まずは挑戦してみるポジティブさで 店頭もデジタルもマルチに活躍 「クレ・ド・ポー ボーテ」三瓶祐里奈さん

PROFILE: 三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト

三瓶祐里奈さん/「クレ・ド・ポー ボーテ」パーソナルビューティースペシャリスト
PROFILE: ((さんぺい・ゆりな)大学卒業後、資生堂に入社。京王百貨店吉祥寺店に勤務後、2021年に新宿伊勢丹本店に移動。デジタル パーソナル ビューティ スペシャリストとして、ライブ配信やスタッフレビューで活躍。22年にはリーダーに就任 PHOTO:YUKIE SUGANO

クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)にとって伊勢丹新宿本店は、本館2階の化粧品売場と伊勢丹会館にサロンを有する、ブランドの顔となる店舗の一つだ。そんな同店でリーダーを務めるのがパーソナル ビューティ スペシャリスト(以下、PBS)の三瓶祐里奈さんだ。学生時代はスポーツやマッサージ、美容が好きで、就職活動をする中で美容に関わる仕事がしたいという思いが固まったという。「資生堂といえば、ビューティの中でも日本を代表する企業の1社。華やかでいつも賑わっているイメージがありました」と入社当時を振り返る。(この記事は「WWDJAPAN」2024年9月23日号から抜粋・加筆しています)

京王百貨店吉祥寺店に勤務後、コロナ禍真っ只中だった2021年に伊勢丹新宿本店に移動した。店頭がクローズする中でデジタルに注力しようというブランドの方針の下、デジタルPBSに選ばれ、デジタル上での接客術を模索。「ウェブカウンセリングをして商品を紹介したり、YouTube上で配信をするなど、これまでとは全く異なる活動でした。配信は何百人ものお客さまに見ていただき、たくさんのレビューもいただきました。回数を重ねるにつれてポジティブなお声が増えていきましたね」とデジタルPBSの仕事を語る。加えて三越伊勢丹化粧品オンラインストア「ミーコ(meeco)」でのスタッフレビューもデジタルPBSとしての軸となる活動だ。ペルソナを立てて発信内容を精査し、写真の取り方や見出し、テキストを吟味。三瓶さんの発信はコンバージョンがよく、支持されているという。

リアル店舗では、PBSの中でも有する人はごく少数というフェイシャルトリートメントのライセンスを取得。ブランドならではの施術を提供する機会も多い。「サロンでは約1時間半をかけてお客さまと1対1で接することができるため、店頭とは異なる関わり方ができるので、ライセンスを取得してよかったです。カウンターでの接客では肌への触れ方が心地よいとお褒めいただくことがあり、相乗効果も感じています」と語る。

自己分析は場を重ねて成長するタイプ

デジタルとリアルと双方で顧客からお褒めの声をもらうことも多いという三瓶さんだが、デジタル PBSとして活動するきっかけも、フェイシャルトリートメントのライセンスを取得するきっかけもブランドの打診があってのことだという。

「プライベートでもSNSで発信することがそこまで得意というわけではありませんでした。デジタルPBSを始めた当初と今では写真や編集の方法も全く違っていて、やっていく中で磨き上げていきました。ライセンス取得も、ブランドならではのサービスなのでまずは挑戦してみようという思いが強かったです。私は最初からできちゃうタイプではありません。新しいことに挑戦するときは、毎回恐怖心や不安があります。けれども不安だからこそ、努力するし、場を重ねて成長するタイプだと自己分析しています」と三瓶さん。挑戦したことがいま実を結び、デジタルとリアルの相乗効果を感じることがあるという。

「デジタルPBSの活動を通して、想定するターゲットに対して分かりやすく魅力的に商品を伝える言葉選びや、どんな伝え方をすればイメージを持っていただきやすいかが分かるようになりました。デジタルPBS活動での学びは、店頭での接客にもつなげられます。今やらせていただいているそれぞれの活動にすごくやりがいを感じているので、さらに強化して、目標の数字を立て顧客を増やしていきたいですね」と語る。

コロナ禍から日常が戻り、インバウンド客も増えている伊勢丹新宿本店の化粧品売り場の店頭は毎日かなり忙しい状況だという。デジタルとリアルの双方に取り組むPBSでありリーダーである三平さんだからこそ、後輩スタッフが同じルートを希望する際には結果が出せるように忙しさに負けず「スタッフの育成にも力を入れたい」と今後の目標を語る。

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人気恋愛ドラマの名手ユ・ボラが社会問題をエンタメに描くということ

PROFILE: ユ・ボラ/脚本家

ユ・ボラ/脚本家
PROFILE: 「ただ愛する仲」や「あなたに似た人」など人気恋愛ドラマの名手として知られる脚本家。従軍慰安婦をテーマにした映画「雪道」は、15年にKBS韓国放送公社が制作した光復70周年特集ドラマを再編集した作品で、世界最大級の国際テレビ番組の祭典「バンフ・ワールド・メディア・フェスティバル」において最優秀作品賞を受賞し国際的に高い評価を得た PHOTO:JUNG YONGIL

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッションに至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.3は、「ただ愛する仲」や「あなたに似た人」など、人気恋愛ドラマの名手として知られるユ・ボラが登場。社会問題とメロドラマを巧みに織り混ぜなからエンターテインメントに落とし込んだ作品に定評のあるボラに、現代の韓国人女性のライフスタイルや知られざる過去の女性活動家たちの存在、今描きたいラブストーリーについて語ってもらった。

――今回のインタビュー集で「並外れた能力の持ち主が物事をすべて解決していくストーリーよりも、まるで違う2人が、欠けた部分をも尊重し補い合っていくストーリーが好きだ」と言っています。女性の生き方が多様化する現代において、今はどのような2人の女性を書きたいですか?

ユ・ボラ(以下、ボラ):私は常にどんな物語を描くことができるのかを考えています。今は子供が欲しい、あるいは欲しいのにできない女性と、子供が欲しいとは考えてはいない女性たちの物語を書いてみたいです。日本も似た状況だと思いますが、韓国では出生率の低下が問題でソウルでは0.55です。一方で、不妊治療件数が増加している点にも注目しています。

――日本でも、韓国のフェミニスト小説や映画が非常に人気で、日本の女性たちに影響を与えています。

ボラ:韓国だけではないかもしれませんが、国内のフェミニズムを取り巻く問題に関して、まず“フェミニズム“という言葉自体が男性に対する攻撃のように受け取られがちで「あなたはフェミニストか」などと揶揄する風潮があります。そもそもフェミニズムは、女性の権利を擁護し、平等な社会を目指す運動なのに、男性が元々持っている権利を(女性が)奪っていくような行為だと勘違いされているため、多くの女性たちは SNSなどで声をあげて運動をしています。

女性の権利が比較的充実していると言われるアイスランドで、 女性たちが権利を得るためのデモが24時間行われたというニュースを見ました。韓国でも過去に、女性たちが参政権を得るために社会運動をしていました。当時は「過激だ」とやや批判するような声もありましたが、選挙権という当然の権利を得るための重要な活動でした。多分、今起こっている活動をずっと先の未来で見たら、それは当然のことをしているだけだと受け入れられるでしょう。現代の韓国の女性たちの行動は、何か特別なものというよりも時代の流れでそうなってきているに過ぎません。

――「忘れ去られた女性活動家たち」の話を書きたいそうですが、どのようにしてその女性たちを知ったのですか?

ボラ:歴史学者たちがまとめた韓国の運動家を紹介する歴史書で知りました。1980年代に出版されたそういった本の中で主に紹介されているのは男性の独立運動家で、女性活動家はページの端に活動期間が紹介されているだけでした。しかし、90年代に入ると女性活動家に関する書籍が出版されるようになりました。女性活動家たちの存在が社会的に取り上げられることはほとんどなかったため、物語にしようと思いました。

――その中で、特に印象に残っている女性はいますか?

ボラ:誰か1人だけの名前を上げるのは難しいですが、特に感銘を受けたのは韓国が日本の植民地だった20〜30年代、二重差別など抑圧された状況下でも果敢に行動した女性たちです。私には到底できない生き方をしている勇敢な女性が大勢いて、活動の中で特に感動したことの1つは、教育を受けられなかった女性たちに言葉を教え、教育したことです。

――映画「雪道」では、教育を受けた少女が学校へ行くことができなかった別の少女に本を読み聞かせるシーンが出てきましたね。

ボラ:「雪道」では女性被害者の姿を描きましたが、次は何も分からなかった少女が、女性活動家たちに会い、さまざまなことを学びながら成長していく物語を書きたいです。年代は「雪道」と同じ頃になるかもしれませんが形式を大幅に変えたものを構想中です。

――ボラさんの多くの作品は、社会的に弱い立場に置かれている人を不憫な存在として扱うのではなく、同じ目線で寄り添うような優しさがあります。

ボラ:一般的な社会の視線は、社会的に弱い立場に置かれていたり、苦しい状況におかれている人を上から判断しているように感じます。もちろん当事者は苦しいと思いますが、その人たちなりの価値観があり、希望や大切なものを持っていたり、探しているはずです。脚本を描いている時は、その人の目線で物事を考えながらキャラクターを構築しています。

――社会問題をドラマとして、エンターテインメントとして描く方法について教えてください。

ボラ:現実の社会問題を反映するとき、リアリティーが強すぎるとドラマがドキュメンタリーのようになってしまいます。ドラマは俳優たちが担う部分も多いので、彼らの魅力を引き出す演出や劇作品としてのおもしろみを入れながら、多くの人たちが共感できることを意識しています。現実社会は暗くて苦しい側面もあるので、ドラマでは希望が持てるような展開をつくることを心がける部分もあります。

――キャラクターを作る上で衣装はどのように決めていますか?

ボラ:現実の人を描くときは職業に合う衣装を着せる必要があります。脚本家は登場人物の衣装のガイドラインを作ることに徹します。それを発展させるのは俳優の力です。その人物を解釈し、表現方法を模索し、演じるのは彼らですから。多くの俳優は積極的に監督と意見交換をして、役作りや演技、表現を真剣に考えています。

最近話題になったドラマの衣装に、師弟関係のラブロマンスを描いた「卒業」があります。私の作品ではありませんが、主人公の教師の衣装はとてもリアリティーがあって、その人の生き方までを表現していると大変話題になりました。

――現在韓国では、どのような恋愛ドラマが求められていると思いますか?

ボラ:現在は、多くの恋愛が出会いも別れも簡単になっているように感じるため、今こそとても切実な物語を書きたいですね。お互いに困難を乗り越え、運命でこの人しかいないという状況に強く引かれます。古臭いと感じる人がいるかもしれませんが「ロミオとジュリエット」が現代まで語り継がれている理由は、そのような恋愛が時代を超えて普遍的なものだからだと思います。ずっと自分が描きたい物語をつくってきましたが、メロドラマも好きなので、暗くて現実的な物語の中にも恋愛的な要素を入れています。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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「アンダーカバー」高橋盾が語る「ジーユー」コラボ 「冗談抜きで驚きのクオリティー」

「ジーユー(GU)」は、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」とのコラボレーション第4弾を9月27日に発売する。それに先立ち、アメリカでは一足早く19日にニューヨークのソーホー地区にオープンする旗艦店とオンラインで販売がスタート。「アンダーカバー」と言えば、パリでショーを行って20年以上になるベテランだ。今年5月から9月までニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれていた「眠れる美への追憶──ファッションがふたたび目覚めるとき(Sleeping Beauties: Reawakening Fashion)」展では、光るテラリウムドレス(2024年春夏ウィメンズコレクション)が展示され、このドレスが同展のメインイメージに使用されるなど、業界内でも注目度は高い。

トレードマークにもなりつつある、つばひろの帽子にべっ甲の眼鏡、自分でカスタマイズした白シャツという出立ちで高橋氏はインタビューに現れた。今回の「ジーユー」とのコラボレーション第4弾のため、10年ぶりに弾丸でニューヨークを訪れたという。

「ちょうどニューヨークに着いた2日前にメトロポリタンの展示の会期が終わってしまっていたんです」と少々残念そうだ。カスタマイズしたシャツについて質問を投げると「葉山のアトリエの近くで買ったシャツに、2024-25年のメンズのテーマである『ツイン・ピークス』のジャカードパッチを自分で付けたんです」。そう語る語り口調は淡々として落ち着いている。「アートギャラリーを見たかったんですが、時間がないかな。でも、さっき少し外を歩いたけど、それだけでも街から得るものは多いんですよね」。同氏は「アンダーカバー」だけでなく、近年は画家として脚光を浴びることも多く、アーティストとして活動の場を広げている。

日常にノイズをプラス

ーーコラボレーションのテーマである“Kosmic Noise”やコラボレーション商品について教えてください。

高橋盾「アンダーカバー」デザイナー(以下、高橋):“Kosmic Noise”とはテーマ通りで、日常にちょっとした刺激やノイズを加えた、デイリーウェアをツイストしたものにしたかったんです。日常にちょっとした刺激があるものを着ている、そういう感覚で楽しんでもらえたら。「ジーユー」とのコラボレーションは毎回テーマを変えていくというよりは、ベーシックなデイリーウェアを「アンダーカバー」的な解釈でツイストしていくというデザインコンセプトがベースにあります。「アンダーカバー」のデザインを入れつつも、今までわれわれを知らなかった人たちにも着てもらえる、程よくツイストの入った商品です。

コラボレーションコレクションはスパイスの入れ方が難しい。「アンダーカバー」のように直球のクリエーションをデザインに落とし込んでしまうと強すぎるものになってしまう。そこを客観的に見て、どういうものに仕上げていくかをいつも考えています。

ーー24-25年秋冬のウィメンズ「アンダーカバー」のコレクションも日常にフォーカスしていましたが、高橋さんの中で”日常”というキーワードが今、気になっているのでしょうか?

高橋:自分の中のムードがそれに近いのかもしれません。昔から日常着をどう新しいものにしていくかという実験的なことはずっとやっていて、そこは一貫して「アンダーカバー」のデザインテーマでもあります。葉山(神奈川)に2拠点目を構えてからはライフスタイルも大きく変わってきました。例えば自分の着飾り方もだいぶ落ち着いてきていると思う。でも、だからと言って落ち着いたものを作るのわけではない。デザインのひねり方やスパイスの入れ方は変わってきたんだと思います。

ーー高橋さんにとって「ジーユー」とはどういうイメージのブランドですか?

高橋:元々「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボレーションをやっていたのですが、「ジーユー」は「ユニクロ」よりもデザイン性が加わっていて、今の時代の雰囲気を捉えたモノ作りをしているブランドという認識があります。スタッフの方と打ち合わせをしていても、今の時代の空気感をつかんだMDプランを組み立てているし、「アンダーカバー」の解釈や研究もしっかりとしている。コラボレーション商品のどこにどういうテイストを入れ込むか、という具体的な提案や意見を出してくれました。

ーー「ジーユー」との間で、企画はどのように進めたのでしょうか?

高橋:まずは「ジーユー」のMDプランをいただいて、そこに対してどういうデザインを作り上げていくかを話し合いながら決めて行きました。「アンダーカバー」のデザイン的な手法やポイントをしっかり押さえてくれているので、その引き出しの中から「このアイテムにはこの手法を使ってはどうか?」など、具体的な提案がありました。それに対して「このデザインはこのままで」とか、「このデザインは変えていきましょう」という感じでセッションしながら細かく詰めていきました。でも、「ジーユー」と「アンダーカバー」って意外と共通点が多いんですよ。僕自身、本来ベーシックなものが好きだし、「ジーユー」と「アンダーカバー」のカラーパレットも似ています。ですから、そこに自分たちなりのスパイスを入れていくという作業でした。

スタジャンや自分が初めてパリコレで発表したときに入れたタトゥーと同じ柄をデザインしたトラックスーツは本当にベーシックだけど、少しだけツイストを効かせています。トラックスーツのパンツは裾をアジャストできて靴も変えて楽しめるようになっていますし、脱着可能にするコートやデニムのギミックなんかも「アンダーカバー」で使うテクニックです。でも、デニムのシルエットは「ジーユー」のものだったり、両者を融合して着やすいデザインに仕上げています。

ーー素材もしっかりしたものを使っている印象を受けました。出来栄えはどうでしたか?

高橋:この値段でクオリティーの面でもここまでやられちゃうと参っちゃいますよね。冗談抜きで本当にびっくりするクオリティーです。今後のコラボレーションではエレガントなものだったり、カジュアルすぎないものにも挑戦してみたいですね。そういうものがあってもいいんじゃないかなと思っています。

「継続してきたことがようやく定着してきた」

ーーブランドを継続していく中で、近年「アンダーカバー」の評価は、メトロポリタンでの展示しかり業界の中で熱気を帯びてきています。それはなぜだと感じますか?

高橋:何ででしょう(笑)。純粋に面白いもの、自分が興味のあるものに対してモノ作りをするという姿勢を崩していないからでしょうか。この時代だから余計そういうブランドが少なくなってきている気がします。ビジネスベースでモノを作っていくのも大事なことだとは思うんですが、そこに自分たちにしかできないオリジナリティーのあるクリエイションを発表していくこと。それをパリでも20年やってきて、ようやくそれが定着してきたのかなと。嬉しいことですよね。

ーー日本人の若手デザイナーたちは、近年んあまり世界に飛び出していっていない印象を受けます。日本の若手デザイナーに向けてメッセージはありますか?

高橋:今の時代だと、自分がパリにわざわざ行ってショーをしなくてもSNSを使ってワールドワイドなことが出来るじゃないですか。それが主流であれば(日本で発表を続けても)世界に出ていないわけではないし、時代に合ったやり方をすればいいと思います。パリコレに参加することだけが世界に出ることではないし、やり方は色々あります。

自分はパリに行ってコレクションを発表することに変わりはないのですが、若い人たちの動きを見るとSNS上で発表するのが主流になっている。時代は変わったなぁとは思いますよね。SNSで見せることがメインだと、デザインというよりは、どれだけキャッチーに伝えられたかの良し悪しみたいな話にもなってくる。われわれももちろんSNSは活用しますが、自分たちにしかできないデザインを届けていければ、今の時代、SNSのようなツールがあったとしても自分たちは自分たちのやり方があると思っています。

ーー最近画家としても活躍されていますが、絵のコンセプトや、絵を描くことは高橋さんにとってどのような位置付けですか?

高橋:息抜きにはなっていると思いますし、自分の内側にあるものを表現するクリエーションの一部だと思います。ファッションは絵に比べて制限が多い。絵は何でもありなので、何でもありすぎて、どうまとめていくかを考えると、意外とファッションをデザインすの過程に近いんです。

僕の絵のダークな世界観は「アンダーカバー」に通じるところがあります。日常着にどうアレンジを加えているかに近い作業。自分の生活で起こっていることや世の中で起こっていること、混沌とした世界の状況が絵に表れている。自分と世の中の距離感が絵に反映されていると思います。ファッションデザインを洗練されたものにするにはクリエイションのいろんなアウトプットがあった方がいい。ファッションのデザインでできないことを他のアート活動で見せているんだと思います。

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「アンダーカバー」高橋盾が語る「ジーユー」コラボ 「冗談抜きで驚きのクオリティー」

「ジーユー(GU)」は、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」とのコラボレーション第4弾を9月27日に発売する。それに先立ち、アメリカでは一足早く19日にニューヨークのソーホー地区にオープンする旗艦店とオンラインで販売がスタート。「アンダーカバー」と言えば、パリでショーを行って20年以上になるベテランだ。今年5月から9月までニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれていた「眠れる美への追憶──ファッションがふたたび目覚めるとき(Sleeping Beauties: Reawakening Fashion)」展では、光るテラリウムドレス(2024年春夏ウィメンズコレクション)が展示され、このドレスが同展のメインイメージに使用されるなど、業界内でも注目度は高い。

トレードマークにもなりつつある、つばひろの帽子にべっ甲の眼鏡、自分でカスタマイズした白シャツという出立ちで高橋氏はインタビューに現れた。今回の「ジーユー」とのコラボレーション第4弾のため、10年ぶりに弾丸でニューヨークを訪れたという。

「ちょうどニューヨークに着いた2日前にメトロポリタンの展示の会期が終わってしまっていたんです」と少々残念そうだ。カスタマイズしたシャツについて質問を投げると「葉山のアトリエの近くで買ったシャツに、2024-25年のメンズのテーマである『ツイン・ピークス』のジャカードパッチを自分で付けたんです」。そう語る語り口調は淡々として落ち着いている。「アートギャラリーを見たかったんですが、時間がないかな。でも、さっき少し外を歩いたけど、それだけでも街から得るものは多いんですよね」。同氏は「アンダーカバー」だけでなく、近年は画家として脚光を浴びることも多く、アーティストとして活動の場を広げている。

日常にノイズをプラス

ーーコラボレーションのテーマである“Kosmic Noise”やコラボレーション商品について教えてください。

高橋盾「アンダーカバー」デザイナー(以下、高橋):“Kosmic Noise”とはテーマ通りで、日常にちょっとした刺激やノイズを加えた、デイリーウェアをツイストしたものにしたかったんです。日常にちょっとした刺激があるものを着ている、そういう感覚で楽しんでもらえたら。「ジーユー」とのコラボレーションは毎回テーマを変えていくというよりは、ベーシックなデイリーウェアを「アンダーカバー」的な解釈でツイストしていくというデザインコンセプトがベースにあります。「アンダーカバー」のデザインを入れつつも、今までわれわれを知らなかった人たちにも着てもらえる、程よくツイストの入った商品です。

コラボレーションコレクションはスパイスの入れ方が難しい。「アンダーカバー」のように直球のクリエーションをデザインに落とし込んでしまうと強すぎるものになってしまう。そこを客観的に見て、どういうものに仕上げていくかをいつも考えています。

ーー24-25年秋冬のウィメンズ「アンダーカバー」のコレクションも日常にフォーカスしていましたが、高橋さんの中で”日常”というキーワードが今、気になっているのでしょうか?

高橋:自分の中のムードがそれに近いのかもしれません。昔から日常着をどう新しいものにしていくかという実験的なことはずっとやっていて、そこは一貫して「アンダーカバー」のデザインテーマでもあります。葉山(神奈川)に2拠点目を構えてからはライフスタイルも大きく変わってきました。例えば自分の着飾り方もだいぶ落ち着いてきていると思う。でも、だからと言って落ち着いたものを作るのわけではない。デザインのひねり方やスパイスの入れ方は変わってきたんだと思います。

ーー高橋さんにとって「ジーユー」とはどういうイメージのブランドですか?

高橋:元々「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボレーションをやっていたのですが、「ジーユー」は「ユニクロ」よりもデザイン性が加わっていて、今の時代の雰囲気を捉えたモノ作りをしているブランドという認識があります。スタッフの方と打ち合わせをしていても、今の時代の空気感をつかんだMDプランを組み立てているし、「アンダーカバー」の解釈や研究もしっかりとしている。コラボレーション商品のどこにどういうテイストを入れ込むか、という具体的な提案や意見を出してくれました。

ーー「ジーユー」との間で、企画はどのように進めたのでしょうか?

高橋:まずは「ジーユー」のMDプランをいただいて、そこに対してどういうデザインを作り上げていくかを話し合いながら決めて行きました。「アンダーカバー」のデザイン的な手法やポイントをしっかり押さえてくれているので、その引き出しの中から「このアイテムにはこの手法を使ってはどうか?」など、具体的な提案がありました。それに対して「このデザインはこのままで」とか、「このデザインは変えていきましょう」という感じでセッションしながら細かく詰めていきました。でも、「ジーユー」と「アンダーカバー」って意外と共通点が多いんですよ。僕自身、本来ベーシックなものが好きだし、「ジーユー」と「アンダーカバー」のカラーパレットも似ています。ですから、そこに自分たちなりのスパイスを入れていくという作業でした。

スタジャンや自分が初めてパリコレで発表したときに入れたタトゥーと同じ柄をデザインしたトラックスーツは本当にベーシックだけど、少しだけツイストを効かせています。トラックスーツのパンツは裾をアジャストできて靴も変えて楽しめるようになっていますし、脱着可能にするコートやデニムのギミックなんかも「アンダーカバー」で使うテクニックです。でも、デニムのシルエットは「ジーユー」のものだったり、両者を融合して着やすいデザインに仕上げています。

ーー素材もしっかりしたものを使っている印象を受けました。出来栄えはどうでしたか?

高橋:この値段でクオリティーの面でもここまでやられちゃうと参っちゃいますよね。冗談抜きで本当にびっくりするクオリティーです。今後のコラボレーションではエレガントなものだったり、カジュアルすぎないものにも挑戦してみたいですね。そういうものがあってもいいんじゃないかなと思っています。

「継続してきたことがようやく定着してきた」

ーーブランドを継続していく中で、近年「アンダーカバー」の評価は、メトロポリタンでの展示しかり業界の中で熱気を帯びてきています。それはなぜだと感じますか?

高橋:何ででしょう(笑)。純粋に面白いもの、自分が興味のあるものに対してモノ作りをするという姿勢を崩していないからでしょうか。この時代だから余計そういうブランドが少なくなってきている気がします。ビジネスベースでモノを作っていくのも大事なことだとは思うんですが、そこに自分たちにしかできないオリジナリティーのあるクリエイションを発表していくこと。それをパリでも20年やってきて、ようやくそれが定着してきたのかなと。嬉しいことですよね。

ーー日本人の若手デザイナーたちは、近年んあまり世界に飛び出していっていない印象を受けます。日本の若手デザイナーに向けてメッセージはありますか?

高橋:今の時代だと、自分がパリにわざわざ行ってショーをしなくてもSNSを使ってワールドワイドなことが出来るじゃないですか。それが主流であれば(日本で発表を続けても)世界に出ていないわけではないし、時代に合ったやり方をすればいいと思います。パリコレに参加することだけが世界に出ることではないし、やり方は色々あります。

自分はパリに行ってコレクションを発表することに変わりはないのですが、若い人たちの動きを見るとSNS上で発表するのが主流になっている。時代は変わったなぁとは思いますよね。SNSで見せることがメインだと、デザインというよりは、どれだけキャッチーに伝えられたかの良し悪しみたいな話にもなってくる。われわれももちろんSNSは活用しますが、自分たちにしかできないデザインを届けていければ、今の時代、SNSのようなツールがあったとしても自分たちは自分たちのやり方があると思っています。

ーー最近画家としても活躍されていますが、絵のコンセプトや、絵を描くことは高橋さんにとってどのような位置付けですか?

高橋:息抜きにはなっていると思いますし、自分の内側にあるものを表現するクリエーションの一部だと思います。ファッションは絵に比べて制限が多い。絵は何でもありなので、何でもありすぎて、どうまとめていくかを考えると、意外とファッションをデザインすの過程に近いんです。

僕の絵のダークな世界観は「アンダーカバー」に通じるところがあります。日常着にどうアレンジを加えているかに近い作業。自分の生活で起こっていることや世の中で起こっていること、混沌とした世界の状況が絵に表れている。自分と世の中の距離感が絵に反映されていると思います。ファッションデザインを洗練されたものにするにはクリエイションのいろんなアウトプットがあった方がいい。ファッションのデザインでできないことを他のアート活動で見せているんだと思います。

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ゆりやんレトリィバァが語る「『極悪女王』での青春の日々」——自分らしく生きていくことが芸人

PROFILE: ゆりやんレトリィバァ/芸人

PROFILE: 1990年11月1日生まれ。奈良県吉野郡出身。趣味は映画鑑賞(大学で映画研究をしていた)。特技は英語、ダンス。大学4年生の時に、大阪NSC35期生として入学し、お笑いを学ぶ。翌年行われた「NSC大ライブ2013」で優勝を果たし、NSCを首席で卒業。2017年、第47回NHK上方漫才コンテストで優勝。同年12月「女芸人No.1決定戦 THE W」に出場し、優勝。海外進出を目指し、19年6月には、アメリカのオーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」にも出場。21年には「R-1グランプリ」で優勝。23年にはラッパーとしてデビューし、お笑い以外の活動でも注目を集めている。

1970年から80年にかけて、日本で巻き起こった空前の女子プロレスブーム。歌って踊るアイドル的存在としても活躍していたビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)に憧れる少女は、華やかなプロレスラーになるため全日本女子プロレスの門戸をたたく。彼女の名前は松本香。後に最恐最悪のヒール“ダンプ松本”として日本中にその悪名を轟かすことになる人物である。心優しい少女はなぜダンプ松本になったのか、その知られざるストーリーを紐解く全5話のNetflixシリーズ「極悪女王」が9月19日からネットフリックスで配信される。企画・プロデュース・脚本を手掛けたのは、放送作家として多くの人気番組を生み出したほか、脚本家や文筆家としても活躍する鈴木おさむ。番組に参加した際にダンプ松本から女子プロ時代の話を聞き、世界に通じるドラマになると確信して企画した。総監督を務めたのは「死刑にいたる病」(2022)、「碁盤斬り」(24)と話題作を続々と発表する白石和彌だ。

物語の主役となる松本香=ダンプ松本を演じるのは、世界を股にかけ活躍する多才な芸人・ゆりやんレトリィバァ。宿命のライバル、クラッシュ・ギャルズの長与千種とライオネス飛鳥を唐田えりかと剛力彩芽が演じるほか、仙道敦子、斎藤工、村上淳ら豪華キャストが脇を固める。プロレスシーンの構成を担ったのは、本作の主要人物としても登場する長与千種。なんと大迫力のプロレスシーンでは、女子プロレス団体「Marvelous(マーベラス)」の下でプロレスを学んだキャストたちが実際に闘っているという。

「青春のような日々だった」と語る撮影期間に一体何があったのか。大幅な肉体改造をして本作に挑んだという主演・ゆりやんレトリィバァに話を聞いた。

役作りで40kg増量

——ゆりやんさんは本作の主人公・ダンプ松本役をオーディションで射止めたと伺いました。そもそもオーディションを受けるきっかけは何だったのでしょうか?

ゆりやんレトリィバァ(以下、ゆりやん):私は毎日、コボちゃんみたいな見た目の牧くんというマネージャーに「仕事のことで何か良いことありますか?」って電話するんです。それである日、いつも通り牧くんに電話したら「あるんです!あるんです!」ってめっちゃテンション高い時があって。それで「ダンプ松本さんのドラマがネットフリックスで作られます!それの主役オーディションのお話があります!」と教えてもらってオーディションを知りました。私はその当時から、将来的にアメリカで活動したいと思っていて。ネットフリックスさんはアメリカの企業だし、白石和彌監督と鈴木おさむさんの作品で主役を演じられたら絶対に自分のキャリアにとってもプラスになると思ってオーディションを受けることにしました。

——合格を告げられた時の心境はいかがでしたか?

ゆりやん:本当にびっくりしました。オーディションを受けてからずっと「ダンプさんになれるかな」とドキドキしていて、毎日マネージャーに結果の連絡がないか確認していたんです。未発表情報なので人前で詳しい内容については話せないじゃないですか。なので当時吉本の窓口をしていた立川さんという方の名前を隠語みたいにして「立川さん関係で何か進展は?」とか「立川さんどうなってる?」って日々話していました。それである日「立川さん確定です」って言われて……とにかくうれしかったですね。

——当時45kgという大幅なダイエットをした直後で、そこから役作りのために40kgも増量したと伺いました。かなりハードな体験だったかと思いますが……。

ゆりやん:減量後だったこともあり、ダンプ松本さんのような大きい身体作りができるのか不安で、オーディションを受ける前にこの役は難しいかもと悩んだこともありました。でも減量の時からお世話になっていたトレーナーの岡部友さんに、リバウンドではなく筋肉トレーニングなど体に負担がない方法で増量することを相談したら「一緒に頑張ろう」と言ってくれて。それなら自分も頑張れそうだと、覚悟を決めてトレーニングに挑みました。

もちろん身体作りにあたってはネットフリックスさんも徹底的にサポートしてくれました。月一度の健康診断や血液検査などを実施してくれたり、トレーニングや食費面も支えてくれたりしたので、安心して増量することができました。今は撮影が終わったので減量中です。

一緒に青春を過ごした仲間のような関係

——「極悪女王」は紆余曲折ありながらも最終的にはシスターフッドの物語でしたね。唐田えりかさん、剛力彩芽さんはじめキャストの皆さんとの連帯感はいかがでしたか?

ゆりやん:唐田さんや剛力さんをはじめプロレスラー役のみんなとは、プロレスを教わるため長与千種さんの女子プロレス団体「Marvelous」さんの道場へ毎日通っていました。練習の日々は本当に部活で青春しているみたいで。だから撮影の日も「今日は試合シーンの撮影やな」じゃなくて「今日は試合やな」って普通に話していたり(笑)。そんな中で形成された関係性や会話が役ともピッタリはまっていたので、みんなお芝居しつつも役の中に素の自分が生きているような感覚でしたね。みんな、一緒に青春を過ごした仲間のような関係です。

——本作では男性経営者に搾取されながらも勝ち上がり、自分を貫く女性たちの姿が描かれていました。お笑いの世界も男性社会という印象が強く、その中で活躍の場を世界に広げていくゆりやんさんの姿がダンプ松本さんと重なったのですが、ストーリーに共感する部分はありましたか?

ゆりやん:登場人物の強さや優しさなど人間的な部分に尊敬や共感する部分はたくさんありますが、特に感情移入したのが松本香さんからダンプ松本さんに覚醒するところです。覚醒前の松本香さんは、自分がうまくいかない中で周りの子たちがどんどん売れていく姿を見ていて苦しかっただろうし、人のせいにせず自分を責め続けていて本当につらかったと思うんです。

その後覚醒して、悪役メイクをして初めてリングに立った時に「帰れ!帰れ!」というコールを聞いたわけですよね。普通は「帰れ」と言われるなんて嫌ですが、ダンプさんはその時に初めて自分にスポットライトが当たっていると感じてうれしかったんじゃないかなって思うんです。それを長与さんに聞いたら、やっぱりダンプさんは「帰れ」と言われて喜んでたらしいんですよ。芸人もひどい言葉をぶつけられることもあるけど、それがエネルギーや餌になる部分は通じると思うんです。私も言われたことをコントやネタにして自分の糧にしたりするからこそ、ダンプさんのそんな部分にはとても共感しました。

——覚醒するシーンの前と後では演技の質が180度変わっていて驚きました。演じる上での気持ちの切り替えはどのように行ったのでしょうか?

ゆりやん:自分もどうすれば良いのか悩んでいたんですよね。そんな時にダンプさんが練習を見にきてくれて「遠慮したらダメだよ。怖くしなきゃダメ」ってこっそり教えてくれたんです。それまで私は人前で結構暴れたりとかしていましたけど、めちゃくちゃやっているように見えて実は遠慮していたり、抑えていた部分もあって。でも撮影が進んでいく中で、皆全力でぶつかり合っているのに、自分が抑えててはいけないなと思うようになりました。それで気持ちを抑えず演じるうちに役と自分が一体化してきて、松本香 さんが覚醒すると同時にダンプさんの気持ちや感情が自分の内から溢れ出てきたんです。殻を破ったかのような感覚でした。

分かっていたはずなんですけど、先日完成品を試写会で観たら「みんな途中からめっちゃ変わってる……!」って驚きました。4話からの血の上り方がそれまでと全然違っていて、やっぱり異様な空気感だったんだなと実感しましたし、それを引き出した監督があらためてすごいなと思いました。

——ダンプ松本に覚醒してからの現場の空気は大丈夫でしたか……?

ゆりやん:覚醒後も現場は荒れることなく良い雰囲気でした。ただ一つ実践したことがあって。私は(唐田)えりかちゃんとめっちゃ仲が良くて、いつも連絡を取り合っているんです。でも作品の中では長与さんとダンプさんが次第に気まずくなっていって、やがていがみあうようになりますよね。ダンプさんからも「プライベートでもしゃべるのやめた方が良いよ」と言われたこともあり、話し合った上で決別するシーンから一切しゃべることをやめたんです。そしたら皆本当は仲良いと分かりつつも、私がいないところで皆が盛り上がってたりすると腹立つようになってきて(笑)。

話すのをやめてから初めて目を合わすシーンがあったんですが、互いにめっちゃ気まずかったんですよね。そうしたら元から本当にそんな関係性だったように思えてきて。そんな状態がしばらく続いていたんですが、最後の髪切りデスマッチの泊まり込み撮影の時に、なかなか息が合わずリハが上手くいかなかったんです。するとえりかが「レトリ、今日ご飯いこ」って声かけてくれて。ご飯行ったら元通りにしゃべれて、私たちやっぱり仲良かったんやなと思い出せました。

その経験があるおかげで当時の長与さんとダンプさんの気持ちも分かったし、そこからは試合に向けていろいろ意思疎通していこうと確認しあって、それまで以上にコミュニケーションを取るようになりました。遠慮していたことも言えるようになりましたし、今ではLINEで4時間くらい話したりする仲です。そんな良い友達にもこの作品を通じてたくさん出会えてうれしかったですね。

撮影中のサポートについて

——インティマシーコーディネーター(IC)の浅田智穂さんをはじめ大勢のケアスタッフが参加されていますが、撮影する上でのサポートはいかがでしたか?

ゆりやん:今回初めてICさんにお会いして、こんな方がいるんだなと。撮影中はいろいろとケアしていただきました。例えば水着での撮影シーンがある際には「これは着れますか?」とか「ここからは撮られたくないとかありますか?」と聞いてくれたり。みんなの前で聞かれたら、言いづらいこともあるじゃないですか。そんな心理的に言いにくいことを言える環境を作ってくれましたね。健康や栄養面に関しても、いろんな専門家の方が常に支えてくれて心強かったです。

——本作の撮影中にゆりやんさんが負傷したと報じられ、心配の声が上がっていました。大変な状況だったと思いますが、事故の後はどのようなサポート体制で撮影を続けられたのでしょうか。

ゆりやん:事故のニュースを見たらグロい感じになってたんですけど……実際はそんなことはなくて。プロレスシーンはほとんど実際に私たちが演じているんですが、当初からプロレスの練習や撮影シーンにおいてはかなり安全面の配慮をしてもらっていました。その上で、私が普通に受け身をミスってしまったんです。

事故以降の撮影ではこれまで以上にスタッフだけでなく、私たちキャストも少しでも違和感を覚えたらすぐお互いに言うようになりました。遠慮していることもあるかもと思って、キャスト同士で「今のは痛かったように見えました」「いえ、痛くないです」「でも痛そうでした」とか言い合ったり(笑)。長与さんも作中のプロレス技を組む上で、これだったらより安全なんじゃないかと配慮してくれていましたね。皆が一丸となってサポートしてくれたので、安心して撮影に臨むことができました。

——私もけがや増量のニュースを聞き、無茶をしているのでは……と思っていたので安心しました。

ゆりやん:ニュースが出た時は本当に悔しかったんです。ネットで和彌監督や鈴木おさむさんに直接いろいろ言ってる人もいましたし……。私がTwitterで「本当に大丈夫です」とつぶやいたら「このツイートはマネージャーがつぶやいていて、ゆりやんは横で寝たきりになっているに違いない」と言っている人もいて、考えすぎやろと思ってました。

本当に万全の体制で撮影しました……が実際に映像で見ると怖くてヒヤヒヤするし、ハラハラするかっこいい作品になったと思います。

海外での活動に向けて

——主題歌を担当されたAwichさんとは名曲「Bad Bitch 美学 Remix」でご一緒されていましたよね。ゆりやんさんは音楽や演技など幅広い分野で活躍されていますが、その原動力はどこから湧き上がってくるのでしょうか?

ゆりやん:最初私が芸人になった頃って、劇場とかテレビでコントやお笑いをするっていうことしか知らなかったんです。でも先輩たちの背中を見るうちに、好きなことや興味あることにも挑戦して、自分らしく生きていくことが芸人なんだと学ばせてもらいました。お笑い芸人という枠にとらわれず、ゆりやんレトリィバァとして生きて良いんだといろんな方に背中を押してもらい、引っ張ってもらったことが今回の「極悪女王」や音楽にもつながっているのかなと思います。

——今年の年末にアメリカへ引っ越すとのことですが、海外での活動に関してはどのようにイメージされているのでしょうか?

ゆりやん:あくまでイメージですが……。まずビバリーヒルズの広い家に住んで、毎日ポルシェかベンツを片手で運転してカフェに行って、サングラスかけながらコーヒー飲んで、ジムに行ってからオーディションを受けて、スタンダップコメディーに出てからパーティーに行きます。そして映画やドラマに出てハリウッドセレブになって、「次どこ進出する?」ってなったら「宇宙しかないでしょ」ってなって最終的には宇宙進出します。

——そんな憧れのハリウッドで、この人の作品に出たいという映画監督はいますか?

ゆりやん:スティーブン・スピルバーグ監督ですね。「E.T.2」にE.T.役として出たいです。

——ゆりやんさん自身も映画監督デビューされるとのことですが、目指す監督像は誰かいますか?

ゆりやん:やっぱり白石和彌監督です!リスペクト&リスペクトしているので。

——白石和彌監督とご一緒して、どのような部分をリスペクトされたのでしょうか。

ゆりやん:本当に全部が大好きなんです。最初は白石監督って呼んでたんですが、ある日ふと和彌監督って呼んでみたんです。突っ込まれるかなと思ったら「何?」って普通に言われて、そこから私は和彌監督と呼んでるんですけど。

和彌監督はお芝居中やリハーサル中もめっちゃ笑ってくれるんです。何か提案すると笑いながら「良いね!」って言ってくれたり。その笑い声がすごく好きで、みんなも和彌監督に笑ってもらうために頑張ろうとか、何したら監督が笑うだろうとか考えたりしてるんですよ。そんな風に笑いながら演出やセッティングをしてる姿が特に大好きですね。

——最後に、「極悪女王」を視聴する方にメッセージをお願いします。

ゆりやん:「極悪女王」の舞台は80年代で、女子プロレスの方々が日本に嵐を巻き起こした時代です。出演者のほとんどはその時代を生きていませんが、私たちも当時にタイムスリップしたと感じるほどの世界観が実際に作られていました。それこそダンプさんもセットや小道具を見て本物と変わりないと言ってたくらいに。「極悪女王」を観ている時ってその時代に飛び込んだような感覚になると思うので、この時代を知っている人はもちろん、知らない人にもぜひ体験してもらいたいです。安全に作られた楽しい作品ですが、極悪さは安心できないですよ!

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA
STYLING:MIKA ITO
HAIR&MAKEUP:TOMOKO OKADA(TRON)

■Netflixシリーズ「極悪女王」
9月19日からNetflixで世界独占配信
全5話(一挙配信)

出演:ゆりやんレトリィバァ 唐田えりか 剛力彩芽
えびちゃん(マリーマリー) 隅田杏花 水野絵梨奈 根矢涼香 鎌滝恵利
安竜うらら 堀 桃子 戸部沙也花 鴨志田媛夢 芋生 悠
仙道敦子 野中隆光 西本まりん 宮崎吐夢 美知枝
清野茂樹 赤ペン瀧川 音尾琢真
黒田大輔 斎藤 工 村上 淳
企画・プロデュース・脚本:鈴木おさむ
総監督:白石和彌  
監督:白石和彌(1〜3話)、茂木克仁(4〜5話)
プロレススーパーバイザー:長与千種
脚本:池上純哉
製作:Netflix
制作プロダクション:KADOKAWA
https://netflix.com/極悪女王

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ジェイミー・xxが語る最新作「In Waves」と「サンプリング」、そしてThe xxについて

ロンドンが生んだ稀代の才能も、気付けば随分とキャリアを重ねていた。私は幸運にも、彼の偉大な始まりに直撃し、彼の音楽と共に過ごしてきたわけだがザ・エックス・エックス(The xx)が2009年に最初のレコードをリリースしてから、15年もの月日が経ったことがいまだに信じられない。

ジェイムズ・スミスというありふれた名前の青年は、バンドでデビューした20歳の頃から、ジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)という奇妙なステージネームを名乗っている。極めてシンプルでありながら、なぜか派手派手しくもあり、とは言いつつも洗練されたその名は、彼の作家性とフィロソフィーそのものを表しているのではないだろうか。

初めてザ・エックス・エックスの「VCR」を聴いた当時14歳の私は、ギターを始めたてで、いとも簡単に演奏できるこの曲のフレーズを繰り返し弾いていた。トイピアノに似たキュートでアイコニックなサウンドと、シンプルなギターフレーズとベースラインが印象的であるが、ただ、その裏で巧みに抜き差しされるビートの妙に気付くのは、かなり後のこと。ミニマルとマキシマムを行き来する、彼の音楽について気付きが増えるたびに、彼のあまりにもオルタナティブな才能に圧倒され、なぜか落ち込んでしまう。

また彼は、弱冠22歳でギル・スコット・ヘロンの遺作のリミックスを買って出る、気骨のある人間だ。そのリミックスアルバムが、ソロキャリアの始まりであることも恐ろしいが、それがまた超エポックメイキングなのである。この「We're New Here」(2011年)と、ソロ1stアルバム「In Colour」(15年)に共通して感じたのは、サンプリングを用いる中で見せる引用元へのリスペクトと音楽への愛。サンプリングは、引用元の楽曲のストーリーテリングを更新することができる特別な表現方法であるが、彼は自身がティーンだった頃にダンスシーンで活躍していたレジェンドたちから、それを学び取った。

最新作「In Waves」は、彼の原点となったサンプリングミュージックと、現行のシーンに新風を吹き込む若い世代の音楽の両方に敬意を払った作品であり、そのぶつかり合う波の中で彼自身にとって最適なものを探求している。ただ、個人的でありながらも、オーディエンスへの目線は欠かさず、私たちにデリバーするそのカリスマ性とバランス感覚には敬服するばかりだ。

そんな敬愛するジェイミーに、約9年ぶりとなるフルアルバム「In Waves」についてのインタビューを敢行した。

「人生とは“波”のようなものだと気付くことができた」

——「In Waves」の“Wave”は、さまざまな比喩表現としても使われる言葉だと思いますが、今作にはどういった意図で用いたのでしょうか?

ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):広い意味では、僕がアルバムにかけた時間や、それまでに自分が体験したアップダウン、そして世界中の人々が体験したアップダウンを表している。僕はここ数年で、初めて物事を俯瞰して見るということができた。そして、人生とは“波”のようなものだと気付くことができたんだ。それができたから、今回のアルバムを完成させることができた。

——今作のアートワークは、強烈な波模様でかなりサイケデリックな印象があります。似たものだと、メルツバウ(Merzbow)の「Pulse Demon」などが思い出されますが、これはどのような意図がありましたか?

ジェイミー:衝撃的なものにしたいと思ったのと、僕の今までの作品のアートワークと似たようなテーマが感じられるものにしたいと思った。一連のコレクションになるようにね。また、今作のアートワークは、目の錯覚を起こすようなトリッピーなイメージにしたかった。アルバムの後半部分は特に顕著で、深いトンネルに落ちていくような不思議な感じがあると思うんだけど、それをアートワークで表現したかった。

——あなたのソロのアートワークには、共通してミニマリズムとマキシマリズムが共存しているように思えます。

ジェイミー:このアルバムに関しては、そうだと言えると思う。ここ数年リリースされている比較的ポップ寄りのダンスミュージックは結構ミニマルというか、ベーシックな方法で作られていて、僕はあまり心を動かされないんだ。聴いていて、何の感情も湧き起こらないんだよ。僕はそれに対抗して、今、世界的に使われているポピュラーな手法とは違うことを試みた。周りの状況や意見を気にすることなく、自分自身を信じて、自分にとって自然だと感じられることをやろうと思ったんだ。

サンプリングについて

——前作でも用いられていましたが、今作ではサンプリングがより多用されています。ただ、一口にサンプリングといっても、カットアップの手法に90年代以降のクラブミュージックからの直接的な影響を感じました。

ジェイミー:子供の頃に自分がやっていた音楽制作の方法に立ち返ったんだ。その頃は、自分が作った音楽なんて誰も聴いたことがなかったし、誰かに聴いてもらおうとも思っていなかった。その時の作り方が一番楽しかったから、またその方法で音楽を作ろうと思ったんだ。その方法というのが、サンプリングを多用することだった。90年代の音楽もサンプリングを起用したものが多かったと思う。それに、最近のダンスミュージックが聴けない時期とも重なったんだ。というのも、ダンスミュージックを聴くと、仕事のことを悪い方に考えて不安になってしまってね。だから古い音楽を聴いていて、アルバムではそんな時に聴いていた音源をたくさんサンプリングした。この点においても、自分のルーツに立ち返ったと言えるね。

——その時代のレジェンドとして、実際にアヴァランチーズ(The Avalanches)と共演していますが、彼らとの仕事はどうでしたか?

ジェイミー:素晴らしかったよ!彼らの1stアルバム「Since I Left You」(2000年)が出た時、僕はあのアルバムをループして、それから何年も聴いていたんだ。その経験によって、自分の音楽制作の基礎が形成されたと思う。あのアルバムが出た時、僕は11歳だったから、ちょうど自分で音楽を作る方法を学び始めていた頃だったんだ。アヴァランチーズに実際に会って、彼らの1stアルバムについて話したり、彼らがどうやって音楽を作っているのかについて聞いたりして仲を深めていった。今では、彼らがロサンゼルスに来る時は、僕の自宅に泊まることもある。逆に、僕がオーストラリアに行く時は、彼らと一緒に遊んだりする。自分が尊敬するヒーローに会うことができて、しかも自然な関係性を築くことができたのは、すごく特別なことだと思う。僕と彼らの音楽の作り方は上手くフィットしたんだけど、それは彼らの音楽をたくさん聴いて、彼らから学んできたから当然のことだよね。

——「All You Children」に続く「Every Single Weekend」も特徴的な子供の声のサンプルが使われていますが、あれは何かの曲からサンプリングしたものですか?

ジェイミー:あれも実はアヴァランチーズとコラボレーションした曲なんだ。最初に作ったバージョンはもっと尺の長いものだったんだけど、そっちのバージョンは今後、アヴァランチーズ名義でリリースできたらと思っている。僕たちは、子供の歌声が入ったサンプルをたくさんお互いに送り合っていた。彼らの得意とする分野だよね(笑)。
そして、僕たちはこの曲のバージョンをいくつも作った。だからアルバムに収録されているのは、長いバージョンを切り取ってつなげたものなんだよ。

——アルバムからの最初のシングル「Baddy On the Floor」のカットアップの部分で、ダフト・パンクの「One More Time」を思い出す人は多いかもしれません。

ジェイミー:その曲自体を意識したわけではないんだけど、僕はあの時代のダンスミュージック全般に大きな影響を受けてきた。ちょうど「Discovery」(01年)がリリースされていた頃に、音楽の作り方を勉強していたからね。彼らの音楽は、当時最もヒットしたポップソングだったけれど、それと同時にとても品があり、僕の幼少時代から大好きだった音源をサンプリングしていたり、参考にしたりしている上に、プロダクションが洗練されていた。そういった部分に影響を受けているから、自分の音楽においても、同じような感覚を呼び起こすものを作りたいと常に思っているんだ。

——サンプリングを用いるとなれば、一番苦労するのが権利のクリアランスかと思います。そこでのエピソードを聞かせてください。

ジェイミー:許諾を得るのは大変なものばかりだったよ。最近ではサンプリングをするのがさらに難しくなったからね。今回は自分のルーツに立ち返りたいという思いがあったから、サンプリングの許諾を得るのが大変でも、それをする必要があった。実は1曲だけ、どの部分もクリアランスが下りず、アルバムに収録できなかった曲があるんだ。いつかこの曲を完成させて、クリアランスが必要ないDJセットなんかでプレイできればいいけどね。

——オープニングトラック「Wanna」は、興奮を目前にした静けさをキャプチャしたかのようなアンビエントトラックですが、なぜこのような静かな幕開けにしたのでしょうか?

ジェイミー:そもそも、「Wanna」をアルバムの最初に持ってこようとは意図していなかったんだ。このアルバムのトラックリストを考えるのには、すごく時間をかけていて、この曲はアルバムの中盤に置いてあるパターンが多かった。もともとは自分のDJセットで、観客に静かな瞬間を与えて、リセットさせるために作った曲なんだよ。だけど、「Wanna」をアルバムの中盤に置いたバージョントラックリストで、アルバムをフォー・テット(Four Tet)に聞いてもらったら、彼の主な指摘は「『Wanna』を冒頭に持ってこい」ということだった。最初は彼の指摘はクレイジーだと思ったよ。でもそれを取り入れることにした。フォー・テットはいつも素晴らしいアドバイスをくれる。それがピッタリとハマったんだ。

「Dafodil」「Still Summer」「Life」「Breather」のこだわり

——「Dafodil」は、J.J.バーンズ(J.J. Barnes)の「I Just Make Believe (I’m Touching You)」と、アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)による同曲のカバーがサンプリングされていますよね。あの2曲がつながった瞬間は最高でした!これにはどのような狙いがあったのでしょうか?

ジェイミー:この曲ができた時に、「自分はまたソロアルバムを作れるのかもしれない」という段階だったんだ。この曲でも、自分が昔やっていたようなサンプリングの手法を使っている。ただ、今まで自分がやってきたサンプリングよりも面白い方法で使いたいとも思った。

それから、客演してくれているケルシー・ルー(Kelsey Lu)との関係が形になった曲でもあるんだ。彼女とは仲が良くて、一緒に時間を過ごしていた時期もあったんだけど、この曲は、僕とケルシーが出会った最初の夜について歌っている。アルバムの要所要所に、このような深い繋がりを表現したいと思ったんだ。

——「Dafodil」に関してもう1つ聞きたいのが、ケルシーのほかに、ヴィーガンとの仕事でも知られるジョン・グレイシャー(John Glacier)も参加していて、2人の声にはビットクラッシュのような特徴的なフィルターがかかっています。一方で(アニマル・コレクティヴの)パンダ・ベア(Panda Bear)の声にはボコーダーが使われていて、サンプルも含め、出自やシーンもバラバラな5人の声がカオスに混ざり合っています。このプロダクションにはどのような意図があったのでしょうか?

ジェイミー:もともとこの曲はケルシーだけが参加していたものだった。その後に、たくさんの人に「ロンドンでの楽しい夏の一夜」というテーマで、ヴァースを送ってもらうように頼んだんだ。だから、別のバージョンには30人くらいの人が参加しているものもあるんだよ。こっちのバージョンも、いつか完成させたいと思っている。アルバムのバージョンに起用したヴァースは、特に異質なものを選んだんだ。1つの曲でも、リスナーを壮大な旅に連れて行くことができて、なおかつ一貫性のあるものを作ることができるということを表したかった。

——「Still Summer」のグリッチエフェクトに衝撃を受けました。あれは具体的にどのような処理を施しているのでしょうか?

ジェイミー:あれは、間違いが重なってできたものなんだ。フロー状態に入って作っていたんだけど、特に何も考えずに、適当に、自由に制作をしていた。すべてが上手くいく最高な一日だった。技術的には、比較的シンプルなシンセのコードプログレッションを作っていて、それをリサンプリングして、引き伸ばして、逆再生してみたんだ。最終的にできた音はオーガニックな響きになったと思う。ノートパソコンから音を出しているというよりも、誰かがギターをかき鳴らしている音みたいだよね。

——「Life」での、ロビンとの仕事はいかがでしたか?

ジェイミー:とてもすてきな時間だったよ。いつでもそう。実は、彼女ともう何年も一緒に仕事をしてきているし、友人としても一緒に時間を過ごしてきた。彼女はキャリアが長いから、僕にとってはすごく良い刺激になるし、彼女と一緒に仕事すると、彼女から多くのことを学べるんだ。僕たちが今まで一緒に作ってきた音楽は、これまで正式に公開されることがなかったから、「Life」がリリースされてすごくうれしいよ。

——もともとつながりがあったんですね!この曲にはフランスのディスコグループ、リベラシオンによる「The House Of The Rising Sun」のカバーがサンプリングされていますが、それをロビンの歌と組み合わせるのは、とても素晴らしいアイデアだと思いました。

ジェイミー:サンプルを聴いた瞬間に、それをどうやって自分の曲に仕上げればいいのかというのがすぐにひらめいたという稀なケースだった。曲の仕上がりも実際に良かった。そして、ポップなメロディーを乗せるのが上手な人とコラボレーションするのが当然だと思ったし、僕が作ったトラックのテンションに負けない人とコラボレーションしたいと思ったんだ。ロビンとは既に仲良くなっていたし、僕たちはサウンドについての感性が似ているから、彼女なら僕が作曲したこのトラックを気に入ってくれると思った。僕が彼女にトラックを送ったら、彼女はすごく感激してくれて、ボーカルのパートを1日くらいで作って送り返してくれた。彼女のパートも完璧だった。

——「Breather」は、かなりアクロバティックというか、ダブステップやブレイクビーツといった複雑なリファレンスがある楽曲だと思うんですが、この曲にはどのようなバックボーンがありますか?

ジェイミー:「Idontknow」という曲を作って、パンデミックの最中にリリースしたんだけど、この曲は130BPMから160BPMに変わるんだ。

この切り替えは、比較的スローなダンスミュージックからジャングルにスイッチする時に便利なんだ。僕は自分のDJセットで、(早いテンポから)ハウスのテンポに戻るトラックを探していて、その時にこの方法を思いついた。それはシンコペーションされたシンセラインを使うというアイデアで、シンセラインは同じテンポでキープして、他の要素のテンポを変えるというものだった。「Breather」もこれが基本的なアイデアとして作られている。それに、さっきも話したような、大勢の観客の前でプレイする時に、冷静になれる瞬間を作って、観客が落ち着ける瞬間を作りたいという思いもあった。「Breather」は、パンデミックの中で作った曲なんだけど、この曲が完成した時に強く感じたのは、パンデミックが終わって世界がまた開けたら、この曲をみんなの前で早くプレイしたいなということだった。

「シャネル」とのコラボ

——今年の初めには「シャネル(CHANEL)」とのコラボレーションで「It's So Good」をリリースしましたね。この曲はUKファンキーとハウスが混在していますが、あなたのこのセンスは、サイエンティストというより、パヒューマーに近いと思います。なぜ、複雑なものを美しくまとめ上げることができるのですか?

ジェイミー:すてきなコメントをありがとう。どうやってできるのかは分からないけれど、この曲に関しては、あまりプレッシャーを感じることなく、自由に表現できる機会だったからかもしれない。「シャネル」が僕にアプローチしてきて、「あなたの自由にして良いですよ」と言ってくれたんだ。素晴らしい会社の支援があって、自由に音楽制作ができるというのは本当に最高だった。「シャネル」というブランドも、このプロジェクトに携わっていたクリエイターの人たちもみんな寛容だったから、プレッシャーをあまり感じることなく、少し変わったことをやってみてもいいんだ、という気持ちにさせてくれた。

——では、経緯としては「シャネル」から連絡があり、「自由に音楽を作ってください」という感じだったんですね?

ジェイミー:そうだよ。「シャネル」という大企業がここまで自由にやらせてくれるのは、とても稀なことだと思う。だからあの機会を与えてもらったことにはとても感謝しているよ。

The xxについて

——先日のグラストンベリーのステージでも、(ザ・エックス・エックスの)ロミー(Romy)とオリヴァー・シム(Oliver Sim)が登場した瞬間は特に盛り上がっていましたが、今作の「Waited All Night」を聴いた瞬間も同じような高揚感を覚えました。やはり、3人が集まった瞬間のマジックは存在しますか?

ジェイミー:確かに存在するね。それを言葉にするのは難しい。彼らとはもう長い付き合いになるけれど、今でも、そういうマジカルな瞬間があるんだ。僕たちは、普通に友達としてもよく一緒に遊んでいて、しょっちゅう会っているんだけどね!(笑)。

でも3人で音楽を作ると、言葉では言い表せない何かが起きる。この前のグラストンベリーでもそうだった。BBCの撮影が入っているのも知っていたし、その映像を大勢の人が見ることも分かっていたけれど、彼らと一緒にいることがうれしすぎて、僕は笑顔を隠しきれなかった。野暮ったく見えてないといいんだけど、僕にとっては最高に楽しい瞬間だったよ。

——たくさんの人が感動している瞬間でしたよ! 今年は「The xx」(09年)のリリースから15周年のアニバーサリーでもありますね。遠くないうちにまた3人の音楽も聴けるのでしょうか?

ジェイミー:遠くないうちかどうかは分からないけれど、僕たちは3人でまた音楽を作り始めている。まだ初期段階だけど、僕たちから今後、音楽がリリースされることは間違いないよ。

■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
※デジタル/ストリーミング配信は9月20日から。
CD 国内盤 (解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14157

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ジェイミー・xxが語る最新作「In Waves」と「サンプリング」、そしてThe xxについて

ロンドンが生んだ稀代の才能も、気付けば随分とキャリアを重ねていた。私は幸運にも、彼の偉大な始まりに直撃し、彼の音楽と共に過ごしてきたわけだがザ・エックス・エックス(The xx)が2009年に最初のレコードをリリースしてから、15年もの月日が経ったことがいまだに信じられない。

ジェイムズ・スミスというありふれた名前の青年は、バンドでデビューした20歳の頃から、ジェイミー・エックス・エックス(Jamie xx)という奇妙なステージネームを名乗っている。極めてシンプルでありながら、なぜか派手派手しくもあり、とは言いつつも洗練されたその名は、彼の作家性とフィロソフィーそのものを表しているのではないだろうか。

初めてザ・エックス・エックスの「VCR」を聴いた当時14歳の私は、ギターを始めたてで、いとも簡単に演奏できるこの曲のフレーズを繰り返し弾いていた。トイピアノに似たキュートでアイコニックなサウンドと、シンプルなギターフレーズとベースラインが印象的であるが、ただ、その裏で巧みに抜き差しされるビートの妙に気付くのは、かなり後のこと。ミニマルとマキシマムを行き来する、彼の音楽について気付きが増えるたびに、彼のあまりにもオルタナティブな才能に圧倒され、なぜか落ち込んでしまう。

また彼は、弱冠22歳でギル・スコット・ヘロンの遺作のリミックスを買って出る、気骨のある人間だ。そのリミックスアルバムが、ソロキャリアの始まりであることも恐ろしいが、それがまた超エポックメイキングなのである。この「We're New Here」(2011年)と、ソロ1stアルバム「In Colour」(15年)に共通して感じたのは、サンプリングを用いる中で見せる引用元へのリスペクトと音楽への愛。サンプリングは、引用元の楽曲のストーリーテリングを更新することができる特別な表現方法であるが、彼は自身がティーンだった頃にダンスシーンで活躍していたレジェンドたちから、それを学び取った。

最新作「In Waves」は、彼の原点となったサンプリングミュージックと、現行のシーンに新風を吹き込む若い世代の音楽の両方に敬意を払った作品であり、そのぶつかり合う波の中で彼自身にとって最適なものを探求している。ただ、個人的でありながらも、オーディエンスへの目線は欠かさず、私たちにデリバーするそのカリスマ性とバランス感覚には敬服するばかりだ。

そんな敬愛するジェイミーに、約9年ぶりとなるフルアルバム「In Waves」についてのインタビューを敢行した。

「人生とは“波”のようなものだと気付くことができた」

——「In Waves」の“Wave”は、さまざまな比喩表現としても使われる言葉だと思いますが、今作にはどういった意図で用いたのでしょうか?

ジェイミー・エックス・エックス(以下、ジェイミー):広い意味では、僕がアルバムにかけた時間や、それまでに自分が体験したアップダウン、そして世界中の人々が体験したアップダウンを表している。僕はここ数年で、初めて物事を俯瞰して見るということができた。そして、人生とは“波”のようなものだと気付くことができたんだ。それができたから、今回のアルバムを完成させることができた。

——今作のアートワークは、強烈な波模様でかなりサイケデリックな印象があります。似たものだと、メルツバウ(Merzbow)の「Pulse Demon」などが思い出されますが、これはどのような意図がありましたか?

ジェイミー:衝撃的なものにしたいと思ったのと、僕の今までの作品のアートワークと似たようなテーマが感じられるものにしたいと思った。一連のコレクションになるようにね。また、今作のアートワークは、目の錯覚を起こすようなトリッピーなイメージにしたかった。アルバムの後半部分は特に顕著で、深いトンネルに落ちていくような不思議な感じがあると思うんだけど、それをアートワークで表現したかった。

——あなたのソロのアートワークには、共通してミニマリズムとマキシマリズムが共存しているように思えます。

ジェイミー:このアルバムに関しては、そうだと言えると思う。ここ数年リリースされている比較的ポップ寄りのダンスミュージックは結構ミニマルというか、ベーシックな方法で作られていて、僕はあまり心を動かされないんだ。聴いていて、何の感情も湧き起こらないんだよ。僕はそれに対抗して、今、世界的に使われているポピュラーな手法とは違うことを試みた。周りの状況や意見を気にすることなく、自分自身を信じて、自分にとって自然だと感じられることをやろうと思ったんだ。

サンプリングについて

——前作でも用いられていましたが、今作ではサンプリングがより多用されています。ただ、一口にサンプリングといっても、カットアップの手法に90年代以降のクラブミュージックからの直接的な影響を感じました。

ジェイミー:子供の頃に自分がやっていた音楽制作の方法に立ち返ったんだ。その頃は、自分が作った音楽なんて誰も聴いたことがなかったし、誰かに聴いてもらおうとも思っていなかった。その時の作り方が一番楽しかったから、またその方法で音楽を作ろうと思ったんだ。その方法というのが、サンプリングを多用することだった。90年代の音楽もサンプリングを起用したものが多かったと思う。それに、最近のダンスミュージックが聴けない時期とも重なったんだ。というのも、ダンスミュージックを聴くと、仕事のことを悪い方に考えて不安になってしまってね。だから古い音楽を聴いていて、アルバムではそんな時に聴いていた音源をたくさんサンプリングした。この点においても、自分のルーツに立ち返ったと言えるね。

——その時代のレジェンドとして、実際にアヴァランチーズ(The Avalanches)と共演していますが、彼らとの仕事はどうでしたか?

ジェイミー:素晴らしかったよ!彼らの1stアルバム「Since I Left You」(2000年)が出た時、僕はあのアルバムをループして、それから何年も聴いていたんだ。その経験によって、自分の音楽制作の基礎が形成されたと思う。あのアルバムが出た時、僕は11歳だったから、ちょうど自分で音楽を作る方法を学び始めていた頃だったんだ。アヴァランチーズに実際に会って、彼らの1stアルバムについて話したり、彼らがどうやって音楽を作っているのかについて聞いたりして仲を深めていった。今では、彼らがロサンゼルスに来る時は、僕の自宅に泊まることもある。逆に、僕がオーストラリアに行く時は、彼らと一緒に遊んだりする。自分が尊敬するヒーローに会うことができて、しかも自然な関係性を築くことができたのは、すごく特別なことだと思う。僕と彼らの音楽の作り方は上手くフィットしたんだけど、それは彼らの音楽をたくさん聴いて、彼らから学んできたから当然のことだよね。

——「All You Children」に続く「Every Single Weekend」も特徴的な子供の声のサンプルが使われていますが、あれは何かの曲からサンプリングしたものですか?

ジェイミー:あれも実はアヴァランチーズとコラボレーションした曲なんだ。最初に作ったバージョンはもっと尺の長いものだったんだけど、そっちのバージョンは今後、アヴァランチーズ名義でリリースできたらと思っている。僕たちは、子供の歌声が入ったサンプルをたくさんお互いに送り合っていた。彼らの得意とする分野だよね(笑)。
そして、僕たちはこの曲のバージョンをいくつも作った。だからアルバムに収録されているのは、長いバージョンを切り取ってつなげたものなんだよ。

——アルバムからの最初のシングル「Baddy On the Floor」のカットアップの部分で、ダフト・パンクの「One More Time」を思い出す人は多いかもしれません。

ジェイミー:その曲自体を意識したわけではないんだけど、僕はあの時代のダンスミュージック全般に大きな影響を受けてきた。ちょうど「Discovery」(01年)がリリースされていた頃に、音楽の作り方を勉強していたからね。彼らの音楽は、当時最もヒットしたポップソングだったけれど、それと同時にとても品があり、僕の幼少時代から大好きだった音源をサンプリングしていたり、参考にしたりしている上に、プロダクションが洗練されていた。そういった部分に影響を受けているから、自分の音楽においても、同じような感覚を呼び起こすものを作りたいと常に思っているんだ。

——サンプリングを用いるとなれば、一番苦労するのが権利のクリアランスかと思います。そこでのエピソードを聞かせてください。

ジェイミー:許諾を得るのは大変なものばかりだったよ。最近ではサンプリングをするのがさらに難しくなったからね。今回は自分のルーツに立ち返りたいという思いがあったから、サンプリングの許諾を得るのが大変でも、それをする必要があった。実は1曲だけ、どの部分もクリアランスが下りず、アルバムに収録できなかった曲があるんだ。いつかこの曲を完成させて、クリアランスが必要ないDJセットなんかでプレイできればいいけどね。

——オープニングトラック「Wanna」は、興奮を目前にした静けさをキャプチャしたかのようなアンビエントトラックですが、なぜこのような静かな幕開けにしたのでしょうか?

ジェイミー:そもそも、「Wanna」をアルバムの最初に持ってこようとは意図していなかったんだ。このアルバムのトラックリストを考えるのには、すごく時間をかけていて、この曲はアルバムの中盤に置いてあるパターンが多かった。もともとは自分のDJセットで、観客に静かな瞬間を与えて、リセットさせるために作った曲なんだよ。だけど、「Wanna」をアルバムの中盤に置いたバージョントラックリストで、アルバムをフォー・テット(Four Tet)に聞いてもらったら、彼の主な指摘は「『Wanna』を冒頭に持ってこい」ということだった。最初は彼の指摘はクレイジーだと思ったよ。でもそれを取り入れることにした。フォー・テットはいつも素晴らしいアドバイスをくれる。それがピッタリとハマったんだ。

「Dafodil」「Still Summer」「Life」「Breather」のこだわり

——「Dafodil」は、J.J.バーンズ(J.J. Barnes)の「I Just Make Believe (I’m Touching You)」と、アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)による同曲のカバーがサンプリングされていますよね。あの2曲がつながった瞬間は最高でした!これにはどのような狙いがあったのでしょうか?

ジェイミー:この曲ができた時に、「自分はまたソロアルバムを作れるのかもしれない」という段階だったんだ。この曲でも、自分が昔やっていたようなサンプリングの手法を使っている。ただ、今まで自分がやってきたサンプリングよりも面白い方法で使いたいとも思った。

それから、客演してくれているケルシー・ルー(Kelsey Lu)との関係が形になった曲でもあるんだ。彼女とは仲が良くて、一緒に時間を過ごしていた時期もあったんだけど、この曲は、僕とケルシーが出会った最初の夜について歌っている。アルバムの要所要所に、このような深い繋がりを表現したいと思ったんだ。

——「Dafodil」に関してもう1つ聞きたいのが、ケルシーのほかに、ヴィーガンとの仕事でも知られるジョン・グレイシャー(John Glacier)も参加していて、2人の声にはビットクラッシュのような特徴的なフィルターがかかっています。一方で(アニマル・コレクティヴの)パンダ・ベア(Panda Bear)の声にはボコーダーが使われていて、サンプルも含め、出自やシーンもバラバラな5人の声がカオスに混ざり合っています。このプロダクションにはどのような意図があったのでしょうか?

ジェイミー:もともとこの曲はケルシーだけが参加していたものだった。その後に、たくさんの人に「ロンドンでの楽しい夏の一夜」というテーマで、ヴァースを送ってもらうように頼んだんだ。だから、別のバージョンには30人くらいの人が参加しているものもあるんだよ。こっちのバージョンも、いつか完成させたいと思っている。アルバムのバージョンに起用したヴァースは、特に異質なものを選んだんだ。1つの曲でも、リスナーを壮大な旅に連れて行くことができて、なおかつ一貫性のあるものを作ることができるということを表したかった。

——「Still Summer」のグリッチエフェクトに衝撃を受けました。あれは具体的にどのような処理を施しているのでしょうか?

ジェイミー:あれは、間違いが重なってできたものなんだ。フロー状態に入って作っていたんだけど、特に何も考えずに、適当に、自由に制作をしていた。すべてが上手くいく最高な一日だった。技術的には、比較的シンプルなシンセのコードプログレッションを作っていて、それをリサンプリングして、引き伸ばして、逆再生してみたんだ。最終的にできた音はオーガニックな響きになったと思う。ノートパソコンから音を出しているというよりも、誰かがギターをかき鳴らしている音みたいだよね。

——「Life」での、ロビンとの仕事はいかがでしたか?

ジェイミー:とてもすてきな時間だったよ。いつでもそう。実は、彼女ともう何年も一緒に仕事をしてきているし、友人としても一緒に時間を過ごしてきた。彼女はキャリアが長いから、僕にとってはすごく良い刺激になるし、彼女と一緒に仕事すると、彼女から多くのことを学べるんだ。僕たちが今まで一緒に作ってきた音楽は、これまで正式に公開されることがなかったから、「Life」がリリースされてすごくうれしいよ。

——もともとつながりがあったんですね!この曲にはフランスのディスコグループ、リベラシオンによる「The House Of The Rising Sun」のカバーがサンプリングされていますが、それをロビンの歌と組み合わせるのは、とても素晴らしいアイデアだと思いました。

ジェイミー:サンプルを聴いた瞬間に、それをどうやって自分の曲に仕上げればいいのかというのがすぐにひらめいたという稀なケースだった。曲の仕上がりも実際に良かった。そして、ポップなメロディーを乗せるのが上手な人とコラボレーションするのが当然だと思ったし、僕が作ったトラックのテンションに負けない人とコラボレーションしたいと思ったんだ。ロビンとは既に仲良くなっていたし、僕たちはサウンドについての感性が似ているから、彼女なら僕が作曲したこのトラックを気に入ってくれると思った。僕が彼女にトラックを送ったら、彼女はすごく感激してくれて、ボーカルのパートを1日くらいで作って送り返してくれた。彼女のパートも完璧だった。

——「Breather」は、かなりアクロバティックというか、ダブステップやブレイクビーツといった複雑なリファレンスがある楽曲だと思うんですが、この曲にはどのようなバックボーンがありますか?

ジェイミー:「Idontknow」という曲を作って、パンデミックの最中にリリースしたんだけど、この曲は130BPMから160BPMに変わるんだ。

この切り替えは、比較的スローなダンスミュージックからジャングルにスイッチする時に便利なんだ。僕は自分のDJセットで、(早いテンポから)ハウスのテンポに戻るトラックを探していて、その時にこの方法を思いついた。それはシンコペーションされたシンセラインを使うというアイデアで、シンセラインは同じテンポでキープして、他の要素のテンポを変えるというものだった。「Breather」もこれが基本的なアイデアとして作られている。それに、さっきも話したような、大勢の観客の前でプレイする時に、冷静になれる瞬間を作って、観客が落ち着ける瞬間を作りたいという思いもあった。「Breather」は、パンデミックの中で作った曲なんだけど、この曲が完成した時に強く感じたのは、パンデミックが終わって世界がまた開けたら、この曲をみんなの前で早くプレイしたいなということだった。

「シャネル」とのコラボ

——今年の初めには「シャネル(CHANEL)」とのコラボレーションで「It's So Good」をリリースしましたね。この曲はUKファンキーとハウスが混在していますが、あなたのこのセンスは、サイエンティストというより、パヒューマーに近いと思います。なぜ、複雑なものを美しくまとめ上げることができるのですか?

ジェイミー:すてきなコメントをありがとう。どうやってできるのかは分からないけれど、この曲に関しては、あまりプレッシャーを感じることなく、自由に表現できる機会だったからかもしれない。「シャネル」が僕にアプローチしてきて、「あなたの自由にして良いですよ」と言ってくれたんだ。素晴らしい会社の支援があって、自由に音楽制作ができるというのは本当に最高だった。「シャネル」というブランドも、このプロジェクトに携わっていたクリエイターの人たちもみんな寛容だったから、プレッシャーをあまり感じることなく、少し変わったことをやってみてもいいんだ、という気持ちにさせてくれた。

——では、経緯としては「シャネル」から連絡があり、「自由に音楽を作ってください」という感じだったんですね?

ジェイミー:そうだよ。「シャネル」という大企業がここまで自由にやらせてくれるのは、とても稀なことだと思う。だからあの機会を与えてもらったことにはとても感謝しているよ。

The xxについて

——先日のグラストンベリーのステージでも、(ザ・エックス・エックスの)ロミー(Romy)とオリヴァー・シム(Oliver Sim)が登場した瞬間は特に盛り上がっていましたが、今作の「Waited All Night」を聴いた瞬間も同じような高揚感を覚えました。やはり、3人が集まった瞬間のマジックは存在しますか?

ジェイミー:確かに存在するね。それを言葉にするのは難しい。彼らとはもう長い付き合いになるけれど、今でも、そういうマジカルな瞬間があるんだ。僕たちは、普通に友達としてもよく一緒に遊んでいて、しょっちゅう会っているんだけどね!(笑)。

でも3人で音楽を作ると、言葉では言い表せない何かが起きる。この前のグラストンベリーでもそうだった。BBCの撮影が入っているのも知っていたし、その映像を大勢の人が見ることも分かっていたけれど、彼らと一緒にいることがうれしすぎて、僕は笑顔を隠しきれなかった。野暮ったく見えてないといいんだけど、僕にとっては最高に楽しい瞬間だったよ。

——たくさんの人が感動している瞬間でしたよ! 今年は「The xx」(09年)のリリースから15周年のアニバーサリーでもありますね。遠くないうちにまた3人の音楽も聴けるのでしょうか?

ジェイミー:遠くないうちかどうかは分からないけれど、僕たちは3人でまた音楽を作り始めている。まだ初期段階だけど、僕たちから今後、音楽がリリースされることは間違いないよ。

■Jamie xx ニューアルバム「In Waves」
2024年9月18日リリース
※デジタル/ストリーミング配信は9月20日から。
CD 国内盤 (解説書・ボーナストラック追加収録):2860円
CD 輸入盤: 2420円
LP 限定盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル): 5280円
LP 国内盤 (数量限定/ホワイト・ヴァイナル/日本語帯付き): 5610円
LP 輸入盤:4950円
CD 国内盤 + T-Shirts(Black):8360円
LP 国内盤 + T-Shirts(White):1万1550円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14157

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ネイルアーティストの地位向上! レディー•ガガやビヨンセを顧客に持つ日本人セレブリティーネイルアーティストが語る業界改革

PROFILE: MIHO/ネイルアーティスト

MIHO/ネイルアーティスト
PROFILE: 専門学校卒業後、東京のネイルサロンに勤務。同サロンの海外進出に伴い渡米、ロサンゼルスで店舗立ち上げに携わる。その後、そのままロサンゼルスで独立。現在はレディー•ガガやビヨンセを顧客に持つセレブリティネイルアーティストとして活動する。 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
ロサンゼルスを拠点に活動する日本人ネイルアーティストのMIHO。レディー•ガガやビヨンセをはじめとする一流アーティストのネイルを手がける。東京で勤めていたネイルサロンの海外進出に伴い渡米、その後そのままロサンゼルスで独立した。独立後は、セレブの急な依頼にも答えられる体制を整え、多くのセレブを顧客に抱える。雑誌や広告撮影は”ギャラ0”で数をこなした下積み時代を経て、今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」と言われるポジションになりつつある。そんな彼女がロサンゼルスを拠点に挑戦を続けてきた中で目指した “ネイルアーティストの地位向上”とは何か。

WWD:ロサンゼルスでネイルアーティストとなったきっかけを教えてください。

MIHO:専門学校卒業後は東京のネイルサロンに勤めていたのですが、そのサロンの海外出店がきっかけです。元々、海外でネイルアーティストになるのを志していた訳ではないのですが、ロサンゼルス店の立ち上げメンバーに指名された時に勢いで挑戦することにしました。東京のサロンに勤めていて自分の伸びしろの限界を感じていたし、「ロサンゼルスでオープンって超未知じゃん!」と思って飛び込みました。その立ち上げたサロンが目立つストリートに出店したことや、当時日本のネイルアートが注目され始めていたことが追い風となって口コミが広がり、セレブリティーたちが来店してくれるようになりました。最初はケシャ(Ke$ha)やカイリー•ジェンナー(Kylie Jenner)等が来てくれたかな。そこで2年ほど働いた後に、「人生1回しかないし、自分の実力を試してみたい!」と思ってそのままロサンゼルスで独立したのですが、引き続き自分の店に来てくれるお客さまがいて嬉しかったのを覚えています。

ギャラ“0”から積み上げたキャリアでレディー•ガガのMV撮影に携わる


WWD:雑誌や広告撮影などの仕事にはどのように結びついていったのですか?

MIHO:最初、お金は出せないけれど雑誌の表紙撮影のネイルをやってくれないかと言われて、フリーで数をこなしていました。それをインスタグラムに投稿していったら、履歴が積み上がって、仕事が広がっていったという感じです。今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」っていうポジションになりつつあって、ありがたいことに「MIHOを呼ぼう」みたいな安心感を持ってもらっていると思います。

WWD:広告撮影の中で現場での印象的なエピソードはありますか?

MIHO:レディー•ガガ(Lady Gaga)とアリアナ・グランデ(Ariana Grande)がコラボした”rain on me”という曲があるんですけど、そのMV撮影ですね。衣装がピンクでガチャガチャして派手な感じだったんですけど、ネイルは黒でめっちゃシンプルがいいって言われてたんですよ。でも、「ゴリゴリだからゴリゴリじゃね? こんな派手な衣装なのにネイルが黒だけかよ!」と思ったので、3パターンぐらい作って「第一本命は派手なピンクのネイルなんだけど……」という感じで派手なネイルを見せると「これにする!」って一番ガチャガチャなネイルを選んでくれました。この衣装とセットと音楽だったらと思って提案したら、めちゃくちゃ映えてよかったこともありました。

セレブからリピートされるMIHOさんのクリエイティブのポイントはどこにあると思いますか。

MIHO:みんなに驚かれるのは、どんな撮影でもネイルを“現場”で作ることです。他のネイルアーティストは前もって準備していく人が多いんですけど、色や素材の見え方は現場でないと分からないし、何を使うかも当日に変わるので、撮影に行ったらまずスタイリストのところに行ってその日の衣装候補を見て、ヘアメイクにはどんな色が使われるのか確認します。現場でありったけのインプットをして、超スピーディーに作っています。そのほうがクリエイションの面で効率的だし、インスピレーションをそのまま落とし込んだフレッシュな作品を作れます。撮影は生ものなので臨機応変に対応できる能力と、瞬発的にデザインを起こせる能力が他の人よりも長けているのを評価されているのかもしれません。

目指してきたのは「ネイルアーティストの地位向上」

WWD:元々セレブリティーのネイルを担当する目標があったのですか?

MIHO:全然なかったです。むしろそういう海外セレブやアーティストに疎い方で。でも、海外でネイルアーティストとして活動するにあたって“ネイルアーティストの地位向上”を目標に仕事をしていたので、影響力が大きくて、評価が直結しやすい彼女たちに必要と思ってもらえる存在になればなるほど、必然的に目標になっていきました。彼女たちと関わることで、“ネイル”がかっこいい武器になるんだっていうのを見せることができると思っています。

WWD:ネイルアーティストの地位向上とは具体的にはどういうことですか?

MIHO:ネイル業界全体のボトムアップです。ネイルアーティストの収入やイメージを上げることで業界を変えたい。そのためのアイコンが必要なので自分がその役割を担おうと思いました。だから独立後は、お店に出向くレベルではないセレブ層に向けたネイルとより尖った表現が必要なことに気付きました。そのニーズを考えた時に、「今からネイルをしたい」というセレブたちの急なオーダーにも対応できるよう、時間をコントロールする必要がありました。いつでも対応可能な時間を確保する代わりに客単価を上げる方針に変えたんです。それがハマり、客層が変わっていきました。

WWD:撮影現場などで地位が向上したと感じることはありますか?

MIHO:元々アメリカのネイルサロンは爪を切るだけのような場所だったんです。それに、アメリカではネイルアーティストのことを、マニキュリストもしくはネイルテックって呼ぶんですよ。このネーミングが良くないって思って、当初から自分のことを「ジャパニーズネイルアーティスト」って呼んでいたんです。それを続けていたら定着してきて、今では撮影現場の表記が「ネイルアーティスト」に変わりました。この名前は私たちが作ったという自負があるほどです。

印象的なのは、レディー•ガガの「ドン・ペリニヨン(DOM PERIGNON)」のキャンペーン撮影です。YouTubeのメイキング動画で関わったヘアやメイクアップアーティストと共に自分のインタビュー動画も公開されました。それまで、ネイルアーティストが他のスタッフと横並びに語られることは少なかったと思うので、撮影現場でネイルアーティストの地位向上に貢献できて嬉しかったです。

他にも、かつて「マニキュアリスト」だけだった業界が「ネイルアーティスト」の世界になって、ネイルをかっこいいと思って憧れる子たちが増えてきました。ギャラについても有名なネイルアーティストと「うちらがギャラをあげなくてどうすんの!」って話をして、みんなで底上げしようと挑戦しています。アシスタントも潤うという目的を持って続けてきた結果、その輪が広がった感じがあります。この10年でアメリカでのネイルアーティストの地位を上げることができたと思っています。

世界で活躍するネイルアーティストが思う日本のネイル業界の問題点

WWD:MIHOさんからみた日本のネイル業界の課題は何ですか?

MIHO:日本を出て10年が経って、ネイル業界はあまり進化していないと感じます。むしろ価格競争が加速して、ネイルアーティストが以前よりも厳しい状況にあることに驚きました。私は海外でジャパニーズネイルアートが評価されていることや、日本人だから信用された点で得をしたことも多いので、日本のネイルアーティストがこんなに稼げてない状況に危機感を覚えました。客数には限りがあるので、低価格を競い合って……意味が分からない状態になっている。次は、ここから10年をかけて国内のネイルアーティストの地位を上げようと考えています。

WWD:たとえばどんなことを?

MIHO:まず、ネイルを継続する顧客を増やしたい。ヘアメイクは継続的に施術を受けるわりにネイルだけ続かないんです。爪が痛んだり、時間がかかったり、自分でネイルを落とすことが困難だったり。そんな悩みを解決するような商品を開発しています。溶剤にアセトンなどのケミカルな成分も使わず、爪の表面を削る必要もないので、通常30分程度かかってしまうネイルのオフを5分で終わらせることができて、なんなら自分でできるという商品です。

これで施術時間を短縮できて回転率を上げることが可能になります。ただ、ネイルアーティストは客数を増やすことよりも、高い技術を提供しているという自信を持って価格を上げてほしいです。日本のネイルアーティストは予約を埋めることにとらわれすぎていると思います。予約が埋まったからといって技術を評価してくれているわけでも、一人ひとりの悩みを解決しているわけでもない。客数が多いことだけの自己満足です。そういった課題を自分の活動を通して解決したいし、日本のネイル業界の改革につなげていきたいです。

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ネイルアーティストの地位向上! レディー•ガガやビヨンセを顧客に持つ日本人セレブリティーネイルアーティストが語る業界改革

PROFILE: MIHO/ネイルアーティスト

MIHO/ネイルアーティスト
PROFILE: 専門学校卒業後、東京のネイルサロンに勤務。同サロンの海外進出に伴い渡米、ロサンゼルスで店舗立ち上げに携わる。その後、そのままロサンゼルスで独立。現在はレディー•ガガやビヨンセを顧客に持つセレブリティネイルアーティストとして活動する。 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
ロサンゼルスを拠点に活動する日本人ネイルアーティストのMIHO。レディー•ガガやビヨンセをはじめとする一流アーティストのネイルを手がける。東京で勤めていたネイルサロンの海外進出に伴い渡米、その後そのままロサンゼルスで独立した。独立後は、セレブの急な依頼にも答えられる体制を整え、多くのセレブを顧客に抱える。雑誌や広告撮影は”ギャラ0”で数をこなした下積み時代を経て、今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」と言われるポジションになりつつある。そんな彼女がロサンゼルスを拠点に挑戦を続けてきた中で目指した “ネイルアーティストの地位向上”とは何か。

WWD:ロサンゼルスでネイルアーティストとなったきっかけを教えてください。

MIHO:専門学校卒業後は東京のネイルサロンに勤めていたのですが、そのサロンの海外出店がきっかけです。元々、海外でネイルアーティストになるのを志していた訳ではないのですが、ロサンゼルス店の立ち上げメンバーに指名された時に勢いで挑戦することにしました。東京のサロンに勤めていて自分の伸びしろの限界を感じていたし、「ロサンゼルスでオープンって超未知じゃん!」と思って飛び込みました。その立ち上げたサロンが目立つストリートに出店したことや、当時日本のネイルアートが注目され始めていたことが追い風となって口コミが広がり、セレブリティーたちが来店してくれるようになりました。最初はケシャ(Ke$ha)やカイリー•ジェンナー(Kylie Jenner)等が来てくれたかな。そこで2年ほど働いた後に、「人生1回しかないし、自分の実力を試してみたい!」と思ってそのままロサンゼルスで独立したのですが、引き続き自分の店に来てくれるお客さまがいて嬉しかったのを覚えています。

ギャラ“0”から積み上げたキャリアでレディー•ガガのMV撮影に携わる


WWD:雑誌や広告撮影などの仕事にはどのように結びついていったのですか?

MIHO:最初、お金は出せないけれど雑誌の表紙撮影のネイルをやってくれないかと言われて、フリーで数をこなしていました。それをインスタグラムに投稿していったら、履歴が積み上がって、仕事が広がっていったという感じです。今では撮影で「MIHOに言ったらなんとかなる」っていうポジションになりつつあって、ありがたいことに「MIHOを呼ぼう」みたいな安心感を持ってもらっていると思います。

WWD:広告撮影の中で現場での印象的なエピソードはありますか?

MIHO:レディー•ガガ(Lady Gaga)とアリアナ・グランデ(Ariana Grande)がコラボした”rain on me”という曲があるんですけど、そのMV撮影ですね。衣装がピンクでガチャガチャして派手な感じだったんですけど、ネイルは黒でめっちゃシンプルがいいって言われてたんですよ。でも、「ゴリゴリだからゴリゴリじゃね? こんな派手な衣装なのにネイルが黒だけかよ!」と思ったので、3パターンぐらい作って「第一本命は派手なピンクのネイルなんだけど……」という感じで派手なネイルを見せると「これにする!」って一番ガチャガチャなネイルを選んでくれました。この衣装とセットと音楽だったらと思って提案したら、めちゃくちゃ映えてよかったこともありました。

セレブからリピートされるMIHOさんのクリエイティブのポイントはどこにあると思いますか。

MIHO:みんなに驚かれるのは、どんな撮影でもネイルを“現場”で作ることです。他のネイルアーティストは前もって準備していく人が多いんですけど、色や素材の見え方は現場でないと分からないし、何を使うかも当日に変わるので、撮影に行ったらまずスタイリストのところに行ってその日の衣装候補を見て、ヘアメイクにはどんな色が使われるのか確認します。現場でありったけのインプットをして、超スピーディーに作っています。そのほうがクリエイションの面で効率的だし、インスピレーションをそのまま落とし込んだフレッシュな作品を作れます。撮影は生ものなので臨機応変に対応できる能力と、瞬発的にデザインを起こせる能力が他の人よりも長けているのを評価されているのかもしれません。

目指してきたのは「ネイルアーティストの地位向上」

WWD:元々セレブリティーのネイルを担当する目標があったのですか?

MIHO:全然なかったです。むしろそういう海外セレブやアーティストに疎い方で。でも、海外でネイルアーティストとして活動するにあたって“ネイルアーティストの地位向上”を目標に仕事をしていたので、影響力が大きくて、評価が直結しやすい彼女たちに必要と思ってもらえる存在になればなるほど、必然的に目標になっていきました。彼女たちと関わることで、“ネイル”がかっこいい武器になるんだっていうのを見せることができると思っています。

WWD:ネイルアーティストの地位向上とは具体的にはどういうことですか?

MIHO:ネイル業界全体のボトムアップです。ネイルアーティストの収入やイメージを上げることで業界を変えたい。そのためのアイコンが必要なので自分がその役割を担おうと思いました。だから独立後は、お店に出向くレベルではないセレブ層に向けたネイルとより尖った表現が必要なことに気付きました。そのニーズを考えた時に、「今からネイルをしたい」というセレブたちの急なオーダーにも対応できるよう、時間をコントロールする必要がありました。いつでも対応可能な時間を確保する代わりに客単価を上げる方針に変えたんです。それがハマり、客層が変わっていきました。

WWD:撮影現場などで地位が向上したと感じることはありますか?

MIHO:元々アメリカのネイルサロンは爪を切るだけのような場所だったんです。それに、アメリカではネイルアーティストのことを、マニキュリストもしくはネイルテックって呼ぶんですよ。このネーミングが良くないって思って、当初から自分のことを「ジャパニーズネイルアーティスト」って呼んでいたんです。それを続けていたら定着してきて、今では撮影現場の表記が「ネイルアーティスト」に変わりました。この名前は私たちが作ったという自負があるほどです。

印象的なのは、レディー•ガガの「ドン・ペリニヨン(DOM PERIGNON)」のキャンペーン撮影です。YouTubeのメイキング動画で関わったヘアやメイクアップアーティストと共に自分のインタビュー動画も公開されました。それまで、ネイルアーティストが他のスタッフと横並びに語られることは少なかったと思うので、撮影現場でネイルアーティストの地位向上に貢献できて嬉しかったです。

他にも、かつて「マニキュアリスト」だけだった業界が「ネイルアーティスト」の世界になって、ネイルをかっこいいと思って憧れる子たちが増えてきました。ギャラについても有名なネイルアーティストと「うちらがギャラをあげなくてどうすんの!」って話をして、みんなで底上げしようと挑戦しています。アシスタントも潤うという目的を持って続けてきた結果、その輪が広がった感じがあります。この10年でアメリカでのネイルアーティストの地位を上げることができたと思っています。

世界で活躍するネイルアーティストが思う日本のネイル業界の問題点

WWD:MIHOさんからみた日本のネイル業界の課題は何ですか?

MIHO:日本を出て10年が経って、ネイル業界はあまり進化していないと感じます。むしろ価格競争が加速して、ネイルアーティストが以前よりも厳しい状況にあることに驚きました。私は海外でジャパニーズネイルアートが評価されていることや、日本人だから信用された点で得をしたことも多いので、日本のネイルアーティストがこんなに稼げてない状況に危機感を覚えました。客数には限りがあるので、低価格を競い合って……意味が分からない状態になっている。次は、ここから10年をかけて国内のネイルアーティストの地位を上げようと考えています。

WWD:たとえばどんなことを?

MIHO:まず、ネイルを継続する顧客を増やしたい。ヘアメイクは継続的に施術を受けるわりにネイルだけ続かないんです。爪が痛んだり、時間がかかったり、自分でネイルを落とすことが困難だったり。そんな悩みを解決するような商品を開発しています。溶剤にアセトンなどのケミカルな成分も使わず、爪の表面を削る必要もないので、通常30分程度かかってしまうネイルのオフを5分で終わらせることができて、なんなら自分でできるという商品です。

これで施術時間を短縮できて回転率を上げることが可能になります。ただ、ネイルアーティストは客数を増やすことよりも、高い技術を提供しているという自信を持って価格を上げてほしいです。日本のネイルアーティストは予約を埋めることにとらわれすぎていると思います。予約が埋まったからといって技術を評価してくれているわけでも、一人ひとりの悩みを解決しているわけでもない。客数が多いことだけの自己満足です。そういった課題を自分の活動を通して解決したいし、日本のネイル業界の改革につなげていきたいです。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.2「なぜメイクアップカテゴリーを軽んじる?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:第1回では「日本のコスメの存在感がなくなっている」という話を伺いましたが、実際“ワクワクするものがない”という声をあちこちから聞きます。

石橋寧(以下、石橋):日本の化粧品会社のトップはだいたい男性ですよね。男性だからダメということではないけれど「化粧品」という視点が欠けていると思うんです。メーカーにとっては所詮“商品”。“商いをする品”だから、いかに安くいいものを作るかということに注力している。一方、消費者にとっては“化粧品”、つまり“化けて装う品”を買いに行く。そこが分かっていないと思うんです。“優秀なマーケッター”と言われていても、基本的に化粧のことが分からない。それで女性陣に任せたりする。それはもちろんそれでいいんだけど、女性も役職が上がっていくと次第に男性化、“女心を置き去りにした女性”と化し、女心を問うのではなく、原価率や採算軸で思考する。そうして日本のメーカーはみんなスキンケアにシフトしている。

――:リピート確実なスキンケアで収益の安定性の確保を最優先しているということですね。かつてさまざまなメイクアップクリエイターと契約していた資生堂がそのほとんどを終わらせているのが残念です。

石橋:魚谷さん(資生堂グループ会長CEOの魚谷雅彦)は「世界最大のスキンケアメーカーを目指す」とスキンケアにシフト、ポーラはメイクアップの研究所や工場をほとんどなくしてスキンケアに注力、花王も「コフレドール(COFFRET D’OR)」と「オーブ(AUBE)」を年内で終了させる。いったい何を考えてるの?って思う。「化粧品」は「ケアするスキンケア」と「飾るメイクアップ」の両方があってこそ。ところが日本のメーカーは、ケアするほうにだけ力を入れている。ホワイトニングやエイジングケアにおいては、確かに素晴らしい商品はいっぱいあると思うけど、そもそも「化けて装う」ために買うわけだから、両方そろっていなければいけない。メイクアップは今や「ディオール(DIOR)」の独壇場。「どうぞ、どんどん売ってください」といって日本は何も手を売っていないように見えますね。

――:「ディオール」はルージュでさえグローバルリサーチをした上でメイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクターを務めるピーター・フィリップス(Peter Philips)がシェードを設計しているので、ローカルで強さを発揮しているのは納得がいきます。

石橋:6〜7年前ごろ、「スリー(THREE)」が成長していく過程でタイ限定カラーを作ったんです。タイ国内で17店舗程まで拡大し、限定カラーを作ってもなんとかいけると判断し、タイの代理店に提案したらすごく喜ばれた。なぜならそんなことをするブランドが他になかったから。そしてタイ側と相談しながら買取を条件に作って販売したら大ヒットし、翌年も作って欲しいとの依頼もあった。本来ならばそれを続ければよかったんですが、僕はその頃「アンプリチュード(AMPLITUDE)」と「イトリン(ITRIM)」を作ることに集中していて、引き継ぎがなされなかった。これも、日本企業特有の採算ベースの考え方ですね。インドやASEANはモンスーン地帯、早い話が日本同様年中ほとんど蒸し暑い。でも肌色が違うからファンデーションのシェードも変わってくる。ファンデーションの色が変われば、そこにのせる口紅やアイシャドウの色も変わる。メード・イン・ジャパンの高いクオリティーで、それぞれの国の肌色や嗜好に合ったものを提案すれば、絶対に売れると思う。それをせずに「グローバル」なんて目指さないほうがいい。日本の商品を輸出するだけで売れていたのは10年、20年前の話で、時代は変わってきている。でもそれに対応しきれていない企業が多いんですよね。

――:グローバル視点で考えれば、メイクアップが勝機になり得る。

石橋:中国のマーケットは大きいけれど、政治が絡むと方針がいきなり変わるからリスクが高い。一方インドは人口14億人の民主主義国家。これからはインドとASEANのマーケットを同じアジア人として狙うべきだと思う。インドの人に会ったら「メード・イン・ジャパンそのものがブランドで高く評価されている。あとはインド人に合うように色やパッケージをローカライズさせたら売れますよ」と言われました。インドネシアは日本と嗜好が似ている。シンガポールや香港は人口が少ないので厳しいけれど、タイは約7000万人、ベトナムは約1億人、フィリピンも約1億人、それくらいの需要はある。国は間違いなく成長しているし、若い人も多い。各国のニーズに合わせた商品を出していけば、存在感を出していけるはずだと思います。

――: そういう意味では今、「ケイト(KATE)」が頑張っています。

石橋:メイクアップは飾るものだから、クオリティー以上にパッケージも含めて高揚させる気持ちの部分が大事。口紅なら人によっては10色も20色も持っているわけだから、感性という部分がすごく大事になってくる。それが今の日本のメーカーには欠如していますね。花王が力を入れている「ケイト」は低価格でクオリティーもいいし、元々売れていたところに“リップモンスター”で火がついた。確かにアジアで今一番売れている日本のメイクアップブランドだから、それを強化するのはアリだと思う。でも1000円2000円の商品だから、将来をどうしていくのか、そこが鍵でしょう。根強い人気の韓国は、製造に約4カ月という短期でトレンドに対応している。でもスピード感がある反面、特に容器の粗悪品も多く、そこがまだまだ不十分。中国ではスキンケアにおいてはローカルブランドが出てきていますが、これというメイクアップブランドがまだなく、中国の代理店に香港で会った時に「メイクを強化してほしい」と言われました。アジアのマーケットは約65%がスキンケアで、メイクアップのウエイトは低い。ところがこれが国の成長とともに上がっている。だからメイクアップはチャンスだと思うわけです。

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言  Vol.2「なぜメイクアップカテゴリーを軽んじる?」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

――:第1回では「日本のコスメの存在感がなくなっている」という話を伺いましたが、実際“ワクワクするものがない”という声をあちこちから聞きます。

石橋寧(以下、石橋):日本の化粧品会社のトップはだいたい男性ですよね。男性だからダメということではないけれど「化粧品」という視点が欠けていると思うんです。メーカーにとっては所詮“商品”。“商いをする品”だから、いかに安くいいものを作るかということに注力している。一方、消費者にとっては“化粧品”、つまり“化けて装う品”を買いに行く。そこが分かっていないと思うんです。“優秀なマーケッター”と言われていても、基本的に化粧のことが分からない。それで女性陣に任せたりする。それはもちろんそれでいいんだけど、女性も役職が上がっていくと次第に男性化、“女心を置き去りにした女性”と化し、女心を問うのではなく、原価率や採算軸で思考する。そうして日本のメーカーはみんなスキンケアにシフトしている。

――:リピート確実なスキンケアで収益の安定性の確保を最優先しているということですね。かつてさまざまなメイクアップクリエイターと契約していた資生堂がそのほとんどを終わらせているのが残念です。

石橋:魚谷さん(資生堂グループ会長CEOの魚谷雅彦)は「世界最大のスキンケアメーカーを目指す」とスキンケアにシフト、ポーラはメイクアップの研究所や工場をほとんどなくしてスキンケアに注力、花王も「コフレドール(COFFRET D’OR)」と「オーブ(AUBE)」を年内で終了させる。いったい何を考えてるの?って思う。「化粧品」は「ケアするスキンケア」と「飾るメイクアップ」の両方があってこそ。ところが日本のメーカーは、ケアするほうにだけ力を入れている。ホワイトニングやエイジングケアにおいては、確かに素晴らしい商品はいっぱいあると思うけど、そもそも「化けて装う」ために買うわけだから、両方そろっていなければいけない。メイクアップは今や「ディオール(DIOR)」の独壇場。「どうぞ、どんどん売ってください」といって日本は何も手を売っていないように見えますね。

――:「ディオール」はルージュでさえグローバルリサーチをした上でメイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクターを務めるピーター・フィリップス(Peter Philips)がシェードを設計しているので、ローカルで強さを発揮しているのは納得がいきます。

石橋:6〜7年前ごろ、「スリー(THREE)」が成長していく過程でタイ限定カラーを作ったんです。タイ国内で17店舗程まで拡大し、限定カラーを作ってもなんとかいけると判断し、タイの代理店に提案したらすごく喜ばれた。なぜならそんなことをするブランドが他になかったから。そしてタイ側と相談しながら買取を条件に作って販売したら大ヒットし、翌年も作って欲しいとの依頼もあった。本来ならばそれを続ければよかったんですが、僕はその頃「アンプリチュード(AMPLITUDE)」と「イトリン(ITRIM)」を作ることに集中していて、引き継ぎがなされなかった。これも、日本企業特有の採算ベースの考え方ですね。インドやASEANはモンスーン地帯、早い話が日本同様年中ほとんど蒸し暑い。でも肌色が違うからファンデーションのシェードも変わってくる。ファンデーションの色が変われば、そこにのせる口紅やアイシャドウの色も変わる。メード・イン・ジャパンの高いクオリティーで、それぞれの国の肌色や嗜好に合ったものを提案すれば、絶対に売れると思う。それをせずに「グローバル」なんて目指さないほうがいい。日本の商品を輸出するだけで売れていたのは10年、20年前の話で、時代は変わってきている。でもそれに対応しきれていない企業が多いんですよね。

――:グローバル視点で考えれば、メイクアップが勝機になり得る。

石橋:中国のマーケットは大きいけれど、政治が絡むと方針がいきなり変わるからリスクが高い。一方インドは人口14億人の民主主義国家。これからはインドとASEANのマーケットを同じアジア人として狙うべきだと思う。インドの人に会ったら「メード・イン・ジャパンそのものがブランドで高く評価されている。あとはインド人に合うように色やパッケージをローカライズさせたら売れますよ」と言われました。インドネシアは日本と嗜好が似ている。シンガポールや香港は人口が少ないので厳しいけれど、タイは約7000万人、ベトナムは約1億人、フィリピンも約1億人、それくらいの需要はある。国は間違いなく成長しているし、若い人も多い。各国のニーズに合わせた商品を出していけば、存在感を出していけるはずだと思います。

――: そういう意味では今、「ケイト(KATE)」が頑張っています。

石橋:メイクアップは飾るものだから、クオリティー以上にパッケージも含めて高揚させる気持ちの部分が大事。口紅なら人によっては10色も20色も持っているわけだから、感性という部分がすごく大事になってくる。それが今の日本のメーカーには欠如していますね。花王が力を入れている「ケイト」は低価格でクオリティーもいいし、元々売れていたところに“リップモンスター”で火がついた。確かにアジアで今一番売れている日本のメイクアップブランドだから、それを強化するのはアリだと思う。でも1000円2000円の商品だから、将来をどうしていくのか、そこが鍵でしょう。根強い人気の韓国は、製造に約4カ月という短期でトレンドに対応している。でもスピード感がある反面、特に容器の粗悪品も多く、そこがまだまだ不十分。中国ではスキンケアにおいてはローカルブランドが出てきていますが、これというメイクアップブランドがまだなく、中国の代理店に香港で会った時に「メイクを強化してほしい」と言われました。アジアのマーケットは約65%がスキンケアで、メイクアップのウエイトは低い。ところがこれが国の成長とともに上がっている。だからメイクアップはチャンスだと思うわけです。

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yutoriのブランドオーディション優勝は「超ハッピー」なアジアンギャル 2日間で232万円売る無敵マインド

PROFILE: さり/「ギャリーロール」ブランドディレクター

さり/「ギャリーロール」ブランドディレクター
PROFILE: 2001年7月4日生まれ、東京都出身。地元スーパーを経営する両親のもとで育ち、高校時代から自身も商品陳列や惣菜作りを手伝う。2020年4月に大学に入学し、経済学を専攻する。24年2月に始動した(動画公開開始は24年6月)yutoriのオーディションに参加。24年8月末に同オーディションで優勝し、yutoriを通して自身のブランド「ギャリーロール」をスタート

yutoriは2024年6月から自社のYouTubeチャンネルでオーディション番組「ファッキンロード」を公開している。優勝者にはブランドの準備金500万円が支給され、自身がディレクターを務めるブランドを立ち上げることができる企画だ。205人から4人まで絞られて迎えた最終回を9月13日に公開し、23歳のさりが見事に優勝を勝ち取った。勝敗は2日間実施したポップアップの売り上げに準じたが、彼女のブランド「ギャリーロール(GALLY ROLL)」は計232万円という圧倒的な売り上げを叩き出した。アパレルでの販売経験はなく「あるのは実家のスーパーでのお手伝いだけ」と笑う彼女だが、ポップアップ開催中は自信に溢れていたという。終始ハッピーオーラを纏う彼女の考え方やブランドの今後について聞いた。

WWD:オーディション応募に至った経緯は?
さり:
大学4年生の冬に、TikTokでオーディション募集の広告を見ました。周囲は就職先が決まっている人も多い時期でしたが、やりたいことが見つからず、卒業後の進路が決まっていませんでした。ですが、私立の中高一貫校に通って附属の大学に進学し、就職が当たり前という環境で育ってきたこともあり、何かをしなくてはいけないというプレッシャーがありました。

このオーディションを見つけた時、1位になれたら自分のブランドもデビューできるし周囲の人を安心させられる。何より新しいスタートが切れるのではと考えて応募しました。オーディション前にyutoriについて調べた時に私がやりたいと考えていたジャンルがなかったので、これは行けるかもという気持ちが湧きました。新しいブランドで新しい風を吹かしたいと思いました。

WWD:参加して良かったと感じた瞬間は?
さり:
自分の周囲にはこんなに自分を助けてくれる人がいるんだと実感し、環境に恵まれたと心の底から思いました。ルック撮影のモデルは友人にお願いしたり荷物の運送などは彼氏が手伝ってくれました。

ポップアップは友人が応援に駆けつけてくれ、合格発表が終わる時間まで待っていてくれました。合格できたという嬉しい気持ちをリアルタイムで皆に伝えられた瞬間が本当に超ハッピー!という気持ちでした。

WWD:落ち込みや悩みはあった?
さり:
1度目のプレゼン時、ブランド名を「ワビサリー」にしたのですが、片石(貴展)社長に「ダサい」と一刀両断されたときですね。オーディション当初、唯一無二のブランドを作らないといけない、とにかく独自性を出さないと、とそればかり思っていました。けど片石社長の言葉で自分らしいブランドを作ればいいんだと気づきました。番組の中でも「アジアンギャル」を自称していたのですが、堅苦しい和のブランドが作りたいのではないと気づき、今の「ギャリーロール」ができました。

WWD:ポップアップの開催前は不安もあった?
さり:
わたし自身はTikTokやインスタグラムのフォロワーが多いインフルエンサーではなく、アパレル経験もなかったので最初は本当に人が来るか不安でした。ですが、オーディションが進むにつれて「応援しています」「ポップアップ行きます」といったコメントやダイレクトメッセージをいただくことが増えた。そういった反応を通して自分のブランドが形になってきていることを実感し、不安は消えていきました。

WWD:ポップアップ当日はどうだった?
さり:
1日8時間オープンしましたが、体感時間は1時間ぐらいでした(笑)。この2日でブランドの良さを来てくださった方に伝えなくてはと考えたら、座っていられず立ちっぱなしでした。来店が大きな一歩なのに、自分の手が回らず放置している状態で購入に繋がらなかったらとてももったいないじゃないですか。1着が1票になるから絶対に逃したくなくて。常に気を配りどのぐらいの声掛けがいいか真剣に考えながら接客をしました。

WWD:接客の経験は?
さり:
居酒屋などでのバイト経験はありましたが、アパレル経験は皆無です。ただ、実家が地元密着型のスーパーを経営していて、惣菜作りや商品陳列を手伝っていました。近所の常連さんと「今日のお惣菜は私が作りました」といったコミュニケーションをとったり、元々おしゃべりが好きなこともあり、これといった経験はありませんが接客に対する自信はありましたね。

なんでも「ギャル」でいい

WWD:自身のブランド「ギャリーロール」はどのようなブランドか?
さり:
ブランド名は「ギャルらしくいる」という意味で、「海外ギャル」をテーマにストリートファッションを展開します。

WWD:ブランドはどのような人に着て欲しい?
さり:
肌見せや海外ファッションが好きな人はもちろんですが、肌見せに抵抗がある人もハードルを感じずに着用できるように作っているので、ギャルではない人にも届いて欲しいです。ギャルのスタイルに憧れがある女の子は結構多いんです。いろんなファッションスタイルや考えを持つ人々を巻き込んで、「着たい服を着ていいんだよ」と伝えられるブランドにできたらと考えています。

WWD:自身が考える「ギャル」とは?
さり:
いろんなギャルがあって良いと思っています。気持ちの面でギャルでもいいし、平成ギャルでもいいし、自分が今やっている海外ギャルでもいい。みんなが前向きにギャルだよねと言えるその気持ちがあったら、なんでもギャルでいいんじゃないかなと思います。

TikTokなどで「ギャルメイク」としてメイク動画を載せた方が「これはギャルじゃない」という意見で叩かれている様子なども見かけますが、そうじゃないでしょ、ギャルって、と思っています。固定概念があるわけでもないし、自由だからこそギャルでしょ、というスタンスが私にとってのギャルです。

WWD:今後挑戦したいことは?
さり:
今はオンラインが主流なので、基本的にはオンライン販売になると思いますが、いずれは海外、特に大好きなニューヨークでポップアップショップを開催したいですね。

あとは「日本で海外ギャルのブランドだったら『ギャリーロール』だよね」という立ち位置になったらめっちゃ熱いなと思いますね。そのポジションを目指していきたいです。

WWD:出店したい商業施設は?
さり:
渋谷パルコにある「ヌビアン(NUBIAN)」が好きで、よく遊びに行きます。あのようなスタイルで店舗を構えられたらかっこいいなと思います。

WWD:自分自身の今後のプランは?
さり:
今は自分の好きなように動ける時代がやっと来た!という気持ちです。ブランドを背負って自分を磨いていきたいです。私自身もブランドも有名になって一緒に成長できたら1番良いと思っています。

あとは、料理や海外が好きなので、料理のYouTubeチャンネルや海外のVlogにも挑戦したいです。得意料理は海鮮パエリア。かなり本格的に作れます!

生まれた時からポジティブだった

WWD:ファッションはいつ頃から好きだった?
さり:
小学生の時に女子小学生に向けたギャル雑誌「JSガール」を毎月購入していました。読者モデルになりたくて、スナップ撮影に行ったりオーディションを受けてみたりしていました。雑誌を読む中でファッションへの興味が強まりました。

WWD:好きなファッションの系統は?
さり:
小学生の時は「メゾピアノ(MEZZO PIANO)」や「バービー(BARBIE)」が好きでした。ダンスを始めたことがきっかけでヒップホップのカルチャーが好きになり、ストリート系のファッションを好んで着用していました。ストリートに寄りすぎるとカジュアルすぎてしまうので、今はセクシーな雰囲気がある海外ギャルが好きです。アジアンビューティーを目指しています。

WWD:ロールモデルはいる?
さり:
誰かにならなくてはいけないという風潮が苦手で、憧れはいないかもしれないです。私はテレビを見ず、SNSもそこまで好きではなくて。デジタルデトックスをよくしますが、ファッション業界はSNSが欠かせないと思うので今後はオンオフをつけていこうと思います。

WWD:取材を通してポジティブさを感じる。その所以は?
さり:
マジでわからないです。生まれた時からのようで、「なんでそんなにポジティブすぎるの!」と母に言われます。例えば、学校のテスト期間のときは全く勉強をしていないのに毎回絶対にいけると確信していました。結果、とても低い点数なのですが(笑)。結果に関わらず、「いける」という自分の中の自信が常にあります。

WWD:特に自分の好きなポイントは?
さり:
大丈夫っしょ、いけるっしょと考えられるポジティブなところとわがままなところです。モンスターなんです、私。自分がやりたいことをやりたいし、自分が予定してた予定がずれると狂っちゃう。周囲を困らせていることもあると思います。ですが、自分に嘘をつかないで生きているところは気に入っています。周囲の理解があってこその性格だと思っているので、そこへの感謝は忘れないようにしています。

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ユーチューバー・かじえり 「エナモル」で年商2億円超えでも“まだ三分咲き”

PROFILE: かじえり/発信型メイクアップアーティスト(美容インフルエンサー)

かじえり/発信型メイクアップアーティスト(美容インフルエンサー)
PROFILE: 1992年10月12日生まれ、大阪府出身。10代のころに趣味でやっていた「真似メイク」でブログがヒット。現在は発信型メイクアップアーティストとしてYouTubeを中心に”元から美人風”のナチュラルメイクを提案しており、SNSの総フォロワー数は60万人を突破。20〜40代まで幅広い層から支持を得ている。その傍ら、2019年にDcyuaを設立し、20年に「エナモル」初の商品であるメイクブラシセットを発売。22年1月に第一子を出産し、同年3月にはブランドのアイコニックアイテム“ニュアンスカラーアイズ”を発売した。ユーチューバー・経営者・母親の3足のわらじを履く実業家である。 PHOTOS:YURINA JINNAI

2020年ごろに急増したインフルエンサーコスメは、選別淘汰が進んでいる。生き残れるのは、マーケティング力と商品力、熱烈なファン層を抱えているブランドだ。発信型メイクアップアーティストのかじえりが立ち上げたDcyua(ディキュア)は、自身がプロデュースするコスメブランド「エナモル(ENAMOL)」の人気により、設立(19年10月)から約5年で年商2億円に達するなど着実に成長を遂げている。その裏側には、努力と苦悩を乗り越えた経験があった。

登録者数28万人のYouTubeアカウントを手放す

「正直、あのときが一番精神的につらかった」と思い返すのは、2019年。4年間定期更新し続けたYouTubeチャンネル「KAJIERI MAKEUP」の登録者数が28万人になり、あとひと息で30万人に達成するというところで事務所との間でトラブルが起きた。事態が複雑なこともあり、泣く泣く自身のチャンネルを手放すと、フォロワーと広告収入がゼロになってしまった。

同年、新しくYouTubeチャンネル「KAJIERI」を開設。多くのファンがついてきてくれたこともあり、現在の登録者数は41万人超え。「なんとか乗り越えることができたけれど、自分の大切なものは全て自分で守らなければいけないと学んだ」と苦笑いをしながら答えた。

「私ってYouTubeに雇われているんだ」
「エナモル」をプロデュースするきっかけ

「コロナ禍の2019〜20年、緊急事態宣言でメイクする機会が減ったため、何を発信しても再生回数が回らず、YouTubeの収益が大きく落ち込んだ。この手詰まりしていた時期に、私ってYouTubeに雇われているんだと実感。動画以外にもうひとつ何か自分の強み、軸を見つけなければならないと思い、本格的に『エナモル』を始動した」。

「エナモル」は、メイク初心者でもプロのような仕上がりがかなう色味、テクスチャー、実用性を考え抜いたメイクアップアイテムを販売している。主力アイテムは、アイシャドウパレット“ニュアンスカラーアイズ”(全4種、各2420円)で、ニュアンスカラーの4色をレイヤードすることで、目元に自然な輝きと奥行きを演出する。ほかにも、ベースメイクアイテムやハイライター、メイクブラシなどを用意する。

一般的に知られているインフルエンサーコスメは、化粧品メーカーが本人にオファーし、コスメをプロデュースしてもらうというパターンが多いだろう。だが、かじえりは自身で会社を立ち上げ、自らコスメの販売からイベントの運営、PRまでをプロデュースしている。インフルエンサーコスメの中でもまれな存在だろう。

もともと「エナモル」は、熊野筆などのメイクブラシを製造するタウハウスのブランドだったが、メイクブラシをコラボレーションして作ったことがきっかけで、かじえりがプロデュースすることになった。「『エナモル』は最初タウハウスが所持しており、私のブランドではなかった。一緒にメイクブラシを作ったりしている中で、『エナモル』の全てが好きになり、コスメも作ってみたい、ファンの皆さんに届けたいという思いが生まれてきた。この思いをタウハウスに直接話したところ、『かじえりさんあっての『エナモル』だから、どうぞ』とブランドを無条件で引き渡してくれた」。

そこから「エナモル」のメイクアイテムはかじえりが、メイクブラシはタウハウスが権利を所持。現在も両者の良好な関係は継続している。

スタッフ10人中6人がママ 働きやすい職場環境を目指す

経営や商品企画について知識ゼロのかじえりは独学し、現在は2歳の子どもを育てながら、会社の経営やコスメの企画開発、YouTubeの運用を行っている。また、在庫管理や発注書の作成、バイヤーへの商談などの細かな業務も自身で行い、「エナモル」の全体像を把握する。

会社も軌道に乗り、社員はかじえり1人から10人まで増えた。採用募集はインスタグラムなどのSNSを中心に行い、面接も1次から最終までかじえりが対応するという徹底ぶり。小林菜穂PR担当は「ともに働く私たちもかじえりさんのファン。だからこそ、ファンの皆さんがどんなコスメを、動画コンテンツを求めているかが分かる。イベント会場に貼ってある大きなポスターにサインをもらって持って帰ったこともあったな(笑)」と話す。

職場は、女性が働きやすい環境を提供。産休育休を受けられず苦悩した経験もあり、女性実業家として「もっと時間をコントロールしながら働けるスタイルが広がってほしい。まずは自分の会社をそんな働き方ができる会社にしていきたい」と考える。実際スタッフの10人中6人がママであり、ワークライフバランスを重要視している。

初のポップアップは2日間で売り上げ300万円

直近では、2024年6月に初のポップアップを開催。「2日間で売り上げ300万円と計画費を大きく上回った。アイシャドウとメイクブラシ、ベースメイクアイテム3品などの複数買いが多く見られ、平均の客単価は約9500円。ブランドのポテンシャルを知れる良い機会になった」とコメント。大盛況に終わったという。

「会社としては、まだ三分咲き。現在は“美容インフルエンサーかじえりのブランド”という印象が大きいと思うが、『エナモル』から『かじえり』を知ってもらえるようなブランドを目指している。そこまで辿り着くには、やはり実績と知名度をあげていかなければいけないため、私が前に出ているが、最終的には後ろに下がってブランドだけで回るようにしたいと考えている。まずはそこが現時点での目指すゴールだ」とかじえり。実店舗出店なども視野に入れ、ブランドの売り上げ拡大を目指す。

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ユナイテッドアローズが「アティセッション」1号店をオープン Z世代の強みを生かす

ユナイテッドアローズは9月12日、2023年春夏シーズンに始動した若年層向け業態「アティセッション(ATTISESSION)」の初の店舗を、新宿ルミネ2の2階にオープンした。24-25年秋冬の全ラインアップのほか、古着やマガジン、バッグやアクセサリーなどの仕入れ商品も2割程度取り扱う。

「アティセッション」は同社最年少のディレクターでZ世代の四谷奈々花が企画し、ミレニアルおよびZ世代に向けて「可憐さと自立心を兼ね備えた女性像」を打ち出す。23年春夏シーズンにデビュー以降、公式ECと一部の「ビューティー&ユース(BEAUTY&YOUTH)」店舗のみで販売してきたが、売り上げは計画比の2ケタ増で進捗している。さらに四谷ディレクターのコミュニティー生かして作り上げるブランドビジュアルやルックなどがターゲット層に響いている。

店作りにおいても、同世代のクリエイターに声をかけブランドコンセプトである「可憐さと自立心」を表現してもらったという。温かみを感じる木材の什器や、変形のプラスチック什器、シルバーの波打つラックなどを混在させ、「入店した時に緊張感と高揚感を同時に感じられる空間を目指した」と四谷ディレクター。仕入れの中には、工藤花観デザイナーが手掛ける「カカン(KAKAN)」などデビューまもないブランドも意識的に取り入れ「常に何か新しい出合いがある店」にしていく。

デジタルネイティブ世代のスタッフを外部から採用 発信力に期待

販売スタッフはインスタグラムを通じて募集した。四谷ディレクターの「広い視野で枠にとらわれないスタッフと作り上げたい」という思いから、同社としては珍しくターゲット層の20代前半のスタッフを中心に外部からのスタッフを多く採用。四谷ディレクターは「自分のスタイルを持っているか否かを重視した。デジタルネイティブ世代のスタッフ一人一人の発信力で、さらにブランドのファンが増えたら嬉しい」と期待を込める。

四谷ディレクターは「街中で『アティセッション』を着てくれている人を見かけるようになって、やっと実感が湧いてきた」と話す。今後も全国で出店機会を探っていく方針だ。

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「カナダグース」ダニー・リース会長兼CEOが語る 銀座の旗艦店、ハイダー・アッカーマン、暖冬への心構え

PROFILE: ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO

ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO
PROFILE: 1973年、トロント生まれ。1997年、祖父のサム・ティックが57年に創業したアウターウエアメーカーに入社。2000年にブランド名を「スノーグース」から「カナダグース」に改めると、01年にCEOに就任。その後、同ブランドを世界的なラグジュアリー・ライフスタイルブランドへと成長させた。19年にはグローブ・アンド・メール紙の「レポート・オン・ビジネス」で「グローバル・ビジョナリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。20年に「カナダで最も称賛されるCEO」に選出。また16年にはカナダ勲章、19年にはオンタリオ勲章を授与された。現在はマウント・サイナイ病院の理事、カナダの学生向け慈善団体「ステューデンツ・オン・アイス(SOI)」の諮問委員も務める。 PHOTO:MIKA HASHIMOTO

ハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)を初のクリエイティブ・ディレクターに迎えた「カナダグース(CANADA GOOSE)」は9月14日、銀座店をリニューアルし、フラッグシップストアとしてオープンする。カナダの大地を感じるような“カナディアン ウォームス(CANADIAN WARMTH)”をテーマに、店内にはラウンジスペースやバーカウンターを備えるほか、マイナス20度の環境でフィッティングが体験できる“コールドルーム”も完備。オープンを記念して写真家・二階堂ふみの写真展も開催する。

来日したダニー・リース(Dani Reiss)会長兼最高経営責任者(CEO)に銀座の新店舗やハイダーの起用、プロダクトの多様化、暖冬化が進む中での心構えなどを語ってもらった。

銀座店のリニューアルとハイダー・アッカーマンの起用

WWD:銀座店を「フラッグシップストア」としてリニューアルオープンする経緯は?

ダニー・リース=カナダグース会長兼CEO(以下、リース):「カナダグース」は、アジア地域で非常に好調だ。日本も同じで、2年前にオープンした銀座店も調子が良い。世界有数のショッピングエリアである銀座の店舗でブランドの力強いメッセージを体現し、発信する場所として生まれ変わらせたい。旗艦店として、あらゆる層のお客さまを迎えるのを楽しみにしている。

WWD: 5月にはクリエイティブディレクターにハイダー・アッカーマンが就任した。彼に白羽の矢を立てた一番の決め手は?

リース:ブランドが大きく成長し、クリエイティブ・ディレクターを見つけるべき時が来たと感じていた。選考に2年をかけ、多くの候補者と面談したが、最終的にハイダーと出会い、起用を決めた。私はハイダーのスタイルを「本物」と感じたし、ハイダーも「カナダグース」を「オーセンティック(=本物)」なブランドとして認識していた。ハイダーは、高い経験値を備え、いかにブランドを構築し、成長させるべきかを心得ている。あらゆる面でブランドを次のレベルへと引き上げてくれる人材だ。

WWD:ハイダーは機能性が魅力の「カナダグース」に、クリエイティブ・ディレクターとしてどう関わっていくのか?

リース:私は、彼をファッションデザイナーというよりは、「強い美学」を持った個人として認識している。彼はブランドの価値を高めるだけでなく、ブランドのカテゴリーを押し広げ、今までにない表現を提示してくれるだろう。

WWD:昨年リリースしたスニーカーなどを見てもわかるように「カナダグース」は製品カテゴリーの幅を拡大している。プロダクトを多様化させる先にあるものは?

リース:第一に、消費者が新しい商品を求めていると感じる。ブランドの成長は、新しいプロダクトをどんどん開発してきたことも大きい。私が入社した頃、「カナダグース」のプロダクトは約20型のみで、すべてダウンジャケットだった。今では軽量ダウンからウインドブレーカー、レインウエア、帽子、靴、アクセサリーまで、数多くのプロダクトを扱う。これらのアイテムにも、主力製品と同様のクラフツマンシップを注ぎ、高い品質を担保している。ブランドの基準に沿い、顧客が求める製品を作れば、私たちは成功できると信じている。ハイダーは、この点にも大きく寄与してくれるだろう。

WWD:「環境問題」の研究者を自認するハイダーとの最初のプロジェクトとして、ホッキョクグマの保護活動を支援するためのプロダクトを発売した。

リース:ハイダーがブランドに合流してすぐ、彼と私はカナダ北部の都市、チャーチルに向かった。多くのホッキョクグマが生息し、「ホッキョクグマの首都」とも呼ばれる街だ。そこでハイダーは、ホッキョクグマの生息地とその周辺の自然環境を体験し、「カナダグース」とホッキョクグマ保護団体「ポーラーベア・インターナショナル(Polar Bear International)」との長年にわたる取り組みを理解し、共感してくれた。その体験をもとに5月に発売したのが、「ポーラーベア・インターナショナル」に売上を寄付するための“PBI フーディー”だ。キャンペーンには、環境活動家としての顔を持つ女優のジェーン・フォンダ(Jane Fonda)を起用した。

サステナビリティへの意識 循環型経済の確立を目指して

WWD:一方でダウンという素材に対して、動物倫理的な視点で批判にさらされることもある。

リース:まず、「カナダグース」にとってダウンが重要な素材であることは間違いない。またダウンは、今でも世界で最も暖かい天然の中綿素材だ。

それを踏まえた上で2つのポイントを伝えたい。第一に、私たちが使用するダウンは、原料となるアヒルやガチョウの生育環境や羽毛の採取方法を細かく規定した国際的な基準「レスポンシブル・ダウン・スタンダード(Responsible Down Standard)」に適った方法で、倫理的に調達されたものであること。第二に、ダウンは食肉産業から生まれた副産物だ。レザーと同様に、人々がアヒルやガチョウを食べる限りダウンは存在し続ける。一方で「カナダグース」には近年、合成繊維や植物性の中綿などを使用している製品もある。こちらも好調だ。

WWD:昨年は自社製品の二次流通プラットフォーム「カナダグース・ジェネレーションズ」をスタートした。今後「カナダグース」が自社でコントロールする二次流通のビジネスはどうなる?

リース:消費者が持続可能性の問題に大きな関心を寄せる今、企業としてこの問題を重視し、循環型経済を確立することは重要だ。

誰かが手放した製品を市場に戻し、他の人にもう一度楽しんでもらう。それは自然なことであり、必要なこと。新品で「カナダグース」を購入したことがなかった消費者が、「カナダグース・ジェネレーションズ」では購入する機会があるかもしれないし、その人はいつか新品に手を伸ばすかもしれない。消費者がブランドに関わる方法が一つ増えたということ。顧客が製品をリユース・リサイクルする機会を大切にしている状況を考慮すれば、この事業はビジネスを成長させるチャンスでもある。始めたばかりだが、5〜10年後には私たちのビジネスに占める割合はかなり大きくなると見込んでいる。

WWD:昨年の10~12月期には卸売が苦戦し、28.5%の売り上げ減を経験した。人員削減にも踏み切り、自社の成長を促すべく組織を再編成した。このような痛みや変化を経て、直近の売り上げ状況は?

リース:まず言いたいのは、「カナダグース」のアジア太平洋地域は非常に好調で、23年の第四半期期(24年1月〜3月)は、全体で約30%プラスに転じている。昨年の卸売りの売上減は、私たちだけではなく、業界全体の現象だった。コロナ禍、金利上昇、インフレ、戦争など、様々なことがある中で、多くの卸売業者が在庫を持ちすぎていた。その機会を利用し、卸売りのネットワークの合理化を図り、消費者への直販を強化した。卸売は依然として非常に重要だが、世界で起きているあらゆる要因によって、自然な形でリセットされたと言える。

WWD:カナダグースジャパンも銀座店をリニューアルするように、今後卸売よりも直販に力を入れていく?

リース:日本には数社、強力な卸売パートナーがある。彼らとの取引には満足しているし、私たちのブランド力を高めてくれる存在だ。一方で、今回銀座店をリニューアルしたように、今後も機会があれば日本でも直営店を拡大していきたい。卸売と直販の両軸を大事にしていく。

暖冬が進む中で 「オーセンティック」なブランドとして

WWD:暖冬が進むなか、東京のような都市部に住む人は、防寒という点においてはヘビーなダウンジャケットを必要としなくなりつつある。それでも人々が「カナダグース」にひかれ、ダウンジャケットを購入する理由をどう分析するか?

リース:先ほど話したことにも繋がるが、20年以上日本でビジネスをしてきて、日本の人々は「オーセンティック(=本物)」であることを重視していると感じる。本物のストーリーを持っているブランドであることが大切だ。

また、大抵の場合、何かを買う動機は、単に必要だからではなく、それを欲しいと感じるから。「必要性」だけを考えれば、多くの人が「ランドローバー」のような四駆車を購入する理由もないし、そもそも、私たちがこんなに多くのモノを購入する理由もない。人はあくまで欲しいと感じるものを買うのだ。

だからこそ常に成長する必要性を感じる。カテゴリーの多様化はブランドとしての成長の一つ。あくまで「オーセンティック」な方法で、進化し続けるからこそ、消費者にとって常に「今」のブランドであり続けられるのではないか。

WWD:プロダクトの幅が広がっていく中でも、共通して存在する「カナダグース」らしさとは?

リース:全プロダクトに共通するのは、「独自の機能性」。マイナス100℃の寒冷地用のプロダクトであれ、街用にデザインしたものであれ、機能性は重要。機能を十分に追求すると、ファッショナブルなものになっていくとも感じている。

クラフトマンシップに重きを置いた、作りの良さも「カナダグース」らしさの一つ。プロダクトごとに最適な場所を選んで製造していて、ほとんどはカナダ製。それ以外はヨーロッパで作っている。

もちろん気候変動という問題には、アクションしなければならない。世界とつながり続け、状況に対応していくことが肝心だ。そのための方法はたくさんある。世の中のためになる製品を作ること、そして人々が望む製品を作ることを大事にしたい。「カナダグース」の価値を大切に守り、適切に成長していけば、成功できると信じている。

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「カナダグース」ダニー・リース会長兼CEOが語る 銀座の旗艦店、ハイダー・アッカーマン、暖冬への心構え

PROFILE: ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO

ダニー・リース(Dani Reiss)/カナダグース会長兼CEO
PROFILE: 1973年、トロント生まれ。1997年、祖父のサム・ティックが57年に創業したアウターウエアメーカーに入社。2000年にブランド名を「スノーグース」から「カナダグース」に改めると、01年にCEOに就任。その後、同ブランドを世界的なラグジュアリー・ライフスタイルブランドへと成長させた。19年にはグローブ・アンド・メール紙の「レポート・オン・ビジネス」で「グローバル・ビジョナリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。20年に「カナダで最も称賛されるCEO」に選出。また16年にはカナダ勲章、19年にはオンタリオ勲章を授与された。現在はマウント・サイナイ病院の理事、カナダの学生向け慈善団体「ステューデンツ・オン・アイス(SOI)」の諮問委員も務める。 PHOTO:MIKA HASHIMOTO

ハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)を初のクリエイティブ・ディレクターに迎えた「カナダグース(CANADA GOOSE)」は9月14日、銀座店をリニューアルし、フラッグシップストアとしてオープンする。カナダの大地を感じるような“カナディアン ウォームス(CANADIAN WARMTH)”をテーマに、店内にはラウンジスペースやバーカウンターを備えるほか、マイナス20度の環境でフィッティングが体験できる“コールドルーム”も完備。オープンを記念して写真家・二階堂ふみの写真展も開催する。

来日したダニー・リース(Dani Reiss)会長兼最高経営責任者(CEO)に銀座の新店舗やハイダーの起用、プロダクトの多様化、暖冬化が進む中での心構えなどを語ってもらった。

銀座店のリニューアルとハイダー・アッカーマンの起用

WWD:銀座店を「フラッグシップストア」としてリニューアルオープンする経緯は?

ダニー・リース=カナダグース会長兼CEO(以下、リース):「カナダグース」は、アジア地域で非常に好調だ。日本も同じで、2年前にオープンした銀座店も調子が良い。世界有数のショッピングエリアである銀座の店舗でブランドの力強いメッセージを体現し、発信する場所として生まれ変わらせたい。旗艦店として、あらゆる層のお客さまを迎えるのを楽しみにしている。

WWD: 5月にはクリエイティブディレクターにハイダー・アッカーマンが就任した。彼に白羽の矢を立てた一番の決め手は?

リース:ブランドが大きく成長し、クリエイティブ・ディレクターを見つけるべき時が来たと感じていた。選考に2年をかけ、多くの候補者と面談したが、最終的にハイダーと出会い、起用を決めた。私はハイダーのスタイルを「本物」と感じたし、ハイダーも「カナダグース」を「オーセンティック(=本物)」なブランドとして認識していた。ハイダーは、高い経験値を備え、いかにブランドを構築し、成長させるべきかを心得ている。あらゆる面でブランドを次のレベルへと引き上げてくれる人材だ。

WWD:ハイダーは機能性が魅力の「カナダグース」に、クリエイティブ・ディレクターとしてどう関わっていくのか?

リース:私は、彼をファッションデザイナーというよりは、「強い美学」を持った個人として認識している。彼はブランドの価値を高めるだけでなく、ブランドのカテゴリーを押し広げ、今までにない表現を提示してくれるだろう。

WWD:昨年リリースしたスニーカーなどを見てもわかるように「カナダグース」は製品カテゴリーの幅を拡大している。プロダクトを多様化させる先にあるものは?

リース:第一に、消費者が新しい商品を求めていると感じる。ブランドの成長は、新しいプロダクトをどんどん開発してきたことも大きい。私が入社した頃、「カナダグース」のプロダクトは約20型のみで、すべてダウンジャケットだった。今では軽量ダウンからウインドブレーカー、レインウエア、帽子、靴、アクセサリーまで、数多くのプロダクトを扱う。これらのアイテムにも、主力製品と同様のクラフツマンシップを注ぎ、高い品質を担保している。ブランドの基準に沿い、顧客が求める製品を作れば、私たちは成功できると信じている。ハイダーは、この点にも大きく寄与してくれるだろう。

WWD:「環境問題」の研究者を自認するハイダーとの最初のプロジェクトとして、ホッキョクグマの保護活動を支援するためのプロダクトを発売した。

リース:ハイダーがブランドに合流してすぐ、彼と私はカナダ北部の都市、チャーチルに向かった。多くのホッキョクグマが生息し、「ホッキョクグマの首都」とも呼ばれる街だ。そこでハイダーは、ホッキョクグマの生息地とその周辺の自然環境を体験し、「カナダグース」とホッキョクグマ保護団体「ポーラーベア・インターナショナル(Polar Bear International)」との長年にわたる取り組みを理解し、共感してくれた。その体験をもとに5月に発売したのが、「ポーラーベア・インターナショナル」に売上を寄付するための“PBI フーディー”だ。キャンペーンには、環境活動家としての顔を持つ女優のジェーン・フォンダ(Jane Fonda)を起用した。

サステナビリティへの意識 循環型経済の確立を目指して

WWD:一方でダウンという素材に対して、動物倫理的な視点で批判にさらされることもある。

リース:まず、「カナダグース」にとってダウンが重要な素材であることは間違いない。またダウンは、今でも世界で最も暖かい天然の中綿素材だ。

それを踏まえた上で2つのポイントを伝えたい。第一に、私たちが使用するダウンは、原料となるアヒルやガチョウの生育環境や羽毛の採取方法を細かく規定した国際的な基準「レスポンシブル・ダウン・スタンダード(Responsible Down Standard)」に適った方法で、倫理的に調達されたものであること。第二に、ダウンは食肉産業から生まれた副産物だ。レザーと同様に、人々がアヒルやガチョウを食べる限りダウンは存在し続ける。一方で「カナダグース」には近年、合成繊維や植物性の中綿などを使用している製品もある。こちらも好調だ。

WWD:昨年は自社製品の二次流通プラットフォーム「カナダグース・ジェネレーションズ」をスタートした。今後「カナダグース」が自社でコントロールする二次流通のビジネスはどうなる?

リース:消費者が持続可能性の問題に大きな関心を寄せる今、企業としてこの問題を重視し、循環型経済を確立することは重要だ。

誰かが手放した製品を市場に戻し、他の人にもう一度楽しんでもらう。それは自然なことであり、必要なこと。新品で「カナダグース」を購入したことがなかった消費者が、「カナダグース・ジェネレーションズ」では購入する機会があるかもしれないし、その人はいつか新品に手を伸ばすかもしれない。消費者がブランドに関わる方法が一つ増えたということ。顧客が製品をリユース・リサイクルする機会を大切にしている状況を考慮すれば、この事業はビジネスを成長させるチャンスでもある。始めたばかりだが、5〜10年後には私たちのビジネスに占める割合はかなり大きくなると見込んでいる。

WWD:昨年の10~12月期には卸売が苦戦し、28.5%の売り上げ減を経験した。人員削減にも踏み切り、自社の成長を促すべく組織を再編成した。このような痛みや変化を経て、直近の売り上げ状況は?

リース:まず言いたいのは、「カナダグース」のアジア太平洋地域は非常に好調で、23年の第四半期期(24年1月〜3月)は、全体で約30%プラスに転じている。昨年の卸売りの売上減は、私たちだけではなく、業界全体の現象だった。コロナ禍、金利上昇、インフレ、戦争など、様々なことがある中で、多くの卸売業者が在庫を持ちすぎていた。その機会を利用し、卸売りのネットワークの合理化を図り、消費者への直販を強化した。卸売は依然として非常に重要だが、世界で起きているあらゆる要因によって、自然な形でリセットされたと言える。

WWD:カナダグースジャパンも銀座店をリニューアルするように、今後卸売よりも直販に力を入れていく?

リース:日本には数社、強力な卸売パートナーがある。彼らとの取引には満足しているし、私たちのブランド力を高めてくれる存在だ。一方で、今回銀座店をリニューアルしたように、今後も機会があれば日本でも直営店を拡大していきたい。卸売と直販の両軸を大事にしていく。

暖冬が進む中で 「オーセンティック」なブランドとして

WWD:暖冬が進むなか、東京のような都市部に住む人は、防寒という点においてはヘビーなダウンジャケットを必要としなくなりつつある。それでも人々が「カナダグース」にひかれ、ダウンジャケットを購入する理由をどう分析するか?

リース:先ほど話したことにも繋がるが、20年以上日本でビジネスをしてきて、日本の人々は「オーセンティック(=本物)」であることを重視していると感じる。本物のストーリーを持っているブランドであることが大切だ。

また、大抵の場合、何かを買う動機は、単に必要だからではなく、それを欲しいと感じるから。「必要性」だけを考えれば、多くの人が「ランドローバー」のような四駆車を購入する理由もないし、そもそも、私たちがこんなに多くのモノを購入する理由もない。人はあくまで欲しいと感じるものを買うのだ。

だからこそ常に成長する必要性を感じる。カテゴリーの多様化はブランドとしての成長の一つ。あくまで「オーセンティック」な方法で、進化し続けるからこそ、消費者にとって常に「今」のブランドであり続けられるのではないか。

WWD:プロダクトの幅が広がっていく中でも、共通して存在する「カナダグース」らしさとは?

リース:全プロダクトに共通するのは、「独自の機能性」。マイナス100℃の寒冷地用のプロダクトであれ、街用にデザインしたものであれ、機能性は重要。機能を十分に追求すると、ファッショナブルなものになっていくとも感じている。

クラフトマンシップに重きを置いた、作りの良さも「カナダグース」らしさの一つ。プロダクトごとに最適な場所を選んで製造していて、ほとんどはカナダ製。それ以外はヨーロッパで作っている。

もちろん気候変動という問題には、アクションしなければならない。世界とつながり続け、状況に対応していくことが肝心だ。そのための方法はたくさんある。世の中のためになる製品を作ること、そして人々が望む製品を作ることを大事にしたい。「カナダグース」の価値を大切に守り、適切に成長していけば、成功できると信じている。

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「Bコープ」取得の豪バッグブランド「ステート オブ エスケープ」が10周年 自由な旅とウエルネスのために

サザビーリーグが日本国内における総代理店契約を結ぶオーストラリア発のバッグブランド「ステート オブ エスケープ(STATE OF ESCAPE)」が創業10周年を迎えた。伊勢丹新宿本店では9月17日までポップアップイベントを開催中だ。イベントに合わせ、デザイナーのブリジット・マガウアン(Brigitte MacGowan)と共同創業者のデズリー・メイドメント(Desley Maidment)が来日。2人にブランドの変遷やこれから挑戦したいことを聞いた。

「女性たちが自由に世界を探求する」ために

「ステート オブ エスケープ」のバッグは、特に忙しいライフスタイルを送る30〜40代の女性たちから支持を集める。ほかにはない機能性とデザイン性のバランス感が人気の秘訣だ。メイドメントは「女性たちが外に出て自由に世界を探求し、いろんなことを経験してほしいというのが私たちの根本にある願いだ」と話す。

商品開発には、大の旅行好きだという彼女たちのリアルな視点が生きている。代表的なのは、シグネチャーモデル“エスケープ“。ボディーに使用しているネオプレン素材は軽量で耐久性に優れ、水洗いもできる。ショルダー部分には、オーストラリア国内で調達するセーリーングロープを活用している。耐久性はもちろん、カラフルなロープがデザインにアクセントを加えている。

多くの女性たちの間で「日常使いになくてはならないバッグ」としての口コミが広がり、この10年で取り扱いは約10カ国に。なかでも日本は主力市場だという。国内での卸先は「ロンハーマン(RON HERMAN)」のほか、「バーニーズ ニューヨーク(BARNEYS NEW YORK)」「ジャーナルスタンダード(JOURNAL STANDARD)」など約20アカウント。

成功の要因は何か聞くと、「仕事やジム、友人とのディナーまで1日の中でもさまざまなシーンに寄り添えるような見た目の端正さ、持ち運びのしやすさといった多機能性にこだわってきたことだろう。スタイリッシュで機能的な商品を送り出すことが私たちのミッションだ」と話す。

「Bコープ」取得で責任あるビジネスモデルに進化

今年2月には環境や社会に配慮した公益性の高い企業であることを示す国際認証「Bコーポレーション(以下、Bコープ)認証」を取得した。「私たちは創業当初から受注生産性体制で、責任ある事業運営を心掛けていた。それでも『Bコープ認証』というお墨付きを得ることで、取引先に私たちが何者なのか、どんな考えを持っているかより分かりやすい形で伝えられると思った。消費者もいま、何を買うのか、なぜ買うのかにとても意識的になっている。『Bコープ認証』は消費者にとっても良い判断材料にもなるはずだ」とメイドメント。

素材軸では、昨年から台湾のメーカーが製造するカキの貝殻が原料のネオプレン素材や使用済みのペットボトルからなるリサイクルポリエステルの使用を開始した。ストラップに使用しているセーリングロープをアップサイクルしたミニバッグ“アドリフト“シリーズなども発表。「どうやったら素材を無駄なくアップサイクルできるかは今後も考え続けたい」とマガウアン。

社会や環境などさまざまな項目がある「Bコープ認証」の指標のなかでも、「ステート オブ エスケープ」特に「コミュニティー」のカテゴリーの評価が高い。創業当初からオーストラリアの国内生産にこだわってきたことが評価された。2人は国内のモノ作りの現場が次世代に残っていかないことに課題感を感じていたのだという。「当時製造業が強くないオーストラリアで生産パートナーを見つけるのに非常に苦労したが、無駄に生産せず最低発注数量で作れること、目の届く範囲で品質の高いモノ作りするためにもゆずれない部分だった。結果として今、独自のコミュニティーを築けたことを誇りに思う」と振り返る。

今後の目標は、「次の10年も変わらないことだ」という。「やみくもに商品バリエーションを拡大したりはしない。どんな商品も旅とウエルネスのために届けるというパーパスに沿って生み出し、多彩なカラーで多くのお客さまを楽しませたい」と語る。日本では「日本人アーティストなどとのコラボレーションに挑戦し、日本の顧客との関係値も強めていきたい」という。

■ステートオブエスケープ ポップアップストア

日程:9月4日~17日
場所:伊勢丹新宿本店1階 プロモーションスペース
住所:東京都新宿区新宿3-14-1
時間:10:00~20:00

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ユナイテッドアローズが丸の内店を刷新 「ちゃんとした服に出合える」期待に応えたい

ユナイテッドアローズは9月12日に、ユナイテッドアローズ 丸の内をリニューアルオープンする。消費者の価値観の変化を踏まえ、約1年半かけて内装や商品ラインアップを大幅に見直した。板谷迅ヴァイスプレジデントUA本部本部長は「緊張感よりも自然体でいられる居心地の良さを求めるのが今の価値観」と話し、店内は従来の重厚感のある非日常的な空間から照明を明るくして開放感を重視した。商品軸では「豊かさ」と「上質感」をキーワードに、他店と比較してデザイナーズブランドの仕入れ率を高めている。全体はオリジナル6割、仕入れ4割で構成する。

六本木店、原宿店に並ぶ旗艦店である丸の内店は、コロナ禍で大きな打撃を受けた。ただ、回復も早かった。40代を中心としたビジネスパーソンの戻りに加え、30代のファミリー層も来店するようになった。板谷部長は「みなさまが久しぶりにちゃんとした服を買いたいと思った時に、思い出してもらえるのがこの店なんだと感じたことがリニューアルのきっかけになった。改めて『ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS)』ブランドに期待されていることは何かを考え、行き着いたのは『ユナイテッドアローズ』のど真ん中。上品で上質な品ぞろえを求めるお客さまの声にきちんと応えていきたい」と意気込む。

お客さまの期待を超える「顧客感動」を目指して

「今の時代のリアルクローズ」として「サカイ(SACAI)」「アプレッセ(A.PRESSE)」「ジル サンダー(JIL SANDER)」などを強化ブランドに挙げる。商品バリエーションの広さを見せるため、陳列する商品量は増やしつつも、空間を広く使って圧迫感を減らしている。「オンとオフで着る服を区別しない人も増えているなか、こちらからオケージョンごとに着るものを提案するのはナンセンス」と考え、カテゴリーで分けずにスタイリングで見せる点も特徴だ。

販売スタッフは販売力のある「精鋭スタッフをそろえた」という。板谷部長は「これまでは社として『顧客満足』を標語に掲げてきたが、現在は松崎(善則社長執行役員CEO)の号令の下、お客さまの期待を超えると言う意味の『顧客感動』を目指している。お客さまがどんな気分になりたいのかといった潜在欲求を汲み取り、感動を与える店を目指したい」と語る。

同店限定で「ユーゲン(HEUGN)」のブレザー、「バトナー(BATONER)」のドライバーズニット、「近沢レース店」ハンカチ、UAのショッパーをレザーで再現したバッグなどの別注アイテムも多数用意。また12〜23日まで「ハイク(HYKE)」のポップアップイベントも予定する。

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「オルビス」が激戦区のドラコスに参入  低価格帯スキンケアに新風を吹き込む

PROFILE: 小林琢磨/オルビス社長

小林琢磨/オルビス社長
PROFILE: (こばやし・たくま)2002年ポーラ入社。10年にグループの社内ベンチャーから誕生した敏感肌専門ブランド「ディセンシア」の社長に就任し50億円規模のビジネスに導く。18年オルビス社長に就任。リブランディングによる構造改革をはじめ、物流センターの自動化、アプリを用いたCX戦略などをけん引し、数々のヒット商品を生み出す。ポーラ・オルビスホールディングスの取締役を兼務する

大手化粧品メーカーが軒並み高価格帯にシフトする中、「オルビス(ORBIS)」は990円~1210円という価格帯で“ショットプラス”を今秋発売する。オルビスの2024年1〜6月期は、売上高が前年同期比14.8%増、営業利益が同44.5%増と好調な業績を記録する中で同社が、低価格帯かつ激戦区のドラッグストア市場に「なぜ」「今」「あえて」参入するのか。小林琢磨社長に聞いた。

「ビューティーを諦めない」「生活者を取り残さない」

―――“ショットプラス”発売の経緯を教えてください。

小林琢磨オルビス代表取締役社長(以下、小林):まず根本的な背景として、オルビスは一人一人が誰かと比べることなく、自分らしく年齢を重ねていける、「スマートエイジング」を掲げています。オルビスの創業は1987年。化粧品は百貨店や専門店での販売が主流の時代ですが、まだ比較的珍しかった通信販売という新しい買い物体験をスタートしている。「百貨店のカウンターが苦手な人もいるよね」「シンプルな化粧品が好きなお客さまもいるよね」と、お客さま一人一人のニーズに寄り添うことを基軸にしています。

そのうえで現在の化粧品市場を見渡すと、好調なのは1万円以上の高価格帯か、1500円以下の低価格帯。大手は軒並み高価格帯にシフトしています。自社研究所を有する開発力のある会社が「先端技術を高級化粧品に搭載する」、それ自体は素晴らしいことです。一方で、取り残されている人はいないだろうか、“生活者全体のビューティ”に寄与していないのではないかという思いがありました。

―――「生活者を取り残さない」ための意志決定とは?

小林:ブランドの根幹にそういう思いがあった上で、市場分析上でも取り組む価値のある分野だと思いました。きっかけはコロナ禍です。生活者の価値観や購買行動が変化した面と、逆に変わらない面が如実に示された。まず、変わらなかった面でいうと緊急事態宣言の発出にも関わらず、思ったほど化粧品のEC比率が上がらなかったことがあります。

―――:化粧品のEC比率は、具体的にはどのくらい?

小林:経済産業省が公表しているデータによると、「化粧品、医薬品」のEC化率は22年度で8.24%。化粧品だけ抜き出して試算すると20%に満たないくらいで、約8割の生活者は実店舗で購入していることになります。

さらに、22年のインテージSLI調査を元に独自で分析したデータでは、化粧品購入チャネルの上位86%がドラッグストア・ECプラットフォームでした。リアルの世界では、ドラッグストアがインフラとして機能している。そのうちの77%が1000円前後のプチプラスキンケアユーザーであることも分かりました。

―――ドラッグストアとプチプラコスメの存在感が分かるデータですね。ただ、EC比率に関しては、今後伸びる可能性もあるのでは?

小林:おっしゃる通り、ECは今後も伸長していくはずです。一方で、今度は「変化したこと」に目を向けると、1人の生活者がデジタルとリアルを行き来するのが当たり前になった。そうなると、デパコスもドラコスも関係なく、あらゆるブランドが店舗販売とECを「総合格闘技」的に取り組まなくてはなりません。

何が起こるかというと「EC広告単価の劇的な上昇」です。われわれのような直販ブランドは、トータルで考えると将来的に利益率の低下が予想される。だとしたら、リアルとECを融合して、最も付加価値の出せるポイントはどこかを考える必要があります。

まだ「オルビス」を知らない潜在的な顧客と出会うために

―――そこで、ドラッグストアに進出する選択をした。

小林:現在オルビスは、年商450億円規模のビジネスを展開しています。この規模のシェアがあると、人口減少が進む国内において、新規顧客の獲得はなかなか難しい。私たちがまだ出会えていないお客さまはどこかといったら、ドラッグストアのチャネルだった。

総合的に考えて、1000円前後でこれくらい高い技術が詰まったコストパフォーマンスのよい商品はなかなかない。昨今の生活者の格差が広がっていること、そして「オルビス」のブランドフィロソフィーとしてはやるべきと判断しました。

――商品力の高さに自信があるわけですね。

小林:そうですね。まず、自信を持っている点として、“ショットプラス”には、グループ会社のポーラ化成工業が誇るスキンケア技術が搭載されています。1番の特長は、浸透技術が優れていること。ここは長年ナノ化技術を研究してきた化粧品会社だからこそ、成し得たクオリティーだと自負しています。

1000円前後という価格帯でこの浸透感や保湿感を体験して頂いて、お客さまに「オルビスっていいよね」と思って頂けたらうれ嬉しいですね。その方のライフステージが変わって、例えばエイジングが気になりはじめた時に、直販のオルビスを選ぶきっかけになればありがたい。長い目で見て、潜在顧客を増やしていくことは本当に重要だと考えています。

新たな挑戦に対して社内では反対意見も

―――“ショットプラス”に搭載した技術は、ポーラ化成工業の財産だと思います。ドラッグストアコスメに用いることに反対意見はなかった?

小林:経営陣の中でも、正直意見は割れました。ただ、自分たちが培ってきた技術を「安売り」するのではなく「この価格帯でどんな価値を提供するのか」という話しなので、そこは議論を重ねました。

―――価値の中にはデザインや世界観も含まれると思いますが、そのあたりの戦略は?

小林:あえてドラッグストアコスメの世界観に準じることはしませんでした。ボトルはシンプルだけど上質感が漂うスタイルに。広告ビジュアルも、百貨店で販売するスキンケアと同じ世界観にしています。

―――お話しを聞いていると「クオリティーの追求」が伺えますが、収支的には見合うのでしょうか。

小林:ドラッグストアコスメのすごいところは、一定の「規模感」があると利益が見込める点です。店舗でいうなら、数千店とか1万店とかに配荷されるスケール感があると、ロット数が増えて原価が下がる分、利益が期待できる。ここは、今後頑張っていかないといけない部分です。

表層的なマーケティングではなく
重視するのはあくまで「生活者の声」

―――店舗の拡大には営業活動も重要では?

小林:実は“エッセンスインヘアミルク(以下、ヘアミルク)”のヒットをきっかけに、小売店とのパートナーシップが拡大した経緯があります。

―――SNSを中心にバズったアイテムですね。13年も前に発売して、1度もリニューアルしていないと聞きました。

小林:その通りです。しかも、広告も一切していないんです。11年の発売時から右肩上がりでジワジワと伸びて、21年の販売個数が28万個。22年にSNSでバズったことをきっかけに、23年には250万個と2年で約9倍に跳ね上がりました。

―――ものすごい急成長ですね。

小林:そうなると、商品企画部から「ひと昔前のデザインだから、ボトルを刷新したい」とか、「インフルエンサーマーケティングで、さらにドライブさせよう」みたいな話が出るんですよ。僕は、全部却下しました。

―――全部却下ですか。

小林:そう、全部却下(笑)。なぜなら、マーケティングでは「認知」と「想起」を取る時点が一番大変なんです。まずはヘアミルクを知って頂いて、髪に悩みがあった時に「あのピンクのボトルの……」と思い浮かべていただくことですね。

確かにボトルは、ひと昔前のど派手なピンクですが、今変えたらどれだか分からなくなってしまう。そして、せっかく自然発生的にバズったのに、インフルエンサーがハッシュタグつけたSNSを目にしたら、一気に冷めませんか?じゃあ何をしたかというと「生活者との接点」を増やす、つまり売り場を拡張すべく、バラエティーショップやドラッグストアなどのリテールに営業をかけました。

―――そこで小売店とのネットワークが構築できたんですね

小林:そうです。配荷でいうと“ヘアミルク”は現在、バラエティーショップを含め全国2万を超える店舗に置いていただいています。背景にこのような店舗とのパートナーシップがあったことも、“ショットプラス”ローンチの後押しになりました。

―――“ショットプラス“の配荷予定は?

小林:ドラッグストアは、最初から全店に配荷するわけではなく、一部店舗に置いて動きを見るテスト期間があります。初回配荷数は具体的に明かせませんが、通常のテスト店舗数の約2倍の店舗で展開していただく予定です。

―――“ショットプラス“の今後の展望を教えてください。

小林:ローンチが9月なので、初年度の売り上げはそこまでのインパクトは出ないと予想しています。それよりまずは、皆さんに知っていただいて、ぜひこのクオリティーをご体験いただけたらと。

“ヘアミルク”のヒット時に、僕が非常に面白いと感じたのは、22年にバズったコメントと、11年の誕生時に愛用者が評価してくださったコメントが「ほぼ同じ」だったことです。プロダクトが評価されるポイントは、時代が変わっても不変であり、表層的なマーケティングではかなわない「本質」です。“ショットプラス“も「やっぱりいいね」と思っていただけるようなブランドに育てたい。将来的には、商品や店舗数の拡大を目指しています。

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境界を超える実験音楽の祭典「モード」出演 ノルウェーのサックス奏者ベンディク・ギスケ インタビュー

2024年6月、ロンドンの音楽レーベル「33−33」と、日本を拠点に実験性の高いアートや音楽のイベントを手がけるキュレトリアル・コレクティブ「ブリス(Bliss)」は、草月ホールにて、イベントシリーズ「モード(MODE)」を開催した。

18年にロンドンで開催した「モード」の第1回目でキュレーターを務めたのは、昨年逝去した坂本龍一。きっかけは、ロンドンで実験音楽のイベントシリーズ「セント・ジョン・セッションズ(St John Sessions)」を運営する「33-33」のディレクター=クリス・ヴォーン(Chris Vaughan)が、坂本龍一と米国のサウンドアーティスト、テイラー・デュプリー(Taylor Deupree)から、このシリーズに出演したいと連絡を受けたこと。2人の「セント・ジョン・セッションズ」出演が実現したのは14年2月だった。ヴォーンは、イベント後も坂本龍一と連絡を取り合い、共に音楽イベントシリーズを立ち上げるアイデアを提案。その4年後の18年に誕生したのが「モード」だ。

「モード」という言葉は多様な意味を持つ。音楽用語としては「スケール(音階)」と同義であり、ファッションの分野はもちろん、統計学やビジネスの文脈でも使用される。坂本がこだわったこの言葉をタイトルに冠し、音楽、アート、ファッションが垣根を超えて自由に融合し、成長することを目指す。

「イベントを始めた当初、音楽とファッションの世界に乖離を感じていた」と、「モード」の共同ディレクターを務める中野勇介とヴォーンは語る。現在は、同イベントシリーズに出演したアーティストの実験音楽が、ファッションショーの中で使用されるなど、当初の構想に追いつくようにその距離が近づいている。22年から開催地を東京に移した理由の一つは、灰野敬二やフジタ(FUJI|||||||||||TA)など、欧米で高い評価を受ける日本人アーティストの功績に光を当てるため。彼らのような日本人アーティストたちは、しばしば、日本の実験音楽シーンは欧米に比べて非常に小さいと語っていたという。この状況に風穴を開けようと「モード」は、23年以降、東京で積極的にライブを企画しており、今月21日には東京・恵比寿のライブハウス「リキッドルーム」でのイベント「MODE AT LIQUIDROOM」の開催も控える。出演は、大阪拠点の音楽家・日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブルgoatと初来日となるイギリス・グラスゴー出身のトリオ、スティル・ハウス・プランツ(Still House Plants)。

WWDでは、「モード」出演のため6月に初来日を果たしたエクスペリメンタル・サックス奏者のベンディク・ギスケ(Bendik Giske)にインタビューを敢行。たゆまぬ鍛錬に裏打ちされた身体性と、サックスの瞑想的な響きが生む没入感が共存する、特異な音楽世界を作り出すギスケに、深い洞察に支えられた創造性について話を聞いた。

価値観をまたぎ、人々をつなげるエネルギーを生む
「集合地点としての音楽」を目指して

――ギスケさんのサックス演奏のアプローチは身体性にフォーカスした、独自の音楽表現です。このような奏法にいたった経緯について聞かせてください。

ベンディク・ギスケ(以下、ギスケ):もともと幼少期からダンスの勉強をしていて、身体の動きを通してストーリーを伝えることに興味がありました。そのうちダンスそのものよりも楽器の演奏に身体的な動きを取り入れることで独自の表現を探求したいと考えるようになり、音楽の道に進むことに決めました。
通っていた音楽学校にはジャズとクラシックの2つのコースがあり、どちらも音楽理論や歴史、実技を学びますが、私はリズムと現代の音楽を中心としたコミュニティー形成について追究したかったので、ジャズを選びました。

楽器のテクニックや音楽的な知識はもちろん重要ですが、ジャズの真の特性は「対抗的な力」。つまり、常に何かの対立軸として存在することだと考えています。

――「対立軸として存在する」とは?

ギスケ:即興的なジャズは、スコアとして書かれた音楽への反抗であり、封建的なシステムの中で作られてきた西洋音楽の歴史に対峙することでもある。西洋音楽は中上流階級によって作られてきたものが大半ですが、ジャズは民衆の間で生まれ、音楽史では語られない歴史的背景を持っています。

ジャズは常に「新しさ」を探求し、即興演奏による主体的なストーリーテリングや、音楽を中心にしたコミュニティ構築を求めるもの。私がジャズにひかれるポイントはここにあります。

また、アメリカ文化を背景に持つジャズや、そのルーツとしてのアフリカ音楽、そしてハウス・テクノ等の電子音楽には、ノルウェーの前史的な音楽に通底するテーマがあると思っています。それは「集合地点としての音楽」ということ――音楽を通して人々がつながり、人々がつながることでまた新たに音楽が生まれるということです。

――現在ベルリンを拠点とし、テクノミュージシャンのパヴェル・ミリャコフ(Pavel Milyakov)とのコラボレーション等も実現しました。自身の音楽と、電子音楽やダンスミュージックとの親和性についてはどう考えていますか?

ギスケ:直近ではベルリンのナイトクラブ「ベルグハイン」のレジデンスDJ、サム・バーカー(Sam Barker)とコラボレーションしました。彼は電子音楽の手法で作曲するアーティストです。

電子音楽との協奏自体に目新しさはありませんが、どんどん進化していくテクノロジーを自分のアコースティックな演奏に取り入れることで、新たに生まれる音や空間の可能性を探究したいです。

現在、ドイツでは思想の両極化が進んでいますが、電子音楽のシーンは、人々が価値観の違いを超えて一堂に会するエネルギーを生み出すことができると思います。

――ライブパフォーマンスをする上でのこだわりを教えてください。

ギスケ:ライブではループ等のエフェクターやサンプリングは使わず、マイクを使用したテクニックや反響によって生まれる音のみを使います。マイクの誕生によってビリー・ホリデイ(Billy Holiday)のささやくような歌い方が生まれたように、私もマイクを通すことでしか生まれない音を出したいんです。

音楽やパフォーマンスは、自らの経験を観客と共有することですが、私は観客の反応をコントロールしたり、誘導したりしたいとは思いません。自分が表現したいのはあくまで「空間」で、「真実」や具体的な何かを語りたいわけではない。空間を作り、そこにどんな形であれ、観客に関与してもらうことを重視しています。

音楽と視覚的要素を通したアイデンティティの表現

――音楽だけでなく、映像作品・ショー等でのインスタレーションのような空間演出やビジュアル表現においても、アバンギャルドな独自の美的感覚を発揮されています。創作の着想源は何ですか?

ギスケ:私はミュージシャンですが、音楽だけでなくその周辺要素を含めて表現したいと考えています。ファッションや動き、照明も含め、あくまで音楽的なアウトプットの周辺に視覚的要素を足しているという認識です。

創作の原動力は、私から見てこの世界に欠けているもの、存在しているのになかなか見えづらいものを、自分の表現によって埋めたい、具現化したいという思いです。

――ベンディクさんから見て「この世界に欠けている」ものとは?

ギスケ:今までさまざまな反抗的・対抗的な表現を享受してきましたが、その中でクィアな要素を含んだ表現をなかなか見つけられずにいました。だからこそ、自分の音楽表現やステージでのパフォーマンスにはクィア要素を織り込み、自分のアイデンティティーを表現したいと考えています。とはいえ、この10年間で社会のクィアカルチャーへの理解は進みましたし、サブカルチャー全般においても、テクノやハウスなどのダンスミュージックシーンにおいても、クィアの存在感は高まっているようにも感じます。

――22年には「ディオール(DIOR)」の 秋冬コレクションのランウェイにて“Cruising”(アルバム「Cracks」収録曲)がオープニングを飾り、ビッグメゾンの洗練されたショーに、あなたの音楽世界が新たな物語性を与えました。「モード」が当初から構想したように、音楽とファッションは密接な関係性を築いているように感じます。あなたにとってファッションとは?

ギスケ:私の作品がショーのオープニングという美しい瞬間に使われたのは光栄でした。自分の作品が元々の意図とは異なる文脈で使われ、別の表現に昇華されるのは、とても喜ばしいことです。

私にとってファッションは、ペルソナを表現できる「着用可能なアート」。例えば、肩幅が大きく誇張されたジャケットなど、特徴的なアイテムを身につけた時、どんな効果がもたらされるでしょうか?体の動きやアイデンティティー、ふるまいに影響し、新しい表現が生まれる可能性もあるでしょうし、文化や伝統、ひいてはジェンダー・アイデンティティーや地理的な繋がりなども表現することもできると思っています。

一方で、機能的なファッションにも魅力を感じます。ワークウエアの要素を取り入れた「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」のデザインや、日本の履物からインスピレーションを得た「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」の足袋ブーツなど、機能から生まれる美しさには魅了されますね。

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境界を超える実験音楽の祭典「モード」出演 ノルウェーのサックス奏者ベンディク・ギスケ インタビュー

2024年6月、ロンドンの音楽レーベル「33−33」と、日本を拠点に実験性の高いアートや音楽のイベントを手がけるキュレトリアル・コレクティブ「ブリス(Bliss)」は、草月ホールにて、イベントシリーズ「モード(MODE)」を開催した。

18年にロンドンで開催した「モード」の第1回目でキュレーターを務めたのは、昨年逝去した坂本龍一。きっかけは、ロンドンで実験音楽のイベントシリーズ「セント・ジョン・セッションズ(St John Sessions)」を運営する「33-33」のディレクター=クリス・ヴォーン(Chris Vaughan)が、坂本龍一と米国のサウンドアーティスト、テイラー・デュプリー(Taylor Deupree)から、このシリーズに出演したいと連絡を受けたこと。2人の「セント・ジョン・セッションズ」出演が実現したのは14年2月だった。ヴォーンは、イベント後も坂本龍一と連絡を取り合い、共に音楽イベントシリーズを立ち上げるアイデアを提案。その4年後の18年に誕生したのが「モード」だ。

「モード」という言葉は多様な意味を持つ。音楽用語としては「スケール(音階)」と同義であり、ファッションの分野はもちろん、統計学やビジネスの文脈でも使用される。坂本がこだわったこの言葉をタイトルに冠し、音楽、アート、ファッションが垣根を超えて自由に融合し、成長することを目指す。

「イベントを始めた当初、音楽とファッションの世界に乖離を感じていた」と、「モード」の共同ディレクターを務める中野勇介とヴォーンは語る。現在は、同イベントシリーズに出演したアーティストの実験音楽が、ファッションショーの中で使用されるなど、当初の構想に追いつくようにその距離が近づいている。22年から開催地を東京に移した理由の一つは、灰野敬二やフジタ(FUJI|||||||||||TA)など、欧米で高い評価を受ける日本人アーティストの功績に光を当てるため。彼らのような日本人アーティストたちは、しばしば、日本の実験音楽シーンは欧米に比べて非常に小さいと語っていたという。この状況に風穴を開けようと「モード」は、23年以降、東京で積極的にライブを企画しており、今月21日には東京・恵比寿のライブハウス「リキッドルーム」でのイベント「MODE AT LIQUIDROOM」の開催も控える。出演は、大阪拠点の音楽家・日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブルgoatと初来日となるイギリス・グラスゴー出身のトリオ、スティル・ハウス・プランツ(Still House Plants)。

WWDでは、「モード」出演のため6月に初来日を果たしたエクスペリメンタル・サックス奏者のベンディク・ギスケ(Bendik Giske)にインタビューを敢行。たゆまぬ鍛錬に裏打ちされた身体性と、サックスの瞑想的な響きが生む没入感が共存する、特異な音楽世界を作り出すギスケに、深い洞察に支えられた創造性について話を聞いた。

価値観をまたぎ、人々をつなげるエネルギーを生む
「集合地点としての音楽」を目指して

――ギスケさんのサックス演奏のアプローチは身体性にフォーカスした、独自の音楽表現です。このような奏法にいたった経緯について聞かせてください。

ベンディク・ギスケ(以下、ギスケ):もともと幼少期からダンスの勉強をしていて、身体の動きを通してストーリーを伝えることに興味がありました。そのうちダンスそのものよりも楽器の演奏に身体的な動きを取り入れることで独自の表現を探求したいと考えるようになり、音楽の道に進むことに決めました。
通っていた音楽学校にはジャズとクラシックの2つのコースがあり、どちらも音楽理論や歴史、実技を学びますが、私はリズムと現代の音楽を中心としたコミュニティー形成について追究したかったので、ジャズを選びました。

楽器のテクニックや音楽的な知識はもちろん重要ですが、ジャズの真の特性は「対抗的な力」。つまり、常に何かの対立軸として存在することだと考えています。

――「対立軸として存在する」とは?

ギスケ:即興的なジャズは、スコアとして書かれた音楽への反抗であり、封建的なシステムの中で作られてきた西洋音楽の歴史に対峙することでもある。西洋音楽は中上流階級によって作られてきたものが大半ですが、ジャズは民衆の間で生まれ、音楽史では語られない歴史的背景を持っています。

ジャズは常に「新しさ」を探求し、即興演奏による主体的なストーリーテリングや、音楽を中心にしたコミュニティ構築を求めるもの。私がジャズにひかれるポイントはここにあります。

また、アメリカ文化を背景に持つジャズや、そのルーツとしてのアフリカ音楽、そしてハウス・テクノ等の電子音楽には、ノルウェーの前史的な音楽に通底するテーマがあると思っています。それは「集合地点としての音楽」ということ――音楽を通して人々がつながり、人々がつながることでまた新たに音楽が生まれるということです。

――現在ベルリンを拠点とし、テクノミュージシャンのパヴェル・ミリャコフ(Pavel Milyakov)とのコラボレーション等も実現しました。自身の音楽と、電子音楽やダンスミュージックとの親和性についてはどう考えていますか?

ギスケ:直近ではベルリンのナイトクラブ「ベルグハイン」のレジデンスDJ、サム・バーカー(Sam Barker)とコラボレーションしました。彼は電子音楽の手法で作曲するアーティストです。

電子音楽との協奏自体に目新しさはありませんが、どんどん進化していくテクノロジーを自分のアコースティックな演奏に取り入れることで、新たに生まれる音や空間の可能性を探究したいです。

現在、ドイツでは思想の両極化が進んでいますが、電子音楽のシーンは、人々が価値観の違いを超えて一堂に会するエネルギーを生み出すことができると思います。

――ライブパフォーマンスをする上でのこだわりを教えてください。

ギスケ:ライブではループ等のエフェクターやサンプリングは使わず、マイクを使用したテクニックや反響によって生まれる音のみを使います。マイクの誕生によってビリー・ホリデイ(Billy Holiday)のささやくような歌い方が生まれたように、私もマイクを通すことでしか生まれない音を出したいんです。

音楽やパフォーマンスは、自らの経験を観客と共有することですが、私は観客の反応をコントロールしたり、誘導したりしたいとは思いません。自分が表現したいのはあくまで「空間」で、「真実」や具体的な何かを語りたいわけではない。空間を作り、そこにどんな形であれ、観客に関与してもらうことを重視しています。

音楽と視覚的要素を通したアイデンティティの表現

――音楽だけでなく、映像作品・ショー等でのインスタレーションのような空間演出やビジュアル表現においても、アバンギャルドな独自の美的感覚を発揮されています。創作の着想源は何ですか?

ギスケ:私はミュージシャンですが、音楽だけでなくその周辺要素を含めて表現したいと考えています。ファッションや動き、照明も含め、あくまで音楽的なアウトプットの周辺に視覚的要素を足しているという認識です。

創作の原動力は、私から見てこの世界に欠けているもの、存在しているのになかなか見えづらいものを、自分の表現によって埋めたい、具現化したいという思いです。

――ベンディクさんから見て「この世界に欠けている」ものとは?

ギスケ:今までさまざまな反抗的・対抗的な表現を享受してきましたが、その中でクィアな要素を含んだ表現をなかなか見つけられずにいました。だからこそ、自分の音楽表現やステージでのパフォーマンスにはクィア要素を織り込み、自分のアイデンティティーを表現したいと考えています。とはいえ、この10年間で社会のクィアカルチャーへの理解は進みましたし、サブカルチャー全般においても、テクノやハウスなどのダンスミュージックシーンにおいても、クィアの存在感は高まっているようにも感じます。

――22年には「ディオール(DIOR)」の 秋冬コレクションのランウェイにて“Cruising”(アルバム「Cracks」収録曲)がオープニングを飾り、ビッグメゾンの洗練されたショーに、あなたの音楽世界が新たな物語性を与えました。「モード」が当初から構想したように、音楽とファッションは密接な関係性を築いているように感じます。あなたにとってファッションとは?

ギスケ:私の作品がショーのオープニングという美しい瞬間に使われたのは光栄でした。自分の作品が元々の意図とは異なる文脈で使われ、別の表現に昇華されるのは、とても喜ばしいことです。

私にとってファッションは、ペルソナを表現できる「着用可能なアート」。例えば、肩幅が大きく誇張されたジャケットなど、特徴的なアイテムを身につけた時、どんな効果がもたらされるでしょうか?体の動きやアイデンティティー、ふるまいに影響し、新しい表現が生まれる可能性もあるでしょうし、文化や伝統、ひいてはジェンダー・アイデンティティーや地理的な繋がりなども表現することもできると思っています。

一方で、機能的なファッションにも魅力を感じます。ワークウエアの要素を取り入れた「ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」のデザインや、日本の履物からインスピレーションを得た「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」の足袋ブーツなど、機能から生まれる美しさには魅了されますね。

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デバイス携帯時代の移動に寄り添う「オブジェクツ アイオー」  iPhone16ケースも製作中⁉︎

PROFILE: 角森智至/「オブジェクツ アイオー」デザイナー

角森智至/「オブジェクツ アイオー」デザイナー
PROFILE: (つのもり・さとし)1987年、島根県生まれ。文化服装学院バッグデザイン科を卒業後、2009年4月土屋鞄製造所入社。製品開発や生産に関する業務を幅広く経験し、2017年「オブジェクツ アイオー」を本格始動。立ち上げ当初から現在まで製品責任者を務める PHOTO:DAISUKE TAKEDA

現代人にとっての“移動”とは、“デジタルデバイスを常に持ち歩くこと”だ。「オブジェクツ アイオー(OBJCTS.IO)」は、その移動をアップデートするためのレザープロダクトを製作する。現代人のライフスタイルを徹底的に追求した機能性とミニマルなデザインで、知名度を高めている。2022年に土屋鞄製造所の傘下となって以降、安定した生産管理体制をベースにクリエイティビティを発揮する、同ブランドの角森智至デザイナーに話を聞いた。

WWD:「オブジェクツ アイオー」を立ち上げた経緯は?

角森智至デザイナー(以下、角森):文化服装学院のバッグデザイン科を卒業後、土屋鞄製造所にランドセルを作る職人として入社した。その後、鞄や財布などを作りながら生産管理も学び、革製品のモノづくりの流れを一通り理解すると、自分のブランドへの思いが強まった。18年11月末に独立し、ブランドを立ち上げた。

WWD:デジタルデバイスありきの特殊な品揃えだが、客層は?

角森:コア層は30代後半〜40代前半で、男女比は半々。設立当初は8割が男性で、起業家らのビジネスマンが多かったが、ホワイト系のカラーリングや、iPhoneに搭載されている「MagSafe」を活用した、“マグウェア”シリーズを発売してから女性が増えていった。

機能性と審美性の両立

WWD:「オブジェクツ アイオー」の商品に共通する特徴は?

角森:デバイスを快適に持ち歩くために、機能性と審美性を両立していること。よくあるカメラバッグのように機能性だけを追求したものは、収納力の高さと引き換えにファッション性を損ねていることが多く、持っていても気分が上がらない。反対にデザイン性に振りすぎたものは、気分は上がるものの、日常的に使える配慮がなければ、毎日持ち歩くのは辛い。デバイスに合わせた収納設計や、軽量であることを前提に、革の上質さを活かしたミニマルなデザインが、持っていて気持ちが良いという感覚に繋がると思っている。

目指すのは「現代人の移動のアップデート」

WWD:なぜデバイスを中心とした製品開発を行うのか。

角森:現代人は、常に何かしらのデバイスと共に移動している。機能性とデザイン性を両立したレザープロダクトは、現代人の移動を快適にし、アップデートする。月に1回しか使わないモノの開発で、現代人の移動をアップデートするのは難しい。そこで、ほとんどの人が毎日使う、現代人のライフスタイルに欠かせないiPhoneなどのデバイスに行き着いた。自分たちが作った製品とのタッチポイントが増えるほど、ユーザーに与える影響は大きくなっていく。現代人の移動をアップデートする効果的な方法だ。

WWD:立ち上げ当初から、デジタルデバイスに焦点を当てていた?

角森:最初に発売したのはMacBookを持ち運ぶためのバッグだが、デジタルデバイスに焦点を当てたというよりは、自分たちが欲しいものを作ろうとした結果だった。

WWD:現代において一番重要だと思うデバイスは?

角森:やはり、iPhoneだと思う。Apple Watchもある程度普及したが、数で言うと圧倒的にiPhone。

WWD:それに対してのアプローチは?

角森: “マグウェア”シリーズには力を入れており、iPhoneを持ち歩くのが面倒だとか、不安だとか思わないよう、体と“接続”するような感覚を覚える製品を目指している。デバイスはポケットに入れていても、「すぐに取り出せないと不安」や、「タクシーに忘れてしまわないか」と心配になる中、身体とデバイスの間を物理的にも精神的にも繋げることで、持ち歩くことが快適になれば、安心感に繋がる。

必要なのは“身につけていることを忘れる”こと

WWD:体と“接続”する製品とは、具体的にどのようなもの?

角森:もしかしたら、“身につけていることさえ忘れる”製品かもしれない。ユーザーから「帰り道にカメラを忘れたと思ってオフィスに戻ったら、実際にはカメラが入ったカメラバッグを持っていた」という話を聞いた。その時、デバイスが体に“接続”しているとは、まさにこの事だと思った。「服装に合わない」「重いから移動したくない」「これで会食には行けない」みたいな制限から解放する、身につけていることさえ忘れる製品が、移動を快適にする。

“1人のため”が“多くの人のため”に

WWD:現代人のライフスタイルに根差した製品開発では、ユーザーを徹底的にリサーチする必要があると思うが?

角森:これは自分たちのモノ作りで一番重要なことでもあるが、ペルソナを立てるようなターゲティングはせず、“実在する特定の個人”のために製品を作る。以前、デジタルやファッション領域で活動する市川渚さんのために、カメラバッグを開発した。市川さんが求める機能性やファッション性を徹底的に追求した、一人のための製品だったのが、彼女の価値観や感性に共感するファンにも広まり、多くの人に届いた。これがきっかけで、“実在する特定の個人”のための製品制作に面白さを感じ、自分のスタイルとして落とし込んでいった。とはいえ、オーダーメイドをしたいわけではないので、一般的なニーズとのバランスは取るようにしている。

WWD:元々ランドセルの職人だったのに、現代人のライフスタイルに焦点を置いた製作を始めたのはなぜ?

角森:デジタルデバイスが好きだからというのはベースにあるが、クラシックなものがこの先もあるかどうか、わからないというのも理由の一つ。文化として強く根付いているランドセルは簡単に無くならないと思っているが、 50年後、100年後に残っている保証はない。クラシックなものを職人として守り続けるよりは、テクノロジーと共に進化するモダンなものと繋げて、今生きている人たちのテンションが上がるものを作る方が楽しいと思った。

旅が広がり始めた19世紀、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」はトランクを再開発し、結果世界中の人々を旅行に駆り立てた。現代人の移動をアップデートすれば、それと似た現象が起こるかもしれない。クラシックなものを無にする訳ではなく、むしろそれを進化させて、現代人のライフスタイルに落とし込み、“大きな変化”が起こるきっかけになるモノ作りを目指している。

新型iPhone発売直前に聞く

WWD:今年も間もなく新型iPhoneが発表されるが、どう予想する?

角森:機体右側面に新しくボタンが配置され、カメラ性能のアップに伴いレンズの高さが上がると予想している。

WWD:それによって製品はどう変わる?

角森:ボタンの追加により、フレームが細くなって耐久性が下がる箇所ができるので対応が必要になる。また、レンズの高さが上がるので、保護パーツも高くする必要がある。すると“マグウェア”が従来通りの磁力ではつかなくなるかもしれない。現在新たに作っている“マグウェア”は、その部分をクリアするよう再設計中だ。とはいえ(この取材を受けている8月下旬時点では)公式の事前情報はなく、予想が外れる可能性は0ではない。もちろん、合わなければ仕様変更が必要なため、ヒヤヒヤしている。すでにかなりの数発注しているので(笑)。

WWD:新型iPhoneカバーの発売はいつ?

角森:10月頭を目指している。新型iPhoneの発売後、製品が適合するか確認して、問題がなければ最短で発売する。

WWD:今後はどのような取り組みを行っていく?

角森:ユーザーのテンションが上がるものをどんどん作りたい。デバイスに関連する製品は、繊細さや機能性が求められるので道具っぽく扱われがちだが、もっとファッションアイテムに近づいても面白いのではないかと思う。その可能性を追求するために、僕だけじゃなく、僕とは違う感性を持ったクリエイターと一緒に製作することにも挑戦していきたい。

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TOKYO BASE新業態「コンズ」、2030年までに30億円目指す

セレクトショップ「ステュディオス(STUDIOUS)」などを手掛けるTOKYO BASEはこのほど、若年層に向けた新業態「コンズ(CONZ)」の路面店を東京・原宿にオープンした。場所は「ステュディオス」原宿本店をはじめ同社が複数店舗構えるエリアだ。元「ステュディオス」メンズ部部長で、「コンズ」事業責任者の熊沢俊哉新規事業部ディレクターは2030年までに年商30億円を目指すという。

ブランドやジャンルにこだわらない自由なミックス感覚

モードテイストの主力事業「ステュディオス」に対して「コンズ」ではカジュアルを軸に、トレンド要素を取り入れたオリジナル商品も交えて提案し20代前半の層を狙う。コンセプトは「雑然とした⽇本特有のミックススタイル」。熊沢ディレクターは「周りのファッション好きな若い人たちを見ていると、ブランドやジャンルにこだわらない自由な着こなしを楽しんでいる。そんなフラットなミックス感覚を『コンズ』では提案したい」と話す。

店舗内装はDAIKEI MILLS(ダイケイ・ミルズ)が手掛けた。ガラス張りの店内は、木材やステンレス、大理石、レンガといったさまざまな素材を混在させてブランドコンセプトを表現した。2フロアで構成し1階には「シンヤコヅカ(SHINYAKOZUKA)」や「ソーイ(SOE)」などストリート色の強い仕入れブランドとオリジナル商品を並べる。

オリジナル商品は「ネヴァーフォーゲット(NVRFRGT)」の⼭⽥拓治デザイナーと、「ジェンイェ(JIAN YE)」のスガノコウスケデザイナーと共同で製作した。ブルゾンで3万円前後、パンツで2万円前後と比較的手に取りやすい価格帯にもこだわった。熊沢ディレクターは「普段は彼らのブランドの服を買えないお客さまにも、2人のクリエイションを楽しんでもらいたい。いわゆるセレクトショップのオリジナルではなく、仕入れブランドに並ぶ位置付けでしっかり売っていきたい」という。

2階は緑川卓デザイナーによる「ミドリカワ(MIDORIKAWA)」や塚崎恵理子デザイナーによる「カレンテージ(CURRENTAGE)」など、よりエレガントな軸で提案する。取り扱いブランドは全25ブランド。

ポップアップイベントなども積極的に仕掛ける。第一弾は、日本のオタク文化を発信する「フッドマート(HOODMART)」と組んだ(現在は終了)。アニメキャラクターのフィギュアやキーホルダーなどの雑貨や古着のボディーにキャラクターをプリントしたTシャツなどを販売。「カルチャー全般も含めて『東京のファッション』として提案していけたら」と熊沢ディレクター。

9月7日には新宿ルミネエストに2号店を出店した。今後はTOKYO BASEの出店戦略に沿って東京や名古屋、大阪の大都市圏での出店を狙う。

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「D.P.―脱走兵追跡官―」原作者キム・ボトンの普通の中にある特別な物語の探し方

PROFILE: キム・ボトン/作家、脚本家

キム・ボトン/作家、脚本家
PROFILE: 「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者、コンテンツ制作会社「スタジオタイガー」の代表。著書の縦読み漫画「D.P. 犬の日」に基づく「D.P. -脱走兵追跡官-」は、「コインロッカーの女」や「スピード・スクワッド ひき逃げ専門捜査班」のハン・ジュニ監督が、鋭い洞察と心を打つ繊細な描写で新たな命を吹き込んだ作品。目を向けられることのなかった脱走兵と追跡官の物語に光を当て、韓国だけでなく海外でも絶賛された。同作のボトンはドラマ化にあたり脚本の執筆にも携わった PHOTO:RYU WOO JONG

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にも繋つながっているのは明白だ。その韓流ドラマ人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では韓国ドラマ作品の脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッション性に至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.2はNetflixシリーズ「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者で脚本の執筆にも関わったキム・ボトン。普通の中にある特別な物語の探し方や敬愛する夏目漱石、北野武のこと、第二の故郷だという沖縄についても尋ねてみたた。

――過去に「フツー(Futsuu)」という名前で漫画家をされていたそうですね。

キム・ボトン(以下、ボトン):「ボトン」は日本語で「普通」という意味です。10年くらい前にカドカワ(KADOKAWA)から「ガンカンジャ」という本を出した時に、自分の名前を日本語に訳して「フツー」名義で活動していました。元々韓国の大企業で働いていたのですが、「特別な存在になれ」という方針が全然合わなくて疲弊していました。そういった経緯は今回出版されたインタビュー集にも書いてありますが、「どうして皆、一番になろうとするんだろう。普通の人たちが尊重されるような社会になれば、誰もが生きやすくなるのではないか」という考えと願いを込めて「フツー」と名乗っていたという経緯もあります。きっと日本社会にも共通する部分がありますよね。

――漫画もエッセイもドラマもストーリーが大切だと言っています。現在の韓国社会のどのような問題が脚本にインスピレーションを与えていますか?

ボトン:日本と社会的な状況は似ている部分があるため想像できるかもしれませんが、韓国は短期間で経済的、技術的に急成長しました。それにより、富裕層と貧困層の二極化が進んでいます。社会構造の中で優遇されない人がいたり、不平等もたくさん起きていて苦しい思いをしている人たちに手を差し伸べる精神的な余裕や他者への理解が薄れています。

少しでも社会全体を豊かにするためには、今苦しい状況に置かれている人たちに手を差し伸べることが大切であるにも関わらず、関心を集めているのは効率性や生産性を求める資本主義的な側面ばかりのように感じます。経済発展と相反するように人権への配慮などの水準は低下しています。そういった思いから、ストーリーに格差や不平等を取り上げています。

――脚本家になるために必要なものは何でしょうか?

ボトン:脚本家とは、話したいことを伝え続け、書き続けたる人だと思います。一方で有名な脚本家になれば注目を浴びて稼げる、という一部の現象を見た志望者も増えています。

私が大好きな北野武監督が、あるインタビューで「サッカー選手になるために一生懸命生きてきたというよりも、サッカーを一生懸命やっていたらサッカー選手になっていた」というストーリーの方が好きだという話をされていました。それに影響されて、私も「作家になることが目標だという人が作家になるのではなくて「この話をしたい、伝えたい」という人が作家になっていく」のではないかと考えるようになったのかもしれませんね。

――夏目漱石の「吾輩は猫である」が好きだそうですね。どの部分に引かれましたか?

ボトン:高校生の時からずっと好きな作品で、100回以上読んでいます。好きなところは、人間たちの問題や葛藤を猫の視点で見ていることです。人間社会はとても複雑で難しい問題も多いですが、一歩下がって状況を見てみると実は取るに足りないようなことだった、というのが猫の視線に置き換えられていることで腑に落ちる。ちょっと皮肉っぽい、渇いた笑いの描き方がとても印象的で、私も猫の視点で問題を俯瞰するような思考法を学んだような気がします。あとは、最後の場面で猫が死んでいく場面で事実を受け入れていく過程の描写はとても印象的で、他の漱石の作品と比べても独特の魅力がありますね。

――世界的な人気の韓国ドラマや映画ですが、自身のキャリアについてどう考えていますか?

ボトン:予定通りにいけば、アメリカのスタジオと映画やドラマの制作をしたり、監督を引き受けることにもなるかもしれません。少し前はドラマや映画は国内向けに消費されていましたが、ネット配信の登場で、国や人種、文化などあらゆる価値観を持った視聴者たちも共感や理解のしやすいストーリーが求められるようになっています。そういった時代の流れによって、国を超えて活動する機会が増えていくのではないでしょうか。

キャリアとは違う話ですが、冬は沖縄で暮らそうと思っています。コロナ前までは、1年に半月〜1カ月くらいを沖縄で過ごしていたので、5年以内には沖縄に拠点を作りたいです。

――作家になる前、大企業をやめて直ぐたあとにも沖縄旅行をされていたそうですね。

ボトン:沖縄を愛してます、大好きです。私にとって沖縄はとても重要な場所で、もう1つの故郷であり作家としての始まりの地です。沖縄自体はあまり変わっていないですが、訪れる度に、自分自身の内面の変化や取り巻く環境はめまぐるしく変化していることを実感します。沖縄を定期的に訪れ、挫折や孤独感でいっぱいだったあの頃を振り返るための重要な地でもあります。

――キャラクターを作る上で衣装ファッションの重要性をどのように考えていますか?

ボトン:過去から制作中の作品まで衣装は毎回重要です。現在、病院や軍隊、学校がそれぞれ舞台になったストーリーを作っていますが、キャラクターの性格やアイデンティティーを示すものとして欠かせません。例えば「D.P. -脱走兵追跡官-」の場合、主人公は憲兵なので軍服ではなく私服を着ているんですね。憲兵になり軍服から私服に着替える時に、主人公は元々貧しくて着ることができなかった「ナイキ(NIKE)」の服を着て大喜びするシーンがあります。ファッションは一種の階層を表すものでもありますよね。自分自身ファッションにとても関心があるので、日本を訪れた際は街を歩いている人たちが着ている洋服を観察しています。韓国と日本ではファッションのスタイルも全く違うので、注意深く記憶に留めています。

――韓国と日本のファッションの違いをどのように分析されていますか?

ボトン:韓国では流行を意識した服を選んでいるイメージがあります。個性よりもトレンドを押さえているかを大事にする。私が見た範囲では、日本ではトレンドを追うよりも自分が着たい服や似合うかどうかを大事にしている人が多いように感じますね。ブランドが好きだったり、流行に敏感な方ももちろんいると思いますが。

――今後、どのような作品を作りたいですか?

ボトン:特別なことは何も起こらないけれども、淡々とした日常の中の少しの変化と心の機微を描くことで、見た人の心を動かして、少しでも気づきや変化をさせるような作品をいつか作りたいですね。ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督の「パーフェクトデイズ」 を見た時に、衝撃を受け「先を越された! 自分はこれから、どういうストーリーを作ったらいいんだろう」という思いに駆られました。

――平穏な日常にこそ幸福があると考えているのですね?

ボトン:少しだけ話がずれるかもしれませんが、中学生の時に自転車の事故で九死に一生の体験をしました。自転車に乗って家を出た瞬間から一切の記憶がないんのですが、目覚めたら病院のベットに寝ていて母親から手術を受けたと告げられました。その時に、「いきなり人生は終わってしまうことがあるんだ。自分が知らない間に生きているという状況は途切れてしまうんだ」と思ったことが影響しているのかもしれませんね。

北野監督の映画「あの夏、いちばん静かな海」からも影響を受けているかもしれません。何気ない風景や周囲を取り巻く環境から静かに醸し出されてくる雰囲気、些細な出来事やストーリーに惹かれます。事件や思いがけない出来事をあえて盛り込まなくても、人が生きている瞬間や風景などを描くだけで深い感動を与える作品が作れるはずです。そういう物語を作りたいですね。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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「D.P.―脱走兵追跡官―」原作者キム・ボトンの普通の中にある特別な物語の探し方

PROFILE: キム・ボトン/作家、脚本家

キム・ボトン/作家、脚本家
PROFILE: 「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者、コンテンツ制作会社「スタジオタイガー」の代表。著書の縦読み漫画「D.P. 犬の日」に基づく「D.P. -脱走兵追跡官-」は、「コインロッカーの女」や「スピード・スクワッド ひき逃げ専門捜査班」のハン・ジュニ監督が、鋭い洞察と心を打つ繊細な描写で新たな命を吹き込んだ作品。目を向けられることのなかった脱走兵と追跡官の物語に光を当て、韓国だけでなく海外でも絶賛された。同作のボトンはドラマ化にあたり脚本の執筆にも携わった PHOTO:RYU WOO JONG

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや韓流は一過性のブームではなくくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にも繋つながっているのは明白だ。その韓流ドラマ人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では韓国ドラマ作品の脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクター、ファッション性に至るまでの知られざる話などを紹介する。

Vol.2はNetflixシリーズ「D.P. -脱走兵追跡官-」の原作者で脚本の執筆にも関わったキム・ボトン。普通の中にある特別な物語の探し方や敬愛する夏目漱石、北野武のこと、第二の故郷だという沖縄についても尋ねてみたた。

――過去に「フツー(Futsuu)」という名前で漫画家をされていたそうですね。

キム・ボトン(以下、ボトン):「ボトン」は日本語で「普通」という意味です。10年くらい前にカドカワ(KADOKAWA)から「ガンカンジャ」という本を出した時に、自分の名前を日本語に訳して「フツー」名義で活動していました。元々韓国の大企業で働いていたのですが、「特別な存在になれ」という方針が全然合わなくて疲弊していました。そういった経緯は今回出版されたインタビュー集にも書いてありますが、「どうして皆、一番になろうとするんだろう。普通の人たちが尊重されるような社会になれば、誰もが生きやすくなるのではないか」という考えと願いを込めて「フツー」と名乗っていたという経緯もあります。きっと日本社会にも共通する部分がありますよね。

――漫画もエッセイもドラマもストーリーが大切だと言っています。現在の韓国社会のどのような問題が脚本にインスピレーションを与えていますか?

ボトン:日本と社会的な状況は似ている部分があるため想像できるかもしれませんが、韓国は短期間で経済的、技術的に急成長しました。それにより、富裕層と貧困層の二極化が進んでいます。社会構造の中で優遇されない人がいたり、不平等もたくさん起きていて苦しい思いをしている人たちに手を差し伸べる精神的な余裕や他者への理解が薄れています。

少しでも社会全体を豊かにするためには、今苦しい状況に置かれている人たちに手を差し伸べることが大切であるにも関わらず、関心を集めているのは効率性や生産性を求める資本主義的な側面ばかりのように感じます。経済発展と相反するように人権への配慮などの水準は低下しています。そういった思いから、ストーリーに格差や不平等を取り上げています。

――脚本家になるために必要なものは何でしょうか?

ボトン:脚本家とは、話したいことを伝え続け、書き続けたる人だと思います。一方で有名な脚本家になれば注目を浴びて稼げる、という一部の現象を見た志望者も増えています。

私が大好きな北野武監督が、あるインタビューで「サッカー選手になるために一生懸命生きてきたというよりも、サッカーを一生懸命やっていたらサッカー選手になっていた」というストーリーの方が好きだという話をされていました。それに影響されて、私も「作家になることが目標だという人が作家になるのではなくて「この話をしたい、伝えたい」という人が作家になっていく」のではないかと考えるようになったのかもしれませんね。

――夏目漱石の「吾輩は猫である」が好きだそうですね。どの部分に引かれましたか?

ボトン:高校生の時からずっと好きな作品で、100回以上読んでいます。好きなところは、人間たちの問題や葛藤を猫の視点で見ていることです。人間社会はとても複雑で難しい問題も多いですが、一歩下がって状況を見てみると実は取るに足りないようなことだった、というのが猫の視線に置き換えられていることで腑に落ちる。ちょっと皮肉っぽい、渇いた笑いの描き方がとても印象的で、私も猫の視点で問題を俯瞰するような思考法を学んだような気がします。あとは、最後の場面で猫が死んでいく場面で事実を受け入れていく過程の描写はとても印象的で、他の漱石の作品と比べても独特の魅力がありますね。

――世界的な人気の韓国ドラマや映画ですが、自身のキャリアについてどう考えていますか?

ボトン:予定通りにいけば、アメリカのスタジオと映画やドラマの制作をしたり、監督を引き受けることにもなるかもしれません。少し前はドラマや映画は国内向けに消費されていましたが、ネット配信の登場で、国や人種、文化などあらゆる価値観を持った視聴者たちも共感や理解のしやすいストーリーが求められるようになっています。そういった時代の流れによって、国を超えて活動する機会が増えていくのではないでしょうか。

キャリアとは違う話ですが、冬は沖縄で暮らそうと思っています。コロナ前までは、1年に半月〜1カ月くらいを沖縄で過ごしていたので、5年以内には沖縄に拠点を作りたいです。

――作家になる前、大企業をやめて直ぐたあとにも沖縄旅行をされていたそうですね。

ボトン:沖縄を愛してます、大好きです。私にとって沖縄はとても重要な場所で、もう1つの故郷であり作家としての始まりの地です。沖縄自体はあまり変わっていないですが、訪れる度に、自分自身の内面の変化や取り巻く環境はめまぐるしく変化していることを実感します。沖縄を定期的に訪れ、挫折や孤独感でいっぱいだったあの頃を振り返るための重要な地でもあります。

――キャラクターを作る上で衣装ファッションの重要性をどのように考えていますか?

ボトン:過去から制作中の作品まで衣装は毎回重要です。現在、病院や軍隊、学校がそれぞれ舞台になったストーリーを作っていますが、キャラクターの性格やアイデンティティーを示すものとして欠かせません。例えば「D.P. -脱走兵追跡官-」の場合、主人公は憲兵なので軍服ではなく私服を着ているんですね。憲兵になり軍服から私服に着替える時に、主人公は元々貧しくて着ることができなかった「ナイキ(NIKE)」の服を着て大喜びするシーンがあります。ファッションは一種の階層を表すものでもありますよね。自分自身ファッションにとても関心があるので、日本を訪れた際は街を歩いている人たちが着ている洋服を観察しています。韓国と日本ではファッションのスタイルも全く違うので、注意深く記憶に留めています。

――韓国と日本のファッションの違いをどのように分析されていますか?

ボトン:韓国では流行を意識した服を選んでいるイメージがあります。個性よりもトレンドを押さえているかを大事にする。私が見た範囲では、日本ではトレンドを追うよりも自分が着たい服や似合うかどうかを大事にしている人が多いように感じますね。ブランドが好きだったり、流行に敏感な方ももちろんいると思いますが。

――今後、どのような作品を作りたいですか?

ボトン:特別なことは何も起こらないけれども、淡々とした日常の中の少しの変化と心の機微を描くことで、見た人の心を動かして、少しでも気づきや変化をさせるような作品をいつか作りたいですね。ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督の「パーフェクトデイズ」 を見た時に、衝撃を受け「先を越された! 自分はこれから、どういうストーリーを作ったらいいんだろう」という思いに駆られました。

――平穏な日常にこそ幸福があると考えているのですね?

ボトン:少しだけ話がずれるかもしれませんが、中学生の時に自転車の事故で九死に一生の体験をしました。自転車に乗って家を出た瞬間から一切の記憶がないんのですが、目覚めたら病院のベットに寝ていて母親から手術を受けたと告げられました。その時に、「いきなり人生は終わってしまうことがあるんだ。自分が知らない間に生きているという状況は途切れてしまうんだ」と思ったことが影響しているのかもしれませんね。

北野監督の映画「あの夏、いちばん静かな海」からも影響を受けているかもしれません。何気ない風景や周囲を取り巻く環境から静かに醸し出されてくる雰囲気、些細な出来事やストーリーに惹かれます。事件や思いがけない出来事をあえて盛り込まなくても、人が生きている瞬間や風景などを描くだけで深い感動を与える作品が作れるはずです。そういう物語を作りたいですね。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21, CUON

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「ナミビアの砂漠」山中瑶子監督の映画作り 「自分の気持ちを素直に話すようになったら、いいことしかない」

PROFILE: 山中瑶子

山中瑶子
PROFILE: (やまなか・ようこ)1997年生まれ。長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品「あみこ」がPFFアワード2017に入選。翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。本格的長編第1作となる「ナミビアの砂漠」は第77回カンヌ国際映画祭 監督週間に出品され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞した。監督作に山戸結希プロデュースによるオムニバス映画「21世紀の女の子」(2018)の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」など。

映画「ナミビアの砂漠」で第77回カンヌ国際映画祭、国際批評家連盟賞を若干27歳で受賞した山中瑶子監督。2017年、19歳のときに自主制作した映画「あみこ」が世界各国の映画祭で評価され、故・坂本龍一からも「自由さの中から生まれたパワーで老若男女を問わず惹きつけるパワーがある」と絶賛された。本作は初めての経験も多かったという山中監督の映画づくり、映画監督という仕事について話を聞いた。

——共感できるかどうかは置いておいて、強烈に主人公・カナ(河合優実)に惹かれました。何に対しても情熱を持てず、鬱屈としたやり場のない感情を抱えながら、退屈する世の中と自分に追い詰められていく。怒りを全身で表現する姿に、こんなふうでありたい、とも思いました。

山中瑶子(以下、山中):ありがとうございます。

——どのような思いで主人公を考えたのでしょうか?

山中:自分が「好きだな」と思える主人公にしたいと思っていました。どんなに駄目な人間だとしても、気高い部分があって、そういうところが見えてくるような人物に。あとは、まず最初に河合さんが主演であることから企画がスタートしていたので、今まで見たことのない彼女を撮りたい、という思いもありました。これまでの河合さんは、周囲の人に何かを背負わされている役が多い印象があって。なので今回は反対に、すごく無責任で自分勝手なキャラクターを見てみたい、というところから考えていきました。

——特に「愛おしいな」と思う、カナのシーンはありますか?

山中:いっぱいありますが……あの、脱毛サロンで働いているところですかね。声色からやる気のなさは感じるけど、先輩との掛け合いは意外と楽しそうなのが良いです。

——カナの職業設定がなぜ脱毛サロンなのか、気になっていました。

山中:脱毛サロンは資本主義とルッキズムが強く結びついた悪しき面が強いと今は感じているんですが、私がそれこそ大学1年生の頃に契約して通っていたことがあって。場所によるのかもしれないですが、施術してくれる人が毎回違うんです。明るいところで何人もの他人に裸を見せてひっくり返っているシュールな状況に、こちらは滑稽だなと思うけれど、働いている人からすればもはや何でもない流れ作業で、入れ代わり立ち代わり他人の無数の毛根に対峙する不思議な職場だと思っていて。彼女たちはどんな生活を送っているんだろう、と当時脱毛されながら考えていたことを思い出したんです。カナはたぶん恋人に家賃を払わせていたりしていてそこまでちゃんと稼がなくてもいいんですが、時間を持て余すより働いている方が余計なことを考えずに済んで楽だったりするので、そういう意味でも淡々とした仕事がいいと思いました。

——「河合さんとディスカッションをしながら役を積み上げた」とプレス資料にありましたが、河合さんから得た気づきとは?

山中:もともと原作モノの映画化で河合さんを主演に撮る予定だったのが、私がそれを降りたいと申し出て、急遽オリジナルに企画変更したのが2023年5月で、撮影は当初のとおり9月、なのにこれから1から脚本を書くというあまりに時間がない状況だったので、私1人の脳では到底間に合わない、何かヒントを得るためにみんなに助けてもらわなきゃ無理だと思っていろんな人に話を聞きました。河合さんとも、脚本を書く前に3、4回お会いして。ざっくばらんに話をした中でそのまま脚本に活かしているのは、「あまり人の話を聞いてない時がある」と河合さんが教えてくれたご自身のこと。しっかりしているように見えるけれど、実はそんな部分があると聞いて安心して、そのエピソードは冒頭のカフェのシーンに活かされています。

——冒頭の、友達と話しているのに、次第に隣の席の話が気になってきて話を聞いていない感じを音のボリュームで表現するところ、素晴らしかったです。

山中:脚本では「カナ、別のテーブルの大学生の会話が耳に入ってきて気になってしまう」としか書いてなくて、具体的な表現方法まで突き詰められていなかったんですけど、編集や音の仕上げの時に試行錯誤しました。きっと、同じ経験をしている人はたくさんいますよね。どうしたらあの状態を映画で再現できるのだろうと、一番時間をかけたところです。

——河合さんの演技も、ちょっとコミカルで。

山中:本人は「やりすぎてなかったですか?」と気にしていましたけど、画として面白すぎたのと、音のゆがみを足したらバランスがちょうど良くなるだろうと思っていたのでOKを出しました。撮影の米倉さんが、あの表情を撮った後にこちらを見て「山中さん、これは傑作になりますよ」と言ってきて笑ってしまいました(笑)。

——感覚的だとは思いますが、山中監督がOKを出す基準は?

山中:そのときどきによりますけど、自分の中ではっきり「違う」っていうのは分かります。今回、俳優には決めた動線とセリフさえ守ってくれたら後は好きにやってもらいたかったので、いろいろ言わずに最低限必要なことを伝えて。テイク数も2、3テイクとか、そんなに多くないです。

——金子大地さんが演じるハヤシとの喧嘩のシーンも、非常に迫力があるというか、気持ちよく見てしまいました。

山中:今回、けがのないようにアクション指導の方に入っていただいて、事前に何回かリハーサルをしました。河合さんも金子さんも身体の使い方がうまくて、こうしたらプロレスみたいに見えていいんじゃない?とかいろいろアイデアを出し合って試して、あらかじめきちんと型を作って組み手のような形で喧嘩のシーンを構成しました。

編集について

——編集期間は約3週間とのことですが、どのように進めていったのでしょうか?

山中:最初は編集の長瀬万里さんが全カットをただつなげてくれた「棒つなぎ」状態のものを見たのですが、それが3時間くらいあって。そこから、適切な尺と必要なカットを探っていく、映画の形にしていく作業は一緒にやりました。毎日違うランチを食べに行って編集以外の話をしたり、煮詰まったら休日を作って映画館で他の映画を見ることで一度離れようとしたり。編集作業って波があるんですけど、毎日コツコツいじっていくと、どこかで「突破した」と感じられるときがあって。1コマいじるだけで、印象がガラッと変わるんですね。その調整がうまくいって、映画がパッと華やいだ瞬間はすごく気持ちいいです。

——本作では、どのタイミングで「突破した」と感じましたか?

山中:これは初めての経験だったんですけど、最初の棒つなぎからだいぶ面白かったんです。それが逆に困ってしまって、すでに面白いものをそれ以上どう持ち上げればいいのか分からなくて。今回はアクションや疾走感のある動きが多かったので、細かい話ですけど、1秒24フレームのうち2コマだけ削るとか、数フレーム単位の調整を丁寧にやることを繰り返して、尺は変わっていないのに、数コマで印象が全く違うものになるという編集体験をしました。

——無性に好きなシーンが、浮気相手に走って会いに行くところと、タバコを吸いながら坂を自転車で下っていくところ。物語に直接的に関係のないシーンも割とあったように思ったのですが、いかがですか。

山中:最初3時間もあったので、いくつかのシーンは落とす選択をしなければならず頭を悩ませましたが、ストーリーラインに関係のないシーンは、むしろ残そうと決めていました。そもそもこれは物語を展開させていく映画ではなくて、カナが今どういう状態にいるのかという、カナの在り方を見つめていく映画なので。他の監督だったら捨ててしまうかもしれないし、私も絶対的な理由があって書いたわけではなかったりするのですが、そういう無意識から出てきたものこそ大切にしたいと思って。自転車で下っていくシーンは、カメラワークも相まって気持ちがいいですよね。

——カナの、無表情な感じも好きです。

山中:無表情だけど体力ありそうな顔をしてますよね(笑)。

——逆に編集でシーンを削る際は、どういう判断基準があったんですか?

山中:何人かの発言が混ざっている受け売りですが、「映画になるべき素材というのは決まっていて、撮影の思い出を抱えているとカットする判断ができないから容赦なく捨てるべし」みたいなことを意識しました。カナを見つめるという大きな軸を基準に、不必要なものを見極めようとしましたけど、容赦なく捨てるのは難しかった。採用しなかったシーンも気に入っているものばかりです。2年後くらいに見たら「あと10分削れた」とか思いそうですが、今の私にとってのベストが137分でした。

映画作りで大切にしていること

——企画から映画を1本完成させるまで、対自分、対チームそれぞれで大切にされていることは?

山中:今までたくさんの人に迷惑をかけてきたので、こんなことを言うと怒る人もいると思うのですが……自分の心に嘘をつかないってことは大事なのかなと思います。企画の依頼を受けた時は、本当に頑張りたいと思うし、努力するんです。だけど、進めていくうちに最初の段階では分からなかったことが出てくるじゃないですか。それが、自分のせいだったり別の経緯だったり、理由はいろいろあれど、違和感を覚えたり、他の人が作った方がいいと思ったりしたら、勇気を振り絞って辞めてきました。逃げただけなんじゃないか?とか思って、自分は本当に駄目だなあと落ち込むことも多いですけど……でも、実際に自分が降りた後に他の監督によって手がけられた作品を見ると、「これが良かった」と思うんです。迷惑がかかるのは申し訳ないですが、作品のためにも違和感をそのままにしないで、辞める勇気を持っていようと思います。

——対チームとの映画作りで大事にしていることは? 

山中:自分に嘘をつかないということと似ていますが、まずこちらが素直になるっていうのは最近意識するようになりました。以前は、分からないと言うと「これだから若い監督は」と思われるような気がして、ものすごく構えていました。でも、どう思われてもいいというか、1人であくせくするのはムダな時間だと思って、分からないことは「分からない」と素直に言えるようになったら周りも助けてくれるようになって。若くて経験もないので知らないことばかりで当然ですしね。自分の気持ちを素直に打ち明けるようになったらいいことしかないって、今回は特に感じました。

——現場でも皆さんで活発にアイデアを出し合ったと伺いましたが、それはこれまでと違ったのでしょうか?

山中:ほぼ初めてのやり方でした。映画を志した当初は、例えばですけれどウェス・アンダーソン監督みたいに、衣装も美術も何もかもこだわって決めるのが映画監督たるものと思い込んでいたんです。でも、それだと考えることや、やることが多すぎて、寝られないし演出に集中できないと痛感して。それで、あまり詳しくないことは素直に委ねてアイデアをもらって、最終判断だけをするようにしていました。それで全然思ってもみなかったような提案が来ても楽しいし良いアイデアならば映画は豊かになるし、それは違うというようなことがあっても、こちらの伝え方の問題だなと思ってコミュニケーションを重ねるようになりました。

「昔は四六時中映画のことを考えていました」

——山中監督の作品は、小さなエピソード一つひとつにも心惹かれます。例えばハヤシが過去に中絶させた経験があることを知ったカナが、激しくハヤシと衝突。「お前には関係ない」という喧嘩のくだりで、まさに自分の怒りの根源はここにあったと気付かされたのですが、あのエピソードが生まれたきっかけは?

山中:脚本を書く最初の段階ではあまり難しいことは考えずに、バーッと思いのままに書くんですけど……後で整理していて考えたのは、もう変えることのできないどうしようもないことって世の中にはあるじゃないですか。自分がされたわけじゃないのに、ものすごく嫌で、腹立たしくて、だけど既に終わっていることで。そういうことにぶつかると、やるせなくて無力に感じるんですが、その感情を、どうしようもないからといってなかったことにしてしまいたくないという気持ちがあって。

——過去のインタビューで、山中監督は日々メモを取っていて、それらをヒントに脚本を書くと答えられていたのですが、今でもそうですか?

山中:最近は変わってしまって、なんかもう、一日中映画のことを考えていると辛いというか、生活がおろそかになってしまったんです。

——昔は、寝ても覚めても映画のことを考えていたんですか。

山中:四六時中考えていました。と言うとかっこいい感じがしますが、なんか強迫的な感じで……移動中も常にアンテナを張っていて、映画になりそうだと思ったらメモをして。でも、映画以外のことは全ておざなりでした。0:100くらいの、極端な身の振り方をしてしまっていて、そんな生き方に違和感を持ち始めたんです。何でも映画にしようとする思考は、身も心もかなり危険なのではないかと。それで、自分の中のバランスが少しずつ変わっていきました。今はメモも最小限で、移動中は頭を空っぽにしたくてスイカゲームとかしてます(笑)。

——山中監督は大学を中退後、SNSでキャストやスタッフを集めて初監督作「あみこ」を完成させるなど、独自の方法で映画監督という道を切り拓いています。映画監督になりたい、と思っている方に、今の山中監督ならどんな言葉をかけますか?

山中:自分がやってきて良かったと思うのは、ジャンルを選ばずに、とにかくたくさんの映画を見て、活字を読んできたことです。私は映画を作る時、毎回とにかく好きな映画をたくさん見て、気持ちを高めてから作ります。今回はモーリス・ピアラ、ロウ・イエ、ジョン・カサヴェテス作品を中心に見ました。小中学生の時、娯楽が禁止の家だったので本ばかり読んでいたんですが、その頃のおかげで今でもセリフを書くのはあまり大変ではないかもしれません。学校など映画を作ることについていろんな学び場がありますけど、映画作りって人に教わることでもないし、私は映画と活字にたくさん触れるだけでも、自分の言語を見つけることができるのではないかと思っています。

PHOTOS:YOHEI KICHIRAKU

■「ナミビアの砂漠」
9月6日TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
出演:河合優実
金子大地 寛一郎
新谷ゆづみ 中島 歩 唐田えりか
渋谷采郁 澁谷麻美 倉田萌衣 伊島 空
堀部圭亮 渡辺真起子
脚本・監督:山中瑶子
制作プロダクション:ブリッジヘッド コギトワークス
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
https://happinet-phantom.com/namibia-movie/

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「ナミビアの砂漠」山中瑶子監督の映画作り 「自分の気持ちを素直に話すようになったら、いいことしかない」

PROFILE: 山中瑶子

山中瑶子
PROFILE: (やまなか・ようこ)1997年生まれ。長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品「あみこ」がPFFアワード2017に入選。翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。本格的長編第1作となる「ナミビアの砂漠」は第77回カンヌ国際映画祭 監督週間に出品され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞した。監督作に山戸結希プロデュースによるオムニバス映画「21世紀の女の子」(2018)の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」など。

映画「ナミビアの砂漠」で第77回カンヌ国際映画祭、国際批評家連盟賞を若干27歳で受賞した山中瑶子監督。2017年、19歳のときに自主制作した映画「あみこ」が世界各国の映画祭で評価され、故・坂本龍一からも「自由さの中から生まれたパワーで老若男女を問わず惹きつけるパワーがある」と絶賛された。本作は初めての経験も多かったという山中監督の映画づくり、映画監督という仕事について話を聞いた。

——共感できるかどうかは置いておいて、強烈に主人公・カナ(河合優実)に惹かれました。何に対しても情熱を持てず、鬱屈としたやり場のない感情を抱えながら、退屈する世の中と自分に追い詰められていく。怒りを全身で表現する姿に、こんなふうでありたい、とも思いました。

山中瑶子(以下、山中):ありがとうございます。

——どのような思いで主人公を考えたのでしょうか?

山中:自分が「好きだな」と思える主人公にしたいと思っていました。どんなに駄目な人間だとしても、気高い部分があって、そういうところが見えてくるような人物に。あとは、まず最初に河合さんが主演であることから企画がスタートしていたので、今まで見たことのない彼女を撮りたい、という思いもありました。これまでの河合さんは、周囲の人に何かを背負わされている役が多い印象があって。なので今回は反対に、すごく無責任で自分勝手なキャラクターを見てみたい、というところから考えていきました。

——特に「愛おしいな」と思う、カナのシーンはありますか?

山中:いっぱいありますが……あの、脱毛サロンで働いているところですかね。声色からやる気のなさは感じるけど、先輩との掛け合いは意外と楽しそうなのが良いです。

——カナの職業設定がなぜ脱毛サロンなのか、気になっていました。

山中:脱毛サロンは資本主義とルッキズムが強く結びついた悪しき面が強いと今は感じているんですが、私がそれこそ大学1年生の頃に契約して通っていたことがあって。場所によるのかもしれないですが、施術してくれる人が毎回違うんです。明るいところで何人もの他人に裸を見せてひっくり返っているシュールな状況に、こちらは滑稽だなと思うけれど、働いている人からすればもはや何でもない流れ作業で、入れ代わり立ち代わり他人の無数の毛根に対峙する不思議な職場だと思っていて。彼女たちはどんな生活を送っているんだろう、と当時脱毛されながら考えていたことを思い出したんです。カナはたぶん恋人に家賃を払わせていたりしていてそこまでちゃんと稼がなくてもいいんですが、時間を持て余すより働いている方が余計なことを考えずに済んで楽だったりするので、そういう意味でも淡々とした仕事がいいと思いました。

——「河合さんとディスカッションをしながら役を積み上げた」とプレス資料にありましたが、河合さんから得た気づきとは?

山中:もともと原作モノの映画化で河合さんを主演に撮る予定だったのが、私がそれを降りたいと申し出て、急遽オリジナルに企画変更したのが2023年5月で、撮影は当初のとおり9月、なのにこれから1から脚本を書くというあまりに時間がない状況だったので、私1人の脳では到底間に合わない、何かヒントを得るためにみんなに助けてもらわなきゃ無理だと思っていろんな人に話を聞きました。河合さんとも、脚本を書く前に3、4回お会いして。ざっくばらんに話をした中でそのまま脚本に活かしているのは、「あまり人の話を聞いてない時がある」と河合さんが教えてくれたご自身のこと。しっかりしているように見えるけれど、実はそんな部分があると聞いて安心して、そのエピソードは冒頭のカフェのシーンに活かされています。

——冒頭の、友達と話しているのに、次第に隣の席の話が気になってきて話を聞いていない感じを音のボリュームで表現するところ、素晴らしかったです。

山中:脚本では「カナ、別のテーブルの大学生の会話が耳に入ってきて気になってしまう」としか書いてなくて、具体的な表現方法まで突き詰められていなかったんですけど、編集や音の仕上げの時に試行錯誤しました。きっと、同じ経験をしている人はたくさんいますよね。どうしたらあの状態を映画で再現できるのだろうと、一番時間をかけたところです。

——河合さんの演技も、ちょっとコミカルで。

山中:本人は「やりすぎてなかったですか?」と気にしていましたけど、画として面白すぎたのと、音のゆがみを足したらバランスがちょうど良くなるだろうと思っていたのでOKを出しました。撮影の米倉さんが、あの表情を撮った後にこちらを見て「山中さん、これは傑作になりますよ」と言ってきて笑ってしまいました(笑)。

——感覚的だとは思いますが、山中監督がOKを出す基準は?

山中:そのときどきによりますけど、自分の中ではっきり「違う」っていうのは分かります。今回、俳優には決めた動線とセリフさえ守ってくれたら後は好きにやってもらいたかったので、いろいろ言わずに最低限必要なことを伝えて。テイク数も2、3テイクとか、そんなに多くないです。

——金子大地さんが演じるハヤシとの喧嘩のシーンも、非常に迫力があるというか、気持ちよく見てしまいました。

山中:今回、けがのないようにアクション指導の方に入っていただいて、事前に何回かリハーサルをしました。河合さんも金子さんも身体の使い方がうまくて、こうしたらプロレスみたいに見えていいんじゃない?とかいろいろアイデアを出し合って試して、あらかじめきちんと型を作って組み手のような形で喧嘩のシーンを構成しました。

編集について

——編集期間は約3週間とのことですが、どのように進めていったのでしょうか?

山中:最初は編集の長瀬万里さんが全カットをただつなげてくれた「棒つなぎ」状態のものを見たのですが、それが3時間くらいあって。そこから、適切な尺と必要なカットを探っていく、映画の形にしていく作業は一緒にやりました。毎日違うランチを食べに行って編集以外の話をしたり、煮詰まったら休日を作って映画館で他の映画を見ることで一度離れようとしたり。編集作業って波があるんですけど、毎日コツコツいじっていくと、どこかで「突破した」と感じられるときがあって。1コマいじるだけで、印象がガラッと変わるんですね。その調整がうまくいって、映画がパッと華やいだ瞬間はすごく気持ちいいです。

——本作では、どのタイミングで「突破した」と感じましたか?

山中:これは初めての経験だったんですけど、最初の棒つなぎからだいぶ面白かったんです。それが逆に困ってしまって、すでに面白いものをそれ以上どう持ち上げればいいのか分からなくて。今回はアクションや疾走感のある動きが多かったので、細かい話ですけど、1秒24フレームのうち2コマだけ削るとか、数フレーム単位の調整を丁寧にやることを繰り返して、尺は変わっていないのに、数コマで印象が全く違うものになるという編集体験をしました。

——無性に好きなシーンが、浮気相手に走って会いに行くところと、タバコを吸いながら坂を自転車で下っていくところ。物語に直接的に関係のないシーンも割とあったように思ったのですが、いかがですか。

山中:最初3時間もあったので、いくつかのシーンは落とす選択をしなければならず頭を悩ませましたが、ストーリーラインに関係のないシーンは、むしろ残そうと決めていました。そもそもこれは物語を展開させていく映画ではなくて、カナが今どういう状態にいるのかという、カナの在り方を見つめていく映画なので。他の監督だったら捨ててしまうかもしれないし、私も絶対的な理由があって書いたわけではなかったりするのですが、そういう無意識から出てきたものこそ大切にしたいと思って。自転車で下っていくシーンは、カメラワークも相まって気持ちがいいですよね。

——カナの、無表情な感じも好きです。

山中:無表情だけど体力ありそうな顔をしてますよね(笑)。

——逆に編集でシーンを削る際は、どういう判断基準があったんですか?

山中:何人かの発言が混ざっている受け売りですが、「映画になるべき素材というのは決まっていて、撮影の思い出を抱えているとカットする判断ができないから容赦なく捨てるべし」みたいなことを意識しました。カナを見つめるという大きな軸を基準に、不必要なものを見極めようとしましたけど、容赦なく捨てるのは難しかった。採用しなかったシーンも気に入っているものばかりです。2年後くらいに見たら「あと10分削れた」とか思いそうですが、今の私にとってのベストが137分でした。

映画作りで大切にしていること

——企画から映画を1本完成させるまで、対自分、対チームそれぞれで大切にされていることは?

山中:今までたくさんの人に迷惑をかけてきたので、こんなことを言うと怒る人もいると思うのですが……自分の心に嘘をつかないってことは大事なのかなと思います。企画の依頼を受けた時は、本当に頑張りたいと思うし、努力するんです。だけど、進めていくうちに最初の段階では分からなかったことが出てくるじゃないですか。それが、自分のせいだったり別の経緯だったり、理由はいろいろあれど、違和感を覚えたり、他の人が作った方がいいと思ったりしたら、勇気を振り絞って辞めてきました。逃げただけなんじゃないか?とか思って、自分は本当に駄目だなあと落ち込むことも多いですけど……でも、実際に自分が降りた後に他の監督によって手がけられた作品を見ると、「これが良かった」と思うんです。迷惑がかかるのは申し訳ないですが、作品のためにも違和感をそのままにしないで、辞める勇気を持っていようと思います。

——対チームとの映画作りで大事にしていることは? 

山中:自分に嘘をつかないということと似ていますが、まずこちらが素直になるっていうのは最近意識するようになりました。以前は、分からないと言うと「これだから若い監督は」と思われるような気がして、ものすごく構えていました。でも、どう思われてもいいというか、1人であくせくするのはムダな時間だと思って、分からないことは「分からない」と素直に言えるようになったら周りも助けてくれるようになって。若くて経験もないので知らないことばかりで当然ですしね。自分の気持ちを素直に打ち明けるようになったらいいことしかないって、今回は特に感じました。

——現場でも皆さんで活発にアイデアを出し合ったと伺いましたが、それはこれまでと違ったのでしょうか?

山中:ほぼ初めてのやり方でした。映画を志した当初は、例えばですけれどウェス・アンダーソン監督みたいに、衣装も美術も何もかもこだわって決めるのが映画監督たるものと思い込んでいたんです。でも、それだと考えることや、やることが多すぎて、寝られないし演出に集中できないと痛感して。それで、あまり詳しくないことは素直に委ねてアイデアをもらって、最終判断だけをするようにしていました。それで全然思ってもみなかったような提案が来ても楽しいし良いアイデアならば映画は豊かになるし、それは違うというようなことがあっても、こちらの伝え方の問題だなと思ってコミュニケーションを重ねるようになりました。

「昔は四六時中映画のことを考えていました」

——山中監督の作品は、小さなエピソード一つひとつにも心惹かれます。例えばハヤシが過去に中絶させた経験があることを知ったカナが、激しくハヤシと衝突。「お前には関係ない」という喧嘩のくだりで、まさに自分の怒りの根源はここにあったと気付かされたのですが、あのエピソードが生まれたきっかけは?

山中:脚本を書く最初の段階ではあまり難しいことは考えずに、バーッと思いのままに書くんですけど……後で整理していて考えたのは、もう変えることのできないどうしようもないことって世の中にはあるじゃないですか。自分がされたわけじゃないのに、ものすごく嫌で、腹立たしくて、だけど既に終わっていることで。そういうことにぶつかると、やるせなくて無力に感じるんですが、その感情を、どうしようもないからといってなかったことにしてしまいたくないという気持ちがあって。

——過去のインタビューで、山中監督は日々メモを取っていて、それらをヒントに脚本を書くと答えられていたのですが、今でもそうですか?

山中:最近は変わってしまって、なんかもう、一日中映画のことを考えていると辛いというか、生活がおろそかになってしまったんです。

——昔は、寝ても覚めても映画のことを考えていたんですか。

山中:四六時中考えていました。と言うとかっこいい感じがしますが、なんか強迫的な感じで……移動中も常にアンテナを張っていて、映画になりそうだと思ったらメモをして。でも、映画以外のことは全ておざなりでした。0:100くらいの、極端な身の振り方をしてしまっていて、そんな生き方に違和感を持ち始めたんです。何でも映画にしようとする思考は、身も心もかなり危険なのではないかと。それで、自分の中のバランスが少しずつ変わっていきました。今はメモも最小限で、移動中は頭を空っぽにしたくてスイカゲームとかしてます(笑)。

——山中監督は大学を中退後、SNSでキャストやスタッフを集めて初監督作「あみこ」を完成させるなど、独自の方法で映画監督という道を切り拓いています。映画監督になりたい、と思っている方に、今の山中監督ならどんな言葉をかけますか?

山中:自分がやってきて良かったと思うのは、ジャンルを選ばずに、とにかくたくさんの映画を見て、活字を読んできたことです。私は映画を作る時、毎回とにかく好きな映画をたくさん見て、気持ちを高めてから作ります。今回はモーリス・ピアラ、ロウ・イエ、ジョン・カサヴェテス作品を中心に見ました。小中学生の時、娯楽が禁止の家だったので本ばかり読んでいたんですが、その頃のおかげで今でもセリフを書くのはあまり大変ではないかもしれません。学校など映画を作ることについていろんな学び場がありますけど、映画作りって人に教わることでもないし、私は映画と活字にたくさん触れるだけでも、自分の言語を見つけることができるのではないかと思っています。

PHOTOS:YOHEI KICHIRAKU

■「ナミビアの砂漠」
9月6日TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
出演:河合優実
金子大地 寛一郎
新谷ゆづみ 中島 歩 唐田えりか
渋谷采郁 澁谷麻美 倉田萌衣 伊島 空
堀部圭亮 渡辺真起子
脚本・監督:山中瑶子
制作プロダクション:ブリッジヘッド コギトワークス
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
https://happinet-phantom.com/namibia-movie/

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金融からダイヤモンド業界へ転身 「ケンジントン ダイヤモンズ」代表に聞く起業から子育てまで

PROFILE: ハンナ・トンプソン / KENSINGTON DIAMONDS代表

ハンナ・トンプソン / KENSINGTON DIAMONDS代表
PROFILE: アメリカ人の父親と日本人の母親の間に米カリフォルニアで生まれる。高校まで東京で育ち渡米。2009年に南カルフォルニア大学(USC)国際関係学部卒業後、野村アセットマネジメント入社。投資信託商品の営業やオペレーション業務に携わる。15年に米投資会社インベスコアセットマネジメント入社し、債券プロダクトマネージャーとして活躍。17年9月 KENSINGTON DIAMONDS設立。GIA(米国宝石学会)ダイヤモンドスペシャリスト資格取得。5歳の男の子と0歳の女の子、二児の母 PHOTO:SHUHEI SHINE

ダイヤモンドに特化したブランド「ケンジントン ダイヤモンズ(KENSINGTON DIAMONDS)」は、鑑定書付きのダイヤモンドを幅広くそろえ、適正価格で販売している。最近では、注目を浴びている希少性の高いイエローダイヤモンドも提供。ダイヤモンドは、硬度が最も高く、4C(カラット、カラー、クラリティー、カット)というグレードにより市場の価格相場が決まっているため、投資価値のある宝石として人気が高く、婚約指輪として選ばれる宝石の代表格だ。日本では、婚約指輪のダイヤモンドの大きさは0.3〜0.5カラットだが、アメリカでは、1カラット以上。比較的小さい石の需要が高い日本では、1カラット以上の選択肢は欧米に比べると少ない。「ケンジントン ダイヤモンズ」のハンナ・トンプソン代表が同ブランドを立ち上げた理由はそこにあった。金融業界出身のトンプソン代表に、宝石業界に転向した理由やブランドについて聞いた。

叔母の死をきっかけに考えた自身のキャリア

WWD:「ケンジントン ダイヤモンズ」を立ち上げたきっかけと目的は?

ハンナ・トンプソンKENSINGTON DIAMONDS代表(以下、トンプソン):イギリス人の婚約者が東京で指輪用のダイヤモンドを探していた。大粒になると選択肢がハイブランドか御徒町の宝石業者だけだったため、結局ロンドンで調達。日本にも、ダイヤモンドのミドルマーケットの選択肢があればと思ったのがきっかけだ。香港やインドに視察に行き、本格的にビジネスとしてスタートする決心をした。

WWD:金融業界からダイヤモンド業界へ転向した理由は?

トンプソン:金融業界で仕事をしていたが、モノづくりに興味があった。金融業界は安定した業界だが、親戚と旅行中に叔母が60歳で急死して、ふと当時30歳だった自分のことを考えた。人生が60歳としたら、折り返し地点。今後、人生をどう生きるべきか考えた。そこで、一度きりの人生なので、新しいことにチャレンジしようと思い起業した。

WWD:ダイヤモンドに特化したブランドである理由は?

トンプソン:資産価値があるジュエリーとして自信を持って提案できるものは、ダイヤモンドだけだから。金融で債権の運用をしていたことがあるが、債権は、信用力に応じて第三機関が格付けを行っている。われわれが扱うダイヤモンドは、GIA(米国宝石学会)という独立した第三機関による鑑定書付きで、債権に似ている。ダイヤモンドは一生ものとして選ばれ、世代を超えて引き継げる資産価値のあるものだ。

予算に合わせて選べる親身なコンサルテーション

WWD:ブランドコンセプトは?

トンプソン:デザインはロンドンだが、メード・イン・ジャパン。イギリスは、ロイヤルファミリーでも知られ、クラシックでありながらダイヤモンドを際立たせる洗練されたデザインのノウハウがある。ブランド名のケンジントンはロンドンの高級住宅地名の一つ。ジュエリーの商品名にも、チェルシーやリッチモンド、ナイツブリッジといった地名を付けているのが特徴だ。次の世代にも引き継げる洗練された大粒のダイヤモンドをそろえている。ラウンドブリリアントカットが一般的だが、ファンシーカットの種類も豊富で、センターストーンは9種類から選べる。資産価値の高いイエローダイヤモンドも提供している。

WWD:どのような商品ラインアップか?売れ筋や価格帯は?

トンプソン:ビジネスの6~7割がセミオーダーの婚約指輪。他、ネックレスやピアスなど、既製のダイヤモンドジュエリーをオンラインで50~60型販売している。結婚、婚約指輪としても、ファッションジュエリーとしても楽しめる汎用性の高いエタニティリングが売れ筋。テニスブレスレットも人気で、イエローダイヤモンドへの関心も高まっている。価格帯は、婚約指輪が約0.5カラットで30~40万円、約1カラットで100万円前後。ピアスは10万〜50万円程度、エタニティリングは、17万〜78万円程度。

WWD:ターゲットや顧客層は??

トンプソン:30~60代の女性が中心。ブライダル目的も多いが、節目やご褒美目的の自家需要が多い。ブランドというよりも、ダイヤモンドの本質にこだわる人が多い。外国人や芸能人、ジュエリー業界の顧客もいる。スタッフ全てが女性で、ダイヤモンドに関する資格を持っている。ダイヤモンドは大きい買い物。だから、ダイヤモンドの知識だけでなく、予算を考慮しながら選び方や買い方など親身にコンサルテーションしている。

マージンなしで他社より手に取りやすい価格を実現

WWD:他のジュエラーと違う点と一番の強みは?

トンプソン:強みは、高品質で天然のGIA鑑定書付きダイヤモンドをハイブランドの2分1〜3分の1という適正価格で提供しているという点。業界最大手のデビアス(DE BEERS)のサイトホルダー(ダイヤモンドの原石を買い付ける権利を持つ会社)と契約しているので、予算に合わせて、希望の大きさや品質、カラーダイヤモンドなどを探すことが可能だ。多くの業者が提供するのは買い付けたものだが、われわれは、デビアスのサイトホルダーのシステムと連結しているため、約2万点のダイヤモンドをオンラインで見ながらコンサルテーションできる。品質にこだわり、メレダイヤモンドもカラーはF以上、クラリティーはVS以上、カットはトリプルエクセレントなので、輝きが違う。

WWD:他社より手に取りやすい価格で提案できる理由は?

トンプソン:ダイヤモンドの価値は明瞭。手に取りやすい価格で提供できるのは、中間業社を通していないのでマージンがないから。また、自社ECと表参道の小さなショールームで予約制で販売しているので、広告宣伝費や、店舗スタッフ、家賃などのコストを抑えて適正価格でいいものを届けられる。

WWD:ブランド認知度アップはどのようにして図っているか?競合ブランドは?

トンプソン:マーケティングツールの主軸は、インスタグラム。モデルや芸能人とコラボしてインスタライブの配信を行ったりする。このスタイルのブランドはなく、競合はほぼないと思う。

女性のセルフラブを促進するブランドに

WWD:現在の課題は?

トンプソン:素材価格が高騰する中、どのように適正価格で商品を提供するかが大きな課題。だが、他ブランドも価格改定しているので、別の選択肢として選んでもらえる場合もあると考える。

WWD:今後、強化したい点は?

トンプソン:今までは、大粒のダイヤモンドが中心だったが、エントリー価格帯のだジュエリーを拡充し、若い層にも興味を持ってもらいたい。ファーストダイヤモンドを選んでもらえると嬉しい。ポップアップを継続して開催しつつ、関西にもショールームをオープンしたい。

WWD:ブランドとしてどのように成長させたいか?

トンプソン:ダイヤモンド=ロマンチックなものだとは思わない。結婚だけでなく、女性が昇格や出産などの人生の節目を祝うためのもの。ダイヤモンドを通して、女性が自分で成功を祝うセルフラブを促進するようなブランドにしたい。

WWD:母親業と社長業をどのように両立しているか?

トンプソン:子育て、仕事、家事、全て完璧にこなすのは不可能。家事などは、ヘルパーや宅配などのサービスを活用している。そうすることで時間をつくり、子どもと過ごす時間にしている。英語でワーキングマザーが直面する“MOM GUILT ママ・ギルト(母親の罪悪感)”という言葉がある。長男が生まれたときは罪悪感があったが、娘が生まれてからは、それを捨てることにした。子どもにとって大切なのは笑顔でいられる母親。自分が働く姿を見せるのも教育だと思っている。欧米は子育ての費用が高いが、日本は支援制度が充実しているので優遇されていると思う。

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“大人の女性の背中を押してくれる服” 「サヴィル サヴィ」がデビュー

サヴィルサヴィー,SA VILLE / SA VIE

ファーイーストカンパニーは、新ウィメンズブランド「サヴィル サヴィ(SA VILLE / SA VIE)」をローンチする。「アナイ(ANAYI)」で16年ディレクターを務める片岡恵美子がクリエイションの指揮を執り、上質な素材使いとパターン、ディテールにこだわったコレクションを大人の女性に提案する。「サヴィル サヴィ」のファースト・コレクションについて片岡ディレクターに聞いた。

しなやかに自分に向き合う
女性たちに向けて

ブランド名の「サヴィル サヴィ」は、フランス語の「サ=彼女」、「ヴィル=街」、「ヴィ=人生」を組み合わせた造語だ。「彼女の街/彼女の人生」を意味する。

「価値観が多様化する中で、自分の個性も相手の個性も尊重することが自然にできる大人の女性たちに、“自分らしさが映える”と選んでもらえるようなコレクションを目指した」と片岡ディレクター。外からのノイズに惑わされることなく、自らの価値観でしなやかに人生という物語を紡ぐ女性たちを鼓舞し、寄り添うようなファッションの提案を目指す。

ファースト・コレクションは、シルエットが美しいテーラードジャケットや白シャツ、リバーコート、プリントワンピースなど、全55型。アイテムを厳選しつつも、レーストップスやアルパカのジレ、チュールワンピースなど、遊び心のあるスタイリングが楽しめるアイテムもそろえる。

イメージビジュアルは、巨匠ジャンルー・シーフの娘、ソフィア・シーフが、“彼女の街で、彼女が選んだストーリー”をテーマに撮影。歴史あるパリの街を背景に、“静”と“動”、1人の女性の物語をモードに表現した。ヌーベルバーグ映画のワンシーンのような、美しい陰影が印象的だ。

素材と色を厳選
他ブランドとの組み合わせも前提に

メンズのテーラリングに使用される上質な生地やディテールを取り入れながらも、どのアイテムもカッティングやシルエットに女性らしさが漂う。

例えば、ジャケットはストレートラインより少しシェイプし、肩掛けした時にも型崩れせずに着こなせるように肩パッドの厚みや毛芯など細部までこだわって、美しいシルエットを実現。下襟と袖口裏に光沢感のあるウールシルク素材をあしらい、モード感とセンシュアルなムードを演出している。

軽く柔らかなメランジ素材のワンピースは、サイドにボーンを入れ、後ろ側にゴム、裏側にシリコンテープを施すなどの工夫を凝らし、1枚でも、薄手のインナーを合わせても着られる仕様に。胸元のあき加減にはとことんこだわり、品を保ちながら、着る人の魅力を引き出すラインを実現したという。

シルクツイルのブラウス生地は、イタリアのメーカーのアーカイブ資料から選んだ別注品。長めのボウタイはリボン結びや片リボンにしたり、首に巻いたり、垂らしたりでき、さまざまな表情を生み出す。

カラーはブラックとホワイトを基本色とし、シーズンごとに色を差し込んでいく。ファースト・コレクションではグレーを採用。ニュートラルカラーでミニマムにまとめた。「カラーは絞って展開したかった。他のブランドのものともスタイリングを楽しんでもらいたい」。

とはいえ、ブラックもホワイトも素材や染め方、濃度によって色の表情はさまざま。「素材の美しさが際立つように、色出しにもとことんこだわった」。

そして、素材はほとんどが日本製かヨーロッパ製だ。直接工場に赴き、アーカイブも参照しながら、別注でオリジナリティーの高い素材を採用している。「素材選びでは、軽さと構築的なフォルムが出ることを大事にしている」。

永続的に、心地よく着こなせることも重要

同時に、手入れの手間が少ないといった機能性も重視する。シグニチャーともいうべき白シャツには、国内のスピーマコットンにポリエステル・ポリウレタン混の高密度ツイル素材を採用。日焼けによる生地の黄変を極力抑えながら、シワになりにくく、洗濯して、ノーアイロンで着てもキレイに見えるハリも確保した。

「手元が美しいのがいいなと考え、カフスをダブルにして折り上げたりして、変化が楽しめるようにした」。襟も着脱可能で、外すとスタンドカラーになる。

「私自身、海外への出張が多く、服をパッキングする際は、やはりシワができにくいもので、カジュアルにも少しかしこまった場合も着られるものを選ぶ。シャツは大好きだが、ノーアイロンで着られたらうれしい。ラクに着られれば、それだけ多く着てもらえると思う」。

欧州のデザイナーズブランドと同等レベルの素材を使いつつ、ボディーは日本人およびアジア人に合うようにデザイン。アジア人特有の体形にフィットし、着やすさと、美しいシルエットを実現する。夏以外の3シーズン着られる汎用性の高さも意識したという。片岡ディレクター自身のこだわりと女性らしい気遣いのあるコレクションになっている。

単独展開を視野にトータルに提案

「サヴィル サヴィ」は、9月6日に関係者に披露された後、18〜24日に伊勢丹新宿本店と阪急うめだ本店にポップアップストアをオープン。25日から「アナイ」の全国厳選9店舗と公式オンラインサイトに特別スペースを設けて販売する。

ファースト・コレクションではアクセサリーは買い付けたものを用意する。シューズやバッグも買い付けや別注でそろえていく計画で、女性のワードローブをトータルに提案して、ブランドの世界観を表現。ゆくゆくは単独店での出店も視野に入れる。

「ブラック&ホワイトをベースに、ネイビーやベージュなど、毎シーズン違う色を取り入れて提案していく。モード感があって、女性らしさを引き出しつつ、着やすく、長く愛されるアイテムを作っていきたい」。

問い合わせ先
サヴィル サヴィ
03-5739-3421

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ミラノ拠点「セッチュウ」のサステナ定義は「もったいない」 欧州規制への冷静な対応も

「セッチュウ(SETCHU)」は「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリなど数々のアワードで受賞歴を持つ注目のブランドだ。桑田悟史デザイナーは現在、ミラノを拠点に活動をしている。イタリア各地の工場ともつながりを持ち、ラグジュアリーマーケットを開拓している「セッチュウ」は、厳しさを増す欧州のサステナビリティ関連法規制にどう対応しているのだろうか?来日した桑田デザイナーに「セッチュウ」が考えるサステナビリティの定義や実際の取り組み内容について聞いた。

WWD:サステナビリティと言う言葉をどう解釈し、「セッチュウ」での服作りにどう位置づけて取り入れているか?

桑田悟史デザイナー(以下、桑田):サステナビリティをテーマに取材を受けるのはこれが初めて。というのもそれは当然のことであり、アピールするのは違うと思うから。大事なキーワードであり、服作りの最初にくるものだと考えている。環境面、人権面それぞれいろいろな解釈があるから解釈にとらわれず、できることは実行するスタンスだ。

自分がサステナビリティを語るときは「もったいない」と言う言葉を使うことが多い。「もったいない」という発想を持つことで、生地を節約したり、資源を大事にしたりすることができるから。「もったいない」は身の回りのことにできる限りの愛を与えることでもあると思う。江戸時代、日本はサステナビリティの最先端を行っていたが資本主義が進み、環境や人権を置き去りにしたことで崩れ、日本流のサステナビリティは衰退してしまった。「セッチュウ」という、日本の文化をブランド名にした以上、そのイメージを払拭してゆくことも使命だと思う。

WWD:“「もったいない」が衰退している”はどのようなときに感じる?

桑田:身の回りのプラスチックの量ひとつとっても、今の日本の暮らしでは「もったいない」という感覚が明らかに無視されている。プラスチックは必要だけど、そのありがたみ、感謝の念をなくしている。それは日本人のひとりとして恥ずかしいこと。本来日本人は感謝をすることが得意なのに。僕は釣りが趣味で釣りの最中に水面に浮いているプラスチックを見れば悲しくなる。

ヨーロッパの市場では買ったものを紙の袋か、持参した袋に入れてもらうことのが習慣だ。日本では少額のお金を払えばプラスチックの袋がいくらでももらえるなど、その便利さが優先されている。便利を突き詰めるあまり、サステナビリティを突き詰めることをやめてしまったのが今の日本ではないか。資本主義とサステナビリティは真逆にあるので、考える脳の使い分けも難しい。だからこそ僕たちクリエイティブな人間が違う発想でサステナビリティを視野に入れてゆく必要があるとも思う。

WWD:服作りにおいて「もったいない」は具体的にどのように取り入れている?

桑田:もの作りで参考しているのが1940年代の洋服の作りだ。当時は世界大戦があったから、身を守る服を作る技術が短時間で集中的に生み出された。大戦中だから物資不足でメタルなどの資材が使えない。その代わり、縫い方によって強度を求めた。その頃に生まれたミリタリーの服は、その後のワークウェアやユニホームなど大量生産の衣服のベースになっている。そこに見る「どう長持ちさせるか」の工夫はまさにサステナビリティの発想だ。

また人権面では、多くの工場がファッションデザイナーからの “ラストミニッツ”での対応、しかも毎シーズン繰り返される対応に疲れている。「セッチュウ」は決まった型を継続し、生地をアップデートすることで先が見える商品展開を心がけている。工場にすれば労働時間や利益の計算がしやすいし、僕らからすれば品質が向上してゆくから双方にメリットがある。こういった商品展開もサステナビリティにつながると思う。参考になるのは「iPhone」のデザインの考え方だ。

WWD:生地はオリジナルが多く、気に入った生地は継続して使用している。これも同じ考え方?

桑田:そのほうが生地屋さんからすれば生地や糸を無駄にする必要がない。オリジナルで作った分は責任を持って使い切る。だからオーダーは慎重になる。大量オーダーしつつ、実際にはその一部しか使わない大手ブランドがあるのが業界の現実。工場から「〇〇から大量オーダー入ったけど、シーズン余剰が出そうだ」と教えてもらって高級素材を抑えた価格で使用することもある。僕はミラノ拠点が長く、イタリア各地の工場と密なコミュニケーションをしており、彼らは僕が無駄を出さないことに興味があることを知っているから、余剰が出そうなときは声をかけてくれる。

WWD:桑田さんは慎重だけど、決断も早い。

桑田:それは自分の中で決めているルールのひとつ。いろいろなメゾンで経験を積む中で、デザイナーの決断が遅ければ遅いほど周りの人に負担がかかることを知ったから、決断は早くするようにしている。

WWD:環境配慮型素材には、リサイクルポリエステルやオーガニックコットン、技術革新による全く新しい素材などさまざまあるが、特にどこを意識して選んでいる?

桑田:第1に考えるのは品質。価格が同じで品質がそこまで変わらなければよりサステナブルな生地を選ぶようにしている。

欧州の法規制への対応

WWD:欧州、特にフランスを中心にサステナビリティ、循環に関する法規制が厳しくなっている。どのように対応しているか?

桑田:法規制の内容理解はデザインをしていく上で欠かせないので、動きがあるたびにチェックしている。工場との情報交換から得ることが多い。はっきりとした決まりがないケースもあるから「できる限りのことをする」スタンスだ。例えば、納品時に服を入れるパッケージングに関しては、リサイクルプラスチックを採用するのは当然で、加えてジップロックタイプにすることで店で再利用しやすいよう工夫しています。従来品より価格は上がるが、仕方ない。世の中が良くなっていくためには必要なことだと思う。

ただ、規制に全部従う必要があるかと言えば、それは疑問。正直、企業間や国家間のルールメイキングの覇権争い、利害関係に巻き込まれている感は否めない。例えばフランスでは製品に環境的な特性(*編集部注)を表示することが義務付けられているが、100%守られているかと言えばそうではなく、僕らブランド側としてははっきりしてほしい。クリアにしてゆくのは政府の役割でもある。明確でないと湾曲されたルールが生まれるといった困った状況もあるが、僕たちは環境を考えた上で規制以上にできることを行っている。ブランドの在り方、生き方として伝わるから。

*編集部注)環境的特性とは、リサイクル素材の配合とその割合、再生可能資源の使用、耐久性、堆肥化の可能性、修理可能性などを指す

WWD:法規制の中でも特に意識しているものは?

桑田:全般的に常にチェックしている。ひとつあげるとしたら、製品や原料がどこで作られているかを示すトレーサビリティーの義務化だ。意識しているというより、作り手の義務になりつつある。

WWD:コットンであれば農地まで、革製品であればどこの牧場からかを明らかにするのがトレーサビリティーだ。追いかけるのは大変では?

桑田:大変だが、(サプライヤーに対して、原産地に関する)質問をして明確な答えが返ってこなかったら使わない。EUのサプライヤーでもまだ自分たちの原料のトレーサビリティーを把握していないところはあるが、ほぼほぼ皆さん、把握している。レザーに関しては牧場で働く人たちの環境や動物の飼育環境が悪いと分かっている地域のものは使わない。中国産のコットンは(新疆綿のリスクがあるから)避ける。アメリカに輸出できないから。

実は、将来の夢は自分で農業を営むこと。そこで収穫したもので洋服を作ることが究極の夢。畑があり、動物を飼育し、ホテルを付随し、お客様自身もそこで経験をしてもらいながら循環させる。サステナビリティは経験してはじめて見えてくると思うから。資本主義の中で生活しているとサステナビリティは「聞く」だけだから経験ができる場を作りたい。

WWD:イタリアブラン「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」のような発想だ。

桑田:場所はオーストラリアなのかアフリカなのか、僕の場合は釣りができないとダメなので川や海の近くになると思う(笑)。

作る側の責任であり、お客様に求めるのはまだ早い

WWD:サステナビリティの価値をお客さんに伝えるのは、簡単ではない。着る人にもその価値をわかってほしい?

桑田:伝えるのは簡単ではない。今のところそれは、作る側の責任であり、お客さまに求めるのはまだ早いと思う。服はやはり着る人をきれいに見せるためのもの。そこにサステナビリティの付加価値がついたらいい、というスタンスだ。紙デニムのように、結果的に軽さを経験してもらえるような製品が優れていると思う。

僕は「サステナブル」と聞くとすぐ興味を持つ。こだわればこだわるほどアイデアがわき、興味を持つ。だからお客様というより、より多くのデザイナーが関心を持つといいなと思う。求める人が多くなれば変わることも多いと思うから。

WWD:環境配慮型の素材を使うと価格が上がるのでは?一時期は、従来素材の1.3倍から1.5倍と言われていた。

桑田:5年前はそうだったが、生地屋さんも進化し、イタリアでは最近は「多少高い」くらい。「多少」であれば高くても使うようにしている。

WWD:日本では、環境配慮型にこだわると選択肢の幅が狭い、とデザイナーたちがなげいている。

桑田:ミラノウニカなどの生地見本市ではリサイクル繊維などが数多く見られる。ただ、再生することにより水を大量使用しているケースもあるから、認証素材だからといって鵜呑みにはできない。常に疑いの目を持っていないとダメだろう。

PROFILE: 桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー

桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー
PROFILE: (くわた・さとし)1983年生まれ、京都府出身。高校卒業後にビームスの販売として勤務し、21歳渡英する。セントラル・セント・マーチンズ卒業後はガレス・ピューのアシスタントを経て、カニエ・ウェスト(Ye)のアトリエやリカルド・ティッシ時代の「ジバンシィ」、「イードゥン」でデザイナーとしての経験を積んだ。2020年に「セッチュウ」設立。22年に「フー・イズ・オン・ネクスト?」最優秀賞、23年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリを受賞 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
WWD:具体的に環境配慮型素材を使った例を教えてほしい。

桑田:冒頭の写真の“紙”デニムは、コットン78%、紙22%。沖縄のキュアラボさんと作ったオリジナル生地。

編集部注)キュアラボ=沖縄拠点の未利用資源を活用した素材開発、製造・販売を行う2021年創業のベンチャー企業。紙デニムの原料は、さとうきびの製糖時に発生する副産物であるバガス。これをキュアラボ独自の技術でパウダー状に加工し原材料とし、国内工場で用途に合わせた紙に加工。紙糸を緯糸に使用し、国内工場にて用途に合わせた様々な生地に加工している。

人類は紀元前からサトウキビを生産・消費してきたけど、その残渣はこれまで飼料用途以外の9割が廃棄されてきた。キュアラボはその課題解決に取り組み、北海道の会社と連携してサトウキビ残渣を原料にした和紙を製造している。そのスタンスに共感した。

WWD:デニムに和紙を入れることで製品としての魅力は?

桑田:このデニムは縦位置にコットンを、横糸に2ミリ程度の薄紙を撚糸した和紙糸を使っている。紙は繊維ではないので、バクテリアがつきにくく、クリーン。そして紙だから着ると驚くほど軽い。そして夏は涼しく、冬は暖かく、機能的だ。今はまだ開発中であり、当初は13~15オンスだったところを試行錯誤で糸を細くしてもらい、現状は16オンスの見た目で11オンス程度まで軽くなった。

WWD:「セッチュウ」と言えば、ユニークなパターンも特徴だ。

桑田:「セッチュウ」のDNAとは、クラシックなものから着想を得て、シンプルで機能的な衣服の創作をすること。サヴィル・ロウでは、生地の最効率化と耐久性の高い衣服の構造を学んだ。このデニムにもエドワーディアン調の要素が入っている。そして僕らは手作業にこだわるのでセルビッチ風のステッチも手仕事だ。

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ミラノ拠点「セッチュウ」のサステナ定義は「もったいない」 欧州規制への冷静な対応も

「セッチュウ(SETCHU)」は「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリなど数々のアワードで受賞歴を持つ注目のブランドだ。桑田悟史デザイナーは現在、ミラノを拠点に活動をしている。イタリア各地の工場ともつながりを持ち、ラグジュアリーマーケットを開拓している「セッチュウ」は、厳しさを増す欧州のサステナビリティ関連法規制にどう対応しているのだろうか?来日した桑田デザイナーに「セッチュウ」が考えるサステナビリティの定義や実際の取り組み内容について聞いた。

WWD:サステナビリティと言う言葉をどう解釈し、「セッチュウ」での服作りにどう位置づけて取り入れているか?

桑田悟史デザイナー(以下、桑田):サステナビリティをテーマに取材を受けるのはこれが初めて。というのもそれは当然のことであり、アピールするのは違うと思うから。大事なキーワードであり、服作りの最初にくるものだと考えている。環境面、人権面それぞれいろいろな解釈があるから解釈にとらわれず、できることは実行するスタンスだ。

自分がサステナビリティを語るときは「もったいない」と言う言葉を使うことが多い。「もったいない」という発想を持つことで、生地を節約したり、資源を大事にしたりすることができるから。「もったいない」は身の回りのことにできる限りの愛を与えることでもあると思う。江戸時代、日本はサステナビリティの最先端を行っていたが資本主義が進み、環境や人権を置き去りにしたことで崩れ、日本流のサステナビリティは衰退してしまった。「セッチュウ」という、日本の文化をブランド名にした以上、そのイメージを払拭してゆくことも使命だと思う。

WWD:“「もったいない」が衰退している”はどのようなときに感じる?

桑田:身の回りのプラスチックの量ひとつとっても、今の日本の暮らしでは「もったいない」という感覚が明らかに無視されている。プラスチックは必要だけど、そのありがたみ、感謝の念をなくしている。それは日本人のひとりとして恥ずかしいこと。本来日本人は感謝をすることが得意なのに。僕は釣りが趣味で釣りの最中に水面に浮いているプラスチックを見れば悲しくなる。

ヨーロッパの市場では買ったものを紙の袋か、持参した袋に入れてもらうことのが習慣だ。日本では少額のお金を払えばプラスチックの袋がいくらでももらえるなど、その便利さが優先されている。便利を突き詰めるあまり、サステナビリティを突き詰めることをやめてしまったのが今の日本ではないか。資本主義とサステナビリティは真逆にあるので、考える脳の使い分けも難しい。だからこそ僕たちクリエイティブな人間が違う発想でサステナビリティを視野に入れてゆく必要があるとも思う。

WWD:服作りにおいて「もったいない」は具体的にどのように取り入れている?

桑田:もの作りで参考しているのが1940年代の洋服の作りだ。当時は世界大戦があったから、身を守る服を作る技術が短時間で集中的に生み出された。大戦中だから物資不足でメタルなどの資材が使えない。その代わり、縫い方によって強度を求めた。その頃に生まれたミリタリーの服は、その後のワークウェアやユニホームなど大量生産の衣服のベースになっている。そこに見る「どう長持ちさせるか」の工夫はまさにサステナビリティの発想だ。

また人権面では、多くの工場がファッションデザイナーからの “ラストミニッツ”での対応、しかも毎シーズン繰り返される対応に疲れている。「セッチュウ」は決まった型を継続し、生地をアップデートすることで先が見える商品展開を心がけている。工場にすれば労働時間や利益の計算がしやすいし、僕らからすれば品質が向上してゆくから双方にメリットがある。こういった商品展開もサステナビリティにつながると思う。参考になるのは「iPhone」のデザインの考え方だ。

WWD:生地はオリジナルが多く、気に入った生地は継続して使用している。これも同じ考え方?

桑田:そのほうが生地屋さんからすれば生地や糸を無駄にする必要がない。オリジナルで作った分は責任を持って使い切る。だからオーダーは慎重になる。大量オーダーしつつ、実際にはその一部しか使わない大手ブランドがあるのが業界の現実。工場から「〇〇から大量オーダー入ったけど、シーズン余剰が出そうだ」と教えてもらって高級素材を抑えた価格で使用することもある。僕はミラノ拠点が長く、イタリア各地の工場と密なコミュニケーションをしており、彼らは僕が無駄を出さないことに興味があることを知っているから、余剰が出そうなときは声をかけてくれる。

WWD:桑田さんは慎重だけど、決断も早い。

桑田:それは自分の中で決めているルールのひとつ。いろいろなメゾンで経験を積む中で、デザイナーの決断が遅ければ遅いほど周りの人に負担がかかることを知ったから、決断は早くするようにしている。

WWD:環境配慮型素材には、リサイクルポリエステルやオーガニックコットン、技術革新による全く新しい素材などさまざまあるが、特にどこを意識して選んでいる?

桑田:第1に考えるのは品質。価格が同じで品質がそこまで変わらなければよりサステナブルな生地を選ぶようにしている。

欧州の法規制への対応

WWD:欧州、特にフランスを中心にサステナビリティ、循環に関する法規制が厳しくなっている。どのように対応しているか?

桑田:法規制の内容理解はデザインをしていく上で欠かせないので、動きがあるたびにチェックしている。工場との情報交換から得ることが多い。はっきりとした決まりがないケースもあるから「できる限りのことをする」スタンスだ。例えば、納品時に服を入れるパッケージングに関しては、リサイクルプラスチックを採用するのは当然で、加えてジップロックタイプにすることで店で再利用しやすいよう工夫しています。従来品より価格は上がるが、仕方ない。世の中が良くなっていくためには必要なことだと思う。

ただ、規制に全部従う必要があるかと言えば、それは疑問。正直、企業間や国家間のルールメイキングの覇権争い、利害関係に巻き込まれている感は否めない。例えばフランスでは製品に環境的な特性(*編集部注)を表示することが義務付けられているが、100%守られているかと言えばそうではなく、僕らブランド側としてははっきりしてほしい。クリアにしてゆくのは政府の役割でもある。明確でないと湾曲されたルールが生まれるといった困った状況もあるが、僕たちは環境を考えた上で規制以上にできることを行っている。ブランドの在り方、生き方として伝わるから。

*編集部注)環境的特性とは、リサイクル素材の配合とその割合、再生可能資源の使用、耐久性、堆肥化の可能性、修理可能性などを指す

WWD:法規制の中でも特に意識しているものは?

桑田:全般的に常にチェックしている。ひとつあげるとしたら、製品や原料がどこで作られているかを示すトレーサビリティーの義務化だ。意識しているというより、作り手の義務になりつつある。

WWD:コットンであれば農地まで、革製品であればどこの牧場からかを明らかにするのがトレーサビリティーだ。追いかけるのは大変では?

桑田:大変だが、(サプライヤーに対して、原産地に関する)質問をして明確な答えが返ってこなかったら使わない。EUのサプライヤーでもまだ自分たちの原料のトレーサビリティーを把握していないところはあるが、ほぼほぼ皆さん、把握している。レザーに関しては牧場で働く人たちの環境や動物の飼育環境が悪いと分かっている地域のものは使わない。中国産のコットンは(新疆綿のリスクがあるから)避ける。アメリカに輸出できないから。

実は、将来の夢は自分で農業を営むこと。そこで収穫したもので洋服を作ることが究極の夢。畑があり、動物を飼育し、ホテルを付随し、お客様自身もそこで経験をしてもらいながら循環させる。サステナビリティは経験してはじめて見えてくると思うから。資本主義の中で生活しているとサステナビリティは「聞く」だけだから経験ができる場を作りたい。

WWD:イタリアブラン「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」のような発想だ。

桑田:場所はオーストラリアなのかアフリカなのか、僕の場合は釣りができないとダメなので川や海の近くになると思う(笑)。

作る側の責任であり、お客様に求めるのはまだ早い

WWD:サステナビリティの価値をお客さんに伝えるのは、簡単ではない。着る人にもその価値をわかってほしい?

桑田:伝えるのは簡単ではない。今のところそれは、作る側の責任であり、お客さまに求めるのはまだ早いと思う。服はやはり着る人をきれいに見せるためのもの。そこにサステナビリティの付加価値がついたらいい、というスタンスだ。紙デニムのように、結果的に軽さを経験してもらえるような製品が優れていると思う。

僕は「サステナブル」と聞くとすぐ興味を持つ。こだわればこだわるほどアイデアがわき、興味を持つ。だからお客様というより、より多くのデザイナーが関心を持つといいなと思う。求める人が多くなれば変わることも多いと思うから。

WWD:環境配慮型の素材を使うと価格が上がるのでは?一時期は、従来素材の1.3倍から1.5倍と言われていた。

桑田:5年前はそうだったが、生地屋さんも進化し、イタリアでは最近は「多少高い」くらい。「多少」であれば高くても使うようにしている。

WWD:日本では、環境配慮型にこだわると選択肢の幅が狭い、とデザイナーたちがなげいている。

桑田:ミラノウニカなどの生地見本市ではリサイクル繊維などが数多く見られる。ただ、再生することにより水を大量使用しているケースもあるから、認証素材だからといって鵜呑みにはできない。常に疑いの目を持っていないとダメだろう。

PROFILE: 桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー

桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー
PROFILE: (くわた・さとし)1983年生まれ、京都府出身。高校卒業後にビームスの販売として勤務し、21歳渡英する。セントラル・セント・マーチンズ卒業後はガレス・ピューのアシスタントを経て、カニエ・ウェスト(Ye)のアトリエやリカルド・ティッシ時代の「ジバンシィ」、「イードゥン」でデザイナーとしての経験を積んだ。2020年に「セッチュウ」設立。22年に「フー・イズ・オン・ネクスト?」最優秀賞、23年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリを受賞 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
WWD:具体的に環境配慮型素材を使った例を教えてほしい。

桑田:冒頭の写真の“紙”デニムは、コットン78%、紙22%。沖縄のキュアラボさんと作ったオリジナル生地。

編集部注)キュアラボ=沖縄拠点の未利用資源を活用した素材開発、製造・販売を行う2021年創業のベンチャー企業。紙デニムの原料は、さとうきびの製糖時に発生する副産物であるバガス。これをキュアラボ独自の技術でパウダー状に加工し原材料とし、国内工場で用途に合わせた紙に加工。紙糸を緯糸に使用し、国内工場にて用途に合わせた様々な生地に加工している。

人類は紀元前からサトウキビを生産・消費してきたけど、その残渣はこれまで飼料用途以外の9割が廃棄されてきた。キュアラボはその課題解決に取り組み、北海道の会社と連携してサトウキビ残渣を原料にした和紙を製造している。そのスタンスに共感した。

WWD:デニムに和紙を入れることで製品としての魅力は?

桑田:このデニムは縦位置にコットンを、横糸に2ミリ程度の薄紙を撚糸した和紙糸を使っている。紙は繊維ではないので、バクテリアがつきにくく、クリーン。そして紙だから着ると驚くほど軽い。そして夏は涼しく、冬は暖かく、機能的だ。今はまだ開発中であり、当初は13~15オンスだったところを試行錯誤で糸を細くしてもらい、現状は16オンスの見た目で11オンス程度まで軽くなった。

WWD:「セッチュウ」と言えば、ユニークなパターンも特徴だ。

桑田:「セッチュウ」のDNAとは、クラシックなものから着想を得て、シンプルで機能的な衣服の創作をすること。サヴィル・ロウでは、生地の最効率化と耐久性の高い衣服の構造を学んだ。このデニムにもエドワーディアン調の要素が入っている。そして僕らは手作業にこだわるのでセルビッチ風のステッチも手仕事だ。

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池松壮亮が語る「俳優としての責任と覚悟」——感じた違和感を口にすることの大切さ

PROFILE: 池松壮亮/俳優

PROFILE: (いけまつ・そうすけ)1990年生まれ、福岡県出身。2003年に「ラスト サムライ」で映画デビュー。近年の主な映画出演作に「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(17)、「斬、」(18)、「宮本から君へ」(19)、「ちょっと思い出しただけ」(22)、「シン・仮面ライダー」(23)、「せかいのおきく」(23)、「白鍵と黒鍵の間に」(23)など。現在放送中のドラマ「海のはじまり」(フジテレビ)に出演中。待機作に、9月27日公開の「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」、11月8日公開の「本心」がある。

大学在学中に制作した長編初監督作品「僕はイエス様が嫌い」(2019年)で注目を集めた新鋭、奥山大史。長編2本目となる新作映画「ぼくのお日さま」は、吃音のある少年、タクヤとフィギュアスケートを学ぶ少女、サクラの出会いの物語。そんな2人を見守るスケートのコーチ、荒川を演じたのは池松壮亮。フィギュアスケートの選手として活躍する夢を諦め、地方でスケートを教える荒川が胸に秘めた静かな葛藤。そして、子供たちに希望を託すことで変化していく荒川を、余白を大切にした演出の中で見事に表現している。奥山大史監督という新しい才能との出会いから受けた刺激。そして、取材に私服で挑むようになった経緯など、映画に対する真摯な思いを語ってくれた。

スケートに初挑戦

——池松さんが演じた荒川は複雑な思いを抱えたキャラクターですが、映画では細かくは説明されません。撮影前に奥山監督と役について話をされたのでしょうか。

池松壮亮(以下、池松):撮影前に奥山さんからキャラクターにまつわる自己紹介文をいただいて、それ以外にも時間をかけていろいろなお話をしました。今回スケートの練習が必要な役だったので、撮影の半年前から週に1回、スケートリンクに通って特訓させてもらいました。そこによく奥山さんが来てくれて、そこであれこれ話したり、ご飯に行ってまたあれこれ話しながら奥山さんのやりたいことや好きなこと、お互いを理解していく中で、さまざま意見交換をしてきました。その上で日々の撮影の中で、荒川という人に出会っていくこと、発見していく(荒川という人物に対して理解を深めるような)ことを目指していました。

——役作りに加えてスケートの練習もしなくてはいけなかったんですね。池松さんは子供の頃には野球をやられていたそうですがスケートはいかがでした?

池松:氷の上に立ったこともなくて、こんなに難しいのか!と絶句しました。これまで役を演じる上でいろんなことをやらせてもらいましたが、いままで取り組んだ中で一番難しかったです。最初はリンクに2〜3秒立っているのがやっとで、何度も何度も転びました。大人の初心者がヘルメットをかぶって練習している横で、子供たちがスイスイ滑っているんです。僕が教えてもらっている先生のところに子供たちが「こんにちは」と各々挨拶に来るんですが、近寄ってくるたびにバランスを崩して転び、転ぶたびに子供たちにケラケラ笑われていました(笑)。スケートリンクにある貸し靴とかだと素人でも滑れるそうなんですが、元選手でコーチの役なのでプロ仕様の靴を使用していました。あまりに細かなフィギュアスケート特有の身体のコントロールが必要で、その感覚をつかむまでにとても時間がかかりました。

——その甲斐あって映画ではベテランっぽく滑っていましたね。スケートの先生から演技のヒントを得たりもされたのでしょうか。

池松:5、6人の先生から熱心に辛抱強く教えていただきました。年齢も性別も経験も、教え方もさまざまな先生方に指導してもらいながら、それぞれの風情や子供たちと接する姿、指導する姿を見せてもらえたことが、演じる上でとても大きな支えになりました。半年という時間で、何十年も息をするように氷の上で滑ったり指導してきたコーチの人生に、技術の面で届くことはスケートに限らずできません。そのことを前提に、風情や身体に宿る癖や習慣に触れていくことが演じる上で少しでも助けになると思っていました。

共演者、そして奥山監督について

——タクヤ役の越山敬達くん、さくら役の中西希亜良さんなど、子供たちとの共演はいかがでした?

池松:学びや発見、驚きばかりでした。こんなふうに感じるんだとか、こんな表情するんだとか、日々2人に感動させられました。子供は大人よりも反射能力が高く、その分対峙する自分の態度や向き合い方が問われる感じがあります。今作は2人の輝きがそのまま作品力に直結すると思っていましたし、コーチという役柄だったことも相まって、どうしたら2人がそれぞれの持つ個性と輝きをこの映画で存分に発揮できるのか、いつも考えていました。2人がいま何を感じていて、どんな気分で、どんなことに反応しているのかに敏感でありたいと思いました。2人ともシャイで、控えめで、無垢で、感性が鋭くて、感じたことや言葉にならないことを表現することを恐れない、原石の塊のようでした。奥山さんが今作にかけがえのない2人を選んでくれたと思っています。2人が映画をみんなで作ることの喜びや、演じることの喜びを、なんとか記憶として残してくれるように、自分にできる限りのことをやりたいと思っていました。

——一方、荒川の恋人、五十嵐を演じた若葉竜也さんとは「愛にイナズマ」では兄弟として共演されていました。今回は全く違った関係性での共演ですね。

池松:これまで兄弟役と恋人役をやった俳優は男女ともに若葉くんだけです。そこにはご縁というか、特別なものを感じています。「愛にイナズマ」で兄弟役を演じたことで、今も体感として残っている心の親密さのようなものを、今作の2人の関係性に上手く活かすことができるのではないかと思っていました。

——荒川と五十嵐が恋人同士であることを自然に観客に伝える。この映画では必要以上に説明をしない、余白を大切にした演出が印象的でした。

池松:いかに2人の関係性を説明せずに分かってもらえるか、その関係を自然に見てもらえるかというのは、奥山さんとそのあんばいについてたくさん話しました。吃音症を持ったタクヤや、父親が不在のさくらについてもそうでした。マイノリティーと呼ばれるそれぞれをいかにノーマルにこの物語の世界に存在させられるか、というのは今作の大きなポイントでした。彼らを俳優が表面的になぞるようなお芝居は選びたくなかったですし、セリフで伝えることや説明的なお芝居を排除していくことを奥山さんも僕も選びたいと考えていました。それよりも、荒川でいえば五十嵐とどんなふうにこれまで過ごしてきたのか、2人の経験や記憶が、2人でいる時の仕草や声、心と身体の親密さに宿ることを目指したいと思っていました。説明しない、説明できない余白をそのまま余白として大切にすることで、情報や言葉が氾濫しているいまの世の中においても確かにある、彼らの沈黙に耳を傾けることができるのではないかと思っていました。

——余白の作り方も独特ですし、登場人物に向ける眼差しの純粋さにも奥山監督の作家性を感じました。

池松:奥山さんの作品からは優しさを感じます。それはありふれた優しさではなく、全然そんなシーンではないのにふと温かい涙が溢れてくるような、痛みや苦しみも含んだ優しさです。物語に向ける眼差しや、人物や自然に向ける眼差し、どれもがとても優しくて、さらにそこからピュアなものをつかみ取ろうとしているように感じます。何か聖なるものに対する反応が強くて、聖なる瞬間を映画に刻もうとしているように見えます。20代にして、このような成熟した感性とセンスを持っているのは、ちょっと規格外だなと思っています。天才という言葉では収まりきらない、とても大きなスケールを持った新時代の才能だと思います。

——池松さんは本作の撮影以前に、奥山監督とは「エルメス」が制作したドキュメンタリー作品で顔を合わせていますね。その時の印象はいかがでした?

池松:そこで奥山さんの才能やセンスに触れ、その人柄にもとても信頼できるものを感じました。眼差しと視点とモラルの高さを感じ、映像として映すことで何を見つめようとしているかということに惹かれるものがありました。ドキュメンタリー作品だったので、ほとんど互いにアイコンタクトしながら即興で映像に刻んでいくような作業でしたが、そのとき感じた相性の良さから、きっとこの人とはいつか映画を作ることになるのではないかという予感がありました。こんなにすぐに実現できてとても幸運だったと思います。

取材の場に私服で出る理由

——今回、その機会が訪れたわけですね。映画からも池松さんと奥山監督の信頼関係が伝わってきました。ファッションについて伺いたいことがあるのですが、いつも取材の場には私服で出られているそうですね。今日もそうですが、そこには何かこだわりがあるのでしょうか。

池松:あまりそのことについてこれまで話すことは控えてきたんですが、そうするようになったのは7、8年ほど前からです。日本の俳優は他の国と比べてかなり取材量が多く、取材の時はスタイリストが入って、媒体ごとになるべく被らないように衣装を変えることを求められます。そのことを繰り返しているうちに、作品や演じることとは関係のないところで、この世界の消費を無駄にあおっているような気持ちになり嫌になってしまったんです。役ではないところで借り物の服を着飾ってペラペラ話すことで、自分を偽っているような気持ちにもなりました。そんなことを考えていた時に、スタイリストの北村道子さんに「何でアメリカやヨーロッパの俳優はVネック1枚で自分の言葉で喋っているのに、日本の俳優は着飾って同じようなことばかり言ってるの?」と言われてハッとしました。その通りだと思いました。それから、日本映画は長年製作費に苦しんできましたが、当然ながら宣伝費にも苦しんでいます。もっと別のところにお金を使った方が作品をまっすぐ宣伝できるのにと思っていました。そのような理由から、スーツが必要なとき意外はほぼ私服で臨むようになりました。どうしても着るものがない時は自分で知り合いのブランドから借りてきています。ですがこれはあくまでいま現在の僕の感覚によるもので、全体がそうあるべきということは思っていません。表に立つ機会のある人にとって衣装は必要不可欠だと思います。でもちょっと過剰かなとは思っています。

——なるほど。池松さんの俳優としての仕事の向き合い方や映画に対する真摯な想いが伝わってきます。

池松:そういうことをすると当時はただ異物扱いされていましたが、最近はだいぶそのことに慣れてもらえたり、理解してもらえるようになったと思います。社会全体としても、業界全体としても、それぞれがそれぞれの立場で感じる違和感を口にできるようになってきたのはとても良いことだと思います。ですがまだまだ、言えない立場の意見や、沈黙に含まれる意見が社会全体にたまっているなとも思います。

——池松さんは自分が感じた違和感をそのままにはできなかった。

池松:僕はただ感じる違和感を自分のスタイルでやっているだけに過ぎませんが、上の世代の人たちから受け取った言葉や信念は大きいなと感じます。さっき話した北村さんもそうですし、例えば樹木希林さんとか、好き勝手に話しているようで一番真っ当なことをいつでも語ってくれていたと思います。希林さんがここまで言ってくれるなら、これくらい言っても良いか、これくらい言わなきゃだめだと思ったことが何度もありました。

——本人が発信しているつもりはなくても、次世代に受け取っていくことで何かが変わっていくのかもしれませんね。

池松:作品に関わって世の中に発表する以上、または公の場で俳優として発言する以上、そこには少なからず影響力がありますし、そのぶん責任があるとも思います。なので、自分がこの方が良いと思うことや違和感を感じていることも臆さず伝えていくべきですよね。みんなが責任を伴わないお利口さんな言葉を発していても、次世代に問題が蓄積していくだけでしょうから。

PHOTOS:MASASHI URA
HAIR&MAKEUP:FUJIU JIMI

9月6〜8日テアトル新宿、TOHO シネマズシャンテで3日間限定先行公開
9月13日から全国公開
出演:越山敬達、中⻄希亜良、池松壮亮、若葉⻯也、山田真歩、潤浩ほか
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
主題歌:ハンバート ハンバート
本編:90分
配給:東京テアトル
©︎2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
https://bokunoohisama.com

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池松壮亮が語る「俳優としての責任と覚悟」——感じた違和感を口にすることの大切さ

PROFILE: 池松壮亮/俳優

PROFILE: (いけまつ・そうすけ)1990年生まれ、福岡県出身。2003年に「ラスト サムライ」で映画デビュー。近年の主な映画出演作に「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(17)、「斬、」(18)、「宮本から君へ」(19)、「ちょっと思い出しただけ」(22)、「シン・仮面ライダー」(23)、「せかいのおきく」(23)、「白鍵と黒鍵の間に」(23)など。現在放送中のドラマ「海のはじまり」(フジテレビ)に出演中。待機作に、9月27日公開の「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」、11月8日公開の「本心」がある。

大学在学中に制作した長編初監督作品「僕はイエス様が嫌い」(2019年)で注目を集めた新鋭、奥山大史。長編2本目となる新作映画「ぼくのお日さま」は、吃音のある少年、タクヤとフィギュアスケートを学ぶ少女、サクラの出会いの物語。そんな2人を見守るスケートのコーチ、荒川を演じたのは池松壮亮。フィギュアスケートの選手として活躍する夢を諦め、地方でスケートを教える荒川が胸に秘めた静かな葛藤。そして、子供たちに希望を託すことで変化していく荒川を、余白を大切にした演出の中で見事に表現している。奥山大史監督という新しい才能との出会いから受けた刺激。そして、取材に私服で挑むようになった経緯など、映画に対する真摯な思いを語ってくれた。

スケートに初挑戦

——池松さんが演じた荒川は複雑な思いを抱えたキャラクターですが、映画では細かくは説明されません。撮影前に奥山監督と役について話をされたのでしょうか。

池松壮亮(以下、池松):撮影前に奥山さんからキャラクターにまつわる自己紹介文をいただいて、それ以外にも時間をかけていろいろなお話をしました。今回スケートの練習が必要な役だったので、撮影の半年前から週に1回、スケートリンクに通って特訓させてもらいました。そこによく奥山さんが来てくれて、そこであれこれ話したり、ご飯に行ってまたあれこれ話しながら奥山さんのやりたいことや好きなこと、お互いを理解していく中で、さまざま意見交換をしてきました。その上で日々の撮影の中で、荒川という人に出会っていくこと、発見していく(荒川という人物に対して理解を深めるような)ことを目指していました。

——役作りに加えてスケートの練習もしなくてはいけなかったんですね。池松さんは子供の頃には野球をやられていたそうですがスケートはいかがでした?

池松:氷の上に立ったこともなくて、こんなに難しいのか!と絶句しました。これまで役を演じる上でいろんなことをやらせてもらいましたが、いままで取り組んだ中で一番難しかったです。最初はリンクに2〜3秒立っているのがやっとで、何度も何度も転びました。大人の初心者がヘルメットをかぶって練習している横で、子供たちがスイスイ滑っているんです。僕が教えてもらっている先生のところに子供たちが「こんにちは」と各々挨拶に来るんですが、近寄ってくるたびにバランスを崩して転び、転ぶたびに子供たちにケラケラ笑われていました(笑)。スケートリンクにある貸し靴とかだと素人でも滑れるそうなんですが、元選手でコーチの役なのでプロ仕様の靴を使用していました。あまりに細かなフィギュアスケート特有の身体のコントロールが必要で、その感覚をつかむまでにとても時間がかかりました。

——その甲斐あって映画ではベテランっぽく滑っていましたね。スケートの先生から演技のヒントを得たりもされたのでしょうか。

池松:5、6人の先生から熱心に辛抱強く教えていただきました。年齢も性別も経験も、教え方もさまざまな先生方に指導してもらいながら、それぞれの風情や子供たちと接する姿、指導する姿を見せてもらえたことが、演じる上でとても大きな支えになりました。半年という時間で、何十年も息をするように氷の上で滑ったり指導してきたコーチの人生に、技術の面で届くことはスケートに限らずできません。そのことを前提に、風情や身体に宿る癖や習慣に触れていくことが演じる上で少しでも助けになると思っていました。

共演者、そして奥山監督について

——タクヤ役の越山敬達くん、さくら役の中西希亜良さんなど、子供たちとの共演はいかがでした?

池松:学びや発見、驚きばかりでした。こんなふうに感じるんだとか、こんな表情するんだとか、日々2人に感動させられました。子供は大人よりも反射能力が高く、その分対峙する自分の態度や向き合い方が問われる感じがあります。今作は2人の輝きがそのまま作品力に直結すると思っていましたし、コーチという役柄だったことも相まって、どうしたら2人がそれぞれの持つ個性と輝きをこの映画で存分に発揮できるのか、いつも考えていました。2人がいま何を感じていて、どんな気分で、どんなことに反応しているのかに敏感でありたいと思いました。2人ともシャイで、控えめで、無垢で、感性が鋭くて、感じたことや言葉にならないことを表現することを恐れない、原石の塊のようでした。奥山さんが今作にかけがえのない2人を選んでくれたと思っています。2人が映画をみんなで作ることの喜びや、演じることの喜びを、なんとか記憶として残してくれるように、自分にできる限りのことをやりたいと思っていました。

——一方、荒川の恋人、五十嵐を演じた若葉竜也さんとは「愛にイナズマ」では兄弟として共演されていました。今回は全く違った関係性での共演ですね。

池松:これまで兄弟役と恋人役をやった俳優は男女ともに若葉くんだけです。そこにはご縁というか、特別なものを感じています。「愛にイナズマ」で兄弟役を演じたことで、今も体感として残っている心の親密さのようなものを、今作の2人の関係性に上手く活かすことができるのではないかと思っていました。

——荒川と五十嵐が恋人同士であることを自然に観客に伝える。この映画では必要以上に説明をしない、余白を大切にした演出が印象的でした。

池松:いかに2人の関係性を説明せずに分かってもらえるか、その関係を自然に見てもらえるかというのは、奥山さんとそのあんばいについてたくさん話しました。吃音症を持ったタクヤや、父親が不在のさくらについてもそうでした。マイノリティーと呼ばれるそれぞれをいかにノーマルにこの物語の世界に存在させられるか、というのは今作の大きなポイントでした。彼らを俳優が表面的になぞるようなお芝居は選びたくなかったですし、セリフで伝えることや説明的なお芝居を排除していくことを奥山さんも僕も選びたいと考えていました。それよりも、荒川でいえば五十嵐とどんなふうにこれまで過ごしてきたのか、2人の経験や記憶が、2人でいる時の仕草や声、心と身体の親密さに宿ることを目指したいと思っていました。説明しない、説明できない余白をそのまま余白として大切にすることで、情報や言葉が氾濫しているいまの世の中においても確かにある、彼らの沈黙に耳を傾けることができるのではないかと思っていました。

——余白の作り方も独特ですし、登場人物に向ける眼差しの純粋さにも奥山監督の作家性を感じました。

池松:奥山さんの作品からは優しさを感じます。それはありふれた優しさではなく、全然そんなシーンではないのにふと温かい涙が溢れてくるような、痛みや苦しみも含んだ優しさです。物語に向ける眼差しや、人物や自然に向ける眼差し、どれもがとても優しくて、さらにそこからピュアなものをつかみ取ろうとしているように感じます。何か聖なるものに対する反応が強くて、聖なる瞬間を映画に刻もうとしているように見えます。20代にして、このような成熟した感性とセンスを持っているのは、ちょっと規格外だなと思っています。天才という言葉では収まりきらない、とても大きなスケールを持った新時代の才能だと思います。

——池松さんは本作の撮影以前に、奥山監督とは「エルメス」が制作したドキュメンタリー作品で顔を合わせていますね。その時の印象はいかがでした?

池松:そこで奥山さんの才能やセンスに触れ、その人柄にもとても信頼できるものを感じました。眼差しと視点とモラルの高さを感じ、映像として映すことで何を見つめようとしているかということに惹かれるものがありました。ドキュメンタリー作品だったので、ほとんど互いにアイコンタクトしながら即興で映像に刻んでいくような作業でしたが、そのとき感じた相性の良さから、きっとこの人とはいつか映画を作ることになるのではないかという予感がありました。こんなにすぐに実現できてとても幸運だったと思います。

取材の場に私服で出る理由

——今回、その機会が訪れたわけですね。映画からも池松さんと奥山監督の信頼関係が伝わってきました。ファッションについて伺いたいことがあるのですが、いつも取材の場には私服で出られているそうですね。今日もそうですが、そこには何かこだわりがあるのでしょうか。

池松:あまりそのことについてこれまで話すことは控えてきたんですが、そうするようになったのは7、8年ほど前からです。日本の俳優は他の国と比べてかなり取材量が多く、取材の時はスタイリストが入って、媒体ごとになるべく被らないように衣装を変えることを求められます。そのことを繰り返しているうちに、作品や演じることとは関係のないところで、この世界の消費を無駄にあおっているような気持ちになり嫌になってしまったんです。役ではないところで借り物の服を着飾ってペラペラ話すことで、自分を偽っているような気持ちにもなりました。そんなことを考えていた時に、スタイリストの北村道子さんに「何でアメリカやヨーロッパの俳優はVネック1枚で自分の言葉で喋っているのに、日本の俳優は着飾って同じようなことばかり言ってるの?」と言われてハッとしました。その通りだと思いました。それから、日本映画は長年製作費に苦しんできましたが、当然ながら宣伝費にも苦しんでいます。もっと別のところにお金を使った方が作品をまっすぐ宣伝できるのにと思っていました。そのような理由から、スーツが必要なとき意外はほぼ私服で臨むようになりました。どうしても着るものがない時は自分で知り合いのブランドから借りてきています。ですがこれはあくまでいま現在の僕の感覚によるもので、全体がそうあるべきということは思っていません。表に立つ機会のある人にとって衣装は必要不可欠だと思います。でもちょっと過剰かなとは思っています。

——なるほど。池松さんの俳優としての仕事の向き合い方や映画に対する真摯な想いが伝わってきます。

池松:そういうことをすると当時はただ異物扱いされていましたが、最近はだいぶそのことに慣れてもらえたり、理解してもらえるようになったと思います。社会全体としても、業界全体としても、それぞれがそれぞれの立場で感じる違和感を口にできるようになってきたのはとても良いことだと思います。ですがまだまだ、言えない立場の意見や、沈黙に含まれる意見が社会全体にたまっているなとも思います。

——池松さんは自分が感じた違和感をそのままにはできなかった。

池松:僕はただ感じる違和感を自分のスタイルでやっているだけに過ぎませんが、上の世代の人たちから受け取った言葉や信念は大きいなと感じます。さっき話した北村さんもそうですし、例えば樹木希林さんとか、好き勝手に話しているようで一番真っ当なことをいつでも語ってくれていたと思います。希林さんがここまで言ってくれるなら、これくらい言っても良いか、これくらい言わなきゃだめだと思ったことが何度もありました。

——本人が発信しているつもりはなくても、次世代に受け取っていくことで何かが変わっていくのかもしれませんね。

池松:作品に関わって世の中に発表する以上、または公の場で俳優として発言する以上、そこには少なからず影響力がありますし、そのぶん責任があるとも思います。なので、自分がこの方が良いと思うことや違和感を感じていることも臆さず伝えていくべきですよね。みんなが責任を伴わないお利口さんな言葉を発していても、次世代に問題が蓄積していくだけでしょうから。

PHOTOS:MASASHI URA
HAIR&MAKEUP:FUJIU JIMI

9月6〜8日テアトル新宿、TOHO シネマズシャンテで3日間限定先行公開
9月13日から全国公開
出演:越山敬達、中⻄希亜良、池松壮亮、若葉⻯也、山田真歩、潤浩ほか
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
主題歌:ハンバート ハンバート
本編:90分
配給:東京テアトル
©︎2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
https://bokunoohisama.com

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ヨネワールド全開!アートコンビニ「ヨネマート」 アーティストが生み出す“新しいもの”がそろう場所

PROFILE: 左:米原康正/「ヨネマート」キュレーター 右:赤松亮/「ヨネマート」オーナー

左:米原康正/「ヨネマート」キュレーター 右:赤松亮/「ヨネマート」オーナー
PROFILE: 右:米原康正(よねはら・やすまさ)編集者・フォトグラファー・キュレーター・DJ:1959年生まれ、熊本県出身。95年、「エッグ」(ミリオン出版)にフリー編集者として参加。2002年、「スマート・ガールズ」(宝島社)でのチェキで撮影した“エロい”女の子の写真が話題に。その後「スライ」や「マウジー」などの広告写真を手掛ける。近年ではキュレーションを編集と捉え、現在有楽町阪急と原宿、表参道に4つのアートギャラリーをかまえる。中国版ツイッター、ウェイボーのフォロワー数は約280万人。愛称はヨネちゃん 左:赤松亮(あかまつ・りょう)「ヨネマート」オーナー: 1991年生まれ、東京都出身。青山学院大学在学中から、アパレルブランド「ベンデイビス」のマーケティングアシスタントを始める。同ブランドのアジア圏マーケティング活動を行う中で米原氏と知り合い、アーティストコラボを中心としたアパレル企画や台湾でのイベント開催などの活動を共にする PHOTO:TAMEKI OSHIRO

国立競技場駅から徒歩10分、パステル調の青い屋根と、柔らかに光るネオンが目を惹く。大きな窓ガラスから見えるのは、淡い配色のポップな内装と、ジャンルを超えて並べられたアーティスティックな商品たち。平日昼間にも関わらず、取材中も多くの方が店を訪れた。そんな“アートコンビニ”「ヨネマート(YONEMART)」は、今年7月にオープンした、アーティストグッズを中心に販売するギフトショップだ。今回、同ショップキュレーターの米原康正氏と赤松亮オーナーに話を聞いた。

“アートコンビニ”「ヨネマート」

店頭には、Tシャツや帽子などのアパレル商品をはじめ、ピアスなどのアクセサリー、花瓶やポストカードなどの雑貨がジャンルレスに並ぶ。それらのほとんどは、まだ名の知られていない若手アーティストの商品や、同店と共同で開発した商品だ。奥には、全国から選りすぐった袋麺やドリンクなどの食料品が並んでいる。アーティストに軸を置きながら、取り扱う商品の幅広さは、まさに”アートコンビニ”だ。

アーティストと共に作るショップ

販売するアーティストグッズのキュレーションを行うのは、“ヨネちゃん”こと米原康正氏。編集者、カメラマンとして知られているが、実は現在、原宿、表参道などで若手アーティストに焦点を当てた自身のアートギャラリーを4軒運営している。米原氏と組んで店を運営し、商品企画などの実務面を手掛けるのは、赤松亮オーナー。赤松オーナーは19年に、共通の香港の友人を介して米原氏と知り合った後、同氏がキュレーターを務めるギャラリーに通う内に親交を深め、「ヨネマート」オープンに至った。赤松オーナーは「アーティストと共に、作品そのものを商品にする方法を考えながら売っていく、アーティストと一緒に作りあげるショップ」であると話す。

同店の狙いは「若いアーティストに、自身の作品で収益を得られる機会を提供する」こと。アート作品を商品としてマネタイズすることは、無名かつ経済的に豊かといえない若者にとって挑戦が多い。そんなアーティストの作品を選び、商品を共同で製作し販売。自身の作品を収益化しながら、知名度、経済力などのしがらみに左右されず、新たに生まれるアーティストが注目されるアート文化の興隆を図っている。「展覧会のような目立った活動ができなくても、作品が商品として成り立つようなアーティストはいる。それをコレクターが買うかどうかというよりも、普通の人がアートをエンターテイメントとして楽しめるような、一般的なギャラリーとは違った提案の仕方をしていきたい」と米原氏。

“若い世代が生み出す 新しいもの”を商品に

「若い世代が生み出す、新しいものが面白い」と話す2人は、アート業界全体が、既に売れている著名アーティストにばかり焦点を当てることで、新たなアーティストが注目されにくくなっている現状があるとも話す。若い世代の生み出す新たなアートを見つけだすことも、「ヨネマート」の役目だ。開店同月には「ART持ち寄りDAY」というイベントを開催。アーティストが店に直接作品を持ち寄り、取り扱う作品を米原自身が吟味する。SNSで募集することで、普段米原氏らと交流がないアーティストも、参加できる企画となっている。米原氏は「“どのようなアーティストか”ではなく、店に合う、お客さんが欲しいと思えるような作品を選んでいる。そこからさらに店に合った商品にするために、一緒に考える作業がしたい」と話す。

現在、美術館やギャラリーに行けば、著名、匿名、社会的意義、歴史的背景、資産価値など、さまざまな文脈を含むアートに出会える。しかし、2人の考えるアートとは、それらから解放された“かっこいい”“かわいい”などの単純明快な感情を引き起こすものだ。そんな商品やアーティストにコンビニ感覚で出会える「ヨネマート」は、今後も作品の持ち寄り企画や、アーティスト個人にフューチャーしたイベントを開催予定。アートの未来を切り拓くこの場所で、次世代の才能がどのように花開くのか、期待が膨らむばかりだ。

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欧州の合同展「トラノイ」 「東京を再びアジアのファッション・ハブに」と意気込む

欧州の歴史ある合同展示会「トラノイ(TRANOI)」が日本に初上陸した。日本ファッション・ウィーク推進機構(以下、JFWO)のパートナーシップのもと、「楽天 ファッション ウィーク東京(Rakuten Fashion Week TOKYO以下、RFWT)」期間中の9月4・5日に、東京・渋谷で「トラノイ・トーキョー」を開催している。日本では合同展が減少する中、なぜこのタイミングで東京を舞台に選んだのか。「トラノイ」のボリス・プロヴォスト(Boris Provost)最高経営責任者(CEO)に聞いた。

WWD:「トラノイ」について、改めて教えてほしい。

ボリス・プロヴォスト「トラノイ」CEO(以下、プロヴォストCEO):「トラノイ」は1998年の開始以来、あらゆるブランドが世界のバイヤーやプレス、インフルエンサーにコレクションを発表する場を、パリを拠点に提供してきた。ファッションの創造性や品質、革新性を重視する合同展であることから、業界における重要なイベントと認知されている。

「トラノイ」の強みはキュレーションとサービスだ。バイヤーらに“本物”を見せ、「トラノイ」が考えるファッションのビジョンを発信するために、品質と独自性の観点から選び抜いたコレクションを展示している。また、出展ブランドが販売のイロハや国際市場の特性を学ぶ機会を設けたり、コレクションの見せ方を助言したりもするほか、バイヤーの来場もサポートしている。事前にミーティングを実施して、彼らのニーズに合ったブランドを提案することもある。

WWD:今回、東京で「トラノイ」を初開催することになった経緯は。

プロヴォストCEO:パリ開催の「トラノイ 」では、日本からの来場者数がフランス、イタリアに次いで3番目に多い。コロナ明け直後は、それまで大口顧客だったタイや台湾といったアジアのバイヤーが減ったのに対し、日本は大手百貨店を中心に多くの来場があった。日本の「トラノイ」に対する強い関心と、アジアのバイヤーに再度アプローチする必要性を踏まえて、「トラノイ」を初めて東京で開催することにした。

WWD:開催時期を「楽天 ファッション ウィーク東京」に合わせたのはなぜ?

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」の目的は、トラノイを日本に紹介し、東京をアジアのファッション・ハブとして復活させること。そのため日本のファッション・ウイークを巻き込むことが重要だった。パリ開催の「トラノイ」はパリ・ファッション・ウイークと独占的に提携している唯一のファッション合同展であるため、東京でも同様に連携している。2回目、3回目の「トラノイ・トーキョー」も、「RFWT」のある3月と9月に開催予定だ。

WWD:「トラノイ・トーキョー」を成功させるための戦略は。

プロヴォストCEO:鍵を握るのは、いかに日本やアジアのファッション業界と深く関わり、巻き込んでいけるかだ。東京のファッションシーンに連帯意識を育み、業界全体を結束させたい。実は、「RFWT」が関連イベントも含めて、2カ月ほどにわたってさまざまな場所で開かれることに驚いた。パリやニューヨークのファッション・ウイークは、1週間で集中的に開催されるのに。東京にはショー会場が少ないため、短期間に凝縮するのが難しいのは理解できるが、問題の根幹はもっと深いところにある。例えば東京の関係者は、アジアのバイヤーから「RFWT」を訪れるのに最適な時期を尋ねられても、「いつ来るべきかは悩ましい」と答えることが多い。自主展示会を開催するブランドの多くも、戦略的な計画ではなく、漠然としたトレンドに基づいて日程を選んでいるようだ。

こうした課題を克服するには、ブランド、バイヤー、イベント主催者、業界リーダーなど、すべてのステークホルダーが開かれたコミュニケーションをとり、連携することが不可欠だ。協力し合うことで、誰にとってもメリットがあるファッション・カレンダーを作れる。これは、「トラノイ・トーキョー」の知名度と名声を高めるだけでなく、東京が“ファッションの都”として成長する上でも重要だ。

東京ならではの試みも
あらゆるブランドに挑戦の場を

WWD:東京独自の試みがあれば教えてほしい。

プロヴォストCEO:「トラノイ」は開催前の企画段階で、様々なシーンを想定したブランドを集めるためにムードボードを作る。東京用のムードボードは、日本市場に密着しており、ウィメンズだけでなくメンズやライフスタイルブランドを扱う。今シーズンのムードボードは “90年代のミニマリズム”や“自分へのご褒美”など8つのテーマで構成した。“90年代のミニマリズム”ではクリーンなライン、控えめな色使い、ミニマルなエレガンスなどを特徴とするブランドが登場するし、“自分へのご褒美”では主にジュエリーブランドが並ぶ。

日本の消費者はデザインよりも素材や機能性を優先し、鮮やかな色よりもモノトーンやスポーティーなスタイルを好むので、その嗜好性に合わせてブランドのラインアップを調整した。パリの「トラノイ」にはペット用の商品の展示がない一方で、東京にはある。高級ブランドのデッドストックの生地を使ってドッグウエアを作るパリ発のブランドや、犬の首輪やリード、ソファをアウトドア商品としてアプローチ挑戦する東京発のブランドなど。日本ではファッショナブルな犬用のグッズに需要があるため驚いた。

WWD:「トラノイ・トーキョー」は、日本のブランドと海外ブランドの出展比率が 5:5だ。どちらかに偏ることなくブランドをそろえた狙いは。

プロヴォストCEO:日本だけでなく、他のアジア地域のバイヤーも対象にしているからだ。今回はプロモーションの一環として、韓国、タイ、台湾、中国からゲストバイヤーを招いている。出展比率を同等にすることで、あらゆる来場者に対してバランスの取れたアピールが可能になるし、ローカルブランドとインターナショナルブランドの双方が存在感を強められる。

WWD:日本では消滅した合同展も多い上に、一般的に合同店は出展ブランド数やバイヤーなどの来場者数も減少している。そのような中で「トラノイ・トーキョー」は、なぜ150もののブランド数を集められたのか。

プロヴォストCEO:合同展示会は、PR、マーケティング、セールスなどを含めて、特定の企業が単独で運営しているケースが多い。単一のチームで全てを済ませてしまうと、時としてアイデアの多様性がなくなり、退屈になってしまうことがある。それが日本の合同展が集約した原因の一つだろう。「トラノイ・トーキョー」は、全く反対のアプローチをとる。東京のチームには「トラノイ」の社員が数人しかおらず、専門外のことはプロに任せている。社内チームはオーガナイザーの役目に専念し、出展者により良いサービスを提供するために何をすべきか考える。社外チームは新たな視点を持ち寄って、展示会に新鮮味を加える。

WWD:出展ブランドの中には、まだ名前が広く知られていないものもかなり多い。

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」は、有名・新興を問わない、すべての参加ブランドにとって挑戦の場だ。われわれは日本のみならず、より広いアジアのバイヤーとつながり、アジア市場でのリーチを広げるためのプラットフォームを提供している。

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欧州の合同展「トラノイ」 「東京を再びアジアのファッション・ハブに」と意気込む

欧州の歴史ある合同展示会「トラノイ(TRANOI)」が日本に初上陸した。日本ファッション・ウィーク推進機構(以下、JFWO)のパートナーシップのもと、「楽天 ファッション ウィーク東京(Rakuten Fashion Week TOKYO以下、RFWT)」期間中の9月4・5日に、東京・渋谷で「トラノイ・トーキョー」を開催している。日本では合同展が減少する中、なぜこのタイミングで東京を舞台に選んだのか。「トラノイ」のボリス・プロヴォスト(Boris Provost)最高経営責任者(CEO)に聞いた。

WWD:「トラノイ」について、改めて教えてほしい。

ボリス・プロヴォスト「トラノイ」CEO(以下、プロヴォストCEO):「トラノイ」は1998年の開始以来、あらゆるブランドが世界のバイヤーやプレス、インフルエンサーにコレクションを発表する場を、パリを拠点に提供してきた。ファッションの創造性や品質、革新性を重視する合同展であることから、業界における重要なイベントと認知されている。

「トラノイ」の強みはキュレーションとサービスだ。バイヤーらに“本物”を見せ、「トラノイ」が考えるファッションのビジョンを発信するために、品質と独自性の観点から選び抜いたコレクションを展示している。また、出展ブランドが販売のイロハや国際市場の特性を学ぶ機会を設けたり、コレクションの見せ方を助言したりもするほか、バイヤーの来場もサポートしている。事前にミーティングを実施して、彼らのニーズに合ったブランドを提案することもある。

WWD:今回、東京で「トラノイ」を初開催することになった経緯は。

プロヴォストCEO:パリ開催の「トラノイ 」では、日本からの来場者数がフランス、イタリアに次いで3番目に多い。コロナ明け直後は、それまで大口顧客だったタイや台湾といったアジアのバイヤーが減ったのに対し、日本は大手百貨店を中心に多くの来場があった。日本の「トラノイ」に対する強い関心と、アジアのバイヤーに再度アプローチする必要性を踏まえて、「トラノイ」を初めて東京で開催することにした。

WWD:開催時期を「楽天 ファッション ウィーク東京」に合わせたのはなぜ?

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」の目的は、トラノイを日本に紹介し、東京をアジアのファッション・ハブとして復活させること。そのため日本のファッション・ウイークを巻き込むことが重要だった。パリ開催の「トラノイ」はパリ・ファッション・ウイークと独占的に提携している唯一のファッション合同展であるため、東京でも同様に連携している。2回目、3回目の「トラノイ・トーキョー」も、「RFWT」のある3月と9月に開催予定だ。

WWD:「トラノイ・トーキョー」を成功させるための戦略は。

プロヴォストCEO:鍵を握るのは、いかに日本やアジアのファッション業界と深く関わり、巻き込んでいけるかだ。東京のファッションシーンに連帯意識を育み、業界全体を結束させたい。実は、「RFWT」が関連イベントも含めて、2カ月ほどにわたってさまざまな場所で開かれることに驚いた。パリやニューヨークのファッション・ウイークは、1週間で集中的に開催されるのに。東京にはショー会場が少ないため、短期間に凝縮するのが難しいのは理解できるが、問題の根幹はもっと深いところにある。例えば東京の関係者は、アジアのバイヤーから「RFWT」を訪れるのに最適な時期を尋ねられても、「いつ来るべきかは悩ましい」と答えることが多い。自主展示会を開催するブランドの多くも、戦略的な計画ではなく、漠然としたトレンドに基づいて日程を選んでいるようだ。

こうした課題を克服するには、ブランド、バイヤー、イベント主催者、業界リーダーなど、すべてのステークホルダーが開かれたコミュニケーションをとり、連携することが不可欠だ。協力し合うことで、誰にとってもメリットがあるファッション・カレンダーを作れる。これは、「トラノイ・トーキョー」の知名度と名声を高めるだけでなく、東京が“ファッションの都”として成長する上でも重要だ。

東京ならではの試みも
あらゆるブランドに挑戦の場を

WWD:東京独自の試みがあれば教えてほしい。

プロヴォストCEO:「トラノイ」は開催前の企画段階で、様々なシーンを想定したブランドを集めるためにムードボードを作る。東京用のムードボードは、日本市場に密着しており、ウィメンズだけでなくメンズやライフスタイルブランドを扱う。今シーズンのムードボードは “90年代のミニマリズム”や“自分へのご褒美”など8つのテーマで構成した。“90年代のミニマリズム”ではクリーンなライン、控えめな色使い、ミニマルなエレガンスなどを特徴とするブランドが登場するし、“自分へのご褒美”では主にジュエリーブランドが並ぶ。

日本の消費者はデザインよりも素材や機能性を優先し、鮮やかな色よりもモノトーンやスポーティーなスタイルを好むので、その嗜好性に合わせてブランドのラインアップを調整した。パリの「トラノイ」にはペット用の商品の展示がない一方で、東京にはある。高級ブランドのデッドストックの生地を使ってドッグウエアを作るパリ発のブランドや、犬の首輪やリード、ソファをアウトドア商品としてアプローチ挑戦する東京発のブランドなど。日本ではファッショナブルな犬用のグッズに需要があるため驚いた。

WWD:「トラノイ・トーキョー」は、日本のブランドと海外ブランドの出展比率が 5:5だ。どちらかに偏ることなくブランドをそろえた狙いは。

プロヴォストCEO:日本だけでなく、他のアジア地域のバイヤーも対象にしているからだ。今回はプロモーションの一環として、韓国、タイ、台湾、中国からゲストバイヤーを招いている。出展比率を同等にすることで、あらゆる来場者に対してバランスの取れたアピールが可能になるし、ローカルブランドとインターナショナルブランドの双方が存在感を強められる。

WWD:日本では消滅した合同展も多い上に、一般的に合同店は出展ブランド数やバイヤーなどの来場者数も減少している。そのような中で「トラノイ・トーキョー」は、なぜ150もののブランド数を集められたのか。

プロヴォストCEO:合同展示会は、PR、マーケティング、セールスなどを含めて、特定の企業が単独で運営しているケースが多い。単一のチームで全てを済ませてしまうと、時としてアイデアの多様性がなくなり、退屈になってしまうことがある。それが日本の合同展が集約した原因の一つだろう。「トラノイ・トーキョー」は、全く反対のアプローチをとる。東京のチームには「トラノイ」の社員が数人しかおらず、専門外のことはプロに任せている。社内チームはオーガナイザーの役目に専念し、出展者により良いサービスを提供するために何をすべきか考える。社外チームは新たな視点を持ち寄って、展示会に新鮮味を加える。

WWD:出展ブランドの中には、まだ名前が広く知られていないものもかなり多い。

プロヴォストCEO:「トラノイ・トーキョー」は、有名・新興を問わない、すべての参加ブランドにとって挑戦の場だ。われわれは日本のみならず、より広いアジアのバイヤーとつながり、アジア市場でのリーチを広げるためのプラットフォームを提供している。

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ロロ・ピアーナ100周年 CEOが語るビジョンと広がる世界観

ロロ・ピアーナ,ロロ・ピアーナ銀座店,ダミアン・ベルトラン, Loro Piana

ロロ・ピアーナは、イタリア・ヴァルセージアで1924年に創業し、今年で100周年を迎えた。現在は最高品質のカシミヤやビキューナなどを世界中に提供し、1980年代にラグジュアリーグッズ部門を立ち上げ、自社工場で繊維の生産から製品化までを一貫して行う。100年をかけて、上質な生地のようにしなやかに進化してきたロロ・ピアーナの強みとは。改装した銀座店やトップへのインタビュー、商品の魅力から解き明かす。

生まれ変わった銀座店で
世界観を堪能

東京・銀座の銀座中央通りに構える旗艦店が、1年以上を要した改装を終えてリニューアルオープンした。生まれ変わった銀座店には、ロロ・ピアーナらしい“おもてなし”を随所に込めている。1階は売り場面積を大幅に拡張し、エントランスの先では広々した温かみのある空間がゲストを迎える。新設したバッグカウンターには、注力しているレザーバッグやグッズが並んでいる。

空間と商品をさらに魅力的に見せるため、光にもこだわった。2階のウィメンズフロアは改装により自然光が差し込み、開放的なムードを演出する。全フロアの天井ライトは自然光をイメージして明るさを一つ一つ微調整し、ゲストがリラックスできる空間を提供する。

店内に設置する「ロロ・ピアーナ・インテリア」の家具も、ラウンジのイメージで刷新した。インテリアや階段をゆるやかな曲線が縁取り、しなやかに世界観を拡張するロロ・ピアーナらしい空間だ。

CEOが語るロロ・ピアーナの100年

ロロ・ピアーナは、創業者ピエトロ・ロロ・ピアーナが100年前の設立時に抱いた情熱を、現在もさまざまな事業やクラフツマンシップを通じて継承している。メゾンの好調なビジネスを率いるのが、ダミアン・ベルトランCEOだ。同氏は2021年に現職に就くと、主要3事業であるテキスタイルとラグジュアリーグッズ、インテリア部門においてさまざまな改革に挑んでいる。国際経験豊かなCEOが描く成長戦略とは。

WWD:創業100周年を迎えたロロ・ピアーナとは、改めてどういうメゾンなのか。

ダミアン・ベルトラン=ロロ・ピアーナCEO(以下、ベルトラン):ロロ・ピアーナは、究極のラグジュアリーを体現するメゾンだ。私たちの製品は、テキスタイルの豊かな歴史があるからこそ、今でも触れると瞬時にそれと分かる。真のラグジュアリーとは、卓越性を追求し、最高の素材を追求し、最高品質のコレクションを創り出すために、必要な時間をかけること。ロロ・ピアーナは、究極的なタイムレスなエレガンスと世界で最も洗練された最高の素材を、現代的なシルエットで提案している。

WWD:2021 年に現職就任後、最大のミッションは?

ベルトラン:私は着任時、メゾンの真髄を理解し、その魅力溢れるヘリテージや歴史を発見しようと決めた。そして、よりモダンでスタイリッシュ、現代的でありながらタイムレスで、ロロ・ピアーナのスタイルだと人々が認識できるようなロロ・ピアーナの新しいシルエットをチームと共に作り出すことに着手した。同時に、ウィメンズとメンズのコレクションを、同じインスピレーションで一つにまとめた。今ではメンズ、ウィメンズのシルエットは呼応している。

WWD:現在好調なカテゴリーは?

ベルトラン:レザーグッズはシーズンごとに成長している。例えば、“ベイル・バッグ”や“エクストラ・バッグ”などのバッグは、現在最も求められている製品の一つである。また、コスチューム・ジュエリーのような新しい製品カテゴリーも発表したばかりだ。このブレスレットとネックレスのコレクションは、メゾンの職人技と革新という貴重なヘリテージを称えている。

メゾンを支えるクラフツマンシップ

WWD:キャッシュデニム®️は、イタリアと日本の職人技術をもって完成した製品だ。実現までの背景は?

ベルトラン:キャッシュデニム®️は、伊ピエモンテのロロ・ピアーナの職人と、日本の備後地方にあるデニムのスペシャリストたちとの稀有な知識交換の中で生まれた。このプロジェクトは、世界でも偉大な 2 つのテキスタイルの伝統における、職人によるテキスタイル生産へのお互いへの敬意のもとで実現した。一方は、備後地方の職人による歴史ある日本のノウハウで、その独自のセルヴェッジデニムは、特殊なシャトル織機を使いこなすことで生まれている。もう一方は、卓越性を追求してあらゆる革新の限界に挑戦するロロ・ピアーナの文化と、貴重な繊維の扱いに長けたロロ・ピアーナの技術である。

WWD:イメージの刷新にも注力している印象だ。

ベルトラン:広告キャンペーンは、より気品と洗練に溢れ、新たな光と共に私たちのシルエットを新しい形で表現している。さらに、店舗には新しいコンセプトを導入した。セルジオ・ロロ・ピアーナのビジョンから発展した新しいコンセプトは、天然素材や温かみのあるカラーパレット、私たちのシグネチャーであるオーク材を用いたカラボッティーノのディテールなど、原点ともいえるコアの要素とフィーリングを守りながら、現代的なタッチを加えている。

WWD:ロロ・ピアーナ銀座店リニューアルの意図は?

ベルトラン:ロロ・ピアーナ銀座店はロロ・ピアーナの世界的な店舗網の中で重要な役割を果たしている。私たちは新しいストアコンセプトを昨年導入し、銀座店にも適用することが重要だと考えた。銀座店の新しいコンセプトとインテリアデザインでは、コアとなる要素を守りながら、ロロ・ピアーナのアイコニックなスタイルを紹介し、店内のあらゆる要素でメゾンらしさを純粋に表現している。バッグのディスプレーのために、日本にインスピレーションを得た装飾を施した特注のコンソールを設置した。今後も銀座店のように、新しいストアコンセプトを適用し既存の店舗を改装する予定だ。

WWD:次の 100 年に向けて、どう進化していきたいか。

ベルトラン:メゾンはここ数年で大きく変わったが、私たちは常に卓越性、品質へのこだわり、伝統、革新、ヘリテージ、そしてファミリーへと立ち戻ることを大切にしてきた。世界が急速に変化している今日、ヘリテージを尊重することはとても大切だ。私たちは、ノウハウとさまざまなステークホルダーとの信頼関係を大切にしながら、責任ある方法で卓越性を追求し続けたい。

到達したデニムの新境地

ロロ・ピアーナのクラフツマンシップをデニムで表現したカプセルコレクション“ロロ・デニム”が、2024-25年秋冬シーズンにデビューした。同コレクションでは、タイムレスなジーンズやジャケットを、革新的なデニム素材や職人技でエレガントに仕立て、デニムの新たな可能性を開く。アイテムは、取り外し可能なカシミヤのジレ付きのジャケットやキャッシュデニム®︎のジーンズ、クリーンなムードでセットアップ着用もできるトップスやパンツ、汎用性の高いバッグやシューズなど63型をそろえる。

アイテムに用いたデニムもさまざまだ。キャッシュデニム®︎は、コットン60%とカシミヤ40%の交織素材で、伊ピエモンテ州のロロ・ピアーナの職人と備後地方のデニム生産者との協業で誕生した。ほかにもソリッドブルーの染料を使った“キャッシュデニム®︎・リアクティブ”やデニムフラワー、デニムシャンブレー、シーアイランドデニムなど、表情豊かなデニムがライアンアップする。

伊勢丹新宿本店の本館1階ザ・ステージでは、“ロロ・デニム”のデビューに合わせたポップアップストアを9月11〜17日に開催する。

問い合わせ先
ロロ・ピアーナ ジャパン
03-5579-5182

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ロロ・ピアーナ100周年 CEOが語るビジョンと広がる世界観

ロロ・ピアーナ,ロロ・ピアーナ銀座店,ダミアン・ベルトラン, Loro Piana

ロロ・ピアーナは、イタリア・ヴァルセージアで1924年に創業し、今年で100周年を迎えた。現在は最高品質のカシミヤやビキューナなどを世界中に提供し、1980年代にラグジュアリーグッズ部門を立ち上げ、自社工場で繊維の生産から製品化までを一貫して行う。100年をかけて、上質な生地のようにしなやかに進化してきたロロ・ピアーナの強みとは。改装した銀座店やトップへのインタビュー、商品の魅力から解き明かす。

生まれ変わった銀座店で
世界観を堪能

東京・銀座の銀座中央通りに構える旗艦店が、1年以上を要した改装を終えてリニューアルオープンした。生まれ変わった銀座店には、ロロ・ピアーナらしい“おもてなし”を随所に込めている。1階は売り場面積を大幅に拡張し、エントランスの先では広々した温かみのある空間がゲストを迎える。新設したバッグカウンターには、注力しているレザーバッグやグッズが並んでいる。

空間と商品をさらに魅力的に見せるため、光にもこだわった。2階のウィメンズフロアは改装により自然光が差し込み、開放的なムードを演出する。全フロアの天井ライトは自然光をイメージして明るさを一つ一つ微調整し、ゲストがリラックスできる空間を提供する。

店内に設置する「ロロ・ピアーナ・インテリア」の家具も、ラウンジのイメージで刷新した。インテリアや階段をゆるやかな曲線が縁取り、しなやかに世界観を拡張するロロ・ピアーナらしい空間だ。

CEOが語るロロ・ピアーナの100年

ロロ・ピアーナは、創業者ピエトロ・ロロ・ピアーナが100年前の設立時に抱いた情熱を、現在もさまざまな事業やクラフツマンシップを通じて継承している。メゾンの好調なビジネスを率いるのが、ダミアン・ベルトランCEOだ。同氏は2021年に現職に就くと、主要3事業であるテキスタイルとラグジュアリーグッズ、インテリア部門においてさまざまな改革に挑んでいる。国際経験豊かなCEOが描く成長戦略とは。

WWD:創業100周年を迎えたロロ・ピアーナとは、改めてどういうメゾンなのか。

ダミアン・ベルトラン=ロロ・ピアーナCEO(以下、ベルトラン):ロロ・ピアーナは、究極のラグジュアリーを体現するメゾンだ。私たちの製品は、テキスタイルの豊かな歴史があるからこそ、今でも触れると瞬時にそれと分かる。真のラグジュアリーとは、卓越性を追求し、最高の素材を追求し、最高品質のコレクションを創り出すために、必要な時間をかけること。ロロ・ピアーナは、究極的なタイムレスなエレガンスと世界で最も洗練された最高の素材を、現代的なシルエットで提案している。

WWD:2021 年に現職就任後、最大のミッションは?

ベルトラン:私は着任時、メゾンの真髄を理解し、その魅力溢れるヘリテージや歴史を発見しようと決めた。そして、よりモダンでスタイリッシュ、現代的でありながらタイムレスで、ロロ・ピアーナのスタイルだと人々が認識できるようなロロ・ピアーナの新しいシルエットをチームと共に作り出すことに着手した。同時に、ウィメンズとメンズのコレクションを、同じインスピレーションで一つにまとめた。今ではメンズ、ウィメンズのシルエットは呼応している。

WWD:現在好調なカテゴリーは?

ベルトラン:レザーグッズはシーズンごとに成長している。例えば、“ベイル・バッグ”や“エクストラ・バッグ”などのバッグは、現在最も求められている製品の一つである。また、コスチューム・ジュエリーのような新しい製品カテゴリーも発表したばかりだ。このブレスレットとネックレスのコレクションは、メゾンの職人技と革新という貴重なヘリテージを称えている。

メゾンを支えるクラフツマンシップ

WWD:キャッシュデニム®️は、イタリアと日本の職人技術をもって完成した製品だ。実現までの背景は?

ベルトラン:キャッシュデニム®️は、伊ピエモンテのロロ・ピアーナの職人と、日本の備後地方にあるデニムのスペシャリストたちとの稀有な知識交換の中で生まれた。このプロジェクトは、世界でも偉大な 2 つのテキスタイルの伝統における、職人によるテキスタイル生産へのお互いへの敬意のもとで実現した。一方は、備後地方の職人による歴史ある日本のノウハウで、その独自のセルヴェッジデニムは、特殊なシャトル織機を使いこなすことで生まれている。もう一方は、卓越性を追求してあらゆる革新の限界に挑戦するロロ・ピアーナの文化と、貴重な繊維の扱いに長けたロロ・ピアーナの技術である。

WWD:イメージの刷新にも注力している印象だ。

ベルトラン:広告キャンペーンは、より気品と洗練に溢れ、新たな光と共に私たちのシルエットを新しい形で表現している。さらに、店舗には新しいコンセプトを導入した。セルジオ・ロロ・ピアーナのビジョンから発展した新しいコンセプトは、天然素材や温かみのあるカラーパレット、私たちのシグネチャーであるオーク材を用いたカラボッティーノのディテールなど、原点ともいえるコアの要素とフィーリングを守りながら、現代的なタッチを加えている。

WWD:ロロ・ピアーナ銀座店リニューアルの意図は?

ベルトラン:ロロ・ピアーナ銀座店はロロ・ピアーナの世界的な店舗網の中で重要な役割を果たしている。私たちは新しいストアコンセプトを昨年導入し、銀座店にも適用することが重要だと考えた。銀座店の新しいコンセプトとインテリアデザインでは、コアとなる要素を守りながら、ロロ・ピアーナのアイコニックなスタイルを紹介し、店内のあらゆる要素でメゾンらしさを純粋に表現している。バッグのディスプレーのために、日本にインスピレーションを得た装飾を施した特注のコンソールを設置した。今後も銀座店のように、新しいストアコンセプトを適用し既存の店舗を改装する予定だ。

WWD:次の 100 年に向けて、どう進化していきたいか。

ベルトラン:メゾンはここ数年で大きく変わったが、私たちは常に卓越性、品質へのこだわり、伝統、革新、ヘリテージ、そしてファミリーへと立ち戻ることを大切にしてきた。世界が急速に変化している今日、ヘリテージを尊重することはとても大切だ。私たちは、ノウハウとさまざまなステークホルダーとの信頼関係を大切にしながら、責任ある方法で卓越性を追求し続けたい。

到達したデニムの新境地

ロロ・ピアーナのクラフツマンシップをデニムで表現したカプセルコレクション“ロロ・デニム”が、2024-25年秋冬シーズンにデビューした。同コレクションでは、タイムレスなジーンズやジャケットを、革新的なデニム素材や職人技でエレガントに仕立て、デニムの新たな可能性を開く。アイテムは、取り外し可能なカシミヤのジレ付きのジャケットやキャッシュデニム®︎のジーンズ、クリーンなムードでセットアップ着用もできるトップスやパンツ、汎用性の高いバッグやシューズなど63型をそろえる。

アイテムに用いたデニムもさまざまだ。キャッシュデニム®︎は、コットン60%とカシミヤ40%の交織素材で、伊ピエモンテ州のロロ・ピアーナの職人と備後地方のデニム生産者との協業で誕生した。ほかにもソリッドブルーの染料を使った“キャッシュデニム®︎・リアクティブ”やデニムフラワー、デニムシャンブレー、シーアイランドデニムなど、表情豊かなデニムがライアンアップする。

伊勢丹新宿本店の本館1階ザ・ステージでは、“ロロ・デニム”のデビューに合わせたポップアップストアを9月11〜17日に開催する。

問い合わせ先
ロロ・ピアーナ ジャパン
03-5579-5182

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森永邦彦が語る「アンリアレイジ」とは切っても切り離せない“藤子・F・不二雄” “ドラえもん”という存在

森永邦彦デザイナーの「アンリアレイジ(ANREALAGE)」は、“22世紀の「すこし・ふしぎ」な日常服”をテーマにした特別なコレクションのポップアップストアを9月4〜10日、高島屋新宿店と大阪店で実施する。コレクションの一部は日本橋店、横浜店、京都店、玉川高島屋S・Cでも販売する。

森永デザイナーが多大な影響を受けた“ドラえもん”の生みの親であるまんが家 藤子・F・不二雄氏にオマージュを捧げて制作し、2024-25年秋冬のパリコレクションでは一部をお披露目した。肝入りの作品たちに込めた思いを森永デザイナーに聞いた。

WWD:自身と藤子・F・不二雄氏のつながりについて。

森永邦彦「アンリアレイジ」デザイナー(以下、森永):「アンリアレイジ」を立ち上げた20年前、ちょうど読んでいた藤子・F・不二雄先生の“異色短編集”という作品集に大きな影響を受けた。ありきたりな光景や風景の中に、すこしの非日常が見え隠れするような世界感。日常が壊れてしまうような、ダークな一面もそこにはのぞいた。

読んでいて、雷を打たれたような気分だった。藤子・F・不二雄先生の考えるSFとは「サイエンス・フィクション」ではなく、「すこし・ふしぎ」なもの。つまり、日常の延長にあるほんの少しの非日常が、驚きとワクワクを与えてくれる。その考えは、「アンリアレイジ」の「日常と非日常をつなぐ服」というコンセプトに大きなヒントを与えてくれた。

WWD:今回のコレクション制作の経緯は?

森永:僕から藤子・F・不二雄プロへ持ち掛けた。僕がやりたかったのは、単なる(IPビジネスとしての)キャラクターコラボではなく、藤子・F・不二雄先生の考えを服としてコレクションに落とし込むこと。

WWD:というと?

森永:「ドラえもん」の作品中に、22世紀にタイムマシンで行くエピソードがある。そこでは人間ではない生物が服を着て暮らしている。僕らには、ファッションは「人間の体ありき」だというステレオタイプがある。ただこの話のように100年後、もちろんそこに人間がいるとは思いたいが、たとえばロボットに着せるならどんな服を作るだろう?。そんな想像をしながらコレクションを制作した。

ひみつ道具は空想ではなく
未来を想像する刺激をくれる

WWD:2024年秋冬パリコレではドラえもんカラーのボールシャツが登場した。前ボタンを閉めると名前のように球体にふくらむ。普通のシャツは、人間の体に合わせて構築的で直線的な形をしているが、そんな常識が揺さぶられるようだ。

森永:「ドラえもん」に登場する“ひみつ道具”も、僕らの想像力を刺激してくれる。服の発想に転換すれば、いくらでもユニークな作品が作れるんじゃないかと思えてくる。たとえばこのTシャツ(1万9800円)は、“影”をその場に留めておけるひみつ道具「影ぶんちん」を再現したもの。僕らが開発した、紫外線に当たると色が変わる「フォトクロミック」という素材を使っている。太陽光に当てると“ドラえもん”と“のび太”の影がだんだん濃く伸びていき、室内に入ると5分もすれば消えていく。

また、反射した光が光源にまっすぐ返る特性のある「再帰性反射素材」を採用したシャツ(3万5200円)は、スマホなどのライトを当てるとドラえもんカラーの水玉と鈴が浮かび上がる。(ひみつ道具の)“きせかえカメラ”のような面白さを味わってもらいたい。

個人的にお気に入りなのは、“スモールライト”の発想に生かしたTシャツ(1万9800円)。シャツの胸部分に一回り小さなシャツをワッペンのように付けてみた。この服を作りながら、「スモールライトで今まで自分が作った服を小さくして、つなぎ合わせてパッチワークにしたら、また新しい服ができるんじゃないか」と想像した。そうやって服作りをすれば、無駄も出ずに持続可能な産業になるんじゃないか、とか……。

WWD:ひみつ道具は“空想”ではなく、ワクワクするような未来を想像するタネになる。

森永:そう思う。最後に、「ドラえもん」にまつわる話をもう一つ(笑)。「ドラえもんがなぜ青いのか」というと、諸説はあるものの、ネズミに耳をかじられてショックで青ざめたから、と言う説が有力だ。今回のコレクションで企画したファーコート(30万8000万)は、前述の「フォトクロミック」という素材を使っていて、室内だと黄色だが屋外では真っ青に変わる。

デジタルやアニメーションで色がパッと変わるのは当たり前。だが、実際に自分が着ているものの色や柄が変わったらどうだろう?そんな少しの非日常が与えてくれる気持ちの高鳴りやワクワクは、日常が戻ってきた今だからこそ必要だ。コロナ禍が明けて、未来を前向きに考えられるようになった。そんなタイミングでこのコレクションを世に送り出せることをうれしく思う。

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マッシュがサロン向け卸に本腰 ヘアケアの黒船「インナーセンス」引っ提げ

マッシュホールディングス(HD)が米国発ヘアケアブランド「インナーセンス(INNERSENSE)」を導入する。すでに欧米では約4600のヘアサロンやセレクトショップ、高級オーガニックスーパーなどで取り扱いがあり、人気を確立している。日本では自社のセレクトショップ「コスメキッチン(COSME KITCHEN)」で取り扱うほか、マッシュHDとして本格的にサロン向け卸事業に進出。子会社インナーセンスアジアを立ち上げ、日本をベースとしたアジア展開を構想する。発売は11月11日。ニュウマン新宿店でのみ、同店のリニューアルに合わせて9月12日から先行販売する。

ラインアップはインバス、アウトバス合わせて13種。シグニチャーアイテムの“ハイドレイティングクリームヘアバス”(295mL、4180円)はシアバター、タマヌオイル、アボカドオイルといった天然のエモリエント成分が頭皮と髪をいたわりつつ、健やかに洗い上げるシャンプー。クリームタイプの洗い流さないトリートメント“スイートスピリットリープインコンディショナー”(同)はアロエベラやローズマリーオイルなど植物由来の成分やハチミツを配合し、しっとり艶やかに仕上がる。

「インナーセンス」との取引は、「地球環境に対する真摯な姿勢と圧倒的なサロンクオリティーの両立」(インナーセンスアジアの中谷昌弘社長)が決めてだった。「インナーセンス」は厳格な審査であるBコープをはじめ、カーボンニュートラルや動物実験フリーなど自然保護にまつわるさまざまな活動認証を取得している。

中谷氏曰く、「オーガニックビューティーやクリーンビューティーを謳う商品は、仕上がりがどうしても犠牲になってしまうものも多い」。だが「インナーセンス」は、シャンプー類においては水分の組成を45%以下(一般的には70%程度が水分といわれる)に抑えて美容成分を凝縮する「高濃度処方」を採用、皮膚刺激や髪ダメージの原因成分などを排除する「3000の使用しないリスト」を掲げて妥協のない仕上がりを追求している。創業者である元プロスタイリストのグレッグ・スタークマン、ジョアン・スタークマン夫妻のノウハウと、皮膚科医の知見を融合した成分研究や商品開発のプロセスも強みだ。

今後は東京と大阪にブランドの旗艦店を構えて戦略の拠点とし、機を見てアジア諸国へ進出する。「日本の優れたサロン技術を、ブランドとともに海外に発信していきたい」と中谷氏は展望を話す。

「ブランドを一歩一歩成長させたい」
マッシュは理想のパートナー

3日に発表会が開かれ、インナーセンス創業者のグレッグ・スタークマンとジョアン・スタークマン夫妻が来日。ブランド創業の理念や哲学を語った。

2人の間に生まれた子供が難病であるウイリアムズ症候群を発症したことをきっかけに、夫妻は人や髪、地球の健康を改めて強く考え、クリーンビューティブランドである「インナーセンス」を立ち上げた。「消費者の目線は、僕らがブランドを立ち上げた当時よりも厳しくなっていて、成分ひとつひとつについて吟味される。だから僕らも常にストイックでなくてはならない。『インナーセンス』は、(欧米では)すでにクリーンビューティのパイオニアとして捉えられていて、僕らはそこにプライドを持ってビジネスをしている」と2人。

マッシュとの協業については、「僕たちは急速なビジネスの成長を求めているわけではなく、創業当初のフィロソフィーと規律を守りながら一歩一歩成長していきたいと考えている。そういったスタンスに共感してくれたマッシュグループとのパートナーシップは、非常にいいものになるだろう」と期待を述べた。「それに日本のプロのスタイリストは非常に優秀で、その技術力はアメリカよりも先に行っているようにすら思える。私たちも学べる点は多くあるはずだ」。

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マッシュがサロン向け卸に本腰 ヘアケアの黒船「インナーセンス」引っ提げ

マッシュホールディングス(HD)が米国発ヘアケアブランド「インナーセンス(INNERSENSE)」を導入する。すでに欧米では約4600のヘアサロンやセレクトショップ、高級オーガニックスーパーなどで取り扱いがあり、人気を確立している。日本では自社のセレクトショップ「コスメキッチン(COSME KITCHEN)」で取り扱うほか、マッシュHDとして本格的にサロン向け卸事業に進出。子会社インナーセンスアジアを立ち上げ、日本をベースとしたアジア展開を構想する。発売は11月11日。ニュウマン新宿店でのみ、同店のリニューアルに合わせて9月12日から先行販売する。

ラインアップはインバス、アウトバス合わせて13種。シグニチャーアイテムの“ハイドレイティングクリームヘアバス”(295mL、4180円)はシアバター、タマヌオイル、アボカドオイルといった天然のエモリエント成分が頭皮と髪をいたわりつつ、健やかに洗い上げるシャンプー。クリームタイプの洗い流さないトリートメント“スイートスピリットリープインコンディショナー”(同)はアロエベラやローズマリーオイルなど植物由来の成分やハチミツを配合し、しっとり艶やかに仕上がる。

「インナーセンス」との取引は、「地球環境に対する真摯な姿勢と圧倒的なサロンクオリティーの両立」(インナーセンスアジアの中谷昌弘社長)が決めてだった。「インナーセンス」は厳格な審査であるBコープをはじめ、カーボンニュートラルや動物実験フリーなど自然保護にまつわるさまざまな活動認証を取得している。

中谷氏曰く、「オーガニックビューティーやクリーンビューティーを謳う商品は、仕上がりがどうしても犠牲になってしまうものも多い」。だが「インナーセンス」は、シャンプー類においては水分の組成を45%以下(一般的には70%程度が水分といわれる)に抑えて美容成分を凝縮する「高濃度処方」を採用、皮膚刺激や髪ダメージの原因成分などを排除する「3000の使用しないリスト」を掲げて妥協のない仕上がりを追求している。創業者である元プロスタイリストのグレッグ・スタークマン、ジョアン・スタークマン夫妻のノウハウと、皮膚科医の知見を融合した成分研究や商品開発のプロセスも強みだ。

今後は東京と大阪にブランドの旗艦店を構えて戦略の拠点とし、機を見てアジア諸国へ進出する。「日本の優れたサロン技術を、ブランドとともに海外に発信していきたい」と中谷氏は展望を話す。

「ブランドを一歩一歩成長させたい」
マッシュは理想のパートナー

3日に発表会が開かれ、インナーセンス創業者のグレッグ・スタークマンとジョアン・スタークマン夫妻が来日。ブランド創業の理念や哲学を語った。

2人の間に生まれた子供が難病であるウイリアムズ症候群を発症したことをきっかけに、夫妻は人や髪、地球の健康を改めて強く考え、クリーンビューティブランドである「インナーセンス」を立ち上げた。「消費者の目線は、僕らがブランドを立ち上げた当時よりも厳しくなっていて、成分ひとつひとつについて吟味される。だから僕らも常にストイックでなくてはならない。『インナーセンス』は、(欧米では)すでにクリーンビューティのパイオニアとして捉えられていて、僕らはそこにプライドを持ってビジネスをしている」と2人。

マッシュとの協業については、「僕たちは急速なビジネスの成長を求めているわけではなく、創業当初のフィロソフィーと規律を守りながら一歩一歩成長していきたいと考えている。そういったスタンスに共感してくれたマッシュグループとのパートナーシップは、非常にいいものになるだろう」と期待を述べた。「それに日本のプロのスタイリストは非常に優秀で、その技術力はアメリカよりも先に行っているようにすら思える。私たちも学べる点は多くあるはずだ」。

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自由な精神を感じさせるストーリー作り「梨泰院クラス」原作者チョ・グァンジン

PROFILE: チョ・グァンジン/脚本家

チョ・グァンジン/脚本家
PROFILE: 大人気ドラマシリーズ「梨泰院クラス」原作者。22年に日本でも「六本木クラス」というタイトルでドラマがリメイクされている。「梨泰院クラス」の原作であるウェブ漫画も大ヒットしカカオページの「スーパーウェブトゥーンプロジェクト」の第1弾として発表され、連載当時(17~18年)に有料売上1位、総閲覧数2億2千万ビュー、平均評価は10点満点中9.7点を記録した PHOTO:KIM JINSU

第5次と呼ばれる韓流ブームが到来している。もはや一過性のブームではなくスタンダードであり、日本のZ世代の「韓国化」現象にもつながっているのは明白だ。その韓流人気をけん引してきた1つが韓国ドラマ。本企画では有名韓国ドラマの脚本家にスポットを当て、物語の背景やキャラクターからファッションに至るまでの知られざる話を紹介する。

まずは「梨泰院クラス」の原作者でドラマ化にあたり脚本も手掛け、ウェブトゥーンアーティストとしても進化を続けるチョ・グァンジンにインタビューを敢行。韓国と日本のドラマそれぞれの特異性から、新しい感覚と「自由」を追求する脚本作りへの思いまでを尋ねた。

――日本のドラマが好きだと伺いました。韓国と日本のドラマのそれぞれの魅力についてはどのように考えていますか?

チョ・グァンジン(以下、グァンジン):まず、感性の違いがあります。日本人は感情表現が豊かというイメージがあり、韓国人はもっと冷めた印象があります。言語や文化の違いもあると思いますが、以前の日本のドラマは韓国のものよりも話の展開が早かったですね。「リーガルハイ」や「半沢直樹」「天国と地獄 〜サイコな2人〜」から、漫画原作の「凪のお暇」などの漫画や小説が原作のドラマもたくさん見ました。「リーガルハイ」は韓国でもリメイクされ、演技派の人気俳優が出演したものの、日本版の評判が高く、どちらかというと韓国版は失敗に終わりました。この点においても日本と韓国の感性や文化の違いがあると感じます。

その違いの1つは、キャラクター性。日本にもさまざまなテイストの作品があると思いますが、感情を全面に出す登場人物たちを見て、そういったキャラクターが許容される土壌があるのだと思いました。最近、韓国では“オグルコリンダ(오글거린다)“という言葉が新しい口語として、ネット辞書に加えられるほど頻繁に耳にします。元々は湯がぐらぐらと沸き立つ、小さい虫などが1カ所に集まりうごめくという意味なのですが、今は激しい感情表現や熱く何かを語る人を冷笑する時に使われます。そういった、他者を揶揄する言葉や社会の目線に対する作家たちの思想のようなものが、韓国の脚本には反映されていると感じます。ある意味で洗練と言えますが、冷たい印象を与えることに対して疑問に思うこともあります。一方で日本の作品には、そうした他者の視点やシニシズムによって、気分や感情表現が抑制されないイメージがあります。

ドラマの構成の違いについては、以前の日本のドラマは10話程度で完結する作品が多かったと思いますが、韓国はもう少し長く16話程度ありました。ただ最近は、OTT(動画配信サービス)などの影響で、韓国ドラマも8〜11話とストーリーの数が少ない作品も増えています。

――「梨泰院クラス」のキャッチコピーは“根性と血の気に満ちた若者が、理不尽な世の中で巻き起こすヒップな反乱“。ファッションも大変な話題を集めました。脚本を書く上でファッションはどのように考えていますか?

グァンジン:「洗練されている」「他とは違う個性的な強さ」「若さを感じる」。これらの意味を包括的に兼ね備えているものだと思います。ファッションはキャラクターの性格や志向が現れるものであると同時に、自分のアイデンティティーを表現するものです。「梨泰院クラス」の主人公パク・セロイの場合は、男性的な坊主頭に、韓国の軍隊の人たちが着るようなミリタリーアイテムを着せてマッチョなキャラクターを際立たせました。漫画の原作がある場合は、多くのファンたちに「イメージが違った」という思いを抱かせたくないですから、原作に忠実な衣装選びをすることが多いです。あと、キャラクターを書き分ける意味で、一番目立つ部分であるヘアスタイルやヘアカラーは特に重要視しています。原作がない作品の場合は、自分で衣装を考えることもありますが、ほとんどの場合は衣装チームや俳優たちと話しながら決めています。

――作品を作る上で、韓国の20〜30代前半のMZ世代を意識されますか?

グァンジン:MZ世代には「正直」「若々しい」「自分の意見をしっかりと主張する」というイメージがある一方で、上の世代からは「自己中心的な行動をとる」「社会性に欠ける」というマイナスのイメージを持たれることが根強くあります。ですが、私はMZ世代に対してマイナスのイメージをも持っていないですし、社会性に欠けるような行為も見たことがありません。自分自身は30代後半ですが、若い世代と大きなマインドの違いがあるとは正直思っていませんので、特定の世代を意識した物語を作りたいとは考えませんし、自分が見たいと思う物語を描いています。

――ご自身が見たいと思う物語はどのようなものですか?

グァンジン:自分が見たいものと多くの人たちが見たいものものが合えばヒットもするので1番良いのですが、なかなか難しいですね。私が人間にとって一番大切な価値観は“自由“だと思っていますので、見ている人たちが自由を感じる、あるいはそういった感性に響くような物語を描いているつもりです。その意味で最近、1番楽しかった作品は日本の漫画「進撃の巨人」です。

――自由の定義を教えてください。

グァンジン:人は誰しも社会に属しているため、どうしても他人に気を遣ったり、関係性を意識せずには生きられません。そういった部分を大前提として、他人を傷つけることは避ける。一方で家族や親友、周りの人達に気を配り過ぎてがんじがらめになって生きるのではなくて、本当に自分がやりたいことに集中できる状態こそが自由なのだと思っています。

――最後に現在進行中のプロジェクトについて、教えてください。

グァンジン:1、2年後に公開を予定しているドラマが2つあります。1つは「マエストロ」で、テレビ局のプロデューサーがドラマを作っていくという物語です。もう1つ、アメリカ人の女性作家ジーン・ウェブスターの小説「あしながおじさん」に着想を得た「足長悪魔(キダリ アンマ)」の制作も進んでいます。「あしながおじさん」のおじさん役を悪魔に変えています。闇金で働く主人公の悪魔が、暗躍しながら心が折れてしまった債務者の女性を陰で助けていく物語です。

TRANSLATION:HWANG RIE
COOPERATION:HANKYOREH21,CINE21,CUON

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「ディプティック」の新プレミアムライン 調香師3組に聞く“感知できない香り”の表現

「ディプティック(DIPTYQUE)」から登場したプレミアムライン“レ ゼサンス ドゥ ディプティック”は、自然界にありながらも感知できない香りを豊かなイマジネーションで表現したフレグランスだ。通常のラインは、自然の要素や旅の思い出など、観察したり感じたりした自然の香りを可能な限り忠実に表現。一方で、プレミアムラインは、サンゴやマザー・オブ・パール、バーク(樹皮)、睡蓮、砂漠のバラという香りのない自然の宝物へオマージュを寄せている。これらをイメージソースに5種類のフレグランスを手掛けた調香師は、アレクサンドラ・カーリン、故オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット、ファブリス・ペルグランの3組。香りがない自然をどのように表現したのか彼らに聞いた。

爽やかでスパイシー、ミステリアスなサンゴを表現
コライユ オスクロ(サンゴ):アレクサンドラ・カーリン

「『ディプティック』のためのクリエイションは大好きでワクワクする。今回のプロジェクトは“好奇心のキャビネット”の扉を開けるような感覚だった。サンゴに香りはないが、雰囲気、色、形、全てについてイマジネーションを働かせた。サンゴをテーマに、フローラルな香水を開発するのはチャレンジングだった。水面の光とサンゴの赤や複雑さを表現している。香りの中心には、強烈なピンク色やベルベットの質感、刺激的なインドのブルボン・ローズを使い、ゼラニウムやライチなどでバラの香りを強調している。ネギの天然エキスやスパイシーなサフランのシソペップ、木片から抽出したサンタル・ドレッシュなどをミックスしてミネラルと塩味を表現。ベルガモットやマンダリン、ピンクペッパー香りにきらめきを与えたかった。爽やかなトップノートと全体に熱っぽいスパイシーでウッディな雰囲気のコントラストを描いている。ミネラル感と謎めいた華やかさを感じてほしい。捉えどころのないサンゴのようにミステリアスな香りで夢を見てほしい。」

木の二面性と優しくみずみずしい睡蓮を体感する香り
ボワ コルセ(バーク)、リリフェア(睡蓮):オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット

「メゾンの長年の友人であまりに早く私たちの元を去ったオリヴィエ・ペシューに導かれたこのコラボレーションはとても魅惑的だった。バーク(樹皮)や睡蓮という香りがないものを再現するために、その質感と奥深さや複雑な芸術性に敬意を払い、視覚的な表現を超えて表現したつもりだ。例えば、“ボワ コルセ”は、柔らかい木の内側を守る荒々しい樹皮のイメージ。そこで、白檀とトンカ豆を用いたアンバーで官能的な香りで柔らかい内側を、それを守る樹皮にはスギとブラックコーヒーを組み合わせたウッディノートを用いて、どこか中毒性のある二面性を表した。この香りを着けることで、木の哲学的な物語を発見してほしい。アンバー、グリーン、ムスクを織り交ぜた“リリフェア”では、水面に浮遊する肉厚の緑の葉っぱなど、睡蓮を象徴する全てを表現したつもりだ。この香りをつけることで、みずみずしさと優しさの間を浮遊するような感覚、睡蓮の宇宙へ没入してほしい。『ディプティック』のフレグランスは、自然をはじめ、内省やクリエイション、交流の時間を称えるものだ。」

未開の地の神秘を描き出す原材料の対話
ルナ マリス(マザー・オブ・パール)、ローズ ロッシュ(砂漠のバラ):ファブリス・ペルグラン

「自然の驚異に香りを与え、感動を伝えるというエキサイティングなプロジェクト。自然の複雑さと繊細さを香りで表現するのは刺激的な挑戦だった。マザー・オブ・パールや砂漠のバラは、神秘的な存在。それぞれの香りで未開の地の神秘を表現したいと思った。調香は、作曲のようなもので、原材料が対話の中でどのように共鳴するかが重要だ。“ルナ マリス”には、スパイシーなピンクペッパーを用い、アンバーとバルサミコのニュアンスのあるインセンスとミックスした。着ける人には、マザー・オブ・パールの虹色のニュアンスを感じ、自信を持ってほしい。砂漠の砂が風により形作られる様子にインスパイアされた“ローズ ロッシュ”は、砂漠のバラのエッセンスを使用し、ローズセンチフォリアのスパイシーで甘い香りの後には、ウッディなパチョリが癖になるようなアンブロックスのミネラル感を包んでいる。砂漠の風と砂の暖かさを呼び起こし、エネルギーを感じるような香りだ。これら香水を着ける人をユニークな感覚と感情の航海へ誘いたい。」

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「ディプティック」の新プレミアムライン 調香師3組に聞く“感知できない香り”の表現

「ディプティック(DIPTYQUE)」から登場したプレミアムライン“レ ゼサンス ドゥ ディプティック”は、自然界にありながらも感知できない香りを豊かなイマジネーションで表現したフレグランスだ。通常のラインは、自然の要素や旅の思い出など、観察したり感じたりした自然の香りを可能な限り忠実に表現。一方で、プレミアムラインは、サンゴやマザー・オブ・パール、バーク(樹皮)、睡蓮、砂漠のバラという香りのない自然の宝物へオマージュを寄せている。これらをイメージソースに5種類のフレグランスを手掛けた調香師は、アレクサンドラ・カーリン、故オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット、ファブリス・ペルグランの3組。香りがない自然をどのように表現したのか彼らに聞いた。

爽やかでスパイシー、ミステリアスなサンゴを表現
コライユ オスクロ(サンゴ):アレクサンドラ・カーリン

「『ディプティック』のためのクリエイションは大好きでワクワクする。今回のプロジェクトは“好奇心のキャビネット”の扉を開けるような感覚だった。サンゴに香りはないが、雰囲気、色、形、全てについてイマジネーションを働かせた。サンゴをテーマに、フローラルな香水を開発するのはチャレンジングだった。水面の光とサンゴの赤や複雑さを表現している。香りの中心には、強烈なピンク色やベルベットの質感、刺激的なインドのブルボン・ローズを使い、ゼラニウムやライチなどでバラの香りを強調している。ネギの天然エキスやスパイシーなサフランのシソペップ、木片から抽出したサンタル・ドレッシュなどをミックスしてミネラルと塩味を表現。ベルガモットやマンダリン、ピンクペッパー香りにきらめきを与えたかった。爽やかなトップノートと全体に熱っぽいスパイシーでウッディな雰囲気のコントラストを描いている。ミネラル感と謎めいた華やかさを感じてほしい。捉えどころのないサンゴのようにミステリアスな香りで夢を見てほしい。」

木の二面性と優しくみずみずしい睡蓮を体感する香り
ボワ コルセ(バーク)、リリフェア(睡蓮):オリヴィエ・ペシュー&ナタリー・セット

「メゾンの長年の友人であまりに早く私たちの元を去ったオリヴィエ・ペシューに導かれたこのコラボレーションはとても魅惑的だった。バーク(樹皮)や睡蓮という香りがないものを再現するために、その質感と奥深さや複雑な芸術性に敬意を払い、視覚的な表現を超えて表現したつもりだ。例えば、“ボワ コルセ”は、柔らかい木の内側を守る荒々しい樹皮のイメージ。そこで、白檀とトンカ豆を用いたアンバーで官能的な香りで柔らかい内側を、それを守る樹皮にはスギとブラックコーヒーを組み合わせたウッディノートを用いて、どこか中毒性のある二面性を表した。この香りを着けることで、木の哲学的な物語を発見してほしい。アンバー、グリーン、ムスクを織り交ぜた“リリフェア”では、水面に浮遊する肉厚の緑の葉っぱなど、睡蓮を象徴する全てを表現したつもりだ。この香りをつけることで、みずみずしさと優しさの間を浮遊するような感覚、睡蓮の宇宙へ没入してほしい。『ディプティック』のフレグランスは、自然をはじめ、内省やクリエイション、交流の時間を称えるものだ。」

未開の地の神秘を描き出す原材料の対話
ルナ マリス(マザー・オブ・パール)、ローズ ロッシュ(砂漠のバラ):ファブリス・ペルグラン

「自然の驚異に香りを与え、感動を伝えるというエキサイティングなプロジェクト。自然の複雑さと繊細さを香りで表現するのは刺激的な挑戦だった。マザー・オブ・パールや砂漠のバラは、神秘的な存在。それぞれの香りで未開の地の神秘を表現したいと思った。調香は、作曲のようなもので、原材料が対話の中でどのように共鳴するかが重要だ。“ルナ マリス”には、スパイシーなピンクペッパーを用い、アンバーとバルサミコのニュアンスのあるインセンスとミックスした。着ける人には、マザー・オブ・パールの虹色のニュアンスを感じ、自信を持ってほしい。砂漠の砂が風により形作られる様子にインスパイアされた“ローズ ロッシュ”は、砂漠のバラのエッセンスを使用し、ローズセンチフォリアのスパイシーで甘い香りの後には、ウッディなパチョリが癖になるようなアンブロックスのミネラル感を包んでいる。砂漠の風と砂の暖かさを呼び起こし、エネルギーを感じるような香りだ。これら香水を着ける人をユニークな感覚と感情の航海へ誘いたい。」

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三宅一生による最後のフレグランス 調香師に聞く“塩”を香りで表現するプロセス

「イッセイ ミヤケ パルファム(ISSEY MIYAKE PARFUM)」から最新作“ル セル ドゥ イッセイ”が登場した。三宅一生が最後に選んだ香りのコンセプトは“塩”。生命に不可欠な“塩”をテーマに、本来香りのない“塩”を香りで表現したのは、ジボダンの調香師のカンタン・ビシュだ。ガラスの塊の中に光を放つ水滴を閉じ込めたようなフレグランスボトルは吉岡徳仁がデザイン。ビジュアルは、映像監督のマーカス・トムリンソン手掛けた。“ル セル ドゥ イッセイ”は、3人のアーティストによる“塩”の解釈と表現が一体となり完成したフレグランスだ。調香師のビシュに、三宅がテーマとしてきた“水”や自然の“動き”に続く、“塩”に宿る精神を香りにどのように落とし込んだのか聞いた。

海と大地のコントラストを香りで表現

WWD:三宅一生が最後に監修した香りの調香を手掛けた感想は?

カンタン・ビシュ(以下、ビシュ):「イッセイミヤケ」のDNAを尊重し、新たなシグニチャーを模索する必要があると感じた。一生さんに気に入ってもらえるといいなと思いながら調香した。彼は、ボトルへのこだわりは認めてくれたはずだ。私が手掛けた香水は、ボトルの純粋さを反映していると思う。

WWD:テーマである無臭の塩をどのように香りに落とし込んだか?

ビシュ:このフレグランスは、塩気を含んだ海と森の中の木の香りで構成されている。海と陸という両極の絶え間ない動きを表現した香りだ。ラミナリア海藻とオークモスにヨードでアクセントを加えた海の香り、そして大地はシダーとサンドベチバーが織りなす森のような香りだ。このよう要素のコントラストから生まれた香りだ。

WWD:この香りを調香する際のインスピレーション源は?

ビシュ:海と陸の間で波が引いていく様を表したいと思った。波は、大地に残された水の記憶のようなもの。そこに刻まれる堆積した塩がインスピレーションだ。

WWD:調香のプロセスでこだわった点は?

ビシュ:無限に打ち寄せる波の動き、そして大地に堆積した記憶である塩を形にしようというアイデアが出発点だった。そこから、塩気と純粋なウッディノートを使おうと思った。最初のアイデアのユニークさを保ちながら、テーマを表現しようと試みた。

フレッシュで官能的、バランスの取れた普遍的なフレグランス

WWD:この香りの一番の魅力は?

ビシュ:生き生きとした香りであること。センシュアルな木の香りと、素晴らしい爽やかな塩気の香りの融合が魅力だ。

WWD:どのような人に着けてほしいか?

ビシュ:この香りは、生命のサイクルにある要素や自然の動きとつながる普遍的なフレグランス。だから、全ての人に楽しんでもらえるはずだ。中でも、フレッシュさと官能性のバランスがとれた香水を探している男性にぴったりだと思う。

WWD:自分にとって香水とは、どのようなものか?

ビシュ:人生そのもの。理想の美と香りがもたらす効果を追求し続けることが私の使命だと思っている。

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沖縄北部にインド伝統建築学を活用した〝滞在型アーユルヴェーダリゾート″が誕生 ~2.本部町・「アーユルウエルネスOkinawa」

沖縄に続々とオープンしている、小規模ながら高級志向の「スモールラグジュアリーリゾート」のオープンを紹介する企画。沖縄本島・南城市に位置するモロッカンテイストの邸宅ホテル「リヤド ランプ」に続いて紹介するのは、2024年に本部町にオープンした、本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾートOkinawa」だ。

東京、神奈川と沖縄・宜野湾でアーユルヴェーダ資格取得スクール「アーユルヴェーダビューティカレッジ」を主宰する、新倉亜希アーユルウェルネス代表が、2024年、沖縄本島・本部町に本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾート オキナワ」を創設した。新倉代表にまず聞いたのは、「なぜ沖縄の北部にアーユルヴェーダリゾートを作ったのか」という質問。

「私はインドでアーユルヴェーダを学んだのですが、沖縄はインドと気候が似ていて温暖で、ここで過ごしているだけで五感が浄化される場所だと考えていました。しかも、インドのアーユルヴェーダの病院で処方される薬のもととなる野草が、沖縄には自生していたことも理由の一つです。加えて、アーユルヴェーダスクールの沖縄校を開設して15年目となることから、その卒業生やお客さまをもてなす場として、この地にアーユルヴェーダリゾートを設けたいと願っていました」と新倉代表は話す。

5000年の歴史を誇るインド・スリランカの伝統医療、アーユルヴェーダは「何となく体調が悪い」という不定愁訴や自律神経の乱れに高い効果を発揮するが、実際に新倉代表もその改善効果を体感したひとり。「大学卒業後、外資系証券会社で働いていたのですが、過労で体調を崩してしまい、メニエール病などさまざまな不調を抱えてしまい。それを機に会社を辞めて、心身を休めようとバリのウブドに滞在することに。その時、ウブドでアーユルヴェーダの先生と出会い、診断してもらったところ、「あなたは病気ではなく、ヴァータ(生命エネルギー)が乱れているだけ。鳥の声で目覚め、虫の鳴き声で寝なさい、と言われました」。

その後、バリで自然と調和した暮らしを2カ月ほど続けたところ、治療薬を2年ほど内服しても直らなかった不調が改善し、体調もみるみる回復。アーユルヴェーダの治療に感銘を受けたことから、帰国後に、改めてインドでアーユルヴェーダの治療法を学び、09年に東京でスクールを設立するに至ったと話す。

24年4月にグランドオープンした「アーユルウェルネスリゾート Okinawa」は滞在するだけで体調が整うのが魅力だという。「こちらの建物や客室はインドの古代遺跡にもみられる自然エネルギーを再生するデザイン、〝スターパティア・ヴェーダ建築″に基づいて設計されており、滞在するだけで自然との調和を図ることができます。しかも1日1組の貸切になりますので、テラスや屋上など、思い思いの場所でゆっくりとお過ごしいただけるのも特長です」。

滞在中は問診後に、本人体調や体質を考慮したスパトリートメントを提供。薬草オイルでケアする「アヴィヤンガ」や頭部に薬草オイルをたらす「シロダーラ」、ハーバルボールを使った「ピンダ・スウェーダ」、薬草パウダーを用いた「ウドゥワルタナ」など、複数のメニューを組み合わせてゲストをケアする。

これら本格的なアーユルヴェーダ施術を堪能するために、ほとんどのゲストは2泊3日の「体質改善プラン」を選ぶという。

「体調に働きかけるには、スパトリートメントのほか、ハーブガーデンで摘み取ったハーブを活用した食事やお茶、セルフケアなど、アーユルヴェーダのさまざまな知恵を組み合わせたほうが効きが早いため、2泊以上の滞在をおすすめしています。また、3日間で心身の浄化を促しつつ、それを日常生活でも応用していただけるよう、ホームケアもお伝えしています」。

グランドオープン後、意外だったのは企業による法人利用も多いということ。「企業の福利厚生としてご利用いただく機会も増えています。滞在プログラムを受けたお客さまからは何年も抱えていた神経痛が完治したとか、更年期の症状が和らいだ、産後のホルモンバランスが整ったなど、大人ならではの症状の改善に多くの反響をいただいています。私自身も過労で体調を崩し、アーユルヴェーダで救われたという経験もあることから、今後は美容目的だけではなく、仕事や育児、介護などマルチタスクをこなしているかたへの癒やしも提供できたらと考えています」。

■アーユルウエルネスリゾートOkinawa
住所:沖縄県国頭郡本部町新里170−5
   (那覇空港から車で約1時間45分)
電話:03-5701-1217
Instagram:@ayurwellness_resort_okinawa

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沖縄北部にインド伝統建築学を活用した〝滞在型アーユルヴェーダリゾート″が誕生 ~2.本部町・「アーユルウエルネスOkinawa」

沖縄に続々とオープンしている、小規模ながら高級志向の「スモールラグジュアリーリゾート」のオープンを紹介する企画。沖縄本島・南城市に位置するモロッカンテイストの邸宅ホテル「リヤド ランプ」に続いて紹介するのは、2024年に本部町にオープンした、本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾートOkinawa」だ。

東京、神奈川と沖縄・宜野湾でアーユルヴェーダ資格取得スクール「アーユルヴェーダビューティカレッジ」を主宰する、新倉亜希アーユルウェルネス代表が、2024年、沖縄本島・本部町に本格的なアーユルヴェーダリゾート「アーユルウェルネスリゾート オキナワ」を創設した。新倉代表にまず聞いたのは、「なぜ沖縄の北部にアーユルヴェーダリゾートを作ったのか」という質問。

「私はインドでアーユルヴェーダを学んだのですが、沖縄はインドと気候が似ていて温暖で、ここで過ごしているだけで五感が浄化される場所だと考えていました。しかも、インドのアーユルヴェーダの病院で処方される薬のもととなる野草が、沖縄には自生していたことも理由の一つです。加えて、アーユルヴェーダスクールの沖縄校を開設して15年目となることから、その卒業生やお客さまをもてなす場として、この地にアーユルヴェーダリゾートを設けたいと願っていました」と新倉代表は話す。

5000年の歴史を誇るインド・スリランカの伝統医療、アーユルヴェーダは「何となく体調が悪い」という不定愁訴や自律神経の乱れに高い効果を発揮するが、実際に新倉代表もその改善効果を体感したひとり。「大学卒業後、外資系証券会社で働いていたのですが、過労で体調を崩してしまい、メニエール病などさまざまな不調を抱えてしまい。それを機に会社を辞めて、心身を休めようとバリのウブドに滞在することに。その時、ウブドでアーユルヴェーダの先生と出会い、診断してもらったところ、「あなたは病気ではなく、ヴァータ(生命エネルギー)が乱れているだけ。鳥の声で目覚め、虫の鳴き声で寝なさい、と言われました」。

その後、バリで自然と調和した暮らしを2カ月ほど続けたところ、治療薬を2年ほど内服しても直らなかった不調が改善し、体調もみるみる回復。アーユルヴェーダの治療に感銘を受けたことから、帰国後に、改めてインドでアーユルヴェーダの治療法を学び、09年に東京でスクールを設立するに至ったと話す。

24年4月にグランドオープンした「アーユルウェルネスリゾート Okinawa」は滞在するだけで体調が整うのが魅力だという。「こちらの建物や客室はインドの古代遺跡にもみられる自然エネルギーを再生するデザイン、〝スターパティア・ヴェーダ建築″に基づいて設計されており、滞在するだけで自然との調和を図ることができます。しかも1日1組の貸切になりますので、テラスや屋上など、思い思いの場所でゆっくりとお過ごしいただけるのも特長です」。

滞在中は問診後に、本人体調や体質を考慮したスパトリートメントを提供。薬草オイルでケアする「アヴィヤンガ」や頭部に薬草オイルをたらす「シロダーラ」、ハーバルボールを使った「ピンダ・スウェーダ」、薬草パウダーを用いた「ウドゥワルタナ」など、複数のメニューを組み合わせてゲストをケアする。

これら本格的なアーユルヴェーダ施術を堪能するために、ほとんどのゲストは2泊3日の「体質改善プラン」を選ぶという。

「体調に働きかけるには、スパトリートメントのほか、ハーブガーデンで摘み取ったハーブを活用した食事やお茶、セルフケアなど、アーユルヴェーダのさまざまな知恵を組み合わせたほうが効きが早いため、2泊以上の滞在をおすすめしています。また、3日間で心身の浄化を促しつつ、それを日常生活でも応用していただけるよう、ホームケアもお伝えしています」。

グランドオープン後、意外だったのは企業による法人利用も多いということ。「企業の福利厚生としてご利用いただく機会も増えています。滞在プログラムを受けたお客さまからは何年も抱えていた神経痛が完治したとか、更年期の症状が和らいだ、産後のホルモンバランスが整ったなど、大人ならではの症状の改善に多くの反響をいただいています。私自身も過労で体調を崩し、アーユルヴェーダで救われたという経験もあることから、今後は美容目的だけではなく、仕事や育児、介護などマルチタスクをこなしているかたへの癒やしも提供できたらと考えています」。

■アーユルウエルネスリゾートOkinawa
住所:沖縄県国頭郡本部町新里170−5
   (那覇空港から車で約1時間45分)
電話:03-5701-1217
Instagram:@ayurwellness_resort_okinawa

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リアーナとの仕事で“魂”を認められチーム入り LAで活躍するヘアスタイリストYuichi Ishida

PROFILE: Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト

Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト
PROFILE: (ゆういち・いしだ)1986年5月3日生まれ。日本出身でロサンゼルスに10年在住し、20年以上のキャリアを積む。日本とアメリカで美容師免許を取得し、アジア人として独特の感性と手法を活かしたヘアスタイリングを得意とする。クライアントはローラ、米倉涼子、渡辺直美をはじめ、ソフィア・リッチーやパリス・ヒルトン、リアーナ、クリスティーナ・アギレラら。また、「ルイ・ヴィトン」「ディオール」「ジバンシィ」「フェンティ」などのキャンペーンを手掛ける

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第2回はヘアスタイリストのYuichi Ishidaにロサンゼルスで築いたキャリアやワークライフバランスについて聞く。

幼少期からの姉のヘアアレンジが仕事に

水嶋:ヘアスタイリストになった経緯は?

Yuichi:姉が2人いるのですが、物心ついた時から彼女たちの髪をいじっていました。まるで2人の専属ヘアスタイリストのようでしたね。そこから、友達のヘアアレンジも増え、自分の中で当たり前だったヘアスタイリングが今の仕事につながっています。高校を卒業した18歳、専門学校か大学への進学、就職という選択肢の中で「自分は何が一番好きなのだろう」と自問し、当たり前のようにしてきたヘアに関することが好きで、苦にならないことに気づきました。ファッションも好きなので、ヘアとファッションに携わる仕事にひかれました。また、当時憧れていた先輩が美容師になったことにも影響を受けています。それまでは理容院通っていましたが、先輩の勤める美容院に行くとヘアサロンの煌びやかで、華やか、そして洗練された空間に大きく影響を受け、そんな場所で働きたいと思いました。そして美容学校へ入学、卒業をしました。

水嶋:その後、渡米するまでのキャリアは?

Yuichi:まず美容師として働き出した時、交換留学生が来ることがあり、初めて外国人とコミュニケーションをとりました。その際に、日本で教わったスタンダードなヘアスタイルを施すと、「ありがとう」の一言はあるものの、反応がイマイチだったんです。それがずっと引っかかっていて……。それから、海外のヘアスタイルを意識し始めました。海外では一人一人がとても個性的で、その個性が尊重されています。自分に出来ることがもっとあるのではないか?と思い、すぐに行動に起こし、米国にあるヘアサロンに雇って欲しいと片っ端から連絡をしたんです。そしてハワイに渡米することになりました。

直感を信じて勢いでロサンゼルスへ

水嶋:最初はハワイでキャリアスタートをされたのですね!ロサンゼルスに移住したきっかけは何ですか?

Yuichi:ロサンゼルスを選ぶチャンスがきたからです。ハワイのヘアサロンでサロンワークをしていたのですが、自分が想像していた”海外で働く自分”の像と少し違うと思っていました。日本でヘアスタイリストをしたとしても、ハワイでしていることと同じことが出来ると感じてしまったんです。そんな時、友人から「ロサンゼルスに行ってみたら?」と言われました。23歳の時でした。ロサンゼルスに移住したことがターニングポイントになったと思います。

水嶋:ロサンゼルスでは、具体的にどのような仕事をされていますか?

Yuichi:美容業界でさまざまなことに取り組んでおり、プロダクション(撮影現場)でのヘアスタイリストの仕事、美容室でのサロンワーク、また米国ではメジャーとされる“ハウス・コール”(出張ヘアスタイリスト)の依頼も受けています。ロサンゼルスはエンターテイメントの中心地。エンタメ業界で”ヘア”に関わるサービスが必要な場面で、それをクリエイトすることをしています。

リアーナの仕事が転機に

水嶋:今までで特に印象的だった仕事について教えてください。

Yuichi:ローラさんや渡辺直美さん、冨永愛さん、米倉涼子さん、フワちゃん、ローランドさんをはじめ、エンターテイメントの地であるアメリカで活躍する日本人アーティストたちとの仕事には刺激を受けました。また、アーティストで歌手のリアーナ(Rihanna)さん、クリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)さんとの仕事はとても印象に残っています。彼女達はグローバルでもトップに君臨しているアーティストで、職場の雰囲気も洗練されていて、現場にいる一人一人が皆プロフェッショナル。そんな一流の現場に身を置けて良かったと思いますし、ミュージックビデオの撮影にしろ、雑誌の撮影にしろ、毎回鮮明に印象に残るプロジェクトです。リアーナさんのブランド「フェンティ(FENTY)」のチームとしてビューティやスキン、ヘアの撮影も手掛けています。

水嶋:今のポジションにたどり着くまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

Yuichi:1年目からチャンスに恵まれたんです。ロサンゼルスに移住して、最初に働いたヘアサロンの顧客が、リアーナさんの担当メイクアップアーティストだったんです。その方がさまざまなプロジェクトに誘ってくださり、後にリアーナさんとの撮影に呼んでいただき、そのままチームの一員に。人と人との繋がりで今があります。とてもラッキーだったと思います。米国は、結果を出せば認めてもらえるし、受け入れてもらえます。魂で見てくれている。なので、働きがいがあると感じています。リアーナさんと初めて仕事をしたのがロサンゼルスに来てから4年ぐらいの時でした。2年ほどのパンデミックの時期を経て、またご一緒させていただいています。

ワークライフバランスは東京にないロサンゼルスの魅力

水嶋:ロサンゼルスでは、どのようなライフスタイルを送っていますか?

Yuichi:チルです(笑)。ロサンゼルスは、天気が良く、自然がたくさんあり、過ごしやすいです。私のパーソナルなライフスタイルは凄くチルですが、対照的にワークスタイルは華やかなところに身を置き、何百人もの人々に会い、スピードが速いと感じています。仕事になるとすごく激しいですね。

水嶋:私も同様に感じています。周りの活躍される方々皆さん、穏やかでチルですが、仕事になるとプロフェッショナル。

Yuichi:チームになった時に一人でも何かがずれると、みんながずれてしまう。トップで活躍する人はそれを知っていて、プロフェッショナルな仕事をするからプレッシャーを感じている。だからその反面、プライベートでは自分の時間を大事にしていると思います。

水嶋:皆さん仕事とプライベートを良いバランスで楽しんでいるんですね!その部分が東京には無いように感じるのですが、どう思われますか?

Yuichi:LAならではかもしれませんね。東京は、仕事が終わった後にリラックス出来る空間を見つけるのが難しいかもしれませんね。カリフォルニアは自然が多いので、仕事が終わった後に、自分のリゾート地に戻れる感覚があります。

水嶋:直近ではどんなプロジェクトを手掛けていますか?

Yuichi:現在商品開発をしています。また、自分のヘアスタジオ「エム・クリエイティブズ(MCREATIVEZ)」をオープンしました。教育の場として、自分の思考を広めていけたらと思っています。フリーランスで活躍してきて、業界トップの方々とご一緒させていただき、もっと彼らと肩を並べられるトップのヘアスタイリスト、アーティストになっていきたいと思っています。

水嶋:ユーイチさんの思う”トップ”とは?

Yuichi:僕が描いているトップには限界がありません。仕事をする時は、プレッシャーがつきものだと思いますが、ある程度こなしてしまうとプレッシャーが無くなってしまい、当たり前になり成長が止まってしまう。常に成長を追い求めています。人とも話しながら自分をリマインディングすることが大事ですね。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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リアーナとの仕事で“魂”を認められチーム入り LAで活躍するヘアスタイリストYuichi Ishida

PROFILE: Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト

Yuichi Ishida/ヘアスタイリスト
PROFILE: (ゆういち・いしだ)1986年5月3日生まれ。日本出身でロサンゼルスに10年在住し、20年以上のキャリアを積む。日本とアメリカで美容師免許を取得し、アジア人として独特の感性と手法を活かしたヘアスタイリングを得意とする。クライアントはローラ、米倉涼子、渡辺直美をはじめ、ソフィア・リッチーやパリス・ヒルトン、リアーナ、クリスティーナ・アギレラら。また、「ルイ・ヴィトン」「ディオール」「ジバンシィ」「フェンティ」などのキャンペーンを手掛ける

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第2回はヘアスタイリストのYuichi Ishidaにロサンゼルスで築いたキャリアやワークライフバランスについて聞く。

幼少期からの姉のヘアアレンジが仕事に

水嶋:ヘアスタイリストになった経緯は?

Yuichi:姉が2人いるのですが、物心ついた時から彼女たちの髪をいじっていました。まるで2人の専属ヘアスタイリストのようでしたね。そこから、友達のヘアアレンジも増え、自分の中で当たり前だったヘアスタイリングが今の仕事につながっています。高校を卒業した18歳、専門学校か大学への進学、就職という選択肢の中で「自分は何が一番好きなのだろう」と自問し、当たり前のようにしてきたヘアに関することが好きで、苦にならないことに気づきました。ファッションも好きなので、ヘアとファッションに携わる仕事にひかれました。また、当時憧れていた先輩が美容師になったことにも影響を受けています。それまでは理容院通っていましたが、先輩の勤める美容院に行くとヘアサロンの煌びやかで、華やか、そして洗練された空間に大きく影響を受け、そんな場所で働きたいと思いました。そして美容学校へ入学、卒業をしました。

水嶋:その後、渡米するまでのキャリアは?

Yuichi:まず美容師として働き出した時、交換留学生が来ることがあり、初めて外国人とコミュニケーションをとりました。その際に、日本で教わったスタンダードなヘアスタイルを施すと、「ありがとう」の一言はあるものの、反応がイマイチだったんです。それがずっと引っかかっていて……。それから、海外のヘアスタイルを意識し始めました。海外では一人一人がとても個性的で、その個性が尊重されています。自分に出来ることがもっとあるのではないか?と思い、すぐに行動に起こし、米国にあるヘアサロンに雇って欲しいと片っ端から連絡をしたんです。そしてハワイに渡米することになりました。

直感を信じて勢いでロサンゼルスへ

水嶋:最初はハワイでキャリアスタートをされたのですね!ロサンゼルスに移住したきっかけは何ですか?

Yuichi:ロサンゼルスを選ぶチャンスがきたからです。ハワイのヘアサロンでサロンワークをしていたのですが、自分が想像していた”海外で働く自分”の像と少し違うと思っていました。日本でヘアスタイリストをしたとしても、ハワイでしていることと同じことが出来ると感じてしまったんです。そんな時、友人から「ロサンゼルスに行ってみたら?」と言われました。23歳の時でした。ロサンゼルスに移住したことがターニングポイントになったと思います。

水嶋:ロサンゼルスでは、具体的にどのような仕事をされていますか?

Yuichi:美容業界でさまざまなことに取り組んでおり、プロダクション(撮影現場)でのヘアスタイリストの仕事、美容室でのサロンワーク、また米国ではメジャーとされる“ハウス・コール”(出張ヘアスタイリスト)の依頼も受けています。ロサンゼルスはエンターテイメントの中心地。エンタメ業界で”ヘア”に関わるサービスが必要な場面で、それをクリエイトすることをしています。

リアーナの仕事が転機に

水嶋:今までで特に印象的だった仕事について教えてください。

Yuichi:ローラさんや渡辺直美さん、冨永愛さん、米倉涼子さん、フワちゃん、ローランドさんをはじめ、エンターテイメントの地であるアメリカで活躍する日本人アーティストたちとの仕事には刺激を受けました。また、アーティストで歌手のリアーナ(Rihanna)さん、クリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)さんとの仕事はとても印象に残っています。彼女達はグローバルでもトップに君臨しているアーティストで、職場の雰囲気も洗練されていて、現場にいる一人一人が皆プロフェッショナル。そんな一流の現場に身を置けて良かったと思いますし、ミュージックビデオの撮影にしろ、雑誌の撮影にしろ、毎回鮮明に印象に残るプロジェクトです。リアーナさんのブランド「フェンティ(FENTY)」のチームとしてビューティやスキン、ヘアの撮影も手掛けています。

水嶋:今のポジションにたどり着くまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

Yuichi:1年目からチャンスに恵まれたんです。ロサンゼルスに移住して、最初に働いたヘアサロンの顧客が、リアーナさんの担当メイクアップアーティストだったんです。その方がさまざまなプロジェクトに誘ってくださり、後にリアーナさんとの撮影に呼んでいただき、そのままチームの一員に。人と人との繋がりで今があります。とてもラッキーだったと思います。米国は、結果を出せば認めてもらえるし、受け入れてもらえます。魂で見てくれている。なので、働きがいがあると感じています。リアーナさんと初めて仕事をしたのがロサンゼルスに来てから4年ぐらいの時でした。2年ほどのパンデミックの時期を経て、またご一緒させていただいています。

ワークライフバランスは東京にないロサンゼルスの魅力

水嶋:ロサンゼルスでは、どのようなライフスタイルを送っていますか?

Yuichi:チルです(笑)。ロサンゼルスは、天気が良く、自然がたくさんあり、過ごしやすいです。私のパーソナルなライフスタイルは凄くチルですが、対照的にワークスタイルは華やかなところに身を置き、何百人もの人々に会い、スピードが速いと感じています。仕事になるとすごく激しいですね。

水嶋:私も同様に感じています。周りの活躍される方々皆さん、穏やかでチルですが、仕事になるとプロフェッショナル。

Yuichi:チームになった時に一人でも何かがずれると、みんながずれてしまう。トップで活躍する人はそれを知っていて、プロフェッショナルな仕事をするからプレッシャーを感じている。だからその反面、プライベートでは自分の時間を大事にしていると思います。

水嶋:皆さん仕事とプライベートを良いバランスで楽しんでいるんですね!その部分が東京には無いように感じるのですが、どう思われますか?

Yuichi:LAならではかもしれませんね。東京は、仕事が終わった後にリラックス出来る空間を見つけるのが難しいかもしれませんね。カリフォルニアは自然が多いので、仕事が終わった後に、自分のリゾート地に戻れる感覚があります。

水嶋:直近ではどんなプロジェクトを手掛けていますか?

Yuichi:現在商品開発をしています。また、自分のヘアスタジオ「エム・クリエイティブズ(MCREATIVEZ)」をオープンしました。教育の場として、自分の思考を広めていけたらと思っています。フリーランスで活躍してきて、業界トップの方々とご一緒させていただき、もっと彼らと肩を並べられるトップのヘアスタイリスト、アーティストになっていきたいと思っています。

水嶋:ユーイチさんの思う”トップ”とは?

Yuichi:僕が描いているトップには限界がありません。仕事をする時は、プレッシャーがつきものだと思いますが、ある程度こなしてしまうとプレッシャーが無くなってしまい、当たり前になり成長が止まってしまう。常に成長を追い求めています。人とも話しながら自分をリマインディングすることが大事ですね。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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モデルemmaが語る、アパレルブランド経営で感じた成長と今後

モデルのemmaが文化服装学園時代の同級生スタイリスト・中村璃乃と共に手がけるアパレルブランド「イーアール(ER)」は、ブランド発足から3年目を迎えた。自己資金で会社(SiS)を立ち上げ、商品のデザインから生産管理、PRまでこなす彼女。モデル業の走りを緩めることなく、経営者としてのやりがいと大変さを感じている。

「イーアール」は8月31日と9月1日の2日間、2024年秋冬新作の受注会(一部商品は即売)を都内で初開催する。会場で、emmaにブランドの現在地と今後について話を聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げたきっかけについて、改めて聞きたい。

emma:小さい頃からファッションに関わるモノ作りに携わりたいという思いがあり、でも何をしたらいいか分からなくて、とりあえず文化服装学園に入学しました。2年生のときにスカウトされてそのまま(雑誌「ヴィヴィ(VIVI)」専属の)モデルの道に進んだのですが、 学生時代はファッション流通科というファッションビジネスに特化した学科で学び、「自分のブランドを持ちたい」という思いは根っこにずっとありました。‘

「イーアール」の立ち上げを本格的に考え始めたのは、3年半ほど前でしょうか。それまでにモデル業の傍らでアパレルブランドとのコラボなどで服作りに関わらせていただくことはありましたが、それは「いいとこどり」をしているんじゃないかというギモンが、自分の中でずっとあったんです。

どういうことかというと、これは今となってより痛感しますが、服を作って売るまでに、どれだけの人が、どれだけの苦労をしているのかを知ることまで含め、「服を作る」ことなんじゃないかと思うんです。だから最初は誰の力も借りずに、モデル業で貯めてきたお金をはたいて、自己資金で会社を立ち上げようと決めました。

WWD:経営者として苦労することは?

emma:やっぱり数字を扱うことが多いから、お金の計算だけでも初めはすごく苦労しました。ただ、文化(服装学園)のときにパターンやデザイン、色彩など服作りの素地になる知識だけでなく、アパレル業界の専門用語や商習慣についても学んでいたので、商談の理解の助けになったこともありました。学生時代、がんばって勉強していた自分をほめてあげたいです(笑)。

ブランド経営とモデル
「エネルギーの使い方が全然違う」

WWD:二足の草鞋を履くのは大変そうだ。

emma:モデルだけしていたときは、一つ一つの仕事を瞬発力でこなしていた感覚があったんです。ただ、経営はいかに継続させるかが大事じゃないですか。当たり前のようですが、モデルの仕事と経営では、仕事への向き合い方もエネルギーの使い方も全然違うんですよね。

「イーアール」の企画が大詰めになってくると、しんどい日もあります。朝からモデルの撮影があって、昼からは商談。合間のメイクをしたり落としたりしていただいている間に、iPadでビジネスメールを打っていることもあります。家に帰ったら新作のデザイン画を引いたり、ブランドのインスタの投稿について考えたり。どっちの仕事にも穴は開けたくないから、もう忙しくてカオス!って感じなんですけど、がんばって乗り切っています(笑)。

WWD:苦労も多い中、原動力は。

emma:根っこでは、私はやっぱりクリエイティブなことがするのが好きだし、「自分の服を作りたい」とずっと思ってきたから、今それを楽しめてやれていることかな。もちろん経営者としてもアパレルデザイナーとしても足りないことはまだまだあるから、そういうことは恥ずかしがらず、どんどん周りに聞いて、頼っていきたいです。芸能の仕事をしながら自分のブランドを持つ人が増えています。そういう人と切磋琢磨し、ときには道標にしていきたい。

WWD:ブランドの今後は。

emma:「イーアール」は、誰かのきっかけを作るブランドでありたいという思いを込めて作りました。私を通じて「イーアール」を知ってくれた人が、ファン同士でつながったり、ファッションの楽しさを知ってくれたり……。ブランドを立ち上げてまだ2年目とよちよち歩きですが、もっともっと輪を広げていきたいと思っています。

▪️ER 24AW COLLECTION 先行受注会&ポップアップストア
日時: 2024年8月31日(金) 、9月1日(月)10:00〜20:00(1日は最終入場19:30)
場所: THE PLUG (東京都渋谷区神宮前6丁目12−9)

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モデルemmaが語る、アパレルブランド経営で感じた成長と今後

モデルのemmaが文化服装学園時代の同級生スタイリスト・中村璃乃と共に手がけるアパレルブランド「イーアール(ER)」は、ブランド発足から3年目を迎えた。自己資金で会社(SiS)を立ち上げ、商品のデザインから生産管理、PRまでこなす彼女。モデル業の走りを緩めることなく、経営者としてのやりがいと大変さを感じている。

「イーアール」は8月31日と9月1日の2日間、2024年秋冬新作の受注会(一部商品は即売)を都内で初開催する。会場で、emmaにブランドの現在地と今後について話を聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げたきっかけについて、改めて聞きたい。

emma:小さい頃からファッションに関わるモノ作りに携わりたいという思いがあり、でも何をしたらいいか分からなくて、とりあえず文化服装学園に入学しました。2年生のときにスカウトされてそのまま(雑誌「ヴィヴィ(VIVI)」専属の)モデルの道に進んだのですが、 学生時代はファッション流通科というファッションビジネスに特化した学科で学び、「自分のブランドを持ちたい」という思いは根っこにずっとありました。‘

「イーアール」の立ち上げを本格的に考え始めたのは、3年半ほど前でしょうか。それまでにモデル業の傍らでアパレルブランドとのコラボなどで服作りに関わらせていただくことはありましたが、それは「いいとこどり」をしているんじゃないかというギモンが、自分の中でずっとあったんです。

どういうことかというと、これは今となってより痛感しますが、服を作って売るまでに、どれだけの人が、どれだけの苦労をしているのかを知ることまで含め、「服を作る」ことなんじゃないかと思うんです。だから最初は誰の力も借りずに、モデル業で貯めてきたお金をはたいて、自己資金で会社を立ち上げようと決めました。

WWD:経営者として苦労することは?

emma:やっぱり数字を扱うことが多いから、お金の計算だけでも初めはすごく苦労しました。ただ、文化(服装学園)のときにパターンやデザイン、色彩など服作りの素地になる知識だけでなく、アパレル業界の専門用語や商習慣についても学んでいたので、商談の理解の助けになったこともありました。学生時代、がんばって勉強していた自分をほめてあげたいです(笑)。

ブランド経営とモデル
「エネルギーの使い方が全然違う」

WWD:二足の草鞋を履くのは大変そうだ。

emma:モデルだけしていたときは、一つ一つの仕事を瞬発力でこなしていた感覚があったんです。ただ、経営はいかに継続させるかが大事じゃないですか。当たり前のようですが、モデルの仕事と経営では、仕事への向き合い方もエネルギーの使い方も全然違うんですよね。

「イーアール」の企画が大詰めになってくると、しんどい日もあります。朝からモデルの撮影があって、昼からは商談。合間のメイクをしたり落としたりしていただいている間に、iPadでビジネスメールを打っていることもあります。家に帰ったら新作のデザイン画を引いたり、ブランドのインスタの投稿について考えたり。どっちの仕事にも穴は開けたくないから、もう忙しくてカオス!って感じなんですけど、がんばって乗り切っています(笑)。

WWD:苦労も多い中、原動力は。

emma:根っこでは、私はやっぱりクリエイティブなことがするのが好きだし、「自分の服を作りたい」とずっと思ってきたから、今それを楽しめてやれていることかな。もちろん経営者としてもアパレルデザイナーとしても足りないことはまだまだあるから、そういうことは恥ずかしがらず、どんどん周りに聞いて、頼っていきたいです。芸能の仕事をしながら自分のブランドを持つ人が増えています。そういう人と切磋琢磨し、ときには道標にしていきたい。

WWD:ブランドの今後は。

emma:「イーアール」は、誰かのきっかけを作るブランドでありたいという思いを込めて作りました。私を通じて「イーアール」を知ってくれた人が、ファン同士でつながったり、ファッションの楽しさを知ってくれたり……。ブランドを立ち上げてまだ2年目とよちよち歩きですが、もっともっと輪を広げていきたいと思っています。

▪️ER 24AW COLLECTION 先行受注会&ポップアップストア
日時: 2024年8月31日(金) 、9月1日(月)10:00〜20:00(1日は最終入場19:30)
場所: THE PLUG (東京都渋谷区神宮前6丁目12−9)

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「フジロック」で初来日 ロック・デュオFrikoが語る「多様な音楽ルーツ」と「シカゴのコミュニティー」

アメリカのシカゴでは近年、新しい世代によるロック・シーンが活気を見せている。10代や20代の若者たちが主催する手作りのショーが盛んに行われ、ZINEやビジュアル・アートなど音楽以外のさまざまなカルチャーを巻き込むかたちでクリエイティブな活動が称揚されている。そのホームグラウンドになっているのが、「Hallogallo」というプロジェクト/コミュニティー。そして、その「Hallogallo」を代表する1組が、今回「フジロック」で初来日を飾った、ボーカリスト/ギタリストのニコ・カペタン(Niko Kapetan)とドラマーのベイリー・ミンゼンバーガー(Bailey Minzenberger)によるデュオ、フリコ(Friko)だ。ニコ・カペタンが語る。「僕たちの周りでは、音楽とアートがお互いに影響し合っていて、みんなフラットにつながっている。シカゴって、そういうコラボレーションが旺盛なところなんだ」。

今年2月にリリースしたデビュー・アルバム「Where we've been, Where we go from here」が多くのメディアで賞賛を得て、また日本でもApple Musicの総合チャートで最高10位を記録するなど、一躍“時のアーティスト”になった感もあるフリコ。今や北米インディー・ロックのブライテスト・ホープとして期待を集める2人に、深い造詣と愛情に満ちた音楽観、シカゴのコミュニティー、そしてファッションやソーイングなど身の回りのアートを通じたDIYの哲学について初来日したタイミングで話を聞いた。

ザ・キュアーとエリオット・スミスからの影響

——デビュー・アルバムがリリースされてこの半年間は、目まぐるしい時間の流れだったと思いますが、振り返ってどうですか。

ニコ・カペタン(以下、ニコ):最高だったよ。あっという間に時間が過ぎちゃったけど、いろんなところをツアーして、たくさんライブできたしね。新しい曲もたくさん書くことができた。僕らの音楽をみんながこんなに喜んでくれて、本当にうれしいよ。特に日本は、ずっと来たかった国だったし、「フジロック」で演奏できるなんて夢みたいだよ。

——日本でライブをやるのは特別なことだったんですね。

ニコ:うん、夢がかなったなんてレベルじゃなくて、もはやシュールというか(笑)。だって、まさかこんなことになるとは思ってなかったから。アメリカの中西部を回るんじゃなくて、世界中をツアーすることになるなんてね。だから(明後日の「フジロック」のステージのことで)今から緊張しているんだ(笑)。

——そういえば、最近のライブではザ・キュアーの「In Between Days」のカバーをやってますね。あの曲って、恋人との修羅場を歌ったような曲だけど——。

ニコ:大好きな曲なんだ(笑)。2人とも大好き。たぶん、キュアーで一番好きな曲かもしれない。あの曲って、いつごろの曲なんだろう? そういえば去年、シカゴの「Riot Fest」でキュアーのライブを観たんだ。彼らのサウンドは今でも全然色あせてなくて、とても素晴らしかった。そして、彼らがどれだけたくさんのヒット曲を持ってるかってあらためて気付かされたよ(笑)。スミス VS ザ・キュアー――なんて言ったら怒られるかもしれないけど、僕にとってはキュアーが圧倒的に上なんだ。一日中、彼らの音楽に浸っていたいくらい。心が満たされるというか、キュアーの音楽には僕にとって特別な何かがあるんだ。それに、ロバート・スミスはモリッシーよりずっといい人だと思うし(笑)。

ベイリー・ミンゼンバーガー(以下、ベイリー):私自身は正直、キュアーのことはそんなに詳しくなくて。だから、キュアーのことはほとんどニコに教えてもらったようなもので、彼が勧めてくる曲を聴いていたら全部好きになっちゃった、って感じかな。

——ニコにとって、キュアーの魅力、ロバート・スミスというソングライターの魅力はどんなところですか。

ニコ:どの曲も本当にいい曲だよね。とてもドラマチックで、エモーショナルなメロディーがたまらない。でもそれだけじゃなくて、ロバート・スミスはとても正直な人で、どの曲も自分の言葉で心の奥底から歌っているというのが伝わってくる。それが曲として機能しているというか。彼はとてもユニークな人で、音楽もファッションも全てがクールだった。父が家でよくレコードをかけていて、それで僕も自然とキュアーが好きになったんだと思う。

——カバーといえばもう1曲、エリオット・スミスの「Ballad of Big Nothing」も最近のライブでやられていて。ドラッグを手放せない薬物中毒者の人生を辛らつに綴った曲で、個人的にはジュリアン・ベイカーのカバーも印象深い一曲なんですけど。

ニコ:実は正直いうと、この曲を初めて聴いた時は、歌詞のことは全く気にしてなかったんだ。メロディーに完全にやられてしまって。ただ、あの曲はエリオット・スミスの曲の中で最初に衝撃を受けた曲の1つだった。まさに“凝縮されたポップ・ソング”で、ヴァースとコーラスが繰り返されるシンプルな構成なのに、奥深くて、ものすごい中毒性があった。エリオット・スミスの曲は歌詞が暗いものが多かったけど、この曲をカバーするときは、歌詞のことよりも曲全体の雰囲気を大切にしたいって思ったんだ。

ベイリー:メロディーが素晴らしいよね。本当に美しい曲。それに、この曲をフルバンドで演奏すると、音が立体的に膨らんで、音楽のエネルギーが感じられる。演奏していてとても楽しいんです。

——フリコにとって、エリオット・スミスはキーと言えるアーティストですよね?

ニコ:そう感じてもらえているんだったらうれしいよ。だって僕自身、エリオット・スミスは大好きなアーティストの1人だからね。エリオット・スミスは、ハッピーなサウンドにヘビーな歌詞を乗せるのが得意なアーティストだった。明るい感じの曲調なのに、歌詞が心の奥底をえぐるような感じで。僕はビートルズが大好きだった少年で、でも大人になるにつれてビートルズだけでは物足りなくなり、 もっと心の奥底にある複雑な感情を表現した音楽が欲しくなった。エリオット・スミスは、ビートルズのポップな要素と、自分の内面の闇を融合させたような音楽を作っていて、とてもユニークだったし、そこにすごく惹かれたんだ。

デビューアルバムをリリースして

——デビューアルバムについて、リリースから時間がたってみて気付いたことや、理解が深まったようなことはありますか。

ベイリー:実は今、演奏の仕方をあらためて見直しているところで。去年も今年もライブずくめだから、体力的な面も考えなきゃいけないなと思っています。去年はライブ中に手が痛くなって、ドラムスティックの持ち方がどんどん変わってしまって。最初はリラックスして持っていたのに、最後の方は限界になって、(スティックを)落とさないことだけを考えて力任せに握っている、というようなことがあって。だから最近は、健康的な方法でプレーすることを考えて、体のケアを怠らないようにしています。そうしたら、音楽表現の幅が広がったというか、テクニックに縛られずに曲の中で遊べるようになって、演奏の仕方もいろいろ試せるようになって。もっと自由に音楽と向き合えるようになったし、それに気付けたのは大きなことでした。

ニコ:僕はいつもステージに立つと、つい力みすぎちゃうんだ。特にボーカルは無理に声を出そうとしてしまって。声帯に負担をかけることになるし、そうすると音も硬くなってしまう。だから、歌い方にもっとニュアンスを出したいって思っている。ただ叫び続けるんじゃなくて、もっと繊細な表現を心がけたいなって。

ベイリー:あと、歌詞の捉え方が、ライブを重ねるごとに深まったような気がする。同じ曲を何度も演奏するから、自分自身でもじっくり聴く機会が増えて。そうすると、同じ歌詞でも毎回違う部分に共感したり、毎回違う感情が湧き上がってくるようになった。曲全体を意識して聴くことで、新たな発見があったり、より深い理解が得られるようになった気がする。

ニコ:毎回違うといえば、ベイリーのドラムも毎回聴くたびに新しい発見がある。本当にクレイジーだよ。どうやって出してるんだろう?って(笑)。あの独特のグルーブ感は、彼女の個性そのものだと思う。「フジロック」で新曲を演奏するんだけど、どんな新しいドラム・パターンを披露してくれるのか、今からワクワクする。ライブで聴いたら最高にエキサイティングだと思うよ。

——そういえば、デビューアルバムに影響を与えたアーティストとして、フィリップ・グラスを挙げていましたね。フィリップ・グラスの音楽のどんなところに魅力を感じますか。

ニコ:彼は間違いなく、ロックやオルタナティブ・ミュージックに最も影響を与えたクラシックの作曲家の1人だと思う。彼は1970年代からニューヨークのロック・シーンに関わっていたしね。アフリカのリズムを取り入れたポリリズムや、不協和音の多用といった斬新な手法を取り入れることで、当時のクラシック音楽の常識を覆すような音楽を彼は作っていた。リズムとメロディーを自由に組み合わせて、全く新しい音楽を生み出すアプローチは、他のジャンルのミュージシャンにも影響を与えて、音楽全体を大きく変えたと思う。常にヒップで、大衆的なペルソナを持ちながら、それでいて本格的なクラシック音楽を作曲していたところが、彼の魅力だったんじゃないかな。

ベイリー:彼の音楽の「反復」の使い方は、本当に興味深いなって思う。2人でよく話しているんだけど、最近はもっと長時間じっくりと聴けるような、深みのある音楽を探求してみたいと思っていて——ただ、聴いている方が退屈に感じてしまうんじゃないか、って不安もあるんだけど。でも、フィリップ・グラスの音楽って、聴くたびに新しい発見があって、飽きるどころか、まるで曼荼羅を見つめるように奥深くて瞑想的な空間に引き込まれていくような感覚がある。あれって本当にすごいし、クールだと思う。

ニコ:大学生だった時に「Glass works」(81年)をよく聴いていたんだ。大学には1年しか通わなかったけど、あの1年間は僕にとってとても強烈で、思い出深い1年だったんだ。だから、あのレコードを聴くと今でもエモーショナルになってしまうんだよね。

——フリコと現代音楽やミニマル・ミュージックって、一見するとすぐには結びつかない印象がありますけど……。

ニコ:次のアルバムでは、そうした音楽からの影響をもっと詰め込みたいと思ってる。でも確かに、1枚目のアルバムはミニマルじゃないよね(笑)。というのも、それは僕自身の音楽的なルーツと大きく関係していて。僕は高校生のころからデヴィッド・ボウイに夢中で、彼が全てだったから。だから1枚目のレコードには、さまざまな種類のサウンドが詰まっていて、あらゆる感情のスペクトラムを音楽で表現したかったんだ。ストレートなパンク・バンドであり、シンガー・ソングライターであるような、自由に何でもやりたかった。立ち止まって考えるんじゃなくて、とにかく前に進んでいく。それが僕らのスタイルなんだ。それってつまり、僕らがどうやって物事に対して向き合い、何を選択して、どう生きていくか、ということの表れでもあると思うんだ。

ベイリー:いずれはアンビエントやインストゥルメンタルのアルバムを作ってみたい。それは、私たちが音楽を通じて表現したいもう1つの側面であり、探求したい新たな領域だから。実はアンビエント・ミュージックの制作にトライしてみたことがあって、いつか本格的なアルバムとして完成させたいと思っているんです。

音楽を聴くきっかけのアーティスト

——英米のインディー・ロックから、ビートルズやボウイのようなレジェンド、さらには今話してくれたクラシックやミニマル・ミュージックまで、さまざまな音楽から影響を受けてきたことを公言している2人ですが、中でも自分が意識的に音楽を聴くようになるきっかけとなったアーティストは誰になりますか。

ベイリー:私が楽器を始めたころ、一番最初にハマったのがパラモアとミーウィズアウトユーだった。でも、もっと大きくなってからハイエイタス・カイヨーテに出会って、音楽の世界観がガラリと変わった。特にドラムを叩くようになって、彼らの音楽を自分の手で表現したくてしょうがなかった。まだ勉強中だったから全然うまくなかったけど、ハイエイタス・カイヨーテの曲を聴きながらドラムを練習した日々は楽しかったな。

——ちなみに、パラモアはどんなところに惹かれたんですか。

ベイリー:感覚的なものだったと思う。初めて聴いた時、とにかくその音楽に強く惹かれて。それに当時、ポップ・パンク・シーンで女性がフロントマンを務めるバンドはそれほど一般的ではなかった。彼女たちはキャリアを通じて今に至るまで、常に自分の音楽を貫いていて、自分たちが「正しい」と思うことをやってきた。女性がフロントマンを務めるロック・バンドというのは本当にインスピレーションになったし、すごく勇気をもらえました。

それに、彼女(ヘイリー・ウィリアムス)はとても若かった。パラモアが最初のレコードを発表した時、彼女はまだ15歳か16歳だったと思う。そんな若いのに、あんなに力強く、エモーショナルな音楽を作り出すことができるなんて本当にすごいなって衝撃を受けて。私が初めてパラモアを聴いたのは、確か9歳か10歳の時で、年齢も近かったし、それが彼女たちに共感できた理由でもあったと思う。彼女たちは、若くして自分の夢を追い求め、音楽を通じて自分たちの声を力強く発信していた。すごく刺激的だったし、そんな彼女たちの姿を見て、私も音楽をやりたいって思ったんです。

——パラモアといえば特にヘイリー・ウィリアムスは、自分たちがいるパンク/エモのコミュニティーが、ジェンダーや肌の色の違いを超えて、誰にとっても開かれたセーフ・プレイスになるようアクションを起こしてきたことでも知られています。そうしたオピニオン・リーダー的な部分も、彼女に共感を寄せる理由としてありますか。

ベイリー:うん。コミュニティーを作り上げていく上で重要なのは、誰もが安全だと感じられる場所にすることだと思う。そして、安全な空間を作るためにどうすればいいのかを、みんなと話し合うことが大切。だから、その価値観に共感してくれる人に来てほしい。音楽って、感情を揺さぶるものだから、みんなが安全に楽しめるように、その意義や目的をはっきりと伝えることがとても大事だと思う。フリコのショーも、そんな場所であってほしいし、みんなが安心して楽しめて、お互いを助け合えるような空気を作りたいと思っています。

——ところで、ニコがアンビエント・ミュージックを聴くようになったきっかけって、何だったんですか。

ニコ:どうだったかな? 高校生のころ、友達と小さなグループを作って、好きな音楽をシェアしてたんだ。そこで聴いたブライアン・イーノが、僕らをアンビエント・ミュージックの世界に連れていってくれた感じかな。彼はその手の音楽のパイオニアみたいな存在だったしね。子供の頃に好きだった音楽とは全然違って、すごく静かで落ち着く感じに惹かれたんだ。独特なハーモニーが感じられて、音色もとても美しくて。

そして、最高のアンビエント・ミュージックの90%は、日本のアンビエント・アーティストによるものだと思う。最近もコンピレーション盤みたいなのをよく聴いているよ。タイトルは「カンキョーオンガク(Kankyō Ongaku:Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990)」だったかな。あのレコードが大好きなんだ。あの独特な雰囲気は、言葉では言い表せない。自然の音や環境音を巧みに取り入れていて、まるで風景画を見ているような感覚になるというか。その手の音楽は中学生のころから聴き込んでいて、久石譲や坂本龍一とか、そういう系統のものを夢中になって聴いていたんだ。フィリップ・グラスと同じような流れでね。そうした日本の音楽にも、似たような静けさを感じるんだ。メロディーとハーモニーが絶妙に組み合わさっていて、音色も素晴らしい。とてもクールで、モダンなクラシック音楽だよね。それに心が落ち着くから、高校のころは勉強する時によく聴いてたよ(笑)。集中できるしね。

——インディー・ロックが盛り上がっている今のシカゴのDIYシーンでは、音楽と音楽以外のアートが密接につながっていて、それがシーンの大きな原動力になっていると聞きました。

ニコ:そうだね。特にビジュアル・アートとの結びつきが強いと思う。若いアーティストが多いのも特徴的だよね。そこはもしかしたら、世代間の違いなのかもしれない。実際、僕たちの周りにはビジュアル・アートが好きな友人がたくさんいて、お互いに影響し合っている感じなんだ。音楽をやってる人はアートに興味を持つし、アートをやってる人は音楽が必要になる。ミュージックビデオの撮影を頼まれたりもする。「Hallogallo」が象徴的だけど、そんな感じでみんなつながっているんだ。シカゴはみんながフラットで、肩の力が入ってないというか。ロサンゼルスみたいに派手なところだと、どうしてもギラギラした雰囲気になっちゃうけど(笑)、シカゴはそんなことないよね。

ベイリー:シカゴの人ってみんな、一緒に何かがしたいって気持ちが強いんです。ステージの上だろうが、地下室だろうが、レコーディング中だろうが関係なく、とにかく一緒に音楽を作りたい。だからシカゴでは、友達が街に遊びに来ると、すぐにスタジオに集まってセッションしたりする。その場で曲を覚えて、即興で曲を演奏したり、ライブ中にゲストを呼んで一緒に演奏したり。だから今度出るNewport Folk Festivalでも、オースティンの友人をステージに呼んで、一緒にペダルスティールを弾いてもらう予定なんです。シカゴには、例えばV.V. Lightbodyみたいなマルチな才能を持った人がたくさんいる。彼女はソングライターなんだけど、フルートもすごく上手で。だからいろんなセッションに参加して、みんなと一緒に音楽を楽しんでる。シカゴって、そういうことが日常的に起こっている場所なんです。

裁縫と音楽

——ちなみに、2人は音楽以外に打ち込んでいるアートって何かありますか。

ベイリー:最近は裁縫にハマってて。キルトとかエプロンとか作ってる。あと、木を削ったり絵を描いたりするのも好き。それに妹が陶芸家で、シカゴに陶芸スタジオを持っていて。彼女の陶芸教室で教えてもらって、ろくろを回したりしたこともあります。自分で作った作品でご飯を食べたり、飲んだりできるってすごいことだと思う。実用的なアートって面白いし、自分でデザインしたものが形になるってとてもうれしい。音楽って、録音しないと形に残らないけど、アート作品は形として残るから、また違う楽しみがある。何かを想像して、それを自分の手で形にする――それがすごく楽しいんです。

ニコ:家に帰ったら、音楽以外のことにもっと時間を使いたいなって思ってるんだ。僕はいつも音楽のことばかりだから。それに、僕らマーチャンダイズはいつも友達と一緒に作っていて。だからコラボするのが好きなんだよね。僕は絵を描くのが得意じゃないから、ベイリーみたいに、何かを作るための根気がないのかも(笑)。裁縫とか、すごいなって思う。

ベイリー:楽しいからやった方がいいよ。それに裁縫って、音楽と意外な共通点があることに気付いたり。例えば、キルト作りで最初に苦労したのは、パターンを考えたり、布を裁断したりする準備段階だった。いざ縫い始めると、あとはひたすら縫うだけだから、その前の準備の大切さを実感した。それって、音楽で曲を作るのも一緒だと思う。レコーディングに入る前にしっかり曲の構成を考えたり、アレンジを練ったりすることが大切。裁縫も音楽も、完成させるためには、忍耐強さや全体を見通す力が求められると思う。

——そういえば、7インチの「Crimson to Chrome」のアートワークに飾られている靴の刺しゅうって、ベイリーの作品?

ベイリー:いや、あれはニコのパートナーが刺しゅうしたもので。

ニコ:実は今回、彼女も今日本に来ていて。彼女が刺しゅうしたんだ。

——あの、爪先に星の模様が入った靴は、何がモチーフになっているんですか。

ニコ:あれは、昔いつもステージで履いていた靴なんだ。今はもう履いていないんだけどね。あの曲は歌詞に靴が出てくるし、ライブでも靴を踏みつけたりするパフォーマンスをしたこともあって。だからあの靴をアートワークに使うのがしっくりくると思ったんだよね。あの靴は僕にとって特別な一足なんだ。

ベイリー:マーカーで星を描いたピンクのドレスシューズだよね? あれ、カッコよかったな。6足くらい買ってなかった?

ニコ:あの靴、気に入ってるからたくさん持ってるんだ(笑)。またステージで履くつもりだから、大事に保管してるんだよ。

——その「Crimson to Chrome」しかり、デビュー・アルバムのアートワークもそうですが、ハンドメイド的な温かみって、フリコの音楽とも重なる感覚だなって思っていて。

ニコ:そうそう、僕らはああいうアートワークが大好きなんだ。ホースガールとか、僕らがシカゴでよく一緒に演奏しているバンドの作品のアートワークを、友人のイーライ・シュミット(Eli Schmitt)がたくさん手がけていて。彼が、ヘムロック(hemlock)というバンドをやっている友人のキャロライナ・シャーフ(Carolina Chauffe)とコラボして、あのアルバムのジャケットを作ったんだ。あのジャケットに使った画像は、もともと「National Geographic」みたいな雑誌に載っていた鎖の写真だったんだけど、著作権の関係で使えなくてね。それで、イーライがオリジナルのデザインに作り替えてくれたんだ。

ファッションについて

——裁縫や靴の話題が出ましたが、関連してファッションのこだわりがあったら教えてください。

ニコ:何だろう? 自分に合ったスタイルでいたい、ってことかな。自分が今いる場所で心地よく過ごしたい、というか。例えば、僕はステージ衣装にこだわりがあるから、音楽の雰囲気を損なわないように、自分にとってしっくりくるものを選んでる。でも、ベイリーみたいにカジュアルな格好もカッコいいと思うし。それに明日、日本のデニムを買いに行くんだよね。楽しみだな。

ベイリー:私たちは高価なブランド服とかよりも、自分が気に入ったものを着る方が好き。個人的には古着屋で買った服が多いかな。最近、シャツの袖をカットして着てるんだけど、すごく楽で気に入ってる。いちいち袖をまくるのが嫌になっちゃって(笑)。ちなみに、今履いているパンツはシカゴのユニクロで買ったものなんだけど、体にフィットしたパンツを履くと本当に快適で。服って、その人の個性を出すためのツールだと思うし、自分とのつながりを感じられるものなら何だっていい。

自分に似合う服を着ると、自信が持てるし、気分も上がる。それに髪型だってそう。髪を短くしたら、顔周りがすっきりして、新しい自分になった気がした。ネックレスやイヤリングもそうだし、ひとつのジュエリーが洋服を引き締めるってとても素敵なことだと思う。服って、日々変化していくものだから、そこがファッションの面白いところだと思う。

ニコ:一度気に入った服を見つけると、それをずっと着てることが多いかな。昔、リーバイスの店員に勧められたベルボトムみたいな形のジーンズがあるんだけど、もうほかのジーンズは履けないくらい気に入ってる。同じ形のものを2本買って、ヘビロテしてるよ。自分に合う服って、それを見つけるのが難しいから、一度見つけたら大切に着たいって思うんだ。それにファッションって、音楽とかエンターテインメントの世界と似てる部分があると思うんだ。深く追求すればするほど、新しい発見があるし、思わぬ出会いもある。普段出会えないような人ともつながれるかもしれない。ファッションを通して、もっといろんな人と知り合いたいよね。

——ちなみに、ベイリーは服を作ったりはしないんですか。

ベイリー:実は最近、服作りに興味があっていろいろ試してるんだけど、まだ外に着ていけるようなものはできてなくて。服って、毛布みたいにただ体にかぶせるだけじゃなくて、動いたりする体にフィットさせなきゃいけないから、思った以上に難しい。

ニコ:でも、今着てるの、すごくいいじゃん。

ベイリー:ありがとう(笑)。でも、まだまだかな。もっと研究したいんだけど、なかなかうまくいかないんだよね。

ニコ:じゃあ、自分のファッション・ブランドを立ち上げてみたら? カットオフ専門の(笑)。

ベイリー:いいかも(笑)。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

■FRIKO JAPAN TOUR 2024
チケットは発売中
大阪公演
公演日:11月19日
会場:梅田クラブクアトロ
時間:18時30分開場、19時30分開演
料金:(前売り)7500円

東京公演
公演日:11月21日
会場:神田スクエアホール
時間:(開場)18時30分、(開演)19時30分
料金:(前売り)7500円
https://smash-jpn.com/live/?id=4236

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Koki,が語る初の海外映画「タッチ」とファッション そして「俳優として父のようになりたい」

俳優でモデルのKoki,が出演する映画「タッチ(Touch)」(原題は「Snerting」)が本国のアイスランドに続き、アメリカをはじめとした諸外国での公開が広まっている。同作品はKoki,にとって2作目の映画であり、初めての英語による海外映画となる。日本では来年1月の公開を控える中、Koki,が米「WWD」のインタビューに応じ、「タッチ」のストーリーや役柄について、また多くのラグジュアリーブランドに起用されるファッションのこと、今後のこと、そして父である俳優の木村拓哉について語った。

2つの時代とロマンスが交差する映画「タッチ」

バルタサール・コルマウクル(Baltasar Kormakur)監督による映画「タッチ」は、アイスランド人作家のオラフ・オラフソン(Olaf Olafsson)による小説を原作に描いたラブロマンス。1970年に出会い、突如姿を消した初恋の日本人女性を、年月が経った2020年に探す一人の男性、クリストファー(Kristofer)の心の旅を描いている。Koki,は、その女性の“ミコ”を演じた。作品は、2020年の現在と50年前の過去が交差するストーリー。若き2人が恋に落ち、徐々に愛を深めていくロマンスは話題を集めている。

Koki,は、「最初にこの小説を読んだとき、完全に心を奪われ、読むのを止められませんでした。そして、現実的だなと。誰かと過ごした一瞬が人生を変え、自分にとって大きな意味を持つということ。時間は自分の外見を変えてしまうが、人の感情や記憶を変えることはないということ。ストーリー展開は、とても感動的です。バルタサール(監督)が2つの時代を行き来させる構成はとても素晴らしく、私も撮影中の全ての思い出がフラッシュバックするような気持ちになりました」と振り返る。

また衣装も見どころの一つに挙げた。「1970年のシーンでは、『スカートが短すぎるんじゃない?』と同僚に声をかけられるシーンがあるんですが、ミコは『あ、ここはもう日本じゃないんだ』と気付くんです。ミコが新しい環境で成長しようとする心境が衣装からもわかります。また、彼女の衣装でクリストファーとの関係性も見てとれます。どのようにリンクし変化していくのか、ストーリーが展開するにつれて明らかになっていきます」。

モデルとして、ラグジュアリーブランドから多くのラブコール

ファッションでいえば、Koki,はすでに大きな影響力を発揮している。15歳だった2018年、日本初そして歴代最年少として「ブルガリ(BVLGARI)」のアンバサダーに就任し、一躍世界のファッションシーンにその名を広めた。その後も「シャネル(CHANEL)」のビューティアンバサダーに起用された他、20年に「コーチ(COACH)」の日本アンバサダー、21年に日本人モデルとして初めて「エスティ ローダー(ESTEE LAUDER)」のグローバルスポークスモデル、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のフレンド・オブ・ザ・ハウスに続けて抜擢された。また「ヴァレンティノ(VALENTINO)」21年春夏では、 ピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)=クリエイティブ・ディレクターのビジョンを体現する国際的な人物を各国から選出され、キャンペーンビジュアルに登場。ラグジュアリーブランドの顔となるモデルとして、ステップアップを続けている。

「あらゆるブランドとお仕事をさせていただいて、ファッションがいかに人々のインスピレーションとなり、人々に感動や自信を与えているかなど、カルチャーやファッションの多彩な側面について多く学ぶことができています。ファッションは本当に広大で強い影響力があります。私をすごく夢中にさせてくれるものです」。

「父のようになりたい。私に大きな影響を与えてくれた」

2022年に公開された「牛首村」で女優デビューを果たしたKoki,。俳優で歌手の木村拓哉と歌手の工藤静香の次女としても有名であるが、幼い頃から彼女は両親の活躍を通じてこの業界に触れてきた。「幼い頃から父の演技やパフォーマンスを見ていて、演技にすごく興味が持ったんです。いつしか『ああ、私も父のようになりたい』と思うようになり、観客にこんなふうに思ってもらいたい、こういう感情やメッセージを感じてもらいたいと俳優としての想いを持つようになったんですよね。父のパフォーマンスや演技は、私に大きな影響を与えてくれました」。

今年初めにはスコットランドのエジンバラで、侍映画をオマージュしたサバイバー・スリラー映画「トルネード(Tornado)」の撮影を行った。また未発表だが、近々自身初のシリーズ作品の撮影が始まる予定だという。「さまざまな役、さまざまなジャンル、さまざまな国で挑戦し続けたい」と今後について話す。まずは「タッチ」の日本公開が待ち遠しいところだ。Koki,は「私の心に秘めた宝物のようなこの特別な作品を、国内外の多くの方々にシェアすることができて本当にうれしく思います。鑑賞いただいた皆さんからの感想がとても楽しみです」と語った。

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同年代のファッション消費に違和感 “映え”じゃない思想ある服作りに挑む早稲田大学繊維研究会

PROFILE: 早稲田大学繊維研究会

早稲田大学繊維研究会
PROFILE: 1949年創立。約100人が在籍する国内最古のファッションサークル。卒業生には「アンリアレイジ(ANREALAGE)」の森永邦彦、「ケイスケカンダ(KEISUKE KANDA)」の神田恵介をはじめとした多くのデザイナーを輩出。「ファッション業界を取り巻く現状に対して、ファッションを媒体として批評を行う」ことを活動の軸としており、その発表の場として、ルックのデザインから制作までの全てを部員自ら手掛けるファッションショーを毎年行っている

1949年創立の国内最古のファッションサークル、早稲田大学繊維研究会がファッションショーを実現させるまでの道のりを全4回の連載で紹介する。第1回は「ファッションが軽率に消費されているのではないか」と危機感を感じるという小山萌恵さんがコンセプト発案の背景について、代表の井上航平さんがコンセプトを落とし込んだルック撮影の裏側についてを語る。

軽率化するファッション消費に違和感
ショーを通じて「みえないもの」に焦点を当てる

WWD:ファッションショーのコンセプトを決めた背景は?

小山萌恵(以下、小山):今年度は「みえないものをみるとき」というコンセプトを掲げます。2020年以降コロナ禍を契機としたSNSの拡大、通信販売の普及により、発信するのも情報を得るのも、購入するのも誰もが簡単にできる時代となりました。そんな今、一つ一つの消費行動が軽率化しているように思います。特にファッションという分野において、その傾向は著しく、例えば“映え”るかどうかを判断基準に、安易に服を購入するといった人も少なくありません。ネオ・デジタルネイティブとも呼ばれる私たちの世代は、そんな時代の変化から顕著に影響を受け、また体現している世代と言えるでしょう。

WWD:そんな現状をどう捉えているか。

小山:目先の“映え”や安さに目を眩ませ、商品に込められた作り手の意図や生産に至る背景といった部分をおざなりにしながら、消費だけが独り歩きしている現状に危機感を感じています。本来、なぜ、どのようにしてそのプロダクトが生まれたのか、そんな「みえない」側面にこそファッションの本質は宿っているのではないでしょうか。このコンセプトはそんな思いから発案しました。

WWD:コンセプトの「みえないもの」は何を指すか。

小山:ファッションから視点を広げたさまざまなものです。例えば音楽を聴いて、知らないはずの情景を思い浮かべること。思い出の場所で、あの人ときたいつの日かを思い出すこと。いないはずの人の声が聞こえるとき。気配を感じる、感情を汲み取る、直観に導かれる。休符のリズム、余白の美学、行間の意図などです。

WWD:ショーを通じて何を伝えたい?

小山:私たちは日々の中でさまざまな“目には見えない何か”を知覚しながら生きています。表層のその先を見出す想像力を携えている私たちは、それがもたらす力の大きさを知っているはずです。今回のショーはその価値を再認識させるようなものにしたいです。そしてファッションへと視点を戻したとき、本質を捉えた消費のあるべき姿に立ち返る糸口となり得るのではないかと思うのです。

「ぼんやりとしていながらも澄んでいる」
ガラス張りの建築を探し求めたルック撮影

WWD:ショーの開催にあたり、ルックブックとオープニング映像の撮影をした。今年はどんなロケーションを選んだ?

井上航平代表(以下、井上):灼熱の太陽が照り付ける神奈川・江の島です。撮影場所を選ぶ際に重視したのが、①ガラス張りの建築物があるか、②視覚から爽やかな風を感じられるか、の2点でした。ぼんやりとしていながらも澄んでいる、そんな相反する2つのイメージを持つ今回のコンセプトをもとに、この2点を軸として撮影場所を決めました。

WWD:江ノ島のどんなエリア?

井上:江の島に入って左手、この時期でも比較的観光客の少ない穴場エリアに佇む湘南港ヨットハウスです。1964年、最初の東京五輪に合わせて建築し、2014年に流線型の屋根に全面ガラス張りの壁という現在の特徴的な姿に生まれ変わった建物で、思い描いていたイメージにぴったりでした。

WWD:撮影はどんなチームで行った?

井上:今回の撮影では、部員が制作した全7ルックを3人のモデルさんに着用してもらいました。スチール撮影をお願いしたのは、Kazuki Hiokiさん。ショー開演前に会場に投影するオープニング映像の制作は、今年度新たな試みです。こちらの撮影を巻嶋翔さんにお願いしました。以前は失礼ながらクリエイターと言えば寡黙、という勝手なイメージを持っていましたが、僕が繊維研究会に入部してからお会いしたカメラマンさんはHiokiさん、巻嶋さん含めてどなたも気さくな方ばかりで、被写体の自然な表情を作品にするには、単純なカメラ技術だけではなく、その明朗な人柄も重要なのだと気付かされました。

WWD:ヘアメイクはどのように手掛けたか。

井上:作品撮りにおいて衣装と同じくらいヘアメイクも重要です。ショーでもご協力いただくカプラスさんより3人のヘアメイクの方々にお越しいただきました。今回撮影の7ルック、どれも大幅なチェンジを要するヘアメイクだったのですが、タイトなスケジュールの中でそれぞれのルック制作者の要望を完璧にかなえてくださいました。

WWD:次のプロセスは?

井上:この先は、今回の撮影データを使用し、部員自らの手でルックブックのレイアウトや装丁デザイン、オープニング映像の編集を行っていきます。これほど多くの方々にご協力いただいただけに、データから感じる重みはとても大きいですが、この素材の良さに甘えず、最大限活かすことのできる作品作りを目指します。

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UKの新星、ザ・ラスト・ディナー・パーティーの「Maximalism」——「躊躇なく、やりたいことを全部やる」

PROFILE: ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party)

ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party)
PROFILE: 2021年に結成されたアビゲイル(Vo.)、ジョージア(Ba.)、リジー(Gt.)、エミリー(Gt./Vo.)、オーロラ(Key.)によるロンドン発の5人組バンド。22年にはローリング・ストーンズのハイドパーク公演にオープニング・アクトとして抜擢。23年4月にリリースしたキャッチ―でダークなギター・ポップ曲「Nothing Matters」はオンライン上で話題となり、急速にバンドの名が広まった。24年にはBritアワードのライジングスター賞、BBCによるSound of 2024の第1位を獲得する等、インディー・ロック・シーンの注目を集め、期待度が非常に高まる中、待望のデビュー・アルバム「Prelude to Ecstasy」を2月にリリース。発売初週には、全英アルバムチャート1位を獲得した。左からエミリー、リジー 、アビゲイル、ジョージア、オーロラ

話題のバンドが相次いで登場している最近のイギリスのロック・シーン。中でも異彩を放っているのが、2021年に結成されたロンドンの5人組、ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party。以下TLDP)だ。ヴィクトリア朝時代やルネサンス風の衣装が目を引く、バロック的な感性とモダンなテイストをミックスしたシアトリカルなルック。そして、ニューウエーヴやグラム、ハードロック、オペラなど多彩な要素を取り入れ、ストリングスやホーンが細部まで飾り立てる華やかでハイブリッドなサウンド。そんな彼女たちが重要なテーマとして掲げているのが、「Maximalism(過剰主義、最大主義)」――いわく「やりたいことは、全部やる」という哲学。その言葉どおり、ビジュアル的にも音楽的にも創造性あふれるスタイリッシュな美学に貫かれた彼女たちのクリエーションは今、世界中を熱狂させている。

デビュー前からローリング・ストーンズのツアーでオープニング・アクトを務めるなど大舞台を経験してきたTLDPは、この春に待望のファースト・アルバム「Prelude to Ecstasy」をリリース。多くの賞賛を集める中、イギリス/アイルランドを代表する音楽賞の一つ、マーキュリー・プライズが先ごろ発表した今年度のノミネーションにもチャーリーXCXやニア・アーカイヴスの新作と並んで同作は選ばれるなど、彼女たちを取り巻く勢いは高まりを見せ続けている。そのサウンドとファッションをつなぐ創作のインスピレーション、背景にあるアートやカルチャーの影響について、「フジロック」に出演のため初来日したTLDPのジョージア(ベース)とリジー(ギター)に話を聞いた。

——デビュー・アルバムの「Prelude to Ecstasy」に入っていない曲で、「Godzilla」って仮タイトル?の曲を最近のライブでやってますよね。まさかTLDPから怪獣映画の名前が出てくるなんて、と驚いたんですが。

ジョージア:実はあの曲では、実際にオリジナルのゴジラの映画のサンプリングを使っていて。ただ、コピーライトの問題でいろいろあって(笑)、正式な曲名がつけられなかったんです。なんて言ったらいいんだろう?……すごくクレイジーな曲というか、だってゴジラでしょ? 巨大な怪獣だから(笑)。

——TLDPのテイストには「ゴシック」という要素があると思いますが、もしかして日本の特撮映画も好きだったりするのかな?と。

ジョージア:(笑)実は、日本の映画、特にホラー映画が大好きなんです。「HOUSE ハウス」とか、「リング」みたいな(と、うつむいて手を伸ばして、TVからはい出してくる貞子のマネをする)。

——(笑)。TLDPのクリエーションにはさまざまなアートやカルチャーのリファレンスが散りばめられていますが、2人の感性に引っかかる日本のアートやカルチャーってありますか。

ジョージア:日本には素晴らしい文学作品がたくさんあって、カズオ・イシグロは大好きな作家の一人です。それに、(日本語で)ニホンノオンガクガスキデス(笑)。おとぼけビ〜バ〜は最高。あと、羊文学っていうロック・バンドも好きです。

リジー:私はジャズが大好きで、だから日本のニュー・ジャズ、ビッグ・バンド・ジャズに興味があるかな。

——ちなみに、今回の来日で楽しみにしていたことって何かありますか。

ジョージア:ショッピングかな。街を歩くのも楽しみだし……この暑さだと大変そうだけど(笑)。それと、日本の食べ物は本当においしいから楽しみ!

リジー:でも、やっぱりライブかな。「フジロック」はもちろん、今夜のショーも楽しみ!

TLDPのマニフェスト

——TLDPを結成するに当たって、ジョージアさんはアビゲイル(・モリス)さんと2人で、自分たちのビジョンを詳細に記したマニフェストのようなものを書いたそうですね。

ジョージア:はい。バンドをやろうって思った時から、「バンドとして何を表現したいのか?」についていろいろと考えていたんです。パブでワインを飲みながら、お互いのアイデアを大声で言い合ったりして(笑)。それで2人でノートを買って、思いつくままに書き留めるようになったんです。自分たちが好きな響きの言葉とか、「白昼夢を想像させるようなバンドをやるとしたら、どんなサウンドやビジュアルだろう?」、「何を象徴するバンドにしたいのか?」とか。まあでも、その時は酔っ払っていて、実現不可能なアイデアもたくさんあったけど(笑)、でもあのノートがTLDPの原点になったのは間違いない。あれは運命的な夜だったと思うし、あの時、私たちは2人で、自分たちの音楽の未来を描いたんです。

——実際に活動していく中で、当初のマニフェストは変化していった?

ジョージア:そうですね。ただ、最初のアイデアが重要なんです。そこから時間を重ねて、いろんなものに触れる中で、私たちはバンドとして成長してきたと思う。たくさんの音楽やカルチャーにインスピレーションを受けてきたし、身の回りのもの全てが創造性を刺激してくれるアイデアの宝庫なんです。だから私たちは常に変化し続けているし、これからもそうあり続けると思います。

——ちなみに、そのマニフェストには具体的にはどんなワード、サウンドやビジュアルについてのアイデアが書かれていたんですか。

リジー:「Decadence(退廃)」、「Grotesque(異様な)」、「Extravagance(贅沢)」、「Theatrical(演劇的)」とか、そういう言葉がたくさん並んでいたよね。

ジョージア:そう、あとは「Ecstatic(恍惚的)、「Feral(獰猛)」、「Chaotic(混沌)」、「多幸感(Euphoric)に包まれた状態」……とか(笑)。サウンドについては、弦楽器にギター・ソロをつけてドラマチックにしたい、とかね。ビジュアルも音楽も、「Maximalism(過剰主義)」という言葉がぴったりだと思う。それって、“自分の持っているもの全てをさらけ出す”ということだから。ありとあらゆるものを詰め込んで、とにかく派手にしたい。アンチ・ミニマリズムだね(笑)。

——その「Maximalism」というコンセプトについて、もう少しかみ砕いて説明することはできますか。

ジョージア:つまり、“躊躇なく、やりたいことを全部やる”という哲学だと思う。音楽でもファッションでも何でもそうだけど、多くのものはどこか控えめで、クールぶっていて、何も気にしていないように見せかけているものであふれていると思う。でも本当は違うでしょ? 実際には周りの目や評価を意識したり、すごくいろんなことに気を使っている。だから私たちの「Maximalism」は、そんなの全部無視して、自分の感情に正直になるってことだと思う。音楽だって、やりたいことを全部詰め込む。自分を抑制しない。「これってやり過ぎかな?」とか、「ここでトランペットを吹くのはトゥーマッチかな?」とか、「ボールガウンを着て演奏するのってどうなの?」とか、そういう不安や疑念を持たないで、やりたいことは全部やる。だって、私たちは「やり過ぎ」こそが最高だって信じているから。自分の中にあるものを全て表現する――それが「Maximalism」なんです(笑)。

理想のアーティストは?

——素晴らしい(笑)。そうした「Maximalism」の観点から、2人にとって理想のアーティストを挙げるなら、誰になりますか。

ジョージア:フローレンス・アンド・ザ・マシーン。彼女は自分の音楽とスタイルに忠実で、とても尊敬している。あとは、クイーンやデヴィッド・ボウイのような歴史上の偉大なアーティストにも引かれます。

リジー:ビヨンセやレディー・ガガも最高だよね。音楽だけでなく、ビジュアルやパフォーマンスも含めて一つの壮大な作品を作り上げているのが本当に素晴らしいと思う。そうして“世界”全体を創造するのが好きな人たちこそが、私たちにインスピレーションを与えてくれる存在なんだと思う。彼女たちも「Maximalism」の実践者で、つまり「Maximalist」って言えるんじゃないかな。

——ちなみに、ボウイだといつの時代が好きですか。

ジョージア:「Ziggy Stardust」は私にとって永遠のナンバーワン、常に一番好きなアルバムです。あれが1970年代に作られたレコードだなんて、とても正気の沙汰とは思えない(笑)。あれは時代を先取りしている、とても現代的なレコードだから。あの時代にロンドンのハマースミス・アポロで行われた「Ziggy Stardust」のライブ・ビデオがあって、本当に素晴らしいパフォーマンスだった。今でも見返すことがあって、見るたびに感動するし、とてもインスパイアされます。

——TLDPの「Prelude To Ecstasy」をボウイのディスコグラフィーに例えるなら?

ジョージア:「Ziggy Stardust」だと思う。どっちも「Theatrical」だし、世界の終わりみたいなことを歌ってるから(笑)。

リジー:奇妙なスペースマンみたいにね(笑)。

——個人的には、TLDPが作る「Low」みたいなアルバムも聴いてみたいな、って。

ジョージア:想像つかない(笑)。でも、ベルリン三部作も大好きだし、「Blackstar(★)」も大好きです。というか、どの時代のボウイも素晴らしいと思う。

影響を受けたアートやカルチャー

——「Nothing Matters」のMVでは、ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」やペトラ・コリンズの映像作品にインスピレーションを得たビジュアルが話題を集めました。

ジョージア:(ソフィア・コッポラもペトラ・コリンズも)ビジュアルの美学や哲学が明確で、ユニークで、本当にクールだと思う。

——音楽以外のところで、2人がどんなアートやカルチャーにインスピレーションを受けてきたのか、ぜひ知りたいです。

リジー:私の場合、興味のあるものが常に変化していて、その振れ幅がとても大きい(笑)。その時々のフレーバーみたいなものがあって、例えば今はジャズにハマっていて、特にインプロヴィゼーションが大好き。ライブにもよく行くし、私にとってジャズを聴くこと、ジャズの生命エネルギーを感じることは人生のマスタークラス(特別授業)みたいなところがあると思う。

ジョージア:大学で英文学を専攻していたので、その時々に読んでいる本から常にインスピレーションを受けてきました。特に19世紀のヴィクトリア朝文学が大好きで、でも、もうほとんど読んでしまっていて(笑)。なので今は、新たなジャンルを開拓しているところなんです。最近読んだ本だと、メキシコ人の作家のフェルナンダ・メルチョールが書いた「Hurricane Season(ハリケーンの季節)」という本が素晴らしくて。町の外れに追放された魔女の話で、とても面白かった。最近はもっと現代文学を読むようにしているんです。

リジー:ああ、私って全然本を読まないからなあ(笑)。

——音楽以外のところで、最近気になっているクリエイターがいたら教えてください。

リジー:ケイ・テンペストが大好き。彼女はミュージシャンだけど、何より詩人、物書きとして素晴らしくて。彼女の文体――詩を織り交ぜた散文のようなスタイルで、文章を形成する方法も抽象的で、とても引かれる。彼女が次に何をするのか楽しみだし、彼女が書いたものを早く読んでみたいなって。

ジョージア:ロンドンには若くて才能あふれるファッション・デザイナーがたくさんいて、最近だとダブリン出身のOran O'Reillyとコラボレーションしました。彼はチャペル・ローンの衣装も担当していて、彼が作ったドレスは素晴らしかったな。とてもクールで。

リジー:見た見た。最高だったよね!

——ほかに、日本のファンに紹介したいオススメのファッション・ブランドはありますか。

ジョージア:そうだな……「Rabbit Baby」というブランドは日本のファンもきっと気に入ると思う。

リジー:最高!

ジョージア:私たちも一緒に仕事をしたことのあるイギリス人のデザイナーのブランドで、美しい白いドレスや小物がすてきなんです。手先が器用で、どれも繊細な作りで、手編みの小さなウサギのモチーフが特に素晴らしい。大好きなブランドで、だから日本のファンも「Rabbit Baby」をサポートしてくれたらうれしいな。

——TLDPがまとうファッションからは、年代やカルチャー、ジェンダーの異なる表現をミックスして楽しむ実験精神が伝わってきます。2人が個人的に好きなファッションのテイストはどういったものですか。

ジョージア:私は“実験する”のが大好きなんです。ステージで大きなスーツを着るのも好きだし、中世風の小さなプリント柄の衣装を着るのも好き。インターネットでいつもいろんなものをチェックしているし、そこからインスピレーションを受けるのが楽しいんです。

リジー:着こなしをマネするのはタダだしね(笑)。個人的には、サイバーでフューチャリスティックなファッションが好きで。だから3枚目のアルバムはSFみたいな感じになっているかも(笑)。

ジョージア:最高(笑)。スチームパンクみたいな感じとかいいかもね。

——TLDPのライブは「ドレスコード」があることで知られています。“グリム兄弟”や、“フォーク・ホラー”といったテーマで……ただ、それはけっして強制的なものではないそうですが、ファンにとってTLDPのライブはどんな場所であってほしい、という思いがありますか。

ジョージア:メンバーみんなで何度も話し合ってきたことだけど、私たちのショーはいつだって最高のものにしたいと思っている。来てくれるファンには、歌でも何でも楽しんでもらいたいし、だから私たちは常に最高のパフォーマンスを心掛けています。でも同時に、ライブがファンにとってセーフスペースであってほしいと思っていて。そこでは何にも躊躇せず、思いっ切りファッションを楽しめる場所だって感じてほしいんです。

リジー:特に女の子にとってはね。

ジョージア: ほんとそう。だから時々、ライブ前に会場の外で最高にドレスアップしたファンが並んでいるのをこっそり見るのが、私たちにとって最高の楽しみなんです。

リジー:みんな、私たちよりオシャレだよね(笑)。

ジョージア:そうそう。私たちのライブがファンにとって安全で、自分のことが受け入れられていると感じられる場所にしたいんです。みんなにとって居心地のいい場所であってほしい。もしかしたら、普段の生活、学校や家族の前では自分の個性を出しづらいと感じている人もいるかもしれないけど、でもここではみんなと一緒に「Maximalism」――つまり、最大限に自分を表現することを楽しんでほしいなって。みんながそれぞれの個性を輝かせて、自分だけのスタイルを確立できるような、そんな場所でありたいと思ってます。

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI

■デビュー・アルバム「Prelude to Ecstasy」
1. Prelude to Ecstasy/プレリュード・トゥ・エクスタシー
2. Burn Alive/バーン・アライヴ
3. Caeser on a TV Screen/シーザー・オン・ア・ティーヴィー・スクリーン
4. The Feminine Urge/ザ・フェミニン・アージ
5. On Your Side/オン・ユア・サイド
6. Beautiful Boy/ビューティフル・ボーイズ
7. Gjuha/ジュア
8. Sinner/シナー
9. My Lady of Mercy/マイ・レディー・オブ・マーシー
10. Portrait of a Dead Girl/ポートレイト・オブ・ア・デッド・ガール 11. Nothing Matters/ナッシング・マターズ
12. Mirror/ミラー
13. Nothing Matters (Acoustic)/ナッシング・マターズ (アコースティック)
※国内盤ボーナストラック

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衣料品リサイクルのショーイチが「ミラノ・ウニカ」初出展 ラグジュアリーブランドも好反応

近年、衣料品のリサイクル事業に注力しているショーイチ(大阪、山本昌一社長)は、7月9〜11日に伊ミラノで開かれた素材展「ミラノ・ウニカ」に初出展した。「日本のアパレルや小売企業の間では、ありがたいことにショーイチはリサイクル事業で一定の知名度を得ており、口コミでクライアントが増えている」と山本社長。国内企業に加え、ラグジュアリーブランドを含む海外企業ともつながってリサイクルを進めていく方法を探っていた際、国内産地の有力素材メーカー数社に「ミラノ・ウニカ」出展を薦められたのだという。

年内には海外企業と契約へ

「ミラノ・ウニカ」は半期に1度ミラノで開催される素材の大型見本市で、今年7月の展示会にはイタリア内外から約570社が出展し、3日間で約5500社が来場した。ショーイチは自社のブースで、余剰在庫を引き取って仕分けし、国内産地のパートナー企業と組んで反毛し、紡績して再び生地を作るというサービスを紹介。実際にリサイクルしてできた生地や、それを使用した製品サンプルも展示した。その結果、ラグジュアリーを含む多数の海外企業の担当者がブースを訪れ、商談が進んだ。「年内には契約につなげていきたい。こちらから再度欧州に出向いて追加説明する用意もある」と山本社長は意気込む。

クリーンエネルギーの
船便でCO2削減

ただし、衣料品のリサイクルを提供している企業は現地欧州にももちろんある。わざわざ日本のショーイチのところに余剰在庫を運ばなくても、欧州の在庫は欧州でリサイクルができる。その方が輸送で余分なCO2も出ない。その点は、「クリーンエネルギーの船便を使うことで懸念を払拭する。輸送費はショーイチで持つことも考えている」と山本社長。ウニカの来場者と話す中で、「欧州のリサイクル企業は引き取ってくれる余剰在庫の量に制限がある」「自分たちで仕分けをしてからリサイクル企業に送らねばならず、作業に慣れていないため困難」といった声を聞いた。「欧州は廃棄に関する法規制が先行していることで、現場の担当者はどうしたらいいのかいよいよ困っている。サステナビリティに対する解像度や問題意識の深さは担当者によってさまざまだと感じたが、各社の問題意識に寄り添い、的確なリサイクル方法を提案したい」。

尾州の反毛ウールに高評価

来場者からは、展示していたリサイクル素材に対しての高評価も得た。特に、尾州(愛知)などの素材メーカーと組んでいる反毛ウールに、「反毛でここまで繊維を細くできる点がすばらしい」という声が集まったという。「日本の産地と組んでいるからこその技術力の高さが評価された」と山本社長は分析。ショーイチの取組先は尾州だけではなく、例えば泉州(大阪)の工場は、レザーや人工皮革、ゴムなども破砕して他の素材と共にフェルトに変えられる。このように作られたフェルトは柔軟で軽量、耐久性に優れており、自動車向け資材や建築資材として活用され、廃棄物削減に貢献する。「レザーシューズやバッグの余剰在庫のリサイクルは服以上にいま大きな課題となっているが、それにも対応できる」点も強みだ。また、欧州企業からは、反毛してできたリサイクル糸を再度自社に納入してほしいという声も多かった。それももちろん可能だ。

「ファッションは
冒険要素を持ち続けてほしい」

「ショーイチが全て引き取ってくれるから、いくらでも在庫を残して大丈夫という意識になってしまっては本末転倒だ」と山本社長はアパレル業界に釘も刺す。「なるべく在庫を残さないように、適量を見定めて作ることはもちろん重要」と語る。ただし、ファッションは必ず売れるものだけ作るのではつまらない。ある程度の冒険要素がないと、ワクワクしないし新しいものも生まれない。「ショーイチが後ろに構えているから、ファッションの魅力の1つである挑戦の姿勢を持ち続けてほしい。何よりも、どうリサイクルするべきか困っている現場の担当者たちをしっかりサポートしたい」と山本社長は繰り返す。手応えを感じたことから、2025年2月の「ミラノ・ウニカ」にも継続出展予定だ。

問い合わせ先
ショーイチ
050-3151-5247

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フォンテインズD.C.が語るスマッシング・パンプキンズやKornからの影響——最新作「Romance」インタビュー

隣国のイギリスと呼応するかたちで、近年めざましい活況を呈してきたアイルランドのロック・シーン。中でもその代表格が、首都ダブリンで結成された5人組、フォンテインズD.C.(Fontaines D.C.)だ。

アイリッシュ・ポエットやビート文学の話題で意気投合し、地元のパブでテーブルを囲みながら詩を書き始めたことが曲作りの始まりだったというデビュー・アルバム「Dogrel」(2019年)。ブラック・ミディやシェイムなどサウス・ロンドンの新世代と共振する現行ポスト・パンクの一角として早くから注目を集め、国内外の名だたる音楽賞で受賞やノミネートを重ねるなか、4年前にリリースした2ndアルバム「A Hero's Death」(2020年)がグラミー賞で「Best Rock Album」の候補に選出。U2やシネイド・オコナーに続く母国のグラミーノミニーとなり、今やグローバルな評価を手にするに至ったか彼らの軌跡は、復調が叫ばれて久しい昨今のロック・シーンにおいても際立った例といえるかもしれない。

そんなフォンテインズD.C.が、名門レーベル<XL Recordings>に移籍して、4作目となる2年ぶりのニュー・アルバム「Romance」をリリースする。前作「Skinty Fia」(2022年)で試みたエレクトロニックなアプローチを推し進め、さらにさまざまなアコースティック楽器も取り入れながら、シューゲイザー、グランジ、ニュー・メタル、サイケ・フォーク、ヒップホップ、テクノなど多彩な要素をまとめ上げたサウンドスケープ。新たにジェームス・フォード(アークティック・モンキーズ、ラスト・ディナー・パーティー)をプロデューサーに起用し、とりわけメロトロンやストリングス・アレンジメントが形作るレイヤー豊かな音色は今作を特徴づける音楽的なポイントだろう。加えて、「アイリッシュネス(アイルランド人としての存在証明)」がテーマとしてあったこれまでのアルバムに対し、そこから解き放たれたようにイマジネーションとドラマ性を増したリリックも印象的だ。

今回、ニュー・アルバム「Romance」の背景とバンドの現在について、「フジロック」出演のために来日したフォンテインズD.C.のコナー・カーリー(ギター)とトム・コール(ドラムス)に聞いた。

「ファッションは自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた」

——今回のニュー・アルバムの告知に合わせてカヴァーを飾った「Crack Magazine」でのメンバーのファッション――ネオン・カラーの効いたスケート・パンク風のルックを見て、とても驚きました。あの一新されたビジュアルのイメージは、今回のアルバムに向けたバンドのどんなモードが反映されたものだと言えますか。


トム・コール(以下、トム):そうだね、さっきも考えていたのは……この前(去年)の東京へのツアーが僕らに大きな影響を与えたってことなんだ。特に東京のファッションは衝撃的で、本当に目からうろこだった。すごく未来的で、クリエイティブな面で大きなターニングポイントになったような気がする。とても刺激されたし、あの経験が、僕らの音楽にも大きな影響を与えたのは間違いないと思う。ファッションって、音楽に直接影響を与えると思うし、東京で見たファッションが僕らの創造性のスイッチを入れて、今までとは全く違うモードになったというか。

コナー・カーリー(以下、カーリー):これまでバンドとしては正直、ファッションについてそこまで意識したことがなかったんだ。でも、ファッションにハマってみると、自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた。まるで麻薬にハマるみたいにのめり込んでしまう(笑)。ファッションって、自分自身を表現するためのもう一つの言語みたいなもので、だからファッションと音楽を組み合わせることで、音楽に新しい側面を加えることができるって思うんだ。

このアルバムでは、ポップ・ミュージックやヒップホップからたくさんのインスピレーションを得たから、それでファッションも大胆になったんじゃないかな。例えばポップやヒップホップの世界では、派手なファッションは当たり前だけど、ギター・ロックの世界だとちょっと浮いてしまう。だからファッションを通じて、音楽とはまた違った形で自分を表現できることがすごく新鮮で興奮するんだ。ファッションって、音楽に新しいサウンドを生み出すインスピレーションになることもあると思うんだ。

——確かに、あのカラフルだけどダークで、ハイブリッドでエッジーなファッションは、今回のアルバムのサウンドのトーンと重なるものだと思います。

トム:このニュー・アルバムでは、エレクトロニックでシンセサイザー的な要素がたくさん取り入れられていて、大きな絵の具のパレットで絵を描くみたいに、より広大なサウンドスケープを創り上げたかったんだ。僕らは今回、90年代の音楽、特にスマッシング・パンプキンズのようなグランジにインスピレーションを受けつつ、一方でレイブ・ミュージックのエネルギーを加えることで、独自のサウンドを確立しようとした。さまざまな色を混ぜ合わせて、新たな色を生み出すようにね。派手な服を着てスタジオに入ると、自然と曲ももっとエネルギッシュになったり、新しいアイデアが浮かんだりするように、ファッションって感情や創造性を刺激してくれるものなんだと思う。

ニューアルバム「Romance」での新しい試み

——トムはプレスリリースの中で、今作は「初めてのスタジオ・アルバム」だとコメントしています。その意味するところはなんでしょう? というのも、フォンテインズD.C.の曲作りではこれまで一貫して、「スタジオの外でも再現可能かどうか?」というジャッジが不文律としてあったと思うのですが。

トム:その通りで、最初の3枚のアルバムでは、自分たちが持っている楽器でライブ演奏できない曲は作らないという、ある種のルールを強いていた。逆にいうと、それが自分たちに制約を課していたところがあったと思う。でも、今回のアルバムではもっと自由に音楽を作りたかった。ストリングスやシンセサイザーをたくさん重ねて、より複雑で奥行きのあるサウンドにしたかった。だから、以前のような制限を設けずに、曲作りに没頭して、僕らが感じるままに多くのレイヤーを追加していった。ライブでどう演奏するかは後で考えよう、ってことにしてね(笑)。

カーリー:そう。今回は、ライブでどう演奏するかは考えずに、僕たちがやりたいと思ったことをどんどん曲に詰め込んでいった。これまでのアルバムとは全く違う、新しい作曲方法だったよ。

——先ほど名前が挙がったスマッシング・パンプキンズ以外で、今回のサウンドのリファレンスとなったアーティストはいましたか。前作ではプライマル・スクリームやデス・イン・ヴェガス、ロニ・サイズなどを挙げていましたが。

トム:デフトーンズもそうだと思う。

カーリー:間違いないね。あと、2000年代前半のKorn(コーン)のレコードも大きかったと思う。でもそれは、一般的にいう“影響”とは違っていて。サウンドそのものに影響を受けるっていう意味じゃなくて、その音楽から感じるエネルギーとか、その音楽が作り出す世界観みたいなものが僕らの心に染み込んで、自然と自分たちの音楽に影響を与えた感じだね。

——Kornの名前は、グリアンもCrack Magazineのインタビューで挙げていましたね。ただ、フォンテインズD.C.とKornって、意外すぎる組み合わせというか、これまでのイメージからするとあまりにかけ離れていて……。

カーリー:まあそうだよね(笑)。ただ、Kornや、それにスリップノットのようなバンドにしろ、従来の音楽の枠を超えたヘビィでアグレッシブなサウンドと、衝撃的なビジュアルを融合させることで独自の世界を築き上げている点で革新的だったと思う。ポスト・モダンな要素を取り入れながらも、決して時代遅れになることのない、新鮮なエネルギーが感じられる。さっきのファッションの話ともつながるけど、そうして自分たちでビジュアルとサウンドを一体化して、一つの世界観みたいなものを作り上げているところに、一番インスピレーションを受けたんじゃないかな。

——ちなみに、今回のアルバムでブレイクスルーになった曲は?

トム:「Here's The Thing」かな。あの曲は、このアルバムがこれまで自分たちがやってきたこととは全く違うものである、ということを体現していると思う。「このアルバムが何を表現しようとしているのか?」という問いに対する答えの多くと結びついているというか。

カーリー:「In The Modern World」もそうだと思う。あのストリングスのパレットは、ある意味、この世界の縮図のようなものなんだ。まるでこの世界の複雑で美しい混沌を映し出しているような、そんな感覚があのストリングスにはある。その感覚が、このアルバムの核となる部分を支えているのは間違いないと思う。

——前作「Skinty Fia」の制作では新たなアプローチとしてLogicが使われていましたが、今回の曲作りやレコーディングはどのようなプロセスで進められたのでしょうか

トム:このアルバムでは、僕たちのこれまでの制作プロセスとは全く異なるアプローチを取ったんだ。通常は、みんなで顔を突き合わせて曲を書き、リハーサルを重ねて、最後にデモを作成する。でも今回は、曲を書き、一度演奏しただけでレコーディングに臨んだ。その後、ラップトップで編集し、メンバー全員で新しいレイヤーを重ねていった。そうして長い時間をかけてコンピュータ上で曲が作り込まれていった。だから、自分のパートを演奏するだけではなく、サウンド全体を俯瞰して、全ての要素を一つのサウンドとして捉えることができた。そうすることで楽曲全体の完成度を最大限に引き出すことに集中できたし、全体のストーリー性を意識して一貫性のある世界観を構築できたと思う。

——アルバム終盤の「Horseness Is The Whatness」をはじめ、メロトロンのビンテージな音色や、アコースティック楽器が醸し出すオーガニックなテイストも今作では印象的です。

トム:メロトロンは素晴らしいキーボードだよね。バンドのメンバーの中には、実際にメロトロンを手に入れた奴もいた。あれはまるで、本物の弦楽器を自由に操れるような感覚なんだ。素晴らしいストリングス・サウンドを手軽に作り出すことができる。レトロな雰囲気の音色で、アルバム全体に温かみをプラスしてくれたと思う。

——リヴァーブが美しい「Sundowner」では、カーリーがリード・ボーカルを担当しています。グリアン以外がメインで歌う曲はバンド初、になりますね。

カーリー:あれは去年ロンドンで書いた曲で、その時はとても寒くて、だから寒々しい雰囲気の曲が書きたかったんだ(笑)。青みがかかったような曲をね。当時、プライマル・スクリームやマッシヴ・アタックのような、どこかメランコリックなサウンドに惹かれていて。オリジナルのデモはエレクトロニックなドラムを多用していて、もっと実験的でフリーキーなサウンドだったような気がする。でも、最終的に完成したアルバムのバージョンに満足しているよ。

——トムにとって、個人的に思い入れの深い、自分をリプレゼントしてくれるような曲はどの曲になりますか。

トム:間違いなく「Here's The Thing」だと思う。この曲は、僕らがスタジオで書いた最後の曲だったと思う。最後のスタジオ・セッションの日、全てのトラックを仕上げた後にみんなでジャム・セッションを始めたら、突然この曲が生まれたんだ。まるで、曲自体が自分から飛び出してくるような感覚だった。どのアルバムにも自分たちの分身がいるような気がするけど、この曲は特に僕たちの本質を如実に表していると思う。そう、この曲はただ演奏して踊り出したくなるような、純粋な衝動に突き動かされるような曲なんだ。だから「Here's The Thing(※ここに本質がある)」ってタイトルにしたんだ。

——今回のアルバムでは、特に「Desire」や「In The Modern World」で聴ける、グリアンの情熱的でロマンチックな歌声も深い印象を残します。グリアンは昨年、内省的なソロ・レコードを発表しましたが、側(はた)から見て彼の変化を感じたり、何か思うことはありましたか。

トム:最初のレコードから今に至るまで、僕らはそれぞれのポイントにおいて独自のスタイルを確立してきた気がする。その成長の過程で、ボーカリストとしてのグリアンの変化を各作品で見ることができるのは本当に素晴らしいことだと思う。君が言うように、このアルバムは、まさに今に至るまでの彼の変化の軌跡を如実に感じることができる作品だと思うよ。

カーリー:これまでのアルバムでのグリアンのボーカルは、ある種の型にはまったイメージを持たれていたところがあったかもしれない。でも、グリアンはこれまでも常に素晴らしいシンガーだったし、ただ、僕たちの音楽が、シンガーとしての彼の、ある特化したスタイルを際立たせていたという側面もあったと思う。だけど今回のアルバムでは、僕たちの音楽性の変化によって、彼のボーカル・スタイルも新たな境地を開拓できたというか、幅広い表現力が引き出されたところもあったのかもしれないね。

「Romance」は現代社会を寓話のように表現したようなアルバム

——オープニングの「Romance」には、「maybe romance is place(きっとロマンスこそが居場所)」という印象的なフレーズがあります。フォンテインズD.C.の作品では、これまで常に「場所」がテーマとして描かれていて、そこにはアイルランド人としてのアイデンティティーをめぐる問題がさまざまな形で反映されてきました。ただ今作では、そうしたテーマ、いわば自分たちを縛り縛り付けてきた「場所」から解き放たれたような、そんな印象を受けます。

トム:うん、このアルバムはおそらく、より内省的なアルバムだと思う。心の奥底にある静かな感情を表現したかった。それに、僕たちはもう長い間アイルランドを離れていて、だからアイルランドの視点で書くのは後ろめたいというか、それって借り物の感情で歌うような不自然な感じがしたんだ。

カーリー:(今作は)もっとフィクションに近いと思う。「Romance(恋愛、性愛)」とは、架空の物語を紡ぎ出すための場所――というか。現代の出来事をそのまま描くんじゃなくて、現代社会を寓話のように表現したような、そんなアルバムなんだ。

——抽象的な言い方になりますが、今作を通じて“新しい居場所”を見つけた、みたいな感覚もあったのかな?と。

カーリー:それは人生全般について? とても重い質問だな(笑)。でも、どんなアーティストにとっても同じだと思うんだ。自分の人生を濃縮して、そのエッセンスだけを抽出するようなプロセスを経て、最後に残るのは、その軌跡をたどるような作品なんだと思う。それってまるで、自分自身のための奇妙なセラピーというかさ。創造的な活動を通して、何かに没頭することで、自分自身を深く探求する。そしてその結果として、作品という形でそれを世に出す。と同時に、そうやって出来上がった作品と向き合うことで、「自分ってこんな人間なんだ」って改めて気付かされるんだよ。

——プレスリリースには、「このアルバムでは、今までずっと言いたかったけれど、言えなかったことを伝えている」というコメントもありますね。

トム:そうだね、このアルバムは、今の僕たちの姿、今の僕たちがいる“居場所”を映し出しているような気がするんだ。自分たちの心の奥底から湧き出る感情に、嘘偽りなく向き合っている。自分たちの中で何が起こっているのか、今の僕たちが感じていることを、とても正直に、そして誠実に表現している作品だと思う。

——今回のアルバムの曲の中で印象的な歌詞、今の自分の心情を映し出している歌詞を選ぶなら?

カーリー:「I'm the pig on the Chinese calendar(僕は中国暦の豚)」(「Starburster」)かな?(笑)。いや、絞れないよ。でも、「maybe romance is a place」は気に入っている。歌詞を並べていくうちに、曲全体の風景が鮮やかに浮かび上がってきて、自分自身もその世界の中に引き込まれていった。まるで新しい自分に出会えたような感覚だった。「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」みたいに想像力の扉が開かれたというか、「もしかしたらロマンスは実在するのかもしれない」って思わせてくれる。つまり、イマジネーションが現実を彩り、新たな世界を生み出すんだ。

トム:「Horseness is the Whatness」だね。あの曲の歌詞は、客観的に見ても本当に美しい。このアルバム全体の核心を突いているような、強烈なインパクトがある。このアルバムの全ての瞬間を凝縮していて、心に深く残るんだ。

——ちなみに、2人にとって、今作のタイトルである「Romance」を別の言葉で言い換えるとするなら?

トム:「obsession」かな。「ロマンス」とは、ある種の強迫観念のようなものだから(笑)。

カーリー:「patience(忍耐)」だね(笑)。ロマンチックな関係は、ある種の計算や論理だけでは説明できない、少し狂気じみた要素を含んでいると思う。完璧な答えを求めるのではなく、自分だけの答えを見つけ出すような予測不能なもので、だからこそ面白いというか。流れに身を任せて、その時々を楽しみ、心の奥底から湧き出る感情を大切にする。「ロマンス」は、日常のルーティンから抜け出し、特別な瞬間を共有することで、新しい自分に出会う旅のようなものだと思う。今まで経験したことのない感情や価値観に触れることで、自分自身を成長させることができる、そんなエキサイティングな経験なんだ。そうして自分の中にある可能性を引き出し、新しい世界に飛び込むことで、人生を豊かにすることができるんじゃないかな。

シェイン・マガウアンとシネイド・オコナーについて

——今回のアルバムは、昨年亡くなった母国アイルランドの偉大なアーティスト、ザ・ポーグスのシェイン・マガウアンとシネイド・オコナーにささげられています。彼らは2人にとって、またフォンテインズD.C.というバンドにとってどんな存在でしたか。

トム:シェインはいつだって、僕たち全員にとってインスピレーションを与えてくれる存在だった。彼の詩的で、かつ挑発的でいて美しい言葉たちは、僕たちの魂を揺さぶり、心の奥底に眠っていた何かを呼び覚ましてくれるものだった。彼の影響は僕たちの音楽の根底を支える土台だったし、彼との出会いは運命だったと改めて思うよ。

彼が亡くなったことはアルバムのレコーディング中に知ったんだ。僕らはフランスにいて、それでみんなでバーに集まって、彼のことをしのびながら一杯やろうってことになった。まさかこんな別れが来るなんて、本当に悲しかったし、とてもショックだった。彼の突然の死は、今も心の傷として残っている。

カーリー:グリアンが彼を“北極星”だって表現していたんだ。まさにその通りだなって思うよ。キャリアで迷うことがあったらいつも、彼の音楽が道しるべになってくれた。どんなに暗闇の中をさまよっていたとしても、彼の音楽が僕を正しい方向へと導いてくれた。計り知れないほどのインスピレーションを与えてくれたし、彼のソングライティングから学んだことは、僕の音楽の根底を支える礎になっている。彼は僕にとってなくてはならない、唯一無二の存在だった。彼がいなかったら、今の自分はなかったと思うよ。

——シネイド・オコナーについては、前作の「Skinty Fia」でも大きなインスピレーションだったとグリアンが話していましたね。

トム:シネイド・オコナーが亡くなったと知ったときのことは、今でも鮮明に覚えている。心の底から打ちのめされたような衝撃で、まるで胃をえぐられるような感覚だった。アイルランド中が彼女の追悼に包まれ、その光景は今もこの目に焼きついている。彼女の死は自分にとって大きな喪失だった。巨大な文化的喪失であり、でも同時に、大きなインスピレーションも感じたんだ。

もし機会があれば、1990年頃のピンクポップ・フェスティバルで彼女が歌う「Troy」のライブ映像を見てほしい。正直で生々しくて、彼女の音楽が持つ力強さを改めて感じさせてくれる。僕たちの魂に直接語りかけてくるような、音楽に対する情熱を再燃させてくれるような素晴らしいパフォーマンスだった。

カーリー:シネイドはとても激しくて、情熱的な女性だった。彼女の率直な言葉は、いつも僕の心に深く突き刺さった。彼女のように自分の信念を貫き、正直に自分の気持ちを言えるようになりたいって。でも、現実はそう簡単じゃない。だから、彼女のことを思い出すと勇気づけられるんだ。そんな彼女が、世間の目からすれば過激だと捉えられて、批判にさらされたのは本当に残念だったと思う。でも、彼女の勇気ある行動は、多くの人々に影響を与えたと思う。

幸運なことに、亡くなる直前の年に彼女に会うことができたんだ。彼女はまるで、世界の重荷を背負っているかのような女性だった。でも、その瞳には内に秘められた強さが輝いていた。彼女がどれだけ真摯で、情熱にあふれたアーティストだったか。だから彼女に直接感謝を伝えることができて、本当に良かったよ。

PHOTOS:MASASHI URA

label: XL Recordings / Beat Records
release: 2024.08.23
CD 国内盤(解説書・歌詞対訳付き): 2860円
CD 輸入盤:2320円
LP 限定盤(数量限定 / ホットピンク・ヴァイナル):5280円
LP 輸入盤:4950円
Cassette 輸入盤:2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14039

TRACKLISTING:
1. Romance
2. Starburster
3. Here’s The Thing
4. Desire
5. In The Modern World
6. Bug
7. Motorcycle Boy
8. Sundowner
9. Horseness is the Whatness
10. Death Kink
11. Favourite
12. I Love You (Live at Red Rocks) *bonus track for Japan

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フォンテインズD.C.が語るスマッシング・パンプキンズやKornからの影響——最新作「Romance」インタビュー

隣国のイギリスと呼応するかたちで、近年めざましい活況を呈してきたアイルランドのロック・シーン。中でもその代表格が、首都ダブリンで結成された5人組、フォンテインズD.C.(Fontaines D.C.)だ。

アイリッシュ・ポエットやビート文学の話題で意気投合し、地元のパブでテーブルを囲みながら詩を書き始めたことが曲作りの始まりだったというデビュー・アルバム「Dogrel」(2019年)。ブラック・ミディやシェイムなどサウス・ロンドンの新世代と共振する現行ポスト・パンクの一角として早くから注目を集め、国内外の名だたる音楽賞で受賞やノミネートを重ねるなか、4年前にリリースした2ndアルバム「A Hero's Death」(2020年)がグラミー賞で「Best Rock Album」の候補に選出。U2やシネイド・オコナーに続く母国のグラミーノミニーとなり、今やグローバルな評価を手にするに至ったか彼らの軌跡は、復調が叫ばれて久しい昨今のロック・シーンにおいても際立った例といえるかもしれない。

そんなフォンテインズD.C.が、名門レーベル<XL Recordings>に移籍して、4作目となる2年ぶりのニュー・アルバム「Romance」をリリースする。前作「Skinty Fia」(2022年)で試みたエレクトロニックなアプローチを推し進め、さらにさまざまなアコースティック楽器も取り入れながら、シューゲイザー、グランジ、ニュー・メタル、サイケ・フォーク、ヒップホップ、テクノなど多彩な要素をまとめ上げたサウンドスケープ。新たにジェームス・フォード(アークティック・モンキーズ、ラスト・ディナー・パーティー)をプロデューサーに起用し、とりわけメロトロンやストリングス・アレンジメントが形作るレイヤー豊かな音色は今作を特徴づける音楽的なポイントだろう。加えて、「アイリッシュネス(アイルランド人としての存在証明)」がテーマとしてあったこれまでのアルバムに対し、そこから解き放たれたようにイマジネーションとドラマ性を増したリリックも印象的だ。

今回、ニュー・アルバム「Romance」の背景とバンドの現在について、「フジロック」出演のために来日したフォンテインズD.C.のコナー・カーリー(ギター)とトム・コール(ドラムス)に聞いた。

「ファッションは自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた」

——今回のニュー・アルバムの告知に合わせてカヴァーを飾った「Crack Magazine」でのメンバーのファッション――ネオン・カラーの効いたスケート・パンク風のルックを見て、とても驚きました。あの一新されたビジュアルのイメージは、今回のアルバムに向けたバンドのどんなモードが反映されたものだと言えますか。


トム・コール(以下、トム):そうだね、さっきも考えていたのは……この前(去年)の東京へのツアーが僕らに大きな影響を与えたってことなんだ。特に東京のファッションは衝撃的で、本当に目からうろこだった。すごく未来的で、クリエイティブな面で大きなターニングポイントになったような気がする。とても刺激されたし、あの経験が、僕らの音楽にも大きな影響を与えたのは間違いないと思う。ファッションって、音楽に直接影響を与えると思うし、東京で見たファッションが僕らの創造性のスイッチを入れて、今までとは全く違うモードになったというか。

コナー・カーリー(以下、カーリー):これまでバンドとしては正直、ファッションについてそこまで意識したことがなかったんだ。でも、ファッションにハマってみると、自己表現の方法としてすごく面白いって気付いた。まるで麻薬にハマるみたいにのめり込んでしまう(笑)。ファッションって、自分自身を表現するためのもう一つの言語みたいなもので、だからファッションと音楽を組み合わせることで、音楽に新しい側面を加えることができるって思うんだ。

このアルバムでは、ポップ・ミュージックやヒップホップからたくさんのインスピレーションを得たから、それでファッションも大胆になったんじゃないかな。例えばポップやヒップホップの世界では、派手なファッションは当たり前だけど、ギター・ロックの世界だとちょっと浮いてしまう。だからファッションを通じて、音楽とはまた違った形で自分を表現できることがすごく新鮮で興奮するんだ。ファッションって、音楽に新しいサウンドを生み出すインスピレーションになることもあると思うんだ。

——確かに、あのカラフルだけどダークで、ハイブリッドでエッジーなファッションは、今回のアルバムのサウンドのトーンと重なるものだと思います。

トム:このニュー・アルバムでは、エレクトロニックでシンセサイザー的な要素がたくさん取り入れられていて、大きな絵の具のパレットで絵を描くみたいに、より広大なサウンドスケープを創り上げたかったんだ。僕らは今回、90年代の音楽、特にスマッシング・パンプキンズのようなグランジにインスピレーションを受けつつ、一方でレイブ・ミュージックのエネルギーを加えることで、独自のサウンドを確立しようとした。さまざまな色を混ぜ合わせて、新たな色を生み出すようにね。派手な服を着てスタジオに入ると、自然と曲ももっとエネルギッシュになったり、新しいアイデアが浮かんだりするように、ファッションって感情や創造性を刺激してくれるものなんだと思う。

ニューアルバム「Romance」での新しい試み

——トムはプレスリリースの中で、今作は「初めてのスタジオ・アルバム」だとコメントしています。その意味するところはなんでしょう? というのも、フォンテインズD.C.の曲作りではこれまで一貫して、「スタジオの外でも再現可能かどうか?」というジャッジが不文律としてあったと思うのですが。

トム:その通りで、最初の3枚のアルバムでは、自分たちが持っている楽器でライブ演奏できない曲は作らないという、ある種のルールを強いていた。逆にいうと、それが自分たちに制約を課していたところがあったと思う。でも、今回のアルバムではもっと自由に音楽を作りたかった。ストリングスやシンセサイザーをたくさん重ねて、より複雑で奥行きのあるサウンドにしたかった。だから、以前のような制限を設けずに、曲作りに没頭して、僕らが感じるままに多くのレイヤーを追加していった。ライブでどう演奏するかは後で考えよう、ってことにしてね(笑)。

カーリー:そう。今回は、ライブでどう演奏するかは考えずに、僕たちがやりたいと思ったことをどんどん曲に詰め込んでいった。これまでのアルバムとは全く違う、新しい作曲方法だったよ。

——先ほど名前が挙がったスマッシング・パンプキンズ以外で、今回のサウンドのリファレンスとなったアーティストはいましたか。前作ではプライマル・スクリームやデス・イン・ヴェガス、ロニ・サイズなどを挙げていましたが。

トム:デフトーンズもそうだと思う。

カーリー:間違いないね。あと、2000年代前半のKorn(コーン)のレコードも大きかったと思う。でもそれは、一般的にいう“影響”とは違っていて。サウンドそのものに影響を受けるっていう意味じゃなくて、その音楽から感じるエネルギーとか、その音楽が作り出す世界観みたいなものが僕らの心に染み込んで、自然と自分たちの音楽に影響を与えた感じだね。

——Kornの名前は、グリアンもCrack Magazineのインタビューで挙げていましたね。ただ、フォンテインズD.C.とKornって、意外すぎる組み合わせというか、これまでのイメージからするとあまりにかけ離れていて……。

カーリー:まあそうだよね(笑)。ただ、Kornや、それにスリップノットのようなバンドにしろ、従来の音楽の枠を超えたヘビィでアグレッシブなサウンドと、衝撃的なビジュアルを融合させることで独自の世界を築き上げている点で革新的だったと思う。ポスト・モダンな要素を取り入れながらも、決して時代遅れになることのない、新鮮なエネルギーが感じられる。さっきのファッションの話ともつながるけど、そうして自分たちでビジュアルとサウンドを一体化して、一つの世界観みたいなものを作り上げているところに、一番インスピレーションを受けたんじゃないかな。

——ちなみに、今回のアルバムでブレイクスルーになった曲は?

トム:「Here's The Thing」かな。あの曲は、このアルバムがこれまで自分たちがやってきたこととは全く違うものである、ということを体現していると思う。「このアルバムが何を表現しようとしているのか?」という問いに対する答えの多くと結びついているというか。

カーリー:「In The Modern World」もそうだと思う。あのストリングスのパレットは、ある意味、この世界の縮図のようなものなんだ。まるでこの世界の複雑で美しい混沌を映し出しているような、そんな感覚があのストリングスにはある。その感覚が、このアルバムの核となる部分を支えているのは間違いないと思う。

——前作「Skinty Fia」の制作では新たなアプローチとしてLogicが使われていましたが、今回の曲作りやレコーディングはどのようなプロセスで進められたのでしょうか

トム:このアルバムでは、僕たちのこれまでの制作プロセスとは全く異なるアプローチを取ったんだ。通常は、みんなで顔を突き合わせて曲を書き、リハーサルを重ねて、最後にデモを作成する。でも今回は、曲を書き、一度演奏しただけでレコーディングに臨んだ。その後、ラップトップで編集し、メンバー全員で新しいレイヤーを重ねていった。そうして長い時間をかけてコンピュータ上で曲が作り込まれていった。だから、自分のパートを演奏するだけではなく、サウンド全体を俯瞰して、全ての要素を一つのサウンドとして捉えることができた。そうすることで楽曲全体の完成度を最大限に引き出すことに集中できたし、全体のストーリー性を意識して一貫性のある世界観を構築できたと思う。

——アルバム終盤の「Horseness Is The Whatness」をはじめ、メロトロンのビンテージな音色や、アコースティック楽器が醸し出すオーガニックなテイストも今作では印象的です。

トム:メロトロンは素晴らしいキーボードだよね。バンドのメンバーの中には、実際にメロトロンを手に入れた奴もいた。あれはまるで、本物の弦楽器を自由に操れるような感覚なんだ。素晴らしいストリングス・サウンドを手軽に作り出すことができる。レトロな雰囲気の音色で、アルバム全体に温かみをプラスしてくれたと思う。

——リヴァーブが美しい「Sundowner」では、カーリーがリード・ボーカルを担当しています。グリアン以外がメインで歌う曲はバンド初、になりますね。

カーリー:あれは去年ロンドンで書いた曲で、その時はとても寒くて、だから寒々しい雰囲気の曲が書きたかったんだ(笑)。青みがかかったような曲をね。当時、プライマル・スクリームやマッシヴ・アタックのような、どこかメランコリックなサウンドに惹かれていて。オリジナルのデモはエレクトロニックなドラムを多用していて、もっと実験的でフリーキーなサウンドだったような気がする。でも、最終的に完成したアルバムのバージョンに満足しているよ。

——トムにとって、個人的に思い入れの深い、自分をリプレゼントしてくれるような曲はどの曲になりますか。

トム:間違いなく「Here's The Thing」だと思う。この曲は、僕らがスタジオで書いた最後の曲だったと思う。最後のスタジオ・セッションの日、全てのトラックを仕上げた後にみんなでジャム・セッションを始めたら、突然この曲が生まれたんだ。まるで、曲自体が自分から飛び出してくるような感覚だった。どのアルバムにも自分たちの分身がいるような気がするけど、この曲は特に僕たちの本質を如実に表していると思う。そう、この曲はただ演奏して踊り出したくなるような、純粋な衝動に突き動かされるような曲なんだ。だから「Here's The Thing(※ここに本質がある)」ってタイトルにしたんだ。

——今回のアルバムでは、特に「Desire」や「In The Modern World」で聴ける、グリアンの情熱的でロマンチックな歌声も深い印象を残します。グリアンは昨年、内省的なソロ・レコードを発表しましたが、側(はた)から見て彼の変化を感じたり、何か思うことはありましたか。

トム:最初のレコードから今に至るまで、僕らはそれぞれのポイントにおいて独自のスタイルを確立してきた気がする。その成長の過程で、ボーカリストとしてのグリアンの変化を各作品で見ることができるのは本当に素晴らしいことだと思う。君が言うように、このアルバムは、まさに今に至るまでの彼の変化の軌跡を如実に感じることができる作品だと思うよ。

カーリー:これまでのアルバムでのグリアンのボーカルは、ある種の型にはまったイメージを持たれていたところがあったかもしれない。でも、グリアンはこれまでも常に素晴らしいシンガーだったし、ただ、僕たちの音楽が、シンガーとしての彼の、ある特化したスタイルを際立たせていたという側面もあったと思う。だけど今回のアルバムでは、僕たちの音楽性の変化によって、彼のボーカル・スタイルも新たな境地を開拓できたというか、幅広い表現力が引き出されたところもあったのかもしれないね。

「Romance」は現代社会を寓話のように表現したようなアルバム

——オープニングの「Romance」には、「maybe romance is place(きっとロマンスこそが居場所)」という印象的なフレーズがあります。フォンテインズD.C.の作品では、これまで常に「場所」がテーマとして描かれていて、そこにはアイルランド人としてのアイデンティティーをめぐる問題がさまざまな形で反映されてきました。ただ今作では、そうしたテーマ、いわば自分たちを縛り縛り付けてきた「場所」から解き放たれたような、そんな印象を受けます。

トム:うん、このアルバムはおそらく、より内省的なアルバムだと思う。心の奥底にある静かな感情を表現したかった。それに、僕たちはもう長い間アイルランドを離れていて、だからアイルランドの視点で書くのは後ろめたいというか、それって借り物の感情で歌うような不自然な感じがしたんだ。

カーリー:(今作は)もっとフィクションに近いと思う。「Romance(恋愛、性愛)」とは、架空の物語を紡ぎ出すための場所――というか。現代の出来事をそのまま描くんじゃなくて、現代社会を寓話のように表現したような、そんなアルバムなんだ。

——抽象的な言い方になりますが、今作を通じて“新しい居場所”を見つけた、みたいな感覚もあったのかな?と。

カーリー:それは人生全般について? とても重い質問だな(笑)。でも、どんなアーティストにとっても同じだと思うんだ。自分の人生を濃縮して、そのエッセンスだけを抽出するようなプロセスを経て、最後に残るのは、その軌跡をたどるような作品なんだと思う。それってまるで、自分自身のための奇妙なセラピーというかさ。創造的な活動を通して、何かに没頭することで、自分自身を深く探求する。そしてその結果として、作品という形でそれを世に出す。と同時に、そうやって出来上がった作品と向き合うことで、「自分ってこんな人間なんだ」って改めて気付かされるんだよ。

——プレスリリースには、「このアルバムでは、今までずっと言いたかったけれど、言えなかったことを伝えている」というコメントもありますね。

トム:そうだね、このアルバムは、今の僕たちの姿、今の僕たちがいる“居場所”を映し出しているような気がするんだ。自分たちの心の奥底から湧き出る感情に、嘘偽りなく向き合っている。自分たちの中で何が起こっているのか、今の僕たちが感じていることを、とても正直に、そして誠実に表現している作品だと思う。

——今回のアルバムの曲の中で印象的な歌詞、今の自分の心情を映し出している歌詞を選ぶなら?

カーリー:「I'm the pig on the Chinese calendar(僕は中国暦の豚)」(「Starburster」)かな?(笑)。いや、絞れないよ。でも、「maybe romance is a place」は気に入っている。歌詞を並べていくうちに、曲全体の風景が鮮やかに浮かび上がってきて、自分自身もその世界の中に引き込まれていった。まるで新しい自分に出会えたような感覚だった。「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」みたいに想像力の扉が開かれたというか、「もしかしたらロマンスは実在するのかもしれない」って思わせてくれる。つまり、イマジネーションが現実を彩り、新たな世界を生み出すんだ。

トム:「Horseness is the Whatness」だね。あの曲の歌詞は、客観的に見ても本当に美しい。このアルバム全体の核心を突いているような、強烈なインパクトがある。このアルバムの全ての瞬間を凝縮していて、心に深く残るんだ。

——ちなみに、2人にとって、今作のタイトルである「Romance」を別の言葉で言い換えるとするなら?

トム:「obsession」かな。「ロマンス」とは、ある種の強迫観念のようなものだから(笑)。

カーリー:「patience(忍耐)」だね(笑)。ロマンチックな関係は、ある種の計算や論理だけでは説明できない、少し狂気じみた要素を含んでいると思う。完璧な答えを求めるのではなく、自分だけの答えを見つけ出すような予測不能なもので、だからこそ面白いというか。流れに身を任せて、その時々を楽しみ、心の奥底から湧き出る感情を大切にする。「ロマンス」は、日常のルーティンから抜け出し、特別な瞬間を共有することで、新しい自分に出会う旅のようなものだと思う。今まで経験したことのない感情や価値観に触れることで、自分自身を成長させることができる、そんなエキサイティングな経験なんだ。そうして自分の中にある可能性を引き出し、新しい世界に飛び込むことで、人生を豊かにすることができるんじゃないかな。

シェイン・マガウアンとシネイド・オコナーについて

——今回のアルバムは、昨年亡くなった母国アイルランドの偉大なアーティスト、ザ・ポーグスのシェイン・マガウアンとシネイド・オコナーにささげられています。彼らは2人にとって、またフォンテインズD.C.というバンドにとってどんな存在でしたか。

トム:シェインはいつだって、僕たち全員にとってインスピレーションを与えてくれる存在だった。彼の詩的で、かつ挑発的でいて美しい言葉たちは、僕たちの魂を揺さぶり、心の奥底に眠っていた何かを呼び覚ましてくれるものだった。彼の影響は僕たちの音楽の根底を支える土台だったし、彼との出会いは運命だったと改めて思うよ。

彼が亡くなったことはアルバムのレコーディング中に知ったんだ。僕らはフランスにいて、それでみんなでバーに集まって、彼のことをしのびながら一杯やろうってことになった。まさかこんな別れが来るなんて、本当に悲しかったし、とてもショックだった。彼の突然の死は、今も心の傷として残っている。

カーリー:グリアンが彼を“北極星”だって表現していたんだ。まさにその通りだなって思うよ。キャリアで迷うことがあったらいつも、彼の音楽が道しるべになってくれた。どんなに暗闇の中をさまよっていたとしても、彼の音楽が僕を正しい方向へと導いてくれた。計り知れないほどのインスピレーションを与えてくれたし、彼のソングライティングから学んだことは、僕の音楽の根底を支える礎になっている。彼は僕にとってなくてはならない、唯一無二の存在だった。彼がいなかったら、今の自分はなかったと思うよ。

——シネイド・オコナーについては、前作の「Skinty Fia」でも大きなインスピレーションだったとグリアンが話していましたね。

トム:シネイド・オコナーが亡くなったと知ったときのことは、今でも鮮明に覚えている。心の底から打ちのめされたような衝撃で、まるで胃をえぐられるような感覚だった。アイルランド中が彼女の追悼に包まれ、その光景は今もこの目に焼きついている。彼女の死は自分にとって大きな喪失だった。巨大な文化的喪失であり、でも同時に、大きなインスピレーションも感じたんだ。

もし機会があれば、1990年頃のピンクポップ・フェスティバルで彼女が歌う「Troy」のライブ映像を見てほしい。正直で生々しくて、彼女の音楽が持つ力強さを改めて感じさせてくれる。僕たちの魂に直接語りかけてくるような、音楽に対する情熱を再燃させてくれるような素晴らしいパフォーマンスだった。

カーリー:シネイドはとても激しくて、情熱的な女性だった。彼女の率直な言葉は、いつも僕の心に深く突き刺さった。彼女のように自分の信念を貫き、正直に自分の気持ちを言えるようになりたいって。でも、現実はそう簡単じゃない。だから、彼女のことを思い出すと勇気づけられるんだ。そんな彼女が、世間の目からすれば過激だと捉えられて、批判にさらされたのは本当に残念だったと思う。でも、彼女の勇気ある行動は、多くの人々に影響を与えたと思う。

幸運なことに、亡くなる直前の年に彼女に会うことができたんだ。彼女はまるで、世界の重荷を背負っているかのような女性だった。でも、その瞳には内に秘められた強さが輝いていた。彼女がどれだけ真摯で、情熱にあふれたアーティストだったか。だから彼女に直接感謝を伝えることができて、本当に良かったよ。

PHOTOS:MASASHI URA

label: XL Recordings / Beat Records
release: 2024.08.23
CD 国内盤(解説書・歌詞対訳付き): 2860円
CD 輸入盤:2320円
LP 限定盤(数量限定 / ホットピンク・ヴァイナル):5280円
LP 輸入盤:4950円
Cassette 輸入盤:2320円
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14039

TRACKLISTING:
1. Romance
2. Starburster
3. Here’s The Thing
4. Desire
5. In The Modern World
6. Bug
7. Motorcycle Boy
8. Sundowner
9. Horseness is the Whatness
10. Death Kink
11. Favourite
12. I Love You (Live at Red Rocks) *bonus track for Japan

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「ザ・イノウエ・ブラザーズ」が琉球藍染めの新たな価値創造に注力 「儲からないとやりたくないは格好悪い」

「ザ・イノウエ・ブラザーズ(THE INOUE BROTHERS...)」はこのほど、琉球藍研究所と協働で余剰在庫を琉球藍で染めた製品の販売を始めた。同ブランドは自らをアパレルブランドではなく、ソーシャルデザインスタジオとうたい、デザインの力で社会課題の解決に取り組む。これまでボリビアやペルー、パレスチナなどでプロジェクトを行ってきた。なぜ今、琉球藍染めなのか。2022年にデンマークから沖縄に移住した兄の聡にオンラインで話を聞いた。

WWD:琉球藍染めとの出合いは?

井上聡(以下、聡):沖縄のルーツや独自のカルチャーに興味があり、沖縄の人々に共感するところが多かった。沖縄の人は琉球人と日本人、2つのアイデンティティを持っている。僕自身、日系二世のデンマーク人だけど、デンマークでは外国人扱いされていたこともあり、近しいところがあった。沖縄は第二次世界大戦で沖縄線という大変な歴史があり、今もなおアメリカとの関係など複雑なところがある。そこにもシンパシーを感じた。そして、移住後すぐにやさしくて温かい沖縄の人々が大好きになり、沖縄に貢献したいという気持ちが強くなった。

沖縄独自の文化を広げる一助になれないかと模索する中で、取引先の方に紹介されたのが琉球藍研究所だった。名前の印象が固くて伝統的な藍染めの研究所だと感じていたので興味を持てなかった。というのも僕は伝統工芸に偏見を持っていた。過去のものをそのまま今に適用させようとしていると感じていたし、その方法は持続性がないし、そもそも自分のフィールドではないと思っていたから。

WWD:でも違った、と。

聡:超パンク。ぶっ飛ばされた気分だった(笑)。琉球藍の伝統やルールは守りながら、スニーカーやスケートボード、テーブルやいのししの頭蓋骨などを藍染めしていて、伝統工芸なのに表現がヒップホップ。“ストリート藍染め”という印象だった。彼らは「琉球藍は最高だ。その伝統を守り、文化を広げたい。それを自分たちの方法でやるんだ」と、染め方だけではなく、藍の育て方や発酵プロセスを含めて研究していて、その表現方法がモダンだった。クリエイティブなエネルギーを感じて、一緒に何かしたいと思いすぐにプロジェクトが始まった。そもそも琉球藍は国際通りのお土産屋さんで、ハンカチやふろしきなど安価に販売されていて、価値を評価されていない。これを変えたいと思った。

WWD:琉球藍が他の藍と異なる点は?

聡:琉球藍は他とは異なり“柔らかい”色合いで染まるので何度も染めを重ねて藍を深くしていくイメージかな。

WWD:琉球藍研究所のメンバーはどんな人?

聡:チームは30代が中心で、リゾートウェアブランド「レキオ」の嘉数義成デザイナーが始めた研究所。嘉数さんは高級リゾートのユニフォームのデザインを手掛けたりもしていて沖縄のスターデザイナーの一人。でも彼は今、長靴を履いて藍畑で過ごす時間が長くなっている。そもそも仕事を通じて貢献したいという気持ちが強く、自分がデザインした服の縫製は沖縄で行い、染色も沖縄でやりたくてブランドを始めた。けれど、琉球藍の染め場が残っていないことを知って取り組み始めた。それを徳島の藍のように産業化しようとしている。ビジネスとしては何も見えないうえ、お金はかかるし、坂道を上る感じだけど、格好良いよね。僕たち「ザ・イノウエ・ブラザーズ」は“格好良さは大量生産できない”をスローガンにビジネスしていて、琉球藍研究所がやっていることはトータルで「格好いい」と感じてファンになった。一般論だけど、最初から儲かる前提でないと取り組まない人は多いけど、成功した人は真逆だよね。スティーブ・ジョブスもビル・ゲイツもみんなゼロからパッションだけで始めて世界一のビジネスになった。「儲からないとやりたくない」は格好悪いと思う。

WWD:染め方で注力した点は?

聡:伝統的に使用されてきた沖縄の琉球藍を用い、天然素材や自然由来の発酵菌を利用するなど、ナチュラルにこだわったプロセスを大切にしている。藍染めは染めれば染めるほど濃くなり、このアイテムも何度も絞り染めを行っているので、普通のタイダイ柄とは異なる深みがある仕上がりになっている。土壌作りから染色までを一貫して沖縄で行っている。

WWD:藍染めをはじめとした手染めは個体差が生まれる。そこが魅力でもあるが、イメージしたものと異なるなどそれぞれの人の感性に委ねられるところがある。現在の課題と検討している解決策などがあれば

聡:今、まさにチャレンジしているところ。現在のアパレル製品は個体差があるとよくないというフォーマットだけど、そのフォーマットを超えるチャレンジは、藍染めではなく、売る側が取り組み解決しなければいけない。消費社会のフォーマットをどう変えるかにも通ずるところだとも感じている。それは昔の商売の方法に戻すのではなく、最新テクノロジーによるプレゼンの方法の問題だと考えている。藍染めは他の染色法にはない魅力があるし、藍染めの製品は他とは違うという気持ちにさせてくれる。こうした藍染めの魅力をどうプレゼンしていくか模索しているところだ。

沖縄移住の背景

WWD:2022年7月にデンマークから沖縄に移住した。なぜ?

聡:きっかけは2018年頃に長女が日本の高校に通ってみたいと興味を持ったこと。妻に相談すると教育に関しては、日本よりもデンマークの方がよいのではとなりいったん保留になった。

新型コロナウイルスの影響でロックダウンになった20年、生き方を考え直す時間ができ、改めて移住について考え始めた。気候変動の影響の一つにウィルスの脅威があると専門家も以前から指摘していたし、今回のコロナが1回切りのことではないとも感じていた。これが何かの始まりで今がチャンスだと考えた。とはいえ、妻は引き続き子どもを育てる環境として日本はふさわしいかと反対していた。そのとき思い出したのは沖縄で見かけた幸せそうだった子どもの姿。釣り竿をリュックにさしてビーサンでチャリに乗ってニコニコしていた。妻に沖縄を提案すると賛成してくれ、家族全員が「行きたい」となった。

WWD:教育について議論になったポイントは?

聡:僕個人の考えだけど、デンマークは緩すぎて日本は硬すぎる。両方のコンビネーションがいいと思っている。デンマークは個人にフォーカスしている。例えば低学年の頃から自分の意見を伝える訓練をするし、ディベートの仕方を学ぶ。情報に疑問を持つことを徹底的に教える教育を行う。また、教師と児童・生徒と立場はあるが、平等だし先輩後輩もない。他方、子どもにプレッシャーがかかるからと成績を付けるのをやめるなど緩いところもある。成績は僕自身子どもの頃にモチベーションにもなっていたから、この判断がいいかは疑問だった。日本では先輩後輩の関係を大切にする。先輩を尊敬し年配者は後輩の面倒を見る。一方、日本の教育は子どもが子どもらしくいられない、大人のような振る舞いを求めるところがある。周りに迷惑をかけないことや礼儀正しい態度など、社会人になるために準備をする側面が強いと感じていた。子どもはたまにけんかしたり、ちょっとくらいけがしてもいいと思うから。

僕自身人生の後半に入り、時間を無駄にしたくないと強く感じていて、もっとできることがあるのではと気づきを求めて来たところもある。実際デンマークにいた時よりもいろんなプロジェクトを進めている。

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田中みな実が「オーデマ ピゲ」と刻む、ワン&オンリーな人生

「オーデマ ピゲ(AUDEMARS PIGUET)」が、新作“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ(Royal Oak Mini Frosted Gold Quartz)”を発売した。ブランドのアイコン“ロイヤル オーク”のデザインを踏襲しながら進化を遂げた新たな定番をまとうのは、俳優の田中みな実だ。アナウンサーから俳優へと活動範囲を広げ、多様なジャンルで活躍する田中。その現在地を、インタビューから浮き彫りにする。

自分自身への挑戦とともに、
進化を楽しみ続けるスピリット

自身も「オーデマ ピゲ」の愛用者だという田中。普段愛用しているのは“ロイヤル オーク”の34mm、ホワイトゴールドのモデルだという。「フロステッドゴールド加工の上品な質感に引かれました。もともと『腕時計は一つあれば十分』という考えでしたが、素晴らしい時計との出合いが気持ちに変化をもたらしました。パッと見たときの造形美もさることながら、ケースの裏面から見える小さなパーツに装飾があしらわれたムーブメントやフロステッドゴールド加工……細部にわたり職人さんの丁寧な手仕事が施され、身に着けながら肌で感じる喜びを知りました。以来、良い出合いがあれば新しい時計をお迎えしています。大切に使い続けて、いつかは子どもへ孫へと受け継いでいくような一生ものに、と夢見ています」。

今回着用した“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”は、ケースサイズが23mm。まるでジュエリーのようにまとえるモデルだ。既存の“ロイヤル オーク”と比較すると印象も異なり、繊細でエレガントな個性が際立つ。「キラキラと柔らかな輝きを放ちながらも、決して華美にならない。手元にすっとなじみます。家族や友人との食事会でも身に着けて、特別なひとときを過ごしたい───。この時計を見た時に、そんなシーンも思い浮かびました」。

TBSを2014年に退社し、フリーに。ドラマや映画、CMと、さまざまな分野へと活動の裾野を広げ注目を集めてきた。「5年半勤めてフリーへの転身を決め、ここまで突っ走ってきました。でも『育てていただいて、これからというタイミングで不義理をしてしまった』という思いはずっと、今も心のどこかにあるんですよね」。

「このままフリーアナウンサーとしてもタレントとしても中途半端でいいのだろうか」と迷っていた頃に舞い込んだ、ドラマの仕事。「驚きましたし、ためらいました。それでも、周りの後押しもあって『一度挑戦してみよう』と、お引き受けすることにしたんです」。2019年に初の連続テレビドラマ出演を果たし、以降オファーが続いている。「右も左も分からぬまま演技の世界に飛び込んで、何もできない自分にいら立ちました。初めての連ドラは、ただがむしゃらに食らいついた3カ月間でしたね。振り返れば、未知の世界に困惑すると同時に、心が弾んでいた気もするんです。得意分野の中で生きるよりも、できないことに挑戦する方が性に合っているのかもしれません。とにかく自分に飽きたくない。仕事もファッションも、何もかも」。

時とともに変わりゆくビジョン、
その一瞬一瞬を輝かせて

経験と年齢を重ねて、手に取る服にも変化が。「年々、モードなテイストの服や小物を選ぶことが増えました。少しずつ似合うものが変わってきていると感じるんです。時々“らしくない”なんて言われることもあるのですが、それも笑顔で受け止められるようになって。だって意外性があった方が面白いと思いませんか?そんな年齢になってきたのかもしれませんね」。

今後の展望について聞くと「先の見通しはないんです」と柔らかな笑顔で語る。「今は、目の前にある俳優の仕事を続けていけたら幸せです。時計は小さなパーツが全てかみ合ってこそ時を刻むことができますよね。わずかでも狂いがあったり、ごまかしがあったりしたら、正確に時を刻めない。俳優業もそうなんじゃないかなと、少ない経験の中でご一緒してきた諸先輩方を見ていて、そう思います。私も自分をごまかすことなく、真正面から向き合って作品に取り組んでいきたいです。演技の技量は、言うまでもなく、評価いただくような段階にありません。それでも、挑み続ける面白さを感じています。この先40代、50代と、どんな役に出会えるのか、そしてその時々で自身が何を感じるのかがとても楽しみです」。

Profile
田中みな実 :(たなか・みなみ)1986年、埼玉県出身。2014年にTBSを退社後、現在は俳優やモデルとしても活躍の場を広げている。「ギークス 〜警察署の変人たち〜」(フジテレビ)と「ブラックぺアン シーズン2」(TBS)に出演中だ。また、2019年に発売した写真集「Sincerely yours...」(宝島社)で販売1カ月で50万部を突破、爆発的なヒットを記録する
LOOK 1:ジャケット(参考商品)、フリンジドレス 41万3600円/ともにステラ マッカートニー(ステラ マッカートニー カスタマーサービス 03-4579-6139)
LOOK 2:ドレス7万5900円/エレイン・ハーズビー(エンメ 03-6419-7712)

ジュエリー感覚で味わう、
フロステッドゴールドの輝き

1997年発表の“ミニ ロイヤル オーク”を現代的に再解釈し誕生した“ロイヤル オーク”に着想を得て、細身の手首のために設計された“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”。“ロイヤル オーク”の現行コレクションの中で最小モデルとなる。ケース径は23mm。表面にはダイヤモンドチップを先端につけたツールでハンマリングする鍛金加工を施し、繊細なきらめきを表現。もともとフィレンツェの伝統的な宝飾技法であったこの加工法は、2016年に「オーデマ ピゲ」が初めて時計に取り入れた。素材は18Kゴールドイエロー、ピンク、ホワイトの3バージョンで展開する。

時計の世界をアミューズメントに
探訪する体感型施設

エーピー ラボ トウキョウ(AP LAB TOKYO)は2023年に東京・原宿にオープンした、ブランドの世界観と時計作りに関する好奇心を刺激する世界初の“エデュテインメント”施設。“時計師への挑戦”をテーマに掲げる館内で、来場者は5つのゲームや時計師体験を通してブランドや機械式時計について楽しみながら学ぶことができる。

MODEL:MINAMI TANAKA
PHOTOS:TAKANORI OKUWAKI(UM)
STYLING:YOKO IRIE(SIGNO)
HAIR&MAKEUP:MASAYOSHI OKUDAIRA(YAMANAKA MANAGEMENT)
TEXT:SUBARU KAWACHI
問い合わせ先
オーデマ ピゲ ジャパン
03-6830-0000

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田中みな実が「オーデマ ピゲ」と刻む、ワン&オンリーな人生

「オーデマ ピゲ(AUDEMARS PIGUET)」が、新作“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ(Royal Oak Mini Frosted Gold Quartz)”を発売した。ブランドのアイコン“ロイヤル オーク”のデザインを踏襲しながら進化を遂げた新たな定番をまとうのは、俳優の田中みな実だ。アナウンサーから俳優へと活動範囲を広げ、多様なジャンルで活躍する田中。その現在地を、インタビューから浮き彫りにする。

自分自身への挑戦とともに、
進化を楽しみ続けるスピリット

自身も「オーデマ ピゲ」の愛用者だという田中。普段愛用しているのは“ロイヤル オーク”の34mm、ホワイトゴールドのモデルだという。「フロステッドゴールド加工の上品な質感に引かれました。もともと『腕時計は一つあれば十分』という考えでしたが、素晴らしい時計との出合いが気持ちに変化をもたらしました。パッと見たときの造形美もさることながら、ケースの裏面から見える小さなパーツに装飾があしらわれたムーブメントやフロステッドゴールド加工……細部にわたり職人さんの丁寧な手仕事が施され、身に着けながら肌で感じる喜びを知りました。以来、良い出合いがあれば新しい時計をお迎えしています。大切に使い続けて、いつかは子どもへ孫へと受け継いでいくような一生ものに、と夢見ています」。

今回着用した“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”は、ケースサイズが23mm。まるでジュエリーのようにまとえるモデルだ。既存の“ロイヤル オーク”と比較すると印象も異なり、繊細でエレガントな個性が際立つ。「キラキラと柔らかな輝きを放ちながらも、決して華美にならない。手元にすっとなじみます。家族や友人との食事会でも身に着けて、特別なひとときを過ごしたい───。この時計を見た時に、そんなシーンも思い浮かびました」。

TBSを2014年に退社し、フリーに。ドラマや映画、CMと、さまざまな分野へと活動の裾野を広げ注目を集めてきた。「5年半勤めてフリーへの転身を決め、ここまで突っ走ってきました。でも『育てていただいて、これからというタイミングで不義理をしてしまった』という思いはずっと、今も心のどこかにあるんですよね」。

「このままフリーアナウンサーとしてもタレントとしても中途半端でいいのだろうか」と迷っていた頃に舞い込んだ、ドラマの仕事。「驚きましたし、ためらいました。それでも、周りの後押しもあって『一度挑戦してみよう』と、お引き受けすることにしたんです」。2019年に初の連続テレビドラマ出演を果たし、以降オファーが続いている。「右も左も分からぬまま演技の世界に飛び込んで、何もできない自分にいら立ちました。初めての連ドラは、ただがむしゃらに食らいついた3カ月間でしたね。振り返れば、未知の世界に困惑すると同時に、心が弾んでいた気もするんです。得意分野の中で生きるよりも、できないことに挑戦する方が性に合っているのかもしれません。とにかく自分に飽きたくない。仕事もファッションも、何もかも」。

時とともに変わりゆくビジョン、
その一瞬一瞬を輝かせて

経験と年齢を重ねて、手に取る服にも変化が。「年々、モードなテイストの服や小物を選ぶことが増えました。少しずつ似合うものが変わってきていると感じるんです。時々“らしくない”なんて言われることもあるのですが、それも笑顔で受け止められるようになって。だって意外性があった方が面白いと思いませんか?そんな年齢になってきたのかもしれませんね」。

今後の展望について聞くと「先の見通しはないんです」と柔らかな笑顔で語る。「今は、目の前にある俳優の仕事を続けていけたら幸せです。時計は小さなパーツが全てかみ合ってこそ時を刻むことができますよね。わずかでも狂いがあったり、ごまかしがあったりしたら、正確に時を刻めない。俳優業もそうなんじゃないかなと、少ない経験の中でご一緒してきた諸先輩方を見ていて、そう思います。私も自分をごまかすことなく、真正面から向き合って作品に取り組んでいきたいです。演技の技量は、言うまでもなく、評価いただくような段階にありません。それでも、挑み続ける面白さを感じています。この先40代、50代と、どんな役に出会えるのか、そしてその時々で自身が何を感じるのかがとても楽しみです」。

Profile
田中みな実 :(たなか・みなみ)1986年、埼玉県出身。2014年にTBSを退社後、現在は俳優やモデルとしても活躍の場を広げている。「ギークス 〜警察署の変人たち〜」(フジテレビ)と「ブラックぺアン シーズン2」(TBS)に出演中だ。また、2019年に発売した写真集「Sincerely yours...」(宝島社)で販売1カ月で50万部を突破、爆発的なヒットを記録する
LOOK 1:ジャケット(参考商品)、フリンジドレス 41万3600円/ともにステラ マッカートニー(ステラ マッカートニー カスタマーサービス 03-4579-6139)
LOOK 2:ドレス7万5900円/エレイン・ハーズビー(エンメ 03-6419-7712)

ジュエリー感覚で味わう、
フロステッドゴールドの輝き

1997年発表の“ミニ ロイヤル オーク”を現代的に再解釈し誕生した“ロイヤル オーク”に着想を得て、細身の手首のために設計された“ロイヤル オーク ミニ フロステッドゴールド クォーツ”。“ロイヤル オーク”の現行コレクションの中で最小モデルとなる。ケース径は23mm。表面にはダイヤモンドチップを先端につけたツールでハンマリングする鍛金加工を施し、繊細なきらめきを表現。もともとフィレンツェの伝統的な宝飾技法であったこの加工法は、2016年に「オーデマ ピゲ」が初めて時計に取り入れた。素材は18Kゴールドイエロー、ピンク、ホワイトの3バージョンで展開する。

時計の世界をアミューズメントに
探訪する体感型施設

エーピー ラボ トウキョウ(AP LAB TOKYO)は2023年に東京・原宿にオープンした、ブランドの世界観と時計作りに関する好奇心を刺激する世界初の“エデュテインメント”施設。“時計師への挑戦”をテーマに掲げる館内で、来場者は5つのゲームや時計師体験を通してブランドや機械式時計について楽しみながら学ぶことができる。

MODEL:MINAMI TANAKA
PHOTOS:TAKANORI OKUWAKI(UM)
STYLING:YOKO IRIE(SIGNO)
HAIR&MAKEUP:MASAYOSHI OKUDAIRA(YAMANAKA MANAGEMENT)
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テレビプロデューサー佐久間宣行が語る「メンタルケア」と「仕事論」——中年を救うのは「教養と人柄」

PROFILE: 佐久間宣行/テレビプロデューサー、ディレクター、演出家、ラジオパーソナリティー、作家

佐久間宣行/テレビプロデューサー、ディレクター、演出家、ラジオパーソナリティー、作家
PROFILE: (さくま・のぶゆき) /「ゴッドタン」「トークサバイバー! 1・2・3」「インシデンツ 1・2」「LIGHTHOUSE」などのテレビ番組、配信作品を手掛ける。2019年から「オールナイトニッポン0 (ZERO)」の最年長パーソナリティの他、バラエティ番組のMCとしても活躍。YouTube チャンネル「佐久間宣行のNOBROCK TV」は登録者数200万人を突破。24年6月からサブチャンネル「BSノブロック~新橋ヘロヘロ団~」もスタートした。

テレビプロデューサー佐久間宣行の新刊「ごきげんになる技術 キャリアも人間関係も好転する、ブレないメンタルの整え方」(集英社)には、仕事や人間関係の悩みにどう向き合えばよいのか、その対処法がロジカルかつ親身に書かれている。前職テレビ東京の社員時代には「毎日のように相談を受けていた」という佐久間は、多忙を極めるテレビ業界に身を置きながら、いかにして心身の健康を保つことができたのか。また、佐久間自身の仕事論についても掘り下げる。

——本書では数々の具体的な悩み相談に応えていますね。

佐久間宣行(以下、佐久間):この10年くらい、本当にメンタルと人間関係の相談を受けることが多くて。それに応え続けていくうちに、自分の中である程度、分類や傾向も含め、回答が言語化できるようになり、かつ実際に役に立ったと言われるものがわかってきたので、それを広く共有できたら助かる人が多いだろうなと思い、本という形でまとめました。

——悩み相談の相手として選ばれるのは、ご自身のどういった面に適性があると思いますか。

佐久間:何に対してもまず言語化して考えるタイプだからでしょうね。僕は最初から感性で動いたりしないので。ロジカルに考えるだけ考えたあと、最後に感性に従うタイプ。あとは僕自身が48歳になって、加齢に伴う悩みにも実感を持つようになってきたし、それなりに仕事のキャリアや人間関係を築いてきたことで、いろんな人も見てきたし、経験値も増えたってことだと思います。

——悩みを相談されることが多くなったのは、会社を辞めてフリーになってから?

佐久間:いや、むしろ会社員時代なんて毎日ですよ。30代は特に、メンタルを壊したディレクターがみんな僕のところに悩み相談に来ていました。

——相談に応えるときに、心がけていることはありますか。

佐久間:根底にあるのは、相手のことを分かった気にならない、ってことですね。悩み相談と一口に言っても、当然いろんなパターンがあるわけで。ものすごく深刻な場合もあれば、それほど悩んでいるわけじゃなく、ただ愚痴を聞いてほしいだけの場合もある。それを見極めるのも大事かなと思います。そのうえで、愚痴の場合は解決方法があるわけではないので、ひたすら聞くだけ。深刻な場合は、なるべくロジカルに、感情的にならないように言語化して、具体的な解決方法を探る。

——悩みの種類としては、どんなものが多いなどの傾向はありますか。

佐久間:結局のところ、人間関係が多いですね。嫌なやつがいる、みたいなレベルのものから、自分の能力が発揮できない、努力を認めてもらえない、といったものまで。僕がテレビ局のADだった頃の定番、寝れない、帰れない、殴られる、キツすぎる、といった時代からは大きく変わりました。むしろ今の時代は、ADは働き方改革で守られているけど、ディレクターは自分の裁量でどうにかしないといけないので、ディレクターの方が徹夜したり、キツい働き方をしてますよ。だから悩み相談もADよりディレクターの方が多いくらい。

——中間管理職ならではの悩みですね。

佐久間:リアルでしょ。一方の若いADからの悩みは、同世代の20代がYouTubeとかTikTokで活躍しているのに、自分はまだ雑用みたいな仕事しかやらせてもらえない、みたいなタイプの相談が多い。これはテレビ業界に限らず、どの業界でもある、今の時代っぽい悩みですよね。若い人ほど、早く結果を欲しがるし、自分がみじめな気持ちになると心が折れがち。SNSで加工されたきらびやかな情報がどんどん入ってくるので、そこと比べちゃって、自分のみっともないところを認められない傾向があるのかなと思います。

SNSでのジャッジは人生の限られた大事なリソースを失っている

——今の時代っぽいということでは、本書の中で印象的だったのが「世間も友人のこともつい批判的に見て、結果自己嫌悪する自分がいます」というお悩み。

佐久間:批判グセのある人からの相談ですね。人間が1日に何かをジャッジするには限界があるんだから、そのエネルギーを自分のことに使いましょうって答えました。SNS でニュースや投稿にコメントをつけたり、コメントはつけずとも、いちいちジャッジするクセがついてる人は多いと思いますけど、あれは人生の限られた大事なリソースをだいぶ失ってますよ。

——佐久間さんは、自分の名前や番組名でのエゴサーチはしない?

佐久間:番組名はします。でもそれで一喜一憂することはなくて、反響や手応えを確かめるため、というか。番組を観てわざわざSNSに感想を書くって、だいぶ限られた人たちの行動ですよね。一言「おもしろかった」とか「つまんなかった」ならまだしも、長文の感想ってなると、かなり一部の意見ですから。

そもそも、不特定多数の人たちに届けるということは、誤解されることが前提なので、そこに振りまわされるよりは、原点に立ち返って、半径数メートルの人たちに親切に接することの方が今は大事かなと思っています。

——裏方の制作者ではなく、出演者としてメディアに出たときも、SNSの反響は気にしない?

佐久間:そこまで気にしないですね。自分が出演する場合は、基本的に職能を求められて呼ばれた場合に引き受けていたんです。テレビについて解説したり、おすすめのエンタメを紹介したり。

ただ、ここ何年かは、直接的には職能じゃない役割でオファーが来ることもあって、分かりやすいところだと「オールナイトフジコ」(フジテレビ)のMCですよね。でもそれだって、当たり前ですが、芸人のように場をおもしろく盛り上げることなんて自分にはできないので、MCという立場ではありながら、目線はディレクターだったりプロデューサーのつもりで、出演するフジコーズたちのいいところや伸びしろを見つける役割、というふうに考えるようにしています。そう考えると腑に落ちるから。自分の中で腑に落ちないと仕事は進まないですよ。

——一方で、演出やプロデューサーなど制作者としてのオファーが来た場合、受ける受けないの基準はあるのでしょうか。

佐久間:自分のタイプとして、ユーザーとしての体験がないと、芯をくったものは作れないと思っているので、あまりにも自分が接していないメディアや分野の仕事は、積極的にはやらないようにしています。マーケティングとかで理論武装することはできるけれど、プラスで愛着なり思い入れがないと、ちゃんとしたものは作れないかな。

めっちゃ機嫌がいいときと、めっちゃ機嫌が悪いときは、人と会わない

——佐久間さんが誰かに悩みを相談することは?

佐久間:一切ないですね。誰にも相談しません。会社を辞めるときでさえ、自分で決めてから「辞めようと思います」って、周りに言いましたから。あ、でも強いて言えば、解決のために相談のフリをすることはあります。上司なり決定権を持っている上の人に、ここをこうしたいんですけど、どうにかならないですかね……みたいな。その時点でもう答えは見えていて、解決のために、悩み相談という形で話を持ちかけることがベストだな、という判断です。

——本書には、体調やメンタルが不調になりそうなタイミングを客観視できるように、「スケジュール帳に簡単なメモ程度の日記をつける」と書かれています。

佐久間:メモ程度の日記をつけ始めたきっかけは、新卒でテレビ局に入社して激務をこなす中で、「これはメンタル折れる」って実感したときに、自分自身の傾向を知らないと対策も打てないな、と思ったんです。そのために、起きたことや感情が動いた出来事くらいはメモしておこうと。

メモがあると、だいたいの傾向が分かるし、もし何かあった時の証拠にもなる。特に20代は、そのメモがすごく役に立ちました。それで自分の傾向がある程度分かったあと、30代の中盤くらいからは、企画とかのアイデアをメモするときに、軽く日記的なものを書くぐらいになって。「LIGHTHOUSE」(Netflix)で若林(正恭)君と星野(源)さんが書いていた「1行日記」の企画は、ここが元ネタです。

——対人関係において、ご自身で気をつけているところはありますか。

佐久間:めっちゃ機嫌がいいときと、めっちゃ機嫌が悪いときは、人と会わないようにしています。そこは徹底して。あまりに機嫌いいときに人と会うと、調子に乗って自慢話とかしちゃいそうなので。それって機嫌が悪くて八つ当たりしちゃうのと同じくらい害悪でしょう。

あと僕の場合、何でもロジカルに考えるので、注意したりするときも、感情的に怒ったりはしないのですが、そのせいでズバッと言ってしまうことがある。そこは常に気をつけてます。いくらロジカルといっても、人に説教をするときの快楽っていうのはどうしてもある気がするので、注意するときはなるべく短い時間で的確に、大勢の前では避ける、笑いになりそうな伝え方にする、もし長くなりそうだったらメールなどの文面で伝える。文面で伝えるっていうのは、相手にとってわかりやすく、ということだけじゃなく、自分へのリスクヘッジでもあるんですよ。コピペされて拡散されても大丈夫な伝え方にするっていう。

——管理職、向いてますよ。

佐久間:正直、向いてると思います。ただ、さっき話題に上がった、ジャッジには限界があるという話にも通じますが、会社員で管理職をやっていると、管理業務のジャッジだけで限界がきちゃうので、自分が担当する制作の方まで頭が回らない。自分の希望として、クリエイティブなものづくりは続けたかったので、管理職に就く前に会社を辞めたんです。

ハラスメントをしないことを“我慢”だと思っている人は危ない

——40歳を過ぎた“中年”が抱える諸問題についても、本書には対策が書かれています。

佐久間:中年の問題は切実ですよ。実際に僕の周りでも、職を失っている人、いますからね。誰しも中年ゆえの悩みや問題は発生するんだけど、それに対処できる人とできない人の差が激しいんだと思います。対処以前に、中年だからこその有害性、自分のハラスメント気質とかに気づいてない人も多いですし。

——問題に気づいていない、というのはかなり厄介ですね。

佐久間:自らの有害性に気づいていない中年の特徴の一つに、「なんで自分がこんなに我慢しなきゃいけないんだ」と感じている、というのがあります。セクハラにしてもパワハラにしても、ハラスメントをしないことを“我慢”だと思っている。部下や後輩を怒鳴らないことも“我慢”だし、人に気を遣ったり丁寧に接することも“我慢”だと。

そう思っちゃっている人は、目上の人やクライアントとかの前では“我慢”しているけど、目の届かないところでは普通にハラスメントをしがち。でもそういう情報って結局は伝わってくるので、まぁ雇えないですよね。

——本書では「中年を救うのは『教養と人柄』」と書かれていました。

佐久間:センスだけで勝負して、ひたすらヒットを飛ばし続けられるのは、天才だけですから。僕が「教養と人柄」が備わっていると感じるのは、伊集院(光)さんと東野(幸治)さんかな。

あと、具体例で分かりやすいのはバカリズム。いまや脚本家として立派な功績を残しているけど、あの手法はベテランの経験値や技術があってこそ。笑いの筋力はどうしたって加齢とともに衰えていくんだけど、それまでに培った経験値や技術を別のジャンルで発揮すると、すごく新鮮に映る、という。お笑いの最前線ではなく、ドラマという別ジャンルだからこそ光る笑いの技術を、バカリズムは見せてくれました。男性と女性のセリフをわざとらしく書き分けたりしない、というのも発明ですよね。

世の中に面白いものが増えてほしいだけ

——今振り返って、これほど長く仕事を続けられた要因はどこにあると思いますか。

佐久間:一つあるのは、自分が若かった頃に、まだそれほど売れていなかったバナナマンや劇団ひとり、おぎやはぎやバカリズムといった人たちの企画を出し続けていたから、というのがすごく大きいです。オードリーや千鳥の冠番組を企画したのもそうだし。

もしあの頃、すでに人気もあって、第一線で活躍している人の企画ばっかり出していたら、こうはなってない。旬な人に憧れたり、一緒に仕事をしたいと思う人が多いのは分かるんだけど、よっぽど特異点がないと、そこに継続性はあんまりないんじゃないかな。

——若い頃と比べて、モチベーションも失われていないですか?

佐久間:40代も半ばを過ぎて、この先も仕事を続けていくことのモチベーションがどこにあるか、っていうのを改めて考えたときに、もう業界で有名になりたいとか活躍したいとか、なんなら、面白いものをつくりたいですらなく、自分が面白いと思うものが世の中に増えれば楽しいじゃん、っていうところに行き着いたんですよ。そのくらいのモチベーションじゃないと頑張れない。

だから、自分が関わるどの番組でも、根っこにあるテーマは、世の中にある面白いものや人を紹介すること。それは自分が楽しく人生を送るためでもある。なので、紹介された方は恩義を感じたりしないでほしいんです。紹介することで、世の中に面白いものが増えてほしいだけなので。恩を感じられると、かえって仕事を頼みづらくなっちゃうし。

——この超情報化社会、あらゆるジャンルにおいて、コアなファンはどんどんマニアックになっていき、よりハイコンテクストなコンテンツを求める傾向があると思うのですが、そのあたりはどう向き合っていますか。

佐久間:お笑いやバラエティー番組の場合、何かをフリにしても、そのフリ自体が笑いになってしまうんですよね。お笑いをフリにしてお笑いをつくるって、すごく狭い世界に閉じこもるというか、どんどん自家中毒っぽくなっていくんですよ。自家中毒のまま、いい番組をたくさんつくるのは、よっぽどのカリスマ性がないと続けられないでしょうね。

それに、自分の年齢を考えたときに、今でもお笑いは大好きですが、その最前線で常にフレッシュなものをつくり続けるのはかなり厳しい。それだったら、知見や経験を生かした50代にしかできないやり方を模索した方が、自分としても楽しい、というのはあります。

分断が進み、マルチユースが通用しない時代に

——佐久間さんが手掛ける数々のコンテンツにおける、ファンや視聴者の重なり、あるいは分散については、どう見ていますか。

佐久間:一部重なる部分もありますが、全体としては、それぞれでまったく違う、と言った方がいいでしょうね。YouTubeだけを見ても、「佐久間宣行のNOBROCK TV」とサブチャンネルでは視聴者層がまるで違う。サブチャンネルは僕自身がメインで出演しているので、そこが「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」と一部重なる部分です。

あとは、例えば「ゴッドタン」のファンが「NOBROCK TV」も観ていると、よく勘違いされるのですが、実態はそうではない。YouTubeのアナリティクスを見ると、この90日間で「NOBROCK TV」が観られた地域の1位が大阪で、2位が北海道でした。

もちろん、出演者や企画によって変動はしますが、「ゴッドタン」の視聴者が東京を中心とした関東圏であることを考えると、「ゴッドタン」と「NOBROCK TV」の視聴者層は違うんですよ。

とはいえ、YouTubeは人気や傾向のタームがどんどん変わっていくので、そこに追いつくのはかなり大変ですけどね。

——直近でいうと、どういった傾向があるのでしょうか。

佐久間:一つ前のタームでは、毎日更新するくらいの頻度が求められ、習慣化とファンダムを形成することが大事でしたが、ここ最近は、質の低いコンテンツを次々にアップするくらいなら、頻度を下げて質の高さを求めた方がいい、という傾向になっています。2回連続でつまらないと思われたら、視聴数が7割減とかになってしまうので。あとは、毎日更新を課したゆえの事故や事件も多くなり、そのリスクとダメージがあまりにも大きい。

——一定の知名度さえ獲得すれば、複数のメディアやプロジェクトにまたがっても、ある程度の人気は確保できる、ということが難しい時代になりましたよね。

佐久間:一昔前なら成功していたマルチユースみたいなことは、もう通じなくなりましたね。どのメディア間でも分断が進んでいる。なので、今はそれぞれのメディアやプラットフォームにあわせて、一つひとつロジックや戦略を組み立てる必要があり、その手間はだいぶ増えました。

“人気”ということについても、企画や内容の面白さが支持されているのか、それとも、出演者の人間に魅力を感じているのか、それによって数字の出方も変わってきますから。要は、企画で勝負しているコンテンツは、企画ごとに数字のばらつきがあるけれど、その人自身にファンがついている場合は、あまり内容に左右されず、一定の数字を得やすい、とか。

——この先、一緒に仕事をしたいのは、どういう人でしょう。

佐久間:まだ見せてない武器を持ってる人、ですかね。本当はいいものを持っているのに、ちゃんと出せていないような人に、一緒に仕事をすることで発揮してもらいたい。その武器を見つけて、うまく生かしてあげるのが僕の仕事ですから。別の角度でいうと、常に変わり続けている人。キャリアを重ねていく中で、最初に出てきた時のキャラクターや作品とは違うところへどんどん変わっていく人とは仕事したいですね。

POTOS:TAMEKI OSHIRO

「ごきげんになる技術 キャリアも人間関係も好転する、ブレないメンタルの整え方」
著者:佐久間宣行
2024年7月26日発売
価格:1540円
装丁:四六判/192ページ
出版社:集英社
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-788099-1

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ウエルシア薬局商品本部トップが語る プレミアムヘアケア、プライベートブランド戦略

PROFILE: 小川光芳/ウエルシア薬局取締役商品本部長

小川光芳/ウエルシア薬局取締役商品本部長
PROFILE: (おがわ・みつよし)1969年生まれ。2013年にウエルシア薬局入社。シミズ薬品社長を経て、3月から現職

国内最大規模のドラッグストアチェーン、ウエルシア薬局は2024年2月期の売上高が1兆195億円、ビューティ領域の売り上げのシェアは15.7%と、化粧品業界のドラッグストアチャネルを大きくけん引する。2月末時点で2199店舗を展開するウエルシア薬局の小川光芳取締役商品本部長に、得意とするプレミアムヘアケアブランドやプライベートブランド(以下、PB)などビューティ領域の戦略を聞いた。

WWD:ウエルシア薬局において、ビューティ領域はどのような位置付けか。

小川光芳ウエルシア薬局取締役商品本部長(以下、小川):ウエルシアグループでは2030年に「地域No. 1の健康ステーション」になることを目指している。お客さまが健康で美しく、楽しく、をモットーに取り組み、健康において欠かせない医薬品はもちろん、美しくありたいという気持ちをサポートするためビューティ領域は重要なカテゴリーだ。食品や雑貨も主力ではあるが、昔から薬局という業態だったことからヘルス&ビューティに注力してきた。化粧品の売り上げシェアは15.7%(24年2月期)を占めており、堅調に推移している。

WWD:好調なカテゴリーやアイテムは?

小川:メイクアップが復調しているほか、スキンケアも伸びている。スキンケアではシートマスクの伸び率が非常に高い。「ルルルン(LULULUN)」や「クオリティファースト(QUALITY 1ST)」“ダーマレーザー”シリーズなどがけん引して、これまで設けていなかった常設の棚を新店ではゴンドラ3台分設置している。特に日常使いのできる大容量のものの動きが良い。また、毛穴ケアを訴求する商品が好調だ。コーセーの高効能ブランド「ワンバイコーセー(ONE BY KOSE)」の“クリアピール セラム”“ポアクリア オイル”などを筆頭に、男性の購入も増えている。「成分美容」の波が来ていて、「毛穴ケアにはビタミンC」など、認知も広がっている。

「無言の販売部員」ポップによる「お客さまが買い物に失敗しない」売り場作り

WWD:成分買いのニーズに応えるためにどのような施策をしているか。

小川:ウエルシアの四大方針の一つにカウンセリング営業がある。しかしそれができない状況に合わせて店頭ではポップでカバーしている。これまでは手書きだったがどうしても手間がかかってしまうため、現在は本部で薬機法のチェックも併せて制作している。対応している成分はビタミンCのほかにもヒアルロン酸やアゼライン酸など数えられないほど。特にシートマスクやスキンケアは成分を書いていないと伝わりづらいので表記している。

WWD:ポップを活用した取り組みは奏功しているのか。

小川:消費者の得られる情報が増えている中、カウンセリングの代わりとしてポップが無言の販売部員になっている。この流れはお酒や食品にも及んでいて、産地や原料を記載している。おでんにはカロリーをポップで表記し、プロテインなどの商材も詳しく明記する。コンセプトである「お客さまが買い物に失敗しない」売り場作りが軸になっている。キャプションが多かったり細かすぎたりすると読まない。社内でもポップのデザインの規定を設けて分かりやすさにこだわっている。

WWD:デジタルでの施策は?

小川:メーカーと従業員が商品を紹介するウエルシアテレビという取り組みがある。1カ月かけて同じブランドを紹介したり、デジタルサイネージで訴求したりする。この取り組みの有無で売り上げに倍以上の差が出てくる。特に新商品はいち早く知ってもらうことが鍵だ。

「プレミアムシャンプーといえばウエルシア」な豊富な品ぞろえ

WWD:コロナ禍を経てヘアケアカテゴリーの注目も高まってきた。

小川:ウエルシアでは1700〜1800円前後のプレミアムシャンプーが好調だ。「ボタニスト(BOTANIST)」がシェアを取り始めた19年ごろから市場は盛り上がりを見せているが、ウエルシアはその前から先行して注力していた。今はプレミアムシャンプーの売り上げのシェアはウエルシアのシャンプー全体の6割を占める。その結果、多くのブランドでウエルシア先行発売を実施している。

WWD:プレミアムシャンプーを顧客に浸透させる施策は?

小川:1回使い切り分のサシェを用意すること。価格にハードルがある分、買って合わなかったら、と躊躇するお客さまもいる。しかしサシェを3つ使うと本体の購入につながるというリサーチ結果があり、3個パックを作って販売するなどしている。はじめはウエルシア側からサシェを作るように依頼していたが、今ではサシェがないと売れない傾向があるため、メーカー側がサシェを用意することが多くなった。

PBは新時代に突入 「クリーンビューティ」に果敢に挑戦

WWD:6月には新オリジナルヘアケアブランド「イッツ ワッツ インサイド ザット マターズ(ITʼS WHATʼS INSIDE THAT MATTERS. )」(以下、イッツ)を、7月には「からだウエルシア」から“集結!ほぼ植物の原液美容液”シリーズを発売した。PBの商況は?

小川:ウエルシアホールディングスのPBの売り上げは全体の8.4%を占める。26年度には10%まで拡大する計画だ。今はPB新時代に入った。価格訴求から品質重視への変化があり、今後はナショナルブランドとPBの垣根がより低くなる。品質に加えて多様性といったお客さまが求めるクオリティーを網羅しなければ、売れない、リピートされないと、変化していくだろう。

WWD:求められるクオリティーが上がっている。

小川:PBでは「クリーンビューティ」をコンセプトに掲げ、環境配慮やクルエルティフリーに取り組んでいる。全てのお客さまがクリーンビューティを重要視しているわけではないが、万人ウケを狙っても他のナショナルブランドと差別化はなされない。原料探しから処方まで自社で取り組み、OEMメーカーに全て委ねることもしない。だからこそ自信を持って販売している。また、ウエルシアでは日々お客さまの声を吸い上げて対応する。ホームページ上のお客さま投稿フォームから毎月1000件ほどのご意見があり、店頭のハガキやコールセンターの声も含め、AIで分析してコメントを整理し商品開発に生かしている。

WWD:今後注力するカテゴリーや施策は。

小川:トライアル品を活用した本体への引き上げ施策やSNSで販促を強化していく。得意とするヘアケア、そして機運が高まるアジアコスメの品ぞろえも充実させる。冒頭話したような「地域No. 1の健康ステーション」を目指し、「ウエルシアに行けばきれいになれる」と思ってもらえるような店作りと接客で他社と差別化を図りビューティ領域を拡大していく。

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アリアナ・グランデやハリー・スタイルズのネイルを手掛けるブリトニートーキョー LAで大活躍の秘密

PROFILE: ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト

ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト
PROFILE: 東京生まれ、千葉育ち。高校でハワイやシアトルに留学し、現在はロサンゼルス・ハリウッドを拠点に活動する。ハリウッド映画やミュージックビデオ、コマーシャルのネイルを担当するほか、ニューヨーク・ファッション・ウイークのバックステージやアート作品の制作も手掛ける。顧客にはアリアナ・グランデやキム・カーダシアンらセレブリティが名を連ねる

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第1回は、名だたるセレブリティを担当するネイルアーティスト、ブリトニートーキョーの半生に迫る。

日本では「ウィアード」でも、米国では「ギフテッド」

水嶋和恵(以下、水嶋):ネイリストになった経緯を教えてください。

ブリトニートーキョー(以下ブリトニー):まず、コンピュータープログラミングやグラフィックアートを学ぶ短大を卒業し、当時流行していたアパレルブランドのショップ店員として「渋谷109」で働くことに。しかし「立ち仕事は向いていない」と気付きました。改めて将来のことを考え、座り仕事で髪色が自由な職業を探すと、選択肢は“闇金の電話番”か“ネイリスト”(笑)。親にも相談したところ「ネイリストにしなさい」と説得され今に至ります。その後、日本でネイリストの学校を卒業し、現在はロサンゼルスでネイリストをしています。

水嶋:ネイリストが夢だったわけではないのですね。

ブリトニー:ネイリストを目指していたわけではないですが、幼少期から絵を描くことが好きで、自分の爪にも絵を描いていました。幼稚園のときの夢は絵描きになること。ただ、それを周囲に伝えられないシャイな子どもでした。今思えば順応性のないタイプだったのかもしれません。日本では「ウィアード(変わっている)」と言われる人も、米国では「ギフテッド(神が与えた才能がある)」な人と呼ばれることがあります。今ロサンゼルスに住んでいて、自分の居場所を見つけたと感じています。

水嶋:移住先にロサンゼルスを選んだ理由は?

ブリトニー:当時付き合っていた人がロサンゼルスへ行くことになり、一緒に渡米しました。

水嶋:現在ネイリストとして活躍する傍ら、どんなプロジェクトを手掛けていますか?

ブリトニー:「トーキョースパイス(TOKYO SPICE)」というブランドで商品プロデュースをしています。米国市場に向けてはもちろん、日本やカナダ、メキシコ、オーストラリア、シンガポール、台湾、韓国などグローバルに展開しています。ネイリストとしてさまざまな商品を使用する中で「この商品が良い」と感じたメーカーとコラボレーションしています。

ハリー・スタイルズとの撮影現場で結婚を決意

水嶋:以前雑誌「フィガロ(FIGARO)」と「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITON)」のタイアップ撮影でご一緒させていただいたのが、印象的です。鮮やかなグリーンカラーのモノグラム柄バッグに合わせたロングネイルがとても素敵でした。最も印象に残っているプロジェクトはありますか?

ブリトニー:うれしいです。1つに絞るのは難しいですが、ハリー・スタイルズ(Harry Styles)とのプロジェクトは良く覚えています。ハリーとの撮影当日、現在の夫と現場に行くことになり。その時はまだ結婚していませんでしたが、ハリーの横に彼が並んでも「カッコ良い!!」と思って。それで結婚を決めたんです。歌手のリタ・オラ(Rita Ora)とご一緒させていただいた際には、会って一言目に「ブリトニーにネイルをしてもらうのが夢だったの!」と言ってくださり、すごくうれしかったです。

水嶋:現場と一言にいっても、スチール(写真撮影)、ミュージックビデオ、レッドカーペット。さまざまな場面で活躍されていますが、各現場での作品づくりに違いはありますか?

ブリトニー:スチールはシンプルなネイルの場合が多く、ミュージックビデオは凝ったデザインをオーダーされることが多いです。やはり、クリエイティブなオーダーは形にしていくのが楽しいです。

ネイリスト活動3カ月でアリアナ・グランデからDM

水嶋:ロサンゼルスで成功されるまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

ブリトニー:自分ではまだ成功しきれていないと思っています。ロサンゼルスに移住した当初は学生の身分だったので、6年ぐらいはネイリストを本職にしていませんでした。俗に“セレブ”と呼ばれる方々からの依頼が来るようになったのは、ネイリストという職業を始めてから3カ月くらいだと思います。

水嶋:3カ月!どのような依頼がきましたか?

ブリトニー:アリアナ・グランデ(Ariana Grande)から、インスタグラムでダイレクトメッセージが来たのが最初です。「ちょっと今から来られる?」というような、とてもフランクな内容でした。まだインスタグラムが始まったばかりの頃で、「嘘かな、もしかして騙されてる!?」と思いましたが、ロケーション検索で私のことを見つけてくれたようです。

水嶋:ネイリストとしての現在のポジションを確立するまで、苦労はありましたか?

ブリトニー:どうしてもネイリストになりたい、有名になりたいと思って今に至ったわけではなく、私はすごくラッキーなんだと思います。2013年当時は英語力も乏しかったので、現場で他のスタッフに陰口を言われていても気づかず。今になって、「あのとき意地悪なことを言われてたかも?!」と(笑)。それぐらい、当時はネイルアーティストという職業がまだ確立されていなかったんですよね。

水嶋:ブリトニーさんの活躍が、今のネイルアーティストの存在や地位を大きく変えたと思います。

ブリトニー:その当時米国では、ヘアメイクを含むビューティ業界で、アジア人アーティストが少なかったです。米国では言ったもの勝ち。「私はアーティスト」。言ったその先が大事だと思います。

水嶋:ブリトニートーキョーという名前もキャッチーで、素敵ですよね。何か由来はありますか?

ブリトニー:最初に縁があり勤めたネイルサロンで、米国で覚えてもらいやすいように”ブリトニー”という名前をつけました。当時ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)が人気で、私も彼女のブロンドヘアーに憧れ真似をしていて。職場で出身地を聞かれることが多く、思いついたまま名刺にペンでTOKYOと書いたのが後に定着したんです!嘘みたいな本当の話です。

「ロサンゼルスの全てが好き」

水嶋:私がロサンゼルスに移住してから周りの人を見ていて思うのは、皆「幸運の持ち主」であるということ。ブリトニーさんは強運の持ち主!ロサンゼルスに来て今何年目ですか?

ブリトニー:18年目です。普段はハイキングが好きで週5で行くことも。カルバーシティにあるハイキングレールに行くことが多いです。車を少し走らせるだけで気軽に行けるので、そういう点ではロサンゼルスは東京よりチルだと感じます。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

ブリトニー:天気がよく、気持ちが良いです。移住する前に一度訪れたことはあったものの、住んでみると気候の良さは再認識しますね。住んでいる人々もナイスだし、ロサンゼルスの全てが好きです。

水嶋:天気もここに居る人達も、サニーでポジティブですよね!今後のプロジェクトの予定は?

ブリトニー:今後は、今まで以上にアート作品を制作したいと考えています。ドイツ・ハンブルクのハンブルク美術工芸博物館で作品を展示することが決まりました。気がつけば幼い頃から好きだったことが仕事に。今、流れ的にとても良いと感じています。

水嶋:話を聞いていると、人生の選択が常に合っていて、本当に引きが強い。流れに逆らわず、その流れに上手に乗ることで今のブリトニートーキョーがあるように感じます。

私の連載を通して読者のみなさんが多様な生き方を知り、人生やビジネスへのヒントを得てくれたら良いなと思います。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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アリアナ・グランデやハリー・スタイルズのネイルを手掛けるブリトニートーキョー LAで大活躍の秘密

PROFILE: ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト

ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト
PROFILE: 東京生まれ、千葉育ち。高校でハワイやシアトルに留学し、現在はロサンゼルス・ハリウッドを拠点に活動する。ハリウッド映画やミュージックビデオ、コマーシャルのネイルを担当するほか、ニューヨーク・ファッション・ウイークのバックステージやアート作品の制作も手掛ける。顧客にはアリアナ・グランデやキム・カーダシアンらセレブリティが名を連ねる

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第1回は、名だたるセレブリティを担当するネイルアーティスト、ブリトニートーキョーの半生に迫る。

日本では「ウィアード」でも、米国では「ギフテッド」

水嶋和恵(以下、水嶋):ネイリストになった経緯を教えてください。

ブリトニートーキョー(以下ブリトニー):まず、コンピュータープログラミングやグラフィックアートを学ぶ短大を卒業し、当時流行していたアパレルブランドのショップ店員として「渋谷109」で働くことに。しかし「立ち仕事は向いていない」と気付きました。改めて将来のことを考え、座り仕事で髪色が自由な職業を探すと、選択肢は“闇金の電話番”か“ネイリスト”(笑)。親にも相談したところ「ネイリストにしなさい」と説得され今に至ります。その後、日本でネイリストの学校を卒業し、現在はロサンゼルスでネイリストをしています。

水嶋:ネイリストが夢だったわけではないのですね。

ブリトニー:ネイリストを目指していたわけではないですが、幼少期から絵を描くことが好きで、自分の爪にも絵を描いていました。幼稚園のときの夢は絵描きになること。ただ、それを周囲に伝えられないシャイな子どもでした。今思えば順応性のないタイプだったのかもしれません。日本では「ウィアード(変わっている)」と言われる人も、米国では「ギフテッド(神が与えた才能がある)」な人と呼ばれることがあります。今ロサンゼルスに住んでいて、自分の居場所を見つけたと感じています。

水嶋:移住先にロサンゼルスを選んだ理由は?

ブリトニー:当時付き合っていた人がロサンゼルスへ行くことになり、一緒に渡米しました。

水嶋:現在ネイリストとして活躍する傍ら、どんなプロジェクトを手掛けていますか?

ブリトニー:「トーキョースパイス(TOKYO SPICE)」というブランドで商品プロデュースをしています。米国市場に向けてはもちろん、日本やカナダ、メキシコ、オーストラリア、シンガポール、台湾、韓国などグローバルに展開しています。ネイリストとしてさまざまな商品を使用する中で「この商品が良い」と感じたメーカーとコラボレーションしています。

ハリー・スタイルズとの撮影現場で結婚を決意

水嶋:以前雑誌「フィガロ(FIGARO)」と「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITON)」のタイアップ撮影でご一緒させていただいたのが、印象的です。鮮やかなグリーンカラーのモノグラム柄バッグに合わせたロングネイルがとても素敵でした。最も印象に残っているプロジェクトはありますか?

ブリトニー:うれしいです。1つに絞るのは難しいですが、ハリー・スタイルズ(Harry Styles)とのプロジェクトは良く覚えています。ハリーとの撮影当日、現在の夫と現場に行くことになり。その時はまだ結婚していませんでしたが、ハリーの横に彼が並んでも「カッコ良い!!」と思って。それで結婚を決めたんです。歌手のリタ・オラ(Rita Ora)とご一緒させていただいた際には、会って一言目に「ブリトニーにネイルをしてもらうのが夢だったの!」と言ってくださり、すごくうれしかったです。

水嶋:現場と一言にいっても、スチール(写真撮影)、ミュージックビデオ、レッドカーペット。さまざまな場面で活躍されていますが、各現場での作品づくりに違いはありますか?

ブリトニー:スチールはシンプルなネイルの場合が多く、ミュージックビデオは凝ったデザインをオーダーされることが多いです。やはり、クリエイティブなオーダーは形にしていくのが楽しいです。

ネイリスト活動3カ月でアリアナ・グランデからDM

水嶋:ロサンゼルスで成功されるまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

ブリトニー:自分ではまだ成功しきれていないと思っています。ロサンゼルスに移住した当初は学生の身分だったので、6年ぐらいはネイリストを本職にしていませんでした。俗に“セレブ”と呼ばれる方々からの依頼が来るようになったのは、ネイリストという職業を始めてから3カ月くらいだと思います。

水嶋:3カ月!どのような依頼がきましたか?

ブリトニー:アリアナ・グランデ(Ariana Grande)から、インスタグラムでダイレクトメッセージが来たのが最初です。「ちょっと今から来られる?」というような、とてもフランクな内容でした。まだインスタグラムが始まったばかりの頃で、「嘘かな、もしかして騙されてる!?」と思いましたが、ロケーション検索で私のことを見つけてくれたようです。

水嶋:ネイリストとしての現在のポジションを確立するまで、苦労はありましたか?

ブリトニー:どうしてもネイリストになりたい、有名になりたいと思って今に至ったわけではなく、私はすごくラッキーなんだと思います。2013年当時は英語力も乏しかったので、現場で他のスタッフに陰口を言われていても気づかず。今になって、「あのとき意地悪なことを言われてたかも?!」と(笑)。それぐらい、当時はネイルアーティストという職業がまだ確立されていなかったんですよね。

水嶋:ブリトニーさんの活躍が、今のネイルアーティストの存在や地位を大きく変えたと思います。

ブリトニー:その当時米国では、ヘアメイクを含むビューティ業界で、アジア人アーティストが少なかったです。米国では言ったもの勝ち。「私はアーティスト」。言ったその先が大事だと思います。

水嶋:ブリトニートーキョーという名前もキャッチーで、素敵ですよね。何か由来はありますか?

ブリトニー:最初に縁があり勤めたネイルサロンで、米国で覚えてもらいやすいように”ブリトニー”という名前をつけました。当時ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)が人気で、私も彼女のブロンドヘアーに憧れ真似をしていて。職場で出身地を聞かれることが多く、思いついたまま名刺にペンでTOKYOと書いたのが後に定着したんです!嘘みたいな本当の話です。

「ロサンゼルスの全てが好き」

水嶋:私がロサンゼルスに移住してから周りの人を見ていて思うのは、皆「幸運の持ち主」であるということ。ブリトニーさんは強運の持ち主!ロサンゼルスに来て今何年目ですか?

ブリトニー:18年目です。普段はハイキングが好きで週5で行くことも。カルバーシティにあるハイキングレールに行くことが多いです。車を少し走らせるだけで気軽に行けるので、そういう点ではロサンゼルスは東京よりチルだと感じます。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

ブリトニー:天気がよく、気持ちが良いです。移住する前に一度訪れたことはあったものの、住んでみると気候の良さは再認識しますね。住んでいる人々もナイスだし、ロサンゼルスの全てが好きです。

水嶋:天気もここに居る人達も、サニーでポジティブですよね!今後のプロジェクトの予定は?

ブリトニー:今後は、今まで以上にアート作品を制作したいと考えています。ドイツ・ハンブルクのハンブルク美術工芸博物館で作品を展示することが決まりました。気がつけば幼い頃から好きだったことが仕事に。今、流れ的にとても良いと感じています。

水嶋:話を聞いていると、人生の選択が常に合っていて、本当に引きが強い。流れに逆らわず、その流れに上手に乗ることで今のブリトニートーキョーがあるように感じます。

私の連載を通して読者のみなさんが多様な生き方を知り、人生やビジネスへのヒントを得てくれたら良いなと思います。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

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ベルリン発アイウエア「マイキータ」創業者に聞く、枠にとらわれず進んできた20年とこれから

PROFILE: モーリッツ・クルーガー/「マイキータ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター

モーリッツ・クルーガー/「マイキータ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: ドイツ出身。2003年、24歳の時に創業者の一人として「マイキータ」に参画。以来、クリエイティブ・ディレクションを担い、ビジネスの拡大をリードしてきた。型にはまらないマインドセットと独創的なアイデアを追求することへの自信から、志を同じくするチームを確立。多様なプロダクトデザイナーやエンジニアで構成されるデザインチームを率いるほか、アート&デザインの分野におけるクリエイティブなパートナーシップも手掛けている

2003年にドイツ・ベルリンで設立された「マイキータ(MYKITA)」は、もともと託児施設だった場所からスタートしたが、14年からは街の中心部にある歴史的建造物に「マイキータハウス(MYKITA HAUS)」と呼ぶ大きな拠点を構えている。数々のコラボレーションや先駆的なデザインによって国際的に知られるようになった今も、デザインやマーケティング、営業から、新たな素材や技術の研究開発、手作業による製造までを一つ屋根の下で手掛けているユニークなアイウエアブランドだ。モーリッツ・クルーガー(Moritz Krueger)創業者兼クリエイティブ・ディレクターに、ベルリンにこだわり続ける理由やモノづくりへのアプローチから、新たなコラボレーションや本社移転といった未来を見据えた取り組みまでを聞いた。

全ての部門を一つ屋根の下に置く理由

WWD:まずマイキータハウスとは、「マイキータ」にとってどんな場所か?

モーリッツ・クルーガー「マイキータ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター(以下、クルーガー):ベルリンにあるマイキータハウスは、ブランドアイデンティティーにとって不可欠な場所。私たちの原点であり、エネルギーとインスピレーションの源だ。クロイツベルク地区にある歴史的建物では、35の異なる国出身の約270人が共に働いている。

WWD:“一つ屋根の下に全部門が集まっていること“のメリットとは?

クルーガー:製造施設を含む全ての部門を一つ屋根の下に置くという体制は、アイウエア業界では非常に珍しいことだが、これによりデザインと製造プロセスの完全な自主性と透明性を確保できる。また、デザイン、研究開発、製造など異なる部門間の意見交換や相互作用が生まれることは、革新的なデザインと製品のさらなる進化のカギになっている。

WWD:ベルリンに拠点を置き続けることには、特別な意味があるのか?

クルーガー:「マイキータ」を設立した2003年当時のベルリンは、DIY(Do It Yourself)のマインドセットを持ったメーカーたちの街だった。ルールはほとんどなく、ロールモデルもいなかったが、たくさんの自由と表現できるスペースがあった。そして、私たちが求めていたのは独自の決断を下し、自分たちが望むように創造するパワー。私たちには明確な美学やビジョンがあり、それを実現するために必要なステップを踏むことで、多くの人から不可能だと言われながらも独自の生産体制とノウハウを築き上げてきた。ベルリンなくして「マイキータ」を想像することはできない。あの時代のパイオニア精神は、私たちの独立心あふれる個性の一部になっている。

“目指すのは、単に他と異なるものではなく、より良いものを生み出すこと”

WWD:現代にふさわしいアイウエアを作る上で最も大切にしていることは?

クルーガー:私たちは工業デザイン的なアプローチをとり、コンセプチュアルな方法で核となるデザインを構築しているが、それは構造と素材の整合から始まる。つまり、素材の特性を素直に生かし、それに基づいて構造を作り上げていくということだ。優先するのは機能性だが、同時にあらゆる技術的なソリューションが美学に基づいたものでなければいけない。これこそが、「マイキータ」が提案するアイウエアのミニマルでありながら独自の美しさを放つユニークなデザインと雰囲気の秘訣になっている。

WWD:アイコニックなステンレススチールのシートに加え、2011年には独自素材“マイロン(Mylon)“と3Dプリンティングによるアイウエアを提案し、22年には米特殊素材メーカーのイーストマン(EASTMAN)が開発したサステナブルなアセテート“アセテートリニュー(Acetate Renew)“への完全移行をアイウエア業界で初めて発表した。アイウエアの素材や生産における革新を続けているが、先駆的な挑戦を続ける理由は?

クルーガー:私たちが注力しているのは、構造や素材、外観を進化させること。長年にわたり、常に軽さ、掛け心地の良さ、正確なフィットに重点を置き、アイウエアの分野で複数の特許を取得してきた(例えば、ネジを使用しないスクリューレスヒンジシステムなど)。一方、アイウエアの99.9%は従来の方法、つまり50〜60年あるいはそれ以上前から存在する同じ技術と材料で作られていると言える。ここ何年も革新がなかっただけだ。私たちが取り組んでいることは、デザインや革新により深く結びついている。型破りではあるが、その革新と通して常に目指しているのは、ただ単に他と異なるものではなく、より良いものを生み出すことだ。

年内にはベルリン内で本拠地マイキータハウスを移転

WWD:過去には「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」「ヘルムート ラング(HELMUT LANG)」「モンクレール(MONCLER)」などさまざまなブランドとコラボレーションし、最近では「032C」や「モノクル(MONOCLE)」とのコラボアイウエアも手掛けている。協業が「マイキータ」にもたらす価値とは?

クルーガー:私たちは、コラボレーションのために、あらゆるデザイン要素や専門知識が詰まった「マイキータ」の実験的な“キッチン“の門戸を開くプロセスを楽しんでいる。そして、クリエイティブなデザインプロセスにパートナーを迎える時は、対話によってもたらされるユニークな視点を生かし、真に新しいものを生み出したいと考えている。これまでの15年間は、ファッション寄りのコラボレーションが多かったが、著名な韓国人画家パク・ソボ(Park Seo-Bo)との最新プロジェクトは、今後のより多様な方向性を示していると思う。

WWD:直近で新しい製品やシリーズのローンチする予定は?

クルーガー:最近発表したのは“チルド ロウ(Chilled Raw)“という“アセテート リニュー“素材の新コンセプト。従来の製造工程の常識を破ることにより、アセテートフレームのカテゴリーにおける斬新なルックと言えるような、切りっぱなしのエッジとマットな質感が際立つフレームを作り出した。切削の痕跡や不完全さを残す工程が生み出す独特なスタイルによって一つ一つのフレームが唯一無二になり、どのように作られたのかを物語っているのが特徴だ。まずは彫刻的かつボリュームのあるサングラスを発表したが、今では新しいデザイン要素の一つとして適した他のフレームに取り入れることができるようになった。ステンレススチールのフレームと、アセテートや“マイロン“のディテールを組み合わせたハイブリッドな構造は、「マイキータ」のデザインアプローチの大部分を占めているが、“チルド ロウ“はそんな象徴的なスタイルをさらに拡張する可能性を秘めている。もちろん、他にも新素材やエキサイティングなコラボレーションに取り組んでいるので、楽しみにしていてほしい。

WWD:ブランド設立から20年以上がたったが、次の20年を見据えた今後の展望は?

クルーガー:私たちにとっての大きなステップとして、年内に新しいマイキータハウスへの移転を控えている。新たなロケーションは、またベルリンの中心地。移転は、「マイキータ」の継続と未来を表している。私たちにとって「一貫性」とは変わらないことではなく革新を意味し、独自の生産体制とマイキータハウスを核に日々進化し続けることだ。過去5年間にわたり、私たちは基盤となる部分に多くの投資を行ってきた。最新の生産体制と社内プロセスを強化するために必要な時間をかけてきたことにより、再びいくつかの新たな計画に取り組む準備が整った。私たちのシステムの中で一貫性を保つことは、絶え間ないイノベーションによって成し遂げられると考えている。

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「ニナ リッチ」の最年少デザイナー 現在28歳のハリス・リードは“ドラマチックな日常着”に挑む

デザイナーのハリス・リード(Harris Reed)は2023年3月、メゾン史上最年少の27歳で「ニナ リッチ(NINA RICCI)」のクリエイティブ・ディレクターに就任した。初コレクションの披露から4シーズン目に突入しようとしている今、鳴物入りでメゾンに迎えられた新星は、何を考えて、何を目指すのか。

WWD:これまで3シーズンを披露してきたが、心境の変化は?

ハリス・リード「ニナ リッチ」クリエイティブ・ディレクター(以下、リード):就任したての頃は、短期間であらゆることをこなさなくてはならないというプレッシャーに押しつぶされそうになった。92年もの歴史があるブランドだからこそ、密な関係性の取引先がいくつもあるから。でも新たに編成したチームや、メゾンに元々携わっているチームとも良い関係性を築けていることもあり、今はとても落ち着いて自分の役割に向き合えていると思う。

WWD:印象深いシーズンは。

リード:直近の2024-25年秋冬コレクションだ。どのデザイナーからも同じことを言われたが、1シーズン目と2シーズン目は、新クリエイティブ・ディレクターがどんな人なのかを知らせる期間。ただ、その後から人々は「このブランドをどう導くのか」を期待するようになる。会社のCEO(最高経営責任者)も「ニナ リッチ」のデザインチームも、信じられないくらい私を受け入れて、自由にデザインさせてくれている。だからこそ、3シーズン目はブランドのムードを定義づけるアイテムを発表しなければという気持ちがあった。結果、着やすさやシルエットのバリエーションをさらに追求した。自分のクリエイティビティーに正直にありたいが、チームの皆をがっかりさせるようなことはしたくない。かなりストレスを感じたシーズンだった。

WWD:今や、自身のブランド「ハリス リード」と「ニナ リッチ」を両立する必要がある。

リード:以前は、「どうやって2ブランドを差別化する?」などと悩んだ時期もあったが、今は良いバランスが取れている。というのも、「ハリス リード」はロンドンを、「ニナ リッチ」はパリを拠点にする全く異なるブランドであるからこそ、互いに良い影響を与え合える。私は、ブランドによって脳みその違う部分を使い分けている感覚だ。「ハリス リード」はグラミー賞のレッドカーペットに登場するような派手なクリエイション。母校のセント・マーチン美術大学で学んだアプローチを取るから、自分でカッティングをして型紙を切って……と、そこには私の“リアル”がある。一方「ニナ リッチ」では、メゾンの歴史が育んだ高いレベルのクラフツマンシップをもとに、ニナ・リッチ自身や彼女のライフスタイルを体現し、豪華なワードローブを組み立てる。おかげでテーラリングやドレスメーキングなどについて、本当に多くのことを学んだ。洋服の構造がよくわかるようになった。

WWD:クリエイションのインスピレーションはどこにある?

リード:街を歩く女性たちだ。ファンタジーの中に生きるのと同じくらい、現実の“キャラクター”を見て、彼女たちが何を着ているのかをチェックするのが大好き。そこから、実際に着られるものを私流に解釈して作りたい。私は家族を含めて、強く生きる女性をいつも見てきたから、そこから着想を得るのは自然なこと。ニナ・リッチが成功したのは、手頃な値段で着られる既製服を手掛け、世の女性にファンタジーやおしゃれの楽しさを届けたから。彼女はとても物静かで、周りをよく観察し、女性が本当に何を着たいのかを考え続けた人だったようだ。私も彼女のストイックさを学びながら、自分の個性をミックスしてひねりを加え、現代版の「ニナ リッチ」を作ろうとしている。

WWD:あなたはとても明るくてハッピーに溢れた人だ。物静かだったというニナのクリエイションも取り入れる上で、どうバランスをとるのか。

リード:私にとってファッションは、楽しくて幸せで自己表現ができるもの。どれだけニナのアーカイブをリサーチしたとしても、“楽しさ”を盛り込まずにはいられない。例えばエレガントなボウタイブラウスを作る場合でも、金のボタンや、艶のあるサテンで遊び心を効かせたくなる。でも、私のそばには「ニナ リッチ」で長年働くスタイリストやデザインチームがいるから、いつも「これはニナらしいか?」を確認してもらえる。時には大きなドレスや派手なアイテムを作るが、一歩引いて、そこにブランドのDNAが入っているかを意識する。ただ、私とニナの性格は真逆だったであろう一方で、女性のリアルに注目する点は共通している。24年のミューズは誰で、どんな服が理想で、100年後の「ニナ リッチ」はどのように変化するかを常に考える。

WWD:華やかなショーピースをコマーシャルピースに落とし込む上で意識していることは。

リード:ドラマチックな表現と、日常的な着やすさの両立だ。デビューショーは、これまでの「ニナ リッチ」に自分なりのスパイスを加えるため、大きなハットや明るいカラーパレットなどを用いた。グリーンのレースジャケットとパンツは、ミニドレスに作り直して販売した。ただやはり、華やかさと着やすさのバランスはとても難しい。たくさんの人にブランドの洋服を着てほしいから、華やかさと、着やすさや手頃さを両立したアイテムを作る必要があるし、セレブリティーなどのVIP顧客も抱えているから、イベントで映えるようなアイテムも作らなければ。「ニナ リッチ」は仕立ての技術が非常に高いからこそカクテルドレスが人気。これからはウィメンズスーツをヒーロープロダクトにしたい。女性用のテーラードアイテムを改めて洗練させ、遊び心を効かせる。次のコレクションでは、見る人を驚かせるような新たな仕掛けを披露する予定だ。

WWD:どんな女性に「ニナ リッチ」を着てほしい?

リード:世界中のあらゆる女性に届けたい。18歳〜36歳くらいの女性でも、ファッションモデルのモニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)のようなアイコン的存在にも着てもらえることが理想だ。私たちもショーでは多様なモデルをキャスティングしているし、プラスサイズモデルも登場する。素晴らしいことに、社会にはインクルシービティーに共感する人がますます増えている。私の夢は「ニナ リッチ」が世代を超えて愛されるブランドになること。親から娘や息子へ、服がバトンのように渡ったらうれしい。私も祖母や母の服を借りるし、姉ともワードローブを全部シェアしているから(笑)。

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「日常的にドレスを着てほしい」 東京・代官山のビンテージ専門店オーナーに聞く

PROFILE: YAMAGUCHI/「ザ ヴィンテージ ドレス」オーナー

YAMAGUCHI/「ザ ヴィンテージ ドレス」オーナー
PROFILE: 香川県出身。4年制大学を卒業したのち、アパレル会社の営業職としてビジネスの基礎を学ぶ。同社に3年間勤め、イタリアに渡航。欧州のビンテージ市場に触れる。帰国後、行政の代行業や、OEM・ODMを経験し、2011年に起業。12年に1号店「ザ ブリスク」を、18年に2号店「ザ ヴィンテージ ドレス」と併設する「ナオミドレスメーカー」をオープンした PHOTO : NORIHITO SUZUKI

東京・代官山の路地裏にひっそりとたたずむ「ザ ヴィンテージ ドレス(THE VINTAGE DRESS)」。重厚な扉の奥には、ザクロの香りをまとったアンティーク調の空間が広がる。主に1920年代から90年代までのドレスを取り扱い、その全てはデザイナーズという本物志向のビンテージショップ。その熱意は「ヴァレンティノ(VALENTINO)」にも届き、同ブランドがアーカイブを集めて販売する「ヴァレンティノ ヴィンテージ」の日本会場にも選ばれた。ここでは「ザ ヴィンテージ ドレス」のYAMAGUCHIオーナーに、こだわりを貫く同店と盛り上がるビンテージ市場への思いについて聞く。

1920〜90年代の希少なドレスの数々

WWD:ビンテージドレスに引かれるようになったきっかけは?

YAMAGUCHI「ザ ヴィンテージ ドレス」オーナー(以下、YAMAGUCHI):20歳くらいのとき、ふと“本物”を見たことがないなと思ったんです。いわゆるブランド古着はありましたが、ライセンスビジネスによって作られたものばかりで。そんなとき、イタリアで「サンローラン(SAINT LAURENT)」のレザージャケットを目にする機会があったんです。服が持つオーラに圧倒されましたね。そこから、デザイナー本人が手掛けたものを提案したいと思うようになりました。

WWD:「ザ ヴィンテージ ドレス」には、他店にはない商品がそろう。

YAMAGUCHI:「ニナリッチ(NINA RICCI)」のドレス(13万8000円 ※写真1枚目)は、裾を手縫いで仕上げています。70年代に作られたものですが保存状態が良く、オートクチュールと見まごうほどです。また、「オジークラーク(OSSIE CLARK)」のドレス(34万円 ※写真2枚目)も、同じく70年代に作られたもの。柄物が多いブランドの印象ですが、ドレープ感があり、着心地も良い素材“モスクレープ”のブラック1色で仕上げています。

WWD:過去に販売したアイテムも、そうそうたるラインアップだ。

YAMAGUCHI:2018年のオープン時には、ココ・シャネル(Coco Chanel)がデザインした1960年代の「シャネル(CHANEL)」のオートクチュール(※写真1枚目)も置いていました。スモッキング刺しゅう(生地に細かくひだを作り、ひだ山を刺しゅう糸で模様を作りながら留めていく手法)によるダイヤモンド柄のステッチが特徴の1着です。88年の「アライア(ALAIA)」のドレス(※写真2枚目)も忘れられない1品です。素材やデザイン、シルエットに至るまで完璧で、時代を超える美しさを感じました。100年近く前に仕立てられたブラックドレス(※写真3枚目)も印象に残っていますね。これは、見る人を引きつける1着だと思いました。

WWD:このような商品を買い付けるのは、なかなか骨が折れそうだ。どのように買い付けている?

YAMAGUCHI:自社のバイヤーがフランスに在住しており、日々ヨーロッパ各地で買い付けを行っています。数十年前に新品として購入した個人から直接買い付けることも多いですね。思い入れのあるドレスを手放すことに積極的なわけではありませんが、当店の理念に共感いただき、協力してくれます。中には私たちが探している商品について深い造詣を持ち、リサーチしてくれるマダムもいます。このマダムは高齢になり、店に立つことをやめた方ですが、現役中に築き上げたコミュニティーを使って希少なアイテムを探してくれます。彼女にはひと月に1度会いに行きますが、毎回、想像を上回るクオリティーの商品を見つけてくれるんです。

WWD:1号店「ザ ブリスク(THE BRISK)」も同じくビンテージアイテムを取り扱っている。

YAMAGUCHI:「ザ ブリスク」はジャケットやニット、コットン素材のワンピースなど、比較的カジュアルな商品を販売しています。「ザ ヴィンテージ ドレス」同様、20年代から90年代のアイテムがメインです。もともとカテゴリー分けすることなく全商品を「ザ ブリスク」で扱っていましたが、「ザ ヴィンテージ ドレス」をオープンするにあたり、ドレスは当店で取り扱うようになりました。

WWD:近々、「ザ ブリスク」をリニューアルする。

YAMAGUCHI:8月26日から9月6日にかけて工事の予定です。カジュアルなアイテムは「ザ ブリスク」、ドレスは当店とお伝えしましたが、この改装を機に、「ザ ブリスク」でも再度ドレスを扱う予定です。“日常に取り入れるドレス”を提案したくて。内装もアップデートしますが、それもあくまで商品を引き立てるためで、むしろよりシンプルな空間になるかと。

WWD:「ザ ヴィンテージ ドレス」も空間づくりにこだわりが見える。

YAMAGUCHI:服の魅力を最大限に引き出すためには、それにふさわしい空間づくりが必要です。ベルギーのアクセル・ヴェルヴォールト(Axel Vervoordt)やアメリカのアトリエ エーエム(ATELIER AM)など、主に海外のインテリアデザイナーやデザインスタジオから学んでいます。

サイズを理由にビンテージドレスを諦めてほしくない

WWD:併設する「ナオミドレスメーカー(NAOMIDRESSMAKERS)」についても教えてほしい。

YAMAGUCHI:「ナオミドレスメーカー」は、瀧澤尚美さんによる直し工房です。店舗の1階にあります。オープンにあたり「ザ ヴィンテージ ドレス」には、直し工房が必要だと考えていました。ビンテージドレスは1点物なので、お客さまがサイズを理由に諦めるということをなくしたかったんです。ドレスのリサイズ(4600円 ※写真1枚目)のほか、持ち込みでも服の直しを受け付けています。

瀧澤:2001年に文化服装学院アパレル技術科を卒業したあと、4年間PR会社に勤めました。そこで見た大量生産・大量消費の現実に疑問を抱いたこと、そしてその頃から副業としてお直しをしており、多くの喜びの声を頂いたことから、本格的にこの道に進むことを決めました。個人でお直しやオーダー製作を何年か経験し、「ザ ヴィンテージ ドレス」がオープンするタイミングで声を掛けていただき、「ナオミドレスメーカー」を立ち上げました。主にドレスのシルエット直しをしていますが、ビジュー(装飾)の補修(1つ300円 ※写真2枚目)やジーンズの裾上げなど、幅広いリクエストに対応可能です。

また、服のリフォームと並行して、ドレスを中心としたオリジナルブランド「ムジーク(MOUJIK)」のオーダーも受け付けています。「ムジーク」はお客さまと相談しながら、長く着られる1着を作るブランドです。採寸から縫製まで、全ての工程を私1人が行います。オーダー式のため在庫を抱えず、無駄のない生産ができるという点で、私たちの理念を示す取り組みと言えます。

WWD:共感する層も多そうだ。

YAMAGUCHI:ありがたいことに。共感はもとより、品質とデザインを追求している方が多いですね。“ブランド名こそ違っても同じように見える”“服が欲しいが、買うに至るものがない”といった思いを抱える人が行き着く場として当店があると思っています。

WWD:客層および、彼女らがどのようなシーンを想定して購入しているのか知りたい。

YAMAGUCHI:当店のお客さまは30代から50代が中心ですが、中には20代も。客単価は5万〜10万円ほどです。20〜30代はウエディングシーンに向けて購入する方が多く、30〜50代は舞台やコンサートを見に行くときのドレス、また登壇する際などの仕事着としてのドレスを探している方が多いです。

もちろん、日常的にドレスを着ている人もいます。日本語ではオケージョナルなシーンで着用するものを“ドレス”、比較的カジュアルなものを“ワンピース”と区別していますが、海外ではそのようなセグメントはなく、“ドレス”という言葉があるのみです。私たちも、特別なシチュエーションだけでなく、日常にドレスを取り入れる楽しさや高揚感を伝えていけたらと思います。

「ヴァレンティノ」のイベント会場に選出

WWD:22年には、世界4都市で開催された「ヴァレンティノ ヴィンテージ」の東京会場に選ばれた。

YAMAGUCHI:そもそも「ヴァレンティノ」に知ってもらえたことが光栄でしたし、当店の取り組みを理解してオファーいただけたことがうれしかったです。イベントでは、“この服を作るのに、どれだけの時間がかかったのだろう?”と感じる、職人技やディテールワークに目がいく展示ができたと思います。一度きりのイベントの予定でしたが、22年の好評を受け、23年も開催しました。

WWD:同イベントから感じたことは?

YAMAGUCHI:「ヴァレンティノ」は職人を大切にするブランドだと、あらためて感じました。職人20人が10日間かけて作ったドレスもあり、それがオートクチュールではなくプレタポルテなんです。こうした職人がいてこそのドレスだと再認識しました。世界中の職人を大切にし、今ある技術を継承できるような時代になってほしいなと強く思いました。

活況のビンテージ市場に対する複雑な思い

WWD:昨今の古着市場の盛り上がりについては、どう捉えている?

YAMAGUCHI:コロナ禍を境に、“ビンテージ”という言葉が、より商業的に使われるようになったと感じています。一方で「ザ ヴィンテージ ドレス」では供給側も需要側も“ビンテージだから”ではなく、“美しいファッションを求めていた結果”としてビンテージに魅了されています。本来“ビンテージ”はトレンドとは相入れない言葉なので、同列で使われてしまうことには違和感を覚えます。

WWD:「ザ ヴィンテージ ドレス」のコンセプトは“1着を大切に着る”だ。

YAMAGUCHI:これだけセル&バイ(販売と買い取りを行う)の古着店が多いのも日本特有です。トレンドの生成から大量生産・大量消費、そして大量処分というサイクルが“機能”しているからですが、私はこの“飽きたら捨てれば良い”という商習慣を悲しく思っています。一方で、「ザ ヴィンテージ ドレス」が追い求めている時代性のある商材は、欧州でも見つけづらくなっています。親子2代、3代にわたって手放すことなく1着を大事にしている人が多く、セル&バイのサイクルから離れていることの表れですね。

WWD:商材が見つけにくくなっている中、今後のラインアップに変化はある?

YAMAGUCHI:私たちが美しいと感じるのは、大量生産が当たり前になる以前に作られた服です。今着ている服がビンテージとして扱われるほど時代が流れようと、私たちのビンテージ観は変わらないつもりです。「ファッションは色あせるが、スタイルは永遠」という、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)の言葉があります。当店の根底にある言葉でもあります。お客さまが美しいドレスに身を包み、日常に彩りを加える。そんな商品を提供できるビンテージショップでありたいですね。

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知る人ぞ知るNY発の「EDIMAK PROJECT」とは? 発起人に狙いを聞いた

2023年にニューヨーク(以下、NY)で立ち上げられた「エディマック プロジェクト(EDIMAK PROJECT)」。まだ日本では無名のプロジェクトにもかかわらず、8月2日に東京・原宿のセレクトショップ「グレイト(GR8)」で行われたシークレットパーティーには、斎藤工やKing Gnuの井口理、秋元梢、佐々木集(PERIMETRON)、小原綾斗(Tempalay)、長谷川忍(シソンヌ)、TaiTanなど、多くのゲストが訪れ、知る人ぞ知る存在として、SNSでも話題となった。今回、NYから来日した同プロジェクトの発起人に匿名であることを条件にインタビューが実現した。「エディマック プロジェクト」の狙いは何なのか。話を聞いた。

「エディマック プロジェクト」について

WWD:「エディマック プロジェクト」を始めた理由は?

「エディマック プロジェクト」発起人(以下、発起人):構想3年、実際に動き始めたのは2023年の年初ぐらいから。もともとは既存のものとは異なる方法で、社会課題に対するアプローチができないかと模索していて、「人が欲望をかなえていくその過程に、社会課題にアクセスできる扉を設置する」という方法を思いついた。その方法を実現するのに、まず浮かんだのが「ファッション」だった。そこから「純粋にファッションを楽しもうとする人間が、気付かぬうちに善きことをしている、という状態はどうすれば実現できるか」を考えて実現したのが、第1弾の「ハイパーストリートスナップ(HYPER STREET SNAP)」コレクションだ。

WWD:なぜ「ファッション」だったのか?

発起人:1つ目はファッションが極めて身近で、人の「かっこよくなりたい」「かわいくなりたい」という欲求に応えるものだから。2つ目は、「ファッションの価値」に興味があったから。同じTシャツでも、ハイブランドとファストファッション系のブランドだと10倍以上価格が違うこともある。その服の本当の価値はどれほどのものなのか、今回のプロジェクトを通して、皆さんに投げかけたいと思った。

WWD:かなり挑戦的だ。

発起人:よく日本では「音楽に政治を持ち込むな」みたいな言説が飛び交うらしいが、それは順番が逆。音楽のルーツをひもとけば、間違いなく政治的なバックグラウンドにたどり着くし、楽器の製造工程や生産地、音源のディストリビューションなど、全ての要素が政治的な意味を帯びている。それはファッションも同じことで、生産国や関わる労働者の待遇など、どういった工程で作られているのか、それを含めて政治的であることからは逃れられない。僕らは政治的であることを最初から意識している。試み自体が政治的であることはもちろん、「ハイパーストリートスナップ」コレクションでは、制作工程にも多層的な意味を与えている。

「ハイパーストリートスナップ」コレクション

WWD:リリースの情報では、「『ハイパーストリートスナップ』コレクションは、プロジェクト発祥地であるNYで、誰よりもストリートを知る者たちによって撮影されたスナップを用いたTシャツを販売。その制作過程は現段階で公表されていないが、プロジェクトの内情を知る者は写真の意味を理解できる」とあるが、この写真は誰が撮影したのか?

発起人:詳しいことは言えないが、今回依頼した写真家たちは、NYのリアルなストリートをよく知る人物たちで、彼らが撮影した写真には間違いなくリアルなNYのストリートが写し出されている。その写真で評価してほしい。今回、第1弾として3人の写真家のプリントTシャツを発売したが、ほかの写真家に依頼したものもあるので、今後も「ハイパーストリートスナップ」コレクションは発売する予定だ(※現在「ゾゾヴィラ」で第1弾を9月2日11時59分まで受注販売中)。

WWD:秘匿性にこだわるのはなぜか?

発起人:先ほども伝えたが「人が欲望をかなえていくその過程に、社会課題にアクセスできる扉を設置する」というのがプロジェクトの狙い。なので、詳しい説明はせずに、「エディマック プロジェクト」がどこまで受け入れられるのか。ある種の社会実験でもあるからだ。

WWD:本プロジェクトは、「固定した経済システムの中に、社会課題へのゲートを忍ばせる義賊的社会運動体」とリリースでは説明されていたが、もう少し分かりやすく言うと?

発起人:生産、供給、消費という既存の経済システムに、「エディマック プロジェクト」の活動が亀裂を入れて、生産、供給、消費を社会課題につなげて考えるようにするということ。

WWD:今後、プロジェクトの全容を話す可能性は?

発起人:まったく考えていない。

WWD:ロゴの意味は?

発起人:視点、視線をイメージしている。プロジェクトを通して、視線の転換や置換は一貫して大きなテーマになっている。ロゴでも、「A」の部分が目になっていて、そこからいろいろな角度の視線でものごとを見ることを表現している。

WWD:Tシャツとは別に、第2弾のプロジェクトもすでに動いているのか。

発起人:「ファッション」と同じく、人の欲求に応えるのと、社会課題という意味で、「食」に可能性は感じている。

PHOTOS:HIRONORI SAKUNAGA

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エミー賞最多ノミネート「SHOGUN 将軍」衣装制作秘話 作品を通じて深まる日本のファッション文化への理解とリスペクト

日本時間9月16日に開催予定のプライムタイム・エミー賞授賞式。今回の授賞式の見どころは、25部門にノミネートされた「SHOGUN 将軍」だろう。真田広之が主演、プロデュースを務め、「ハリウッドが手がけた戦国映画」と話題の本作品は、配信開始から6日間で900万回視聴を記録した大ヒットをおさめ、すでにシーズン2、3の制作も予定されているという。現在公開されているシーズン
1では、戦国時代の歴史をオマージュしたストーリーや豪華出演陣による情緒的な演技、そして繊細かつ大胆に仕立てられた日本式の衣装にも注目が集まった。

当時の文化や登場人物の立場、心情を表現した2000以上もの衣装作りの指揮を取り、エミー賞でも“衣装デザイン賞”にノミネートされたのは、かつて「ディオール オム(DIOR HOMME)」で経験を積んだフランス人デザイナーのカルロス・ロザリオ(Carlos Rosario)が率いるデザイナーチーム。授賞式まで1カ月を切った今、日本の伝統に自身のエッセンスを融合した超大作の衣装制作ストーリーをカルロス本人が明かした。

PROFILE: カルロス・ロザリオ/デザイナー

カルロス・ロザリオ/デザイナー
PROFILE: PROFILE:フランス・ペルピニャン出身。エスモード パリでファッションを学び、在学時にはヴィヴィアン・ウエストウッドら著名デザイナーとの仕事を経験。卒業後は「ディオール オム」のアシスタント・デザイナーに抜擢され“Cent ans de cinéma”コレクションの制作に携わる。その後拠点をハリウッドに移し、衣装デザイナーとしてのキャリアをスタート。映画「ドント・ブリーズ」「蜘蛛巣城」「エイリアン:ロムルス」など、幅広いプロジェクトに携わる PHOTO:KATIE YU/FX

エスモード パリ、「ディオール オム」の経験を経て
映画衣装のデザイナーに

WWD:ファッションデザイナーを志したきっかけや、思い出に残るエピソードは?

カルロス・ロザリオ(以下、カルロス):子供の頃からいつも、パリのオートクチュール・ファッションショーの美しさに魅了されていた。特に圧倒されたのはジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)のショーだ。その経験が、「あの独特の美しさとは一体何なのか」を理解する必要性を引き起こしたのだと思う。美しいランウエイを見たことが、その後の私の人生を決定づけた。

私のキャリアの中には、本当に衝撃を受けた瞬間がたくさんある。「ディオール オム」で働いていた20代前半の頃、オートクチュールの特別なドレスを保管する倉庫に1人取り残されたことがある。突然電気が消えた瞬間、きらめくドレスに見とれた私はその場に立ち尽くしてしまった。あの瞬間ほどシュールなものは、私の人生にないだろう。

ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)とリース・ウィザースプーン(Reese Witherspoon)と映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」を撮影したときの特別な瞬間も覚えている。あの2人の演技のケミストリーは魔法のようで、映画製作が大好きになった。

オファーから撮影まで
「SHOGUN 将軍」衣装の制作秘話

WWD:「SHOGUN 将軍」の衣装制作のオファーが来た時のエピソードが知りたい。日本の歴史を表現する作品の衣装を手掛けることに不安はあったか?

カルロス:2021年の初めに、リード・プロデューサーの一人であるエドワード・L・マクドネル(Edward L. McDonnell)から連絡を受けた。彼とは昔、ジョージ・クルーニー(George Clooney)主演の「スリー・キングス」という映画で一緒に仕事をしたことがある。その時から私達はいつも「また一緒に仕事をしよう」と連絡を取り合っていたが、なかなかその機会は巡って来なかった。そしてついに「SHOGUN 将軍」で、その想いが実ったのだ。

マクドネルの紹介で、脚本家のジャスティン・マークス(Justin Marks)と話し、最初の脚本を読んだ時にそのストーリーと当時の日本文化の豊かさに惚れ込んだ。すぐにリサーチを始め、マークスに見せるために125枚以上の衣装イメージボードを作成した。3回の面接の後、ついに今回の衣装を任せてくれることになったのだ。

衣装のデザインを任されることは有り難くもあり、とても緊張することでもある。マークスは「本物であることが非常に重要だ」といつも口にしていた。当時の衣服を理解するため、可能な限り調べ、勉強した。日本文化を尊重し、適切に描写すると同時に、欧米の人々も理解できる形で表現する方法を導き出すことが私の課題だった。

WWD:衣装チームは何人で構成されたのか?

カルロス:「SHOGUN 将軍」は全エピソードが本格的な映画のようにデザインされる、とてつもないスケールのシリーズだった。テレビシリーズでこの規模のスタッフをそろえるのは非常に珍しいことだと思う。

これを実現するためには、膨大な量の組織とスタッフが必要だ。撮影地であるバンクーバーのスタッフに加え、アジア各地の製造会社と綿密に連携し、何千もの衣装を作った。毎エピソード、衣装チームは約85〜125人で構成され、シリーズを通して何百ものフィッティングを行った。甲冑を1つ着せるだけでも毎回2人がかりだ。だから主役に着せるスタッフの他、村人や侍など何百人ものフィッターのクルーが毎日撮影現場にいて、撮影に間に合うよう準備を整えていた。この時代の衣服の着付けに精通した、非常に才能のある日本人ドレッサーと出会えたことも幸運だった。

撮影現場には常に、そのエピソードの主演俳優やバックの出演者の衣装が詰まった大きなトレーラーが4台あった。しかし、それらはあくまで表面上のことにすぎない。スタジオに戻ると、巨大な倉庫は「デザイン・打ち合わせエリア」「型紙や裁断、取り付け、縫製のための作業エリア」「テキスタイルアーティストや染色師のための作業エリア」「侍の軍隊や農村の衣装や備品を全て収納するエリア」に仕切られている。さらに生地や糸、アクセサリーが色ごとに分類された棚が何段も重なり、次に撮影するシーンに備えて衣装を保管する準備室もあった。

WWD:黒澤明監督の娘であり、衣装デザイナーの黒澤和子にアドバイスを求めたと聞いた。

カルロス:和子には、日本人プロデューサーの宮川絵理子を通じて知り合った。和子はZoomでの短い会話の中で、このプロジェクトでどのように衣装をデザインすべきか、多くの指針を与えてくれた。大名が網代や小さな村に行く時の衣装を作るにあたり、「大名は自分の権力や富を見せびらかしたい。そういう時に大名は村に行くのだ」と教えてくれたことで、大名が鎧や軍服の上に着る美しい陣羽織に工夫を凝らした。

また、あらゆる状況、あらゆる場所、あらゆるセットで、異なるタイプの衣装が必要なことも明らかになった。その結果、各出演者はシーンに合うよう完全にカスタマイズされた服の“クローゼット”を持つことになった。

日本の伝統文化に自分らしさを融合した
2000以上ものコスチューム

WWD:制作した衣装の中で、最も思い入れの深い衣装は?

カルロス:網代の茶屋の花魁達の衣装だ。私は茶屋を“泡”のように感じさせたかった――村の暗闇の中にあるファンタジーのように。花魁達は自由を象徴し、夢を売っている。まるで飛び立ってしまうように儚い彼女達が着ている着物は、花や鳥のモチーフにあふれ、色と模様の爆発のようにも感じる。向里祐香が演じた一流の遊女“菊”の衣装デザインで、この情緒を表現したかった。

また、二階堂ふみが演じた“落葉の方”の衣装も大好きだ。第2話の序盤、彼女の打掛は、“落葉の方”のインスピレーション源となった豊臣秀吉の側室“淀君”の絵がベースになっている。リードテキスタイルアーティストによって、50種類にも及ぶ屏風が1つ1つ手描きされているのにも注目してもらいたい。

浅野忠信演じる“藪重”の鎧と陣羽織もお気に入りだ。“藪重”は他の大名とはちょっと違う。もっとエッジが効いていて、頑固で、少しロックスターのような印象を受けた。彼の陣羽織をもっとクリエイティブにするために、黒く尖ったカラスの羽を取り入れ、役のアティテュードを引き出した。“藪茂”の雰囲気に合わせ、彼の鎧には龍が彫刻された見事な革細工が施されている。

もちろん、主演の真田広之が演じた“虎長”の陣羽織をデザインするのもとても楽しかった。20種類以上の生地と縁取りを使い、紋章もペイントした。ある陣羽織は、何百枚もの孔雀の羽を手作業で下地の布に貼り付け、また別の陣羽織は、手作業でカットした革や木の小片を何十枚も組み合わせ、さまざまな色に染めた紐でくくりつけたりもした。役者が衣装から自分の役を感じられるよう、細部までこだわり抜いた。

WWD:今回衣装を手掛けるにあたり、どのように日本の伝統衣装に「自分らしさ」を融合したのか?

カルロス:コスチュームデザイナーとしての私の仕事は、戦国時代のあらゆる側面を研究して理解し、融合すること、そして衣装を通じて登場人物の物語を伝えること。そのためには、観客が登場人物を理解できるように、特殊なカラーパレットや素材、人物の感情の構築をデザインに取り入れる必要がある。このプロジェクトに対する概念的なアプローチと、登場人物を深く理解することが、私独自の美学で自分自身を表現することにつながったと捉えている。

日本のファッション文化から受けた影響と次なるステージ

WWD:作品を通じて、日本のファッション文化からどのような影響を受けたか?

カルロス:これまでもずっと日本文化に魅了されてきたため、私の人生の中には“日本への憧れ”が長く存在している。「SHOGUN 将軍」の撮影を通して、私の中にあった日本の美学に対するリスペクトと愛は確実に深まり、私の視野を多くの新しい可能性へと広げてくれたと思う。

これまでの私は、広い視野でデザインをするという意味でとても概念的なデザイナーだったと思う。しかし信じられないほど才能があり、知識も豊富な日本人キャストと一緒に仕事をすることができたこの作品では、これまであまり気に留めなかったディティールにまで集中することができた。

日本人デザイナーと言えば、私はずっと三宅一生の作品に魅了されていた。90年代初頭にパリにいた時、「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」のファッションショーで、フィッターとして雇われたことを思い出す。彼の服の美しさに圧倒されたのを今でも鮮明に覚えている。色彩、生地、建築的なフォルムーー彼はいつも、部屋に入った瞬間に目を奪われるような服を作っていた。昨今、彼ほどファッション界に大きなインパクトを与えた人はいないだろう。

WWD:華々しいキャリアを経て、今後目指すのは?

カルロス:今は「SHOGUN 将軍」シーズン2のために、再び仕事ができることを夢見ている。とても名誉があるクリエイティブなプロジェクトに戻り、日本の文化や衣服の美しさについて学び続けることができたら、それほど光栄なことはないだろう。

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インフルエンサーの“出店したい”を刺激するフリマサービス「ピックユー」 25歳の2人の創業者に聞く

PROFILE: 左:河合航大/ピックユー取締役 右:冨田理央/ピックユー社長

左:河合航大/ピックユー取締役 右:冨田理央/ピックユー社長
PROFILE: 左:(かわい・こうた)1998年6月9日生まれ、大阪府出身。2020年3月に文化服装学院を卒業。在学時からサステナビリティをテーマに椅子を制作するなどアーティスト活動を開始。22年2月から共同でピックユーを立ち上げ、現職。主にクリエイティビティ面を担う 右:(とみた・りお)1998年11月18日生まれ、神奈川県出身。2022年3月に大学を卒業。卒業直前の22月2月にピックユーを立ち上げ、現職。主に経営面を担う
芸能人よりもインフルエンサーが着ている服の方が気になるし着たい。そんなSNSと共に成長してきた世代ならではの感覚を落とし込み、注目を集めるフリマサービスが「ピックユー」だ。出品者は全員インフルエンサーで、ユーザーは彼らの古着を購入できる。2022年11月にサービスを本格始動してからわずか2年弱だが、インスタグラムのフォロワー数は13.7万人まで増加している。急速にサービスの認知とユーザーを拡大する「ピックユー」を立ち上げたのは現在25歳と26歳で高校の同級生でもある2人。彼らがサービスを始めた狙いやユーザー獲得の秘訣を聞いた。

WWD:インフルエンサーを対象としたフリマサービスはありそうでなかった。どのように着想した?

冨田理央社長(以下、冨田):僕は大学時代に洋服をたくさん購入していました。でも、結局長く愛用していた服は憧れの人からもらったお下がりや、河合が作ったアイテムなどでした。「この人が着ていた」といった付加価値を含めて洋服を着るのが好きだったのです。

当時、インフルエンサーが個人開催する対面フリマを利用したこともありました。しかし、梱包が雑だったり正直あまりいい体験ではありませんでした。それでも、周囲にインフルエンサーの友人がいたので、開催準備や梱包といった全ての作業を個人が担う難しさも理解できた。出品者の苦労と購入者の不満足感の両方を解消するサービスを提供すれば、ユーザーを獲得できるのではと思いました。

WWD:「ピックユー」はどういうサービスか?

冨田:インフルエンサーが着ていた服を購入できるC2Cマーケットプレイスです。いわゆるフリマサービスは、インターネット上に取引のプラットフォームを作り、出品者が出品作業や配送などを担っていますが、「ピックユー」では僕らが全ての取引に関与しています。まず、出品者であるインフルエンサーは僕らの物流センターに古着を送ります。それらの商品の情報確認、採寸、画像の撮影、コンディションチェックを僕らが請け負います。出品者は商品の説明文、スタイリング写真、着用写真を登録して、出品完了。購入が成立し次第、僕らが手数料を頂き、出品者に売上金を支払うモデルを採っています。購入者は商品写真を統一規格で閲覧できるし、一括してカゴに入れて購入できるため出品者ごとに決済をする必要がありません。

裏側を全て引き受けているため、インフルエンサー側の出品体験も購入者側の購入体験も良い。だから両方のユーザーの獲得につながっています。

WWD:なぜ、商品の説明文といった工程は出品者に任せる形を採用したのか?

冨田:出品者個人の個性や魅力が出るところであり、僕らに委ねたくないこだわりの部分でもあるからです。インフルエンサーの服を買うというサービスの仕組み上、出品者である彼らが表に立つことは必須。そこは購入のフックとして残す必要があると考えました。

WWD:どういった商品が売れる傾向にあるか。

冨田:フォロワー500人の人でも売り上げを立てている事例もあり、フォロワー数と売り上げが相関しないのが僕らのサービスの面白い点だと思っています。売れる商品は商品自体にバリューがある場合もありますが、「ピックユー」のプラットフォーム上にあるから売れるという側面もあります。出品者に関係なく全ての商品を一括で決済できる仕組みによる満足感や、全アイテムを統一規格で採寸して商品画像を掲載していることの信頼感により、場としての魅力が高まっていることで商品が売れやすくなっています。

フリマをかっこいいと思っていなかった

WWD:そもそも、2人が共同で会社を立ち上げるに至った経緯は?

冨田:大学在学中にこのビジネスモデルを思い付き、大学3年の終わり頃には1人で実験的にサービスを始めていました。ビジネスモデル自体には自信がありましたが、僕らはファッションのサービスなのでビジネスの側面と同じくらいユーザーからどれだけイケてると思われるかが重要です。そこが河合とならできると思いました。

河合航大取締役(以下、河合):僕は文化服装学院出身で、周囲にファッション業界の人が多い環境にいました。僕を含めて彼らはフリマをかっこいいとは捉えていませんでした。特に、インフルエンサーがフリマをやることに対してネガティブなイメージを持っている人が多いと感じていました。そこの価値観を逆転できたらうまくいくのではと思いました。

WWD:確かにインフルエンサーが鍵垢や別アカウントで自分の古着を売る動きは一時期頻繁に見られた。

冨田:いろいろ事情や考えがあるんだと思います。ですが、フォロワーを使っていらなくなったものをお金に変えるという行為自体がイケているものではないので、ダサいと思われたくないという面もあったと思うんです。出品者側も洋服を売りたいし、ファンである消費者としても買いたいという需要があるのに、オープンに運営しづらい状況がありました。今は、「ピックユー」でインフルエンサーが実名で堂々とフリマをやっています。これは「ピックユー」のイノベーションだと自負しています。

WWD:インフルエンサーはなぜ「ピックユー」であれば出店したいという気持ちになるのか。

河合:ファッションを理解している僕らだからこそ、「ピックユー」で出店することが“イケている”というムードをつくることができたと思います。「ピックユー」で出品、購入することがイケているというムードを醸成するためには、そもそも「ピックユー」のプラットフォーム自体がイケているという認知を広める必要がある。その役割をSNSが担うという道筋を最初から設計していました。

動画「今日なに着てる?」でファッションの熱量を上げる

WWD:すでにフォロワー数はインスタグラムが13.7万人、tiktokが8.8万人に達している。

河合:基本的に僕らのサービスはSNSからユーザーが入ってきています。SNS運用で広告宣伝費を使わずにサービスの認知を拡大できました。また、商品を買い取っているわけではないので出品者がインスタグラムのストーリーズなどで自発的に宣伝をしてくれることも経営上のメリットです。

WWD:インスタグラムのリール動画「今日なに着てる?」インタビューの総再生回数は1.2億回を超えている。このコンテンツを始めようと思ったきっかけは?

河合:ファッションに対するみんなの熱量を上げないと服が売れていかないと思ったからです。僕自身も服が好きで、学生時代は当時のストリートスナップに影響を受けていました。スナップがあるからみんなファッションを頑張るし、オシャレして外出しようと思う。近年はその文化が衰退していって、アルゴリズム的にもフィードのトップにストリートスナップが上がらなくなってきていました。そんな中で再燃できたら、みんなのファッションの熱量が上がって業界にもプラスだと考えて始めました。

最初がバズれば、他の媒体も続いてどんどんはやる。多くの人がファッションを目にする機会が増えて、服をおしゃれにしてみようかなという気持ちが湧く。このサイクルをつくりたいと考えたんです。

WWD:「今日なに着てる?」の出演者は全員出品者?

河合:出品者もいますし、これから出品する人もいます。アポイントを取って撮影することもあれば、歩いているときにハントすることもあります。そこは特に決めていません。ですが、ファッションの系統はオールジャンルを扱うことを意識しています。フォロワー数も気にせずにオファーをしています。狙っているのは、誰でも出られるわけではないが、全員が自分も頑張ったら出られるかもしれないと思えるライン。そこを見せることが、みんなが楽しみたいというファッション欲につながると思います。
メディアならばニッチな狭い層に刺さるものを選ぶという手段もあると思いますが、僕らはあくまでフリマサービス。利用者は多ければ多いほどいいんです。そうなると、全員に共通して可能性を見せる必要があります。

WWD:ジャンルを問わずに取り上げるとイケているムードとは離れて、大衆に寄りすぎてしまう気がする。そこはどうコントロールしている?

冨田:リールは可能性を絞らずに出演してもらっています。ですが、フィード投稿は河合がディレクションして「ピックユー」の世界観をダイレクトに作っています。リールはさまざまな人が出演する、フィードは自分たちのサービスの世界観を魅せる、ストーリーズはアイテムの情報を出すなど、SNSツールの機能で使い分けています。

WWD:利用者の幅は広げつつも、インフルエンサーが出店したくなるようなイケてるツールという絶妙なバランスを保っている。

河合:文化服装学院に通っているときに思ったんです。みんな好きなものを作るしやりたいブランドがある。でもやっぱりうまくいかないし、そもそも見てもらえないということも多かった。どうしてだろうと考えたときに、何をやるかだけでなく、それをどう見せていくかが重要だと思いました。だから、ファッションに興味のない人にも届けるために、「今日、何着ていますか?」などの文脈に載せたアプローチをしています。

WWD:再生回数や閲覧数の増加など、アカウントの影響力も高まっている。PRとしての仕事依頼も来そうだ。

河合:リール動画に出演したインフルエンサーのフォロワーが3000人増えるという事例もありましたし、すでにいくつかのブランドからPR依頼を頂きました。2次流通のサービスが1次流通の会社やブランドから案件を頂くことはまれなケースだと捉えています。

WWD:今後どう成長していきたいか。

冨田:SNSを中心としたマーケティングなので結果として20代を獲得していますが、このスキームは年代問わずに需要があると考えています。直近は、双方のユーザー体験の向上に注力していきたいです。現状では、こちらが担う作業の部分にコストがかかっているので、倉庫の自動化、オペレーションのデジタル化を進めていきたいです。

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「エラケイ」の美人調香師ソニア・コンスタンが目指す魂の浄化 香りを通してスピリチュアルな体験を

PROFILE: ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者

ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者
PROFILE: フランス・パリ生まれ。1999年イシプカ香水専門学校で学び、2001〜4年、ジボダン香水スクールに在籍。ベルサイユ大学で演劇コースを学ぶ。ジボダンでマスターパフューマーとして活躍。17年から現職 PHOTO :TSUKASA NAKAGAWA

フランス発フレグランス「エラケイ(ELLA K)」の新作“オーキッドK”が8月21日、登場する。同ブランドは、香料企業ジボダンのマスターパフューマーで200以上のフレグランスの調香を手がけた調香師ソニア・コンスタンが2017年にスタート。彼女が旅した世界中の場所を表現したフレグランスを提案している。ブランド名は、スイス人の女性冒険家のエラ・マイヤールと祖父の苗字を組み合わせたもの。新作“オーキッド K”はイタリア・コモ湖のブルー、そして光と影が織りなす風景を香りで表現した。コモの庭に咲くブラックバニラオーキッドなどの花々や古い教会から漂うお香の香りを陰影のコントラストで描いている。新作発表のために来日したコンスタン。仏女性誌「マダム フィガロ(MADAME FIGARO)」の女性調香師トップ5に選ばれた彼女に、ライフスタイルや仕事と母親業の両立、人生におけるモットーなどについてきた。

香りを通して伝える人生の経験、そして魂の浄化

WWD:どのような子ども時代を過ごしたか?

ソニア・コンスタン「エラケイ」創業者(以下、コンスタン):引っ込み思案で社交的ではなかった。好きだったことは、クラシックバレエやダンス、ピアノ。ものを作ることに興味があり、常に何か作りたいと思っていた。

WWD:調香師になっていなかったら、何になっていたか?

コンスタン:魂を救うような仕事。占星術をはじめ、スピリチュアルなことや哲学が好きだから、世界から発信されるいろいろなメッセージを理解して人々の魂を救うような仕事がしたいと思っている。人には魂があり、人生には苦難がある。その苦難の中で、必然的な出会いや経験を通して魂が浄化されることが大切だと考える。調香師として、香りを通して、人生における学びや経験を伝えたいと思う。例えば、“カメリアK”のテーマは狂おしい愛を表現しているけど、“ムスクK”は真っ白で無垢な状態を表している。新作の“オーキッドK”は同じ愛でも、光と影のある愛の表現。今までの人生で得てきたことの表現であると同時に、未来を多くの人と香りを通して共有したいという思いもある。

WWD:自分のシグニチャーの香りは?

コンスタン:“カメリアK”を着けることが多く、自分の一部のような香り。

ライフスタイルはスポーツや食事を重視

WWD:自身のファッションスタイルは?

コンスタン:決まったスタイルはない。ある日はロックンロール、ある日は違う装いというように色々なファッションのスタイルがある。ただ、下品にはならないようにしている。

WWD:ビューティルーティンは?

コンスタン:以前はよく来日していたから、資生堂の「クレ・ド・ポー(CLE D E PEAU)」を使っていたけど、コロナになって来日できなくなって勧められた「ラ・プレリー(LA PRAIRIE)」のプラチナムラインを使っている。スキンケアには気を使っていて、年に数回サロンで、肌の再生を助けるマイクロニードルやピーリングを受ける。メイクは、ファンデーションは使わない。目を重点的にして、リップはナチュラルに仕上げる。

WWD:ライフスタイルにおけるこだわりは?

コンスタン:スポーツと食事。忙しくてあまり時間が取れないので、ジムで効率よく短時間で筋肉トレーニングやヨガをしたり、ジョギングしたりする。食事は、野菜や果物をたくさん食べるようにしている。寿司やお刺身など生物も好き。フライドポテトなどの揚げ物は食べない。

WWD:好きな週末やバカンスの過ごし方は?旅がテーマのフレグランスを手がけているが、世界中で好きな場所は?

コンスタン:旅行中に香水を作るし、読書をしたり、写真を撮ったりして過ごす。好きな作家は、ユダヤ人作家のアルベール・コーエン(Albert Cohen)。世界中で最も印象的だと思ったのはインドだ。インドに行くと、必然的に自分に変化が訪れる。ラジャスタンのプシカという小さな村に巡礼に行き、自分の魂が生まれ変わる場所だと感じた。それを香水で表現したのが“プシカの手紙”。

人生のモットーは物事の良い面を見ること

WWD:女性、母親として大切にしていることは?

コンスタン:「エラケイ」の経営者としての仕事、ジボダンの社員としての仕事があり、2人息子がいるから、仕事と子育ての両立は本当に大変。息子2人は17歳と14歳で、思春期の真っ只中。だから、彼らとは、打ち明け話をするなど、できるだけコミュニケーションを取ることが大切。なかなか自由になる時間がないけど、できるだけ自分の大切な友達や親しい人と過ごしたいと思っている。

WWD:人生おけるモットーは?

コンスタン:何が起こっても、どのような状況でも、物事の良い面を見ること。コップに半分しか水がないと思うか。まだ、半分水があると思うかの違い。

WWD:新たにチャレンジしたいことは?

コンスタン:興味のある占星術やスピリチュアルな世界を勉強したい。

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「エラケイ」の美人調香師ソニア・コンスタンが目指す魂の浄化 香りを通してスピリチュアルな体験を

PROFILE: ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者

ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者
PROFILE: フランス・パリ生まれ。1999年イシプカ香水専門学校で学び、2001〜4年、ジボダン香水スクールに在籍。ベルサイユ大学で演劇コースを学ぶ。ジボダンでマスターパフューマーとして活躍。17年から現職 PHOTO :TSUKASA NAKAGAWA

フランス発フレグランス「エラケイ(ELLA K)」の新作“オーキッドK”が8月21日、登場する。同ブランドは、香料企業ジボダンのマスターパフューマーで200以上のフレグランスの調香を手がけた調香師ソニア・コンスタンが2017年にスタート。彼女が旅した世界中の場所を表現したフレグランスを提案している。ブランド名は、スイス人の女性冒険家のエラ・マイヤールと祖父の苗字を組み合わせたもの。新作“オーキッド K”はイタリア・コモ湖のブルー、そして光と影が織りなす風景を香りで表現した。コモの庭に咲くブラックバニラオーキッドなどの花々や古い教会から漂うお香の香りを陰影のコントラストで描いている。新作発表のために来日したコンスタン。仏女性誌「マダム フィガロ(MADAME FIGARO)」の女性調香師トップ5に選ばれた彼女に、ライフスタイルや仕事と母親業の両立、人生におけるモットーなどについてきた。

香りを通して伝える人生の経験、そして魂の浄化

WWD:どのような子ども時代を過ごしたか?

ソニア・コンスタン「エラケイ」創業者(以下、コンスタン):引っ込み思案で社交的ではなかった。好きだったことは、クラシックバレエやダンス、ピアノ。ものを作ることに興味があり、常に何か作りたいと思っていた。

WWD:調香師になっていなかったら、何になっていたか?

コンスタン:魂を救うような仕事。占星術をはじめ、スピリチュアルなことや哲学が好きだから、世界から発信されるいろいろなメッセージを理解して人々の魂を救うような仕事がしたいと思っている。人には魂があり、人生には苦難がある。その苦難の中で、必然的な出会いや経験を通して魂が浄化されることが大切だと考える。調香師として、香りを通して、人生における学びや経験を伝えたいと思う。例えば、“カメリアK”のテーマは狂おしい愛を表現しているけど、“ムスクK”は真っ白で無垢な状態を表している。新作の“オーキッドK”は同じ愛でも、光と影のある愛の表現。今までの人生で得てきたことの表現であると同時に、未来を多くの人と香りを通して共有したいという思いもある。

WWD:自分のシグニチャーの香りは?

コンスタン:“カメリアK”を着けることが多く、自分の一部のような香り。

ライフスタイルはスポーツや食事を重視

WWD:自身のファッションスタイルは?

コンスタン:決まったスタイルはない。ある日はロックンロール、ある日は違う装いというように色々なファッションのスタイルがある。ただ、下品にはならないようにしている。

WWD:ビューティルーティンは?

コンスタン:以前はよく来日していたから、資生堂の「クレ・ド・ポー(CLE D E PEAU)」を使っていたけど、コロナになって来日できなくなって勧められた「ラ・プレリー(LA PRAIRIE)」のプラチナムラインを使っている。スキンケアには気を使っていて、年に数回サロンで、肌の再生を助けるマイクロニードルやピーリングを受ける。メイクは、ファンデーションは使わない。目を重点的にして、リップはナチュラルに仕上げる。

WWD:ライフスタイルにおけるこだわりは?

コンスタン:スポーツと食事。忙しくてあまり時間が取れないので、ジムで効率よく短時間で筋肉トレーニングやヨガをしたり、ジョギングしたりする。食事は、野菜や果物をたくさん食べるようにしている。寿司やお刺身など生物も好き。フライドポテトなどの揚げ物は食べない。

WWD:好きな週末やバカンスの過ごし方は?旅がテーマのフレグランスを手がけているが、世界中で好きな場所は?

コンスタン:旅行中に香水を作るし、読書をしたり、写真を撮ったりして過ごす。好きな作家は、ユダヤ人作家のアルベール・コーエン(Albert Cohen)。世界中で最も印象的だと思ったのはインドだ。インドに行くと、必然的に自分に変化が訪れる。ラジャスタンのプシカという小さな村に巡礼に行き、自分の魂が生まれ変わる場所だと感じた。それを香水で表現したのが“プシカの手紙”。

人生のモットーは物事の良い面を見ること

WWD:女性、母親として大切にしていることは?

コンスタン:「エラケイ」の経営者としての仕事、ジボダンの社員としての仕事があり、2人息子がいるから、仕事と子育ての両立は本当に大変。息子2人は17歳と14歳で、思春期の真っ只中。だから、彼らとは、打ち明け話をするなど、できるだけコミュニケーションを取ることが大切。なかなか自由になる時間がないけど、できるだけ自分の大切な友達や親しい人と過ごしたいと思っている。

WWD:人生おけるモットーは?

コンスタン:何が起こっても、どのような状況でも、物事の良い面を見ること。コップに半分しか水がないと思うか。まだ、半分水があると思うかの違い。

WWD:新たにチャレンジしたいことは?

コンスタン:興味のある占星術やスピリチュアルな世界を勉強したい。

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ソフィア・コッポラが化粧品ブランドと初コラボ 「愛用するリップバームで色付きが欲しかったの」

独ドクターズスキンケアブランド「アウグスティヌス バーダー(AUGUSTINUS BADER、以下AB)」が6月に日本上陸を果たし、それを機に映画監督ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)とコラボレーションした“ティントリップバーム”(全3色、各6500円)を発売した。7月に伊勢丹新宿店で開催したポップアップは想定を超える売り上げを確保するなど、好調なスタートをきっている。“ティントリップバーム”を手掛けたソフィア・コッポラに普段のスキンケアやコラボレーションアイテムの開発背景などを聞いた。

WWD:ソフィアさんの普段のスキンケアやメイクのルーティーンは?

ソフィア・コッポラ(以下、ソフィア):シンプルケアが基本です。スキンケアは数年前から「AB」の美容液“ABセラム”(30mL、5万6200円)とクリーム“ABアルティスーズクリーム”(50mL、4万4600円/レフィル50mL、4万2400円)を中心に使っています。私はメイクもシンプルに仕上げたいんです。 ティントリップバームとコンシーラーで終えることも多いですね。

WWD:「AB」と出合ったきっかけは?

ソフィア:化粧品をいろいろ試す機会があるのですが、「AB」はメイクアップアーティストに紹介してもらったのが最初ですね。パンデミック中に家で過ごす時間が増え、自分のために使う時間が増えた時に自宅でゆっくりと使い心地を確かめていました。肌への効果実感を得られ、パッケージも非常に美しく視覚的にも楽めました。

WWD:「AB」の使い心地の良さは何から生まれていると思うか。

ソフィア:世界的に認められた生物医学研究者かつ医師であり、幹細胞生物学と再生医療の分野で最も権威のある専門家であるアウグスティヌス・バーダー(Augustinus Bader)教授が、科学的見地に基づき、創傷治癒ジェルをスキンケアに応用した独自成分を配合しているところですね。肌の持っている可能性をより良い方向、より健康な方向に変えてくれるのが実感できること、テクスチャーや使い心地の良さも多くの日人を魅了している点ではないでしょうか。

愛用のリップバームをアレンジ

WWD:コラボした“アウグスティヌス バーダー×ソフィア・コッポラ ティントリップバーム”もそれらを踏襲したのか。

ソフィア:既存の“ABリップバーム”(6500円)はお気に入りアイテムで、友人にも勧めてた程なんです。愛用する中で色付きがあったらいいなと思うようになり、バーダー教授に相談したところ賛同してくれたんです。色選びを自由に任せてもらえ、私自身がお気に入りだったシアーなディープピンク、夏やビーチで楽しめるレッドコーラル、焦がしたようなアーシープラムの3色に決めました。この3色さえあればあらゆるシーンに対応できます。化粧品のクリエイティビティーにかかわれたのもうれしかったですね。

WWD:化粧品ブランドとの協業は初めてだったが満足度の高い商品を作れた。

ソフィア:しっかりメイクするのではなく、ナチュラルな見え方でほんのり色付くものが欲しかったんです。市場にあるリップバームやリップティントは、匂いやべたつきが強く感じるものが多かったですが、それを解消したものを目指しました。自然な見え方で保湿力も高く自信作が誕生しました。鏡を見なくても気軽に塗れる点も気に入っています。

WWD:開発する上で苦労した点は。

ソフィア:私の最新映画「プリシラ」の制作が落ち着いたタイミングだったので、モノ作りの過程が楽しめました。実際に大変なことはなく色出しやパッケージのサンプル選びなどもスムーズに進みました。映画とは異なり自分が制作するのではなく、自分が希望したものが出来上がりそれを試作できるのは楽しかったですね。普段関わりのない人たちとのコラボレーションは非常に刺激になり、良い経験でした。

WWD:今回の経験が今後の制作活動に活かされるかもしれない?

ソフィア:それは分かりませんね(笑)。ただ、クリエイティビティとイノベーションは2つで1つのような形だと思っています。

WWD:“アウグスティヌス バーダー×ソフィア・コッポラ ティントリップバーム”をどんな人に使用してもらいたい?

ソフィア:まずは、本当に自分が使いたかったんです。愛用することが多いのはシェード1のシアーなディープピンクですね。満足のいく仕上がりだったので友人も支持してくれています。それを周りに伝えてくれ連鎖のようなものが生まれヒットしています。肌の色や好み、気分によって使い分けられるユニバーサルな色展開なので、日本でも多くの人に使ってもらいたいですね。

WWD:今後「AB」に期待することは?

ソフィア:肌を底上げしてくれる機能性の高い商品開発のユニークさにいつもワクワクしています。新商品のペシャルケア“スキンインフュージョン”(日本未発売)にも期待していますね。

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元「パープル」「ル・フィガロ」クリエイティブ・ディレクター、クリストフ・ブルンケルが実践するクリエイティブのテクニック

PROFILE: クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター

クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 表現活動はアーティスト、クリエイティブ・ディレクターとして多岐にわたる。23年9月にピカソ美術館で開催されたピカソ没後50周年記念展のアーティスティックディレクタに就任。自身のアート作品を「Le Consortium」等多数のギャラリーで毎年発表。ソフィ・カルなどアーティストのアート・ディレクションも手掛ける。24年7月にアートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した

パリを拠点とする現代アーティストのクリストフ・ブルンケル(Christophe Brunnquell)が、KOMIYAMA TOKYO Gにての日本初となる個展「フレンチ:メ・ウィ(French: Mai Oui)」を開催し、最新アートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した。

クリストフはフランスのカルト的ファッション・カルチャー誌「パープル(PURPLE)」と「ル・フィガロ(LE FIGARO)」の全ラグジュアリー部門という、一見アンビバレントな立ち位置でクリエイティブディレクターを15年ずつ務めた人物である。さらにクリエイティブディレクションと並行し、絶えず自らの実験的な創作活動を継続しており、コラージュ、絵画、彫刻、家具デザインなど、ジャンルレスに展開される作品群は膨大な数に上る。

今回はその一部、2008年から23年の15年間にわたって、身体をキャンバスの延長として捉え肌にペイントしたグラフィティーとインスタレーションを組み合わせた作品をフランス人フォトグラファーのエステル・ハナニア(Estelle Hanania)が撮り下ろしたコラボレーション写真集をKOMIYAMA TOKYOより出版した。

個展の開催に際して来日したクリストフに超現実的な表現の背景や最新プロジェクト、若い世代へのメッセージなどを聞いた。

ディレクション経験とイメージの蓄積によってスピードを増し、一層研ぎ澄まされる即興表現

――前衛的ファッション・カルチャー誌「パープル」と伝統ある全国紙「ル・フィガロ」、いずれもフランスを代表するメディアで各15年ずつクリエイティブディレクションに従事されていました。環境や読者層が異なる媒体での経験を踏まえ、アートやファッションをジャーナリズムとして発信するにあたり、重視されていたことを聞かせてください。

クリストフ・ブルンケル(以下、ブルンケル):創作活動、特に雑誌や写真集の制作にはライブ感が重要です。通常、本やアートブックの制作にはもっと時間をかけますが、私の場合は雑誌のようにスピーディに作るんです。そのために必要なイメージの蓄積として、長年ポートフォリオを作り続けてきました。

メディアの特色として「パープル」はパンクでクリエイティブ、「ル・フィガロ」はクラシックだと思われがちですが、実際両者の間にそれほど違いはありません。あえて言えば「ル・フィガロ」の方が多少表現がストレートでしょうか。

ただし、メディアを取り巻く環境の違いはあります。「フィガロ」は“現実“を扱い、クライアントや広告が存在し、記事の内容や写真撮影についてコントロールしなければならない点もあります。メディアの規模が大きいため、プロジェクトはスローペースで進みます。

一方「パープル」は“白紙委任状“のようなもの。アーティストと協働し、彼らに自由な創作の場にしてもらうことを楽しみながら、スケートボードのようにスムーズな疾走感を伴って進行します。

私の場合「パープル」からキャリアが始まりましたが、アンダーグラウンドは10代の若さのエネルギーがなし得ること。一生このフィールドにいることはできません。イギー・ポップ(Iggy Pop)のようにアンダーグラウンドから始まって商業のフィールドに進んでいくのは普通のことでしょう。

自分自身のアート表現は常にアンダーグラウンド的ですが、クリエイティブディレクターという仕事の性質は違います。「ル・フィガロ」で働けば働くほど、このバランスを保つために自らのアート表現を発展させてきました。

――コラージュ作品は「不快感」がテーマでした。今回発表されたフォトプリントも、現実から乖離したような不穏さやグロテスクに近い強烈なインパクトが脳裏に焼き付けられますが、どのようなテーマで創作されたのでしょうか。また、肉体をキャンバスの延長として捉えることをはじめ、写真家やモデルとのコラボレーションによって、コラージュ作品とは異なる表現に挑戦した点を教えてください。

ブルンケル:今回展示しているコラージュ作品は私がこれまで「フィガロ」のオフィスで制作したものです。パリのオフィスでは、机上に毎日置かれるたくさんの新聞の中に豊富な素材があるので、コラージュを作っていたんです。普段は昼食を取らず、ランチタイムを制作の時間に充て、毎日3、4枚のコラージュを制作していました。

フォトプリントのシリーズは、ファッション写真家のエステル・ハナニアと15年ほど継続して取り組んできたプロジェクトで、今回その作品をまとめて「ラ・ギャー・ドゥ・フ」という作品集を作りました。「ギャー・ドゥ・フ」(邦題「人類創生」)という先史時代を描いた残虐で滑稽な映画からインスピレーションを受けたものです。

ベースはコラージュと同様の考え方で、そこに身体表現を組み合わせることでどのような効果が生まれるか、実験的に取り組みました。

私は「メイクアップ」に非常に興味があります。肌に絵を描き、顔を創る行為がとても楽しいんです。紙に絵を描く行為は非生命を扱うこと。紙からのフィードバックはありません。対して身体や顔はよりインタラクティブな存在です。

作品はすべて即興で作っています。私はファッション、アート、コラージュを一種のレクリエーションであると考えていて、この作品でもエステルやモデルのエルガとのコラボレーションを心の底から楽しみました。

――アート創作やディレクションにおいて、自分自身を「不快な状態」に置き、自動書記的に思考するより前に手を動かすスタイルを実践していると伺いました。この姿勢はどのように構築されたのでしょうか。

ブルンケル:フランソワ・トリュフォーの「ランファン・ソヴァージュ(L’Enfant Sauvage)」(邦題「野性の少年」)という映画が大好きで、主人公の少年の精神や感覚にアイデアを得ています。彼は野生味にあふれ、汚れていて、自由です。私自身いつも散らかったカオスな場所で仕事をしているので、この少年の感覚に近いと思います(笑)。

ドローイングを描くときは自分の思考よりも速く手を動かす。年齢を重ねる毎に仕事が速くなり、表現も即興に近付いていきます。若い時は比較的頭も使って仕事をしていましたが、40歳を過ぎてからはより体を使って仕事をしていると感じています。

写真家のグレゴワール・アレキサンドル(Gregoire Alexandre)と制作した作品集「>°GuΣ」も即興表現です。「ヴォーグ(VOGUE)」の20年分のアーカイブを使用したイメージを作り、それを撮影したフォトプリント作品によって構成されています。表現手法はコラージュに近いですが、イメージは全て撮影中にその場で作りました。何も事前準備しない。私はこういう手法やそこで発揮されるエネルギーが大好きなんです。

現在進行形のプロジェクト、機能を有するアートとしての家具デザイン

――あなたが「パープル」で活動していた時期と現在では、雑誌やアート、ファッションを取り巻く環境が変化しています。今、カルチャーやアートに携わる若い世代に伝えたいことはありますか?

ブルンケル:カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、「理想的な人生とは自分の世界を作り、その中心になることだ」と言っています。自分で雑誌を制作することもその1つです。

編集長が自らコンテンツを作り、少人数のチームで運営されている雑誌は、クリエイションに集中できるので理想的だと思います。ギリシャを拠点とする「ケネディ マガジン(Kennedy Magazine)」という非常に優れた雑誌がありますが、編集長のクリス・コントス(Chris Kontos)がすべての写真を撮影しています。「パープル」の創始者オリヴィエ・ザーム(Olivier Zahm)も、現在同誌の写真の多くを自ら撮影しています。

現代の雑誌はより社会に近づいていて、クリエイティブでもあり、以前よりも人々にとって魅力的なものになっています。新しい世代がファッションに夢中になるのもそのためです。

私は若い人たちに、インターネットを使ったメディア制作が主流の時代にあっても、紙媒体のアイデアを持ち続けることが大切だと伝えたいです。

雑誌を出版することと、インターネットやSNSで発表することとの違いは何か。雑誌を印刷するのであれば、細心の注意を払い、非常にレアでオリジナリティーにあふれたものを作らなければなりません。

例えば半年に1度、600ページの雑誌を作るには、毎日3枚の写真をストックしなければならない。毎日小さな奇跡を起こすんです。そうすれば半年後には特別な雑誌を印刷することができる。若い人たちには、ぜひこの方法で何かしら創ってみてほしいです。

――今後の展開として、自身の家具ブランド、「クリストフ・ブルンケル・モビリエ(Christophe Brunnquell Mobilier)」を設立される予定とのことです。すでに発表されているデザインはキュビズム彫刻を彷彿とさせるような質量とフォルムで、巷にあるプロダクトデザインとは一線を画する存在感です。家具デザインはあなたの創造活動においてどのような立ち位置にあるか教えてください。

ブルンケル:家具とは“何かに機能を与えるもの“だと思います。ファッションデザインも同様で、服のデザインは服以上のものを表現しなければならない。アート作品のようでありながら、服としての機能も備えている。そして機能を与えれば与えるほど意味を得る。

私にとって家具のデザインは彫刻のイメージに近いですね。自身のドローイングや抽象画にボリュームを与えて具現化する。家具と彫刻の境界で遊んでいるようなものです。

ブロンズを使って制作し、あるスイッチを押すと、その彫刻がコーヒーテーブルになったり、サイドテーブルになったり、ベンチになったりします。アンティークのような美的かつ歴史的な価値のある質感やフォルムが重要で、モダンという発想はありません。

コラージュのような即興とは正反対で、家具の製作には6〜9カ月ほどの長期間を要します。200枚ほどスケッチを描くこともあります。

家具の仕事は続けるつもりで、今後は日本の職人たちと木彫りの家具を作るプロジェクトも予定しています。

PHOTOS:KAZUO YOSHIDA
INTERVIEW:AKIO KUNISAWA

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元「パープル」「ル・フィガロ」クリエイティブ・ディレクター、クリストフ・ブルンケルが実践するクリエイティブのテクニック

PROFILE: クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター

クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 表現活動はアーティスト、クリエイティブ・ディレクターとして多岐にわたる。23年9月にピカソ美術館で開催されたピカソ没後50周年記念展のアーティスティックディレクタに就任。自身のアート作品を「Le Consortium」等多数のギャラリーで毎年発表。ソフィ・カルなどアーティストのアート・ディレクションも手掛ける。24年7月にアートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した

パリを拠点とする現代アーティストのクリストフ・ブルンケル(Christophe Brunnquell)が、KOMIYAMA TOKYO Gにての日本初となる個展「フレンチ:メ・ウィ(French: Mai Oui)」を開催し、最新アートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した。

クリストフはフランスのカルト的ファッション・カルチャー誌「パープル(PURPLE)」と「ル・フィガロ(LE FIGARO)」の全ラグジュアリー部門という、一見アンビバレントな立ち位置でクリエイティブディレクターを15年ずつ務めた人物である。さらにクリエイティブディレクションと並行し、絶えず自らの実験的な創作活動を継続しており、コラージュ、絵画、彫刻、家具デザインなど、ジャンルレスに展開される作品群は膨大な数に上る。

今回はその一部、2008年から23年の15年間にわたって、身体をキャンバスの延長として捉え肌にペイントしたグラフィティーとインスタレーションを組み合わせた作品をフランス人フォトグラファーのエステル・ハナニア(Estelle Hanania)が撮り下ろしたコラボレーション写真集をKOMIYAMA TOKYOより出版した。

個展の開催に際して来日したクリストフに超現実的な表現の背景や最新プロジェクト、若い世代へのメッセージなどを聞いた。

ディレクション経験とイメージの蓄積によってスピードを増し、一層研ぎ澄まされる即興表現

――前衛的ファッション・カルチャー誌「パープル」と伝統ある全国紙「ル・フィガロ」、いずれもフランスを代表するメディアで各15年ずつクリエイティブディレクションに従事されていました。環境や読者層が異なる媒体での経験を踏まえ、アートやファッションをジャーナリズムとして発信するにあたり、重視されていたことを聞かせてください。

クリストフ・ブルンケル(以下、ブルンケル):創作活動、特に雑誌や写真集の制作にはライブ感が重要です。通常、本やアートブックの制作にはもっと時間をかけますが、私の場合は雑誌のようにスピーディに作るんです。そのために必要なイメージの蓄積として、長年ポートフォリオを作り続けてきました。

メディアの特色として「パープル」はパンクでクリエイティブ、「ル・フィガロ」はクラシックだと思われがちですが、実際両者の間にそれほど違いはありません。あえて言えば「ル・フィガロ」の方が多少表現がストレートでしょうか。

ただし、メディアを取り巻く環境の違いはあります。「フィガロ」は“現実“を扱い、クライアントや広告が存在し、記事の内容や写真撮影についてコントロールしなければならない点もあります。メディアの規模が大きいため、プロジェクトはスローペースで進みます。

一方「パープル」は“白紙委任状“のようなもの。アーティストと協働し、彼らに自由な創作の場にしてもらうことを楽しみながら、スケートボードのようにスムーズな疾走感を伴って進行します。

私の場合「パープル」からキャリアが始まりましたが、アンダーグラウンドは10代の若さのエネルギーがなし得ること。一生このフィールドにいることはできません。イギー・ポップ(Iggy Pop)のようにアンダーグラウンドから始まって商業のフィールドに進んでいくのは普通のことでしょう。

自分自身のアート表現は常にアンダーグラウンド的ですが、クリエイティブディレクターという仕事の性質は違います。「ル・フィガロ」で働けば働くほど、このバランスを保つために自らのアート表現を発展させてきました。

――コラージュ作品は「不快感」がテーマでした。今回発表されたフォトプリントも、現実から乖離したような不穏さやグロテスクに近い強烈なインパクトが脳裏に焼き付けられますが、どのようなテーマで創作されたのでしょうか。また、肉体をキャンバスの延長として捉えることをはじめ、写真家やモデルとのコラボレーションによって、コラージュ作品とは異なる表現に挑戦した点を教えてください。

ブルンケル:今回展示しているコラージュ作品は私がこれまで「フィガロ」のオフィスで制作したものです。パリのオフィスでは、机上に毎日置かれるたくさんの新聞の中に豊富な素材があるので、コラージュを作っていたんです。普段は昼食を取らず、ランチタイムを制作の時間に充て、毎日3、4枚のコラージュを制作していました。

フォトプリントのシリーズは、ファッション写真家のエステル・ハナニアと15年ほど継続して取り組んできたプロジェクトで、今回その作品をまとめて「ラ・ギャー・ドゥ・フ」という作品集を作りました。「ギャー・ドゥ・フ」(邦題「人類創生」)という先史時代を描いた残虐で滑稽な映画からインスピレーションを受けたものです。

ベースはコラージュと同様の考え方で、そこに身体表現を組み合わせることでどのような効果が生まれるか、実験的に取り組みました。

私は「メイクアップ」に非常に興味があります。肌に絵を描き、顔を創る行為がとても楽しいんです。紙に絵を描く行為は非生命を扱うこと。紙からのフィードバックはありません。対して身体や顔はよりインタラクティブな存在です。

作品はすべて即興で作っています。私はファッション、アート、コラージュを一種のレクリエーションであると考えていて、この作品でもエステルやモデルのエルガとのコラボレーションを心の底から楽しみました。

――アート創作やディレクションにおいて、自分自身を「不快な状態」に置き、自動書記的に思考するより前に手を動かすスタイルを実践していると伺いました。この姿勢はどのように構築されたのでしょうか。

ブルンケル:フランソワ・トリュフォーの「ランファン・ソヴァージュ(L’Enfant Sauvage)」(邦題「野性の少年」)という映画が大好きで、主人公の少年の精神や感覚にアイデアを得ています。彼は野生味にあふれ、汚れていて、自由です。私自身いつも散らかったカオスな場所で仕事をしているので、この少年の感覚に近いと思います(笑)。

ドローイングを描くときは自分の思考よりも速く手を動かす。年齢を重ねる毎に仕事が速くなり、表現も即興に近付いていきます。若い時は比較的頭も使って仕事をしていましたが、40歳を過ぎてからはより体を使って仕事をしていると感じています。

写真家のグレゴワール・アレキサンドル(Gregoire Alexandre)と制作した作品集「>°GuΣ」も即興表現です。「ヴォーグ(VOGUE)」の20年分のアーカイブを使用したイメージを作り、それを撮影したフォトプリント作品によって構成されています。表現手法はコラージュに近いですが、イメージは全て撮影中にその場で作りました。何も事前準備しない。私はこういう手法やそこで発揮されるエネルギーが大好きなんです。

現在進行形のプロジェクト、機能を有するアートとしての家具デザイン

――あなたが「パープル」で活動していた時期と現在では、雑誌やアート、ファッションを取り巻く環境が変化しています。今、カルチャーやアートに携わる若い世代に伝えたいことはありますか?

ブルンケル:カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、「理想的な人生とは自分の世界を作り、その中心になることだ」と言っています。自分で雑誌を制作することもその1つです。

編集長が自らコンテンツを作り、少人数のチームで運営されている雑誌は、クリエイションに集中できるので理想的だと思います。ギリシャを拠点とする「ケネディ マガジン(Kennedy Magazine)」という非常に優れた雑誌がありますが、編集長のクリス・コントス(Chris Kontos)がすべての写真を撮影しています。「パープル」の創始者オリヴィエ・ザーム(Olivier Zahm)も、現在同誌の写真の多くを自ら撮影しています。

現代の雑誌はより社会に近づいていて、クリエイティブでもあり、以前よりも人々にとって魅力的なものになっています。新しい世代がファッションに夢中になるのもそのためです。

私は若い人たちに、インターネットを使ったメディア制作が主流の時代にあっても、紙媒体のアイデアを持ち続けることが大切だと伝えたいです。

雑誌を出版することと、インターネットやSNSで発表することとの違いは何か。雑誌を印刷するのであれば、細心の注意を払い、非常にレアでオリジナリティーにあふれたものを作らなければなりません。

例えば半年に1度、600ページの雑誌を作るには、毎日3枚の写真をストックしなければならない。毎日小さな奇跡を起こすんです。そうすれば半年後には特別な雑誌を印刷することができる。若い人たちには、ぜひこの方法で何かしら創ってみてほしいです。

――今後の展開として、自身の家具ブランド、「クリストフ・ブルンケル・モビリエ(Christophe Brunnquell Mobilier)」を設立される予定とのことです。すでに発表されているデザインはキュビズム彫刻を彷彿とさせるような質量とフォルムで、巷にあるプロダクトデザインとは一線を画する存在感です。家具デザインはあなたの創造活動においてどのような立ち位置にあるか教えてください。

ブルンケル:家具とは“何かに機能を与えるもの“だと思います。ファッションデザインも同様で、服のデザインは服以上のものを表現しなければならない。アート作品のようでありながら、服としての機能も備えている。そして機能を与えれば与えるほど意味を得る。

私にとって家具のデザインは彫刻のイメージに近いですね。自身のドローイングや抽象画にボリュームを与えて具現化する。家具と彫刻の境界で遊んでいるようなものです。

ブロンズを使って制作し、あるスイッチを押すと、その彫刻がコーヒーテーブルになったり、サイドテーブルになったり、ベンチになったりします。アンティークのような美的かつ歴史的な価値のある質感やフォルムが重要で、モダンという発想はありません。

コラージュのような即興とは正反対で、家具の製作には6〜9カ月ほどの長期間を要します。200枚ほどスケッチを描くこともあります。

家具の仕事は続けるつもりで、今後は日本の職人たちと木彫りの家具を作るプロジェクトも予定しています。

PHOTOS:KAZUO YOSHIDA
INTERVIEW:AKIO KUNISAWA

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「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.1 「日本のコスメの存在感がなくなっている!」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

化粧品市場はすっかり活況を取り戻したが、気が付けば欧州のハイブランドと韓国コスメのパワーに押され、「J ビューティ」と呼ばれていた頃の勢いはすっかり影を潜めている。その原因はいったい?これからどうしたらいい?そこで、ビューティ・ジャーナリストの木津由美子が数々の百貨店ブランドを立ち上げては成功へと導いてきた石橋寧氏に、日本の化粧品業界に対して思うことを5回にわたって聞く。

――:ズバリ、日本の化粧品業界って大丈夫でしょうか?不安しか感じないんですが。

石橋寧(以下、石橋):昨年、タイのバンコクで化粧品売り場をいろいろと見て回ったんだけど、韓国コスメがすごくいい場所を取っていたんだよね。現在のメインどころは韓国コスメと、「グッチ ビューティ(GUCCI BEAUTY)」や「エルメス(HERMES)」などの欧州ラグジュアリー。日本のコスメブランドはほとんど隅に追いやられていた。それはロンドンでも同じ。ハロッズを見ても日本からの新規参入は見当たらず、相変わらず資生堂グループの「シセイドウ(SHISEIDO)」と「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)、花王・カネボウグループの「スック(SUQQU)」と「センサイ(SENSAI)」のみ。実はコロナ前の2019年ごろ、ハロッズのバイヤーから「スリー(THREE)を入れたい」という打診があったんです。化粧品売り場を改装して2倍くらいに拡張する、そこで「J ビューティ」を強化したい、と。代理店を通じて交渉していたんだけれど、当時はまだEU離脱が決定していなかった。国の方針が決まらないと具体的な条件交渉に入れないから少し待とうと話しているうちにパンデミックになり、ハロッズの改装も遅れ……昨年行ったら、その場所に「グッチ ビューティ」が入ってましたね。

――:「スリー」の進出は引き継がれていないんですね。なぜ、こんなに全てが停滞しているのでしょう?

石橋:コロナ禍で海外渡航の自粛が求められると、日本の企業はきちんと守って全て現地任せにし、誰も行かなくなってしまった。一方、韓国はオンラインで交渉して機を見て渡航して、いいロケーションを積極的に獲得していました。結果コロナが収まった今、どこも渡航者が戻ってきているから、ロケーションの有利・不利は大きく響く。奥まったロケーションにある日本のブランドはこれから数年、とても苦労しますね。それを見ると、「日本の企業は何をやっていたの?」って思う。

日本のコスメブランドの居場所がない

――:今、いろんな業界で消費の二極化が進んでいますが、低価格帯マーケットは韓国に食われ、高価格帯市場は欧州ラグジュアリーブランドに占められ、日本のコスメブランドの居場所がありません。

石橋:日本のメイクアップ市場は「シャネル(CHANEL)」や「ディオール(DIOR)」などのラグジュアリーブランドが圧倒的に強く、日本の輸入コスメの25%は韓国コスメが占めている(23年度の化粧品輸入実績。日本輸入品協会調べ)。つまり、日本のコスメは、ラグジュアリーとマス市場のどっちからもやられっぱなし。その上、花王は「オーブ(AUBE)」と「コフレドール(COFFRET DOR)」を終了すると言っているでしょ。これって「欧州や韓国企業の皆さん、日本のマーケットをお好きにどうぞ」と差し出しているようにしか見えないんですよね。

――:さらに今秋から来年にかけて、欧州ラグジュアリーブランドが勢力を増します。

石橋:聞くところによると、百貨店の外資系ハイブランドはやがて、化粧品とファッション小物を集積した売り場を作るんじゃないか、と。ハイブランドの強みは、バッグとかポーチといったファッション小物を持っていること。阪急うめだ本店の「ディオール」が成功したのは、まさに化粧品とバッグを連動させた売り場を作ったから。「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のコスメがまもなく出てくるようだが、そういう売り場を作る可能性は大いにあると思う。そうすると百貨店の売り場はどうなるか。広いスペースが必要になるので、そんな提案がしにくい日本のコスメブランドは別のフロアに移設される。今、世界中で同じような動きがあるように感じます。僕はそんな状況を見越して日本発のラグジュアリーブランド「アンプリチュード(AMPLITUDE)」と「イトリン(ITRIM)」を作ったわけです。コロナ禍を含めて確かに3年くらいは厳しかったけれど、可能性を秘めていたブランドだったのに休止となってとても残念。「アンプリチュード」を作った時、実はどの商品も「シャネル(CHANEL)」より価格設定を100円高くしたんだよね。「トム フォード ビューティ(TOM FORD BEAUTY)」ほど高くなくていいけれど、日本のラグジュアリーだから、と。そういうブランドが、日本には本当にないんですよ。

「品質がよければ売れる」のは錯覚

――:かといって、広くグローバルで成功しているブランドもない。

石橋:みんな「グローバル」って言うけど、言っているだけで行動が伴っていないんですよ。フランスと韓国に共通しているのは、人口が日本の半分ぐらいであること。国外に出ていかないと生きていかれないから、最初からグローバルを相手にしているわけです。それに対して日本は1億2000万人もいるから自国でなんとか消費できていた。ところが人口が減少し、「やっぱりグローバルだよね」と。ならば、そういう視点でモノ作りやマーケティングをしていかないと。でも化粧品メーカーのトップが本気で海外に視察に行っているとは思えないし、行っていたとしても本質を見ていないように思う。「品質がよければ売れる」というのは日本の企業の錯覚で、大きな勘違い。もはや品質がいいだけで売れる時代ではない。なのにまだそう信じようとしているふしがある。日本の化粧品メーカーはどこで稼いでいるかというと、結局化粧品専門店やドラッグストアがメイン。専門店を第一にモノ作りをし、店舗設計やディスプレイ、テスターといったものも専門店ベースで考えるから、グローバルでは戦えないんですよ。本当にグローバルにするんだったら、まずはトップ自らいろんな国に行って、自分の目でマーケットを見てくる。今をチャンスと捉え、グローバル視点でモノ作りやマーケティングをすれば、まだまだいけると思います。

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パリ五輪スケボー金メダル、吉沢恋選手を育てた名店を訪問 相模原は世界へ続く滑走路

PROFILE: 寺井裕次郎/「アクト エスビー ストア」店主

寺井裕次郎/「アクト エスビー ストア」店主
PROFILE: (てらい・ゆうじろう)1983年生まれ、島根県出身。大学進学とともに上京。20歳のころにスケートボードを始める。大学卒業後、1年間アルバイトで資金を貯め、ワーキングホリデーで2年間バンクーバーに滞在。帰国後、小山公園の開園をきっかけに相模原に定住。「DC CUP」で3位獲得後、プロデビューを果たす。2016年、スケボーショプ「アクト エスビー ストア」をオープン。ショップ経営のほかにも、スケボースクールや大会の運営、実況やMCなど、多岐に渡って活動する PHOTO: KAZUO YOSHIDA

「裕次郎くん」。14歳の金メダリストは、寺井裕次郎さんのことをフランクにこう呼んだ。この夏、「金メダルに恋した14歳」の名実況とともに、女子スケートボードの吉沢恋選手の名は日本のみならず全世界にとどろいた。そして、彼女のコーチもあり、所属先のスケボーショップ「アクト エスビー ストア(ACT SB STORE)」の店主でもあるのが、寺井さんだ。店の取材のため相模原を訪問すると、そこでは吉沢選手と寺井さんが親しげに談笑していた。予想外だったため吉沢選手への取材は叶わなかったが、寺井さんに同店を始めたきっかけや相模原との関係について深掘り。そこで見えてきた“競技ではなく、カルチャーとして存在するスケートボード”とは。

スケートボードシーンのハブに店を構える

店を構えるのは相模原市で、JRや京王線の橋本駅から徒歩20分弱。相模原は全国のスケーターが訪れる場所として、長らく国内スケートボードシーンのハブとみなされてきた。彼らが集うのは、小山公園ニュースポーツ広場。2007年に正式オープンした同広場は、スケートボードほか、ダンスや3on3バスケットボールエリアを設ける。取材当日に立ち寄ったときも、夜7時という時間帯にも関わらず、地域の子どもたちやそれを見守る親でにぎわっていた。かつて、このような子どもたちの1人だったのが、パリオリンピックでスケボー男子4位入賞を果たした白井空良選手や藤沢虹々可選手、岸海選手、そしてほかでもない吉沢選手だ。この地に店を構えた寺井さんは、ワーキングホリデー先のバンクーバーで同広場のオープンを知ったという。

「バンクーバーでは、雑誌やビデオで見るような人たちが普通に滑っていて、普通に仲良くしてくれるんです。トッププロスケーターであろうが僕が技を決めたら盛り上がってくれて。楽しくて楽しくて、気づいたらスケボーを中心に生活が回っていましたね(笑)帰国後も、当時日本一のパークだった小山公園周辺に住もうと決めていました」。

バンクーバーでは、船橋春貴という寺井さん憧れのプロスケーターにも会うことができた。そしてこれが転機になった。寺井さんは、「あんなふうにうまくなれるのか、確信もなく帰国しましたが、帰国後、僕がバンクーバーで見たような人たちはプロ中のプロだったと気づいたんです。正直、僕もプロという枠組みの中に入るだけならできるかもと思いました」と振り返る。プロになりたいという野心が芽生えたのはこのときだ。

プロになるには、スポンサーを付けなければならない。そして、スポンサーを付けるには、大会で結果を残さないといけない。そう考えた寺井さんは、25歳のとき、人生で初めてスケートボード大会に出場した。「最初の大会は、ビリから2番目という結果でした。その後、『100回トライして1回決まれば良い』という慣れ親しんだスケボーだけでなく、『1回のトライで決め切る』という大会で勝つためのスケボーを練習し始めました。この練習を繰り返し、27歳くらいのときには第一線で活躍するスケーターと肩を並べられるようになりましたね。そしてついに、27歳で出場した『DC CUP』で3位を受賞し、スポンサーを付けられることになりました」。(スケートデッキの下に付ける金具の)「ロイヤルトラック」や(タイヤの中に入れる金具の)「ザ ベアリング」、他にもスケボーショップや洋服ブランドからサポートを受けるようになった。

スポンサー契約後も、サラリーマン生活を続けながら変わらず小山公園で滑る毎日だったが、30歳くらいのとき、ふと何か物足りないなと感じた。小山公園付近には、そこで練習する将来有望な子どもたちをサポートする場所がなかったのだ。「熱心に滑っているとスケートボードはよく壊れる。タイヤの修理も、みんな八王子にあるスポーツ専門店に数時間かけて行っていました。僕は僕は悔しくて。じゃあ僕がここで店をやろうと思いオープンしたのが、スケボーショップ『アクト エスビー ストア』です」。

20平米もないスケボーショップで見る夢

同店は、2016年にオープンした。オリジナル商品ほか、同店に所属するスケーターや小山公園で滑っているスケーターに関係するブランドを取り扱う。例えば、「エイプリル スケートボード(APRIL SKATEBOARDS)」は、岸海選手をチームライダーに登録しているブランド、「ミャオ スケートボード(MEOW SKATEBOARDS)」は吉沢選手や藤沢選手をサポートしているブランド。湘南の「ドブディープ(DOBBDEEP)」や厚木の「フレッシュ ルーツ(FRESH ROOTS)」など、寺井さんが個人的に仲良くしているブランドの商品も置いている。「我ながら身内感あるラインアップです」と寺井さん。

店内には、吉沢選手が着用していることで話題になった「ラカイ(LAKAI)」のシューズも。「『ラカイ』のシューズ(1万450円 ※価格変動の可能性あり)は、恋ちゃんがスケボーを始めたときから履いています。柔らかいスニーカーのため、消耗も激しいですが、足でつかむ力が弱い人におすすめしています」。

さらに、カウンターの前には、年に1回、相模原のスケーターが集まる忘年会で披露されるという寺井さん自作のDVDも置いている。スケートボードシーンでは、スケーターの滑りを映像化することが盛んだ。DVD制作はかれこれ16年くらい続けているといい、過去には、堀米雄斗選手や池田大亮選手、池田大暉選手など、そうそうたる顔ぶれが出演している。寺井さんは、「子供たちは、このビデオを観て練習するんですよ。例えば、『恋ちゃんが小学5年生のころは何をやっていたんだろう?』『私も今5年生だから、このくらいはやらなきゃ』とか。恋ちゃん自身も子どものころ、セリフを覚えるくらい観ていました。流れる歌ですら覚えていましたね(笑)」と懐かしむ。

品ぞろえからは、ローカルシーンから日本のスケートボード界を盛り上げたいという気持ちが伝わる。寺井さんは、「売れる有名なブランドの商品を売るだけでは、浅い客が増えてその店が盛り上がるだけで、スケートボードシーン全体は盛り上がらない。この先日本のスケートボードシーンを支えていく人を生み出したいという気持ちがあり、このようなラインアップになっています」と語る。

相模原には、小山公園を中心に、寺井さんの思いを形にできる土壌がある。現に、年に1回、小山公園で開催される大会「OYAMA CUP」も、相模原の不動産会社や美容院、パン屋などローカルの企業からサポートを受けている。「僕も昔は、店頭に『小山公園にいます』という貼り紙だけ残して営業中でも滑りに行っていました。携帯が鳴って店に戻るみたいな(笑)。相模原にはそれを許してくれるカルチャーがあります」。街全体が、スケートボード選手を世界に送り出す滑走路のようだ。

競技ではなく、カルチャーとして存在するスケートボード

「日本のスケートボードは未来しかない」と語る一方、スケートをめぐる環境がかつてとは違ってきたことも誰よりも実感している。「専用のスケート施設はできていますが、道路走行に対する法規制は年々厳しくなっていますよね。つまり、競技としてスケーターのスキルは上がっているけれど、本来のカルチャーからは遠くなっている。もちろん人に迷惑をかけてはいけないことは前提ですが、僕はこのカルチャーとしての側面を忘れずにいたいですし、子供たちも頭の片隅に置いてくれたら嬉しいです。今後はその発信もしていけたらと思っています」。

次回のオリンピックの注目選手を尋ねると、迷わず「恋ちゃん」と答えた寺井さん。開催地であるロサンゼルスは、スケーターにとってメッカのような存在。ロサンゼルスオリンピックでも、相模原の小さなスケボーショップの快進撃に期待だ。

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DAIKI SUDOがデビューEP「EARTH」をリリース 現実と非現実の境界を漂う音像

PROFILE: DAIKI SUDO/アーティスト

DAIKI SUDO/アーティスト
PROFILE: 1998年、神奈川県生まれ。10代の頃にニュージーランドで3年間を過ごす。帰国後の大学在学中に、楽曲制作を目的に南アフリカに滞在する。その頃、SG Lewisの「Warm」を聴いたことをきっかけに楽曲制作を始める。2024年、Daiki Sudoとして本格的に音楽活動を開始。8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースする

8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースしたDAIKI SUDOは2023年に“水のように広がりながら、自然と調和するエレクトロニックミュージック“というコンセプトを元に活動を開始した。同作にはダウンテンポ、フューチャーベース、メロディックハウス、シンセポップを独自に解釈した4曲が収録されていて、いずれもアンビエンスをフィーチャーし広大な草原や雄大な山脈、無限に広がる海といったオーガニックな情景を想起させる。

1月にインドゴアへ移り、現在まであてもなく旅を続けているという。これまでに海外を拠点に生活してきたことがジャンルを横断した楽曲の根源になっているのか。音楽制作のプロセスやデビュー作の制作背景まで話を聞いた。

映画の1シーンから音を想像する

WWD:音楽制作を始めたのはいつ頃ですか?

DAIKI SUDO(以下、DAIKI):18歳の時に高校時代の仲間と一緒にヒップホップのユニットを組んでいて、自分はラッパーを担当してました。友達がトラックメイカーだったので、僕はスタジオでヴォーカルをレコーディングするだけ。音作りには関わっていませんでしたね。その頃、トラックメイカーの友達からSGルイスを勧められて「Warm」を聞きました。静寂した空間とピアノの旋律の情緒がすごくて。当時は生音とエレクトロの融合に未来感を感じていました。バーチャルシンセの実在しない楽器音と現実世界の生音、この非現実的な組み合わせの音像に影響を受けました。

その後グループが散り散りになって、1人になった時にヒップホップを続けるのではなく、ジャンルをまたいだ音楽を作りたいという欲求が芽生えました。それから自分でトラックメイクからミックス、マスタリングまでをYouTube見ながらやり始めたんです。

WWD:当時はどんな曲を作っていたのでしょうか?

DAIKI:当時はハウスっぽい曲が好きでした。ドレイク(Drake)の「パッションフルーツ(Passionfruit)」みたいなカリビアンぽさもある4つ打ち。ダンスミュージックでありながら、コードやメロディに情緒があってラップボーカルにもメロディが乗っているような曲が多かったです。

WWD:ディスコ・リバイバルとか1970〜80年代をアップデートしていく風潮の発端のような時代だったと思うのですが、当時の空気感にも影響を受けましたか?

DAIKI:僕はディスコよりも映画音楽からの影響が強かったです。最初は曲単体として聴いた「Warm」も「X-ミッション」っていう大自然の脅威とエクストリームスポーツをテーマにした映画の挿入歌だったんです。作品中で男女が夜の海に潜っていくシーンとの情緒が特に印象的で、その映像と音楽が鮮明に記憶に残っています。それから、フィルムスコアにどんどん惹かれていきました。

音が先行するのではなく、映画のシーンの情景に合うかどうか。曲単体よりも映像の世界観が頭の中でパッケージされた状態で音楽を聴くことが増えていったように思います。ルドウィグ・ゴランソン(Ludwig Goransson)も「メッセージ」のヨハン・ヨハンソン(Johann Johannsson)も好きでしたね。

WWD:情景が浮かんで音につながっていく前提として、世界各地に住んだり、旅をした経験が影響していますか?

DAIKI:それはありますし、SF映画や小説が大好きなので、現実世界に無い情景を拡大して妄想することも多いです。ただ、初めて楽器を習ったのも、自分でアルバムCDを買ったのもニュージーランドに住んでいた12~14歳の頃で、音楽を作る楽しさの感覚は間違いなくそこから来ています。初めて買った音源がアウルシティー(Owl City)のアルバム。当時すでにエレクトロニックミュージックやシンセサイザーのあたたかい感じがすごく好きで、その後、聴くようになったサウンドヒーリングのようなジャンルの2つの音楽が混ざっていきました。表現の幅が無限にあるエレクトロニックミュージックを聴き込むうちに、徐々にジャンルを断定しづらい音楽にのめり込んでいったんです。

現実と非現実の境界のような音楽

WWD:インドに渡ってから曲作りに変化はありましたか?

DAIKI:インドに来てからは、「ここは地球なのか?」と毎日のように自問自答しています(笑)。ほとんど裸の西洋人の男が腰まであるドレッド髪を靡かせてモーターバイクで滑走していたり、幅20メートルぐらいの巨大なガジュマルの樹のつたが自然と三つ編みになって天から地上に伸びていたり。人も景色も暮らし方もとにかく全てが日本の生活とかけ離れすぎていて、現実なのに自分にとっては非現実に感じるような状況が続いています。

インドの伝統音楽はキーやリズムの概念も遥かに複雑で、理解し難い部分もありますが伝統楽器のタブラという太鼓のリズム感とグルーヴは自分の曲のリズム作りにも少し影響しました。

また、インドは現在ドラムンベース、ジャングル、ゴアトランスといったエネルギッシュなジャンルのパーティーと、エクスタティックダンスという、焚き火を囲んで全員でサンスクリット語の曲を合唱して、ブレンドしたカカオを飲みながらアンビエントな音楽にうねるように踊る内省的で精神性の高いパーティーに二極化していて、どちらも別のベクトルに突き抜けた音の可能性を感じて楽しいです。

インドに来て、以前よりも重さや暗さ、逆にハッピーな時もどこか突き抜けるように、ありのままよりもドラマチックに物事を伝えたいという思いが強くなりました。

「EARTH」のフックで鳴っている音は、今まで聞いたことのない音を作りたいというモチベーションからできたんですが、もともとは耳触りの良い音の中のちょっとした違和感を探していたことがきっかけになりました。音が流れていく中で、引っかかるけど気持ちがいい。ある意味サプライズのような「気持ちのいい違和感」を常に作りたいと思っています。個人的にはエレクトロミュージックのパターンと縛りのないエクスペリメンタルの要素を混ぜてみたり、今回のEPではメインストリームの音楽の構成と規律を保ちつつ好きに流れをまとめています。

WWD:通しで聴くとある種の逃避性が備わっているように感じます。それは自身が求めているから、それとも無意識にそう感じさせるのでしょうか?

DAIKI:自分が求めているからだと思います。最初に音楽を作ろうと思った時、「露天風呂に合うような曲が作りたい」と思いました。温かい湯に浸かりながら、肌の上を転がるような気持ちのいい寒さを感じて曲を聴きたいという。これもある種、日々の生活からの逃避と捉えられるかもしれません。深いリラクゼーションの感覚と内に生まれる興奮や満足。このアルバムに関しては、ライブで盛り上がるような過程ではなくて、むしろ帰り道に自然の中、1人で内に入っていくような現実逃避の感覚が合うと思います。現実のとある場面で生まれる感情を楽しむための音楽というよりは、その感情を起点に別の世界に誘われるような音楽。フィルムスコアも含めて、フィクションとノンフィクションの境界が好きなので自然にそうなったのかもしれません。例えば、映画「her」の限りなく現実に近い非現実、共感はできるけど想像の余白がある世界観のような。

WWD:曲を作る時にはまず、映像が浮かぶのでしょうか?

DAIKI:好きなSF映画のワンシーンを見つめたり、頭の中に変な情景を具体的に妄想したりして、その場面にどんな音楽を流したいかという自問自答を繰り返しています。あとは、写真の影響も大きい。“EARTH”は木漏れ日の中、森の原っぱに寝転がっている想像のイメージから、横に流れる川、映画「アバター」に登場するような極彩色の野鳥が連鎖的に浮かびました。そこに音を重ねていくように、常に楽曲と映像はセットで考えています。

WWD:アルバム全体としてはどのように構成していったのでしょうか?

DAIKI:4年前に作った曲もありますし、シングルにするか、EPにするかも含めて今回リリースする「8%」というレーベルのToshiさん(「8%」代表)に相談し、一緒に仕上げていきました。自分の作品に対して過剰に感情を注いでしまうあまり、外から見て分かりづらい文脈になってしまうことがあるので、俯瞰した視点で意見をくれるToshiさんの存在はとても大きくて感謝しています。

WWD:タイトルの“EARTH”にはどんなニュアンスが込められていますか?

DAIKI:高知県の仁淀川で13時間以上かけて無計画にドライブしながらMVの素材撮りをしたんですが、とぐろを巻いた蛇の眼の上を歩く虫だったり、プローブレンズ越しの蝶の目がサッカーボールのように見えたり、全てが非現実に感じたんです。自分が現実ではあり得ないと思っていても、地球には想像を超える世界がまだまだ広がっている。インドに渡ってからさらに強くそう思うようになりましたが、僕たちがこうして誕生して命のバトンをつなぎ、曲を作ったりそれを楽しんだりできているという魔法のような状況も全てこの地球から来ているということに今更ながら感銘を受けて“EARTH”というタイトルにしました。

WWD:思い入れのある曲、難産だった曲はありますか?

DAIKI:最初にリリースしようと仕上げた曲が“SWIM”なんですけど、海を泳いでいるときの気持ちよさや水面の波紋、深く潜っていくにつれて感じる恐怖感を音に変換したいと思ったんです。美しい情景と同居している自然の脅威という異なる2つの感情を表現しようと思ったのですが、理想の音になるまで1年くらいかかりました。どれくらいの音の波長が尖っているのか、どこから温かみを感じるかなど、非常に細かい感覚で調整をしていました。浅瀬から深海までの情景をサインウェーブだけで作りたかったので、最初は滑らかなポコポコした音から始まって、波のように変化していく音のバリエーション。他の曲は比較的スムーズに仕上がったんですが、最初に発表するというプレッシャーもあったのかもしれません。

あてのないアジアへの音楽旅

WWD:現在はインドのゴアにいるんですか?

DAIKI:今はヒマラヤ山脈のパールヴァティ渓谷にいますが、少し前まではゴアにいました。音楽を理由にゴアに来たわけではないので、ローカルの瞑想音楽やゴアトランスを経験して、新しい感覚が生まれつつあります。自分の知っている音楽の世界の外側に、さらに莫大な音楽の世界が存在することに気づいたんです。以前、南アフリカに住んでいた時はドラムパターンがアフロビーツみたいになったり、アマピアノの影響も自分の楽曲に反映されています。これからはトランスミュージックや瞑想音楽のエッセンスが多くなっていくと確信しています。

WWD:インドは瞑想音楽やアンビエント作家も多くいますが、最初にゴアを目指したのはなぜですか?

DAIKI:きっかけはありません。ただ、ルーティン化してきた日本の生活をリセットしたい気分だったので、劇的に日常を変えたいという欲求が強くなってきて、何かを得ようという感覚よりもまっさらな状態になりたいというモチベーションでゴアに来ました。それまでトランスはほとんど聞いていませんでしたし、良さもわからなかった。でも、本場のローカルなエリアや森の中のレイヴで聴くと、この種の音楽が人の発するエネルギー同士を結びつけたり、周囲の自然と自分の波長を合わせるチャンネルになり得るという感覚と意味を肌で理解できました。自然と音楽のつながりを深く感じた経験でもありました。

WWD:現地のコミュニティーで気になったことはありますか?

DAIKI:20代のイスラエルの若者たちのファッションですね。クラシックヒップホップを好きな人がバギーなジーンズを引きずってベースボールキャップを被るように、トランス好きの若者にもBPMの高い音楽と結びついた特有の着こなしがあります。パーティーではサイケデリック、単色の鮮やかな色使いの動きやすいシャツにプリズムレンズを用いたサングラス、というのが大半のドレスコードとなっています。90年代の影響は強いですがストリートさはほぼなくスポーティで、ミニマルなスタイルや逆に懐かしさを感じるようにアップデートされたスタイルが多い印象です。あと、共通して人気なのは「オークリー(OAKLEY)」の“レーダー“です。

WWD:チベットとネパールではどんな音楽に触れたいですか?

DAIKI:最近、トゥクトゥクが故障した時のエンジン音をリズム用に録音したり、群衆の声や街の雑音などのフィールドレコーディングを始めました。フィクションとノンフィクションのバランスをもう少し生寄りにしたいと感じているからです。全部バーチャルではなくて、物体の肌感を取り入れたい。特にネパールでは瞑想音楽と人間の潜在意識に眠る力をより深く感じたいと思います。海外だとオープンに人とつながりやすいので、そういった素直な人間の温かみのような部分も今後の曲に反映されていくような気がします。

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DAIKI SUDOがデビューEP「EARTH」をリリース 現実と非現実の境界を漂う音像

PROFILE: DAIKI SUDO/アーティスト

DAIKI SUDO/アーティスト
PROFILE: 1998年、神奈川県生まれ。10代の頃にニュージーランドで3年間を過ごす。帰国後の大学在学中に、楽曲制作を目的に南アフリカに滞在する。その頃、SG Lewisの「Warm」を聴いたことをきっかけに楽曲制作を始める。2024年、Daiki Sudoとして本格的に音楽活動を開始。8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースする

8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースしたDAIKI SUDOは2023年に“水のように広がりながら、自然と調和するエレクトロニックミュージック“というコンセプトを元に活動を開始した。同作にはダウンテンポ、フューチャーベース、メロディックハウス、シンセポップを独自に解釈した4曲が収録されていて、いずれもアンビエンスをフィーチャーし広大な草原や雄大な山脈、無限に広がる海といったオーガニックな情景を想起させる。

1月にインドゴアへ移り、現在まであてもなく旅を続けているという。これまでに海外を拠点に生活してきたことがジャンルを横断した楽曲の根源になっているのか。音楽制作のプロセスやデビュー作の制作背景まで話を聞いた。

映画の1シーンから音を想像する

WWD:音楽制作を始めたのはいつ頃ですか?

DAIKI SUDO(以下、DAIKI):18歳の時に高校時代の仲間と一緒にヒップホップのユニットを組んでいて、自分はラッパーを担当してました。友達がトラックメイカーだったので、僕はスタジオでヴォーカルをレコーディングするだけ。音作りには関わっていませんでしたね。その頃、トラックメイカーの友達からSGルイスを勧められて「Warm」を聞きました。静寂した空間とピアノの旋律の情緒がすごくて。当時は生音とエレクトロの融合に未来感を感じていました。バーチャルシンセの実在しない楽器音と現実世界の生音、この非現実的な組み合わせの音像に影響を受けました。

その後グループが散り散りになって、1人になった時にヒップホップを続けるのではなく、ジャンルをまたいだ音楽を作りたいという欲求が芽生えました。それから自分でトラックメイクからミックス、マスタリングまでをYouTube見ながらやり始めたんです。

WWD:当時はどんな曲を作っていたのでしょうか?

DAIKI:当時はハウスっぽい曲が好きでした。ドレイク(Drake)の「パッションフルーツ(Passionfruit)」みたいなカリビアンぽさもある4つ打ち。ダンスミュージックでありながら、コードやメロディに情緒があってラップボーカルにもメロディが乗っているような曲が多かったです。

WWD:ディスコ・リバイバルとか1970〜80年代をアップデートしていく風潮の発端のような時代だったと思うのですが、当時の空気感にも影響を受けましたか?

DAIKI:僕はディスコよりも映画音楽からの影響が強かったです。最初は曲単体として聴いた「Warm」も「X-ミッション」っていう大自然の脅威とエクストリームスポーツをテーマにした映画の挿入歌だったんです。作品中で男女が夜の海に潜っていくシーンとの情緒が特に印象的で、その映像と音楽が鮮明に記憶に残っています。それから、フィルムスコアにどんどん惹かれていきました。

音が先行するのではなく、映画のシーンの情景に合うかどうか。曲単体よりも映像の世界観が頭の中でパッケージされた状態で音楽を聴くことが増えていったように思います。ルドウィグ・ゴランソン(Ludwig Goransson)も「メッセージ」のヨハン・ヨハンソン(Johann Johannsson)も好きでしたね。

WWD:情景が浮かんで音につながっていく前提として、世界各地に住んだり、旅をした経験が影響していますか?

DAIKI:それはありますし、SF映画や小説が大好きなので、現実世界に無い情景を拡大して妄想することも多いです。ただ、初めて楽器を習ったのも、自分でアルバムCDを買ったのもニュージーランドに住んでいた12~14歳の頃で、音楽を作る楽しさの感覚は間違いなくそこから来ています。初めて買った音源がアウルシティー(Owl City)のアルバム。当時すでにエレクトロニックミュージックやシンセサイザーのあたたかい感じがすごく好きで、その後、聴くようになったサウンドヒーリングのようなジャンルの2つの音楽が混ざっていきました。表現の幅が無限にあるエレクトロニックミュージックを聴き込むうちに、徐々にジャンルを断定しづらい音楽にのめり込んでいったんです。

現実と非現実の境界のような音楽

WWD:インドに渡ってから曲作りに変化はありましたか?

DAIKI:インドに来てからは、「ここは地球なのか?」と毎日のように自問自答しています(笑)。ほとんど裸の西洋人の男が腰まであるドレッド髪を靡かせてモーターバイクで滑走していたり、幅20メートルぐらいの巨大なガジュマルの樹のつたが自然と三つ編みになって天から地上に伸びていたり。人も景色も暮らし方もとにかく全てが日本の生活とかけ離れすぎていて、現実なのに自分にとっては非現実に感じるような状況が続いています。

インドの伝統音楽はキーやリズムの概念も遥かに複雑で、理解し難い部分もありますが伝統楽器のタブラという太鼓のリズム感とグルーヴは自分の曲のリズム作りにも少し影響しました。

また、インドは現在ドラムンベース、ジャングル、ゴアトランスといったエネルギッシュなジャンルのパーティーと、エクスタティックダンスという、焚き火を囲んで全員でサンスクリット語の曲を合唱して、ブレンドしたカカオを飲みながらアンビエントな音楽にうねるように踊る内省的で精神性の高いパーティーに二極化していて、どちらも別のベクトルに突き抜けた音の可能性を感じて楽しいです。

インドに来て、以前よりも重さや暗さ、逆にハッピーな時もどこか突き抜けるように、ありのままよりもドラマチックに物事を伝えたいという思いが強くなりました。

「EARTH」のフックで鳴っている音は、今まで聞いたことのない音を作りたいというモチベーションからできたんですが、もともとは耳触りの良い音の中のちょっとした違和感を探していたことがきっかけになりました。音が流れていく中で、引っかかるけど気持ちがいい。ある意味サプライズのような「気持ちのいい違和感」を常に作りたいと思っています。個人的にはエレクトロミュージックのパターンと縛りのないエクスペリメンタルの要素を混ぜてみたり、今回のEPではメインストリームの音楽の構成と規律を保ちつつ好きに流れをまとめています。

WWD:通しで聴くとある種の逃避性が備わっているように感じます。それは自身が求めているから、それとも無意識にそう感じさせるのでしょうか?

DAIKI:自分が求めているからだと思います。最初に音楽を作ろうと思った時、「露天風呂に合うような曲が作りたい」と思いました。温かい湯に浸かりながら、肌の上を転がるような気持ちのいい寒さを感じて曲を聴きたいという。これもある種、日々の生活からの逃避と捉えられるかもしれません。深いリラクゼーションの感覚と内に生まれる興奮や満足。このアルバムに関しては、ライブで盛り上がるような過程ではなくて、むしろ帰り道に自然の中、1人で内に入っていくような現実逃避の感覚が合うと思います。現実のとある場面で生まれる感情を楽しむための音楽というよりは、その感情を起点に別の世界に誘われるような音楽。フィルムスコアも含めて、フィクションとノンフィクションの境界が好きなので自然にそうなったのかもしれません。例えば、映画「her」の限りなく現実に近い非現実、共感はできるけど想像の余白がある世界観のような。

WWD:曲を作る時にはまず、映像が浮かぶのでしょうか?

DAIKI:好きなSF映画のワンシーンを見つめたり、頭の中に変な情景を具体的に妄想したりして、その場面にどんな音楽を流したいかという自問自答を繰り返しています。あとは、写真の影響も大きい。“EARTH”は木漏れ日の中、森の原っぱに寝転がっている想像のイメージから、横に流れる川、映画「アバター」に登場するような極彩色の野鳥が連鎖的に浮かびました。そこに音を重ねていくように、常に楽曲と映像はセットで考えています。

WWD:アルバム全体としてはどのように構成していったのでしょうか?

DAIKI:4年前に作った曲もありますし、シングルにするか、EPにするかも含めて今回リリースする「8%」というレーベルのToshiさん(「8%」代表)に相談し、一緒に仕上げていきました。自分の作品に対して過剰に感情を注いでしまうあまり、外から見て分かりづらい文脈になってしまうことがあるので、俯瞰した視点で意見をくれるToshiさんの存在はとても大きくて感謝しています。

WWD:タイトルの“EARTH”にはどんなニュアンスが込められていますか?

DAIKI:高知県の仁淀川で13時間以上かけて無計画にドライブしながらMVの素材撮りをしたんですが、とぐろを巻いた蛇の眼の上を歩く虫だったり、プローブレンズ越しの蝶の目がサッカーボールのように見えたり、全てが非現実に感じたんです。自分が現実ではあり得ないと思っていても、地球には想像を超える世界がまだまだ広がっている。インドに渡ってからさらに強くそう思うようになりましたが、僕たちがこうして誕生して命のバトンをつなぎ、曲を作ったりそれを楽しんだりできているという魔法のような状況も全てこの地球から来ているということに今更ながら感銘を受けて“EARTH”というタイトルにしました。

WWD:思い入れのある曲、難産だった曲はありますか?

DAIKI:最初にリリースしようと仕上げた曲が“SWIM”なんですけど、海を泳いでいるときの気持ちよさや水面の波紋、深く潜っていくにつれて感じる恐怖感を音に変換したいと思ったんです。美しい情景と同居している自然の脅威という異なる2つの感情を表現しようと思ったのですが、理想の音になるまで1年くらいかかりました。どれくらいの音の波長が尖っているのか、どこから温かみを感じるかなど、非常に細かい感覚で調整をしていました。浅瀬から深海までの情景をサインウェーブだけで作りたかったので、最初は滑らかなポコポコした音から始まって、波のように変化していく音のバリエーション。他の曲は比較的スムーズに仕上がったんですが、最初に発表するというプレッシャーもあったのかもしれません。

あてのないアジアへの音楽旅

WWD:現在はインドのゴアにいるんですか?

DAIKI:今はヒマラヤ山脈のパールヴァティ渓谷にいますが、少し前まではゴアにいました。音楽を理由にゴアに来たわけではないので、ローカルの瞑想音楽やゴアトランスを経験して、新しい感覚が生まれつつあります。自分の知っている音楽の世界の外側に、さらに莫大な音楽の世界が存在することに気づいたんです。以前、南アフリカに住んでいた時はドラムパターンがアフロビーツみたいになったり、アマピアノの影響も自分の楽曲に反映されています。これからはトランスミュージックや瞑想音楽のエッセンスが多くなっていくと確信しています。

WWD:インドは瞑想音楽やアンビエント作家も多くいますが、最初にゴアを目指したのはなぜですか?

DAIKI:きっかけはありません。ただ、ルーティン化してきた日本の生活をリセットしたい気分だったので、劇的に日常を変えたいという欲求が強くなってきて、何かを得ようという感覚よりもまっさらな状態になりたいというモチベーションでゴアに来ました。それまでトランスはほとんど聞いていませんでしたし、良さもわからなかった。でも、本場のローカルなエリアや森の中のレイヴで聴くと、この種の音楽が人の発するエネルギー同士を結びつけたり、周囲の自然と自分の波長を合わせるチャンネルになり得るという感覚と意味を肌で理解できました。自然と音楽のつながりを深く感じた経験でもありました。

WWD:現地のコミュニティーで気になったことはありますか?

DAIKI:20代のイスラエルの若者たちのファッションですね。クラシックヒップホップを好きな人がバギーなジーンズを引きずってベースボールキャップを被るように、トランス好きの若者にもBPMの高い音楽と結びついた特有の着こなしがあります。パーティーではサイケデリック、単色の鮮やかな色使いの動きやすいシャツにプリズムレンズを用いたサングラス、というのが大半のドレスコードとなっています。90年代の影響は強いですがストリートさはほぼなくスポーティで、ミニマルなスタイルや逆に懐かしさを感じるようにアップデートされたスタイルが多い印象です。あと、共通して人気なのは「オークリー(OAKLEY)」の“レーダー“です。

WWD:チベットとネパールではどんな音楽に触れたいですか?

DAIKI:最近、トゥクトゥクが故障した時のエンジン音をリズム用に録音したり、群衆の声や街の雑音などのフィールドレコーディングを始めました。フィクションとノンフィクションのバランスをもう少し生寄りにしたいと感じているからです。全部バーチャルではなくて、物体の肌感を取り入れたい。特にネパールでは瞑想音楽と人間の潜在意識に眠る力をより深く感じたいと思います。海外だとオープンに人とつながりやすいので、そういった素直な人間の温かみのような部分も今後の曲に反映されていくような気がします。

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ヘアサロン「レコ」内田聡一郎×AMANE  美容室がやるヤバいイベント“SCRAMBLE”の狙い

PROFILE: AMANE/「レコ」店長(左)、内田聡一郎/「レコ」CEO兼トップディレクター

PROFILE: 左:(あまね)1998年生まれ。茨城県出身。国際文化理容美容専門学校渋谷校卒業。2019年4月「レコ」入社。「レコ」初の新卒メンバーの1人で現在は「レコ」の店長を務める。趣味はDJ。プライベートは専らクラブ通い。幼少期をフィンランドで過ごし、フィンランド語と英語を話す。 右:(うちだ・そういちろう)1979年8月30日生まれ。神奈川県出身。2018年2月に独立し、3月1日に自身のサロン「レコ」をオープン。サロンワークをはじめ一般誌や業界誌の撮影、セミナー、数々のミュージシャンやアイドルのヘアメイクを手掛けるなど、幅広く活躍。プライベートではDJ活動も行っている。

人気ヘアサロン「レコ(LECO)」の7周年イベント“SCRAMBLE vol.2”が8月12日に渋谷の「クラブ エイジア」で開催される。出演者はラッパーのJUBEE (CreativeDrugStore)や藤田織也(Bleecker Chrome)、tofubeats、ZEN-LA-ROCKなど、サロンの周年イベントとは思えない豪華なラインアップだ。なぜこのラインアップが実現できたのか。そしてなぜこのタイミングでイベントを行うのか。イベントについて「レコ」代表の内田聡一郎と店長のAMANEに話を聞いた。

「これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしい」

WWD:「レコ」がオープンしたのが2018年3月1日。このタイミングで7周年イベントをなぜやろうと思ったのか?

内田聡一郎「レコ」代表(以下、内田):厳密にいうと「レコ」はオープンして6年半なんですが、5周年のイベントも2年前の8月にやったので、(イベントを)やるなら夏がいいなと。あと、7月29日に「クク(QUQU)」がイベントをやったので、それとあわせてサロン全体を盛り上げたいなという思いもあります。

5周年イベントをやった後は、「次は10周年かな」と言ってたんですけど、AMANEやスタッフが「10周年まで待てないです」って言って、みんなのやる気スイッチが入ったんで、「じゃあ7周年でイベントするか」となって。

WWD:今回もヘアサロンのイベントとは思えない豪華な出演者ですね。

内田:やるからには5周年イベントの盛り上がりを超えないといけないなって、僕とAMANEを中心にブッキングはかなりがんばりました。特にAMANEは本格的にDJもやっているので、そのつながりで半分以上のアーティストをブッキングしてくれました。

WWD:出演者はどう選んだんですか

AMANE「レコ」店長(以下、AMANE):「レコ」っぽさは絶対に出したかったので、 出演者の9割ほどがサロンにお客さんで来てくれている人たちです。1階のメインフロアとバーフロアは割とオールジャンルで、誰でも楽しめるようにブッキングしつつ、2階はディープな層に向けてハウス、テクノのDJを中心にブッキングしました。

内田:イベント名の“SCRAMBLE”は渋谷のスクランブル交差点からつけていて、いろんなジャンルの人が入り乱れるというイメージで、若手からベテラン、アイドルまで、ごちゃ混ぜ感があって「レコ」っぽい、ありそうでないラインアップになりました。しかも今回は17時から29時まで12時間やるんですよ。

AMANE:5周年のときは17時から23時まででしたね。

内田:時間も出演者も倍にパワーアップしています。AMANEと話しながら、「出てもらいたい人がいっぱいいて、23時までだとどう考えても終わらないよね」ってなって。「もう朝までやっちゃうか」ってノリで決めました。

いろんなファン層が入り乱れると思うんで、普段の音楽のパーティーだと触れてこなかった音楽に出会って、「これもかっこいいな」って思う人もいるはず。実際僕らもそういう体験をしてきているので、今回のイベントがその一つのきっかけになればいいよね。

AMANE:そうですね。これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしいです。

内田:イベントの裏テーマとしては、日頃AMANEがやっているようなイベントやクラブにも来てもらいたいという思いがあります。僕はそういうカルチャーで育ってきて、そこの面白さを知っているので、少しでも伝えられればいいですね。

美容以外のコミュニティーにもアプローチ

WWD:ヘアショーをやるわけじゃないですよね。

内田:それはまったく考えてません。もう一切ヘアは絡ませないというのは最初からのコンセプトです。よく美容室の周年のイベントって、ヘアショーメインで合間にライブやDJタイムがあったりするじゃないですか。それは否定するつもりはないですし、僕らも散々やってきたので、せっかくなら“SCRAMBLE”では違うことをやろうかなと思って。

やっぱり美容以外のコミュニティーにもアプローチしたいというか、普通にクラブ好きな人たちがこの出演者を見て、「このイベント、ヤバい」って思ってもらえたらうれしいですし、そこが一番の狙いです。なんなら「レコ」のことを知らなくて、このメンツだけを見て遊びに来て、実は美容室がやっているイベントなんだって知ってもらえるのが最高ですね。内容的に音楽好きな人が来ても楽しんでもらえると思います。

WWD:内田さん、AMENEさんも含め、「レコ」のメンバーも結構出ますね。

内田:サロン内にCDJの機材があるというのも大きいんですけど、いつでもDJやれる環境にあるんで、気が付いたらDJをやるサロンスタッフが増えてきました。AMANEはかなり本格的にDJもやっていて、僕よりも全然コアにやってます。

AMANE:「レコ」だとDJをやっても否定されないっていうのは大きいですね。「全然やっていいよ」という感じなので。僕自身も自分のイベントを月に2回くらいやっていたり、月6〜10本くらいはDJをやっています。

WWD:今回は朝までやるということで、さすがに次の日は、サロンは休みですか?

内田:ワーカホリックの自分でもさすがに次の休みですね(笑)。だからもう覚悟してやろうと思って。リハーサルから考えると13時間以上は現場にいるんですが、大量にアルコールも摂取すると思うので、朝方には酔っ払って「エイジア」の隣の駐車場でぶっ倒れてる可能性あります。

AMANE:そんなレアな内田さんが見れるかも。

内田:割と次の日のことを考えてすぐ帰るタイプなんですけど、この日だけは久々に朝までいて、めいっぱい楽しもうと思ってます。ぜひ、みなさんも一緒に楽しみましょう。

オープンから振り返って

WWD:せっかくのタイミングなので、オープンから現在までを振り返っていこうかなと。今、スタッフ数は?

内田:「レコ」「クク」「レコ オーベン(LECO öben)」「レコ オッド(LECO odd)」の4店舗合わせて40人ほどです。

WWD:オープンから現在まで順調でしたか?

内田:最初の2、3年は結構大変でしたね。創業メンバーも何人か辞めたり、コロナもありましたし。でも今のところ、経営が危ないみたいなことはなかったです。

WWD:内田さんはクリエイターとしても活躍して、経営者としても成功しています。

内田:自分では経営者って意識はそこまでなくて。僕は結構放任主義なんで、みんなが好きなことをやって、楽しくやってくれればいいかなって思ってます。

WWD:それでもこれだけサロンの色が強くて、少しずつ拡大しているサロンってなかなかないと思いますよ。

内田:やっぱり美容室って、ビジネス型とデザイン型ってまだ分かれていると思うんですけど、僕はハイブリッドでやっていきたいし、そのパイオニアになりたいと思ってます。デザインでも認められたいし、組織としても評価されたい。若いころからいろいろと面白いことやっている人に憧れがあったし、そういう人たちがかっこいいなと思ってたんで、スタッフにもそういう気持ちを共有しつつ、組織としてどうするかっていうのはまだまだ模索中ではあります。

WWD:フォトコンも定期的にやってますね。

内田:3カ月に1回くらいのペースでやってます。やっぱり、1人1人モチベーションは違うし、大変だと思うんですが、続けていくことで、結果的にその人の力になると思うし。ルーティンにすることで、自然と作品作りへのハードルも下がるだろうし。

WWD:AMANEさんから見た経営者としての内田さんはどうですか?

AMANE:ずっと背中で見せて、走り続けてくれているというのは本当にすごいし、ありがたいです。自分たちもやらなきゃいけないなって思いますね。あとは、スタッフがやりたいことには基本的に反対しないし、後押ししてくれる。さっきも言いましたが、僕がDJをやるのも応援してくれていますし。ただ、中途半端にやると怒られます。

内田:ブランディングがあるようでないのが「レコ」。他のサロンだと、(スタッフの)ファッションやSNS のやり方とかも細かく決めていたりもするんですが、うちの場合はみんな自由にやっていて、よく見るとスタッフ1人1人の打ち出すヘアとかも違っていたりするんです。うちはハイトーンのイメージが強いと思うんですが、AMANEはパーマが得意だったりしますし。まぁ基本的に「レコ」で働きたいという時点で、ある程度好きなものは似ているので、そこの共通認識は持てているかなと思うんですが。でも、その振り幅の広さが今のところいい感じに「レコ」っぽさにつながっているのかもしれないです。

AMANE:逆にみんな人とかぶらないように違うことをやろうという思っているところもあります。内田さんや浦さんを見ていると、自分らしさって大事だなと思います。内田さんを目指してもなれるわけではないので。

内田:「自分の色を出そう」という意識は他のサロンよりは強いかもしれないですね。 時にはそれが強くて、ちょっと動物園化してコントロールが大変なときもあるんですが(笑)。でも芯の部分ではみんな分かり合ってるっていうか、尊重し合えてはいると思います。

WWD:今後については?

内田:来年の新卒が入ると50人ぐらいになるので、自ずと新店舗の出店は考えなきゃいけないでしょうね。でも20店舗展開で、社員100人とか正直考えていないというか、考えたくないというか(笑)。まぁ徒然なるままにっていう感じで。自分は結構決断が早い方だと思うので、なるべくフラットにその時々の気分や情勢を考えて、やっていこうかなと思っています。

あと、さっきも言ったんですけど、常に面白くありたいというもあって。会社を大きくして、「なんかつまんない美容室になったな」って絶対に思われたくないですし。なんなら、美容室も経営しながら、クラブを経営したりしてもいいわけで。それこそ、「レコ」だからできることだとも思うので。

AMANE:それ、ヤバいっすね。

内田:そういうのがやっぱ面白いよね。 今回のイベントもそうですけど、オーバーグラウンドとアンダーグラウンド、美容業界とそれ以外の業界とか、いろんなジャンルをクロスオーバーさせてつなげるっていうのは、自分の使命だと思っているので。軸は美容業界におきつつ、そこから面白いことを仕掛けられたらなと思います。

■LECO inc. 7th Anniversary “SCRAMBLE vol.2”
開催日:8月12日
時間:17:00〜26:00
※ 本公演は入場時ID check(顔写真付き身分証確認)あり。22:00以降は未成年(20歳未満)の方は退出。
価格:(前売り)3500円、(当日)4000円)、サロンメンバー、美容学生2000円 (要「LECO」アプリ会員登録)(※要学生証)
https://cultureofasia.zaiko.io/item/364976

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ヘアサロン「レコ」内田聡一郎×AMANE  美容室がやるヤバいイベント“SCRAMBLE”の狙い

PROFILE: AMANE/「レコ」店長(左)、内田聡一郎/「レコ」CEO兼トップディレクター

PROFILE: 左:(あまね)1998年生まれ。茨城県出身。国際文化理容美容専門学校渋谷校卒業。2019年4月「レコ」入社。「レコ」初の新卒メンバーの1人で現在は「レコ」の店長を務める。趣味はDJ。プライベートは専らクラブ通い。幼少期をフィンランドで過ごし、フィンランド語と英語を話す。 右:(うちだ・そういちろう)1979年8月30日生まれ。神奈川県出身。2018年2月に独立し、3月1日に自身のサロン「レコ」をオープン。サロンワークをはじめ一般誌や業界誌の撮影、セミナー、数々のミュージシャンやアイドルのヘアメイクを手掛けるなど、幅広く活躍。プライベートではDJ活動も行っている。

人気ヘアサロン「レコ(LECO)」の7周年イベント“SCRAMBLE vol.2”が8月12日に渋谷の「クラブ エイジア」で開催される。出演者はラッパーのJUBEE (CreativeDrugStore)や藤田織也(Bleecker Chrome)、tofubeats、ZEN-LA-ROCKなど、サロンの周年イベントとは思えない豪華なラインアップだ。なぜこのラインアップが実現できたのか。そしてなぜこのタイミングでイベントを行うのか。イベントについて「レコ」代表の内田聡一郎と店長のAMANEに話を聞いた。

「これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしい」

WWD:「レコ」がオープンしたのが2018年3月1日。このタイミングで7周年イベントをなぜやろうと思ったのか?

内田聡一郎「レコ」代表(以下、内田):厳密にいうと「レコ」はオープンして6年半なんですが、5周年のイベントも2年前の8月にやったので、(イベントを)やるなら夏がいいなと。あと、7月29日に「クク(QUQU)」がイベントをやったので、それとあわせてサロン全体を盛り上げたいなという思いもあります。

5周年イベントをやった後は、「次は10周年かな」と言ってたんですけど、AMANEやスタッフが「10周年まで待てないです」って言って、みんなのやる気スイッチが入ったんで、「じゃあ7周年でイベントするか」となって。

WWD:今回もヘアサロンのイベントとは思えない豪華な出演者ですね。

内田:やるからには5周年イベントの盛り上がりを超えないといけないなって、僕とAMANEを中心にブッキングはかなりがんばりました。特にAMANEは本格的にDJもやっているので、そのつながりで半分以上のアーティストをブッキングしてくれました。

WWD:出演者はどう選んだんですか

AMANE「レコ」店長(以下、AMANE):「レコ」っぽさは絶対に出したかったので、 出演者の9割ほどがサロンにお客さんで来てくれている人たちです。1階のメインフロアとバーフロアは割とオールジャンルで、誰でも楽しめるようにブッキングしつつ、2階はディープな層に向けてハウス、テクノのDJを中心にブッキングしました。

内田:イベント名の“SCRAMBLE”は渋谷のスクランブル交差点からつけていて、いろんなジャンルの人が入り乱れるというイメージで、若手からベテラン、アイドルまで、ごちゃ混ぜ感があって「レコ」っぽい、ありそうでないラインアップになりました。しかも今回は17時から29時まで12時間やるんですよ。

AMANE:5周年のときは17時から23時まででしたね。

内田:時間も出演者も倍にパワーアップしています。AMANEと話しながら、「出てもらいたい人がいっぱいいて、23時までだとどう考えても終わらないよね」ってなって。「もう朝までやっちゃうか」ってノリで決めました。

いろんなファン層が入り乱れると思うんで、普段の音楽のパーティーだと触れてこなかった音楽に出会って、「これもかっこいいな」って思う人もいるはず。実際僕らもそういう体験をしてきているので、今回のイベントがその一つのきっかけになればいいよね。

AMANE:そうですね。これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしいです。

内田:イベントの裏テーマとしては、日頃AMANEがやっているようなイベントやクラブにも来てもらいたいという思いがあります。僕はそういうカルチャーで育ってきて、そこの面白さを知っているので、少しでも伝えられればいいですね。

美容以外のコミュニティーにもアプローチ

WWD:ヘアショーをやるわけじゃないですよね。

内田:それはまったく考えてません。もう一切ヘアは絡ませないというのは最初からのコンセプトです。よく美容室の周年のイベントって、ヘアショーメインで合間にライブやDJタイムがあったりするじゃないですか。それは否定するつもりはないですし、僕らも散々やってきたので、せっかくなら“SCRAMBLE”では違うことをやろうかなと思って。

やっぱり美容以外のコミュニティーにもアプローチしたいというか、普通にクラブ好きな人たちがこの出演者を見て、「このイベント、ヤバい」って思ってもらえたらうれしいですし、そこが一番の狙いです。なんなら「レコ」のことを知らなくて、このメンツだけを見て遊びに来て、実は美容室がやっているイベントなんだって知ってもらえるのが最高ですね。内容的に音楽好きな人が来ても楽しんでもらえると思います。

WWD:内田さん、AMENEさんも含め、「レコ」のメンバーも結構出ますね。

内田:サロン内にCDJの機材があるというのも大きいんですけど、いつでもDJやれる環境にあるんで、気が付いたらDJをやるサロンスタッフが増えてきました。AMANEはかなり本格的にDJもやっていて、僕よりも全然コアにやってます。

AMANE:「レコ」だとDJをやっても否定されないっていうのは大きいですね。「全然やっていいよ」という感じなので。僕自身も自分のイベントを月に2回くらいやっていたり、月6〜10本くらいはDJをやっています。

WWD:今回は朝までやるということで、さすがに次の日は、サロンは休みですか?

内田:ワーカホリックの自分でもさすがに次の休みですね(笑)。だからもう覚悟してやろうと思って。リハーサルから考えると13時間以上は現場にいるんですが、大量にアルコールも摂取すると思うので、朝方には酔っ払って「エイジア」の隣の駐車場でぶっ倒れてる可能性あります。

AMANE:そんなレアな内田さんが見れるかも。

内田:割と次の日のことを考えてすぐ帰るタイプなんですけど、この日だけは久々に朝までいて、めいっぱい楽しもうと思ってます。ぜひ、みなさんも一緒に楽しみましょう。

オープンから振り返って

WWD:せっかくのタイミングなので、オープンから現在までを振り返っていこうかなと。今、スタッフ数は?

内田:「レコ」「クク」「レコ オーベン(LECO öben)」「レコ オッド(LECO odd)」の4店舗合わせて40人ほどです。

WWD:オープンから現在まで順調でしたか?

内田:最初の2、3年は結構大変でしたね。創業メンバーも何人か辞めたり、コロナもありましたし。でも今のところ、経営が危ないみたいなことはなかったです。

WWD:内田さんはクリエイターとしても活躍して、経営者としても成功しています。

内田:自分では経営者って意識はそこまでなくて。僕は結構放任主義なんで、みんなが好きなことをやって、楽しくやってくれればいいかなって思ってます。

WWD:それでもこれだけサロンの色が強くて、少しずつ拡大しているサロンってなかなかないと思いますよ。

内田:やっぱり美容室って、ビジネス型とデザイン型ってまだ分かれていると思うんですけど、僕はハイブリッドでやっていきたいし、そのパイオニアになりたいと思ってます。デザインでも認められたいし、組織としても評価されたい。若いころからいろいろと面白いことやっている人に憧れがあったし、そういう人たちがかっこいいなと思ってたんで、スタッフにもそういう気持ちを共有しつつ、組織としてどうするかっていうのはまだまだ模索中ではあります。

WWD:フォトコンも定期的にやってますね。

内田:3カ月に1回くらいのペースでやってます。やっぱり、1人1人モチベーションは違うし、大変だと思うんですが、続けていくことで、結果的にその人の力になると思うし。ルーティンにすることで、自然と作品作りへのハードルも下がるだろうし。

WWD:AMANEさんから見た経営者としての内田さんはどうですか?

AMANE:ずっと背中で見せて、走り続けてくれているというのは本当にすごいし、ありがたいです。自分たちもやらなきゃいけないなって思いますね。あとは、スタッフがやりたいことには基本的に反対しないし、後押ししてくれる。さっきも言いましたが、僕がDJをやるのも応援してくれていますし。ただ、中途半端にやると怒られます。

内田:ブランディングがあるようでないのが「レコ」。他のサロンだと、(スタッフの)ファッションやSNS のやり方とかも細かく決めていたりもするんですが、うちの場合はみんな自由にやっていて、よく見るとスタッフ1人1人の打ち出すヘアとかも違っていたりするんです。うちはハイトーンのイメージが強いと思うんですが、AMANEはパーマが得意だったりしますし。まぁ基本的に「レコ」で働きたいという時点で、ある程度好きなものは似ているので、そこの共通認識は持てているかなと思うんですが。でも、その振り幅の広さが今のところいい感じに「レコ」っぽさにつながっているのかもしれないです。

AMANE:逆にみんな人とかぶらないように違うことをやろうという思っているところもあります。内田さんや浦さんを見ていると、自分らしさって大事だなと思います。内田さんを目指してもなれるわけではないので。

内田:「自分の色を出そう」という意識は他のサロンよりは強いかもしれないですね。 時にはそれが強くて、ちょっと動物園化してコントロールが大変なときもあるんですが(笑)。でも芯の部分ではみんな分かり合ってるっていうか、尊重し合えてはいると思います。

WWD:今後については?

内田:来年の新卒が入ると50人ぐらいになるので、自ずと新店舗の出店は考えなきゃいけないでしょうね。でも20店舗展開で、社員100人とか正直考えていないというか、考えたくないというか(笑)。まぁ徒然なるままにっていう感じで。自分は結構決断が早い方だと思うので、なるべくフラットにその時々の気分や情勢を考えて、やっていこうかなと思っています。

あと、さっきも言ったんですけど、常に面白くありたいというもあって。会社を大きくして、「なんかつまんない美容室になったな」って絶対に思われたくないですし。なんなら、美容室も経営しながら、クラブを経営したりしてもいいわけで。それこそ、「レコ」だからできることだとも思うので。

AMANE:それ、ヤバいっすね。

内田:そういうのがやっぱ面白いよね。 今回のイベントもそうですけど、オーバーグラウンドとアンダーグラウンド、美容業界とそれ以外の業界とか、いろんなジャンルをクロスオーバーさせてつなげるっていうのは、自分の使命だと思っているので。軸は美容業界におきつつ、そこから面白いことを仕掛けられたらなと思います。

■LECO inc. 7th Anniversary “SCRAMBLE vol.2”
開催日:8月12日
時間:17:00〜26:00
※ 本公演は入場時ID check(顔写真付き身分証確認)あり。22:00以降は未成年(20歳未満)の方は退出。
価格:(前売り)3500円、(当日)4000円)、サロンメンバー、美容学生2000円 (要「LECO」アプリ会員登録)(※要学生証)
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伊勢丹新宿本店に「ロンハーマン ジュエリー」 バイヤーに聞く新事業を立ち上げた理由

セレクトショップの「ロンハーマン(RON HERMAN)」を展開するリトルリーグは、ジュエリーに特化したセレクト業態である「ロンハーマン ジュエリー(RON HERMAN JEWELRY)」(以下、RHジュエリー)をスタートする。ロンハーマンは、「ホーセンブース (HOORSENBUHS)」「スピネリ キルコリン(SPINELLI KILCOLLIN)」などのジュエリーブランドを輸入販売しており、一部ブランドの国内輸入代理店として卸販売も行っている。8月28日は「RHジュエリー」の初の店舗が伊勢丹新宿本店本館(以下、伊勢丹)1階にオープンする。同業態をスタートする理由や背景について「ロンハーマン」の篠境茜バイヤーに話を聞いた。

ジュエリーで差別化を図り、新しい層にアピール

WWD:「RHジュエリー」を立ち上げたきっかけは?このタイミングでスタートする理由は?

篠崎茜「ロンハーマン」バイヤー(以下、篠崎):日本に上陸した2009年からジュエリーを販売していたが、11年に千駄ヶ谷店を拡大オープンした際にジュエリーコーナーができた。「ロンハーマン」では、一貫して、トータルコーディネートの一つとしてジュエリーを提案している。だから、現在13店舗あるが、ウエアとジュエリーコーナーを気軽に行き来してもらうということがコンセプトにある。今年、日本上陸15周年を迎えて、「ロンハーマン」が大切にしてきた価値観やワクワク感を新しい客層に届けたいという思いがあった。「ロンハーマン」の世界観をいろいろな人に楽しんでもらいたい。そのきっかけ作りのために、ジュエリーにフォーカスした施策を考え、外へ出て行こうと考えた。15周年は、次の5年後、10年後を作るスタートの年。そういう思いで新しい事業として「RHジュエリー」をスタートした。

WWD:ジュエリーに特化したショップにした理由と目的は?

篠崎:他のセレクトとの差別化するためにジュエリーにフォーカスし、伊勢丹にアプローチした。あまり事例がないため、伊勢丹も興味を持ってくれた。

WWD:ターゲットは?

篠崎:「ロンハーマン」の顧客は30~50代が中心。それより若い層や、さらに上の層、インバウンドなど。伊勢丹でどのような人との出会いがあるのか楽しみだ。

百貨店で「ロンハーマン」らしさを出すのが課題

WWD:「RHジュエリー」のコンセプトは?

篠崎:今まで巡り合った世界中のデザイナーを、ジュエリーを通して紹介する大切な場所。商品自体というよりは、空気感やスタッフとの会話など経験を楽しんでもらいたい。限られたスペースの中で、定番もありつつ、1点モノなどそこでしか出合えないものや、遊び心のあるもの、伊勢丹エクスクルーシブなどを織り交ぜながら、ブランドミックスやいろいろなスタイリングを提案できるようにしている。

WWD:販売するブランドのラインアップや価格帯は?

篠崎:「ロンハーマン」で販売しているジュエリーのブランド数は約20。伊勢丹では、「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ(MIZUKI)」「サン メイヤ(SUN MARE)」とオリジナルやネイティブアメリカンのジュエリーを扱う「R Hジュエリー」5ブランドでスタートする。価格帯は、9000円〜300万円と幅広いが、中心価格帯は20万円前後。

WWD:4階のジュエリーフロアではなく1階で「RHジュエリー」を展開する理由は?

篠崎:1階の方が、気軽により多くの人に見てもらえるし、買い周りしてもらえる環境にある。百貨店の売り場内で規制がたくさんある中で、どのように「ロンハーマン」らしさを出せるかが課題だ。

ビジネスとクリエイティブ両軸でディストリビューションも

WWD:日本国内でディストリビューションも行うブランドもあるが、その理由は?

篠崎:実は、代理店をしているブランドが中心で、ジュエリーでは「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ」のディストリビューションを手掛けている。全て「ロンハーマン」を通して出合ったブランドで、各ブランドの良さやオリジナリティーを十分理解しているので、共に成長していくことができる。デザイナーと近い関係にありながら、ディストリビューションを通して、小売りの状況などビジネスの視点をMDに反映することができる。デザイナーと共にクリエイション、ビジネス両方を形にしていけ、それを表現するのが店舗。クリエイション、ビジネス両方でメリットがある。

WWD:ディストリビューター兼小売店としての今後の戦略や課題は?

篠崎:心が揺さぶられたブランドと共に、信頼関係を築きながら、クリエイティブを大切に自然派生的なビジネスを継続していくこと。未来に向かって、ワクワクする新しいことや楽しいものやことを提案し顧客満足につなげたい。

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伊勢丹新宿本店に「ロンハーマン ジュエリー」 バイヤーに聞く新事業を立ち上げた理由

セレクトショップの「ロンハーマン(RON HERMAN)」を展開するリトルリーグは、ジュエリーに特化したセレクト業態である「ロンハーマン ジュエリー(RON HERMAN JEWELRY)」(以下、RHジュエリー)をスタートする。ロンハーマンは、「ホーセンブース (HOORSENBUHS)」「スピネリ キルコリン(SPINELLI KILCOLLIN)」などのジュエリーブランドを輸入販売しており、一部ブランドの国内輸入代理店として卸販売も行っている。8月28日は「RHジュエリー」の初の店舗が伊勢丹新宿本店本館(以下、伊勢丹)1階にオープンする。同業態をスタートする理由や背景について「ロンハーマン」の篠境茜バイヤーに話を聞いた。

ジュエリーで差別化を図り、新しい層にアピール

WWD:「RHジュエリー」を立ち上げたきっかけは?このタイミングでスタートする理由は?

篠崎茜「ロンハーマン」バイヤー(以下、篠崎):日本に上陸した2009年からジュエリーを販売していたが、11年に千駄ヶ谷店を拡大オープンした際にジュエリーコーナーができた。「ロンハーマン」では、一貫して、トータルコーディネートの一つとしてジュエリーを提案している。だから、現在13店舗あるが、ウエアとジュエリーコーナーを気軽に行き来してもらうということがコンセプトにある。今年、日本上陸15周年を迎えて、「ロンハーマン」が大切にしてきた価値観やワクワク感を新しい客層に届けたいという思いがあった。「ロンハーマン」の世界観をいろいろな人に楽しんでもらいたい。そのきっかけ作りのために、ジュエリーにフォーカスした施策を考え、外へ出て行こうと考えた。15周年は、次の5年後、10年後を作るスタートの年。そういう思いで新しい事業として「RHジュエリー」をスタートした。

WWD:ジュエリーに特化したショップにした理由と目的は?

篠崎:他のセレクトとの差別化するためにジュエリーにフォーカスし、伊勢丹にアプローチした。あまり事例がないため、伊勢丹も興味を持ってくれた。

WWD:ターゲットは?

篠崎:「ロンハーマン」の顧客は30~50代が中心。それより若い層や、さらに上の層、インバウンドなど。伊勢丹でどのような人との出会いがあるのか楽しみだ。

百貨店で「ロンハーマン」らしさを出すのが課題

WWD:「RHジュエリー」のコンセプトは?

篠崎:今まで巡り合った世界中のデザイナーを、ジュエリーを通して紹介する大切な場所。商品自体というよりは、空気感やスタッフとの会話など経験を楽しんでもらいたい。限られたスペースの中で、定番もありつつ、1点モノなどそこでしか出合えないものや、遊び心のあるもの、伊勢丹エクスクルーシブなどを織り交ぜながら、ブランドミックスやいろいろなスタイリングを提案できるようにしている。

WWD:販売するブランドのラインアップや価格帯は?

篠崎:「ロンハーマン」で販売しているジュエリーのブランド数は約20。伊勢丹では、「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ(MIZUKI)」「サン メイヤ(SUN MARE)」とオリジナルやネイティブアメリカンのジュエリーを扱う「R Hジュエリー」5ブランドでスタートする。価格帯は、9000円〜300万円と幅広いが、中心価格帯は20万円前後。

WWD:4階のジュエリーフロアではなく1階で「RHジュエリー」を展開する理由は?

篠崎:1階の方が、気軽により多くの人に見てもらえるし、買い周りしてもらえる環境にある。百貨店の売り場内で規制がたくさんある中で、どのように「ロンハーマン」らしさを出せるかが課題だ。

ビジネスとクリエイティブ両軸でディストリビューションも

WWD:日本国内でディストリビューションも行うブランドもあるが、その理由は?

篠崎:実は、代理店をしているブランドが中心で、ジュエリーでは「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ」のディストリビューションを手掛けている。全て「ロンハーマン」を通して出合ったブランドで、各ブランドの良さやオリジナリティーを十分理解しているので、共に成長していくことができる。デザイナーと近い関係にありながら、ディストリビューションを通して、小売りの状況などビジネスの視点をMDに反映することができる。デザイナーと共にクリエイション、ビジネス両方を形にしていけ、それを表現するのが店舗。クリエイション、ビジネス両方でメリットがある。

WWD:ディストリビューター兼小売店としての今後の戦略や課題は?

篠崎:心が揺さぶられたブランドと共に、信頼関係を築きながら、クリエイティブを大切に自然派生的なビジネスを継続していくこと。未来に向かって、ワクワクする新しいことや楽しいものやことを提案し顧客満足につなげたい。

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注目度No.1の出口夏希が語る「モデルと演技」 「演技は眠れないほど緊張する」

PROFILE: 出口夏希/モデル、俳優

出口夏希/モデル、俳優
PROFILE: (でぐち・なつき)2001年10月4日生まれ。「non-no」専属モデル。モデル、俳優として雑誌、映画、CMと幅広く活動中。主な出演作は「沈黙のパレード」(2022/監督:西谷弘)、「舞妓さんちのまかないさん」(23/Netflix)、「アオハライドseason1・ season2」(23・24/WOWOW)、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(23/監督:成田洋一)、「君が心をくれたから」、「ブルーモーメント」(24/CX)、「余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。」(24/Netflix 監督:三木孝浩)などがある。

モデル、俳優と大活躍の出口夏希。先日LINEリサーチが発表した「注目している/これからブレイクしそうと思う俳優」ランキングでは、女性俳優総合ランキング1位を獲得。「Z世代が選ぶ2024年上半期トレンドランキング」(Z総研)でも、流行った俳優・女優部門で1位に選ばれるなど、今まさにノリに乗っている存在だ。

そんな出口は丹月正光によるコミックス「赤羽骨子のボディガード」(講談社)を実写化した映画「赤羽骨子のボディガード」でヒロインの赤羽骨子を演じている。今回、映画撮影中の話や、モデルや俳優の仕事に対するスタンス、ファッションやビューティへのこだわりなどを聞いた。

共演者の印象は?

——映画「赤羽骨子のボディガード」でヒロインの赤羽骨子を演じてみて、役にどういった印象を持ちましたか。

出口夏希(以下、出口):最初に台本を読んだときは「(骨子が)こんなに最後まで守られていることを分からないことあるの?」って思いました。ただ、そこが面白いですし、“のほほーん”と学校生活を送ってダンスを一生懸命がんばっている子なんだなと思うと、演じていて楽しかったです。骨子のヘアもかわいいですよね。

——かなり天然で鈍感な役だとも思うのですが、出口さん自身は骨子と近い性格ですか?

出口:自分では骨子と近いとは思わないんですけど、「赤羽骨子FES.(完成披露試写会)」のときに、3年4組のクラスメートが私にバレないよう、与えられたミッションを行っていたことに全然気付けていなくって。「私、そんなに仕掛けられてるのに気付けないんだ」と驚きました(笑)。

——多くの役者さんが登場していますが、共演者の方の印象を教えてください。

出口:撮影自体は1カ月半くらいあったのですが、物語が「私に知られずにクラスメートが任務を行う」という設定だったので、なかなかクラスメートの皆さんとは、同じ撮影の日がなくて、結局最後まで全員で集まれませんでした。それは少し残念でしたね。でも、いくつか教室のシーンはあったので一緒になったときに、みんなでトランプしたりして、とても楽しかったです。それと、お父さん役(尽宮正人)の遠藤憲一さんとは以前(月9ドラマ「君が心をくれたから」)もお父さんと娘役で共演させていただいたことがあったので、今回も親子としてご一緒できてうれしかったです。また次もお父さん役で共演したいです。

——ラウールさんとは主演とヒロインという関係でしたが、印象に残ってるエピソードはありますか?

出口:土屋(太鳳)さんとのアクションシーンは迫力がすごかったですね。お2人とも、すごく集中していて、そばで見ていて、かっこよかったです。やっぱりアクションなので、けがしてしまう可能性もあるじゃないですか。それもあって、その日の撮影は、特にお2人ともずっと集中していました。

“守られ系”ヒロインはうらやましいけど「仲間に入りたかった」

——“守られ系”ヒロインを演じてみた感想を教えてください。

出口:ポスターだと、真ん中にのほほんと座っていて、お姫様みたいな感じなんですけど。演じている最中は本当に(どんな風に守られているか)何も分かりませんでした。ただ、完成した映画を見たときに「守られたい!いいな骨子」とは思いましたね。でも、その一方でオフショットを見ると、私だけその場にいないみたいなシーンも多かったので、仲間に入りたいなとは思いました(笑)。

——仲間に入るなら、どんな立ち位置がいいでしょう?

出口:着ぐるみ姿のかなで(3時のヒロイン)さんに肩車してもらって、その上で戦いたいです!逆に守りたいのは髙橋(ひかる)さんが演じた寧(ねい)かな。意外と周りを見て気をつかっているキャラクターだったので、心の方で守ってあげたいです。

——寧とはダンスシーンでも一緒でしたが、ダンスの練習はいかがでしたか?

出口:作品に入る4カ月前から練習を始めたんですけど、大変でした(笑)。もともとリズム感もあまりないし、動きもヘニョヘニョしてるタイプなので、最初はかっこよく踊れなくて。コンテストのシーンは、エキストラさんが1000人くらいいたので、本当にコンテストをやるような気持ちでめちゃめちゃ緊張しちゃって、足が震えてました。

求められているものを表現するのは得意

——先ほどダンスのお話がありましたが、モデル、演技、ダンスで緊張度合いのランキングをつけるならどんな順位になりますか?

出口:モデルの撮影はあまり緊張しないです。演技は、クランクインの直前とか眠れなくなるくらい緊張するので、毎回睡眠不足で現場に行ってます。でも、今回のダンスシーンはお客さんがいっぱいいたので、演技以上に緊張しました。さすがに撮影が何日間かあったので寝なきゃダメだなと思って、がんばって寝ましたけど(笑)。

——モデルの仕事は緊張しないんですね!

出口:昔は緊張していました。「Seventeen」のモデルを始めたときとかも現場に行くだけで緊張していました。ただ、より緊張度合いの高いドラマや映画の撮影をするようになってからは、モデルの撮影は緊張もしないし、逆に楽しくて、息抜きできるようになりました。

——モデルの仕事をするときのスタンスやこだわりはありますか?

出口:うーん……あまりないですね。現場によって求められるものも違ってくるので。今専属モデルをしている「non-no」とモード誌のハイブランドを着た撮影とでも、かわいいなのかクールなのか、全く違います。

——その求められているものを表現するのは得意だなと思いますか?

出口:得意だと思います。できているのか不安ですけど(笑)。でも、すてきなお洋服を着て撮ってもらえるのはすごく楽しいです。

——演技に関しては、今もまだ緊張されるのでしょうか?

出口:そうですね。最後は「やってよかったな」って毎回思えますけど、今は現場を重ねるごとに悩みが増えていきます。最初はただただ演じることに必死で深く考えることはなかったけど、少しずつ演技について考えるようになって、どんどん「なんにもできないな」って思ってしまうようになったというか。

——具体的にどんな悩みですか?

出口:いろいろありますが、どう演じればいいかが分からなくなったときです。役に対してやるべきことは分かっているんだけど、それをどう表現したらいいかが分からないときが特に。監督やスタッフさんといっぱい相談して話し合って、なんとなく答えが出たのに、それでもうまくできなかったときも落ち込みます。なので、まだまだがんばらないといけないなって思っています。

プライベートの顔は?「ファッションは楽なのが好き」

——ファッションとビューティについてもお伺いしたいんですけど、仕事が忙しい中でこだわりは?

出口:一番は「スキンケア」だと思っています。肌の調子が良くないと、メイクののりも悪くなって、テンションも下がっちゃうし、なるべく薄いメイク、ファンデーションだけでOKなように普段のスキンケアを念入りにしています。

——ファッションだと最近はどんなものが好きですか?

出口:楽な服が好きです。テイスト的には、かわいいものも、かっこいいものも好きなんですが、着てて楽なものがいいですね。そのまま寝られちゃうようなワンピースとか(笑)。あとは、年中セットアップが多くて、白と黒のモノトーンなカラーがお気に入りです。

——洋服はインターネットで買う派ですか? お店に行く派ですか?

出口:基本的にネットです。なかなかお店に行く時間がないのと、今、欲しいものをすぐに買いたいし、できるだけ早く着たいと思っちゃうタイプなので。

——最後に、今後やりたいことは?

出口:やっぱり海外旅行に行きたいですし、車の免許も取りたい。あと夏だから、川遊びをしたり、お祭りに行ったり、夏らしいことをしたいですね。屋台が大好きなんですよ。いちご飴、焼きそば、とうもろこし。あと、ベビーカステラも食べます。それから、かき氷も!

——お気に入りの屋台がたくさんあるんですね。

出口:屋台が並んでいる雰囲気も好きで、見て回るのが楽しいです。あとは、地元の友達と出かけたいなって思っています。毎年みんなでコテージを借りて女子会をするんですけど、今年は私が仕事で行けなかったので、もう1回開いてもらいたいです。

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLING:AMI MICHIHATA
HAIR&MAKEUP:OTAMA

■映画「赤羽骨子のボディガード」
現在公開中

主人公のヤンキー高校生・威吹荒邦を演じるのは、Snow Manのラウール。「ハニーレモンソーダ」(21)以来3年ぶりの主演となる本作では、久々の金髪姿を披露し、アクション練習も時間をかけてみっちり行った。そして、100億円の懸賞金をかけられるヒロイン・赤羽骨子には、話題作への出演が相次ぐ出口夏希。骨子を守るクラスメートに奥平大兼、髙橋ひかるなど実力派の若手が起用された。また、遠藤憲一や土屋太鳳らベテラン勢が物語のキーマンとして出演する。

原作:丹月正光「赤羽骨子のボディガード」(講談社「週刊少年マガジン」連載))
主演:ラウール
出演:出口夏希、奥平大兼、髙橋ひかる/ 遠藤憲一/土屋太鳳 他
監督:石川淳一
脚本:八津弘幸
製作:フジテレビジョン 松竹 講談社 
配給:松竹
©丹月正光/講談社 ©2024 映画「赤羽骨子のボディガード」製作委員会
https://movies.shochiku.co.jp/akabanehonekomv/

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パリ五輪日本選手団の“表彰台ジャケット”、実は全員違うデザイン アシックスに協力した「ハトラ」に聞く

開幕直後から日本選手団のメダルラッシュに沸いているパリオリンピック。選手が表彰台やその後の記者会見で着用している朱赤の“ポディウムジャケット”(ポディウムは表彰台の意味)が目に焼き付いているという人も多いだろう。実はあのジャケット、選手によって微妙に色のグラデーションが異なっており、同じものは1つもないのだという。同ジャケットを日本選手団に提供しているアシックスの大堀亮 開発部マネジャーと、アシックスの企画チームに外部から参加した「ハトラ(HATRA)」の長見佳祐デザイナーに、デザインに込めた思いをリモートで聞いた。

WWD:そもそも、なぜアシックスのチームに「ハトラ」の長見さんが参加することになったのか。

大堀亮アシックス アパレル・エクィップメント統括部 開発部デレゲーションプロダクトチーム マネジャー(以下、大堀):アシックスは2016年のリオ大会以降、夏季・冬季共にオリンピックの日本選手団に公式スポーツウエアを提供していますが、製作に際し、(東京大会で『ソマルタ』デザイナー廣川玉枝さんが参加したように)必要に応じてその道のスペシャリストに協力してもらっています。今回は、パリのファッションの文脈や現地の感覚を理解していて、パリ大会が掲げている“史上最もサステナブルな五輪”という点でも知見がある長見さんに協力いただくことになりました。

長見佳祐「ハトラ」デザイナー(以下、長見):パリのエスモードに留学し、まだ10代だった頃から4年間パリに住んでいました。今回依頼を受けて、パリの街の中心で開催されるオリンピックに貢献する仕事に参加できることを単純に嬉しく感じました。

3Dモデリングでサンプル廃棄も削減

WWD:具体的に、アシックスと長見さんとで、どのように役割分担をしていたのか。

大堀:基本的にはアシックス主導で製作を進めています。デザインや、テクノロジーの活用によるサステナビリティの実現といった観点で、企画進行に協力いただいたワットエバーを通じて長見さんにサポートしてもらいました。オリンピック開催時期のパリの気候についてわれわれもデータを集めることはできますが、長見さんはそれを実体験として、街の雰囲気を含めて知っているので説得力がある。テクノロジー面では、長見さんが得意としているCGを使った3Dモデリングを生かすことで、デジタル上で実際のウエアがどんなものになるかのシミュレーションを重ねることができています。

長見:アシックスにはスポーツ工学研究所があり、長年人体データを収集し、科学的にシューズやアパレルの生産に取り組んでいます。そのデータの活用の仕方や分かりやすく世に見せるという点で、自分にも協力できる部分があるなと感じました。

大堀:選手が走ったり、動いたりした時に、ウエアのどの部位にどれくらいの圧力がかかるかといったことも3Dモデリングでは可視化できます。そこに、アシックスがもともと持っていた「ボディサーモマッピング」の技術も組み合わせ、シミュレーションしていきました。“ポディウムジャケット”はアシックスの福井の工場で縫っているので、海外工場で縫うよりは生産に時間がかかりません。しかし、サンプル製作には最低でも1〜2週間が必要。その点、デジタルシミュレーションなら瞬時に結果が出ます。圧力がかかりやすい脇の下のパーツなどは特に何度もシミュレーションを重ね、その上で実物のサンプルを試作して検討を重ねて作っています。製作にかかった期間はトータルで2年以上ですが、多いときで週に4〜5回、なんなら1日に3回オンラインでミーティングしたこともありました。デジタルシミュレーションを多用したことで、廃棄するサンプルを減らすことにもつながっています。

「集団でなく個にフォーカスしたい」

WWD:色柄やシルエットなどのデザインで特に重視したことは。

長見:選手団としてチームの一体感は持ってもらいたい。ただ、個人が集団に埋もれてしまうことなく、選手1人1人にフォーカスするようなデザインにするにはどうしたらいいかを強く考えました。“ポディウムジャケット”はグラデーションカラーの生地でパーツを裁断・縫製しており、全く同じデザインは1着もありません。一つのユニホームでありながら、実は各自が着ているものが全て違うというコンセプトはなかなかないと思います。

大堀:実際に服を着るのはアスリートであり、もちろん彼らの意見も重視しています。これはオリンピックにおいて毎回難しいポイントですが、製作している段階では出場が内定している選手はほとんどいません。そこは日本オリンピック委員会や日本パラリンピック委員会と協業して作っています。“ポディウムジャケット”はスポーツウエアであることが前提ですが、選手にとっては正装であり、特にクラシックな競技の選手や関係者からは、スーツのような品格のあるたたずまいを求める声も多くいただきました。それに応えられるよう、襟がきれいに立つパターンや、特殊な4層構造のニット素材をメインに使用することで、軽量でありながらしっかりとした生地感も追求しています。

WWD:同じデザインでありながら、1人1人を際立たせるというコンセプトは、すごく難しいものだと思う。

長見:例えば水泳選手とマラソン選手では体形も全く異なります。一般のアパレルブランドでサイズが異なるというのとは次元が違う。そこはCG上でサンプルを着せるモデルのバリエーションをできるだけ多くして、どんな体形の人にもフィットするデザインをデジタルで確認しながら進めていきました。オリンピック選手とパラリンピック選手も全く同じデザインのウエアを着ています。それゆえ、ファスナーは弱い力でも着脱がしやすいモデルを採用しており、そのために縫製の仕様も変える必要がありました。

大堀:実は、ファスナーについてはチーム内で議論が白熱したポイントの1つです。弱い力でも使いやすいファスナーを使うためには縫製の仕方に制約がありますが、それをクリアした上でいかにかっこよく見せるかを徹底的に話し合いました。

長見:クリエーションに対する制約とも言えるものがさまざまにあって、でも、それがあるからこそ生まれてくるデザインがあるのだということを実感しました。

柔道、阿部選手の金メダルに現地で感動

WWD:酷暑だった東京大会に比べ、パリ大会では寒暖差への対応も重視してウエアを製作している。

長見:実は今、オリンピックに合わせてパリに来ていますが、実際に朝晩の気温は10度台で、日中は30度を超える。1日の中で15度前後の差があります。

大堀:“ポディウムジャケット”は外気温が暑いときは衣服内の熱を放出し、寒い時は衣服内に空気を留めるために、脇や背中に配したパーツのメッシュ孔が開閉する仕組みになっています。酷暑の東京大会では常に通気する機能素材の“アクティブリーズ”を開発して使っていましたが、“アクティブリーズ”はその後、一般販売する製品にも広がりました。オリンピックやパラリンピックのアスリート向けウエアは、一般に販売する製品につながるR&Dの側面も担っています。

WWD:実際に大会で選手が着用している姿を見て、今どんなことを感じているのか。

長見:取材の前日にちょうど、阿部一二三選手が出ていた柔道男子66キロ級を観戦してきました。フランスも柔道大国で、自国の選手が出てくると会場は人気アーティストのライブかのように盛り上がりますが、それでも日本を含め他国の選手にリスペクトがあって、阿部選手が優勝を決めたときにはスタンディングオベーションが巻き起こっていました。そういう中で、自分が企画に参加したウエアで阿部選手が表彰台に上る姿を見ると、とても感慨深いものがありましたね。

大堀:そういう思いももちろんありますが、選手がメダルを掛けられている光景を目にして自分が一番強く感じるのは、安堵の気持ちです。ウエアのどこかが破れたりファスナーが取れたりといったトラブルがなく、選手が着用できているということへの安堵感。パリ大会に限らず、会期中は四六時中、ウエアに問題は起こっていないだろうかと考えてしまいます。

WWD:選手が着ているのと同じウエアはわれわれも買えるのか。

大堀:“ポディウムジャケット”を含む、選手と同じ仕様のオーセンティックモデル7型はアシックス公式ECで全て完売、直営店でも残り少なくなっています。レプリカモデルのTシャツ(9900円)はスポーツ専門店などで販売している。パリオリンピック関連製品は、全体的に売れ行きも好調です。

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「シャネル」のパッケージ・グラフィックデザイン責任者が語る、最もラグジュアリーなリップスティックなどの制作秘話

PROFILE: シルヴィ・ルガストゥロワ/「シャネル」パッケージ・グラフィックデザイン制作責任者

シルヴィ・ルガストゥロワ/「シャネル」パッケージ・グラフィックデザイン制作責任者
PROFILE: パリのデザインスクール(E.D.P.I−工業デザイン専門学校)を主席で卒業し、ベルギーの装飾絵画学校(Van Der Kelen Institute)で学んだ後、1984年にシャネル入社。93年、香水・化粧品部門と時計・宝飾部門のパッケージ・グラフィックデザイン制作責任者に就任 ©CHANEL

「シャネル(CHANEL)」の化粧品といえば、光沢のあるブラックのケースにゴールドのリングが輝くリップスティック“ルージュ ココ”や、直線的なラインのボトルに白いラベルと宝石のようなカッティングを施したストッパーが特徴のフレグランス“No5”、手のひらに収まる卵形のフォルムが話題を呼んだハンドクリーム“ラ クレーム マン”など、洗練されたパッケージとグラフィックデザインが思い浮かぶ。そんなパッケージ・グラフィックデザインの制作責任者を務めるシルヴィ・ルガストゥロワ(Sylvie Legastelois)が来日した。ルガストゥロワは9月に入社40年を迎え、「自分の中に、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)=創業者の魂が宿っている」と語る。メゾンのスタイルとコードを継承しながら、新たな美を追求し続けるルガストゥロワに、デザインのプロセスやこだわり、環境に配慮したデザイン設計について聞いた。

シャネルのアパルトマンはインスピレーションの宝庫

WWD:新商品のパッケージ・グラフィックデザインを考えるときのプロセスは?

シルヴィ・ルガストゥロワ「シャネル」パッケージ・グラフィックデザイン制作責任者(以下、ルガストゥロワ):まずは自分の中でアイデアを探す。長く勤めてきたので、「シャネル」のヘリテージは自分の中に染み込んでいるわ。自分の中にシャネルが宿っているようなものなの。絶対にしないことは、すぐにシャネルのアパルトマンを見に行くことや、ほかのメゾンをリサーチすることね。「シャネル」のパッケージには一貫性があり、ほかのパッケージが新たなアイデアに影響を与えることもある。顧客のニーズとメゾンのコードの両方をリスペクトして、新しいストーリーを紡ぐことを大切にしているわ。

WWD:「シャネル」の多くのクリエイターが訪れるシャネルのアパルトマンはどのような場所?

ルガストゥロワ:アパルトマンは、インスピレーションの宝庫ね。シャネルは前衛的なクリエイターで、多くの象徴的な出来事や出会いを経験した。彼女のアパルトマンは、シンボリックなオブジェで溢れているわ。「シャネル」の香水や化粧品、宝飾品、ファッション......全てがアパルトマンから、つまりはシャネルというクリエイターからインスピレーションを受けている。

WWD:パッケージを制作する上でのこだわりは?

ルガストゥロワ:簡単なことではないけれど、五感の全てにおいて完璧を目指しているわ。視覚はもちろんのこと、ワンタッチ式リップスティックのクリック音など、聴覚も意外と大切。触れたときの質感や、手で握ったときの収まり方など触感にもこだわっている。「シャネル」が生み出した最初のビューティが“No5”だったのだから、嗅覚にこだわっていることは明らかね。味覚はあまりイメージが湧かないかもしれないけれど、リップスティックを唇に乗せたときの快感などをラボで追求している。

WWD:肌をクールダウンしながらマッサージできる回転式アプリケーターを備えた目元用美容液“アイセラム No1 ドゥ シャネル”(15mL、1万2980円/レフィル、1万890円)などから、触感を追求している姿勢を感じ取ることができる。

ルガストゥロワ:スキンケアでは、持ったときや肌に乗せたときに注意力が研ぎ澄まされる感覚を特に重視している。もちろん処方が最優先だが、“アイセラム No1 ドゥ シャネル”においてはアプリケーターに冷たい感触を与えるメタルを採用し、マッサージできる回転式のデザインにすることで処方の効能をさらに高めようと試みた。リップであれば、チップの素材や形状など、人間の身体工学を考慮して開発している。

WWD:アイパレットやチークの型押しがかわいすぎて、「もったいなくて使えない!」というファンが多いことは、どう考えている(笑)?

ルガストゥロワ:実は私も使えないのよ(笑)。ツイードや花模様など、パウダーに施すデザインは「コメット コレクティヴ(COMETES COLLECTIVE)」やシャネル メークアップ クリエイティブ ストゥディオが手掛けている。美しい彫刻が削れてくると、悲しくなるわよね。保存用を別で買うという声も聞くわ。

“トランテアン ル ルージュ”では鏡張りの階段をガラスのケースで表現

WWD:昨年9月に発売した“トランテアン ル ルージュ”(全12色、各2万5300円/レフィル、各1万1550円)は、ガラスのケースが印象的だ。

ルガストゥロワ:まるで宝飾品のような、最高にラグジュアリーなオブジェを作りたいと思ったの。環境を配慮したデザイン設計で、かつジュエリーのように継承できるから長く使えるという意味でもサステナブル。シャネルのアパルトマンにある鏡張りのらせん階段を着想源に、日本のガラス職人と制作した。

WWD:制作する上での困難は?

ルガストゥロワ:薄くて丈夫なガラスの開発には4年ほど費やしたわ。といっても、“ロー オードゥ トワレット”(50mL、1万6500円/100mL、2万3100円)という新作を発売する香水“ガブリエル シャネル”のボトルの開発には7年かけたから、それほど長くは感じなかったわ(笑)。リップを格納する金属は、最初はゴールドと考えていたが、階段の反射を表現するため最終的にはシルバーを採用した。キャップは、フレグランスのボトルと同じようにマグネット式で、カチッと閉まる快感と音もとことん追求した。マグネット式にすることで、ダブルCのロゴが必ず正面を向くようになっているの。エレガントなデザインで、レフィルの付け替えも簡単。デッサンを描いて終わりではなく、サンプルを作って、実際に手で持ってみて、角やカーブなど細部まで調整を重ねる。「完璧」に限りなく近づけるための時間は惜しまないわ。私たちの周りには「シャネル時間」が流れていると考えているの。

ラグジュアリーな体験とサステナブルなデザインは両立し得る

WWD:パッケージ・グラフィックデザインでは、どのようにサステナビリティに取り組んでいる?

ルガストゥロワ:“トランテアン ル ルージュ”は、リップを格納する部分を金属の単一素材にすることで、リサイクル可能になった。また、“No1 ドゥ シャネル”は全ラインの中で特にサステナビリティを意識しており、ボトルのキャップは北欧企業とパートナーシップを結び、天然素材で作っている。処方に用いるカメリアオイルの抽出後に残る殻を粉砕してキャップの素材に利用するなど、できるだけ廃棄物を減らすデザインを実践している。

WWD:ラグジュアリーな体験とサステナブルなデザインの両立における困難は?

ルガストゥロワ:多くの挑戦があるけれど、受け身になって「(サステナブルなコンセプトを)仕方なく導入する」というのは私のモットーに反するわ。たとえば20年前にできなかったことを、今どのように実現できるかを考えるのはワクワクする。“No1 ドゥ シャネル”では、キャップのダブルCロゴをエンボス加工にすることでインク使用量を削減した。エンボスするときはロゴを少し大きくし、円形のキャップ自体を丸い線として活用するという工夫を思い付いた。“ガブリエル シャネル”のフレグランスは、ボトルに沿った緩衝材を作ることで資源を削減した。シャネルは「必ず前を向いて仕事をする」と言って、競争相手を見るのではなく、未来を見て仕事をするフィロソフィーを伝授してくれた。常に、何か新しいことに挑戦できないだろうかと前向きに取り組んでいるわ。

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“透明感カラー”のバリエーションで高い支持を得る 【次世代美容師:「アッシュ 下北沢店」福島成美ディレクター】

PROFILE: 福島成美/「アッシュ(Ash)下北沢店」ディレクター

福島成美/「アッシュ(Ash)下北沢店」ディレクター
PROFILE: (ふくしま・なるみ):美容師歴10年。顔周りカットと髪質改善カラーが得意で、高い指名率を誇る。撮影・ヘアショー・コンテストなどにも積極的に参加し、世界最大級の美容師コンテスト「ユナイテッド・ダンクス・コンテスト 19」フォト部門でグランプリを受賞。趣味は韓国旅行で、最近は韓国ヘアの打ち出しも人気。PHOTO:YOHEI KICHIRAKU

SNSにより個人での集客が可能になった今、美容師の“セルフブランディング”の重要性が増している。さらに多様な働き方が可能になったり、得意分野を持つ“特化型美容師”が登場したりするなどの背景もあり、これまでの画一的なフレームを超える個性や特徴を備えた美容師が求められている。そうした“次世代型”の美容師にスポットを当てる当連載。第2回は、“透明感カラー”で人気の「アッシュ(Ash)下北沢店」福島成美ディレクターに話を聞いた。

WWD:美容師を目指したきっかけは?

福島成美「アッシュ 下北沢店」ディレクター(以下、福島):中学生のとき、髪のクセに悩んでいて、毎日ヘアアイロンに時間をかけないとうねりがひどい状態だった。そこで親に相談して縮毛矯正をかけたところ、ビフォー&アフターの違いがすごくて、乾かしただけでストレートになるように。それが、「美容師ってすごい!」と思うようになったきっかけだった。高校生になると、お祭りの際にヘアアレンジをしてもらうなど、美容師とのかかわりが増え、「美容師になりたい」と思うようになった。美容専門学校の授業の中に、「アッシュ」のスタッフが教えてくれるカリキュラムがあり、そこでのつながりを通して「アッシュ」で働きたいと思うようになった。

WWD:「アッシュ 下北沢店」の客層は?

福島:下北沢は住宅街でもあるので、周辺の人が主要な顧客。けれど下北沢に遊びに来る際に寄ってくれる人も多いので、遠方からのお客さまの割合も高い。年齢層は幅広いが、私のお客さまには高校生~20代後半の女性が多い。顧客の嗜好としては、おしゃれな人が多いけれど、エッジィなデザインを求める層は少ない印象。カラーリングのニーズは高く、7〜8割がワンカラー、2〜3割が(インナーなどポイントカラーも含めた)ブリーチデザインをオーダーするお客さまだ。

WWD:サロンワークのこだわりは?

福島:私はカラーが得意で、カラー比率はかなり高い。 ここ数年は、明るく透明感のあるカラーや、インナーカラーの人気が継続している。学生を中心に、前髪や顔周りにブリーチを入れたデザインカラーのオーダーが多く、パーソナルカラーを踏まえた提案を行っている。その際に気を遣っているのが、カウンセリングでの仕上がりイメージの共有。学生には慣れていない人も多いので、例えば同じ青味でも赤寄りかクール寄りかなど、画像を見てもらいながら繊細に行っている。

WWD︰今のトレンドカラーは?

福島︰韓国トレンドの影響で、春夏は鮮やかな赤、赤ピンク、紫のオーダーが多い。寒色だと、透明感のある暗過ぎないカーキベージュがトレンドだ。赤味を消したいニーズは継続して高く、特に「赤味を消して透明感を出したい」という人がかなり多いので、「イルミナカラー」の「アーバンスカイコレクション」を使う機会が増えている。

WWD︰グレー系の新色“ムーンライト”と“ナイトスカイ”?

福島︰そう。どちらも赤味を取って色を均一にしてくれるので、明るくしつつ透明感を出しやすい。ブリーチなしでそれができるので、職場などで明るさに制限がある人にも提案しやすい。“ムーンライト”を使うことが多いが、赤味が強いときには、少し深みのある“ナイトスカイ”をアレンジしている。

WWD︰ワンカラーが多い?

福島︰比較的ワンカラーが多い。ブリーチで明るくしてから色を入れると、さらに透明感を出せるが、ブリーチによるダメージを気にする人が多い。ただ「アーバンスカイコレクション」から「ライトニングシステム」が出たので、「ブリーチはしたくないけれど透明感はほしい」「明るくしたいけれど、ブリーチをするほどではない」というニーズには、それで対応するようになった。そういうニーズは本当に高い。

WWD︰実際にブリーチとの違いは感じる?

福島︰特に違いを感じるのは、仕上がりの髪の手触り。ブリーチすると髪が細くなり、過度に柔らかくなってしまうケースが多いが、「ライトニングシステム」だと芯が残り、ハリコシを感じる印象。ブリーチほどダメージがないので、縮毛矯正の履歴のある人や、髪が細くなっている人にぴったりだと思う。傷みを気にせず、ブリーチオンカラーをやり続けるお客さまはごく一部で、「縮毛矯正をかけた後にブリーチをしたら、髪が傷んで後悔した」と話すお客さまも多い。そうした「エッジィなデザインは求めていないけれど、ダメージに配慮しつつおしゃれを楽しみたい」という、当サロンの主要顧客にはとても提案しやすい。

WWD:今注力していることは?

福島:クリエイションに力を入れている。入社して2~3年目くらいから撮影を始めて、最初はサロンスタイルの撮影だったが、4~5年目くらいからモードなクリエイティブ作品も作るようになった。昨年は、世界最大級の美容師コンテスト「ユナイテッド・ダンクス・コンテスト 19」のフォト部門でグランプリを受賞したり、社内コンテストでグランプリを受賞したりと、成果を出すことができた。作品をSNSにも投稿したが、「こういった作品も作っているんだ」と、けっこう反響があった。今後もさらに、さまざまなコンテストにチャレンジしていきたい。

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「CFCL」×エマニュエル•ムホー 100色のポッタリードレスを伊勢丹新宿店で展示

高橋悠介クリエイティブ・ディレクターが手掛ける「CFCL」は、建築家兼アーティストのエマニュエル・ムホー(Emmanuelle Moureaux)と協業し、100色のポッタリードレス用いたインスタレーションを東京・伊勢丹新宿本店のポップアップスペースで8月25日まで開催中だ。

かねてよりムホーの作品のファンだったという高橋クリエイティブ・ディレクターからオファーした。会場ではムホーが選んだ100色のポッタリードレスを波のようにうねるラックに並べ、背後にはポッタリードレスに採用する帝人フロンティアのリサイクルポリエステル糸も合わせて展示した。

ポッタリードレスを生み出す3Dコンピューター・ニッティングの技術は、理論的には1着からでも作れるが、糸の交換などの手間を考えると現実的ではない。今年2月に自社生産拠点「CFCLニッティングラボ(CFCL Knitting Lab.)」を立ち上げたことで、100色の製作が可能になった。「他社も仕掛けたことないくらいの圧巻の色展開を見せるには、彼女がぴったりだと思った」と高橋クリエイティブ・ディレクター。

ムホーは、「『CFCL』はデザインのよさはもちろん、根底にある哲学にも共感するブランドだ。色には人々を笑顔にする力がある。ポッタリードレスで色の楽しさを目で、体で感じてもらいたい」と話す。

好きな色でオーダーが可能

期間中は100色の中から自分の好きな色を選んでスカート(5万5000円)とスリーブレストップ(3万6300円)の2型のオーダーが可能。「ありがたいことに、伊勢丹のお客さまにはすでにポッタリードレスをお持ちの方も多い。自分の肌や季節、オケージョンに合わせて好きな色で作れるという新たな価値提供にも挑戦したい」と高橋クリエイティブ・ディレクター。将来的には、オーダーメードでの商品展開も検討しているという。

■100 colors of skirts emmanuelle moureaux x CFCL Supported by ECOPET®

日程:7月31日~8月25日
場所:伊勢丹新宿本店本館2階 イセタン ザ・スペース
住所:東京都新宿区新宿3-14-1
時間:10:00~20:00

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ショー復活の「ヴィクトリアズ・シークレット」 プロデューサーが語るランウエイ計画

2018年以来、6年ぶりのファッションショー復活を発表した「ヴィクトリアズ・シークレット(VICTORIA’S SECRET)」。ショーのプロデューサーを務めるジャニー・シャファー(Janie Schaffer)=チーフ・デザイン&クリエイティブ・オフィサーとサラ・シルヴェスター(Sarah Sylvester)=マーケティング担当エグゼクティブ・バイス・プレジデントに、ショーの計画について聞いた。

08年に「ヴィクトリアズ・シークレット」に入社し、12年に退社、そして20年に復帰したシャファーは「誰もが見たことがないような、より大きく、より良いショーになるだろう。昔の『ヴィクトリアズ・シークレット』のフィルターではなく、現在の『ヴィクトリアズ・シークレット』のレンズを通して、私達のショーがいかに素晴らしいものであったかを讃える意味が込められている」と語る。

2018年に開催した最後の“ヴィクトリアズ・シークレット・ファッションショー”

18年に行われた最後のショーでは、「ヴィクトリアズ・シークレット」のスーパーモデル、通称エンジェル達が登場し、ショーン・メンデス(Shawn Mendes)、リタ・オラ(Rita Ora)、ザ・チェインスモーカーズ(The Chainsmokers)、ビービー・レクサ(Bebe Rexha)、ホールジー(Halsey)、リーラ・ジェイムス(Leela James)、ケルシー・バレリーニ(Kelsea Ballerini)、ザ・ストラッツ(The Struts)が音楽パフォーマンスを披露した。ニューヨークのピア94で収録され、後にABCで放映された。

当時、Lブランズの傘下だった「ヴィクトリアズ・シークレット」は、20年の「ニューヨーク・タイムズ」で女性差別やいじめ、ハラスメントの文化があることを暴露された。毎年恒例のテレビ特番は中止され、ファッションショーのチーフ・マーケティング・オフィサーを長年務めてきたエド・ラゼック(Ed Razek)は、プラスサイズやトランスジェンダーモデルの採用を拒否したことで反発を受け、退社した。この年、リアーナ(Rihanna)の「サヴェージ×フェンティ(SAVAGE X FENTY)」が多様性にあふれたモデルを起用し、インクルーシブなブランドとして立ち上げられている。

2021年にLブランズから独立

21年、ヴィクトリアズ・シークレットは上場企業として独立。23年には アマゾンプライム(Amazon Prime)で「ヴィクトリアズ・シークレット・ワールド・ツアー」でスクリーンにカムバックを果たした。このドキュメンタリーは、ブランドのランウエイモデルのためにカスタム・ルックを考案する20人のグローバル・クリエイティブ・グループ”VS20”にスポットを当てている。

ヴィクトリアズ・シークレットは2024年2〜4月期において、前年同期比3.4%減の13.6億ドル(約2080億円)の売り上げを計上し、400万ドル(約5億4000万円)の純損失を計上した。

“インクルージョン”を目指して

現在、ヴィクトリアズ・シークレットはランウエイからビジネス全体まで、全ての活動においてDEI(Diversity=多様性、Equity=公平性、Inclusion=包摂性)を考慮している。シルヴェスターは「これこそ、ここ数年の私達の変革における最も重要な部分である。ショーを見たり、初めてブラジャーのフィッティングを受けたり、SNSでフォローしたりと、すべての女性が参加できるブランドになりたい。ファッションショーはその究極の姿になるはずだ」と語る。続けて「あらゆるタイプの女性がランウエイに登場する。それがとても重要なことだ。ブランドをより身近でインクルーシブなものにするため、ランウエイで見たものをオンライン購入できることも1つのポイントだ」とシャファー。視聴者はランウエイで披露される“ホリデー・インティメート・アパレル・コレクション“を含むラインアップをすぐに購入することができる。

テレビ放映とエンジェルの“ウイング”について

今回のショーをテレビ放映するのか、もしくはオンラインでライブストリーミングするのかについては、2人は明言していない。「より新しく、より現代的な方法で、どのようにショーを披露することができるのか興味がある。そして、顧客がどこで時間を過ごし、それが何を意味するのかにも興味がある。かつてのようなテレビであるかもしれないし、そうでないかもしれない。あらゆる選択肢を検討している」とシルヴェスター。

これまでのところ、次のファッションショーには元エンジェルのテイラー・ヒル(Taylor Hill)に加え、ナイジェリア人モデルのマヨワ・ニコラス(Mayowa Nicholas)が初登場することがわかっている。ヒルは秋のキャンペーンビジュアルにも登場する。

シャファーはショー復活をインスタグラムでアナウンスした時のことを「とんでもない出来事だった」と振り返る。「信じられないような反響だった。インスタグラムからTikTokまで、すべての記録を塗り替えたと思う。ショー復活を切望する人達から98%の肯定的なコメントが寄せられ、100億回以上のインプレッションを獲得した」。

さらに「私達は強さから脆さまで、女性の全てを象徴する“ウイング”を愛している。このショーは美しい“ウイング”で溢れかえることだろう」と語る。参加モデルの正確な人数については明言しなかったが、その人数はこれまでのショーを上回ると言う。「私達はビッグなホリデーコレクションを持っている。表現したい分野もたくさんある。歌って踊っての大騒ぎになるだろう。たくさんのエンターテインメントやモデル、ウイング、そして魅力に溢れている。とても美しいものになるだろう」と続けた。

ランウエイに期待される”サプライズ”

今回、スタイリストやアートディレクター、アーティストと協力し、ランジェリーや洋服で“サプライズ”を顧客に提供し、「それはとてもスペシャルなファッションショーになるだろう」するとシャファーは言う。そしてシルヴェスターは、ランウエイで披露する新しいスポーツコレクションについて、「“予想外の楽しい方法で ”フィーチャーする予定だ」と付け加えた。

「『ヴィクトリアズ・シークレット』は過去にスポーツコレクションで成功を収めたが、当時の手法からは撤退した」とシャファーは言う。テクニカルな素材をハイファッションのフィルターを通して表現すると言うのだ。「ショーは『ヴィクトリアズ・シークレット』の“スポーツ”に対する視点を示すことができる、パーフェクトな方法だ」。

アイテムはランニング用のリフレクティブ・アウターウエアからテクニカル素材のレギンスまで豊富にラインアップする。昨年にはスポーツブラ“フェザーウェイトマックスブラ”“フェザーウェイトフロントクローズブラ”を追加したばかりだ。「『ヴィクトリアズ・シークレット』のスポーツブラはずば抜けている。私達の“フェザーウエイトマックス”は、世界をリードするスポーツブラだ。軽くて丈夫で、1日中着用してトレーニングすることができる」。

新たなランウエイを確立する
女性ならではの視線

シルヴェスターとシャファーは長い間ブランドに関わっているが、共にファッションショーをプロデュースしたことはないと言う。「私達は“こうでなければならない”“ああでなければならない”という先入観を持っていない。そのため、プロデュース業はとても楽しい」とシルヴェスター。ブランドがこれまで制限されていたことを、枠にとらわれずに考えることができるようになったと彼女は言う。

さらに「女性の視点も取り入れている」とシャファー。「サラと私がこのショーに携わってきたこと、そしてショーに関わるすべての人、商品をデザインしている人ーー今日、私達のビジネスに関わっている全ての人が女性である。これが私達のビジネスの根本的な変化だ。女性の目を通してビジネスを見ることで、これまでとは全く違うものになると感じている」。

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「ジュエリーは私にとって母国語」 シャルロット・シェネに聞く和光とのコラボとクリエイション

PROFILE: シャルロット・シェネ / 「シャルロット シェネ」デザイナー

シャルロット・シェネ / 「シャルロット シェネ」デザイナー
PROFILE: フランス・パリのスタジオ・ベルソーを卒業後、ニコラ・ジェスキエールが率いる「バレンシアガ」でアシスタントデザイナーを9年間務め、ジュエリーコレクションの立ち上げにも参画。15年に自身のブランド「シャルロット シェネ」を設立。同年にフランス国立モード芸術開発協会主催の「ANDAMファッション・アワード」のアクセサリー部門でグランプリを受賞。「サカイ」「ラバンヌ」「ロロ・ピアーナ」などとのコラボを経て和光のコラボが実現。現在パリに直営店が3店舗、世界で80~100店舗で販売 PHOTO:SHUHEI SHINE

フランス発ジュエリー「シャルロット シェネ(CHARLOTTE CHESNAIS)」のデザイナーであるシャルロット・シェネが来日した。先月には、パリ・ギャラリーラファイエット店内に直営店3店舗目をオープンしたばかりだ。シェネは、東京・銀座のランドマークである和光の本館地階の改装オープンに合わせ、コラボレーションジュエリーとインスタレーションを用意。来日した彼女に和光とのコラボの経緯や感想、クリエイションについて聞いた。

和光は他にはない詩的で特別な場所

WWD:和光とのコラボレーションはいつ、どのように始まった?

シャルロット・シェネ「シャルロット・シェネ」デザイナー(以下、シェネ):プロジェクトが始まったのは2年前くらい前。改装前に和光を訪れて、プロジェクトチームとインスタレーションと改装記念の特別なコラボ作品について話し合った。

WWD:コラボのコンセプトは?

シェネ:特別コラボ作品は、滋賀県の神保パールを使用した。パールの品質が素晴らしく、何て美しい素材だろうと感動した。和光の顧客は感度の高い人が多いので、特別なものにしたかった。これらは、とても日本的であると同時にフランス的。この素材を選んだのはフランス人の私だけど、素材は日本産だから。パールのコレクションは約1年半前にパリで15本のネックレスを製作。そのストーリーを神保パールや和光と共に継続する良いきっかけになった。

WWD:和光についての印象や魅力は?

シェネ:和光が持つ歴史に感動した。大理石の素晴らしい階段があって、どこにでもあるようなビルではない。70年以上の歴史のある素晴らしい館とコラボできてとても光栄だ。改装された地下を見れば、その特別感や素晴らしさを体感できるはず。私は、世界中の素晴らしい百貨店や店舗を訪れるけど、このような詩的で特別な場所は他にはない。

WWD :ジュエリー以外にも、ウインドーの彫刻作品も手掛けたのは?

シェネ:2019年前に「イエール国際フェスティバル」に招聘されたときに、ジュエリーではなく彫刻を発表した。ジュエリーはコマーシャルな要素があるもの。もっと芸術的な意味の強い彫刻を手掛けようと思った。何年も彫刻を手掛けてきている。和光のウインドーの彫刻を手掛けられることができてうれしい。

ジュエリーは私の母国語のようなもの

WWD:;ジュエリーデザイナーになったきっかけは?

シェネ:「バレンシアガ(BALENCIAGA)」でファッションのデザイナーとして仕事をしていた。クリエイティブ・ディレクターだったニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)にジュエリーを手掛けてほしいと言われた。当時、誰もジュエリーにフォーカスしてなかったから、偶然の出来事だった。だけど、それが、私にとって、突然のひらめきだった。クリエイションにおいて、ジュエリーを発見した。ジュエリーを手掛けるのは、母国語を話すのと同じような感覚だ。元々、椅子やスプーン、ティーポットなど、オブジェクトデザインが好きだった。それで、正にファッションとデザインの間のジュエリーが、ぴったりはまったというわけ。

WWD:ブランドのコンセプトや一番の強みは?

シェネ:私がジュエリーデザイナーになった当時は、そうなることがトレンドだった。たくさんジュエリーデザイナーがいたから、他のブランドとは違うものにしたかった。私は、スケッチはあまり得意ではなく、成形という方法で全て原型を作る。私にとっては、成形の方が自然で簡単。ある日、ブレスレットを作ろうと思って、iPhoneのチャージャーを自分の腕に巻き付けて、いろいろ試して形作ってからアトリエへ送ったことがある。ブランドは、私の個人的なプロジェクトのようなもの。全てのアイテムをデザインするし、私自身の反映だと思う。クラシックだけど、新しい。どこか不安的な要素がある。見続けていると、それがクラシックに見える、そんなデザイン。カーブが特徴で存在感があるけど軽さがある。ある意味、相反する要素があると思う。

カメラのレンズのように物事を捉えて作品に

WWD:デザインのインスピレーション源は?

シェネ:あらゆる物事。たくさんの敬愛するアーティストがいるし、日本も私にとっては、大きなインスピレーション源。私の目はカメラのレンズのように全ての物事を記録して、それを、個人的なフィルターを通して作品へ投影する。だから、コレクションにテーマはなく、私が感じたことを表現している。

WWD:ベストセラーとその理由は?

シェネ:誰もが着けられる“アイビー”ブレスレットや“トリプレット”イヤリング・“ミラージュ”はどこか、マジックのよう。製作している時は、何がベストセラーになるか分からない。「シャルロット シェネ」らしく、クリーンで想像を超えるようなデザインが人気だと思う。

WWD:今後、どのようにブランドを成長させたいか?

シェネ:ビジネスを拡大させたいけど、それぞれの取引先との関係性を大切にしていきたい。家族経営で、夫と3人の子どもがいるから、オーガニックに成長させていきたい。今後は、もっと、ファインジュエリーを作っていきたいし、彫刻のプロジェクトも増やしていきたい。

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哲学者・千葉雅也が「センスの哲学」で伝えたいこと——芸術と生活をつなぐ

PROFILE: 千葉雅也/哲学者

千葉雅也/哲学者
PROFILE: (ちば・まさや)1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。「動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」(第4回紀伊國屋じんぶん大賞、第5回表象文化論学会賞)、「勉強の哲学――来たるべきバカのために」、「デッドライン」(第41回野間文芸新人賞)、「マジックミラー」(第45回川端康成文学賞、「オーバーヒート」所収)、「現代思想入門」(新書大賞2023)など著作多数。PHOTO:MAYUMI HOSOKURA

「センスが良い」「悪い」とはどういったことなのか。そもそも「センス」とは何か。そして「センス」は高められるのか——そうした問いに応えてくれるのが哲学者の千葉雅也による書籍「センスの哲学」(文藝春秋)だ。

本書は、音楽、絵画、小説、映画など、芸術的ジャンルを横断しながら、さまざまな側面から「センス」について考える芸術の入門書だ。なぜ哲学者である千葉が「センス」に関する本を出版したのか。その経緯から本書に込めた思いを聞いた。

「センスの哲学」執筆の経緯

WWD:哲学者である千葉さんがなぜ「センス」についての本を出そうと思ったんですか?

千葉雅也(以下、千葉):結果的に哲学を専門とすることになりましたが、もともとは美術に興味があったんです。両親が2人とも美術系の学校を出ていたこともあり、小さい頃から、絵を描いたり、工作をしたりと、美術的な遊びをすることが多かった。ピアノも弾いていて、音楽的な遊びもしていたんですが、自分にとっては美術がメインでした。一時期は美大に行きたいという気持ちもありました。ですが、高校生のときに、批評を書き始めて、言語の方に関心が移っていきました。大学でも入学してしばらくは美術制作もしていて、美術の批評も書いたりもしていたんですけど、3年生頃からもっと理論を勉強しなければいけないと思い、制作も批評もやめて、哲学の勉強に専念するようになりました。

その後、転機になったのは、2008年に造形作家・批評家の岡﨑乾二郎さんが主催するシンポジウム「批評の現在」に参加したことです。そこから再び批評的な文章も書くようになりました。

そこから10年以上がたち、関西に移って何冊も本を書いてきて、美術や音楽、文学といった狭義の芸術だけでなく、生活全般あるいはコミュニケーションのあり方など、そういうことまで含めての広い芸術論を自分なりにまとめてもいいんじゃないかと思った次第です。

WWD:本書の最初では「センス」を「直観的に分かること=直観的で総合的な判断力」と定義されていました。

千葉:そうですね。何かものの良し悪しを、「ぱっ」と判断できるっていうのが、広く「センス」と言われているんだと思うんですよね。「あの人は絵が分かる」「音楽が分かる」「料理が分かる」など、いろいろなことについて言われるわけです。その「直観的に分かる」ということは、知性のあり方として古代からの伝統的なテーマではあるんです。そういう伝統を踏まえた上で、より現代的な芸術の問題に近いところでの「センス」について考えました。

WWD:そして「センス」は生まれもったものではなく、磨くことができると?

千葉:「センスが良い、悪い」は生まれつきの能力のように言われることが多いと思うんですが、この本では、必ずしもそうではないと説明しています。

多くの人は、何かを鑑賞するときに、「この作品にはこういう意味があって、何のために作られたのか、何を伝えたいのか」と説明できることが必要だと考えるようです。ですが、それよりも、もっと即物的にどういう配置で絵が描かれているのか、 色のバランス、音の対比、面積のコントラストなどはどうなっているのか、そういう組み立ての面白さを判断するということが、「センス」につながる。それは、ある程度勉強し、練習すれば、理解できるようになると思います。

美術やファッションの教育現場ではそういうことを教えていると思いますが、一般には、そういう即物的にものを見るということ、それはフォーマリズム(形式主義)※といいますが、 そういうことに慣れてない人が多いようです。皆さんやっぱり意味が分かんないとダメなんじゃないのかと思ってしまうんですよね。

※「フォーマリズム」は、芸術を語る上で重要なものは「形」であると考える芸術理論。フォーマリズムは作品にある抽象的で構成的な特質に注目する。「抽象的で構成的な特質」とは具体的に、線、形、色などの要素。

ですから、僕はそんなに目新しいこと言っているつもりはなくて、本書を通して、鑑賞者と作り手とがつながるようなものの見方を広く伝えたいと思っています。

WWD:この本は一般の人に向けて書かれたんですね。

千葉:そうですね。大きく芸術と生活をつなげることを目的にしています。ただ、研究として独特のことも書いていて、論文何本分もの内容が詰まってはいるので、専門的に研究している人でも楽しめると思います。

「センス」をリズムから捉える

WWD:その中で、本書では「センス」をリズムから捉えるっていうのが新鮮でした。

千葉:ものの構造をリズムで捉えるような批評はこれまでもありました。ただ、音楽、絵画、小説、映画、生活に至るまで、ここまで横断的にあらゆるジャンルのものをつないで、具体的に論ずるものは他にあまりないと思いますね。特に本書の表紙の話で、餃子とロバート・ラウシェンバーグの抽象絵画をつないで論じるというのが象徴的だと思います。

WWD:意味や目的から離れて、即物的にものを観ることの面白さを語っていますが、例えば、「あの人が描いているから、これは評価されている」みたいに、コンテクストを踏まえた上でセンスがいいと判断されることもあるのかなと思いますが。

千葉:本書の第4章では、「センス:ものごとをリズムとして『脱意味的』に楽しむことができる」と説明しています。どういう人が褒めているか、誰が否定しているかという評価のコンテクストも、一種のリズムの問題として捉えられると思います。

ファッションの場合だと、例えば、ラグジュアリーストリートでは、ストリートの文脈に対してハイファッション的なアイテムをコーディネートしたときに、ぶつかって面白くなるわけで、それも凸凹のリズムのバランスだと言える。ストリート的なものと、そこから離れたものを組み合わせたらかっこいいというのが定番化すると、今度はそれに対する逆張りで、よりフォーマルな方に落ち着くといった流れも考えられますが、それもリズムの話になってくるわけです。

WWD:一般的にセンスを磨くというとインプットの量と質が大事だと言われますが、千葉さんはどう思いますか?

千葉:まずインプットの量が必要なのはそうでしょう。経験的な勘ですが、インプットの量の閾値があると思っていて、それを超えると理解力が高まって、作れるようになったりする。でも、ずっと大量にインプットし続けなければいけないとは思わないです。インプットがかえって邪魔になることもある。ただ、若いうちに勉強(インプット)しておいた方がいいとは思います。

ファッションへの期待

WWD:3年ほど前のインタビューで、あまりファッションに興味がなくなっていると話されていましたが、今はどうですか?

千葉:当時は、コロナ禍もあって、ファッションにも閉塞感があり、飽和していると思っていました。でも、今はアジアのファッションも面白くなってきていて、また動向を追ってみようかなと思い始めています。

WWD:先日公開された千葉さんの「note」でのファッション論では、面白いファッション、スタイルを考えていきたい、と書かれていました。

千葉:そこでの「面白い」というのは、コンテクストにしても、形態にしても、複合的な意味での凸凹をいかに組み立てるかですね。僕のベースは90年代以降のファッションで、ハイなものとローなものといった、対立するものの混在に関心がある。それは変わっていないですね。言い換えると、二項対立の脱構築が問われるようなファッション。

ただ、ハイとローのコンテクストの衝突にしても、現在ではより難しくなっている感じがします。文脈を衝突させるというのは、ある種のアイロニーであり、ユーモアであり、そこに一種の政治性があると思うのですが。

WWD:ファッションに期待することはありますか?

千葉:デザイナーやメーカー、メディアに期待していることってあまりないんですが、人々に期待していることはあります。それはとにかく、変な服の着方をしてほしいということ。それに尽きるかな。

WWD:服に限らず、千葉さんの中に根本的にはそれぞれ自由に楽しんでほしいという思いがあるんですね。

千葉:楽しむことでもあるし、楽しむっていうだけだとハッピーな世界観に思われるかもしれませんが、それ以上に、面白く服を着ることが、世の中に対するある挑発であるし、ある種の「いじわる」をすることだと思うんです。みんなが当たり前だと思っているものに対して、違う角度を提示するという。そういう「いじわる」を皆さんにはやってほしいと思っています。

■「センスの哲学」
目次
第1章 センスとは何か
第2章 リズムとして捉える
第3章 いないいないばあの原理
第4章 意味のリズム
第5章 並べること
第6章 センスと偶然性
第7章 時間と人間
第8章 反復とアンチセンス
付録 芸術と生活をつなぐワーク
読書ガイド

著者:千葉雅也
定価:1760円
サイズ:46判/ページ数 256p/高さ 19cm
出版社:文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918273

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漫画「ブルーピリオド」と「コンバース トウキョウ」がコラボ グラフィックのTシャツなど4型

「コンバース トウキョウ(CONVERSE TOKYO)」は実写映画の公開を控える漫画「ブルーピリオド」とコラボしたアイテムを8月2日にコンバース トウキョウ全店で発売する。公式オンラインサイトで先行予約を受付中だ。

「ブルーピリオド」は山口つばさが原作の“マンガ大賞2020”を受賞した漫画。登場キャラクターの矢口八虎、鮎川龍二(ユカちゃん)、橋田悠が「コンバース」の象徴である星を描くなら、というテーマのもとに山口がグラフィックを描き下ろした。キャンバスに見立てた生地にグラフィックをプリントし、背面に縫い付けたTシャツ(9680円)やグラフィックを忠実に再現した織りネームを縫い付けたトートバッグ(7920円)、B5サイズのクロッキー帳(1650円)、グラフィックと山口のサインをプリントしたポスター(2750円)など4アイテムをラインアップする。

アイテム詳細

コラボの発売を記念して山口へのインタビューも実施。作品内容やキャラクターのファッション事情など、公式オンラインストアで公開している。また、8月2〜18日にコンバース トウキョウ宮下パーク店で学生・若者アーティストの企画展も開催、「ブルーピリオド」をコンセプトにした作品や、アーティストらの作品を展示する。

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アート展示デザインの第一人者アドリアン・ガルデールが語る「美術館、須藤玲子、テキスタイル」

美術館や博物館の展示物をどう見せるかをデザインする「展示デザイナー(EXHIBITION DESIGNER)」について、実は日本では美術館関係者の間でも知る人は決して多くはない。展覧会によっては建築デザイナーやインテリアデザイナーがその役割を果たすこともある。ただ、世界の有力美術館・博物館の大規模展覧会にもなれば、展示構成などの見せ方・見え方で、展覧会自体の評価も大きく変わる。非常に重要や役割を担っているのだ。アドリアン・ガルデール氏は、この分野の世界的な第一人者で、建築家の妹島和世氏が手掛けたルーヴル美術館ランス別館を筆頭に、美術館・博物館大国のフランスやイギリス、イタリア、米国に加え、日本や中国など世界中の有力な博物館・美術館、研究機関、キュレーター、建築家とタッグを組んで仕事を行ってきた。美術館・博物館関係者であれば、ガルデール氏の運営するスタジオの「仕事一覧」を見れば、数々の有力展覧会にその名を刻んでいることに驚愕するはずだ。そんなガルデール氏は、須藤玲子氏の国内外の展覧会の強力なパートナーの一人なのだ。連載の特別編として、ライターの鈴木里子によるアドリアン・ガルデール氏へのインタビューをお届けする。

PROFILE: アドリアン・ガルデール/展示デザイナー

アドリアン・ガルデール/展示デザイナー
PROFILE: (Adrien Gardère)1972年、フランス生まれ。家具・インテリアデザイナーとしてキャリアをスタートし、2000年に「スタジオ・アドリアン・ガルデール」を設立。家具デザイナーとしても手掛けた作品は「パリ装飾美術館」にパーマネントコレクションとして収蔵。ルーブル美術館(仏パリ)やアガ・カーン美術館(カナダ・トロント)などの美術館、SANAAやフォスター+パートナーズ、槇文彦の「マキ&アソシエイツ」などの建築家ともタッグを組む PHOTO:EMI NAKATA

「展示デザイナー」の仕事の内容は?

フランスを拠点に活動する展示デザイナー、アドリアン・ガルデール氏。世界中の美術館および博物館での企画展と常設展、そのいずれも手がける彼は独自の世界観でいきいきとした展示をつくり出す。水戸芸術館のテキスタイルデザイナー・須藤玲子氏の展覧会「須藤玲子:NUNOの布づくり」にも関わったガルデール氏が、来日。展示デザイナーという仕事の役割をはじめ、印象深いプロジェクトや今後の活動について聞いた。

ー展示デザイナーという仕事は、日本ではまだあまりなじみがありません。どんなことをしているのでしょうか。

アドリアン・ガルデール(以下、ガルデール):比喩的な表現をすれば、物語の織り手です。キュレーターや考古学者や美術史家、そしてアーティストが伝えたい内容を、空間に織り込んでいくのが私の役割です。美術館とそれを設計した建築家とキュレーターの間に立ち、展示デザインを行います。また私は、振付師のようなものでもあります。来館者が展示空間においてどう振る舞うかをデザインするのです。展示物を軽やかなステップで鑑賞し続けられるようにするのが大切ですね。展示物と来場者が、いかに楽しくダンスするか。

ー手がける展覧会の分野は決まっているのですか。

ガルデール:分野で狭めることはありません。イスラム美術、ローマ美術、中世、現代、なんでもやります。もちろんテキスタイルも。

須藤玲子氏と関わるきっかけ

ー須藤さんのテキスタイルの展示デザインを行うようになったきっかけは?

ガルデール:米国ワシントンのジョン・F・ケネディー舞台美術センター(The John F. Kennedy Center for the Performing Arts)で行った展覧会「ジャパン!カルチャー+ハイパーカルチャー」(2008年)です。2005年から私は、同センターの国際フェスティバルの展示デザインとアートディレクションを務めています。数週間単位で展示が入れ替わる、スピード感あふれるなかで、玲子さんと彼女が手がけるテキスタイルに出会いました。テキスタイルの展示はそのほかのオブジェクトと性質が異なり、「動的」であることが求められます。いきいきと動いてこそ、テキスタイルの本質が見えてくる。止まっていたら、そこはテキスタイルの「墓場」となってしまう。特に玲子さんのテキスタイルはとてもダイナミックですから、その躍動感を伝えるための展示手法を探りました。

玲子さんと共に、日本の伝統的なテキスタイルの使われ方をリサーチする工程で、鯉のぼりに出合いました。風にたなびく鯉、ピッタリではありませんか!試作を始めて、垂直に吊るしていた玲子さんの案を横にして、群れになって泳いだり飛んだりしている動きを加えて、ヒレなどはなくしてプリミティブなフォルムにして……。そうやって、玲子さんのテキスタイルに命を吹き込んでいきました。

ー鯉のぼりはその後、世界を旅しましたね。

ガルデール:そうです。フランス・パリの国立ギメ東洋美術館(2014年)、東京・六本木の国立新美術館(2018)年、大分県立美術館(2018年)。香港のCHAT(2019年)からは展示の一部となります。そして今回の水戸芸術館。展示空間は会場ごとに異なりますが、鯉の群れが動くという構成はそのままに、新たな鯉が増えたりしています。水戸芸術館では外部空間にも展示があり、鯉が噴水と戯れています。

ー鯉のぼりというオブジェクトによって、テキスタイルにぐっと入り込める。

ガルデール:そうです。私の役割のひとつに、ものの潜在能力を引き出すことが挙げられます。美術館をレストランに見立てると、キュレーターがシェフで、アートワークは食べもの、展示デザイナーはテーブルをセッティングする人ですね。お客である来場者が「ここにいていいんだ」と思いながら、存分に味わってもらうためになにが必要か。それを考えるのが大きな肝です。残念ながら、「ここは自分の場所ではない」と思わせるような美術館も存在します。かと言って「わからないでしょ?」とばかりに大人にベビーフードを与えるのはもっと失礼ですよ。

建築の設計段階から関わることも。「展示デザイナー」という仕事の醍醐味

ー建築の設計段階から、展示空間に関わることもあるのでしょうか?

ガルデール:数多くありますが、妹島和世さんと西沢立衛さんの建築家ユニットSANAAがコンペティションで勝ち取ったルーヴル美術館ランス別館のことを話しましょう。コンペ獲得後の彼らから直接連絡をもらい、美術館すべての展示デザインを任されました。常設展と、ふたつの開館記念特別展です。本館であるパリのルーヴルは、言うなれば百科事典のような存在で、ジャンルごとに分かれて展示されています。対するランス別館は、コレクションの全体を時間軸で切り取るという違いが前提としてありました。また常設展示棟は、奥行き125メートル、幅25メートルという規格外のスケールです。このプロポーションを最大限に際立たせるべく、壁には一切展示をしていません。来場者はこの開かれた空間に足を踏み入れた途端に、5千年に及ぶ美術史が自分を待っていることを察します。来場者が自分で理解する自由、回遊する自由を、私はデザインしました。展示する美術品の配置はもちろんのこと、動線や照明などすべてを俯瞰してデザインすることで、来場者は自分だけの「歴史の織物」を織るに至るのです。このような展示手法はそれまで例がなく、世界の美術館や博物館の展示に大きな影響を与えました。

ー展示デザイナーという立場だからこそ得られる醍醐味ですね。

ガルデール:著名な建築家ノーマン・フォスター氏の率いる建築設計事務所「フォスター+パートナーズ(Foster + Partners)」とは、コンペティションの案から一緒に練り上げました。フランス南西部のナルボンヌに2021年に開館した古代ローマ美術の美術館「Narbo Via」です。長さ76メートル、高さが10メートルあるグリッド状の収納棚をつくり、そこに古代のレリーフを展示しています。レリーフは800近くあり、随時入れ替えが可能です。レリーフによって収納棚は「歴史の壁」と化し、来場者を古へと誘います。壮大な歴史をどう伝えるか、レリーフと対峙して、創造したプロジェクトです。独自のマルチメディアシステムも開発しました。

ー展示デザイナーとして、常に心がけていることは?

ガルデール:美術館や博物館においてもトレンドがあり、10年、20年という単位でそれは変わっていきます。だからこそ、根源的な「要」となるものをつくらないといけない。そこに私的な好みは反映されるべきではないし、それを超えた思考が必要です。また、対象となる素材の性質を知り抜いた上でデザインすることも大事ですね。

ー日本でのプロジェクトはありますか?

ガルデール:「カルティエと日本 半世紀のあゆみ 『結 MUSUBI』展」です(6月12日〜7月28日 東京国立博物館 表慶館)。カルティエと日本、カルティエ現代美術財団と日本のアーティストというふたつの絆をひもとくもので、アートと宝飾を同時に見せました。日本での活動は今後もっと活発にしていきたいと願っています。

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アート展示デザインの第一人者アドリアン・ガルデールが語る「美術館、須藤玲子、テキスタイル」

美術館や博物館の展示物をどう見せるかをデザインする「展示デザイナー(EXHIBITION DESIGNER)」について、実は日本では美術館関係者の間でも知る人は決して多くはない。展覧会によっては建築デザイナーやインテリアデザイナーがその役割を果たすこともある。ただ、世界の有力美術館・博物館の大規模展覧会にもなれば、展示構成などの見せ方・見え方で、展覧会自体の評価も大きく変わる。非常に重要や役割を担っているのだ。アドリアン・ガルデール氏は、この分野の世界的な第一人者で、建築家の妹島和世氏が手掛けたルーヴル美術館ランス別館を筆頭に、美術館・博物館大国のフランスやイギリス、イタリア、米国に加え、日本や中国など世界中の有力な博物館・美術館、研究機関、キュレーター、建築家とタッグを組んで仕事を行ってきた。美術館・博物館関係者であれば、ガルデール氏の運営するスタジオの「仕事一覧」を見れば、数々の有力展覧会にその名を刻んでいることに驚愕するはずだ。そんなガルデール氏は、須藤玲子氏の国内外の展覧会の強力なパートナーの一人なのだ。連載の特別編として、ライターの鈴木里子によるアドリアン・ガルデール氏へのインタビューをお届けする。

PROFILE: アドリアン・ガルデール/展示デザイナー

アドリアン・ガルデール/展示デザイナー
PROFILE: (Adrien Gardère)1972年、フランス生まれ。家具・インテリアデザイナーとしてキャリアをスタートし、2000年に「スタジオ・アドリアン・ガルデール」を設立。家具デザイナーとしても手掛けた作品は「パリ装飾美術館」にパーマネントコレクションとして収蔵。ルーブル美術館(仏パリ)やアガ・カーン美術館(カナダ・トロント)などの美術館、SANAAやフォスター+パートナーズ、槇文彦の「マキ&アソシエイツ」などの建築家ともタッグを組む PHOTO:EMI NAKATA

「展示デザイナー」の仕事の内容は?

フランスを拠点に活動する展示デザイナー、アドリアン・ガルデール氏。世界中の美術館および博物館での企画展と常設展、そのいずれも手がける彼は独自の世界観でいきいきとした展示をつくり出す。水戸芸術館のテキスタイルデザイナー・須藤玲子氏の展覧会「須藤玲子:NUNOの布づくり」にも関わったガルデール氏が、来日。展示デザイナーという仕事の役割をはじめ、印象深いプロジェクトや今後の活動について聞いた。

ー展示デザイナーという仕事は、日本ではまだあまりなじみがありません。どんなことをしているのでしょうか。

アドリアン・ガルデール(以下、ガルデール):比喩的な表現をすれば、物語の織り手です。キュレーターや考古学者や美術史家、そしてアーティストが伝えたい内容を、空間に織り込んでいくのが私の役割です。美術館とそれを設計した建築家とキュレーターの間に立ち、展示デザインを行います。また私は、振付師のようなものでもあります。来館者が展示空間においてどう振る舞うかをデザインするのです。展示物を軽やかなステップで鑑賞し続けられるようにするのが大切ですね。展示物と来場者が、いかに楽しくダンスするか。

ー手がける展覧会の分野は決まっているのですか。

ガルデール:分野で狭めることはありません。イスラム美術、ローマ美術、中世、現代、なんでもやります。もちろんテキスタイルも。

須藤玲子氏と関わるきっかけ

ー須藤さんのテキスタイルの展示デザインを行うようになったきっかけは?

ガルデール:米国ワシントンのジョン・F・ケネディー舞台美術センター(The John F. Kennedy Center for the Performing Arts)で行った展覧会「ジャパン!カルチャー+ハイパーカルチャー」(2008年)です。2005年から私は、同センターの国際フェスティバルの展示デザインとアートディレクションを務めています。数週間単位で展示が入れ替わる、スピード感あふれるなかで、玲子さんと彼女が手がけるテキスタイルに出会いました。テキスタイルの展示はそのほかのオブジェクトと性質が異なり、「動的」であることが求められます。いきいきと動いてこそ、テキスタイルの本質が見えてくる。止まっていたら、そこはテキスタイルの「墓場」となってしまう。特に玲子さんのテキスタイルはとてもダイナミックですから、その躍動感を伝えるための展示手法を探りました。

玲子さんと共に、日本の伝統的なテキスタイルの使われ方をリサーチする工程で、鯉のぼりに出合いました。風にたなびく鯉、ピッタリではありませんか!試作を始めて、垂直に吊るしていた玲子さんの案を横にして、群れになって泳いだり飛んだりしている動きを加えて、ヒレなどはなくしてプリミティブなフォルムにして……。そうやって、玲子さんのテキスタイルに命を吹き込んでいきました。

ー鯉のぼりはその後、世界を旅しましたね。

ガルデール:そうです。フランス・パリの国立ギメ東洋美術館(2014年)、東京・六本木の国立新美術館(2018)年、大分県立美術館(2018年)。香港のCHAT(2019年)からは展示の一部となります。そして今回の水戸芸術館。展示空間は会場ごとに異なりますが、鯉の群れが動くという構成はそのままに、新たな鯉が増えたりしています。水戸芸術館では外部空間にも展示があり、鯉が噴水と戯れています。

ー鯉のぼりというオブジェクトによって、テキスタイルにぐっと入り込める。

ガルデール:そうです。私の役割のひとつに、ものの潜在能力を引き出すことが挙げられます。美術館をレストランに見立てると、キュレーターがシェフで、アートワークは食べもの、展示デザイナーはテーブルをセッティングする人ですね。お客である来場者が「ここにいていいんだ」と思いながら、存分に味わってもらうためになにが必要か。それを考えるのが大きな肝です。残念ながら、「ここは自分の場所ではない」と思わせるような美術館も存在します。かと言って「わからないでしょ?」とばかりに大人にベビーフードを与えるのはもっと失礼ですよ。

建築の設計段階から関わることも。「展示デザイナー」という仕事の醍醐味

ー建築の設計段階から、展示空間に関わることもあるのでしょうか?

ガルデール:数多くありますが、妹島和世さんと西沢立衛さんの建築家ユニットSANAAがコンペティションで勝ち取ったルーヴル美術館ランス別館のことを話しましょう。コンペ獲得後の彼らから直接連絡をもらい、美術館すべての展示デザインを任されました。常設展と、ふたつの開館記念特別展です。本館であるパリのルーヴルは、言うなれば百科事典のような存在で、ジャンルごとに分かれて展示されています。対するランス別館は、コレクションの全体を時間軸で切り取るという違いが前提としてありました。また常設展示棟は、奥行き125メートル、幅25メートルという規格外のスケールです。このプロポーションを最大限に際立たせるべく、壁には一切展示をしていません。来場者はこの開かれた空間に足を踏み入れた途端に、5千年に及ぶ美術史が自分を待っていることを察します。来場者が自分で理解する自由、回遊する自由を、私はデザインしました。展示する美術品の配置はもちろんのこと、動線や照明などすべてを俯瞰してデザインすることで、来場者は自分だけの「歴史の織物」を織るに至るのです。このような展示手法はそれまで例がなく、世界の美術館や博物館の展示に大きな影響を与えました。

ー展示デザイナーという立場だからこそ得られる醍醐味ですね。

ガルデール:著名な建築家ノーマン・フォスター氏の率いる建築設計事務所「フォスター+パートナーズ(Foster + Partners)」とは、コンペティションの案から一緒に練り上げました。フランス南西部のナルボンヌに2021年に開館した古代ローマ美術の美術館「Narbo Via」です。長さ76メートル、高さが10メートルあるグリッド状の収納棚をつくり、そこに古代のレリーフを展示しています。レリーフは800近くあり、随時入れ替えが可能です。レリーフによって収納棚は「歴史の壁」と化し、来場者を古へと誘います。壮大な歴史をどう伝えるか、レリーフと対峙して、創造したプロジェクトです。独自のマルチメディアシステムも開発しました。

ー展示デザイナーとして、常に心がけていることは?

ガルデール:美術館や博物館においてもトレンドがあり、10年、20年という単位でそれは変わっていきます。だからこそ、根源的な「要」となるものをつくらないといけない。そこに私的な好みは反映されるべきではないし、それを超えた思考が必要です。また、対象となる素材の性質を知り抜いた上でデザインすることも大事ですね。

ー日本でのプロジェクトはありますか?

ガルデール:「カルティエと日本 半世紀のあゆみ 『結 MUSUBI』展」です(6月12日〜7月28日 東京国立博物館 表慶館)。カルティエと日本、カルティエ現代美術財団と日本のアーティストというふたつの絆をひもとくもので、アートと宝飾を同時に見せました。日本での活動は今後もっと活発にしていきたいと願っています。

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「マディソンブルー」がブランド創設10周年 シャツ6型から始まった物語とは

「マディソンブルー(MADISONBLUE)」は、今年でブランド創設10周年を迎えた。スタイリストでもある中山まりこデザイナーが、2014年春にシャツのみでローンチ。当初はオックスフォードの半袖と長袖のボタンダウンとラウンドカラー、ワークシャツのワンウオッシュとビンテージウオッシュの6型を「ロンハーマン(RON HERMAN)」限定で販売し、店舗も持たずECもせず、限られた服を丁寧に作る小規模での展開を予定していた。しかし、信頼する人々との出会いを機に、成長を遂げる。中山デザイナーのクリエイションに対する思いや、ディテールにこだわりが光る10周年記念アイテムを通して、ブランドが時代と共に歩んできた軌跡をたどる。

「シャツが自信につながった」
中山まりこが語る、
揺るぎない創造

30年以上にわたり、新しいクリエイションに挑戦し続けている中山デザイナー。さまざまな夢を実現してきた彼女が、49歳でかなえたのは自身のブランドを持つことだった。10周年を迎えた今、その先に見据えるビジョンとは。

1980年から、スタイリストとして第一線で活躍していた中山デザイナーが、常に考えていたのは「大人になったら何をやろうかな」という“夢”だった。23歳の独立後、スタイリストとしての夢をニューヨークでかなえ、帰国後も仕事をまい進し続けたが、オファーを形にする“レシーバー”では物足りなさを感じ始めた。そこで、「世の中に自分がデザインしたものを送り出したい」「サーブを打ちたい」と自身が一番知識を持つ服の作り手になることを決意する。経験を積んだニューヨークのマディソン・アベニューと愛する海の色から名付けた「マディソンブルー」を創設。まず選んだのは、大好きなシャツだ。「これまでのキャリアを踏まえ誰にもできない自分らしさを探した時に思いついたのが、シャツだった。ウエスト部分を絞ったり、袖をまくったり、これまで培ってきたノウハウを生かせるシャツだけで世界観を強く見せたいと6型だけを作ることにした。2014年の立ち上げ当時は、撮影前日に高揚して眠れなかったスタイリストになりたての時のような感覚に。『新しい世界に飛び込んでいるんだ』ってすごく胸が高鳴ったし、『やりたいことが形にできて、ああ幸せだな』って。なんてすてきな仕事ができるようになったんだろうって思いましたね。ブランドを大きくするつもりはなかったけれど、服作りに携わる方や私の服をすてきに着こなしてくださるお客さまとの出会いがあって、アイテムを増やし、現在のコレクションを完成させられた」。

「マディソンブルー」が作るのは、「普遍的でありながら、今を生きるための服。そして何よりも、着る人の個性が際立ち、上質で心地よく、ディテールを極めたリアルクローズ」だ。そしてその背景には、中山デザイナーが描き続ける女性像があり、アイコンであるシャツやジャケット、スカートなどには実在する街や人物がそのモデルとなって名が付けられた。ゆえに、どんな知性やスタイルが込められているかまで鮮明だ。「初めて作った6型のシャツには、『マディソンブルー』を語る全てのスピリッツが詰まっている。改めて、すごいものを作ったんだなって(笑)。アニバーサリー限定商品を企画しながら、この10年を振り返ると、自分の選択は間違っていなかったと分かる。それにブランドとして消費されない自信がついた。節目節目で顧客の皆さんや作り手の方々が背中を押してくれたことに感謝したい」と振り返る。限定商品には、中山デザイナーが10年愛用して着込んだ“ハンプトン”シャツの風合いをビンテージ風のレプリカとして再現し、“ゲタリー”と名付けたシャツがある。「10年という年月をシャツで表現できた“ゲタリー”は特別な思い入れがある。私にとってシャツという存在はすごく大きくて、ますます自分たちの自信につなげていきたいと思うし、『マディソンブルー』をより多くの人に知ってほしい、より多くの人に着てほしい。新しいお客さまとの出会いを増やす、新たな旗艦店(2025年初旬に南青山に増床オープン予定)を拠点に、次の10年も、もう一歩外に出るフレッシュな気持ちで積極的にアプローチしていきたい」。

ブランドを形づくる3つのコレクション

「マディソンブルー」はブランドの思いや姿勢、こだわりやギャップなど、独自のスタイルを表現するために、“エッセンシャル”“シーズン”“タンジェリン”の3軸で構成している。共通点は、普遍的であること。大切にしたい逸品を新たな出合いと共にアップデートしていくことでブランドが描くスタイルを構築していく。

“ディテール愛”あふれる
アニバーサリーアイテムが登場

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
マディソンブルー 表参道店
03-6434-9133

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「マディソンブルー」がブランド創設10周年 シャツ6型から始まった物語とは

「マディソンブルー(MADISONBLUE)」は、今年でブランド創設10周年を迎えた。スタイリストでもある中山まりこデザイナーが、2014年春にシャツのみでローンチ。当初はオックスフォードの半袖と長袖のボタンダウンとラウンドカラー、ワークシャツのワンウオッシュとビンテージウオッシュの6型を「ロンハーマン(RON HERMAN)」限定で販売し、店舗も持たずECもせず、限られた服を丁寧に作る小規模での展開を予定していた。しかし、信頼する人々との出会いを機に、成長を遂げる。中山デザイナーのクリエイションに対する思いや、ディテールにこだわりが光る10周年記念アイテムを通して、ブランドが時代と共に歩んできた軌跡をたどる。

「シャツが自信につながった」
中山まりこが語る、
揺るぎない創造

30年以上にわたり、新しいクリエイションに挑戦し続けている中山デザイナー。さまざまな夢を実現してきた彼女が、49歳でかなえたのは自身のブランドを持つことだった。10周年を迎えた今、その先に見据えるビジョンとは。

1980年から、スタイリストとして第一線で活躍していた中山デザイナーが、常に考えていたのは「大人になったら何をやろうかな」という“夢”だった。23歳の独立後、スタイリストとしての夢をニューヨークでかなえ、帰国後も仕事をまい進し続けたが、オファーを形にする“レシーバー”では物足りなさを感じ始めた。そこで、「世の中に自分がデザインしたものを送り出したい」「サーブを打ちたい」と自身が一番知識を持つ服の作り手になることを決意する。経験を積んだニューヨークのマディソン・アベニューと愛する海の色から名付けた「マディソンブルー」を創設。まず選んだのは、大好きなシャツだ。「これまでのキャリアを踏まえ誰にもできない自分らしさを探した時に思いついたのが、シャツだった。ウエスト部分を絞ったり、袖をまくったり、これまで培ってきたノウハウを生かせるシャツだけで世界観を強く見せたいと6型だけを作ることにした。2014年の立ち上げ当時は、撮影前日に高揚して眠れなかったスタイリストになりたての時のような感覚に。『新しい世界に飛び込んでいるんだ』ってすごく胸が高鳴ったし、『やりたいことが形にできて、ああ幸せだな』って。なんてすてきな仕事ができるようになったんだろうって思いましたね。ブランドを大きくするつもりはなかったけれど、服作りに携わる方や私の服をすてきに着こなしてくださるお客さまとの出会いがあって、アイテムを増やし、現在のコレクションを完成させられた」。

「マディソンブルー」が作るのは、「普遍的でありながら、今を生きるための服。そして何よりも、着る人の個性が際立ち、上質で心地よく、ディテールを極めたリアルクローズ」だ。そしてその背景には、中山デザイナーが描き続ける女性像があり、アイコンであるシャツやジャケット、スカートなどには実在する街や人物がそのモデルとなって名が付けられた。ゆえに、どんな知性やスタイルが込められているかまで鮮明だ。「初めて作った6型のシャツには、『マディソンブルー』を語る全てのスピリッツが詰まっている。改めて、すごいものを作ったんだなって(笑)。アニバーサリー限定商品を企画しながら、この10年を振り返ると、自分の選択は間違っていなかったと分かる。それにブランドとして消費されない自信がついた。節目節目で顧客の皆さんや作り手の方々が背中を押してくれたことに感謝したい」と振り返る。限定商品には、中山デザイナーが10年愛用して着込んだ“ハンプトン”シャツの風合いをビンテージ風のレプリカとして再現し、“ゲタリー”と名付けたシャツがある。「10年という年月をシャツで表現できた“ゲタリー”は特別な思い入れがある。私にとってシャツという存在はすごく大きくて、ますます自分たちの自信につなげていきたいと思うし、『マディソンブルー』をより多くの人に知ってほしい、より多くの人に着てほしい。新しいお客さまとの出会いを増やす、新たな旗艦店(2025年初旬に南青山に増床オープン予定)を拠点に、次の10年も、もう一歩外に出るフレッシュな気持ちで積極的にアプローチしていきたい」。

ブランドを形づくる3つのコレクション

「マディソンブルー」はブランドの思いや姿勢、こだわりやギャップなど、独自のスタイルを表現するために、“エッセンシャル”“シーズン”“タンジェリン”の3軸で構成している。共通点は、普遍的であること。大切にしたい逸品を新たな出合いと共にアップデートしていくことでブランドが描くスタイルを構築していく。

“ディテール愛”あふれる
アニバーサリーアイテムが登場

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
マディソンブルー 表参道店
03-6434-9133

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小嶋陽菜が「ハー リップ トゥ」で見据える10周年 「ファンを楽しませるのは私の生き方。ずっと変わらない」

PROFILE: 小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO

小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO
PROFILE: (こじま・はるな)1988年4月19日生まれ、埼玉県出身。2005年にアイドルグループAKB48のオープニングメンバーオーディションに合格。2017年にAKB48を卒業後、18年6月にブランド「ハー リップ トゥ」を所属する芸能事務所の中で開始。事業拡大に伴い、20年1月に新会社heart relationを立ち上げた。21年からビューティ、22年からランジェリーラインを手掛ける。22年2月から現職 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

小嶋陽菜が代表取締役CCO(チーフクリエイティブオフィサー)を務めるハートリレーションの「ハー リップ トゥ(HER LIP TO)」が、設立から6年を迎えた。アパレルからビューティ、ランジェリーへとカテゴリーを広げ、昨年7月には東京・表参道に旗艦店をオープンするなど、ブランドの可能性を着実に広げている。直近の5月9〜15日に実施したルミネ新宿ルミネ2で実施したポップアップストアは、初日売り上げ2000万円超、期間中の売り上げが1億円を突破するなど、その勢いは衰えない。
いわゆる“タレント発”のブランドが短命に終わることも多い中、その枠組みにとどまらない推進力を生み出しているのは、小嶋の原点である「ファンを楽しませたい」というプロ意識。東京、大阪、福岡を巡回した6周年イベントで、小嶋にブランドの今後を聞いた。

WWD:まず、今回の6周年イベントについて聞きたい。
小嶋陽菜heart relation代表取締役CCO(以下、小嶋):
テーマは「サマーブティック」です。私自身、バケーション先で知らないブティックに立ち寄るのが毎回の楽しみ。現地での体験から着想を得た内装やディスプレイに仕上げました。今回は福岡と大阪でも実施しましたが、地方のお客さまの熱量は毎回高い。普段からECで購入してくださりながら楽しみにしてくださって、初日に(ポップアップに)来てくださる方もいらっしゃいます。地方での開催は輸送費やスタッフの調達など、コスト面で大変なところもありますが、これからもさまざまな場所で開催したいと思っています。

WWD:ポップアップストアと表参道の常設店、棲み分けはどう考えている?
小嶋:
ポップアップは新規のお客さまに知ってもらったり、気軽にショッピングができる場所。一方で、旗艦店の「ハウス オブ エルメ」は「ハー リップ トゥ」のブランドをずっと好きでいてくださっている皆さんに恩返しする場であり、彼女たちとのつながりをより強くしていく場所です。「クラブハーズ」という会員制のリワードプログラムを設けて、ロイヤリティーランクのお客さまにはスタイリングサービスを提供したりしています。ホリデーイベントのときには、商品の購入後にヘアセットを施してアフタヌーンティーにお招きするなど、1日をトータルでコーディネートしました。単に洋服を売るのではなく、「ハー リップ トゥ」を通じた体験で、よりお客さまに輝いてほしいと思っています。
ランジェリー(「ロジア バイ ハーリップトゥー」)やコスメ(「ハーリップトゥ ビューティ」)をやっているのも、女性をトータルでプロデュースしたいという思いがあるからです。ブランドスタートから6年が経ち、少しずつですけど形になってきたかなと思っています。

WWD:ハートリレーションの企業としての成長は?
小嶋:
社員は80人以上に増えました。最近はスタッフの成長をすごく実感しています。あるスタッフが「ハー リップ トゥ」のプレスとして雑誌に出る機会をいただいたり、各スタッフのSNSのフォロワーも伸びていたりと、私以外にも前に出てファンを作っている社員が増えてきたのがうれしいです。社員とは常にコミュニケーションを取るように心がけていて、SNSの発信でもキャプションの作り方から写真の撮り方まで細かくフィードバックしています。トレンドの動向などを情報交換する機会も定期的に設けています。

WWD:アパレル、ビューティ、ランジェリー。それぞれのブランドを運営する上で一貫していることは?
小嶋:
全てに共通しているのは、私が好きなもの、私が着たいと思うものをつくるということ。理想の女性になるために、自分を知ったり演出したりすることで好きになるというテーマは一貫しています。ビューティーは肌の質感や香りを演出するもので、ランジェリーは洋服を美しく着るために着用する、という位置付けですね。

WWD:ブランド6周年を迎えたが、ブランドがブレることはない?
小嶋:
デザイン面は常にアップデートしていますが、私が好きなテイストは変わらないので、ブランドとして軸がブレることは今までも、これからもないかなと思います。それは「エゴ」とは違います。自分の好きなものはブラさず、他者からの期待や視点はしっかり取り入れていく。そのバランス感覚は自分の長所なのかもしれません。

WWD:マンネリ化は感じない?
小嶋:
アパレルというカテゴリーに囚われずに、自分自身も楽しんでやれていると感じます。去年はブランド内でアイスクリームショップを実施したり、「クリスピークリームドーナツ」とコラボしてドーナツをイメージしたコレクションを出したり。そういったサプライズでお客さまも飽きずに楽しみ続けてくれていると思います。
私自身、元々サプライズが好きなんです。ファンを楽しませようとする精神がアイドル時代からあり、そういった意識を前提にしてブランドの取り組みを考えています。一方で当時も今も「次はこれをやったら面白いんじゃない?」というリクエストを周りからもらうことが多いです。常に「面白がられている」人でありたいですね。

WWD:「10周年」のブランドの姿は見えてきた?
小嶋:
「ハー リップ トゥ」をもっと長く続けたいという思いは年々強くなっています。「タレントのブランドは続かない」という世間のイメージは根強いです。長く続けることだけが正しいとは思わないのですが、こんなにすてきなスタッフとお客さまがいるのだから、できるだけ期待に応え続けたいという思いはあります。

WWD:今後の事業展開の構想は?
小嶋:
扱うカテゴリーが大幅に増えることはないと思うんですが、今の事業やファンのベースがあれば、「なんでもできる」という気がしています。年齢とともに自分の気分も変化するかもしれないし、よりデイリー使いしやすい商品をそろえた別ラインも作ってみたい。ただ洋服を販売するだけではなくて、その先の体験まで届けていきたいという思いは強いです。

WWD:アイドル時代から20年間走り続けている。立ち止まりたくはならない?。
小嶋:
思いません。ライフステージによって変化はあるかもしれないですが、仕事はし続けるかな。やっぱりファンを楽しませたい気持ちはアイドル時代からずっとコアにあって。それをやめることはないし、私の“生き方”としてずっと変わらないと思っています。

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小嶋陽菜が「ハー リップ トゥ」で見据える10周年 「ファンを楽しませるのは私の生き方。ずっと変わらない」

PROFILE: 小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO

小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO
PROFILE: (こじま・はるな)1988年4月19日生まれ、埼玉県出身。2005年にアイドルグループAKB48のオープニングメンバーオーディションに合格。2017年にAKB48を卒業後、18年6月にブランド「ハー リップ トゥ」を所属する芸能事務所の中で開始。事業拡大に伴い、20年1月に新会社heart relationを立ち上げた。21年からビューティ、22年からランジェリーラインを手掛ける。22年2月から現職 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

小嶋陽菜が代表取締役CCO(チーフクリエイティブオフィサー)を務めるハートリレーションの「ハー リップ トゥ(HER LIP TO)」が、設立から6年を迎えた。アパレルからビューティ、ランジェリーへとカテゴリーを広げ、昨年7月には東京・表参道に旗艦店をオープンするなど、ブランドの可能性を着実に広げている。直近の5月9〜15日に実施したルミネ新宿ルミネ2で実施したポップアップストアは、初日売り上げ2000万円超、期間中の売り上げが1億円を突破するなど、その勢いは衰えない。
いわゆる“タレント発”のブランドが短命に終わることも多い中、その枠組みにとどまらない推進力を生み出しているのは、小嶋の原点である「ファンを楽しませたい」というプロ意識。東京、大阪、福岡を巡回した6周年イベントで、小嶋にブランドの今後を聞いた。

WWD:まず、今回の6周年イベントについて聞きたい。
小嶋陽菜heart relation代表取締役CCO(以下、小嶋):
テーマは「サマーブティック」です。私自身、バケーション先で知らないブティックに立ち寄るのが毎回の楽しみ。現地での体験から着想を得た内装やディスプレイに仕上げました。今回は福岡と大阪でも実施しましたが、地方のお客さまの熱量は毎回高い。普段からECで購入してくださりながら楽しみにしてくださって、初日に(ポップアップに)来てくださる方もいらっしゃいます。地方での開催は輸送費やスタッフの調達など、コスト面で大変なところもありますが、これからもさまざまな場所で開催したいと思っています。

WWD:ポップアップストアと表参道の常設店、棲み分けはどう考えている?
小嶋:
ポップアップは新規のお客さまに知ってもらったり、気軽にショッピングができる場所。一方で、旗艦店の「ハウス オブ エルメ」は「ハー リップ トゥ」のブランドをずっと好きでいてくださっている皆さんに恩返しする場であり、彼女たちとのつながりをより強くしていく場所です。「クラブハーズ」という会員制のリワードプログラムを設けて、ロイヤリティーランクのお客さまにはスタイリングサービスを提供したりしています。ホリデーイベントのときには、商品の購入後にヘアセットを施してアフタヌーンティーにお招きするなど、1日をトータルでコーディネートしました。単に洋服を売るのではなく、「ハー リップ トゥ」を通じた体験で、よりお客さまに輝いてほしいと思っています。
ランジェリー(「ロジア バイ ハーリップトゥー」)やコスメ(「ハーリップトゥ ビューティ」)をやっているのも、女性をトータルでプロデュースしたいという思いがあるからです。ブランドスタートから6年が経ち、少しずつですけど形になってきたかなと思っています。

WWD:ハートリレーションの企業としての成長は?
小嶋:
社員は80人以上に増えました。最近はスタッフの成長をすごく実感しています。あるスタッフが「ハー リップ トゥ」のプレスとして雑誌に出る機会をいただいたり、各スタッフのSNSのフォロワーも伸びていたりと、私以外にも前に出てファンを作っている社員が増えてきたのがうれしいです。社員とは常にコミュニケーションを取るように心がけていて、SNSの発信でもキャプションの作り方から写真の撮り方まで細かくフィードバックしています。トレンドの動向などを情報交換する機会も定期的に設けています。

WWD:アパレル、ビューティ、ランジェリー。それぞれのブランドを運営する上で一貫していることは?
小嶋:
全てに共通しているのは、私が好きなもの、私が着たいと思うものをつくるということ。理想の女性になるために、自分を知ったり演出したりすることで好きになるというテーマは一貫しています。ビューティーは肌の質感や香りを演出するもので、ランジェリーは洋服を美しく着るために着用する、という位置付けですね。

WWD:ブランド6周年を迎えたが、ブランドがブレることはない?
小嶋:
デザイン面は常にアップデートしていますが、私が好きなテイストは変わらないので、ブランドとして軸がブレることは今までも、これからもないかなと思います。それは「エゴ」とは違います。自分の好きなものはブラさず、他者からの期待や視点はしっかり取り入れていく。そのバランス感覚は自分の長所なのかもしれません。

WWD:マンネリ化は感じない?
小嶋:
アパレルというカテゴリーに囚われずに、自分自身も楽しんでやれていると感じます。去年はブランド内でアイスクリームショップを実施したり、「クリスピークリームドーナツ」とコラボしてドーナツをイメージしたコレクションを出したり。そういったサプライズでお客さまも飽きずに楽しみ続けてくれていると思います。
私自身、元々サプライズが好きなんです。ファンを楽しませようとする精神がアイドル時代からあり、そういった意識を前提にしてブランドの取り組みを考えています。一方で当時も今も「次はこれをやったら面白いんじゃない?」というリクエストを周りからもらうことが多いです。常に「面白がられている」人でありたいですね。

WWD:「10周年」のブランドの姿は見えてきた?
小嶋:
「ハー リップ トゥ」をもっと長く続けたいという思いは年々強くなっています。「タレントのブランドは続かない」という世間のイメージは根強いです。長く続けることだけが正しいとは思わないのですが、こんなにすてきなスタッフとお客さまがいるのだから、できるだけ期待に応え続けたいという思いはあります。

WWD:今後の事業展開の構想は?
小嶋:
扱うカテゴリーが大幅に増えることはないと思うんですが、今の事業やファンのベースがあれば、「なんでもできる」という気がしています。年齢とともに自分の気分も変化するかもしれないし、よりデイリー使いしやすい商品をそろえた別ラインも作ってみたい。ただ洋服を販売するだけではなくて、その先の体験まで届けていきたいという思いは強いです。

WWD:アイドル時代から20年間走り続けている。立ち止まりたくはならない?。
小嶋:
思いません。ライフステージによって変化はあるかもしれないですが、仕事はし続けるかな。やっぱりファンを楽しませたい気持ちはアイドル時代からずっとコアにあって。それをやめることはないし、私の“生き方”としてずっと変わらないと思っています。

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Da-iCE工藤大輝とスタイリスト熊谷隆志が語る「ファション愛と10周年、ZOZOコラボ」

PROFILE: 熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE

熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE
PROFILE: (くまがい・たかし)1990年代からトップスタイリストとして活躍。ブランドディレクション、フォトグラファー、内装空間や植栽のディレクションなども行っており、2018年から「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をスタート PROFILE:(くどう・たいき)Da-iCEのパフォーマー兼リーダー。北海道出身。Da-iCEは4オクターブのツインボーカルの5人組アーティストで、メンバーはボーカルの大野雄大・花村想太と、パフォーマーの工藤大輝・岩岡徹・和田颯の5人。2011年1月17日に結成、14年1月15日にメジャーデビュー。20 年 11 月にリリースした『CITRUS』は、日本人男性ダンス&ボーカルグループ史上初のサブスク 1 億回再生を突破し、2021 年「第 63 回日本レコード大賞」を受賞。24 年にメジャーデビュー10 周年を迎え、4 月 17 日には最新シングル「I wonder」をリリース PHOTO:YUTA FUCHIKAMI

「ゾゾタウン」は、5 人組男性アーティスト「Da-iCE」のメジャーデビュー10 周年を記念したコラボレーション企画の第 2 弾として、世界で活躍するマルチ・アーティストのダニー・サングラ氏による描き下ろしイラストを 使用したアイテムを、8 月 2 日から「ゾゾタウン」限定で受注販売する。2つのコラボのディレクションを努めたスタイリストの熊谷隆志と、服好きで知られる「Da-iCE」のファッション番長である工藤大輝の対談をお届けする。

Da-iCEが「ゾゾタウン」とコラボレーションした理由

―メジャーデビュー10周年、おめでとうございます。

工藤大輝(以下、工藤):ありがとうございます。メジャーデビューしてからの10年は本当にあっという間だったでした。2017年に、Da-iCEの結成6年目の記念日に行った武道館公演がひとつのターニングポイントになったことは、みんなでよく話していて、振り返ってみると、解散していた可能性だってあったと思います。結果的に、メンバーみんなで楽しく活動しながら、こうして10周年を迎えられたのでとても嬉しいです。

―記念すべきタイミングで、ZOZOTOWNとのコラボレーション企画がスタートした。

工藤:10周年なので、いわゆる「グッズ」ではなく、自分たちがご一緒したい方とコラボしたり、みんなが欲しいものを形にするほうが良いのではないかという話をしていたので、今回は念願が叶ってとても素晴らしい機会でした。

―コラボ企画第一弾となる「Da-iCE × WIND AND SEA」は即完。制作はどのように進めた?

工藤:まさか憧れの熊谷さんと直接やり取りさせていただける日が来るなんて、想像もしていなかったので、打ち合わせの度に緊張していました。本当にありがとうございました。

熊谷隆志(以下、熊谷):工藤さんは洋服について、僕よりも多くのことを知っているんじゃないかと思うくらい詳しい(笑)。最初に会ってすぐに、「この人は本当の服好きだ」ということが分かった。知識の豊富さに加え、とにかく「服を着ること」をよく知っている。アパレルやファッション業界人と話しているような感じだった。なので、こちらも提案がしやすかったし、結果的にデザインは、無駄が削ぎ落とされたシンプルなものになったなあ。

工藤:ありがとうございます(笑)。両親とも服好きだった影響もあって、僕自身も子どもの頃から服が好きで、Da-iCEの前は渋谷の「アメリカンアパレル」で販売員をやっていました。服は衣装も含めて毎月かなり買っています。とはいえ、熊谷さんと一緒に洋服を作らせていただくということもあって、事前にけっこう準備もしました。

―特にこだわった点や、オススメのコーディネートはありますか?

工藤:セットアップのジップを、僕の好みでダブルジップにしてもらったんです。上までキュッと閉めるけど、下は少し開けて、中のレイヤーを見せる着こなしが、90年代のヒップホップの雰囲気があって好きなんです。踊っている時も、中の服やシルエットがきれいに見える。ここはこだわりました。

熊谷:実際にDa-iCEのメンバーに、今回のコラボアイテムを着てもらって、僕が撮影をしたときも、踊りが入るとまた洋服の雰囲気が違って見えた。服も一緒に動いてくれるというか。作った甲斐があったな、と。

ダニ―・サングラとコラボ!キュートな「Da-iCE」グラフィック誕生の裏側

―今回は、熊谷さん監修によるアーティスト・ダニー・サングラをパートナーに迎えた、第二弾コラボアイテムを発表した。キュートなグラフィックが誕生するまでの経緯は?

熊谷:まずは僕からDa-iCEの皆さんに、グラフィックアーティストを何名か提案して、皆さんが選んだのがダニー・サングラさんのアートワークだった。

工藤:どの方も超大物ばかりで、本当に素敵で悩みましたが、Da-iCEというグループの個性を考えた時に、一番相性が良さそうなのが、ダニー・サングラさんでした。

―グラフィックのデザインはどのように詰めていった?

工藤:僕らのアルバムのタイトルや、自分たちのキーとなるワードを落とし込みました。実際にダニー・サングラさんとリモートで会話もさせていただきました。様々な高級メゾンの仕事をされているのにとても気さくで、素敵な方でした。いろんなグラフィックを作ってくださったので、まずアイテム数を絞るのに一苦労(笑)。ワークシャツはお気に入りで、今回のコラボがリリースされるのは秋口なので、ロンTとレイヤードして着回したりしても可愛い。

熊谷:ボトムスは、今日工藤さんがはかれているようなパンツと合わせたりしても可愛いよね。

―工藤さんは、おしゃれなDa-iCEのメンバーの中でも特に、ファッション好きとして知られている。

工藤:母が北海道のファッションの専門学校出身で、物心つく前から、いろんなジャンルの洋服を着せてもらっていて、僕も自然と好きになりました。ものづくりなども好きな母だったので、音楽の道に進むと言ったときも、反対されることはなく、好きにやったら良いと背中を押してもらえました。

熊谷:僕も母が美大出身だった影響で、毎日いろんな格好をしていました。家の中のカラーリングが、他の同世代の友達の家とは違う印象が幼心にあった。僕は南部鉄器という伝統工芸の家に生まれたので、後継という道から逃れるために、小さい頃からずっと、ファッションをやっていきたいという主張をしていた。「東京に行きたい、パリに行きたい」って(笑)。パリの専門学校を卒業して、ファッションの道に入って、今年で30周年目です。

―今回のコラボでやりとりする中で、熊谷さんから見えた工藤さんというアーティスト像は、どのような印象?

熊谷:一言でいうと「柔軟」。リズムに乗って生きているような身軽さがとても素敵だな、と。最近の僕は昔に比べると、フットワークが重くなってきている部分もあるので、今回のコラボで昔の気持ちを取り戻したような気にもなった。とても刺激を受けた。

工藤:恐縮です。このインタビュー前にご挨拶にうかがったときに、今日も熊谷さんは午前中ゴルフに行かれていたと聞いて、驚きました。僕よりも全然柔軟でフットワークが軽い(笑)。熊谷さんはゴルフのブランドもやられている。趣味とお仕事が結びついているんだなあ、とも感じました。

熊谷:趣味を仕事にしないとやる時間がないんですよ。

―工藤さんにとって、ファッションは趣味に分類されるんでしょうか?

工藤:難しいですね。Da-iCEのメンバーでいる以上、自分の好みだけではなく、グループのカラーに合わせたファッションに寄り添う必要があって。Da-iCEの衣装を探す時は、普段は行かないような少し尖ったショップに行ってみたり。Da-iCEはダンスボーカルグループなので元を辿るとヒップホップ。そのカルチャーを無視した服装でヒップホップを踊ると、説得力がなくなってしまう。そういったことも意識してスタイリングを選んでいるので、100%趣味とは言い切れないかも。

熊谷:ファレル・ウィリアムス以降は、スーツを着てもヒップホップって言われるようにもなったから、少し選択肢の幅は広がっているよね。

―やはり音楽とファッションは、根っこの部分で繋がっている?

熊谷:最近20代の子たちとよく一緒に仕事をする機会があって、最近、「熊谷さん、渋谷系ってかっこいいですよ」とかって言うんですよ(笑)。

工藤:漫画『NANA』も今めちゃくちゃ流行っていますよね、その流れからヴィヴィアン・ウエストウッドのORB ネックレスも再注目されていて。ORBが最初に流行っていた時代って、僕いくつだっけみたいな(笑)。

熊谷:僕も当時を知っているから話せるんです、20代の子とは。僕は彼ら・彼女らのご両親くらいの年齢なので、小さい頃に無意識に聞いていた音楽が潜在意識にあって、ファッションに影響を与えたりするんじゃないかな。あとは、今の古着屋さんに並んでいる洋服は、僕ら世代の人が出したものが多いから、自然と昔の流れが戻ってきたり。20年サイクルだしね、流行は。

工藤:今のダンスボーカルの流行りも90年代〜2000年代前半くらい。服装もB系で、ティンバーランドがまた流行っていたり。確かに自分も昔、履いていたなって(笑)。

―お二人の今のファッションのムードはいかがですか?

熊谷:10年前くらいにネイティブアメリカンの感じを取り入れていましたが、「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をはじめたことで、ちょっとストリートな雰囲気にいってみたりもしていて。最近は、ネイティブっぽい感じと今のストリートをミックスさせた感じが好きかなあ。

工藤:僕は今年37歳になるんですけど、少し前までは大人っぽく見せたくて、きっちりした格好を好んで着てました。ドメスティックなブランドを取り入れた、綺麗めな格好みたいな。でも最近は、人からの見られ方はあまり気にしなくなってきたので、ストリートに寄る日もあったり、自由にファッションを楽しんでいます。今日は、熊谷さんのブランドの「ネサーンス(NAISSANCE)」のトップスをメインに合わせました。アクセサリーは、ヨーロッパのもので揃えている。僕は「ビオトープ(BIOTOP)」が好きでよく行くんですけど...

熊谷:「ビオトープ」はアパレル会社のジュンさんと僕で作ったんですよ。

工藤:えー!めちゃめちゃ行きますし、お世話になっています。大好きです!

2人が贈るファッションを楽しむ若い世代へのメッセージとは?

―それでは最後に、お二人のようにファッションを楽しむ若い世代に、メッセージをお願いします。

工藤:あまりSNSのアルゴリズムばかりに乗らないほうが良いんじゃない、と思っています。自分の好きなものの延長だけを追うのではなく、音楽やファッションは、冒険して、失敗を繰り返した先に、自分だけの発見があるから面白い。カルチャーもジャンルも異なるアイテムにチャレンジすることを、楽しんでもらいたいです。

熊谷:スマホとネットだけで買い物をしていた若い世代に最近、「ブーン(Boon)」や「ポパイ(POPEYE)」のバックナンバーを読んでみたりする子が増えてきた。ファッションのことを質問されると、なんでも教えちゃう。あと古着屋さんも今はすごく元気なので、おしゃれの入門が古着というのもありだと思う。工藤さんも言っていたように、いろいろ試して、どんどん新しい出会いに繋げていって欲しい。

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