フェラーロ博士:「今みんなが必要としているものは何か?」から発想しますね。現在開発しているのはヤドリギのエキスを配合したクリームです。ヤドリギエキスは古来、鎮静作用のある生薬として使われていましたが、それをグリーンクレイと組み合わせてニキビ肌用のクリームとして進めています。今後もオーガニック植物とグリーンクレイを使って、従来型のコスメに代わる商品を提案していきます。

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「調査官ク・ギョンイ」脚本家ユニット のソンチョイ「チームの結束からおもしろい作品が生まれる」

PROFILE: ソンチョイ/脚本家

ソンチョイ/脚本家
PROFILE: 映画業界でそれぞれキャリアを積んできた二人の脚本家によるユニット。「自分たちが見たいドラマを作る」ために結成し、「ソンチョイ」という名前で共通のアイデンティティを表している。代表作「調査官ク・ギョンイ」は、スリルとユーモアが絶妙に交錯するコミカルな追跡劇として世界的にヒット。ゲーム中毒の保険調査員ク・ギョンイが、事故に見せかけた連続殺人事件を解明していくストーリーで、個性的な女性キャラクターたちや男性クィアカップルの登場が話題を呼び、韓国ドラマに新たな視点をもたらした。 PHOTO:PARK SEUNG HWA

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクターからファッションに至るまでの知られざる話を紹介する。

Vol.5は脚本家ユニット 、ソンチョイが登場する。代表作「調査官ク・ギョンイ」は韓国のネット社会を反映させたスピード感のある脚本で話題になった。同作の制作秘話から、映像コンテンツ業界の現状と今後の課題までを聞いた。

――韓国のどのような社会問題が脚本に影響を与えていますか?

ソンチョイ:ある事件の被害者がメディアの矢面に立つことで、社会的なアクションにつながる事件に注目することが多いですね。

具体的な例としては、最近あった「モッタン(たくさん食べる、大食い)」女性ユーチューバーへの虐待事件です。女性自らが元恋人からの暴力や恐喝を動画で訴えたことで、自然にユーザーが彼を糾弾する動きが起こりました。ネット上で見られる反応は性別ではっきりと分かれていて、20〜30代の女性たちは支持や共感する声が多く、同年代の男性たちは真逆の反応でした。こういった現象は韓国社会でも何度も繰り返されてきましたが、被害者が社会改革のために行動を強いられてから初めて内情や誹謗中傷に対する理解が広がるのではなく、周囲が被害者を守りながら変化を起こしていくことが大切です。

加えてさまざまなニュースがありますが、政治や経済に関する話題に意識が向くことが多いですので、投票を通じてしっかりと自分の意見を反映させたいと考えています。

――韓国の映像業界の現状についてどう思いますか?

ソンチョイ:世界的に韓国ドラマや映画は人気があったため、コロナ禍前は市場が急成長していて予算も含めて大規模な物語の制作依頼が相次ぎました。しかしコロナ禍後は、急激に市場が縮小し、低予算で小規模なものを作る風潮になっていますので、作家が描きたい物語をつくるのは難しい状況です。

加えて、韓国のコンテンツが世界に通用するという認識が広まる中で、以前は国内向けに書いていたストーリーも海外の視聴者を意識するようになりました。韓国だけで共感される物語よりも、もっと人間の普遍的な物語を書く必要性も感じています。

――海外向けと国内向けのもの作りで異なる点はどのようなことですか?

ソンチョイ:海外でもヒットしたドラマ「調査官ク・ギョンイ」は、韓国人向けの言葉遊びやネットミームを多用したため、韓国のネット文化を知っている人ほど楽しめる脚本でした。後にこの作品は世界へ発信されることが決まったのですが、言葉の意味だけでなく文脈や感情、ニュアンスなども含めて翻訳する難しさがありました。今後はそうしたドメスティックでニッチな部分はできるだけ少なくして、どの国の人が見ても同じように楽しめる、誠実さや素直な気持ちが込められた物語が書きたいですね。

――今後のキャリアをどう考えますか?

ソンチョイ:明日どう生きていくかもわからない状況です(笑)。先ほどお話した通り、業界は縮小傾向にあるので、市場がどのように変わっていくか正直わからないですね。でも、物語の力は必ずあると思うので、その核となる部分を作る必要性を感じています。 ですので、今年、今まで映画やドラマで一緒に仕事をしてきた友人たちと会社を立ち上げました。代表は、「調査官ク・ギョンイ」に出演していた俳優兼映画監督のチョ・ヒョンチョルさんで、他にも映画監督がいます。もっと精力的に映像作品を作っていく予定です。

――会社を立ち上げた理由を教えてください。

ソンチョイ:フリーランスは単発の仕事に追われがちなので長期的な目標に向けた活動がしづらく、キャリアの蓄積につながらない印象がありました。ですが、2人で活動することでお互いを支援したり、高め合えることができました。今後は会社としての機能を持ちながら、多くのスタッフとの結束を強めることでより良い仕事ができると考えています。

――「調査官ク・ギョンイ」の主人公は人気俳優のイ・ヨンエさんで、引きこもりの元警察官のボサボサヘアとトレンチコート、ジャージ姿など、絶妙にハズしたファッションに定評がありました。キャラクターを作る上でファッションの重要性はどのように考えていますか?

ソンチョイ:キャラクターの特徴を視覚的に伝える衣装やヘアスタイルは本当に大切な要素ですね。プロセスは私たちがキャラクターの服やアクセサリー、髪型の参考になる画像や資料を事前に集めておき、監督や俳優たちにイメージとして共有します。「調査官ク・ギョンイ」の場合は、毎日ゲームをやっているアルコール中毒の引きこもり中年女性だったので、ジャージ姿に何日も洗っていないような乱れたヘアスタイルをイメージしていました。そのアイデアをもとに、俳優自身の創造性を加えてキャラクターを作り上げていきます。主人公がTシャツを反対に着ているシーンがありますが、私たちのイメージではなく、イ・ヨンエさんがだらしなさやナードを表現したものです。あの時はすごく感動しましたね。

ドラマ撮影に入っていく過程で、俳優やスタッフたちの力は絶大です。私たちは、コンセプトを共有しますが、それを発展させていくのは俳優やスタッフたちですから。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21, CINE21, CUON

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ピース綾部の現在地 渡米5年を機にLAへ移住 「エンタメの地で挑戦することをやめない」

PROFILE: 綾部祐二/芸人

綾部祐二/芸人
PROFILE: (あやべ・ゆうじ)1977年12月13日生まれ。2000年にデビューし、03年に又吉直樹とお笑いコンビ、ピースを結成。15年に「WWDJAPAN」のノージェンダー特集の表紙を飾る。16年にお笑いの活動を休止し翌年ニューヨークへ、22年にロサンゼルスへ移住。著書にアメリカでの生活をつづったエッセイ集「HI, HOW ARE YOU?」。現在YouTube チャンネル「YUJI AYABE from AMERICA」を運営する

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第3回は芸人の綾部祐二が登場。渡米までの人生から現在の居住地ロサンゼルスでのライフスタイルまでを聞く。

レッドカーペットを歩く日を夢見て渡米

水嶋和恵(以下、水嶋):米国へ移住したきっかけは?

綾部祐二(以下、綾部):ハリウッドのレッドカーペットを歩くという夢のためです。ニューヨークに5 年住み、直感的にハリウッドがあるロサンゼルスの地を見てみたいと思い、2022年にロサンゼルスへ移住しました。逆に言えば、ハリウッドがなければロサンゼルスを選んでいなかったと思います。

世界中に、その土地土地のエンタメは存在しますよね。でも、グローバルなエンタメを展開する唯一の地がアメリカだと思うんです。世界中誰もが知る俳優や歌手、テレビ番組や映画が存在し、僕にとってエンタメの“the Highest Mountain(山の頂上)”が、ここハリウッドです。住む場所を選ぶのなら、究極のエンタメ都市であるニューヨークかロサンゼルスの二択でした。ニューヨークに住み、東京の素晴らしさを再認識しましたし、ニューヨークからロサンゼルスに移ったことでニューヨークの良さをさらに感じています。

水嶋:私はロサンゼルスの自然の壮大さに引かれていますが、綾部さんはいかがですか?

綾部:ロサンゼルスが好きな人は、豊かな自然や気候を理由にあげることが多いと思いますが、僕の移住理由は刺激やインスピレーションを受けるためです。都市が好きなんです。東京の恵比寿、原宿、表参道、渋谷のカルチャーも好きですね。あとは、京都にも引かれます。ディズニーランドも外せません!僕にとっては、アーバンカルチャーが主としてあってこそ、自然の存在の素晴らしさを感じることができるんです。

また、ハーレーに乗るので、東京やニューヨークより、カリフォルニアの方が適していました。ニューメキシコ州、コロラド州、ユタ州、アリゾナ州、さまざまな場所をハーレーで駆け巡ります。ロサンゼルスの壮大なエンタメと自然の融合は、東京では感じられないです。都会がありながら、山、森、海へも行くことができるロサンゼルスは、今の僕にとって丁度良い場所です。心地が良いです。

「芸人さん」に憧れた幼少期、工場勤務から上京

綾部:自分の中でのターニングポイントは2つ。芸人を目指し茨城から上京した時と、日本から米国へ移住した時です。まず、小学3〜4年生の時に幼馴染と描いていた夢が「芸人さん」でした。中学、高校と進級するにつれ、幼い頃に思い描いていた夢は、遠いものになっていきましたが、今思えば、お笑いというものを常にテレビ番組を通して追いかけて観ていましたね。

茨城での工場勤務時代は、給料のほとんどをアパレルに散財するほどファッションが好きだったので、東京に上京しショップ店員になろうと思っていました。ある時、いつものように幼馴染と東京に行き買い物をしていると、テレビ番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」のロケに遭遇したんです。「まっちゃん!いつも見ているよ!」と、偶然にも松本さんに声をかけることができました。そして撮影中にダウンタウンさんへ向けられた凄まじい歓声に衝撃を受け、まるで時が止まったようでした。

その夜茨城へ帰り、幼馴染と行きつけの居酒屋で「今俺たちは20歳。10年後の自分たは、子どもが2人ぐらい居て少し太って、ここの居酒屋で『もしかしたら俺らも芸人になっていたかもな』なんて話しているかもね」と。俺たちの夢は芸人になることだったはず。やってダメならまだしも、たられば話をするなんてクソダサい、その時そう思いました。

この出来事がきっかけとなり、上京して吉本の芸人養成所に入り、7年の時を経て松本人志さんと「すべらない話」でテレビ共演も果たしました。そこからブレイクするまでにさらに4年。11年の下積み時代を経て、自分が思い描いていた「芸人さん」になる夢をかなえました。

人気絶頂の最中に米国移住 その真意は

水嶋:コメディアンとしての地位はもちろん、9本のレギュラー番組を持ち、テレビのMCなど多岐に渡って活躍していた最中、なぜ拠点を米国に移したのですか?

綾部:16年には芸人としての仕事を辞め、米国移住への準備を始めました。17年、40歳の時にニューヨークへ。20歳のターニングポイントと同様、10年後の自分を想して「もしかしたら自分はアメリカで活躍していたかもしれない」と思うのは嫌だなと。最初から、無理だ、叶うわけがない、と思いながら夢を追いかける人はいないですよね。自分自身が、絶対にできる、もしくはもしかしたらできる、と信じることが大切だと思うんです。

水嶋:自分の描く夢がきっとかなうと思わせてくれる、素敵な言葉ですね。夢があっても踏み出せない人へ、何かアドバイスはありますか?

綾部:単純に僕は「できなかったことはあるけど、やらなかったことはない」と思って人生を終えたいんです。やって出来なかった後悔より、あの時やっていればの後悔は一生自分につきまとう。やって出来なかったことは経験としてプラスになるけれど、あの時やっていればの気持ちは怨念として残る。

水嶋:私も同じ気持ちです。ロサンゼルスへの強い気持ちがあり、渡米を決断して本当に良かったと思います。米国への移住、そして異国の地で夢をかなえることは、ハードルが高いでしょうか?

綾部:米国に移住するなんて大変!と思われる方もいるかもしれませんが、自分は特にハードルが高いと思ったことはありません。行きたい場所がアメリカだった。それだけです!

水嶋:ロサンゼルスでは、どのような活動をしていますか?

綾部:連載の「ロサンゼルスで活躍するクリエイター」と趣旨は異なるかもしれませんが、夢に向かってもがいているのが仕事ですかね。そう言っても良いですか?(笑)

水嶋:自分の好きなことを、好きな場所でしている、それが既に成功なのではと私は感じます。綾部さんはどのようなライフスタイルを送っていますか?

綾部:ハーレーに乗ってランカスターやマリブへ行ったり、バイク仲間のいる行きつけのショップに行ったりして過ごしています。

水嶋:ローカルの仲間との触れ合いは素敵ですね。綾部さんのSNSで垣間見られますが、他にはどのようなコンテンツを発信していますか?

綾部:僕のYouTube チャンネル「YUJI AYABE from AMERICA」では、自分の好きなタイミングで、自分の好きなものを撮影して発信しています。それを楽しく観てくれる人がいれば十分ですね。インスタグラムは、自分を振り返るフォトアルバムみたいな感覚です。

エンタメの地で挑戦することをやめない

水嶋:米国での暮らしでは英語力が必要不可欠だと感じています。英語力の取得に関して自論はありますか?

綾部:移住して7年。英語力は向上したと感じますが、まだまだお話になりません。学生時代は勉強が好きではなくてサボっていましたが、英語というのはきちんと自分が勉強し努力したゼロからイチに持っていく基礎が大事ですよね。甘えず、勉強しないと。最低限自分の思いや思考を相手に伝えたいですし、相手が伝えようとしていることを知りたい。僕にとって究極の永遠の課題が英語ですね。日本語を操るように英語も操り、ここハリウッドでエンタメの仕事をしていきたいと思います。光と影が共存するからこの世界は魅力的。苦があるから、その先の未来があると思っています。このエンタメの地で挑戦することをやめません。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY, LOCATION:Deus Ex Machina

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世界的写真家集団マグナム・フォトがユニクロと組んだ理由 「ストーリーを届けることを大切にしてきた」

PROFILE: Olivia Arthur/写真家

Olivia Arthur/写真家
PROFILE: (オリヴィア・アーサー)1980年、英ロンドン生まれ。人々と彼らの私的および文化的なアイデンティティを深く掘り下げる作品で知られる、ドキュメンタリー写真家。2013年にマグナム・フォトの会員となり、20年から22年まで会長を務めた。世界中で展覧会が開催され、作品は、各地のミュージアムや関連機関に収蔵。ロンドンの出版社および写真ギャラリー「Fishbar」の共同創立者でもある PHOTO:KOHEY KANNO

東京・渋谷、国際連合大学前広場。誰でも出入りできる屋外のオープンスペースで、9月21日から3日間、ユニクロと写真家集団マグナム・フォトのコラボレーションによる写真展「GLOBAL PHOTO EXHIBITION - PEACE FOR ALL」が開かれた。

マグナム・フォトは1947年、ロバート・キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンらが設立。世界でもっとも有名で、もっともクリエイティブなドキュメンタリー写真家の集団である。

今回の企画では、ユニクロが2022年より行なっているチャリティーTシャツプロジェクト「ピース・フォー・オール(PEACE FOR ALL)」の新しい取り組みとして、マグナム・フォトが協業。「ピース・フォー・オール」は、Tシャツの販売収益を3つの国際的な人道的支援団体(国連難民高等弁務官事務所 UNHCR、セーブ・ザ・チルドレン、プラン・インターナショナル)に寄付してきたが、その現場にマグナム・フォトの写真家3人がカメラを持って訪れた。

マグナム・フォト会長でもあるクリスティーナ・デ・ミデル氏はベトナムのプラン・インターナショナルへ、前会長でもあるオリヴィア・アーサー氏はルーマニアのセーブ・ザ・チルドレン、そしてリンドグシェ・ソベクワ氏はUNHCRが支援しているエチオピアの難民キャンプへ。写真展では、そこで撮影された支援活動や周辺の人々の暮らしを紹介。またそのうちそれぞれ選りすぐりの1カットをモチーフに新たなチャリティーTシャツを製作した。

「マグナム・フォトにとっても、これは重要なコラボレーションワークになったと思います」とは、アーサー氏の言葉だ。「また、Tシャツを媒体に支援の輪を広げていくアイデアも興味深いですね。Tシャツはいつでも、どこでも、そして誰でも着られる。そして、着るだけでひとつのアクションになる。とても民主的なアプローチです」。今回のコラボレーションの意義や印象的だった現場でのエピソードについて、アーサー氏に話を聞いた。

「循環させながら、支援の輪を広げる」

ーーなぜ、ユニクロと組んだのか。また、写真家として、今回のチャリティープロジェクトの取り組みにどのような期待を抱いていますか?

オリヴィア・アーサー(以下、アーサー):「ユニクロ(UNIQLO)」はグローバルなブランドであり、プロジェクトを通して、私たちが今、伝えるべきメッセージを大勢の人に届けられること、それがその答えのひとつでしょう。

また、今回の取り組みは、マグナム・フォトにとっても新しく意義のある試みだったと思います。プロジェクトではまず、寄付金を集め、それを支援団体に送り、困っている人を助ける。そして、私たちが、その現場や周辺の人々の暮らしにカメラを向け、ストーリーとして伝えていく。また、それは、多くの人にとって、世界の状況を知り、それぞれアクションにつなげていくきっかけになるかもしれない。そうやって循環させながら、支援の輪を大きくしていくようなプロジェクトになっています。

そこに、マグナム・フォトが関わる意義は大きい。特に、マグナム・フォトはドキュメンタリー写真家の集団ですが、“ストーリー”を届けるということをずっと大切にしてきましたので。

ーー今回のプロジェクトで、アーサーさんはルーマニアの「セーブ・ザ・チルドレン」へ。現地で印象的だったことは?

アーサー:私が訪れたのは、ルーマニアのセーブ・ザ・チルドレンのカウンセリング・ハブ。隣国のウクライナから逃れてきた難民の子どもたちも受け入れているスペースで、子どもたちのための教育支援やメンタルヘルケア、食糧支援などの活動を行なっている場所です。

そこで、一連の支援活動についてのレクチャーを受けたあと、私は、そこで暮らす子どもたちに向けて写真のワークショップを行おうと決めました。具体的には、マグナム・フォトのアーカイブを印刷し、そこに子どもたちが自由にペイントを加えるような創作の場を用意したり、スペースに簡易的なスタジオを設け、子どもたちにお互いの写真を撮って遊んでもったり。また、そうやって子どもたちが作ったアートワークを、コラージュにしてまとめたりもしました。

ーー写真が、オリヴィアさんと子どもたち、子どもたち同士のコミュニケーションツールにもなったっていうことですね。

アーサー:そうですね。撮影した写真についても、その場でプリントし、スタジオの壁に貼り付けていきました。子どもたちも自分たちが撮られた様子を見られるように。それは、確かにコミュニケーションツールになりましたし、子どもたちが、私が何をしているのかを理解し、そこに自分も参加していること、つまり自分事としてこの撮影を捉えてもらうことにも役立ちました。

ーーそのなかで、特に印象的だったことは?

アーサー:スタジオを作ったスペースは、窓から強い日差しが入る場所だったんですね。その光がスタジオの幕に影を落とす様子を見て、私は“影絵で遊べるんじゃないか”と思ったんです。しかし、周りをみたら、私が教えてあげる前に、すでに子どもたちが影絵で遊んでいて。私も子どもたちも、あの瞬間の同じことを考えていたんです。いい思い出ですね。

「想像する力は
誰からも奪うことはできない」

ーーその影絵で遊んでいる様子を切り取った写真は、今回、Tシャツに使われています。チョウのようなモチーフですが、この写真を選んだ理由は?

アーサー:この写真のモチーフが、どこか自由を象徴しているような気がしたからです。またこのモチーフについては、チョウだという人も、鳥だという人もいます。そうやって、人によって違う捉え方ができる点でも、この写真を気に入っています。

ーーTシャツには、その写真の周りには「imagine」の文字をプリントしています。子どもたちの手書き文字ですか?

アーサー:この言葉ーー「想像する」ということこそ、私が今回、子どもたちに伝えたかったことでした。「どんな困難な状況でも、想像することはできる」ということ。そして「その力を、あなた(子ども)たちから奪うことは、誰にもできない」ということです。実際に、たくさんの子どもたちにこの文字を書いてもらい、アートワークに活かしました。

ーー改めて、写真の力は、ファッションと組み合わせることでどう増幅されていくと思いますか。

アーサー:やはり、今回のように写真のもつメッセージやストーリーを、幅広く届けられることでしょう。(一部の写真ファンやアートファンなど)限られた人だけでなく、ファッションと組み合わさることで、多くの人がアクセスできるものになる。その意味でも、今回の写真展が、公共のスペースで誰でも見られるようなかたちになっているのも、非常に大きな意義があることだと思っています。

ーー今回は3人の写真家がプロジェクトに参加。他の2人の作品を見た感想は?

アーサー:2人の作品からは、ポジティブな感情やエネルギーを感じました。それは私の作品にも共通していることでしょう。どんなに困難な状況であっても、不安な生活を強いられながらも、未来をポジティブに想像し、そのように変えていく努力をする、アクションするーーそれが重要なのだと改めて思います。

■「GLOBAL PHOTO EXHIBITION - PEACE FOR ALL」
順次世界各地で開催予定、日本では以下を予定している
「ユニクロ原宿店」:9月24日〜10月6日
ひろしまゲートパーク:10月9〜15日

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世界中で大ヒット「ゲルカヤノ」の生みの親・アシックス榧野さんってどんな人?

PROFILE: 榧野俊一/アシックス アシックススポーツミュージアム アーカイブ担当リーダー

榧野俊一/アシックス アシックススポーツミュージアム アーカイブ担当リーダー
PROFILE: (かやの・としかず)鳥取県生まれ。大阪芸術大学を卒業後、1987年アシックスに入社。シューズデザイナーとして“ゲルエクストリーム“”ゲルカヤノ“”ゲルニンバス“”GT2000ニューヨーク“など同社を代表するモデルを作り続けた。現在はアシックスの歴史的なシューズを保管・展示するアシックススポーツミュージアム(神戸本社内)に勤務 PHOTO:TOMOKI HASE

アシックスのランニングシューズ“ゲルカヤノ(GEL-KAYANO)“は1993年の発売以来、30年以上にわたって世界中のランナーに愛されるロングセラー商品である。近年は過去のモデルをベースにしたファッションスニーカーが人気で、特に“ゲルカヤノ14”は爆発的ヒット商品になった。このカヤノの生みの親こそ、アシックスのシューズデザイナー榧野俊一(かやの・としかず)氏である。競技向けからファッションまで、その名を世界にとどろかせるカヤノの榧野氏とはどんな人物なのか。

WWD:もともとシューズデザイナーを目指していたのですか。

榧野俊一アシックススポーツミュージアム アーカイブ担当リーダー(以下、榧野):大学で工業デザインを専攻していました。自動車や電化製品のデザイナーになりたかったけど、大手メーカーはいずれも狭き門でした。中学・高校の美術教師にも興味があって、教育実習を経て合格をもらっていました。でもデザイナーの夢は捨て難く、進路に迷っていた。そんなとき運良くアシックスから内定が出たのです。僕の故郷はアシックス創業者・鬼塚喜八郎さんと同じ鳥取県。地元には昔からシューズ工場(現・山陰アシックス)もあって、鬼塚さんは地元の有名人でした。親孝行にもなるかなと思って入社を決めました。

WWD:それまでアシックスのシューズは履いていましたか。

榧野:柔道部だったので馴染みはありませんでした。それに工業デザイナー志望だからスポーツ用品の中でもギアの方に興味があった。新規事業部というのがあって自転車を作っていたため、そちらへの配属を希望しました。(人事部からは)アシックスの花形のシューズでなく、自転車を選ぶ変わり者と思われたことでしょう。それくらいシューズに関心がなかったのです。

WWD:ではシューズに関わるようになったきっかけは?

榧野:1987年当時、アシックスの新入社員研修は半年間。でも僕は2週間で研修を打ち切られ、ランニングシューズの底(アウトソール)の図面を描いて(工場に)発注してくれ、と命じられました。右も左も分からず、既存の商品をベースに見よう見まねで描きました。続いて「バスケットボールシューズをやってくれ」と言われて、手掛けたのが米国市場向けのバッシュ“ゲルエクストリーム(GEL-EXTREME)“。私の実質的なデビュー作です。

WWD:新入社員なのに、いきなり大抜擢ですね。

榧野:入社したばかりでバスケに必要とされる機能もよく分かりません。体育の授業のバスケも苦手で、いい思い出がなかった。上からは「過去のバッシュをベースにしながらデザインしろ」と言われて、いきなりコートに立たされたわけです。今では考えられない無茶ぶりですよ。でも工業デザインを学んできたおかげで、人の足で負荷がかかったり、曲がったりするのはこの辺りだろうなと想像はつきました。

後から振り返ると、スポーツシューズにおけるデザインの重要性が増してきた時代でした。従来の常識にとらわれない若手を登用しようという気運だったのでしょう。3社統合でアシックスが誕生してわずか10年(シューズのオニツカ、スポーツウエアのジィティオ、ニットウエアのジェレンクが1977年に対等合併)。総合スポーツメーカーとしては黎明期でした。せっかくの高性能をデザインとしてうまく表現できていないのが会社の課題だった。そんな時代にスポーツシューズの世界に飛び込んだのです。

WWD:バッシュでいえば、マイケル・ジョーダンが履いた「ナイキ」の“ジョーダン“シリーズが一世を風靡し、白ばかりだったバッシュがカラフルになっていった時期ですね。“ゲルエクストリーム“にはどう取り組みましたか。

榧野:とにかくカッコよさを追求しました。アシックスのバッシュは高品質だけど、地味過ぎてもったいないと感じていました。スポーツには必ず美しい瞬間があります。そこから着想を広げるのが僕のやり方です。バスケでいえば、迫力あるダンクシュートや堅実なサイドステップに美を感じ、イメージを膨らませました。

初めて米国に出張した際、飛行機から眺めたグランドキャニオンや摩天楼のビル群に感動しました。アメリカの景色から得た着想を靴底に取り入れました。機能的なことは先輩方に助言をもらいながら作り上げました。NBAの契約選手に履いてもらうため、チームカラーを取り入れることになりましたが、人気チームであるロサンゼルス・レイカーズのチームカラー(黄色と紫)すら知らなかった。本当に手探りだったけど、思い出深い一足です。

“ゲルカヤノ“は仮の名前だった

WWD:そして、まだ27歳だった93年に現在まで続くランキングシューズの基幹モデル“ゲルヤカノ“を発表するわけですね。

榧野:“ゲルヤカノ“も米国市場向けに企画したシューズです。時代背景から説明した方がいいでしょう。当時の米国はフィットネスブームによって、ランニングとフィットネスの境がなくなっていました。新作のターゲットは健康を目的に走る人たち。市場ではフィットネスランニングという言葉が浸透していました。今は走りに特化したパフォーマンスランニングという表現が一般的です。同じランニングでも時代によって意味合いは変わるのです。

初期の“ゲルヤカノ“には、今のランニングシューズにはあまり使われない固いパーツも使われています。だから27.0cmで500g近くになり、現在から見たらかなり重たいモデルでした(最新の“ゲルカヤノ31”は305g)。ジムのトレーニングに兼用できるよう耐久性を追求したためです。

米国法人からは「デザインのイノベーションを起こしてくれ」とリクエストされました。行き詰まっていたら、ある日突然、クワガタのイメージが浮かんだのです。カッコいい角(つの)と硬い鎧を身にまとったクワガタ。強いだけでなく俊敏なところもランニングシューズにぴったり。われながらいいアイデアだと思って先輩に話したら「ふざけすぎだ」と一蹴されましたが、僕はめげません。デザインにこっそり盛り込みました。米国法人の担当者は面白がってくれて、米国市場ではこのデザインコンセプトを宣伝しました。遊び心も米国のランナーに伝わって上々の売れ行きでした。

WWD:「ナイキ」の“ジョーダン“や「アディダス」の“スタンスミス“などアスリートの名前がスポーツシューズに採用される例は多いけれど、社員デザイナーの名前がつく例は珍しいですね。

榧野:当社の場合は過去にいくつありました。でも長続きせず、1、2年で終わってしまう。“ゲルカヤノ“のように30年以上続くことは確かに珍しいです。この名前は僕の意向ではありません。米国法人の担当者が開発中のコードネームとして言い始め、そのまま発売されてしまったのです。カヤノという言葉の響きがアメリカ人にとって異国情緒があって魅力的なので、「そのまま行くよ」となりました。初代は“ゲルカヤノトレーナー“、翌年の2代目モデルから“ゲルカヤノ“になりました。

WWD:自分の名前がついたシューズが発売されて、米国でヒットしたときの気分はどうでしたか。

榧野:入社5年目で将来に迷いもありました。米国市場で実績を重ねると、現地の大手スポーツ企業から良い待遇を持ちかけられることもあります。でもシューズに自分の名前が付けられ、十字架を背負わされたような気持ちになりました。“ゲルカヤノ“は僕1人で作ったわけでなく、多くの仲間と作り上げたシューズですから責任を感じます。エラいことしてくれたな、というのが偽らざる気持ちでした(笑)。引き抜きの話があっても「僕はサムライ魂があるので」と断ってきました。

「ガンダムチック」なデザインの評価が時代で変わった

WWD:以来、“ゲルカヤノ“は今年発売された“ゲルカヤノ31”まで30年以上、全世界で累計300万〜400万足を売るロングセラーになったわけですが、これほど息の長い商品になった理由はなんでしょう?

榧野:ずっとランナーに寄り添ってきたからだと思います。時代の変化と共にユーザーやポジションも変化しています。当初のフィットネスランニングから始まり、今はパフォーマンスランニングの定番モデルになりました。スポーツシューズは「機能性」「テクノロジー」「デザイン」の3要素の三角形で構成されます。この三角形の形は、時代ごとに変わる。今は「機能性」と「テクノロジー」が突出していて、「デザイン」の山は低い。結果として各社ともシンプルでミニマルなデザインになっています。シューズにもサステナブルが求められるようになり、パーツを減らしたデザインが主流になりました。僕が得意としたような遊び心が入り込む余地は少なくなりました。でも、それはお客さまや市場が求めていることなので間違いではありません。

WWD:榧野さんた直接手がけていた“ゲルカヤノ“の初代から“13”までは装飾的な要素が多いですね。

榧野:自分は情緒を盛り込みたいタイプのデザイナーです。先ほどのクワガタもそうですが、人間の心臓や肺などの内蔵をデザインモチーフにしたり、隠れキャラのようなデザインメッセージを密かに盛り込んだり。“ゲルカヤノ11"は日本の戦国時代の武士の甲冑、翌年の“ゲルカヤノ12”は西洋の騎士の鎧をデザインモチーフにしています。

オニツカ時代から選手ファーストで機能とテクノロジーを大事にしてきた歴史をリスペクトしつつ、そこに情緒を加味するのが僕の役目でした。今、アシックスの(1990〜2000、10年代のスポーツシューズをファッションスニーカーに刷新した)「スポーツスタイル」が売れていますが、そういった情緒が若い世代にとっては新鮮なのかもしれません。

WWD:確かに街中でアシックスのスニーカーを履く若者を多く見かけるようになりました。少し前までファッションスニーカーは「ナイキ」「アディダス」「ニューバランス」など欧米一辺倒で、「アシックス」は部活動のイメージが強いためか…

榧野:ダサいと言われてきました。辛かったなぁ。ファッションはつかみどころがない。会社からも小売店からも「ファッション性の高いものを作れ」と言われ続けてきましたが、具体的にファッション性の高いシューズの答えは誰も持っていません。僕が得意な情緒的なデザインがファッション性に結びついているのかは分かりません。でも醸し出されるデザインのバックストーリーを感じ取ってくれているような気がします。僕のシューズは「ガンダムチックなデザイン」「メカっぽい」と言われたりしましたが、時代が進んで評価されるのだから面白いですね。

“ゲルカヤノ14"の大ヒットはうれしいけど、悔しい

WWD:“ゲルカヤノ14”がファッションスニーカーとして世界中で大ヒットしています。

榧野:カッコいいよね。きょう僕が履いているのも“ゲルカヤノ14"。これは韓国の「アンダーマイカー」とコラボしたスニーカーです。でも残念ながら僕は2008年発売の“14”のオリジナルに携わっていません。僕は担当したのは初代から“13"までなんです。だから“14”が大ブレイクして悔しいですよ(笑)。

“14"のデザイナーは、僕の大学の後輩の山下秀則(現・アパレルエクィップメント統括部デザイン部部長)です。山下は“13”までのデザイン哲学を踏襲し、さらに昇華させてくれました。本当に素晴らしいし、世界中で売れるのも納得です。うれしい。けれど、悔しい。複雑な気持ちです。

WWD:正直ですね(笑)。しかし榧野さんがオリジナルをデザインしたシューズは「スポーツスタイル」の人気商品です。最初のバッシュ“ゲルエクストリーム“も復刻されて“EX89”、ランニングシューズの“GT2000"“ゲルニンバス“シリーズもストリートで愛されています。

榧野:僕は基礎を作っただけです。“ゲルカヤノ”とコラボするコラボするクリエイターはこの部屋(貴重なアーカイブ品が保管される神戸本社の資料室)に招き、アシックスのこれまでの歩みを紹介します。さまざまなアスリートの足元を支えてきた歴代のシューズはインスピレーションの宝庫。みんな一様に感動して帰ります。国内外のクリエイターによって僕らが作ってきたシューズに新しい魅力が加わる。デザイナー冥利に尽きます。

若い世代にシューズデザインを伝えたい

WWD:アスリートの名前を冠したスポーツシューズは、売り上げに応じてアスリートにインセンティブが入ることが多いようです。

榧野:僕の懐には1円も入りません。一会社員ですから。もし30年分の“ゲルカヤノ“のインセンティブが入ったら、すごいことになりますね(笑)。若いときに取得した特許や意匠登録があるので、毎年おこづかい程度の額は入ります。これも期限があるため年々減ります。

WWD:“ゲルカヤノ“がアシックスの社員デザイナーの名前だと知らない人も多いようですね。

榧野:ランニングが文化として浸透している海外では、僕の知名度はそれなりにあるようです。昨年は“ゲルカヤノ“デビュー30周年を記念して、米国と豪州の講演に呼ばれました。会社の歴史や“ゲルカヤノ“の開発秘話を話すと、みなさん、熱心に聞き入ってくれます。終わるとサイン攻めにあいました。

日本でもデザインを担当していた頃は、“ゲルカヤノ“の新作を出すたび店頭の販売応援に立ちました。懇意にしていただいていたスポーツミツハシ(京都の有力スポーツ専門店)が多かった。デザイナーとしてではなく、単なるメーカーからの販売応援スタッフとして、お客さんに応対します。「アシックスよりもナイキのデザインが好きなの」とか忌憚のない声を聞くことができます。プラスの声、マイナスの声も含めて、次の開発に生かすのです。

WWD:アシックスは過去10年で売上高が2倍近く成長し、海外売上高が8割以上というグローバル企業になりました。会社はどう変わりましたか。

榧野:だいぶ変わりました。もともとはコンサバな体育会系の社風でした。カルチャー好きな僕は異端だった。周りからは好き勝手やっているように見えたことでしょう。でも結果を残すために相当のエネルギーを費やしてきました。さいわい担当した商品で売り上げを伸ばしたから、自由が確保できた。シューズ作りはチームワークが大切だけど、デザインの出発点は個人のインスピレーションであるべきです。僕は表現できるのが本当に楽しかった。いま社内の後進育成も行っています。今の若いデザイナーは真面目で優秀ですよ。好きなことをとことん突き詰めてほしいな。

来年3月で定年退職の予定です。その先は決めていません。ただ、やりたいことはあります。芸大や美大でスポーツシューズのデザインを教えることです。ときどき講師として招かれることもありますが、可能性に満ちあふれた学生さんと話すのは本当に楽しい。自分の経験を伝えていけたら幸せです。

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「寄生獣 -ザ・グレイ-」監督ヨン・サンホ 極限状況での人間の選択への興味

PROFILE: ヨン・サンホ/映画監督、脚本家

ヨン・サンホ/映画監督、脚本家
PROFILE: 短編アニメからキャリアをスタートする。1997年に「Megalomania of D」で初監督を務める。2011年に長編アニメ初監督作品「豚の王」が公開。同作はカンヌ国際映画祭の「監督週間」に出品された。16年に「新感染 ファイナル・エクスプレス」で初の長編作品を手掛ける。多数の映画やドラマのほか、「新感染 ファイナル・エクスプレス」続編の「新感染半島 ファイナル・ステージ」がカンヌ国際映画祭「Official Selection 2020」に選出される。24年に岩明均の漫画「寄生獣」をベースに、舞台を韓国に置き換えたNetflixシリーズ「寄生獣 -ザ・グレイ-」を監督した PHOTO:CHO SUNG YOUL

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッションに至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.4はヨン・サンホへインタビュー。代表作「新感染 ファイナル・エクスプレス」はカンヌ国際映画祭で上映され国際的な評価を獲得。「地獄が呼んでいる」はネットフリックス(NETFLIX)で大ヒットし、彼の名を世界に知らしめた。日本でもファンの多いにサンホに、現在制作中の物語や創作活動までを聞いた。

――日本の映画や漫画にも影響を受けているそうですが、今は何を読んでいますか?

ヨン・サンホ(以下、サンホ):まだ具体的な内容はお伝えできませんが、現在制作中の作品の参考資料として日本の小説や映画をみています。小説は大江健三郎の「万延元年のフットボール」や奥田英朗の「オリンピックの身代金」。映画は今村昌平の「復讐するは我にあり」や時代劇などです。

過去の日本の社会的背景や人々の情緒や感受性が知りたいですし、 日本の作品をインプットすることで韓国との違いが見えてくることが多いため読んでいます。例えば「オリンピックの身代金」は東京オリンピックが題材であり、韓国映画「上渓洞(サンゲドン)オリンピック1988」はソウルオリンピック。「上渓洞」は社会的弱者を彼らが住む地域から追い出してそこに競技場を建設しようとする話なのですが、両作品を比較しながら読んでいます。

――確立された様式に合わせることと、映画制作における新しいアプローチを模索することのバランスをどのように取っていますか?

サンホ:私は、さまざまなジャンルの垣根を越えるような作品を手掛けているんですが、ジャンルものを作る上で一定の枠組みがあると考えています。典型的な物語の枠組みの中でセオリーに習いながらも、どのような展開に新しい要素を見つけられるか。そのためには感情や感受性を磨いていくことが重要です。主人公の態度や感情を探りながら、似たような状況を取り扱っている本や映画を参考にしながら物語を構築しています。

――韓国の映像業界におけるトレンドにはどのようなものがありますか?

サンホ:最近はドラマも映画も、世界に通用するジャンルものが人気です。直感的に緊張感を与えたり、刺激的な作品などは、SNSなどで話題になるのが速いですね。

それとは別に、魅力のある物語には同時代に生きているからこその共通する感情があると思います。何かと聞かれると断定できるものではないのですが、共通する感情によって多くの人たちの心が動かされます。さまざまなものを見ながら時代を形作る感情を探しています。

――動画配信サービスの普及で、ドラマや映画の観られ方も多様になっていますね。

サンホ:OTTなどの配信サービスが発達した影響で、制作側も観客もより結果を重視する傾向にあります。自分が見たいことよりも、話題作という理由で作品を選びがち。そうではなくて、自分が物語に引かれるからその作品を見たいというような視聴者が、もう少し増えて欲しいと感じています。

今まで大規模な作品を手掛けてきましたが、小規模でも独特の雰囲気のある作品も並行して作っていきたいですね。マイナーな作品も好きなんですよ。

――キャラクターを作る上で衣装の重要性はどのように考えていますか?

サンホ:衣装やヘアスタイルはキャラクターの性格を表すものです。キャラクターのリアリティを演出するために、衣装が何度変わってもその人物だとわかる同一性とスタイルを持たせるようにしています。

――ゾンビやSF、信仰などさまざまなジャンルの作品を手掛けていますが、必要な素材はどのように集めていますか?

サンホ:興味があるのは人間が生きるか死ぬかという究極の選択や、大切な人を守るために何かを犠牲にする状況に置かれた時の選択です。その動機はさまざまで、ある人にとってはアイデンティティーであり、ある人にとっては愛だったりする。信仰も選択の1つであり、何かを決断するときの基準になります。その状況での心情や英雄的な行動や、自己犠牲の精神などのヒロイズムを考えた上で、物語を構築する段階でゾンビやSFなどのジャンルと結合させます。最初に少しお話しましたが、日本の方々にも楽しんでもらえる作品を制作中ですので、ご期待ください。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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ハーモニー・コリンが語る「新しい映画作り」——映画とゲームの融合、そしてテクノロジーによる表現の実験

取材場所に指定されたバーに着くと、蛍光イエローの目出し帽を被った男が紅色のソファーに座り、フォトグラファーとフォトセッションをしている。傍らにあるテーブルには灰皿が置かれ、その上の葉巻はかすかにくすぶっている。

ラリー・クラーク(Larry Clark)の映画「KIDS/キッズ」の脚本を書いた時、彼は19歳だった。その後、「ガンモ」で監督としてデビューし、“恐るべき子ども”と評された。「スプリング・ブレイカーズ」や「ビーチ・バム まじめに不真面目」で映画監督としてのキャリアを重ね51歳になった彼は現在、南米やアジア出身の才気あふれる若いクリエイターたちとEDGLRD(エッジロード)を立ち上げ、新しい映画作りに挑んでいる。「映画作り」というには語弊があるかもしれない。彼らが作っているのは、まったく新しい「体験」なのだから。

EDGLRDはマイアミのビーチハウスに拠点を置く、デザイン集団である。CGデザイナーやゲームデザイナー、スケーター、現代美術家、プログラマーによって構成され(中にはマーベル・スタジオや大手ゲーム会社で働いていた人物もいる)、スケートビデオから3Dプリンタを用いた立体作品、トラヴィス・スコットの「カクタス・ジャック(CACTUS JACK) 」と「ナイキ(NIKE)」のコラボスニーカーのキャンペーンビジュアル、ザ・ウィークエンド(The Weekend)と雑誌「032c」のためのコンセプトムービーなど、多岐にわたるフォーマットで作品を発表している。この謎多きクリエイティブスタジオが、2024年に満を持して公開したのが「AGGRO DR1FT(アグロ ドリフト)」だ。公開とはいえ、映画祭や限定上映を除けば、この映像を映画館で観られるチャンスはほとんどない。「AGGRO DR1FT」のワールドツアーは、世界各地の音楽ベニューやストリップクラブ、ギャラリーを舞台に、DJやダンサーによるパフォーマンスとセットで上映するという興行スタイルがとられているのだ。

「AGGRO DR1FT」のあらすじは、家族想いの殺し屋が業界から足を洗うために、悪魔のようなターゲットの暗殺任務を遂行する、とまとめることができる。ストーリーは至ってシンプルで、語り口にひねりがあるわけでもない。べネチア国際映画祭の上映で観客の半数が途中退場したのも、さもありなんといった感じだ(残りの半数は10分間のスタンディングオベーションを送った)。トラヴィス・スコットが出演することでも耳目を集めたが、全編がNASA所有の赤外線カメラで撮影されているために、表情はちっとも見えない(シルエットだけでトラヴィスだと分かるのだが)。さらに、ボイスオーバーで何度となく繰り返される主人公の独白は両手で数えられるほどのパターンしかなく、暗殺対象のボスは昨今では珍しいほど単純化された、絵に描いたような“悪人”だ。しかし、それらは全て明確な意図の下に設計されているのだ。近年は映画を観ず、ゲーム三昧の日々を過ごしているという監督の意図の下に——。

「AGGRO DR1FT」はなぜ映画館で上映しないのか。EDGLRDが共有する「ゲームコア」という美学はいかなるものなのか。そして、今一番お気に入りのミーム映像とは。マスクを脱ぎ、葉巻をくわえたハーモニー・コリン(Harmony Korine)が語りはじめる。

——EDGLRDには多分野にまたがる若手クリエイターが世界中から集まっているそうですね。

ハーモニー・コリン(以下、コリン):うん、みんな若い。僕が最年長だからね。テクノロジーに基づくデザイン集団で、ゲーム開発者やグラフィックデザイナー、AIの専門家みたいな視覚効果の分野出身者もいれば、コーダーやハッカーのような技術者もいる。マイアミのスタジオにいつも集まっていてね。頭に浮かんだことはなんでも創ることができる場所だよ。

——アイデアをすぐに具現化できる?

コリン:そう、なんでもね。

——チーム作りはどうやって? 面接されることもあるのでしょうか?

コリン:たまにね。でも、若い子たちは自分の作ったものをインスタグラムやXで送ってきてくれるんだ。面白かったら採用する。それにチームの中には、SNSで面白いクリエイターがいないか探す担当がいて、見つけたら僕に見せてくれるんだ。ブラジル、アルゼンチン、中国、世界中から集まってきているよ。

——今のチームの規模は?

コリン:50人くらいかな。会社ができたのがほんの1年前。1年目は、制作と開発に集中していたから、最近ようやくその成果を世に送り出すことができるようになった。これからどんどん発表していくよ。例えば、今は、頭で思い描いたものをそのまま映像化する技術を開発していてね。プロンプトは要らない。思考を直接スクリーンに映し出すんだ。「ドリームボックス」って呼んでるよ。寝ている間に見た夢を丸ごとダウンロードすることも可能になる。

——どういう仕組みなんですか?

コリン:外付けのマイクロチップなんかを使って、脳波を読み取るんだ。

——「AGGRO DR1FT」にはゲームの「グランド・セフト・オート」のようなノリと世界観がありますが、ゲームは普段からプレイされますか?

コリン:うん。というか、最近はもっぱらゲームだね。ここ2、3年は映画も観なくなったから、本当にゲームばかりしているよ。

——ちなみにタイトルは?

コリン:最近はずっと「レインボーシックス シージ」をやってたよ。1人称視点のシューティングゲームでは一番好きかな。「エルデンリング」もたくさんプレイしているし、「Halo」もやり直してる。EDGLRDのチームは「Call of Duty」が好きで、仕事終わりにみんなでプレイすることもある。あと、そうだ、新しい「ゼルダ」(「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」)もやってるよ。あれは素晴らしいゲームだね。

脚本のない映画作りと、新しいナラティブ

——EDGLRDのチームは「ゲームコア」という固有の美学を共有しているそうですが、それはどういったものなのでしょう?

コリン:僕らがゲームを好きな理由、あるいは僕がクリアするまでに何カ月もかかるようなゲームに時間を溶かす理由はね、中毒性があるのはもちろんだけど、なにより満足感があるんだ。この前「フォートナイト」で20キルしたんだけど、その時の満足感といったらなかったね。最近のゲームのグラフィックやアニメーションは、レベルが高過ぎるよ。ゲームは映画を観るよりも能動的だし、ずっと報われるんだ。だから、あらゆるものをゲーム化する実験を始めたというわけさ。「AGGRO DR1FT」もいろんな点で、すごくゲーム的だよ。もうすぐ完成する「BABY INVASION」は、ゲーム化のアイデアをさらに発展させたものだしね。今までにない作品になってるよ。映画であるかどうかさえ僕にも定かじゃない。まあ、映画とゲームの合いの子といったところかな。

——ゲームのインタラクション性に興味があるのでしょうか?

コリン:そうだね。映画でも僕らはまず、登場人物のスキンを作るんだ。それは、もしかしたら終わりのない映画かもしれない。場面を新たにデザインしたり、その順番を入れ替えたりしてね。そう、僕は今映画をプレイし始めているんだ。

——ゲームとして遊びたい映画はありますか?

コリン:「カーター」っていう韓国映画(2022)があってね。アクションシーンがすっごくいいんだ。ゲームにしたら最高だろうね。

——近年は「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」が興行的に成功し、「デス・ストランディング」の映画化が発表されたりと、ゲームと映画が融合してきています。その接近についてはどう思われますか?

コリン:今はあらゆるものが融合してきているよね。EDGRADを立ち上げた理由はつまり……僕はEDGLRDでクリエイティブ・ディレクターのような役割なんだ。僕らがやろうとしているのは、若い子が参加できるようなあらゆる種類のテクノロジーを用意すること、そして、テクノロジーを使って表現形式を推し進めたり、実験したりするのを可能にすることにある。だって今なら、ゲームエンジンだけで1本の映画を作れるかもしれないんだからね。昔は映画1本を撮るのに何年もかかっていた。でも、今僕らが試しているのは1カ月で映画を作る方法なんだ。

——「AGGRO DR1FT」には脚本がないのだとか。

コリン:そう、脚本はもう使ってないからね。というか、ずっと前からそれを目指していたんだ。「AGGRO DR1FT」では基本的に場面のドローイングを描いた。撮影現場で瞬間的に場面を描いては役者たちに伝え、それを基にまた場面を描く。コンセプトに基づいて、フリースタイルで映画を作ってるんだ。というのも、僕は脚本家として映画の道に入ったわけだけど、少しずつ脚本に対する興味を失っていてね。

——脚本がないのであれば、映画の完成はどのように判断するのでしょう?

コリン:これでいい、と思える時が来るんだ。絵に近いかもしれないね。作品を作っていると、全部出し切った気がする瞬間があるんだ。そこに至れば、自然と分かる。言葉で表そうとすると難しいんだけどさ。

——「AGGRO DR1FT」は映画館ではない(ライブハウスなどの)ベニューを巡業していますが、それはなぜでしょう?

コリン:映画館で上映するのがしっくりこなかったんだ。「AGGRO DR1FT」が映画だという確証もなかったし。それで感覚的な体験にしたいと思ってね。映画を観ながら音楽を聴き、TikTokを観る、それが今の生活なんじゃないかな。

全てのまばたきは編集である

——ゲーム以外にも、TikTokで短いクリップを見るのにハマっているそうですね。

コリン:そう。脳が腐る感じもするし、毒みたいなものもたくさんある。でも大好きなんだ。XやYouTubeのリールやインスタグラムで見るものは、僕の作った映画を超えてるよ。例えば、砂の中から3本足の男がはい出てくる動画があるんだけど、この前もそれがどうして存在するのか、一日中考えていたよ。文脈がないっていうのがミソなんだろうね。誰が考えたのか、どうやって存在しているのか、本物なのかそうでないのか……それが分からないからこそ、たまらなく面白いんだ。

——特に好きなクリップはありますか?

コリン:ブドウを踏みつけている女性の動画がお気に入りかな。見たことある? ニュースの映像なんだけど……そう、これこれ。


——Midjourneyのような画像生成AIでも遊びますか?

コリン:もちろん。いろんなAIを試しているし、自分たちで独自のLLMを構築してもいるよ。新しい美学をあらゆるジャンルに導入しているんだ。

——チーム内では「ブリンク」という概念を共有しているそうですね。どんな概念なのか改めて聞かせてください。

コリン:ヒトはまばたき(ブリンク)をするたびに時間を編集しているってことだよ。つまり、人生が1本の映画だとしたら、まばたきは編集なんだ。

——確かに。

コリン:僕は、従来のリニア(直線的)なナラティブに収まらないようなものを考えていたんだ。それは映画ではないかもしれない。15分の長さでもいいし、5秒未満でもいい。それが「ブリンク」だった。それでEDGLRDのスタジオでは、多くのフォーマットを「ブリンク」と呼んでいるんだ。

——EDGLRDの成果物はさまざまな形式にまたがりますが、中心になる分野や形式はありますか。それぞれどのようにマッピングしているのでしょう?

コリン:中心になるもの……どうだろう。でも、EDGLRDを立ち上げてからいろんなアニメーションと出会っているのは間違いない。すでに書き終えたアニメも1本ある。次作はそれに取り組みたいね。でも全部が映画になるわけじゃない。フィルターになるかもしれないし、スケートデッキのグラフィックになるかもしれない。だから、スケートビデオを作っているような感じだね。今の環境は素晴らしいよ。スタジオには大部屋があるんだけど、部屋から部屋へ歩き回って「あれをやろう、これをやろう」って次々試せるんだからね。巨大な3Dプリンターが3台あって、マスクや立体作品を作ることもできるし、服だって作れる。それ自体が(創作の)糧になっていくんだ。

——マスクといえば、あなたの映画にはよくマスクが登場しますよね。

コリン:アイデンティティーを曖昧にしたり、変えたりできるのがいいのかもね。(マスクの多用は)意識しているわけではないけど、アイデンティティーというものには昔から興味があったんだ。

——以前インタビューで、マイアミで毎日のように「タコベル」を食べていると読みましたが、今でも相変わらずの食生活ですか?

コリン:うん。「タコベル」は大好物だからね。マウンテンデューもよく飲むよ。

——好きなメニューは?

コリン:クランチラップ スプリーム。あれなら10個だっていけるよ。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

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「ルイ・ヴィトン」からダミエ・モチーフのファインジュエリーが登場 メゾンのDNAをジュエリーに昇華

「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUTTON)」は、ブランドを象徴するダミエをモチーフにしたジュエリー“ル ダミエ ドゥ ルイ・ヴィトン”を発売する。同ブランドのウオッチ&ジュエリー部門のアーティスティック・ディレクターを務めるフランチェスカ・アムフィテアトロフ(Francesca Amfitheatrof)は、「このコレクションはダイヤモンドで描いたパターンが特徴だ」と話す。ダミエ柄は1888年に誕生。競合に薄型トランクをコピーされ始め、創業者のルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)が差別化のために必要に迫られて作ったもので、メゾンのDNAとしてすぐに認識されるようになった。ジュエリーでは、ダミエの特徴的なツートーンのチェックパターンがスクエアモチーフのゴールドとダイヤモンドで表現されている。

官能的なしなやかさとメカニズムを融合したジュエリー

アムフィテアトロフは、「官能的なしなやかさをメカニズムと結びつけることで、肌触りが良いジュエリーに仕上げ、ジュエリーに触りたいという気持ちを起こさせる。その感覚自体が貴重なのだ」と話す。コレクションの中心は幅にバリエーションがあるリング。中でも、ダミエのグラフィカルな面を強調した4列のデザインリングはインパクトたっぷりだ。2列のデザインは、1月に発売されたメンズファインジュエリーの“レ ガストン ヴィトン”のように、日常で着用でき、重ね着けも楽しめるようになっている。

ブレスレットは特に、腕の動きに合わせてしなやかに動くテニスブレスレットのカジュアルなラグジュアリー感を出したかったという。メゾンを象徴するモチーフでジュエリーを刷新するアムフィテアトロフの技は、ベテランのジュエリーデザイナーならではだ。彼女は、視覚的なシグニチャーとしてダミエを作り出したメゾンの創業者の大胆さを新作ジュエリーに重ねている。「ダミエをモダンでユニセックスなデザインで仕上げ、大胆かつモダンであると同時に、『ルイ・ヴィトン』だと分かるものにしたかった」。

ピラミッドの三角形をデザインに反映

もう一つの特徴は、幾何学的なラインを中央に施し、サイドから見るとVの形を描いている点。彼女は、「三角形は矢のような形なので、意識的にデザインに使用している。三角形は、幾何学のシンボリックな形。『ルイ・ヴィトン』は旅への情熱を表すメゾンなので、ピラミッドの形を施すことでエネルギーがプラスされた力強いデザインになる」と話す。また、テニスブレスレットの繊細かつクラシックな要素と相反する必要があると感じたという。「普遍的なデザインを今日らしく、アップデートした」という。このコレクションは10月に発売予定だ。予定価格は、リングが67万6500〜194万7000円、ブレスレットが227万7000〜476万3000円、ペンダントが97万9000円、ピアスが168万3000円。

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まずは挑戦してみるポジティブさで 店頭もデジタルもマルチに活躍 「クレ・ド・ポー ボーテ」三瓶祐里奈さん

PROFILE: 三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト

三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト
PROFILE: ((さんぺい・ゆりな)大学卒業後、資生堂に入社。京王百貨店吉祥寺店に勤務後、2021年に新宿伊勢丹本店に移動。デジタル パーソナル ビューティ スペシャリストとして、ライブ配信やスタッフレビューで活躍。22年にはリーダーに就任 PHOTO:YUKIE SUGANO

クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)にとって伊勢丹新宿本店は、本館2階の化粧品売場と伊勢丹会館にサロンを有する、ブランドの顔となる店舗の一つだ。そんな同店でリーダーを務めるのがパーソナル ビューティ スペシャリスト(以下、PBS)の三瓶祐里奈さんだ。学生時代はスポーツやマッサージ、美容が好きで、就職活動をする中で美容に関わる仕事がしたいという思いが固まったという。「資生堂といえば、ビューティの中でも日本を代表する企業の1社。華やかでいつも賑わっているイメージがありました」と入社当時を振り返る。(この記事は「WWDJAPAN」2024年9月23日号から抜粋・加筆しています)

京王百貨店吉祥寺店に勤務後、コロナ禍真っ只中だった2021年に伊勢丹新宿本店に移動した。店頭がクローズする中でデジタルに注力しようというブランドの方針の下、デジタルPBSに選ばれ、デジタル上での接客術を模索。「ウェブカウンセリングをして商品を紹介したり、YouTube上で配信をするなど、これまでとは全く異なる活動でした。配信は何百人ものお客さまに見ていただき、たくさんのレビューもいただきました。回数を重ねるにつれてポジティブなお声が増えていきましたね」とデジタルPBSの仕事を語る。加えて三越伊勢丹化粧品オンラインストア「ミーコ(meeco)」でのスタッフレビューもデジタルPBSとしての軸となる活動だ。ペルソナを立てて発信内容を精査し、写真の取り方や見出し、テキストを吟味。三瓶さんの発信はコンバージョンがよく、支持されているという。

リアル店舗では、PBSの中でも有する人はごく少数というフェイシャルトリートメントのライセンスを取得。ブランドならではの施術を提供する機会も多い。「サロンでは約1時間半をかけてお客さまと1対1で接することができるため、店頭とは異なる関わり方ができるので、ライセンスを取得してよかったです。カウンターでの接客では肌への触れ方が心地よいとお褒めいただくことがあり、相乗効果も感じています」と語る。

自己分析は場を重ねて成長するタイプ

デジタルとリアルと双方で顧客からお褒めの声をもらうことも多いという三瓶さんだが、デジタル PBSとして活動するきっかけも、フェイシャルトリートメントのライセンスを取得するきっかけもブランドの打診があってのことだという。

「プライベートでもSNSで発信することがそこまで得意というわけではありませんでした。デジタルPBSを始めた当初と今では写真や編集の方法も全く違っていて、やっていく中で磨き上げていきました。ライセンス取得も、ブランドならではのサービスなのでまずは挑戦してみようという思いが強かったです。私は最初からできちゃうタイプではありません。新しいことに挑戦するときは、毎回恐怖心や不安があります。けれども不安だからこそ、努力するし、場を重ねて成長するタイプだと自己分析しています」と三瓶さん。挑戦したことがいま実を結び、デジタルとリアルの相乗効果を感じることがあるという。

「デジタルPBSの活動を通して、想定するターゲットに対して分かりやすく魅力的に商品を伝える言葉選びや、どんな伝え方をすればイメージを持っていただきやすいかが分かるようになりました。デジタルPBS活動での学びは、店頭での接客にもつなげられます。今やらせていただいているそれぞれの活動にすごくやりがいを感じているので、さらに強化して、目標の数字を立て顧客を増やしていきたいですね」と語る。

コロナ禍から日常が戻り、インバウンド客も増えている伊勢丹新宿本店の化粧品売り場の店頭は毎日かなり忙しい状況だという。デジタルとリアルの双方に取り組むPBSでありリーダーである三平さんだからこそ、後輩スタッフが同じルートを希望する際には結果が出せるように忙しさに負けず「スタッフの育成にも力を入れたい」と今後の目標を語る。

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まずは挑戦してみるポジティブさで 店頭もデジタルもマルチに活躍 「クレ・ド・ポー ボーテ」三瓶祐里奈さん

PROFILE: 三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト

三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト
PROFILE: ((さんぺい・ゆりな)大学卒業後、資生堂に入社。京王百貨店吉祥寺店に勤務後、2021年に新宿伊勢丹本店に移動。デジタル パーソナル ビューティ スペシャリストとして、ライブ配信やスタッフレビューで活躍。22年にはリーダーに就任 PHOTO:YUKIE SUGANO

クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)にとって伊勢丹新宿本店は、本館2階の化粧品売場と伊勢丹会館にサロンを有する、ブランドの顔となる店舗の一つだ。そんな同店でリーダーを務めるのがパーソナル ビューティ スペシャリスト(以下、PBS)の三瓶祐里奈さんだ。学生時代はスポーツやマッサージ、美容が好きで、就職活動をする中で美容に関わる仕事がしたいという思いが固まったという。「資生堂といえば、ビューティの中でも日本を代表する企業の1社。華やかでいつも賑わっているイメージがありました」と入社当時を振り返る。(この記事は「WWDJAPAN」2024年9月23日号から抜粋・加筆しています)

京王百貨店吉祥寺店に勤務後、コロナ禍真っ只中だった2021年に伊勢丹新宿本店に移動した。店頭がクローズする中でデジタルに注力しようというブランドの方針の下、デジタルPBSに選ばれ、デジタル上での接客術を模索。「ウェブカウンセリングをして商品を紹介したり、YouTube上で配信をするなど、これまでとは全く異なる活動でした。配信は何百人ものお客さまに見ていただき、たくさんのレビューもいただきました。回数を重ねるにつれてポジティブなお声が増えていきましたね」とデジタルPBSの仕事を語る。加えて三越伊勢丹化粧品オンラインストア「ミーコ(meeco)」でのスタッフレビューもデジタルPBSとしての軸となる活動だ。ペルソナを立てて発信内容を精査し、写真の取り方や見出し、テキストを吟味。三瓶さんの発信はコンバージョンがよく、支持されているという。

リアル店舗では、PBSの中でも有する人はごく少数というフェイシャルトリートメントのライセンスを取得。ブランドならではの施術を提供する機会も多い。「サロンでは約1時間半をかけてお客さまと1対1で接することができるため、店頭とは異なる関わり方ができるので、ライセンスを取得してよかったです。カウンターでの接客では肌への触れ方が心地よいとお褒めいただくことがあり、相乗効果も感じています」と語る。

自己分析は場を重ねて成長するタイプ

デジタルとリアルと双方で顧客からお褒めの声をもらうことも多いという三瓶さんだが、デジタル PBSとして活動するきっかけも、フェイシャルトリートメントのライセンスを取得するきっかけもブランドの打診があってのことだという。

「プライベートでもSNSで発信することがそこまで得意というわけではありませんでした。デジタルPBSを始めた当初と今では写真や編集の方法も全く違っていて、やっていく中で磨き上げていきました。ライセンス取得も、ブランドならではのサービスなのでまずは挑戦してみようという思いが強かったです。私は最初からできちゃうタイプではありません。新しいことに挑戦するときは、毎回恐怖心や不安があります。けれども不安だからこそ、努力するし、場を重ねて成長するタイプだと自己分析しています」と三瓶さん。挑戦したことがいま実を結び、デジタルとリアルの相乗効果を感じることがあるという。

「デジタルPBSの活動を通して、想定するターゲットに対して分かりやすく魅力的に商品を伝える言葉選びや、どんな伝え方をすればイメージを持っていただきやすいかが分かるようになりました。デジタルPBS活動での学びは、店頭での接客にもつなげられます。今やらせていただいているそれぞれの活動にすごくやりがいを感じているので、さらに強化して、目標の数字を立て顧客を増やしていきたいですね」と語る。

コロナ禍から日常が戻り、インバウンド客も増えている伊勢丹新宿本店の化粧品売り場の店頭は毎日かなり忙しい状況だという。デジタルとリアルの双方に取り組むPBSでありリーダーである三平さんだからこそ、後輩スタッフが同じルートを希望する際には結果が出せるように忙しさに負けず「スタッフの育成にも力を入れたい」と今後の目標を語る。

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人気恋愛ドラマの名手ユ・ボラが社会問題をエンタメに描くということ

PROFILE: ユ・ボラ/脚本家

ユ・ボラ/脚本家
PROFILE: 「ただ愛する仲」や「あなたに似た人」など人気恋愛ドラマの名手として知られる脚本家。従軍慰安婦をテーマにした映画「雪道」は、15年にKBS韓国放送公社が制作した光復70周年特集ドラマを再編集した作品で、世界最大級の国際テレビ番組の祭典「バンフ・ワールド・メディア・フェスティバル」において最優秀作品賞を受賞し国際的に高い評価を得た PHOTO:JUNG YONGIL

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッションに至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.3は、「ただ愛する仲」や「あなたに似た人」など、人気恋愛ドラマの名手として知られるユ・ボラが登場。社会問題とメロドラマを巧みに織り混ぜなからエンターテインメントに落とし込んだ作品に定評のあるボラに、現代の韓国人女性のライフスタイルや知られざる過去の女性活動家たちの存在、今描きたいラブストーリーについて語ってもらった。

――今回のインタビュー集で「並外れた能力の持ち主が物事をすべて解決していくストーリーよりも、まるで違う2人が、欠けた部分をも尊重し補い合っていくストーリーが好きだ」と言っています。女性の生き方が多様化する現代において、今はどのような2人の女性を書きたいですか?

ユ・ボラ(以下、ボラ):私は常にどんな物語を描くことができるのかを考えています。今は子供が欲しい、あるいは欲しいのにできない女性と、子供が欲しいとは考えてはいない女性たちの物語を書いてみたいです。日本も似た状況だと思いますが、韓国では出生率の低下が問題でソウルでは0.55です。一方で、不妊治療件数が増加している点にも注目しています。

――日本でも、韓国のフェミニスト小説や映画が非常に人気で、日本の女性たちに影響を与えています。

ボラ:韓国だけではないかもしれませんが、国内のフェミニズムを取り巻く問題に関して、まず“フェミニズム“という言葉自体が男性に対する攻撃のように受け取られがちで「あなたはフェミニストか」などと揶揄する風潮があります。そもそもフェミニズムは、女性の権利を擁護し、平等な社会を目指す運動なのに、男性が元々持っている権利を(女性が)奪っていくような行為だと勘違いされているため、多くの女性たちは SNSなどで声をあげて運動をしています。

女性の権利が比較的充実していると言われるアイスランドで、 女性たちが権利を得るためのデモが24時間行われたというニュースを見ました。韓国でも過去に、女性たちが参政権を得るために社会運動をしていました。当時は「過激だ」とやや批判するような声もありましたが、選挙権という当然の権利を得るための重要な活動でした。多分、今起こっている活動をずっと先の未来で見たら、それは当然のことをしているだけだと受け入れられるでしょう。現代の韓国の女性たちの行動は、何か特別なものというよりも時代の流れでそうなってきているに過ぎません。

――「忘れ去られた女性活動家たち」の話を書きたいそうですが、どのようにしてその女性たちを知ったのですか?

ボラ:歴史学者たちがまとめた韓国の運動家を紹介する歴史書で知りました。1980年代に出版されたそういった本の中で主に紹介されているのは男性の独立運動家で、女性活動家はページの端に活動期間が紹介されているだけでした。しかし、90年代に入ると女性活動家に関する書籍が出版されるようになりました。女性活動家たちの存在が社会的に取り上げられることはほとんどなかったため、物語にしようと思いました。

――その中で、特に印象に残っている女性はいますか?

ボラ:誰か1人だけの名前を上げるのは難しいですが、特に感銘を受けたのは韓国が日本の植民地だった20〜30年代、二重差別など抑圧された状況下でも果敢に行動した女性たちです。私には到底できない生き方をしている勇敢な女性が大勢いて、活動の中で特に感動したことの1つは、教育を受けられなかった女性たちに言葉を教え、教育したことです。

――映画「雪道」では、教育を受けた少女が学校へ行くことができなかった別の少女に本を読み聞かせるシーンが出てきましたね。

ボラ:「雪道」では女性被害者の姿を描きましたが、次は何も分からなかった少女が、女性活動家たちに会い、さまざまなことを学びながら成長していく物語を書きたいです。年代は「雪道」と同じ頃になるかもしれませんが形式を大幅に変えたものを構想中です。

――ボラさんの多くの作品は、社会的に弱い立場に置かれている人を不憫な存在として扱うのではなく、同じ目線で寄り添うような優しさがあります。

ボラ:一般的な社会の視線は、社会的に弱い立場に置かれていたり、苦しい状況におかれている人を上から判断しているように感じます。もちろん当事者は苦しいと思いますが、その人たちなりの価値観があり、希望や大切なものを持っていたり、探しているはずです。脚本を描いている時は、その人の目線で物事を考えながらキャラクターを構築しています。

――社会問題をドラマとして、エンターテインメントとして描く方法について教えてください。

ボラ:現実の社会問題を反映するとき、リアリティーが強すぎるとドラマがドキュメンタリーのようになってしまいます。ドラマは俳優たちが担う部分も多いので、彼らの魅力を引き出す演出や劇作品としてのおもしろみを入れながら、多くの人たちが共感できることを意識しています。現実社会は暗くて苦しい側面もあるので、ドラマでは希望が持てるような展開をつくることを心がける部分もあります。

――キャラクターを作る上で衣装はどのように決めていますか?

ボラ:現実の人を描くときは職業に合う衣装を着せる必要があります。脚本家は登場人物の衣装のガイドラインを作ることに徹します。それを発展させるのは俳優の力です。その人物を解釈し、表現方法を模索し、演じるのは彼らですから。多くの俳優は積極的に監督と意見交換をして、役作りや演技、表現を真剣に考えています。

最近話題になったドラマの衣装に、師弟関係のラブロマンスを描いた「卒業」があります。私の作品ではありませんが、主人公の教師の衣装はとてもリアリティーがあって、その人の生き方までを表現していると大変話題になりました。

――現在韓国では、どのような恋愛ドラマが求められていると思いますか?

ボラ:現在は、多くの恋愛が出会いも別れも簡単になっているように感じるため、今こそとても切実な物語を書きたいですね。お互いに困難を乗り越え、運命でこの人しかいないという状況に強く引かれます。古臭いと感じる人がいるかもしれませんが「ロミオとジュリエット」が現代まで語り継がれている理由は、そのような恋愛が時代を超えて普遍的なものだからだと思います。ずっと自分が描きたい物語をつくってきましたが、メロドラマも好きなので、暗くて現実的な物語の中にも恋愛的な要素を入れています。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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「アンダーカバー」高橋盾が語る「ジーユー」コラボ 「冗談抜きで驚きのクオリティー」

「ジーユー(GU)」は、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」とのコラボレーション第4弾を9月27日に発売する。それに先立ち、アメリカでは一足早く19日にニューヨークのソーホー地区にオープンする旗艦店とオンラインで販売がスタート。「アンダーカバー」と言えば、パリでショーを行って20年以上になるベテランだ。今年5月から9月までニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれていた「眠れる美への追憶──ファッションがふたたび目覚めるとき(Sleeping Beauties: Reawakening Fashion)」展では、光るテラリウムドレス(2024年春夏ウィメンズコレクション)が展示され、このドレスが同展のメインイメージに使用されるなど、業界内でも注目度は高い。

トレードマークにもなりつつある、つばひろの帽子にべっ甲の眼鏡、自分でカスタマイズした白シャツという出立ちで高橋氏はインタビューに現れた。今回の「ジーユー」とのコラボレーション第4弾のため、10年ぶりに弾丸でニューヨークを訪れたという。

「ちょうどニューヨークに着いた2日前にメトロポリタンの展示の会期が終わってしまっていたんです」と少々残念そうだ。カスタマイズしたシャツについて質問を投げると「葉山のアトリエの近くで買ったシャツに、2024-25年のメンズのテーマである『ツイン・ピークス』のジャカードパッチを自分で付けたんです」。そう語る語り口調は淡々として落ち着いている。「アートギャラリーを見たかったんですが、時間がないかな。でも、さっき少し外を歩いたけど、それだけでも街から得るものは多いんですよね」。同氏は「アンダーカバー」だけでなく、近年は画家として脚光を浴びることも多く、アーティストとして活動の場を広げている。

日常にノイズをプラス

ーーコラボレーションのテーマである“Kosmic Noise”やコラボレーション商品について教えてください。

高橋盾「アンダーカバー」デザイナー(以下、高橋):“Kosmic Noise”とはテーマ通りで、日常にちょっとした刺激やノイズを加えた、デイリーウェアをツイストしたものにしたかったんです。日常にちょっとした刺激があるものを着ている、そういう感覚で楽しんでもらえたら。「ジーユー」とのコラボレーションは毎回テーマを変えていくというよりは、ベーシックなデイリーウェアを「アンダーカバー」的な解釈でツイストしていくというデザインコンセプトがベースにあります。「アンダーカバー」のデザインを入れつつも、今までわれわれを知らなかった人たちにも着てもらえる、程よくツイストの入った商品です。

コラボレーションコレクションはスパイスの入れ方が難しい。「アンダーカバー」のように直球のクリエーションをデザインに落とし込んでしまうと強すぎるものになってしまう。そこを客観的に見て、どういうものに仕上げていくかをいつも考えています。

ーー24-25年秋冬のウィメンズ「アンダーカバー」のコレクションも日常にフォーカスしていましたが、高橋さんの中で”日常”というキーワードが今、気になっているのでしょうか?

高橋:自分の中のムードがそれに近いのかもしれません。昔から日常着をどう新しいものにしていくかという実験的なことはずっとやっていて、そこは一貫して「アンダーカバー」のデザインテーマでもあります。葉山(神奈川)に2拠点目を構えてからはライフスタイルも大きく変わってきました。例えば自分の着飾り方もだいぶ落ち着いてきていると思う。でも、だからと言って落ち着いたものを作るのわけではない。デザインのひねり方やスパイスの入れ方は変わってきたんだと思います。

ーー高橋さんにとって「ジーユー」とはどういうイメージのブランドですか?

高橋:元々「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボレーションをやっていたのですが、「ジーユー」は「ユニクロ」よりもデザイン性が加わっていて、今の時代の雰囲気を捉えたモノ作りをしているブランドという認識があります。スタッフの方と打ち合わせをしていても、今の時代の空気感をつかんだMDプランを組み立てているし、「アンダーカバー」の解釈や研究もしっかりとしている。コラボレーション商品のどこにどういうテイストを入れ込むか、という具体的な提案や意見を出してくれました。

ーー「ジーユー」との間で、企画はどのように進めたのでしょうか?

高橋:まずは「ジーユー」のMDプランをいただいて、そこに対してどういうデザインを作り上げていくかを話し合いながら決めて行きました。「アンダーカバー」のデザイン的な手法やポイントをしっかり押さえてくれているので、その引き出しの中から「このアイテムにはこの手法を使ってはどうか?」など、具体的な提案がありました。それに対して「このデザインはこのままで」とか、「このデザインは変えていきましょう」という感じでセッションしながら細かく詰めていきました。でも、「ジーユー」と「アンダーカバー」って意外と共通点が多いんですよ。僕自身、本来ベーシックなものが好きだし、「ジーユー」と「アンダーカバー」のカラーパレットも似ています。ですから、そこに自分たちなりのスパイスを入れていくという作業でした。

スタジャンや自分が初めてパリコレで発表したときに入れたタトゥーと同じ柄をデザインしたトラックスーツは本当にベーシックだけど、少しだけツイストを効かせています。トラックスーツのパンツは裾をアジャストできて靴も変えて楽しめるようになっていますし、脱着可能にするコートやデニムのギミックなんかも「アンダーカバー」で使うテクニックです。でも、デニムのシルエットは「ジーユー」のものだったり、両者を融合して着やすいデザインに仕上げています。

ーー素材もしっかりしたものを使っている印象を受けました。出来栄えはどうでしたか?

高橋:この値段でクオリティーの面でもここまでやられちゃうと参っちゃいますよね。冗談抜きで本当にびっくりするクオリティーです。今後のコラボレーションではエレガントなものだったり、カジュアルすぎないものにも挑戦してみたいですね。そういうものがあってもいいんじゃないかなと思っています。

「継続してきたことがようやく定着してきた」

ーーブランドを継続していく中で、近年「アンダーカバー」の評価は、メトロポリタンでの展示しかり業界の中で熱気を帯びてきています。それはなぜだと感じますか?

高橋:何ででしょう(笑)。純粋に面白いもの、自分が興味のあるものに対してモノ作りをするという姿勢を崩していないからでしょうか。この時代だから余計そういうブランドが少なくなってきている気がします。ビジネスベースでモノを作っていくのも大事なことだとは思うんですが、そこに自分たちにしかできないオリジナリティーのあるクリエイションを発表していくこと。それをパリでも20年やってきて、ようやくそれが定着してきたのかなと。嬉しいことですよね。

ーー日本人の若手デザイナーたちは、近年んあまり世界に飛び出していっていない印象を受けます。日本の若手デザイナーに向けてメッセージはありますか?

高橋:今の時代だと、自分がパリにわざわざ行ってショーをしなくてもSNSを使ってワールドワイドなことが出来るじゃないですか。それが主流であれば(日本で発表を続けても)世界に出ていないわけではないし、時代に合ったやり方をすればいいと思います。パリコレに参加することだけが世界に出ることではないし、やり方は色々あります。

自分はパリに行ってコレクションを発表することに変わりはないのですが、若い人たちの動きを見るとSNS上で発表するのが主流になっている。時代は変わったなぁとは思いますよね。SNSで見せることがメインだと、デザインというよりは、どれだけキャッチーに伝えられたかの良し悪しみたいな話にもなってくる。われわれももちろんSNSは活用しますが、自分たちにしかできないデザインを届けていければ、今の時代、SNSのようなツールがあったとしても自分たちは自分たちのやり方があると思っています。

ーー最近画家としても活躍されていますが、絵のコンセプトや、絵を描くことは高橋さんにとってどのような位置付けですか?

高橋:息抜きにはなっていると思いますし、自分の内側にあるものを表現するクリエーションの一部だと思います。ファッションは絵に比べて制限が多い。絵は何でもありなので、何でもありすぎて、どうまとめていくかを考えると、意外とファッションをデザインすの過程に近いんです。

僕の絵のダークな世界観は「アンダーカバー」に通じるところがあります。日常着にどうアレンジを加えているかに近い作業。自分の生活で起こっていることや世の中で起こっていること、混沌とした世界の状況が絵に表れている。自分と世の中の距離感が絵に反映されていると思います。ファッションデザインを洗練されたものにするにはクリエイションのいろんなアウトプットがあった方がいい。ファッションのデザインでできないことを他のアート活動で見せているんだと思います。

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「アンダーカバー」高橋盾が語る「ジーユー」コラボ 「冗談抜きで驚きのクオリティー」

「ジーユー(GU)」は、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」とのコラボレーション第4弾を9月27日に発売する。それに先立ち、アメリカでは一足早く19日にニューヨークのソーホー地区にオープンする旗艦店とオンラインで販売がスタート。「アンダーカバー」と言えば、パリでショーを行って20年以上になるベテランだ。今年5月から9月までニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれていた「眠れる美への追憶──ファッションがふたたび目覚めるとき(Sleeping Beauties: Reawakening Fashion)」展では、光るテラリウムドレス(2024年春夏ウィメンズコレクション)が展示され、このドレスが同展のメインイメージに使用されるなど、業界内でも注目度は高い。

トレードマークにもなりつつある、つばひろの帽子にべっ甲の眼鏡、自分でカスタマイズした白シャツという出立ちで高橋氏はインタビューに現れた。今回の「ジーユー」とのコラボレーション第4弾のため、10年ぶりに弾丸でニューヨークを訪れたという。

「ちょうどニューヨークに着いた2日前にメトロポリタンの展示の会期が終わってしまっていたんです」と少々残念そうだ。カスタマイズしたシャツについて質問を投げると「葉山のアトリエの近くで買ったシャツに、2024-25年のメンズのテーマである『ツイン・ピークス』のジャカードパッチを自分で付けたんです」。そう語る語り口調は淡々として落ち着いている。「アートギャラリーを見たかったんですが、時間がないかな。でも、さっき少し外を歩いたけど、それだけでも街から得るものは多いんですよね」。同氏は「アンダーカバー」だけでなく、近年は画家として脚光を浴びることも多く、アーティストとして活動の場を広げている。

日常にノイズをプラス

ーーコラボレーションのテーマである“Kosmic Noise”やコラボレーション商品について教えてください。

高橋盾「アンダーカバー」デザイナー(以下、高橋):“Kosmic Noise”とはテーマ通りで、日常にちょっとした刺激やノイズを加えた、デイリーウェアをツイストしたものにしたかったんです。日常にちょっとした刺激があるものを着ている、そういう感覚で楽しんでもらえたら。「ジーユー」とのコラボレーションは毎回テーマを変えていくというよりは、ベーシックなデイリーウェアを「アンダーカバー」的な解釈でツイストしていくというデザインコンセプトがベースにあります。「アンダーカバー」のデザインを入れつつも、今までわれわれを知らなかった人たちにも着てもらえる、程よくツイストの入った商品です。

コラボレーションコレクションはスパイスの入れ方が難しい。「アンダーカバー」のように直球のクリエーションをデザインに落とし込んでしまうと強すぎるものになってしまう。そこを客観的に見て、どういうものに仕上げていくかをいつも考えています。

ーー24-25年秋冬のウィメンズ「アンダーカバー」のコレクションも日常にフォーカスしていましたが、高橋さんの中で”日常”というキーワードが今、気になっているのでしょうか?

高橋:自分の中のムードがそれに近いのかもしれません。昔から日常着をどう新しいものにしていくかという実験的なことはずっとやっていて、そこは一貫して「アンダーカバー」のデザインテーマでもあります。葉山(神奈川)に2拠点目を構えてからはライフスタイルも大きく変わってきました。例えば自分の着飾り方もだいぶ落ち着いてきていると思う。でも、だからと言って落ち着いたものを作るのわけではない。デザインのひねり方やスパイスの入れ方は変わってきたんだと思います。

ーー高橋さんにとって「ジーユー」とはどういうイメージのブランドですか?

高橋:元々「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボレーションをやっていたのですが、「ジーユー」は「ユニクロ」よりもデザイン性が加わっていて、今の時代の雰囲気を捉えたモノ作りをしているブランドという認識があります。スタッフの方と打ち合わせをしていても、今の時代の空気感をつかんだMDプランを組み立てているし、「アンダーカバー」の解釈や研究もしっかりとしている。コラボレーション商品のどこにどういうテイストを入れ込むか、という具体的な提案や意見を出してくれました。

ーー「ジーユー」との間で、企画はどのように進めたのでしょうか?

高橋:まずは「ジーユー」のMDプランをいただいて、そこに対してどういうデザインを作り上げていくかを話し合いながら決めて行きました。「アンダーカバー」のデザイン的な手法やポイントをしっかり押さえてくれているので、その引き出しの中から「このアイテムにはこの手法を使ってはどうか?」など、具体的な提案がありました。それに対して「このデザインはこのままで」とか、「このデザインは変えていきましょう」という感じでセッションしながら細かく詰めていきました。でも、「ジーユー」と「アンダーカバー」って意外と共通点が多いんですよ。僕自身、本来ベーシックなものが好きだし、「ジーユー」と「アンダーカバー」のカラーパレットも似ています。ですから、そこに自分たちなりのスパイスを入れていくという作業でした。

スタジャンや自分が初めてパリコレで発表したときに入れたタトゥーと同じ柄をデザインしたトラックスーツは本当にベーシックだけど、少しだけツイストを効かせています。トラックスーツのパンツは裾をアジャストできて靴も変えて楽しめるようになっていますし、脱着可能にするコートやデニムのギミックなんかも「アンダーカバー」で使うテクニックです。でも、デニムのシルエットは「ジーユー」のものだったり、両者を融合して着やすいデザインに仕上げています。

ーー素材もしっかりしたものを使っている印象を受けました。出来栄えはどうでしたか?

高橋:この値段でクオリティーの面でもここまでやられちゃうと参っちゃいますよね。冗談抜きで本当にびっくりするクオリティーです。今後のコラボレーションではエレガントなものだったり、カジュアルすぎないものにも挑戦してみたいですね。そういうものがあってもいいんじゃないかなと思っています。

「継続してきたことがようやく定着してきた」

ーーブランドを継続していく中で、近年「アンダーカバー」の評価は、メトロポリタンでの展示しかり業界の中で熱気を帯びてきています。それはなぜだと感じますか?

高橋:何ででしょう(笑)。純粋に面白いもの、自分が興味のあるものに対してモノ作りをするという姿勢を崩していないからでしょうか。この時代だから余計そういうブランドが少なくなってきている気がします。ビジネスベースでモノを作っていくのも大事なことだとは思うんですが、そこに自分たちにしかできないオリジナリティーのあるクリエイションを発表していくこと。それをパリでも20年やってきて、ようやくそれが定着してきたのかなと。嬉しいことですよね。

ーー日本人の若手デザイナーたちは、近年んあまり世界に飛び出していっていない印象を受けます。日本の若手デザイナーに向けてメッセージはありますか?

高橋:今の時代だと、自分がパリにわざわざ行ってショーをしなくてもSNSを使ってワールドワイドなことが出来るじゃないですか。それが主流であれば(日本で発表を続けても)世界に出ていないわけではないし、時代に合ったやり方をすればいいと思います。パリコレに参加することだけが世界に出ることではないし、やり方は色々あります。

自分はパリに行ってコレクションを発表することに変わりはないのですが、若い人たちの動きを見るとSNS上で発表するのが主流になっている。時代は変わったなぁとは思いますよね。SNSで見せることがメインだと、デザインというよりは、どれだけキャッチーに伝えられたかの良し悪しみたいな話にもなってくる。われわれももちろんSNSは活用しますが、自分たちにしかできないデザインを届けていければ、今の時代、SNSのようなツールがあったとしても自分たちは自分たちのやり方があると思っています。

ーー最近画家としても活躍されていますが、絵のコンセプトや、絵を描くことは高橋さんにとってどのような位置付けですか?

高橋:息抜きにはなっていると思いますし、自分の内側にあるものを表現するクリエーションの一部だと思います。ファッションは絵に比べて制限が多い。絵は何でもありなので、何でもありすぎて、どうまとめていくかを考えると、意外とファッションをデザインすの過程に近いんです。

僕の絵のダークな世界観は「アンダーカバー」に通じるところがあります。日常着にどうアレンジを加えているかに近い作業。自分の生活で起こっていることや世の中で起こっていること、混沌とした世界の状況が絵に表れている。自分と世の中の距離感が絵に反映されていると思います。ファッションデザインを洗練されたものにするにはクリエイションのいろんなアウトプットがあった方がいい。ファッションのデザインでできないことを他のアート活動で見せているんだと思います。

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ゆりやんレトリィバァが語る「『極悪女王』での青春の日々」——自分らしく生きていくことが芸人

PROFILE: ゆりやんレトリィバァ/芸人

PROFILE: 1990年11月1日生まれ。奈良県吉野郡出身。趣味は映画鑑賞(大学で映画研究をしていた)。特技は英語、ダンス。大学4年生の時に、大阪NSC35期生として入学し、お笑いを学ぶ。翌年行われた「NSC大ライブ2013」で優勝を果たし、NSCを首席で卒業。2017年、第47回NHK上方漫才コンテストで優勝。同年12月「女芸人No.1決定戦 THE W」に出場し、優勝。海外進出を目指し、19年6月には、アメリカのオーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」にも出場。21年には「R-1グランプリ」で優勝。23年にはラッパーとしてデビューし、お笑い以外の活動でも注目を集めている。

1970年から80年にかけて、日本で巻き起こった空前の女子プロレスブーム。歌って踊るアイドル的存在としても活躍していたビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)に憧れる少女は、華やかなプロレスラーになるため全日本女子プロレスの門戸をたたく。彼女の名前は松本香。後に最恐最悪のヒール“ダンプ松本”として日本中にその悪名を轟かすことになる人物である。心優しい少女はなぜダンプ松本になったのか、その知られざるストーリーを紐解く全5話のNetflixシリーズ「極悪女王」が9月19日からネットフリックスで配信される。企画・プロデュース・脚本を手掛けたのは、放送作家として多くの人気番組を生み出したほか、脚本家や文筆家としても活躍する鈴木おさむ。番組に参加した際にダンプ松本から女子プロ時代の話を聞き、世界に通じるドラマになると確信して企画した。総監督を務めたのは「死刑にいたる病」(2022)、「碁盤斬り」(24)と話題作を続々と発表する白石和彌だ。

物語の主役となる松本香=ダンプ松本を演じるのは、世界を股にかけ活躍する多才な芸人・ゆりやんレトリィバァ。宿命のライバル、クラッシュ・ギャルズの長与千種とライオネス飛鳥を唐田えりかと剛力彩芽が演じるほか、仙道敦子、斎藤工、村上淳ら豪華キャストが脇を固める。プロレスシーンの構成を担ったのは、本作の主要人物としても登場する長与千種。なんと大迫力のプロレスシーンでは、女子プロレス団体「Marvelous(マーベラス)」の下でプロレスを学んだキャストたちが実際に闘っているという。

「青春のような日々だった」と語る撮影期間に一体何があったのか。大幅な肉体改造をして本作に挑んだという主演・ゆりやんレトリィバァに話を聞いた。

役作りで40kg増量

——ゆりやんさんは本作の主人公・ダンプ松本役をオーディションで射止めたと伺いました。そもそもオーディションを受けるきっかけは何だったのでしょうか?

ゆりやんレトリィバァ(以下、ゆりやん):私は毎日、コボちゃんみたいな見た目の牧くんというマネージャーに「仕事のことで何か良いことありますか?」って電話するんです。それである日、いつも通り牧くんに電話したら「あるんです!あるんです!」ってめっちゃテンション高い時があって。それで「ダンプ松本さんのドラマがネットフリックスで作られます!それの主役オーディションのお話があります!」と教えてもらってオーディションを知りました。私はその当時から、将来的にアメリカで活動したいと思っていて。ネットフリックスさんはアメリカの企業だし、白石和彌監督と鈴木おさむさんの作品で主役を演じられたら絶対に自分のキャリアにとってもプラスになると思ってオーディションを受けることにしました。

——合格を告げられた時の心境はいかがでしたか?

ゆりやん:本当にびっくりしました。オーディションを受けてからずっと「ダンプさんになれるかな」とドキドキしていて、毎日マネージャーに結果の連絡がないか確認していたんです。未発表情報なので人前で詳しい内容については話せないじゃないですか。なので当時吉本の窓口をしていた立川さんという方の名前を隠語みたいにして「立川さん関係で何か進展は?」とか「立川さんどうなってる?」って日々話していました。それである日「立川さん確定です」って言われて……とにかくうれしかったですね。

——当時45kgという大幅なダイエットをした直後で、そこから役作りのために40kgも増量したと伺いました。かなりハードな体験だったかと思いますが……。

ゆりやん:減量後だったこともあり、ダンプ松本さんのような大きい身体作りができるのか不安で、オーディションを受ける前にこの役は難しいかもと悩んだこともありました。でも減量の時からお世話になっていたトレーナーの岡部友さんに、リバウンドではなく筋肉トレーニングなど体に負担がない方法で増量することを相談したら「一緒に頑張ろう」と言ってくれて。それなら自分も頑張れそうだと、覚悟を決めてトレーニングに挑みました。

もちろん身体作りにあたってはネットフリックスさんも徹底的にサポートしてくれました。月一度の健康診断や血液検査などを実施してくれたり、トレーニングや食費面も支えてくれたりしたので、安心して増量することができました。今は撮影が終わったので減量中です。

一緒に青春を過ごした仲間のような関係

——「極悪女王」は紆余曲折ありながらも最終的にはシスターフッドの物語でしたね。唐田えりかさん、剛力彩芽さんはじめキャストの皆さんとの連帯感はいかがでしたか?

ゆりやん:唐田さんや剛力さんをはじめプロレスラー役のみんなとは、プロレスを教わるため長与千種さんの女子プロレス団体「Marvelous」さんの道場へ毎日通っていました。練習の日々は本当に部活で青春しているみたいで。だから撮影の日も「今日は試合シーンの撮影やな」じゃなくて「今日は試合やな」って普通に話していたり(笑)。そんな中で形成された関係性や会話が役ともピッタリはまっていたので、みんなお芝居しつつも役の中に素の自分が生きているような感覚でしたね。みんな、一緒に青春を過ごした仲間のような関係です。

——本作では男性経営者に搾取されながらも勝ち上がり、自分を貫く女性たちの姿が描かれていました。お笑いの世界も男性社会という印象が強く、その中で活躍の場を世界に広げていくゆりやんさんの姿がダンプ松本さんと重なったのですが、ストーリーに共感する部分はありましたか?

ゆりやん:登場人物の強さや優しさなど人間的な部分に尊敬や共感する部分はたくさんありますが、特に感情移入したのが松本香さんからダンプ松本さんに覚醒するところです。覚醒前の松本香さんは、自分がうまくいかない中で周りの子たちがどんどん売れていく姿を見ていて苦しかっただろうし、人のせいにせず自分を責め続けていて本当につらかったと思うんです。

その後覚醒して、悪役メイクをして初めてリングに立った時に「帰れ!帰れ!」というコールを聞いたわけですよね。普通は「帰れ」と言われるなんて嫌ですが、ダンプさんはその時に初めて自分にスポットライトが当たっていると感じてうれしかったんじゃないかなって思うんです。それを長与さんに聞いたら、やっぱりダンプさんは「帰れ」と言われて喜んでたらしいんですよ。芸人もひどい言葉をぶつけられることもあるけど、それがエネルギーや餌になる部分は通じると思うんです。私も言われたことをコントやネタにして自分の糧にしたりするからこそ、ダンプさんのそんな部分にはとても共感しました。

——覚醒するシーンの前と後では演技の質が180度変わっていて驚きました。演じる上での気持ちの切り替えはどのように行ったのでしょうか?

ゆりやん:自分もどうすれば良いのか悩んでいたんですよね。そんな時にダンプさんが練習を見にきてくれて「遠慮したらダメだよ。怖くしなきゃダメ」ってこっそり教えてくれたんです。それまで私は人前で結構暴れたりとかしていましたけど、めちゃくちゃやっているように見えて実は遠慮していたり、抑えていた部分もあって。でも撮影が進んでいく中で、皆全力でぶつかり合っているのに、自分が抑えててはいけないなと思うようになりました。それで気持ちを抑えず演じるうちに役と自分が一体化してきて、松本香 さんが覚醒すると同時にダンプさんの気持ちや感情が自分の内から溢れ出てきたんです。殻を破ったかのような感覚でした。

分かっていたはずなんですけど、先日完成品を試写会で観たら「みんな途中からめっちゃ変わってる……!」って驚きました。4話からの血の上り方がそれまでと全然違っていて、やっぱり異様な空気感だったんだなと実感しましたし、それを引き出した監督があらためてすごいなと思いました。

——ダンプ松本に覚醒してからの現場の空気は大丈夫でしたか……?

ゆりやん:覚醒後も現場は荒れることなく良い雰囲気でした。ただ一つ実践したことがあって。私は(唐田)えりかちゃんとめっちゃ仲が良くて、いつも連絡を取り合っているんです。でも作品の中では長与さんとダンプさんが次第に気まずくなっていって、やがていがみあうようになりますよね。ダンプさんからも「プライベートでもしゃべるのやめた方が良いよ」と言われたこともあり、話し合った上で決別するシーンから一切しゃべることをやめたんです。そしたら皆本当は仲良いと分かりつつも、私がいないところで皆が盛り上がってたりすると腹立つようになってきて(笑)。

話すのをやめてから初めて目を合わすシーンがあったんですが、互いにめっちゃ気まずかったんですよね。そうしたら元から本当にそんな関係性だったように思えてきて。そんな状態がしばらく続いていたんですが、最後の髪切りデスマッチの泊まり込み撮影の時に、なかなか息が合わずリハが上手くいかなかったんです。するとえりかが「レトリ、今日ご飯いこ」って声かけてくれて。ご飯行ったら元通りにしゃべれて、私たちやっぱり仲良かったんやなと思い出せました。

その経験があるおかげで当時の長与さんとダンプさんの気持ちも分かったし、そこからは試合に向けていろいろ意思疎通していこうと確認しあって、それまで以上にコミュニケーションを取るようになりました。遠慮していたことも言えるようになりましたし、今ではLINEで4時間くらい話したりする仲です。そんな良い友達にもこの作品を通じてたくさん出会えてうれしかったですね。

撮影中のサポートについて

——インティマシーコーディネーター(IC)の浅田智穂さんをはじめ大勢のケアスタッフが参加されていますが、撮影する上でのサポートはいかがでしたか?

ゆりやん:今回初めてICさんにお会いして、こんな方がいるんだなと。撮影中はいろいろとケアしていただきました。例えば水着での撮影シーンがある際には「これは着れますか?」とか「ここからは撮られたくないとかありますか?」と聞いてくれたり。みんなの前で聞かれたら、言いづらいこともあるじゃないですか。そんな心理的に言いにくいことを言える環境を作ってくれましたね。健康や栄養面に関しても、いろんな専門家の方が常に支えてくれて心強かったです。

——本作の撮影中にゆりやんさんが負傷したと報じられ、心配の声が上がっていました。大変な状況だったと思いますが、事故の後はどのようなサポート体制で撮影を続けられたのでしょうか。

ゆりやん:事故のニュースを見たらグロい感じになってたんですけど……実際はそんなことはなくて。プロレスシーンはほとんど実際に私たちが演じているんですが、当初からプロレスの練習や撮影シーンにおいてはかなり安全面の配慮をしてもらっていました。その上で、私が普通に受け身をミスってしまったんです。

事故以降の撮影ではこれまで以上にスタッフだけでなく、私たちキャストも少しでも違和感を覚えたらすぐお互いに言うようになりました。遠慮していることもあるかもと思って、キャスト同士で「今のは痛かったように見えました」「いえ、痛くないです」「でも痛そうでした」とか言い合ったり(笑)。長与さんも作中のプロレス技を組む上で、これだったらより安全なんじゃないかと配慮してくれていましたね。皆が一丸となってサポートしてくれたので、安心して撮影に臨むことができました。

——私もけがや増量のニュースを聞き、無茶をしているのでは……と思っていたので安心しました。

ゆりやん:ニュースが出た時は本当に悔しかったんです。ネットで和彌監督や鈴木おさむさんに直接いろいろ言ってる人もいましたし……。私がTwitterで「本当に大丈夫です」とつぶやいたら「このツイートはマネージャーがつぶやいていて、ゆりやんは横で寝たきりになっているに違いない」と言っている人もいて、考えすぎやろと思ってました。

本当に万全の体制で撮影しました……が実際に映像で見ると怖くてヒヤヒヤするし、ハラハラするかっこいい作品になったと思います。

海外での活動に向けて

——主題歌を担当されたAwichさんとは名曲「Bad Bitch 美学 Remix」でご一緒されていましたよね。ゆりやんさんは音楽や演技など幅広い分野で活躍されていますが、その原動力はどこから湧き上がってくるのでしょうか?

ゆりやん:最初私が芸人になった頃って、劇場とかテレビでコントやお笑いをするっていうことしか知らなかったんです。でも先輩たちの背中を見るうちに、好きなことや興味あることにも挑戦して、自分らしく生きていくことが芸人なんだと学ばせてもらいました。お笑い芸人という枠にとらわれず、ゆりやんレトリィバァとして生きて良いんだといろんな方に背中を押してもらい、引っ張ってもらったことが今回の「極悪女王」や音楽にもつながっているのかなと思います。

——今年の年末にアメリカへ引っ越すとのことですが、海外での活動に関してはどのようにイメージされているのでしょうか?

ゆりやん:あくまでイメージですが……。まずビバリーヒルズの広い家に住んで、毎日ポルシェかベンツを片手で運転してカフェに行って、サングラスかけながらコーヒー飲んで、ジムに行ってからオーディションを受けて、スタンダップコメディーに出てからパーティーに行きます。そして映画やドラマに出てハリウッドセレブになって、「次どこ進出する?」ってなったら「宇宙しかないでしょ」ってなって最終的には宇宙進出します。

——そんな憧れのハリウッドで、この人の作品に出たいという映画監督はいますか?

ゆりやん:スティーブン・スピルバーグ監督ですね。「E.T.2」にE.T.役として出たいです。

——ゆりやんさん自身も映画監督デビューされるとのことですが、目指す監督像は誰かいますか?

ゆりやん:やっぱり白石和彌監督です!リスペクト&リスペクトしているので。

——白石和彌監督とご一緒して、どのような部分をリスペクトされたのでしょうか。

ゆりやん:本当に全部が大好きなんです。最初は白石監督って呼んでたんですが、ある日ふと和彌監督って呼んでみたんです。突っ込まれるかなと思ったら「何?」って普通に言われて、そこから私は和彌監督と呼んでるんですけど。

和彌監督はお芝居中やリハーサル中もめっちゃ笑ってくれるんです。何か提案すると笑いながら「良いね!」って言ってくれたり。その笑い声がすごく好きで、みんなも和彌監督に笑ってもらうために頑張ろうとか、何したら監督が笑うだろうとか考えたりしてるんですよ。そんな風に笑いながら演出やセッティングをしてる姿が特に大好きですね。

——最後に、「極悪女王」を視聴する方にメッセージをお願いします。

ゆりやん:「極悪女王」の舞台は80年代で、女子プロレスの方々が日本に嵐を巻き起こした時代です。出演者のほとんどはその時代を生きていませんが、私たちも当時にタイムスリップしたと感じるほどの世界観が実際に作られていました。それこそダンプさんもセットや小道具を見て本物と変わりないと言ってたくらいに。「極悪女王」を観ている時ってその時代に飛び込んだような感覚になると思うので、この時代を知っている人はもちろん、知らない人にもぜひ体験してもらいたいです。安全に作られた楽しい作品ですが、極悪さは安心できないですよ!

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA
STYLING:MIKA ITO
HAIR&MAKEUP:TOMOKO OKADA(TRON)

■Netflixシリーズ「極悪女王」
9月19日からNetflixで世界独占配信
全5話(一挙配信)

出演:ゆりやんレトリィバァ 唐田えりか 剛力彩芽
えびちゃん(マリーマリー) 隅田杏花 水野絵梨奈 根矢涼香 鎌滝恵利
安竜うらら 堀 桃子 戸部沙也花 鴨志田媛夢 芋生 悠
仙道敦子 野中隆光 西本まりん 宮崎吐夢 美知枝
清野茂樹 赤ペン瀧川 音尾琢真
黒田大輔 斎藤 工 村上 淳
企画・プロデュース・脚本:鈴木おさむ
総監督:白石和彌  
監督:白石和彌(1〜3話)、茂木克仁(4〜5話)
プロレススーパーバイザー:長与千種
脚本:池上純哉
製作:Netflix
制作プロダクション:KADOKAWA
https://netflix.com/極悪女王

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ジェイミー・xxが語る最新作「In Waves」と「サンプリング」、そしてThe xxについて

ロンドンが生んだ稀代の才能も、気付けば随分とキャリアを重ねていた。私は幸運にも、彼の偉大な始まりに直撃し、彼の音楽と共に過ごしてきたわけだがザ・エックス・エックス(The xx)が2009年に最初のレコードをリリースしてから、15年もの月日が経ったことがいまだに信じられない。

ジェイムズ・スミスというありふれた名前の青年は、バンドでデビューした20歳の頃から、ジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)という奇妙なステージネームを名乗っている。極めてシンプルでありながら、なぜか派手派手しくもあり、とは言いつつも洗練されたその名は、彼の作家性とフィロソフィーそのものを表しているのではないだろうか。

初めてザ・エックス・エックスの「VCR」を聴いた当時14歳の私は、ギターを始めたてで、いとも簡単に演奏できるこの曲のフレーズを繰り返し弾いていた。トイピアノに似たキュートでアイコニックなサウンドと、シンプルなギターフレーズとベースラインが印象的であるが、ただ、その裏で巧みに抜き差しされるビートの妙に気付くのは、かなり後のこと。ミニマルとマキシマムを行き来する、彼の音楽について気付きが増えるたびに、彼のあまりにもオルタナティブな才能に圧倒され、なぜか落ち込んでしまう。

また彼は、弱冠22歳でギル・スコット・ヘロンの遺作のリミックスを買って出る、気骨のある人間だ。そのリミックスアルバムが、ソロキャリアの始まりであることも恐ろしいが、それがまた超エポックメイキングなのである。この「We're New Here」(2011年)と、ソロ1stアルバム「In Colour」(15年)に共通して感じたのは、サンプリングを用いる中で見せる引用元へのリスペクトと音楽への愛。サンプリングは、引用元の楽曲のストーリーテリングを更新することができる特別な表現方法であるが、彼は自身がティーンだった頃にダンスシーンで活躍していたレジェンドたちから、それを学び取った。

最新作「In Waves」は、彼の原点となったサンプリングミュージックと、現行のシーンに新風を吹き込む若い世代の音楽の両方に敬意を払った作品であり、そのぶつかり合う波の中で彼自身にとって最適なものを探求している。ただ、個人的でありながらも、オーディエンスへの目線は欠かさず、私たちにデリバーするそのカリスマ性とバランス感覚には敬服するばかりだ。

そんな敬愛するジェイミーに、約9年ぶりとなるフルアルバム「In Waves」についてのインタビューを敢行した。

「人生とは“波”のようなものだと気付くことができた」

——「In Waves」の“Wave”は、さまざまな比喩表現としても使われる言葉だと思いますが、今作にはどういった意図で用いたのでしょうか?

ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):広い意味では、僕がアルバムにかけた時間や、それまでに自分が体験したアップダウン、そして世界中の人々が体験したアップダウンを表している。僕はここ数年で、初めて物事を俯瞰して見るということができた。そして、人生とは“波”のようなものだと気付くことができたんだ。それができたから、今回のアルバムを完成させることができた。

——今作のアートワークは、強烈な波模様でかなりサイケデリックな印象があります。似たものだと、メルツバウ(Merzbow)の「Pulse Demon」などが思い出されますが、これはどのような意図がありましたか?

ジェイミー:衝撃的なものにしたいと思ったのと、僕の今までの作品のアートワークと似たようなテーマが感じられるものにしたいと思った。一連のコレクションになるようにね。また、今作のアートワークは、目の錯覚を起こすようなトリッピーなイメージにしたかった。アルバムの後半部分は特に顕著で、深いトンネルに落ちていくような不思議な感じがあると思うんだけど、それをアートワークで表現したかった。

——あなたのソロのアートワークには、共通してミニマリズムとマキシマリズムが共存しているように思えます。

ジェイミー:このアルバムに関しては、そうだと言えると思う。ここ数年リリースされている比較的ポップ寄りのダンスミュージックは結構ミニマルというか、ベーシックな方法で作られていて、僕はあまり心を動かされないんだ。聴いていて、何の感情も湧き起こらないんだよ。僕はそれに対抗して、今、世界的に使われているポピュラーな手法とは違うことを試みた。周りの状況や意見を気にすることなく、自分自身を信じて、自分にとって自然だと感じられることをやろうと思ったんだ。

サンプリングについて

——前作でも用いられていましたが、今作ではサンプリングがより多用されています。ただ、一口にサンプリングといっても、カットアップの手法に90年代以降のクラブミュージックからの直接的な影響を感じました。

ジェイミー:子供の頃に自分がやっていた音楽制作の方法に立ち返ったんだ。その頃は、自分が作った音楽なんて誰も聴いたことがなかったし、誰かに聴いてもらおうとも思っていなかった。その時の作り方が一番楽しかったから、またその方法で音楽を作ろうと思ったんだ。その方法というのが、サンプリングを多用することだった。90年代の音楽もサンプリングを起用したものが多かったと思う。それに、最近のダンスミュージックが聴けない時期とも重なったんだ。というのも、ダンスミュージックを聴くと、仕事のことを悪い方に考えて不安になってしまってね。だから古い音楽を聴いていて、アルバムではそんな時に聴いていた音源をたくさんサンプリングした。この点においても、自分のルーツに立ち返ったと言えるね。

——その時代のレジェンドとして、実際にアヴァランチーズ(The Avalanches)と共演していますが、彼らとの仕事はどうでしたか?

ジェイミー:素晴らしかったよ!彼らの1stアルバム「Since I Left You」(2000年)が出た時、僕はあのアルバムをループして、それから何年も聴いていたんだ。その経験によって、自分の音楽制作の基礎が形成されたと思う。あのアルバムが出た時、僕は11歳だったから、ちょうど自分で音楽を作る方法を学び始めていた頃だったんだ。アヴァランチーズに実際に会って、彼らの1stアルバムについて話したり、彼らがどうやって音楽を作っているのかについて聞いたりして仲を深めていった。今では、彼らがロサンゼルスに来る時は、僕の自宅に泊まることもある。逆に、僕がオーストラリアに行く時は、彼らと一緒に遊んだりする。自分が尊敬するヒーローに会うことができて、しかも自然な関係性を築くことができたのは、すごく特別なことだと思う。僕と彼らの音楽の作り方は上手くフィットしたんだけど、それは彼らの音楽をたくさん聴いて、彼らから学んできたから当然のことだよね。

——「All You Children」に続く「Every Single Weekend」も特徴的な子供の声のサンプルが使われていますが、あれは何かの曲からサンプリングしたものですか?

ジェイミー:あれも実はアヴァランチーズとコラボレーションした曲なんだ。最初に作ったバージョンはもっと尺の長いものだったんだけど、そっちのバージョンは今後、アヴァランチーズ名義でリリースできたらと思っている。僕たちは、子供の歌声が入ったサンプルをたくさんお互いに送り合っていた。彼らの得意とする分野だよね(笑)。
そして、僕たちはこの曲のバージョンをいくつも作った。だからアルバムに収録されているのは、長いバージョンを切り取ってつなげたものなんだよ。

——アルバムからの最初のシングル「Baddy On the Floor」のカットアップの部分で、ダフト・パンクの「One More Time」を思い出す人は多いかもしれません。

ジェイミー:その曲自体を意識したわけではないんだけど、僕はあの時代のダンスミュージック全般に大きな影響を受けてきた。ちょうど「Discovery」(01年)がリリースされていた頃に、音楽の作り方を勉強していたからね。彼らの音楽は、当時最もヒットしたポップソングだったけれど、それと同時にとても品があり、僕の幼少時代から大好きだった音源をサンプリングしていたり、参考にしたりしている上に、プロダクションが洗練されていた。そういった部分に影響を受けているから、自分の音楽においても、同じような感覚を呼び起こすものを作りたいと常に思っているんだ。

——サンプリングを用いるとなれば、一番苦労するのが権利のクリアランスかと思います。そこでのエピソードを聞かせてください。

ジェイミー:許諾を得るのは大変なものばかりだったよ。最近ではサンプリングをするのがさらに難しくなったからね。今回は自分のルーツに立ち返りたいという思いがあったから、サンプリングの許諾を得るのが大変でも、それをする必要があった。実は1曲だけ、どの部分もクリアランスが下りず、アルバムに収録できなかった曲があるんだ。いつかこの曲を完成させて、クリアランスが必要ないDJセットなんかでプレイできればいいけどね。

——オープニングトラック「Wanna」は、興奮を目前にした静けさをキャプチャしたかのようなアンビエントトラックですが、なぜこのような静かな幕開けにしたのでしょうか?

ジェイミー:そもそも、「Wanna」をアルバムの最初に持ってこようとは意図していなかったんだ。このアルバムのトラックリストを考えるのには、すごく時間をかけていて、この曲はアルバムの中盤に置いてあるパターンが多かった。もともとは自分のDJセットで、観客に静かな瞬間を与えて、リセットさせるために作った曲なんだよ。だけど、「Wanna」をアルバムの中盤に置いたバージョントラックリストで、アルバムをフォー・テット(Four Tet)に聞いてもらったら、彼の主な指摘は「『Wanna』を冒頭に持ってこい」ということだった。最初は彼の指摘はクレイジーだと思ったよ。でもそれを取り入れることにした。フォー・テットはいつも素晴らしいアドバイスをくれる。それがピッタリとハマったんだ。

「Dafodil」「Still Summer」「Life」「Breather」のこだわり

——「Dafodil」は、J.J.バーンズ(J.J. Barnes)の「I Just Make Believe (I’m Touching You)」と、アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)による同曲のカバーがサンプリングされていますよね。あの2曲がつながった瞬間は最高でした!これにはどのような狙いがあったのでしょうか?

ジェイミー:この曲ができた時に、「自分はまたソロアルバムを作れるのかもしれない」という段階だったんだ。この曲でも、自分が昔やっていたようなサンプリングの手法を使っている。ただ、今まで自分がやってきたサンプリングよりも面白い方法で使いたいとも思った。

それから、客演してくれているケルシー・ルー(Kelsey Lu)との関係が形になった曲でもあるんだ。彼女とは仲が良くて、一緒に時間を過ごしていた時期もあったんだけど、この曲は、僕とケルシーが出会った最初の夜について歌っている。アルバムの要所要所に、このような深い繋がりを表現したいと思ったんだ。

——「Dafodil」に関してもう1つ聞きたいのが、ケルシーのほかに、ヴィーガンとの仕事でも知られるジョン・グレイシャー(John Glacier)も参加していて、2人の声にはビットクラッシュのような特徴的なフィルターがかかっています。一方で(アニマル・コレクティヴの)パンダ・ベア(Panda Bear)の声にはボコーダーが使われていて、サンプルも含め、出自やシーンもバラバラな5人の声がカオスに混ざり合っています。このプロダクションにはどのような意図があったのでしょうか?

ジェイミー:もともとこの曲はケルシーだけが参加していたものだった。その後に、たくさんの人に「ロンドンでの楽しい夏の一夜」というテーマで、ヴァースを送ってもらうように頼んだんだ。だから、別のバージョンには30人くらいの人が参加しているものもあるんだよ。こっちのバージョンも、いつか完成させたいと思っている。アルバムのバージョンに起用したヴァースは、特に異質なものを選んだんだ。1つの曲でも、リスナーを壮大な旅に連れて行くことができて、なおかつ一貫性のあるものを作ることができるということを表したかった。

——「Still Summer」のグリッチエフェクトに衝撃を受けました。あれは具体的にどのような処理を施しているのでしょうか?

ジェイミー:あれは、間違いが重なってできたものなんだ。フロー状態に入って作っていたんだけど、特に何も考えずに、適当に、自由に制作をしていた。すべてが上手くいく最高な一日だった。技術的には、比較的シンプルなシンセのコードプログレッションを作っていて、それをリサンプリングして、引き伸ばして、逆再生してみたんだ。最終的にできた音はオーガニックな響きになったと思う。ノートパソコンから音を出しているというよりも、誰かがギターをかき鳴らしている音みたいだよね。

——「Life」での、ロビンとの仕事はいかがでしたか?

ジェイミー:とてもすてきな時間だったよ。いつでもそう。実は、彼女ともう何年も一緒に仕事をしてきているし、友人としても一緒に時間を過ごしてきた。彼女はキャリアが長いから、僕にとってはすごく良い刺激になるし、彼女と一緒に仕事すると、彼女から多くのことを学べるんだ。僕たちが今まで一緒に作ってきた音楽は、これまで正式に公開されることがなかったから、「Life」がリリースされてすごくうれしいよ。

——もともとつながりがあったんですね!この曲にはフランスのディスコグループ、リベラシオンによる「The House Of The Rising Sun」のカバーがサンプリングされていますが、それをロビンの歌と組み合わせるのは、とても素晴らしいアイデアだと思いました。

ジェイミー:サンプルを聴いた瞬間に、それをどうやって自分の曲に仕上げればいいのかというのがすぐにひらめいたという稀なケースだった。曲の仕上がりも実際に良かった。そして、ポップなメロディーを乗せるのが上手な人とコラボレーションするのが当然だと思ったし、僕が作ったトラックのテンションに負けない人とコラボレーションしたいと思ったんだ。ロビンとは既に仲良くなっていたし、僕たちはサウンドについての感性が似ているから、彼女なら僕が作曲したこのトラックを気に入ってくれると思った。僕が彼女にトラックを送ったら、彼女はすごく感激してくれて、ボーカルのパートを1日くらいで作って送り返してくれた。彼女のパートも完璧だった。

——「Breather」は、かなりアクロバティックというか、ダブステップやブレイクビーツといった複雑なリファレンスがある楽曲だと思うんですが、この曲にはどのようなバックボーンがありますか?

ジェイミー:「Idontknow」という曲を作って、パンデミックの最中にリリースしたんだけど、この曲は130BPMから160BPMに変わるんだ。

この切り替えは、比較的スローなダンスミュージックからジャングルにスイッチする時に便利なんだ。僕は自分のDJセットで、(早いテンポから)ハウスのテンポに戻るトラックを探していて、その時にこの方法を思いついた。それはシンコペーションされたシンセラインを使うというアイデアで、シンセラインは同じテンポでキープして、他の要素のテンポを変えるというものだった。「Breather」もこれが基本的なアイデアとして作られている。それに、さっきも話したような、大勢の観客の前でプレイする時に、冷静になれる瞬間を作って、観客が落ち着ける瞬間を作りたいという思いもあった。「Breather」は、パンデミックの中で作った曲なんだけど、この曲が完成した時に強く感じたのは、パンデミックが終わって世界がまた開けたら、この曲をみんなの前で早くプレイしたいなということだった。

「シャネル」とのコラボ

——今年の初めには「シャネル(CHANEL)」とのコラボレーションで「It's So Good」をリリースしましたね。この曲はUKファンキーとハウスが混在していますが、あなたのこのセンスは、サイエンティストというより、パヒューマーに近いと思います。なぜ、複雑なものを美しくまとめ上げることができるのですか?

ジェイミー:すてきなコメントをありがとう。どうやってできるのかは分からないけれど、この曲に関しては、あまりプレッシャーを感じることなく、自由に表現できる機会だったからかもしれない。「シャネル」が僕にアプローチしてきて、「あなたの自由にして良いですよ」と言ってくれたんだ。素晴らしい会社の支援があって、自由に音楽制作ができるというのは本当に最高だった。「シャネル」というブランドも、このプロジェクトに携わっていたクリエイターの人たちもみんな寛容だったから、プレッシャーをあまり感じることなく、少し変わったことをやってみてもいいんだ、という気持ちにさせてくれた。

——では、経緯としては「シャネル」から連絡があり、「自由に音楽を作ってください」という感じだったんですね?

ジェイミー:そうだよ。「シャネル」という大企業がここまで自由にやらせてくれるのは、とても稀なことだと思う。だからあの機会を与えてもらったことにはとても感謝しているよ。

The xxについて

——先日のグラストンベリーのステージでも、(ザ・エックス・エックスの)ロミー(Romy)とオリヴァー・シム(Oliver Sim)が登場した瞬間は特に盛り上がっていましたが、今作の「Waited All Night」を聴いた瞬間も同じような高揚感を覚えました。やはり、3人が集まった瞬間のマジックは存在しますか?

ジェイミー:確かに存在するね。それを言葉にするのは難しい。彼らとはもう長い付き合いになるけれど、今でも、そういうマジカルな瞬間があるんだ。僕たちは、普通に友達としてもよく一緒に遊んでいて、しょっちゅう会っているんだけどね!(笑)。

でも3人で音楽を作ると、言葉では言い表せない何かが起きる。この前のグラストンベリーでもそうだった。BBCの撮影が入っているのも知っていたし、その映像を大勢の人が見ることも分かっていたけれど、彼らと一緒にいることがうれしすぎて、僕は笑顔を隠しきれなかった。野暮ったく見えてないといいんだけど、僕にとっては最高に楽しい瞬間だったよ。

——たくさんの人が感動している瞬間でしたよ! 今年は「The xx」(09年)のリリースから15周年のアニバーサリーでもありますね。遠くないうちにまた3人の音楽も聴けるのでしょうか?

ジェイミー:遠くないうちかどうかは分からないけれど、僕たちは3人でまた音楽を作り始めている。まだ初期段階だけど、僕たちから今後、音楽がリリースされることは間違いないよ。

■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
※デジタル/ストリーミング配信は9月20日から。
CD 国内盤 (解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14157

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ジェイミー・xxが語る最新作「In Waves」と「サンプリング」、そしてThe xxについて

ロンドンが生んだ稀代の才能も、気付けば随分とキャリアを重ねていた。私は幸運にも、彼の偉大な始まりに直撃し、彼の音楽と共に過ごしてきたわけだがザ・エックス・エックス(The xx)が2009年に最初のレコードをリリースしてから、15年もの月日が経ったことがいまだに信じられない。

ジェイムズ・スミスというありふれた名前の青年は、バンドでデビューした20歳の頃から、ジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)という奇妙なステージネームを名乗っている。極めてシンプルでありながら、なぜか派手派手しくもあり、とは言いつつも洗練されたその名は、彼の作家性とフィロソフィーそのものを表しているのではないだろうか。

初めてザ・エックス・エックスの「VCR」を聴いた当時14歳の私は、ギターを始めたてで、いとも簡単に演奏できるこの曲のフレーズを繰り返し弾いていた。トイピアノに似たキュートでアイコニックなサウンドと、シンプルなギターフレーズとベースラインが印象的であるが、ただ、その裏で巧みに抜き差しされるビートの妙に気付くのは、かなり後のこと。ミニマルとマキシマムを行き来する、彼の音楽について気付きが増えるたびに、彼のあまりにもオルタナティブな才能に圧倒され、なぜか落ち込んでしまう。

また彼は、弱冠22歳でギル・スコット・ヘロンの遺作のリミックスを買って出る、気骨のある人間だ。そのリミックスアルバムが、ソロキャリアの始まりであることも恐ろしいが、それがまた超エポックメイキングなのである。この「We're New Here」(2011年)と、ソロ1stアルバム「In Colour」(15年)に共通して感じたのは、サンプリングを用いる中で見せる引用元へのリスペクトと音楽への愛。サンプリングは、引用元の楽曲のストーリーテリングを更新することができる特別な表現方法であるが、彼は自身がティーンだった頃にダンスシーンで活躍していたレジェンドたちから、それを学び取った。

最新作「In Waves」は、彼の原点となったサンプリングミュージックと、現行のシーンに新風を吹き込む若い世代の音楽の両方に敬意を払った作品であり、そのぶつかり合う波の中で彼自身にとって最適なものを探求している。ただ、個人的でありながらも、オーディエンスへの目線は欠かさず、私たちにデリバーするそのカリスマ性とバランス感覚には敬服するばかりだ。

そんな敬愛するジェイミーに、約9年ぶりとなるフルアルバム「In Waves」についてのインタビューを敢行した。

「人生とは“波”のようなものだと気付くことができた」

——「In Waves」の“Wave”は、さまざまな比喩表現としても使われる言葉だと思いますが、今作にはどういった意図で用いたのでしょうか?

ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):広い意味では、僕がアルバムにかけた時間や、それまでに自分が体験したアップダウン、そして世界中の人々が体験したアップダウンを表している。僕はここ数年で、初めて物事を俯瞰して見るということができた。そして、人生とは“波”のようなものだと気付くことができたんだ。それができたから、今回のアルバムを完成させることができた。

——今作のアートワークは、強烈な波模様でかなりサイケデリックな印象があります。似たものだと、メルツバウ(Merzbow)の「Pulse Demon」などが思い出されますが、これはどのような意図がありましたか?

ジェイミー:衝撃的なものにしたいと思ったのと、僕の今までの作品のアートワークと似たようなテーマが感じられるものにしたいと思った。一連のコレクションになるようにね。また、今作のアートワークは、目の錯覚を起こすようなトリッピーなイメージにしたかった。アルバムの後半部分は特に顕著で、深いトンネルに落ちていくような不思議な感じがあると思うんだけど、それをアートワークで表現したかった。

——あなたのソロのアートワークには、共通してミニマリズムとマキシマリズムが共存しているように思えます。

ジェイミー:このアルバムに関しては、そうだと言えると思う。ここ数年リリースされている比較的ポップ寄りのダンスミュージックは結構ミニマルというか、ベーシックな方法で作られていて、僕はあまり心を動かされないんだ。聴いていて、何の感情も湧き起こらないんだよ。僕はそれに対抗して、今、世界的に使われているポピュラーな手法とは違うことを試みた。周りの状況や意見を気にすることなく、自分自身を信じて、自分にとって自然だと感じられることをやろうと思ったんだ。

サンプリングについて

——前作でも用いられていましたが、今作ではサンプリングがより多用されています。ただ、一口にサンプリングといっても、カットアップの手法に90年代以降のクラブミュージックからの直接的な影響を感じました。

ジェイミー:子供の頃に自分がやっていた音楽制作の方法に立ち返ったんだ。その頃は、自分が作った音楽なんて誰も聴いたことがなかったし、誰かに聴いてもらおうとも思っていなかった。その時の作り方が一番楽しかったから、またその方法で音楽を作ろうと思ったんだ。その方法というのが、サンプリングを多用することだった。90年代の音楽もサンプリングを起用したものが多かったと思う。それに、最近のダンスミュージックが聴けない時期とも重なったんだ。というのも、ダンスミュージックを聴くと、仕事のことを悪い方に考えて不安になってしまってね。だから古い音楽を聴いていて、アルバムではそんな時に聴いていた音源をたくさんサンプリングした。この点においても、自分のルーツに立ち返ったと言えるね。

——その時代のレジェンドとして、実際にアヴァランチーズ(The Avalanches)と共演していますが、彼らとの仕事はどうでしたか?

ジェイミー:素晴らしかったよ!彼らの1stアルバム「Since I Left You」(2000年)が出た時、僕はあのアルバムをループして、それから何年も聴いていたんだ。その経験によって、自分の音楽制作の基礎が形成されたと思う。あのアルバムが出た時、僕は11歳だったから、ちょうど自分で音楽を作る方法を学び始めていた頃だったんだ。アヴァランチーズに実際に会って、彼らの1stアルバムについて話したり、彼らがどうやって音楽を作っているのかについて聞いたりして仲を深めていった。今では、彼らがロサンゼルスに来る時は、僕の自宅に泊まることもある。逆に、僕がオーストラリアに行く時は、彼らと一緒に遊んだりする。自分が尊敬するヒーローに会うことができて、しかも自然な関係性を築くことができたのは、すごく特別なことだと思う。僕と彼らの音楽の作り方は上手くフィットしたんだけど、それは彼らの音楽をたくさん聴いて、彼らから学んできたから当然のことだよね。

——「All You Children」に続く「Every Single Weekend」も特徴的な子供の声のサンプルが使われていますが、あれは何かの曲からサンプリングしたものですか?

ジェイミー:あれも実はアヴァランチーズとコラボレーションした曲なんだ。最初に作ったバージョンはもっと尺の長いものだったんだけど、そっちのバージョンは今後、アヴァランチーズ名義でリリースできたらと思っている。僕たちは、子供の歌声が入ったサンプルをたくさんお互いに送り合っていた。彼らの得意とする分野だよね(笑)。
そして、僕たちはこの曲のバージョンをいくつも作った。だからアルバムに収録されているのは、長いバージョンを切り取ってつなげたものなんだよ。

——アルバムからの最初のシングル「Baddy On the Floor」のカットアップの部分で、ダフト・パンクの「One More Time」を思い出す人は多いかもしれません。

ジェイミー:その曲自体を意識したわけではないんだけど、僕はあの時代のダンスミュージック全般に大きな影響を受けてきた。ちょうど「Discovery」(01年)がリリースされていた頃に、音楽の作り方を勉強していたからね。彼らの音楽は、当時最もヒットしたポップソングだったけれど、それと同時にとても品があり、僕の幼少時代から大好きだった音源をサンプリングしていたり、参考にしたりしている上に、プロダクションが洗練されていた。そういった部分に影響を受けているから、自分の音楽においても、同じような感覚を呼び起こすものを作りたいと常に思っているんだ。

——サンプリングを用いるとなれば、一番苦労するのが権利のクリアランスかと思います。そこでのエピソードを聞かせてください。

ジェイミー:許諾を得るのは大変なものばかりだったよ。最近ではサンプリングをするのがさらに難しくなったからね。今回は自分のルーツに立ち返りたいという思いがあったから、サンプリングの許諾を得るのが大変でも、それをする必要があった。実は1曲だけ、どの部分もクリアランスが下りず、アルバムに収録できなかった曲があるんだ。いつかこの曲を完成させて、クリアランスが必要ないDJセットなんかでプレイできればいいけどね。

——オープニングトラック「Wanna」は、興奮を目前にした静けさをキャプチャしたかのようなアンビエントトラックですが、なぜこのような静かな幕開けにしたのでしょうか?

ジェイミー:そもそも、「Wanna」をアルバムの最初に持ってこようとは意図していなかったんだ。このアルバムのトラックリストを考えるのには、すごく時間をかけていて、この曲はアルバムの中盤に置いてあるパターンが多かった。もともとは自分のDJセットで、観客に静かな瞬間を与えて、リセットさせるために作った曲なんだよ。だけど、「Wanna」をアルバムの中盤に置いたバージョントラックリストで、アルバムをフォー・テット(Four Tet)に聞いてもらったら、彼の主な指摘は「『Wanna』を冒頭に持ってこい」ということだった。最初は彼の指摘はクレイジーだと思ったよ。でもそれを取り入れることにした。フォー・テットはいつも素晴らしいアドバイスをくれる。それがピッタリとハマったんだ。

「Dafodil」「Still Summer」「Life」「Breather」のこだわり

——「Dafodil」は、J.J.バーンズ(J.J. Barnes)の「I Just Make Believe (I’m Touching You)」と、アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)による同曲のカバーがサンプリングされていますよね。あの2曲がつながった瞬間は最高でした!これにはどのような狙いがあったのでしょうか?

ジェイミー:この曲ができた時に、「自分はまたソロアルバムを作れるのかもしれない」という段階だったんだ。この曲でも、自分が昔やっていたようなサンプリングの手法を使っている。ただ、今まで自分がやってきたサンプリングよりも面白い方法で使いたいとも思った。

それから、客演してくれているケルシー・ルー(Kelsey Lu)との関係が形になった曲でもあるんだ。彼女とは仲が良くて、一緒に時間を過ごしていた時期もあったんだけど、この曲は、僕とケルシーが出会った最初の夜について歌っている。アルバムの要所要所に、このような深い繋がりを表現したいと思ったんだ。

——「Dafodil」に関してもう1つ聞きたいのが、ケルシーのほかに、ヴィーガンとの仕事でも知られるジョン・グレイシャー(John Glacier)も参加していて、2人の声にはビットクラッシュのような特徴的なフィルターがかかっています。一方で(アニマル・コレクティヴの)パンダ・ベア(Panda Bear)の声にはボコーダーが使われていて、サンプルも含め、出自やシーンもバラバラな5人の声がカオスに混ざり合っています。このプロダクションにはどのような意図があったのでしょうか?

ジェイミー:もともとこの曲はケルシーだけが参加していたものだった。その後に、たくさんの人に「ロンドンでの楽しい夏の一夜」というテーマで、ヴァースを送ってもらうように頼んだんだ。だから、別のバージョンには30人くらいの人が参加しているものもあるんだよ。こっちのバージョンも、いつか完成させたいと思っている。アルバムのバージョンに起用したヴァースは、特に異質なものを選んだんだ。1つの曲でも、リスナーを壮大な旅に連れて行くことができて、なおかつ一貫性のあるものを作ることができるということを表したかった。

——「Still Summer」のグリッチエフェクトに衝撃を受けました。あれは具体的にどのような処理を施しているのでしょうか?

ジェイミー:あれは、間違いが重なってできたものなんだ。フロー状態に入って作っていたんだけど、特に何も考えずに、適当に、自由に制作をしていた。すべてが上手くいく最高な一日だった。技術的には、比較的シンプルなシンセのコードプログレッションを作っていて、それをリサンプリングして、引き伸ばして、逆再生してみたんだ。最終的にできた音はオーガニックな響きになったと思う。ノートパソコンから音を出しているというよりも、誰かがギターをかき鳴らしている音みたいだよね。

——「Life」での、ロビンとの仕事はいかがでしたか?

ジェイミー:とてもすてきな時間だったよ。いつでもそう。実は、彼女ともう何年も一緒に仕事をしてきているし、友人としても一緒に時間を過ごしてきた。彼女はキャリアが長いから、僕にとってはすごく良い刺激になるし、彼女と一緒に仕事すると、彼女から多くのことを学べるんだ。僕たちが今まで一緒に作ってきた音楽は、これまで正式に公開されることがなかったから、「Life」がリリースされてすごくうれしいよ。

——もともとつながりがあったんですね!この曲にはフランスのディスコグループ、リベラシオンによる「The House Of The Rising Sun」のカバーがサンプリングされていますが、それをロビンの歌と組み合わせるのは、とても素晴らしいアイデアだと思いました。

ジェイミー:サンプルを聴いた瞬間に、それをどうやって自分の曲に仕上げればいいのかというのがすぐにひらめいたという稀なケースだった。曲の仕上がりも実際に良かった。そして、ポップなメロディーを乗せるのが上手な人とコラボレーションするのが当然だと思ったし、僕が作ったトラックのテンションに負けない人とコラボレーションしたいと思ったんだ。ロビンとは既に仲良くなっていたし、僕たちはサウンドについての感性が似ているから、彼女なら僕が作曲したこのトラックを気に入ってくれると思った。僕が彼女にトラックを送ったら、彼女はすごく感激してくれて、ボーカルのパートを1日くらいで作って送り返してくれた。彼女のパートも完璧だった。

——「Breather」は、かなりアクロバティックというか、ダブステップやブレイクビーツといった複雑なリファレンスがある楽曲だと思うんですが、この曲にはどのようなバックボーンがありますか?

ジェイミー:「Idontknow」という曲を作って、パンデミックの最中にリリースしたんだけど、この曲は130BPMから160BPMに変わるんだ。

この切り替えは、比較的スローなダンスミュージックからジャングルにスイッチする時に便利なんだ。僕は自分のDJセットで、(早いテンポから)ハウスのテンポに戻るトラックを探していて、その時にこの方法を思いついた。それはシンコペーションされたシンセラインを使うというアイデアで、シンセラインは同じテンポでキープして、他の要素のテンポを変えるというものだった。「Breather」もこれが基本的なアイデアとして作られている。それに、さっきも話したような、大勢の観客の前でプレイする時に、冷静になれる瞬間を作って、観客が落ち着ける瞬間を作りたいという思いもあった。「Breather」は、パンデミックの中で作った曲なんだけど、この曲が完成した時に強く感じたのは、パンデミックが終わって世界がまた開けたら、この曲をみんなの前で早くプレイしたいなということだった。

「シャネル」とのコラボ

——今年の初めには「シャネル(CHANEL)」とのコラボレーションで「It's So Good」をリリースしましたね。この曲はUKファンキーとハウスが混在していますが、あなたのこのセンスは、サイエンティストというより、パヒューマーに近いと思います。なぜ、複雑なものを美しくまとめ上げることができるのですか?

ジェイミー:すてきなコメントをありがとう。どうやってできるのかは分からないけれど、この曲に関しては、あまりプレッシャーを感じることなく、自由に表現できる機会だったからかもしれない。「シャネル」が僕にアプローチしてきて、「あなたの自由にして良いですよ」と言ってくれたんだ。素晴らしい会社の支援があって、自由に音楽制作ができるというのは本当に最高だった。「シャネル」というブランドも、このプロジェクトに携わっていたクリエイターの人たちもみんな寛容だったから、プレッシャーをあまり感じることなく、少し変わったことをやってみてもいいんだ、という気持ちにさせてくれた。

——では、経緯としては「シャネル」から連絡があり、「自由に音楽を作ってください」という感じだったんですね?

ジェイミー:そうだよ。「シャネル」という大企業がここまで自由にやらせてくれるのは、とても稀なことだと思う。だからあの機会を与えてもらったことにはとても感謝しているよ。

The xxについて

——先日のグラストンベリーのステージでも、(ザ・エックス・エックスの)ロミー(Romy)とオリヴァー・シム(Oliver Sim)が登場した瞬間は特に盛り上がっていましたが、今作の「Waited All Night」を聴いた瞬間も同じような高揚感を覚えました。やはり、3人が集まった瞬間のマジックは存在しますか?

ジェイミー:確かに存在するね。それを言葉にするのは難しい。彼らとはもう長い付き合いになるけれど、今でも、そういうマジカルな瞬間があるんだ。僕たちは、普通に友達としてもよく一緒に遊んでいて、しょっちゅう会っているんだけどね!(笑)。

でも3人で音楽を作ると、言葉では言い表せない何かが起きる。この前のグラストンベリーでもそうだった。BBCの撮影が入っているのも知っていたし、その映像を大勢の人が見ることも分かっていたけれど、彼らと一緒にいることがうれしすぎて、僕は笑顔を隠しきれなかった。野暮ったく見えてないといいんだけど、僕にとっては最高に楽しい瞬間だったよ。

——たくさんの人が感動している瞬間でしたよ! 今年は「The xx」(09年)のリリースから15周年のアニバーサリーでもありますね。遠くないうちにまた3人の音楽も聴けるのでしょうか?

ジェイミー:遠くないうちかどうかは分からないけれど、僕たちは3人でまた音楽を作り始めている。まだ初期段階だけど、僕たちから今後、音楽がリリースされることは間違いないよ。

■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
※デジタル/ストリーミング配信は9月20日から。
CD 国内盤 (解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
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ネイルアーティストの地位向上! レディー•ガガやビヨンセを顧客に持つ日本人セレブリティーネイルアーティストが語る業界改革

PROFILE: MIHO/ネイルアーティスト

MIHO/ネイルアーティスト
PROFILE: 専門学校卒業後、東京のネイルサロンに勤務。同サロンの海外進出に伴い渡米、ロサンゼルスで店舗立ち上げに携わる。その後、そのままロサンゼルスで独立。現在はレディー•ガガやビヨンセを顧客に持つセレブリティネイルアーティストとして活動する。 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
ロサンゼルスを拠点に活動する日本人ネイルアーティストのMIHO。レディー•ガガやビヨンセをはじめとする一流アーティストのネイルを手がける。東京で勤めていたネイルサロンの海外進出に伴い渡米、その後そのままロサンゼルスで独立した。独立後は、セレブの急な依頼にも答えられる体制を整え、多くのセレブを顧客に抱える。雑誌や広告撮影は”ギャラ0”で数をこなした下積み時代を経て、今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」と言われるポジションになりつつある。そんな彼女がロサンゼルスを拠点に挑戦を続けてきた中で目指した “ネイルアーティストの地位向上”とは何か。

WWD:ロサンゼルスでネイルアーティストとなったきっかけを教えてください。

MIHO:専門学校卒業後は東京のネイルサロンに勤めていたのですが、そのサロンの海外出店がきっかけです。元々、海外でネイルアーティストになるのを志していた訳ではないのですが、ロサンゼルス店の立ち上げメンバーに指名された時に勢いで挑戦することにしました。東京のサロンに勤めていて自分の伸びしろの限界を感じていたし、「ロサンゼルスでオープンって超未知じゃん!」と思って飛び込みました。その立ち上げたサロンが目立つストリートに出店したことや、当時日本のネイルアートが注目され始めていたことが追い風となって口コミが広がり、セレブリティーたちが来店してくれるようになりました。最初はケシャ(Ke$ha)やカイリー•ジェンナー(Kylie Jenner)等が来てくれたかな。そこで2年ほど働いた後に、「人生1回しかないし、自分の実力を試してみたい!」と思ってそのままロサンゼルスで独立したのですが、引き続き自分の店に来てくれるお客さまがいて嬉しかったのを覚えています。

ギャラ“0”から積み上げたキャリアでレディー•ガガのMV撮影に携わる


WWD:雑誌や広告撮影などの仕事にはどのように結びついていったのですか?

MIHO:最初、お金は出せないけれど雑誌の表紙撮影のネイルをやってくれないかと言われて、フリーで数をこなしていました。それをインスタグラムに投稿していったら、履歴が積み上がって、仕事が広がっていったという感じです。今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」っていうポジションになりつつあって、ありがたいことに「MIHOを呼ぼう」みたいな安心感を持ってもらっていると思います。

WWD:広告撮影の中で現場での印象的なエピソードはありますか?

MIHO:レディー•ガガ(Lady Gaga)とアリアナ・グランデ(Ariana Grande)がコラボした”rain on me”という曲があるんですけど、そのMV撮影ですね。衣装がピンクでガチャガチャして派手な感じだったんですけど、ネイルは黒でめっちゃシンプルがいいって言われてたんですよ。でも、「ゴリゴリだからゴリゴリじゃね? こんな派手な衣装なのにネイルが黒だけかよ!」と思ったので、3パターンぐらい作って「第一本命は派手なピンクのネイルなんだけど……」という感じで派手なネイルを見せると「これにする!」って一番ガチャガチャなネイルを選んでくれました。この衣装とセットと音楽だったらと思って提案したら、めちゃくちゃ映えてよかったこともありました。

セレブからリピートされるMIHOさんのクリエイティブのポイントはどこにあると思いますか。

MIHO:みんなに驚かれるのは、どんな撮影でもネイルを“現場”で作ることです。他のネイルアーティストは前もって準備していく人が多いんですけど、色や素材の見え方は現場でないと分からないし、何を使うかも当日に変わるので、撮影に行ったらまずスタイリストのところに行ってその日の衣装候補を見て、ヘアメイクにはどんな色が使われるのか確認します。現場でありったけのインプットをして、超スピーディーに作っています。そのほうがクリエイションの面で効率的だし、インスピレーションをそのまま落とし込んだフレッシュな作品を作れます。撮影は生ものなので臨機応変に対応できる能力と、瞬発的にデザインを起こせる能力が他の人よりも長けているのを評価されているのかもしれません。

目指してきたのは「ネイルアーティストの地位向上」

WWD:元々セレブリティーのネイルを担当する目標があったのですか?

MIHO:全然なかったです。むしろそういう海外セレブやアーティストに疎い方で。でも、海外でネイルアーティストとして活動するにあたって“ネイルアーティストの地位向上”を目標に仕事をしていたので、影響力が大きくて、評価が直結しやすい彼女たちに必要と思ってもらえる存在になればなるほど、必然的に目標になっていきました。彼女たちと関わることで、“ネイル”がかっこいい武器になるんだっていうのを見せることができると思っています。

WWD:ネイルアーティストの地位向上とは具体的にはどういうことですか?

MIHO:ネイル業界全体のボトムアップです。ネイルアーティストの収入やイメージを上げることで業界を変えたい。そのためのアイコンが必要なので自分がその役割を担おうと思いました。だから独立後は、お店に出向くレベルではないセレブ層に向けたネイルとより尖った表現が必要なことに気付きました。そのニーズを考えた時に、「今からネイルをしたい」というセレブたちの急なオーダーにも対応できるよう、時間をコントロールする必要がありました。いつでも対応可能な時間を確保する代わりに客単価を上げる方針に変えたんです。それがハマり、客層が変わっていきました。

WWD:撮影現場などで地位が向上したと感じることはありますか?

MIHO:元々アメリカのネイルサロンは爪を切るだけのような場所だったんです。それに、アメリカではネイルアーティストのことを、マニキュリストもしくはネイルテックって呼ぶんですよ。このネーミングが良くないって思って、当初から自分のことを「ジャパニーズネイルアーティスト」って呼んでいたんです。それを続けていたら定着してきて、今では撮影現場の表記が「ネイルアーティスト」に変わりました。この名前は私たちが作ったという自負があるほどです。

印象的なのは、レディー•ガガの「ドン・ペリニヨン(DOM PERIGNON)」のキャンペーン撮影です。YouTubeのメイキング動画で関わったヘアやメイクアップアーティストと共に自分のインタビュー動画も公開されました。それまで、ネイルアーティストが他のスタッフと横並びに語られることは少なかったと思うので、撮影現場でネイルアーティストの地位向上に貢献できて嬉しかったです。

他にも、かつて「マニキュアリスト」だけだった業界が「ネイルアーティスト」の世界になって、ネイルをかっこいいと思って憧れる子たちが増えてきました。ギャラについても有名なネイルアーティストと「うちらがギャラをあげなくてどうすんの!」って話をして、みんなで底上げしようと挑戦しています。アシスタントも潤うという目的を持って続けてきた結果、その輪が広がった感じがあります。この10年でアメリカでのネイルアーティストの地位を上げることができたと思っています。

世界で活躍するネイルアーティストが思う日本のネイル業界の問題点

WWD:MIHOさんからみた日本のネイル業界の課題は何ですか?

MIHO:日本を出て10年が経って、ネイル業界はあまり進化していないと感じます。むしろ価格競争が加速して、ネイルアーティストが以前よりも厳しい状況にあることに驚きました。私は海外でジャパニーズネイルアートが評価されていることや、日本人だから信用された点で得をしたことも多いので、日本のネイルアーティストがこんなに稼げてない状況に危機感を覚えました。客数には限りがあるので、低価格を競い合って……意味が分からない状態になっている。次は、ここから10年をかけて国内のネイルアーティストの地位を上げようと考えています。

WWD:たとえばどんなことを?

MIHO:まず、ネイルを継続する顧客を増やしたい。ヘアメイクは継続的に施術を受けるわりにネイルだけ続かないんです。爪が痛んだり、時間がかかったり、自分でネイルを落とすことが困難だったり。そんな悩みを解決するような商品を開発しています。溶剤にアセトンなどのケミカルな成分も使わず、爪の表面を削る必要もないので、通常30分程度かかってしまうネイルのオフを5分で終わらせることができて、なんなら自分でできるという商品です。

これで施術時間を短縮できて回転率を上げることが可能になります。ただ、ネイルアーティストは客数を増やすことよりも、高い技術を提供しているという自信を持って価格を上げてほしいです。日本のネイルアーティストは予約を埋めることにとらわれすぎていると思います。予約が埋まったからといって技術を評価してくれているわけでも、一人ひとりの悩みを解決しているわけでもない。客数が多いことだけの自己満足です。そういった課題を自分の活動を通して解決したいし、日本のネイル業界の改革につなげていきたいです。

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ネイルアーティストの地位向上! レディー•ガガやビヨンセを顧客に持つ日本人セレブリティーネイルアーティストが語る業界改革

PROFILE: MIHO/ネイルアーティスト

MIHO/ネイルアーティスト
PROFILE: 専門学校卒業後、東京のネイルサロンに勤務。同サロンの海外進出に伴い渡米、ロサンゼルスで店舗立ち上げに携わる。その後、そのままロサンゼルスで独立。現在はレディー•ガガやビヨンセを顧客に持つセレブリティネイルアーティストとして活動する。 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
ロサンゼルスを拠点に活動する日本人ネイルアーティストのMIHO。レディー•ガガやビヨンセをはじめとする一流アーティストのネイルを手がける。東京で勤めていたネイルサロンの海外進出に伴い渡米、その後そのままロサンゼルスで独立した。独立後は、セレブの急な依頼にも答えられる体制を整え、多くのセレブを顧客に抱える。雑誌や広告撮影は”ギャラ0”で数をこなした下積み時代を経て、今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」と言われるポジションになりつつある。そんな彼女がロサンゼルスを拠点に挑戦を続けてきた中で目指した “ネイルアーティストの地位向上”とは何か。

WWD:ロサンゼルスでネイルアーティストとなったきっかけを教えてください。

MIHO:専門学校卒業後は東京のネイルサロンに勤めていたのですが、そのサロンの海外出店がきっかけです。元々、海外でネイルアーティストになるのを志していた訳ではないのですが、ロサンゼルス店の立ち上げメンバーに指名された時に勢いで挑戦することにしました。東京のサロンに勤めていて自分の伸びしろの限界を感じていたし、「ロサンゼルスでオープンって超未知じゃん!」と思って飛び込みました。その立ち上げたサロンが目立つストリートに出店したことや、当時日本のネイルアートが注目され始めていたことが追い風となって口コミが広がり、セレブリティーたちが来店してくれるようになりました。最初はケシャ(Ke$ha)やカイリー•ジェンナー(Kylie Jenner)等が来てくれたかな。そこで2年ほど働いた後に、「人生1回しかないし、自分の実力を試してみたい!」と思ってそのままロサンゼルスで独立したのですが、引き続き自分の店に来てくれるお客さまがいて嬉しかったのを覚えています。

ギャラ“0”から積み上げたキャリアでレディー•ガガのMV撮影に携わる


WWD:雑誌や広告撮影などの仕事にはどのように結びついていったのですか?

MIHO:最初、お金は出せないけれど雑誌の表紙撮影のネイルをやってくれないかと言われて、フリーで数をこなしていました。それをインスタグラムに投稿していったら、履歴が積み上がって、仕事が広がっていったという感じです。今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」っていうポジションになりつつあって、ありがたいことに「MIHOを呼ぼう」みたいな安心感を持ってもらっていると思います。

WWD:広告撮影の中で現場での印象的なエピソードはありますか?

MIHO:レディー•ガガ(Lady Gaga)とアリアナ・グランデ(Ariana Grande)がコラボした”rain on me”という曲があるんですけど、そのMV撮影ですね。衣装がピンクでガチャガチャして派手な感じだったんですけど、ネイルは黒でめっちゃシンプルがいいって言われてたんですよ。でも、「ゴリゴリだからゴリゴリじゃね? こんな派手な衣装なのにネイルが黒だけかよ!」と思ったので、3パターンぐらい作って「第一本命は派手なピンクのネイルなんだけど……」という感じで派手なネイルを見せると「これにする!」って一番ガチャガチャなネイルを選んでくれました。この衣装とセットと音楽だったらと思って提案したら、めちゃくちゃ映えてよかったこともありました。

セレブからリピートされるMIHOさんのクリエイティブのポイントはどこにあると思いますか。

MIHO:みんなに驚かれるのは、どんな撮影でもネイルを“現場”で作ることです。他のネイルアーティストは前もって準備していく人が多いんですけど、色や素材の見え方は現場でないと分からないし、何を使うかも当日に変わるので、撮影に行ったらまずスタイリストのところに行ってその日の衣装候補を見て、ヘアメイクにはどんな色が使われるのか確認します。現場でありったけのインプットをして、超スピーディーに作っています。そのほうがクリエイションの面で効率的だし、インスピレーションをそのまま落とし込んだフレッシュな作品を作れます。撮影は生ものなので臨機応変に対応できる能力と、瞬発的にデザインを起こせる能力が他の人よりも長けているのを評価されているのかもしれません。

目指してきたのは「ネイルアーティストの地位向上」

WWD:元々セレブリティーのネイルを担当する目標があったのですか?

MIHO:全然なかったです。むしろそういう海外セレブやアーティストに疎い方で。でも、海外でネイルアーティストとして活動するにあたって“ネイルアーティストの地位向上”を目標に仕事をしていたので、影響力が大きくて、評価が直結しやすい彼女たちに必要と思ってもらえる存在になればなるほど、必然的に目標になっていきました。彼女たちと関わることで、“ネイル”がかっこいい武器になるんだっていうのを見せることができると思っています。

WWD:ネイルアーティストの地位向上とは具体的にはどういうことですか?

MIHO:ネイル業界全体のボトムアップです。ネイルアーティストの収入やイメージを上げることで業界を変えたい。そのためのアイコンが必要なので自分がその役割を担おうと思いました。だから独立後は、お店に出向くレベルではないセレブ層に向けたネイルとより尖った表現が必要なことに気付きました。そのニーズを考えた時に、「今からネイルをしたい」というセレブたちの急なオーダーにも対応できるよう、時間をコントロールする必要がありました。いつでも対応可能な時間を確保する代わりに客単価を上げる方針に変えたんです。それがハマり、客層が変わっていきました。

WWD:撮影現場などで地位が向上したと感じることはありますか?

MIHO:元々アメリカのネイルサロンは爪を切るだけのような場所だったんです。それに、アメリカではネイルアーティストのことを、マニキュリストもしくはネイルテックって呼ぶんですよ。このネーミングが良くないって思って、当初から自分のことを「ジャパニーズネイルアーティスト」って呼んでいたんです。それを続けていたら定着してきて、今では撮影現場の表記が「ネイルアーティスト」に変わりました。この名前は私たちが作ったという自負があるほどです。

印象的なのは、レディー•ガガの「ドン・ペリニヨン(DOM PERIGNON)」のキャンペーン撮影です。YouTubeのメイキング動画で関わったヘアやメイクアップアーティストと共に自分のインタビュー動画も公開されました。それまで、ネイルアーティストが他のスタッフと横並びに語られることは少なかったと思うので、撮影現場でネイルアーティストの地位向上に貢献できて嬉しかったです。

他にも、かつて「マニキュアリスト」だけだった業界が「ネイルアーティスト」の世界になって、ネイルをかっこいいと思って憧れる子たちが増えてきました。ギャラについても有名なネイルアーティストと「うちらがギャラをあげなくてどうすんの!」って話をして、みんなで底上げしようと挑戦しています。アシスタントも潤うという目的を持って続けてきた結果、その輪が広がった感じがあります。この10年でアメリカでのネイルアーティストの地位を上げることができたと思っています。

世界で活躍するネイルアーティストが思う日本のネイル業界の問題点

WWD:MIHOさんからみた日本のネイル業界の課題は何ですか?

MIHO:日本を出て10年が経って、ネイル業界はあまり進化していないと感じます。むしろ価格競争が加速して、ネイルアーティストが以前よりも厳しい状況にあることに驚きました。私は海外でジャパニーズネイルアートが評価されていることや、日本人だから信用された点で得をしたことも多いので、日本のネイルアーティストがこんなに稼げてない状況に危機感を覚えました。客数には限りがあるので、低価格を競い合って……意味が分からない状態になっている。次は、ここから10年をかけて国内のネイルアーティストの地位を上げようと考えています。

WWD:たとえばどんなことを?

MIHO:まず、ネイルを継続する顧客を増やしたい。ヘアメイクは継続的に施術を受けるわりにネイルだけ続かないんです。爪が痛んだり、時間がかかったり、自分でネイルを落とすことが困難だったり。そんな悩みを解決するような商品を開発しています。溶剤にアセトンなどのケミカルな成分も使わず、爪の表面を削る必要もないので、通常30分程度かかってしまうネイルのオフを5分で終わらせることができて、なんなら自分でできるという商品です。

これで施術時間を短縮できて回転率を上げることが可能になります。ただ、ネイルアーティストは客数を増やすことよりも、高い技術を提供しているという自信を持って価格を上げてほしいです。日本のネイルアーティストは予約を埋めることにとらわれすぎていると思います。予約が埋まったからといって技術を評価してくれているわけでも、一人ひとりの悩みを解決しているわけでもない。客数が多いことだけの自己満足です。そういった課題を自分の活動を通して解決したいし、日本のネイル業界の改革につなげていきたいです。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.2「なぜメイクアップカテゴリーを軽んじる?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:第1回では「日本のコスメの存在感がなくなっている」という話を伺いましたが、実際“ワクワクするものがない”という声をあちこちから聞きます。

石橋寧(以下、石橋):日本の化粧品会社のトップはだいたい男性ですよね。男性だからダメということではないけれど「化粧品」という視点が欠けていると思うんです。メーカーにとっては所詮“商品”。“商いをする品”だから、いかに安くいいものを作るかということに注力している。一方、消費者にとっては“化粧品”、つまり“化けて装う品”を買いに行く。そこが分かっていないと思うんです。“優秀なマーケッター”と言われていても、基本的に化粧のことが分からない。それで女性陣に任せたりする。それはもちろんそれでいいんだけど、女性も役職が上がっていくと次第に男性化、“女心を置き去りにした女性”と化し、女心を問うのではなく、原価率や採算軸で思考する。そうして日本のメーカーはみんなスキンケアにシフトしている。

――:リピート確実なスキンケアで収益の安定性の確保を最優先しているということですね。かつてさまざまなメイクアップクリエイターと契約していた資生堂がそのほとんどを終わらせているのが残念です。

石橋:魚谷さん(資生堂グループ会長CEOの魚谷雅彦)は「世界最大のスキンケアメーカーを目指す」とスキンケアにシフト、ポーラはメイクアップの研究所や工場をほとんどなくしてスキンケアに注力、花王も「コフレドール(COFFRET D’OR)」と「オーブ(AUBE)」を年内で終了させる。いったい何を考えてるの?って思う。「化粧品」は「ケアするスキンケア」と「飾るメイクアップ」の両方があってこそ。ところが日本のメーカーは、ケアするほうにだけ力を入れている。ホワイトニングやエイジングケアにおいては、確かに素晴らしい商品はいっぱいあると思うけど、そもそも「化けて装う」ために買うわけだから、両方そろっていなければいけない。メイクアップは今や「ディオール(DIOR)」の独壇場。「どうぞ、どんどん売ってください」といって日本は何も手を売っていないように見えますね。

――:「ディオール」はルージュでさえグローバルリサーチをした上でメイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクターを務めるピーター・フィリップス(Peter Philips)がシェードを設計しているので、ローカルで強さを発揮しているのは納得がいきます。

石橋:6〜7年前ごろ、「スリー(THREE)」が成長していく過程でタイ限定カラーを作ったんです。タイ国内で17店舗程まで拡大し、限定カラーを作ってもなんとかいけると判断し、タイの代理店に提案したらすごく喜ばれた。なぜならそんなことをするブランドが他になかったから。そしてタイ側と相談しながら買取を条件に作って販売したら大ヒットし、翌年も作って欲しいとの依頼もあった。本来ならばそれを続ければよかったんですが、僕はその頃「アンプリチュード(AMPLITUDE)」と「イトリン(ITRIM)」を作ることに集中していて、引き継ぎがなされなかった。これも、日本企業特有の採算ベースの考え方ですね。インドやASEANはモンスーン地帯、早い話が日本同様年中ほとんど蒸し暑い。でも肌色が違うからファンデーションのシェードも変わってくる。ファンデーションの色が変われば、そこにのせる口紅やアイシャドウの色も変わる。メード・イン・ジャパンの高いクオリティーで、それぞれの国の肌色や嗜好に合ったものを提案すれば、絶対に売れると思う。それをせずに「グローバル」なんて目指さないほうがいい。日本の商品を輸出するだけで売れていたのは10年、20年前の話で、時代は変わってきている。でもそれに対応しきれていない企業が多いんですよね。

――:グローバル視点で考えれば、メイクアップが勝機になり得る。

石橋:中国のマーケットは大きいけれど、政治が絡むと方針がいきなり変わるからリスクが高い。一方インドは人口14億人の民主主義国家。これからはインドとASEANのマーケットを同じアジア人として狙うべきだと思う。インドの人に会ったら「メード・イン・ジャパンそのものがブランドで高く評価されている。あとはインド人に合うように色やパッケージをローカライズさせたら売れますよ」と言われました。インドネシアは日本と嗜好が似ている。シンガポールや香港は人口が少ないので厳しいけれど、タイは約7000万人、ベトナムは約1億人、フィリピンも約1億人、それくらいの需要はある。国は間違いなく成長しているし、若い人も多い。各国のニーズに合わせた商品を出していけば、存在感を出していけるはずだと思います。

――: そういう意味では今、「ケイト(KATE)」が頑張っています。

石橋:メイクアップは飾るものだから、クオリティー以上にパッケージも含めて高揚させる気持ちの部分が大事。口紅なら人によっては10色も20色も持っているわけだから、感性という部分がすごく大事になってくる。それが今の日本のメーカーには欠如していますね。花王が力を入れている「ケイト」は低価格でクオリティーもいいし、元々売れていたところに“リップモンスター”で火がついた。確かにアジアで今一番売れている日本のメイクアップブランドだから、それを強化するのはアリだと思う。でも1000円2000円の商品だから、将来をどうしていくのか、そこが鍵でしょう。根強い人気の韓国は、製造に約4カ月という短期でトレンドに対応している。でもスピード感がある反面、特に容器の粗悪品も多く、そこがまだまだ不十分。中国ではスキンケアにおいてはローカルブランドが出てきていますが、これというメイクアップブランドがまだなく、中国の代理店に香港で会った時に「メイクを強化してほしい」と言われました。アジアのマーケットは約65%がスキンケアで、メイクアップのウエイトは低い。ところがこれが国の成長とともに上がっている。だからメイクアップはチャンスだと思うわけです。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.2「なぜメイクアップカテゴリーを軽んじる?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:第1回では「日本のコスメの存在感がなくなっている」という話を伺いましたが、実際“ワクワクするものがない”という声をあちこちから聞きます。

石橋寧(以下、石橋):日本の化粧品会社のトップはだいたい男性ですよね。男性だからダメということではないけれど「化粧品」という視点が欠けていると思うんです。メーカーにとっては所詮“商品”。“商いをする品”だから、いかに安くいいものを作るかということに注力している。一方、消費者にとっては“化粧品”、つまり“化けて装う品”を買いに行く。そこが分かっていないと思うんです。“優秀なマーケッター”と言われていても、基本的に化粧のことが分からない。それで女性陣に任せたりする。それはもちろんそれでいいんだけど、女性も役職が上がっていくと次第に男性化、“女心を置き去りにした女性”と化し、女心を問うのではなく、原価率や採算軸で思考する。そうして日本のメーカーはみんなスキンケアにシフトしている。

――:リピート確実なスキンケアで収益の安定性の確保を最優先しているということですね。かつてさまざまなメイクアップクリエイターと契約していた資生堂がそのほとんどを終わらせているのが残念です。

石橋:魚谷さん(資生堂グループ会長CEOの魚谷雅彦)は「世界最大のスキンケアメーカーを目指す」とスキンケアにシフト、ポーラはメイクアップの研究所や工場をほとんどなくしてスキンケアに注力、花王も「コフレドール(COFFRET D’OR)」と「オーブ(AUBE)」を年内で終了させる。いったい何を考えてるの?って思う。「化粧品」は「ケアするスキンケア」と「飾るメイクアップ」の両方があってこそ。ところが日本のメーカーは、ケアするほうにだけ力を入れている。ホワイトニングやエイジングケアにおいては、確かに素晴らしい商品はいっぱいあると思うけど、そもそも「化けて装う」ために買うわけだから、両方そろっていなければいけない。メイクアップは今や「ディオール(DIOR)」の独壇場。「どうぞ、どんどん売ってください」といって日本は何も手を売っていないように見えますね。

――:「ディオール」はルージュでさえグローバルリサーチをした上でメイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクターを務めるピーター・フィリップス(Peter Philips)がシェードを設計しているので、ローカルで強さを発揮しているのは納得がいきます。

石橋:6〜7年前ごろ、「スリー(THREE)」が成長していく過程でタイ限定カラーを作ったんです。タイ国内で17店舗程まで拡大し、限定カラーを作ってもなんとかいけると判断し、タイの代理店に提案したらすごく喜ばれた。なぜならそんなことをするブランドが他になかったから。そしてタイ側と相談しながら買取を条件に作って販売したら大ヒットし、翌年も作って欲しいとの依頼もあった。本来ならばそれを続ければよかったんですが、僕はその頃「アンプリチュード(AMPLITUDE)」と「イトリン(ITRIM)」を作ることに集中していて、引き継ぎがなされなかった。これも、日本企業特有の採算ベースの考え方ですね。インドやASEANはモンスーン地帯、早い話が日本同様年中ほとんど蒸し暑い。でも肌色が違うからファンデーションのシェードも変わってくる。ファンデーションの色が変われば、そこにのせる口紅やアイシャドウの色も変わる。メード・イン・ジャパンの高いクオリティーで、それぞれの国の肌色や嗜好に合ったものを提案すれば、絶対に売れると思う。それをせずに「グローバル」なんて目指さないほうがいい。日本の商品を輸出するだけで売れていたのは10年、20年前の話で、時代は変わってきている。でもそれに対応しきれていない企業が多いんですよね。

――:グローバル視点で考えれば、メイクアップが勝機になり得る。

石橋:中国のマーケットは大きいけれど、政治が絡むと方針がいきなり変わるからリスクが高い。一方インドは人口14億人の民主主義国家。これからはインドとASEANのマーケットを同じアジア人として狙うべきだと思う。インドの人に会ったら「メード・イン・ジャパンそのものがブランドで高く評価されている。あとはインド人に合うように色やパッケージをローカライズさせたら売れますよ」と言われました。インドネシアは日本と嗜好が似ている。シンガポールや香港は人口が少ないので厳しいけれど、タイは約7000万人、ベトナムは約1億人、フィリピンも約1億人、それくらいの需要はある。国は間違いなく成長しているし、若い人も多い。各国のニーズに合わせた商品を出していけば、存在感を出していけるはずだと思います。

――: そういう意味では今、「ケイト(KATE)」が頑張っています。

石橋:メイクアップは飾るものだから、クオリティー以上にパッケージも含めて高揚させる気持ちの部分が大事。口紅なら人によっては10色も20色も持っているわけだから、感性という部分がすごく大事になってくる。それが今の日本のメーカーには欠如していますね。花王が力を入れている「ケイト」は低価格でクオリティーもいいし、元々売れていたところに“リップモンスター”で火がついた。確かにアジアで今一番売れている日本のメイクアップブランドだから、それを強化するのはアリだと思う。でも1000円2000円の商品だから、将来をどうしていくのか、そこが鍵でしょう。根強い人気の韓国は、製造に約4カ月という短期でトレンドに対応している。でもスピード感がある反面、特に容器の粗悪品も多く、そこがまだまだ不十分。中国ではスキンケアにおいてはローカルブランドが出てきていますが、これというメイクアップブランドがまだなく、中国の代理店に香港で会った時に「メイクを強化してほしい」と言われました。アジアのマーケットは約65%がスキンケアで、メイクアップのウエイトは低い。ところがこれが国の成長とともに上がっている。だからメイクアップはチャンスだと思うわけです。

The post 「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.2「なぜメイクアップカテゴリーを軽んじる?」 appeared first on WWDJAPAN.

yutoriのブランドオーディション優勝は「超ハッピー」なアジアンギャル 2日間で232万円売る無敵マインド

PROFILE: さり/「ギャリーロール」ブランドディレクター

さり/「ギャリーロール」ブランドディレクター
PROFILE: 2001年7月4日生まれ、東京都出身。地元スーパーを経営する両親のもとで育ち、高校時代から自身も商品陳列や惣菜作りを手伝う。2020年4月に大学に入学し、経済学を専攻する。24年2月に始動した(動画公開開始は24年6月)yutoriのオーディションに参加。24年8月末に同オーディションで優勝し、yutoriを通して自身のブランド「ギャリーロール」をスタート

yutoriは2024年6月から自社のYouTubeチャンネルでオーディション番組「ファッキンロード」を公開している。優勝者にはブランドの準備金500万円が支給され、自身がディレクターを務めるブランドを立ち上げることができる企画だ。205人から4人まで絞られて迎えた最終回を9月13日に公開し、23歳のさりが見事に優勝を勝ち取った。勝敗は2日間実施したポップアップの売り上げに準じたが、彼女のブランド「ギャリーロール(GALLY ROLL)」は計232万円という圧倒的な売り上げを叩き出した。アパレルでの販売経験はなく「あるのは実家のスーパーでのお手伝いだけ」と笑う彼女だが、ポップアップ開催中は自信に溢れていたという。終始ハッピーオーラを纏う彼女の考え方やブランドの今後について聞いた。

WWD:オーディション応募に至った経緯は?
さり:
大学4年生の冬に、TikTokでオーディション募集の広告を見ました。周囲は就職先が決まっている人も多い時期でしたが、やりたいことが見つからず、卒業後の進路が決まっていませんでした。ですが、私立の中高一貫校に通って附属の大学に進学し、就職が当たり前という環境で育ってきたこともあり、何かをしなくてはいけないというプレッシャーがありました。

このオーディションを見つけた時、1位になれたら自分のブランドもデビューできるし周囲の人を安心させられる。何より新しいスタートが切れるのではと考えて応募しました。オーディション前にyutoriについて調べた時に私がやりたいと考えていたジャンルがなかったので、これは行けるかもという気持ちが湧きました。新しいブランドで新しい風を吹かしたいと思いました。

WWD:参加して良かったと感じた瞬間は?
さり:
自分の周囲にはこんなに自分を助けてくれる人がいるんだと実感し、環境に恵まれたと心の底から思いました。ルック撮影のモデルは友人にお願いしたり荷物の運送などは彼氏が手伝ってくれました。

ポップアップは友人が応援に駆けつけてくれ、合格発表が終わる時間まで待っていてくれました。合格できたという嬉しい気持ちをリアルタイムで皆に伝えられた瞬間が本当に超ハッピー!という気持ちでした。

WWD:落ち込みや悩みはあった?
さり:
1度目のプレゼン時、ブランド名を「ワビサリー」にしたのですが、片石(貴展)社長に「ダサい」と一刀両断されたときですね。オーディション当初、唯一無二のブランドを作らないといけない、とにかく独自性を出さないと、とそればかり思っていました。けど片石社長の言葉で自分らしいブランドを作ればいいんだと気づきました。番組の中でも「アジアンギャル」を自称していたのですが、堅苦しい和のブランドが作りたいのではないと気づき、今の「ギャリーロール」ができました。

WWD:ポップアップの開催前は不安もあった?
さり:
わたし自身はTikTokやインスタグラムのフォロワーが多いインフルエンサーではなく、アパレル経験もなかったので最初は本当に人が来るか不安でした。ですが、オーディションが進むにつれて「応援しています」「ポップアップ行きます」といったコメントやダイレクトメッセージをいただくことが増えた。そういった反応を通して自分のブランドが形になってきていることを実感し、不安は消えていきました。

WWD:ポップアップ当日はどうだった?
さり:
1日8時間オープンしましたが、体感時間は1時間ぐらいでした(笑)。この2日でブランドの良さを来てくださった方に伝えなくてはと考えたら、座っていられず立ちっぱなしでした。来店が大きな一歩なのに、自分の手が回らず放置している状態で購入に繋がらなかったらとてももったいないじゃないですか。1着が1票になるから絶対に逃したくなくて。常に気を配りどのぐらいの声掛けがいいか真剣に考えながら接客をしました。

WWD:接客の経験は?
さり:
居酒屋などでのバイト経験はありましたが、アパレル経験は皆無です。ただ、実家が地元密着型のスーパーを経営していて、惣菜作りや商品陳列を手伝っていました。近所の常連さんと「今日のお惣菜は私が作りました」といったコミュニケーションをとったり、元々おしゃべりが好きなこともあり、これといった経験はありませんが接客に対する自信はありましたね。

なんでも「ギャル」でいい

WWD:自身のブランド「ギャリーロール」はどのようなブランドか?
さり:
ブランド名は「ギャルらしくいる」という意味で、「海外ギャル」をテーマにストリートファッションを展開します。

WWD:ブランドはどのような人に着て欲しい?
さり:
肌見せや海外ファッションが好きな人はもちろんですが、肌見せに抵抗がある人もハードルを感じずに着用できるように作っているので、ギャルではない人にも届いて欲しいです。ギャルのスタイルに憧れがある女の子は結構多いんです。いろんなファッションスタイルや考えを持つ人々を巻き込んで、「着たい服を着ていいんだよ」と伝えられるブランドにできたらと考えています。

WWD:自身が考える「ギャル」とは?
さり:
いろんなギャルがあって良いと思っています。気持ちの面でギャルでもいいし、平成ギャルでもいいし、自分が今やっている海外ギャルでもいい。みんなが前向きにギャルだよねと言えるその気持ちがあったら、なんでもギャルでいいんじゃないかなと思います。

TikTokなどで「ギャルメイク」としてメイク動画を載せた方が「これはギャルじゃない」という意見で叩かれている様子なども見かけますが、そうじゃないでしょ、ギャルって、と思っています。固定概念があるわけでもないし、自由だからこそギャルでしょ、というスタンスが私にとってのギャルです。

WWD:今後挑戦したいことは?
さり:
今はオンラインが主流なので、基本的にはオンライン販売になると思いますが、いずれは海外、特に大好きなニューヨークでポップアップショップを開催したいですね。

あとは「日本で海外ギャルのブランドだったら『ギャリーロール』だよね」という立ち位置になったらめっちゃ熱いなと思いますね。そのポジションを目指していきたいです。

WWD:出店したい商業施設は?
さり:
渋谷パルコにある「ヌビアン(NUBIAN)」が好きで、よく遊びに行きます。あのようなスタイルで店舗を構えられたらかっこいいなと思います。

WWD:自分自身の今後のプランは?
さり:
今は自分の好きなように動ける時代がやっと来た!という気持ちです。ブランドを背負って自分を磨いていきたいです。私自身もブランドも有名になって一緒に成長できたら1番良いと思っています。

あとは、料理や海外が好きなので、料理のYouTubeチャンネルや海外のVlogにも挑戦したいです。得意料理は海鮮パエリア。かなり本格的に作れます!

生まれた時からポジティブだった

WWD:ファッションはいつ頃から好きだった?
さり:
小学生の時に女子小学生に向けたギャル雑誌「JSガール」を毎月購入していました。読者モデルになりたくて、スナップ撮影に行ったりオーディションを受けてみたりしていました。雑誌を読む中でファッションへの興味が強まりました。

WWD:好きなファッションの系統は?
さり:
小学生の時は「メゾピアノ(MEZZO PIANO)」や「バービー(BARBIE)」が好きでした。ダンスを始めたことがきっかけでヒップホップのカルチャーが好きになり、ストリート系のファッションを好んで着用していました。ストリートに寄りすぎるとカジュアルすぎてしまうので、今はセクシーな雰囲気がある海外ギャルが好きです。アジアンビューティーを目指しています。

WWD:ロールモデルはいる?
さり:
誰かにならなくてはいけないという風潮が苦手で、憧れはいないかもしれないです。私はテレビを見ず、SNSもそこまで好きではなくて。デジタルデトックスをよくしますが、ファッション業界はSNSが欠かせないと思うので今後はオンオフをつけていこうと思います。

WWD:取材を通してポジティブさを感じる。その所以は?
さり:
マジでわからないです。生まれた時からのようで、「なんでそんなにポジティブすぎるの!」と母に言われます。例えば、学校のテスト期間のときは全く勉強をしていないのに毎回絶対にいけると確信していました。結果、とても低い点数なのですが(笑)。結果に関わらず、「いける」という自分の中の自信が常にあります。

WWD:特に自分の好きなポイントは?
さり:
大丈夫っしょ、いけるっしょと考えられるポジティブなところとわがままなところです。モンスターなんです、私。自分がやりたいことをやりたいし、自分が予定してた予定がずれると狂っちゃう。周囲を困らせていることもあると思います。ですが、自分に嘘をつかないで生きているところは気に入っています。周囲の理解があってこその性格だと思っているので、そこへの感謝は忘れないようにしています。

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ユーチューバー・かじえり 「エナモル」で年商2億円超えでも“まだ三分咲き”

PROFILE: かじえり/発信型メイクアップアーティスト(美容インフルエンサー)

かじえり/発信型メイクアップアーティスト(美容インフルエンサー)
PROFILE: 1992年10月12日生まれ、大阪府出身。10代のころに趣味でやっていた「真似メイク」でブログがヒット。現在は発信型メイクアップアーティストとしてYouTubeを中心に”元から美人風”のナチュラルメイクを提案しており、SNSの総フォロワー数は60万人を突破。20〜40代まで幅広い層から支持を得ている。その傍ら、2019年にDcyuaを設立し、20年に「エナモル」初の商品であるメイクブラシセットを発売。22年1月に第一子を出産し、同年3月にはブランドのアイコニックアイテム“ニュアンスカラーアイズ”を発売した。ユーチューバー・経営者・母親の3足のわらじを履く実業家である。 PHOTOS:YURINA JINNAI

2020年ごろに急増したインフルエンサーコスメは、選別淘汰が進んでいる。生き残れるのは、マーケティング力と商品力、熱烈なファン層を抱えているブランドだ。発信型メイクアップアーティストのかじえりが立ち上げたDcyua(ディキュア)は、自身がプロデュースするコスメブランド「エナモル(ENAMOL)」の人気により、設立(19年10月)から約5年で年商2億円に達するなど着実に成長を遂げている。その裏側には、努力と苦悩を乗り越えた経験があった。

登録者数28万人のYouTubeアカウントを手放す

「正直、あのときが一番精神的につらかった」と思い返すのは、2019年。4年間定期更新し続けたYouTubeチャンネル「KAJIERI MAKEUP」の登録者数が28万人になり、あとひと息で30万人に達成するというところで事務所との間でトラブルが起きた。事態が複雑なこともあり、泣く泣く自身のチャンネルを手放すと、フォロワーと広告収入がゼロになってしまった。

同年、新しくYouTubeチャンネル「KAJIERI」を開設。多くのファンがついてきてくれたこともあり、現在の登録者数は41万人超え。「なんとか乗り越えることができたけれど、自分の大切なものは全て自分で守らなければいけないと学んだ」と苦笑いをしながら答えた。

「私ってYouTubeに雇われているんだ」
「エナモル」をプロデュースするきっかけ

「コロナ禍の2019〜20年、緊急事態宣言でメイクする機会が減ったため、何を発信しても再生回数が回らず、YouTubeの収益が大きく落ち込んだ。この手詰まりしていた時期に、私ってYouTubeに雇われているんだと実感。動画以外にもうひとつ何か自分の強み、軸を見つけなければならないと思い、本格的に『エナモル』を始動した」。

「エナモル」は、メイク初心者でもプロのような仕上がりがかなう色味、テクスチャー、実用性を考え抜いたメイクアップアイテムを販売している。主力アイテムは、アイシャドウパレット“ニュアンスカラーアイズ”(全4種、各2420円)で、ニュアンスカラーの4色をレイヤードすることで、目元に自然な輝きと奥行きを演出する。ほかにも、ベースメイクアイテムやハイライター、メイクブラシなどを用意する。

一般的に知られているインフルエンサーコスメは、化粧品メーカーが本人にオファーし、コスメをプロデュースしてもらうというパターンが多いだろう。だが、かじえりは自身で会社を立ち上げ、自らコスメの販売からイベントの運営、PRまでをプロデュースしている。インフルエンサーコスメの中でもまれな存在だろう。

もともと「エナモル」は、熊野筆などのメイクブラシを製造するタウハウスのブランドだったが、メイクブラシをコラボレーションして作ったことがきっかけで、かじえりがプロデュースすることになった。「『エナモル』は最初タウハウスが所持しており、私のブランドではなかった。一緒にメイクブラシを作ったりしている中で、『エナモル』の全てが好きになり、コスメも作ってみたい、ファンの皆さんに届けたいという思いが生まれてきた。この思いをタウハウスに直接話したところ、『かじえりさんあっての『エナモル』だから、どうぞ』とブランドを無条件で引き渡してくれた」。

そこから「エナモル」のメイクアイテムはかじえりが、メイクブラシはタウハウスが権利を所持。現在も両者の良好な関係は継続している。

スタッフ10人中6人がママ 働きやすい職場環境を目指す

経営や商品企画について知識ゼロのかじえりは独学し、現在は2歳の子どもを育てながら、会社の経営やコスメの企画開発、YouTubeの運用を行っている。また、在庫管理や発注書の作成、バイヤーへの商談などの細かな業務も自身で行い、「エナモル」の全体像を把握する。

会社も軌道に乗り、社員はかじえり1人から10人まで増えた。採用募集はインスタグラムなどのSNSを中心に行い、面接も1次から最終までかじえりが対応するという徹底ぶり。小林菜穂PR担当は「ともに働く私たちもかじえりさんのファン。だからこそ、ファンの皆さんがどんなコスメを、動画コンテンツを求めているかが分かる。イベント会場に貼ってある大きなポスターにサインをもらって持って帰ったこともあったな(笑)」と話す。

職場は、女性が働きやすい環境を提供。産休育休を受けられず苦悩した経験もあり、女性実業家として「もっと時間をコントロールしながら働けるスタイルが広がってほしい。まずは自分の会社をそんな働き方ができる会社にしていきたい」と考える。実際スタッフの10人中6人がママであり、ワークライフバランスを重要視している。

初のポップアップは2日間で売り上げ300万円

直近では、2024年6月に初のポップアップを開催。「2日間で売り上げ300万円と計画費を大きく上回った。アイシャドウとメイクブラシ、ベースメイクアイテム3品などの複数買いが多く見られ、平均の客単価は約9500円。ブランドのポテンシャルを知れる良い機会になった」とコメント。大盛況に終わったという。

「会社としては、まだ三分咲き。現在は“美容インフルエンサーかじえりのブランド”という印象が大きいと思うが、『エナモル』から『かじえり』を知ってもらえるようなブランドを目指している。そこまで辿り着くには、やはり実績と知名度をあげていかなければいけないため、私が前に出ているが、最終的には後ろに下がってブランドだけで回るようにしたいと考えている。まずはそこが現時点での目指すゴールだ」とかじえり。実店舗出店なども視野に入れ、ブランドの売り上げ拡大を目指す。

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ユナイテッドアローズが「アティセッション」1号店をオープン Z世代の強みを生かす

ユナイテッドアローズは9月12日、2023年春夏シーズンに始動した若年層向け業態「アティセッション(ATTISESSION)」の初の店舗を、新宿ルミネ2の2階にオープンした。24-25年秋冬の全ラインアップのほか、古着やマガジン、バッグやアクセサリーなどの仕入れ商品も2割程度取り扱う。

「アティセッション」は同社最年少のディレクターでZ世代の四谷奈々花が企画し、ミレニアルおよびZ世代に向けて「可憐さと自立心を兼ね備えた女性像」を打ち出す。23年春夏シーズンにデビュー以降、公式ECと一部の「ビューティー&ユース(BEAUTY&YOUTH)」店舗のみで販売してきたが、売り上げは計画比の2ケタ増で進捗している。さらに四谷ディレクターのコミュニティー生かして作り上げるブランドビジュアルやルックなどがターゲット層に響いている。

店作りにおいても、同世代のクリエイターに声をかけブランドコンセプトである「可憐さと自立心」を表現してもらったという。温かみを感じる木材の什器や、変形のプラスチック什器、シルバーの波打つラックなどを混在させ、「入店した時に緊張感と高揚感を同時に感じられる空間を目指した」と四谷ディレクター。仕入れの中には、工藤花観デザイナーが手掛ける「カカン(KAKAN)」などデビューまもないブランドも意識的に取り入れ「常に何か新しい出合いがある店」にしていく。

デジタルネイティブ世代のスタッフを外部から採用 発信力に期待

販売スタッフはインスタグラムを通じて募集した。四谷ディレクターの「広い視野で枠にとらわれないスタッフと作り上げたい」という思いから、同社としては珍しくターゲット層の20代前半のスタッフを中心に外部からのスタッフを多く採用。四谷ディレクターは「自分のスタイルを持っているか否かを重視した。デジタルネイティブ世代のスタッフ一人一人の発信力で、さらにブランドのファンが増えたら嬉しい」と期待を込める。

四谷ディレクターは「街中で『アティセッション』を着てくれている人を見かけるようになって、やっと実感が湧いてきた」と話す。今後も全国で出店機会を探っていく方針だ。

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「カナダグース」ダニー・リース会長兼CEOが語る 銀座の旗艦店、ハイダー・アッカーマン、暖冬への心構え

PROFILE: ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO

ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO
PROFILE: 1973年、トロント生まれ。1997年、祖父のサム・ティックが57年に創業したアウターウエアメーカーに入社。2000年にブランド名を「スノーグース」から「カナダグース」に改めると、01年にCEOに就任。その後、同ブランドを世界的なラグジュアリー・ライフスタイルブランドへと成長させた。19年にはグローブ・アンド・メール紙の「レポート・オン・ビジネス」で「グローバル・ビジョナリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。20年に「カナダで最も称賛されるCEO」に選出。また16年にはカナダ勲章、19年にはオンタリオ勲章を授与された。現在はマウント・サイナイ病院の理事、カナダの学生向け慈善団体「ステューデンツ・オン・アイス(SOI)」の諮問委員も務める。 PHOTO:MIKA HASHIMOTO

ハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)を初のクリエイティブ・ディレクターに迎えた「カナダグース(CANADA GOOSE)」は9月14日、銀座店をリニューアルし、フラッグシップストアとしてオープンする。カナダの大地を感じるような“カナディアン ウォームス(CANADIAN WARMTH)”をテーマに、店内にはラウンジスペースやバーカウンターを備えるほか、マイナス20度の環境でフィッティングが体験できる“コールドルーム”も完備。オープンを記念して写真家・二階堂ふみの写真展も開催する。

来日したダニー・リース(Dani Reiss)会長兼最高経営責任者(CEO)に銀座の新店舗やハイダーの起用、プロダクトの多様化、暖冬化が進む中での心構えなどを語ってもらった。

銀座店のリニューアルとハイダー・アッカーマンの起用

WWD:銀座店を「フラッグシップストア」としてリニューアルオープンする経緯は?

ダニー・リース=カナダグース会長兼CEO(以下、リース):「カナダグース」は、アジア地域で非常に好調だ。日本も同じで、2年前にオープンした銀座店も調子が良い。世界有数のショッピングエリアである銀座の店舗でブランドの力強いメッセージを体現し、発信する場所として生まれ変わらせたい。旗艦店として、あらゆる層のお客さまを迎えるのを楽しみにしている。

WWD: 5月にはクリエイティブディレクターにハイダー・アッカーマンが就任した。彼に白羽の矢を立てた一番の決め手は?

リース:ブランドが大きく成長し、クリエイティブ・ディレクターを見つけるべき時が来たと感じていた。選考に2年をかけ、多くの候補者と面談したが、最終的にハイダーと出会い、起用を決めた。私はハイダーのスタイルを「本物」と感じたし、ハイダーも「カナダグース」を「オーセンティック(=本物)」なブランドとして認識していた。ハイダーは、高い経験値を備え、いかにブランドを構築し、成長させるべきかを心得ている。あらゆる面でブランドを次のレベルへと引き上げてくれる人材だ。

WWD:ハイダーは機能性が魅力の「カナダグース」に、クリエイティブ・ディレクターとしてどう関わっていくのか?

リース:私は、彼をファッションデザイナーというよりは、「強い美学」を持った個人として認識している。彼はブランドの価値を高めるだけでなく、ブランドのカテゴリーを押し広げ、今までにない表現を提示してくれるだろう。

WWD:昨年リリースしたスニーカーなどを見てもわかるように「カナダグース」は製品カテゴリーの幅を拡大している。プロダクトを多様化させる先にあるものは?

リース:第一に、消費者が新しい商品を求めていると感じる。ブランドの成長は、新しいプロダクトをどんどん開発してきたことも大きい。私が入社した頃、「カナダグース」のプロダクトは約20型のみで、すべてダウンジャケットだった。今では軽量ダウンからウインドブレーカー、レインウエア、帽子、靴、アクセサリーまで、数多くのプロダクトを扱う。これらのアイテムにも、主力製品と同様のクラフツマンシップを注ぎ、高い品質を担保している。ブランドの基準に沿い、顧客が求める製品を作れば、私たちは成功できると信じている。ハイダーは、この点にも大きく寄与してくれるだろう。

WWD:「環境問題」の研究者を自認するハイダーとの最初のプロジェクトとして、ホッキョクグマの保護活動を支援するためのプロダクトを発売した。

リース:ハイダーがブランドに合流してすぐ、彼と私はカナダ北部の都市、チャーチルに向かった。多くのホッキョクグマが生息し、「ホッキョクグマの首都」とも呼ばれる街だ。そこでハイダーは、ホッキョクグマの生息地とその周辺の自然環境を体験し、「カナダグース」とホッキョクグマ保護団体「ポーラーベア・インターナショナル(Polar Bear International)」との長年にわたる取り組みを理解し、共感してくれた。その体験をもとに5月に発売したのが、「ポーラーベア・インターナショナル」に売上を寄付するための“PBI フーディー”だ。キャンペーンには、環境活動家としての顔を持つ女優のジェーン・フォンダ(Jane Fonda)を起用した。

サステナビリティへの意識 循環型経済の確立を目指して

WWD:一方でダウンという素材に対して、動物倫理的な視点で批判にさらされることもある。

リース:まず、「カナダグース」にとってダウンが重要な素材であることは間違いない。またダウンは、今でも世界で最も暖かい天然の中綿素材だ。

それを踏まえた上で2つのポイントを伝えたい。第一に、私たちが使用するダウンは、原料となるアヒルやガチョウの生育環境や羽毛の採取方法を細かく規定した国際的な基準「レスポンシブル・ダウン・スタンダード(Responsible Down Standard)」に適った方法で、倫理的に調達されたものであること。第二に、ダウンは食肉産業から生まれた副産物だ。レザーと同様に、人々がアヒルやガチョウを食べる限りダウンは存在し続ける。一方で「カナダグース」には近年、合成繊維や植物性の中綿などを使用している製品もある。こちらも好調だ。

WWD:昨年は自社製品の二次流通プラットフォーム「カナダグース・ジェネレーションズ」をスタートした。今後「カナダグース」が自社でコントロールする二次流通のビジネスはどうなる?

リース:消費者が持続可能性の問題に大きな関心を寄せる今、企業としてこの問題を重視し、循環型経済を確立することは重要だ。

誰かが手放した製品を市場に戻し、他の人にもう一度楽しんでもらう。それは自然なことであり、必要なこと。新品で「カナダグース」を購入したことがなかった消費者が、「カナダグース・ジェネレーションズ」では購入する機会があるかもしれないし、その人はいつか新品に手を伸ばすかもしれない。消費者がブランドに関わる方法が一つ増えたということ。顧客が製品をリユース・リサイクルする機会を大切にしている状況を考慮すれば、この事業はビジネスを成長させるチャンスでもある。始めたばかりだが、5〜10年後には私たちのビジネスに占める割合はかなり大きくなると見込んでいる。

WWD:昨年の10~12月期には卸売が苦戦し、28.5%の売り上げ減を経験した。人員削減にも踏み切り、自社の成長を促すべく組織を再編成した。このような痛みや変化を経て、直近の売り上げ状況は?

リース:まず言いたいのは、「カナダグース」のアジア太平洋地域は非常に好調で、23年の第四半期期(24年1月〜3月)は、全体で約30%プラスに転じている。昨年の卸売りの売上減は、私たちだけではなく、業界全体の現象だった。コロナ禍、金利上昇、インフレ、戦争など、様々なことがある中で、多くの卸売業者が在庫を持ちすぎていた。その機会を利用し、卸売りのネットワークの合理化を図り、消費者への直販を強化した。卸売は依然として非常に重要だが、世界で起きているあらゆる要因によって、自然な形でリセットされたと言える。

WWD:カナダグースジャパンも銀座店をリニューアルするように、今後卸売よりも直販に力を入れていく?

リース:日本には数社、強力な卸売パートナーがある。彼らとの取引には満足しているし、私たちのブランド力を高めてくれる存在だ。一方で、今回銀座店をリニューアルしたように、今後も機会があれば日本でも直営店を拡大していきたい。卸売と直販の両軸を大事にしていく。

暖冬が進む中で 「オーセンティック」なブランドとして

WWD:暖冬が進むなか、東京のような都市部に住む人は、防寒という点においてはヘビーなダウンジャケットを必要としなくなりつつある。それでも人々が「カナダグース」にひかれ、ダウンジャケットを購入する理由をどう分析するか?

リース:先ほど話したことにも繋がるが、20年以上日本でビジネスをしてきて、日本の人々は「オーセンティック(=本物)」であることを重視していると感じる。本物のストーリーを持っているブランドであることが大切だ。

また、大抵の場合、何かを買う動機は、単に必要だからではなく、それを欲しいと感じるから。「必要性」だけを考えれば、多くの人が「ランドローバー」のような四駆車を購入する理由もないし、そもそも、私たちがこんなに多くのモノを購入する理由もない。人はあくまで欲しいと感じるものを買うのだ。

だからこそ常に成長する必要性を感じる。カテゴリーの多様化はブランドとしての成長の一つ。あくまで「オーセンティック」な方法で、進化し続けるからこそ、消費者にとって常に「今」のブランドであり続けられるのではないか。

WWD:プロダクトの幅が広がっていく中でも、共通して存在する「カナダグース」らしさとは?

リース:全プロダクトに共通するのは、「独自の機能性」。マイナス100℃の寒冷地用のプロダクトであれ、街用にデザインしたものであれ、機能性は重要。機能を十分に追求すると、ファッショナブルなものになっていくとも感じている。

クラフトマンシップに重きを置いた、作りの良さも「カナダグース」らしさの一つ。プロダクトごとに最適な場所を選んで製造していて、ほとんどはカナダ製。それ以外はヨーロッパで作っている。

もちろん気候変動という問題には、アクションしなければならない。世界とつながり続け、状況に対応していくことが肝心だ。そのための方法はたくさんある。世の中のためになる製品を作ること、そして人々が望む製品を作ることを大事にしたい。「カナダグース」の価値を大切に守り、適切に成長していけば、成功できると信じている。

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「カナダグース」ダニー・リース会長兼CEOが語る 銀座の旗艦店、ハイダー・アッカーマン、暖冬への心構え

PROFILE: ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO

ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO
PROFILE: 1973年、トロント生まれ。1997年、祖父のサム・ティックが57年に創業したアウターウエアメーカーに入社。2000年にブランド名を「スノーグース」から「カナダグース」に改めると、01年にCEOに就任。その後、同ブランドを世界的なラグジュアリー・ライフスタイルブランドへと成長させた。19年にはグローブ・アンド・メール紙の「レポート・オン・ビジネス」で「グローバル・ビジョナリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。20年に「カナダで最も称賛されるCEO」に選出。また16年にはカナダ勲章、19年にはオンタリオ勲章を授与された。現在はマウント・サイナイ病院の理事、カナダの学生向け慈善団体「ステューデンツ・オン・アイス(SOI)」の諮問委員も務める。 PHOTO:MIKA HASHIMOTO

ハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)を初のクリエイティブ・ディレクターに迎えた「カナダグース(CANADA GOOSE)」は9月14日、銀座店をリニューアルし、フラッグシップストアとしてオープンする。カナダの大地を感じるような“カナディアン ウォームス(CANADIAN WARMTH)”をテーマに、店内にはラウンジスペースやバーカウンターを備えるほか、マイナス20度の環境でフィッティングが体験できる“コールドルーム”も完備。オープンを記念して写真家・二階堂ふみの写真展も開催する。

来日したダニー・リース(Dani Reiss)会長兼最高経営責任者(CEO)に銀座の新店舗やハイダーの起用、プロダクトの多様化、暖冬化が進む中での心構えなどを語ってもらった。

銀座店のリニューアルとハイダー・アッカーマンの起用

WWD:銀座店を「フラッグシップストア」としてリニューアルオープンする経緯は?

ダニー・リース=カナダグース会長兼CEO(以下、リース):「カナダグース」は、アジア地域で非常に好調だ。日本も同じで、2年前にオープンした銀座店も調子が良い。世界有数のショッピングエリアである銀座の店舗でブランドの力強いメッセージを体現し、発信する場所として生まれ変わらせたい。旗艦店として、あらゆる層のお客さまを迎えるのを楽しみにしている。

WWD: 5月にはクリエイティブディレクターにハイダー・アッカーマンが就任した。彼に白羽の矢を立てた一番の決め手は?

リース:ブランドが大きく成長し、クリエイティブ・ディレクターを見つけるべき時が来たと感じていた。選考に2年をかけ、多くの候補者と面談したが、最終的にハイダーと出会い、起用を決めた。私はハイダーのスタイルを「本物」と感じたし、ハイダーも「カナダグース」を「オーセンティック(=本物)」なブランドとして認識していた。ハイダーは、高い経験値を備え、いかにブランドを構築し、成長させるべきかを心得ている。あらゆる面でブランドを次のレベルへと引き上げてくれる人材だ。

WWD:ハイダーは機能性が魅力の「カナダグース」に、クリエイティブ・ディレクターとしてどう関わっていくのか?

リース:私は、彼をファッションデザイナーというよりは、「強い美学」を持った個人として認識している。彼はブランドの価値を高めるだけでなく、ブランドのカテゴリーを押し広げ、今までにない表現を提示してくれるだろう。

WWD:昨年リリースしたスニーカーなどを見てもわかるように「カナダグース」は製品カテゴリーの幅を拡大している。プロダクトを多様化させる先にあるものは?

リース:第一に、消費者が新しい商品を求めていると感じる。ブランドの成長は、新しいプロダクトをどんどん開発してきたことも大きい。私が入社した頃、「カナダグース」のプロダクトは約20型のみで、すべてダウンジャケットだった。今では軽量ダウンからウインドブレーカー、レインウエア、帽子、靴、アクセサリーまで、数多くのプロダクトを扱う。これらのアイテムにも、主力製品と同様のクラフツマンシップを注ぎ、高い品質を担保している。ブランドの基準に沿い、顧客が求める製品を作れば、私たちは成功できると信じている。ハイダーは、この点にも大きく寄与してくれるだろう。

WWD:「環境問題」の研究者を自認するハイダーとの最初のプロジェクトとして、ホッキョクグマの保護活動を支援するためのプロダクトを発売した。

リース:ハイダーがブランドに合流してすぐ、彼と私はカナダ北部の都市、チャーチルに向かった。多くのホッキョクグマが生息し、「ホッキョクグマの首都」とも呼ばれる街だ。そこでハイダーは、ホッキョクグマの生息地とその周辺の自然環境を体験し、「カナダグース」とホッキョクグマ保護団体「ポーラーベア・インターナショナル(Polar Bear International)」との長年にわたる取り組みを理解し、共感してくれた。その体験をもとに5月に発売したのが、「ポーラーベア・インターナショナル」に売上を寄付するための“PBI フーディー”だ。キャンペーンには、環境活動家としての顔を持つ女優のジェーン・フォンダ(Jane Fonda)を起用した。

サステナビリティへの意識 循環型経済の確立を目指して

WWD:一方でダウンという素材に対して、動物倫理的な視点で批判にさらされることもある。

リース:まず、「カナダグース」にとってダウンが重要な素材であることは間違いない。またダウンは、今でも世界で最も暖かい天然の中綿素材だ。

それを踏まえた上で2つのポイントを伝えたい。第一に、私たちが使用するダウンは、原料となるアヒルやガチョウの生育環境や羽毛の採取方法を細かく規定した国際的な基準「レスポンシブル・ダウン・スタンダード(Responsible Down Standard)」に適った方法で、倫理的に調達されたものであること。第二に、ダウンは食肉産業から生まれた副産物だ。レザーと同様に、人々がアヒルやガチョウを食べる限りダウンは存在し続ける。一方で「カナダグース」には近年、合成繊維や植物性の中綿などを使用している製品もある。こちらも好調だ。

WWD:昨年は自社製品の二次流通プラットフォーム「カナダグース・ジェネレーションズ」をスタートした。今後「カナダグース」が自社でコントロールする二次流通のビジネスはどうなる?

リース:消費者が持続可能性の問題に大きな関心を寄せる今、企業としてこの問題を重視し、循環型経済を確立することは重要だ。

誰かが手放した製品を市場に戻し、他の人にもう一度楽しんでもらう。それは自然なことであり、必要なこと。新品で「カナダグース」を購入したことがなかった消費者が、「カナダグース・ジェネレーションズ」では購入する機会があるかもしれないし、その人はいつか新品に手を伸ばすかもしれない。消費者がブランドに関わる方法が一つ増えたということ。顧客が製品をリユース・リサイクルする機会を大切にしている状況を考慮すれば、この事業はビジネスを成長させるチャンスでもある。始めたばかりだが、5〜10年後には私たちのビジネスに占める割合はかなり大きくなると見込んでいる。

WWD:昨年の10~12月期には卸売が苦戦し、28.5%の売り上げ減を経験した。人員削減にも踏み切り、自社の成長を促すべく組織を再編成した。このような痛みや変化を経て、直近の売り上げ状況は?

リース:まず言いたいのは、「カナダグース」のアジア太平洋地域は非常に好調で、23年の第四半期期(24年1月〜3月)は、全体で約30%プラスに転じている。昨年の卸売りの売上減は、私たちだけではなく、業界全体の現象だった。コロナ禍、金利上昇、インフレ、戦争など、様々なことがある中で、多くの卸売業者が在庫を持ちすぎていた。その機会を利用し、卸売りのネットワークの合理化を図り、消費者への直販を強化した。卸売は依然として非常に重要だが、世界で起きているあらゆる要因によって、自然な形でリセットされたと言える。

WWD:カナダグースジャパンも銀座店をリニューアルするように、今後卸売よりも直販に力を入れていく?

リース:日本には数社、強力な卸売パートナーがある。彼らとの取引には満足しているし、私たちのブランド力を高めてくれる存在だ。一方で、今回銀座店をリニューアルしたように、今後も機会があれば日本でも直営店を拡大していきたい。卸売と直販の両軸を大事にしていく。

暖冬が進む中で 「オーセンティック」なブランドとして

WWD:暖冬が進むなか、東京のような都市部に住む人は、防寒という点においてはヘビーなダウンジャケットを必要としなくなりつつある。それでも人々が「カナダグース」にひかれ、ダウンジャケットを購入する理由をどう分析するか?

リース:先ほど話したことにも繋がるが、20年以上日本でビジネスをしてきて、日本の人々は「オーセンティック(=本物)」であることを重視していると感じる。本物のストーリーを持っているブランドであることが大切だ。

また、大抵の場合、何かを買う動機は、単に必要だからではなく、それを欲しいと感じるから。「必要性」だけを考えれば、多くの人が「ランドローバー」のような四駆車を購入する理由もないし、そもそも、私たちがこんなに多くのモノを購入する理由もない。人はあくまで欲しいと感じるものを買うのだ。

だからこそ常に成長する必要性を感じる。カテゴリーの多様化はブランドとしての成長の一つ。あくまで「オーセンティック」な方法で、進化し続けるからこそ、消費者にとって常に「今」のブランドであり続けられるのではないか。

WWD:プロダクトの幅が広がっていく中でも、共通して存在する「カナダグース」らしさとは?

リース:全プロダクトに共通するのは、「独自の機能性」。マイナス100℃の寒冷地用のプロダクトであれ、街用にデザインしたものであれ、機能性は重要。機能を十分に追求すると、ファッショナブルなものになっていくとも感じている。

クラフトマンシップに重きを置いた、作りの良さも「カナダグース」らしさの一つ。プロダクトごとに最適な場所を選んで製造していて、ほとんどはカナダ製。それ以外はヨーロッパで作っている。

もちろん気候変動という問題には、アクションしなければならない。世界とつながり続け、状況に対応していくことが肝心だ。そのための方法はたくさんある。世の中のためになる製品を作ること、そして人々が望む製品を作ることを大事にしたい。「カナダグース」の価値を大切に守り、適切に成長していけば、成功できると信じている。

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「Bコープ」取得の豪バッグブランド「ステート オブ エスケープ」が10周年 自由な旅とウエルネスのために

サザビーリーグが日本国内における総代理店契約を結ぶオーストラリア発のバッグブランド「ステート オブ エスケープ(STATE OF ESCAPE)」が創業10周年を迎えた。伊勢丹新宿本店では9月17日までポップアップイベントを開催中だ。イベントに合わせ、デザイナーのブリジット・マガウアン(Brigitte MacGowan)と共同創業者のデズリー・メイドメント(Desley Maidment)が来日。2人にブランドの変遷やこれから挑戦したいことを聞いた。

「女性たちが自由に世界を探求する」ために

「ステート オブ エスケープ」のバッグは、特に忙しいライフスタイルを送る30〜40代の女性たちから支持を集める。ほかにはない機能性とデザイン性のバランス感が人気の秘訣だ。メイドメントは「女性たちが外に出て自由に世界を探求し、いろんなことを経験してほしいというのが私たちの根本にある願いだ」と話す。

商品開発には、大の旅行好きだという彼女たちのリアルな視点が生きている。代表的なのは、シグネチャーモデル“エスケープ“。ボディーに使用しているネオプレン素材は軽量で耐久性に優れ、水洗いもできる。ショルダー部分には、オーストラリア国内で調達するセーリーングロープを活用している。耐久性はもちろん、カラフルなロープがデザインにアクセントを加えている。

多くの女性たちの間で「日常使いになくてはならないバッグ」としての口コミが広がり、この10年で取り扱いは約10カ国に。なかでも日本は主力市場だという。国内での卸先は「ロンハーマン(RON HERMAN)」のほか、「バーニーズ ニューヨーク(BARNEYS NEW YORK)」「ジャーナルスタンダード(JOURNAL STANDARD)」など約20アカウント。

成功の要因は何か聞くと、「仕事やジム、友人とのディナーまで1日の中でもさまざまなシーンに寄り添えるような見た目の端正さ、持ち運びのしやすさといった多機能性にこだわってきたことだろう。スタイリッシュで機能的な商品を送り出すことが私たちのミッションだ」と話す。

「Bコープ」取得で責任あるビジネスモデルに進化

今年2月には環境や社会に配慮した公益性の高い企業であることを示す国際認証「Bコーポレーション(以下、Bコープ)認証」を取得した。「私たちは創業当初から受注生産性体制で、責任ある事業運営を心掛けていた。それでも『Bコープ認証』というお墨付きを得ることで、取引先に私たちが何者なのか、どんな考えを持っているかより分かりやすい形で伝えられると思った。消費者もいま、何を買うのか、なぜ買うのかにとても意識的になっている。『Bコープ認証』は消費者にとっても良い判断材料にもなるはずだ」とメイドメント。

素材軸では、昨年から台湾のメーカーが製造するカキの貝殻が原料のネオプレン素材や使用済みのペットボトルからなるリサイクルポリエステルの使用を開始した。ストラップに使用しているセーリングロープをアップサイクルしたミニバッグ“アドリフト“シリーズなども発表。「どうやったら素材を無駄なくアップサイクルできるかは今後も考え続けたい」とマガウアン。

社会や環境などさまざまな項目がある「Bコープ認証」の指標のなかでも、「ステート オブ エスケープ」特に「コミュニティー」のカテゴリーの評価が高い。創業当初からオーストラリアの国内生産にこだわってきたことが評価された。2人は国内のモノ作りの現場が次世代に残っていかないことに課題感を感じていたのだという。「当時製造業が強くないオーストラリアで生産パートナーを見つけるのに非常に苦労したが、無駄に生産せず最低発注数量で作れること、目の届く範囲で品質の高いモノ作りするためにもゆずれない部分だった。結果として今、独自のコミュニティーを築けたことを誇りに思う」と振り返る。

今後の目標は、「次の10年も変わらないことだ」という。「やみくもに商品バリエーションを拡大したりはしない。どんな商品も旅とウエルネスのために届けるというパーパスに沿って生み出し、多彩なカラーで多くのお客さまを楽しませたい」と語る。日本では「日本人アーティストなどとのコラボレーションに挑戦し、日本の顧客との関係値も強めていきたい」という。

■ステートオブエスケープ ポップアップストア

日程:9月4日~17日
場所:伊勢丹新宿本店1階 プロモーションスペース
住所:東京都新宿区新宿3-14-1
時間:10:00~20:00

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ユナイテッドアローズが丸の内店を刷新 「ちゃんとした服に出合える」期待に応えたい

ユナイテッドアローズは9月12日に、ユナイテッドアローズ 丸の内をリニューアルオープンする。消費者の価値観の変化を踏まえ、約1年半かけて内装や商品ラインアップを大幅に見直した。板谷迅ヴァイスプレジデントUA本部本部長は「緊張感よりも自然体でいられる居心地の良さを求めるのが今の価値観」と話し、店内は従来の重厚感のある非日常的な空間から照明を明るくして開放感を重視した。商品軸では「豊かさ」と「上質感」をキーワードに、他店と比較してデザイナーズブランドの仕入れ率を高めている。全体はオリジナル6割、仕入れ4割で構成する。

六本木店、原宿店に並ぶ旗艦店である丸の内店は、コロナ禍で大きな打撃を受けた。ただ、回復も早かった。40代を中心としたビジネスパーソンの戻りに加え、30代のファミリー層も来店するようになった。板谷部長は「みなさまが久しぶりにちゃんとした服を買いたいと思った時に、思い出してもらえるのがこの店なんだと感じたことがリニューアルのきっかけになった。改めて『ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS)』ブランドに期待されていることは何かを考え、行き着いたのは『ユナイテッドアローズ』のど真ん中。上品で上質な品ぞろえを求めるお客さまの声にきちんと応えていきたい」と意気込む。

お客さまの期待を超える「顧客感動」を目指して

「今の時代のリアルクローズ」として「サカイ(SACAI)」「アプレッセ(A.PRESSE)」「ジル サンダー(JIL SANDER)」などを強化ブランドに挙げる。商品バリエーションの広さを見せるため、陳列する商品量は増やしつつも、空間を広く使って圧迫感を減らしている。「オンとオフで着る服を区別しない人も増えているなか、こちらからオケージョンごとに着るものを提案するのはナンセンス」と考え、カテゴリーで分けずにスタイリングで見せる点も特徴だ。

販売スタッフは販売力のある「精鋭スタッフをそろえた」という。板谷部長は「これまでは社として『顧客満足』を標語に掲げてきたが、現在は松崎(善則社長執行役員CEO)の号令の下、お客さまの期待を超えると言う意味の『顧客感動』を目指している。お客さまがどんな気分になりたいのかといった潜在欲求を汲み取り、感動を与える店を目指したい」と語る。

同店限定で「ユーゲン(HEUGN)」のブレザー、「バトナー(BATONER)」のドライバーズニット、「近沢レース店」ハンカチ、UAのショッパーをレザーで再現したバッグなどの別注アイテムも多数用意。また12〜23日まで「ハイク(HYKE)」のポップアップイベントも予定する。

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「オルビス」が激戦区のドラコスに参入  低価格帯スキンケアに新風を吹き込む

PROFILE: 小林琢磨/オルビス社長

小林琢磨/オルビス社長
PROFILE: (こばやし・たくま)2002年ポーラ入社。10年にグループの社内ベンチャーから誕生した敏感肌専門ブランド「ディセンシア」の社長に就任し50億円規模のビジネスに導く。18年オルビス社長に就任。リブランディングによる構造改革をはじめ、物流センターの自動化、アプリを用いたCX戦略などをけん引し、数々のヒット商品を生み出す。ポーラ・オルビスホールディングスの取締役を兼務する

大手化粧品メーカーが軒並み高価格帯にシフトする中、「オルビス(ORBIS)」は990円~1210円という価格帯で“ショットプラス”を今秋発売する。オルビスの2024年1〜6月期は、売上高が前年同期比14.8%増、営業利益が同44.5%増と好調な業績を記録する中で同社が、低価格帯かつ激戦区のドラッグストア市場に「なぜ」「今」「あえて」参入するのか。小林琢磨社長に聞いた。

「ビューティーを諦めない」「生活者を取り残さない」

―――“ショットプラス”発売の経緯を教えてください。

小林琢磨オルビス代表取締役社長(以下、小林):まず根本的な背景として、オルビスは一人一人が誰かと比べることなく、自分らしく年齢を重ねていける、「スマートエイジング」を掲げています。オルビスの創業は1987年。化粧品は百貨店や専門店での販売が主流の時代ですが、まだ比較的珍しかった通信販売という新しい買い物体験をスタートしている。「百貨店のカウンターが苦手な人もいるよね」「シンプルな化粧品が好きなお客さまもいるよね」と、お客さま一人一人のニーズに寄り添うことを基軸にしています。

そのうえで現在の化粧品市場を見渡すと、好調なのは1万円以上の高価格帯か、1500円以下の低価格帯。大手は軒並み高価格帯にシフトしています。自社研究所を有する開発力のある会社が「先端技術を高級化粧品に搭載する」、それ自体は素晴らしいことです。一方で、取り残されている人はいないだろうか、“生活者全体のビューティ”に寄与していないのではないかという思いがありました。

―――「生活者を取り残さない」ための意志決定とは?

小林:ブランドの根幹にそういう思いがあった上で、市場分析上でも取り組む価値のある分野だと思いました。きっかけはコロナ禍です。生活者の価値観や購買行動が変化した面と、逆に変わらない面が如実に示された。まず、変わらなかった面でいうと緊急事態宣言の発出にも関わらず、思ったほど化粧品のEC比率が上がらなかったことがあります。

―――:化粧品のEC比率は、具体的にはどのくらい?

小林:経済産業省が公表しているデータによると、「化粧品、医薬品」のEC化率は22年度で8.24%。化粧品だけ抜き出して試算すると20%に満たないくらいで、約8割の生活者は実店舗で購入していることになります。

さらに、22年のインテージSLI調査を元に独自で分析したデータでは、化粧品購入チャネルの上位86%がドラッグストア・ECプラットフォームでした。リアルの世界では、ドラッグストアがインフラとして機能している。そのうちの77%が1000円前後のプチプラスキンケアユーザーであることも分かりました。

―――ドラッグストアとプチプラコスメの存在感が分かるデータですね。ただ、EC比率に関しては、今後伸びる可能性もあるのでは?

小林:おっしゃる通り、ECは今後も伸長していくはずです。一方で、今度は「変化したこと」に目を向けると、1人の生活者がデジタルとリアルを行き来するのが当たり前になった。そうなると、デパコスもドラコスも関係なく、あらゆるブランドが店舗販売とECを「総合格闘技」的に取り組まなくてはなりません。

何が起こるかというと「EC広告単価の劇的な上昇」です。われわれのような直販ブランドは、トータルで考えると将来的に利益率の低下が予想される。だとしたら、リアルとECを融合して、最も付加価値の出せるポイントはどこかを考える必要があります。

まだ「オルビス」を知らない潜在的な顧客と出会うために

―――そこで、ドラッグストアに進出する選択をした。

小林:現在オルビスは、年商450億円規模のビジネスを展開しています。この規模のシェアがあると、人口減少が進む国内において、新規顧客の獲得はなかなか難しい。私たちがまだ出会えていないお客さまはどこかといったら、ドラッグストアのチャネルだった。

総合的に考えて、1000円前後でこれくらい高い技術が詰まったコストパフォーマンスのよい商品はなかなかない。昨今の生活者の格差が広がっていること、そして「オルビス」のブランドフィロソフィーとしてはやるべきと判断しました。

――商品力の高さに自信があるわけですね。

小林:そうですね。まず、自信を持っている点として、“ショットプラス”には、グループ会社のポーラ化成工業が誇るスキンケア技術が搭載されています。1番の特長は、浸透技術が優れていること。ここは長年ナノ化技術を研究してきた化粧品会社だからこそ、成し得たクオリティーだと自負しています。

1000円前後という価格帯でこの浸透感や保湿感を体験して頂いて、お客さまに「オルビスっていいよね」と思って頂けたらうれ嬉しいですね。その方のライフステージが変わって、例えばエイジングが気になりはじめた時に、直販のオルビスを選ぶきっかけになればありがたい。長い目で見て、潜在顧客を増やしていくことは本当に重要だと考えています。

新たな挑戦に対して社内では反対意見も

―――“ショットプラス”に搭載した技術は、ポーラ化成工業の財産だと思います。ドラッグストアコスメに用いることに反対意見はなかった?

小林:経営陣の中でも、正直意見は割れました。ただ、自分たちが培ってきた技術を「安売り」するのではなく「この価格帯でどんな価値を提供するのか」という話しなので、そこは議論を重ねました。

―――価値の中にはデザインや世界観も含まれると思いますが、そのあたりの戦略は?

小林:あえてドラッグストアコスメの世界観に準じることはしませんでした。ボトルはシンプルだけど上質感が漂うスタイルに。広告ビジュアルも、百貨店で販売するスキンケアと同じ世界観にしています。

―――お話しを聞いていると「クオリティーの追求」が伺えますが、収支的には見合うのでしょうか。

小林:ドラッグストアコスメのすごいところは、一定の「規模感」があると利益が見込める点です。店舗でいうなら、数千店とか1万店とかに配荷されるスケール感があると、ロット数が増えて原価が下がる分、利益が期待できる。ここは、今後頑張っていかないといけない部分です。

表層的なマーケティングではなく
重視するのはあくまで「生活者の声」

―――店舗の拡大には営業活動も重要では?

小林:実は“エッセンスインヘアミルク(以下、ヘアミルク)”のヒットをきっかけに、小売店とのパートナーシップが拡大した経緯があります。

―――SNSを中心にバズったアイテムですね。13年も前に発売して、1度もリニューアルしていないと聞きました。

小林:その通りです。しかも、広告も一切していないんです。11年の発売時から右肩上がりでジワジワと伸びて、21年の販売個数が28万個。22年にSNSでバズったことをきっかけに、23年には250万個と2年で約9倍に跳ね上がりました。

―――ものすごい急成長ですね。

小林:そうなると、商品企画部から「ひと昔前のデザインだから、ボトルを刷新したい」とか、「インフルエンサーマーケティングで、さらにドライブさせよう」みたいな話が出るんですよ。僕は、全部却下しました。

―――全部却下ですか。

小林:そう、全部却下(笑)。なぜなら、マーケティングでは「認知」と「想起」を取る時点が一番大変なんです。まずはヘアミルクを知って頂いて、髪に悩みがあった時に「あのピンクのボトルの……」と思い浮かべていただくことですね。

確かにボトルは、ひと昔前のど派手なピンクですが、今変えたらどれだか分からなくなってしまう。そして、せっかく自然発生的にバズったのに、インフルエンサーがハッシュタグつけたSNSを目にしたら、一気に冷めませんか?じゃあ何をしたかというと「生活者との接点」を増やす、つまり売り場を拡張すべく、バラエティーショップやドラッグストアなどのリテールに営業をかけました。

―――そこで小売店とのネットワークが構築できたんですね

小林:そうです。配荷でいうと“ヘアミルク”は現在、バラエティーショップを含め全国2万を超える店舗に置いていただいています。背景にこのような店舗とのパートナーシップがあったことも、“ショットプラス”ローンチの後押しになりました。

―――“ショットプラス“の配荷予定は?

小林:ドラッグストアは、最初から全店に配荷するわけではなく、一部店舗に置いて動きを見るテスト期間があります。初回配荷数は具体的に明かせませんが、通常のテスト店舗数の約2倍の店舗で展開していただく予定です。

―――“ショットプラス“の今後の展望を教えてください。

小林:ローンチが9月なので、初年度の売り上げはそこまでのインパクトは出ないと予想しています。それよりまずは、皆さんに知っていただいて、ぜひこのクオリティーをご体験いただけたらと。

“ヘアミルク”のヒット時に、僕が非常に面白いと感じたのは、22年にバズったコメントと、11年の誕生時に愛用者が評価してくださったコメントが「ほぼ同じ」だったことです。プロダクトが評価されるポイントは、時代が変わっても不変であり、表層的なマーケティングではかなわない「本質」です。“ショットプラス“も「やっぱりいいね」と思っていただけるようなブランドに育てたい。将来的には、商品や店舗数の拡大を目指しています。

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境界を超える実験音楽の祭典「モード」出演 ノルウェーのサックス奏者ベンディク・ギスケ インタビュー

2024年6月、ロンドンの音楽レーベル「33−33」と、日本を拠点に実験性の高いアートや音楽のイベントを手がけるキュレトリアル・コレクティブ「ブリス(Bliss)」は、草月ホールにて、イベントシリーズ「モード(MODE)」を開催した。

18年にロンドンで開催した「モード」の第1回目でキュレーターを務めたのは、昨年逝去した坂本龍一。きっかけは、ロンドンで実験音楽のイベントシリーズ「セント・ジョン・セッションズ(St John Sessions)」を運営する「33-33」のディレクター=クリス・ヴォーン(Chris Vaughan)が、坂本龍一と米国のサウンドアーティスト、テイラー・デュプリー(Taylor Deupree)から、このシリーズに出演したいと連絡を受けたこと。2人の「セント・ジョン・セッションズ」出演が実現したのは14年2月だった。ヴォーンは、イベント後も坂本龍一と連絡を取り合い、共に音楽イベントシリーズを立ち上げるアイデアを提案。その4年後の18年に誕生したのが「モード」だ。

「モード」という言葉は多様な意味を持つ。音楽用語としては「スケール(音階)」と同義であり、ファッションの分野はもちろん、統計学やビジネスの文脈でも使用される。坂本がこだわったこの言葉をタイトルに冠し、音楽、アート、ファッションが垣根を超えて自由に融合し、成長することを目指す。

「イベントを始めた当初、音楽とファッションの世界に乖離を感じていた」と、「モード」の共同ディレクターを務める中野勇介とヴォーンは語る。現在は、同イベントシリーズに出演したアーティストの実験音楽が、ファッションショーの中で使用されるなど、当初の構想に追いつくようにその距離が近づいている。22年から開催地を東京に移した理由の一つは、灰野敬二やフジタ(FUJI|||||||||||TA)など、欧米で高い評価を受ける日本人アーティストの功績に光を当てるため。彼らのような日本人アーティストたちは、しばしば、日本の実験音楽シーンは欧米に比べて非常に小さいと語っていたという。この状況に風穴を開けようと「モード」は、23年以降、東京で積極的にライブを企画しており、今月21日には東京・恵比寿のライブハウス「リキッドルーム」でのイベント「MODE AT LIQUIDROOM」の開催も控える。出演は、大阪拠点の音楽家・日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブルgoatと初来日となるイギリス・グラスゴー出身のトリオ、スティル・ハウス・プランツ(Still House Plants)。

WWDでは、「モード」出演のため6月に初来日を果たしたエクスペリメンタル・サックス奏者のベンディク・ギスケ(Bendik Giske)にインタビューを敢行。たゆまぬ鍛錬に裏打ちされた身体性と、サックスの瞑想的な響きが生む没入感が共存する、特異な音楽世界を作り出すギスケに、深い洞察に支えられた創造性について話を聞いた。

価値観をまたぎ、人々をつなげるエネルギーを生む
「集合地点としての音楽」を目指して

――ギスケさんのサックス演奏のアプローチは身体性にフォーカスした、独自の音楽表現です。このような奏法にいたった経緯について聞かせてください。

ベンディク・ギスケ(以下、ギスケ):もともと幼少期からダンスの勉強をしていて、身体の動きを通してストーリーを伝えることに興味がありました。そのうちダンスそのものよりも楽器の演奏に身体的な動きを取り入れることで独自の表現を探求したいと考えるようになり、音楽の道に進むことに決めました。
通っていた音楽学校にはジャズとクラシックの2つのコースがあり、どちらも音楽理論や歴史、実技を学びますが、私はリズムと現代の音楽を中心としたコミュニティー形成について追究したかったので、ジャズを選びました。

楽器のテクニックや音楽的な知識はもちろん重要ですが、ジャズの真の特性は「対抗的な力」。つまり、常に何かの対立軸として存在することだと考えています。

――「対立軸として存在する」とは?

ギスケ:即興的なジャズは、スコアとして書かれた音楽への反抗であり、封建的なシステムの中で作られてきた西洋音楽の歴史に対峙することでもある。西洋音楽は中上流階級によって作られてきたものが大半ですが、ジャズは民衆の間で生まれ、音楽史では語られない歴史的背景を持っています。

ジャズは常に「新しさ」を探求し、即興演奏による主体的なストーリーテリングや、音楽を中心にしたコミュニティ構築を求めるもの。私がジャズにひかれるポイントはここにあります。

また、アメリカ文化を背景に持つジャズや、そのルーツとしてのアフリカ音楽、そしてハウス・テクノ等の電子音楽には、ノルウェーの前史的な音楽に通底するテーマがあると思っています。それは「集合地点としての音楽」ということ――音楽を通して人々がつながり、人々がつながることでまた新たに音楽が生まれるということです。

――現在ベルリンを拠点とし、テクノミュージシャンのパヴェル・ミリャコフ(Pavel Milyakov)とのコラボレーション等も実現しました。自身の音楽と、電子音楽やダンスミュージックとの親和性についてはどう考えていますか?

ギスケ:直近ではベルリンのナイトクラブ「ベルグハイン」のレジデンスDJ、サム・バーカー(Sam Barker)とコラボレーションしました。彼は電子音楽の手法で作曲するアーティストです。

電子音楽との協奏自体に目新しさはありませんが、どんどん進化していくテクノロジーを自分のアコースティックな演奏に取り入れることで、新たに生まれる音や空間の可能性を探究したいです。

現在、ドイツでは思想の両極化が進んでいますが、電子音楽のシーンは、人々が価値観の違いを超えて一堂に会するエネルギーを生み出すことができると思います。

――ライブパフォーマンスをする上でのこだわりを教えてください。

ギスケ:ライブではループ等のエフェクターやサンプリングは使わず、マイクを使用したテクニックや反響によって生まれる音のみを使います。マイクの誕生によってビリー・ホリデイ(Billy Holiday)のささやくような歌い方が生まれたように、私もマイクを通すことでしか生まれない音を出したいんです。

音楽やパフォーマンスは、自らの経験を観客と共有することですが、私は観客の反応をコントロールしたり、誘導したりしたいとは思いません。自分が表現したいのはあくまで「空間」で、「真実」や具体的な何かを語りたいわけではない。空間を作り、そこにどんな形であれ、観客に関与してもらうことを重視しています。

音楽と視覚的要素を通したアイデンティティの表現

――音楽だけでなく、映像作品・ショー等でのインスタレーションのような空間演出やビジュアル表現においても、アバンギャルドな独自の美的感覚を発揮されています。創作の着想源は何ですか?

ギスケ:私はミュージシャンですが、音楽だけでなくその周辺要素を含めて表現したいと考えています。ファッションや動き、照明も含め、あくまで音楽的なアウトプットの周辺に視覚的要素を足しているという認識です。

創作の原動力は、私から見てこの世界に欠けているもの、存在しているのになかなか見えづらいものを、自分の表現によって埋めたい、具現化したいという思いです。

――ベンディクさんから見て「この世界に欠けている」ものとは?

ギスケ:今までさまざまな反抗的・対抗的な表現を享受してきましたが、その中でクィアな要素を含んだ表現をなかなか見つけられずにいました。だからこそ、自分の音楽表現やステージでのパフォーマンスにはクィア要素を織り込み、自分のアイデンティティーを表現したいと考えています。とはいえ、この10年間で社会のクィアカルチャーへの理解は進みましたし、サブカルチャー全般においても、テクノやハウスなどのダンスミュージックシーンにおいても、クィアの存在感は高まっているようにも感じます。

――22年には「ディオール(DIOR)」の 秋冬コレクションのランウェイにて“Cruising”(アルバム「Cracks」収録曲)がオープニングを飾り、ビッグメゾンの洗練されたショーに、あなたの音楽世界が新たな物語性を与えました。「モード」が当初から構想したように、音楽とファッションは密接な関係性を築いているように感じます。あなたにとってファッションとは?

ギスケ:私の作品がショーのオープニングという美しい瞬間に使われたのは光栄でした。自分の作品が元々の意図とは異なる文脈で使われ、別の表現に昇華されるのは、とても喜ばしいことです。

私にとってファッションは、ペルソナを表現できる「着用可能なアート」。例えば、肩幅が大きく誇張されたジャケットなど、特徴的なアイテムを身につけた時、どんな効果がもたらされるでしょうか?体の動きやアイデンティティー、ふるまいに影響し、新しい表現が生まれる可能性もあるでしょうし、文化や伝統、ひいてはジェンダー・アイデンティティーや地理的な繋がりなども表現することもできると思っています。

一方で、機能的なファッションにも魅力を感じます。ワークウエアの要素を取り入れた「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」のデザインや、日本の履物からインスピレーションを得た「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」の足袋ブーツなど、機能から生まれる美しさには魅了されますね。

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境界を超える実験音楽の祭典「モード」出演 ノルウェーのサックス奏者ベンディク・ギスケ インタビュー

2024年6月、ロンドンの音楽レーベル「33−33」と、日本を拠点に実験性の高いアートや音楽のイベントを手がけるキュレトリアル・コレクティブ「ブリス(Bliss)」は、草月ホールにて、イベントシリーズ「モード(MODE)」を開催した。

18年にロンドンで開催した「モード」の第1回目でキュレーターを務めたのは、昨年逝去した坂本龍一。きっかけは、ロンドンで実験音楽のイベントシリーズ「セント・ジョン・セッションズ(St John Sessions)」を運営する「33-33」のディレクター=クリス・ヴォーン(Chris Vaughan)が、坂本龍一と米国のサウンドアーティスト、テイラー・デュプリー(Taylor Deupree)から、このシリーズに出演したいと連絡を受けたこと。2人の「セント・ジョン・セッションズ」出演が実現したのは14年2月だった。ヴォーンは、イベント後も坂本龍一と連絡を取り合い、共に音楽イベントシリーズを立ち上げるアイデアを提案。その4年後の18年に誕生したのが「モード」だ。

「モード」という言葉は多様な意味を持つ。音楽用語としては「スケール(音階)」と同義であり、ファッションの分野はもちろん、統計学やビジネスの文脈でも使用される。坂本がこだわったこの言葉をタイトルに冠し、音楽、アート、ファッションが垣根を超えて自由に融合し、成長することを目指す。

「イベントを始めた当初、音楽とファッションの世界に乖離を感じていた」と、「モード」の共同ディレクターを務める中野勇介とヴォーンは語る。現在は、同イベントシリーズに出演したアーティストの実験音楽が、ファッションショーの中で使用されるなど、当初の構想に追いつくようにその距離が近づいている。22年から開催地を東京に移した理由の一つは、灰野敬二やフジタ(FUJI|||||||||||TA)など、欧米で高い評価を受ける日本人アーティストの功績に光を当てるため。彼らのような日本人アーティストたちは、しばしば、日本の実験音楽シーンは欧米に比べて非常に小さいと語っていたという。この状況に風穴を開けようと「モード」は、23年以降、東京で積極的にライブを企画しており、今月21日には東京・恵比寿のライブハウス「リキッドルーム」でのイベント「MODE AT LIQUIDROOM」の開催も控える。出演は、大阪拠点の音楽家・日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブルgoatと初来日となるイギリス・グラスゴー出身のトリオ、スティル・ハウス・プランツ(Still House Plants)。

WWDでは、「モード」出演のため6月に初来日を果たしたエクスペリメンタル・サックス奏者のベンディク・ギスケ(Bendik Giske)にインタビューを敢行。たゆまぬ鍛錬に裏打ちされた身体性と、サックスの瞑想的な響きが生む没入感が共存する、特異な音楽世界を作り出すギスケに、深い洞察に支えられた創造性について話を聞いた。

価値観をまたぎ、人々をつなげるエネルギーを生む
「集合地点としての音楽」を目指して

――ギスケさんのサックス演奏のアプローチは身体性にフォーカスした、独自の音楽表現です。このような奏法にいたった経緯について聞かせてください。

ベンディク・ギスケ(以下、ギスケ):もともと幼少期からダンスの勉強をしていて、身体の動きを通してストーリーを伝えることに興味がありました。そのうちダンスそのものよりも楽器の演奏に身体的な動きを取り入れることで独自の表現を探求したいと考えるようになり、音楽の道に進むことに決めました。
通っていた音楽学校にはジャズとクラシックの2つのコースがあり、どちらも音楽理論や歴史、実技を学びますが、私はリズムと現代の音楽を中心としたコミュニティー形成について追究したかったので、ジャズを選びました。

楽器のテクニックや音楽的な知識はもちろん重要ですが、ジャズの真の特性は「対抗的な力」。つまり、常に何かの対立軸として存在することだと考えています。

――「対立軸として存在する」とは?

ギスケ:即興的なジャズは、スコアとして書かれた音楽への反抗であり、封建的なシステムの中で作られてきた西洋音楽の歴史に対峙することでもある。西洋音楽は中上流階級によって作られてきたものが大半ですが、ジャズは民衆の間で生まれ、音楽史では語られない歴史的背景を持っています。

ジャズは常に「新しさ」を探求し、即興演奏による主体的なストーリーテリングや、音楽を中心にしたコミュニティ構築を求めるもの。私がジャズにひかれるポイントはここにあります。

また、アメリカ文化を背景に持つジャズや、そのルーツとしてのアフリカ音楽、そしてハウス・テクノ等の電子音楽には、ノルウェーの前史的な音楽に通底するテーマがあると思っています。それは「集合地点としての音楽」ということ――音楽を通して人々がつながり、人々がつながることでまた新たに音楽が生まれるということです。

――現在ベルリンを拠点とし、テクノミュージシャンのパヴェル・ミリャコフ(Pavel Milyakov)とのコラボレーション等も実現しました。自身の音楽と、電子音楽やダンスミュージックとの親和性についてはどう考えていますか?

ギスケ:直近ではベルリンのナイトクラブ「ベルグハイン」のレジデンスDJ、サム・バーカー(Sam Barker)とコラボレーションしました。彼は電子音楽の手法で作曲するアーティストです。

電子音楽との協奏自体に目新しさはありませんが、どんどん進化していくテクノロジーを自分のアコースティックな演奏に取り入れることで、新たに生まれる音や空間の可能性を探究したいです。

現在、ドイツでは思想の両極化が進んでいますが、電子音楽のシーンは、人々が価値観の違いを超えて一堂に会するエネルギーを生み出すことができると思います。

――ライブパフォーマンスをする上でのこだわりを教えてください。

ギスケ:ライブではループ等のエフェクターやサンプリングは使わず、マイクを使用したテクニックや反響によって生まれる音のみを使います。マイクの誕生によってビリー・ホリデイ(Billy Holiday)のささやくような歌い方が生まれたように、私もマイクを通すことでしか生まれない音を出したいんです。

音楽やパフォーマンスは、自らの経験を観客と共有することですが、私は観客の反応をコントロールしたり、誘導したりしたいとは思いません。自分が表現したいのはあくまで「空間」で、「真実」や具体的な何かを語りたいわけではない。空間を作り、そこにどんな形であれ、観客に関与してもらうことを重視しています。

音楽と視覚的要素を通したアイデンティティの表現

――音楽だけでなく、映像作品・ショー等でのインスタレーションのような空間演出やビジュアル表現においても、アバンギャルドな独自の美的感覚を発揮されています。創作の着想源は何ですか?

ギスケ:私はミュージシャンですが、音楽だけでなくその周辺要素を含めて表現したいと考えています。ファッションや動き、照明も含め、あくまで音楽的なアウトプットの周辺に視覚的要素を足しているという認識です。

創作の原動力は、私から見てこの世界に欠けているもの、存在しているのになかなか見えづらいものを、自分の表現によって埋めたい、具現化したいという思いです。

――ベンディクさんから見て「この世界に欠けている」ものとは?

ギスケ:今までさまざまな反抗的・対抗的な表現を享受してきましたが、その中でクィアな要素を含んだ表現をなかなか見つけられずにいました。だからこそ、自分の音楽表現やステージでのパフォーマンスにはクィア要素を織り込み、自分のアイデンティティーを表現したいと考えています。とはいえ、この10年間で社会のクィアカルチャーへの理解は進みましたし、サブカルチャー全般においても、テクノやハウスなどのダンスミュージックシーンにおいても、クィアの存在感は高まっているようにも感じます。

――22年には「ディオール(DIOR)」の 秋冬コレクションのランウェイにて“Cruising”(アルバム「Cracks」収録曲)がオープニングを飾り、ビッグメゾンの洗練されたショーに、あなたの音楽世界が新たな物語性を与えました。「モード」が当初から構想したように、音楽とファッションは密接な関係性を築いているように感じます。あなたにとってファッションとは?

ギスケ:私の作品がショーのオープニングという美しい瞬間に使われたのは光栄でした。自分の作品が元々の意図とは異なる文脈で使われ、別の表現に昇華されるのは、とても喜ばしいことです。

私にとってファッションは、ペルソナを表現できる「着用可能なアート」。例えば、肩幅が大きく誇張されたジャケットなど、特徴的なアイテムを身につけた時、どんな効果がもたらされるでしょうか?体の動きやアイデンティティー、ふるまいに影響し、新しい表現が生まれる可能性もあるでしょうし、文化や伝統、ひいてはジェンダー・アイデンティティーや地理的な繋がりなども表現することもできると思っています。

一方で、機能的なファッションにも魅力を感じます。ワークウエアの要素を取り入れた「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」のデザインや、日本の履物からインスピレーションを得た「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」の足袋ブーツなど、機能から生まれる美しさには魅了されますね。

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デバイス携帯時代の移動に寄り添う「オブジェクツ アイオー」  iPhone16ケースも製作中⁉︎

PROFILE: 角森智至/「オブジェクツ アイオー」デザイナー

角森智至/「オブジェクツ アイオー」デザイナー
PROFILE: (つのもり・さとし)1987年、島根県生まれ。文化服装学院バッグデザイン科を卒業後、2009年4月土屋鞄製造所入社。製品開発や生産に関する業務を幅広く経験し、2017年「オブジェクツ アイオー」を本格始動。立ち上げ当初から現在まで製品責任者を務める PHOTO:DAISUKE TAKEDA

現代人にとっての“移動”とは、“デジタルデバイスを常に持ち歩くこと”だ。「オブジェクツ アイオー(OBJCTS.IO)」は、その移動をアップデートするためのレザープロダクトを製作する。現代人のライフスタイルを徹底的に追求した機能性とミニマルなデザインで、知名度を高めている。2022年に土屋鞄製造所の傘下となって以降、安定した生産管理体制をベースにクリエイティビティを発揮する、同ブランドの角森智至デザイナーに話を聞いた。

WWD:「オブジェクツ アイオー」を立ち上げた経緯は?

角森智至デザイナー(以下、角森):文化服装学院のバッグデザイン科を卒業後、土屋鞄製造所にランドセルを作る職人として入社した。その後、鞄や財布などを作りながら生産管理も学び、革製品のモノづくりの流れを一通り理解すると、自分のブランドへの思いが強まった。18年11月末に独立し、ブランドを立ち上げた。

WWD:デジタルデバイスありきの特殊な品揃えだが、客層は?

角森:コア層は30代後半〜40代前半で、男女比は半々。設立当初は8割が男性で、起業家らのビジネスマンが多かったが、ホワイト系のカラーリングや、iPhoneに搭載されている「MagSafe」を活用した、“マグウェア”シリーズを発売してから女性が増えていった。

機能性と審美性の両立

WWD:「オブジェクツ アイオー」の商品に共通する特徴は?

角森:デバイスを快適に持ち歩くために、機能性と審美性を両立していること。よくあるカメラバッグのように機能性だけを追求したものは、収納力の高さと引き換えにファッション性を損ねていることが多く、持っていても気分が上がらない。反対にデザイン性に振りすぎたものは、気分は上がるものの、日常的に使える配慮がなければ、毎日持ち歩くのは辛い。デバイスに合わせた収納設計や、軽量であることを前提に、革の上質さを活かしたミニマルなデザインが、持っていて気持ちが良いという感覚に繋がると思っている。

目指すのは「現代人の移動のアップデート」

WWD:なぜデバイスを中心とした製品開発を行うのか。

角森:現代人は、常に何かしらのデバイスと共に移動している。機能性とデザイン性を両立したレザープロダクトは、現代人の移動を快適にし、アップデートする。月に1回しか使わないモノの開発で、現代人の移動をアップデートするのは難しい。そこで、ほとんどの人が毎日使う、現代人のライフスタイルに欠かせないiPhoneなどのデバイスに行き着いた。自分たちが作った製品とのタッチポイントが増えるほど、ユーザーに与える影響は大きくなっていく。現代人の移動をアップデートする効果的な方法だ。

WWD:立ち上げ当初から、デジタルデバイスに焦点を当てていた?

角森:最初に発売したのはMacBookを持ち運ぶためのバッグだが、デジタルデバイスに焦点を当てたというよりは、自分たちが欲しいものを作ろうとした結果だった。

WWD:現代において一番重要だと思うデバイスは?

角森:やはり、iPhoneだと思う。Apple Watchもある程度普及したが、数で言うと圧倒的にiPhone。

WWD:それに対してのアプローチは?

角森: “マグウェア”シリーズには力を入れており、iPhoneを持ち歩くのが面倒だとか、不安だとか思わないよう、体と“接続”するような感覚を覚える製品を目指している。デバイスはポケットに入れていても、「すぐに取り出せないと不安」や、「タクシーに忘れてしまわないか」と心配になる中、身体とデバイスの間を物理的にも精神的にも繋げることで、持ち歩くことが快適になれば、安心感に繋がる。

必要なのは“身につけていることを忘れる”こと

WWD:体と“接続”する製品とは、具体的にどのようなもの?

角森:もしかしたら、“身につけていることさえ忘れる”製品かもしれない。ユーザーから「帰り道にカメラを忘れたと思ってオフィスに戻ったら、実際にはカメラが入ったカメラバッグを持っていた」という話を聞いた。その時、デバイスが体に“接続”しているとは、まさにこの事だと思った。「服装に合わない」「重いから移動したくない」「これで会食には行けない」みたいな制限から解放する、身につけていることさえ忘れる製品が、移動を快適にする。

“1人のため”が“多くの人のため”に

WWD:現代人のライフスタイルに根差した製品開発では、ユーザーを徹底的にリサーチする必要があると思うが?

角森:これは自分たちのモノ作りで一番重要なことでもあるが、ペルソナを立てるようなターゲティングはせず、“実在する特定の個人”のために製品を作る。以前、デジタルやファッション領域で活動する市川渚さんのために、カメラバッグを開発した。市川さんが求める機能性やファッション性を徹底的に追求した、一人のための製品だったのが、彼女の価値観や感性に共感するファンにも広まり、多くの人に届いた。これがきっかけで、“実在する特定の個人”のための製品制作に面白さを感じ、自分のスタイルとして落とし込んでいった。とはいえ、オーダーメイドをしたいわけではないので、一般的なニーズとのバランスは取るようにしている。

WWD:元々ランドセルの職人だったのに、現代人のライフスタイルに焦点を置いた製作を始めたのはなぜ?

角森:デジタルデバイスが好きだからというのはベースにあるが、クラシックなものがこの先もあるかどうか、わからないというのも理由の一つ。文化として強く根付いているランドセルは簡単に無くならないと思っているが、 50年後、100年後に残っている保証はない。クラシックなものを職人として守り続けるよりは、テクノロジーと共に進化するモダンなものと繋げて、今生きている人たちのテンションが上がるものを作る方が楽しいと思った。

旅が広がり始めた19世紀、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」はトランクを再開発し、結果世界中の人々を旅行に駆り立てた。現代人の移動をアップデートすれば、それと似た現象が起こるかもしれない。クラシックなものを無にする訳ではなく、むしろそれを進化させて、現代人のライフスタイルに落とし込み、“大きな変化”が起こるきっかけになるモノ作りを目指している。

新型iPhone発売直前に聞く

WWD:今年も間もなく新型iPhoneが発表されるが、どう予想する?

角森:機体右側面に新しくボタンが配置され、カメラ性能のアップに伴いレンズの高さが上がると予想している。

WWD:それによって製品はどう変わる?

角森:ボタンの追加により、フレームが細くなって耐久性が下がる箇所ができるので対応が必要になる。また、レンズの高さが上がるので、保護パーツも高くする必要がある。すると“マグウェア”が従来通りの磁力ではつかなくなるかもしれない。現在新たに作っている“マグウェア”は、その部分をクリアするよう再設計中だ。とはいえ(この取材を受けている8月下旬時点では)公式の事前情報はなく、予想が外れる可能性は0ではない。もちろん、合わなければ仕様変更が必要なため、ヒヤヒヤしている。すでにかなりの数発注しているので(笑)。

WWD:新型iPhoneカバーの発売はいつ?

角森:10月頭を目指している。新型iPhoneの発売後、製品が適合するか確認して、問題がなければ最短で発売する。

WWD:今後はどのような取り組みを行っていく?

角森:ユーザーのテンションが上がるものをどんどん作りたい。デバイスに関連する製品は、繊細さや機能性が求められるので道具っぽく扱われがちだが、もっとファッションアイテムに近づいても面白いのではないかと思う。その可能性を追求するために、僕だけじゃなく、僕とは違う感性を持ったクリエイターと一緒に製作することにも挑戦していきたい。

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TOKYO BASE新業態「コンズ」、2030年までに30億円目指す

セレクトショップ「ステュディオス(STUDIOUS)」などを手掛けるTOKYO BASEはこのほど、若年層に向けた新業態「コンズ(CONZ)」の路面店を東京・原宿にオープンした。場所は「ステュディオス」原宿本店をはじめ同社が複数店舗構えるエリアだ。元「ステュディオス」メンズ部部長で、「コンズ」事業責任者の熊沢俊哉新規事業部ディレクターは2030年までに年商30億円を目指すという。

ブランドやジャンルにこだわらない自由なミックス感覚

モードテイストの主力事業「ステュディオス」に対して「コンズ」ではカジュアルを軸に、トレンド要素を取り入れたオリジナル商品も交えて提案し20代前半の層を狙う。コンセプトは「雑然とした⽇本特有のミックススタイル」。熊沢ディレクターは「周りのファッション好きな若い人たちを見ていると、ブランドやジャンルにこだわらない自由な着こなしを楽しんでいる。そんなフラットなミックス感覚を『コンズ』では提案したい」と話す。

店舗内装はDAIKEI MILLS(ダイケイ・ミルズ)が手掛けた。ガラス張りの店内は、木材やステンレス、大理石、レンガといったさまざまな素材を混在させてブランドコンセプトを表現した。2フロアで構成し1階には「シンヤコヅカ(SHINYAKOZUKA)」や「ソーイ(SOE)」などストリート色の強い仕入れブランドとオリジナル商品を並べる。

オリジナル商品は「ネヴァーフォーゲット(NVRFRGT)」の⼭⽥拓治デザイナーと、「ジェンイェ(JIAN YE)」のスガノコウスケデザイナーと共同で製作した。ブルゾンで3万円前後、パンツで2万円前後と比較的手に取りやすい価格帯にもこだわった。熊沢ディレクターは「普段は彼らのブランドの服を買えないお客さまにも、2人のクリエイションを楽しんでもらいたい。いわゆるセレクトショップのオリジナルではなく、仕入れブランドに並ぶ位置付けでしっかり売っていきたい」という。

2階は緑川卓デザイナーによる「ミドリカワ(MIDORIKAWA)」や塚崎恵理子デザイナーによる「カレンテージ(CURRENTAGE)」など、よりエレガントな軸で提案する。取り扱いブランドは全25ブランド。

ポップアップイベントなども積極的に仕掛ける。第一弾は、日本のオタク文化を発信する「フッドマート(HOODMART)」と組んだ(現在は終了)。アニメキャラクターのフィギュアやキーホルダーなどの雑貨や古着のボディーにキャラクターをプリントしたTシャツなどを販売。「カルチャー全般も含めて『東京のファッション』として提案していけたら」と熊沢ディレクター。

9月7日には新宿ルミネエストに2号店を出店した。今後はTOKYO BASEの出店戦略に沿って東京や名古屋、大阪の大都市圏での出店を狙う。

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「D.P.―脱走兵追跡官―」原作者キム・ボトンの普通の中にある特別な物語の探し方

PROFILE: キム・ボトン/作家、脚本家

キム・ボトン/作家、脚本家
PROFILE: 「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者、コンテンツ制作会社「スタジオタイガー」の代表。著書の縦読み漫画「D.P. 犬の日」に基づく「D.P. -脱走兵追跡官-」は、「コインロッカーの女」や「スピード・スクワッド ひき逃げ専門捜査班」のハン・ジュニ監督が、鋭い洞察と心を打つ繊細な描写で新たな命を吹き込んだ作品。目を向けられることのなかった脱走兵と追跡官の物語に光を当て、韓国だけでなく海外でも絶賛された。同作のボトンはドラマ化にあたり脚本の執筆にも携わった PHOTO:RYU WOO JONG

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にも繋つながっているのは明白だ。その韓流ドラマ人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では韓国ドラマ作品の脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッション性に至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.2はNetflixシリーズ「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者で脚本の執筆にも関わったキム・ボトン。普通の中にある特別な物語の探し方や敬愛する夏目漱石、北野武のこと、第二の故郷だという沖縄についても尋ねてみたた。

――過去に「フツー(Futsuu)」という名前で漫画家をされていたそうですね。

キム・ボトン(以下、ボトン):「ボトン」は日本語で「普通」という意味です。10年くらい前にカドカワ(KADOKAWA)から「ガンカンジャ」という本を出した時に、自分の名前を日本語に訳して「フツー」名義で活動していました。元々韓国の大企業で働いていたのですが、「特別な存在になれ」という方針が全然合わなくて疲弊していました。そういった経緯は今回出版されたインタビュー集にも書いてありますが、「どうして皆、一番になろうとするんだろう。普通の人たちが尊重されるような社会になれば、誰もが生きやすくなるのではないか」という考えと願いを込めて「フツー」と名乗っていたという経緯もあります。きっと日本社会にも共通する部分がありますよね。

――漫画もエッセイもドラマもストーリーが大切だと言っています。現在の韓国社会のどのような問題が脚本にインスピレーションを与えていますか?

ボトン:日本と社会的な状況は似ている部分があるため想像できるかもしれませんが、韓国は短期間で経済的、技術的に急成長しました。それにより、富裕層と貧困層の二極化が進んでいます。社会構造の中で優遇されない人がいたり、不平等もたくさん起きていて苦しい思いをしている人たちに手を差し伸べる精神的な余裕や他者への理解が薄れています。

少しでも社会全体を豊かにするためには、今苦しい状況に置かれている人たちに手を差し伸べることが大切であるにも関わらず、関心を集めているのは効率性や生産性を求める資本主義的な側面ばかりのように感じます。経済発展と相反するように人権への配慮などの水準は低下しています。そういった思いから、ストーリーに格差や不平等を取り上げています。

――脚本家になるために必要なものは何でしょうか?

ボトン:脚本家とは、話したいことを伝え続け、書き続けたる人だと思います。一方で有名な脚本家になれば注目を浴びて稼げる、という一部の現象を見た志望者も増えています。

私が大好きな北野武監督が、あるインタビューで「サッカー選手になるために一生懸命生きてきたというよりも、サッカーを一生懸命やっていたらサッカー選手になっていた」というストーリーの方が好きだという話をされていました。それに影響されて、私も「作家になることが目標だという人が作家になるのではなくて「この話をしたい、伝えたい」という人が作家になっていく」のではないかと考えるようになったのかもしれませんね。

――夏目漱石の「吾輩は猫である」が好きだそうですね。どの部分に引かれましたか?

ボトン:高校生の時からずっと好きな作品で、100回以上読んでいます。好きなところは、人間たちの問題や葛藤を猫の視点で見ていることです。人間社会はとても複雑で難しい問題も多いですが、一歩下がって状況を見てみると実は取るに足りないようなことだった、というのが猫の視線に置き換えられていることで腑に落ちる。ちょっと皮肉っぽい、渇いた笑いの描き方がとても印象的で、私も猫の視点で問題を俯瞰するような思考法を学んだような気がします。あとは、最後の場面で猫が死んでいく場面で事実を受け入れていく過程の描写はとても印象的で、他の漱石の作品と比べても独特の魅力がありますね。

――世界的な人気の韓国ドラマや映画ですが、自身のキャリアについてどう考えていますか?

ボトン:予定通りにいけば、アメリカのスタジオと映画やドラマの制作をしたり、監督を引き受けることにもなるかもしれません。少し前はドラマや映画は国内向けに消費されていましたが、ネット配信の登場で、国や人種、文化などあらゆる価値観を持った視聴者たちも共感や理解のしやすいストーリーが求められるようになっています。そういった時代の流れによって、国を超えて活動する機会が増えていくのではないでしょうか。

キャリアとは違う話ですが、冬は沖縄で暮らそうと思っています。コロナ前までは、1年に半月〜1カ月くらいを沖縄で過ごしていたので、5年以内には沖縄に拠点を作りたいです。

――作家になる前、大企業をやめて直ぐたあとにも沖縄旅行をされていたそうですね。

ボトン:沖縄を愛してます、大好きです。私にとって沖縄はとても重要な場所で、もう1つの故郷であり作家としての始まりの地です。沖縄自体はあまり変わっていないですが、訪れる度に、自分自身の内面の変化や取り巻く環境はめまぐるしく変化していることを実感します。沖縄を定期的に訪れ、挫折や孤独感でいっぱいだったあの頃を振り返るための重要な地でもあります。

――キャラクターを作る上で衣装ファッションの重要性をどのように考えていますか?

ボトン:過去から制作中の作品まで衣装は毎回重要です。現在、病院や軍隊、学校がそれぞれ舞台になったストーリーを作っていますが、キャラクターの性格やアイデンティティーを示すものとして欠かせません。例えば「D.P. -脱走兵追跡官-」の場合、主人公は憲兵なので軍服ではなく私服を着ているんですね。憲兵になり軍服から私服に着替える時に、主人公は元々貧しくて着ることができなかった「ナイキ(NIKE)」の服を着て大喜びするシーンがあります。ファッションは一種の階層を表すものでもありますよね。自分自身ファッションにとても関心があるので、日本を訪れた際は街を歩いている人たちが着ている洋服を観察しています。韓国と日本ではファッションのスタイルも全く違うので、注意深く記憶に留めています。

――韓国と日本のファッションの違いをどのように分析されていますか?

ボトン:韓国では流行を意識した服を選んでいるイメージがあります。個性よりもトレンドを押さえているかを大事にする。私が見た範囲では、日本ではトレンドを追うよりも自分が着たい服や似合うかどうかを大事にしている人が多いように感じますね。ブランドが好きだったり、流行に敏感な方ももちろんいると思いますが。

――今後、どのような作品を作りたいですか?

ボトン:特別なことは何も起こらないけれども、淡々とした日常の中の少しの変化と心の機微を描くことで、見た人の心を動かして、少しでも気づきや変化をさせるような作品をいつか作りたいですね。ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督の「パーフェクトデイズ」 を見た時に、衝撃を受け「先を越された! 自分はこれから、どういうストーリーを作ったらいいんだろう」という思いに駆られました。

――平穏な日常にこそ幸福があると考えているのですね?

ボトン:少しだけ話がずれるかもしれませんが、中学生の時に自転車の事故で九死に一生の体験をしました。自転車に乗って家を出た瞬間から一切の記憶がないんのですが、目覚めたら病院のベットに寝ていて母親から手術を受けたと告げられました。その時に、「いきなり人生は終わってしまうことがあるんだ。自分が知らない間に生きているという状況は途切れてしまうんだ」と思ったことが影響しているのかもしれませんね。

北野監督の映画「あの夏、いちばん静かな海」からも影響を受けているかもしれません。何気ない風景や周囲を取り巻く環境から静かに醸し出されてくる雰囲気、些細な出来事やストーリーに惹かれます。事件や思いがけない出来事をあえて盛り込まなくても、人が生きている瞬間や風景などを描くだけで深い感動を与える作品が作れるはずです。そういう物語を作りたいですね。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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「D.P.―脱走兵追跡官―」原作者キム・ボトンの普通の中にある特別な物語の探し方

PROFILE: キム・ボトン/作家、脚本家

キム・ボトン/作家、脚本家
PROFILE: 「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者、コンテンツ制作会社「スタジオタイガー」の代表。著書の縦読み漫画「D.P. 犬の日」に基づく「D.P. -脱走兵追跡官-」は、「コインロッカーの女」や「スピード・スクワッド ひき逃げ専門捜査班」のハン・ジュニ監督が、鋭い洞察と心を打つ繊細な描写で新たな命を吹き込んだ作品。目を向けられることのなかった脱走兵と追跡官の物語に光を当て、韓国だけでなく海外でも絶賛された。同作のボトンはドラマ化にあたり脚本の執筆にも携わった PHOTO:RYU WOO JONG

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にも繋つながっているのは明白だ。その韓流ドラマ人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では韓国ドラマ作品の脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッション性に至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.2はNetflixシリーズ「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者で脚本の執筆にも関わったキム・ボトン。普通の中にある特別な物語の探し方や敬愛する夏目漱石、北野武のこと、第二の故郷だという沖縄についても尋ねてみたた。

――過去に「フツー(Futsuu)」という名前で漫画家をされていたそうですね。

キム・ボトン(以下、ボトン):「ボトン」は日本語で「普通」という意味です。10年くらい前にカドカワ(KADOKAWA)から「ガンカンジャ」という本を出した時に、自分の名前を日本語に訳して「フツー」名義で活動していました。元々韓国の大企業で働いていたのですが、「特別な存在になれ」という方針が全然合わなくて疲弊していました。そういった経緯は今回出版されたインタビュー集にも書いてありますが、「どうして皆、一番になろうとするんだろう。普通の人たちが尊重されるような社会になれば、誰もが生きやすくなるのではないか」という考えと願いを込めて「フツー」と名乗っていたという経緯もあります。きっと日本社会にも共通する部分がありますよね。

――漫画もエッセイもドラマもストーリーが大切だと言っています。現在の韓国社会のどのような問題が脚本にインスピレーションを与えていますか?

ボトン:日本と社会的な状況は似ている部分があるため想像できるかもしれませんが、韓国は短期間で経済的、技術的に急成長しました。それにより、富裕層と貧困層の二極化が進んでいます。社会構造の中で優遇されない人がいたり、不平等もたくさん起きていて苦しい思いをしている人たちに手を差し伸べる精神的な余裕や他者への理解が薄れています。

少しでも社会全体を豊かにするためには、今苦しい状況に置かれている人たちに手を差し伸べることが大切であるにも関わらず、関心を集めているのは効率性や生産性を求める資本主義的な側面ばかりのように感じます。経済発展と相反するように人権への配慮などの水準は低下しています。そういった思いから、ストーリーに格差や不平等を取り上げています。

――脚本家になるために必要なものは何でしょうか?

ボトン:脚本家とは、話したいことを伝え続け、書き続けたる人だと思います。一方で有名な脚本家になれば注目を浴びて稼げる、という一部の現象を見た志望者も増えています。

私が大好きな北野武監督が、あるインタビューで「サッカー選手になるために一生懸命生きてきたというよりも、サッカーを一生懸命やっていたらサッカー選手になっていた」というストーリーの方が好きだという話をされていました。それに影響されて、私も「作家になることが目標だという人が作家になるのではなくて「この話をしたい、伝えたい」という人が作家になっていく」のではないかと考えるようになったのかもしれませんね。

――夏目漱石の「吾輩は猫である」が好きだそうですね。どの部分に引かれましたか?

ボトン:高校生の時からずっと好きな作品で、100回以上読んでいます。好きなところは、人間たちの問題や葛藤を猫の視点で見ていることです。人間社会はとても複雑で難しい問題も多いですが、一歩下がって状況を見てみると実は取るに足りないようなことだった、というのが猫の視線に置き換えられていることで腑に落ちる。ちょっと皮肉っぽい、渇いた笑いの描き方がとても印象的で、私も猫の視点で問題を俯瞰するような思考法を学んだような気がします。あとは、最後の場面で猫が死んでいく場面で事実を受け入れていく過程の描写はとても印象的で、他の漱石の作品と比べても独特の魅力がありますね。

――世界的な人気の韓国ドラマや映画ですが、自身のキャリアについてどう考えていますか?

ボトン:予定通りにいけば、アメリカのスタジオと映画やドラマの制作をしたり、監督を引き受けることにもなるかもしれません。少し前はドラマや映画は国内向けに消費されていましたが、ネット配信の登場で、国や人種、文化などあらゆる価値観を持った視聴者たちも共感や理解のしやすいストーリーが求められるようになっています。そういった時代の流れによって、国を超えて活動する機会が増えていくのではないでしょうか。

キャリアとは違う話ですが、冬は沖縄で暮らそうと思っています。コロナ前までは、1年に半月〜1カ月くらいを沖縄で過ごしていたので、5年以内には沖縄に拠点を作りたいです。

――作家になる前、大企業をやめて直ぐたあとにも沖縄旅行をされていたそうですね。

ボトン:沖縄を愛してます、大好きです。私にとって沖縄はとても重要な場所で、もう1つの故郷であり作家としての始まりの地です。沖縄自体はあまり変わっていないですが、訪れる度に、自分自身の内面の変化や取り巻く環境はめまぐるしく変化していることを実感します。沖縄を定期的に訪れ、挫折や孤独感でいっぱいだったあの頃を振り返るための重要な地でもあります。

――キャラクターを作る上で衣装ファッションの重要性をどのように考えていますか?

ボトン:過去から制作中の作品まで衣装は毎回重要です。現在、病院や軍隊、学校がそれぞれ舞台になったストーリーを作っていますが、キャラクターの性格やアイデンティティーを示すものとして欠かせません。例えば「D.P. -脱走兵追跡官-」の場合、主人公は憲兵なので軍服ではなく私服を着ているんですね。憲兵になり軍服から私服に着替える時に、主人公は元々貧しくて着ることができなかった「ナイキ(NIKE)」の服を着て大喜びするシーンがあります。ファッションは一種の階層を表すものでもありますよね。自分自身ファッションにとても関心があるので、日本を訪れた際は街を歩いている人たちが着ている洋服を観察しています。韓国と日本ではファッションのスタイルも全く違うので、注意深く記憶に留めています。

――韓国と日本のファッションの違いをどのように分析されていますか?

ボトン:韓国では流行を意識した服を選んでいるイメージがあります。個性よりもトレンドを押さえているかを大事にする。私が見た範囲では、日本ではトレンドを追うよりも自分が着たい服や似合うかどうかを大事にしている人が多いように感じますね。ブランドが好きだったり、流行に敏感な方ももちろんいると思いますが。

――今後、どのような作品を作りたいですか?

ボトン:特別なことは何も起こらないけれども、淡々とした日常の中の少しの変化と心の機微を描くことで、見た人の心を動かして、少しでも気づきや変化をさせるような作品をいつか作りたいですね。ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督の「パーフェクトデイズ」 を見た時に、衝撃を受け「先を越された! 自分はこれから、どういうストーリーを作ったらいいんだろう」という思いに駆られました。

――平穏な日常にこそ幸福があると考えているのですね?

ボトン:少しだけ話がずれるかもしれませんが、中学生の時に自転車の事故で九死に一生の体験をしました。自転車に乗って家を出た瞬間から一切の記憶がないんのですが、目覚めたら病院のベットに寝ていて母親から手術を受けたと告げられました。その時に、「いきなり人生は終わってしまうことがあるんだ。自分が知らない間に生きているという状況は途切れてしまうんだ」と思ったことが影響しているのかもしれませんね。

北野監督の映画「あの夏、いちばん静かな海」からも影響を受けているかもしれません。何気ない風景や周囲を取り巻く環境から静かに醸し出されてくる雰囲気、些細な出来事やストーリーに惹かれます。事件や思いがけない出来事をあえて盛り込まなくても、人が生きている瞬間や風景などを描くだけで深い感動を与える作品が作れるはずです。そういう物語を作りたいですね。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

The post 「D.P.―脱走兵追跡官―」原作者キム・ボトンの普通の中にある特別な物語の探し方 appeared first on WWDJAPAN.

「ナミビアの砂漠」山中瑶子監督の映画作り 「自分の気持ちを素直に話すようになったら、いいことしかない」

PROFILE: 山中瑶子

山中瑶子
PROFILE: (やまなか・ようこ)1997年生まれ。長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品「あみこ」がPFFアワード2017に入選。翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。本格的長編第1作となる「ナミビアの砂漠」は第77回カンヌ国際映画祭 監督週間に出品され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞した。監督作に山戸結希プロデュースによるオムニバス映画「21世紀の女の子」(2018)の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」など。

映画「ナミビアの砂漠」で第77回カンヌ国際映画祭、国際批評家連盟賞を若干27歳で受賞した山中瑶子監督。2017年、19歳のときに自主制作した映画「あみこ」が世界各国の映画祭で評価され、故・坂本龍一からも「自由さの中から生まれたパワーで老若男女を問わず惹きつけるパワーがある」と絶賛された。本作は初めての経験も多かったという山中監督の映画づくり、映画監督という仕事について話を聞いた。

——共感できるかどうかは置いておいて、強烈に主人公・カナ(河合優実)に惹かれました。何に対しても情熱を持てず、鬱屈としたやり場のない感情を抱えながら、退屈する世の中と自分に追い詰められていく。怒りを全身で表現する姿に、こんなふうでありたい、とも思いました。

山中瑶子(以下、山中):ありがとうございます。

——どのような思いで主人公を考えたのでしょうか?

山中:自分が「好きだな」と思える主人公にしたいと思っていました。どんなに駄目な人間だとしても、気高い部分があって、そういうところが見えてくるような人物に。あとは、まず最初に河合さんが主演であることから企画がスタートしていたので、今まで見たことのない彼女を撮りたい、という思いもありました。これまでの河合さんは、周囲の人に何かを背負わされている役が多い印象があって。なので今回は反対に、すごく無責任で自分勝手なキャラクターを見てみたい、というところから考えていきました。

——特に「愛おしいな」と思う、カナのシーンはありますか?

山中:いっぱいありますが……あの、脱毛サロンで働いているところですかね。声色からやる気のなさは感じるけど、先輩との掛け合いは意外と楽しそうなのが良いです。

——カナの職業設定がなぜ脱毛サロンなのか、気になっていました。

山中:脱毛サロンは資本主義とルッキズムが強く結びついた悪しき面が強いと今は感じているんですが、私がそれこそ大学1年生の頃に契約して通っていたことがあって。場所によるのかもしれないですが、施術してくれる人が毎回違うんです。明るいところで何人もの他人に裸を見せてひっくり返っているシュールな状況に、こちらは滑稽だなと思うけれど、働いている人からすればもはや何でもない流れ作業で、入れ代わり立ち代わり他人の無数の毛根に対峙する不思議な職場だと思っていて。彼女たちはどんな生活を送っているんだろう、と当時脱毛されながら考えていたことを思い出したんです。カナはたぶん恋人に家賃を払わせていたりしていてそこまでちゃんと稼がなくてもいいんですが、時間を持て余すより働いている方が余計なことを考えずに済んで楽だったりするので、そういう意味でも淡々とした仕事がいいと思いました。

——「河合さんとディスカッションをしながら役を積み上げた」とプレス資料にありましたが、河合さんから得た気づきとは?

山中:もともと原作モノの映画化で河合さんを主演に撮る予定だったのが、私がそれを降りたいと申し出て、急遽オリジナルに企画変更したのが2023年5月で、撮影は当初のとおり9月、なのにこれから1から脚本を書くというあまりに時間がない状況だったので、私1人の脳では到底間に合わない、何かヒントを得るためにみんなに助けてもらわなきゃ無理だと思っていろんな人に話を聞きました。河合さんとも、脚本を書く前に3、4回お会いして。ざっくばらんに話をした中でそのまま脚本に活かしているのは、「あまり人の話を聞いてない時がある」と河合さんが教えてくれたご自身のこと。しっかりしているように見えるけれど、実はそんな部分があると聞いて安心して、そのエピソードは冒頭のカフェのシーンに活かされています。

——冒頭の、友達と話しているのに、次第に隣の席の話が気になってきて話を聞いていない感じを音のボリュームで表現するところ、素晴らしかったです。

山中:脚本では「カナ、別のテーブルの大学生の会話が耳に入ってきて気になってしまう」としか書いてなくて、具体的な表現方法まで突き詰められていなかったんですけど、編集や音の仕上げの時に試行錯誤しました。きっと、同じ経験をしている人はたくさんいますよね。どうしたらあの状態を映画で再現できるのだろうと、一番時間をかけたところです。

——河合さんの演技も、ちょっとコミカルで。

山中:本人は「やりすぎてなかったですか?」と気にしていましたけど、画として面白すぎたのと、音のゆがみを足したらバランスがちょうど良くなるだろうと思っていたのでOKを出しました。撮影の米倉さんが、あの表情を撮った後にこちらを見て「山中さん、これは傑作になりますよ」と言ってきて笑ってしまいました(笑)。

——感覚的だとは思いますが、山中監督がOKを出す基準は?

山中:そのときどきによりますけど、自分の中ではっきり「違う」っていうのは分かります。今回、俳優には決めた動線とセリフさえ守ってくれたら後は好きにやってもらいたかったので、いろいろ言わずに最低限必要なことを伝えて。テイク数も2、3テイクとか、そんなに多くないです。

——金子大地さんが演じるハヤシとの喧嘩のシーンも、非常に迫力があるというか、気持ちよく見てしまいました。

山中:今回、けがのないようにアクション指導の方に入っていただいて、事前に何回かリハーサルをしました。河合さんも金子さんも身体の使い方がうまくて、こうしたらプロレスみたいに見えていいんじゃない?とかいろいろアイデアを出し合って試して、あらかじめきちんと型を作って組み手のような形で喧嘩のシーンを構成しました。

編集について

——編集期間は約3週間とのことですが、どのように進めていったのでしょうか?

山中:最初は編集の長瀬万里さんが全カットをただつなげてくれた「棒つなぎ」状態のものを見たのですが、それが3時間くらいあって。そこから、適切な尺と必要なカットを探っていく、映画の形にしていく作業は一緒にやりました。毎日違うランチを食べに行って編集以外の話をしたり、煮詰まったら休日を作って映画館で他の映画を見ることで一度離れようとしたり。編集作業って波があるんですけど、毎日コツコツいじっていくと、どこかで「突破した」と感じられるときがあって。1コマいじるだけで、印象がガラッと変わるんですね。その調整がうまくいって、映画がパッと華やいだ瞬間はすごく気持ちいいです。

——本作では、どのタイミングで「突破した」と感じましたか?

山中:これは初めての経験だったんですけど、最初の棒つなぎからだいぶ面白かったんです。それが逆に困ってしまって、すでに面白いものをそれ以上どう持ち上げればいいのか分からなくて。今回はアクションや疾走感のある動きが多かったので、細かい話ですけど、1秒24フレームのうち2コマだけ削るとか、数フレーム単位の調整を丁寧にやることを繰り返して、尺は変わっていないのに、数コマで印象が全く違うものになるという編集体験をしました。

——無性に好きなシーンが、浮気相手に走って会いに行くところと、タバコを吸いながら坂を自転車で下っていくところ。物語に直接的に関係のないシーンも割とあったように思ったのですが、いかがですか。

山中:最初3時間もあったので、いくつかのシーンは落とす選択をしなければならず頭を悩ませましたが、ストーリーラインに関係のないシーンは、むしろ残そうと決めていました。そもそもこれは物語を展開させていく映画ではなくて、カナが今どういう状態にいるのかという、カナの在り方を見つめていく映画なので。他の監督だったら捨ててしまうかもしれないし、私も絶対的な理由があって書いたわけではなかったりするのですが、そういう無意識から出てきたものこそ大切にしたいと思って。自転車で下っていくシーンは、カメラワークも相まって気持ちがいいですよね。

——カナの、無表情な感じも好きです。

山中:無表情だけど体力ありそうな顔をしてますよね(笑)。

——逆に編集でシーンを削る際は、どういう判断基準があったんですか?

山中:何人かの発言が混ざっている受け売りですが、「映画になるべき素材というのは決まっていて、撮影の思い出を抱えているとカットする判断ができないから容赦なく捨てるべし」みたいなことを意識しました。カナを見つめるという大きな軸を基準に、不必要なものを見極めようとしましたけど、容赦なく捨てるのは難しかった。採用しなかったシーンも気に入っているものばかりです。2年後くらいに見たら「あと10分削れた」とか思いそうですが、今の私にとってのベストが137分でした。

映画作りで大切にしていること

——企画から映画を1本完成させるまで、対自分、対チームそれぞれで大切にされていることは?

山中:今までたくさんの人に迷惑をかけてきたので、こんなことを言うと怒る人もいると思うのですが……自分の心に嘘をつかないってことは大事なのかなと思います。企画の依頼を受けた時は、本当に頑張りたいと思うし、努力するんです。だけど、進めていくうちに最初の段階では分からなかったことが出てくるじゃないですか。それが、自分のせいだったり別の経緯だったり、理由はいろいろあれど、違和感を覚えたり、他の人が作った方がいいと思ったりしたら、勇気を振り絞って辞めてきました。逃げただけなんじゃないか?とか思って、自分は本当に駄目だなあと落ち込むことも多いですけど……でも、実際に自分が降りた後に他の監督によって手がけられた作品を見ると、「これが良かった」と思うんです。迷惑がかかるのは申し訳ないですが、作品のためにも違和感をそのままにしないで、辞める勇気を持っていようと思います。

——対チームとの映画作りで大事にしていることは? 

山中:自分に嘘をつかないということと似ていますが、まずこちらが素直になるっていうのは最近意識するようになりました。以前は、分からないと言うと「これだから若い監督は」と思われるような気がして、ものすごく構えていました。でも、どう思われてもいいというか、1人であくせくするのはムダな時間だと思って、分からないことは「分からない」と素直に言えるようになったら周りも助けてくれるようになって。若くて経験もないので知らないことばかりで当然ですしね。自分の気持ちを素直に打ち明けるようになったらいいことしかないって、今回は特に感じました。

——現場でも皆さんで活発にアイデアを出し合ったと伺いましたが、それはこれまでと違ったのでしょうか?

山中:ほぼ初めてのやり方でした。映画を志した当初は、例えばですけれどウェス・アンダーソン監督みたいに、衣装も美術も何もかもこだわって決めるのが映画監督たるものと思い込んでいたんです。でも、それだと考えることや、やることが多すぎて、寝られないし演出に集中できないと痛感して。それで、あまり詳しくないことは素直に委ねてアイデアをもらって、最終判断だけをするようにしていました。それで全然思ってもみなかったような提案が来ても楽しいし良いアイデアならば映画は豊かになるし、それは違うというようなことがあっても、こちらの伝え方の問題だなと思ってコミュニケーションを重ねるようになりました。

「昔は四六時中映画のことを考えていました」

——山中監督の作品は、小さなエピソード一つひとつにも心惹かれます。例えばハヤシが過去に中絶させた経験があることを知ったカナが、激しくハヤシと衝突。「お前には関係ない」という喧嘩のくだりで、まさに自分の怒りの根源はここにあったと気付かされたのですが、あのエピソードが生まれたきっかけは?

山中:脚本を書く最初の段階ではあまり難しいことは考えずに、バーッと思いのままに書くんですけど……後で整理していて考えたのは、もう変えることのできないどうしようもないことって世の中にはあるじゃないですか。自分がされたわけじゃないのに、ものすごく嫌で、腹立たしくて、だけど既に終わっていることで。そういうことにぶつかると、やるせなくて無力に感じるんですが、その感情を、どうしようもないからといってなかったことにしてしまいたくないという気持ちがあって。

——過去のインタビューで、山中監督は日々メモを取っていて、それらをヒントに脚本を書くと答えられていたのですが、今でもそうですか?

山中:最近は変わってしまって、なんかもう、一日中映画のことを考えていると辛いというか、生活がおろそかになってしまったんです。

——昔は、寝ても覚めても映画のことを考えていたんですか。

山中:四六時中考えていました。と言うとかっこいい感じがしますが、なんか強迫的な感じで……移動中も常にアンテナを張っていて、映画になりそうだと思ったらメモをして。でも、映画以外のことは全ておざなりでした。0:100くらいの、極端な身の振り方をしてしまっていて、そんな生き方に違和感を持ち始めたんです。何でも映画にしようとする思考は、身も心もかなり危険なのではないかと。それで、自分の中のバランスが少しずつ変わっていきました。今はメモも最小限で、移動中は頭を空っぽにしたくてスイカゲームとかしてます(笑)。

——山中監督は大学を中退後、SNSでキャストやスタッフを集めて初監督作「あみこ」を完成させるなど、独自の方法で映画監督という道を切り拓いています。映画監督になりたい、と思っている方に、今の山中監督ならどんな言葉をかけますか?

山中:自分がやってきて良かったと思うのは、ジャンルを選ばずに、とにかくたくさんの映画を見て、活字を読んできたことです。私は映画を作る時、毎回とにかく好きな映画をたくさん見て、気持ちを高めてから作ります。今回はモーリス・ピアラ、ロウ・イエ、ジョン・カサヴェテス作品を中心に見ました。小中学生の時、娯楽が禁止の家だったので本ばかり読んでいたんですが、その頃のおかげで今でもセリフを書くのはあまり大変ではないかもしれません。学校など映画を作ることについていろんな学び場がありますけど、映画作りって人に教わることでもないし、私は映画と活字にたくさん触れるだけでも、自分の言語を見つけることができるのではないかと思っています。

PHOTOS:YOHEI KICHIRAKU

■「ナミビアの砂漠」
9月6日TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
出演:河合優実
金子大地 寛一郎
新谷ゆづみ 中島 歩 唐田えりか
渋谷采郁 澁谷麻美 倉田萌衣 伊島 空
堀部圭亮 渡辺真起子
脚本・監督:山中瑶子
制作プロダクション:ブリッジヘッド コギトワークス
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
https://happinet-phantom.com/namibia-movie/

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「ナミビアの砂漠」山中瑶子監督の映画作り 「自分の気持ちを素直に話すようになったら、いいことしかない」

PROFILE: 山中瑶子

山中瑶子
PROFILE: (やまなか・ようこ)1997年生まれ。長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品「あみこ」がPFFアワード2017に入選。翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。本格的長編第1作となる「ナミビアの砂漠」は第77回カンヌ国際映画祭 監督週間に出品され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞した。監督作に山戸結希プロデュースによるオムニバス映画「21世紀の女の子」(2018)の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」など。

映画「ナミビアの砂漠」で第77回カンヌ国際映画祭、国際批評家連盟賞を若干27歳で受賞した山中瑶子監督。2017年、19歳のときに自主制作した映画「あみこ」が世界各国の映画祭で評価され、故・坂本龍一からも「自由さの中から生まれたパワーで老若男女を問わず惹きつけるパワーがある」と絶賛された。本作は初めての経験も多かったという山中監督の映画づくり、映画監督という仕事について話を聞いた。

——共感できるかどうかは置いておいて、強烈に主人公・カナ(河合優実)に惹かれました。何に対しても情熱を持てず、鬱屈としたやり場のない感情を抱えながら、退屈する世の中と自分に追い詰められていく。怒りを全身で表現する姿に、こんなふうでありたい、とも思いました。

山中瑶子(以下、山中):ありがとうございます。

——どのような思いで主人公を考えたのでしょうか?

山中:自分が「好きだな」と思える主人公にしたいと思っていました。どんなに駄目な人間だとしても、気高い部分があって、そういうところが見えてくるような人物に。あとは、まず最初に河合さんが主演であることから企画がスタートしていたので、今まで見たことのない彼女を撮りたい、という思いもありました。これまでの河合さんは、周囲の人に何かを背負わされている役が多い印象があって。なので今回は反対に、すごく無責任で自分勝手なキャラクターを見てみたい、というところから考えていきました。

——特に「愛おしいな」と思う、カナのシーンはありますか?

山中:いっぱいありますが……あの、脱毛サロンで働いているところですかね。声色からやる気のなさは感じるけど、先輩との掛け合いは意外と楽しそうなのが良いです。

——カナの職業設定がなぜ脱毛サロンなのか、気になっていました。

山中:脱毛サロンは資本主義とルッキズムが強く結びついた悪しき面が強いと今は感じているんですが、私がそれこそ大学1年生の頃に契約して通っていたことがあって。場所によるのかもしれないですが、施術してくれる人が毎回違うんです。明るいところで何人もの他人に裸を見せてひっくり返っているシュールな状況に、こちらは滑稽だなと思うけれど、働いている人からすればもはや何でもない流れ作業で、入れ代わり立ち代わり他人の無数の毛根に対峙する不思議な職場だと思っていて。彼女たちはどんな生活を送っているんだろう、と当時脱毛されながら考えていたことを思い出したんです。カナはたぶん恋人に家賃を払わせていたりしていてそこまでちゃんと稼がなくてもいいんですが、時間を持て余すより働いている方が余計なことを考えずに済んで楽だったりするので、そういう意味でも淡々とした仕事がいいと思いました。

——「河合さんとディスカッションをしながら役を積み上げた」とプレス資料にありましたが、河合さんから得た気づきとは?

山中:もともと原作モノの映画化で河合さんを主演に撮る予定だったのが、私がそれを降りたいと申し出て、急遽オリジナルに企画変更したのが2023年5月で、撮影は当初のとおり9月、なのにこれから1から脚本を書くというあまりに時間がない状況だったので、私1人の脳では到底間に合わない、何かヒントを得るためにみんなに助けてもらわなきゃ無理だと思っていろんな人に話を聞きました。河合さんとも、脚本を書く前に3、4回お会いして。ざっくばらんに話をした中でそのまま脚本に活かしているのは、「あまり人の話を聞いてない時がある」と河合さんが教えてくれたご自身のこと。しっかりしているように見えるけれど、実はそんな部分があると聞いて安心して、そのエピソードは冒頭のカフェのシーンに活かされています。

——冒頭の、友達と話しているのに、次第に隣の席の話が気になってきて話を聞いていない感じを音のボリュームで表現するところ、素晴らしかったです。

山中:脚本では「カナ、別のテーブルの大学生の会話が耳に入ってきて気になってしまう」としか書いてなくて、具体的な表現方法まで突き詰められていなかったんですけど、編集や音の仕上げの時に試行錯誤しました。きっと、同じ経験をしている人はたくさんいますよね。どうしたらあの状態を映画で再現できるのだろうと、一番時間をかけたところです。

——河合さんの演技も、ちょっとコミカルで。

山中:本人は「やりすぎてなかったですか?」と気にしていましたけど、画として面白すぎたのと、音のゆがみを足したらバランスがちょうど良くなるだろうと思っていたのでOKを出しました。撮影の米倉さんが、あの表情を撮った後にこちらを見て「山中さん、これは傑作になりますよ」と言ってきて笑ってしまいました(笑)。

——感覚的だとは思いますが、山中監督がOKを出す基準は?

山中:そのときどきによりますけど、自分の中ではっきり「違う」っていうのは分かります。今回、俳優には決めた動線とセリフさえ守ってくれたら後は好きにやってもらいたかったので、いろいろ言わずに最低限必要なことを伝えて。テイク数も2、3テイクとか、そんなに多くないです。

——金子大地さんが演じるハヤシとの喧嘩のシーンも、非常に迫力があるというか、気持ちよく見てしまいました。

山中:今回、けがのないようにアクション指導の方に入っていただいて、事前に何回かリハーサルをしました。河合さんも金子さんも身体の使い方がうまくて、こうしたらプロレスみたいに見えていいんじゃない?とかいろいろアイデアを出し合って試して、あらかじめきちんと型を作って組み手のような形で喧嘩のシーンを構成しました。

編集について

——編集期間は約3週間とのことですが、どのように進めていったのでしょうか?

山中:最初は編集の長瀬万里さんが全カットをただつなげてくれた「棒つなぎ」状態のものを見たのですが、それが3時間くらいあって。そこから、適切な尺と必要なカットを探っていく、映画の形にしていく作業は一緒にやりました。毎日違うランチを食べに行って編集以外の話をしたり、煮詰まったら休日を作って映画館で他の映画を見ることで一度離れようとしたり。編集作業って波があるんですけど、毎日コツコツいじっていくと、どこかで「突破した」と感じられるときがあって。1コマいじるだけで、印象がガラッと変わるんですね。その調整がうまくいって、映画がパッと華やいだ瞬間はすごく気持ちいいです。

——本作では、どのタイミングで「突破した」と感じましたか?

山中:これは初めての経験だったんですけど、最初の棒つなぎからだいぶ面白かったんです。それが逆に困ってしまって、すでに面白いものをそれ以上どう持ち上げればいいのか分からなくて。今回はアクションや疾走感のある動きが多かったので、細かい話ですけど、1秒24フレームのうち2コマだけ削るとか、数フレーム単位の調整を丁寧にやることを繰り返して、尺は変わっていないのに、数コマで印象が全く違うものになるという編集体験をしました。

——無性に好きなシーンが、浮気相手に走って会いに行くところと、タバコを吸いながら坂を自転車で下っていくところ。物語に直接的に関係のないシーンも割とあったように思ったのですが、いかがですか。

山中:最初3時間もあったので、いくつかのシーンは落とす選択をしなければならず頭を悩ませましたが、ストーリーラインに関係のないシーンは、むしろ残そうと決めていました。そもそもこれは物語を展開させていく映画ではなくて、カナが今どういう状態にいるのかという、カナの在り方を見つめていく映画なので。他の監督だったら捨ててしまうかもしれないし、私も絶対的な理由があって書いたわけではなかったりするのですが、そういう無意識から出てきたものこそ大切にしたいと思って。自転車で下っていくシーンは、カメラワークも相まって気持ちがいいですよね。

——カナの、無表情な感じも好きです。

山中:無表情だけど体力ありそうな顔をしてますよね(笑)。

——逆に編集でシーンを削る際は、どういう判断基準があったんですか?

山中:何人かの発言が混ざっている受け売りですが、「映画になるべき素材というのは決まっていて、撮影の思い出を抱えているとカットする判断ができないから容赦なく捨てるべし」みたいなことを意識しました。カナを見つめるという大きな軸を基準に、不必要なものを見極めようとしましたけど、容赦なく捨てるのは難しかった。採用しなかったシーンも気に入っているものばかりです。2年後くらいに見たら「あと10分削れた」とか思いそうですが、今の私にとってのベストが137分でした。

映画作りで大切にしていること

——企画から映画を1本完成させるまで、対自分、対チームそれぞれで大切にされていることは?

山中:今までたくさんの人に迷惑をかけてきたので、こんなことを言うと怒る人もいると思うのですが……自分の心に嘘をつかないってことは大事なのかなと思います。企画の依頼を受けた時は、本当に頑張りたいと思うし、努力するんです。だけど、進めていくうちに最初の段階では分からなかったことが出てくるじゃないですか。それが、自分のせいだったり別の経緯だったり、理由はいろいろあれど、違和感を覚えたり、他の人が作った方がいいと思ったりしたら、勇気を振り絞って辞めてきました。逃げただけなんじゃないか?とか思って、自分は本当に駄目だなあと落ち込むことも多いですけど……でも、実際に自分が降りた後に他の監督によって手がけられた作品を見ると、「これが良かった」と思うんです。迷惑がかかるのは申し訳ないですが、作品のためにも違和感をそのままにしないで、辞める勇気を持っていようと思います。

——対チームとの映画作りで大事にしていることは? 

山中:自分に嘘をつかないということと似ていますが、まずこちらが素直になるっていうのは最近意識するようになりました。以前は、分からないと言うと「これだから若い監督は」と思われるような気がして、ものすごく構えていました。でも、どう思われてもいいというか、1人であくせくするのはムダな時間だと思って、分からないことは「分からない」と素直に言えるようになったら周りも助けてくれるようになって。若くて経験もないので知らないことばかりで当然ですしね。自分の気持ちを素直に打ち明けるようになったらいいことしかないって、今回は特に感じました。

——現場でも皆さんで活発にアイデアを出し合ったと伺いましたが、それはこれまでと違ったのでしょうか?

山中:ほぼ初めてのやり方でした。映画を志した当初は、例えばですけれどウェス・アンダーソン監督みたいに、衣装も美術も何もかもこだわって決めるのが映画監督たるものと思い込んでいたんです。でも、それだと考えることや、やることが多すぎて、寝られないし演出に集中できないと痛感して。それで、あまり詳しくないことは素直に委ねてアイデアをもらって、最終判断だけをするようにしていました。それで全然思ってもみなかったような提案が来ても楽しいし良いアイデアならば映画は豊かになるし、それは違うというようなことがあっても、こちらの伝え方の問題だなと思ってコミュニケーションを重ねるようになりました。

「昔は四六時中映画のことを考えていました」

——山中監督の作品は、小さなエピソード一つひとつにも心惹かれます。例えばハヤシが過去に中絶させた経験があることを知ったカナが、激しくハヤシと衝突。「お前には関係ない」という喧嘩のくだりで、まさに自分の怒りの根源はここにあったと気付かされたのですが、あのエピソードが生まれたきっかけは?

山中:脚本を書く最初の段階ではあまり難しいことは考えずに、バーッと思いのままに書くんですけど……後で整理していて考えたのは、もう変えることのできないどうしようもないことって世の中にはあるじゃないですか。自分がされたわけじゃないのに、ものすごく嫌で、腹立たしくて、だけど既に終わっていることで。そういうことにぶつかると、やるせなくて無力に感じるんですが、その感情を、どうしようもないからといってなかったことにしてしまいたくないという気持ちがあって。

——過去のインタビューで、山中監督は日々メモを取っていて、それらをヒントに脚本を書くと答えられていたのですが、今でもそうですか?

山中:最近は変わってしまって、なんかもう、一日中映画のことを考えていると辛いというか、生活がおろそかになってしまったんです。

——昔は、寝ても覚めても映画のことを考えていたんですか。

山中:四六時中考えていました。と言うとかっこいい感じがしますが、なんか強迫的な感じで……移動中も常にアンテナを張っていて、映画になりそうだと思ったらメモをして。でも、映画以外のことは全ておざなりでした。0:100くらいの、極端な身の振り方をしてしまっていて、そんな生き方に違和感を持ち始めたんです。何でも映画にしようとする思考は、身も心もかなり危険なのではないかと。それで、自分の中のバランスが少しずつ変わっていきました。今はメモも最小限で、移動中は頭を空っぽにしたくてスイカゲームとかしてます(笑)。

——山中監督は大学を中退後、SNSでキャストやスタッフを集めて初監督作「あみこ」を完成させるなど、独自の方法で映画監督という道を切り拓いています。映画監督になりたい、と思っている方に、今の山中監督ならどんな言葉をかけますか?

山中:自分がやってきて良かったと思うのは、ジャンルを選ばずに、とにかくたくさんの映画を見て、活字を読んできたことです。私は映画を作る時、毎回とにかく好きな映画をたくさん見て、気持ちを高めてから作ります。今回はモーリス・ピアラ、ロウ・イエ、ジョン・カサヴェテス作品を中心に見ました。小中学生の時、娯楽が禁止の家だったので本ばかり読んでいたんですが、その頃のおかげで今でもセリフを書くのはあまり大変ではないかもしれません。学校など映画を作ることについていろんな学び場がありますけど、映画作りって人に教わることでもないし、私は映画と活字にたくさん触れるだけでも、自分の言語を見つけることができるのではないかと思っています。

PHOTOS:YOHEI KICHIRAKU

■「ナミビアの砂漠」
9月6日TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
出演:河合優実
金子大地 寛一郎
新谷ゆづみ 中島 歩 唐田えりか
渋谷采郁 澁谷麻美 倉田萌衣 伊島 空
堀部圭亮 渡辺真起子
脚本・監督:山中瑶子
制作プロダクション:ブリッジヘッド コギトワークス
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
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金融からダイヤモンド業界へ転身 「ケンジントン ダイヤモンズ」代表に聞く起業から子育てまで

PROFILE: ハンナ・トンプソン / KENSINGTON DIAMONDS代表

ハンナ・トンプソン / KENSINGTON DIAMONDS代表
PROFILE: アメリカ人の父親と日本人の母親の間に米カリフォルニアで生まれる。高校まで東京で育ち渡米。2009年に南カルフォルニア大学(USC)国際関係学部卒業後、野村アセットマネジメント入社。投資信託商品の営業やオペレーション業務に携わる。15年に米投資会社インベスコアセットマネジメント入社し、債券プロダクトマネージャーとして活躍。17年9月 KENSINGTON DIAMONDS設立。GIA(米国宝石学会)ダイヤモンドスペシャリスト資格取得。5歳の男の子と0歳の女の子、二児の母 PHOTO:SHUHEI SHINE

ダイヤモンドに特化したブランド「ケンジントン ダイヤモンズ(KENSINGTON DIAMONDS)」は、鑑定書付きのダイヤモンドを幅広くそろえ、適正価格で販売している。最近では、注目を浴びている希少性の高いイエローダイヤモンドも提供。ダイヤモンドは、硬度が最も高く、4C(カラット、カラー、クラリティー、カット)というグレードにより市場の価格相場が決まっているため、投資価値のある宝石として人気が高く、婚約指輪として選ばれる宝石の代表格だ。日本では、婚約指輪のダイヤモンドの大きさは0.3〜0.5カラットだが、アメリカでは、1カラット以上。比較的小さい石の需要が高い日本では、1カラット以上の選択肢は欧米に比べると少ない。「ケンジントン ダイヤモンズ」のハンナ・トンプソン代表が同ブランドを立ち上げた理由はそこにあった。金融業界出身のトンプソン代表に、宝石業界に転向した理由やブランドについて聞いた。

叔母の死をきっかけに考えた自身のキャリア

WWD:「ケンジントン ダイヤモンズ」を立ち上げたきっかけと目的は?

ハンナ・トンプソンKENSINGTON DIAMONDS代表(以下、トンプソン):イギリス人の婚約者が東京で指輪用のダイヤモンドを探していた。大粒になると選択肢がハイブランドか御徒町の宝石業者だけだったため、結局ロンドンで調達。日本にも、ダイヤモンドのミドルマーケットの選択肢があればと思ったのがきっかけだ。香港やインドに視察に行き、本格的にビジネスとしてスタートする決心をした。

WWD:金融業界からダイヤモンド業界へ転向した理由は?

トンプソン:金融業界で仕事をしていたが、モノづくりに興味があった。金融業界は安定した業界だが、親戚と旅行中に叔母が60歳で急死して、ふと当時30歳だった自分のことを考えた。人生が60歳としたら、折り返し地点。今後、人生をどう生きるべきか考えた。そこで、一度きりの人生なので、新しいことにチャレンジしようと思い起業した。

WWD:ダイヤモンドに特化したブランドである理由は?

トンプソン:資産価値があるジュエリーとして自信を持って提案できるものは、ダイヤモンドだけだから。金融で債権の運用をしていたことがあるが、債権は、信用力に応じて第三機関が格付けを行っている。われわれが扱うダイヤモンドは、GIA(米国宝石学会)という独立した第三機関による鑑定書付きで、債権に似ている。ダイヤモンドは一生ものとして選ばれ、世代を超えて引き継げる資産価値のあるものだ。

予算に合わせて選べる親身なコンサルテーション

WWD:ブランドコンセプトは?

トンプソン:デザインはロンドンだが、メード・イン・ジャパン。イギリスは、ロイヤルファミリーでも知られ、クラシックでありながらダイヤモンドを際立たせる洗練されたデザインのノウハウがある。ブランド名のケンジントンはロンドンの高級住宅地名の一つ。ジュエリーの商品名にも、チェルシーやリッチモンド、ナイツブリッジといった地名を付けているのが特徴だ。次の世代にも引き継げる洗練された大粒のダイヤモンドをそろえている。ラウンドブリリアントカットが一般的だが、ファンシーカットの種類も豊富で、センターストーンは9種類から選べる。資産価値の高いイエローダイヤモンドも提供している。

WWD:どのような商品ラインアップか?売れ筋や価格帯は?

トンプソン:ビジネスの6~7割がセミオーダーの婚約指輪。他、ネックレスやピアスなど、既製のダイヤモンドジュエリーをオンラインで50~60型販売している。結婚、婚約指輪としても、ファッションジュエリーとしても楽しめる汎用性の高いエタニティリングが売れ筋。テニスブレスレットも人気で、イエローダイヤモンドへの関心も高まっている。価格帯は、婚約指輪が約0.5カラットで30~40万円、約1カラットで100万円前後。ピアスは10万〜50万円程度、エタニティリングは、17万〜78万円程度。

WWD:ターゲットや顧客層は??

トンプソン:30~60代の女性が中心。ブライダル目的も多いが、節目やご褒美目的の自家需要が多い。ブランドというよりも、ダイヤモンドの本質にこだわる人が多い。外国人や芸能人、ジュエリー業界の顧客もいる。スタッフ全てが女性で、ダイヤモンドに関する資格を持っている。ダイヤモンドは大きい買い物。だから、ダイヤモンドの知識だけでなく、予算を考慮しながら選び方や買い方など親身にコンサルテーションしている。

マージンなしで他社より手に取りやすい価格を実現

WWD:他のジュエラーと違う点と一番の強みは?

トンプソン:強みは、高品質で天然のGIA鑑定書付きダイヤモンドをハイブランドの2分1〜3分の1という適正価格で提供しているという点。業界最大手のデビアス(DE BEERS)のサイトホルダー(ダイヤモンドの原石を買い付ける権利を持つ会社)と契約しているので、予算に合わせて、希望の大きさや品質、カラーダイヤモンドなどを探すことが可能だ。多くの業者が提供するのは買い付けたものだが、われわれは、デビアスのサイトホルダーのシステムと連結しているため、約2万点のダイヤモンドをオンラインで見ながらコンサルテーションできる。品質にこだわり、メレダイヤモンドもカラーはF以上、クラリティーはVS以上、カットはトリプルエクセレントなので、輝きが違う。

WWD:他社より手に取りやすい価格で提案できる理由は?

トンプソン:ダイヤモンドの価値は明瞭。手に取りやすい価格で提供できるのは、中間業社を通していないのでマージンがないから。また、自社ECと表参道の小さなショールームで予約制で販売しているので、広告宣伝費や、店舗スタッフ、家賃などのコストを抑えて適正価格でいいものを届けられる。

WWD:ブランド認知度アップはどのようにして図っているか?競合ブランドは?

トンプソン:マーケティングツールの主軸は、インスタグラム。モデルや芸能人とコラボしてインスタライブの配信を行ったりする。このスタイルのブランドはなく、競合はほぼないと思う。

女性のセルフラブを促進するブランドに

WWD:現在の課題は?

トンプソン:素材価格が高騰する中、どのように適正価格で商品を提供するかが大きな課題。だが、他ブランドも価格改定しているので、別の選択肢として選んでもらえる場合もあると考える。

WWD:今後、強化したい点は?

トンプソン:今までは、大粒のダイヤモンドが中心だったが、エントリー価格帯のだジュエリーを拡充し、若い層にも興味を持ってもらいたい。ファーストダイヤモンドを選んでもらえると嬉しい。ポップアップを継続して開催しつつ、関西にもショールームをオープンしたい。

WWD:ブランドとしてどのように成長させたいか?

トンプソン:ダイヤモンド=ロマンチックなものだとは思わない。結婚だけでなく、女性が昇格や出産などの人生の節目を祝うためのもの。ダイヤモンドを通して、女性が自分で成功を祝うセルフラブを促進するようなブランドにしたい。

WWD:母親業と社長業をどのように両立しているか?

トンプソン:子育て、仕事、家事、全て完璧にこなすのは不可能。家事などは、ヘルパーや宅配などのサービスを活用している。そうすることで時間をつくり、子どもと過ごす時間にしている。英語でワーキングマザーが直面する“MOM GUILT ママ・ギルト(母親の罪悪感)”という言葉がある。長男が生まれたときは罪悪感があったが、娘が生まれてからは、それを捨てることにした。子どもにとって大切なのは笑顔でいられる母親。自分が働く姿を見せるのも教育だと思っている。欧米は子育ての費用が高いが、日本は支援制度が充実しているので優遇されていると思う。

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“大人の女性の背中を押してくれる服” 「サヴィル サヴィ」がデビュー

サヴィルサヴィー,SA VILLE / SA VIE

ファーイーストカンパニーは、新ウィメンズブランド「サヴィル サヴィ(SA VILLE / SA VIE)」をローンチする。「アナイ(ANAYI)」で16年ディレクターを務める片岡恵美子がクリエイションの指揮を執り、上質な素材使いとパターン、ディテールにこだわったコレクションを大人の女性に提案する。「サヴィル サヴィ」のファースト・コレクションについて片岡ディレクターに聞いた。

しなやかに自分に向き合う
女性たちに向けて

ブランド名の「サヴィル サヴィ」は、フランス語の「サ=彼女」、「ヴィル=街」、「ヴィ=人生」を組み合わせた造語だ。「彼女の街/彼女の人生」を意味する。

「価値観が多様化する中で、自分の個性も相手の個性も尊重することが自然にできる大人の女性たちに、“自分らしさが映える”と選んでもらえるようなコレクションを目指した」と片岡ディレクター。外からのノイズに惑わされることなく、自らの価値観でしなやかに人生という物語を紡ぐ女性たちを鼓舞し、寄り添うようなファッションの提案を目指す。

ファースト・コレクションは、シルエットが美しいテーラードジャケットや白シャツ、リバーコート、プリントワンピースなど、全55型。アイテムを厳選しつつも、レーストップスやアルパカのジレ、チュールワンピースなど、遊び心のあるスタイリングが楽しめるアイテムもそろえる。

イメージビジュアルは、巨匠ジャンルー・シーフの娘、ソフィア・シーフが、“彼女の街で、彼女が選んだストーリー”をテーマに撮影。歴史あるパリの街を背景に、“静”と“動”、1人の女性の物語をモードに表現した。ヌーベルバーグ映画のワンシーンのような、美しい陰影が印象的だ。

素材と色を厳選
他ブランドとの組み合わせも前提に

メンズのテーラリングに使用される上質な生地やディテールを取り入れながらも、どのアイテムもカッティングやシルエットに女性らしさが漂う。

例えば、ジャケットはストレートラインより少しシェイプし、肩掛けした時にも型崩れせずに着こなせるように肩パッドの厚みや毛芯など細部までこだわって、美しいシルエットを実現。下襟と袖口裏に光沢感のあるウールシルク素材をあしらい、モード感とセンシュアルなムードを演出している。

軽く柔らかなメランジ素材のワンピースは、サイドにボーンを入れ、後ろ側にゴム、裏側にシリコンテープを施すなどの工夫を凝らし、1枚でも、薄手のインナーを合わせても着られる仕様に。胸元のあき加減にはとことんこだわり、品を保ちながら、着る人の魅力を引き出すラインを実現したという。

シルクツイルのブラウス生地は、イタリアのメーカーのアーカイブ資料から選んだ別注品。長めのボウタイはリボン結びや片リボンにしたり、首に巻いたり、垂らしたりでき、さまざまな表情を生み出す。

カラーはブラックとホワイトを基本色とし、シーズンごとに色を差し込んでいく。ファースト・コレクションではグレーを採用。ニュートラルカラーでミニマムにまとめた。「カラーは絞って展開したかった。他のブランドのものともスタイリングを楽しんでもらいたい」。

とはいえ、ブラックもホワイトも素材や染め方、濃度によって色の表情はさまざま。「素材の美しさが際立つように、色出しにもとことんこだわった」。

そして、素材はほとんどが日本製かヨーロッパ製だ。直接工場に赴き、アーカイブも参照しながら、別注でオリジナリティーの高い素材を採用している。「素材選びでは、軽さと構築的なフォルムが出ることを大事にしている」。

永続的に、心地よく着こなせることも重要

同時に、手入れの手間が少ないといった機能性も重視する。シグニチャーともいうべき白シャツには、国内のスピーマコットンにポリエステル・ポリウレタン混の高密度ツイル素材を採用。日焼けによる生地の黄変を極力抑えながら、シワになりにくく、洗濯して、ノーアイロンで着てもキレイに見えるハリも確保した。

「手元が美しいのがいいなと考え、カフスをダブルにして折り上げたりして、変化が楽しめるようにした」。襟も着脱可能で、外すとスタンドカラーになる。

「私自身、海外への出張が多く、服をパッキングする際は、やはりシワができにくいもので、カジュアルにも少しかしこまった場合も着られるものを選ぶ。シャツは大好きだが、ノーアイロンで着られたらうれしい。ラクに着られれば、それだけ多く着てもらえると思う」。

欧州のデザイナーズブランドと同等レベルの素材を使いつつ、ボディーは日本人およびアジア人に合うようにデザイン。アジア人特有の体形にフィットし、着やすさと、美しいシルエットを実現する。夏以外の3シーズン着られる汎用性の高さも意識したという。片岡ディレクター自身のこだわりと女性らしい気遣いのあるコレクションになっている。

単独展開を視野にトータルに提案

「サヴィル サヴィ」は、9月6日に関係者に披露された後、18〜24日に伊勢丹新宿本店と阪急うめだ本店にポップアップストアをオープン。25日から「アナイ」の全国厳選9店舗と公式オンラインサイトに特別スペースを設けて販売する。

ファースト・コレクションではアクセサリーは買い付けたものを用意する。シューズやバッグも買い付けや別注でそろえていく計画で、女性のワードローブをトータルに提案して、ブランドの世界観を表現。ゆくゆくは単独店での出店も視野に入れる。

「ブラック&ホワイトをベースに、ネイビーやベージュなど、毎シーズン違う色を取り入れて提案していく。モード感があって、女性らしさを引き出しつつ、着やすく、長く愛されるアイテムを作っていきたい」。

問い合わせ先
サヴィル サヴィ
03-5739-3421

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ミラノ拠点「セッチュウ」のサステナ定義は「もったいない」 欧州規制への冷静な対応も

「セッチュウ(SETCHU)」は「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリなど数々のアワードで受賞歴を持つ注目のブランドだ。桑田悟史デザイナーは現在、ミラノを拠点に活動をしている。イタリア各地の工場ともつながりを持ち、ラグジュアリーマーケットを開拓している「セッチュウ」は、厳しさを増す欧州のサステナビリティ関連法規制にどう対応しているのだろうか?来日した桑田デザイナーに「セッチュウ」が考えるサステナビリティの定義や実際の取り組み内容について聞いた。

WWD:サステナビリティと言う言葉をどう解釈し、「セッチュウ」での服作りにどう位置づけて取り入れているか?

桑田悟史デザイナー(以下、桑田):サステナビリティをテーマに取材を受けるのはこれが初めて。というのもそれは当然のことであり、アピールするのは違うと思うから。大事なキーワードであり、服作りの最初にくるものだと考えている。環境面、人権面それぞれいろいろな解釈があるから解釈にとらわれず、できることは実行するスタンスだ。

自分がサステナビリティを語るときは「もったいない」と言う言葉を使うことが多い。「もったいない」という発想を持つことで、生地を節約したり、資源を大事にしたりすることができるから。「もったいない」は身の回りのことにできる限りの愛を与えることでもあると思う。江戸時代、日本はサステナビリティの最先端を行っていたが資本主義が進み、環境や人権を置き去りにしたことで崩れ、日本流のサステナビリティは衰退してしまった。「セッチュウ」という、日本の文化をブランド名にした以上、そのイメージを払拭してゆくことも使命だと思う。

WWD:“「もったいない」が衰退している”はどのようなときに感じる?

桑田:身の回りのプラスチックの量ひとつとっても、今の日本の暮らしでは「もったいない」という感覚が明らかに無視されている。プラスチックは必要だけど、そのありがたみ、感謝の念をなくしている。それは日本人のひとりとして恥ずかしいこと。本来日本人は感謝をすることが得意なのに。僕は釣りが趣味で釣りの最中に水面に浮いているプラスチックを見れば悲しくなる。

ヨーロッパの市場では買ったものを紙の袋か、持参した袋に入れてもらうことのが習慣だ。日本では少額のお金を払えばプラスチックの袋がいくらでももらえるなど、その便利さが優先されている。便利を突き詰めるあまり、サステナビリティを突き詰めることをやめてしまったのが今の日本ではないか。資本主義とサステナビリティは真逆にあるので、考える脳の使い分けも難しい。だからこそ僕たちクリエイティブな人間が違う発想でサステナビリティを視野に入れてゆく必要があるとも思う。

WWD:服作りにおいて「もったいない」は具体的にどのように取り入れている?

桑田:もの作りで参考しているのが1940年代の洋服の作りだ。当時は世界大戦があったから、身を守る服を作る技術が短時間で集中的に生み出された。大戦中だから物資不足でメタルなどの資材が使えない。その代わり、縫い方によって強度を求めた。その頃に生まれたミリタリーの服は、その後のワークウェアやユニホームなど大量生産の衣服のベースになっている。そこに見る「どう長持ちさせるか」の工夫はまさにサステナビリティの発想だ。

また人権面では、多くの工場がファッションデザイナーからの “ラストミニッツ”での対応、しかも毎シーズン繰り返される対応に疲れている。「セッチュウ」は決まった型を継続し、生地をアップデートすることで先が見える商品展開を心がけている。工場にすれば労働時間や利益の計算がしやすいし、僕らからすれば品質が向上してゆくから双方にメリットがある。こういった商品展開もサステナビリティにつながると思う。参考になるのは「iPhone」のデザインの考え方だ。

WWD:生地はオリジナルが多く、気に入った生地は継続して使用している。これも同じ考え方?

桑田:そのほうが生地屋さんからすれば生地や糸を無駄にする必要がない。オリジナルで作った分は責任を持って使い切る。だからオーダーは慎重になる。大量オーダーしつつ、実際にはその一部しか使わない大手ブランドがあるのが業界の現実。工場から「〇〇から大量オーダー入ったけど、シーズン余剰が出そうだ」と教えてもらって高級素材を抑えた価格で使用することもある。僕はミラノ拠点が長く、イタリア各地の工場と密なコミュニケーションをしており、彼らは僕が無駄を出さないことに興味があることを知っているから、余剰が出そうなときは声をかけてくれる。

WWD:桑田さんは慎重だけど、決断も早い。

桑田:それは自分の中で決めているルールのひとつ。いろいろなメゾンで経験を積む中で、デザイナーの決断が遅ければ遅いほど周りの人に負担がかかることを知ったから、決断は早くするようにしている。

WWD:環境配慮型素材には、リサイクルポリエステルやオーガニックコットン、技術革新による全く新しい素材などさまざまあるが、特にどこを意識して選んでいる?

桑田:第1に考えるのは品質。価格が同じで品質がそこまで変わらなければよりサステナブルな生地を選ぶようにしている。

欧州の法規制への対応

WWD:欧州、特にフランスを中心にサステナビリティ、循環に関する法規制が厳しくなっている。どのように対応しているか?

桑田:法規制の内容理解はデザインをしていく上で欠かせないので、動きがあるたびにチェックしている。工場との情報交換から得ることが多い。はっきりとした決まりがないケースもあるから「できる限りのことをする」スタンスだ。例えば、納品時に服を入れるパッケージングに関しては、リサイクルプラスチックを採用するのは当然で、加えてジップロックタイプにすることで店で再利用しやすいよう工夫しています。従来品より価格は上がるが、仕方ない。世の中が良くなっていくためには必要なことだと思う。

ただ、規制に全部従う必要があるかと言えば、それは疑問。正直、企業間や国家間のルールメイキングの覇権争い、利害関係に巻き込まれている感は否めない。例えばフランスでは製品に環境的な特性(*編集部注)を表示することが義務付けられているが、100%守られているかと言えばそうではなく、僕らブランド側としてははっきりしてほしい。クリアにしてゆくのは政府の役割でもある。明確でないと湾曲されたルールが生まれるといった困った状況もあるが、僕たちは環境を考えた上で規制以上にできることを行っている。ブランドの在り方、生き方として伝わるから。

*編集部注)環境的特性とは、リサイクル素材の配合とその割合、再生可能資源の使用、耐久性、堆肥化の可能性、修理可能性などを指す

WWD:法規制の中でも特に意識しているものは?

桑田:全般的に常にチェックしている。ひとつあげるとしたら、製品や原料がどこで作られているかを示すトレーサビリティーの義務化だ。意識しているというより、作り手の義務になりつつある。

WWD:コットンであれば農地まで、革製品であればどこの牧場からかを明らかにするのがトレーサビリティーだ。追いかけるのは大変では?

桑田:大変だが、(サプライヤーに対して、原産地に関する)質問をして明確な答えが返ってこなかったら使わない。EUのサプライヤーでもまだ自分たちの原料のトレーサビリティーを把握していないところはあるが、ほぼほぼ皆さん、把握している。レザーに関しては牧場で働く人たちの環境や動物の飼育環境が悪いと分かっている地域のものは使わない。中国産のコットンは(新疆綿のリスクがあるから)避ける。アメリカに輸出できないから。

実は、将来の夢は自分で農業を営むこと。そこで収穫したもので洋服を作ることが究極の夢。畑があり、動物を飼育し、ホテルを付随し、お客様自身もそこで経験をしてもらいながら循環させる。サステナビリティは経験してはじめて見えてくると思うから。資本主義の中で生活しているとサステナビリティは「聞く」だけだから経験ができる場を作りたい。

WWD:イタリアブラン「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」のような発想だ。

桑田:場所はオーストラリアなのかアフリカなのか、僕の場合は釣りができないとダメなので川や海の近くになると思う(笑)。

作る側の責任であり、お客様に求めるのはまだ早い

WWD:サステナビリティの価値をお客さんに伝えるのは、簡単ではない。着る人にもその価値をわかってほしい?

桑田:伝えるのは簡単ではない。今のところそれは、作る側の責任であり、お客さまに求めるのはまだ早いと思う。服はやはり着る人をきれいに見せるためのもの。そこにサステナビリティの付加価値がついたらいい、というスタンスだ。紙デニムのように、結果的に軽さを経験してもらえるような製品が優れていると思う。

僕は「サステナブル」と聞くとすぐ興味を持つ。こだわればこだわるほどアイデアがわき、興味を持つ。だからお客様というより、より多くのデザイナーが関心を持つといいなと思う。求める人が多くなれば変わることも多いと思うから。

WWD:環境配慮型の素材を使うと価格が上がるのでは?一時期は、従来素材の1.3倍から1.5倍と言われていた。

桑田:5年前はそうだったが、生地屋さんも進化し、イタリアでは最近は「多少高い」くらい。「多少」であれば高くても使うようにしている。

WWD:日本では、環境配慮型にこだわると選択肢の幅が狭い、とデザイナーたちがなげいている。

桑田:ミラノウニカなどの生地見本市ではリサイクル繊維などが数多く見られる。ただ、再生することにより水を大量使用しているケースもあるから、認証素材だからといって鵜呑みにはできない。常に疑いの目を持っていないとダメだろう。

PROFILE: 桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー

桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー
PROFILE: (くわた・さとし)1983年生まれ、京都府出身。高校卒業後にビームスの販売として勤務し、21歳渡英する。セントラル・セント・マーチンズ卒業後はガレス・ピューのアシスタントを経て、カニエ・ウェスト(Ye)のアトリエやリカルド・ティッシ時代の「ジバンシィ」、「イードゥン」でデザイナーとしての経験を積んだ。2020年に「セッチュウ」設立。22年に「フー・イズ・オン・ネクスト?」最優秀賞、23年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリを受賞 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
WWD:具体的に環境配慮型素材を使った例を教えてほしい。

桑田:冒頭の写真の“紙”デニムは、コットン78%、紙22%。沖縄のキュアラボさんと作ったオリジナル生地。

編集部注)キュアラボ=沖縄拠点の未利用資源を活用した素材開発、製造・販売を行う2021年創業のベンチャー企業。紙デニムの原料は、さとうきびの製糖時に発生する副産物であるバガス。これをキュアラボ独自の技術でパウダー状に加工し原材料とし、国内工場で用途に合わせた紙に加工。紙糸を緯糸に使用し、国内工場にて用途に合わせた様々な生地に加工している。

人類は紀元前からサトウキビを生産・消費してきたけど、その残渣はこれまで飼料用途以外の9割が廃棄されてきた。キュアラボはその課題解決に取り組み、北海道の会社と連携してサトウキビ残渣を原料にした和紙を製造している。そのスタンスに共感した。

WWD:デニムに和紙を入れることで製品としての魅力は?

桑田:このデニムは縦位置にコットンを、横糸に2ミリ程度の薄紙を撚糸した和紙糸を使っている。紙は繊維ではないので、バクテリアがつきにくく、クリーン。そして紙だから着ると驚くほど軽い。そして夏は涼しく、冬は暖かく、機能的だ。今はまだ開発中であり、当初は13~15オンスだったところを試行錯誤で糸を細くしてもらい、現状は16オンスの見た目で11オンス程度まで軽くなった。

WWD:「セッチュウ」と言えば、ユニークなパターンも特徴だ。

桑田:「セッチュウ」のDNAとは、クラシックなものから着想を得て、シンプルで機能的な衣服の創作をすること。サヴィル・ロウでは、生地の最効率化と耐久性の高い衣服の構造を学んだ。このデニムにもエドワーディアン調の要素が入っている。そして僕らは手作業にこだわるのでセルビッチ風のステッチも手仕事だ。

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ミラノ拠点「セッチュウ」のサステナ定義は「もったいない」 欧州規制への冷静な対応も

「セッチュウ(SETCHU)」は「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリなど数々のアワードで受賞歴を持つ注目のブランドだ。桑田悟史デザイナーは現在、ミラノを拠点に活動をしている。イタリア各地の工場ともつながりを持ち、ラグジュアリーマーケットを開拓している「セッチュウ」は、厳しさを増す欧州のサステナビリティ関連法規制にどう対応しているのだろうか?来日した桑田デザイナーに「セッチュウ」が考えるサステナビリティの定義や実際の取り組み内容について聞いた。

WWD:サステナビリティと言う言葉をどう解釈し、「セッチュウ」での服作りにどう位置づけて取り入れているか?

桑田悟史デザイナー(以下、桑田):サステナビリティをテーマに取材を受けるのはこれが初めて。というのもそれは当然のことであり、アピールするのは違うと思うから。大事なキーワードであり、服作りの最初にくるものだと考えている。環境面、人権面それぞれいろいろな解釈があるから解釈にとらわれず、できることは実行するスタンスだ。

自分がサステナビリティを語るときは「もったいない」と言う言葉を使うことが多い。「もったいない」という発想を持つことで、生地を節約したり、資源を大事にしたりすることができるから。「もったいない」は身の回りのことにできる限りの愛を与えることでもあると思う。江戸時代、日本はサステナビリティの最先端を行っていたが資本主義が進み、環境や人権を置き去りにしたことで崩れ、日本流のサステナビリティは衰退してしまった。「セッチュウ」という、日本の文化をブランド名にした以上、そのイメージを払拭してゆくことも使命だと思う。

WWD:“「もったいない」が衰退している”はどのようなときに感じる?

桑田:身の回りのプラスチックの量ひとつとっても、今の日本の暮らしでは「もったいない」という感覚が明らかに無視されている。プラスチックは必要だけど、そのありがたみ、感謝の念をなくしている。それは日本人のひとりとして恥ずかしいこと。本来日本人は感謝をすることが得意なのに。僕は釣りが趣味で釣りの最中に水面に浮いているプラスチックを見れば悲しくなる。

ヨーロッパの市場では買ったものを紙の袋か、持参した袋に入れてもらうことのが習慣だ。日本では少額のお金を払えばプラスチックの袋がいくらでももらえるなど、その便利さが優先されている。便利を突き詰めるあまり、サステナビリティを突き詰めることをやめてしまったのが今の日本ではないか。資本主義とサステナビリティは真逆にあるので、考える脳の使い分けも難しい。だからこそ僕たちクリエイティブな人間が違う発想でサステナビリティを視野に入れてゆく必要があるとも思う。

WWD:服作りにおいて「もったいない」は具体的にどのように取り入れている?

桑田:もの作りで参考しているのが1940年代の洋服の作りだ。当時は世界大戦があったから、身を守る服を作る技術が短時間で集中的に生み出された。大戦中だから物資不足でメタルなどの資材が使えない。その代わり、縫い方によって強度を求めた。その頃に生まれたミリタリーの服は、その後のワークウェアやユニホームなど大量生産の衣服のベースになっている。そこに見る「どう長持ちさせるか」の工夫はまさにサステナビリティの発想だ。

また人権面では、多くの工場がファッションデザイナーからの “ラストミニッツ”での対応、しかも毎シーズン繰り返される対応に疲れている。「セッチュウ」は決まった型を継続し、生地をアップデートすることで先が見える商品展開を心がけている。工場にすれば労働時間や利益の計算がしやすいし、僕らからすれば品質が向上してゆくから双方にメリットがある。こういった商品展開もサステナビリティにつながると思う。参考になるのは「iPhone」のデザインの考え方だ。

WWD:生地はオリジナルが多く、気に入った生地は継続して使用している。これも同じ考え方?

桑田:そのほうが生地屋さんからすれば生地や糸を無駄にする必要がない。オリジナルで作った分は責任を持って使い切る。だからオーダーは慎重になる。大量オーダーしつつ、実際にはその一部しか使わない大手ブランドがあるのが業界の現実。工場から「〇〇から大量オーダー入ったけど、シーズン余剰が出そうだ」と教えてもらって高級素材を抑えた価格で使用することもある。僕はミラノ拠点が長く、イタリア各地の工場と密なコミュニケーションをしており、彼らは僕が無駄を出さないことに興味があることを知っているから、余剰が出そうなときは声をかけてくれる。

WWD:桑田さんは慎重だけど、決断も早い。

桑田:それは自分の中で決めているルールのひとつ。いろいろなメゾンで経験を積む中で、デザイナーの決断が遅ければ遅いほど周りの人に負担がかかることを知ったから、決断は早くするようにしている。

WWD:環境配慮型素材には、リサイクルポリエステルやオーガニックコットン、技術革新による全く新しい素材などさまざまあるが、特にどこを意識して選んでいる?

桑田:第1に考えるのは品質。価格が同じで品質がそこまで変わらなければよりサステナブルな生地を選ぶようにしている。

欧州の法規制への対応

WWD:欧州、特にフランスを中心にサステナビリティ、循環に関する法規制が厳しくなっている。どのように対応しているか?

桑田:法規制の内容理解はデザインをしていく上で欠かせないので、動きがあるたびにチェックしている。工場との情報交換から得ることが多い。はっきりとした決まりがないケースもあるから「できる限りのことをする」スタンスだ。例えば、納品時に服を入れるパッケージングに関しては、リサイクルプラスチックを採用するのは当然で、加えてジップロックタイプにすることで店で再利用しやすいよう工夫しています。従来品より価格は上がるが、仕方ない。世の中が良くなっていくためには必要なことだと思う。

ただ、規制に全部従う必要があるかと言えば、それは疑問。正直、企業間や国家間のルールメイキングの覇権争い、利害関係に巻き込まれている感は否めない。例えばフランスでは製品に環境的な特性(*編集部注)を表示することが義務付けられているが、100%守られているかと言えばそうではなく、僕らブランド側としてははっきりしてほしい。クリアにしてゆくのは政府の役割でもある。明確でないと湾曲されたルールが生まれるといった困った状況もあるが、僕たちは環境を考えた上で規制以上にできることを行っている。ブランドの在り方、生き方として伝わるから。

*編集部注)環境的特性とは、リサイクル素材の配合とその割合、再生可能資源の使用、耐久性、堆肥化の可能性、修理可能性などを指す

WWD:法規制の中でも特に意識しているものは?

桑田:全般的に常にチェックしている。ひとつあげるとしたら、製品や原料がどこで作られているかを示すトレーサビリティーの義務化だ。意識しているというより、作り手の義務になりつつある。

WWD:コットンであれば農地まで、革製品であればどこの牧場からかを明らかにするのがトレーサビリティーだ。追いかけるのは大変では?

桑田:大変だが、(サプライヤーに対して、原産地に関する)質問をして明確な答えが返ってこなかったら使わない。EUのサプライヤーでもまだ自分たちの原料のトレーサビリティーを把握していないところはあるが、ほぼほぼ皆さん、把握している。レザーに関しては牧場で働く人たちの環境や動物の飼育環境が悪いと分かっている地域のものは使わない。中国産のコットンは(新疆綿のリスクがあるから)避ける。アメリカに輸出できないから。

実は、将来の夢は自分で農業を営むこと。そこで収穫したもので洋服を作ることが究極の夢。畑があり、動物を飼育し、ホテルを付随し、お客様自身もそこで経験をしてもらいながら循環させる。サステナビリティは経験してはじめて見えてくると思うから。資本主義の中で生活しているとサステナビリティは「聞く」だけだから経験ができる場を作りたい。

WWD:イタリアブラン「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」のような発想だ。

桑田:場所はオーストラリアなのかアフリカなのか、僕の場合は釣りができないとダメなので川や海の近くになると思う(笑)。

作る側の責任であり、お客様に求めるのはまだ早い

WWD:サステナビリティの価値をお客さんに伝えるのは、簡単ではない。着る人にもその価値をわかってほしい?

桑田:伝えるのは簡単ではない。今のところそれは、作る側の責任であり、お客さまに求めるのはまだ早いと思う。服はやはり着る人をきれいに見せるためのもの。そこにサステナビリティの付加価値がついたらいい、というスタンスだ。紙デニムのように、結果的に軽さを経験してもらえるような製品が優れていると思う。

僕は「サステナブル」と聞くとすぐ興味を持つ。こだわればこだわるほどアイデアがわき、興味を持つ。だからお客様というより、より多くのデザイナーが関心を持つといいなと思う。求める人が多くなれば変わることも多いと思うから。

WWD:環境配慮型の素材を使うと価格が上がるのでは?一時期は、従来素材の1.3倍から1.5倍と言われていた。

桑田:5年前はそうだったが、生地屋さんも進化し、イタリアでは最近は「多少高い」くらい。「多少」であれば高くても使うようにしている。

WWD:日本では、環境配慮型にこだわると選択肢の幅が狭い、とデザイナーたちがなげいている。

桑田:ミラノウニカなどの生地見本市ではリサイクル繊維などが数多く見られる。ただ、再生することにより水を大量使用しているケースもあるから、認証素材だからといって鵜呑みにはできない。常に疑いの目を持っていないとダメだろう。

PROFILE: 桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー

桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー
PROFILE: (くわた・さとし)1983年生まれ、京都府出身。高校卒業後にビームスの販売として勤務し、21歳渡英する。セントラル・セント・マーチンズ卒業後はガレス・ピューのアシスタントを経て、カニエ・ウェスト(Ye)のアトリエやリカルド・ティッシ時代の「ジバンシィ」、「イードゥン」でデザイナーとしての経験を積んだ。2020年に「セッチュウ」設立。22年に「フー・イズ・オン・ネクスト?」最優秀賞、23年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリを受賞 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
WWD:具体的に環境配慮型素材を使った例を教えてほしい。

桑田:冒頭の写真の“紙”デニムは、コットン78%、紙22%。沖縄のキュアラボさんと作ったオリジナル生地。

編集部注)キュアラボ=沖縄拠点の未利用資源を活用した素材開発、製造・販売を行う2021年創業のベンチャー企業。紙デニムの原料は、さとうきびの製糖時に発生する副産物であるバガス。これをキュアラボ独自の技術でパウダー状に加工し原材料とし、国内工場で用途に合わせた紙に加工。紙糸を緯糸に使用し、国内工場にて用途に合わせた様々な生地に加工している。

人類は紀元前からサトウキビを生産・消費してきたけど、その残渣はこれまで飼料用途以外の9割が廃棄されてきた。キュアラボはその課題解決に取り組み、北海道の会社と連携してサトウキビ残渣を原料にした和紙を製造している。そのスタンスに共感した。

WWD:デニムに和紙を入れることで製品としての魅力は?

桑田:このデニムは縦位置にコットンを、横糸に2ミリ程度の薄紙を撚糸した和紙糸を使っている。紙は繊維ではないので、バクテリアがつきにくく、クリーン。そして紙だから着ると驚くほど軽い。そして夏は涼しく、冬は暖かく、機能的だ。今はまだ開発中であり、当初は13~15オンスだったところを試行錯誤で糸を細くしてもらい、現状は16オンスの見た目で11オンス程度まで軽くなった。

WWD:「セッチュウ」と言えば、ユニークなパターンも特徴だ。

桑田:「セッチュウ」のDNAとは、クラシックなものから着想を得て、シンプルで機能的な衣服の創作をすること。サヴィル・ロウでは、生地の最効率化と耐久性の高い衣服の構造を学んだ。このデニムにもエドワーディアン調の要素が入っている。そして僕らは手作業にこだわるのでセルビッチ風のステッチも手仕事だ。

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池松壮亮が語る「俳優としての責任と覚悟」——感じた違和感を口にすることの大切さ

PROFILE: 池松壮亮/俳優

PROFILE: (いけまつ・そうすけ)1990年生まれ、福岡県出身。2003年に「ラスト サムライ」で映画デビュー。近年の主な映画出演作に「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(17)、「斬、」(18)、「宮本から君へ」(19)、「ちょっと思い出しただけ」(22)、「シン・仮面ライダー」(23)、「せかいのおきく」(23)、「白鍵と黒鍵の間に」(23)など。現在放送中のドラマ「海のはじまり」(フジテレビ)に出演中。待機作に、9月27日公開の「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」、11月8日公開の「本心」がある。

大学在学中に制作した長編初監督作品「僕はイエス様が嫌い」(2019年)で注目を集めた新鋭、奥山大史。長編2本目となる新作映画「ぼくのお日さま」は、吃音のある少年、タクヤとフィギュアスケートを学ぶ少女、サクラの出会いの物語。そんな2人を見守るスケートのコーチ、荒川を演じたのは池松壮亮。フィギュアスケートの選手として活躍する夢を諦め、地方でスケートを教える荒川が胸に秘めた静かな葛藤。そして、子供たちに希望を託すことで変化していく荒川を、余白を大切にした演出の中で見事に表現している。奥山大史監督という新しい才能との出会いから受けた刺激。そして、取材に私服で挑むようになった経緯など、映画に対する真摯な思いを語ってくれた。

スケートに初挑戦

——池松さんが演じた荒川は複雑な思いを抱えたキャラクターですが、映画では細かくは説明されません。撮影前に奥山監督と役について話をされたのでしょうか。

池松壮亮(以下、池松):撮影前に奥山さんからキャラクターにまつわる自己紹介文をいただいて、それ以外にも時間をかけていろいろなお話をしました。今回スケートの練習が必要な役だったので、撮影の半年前から週に1回、スケートリンクに通って特訓させてもらいました。そこによく奥山さんが来てくれて、そこであれこれ話したり、ご飯に行ってまたあれこれ話しながら奥山さんのやりたいことや好きなこと、お互いを理解していく中で、さまざま意見交換をしてきました。その上で日々の撮影の中で、荒川という人に出会っていくこと、発見していく(荒川という人物に対して理解を深めるような)ことを目指していました。

——役作りに加えてスケートの練習もしなくてはいけなかったんですね。池松さんは子供の頃には野球をやられていたそうですがスケートはいかがでした?

池松:氷の上に立ったこともなくて、こんなに難しいのか!と絶句しました。これまで役を演じる上でいろんなことをやらせてもらいましたが、いままで取り組んだ中で一番難しかったです。最初はリンクに2〜3秒立っているのがやっとで、何度も何度も転びました。大人の初心者がヘルメットをかぶって練習している横で、子供たちがスイスイ滑っているんです。僕が教えてもらっている先生のところに子供たちが「こんにちは」と各々挨拶に来るんですが、近寄ってくるたびにバランスを崩して転び、転ぶたびに子供たちにケラケラ笑われていました(笑)。スケートリンクにある貸し靴とかだと素人でも滑れるそうなんですが、元選手でコーチの役なのでプロ仕様の靴を使用していました。あまりに細かなフィギュアスケート特有の身体のコントロールが必要で、その感覚をつかむまでにとても時間がかかりました。

——その甲斐あって映画ではベテランっぽく滑っていましたね。スケートの先生から演技のヒントを得たりもされたのでしょうか。

池松:5、6人の先生から熱心に辛抱強く教えていただきました。年齢も性別も経験も、教え方もさまざまな先生方に指導してもらいながら、それぞれの風情や子供たちと接する姿、指導する姿を見せてもらえたことが、演じる上でとても大きな支えになりました。半年という時間で、何十年も息をするように氷の上で滑ったり指導してきたコーチの人生に、技術の面で届くことはスケートに限らずできません。そのことを前提に、風情や身体に宿る癖や習慣に触れていくことが演じる上で少しでも助けになると思っていました。

共演者、そして奥山監督について

——タクヤ役の越山敬達くん、さくら役の中西希亜良さんなど、子供たちとの共演はいかがでした?

池松:学びや発見、驚きばかりでした。こんなふうに感じるんだとか、こんな表情するんだとか、日々2人に感動させられました。子供は大人よりも反射能力が高く、その分対峙する自分の態度や向き合い方が問われる感じがあります。今作は2人の輝きがそのまま作品力に直結すると思っていましたし、コーチという役柄だったことも相まって、どうしたら2人がそれぞれの持つ個性と輝きをこの映画で存分に発揮できるのか、いつも考えていました。2人がいま何を感じていて、どんな気分で、どんなことに反応しているのかに敏感でありたいと思いました。2人ともシャイで、控えめで、無垢で、感性が鋭くて、感じたことや言葉にならないことを表現することを恐れない、原石の塊のようでした。奥山さんが今作にかけがえのない2人を選んでくれたと思っています。2人が映画をみんなで作ることの喜びや、演じることの喜びを、なんとか記憶として残してくれるように、自分にできる限りのことをやりたいと思っていました。

——一方、荒川の恋人、五十嵐を演じた若葉竜也さんとは「愛にイナズマ」では兄弟として共演されていました。今回は全く違った関係性での共演ですね。

池松:これまで兄弟役と恋人役をやった俳優は男女ともに若葉くんだけです。そこにはご縁というか、特別なものを感じています。「愛にイナズマ」で兄弟役を演じたことで、今も体感として残っている心の親密さのようなものを、今作の2人の関係性に上手く活かすことができるのではないかと思っていました。

——荒川と五十嵐が恋人同士であることを自然に観客に伝える。この映画では必要以上に説明をしない、余白を大切にした演出が印象的でした。

池松:いかに2人の関係性を説明せずに分かってもらえるか、その関係を自然に見てもらえるかというのは、奥山さんとそのあんばいについてたくさん話しました。吃音症を持ったタクヤや、父親が不在のさくらについてもそうでした。マイノリティーと呼ばれるそれぞれをいかにノーマルにこの物語の世界に存在させられるか、というのは今作の大きなポイントでした。彼らを俳優が表面的になぞるようなお芝居は選びたくなかったですし、セリフで伝えることや説明的なお芝居を排除していくことを奥山さんも僕も選びたいと考えていました。それよりも、荒川でいえば五十嵐とどんなふうにこれまで過ごしてきたのか、2人の経験や記憶が、2人でいる時の仕草や声、心と身体の親密さに宿ることを目指したいと思っていました。説明しない、説明できない余白をそのまま余白として大切にすることで、情報や言葉が氾濫しているいまの世の中においても確かにある、彼らの沈黙に耳を傾けることができるのではないかと思っていました。

——余白の作り方も独特ですし、登場人物に向ける眼差しの純粋さにも奥山監督の作家性を感じました。

池松:奥山さんの作品からは優しさを感じます。それはありふれた優しさではなく、全然そんなシーンではないのにふと温かい涙が溢れてくるような、痛みや苦しみも含んだ優しさです。物語に向ける眼差しや、人物や自然に向ける眼差し、どれもがとても優しくて、さらにそこからピュアなものをつかみ取ろうとしているように感じます。何か聖なるものに対する反応が強くて、聖なる瞬間を映画に刻もうとしているように見えます。20代にして、このような成熟した感性とセンスを持っているのは、ちょっと規格外だなと思っています。天才という言葉では収まりきらない、とても大きなスケールを持った新時代の才能だと思います。

——池松さんは本作の撮影以前に、奥山監督とは「エルメス」が制作したドキュメンタリー作品で顔を合わせていますね。その時の印象はいかがでした?

池松:そこで奥山さんの才能やセンスに触れ、その人柄にもとても信頼できるものを感じました。眼差しと視点とモラルの高さを感じ、映像として映すことで何を見つめようとしているかということに惹かれるものがありました。ドキュメンタリー作品だったので、ほとんど互いにアイコンタクトしながら即興で映像に刻んでいくような作業でしたが、そのとき感じた相性の良さから、きっとこの人とはいつか映画を作ることになるのではないかという予感がありました。こんなにすぐに実現できてとても幸運だったと思います。

取材の場に私服で出る理由

——今回、その機会が訪れたわけですね。映画からも池松さんと奥山監督の信頼関係が伝わってきました。ファッションについて伺いたいことがあるのですが、いつも取材の場には私服で出られているそうですね。今日もそうですが、そこには何かこだわりがあるのでしょうか。

池松:あまりそのことについてこれまで話すことは控えてきたんですが、そうするようになったのは7、8年ほど前からです。日本の俳優は他の国と比べてかなり取材量が多く、取材の時はスタイリストが入って、媒体ごとになるべく被らないように衣装を変えることを求められます。そのことを繰り返しているうちに、作品や演じることとは関係のないところで、この世界の消費を無駄にあおっているような気持ちになり嫌になってしまったんです。役ではないところで借り物の服を着飾ってペラペラ話すことで、自分を偽っているような気持ちにもなりました。そんなことを考えていた時に、スタイリストの北村道子さんに「何でアメリカやヨーロッパの俳優はVネック1枚で自分の言葉で喋っているのに、日本の俳優は着飾って同じようなことばかり言ってるの?」と言われてハッとしました。その通りだと思いました。それから、日本映画は長年製作費に苦しんできましたが、当然ながら宣伝費にも苦しんでいます。もっと別のところにお金を使った方が作品をまっすぐ宣伝できるのにと思っていました。そのような理由から、スーツが必要なとき意外はほぼ私服で臨むようになりました。どうしても着るものがない時は自分で知り合いのブランドから借りてきています。ですがこれはあくまでいま現在の僕の感覚によるもので、全体がそうあるべきということは思っていません。表に立つ機会のある人にとって衣装は必要不可欠だと思います。でもちょっと過剰かなとは思っています。

——なるほど。池松さんの俳優としての仕事の向き合い方や映画に対する真摯な想いが伝わってきます。

池松:そういうことをすると当時はただ異物扱いされていましたが、最近はだいぶそのことに慣れてもらえたり、理解してもらえるようになったと思います。社会全体としても、業界全体としても、それぞれがそれぞれの立場で感じる違和感を口にできるようになってきたのはとても良いことだと思います。ですがまだまだ、言えない立場の意見や、沈黙に含まれる意見が社会全体にたまっているなとも思います。

——池松さんは自分が感じた違和感をそのままにはできなかった。

池松:僕はただ感じる違和感を自分のスタイルでやっているだけに過ぎませんが、上の世代の人たちから受け取った言葉や信念は大きいなと感じます。さっき話した北村さんもそうですし、例えば樹木希林さんとか、好き勝手に話しているようで一番真っ当なことをいつでも語ってくれていたと思います。希林さんがここまで言ってくれるなら、これくらい言っても良いか、これくらい言わなきゃだめだと思ったことが何度もありました。

——本人が発信しているつもりはなくても、次世代に受け取っていくことで何かが変わっていくのかもしれませんね。

池松:作品に関わって世の中に発表する以上、または公の場で俳優として発言する以上、そこには少なからず影響力がありますし、そのぶん責任があるとも思います。なので、自分がこの方が良いと思うことや違和感を感じていることも臆さず伝えていくべきですよね。みんなが責任を伴わないお利口さんな言葉を発していても、次世代に問題が蓄積していくだけでしょうから。

PHOTOS:MASASHI URA
HAIR&MAKEUP:FUJIU JIMI

9月6〜8日テアトル新宿、TOHO シネマズシャンテで3日間限定先行公開
9月13日から全国公開
出演:越山敬達、中⻄希亜良、池松壮亮、若葉⻯也、山田真歩、潤浩ほか
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
主題歌:ハンバート ハンバート
本編:90分
配給:東京テアトル
©︎2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
https://bokunoohisama.com

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池松壮亮が語る「俳優としての責任と覚悟」——感じた違和感を口にすることの大切さ

PROFILE: 池松壮亮/俳優

PROFILE: (いけまつ・そうすけ)1990年生まれ、福岡県出身。2003年に「ラスト サムライ」で映画デビュー。近年の主な映画出演作に「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(17)、「斬、」(18)、「宮本から君へ」(19)、「ちょっと思い出しただけ」(22)、「シン・仮面ライダー」(23)、「せかいのおきく」(23)、「白鍵と黒鍵の間に」(23)など。現在放送中のドラマ「海のはじまり」(フジテレビ)に出演中。待機作に、9月27日公開の「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」、11月8日公開の「本心」がある。

大学在学中に制作した長編初監督作品「僕はイエス様が嫌い」(2019年)で注目を集めた新鋭、奥山大史。長編2本目となる新作映画「ぼくのお日さま」は、吃音のある少年、タクヤとフィギュアスケートを学ぶ少女、サクラの出会いの物語。そんな2人を見守るスケートのコーチ、荒川を演じたのは池松壮亮。フィギュアスケートの選手として活躍する夢を諦め、地方でスケートを教える荒川が胸に秘めた静かな葛藤。そして、子供たちに希望を託すことで変化していく荒川を、余白を大切にした演出の中で見事に表現している。奥山大史監督という新しい才能との出会いから受けた刺激。そして、取材に私服で挑むようになった経緯など、映画に対する真摯な思いを語ってくれた。

スケートに初挑戦

——池松さんが演じた荒川は複雑な思いを抱えたキャラクターですが、映画では細かくは説明されません。撮影前に奥山監督と役について話をされたのでしょうか。

池松壮亮(以下、池松):撮影前に奥山さんからキャラクターにまつわる自己紹介文をいただいて、それ以外にも時間をかけていろいろなお話をしました。今回スケートの練習が必要な役だったので、撮影の半年前から週に1回、スケートリンクに通って特訓させてもらいました。そこによく奥山さんが来てくれて、そこであれこれ話したり、ご飯に行ってまたあれこれ話しながら奥山さんのやりたいことや好きなこと、お互いを理解していく中で、さまざま意見交換をしてきました。その上で日々の撮影の中で、荒川という人に出会っていくこと、発見していく(荒川という人物に対して理解を深めるような)ことを目指していました。

——役作りに加えてスケートの練習もしなくてはいけなかったんですね。池松さんは子供の頃には野球をやられていたそうですがスケートはいかがでした?

池松:氷の上に立ったこともなくて、こんなに難しいのか!と絶句しました。これまで役を演じる上でいろんなことをやらせてもらいましたが、いままで取り組んだ中で一番難しかったです。最初はリンクに2〜3秒立っているのがやっとで、何度も何度も転びました。大人の初心者がヘルメットをかぶって練習している横で、子供たちがスイスイ滑っているんです。僕が教えてもらっている先生のところに子供たちが「こんにちは」と各々挨拶に来るんですが、近寄ってくるたびにバランスを崩して転び、転ぶたびに子供たちにケラケラ笑われていました(笑)。スケートリンクにある貸し靴とかだと素人でも滑れるそうなんですが、元選手でコーチの役なのでプロ仕様の靴を使用していました。あまりに細かなフィギュアスケート特有の身体のコントロールが必要で、その感覚をつかむまでにとても時間がかかりました。

——その甲斐あって映画ではベテランっぽく滑っていましたね。スケートの先生から演技のヒントを得たりもされたのでしょうか。

池松:5、6人の先生から熱心に辛抱強く教えていただきました。年齢も性別も経験も、教え方もさまざまな先生方に指導してもらいながら、それぞれの風情や子供たちと接する姿、指導する姿を見せてもらえたことが、演じる上でとても大きな支えになりました。半年という時間で、何十年も息をするように氷の上で滑ったり指導してきたコーチの人生に、技術の面で届くことはスケートに限らずできません。そのことを前提に、風情や身体に宿る癖や習慣に触れていくことが演じる上で少しでも助けになると思っていました。

共演者、そして奥山監督について

——タクヤ役の越山敬達くん、さくら役の中西希亜良さんなど、子供たちとの共演はいかがでした?

池松:学びや発見、驚きばかりでした。こんなふうに感じるんだとか、こんな表情するんだとか、日々2人に感動させられました。子供は大人よりも反射能力が高く、その分対峙する自分の態度や向き合い方が問われる感じがあります。今作は2人の輝きがそのまま作品力に直結すると思っていましたし、コーチという役柄だったことも相まって、どうしたら2人がそれぞれの持つ個性と輝きをこの映画で存分に発揮できるのか、いつも考えていました。2人がいま何を感じていて、どんな気分で、どんなことに反応しているのかに敏感でありたいと思いました。2人ともシャイで、控えめで、無垢で、感性が鋭くて、感じたことや言葉にならないことを表現することを恐れない、原石の塊のようでした。奥山さんが今作にかけがえのない2人を選んでくれたと思っています。2人が映画をみんなで作ることの喜びや、演じることの喜びを、なんとか記憶として残してくれるように、自分にできる限りのことをやりたいと思っていました。

——一方、荒川の恋人、五十嵐を演じた若葉竜也さんとは「愛にイナズマ」では兄弟として共演されていました。今回は全く違った関係性での共演ですね。

池松:これまで兄弟役と恋人役をやった俳優は男女ともに若葉くんだけです。そこにはご縁というか、特別なものを感じています。「愛にイナズマ」で兄弟役を演じたことで、今も体感として残っている心の親密さのようなものを、今作の2人の関係性に上手く活かすことができるのではないかと思っていました。

——荒川と五十嵐が恋人同士であることを自然に観客に伝える。この映画では必要以上に説明をしない、余白を大切にした演出が印象的でした。

池松:いかに2人の関係性を説明せずに分かってもらえるか、その関係を自然に見てもらえるかというのは、奥山さんとそのあんばいについてたくさん話しました。吃音症を持ったタクヤや、父親が不在のさくらについてもそうでした。マイノリティーと呼ばれるそれぞれをいかにノーマルにこの物語の世界に存在させられるか、というのは今作の大きなポイントでした。彼らを俳優が表面的になぞるようなお芝居は選びたくなかったですし、セリフで伝えることや説明的なお芝居を排除していくことを奥山さんも僕も選びたいと考えていました。それよりも、荒川でいえば五十嵐とどんなふうにこれまで過ごしてきたのか、2人の経験や記憶が、2人でいる時の仕草や声、心と身体の親密さに宿ることを目指したいと思っていました。説明しない、説明できない余白をそのまま余白として大切にすることで、情報や言葉が氾濫しているいまの世の中においても確かにある、彼らの沈黙に耳を傾けることができるのではないかと思っていました。

——余白の作り方も独特ですし、登場人物に向ける眼差しの純粋さにも奥山監督の作家性を感じました。

池松:奥山さんの作品からは優しさを感じます。それはありふれた優しさではなく、全然そんなシーンではないのにふと温かい涙が溢れてくるような、痛みや苦しみも含んだ優しさです。物語に向ける眼差しや、人物や自然に向ける眼差し、どれもがとても優しくて、さらにそこからピュアなものをつかみ取ろうとしているように感じます。何か聖なるものに対する反応が強くて、聖なる瞬間を映画に刻もうとしているように見えます。20代にして、このような成熟した感性とセンスを持っているのは、ちょっと規格外だなと思っています。天才という言葉では収まりきらない、とても大きなスケールを持った新時代の才能だと思います。

——池松さんは本作の撮影以前に、奥山監督とは「エルメス」が制作したドキュメンタリー作品で顔を合わせていますね。その時の印象はいかがでした?

池松:そこで奥山さんの才能やセンスに触れ、その人柄にもとても信頼できるものを感じました。眼差しと視点とモラルの高さを感じ、映像として映すことで何を見つめようとしているかということに惹かれるものがありました。ドキュメンタリー作品だったので、ほとんど互いにアイコンタクトしながら即興で映像に刻んでいくような作業でしたが、そのとき感じた相性の良さから、きっとこの人とはいつか映画を作ることになるのではないかという予感がありました。こんなにすぐに実現できてとても幸運だったと思います。

取材の場に私服で出る理由

——今回、その機会が訪れたわけですね。映画からも池松さんと奥山監督の信頼関係が伝わってきました。ファッションについて伺いたいことがあるのですが、いつも取材の場には私服で出られているそうですね。今日もそうですが、そこには何かこだわりがあるのでしょうか。

池松:あまりそのことについてこれまで話すことは控えてきたんですが、そうするようになったのは7、8年ほど前からです。日本の俳優は他の国と比べてかなり取材量が多く、取材の時はスタイリストが入って、媒体ごとになるべく被らないように衣装を変えることを求められます。そのことを繰り返しているうちに、作品や演じることとは関係のないところで、この世界の消費を無駄にあおっているような気持ちになり嫌になってしまったんです。役ではないところで借り物の服を着飾ってペラペラ話すことで、自分を偽っているような気持ちにもなりました。そんなことを考えていた時に、スタイリストの北村道子さんに「何でアメリカやヨーロッパの俳優はVネック1枚で自分の言葉で喋っているのに、日本の俳優は着飾って同じようなことばかり言ってるの?」と言われてハッとしました。その通りだと思いました。それから、日本映画は長年製作費に苦しんできましたが、当然ながら宣伝費にも苦しんでいます。もっと別のところにお金を使った方が作品をまっすぐ宣伝できるのにと思っていました。そのような理由から、スーツが必要なとき意外はほぼ私服で臨むようになりました。どうしても着るものがない時は自分で知り合いのブランドから借りてきています。ですがこれはあくまでいま現在の僕の感覚によるもので、全体がそうあるべきということは思っていません。表に立つ機会のある人にとって衣装は必要不可欠だと思います。でもちょっと過剰かなとは思っています。

——なるほど。池松さんの俳優としての仕事の向き合い方や映画に対する真摯な想いが伝わってきます。

池松:そういうことをすると当時はただ異物扱いされていましたが、最近はだいぶそのことに慣れてもらえたり、理解してもらえるようになったと思います。社会全体としても、業界全体としても、それぞれがそれぞれの立場で感じる違和感を口にできるようになってきたのはとても良いことだと思います。ですがまだまだ、言えない立場の意見や、沈黙に含まれる意見が社会全体にたまっているなとも思います。

——池松さんは自分が感じた違和感をそのままにはできなかった。

池松:僕はただ感じる違和感を自分のスタイルでやっているだけに過ぎませんが、上の世代の人たちから受け取った言葉や信念は大きいなと感じます。さっき話した北村さんもそうですし、例えば樹木希林さんとか、好き勝手に話しているようで一番真っ当なことをいつでも語ってくれていたと思います。希林さんがここまで言ってくれるなら、これくらい言っても良いか、これくらい言わなきゃだめだと思ったことが何度もありました。

——本人が発信しているつもりはなくても、次世代に受け取っていくことで何かが変わっていくのかもしれませんね。

池松:作品に関わって世の中に発表する以上、または公の場で俳優として発言する以上、そこには少なからず影響力がありますし、そのぶん責任があるとも思います。なので、自分がこの方が良いと思うことや違和感を感じていることも臆さず伝えていくべきですよね。みんなが責任を伴わないお利口さんな言葉を発していても、次世代に問題が蓄積していくだけでしょうから。

PHOTOS:MASASHI URA
HAIR&MAKEUP:FUJIU JIMI

9月6〜8日テアトル新宿、TOHO シネマズシャンテで3日間限定先行公開
9月13日から全国公開
出演:越山敬達、中⻄希亜良、池松壮亮、若葉⻯也、山田真歩、潤浩ほか
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
主題歌:ハンバート ハンバート
本編:90分
配給:東京テアトル
©︎2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
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ヨネワールド全開!アートコンビニ「ヨネマート」 アーティストが生み出す“新しいもの”がそろう場所

PROFILE: 左:米原康正/「ヨネマート」キュレーター 右:赤松亮/「ヨネマート」オーナー

左:米原康正/「ヨネマート」キュレーター 右:赤松亮/「ヨネマート」オーナー
PROFILE: 右:米原康正(よねはら・やすまさ)編集者・フォトグラファー・キュレーター・DJ:1959年生まれ、熊本県出身。95年、「エッグ」(ミリオン出版)にフリー編集者として参加。2002年、「スマート・ガールズ」(宝島社)でのチェキで撮影した“エロい”女の子の写真が話題に。その後「スライ」や「マウジー」などの広告写真を手掛ける。近年ではキュレーションを編集と捉え、現在有楽町阪急と原宿、表参道に4つのアートギャラリーをかまえる。中国版ツイッター、ウェイボーのフォロワー数は約280万人。愛称はヨネちゃん 左:赤松亮(あかまつ・りょう)「ヨネマート」オーナー: 1991年生まれ、東京都出身。青山学院大学在学中から、アパレルブランド「ベンデイビス」のマーケティングアシスタントを始める。同ブランドのアジア圏マーケティング活動を行う中で米原氏と知り合い、アーティストコラボを中心としたアパレル企画や台湾でのイベント開催などの活動を共にする PHOTO:TAMEKI OSHIRO

国立競技場駅から徒歩10分、パステル調の青い屋根と、柔らかに光るネオンが目を惹く。大きな窓ガラスから見えるのは、淡い配色のポップな内装と、ジャンルを超えて並べられたアーティスティックな商品たち。平日昼間にも関わらず、取材中も多くの方が店を訪れた。そんな“アートコンビニ”「ヨネマート(YONEMART)」は、今年7月にオープンした、アーティストグッズを中心に販売するギフトショップだ。今回、同ショップキュレーターの米原康正氏と赤松亮オーナーに話を聞いた。

“アートコンビニ”「ヨネマート」

店頭には、Tシャツや帽子などのアパレル商品をはじめ、ピアスなどのアクセサリー、花瓶やポストカードなどの雑貨がジャンルレスに並ぶ。それらのほとんどは、まだ名の知られていない若手アーティストの商品や、同店と共同で開発した商品だ。奥には、全国から選りすぐった袋麺やドリンクなどの食料品が並んでいる。アーティストに軸を置きながら、取り扱う商品の幅広さは、まさに”アートコンビニ”だ。

アーティストと共に作るショップ

販売するアーティストグッズのキュレーションを行うのは、“ヨネちゃん”こと米原康正氏。編集者、カメラマンとして知られているが、実は現在、原宿、表参道などで若手アーティストに焦点を当てた自身のアートギャラリーを4軒運営している。米原氏と組んで店を運営し、商品企画などの実務面を手掛けるのは、赤松亮オーナー。赤松オーナーは19年に、共通の香港の友人を介して米原氏と知り合った後、同氏がキュレーターを務めるギャラリーに通う内に親交を深め、「ヨネマート」オープンに至った。赤松オーナーは「アーティストと共に、作品そのものを商品にする方法を考えながら売っていく、アーティストと一緒に作りあげるショップ」であると話す。

同店の狙いは「若いアーティストに、自身の作品で収益を得られる機会を提供する」こと。アート作品を商品としてマネタイズすることは、無名かつ経済的に豊かといえない若者にとって挑戦が多い。そんなアーティストの作品を選び、商品を共同で製作し販売。自身の作品を収益化しながら、知名度、経済力などのしがらみに左右されず、新たに生まれるアーティストが注目されるアート文化の興隆を図っている。「展覧会のような目立った活動ができなくても、作品が商品として成り立つようなアーティストはいる。それをコレクターが買うかどうかというよりも、普通の人がアートをエンターテイメントとして楽しめるような、一般的なギャラリーとは違った提案の仕方をしていきたい」と米原氏。

“若い世代が生み出す 新しいもの”を商品に

「若い世代が生み出す、新しいものが面白い」と話す2人は、アート業界全体が、既に売れている著名アーティストにばかり焦点を当てることで、新たなアーティストが注目されにくくなっている現状があるとも話す。若い世代の生み出す新たなアートを見つけだすことも、「ヨネマート」の役目だ。開店同月には「ART持ち寄りDAY」というイベントを開催。アーティストが店に直接作品を持ち寄り、取り扱う作品を米原自身が吟味する。SNSで募集することで、普段米原氏らと交流がないアーティストも、参加できる企画となっている。米原氏は「“どのようなアーティストか”ではなく、店に合う、お客さんが欲しいと思えるような作品を選んでいる。そこからさらに店に合った商品にするために、一緒に考える作業がしたい」と話す。

現在、美術館やギャラリーに行けば、著名、匿名、社会的意義、歴史的背景、資産価値など、さまざまな文脈を含むアートに出会える。しかし、2人の考えるアートとは、それらから解放された“かっこいい”“かわいい”などの単純明快な感情を引き起こすものだ。そんな商品やアーティストにコンビニ感覚で出会える「ヨネマート」は、今後も作品の持ち寄り企画や、アーティスト個人にフューチャーしたイベントを開催予定。アートの未来を切り拓くこの場所で、次世代の才能がどのように花開くのか、期待が膨らむばかりだ。

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欧州の合同展「トラノイ」 「東京を再びアジアのファッション・ハブに」と意気込む

欧州の歴史ある合同展示会「トラノイ(TRANOI)」が日本に初上陸した。日本ファッション・ウィーク推進機構(以下、JFWO)のパートナーシップのもと、「楽天 ファッション ウィーク東京(Rakuten Fashion Week TOKYO以下、RFWT)」期間中の9月4・5日に、東京・渋谷で「トラノイ・トーキョー」を開催している。日本では合同展が減少する中、なぜこのタイミングで東京を舞台に選んだのか。「トラノイ」のボリス・プロヴォスト(Boris Provost)最高経営責任者(CEO)に聞いた。

WWD:「トラノイ」について、改めて教えてほしい。

ボリス・プロヴォスト「トラノイ」CEO(以下、プロヴォストCEO):「トラノイ」は1998年の開始以来、あらゆるブランドが世界のバイヤーやプレス、インフルエンサーにコレクションを発表する場を、パリを拠点に提供してきた。ファッションの創造性や品質、革新性を重視する合同展であることから、業界における重要なイベントと認知されている。

「トラノイ」の強みはキュレーションとサービスだ。バイヤーらに“本物”を見せ、「トラノイ」が考えるファッションのビジョンを発信するために、品質と独自性の観点から選び抜いたコレクションを展示している。また、出展ブランドが販売のイロハや国際市場の特性を学ぶ機会を設けたり、コレクションの見せ方を助言したりもするほか、バイヤーの来場もサポートしている。事前にミーティングを実施して、彼らのニーズに合ったブランドを提案することもある。

WWD:今回、東京で「トラノイ」を初開催することになった経緯は。

プロヴォストCEO:パリ開催の「トラノイ 」では、日本からの来場者数がフランス、イタリアに次いで3番目に多い。コロナ明け直後は、それまで大口顧客だったタイや台湾といったアジアのバイヤーが減ったのに対し、日本は大手百貨店を中心に多くの来場があった。日本の「トラノイ」に対する強い関心と、アジアのバイヤーに再度アプローチする必要性を踏まえて、「トラノイ」を初めて東京で開催することにした。

WWD:開催時期を「楽天 ファッション ウィーク東京」に合わせたのはなぜ?

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」の目的は、トラノイを日本に紹介し、東京をアジアのファッション・ハブとして復活させること。そのため日本のファッション・ウイークを巻き込むことが重要だった。パリ開催の「トラノイ」はパリ・ファッション・ウイークと独占的に提携している唯一のファッション合同展であるため、東京でも同様に連携している。2回目、3回目の「トラノイ・トーキョー」も、「RFWT」のある3月と9月に開催予定だ。

WWD:「トラノイ・トーキョー」を成功させるための戦略は。

プロヴォストCEO:鍵を握るのは、いかに日本やアジアのファッション業界と深く関わり、巻き込んでいけるかだ。東京のファッションシーンに連帯意識を育み、業界全体を結束させたい。実は、「RFWT」が関連イベントも含めて、2カ月ほどにわたってさまざまな場所で開かれることに驚いた。パリやニューヨークのファッション・ウイークは、1週間で集中的に開催されるのに。東京にはショー会場が少ないため、短期間に凝縮するのが難しいのは理解できるが、問題の根幹はもっと深いところにある。例えば東京の関係者は、アジアのバイヤーから「RFWT」を訪れるのに最適な時期を尋ねられても、「いつ来るべきかは悩ましい」と答えることが多い。自主展示会を開催するブランドの多くも、戦略的な計画ではなく、漠然としたトレンドに基づいて日程を選んでいるようだ。

こうした課題を克服するには、ブランド、バイヤー、イベント主催者、業界リーダーなど、すべてのステークホルダーが開かれたコミュニケーションをとり、連携することが不可欠だ。協力し合うことで、誰にとってもメリットがあるファッション・カレンダーを作れる。これは、「トラノイ・トーキョー」の知名度と名声を高めるだけでなく、東京が“ファッションの都”として成長する上でも重要だ。

東京ならではの試みも
あらゆるブランドに挑戦の場を

WWD:東京独自の試みがあれば教えてほしい。

プロヴォストCEO:「トラノイ」は開催前の企画段階で、様々なシーンを想定したブランドを集めるためにムードボードを作る。東京用のムードボードは、日本市場に密着しており、ウィメンズだけでなくメンズやライフスタイルブランドを扱う。今シーズンのムードボードは “90年代のミニマリズム”や“自分へのご褒美”など8つのテーマで構成した。“90年代のミニマリズム”ではクリーンなライン、控えめな色使い、ミニマルなエレガンスなどを特徴とするブランドが登場するし、“自分へのご褒美”では主にジュエリーブランドが並ぶ。

日本の消費者はデザインよりも素材や機能性を優先し、鮮やかな色よりもモノトーンやスポーティーなスタイルを好むので、その嗜好性に合わせてブランドのラインアップを調整した。パリの「トラノイ」にはペット用の商品の展示がない一方で、東京にはある。高級ブランドのデッドストックの生地を使ってドッグウエアを作るパリ発のブランドや、犬の首輪やリード、ソファをアウトドア商品としてアプローチ挑戦する東京発のブランドなど。日本ではファッショナブルな犬用のグッズに需要があるため驚いた。

WWD:「トラノイ・トーキョー」は、日本のブランドと海外ブランドの出展比率が 5:5だ。どちらかに偏ることなくブランドをそろえた狙いは。

プロヴォストCEO:日本だけでなく、他のアジア地域のバイヤーも対象にしているからだ。今回はプロモーションの一環として、韓国、タイ、台湾、中国からゲストバイヤーを招いている。出展比率を同等にすることで、あらゆる来場者に対してバランスの取れたアピールが可能になるし、ローカルブランドとインターナショナルブランドの双方が存在感を強められる。

WWD:日本では消滅した合同展も多い上に、一般的に合同店は出展ブランド数やバイヤーなどの来場者数も減少している。そのような中で「トラノイ・トーキョー」は、なぜ150もののブランド数を集められたのか。

プロヴォストCEO:合同展示会は、PR、マーケティング、セールスなどを含めて、特定の企業が単独で運営しているケースが多い。単一のチームで全てを済ませてしまうと、時としてアイデアの多様性がなくなり、退屈になってしまうことがある。それが日本の合同展が集約した原因の一つだろう。「トラノイ・トーキョー」は、全く反対のアプローチをとる。東京のチームには「トラノイ」の社員が数人しかおらず、専門外のことはプロに任せている。社内チームはオーガナイザーの役目に専念し、出展者により良いサービスを提供するために何をすべきか考える。社外チームは新たな視点を持ち寄って、展示会に新鮮味を加える。

WWD:出展ブランドの中には、まだ名前が広く知られていないものもかなり多い。

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」は、有名・新興を問わない、すべての参加ブランドにとって挑戦の場だ。われわれは日本のみならず、より広いアジアのバイヤーとつながり、アジア市場でのリーチを広げるためのプラットフォームを提供している。

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欧州の合同展「トラノイ」 「東京を再びアジアのファッション・ハブに」と意気込む

欧州の歴史ある合同展示会「トラノイ(TRANOI)」が日本に初上陸した。日本ファッション・ウィーク推進機構(以下、JFWO)のパートナーシップのもと、「楽天 ファッション ウィーク東京(Rakuten Fashion Week TOKYO以下、RFWT)」期間中の9月4・5日に、東京・渋谷で「トラノイ・トーキョー」を開催している。日本では合同展が減少する中、なぜこのタイミングで東京を舞台に選んだのか。「トラノイ」のボリス・プロヴォスト(Boris Provost)最高経営責任者(CEO)に聞いた。

WWD:「トラノイ」について、改めて教えてほしい。

ボリス・プロヴォスト「トラノイ」CEO(以下、プロヴォストCEO):「トラノイ」は1998年の開始以来、あらゆるブランドが世界のバイヤーやプレス、インフルエンサーにコレクションを発表する場を、パリを拠点に提供してきた。ファッションの創造性や品質、革新性を重視する合同展であることから、業界における重要なイベントと認知されている。

「トラノイ」の強みはキュレーションとサービスだ。バイヤーらに“本物”を見せ、「トラノイ」が考えるファッションのビジョンを発信するために、品質と独自性の観点から選び抜いたコレクションを展示している。また、出展ブランドが販売のイロハや国際市場の特性を学ぶ機会を設けたり、コレクションの見せ方を助言したりもするほか、バイヤーの来場もサポートしている。事前にミーティングを実施して、彼らのニーズに合ったブランドを提案することもある。

WWD:今回、東京で「トラノイ」を初開催することになった経緯は。

プロヴォストCEO:パリ開催の「トラノイ 」では、日本からの来場者数がフランス、イタリアに次いで3番目に多い。コロナ明け直後は、それまで大口顧客だったタイや台湾といったアジアのバイヤーが減ったのに対し、日本は大手百貨店を中心に多くの来場があった。日本の「トラノイ」に対する強い関心と、アジアのバイヤーに再度アプローチする必要性を踏まえて、「トラノイ」を初めて東京で開催することにした。

WWD:開催時期を「楽天 ファッション ウィーク東京」に合わせたのはなぜ?

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」の目的は、トラノイを日本に紹介し、東京をアジアのファッション・ハブとして復活させること。そのため日本のファッション・ウイークを巻き込むことが重要だった。パリ開催の「トラノイ」はパリ・ファッション・ウイークと独占的に提携している唯一のファッション合同展であるため、東京でも同様に連携している。2回目、3回目の「トラノイ・トーキョー」も、「RFWT」のある3月と9月に開催予定だ。

WWD:「トラノイ・トーキョー」を成功させるための戦略は。

プロヴォストCEO:鍵を握るのは、いかに日本やアジアのファッション業界と深く関わり、巻き込んでいけるかだ。東京のファッションシーンに連帯意識を育み、業界全体を結束させたい。実は、「RFWT」が関連イベントも含めて、2カ月ほどにわたってさまざまな場所で開かれることに驚いた。パリやニューヨークのファッション・ウイークは、1週間で集中的に開催されるのに。東京にはショー会場が少ないため、短期間に凝縮するのが難しいのは理解できるが、問題の根幹はもっと深いところにある。例えば東京の関係者は、アジアのバイヤーから「RFWT」を訪れるのに最適な時期を尋ねられても、「いつ来るべきかは悩ましい」と答えることが多い。自主展示会を開催するブランドの多くも、戦略的な計画ではなく、漠然としたトレンドに基づいて日程を選んでいるようだ。

こうした課題を克服するには、ブランド、バイヤー、イベント主催者、業界リーダーなど、すべてのステークホルダーが開かれたコミュニケーションをとり、連携することが不可欠だ。協力し合うことで、誰にとってもメリットがあるファッション・カレンダーを作れる。これは、「トラノイ・トーキョー」の知名度と名声を高めるだけでなく、東京が“ファッションの都”として成長する上でも重要だ。

東京ならではの試みも
あらゆるブランドに挑戦の場を

WWD:東京独自の試みがあれば教えてほしい。

プロヴォストCEO:「トラノイ」は開催前の企画段階で、様々なシーンを想定したブランドを集めるためにムードボードを作る。東京用のムードボードは、日本市場に密着しており、ウィメンズだけでなくメンズやライフスタイルブランドを扱う。今シーズンのムードボードは “90年代のミニマリズム”や“自分へのご褒美”など8つのテーマで構成した。“90年代のミニマリズム”ではクリーンなライン、控えめな色使い、ミニマルなエレガンスなどを特徴とするブランドが登場するし、“自分へのご褒美”では主にジュエリーブランドが並ぶ。

日本の消費者はデザインよりも素材や機能性を優先し、鮮やかな色よりもモノトーンやスポーティーなスタイルを好むので、その嗜好性に合わせてブランドのラインアップを調整した。パリの「トラノイ」にはペット用の商品の展示がない一方で、東京にはある。高級ブランドのデッドストックの生地を使ってドッグウエアを作るパリ発のブランドや、犬の首輪やリード、ソファをアウトドア商品としてアプローチ挑戦する東京発のブランドなど。日本ではファッショナブルな犬用のグッズに需要があるため驚いた。

WWD:「トラノイ・トーキョー」は、日本のブランドと海外ブランドの出展比率が 5:5だ。どちらかに偏ることなくブランドをそろえた狙いは。

プロヴォストCEO:日本だけでなく、他のアジア地域のバイヤーも対象にしているからだ。今回はプロモーションの一環として、韓国、タイ、台湾、中国からゲストバイヤーを招いている。出展比率を同等にすることで、あらゆる来場者に対してバランスの取れたアピールが可能になるし、ローカルブランドとインターナショナルブランドの双方が存在感を強められる。

WWD:日本では消滅した合同展も多い上に、一般的に合同店は出展ブランド数やバイヤーなどの来場者数も減少している。そのような中で「トラノイ・トーキョー」は、なぜ150もののブランド数を集められたのか。

プロヴォストCEO:合同展示会は、PR、マーケティング、セールスなどを含めて、特定の企業が単独で運営しているケースが多い。単一のチームで全てを済ませてしまうと、時としてアイデアの多様性がなくなり、退屈になってしまうことがある。それが日本の合同展が集約した原因の一つだろう。「トラノイ・トーキョー」は、全く反対のアプローチをとる。東京のチームには「トラノイ」の社員が数人しかおらず、専門外のことはプロに任せている。社内チームはオーガナイザーの役目に専念し、出展者により良いサービスを提供するために何をすべきか考える。社外チームは新たな視点を持ち寄って、展示会に新鮮味を加える。

WWD:出展ブランドの中には、まだ名前が広く知られていないものもかなり多い。

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」は、有名・新興を問わない、すべての参加ブランドにとって挑戦の場だ。われわれは日本のみならず、より広いアジアのバイヤーとつながり、アジア市場でのリーチを広げるためのプラットフォームを提供している。

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ロロ・ピアーナ100周年 CEOが語るビジョンと広がる世界観

ロロ・ピアーナ,ロロ・ピアーナ銀座店,ダミアン・ベルトラン, Loro Piana

ロロ・ピアーナは、イタリア・ヴァルセージアで1924年に創業し、今年で100周年を迎えた。現在は最高品質のカシミヤやビキューナなどを世界中に提供し、1980年代にラグジュアリーグッズ部門を立ち上げ、自社工場で繊維の生産から製品化までを一貫して行う。100年をかけて、上質な生地のようにしなやかに進化してきたロロ・ピアーナの強みとは。改装した銀座店やトップへのインタビュー、商品の魅力から解き明かす。

生まれ変わった銀座店で
世界観を堪能

東京・銀座の銀座中央通りに構える旗艦店が、1年以上を要した改装を終えてリニューアルオープンした。生まれ変わった銀座店には、ロロ・ピアーナらしい“おもてなし”を随所に込めている。1階は売り場面積を大幅に拡張し、エントランスの先では広々した温かみのある空間がゲストを迎える。新設したバッグカウンターには、注力しているレザーバッグやグッズが並んでいる。

空間と商品をさらに魅力的に見せるため、光にもこだわった。2階のウィメンズフロアは改装により自然光が差し込み、開放的なムードを演出する。全フロアの天井ライトは自然光をイメージして明るさを一つ一つ微調整し、ゲストがリラックスできる空間を提供する。

店内に設置する「ロロ・ピアーナ・インテリア」の家具も、ラウンジのイメージで刷新した。インテリアや階段をゆるやかな曲線が縁取り、しなやかに世界観を拡張するロロ・ピアーナらしい空間だ。

CEOが語るロロ・ピアーナの100年

ロロ・ピアーナは、創業者ピエトロ・ロロ・ピアーナが100年前の設立時に抱いた情熱を、現在もさまざまな事業やクラフツマンシップを通じて継承している。メゾンの好調なビジネスを率いるのが、ダミアン・ベルトランCEOだ。同氏は2021年に現職に就くと、主要3事業であるテキスタイルとラグジュアリーグッズ、インテリア部門においてさまざまな改革に挑んでいる。国際経験豊かなCEOが描く成長戦略とは。

WWD:創業100周年を迎えたロロ・ピアーナとは、改めてどういうメゾンなのか。

ダミアン・ベルトラン=ロロ・ピアーナCEO(以下、ベルトラン):ロロ・ピアーナは、究極のラグジュアリーを体現するメゾンだ。私たちの製品は、テキスタイルの豊かな歴史があるからこそ、今でも触れると瞬時にそれと分かる。真のラグジュアリーとは、卓越性を追求し、最高の素材を追求し、最高品質のコレクションを創り出すために、必要な時間をかけること。ロロ・ピアーナは、究極的なタイムレスなエレガンスと世界で最も洗練された最高の素材を、現代的なシルエットで提案している。

WWD:2021 年に現職就任後、最大のミッションは?

ベルトラン:私は着任時、メゾンの真髄を理解し、その魅力溢れるヘリテージや歴史を発見しようと決めた。そして、よりモダンでスタイリッシュ、現代的でありながらタイムレスで、ロロ・ピアーナのスタイルだと人々が認識できるようなロロ・ピアーナの新しいシルエットをチームと共に作り出すことに着手した。同時に、ウィメンズとメンズのコレクションを、同じインスピレーションで一つにまとめた。今ではメンズ、ウィメンズのシルエットは呼応している。

WWD:現在好調なカテゴリーは?

ベルトラン:レザーグッズはシーズンごとに成長している。例えば、“ベイル・バッグ”や“エクストラ・バッグ”などのバッグは、現在最も求められている製品の一つである。また、コスチューム・ジュエリーのような新しい製品カテゴリーも発表したばかりだ。このブレスレットとネックレスのコレクションは、メゾンの職人技と革新という貴重なヘリテージを称えている。

メゾンを支えるクラフツマンシップ

WWD:キャッシュデニム®️は、イタリアと日本の職人技術をもって完成した製品だ。実現までの背景は?

ベルトラン:キャッシュデニム®️は、伊ピエモンテのロロ・ピアーナの職人と、日本の備後地方にあるデニムのスペシャリストたちとの稀有な知識交換の中で生まれた。このプロジェクトは、世界でも偉大な 2 つのテキスタイルの伝統における、職人によるテキスタイル生産へのお互いへの敬意のもとで実現した。一方は、備後地方の職人による歴史ある日本のノウハウで、その独自のセルヴェッジデニムは、特殊なシャトル織機を使いこなすことで生まれている。もう一方は、卓越性を追求してあらゆる革新の限界に挑戦するロロ・ピアーナの文化と、貴重な繊維の扱いに長けたロロ・ピアーナの技術である。

WWD:イメージの刷新にも注力している印象だ。

ベルトラン:広告キャンペーンは、より気品と洗練に溢れ、新たな光と共に私たちのシルエットを新しい形で表現している。さらに、店舗には新しいコンセプトを導入した。セルジオ・ロロ・ピアーナのビジョンから発展した新しいコンセプトは、天然素材や温かみのあるカラーパレット、私たちのシグネチャーであるオーク材を用いたカラボッティーノのディテールなど、原点ともいえるコアの要素とフィーリングを守りながら、現代的なタッチを加えている。

WWD:ロロ・ピアーナ銀座店リニューアルの意図は?

ベルトラン:ロロ・ピアーナ銀座店はロロ・ピアーナの世界的な店舗網の中で重要な役割を果たしている。私たちは新しいストアコンセプトを昨年導入し、銀座店にも適用することが重要だと考えた。銀座店の新しいコンセプトとインテリアデザインでは、コアとなる要素を守りながら、ロロ・ピアーナのアイコニックなスタイルを紹介し、店内のあらゆる要素でメゾンらしさを純粋に表現している。バッグのディスプレーのために、日本にインスピレーションを得た装飾を施した特注のコンソールを設置した。今後も銀座店のように、新しいストアコンセプトを適用し既存の店舗を改装する予定だ。

WWD:次の 100 年に向けて、どう進化していきたいか。

ベルトラン:メゾンはここ数年で大きく変わったが、私たちは常に卓越性、品質へのこだわり、伝統、革新、ヘリテージ、そしてファミリーへと立ち戻ることを大切にしてきた。世界が急速に変化している今日、ヘリテージを尊重することはとても大切だ。私たちは、ノウハウとさまざまなステークホルダーとの信頼関係を大切にしながら、責任ある方法で卓越性を追求し続けたい。

到達したデニムの新境地

ロロ・ピアーナのクラフツマンシップをデニムで表現したカプセルコレクション“ロロ・デニム”が、2024-25年秋冬シーズンにデビューした。同コレクションでは、タイムレスなジーンズやジャケットを、革新的なデニム素材や職人技でエレガントに仕立て、デニムの新たな可能性を開く。アイテムは、取り外し可能なカシミヤのジレ付きのジャケットやキャッシュデニム®︎のジーンズ、クリーンなムードでセットアップ着用もできるトップスやパンツ、汎用性の高いバッグやシューズなど63型をそろえる。

アイテムに用いたデニムもさまざまだ。キャッシュデニム®︎は、コットン60%とカシミヤ40%の交織素材で、伊ピエモンテ州のロロ・ピアーナの職人と備後地方のデニム生産者との協業で誕生した。ほかにもソリッドブルーの染料を使った“キャッシュデニム®︎・リアクティブ”やデニムフラワー、デニムシャンブレー、シーアイランドデニムなど、表情豊かなデニムがライアンアップする。

伊勢丹新宿本店の本館1階ザ・ステージでは、“ロロ・デニム”のデビューに合わせたポップアップストアを9月11〜17日に開催する。

問い合わせ先
ロロ・ピアーナ ジャパン
03-5579-5182

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ロロ・ピアーナ100周年 CEOが語るビジョンと広がる世界観

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ロロ・ピアーナは、イタリア・ヴァルセージアで1924年に創業し、今年で100周年を迎えた。現在は最高品質のカシミヤやビキューナなどを世界中に提供し、1980年代にラグジュアリーグッズ部門を立ち上げ、自社工場で繊維の生産から製品化までを一貫して行う。100年をかけて、上質な生地のようにしなやかに進化してきたロロ・ピアーナの強みとは。改装した銀座店やトップへのインタビュー、商品の魅力から解き明かす。

生まれ変わった銀座店で
世界観を堪能

東京・銀座の銀座中央通りに構える旗艦店が、1年以上を要した改装を終えてリニューアルオープンした。生まれ変わった銀座店には、ロロ・ピアーナらしい“おもてなし”を随所に込めている。1階は売り場面積を大幅に拡張し、エントランスの先では広々した温かみのある空間がゲストを迎える。新設したバッグカウンターには、注力しているレザーバッグやグッズが並んでいる。

空間と商品をさらに魅力的に見せるため、光にもこだわった。2階のウィメンズフロアは改装により自然光が差し込み、開放的なムードを演出する。全フロアの天井ライトは自然光をイメージして明るさを一つ一つ微調整し、ゲストがリラックスできる空間を提供する。

店内に設置する「ロロ・ピアーナ・インテリア」の家具も、ラウンジのイメージで刷新した。インテリアや階段をゆるやかな曲線が縁取り、しなやかに世界観を拡張するロロ・ピアーナらしい空間だ。

CEOが語るロロ・ピアーナの100年

ロロ・ピアーナは、創業者ピエトロ・ロロ・ピアーナが100年前の設立時に抱いた情熱を、現在もさまざまな事業やクラフツマンシップを通じて継承している。メゾンの好調なビジネスを率いるのが、ダミアン・ベルトランCEOだ。同氏は2021年に現職に就くと、主要3事業であるテキスタイルとラグジュアリーグッズ、インテリア部門においてさまざまな改革に挑んでいる。国際経験豊かなCEOが描く成長戦略とは。

WWD:創業100周年を迎えたロロ・ピアーナとは、改めてどういうメゾンなのか。

ダミアン・ベルトラン=ロロ・ピアーナCEO(以下、ベルトラン):ロロ・ピアーナは、究極のラグジュアリーを体現するメゾンだ。私たちの製品は、テキスタイルの豊かな歴史があるからこそ、今でも触れると瞬時にそれと分かる。真のラグジュアリーとは、卓越性を追求し、最高の素材を追求し、最高品質のコレクションを創り出すために、必要な時間をかけること。ロロ・ピアーナは、究極的なタイムレスなエレガンスと世界で最も洗練された最高の素材を、現代的なシルエットで提案している。

WWD:2021 年に現職就任後、最大のミッションは?

ベルトラン:私は着任時、メゾンの真髄を理解し、その魅力溢れるヘリテージや歴史を発見しようと決めた。そして、よりモダンでスタイリッシュ、現代的でありながらタイムレスで、ロロ・ピアーナのスタイルだと人々が認識できるようなロロ・ピアーナの新しいシルエットをチームと共に作り出すことに着手した。同時に、ウィメンズとメンズのコレクションを、同じインスピレーションで一つにまとめた。今ではメンズ、ウィメンズのシルエットは呼応している。

WWD:現在好調なカテゴリーは?

ベルトラン:レザーグッズはシーズンごとに成長している。例えば、“ベイル・バッグ”や“エクストラ・バッグ”などのバッグは、現在最も求められている製品の一つである。また、コスチューム・ジュエリーのような新しい製品カテゴリーも発表したばかりだ。このブレスレットとネックレスのコレクションは、メゾンの職人技と革新という貴重なヘリテージを称えている。

メゾンを支えるクラフツマンシップ

WWD:キャッシュデニム®️は、イタリアと日本の職人技術をもって完成した製品だ。実現までの背景は?

ベルトラン:キャッシュデニム®️は、伊ピエモンテのロロ・ピアーナの職人と、日本の備後地方にあるデニムのスペシャリストたちとの稀有な知識交換の中で生まれた。このプロジェクトは、世界でも偉大な 2 つのテキスタイルの伝統における、職人によるテキスタイル生産へのお互いへの敬意のもとで実現した。一方は、備後地方の職人による歴史ある日本のノウハウで、その独自のセルヴェッジデニムは、特殊なシャトル織機を使いこなすことで生まれている。もう一方は、卓越性を追求してあらゆる革新の限界に挑戦するロロ・ピアーナの文化と、貴重な繊維の扱いに長けたロロ・ピアーナの技術である。

WWD:イメージの刷新にも注力している印象だ。

ベルトラン:広告キャンペーンは、より気品と洗練に溢れ、新たな光と共に私たちのシルエットを新しい形で表現している。さらに、店舗には新しいコンセプトを導入した。セルジオ・ロロ・ピアーナのビジョンから発展した新しいコンセプトは、天然素材や温かみのあるカラーパレット、私たちのシグネチャーであるオーク材を用いたカラボッティーノのディテールなど、原点ともいえるコアの要素とフィーリングを守りながら、現代的なタッチを加えている。

WWD:ロロ・ピアーナ銀座店リニューアルの意図は?

ベルトラン:ロロ・ピアーナ銀座店はロロ・ピアーナの世界的な店舗網の中で重要な役割を果たしている。私たちは新しいストアコンセプトを昨年導入し、銀座店にも適用することが重要だと考えた。銀座店の新しいコンセプトとインテリアデザインでは、コアとなる要素を守りながら、ロロ・ピアーナのアイコニックなスタイルを紹介し、店内のあらゆる要素でメゾンらしさを純粋に表現している。バッグのディスプレーのために、日本にインスピレーションを得た装飾を施した特注のコンソールを設置した。今後も銀座店のように、新しいストアコンセプトを適用し既存の店舗を改装する予定だ。

WWD:次の 100 年に向けて、どう進化していきたいか。

ベルトラン:メゾンはここ数年で大きく変わったが、私たちは常に卓越性、品質へのこだわり、伝統、革新、ヘリテージ、そしてファミリーへと立ち戻ることを大切にしてきた。世界が急速に変化している今日、ヘリテージを尊重することはとても大切だ。私たちは、ノウハウとさまざまなステークホルダーとの信頼関係を大切にしながら、責任ある方法で卓越性を追求し続けたい。

到達したデニムの新境地

ロロ・ピアーナのクラフツマンシップをデニムで表現したカプセルコレクション“ロロ・デニム”が、2024-25年秋冬シーズンにデビューした。同コレクションでは、タイムレスなジーンズやジャケットを、革新的なデニム素材や職人技でエレガントに仕立て、デニムの新たな可能性を開く。アイテムは、取り外し可能なカシミヤのジレ付きのジャケットやキャッシュデニム®︎のジーンズ、クリーンなムードでセットアップ着用もできるトップスやパンツ、汎用性の高いバッグやシューズなど63型をそろえる。

アイテムに用いたデニムもさまざまだ。キャッシュデニム®︎は、コットン60%とカシミヤ40%の交織素材で、伊ピエモンテ州のロロ・ピアーナの職人と備後地方のデニム生産者との協業で誕生した。ほかにもソリッドブルーの染料を使った“キャッシュデニム®︎・リアクティブ”やデニムフラワー、デニムシャンブレー、シーアイランドデニムなど、表情豊かなデニムがライアンアップする。

伊勢丹新宿本店の本館1階ザ・ステージでは、“ロロ・デニム”のデビューに合わせたポップアップストアを9月11〜17日に開催する。

問い合わせ先
ロロ・ピアーナ ジャパン
03-5579-5182

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森永邦彦が語る「アンリアレイジ」とは切っても切り離せない“藤子・F・不二雄” “ドラえもん”という存在

森永邦彦デザイナーの「アンリアレイジ(ANREALAGE)」は、“22世紀の「すこし・ふしぎ」な日常服”をテーマにした特別なコレクションのポップアップストアを9月4〜10日、高島屋新宿店と大阪店で実施する。コレクションの一部は日本橋店、横浜店、京都店、玉川高島屋S・Cでも販売する。

森永デザイナーが多大な影響を受けた“ドラえもん”の生みの親であるまんが家 藤子・F・不二雄氏にオマージュを捧げて制作し、2024-25年秋冬のパリコレクションでは一部をお披露目した。肝入りの作品たちに込めた思いを森永デザイナーに聞いた。

WWD:自身と藤子・F・不二雄氏のつながりについて。

森永邦彦「アンリアレイジ」デザイナー(以下、森永):「アンリアレイジ」を立ち上げた20年前、ちょうど読んでいた藤子・F・不二雄先生の“異色短編集”という作品集に大きな影響を受けた。ありきたりな光景や風景の中に、すこしの非日常が見え隠れするような世界感。日常が壊れてしまうような、ダークな一面もそこにはのぞいた。

読んでいて、雷を打たれたような気分だった。藤子・F・不二雄先生の考えるSFとは「サイエンス・フィクション」ではなく、「すこし・ふしぎ」なもの。つまり、日常の延長にあるほんの少しの非日常が、驚きとワクワクを与えてくれる。その考えは、「アンリアレイジ」の「日常と非日常をつなぐ服」というコンセプトに大きなヒントを与えてくれた。

WWD:今回のコレクション制作の経緯は?

森永:僕から藤子・F・不二雄プロへ持ち掛けた。僕がやりたかったのは、単なる(IPビジネスとしての)キャラクターコラボではなく、藤子・F・不二雄先生の考えを服としてコレクションに落とし込むこと。

WWD:というと?

森永:「ドラえもん」の作品中に、22世紀にタイムマシンで行くエピソードがある。そこでは人間ではない生物が服を着て暮らしている。僕らには、ファッションは「人間の体ありき」だというステレオタイプがある。ただこの話のように100年後、もちろんそこに人間がいるとは思いたいが、たとえばロボットに着せるならどんな服を作るだろう?。そんな想像をしながらコレクションを制作した。

ひみつ道具は空想ではなく
未来を想像する刺激をくれる

WWD:2024年秋冬パリコレではドラえもんカラーのボールシャツが登場した。前ボタンを閉めると名前のように球体にふくらむ。普通のシャツは、人間の体に合わせて構築的で直線的な形をしているが、そんな常識が揺さぶられるようだ。

森永:「ドラえもん」に登場する“ひみつ道具”も、僕らの想像力を刺激してくれる。服の発想に転換すれば、いくらでもユニークな作品が作れるんじゃないかと思えてくる。たとえばこのTシャツ(1万9800円)は、“影”をその場に留めておけるひみつ道具「影ぶんちん」を再現したもの。僕らが開発した、紫外線に当たると色が変わる「フォトクロミック」という素材を使っている。太陽光に当てると“ドラえもん”と“のび太”の影がだんだん濃く伸びていき、室内に入ると5分もすれば消えていく。

また、反射した光が光源にまっすぐ返る特性のある「再帰性反射素材」を採用したシャツ(3万5200円)は、スマホなどのライトを当てるとドラえもんカラーの水玉と鈴が浮かび上がる。(ひみつ道具の)“きせかえカメラ”のような面白さを味わってもらいたい。

個人的にお気に入りなのは、“スモールライト”の発想に生かしたTシャツ(1万9800円)。シャツの胸部分に一回り小さなシャツをワッペンのように付けてみた。この服を作りながら、「スモールライトで今まで自分が作った服を小さくして、つなぎ合わせてパッチワークにしたら、また新しい服ができるんじゃないか」と想像した。そうやって服作りをすれば、無駄も出ずに持続可能な産業になるんじゃないか、とか……。

WWD:ひみつ道具は“空想”ではなく、ワクワクするような未来を想像するタネになる。

森永:そう思う。最後に、「ドラえもん」にまつわる話をもう一つ(笑)。「ドラえもんがなぜ青いのか」というと、諸説はあるものの、ネズミに耳をかじられてショックで青ざめたから、と言う説が有力だ。今回のコレクションで企画したファーコート(30万8000万)は、前述の「フォトクロミック」という素材を使っていて、室内だと黄色だが屋外では真っ青に変わる。

デジタルやアニメーションで色がパッと変わるのは当たり前。だが、実際に自分が着ているものの色や柄が変わったらどうだろう?そんな少しの非日常が与えてくれる気持ちの高鳴りやワクワクは、日常が戻ってきた今だからこそ必要だ。コロナ禍が明けて、未来を前向きに考えられるようになった。そんなタイミングでこのコレクションを世に送り出せることをうれしく思う。

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マッシュがサロン向け卸に本腰 ヘアケアの黒船「インナーセンス」引っ提げ

マッシュホールディングス(HD)が米国発ヘアケアブランド「インナーセンス(INNERSENSE)」を導入する。すでに欧米では約4600のヘアサロンやセレクトショップ、高級オーガニックスーパーなどで取り扱いがあり、人気を確立している。日本では自社のセレクトショップ「コスメキッチン(COSME KITCHEN)」で取り扱うほか、マッシュHDとして本格的にサロン向け卸事業に進出。子会社インナーセンスアジアを立ち上げ、日本をベースとしたアジア展開を構想する。発売は11月11日。ニュウマン新宿店でのみ、同店のリニューアルに合わせて9月12日から先行販売する。

ラインアップはインバス、アウトバス合わせて13種。シグニチャーアイテムの“ハイドレイティングクリームヘアバス”(295mL、4180円)はシアバター、タマヌオイル、アボカドオイルといった天然のエモリエント成分が頭皮と髪をいたわりつつ、健やかに洗い上げるシャンプー。クリームタイプの洗い流さないトリートメント“スイートスピリットリープインコンディショナー”(同)はアロエベラやローズマリーオイルなど植物由来の成分やハチミツを配合し、しっとり艶やかに仕上がる。

「インナーセンス」との取引は、「地球環境に対する真摯な姿勢と圧倒的なサロンクオリティーの両立」(インナーセンスアジアの中谷昌弘社長)が決めてだった。「インナーセンス」は厳格な審査であるBコープをはじめ、カーボンニュートラルや動物実験フリーなど自然保護にまつわるさまざまな活動認証を取得している。

中谷氏曰く、「オーガニックビューティーやクリーンビューティーを謳う商品は、仕上がりがどうしても犠牲になってしまうものも多い」。だが「インナーセンス」は、シャンプー類においては水分の組成を45%以下(一般的には70%程度が水分といわれる)に抑えて美容成分を凝縮する「高濃度処方」を採用、皮膚刺激や髪ダメージの原因成分などを排除する「3000の使用しないリスト」を掲げて妥協のない仕上がりを追求している。創業者である元プロスタイリストのグレッグ・スタークマン、ジョアン・スタークマン夫妻のノウハウと、皮膚科医の知見を融合した成分研究や商品開発のプロセスも強みだ。

今後は東京と大阪にブランドの旗艦店を構えて戦略の拠点とし、機を見てアジア諸国へ進出する。「日本の優れたサロン技術を、ブランドとともに海外に発信していきたい」と中谷氏は展望を話す。

「ブランドを一歩一歩成長させたい」
マッシュは理想のパートナー

3日に発表会が開かれ、インナーセンス創業者のグレッグ・スタークマンとジョアン・スタークマン夫妻が来日。ブランド創業の理念や哲学を語った。

2人の間に生まれた子供が難病であるウイリアムズ症候群を発症したことをきっかけに、夫妻は人や髪、地球の健康を改めて強く考え、クリーンビューティブランドである「インナーセンス」を立ち上げた。「消費者の目線は、僕らがブランドを立ち上げた当時よりも厳しくなっていて、成分ひとつひとつについて吟味される。だから僕らも常にストイックでなくてはならない。『インナーセンス』は、(欧米では)すでにクリーンビューティのパイオニアとして捉えられていて、僕らはそこにプライドを持ってビジネスをしている」と2人。

マッシュとの協業については、「僕たちは急速なビジネスの成長を求めているわけではなく、創業当初のフィロソフィーと規律を守りながら一歩一歩成長していきたいと考えている。そういったスタンスに共感してくれたマッシュグループとのパートナーシップは、非常にいいものになるだろう」と期待を述べた。「それに日本のプロのスタイリストは非常に優秀で、その技術力はアメリカよりも先に行っているようにすら思える。私たちも学べる点は多くあるはずだ」。

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マッシュがサロン向け卸に本腰 ヘアケアの黒船「インナーセンス」引っ提げ

マッシュホールディングス(HD)が米国発ヘアケアブランド「インナーセンス(INNERSENSE)」を導入する。すでに欧米では約4600のヘアサロンやセレクトショップ、高級オーガニックスーパーなどで取り扱いがあり、人気を確立している。日本では自社のセレクトショップ「コスメキッチン(COSME KITCHEN)」で取り扱うほか、マッシュHDとして本格的にサロン向け卸事業に進出。子会社インナーセンスアジアを立ち上げ、日本をベースとしたアジア展開を構想する。発売は11月11日。ニュウマン新宿店でのみ、同店のリニューアルに合わせて9月12日から先行販売する。

ラインアップはインバス、アウトバス合わせて13種。シグニチャーアイテムの“ハイドレイティングクリームヘアバス”(295mL、4180円)はシアバター、タマヌオイル、アボカドオイルといった天然のエモリエント成分が頭皮と髪をいたわりつつ、健やかに洗い上げるシャンプー。クリームタイプの洗い流さないトリートメント“スイートスピリットリープインコンディショナー”(同)はアロエベラやローズマリーオイルなど植物由来の成分やハチミツを配合し、しっとり艶やかに仕上がる。

「インナーセンス」との取引は、「地球環境に対する真摯な姿勢と圧倒的なサロンクオリティーの両立」(インナーセンスアジアの中谷昌弘社長)が決めてだった。「インナーセンス」は厳格な審査であるBコープをはじめ、カーボンニュートラルや動物実験フリーなど自然保護にまつわるさまざまな活動認証を取得している。

中谷氏曰く、「オーガニックビューティーやクリーンビューティーを謳う商品は、仕上がりがどうしても犠牲になってしまうものも多い」。だが「インナーセンス」は、シャンプー類においては水分の組成を45%以下(一般的には70%程度が水分といわれる)に抑えて美容成分を凝縮する「高濃度処方」を採用、皮膚刺激や髪ダメージの原因成分などを排除する「3000の使用しないリスト」を掲げて妥協のない仕上がりを追求している。創業者である元プロスタイリストのグレッグ・スタークマン、ジョアン・スタークマン夫妻のノウハウと、皮膚科医の知見を融合した成分研究や商品開発のプロセスも強みだ。

今後は東京と大阪にブランドの旗艦店を構えて戦略の拠点とし、機を見てアジア諸国へ進出する。「日本の優れたサロン技術を、ブランドとともに海外に発信していきたい」と中谷氏は展望を話す。

「ブランドを一歩一歩成長させたい」
マッシュは理想のパートナー

3日に発表会が開かれ、インナーセンス創業者のグレッグ・スタークマンとジョアン・スタークマン夫妻が来日。ブランド創業の理念や哲学を語った。

2人の間に生まれた子供が難病であるウイリアムズ症候群を発症したことをきっかけに、夫妻は人や髪、地球の健康を改めて強く考え、クリーンビューティブランドである「インナーセンス」を立ち上げた。「消費者の目線は、僕らがブランドを立ち上げた当時よりも厳しくなっていて、成分ひとつひとつについて吟味される。だから僕らも常にストイックでなくてはならない。『インナーセンス』は、(欧米では)すでにクリーンビューティのパイオニアとして捉えられていて、僕らはそこにプライドを持ってビジネスをしている」と2人。

マッシュとの協業については、「僕たちは急速なビジネスの成長を求めているわけではなく、創業当初のフィロソフィーと規律を守りながら一歩一歩成長していきたいと考えている。そういったスタンスに共感してくれたマッシュグループとのパートナーシップは、非常にいいものになるだろう」と期待を述べた。「それに日本のプロのスタイリストは非常に優秀で、その技術力はアメリカよりも先に行っているようにすら思える。私たちも学べる点は多くあるはずだ」。

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自由な精神を感じさせるストーリー作り「梨泰院クラス」原作者チョ・グァンジン

PROFILE: チョ・グァンジン/脚本家

チョ・グァンジン/脚本家
PROFILE: 大人気ドラマシリーズ「梨泰院クラス」原作者。22年に日本でも「六本木クラス」というタイトルでドラマがリメイクされている。「梨泰院クラス」の原作であるウェブ漫画も大ヒットしカカオページの「スーパーウェブトゥーンプロジェクト」の第1弾として発表され、連載当時(17~18年)に有料売上1位、総閲覧数2億2千万ビュー、平均評価は10点満点中9.7点を記録した PHOTO:KIM JINSU

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクターからファッションに至るまでの知られざる話を紹介する。

まずは「梨泰院クラス」の原作者でドラマ化にあたり脚本も手掛け、ウェブトゥーンアーティストとしても進化を続けるチョ・グァンジンにインタビューを敢行。韓国と日本のドラマそれぞれの特異性から、新しい感覚と「自由」を追求する脚本作りへの思いまでを尋ねた。

――日本のドラマが好きだと伺いました。韓国と日本のドラマのそれぞれの魅力についてはどのように考えていますか?

チョ・グァンジン(以下、グァンジン):まず、感性の違いがあります。日本人は感情表現が豊かというイメージがあり、韓国人はもっと冷めた印象があります。言語や文化の違いもあると思いますが、以前の日本のドラマは韓国のものよりも話の展開が早かったですね。「リーガルハイ」や「半沢直樹」「天国と地獄 〜サイコな2人〜」から、漫画原作の「凪のお暇」などの漫画や小説が原作のドラマもたくさん見ました。「リーガルハイ」は韓国でもリメイクされ、演技派の人気俳優が出演したものの、日本版の評判が高く、どちらかというと韓国版は失敗に終わりました。この点においても日本と韓国の感性や文化の違いがあると感じます。

その違いの1つは、キャラクター性。日本にもさまざまなテイストの作品があると思いますが、感情を全面に出す登場人物たちを見て、そういったキャラクターが許容される土壌があるのだと思いました。最近、韓国では“オグルコリンダ(오글거린다)“という言葉が新しい口語として、ネット辞書に加えられるほど頻繁に耳にします。元々は湯がぐらぐらと沸き立つ、小さい虫などが1カ所に集まりうごめくという意味なのですが、今は激しい感情表現や熱く何かを語る人を冷笑する時に使われます。そういった、他者を揶揄する言葉や社会の目線に対する作家たちの思想のようなものが、韓国の脚本には反映されていると感じます。ある意味で洗練と言えますが、冷たい印象を与えることに対して疑問に思うこともあります。一方で日本の作品には、そうした他者の視点やシニシズムによって、気分や感情表現が抑制されないイメージがあります。

ドラマの構成の違いについては、以前の日本のドラマは10話程度で完結する作品が多かったと思いますが、韓国はもう少し長く16話程度ありました。ただ最近は、OTT(動画配信サービス)などの影響で、韓国ドラマも8〜11話とストーリーの数が少ない作品も増えています。

――「梨泰院クラス」のキャッチコピーは“根性と血の気に満ちた若者が、理不尽な世の中で巻き起こすヒップな反乱“。ファッションも大変な話題を集めました。脚本を書く上でファッションはどのように考えていますか?

グァンジン:「洗練されている」「他とは違う個性的な強さ」「若さを感じる」。これらの意味を包括的に兼ね備えているものだと思います。ファッションはキャラクターの性格や志向が現れるものであると同時に、自分のアイデンティティーを表現するものです。「梨泰院クラス」の主人公パク・セロイの場合は、男性的な坊主頭に、韓国の軍隊の人たちが着るようなミリタリーアイテムを着せてマッチョなキャラクターを際立たせました。漫画の原作がある場合は、多くのファンたちに「イメージが違った」という思いを抱かせたくないですから、原作に忠実な衣装選びをすることが多いです。あと、キャラクターを書き分ける意味で、一番目立つ部分であるヘアスタイルやヘアカラーは特に重要視しています。原作がない作品の場合は、自分で衣装を考えることもありますが、ほとんどの場合は衣装チームや俳優たちと話しながら決めています。

――作品を作る上で、韓国の20〜30代前半のMZ世代を意識されますか?

グァンジン:MZ世代には「正直」「若々しい」「自分の意見をしっかりと主張する」というイメージがある一方で、上の世代からは「自己中心的な行動をとる」「社会性に欠ける」というマイナスのイメージを持たれることが根強くあります。ですが、私はMZ世代に対してマイナスのイメージをも持っていないですし、社会性に欠けるような行為も見たことがありません。自分自身は30代後半ですが、若い世代と大きなマインドの違いがあるとは正直思っていませんので、特定の世代を意識した物語を作りたいとは考えませんし、自分が見たいと思う物語を描いています。

――ご自身が見たいと思う物語はどのようなものですか?

グァンジン:自分が見たいものと多くの人たちが見たいものものが合えばヒットもするので1番良いのですが、なかなか難しいですね。私が人間にとって一番大切な価値観は“自由“だと思っていますので、見ている人たちが自由を感じる、あるいはそういった感性に響くような物語を描いているつもりです。その意味で最近、1番楽しかった作品は日本の漫画「進撃の巨人」です。

――自由の定義を教えてください。

グァンジン:人は誰しも社会に属しているため、どうしても他人に気を遣ったり、関係性を意識せずには生きられません。そういった部分を大前提として、他人を傷つけることは避ける。一方で家族や親友、周りの人達に気を配り過ぎてがんじがらめになって生きるのではなくて、本当に自分がやりたいことに集中できる状態こそが自由なのだと思っています。

――最後に現在進行中のプロジェクトについて、教えてください。

グァンジン:1、2年後に公開を予定しているドラマが2つあります。1つは「マエストロ」で、テレビ局のプロデューサーがドラマを作っていくという物語です。もう1つ、アメリカ人の女性作家ジーン・ウェブスターの小説「あしながおじさん」に着想を得た「足長悪魔(キダリ アンマ)」の制作も進んでいます。「あしながおじさん」のおじさん役を悪魔に変えています。闇金で働く主人公の悪魔が、暗躍しながら心が折れてしまった債務者の女性を陰で助けていく物語です。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21,CUON

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「ディプティック」の新プレミアムライン 調香師3組に聞く“感知できない香り”の表現

「ディプティック(DIPTYQUE)」から登場したプレミアムライン“レ ゼサンス ドゥ ディプティック”は、自然界にありながらも感知できない香りを豊かなイマジネーションで表現したフレグランスだ。通常のラインは、自然の要素や旅の思い出など、観察したり感じたりした自然の香りを可能な限り忠実に表現。一方で、プレミアムラインは、サンゴやマザー・オブ・パール、バーク(樹皮)、睡蓮、砂漠のバラという香りのない自然の宝物へオマージュを寄せている。これらをイメージソースに5種類のフレグランスを手掛けた調香師は、アレクサンドラ・カーリン、故オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット、ファブリス・ペルグランの3組。香りがない自然をどのように表現したのか彼らに聞いた。

爽やかでスパイシー、ミステリアスなサンゴを表現
コライユ オスクロ(サンゴ):アレクサンドラ・カーリン

「『ディプティック』のためのクリエイションは大好きでワクワクする。今回のプロジェクトは“好奇心のキャビネット”の扉を開けるような感覚だった。サンゴに香りはないが、雰囲気、色、形、全てについてイマジネーションを働かせた。サンゴをテーマに、フローラルな香水を開発するのはチャレンジングだった。水面の光とサンゴの赤や複雑さを表現している。香りの中心には、強烈なピンク色やベルベットの質感、刺激的なインドのブルボン・ローズを使い、ゼラニウムやライチなどでバラの香りを強調している。ネギの天然エキスやスパイシーなサフランのシソペップ、木片から抽出したサンタル・ドレッシュなどをミックスしてミネラルと塩味を表現。ベルガモットやマンダリン、ピンクペッパー香りにきらめきを与えたかった。爽やかなトップノートと全体に熱っぽいスパイシーでウッディな雰囲気のコントラストを描いている。ミネラル感と謎めいた華やかさを感じてほしい。捉えどころのないサンゴのようにミステリアスな香りで夢を見てほしい。」

木の二面性と優しくみずみずしい睡蓮を体感する香り
ボワ コルセ(バーク)、リリフェア(睡蓮):オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット

「メゾンの長年の友人であまりに早く私たちの元を去ったオリヴィエ・ペシューに導かれたこのコラボレーションはとても魅惑的だった。バーク(樹皮)や睡蓮という香りがないものを再現するために、その質感と奥深さや複雑な芸術性に敬意を払い、視覚的な表現を超えて表現したつもりだ。例えば、“ボワ コルセ”は、柔らかい木の内側を守る荒々しい樹皮のイメージ。そこで、白檀とトンカ豆を用いたアンバーで官能的な香りで柔らかい内側を、それを守る樹皮にはスギとブラックコーヒーを組み合わせたウッディノートを用いて、どこか中毒性のある二面性を表した。この香りを着けることで、木の哲学的な物語を発見してほしい。アンバー、グリーン、ムスクを織り交ぜた“リリフェア”では、水面に浮遊する肉厚の緑の葉っぱなど、睡蓮を象徴する全てを表現したつもりだ。この香りをつけることで、みずみずしさと優しさの間を浮遊するような感覚、睡蓮の宇宙へ没入してほしい。『ディプティック』のフレグランスは、自然をはじめ、内省やクリエイション、交流の時間を称えるものだ。」

未開の地の神秘を描き出す原材料の対話
ルナ マリス(マザー・オブ・パール)、ローズ ロッシュ(砂漠のバラ):ファブリス・ペルグラン

「自然の驚異に香りを与え、感動を伝えるというエキサイティングなプロジェクト。自然の複雑さと繊細さを香りで表現するのは刺激的な挑戦だった。マザー・オブ・パールや砂漠のバラは、神秘的な存在。それぞれの香りで未開の地の神秘を表現したいと思った。調香は、作曲のようなもので、原材料が対話の中でどのように共鳴するかが重要だ。“ルナ マリス”には、スパイシーなピンクペッパーを用い、アンバーとバルサミコのニュアンスのあるインセンスとミックスした。着ける人には、マザー・オブ・パールの虹色のニュアンスを感じ、自信を持ってほしい。砂漠の砂が風により形作られる様子にインスパイアされた“ローズ ロッシュ”は、砂漠のバラのエッセンスを使用し、ローズセンチフォリアのスパイシーで甘い香りの後には、ウッディなパチョリが癖になるようなアンブロックスのミネラル感を包んでいる。砂漠の風と砂の暖かさを呼び起こし、エネルギーを感じるような香りだ。これら香水を着ける人をユニークな感覚と感情の航海へ誘いたい。」

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「ディプティック」の新プレミアムライン 調香師3組に聞く“感知できない香り”の表現

「ディプティック(DIPTYQUE)」から登場したプレミアムライン“レ ゼサンス ドゥ ディプティック”は、自然界にありながらも感知できない香りを豊かなイマジネーションで表現したフレグランスだ。通常のラインは、自然の要素や旅の思い出など、観察したり感じたりした自然の香りを可能な限り忠実に表現。一方で、プレミアムラインは、サンゴやマザー・オブ・パール、バーク(樹皮)、睡蓮、砂漠のバラという香りのない自然の宝物へオマージュを寄せている。これらをイメージソースに5種類のフレグランスを手掛けた調香師は、アレクサンドラ・カーリン、故オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット、ファブリス・ペルグランの3組。香りがない自然をどのように表現したのか彼らに聞いた。

爽やかでスパイシー、ミステリアスなサンゴを表現
コライユ オスクロ(サンゴ):アレクサンドラ・カーリン

「『ディプティック』のためのクリエイションは大好きでワクワクする。今回のプロジェクトは“好奇心のキャビネット”の扉を開けるような感覚だった。サンゴに香りはないが、雰囲気、色、形、全てについてイマジネーションを働かせた。サンゴをテーマに、フローラルな香水を開発するのはチャレンジングだった。水面の光とサンゴの赤や複雑さを表現している。香りの中心には、強烈なピンク色やベルベットの質感、刺激的なインドのブルボン・ローズを使い、ゼラニウムやライチなどでバラの香りを強調している。ネギの天然エキスやスパイシーなサフランのシソペップ、木片から抽出したサンタル・ドレッシュなどをミックスしてミネラルと塩味を表現。ベルガモットやマンダリン、ピンクペッパー香りにきらめきを与えたかった。爽やかなトップノートと全体に熱っぽいスパイシーでウッディな雰囲気のコントラストを描いている。ミネラル感と謎めいた華やかさを感じてほしい。捉えどころのないサンゴのようにミステリアスな香りで夢を見てほしい。」

木の二面性と優しくみずみずしい睡蓮を体感する香り
ボワ コルセ(バーク)、リリフェア(睡蓮):オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット

「メゾンの長年の友人であまりに早く私たちの元を去ったオリヴィエ・ペシューに導かれたこのコラボレーションはとても魅惑的だった。バーク(樹皮)や睡蓮という香りがないものを再現するために、その質感と奥深さや複雑な芸術性に敬意を払い、視覚的な表現を超えて表現したつもりだ。例えば、“ボワ コルセ”は、柔らかい木の内側を守る荒々しい樹皮のイメージ。そこで、白檀とトンカ豆を用いたアンバーで官能的な香りで柔らかい内側を、それを守る樹皮にはスギとブラックコーヒーを組み合わせたウッディノートを用いて、どこか中毒性のある二面性を表した。この香りを着けることで、木の哲学的な物語を発見してほしい。アンバー、グリーン、ムスクを織り交ぜた“リリフェア”では、水面に浮遊する肉厚の緑の葉っぱなど、睡蓮を象徴する全てを表現したつもりだ。この香りをつけることで、みずみずしさと優しさの間を浮遊するような感覚、睡蓮の宇宙へ没入してほしい。『ディプティック』のフレグランスは、自然をはじめ、内省やクリエイション、交流の時間を称えるものだ。」

未開の地の神秘を描き出す原材料の対話
ルナ マリス(マザー・オブ・パール)、ローズ ロッシュ(砂漠のバラ):ファブリス・ペルグラン

「自然の驚異に香りを与え、感動を伝えるというエキサイティングなプロジェクト。自然の複雑さと繊細さを香りで表現するのは刺激的な挑戦だった。マザー・オブ・パールや砂漠のバラは、神秘的な存在。それぞれの香りで未開の地の神秘を表現したいと思った。調香は、作曲のようなもので、原材料が対話の中でどのように共鳴するかが重要だ。“ルナ マリス”には、スパイシーなピンクペッパーを用い、アンバーとバルサミコのニュアンスのあるインセンスとミックスした。着ける人には、マザー・オブ・パールの虹色のニュアンスを感じ、自信を持ってほしい。砂漠の砂が風により形作られる様子にインスパイアされた“ローズ ロッシュ”は、砂漠のバラのエッセンスを使用し、ローズセンチフォリアのスパイシーで甘い香りの後には、ウッディなパチョリが癖になるようなアンブロックスのミネラル感を包んでいる。砂漠の風と砂の暖かさを呼び起こし、エネルギーを感じるような香りだ。これら香水を着ける人をユニークな感覚と感情の航海へ誘いたい。」

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三宅一生による最後のフレグランス 調香師に聞く“塩”を香りで表現するプロセス

「イッセイ ミヤケ パルファム(ISSEY MIYAKE PARFUM)」から最新作“ル セル ドゥ イッセイ”が登場した。三宅一生が最後に選んだ香りのコンセプトは“塩”。生命に不可欠な“塩”をテーマに、本来香りのない“塩”を香りで表現したのは、ジボダンの調香師のカンタン・ビシュだ。ガラスの塊の中に光を放つ水滴を閉じ込めたようなフレグランスボトルは吉岡徳仁がデザイン。ビジュアルは、映像監督のマーカス・トムリンソン手掛けた。“ル セル ドゥ イッセイ”は、3人のアーティストによる“塩”の解釈と表現が一体となり完成したフレグランスだ。調香師のビシュに、三宅がテーマとしてきた“水”や自然の“動き”に続く、“塩”に宿る精神を香りにどのように落とし込んだのか聞いた。

海と大地のコントラストを香りで表現

WWD:三宅一生が最後に監修した香りの調香を手掛けた感想は?

カンタン・ビシュ(以下、ビシュ):「イッセイミヤケ」のDNAを尊重し、新たなシグニチャーを模索する必要があると感じた。一生さんに気に入ってもらえるといいなと思いながら調香した。彼は、ボトルへのこだわりは認めてくれたはずだ。私が手掛けた香水は、ボトルの純粋さを反映していると思う。

WWD:テーマである無臭の塩をどのように香りに落とし込んだか?

ビシュ:このフレグランスは、塩気を含んだ海と森の中の木の香りで構成されている。海と陸という両極の絶え間ない動きを表現した香りだ。ラミナリア海藻とオークモスにヨードでアクセントを加えた海の香り、そして大地はシダーとサンドベチバーが織りなす森のような香りだ。このよう要素のコントラストから生まれた香りだ。

WWD:この香りを調香する際のインスピレーション源は?

ビシュ:海と陸の間で波が引いていく様を表したいと思った。波は、大地に残された水の記憶のようなもの。そこに刻まれる堆積した塩がインスピレーションだ。

WWD:調香のプロセスでこだわった点は?

ビシュ:無限に打ち寄せる波の動き、そして大地に堆積した記憶である塩を形にしようというアイデアが出発点だった。そこから、塩気と純粋なウッディノートを使おうと思った。最初のアイデアのユニークさを保ちながら、テーマを表現しようと試みた。

フレッシュで官能的、バランスの取れた普遍的なフレグランス

WWD:この香りの一番の魅力は?

ビシュ:生き生きとした香りであること。センシュアルな木の香りと、素晴らしい爽やかな塩気の香りの融合が魅力だ。

WWD:どのような人に着けてほしいか?

ビシュ:この香りは、生命のサイクルにある要素や自然の動きとつながる普遍的なフレグランス。だから、全ての人に楽しんでもらえるはずだ。中でも、フレッシュさと官能性のバランスがとれた香水を探している男性にぴったりだと思う。

WWD:自分にとって香水とは、どのようなものか?

ビシュ:人生そのもの。理想の美と香りがもたらす効果を追求し続けることが私の使命だと思っている。

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沖縄北部にインド伝統建築学を活用した〝滞在型アーユルヴェーダリゾート″が誕生 ~2.本部町・「アーユルウエルネスOkinawa」

沖縄に続々とオープンしている、小規模ながら高級志向の「スモールラグジュアリーリゾート」のオープンを紹介する企画。沖縄本島・南城市に位置するモロッカンテイストの邸宅ホテル「リヤド ランプ」に続いて紹介するのは、2024年に本部町にオープンした、本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾートOkinawa」だ。

東京、神奈川と沖縄・宜野湾でアーユルヴェーダ資格取得スクール「アーユルヴェーダビューティカレッジ」を主宰する、新倉亜希アーユルウェルネス代表が、2024年、沖縄本島・本部町に本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾート オキナワ」を創設した。新倉代表にまず聞いたのは、「なぜ沖縄の北部にアーユルヴェーダリゾートを作ったのか」という質問。

「私はインドでアーユルヴェーダを学んだのですが、沖縄はインドと気候が似ていて温暖で、ここで過ごしているだけで五感が浄化される場所だと考えていました。しかも、インドのアーユルヴェーダの病院で処方される薬のもととなる野草が、沖縄には自生していたことも理由の一つです。加えて、アーユルヴェーダスクールの沖縄校を開設して15年目となることから、その卒業生やお客さまをもてなす場として、この地にアーユルヴェーダリゾートを設けたいと願っていました」と新倉代表は話す。

5000年の歴史を誇るインド・スリランカの伝統医療、アーユルヴェーダは「何となく体調が悪い」という不定愁訴や自律神経の乱れに高い効果を発揮するが、実際に新倉代表もその改善効果を体感したひとり。「大学卒業後、外資系証券会社で働いていたのですが、過労で体調を崩してしまい、メニエール病などさまざまな不調を抱えてしまい。それを機に会社を辞めて、心身を休めようとバリのウブドに滞在することに。その時、ウブドでアーユルヴェーダの先生と出会い、診断してもらったところ、「あなたは病気ではなく、ヴァータ(生命エネルギー)が乱れているだけ。鳥の声で目覚め、虫の鳴き声で寝なさい、と言われました」。

その後、バリで自然と調和した暮らしを2カ月ほど続けたところ、治療薬を2年ほど内服しても直らなかった不調が改善し、体調もみるみる回復。アーユルヴェーダの治療に感銘を受けたことから、帰国後に、改めてインドでアーユルヴェーダの治療法を学び、09年に東京でスクールを設立するに至ったと話す。

24年4月にグランドオープンした「アーユルウェルネスリゾート Okinawa」は滞在するだけで体調が整うのが魅力だという。「こちらの建物や客室はインドの古代遺跡にもみられる自然エネルギーを再生するデザイン、〝スターパティア・ヴェーダ建築″に基づいて設計されており、滞在するだけで自然との調和を図ることができます。しかも1日1組の貸切になりますので、テラスや屋上など、思い思いの場所でゆっくりとお過ごしいただけるのも特長です」。

滞在中は問診後に、本人体調や体質を考慮したスパトリートメントを提供。薬草オイルでケアする「アヴィヤンガ」や頭部に薬草オイルをたらす「シロダーラ」、ハーバルボールを使った「ピンダ・スウェーダ」、薬草パウダーを用いた「ウドゥワルタナ」など、複数のメニューを組み合わせてゲストをケアする。

これら本格的なアーユルヴェーダ施術を堪能するために、ほとんどのゲストは2泊3日の「体質改善プラン」を選ぶという。

「体調に働きかけるには、スパトリートメントのほか、ハーブガーデンで摘み取ったハーブを活用した食事やお茶、セルフケアなど、アーユルヴェーダのさまざまな知恵を組み合わせたほうが効きが早いため、2泊以上の滞在をおすすめしています。また、3日間で心身の浄化を促しつつ、それを日常生活でも応用していただけるよう、ホームケアもお伝えしています」。

グランドオープン後、意外だったのは企業による法人利用も多いということ。「企業の福利厚生としてご利用いただく機会も増えています。滞在プログラムを受けたお客さまからは何年も抱えていた神経痛が完治したとか、更年期の症状が和らいだ、産後のホルモンバランスが整ったなど、大人ならではの症状の改善に多くの反響をいただいています。私自身も過労で体調を崩し、アーユルヴェーダで救われたという経験もあることから、今後は美容目的だけではなく、仕事や育児、介護などマルチタスクをこなしているかたへの癒やしも提供できたらと考えています」。

■アーユルウエルネスリゾートOkinawa
住所:沖縄県国頭郡本部町新里170−5
   (那覇空港から車で約1時間45分)
電話:03-5701-1217
Instagram:@ayurwellness_resort_okinawa

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沖縄北部にインド伝統建築学を活用した〝滞在型アーユルヴェーダリゾート″が誕生 ~2.本部町・「アーユルウエルネスOkinawa」

沖縄に続々とオープンしている、小規模ながら高級志向の「スモールラグジュアリーリゾート」のオープンを紹介する企画。沖縄本島・南城市に位置するモロッカンテイストの邸宅ホテル「リヤド ランプ」に続いて紹介するのは、2024年に本部町にオープンした、本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾートOkinawa」だ。

東京、神奈川と沖縄・宜野湾でアーユルヴェーダ資格取得スクール「アーユルヴェーダビューティカレッジ」を主宰する、新倉亜希アーユルウェルネス代表が、2024年、沖縄本島・本部町に本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾート オキナワ」を創設した。新倉代表にまず聞いたのは、「なぜ沖縄の北部にアーユルヴェーダリゾートを作ったのか」という質問。

「私はインドでアーユルヴェーダを学んだのですが、沖縄はインドと気候が似ていて温暖で、ここで過ごしているだけで五感が浄化される場所だと考えていました。しかも、インドのアーユルヴェーダの病院で処方される薬のもととなる野草が、沖縄には自生していたことも理由の一つです。加えて、アーユルヴェーダスクールの沖縄校を開設して15年目となることから、その卒業生やお客さまをもてなす場として、この地にアーユルヴェーダリゾートを設けたいと願っていました」と新倉代表は話す。

5000年の歴史を誇るインド・スリランカの伝統医療、アーユルヴェーダは「何となく体調が悪い」という不定愁訴や自律神経の乱れに高い効果を発揮するが、実際に新倉代表もその改善効果を体感したひとり。「大学卒業後、外資系証券会社で働いていたのですが、過労で体調を崩してしまい、メニエール病などさまざまな不調を抱えてしまい。それを機に会社を辞めて、心身を休めようとバリのウブドに滞在することに。その時、ウブドでアーユルヴェーダの先生と出会い、診断してもらったところ、「あなたは病気ではなく、ヴァータ(生命エネルギー)が乱れているだけ。鳥の声で目覚め、虫の鳴き声で寝なさい、と言われました」。

その後、バリで自然と調和した暮らしを2カ月ほど続けたところ、治療薬を2年ほど内服しても直らなかった不調が改善し、体調もみるみる回復。アーユルヴェーダの治療に感銘を受けたことから、帰国後に、改めてインドでアーユルヴェーダの治療法を学び、09年に東京でスクールを設立するに至ったと話す。

24年4月にグランドオープンした「アーユルウェルネスリゾート Okinawa」は滞在するだけで体調が整うのが魅力だという。「こちらの建物や客室はインドの古代遺跡にもみられる自然エネルギーを再生するデザイン、〝スターパティア・ヴェーダ建築″に基づいて設計されており、滞在するだけで自然との調和を図ることができます。しかも1日1組の貸切になりますので、テラスや屋上など、思い思いの場所でゆっくりとお過ごしいただけるのも特長です」。

滞在中は問診後に、本人体調や体質を考慮したスパトリートメントを提供。薬草オイルでケアする「アヴィヤンガ」や頭部に薬草オイルをたらす「シロダーラ」、ハーバルボールを使った「ピンダ・スウェーダ」、薬草パウダーを用いた「ウドゥワルタナ」など、複数のメニューを組み合わせてゲストをケアする。

これら本格的なアーユルヴェーダ施術を堪能するために、ほとんどのゲストは2泊3日の「体質改善プラン」を選ぶという。

「体調に働きかけるには、スパトリートメントのほか、ハーブガーデンで摘み取ったハーブを活用した食事やお茶、セルフケアなど、アーユルヴェーダのさまざまな知恵を組み合わせたほうが効きが早いため、2泊以上の滞在をおすすめしています。また、3日間で心身の浄化を促しつつ、それを日常生活でも応用していただけるよう、ホームケアもお伝えしています」。

グランドオープン後、意外だったのは企業による法人利用も多いということ。「企業の福利厚生としてご利用いただく機会も増えています。滞在プログラムを受けたお客さまからは何年も抱えていた神経痛が完治したとか、更年期の症状が和らいだ、産後のホルモンバランスが整ったなど、大人ならではの症状の改善に多くの反響をいただいています。私自身も過労で体調を崩し、アーユルヴェーダで救われたという経験もあることから、今後は美容目的だけではなく、仕事や育児、介護などマルチタスクをこなしているかたへの癒やしも提供できたらと考えています」。

■アーユルウエルネスリゾートOkinawa
住所:沖縄県国頭郡本部町新里170−5
   (那覇空港から車で約1時間45分)
電話:03-5701-1217
Instagram:@ayurwellness_resort_okinawa

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リアーナとの仕事で“魂”を認められチーム入り LAで活躍するヘアスタイリストYuichi Ishida

PROFILE: Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト

Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト
PROFILE: (ゆういち・いしだ)1986年5月3日生まれ。日本出身でロサンゼルスに10年在住し、20年以上のキャリアを積む。日本とアメリカで美容師免許を取得し、アジア人として独特の感性と手法を活かしたヘアスタイリングを得意とする。クライアントはローラ、米倉涼子、渡辺直美をはじめ、ソフィア・リッチーやパリス・ヒルトン、リアーナ、クリスティーナ・アギレラら。また、「ルイ・ヴィトン」「ディオール」「ジバンシィ」「フェンティ」などのキャンペーンを手掛ける

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第2回はヘアスタイリストのYuichi Ishidaにロサンゼルスで築いたキャリアやワークライフバランスについて聞く。

幼少期からの姉のヘアアレンジが仕事に

水嶋:ヘアスタイリストになった経緯は?

Yuichi:姉が2人いるのですが、物心ついた時から彼女たちの髪をいじっていました。まるで2人の専属ヘアスタイリストのようでしたね。そこから、友達のヘアアレンジも増え、自分の中で当たり前だったヘアスタイリングが今の仕事につながっています。高校を卒業した18歳、専門学校か大学への進学、就職という選択肢の中で「自分は何が一番好きなのだろう」と自問し、当たり前のようにしてきたヘアに関することが好きで、苦にならないことに気づきました。ファッションも好きなので、ヘアとファッションに携わる仕事にひかれました。また、当時憧れていた先輩が美容師になったことにも影響を受けています。それまでは理容院通っていましたが、先輩の勤める美容院に行くとヘアサロンの煌びやかで、華やか、そして洗練された空間に大きく影響を受け、そんな場所で働きたいと思いました。そして美容学校へ入学、卒業をしました。

水嶋:その後、渡米するまでのキャリアは?

Yuichi:まず美容師として働き出した時、交換留学生が来ることがあり、初めて外国人とコミュニケーションをとりました。その際に、日本で教わったスタンダードなヘアスタイルを施すと、「ありがとう」の一言はあるものの、反応がイマイチだったんです。それがずっと引っかかっていて……。それから、海外のヘアスタイルを意識し始めました。海外では一人一人がとても個性的で、その個性が尊重されています。自分に出来ることがもっとあるのではないか?と思い、すぐに行動に起こし、米国にあるヘアサロンに雇って欲しいと片っ端から連絡をしたんです。そしてハワイに渡米することになりました。

直感を信じて勢いでロサンゼルスへ

水嶋:最初はハワイでキャリアスタートをされたのですね!ロサンゼルスに移住したきっかけは何ですか?

Yuichi:ロサンゼルスを選ぶチャンスがきたからです。ハワイのヘアサロンでサロンワークをしていたのですが、自分が想像していた”海外で働く自分”の像と少し違うと思っていました。日本でヘアスタイリストをしたとしても、ハワイでしていることと同じことが出来ると感じてしまったんです。そんな時、友人から「ロサンゼルスに行ってみたら?」と言われました。23歳の時でした。ロサンゼルスに移住したことがターニングポイントになったと思います。

水嶋:ロサンゼルスでは、具体的にどのような仕事をされていますか?

Yuichi:美容業界でさまざまなことに取り組んでおり、プロダクション(撮影現場)でのヘアスタイリストの仕事、美容室でのサロンワーク、また米国ではメジャーとされる“ハウス・コール”(出張ヘアスタイリスト)の依頼も受けています。ロサンゼルスはエンターテイメントの中心地。エンタメ業界で”ヘア”に関わるサービスが必要な場面で、それをクリエイトすることをしています。

リアーナの仕事が転機に

水嶋:今までで特に印象的だった仕事について教えてください。

Yuichi:ローラさんや渡辺直美さん、冨永愛さん、米倉涼子さん、フワちゃん、ローランドさんをはじめ、エンターテイメントの地であるアメリカで活躍する日本人アーティストたちとの仕事には刺激を受けました。また、アーティストで歌手のリアーナ(Rihanna)さん、クリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)さんとの仕事はとても印象に残っています。彼女達はグローバルでもトップに君臨しているアーティストで、職場の雰囲気も洗練されていて、現場にいる一人一人が皆プロフェッショナル。そんな一流の現場に身を置けて良かったと思いますし、ミュージックビデオの撮影にしろ、雑誌の撮影にしろ、毎回鮮明に印象に残るプロジェクトです。リアーナさんのブランド「フェンティ(FENTY)」のチームとしてビューティやスキン、ヘアの撮影も手掛けています。

水嶋:今のポジションにたどり着くまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

Yuichi:1年目からチャンスに恵まれたんです。ロサンゼルスに移住して、最初に働いたヘアサロンの顧客が、リアーナさんの担当メイクアップアーティストだったんです。その方がさまざまなプロジェクトに誘ってくださり、後にリアーナさんとの撮影に呼んでいただき、そのままチームの一員に。人と人との繋がりで今があります。とてもラッキーだったと思います。米国は、結果を出せば認めてもらえるし、受け入れてもらえます。魂で見てくれている。なので、働きがいがあると感じています。リアーナさんと初めて仕事をしたのがロサンゼルスに来てから4年ぐらいの時でした。2年ほどのパンデミックの時期を経て、またご一緒させていただいています。

ワークライフバランスは東京にないロサンゼルスの魅力

水嶋:ロサンゼルスでは、どのようなライフスタイルを送っていますか?

Yuichi:チルです(笑)。ロサンゼルスは、天気が良く、自然がたくさんあり、過ごしやすいです。私のパーソナルなライフスタイルは凄くチルですが、対照的にワークスタイルは華やかなところに身を置き、何百人もの人々に会い、スピードが速いと感じています。仕事になるとすごく激しいですね。

水嶋:私も同様に感じています。周りの活躍される方々皆さん、穏やかでチルですが、仕事になるとプロフェッショナル。

Yuichi:チームになった時に一人でも何かがずれると、みんながずれてしまう。トップで活躍する人はそれを知っていて、プロフェッショナルな仕事をするからプレッシャーを感じている。だからその反面、プライベートでは自分の時間を大事にしていると思います。

水嶋:皆さん仕事とプライベートを良いバランスで楽しんでいるんですね!その部分が東京には無いように感じるのですが、どう思われますか?

Yuichi:LAならではかもしれませんね。東京は、仕事が終わった後にリラックス出来る空間を見つけるのが難しいかもしれませんね。カリフォルニアは自然が多いので、仕事が終わった後に、自分のリゾート地に戻れる感覚があります。

水嶋:直近ではどんなプロジェクトを手掛けていますか?

Yuichi:現在商品開発をしています。また、自分のヘアスタジオ「エム・クリエイティブズ(MCREATIVEZ)」をオープンしました。教育の場として、自分の思考を広めていけたらと思っています。フリーランスで活躍してきて、業界トップの方々とご一緒させていただき、もっと彼らと肩を並べられるトップのヘアスタイリスト、アーティストになっていきたいと思っています。

水嶋:ユーイチさんの思う”トップ”とは?

Yuichi:僕が描いているトップには限界がありません。仕事をする時は、プレッシャーがつきものだと思いますが、ある程度こなしてしまうとプレッシャーが無くなってしまい、当たり前になり成長が止まってしまう。常に成長を追い求めています。人とも話しながら自分をリマインディングすることが大事ですね。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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リアーナとの仕事で“魂”を認められチーム入り LAで活躍するヘアスタイリストYuichi Ishida

PROFILE: Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト

Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト
PROFILE: (ゆういち・いしだ)1986年5月3日生まれ。日本出身でロサンゼルスに10年在住し、20年以上のキャリアを積む。日本とアメリカで美容師免許を取得し、アジア人として独特の感性と手法を活かしたヘアスタイリングを得意とする。クライアントはローラ、米倉涼子、渡辺直美をはじめ、ソフィア・リッチーやパリス・ヒルトン、リアーナ、クリスティーナ・アギレラら。また、「ルイ・ヴィトン」「ディオール」「ジバンシィ」「フェンティ」などのキャンペーンを手掛ける

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第2回はヘアスタイリストのYuichi Ishidaにロサンゼルスで築いたキャリアやワークライフバランスについて聞く。

幼少期からの姉のヘアアレンジが仕事に

水嶋:ヘアスタイリストになった経緯は?

Yuichi:姉が2人いるのですが、物心ついた時から彼女たちの髪をいじっていました。まるで2人の専属ヘアスタイリストのようでしたね。そこから、友達のヘアアレンジも増え、自分の中で当たり前だったヘアスタイリングが今の仕事につながっています。高校を卒業した18歳、専門学校か大学への進学、就職という選択肢の中で「自分は何が一番好きなのだろう」と自問し、当たり前のようにしてきたヘアに関することが好きで、苦にならないことに気づきました。ファッションも好きなので、ヘアとファッションに携わる仕事にひかれました。また、当時憧れていた先輩が美容師になったことにも影響を受けています。それまでは理容院通っていましたが、先輩の勤める美容院に行くとヘアサロンの煌びやかで、華やか、そして洗練された空間に大きく影響を受け、そんな場所で働きたいと思いました。そして美容学校へ入学、卒業をしました。

水嶋:その後、渡米するまでのキャリアは?

Yuichi:まず美容師として働き出した時、交換留学生が来ることがあり、初めて外国人とコミュニケーションをとりました。その際に、日本で教わったスタンダードなヘアスタイルを施すと、「ありがとう」の一言はあるものの、反応がイマイチだったんです。それがずっと引っかかっていて……。それから、海外のヘアスタイルを意識し始めました。海外では一人一人がとても個性的で、その個性が尊重されています。自分に出来ることがもっとあるのではないか?と思い、すぐに行動に起こし、米国にあるヘアサロンに雇って欲しいと片っ端から連絡をしたんです。そしてハワイに渡米することになりました。

直感を信じて勢いでロサンゼルスへ

水嶋:最初はハワイでキャリアスタートをされたのですね!ロサンゼルスに移住したきっかけは何ですか?

Yuichi:ロサンゼルスを選ぶチャンスがきたからです。ハワイのヘアサロンでサロンワークをしていたのですが、自分が想像していた”海外で働く自分”の像と少し違うと思っていました。日本でヘアスタイリストをしたとしても、ハワイでしていることと同じことが出来ると感じてしまったんです。そんな時、友人から「ロサンゼルスに行ってみたら?」と言われました。23歳の時でした。ロサンゼルスに移住したことがターニングポイントになったと思います。

水嶋:ロサンゼルスでは、具体的にどのような仕事をされていますか?

Yuichi:美容業界でさまざまなことに取り組んでおり、プロダクション(撮影現場)でのヘアスタイリストの仕事、美容室でのサロンワーク、また米国ではメジャーとされる“ハウス・コール”(出張ヘアスタイリスト)の依頼も受けています。ロサンゼルスはエンターテイメントの中心地。エンタメ業界で”ヘア”に関わるサービスが必要な場面で、それをクリエイトすることをしています。

リアーナの仕事が転機に

水嶋:今までで特に印象的だった仕事について教えてください。

Yuichi:ローラさんや渡辺直美さん、冨永愛さん、米倉涼子さん、フワちゃん、ローランドさんをはじめ、エンターテイメントの地であるアメリカで活躍する日本人アーティストたちとの仕事には刺激を受けました。また、アーティストで歌手のリアーナ(Rihanna)さん、クリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)さんとの仕事はとても印象に残っています。彼女達はグローバルでもトップに君臨しているアーティストで、職場の雰囲気も洗練されていて、現場にいる一人一人が皆プロフェッショナル。そんな一流の現場に身を置けて良かったと思いますし、ミュージックビデオの撮影にしろ、雑誌の撮影にしろ、毎回鮮明に印象に残るプロジェクトです。リアーナさんのブランド「フェンティ(FENTY)」のチームとしてビューティやスキン、ヘアの撮影も手掛けています。

水嶋:今のポジションにたどり着くまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

Yuichi:1年目からチャンスに恵まれたんです。ロサンゼルスに移住して、最初に働いたヘアサロンの顧客が、リアーナさんの担当メイクアップアーティストだったんです。その方がさまざまなプロジェクトに誘ってくださり、後にリアーナさんとの撮影に呼んでいただき、そのままチームの一員に。人と人との繋がりで今があります。とてもラッキーだったと思います。米国は、結果を出せば認めてもらえるし、受け入れてもらえます。魂で見てくれている。なので、働きがいがあると感じています。リアーナさんと初めて仕事をしたのがロサンゼルスに来てから4年ぐらいの時でした。2年ほどのパンデミックの時期を経て、またご一緒させていただいています。

ワークライフバランスは東京にないロサンゼルスの魅力

水嶋:ロサンゼルスでは、どのようなライフスタイルを送っていますか?

Yuichi:チルです(笑)。ロサンゼルスは、天気が良く、自然がたくさんあり、過ごしやすいです。私のパーソナルなライフスタイルは凄くチルですが、対照的にワークスタイルは華やかなところに身を置き、何百人もの人々に会い、スピードが速いと感じています。仕事になるとすごく激しいですね。

水嶋:私も同様に感じています。周りの活躍される方々皆さん、穏やかでチルですが、仕事になるとプロフェッショナル。

Yuichi:チームになった時に一人でも何かがずれると、みんながずれてしまう。トップで活躍する人はそれを知っていて、プロフェッショナルな仕事をするからプレッシャーを感じている。だからその反面、プライベートでは自分の時間を大事にしていると思います。

水嶋:皆さん仕事とプライベートを良いバランスで楽しんでいるんですね!その部分が東京には無いように感じるのですが、どう思われますか?

Yuichi:LAならではかもしれませんね。東京は、仕事が終わった後にリラックス出来る空間を見つけるのが難しいかもしれませんね。カリフォルニアは自然が多いので、仕事が終わった後に、自分のリゾート地に戻れる感覚があります。

水嶋:直近ではどんなプロジェクトを手掛けていますか?

Yuichi:現在商品開発をしています。また、自分のヘアスタジオ「エム・クリエイティブズ(MCREATIVEZ)」をオープンしました。教育の場として、自分の思考を広めていけたらと思っています。フリーランスで活躍してきて、業界トップの方々とご一緒させていただき、もっと彼らと肩を並べられるトップのヘアスタイリスト、アーティストになっていきたいと思っています。

水嶋:ユーイチさんの思う”トップ”とは?

Yuichi:僕が描いているトップには限界がありません。仕事をする時は、プレッシャーがつきものだと思いますが、ある程度こなしてしまうとプレッシャーが無くなってしまい、当たり前になり成長が止まってしまう。常に成長を追い求めています。人とも話しながら自分をリマインディングすることが大事ですね。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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モデルemmaが語る、アパレルブランド経営で感じた成長と今後

モデルのemmaが文化服装学園時代の同級生スタイリスト・中村璃乃と共に手がけるアパレルブランド「イーアール(ER)」は、ブランド発足から3年目を迎えた。自己資金で会社(SiS)を立ち上げ、商品のデザインから生産管理、PRまでこなす彼女。モデル業の走りを緩めることなく、経営者としてのやりがいと大変さを感じている。

「イーアール」は8月31日と9月1日の2日間、2024年秋冬新作の受注会(一部商品は即売)を都内で初開催する。会場で、emmaにブランドの現在地と今後について話を聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げたきっかけについて、改めて聞きたい。

emma:小さい頃からファッションに関わるモノ作りに携わりたいという思いがあり、でも何をしたらいいか分からなくて、とりあえず文化服装学園に入学しました。2年生のときにスカウトされてそのまま(雑誌「ヴィヴィ(VIVI)」専属の)モデルの道に進んだのですが、 学生時代はファッション流通科というファッションビジネスに特化した学科で学び、「自分のブランドを持ちたい」という思いは根っこにずっとありました。‘

「イーアール」の立ち上げを本格的に考え始めたのは、3年半ほど前でしょうか。それまでにモデル業の傍らでアパレルブランドとのコラボなどで服作りに関わらせていただくことはありましたが、それは「いいとこどり」をしているんじゃないかというギモンが、自分の中でずっとあったんです。

どういうことかというと、これは今となってより痛感しますが、服を作って売るまでに、どれだけの人が、どれだけの苦労をしているのかを知ることまで含め、「服を作る」ことなんじゃないかと思うんです。だから最初は誰の力も借りずに、モデル業で貯めてきたお金をはたいて、自己資金で会社を立ち上げようと決めました。

WWD:経営者として苦労することは?

emma:やっぱり数字を扱うことが多いから、お金の計算だけでも初めはすごく苦労しました。ただ、文化(服装学園)のときにパターンやデザイン、色彩など服作りの素地になる知識だけでなく、アパレル業界の専門用語や商習慣についても学んでいたので、商談の理解の助けになったこともありました。学生時代、がんばって勉強していた自分をほめてあげたいです(笑)。

ブランド経営とモデル
「エネルギーの使い方が全然違う」

WWD:二足の草鞋を履くのは大変そうだ。

emma:モデルだけしていたときは、一つ一つの仕事を瞬発力でこなしていた感覚があったんです。ただ、経営はいかに継続させるかが大事じゃないですか。当たり前のようですが、モデルの仕事と経営では、仕事への向き合い方もエネルギーの使い方も全然違うんですよね。

「イーアール」の企画が大詰めになってくると、しんどい日もあります。朝からモデルの撮影があって、昼からは商談。合間のメイクをしたり落としたりしていただいている間に、iPadでビジネスメールを打っていることもあります。家に帰ったら新作のデザイン画を引いたり、ブランドのインスタの投稿について考えたり。どっちの仕事にも穴は開けたくないから、もう忙しくてカオス!って感じなんですけど、がんばって乗り切っています(笑)。

WWD:苦労も多い中、原動力は。

emma:根っこでは、私はやっぱりクリエイティブなことがするのが好きだし、「自分の服を作りたい」とずっと思ってきたから、今それを楽しめてやれていることかな。もちろん経営者としてもアパレルデザイナーとしても足りないことはまだまだあるから、そういうことは恥ずかしがらず、どんどん周りに聞いて、頼っていきたいです。芸能の仕事をしながら自分のブランドを持つ人が増えています。そういう人と切磋琢磨し、ときには道標にしていきたい。

WWD:ブランドの今後は。

emma:「イーアール」は、誰かのきっかけを作るブランドでありたいという思いを込めて作りました。私を通じて「イーアール」を知ってくれた人が、ファン同士でつながったり、ファッションの楽しさを知ってくれたり……。ブランドを立ち上げてまだ2年目とよちよち歩きですが、もっともっと輪を広げていきたいと思っています。

▪️ER 24AW COLLECTION 先行受注会&ポップアップストア
日時: 2024年8月31日(金) 、9月1日(月)10:00〜20:00(1日は最終入場19:30)
場所: THE PLUG (東京都渋谷区神宮前6丁目12−9)

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モデルemmaが語る、アパレルブランド経営で感じた成長と今後

モデルのemmaが文化服装学園時代の同級生スタイリスト・中村璃乃と共に手がけるアパレルブランド「イーアール(ER)」は、ブランド発足から3年目を迎えた。自己資金で会社(SiS)を立ち上げ、商品のデザインから生産管理、PRまでこなす彼女。モデル業の走りを緩めることなく、経営者としてのやりがいと大変さを感じている。

「イーアール」は8月31日と9月1日の2日間、2024年秋冬新作の受注会(一部商品は即売)を都内で初開催する。会場で、emmaにブランドの現在地と今後について話を聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げたきっかけについて、改めて聞きたい。

emma:小さい頃からファッションに関わるモノ作りに携わりたいという思いがあり、でも何をしたらいいか分からなくて、とりあえず文化服装学園に入学しました。2年生のときにスカウトされてそのまま(雑誌「ヴィヴィ(VIVI)」専属の)モデルの道に進んだのですが、 学生時代はファッション流通科というファッションビジネスに特化した学科で学び、「自分のブランドを持ちたい」という思いは根っこにずっとありました。‘

「イーアール」の立ち上げを本格的に考え始めたのは、3年半ほど前でしょうか。それまでにモデル業の傍らでアパレルブランドとのコラボなどで服作りに関わらせていただくことはありましたが、それは「いいとこどり」をしているんじゃないかというギモンが、自分の中でずっとあったんです。

どういうことかというと、これは今となってより痛感しますが、服を作って売るまでに、どれだけの人が、どれだけの苦労をしているのかを知ることまで含め、「服を作る」ことなんじゃないかと思うんです。だから最初は誰の力も借りずに、モデル業で貯めてきたお金をはたいて、自己資金で会社を立ち上げようと決めました。

WWD:経営者として苦労することは?

emma:やっぱり数字を扱うことが多いから、お金の計算だけでも初めはすごく苦労しました。ただ、文化(服装学園)のときにパターンやデザイン、色彩など服作りの素地になる知識だけでなく、アパレル業界の専門用語や商習慣についても学んでいたので、商談の理解の助けになったこともありました。学生時代、がんばって勉強していた自分をほめてあげたいです(笑)。

ブランド経営とモデル
「エネルギーの使い方が全然違う」

WWD:二足の草鞋を履くのは大変そうだ。

emma:モデルだけしていたときは、一つ一つの仕事を瞬発力でこなしていた感覚があったんです。ただ、経営はいかに継続させるかが大事じゃないですか。当たり前のようですが、モデルの仕事と経営では、仕事への向き合い方もエネルギーの使い方も全然違うんですよね。

「イーアール」の企画が大詰めになってくると、しんどい日もあります。朝からモデルの撮影があって、昼からは商談。合間のメイクをしたり落としたりしていただいている間に、iPadでビジネスメールを打っていることもあります。家に帰ったら新作のデザイン画を引いたり、ブランドのインスタの投稿について考えたり。どっちの仕事にも穴は開けたくないから、もう忙しくてカオス!って感じなんですけど、がんばって乗り切っています(笑)。

WWD:苦労も多い中、原動力は。

emma:根っこでは、私はやっぱりクリエイティブなことがするのが好きだし、「自分の服を作りたい」とずっと思ってきたから、今それを楽しめてやれていることかな。もちろん経営者としてもアパレルデザイナーとしても足りないことはまだまだあるから、そういうことは恥ずかしがらず、どんどん周りに聞いて、頼っていきたいです。芸能の仕事をしながら自分のブランドを持つ人が増えています。そういう人と切磋琢磨し、ときには道標にしていきたい。

WWD:ブランドの今後は。

emma:「イーアール」は、誰かのきっかけを作るブランドでありたいという思いを込めて作りました。私を通じて「イーアール」を知ってくれた人が、ファン同士でつながったり、ファッションの楽しさを知ってくれたり……。ブランドを立ち上げてまだ2年目とよちよち歩きですが、もっともっと輪を広げていきたいと思っています。

▪️ER 24AW COLLECTION 先行受注会&ポップアップストア
日時: 2024年8月31日(金) 、9月1日(月)10:00〜20:00(1日は最終入場19:30)
場所: THE PLUG (東京都渋谷区神宮前6丁目12−9)

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「フジロック」で初来日 ロック・デュオFrikoが語る「多様な音楽ルーツ」と「シカゴのコミュニティー」

アメリカのシカゴでは近年、新しい世代によるロック・シーンが活気を見せている。10代や20代の若者たちが主催する手作りのショーが盛んに行われ、ZINEやビジュアル・アートなど音楽以外のさまざまなカルチャーを巻き込むかたちでクリエイティブな活動が称揚されている。そのホームグラウンドになっているのが、「Hallogallo」というプロジェクト/コミュニティー。そして、その「Hallogallo」を代表する1組が、今回「フジロック」で初来日を飾った、ボーカリスト/ギタリストのニコ・カペタン(Niko Kapetan)とドラマーのベイリー・ミンゼンバーガー(Bailey Minzenberger)によるデュオ、フリコ(Friko)だ。ニコ・カペタンが語る。「僕たちの周りでは、音楽とアートがお互いに影響し合っていて、みんなフラットにつながっている。シカゴって、そういうコラボレーションが旺盛なところなんだ」。

今年2月にリリースしたデビュー・アルバム「Where we've been, Where we go from here」が多くのメディアで賞賛を得て、また日本でもApple Musicの総合チャートで最高10位を記録するなど、一躍“時のアーティスト”になった感もあるフリコ。今や北米インディー・ロックのブライテスト・ホープとして期待を集める2人に、深い造詣と愛情に満ちた音楽観、シカゴのコミュニティー、そしてファッションやソーイングなど身の回りのアートを通じたDIYの哲学について初来日したタイミングで話を聞いた。

ザ・キュアーとエリオット・スミスからの影響

——デビュー・アルバムがリリースされてこの半年間は、目まぐるしい時間の流れだったと思いますが、振り返ってどうですか。

ニコ・カペタン(以下、ニコ):最高だったよ。あっという間に時間が過ぎちゃったけど、いろんなところをツアーして、たくさんライブできたしね。新しい曲もたくさん書くことができた。僕らの音楽をみんながこんなに喜んでくれて、本当にうれしいよ。特に日本は、ずっと来たかった国だったし、「フジロック」で演奏できるなんて夢みたいだよ。

——日本でライブをやるのは特別なことだったんですね。

ニコ:うん、夢がかなったなんてレベルじゃなくて、もはやシュールというか(笑)。だって、まさかこんなことになるとは思ってなかったから。アメリカの中西部を回るんじゃなくて、世界中をツアーすることになるなんてね。だから(明後日の「フジロック」のステージのことで)今から緊張しているんだ(笑)。

——そういえば、最近のライブではザ・キュアーの「In Between Days」のカバーをやってますね。あの曲って、恋人との修羅場を歌ったような曲だけど——。

ニコ:大好きな曲なんだ(笑)。2人とも大好き。たぶん、キュアーで一番好きな曲かもしれない。あの曲って、いつごろの曲なんだろう? そういえば去年、シカゴの「Riot Fest」でキュアーのライブを観たんだ。彼らのサウンドは今でも全然色あせてなくて、とても素晴らしかった。そして、彼らがどれだけたくさんのヒット曲を持ってるかってあらためて気付かされたよ(笑)。スミス VS ザ・キュアー――なんて言ったら怒られるかもしれないけど、僕にとってはキュアーが圧倒的に上なんだ。一日中、彼らの音楽に浸っていたいくらい。心が満たされるというか、キュアーの音楽には僕にとって特別な何かがあるんだ。それに、ロバート・スミスはモリッシーよりずっといい人だと思うし(笑)。

ベイリー・ミンゼンバーガー(以下、ベイリー):私自身は正直、キュアーのことはそんなに詳しくなくて。だから、キュアーのことはほとんどニコに教えてもらったようなもので、彼が勧めてくる曲を聴いていたら全部好きになっちゃった、って感じかな。

——ニコにとって、キュアーの魅力、ロバート・スミスというソングライターの魅力はどんなところですか。

ニコ:どの曲も本当にいい曲だよね。とてもドラマチックで、エモーショナルなメロディーがたまらない。でもそれだけじゃなくて、ロバート・スミスはとても正直な人で、どの曲も自分の言葉で心の奥底から歌っているというのが伝わってくる。それが曲として機能しているというか。彼はとてもユニークな人で、音楽もファッションも全てがクールだった。父が家でよくレコードをかけていて、それで僕も自然とキュアーが好きになったんだと思う。

——カバーといえばもう1曲、エリオット・スミスの「Ballad of Big Nothing」も最近のライブでやられていて。ドラッグを手放せない薬物中毒者の人生を辛らつに綴った曲で、個人的にはジュリアン・ベイカーのカバーも印象深い一曲なんですけど。

ニコ:実は正直いうと、この曲を初めて聴いた時は、歌詞のことは全く気にしてなかったんだ。メロディーに完全にやられてしまって。ただ、あの曲はエリオット・スミスの曲の中で最初に衝撃を受けた曲の1つだった。まさに“凝縮されたポップ・ソング”で、ヴァースとコーラスが繰り返されるシンプルな構成なのに、奥深くて、ものすごい中毒性があった。エリオット・スミスの曲は歌詞が暗いものが多かったけど、この曲をカバーするときは、歌詞のことよりも曲全体の雰囲気を大切にしたいって思ったんだ。

ベイリー:メロディーが素晴らしいよね。本当に美しい曲。それに、この曲をフルバンドで演奏すると、音が立体的に膨らんで、音楽のエネルギーが感じられる。演奏していてとても楽しいんです。

——フリコにとって、エリオット・スミスはキーと言えるアーティストですよね?

ニコ:そう感じてもらえているんだったらうれしいよ。だって僕自身、エリオット・スミスは大好きなアーティストの1人だからね。エリオット・スミスは、ハッピーなサウンドにヘビーな歌詞を乗せるのが得意なアーティストだった。明るい感じの曲調なのに、歌詞が心の奥底をえぐるような感じで。僕はビートルズが大好きだった少年で、でも大人になるにつれてビートルズだけでは物足りなくなり、 もっと心の奥底にある複雑な感情を表現した音楽が欲しくなった。エリオット・スミスは、ビートルズのポップな要素と、自分の内面の闇を融合させたような音楽を作っていて、とてもユニークだったし、そこにすごく惹かれたんだ。

デビューアルバムをリリースして

——デビューアルバムについて、リリースから時間がたってみて気付いたことや、理解が深まったようなことはありますか。

ベイリー:実は今、演奏の仕方をあらためて見直しているところで。去年も今年もライブずくめだから、体力的な面も考えなきゃいけないなと思っています。去年はライブ中に手が痛くなって、ドラムスティックの持ち方がどんどん変わってしまって。最初はリラックスして持っていたのに、最後の方は限界になって、(スティックを)落とさないことだけを考えて力任せに握っている、というようなことがあって。だから最近は、健康的な方法でプレーすることを考えて、体のケアを怠らないようにしています。そうしたら、音楽表現の幅が広がったというか、テクニックに縛られずに曲の中で遊べるようになって、演奏の仕方もいろいろ試せるようになって。もっと自由に音楽と向き合えるようになったし、それに気付けたのは大きなことでした。

ニコ:僕はいつもステージに立つと、つい力みすぎちゃうんだ。特にボーカルは無理に声を出そうとしてしまって。声帯に負担をかけることになるし、そうすると音も硬くなってしまう。だから、歌い方にもっとニュアンスを出したいって思っている。ただ叫び続けるんじゃなくて、もっと繊細な表現を心がけたいなって。

ベイリー:あと、歌詞の捉え方が、ライブを重ねるごとに深まったような気がする。同じ曲を何度も演奏するから、自分自身でもじっくり聴く機会が増えて。そうすると、同じ歌詞でも毎回違う部分に共感したり、毎回違う感情が湧き上がってくるようになった。曲全体を意識して聴くことで、新たな発見があったり、より深い理解が得られるようになった気がする。

ニコ:毎回違うといえば、ベイリーのドラムも毎回聴くたびに新しい発見がある。本当にクレイジーだよ。どうやって出してるんだろう?って(笑)。あの独特のグルーブ感は、彼女の個性そのものだと思う。「フジロック」で新曲を演奏するんだけど、どんな新しいドラム・パターンを披露してくれるのか、今からワクワクする。ライブで聴いたら最高にエキサイティングだと思うよ。

——そういえば、デビューアルバムに影響を与えたアーティストとして、フィリップ・グラスを挙げていましたね。フィリップ・グラスの音楽のどんなところに魅力を感じますか。

ニコ:彼は間違いなく、ロックやオルタナティブ・ミュージックに最も影響を与えたクラシックの作曲家の1人だと思う。彼は1970年代からニューヨークのロック・シーンに関わっていたしね。アフリカのリズムを取り入れたポリリズムや、不協和音の多用といった斬新な手法を取り入れることで、当時のクラシック音楽の常識を覆すような音楽を彼は作っていた。リズムとメロディーを自由に組み合わせて、全く新しい音楽を生み出すアプローチは、他のジャンルのミュージシャンにも影響を与えて、音楽全体を大きく変えたと思う。常にヒップで、大衆的なペルソナを持ちながら、それでいて本格的なクラシック音楽を作曲していたところが、彼の魅力だったんじゃないかな。

ベイリー:彼の音楽の「反復」の使い方は、本当に興味深いなって思う。2人でよく話しているんだけど、最近はもっと長時間じっくりと聴けるような、深みのある音楽を探求してみたいと思っていて——ただ、聴いている方が退屈に感じてしまうんじゃないか、って不安もあるんだけど。でも、フィリップ・グラスの音楽って、聴くたびに新しい発見があって、飽きるどころか、まるで曼荼羅を見つめるように奥深くて瞑想的な空間に引き込まれていくような感覚がある。あれって本当にすごいし、クールだと思う。

ニコ:大学生だった時に「Glass works」(81年)をよく聴いていたんだ。大学には1年しか通わなかったけど、あの1年間は僕にとってとても強烈で、思い出深い1年だったんだ。だから、あのレコードを聴くと今でもエモーショナルになってしまうんだよね。

——フリコと現代音楽やミニマル・ミュージックって、一見するとすぐには結びつかない印象がありますけど……。

ニコ:次のアルバムでは、そうした音楽からの影響をもっと詰め込みたいと思ってる。でも確かに、1枚目のアルバムはミニマルじゃないよね(笑)。というのも、それは僕自身の音楽的なルーツと大きく関係していて。僕は高校生のころからデヴィッド・ボウイに夢中で、彼が全てだったから。だから1枚目のレコードには、さまざまな種類のサウンドが詰まっていて、あらゆる感情のスペクトラムを音楽で表現したかったんだ。ストレートなパンク・バンドであり、シンガー・ソングライターであるような、自由に何でもやりたかった。立ち止まって考えるんじゃなくて、とにかく前に進んでいく。それが僕らのスタイルなんだ。それってつまり、僕らがどうやって物事に対して向き合い、何を選択して、どう生きていくか、ということの表れでもあると思うんだ。

ベイリー:いずれはアンビエントやインストゥルメンタルのアルバムを作ってみたい。それは、私たちが音楽を通じて表現したいもう1つの側面であり、探求したい新たな領域だから。実はアンビエント・ミュージックの制作にトライしてみたことがあって、いつか本格的なアルバムとして完成させたいと思っているんです。

音楽を聴くきっかけのアーティスト

——英米のインディー・ロックから、ビートルズやボウイのようなレジェンド、さらには今話してくれたクラシックやミニマル・ミュージックまで、さまざまな音楽から影響を受けてきたことを公言している2人ですが、中でも自分が意識的に音楽を聴くようになるきっかけとなったアーティストは誰になりますか。

ベイリー:私が楽器を始めたころ、一番最初にハマったのがパラモアとミーウィズアウトユーだった。でも、もっと大きくなってからハイエイタス・カイヨーテに出会って、音楽の世界観がガラリと変わった。特にドラムを叩くようになって、彼らの音楽を自分の手で表現したくてしょうがなかった。まだ勉強中だったから全然うまくなかったけど、ハイエイタス・カイヨーテの曲を聴きながらドラムを練習した日々は楽しかったな。

——ちなみに、パラモアはどんなところに惹かれたんですか。

ベイリー:感覚的なものだったと思う。初めて聴いた時、とにかくその音楽に強く惹かれて。それに当時、ポップ・パンク・シーンで女性がフロントマンを務めるバンドはそれほど一般的ではなかった。彼女たちはキャリアを通じて今に至るまで、常に自分の音楽を貫いていて、自分たちが「正しい」と思うことをやってきた。女性がフロントマンを務めるロック・バンドというのは本当にインスピレーションになったし、すごく勇気をもらえました。

それに、彼女(ヘイリー・ウィリアムス)はとても若かった。パラモアが最初のレコードを発表した時、彼女はまだ15歳か16歳だったと思う。そんな若いのに、あんなに力強く、エモーショナルな音楽を作り出すことができるなんて本当にすごいなって衝撃を受けて。私が初めてパラモアを聴いたのは、確か9歳か10歳の時で、年齢も近かったし、それが彼女たちに共感できた理由でもあったと思う。彼女たちは、若くして自分の夢を追い求め、音楽を通じて自分たちの声を力強く発信していた。すごく刺激的だったし、そんな彼女たちの姿を見て、私も音楽をやりたいって思ったんです。

——パラモアといえば特にヘイリー・ウィリアムスは、自分たちがいるパンク/エモのコミュニティーが、ジェンダーや肌の色の違いを超えて、誰にとっても開かれたセーフ・プレイスになるようアクションを起こしてきたことでも知られています。そうしたオピニオン・リーダー的な部分も、彼女に共感を寄せる理由としてありますか。

ベイリー:うん。コミュニティーを作り上げていく上で重要なのは、誰もが安全だと感じられる場所にすることだと思う。そして、安全な空間を作るためにどうすればいいのかを、みんなと話し合うことが大切。だから、その価値観に共感してくれる人に来てほしい。音楽って、感情を揺さぶるものだから、みんなが安全に楽しめるように、その意義や目的をはっきりと伝えることがとても大事だと思う。フリコのショーも、そんな場所であってほしいし、みんなが安心して楽しめて、お互いを助け合えるような空気を作りたいと思っています。

——ところで、ニコがアンビエント・ミュージックを聴くようになったきっかけって、何だったんですか。

ニコ:どうだったかな? 高校生のころ、友達と小さなグループを作って、好きな音楽をシェアしてたんだ。そこで聴いたブライアン・イーノが、僕らをアンビエント・ミュージックの世界に連れていってくれた感じかな。彼はその手の音楽のパイオニアみたいな存在だったしね。子供の頃に好きだった音楽とは全然違って、すごく静かで落ち着く感じに惹かれたんだ。独特なハーモニーが感じられて、音色もとても美しくて。

そして、最高のアンビエント・ミュージックの90%は、日本のアンビエント・アーティストによるものだと思う。最近もコンピレーション盤みたいなのをよく聴いているよ。タイトルは「カンキョーオンガク(Kankyō Ongaku:Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990)」だったかな。あのレコードが大好きなんだ。あの独特な雰囲気は、言葉では言い表せない。自然の音や環境音を巧みに取り入れていて、まるで風景画を見ているような感覚になるというか。その手の音楽は中学生のころから聴き込んでいて、久石譲や坂本龍一とか、そういう系統のものを夢中になって聴いていたんだ。フィリップ・グラスと同じような流れでね。そうした日本の音楽にも、似たような静けさを感じるんだ。メロディーとハーモニーが絶妙に組み合わさっていて、音色も素晴らしい。とてもクールで、モダンなクラシック音楽だよね。それに心が落ち着くから、高校のころは勉強する時によく聴いてたよ(笑)。集中できるしね。

——インディー・ロックが盛り上がっている今のシカゴのDIYシーンでは、音楽と音楽以外のアートが密接につながっていて、それがシーンの大きな原動力になっていると聞きました。

ニコ:そうだね。特にビジュアル・アートとの結びつきが強いと思う。若いアーティストが多いのも特徴的だよね。そこはもしかしたら、世代間の違いなのかもしれない。実際、僕たちの周りにはビジュアル・アートが好きな友人がたくさんいて、お互いに影響し合っている感じなんだ。音楽をやってる人はアートに興味を持つし、アートをやってる人は音楽が必要になる。ミュージックビデオの撮影を頼まれたりもする。「Hallogallo」が象徴的だけど、そんな感じでみんなつながっているんだ。シカゴはみんながフラットで、肩の力が入ってないというか。ロサンゼルスみたいに派手なところだと、どうしてもギラギラした雰囲気になっちゃうけど(笑)、シカゴはそんなことないよね。

ベイリー:シカゴの人ってみんな、一緒に何かがしたいって気持ちが強いんです。ステージの上だろうが、地下室だろうが、レコーディング中だろうが関係なく、とにかく一緒に音楽を作りたい。だからシカゴでは、友達が街に遊びに来ると、すぐにスタジオに集まってセッションしたりする。その場で曲を覚えて、即興で曲を演奏したり、ライブ中にゲストを呼んで一緒に演奏したり。だから今度出るNewport Folk Festivalでも、オースティンの友人をステージに呼んで、一緒にペダルスティールを弾いてもらう予定なんです。シカゴには、例えばV.V. Lightbodyみたいなマルチな才能を持った人がたくさんいる。彼女はソングライターなんだけど、フルートもすごく上手で。だからいろんなセッションに参加して、みんなと一緒に音楽を楽しんでる。シカゴって、そういうことが日常的に起こっている場所なんです。

裁縫と音楽

——ちなみに、2人は音楽以外に打ち込んでいるアートって何かありますか。

ベイリー:最近は裁縫にハマってて。キルトとかエプロンとか作ってる。あと、木を削ったり絵を描いたりするのも好き。それに妹が陶芸家で、シカゴに陶芸スタジオを持っていて。彼女の陶芸教室で教えてもらって、ろくろを回したりしたこともあります。自分で作った作品でご飯を食べたり、飲んだりできるってすごいことだと思う。実用的なアートって面白いし、自分でデザインしたものが形になるってとてもうれしい。音楽って、録音しないと形に残らないけど、アート作品は形として残るから、また違う楽しみがある。何かを想像して、それを自分の手で形にする――それがすごく楽しいんです。

ニコ:家に帰ったら、音楽以外のことにもっと時間を使いたいなって思ってるんだ。僕はいつも音楽のことばかりだから。それに、僕らマーチャンダイズはいつも友達と一緒に作っていて。だからコラボするのが好きなんだよね。僕は絵を描くのが得意じゃないから、ベイリーみたいに、何かを作るための根気がないのかも(笑)。裁縫とか、すごいなって思う。

ベイリー:楽しいからやった方がいいよ。それに裁縫って、音楽と意外な共通点があることに気付いたり。例えば、キルト作りで最初に苦労したのは、パターンを考えたり、布を裁断したりする準備段階だった。いざ縫い始めると、あとはひたすら縫うだけだから、その前の準備の大切さを実感した。それって、音楽で曲を作るのも一緒だと思う。レコーディングに入る前にしっかり曲の構成を考えたり、アレンジを練ったりすることが大切。裁縫も音楽も、完成させるためには、忍耐強さや全体を見通す力が求められると思う。

——そういえば、7インチの「Crimson to Chrome」のアートワークに飾られている靴の刺しゅうって、ベイリーの作品?

ベイリー:いや、あれはニコのパートナーが刺しゅうしたもので。

ニコ:実は今回、彼女も今日本に来ていて。彼女が刺しゅうしたんだ。

——あの、爪先に星の模様が入った靴は、何がモチーフになっているんですか。

ニコ:あれは、昔いつもステージで履いていた靴なんだ。今はもう履いていないんだけどね。あの曲は歌詞に靴が出てくるし、ライブでも靴を踏みつけたりするパフォーマンスをしたこともあって。だからあの靴をアートワークに使うのがしっくりくると思ったんだよね。あの靴は僕にとって特別な一足なんだ。

ベイリー:マーカーで星を描いたピンクのドレスシューズだよね? あれ、カッコよかったな。6足くらい買ってなかった?

ニコ:あの靴、気に入ってるからたくさん持ってるんだ(笑)。またステージで履くつもりだから、大事に保管してるんだよ。

——その「Crimson to Chrome」しかり、デビュー・アルバムのアートワークもそうですが、ハンドメイド的な温かみって、フリコの音楽とも重なる感覚だなって思っていて。

ニコ:そうそう、僕らはああいうアートワークが大好きなんだ。ホースガールとか、僕らがシカゴでよく一緒に演奏しているバンドの作品のアートワークを、友人のイーライ・シュミット(Eli Schmitt)がたくさん手がけていて。彼が、ヘムロック(hemlock)というバンドをやっている友人のキャロライナ・シャーフ(Carolina Chauffe)とコラボして、あのアルバムのジャケットを作ったんだ。あのジャケットに使った画像は、もともと「National Geographic」みたいな雑誌に載っていた鎖の写真だったんだけど、著作権の関係で使えなくてね。それで、イーライがオリジナルのデザインに作り替えてくれたんだ。

ファッションについて

——裁縫や靴の話題が出ましたが、関連してファッションのこだわりがあったら教えてください。

ニコ:何だろう? 自分に合ったスタイルでいたい、ってことかな。自分が今いる場所で心地よく過ごしたい、というか。例えば、僕はステージ衣装にこだわりがあるから、音楽の雰囲気を損なわないように、自分にとってしっくりくるものを選んでる。でも、ベイリーみたいにカジュアルな格好もカッコいいと思うし。それに明日、日本のデニムを買いに行くんだよね。楽しみだな。

ベイリー:私たちは高価なブランド服とかよりも、自分が気に入ったものを着る方が好き。個人的には古着屋で買った服が多いかな。最近、シャツの袖をカットして着てるんだけど、すごく楽で気に入ってる。いちいち袖をまくるのが嫌になっちゃって(笑)。ちなみに、今履いているパンツはシカゴのユニクロで買ったものなんだけど、体にフィットしたパンツを履くと本当に快適で。服って、その人の個性を出すためのツールだと思うし、自分とのつながりを感じられるものなら何だっていい。

自分に似合う服を着ると、自信が持てるし、気分も上がる。それに髪型だってそう。髪を短くしたら、顔周りがすっきりして、新しい自分になった気がした。ネックレスやイヤリングもそうだし、ひとつのジュエリーが洋服を引き締めるってとても素敵なことだと思う。服って、日々変化していくものだから、そこがファッションの面白いところだと思う。

ニコ:一度気に入った服を見つけると、それをずっと着てることが多いかな。昔、リーバイスの店員に勧められたベルボトムみたいな形のジーンズがあるんだけど、もうほかのジーンズは履けないくらい気に入ってる。同じ形のものを2本買って、ヘビロテしてるよ。自分に合う服って、それを見つけるのが難しいから、一度見つけたら大切に着たいって思うんだ。それにファッションって、音楽とかエンターテインメントの世界と似てる部分があると思うんだ。深く追求すればするほど、新しい発見があるし、思わぬ出会いもある。普段出会えないような人ともつながれるかもしれない。ファッションを通して、もっといろんな人と知り合いたいよね。

——ちなみに、ベイリーは服を作ったりはしないんですか。

ベイリー:実は最近、服作りに興味があっていろいろ試してるんだけど、まだ外に着ていけるようなものはできてなくて。服って、毛布みたいにただ体にかぶせるだけじゃなくて、動いたりする体にフィットさせなきゃいけないから、思った以上に難しい。

ニコ:でも、今着てるの、すごくいいじゃん。

ベイリー:ありがとう(笑)。でも、まだまだかな。もっと研究したいんだけど、なかなかうまくいかないんだよね。

ニコ:じゃあ、自分のファッション・ブランドを立ち上げてみたら? カットオフ専門の(笑)。

ベイリー:いいかも(笑)。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

■FRIKO JAPAN TOUR 2024
チケットは発売中
大阪公演
公演日:11月19日
会場:梅田クラブクアトロ
時間:18時30分開場、19時30分開演
料金:(前売り)7500円

東京公演
公演日:11月21日
会場:神田スクエアホール
時間:(開場)18時30分、(開演)19時30分
料金:(前売り)7500円
https://smash-jpn.com/live/?id=4236

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Koki,が語る初の海外映画「タッチ」とファッション そして「俳優として父のようになりたい」

俳優でモデルのKoki,が出演する映画「タッチ(Touch)」(原題は「Snerting」)が本国のアイスランドに続き、アメリカをはじめとした諸外国での公開が広まっている。同作品はKoki,にとって2作目の映画であり、初めての英語による海外映画となる。日本では来年1月の公開を控える中、Koki,が米「WWD」のインタビューに応じ、「タッチ」のストーリーや役柄について、また多くのラグジュアリーブランドに起用されるファッションのこと、今後のこと、そして父である俳優の木村拓哉について語った。

2つの時代とロマンスが交差する映画「タッチ」

バルタサール・コルマウクル(Baltasar Kormakur)監督による映画「タッチ」は、アイスランド人作家のオラフ・オラフソン(Olaf Olafsson)による小説を原作に描いたラブロマンス。1970年に出会い、突如姿を消した初恋の日本人女性を、年月が経った2020年に探す一人の男性、クリストファー(Kristofer)の心の旅を描いている。Koki,は、その女性の“ミコ”を演じた。作品は、2020年の現在と50年前の過去が交差するストーリー。若き2人が恋に落ち、徐々に愛を深めていくロマンスは話題を集めている。

Koki,は、「最初にこの小説を読んだとき、完全に心を奪われ、読むのを止められませんでした。そして、現実的だなと。誰かと過ごした一瞬が人生を変え、自分にとって大きな意味を持つということ。時間は自分の外見を変えてしまうが、人の感情や記憶を変えることはないということ。ストーリー展開は、とても感動的です。バルタサール(監督)が2つの時代を行き来させる構成はとても素晴らしく、私も撮影中の全ての思い出がフラッシュバックするような気持ちになりました」と振り返る。

また衣装も見どころの一つに挙げた。「1970年のシーンでは、『スカートが短すぎるんじゃない?』と同僚に声をかけられるシーンがあるんですが、ミコは『あ、ここはもう日本じゃないんだ』と気付くんです。ミコが新しい環境で成長しようとする心境が衣装からもわかります。また、彼女の衣装でクリストファーとの関係性も見てとれます。どのようにリンクし変化していくのか、ストーリーが展開するにつれて明らかになっていきます」。

モデルとして、ラグジュアリーブランドから多くのラブコール

ファッションでいえば、Koki,はすでに大きな影響力を発揮している。15歳だった2018年、日本初そして歴代最年少として「ブルガリ(BVLGARI)」のアンバサダーに就任し、一躍世界のファッションシーンにその名を広めた。その後も「シャネル(CHANEL)」のビューティアンバサダーに起用された他、20年に「コーチ(COACH)」の日本アンバサダー、21年に日本人モデルとして初めて「エスティ ローダー(ESTEE LAUDER)」のグローバルスポークスモデル、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のフレンド・オブ・ザ・ハウスに続けて抜擢された。また「ヴァレンティノ(VALENTINO)」21年春夏では、 ピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)=クリエイティブ・ディレクターのビジョンを体現する国際的な人物を各国から選出され、キャンペーンビジュアルに登場。ラグジュアリーブランドの顔となるモデルとして、ステップアップを続けている。

「あらゆるブランドとお仕事をさせていただいて、ファッションがいかに人々のインスピレーションとなり、人々に感動や自信を与えているかなど、カルチャーやファッションの多彩な側面について多く学ぶことができています。ファッションは本当に広大で強い影響力があります。私をすごく夢中にさせてくれるものです」。

「父のようになりたい。私に大きな影響を与えてくれた」

2022年に公開された「牛首村」で女優デビューを果たしたKoki,。俳優で歌手の木村拓哉と歌手の工藤静香の次女としても有名であるが、幼い頃から彼女は両親の活躍を通じてこの業界に触れてきた。「幼い頃から父の演技やパフォーマンスを見ていて、演技にすごく興味が持ったんです。いつしか『ああ、私も父のようになりたい』と思うようになり、観客にこんなふうに思ってもらいたい、こういう感情やメッセージを感じてもらいたいと俳優としての想いを持つようになったんですよね。父のパフォーマンスや演技は、私に大きな影響を与えてくれました」。

今年初めにはスコットランドのエジンバラで、侍映画をオマージュしたサバイバー・スリラー映画「トルネード(Tornado)」の撮影を行った。また未発表だが、近々自身初のシリーズ作品の撮影が始まる予定だという。「さまざまな役、さまざまなジャンル、さまざまな国で挑戦し続けたい」と今後について話す。まずは「タッチ」の日本公開が待ち遠しいところだ。Koki,は「私の心に秘めた宝物のようなこの特別な作品を、国内外の多くの方々にシェアすることができて本当にうれしく思います。鑑賞いただいた皆さんからの感想がとても楽しみです」と語った。

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同年代のファッション消費に違和感 “映え”じゃない思想ある服作りに挑む早稲田大学繊維研究会

PROFILE: 早稲田大学繊維研究会

早稲田大学繊維研究会
PROFILE: 1949年創立。約100人が在籍する国内最古のファッションサークル。卒業生には「アンリアレイジ(ANREALAGE)」の森永邦彦、「ケイスケカンダ(KEISUKE KANDA)」の神田恵介をはじめとした多くのデザイナーを輩出。「ファッション業界を取り巻く現状に対して、ファッションを媒体として批評を行う」ことを活動の軸としており、その発表の場として、ルックのデザインから制作までの全てを部員自ら手掛けるファッションショーを毎年行っている

1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。第1回は「ファッションが軽率に消費されているのではないか」と危機感を感じるという小山萌恵さんがコンセプト発案の背景について、代表の井上航平さんがコンセプトを落とし込んだルック撮影の裏側についてを語る。

軽率化するファッション消費に違和感
ショーを通じて「みえないもの」に焦点を当てる

WWD:ファッションショーのコンセプトを決めた背景は?

小山萌恵(以下、小山):今年度は「みえないものをみるとき」というコンセプトを掲げます。2020年以降コロナ禍を契機としたSNSの拡大、通信販売の普及により、発信するのも情報を得るのも、購入するのも誰もが簡単にできる時代となりました。そんな今、一つ一つの消費行動が軽率化しているように思います。特にファッションという分野において、その傾向は著しく、例えば“映え”るかどうかを判断基準に、安易に服を購入するといった人も少なくありません。ネオ・デジタルネイティブとも呼ばれる私たちの世代は、そんな時代の変化から顕著に影響を受け、また体現している世代と言えるでしょう。

WWD:そんな現状をどう捉えているか。

小山:目先の“映え”や安さに目を眩ませ、商品に込められた作り手の意図や生産に至る背景といった部分をおざなりにしながら、消費だけが独り歩きしている現状に危機感を感じています。本来、なぜ、どのようにしてそのプロダクトが生まれたのか、そんな「みえない」側面にこそファッションの本質は宿っているのではないでしょうか。このコンセプトはそんな思いから発案しました。

WWD:コンセプトの「みえないもの」は何を指すか。

小山:ファッションから視点を広げたさまざまなものです。例えば音楽を聴いて、知らないはずの情景を思い浮かべること。思い出の場所で、あの人ときたいつの日かを思い出すこと。いないはずの人の声が聞こえるとき。気配を感じる、感情を汲み取る、直観に導かれる。休符のリズム、余白の美学、行間の意図などです。

WWD:ショーを通じて何を伝えたい?

小山:私たちは日々の中でさまざまな“目には見えない何か”を知覚しながら生きています。表層のその先を見出す想像力を携えている私たちは、それがもたらす力の大きさを知っているはずです。今回のショーはその価値を再認識させるようなものにしたいです。そしてファッションへと視点を戻したとき、本質を捉えた消費のあるべき姿に立ち返る糸口となり得るのではないかと思うのです。

「ぼんやりとしていながらも澄んでいる」
ガラス張りの建築を探し求めたルック撮影

WWD:ショーの開催にあたり、ルックブックとオープニング映像の撮影をした。今年はどんなロケーションを選んだ?

井上航平代表(以下、井上):灼熱の太陽が照り付ける神奈川・江の島です。撮影場所を選ぶ際に重視したのが、①ガラス張りの建築物があるか、②視覚から爽やかな風を感じられるか、の2点でした。ぼんやりとしていながらも澄んでいる、そんな相反する2つのイメージを持つ今回のコンセプトをもとに、この2点を軸として撮影場所を決めました。

WWD:江ノ島のどんなエリア?

井上:江の島に入って左手、この時期でも比較的観光客の少ない穴場エリアに佇む湘南港ヨットハウスです。1964年、最初の東京五輪に合わせて建築し、2014年に流線型の屋根に全面ガラス張りの壁という現在の特徴的な姿に生まれ変わった建物で、思い描いていたイメージにぴったりでした。

WWD:撮影はどんなチームで行った?

井上:今回の撮影では、部員が制作した全7ルックを3人のモデルさんに着用してもらいました。スチール撮影をお願いしたのは、Kazuki Hiokiさん。ショー開演前に会場に投影するオープニング映像の制作は、今年度新たな試みです。こちらの撮影を巻嶋翔さんにお願いしました。以前は失礼ながらクリエイターと言えば寡黙、という勝手なイメージを持っていましたが、僕が繊維研究会に入部してからお会いしたカメラマンさんはHiokiさん、巻嶋さん含めてどなたも気さくな方ばかりで、被写体の自然な表情を作品にするには、単純なカメラ技術だけではなく、その明朗な人柄も重要なのだと気付かされました。

WWD:ヘアメイクはどのように手掛けたか。

井上:作品撮りにおいて衣装と同じくらいヘアメイクも重要です。ショーでもご協力いただくカプラスさんより3人のヘアメイクの方々にお越しいただきました。今回撮影の7ルック、どれも大幅なチェンジを要するヘアメイクだったのですが、タイトなスケジュールの中でそれぞれのルック制作者の要望を完璧にかなえてくださいました。

WWD:次のプロセスは?

井上:この先は、今回の撮影データを使用し、部員自らの手でルックブックのレイアウトや装丁デザイン、オープニング映像の編集を行っていきます。これほど多くの方々にご協力いただいただけに、データから感じる重みはとても大きいですが、この素材の良さに甘えず、最大限活かすことのできる作品作りを目指します。

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UKの新星、ザ・ラスト・ディナー・パーティーの「Maximalism」——「躊躇なく、やりたいことを全部やる」

PROFILE: ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party)

ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party)
PROFILE: 2021年に結成されたアビゲイル(Vo.)、ジョージア(Ba.)、リジー(Gt.)、エミリー(Gt./Vo.)、オーロラ(Key.)によるロンドン発の5人組バンド。22年にはローリング・ストーンズのハイドパーク公演にオープニング・アクトとして抜擢。23年4月にリリースしたキャッチ―でダークなギター・ポップ曲「Nothing Matters」はオンライン上で話題となり、急速にバンドの名が広まった。24年にはBritアワードのライジングスター賞、BBCによるSound of 2024の第1位を獲得する等、インディー・ロック・シーンの注目を集め、期待度が非常に高まる中、待望のデビュー・アルバム「Prelude to Ecstasy」を2月にリリース。発売初週には、全英アルバムチャート1位を獲得した。左からエミリー、リジー 、アビゲイル、ジョージア、オーロラ

話題のバンドが相次いで登場している最近のイギリスのロック・シーン。中でも異彩を放っているのが、2021年に結成されたロンドンの5人組、ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party。以下TLDP)だ。ヴィクトリア朝時代やルネサンス風の衣装が目を引く、バロック的な感性とモダンなテイストをミックスしたシアトリカルなルック。そして、ニューウエーヴやグラム、ハードロック、オペラなど多彩な要素を取り入れ、ストリングスやホーンが細部まで飾り立てる華やかでハイブリッドなサウンド。そんな彼女たちが重要なテーマとして掲げているのが、「Maximalism(過剰主義、最大主義)」――いわく「やりたいことは、全部やる」という哲学。その言葉どおり、ビジュアル的にも音楽的にも創造性あふれるスタイリッシュな美学に貫かれた彼女たちのクリエーションは今、世界中を熱狂させている。

デビュー前からローリング・ストーンズのツアーでオープニング・アクトを務めるなど大舞台を経験してきたTLDPは、この春に待望のファースト・アルバム「Prelude to Ecstasy」をリリース。多くの賞賛を集める中、イギリス/アイルランドを代表する音楽賞の一つ、マーキュリー・プライズが先ごろ発表した今年度のノミネーションにもチャーリーXCXやニア・アーカイヴスの新作と並んで同作は選ばれるなど、彼女たちを取り巻く勢いは高まりを見せ続けている。そのサウンドとファッションをつなぐ創作のインスピレーション、背景にあるアートやカルチャーの影響について、「フジロック」に出演のため初来日したTLDPのジョージア(ベース)とリジー(ギター)に話を聞いた。

——デビュー・アルバムの「Prelude to Ecstasy」に入っていない曲で、「Godzilla」って仮タイトル?の曲を最近のライブでやってますよね。まさかTLDPから怪獣映画の名前が出てくるなんて、と驚いたんですが。

ジョージア:実はあの曲では、実際にオリジナルのゴジラの映画のサンプリングを使っていて。ただ、コピーライトの問題でいろいろあって(笑)、正式な曲名がつけられなかったんです。なんて言ったらいいんだろう?……すごくクレイジーな曲というか、だってゴジラでしょ? 巨大な怪獣だから(笑)。

——TLDPのテイストには「ゴシック」という要素があると思いますが、もしかして日本の特撮映画も好きだったりするのかな?と。

ジョージア:(笑)実は、日本の映画、特にホラー映画が大好きなんです。「HOUSE ハウス」とか、「リング」みたいな(と、うつむいて手を伸ばして、TVからはい出してくる貞子のマネをする)。

——(笑)。TLDPのクリエーションにはさまざまなアートやカルチャーのリファレンスが散りばめられていますが、2人の感性に引っかかる日本のアートやカルチャーってありますか。

ジョージア:日本には素晴らしい文学作品がたくさんあって、カズオ・イシグロは大好きな作家の一人です。それに、(日本語で)ニホンノオンガクガスキデス(笑)。おとぼけビ〜バ〜は最高。あと、羊文学っていうロック・バンドも好きです。

リジー:私はジャズが大好きで、だから日本のニュー・ジャズ、ビッグ・バンド・ジャズに興味があるかな。

——ちなみに、今回の来日で楽しみにしていたことって何かありますか。

ジョージア:ショッピングかな。街を歩くのも楽しみだし……この暑さだと大変そうだけど(笑)。それと、日本の食べ物は本当においしいから楽しみ!

リジー:でも、やっぱりライブかな。「フジロック」はもちろん、今夜のショーも楽しみ!

TLDPのマニフェスト

——TLDPを結成するに当たって、ジョージアさんはアビゲイル(・モリス)さんと2人で、自分たちのビジョンを詳細に記したマニフェストのようなものを書いたそうですね。

ジョージア:はい。バンドをやろうって思った時から、「バンドとして何を表現したいのか?」についていろいろと考えていたんです。パブでワインを飲みながら、お互いのアイデアを大声で言い合ったりして(笑)。それで2人でノートを買って、思いつくままに書き留めるようになったんです。自分たちが好きな響きの言葉とか、「白昼夢を想像させるようなバンドをやるとしたら、どんなサウンドやビジュアルだろう?」、「何を象徴するバンドにしたいのか?」とか。まあでも、その時は酔っ払っていて、実現不可能なアイデアもたくさんあったけど(笑)、でもあのノートがTLDPの原点になったのは間違いない。あれは運命的な夜だったと思うし、あの時、私たちは2人で、自分たちの音楽の未来を描いたんです。

——実際に活動していく中で、当初のマニフェストは変化していった?

ジョージア:そうですね。ただ、最初のアイデアが重要なんです。そこから時間を重ねて、いろんなものに触れる中で、私たちはバンドとして成長してきたと思う。たくさんの音楽やカルチャーにインスピレーションを受けてきたし、身の回りのもの全てが創造性を刺激してくれるアイデアの宝庫なんです。だから私たちは常に変化し続けているし、これからもそうあり続けると思います。

——ちなみに、そのマニフェストには具体的にはどんなワード、サウンドやビジュアルについてのアイデアが書かれていたんですか。

リジー:「Decadence(退廃)」、「Grotesque(異様な)」、「Extravagance(贅沢)」、「Theatrical(演劇的)」とか、そういう言葉がたくさん並んでいたよね。

ジョージア:そう、あとは「Ecstatic(恍惚的)、「Feral(獰猛)」、「Chaotic(混沌)」、「多幸感(Euphoric)に包まれた状態」……とか(笑)。サウンドについては、弦楽器にギター・ソロをつけてドラマチックにしたい、とかね。ビジュアルも音楽も、「Maximalism(過剰主義)」という言葉がぴったりだと思う。それって、“自分の持っているもの全てをさらけ出す”ということだから。ありとあらゆるものを詰め込んで、とにかく派手にしたい。アンチ・ミニマリズムだね(笑)。

——その「Maximalism」というコンセプトについて、もう少しかみ砕いて説明することはできますか。

ジョージア:つまり、“躊躇なく、やりたいことを全部やる”という哲学だと思う。音楽でもファッションでも何でもそうだけど、多くのものはどこか控えめで、クールぶっていて、何も気にしていないように見せかけているものであふれていると思う。でも本当は違うでしょ? 実際には周りの目や評価を意識したり、すごくいろんなことに気を使っている。だから私たちの「Maximalism」は、そんなの全部無視して、自分の感情に正直になるってことだと思う。音楽だって、やりたいことを全部詰め込む。自分を抑制しない。「これってやり過ぎかな?」とか、「ここでトランペットを吹くのはトゥーマッチかな?」とか、「ボールガウンを着て演奏するのってどうなの?」とか、そういう不安や疑念を持たないで、やりたいことは全部やる。だって、私たちは「やり過ぎ」こそが最高だって信じているから。自分の中にあるものを全て表現する――それが「Maximalism」なんです(笑)。

理想のアーティストは?

——素晴らしい(笑)。そうした「Maximalism」の観点から、2人にとって理想のアーティストを挙げるなら、誰になりますか。

ジョージア:フローレンス・アンド・ザ・マシーン。彼女は自分の音楽とスタイルに忠実で、とても尊敬している。あとは、クイーンやデヴィッド・ボウイのような歴史上の偉大なアーティストにも引かれます。

リジー:ビヨンセやレディー・ガガも最高だよね。音楽だけでなく、ビジュアルやパフォーマンスも含めて一つの壮大な作品を作り上げているのが本当に素晴らしいと思う。そうして“世界”全体を創造するのが好きな人たちこそが、私たちにインスピレーションを与えてくれる存在なんだと思う。彼女たちも「Maximalism」の実践者で、つまり「Maximalist」って言えるんじゃないかな。

——ちなみに、ボウイだといつの時代が好きですか。

ジョージア:「Ziggy Stardust」は私にとって永遠のナンバーワン、常に一番好きなアルバムです。あれが1970年代に作られたレコードだなんて、とても正気の沙汰とは思えない(笑)。あれは時代を先取りしている、とても現代的なレコードだから。あの時代にロンドンのハマースミス・アポロで行われた「Ziggy Stardust」のライブ・ビデオがあって、本当に素晴らしいパフォーマンスだった。今でも見返すことがあって、見るたびに感動するし、とてもインスパイアされます。

——TLDPの「Prelude To Ecstasy」をボウイのディスコグラフィーに例えるなら?

ジョージア:「Ziggy Stardust」だと思う。どっちも「Theatrical」だし、世界の終わりみたいなことを歌ってるから(笑)。

リジー:奇妙なスペースマンみたいにね(笑)。

——個人的には、TLDPが作る「Low」みたいなアルバムも聴いてみたいな、って。

ジョージア:想像つかない(笑)。でも、ベルリン三部作も大好きだし、「Blackstar(★)」も大好きです。というか、どの時代のボウイも素晴らしいと思う。

影響を受けたアートやカルチャー

——「Nothing Matters」のMVでは、ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」やペトラ・コリンズの映像作品にインスピレーションを得たビジュアルが話題を集めました。

ジョージア:(ソフィア・コッポラもペトラ・コリンズも)ビジュアルの美学や哲学が明確で、ユニークで、本当にクールだと思う。

——音楽以外のところで、2人がどんなアートやカルチャーにインスピレーションを受けてきたのか、ぜひ知りたいです。

リジー:私の場合、興味のあるものが常に変化していて、その振れ幅がとても大きい(笑)。その時々のフレーバーみたいなものがあって、例えば今はジャズにハマっていて、特にインプロヴィゼーションが大好き。ライブにもよく行くし、私にとってジャズを聴くこと、ジャズの生命エネルギーを感じることは人生のマスタークラス(特別授業)みたいなところがあると思う。

ジョージア:大学で英文学を専攻していたので、その時々に読んでいる本から常にインスピレーションを受けてきました。特に19世紀のヴィクトリア朝文学が大好きで、でも、もうほとんど読んでしまっていて(笑)。なので今は、新たなジャンルを開拓しているところなんです。最近読んだ本だと、メキシコ人の作家のフェルナンダ・メルチョールが書いた「Hurricane Season(ハリケーンの季節)」という本が素晴らしくて。町の外れに追放された魔女の話で、とても面白かった。最近はもっと現代文学を読むようにしているんです。

リジー:ああ、私って全然本を読まないからなあ(笑)。

——音楽以外のところで、最近気になっているクリエイターがいたら教えてください。

リジー:ケイ・テンペストが大好き。彼女はミュージシャンだけど、何より詩人、物書きとして素晴らしくて。彼女の文体――詩を織り交ぜた散文のようなスタイルで、文章を形成する方法も抽象的で、とても引かれる。彼女が次に何をするのか楽しみだし、彼女が書いたものを早く読んでみたいなって。

ジョージア:ロンドンには若くて才能あふれるファッション・デザイナーがたくさんいて、最近だとダブリン出身のOran O'Reillyとコラボレーションしました。彼はチャペル・ローンの衣装も担当していて、彼が作ったドレスは素晴らしかったな。とてもクールで。

リジー:見た見た。最高だったよね!

——ほかに、日本のファンに紹介したいオススメのファッション・ブランドはありますか。

ジョージア:そうだな……「Rabbit Baby」というブランドは日本のファンもきっと気に入ると思う。

リジー:最高!

ジョージア:私たちも一緒に仕事をしたことのあるイギリス人のデザイナーのブランドで、美しい白いドレスや小物がすてきなんです。手先が器用で、どれも繊細な作りで、手編みの小さなウサギのモチーフが特に素晴らしい。大好きなブランドで、だから日本のファンも「Rabbit Baby」をサポートしてくれたらうれしいな。

——TLDPがまとうファッションからは、年代やカルチャー、ジェンダーの異なる表現をミックスして楽しむ実験精神が伝わってきます。2人が個人的に好きなファッションのテイストはどういったものですか。

ジョージア:私は“実験する”のが大好きなんです。ステージで大きなスーツを着るのも好きだし、中世風の小さなプリント柄の衣装を着るのも好き。インターネットでいつもいろんなものをチェックしているし、そこからインスピレーションを受けるのが楽しいんです。

リジー:着こなしをマネするのはタダだしね(笑)。個人的には、サイバーでフューチャリスティックなファッションが好きで。だから3枚目のアルバムはSFみたいな感じになっているかも(笑)。

ジョージア:最高(笑)。スチームパンクみたいな感じとかいいかもね。

——TLDPのライブは「ドレスコード」があることで知られています。“グリム兄弟”や、“フォーク・ホラー”といったテーマで……ただ、それはけっして強制的なものではないそうですが、ファンにとってTLDPのライブはどんな場所であってほしい、という思いがありますか。

ジョージア:メンバーみんなで何度も話し合ってきたことだけど、私たちのショーはいつだって最高のものにしたいと思っている。来てくれるファンには、歌でも何でも楽しんでもらいたいし、だから私たちは常に最高のパフォーマンスを心掛けています。でも同時に、ライブがファンにとってセーフスペースであってほしいと思っていて。そこでは何にも躊躇せず、思いっ切りファッションを楽しめる場所だって感じてほしいんです。

リジー:特に女の子にとってはね。

ジョージア: ほんとそう。だから時々、ライブ前に会場の外で最高にドレスアップしたファンが並んでいるのをこっそり見るのが、私たちにとって最高の楽しみなんです。

リジー:みんな、私たちよりオシャレだよね(笑)。

ジョージア:そうそう。私たちのライブがファンにとって安全で、自分のことが受け入れられていると感じられる場所にしたいんです。みんなにとって居心地のいい場所であってほしい。もしかしたら、普段の生活、学校や家族の前では自分の個性を出しづらいと感じている人もいるかもしれないけど、でもここではみんなと一緒に「Maximalism」――つまり、最大限に自分を表現することを楽しんでほしいなって。みんながそれぞれの個性を輝かせて、自分だけのスタイルを確立できるような、そんな場所でありたいと思ってます。

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI

■デビュー・アルバム「Prelude to Ecstasy」
1. Prelude to Ecstasy/プレリュード・トゥ・エクスタシー
2. Burn Alive/バーン・アライヴ
3. Caeser on a TV Screen/シーザー・オン・ア・ティーヴィー・スクリーン
4. The Feminine Urge/ザ・フェミニン・アージ
5. On Your Side/オン・ユア・サイド
6. Beautiful Boy/ビューティフル・ボーイズ
7. Gjuha/ジュア
8. Sinner/シナー
9. My Lady of Mercy/マイ・レディー・オブ・マーシー
10. Portrait of a Dead Girl/ポートレイト・オブ・ア・デッド・ガール 11. Nothing Matters/ナッシング・マターズ
12. Mirror/ミラー
13. Nothing Matters (Acoustic)/ナッシング・マターズ (アコースティック)
※国内盤ボーナストラック

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衣料品リサイクルのショーイチが「ミラノ・ウニカ」初出展 ラグジュアリーブランドも好反応

近年、衣料品のリサイクル事業に注力しているショーイチ(大阪、山本昌一社長)は、7月9〜11日に伊ミラノで開かれた素材展「ミラノ・ウニカ」に初出展した。「日本のアパレルや小売企業の間では、ありがたいことにショーイチはリサイクル事業で一定の知名度を得ており、口コミでクライアントが増えている」と山本社長。国内企業に加え、ラグジュアリーブランドを含む海外企業ともつながってリサイクルを進めていく方法を探っていた際、国内産地の有力素材メーカー数社に「ミラノ・ウニカ」出展を薦められたのだという。

年内には海外企業と契約へ

「ミラノ・ウニカ」は半期に1度ミラノで開催される素材の大型見本市で、今年7月の展示会にはイタリア内外から約570社が出展し、3日間で約5500社が来場した。ショーイチは自社のブースで、余剰在庫を引き取って仕分けし、国内産地のパートナー企業と組んで反毛し、紡績して再び生地を作るというサービスを紹介。実際にリサイクルしてできた生地や、それを使用した製品サンプルも展示した。その結果、ラグジュアリーを含む多数の海外企業の担当者がブースを訪れ、商談が進んだ。「年内には契約につなげていきたい。こちらから再度欧州に出向いて追加説明する用意もある」と山本社長は意気込む。

クリーンエネルギーの
船便でCO2削減

ただし、衣料品のリサイクルを提供している企業は現地欧州にももちろんある。わざわざ日本のショーイチのところに余剰在庫を運ばなくても、欧州の在庫は欧州でリサイクルができる。その方が輸送で余分なCO2も出ない。その点は、「クリーンエネルギーの船便を使うことで懸念を払拭する。輸送費はショーイチで持つことも考えている」と山本社長。ウニカの来場者と話す中で、「欧州のリサイクル企業は引き取ってくれる余剰在庫の量に制限がある」「自分たちで仕分けをしてからリサイクル企業に送らねばならず、作業に慣れていないため困難」といった声を聞いた。「欧州は廃棄に関する法規制が先行していることで、現場の担当者はどうしたらいいのかいよいよ困っている。サステナビリティに対する解像度や問題意識の深さは担当者によってさまざまだと感じたが、各社の問題意識に寄り添い、的確なリサイクル方法を提案したい」。

尾州の反毛ウールに高評価

来場者からは、展示していたリサイクル素材に対しての高評価も得た。特に、尾州(愛知)などの素材メーカーと組んでいる反毛ウールに、「反毛でここまで繊維を細くできる点がすばらしい」という声が集まったという。「日本の産地と組んでいるからこその技術力の高さが評価された」と山本社長は分析。ショーイチの取組先は尾州だけではなく、例えば泉州(大阪)の工場は、レザーや人工皮革、ゴムなども破砕して他の素材と共にフェルトに変えられる。このように作られたフェルトは柔軟で軽量、耐久性に優れており、自動車向け資材や建築資材として活用され、廃棄物削減に貢献する。「レザーシューズやバッグの余剰在庫のリサイクルは服以上にいま大きな課題となっているが、それにも対応できる」点も強みだ。また、欧州企業からは、反毛してできたリサイクル糸を再度自社に納入してほしいという声も多かった。それももちろん可能だ。

「ファッションは
冒険要素を持ち続けてほしい」

「ショーイチが全て引き取ってくれるから、いくらでも在庫を残して大丈夫という意識になってしまっては本末転倒だ」と山本社長はアパレル業界に釘も刺す。「なるべく在庫を残さないように、適量を見定めて作ることはもちろん重要」と語る。ただし、ファッションは必ず売れるものだけ作るのではつまらない。ある程度の冒険要素がないと、ワクワクしないし新しいものも生まれない。「ショーイチが後ろに構えているから、ファッションの魅力の1つである挑戦の姿勢を持ち続けてほしい。何よりも、どうリサイクルするべきか困っている現場の担当者たちをしっかりサポートしたい」と山本社長は繰り返す。手応えを感じたことから、2025年2月の「ミラノ・ウニカ」にも継続出展予定だ。

問い合わせ先
ショーイチ
050-3151-5247

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フォンテインズD.C.が語るスマッシング・パンプキンズやKornからの影響——最新作「Romance」インタビュー

隣国のイギリスと呼応するかたちで、近年めざましい活況を呈してきたアイルランドのロック・シーン。中でもその代表格が、首都ダブリンで結成された5人組、フォンテインズD.C.(Fontaines D.C.)だ。

アイリッシュ・ポエットやビート文学の話題で意気投合し、地元のパブでテーブルを囲みながら詩を書き始めたことが曲作りの始まりだったというデビュー・アルバム「Dogrel」(2019年)。ブラック・ミディやシェイムなどサウス・ロンドンの新世代と共振する現行ポスト・パンクの一角として早くから注目を集め、国内外の名だたる音楽賞で受賞やノミネートを重ねるなか、4年前にリリースした2ndアルバム「A Hero's Death」(2020年)がグラミー賞で「Best Rock Album」の候補に選出。U2やシネイド・オコナーに続く母国のグラミーノミニーとなり、今やグローバルな評価を手にするに至ったか彼らの軌跡は、復調が叫ばれて久しい昨今のロック・シーンにおいても際立った例といえるかもしれない。

そんなフォンテインズD.C.が、名門レーベル<XL Recordings>に移籍して、4作目となる2年ぶりのニュー・アルバム「Romance」をリリースする。前作「Skinty Fia」(2022年)で試みたエレクトロニックなアプローチを推し進め、さらにさまざまなアコースティック楽器も取り入れながら、シューゲイザー、グランジ、ニュー・メタル、サイケ・フォーク、ヒップホップ、テクノなど多彩な要素をまとめ上げたサウンドスケープ。新たにジェームス・フォード(アークティック・モンキーズ、ラスト・ディナー・パーティー)をプロデューサーに起用し、とりわけメロトロンやストリングス・アレンジメントが形作るレイヤー豊かな音色は今作を特徴づける音楽的なポイントだろう。加えて、「アイリッシュネス(アイルランド人としての存在証明)」がテーマとしてあったこれまでのアルバムに対し、そこから解き放たれたようにイマジネーションとドラマ性を増したリリックも印象的だ。

今回、ニュー・アルバム「Romance」の背景とバンドの現在について、「フジロック」出演のために来日したフォンテインズD.C.のコナー・カーリー(ギター)とトム・コール(ドラムス)に聞いた。

「ファッションは自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた」

——今回のニュー・アルバムの告知に合わせてカヴァーを飾った「Crack Magazine」でのメンバーのファッション――ネオン・カラーの効いたスケート・パンク風のルックを見て、とても驚きました。あの一新されたビジュアルのイメージは、今回のアルバムに向けたバンドのどんなモードが反映されたものだと言えますか。


トム・コール(以下、トム):そうだね、さっきも考えていたのは……この前(去年)の東京へのツアーが僕らに大きな影響を与えたってことなんだ。特に東京のファッションは衝撃的で、本当に目からうろこだった。すごく未来的で、クリエイティブな面で大きなターニングポイントになったような気がする。とても刺激されたし、あの経験が、僕らの音楽にも大きな影響を与えたのは間違いないと思う。ファッションって、音楽に直接影響を与えると思うし、東京で見たファッションが僕らの創造性のスイッチを入れて、今までとは全く違うモードになったというか。

コナー・カーリー(以下、カーリー):これまでバンドとしては正直、ファッションについてそこまで意識したことがなかったんだ。でも、ファッションにハマってみると、自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた。まるで麻薬にハマるみたいにのめり込んでしまう(笑)。ファッションって、自分自身を表現するためのもう一つの言語みたいなもので、だからファッションと音楽を組み合わせることで、音楽に新しい側面を加えることができるって思うんだ。

このアルバムでは、ポップ・ミュージックやヒップホップからたくさんのインスピレーションを得たから、それでファッションも大胆になったんじゃないかな。例えばポップやヒップホップの世界では、派手なファッションは当たり前だけど、ギター・ロックの世界だとちょっと浮いてしまう。だからファッションを通じて、音楽とはまた違った形で自分を表現できることがすごく新鮮で興奮するんだ。ファッションって、音楽に新しいサウンドを生み出すインスピレーションになることもあると思うんだ。

——確かに、あのカラフルだけどダークで、ハイブリッドでエッジーなファッションは、今回のアルバムのサウンドのトーンと重なるものだと思います。

トム:このニュー・アルバムでは、エレクトロニックでシンセサイザー的な要素がたくさん取り入れられていて、大きな絵の具のパレットで絵を描くみたいに、より広大なサウンドスケープを創り上げたかったんだ。僕らは今回、90年代の音楽、特にスマッシング・パンプキンズのようなグランジにインスピレーションを受けつつ、一方でレイブ・ミュージックのエネルギーを加えることで、独自のサウンドを確立しようとした。さまざまな色を混ぜ合わせて、新たな色を生み出すようにね。派手な服を着てスタジオに入ると、自然と曲ももっとエネルギッシュになったり、新しいアイデアが浮かんだりするように、ファッションって感情や創造性を刺激してくれるものなんだと思う。

ニューアルバム「Romance」での新しい試み

——トムはプレスリリースの中で、今作は「初めてのスタジオ・アルバム」だとコメントしています。その意味するところはなんでしょう? というのも、フォンテインズD.C.の曲作りではこれまで一貫して、「スタジオの外でも再現可能かどうか?」というジャッジが不文律としてあったと思うのですが。

トム:その通りで、最初の3枚のアルバムでは、自分たちが持っている楽器でライブ演奏できない曲は作らないという、ある種のルールを強いていた。逆にいうと、それが自分たちに制約を課していたところがあったと思う。でも、今回のアルバムではもっと自由に音楽を作りたかった。ストリングスやシンセサイザーをたくさん重ねて、より複雑で奥行きのあるサウンドにしたかった。だから、以前のような制限を設けずに、曲作りに没頭して、僕らが感じるままに多くのレイヤーを追加していった。ライブでどう演奏するかは後で考えよう、ってことにしてね(笑)。

カーリー:そう。今回は、ライブでどう演奏するかは考えずに、僕たちがやりたいと思ったことをどんどん曲に詰め込んでいった。これまでのアルバムとは全く違う、新しい作曲方法だったよ。

——先ほど名前が挙がったスマッシング・パンプキンズ以外で、今回のサウンドのリファレンスとなったアーティストはいましたか。前作ではプライマル・スクリームやデス・イン・ヴェガス、ロニ・サイズなどを挙げていましたが。

トム:デフトーンズもそうだと思う。

カーリー:間違いないね。あと、2000年代前半のKorn(コーン)のレコードも大きかったと思う。でもそれは、一般的にいう“影響”とは違っていて。サウンドそのものに影響を受けるっていう意味じゃなくて、その音楽から感じるエネルギーとか、その音楽が作り出す世界観みたいなものが僕らの心に染み込んで、自然と自分たちの音楽に影響を与えた感じだね。

——Kornの名前は、グリアンもCrack Magazineのインタビューで挙げていましたね。ただ、フォンテインズD.C.とKornって、意外すぎる組み合わせというか、これまでのイメージからするとあまりにかけ離れていて……。

カーリー:まあそうだよね(笑)。ただ、Kornや、それにスリップノットのようなバンドにしろ、従来の音楽の枠を超えたヘビィでアグレッシブなサウンドと、衝撃的なビジュアルを融合させることで独自の世界を築き上げている点で革新的だったと思う。ポスト・モダンな要素を取り入れながらも、決して時代遅れになることのない、新鮮なエネルギーが感じられる。さっきのファッションの話ともつながるけど、そうして自分たちでビジュアルとサウンドを一体化して、一つの世界観みたいなものを作り上げているところに、一番インスピレーションを受けたんじゃないかな。

——ちなみに、今回のアルバムでブレイクスルーになった曲は?

トム:「Here's The Thing」かな。あの曲は、このアルバムがこれまで自分たちがやってきたこととは全く違うものである、ということを体現していると思う。「このアルバムが何を表現しようとしているのか?」という問いに対する答えの多くと結びついているというか。

カーリー:「In The Modern World」もそうだと思う。あのストリングスのパレットは、ある意味、この世界の縮図のようなものなんだ。まるでこの世界の複雑で美しい混沌を映し出しているような、そんな感覚があのストリングスにはある。その感覚が、このアルバムの核となる部分を支えているのは間違いないと思う。

——前作「Skinty Fia」の制作では新たなアプローチとしてLogicが使われていましたが、今回の曲作りやレコーディングはどのようなプロセスで進められたのでしょうか

トム:このアルバムでは、僕たちのこれまでの制作プロセスとは全く異なるアプローチを取ったんだ。通常は、みんなで顔を突き合わせて曲を書き、リハーサルを重ねて、最後にデモを作成する。でも今回は、曲を書き、一度演奏しただけでレコーディングに臨んだ。その後、ラップトップで編集し、メンバー全員で新しいレイヤーを重ねていった。そうして長い時間をかけてコンピュータ上で曲が作り込まれていった。だから、自分のパートを演奏するだけではなく、サウンド全体を俯瞰して、全ての要素を一つのサウンドとして捉えることができた。そうすることで楽曲全体の完成度を最大限に引き出すことに集中できたし、全体のストーリー性を意識して一貫性のある世界観を構築できたと思う。

——アルバム終盤の「Horseness Is The Whatness」をはじめ、メロトロンのビンテージな音色や、アコースティック楽器が醸し出すオーガニックなテイストも今作では印象的です。

トム:メロトロンは素晴らしいキーボードだよね。バンドのメンバーの中には、実際にメロトロンを手に入れた奴もいた。あれはまるで、本物の弦楽器を自由に操れるような感覚なんだ。素晴らしいストリングス・サウンドを手軽に作り出すことができる。レトロな雰囲気の音色で、アルバム全体に温かみをプラスしてくれたと思う。

——リヴァーブが美しい「Sundowner」では、カーリーがリード・ボーカルを担当しています。グリアン以外がメインで歌う曲はバンド初、になりますね。

カーリー:あれは去年ロンドンで書いた曲で、その時はとても寒くて、だから寒々しい雰囲気の曲が書きたかったんだ(笑)。青みがかかったような曲をね。当時、プライマル・スクリームやマッシヴ・アタックのような、どこかメランコリックなサウンドに惹かれていて。オリジナルのデモはエレクトロニックなドラムを多用していて、もっと実験的でフリーキーなサウンドだったような気がする。でも、最終的に完成したアルバムのバージョンに満足しているよ。

——トムにとって、個人的に思い入れの深い、自分をリプレゼントしてくれるような曲はどの曲になりますか。

トム:間違いなく「Here's The Thing」だと思う。この曲は、僕らがスタジオで書いた最後の曲だったと思う。最後のスタジオ・セッションの日、全てのトラックを仕上げた後にみんなでジャム・セッションを始めたら、突然この曲が生まれたんだ。まるで、曲自体が自分から飛び出してくるような感覚だった。どのアルバムにも自分たちの分身がいるような気がするけど、この曲は特に僕たちの本質を如実に表していると思う。そう、この曲はただ演奏して踊り出したくなるような、純粋な衝動に突き動かされるような曲なんだ。だから「Here's The Thing(※ここに本質がある)」ってタイトルにしたんだ。

——今回のアルバムでは、特に「Desire」や「In The Modern World」で聴ける、グリアンの情熱的でロマンチックな歌声も深い印象を残します。グリアンは昨年、内省的なソロ・レコードを発表しましたが、側(はた)から見て彼の変化を感じたり、何か思うことはありましたか。

トム:最初のレコードから今に至るまで、僕らはそれぞれのポイントにおいて独自のスタイルを確立してきた気がする。その成長の過程で、ボーカリストとしてのグリアンの変化を各作品で見ることができるのは本当に素晴らしいことだと思う。君が言うように、このアルバムは、まさに今に至るまでの彼の変化の軌跡を如実に感じることができる作品だと思うよ。

カーリー:これまでのアルバムでのグリアンのボーカルは、ある種の型にはまったイメージを持たれていたところがあったかもしれない。でも、グリアンはこれまでも常に素晴らしいシンガーだったし、ただ、僕たちの音楽が、シンガーとしての彼の、ある特化したスタイルを際立たせていたという側面もあったと思う。だけど今回のアルバムでは、僕たちの音楽性の変化によって、彼のボーカル・スタイルも新たな境地を開拓できたというか、幅広い表現力が引き出されたところもあったのかもしれないね。

「Romance」は現代社会を寓話のように表現したようなアルバム

——オープニングの「Romance」には、「maybe romance is place(きっとロマンスこそが居場所)」という印象的なフレーズがあります。フォンテインズD.C.の作品では、これまで常に「場所」がテーマとして描かれていて、そこにはアイルランド人としてのアイデンティティーをめぐる問題がさまざまな形で反映されてきました。ただ今作では、そうしたテーマ、いわば自分たちを縛り縛り付けてきた「場所」から解き放たれたような、そんな印象を受けます。

トム:うん、このアルバムはおそらく、より内省的なアルバムだと思う。心の奥底にある静かな感情を表現したかった。それに、僕たちはもう長い間アイルランドを離れていて、だからアイルランドの視点で書くのは後ろめたいというか、それって借り物の感情で歌うような不自然な感じがしたんだ。

カーリー:(今作は)もっとフィクションに近いと思う。「Romance(恋愛、性愛)」とは、架空の物語を紡ぎ出すための場所――というか。現代の出来事をそのまま描くんじゃなくて、現代社会を寓話のように表現したような、そんなアルバムなんだ。

——抽象的な言い方になりますが、今作を通じて“新しい居場所”を見つけた、みたいな感覚もあったのかな?と。

カーリー:それは人生全般について? とても重い質問だな(笑)。でも、どんなアーティストにとっても同じだと思うんだ。自分の人生を濃縮して、そのエッセンスだけを抽出するようなプロセスを経て、最後に残るのは、その軌跡をたどるような作品なんだと思う。それってまるで、自分自身のための奇妙なセラピーというかさ。創造的な活動を通して、何かに没頭することで、自分自身を深く探求する。そしてその結果として、作品という形でそれを世に出す。と同時に、そうやって出来上がった作品と向き合うことで、「自分ってこんな人間なんだ」って改めて気付かされるんだよ。

——プレスリリースには、「このアルバムでは、今までずっと言いたかったけれど、言えなかったことを伝えている」というコメントもありますね。

トム:そうだね、このアルバムは、今の僕たちの姿、今の僕たちがいる“居場所”を映し出しているような気がするんだ。自分たちの心の奥底から湧き出る感情に、嘘偽りなく向き合っている。自分たちの中で何が起こっているのか、今の僕たちが感じていることを、とても正直に、そして誠実に表現している作品だと思う。

——今回のアルバムの曲の中で印象的な歌詞、今の自分の心情を映し出している歌詞を選ぶなら?

カーリー:「I'm the pig on the Chinese calendar(僕は中国暦の豚)」(「Starburster」)かな?(笑)。いや、絞れないよ。でも、「maybe romance is a place」は気に入っている。歌詞を並べていくうちに、曲全体の風景が鮮やかに浮かび上がってきて、自分自身もその世界の中に引き込まれていった。まるで新しい自分に出会えたような感覚だった。「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」みたいに想像力の扉が開かれたというか、「もしかしたらロマンスは実在するのかもしれない」って思わせてくれる。つまり、イマジネーションが現実を彩り、新たな世界を生み出すんだ。

トム:「Horseness is the Whatness」だね。あの曲の歌詞は、客観的に見ても本当に美しい。このアルバム全体の核心を突いているような、強烈なインパクトがある。このアルバムの全ての瞬間を凝縮していて、心に深く残るんだ。

——ちなみに、2人にとって、今作のタイトルである「Romance」を別の言葉で言い換えるとするなら?

トム:「obsession」かな。「ロマンス」とは、ある種の強迫観念のようなものだから(笑)。

カーリー:「patience(忍耐)」だね(笑)。ロマンチックな関係は、ある種の計算や論理だけでは説明できない、少し狂気じみた要素を含んでいると思う。完璧な答えを求めるのではなく、自分だけの答えを見つけ出すような予測不能なもので、だからこそ面白いというか。流れに身を任せて、その時々を楽しみ、心の奥底から湧き出る感情を大切にする。「ロマンス」は、日常のルーティンから抜け出し、特別な瞬間を共有することで、新しい自分に出会う旅のようなものだと思う。今まで経験したことのない感情や価値観に触れることで、自分自身を成長させることができる、そんなエキサイティングな経験なんだ。そうして自分の中にある可能性を引き出し、新しい世界に飛び込むことで、人生を豊かにすることができるんじゃないかな。

シェイン・マガウアンとシネイド・オコナーについて

——今回のアルバムは、昨年亡くなった母国アイルランドの偉大なアーティスト、ザ・ポーグスのシェイン・マガウアンとシネイド・オコナーにささげられています。彼らは2人にとって、またフォンテインズD.C.というバンドにとってどんな存在でしたか。

トム:シェインはいつだって、僕たち全員にとってインスピレーションを与えてくれる存在だった。彼の詩的で、かつ挑発的でいて美しい言葉たちは、僕たちの魂を揺さぶり、心の奥底に眠っていた何かを呼び覚ましてくれるものだった。彼の影響は僕たちの音楽の根底を支える土台だったし、彼との出会いは運命だったと改めて思うよ。

彼が亡くなったことはアルバムのレコーディング中に知ったんだ。僕らはフランスにいて、それでみんなでバーに集まって、彼のことをしのびながら一杯やろうってことになった。まさかこんな別れが来るなんて、本当に悲しかったし、とてもショックだった。彼の突然の死は、今も心の傷として残っている。

カーリー:グリアンが彼を“北極星”だって表現していたんだ。まさにその通りだなって思うよ。キャリアで迷うことがあったらいつも、彼の音楽が道しるべになってくれた。どんなに暗闇の中をさまよっていたとしても、彼の音楽が僕を正しい方向へと導いてくれた。計り知れないほどのインスピレーションを与えてくれたし、彼のソングライティングから学んだことは、僕の音楽の根底を支える礎になっている。彼は僕にとってなくてはならない、唯一無二の存在だった。彼がいなかったら、今の自分はなかったと思うよ。

——シネイド・オコナーについては、前作の「Skinty Fia」でも大きなインスピレーションだったとグリアンが話していましたね。

トム:シネイド・オコナーが亡くなったと知ったときのことは、今でも鮮明に覚えている。心の底から打ちのめされたような衝撃で、まるで胃をえぐられるような感覚だった。アイルランド中が彼女の追悼に包まれ、その光景は今もこの目に焼きついている。彼女の死は自分にとって大きな喪失だった。巨大な文化的喪失であり、でも同時に、大きなインスピレーションも感じたんだ。

もし機会があれば、1990年頃のピンクポップ・フェスティバルで彼女が歌う「Troy」のライブ映像を見てほしい。正直で生々しくて、彼女の音楽が持つ力強さを改めて感じさせてくれる。僕たちの魂に直接語りかけてくるような、音楽に対する情熱を再燃させてくれるような素晴らしいパフォーマンスだった。

カーリー:シネイドはとても激しくて、情熱的な女性だった。彼女の率直な言葉は、いつも僕の心に深く突き刺さった。彼女のように自分の信念を貫き、正直に自分の気持ちを言えるようになりたいって。でも、現実はそう簡単じゃない。だから、彼女のことを思い出すと勇気づけられるんだ。そんな彼女が、世間の目からすれば過激だと捉えられて、批判にさらされたのは本当に残念だったと思う。でも、彼女の勇気ある行動は、多くの人々に影響を与えたと思う。

幸運なことに、亡くなる直前の年に彼女に会うことができたんだ。彼女はまるで、世界の重荷を背負っているかのような女性だった。でも、その瞳には内に秘められた強さが輝いていた。彼女がどれだけ真摯で、情熱にあふれたアーティストだったか。だから彼女に直接感謝を伝えることができて、本当に良かったよ。

PHOTOS:MASASHI URA

label: XL Recordings / Beat Records
release: 2024.08.23
CD 国内盤(解説書・歌詞対訳付き): 2860円
CD 輸入盤:2320円
LP 限定盤(数量限定 / ホットピンク・ヴァイナル):5280円
LP 輸入盤:4950円
Cassette 輸入盤:2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14039

TRACKLISTING:
1. Romance
2. Starburster
3. Here’s The Thing
4. Desire
5. In The Modern World
6. Bug
7. Motorcycle Boy
8. Sundowner
9. Horseness is the Whatness
10. Death Kink
11. Favourite
12. I Love You (Live at Red Rocks) *bonus track for Japan

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フォンテインズD.C.が語るスマッシング・パンプキンズやKornからの影響——最新作「Romance」インタビュー

隣国のイギリスと呼応するかたちで、近年めざましい活況を呈してきたアイルランドのロック・シーン。中でもその代表格が、首都ダブリンで結成された5人組、フォンテインズD.C.(Fontaines D.C.)だ。

アイリッシュ・ポエットやビート文学の話題で意気投合し、地元のパブでテーブルを囲みながら詩を書き始めたことが曲作りの始まりだったというデビュー・アルバム「Dogrel」(2019年)。ブラック・ミディやシェイムなどサウス・ロンドンの新世代と共振する現行ポスト・パンクの一角として早くから注目を集め、国内外の名だたる音楽賞で受賞やノミネートを重ねるなか、4年前にリリースした2ndアルバム「A Hero's Death」(2020年)がグラミー賞で「Best Rock Album」の候補に選出。U2やシネイド・オコナーに続く母国のグラミーノミニーとなり、今やグローバルな評価を手にするに至ったか彼らの軌跡は、復調が叫ばれて久しい昨今のロック・シーンにおいても際立った例といえるかもしれない。

そんなフォンテインズD.C.が、名門レーベル<XL Recordings>に移籍して、4作目となる2年ぶりのニュー・アルバム「Romance」をリリースする。前作「Skinty Fia」(2022年)で試みたエレクトロニックなアプローチを推し進め、さらにさまざまなアコースティック楽器も取り入れながら、シューゲイザー、グランジ、ニュー・メタル、サイケ・フォーク、ヒップホップ、テクノなど多彩な要素をまとめ上げたサウンドスケープ。新たにジェームス・フォード(アークティック・モンキーズ、ラスト・ディナー・パーティー)をプロデューサーに起用し、とりわけメロトロンやストリングス・アレンジメントが形作るレイヤー豊かな音色は今作を特徴づける音楽的なポイントだろう。加えて、「アイリッシュネス(アイルランド人としての存在証明)」がテーマとしてあったこれまでのアルバムに対し、そこから解き放たれたようにイマジネーションとドラマ性を増したリリックも印象的だ。

今回、ニュー・アルバム「Romance」の背景とバンドの現在について、「フジロック」出演のために来日したフォンテインズD.C.のコナー・カーリー(ギター)とトム・コール(ドラムス)に聞いた。

「ファッションは自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた」

——今回のニュー・アルバムの告知に合わせてカヴァーを飾った「Crack Magazine」でのメンバーのファッション――ネオン・カラーの効いたスケート・パンク風のルックを見て、とても驚きました。あの一新されたビジュアルのイメージは、今回のアルバムに向けたバンドのどんなモードが反映されたものだと言えますか。


トム・コール(以下、トム):そうだね、さっきも考えていたのは……この前(去年)の東京へのツアーが僕らに大きな影響を与えたってことなんだ。特に東京のファッションは衝撃的で、本当に目からうろこだった。すごく未来的で、クリエイティブな面で大きなターニングポイントになったような気がする。とても刺激されたし、あの経験が、僕らの音楽にも大きな影響を与えたのは間違いないと思う。ファッションって、音楽に直接影響を与えると思うし、東京で見たファッションが僕らの創造性のスイッチを入れて、今までとは全く違うモードになったというか。

コナー・カーリー(以下、カーリー):これまでバンドとしては正直、ファッションについてそこまで意識したことがなかったんだ。でも、ファッションにハマってみると、自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた。まるで麻薬にハマるみたいにのめり込んでしまう(笑)。ファッションって、自分自身を表現するためのもう一つの言語みたいなもので、だからファッションと音楽を組み合わせることで、音楽に新しい側面を加えることができるって思うんだ。

このアルバムでは、ポップ・ミュージックやヒップホップからたくさんのインスピレーションを得たから、それでファッションも大胆になったんじゃないかな。例えばポップやヒップホップの世界では、派手なファッションは当たり前だけど、ギター・ロックの世界だとちょっと浮いてしまう。だからファッションを通じて、音楽とはまた違った形で自分を表現できることがすごく新鮮で興奮するんだ。ファッションって、音楽に新しいサウンドを生み出すインスピレーションになることもあると思うんだ。

——確かに、あのカラフルだけどダークで、ハイブリッドでエッジーなファッションは、今回のアルバムのサウンドのトーンと重なるものだと思います。

トム:このニュー・アルバムでは、エレクトロニックでシンセサイザー的な要素がたくさん取り入れられていて、大きな絵の具のパレットで絵を描くみたいに、より広大なサウンドスケープを創り上げたかったんだ。僕らは今回、90年代の音楽、特にスマッシング・パンプキンズのようなグランジにインスピレーションを受けつつ、一方でレイブ・ミュージックのエネルギーを加えることで、独自のサウンドを確立しようとした。さまざまな色を混ぜ合わせて、新たな色を生み出すようにね。派手な服を着てスタジオに入ると、自然と曲ももっとエネルギッシュになったり、新しいアイデアが浮かんだりするように、ファッションって感情や創造性を刺激してくれるものなんだと思う。

ニューアルバム「Romance」での新しい試み

——トムはプレスリリースの中で、今作は「初めてのスタジオ・アルバム」だとコメントしています。その意味するところはなんでしょう? というのも、フォンテインズD.C.の曲作りではこれまで一貫して、「スタジオの外でも再現可能かどうか?」というジャッジが不文律としてあったと思うのですが。

トム:その通りで、最初の3枚のアルバムでは、自分たちが持っている楽器でライブ演奏できない曲は作らないという、ある種のルールを強いていた。逆にいうと、それが自分たちに制約を課していたところがあったと思う。でも、今回のアルバムではもっと自由に音楽を作りたかった。ストリングスやシンセサイザーをたくさん重ねて、より複雑で奥行きのあるサウンドにしたかった。だから、以前のような制限を設けずに、曲作りに没頭して、僕らが感じるままに多くのレイヤーを追加していった。ライブでどう演奏するかは後で考えよう、ってことにしてね(笑)。

カーリー:そう。今回は、ライブでどう演奏するかは考えずに、僕たちがやりたいと思ったことをどんどん曲に詰め込んでいった。これまでのアルバムとは全く違う、新しい作曲方法だったよ。

——先ほど名前が挙がったスマッシング・パンプキンズ以外で、今回のサウンドのリファレンスとなったアーティストはいましたか。前作ではプライマル・スクリームやデス・イン・ヴェガス、ロニ・サイズなどを挙げていましたが。

トム:デフトーンズもそうだと思う。

カーリー:間違いないね。あと、2000年代前半のKorn(コーン)のレコードも大きかったと思う。でもそれは、一般的にいう“影響”とは違っていて。サウンドそのものに影響を受けるっていう意味じゃなくて、その音楽から感じるエネルギーとか、その音楽が作り出す世界観みたいなものが僕らの心に染み込んで、自然と自分たちの音楽に影響を与えた感じだね。

——Kornの名前は、グリアンもCrack Magazineのインタビューで挙げていましたね。ただ、フォンテインズD.C.とKornって、意外すぎる組み合わせというか、これまでのイメージからするとあまりにかけ離れていて……。

カーリー:まあそうだよね(笑)。ただ、Kornや、それにスリップノットのようなバンドにしろ、従来の音楽の枠を超えたヘビィでアグレッシブなサウンドと、衝撃的なビジュアルを融合させることで独自の世界を築き上げている点で革新的だったと思う。ポスト・モダンな要素を取り入れながらも、決して時代遅れになることのない、新鮮なエネルギーが感じられる。さっきのファッションの話ともつながるけど、そうして自分たちでビジュアルとサウンドを一体化して、一つの世界観みたいなものを作り上げているところに、一番インスピレーションを受けたんじゃないかな。

——ちなみに、今回のアルバムでブレイクスルーになった曲は?

トム:「Here's The Thing」かな。あの曲は、このアルバムがこれまで自分たちがやってきたこととは全く違うものである、ということを体現していると思う。「このアルバムが何を表現しようとしているのか?」という問いに対する答えの多くと結びついているというか。

カーリー:「In The Modern World」もそうだと思う。あのストリングスのパレットは、ある意味、この世界の縮図のようなものなんだ。まるでこの世界の複雑で美しい混沌を映し出しているような、そんな感覚があのストリングスにはある。その感覚が、このアルバムの核となる部分を支えているのは間違いないと思う。

——前作「Skinty Fia」の制作では新たなアプローチとしてLogicが使われていましたが、今回の曲作りやレコーディングはどのようなプロセスで進められたのでしょうか

トム:このアルバムでは、僕たちのこれまでの制作プロセスとは全く異なるアプローチを取ったんだ。通常は、みんなで顔を突き合わせて曲を書き、リハーサルを重ねて、最後にデモを作成する。でも今回は、曲を書き、一度演奏しただけでレコーディングに臨んだ。その後、ラップトップで編集し、メンバー全員で新しいレイヤーを重ねていった。そうして長い時間をかけてコンピュータ上で曲が作り込まれていった。だから、自分のパートを演奏するだけではなく、サウンド全体を俯瞰して、全ての要素を一つのサウンドとして捉えることができた。そうすることで楽曲全体の完成度を最大限に引き出すことに集中できたし、全体のストーリー性を意識して一貫性のある世界観を構築できたと思う。

——アルバム終盤の「Horseness Is The Whatness」をはじめ、メロトロンのビンテージな音色や、アコースティック楽器が醸し出すオーガニックなテイストも今作では印象的です。

トム:メロトロンは素晴らしいキーボードだよね。バンドのメンバーの中には、実際にメロトロンを手に入れた奴もいた。あれはまるで、本物の弦楽器を自由に操れるような感覚なんだ。素晴らしいストリングス・サウンドを手軽に作り出すことができる。レトロな雰囲気の音色で、アルバム全体に温かみをプラスしてくれたと思う。

——リヴァーブが美しい「Sundowner」では、カーリーがリード・ボーカルを担当しています。グリアン以外がメインで歌う曲はバンド初、になりますね。

カーリー:あれは去年ロンドンで書いた曲で、その時はとても寒くて、だから寒々しい雰囲気の曲が書きたかったんだ(笑)。青みがかかったような曲をね。当時、プライマル・スクリームやマッシヴ・アタックのような、どこかメランコリックなサウンドに惹かれていて。オリジナルのデモはエレクトロニックなドラムを多用していて、もっと実験的でフリーキーなサウンドだったような気がする。でも、最終的に完成したアルバムのバージョンに満足しているよ。

——トムにとって、個人的に思い入れの深い、自分をリプレゼントしてくれるような曲はどの曲になりますか。

トム:間違いなく「Here's The Thing」だと思う。この曲は、僕らがスタジオで書いた最後の曲だったと思う。最後のスタジオ・セッションの日、全てのトラックを仕上げた後にみんなでジャム・セッションを始めたら、突然この曲が生まれたんだ。まるで、曲自体が自分から飛び出してくるような感覚だった。どのアルバムにも自分たちの分身がいるような気がするけど、この曲は特に僕たちの本質を如実に表していると思う。そう、この曲はただ演奏して踊り出したくなるような、純粋な衝動に突き動かされるような曲なんだ。だから「Here's The Thing(※ここに本質がある)」ってタイトルにしたんだ。

——今回のアルバムでは、特に「Desire」や「In The Modern World」で聴ける、グリアンの情熱的でロマンチックな歌声も深い印象を残します。グリアンは昨年、内省的なソロ・レコードを発表しましたが、側(はた)から見て彼の変化を感じたり、何か思うことはありましたか。

トム:最初のレコードから今に至るまで、僕らはそれぞれのポイントにおいて独自のスタイルを確立してきた気がする。その成長の過程で、ボーカリストとしてのグリアンの変化を各作品で見ることができるのは本当に素晴らしいことだと思う。君が言うように、このアルバムは、まさに今に至るまでの彼の変化の軌跡を如実に感じることができる作品だと思うよ。

カーリー:これまでのアルバムでのグリアンのボーカルは、ある種の型にはまったイメージを持たれていたところがあったかもしれない。でも、グリアンはこれまでも常に素晴らしいシンガーだったし、ただ、僕たちの音楽が、シンガーとしての彼の、ある特化したスタイルを際立たせていたという側面もあったと思う。だけど今回のアルバムでは、僕たちの音楽性の変化によって、彼のボーカル・スタイルも新たな境地を開拓できたというか、幅広い表現力が引き出されたところもあったのかもしれないね。

「Romance」は現代社会を寓話のように表現したようなアルバム

——オープニングの「Romance」には、「maybe romance is place(きっとロマンスこそが居場所)」という印象的なフレーズがあります。フォンテインズD.C.の作品では、これまで常に「場所」がテーマとして描かれていて、そこにはアイルランド人としてのアイデンティティーをめぐる問題がさまざまな形で反映されてきました。ただ今作では、そうしたテーマ、いわば自分たちを縛り縛り付けてきた「場所」から解き放たれたような、そんな印象を受けます。

トム:うん、このアルバムはおそらく、より内省的なアルバムだと思う。心の奥底にある静かな感情を表現したかった。それに、僕たちはもう長い間アイルランドを離れていて、だからアイルランドの視点で書くのは後ろめたいというか、それって借り物の感情で歌うような不自然な感じがしたんだ。

カーリー:(今作は)もっとフィクションに近いと思う。「Romance(恋愛、性愛)」とは、架空の物語を紡ぎ出すための場所――というか。現代の出来事をそのまま描くんじゃなくて、現代社会を寓話のように表現したような、そんなアルバムなんだ。

——抽象的な言い方になりますが、今作を通じて“新しい居場所”を見つけた、みたいな感覚もあったのかな?と。

カーリー:それは人生全般について? とても重い質問だな(笑)。でも、どんなアーティストにとっても同じだと思うんだ。自分の人生を濃縮して、そのエッセンスだけを抽出するようなプロセスを経て、最後に残るのは、その軌跡をたどるような作品なんだと思う。それってまるで、自分自身のための奇妙なセラピーというかさ。創造的な活動を通して、何かに没頭することで、自分自身を深く探求する。そしてその結果として、作品という形でそれを世に出す。と同時に、そうやって出来上がった作品と向き合うことで、「自分ってこんな人間なんだ」って改めて気付かされるんだよ。

——プレスリリースには、「このアルバムでは、今までずっと言いたかったけれど、言えなかったことを伝えている」というコメントもありますね。

トム:そうだね、このアルバムは、今の僕たちの姿、今の僕たちがいる“居場所”を映し出しているような気がするんだ。自分たちの心の奥底から湧き出る感情に、嘘偽りなく向き合っている。自分たちの中で何が起こっているのか、今の僕たちが感じていることを、とても正直に、そして誠実に表現している作品だと思う。

——今回のアルバムの曲の中で印象的な歌詞、今の自分の心情を映し出している歌詞を選ぶなら?

カーリー:「I'm the pig on the Chinese calendar(僕は中国暦の豚)」(「Starburster」)かな?(笑)。いや、絞れないよ。でも、「maybe romance is a place」は気に入っている。歌詞を並べていくうちに、曲全体の風景が鮮やかに浮かび上がってきて、自分自身もその世界の中に引き込まれていった。まるで新しい自分に出会えたような感覚だった。「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」みたいに想像力の扉が開かれたというか、「もしかしたらロマンスは実在するのかもしれない」って思わせてくれる。つまり、イマジネーションが現実を彩り、新たな世界を生み出すんだ。

トム:「Horseness is the Whatness」だね。あの曲の歌詞は、客観的に見ても本当に美しい。このアルバム全体の核心を突いているような、強烈なインパクトがある。このアルバムの全ての瞬間を凝縮していて、心に深く残るんだ。

——ちなみに、2人にとって、今作のタイトルである「Romance」を別の言葉で言い換えるとするなら?

トム:「obsession」かな。「ロマンス」とは、ある種の強迫観念のようなものだから(笑)。

カーリー:「patience(忍耐)」だね(笑)。ロマンチックな関係は、ある種の計算や論理だけでは説明できない、少し狂気じみた要素を含んでいると思う。完璧な答えを求めるのではなく、自分だけの答えを見つけ出すような予測不能なもので、だからこそ面白いというか。流れに身を任せて、その時々を楽しみ、心の奥底から湧き出る感情を大切にする。「ロマンス」は、日常のルーティンから抜け出し、特別な瞬間を共有することで、新しい自分に出会う旅のようなものだと思う。今まで経験したことのない感情や価値観に触れることで、自分自身を成長させることができる、そんなエキサイティングな経験なんだ。そうして自分の中にある可能性を引き出し、新しい世界に飛び込むことで、人生を豊かにすることができるんじゃないかな。

シェイン・マガウアンとシネイド・オコナーについて

——今回のアルバムは、昨年亡くなった母国アイルランドの偉大なアーティスト、ザ・ポーグスのシェイン・マガウアンとシネイド・オコナーにささげられています。彼らは2人にとって、またフォンテインズD.C.というバンドにとってどんな存在でしたか。

トム:シェインはいつだって、僕たち全員にとってインスピレーションを与えてくれる存在だった。彼の詩的で、かつ挑発的でいて美しい言葉たちは、僕たちの魂を揺さぶり、心の奥底に眠っていた何かを呼び覚ましてくれるものだった。彼の影響は僕たちの音楽の根底を支える土台だったし、彼との出会いは運命だったと改めて思うよ。

彼が亡くなったことはアルバムのレコーディング中に知ったんだ。僕らはフランスにいて、それでみんなでバーに集まって、彼のことをしのびながら一杯やろうってことになった。まさかこんな別れが来るなんて、本当に悲しかったし、とてもショックだった。彼の突然の死は、今も心の傷として残っている。

カーリー:グリアンが彼を“北極星”だって表現していたんだ。まさにその通りだなって思うよ。キャリアで迷うことがあったらいつも、彼の音楽が道しるべになってくれた。どんなに暗闇の中をさまよっていたとしても、彼の音楽が僕を正しい方向へと導いてくれた。計り知れないほどのインスピレーションを与えてくれたし、彼のソングライティングから学んだことは、僕の音楽の根底を支える礎になっている。彼は僕にとってなくてはならない、唯一無二の存在だった。彼がいなかったら、今の自分はなかったと思うよ。

——シネイド・オコナーについては、前作の「Skinty Fia」でも大きなインスピレーションだったとグリアンが話していましたね。

トム:シネイド・オコナーが亡くなったと知ったときのことは、今でも鮮明に覚えている。心の底から打ちのめされたような衝撃で、まるで胃をえぐられるような感覚だった。アイルランド中が彼女の追悼に包まれ、その光景は今もこの目に焼きついている。彼女の死は自分にとって大きな喪失だった。巨大な文化的喪失であり、でも同時に、大きなインスピレーションも感じたんだ。

もし機会があれば、1990年頃のピンクポップ・フェスティバルで彼女が歌う「Troy」のライブ映像を見てほしい。正直で生々しくて、彼女の音楽が持つ力強さを改めて感じさせてくれる。僕たちの魂に直接語りかけてくるような、音楽に対する情熱を再燃させてくれるような素晴らしいパフォーマンスだった。

カーリー:シネイドはとても激しくて、情熱的な女性だった。彼女の率直な言葉は、いつも僕の心に深く突き刺さった。彼女のように自分の信念を貫き、正直に自分の気持ちを言えるようになりたいって。でも、現実はそう簡単じゃない。だから、彼女のことを思い出すと勇気づけられるんだ。そんな彼女が、世間の目からすれば過激だと捉えられて、批判にさらされたのは本当に残念だったと思う。でも、彼女の勇気ある行動は、多くの人々に影響を与えたと思う。

幸運なことに、亡くなる直前の年に彼女に会うことができたんだ。彼女はまるで、世界の重荷を背負っているかのような女性だった。でも、その瞳には内に秘められた強さが輝いていた。彼女がどれだけ真摯で、情熱にあふれたアーティストだったか。だから彼女に直接感謝を伝えることができて、本当に良かったよ。

PHOTOS:MASASHI URA

label: XL Recordings / Beat Records
release: 2024.08.23
CD 国内盤(解説書・歌詞対訳付き): 2860円
CD 輸入盤:2320円
LP 限定盤(数量限定 / ホットピンク・ヴァイナル):5280円
LP 輸入盤:4950円
Cassette 輸入盤:2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14039

TRACKLISTING:
1. Romance
2. Starburster
3. Here’s The Thing
4. Desire
5. In The Modern World
6. Bug
7. Motorcycle Boy
8. Sundowner
9. Horseness is the Whatness
10. Death Kink
11. Favourite
12. I Love You (Live at Red Rocks) *bonus track for Japan

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「ザ・イノウエ・ブラザーズ」が琉球藍染めの新たな価値創造に注力 「儲からないとやりたくないは格好悪い」

「ザ・イノウエ・ブラザーズ(THE INOUE BROTHERS...)」はこのほど、琉球藍研究所と協働で余剰在庫を琉球藍で染めた製品の販売を始めた。同ブランドは自らをアパレルブランドではなく、ソーシャルデザインスタジオとうたい、デザインの力で社会課題の解決に取り組む。これまでボリビアやペルー、パレスチナなどでプロジェクトを行ってきた。なぜ今、琉球藍染めなのか。2022年にデンマークから沖縄に移住した兄の聡にオンラインで話を聞いた。

WWD:琉球藍染めとの出合いは?

井上聡(以下、聡):沖縄のルーツや独自のカルチャーに興味があり、沖縄の人々に共感するところが多かった。沖縄の人は琉球人と日本人、2つのアイデンティティを持っている。僕自身、日系二世のデンマーク人だけど、デンマークでは外国人扱いされていたこともあり、近しいところがあった。沖縄は第二次世界大戦で沖縄線という大変な歴史があり、今もなおアメリカとの関係など複雑なところがある。そこにもシンパシーを感じた。そして、移住後すぐにやさしくて温かい沖縄の人々が大好きになり、沖縄に貢献したいという気持ちが強くなった。

沖縄独自の文化を広げる一助になれないかと模索する中で、取引先の方に紹介されたのが琉球藍研究所だった。名前の印象が固くて伝統的な藍染めの研究所だと感じていたので興味を持てなかった。というのも僕は伝統工芸に偏見を持っていた。過去のものをそのまま今に適用させようとしていると感じていたし、その方法は持続性がないし、そもそも自分のフィールドではないと思っていたから。

WWD:でも違った、と。

聡:超パンク。ぶっ飛ばされた気分だった(笑)。琉球藍の伝統やルールは守りながら、スニーカーやスケートボード、テーブルやいのししの頭蓋骨などを藍染めしていて、伝統工芸なのに表現がヒップホップ。“ストリート藍染め”という印象だった。彼らは「琉球藍は最高だ。その伝統を守り、文化を広げたい。それを自分たちの方法でやるんだ」と、染め方だけではなく、藍の育て方や発酵プロセスを含めて研究していて、その表現方法がモダンだった。クリエイティブなエネルギーを感じて、一緒に何かしたいと思いすぐにプロジェクトが始まった。そもそも琉球藍は国際通りのお土産屋さんで、ハンカチやふろしきなど安価に販売されていて、価値を評価されていない。これを変えたいと思った。

WWD:琉球藍が他の藍と異なる点は?

聡:琉球藍は他とは異なり“柔らかい”色合いで染まるので何度も染めを重ねて藍を深くしていくイメージかな。

WWD:琉球藍研究所のメンバーはどんな人?

聡:チームは30代が中心で、リゾートウェアブランド「レキオ」の嘉数義成デザイナーが始めた研究所。嘉数さんは高級リゾートのユニフォームのデザインを手掛けたりもしていて沖縄のスターデザイナーの一人。でも彼は今、長靴を履いて藍畑で過ごす時間が長くなっている。そもそも仕事を通じて貢献したいという気持ちが強く、自分がデザインした服の縫製は沖縄で行い、染色も沖縄でやりたくてブランドを始めた。けれど、琉球藍の染め場が残っていないことを知って取り組み始めた。それを徳島の藍のように産業化しようとしている。ビジネスとしては何も見えないうえ、お金はかかるし、坂道を上る感じだけど、格好良いよね。僕たち「ザ・イノウエ・ブラザーズ」は“格好良さは大量生産できない”をスローガンにビジネスしていて、琉球藍研究所がやっていることはトータルで「格好いい」と感じてファンになった。一般論だけど、最初から儲かる前提でないと取り組まない人は多いけど、成功した人は真逆だよね。スティーブ・ジョブスもビル・ゲイツもみんなゼロからパッションだけで始めて世界一のビジネスになった。「儲からないとやりたくない」は格好悪いと思う。

WWD:染め方で注力した点は?

聡:伝統的に使用されてきた沖縄の琉球藍を用い、天然素材や自然由来の発酵菌を利用するなど、ナチュラルにこだわったプロセスを大切にしている。藍染めは染めれば染めるほど濃くなり、このアイテムも何度も絞り染めを行っているので、普通のタイダイ柄とは異なる深みがある仕上がりになっている。土壌作りから染色までを一貫して沖縄で行っている。

WWD:藍染めをはじめとした手染めは個体差が生まれる。そこが魅力でもあるが、イメージしたものと異なるなどそれぞれの人の感性に委ねられるところがある。現在の課題と検討している解決策などがあれば

聡:今、まさにチャレンジしているところ。現在のアパレル製品は個体差があるとよくないというフォーマットだけど、そのフォーマットを超えるチャレンジは、藍染めではなく、売る側が取り組み解決しなければいけない。消費社会のフォーマットをどう変えるかにも通ずるところだとも感じている。それは昔の商売の方法に戻すのではなく、最新テクノロジーによるプレゼンの方法の問題だと考えている。藍染めは他の染色法にはない魅力があるし、藍染めの製品は他とは違うという気持ちにさせてくれる。こうした藍染めの魅力をどうプレゼンしていくか模索しているところだ。

沖縄移住の背景

WWD:2022年7月にデンマークから沖縄に移住した。なぜ?

聡:きっかけは2018年頃に長女が日本の高校に通ってみたいと興味を持ったこと。妻に相談すると教育に関しては、日本よりもデンマークの方がよいのではとなりいったん保留になった。

新型コロナウイルスの影響でロックダウンになった20年、生き方を考え直す時間ができ、改めて移住について考え始めた。気候変動の影響の一つにウィルスの脅威があると専門家も以前から指摘していたし、今回のコロナが1回切りのことではないとも感じていた。これが何かの始まりで今がチャンスだと考えた。とはいえ、妻は引き続き子どもを育てる環境として日本はふさわしいかと反対していた。そのとき思い出したのは沖縄で見かけた幸せそうだった子どもの姿。釣り竿をリュックにさしてビーサンでチャリに乗ってニコニコしていた。妻に沖縄を提案すると賛成してくれ、家族全員が「行きたい」となった。

WWD:教育について議論になったポイントは?

聡:僕個人の考えだけど、デンマークは緩すぎて日本は硬すぎる。両方のコンビネーションがいいと思っている。デンマークは個人にフォーカスしている。例えば低学年の頃から自分の意見を伝える訓練をするし、ディベートの仕方を学ぶ。情報に疑問を持つことを徹底的に教える教育を行う。また、教師と児童・生徒と立場はあるが、平等だし先輩後輩もない。他方、子どもにプレッシャーがかかるからと成績を付けるのをやめるなど緩いところもある。成績は僕自身子どもの頃にモチベーションにもなっていたから、この判断がいいかは疑問だった。日本では先輩後輩の関係を大切にする。先輩を尊敬し年配者は後輩の面倒を見る。一方、日本の教育は子どもが子どもらしくいられない、大人のような振る舞いを求めるところがある。周りに迷惑をかけないことや礼儀正しい態度など、社会人になるために準備をする側面が強いと感じていた。子どもはたまにけんかしたり、ちょっとくらいけがしてもいいと思うから。

僕自身人生の後半に入り、時間を無駄にしたくないと強く感じていて、もっとできることがあるのではと気づきを求めて来たところもある。実際デンマークにいた時よりもいろんなプロジェクトを進めている。

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田中みな実が「オーデマ ピゲ」と刻む、ワン&オンリーな人生

「オーデマ ピゲ(AUDEMARS PIGUET)」が、新作“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ(Royal Oak Mini Frosted Gold Quartz)”を発売した。ブランドのアイコン“ロイヤル オーク”のデザインを踏襲しながら進化を遂げた新たな定番をまとうのは、俳優の田中みな実だ。アナウンサーから俳優へと活動範囲を広げ、多様なジャンルで活躍する田中。その現在地を、インタビューから浮き彫りにする。

自分自身への挑戦とともに、
進化を楽しみ続けるスピリット

自身も「オーデマ ピゲ」の愛用者だという田中。普段愛用しているのは“ロイヤル オーク”の34mm、ホワイトゴールドのモデルだという。「フロステッドゴールド加工の上品な質感に引かれました。もともと『腕時計は一つあれば十分』という考えでしたが、素晴らしい時計との出合いが気持ちに変化をもたらしました。パッと見たときの造形美もさることながら、ケースの裏面から見える小さなパーツに装飾があしらわれたムーブメントやフロステッドゴールド加工……細部にわたり職人さんの丁寧な手仕事が施され、身に着けながら肌で感じる喜びを知りました。以来、良い出合いがあれば新しい時計をお迎えしています。大切に使い続けて、いつかは子どもへ孫へと受け継いでいくような一生ものに、と夢見ています」。

今回着用した“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”は、ケースサイズが23mm。まるでジュエリーのようにまとえるモデルだ。既存の“ロイヤル オーク”と比較すると印象も異なり、繊細でエレガントな個性が際立つ。「キラキラと柔らかな輝きを放ちながらも、決して華美にならない。手元にすっとなじみます。家族や友人との食事会でも身に着けて、特別なひとときを過ごしたい───。この時計を見た時に、そんなシーンも思い浮かびました」。

TBSを2014年に退社し、フリーに。ドラマや映画、CMと、さまざまな分野へと活動の裾野を広げ注目を集めてきた。「5年半勤めてフリーへの転身を決め、ここまで突っ走ってきました。でも『育てていただいて、これからというタイミングで不義理をしてしまった』という思いはずっと、今も心のどこかにあるんですよね」。

「このままフリーアナウンサーとしてもタレントとしても中途半端でいいのだろうか」と迷っていた頃に舞い込んだ、ドラマの仕事。「驚きましたし、ためらいました。それでも、周りの後押しもあって『一度挑戦してみよう』と、お引き受けすることにしたんです」。2019年に初の連続テレビドラマ出演を果たし、以降オファーが続いている。「右も左も分からぬまま演技の世界に飛び込んで、何もできない自分にいら立ちました。初めての連ドラは、ただがむしゃらに食らいついた3カ月間でしたね。振り返れば、未知の世界に困惑すると同時に、心が弾んでいた気もするんです。得意分野の中で生きるよりも、できないことに挑戦する方が性に合っているのかもしれません。とにかく自分に飽きたくない。仕事もファッションも、何もかも」。

時とともに変わりゆくビジョン、
その一瞬一瞬を輝かせて

経験と年齢を重ねて、手に取る服にも変化が。「年々、モードなテイストの服や小物を選ぶことが増えました。少しずつ似合うものが変わってきていると感じるんです。時々“らしくない”なんて言われることもあるのですが、それも笑顔で受け止められるようになって。だって意外性があった方が面白いと思いませんか?そんな年齢になってきたのかもしれませんね」。

今後の展望について聞くと「先の見通しはないんです」と柔らかな笑顔で語る。「今は、目の前にある俳優の仕事を続けていけたら幸せです。時計は小さなパーツが全てかみ合ってこそ時を刻むことができますよね。わずかでも狂いがあったり、ごまかしがあったりしたら、正確に時を刻めない。俳優業もそうなんじゃないかなと、少ない経験の中でご一緒してきた諸先輩方を見ていて、そう思います。私も自分をごまかすことなく、真正面から向き合って作品に取り組んでいきたいです。演技の技量は、言うまでもなく、評価いただくような段階にありません。それでも、挑み続ける面白さを感じています。この先40代、50代と、どんな役に出会えるのか、そしてその時々で自身が何を感じるのかがとても楽しみです」。

Profile
田中みな実 :(たなか・みなみ)1986年、埼玉県出身。2014年にTBSを退社後、現在は俳優やモデルとしても活躍の場を広げている。「ギークス 〜警察署の変人たち〜」(フジテレビ)と「ブラックぺアン シーズン2」(TBS)に出演中だ。また、2019年に発売した写真集「Sincerely yours...」(宝島社)で販売1カ月で50万部を突破、爆発的なヒットを記録する
LOOK 1:ジャケット(参考商品)、フリンジドレス 41万3600円/ともにステラ マッカートニー(ステラ マッカートニー カスタマーサービス 03-4579-6139)
LOOK 2:ドレス7万5900円/エレイン・ハーズビー(エンメ 03-6419-7712)

ジュエリー感覚で味わう、
フロステッドゴールドの輝き

1997年発表の“ミニ ロイヤル オーク”を現代的に再解釈し誕生した“ロイヤル オーク”に着想を得て、細身の手首のために設計された“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”。“ロイヤル オーク”の現行コレクションの中で最小モデルとなる。ケース径は23mm。表面にはダイヤモンドチップを先端につけたツールでハンマリングする鍛金加工を施し、繊細なきらめきを表現。もともとフィレンツェの伝統的な宝飾技法であったこの加工法は、2016年に「オーデマ ピゲ」が初めて時計に取り入れた。素材は18Kゴールドイエロー、ピンク、ホワイトの3バージョンで展開する。

時計の世界をアミューズメントに
探訪する体感型施設

エーピー ラボ トウキョウ(AP LAB TOKYO)は2023年に東京・原宿にオープンした、ブランドの世界観と時計作りに関する好奇心を刺激する世界初の“エデュテインメント”施設。“時計師への挑戦”をテーマに掲げる館内で、来場者は5つのゲームや時計師体験を通してブランドや機械式時計について楽しみながら学ぶことができる。

MODEL:MINAMI TANAKA
PHOTOS:TAKANORI OKUWAKI(UM)
STYLING:YOKO IRIE(SIGNO)
HAIR&MAKEUP:MASAYOSHI OKUDAIRA(YAMANAKA MANAGEMENT)
TEXT:SUBARU KAWACHI
問い合わせ先
オーデマ ピゲ ジャパン
03-6830-0000

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田中みな実が「オーデマ ピゲ」と刻む、ワン&オンリーな人生

「オーデマ ピゲ(AUDEMARS PIGUET)」が、新作“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ(Royal Oak Mini Frosted Gold Quartz)”を発売した。ブランドのアイコン“ロイヤル オーク”のデザインを踏襲しながら進化を遂げた新たな定番をまとうのは、俳優の田中みな実だ。アナウンサーから俳優へと活動範囲を広げ、多様なジャンルで活躍する田中。その現在地を、インタビューから浮き彫りにする。

自分自身への挑戦とともに、
進化を楽しみ続けるスピリット

自身も「オーデマ ピゲ」の愛用者だという田中。普段愛用しているのは“ロイヤル オーク”の34mm、ホワイトゴールドのモデルだという。「フロステッドゴールド加工の上品な質感に引かれました。もともと『腕時計は一つあれば十分』という考えでしたが、素晴らしい時計との出合いが気持ちに変化をもたらしました。パッと見たときの造形美もさることながら、ケースの裏面から見える小さなパーツに装飾があしらわれたムーブメントやフロステッドゴールド加工……細部にわたり職人さんの丁寧な手仕事が施され、身に着けながら肌で感じる喜びを知りました。以来、良い出合いがあれば新しい時計をお迎えしています。大切に使い続けて、いつかは子どもへ孫へと受け継いでいくような一生ものに、と夢見ています」。

今回着用した“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”は、ケースサイズが23mm。まるでジュエリーのようにまとえるモデルだ。既存の“ロイヤル オーク”と比較すると印象も異なり、繊細でエレガントな個性が際立つ。「キラキラと柔らかな輝きを放ちながらも、決して華美にならない。手元にすっとなじみます。家族や友人との食事会でも身に着けて、特別なひとときを過ごしたい───。この時計を見た時に、そんなシーンも思い浮かびました」。

TBSを2014年に退社し、フリーに。ドラマや映画、CMと、さまざまな分野へと活動の裾野を広げ注目を集めてきた。「5年半勤めてフリーへの転身を決め、ここまで突っ走ってきました。でも『育てていただいて、これからというタイミングで不義理をしてしまった』という思いはずっと、今も心のどこかにあるんですよね」。

「このままフリーアナウンサーとしてもタレントとしても中途半端でいいのだろうか」と迷っていた頃に舞い込んだ、ドラマの仕事。「驚きましたし、ためらいました。それでも、周りの後押しもあって『一度挑戦してみよう』と、お引き受けすることにしたんです」。2019年に初の連続テレビドラマ出演を果たし、以降オファーが続いている。「右も左も分からぬまま演技の世界に飛び込んで、何もできない自分にいら立ちました。初めての連ドラは、ただがむしゃらに食らいついた3カ月間でしたね。振り返れば、未知の世界に困惑すると同時に、心が弾んでいた気もするんです。得意分野の中で生きるよりも、できないことに挑戦する方が性に合っているのかもしれません。とにかく自分に飽きたくない。仕事もファッションも、何もかも」。

時とともに変わりゆくビジョン、
その一瞬一瞬を輝かせて

経験と年齢を重ねて、手に取る服にも変化が。「年々、モードなテイストの服や小物を選ぶことが増えました。少しずつ似合うものが変わってきていると感じるんです。時々“らしくない”なんて言われることもあるのですが、それも笑顔で受け止められるようになって。だって意外性があった方が面白いと思いませんか?そんな年齢になってきたのかもしれませんね」。

今後の展望について聞くと「先の見通しはないんです」と柔らかな笑顔で語る。「今は、目の前にある俳優の仕事を続けていけたら幸せです。時計は小さなパーツが全てかみ合ってこそ時を刻むことができますよね。わずかでも狂いがあったり、ごまかしがあったりしたら、正確に時を刻めない。俳優業もそうなんじゃないかなと、少ない経験の中でご一緒してきた諸先輩方を見ていて、そう思います。私も自分をごまかすことなく、真正面から向き合って作品に取り組んでいきたいです。演技の技量は、言うまでもなく、評価いただくような段階にありません。それでも、挑み続ける面白さを感じています。この先40代、50代と、どんな役に出会えるのか、そしてその時々で自身が何を感じるのかがとても楽しみです」。

Profile
田中みな実 :(たなか・みなみ)1986年、埼玉県出身。2014年にTBSを退社後、現在は俳優やモデルとしても活躍の場を広げている。「ギークス 〜警察署の変人たち〜」(フジテレビ)と「ブラックぺアン シーズン2」(TBS)に出演中だ。また、2019年に発売した写真集「Sincerely yours...」(宝島社)で販売1カ月で50万部を突破、爆発的なヒットを記録する
LOOK 1:ジャケット(参考商品)、フリンジドレス 41万3600円/ともにステラ マッカートニー(ステラ マッカートニー カスタマーサービス 03-4579-6139)
LOOK 2:ドレス7万5900円/エレイン・ハーズビー(エンメ 03-6419-7712)

ジュエリー感覚で味わう、
フロステッドゴールドの輝き

1997年発表の“ミニ ロイヤル オーク”を現代的に再解釈し誕生した“ロイヤル オーク”に着想を得て、細身の手首のために設計された“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”。“ロイヤル オーク”の現行コレクションの中で最小モデルとなる。ケース径は23mm。表面にはダイヤモンドチップを先端につけたツールでハンマリングする鍛金加工を施し、繊細なきらめきを表現。もともとフィレンツェの伝統的な宝飾技法であったこの加工法は、2016年に「オーデマ ピゲ」が初めて時計に取り入れた。素材は18Kゴールドイエロー、ピンク、ホワイトの3バージョンで展開する。

時計の世界をアミューズメントに
探訪する体感型施設

エーピー ラボ トウキョウ(AP LAB TOKYO)は2023年に東京・原宿にオープンした、ブランドの世界観と時計作りに関する好奇心を刺激する世界初の“エデュテインメント”施設。“時計師への挑戦”をテーマに掲げる館内で、来場者は5つのゲームや時計師体験を通してブランドや機械式時計について楽しみながら学ぶことができる。

MODEL:MINAMI TANAKA
PHOTOS:TAKANORI OKUWAKI(UM)
STYLING:YOKO IRIE(SIGNO)
HAIR&MAKEUP:MASAYOSHI OKUDAIRA(YAMANAKA MANAGEMENT)
TEXT:SUBARU KAWACHI
問い合わせ先
オーデマ ピゲ ジャパン
03-6830-0000

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テレビプロデューサー佐久間宣行が語る「メンタルケア」と「仕事論」——中年を救うのは「教養と人柄」

PROFILE: 佐久間宣行/テレビプロデューサー、ディレクター、演出家、ラジオパーソナリティー、作家

佐久間宣行/テレビプロデューサー、ディレクター、演出家、ラジオパーソナリティー、作家
PROFILE: (さくま・のぶゆき) /「ゴッドタン」「トークサバイバー! 1・2・3」「インシデンツ 1・2」「LIGHTHOUSE」などのテレビ番組、配信作品を手掛ける。2019年から「オールナイトニッポン0 (ZERO)」の最年長パーソナリティの他、バラエティ番組のMCとしても活躍。YouTube チャンネル「佐久間宣行のNOBROCK TV」は登録者数200万人を突破。24年6月からサブチャンネル「BSノブロック~新橋ヘロヘロ団~」もスタートした。

テレビプロデューサー佐久間宣行の新刊「ごきげんになる技術 キャリアも人間関係も好転する、ブレないメンタルの整え方」(集英社)には、仕事や人間関係の悩みにどう向き合えばよいのか、その対処法がロジカルかつ親身に書かれている。前職テレビ東京の社員時代には「毎日のように相談を受けていた」という佐久間は、多忙を極めるテレビ業界に身を置きながら、いかにして心身の健康を保つことができたのか。また、佐久間自身の仕事論についても掘り下げる。

——本書では数々の具体的な悩み相談に応えていますね。

佐久間宣行(以下、佐久間):この10年くらい、本当にメンタルと人間関係の相談を受けることが多くて。それに応え続けていくうちに、自分の中である程度、分類や傾向も含め、回答が言語化できるようになり、かつ実際に役に立ったと言われるものがわかってきたので、それを広く共有できたら助かる人が多いだろうなと思い、本という形でまとめました。

——悩み相談の相手として選ばれるのは、ご自身のどういった面に適性があると思いますか。

佐久間:何に対してもまず言語化して考えるタイプだからでしょうね。僕は最初から感性で動いたりしないので。ロジカルに考えるだけ考えたあと、最後に感性に従うタイプ。あとは僕自身が48歳になって、加齢に伴う悩みにも実感を持つようになってきたし、それなりに仕事のキャリアや人間関係を築いてきたことで、いろんな人も見てきたし、経験値も増えたってことだと思います。

——悩みを相談されることが多くなったのは、会社を辞めてフリーになってから?

佐久間:いや、むしろ会社員時代なんて毎日ですよ。30代は特に、メンタルを壊したディレクターがみんな僕のところに悩み相談に来ていました。

——相談に応えるときに、心がけていることはありますか。

佐久間:根底にあるのは、相手のことを分かった気にならない、ってことですね。悩み相談と一口に言っても、当然いろんなパターンがあるわけで。ものすごく深刻な場合もあれば、それほど悩んでいるわけじゃなく、ただ愚痴を聞いてほしいだけの場合もある。それを見極めるのも大事かなと思います。そのうえで、愚痴の場合は解決方法があるわけではないので、ひたすら聞くだけ。深刻な場合は、なるべくロジカルに、感情的にならないように言語化して、具体的な解決方法を探る。

——悩みの種類としては、どんなものが多いなどの傾向はありますか。

佐久間:結局のところ、人間関係が多いですね。嫌なやつがいる、みたいなレベルのものから、自分の能力が発揮できない、努力を認めてもらえない、といったものまで。僕がテレビ局のADだった頃の定番、寝れない、帰れない、殴られる、キツすぎる、といった時代からは大きく変わりました。むしろ今の時代は、ADは働き方改革で守られているけど、ディレクターは自分の裁量でどうにかしないといけないので、ディレクターの方が徹夜したり、キツい働き方をしてますよ。だから悩み相談もADよりディレクターの方が多いくらい。

——中間管理職ならではの悩みですね。

佐久間:リアルでしょ。一方の若いADからの悩みは、同世代の20代がYouTubeとかTikTokで活躍しているのに、自分はまだ雑用みたいな仕事しかやらせてもらえない、みたいなタイプの相談が多い。これはテレビ業界に限らず、どの業界でもある、今の時代っぽい悩みですよね。若い人ほど、早く結果を欲しがるし、自分がみじめな気持ちになると心が折れがち。SNSで加工されたきらびやかな情報がどんどん入ってくるので、そこと比べちゃって、自分のみっともないところを認められない傾向があるのかなと思います。

SNSでのジャッジは人生の限られた大事なリソースを失っている

——今の時代っぽいということでは、本書の中で印象的だったのが「世間も友人のこともつい批判的に見て、結果自己嫌悪する自分がいます」というお悩み。

佐久間:批判グセのある人からの相談ですね。人間が1日に何かをジャッジするには限界があるんだから、そのエネルギーを自分のことに使いましょうって答えました。SNS でニュースや投稿にコメントをつけたり、コメントはつけずとも、いちいちジャッジするクセがついてる人は多いと思いますけど、あれは人生の限られた大事なリソースをだいぶ失ってますよ。

——佐久間さんは、自分の名前や番組名でのエゴサーチはしない?

佐久間:番組名はします。でもそれで一喜一憂することはなくて、反響や手応えを確かめるため、というか。番組を観てわざわざSNSに感想を書くって、だいぶ限られた人たちの行動ですよね。一言「おもしろかった」とか「つまんなかった」ならまだしも、長文の感想ってなると、かなり一部の意見ですから。

そもそも、不特定多数の人たちに届けるということは、誤解されることが前提なので、そこに振りまわされるよりは、原点に立ち返って、半径数メートルの人たちに親切に接することの方が今は大事かなと思っています。

——裏方の制作者ではなく、出演者としてメディアに出たときも、SNSの反響は気にしない?

佐久間:そこまで気にしないですね。自分が出演する場合は、基本的に職能を求められて呼ばれた場合に引き受けていたんです。テレビについて解説したり、おすすめのエンタメを紹介したり。

ただ、ここ何年かは、直接的には職能じゃない役割でオファーが来ることもあって、分かりやすいところだと「オールナイトフジコ」(フジテレビ)のMCですよね。でもそれだって、当たり前ですが、芸人のように場をおもしろく盛り上げることなんて自分にはできないので、MCという立場ではありながら、目線はディレクターだったりプロデューサーのつもりで、出演するフジコーズたちのいいところや伸びしろを見つける役割、というふうに考えるようにしています。そう考えると腑に落ちるから。自分の中で腑に落ちないと仕事は進まないですよ。

——一方で、演出やプロデューサーなど制作者としてのオファーが来た場合、受ける受けないの基準はあるのでしょうか。

佐久間:自分のタイプとして、ユーザーとしての体験がないと、芯をくったものは作れないと思っているので、あまりにも自分が接していないメディアや分野の仕事は、積極的にはやらないようにしています。マーケティングとかで理論武装することはできるけれど、プラスで愛着なり思い入れがないと、ちゃんとしたものは作れないかな。

めっちゃ機嫌がいいときと、めっちゃ機嫌が悪いときは、人と会わない

——佐久間さんが誰かに悩みを相談することは?

佐久間:一切ないですね。誰にも相談しません。会社を辞めるときでさえ、自分で決めてから「辞めようと思います」って、周りに言いましたから。あ、でも強いて言えば、解決のために相談のフリをすることはあります。上司なり決定権を持っている上の人に、ここをこうしたいんですけど、どうにかならないですかね……みたいな。その時点でもう答えは見えていて、解決のために、悩み相談という形で話を持ちかけることがベストだな、という判断です。

——本書には、体調やメンタルが不調になりそうなタイミングを客観視できるように、「スケジュール帳に簡単なメモ程度の日記をつける」と書かれています。

佐久間:メモ程度の日記をつけ始めたきっかけは、新卒でテレビ局に入社して激務をこなす中で、「これはメンタル折れる」って実感したときに、自分自身の傾向を知らないと対策も打てないな、と思ったんです。そのために、起きたことや感情が動いた出来事くらいはメモしておこうと。

メモがあると、だいたいの傾向が分かるし、もし何かあった時の証拠にもなる。特に20代は、そのメモがすごく役に立ちました。それで自分の傾向がある程度分かったあと、30代の中盤くらいからは、企画とかのアイデアをメモするときに、軽く日記的なものを書くぐらいになって。「LIGHTHOUSE」(Netflix)で若林(正恭)君と星野(源)さんが書いていた「1行日記」の企画は、ここが元ネタです。

——対人関係において、ご自身で気をつけているところはありますか。

佐久間:めっちゃ機嫌がいいときと、めっちゃ機嫌が悪いときは、人と会わないようにしています。そこは徹底して。あまりに機嫌いいときに人と会うと、調子に乗って自慢話とかしちゃいそうなので。それって機嫌が悪くて八つ当たりしちゃうのと同じくらい害悪でしょう。

あと僕の場合、何でもロジカルに考えるので、注意したりするときも、感情的に怒ったりはしないのですが、そのせいでズバッと言ってしまうことがある。そこは常に気をつけてます。いくらロジカルといっても、人に説教をするときの快楽っていうのはどうしてもある気がするので、注意するときはなるべく短い時間で的確に、大勢の前では避ける、笑いになりそうな伝え方にする、もし長くなりそうだったらメールなどの文面で伝える。文面で伝えるっていうのは、相手にとってわかりやすく、ということだけじゃなく、自分へのリスクヘッジでもあるんですよ。コピペされて拡散されても大丈夫な伝え方にするっていう。

——管理職、向いてますよ。

佐久間:正直、向いてると思います。ただ、さっき話題に上がった、ジャッジには限界があるという話にも通じますが、会社員で管理職をやっていると、管理業務のジャッジだけで限界がきちゃうので、自分が担当する制作の方まで頭が回らない。自分の希望として、クリエイティブなものづくりは続けたかったので、管理職に就く前に会社を辞めたんです。

ハラスメントをしないことを“我慢”だと思っている人は危ない

——40歳を過ぎた“中年”が抱える諸問題についても、本書には対策が書かれています。

佐久間:中年の問題は切実ですよ。実際に僕の周りでも、職を失っている人、いますからね。誰しも中年ゆえの悩みや問題は発生するんだけど、それに対処できる人とできない人の差が激しいんだと思います。対処以前に、中年だからこその有害性、自分のハラスメント気質とかに気づいてない人も多いですし。

——問題に気づいていない、というのはかなり厄介ですね。

佐久間:自らの有害性に気づいていない中年の特徴の一つに、「なんで自分がこんなに我慢しなきゃいけないんだ」と感じている、というのがあります。セクハラにしてもパワハラにしても、ハラスメントをしないことを“我慢”だと思っている。部下や後輩を怒鳴らないことも“我慢”だし、人に気を遣ったり丁寧に接することも“我慢”だと。

そう思っちゃっている人は、目上の人やクライアントとかの前では“我慢”しているけど、目の届かないところでは普通にハラスメントをしがち。でもそういう情報って結局は伝わってくるので、まぁ雇えないですよね。

——本書では「中年を救うのは『教養と人柄』」と書かれていました。

佐久間:センスだけで勝負して、ひたすらヒットを飛ばし続けられるのは、天才だけですから。僕が「教養と人柄」が備わっていると感じるのは、伊集院(光)さんと東野(幸治)さんかな。

あと、具体例で分かりやすいのはバカリズム。いまや脚本家として立派な功績を残しているけど、あの手法はベテランの経験値や技術があってこそ。笑いの筋力はどうしたって加齢とともに衰えていくんだけど、それまでに培った経験値や技術を別のジャンルで発揮すると、すごく新鮮に映る、という。お笑いの最前線ではなく、ドラマという別ジャンルだからこそ光る笑いの技術を、バカリズムは見せてくれました。男性と女性のセリフをわざとらしく書き分けたりしない、というのも発明ですよね。

世の中に面白いものが増えてほしいだけ

——今振り返って、これほど長く仕事を続けられた要因はどこにあると思いますか。

佐久間:一つあるのは、自分が若かった頃に、まだそれほど売れていなかったバナナマンや劇団ひとり、おぎやはぎやバカリズムといった人たちの企画を出し続けていたから、というのがすごく大きいです。オードリーや千鳥の冠番組を企画したのもそうだし。

もしあの頃、すでに人気もあって、第一線で活躍している人の企画ばっかり出していたら、こうはなってない。旬な人に憧れたり、一緒に仕事をしたいと思う人が多いのは分かるんだけど、よっぽど特異点がないと、そこに継続性はあんまりないんじゃないかな。

——若い頃と比べて、モチベーションも失われていないですか?

佐久間:40代も半ばを過ぎて、この先も仕事を続けていくことのモチベーションがどこにあるか、っていうのを改めて考えたときに、もう業界で有名になりたいとか活躍したいとか、なんなら、面白いものをつくりたいですらなく、自分が面白いと思うものが世の中に増えれば楽しいじゃん、っていうところに行き着いたんですよ。そのくらいのモチベーションじゃないと頑張れない。

だから、自分が関わるどの番組でも、根っこにあるテーマは、世の中にある面白いものや人を紹介すること。それは自分が楽しく人生を送るためでもある。なので、紹介された方は恩義を感じたりしないでほしいんです。紹介することで、世の中に面白いものが増えてほしいだけなので。恩を感じられると、かえって仕事を頼みづらくなっちゃうし。

——この超情報化社会、あらゆるジャンルにおいて、コアなファンはどんどんマニアックになっていき、よりハイコンテクストなコンテンツを求める傾向があると思うのですが、そのあたりはどう向き合っていますか。

佐久間:お笑いやバラエティー番組の場合、何かをフリにしても、そのフリ自体が笑いになってしまうんですよね。お笑いをフリにしてお笑いをつくるって、すごく狭い世界に閉じこもるというか、どんどん自家中毒っぽくなっていくんですよ。自家中毒のまま、いい番組をたくさんつくるのは、よっぽどのカリスマ性がないと続けられないでしょうね。

それに、自分の年齢を考えたときに、今でもお笑いは大好きですが、その最前線で常にフレッシュなものをつくり続けるのはかなり厳しい。それだったら、知見や経験を生かした50代にしかできないやり方を模索した方が、自分としても楽しい、というのはあります。

分断が進み、マルチユースが通用しない時代に

——佐久間さんが手掛ける数々のコンテンツにおける、ファンや視聴者の重なり、あるいは分散については、どう見ていますか。

佐久間:一部重なる部分もありますが、全体としては、それぞれでまったく違う、と言った方がいいでしょうね。YouTubeだけを見ても、「佐久間宣行のNOBROCK TV」とサブチャンネルでは視聴者層がまるで違う。サブチャンネルは僕自身がメインで出演しているので、そこが「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」と一部重なる部分です。

あとは、例えば「ゴッドタン」のファンが「NOBROCK TV」も観ていると、よく勘違いされるのですが、実態はそうではない。YouTubeのアナリティクスを見ると、この90日間で「NOBROCK TV」が観られた地域の1位が大阪で、2位が北海道でした。

もちろん、出演者や企画によって変動はしますが、「ゴッドタン」の視聴者が東京を中心とした関東圏であることを考えると、「ゴッドタン」と「NOBROCK TV」の視聴者層は違うんですよ。

とはいえ、YouTubeは人気や傾向のタームがどんどん変わっていくので、そこに追いつくのはかなり大変ですけどね。

——直近でいうと、どういった傾向があるのでしょうか。

佐久間:一つ前のタームでは、毎日更新するくらいの頻度が求められ、習慣化とファンダムを形成することが大事でしたが、ここ最近は、質の低いコンテンツを次々にアップするくらいなら、頻度を下げて質の高さを求めた方がいい、という傾向になっています。2回連続でつまらないと思われたら、視聴数が7割減とかになってしまうので。あとは、毎日更新を課したゆえの事故や事件も多くなり、そのリスクとダメージがあまりにも大きい。

——一定の知名度さえ獲得すれば、複数のメディアやプロジェクトにまたがっても、ある程度の人気は確保できる、ということが難しい時代になりましたよね。

佐久間:一昔前なら成功していたマルチユースみたいなことは、もう通じなくなりましたね。どのメディア間でも分断が進んでいる。なので、今はそれぞれのメディアやプラットフォームにあわせて、一つひとつロジックや戦略を組み立てる必要があり、その手間はだいぶ増えました。

“人気”ということについても、企画や内容の面白さが支持されているのか、それとも、出演者の人間に魅力を感じているのか、それによって数字の出方も変わってきますから。要は、企画で勝負しているコンテンツは、企画ごとに数字のばらつきがあるけれど、その人自身にファンがついている場合は、あまり内容に左右されず、一定の数字を得やすい、とか。

——この先、一緒に仕事をしたいのは、どういう人でしょう。

佐久間:まだ見せてない武器を持ってる人、ですかね。本当はいいものを持っているのに、ちゃんと出せていないような人に、一緒に仕事をすることで発揮してもらいたい。その武器を見つけて、うまく生かしてあげるのが僕の仕事ですから。別の角度でいうと、常に変わり続けている人。キャリアを重ねていく中で、最初に出てきた時のキャラクターや作品とは違うところへどんどん変わっていく人とは仕事したいですね。

POTOS:TAMEKI OSHIRO

「ごきげんになる技術 キャリアも人間関係も好転する、ブレないメンタルの整え方」
著者:佐久間宣行
2024年7月26日発売
価格:1540円
装丁:四六判/192ページ
出版社:集英社
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-788099-1

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