ウエルシア薬局商品本部トップが語る プレミアムヘアケア、プライベートブランド戦略

PROFILE: 小川光芳/ウエルシア薬局取締役商品本部長

小川光芳/ウエルシア薬局取締役商品本部長
PROFILE: (おがわ・みつよし)1969年生まれ。2013年にウエルシア薬局入社。シミズ薬品社長を経て、3月から現職

国内最大規模のドラッグストアチェーン、ウエルシア薬局は2024年2月期の売上高が1兆195億円、ビューティ領域の売り上げのシェアは15.7%と、化粧品業界のドラッグストアチャネルを大きくけん引する。2月末時点で2199店舗を展開するウエルシア薬局の小川光芳取締役商品本部長に、得意とするプレミアムヘアケアブランドやプライベートブランド(以下、PB)などビューティ領域の戦略を聞いた。

WWD:ウエルシア薬局において、ビューティ領域はどのような位置付けか。

小川光芳ウエルシア薬局取締役商品本部長(以下、小川):ウエルシアグループでは2030年に「地域No. 1の健康ステーション」になることを目指している。お客さまが健康で美しく、楽しく、をモットーに取り組み、健康において欠かせない医薬品はもちろん、美しくありたいという気持ちをサポートするためビューティ領域は重要なカテゴリーだ。食品や雑貨も主力ではあるが、昔から薬局という業態だったことからヘルス&ビューティに注力してきた。化粧品の売り上げシェアは15.7%(24年2月期)を占めており、堅調に推移している。

WWD:好調なカテゴリーやアイテムは?

小川:メイクアップが復調しているほか、スキンケアも伸びている。スキンケアではシートマスクの伸び率が非常に高い。「ルルルン(LULULUN)」や「クオリティファースト(QUALITY 1ST)」“ダーマレーザー”シリーズなどがけん引して、これまで設けていなかった常設の棚を新店ではゴンドラ3台分設置している。特に日常使いのできる大容量のものの動きが良い。また、毛穴ケアを訴求する商品が好調だ。コーセーの高効能ブランド「ワンバイコーセー(ONE BY KOSE)」の“クリアピール セラム”“ポアクリア オイル”などを筆頭に、男性の購入も増えている。「成分美容」の波が来ていて、「毛穴ケアにはビタミンC」など、認知も広がっている。

「無言の販売部員」ポップによる「お客さまが買い物に失敗しない」売り場作り

WWD:成分買いのニーズに応えるためにどのような施策をしているか。

小川:ウエルシアの四大方針の一つにカウンセリング営業がある。しかしそれができない状況に合わせて店頭ではポップでカバーしている。これまでは手書きだったがどうしても手間がかかってしまうため、現在は本部で薬機法のチェックも併せて制作している。対応している成分はビタミンCのほかにもヒアルロン酸やアゼライン酸など数えられないほど。特にシートマスクやスキンケアは成分を書いていないと伝わりづらいので表記している。

WWD:ポップを活用した取り組みは奏功しているのか。

小川:消費者の得られる情報が増えている中、カウンセリングの代わりとしてポップが無言の販売部員になっている。この流れはお酒や食品にも及んでいて、産地や原料を記載している。おでんにはカロリーをポップで表記し、プロテインなどの商材も詳しく明記する。コンセプトである「お客さまが買い物に失敗しない」売り場作りが軸になっている。キャプションが多かったり細かすぎたりすると読まない。社内でもポップのデザインの規定を設けて分かりやすさにこだわっている。

WWD:デジタルでの施策は?

小川:メーカーと従業員が商品を紹介するウエルシアテレビという取り組みがある。1カ月かけて同じブランドを紹介したり、デジタルサイネージで訴求したりする。この取り組みの有無で売り上げに倍以上の差が出てくる。特に新商品はいち早く知ってもらうことが鍵だ。

「プレミアムシャンプーといえばウエルシア」な豊富な品ぞろえ

WWD:コロナ禍を経てヘアケアカテゴリーの注目も高まってきた。

小川:ウエルシアでは1700〜1800円前後のプレミアムシャンプーが好調だ。「ボタニスト(BOTANIST)」がシェアを取り始めた19年ごろから市場は盛り上がりを見せているが、ウエルシアはその前から先行して注力していた。今はプレミアムシャンプーの売り上げのシェアはウエルシアのシャンプー全体の6割を占める。その結果、多くのブランドでウエルシア先行発売を実施している。

WWD:プレミアムシャンプーを顧客に浸透させる施策は?

小川:1回使い切り分のサシェを用意すること。価格にハードルがある分、買って合わなかったら、と躊躇するお客さまもいる。しかしサシェを3つ使うと本体の購入につながるというリサーチ結果があり、3個パックを作って販売するなどしている。はじめはウエルシア側からサシェを作るように依頼していたが、今ではサシェがないと売れない傾向があるため、メーカー側がサシェを用意することが多くなった。

PBは新時代に突入 「クリーンビューティ」に果敢に挑戦

WWD:6月には新オリジナルヘアケアブランド「イッツ ワッツ インサイド ザット マターズ(ITʼS WHATʼS INSIDE THAT MATTERS. )」(以下、イッツ)を、7月には「からだウエルシア」から“集結!ほぼ植物の原液美容液”シリーズを発売した。PBの商況は?

小川:ウエルシアホールディングスのPBの売り上げは全体の8.4%を占める。26年度には10%まで拡大する計画だ。今はPB新時代に入った。価格訴求から品質重視への変化があり、今後はナショナルブランドとPBの垣根がより低くなる。品質に加えて多様性といったお客さまが求めるクオリティーを網羅しなければ、売れない、リピートされないと、変化していくだろう。

WWD:求められるクオリティーが上がっている。

小川:PBでは「クリーンビューティ」をコンセプトに掲げ、環境配慮やクルエルティフリーに取り組んでいる。全てのお客さまがクリーンビューティを重要視しているわけではないが、万人ウケを狙っても他のナショナルブランドと差別化はなされない。原料探しから処方まで自社で取り組み、OEMメーカーに全て委ねることもしない。だからこそ自信を持って販売している。また、ウエルシアでは日々お客さまの声を吸い上げて対応する。ホームページ上のお客さま投稿フォームから毎月1000件ほどのご意見があり、店頭のハガキやコールセンターの声も含め、AIで分析してコメントを整理し商品開発に生かしている。

WWD:今後注力するカテゴリーや施策は。

小川:トライアル品を活用した本体への引き上げ施策やSNSで販促を強化していく。得意とするヘアケア、そして機運が高まるアジアコスメの品ぞろえも充実させる。冒頭話したような「地域No. 1の健康ステーション」を目指し、「ウエルシアに行けばきれいになれる」と思ってもらえるような店作りと接客で他社と差別化を図りビューティ領域を拡大していく。

The post ウエルシア薬局商品本部トップが語る プレミアムヘアケア、プライベートブランド戦略 appeared first on WWDJAPAN.

アリアナ・グランデやハリー・スタイルズのネイルを手掛けるブリトニートーキョー LAで大活躍の秘密

PROFILE: ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト

ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト
PROFILE: 東京生まれ、千葉育ち。高校でハワイやシアトルに留学し、現在はロサンゼルス・ハリウッドを拠点に活動する。ハリウッド映画やミュージックビデオ、コマーシャルのネイルを担当するほか、ニューヨーク・ファッション・ウイークのバックステージやアート作品の制作も手掛ける。顧客にはアリアナ・グランデやキム・カーダシアンらセレブリティが名を連ねる

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第1回は、名だたるセレブリティを担当するネイルアーティスト、ブリトニートーキョーの半生に迫る。

日本では「ウィアード」でも、米国では「ギフテッド」

水嶋和恵(以下、水嶋):ネイリストになった経緯を教えてください。

ブリトニートーキョー(以下ブリトニー):まず、コンピュータープログラミングやグラフィックアートを学ぶ短大を卒業し、当時流行していたアパレルブランドのショップ店員として「渋谷109」で働くことに。しかし「立ち仕事は向いていない」と気付きました。改めて将来のことを考え、座り仕事で髪色が自由な職業を探すと、選択肢は“闇金の電話番”か“ネイリスト”(笑)。親にも相談したところ「ネイリストにしなさい」と説得され今に至ります。その後、日本でネイリストの学校を卒業し、現在はロサンゼルスでネイリストをしています。

水嶋:ネイリストが夢だったわけではないのですね。

ブリトニー:ネイリストを目指していたわけではないですが、幼少期から絵を描くことが好きで、自分の爪にも絵を描いていました。幼稚園のときの夢は絵描きになること。ただ、それを周囲に伝えられないシャイな子どもでした。今思えば順応性のないタイプだったのかもしれません。日本では「ウィアード(変わっている)」と言われる人も、米国では「ギフテッド(神が与えた才能がある)」な人と呼ばれることがあります。今ロサンゼルスに住んでいて、自分の居場所を見つけたと感じています。

水嶋:移住先にロサンゼルスを選んだ理由は?

ブリトニー:当時付き合っていた人がロサンゼルスへ行くことになり、一緒に渡米しました。

水嶋:現在ネイリストとして活躍する傍ら、どんなプロジェクトを手掛けていますか?

ブリトニー:「トーキョースパイス(TOKYO SPICE)」というブランドで商品プロデュースをしています。米国市場に向けてはもちろん、日本やカナダ、メキシコ、オーストラリア、シンガポール、台湾、韓国などグローバルに展開しています。ネイリストとしてさまざまな商品を使用する中で「この商品が良い」と感じたメーカーとコラボレーションしています。

ハリー・スタイルズとの撮影現場で結婚を決意

水嶋:以前雑誌「フィガロ(FIGARO)」と「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITON)」のタイアップ撮影でご一緒させていただいたのが、印象的です。鮮やかなグリーンカラーのモノグラム柄バッグに合わせたロングネイルがとても素敵でした。最も印象に残っているプロジェクトはありますか?

ブリトニー:うれしいです。1つに絞るのは難しいですが、ハリー・スタイルズ(Harry Styles)とのプロジェクトは良く覚えています。ハリーとの撮影当日、現在の夫と現場に行くことになり。その時はまだ結婚していませんでしたが、ハリーの横に彼が並んでも「カッコ良い!!」と思って。それで結婚を決めたんです。歌手のリタ・オラ(Rita Ora)とご一緒させていただいた際には、会って一言目に「ブリトニーにネイルをしてもらうのが夢だったの!」と言ってくださり、すごくうれしかったです。

水嶋:現場と一言にいっても、スチール(写真撮影)、ミュージックビデオ、レッドカーペット。さまざまな場面で活躍されていますが、各現場での作品づくりに違いはありますか?

ブリトニー:スチールはシンプルなネイルの場合が多く、ミュージックビデオは凝ったデザインをオーダーされることが多いです。やはり、クリエイティブなオーダーは形にしていくのが楽しいです。

ネイリスト活動3カ月でアリアナ・グランデからDM

水嶋:ロサンゼルスで成功されるまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

ブリトニー:自分ではまだ成功しきれていないと思っています。ロサンゼルスに移住した当初は学生の身分だったので、6年ぐらいはネイリストを本職にしていませんでした。俗に“セレブ”と呼ばれる方々からの依頼が来るようになったのは、ネイリストという職業を始めてから3カ月くらいだと思います。

水嶋:3カ月!どのような依頼がきましたか?

ブリトニー:アリアナ・グランデ(Ariana Grande)から、インスタグラムでダイレクトメッセージが来たのが最初です。「ちょっと今から来られる?」というような、とてもフランクな内容でした。まだインスタグラムが始まったばかりの頃で、「嘘かな、もしかして騙されてる!?」と思いましたが、ロケーション検索で私のことを見つけてくれたようです。

水嶋:ネイリストとしての現在のポジションを確立するまで、苦労はありましたか?

ブリトニー:どうしてもネイリストになりたい、有名になりたいと思って今に至ったわけではなく、私はすごくラッキーなんだと思います。2013年当時は英語力も乏しかったので、現場で他のスタッフに陰口を言われていても気づかず。今になって、「あのとき意地悪なことを言われてたかも?!」と(笑)。それぐらい、当時はネイルアーティストという職業がまだ確立されていなかったんですよね。

水嶋:ブリトニーさんの活躍が、今のネイルアーティストの存在や地位を大きく変えたと思います。

ブリトニー:その当時米国では、ヘアメイクを含むビューティ業界で、アジア人アーティストが少なかったです。米国では言ったもの勝ち。「私はアーティスト」。言ったその先が大事だと思います。

水嶋:ブリトニートーキョーという名前もキャッチーで、素敵ですよね。何か由来はありますか?

ブリトニー:最初に縁があり勤めたネイルサロンで、米国で覚えてもらいやすいように”ブリトニー”という名前をつけました。当時ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)が人気で、私も彼女のブロンドヘアーに憧れ真似をしていて。職場で出身地を聞かれることが多く、思いついたまま名刺にペンでTOKYOと書いたのが後に定着したんです!嘘みたいな本当の話です。

「ロサンゼルスの全てが好き」

水嶋:私がロサンゼルスに移住してから周りの人を見ていて思うのは、皆「幸運の持ち主」であるということ。ブリトニーさんは強運の持ち主!ロサンゼルスに来て今何年目ですか?

ブリトニー:18年目です。普段はハイキングが好きで週5で行くことも。カルバーシティにあるハイキングレールに行くことが多いです。車を少し走らせるだけで気軽に行けるので、そういう点ではロサンゼルスは東京よりチルだと感じます。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

ブリトニー:天気がよく、気持ちが良いです。移住する前に一度訪れたことはあったものの、住んでみると気候の良さは再認識しますね。住んでいる人々もナイスだし、ロサンゼルスの全てが好きです。

水嶋:天気もここに居る人達も、サニーでポジティブですよね!今後のプロジェクトの予定は?

ブリトニー:今後は、今まで以上にアート作品を制作したいと考えています。ドイツ・ハンブルクのハンブルク美術工芸博物館で作品を展示することが決まりました。気がつけば幼い頃から好きだったことが仕事に。今、流れ的にとても良いと感じています。

水嶋:話を聞いていると、人生の選択が常に合っていて、本当に引きが強い。流れに逆らわず、その流れに上手に乗ることで今のブリトニートーキョーがあるように感じます。

私の連載を通して読者のみなさんが多様な生き方を知り、人生やビジネスへのヒントを得てくれたら良いなと思います。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

The post アリアナ・グランデやハリー・スタイルズのネイルを手掛けるブリトニートーキョー LAで大活躍の秘密 appeared first on WWDJAPAN.

アリアナ・グランデやハリー・スタイルズのネイルを手掛けるブリトニートーキョー LAで大活躍の秘密

PROFILE: ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト

ブリトニートーキョー(Britney TOKYO)/ネイルアーティスト
PROFILE: 東京生まれ、千葉育ち。高校でハワイやシアトルに留学し、現在はロサンゼルス・ハリウッドを拠点に活動する。ハリウッド映画やミュージックビデオ、コマーシャルのネイルを担当するほか、ニューヨーク・ファッション・ウイークのバックステージやアート作品の制作も手掛ける。顧客にはアリアナ・グランデやキム・カーダシアンらセレブリティが名を連ねる

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第1回は、名だたるセレブリティを担当するネイルアーティスト、ブリトニートーキョーの半生に迫る。

日本では「ウィアード」でも、米国では「ギフテッド」

水嶋和恵(以下、水嶋):ネイリストになった経緯を教えてください。

ブリトニートーキョー(以下ブリトニー):まず、コンピュータープログラミングやグラフィックアートを学ぶ短大を卒業し、当時流行していたアパレルブランドのショップ店員として「渋谷109」で働くことに。しかし「立ち仕事は向いていない」と気付きました。改めて将来のことを考え、座り仕事で髪色が自由な職業を探すと、選択肢は“闇金の電話番”か“ネイリスト”(笑)。親にも相談したところ「ネイリストにしなさい」と説得され今に至ります。その後、日本でネイリストの学校を卒業し、現在はロサンゼルスでネイリストをしています。

水嶋:ネイリストが夢だったわけではないのですね。

ブリトニー:ネイリストを目指していたわけではないですが、幼少期から絵を描くことが好きで、自分の爪にも絵を描いていました。幼稚園のときの夢は絵描きになること。ただ、それを周囲に伝えられないシャイな子どもでした。今思えば順応性のないタイプだったのかもしれません。日本では「ウィアード(変わっている)」と言われる人も、米国では「ギフテッド(神が与えた才能がある)」な人と呼ばれることがあります。今ロサンゼルスに住んでいて、自分の居場所を見つけたと感じています。

水嶋:移住先にロサンゼルスを選んだ理由は?

ブリトニー:当時付き合っていた人がロサンゼルスへ行くことになり、一緒に渡米しました。

水嶋:現在ネイリストとして活躍する傍ら、どんなプロジェクトを手掛けていますか?

ブリトニー:「トーキョースパイス(TOKYO SPICE)」というブランドで商品プロデュースをしています。米国市場に向けてはもちろん、日本やカナダ、メキシコ、オーストラリア、シンガポール、台湾、韓国などグローバルに展開しています。ネイリストとしてさまざまな商品を使用する中で「この商品が良い」と感じたメーカーとコラボレーションしています。

ハリー・スタイルズとの撮影現場で結婚を決意

水嶋:以前雑誌「フィガロ(FIGARO)」と「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITON)」のタイアップ撮影でご一緒させていただいたのが、印象的です。鮮やかなグリーンカラーのモノグラム柄バッグに合わせたロングネイルがとても素敵でした。最も印象に残っているプロジェクトはありますか?

ブリトニー:うれしいです。1つに絞るのは難しいですが、ハリー・スタイルズ(Harry Styles)とのプロジェクトは良く覚えています。ハリーとの撮影当日、現在の夫と現場に行くことになり。その時はまだ結婚していませんでしたが、ハリーの横に彼が並んでも「カッコ良い!!」と思って。それで結婚を決めたんです。歌手のリタ・オラ(Rita Ora)とご一緒させていただいた際には、会って一言目に「ブリトニーにネイルをしてもらうのが夢だったの!」と言ってくださり、すごくうれしかったです。

水嶋:現場と一言にいっても、スチール(写真撮影)、ミュージックビデオ、レッドカーペット。さまざまな場面で活躍されていますが、各現場での作品づくりに違いはありますか?

ブリトニー:スチールはシンプルなネイルの場合が多く、ミュージックビデオは凝ったデザインをオーダーされることが多いです。やはり、クリエイティブなオーダーは形にしていくのが楽しいです。

ネイリスト活動3カ月でアリアナ・グランデからDM

水嶋:ロサンゼルスで成功されるまで、どれくらいの時間がかかりましたか?

ブリトニー:自分ではまだ成功しきれていないと思っています。ロサンゼルスに移住した当初は学生の身分だったので、6年ぐらいはネイリストを本職にしていませんでした。俗に“セレブ”と呼ばれる方々からの依頼が来るようになったのは、ネイリストという職業を始めてから3カ月くらいだと思います。

水嶋:3カ月!どのような依頼がきましたか?

ブリトニー:アリアナ・グランデ(Ariana Grande)から、インスタグラムでダイレクトメッセージが来たのが最初です。「ちょっと今から来られる?」というような、とてもフランクな内容でした。まだインスタグラムが始まったばかりの頃で、「嘘かな、もしかして騙されてる!?」と思いましたが、ロケーション検索で私のことを見つけてくれたようです。

水嶋:ネイリストとしての現在のポジションを確立するまで、苦労はありましたか?

ブリトニー:どうしてもネイリストになりたい、有名になりたいと思って今に至ったわけではなく、私はすごくラッキーなんだと思います。2013年当時は英語力も乏しかったので、現場で他のスタッフに陰口を言われていても気づかず。今になって、「あのとき意地悪なことを言われてたかも?!」と(笑)。それぐらい、当時はネイルアーティストという職業がまだ確立されていなかったんですよね。

水嶋:ブリトニーさんの活躍が、今のネイルアーティストの存在や地位を大きく変えたと思います。

ブリトニー:その当時米国では、ヘアメイクを含むビューティ業界で、アジア人アーティストが少なかったです。米国では言ったもの勝ち。「私はアーティスト」。言ったその先が大事だと思います。

水嶋:ブリトニートーキョーという名前もキャッチーで、素敵ですよね。何か由来はありますか?

ブリトニー:最初に縁があり勤めたネイルサロンで、米国で覚えてもらいやすいように”ブリトニー”という名前をつけました。当時ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)が人気で、私も彼女のブロンドヘアーに憧れ真似をしていて。職場で出身地を聞かれることが多く、思いついたまま名刺にペンでTOKYOと書いたのが後に定着したんです!嘘みたいな本当の話です。

「ロサンゼルスの全てが好き」

水嶋:私がロサンゼルスに移住してから周りの人を見ていて思うのは、皆「幸運の持ち主」であるということ。ブリトニーさんは強運の持ち主!ロサンゼルスに来て今何年目ですか?

ブリトニー:18年目です。普段はハイキングが好きで週5で行くことも。カルバーシティにあるハイキングレールに行くことが多いです。車を少し走らせるだけで気軽に行けるので、そういう点ではロサンゼルスは東京よりチルだと感じます。

水嶋:住んでみて再発見したロサンゼルスの魅力はありますか?

ブリトニー:天気がよく、気持ちが良いです。移住する前に一度訪れたことはあったものの、住んでみると気候の良さは再認識しますね。住んでいる人々もナイスだし、ロサンゼルスの全てが好きです。

水嶋:天気もここに居る人達も、サニーでポジティブですよね!今後のプロジェクトの予定は?

ブリトニー:今後は、今まで以上にアート作品を制作したいと考えています。ドイツ・ハンブルクのハンブルク美術工芸博物館で作品を展示することが決まりました。気がつけば幼い頃から好きだったことが仕事に。今、流れ的にとても良いと感じています。

水嶋:話を聞いていると、人生の選択が常に合っていて、本当に引きが強い。流れに逆らわず、その流れに上手に乗ることで今のブリトニートーキョーがあるように感じます。

私の連載を通して読者のみなさんが多様な生き方を知り、人生やビジネスへのヒントを得てくれたら良いなと思います。

PHOTOS:KENTARO MINATO[SEVEN BROS. PICTURES], TEXT:ERI BEVERLY

The post アリアナ・グランデやハリー・スタイルズのネイルを手掛けるブリトニートーキョー LAで大活躍の秘密 appeared first on WWDJAPAN.

ベルリン発アイウエア「マイキータ」創業者に聞く、枠にとらわれず進んできた20年とこれから

PROFILE: モーリッツ・クルーガー/「マイキータ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター

モーリッツ・クルーガー/「マイキータ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: ドイツ出身。2003年、24歳の時に創業者の一人として「マイキータ」に参画。以来、クリエイティブ・ディレクションを担い、ビジネスの拡大をリードしてきた。型にはまらないマインドセットと独創的なアイデアを追求することへの自信から、志を同じくするチームを確立。多様なプロダクトデザイナーやエンジニアで構成されるデザインチームを率いるほか、アート&デザインの分野におけるクリエイティブなパートナーシップも手掛けている

2003年にドイツ・ベルリンで設立された「マイキータ(MYKITA)」は、もともと託児施設だった場所からスタートしたが、14年からは街の中心部にある歴史的建造物に「マイキータハウス(MYKITA HAUS)」と呼ぶ大きな拠点を構えている。数々のコラボレーションや先駆的なデザインによって国際的に知られるようになった今も、デザインやマーケティング、営業から、新たな素材や技術の研究開発、手作業による製造までを一つ屋根の下で手掛けているユニークなアイウエアブランドだ。モーリッツ・クルーガー(Moritz Krueger)創業者兼クリエイティブ・ディレクターに、ベルリンにこだわり続ける理由やモノづくりへのアプローチから、新たなコラボレーションや本社移転といった未来を見据えた取り組みまでを聞いた。

全ての部門を一つ屋根の下に置く理由

WWD:まずマイキータハウスとは、「マイキータ」にとってどんな場所か?

モーリッツ・クルーガー「マイキータ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター(以下、クルーガー):ベルリンにあるマイキータハウスは、ブランドアイデンティティーにとって不可欠な場所。私たちの原点であり、エネルギーとインスピレーションの源だ。クロイツベルク地区にある歴史的建物では、35の異なる国出身の約270人が共に働いている。

WWD:“一つ屋根の下に全部門が集まっていること“のメリットとは?

クルーガー:製造施設を含む全ての部門を一つ屋根の下に置くという体制は、アイウエア業界では非常に珍しいことだが、これによりデザインと製造プロセスの完全な自主性と透明性を確保できる。また、デザイン、研究開発、製造など異なる部門間の意見交換や相互作用が生まれることは、革新的なデザインと製品のさらなる進化のカギになっている。

WWD:ベルリンに拠点を置き続けることには、特別な意味があるのか?

クルーガー:「マイキータ」を設立した2003年当時のベルリンは、DIY(Do It Yourself)のマインドセットを持ったメーカーたちの街だった。ルールはほとんどなく、ロールモデルもいなかったが、たくさんの自由と表現できるスペースがあった。そして、私たちが求めていたのは独自の決断を下し、自分たちが望むように創造するパワー。私たちには明確な美学やビジョンがあり、それを実現するために必要なステップを踏むことで、多くの人から不可能だと言われながらも独自の生産体制とノウハウを築き上げてきた。ベルリンなくして「マイキータ」を想像することはできない。あの時代のパイオニア精神は、私たちの独立心あふれる個性の一部になっている。

“目指すのは、単に他と異なるものではなく、より良いものを生み出すこと”

WWD:現代にふさわしいアイウエアを作る上で最も大切にしていることは?

クルーガー:私たちは工業デザイン的なアプローチをとり、コンセプチュアルな方法で核となるデザインを構築しているが、それは構造と素材の整合から始まる。つまり、素材の特性を素直に生かし、それに基づいて構造を作り上げていくということだ。優先するのは機能性だが、同時にあらゆる技術的なソリューションが美学に基づいたものでなければいけない。これこそが、「マイキータ」が提案するアイウエアのミニマルでありながら独自の美しさを放つユニークなデザインと雰囲気の秘訣になっている。

WWD:アイコニックなステンレススチールのシートに加え、2011年には独自素材“マイロン(Mylon)“と3Dプリンティングによるアイウエアを提案し、22年には米特殊素材メーカーのイーストマン(EASTMAN)が開発したサステナブルなアセテート“アセテートリニュー(Acetate Renew)“への完全移行をアイウエア業界で初めて発表した。アイウエアの素材や生産における革新を続けているが、先駆的な挑戦を続ける理由は?

クルーガー:私たちが注力しているのは、構造や素材、外観を進化させること。長年にわたり、常に軽さ、掛け心地の良さ、正確なフィットに重点を置き、アイウエアの分野で複数の特許を取得してきた(例えば、ネジを使用しないスクリューレスヒンジシステムなど)。一方、アイウエアの99.9%は従来の方法、つまり50〜60年あるいはそれ以上前から存在する同じ技術と材料で作られていると言える。ここ何年も革新がなかっただけだ。私たちが取り組んでいることは、デザインや革新により深く結びついている。型破りではあるが、その革新と通して常に目指しているのは、ただ単に他と異なるものではなく、より良いものを生み出すことだ。

年内にはベルリン内で本拠地マイキータハウスを移転

WWD:過去には「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」「ヘルムート ラング(HELMUT LANG)」「モンクレール(MONCLER)」などさまざまなブランドとコラボレーションし、最近では「032C」や「モノクル(MONOCLE)」とのコラボアイウエアも手掛けている。協業が「マイキータ」にもたらす価値とは?

クルーガー:私たちは、コラボレーションのために、あらゆるデザイン要素や専門知識が詰まった「マイキータ」の実験的な“キッチン“の門戸を開くプロセスを楽しんでいる。そして、クリエイティブなデザインプロセスにパートナーを迎える時は、対話によってもたらされるユニークな視点を生かし、真に新しいものを生み出したいと考えている。これまでの15年間は、ファッション寄りのコラボレーションが多かったが、著名な韓国人画家パク・ソボ(Park Seo-Bo)との最新プロジェクトは、今後のより多様な方向性を示していると思う。

WWD:直近で新しい製品やシリーズのローンチする予定は?

クルーガー:最近発表したのは“チルド ロウ(Chilled Raw)“という“アセテート リニュー“素材の新コンセプト。従来の製造工程の常識を破ることにより、アセテートフレームのカテゴリーにおける斬新なルックと言えるような、切りっぱなしのエッジとマットな質感が際立つフレームを作り出した。切削の痕跡や不完全さを残す工程が生み出す独特なスタイルによって一つ一つのフレームが唯一無二になり、どのように作られたのかを物語っているのが特徴だ。まずは彫刻的かつボリュームのあるサングラスを発表したが、今では新しいデザイン要素の一つとして適した他のフレームに取り入れることができるようになった。ステンレススチールのフレームと、アセテートや“マイロン“のディテールを組み合わせたハイブリッドな構造は、「マイキータ」のデザインアプローチの大部分を占めているが、“チルド ロウ“はそんな象徴的なスタイルをさらに拡張する可能性を秘めている。もちろん、他にも新素材やエキサイティングなコラボレーションに取り組んでいるので、楽しみにしていてほしい。

WWD:ブランド設立から20年以上がたったが、次の20年を見据えた今後の展望は?

クルーガー:私たちにとっての大きなステップとして、年内に新しいマイキータハウスへの移転を控えている。新たなロケーションは、またベルリンの中心地。移転は、「マイキータ」の継続と未来を表している。私たちにとって「一貫性」とは変わらないことではなく革新を意味し、独自の生産体制とマイキータハウスを核に日々進化し続けることだ。過去5年間にわたり、私たちは基盤となる部分に多くの投資を行ってきた。最新の生産体制と社内プロセスを強化するために必要な時間をかけてきたことにより、再びいくつかの新たな計画に取り組む準備が整った。私たちのシステムの中で一貫性を保つことは、絶え間ないイノベーションによって成し遂げられると考えている。

The post ベルリン発アイウエア「マイキータ」創業者に聞く、枠にとらわれず進んできた20年とこれから appeared first on WWDJAPAN.

「ニナ リッチ」の最年少デザイナー 現在28歳のハリス・リードは“ドラマチックな日常着”に挑む

デザイナーのハリス・リード(Harris Reed)は2023年3月、メゾン史上最年少の27歳で「ニナ リッチ(NINA RICCI)」のクリエイティブ・ディレクターに就任した。初コレクションの披露から4シーズン目に突入しようとしている今、鳴物入りでメゾンに迎えられた新星は、何を考えて、何を目指すのか。

WWD:これまで3シーズンを披露してきたが、心境の変化は?

ハリス・リード「ニナ リッチ」クリエイティブ・ディレクター(以下、リード):就任したての頃は、短期間であらゆることをこなさなくてはならないというプレッシャーに押しつぶされそうになった。92年もの歴史があるブランドだからこそ、密な関係性の取引先がいくつもあるから。でも新たに編成したチームや、メゾンに元々携わっているチームとも良い関係性を築けていることもあり、今はとても落ち着いて自分の役割に向き合えていると思う。

WWD:印象深いシーズンは。

リード:直近の2024-25年秋冬コレクションだ。どのデザイナーからも同じことを言われたが、1シーズン目と2シーズン目は、新クリエイティブ・ディレクターがどんな人なのかを知らせる期間。ただ、その後から人々は「このブランドをどう導くのか」を期待するようになる。会社のCEO(最高経営責任者)も「ニナ リッチ」のデザインチームも、信じられないくらい私を受け入れて、自由にデザインさせてくれている。だからこそ、3シーズン目はブランドのムードを定義づけるアイテムを発表しなければという気持ちがあった。結果、着やすさやシルエットのバリエーションをさらに追求した。自分のクリエイティビティーに正直にありたいが、チームの皆をがっかりさせるようなことはしたくない。かなりストレスを感じたシーズンだった。

WWD:今や、自身のブランド「ハリス リード」と「ニナ リッチ」を両立する必要がある。

リード:以前は、「どうやって2ブランドを差別化する?」などと悩んだ時期もあったが、今は良いバランスが取れている。というのも、「ハリス リード」はロンドンを、「ニナ リッチ」はパリを拠点にする全く異なるブランドであるからこそ、互いに良い影響を与え合える。私は、ブランドによって脳みその違う部分を使い分けている感覚だ。「ハリス リード」はグラミー賞のレッドカーペットに登場するような派手なクリエイション。母校のセント・マーチン美術大学で学んだアプローチを取るから、自分でカッティングをして型紙を切って……と、そこには私の“リアル”がある。一方「ニナ リッチ」では、メゾンの歴史が育んだ高いレベルのクラフツマンシップをもとに、ニナ・リッチ自身や彼女のライフスタイルを体現し、豪華なワードローブを組み立てる。おかげでテーラリングやドレスメーキングなどについて、本当に多くのことを学んだ。洋服の構造がよくわかるようになった。

WWD:クリエイションのインスピレーションはどこにある?

リード:街を歩く女性たちだ。ファンタジーの中に生きるのと同じくらい、現実の“キャラクター”を見て、彼女たちが何を着ているのかをチェックするのが大好き。そこから、実際に着られるものを私流に解釈して作りたい。私は家族を含めて、強く生きる女性をいつも見てきたから、そこから着想を得るのは自然なこと。ニナ・リッチが成功したのは、手頃な値段で着られる既製服を手掛け、世の女性にファンタジーやおしゃれの楽しさを届けたから。彼女はとても物静かで、周りをよく観察し、女性が本当に何を着たいのかを考え続けた人だったようだ。私も彼女のストイックさを学びながら、自分の個性をミックスしてひねりを加え、現代版の「ニナ リッチ」を作ろうとしている。

WWD:あなたはとても明るくてハッピーに溢れた人だ。物静かだったというニナのクリエイションも取り入れる上で、どうバランスをとるのか。

リード:私にとってファッションは、楽しくて幸せで自己表現ができるもの。どれだけニナのアーカイブをリサーチしたとしても、“楽しさ”を盛り込まずにはいられない。例えばエレガントなボウタイブラウスを作る場合でも、金のボタンや、艶のあるサテンで遊び心を効かせたくなる。でも、私のそばには「ニナ リッチ」で長年働くスタイリストやデザインチームがいるから、いつも「これはニナらしいか?」を確認してもらえる。時には大きなドレスや派手なアイテムを作るが、一歩引いて、そこにブランドのDNAが入っているかを意識する。ただ、私とニナの性格は真逆だったであろう一方で、女性のリアルに注目する点は共通している。24年のミューズは誰で、どんな服が理想で、100年後の「ニナ リッチ」はどのように変化するかを常に考える。

WWD:華やかなショーピースをコマーシャルピースに落とし込む上で意識していることは。

リード:ドラマチックな表現と、日常的な着やすさの両立だ。デビューショーは、これまでの「ニナ リッチ」に自分なりのスパイスを加えるため、大きなハットや明るいカラーパレットなどを用いた。グリーンのレースジャケットとパンツは、ミニドレスに作り直して販売した。ただやはり、華やかさと着やすさのバランスはとても難しい。たくさんの人にブランドの洋服を着てほしいから、華やかさと、着やすさや手頃さを両立したアイテムを作る必要があるし、セレブリティーなどのVIP顧客も抱えているから、イベントで映えるようなアイテムも作らなければ。「ニナ リッチ」は仕立ての技術が非常に高いからこそカクテルドレスが人気。これからはウィメンズスーツをヒーロープロダクトにしたい。女性用のテーラードアイテムを改めて洗練させ、遊び心を効かせる。次のコレクションでは、見る人を驚かせるような新たな仕掛けを披露する予定だ。

WWD:どんな女性に「ニナ リッチ」を着てほしい?

リード:世界中のあらゆる女性に届けたい。18歳〜36歳くらいの女性でも、ファッションモデルのモニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)のようなアイコン的存在にも着てもらえることが理想だ。私たちもショーでは多様なモデルをキャスティングしているし、プラスサイズモデルも登場する。素晴らしいことに、社会にはインクルシービティーに共感する人がますます増えている。私の夢は「ニナ リッチ」が世代を超えて愛されるブランドになること。親から娘や息子へ、服がバトンのように渡ったらうれしい。私も祖母や母の服を借りるし、姉ともワードローブを全部シェアしているから(笑)。

The post 「ニナ リッチ」の最年少デザイナー 現在28歳のハリス・リードは“ドラマチックな日常着”に挑む appeared first on WWDJAPAN.

「日常的にドレスを着てほしい」 東京・代官山のビンテージ専門店オーナーに聞く

PROFILE: YAMAGUCHI/「ザ ヴィンテージ ドレス」オーナー

YAMAGUCHI/「ザ ヴィンテージ ドレス」オーナー
PROFILE: 香川県出身。4年制大学を卒業したのち、アパレル会社の営業職としてビジネスの基礎を学ぶ。同社に3年間勤め、イタリアに渡航。欧州のビンテージ市場に触れる。帰国後、行政の代行業や、OEM・ODMを経験し、2011年に起業。12年に1号店「ザ ブリスク」を、18年に2号店「ザ ヴィンテージ ドレス」と併設する「ナオミドレスメーカー」をオープンした PHOTO : NORIHITO SUZUKI

東京・代官山の路地裏にひっそりとたたずむ「ザ ヴィンテージ ドレス(THE VINTAGE DRESS)」。重厚な扉の奥には、ザクロの香りをまとったアンティーク調の空間が広がる。主に1920年代から90年代までのドレスを取り扱い、その全てはデザイナーズという本物志向のビンテージショップ。その熱意は「ヴァレンティノ(VALENTINO)」にも届き、同ブランドがアーカイブを集めて販売する「ヴァレンティノ ヴィンテージ」の日本会場にも選ばれた。ここでは「ザ ヴィンテージ ドレス」のYAMAGUCHIオーナーに、こだわりを貫く同店と盛り上がるビンテージ市場への思いについて聞く。

1920〜90年代の希少なドレスの数々

WWD:ビンテージドレスに引かれるようになったきっかけは?

YAMAGUCHI「ザ ヴィンテージ ドレス」オーナー(以下、YAMAGUCHI):20歳くらいのとき、ふと“本物”を見たことがないなと思ったんです。いわゆるブランド古着はありましたが、ライセンスビジネスによって作られたものばかりで。そんなとき、イタリアで「サンローラン(SAINT LAURENT)」のレザージャケットを目にする機会があったんです。服が持つオーラに圧倒されましたね。そこから、デザイナー本人が手掛けたものを提案したいと思うようになりました。

WWD:「ザ ヴィンテージ ドレス」には、他店にはない商品がそろう。

YAMAGUCHI:「ニナリッチ(NINA RICCI)」のドレス(13万8000円 ※写真1枚目)は、裾を手縫いで仕上げています。70年代に作られたものですが保存状態が良く、オートクチュールと見まごうほどです。また、「オジークラーク(OSSIE CLARK)」のドレス(34万円 ※写真2枚目)も、同じく70年代に作られたもの。柄物が多いブランドの印象ですが、ドレープ感があり、着心地も良い素材“モスクレープ”のブラック1色で仕上げています。

WWD:過去に販売したアイテムも、そうそうたるラインアップだ。

YAMAGUCHI:2018年のオープン時には、ココ・シャネル(Coco Chanel)がデザインした1960年代の「シャネル(CHANEL)」のオートクチュール(※写真1枚目)も置いていました。スモッキング刺しゅう(生地に細かくひだを作り、ひだ山を刺しゅう糸で模様を作りながら留めていく手法)によるダイヤモンド柄のステッチが特徴の1着です。88年の「アライア(ALAIA)」のドレス(※写真2枚目)も忘れられない1品です。素材やデザイン、シルエットに至るまで完璧で、時代を超える美しさを感じました。100年近く前に仕立てられたブラックドレス(※写真3枚目)も印象に残っていますね。これは、見る人を引きつける1着だと思いました。

WWD:このような商品を買い付けるのは、なかなか骨が折れそうだ。どのように買い付けている?

YAMAGUCHI:自社のバイヤーがフランスに在住しており、日々ヨーロッパ各地で買い付けを行っています。数十年前に新品として購入した個人から直接買い付けることも多いですね。思い入れのあるドレスを手放すことに積極的なわけではありませんが、当店の理念に共感いただき、協力してくれます。中には私たちが探している商品について深い造詣を持ち、リサーチしてくれるマダムもいます。このマダムは高齢になり、店に立つことをやめた方ですが、現役中に築き上げたコミュニティーを使って希少なアイテムを探してくれます。彼女にはひと月に1度会いに行きますが、毎回、想像を上回るクオリティーの商品を見つけてくれるんです。

WWD:1号店「ザ ブリスク(THE BRISK)」も同じくビンテージアイテムを取り扱っている。

YAMAGUCHI:「ザ ブリスク」はジャケットやニット、コットン素材のワンピースなど、比較的カジュアルな商品を販売しています。「ザ ヴィンテージ ドレス」同様、20年代から90年代のアイテムがメインです。もともとカテゴリー分けすることなく全商品を「ザ ブリスク」で扱っていましたが、「ザ ヴィンテージ ドレス」をオープンするにあたり、ドレスは当店で取り扱うようになりました。

WWD:近々、「ザ ブリスク」をリニューアルする。

YAMAGUCHI:8月26日から9月6日にかけて工事の予定です。カジュアルなアイテムは「ザ ブリスク」、ドレスは当店とお伝えしましたが、この改装を機に、「ザ ブリスク」でも再度ドレスを扱う予定です。“日常に取り入れるドレス”を提案したくて。内装もアップデートしますが、それもあくまで商品を引き立てるためで、むしろよりシンプルな空間になるかと。

WWD:「ザ ヴィンテージ ドレス」も空間づくりにこだわりが見える。

YAMAGUCHI:服の魅力を最大限に引き出すためには、それにふさわしい空間づくりが必要です。ベルギーのアクセル・ヴェルヴォールト(Axel Vervoordt)やアメリカのアトリエ エーエム(ATELIER AM)など、主に海外のインテリアデザイナーやデザインスタジオから学んでいます。

サイズを理由にビンテージドレスを諦めてほしくない

WWD:併設する「ナオミドレスメーカー(NAOMIDRESSMAKERS)」についても教えてほしい。

YAMAGUCHI:「ナオミドレスメーカー」は、瀧澤尚美さんによる直し工房です。店舗の1階にあります。オープンにあたり「ザ ヴィンテージ ドレス」には、直し工房が必要だと考えていました。ビンテージドレスは1点物なので、お客さまがサイズを理由に諦めるということをなくしたかったんです。ドレスのリサイズ(4600円 ※写真1枚目)のほか、持ち込みでも服の直しを受け付けています。

瀧澤:2001年に文化服装学院アパレル技術科を卒業したあと、4年間PR会社に勤めました。そこで見た大量生産・大量消費の現実に疑問を抱いたこと、そしてその頃から副業としてお直しをしており、多くの喜びの声を頂いたことから、本格的にこの道に進むことを決めました。個人でお直しやオーダー製作を何年か経験し、「ザ ヴィンテージ ドレス」がオープンするタイミングで声を掛けていただき、「ナオミドレスメーカー」を立ち上げました。主にドレスのシルエット直しをしていますが、ビジュー(装飾)の補修(1つ300円 ※写真2枚目)やジーンズの裾上げなど、幅広いリクエストに対応可能です。

また、服のリフォームと並行して、ドレスを中心としたオリジナルブランド「ムジーク(MOUJIK)」のオーダーも受け付けています。「ムジーク」はお客さまと相談しながら、長く着られる1着を作るブランドです。採寸から縫製まで、全ての工程を私1人が行います。オーダー式のため在庫を抱えず、無駄のない生産ができるという点で、私たちの理念を示す取り組みと言えます。

WWD:共感する層も多そうだ。

YAMAGUCHI:ありがたいことに。共感はもとより、品質とデザインを追求している方が多いですね。“ブランド名こそ違っても同じように見える”“服が欲しいが、買うに至るものがない”といった思いを抱える人が行き着く場として当店があると思っています。

WWD:客層および、彼女らがどのようなシーンを想定して購入しているのか知りたい。

YAMAGUCHI:当店のお客さまは30代から50代が中心ですが、中には20代も。客単価は5万〜10万円ほどです。20〜30代はウエディングシーンに向けて購入する方が多く、30〜50代は舞台やコンサートを見に行くときのドレス、また登壇する際などの仕事着としてのドレスを探している方が多いです。

もちろん、日常的にドレスを着ている人もいます。日本語ではオケージョナルなシーンで着用するものを“ドレス”、比較的カジュアルなものを“ワンピース”と区別していますが、海外ではそのようなセグメントはなく、“ドレス”という言葉があるのみです。私たちも、特別なシチュエーションだけでなく、日常にドレスを取り入れる楽しさや高揚感を伝えていけたらと思います。

「ヴァレンティノ」のイベント会場に選出

WWD:22年には、世界4都市で開催された「ヴァレンティノ ヴィンテージ」の東京会場に選ばれた。

YAMAGUCHI:そもそも「ヴァレンティノ」に知ってもらえたことが光栄でしたし、当店の取り組みを理解してオファーいただけたことがうれしかったです。イベントでは、“この服を作るのに、どれだけの時間がかかったのだろう?”と感じる、職人技やディテールワークに目がいく展示ができたと思います。一度きりのイベントの予定でしたが、22年の好評を受け、23年も開催しました。

WWD:同イベントから感じたことは?

YAMAGUCHI:「ヴァレンティノ」は職人を大切にするブランドだと、あらためて感じました。職人20人が10日間かけて作ったドレスもあり、それがオートクチュールではなくプレタポルテなんです。こうした職人がいてこそのドレスだと再認識しました。世界中の職人を大切にし、今ある技術を継承できるような時代になってほしいなと強く思いました。

活況のビンテージ市場に対する複雑な思い

WWD:昨今の古着市場の盛り上がりについては、どう捉えている?

YAMAGUCHI:コロナ禍を境に、“ビンテージ”という言葉が、より商業的に使われるようになったと感じています。一方で「ザ ヴィンテージ ドレス」では供給側も需要側も“ビンテージだから”ではなく、“美しいファッションを求めていた結果”としてビンテージに魅了されています。本来“ビンテージ”はトレンドとは相入れない言葉なので、同列で使われてしまうことには違和感を覚えます。

WWD:「ザ ヴィンテージ ドレス」のコンセプトは“1着を大切に着る”だ。

YAMAGUCHI:これだけセル&バイ(販売と買い取りを行う)の古着店が多いのも日本特有です。トレンドの生成から大量生産・大量消費、そして大量処分というサイクルが“機能”しているからですが、私はこの“飽きたら捨てれば良い”という商習慣を悲しく思っています。一方で、「ザ ヴィンテージ ドレス」が追い求めている時代性のある商材は、欧州でも見つけづらくなっています。親子2代、3代にわたって手放すことなく1着を大事にしている人が多く、セル&バイのサイクルから離れていることの表れですね。

WWD:商材が見つけにくくなっている中、今後のラインアップに変化はある?

YAMAGUCHI:私たちが美しいと感じるのは、大量生産が当たり前になる以前に作られた服です。今着ている服がビンテージとして扱われるほど時代が流れようと、私たちのビンテージ観は変わらないつもりです。「ファッションは色あせるが、スタイルは永遠」という、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)の言葉があります。当店の根底にある言葉でもあります。お客さまが美しいドレスに身を包み、日常に彩りを加える。そんな商品を提供できるビンテージショップでありたいですね。

The post 「日常的にドレスを着てほしい」 東京・代官山のビンテージ専門店オーナーに聞く appeared first on WWDJAPAN.

知る人ぞ知るNY発の「EDIMAK PROJECT」とは? 発起人に狙いを聞いた

2023年にニューヨーク(以下、NY)で立ち上げられた「エディマック プロジェクト(EDIMAK PROJECT)」。まだ日本では無名のプロジェクトにもかかわらず、8月2日に東京・原宿のセレクトショップ「グレイト(GR8)」で行われたシークレットパーティーには、斎藤工やKing Gnuの井口理、秋元梢、佐々木集(PERIMETRON)、小原綾斗(Tempalay)、長谷川忍(シソンヌ)、TaiTanなど、多くのゲストが訪れ、知る人ぞ知る存在として、SNSでも話題となった。今回、NYから来日した同プロジェクトの発起人に匿名であることを条件にインタビューが実現した。「エディマック プロジェクト」の狙いは何なのか。話を聞いた。

「エディマック プロジェクト」について

WWD:「エディマック プロジェクト」を始めた理由は?

「エディマック プロジェクト」発起人(以下、発起人):構想3年、実際に動き始めたのは2023年の年初ぐらいから。もともとは既存のものとは異なる方法で、社会課題に対するアプローチができないかと模索していて、「人が欲望をかなえていくその過程に、社会課題にアクセスできる扉を設置する」という方法を思いついた。その方法を実現するのに、まず浮かんだのが「ファッション」だった。そこから「純粋にファッションを楽しもうとする人間が、気付かぬうちに善きことをしている、という状態はどうすれば実現できるか」を考えて実現したのが、第1弾の「ハイパーストリートスナップ(HYPER STREET SNAP)」コレクションだ。

WWD:なぜ「ファッション」だったのか?

発起人:1つ目はファッションが極めて身近で、人の「かっこよくなりたい」「かわいくなりたい」という欲求に応えるものだから。2つ目は、「ファッションの価値」に興味があったから。同じTシャツでも、ハイブランドとファストファッション系のブランドだと10倍以上価格が違うこともある。その服の本当の価値はどれほどのものなのか、今回のプロジェクトを通して、皆さんに投げかけたいと思った。

WWD:かなり挑戦的だ。

発起人:よく日本では「音楽に政治を持ち込むな」みたいな言説が飛び交うらしいが、それは順番が逆。音楽のルーツをひもとけば、間違いなく政治的なバックグラウンドにたどり着くし、楽器の製造工程や生産地、音源のディストリビューションなど、全ての要素が政治的な意味を帯びている。それはファッションも同じことで、生産国や関わる労働者の待遇など、どういった工程で作られているのか、それを含めて政治的であることからは逃れられない。僕らは政治的であることを最初から意識している。試み自体が政治的であることはもちろん、「ハイパーストリートスナップ」コレクションでは、制作工程にも多層的な意味を与えている。

「ハイパーストリートスナップ」コレクション

WWD:リリースの情報では、「『ハイパーストリートスナップ』コレクションは、プロジェクト発祥地であるNYで、誰よりもストリートを知る者たちによって撮影されたスナップを用いたTシャツを販売。その制作過程は現段階で公表されていないが、プロジェクトの内情を知る者は写真の意味を理解できる」とあるが、この写真は誰が撮影したのか?

発起人:詳しいことは言えないが、今回依頼した写真家たちは、NYのリアルなストリートをよく知る人物たちで、彼らが撮影した写真には間違いなくリアルなNYのストリートが写し出されている。その写真で評価してほしい。今回、第1弾として3人の写真家のプリントTシャツを発売したが、ほかの写真家に依頼したものもあるので、今後も「ハイパーストリートスナップ」コレクションは発売する予定だ(※現在「ゾゾヴィラ」で第1弾を9月2日11時59分まで受注販売中)。

WWD:秘匿性にこだわるのはなぜか?

発起人:先ほども伝えたが「人が欲望をかなえていくその過程に、社会課題にアクセスできる扉を設置する」というのがプロジェクトの狙い。なので、詳しい説明はせずに、「エディマック プロジェクト」がどこまで受け入れられるのか。ある種の社会実験でもあるからだ。

WWD:本プロジェクトは、「固定した経済システムの中に、社会課題へのゲートを忍ばせる義賊的社会運動体」とリリースでは説明されていたが、もう少し分かりやすく言うと?

発起人:生産、供給、消費という既存の経済システムに、「エディマック プロジェクト」の活動が亀裂を入れて、生産、供給、消費を社会課題につなげて考えるようにするということ。

WWD:今後、プロジェクトの全容を話す可能性は?

発起人:まったく考えていない。

WWD:ロゴの意味は?

発起人:視点、視線をイメージしている。プロジェクトを通して、視線の転換や置換は一貫して大きなテーマになっている。ロゴでも、「A」の部分が目になっていて、そこからいろいろな角度の視線でものごとを見ることを表現している。

WWD:Tシャツとは別に、第2弾のプロジェクトもすでに動いているのか。

発起人:「ファッション」と同じく、人の欲求に応えるのと、社会課題という意味で、「食」に可能性は感じている。

PHOTOS:HIRONORI SAKUNAGA

The post 知る人ぞ知るNY発の「EDIMAK PROJECT」とは? 発起人に狙いを聞いた appeared first on WWDJAPAN.

エミー賞最多ノミネート「SHOGUN 将軍」衣装制作秘話 作品を通じて深まる日本のファッション文化への理解とリスペクト

日本時間9月16日に開催予定のプライムタイム・エミー賞授賞式。今回の授賞式の見どころは、25部門にノミネートされた「SHOGUN 将軍」だろう。真田広之が主演、プロデュースを務め、「ハリウッドが手がけた戦国映画」と話題の本作品は、配信開始から6日間で900万回視聴を記録した大ヒットをおさめ、すでにシーズン2、3の制作も予定されているという。現在公開されているシーズン
1では、戦国時代の歴史をオマージュしたストーリーや豪華出演陣による情緒的な演技、そして繊細かつ大胆に仕立てられた日本式の衣装にも注目が集まった。

当時の文化や登場人物の立場、心情を表現した2000以上もの衣装作りの指揮を取り、エミー賞でも“衣装デザイン賞”にノミネートされたのは、かつて「ディオール オム(DIOR HOMME)」で経験を積んだフランス人デザイナーのカルロス・ロザリオ(Carlos Rosario)が率いるデザイナーチーム。授賞式まで1カ月を切った今、日本の伝統に自身のエッセンスを融合した超大作の衣装制作ストーリーをカルロス本人が明かした。

PROFILE: カルロス・ロザリオ/デザイナー

カルロス・ロザリオ/デザイナー
PROFILE: PROFILE:フランス・ペルピニャン出身。エスモード パリでファッションを学び、在学時にはヴィヴィアン・ウエストウッドら著名デザイナーとの仕事を経験。卒業後は「ディオール オム」のアシスタント・デザイナーに抜擢され“Cent ans de cinéma”コレクションの制作に携わる。その後拠点をハリウッドに移し、衣装デザイナーとしてのキャリアをスタート。映画「ドント・ブリーズ」「蜘蛛巣城」「エイリアン:ロムルス」など、幅広いプロジェクトに携わる PHOTO:KATIE YU/FX

エスモード パリ、「ディオール オム」の経験を経て
映画衣装のデザイナーに

WWD:ファッションデザイナーを志したきっかけや、思い出に残るエピソードは?

カルロス・ロザリオ(以下、カルロス):子供の頃からいつも、パリのオートクチュール・ファッションショーの美しさに魅了されていた。特に圧倒されたのはジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)のショーだ。その経験が、「あの独特の美しさとは一体何なのか」を理解する必要性を引き起こしたのだと思う。美しいランウエイを見たことが、その後の私の人生を決定づけた。

私のキャリアの中には、本当に衝撃を受けた瞬間がたくさんある。「ディオール オム」で働いていた20代前半の頃、オートクチュールの特別なドレスを保管する倉庫に1人取り残されたことがある。突然電気が消えた瞬間、きらめくドレスに見とれた私はその場に立ち尽くしてしまった。あの瞬間ほどシュールなものは、私の人生にないだろう。

ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)とリース・ウィザースプーン(Reese Witherspoon)と映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」を撮影したときの特別な瞬間も覚えている。あの2人の演技のケミストリーは魔法のようで、映画製作が大好きになった。

オファーから撮影まで
「SHOGUN 将軍」衣装の制作秘話

WWD:「SHOGUN 将軍」の衣装制作のオファーが来た時のエピソードが知りたい。日本の歴史を表現する作品の衣装を手掛けることに不安はあったか?

カルロス:2021年の初めに、リード・プロデューサーの一人であるエドワード・L・マクドネル(Edward L. McDonnell)から連絡を受けた。彼とは昔、ジョージ・クルーニー(George Clooney)主演の「スリー・キングス」という映画で一緒に仕事をしたことがある。その時から私達はいつも「また一緒に仕事をしよう」と連絡を取り合っていたが、なかなかその機会は巡って来なかった。そしてついに「SHOGUN 将軍」で、その想いが実ったのだ。

マクドネルの紹介で、脚本家のジャスティン・マークス(Justin Marks)と話し、最初の脚本を読んだ時にそのストーリーと当時の日本文化の豊かさに惚れ込んだ。すぐにリサーチを始め、マークスに見せるために125枚以上の衣装イメージボードを作成した。3回の面接の後、ついに今回の衣装を任せてくれることになったのだ。

衣装のデザインを任されることは有り難くもあり、とても緊張することでもある。マークスは「本物であることが非常に重要だ」といつも口にしていた。当時の衣服を理解するため、可能な限り調べ、勉強した。日本文化を尊重し、適切に描写すると同時に、欧米の人々も理解できる形で表現する方法を導き出すことが私の課題だった。

WWD:衣装チームは何人で構成されたのか?

カルロス:「SHOGUN 将軍」は全エピソードが本格的な映画のようにデザインされる、とてつもないスケールのシリーズだった。テレビシリーズでこの規模のスタッフをそろえるのは非常に珍しいことだと思う。

これを実現するためには、膨大な量の組織とスタッフが必要だ。撮影地であるバンクーバーのスタッフに加え、アジア各地の製造会社と綿密に連携し、何千もの衣装を作った。毎エピソード、衣装チームは約85〜125人で構成され、シリーズを通して何百ものフィッティングを行った。甲冑を1つ着せるだけでも毎回2人がかりだ。だから主役に着せるスタッフの他、村人や侍など何百人ものフィッターのクルーが毎日撮影現場にいて、撮影に間に合うよう準備を整えていた。この時代の衣服の着付けに精通した、非常に才能のある日本人ドレッサーと出会えたことも幸運だった。

撮影現場には常に、そのエピソードの主演俳優やバックの出演者の衣装が詰まった大きなトレーラーが4台あった。しかし、それらはあくまで表面上のことにすぎない。スタジオに戻ると、巨大な倉庫は「デザイン・打ち合わせエリア」「型紙や裁断、取り付け、縫製のための作業エリア」「テキスタイルアーティストや染色師のための作業エリア」「侍の軍隊や農村の衣装や備品を全て収納するエリア」に仕切られている。さらに生地や糸、アクセサリーが色ごとに分類された棚が何段も重なり、次に撮影するシーンに備えて衣装を保管する準備室もあった。

WWD:黒澤明監督の娘であり、衣装デザイナーの黒澤和子にアドバイスを求めたと聞いた。

カルロス:和子には、日本人プロデューサーの宮川絵理子を通じて知り合った。和子はZoomでの短い会話の中で、このプロジェクトでどのように衣装をデザインすべきか、多くの指針を与えてくれた。大名が網代や小さな村に行く時の衣装を作るにあたり、「大名は自分の権力や富を見せびらかしたい。そういう時に大名は村に行くのだ」と教えてくれたことで、大名が鎧や軍服の上に着る美しい陣羽織に工夫を凝らした。

また、あらゆる状況、あらゆる場所、あらゆるセットで、異なるタイプの衣装が必要なことも明らかになった。その結果、各出演者はシーンに合うよう完全にカスタマイズされた服の“クローゼット”を持つことになった。

日本の伝統文化に自分らしさを融合した
2000以上ものコスチューム

WWD:制作した衣装の中で、最も思い入れの深い衣装は?

カルロス:網代の茶屋の花魁達の衣装だ。私は茶屋を“泡”のように感じさせたかった――村の暗闇の中にあるファンタジーのように。花魁達は自由を象徴し、夢を売っている。まるで飛び立ってしまうように儚い彼女達が着ている着物は、花や鳥のモチーフにあふれ、色と模様の爆発のようにも感じる。向里祐香が演じた一流の遊女“菊”の衣装デザインで、この情緒を表現したかった。

また、二階堂ふみが演じた“落葉の方”の衣装も大好きだ。第2話の序盤、彼女の打掛は、“落葉の方”のインスピレーション源となった豊臣秀吉の側室“淀君”の絵がベースになっている。リードテキスタイルアーティストによって、50種類にも及ぶ屏風が1つ1つ手描きされているのにも注目してもらいたい。

浅野忠信演じる“藪重”の鎧と陣羽織もお気に入りだ。“藪重”は他の大名とはちょっと違う。もっとエッジが効いていて、頑固で、少しロックスターのような印象を受けた。彼の陣羽織をもっとクリエイティブにするために、黒く尖ったカラスの羽を取り入れ、役のアティテュードを引き出した。“藪茂”の雰囲気に合わせ、彼の鎧には龍が彫刻された見事な革細工が施されている。

もちろん、主演の真田広之が演じた“虎長”の陣羽織をデザインするのもとても楽しかった。20種類以上の生地と縁取りを使い、紋章もペイントした。ある陣羽織は、何百枚もの孔雀の羽を手作業で下地の布に貼り付け、また別の陣羽織は、手作業でカットした革や木の小片を何十枚も組み合わせ、さまざまな色に染めた紐でくくりつけたりもした。役者が衣装から自分の役を感じられるよう、細部までこだわり抜いた。

WWD:今回衣装を手掛けるにあたり、どのように日本の伝統衣装に「自分らしさ」を融合したのか?

カルロス:コスチュームデザイナーとしての私の仕事は、戦国時代のあらゆる側面を研究して理解し、融合すること、そして衣装を通じて登場人物の物語を伝えること。そのためには、観客が登場人物を理解できるように、特殊なカラーパレットや素材、人物の感情の構築をデザインに取り入れる必要がある。このプロジェクトに対する概念的なアプローチと、登場人物を深く理解することが、私独自の美学で自分自身を表現することにつながったと捉えている。

日本のファッション文化から受けた影響と次なるステージ

WWD:作品を通じて、日本のファッション文化からどのような影響を受けたか?

カルロス:これまでもずっと日本文化に魅了されてきたため、私の人生の中には“日本への憧れ”が長く存在している。「SHOGUN 将軍」の撮影を通して、私の中にあった日本の美学に対するリスペクトと愛は確実に深まり、私の視野を多くの新しい可能性へと広げてくれたと思う。

これまでの私は、広い視野でデザインをするという意味でとても概念的なデザイナーだったと思う。しかし信じられないほど才能があり、知識も豊富な日本人キャストと一緒に仕事をすることができたこの作品では、これまであまり気に留めなかったディティールにまで集中することができた。

日本人デザイナーと言えば、私はずっと三宅一生の作品に魅了されていた。90年代初頭にパリにいた時、「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」のファッションショーで、フィッターとして雇われたことを思い出す。彼の服の美しさに圧倒されたのを今でも鮮明に覚えている。色彩、生地、建築的なフォルムーー彼はいつも、部屋に入った瞬間に目を奪われるような服を作っていた。昨今、彼ほどファッション界に大きなインパクトを与えた人はいないだろう。

WWD:華々しいキャリアを経て、今後目指すのは?

カルロス:今は「SHOGUN 将軍」シーズン2のために、再び仕事ができることを夢見ている。とても名誉があるクリエイティブなプロジェクトに戻り、日本の文化や衣服の美しさについて学び続けることができたら、それほど光栄なことはないだろう。

The post エミー賞最多ノミネート「SHOGUN 将軍」衣装制作秘話 作品を通じて深まる日本のファッション文化への理解とリスペクト appeared first on WWDJAPAN.

インフルエンサーの“出店したい”を刺激するフリマサービス「ピックユー」 25歳の2人の創業者に聞く

PROFILE: 左:河合航大/ピックユー取締役 右:冨田理央/ピックユー社長

左:河合航大/ピックユー取締役 右:冨田理央/ピックユー社長
PROFILE: 左:(かわい・こうた)1998年6月9日生まれ、大阪府出身。2020年3月に文化服装学院を卒業。在学時からサステナビリティをテーマに椅子を制作するなどアーティスト活動を開始。22年2月から共同でピックユーを立ち上げ、現職。主にクリエイティビティ面を担う 右:(とみた・りお)1998年11月18日生まれ、神奈川県出身。2022年3月に大学を卒業。卒業直前の22月2月にピックユーを立ち上げ、現職。主に経営面を担う
芸能人よりもインフルエンサーが着ている服の方が気になるし着たい。そんなSNSと共に成長してきた世代ならではの感覚を落とし込み、注目を集めるフリマサービスが「ピックユー」だ。出品者は全員インフルエンサーで、ユーザーは彼らの古着を購入できる。2022年11月にサービスを本格始動してからわずか2年弱だが、インスタグラムのフォロワー数は13.7万人まで増加している。急速にサービスの認知とユーザーを拡大する「ピックユー」を立ち上げたのは現在25歳と26歳で高校の同級生でもある2人。彼らがサービスを始めた狙いやユーザー獲得の秘訣を聞いた。

WWD:インフルエンサーを対象としたフリマサービスはありそうでなかった。どのように着想した?

冨田理央社長(以下、冨田):僕は大学時代に洋服をたくさん購入していました。でも、結局長く愛用していた服は憧れの人からもらったお下がりや、河合が作ったアイテムなどでした。「この人が着ていた」といった付加価値を含めて洋服を着るのが好きだったのです。

当時、インフルエンサーが個人開催する対面フリマを利用したこともありました。しかし、梱包が雑だったり正直あまりいい体験ではありませんでした。それでも、周囲にインフルエンサーの友人がいたので、開催準備や梱包といった全ての作業を個人が担う難しさも理解できた。出品者の苦労と購入者の不満足感の両方を解消するサービスを提供すれば、ユーザーを獲得できるのではと思いました。

WWD:「ピックユー」はどういうサービスか?

冨田:インフルエンサーが着ていた服を購入できるC2Cマーケットプレイスです。いわゆるフリマサービスは、インターネット上に取引のプラットフォームを作り、出品者が出品作業や配送などを担っていますが、「ピックユー」では僕らが全ての取引に関与しています。まず、出品者であるインフルエンサーは僕らの物流センターに古着を送ります。それらの商品の情報確認、採寸、画像の撮影、コンディションチェックを僕らが請け負います。出品者は商品の説明文、スタイリング写真、着用写真を登録して、出品完了。購入が成立し次第、僕らが手数料を頂き、出品者に売上金を支払うモデルを採っています。購入者は商品写真を統一規格で閲覧できるし、一括してカゴに入れて購入できるため出品者ごとに決済をする必要がありません。

裏側を全て引き受けているため、インフルエンサー側の出品体験も購入者側の購入体験も良い。だから両方のユーザーの獲得につながっています。

WWD:なぜ、商品の説明文といった工程は出品者に任せる形を採用したのか?

冨田:出品者個人の個性や魅力が出るところであり、僕らに委ねたくないこだわりの部分でもあるからです。インフルエンサーの服を買うというサービスの仕組み上、出品者である彼らが表に立つことは必須。そこは購入のフックとして残す必要があると考えました。

WWD:どういった商品が売れる傾向にあるか。

冨田:フォロワー500人の人でも売り上げを立てている事例もあり、フォロワー数と売り上げが相関しないのが僕らのサービスの面白い点だと思っています。売れる商品は商品自体にバリューがある場合もありますが、「ピックユー」のプラットフォーム上にあるから売れるという側面もあります。出品者に関係なく全ての商品を一括で決済できる仕組みによる満足感や、全アイテムを統一規格で採寸して商品画像を掲載していることの信頼感により、場としての魅力が高まっていることで商品が売れやすくなっています。

フリマをかっこいいと思っていなかった

WWD:そもそも、2人が共同で会社を立ち上げるに至った経緯は?

冨田:大学在学中にこのビジネスモデルを思い付き、大学3年の終わり頃には1人で実験的にサービスを始めていました。ビジネスモデル自体には自信がありましたが、僕らはファッションのサービスなのでビジネスの側面と同じくらいユーザーからどれだけイケてると思われるかが重要です。そこが河合とならできると思いました。

河合航大取締役(以下、河合):僕は文化服装学院出身で、周囲にファッション業界の人が多い環境にいました。僕を含めて彼らはフリマをかっこいいとは捉えていませんでした。特に、インフルエンサーがフリマをやることに対してネガティブなイメージを持っている人が多いと感じていました。そこの価値観を逆転できたらうまくいくのではと思いました。

WWD:確かにインフルエンサーが鍵垢や別アカウントで自分の古着を売る動きは一時期頻繁に見られた。

冨田:いろいろ事情や考えがあるんだと思います。ですが、フォロワーを使っていらなくなったものをお金に変えるという行為自体がイケているものではないので、ダサいと思われたくないという面もあったと思うんです。出品者側も洋服を売りたいし、ファンである消費者としても買いたいという需要があるのに、オープンに運営しづらい状況がありました。今は、「ピックユー」でインフルエンサーが実名で堂々とフリマをやっています。これは「ピックユー」のイノベーションだと自負しています。

WWD:インフルエンサーはなぜ「ピックユー」であれば出店したいという気持ちになるのか。

河合:ファッションを理解している僕らだからこそ、「ピックユー」で出店することが“イケている”というムードをつくることができたと思います。「ピックユー」で出品、購入することがイケているというムードを醸成するためには、そもそも「ピックユー」のプラットフォーム自体がイケているという認知を広める必要がある。その役割をSNSが担うという道筋を最初から設計していました。

動画「今日なに着てる?」でファッションの熱量を上げる

WWD:すでにフォロワー数はインスタグラムが13.7万人、tiktokが8.8万人に達している。

河合:基本的に僕らのサービスはSNSからユーザーが入ってきています。SNS運用で広告宣伝費を使わずにサービスの認知を拡大できました。また、商品を買い取っているわけではないので出品者がインスタグラムのストーリーズなどで自発的に宣伝をしてくれることも経営上のメリットです。

WWD:インスタグラムのリール動画「今日なに着てる?」インタビューの総再生回数は1.2億回を超えている。このコンテンツを始めようと思ったきっかけは?

河合:ファッションに対するみんなの熱量を上げないと服が売れていかないと思ったからです。僕自身も服が好きで、学生時代は当時のストリートスナップに影響を受けていました。スナップがあるからみんなファッションを頑張るし、オシャレして外出しようと思う。近年はその文化が衰退していって、アルゴリズム的にもフィードのトップにストリートスナップが上がらなくなってきていました。そんな中で再燃できたら、みんなのファッションの熱量が上がって業界にもプラスだと考えて始めました。

最初がバズれば、他の媒体も続いてどんどんはやる。多くの人がファッションを目にする機会が増えて、服をおしゃれにしてみようかなという気持ちが湧く。このサイクルをつくりたいと考えたんです。

WWD:「今日なに着てる?」の出演者は全員出品者?

河合:出品者もいますし、これから出品する人もいます。アポイントを取って撮影することもあれば、歩いているときにハントすることもあります。そこは特に決めていません。ですが、ファッションの系統はオールジャンルを扱うことを意識しています。フォロワー数も気にせずにオファーをしています。狙っているのは、誰でも出られるわけではないが、全員が自分も頑張ったら出られるかもしれないと思えるライン。そこを見せることが、みんなが楽しみたいというファッション欲につながると思います。
メディアならばニッチな狭い層に刺さるものを選ぶという手段もあると思いますが、僕らはあくまでフリマサービス。利用者は多ければ多いほどいいんです。そうなると、全員に共通して可能性を見せる必要があります。

WWD:ジャンルを問わずに取り上げるとイケているムードとは離れて、大衆に寄りすぎてしまう気がする。そこはどうコントロールしている?

冨田:リールは可能性を絞らずに出演してもらっています。ですが、フィード投稿は河合がディレクションして「ピックユー」の世界観をダイレクトに作っています。リールはさまざまな人が出演する、フィードは自分たちのサービスの世界観を魅せる、ストーリーズはアイテムの情報を出すなど、SNSツールの機能で使い分けています。

WWD:利用者の幅は広げつつも、インフルエンサーが出店したくなるようなイケてるツールという絶妙なバランスを保っている。

河合:文化服装学院に通っているときに思ったんです。みんな好きなものを作るしやりたいブランドがある。でもやっぱりうまくいかないし、そもそも見てもらえないということも多かった。どうしてだろうと考えたときに、何をやるかだけでなく、それをどう見せていくかが重要だと思いました。だから、ファッションに興味のない人にも届けるために、「今日、何着ていますか?」などの文脈に載せたアプローチをしています。

WWD:再生回数や閲覧数の増加など、アカウントの影響力も高まっている。PRとしての仕事依頼も来そうだ。

河合:リール動画に出演したインフルエンサーのフォロワーが3000人増えるという事例もありましたし、すでにいくつかのブランドからPR依頼を頂きました。2次流通のサービスが1次流通の会社やブランドから案件を頂くことはまれなケースだと捉えています。

WWD:今後どう成長していきたいか。

冨田:SNSを中心としたマーケティングなので結果として20代を獲得していますが、このスキームは年代問わずに需要があると考えています。直近は、双方のユーザー体験の向上に注力していきたいです。現状では、こちらが担う作業の部分にコストがかかっているので、倉庫の自動化、オペレーションのデジタル化を進めていきたいです。

The post インフルエンサーの“出店したい”を刺激するフリマサービス「ピックユー」 25歳の2人の創業者に聞く appeared first on WWDJAPAN.

「エラケイ」の美人調香師ソニア・コンスタンが目指す魂の浄化 香りを通してスピリチュアルな体験を

PROFILE: ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者

ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者
PROFILE: フランス・パリ生まれ。1999年イシプカ香水専門学校で学び、2001〜4年、ジボダン香水スクールに在籍。ベルサイユ大学で演劇コースを学ぶ。ジボダンでマスターパフューマーとして活躍。17年から現職 PHOTO :TSUKASA NAKAGAWA

フランス発フレグランス「エラケイ(ELLA K)」の新作“オーキッドK”が8月21日、登場する。同ブランドは、香料企業ジボダンのマスターパフューマーで200以上のフレグランスの調香を手がけた調香師ソニア・コンスタンが2017年にスタート。彼女が旅した世界中の場所を表現したフレグランスを提案している。ブランド名は、スイス人の女性冒険家のエラ・マイヤールと祖父の苗字を組み合わせたもの。新作“オーキッド K”はイタリア・コモ湖のブルー、そして光と影が織りなす風景を香りで表現した。コモの庭に咲くブラックバニラオーキッドなどの花々や古い教会から漂うお香の香りを陰影のコントラストで描いている。新作発表のために来日したコンスタン。仏女性誌「マダム フィガロ(MADAME FIGARO)」の女性調香師トップ5に選ばれた彼女に、ライフスタイルや仕事と母親業の両立、人生におけるモットーなどについてきた。

香りを通して伝える人生の経験、そして魂の浄化

WWD:どのような子ども時代を過ごしたか?

ソニア・コンスタン「エラケイ」創業者(以下、コンスタン):引っ込み思案で社交的ではなかった。好きだったことは、クラシックバレエやダンス、ピアノ。ものを作ることに興味があり、常に何か作りたいと思っていた。

WWD:調香師になっていなかったら、何になっていたか?

コンスタン:魂を救うような仕事。占星術をはじめ、スピリチュアルなことや哲学が好きだから、世界から発信されるいろいろなメッセージを理解して人々の魂を救うような仕事がしたいと思っている。人には魂があり、人生には苦難がある。その苦難の中で、必然的な出会いや経験を通して魂が浄化されることが大切だと考える。調香師として、香りを通して、人生における学びや経験を伝えたいと思う。例えば、“カメリアK”のテーマは狂おしい愛を表現しているけど、“ムスクK”は真っ白で無垢な状態を表している。新作の“オーキッドK”は同じ愛でも、光と影のある愛の表現。今までの人生で得てきたことの表現であると同時に、未来を多くの人と香りを通して共有したいという思いもある。

WWD:自分のシグニチャーの香りは?

コンスタン:“カメリアK”を着けることが多く、自分の一部のような香り。

ライフスタイルはスポーツや食事を重視

WWD:自身のファッションスタイルは?

コンスタン:決まったスタイルはない。ある日はロックンロール、ある日は違う装いというように色々なファッションのスタイルがある。ただ、下品にはならないようにしている。

WWD:ビューティルーティンは?

コンスタン:以前はよく来日していたから、資生堂の「クレ・ド・ポー(CLE D E PEAU)」を使っていたけど、コロナになって来日できなくなって勧められた「ラ・プレリー(LA PRAIRIE)」のプラチナムラインを使っている。スキンケアには気を使っていて、年に数回サロンで、肌の再生を助けるマイクロニードルやピーリングを受ける。メイクは、ファンデーションは使わない。目を重点的にして、リップはナチュラルに仕上げる。

WWD:ライフスタイルにおけるこだわりは?

コンスタン:スポーツと食事。忙しくてあまり時間が取れないので、ジムで効率よく短時間で筋肉トレーニングやヨガをしたり、ジョギングしたりする。食事は、野菜や果物をたくさん食べるようにしている。寿司やお刺身など生物も好き。フライドポテトなどの揚げ物は食べない。

WWD:好きな週末やバカンスの過ごし方は?旅がテーマのフレグランスを手がけているが、世界中で好きな場所は?

コンスタン:旅行中に香水を作るし、読書をしたり、写真を撮ったりして過ごす。好きな作家は、ユダヤ人作家のアルベール・コーエン(Albert Cohen)。世界中で最も印象的だと思ったのはインドだ。インドに行くと、必然的に自分に変化が訪れる。ラジャスタンのプシカという小さな村に巡礼に行き、自分の魂が生まれ変わる場所だと感じた。それを香水で表現したのが“プシカの手紙”。

人生のモットーは物事の良い面を見ること

WWD:女性、母親として大切にしていることは?

コンスタン:「エラケイ」の経営者としての仕事、ジボダンの社員としての仕事があり、2人息子がいるから、仕事と子育ての両立は本当に大変。息子2人は17歳と14歳で、思春期の真っ只中。だから、彼らとは、打ち明け話をするなど、できるだけコミュニケーションを取ることが大切。なかなか自由になる時間がないけど、できるだけ自分の大切な友達や親しい人と過ごしたいと思っている。

WWD:人生おけるモットーは?

コンスタン:何が起こっても、どのような状況でも、物事の良い面を見ること。コップに半分しか水がないと思うか。まだ、半分水があると思うかの違い。

WWD:新たにチャレンジしたいことは?

コンスタン:興味のある占星術やスピリチュアルな世界を勉強したい。

The post 「エラケイ」の美人調香師ソニア・コンスタンが目指す魂の浄化 香りを通してスピリチュアルな体験を appeared first on WWDJAPAN.

「エラケイ」の美人調香師ソニア・コンスタンが目指す魂の浄化 香りを通してスピリチュアルな体験を

PROFILE: ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者

ソニア・コンスタン/「エラケイ」創業者
PROFILE: フランス・パリ生まれ。1999年イシプカ香水専門学校で学び、2001〜4年、ジボダン香水スクールに在籍。ベルサイユ大学で演劇コースを学ぶ。ジボダンでマスターパフューマーとして活躍。17年から現職 PHOTO :TSUKASA NAKAGAWA

フランス発フレグランス「エラケイ(ELLA K)」の新作“オーキッドK”が8月21日、登場する。同ブランドは、香料企業ジボダンのマスターパフューマーで200以上のフレグランスの調香を手がけた調香師ソニア・コンスタンが2017年にスタート。彼女が旅した世界中の場所を表現したフレグランスを提案している。ブランド名は、スイス人の女性冒険家のエラ・マイヤールと祖父の苗字を組み合わせたもの。新作“オーキッド K”はイタリア・コモ湖のブルー、そして光と影が織りなす風景を香りで表現した。コモの庭に咲くブラックバニラオーキッドなどの花々や古い教会から漂うお香の香りを陰影のコントラストで描いている。新作発表のために来日したコンスタン。仏女性誌「マダム フィガロ(MADAME FIGARO)」の女性調香師トップ5に選ばれた彼女に、ライフスタイルや仕事と母親業の両立、人生におけるモットーなどについてきた。

香りを通して伝える人生の経験、そして魂の浄化

WWD:どのような子ども時代を過ごしたか?

ソニア・コンスタン「エラケイ」創業者(以下、コンスタン):引っ込み思案で社交的ではなかった。好きだったことは、クラシックバレエやダンス、ピアノ。ものを作ることに興味があり、常に何か作りたいと思っていた。

WWD:調香師になっていなかったら、何になっていたか?

コンスタン:魂を救うような仕事。占星術をはじめ、スピリチュアルなことや哲学が好きだから、世界から発信されるいろいろなメッセージを理解して人々の魂を救うような仕事がしたいと思っている。人には魂があり、人生には苦難がある。その苦難の中で、必然的な出会いや経験を通して魂が浄化されることが大切だと考える。調香師として、香りを通して、人生における学びや経験を伝えたいと思う。例えば、“カメリアK”のテーマは狂おしい愛を表現しているけど、“ムスクK”は真っ白で無垢な状態を表している。新作の“オーキッドK”は同じ愛でも、光と影のある愛の表現。今までの人生で得てきたことの表現であると同時に、未来を多くの人と香りを通して共有したいという思いもある。

WWD:自分のシグニチャーの香りは?

コンスタン:“カメリアK”を着けることが多く、自分の一部のような香り。

ライフスタイルはスポーツや食事を重視

WWD:自身のファッションスタイルは?

コンスタン:決まったスタイルはない。ある日はロックンロール、ある日は違う装いというように色々なファッションのスタイルがある。ただ、下品にはならないようにしている。

WWD:ビューティルーティンは?

コンスタン:以前はよく来日していたから、資生堂の「クレ・ド・ポー(CLE D E PEAU)」を使っていたけど、コロナになって来日できなくなって勧められた「ラ・プレリー(LA PRAIRIE)」のプラチナムラインを使っている。スキンケアには気を使っていて、年に数回サロンで、肌の再生を助けるマイクロニードルやピーリングを受ける。メイクは、ファンデーションは使わない。目を重点的にして、リップはナチュラルに仕上げる。

WWD:ライフスタイルにおけるこだわりは?

コンスタン:スポーツと食事。忙しくてあまり時間が取れないので、ジムで効率よく短時間で筋肉トレーニングやヨガをしたり、ジョギングしたりする。食事は、野菜や果物をたくさん食べるようにしている。寿司やお刺身など生物も好き。フライドポテトなどの揚げ物は食べない。

WWD:好きな週末やバカンスの過ごし方は?旅がテーマのフレグランスを手がけているが、世界中で好きな場所は?

コンスタン:旅行中に香水を作るし、読書をしたり、写真を撮ったりして過ごす。好きな作家は、ユダヤ人作家のアルベール・コーエン(Albert Cohen)。世界中で最も印象的だと思ったのはインドだ。インドに行くと、必然的に自分に変化が訪れる。ラジャスタンのプシカという小さな村に巡礼に行き、自分の魂が生まれ変わる場所だと感じた。それを香水で表現したのが“プシカの手紙”。

人生のモットーは物事の良い面を見ること

WWD:女性、母親として大切にしていることは?

コンスタン:「エラケイ」の経営者としての仕事、ジボダンの社員としての仕事があり、2人息子がいるから、仕事と子育ての両立は本当に大変。息子2人は17歳と14歳で、思春期の真っ只中。だから、彼らとは、打ち明け話をするなど、できるだけコミュニケーションを取ることが大切。なかなか自由になる時間がないけど、できるだけ自分の大切な友達や親しい人と過ごしたいと思っている。

WWD:人生おけるモットーは?

コンスタン:何が起こっても、どのような状況でも、物事の良い面を見ること。コップに半分しか水がないと思うか。まだ、半分水があると思うかの違い。

WWD:新たにチャレンジしたいことは?

コンスタン:興味のある占星術やスピリチュアルな世界を勉強したい。

The post 「エラケイ」の美人調香師ソニア・コンスタンが目指す魂の浄化 香りを通してスピリチュアルな体験を appeared first on WWDJAPAN.

ソフィア・コッポラが化粧品ブランドと初コラボ 「愛用するリップバームで色付きが欲しかったの」

独ドクターズスキンケアブランド「アウグスティヌス バーダー(AUGUSTINUS BADER、以下AB)」が6月に日本上陸を果たし、それを機に映画監督ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)とコラボレーションした“ティントリップバーム”(全3色、各6500円)を発売した。7月に伊勢丹新宿店で開催したポップアップは想定を超える売り上げを確保するなど、好調なスタートをきっている。“ティントリップバーム”を手掛けたソフィア・コッポラに普段のスキンケアやコラボレーションアイテムの開発背景などを聞いた。

WWD:ソフィアさんの普段のスキンケアやメイクのルーティーンは?

ソフィア・コッポラ(以下、ソフィア):シンプルケアが基本です。スキンケアは数年前から「AB」の美容液“ABセラム”(30mL、5万6200円)とクリーム“ABアルティスーズクリーム”(50mL、4万4600円/レフィル50mL、4万2400円)を中心に使っています。私はメイクもシンプルに仕上げたいんです。 ティントリップバームとコンシーラーで終えることも多いですね。

WWD:「AB」と出合ったきっかけは?

ソフィア:化粧品をいろいろ試す機会があるのですが、「AB」はメイクアップアーティストに紹介してもらったのが最初ですね。パンデミック中に家で過ごす時間が増え、自分のために使う時間が増えた時に自宅でゆっくりと使い心地を確かめていました。肌への効果実感を得られ、パッケージも非常に美しく視覚的にも楽めました。

WWD:「AB」の使い心地の良さは何から生まれていると思うか。

ソフィア:世界的に認められた生物医学研究者かつ医師であり、幹細胞生物学と再生医療の分野で最も権威のある専門家であるアウグスティヌス・バーダー(Augustinus Bader)教授が、科学的見地に基づき、創傷治癒ジェルをスキンケアに応用した独自成分を配合しているところですね。肌の持っている可能性をより良い方向、より健康な方向に変えてくれるのが実感できること、テクスチャーや使い心地の良さも多くの日人を魅了している点ではないでしょうか。

愛用のリップバームをアレンジ

WWD:コラボした“アウグスティヌス バーダー×ソフィア・コッポラ ティントリップバーム”もそれらを踏襲したのか。

ソフィア:既存の“ABリップバーム”(6500円)はお気に入りアイテムで、友人にも勧めてた程なんです。愛用する中で色付きがあったらいいなと思うようになり、バーダー教授に相談したところ賛同してくれたんです。色選びを自由に任せてもらえ、私自身がお気に入りだったシアーなディープピンク、夏やビーチで楽しめるレッドコーラル、焦がしたようなアーシープラムの3色に決めました。この3色さえあればあらゆるシーンに対応できます。化粧品のクリエイティビティーにかかわれたのもうれしかったですね。

WWD:化粧品ブランドとの協業は初めてだったが満足度の高い商品を作れた。

ソフィア:しっかりメイクするのではなく、ナチュラルな見え方でほんのり色付くものが欲しかったんです。市場にあるリップバームやリップティントは、匂いやべたつきが強く感じるものが多かったですが、それを解消したものを目指しました。自然な見え方で保湿力も高く自信作が誕生しました。鏡を見なくても気軽に塗れる点も気に入っています。

WWD:開発する上で苦労した点は。

ソフィア:私の最新映画「プリシラ」の制作が落ち着いたタイミングだったので、モノ作りの過程が楽しめました。実際に大変なことはなく色出しやパッケージのサンプル選びなどもスムーズに進みました。映画とは異なり自分が制作するのではなく、自分が希望したものが出来上がりそれを試作できるのは楽しかったですね。普段関わりのない人たちとのコラボレーションは非常に刺激になり、良い経験でした。

WWD:今回の経験が今後の制作活動に活かされるかもしれない?

ソフィア:それは分かりませんね(笑)。ただ、クリエイティビティとイノベーションは2つで1つのような形だと思っています。

WWD:“アウグスティヌス バーダー×ソフィア・コッポラ ティントリップバーム”をどんな人に使用してもらいたい?

ソフィア:まずは、本当に自分が使いたかったんです。愛用することが多いのはシェード1のシアーなディープピンクですね。満足のいく仕上がりだったので友人も支持してくれています。それを周りに伝えてくれ連鎖のようなものが生まれヒットしています。肌の色や好み、気分によって使い分けられるユニバーサルな色展開なので、日本でも多くの人に使ってもらいたいですね。

WWD:今後「AB」に期待することは?

ソフィア:肌を底上げしてくれる機能性の高い商品開発のユニークさにいつもワクワクしています。新商品のペシャルケア“スキンインフュージョン”(日本未発売)にも期待していますね。

The post ソフィア・コッポラが化粧品ブランドと初コラボ 「愛用するリップバームで色付きが欲しかったの」 appeared first on WWDJAPAN.

元「パープル」「ル・フィガロ」クリエイティブ・ディレクター、クリストフ・ブルンケルが実践するクリエイティブのテクニック

PROFILE: クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター

クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 表現活動はアーティスト、クリエイティブ・ディレクターとして多岐にわたる。23年9月にピカソ美術館で開催されたピカソ没後50周年記念展のアーティスティックディレクタに就任。自身のアート作品を「Le Consortium」等多数のギャラリーで毎年発表。ソフィ・カルなどアーティストのアート・ディレクションも手掛ける。24年7月にアートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した

パリを拠点とする現代アーティストのクリストフ・ブルンケル(Christophe Brunnquell)が、KOMIYAMA TOKYO Gにての日本初となる個展「フレンチ:メ・ウィ(French: Mai Oui)」を開催し、最新アートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した。

クリストフはフランスのカルト的ファッション・カルチャー誌「パープル(PURPLE)」と「ル・フィガロ(LE FIGARO)」の全ラグジュアリー部門という、一見アンビバレントな立ち位置でクリエイティブディレクターを15年ずつ務めた人物である。さらにクリエイティブディレクションと並行し、絶えず自らの実験的な創作活動を継続しており、コラージュ、絵画、彫刻、家具デザインなど、ジャンルレスに展開される作品群は膨大な数に上る。

今回はその一部、2008年から23年の15年間にわたって、身体をキャンバスの延長として捉え肌にペイントしたグラフィティーとインスタレーションを組み合わせた作品をフランス人フォトグラファーのエステル・ハナニア(Estelle Hanania)が撮り下ろしたコラボレーション写真集をKOMIYAMA TOKYOより出版した。

個展の開催に際して来日したクリストフに超現実的な表現の背景や最新プロジェクト、若い世代へのメッセージなどを聞いた。

ディレクション経験とイメージの蓄積によってスピードを増し、一層研ぎ澄まされる即興表現

――前衛的ファッション・カルチャー誌「パープル」と伝統ある全国紙「ル・フィガロ」、いずれもフランスを代表するメディアで各15年ずつクリエイティブディレクションに従事されていました。環境や読者層が異なる媒体での経験を踏まえ、アートやファッションをジャーナリズムとして発信するにあたり、重視されていたことを聞かせてください。

クリストフ・ブルンケル(以下、ブルンケル):創作活動、特に雑誌や写真集の制作にはライブ感が重要です。通常、本やアートブックの制作にはもっと時間をかけますが、私の場合は雑誌のようにスピーディに作るんです。そのために必要なイメージの蓄積として、長年ポートフォリオを作り続けてきました。

メディアの特色として「パープル」はパンクでクリエイティブ、「ル・フィガロ」はクラシックだと思われがちですが、実際両者の間にそれほど違いはありません。あえて言えば「ル・フィガロ」の方が多少表現がストレートでしょうか。

ただし、メディアを取り巻く環境の違いはあります。「フィガロ」は“現実“を扱い、クライアントや広告が存在し、記事の内容や写真撮影についてコントロールしなければならない点もあります。メディアの規模が大きいため、プロジェクトはスローペースで進みます。

一方「パープル」は“白紙委任状“のようなもの。アーティストと協働し、彼らに自由な創作の場にしてもらうことを楽しみながら、スケートボードのようにスムーズな疾走感を伴って進行します。

私の場合「パープル」からキャリアが始まりましたが、アンダーグラウンドは10代の若さのエネルギーがなし得ること。一生このフィールドにいることはできません。イギー・ポップ(Iggy Pop)のようにアンダーグラウンドから始まって商業のフィールドに進んでいくのは普通のことでしょう。

自分自身のアート表現は常にアンダーグラウンド的ですが、クリエイティブディレクターという仕事の性質は違います。「ル・フィガロ」で働けば働くほど、このバランスを保つために自らのアート表現を発展させてきました。

――コラージュ作品は「不快感」がテーマでした。今回発表されたフォトプリントも、現実から乖離したような不穏さやグロテスクに近い強烈なインパクトが脳裏に焼き付けられますが、どのようなテーマで創作されたのでしょうか。また、肉体をキャンバスの延長として捉えることをはじめ、写真家やモデルとのコラボレーションによって、コラージュ作品とは異なる表現に挑戦した点を教えてください。

ブルンケル:今回展示しているコラージュ作品は私がこれまで「フィガロ」のオフィスで制作したものです。パリのオフィスでは、机上に毎日置かれるたくさんの新聞の中に豊富な素材があるので、コラージュを作っていたんです。普段は昼食を取らず、ランチタイムを制作の時間に充て、毎日3、4枚のコラージュを制作していました。

フォトプリントのシリーズは、ファッション写真家のエステル・ハナニアと15年ほど継続して取り組んできたプロジェクトで、今回その作品をまとめて「ラ・ギャー・ドゥ・フ」という作品集を作りました。「ギャー・ドゥ・フ」(邦題「人類創生」)という先史時代を描いた残虐で滑稽な映画からインスピレーションを受けたものです。

ベースはコラージュと同様の考え方で、そこに身体表現を組み合わせることでどのような効果が生まれるか、実験的に取り組みました。

私は「メイクアップ」に非常に興味があります。肌に絵を描き、顔を創る行為がとても楽しいんです。紙に絵を描く行為は非生命を扱うこと。紙からのフィードバックはありません。対して身体や顔はよりインタラクティブな存在です。

作品はすべて即興で作っています。私はファッション、アート、コラージュを一種のレクリエーションであると考えていて、この作品でもエステルやモデルのエルガとのコラボレーションを心の底から楽しみました。

――アート創作やディレクションにおいて、自分自身を「不快な状態」に置き、自動書記的に思考するより前に手を動かすスタイルを実践していると伺いました。この姿勢はどのように構築されたのでしょうか。

ブルンケル:フランソワ・トリュフォーの「ランファン・ソヴァージュ(L’Enfant Sauvage)」(邦題「野性の少年」)という映画が大好きで、主人公の少年の精神や感覚にアイデアを得ています。彼は野生味にあふれ、汚れていて、自由です。私自身いつも散らかったカオスな場所で仕事をしているので、この少年の感覚に近いと思います(笑)。

ドローイングを描くときは自分の思考よりも速く手を動かす。年齢を重ねる毎に仕事が速くなり、表現も即興に近付いていきます。若い時は比較的頭も使って仕事をしていましたが、40歳を過ぎてからはより体を使って仕事をしていると感じています。

写真家のグレゴワール・アレキサンドル(Gregoire Alexandre)と制作した作品集「>°GuΣ」も即興表現です。「ヴォーグ(VOGUE)」の20年分のアーカイブを使用したイメージを作り、それを撮影したフォトプリント作品によって構成されています。表現手法はコラージュに近いですが、イメージは全て撮影中にその場で作りました。何も事前準備しない。私はこういう手法やそこで発揮されるエネルギーが大好きなんです。

現在進行形のプロジェクト、機能を有するアートとしての家具デザイン

――あなたが「パープル」で活動していた時期と現在では、雑誌やアート、ファッションを取り巻く環境が変化しています。今、カルチャーやアートに携わる若い世代に伝えたいことはありますか?

ブルンケル:カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、「理想的な人生とは自分の世界を作り、その中心になることだ」と言っています。自分で雑誌を制作することもその1つです。

編集長が自らコンテンツを作り、少人数のチームで運営されている雑誌は、クリエイションに集中できるので理想的だと思います。ギリシャを拠点とする「ケネディ マガジン(Kennedy Magazine)」という非常に優れた雑誌がありますが、編集長のクリス・コントス(Chris Kontos)がすべての写真を撮影しています。「パープル」の創始者オリヴィエ・ザーム(Olivier Zahm)も、現在同誌の写真の多くを自ら撮影しています。

現代の雑誌はより社会に近づいていて、クリエイティブでもあり、以前よりも人々にとって魅力的なものになっています。新しい世代がファッションに夢中になるのもそのためです。

私は若い人たちに、インターネットを使ったメディア制作が主流の時代にあっても、紙媒体のアイデアを持ち続けることが大切だと伝えたいです。

雑誌を出版することと、インターネットやSNSで発表することとの違いは何か。雑誌を印刷するのであれば、細心の注意を払い、非常にレアでオリジナリティーにあふれたものを作らなければなりません。

例えば半年に1度、600ページの雑誌を作るには、毎日3枚の写真をストックしなければならない。毎日小さな奇跡を起こすんです。そうすれば半年後には特別な雑誌を印刷することができる。若い人たちには、ぜひこの方法で何かしら創ってみてほしいです。

――今後の展開として、自身の家具ブランド、「クリストフ・ブルンケル・モビリエ(Christophe Brunnquell Mobilier)」を設立される予定とのことです。すでに発表されているデザインはキュビズム彫刻を彷彿とさせるような質量とフォルムで、巷にあるプロダクトデザインとは一線を画する存在感です。家具デザインはあなたの創造活動においてどのような立ち位置にあるか教えてください。

ブルンケル:家具とは“何かに機能を与えるもの“だと思います。ファッションデザインも同様で、服のデザインは服以上のものを表現しなければならない。アート作品のようでありながら、服としての機能も備えている。そして機能を与えれば与えるほど意味を得る。

私にとって家具のデザインは彫刻のイメージに近いですね。自身のドローイングや抽象画にボリュームを与えて具現化する。家具と彫刻の境界で遊んでいるようなものです。

ブロンズを使って制作し、あるスイッチを押すと、その彫刻がコーヒーテーブルになったり、サイドテーブルになったり、ベンチになったりします。アンティークのような美的かつ歴史的な価値のある質感やフォルムが重要で、モダンという発想はありません。

コラージュのような即興とは正反対で、家具の製作には6〜9カ月ほどの長期間を要します。200枚ほどスケッチを描くこともあります。

家具の仕事は続けるつもりで、今後は日本の職人たちと木彫りの家具を作るプロジェクトも予定しています。

PHOTOS:KAZUO YOSHIDA
INTERVIEW:AKIO KUNISAWA

The post 元「パープル」「ル・フィガロ」クリエイティブ・ディレクター、クリストフ・ブルンケルが実践するクリエイティブのテクニック appeared first on WWDJAPAN.

元「パープル」「ル・フィガロ」クリエイティブ・ディレクター、クリストフ・ブルンケルが実践するクリエイティブのテクニック

PROFILE: クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター

クリストフ・ブルンケル/クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 表現活動はアーティスト、クリエイティブ・ディレクターとして多岐にわたる。23年9月にピカソ美術館で開催されたピカソ没後50周年記念展のアーティスティックディレクタに就任。自身のアート作品を「Le Consortium」等多数のギャラリーで毎年発表。ソフィ・カルなどアーティストのアート・ディレクションも手掛ける。24年7月にアートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した

パリを拠点とする現代アーティストのクリストフ・ブルンケル(Christophe Brunnquell)が、KOMIYAMA TOKYO Gにての日本初となる個展「フレンチ:メ・ウィ(French: Mai Oui)」を開催し、最新アートブック「ラ・ギャー・ドゥ・フ(LA GUERRE DU FEU)」を発表した。

クリストフはフランスのカルト的ファッション・カルチャー誌「パープル(PURPLE)」と「ル・フィガロ(LE FIGARO)」の全ラグジュアリー部門という、一見アンビバレントな立ち位置でクリエイティブディレクターを15年ずつ務めた人物である。さらにクリエイティブディレクションと並行し、絶えず自らの実験的な創作活動を継続しており、コラージュ、絵画、彫刻、家具デザインなど、ジャンルレスに展開される作品群は膨大な数に上る。

今回はその一部、2008年から23年の15年間にわたって、身体をキャンバスの延長として捉え肌にペイントしたグラフィティーとインスタレーションを組み合わせた作品をフランス人フォトグラファーのエステル・ハナニア(Estelle Hanania)が撮り下ろしたコラボレーション写真集をKOMIYAMA TOKYOより出版した。

個展の開催に際して来日したクリストフに超現実的な表現の背景や最新プロジェクト、若い世代へのメッセージなどを聞いた。

ディレクション経験とイメージの蓄積によってスピードを増し、一層研ぎ澄まされる即興表現

――前衛的ファッション・カルチャー誌「パープル」と伝統ある全国紙「ル・フィガロ」、いずれもフランスを代表するメディアで各15年ずつクリエイティブディレクションに従事されていました。環境や読者層が異なる媒体での経験を踏まえ、アートやファッションをジャーナリズムとして発信するにあたり、重視されていたことを聞かせてください。

クリストフ・ブルンケル(以下、ブルンケル):創作活動、特に雑誌や写真集の制作にはライブ感が重要です。通常、本やアートブックの制作にはもっと時間をかけますが、私の場合は雑誌のようにスピーディに作るんです。そのために必要なイメージの蓄積として、長年ポートフォリオを作り続けてきました。

メディアの特色として「パープル」はパンクでクリエイティブ、「ル・フィガロ」はクラシックだと思われがちですが、実際両者の間にそれほど違いはありません。あえて言えば「ル・フィガロ」の方が多少表現がストレートでしょうか。

ただし、メディアを取り巻く環境の違いはあります。「フィガロ」は“現実“を扱い、クライアントや広告が存在し、記事の内容や写真撮影についてコントロールしなければならない点もあります。メディアの規模が大きいため、プロジェクトはスローペースで進みます。

一方「パープル」は“白紙委任状“のようなもの。アーティストと協働し、彼らに自由な創作の場にしてもらうことを楽しみながら、スケートボードのようにスムーズな疾走感を伴って進行します。

私の場合「パープル」からキャリアが始まりましたが、アンダーグラウンドは10代の若さのエネルギーがなし得ること。一生このフィールドにいることはできません。イギー・ポップ(Iggy Pop)のようにアンダーグラウンドから始まって商業のフィールドに進んでいくのは普通のことでしょう。

自分自身のアート表現は常にアンダーグラウンド的ですが、クリエイティブディレクターという仕事の性質は違います。「ル・フィガロ」で働けば働くほど、このバランスを保つために自らのアート表現を発展させてきました。

――コラージュ作品は「不快感」がテーマでした。今回発表されたフォトプリントも、現実から乖離したような不穏さやグロテスクに近い強烈なインパクトが脳裏に焼き付けられますが、どのようなテーマで創作されたのでしょうか。また、肉体をキャンバスの延長として捉えることをはじめ、写真家やモデルとのコラボレーションによって、コラージュ作品とは異なる表現に挑戦した点を教えてください。

ブルンケル:今回展示しているコラージュ作品は私がこれまで「フィガロ」のオフィスで制作したものです。パリのオフィスでは、机上に毎日置かれるたくさんの新聞の中に豊富な素材があるので、コラージュを作っていたんです。普段は昼食を取らず、ランチタイムを制作の時間に充て、毎日3、4枚のコラージュを制作していました。

フォトプリントのシリーズは、ファッション写真家のエステル・ハナニアと15年ほど継続して取り組んできたプロジェクトで、今回その作品をまとめて「ラ・ギャー・ドゥ・フ」という作品集を作りました。「ギャー・ドゥ・フ」(邦題「人類創生」)という先史時代を描いた残虐で滑稽な映画からインスピレーションを受けたものです。

ベースはコラージュと同様の考え方で、そこに身体表現を組み合わせることでどのような効果が生まれるか、実験的に取り組みました。

私は「メイクアップ」に非常に興味があります。肌に絵を描き、顔を創る行為がとても楽しいんです。紙に絵を描く行為は非生命を扱うこと。紙からのフィードバックはありません。対して身体や顔はよりインタラクティブな存在です。

作品はすべて即興で作っています。私はファッション、アート、コラージュを一種のレクリエーションであると考えていて、この作品でもエステルやモデルのエルガとのコラボレーションを心の底から楽しみました。

――アート創作やディレクションにおいて、自分自身を「不快な状態」に置き、自動書記的に思考するより前に手を動かすスタイルを実践していると伺いました。この姿勢はどのように構築されたのでしょうか。

ブルンケル:フランソワ・トリュフォーの「ランファン・ソヴァージュ(L’Enfant Sauvage)」(邦題「野性の少年」)という映画が大好きで、主人公の少年の精神や感覚にアイデアを得ています。彼は野生味にあふれ、汚れていて、自由です。私自身いつも散らかったカオスな場所で仕事をしているので、この少年の感覚に近いと思います(笑)。

ドローイングを描くときは自分の思考よりも速く手を動かす。年齢を重ねる毎に仕事が速くなり、表現も即興に近付いていきます。若い時は比較的頭も使って仕事をしていましたが、40歳を過ぎてからはより体を使って仕事をしていると感じています。

写真家のグレゴワール・アレキサンドル(Gregoire Alexandre)と制作した作品集「>°GuΣ」も即興表現です。「ヴォーグ(VOGUE)」の20年分のアーカイブを使用したイメージを作り、それを撮影したフォトプリント作品によって構成されています。表現手法はコラージュに近いですが、イメージは全て撮影中にその場で作りました。何も事前準備しない。私はこういう手法やそこで発揮されるエネルギーが大好きなんです。

現在進行形のプロジェクト、機能を有するアートとしての家具デザイン

――あなたが「パープル」で活動していた時期と現在では、雑誌やアート、ファッションを取り巻く環境が変化しています。今、カルチャーやアートに携わる若い世代に伝えたいことはありますか?

ブルンケル:カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、「理想的な人生とは自分の世界を作り、その中心になることだ」と言っています。自分で雑誌を制作することもその1つです。

編集長が自らコンテンツを作り、少人数のチームで運営されている雑誌は、クリエイションに集中できるので理想的だと思います。ギリシャを拠点とする「ケネディ マガジン(Kennedy Magazine)」という非常に優れた雑誌がありますが、編集長のクリス・コントス(Chris Kontos)がすべての写真を撮影しています。「パープル」の創始者オリヴィエ・ザーム(Olivier Zahm)も、現在同誌の写真の多くを自ら撮影しています。

現代の雑誌はより社会に近づいていて、クリエイティブでもあり、以前よりも人々にとって魅力的なものになっています。新しい世代がファッションに夢中になるのもそのためです。

私は若い人たちに、インターネットを使ったメディア制作が主流の時代にあっても、紙媒体のアイデアを持ち続けることが大切だと伝えたいです。

雑誌を出版することと、インターネットやSNSで発表することとの違いは何か。雑誌を印刷するのであれば、細心の注意を払い、非常にレアでオリジナリティーにあふれたものを作らなければなりません。

例えば半年に1度、600ページの雑誌を作るには、毎日3枚の写真をストックしなければならない。毎日小さな奇跡を起こすんです。そうすれば半年後には特別な雑誌を印刷することができる。若い人たちには、ぜひこの方法で何かしら創ってみてほしいです。

――今後の展開として、自身の家具ブランド、「クリストフ・ブルンケル・モビリエ(Christophe Brunnquell Mobilier)」を設立される予定とのことです。すでに発表されているデザインはキュビズム彫刻を彷彿とさせるような質量とフォルムで、巷にあるプロダクトデザインとは一線を画する存在感です。家具デザインはあなたの創造活動においてどのような立ち位置にあるか教えてください。

ブルンケル:家具とは“何かに機能を与えるもの“だと思います。ファッションデザインも同様で、服のデザインは服以上のものを表現しなければならない。アート作品のようでありながら、服としての機能も備えている。そして機能を与えれば与えるほど意味を得る。

私にとって家具のデザインは彫刻のイメージに近いですね。自身のドローイングや抽象画にボリュームを与えて具現化する。家具と彫刻の境界で遊んでいるようなものです。

ブロンズを使って制作し、あるスイッチを押すと、その彫刻がコーヒーテーブルになったり、サイドテーブルになったり、ベンチになったりします。アンティークのような美的かつ歴史的な価値のある質感やフォルムが重要で、モダンという発想はありません。

コラージュのような即興とは正反対で、家具の製作には6〜9カ月ほどの長期間を要します。200枚ほどスケッチを描くこともあります。

家具の仕事は続けるつもりで、今後は日本の職人たちと木彫りの家具を作るプロジェクトも予定しています。

PHOTOS:KAZUO YOSHIDA
INTERVIEW:AKIO KUNISAWA

The post 元「パープル」「ル・フィガロ」クリエイティブ・ディレクター、クリストフ・ブルンケルが実践するクリエイティブのテクニック appeared first on WWDJAPAN.

「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.1 「日本のコスメの存在感がなくなっている!」

PROFILE: 石橋寧/マーケティングアドバイザー

石橋寧/マーケティングアドバイザー
PROFILE: エキップにて1997年に「RMK」、2003年に「スック(SUQQU)」、08年に設立したACROでは「スリー」「アンプリチュード」「イトリン」を立ち上げ。24年3月に退任し、独立 PHOTO:KOUTAROU WASHIZAKI

化粧品市場はすっかり活況を取り戻したが、気が付けば欧州のハイブランドと韓国コスメのパワーに押され、「J ビューティ」と呼ばれていた頃の勢いはすっかり影を潜めている。その原因はいったい?これからどうしたらいい?そこで、ビューティ・ジャーナリストの木津由美子が数々の百貨店ブランドを立ち上げては成功へと導いてきた石橋寧氏に、日本の化粧品業界に対して思うことを5回にわたって聞く。

――:ズバリ、日本の化粧品業界って大丈夫でしょうか?不安しか感じないんですが。

石橋寧(以下、石橋):昨年、タイのバンコクで化粧品売り場をいろいろと見て回ったんだけど、韓国コスメがすごくいい場所を取っていたんだよね。現在のメインどころは韓国コスメと、「グッチ ビューティ(GUCCI BEAUTY)」や「エルメス(HERMES)」などの欧州ラグジュアリー。日本のコスメブランドはほとんど隅に追いやられていた。それはロンドンでも同じ。ハロッズを見ても日本からの新規参入は見当たらず、相変わらず資生堂グループの「シセイドウ(SHISEIDO)」と「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)、花王・カネボウグループの「スック(SUQQU)」と「センサイ(SENSAI)」のみ。実はコロナ前の2019年ごろ、ハロッズのバイヤーから「スリー(THREE)を入れたい」という打診があったんです。化粧品売り場を改装して2倍くらいに拡張する、そこで「J ビューティ」を強化したい、と。代理店を通じて交渉していたんだけれど、当時はまだEU離脱が決定していなかった。国の方針が決まらないと具体的な条件交渉に入れないから少し待とうと話しているうちにパンデミックになり、ハロッズの改装も遅れ……昨年行ったら、その場所に「グッチ ビューティ」が入ってましたね。

――:「スリー」の進出は引き継がれていないんですね。なぜ、こんなに全てが停滞しているのでしょう?

石橋:コロナ禍で海外渡航の自粛が求められると、日本の企業はきちんと守って全て現地任せにし、誰も行かなくなってしまった。一方、韓国はオンラインで交渉して機を見て渡航して、いいロケーションを積極的に獲得していました。結果コロナが収まった今、どこも渡航者が戻ってきているから、ロケーションの有利・不利は大きく響く。奥まったロケーションにある日本のブランドはこれから数年、とても苦労しますね。それを見ると、「日本の企業は何をやっていたの?」って思う。

日本のコスメブランドの居場所がない

――:今、いろんな業界で消費の二極化が進んでいますが、低価格帯マーケットは韓国に食われ、高価格帯市場は欧州ラグジュアリーブランドに占められ、日本のコスメブランドの居場所がありません。

石橋:日本のメイクアップ市場は「シャネル(CHANEL)」や「ディオール(DIOR)」などのラグジュアリーブランドが圧倒的に強く、日本の輸入コスメの25%は韓国コスメが占めている(23年度の化粧品輸入実績。日本輸入品協会調べ)。つまり、日本のコスメは、ラグジュアリーとマス市場のどっちからもやられっぱなし。その上、花王は「オーブ(AUBE)」と「コフレドール(COFFRET DOR)」を終了すると言っているでしょ。これって「欧州や韓国企業の皆さん、日本のマーケットをお好きにどうぞ」と差し出しているようにしか見えないんですよね。

――:さらに今秋から来年にかけて、欧州ラグジュアリーブランドが勢力を増します。

石橋:聞くところによると、百貨店の外資系ハイブランドはやがて、化粧品とファッション小物を集積した売り場を作るんじゃないか、と。ハイブランドの強みは、バッグとかポーチといったファッション小物を持っていること。阪急うめだ本店の「ディオール」が成功したのは、まさに化粧品とバッグを連動させた売り場を作ったから。「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のコスメがまもなく出てくるようだが、そういう売り場を作る可能性は大いにあると思う。そうすると百貨店の売り場はどうなるか。広いスペースが必要になるので、そんな提案がしにくい日本のコスメブランドは別のフロアに移設される。今、世界中で同じような動きがあるように感じます。僕はそんな状況を見越して日本発のラグジュアリーブランド「アンプリチュード(AMPLITUDE)」と「イトリン(ITRIM)」を作ったわけです。コロナ禍を含めて確かに3年くらいは厳しかったけれど、可能性を秘めていたブランドだったのに休止となってとても残念。「アンプリチュード」を作った時、実はどの商品も「シャネル(CHANEL)」より価格設定を100円高くしたんだよね。「トム フォード ビューティ(TOM FORD BEAUTY)」ほど高くなくていいけれど、日本のラグジュアリーだから、と。そういうブランドが、日本には本当にないんですよ。

「品質がよければ売れる」のは錯覚

――:かといって、広くグローバルで成功しているブランドもない。

石橋:みんな「グローバル」って言うけど、言っているだけで行動が伴っていないんですよ。フランスと韓国に共通しているのは、人口が日本の半分ぐらいであること。国外に出ていかないと生きていかれないから、最初からグローバルを相手にしているわけです。それに対して日本は1億2000万人もいるから自国でなんとか消費できていた。ところが人口が減少し、「やっぱりグローバルだよね」と。ならば、そういう視点でモノ作りやマーケティングをしていかないと。でも化粧品メーカーのトップが本気で海外に視察に行っているとは思えないし、行っていたとしても本質を見ていないように思う。「品質がよければ売れる」というのは日本の企業の錯覚で、大きな勘違い。もはや品質がいいだけで売れる時代ではない。なのにまだそう信じようとしているふしがある。日本の化粧品メーカーはどこで稼いでいるかというと、結局化粧品専門店やドラッグストアがメイン。専門店を第一にモノ作りをし、店舗設計やディスプレイ、テスターといったものも専門店ベースで考えるから、グローバルでは戦えないんですよ。本当にグローバルにするんだったら、まずはトップ自らいろんな国に行って、自分の目でマーケットを見てくる。今をチャンスと捉え、グローバル視点でモノ作りやマーケティングをすれば、まだまだいけると思います。

The post 「RMK」や「スリー」の立役者、石橋寧が化粧品業界に提言 Vol.1 「日本のコスメの存在感がなくなっている!」 appeared first on WWDJAPAN.

パリ五輪スケボー金メダル、吉沢恋選手を育てた名店を訪問 相模原は世界へ続く滑走路

PROFILE: 寺井裕次郎/「アクト エスビー ストア」店主

寺井裕次郎/「アクト エスビー ストア」店主
PROFILE: (てらい・ゆうじろう)1983年生まれ、島根県出身。大学進学とともに上京。20歳のころにスケートボードを始める。大学卒業後、1年間アルバイトで資金を貯め、ワーキングホリデーで2年間バンクーバーに滞在。帰国後、小山公園の開園をきっかけに相模原に定住。「DC CUP」で3位獲得後、プロデビューを果たす。2016年、スケボーショプ「アクト エスビー ストア」をオープン。ショップ経営のほかにも、スケボースクールや大会の運営、実況やMCなど、多岐に渡って活動する PHOTO: KAZUO YOSHIDA

「裕次郎くん」。14歳の金メダリストは、寺井裕次郎さんのことをフランクにこう呼んだ。この夏、「金メダルに恋した14歳」の名実況とともに、女子スケートボードの吉沢恋選手の名は日本のみならず全世界にとどろいた。そして、彼女のコーチもあり、所属先のスケボーショップ「アクト エスビー ストア(ACT SB STORE)」の店主でもあるのが、寺井さんだ。店の取材のため相模原を訪問すると、そこでは吉沢選手と寺井さんが親しげに談笑していた。予想外だったため吉沢選手への取材は叶わなかったが、寺井さんに同店を始めたきっかけや相模原との関係について深掘り。そこで見えてきた“競技ではなく、カルチャーとして存在するスケートボード”とは。

スケートボードシーンのハブに店を構える

店を構えるのは相模原市で、JRや京王線の橋本駅から徒歩20分弱。相模原は全国のスケーターが訪れる場所として、長らく国内スケートボードシーンのハブとみなされてきた。彼らが集うのは、小山公園ニュースポーツ広場。2007年に正式オープンした同広場は、スケートボードほか、ダンスや3on3バスケットボールエリアを設ける。取材当日に立ち寄ったときも、夜7時という時間帯にも関わらず、地域の子どもたちやそれを見守る親でにぎわっていた。かつて、このような子どもたちの1人だったのが、パリオリンピックでスケボー男子4位入賞を果たした白井空良選手や藤沢虹々可選手、岸海選手、そしてほかでもない吉沢選手だ。この地に店を構えた寺井さんは、ワーキングホリデー先のバンクーバーで同広場のオープンを知ったという。

「バンクーバーでは、雑誌やビデオで見るような人たちが普通に滑っていて、普通に仲良くしてくれるんです。トッププロスケーターであろうが僕が技を決めたら盛り上がってくれて。楽しくて楽しくて、気づいたらスケボーを中心に生活が回っていましたね(笑)帰国後も、当時日本一のパークだった小山公園周辺に住もうと決めていました」。

バンクーバーでは、船橋春貴という寺井さん憧れのプロスケーターにも会うことができた。そしてこれが転機になった。寺井さんは、「あんなふうにうまくなれるのか、確信もなく帰国しましたが、帰国後、僕がバンクーバーで見たような人たちはプロ中のプロだったと気づいたんです。正直、僕もプロという枠組みの中に入るだけならできるかもと思いました」と振り返る。プロになりたいという野心が芽生えたのはこのときだ。

プロになるには、スポンサーを付けなければならない。そして、スポンサーを付けるには、大会で結果を残さないといけない。そう考えた寺井さんは、25歳のとき、人生で初めてスケートボード大会に出場した。「最初の大会は、ビリから2番目という結果でした。その後、『100回トライして1回決まれば良い』という慣れ親しんだスケボーだけでなく、『1回のトライで決め切る』という大会で勝つためのスケボーを練習し始めました。この練習を繰り返し、27歳くらいのときには第一線で活躍するスケーターと肩を並べられるようになりましたね。そしてついに、27歳で出場した『DC CUP』で3位を受賞し、スポンサーを付けられることになりました」。(スケートデッキの下に付ける金具の)「ロイヤルトラック」や(タイヤの中に入れる金具の)「ザ ベアリング」、他にもスケボーショップや洋服ブランドからサポートを受けるようになった。

スポンサー契約後も、サラリーマン生活を続けながら変わらず小山公園で滑る毎日だったが、30歳くらいのとき、ふと何か物足りないなと感じた。小山公園付近には、そこで練習する将来有望な子どもたちをサポートする場所がなかったのだ。「熱心に滑っているとスケートボードはよく壊れる。タイヤの修理も、みんな八王子にあるスポーツ専門店に数時間かけて行っていました。僕は僕は悔しくて。じゃあ僕がここで店をやろうと思いオープンしたのが、スケボーショップ『アクト エスビー ストア』です」。

20平米もないスケボーショップで見る夢

同店は、2016年にオープンした。オリジナル商品ほか、同店に所属するスケーターや小山公園で滑っているスケーターに関係するブランドを取り扱う。例えば、「エイプリル スケートボード(APRIL SKATEBOARDS)」は、岸海選手をチームライダーに登録しているブランド、「ミャオ スケートボード(MEOW SKATEBOARDS)」は吉沢選手や藤沢選手をサポートしているブランド。湘南の「ドブディープ(DOBBDEEP)」や厚木の「フレッシュ ルーツ(FRESH ROOTS)」など、寺井さんが個人的に仲良くしているブランドの商品も置いている。「我ながら身内感あるラインアップです」と寺井さん。

店内には、吉沢選手が着用していることで話題になった「ラカイ(LAKAI)」のシューズも。「『ラカイ』のシューズ(1万450円 ※価格変動の可能性あり)は、恋ちゃんがスケボーを始めたときから履いています。柔らかいスニーカーのため、消耗も激しいですが、足でつかむ力が弱い人におすすめしています」。

さらに、カウンターの前には、年に1回、相模原のスケーターが集まる忘年会で披露されるという寺井さん自作のDVDも置いている。スケートボードシーンでは、スケーターの滑りを映像化することが盛んだ。DVD制作はかれこれ16年くらい続けているといい、過去には、堀米雄斗選手や池田大亮選手、池田大暉選手など、そうそうたる顔ぶれが出演している。寺井さんは、「子供たちは、このビデオを観て練習するんですよ。例えば、『恋ちゃんが小学5年生のころは何をやっていたんだろう?』『私も今5年生だから、このくらいはやらなきゃ』とか。恋ちゃん自身も子どものころ、セリフを覚えるくらい観ていました。流れる歌ですら覚えていましたね(笑)」と懐かしむ。

品ぞろえからは、ローカルシーンから日本のスケートボード界を盛り上げたいという気持ちが伝わる。寺井さんは、「売れる有名なブランドの商品を売るだけでは、浅い客が増えてその店が盛り上がるだけで、スケートボードシーン全体は盛り上がらない。この先日本のスケートボードシーンを支えていく人を生み出したいという気持ちがあり、このようなラインアップになっています」と語る。

相模原には、小山公園を中心に、寺井さんの思いを形にできる土壌がある。現に、年に1回、小山公園で開催される大会「OYAMA CUP」も、相模原の不動産会社や美容院、パン屋などローカルの企業からサポートを受けている。「僕も昔は、店頭に『小山公園にいます』という貼り紙だけ残して営業中でも滑りに行っていました。携帯が鳴って店に戻るみたいな(笑)。相模原にはそれを許してくれるカルチャーがあります」。街全体が、スケートボード選手を世界に送り出す滑走路のようだ。

競技ではなく、カルチャーとして存在するスケートボード

「日本のスケートボードは未来しかない」と語る一方、スケートをめぐる環境がかつてとは違ってきたことも誰よりも実感している。「専用のスケート施設はできていますが、道路走行に対する法規制は年々厳しくなっていますよね。つまり、競技としてスケーターのスキルは上がっているけれど、本来のカルチャーからは遠くなっている。もちろん人に迷惑をかけてはいけないことは前提ですが、僕はこのカルチャーとしての側面を忘れずにいたいですし、子供たちも頭の片隅に置いてくれたら嬉しいです。今後はその発信もしていけたらと思っています」。

次回のオリンピックの注目選手を尋ねると、迷わず「恋ちゃん」と答えた寺井さん。開催地であるロサンゼルスは、スケーターにとってメッカのような存在。ロサンゼルスオリンピックでも、相模原の小さなスケボーショップの快進撃に期待だ。

The post パリ五輪スケボー金メダル、吉沢恋選手を育てた名店を訪問 相模原は世界へ続く滑走路 appeared first on WWDJAPAN.

DAIKI SUDOがデビューEP「EARTH」をリリース 現実と非現実の境界を漂う音像

PROFILE: DAIKI SUDO/アーティスト

DAIKI SUDO/アーティスト
PROFILE: 1998年、神奈川県生まれ。10代の頃にニュージーランドで3年間を過ごす。帰国後の大学在学中に、楽曲制作を目的に南アフリカに滞在する。その頃、SG Lewisの「Warm」を聴いたことをきっかけに楽曲制作を始める。2024年、Daiki Sudoとして本格的に音楽活動を開始。8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースする

8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースしたDAIKI SUDOは2023年に“水のように広がりながら、自然と調和するエレクトロニックミュージック“というコンセプトを元に活動を開始した。同作にはダウンテンポ、フューチャーベース、メロディックハウス、シンセポップを独自に解釈した4曲が収録されていて、いずれもアンビエンスをフィーチャーし広大な草原や雄大な山脈、無限に広がる海といったオーガニックな情景を想起させる。

1月にインドゴアへ移り、現在まであてもなく旅を続けているという。これまでに海外を拠点に生活してきたことがジャンルを横断した楽曲の根源になっているのか。音楽制作のプロセスやデビュー作の制作背景まで話を聞いた。

映画の1シーンから音を想像する

WWD:音楽制作を始めたのはいつ頃ですか?

DAIKI SUDO(以下、DAIKI):18歳の時に高校時代の仲間と一緒にヒップホップのユニットを組んでいて、自分はラッパーを担当してました。友達がトラックメイカーだったので、僕はスタジオでヴォーカルをレコーディングするだけ。音作りには関わっていませんでしたね。その頃、トラックメイカーの友達からSGルイスを勧められて「Warm」を聞きました。静寂した空間とピアノの旋律の情緒がすごくて。当時は生音とエレクトロの融合に未来感を感じていました。バーチャルシンセの実在しない楽器音と現実世界の生音、この非現実的な組み合わせの音像に影響を受けました。

その後グループが散り散りになって、1人になった時にヒップホップを続けるのではなく、ジャンルをまたいだ音楽を作りたいという欲求が芽生えました。それから自分でトラックメイクからミックス、マスタリングまでをYouTube見ながらやり始めたんです。

WWD:当時はどんな曲を作っていたのでしょうか?

DAIKI:当時はハウスっぽい曲が好きでした。ドレイク(Drake)の「パッションフルーツ(Passionfruit)」みたいなカリビアンぽさもある4つ打ち。ダンスミュージックでありながら、コードやメロディに情緒があってラップボーカルにもメロディが乗っているような曲が多かったです。

WWD:ディスコ・リバイバルとか1970〜80年代をアップデートしていく風潮の発端のような時代だったと思うのですが、当時の空気感にも影響を受けましたか?

DAIKI:僕はディスコよりも映画音楽からの影響が強かったです。最初は曲単体として聴いた「Warm」も「X-ミッション」っていう大自然の脅威とエクストリームスポーツをテーマにした映画の挿入歌だったんです。作品中で男女が夜の海に潜っていくシーンとの情緒が特に印象的で、その映像と音楽が鮮明に記憶に残っています。それから、フィルムスコアにどんどん惹かれていきました。

音が先行するのではなく、映画のシーンの情景に合うかどうか。曲単体よりも映像の世界観が頭の中でパッケージされた状態で音楽を聴くことが増えていったように思います。ルドウィグ・ゴランソン(Ludwig Goransson)も「メッセージ」のヨハン・ヨハンソン(Johann Johannsson)も好きでしたね。

WWD:情景が浮かんで音につながっていく前提として、世界各地に住んだり、旅をした経験が影響していますか?

DAIKI:それはありますし、SF映画や小説が大好きなので、現実世界に無い情景を拡大して妄想することも多いです。ただ、初めて楽器を習ったのも、自分でアルバムCDを買ったのもニュージーランドに住んでいた12~14歳の頃で、音楽を作る楽しさの感覚は間違いなくそこから来ています。初めて買った音源がアウルシティー(Owl City)のアルバム。当時すでにエレクトロニックミュージックやシンセサイザーのあたたかい感じがすごく好きで、その後、聴くようになったサウンドヒーリングのようなジャンルの2つの音楽が混ざっていきました。表現の幅が無限にあるエレクトロニックミュージックを聴き込むうちに、徐々にジャンルを断定しづらい音楽にのめり込んでいったんです。

現実と非現実の境界のような音楽

WWD:インドに渡ってから曲作りに変化はありましたか?

DAIKI:インドに来てからは、「ここは地球なのか?」と毎日のように自問自答しています(笑)。ほとんど裸の西洋人の男が腰まであるドレッド髪を靡かせてモーターバイクで滑走していたり、幅20メートルぐらいの巨大なガジュマルの樹のつたが自然と三つ編みになって天から地上に伸びていたり。人も景色も暮らし方もとにかく全てが日本の生活とかけ離れすぎていて、現実なのに自分にとっては非現実に感じるような状況が続いています。

インドの伝統音楽はキーやリズムの概念も遥かに複雑で、理解し難い部分もありますが伝統楽器のタブラという太鼓のリズム感とグルーヴは自分の曲のリズム作りにも少し影響しました。

また、インドは現在ドラムンベース、ジャングル、ゴアトランスといったエネルギッシュなジャンルのパーティーと、エクスタティックダンスという、焚き火を囲んで全員でサンスクリット語の曲を合唱して、ブレンドしたカカオを飲みながらアンビエントな音楽にうねるように踊る内省的で精神性の高いパーティーに二極化していて、どちらも別のベクトルに突き抜けた音の可能性を感じて楽しいです。

インドに来て、以前よりも重さや暗さ、逆にハッピーな時もどこか突き抜けるように、ありのままよりもドラマチックに物事を伝えたいという思いが強くなりました。

「EARTH」のフックで鳴っている音は、今まで聞いたことのない音を作りたいというモチベーションからできたんですが、もともとは耳触りの良い音の中のちょっとした違和感を探していたことがきっかけになりました。音が流れていく中で、引っかかるけど気持ちがいい。ある意味サプライズのような「気持ちのいい違和感」を常に作りたいと思っています。個人的にはエレクトロミュージックのパターンと縛りのないエクスペリメンタルの要素を混ぜてみたり、今回のEPではメインストリームの音楽の構成と規律を保ちつつ好きに流れをまとめています。

WWD:通しで聴くとある種の逃避性が備わっているように感じます。それは自身が求めているから、それとも無意識にそう感じさせるのでしょうか?

DAIKI:自分が求めているからだと思います。最初に音楽を作ろうと思った時、「露天風呂に合うような曲が作りたい」と思いました。温かい湯に浸かりながら、肌の上を転がるような気持ちのいい寒さを感じて曲を聴きたいという。これもある種、日々の生活からの逃避と捉えられるかもしれません。深いリラクゼーションの感覚と内に生まれる興奮や満足。このアルバムに関しては、ライブで盛り上がるような過程ではなくて、むしろ帰り道に自然の中、1人で内に入っていくような現実逃避の感覚が合うと思います。現実のとある場面で生まれる感情を楽しむための音楽というよりは、その感情を起点に別の世界に誘われるような音楽。フィルムスコアも含めて、フィクションとノンフィクションの境界が好きなので自然にそうなったのかもしれません。例えば、映画「her」の限りなく現実に近い非現実、共感はできるけど想像の余白がある世界観のような。

WWD:曲を作る時にはまず、映像が浮かぶのでしょうか?

DAIKI:好きなSF映画のワンシーンを見つめたり、頭の中に変な情景を具体的に妄想したりして、その場面にどんな音楽を流したいかという自問自答を繰り返しています。あとは、写真の影響も大きい。“EARTH”は木漏れ日の中、森の原っぱに寝転がっている想像のイメージから、横に流れる川、映画「アバター」に登場するような極彩色の野鳥が連鎖的に浮かびました。そこに音を重ねていくように、常に楽曲と映像はセットで考えています。

WWD:アルバム全体としてはどのように構成していったのでしょうか?

DAIKI:4年前に作った曲もありますし、シングルにするか、EPにするかも含めて今回リリースする「8%」というレーベルのToshiさん(「8%」代表)に相談し、一緒に仕上げていきました。自分の作品に対して過剰に感情を注いでしまうあまり、外から見て分かりづらい文脈になってしまうことがあるので、俯瞰した視点で意見をくれるToshiさんの存在はとても大きくて感謝しています。

WWD:タイトルの“EARTH”にはどんなニュアンスが込められていますか?

DAIKI:高知県の仁淀川で13時間以上かけて無計画にドライブしながらMVの素材撮りをしたんですが、とぐろを巻いた蛇の眼の上を歩く虫だったり、プローブレンズ越しの蝶の目がサッカーボールのように見えたり、全てが非現実に感じたんです。自分が現実ではあり得ないと思っていても、地球には想像を超える世界がまだまだ広がっている。インドに渡ってからさらに強くそう思うようになりましたが、僕たちがこうして誕生して命のバトンをつなぎ、曲を作ったりそれを楽しんだりできているという魔法のような状況も全てこの地球から来ているということに今更ながら感銘を受けて“EARTH”というタイトルにしました。

WWD:思い入れのある曲、難産だった曲はありますか?

DAIKI:最初にリリースしようと仕上げた曲が“SWIM”なんですけど、海を泳いでいるときの気持ちよさや水面の波紋、深く潜っていくにつれて感じる恐怖感を音に変換したいと思ったんです。美しい情景と同居している自然の脅威という異なる2つの感情を表現しようと思ったのですが、理想の音になるまで1年くらいかかりました。どれくらいの音の波長が尖っているのか、どこから温かみを感じるかなど、非常に細かい感覚で調整をしていました。浅瀬から深海までの情景をサインウェーブだけで作りたかったので、最初は滑らかなポコポコした音から始まって、波のように変化していく音のバリエーション。他の曲は比較的スムーズに仕上がったんですが、最初に発表するというプレッシャーもあったのかもしれません。

あてのないアジアへの音楽旅

WWD:現在はインドのゴアにいるんですか?

DAIKI:今はヒマラヤ山脈のパールヴァティ渓谷にいますが、少し前まではゴアにいました。音楽を理由にゴアに来たわけではないので、ローカルの瞑想音楽やゴアトランスを経験して、新しい感覚が生まれつつあります。自分の知っている音楽の世界の外側に、さらに莫大な音楽の世界が存在することに気づいたんです。以前、南アフリカに住んでいた時はドラムパターンがアフロビーツみたいになったり、アマピアノの影響も自分の楽曲に反映されています。これからはトランスミュージックや瞑想音楽のエッセンスが多くなっていくと確信しています。

WWD:インドは瞑想音楽やアンビエント作家も多くいますが、最初にゴアを目指したのはなぜですか?

DAIKI:きっかけはありません。ただ、ルーティン化してきた日本の生活をリセットしたい気分だったので、劇的に日常を変えたいという欲求が強くなってきて、何かを得ようという感覚よりもまっさらな状態になりたいというモチベーションでゴアに来ました。それまでトランスはほとんど聞いていませんでしたし、良さもわからなかった。でも、本場のローカルなエリアや森の中のレイヴで聴くと、この種の音楽が人の発するエネルギー同士を結びつけたり、周囲の自然と自分の波長を合わせるチャンネルになり得るという感覚と意味を肌で理解できました。自然と音楽のつながりを深く感じた経験でもありました。

WWD:現地のコミュニティーで気になったことはありますか?

DAIKI:20代のイスラエルの若者たちのファッションですね。クラシックヒップホップを好きな人がバギーなジーンズを引きずってベースボールキャップを被るように、トランス好きの若者にもBPMの高い音楽と結びついた特有の着こなしがあります。パーティーではサイケデリック、単色の鮮やかな色使いの動きやすいシャツにプリズムレンズを用いたサングラス、というのが大半のドレスコードとなっています。90年代の影響は強いですがストリートさはほぼなくスポーティで、ミニマルなスタイルや逆に懐かしさを感じるようにアップデートされたスタイルが多い印象です。あと、共通して人気なのは「オークリー(OAKLEY)」の“レーダー“です。

WWD:チベットとネパールではどんな音楽に触れたいですか?

DAIKI:最近、トゥクトゥクが故障した時のエンジン音をリズム用に録音したり、群衆の声や街の雑音などのフィールドレコーディングを始めました。フィクションとノンフィクションのバランスをもう少し生寄りにしたいと感じているからです。全部バーチャルではなくて、物体の肌感を取り入れたい。特にネパールでは瞑想音楽と人間の潜在意識に眠る力をより深く感じたいと思います。海外だとオープンに人とつながりやすいので、そういった素直な人間の温かみのような部分も今後の曲に反映されていくような気がします。

The post DAIKI SUDOがデビューEP「EARTH」をリリース 現実と非現実の境界を漂う音像 appeared first on WWDJAPAN.

DAIKI SUDOがデビューEP「EARTH」をリリース 現実と非現実の境界を漂う音像

PROFILE: DAIKI SUDO/アーティスト

DAIKI SUDO/アーティスト
PROFILE: 1998年、神奈川県生まれ。10代の頃にニュージーランドで3年間を過ごす。帰国後の大学在学中に、楽曲制作を目的に南アフリカに滞在する。その頃、SG Lewisの「Warm」を聴いたことをきっかけに楽曲制作を始める。2024年、Daiki Sudoとして本格的に音楽活動を開始。8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースする

8月8日にデビューEP「EARTH」をリリースしたDAIKI SUDOは2023年に“水のように広がりながら、自然と調和するエレクトロニックミュージック“というコンセプトを元に活動を開始した。同作にはダウンテンポ、フューチャーベース、メロディックハウス、シンセポップを独自に解釈した4曲が収録されていて、いずれもアンビエンスをフィーチャーし広大な草原や雄大な山脈、無限に広がる海といったオーガニックな情景を想起させる。

1月にインドゴアへ移り、現在まであてもなく旅を続けているという。これまでに海外を拠点に生活してきたことがジャンルを横断した楽曲の根源になっているのか。音楽制作のプロセスやデビュー作の制作背景まで話を聞いた。

映画の1シーンから音を想像する

WWD:音楽制作を始めたのはいつ頃ですか?

DAIKI SUDO(以下、DAIKI):18歳の時に高校時代の仲間と一緒にヒップホップのユニットを組んでいて、自分はラッパーを担当してました。友達がトラックメイカーだったので、僕はスタジオでヴォーカルをレコーディングするだけ。音作りには関わっていませんでしたね。その頃、トラックメイカーの友達からSGルイスを勧められて「Warm」を聞きました。静寂した空間とピアノの旋律の情緒がすごくて。当時は生音とエレクトロの融合に未来感を感じていました。バーチャルシンセの実在しない楽器音と現実世界の生音、この非現実的な組み合わせの音像に影響を受けました。

その後グループが散り散りになって、1人になった時にヒップホップを続けるのではなく、ジャンルをまたいだ音楽を作りたいという欲求が芽生えました。それから自分でトラックメイクからミックス、マスタリングまでをYouTube見ながらやり始めたんです。

WWD:当時はどんな曲を作っていたのでしょうか?

DAIKI:当時はハウスっぽい曲が好きでした。ドレイク(Drake)の「パッションフルーツ(Passionfruit)」みたいなカリビアンぽさもある4つ打ち。ダンスミュージックでありながら、コードやメロディに情緒があってラップボーカルにもメロディが乗っているような曲が多かったです。

WWD:ディスコ・リバイバルとか1970〜80年代をアップデートしていく風潮の発端のような時代だったと思うのですが、当時の空気感にも影響を受けましたか?

DAIKI:僕はディスコよりも映画音楽からの影響が強かったです。最初は曲単体として聴いた「Warm」も「X-ミッション」っていう大自然の脅威とエクストリームスポーツをテーマにした映画の挿入歌だったんです。作品中で男女が夜の海に潜っていくシーンとの情緒が特に印象的で、その映像と音楽が鮮明に記憶に残っています。それから、フィルムスコアにどんどん惹かれていきました。

音が先行するのではなく、映画のシーンの情景に合うかどうか。曲単体よりも映像の世界観が頭の中でパッケージされた状態で音楽を聴くことが増えていったように思います。ルドウィグ・ゴランソン(Ludwig Goransson)も「メッセージ」のヨハン・ヨハンソン(Johann Johannsson)も好きでしたね。

WWD:情景が浮かんで音につながっていく前提として、世界各地に住んだり、旅をした経験が影響していますか?

DAIKI:それはありますし、SF映画や小説が大好きなので、現実世界に無い情景を拡大して妄想することも多いです。ただ、初めて楽器を習ったのも、自分でアルバムCDを買ったのもニュージーランドに住んでいた12~14歳の頃で、音楽を作る楽しさの感覚は間違いなくそこから来ています。初めて買った音源がアウルシティー(Owl City)のアルバム。当時すでにエレクトロニックミュージックやシンセサイザーのあたたかい感じがすごく好きで、その後、聴くようになったサウンドヒーリングのようなジャンルの2つの音楽が混ざっていきました。表現の幅が無限にあるエレクトロニックミュージックを聴き込むうちに、徐々にジャンルを断定しづらい音楽にのめり込んでいったんです。

現実と非現実の境界のような音楽

WWD:インドに渡ってから曲作りに変化はありましたか?

DAIKI:インドに来てからは、「ここは地球なのか?」と毎日のように自問自答しています(笑)。ほとんど裸の西洋人の男が腰まであるドレッド髪を靡かせてモーターバイクで滑走していたり、幅20メートルぐらいの巨大なガジュマルの樹のつたが自然と三つ編みになって天から地上に伸びていたり。人も景色も暮らし方もとにかく全てが日本の生活とかけ離れすぎていて、現実なのに自分にとっては非現実に感じるような状況が続いています。

インドの伝統音楽はキーやリズムの概念も遥かに複雑で、理解し難い部分もありますが伝統楽器のタブラという太鼓のリズム感とグルーヴは自分の曲のリズム作りにも少し影響しました。

また、インドは現在ドラムンベース、ジャングル、ゴアトランスといったエネルギッシュなジャンルのパーティーと、エクスタティックダンスという、焚き火を囲んで全員でサンスクリット語の曲を合唱して、ブレンドしたカカオを飲みながらアンビエントな音楽にうねるように踊る内省的で精神性の高いパーティーに二極化していて、どちらも別のベクトルに突き抜けた音の可能性を感じて楽しいです。

インドに来て、以前よりも重さや暗さ、逆にハッピーな時もどこか突き抜けるように、ありのままよりもドラマチックに物事を伝えたいという思いが強くなりました。

「EARTH」のフックで鳴っている音は、今まで聞いたことのない音を作りたいというモチベーションからできたんですが、もともとは耳触りの良い音の中のちょっとした違和感を探していたことがきっかけになりました。音が流れていく中で、引っかかるけど気持ちがいい。ある意味サプライズのような「気持ちのいい違和感」を常に作りたいと思っています。個人的にはエレクトロミュージックのパターンと縛りのないエクスペリメンタルの要素を混ぜてみたり、今回のEPではメインストリームの音楽の構成と規律を保ちつつ好きに流れをまとめています。

WWD:通しで聴くとある種の逃避性が備わっているように感じます。それは自身が求めているから、それとも無意識にそう感じさせるのでしょうか?

DAIKI:自分が求めているからだと思います。最初に音楽を作ろうと思った時、「露天風呂に合うような曲が作りたい」と思いました。温かい湯に浸かりながら、肌の上を転がるような気持ちのいい寒さを感じて曲を聴きたいという。これもある種、日々の生活からの逃避と捉えられるかもしれません。深いリラクゼーションの感覚と内に生まれる興奮や満足。このアルバムに関しては、ライブで盛り上がるような過程ではなくて、むしろ帰り道に自然の中、1人で内に入っていくような現実逃避の感覚が合うと思います。現実のとある場面で生まれる感情を楽しむための音楽というよりは、その感情を起点に別の世界に誘われるような音楽。フィルムスコアも含めて、フィクションとノンフィクションの境界が好きなので自然にそうなったのかもしれません。例えば、映画「her」の限りなく現実に近い非現実、共感はできるけど想像の余白がある世界観のような。

WWD:曲を作る時にはまず、映像が浮かぶのでしょうか?

DAIKI:好きなSF映画のワンシーンを見つめたり、頭の中に変な情景を具体的に妄想したりして、その場面にどんな音楽を流したいかという自問自答を繰り返しています。あとは、写真の影響も大きい。“EARTH”は木漏れ日の中、森の原っぱに寝転がっている想像のイメージから、横に流れる川、映画「アバター」に登場するような極彩色の野鳥が連鎖的に浮かびました。そこに音を重ねていくように、常に楽曲と映像はセットで考えています。

WWD:アルバム全体としてはどのように構成していったのでしょうか?

DAIKI:4年前に作った曲もありますし、シングルにするか、EPにするかも含めて今回リリースする「8%」というレーベルのToshiさん(「8%」代表)に相談し、一緒に仕上げていきました。自分の作品に対して過剰に感情を注いでしまうあまり、外から見て分かりづらい文脈になってしまうことがあるので、俯瞰した視点で意見をくれるToshiさんの存在はとても大きくて感謝しています。

WWD:タイトルの“EARTH”にはどんなニュアンスが込められていますか?

DAIKI:高知県の仁淀川で13時間以上かけて無計画にドライブしながらMVの素材撮りをしたんですが、とぐろを巻いた蛇の眼の上を歩く虫だったり、プローブレンズ越しの蝶の目がサッカーボールのように見えたり、全てが非現実に感じたんです。自分が現実ではあり得ないと思っていても、地球には想像を超える世界がまだまだ広がっている。インドに渡ってからさらに強くそう思うようになりましたが、僕たちがこうして誕生して命のバトンをつなぎ、曲を作ったりそれを楽しんだりできているという魔法のような状況も全てこの地球から来ているということに今更ながら感銘を受けて“EARTH”というタイトルにしました。

WWD:思い入れのある曲、難産だった曲はありますか?

DAIKI:最初にリリースしようと仕上げた曲が“SWIM”なんですけど、海を泳いでいるときの気持ちよさや水面の波紋、深く潜っていくにつれて感じる恐怖感を音に変換したいと思ったんです。美しい情景と同居している自然の脅威という異なる2つの感情を表現しようと思ったのですが、理想の音になるまで1年くらいかかりました。どれくらいの音の波長が尖っているのか、どこから温かみを感じるかなど、非常に細かい感覚で調整をしていました。浅瀬から深海までの情景をサインウェーブだけで作りたかったので、最初は滑らかなポコポコした音から始まって、波のように変化していく音のバリエーション。他の曲は比較的スムーズに仕上がったんですが、最初に発表するというプレッシャーもあったのかもしれません。

あてのないアジアへの音楽旅

WWD:現在はインドのゴアにいるんですか?

DAIKI:今はヒマラヤ山脈のパールヴァティ渓谷にいますが、少し前まではゴアにいました。音楽を理由にゴアに来たわけではないので、ローカルの瞑想音楽やゴアトランスを経験して、新しい感覚が生まれつつあります。自分の知っている音楽の世界の外側に、さらに莫大な音楽の世界が存在することに気づいたんです。以前、南アフリカに住んでいた時はドラムパターンがアフロビーツみたいになったり、アマピアノの影響も自分の楽曲に反映されています。これからはトランスミュージックや瞑想音楽のエッセンスが多くなっていくと確信しています。

WWD:インドは瞑想音楽やアンビエント作家も多くいますが、最初にゴアを目指したのはなぜですか?

DAIKI:きっかけはありません。ただ、ルーティン化してきた日本の生活をリセットしたい気分だったので、劇的に日常を変えたいという欲求が強くなってきて、何かを得ようという感覚よりもまっさらな状態になりたいというモチベーションでゴアに来ました。それまでトランスはほとんど聞いていませんでしたし、良さもわからなかった。でも、本場のローカルなエリアや森の中のレイヴで聴くと、この種の音楽が人の発するエネルギー同士を結びつけたり、周囲の自然と自分の波長を合わせるチャンネルになり得るという感覚と意味を肌で理解できました。自然と音楽のつながりを深く感じた経験でもありました。

WWD:現地のコミュニティーで気になったことはありますか?

DAIKI:20代のイスラエルの若者たちのファッションですね。クラシックヒップホップを好きな人がバギーなジーンズを引きずってベースボールキャップを被るように、トランス好きの若者にもBPMの高い音楽と結びついた特有の着こなしがあります。パーティーではサイケデリック、単色の鮮やかな色使いの動きやすいシャツにプリズムレンズを用いたサングラス、というのが大半のドレスコードとなっています。90年代の影響は強いですがストリートさはほぼなくスポーティで、ミニマルなスタイルや逆に懐かしさを感じるようにアップデートされたスタイルが多い印象です。あと、共通して人気なのは「オークリー(OAKLEY)」の“レーダー“です。

WWD:チベットとネパールではどんな音楽に触れたいですか?

DAIKI:最近、トゥクトゥクが故障した時のエンジン音をリズム用に録音したり、群衆の声や街の雑音などのフィールドレコーディングを始めました。フィクションとノンフィクションのバランスをもう少し生寄りにしたいと感じているからです。全部バーチャルではなくて、物体の肌感を取り入れたい。特にネパールでは瞑想音楽と人間の潜在意識に眠る力をより深く感じたいと思います。海外だとオープンに人とつながりやすいので、そういった素直な人間の温かみのような部分も今後の曲に反映されていくような気がします。

The post DAIKI SUDOがデビューEP「EARTH」をリリース 現実と非現実の境界を漂う音像 appeared first on WWDJAPAN.

ヘアサロン「レコ」内田聡一郎×AMANE  美容室がやるヤバいイベント“SCRAMBLE”の狙い

PROFILE: AMANE/「レコ」店長(左)、内田聡一郎/「レコ」CEO兼トップディレクター

PROFILE: 左:(あまね)1998年生まれ。茨城県出身。国際文化理容美容専門学校渋谷校卒業。2019年4月「レコ」入社。「レコ」初の新卒メンバーの1人で現在は「レコ」の店長を務める。趣味はDJ。プライベートは専らクラブ通い。幼少期をフィンランドで過ごし、フィンランド語と英語を話す。 右:(うちだ・そういちろう)1979年8月30日生まれ。神奈川県出身。2018年2月に独立し、3月1日に自身のサロン「レコ」をオープン。サロンワークをはじめ一般誌や業界誌の撮影、セミナー、数々のミュージシャンやアイドルのヘアメイクを手掛けるなど、幅広く活躍。プライベートではDJ活動も行っている。

人気ヘアサロン「レコ(LECO)」の7周年イベント“SCRAMBLE vol.2”が8月12日に渋谷の「クラブ エイジア」で開催される。出演者はラッパーのJUBEE (CreativeDrugStore)や藤田織也(Bleecker Chrome)、tofubeats、ZEN-LA-ROCKなど、サロンの周年イベントとは思えない豪華なラインアップだ。なぜこのラインアップが実現できたのか。そしてなぜこのタイミングでイベントを行うのか。イベントについて「レコ」代表の内田聡一郎と店長のAMANEに話を聞いた。

「これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしい」

WWD:「レコ」がオープンしたのが2018年3月1日。このタイミングで7周年イベントをなぜやろうと思ったのか?

内田聡一郎「レコ」代表(以下、内田):厳密にいうと「レコ」はオープンして6年半なんですが、5周年のイベントも2年前の8月にやったので、(イベントを)やるなら夏がいいなと。あと、7月29日に「クク(QUQU)」がイベントをやったので、それとあわせてサロン全体を盛り上げたいなという思いもあります。

5周年イベントをやった後は、「次は10周年かな」と言ってたんですけど、AMANEやスタッフが「10周年まで待てないです」って言って、みんなのやる気スイッチが入ったんで、「じゃあ7周年でイベントするか」となって。

WWD:今回もヘアサロンのイベントとは思えない豪華な出演者ですね。

内田:やるからには5周年イベントの盛り上がりを超えないといけないなって、僕とAMANEを中心にブッキングはかなりがんばりました。特にAMANEは本格的にDJもやっているので、そのつながりで半分以上のアーティストをブッキングしてくれました。

WWD:出演者はどう選んだんですか

AMANE「レコ」店長(以下、AMANE):「レコ」っぽさは絶対に出したかったので、 出演者の9割ほどがサロンにお客さんで来てくれている人たちです。1階のメインフロアとバーフロアは割とオールジャンルで、誰でも楽しめるようにブッキングしつつ、2階はディープな層に向けてハウス、テクノのDJを中心にブッキングしました。

内田:イベント名の“SCRAMBLE”は渋谷のスクランブル交差点からつけていて、いろんなジャンルの人が入り乱れるというイメージで、若手からベテラン、アイドルまで、ごちゃ混ぜ感があって「レコ」っぽい、ありそうでないラインアップになりました。しかも今回は17時から29時まで12時間やるんですよ。

AMANE:5周年のときは17時から23時まででしたね。

内田:時間も出演者も倍にパワーアップしています。AMANEと話しながら、「出てもらいたい人がいっぱいいて、23時までだとどう考えても終わらないよね」ってなって。「もう朝までやっちゃうか」ってノリで決めました。

いろんなファン層が入り乱れると思うんで、普段の音楽のパーティーだと触れてこなかった音楽に出会って、「これもかっこいいな」って思う人もいるはず。実際僕らもそういう体験をしてきているので、今回のイベントがその一つのきっかけになればいいよね。

AMANE:そうですね。これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしいです。

内田:イベントの裏テーマとしては、日頃AMANEがやっているようなイベントやクラブにも来てもらいたいという思いがあります。僕はそういうカルチャーで育ってきて、そこの面白さを知っているので、少しでも伝えられればいいですね。

美容以外のコミュニティーにもアプローチ

WWD:ヘアショーをやるわけじゃないですよね。

内田:それはまったく考えてません。もう一切ヘアは絡ませないというのは最初からのコンセプトです。よく美容室の周年のイベントって、ヘアショーメインで合間にライブやDJタイムがあったりするじゃないですか。それは否定するつもりはないですし、僕らも散々やってきたので、せっかくなら“SCRAMBLE”では違うことをやろうかなと思って。

やっぱり美容以外のコミュニティーにもアプローチしたいというか、普通にクラブ好きな人たちがこの出演者を見て、「このイベント、ヤバい」って思ってもらえたらうれしいですし、そこが一番の狙いです。なんなら「レコ」のことを知らなくて、このメンツだけを見て遊びに来て、実は美容室がやっているイベントなんだって知ってもらえるのが最高ですね。内容的に音楽好きな人が来ても楽しんでもらえると思います。

WWD:内田さん、AMENEさんも含め、「レコ」のメンバーも結構出ますね。

内田:サロン内にCDJの機材があるというのも大きいんですけど、いつでもDJやれる環境にあるんで、気が付いたらDJをやるサロンスタッフが増えてきました。AMANEはかなり本格的にDJもやっていて、僕よりも全然コアにやってます。

AMANE:「レコ」だとDJをやっても否定されないっていうのは大きいですね。「全然やっていいよ」という感じなので。僕自身も自分のイベントを月に2回くらいやっていたり、月6〜10本くらいはDJをやっています。

WWD:今回は朝までやるということで、さすがに次の日は、サロンは休みですか?

内田:ワーカホリックの自分でもさすがに次の休みですね(笑)。だからもう覚悟してやろうと思って。リハーサルから考えると13時間以上は現場にいるんですが、大量にアルコールも摂取すると思うので、朝方には酔っ払って「エイジア」の隣の駐車場でぶっ倒れてる可能性あります。

AMANE:そんなレアな内田さんが見れるかも。

内田:割と次の日のことを考えてすぐ帰るタイプなんですけど、この日だけは久々に朝までいて、めいっぱい楽しもうと思ってます。ぜひ、みなさんも一緒に楽しみましょう。

オープンから振り返って

WWD:せっかくのタイミングなので、オープンから現在までを振り返っていこうかなと。今、スタッフ数は?

内田:「レコ」「クク」「レコ オーベン(LECO öben)」「レコ オッド(LECO odd)」の4店舗合わせて40人ほどです。

WWD:オープンから現在まで順調でしたか?

内田:最初の2、3年は結構大変でしたね。創業メンバーも何人か辞めたり、コロナもありましたし。でも今のところ、経営が危ないみたいなことはなかったです。

WWD:内田さんはクリエイターとしても活躍して、経営者としても成功しています。

内田:自分では経営者って意識はそこまでなくて。僕は結構放任主義なんで、みんなが好きなことをやって、楽しくやってくれればいいかなって思ってます。

WWD:それでもこれだけサロンの色が強くて、少しずつ拡大しているサロンってなかなかないと思いますよ。

内田:やっぱり美容室って、ビジネス型とデザイン型ってまだ分かれていると思うんですけど、僕はハイブリッドでやっていきたいし、そのパイオニアになりたいと思ってます。デザインでも認められたいし、組織としても評価されたい。若いころからいろいろと面白いことやっている人に憧れがあったし、そういう人たちがかっこいいなと思ってたんで、スタッフにもそういう気持ちを共有しつつ、組織としてどうするかっていうのはまだまだ模索中ではあります。

WWD:フォトコンも定期的にやってますね。

内田:3カ月に1回くらいのペースでやってます。やっぱり、1人1人モチベーションは違うし、大変だと思うんですが、続けていくことで、結果的にその人の力になると思うし。ルーティンにすることで、自然と作品作りへのハードルも下がるだろうし。

WWD:AMANEさんから見た経営者としての内田さんはどうですか?

AMANE:ずっと背中で見せて、走り続けてくれているというのは本当にすごいし、ありがたいです。自分たちもやらなきゃいけないなって思いますね。あとは、スタッフがやりたいことには基本的に反対しないし、後押ししてくれる。さっきも言いましたが、僕がDJをやるのも応援してくれていますし。ただ、中途半端にやると怒られます。

内田:ブランディングがあるようでないのが「レコ」。他のサロンだと、(スタッフの)ファッションやSNS のやり方とかも細かく決めていたりもするんですが、うちの場合はみんな自由にやっていて、よく見るとスタッフ1人1人の打ち出すヘアとかも違っていたりするんです。うちはハイトーンのイメージが強いと思うんですが、AMANEはパーマが得意だったりしますし。まぁ基本的に「レコ」で働きたいという時点で、ある程度好きなものは似ているので、そこの共通認識は持てているかなと思うんですが。でも、その振り幅の広さが今のところいい感じに「レコ」っぽさにつながっているのかもしれないです。

AMANE:逆にみんな人とかぶらないように違うことをやろうという思っているところもあります。内田さんや浦さんを見ていると、自分らしさって大事だなと思います。内田さんを目指してもなれるわけではないので。

内田:「自分の色を出そう」という意識は他のサロンよりは強いかもしれないですね。 時にはそれが強くて、ちょっと動物園化してコントロールが大変なときもあるんですが(笑)。でも芯の部分ではみんな分かり合ってるっていうか、尊重し合えてはいると思います。

WWD:今後については?

内田:来年の新卒が入ると50人ぐらいになるので、自ずと新店舗の出店は考えなきゃいけないでしょうね。でも20店舗展開で、社員100人とか正直考えていないというか、考えたくないというか(笑)。まぁ徒然なるままにっていう感じで。自分は結構決断が早い方だと思うので、なるべくフラットにその時々の気分や情勢を考えて、やっていこうかなと思っています。

あと、さっきも言ったんですけど、常に面白くありたいというもあって。会社を大きくして、「なんかつまんない美容室になったな」って絶対に思われたくないですし。なんなら、美容室も経営しながら、クラブを経営したりしてもいいわけで。それこそ、「レコ」だからできることだとも思うので。

AMANE:それ、ヤバいっすね。

内田:そういうのがやっぱ面白いよね。 今回のイベントもそうですけど、オーバーグラウンドとアンダーグラウンド、美容業界とそれ以外の業界とか、いろんなジャンルをクロスオーバーさせてつなげるっていうのは、自分の使命だと思っているので。軸は美容業界におきつつ、そこから面白いことを仕掛けられたらなと思います。

■LECO inc. 7th Anniversary “SCRAMBLE vol.2”
開催日:8月12日
時間:17:00〜26:00
※ 本公演は入場時ID check(顔写真付き身分証確認)あり。22:00以降は未成年(20歳未満)の方は退出。
価格:(前売り)3500円、(当日)4000円)、サロンメンバー、美容学生2000円 (要「LECO」アプリ会員登録)(※要学生証)
https://cultureofasia.zaiko.io/item/364976

The post ヘアサロン「レコ」内田聡一郎×AMANE  美容室がやるヤバいイベント“SCRAMBLE”の狙い appeared first on WWDJAPAN.

ヘアサロン「レコ」内田聡一郎×AMANE  美容室がやるヤバいイベント“SCRAMBLE”の狙い

PROFILE: AMANE/「レコ」店長(左)、内田聡一郎/「レコ」CEO兼トップディレクター

PROFILE: 左:(あまね)1998年生まれ。茨城県出身。国際文化理容美容専門学校渋谷校卒業。2019年4月「レコ」入社。「レコ」初の新卒メンバーの1人で現在は「レコ」の店長を務める。趣味はDJ。プライベートは専らクラブ通い。幼少期をフィンランドで過ごし、フィンランド語と英語を話す。 右:(うちだ・そういちろう)1979年8月30日生まれ。神奈川県出身。2018年2月に独立し、3月1日に自身のサロン「レコ」をオープン。サロンワークをはじめ一般誌や業界誌の撮影、セミナー、数々のミュージシャンやアイドルのヘアメイクを手掛けるなど、幅広く活躍。プライベートではDJ活動も行っている。

人気ヘアサロン「レコ(LECO)」の7周年イベント“SCRAMBLE vol.2”が8月12日に渋谷の「クラブ エイジア」で開催される。出演者はラッパーのJUBEE (CreativeDrugStore)や藤田織也(Bleecker Chrome)、tofubeats、ZEN-LA-ROCKなど、サロンの周年イベントとは思えない豪華なラインアップだ。なぜこのラインアップが実現できたのか。そしてなぜこのタイミングでイベントを行うのか。イベントについて「レコ」代表の内田聡一郎と店長のAMANEに話を聞いた。

「これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしい」

WWD:「レコ」がオープンしたのが2018年3月1日。このタイミングで7周年イベントをなぜやろうと思ったのか?

内田聡一郎「レコ」代表(以下、内田):厳密にいうと「レコ」はオープンして6年半なんですが、5周年のイベントも2年前の8月にやったので、(イベントを)やるなら夏がいいなと。あと、7月29日に「クク(QUQU)」がイベントをやったので、それとあわせてサロン全体を盛り上げたいなという思いもあります。

5周年イベントをやった後は、「次は10周年かな」と言ってたんですけど、AMANEやスタッフが「10周年まで待てないです」って言って、みんなのやる気スイッチが入ったんで、「じゃあ7周年でイベントするか」となって。

WWD:今回もヘアサロンのイベントとは思えない豪華な出演者ですね。

内田:やるからには5周年イベントの盛り上がりを超えないといけないなって、僕とAMANEを中心にブッキングはかなりがんばりました。特にAMANEは本格的にDJもやっているので、そのつながりで半分以上のアーティストをブッキングしてくれました。

WWD:出演者はどう選んだんですか

AMANE「レコ」店長(以下、AMANE):「レコ」っぽさは絶対に出したかったので、 出演者の9割ほどがサロンにお客さんで来てくれている人たちです。1階のメインフロアとバーフロアは割とオールジャンルで、誰でも楽しめるようにブッキングしつつ、2階はディープな層に向けてハウス、テクノのDJを中心にブッキングしました。

内田:イベント名の“SCRAMBLE”は渋谷のスクランブル交差点からつけていて、いろんなジャンルの人が入り乱れるというイメージで、若手からベテラン、アイドルまで、ごちゃ混ぜ感があって「レコ」っぽい、ありそうでないラインアップになりました。しかも今回は17時から29時まで12時間やるんですよ。

AMANE:5周年のときは17時から23時まででしたね。

内田:時間も出演者も倍にパワーアップしています。AMANEと話しながら、「出てもらいたい人がいっぱいいて、23時までだとどう考えても終わらないよね」ってなって。「もう朝までやっちゃうか」ってノリで決めました。

いろんなファン層が入り乱れると思うんで、普段の音楽のパーティーだと触れてこなかった音楽に出会って、「これもかっこいいな」って思う人もいるはず。実際僕らもそういう体験をしてきているので、今回のイベントがその一つのきっかけになればいいよね。

AMANE:そうですね。これをきっかけにクラブで遊ぶ人が増えたらうれしいです。

内田:イベントの裏テーマとしては、日頃AMANEがやっているようなイベントやクラブにも来てもらいたいという思いがあります。僕はそういうカルチャーで育ってきて、そこの面白さを知っているので、少しでも伝えられればいいですね。

美容以外のコミュニティーにもアプローチ

WWD:ヘアショーをやるわけじゃないですよね。

内田:それはまったく考えてません。もう一切ヘアは絡ませないというのは最初からのコンセプトです。よく美容室の周年のイベントって、ヘアショーメインで合間にライブやDJタイムがあったりするじゃないですか。それは否定するつもりはないですし、僕らも散々やってきたので、せっかくなら“SCRAMBLE”では違うことをやろうかなと思って。

やっぱり美容以外のコミュニティーにもアプローチしたいというか、普通にクラブ好きな人たちがこの出演者を見て、「このイベント、ヤバい」って思ってもらえたらうれしいですし、そこが一番の狙いです。なんなら「レコ」のことを知らなくて、このメンツだけを見て遊びに来て、実は美容室がやっているイベントなんだって知ってもらえるのが最高ですね。内容的に音楽好きな人が来ても楽しんでもらえると思います。

WWD:内田さん、AMENEさんも含め、「レコ」のメンバーも結構出ますね。

内田:サロン内にCDJの機材があるというのも大きいんですけど、いつでもDJやれる環境にあるんで、気が付いたらDJをやるサロンスタッフが増えてきました。AMANEはかなり本格的にDJもやっていて、僕よりも全然コアにやってます。

AMANE:「レコ」だとDJをやっても否定されないっていうのは大きいですね。「全然やっていいよ」という感じなので。僕自身も自分のイベントを月に2回くらいやっていたり、月6〜10本くらいはDJをやっています。

WWD:今回は朝までやるということで、さすがに次の日は、サロンは休みですか?

内田:ワーカホリックの自分でもさすがに次の休みですね(笑)。だからもう覚悟してやろうと思って。リハーサルから考えると13時間以上は現場にいるんですが、大量にアルコールも摂取すると思うので、朝方には酔っ払って「エイジア」の隣の駐車場でぶっ倒れてる可能性あります。

AMANE:そんなレアな内田さんが見れるかも。

内田:割と次の日のことを考えてすぐ帰るタイプなんですけど、この日だけは久々に朝までいて、めいっぱい楽しもうと思ってます。ぜひ、みなさんも一緒に楽しみましょう。

オープンから振り返って

WWD:せっかくのタイミングなので、オープンから現在までを振り返っていこうかなと。今、スタッフ数は?

内田:「レコ」「クク」「レコ オーベン(LECO öben)」「レコ オッド(LECO odd)」の4店舗合わせて40人ほどです。

WWD:オープンから現在まで順調でしたか?

内田:最初の2、3年は結構大変でしたね。創業メンバーも何人か辞めたり、コロナもありましたし。でも今のところ、経営が危ないみたいなことはなかったです。

WWD:内田さんはクリエイターとしても活躍して、経営者としても成功しています。

内田:自分では経営者って意識はそこまでなくて。僕は結構放任主義なんで、みんなが好きなことをやって、楽しくやってくれればいいかなって思ってます。

WWD:それでもこれだけサロンの色が強くて、少しずつ拡大しているサロンってなかなかないと思いますよ。

内田:やっぱり美容室って、ビジネス型とデザイン型ってまだ分かれていると思うんですけど、僕はハイブリッドでやっていきたいし、そのパイオニアになりたいと思ってます。デザインでも認められたいし、組織としても評価されたい。若いころからいろいろと面白いことやっている人に憧れがあったし、そういう人たちがかっこいいなと思ってたんで、スタッフにもそういう気持ちを共有しつつ、組織としてどうするかっていうのはまだまだ模索中ではあります。

WWD:フォトコンも定期的にやってますね。

内田:3カ月に1回くらいのペースでやってます。やっぱり、1人1人モチベーションは違うし、大変だと思うんですが、続けていくことで、結果的にその人の力になると思うし。ルーティンにすることで、自然と作品作りへのハードルも下がるだろうし。

WWD:AMANEさんから見た経営者としての内田さんはどうですか?

AMANE:ずっと背中で見せて、走り続けてくれているというのは本当にすごいし、ありがたいです。自分たちもやらなきゃいけないなって思いますね。あとは、スタッフがやりたいことには基本的に反対しないし、後押ししてくれる。さっきも言いましたが、僕がDJをやるのも応援してくれていますし。ただ、中途半端にやると怒られます。

内田:ブランディングがあるようでないのが「レコ」。他のサロンだと、(スタッフの)ファッションやSNS のやり方とかも細かく決めていたりもするんですが、うちの場合はみんな自由にやっていて、よく見るとスタッフ1人1人の打ち出すヘアとかも違っていたりするんです。うちはハイトーンのイメージが強いと思うんですが、AMANEはパーマが得意だったりしますし。まぁ基本的に「レコ」で働きたいという時点で、ある程度好きなものは似ているので、そこの共通認識は持てているかなと思うんですが。でも、その振り幅の広さが今のところいい感じに「レコ」っぽさにつながっているのかもしれないです。

AMANE:逆にみんな人とかぶらないように違うことをやろうという思っているところもあります。内田さんや浦さんを見ていると、自分らしさって大事だなと思います。内田さんを目指してもなれるわけではないので。

内田:「自分の色を出そう」という意識は他のサロンよりは強いかもしれないですね。 時にはそれが強くて、ちょっと動物園化してコントロールが大変なときもあるんですが(笑)。でも芯の部分ではみんな分かり合ってるっていうか、尊重し合えてはいると思います。

WWD:今後については?

内田:来年の新卒が入ると50人ぐらいになるので、自ずと新店舗の出店は考えなきゃいけないでしょうね。でも20店舗展開で、社員100人とか正直考えていないというか、考えたくないというか(笑)。まぁ徒然なるままにっていう感じで。自分は結構決断が早い方だと思うので、なるべくフラットにその時々の気分や情勢を考えて、やっていこうかなと思っています。

あと、さっきも言ったんですけど、常に面白くありたいというもあって。会社を大きくして、「なんかつまんない美容室になったな」って絶対に思われたくないですし。なんなら、美容室も経営しながら、クラブを経営したりしてもいいわけで。それこそ、「レコ」だからできることだとも思うので。

AMANE:それ、ヤバいっすね。

内田:そういうのがやっぱ面白いよね。 今回のイベントもそうですけど、オーバーグラウンドとアンダーグラウンド、美容業界とそれ以外の業界とか、いろんなジャンルをクロスオーバーさせてつなげるっていうのは、自分の使命だと思っているので。軸は美容業界におきつつ、そこから面白いことを仕掛けられたらなと思います。

■LECO inc. 7th Anniversary “SCRAMBLE vol.2”
開催日:8月12日
時間:17:00〜26:00
※ 本公演は入場時ID check(顔写真付き身分証確認)あり。22:00以降は未成年(20歳未満)の方は退出。
価格:(前売り)3500円、(当日)4000円)、サロンメンバー、美容学生2000円 (要「LECO」アプリ会員登録)(※要学生証)
https://cultureofasia.zaiko.io/item/364976

The post ヘアサロン「レコ」内田聡一郎×AMANE  美容室がやるヤバいイベント“SCRAMBLE”の狙い appeared first on WWDJAPAN.

伊勢丹新宿本店に「ロンハーマン ジュエリー」 バイヤーに聞く新事業を立ち上げた理由

セレクトショップの「ロンハーマン(RON HERMAN)」を展開するリトルリーグは、ジュエリーに特化したセレクト業態である「ロンハーマン ジュエリー(RON HERMAN JEWELRY)」(以下、RHジュエリー)をスタートする。ロンハーマンは、「ホーセンブース (HOORSENBUHS)」「スピネリ キルコリン(SPINELLI KILCOLLIN)」などのジュエリーブランドを輸入販売しており、一部ブランドの国内輸入代理店として卸販売も行っている。8月28日は「RHジュエリー」の初の店舗が伊勢丹新宿本店本館(以下、伊勢丹)1階にオープンする。同業態をスタートする理由や背景について「ロンハーマン」の篠境茜バイヤーに話を聞いた。

ジュエリーで差別化を図り、新しい層にアピール

WWD:「RHジュエリー」を立ち上げたきっかけは?このタイミングでスタートする理由は?

篠崎茜「ロンハーマン」バイヤー(以下、篠崎):日本に上陸した2009年からジュエリーを販売していたが、11年に千駄ヶ谷店を拡大オープンした際にジュエリーコーナーができた。「ロンハーマン」では、一貫して、トータルコーディネートの一つとしてジュエリーを提案している。だから、現在13店舗あるが、ウエアとジュエリーコーナーを気軽に行き来してもらうということがコンセプトにある。今年、日本上陸15周年を迎えて、「ロンハーマン」が大切にしてきた価値観やワクワク感を新しい客層に届けたいという思いがあった。「ロンハーマン」の世界観をいろいろな人に楽しんでもらいたい。そのきっかけ作りのために、ジュエリーにフォーカスした施策を考え、外へ出て行こうと考えた。15周年は、次の5年後、10年後を作るスタートの年。そういう思いで新しい事業として「RHジュエリー」をスタートした。

WWD:ジュエリーに特化したショップにした理由と目的は?

篠崎:他のセレクトとの差別化するためにジュエリーにフォーカスし、伊勢丹にアプローチした。あまり事例がないため、伊勢丹も興味を持ってくれた。

WWD:ターゲットは?

篠崎:「ロンハーマン」の顧客は30~50代が中心。それより若い層や、さらに上の層、インバウンドなど。伊勢丹でどのような人との出会いがあるのか楽しみだ。

百貨店で「ロンハーマン」らしさを出すのが課題

WWD:「RHジュエリー」のコンセプトは?

篠崎:今まで巡り合った世界中のデザイナーを、ジュエリーを通して紹介する大切な場所。商品自体というよりは、空気感やスタッフとの会話など経験を楽しんでもらいたい。限られたスペースの中で、定番もありつつ、1点モノなどそこでしか出合えないものや、遊び心のあるもの、伊勢丹エクスクルーシブなどを織り交ぜながら、ブランドミックスやいろいろなスタイリングを提案できるようにしている。

WWD:販売するブランドのラインアップや価格帯は?

篠崎:「ロンハーマン」で販売しているジュエリーのブランド数は約20。伊勢丹では、「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ(MIZUKI)」「サン メイヤ(SUN MARE)」とオリジナルやネイティブアメリカンのジュエリーを扱う「R Hジュエリー」5ブランドでスタートする。価格帯は、9000円〜300万円と幅広いが、中心価格帯は20万円前後。

WWD:4階のジュエリーフロアではなく1階で「RHジュエリー」を展開する理由は?

篠崎:1階の方が、気軽により多くの人に見てもらえるし、買い周りしてもらえる環境にある。百貨店の売り場内で規制がたくさんある中で、どのように「ロンハーマン」らしさを出せるかが課題だ。

ビジネスとクリエイティブ両軸でディストリビューションも

WWD:日本国内でディストリビューションも行うブランドもあるが、その理由は?

篠崎:実は、代理店をしているブランドが中心で、ジュエリーでは「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ」のディストリビューションを手掛けている。全て「ロンハーマン」を通して出合ったブランドで、各ブランドの良さやオリジナリティーを十分理解しているので、共に成長していくことができる。デザイナーと近い関係にありながら、ディストリビューションを通して、小売りの状況などビジネスの視点をMDに反映することができる。デザイナーと共にクリエイション、ビジネス両方を形にしていけ、それを表現するのが店舗。クリエイション、ビジネス両方でメリットがある。

WWD:ディストリビューター兼小売店としての今後の戦略や課題は?

篠崎:心が揺さぶられたブランドと共に、信頼関係を築きながら、クリエイティブを大切に自然派生的なビジネスを継続していくこと。未来に向かって、ワクワクする新しいことや楽しいものやことを提案し顧客満足につなげたい。

The post 伊勢丹新宿本店に「ロンハーマン ジュエリー」 バイヤーに聞く新事業を立ち上げた理由 appeared first on WWDJAPAN.

伊勢丹新宿本店に「ロンハーマン ジュエリー」 バイヤーに聞く新事業を立ち上げた理由

セレクトショップの「ロンハーマン(RON HERMAN)」を展開するリトルリーグは、ジュエリーに特化したセレクト業態である「ロンハーマン ジュエリー(RON HERMAN JEWELRY)」(以下、RHジュエリー)をスタートする。ロンハーマンは、「ホーセンブース (HOORSENBUHS)」「スピネリ キルコリン(SPINELLI KILCOLLIN)」などのジュエリーブランドを輸入販売しており、一部ブランドの国内輸入代理店として卸販売も行っている。8月28日は「RHジュエリー」の初の店舗が伊勢丹新宿本店本館(以下、伊勢丹)1階にオープンする。同業態をスタートする理由や背景について「ロンハーマン」の篠境茜バイヤーに話を聞いた。

ジュエリーで差別化を図り、新しい層にアピール

WWD:「RHジュエリー」を立ち上げたきっかけは?このタイミングでスタートする理由は?

篠崎茜「ロンハーマン」バイヤー(以下、篠崎):日本に上陸した2009年からジュエリーを販売していたが、11年に千駄ヶ谷店を拡大オープンした際にジュエリーコーナーができた。「ロンハーマン」では、一貫して、トータルコーディネートの一つとしてジュエリーを提案している。だから、現在13店舗あるが、ウエアとジュエリーコーナーを気軽に行き来してもらうということがコンセプトにある。今年、日本上陸15周年を迎えて、「ロンハーマン」が大切にしてきた価値観やワクワク感を新しい客層に届けたいという思いがあった。「ロンハーマン」の世界観をいろいろな人に楽しんでもらいたい。そのきっかけ作りのために、ジュエリーにフォーカスした施策を考え、外へ出て行こうと考えた。15周年は、次の5年後、10年後を作るスタートの年。そういう思いで新しい事業として「RHジュエリー」をスタートした。

WWD:ジュエリーに特化したショップにした理由と目的は?

篠崎:他のセレクトとの差別化するためにジュエリーにフォーカスし、伊勢丹にアプローチした。あまり事例がないため、伊勢丹も興味を持ってくれた。

WWD:ターゲットは?

篠崎:「ロンハーマン」の顧客は30~50代が中心。それより若い層や、さらに上の層、インバウンドなど。伊勢丹でどのような人との出会いがあるのか楽しみだ。

百貨店で「ロンハーマン」らしさを出すのが課題

WWD:「RHジュエリー」のコンセプトは?

篠崎:今まで巡り合った世界中のデザイナーを、ジュエリーを通して紹介する大切な場所。商品自体というよりは、空気感やスタッフとの会話など経験を楽しんでもらいたい。限られたスペースの中で、定番もありつつ、1点モノなどそこでしか出合えないものや、遊び心のあるもの、伊勢丹エクスクルーシブなどを織り交ぜながら、ブランドミックスやいろいろなスタイリングを提案できるようにしている。

WWD:販売するブランドのラインアップや価格帯は?

篠崎:「ロンハーマン」で販売しているジュエリーのブランド数は約20。伊勢丹では、「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ(MIZUKI)」「サン メイヤ(SUN MARE)」とオリジナルやネイティブアメリカンのジュエリーを扱う「R Hジュエリー」5ブランドでスタートする。価格帯は、9000円〜300万円と幅広いが、中心価格帯は20万円前後。

WWD:4階のジュエリーフロアではなく1階で「RHジュエリー」を展開する理由は?

篠崎:1階の方が、気軽により多くの人に見てもらえるし、買い周りしてもらえる環境にある。百貨店の売り場内で規制がたくさんある中で、どのように「ロンハーマン」らしさを出せるかが課題だ。

ビジネスとクリエイティブ両軸でディストリビューションも

WWD:日本国内でディストリビューションも行うブランドもあるが、その理由は?

篠崎:実は、代理店をしているブランドが中心で、ジュエリーでは「ホーセンブース」「スピネリ キルコリン」「ミズキ」のディストリビューションを手掛けている。全て「ロンハーマン」を通して出合ったブランドで、各ブランドの良さやオリジナリティーを十分理解しているので、共に成長していくことができる。デザイナーと近い関係にありながら、ディストリビューションを通して、小売りの状況などビジネスの視点をMDに反映することができる。デザイナーと共にクリエイション、ビジネス両方を形にしていけ、それを表現するのが店舗。クリエイション、ビジネス両方でメリットがある。

WWD:ディストリビューター兼小売店としての今後の戦略や課題は?

篠崎:心が揺さぶられたブランドと共に、信頼関係を築きながら、クリエイティブを大切に自然派生的なビジネスを継続していくこと。未来に向かって、ワクワクする新しいことや楽しいものやことを提案し顧客満足につなげたい。

The post 伊勢丹新宿本店に「ロンハーマン ジュエリー」 バイヤーに聞く新事業を立ち上げた理由 appeared first on WWDJAPAN.

注目度No.1の出口夏希が語る「モデルと演技」 「演技は眠れないほど緊張する」

PROFILE: 出口夏希/モデル、俳優

出口夏希/モデル、俳優
PROFILE: (でぐち・なつき)2001年10月4日生まれ。「non-no」専属モデル。モデル、俳優として雑誌、映画、CMと幅広く活動中。主な出演作は「沈黙のパレード」(2022/監督:西谷弘)、「舞妓さんちのまかないさん」(23/Netflix)、「アオハライドseason1・ season2」(23・24/WOWOW)、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(23/監督:成田洋一)、「君が心をくれたから」、「ブルーモーメント」(24/CX)、「余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。」(24/Netflix 監督:三木孝浩)などがある。

モデル、俳優と大活躍の出口夏希。先日LINEリサーチが発表した「注目している/これからブレイクしそうと思う俳優」ランキングでは、女性俳優総合ランキング1位を獲得。「Z世代が選ぶ2024年上半期トレンドランキング」(Z総研)でも、流行った俳優・女優部門で1位に選ばれるなど、今まさにノリに乗っている存在だ。

そんな出口は丹月正光によるコミックス「赤羽骨子のボディガード」(講談社)を実写化した映画「赤羽骨子のボディガード」でヒロインの赤羽骨子を演じている。今回、映画撮影中の話や、モデルや俳優の仕事に対するスタンス、ファッションやビューティへのこだわりなどを聞いた。

共演者の印象は?

——映画「赤羽骨子のボディガード」でヒロインの赤羽骨子を演じてみて、役にどういった印象を持ちましたか。

出口夏希(以下、出口):最初に台本を読んだときは「(骨子が)こんなに最後まで守られていることを分からないことあるの?」って思いました。ただ、そこが面白いですし、“のほほーん”と学校生活を送ってダンスを一生懸命がんばっている子なんだなと思うと、演じていて楽しかったです。骨子のヘアもかわいいですよね。

——かなり天然で鈍感な役だとも思うのですが、出口さん自身は骨子と近い性格ですか?

出口:自分では骨子と近いとは思わないんですけど、「赤羽骨子FES.(完成披露試写会)」のときに、3年4組のクラスメートが私にバレないよう、与えられたミッションを行っていたことに全然気付けていなくって。「私、そんなに仕掛けられてるのに気付けないんだ」と驚きました(笑)。

——多くの役者さんが登場していますが、共演者の方の印象を教えてください。

出口:撮影自体は1カ月半くらいあったのですが、物語が「私に知られずにクラスメートが任務を行う」という設定だったので、なかなかクラスメートの皆さんとは、同じ撮影の日がなくて、結局最後まで全員で集まれませんでした。それは少し残念でしたね。でも、いくつか教室のシーンはあったので一緒になったときに、みんなでトランプしたりして、とても楽しかったです。それと、お父さん役(尽宮正人)の遠藤憲一さんとは以前(月9ドラマ「君が心をくれたから」)もお父さんと娘役で共演させていただいたことがあったので、今回も親子としてご一緒できてうれしかったです。また次もお父さん役で共演したいです。

——ラウールさんとは主演とヒロインという関係でしたが、印象に残ってるエピソードはありますか?

出口:土屋(太鳳)さんとのアクションシーンは迫力がすごかったですね。お2人とも、すごく集中していて、そばで見ていて、かっこよかったです。やっぱりアクションなので、けがしてしまう可能性もあるじゃないですか。それもあって、その日の撮影は、特にお2人ともずっと集中していました。

“守られ系”ヒロインはうらやましいけど「仲間に入りたかった」

——“守られ系”ヒロインを演じてみた感想を教えてください。

出口:ポスターだと、真ん中にのほほんと座っていて、お姫様みたいな感じなんですけど。演じている最中は本当に(どんな風に守られているか)何も分かりませんでした。ただ、完成した映画を見たときに「守られたい!いいな骨子」とは思いましたね。でも、その一方でオフショットを見ると、私だけその場にいないみたいなシーンも多かったので、仲間に入りたいなとは思いました(笑)。

——仲間に入るなら、どんな立ち位置がいいでしょう?

出口:着ぐるみ姿のかなで(3時のヒロイン)さんに肩車してもらって、その上で戦いたいです!逆に守りたいのは髙橋(ひかる)さんが演じた寧(ねい)かな。意外と周りを見て気をつかっているキャラクターだったので、心の方で守ってあげたいです。

——寧とはダンスシーンでも一緒でしたが、ダンスの練習はいかがでしたか?

出口:作品に入る4カ月前から練習を始めたんですけど、大変でした(笑)。もともとリズム感もあまりないし、動きもヘニョヘニョしてるタイプなので、最初はかっこよく踊れなくて。コンテストのシーンは、エキストラさんが1000人くらいいたので、本当にコンテストをやるような気持ちでめちゃめちゃ緊張しちゃって、足が震えてました。

求められているものを表現するのは得意

——先ほどダンスのお話がありましたが、モデル、演技、ダンスで緊張度合いのランキングをつけるならどんな順位になりますか?

出口:モデルの撮影はあまり緊張しないです。演技は、クランクインの直前とか眠れなくなるくらい緊張するので、毎回睡眠不足で現場に行ってます。でも、今回のダンスシーンはお客さんがいっぱいいたので、演技以上に緊張しました。さすがに撮影が何日間かあったので寝なきゃダメだなと思って、がんばって寝ましたけど(笑)。

——モデルの仕事は緊張しないんですね!

出口:昔は緊張していました。「Seventeen」のモデルを始めたときとかも現場に行くだけで緊張していました。ただ、より緊張度合いの高いドラマや映画の撮影をするようになってからは、モデルの撮影は緊張もしないし、逆に楽しくて、息抜きできるようになりました。

——モデルの仕事をするときのスタンスやこだわりはありますか?

出口:うーん……あまりないですね。現場によって求められるものも違ってくるので。今専属モデルをしている「non-no」とモード誌のハイブランドを着た撮影とでも、かわいいなのかクールなのか、全く違います。

——その求められているものを表現するのは得意だなと思いますか?

出口:得意だと思います。できているのか不安ですけど(笑)。でも、すてきなお洋服を着て撮ってもらえるのはすごく楽しいです。

——演技に関しては、今もまだ緊張されるのでしょうか?

出口:そうですね。最後は「やってよかったな」って毎回思えますけど、今は現場を重ねるごとに悩みが増えていきます。最初はただただ演じることに必死で深く考えることはなかったけど、少しずつ演技について考えるようになって、どんどん「なんにもできないな」って思ってしまうようになったというか。

——具体的にどんな悩みですか?

出口:いろいろありますが、どう演じればいいかが分からなくなったときです。役に対してやるべきことは分かっているんだけど、それをどう表現したらいいかが分からないときが特に。監督やスタッフさんといっぱい相談して話し合って、なんとなく答えが出たのに、それでもうまくできなかったときも落ち込みます。なので、まだまだがんばらないといけないなって思っています。

プライベートの顔は?「ファッションは楽なのが好き」

——ファッションとビューティについてもお伺いしたいんですけど、仕事が忙しい中でこだわりは?

出口:一番は「スキンケア」だと思っています。肌の調子が良くないと、メイクののりも悪くなって、テンションも下がっちゃうし、なるべく薄いメイク、ファンデーションだけでOKなように普段のスキンケアを念入りにしています。

——ファッションだと最近はどんなものが好きですか?

出口:楽な服が好きです。テイスト的には、かわいいものも、かっこいいものも好きなんですが、着てて楽なものがいいですね。そのまま寝られちゃうようなワンピースとか(笑)。あとは、年中セットアップが多くて、白と黒のモノトーンなカラーがお気に入りです。

——洋服はインターネットで買う派ですか? お店に行く派ですか?

出口:基本的にネットです。なかなかお店に行く時間がないのと、今、欲しいものをすぐに買いたいし、できるだけ早く着たいと思っちゃうタイプなので。

——最後に、今後やりたいことは?

出口:やっぱり海外旅行に行きたいですし、車の免許も取りたい。あと夏だから、川遊びをしたり、お祭りに行ったり、夏らしいことをしたいですね。屋台が大好きなんですよ。いちご飴、焼きそば、とうもろこし。あと、ベビーカステラも食べます。それから、かき氷も!

——お気に入りの屋台がたくさんあるんですね。

出口:屋台が並んでいる雰囲気も好きで、見て回るのが楽しいです。あとは、地元の友達と出かけたいなって思っています。毎年みんなでコテージを借りて女子会をするんですけど、今年は私が仕事で行けなかったので、もう1回開いてもらいたいです。

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLING:AMI MICHIHATA
HAIR&MAKEUP:OTAMA

■映画「赤羽骨子のボディガード」
現在公開中

主人公のヤンキー高校生・威吹荒邦を演じるのは、Snow Manのラウール。「ハニーレモンソーダ」(21)以来3年ぶりの主演となる本作では、久々の金髪姿を披露し、アクション練習も時間をかけてみっちり行った。そして、100億円の懸賞金をかけられるヒロイン・赤羽骨子には、話題作への出演が相次ぐ出口夏希。骨子を守るクラスメートに奥平大兼、髙橋ひかるなど実力派の若手が起用された。また、遠藤憲一や土屋太鳳らベテラン勢が物語のキーマンとして出演する。

原作:丹月正光「赤羽骨子のボディガード」(講談社「週刊少年マガジン」連載))
主演:ラウール
出演:出口夏希、奥平大兼、髙橋ひかる/ 遠藤憲一/土屋太鳳 他
監督:石川淳一
脚本:八津弘幸
製作:フジテレビジョン 松竹 講談社 
配給:松竹
©丹月正光/講談社 ©2024 映画「赤羽骨子のボディガード」製作委員会
https://movies.shochiku.co.jp/akabanehonekomv/

The post 注目度No.1の出口夏希が語る「モデルと演技」 「演技は眠れないほど緊張する」 appeared first on WWDJAPAN.

パリ五輪日本選手団の“表彰台ジャケット”、実は全員違うデザイン アシックスに協力した「ハトラ」に聞く

開幕直後から日本選手団のメダルラッシュに沸いているパリオリンピック。選手が表彰台やその後の記者会見で着用している朱赤の“ポディウムジャケット”(ポディウムは表彰台の意味)が目に焼き付いているという人も多いだろう。実はあのジャケット、選手によって微妙に色のグラデーションが異なっており、同じものは1つもないのだという。同ジャケットを日本選手団に提供しているアシックスの大堀亮 開発部マネジャーと、アシックスの企画チームに外部から参加した「ハトラ(HATRA)」の長見佳祐デザイナーに、デザインに込めた思いをリモートで聞いた。

WWD:そもそも、なぜアシックスのチームに「ハトラ」の長見さんが参加することになったのか。

大堀亮アシックス アパレル・エクィップメント統括部 開発部デレゲーションプロダクトチーム マネジャー(以下、大堀):アシックスは2016年のリオ大会以降、夏季・冬季共にオリンピックの日本選手団に公式スポーツウエアを提供していますが、製作に際し、(東京大会で『ソマルタ』デザイナー廣川玉枝さんが参加したように)必要に応じてその道のスペシャリストに協力してもらっています。今回は、パリのファッションの文脈や現地の感覚を理解していて、パリ大会が掲げている“史上最もサステナブルな五輪”という点でも知見がある長見さんに協力いただくことになりました。

長見佳祐「ハトラ」デザイナー(以下、長見):パリのエスモードに留学し、まだ10代だった頃から4年間パリに住んでいました。今回依頼を受けて、パリの街の中心で開催されるオリンピックに貢献する仕事に参加できることを単純に嬉しく感じました。

3Dモデリングでサンプル廃棄も削減

WWD:具体的に、アシックスと長見さんとで、どのように役割分担をしていたのか。

大堀:基本的にはアシックス主導で製作を進めています。デザインや、テクノロジーの活用によるサステナビリティの実現といった観点で、企画進行に協力いただいたワットエバーを通じて長見さんにサポートしてもらいました。オリンピック開催時期のパリの気候についてわれわれもデータを集めることはできますが、長見さんはそれを実体験として、街の雰囲気を含めて知っているので説得力がある。テクノロジー面では、長見さんが得意としているCGを使った3Dモデリングを生かすことで、デジタル上で実際のウエアがどんなものになるかのシミュレーションを重ねることができています。

長見:アシックスにはスポーツ工学研究所があり、長年人体データを収集し、科学的にシューズやアパレルの生産に取り組んでいます。そのデータの活用の仕方や分かりやすく世に見せるという点で、自分にも協力できる部分があるなと感じました。

大堀:選手が走ったり、動いたりした時に、ウエアのどの部位にどれくらいの圧力がかかるかといったことも3Dモデリングでは可視化できます。そこに、アシックスがもともと持っていた「ボディサーモマッピング」の技術も組み合わせ、シミュレーションしていきました。“ポディウムジャケット”はアシックスの福井の工場で縫っているので、海外工場で縫うよりは生産に時間がかかりません。しかし、サンプル製作には最低でも1〜2週間が必要。その点、デジタルシミュレーションなら瞬時に結果が出ます。圧力がかかりやすい脇の下のパーツなどは特に何度もシミュレーションを重ね、その上で実物のサンプルを試作して検討を重ねて作っています。製作にかかった期間はトータルで2年以上ですが、多いときで週に4〜5回、なんなら1日に3回オンラインでミーティングしたこともありました。デジタルシミュレーションを多用したことで、廃棄するサンプルを減らすことにもつながっています。

「集団でなく個にフォーカスしたい」

WWD:色柄やシルエットなどのデザインで特に重視したことは。

長見:選手団としてチームの一体感は持ってもらいたい。ただ、個人が集団に埋もれてしまうことなく、選手1人1人にフォーカスするようなデザインにするにはどうしたらいいかを強く考えました。“ポディウムジャケット”はグラデーションカラーの生地でパーツを裁断・縫製しており、全く同じデザインは1着もありません。一つのユニホームでありながら、実は各自が着ているものが全て違うというコンセプトはなかなかないと思います。

大堀:実際に服を着るのはアスリートであり、もちろん彼らの意見も重視しています。これはオリンピックにおいて毎回難しいポイントですが、製作している段階では出場が内定している選手はほとんどいません。そこは日本オリンピック委員会や日本パラリンピック委員会と協業して作っています。“ポディウムジャケット”はスポーツウエアであることが前提ですが、選手にとっては正装であり、特にクラシックな競技の選手や関係者からは、スーツのような品格のあるたたずまいを求める声も多くいただきました。それに応えられるよう、襟がきれいに立つパターンや、特殊な4層構造のニット素材をメインに使用することで、軽量でありながらしっかりとした生地感も追求しています。

WWD:同じデザインでありながら、1人1人を際立たせるというコンセプトは、すごく難しいものだと思う。

長見:例えば水泳選手とマラソン選手では体形も全く異なります。一般のアパレルブランドでサイズが異なるというのとは次元が違う。そこはCG上でサンプルを着せるモデルのバリエーションをできるだけ多くして、どんな体形の人にもフィットするデザインをデジタルで確認しながら進めていきました。オリンピック選手とパラリンピック選手も全く同じデザインのウエアを着ています。それゆえ、ファスナーは弱い力でも着脱がしやすいモデルを採用しており、そのために縫製の仕様も変える必要がありました。

大堀:実は、ファスナーについてはチーム内で議論が白熱したポイントの1つです。弱い力でも使いやすいファスナーを使うためには縫製の仕方に制約がありますが、それをクリアした上でいかにかっこよく見せるかを徹底的に話し合いました。

長見:クリエーションに対する制約とも言えるものがさまざまにあって、でも、それがあるからこそ生まれてくるデザインがあるのだということを実感しました。

柔道、阿部選手の金メダルに現地で感動

WWD:酷暑だった東京大会に比べ、パリ大会では寒暖差への対応も重視してウエアを製作している。

長見:実は今、オリンピックに合わせてパリに来ていますが、実際に朝晩の気温は10度台で、日中は30度を超える。1日の中で15度前後の差があります。

大堀:“ポディウムジャケット”は外気温が暑いときは衣服内の熱を放出し、寒い時は衣服内に空気を留めるために、脇や背中に配したパーツのメッシュ孔が開閉する仕組みになっています。酷暑の東京大会では常に通気する機能素材の“アクティブリーズ”を開発して使っていましたが、“アクティブリーズ”はその後、一般販売する製品にも広がりました。オリンピックやパラリンピックのアスリート向けウエアは、一般に販売する製品につながるR&Dの側面も担っています。

WWD:実際に大会で選手が着用している姿を見て、今どんなことを感じているのか。

長見:取材の前日にちょうど、阿部一二三選手が出ていた柔道男子66キロ級を観戦してきました。フランスも柔道大国で、自国の選手が出てくると会場は人気アーティストのライブかのように盛り上がりますが、それでも日本を含め他国の選手にリスペクトがあって、阿部選手が優勝を決めたときにはスタンディングオベーションが巻き起こっていました。そういう中で、自分が企画に参加したウエアで阿部選手が表彰台に上る姿を見ると、とても感慨深いものがありましたね。

大堀:そういう思いももちろんありますが、選手がメダルを掛けられている光景を目にして自分が一番強く感じるのは、安堵の気持ちです。ウエアのどこかが破れたりファスナーが取れたりといったトラブルがなく、選手が着用できているということへの安堵感。パリ大会に限らず、会期中は四六時中、ウエアに問題は起こっていないだろうかと考えてしまいます。

WWD:選手が着ているのと同じウエアはわれわれも買えるのか。

大堀:“ポディウムジャケット”を含む、選手と同じ仕様のオーセンティックモデル7型はアシックス公式ECで全て完売、直営店でも残り少なくなっています。レプリカモデルのTシャツ(9900円)はスポーツ専門店などで販売している。パリオリンピック関連製品は、全体的に売れ行きも好調です。

The post パリ五輪日本選手団の“表彰台ジャケット”、実は全員違うデザイン アシックスに協力した「ハトラ」に聞く appeared first on WWDJAPAN.

「シャネル」のパッケージ・グラフィックデザイン責任者が語る、最もラグジュアリーなリップスティックなどの制作秘話

PROFILE: シルヴィ・ルガストゥロワ/「シャネル」パッケージ・グラフィックデザイン制作責任者

シルヴィ・ルガストゥロワ/「シャネル」パッケージ・グラフィックデザイン制作責任者
PROFILE: パリのデザインスクール(E.D.P.I−工業デザイン専門学校)を主席で卒業し、ベルギーの装飾絵画学校(Van Der Kelen Institute)で学んだ後、1984年にシャネル入社。93年、香水・化粧品部門と時計・宝飾部門のパッケージ・グラフィックデザイン制作責任者に就任 ©CHANEL

「シャネル(CHANEL)」の化粧品といえば、光沢のあるブラックのケースにゴールドのリングが輝くリップスティック“ルージュ ココ”や、直線的なラインのボトルに白いラベルと宝石のようなカッティングを施したストッパーが特徴のフレグランス“No5”、手のひらに収まる卵形のフォルムが話題を呼んだハンドクリーム“ラ クレーム マン”など、洗練されたパッケージとグラフィックデザインが思い浮かぶ。そんなパッケージ・グラフィックデザインの制作責任者を務めるシルヴィ・ルガストゥロワ(Sylvie Legastelois)が来日した。ルガストゥロワは9月に入社40年を迎え、「自分の中に、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)=創業者の魂が宿っている」と語る。メゾンのスタイルとコードを継承しながら、新たな美を追求し続けるルガストゥロワに、デザインのプロセスやこだわり、環境に配慮したデザイン設計について聞いた。

シャネルのアパルトマンはインスピレーションの宝庫

WWD:新商品のパッケージ・グラフィックデザインを考えるときのプロセスは?

シルヴィ・ルガストゥロワ「シャネル」パッケージ・グラフィックデザイン制作責任者(以下、ルガストゥロワ):まずは自分の中でアイデアを探す。長く勤めてきたので、「シャネル」のヘリテージは自分の中に染み込んでいるわ。自分の中にシャネルが宿っているようなものなの。絶対にしないことは、すぐにシャネルのアパルトマンを見に行くことや、ほかのメゾンをリサーチすることね。「シャネル」のパッケージには一貫性があり、ほかのパッケージが新たなアイデアに影響を与えることもある。顧客のニーズとメゾンのコードの両方をリスペクトして、新しいストーリーを紡ぐことを大切にしているわ。

WWD:「シャネル」の多くのクリエイターが訪れるシャネルのアパルトマンはどのような場所?

ルガストゥロワ:アパルトマンは、インスピレーションの宝庫ね。シャネルは前衛的なクリエイターで、多くの象徴的な出来事や出会いを経験した。彼女のアパルトマンは、シンボリックなオブジェで溢れているわ。「シャネル」の香水や化粧品、宝飾品、ファッション......全てがアパルトマンから、つまりはシャネルというクリエイターからインスピレーションを受けている。

WWD:パッケージを制作する上でのこだわりは?

ルガストゥロワ:簡単なことではないけれど、五感の全てにおいて完璧を目指しているわ。視覚はもちろんのこと、ワンタッチ式リップスティックのクリック音など、聴覚も意外と大切。触れたときの質感や、手で握ったときの収まり方など触感にもこだわっている。「シャネル」が生み出した最初のビューティが“No5”だったのだから、嗅覚にこだわっていることは明らかね。味覚はあまりイメージが湧かないかもしれないけれど、リップスティックを唇に乗せたときの快感などをラボで追求している。

WWD:肌をクールダウンしながらマッサージできる回転式アプリケーターを備えた目元用美容液“アイセラム No1 ドゥ シャネル”(15mL、1万2980円/レフィル、1万890円)などから、触感を追求している姿勢を感じ取ることができる。

ルガストゥロワ:スキンケアでは、持ったときや肌に乗せたときに注意力が研ぎ澄まされる感覚を特に重視している。もちろん処方が最優先だが、“アイセラム No1 ドゥ シャネル”においてはアプリケーターに冷たい感触を与えるメタルを採用し、マッサージできる回転式のデザインにすることで処方の効能をさらに高めようと試みた。リップであれば、チップの素材や形状など、人間の身体工学を考慮して開発している。

WWD:アイパレットやチークの型押しがかわいすぎて、「もったいなくて使えない!」というファンが多いことは、どう考えている(笑)?

ルガストゥロワ:実は私も使えないのよ(笑)。ツイードや花模様など、パウダーに施すデザインは「コメット コレクティヴ(COMETES COLLECTIVE)」やシャネル メークアップ クリエイティブ ストゥディオが手掛けている。美しい彫刻が削れてくると、悲しくなるわよね。保存用を別で買うという声も聞くわ。

“トランテアン ル ルージュ”では鏡張りの階段をガラスのケースで表現

WWD:昨年9月に発売した“トランテアン ル ルージュ”(全12色、各2万5300円/レフィル、各1万1550円)は、ガラスのケースが印象的だ。

ルガストゥロワ:まるで宝飾品のような、最高にラグジュアリーなオブジェを作りたいと思ったの。環境を配慮したデザイン設計で、かつジュエリーのように継承できるから長く使えるという意味でもサステナブル。シャネルのアパルトマンにある鏡張りのらせん階段を着想源に、日本のガラス職人と制作した。

WWD:制作する上での困難は?

ルガストゥロワ:薄くて丈夫なガラスの開発には4年ほど費やしたわ。といっても、“ロー オードゥ トワレット”(50mL、1万6500円/100mL、2万3100円)という新作を発売する香水“ガブリエル シャネル”のボトルの開発には7年かけたから、それほど長くは感じなかったわ(笑)。リップを格納する金属は、最初はゴールドと考えていたが、階段の反射を表現するため最終的にはシルバーを採用した。キャップは、フレグランスのボトルと同じようにマグネット式で、カチッと閉まる快感と音もとことん追求した。マグネット式にすることで、ダブルCのロゴが必ず正面を向くようになっているの。エレガントなデザインで、レフィルの付け替えも簡単。デッサンを描いて終わりではなく、サンプルを作って、実際に手で持ってみて、角やカーブなど細部まで調整を重ねる。「完璧」に限りなく近づけるための時間は惜しまないわ。私たちの周りには「シャネル時間」が流れていると考えているの。

ラグジュアリーな体験とサステナブルなデザインは両立し得る

WWD:パッケージ・グラフィックデザインでは、どのようにサステナビリティに取り組んでいる?

ルガストゥロワ:“トランテアン ル ルージュ”は、リップを格納する部分を金属の単一素材にすることで、リサイクル可能になった。また、“No1 ドゥ シャネル”は全ラインの中で特にサステナビリティを意識しており、ボトルのキャップは北欧企業とパートナーシップを結び、天然素材で作っている。処方に用いるカメリアオイルの抽出後に残る殻を粉砕してキャップの素材に利用するなど、できるだけ廃棄物を減らすデザインを実践している。

WWD:ラグジュアリーな体験とサステナブルなデザインの両立における困難は?

ルガストゥロワ:多くの挑戦があるけれど、受け身になって「(サステナブルなコンセプトを)仕方なく導入する」というのは私のモットーに反するわ。たとえば20年前にできなかったことを、今どのように実現できるかを考えるのはワクワクする。“No1 ドゥ シャネル”では、キャップのダブルCロゴをエンボス加工にすることでインク使用量を削減した。エンボスするときはロゴを少し大きくし、円形のキャップ自体を丸い線として活用するという工夫を思い付いた。“ガブリエル シャネル”のフレグランスは、ボトルに沿った緩衝材を作ることで資源を削減した。シャネルは「必ず前を向いて仕事をする」と言って、競争相手を見るのではなく、未来を見て仕事をするフィロソフィーを伝授してくれた。常に、何か新しいことに挑戦できないだろうかと前向きに取り組んでいるわ。

The post 「シャネル」のパッケージ・グラフィックデザイン責任者が語る、最もラグジュアリーなリップスティックなどの制作秘話 appeared first on WWDJAPAN.

“透明感カラー”のバリエーションで高い支持を得る 【次世代美容師:「アッシュ 下北沢店」福島成美ディレクター】

PROFILE: 福島成美/「アッシュ(Ash)下北沢店」ディレクター

福島成美/「アッシュ(Ash)下北沢店」ディレクター
PROFILE: (ふくしま・なるみ):美容師歴10年。顔周りカットと髪質改善カラーが得意で、高い指名率を誇る。撮影・ヘアショー・コンテストなどにも積極的に参加し、世界最大級の美容師コンテスト「ユナイテッド・ダンクス・コンテスト 19」フォト部門でグランプリを受賞。趣味は韓国旅行で、最近は韓国ヘアの打ち出しも人気。PHOTO:YOHEI KICHIRAKU

SNSにより個人での集客が可能になった今、美容師の“セルフブランディング”の重要性が増している。さらに多様な働き方が可能になったり、得意分野を持つ“特化型美容師”が登場したりするなどの背景もあり、これまでの画一的なフレームを超える個性や特徴を備えた美容師が求められている。そうした“次世代型”の美容師にスポットを当てる当連載。第2回は、“透明感カラー”で人気の「アッシュ(Ash)下北沢店」福島成美ディレクターに話を聞いた。

WWD:美容師を目指したきっかけは?

福島成美「アッシュ 下北沢店」ディレクター(以下、福島):中学生のとき、髪のクセに悩んでいて、毎日ヘアアイロンに時間をかけないとうねりがひどい状態だった。そこで親に相談して縮毛矯正をかけたところ、ビフォー&アフターの違いがすごくて、乾かしただけでストレートになるように。それが、「美容師ってすごい!」と思うようになったきっかけだった。高校生になると、お祭りの際にヘアアレンジをしてもらうなど、美容師とのかかわりが増え、「美容師になりたい」と思うようになった。美容専門学校の授業の中に、「アッシュ」のスタッフが教えてくれるカリキュラムがあり、そこでのつながりを通して「アッシュ」で働きたいと思うようになった。

WWD:「アッシュ 下北沢店」の客層は?

福島:下北沢は住宅街でもあるので、周辺の人が主要な顧客。けれど下北沢に遊びに来る際に寄ってくれる人も多いので、遠方からのお客さまの割合も高い。年齢層は幅広いが、私のお客さまには高校生~20代後半の女性が多い。顧客の嗜好としては、おしゃれな人が多いけれど、エッジィなデザインを求める層は少ない印象。カラーリングのニーズは高く、7〜8割がワンカラー、2〜3割が(インナーなどポイントカラーも含めた)ブリーチデザインをオーダーするお客さまだ。

WWD:サロンワークのこだわりは?

福島:私はカラーが得意で、カラー比率はかなり高い。 ここ数年は、明るく透明感のあるカラーや、インナーカラーの人気が継続している。学生を中心に、前髪や顔周りにブリーチを入れたデザインカラーのオーダーが多く、パーソナルカラーを踏まえた提案を行っている。その際に気を遣っているのが、カウンセリングでの仕上がりイメージの共有。学生には慣れていない人も多いので、例えば同じ青味でも赤寄りかクール寄りかなど、画像を見てもらいながら繊細に行っている。

WWD︰今のトレンドカラーは?

福島︰韓国トレンドの影響で、春夏は鮮やかな赤、赤ピンク、紫のオーダーが多い。寒色だと、透明感のある暗過ぎないカーキベージュがトレンドだ。赤味を消したいニーズは継続して高く、特に「赤味を消して透明感を出したい」という人がかなり多いので、「イルミナカラー」の「アーバンスカイコレクション」を使う機会が増えている。

WWD︰グレー系の新色“ムーンライト”と“ナイトスカイ”?

福島︰そう。どちらも赤味を取って色を均一にしてくれるので、明るくしつつ透明感を出しやすい。ブリーチなしでそれができるので、職場などで明るさに制限がある人にも提案しやすい。“ムーンライト”を使うことが多いが、赤味が強いときには、少し深みのある“ナイトスカイ”をアレンジしている。

WWD︰ワンカラーが多い?

福島︰比較的ワンカラーが多い。ブリーチで明るくしてから色を入れると、さらに透明感を出せるが、ブリーチによるダメージを気にする人が多い。ただ「アーバンスカイコレクション」から「ライトニングシステム」が出たので、「ブリーチはしたくないけれど透明感はほしい」「明るくしたいけれど、ブリーチをするほどではない」というニーズには、それで対応するようになった。そういうニーズは本当に高い。

WWD︰実際にブリーチとの違いは感じる?

福島︰特に違いを感じるのは、仕上がりの髪の手触り。ブリーチすると髪が細くなり、過度に柔らかくなってしまうケースが多いが、「ライトニングシステム」だと芯が残り、ハリコシを感じる印象。ブリーチほどダメージがないので、縮毛矯正の履歴のある人や、髪が細くなっている人にぴったりだと思う。傷みを気にせず、ブリーチオンカラーをやり続けるお客さまはごく一部で、「縮毛矯正をかけた後にブリーチをしたら、髪が傷んで後悔した」と話すお客さまも多い。そうした「エッジィなデザインは求めていないけれど、ダメージに配慮しつつおしゃれを楽しみたい」という、当サロンの主要顧客にはとても提案しやすい。

WWD:今注力していることは?

福島:クリエイションに力を入れている。入社して2~3年目くらいから撮影を始めて、最初はサロンスタイルの撮影だったが、4~5年目くらいからモードなクリエイティブ作品も作るようになった。昨年は、世界最大級の美容師コンテスト「ユナイテッド・ダンクス・コンテスト 19」のフォト部門でグランプリを受賞したり、社内コンテストでグランプリを受賞したりと、成果を出すことができた。作品をSNSにも投稿したが、「こういった作品も作っているんだ」と、けっこう反響があった。今後もさらに、さまざまなコンテストにチャレンジしていきたい。

The post “透明感カラー”のバリエーションで高い支持を得る 【次世代美容師:「アッシュ 下北沢店」福島成美ディレクター】 appeared first on WWDJAPAN.

「CFCL」×エマニュエル•ムホー 100色のポッタリードレスを伊勢丹新宿店で展示

高橋悠介クリエイティブ・ディレクターが手掛ける「CFCL」は、建築家兼アーティストのエマニュエル・ムホー(Emmanuelle Moureaux)と協業し、100色のポッタリードレス用いたインスタレーションを東京・伊勢丹新宿本店のポップアップスペースで8月25日まで開催中だ。

かねてよりムホーの作品のファンだったという高橋クリエイティブ・ディレクターからオファーした。会場ではムホーが選んだ100色のポッタリードレスを波のようにうねるラックに並べ、背後にはポッタリードレスに採用する帝人フロンティアのリサイクルポリエステル糸も合わせて展示した。

ポッタリードレスを生み出す3Dコンピューター・ニッティングの技術は、理論的には1着からでも作れるが、糸の交換などの手間を考えると現実的ではない。今年2月に自社生産拠点「CFCLニッティングラボ(CFCL Knitting Lab.)」を立ち上げたことで、100色の製作が可能になった。「他社も仕掛けたことないくらいの圧巻の色展開を見せるには、彼女がぴったりだと思った」と高橋クリエイティブ・ディレクター。

ムホーは、「『CFCL』はデザインのよさはもちろん、根底にある哲学にも共感するブランドだ。色には人々を笑顔にする力がある。ポッタリードレスで色の楽しさを目で、体で感じてもらいたい」と話す。

好きな色でオーダーが可能

期間中は100色の中から自分の好きな色を選んでスカート(5万5000円)とスリーブレストップ(3万6300円)の2型のオーダーが可能。「ありがたいことに、伊勢丹のお客さまにはすでにポッタリードレスをお持ちの方も多い。自分の肌や季節、オケージョンに合わせて好きな色で作れるという新たな価値提供にも挑戦したい」と高橋クリエイティブ・ディレクター。将来的には、オーダーメードでの商品展開も検討しているという。

■100 colors of skirts emmanuelle moureaux x CFCL Supported by ECOPET®

日程:7月31日~8月25日
場所:伊勢丹新宿本店本館2階 イセタン ザ・スペース
住所:東京都新宿区新宿3-14-1
時間:10:00~20:00

The post 「CFCL」×エマニュエル•ムホー 100色のポッタリードレスを伊勢丹新宿店で展示 appeared first on WWDJAPAN.

ショー復活の「ヴィクトリアズ・シークレット」 プロデューサーが語るランウエイ計画

2018年以来、6年ぶりのファッションショー復活を発表した「ヴィクトリアズ・シークレット(VICTORIA’S SECRET)」。ショーのプロデューサーを務めるジャニー・シャファー(Janie Schaffer)=チーフ・デザイン&クリエイティブ・オフィサーとサラ・シルヴェスター(Sarah Sylvester)=マーケティング担当エグゼクティブ・バイス・プレジデントに、ショーの計画について聞いた。

08年に「ヴィクトリアズ・シークレット」に入社し、12年に退社、そして20年に復帰したシャファーは「誰もが見たことがないような、より大きく、より良いショーになるだろう。昔の『ヴィクトリアズ・シークレット』のフィルターではなく、現在の『ヴィクトリアズ・シークレット』のレンズを通して、私達のショーがいかに素晴らしいものであったかを讃える意味が込められている」と語る。

2018年に開催した最後の“ヴィクトリアズ・シークレット・ファッションショー”

18年に行われた最後のショーでは、「ヴィクトリアズ・シークレット」のスーパーモデル、通称エンジェル達が登場し、ショーン・メンデス(Shawn Mendes)、リタ・オラ(Rita Ora)、ザ・チェインスモーカーズ(The Chainsmokers)、ビービー・レクサ(Bebe Rexha)、ホールジー(Halsey)、リーラ・ジェイムス(Leela James)、ケルシー・バレリーニ(Kelsea Ballerini)、ザ・ストラッツ(The Struts)が音楽パフォーマンスを披露した。ニューヨークのピア94で収録され、後にABCで放映された。

当時、Lブランズの傘下だった「ヴィクトリアズ・シークレット」は、20年の「ニューヨーク・タイムズ」で女性差別やいじめ、ハラスメントの文化があることを暴露された。毎年恒例のテレビ特番は中止され、ファッションショーのチーフ・マーケティング・オフィサーを長年務めてきたエド・ラゼック(Ed Razek)は、プラスサイズやトランスジェンダーモデルの採用を拒否したことで反発を受け、退社した。この年、リアーナ(Rihanna)の「サヴェージ×フェンティ(SAVAGE X FENTY)」が多様性にあふれたモデルを起用し、インクルーシブなブランドとして立ち上げられている。

2021年にLブランズから独立

21年、ヴィクトリアズ・シークレットは上場企業として独立。23年には アマゾンプライム(Amazon Prime)で「ヴィクトリアズ・シークレット・ワールド・ツアー」でスクリーンにカムバックを果たした。このドキュメンタリーは、ブランドのランウエイモデルのためにカスタム・ルックを考案する20人のグローバル・クリエイティブ・グループ”VS20”にスポットを当てている。

ヴィクトリアズ・シークレットは2024年2〜4月期において、前年同期比3.4%減の13.6億ドル(約2080億円)の売り上げを計上し、400万ドル(約5億4000万円)の純損失を計上した。

“インクルージョン”を目指して

現在、ヴィクトリアズ・シークレットはランウエイからビジネス全体まで、全ての活動においてDEI(Diversity=多様性、Equity=公平性、Inclusion=包摂性)を考慮している。シルヴェスターは「これこそ、ここ数年の私達の変革における最も重要な部分である。ショーを見たり、初めてブラジャーのフィッティングを受けたり、SNSでフォローしたりと、すべての女性が参加できるブランドになりたい。ファッションショーはその究極の姿になるはずだ」と語る。続けて「あらゆるタイプの女性がランウエイに登場する。それがとても重要なことだ。ブランドをより身近でインクルーシブなものにするため、ランウエイで見たものをオンライン購入できることも1つのポイントだ」とシャファー。視聴者はランウエイで披露される“ホリデー・インティメート・アパレル・コレクション“を含むラインアップをすぐに購入することができる。

テレビ放映とエンジェルの“ウイング”について

今回のショーをテレビ放映するのか、もしくはオンラインでライブストリーミングするのかについては、2人は明言していない。「より新しく、より現代的な方法で、どのようにショーを披露することができるのか興味がある。そして、顧客がどこで時間を過ごし、それが何を意味するのかにも興味がある。かつてのようなテレビであるかもしれないし、そうでないかもしれない。あらゆる選択肢を検討している」とシルヴェスター。

これまでのところ、次のファッションショーには元エンジェルのテイラー・ヒル(Taylor Hill)に加え、ナイジェリア人モデルのマヨワ・ニコラス(Mayowa Nicholas)が初登場することがわかっている。ヒルは秋のキャンペーンビジュアルにも登場する。

シャファーはショー復活をインスタグラムでアナウンスした時のことを「とんでもない出来事だった」と振り返る。「信じられないような反響だった。インスタグラムからTikTokまで、すべての記録を塗り替えたと思う。ショー復活を切望する人達から98%の肯定的なコメントが寄せられ、100億回以上のインプレッションを獲得した」。

さらに「私達は強さから脆さまで、女性の全てを象徴する“ウイング”を愛している。このショーは美しい“ウイング”で溢れかえることだろう」と語る。参加モデルの正確な人数については明言しなかったが、その人数はこれまでのショーを上回ると言う。「私達はビッグなホリデーコレクションを持っている。表現したい分野もたくさんある。歌って踊っての大騒ぎになるだろう。たくさんのエンターテインメントやモデル、ウイング、そして魅力に溢れている。とても美しいものになるだろう」と続けた。

ランウエイに期待される”サプライズ”

今回、スタイリストやアートディレクター、アーティストと協力し、ランジェリーや洋服で“サプライズ”を顧客に提供し、「それはとてもスペシャルなファッションショーになるだろう」するとシャファーは言う。そしてシルヴェスターは、ランウエイで披露する新しいスポーツコレクションについて、「“予想外の楽しい方法で ”フィーチャーする予定だ」と付け加えた。

「『ヴィクトリアズ・シークレット』は過去にスポーツコレクションで成功を収めたが、当時の手法からは撤退した」とシャファーは言う。テクニカルな素材をハイファッションのフィルターを通して表現すると言うのだ。「ショーは『ヴィクトリアズ・シークレット』の“スポーツ”に対する視点を示すことができる、パーフェクトな方法だ」。

アイテムはランニング用のリフレクティブ・アウターウエアからテクニカル素材のレギンスまで豊富にラインアップする。昨年にはスポーツブラ“フェザーウェイトマックスブラ”“フェザーウェイトフロントクローズブラ”を追加したばかりだ。「『ヴィクトリアズ・シークレット』のスポーツブラはずば抜けている。私達の“フェザーウエイトマックス”は、世界をリードするスポーツブラだ。軽くて丈夫で、1日中着用してトレーニングすることができる」。

新たなランウエイを確立する
女性ならではの視線

シルヴェスターとシャファーは長い間ブランドに関わっているが、共にファッションショーをプロデュースしたことはないと言う。「私達は“こうでなければならない”“ああでなければならない”という先入観を持っていない。そのため、プロデュース業はとても楽しい」とシルヴェスター。ブランドがこれまで制限されていたことを、枠にとらわれずに考えることができるようになったと彼女は言う。

さらに「女性の視点も取り入れている」とシャファー。「サラと私がこのショーに携わってきたこと、そしてショーに関わるすべての人、商品をデザインしている人ーー今日、私達のビジネスに関わっている全ての人が女性である。これが私達のビジネスの根本的な変化だ。女性の目を通してビジネスを見ることで、これまでとは全く違うものになると感じている」。

The post ショー復活の「ヴィクトリアズ・シークレット」 プロデューサーが語るランウエイ計画 appeared first on WWDJAPAN.

「ジュエリーは私にとって母国語」 シャルロット・シェネに聞く和光とのコラボとクリエイション

PROFILE: シャルロット・シェネ / 「シャルロット シェネ」デザイナー

シャルロット・シェネ / 「シャルロット シェネ」デザイナー
PROFILE: フランス・パリのスタジオ・ベルソーを卒業後、ニコラ・ジェスキエールが率いる「バレンシアガ」でアシスタントデザイナーを9年間務め、ジュエリーコレクションの立ち上げにも参画。15年に自身のブランド「シャルロット シェネ」を設立。同年にフランス国立モード芸術開発協会主催の「ANDAMファッション・アワード」のアクセサリー部門でグランプリを受賞。「サカイ」「ラバンヌ」「ロロ・ピアーナ」などとのコラボを経て和光のコラボが実現。現在パリに直営店が3店舗、世界で80~100店舗で販売 PHOTO:SHUHEI SHINE

フランス発ジュエリー「シャルロット シェネ(CHARLOTTE CHESNAIS)」のデザイナーであるシャルロット・シェネが来日した。先月には、パリ・ギャラリーラファイエット店内に直営店3店舗目をオープンしたばかりだ。シェネは、東京・銀座のランドマークである和光の本館地階の改装オープンに合わせ、コラボレーションジュエリーとインスタレーションを用意。来日した彼女に和光とのコラボの経緯や感想、クリエイションについて聞いた。

和光は他にはない詩的で特別な場所

WWD:和光とのコラボレーションはいつ、どのように始まった?

シャルロット・シェネ「シャルロット・シェネ」デザイナー(以下、シェネ):プロジェクトが始まったのは2年前くらい前。改装前に和光を訪れて、プロジェクトチームとインスタレーションと改装記念の特別なコラボ作品について話し合った。

WWD:コラボのコンセプトは?

シェネ:特別コラボ作品は、滋賀県の神保パールを使用した。パールの品質が素晴らしく、何て美しい素材だろうと感動した。和光の顧客は感度の高い人が多いので、特別なものにしたかった。これらは、とても日本的であると同時にフランス的。この素材を選んだのはフランス人の私だけど、素材は日本産だから。パールのコレクションは約1年半前にパリで15本のネックレスを製作。そのストーリーを神保パールや和光と共に継続する良いきっかけになった。

WWD:和光についての印象や魅力は?

シェネ:和光が持つ歴史に感動した。大理石の素晴らしい階段があって、どこにでもあるようなビルではない。70年以上の歴史のある素晴らしい館とコラボできてとても光栄だ。改装された地下を見れば、その特別感や素晴らしさを体感できるはず。私は、世界中の素晴らしい百貨店や店舗を訪れるけど、このような詩的で特別な場所は他にはない。

WWD :ジュエリー以外にも、ウインドーの彫刻作品も手掛けたのは?

シェネ:2019年前に「イエール国際フェスティバル」に招聘されたときに、ジュエリーではなく彫刻を発表した。ジュエリーはコマーシャルな要素があるもの。もっと芸術的な意味の強い彫刻を手掛けようと思った。何年も彫刻を手掛けてきている。和光のウインドーの彫刻を手掛けられることができてうれしい。

ジュエリーは私の母国語のようなもの

WWD:;ジュエリーデザイナーになったきっかけは?

シェネ:「バレンシアガ(BALENCIAGA)」でファッションのデザイナーとして仕事をしていた。クリエイティブ・ディレクターだったニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)にジュエリーを手掛けてほしいと言われた。当時、誰もジュエリーにフォーカスしてなかったから、偶然の出来事だった。だけど、それが、私にとって、突然のひらめきだった。クリエイションにおいて、ジュエリーを発見した。ジュエリーを手掛けるのは、母国語を話すのと同じような感覚だ。元々、椅子やスプーン、ティーポットなど、オブジェクトデザインが好きだった。それで、正にファッションとデザインの間のジュエリーが、ぴったりはまったというわけ。

WWD:ブランドのコンセプトや一番の強みは?

シェネ:私がジュエリーデザイナーになった当時は、そうなることがトレンドだった。たくさんジュエリーデザイナーがいたから、他のブランドとは違うものにしたかった。私は、スケッチはあまり得意ではなく、成形という方法で全て原型を作る。私にとっては、成形の方が自然で簡単。ある日、ブレスレットを作ろうと思って、iPhoneのチャージャーを自分の腕に巻き付けて、いろいろ試して形作ってからアトリエへ送ったことがある。ブランドは、私の個人的なプロジェクトのようなもの。全てのアイテムをデザインするし、私自身の反映だと思う。クラシックだけど、新しい。どこか不安的な要素がある。見続けていると、それがクラシックに見える、そんなデザイン。カーブが特徴で存在感があるけど軽さがある。ある意味、相反する要素があると思う。

カメラのレンズのように物事を捉えて作品に

WWD:デザインのインスピレーション源は?

シェネ:あらゆる物事。たくさんの敬愛するアーティストがいるし、日本も私にとっては、大きなインスピレーション源。私の目はカメラのレンズのように全ての物事を記録して、それを、個人的なフィルターを通して作品へ投影する。だから、コレクションにテーマはなく、私が感じたことを表現している。

WWD:ベストセラーとその理由は?

シェネ:誰もが着けられる“アイビー”ブレスレットや“トリプレット”イヤリング・“ミラージュ”はどこか、マジックのよう。製作している時は、何がベストセラーになるか分からない。「シャルロット シェネ」らしく、クリーンで想像を超えるようなデザインが人気だと思う。

WWD:今後、どのようにブランドを成長させたいか?

シェネ:ビジネスを拡大させたいけど、それぞれの取引先との関係性を大切にしていきたい。家族経営で、夫と3人の子どもがいるから、オーガニックに成長させていきたい。今後は、もっと、ファインジュエリーを作っていきたいし、彫刻のプロジェクトも増やしていきたい。

The post 「ジュエリーは私にとって母国語」 シャルロット・シェネに聞く和光とのコラボとクリエイション appeared first on WWDJAPAN.

哲学者・千葉雅也が「センスの哲学」で伝えたいこと——芸術と生活をつなぐ

PROFILE: 千葉雅也/哲学者

千葉雅也/哲学者
PROFILE: (ちば・まさや)1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。「動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」(第4回紀伊國屋じんぶん大賞、第5回表象文化論学会賞)、「勉強の哲学――来たるべきバカのために」、「デッドライン」(第41回野間文芸新人賞)、「マジックミラー」(第45回川端康成文学賞、「オーバーヒート」所収)、「現代思想入門」(新書大賞2023)など著作多数。PHOTO:MAYUMI HOSOKURA

「センスが良い」「悪い」とはどういったことなのか。そもそも「センス」とは何か。そして「センス」は高められるのか——そうした問いに応えてくれるのが哲学者の千葉雅也による書籍「センスの哲学」(文藝春秋)だ。

本書は、音楽、絵画、小説、映画など、芸術的ジャンルを横断しながら、さまざまな側面から「センス」について考える芸術の入門書だ。なぜ哲学者である千葉が「センス」に関する本を出版したのか。その経緯から本書に込めた思いを聞いた。

「センスの哲学」執筆の経緯

WWD:哲学者である千葉さんがなぜ「センス」についての本を出そうと思ったんですか?

千葉雅也(以下、千葉):結果的に哲学を専門とすることになりましたが、もともとは美術に興味があったんです。両親が2人とも美術系の学校を出ていたこともあり、小さい頃から、絵を描いたり、工作をしたりと、美術的な遊びをすることが多かった。ピアノも弾いていて、音楽的な遊びもしていたんですが、自分にとっては美術がメインでした。一時期は美大に行きたいという気持ちもありました。ですが、高校生のときに、批評を書き始めて、言語の方に関心が移っていきました。大学でも入学してしばらくは美術制作もしていて、美術の批評も書いたりもしていたんですけど、3年生頃からもっと理論を勉強しなければいけないと思い、制作も批評もやめて、哲学の勉強に専念するようになりました。

その後、転機になったのは、2008年に造形作家・批評家の岡﨑乾二郎さんが主催するシンポジウム「批評の現在」に参加したことです。そこから再び批評的な文章も書くようになりました。

そこから10年以上がたち、関西に移って何冊も本を書いてきて、美術や音楽、文学といった狭義の芸術だけでなく、生活全般あるいはコミュニケーションのあり方など、そういうことまで含めての広い芸術論を自分なりにまとめてもいいんじゃないかと思った次第です。

WWD:本書の最初では「センス」を「直観的に分かること=直観的で総合的な判断力」と定義されていました。

千葉:そうですね。何かものの良し悪しを、「ぱっ」と判断できるっていうのが、広く「センス」と言われているんだと思うんですよね。「あの人は絵が分かる」「音楽が分かる」「料理が分かる」など、いろいろなことについて言われるわけです。その「直観的に分かる」ということは、知性のあり方として古代からの伝統的なテーマではあるんです。そういう伝統を踏まえた上で、より現代的な芸術の問題に近いところでの「センス」について考えました。

WWD:そして「センス」は生まれもったものではなく、磨くことができると?

千葉:「センスが良い、悪い」は生まれつきの能力のように言われることが多いと思うんですが、この本では、必ずしもそうではないと説明しています。

多くの人は、何かを鑑賞するときに、「この作品にはこういう意味があって、何のために作られたのか、何を伝えたいのか」と説明できることが必要だと考えるようです。ですが、それよりも、もっと即物的にどういう配置で絵が描かれているのか、 色のバランス、音の対比、面積のコントラストなどはどうなっているのか、そういう組み立ての面白さを判断するということが、「センス」につながる。それは、ある程度勉強し、練習すれば、理解できるようになると思います。

美術やファッションの教育現場ではそういうことを教えていると思いますが、一般には、そういう即物的にものを見るということ、それはフォーマリズム(形式主義)※といいますが、 そういうことに慣れてない人が多いようです。皆さんやっぱり意味が分かんないとダメなんじゃないのかと思ってしまうんですよね。

※「フォーマリズム」は、芸術を語る上で重要なものは「形」であると考える芸術理論。フォーマリズムは作品にある抽象的で構成的な特質に注目する。「抽象的で構成的な特質」とは具体的に、線、形、色などの要素。

ですから、僕はそんなに目新しいこと言っているつもりはなくて、本書を通して、鑑賞者と作り手とがつながるようなものの見方を広く伝えたいと思っています。

WWD:この本は一般の人に向けて書かれたんですね。

千葉:そうですね。大きく芸術と生活をつなげることを目的にしています。ただ、研究として独特のことも書いていて、論文何本分もの内容が詰まってはいるので、専門的に研究している人でも楽しめると思います。

「センス」をリズムから捉える

WWD:その中で、本書では「センス」をリズムから捉えるっていうのが新鮮でした。

千葉:ものの構造をリズムで捉えるような批評はこれまでもありました。ただ、音楽、絵画、小説、映画、生活に至るまで、ここまで横断的にあらゆるジャンルのものをつないで、具体的に論ずるものは他にあまりないと思いますね。特に本書の表紙の話で、餃子とロバート・ラウシェンバーグの抽象絵画をつないで論じるというのが象徴的だと思います。

WWD:意味や目的から離れて、即物的にものを観ることの面白さを語っていますが、例えば、「あの人が描いているから、これは評価されている」みたいに、コンテクストを踏まえた上でセンスがいいと判断されることもあるのかなと思いますが。

千葉:本書の第4章では、「センス:ものごとをリズムとして『脱意味的』に楽しむことができる」と説明しています。どういう人が褒めているか、誰が否定しているかという評価のコンテクストも、一種のリズムの問題として捉えられると思います。

ファッションの場合だと、例えば、ラグジュアリーストリートでは、ストリートの文脈に対してハイファッション的なアイテムをコーディネートしたときに、ぶつかって面白くなるわけで、それも凸凹のリズムのバランスだと言える。ストリート的なものと、そこから離れたものを組み合わせたらかっこいいというのが定番化すると、今度はそれに対する逆張りで、よりフォーマルな方に落ち着くといった流れも考えられますが、それもリズムの話になってくるわけです。

WWD:一般的にセンスを磨くというとインプットの量と質が大事だと言われますが、千葉さんはどう思いますか?

千葉:まずインプットの量が必要なのはそうでしょう。経験的な勘ですが、インプットの量の閾値があると思っていて、それを超えると理解力が高まって、作れるようになったりする。でも、ずっと大量にインプットし続けなければいけないとは思わないです。インプットがかえって邪魔になることもある。ただ、若いうちに勉強(インプット)しておいた方がいいとは思います。

ファッションへの期待

WWD:3年ほど前のインタビューで、あまりファッションに興味がなくなっていると話されていましたが、今はどうですか?

千葉:当時は、コロナ禍もあって、ファッションにも閉塞感があり、飽和していると思っていました。でも、今はアジアのファッションも面白くなってきていて、また動向を追ってみようかなと思い始めています。

WWD:先日公開された千葉さんの「note」でのファッション論では、面白いファッション、スタイルを考えていきたい、と書かれていました。

千葉:そこでの「面白い」というのは、コンテクストにしても、形態にしても、複合的な意味での凸凹をいかに組み立てるかですね。僕のベースは90年代以降のファッションで、ハイなものとローなものといった、対立するものの混在に関心がある。それは変わっていないですね。言い換えると、二項対立の脱構築が問われるようなファッション。

ただ、ハイとローのコンテクストの衝突にしても、現在ではより難しくなっている感じがします。文脈を衝突させるというのは、ある種のアイロニーであり、ユーモアであり、そこに一種の政治性があると思うのですが。

WWD:ファッションに期待することはありますか?

千葉:デザイナーやメーカー、メディアに期待していることってあまりないんですが、人々に期待していることはあります。それはとにかく、変な服の着方をしてほしいということ。それに尽きるかな。

WWD:服に限らず、千葉さんの中に根本的にはそれぞれ自由に楽しんでほしいという思いがあるんですね。

千葉:楽しむことでもあるし、楽しむっていうだけだとハッピーな世界観に思われるかもしれませんが、それ以上に、面白く服を着ることが、世の中に対するある挑発であるし、ある種の「いじわる」をすることだと思うんです。みんなが当たり前だと思っているものに対して、違う角度を提示するという。そういう「いじわる」を皆さんにはやってほしいと思っています。

■「センスの哲学」
目次
第1章 センスとは何か
第2章 リズムとして捉える
第3章 いないいないばあの原理
第4章 意味のリズム
第5章 並べること
第6章 センスと偶然性
第7章 時間と人間
第8章 反復とアンチセンス
付録 芸術と生活をつなぐワーク
読書ガイド

著者:千葉雅也
定価:1760円
サイズ:46判/ページ数 256p/高さ 19cm
出版社:文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918273

The post 哲学者・千葉雅也が「センスの哲学」で伝えたいこと——芸術と生活をつなぐ appeared first on WWDJAPAN.

漫画「ブルーピリオド」と「コンバース トウキョウ」がコラボ グラフィックのTシャツなど4型

「コンバース トウキョウ(CONVERSE TOKYO)」は実写映画の公開を控える漫画「ブルーピリオド」とコラボしたアイテムを8月2日にコンバース トウキョウ全店で発売する。公式オンラインサイトで先行予約を受付中だ。

「ブルーピリオド」は山口つばさが原作の“マンガ大賞2020”を受賞した漫画。登場キャラクターの矢口八虎、鮎川龍二(ユカちゃん)、橋田悠が「コンバース」の象徴である星を描くなら、というテーマのもとに山口がグラフィックを描き下ろした。キャンバスに見立てた生地にグラフィックをプリントし、背面に縫い付けたTシャツ(9680円)やグラフィックを忠実に再現した織りネームを縫い付けたトートバッグ(7920円)、B5サイズのクロッキー帳(1650円)、グラフィックと山口のサインをプリントしたポスター(2750円)など4アイテムをラインアップする。

アイテム詳細

コラボの発売を記念して山口へのインタビューも実施。作品内容やキャラクターのファッション事情など、公式オンラインストアで公開している。また、8月2〜18日にコンバース トウキョウ宮下パーク店で学生・若者アーティストの企画展も開催、「ブルーピリオド」をコンセプトにした作品や、アーティストらの作品を展示する。

The post 漫画「ブルーピリオド」と「コンバース トウキョウ」がコラボ グラフィックのTシャツなど4型 appeared first on WWDJAPAN.

アート展示デザインの第一人者アドリアン・ガルデールが語る「美術館、須藤玲子、テキスタイル」

美術館や博物館の展示物をどう見せるかをデザインする「展示デザイナー(EXHIBITION DESIGNER)」について、実は日本では美術館関係者の間でも知る人は決して多くはない。展覧会によっては建築デザイナーやインテリアデザイナーがその役割を果たすこともある。ただ、世界の有力美術館・博物館の大規模展覧会にもなれば、展示構成などの見せ方・見え方で、展覧会自体の評価も大きく変わる。非常に重要や役割を担っているのだ。アドリアン・ガルデール氏は、この分野の世界的な第一人者で、建築家の妹島和世氏が手掛けたルーヴル美術館ランス別館を筆頭に、美術館・博物館大国のフランスやイギリス、イタリア、米国に加え、日本や中国など世界中の有力な博物館・美術館、研究機関、キュレーター、建築家とタッグを組んで仕事を行ってきた。美術館・博物館関係者であれば、ガルデール氏の運営するスタジオの「仕事一覧」を見れば、数々の有力展覧会にその名を刻んでいることに驚愕するはずだ。そんなガルデール氏は、須藤玲子氏の国内外の展覧会の強力なパートナーの一人なのだ。連載の特別編として、ライターの鈴木里子によるアドリアン・ガルデール氏へのインタビューをお届けする。

PROFILE: アドリアン・ガルデール/展示デザイナー

アドリアン・ガルデール/展示デザイナー
PROFILE: (Adrien Gardère)1972年、フランス生まれ。家具・インテリアデザイナーとしてキャリアをスタートし、2000年に「スタジオ・アドリアン・ガルデール」を設立。家具デザイナーとしても手掛けた作品は「パリ装飾美術館」にパーマネントコレクションとして収蔵。ルーブル美術館(仏パリ)やアガ・カーン美術館(カナダ・トロント)などの美術館、SANAAやフォスター+パートナーズ、槇文彦の「マキ&アソシエイツ」などの建築家ともタッグを組む PHOTO:EMI NAKATA

「展示デザイナー」の仕事の内容は?

フランスを拠点に活動する展示デザイナー、アドリアン・ガルデール氏。世界中の美術館および博物館での企画展と常設展、そのいずれも手がける彼は独自の世界観でいきいきとした展示をつくり出す。水戸芸術館のテキスタイルデザイナー・須藤玲子氏の展覧会「須藤玲子:NUNOの布づくり」にも関わったガルデール氏が、来日。展示デザイナーという仕事の役割をはじめ、印象深いプロジェクトや今後の活動について聞いた。

ー展示デザイナーという仕事は、日本ではまだあまりなじみがありません。どんなことをしているのでしょうか。

アドリアン・ガルデール(以下、ガルデール):比喩的な表現をすれば、物語の織り手です。キュレーターや考古学者や美術史家、そしてアーティストが伝えたい内容を、空間に織り込んでいくのが私の役割です。美術館とそれを設計した建築家とキュレーターの間に立ち、展示デザインを行います。また私は、振付師のようなものでもあります。来館者が展示空間においてどう振る舞うかをデザインするのです。展示物を軽やかなステップで鑑賞し続けられるようにするのが大切ですね。展示物と来場者が、いかに楽しくダンスするか。

ー手がける展覧会の分野は決まっているのですか。

ガルデール:分野で狭めることはありません。イスラム美術、ローマ美術、中世、現代、なんでもやります。もちろんテキスタイルも。

須藤玲子氏と関わるきっかけ

ー須藤さんのテキスタイルの展示デザインを行うようになったきっかけは?

ガルデール:米国ワシントンのジョン・F・ケネディー舞台美術センター(The John F. Kennedy Center for the Performing Arts)で行った展覧会「ジャパン!カルチャー+ハイパーカルチャー」(2008年)です。2005年から私は、同センターの国際フェスティバルの展示デザインとアートディレクションを務めています。数週間単位で展示が入れ替わる、スピード感あふれるなかで、玲子さんと彼女が手がけるテキスタイルに出会いました。テキスタイルの展示はそのほかのオブジェクトと性質が異なり、「動的」であることが求められます。いきいきと動いてこそ、テキスタイルの本質が見えてくる。止まっていたら、そこはテキスタイルの「墓場」となってしまう。特に玲子さんのテキスタイルはとてもダイナミックですから、その躍動感を伝えるための展示手法を探りました。

玲子さんと共に、日本の伝統的なテキスタイルの使われ方をリサーチする工程で、鯉のぼりに出合いました。風にたなびく鯉、ピッタリではありませんか!試作を始めて、垂直に吊るしていた玲子さんの案を横にして、群れになって泳いだり飛んだりしている動きを加えて、ヒレなどはなくしてプリミティブなフォルムにして……。そうやって、玲子さんのテキスタイルに命を吹き込んでいきました。

ー鯉のぼりはその後、世界を旅しましたね。

ガルデール:そうです。フランス・パリの国立ギメ東洋美術館(2014年)、東京・六本木の国立新美術館(2018)年、大分県立美術館(2018年)。香港のCHAT(2019年)からは展示の一部となります。そして今回の水戸芸術館。展示空間は会場ごとに異なりますが、鯉の群れが動くという構成はそのままに、新たな鯉が増えたりしています。水戸芸術館では外部空間にも展示があり、鯉が噴水と戯れています。

ー鯉のぼりというオブジェクトによって、テキスタイルにぐっと入り込める。

ガルデール:そうです。私の役割のひとつに、ものの潜在能力を引き出すことが挙げられます。美術館をレストランに見立てると、キュレーターがシェフで、アートワークは食べもの、展示デザイナーはテーブルをセッティングする人ですね。お客である来場者が「ここにいていいんだ」と思いながら、存分に味わってもらうためになにが必要か。それを考えるのが大きな肝です。残念ながら、「ここは自分の場所ではない」と思わせるような美術館も存在します。かと言って「わからないでしょ?」とばかりに大人にベビーフードを与えるのはもっと失礼ですよ。

建築の設計段階から関わることも。「展示デザイナー」という仕事の醍醐味

ー建築の設計段階から、展示空間に関わることもあるのでしょうか?

ガルデール:数多くありますが、妹島和世さんと西沢立衛さんの建築家ユニットSANAAがコンペティションで勝ち取ったルーヴル美術館ランス別館のことを話しましょう。コンペ獲得後の彼らから直接連絡をもらい、美術館すべての展示デザインを任されました。常設展と、ふたつの開館記念特別展です。本館であるパリのルーヴルは、言うなれば百科事典のような存在で、ジャンルごとに分かれて展示されています。対するランス別館は、コレクションの全体を時間軸で切り取るという違いが前提としてありました。また常設展示棟は、奥行き125メートル、幅25メートルという規格外のスケールです。このプロポーションを最大限に際立たせるべく、壁には一切展示をしていません。来場者はこの開かれた空間に足を踏み入れた途端に、5千年に及ぶ美術史が自分を待っていることを察します。来場者が自分で理解する自由、回遊する自由を、私はデザインしました。展示する美術品の配置はもちろんのこと、動線や照明などすべてを俯瞰してデザインすることで、来場者は自分だけの「歴史の織物」を織るに至るのです。このような展示手法はそれまで例がなく、世界の美術館や博物館の展示に大きな影響を与えました。

ー展示デザイナーという立場だからこそ得られる醍醐味ですね。

ガルデール:著名な建築家ノーマン・フォスター氏の率いる建築設計事務所「フォスター+パートナーズ(Foster + Partners)」とは、コンペティションの案から一緒に練り上げました。フランス南西部のナルボンヌに2021年に開館した古代ローマ美術の美術館「Narbo Via」です。長さ76メートル、高さが10メートルあるグリッド状の収納棚をつくり、そこに古代のレリーフを展示しています。レリーフは800近くあり、随時入れ替えが可能です。レリーフによって収納棚は「歴史の壁」と化し、来場者を古へと誘います。壮大な歴史をどう伝えるか、レリーフと対峙して、創造したプロジェクトです。独自のマルチメディアシステムも開発しました。

ー展示デザイナーとして、常に心がけていることは?

ガルデール:美術館や博物館においてもトレンドがあり、10年、20年という単位でそれは変わっていきます。だからこそ、根源的な「要」となるものをつくらないといけない。そこに私的な好みは反映されるべきではないし、それを超えた思考が必要です。また、対象となる素材の性質を知り抜いた上でデザインすることも大事ですね。

ー日本でのプロジェクトはありますか?

ガルデール:「カルティエと日本 半世紀のあゆみ 『結 MUSUBI』展」です(6月12日〜7月28日 東京国立博物館 表慶館)。カルティエと日本、カルティエ現代美術財団と日本のアーティストというふたつの絆をひもとくもので、アートと宝飾を同時に見せました。日本での活動は今後もっと活発にしていきたいと願っています。

The post アート展示デザインの第一人者アドリアン・ガルデールが語る「美術館、須藤玲子、テキスタイル」 appeared first on WWDJAPAN.

アート展示デザインの第一人者アドリアン・ガルデールが語る「美術館、須藤玲子、テキスタイル」

美術館や博物館の展示物をどう見せるかをデザインする「展示デザイナー(EXHIBITION DESIGNER)」について、実は日本では美術館関係者の間でも知る人は決して多くはない。展覧会によっては建築デザイナーやインテリアデザイナーがその役割を果たすこともある。ただ、世界の有力美術館・博物館の大規模展覧会にもなれば、展示構成などの見せ方・見え方で、展覧会自体の評価も大きく変わる。非常に重要や役割を担っているのだ。アドリアン・ガルデール氏は、この分野の世界的な第一人者で、建築家の妹島和世氏が手掛けたルーヴル美術館ランス別館を筆頭に、美術館・博物館大国のフランスやイギリス、イタリア、米国に加え、日本や中国など世界中の有力な博物館・美術館、研究機関、キュレーター、建築家とタッグを組んで仕事を行ってきた。美術館・博物館関係者であれば、ガルデール氏の運営するスタジオの「仕事一覧」を見れば、数々の有力展覧会にその名を刻んでいることに驚愕するはずだ。そんなガルデール氏は、須藤玲子氏の国内外の展覧会の強力なパートナーの一人なのだ。連載の特別編として、ライターの鈴木里子によるアドリアン・ガルデール氏へのインタビューをお届けする。

PROFILE: アドリアン・ガルデール/展示デザイナー

アドリアン・ガルデール/展示デザイナー
PROFILE: (Adrien Gardère)1972年、フランス生まれ。家具・インテリアデザイナーとしてキャリアをスタートし、2000年に「スタジオ・アドリアン・ガルデール」を設立。家具デザイナーとしても手掛けた作品は「パリ装飾美術館」にパーマネントコレクションとして収蔵。ルーブル美術館(仏パリ)やアガ・カーン美術館(カナダ・トロント)などの美術館、SANAAやフォスター+パートナーズ、槇文彦の「マキ&アソシエイツ」などの建築家ともタッグを組む PHOTO:EMI NAKATA

「展示デザイナー」の仕事の内容は?

フランスを拠点に活動する展示デザイナー、アドリアン・ガルデール氏。世界中の美術館および博物館での企画展と常設展、そのいずれも手がける彼は独自の世界観でいきいきとした展示をつくり出す。水戸芸術館のテキスタイルデザイナー・須藤玲子氏の展覧会「須藤玲子:NUNOの布づくり」にも関わったガルデール氏が、来日。展示デザイナーという仕事の役割をはじめ、印象深いプロジェクトや今後の活動について聞いた。

ー展示デザイナーという仕事は、日本ではまだあまりなじみがありません。どんなことをしているのでしょうか。

アドリアン・ガルデール(以下、ガルデール):比喩的な表現をすれば、物語の織り手です。キュレーターや考古学者や美術史家、そしてアーティストが伝えたい内容を、空間に織り込んでいくのが私の役割です。美術館とそれを設計した建築家とキュレーターの間に立ち、展示デザインを行います。また私は、振付師のようなものでもあります。来館者が展示空間においてどう振る舞うかをデザインするのです。展示物を軽やかなステップで鑑賞し続けられるようにするのが大切ですね。展示物と来場者が、いかに楽しくダンスするか。

ー手がける展覧会の分野は決まっているのですか。

ガルデール:分野で狭めることはありません。イスラム美術、ローマ美術、中世、現代、なんでもやります。もちろんテキスタイルも。

須藤玲子氏と関わるきっかけ

ー須藤さんのテキスタイルの展示デザインを行うようになったきっかけは?

ガルデール:米国ワシントンのジョン・F・ケネディー舞台美術センター(The John F. Kennedy Center for the Performing Arts)で行った展覧会「ジャパン!カルチャー+ハイパーカルチャー」(2008年)です。2005年から私は、同センターの国際フェスティバルの展示デザインとアートディレクションを務めています。数週間単位で展示が入れ替わる、スピード感あふれるなかで、玲子さんと彼女が手がけるテキスタイルに出会いました。テキスタイルの展示はそのほかのオブジェクトと性質が異なり、「動的」であることが求められます。いきいきと動いてこそ、テキスタイルの本質が見えてくる。止まっていたら、そこはテキスタイルの「墓場」となってしまう。特に玲子さんのテキスタイルはとてもダイナミックですから、その躍動感を伝えるための展示手法を探りました。

玲子さんと共に、日本の伝統的なテキスタイルの使われ方をリサーチする工程で、鯉のぼりに出合いました。風にたなびく鯉、ピッタリではありませんか!試作を始めて、垂直に吊るしていた玲子さんの案を横にして、群れになって泳いだり飛んだりしている動きを加えて、ヒレなどはなくしてプリミティブなフォルムにして……。そうやって、玲子さんのテキスタイルに命を吹き込んでいきました。

ー鯉のぼりはその後、世界を旅しましたね。

ガルデール:そうです。フランス・パリの国立ギメ東洋美術館(2014年)、東京・六本木の国立新美術館(2018)年、大分県立美術館(2018年)。香港のCHAT(2019年)からは展示の一部となります。そして今回の水戸芸術館。展示空間は会場ごとに異なりますが、鯉の群れが動くという構成はそのままに、新たな鯉が増えたりしています。水戸芸術館では外部空間にも展示があり、鯉が噴水と戯れています。

ー鯉のぼりというオブジェクトによって、テキスタイルにぐっと入り込める。

ガルデール:そうです。私の役割のひとつに、ものの潜在能力を引き出すことが挙げられます。美術館をレストランに見立てると、キュレーターがシェフで、アートワークは食べもの、展示デザイナーはテーブルをセッティングする人ですね。お客である来場者が「ここにいていいんだ」と思いながら、存分に味わってもらうためになにが必要か。それを考えるのが大きな肝です。残念ながら、「ここは自分の場所ではない」と思わせるような美術館も存在します。かと言って「わからないでしょ?」とばかりに大人にベビーフードを与えるのはもっと失礼ですよ。

建築の設計段階から関わることも。「展示デザイナー」という仕事の醍醐味

ー建築の設計段階から、展示空間に関わることもあるのでしょうか?

ガルデール:数多くありますが、妹島和世さんと西沢立衛さんの建築家ユニットSANAAがコンペティションで勝ち取ったルーヴル美術館ランス別館のことを話しましょう。コンペ獲得後の彼らから直接連絡をもらい、美術館すべての展示デザインを任されました。常設展と、ふたつの開館記念特別展です。本館であるパリのルーヴルは、言うなれば百科事典のような存在で、ジャンルごとに分かれて展示されています。対するランス別館は、コレクションの全体を時間軸で切り取るという違いが前提としてありました。また常設展示棟は、奥行き125メートル、幅25メートルという規格外のスケールです。このプロポーションを最大限に際立たせるべく、壁には一切展示をしていません。来場者はこの開かれた空間に足を踏み入れた途端に、5千年に及ぶ美術史が自分を待っていることを察します。来場者が自分で理解する自由、回遊する自由を、私はデザインしました。展示する美術品の配置はもちろんのこと、動線や照明などすべてを俯瞰してデザインすることで、来場者は自分だけの「歴史の織物」を織るに至るのです。このような展示手法はそれまで例がなく、世界の美術館や博物館の展示に大きな影響を与えました。

ー展示デザイナーという立場だからこそ得られる醍醐味ですね。

ガルデール:著名な建築家ノーマン・フォスター氏の率いる建築設計事務所「フォスター+パートナーズ(Foster + Partners)」とは、コンペティションの案から一緒に練り上げました。フランス南西部のナルボンヌに2021年に開館した古代ローマ美術の美術館「Narbo Via」です。長さ76メートル、高さが10メートルあるグリッド状の収納棚をつくり、そこに古代のレリーフを展示しています。レリーフは800近くあり、随時入れ替えが可能です。レリーフによって収納棚は「歴史の壁」と化し、来場者を古へと誘います。壮大な歴史をどう伝えるか、レリーフと対峙して、創造したプロジェクトです。独自のマルチメディアシステムも開発しました。

ー展示デザイナーとして、常に心がけていることは?

ガルデール:美術館や博物館においてもトレンドがあり、10年、20年という単位でそれは変わっていきます。だからこそ、根源的な「要」となるものをつくらないといけない。そこに私的な好みは反映されるべきではないし、それを超えた思考が必要です。また、対象となる素材の性質を知り抜いた上でデザインすることも大事ですね。

ー日本でのプロジェクトはありますか?

ガルデール:「カルティエと日本 半世紀のあゆみ 『結 MUSUBI』展」です(6月12日〜7月28日 東京国立博物館 表慶館)。カルティエと日本、カルティエ現代美術財団と日本のアーティストというふたつの絆をひもとくもので、アートと宝飾を同時に見せました。日本での活動は今後もっと活発にしていきたいと願っています。

The post アート展示デザインの第一人者アドリアン・ガルデールが語る「美術館、須藤玲子、テキスタイル」 appeared first on WWDJAPAN.

「マディソンブルー」がブランド創設10周年 シャツ6型から始まった物語とは

「マディソンブルー(MADISONBLUE)」は、今年でブランド創設10周年を迎えた。スタイリストでもある中山まりこデザイナーが、2014年春にシャツのみでローンチ。当初はオックスフォードの半袖と長袖のボタンダウンとラウンドカラー、ワークシャツのワンウオッシュとビンテージウオッシュの6型を「ロンハーマン(RON HERMAN)」限定で販売し、店舗も持たずECもせず、限られた服を丁寧に作る小規模での展開を予定していた。しかし、信頼する人々との出会いを機に、成長を遂げる。中山デザイナーのクリエイションに対する思いや、ディテールにこだわりが光る10周年記念アイテムを通して、ブランドが時代と共に歩んできた軌跡をたどる。

「シャツが自信につながった」
中山まりこが語る、
揺るぎない創造

30年以上にわたり、新しいクリエイションに挑戦し続けている中山デザイナー。さまざまな夢を実現してきた彼女が、49歳でかなえたのは自身のブランドを持つことだった。10周年を迎えた今、その先に見据えるビジョンとは。

1980年から、スタイリストとして第一線で活躍していた中山デザイナーが、常に考えていたのは「大人になったら何をやろうかな」という“夢”だった。23歳の独立後、スタイリストとしての夢をニューヨークでかなえ、帰国後も仕事をまい進し続けたが、オファーを形にする“レシーバー”では物足りなさを感じ始めた。そこで、「世の中に自分がデザインしたものを送り出したい」「サーブを打ちたい」と自身が一番知識を持つ服の作り手になることを決意する。経験を積んだニューヨークのマディソン・アベニューと愛する海の色から名付けた「マディソンブルー」を創設。まず選んだのは、大好きなシャツだ。「これまでのキャリアを踏まえ誰にもできない自分らしさを探した時に思いついたのが、シャツだった。ウエスト部分を絞ったり、袖をまくったり、これまで培ってきたノウハウを生かせるシャツだけで世界観を強く見せたいと6型だけを作ることにした。2014年の立ち上げ当時は、撮影前日に高揚して眠れなかったスタイリストになりたての時のような感覚に。『新しい世界に飛び込んでいるんだ』ってすごく胸が高鳴ったし、『やりたいことが形にできて、ああ幸せだな』って。なんてすてきな仕事ができるようになったんだろうって思いましたね。ブランドを大きくするつもりはなかったけれど、服作りに携わる方や私の服をすてきに着こなしてくださるお客さまとの出会いがあって、アイテムを増やし、現在のコレクションを完成させられた」。

「マディソンブルー」が作るのは、「普遍的でありながら、今を生きるための服。そして何よりも、着る人の個性が際立ち、上質で心地よく、ディテールを極めたリアルクローズ」だ。そしてその背景には、中山デザイナーが描き続ける女性像があり、アイコンであるシャツやジャケット、スカートなどには実在する街や人物がそのモデルとなって名が付けられた。ゆえに、どんな知性やスタイルが込められているかまで鮮明だ。「初めて作った6型のシャツには、『マディソンブルー』を語る全てのスピリッツが詰まっている。改めて、すごいものを作ったんだなって(笑)。アニバーサリー限定商品を企画しながら、この10年を振り返ると、自分の選択は間違っていなかったと分かる。それにブランドとして消費されない自信がついた。節目節目で顧客の皆さんや作り手の方々が背中を押してくれたことに感謝したい」と振り返る。限定商品には、中山デザイナーが10年愛用して着込んだ“ハンプトン”シャツの風合いをビンテージ風のレプリカとして再現し、“ゲタリー”と名付けたシャツがある。「10年という年月をシャツで表現できた“ゲタリー”は特別な思い入れがある。私にとってシャツという存在はすごく大きくて、ますます自分たちの自信につなげていきたいと思うし、『マディソンブルー』をより多くの人に知ってほしい、より多くの人に着てほしい。新しいお客さまとの出会いを増やす、新たな旗艦店(2025年初旬に南青山に増床オープン予定)を拠点に、次の10年も、もう一歩外に出るフレッシュな気持ちで積極的にアプローチしていきたい」。

ブランドを形づくる3つのコレクション

「マディソンブルー」はブランドの思いや姿勢、こだわりやギャップなど、独自のスタイルを表現するために、“エッセンシャル”“シーズン”“タンジェリン”の3軸で構成している。共通点は、普遍的であること。大切にしたい逸品を新たな出合いと共にアップデートしていくことでブランドが描くスタイルを構築していく。

“ディテール愛”あふれる
アニバーサリーアイテムが登場

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
マディソンブルー 表参道店
03-6434-9133

The post 「マディソンブルー」がブランド創設10周年 シャツ6型から始まった物語とは appeared first on WWDJAPAN.

「マディソンブルー」がブランド創設10周年 シャツ6型から始まった物語とは

「マディソンブルー(MADISONBLUE)」は、今年でブランド創設10周年を迎えた。スタイリストでもある中山まりこデザイナーが、2014年春にシャツのみでローンチ。当初はオックスフォードの半袖と長袖のボタンダウンとラウンドカラー、ワークシャツのワンウオッシュとビンテージウオッシュの6型を「ロンハーマン(RON HERMAN)」限定で販売し、店舗も持たずECもせず、限られた服を丁寧に作る小規模での展開を予定していた。しかし、信頼する人々との出会いを機に、成長を遂げる。中山デザイナーのクリエイションに対する思いや、ディテールにこだわりが光る10周年記念アイテムを通して、ブランドが時代と共に歩んできた軌跡をたどる。

「シャツが自信につながった」
中山まりこが語る、
揺るぎない創造

30年以上にわたり、新しいクリエイションに挑戦し続けている中山デザイナー。さまざまな夢を実現してきた彼女が、49歳でかなえたのは自身のブランドを持つことだった。10周年を迎えた今、その先に見据えるビジョンとは。

1980年から、スタイリストとして第一線で活躍していた中山デザイナーが、常に考えていたのは「大人になったら何をやろうかな」という“夢”だった。23歳の独立後、スタイリストとしての夢をニューヨークでかなえ、帰国後も仕事をまい進し続けたが、オファーを形にする“レシーバー”では物足りなさを感じ始めた。そこで、「世の中に自分がデザインしたものを送り出したい」「サーブを打ちたい」と自身が一番知識を持つ服の作り手になることを決意する。経験を積んだニューヨークのマディソン・アベニューと愛する海の色から名付けた「マディソンブルー」を創設。まず選んだのは、大好きなシャツだ。「これまでのキャリアを踏まえ誰にもできない自分らしさを探した時に思いついたのが、シャツだった。ウエスト部分を絞ったり、袖をまくったり、これまで培ってきたノウハウを生かせるシャツだけで世界観を強く見せたいと6型だけを作ることにした。2014年の立ち上げ当時は、撮影前日に高揚して眠れなかったスタイリストになりたての時のような感覚に。『新しい世界に飛び込んでいるんだ』ってすごく胸が高鳴ったし、『やりたいことが形にできて、ああ幸せだな』って。なんてすてきな仕事ができるようになったんだろうって思いましたね。ブランドを大きくするつもりはなかったけれど、服作りに携わる方や私の服をすてきに着こなしてくださるお客さまとの出会いがあって、アイテムを増やし、現在のコレクションを完成させられた」。

「マディソンブルー」が作るのは、「普遍的でありながら、今を生きるための服。そして何よりも、着る人の個性が際立ち、上質で心地よく、ディテールを極めたリアルクローズ」だ。そしてその背景には、中山デザイナーが描き続ける女性像があり、アイコンであるシャツやジャケット、スカートなどには実在する街や人物がそのモデルとなって名が付けられた。ゆえに、どんな知性やスタイルが込められているかまで鮮明だ。「初めて作った6型のシャツには、『マディソンブルー』を語る全てのスピリッツが詰まっている。改めて、すごいものを作ったんだなって(笑)。アニバーサリー限定商品を企画しながら、この10年を振り返ると、自分の選択は間違っていなかったと分かる。それにブランドとして消費されない自信がついた。節目節目で顧客の皆さんや作り手の方々が背中を押してくれたことに感謝したい」と振り返る。限定商品には、中山デザイナーが10年愛用して着込んだ“ハンプトン”シャツの風合いをビンテージ風のレプリカとして再現し、“ゲタリー”と名付けたシャツがある。「10年という年月をシャツで表現できた“ゲタリー”は特別な思い入れがある。私にとってシャツという存在はすごく大きくて、ますます自分たちの自信につなげていきたいと思うし、『マディソンブルー』をより多くの人に知ってほしい、より多くの人に着てほしい。新しいお客さまとの出会いを増やす、新たな旗艦店(2025年初旬に南青山に増床オープン予定)を拠点に、次の10年も、もう一歩外に出るフレッシュな気持ちで積極的にアプローチしていきたい」。

ブランドを形づくる3つのコレクション

「マディソンブルー」はブランドの思いや姿勢、こだわりやギャップなど、独自のスタイルを表現するために、“エッセンシャル”“シーズン”“タンジェリン”の3軸で構成している。共通点は、普遍的であること。大切にしたい逸品を新たな出合いと共にアップデートしていくことでブランドが描くスタイルを構築していく。

“ディテール愛”あふれる
アニバーサリーアイテムが登場

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
マディソンブルー 表参道店
03-6434-9133

The post 「マディソンブルー」がブランド創設10周年 シャツ6型から始まった物語とは appeared first on WWDJAPAN.

小嶋陽菜が「ハー リップ トゥ」で見据える10周年 「ファンを楽しませるのは私の生き方。ずっと変わらない」

PROFILE: 小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO

小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO
PROFILE: (こじま・はるな)1988年4月19日生まれ、埼玉県出身。2005年にアイドルグループAKB48のオープニングメンバーオーディションに合格。2017年にAKB48を卒業後、18年6月にブランド「ハー リップ トゥ」を所属する芸能事務所の中で開始。事業拡大に伴い、20年1月に新会社heart relationを立ち上げた。21年からビューティ、22年からランジェリーラインを手掛ける。22年2月から現職 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

小嶋陽菜が代表取締役CCO(チーフクリエイティブオフィサー)を務めるハートリレーションの「ハー リップ トゥ(HER LIP TO)」が、設立から6年を迎えた。アパレルからビューティ、ランジェリーへとカテゴリーを広げ、昨年7月には東京・表参道に旗艦店をオープンするなど、ブランドの可能性を着実に広げている。直近の5月9〜15日に実施したルミネ新宿ルミネ2で実施したポップアップストアは、初日売り上げ2000万円超、期間中の売り上げが1億円を突破するなど、その勢いは衰えない。
いわゆる“タレント発”のブランドが短命に終わることも多い中、その枠組みにとどまらない推進力を生み出しているのは、小嶋の原点である「ファンを楽しませたい」というプロ意識。東京、大阪、福岡を巡回した6周年イベントで、小嶋にブランドの今後を聞いた。

WWD:まず、今回の6周年イベントについて聞きたい。
小嶋陽菜heart relation代表取締役CCO(以下、小嶋):
テーマは「サマーブティック」です。私自身、バケーション先で知らないブティックに立ち寄るのが毎回の楽しみ。現地での体験から着想を得た内装やディスプレイに仕上げました。今回は福岡と大阪でも実施しましたが、地方のお客さまの熱量は毎回高い。普段からECで購入してくださりながら楽しみにしてくださって、初日に(ポップアップに)来てくださる方もいらっしゃいます。地方での開催は輸送費やスタッフの調達など、コスト面で大変なところもありますが、これからもさまざまな場所で開催したいと思っています。

WWD:ポップアップストアと表参道の常設店、棲み分けはどう考えている?
小嶋:
ポップアップは新規のお客さまに知ってもらったり、気軽にショッピングができる場所。一方で、旗艦店の「ハウス オブ エルメ」は「ハー リップ トゥ」のブランドをずっと好きでいてくださっている皆さんに恩返しする場であり、彼女たちとのつながりをより強くしていく場所です。「クラブハーズ」という会員制のリワードプログラムを設けて、ロイヤリティーランクのお客さまにはスタイリングサービスを提供したりしています。ホリデーイベントのときには、商品の購入後にヘアセットを施してアフタヌーンティーにお招きするなど、1日をトータルでコーディネートしました。単に洋服を売るのではなく、「ハー リップ トゥ」を通じた体験で、よりお客さまに輝いてほしいと思っています。
ランジェリー(「ロジア バイ ハーリップトゥー」)やコスメ(「ハーリップトゥ ビューティ」)をやっているのも、女性をトータルでプロデュースしたいという思いがあるからです。ブランドスタートから6年が経ち、少しずつですけど形になってきたかなと思っています。

WWD:ハートリレーションの企業としての成長は?
小嶋:
社員は80人以上に増えました。最近はスタッフの成長をすごく実感しています。あるスタッフが「ハー リップ トゥ」のプレスとして雑誌に出る機会をいただいたり、各スタッフのSNSのフォロワーも伸びていたりと、私以外にも前に出てファンを作っている社員が増えてきたのがうれしいです。社員とは常にコミュニケーションを取るように心がけていて、SNSの発信でもキャプションの作り方から写真の撮り方まで細かくフィードバックしています。トレンドの動向などを情報交換する機会も定期的に設けています。

WWD:アパレル、ビューティ、ランジェリー。それぞれのブランドを運営する上で一貫していることは?
小嶋:
全てに共通しているのは、私が好きなもの、私が着たいと思うものをつくるということ。理想の女性になるために、自分を知ったり演出したりすることで好きになるというテーマは一貫しています。ビューティーは肌の質感や香りを演出するもので、ランジェリーは洋服を美しく着るために着用する、という位置付けですね。

WWD:ブランド6周年を迎えたが、ブランドがブレることはない?
小嶋:
デザイン面は常にアップデートしていますが、私が好きなテイストは変わらないので、ブランドとして軸がブレることは今までも、これからもないかなと思います。それは「エゴ」とは違います。自分の好きなものはブラさず、他者からの期待や視点はしっかり取り入れていく。そのバランス感覚は自分の長所なのかもしれません。

WWD:マンネリ化は感じない?
小嶋:
アパレルというカテゴリーに囚われずに、自分自身も楽しんでやれていると感じます。去年はブランド内でアイスクリームショップを実施したり、「クリスピークリームドーナツ」とコラボしてドーナツをイメージしたコレクションを出したり。そういったサプライズでお客さまも飽きずに楽しみ続けてくれていると思います。
私自身、元々サプライズが好きなんです。ファンを楽しませようとする精神がアイドル時代からあり、そういった意識を前提にしてブランドの取り組みを考えています。一方で当時も今も「次はこれをやったら面白いんじゃない?」というリクエストを周りからもらうことが多いです。常に「面白がられている」人でありたいですね。

WWD:「10周年」のブランドの姿は見えてきた?
小嶋:
「ハー リップ トゥ」をもっと長く続けたいという思いは年々強くなっています。「タレントのブランドは続かない」という世間のイメージは根強いです。長く続けることだけが正しいとは思わないのですが、こんなにすてきなスタッフとお客さまがいるのだから、できるだけ期待に応え続けたいという思いはあります。

WWD:今後の事業展開の構想は?
小嶋:
扱うカテゴリーが大幅に増えることはないと思うんですが、今の事業やファンのベースがあれば、「なんでもできる」という気がしています。年齢とともに自分の気分も変化するかもしれないし、よりデイリー使いしやすい商品をそろえた別ラインも作ってみたい。ただ洋服を販売するだけではなくて、その先の体験まで届けていきたいという思いは強いです。

WWD:アイドル時代から20年間走り続けている。立ち止まりたくはならない?。
小嶋:
思いません。ライフステージによって変化はあるかもしれないですが、仕事はし続けるかな。やっぱりファンを楽しませたい気持ちはアイドル時代からずっとコアにあって。それをやめることはないし、私の“生き方”としてずっと変わらないと思っています。

The post 小嶋陽菜が「ハー リップ トゥ」で見据える10周年 「ファンを楽しませるのは私の生き方。ずっと変わらない」 appeared first on WWDJAPAN.

小嶋陽菜が「ハー リップ トゥ」で見据える10周年 「ファンを楽しませるのは私の生き方。ずっと変わらない」

PROFILE: 小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO

小嶋陽菜/heart relation代表取締役CCO
PROFILE: (こじま・はるな)1988年4月19日生まれ、埼玉県出身。2005年にアイドルグループAKB48のオープニングメンバーオーディションに合格。2017年にAKB48を卒業後、18年6月にブランド「ハー リップ トゥ」を所属する芸能事務所の中で開始。事業拡大に伴い、20年1月に新会社heart relationを立ち上げた。21年からビューティ、22年からランジェリーラインを手掛ける。22年2月から現職 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

小嶋陽菜が代表取締役CCO(チーフクリエイティブオフィサー)を務めるハートリレーションの「ハー リップ トゥ(HER LIP TO)」が、設立から6年を迎えた。アパレルからビューティ、ランジェリーへとカテゴリーを広げ、昨年7月には東京・表参道に旗艦店をオープンするなど、ブランドの可能性を着実に広げている。直近の5月9〜15日に実施したルミネ新宿ルミネ2で実施したポップアップストアは、初日売り上げ2000万円超、期間中の売り上げが1億円を突破するなど、その勢いは衰えない。
いわゆる“タレント発”のブランドが短命に終わることも多い中、その枠組みにとどまらない推進力を生み出しているのは、小嶋の原点である「ファンを楽しませたい」というプロ意識。東京、大阪、福岡を巡回した6周年イベントで、小嶋にブランドの今後を聞いた。

WWD:まず、今回の6周年イベントについて聞きたい。
小嶋陽菜heart relation代表取締役CCO(以下、小嶋):
テーマは「サマーブティック」です。私自身、バケーション先で知らないブティックに立ち寄るのが毎回の楽しみ。現地での体験から着想を得た内装やディスプレイに仕上げました。今回は福岡と大阪でも実施しましたが、地方のお客さまの熱量は毎回高い。普段からECで購入してくださりながら楽しみにしてくださって、初日に(ポップアップに)来てくださる方もいらっしゃいます。地方での開催は輸送費やスタッフの調達など、コスト面で大変なところもありますが、これからもさまざまな場所で開催したいと思っています。

WWD:ポップアップストアと表参道の常設店、棲み分けはどう考えている?
小嶋:
ポップアップは新規のお客さまに知ってもらったり、気軽にショッピングができる場所。一方で、旗艦店の「ハウス オブ エルメ」は「ハー リップ トゥ」のブランドをずっと好きでいてくださっている皆さんに恩返しする場であり、彼女たちとのつながりをより強くしていく場所です。「クラブハーズ」という会員制のリワードプログラムを設けて、ロイヤリティーランクのお客さまにはスタイリングサービスを提供したりしています。ホリデーイベントのときには、商品の購入後にヘアセットを施してアフタヌーンティーにお招きするなど、1日をトータルでコーディネートしました。単に洋服を売るのではなく、「ハー リップ トゥ」を通じた体験で、よりお客さまに輝いてほしいと思っています。
ランジェリー(「ロジア バイ ハーリップトゥー」)やコスメ(「ハーリップトゥ ビューティ」)をやっているのも、女性をトータルでプロデュースしたいという思いがあるからです。ブランドスタートから6年が経ち、少しずつですけど形になってきたかなと思っています。

WWD:ハートリレーションの企業としての成長は?
小嶋:
社員は80人以上に増えました。最近はスタッフの成長をすごく実感しています。あるスタッフが「ハー リップ トゥ」のプレスとして雑誌に出る機会をいただいたり、各スタッフのSNSのフォロワーも伸びていたりと、私以外にも前に出てファンを作っている社員が増えてきたのがうれしいです。社員とは常にコミュニケーションを取るように心がけていて、SNSの発信でもキャプションの作り方から写真の撮り方まで細かくフィードバックしています。トレンドの動向などを情報交換する機会も定期的に設けています。

WWD:アパレル、ビューティ、ランジェリー。それぞれのブランドを運営する上で一貫していることは?
小嶋:
全てに共通しているのは、私が好きなもの、私が着たいと思うものをつくるということ。理想の女性になるために、自分を知ったり演出したりすることで好きになるというテーマは一貫しています。ビューティーは肌の質感や香りを演出するもので、ランジェリーは洋服を美しく着るために着用する、という位置付けですね。

WWD:ブランド6周年を迎えたが、ブランドがブレることはない?
小嶋:
デザイン面は常にアップデートしていますが、私が好きなテイストは変わらないので、ブランドとして軸がブレることは今までも、これからもないかなと思います。それは「エゴ」とは違います。自分の好きなものはブラさず、他者からの期待や視点はしっかり取り入れていく。そのバランス感覚は自分の長所なのかもしれません。

WWD:マンネリ化は感じない?
小嶋:
アパレルというカテゴリーに囚われずに、自分自身も楽しんでやれていると感じます。去年はブランド内でアイスクリームショップを実施したり、「クリスピークリームドーナツ」とコラボしてドーナツをイメージしたコレクションを出したり。そういったサプライズでお客さまも飽きずに楽しみ続けてくれていると思います。
私自身、元々サプライズが好きなんです。ファンを楽しませようとする精神がアイドル時代からあり、そういった意識を前提にしてブランドの取り組みを考えています。一方で当時も今も「次はこれをやったら面白いんじゃない?」というリクエストを周りからもらうことが多いです。常に「面白がられている」人でありたいですね。

WWD:「10周年」のブランドの姿は見えてきた?
小嶋:
「ハー リップ トゥ」をもっと長く続けたいという思いは年々強くなっています。「タレントのブランドは続かない」という世間のイメージは根強いです。長く続けることだけが正しいとは思わないのですが、こんなにすてきなスタッフとお客さまがいるのだから、できるだけ期待に応え続けたいという思いはあります。

WWD:今後の事業展開の構想は?
小嶋:
扱うカテゴリーが大幅に増えることはないと思うんですが、今の事業やファンのベースがあれば、「なんでもできる」という気がしています。年齢とともに自分の気分も変化するかもしれないし、よりデイリー使いしやすい商品をそろえた別ラインも作ってみたい。ただ洋服を販売するだけではなくて、その先の体験まで届けていきたいという思いは強いです。

WWD:アイドル時代から20年間走り続けている。立ち止まりたくはならない?。
小嶋:
思いません。ライフステージによって変化はあるかもしれないですが、仕事はし続けるかな。やっぱりファンを楽しませたい気持ちはアイドル時代からずっとコアにあって。それをやめることはないし、私の“生き方”としてずっと変わらないと思っています。

The post 小嶋陽菜が「ハー リップ トゥ」で見据える10周年 「ファンを楽しませるのは私の生き方。ずっと変わらない」 appeared first on WWDJAPAN.

Da-iCE工藤大輝とスタイリスト熊谷隆志が語る「ファション愛と10周年、ZOZOコラボ」

PROFILE: 熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE

熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE
PROFILE: (くまがい・たかし)1990年代からトップスタイリストとして活躍。ブランドディレクション、フォトグラファー、内装空間や植栽のディレクションなども行っており、2018年から「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をスタート PROFILE:(くどう・たいき)Da-iCEのパフォーマー兼リーダー。北海道出身。Da-iCEは4オクターブのツインボーカルの5人組アーティストで、メンバーはボーカルの大野雄大・花村想太と、パフォーマーの工藤大輝・岩岡徹・和田颯の5人。2011年1月17日に結成、14年1月15日にメジャーデビュー。20 年 11 月にリリースした『CITRUS』は、日本人男性ダンス&ボーカルグループ史上初のサブスク 1 億回再生を突破し、2021 年「第 63 回日本レコード大賞」を受賞。24 年にメジャーデビュー10 周年を迎え、4 月 17 日には最新シングル「I wonder」をリリース PHOTO:YUTA FUCHIKAMI

「ゾゾタウン」は、5 人組男性アーティスト「Da-iCE」のメジャーデビュー10 周年を記念したコラボレーション企画の第 2 弾として、世界で活躍するマルチ・アーティストのダニー・サングラ氏による描き下ろしイラストを 使用したアイテムを、8 月 2 日から「ゾゾタウン」限定で受注販売する。2つのコラボのディレクションを努めたスタイリストの熊谷隆志と、服好きで知られる「Da-iCE」のファッション番長である工藤大輝の対談をお届けする。

Da-iCEが「ゾゾタウン」とコラボレーションした理由

―メジャーデビュー10周年、おめでとうございます。

工藤大輝(以下、工藤):ありがとうございます。メジャーデビューしてからの10年は本当にあっという間だったでした。2017年に、Da-iCEの結成6年目の記念日に行った武道館公演がひとつのターニングポイントになったことは、みんなでよく話していて、振り返ってみると、解散していた可能性だってあったと思います。結果的に、メンバーみんなで楽しく活動しながら、こうして10周年を迎えられたのでとても嬉しいです。

―記念すべきタイミングで、ZOZOTOWNとのコラボレーション企画がスタートした。

工藤:10周年なので、いわゆる「グッズ」ではなく、自分たちがご一緒したい方とコラボしたり、みんなが欲しいものを形にするほうが良いのではないかという話をしていたので、今回は念願が叶ってとても素晴らしい機会でした。

―コラボ企画第一弾となる「Da-iCE × WIND AND SEA」は即完。制作はどのように進めた?

工藤:まさか憧れの熊谷さんと直接やり取りさせていただける日が来るなんて、想像もしていなかったので、打ち合わせの度に緊張していました。本当にありがとうございました。

熊谷隆志(以下、熊谷):工藤さんは洋服について、僕よりも多くのことを知っているんじゃないかと思うくらい詳しい(笑)。最初に会ってすぐに、「この人は本当の服好きだ」ということが分かった。知識の豊富さに加え、とにかく「服を着ること」をよく知っている。アパレルやファッション業界人と話しているような感じだった。なので、こちらも提案がしやすかったし、結果的にデザインは、無駄が削ぎ落とされたシンプルなものになったなあ。

工藤:ありがとうございます(笑)。両親とも服好きだった影響もあって、僕自身も子どもの頃から服が好きで、Da-iCEの前は渋谷の「アメリカンアパレル」で販売員をやっていました。服は衣装も含めて毎月かなり買っています。とはいえ、熊谷さんと一緒に洋服を作らせていただくということもあって、事前にけっこう準備もしました。

―特にこだわった点や、オススメのコーディネートはありますか?

工藤:セットアップのジップを、僕の好みでダブルジップにしてもらったんです。上までキュッと閉めるけど、下は少し開けて、中のレイヤーを見せる着こなしが、90年代のヒップホップの雰囲気があって好きなんです。踊っている時も、中の服やシルエットがきれいに見える。ここはこだわりました。

熊谷:実際にDa-iCEのメンバーに、今回のコラボアイテムを着てもらって、僕が撮影をしたときも、踊りが入るとまた洋服の雰囲気が違って見えた。服も一緒に動いてくれるというか。作った甲斐があったな、と。

ダニ―・サングラとコラボ!キュートな「Da-iCE」グラフィック誕生の裏側

―今回は、熊谷さん監修によるアーティスト・ダニー・サングラをパートナーに迎えた、第二弾コラボアイテムを発表した。キュートなグラフィックが誕生するまでの経緯は?

熊谷:まずは僕からDa-iCEの皆さんに、グラフィックアーティストを何名か提案して、皆さんが選んだのがダニー・サングラさんのアートワークだった。

工藤:どの方も超大物ばかりで、本当に素敵で悩みましたが、Da-iCEというグループの個性を考えた時に、一番相性が良さそうなのが、ダニー・サングラさんでした。

―グラフィックのデザインはどのように詰めていった?

工藤:僕らのアルバムのタイトルや、自分たちのキーとなるワードを落とし込みました。実際にダニー・サングラさんとリモートで会話もさせていただきました。様々な高級メゾンの仕事をされているのにとても気さくで、素敵な方でした。いろんなグラフィックを作ってくださったので、まずアイテム数を絞るのに一苦労(笑)。ワークシャツはお気に入りで、今回のコラボがリリースされるのは秋口なので、ロンTとレイヤードして着回したりしても可愛い。

熊谷:ボトムスは、今日工藤さんがはかれているようなパンツと合わせたりしても可愛いよね。

―工藤さんは、おしゃれなDa-iCEのメンバーの中でも特に、ファッション好きとして知られている。

工藤:母が北海道のファッションの専門学校出身で、物心つく前から、いろんなジャンルの洋服を着せてもらっていて、僕も自然と好きになりました。ものづくりなども好きな母だったので、音楽の道に進むと言ったときも、反対されることはなく、好きにやったら良いと背中を押してもらえました。

熊谷:僕も母が美大出身だった影響で、毎日いろんな格好をしていました。家の中のカラーリングが、他の同世代の友達の家とは違う印象が幼心にあった。僕は南部鉄器という伝統工芸の家に生まれたので、後継という道から逃れるために、小さい頃からずっと、ファッションをやっていきたいという主張をしていた。「東京に行きたい、パリに行きたい」って(笑)。パリの専門学校を卒業して、ファッションの道に入って、今年で30周年目です。

―今回のコラボでやりとりする中で、熊谷さんから見えた工藤さんというアーティスト像は、どのような印象?

熊谷:一言でいうと「柔軟」。リズムに乗って生きているような身軽さがとても素敵だな、と。最近の僕は昔に比べると、フットワークが重くなってきている部分もあるので、今回のコラボで昔の気持ちを取り戻したような気にもなった。とても刺激を受けた。

工藤:恐縮です。このインタビュー前にご挨拶にうかがったときに、今日も熊谷さんは午前中ゴルフに行かれていたと聞いて、驚きました。僕よりも全然柔軟でフットワークが軽い(笑)。熊谷さんはゴルフのブランドもやられている。趣味とお仕事が結びついているんだなあ、とも感じました。

熊谷:趣味を仕事にしないとやる時間がないんですよ。

―工藤さんにとって、ファッションは趣味に分類されるんでしょうか?

工藤:難しいですね。Da-iCEのメンバーでいる以上、自分の好みだけではなく、グループのカラーに合わせたファッションに寄り添う必要があって。Da-iCEの衣装を探す時は、普段は行かないような少し尖ったショップに行ってみたり。Da-iCEはダンスボーカルグループなので元を辿るとヒップホップ。そのカルチャーを無視した服装でヒップホップを踊ると、説得力がなくなってしまう。そういったことも意識してスタイリングを選んでいるので、100%趣味とは言い切れないかも。

熊谷:ファレル・ウィリアムス以降は、スーツを着てもヒップホップって言われるようにもなったから、少し選択肢の幅は広がっているよね。

―やはり音楽とファッションは、根っこの部分で繋がっている?

熊谷:最近20代の子たちとよく一緒に仕事をする機会があって、最近、「熊谷さん、渋谷系ってかっこいいですよ」とかって言うんですよ(笑)。

工藤:漫画『NANA』も今めちゃくちゃ流行っていますよね、その流れからヴィヴィアン・ウエストウッドのORB ネックレスも再注目されていて。ORBが最初に流行っていた時代って、僕いくつだっけみたいな(笑)。

熊谷:僕も当時を知っているから話せるんです、20代の子とは。僕は彼ら・彼女らのご両親くらいの年齢なので、小さい頃に無意識に聞いていた音楽が潜在意識にあって、ファッションに影響を与えたりするんじゃないかな。あとは、今の古着屋さんに並んでいる洋服は、僕ら世代の人が出したものが多いから、自然と昔の流れが戻ってきたり。20年サイクルだしね、流行は。

工藤:今のダンスボーカルの流行りも90年代〜2000年代前半くらい。服装もB系で、ティンバーランドがまた流行っていたり。確かに自分も昔、履いていたなって(笑)。

―お二人の今のファッションのムードはいかがですか?

熊谷:10年前くらいにネイティブアメリカンの感じを取り入れていましたが、「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をはじめたことで、ちょっとストリートな雰囲気にいってみたりもしていて。最近は、ネイティブっぽい感じと今のストリートをミックスさせた感じが好きかなあ。

工藤:僕は今年37歳になるんですけど、少し前までは大人っぽく見せたくて、きっちりした格好を好んで着てました。ドメスティックなブランドを取り入れた、綺麗めな格好みたいな。でも最近は、人からの見られ方はあまり気にしなくなってきたので、ストリートに寄る日もあったり、自由にファッションを楽しんでいます。今日は、熊谷さんのブランドの「ネサーンス(NAISSANCE)」のトップスをメインに合わせました。アクセサリーは、ヨーロッパのもので揃えている。僕は「ビオトープ(BIOTOP)」が好きでよく行くんですけど...

熊谷:「ビオトープ」はアパレル会社のジュンさんと僕で作ったんですよ。

工藤:えー!めちゃめちゃ行きますし、お世話になっています。大好きです!

2人が贈るファッションを楽しむ若い世代へのメッセージとは?

―それでは最後に、お二人のようにファッションを楽しむ若い世代に、メッセージをお願いします。

工藤:あまりSNSのアルゴリズムばかりに乗らないほうが良いんじゃない、と思っています。自分の好きなものの延長だけを追うのではなく、音楽やファッションは、冒険して、失敗を繰り返した先に、自分だけの発見があるから面白い。カルチャーもジャンルも異なるアイテムにチャレンジすることを、楽しんでもらいたいです。

熊谷:スマホとネットだけで買い物をしていた若い世代に最近、「ブーン(Boon)」や「ポパイ(POPEYE)」のバックナンバーを読んでみたりする子が増えてきた。ファッションのことを質問されると、なんでも教えちゃう。あと古着屋さんも今はすごく元気なので、おしゃれの入門が古着というのもありだと思う。工藤さんも言っていたように、いろいろ試して、どんどん新しい出会いに繋げていって欲しい。

The post Da-iCE工藤大輝とスタイリスト熊谷隆志が語る「ファション愛と10周年、ZOZOコラボ」 appeared first on WWDJAPAN.

Da-iCE工藤大輝とスタイリスト熊谷隆志が語る「ファション愛と10周年、ZOZOコラボ」

PROFILE: 熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE

熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE
PROFILE: (くまがい・たかし)1990年代からトップスタイリストとして活躍。ブランドディレクション、フォトグラファー、内装空間や植栽のディレクションなども行っており、2018年から「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をスタート PROFILE:(くどう・たいき)Da-iCEのパフォーマー兼リーダー。北海道出身。Da-iCEは4オクターブのツインボーカルの5人組アーティストで、メンバーはボーカルの大野雄大・花村想太と、パフォーマーの工藤大輝・岩岡徹・和田颯の5人。2011年1月17日に結成、14年1月15日にメジャーデビュー。20 年 11 月にリリースした『CITRUS』は、日本人男性ダンス&ボーカルグループ史上初のサブスク 1 億回再生を突破し、2021 年「第 63 回日本レコード大賞」を受賞。24 年にメジャーデビュー10 周年を迎え、4 月 17 日には最新シングル「I wonder」をリリース PHOTO:YUTA FUCHIKAMI

「ゾゾタウン」は、5 人組男性アーティスト「Da-iCE」のメジャーデビュー10 周年を記念したコラボレーション企画の第 2 弾として、世界で活躍するマルチ・アーティストのダニー・サングラ氏による描き下ろしイラストを 使用したアイテムを、8 月 2 日から「ゾゾタウン」限定で受注販売する。2つのコラボのディレクションを努めたスタイリストの熊谷隆志と、服好きで知られる「Da-iCE」のファッション番長である工藤大輝の対談をお届けする。

Da-iCEが「ゾゾタウン」とコラボレーションした理由

―メジャーデビュー10周年、おめでとうございます。

工藤大輝(以下、工藤):ありがとうございます。メジャーデビューしてからの10年は本当にあっという間だったでした。2017年に、Da-iCEの結成6年目の記念日に行った武道館公演がひとつのターニングポイントになったことは、みんなでよく話していて、振り返ってみると、解散していた可能性だってあったと思います。結果的に、メンバーみんなで楽しく活動しながら、こうして10周年を迎えられたのでとても嬉しいです。

―記念すべきタイミングで、ZOZOTOWNとのコラボレーション企画がスタートした。

工藤:10周年なので、いわゆる「グッズ」ではなく、自分たちがご一緒したい方とコラボしたり、みんなが欲しいものを形にするほうが良いのではないかという話をしていたので、今回は念願が叶ってとても素晴らしい機会でした。

―コラボ企画第一弾となる「Da-iCE × WIND AND SEA」は即完。制作はどのように進めた?

工藤:まさか憧れの熊谷さんと直接やり取りさせていただける日が来るなんて、想像もしていなかったので、打ち合わせの度に緊張していました。本当にありがとうございました。

熊谷隆志(以下、熊谷):工藤さんは洋服について、僕よりも多くのことを知っているんじゃないかと思うくらい詳しい(笑)。最初に会ってすぐに、「この人は本当の服好きだ」ということが分かった。知識の豊富さに加え、とにかく「服を着ること」をよく知っている。アパレルやファッション業界人と話しているような感じだった。なので、こちらも提案がしやすかったし、結果的にデザインは、無駄が削ぎ落とされたシンプルなものになったなあ。

工藤:ありがとうございます(笑)。両親とも服好きだった影響もあって、僕自身も子どもの頃から服が好きで、Da-iCEの前は渋谷の「アメリカンアパレル」で販売員をやっていました。服は衣装も含めて毎月かなり買っています。とはいえ、熊谷さんと一緒に洋服を作らせていただくということもあって、事前にけっこう準備もしました。

―特にこだわった点や、オススメのコーディネートはありますか?

工藤:セットアップのジップを、僕の好みでダブルジップにしてもらったんです。上までキュッと閉めるけど、下は少し開けて、中のレイヤーを見せる着こなしが、90年代のヒップホップの雰囲気があって好きなんです。踊っている時も、中の服やシルエットがきれいに見える。ここはこだわりました。

熊谷:実際にDa-iCEのメンバーに、今回のコラボアイテムを着てもらって、僕が撮影をしたときも、踊りが入るとまた洋服の雰囲気が違って見えた。服も一緒に動いてくれるというか。作った甲斐があったな、と。

ダニ―・サングラとコラボ!キュートな「Da-iCE」グラフィック誕生の裏側

―今回は、熊谷さん監修によるアーティスト・ダニー・サングラをパートナーに迎えた、第二弾コラボアイテムを発表した。キュートなグラフィックが誕生するまでの経緯は?

熊谷:まずは僕からDa-iCEの皆さんに、グラフィックアーティストを何名か提案して、皆さんが選んだのがダニー・サングラさんのアートワークだった。

工藤:どの方も超大物ばかりで、本当に素敵で悩みましたが、Da-iCEというグループの個性を考えた時に、一番相性が良さそうなのが、ダニー・サングラさんでした。

―グラフィックのデザインはどのように詰めていった?

工藤:僕らのアルバムのタイトルや、自分たちのキーとなるワードを落とし込みました。実際にダニー・サングラさんとリモートで会話もさせていただきました。様々な高級メゾンの仕事をされているのにとても気さくで、素敵な方でした。いろんなグラフィックを作ってくださったので、まずアイテム数を絞るのに一苦労(笑)。ワークシャツはお気に入りで、今回のコラボがリリースされるのは秋口なので、ロンTとレイヤードして着回したりしても可愛い。

熊谷:ボトムスは、今日工藤さんがはかれているようなパンツと合わせたりしても可愛いよね。

―工藤さんは、おしゃれなDa-iCEのメンバーの中でも特に、ファッション好きとして知られている。

工藤:母が北海道のファッションの専門学校出身で、物心つく前から、いろんなジャンルの洋服を着せてもらっていて、僕も自然と好きになりました。ものづくりなども好きな母だったので、音楽の道に進むと言ったときも、反対されることはなく、好きにやったら良いと背中を押してもらえました。

熊谷:僕も母が美大出身だった影響で、毎日いろんな格好をしていました。家の中のカラーリングが、他の同世代の友達の家とは違う印象が幼心にあった。僕は南部鉄器という伝統工芸の家に生まれたので、後継という道から逃れるために、小さい頃からずっと、ファッションをやっていきたいという主張をしていた。「東京に行きたい、パリに行きたい」って(笑)。パリの専門学校を卒業して、ファッションの道に入って、今年で30周年目です。

―今回のコラボでやりとりする中で、熊谷さんから見えた工藤さんというアーティスト像は、どのような印象?

熊谷:一言でいうと「柔軟」。リズムに乗って生きているような身軽さがとても素敵だな、と。最近の僕は昔に比べると、フットワークが重くなってきている部分もあるので、今回のコラボで昔の気持ちを取り戻したような気にもなった。とても刺激を受けた。

工藤:恐縮です。このインタビュー前にご挨拶にうかがったときに、今日も熊谷さんは午前中ゴルフに行かれていたと聞いて、驚きました。僕よりも全然柔軟でフットワークが軽い(笑)。熊谷さんはゴルフのブランドもやられている。趣味とお仕事が結びついているんだなあ、とも感じました。

熊谷:趣味を仕事にしないとやる時間がないんですよ。

―工藤さんにとって、ファッションは趣味に分類されるんでしょうか?

工藤:難しいですね。Da-iCEのメンバーでいる以上、自分の好みだけではなく、グループのカラーに合わせたファッションに寄り添う必要があって。Da-iCEの衣装を探す時は、普段は行かないような少し尖ったショップに行ってみたり。Da-iCEはダンスボーカルグループなので元を辿るとヒップホップ。そのカルチャーを無視した服装でヒップホップを踊ると、説得力がなくなってしまう。そういったことも意識してスタイリングを選んでいるので、100%趣味とは言い切れないかも。

熊谷:ファレル・ウィリアムス以降は、スーツを着てもヒップホップって言われるようにもなったから、少し選択肢の幅は広がっているよね。

―やはり音楽とファッションは、根っこの部分で繋がっている?

熊谷:最近20代の子たちとよく一緒に仕事をする機会があって、最近、「熊谷さん、渋谷系ってかっこいいですよ」とかって言うんですよ(笑)。

工藤:漫画『NANA』も今めちゃくちゃ流行っていますよね、その流れからヴィヴィアン・ウエストウッドのORB ネックレスも再注目されていて。ORBが最初に流行っていた時代って、僕いくつだっけみたいな(笑)。

熊谷:僕も当時を知っているから話せるんです、20代の子とは。僕は彼ら・彼女らのご両親くらいの年齢なので、小さい頃に無意識に聞いていた音楽が潜在意識にあって、ファッションに影響を与えたりするんじゃないかな。あとは、今の古着屋さんに並んでいる洋服は、僕ら世代の人が出したものが多いから、自然と昔の流れが戻ってきたり。20年サイクルだしね、流行は。

工藤:今のダンスボーカルの流行りも90年代〜2000年代前半くらい。服装もB系で、ティンバーランドがまた流行っていたり。確かに自分も昔、履いていたなって(笑)。

―お二人の今のファッションのムードはいかがですか?

熊谷:10年前くらいにネイティブアメリカンの感じを取り入れていましたが、「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をはじめたことで、ちょっとストリートな雰囲気にいってみたりもしていて。最近は、ネイティブっぽい感じと今のストリートをミックスさせた感じが好きかなあ。

工藤:僕は今年37歳になるんですけど、少し前までは大人っぽく見せたくて、きっちりした格好を好んで着てました。ドメスティックなブランドを取り入れた、綺麗めな格好みたいな。でも最近は、人からの見られ方はあまり気にしなくなってきたので、ストリートに寄る日もあったり、自由にファッションを楽しんでいます。今日は、熊谷さんのブランドの「ネサーンス(NAISSANCE)」のトップスをメインに合わせました。アクセサリーは、ヨーロッパのもので揃えている。僕は「ビオトープ(BIOTOP)」が好きでよく行くんですけど...

熊谷:「ビオトープ」はアパレル会社のジュンさんと僕で作ったんですよ。

工藤:えー!めちゃめちゃ行きますし、お世話になっています。大好きです!

2人が贈るファッションを楽しむ若い世代へのメッセージとは?

―それでは最後に、お二人のようにファッションを楽しむ若い世代に、メッセージをお願いします。

工藤:あまりSNSのアルゴリズムばかりに乗らないほうが良いんじゃない、と思っています。自分の好きなものの延長だけを追うのではなく、音楽やファッションは、冒険して、失敗を繰り返した先に、自分だけの発見があるから面白い。カルチャーもジャンルも異なるアイテムにチャレンジすることを、楽しんでもらいたいです。

熊谷:スマホとネットだけで買い物をしていた若い世代に最近、「ブーン(Boon)」や「ポパイ(POPEYE)」のバックナンバーを読んでみたりする子が増えてきた。ファッションのことを質問されると、なんでも教えちゃう。あと古着屋さんも今はすごく元気なので、おしゃれの入門が古着というのもありだと思う。工藤さんも言っていたように、いろいろ試して、どんどん新しい出会いに繋げていって欲しい。

The post Da-iCE工藤大輝とスタイリスト熊谷隆志が語る「ファション愛と10周年、ZOZOコラボ」 appeared first on WWDJAPAN.

三宅健がアルバム「THE iDOL」をリリース 体現する唯一無二の“アイドル”像

三宅健
PROFILE:(みやけ・けん)/1979年7月2日生まれ、神奈川県出身。2023年7月最初のTOBEアーティストとして出発することを発表。 表現者として、新たなエンターテインメントの形に挑戦していくこと、そして新たな「アイドル像」を 描いていくことを表明した。6月22、23日には有明アリーナにて単独コンサート「2024 Live Performance The Otherside : Another Me Presented by KEN MIYAKE」を開催した
三宅健が6月5日、ソロアルバム「THE iDOL」をリリースした。30年のアイドル活動を経て三宅がたどり着いたのは、自らの職業であり生き様、そして紛れもなく現代日本を代表する文化である“アイドル”だ。

2020年代のJ-POPらしい多種多様な音楽ジャンルを詰め込んだ仕上がりながらも、何よりも印象的なのはアルバムとしての強いトータル感。そこには三宅が愛するアートへの強いリスペクトや情熱を感じずにいられない。そして、SIRUPやMicro、WurtSら数々のアーティストと共に作り上げた各楽曲にはどれも捻りが効いていて、さらりと聴き流すことも、深く掘り下げることもできるポップソングの理想的なバランスが実現されている。7月で事務所・TOBEに移籍して1年を迎えた。三宅健はどのように「THE iDOL」にたどり着いたのか?

三宅はインタビューの席に着きながら、腕に身につけた「ゴローズ(GORO’S)のバングルについて「14〜15歳の頃、ネイティブアメリカンに憧れて購入したんです。以来、『ゴローズ』以外のアクセサリーは身に着けないと決めたんです」と教えてくれた。「THE iDOL」にも、このインタビューでの発言にも、そんな三宅の初期衝動と継続への強い意思が通っている。

悲しさや苦悩までも包括した“アイドル”

WWD:三宅さんは以前、「好きなアーティストとコラボしながら、音楽を作っていきたい」といった思いを語っていました。今作にもそのコンセプトは当てはまりますか?

三宅健(以下、三宅):そうですね。普段好きで聴いているアーティストを中心に、今の自分や今の気分に合う人たちに楽曲を提供していただきました。ただ、前作であるミニアルバム「NEWWW」(2022年11月リリース)は全体的に暗めの楽曲が多かったこともあり、「今回はよりポップに」と考え、全体的に明るめの楽曲を集めたという違いはあります。

WWD:何よりも「THE iDOL」という直球ながらも含みの感じるタイトルが印象的です。メタ的に“アイドル”を掲げたのには、活動30周年という節目が関係しているのでしょうか?

三宅:今回は、若手など新進気鋭のクリエイターの方々に楽曲を提供してもらうことで、30年間アイドル業をやってきた僕の新たな一面を引き出してもらいたかった。もう一つはまだ具体的には言えないのですが、自分自身を題材としたプロジェクトを考えていて、それとリンクしたものにもなっています。
 グループとしての活動を終えて一人での活動を始めるにあたり、これからの自分について深く考えました。言ってしまえば、アイドルという選択をしなくてもよかった。でも、アイドルとしてやっていくことを決意した時に、「アイドル・三宅健とは何か?」という問いとすごく向き合うことになったんですね。そんな時期に作ったのが、シングルとしてリリースをした「Ready To Dance」と「iDOLING」です。それぞれSIRUPとMicroと一緒に作った曲ですけど、僕の頭の中と彼らの意見を重ねて試行錯誤しながら作ったので、この2曲にはリアルな僕が詰まっている。「Ready To Dance」と「iDOLING」を中心に他の楽曲が集まってきたことで、「THE iDOL」というアルバムが完成しました。

WWD:「iDOLING」はアイドルとしての華やかさだけじゃなく、苦悩までもがはっきりと描かれています。

三宅:「iDOLING」は、ファンのみんなが「三宅健という人間そのもの」を愛してくれているのか、「アイドル三宅健」としてラベリングされた自分を好きだと言ってくれているのか、それが分からなくなり苦しんだ時期に作った曲なんです。ソロでやる、と自分で決めてスタートしたはずなのに、新しい場所で活動を始めてみたら「自分がどう見えているのか」「どう思われているのか」と考え始めてしまった。そもそもこの曲は以前、Microと一緒に作ったソロ曲「悲しいほどにア・イ・ド・ル」の続編なのですが、あの曲は小泉今日子さんの名曲「なんてったってアイドル」の2010年版を作ろうと、当時の自分のアイドルに対する思いや恋愛観を込めた曲なんです。そんな曲の続きを再びMicroと作るなら、自分自身が今思っていることを含め、アイドル活動30年の過去・現在・未来を落としこまないと成立しない。そう考えて、そのタイミングでの自分のリアルな苦悩も取り入れた曲になりました。

WWD:“悲しむたびに IDOL”というフレーズが象徴するように、悩みすらも芸になるというアイドルが抱える矛盾までも歌詞になっているのが印象的です。

三宅:僕自身、メジャーとマイナーでいえば、マイナー調の曲の方が好きなんです。「悲しいほどにア・イ・ド・ル」もそうでしたが、今回の「iDOLING」も、1970年代頃のディスコをイメージして作っていて、「思わずビートを刻んじゃう、踊りたくなる曲なんだけど、流れてくるメロディーラインはちょっと切ない」という点はコンセプトとして狙っていました。そしてファンの人たちは、僕の中から出てくるちょっとした孤独感や寂しさも感じ取って見てくれていると思うんです。そういった感情の機微までも、ギリギリのラインまでは包み隠すことなく楽曲に込めるように作りました。

WWD:悩み、苦しんだ先に、結果的にはファンへの強い信頼を感じる作り方をされたのですね。

三宅:はい。アルバムの内容的にも今回は2つの軸があって、一つ目は「ファンのみんなへのメッセージ」です。12曲+ボーナストラック2曲の全14曲の中には、ファンに対する僕からの暗号がたくさん散りばめられていて、このアルバムを聴いてもらえれば暗号が解き明かされるように作っています。そしてもう一つは、「誰が聴いても楽しめる、普遍的な恋愛ソング集」というもの。この2つの軸をコンセプトとして作っているので、「THE iDOL」というタイトルにしています。

WWD:SIRUPさんとの「Ready To Dance」もMicroさんとの「iDOLING」も、三宅さんの思いやディレクションが込められている曲だと思います。それは他の楽曲でも同じですか?

三宅:いえ、全部の収録曲がそうなってしまうとつまらないので、全曲はあえてディレクションしないようにしています。例えば、「BOY」という曲がそうですね。よく行くカフェにDJをやっているスタッフさんがいて。話をしているうちに「知り合いから『ヤバいデモができた』って曲が送られてきたんですけど」と言われ、聴いてみたらものすごく良かった。そんな、偶然のつながりからできた楽曲です。

WWD:作為と無作為のバランスは、作品の内容やムードに大きな影響を与えますよね。

三宅:音楽に限らずアートもそうなのですが、僕は想像する余白がある作品や表現がすごく好きなんです。だから、自分の作品にもそういう余白は残しておきたいし、その遊びを楽しんでほしいなと思います。もちろん伏線が回収されていく気持ちよさみたいなものもありますが、全ての伏線が回収される必要もないと思うし、そこに面白さがあると思うんですよね。

WWD:三宅さんは以前「アーティストは何か生み出す存在であり、自分はあくまでアイドル」といった内容の発言をされていましたが、今作「THE iDOL」全体のコンセプト作りを含めたプロデュース/ディレクションワークからは、「アーティスト三宅健」が強くにじみ出ているように感じます。

三宅:グループがなくなったときに、自分を何者と名乗ろうか考えたんです。その時に、やっぱりアイドルという言葉が一番しっくりきたんですよね。言葉の捉え方は人それぞれですが、僕の場合は0から何かをクリエイトする人がクリエイターでありアーティストだという認識があるし、周りにも友だちにもそういう優秀なクリエイターやアーティストの人たちがいるんです。だから、「表現者?……違う」。「アーティスト?……違う」って。もちろん自分はアート思考でものを考えるのが好きだし、クリエイティブなことも好きなので、そこの追求はしたい。けれども、自分の中にクリエイターやアーティストへの強いリスペクトがあるからこそ「名乗りたくない」と思いました。改めてアイドルという言葉を辞書で調べたら、偶像や幻想という言葉が出てきて、それを見た時、「アイドル=何者にもなり得る存在」と捉えたんです。

WWD:なるほど。

三宅:だから今回の「THE iDOL」というアルバムは、タイムレスでジャンルレスな作品にしたいと思いました。なぜなら、アイドルという存在自体がボーダーを超えられる特性を持っているからです。何色にでも染まることができて、自由に色々な所を行き来できる存在=アイドル。それは音楽性だけの話じゃなく、仕事の面でもそうです。バラエティをやることもあれば、お芝居の仕事をすることもあれば、歌唱することもある。だから、僕は今改めて、アイドルと名乗りたいと思ったんです。

WWD:近年、三宅さんの発言や動きからは、アイドル文化への課題意識やその改善を目指す意思が感じられます。

三宅:おこがましいようであまり声高に言いたくはないのですが、自分自身が30年アイドルをやってきた中で、偉大な先輩たちがアイドルという仕事の枠を広げてくれた恩恵を強く感じていて、彼らへのリスペクトや感謝がある。そして、アイドルという文化に強い可能性を感じるからこそ、アップデートできたらと。というのも、どうしてもアイドルって専門性がないように見えて軽んじられたり、あるいは短期的に消費されたりする文化が日本には根付いている。この状況を良い方向性に変えてゆきたいという気持ちがあります。

WWD:短期的な消費という点は、特に女性アイドルにおいて指摘されるポイントだと思いますが、男性もそこは同じだと感じられますか?

三宅:そうですね。男性アイドルの場合、僕らの世代ではSMAPがすごく活動の場を広げてくれた存在です。その恩恵を僕らは受けている。でも、今は僕らの時以上にアイドル戦国時代で、いろんなアイドルの形があって、生き残っていくことは本当に大変な時代だと思います。そんな時代だからこそ、僕は、アイドルとその外側の何かを掛け合わせることで、後進のアイドルに新しい道を作ることができたらいいなと思っています。

WWD:たしかにSMAPは年齢的にも活動範囲の点でも、アイドルの枠組みを広げた存在ですよね。

三宅:SMAPは間違いなく僕の中での揺るぎないアイドル像であって、多感な時期を一緒に過ごすことができた青春そのものです。だから、それはずっと色褪せない存在ですね。

WWD:「iDOLING」のMVのダンスシーンには、三宅さんがリスペクトする中居正広さんを経由してマイケル・ジャクソンへ至るような、アイドル文化の歴史へのリスペクトを感じました。そうした「アイドル文化の継承」は、三宅さんが意識されているポイントですか?

三宅:「継承しよう」と意識して活動しているわけではないです。ただ、自分がアイドルとして30年活動してきた中で、自分がこれからのアイドルの道を構築していくのかを考えるべき立場や世代になってきたのは間違いないですね。日々、「自分は何をすればいいのか」「アイドル・三宅健には何ができるのか」といったことは考えています。三宅健が「アイドル・三宅健」を作っていく。それを生涯かけて続けることができれば、それはいつかどこかである種の「創作活動」になるのではないかと思っています。

CREDIT
ジャケット30万8000円、パンツ13万2000円/以上、リバーバレイト(イーライト03-6712-7034)、ベスト3万7400円/ティーエイチプロダクツ(TARO HORIUCHI Inc. contact@a-tconcepts.com) 、シューズ7万2600円/アデュー(バウ インク070-9199-0913)、その他、本人私物
PHTOS:SHUHEI TSUNEKAWA(SIGNO)
STYLING:MASAAKI IDA
HAIR & MAKEUP : KENJI IDE(UM)

INFORMATION

■「THE iDOL」

2024年6月5日リリース
9:00〜20:00(最終入場19:00)
3形態(初回限定盤A、初回限定盤B、通常盤)
収録曲:
M1 ホーンテッド
M2 Ready To Dance M3 100CANDLE
M4 DROP
M5 iDOLING
M6 ジェットコースター M7 I'm good
M8 circus
M9 mydoll
M10 Unzari
M11 ドラマチック M12 BOY
Bonus1 LOVE Bottle
Bonus2 星に願いを

The post 三宅健がアルバム「THE iDOL」をリリース 体現する唯一無二の“アイドル”像 appeared first on WWDJAPAN.

「ブルネロ クチネリ」が能登半島地震の被災地支援 輪島の漆職人招きイベント

「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」は7月13日に、能登半島地震で被災した石川・輪島の漆職人を招いたトークイベントを表参道店で開催した。輪島塗の漆器販売を手掛ける千舟堂岡垣漆器店の協力のもと、地下2階のギャラリースペースでは漆器作品を8月31日まで展示販売し、職人たちの支援につなげる。

今年1月に発生した能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島は、日本三大漆器と称される輪島塗の文化が受け継がれてきた。宮川ダビデ=ブルネロ クチネリ ジャパン社長は都内で開かれた展示会をきっかけに輪島塗に関心を持った。「現地では、もう一度製作をスタートするには時間がかかるので再開を諦めざるを得ない状況だと聞いた。職人を大切にする私たちだからこそ、この素晴らしい文化を継承する支援をしたいと思った」と話す。

実際に現地に訪れ、職人たちと交流するなかで「作品のすばらしさだけでなく、皆さんの人柄にも惹かれ支援したいという気持ちがさらに強くなった」という。イベントでは、現地の様子を動画で流し、「地震発生から約半年が経った今もまだまだ支援が必要な状況だ」と観客に投げかけた。

イベント冒頭では、千舟堂岡垣漆器店の岡垣祐吾社長が輪島塗について解説した。江戸時代に確立したと言われる輪島塗は、124の工程が全て手仕事で行われる。それぞれの工程に特化した職人が手掛けているのも特徴だ。「これまで各工程でレベルの高いモノ作りができる分業制は強みだと思っていた。しかし今、仕事ができない状況の職人さんもいるなかで、分業制が再開に向けての1つの壁になっている」と話す。岡垣社長によると、徐々に復興は進んでいるものの、まだ断水が続いていたり、半壊した家の中で作業を強いられていたりする職人たちも多くいるという。

「今必要なのは、安心して作業に取り組める環境と皆さまからの温かいメッセージだ。お金や物資ももちろんありがたいが、職人たちはお客さまからのご感想や叱咤激励が一番励みになる」と岡崎社長。トークセッション後半では、震災発生後もモノ作りを続ける塗り師の余門晴彦さんと蒔絵師の代田和哉さんが、作業の一部を実演して見せるなどした。

「ブルネロ クチネリ」は、今後もさまざまな形で輪島の支援を継続する方針だ。8月には社員参加型で能登で行われるキリコ祭りの現地ボランティアを行う予定だという。

The post 「ブルネロ クチネリ」が能登半島地震の被災地支援 輪島の漆職人招きイベント appeared first on WWDJAPAN.

「ブルネロ クチネリ」が能登半島地震の被災地支援 輪島の漆職人招きイベント

「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」は7月13日に、能登半島地震で被災した石川・輪島の漆職人を招いたトークイベントを表参道店で開催した。輪島塗の漆器販売を手掛ける千舟堂岡垣漆器店の協力のもと、地下2階のギャラリースペースでは漆器作品を8月31日まで展示販売し、職人たちの支援につなげる。

今年1月に発生した能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島は、日本三大漆器と称される輪島塗の文化が受け継がれてきた。宮川ダビデ=ブルネロ クチネリ ジャパン社長は都内で開かれた展示会をきっかけに輪島塗に関心を持った。「現地では、もう一度製作をスタートするには時間がかかるので再開を諦めざるを得ない状況だと聞いた。職人を大切にする私たちだからこそ、この素晴らしい文化を継承する支援をしたいと思った」と話す。

実際に現地に訪れ、職人たちと交流するなかで「作品のすばらしさだけでなく、皆さんの人柄にも惹かれ支援したいという気持ちがさらに強くなった」という。イベントでは、現地の様子を動画で流し、「地震発生から約半年が経った今もまだまだ支援が必要な状況だ」と観客に投げかけた。

イベント冒頭では、千舟堂岡垣漆器店の岡垣祐吾社長が輪島塗について解説した。江戸時代に確立したと言われる輪島塗は、124の工程が全て手仕事で行われる。それぞれの工程に特化した職人が手掛けているのも特徴だ。「これまで各工程でレベルの高いモノ作りができる分業制は強みだと思っていた。しかし今、仕事ができない状況の職人さんもいるなかで、分業制が再開に向けての1つの壁になっている」と話す。岡垣社長によると、徐々に復興は進んでいるものの、まだ断水が続いていたり、半壊した家の中で作業を強いられていたりする職人たちも多くいるという。

「今必要なのは、安心して作業に取り組める環境と皆さまからの温かいメッセージだ。お金や物資ももちろんありがたいが、職人たちはお客さまからのご感想や叱咤激励が一番励みになる」と岡崎社長。トークセッション後半では、震災発生後もモノ作りを続ける塗り師の余門晴彦さんと蒔絵師の代田和哉さんが、作業の一部を実演して見せるなどした。

「ブルネロ クチネリ」は、今後もさまざまな形で輪島の支援を継続する方針だ。8月には社員参加型で能登で行われるキリコ祭りの現地ボランティアを行う予定だという。

The post 「ブルネロ クチネリ」が能登半島地震の被災地支援 輪島の漆職人招きイベント appeared first on WWDJAPAN.

ニューヨーク発「ミズキ」 日米で育った感性を融合したモダンで温かみのあるパールジュエリーを提案

PROFILE: ミズキ・ゴルツ/「ミズキ」創業者兼デザイナー

ミズキ・ゴルツ/「ミズキ」創業者兼デザイナー
PROFILE: 東京生まれ。10歳で米ニューヨークに移住。ニューヨーク・スクール・オブ・ビジュアル・アーツで彫刻を学ぶ。1996年に夫と「ミズキ」を設立。ニューヨークとカリフォルニアという東と西海岸を行き来するライフスタイルを送りながら、日本人としての美的感覚とんヒューヨークで磨いたセンスを融合したジュエリーを提案

ニューヨーク発ジュエリーブランド「ミズキ(MIZUKI)」の創業者兼デザイナーであるミズキ・ゴルツが「ロンハーマン(RON HERMAN)」のポップアップショップ開催のために来日した。同ブランドは、彼女が夫と1996年に設立。パールを中心にした繊細なデザインのジュエリーは世界中で愛されている。日本では、「ロンハーマン」をはじめ、「エストネーション(ESTNATION)」「トゥモローランド(TOMORROWLAND)」などのセレクトショップを中心に販売。2024年秋冬シーズンからは、「ロンハーマン」を展開するリトルリーグが独占販売権を取得した。来日したゴルツにクリエイションやビジネスについて聞いた。

温かみのあるモダンなジュエリーを提供

WWD:ジュエリーブランドを立ち上げたきっかけは?

ミズキ・ゴルツ「ミズキ」創業者兼デザイナー(以下、ゴルツ):ニューヨークの芸術大学のスクール・オブ・ビジュアルアーツで彫刻を専攻した。ファッションにも興味があったので、卒業後にグラスビーズでネックレスを作って街中でつけていたら、「誰がデザインしたのか。欲しい」と言われて20ドル(約3200円)で販売した。それで、小さな彫刻をファインジュエリーにできるかもしれないと考えた。

WWD:ブランドのコンセプトは?

ゴルツ:ファッションとファインジュエリーの融合。モダンなジュエリーは冷たいと感じることもあるけど、自然素材のパールを使用した美しくモダンで温かみのあるジュエリーを提供したい。重ね付けできるデザインがポイントだ。

WWD:デザインのこだわりは?

ゴルツ:アートを学んだので、インスピレーションに頼らなくても、クリエイションのベースがあり、直感や感性がある。パールを通してさまざまなストーリーや感情を伝えることができると思う。

一つ一つ違う美しさを持つパールは女性を象徴する素材

WWD:パールにフォーカスする理由は?他のパールのジュエリーブランドとの差別化は?

ゴルツ:パールはまるで女性を代弁するかのような素材。自然の恵みであり、宝石の女王だ。女性はみんな違うようにパールも一つ一つ違って、それぞれ違う自然の美しさがある。女性を体現する最高のジュエリーだと思う。「ミキモト(MIKIMOTO)」や「タサキ(TASAKI)」は素晴らしいジュエリーブランド。最高に美しいパールジュエリーを提供しているし、モダンなデザインで若い消費者にもアピールしている。「ミズキ」では、常にモダンなデザインのパールジュエリーを提供してきた。私は10歳まで日本で育ち、その後ニューヨークへ移住した。日本とアメリカという全く異なる文化を体験し、吸収した。クリエイションにおいては半分日本、半分ニューヨークの感性を融合している。ジュエリーの大きさやプロポーションの好みは市場によって異なるが、私は、25年間いろいろな経験をしてきたので、直感を信じて躊躇せずクリエイションできる。ゴールド、シルバーなどさまざまな金属やグラス、色石、ダイヤモンド、パールなどさまざまな素材を使用してきたが、一番しっくりくるのがパール。パールを使用して、モダンな女性が着けたいと思うジュエリーを作りたい。

WWD:アコヤ真珠の希少性が高まっているが?真珠の調達はどのように行っている?

ゴルツ:パールの調達は難しくなっている。ダイヤモンドやゴールドの価格も高騰している。だから、デザインで工夫をするしかない。滝のようなデザインにするには、さまざまなサイズのパールを調達することが大切。最近では、淡水パールの品質も上がってきていると思う。

360度どこから見ても美しく誰にでも寄り添うデザイン

WWD:ターゲットは?

ゴルツ:働く女性が自分のために購入するケースが多い。ギフト需要もある。モダンなパールジュエリーや特別なデザインを探している人が多い。だから、既に彼女たちが持っているパールジュエリーとは違うファッショナブルで個性的なデザインを提要している。「ミズキ」のデザインとクオリティーを信頼してくれている顧客から支持されている。

WWD:ベストセラーとその理由は?

ゴルツ:クラシックな“シー・オブ・ビューティ”シリーズや“バナナ・フープ”、“Yネックレス”などさまざま。着ける人全てに似合う体と思う。着ける人に寄り添うデザインを心がけているから、自然に馴染む。アートを学んだのでどの角度から見ても美しいプロポーションを計算してデザインしている。

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?

ゴルツ:アメリカ、イギリス、ポーランド、ルーマニア、ドバイ、レバノン、トルコ、アジア各国などで約50店舗。

WWD:日本におけるディストリビューターに「ロンハーマン」を展開するリトルリーグを選んだ理由は?

ゴルツ:「ロンハーマン」は、アメリカのセレクトショップの文化を日本に導入して融合させた最初の店舗。だから、日本とアメリカで育った私の感性に近いと感じる。長年一緒に取り組んできたので、自然な選択だった。今後、さらに日本でのビジネスに注力して広げていきたい。さまざまな国にジュエリーを通して新しい経験を提供したい。中東などの新しい市場について学びながら、好まれるデザインを提供していきたい。

The post ニューヨーク発「ミズキ」 日米で育った感性を融合したモダンで温かみのあるパールジュエリーを提案 appeared first on WWDJAPAN.

「アンリアレイジ オム」立ち上げの本当の理由 岐阜企業とのタッグでメンズ服の可能性探る

「アンリアレイジ(ANREALAGE)」の森永邦彦デザイナーは、メンズライン「アンリアレイジ オム(ANREALAGE HOMME以下、オム)」を始動し、今年3月にファーストコレクションを披露した。スタイリストのTEPPEIや「ノリエノモト(NORIENOMOTO)」の榎本紀子デザイナーとコラボしたスタイリングやアイテムなどで話題を集めた。「アンリアレイジ」設立から21年が経つ今、なぜ森永デザイナーは「オム」を立ち上げたのか。目指すブランド像や、新たな取り組みなどについて聞いた。

WWD:「アンリアレイジ オム(以下、オム)」を始動した経緯を改めて教えてほしい。

森永邦彦「アンリアレイジ オム」デザイナー(以下、森永):今のメンズウエアにないものを作り、メンズウエアで“ファンタジー性”を描きたかったから。メンズはテーラード重視のスタイルなので、アイテムに制限が多い。ウィメンズウエアでは当たり前のものがないこともあるため、それを“ファンタジー”と呼んでいる。例えば、メンズウエアはレイヤードしたスタイリング提案がしづらいのを逆手に取り、ジャケットの上に着られるシャツを作れたら面白い。メンズ版の十二単のような、ドレスっぽいスタイルが生まれるかもしれない。

基本的に「アンリアレイジ」黎明期の洋服をベースにしているが、懐かしむだけでは意味がないため、どう更新していけるかが重要だ。制約を設けず、素材使いに工夫を加え、フェミニンではないレースの使い方を考えたり、ポップでカラフルな色使いを採用したりしたいと考える。「これぞメンズ」なクールなスタイルではなく、未熟で子どもっぽい人間像も具現化したい。

WWD:「オム」ではスタイリストのTEPPEIをビジネスパートナーに迎えた。どのように共に服作りをするのか?

森永:僕らの原風景は、2000年代の原宿にある。その頃のワクワクしていた気持ちに戻れる洋服をTEPPEIくんと一緒に作るつもりだ。当時のファッション雑誌を見ると、今でもすごく面白いと感じるものがあるから。通常、スタイリストは、デザイナーが作ったものをどう組み立てるかを考えるのが役目。でも、「オム」で彼は自分のことを“スタイルコンポーザー”と自称している。“コンポーザー(composer)”はいわば作曲家のこと。2人で「どういうスタイルを作るか?」を話し合い、ジャケットの丈やボトムのシルエットなどを調整していく。「アンリアレイジ」がコンセプトをベースに作るブランドならば、「オム」は理想のスタイルをベースにするブランドだ。

WWD:ファーストコレクションの反響は?

森永:想定外に大きかった。実は今回、初めて一般のお客さま向けにも展示会を開催した。トグルが付いたシャツや、ノリちゃん(榎本紀子デザイナー)と合作したスタジャンなど、まとまった数の受注が付いたアイテムがいくつもあったし、全面をボタンで覆ったジャケットのように、約300万円するアイテムをオーダーしてくれる人もいた。

WWD:なぜ一般向けに開催を?

森永:ウィメンズのパリのスケジュールに合わせた「アンリアレイジ」とは異なり、「オム」は、東京のファッション・ウイークを中心に動くブランド。だからこそ、日本のお客さまを巻き込んだブランド作りをすべきだと考えた。正直に言うと、ショーの座席は、ブランドと関係性の薄いインフルエンサーよりも、これまで実際に商品を買ってくれたお客さまに多く割り当てた。ランウエイを見て「この服が好きだ」と感じてくれた人が、そのまま展示会に来られる流れを作りたくて。

WWD:販路を自社ECと直営店主軸にしている理由は?

森永:もちろん、卸もやりたい気持ちはある。ただ、自分たちでマネジメントできる範囲で販売したいので、あくまでも主軸は自社ECサイトと直営店。だから、その第一歩として原宿に「オム」の店舗を8月にオープンすることに決めた。東京・青山にあり、7月15日に営業終了した「アンリアレイジ」本店とは雰囲気を大幅に変える。手仕事を追求していたブランドの原点に立ち返るような、手作り感溢れる店にしたい。下手なりに頑張って作る、ということを大事にしているため、もしかしたら店舗もDIYするかもしれない。

岐阜のアパレル企業とタッグ
「ブランドと工場を対等な関係に」

WWD:新ラインを作るため生産体制はどう調整する?

森永:自社の人員を増やすことはしないが、新たな生産背景にチャレンジする。OEMやODMを行う岐阜県のアパレル企業、サンエース(SUNACE)と協業することに決めた。90%を同社で生産し、残りの10%は「アンリアレイジ」が国立市に構えるアトリエで賄うつもり。サンエースは、モチベーションの高い若手社員がどんどん増えており、3Dパターンのような最新の仕組みが整っている。「この人たちと一緒に、ブランドを作るチームを形成したい」と思った。

工場名を公にするのは、ファッション業界内ではまだ珍しい試みのはずだ。通常であればブランドは、工場の価格競争を避けるために生産背景を公表しない。しかし、昨今は安く仕立ててくれる工場を探すうちに、海外に生産拠点が流れてしまうようになった。日本を拠点にブランドを営む上で、それは何か大きな損失であるような気がした。

WWD:サンエースとの協業内容は?

森永:在庫リスクを軽減するため、サンエースのラインを丸ごと買い取る契約をした。奇抜なデザインの服は売れ残りやすいから、ブランド側も小ロットで製造したがる。そうすると、どこの工場からも「採算が合わないので作れない」と断られてしまう。だから「オム」ではブランド専用のラインを工場内に作ってもらって、売れやすい商品もそうでない商品も発注しやすい環境を整えた。結果的に、複雑な構造の服も価格を抑えて販売することができると思う。

WWD:日本のモノ作りの課題は?

森永:これまでブランドと工場の関係性は、極端かもしれないが、ブランドが「指示を出したら、あとは出来上がりを待つだけ」というような一方向なコミュニケーションになりやすかった。ただ、やはり両者の間には対話が必要だ。「オム」ではそれを強化するため、サンエースに常駐する人員を一人派遣することにした。工場がブランドに対して「もっとこう縫ったほうがいい」「この仕様を変えたらはき心地が良くなる」と意見を出すなど、デザイナーと工場が互いに高め合うモノづくりをする。そうすれば、ブランドはさらに成長できると思う。

The post 「アンリアレイジ オム」立ち上げの本当の理由 岐阜企業とのタッグでメンズ服の可能性探る appeared first on WWDJAPAN.

「ベントレー」が新型“コンチネンタルGTスピード”を発表 本国幹部に聞く、自動車におけるラグジュアリーとは

英国の自動車ブランドである「ベントレー(BENTLEY)」が“コンチネンタルGTスピード”の新型モデルを日本向けに披露。ラグジュアリーブランドがコアバリューをどのようにプロダクトに落とし込んでいるのか。そしてどのように進化しようとしているのか。来日したベントレー モーターズ リミテッドのウェイン・ブルース=チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサーとニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター、そして遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクターにインタビューを行った。

――ベントレーのフラッグシップである“コンチネンタルGT”のなかでも、よりパワフルなモデルである“コンチネンタルGTスピード”は、シリーズ誕生から4世代目となるクルマですが、この魅力について教えて下さい。

遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクター(以下、遠藤):まずデザインから触れるとわかりやすいだろう。「ベントレー」はデザイン哲学をアップデートし続けているブランドだ。自分たち自身にチャレンジしながら新しい哲学を再定義し、新しいものを生み出している。レスティングビースト(休息する肉食動物)をモチーフとしたボディのシルエット、直立するサラブレッドの美しい立ち姿をモチーフにしたフロントの先端のデザインなど、「ベントレー」らしさを形作ってきたモチーフを継承しながら時代にあわせてアップデートしている。今回発表した“コンチネンタルGTスピード”は、多くの人に愛されてきた要素をアップデートした最新モデルだ。

ウェイン・ブルース=ベントレー モーターズ リミテッド チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサー(以下、ウェイン):クルマについて詳しくはなくても、「ベントレー」というブランドとヘリテイジを深く理解しているお客さまが乗っている点が「ベントレー」の特徴だ。新型“コンチネンタルGTスピード”は、ハイブリッドパワートレインというテクノロジーと、「ベントレー」を特徴づけるクラフトマンシップのマジカルヒュージョンだ。

――「ベントレー」のフラッグシップである“コンチネンタルGT”がアップデートされた。4世代目となるということだが、外見上では先代からの大きな変化を控えたように見受けられる。これまでのモデルと最新の4世代目の違いは。

ウェイン:パワートレインを電気とガソリンエンジンのハイブリッドとしたことにより、車両の68%を占める部分が新しくなっている。そのほとんどは目に見えないところだが、電気モーターを搭載しバッテリーを積むには車両の内部で大幅な改良が必要だった。エクステリアデザインでは主にフロントやリアに変化を加えている。“コンチネンタルGT”にはいくつかのモデルがあり、この“スピード”はパワーにおいてトップにあるマシンであり、パワーに焦点を当てたモデルを最初に発表したという点が過去のモデルとは異なっている。

ニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター(以下、ニコ):“コンチネンタルGT”は私達にとってのアイコンである。アイコンというのは劇的には変わらないものと考える。今回は劇的な変更は加えていない。というのもこれまで21年にわたりお客さまに愛されてきたモデルであり、既存のお客さまのニーズに応えることも重要だと考えるからだ。もちろん、これまで「ベントレー」に乗っていない人にも魅力的な充分新しいデザインに仕上がっている。あくまでも“コンチネンタルGT”はアイコン的モデルなので、われわれも慎重に取り扱った。

――自動車におけるラグジュアリーのひとつの傾向として、グランドツーリング(長距離のクルマによる旅)という用途に注目が集まっていることがいえる。グランドツーリングを関する“コンチネンタルGT”はこの領域におけるユニークな存在ではあるが、どのような優位性を持つと考えているのか。

ウェイン:デイリーなスーパーカーであることだ。

遠藤:日本でいうとグランドツーリングは「ベントレー」の出発点。移動という面で特にユーザビリティが高いことが特徴だ。そしてウェインが言うように汎用的でもある。長い距離を走り、その時間がなんて楽しいんだろうと感じる快適さが「ベントレー」にはある。お客さまにヒアリングすると「『ベントレー』は5000キロ乗っても疲れない」という声もあった。出張やロングドライブでドライブ、帰りはクルマなんて乗りたくない、電車や飛行機で帰ろうと思うような距離でも「ベントレー」なら疲れを感じることなく、むしろ過ごした時間が楽しいとおっしゃるお客さまがいる。「ベントレー」が持つグランドツーリングの特徴だ。クルマの中にいる時間が楽しく、快適で、そして一緒に過ごした方々との時間が忘れがたいものになり、また乗りたいと思う。それが「ベントレー」の大きな魅力だと捉えている。

ダイバーシティー&インクルージョンを積極支援

――ラグジュアリーライフスタイルブランドとして、未来に向けて描く姿は

ウェイン:ブランドが取り組んでいることは、ファッションの世界でも見られるように、買ってくださったお客さまと価値観を共有すること。われわれは2019年に創業100周年で立てた「Beyond100」戦略のもとに未来へと進んでいる。そのなかで「ベントレー」は「サスティナブルなラグジュアリーモビリティのリーダーになる」という目標を掲げていた。6年前には工場をカーボンニュートラル化した。そしてさまざまなリサイクル活動を行っている。排気ガスを出すクルマからハイブリッド化も進めており、今回の新型車両ではCO2排出量を10%にまで削減した。また、フォルクスワーゲングループの他のブランドと協力して進めていることだが、サプライチェーン全体でのCO2排出量削減にも取り組んでいる。同時に、コミュニティーに対する貢献も進めている。「ベントレー」の本社があるのはイングランド北西のクルーという場所で、決して裕福な地域ではない。ここでは「ベントレー」が雇用主として最大の会社であるという意味でコミュニティーへのサポートも進めている。さらに、10社のパートナーと環境財団を設立し、数百万ポンド(数億円)を寄付した。ダイバーシティー&インクルージョンの活動も社内外で進めている。

――ダイバーシティー&インクルージョンにベントレーでは積極的に取り組み、その成果を定期的に発信している。その狙いは。

ウェイン:2つの理由がある。それが正しいことだと信じているからだ。これまで買ったことのないお客さまを引きつけようと思ったら、そのような方々にとっても「ベントレー」が大事な存在でなければならない。そのためには正しいことをしないといけない。

そしてもう一つは、経営の観点だ。多様な人材、多様な考え方を受け入れることで会社を変える助けにしようという狙いがある。4年前には私の提案から地元のプライドフェスティバルを支援した。レインボーカラーにラッピングしたクルマも提供した。このような勇気ある発信はベントレーとして初めてだったので反響は非常に大きかった。LGBTQの社員も勇気を得て、自分たちも関わりたいと名乗り出た。いまでは社内に5つのインクルージョンに関するネットワークがある。1つはプライド系のネットワーク、そして女性活躍、さらに精神的に疾患を抱える人のネットワーク、4つめが多様な民族のネットワーク、5つめが、軍人、警察官出身のネットワークだ。それぞれのミッションは、4500人の社員にインクルージョンを啓蒙して伝えること。現在ではこのネットワークに700人の社員が関わっている。D&Iのアクティビストの招へいやLinkedinなどの公共に使えるチャネルで、自分たちの活動を発信したことにより、ベントレーの求人への応募における女性比率がかなり増えた。

――ラグジュアリーは時代によって定義が変わる。いま求められるラグジュアリーとはどのようなものだと考えるか「ベントレー」が提案したいラグジュアリーとはどのようなものか。

ニコ:ラグジュアリーは客観的なものではない。高価であることや、大きなロゴがついていることで測れるものではない。自分にとって特別であることがラグジュアリーだ。クルマでいえば自分の好みにあったドリームカーであること。ハンドステッチや素材、エクスクルーシブなクラフトマンシップといった生産工程に関わることもラグジュアリーを叶える要素だ。

ウェイン:マーケティングにおいては価格による明確なラグジュアリーの定義がある。すなわち18万ユーロ(約3132万円)から上がラグジュアリー。そして概念としては、ラグジュアリーとは希少価値があるもので、自分を甘やかすためのものだ。その点でわれわれは「ベントレー」の製品はデイリー・ラグジュアリーと言っているが、耐久性が高く、多少雑に使っても大丈夫という実用的なラグジュアリーだ。さらに、460億パターンのパーソナライズができ、自分だけの一台を作ることができる。この点もまたラグジュアリーであると考える。

遠藤:日本におけるラグジュアリーはさまざまな捉え方があるが、私が考える日本におけるラグジュアリーは、リベラルアーツや教養。芸術的な観点にどれだけ労力を割けるかにある。ただお金をかけるだけではなく、時間をかけたり、学び、そういうものを愛する目を養っていることが日本におけるラグジュアリー。ベントレーはもちろんラグジュアリーだが、クルマづくりにおいて手作業によるハンドステッチをあしらった革のパーツやダイヤモンド状のキルティングパターンを施した内装など、時間をかけて長年の歴史があるクラフトマンシップを注ぎ込んでいる。

遠藤:このように丁寧に作られた、長年の歴史があるものを普段遣いできる。これは日本におけるラグジュアリーだと言える。「ベントレー」の価値は、普段袖を通すTシャツやシャワー後に着るバスローブといったものを非常にクオリティーの高いものを使うように、自動車のなかでそういった物に触れられるところにあり、これこそ究極のラグジュアリーだと考えている。

The post 「ベントレー」が新型“コンチネンタルGTスピード”を発表 本国幹部に聞く、自動車におけるラグジュアリーとは appeared first on WWDJAPAN.

「ベントレー」が新型“コンチネンタルGTスピード”を発表 本国幹部に聞く、自動車におけるラグジュアリーとは

英国の自動車ブランドである「ベントレー(BENTLEY)」が“コンチネンタルGTスピード”の新型モデルを日本向けに披露。ラグジュアリーブランドがコアバリューをどのようにプロダクトに落とし込んでいるのか。そしてどのように進化しようとしているのか。来日したベントレー モーターズ リミテッドのウェイン・ブルース=チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサーとニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター、そして遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクターにインタビューを行った。

――ベントレーのフラッグシップである“コンチネンタルGT”のなかでも、よりパワフルなモデルである“コンチネンタルGTスピード”は、シリーズ誕生から4世代目となるクルマですが、この魅力について教えて下さい。

遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクター(以下、遠藤):まずデザインから触れるとわかりやすいだろう。「ベントレー」はデザイン哲学をアップデートし続けているブランドだ。自分たち自身にチャレンジしながら新しい哲学を再定義し、新しいものを生み出している。レスティングビースト(休息する肉食動物)をモチーフとしたボディのシルエット、直立するサラブレッドの美しい立ち姿をモチーフにしたフロントの先端のデザインなど、「ベントレー」らしさを形作ってきたモチーフを継承しながら時代にあわせてアップデートしている。今回発表した“コンチネンタルGTスピード”は、多くの人に愛されてきた要素をアップデートした最新モデルだ。

ウェイン・ブルース=ベントレー モーターズ リミテッド チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサー(以下、ウェイン):クルマについて詳しくはなくても、「ベントレー」というブランドとヘリテイジを深く理解しているお客さまが乗っている点が「ベントレー」の特徴だ。新型“コンチネンタルGTスピード”は、ハイブリッドパワートレインというテクノロジーと、「ベントレー」を特徴づけるクラフトマンシップのマジカルヒュージョンだ。

――「ベントレー」のフラッグシップである“コンチネンタルGT”がアップデートされた。4世代目となるということだが、外見上では先代からの大きな変化を控えたように見受けられる。これまでのモデルと最新の4世代目の違いは。

ウェイン:パワートレインを電気とガソリンエンジンのハイブリッドとしたことにより、車両の68%を占める部分が新しくなっている。そのほとんどは目に見えないところだが、電気モーターを搭載しバッテリーを積むには車両の内部で大幅な改良が必要だった。エクステリアデザインでは主にフロントやリアに変化を加えている。“コンチネンタルGT”にはいくつかのモデルがあり、この“スピード”はパワーにおいてトップにあるマシンであり、パワーに焦点を当てたモデルを最初に発表したという点が過去のモデルとは異なっている。

ニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター(以下、ニコ):“コンチネンタルGT”は私達にとってのアイコンである。アイコンというのは劇的には変わらないものと考える。今回は劇的な変更は加えていない。というのもこれまで21年にわたりお客さまに愛されてきたモデルであり、既存のお客さまのニーズに応えることも重要だと考えるからだ。もちろん、これまで「ベントレー」に乗っていない人にも魅力的な充分新しいデザインに仕上がっている。あくまでも“コンチネンタルGT”はアイコン的モデルなので、われわれも慎重に取り扱った。

――自動車におけるラグジュアリーのひとつの傾向として、グランドツーリング(長距離のクルマによる旅)という用途に注目が集まっていることがいえる。グランドツーリングを関する“コンチネンタルGT”はこの領域におけるユニークな存在ではあるが、どのような優位性を持つと考えているのか。

ウェイン:デイリーなスーパーカーであることだ。

遠藤:日本でいうとグランドツーリングは「ベントレー」の出発点。移動という面で特にユーザビリティが高いことが特徴だ。そしてウェインが言うように汎用的でもある。長い距離を走り、その時間がなんて楽しいんだろうと感じる快適さが「ベントレー」にはある。お客さまにヒアリングすると「『ベントレー』は5000キロ乗っても疲れない」という声もあった。出張やロングドライブでドライブ、帰りはクルマなんて乗りたくない、電車や飛行機で帰ろうと思うような距離でも「ベントレー」なら疲れを感じることなく、むしろ過ごした時間が楽しいとおっしゃるお客さまがいる。「ベントレー」が持つグランドツーリングの特徴だ。クルマの中にいる時間が楽しく、快適で、そして一緒に過ごした方々との時間が忘れがたいものになり、また乗りたいと思う。それが「ベントレー」の大きな魅力だと捉えている。

ダイバーシティー&インクルージョンを積極支援

――ラグジュアリーライフスタイルブランドとして、未来に向けて描く姿は

ウェイン:ブランドが取り組んでいることは、ファッションの世界でも見られるように、買ってくださったお客さまと価値観を共有すること。われわれは2019年に創業100周年で立てた「Beyond100」戦略のもとに未来へと進んでいる。そのなかで「ベントレー」は「サスティナブルなラグジュアリーモビリティのリーダーになる」という目標を掲げていた。6年前には工場をカーボンニュートラル化した。そしてさまざまなリサイクル活動を行っている。排気ガスを出すクルマからハイブリッド化も進めており、今回の新型車両ではCO2排出量を10%にまで削減した。また、フォルクスワーゲングループの他のブランドと協力して進めていることだが、サプライチェーン全体でのCO2排出量削減にも取り組んでいる。同時に、コミュニティーに対する貢献も進めている。「ベントレー」の本社があるのはイングランド北西のクルーという場所で、決して裕福な地域ではない。ここでは「ベントレー」が雇用主として最大の会社であるという意味でコミュニティーへのサポートも進めている。さらに、10社のパートナーと環境財団を設立し、数百万ポンド(数億円)を寄付した。ダイバーシティー&インクルージョンの活動も社内外で進めている。

――ダイバーシティー&インクルージョンにベントレーでは積極的に取り組み、その成果を定期的に発信している。その狙いは。

ウェイン:2つの理由がある。それが正しいことだと信じているからだ。これまで買ったことのないお客さまを引きつけようと思ったら、そのような方々にとっても「ベントレー」が大事な存在でなければならない。そのためには正しいことをしないといけない。

そしてもう一つは、経営の観点だ。多様な人材、多様な考え方を受け入れることで会社を変える助けにしようという狙いがある。4年前には私の提案から地元のプライドフェスティバルを支援した。レインボーカラーにラッピングしたクルマも提供した。このような勇気ある発信はベントレーとして初めてだったので反響は非常に大きかった。LGBTQの社員も勇気を得て、自分たちも関わりたいと名乗り出た。いまでは社内に5つのインクルージョンに関するネットワークがある。1つはプライド系のネットワーク、そして女性活躍、さらに精神的に疾患を抱える人のネットワーク、4つめが多様な民族のネットワーク、5つめが、軍人、警察官出身のネットワークだ。それぞれのミッションは、4500人の社員にインクルージョンを啓蒙して伝えること。現在ではこのネットワークに700人の社員が関わっている。D&Iのアクティビストの招へいやLinkedinなどの公共に使えるチャネルで、自分たちの活動を発信したことにより、ベントレーの求人への応募における女性比率がかなり増えた。

――ラグジュアリーは時代によって定義が変わる。いま求められるラグジュアリーとはどのようなものだと考えるか「ベントレー」が提案したいラグジュアリーとはどのようなものか。

ニコ:ラグジュアリーは客観的なものではない。高価であることや、大きなロゴがついていることで測れるものではない。自分にとって特別であることがラグジュアリーだ。クルマでいえば自分の好みにあったドリームカーであること。ハンドステッチや素材、エクスクルーシブなクラフトマンシップといった生産工程に関わることもラグジュアリーを叶える要素だ。

ウェイン:マーケティングにおいては価格による明確なラグジュアリーの定義がある。すなわち18万ユーロ(約3132万円)から上がラグジュアリー。そして概念としては、ラグジュアリーとは希少価値があるもので、自分を甘やかすためのものだ。その点でわれわれは「ベントレー」の製品はデイリー・ラグジュアリーと言っているが、耐久性が高く、多少雑に使っても大丈夫という実用的なラグジュアリーだ。さらに、460億パターンのパーソナライズができ、自分だけの一台を作ることができる。この点もまたラグジュアリーであると考える。

遠藤:日本におけるラグジュアリーはさまざまな捉え方があるが、私が考える日本におけるラグジュアリーは、リベラルアーツや教養。芸術的な観点にどれだけ労力を割けるかにある。ただお金をかけるだけではなく、時間をかけたり、学び、そういうものを愛する目を養っていることが日本におけるラグジュアリー。ベントレーはもちろんラグジュアリーだが、クルマづくりにおいて手作業によるハンドステッチをあしらった革のパーツやダイヤモンド状のキルティングパターンを施した内装など、時間をかけて長年の歴史があるクラフトマンシップを注ぎ込んでいる。

遠藤:このように丁寧に作られた、長年の歴史があるものを普段遣いできる。これは日本におけるラグジュアリーだと言える。「ベントレー」の価値は、普段袖を通すTシャツやシャワー後に着るバスローブといったものを非常にクオリティーの高いものを使うように、自動車のなかでそういった物に触れられるところにあり、これこそ究極のラグジュアリーだと考えている。

The post 「ベントレー」が新型“コンチネンタルGTスピード”を発表 本国幹部に聞く、自動車におけるラグジュアリーとは appeared first on WWDJAPAN.

俳優のパク・ボゴムとNewJeansのダニエルが「セリーヌ 御堂筋」に来店 2人からのスペシャルメッセージも

「セリーヌ(CELINE)」のグローバルアンバサダーであるパク・ボゴムとニュージーンズ(NewJeans)のダニエルは7月8日、今年5月に大阪・心斎橋にオープンした「セリーヌ 御堂筋」を訪れた。「WWDJAPAN」では2人にショートインタビューを実施した。

「僕にとっては新しい挑戦をするブランド」(パク・ボコム)

WWD:パク・ボコムさんにとって「セリーヌ」はどんなブランド?

パク・ボゴム(以下、パク):「セリーヌ」はシンプルで華やかなブランドですが、僕にとっては新しい挑戦をするブランドだと思います。

WWD:「セリーヌ 御堂筋」の印象は?

パク:「セリーヌ 御堂筋」は、たくさん製品があってビックリしました。

WWD:今日のファッションのポイントは?

パク:シンプルです。白と黒でコーディネートしました。

WWD:「セリーヌ」でお気に入りのアイテムは?

パク:(バッグの)“スモール トリオンフ ブザス”です。

WWD:日本のファンにメッセージをお願いします。

パク:日本のファンの皆さん、僕にいつも愛と関心と祝福をくださって本当にありがとうございます。(僕も)皆さんをいつも祝福しています。

「広々としてきれいで美しいお店」(ダニエル)

WWD:NewJeansの東京ドーム公演を終えたばかりですが、ライブの感想を教えてください。

ダニエル:間違いなく最高でした。すごく楽しかったし、あんなにたくさんのバニーズが応援しに駆けつけてくれたことが未だに信じられません。とても感謝しています。

WWD:「セリーヌ 御堂筋」の印象は?

ダニエル:いろんな印象を受けましたが、広々としてきれいで、「セリーヌ」らしい印象を受けました。また店内のディティールに何度も目が引かれました。とても美しいお店です。

WWD:「セリーヌ」でお気に入りのアイテムは?

ダニエル:“ティーン ニノ”のバッグはいくら見ても飽きないお気に入り。すごくかわいいです。

WWD:この夏挑戦したいファッションは?
ダニエル:カラフルな洋服が好きなので、夏らしい色鮮やかなファッションに挑戦したいです。「セリーヌ」にはカラフルでゴージャスな服がたくさんあるので。

WWD:日本のファンにメッセージを。
ダニエル:ありがとう。またねー。

「セリーヌ 御堂筋」

関西エリア最大となる同店は、同店舗は1〜4階までの4フロア構成で、440平方メートルの広さを誇る新しいフラグシップストアで、2019年から世界中で採用されている、エディ・スリマン(Hedi Slimane)による建築デザインコンセプトを取り入れている。

1階はレザーグッズを中心に、ライフスタイルアクセサリーコレクション“メゾン セリーヌ”やフレグランス“オート パフューマリー”、ジュエリーコレクションが並ぶ。2階はウィメンズのプレタポルテ、3階はメンズのプレタポルテをそろえる。

店内にはスガー・ダイバッド・ラーセン、ヴィヴィアン・スーターによる絵画、アナベス・マークス、キム・ユン・シン、菅木志雄、ライアン・プレシアドによる作品など、幅広い現代アートのセレクションを展示されている。

◾️セリーヌ 御堂筋
営業時間:11:00〜20:00
住所:大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-6-18
電話:03-5414-1401

The post 俳優のパク・ボゴムとNewJeansのダニエルが「セリーヌ 御堂筋」に来店 2人からのスペシャルメッセージも appeared first on WWDJAPAN.

シップス、若年層向けの新レーベルは29歳バイヤーの「本当にやりたかった」を発信

シップス(SHIPS)は2024年秋物から、20〜30代向けの新メンズレーベル「シティ アンビエント プロダクツ(CITY AMBIENT PRODUCTS )」(以下、CPA)の販売を始める。8月8日にオープンするレーベルサイトとシップスの一部店舗(20店)で取り扱う。若年層へのリーチと既存店の売り上げ拡大を目指し、目標売上高は24年秋冬で4億円、立ち上げから1年で10億円を掲げる。強みはターゲット世代で、同ブランドのディレクターを務める29歳社員、瀬谷俊法の等身大の感性だ。

瀬谷ディレクターは18歳から店頭スタッフでアルバイトとして経験を積み、現在はシップスのバイヤーを務める。瀬谷ディレクターは、「僕たちの世代は古着か、背伸びしてラグジュアリーブランドを買うか。その間の選択肢が少ないと感じていた。セレクトの全盛期を知らない同世代がふらっと店に立ち寄った時に、直感的にいいなと思えるものに出合えるレーベルにしていきたい」と話す。

同社は若年層向けレーベル「シップス ジェットブルー」を2018年に終了している。「シップス ジェットブルー」に替わる「CPA」では、あえて「シップス」の名前は出さずに異なる世界観を前面に出した。ファーストシーズンは約50型企画。瀬谷ディレクターが好きなアンビエント・ミュージックに通ずるミニマルなムードが着想源だ。ブランド名の頭文字CPAを流線的なフォントに落とし込んだロゴをプリントしたTシャツやビーニーなどのロゴアイテムをシグネチャーとして打ち出す。ミニマルな世界観に映えるライムグリーンをレーベルのキーカラーに採用し、ファーストシーズンはジップアップパーカやビーニー、ショッパーのトートバッグなどに落とし込んだ。一推しアウターのスタンドカラーのボンバージャケット(1万7600円)。シガレットポケットを付けずに削ぎ落としたデザインにこだわった。「着る人を選ばず、ユニセックスで楽しんでもらいたい」と瀬谷バイヤー。価格帯はカットソー4500円~、ボトムス9000円〜、アウター1万5000~とシップスの3割程度に抑えた。

仕入れアイテムは全体の2割程度。スウェーデン発の「セファ(SEFA)」や米百貨店のJ.C.ペニーのプライベートブランド「タウンクラフト(TOWN CRAFT)」など「今取り入れたい気分のブランドを柔軟に取り入れた」。

シーズンビジュアルも同世代のクリエイターと作り上げた。瀬谷ディレクター「ルーツを大事にするシップスがすごく好きだからこそ、それを今っぽい表現でより広く届けていきたい。CPAでは本当にやりたかったことを発信できた」と達成感を滲ませる。ゆくゆくは単独店の出店も視野に入れるという。

The post シップス、若年層向けの新レーベルは29歳バイヤーの「本当にやりたかった」を発信 appeared first on WWDJAPAN.

韓国・ソウルの若者に人気のリップは? トレンドスポットのソンスで街頭インタビュー

最近の韓国のホットスポットといえば、真っ先に思い浮かぶのは聖水(ソンス)ではないだろうか。アパレルやコスメブランドのポップアップやおしゃれなカフェ、さまざまなブランドの路面店などがひしめき合うエリアだ。

今回、ソンスで買い物を楽しむ韓国の若者8人に普段持ち歩いているリップを聞き、アイテムと共にお気に入りの理由も教えてもらった。

もはやアクセサリー?! 「ブレイ」のリップ&チーク

ブランド:「ブレイ(BRAYE)」
商品名:“リップスリックリップアンドチーク”

「専用のチェーンを購入して、ネックレスやベルトループに通して腰に付けたりと、アクセサリーのように使えます。他になくて新しいですよね。5番のソフトピンク“イズ”を持っているのですが、グロッシーな仕上がりで重ねれば重ねるほど艶や発色が増します。鏡が付いているわけではないのですが、パッケージがミラーのようになっているのでわざわざカバンから鏡やリップを取り出す必要がなく、手軽にメイク直しできるのもうれしいです」(モデル・20代後半)

「3CE」のマットリップを2本持ち

ブランド:「3CE」
商品名:“ソフトマットリップスティック”、“ブラーウォーターティント”

「両方マットな質感で、発色が良いところがお気に入り。カラーは、自分の元の唇の色に近い“MLBB(My Lips But Better)カラー”を選んでいます。ふわっと柔らかそうな唇になる“ソフトマットリップスティック”は、おもちゃみたいなクリアパッケージが好き。“ブラーウォーターティント”、はウオータリーな軽い質感なのに時間が経つとマットに変化するユニークなリップです」(学生・20代前半)

これ1つで統一感をかなえる「フィー」の“プリンポット”

ブランド:「フィー(FWEE)」
商品名:“リップアンドチークブラーリープリンポット”

「リップとチーク両方に使えるので、これ1つ持っていればポーチの中もかさばらないし、普段ミニバッグを使う私にはピッタリなんです。その上メイクにも統一感が出るので一石二鳥。マットタイプだけど乾燥も気にならないです」(20代前半)

「フィー」の“濃度別”リップグロス

ブランド:「フィー」
商品名:“3Dボリューミンググロス”

「保湿力があるのに、着け心地が軽くてベタベタしません。グミみたいなパッケージもかわいいですね。あまりに使用頻度が高すぎて、ロゴが剥げてしまってるんです(笑)」(大学生・20代前半)

ブランド:「フィー」
商品名:“3Dボリューミンググロス”

「私は濃度70%の“04 エンドゥ”。手軽に保湿・艶・血色をプラスできるのでバッグの中に必ず忍ばせています。色持ちは良くないのですが、ぷるんとした艶感が好きです」(会社員・20代後半)

艶が長持ちする「ペリペラ」のティント

ブランド:「ペリペラ(PERIPERA)」
商品名:“ウォーター ベアー ティント”

「カラーは柔らかなクールトーンのピンク系“ミュート パラダイス”。発色はナチュラルで、ベタつかないのに艶が長持ちするんです。朝塗って、お昼頃になってもほんのり艶が残っています。次もリピートする予定!」(20代後半)

リピート2本目に突入!「クリオ」の“クリスタルティント”

ブランド:「クリオ(CLIO)」
商品名:“クリスタルグラムティント”

「適当に塗ってもメイクがバッチリ決まります。リップグロスは苦手なのですが、これはさらっとした付け心地なのに厚みがあるような艶感が出て、理想の唇に仕上がります。好きすぎて、もう2本目です」(大学生・20代前半)

「リリーバイレッド」の“褒められリップ”

ブランド:「リリーバイレッド(LILYBYRED)」
商品名:“ジューシーライアー ウォーターティント”

「リップはレッド系が好きで、これを塗って出かけるとよく『かわいいね』って言われます」(20代前半)

「フリン」のリップはマットなのに乾燥知らず!

ブランド:「フリン(FLYNN)」
商品名:“アディクションベルベッドティント”

「この『フリン』の“アディクションベルベッドティント”はマットなのですが、乾燥せず、皮むけしないところが好きです」(10代後半)

The post 韓国・ソウルの若者に人気のリップは? トレンドスポットのソンスで街頭インタビュー appeared first on WWDJAPAN.

アパレル広報とベリーダンサー オンワードの若手女性社員が歩むパラレルキャリア

働き方に“正解”はない時代。アパレル業界でも一つのキャリアに縛られず、自分らしく働くことを望む若者が増えている。大手アパレルのオンワードホールディングスで働く髙橋和佳子さん(27)もその一人だ。

某日、都内のレストランでベリーダンスショーが開かれた。客の視線を一身に浴びるのは、きらびやかな衣装に身を包んだ髙橋さん。ムーディーな音楽に乗せた流麗なダンスに、会場は拍手喝采に包まれた。

ショーがフィナーレを迎えると、時計はすでに夜の22時を回っていた。髙橋さんは手早く着替えを済ませ、足早に会場を後にする。明日は朝から、日本橋のオンワードグループ本社に出勤しなくてはならない。

自由でその人らしさが表現できる
フュージョンベリーダンスの魅力

プロのベリーダンサーとしての顔を持つ髙橋さんは、オンワードホールディングスに新卒入社して現在5年目。婦人服ブランド「ICB」を経て広報部に配属された。「(広報は)私のような若手が配属される事があまりないポジションなので、辞令を聞いて驚きました。広報業務は、グループ全体の方向性や子会社の状況、業界全体の動向まで理解していないと務まりません。今も勉強の毎日です」。現在は「アンフィーロ(UNFILO)」「ステッピ(STEPPI)」「ネイヴ(NAVE)」といった成長フェーズのD2Cブランドを担当し、プレスリリースの作成やメディアの取材対応が主な仕事だ。

ベリーダンスとの出合いは、東京外国語大学在学中に友人に誘われ、部活に入ったのがきっかけ。東京外大のベリーダンス部は、日本で初めてプロのベリーダンサーを輩出した名門。手を引かれて飛び込んだ世界だが、「気がついたら部長になっていた」と笑う。

髙橋さんがのめり込んだのは、ベリーダンスにさまざまな音楽やカルチャーを融合した「フュージョンベリーダンス」。ベリーダンスの伝統を重んじながらも、音楽や衣装、踊りのスタイルなどは自由。踊り手それぞれの個性を出せるのが魅力だ。「サンバを踊るならお尻が大きい方がいいとかとか、K-POPは肌が白くて細いのが正義とか、そういう“美しさの基準”がない。どんな体形の人が踊っても、その人の女性らしさがちゃんと見える、インクルーシブなダンスなんです」と目を輝かせる。

社内の新制度を活用
出演やレッスンの日は早め退勤

大学を1年間休学し、米国にダンス留学もした。帰国後はプロも視野に入れ、一層打ち込んだ。ただダンスだけで食べていくのは難しいとも感じていたという。「ベリーダンスを続けていきたいからこそ、一般企業への就職を選ぶべきだと思っていました」。服が好きで、「就職するならアパレル」と考えていた髙橋さんは、数社の採用面接を受けてオンワードを選んだ。

入社以降も仕事の傍ら、夜はベリーダンスの練習を続け、休日はイベントに参加するなど腕前を磨いてきた。22年の7月にグループとして副業が正式に解禁され、入社4年目以降の社員が対象となった。髙橋さんは昨年4月にプロダンサーとしての活動が社内で承認され、同年6月にフュージョンベリーダンスの全国大会で優勝。「社内でも、プロダンサーですと胸を張って言えるようになりました」。

現在はイベント出演やレッスン講師業でも報酬を得ている。オンワードは社員の柔軟な働き方を推奨する目的で、朝8〜10時の間から10分刻みで出勤時間を自由に決められる新制度もスタートした。髙橋さんは夕方にレッスンやイベントがある日は早めに出勤し、仕事を切り上げてダンススタジオや会場に直行する。

社内では今年4月から、広報業務に加えてサステナビリティ推進担当を兼任し、新たなインプットに追われている。へとへとになって帰った日も、ダンスの振り付けの作成やパフォーマンス練習は欠かさない。

「ダンスで誰かの背中を押したい」
社内では新しいロールモデルに

プロを名乗るようになって、ダンスに向き合う意識が変わったという髙橋さん。「多くの人がイメージするベリーダンスは、長い髪を靡かせて、キラキラの衣装で、セクシーな動きで男性を喜ばせるダンス。でも私がやりたい表現は少し違う。誰もがコンプレックスを抱えているけれど、私はダンスを通じて自分を思い切り表現できるようになった。完璧じゃなくていいし、どこか欠けていたり、傷がついている方がきれいかもしれない。そんなことをダンスで伝えられたらと思います」。

誰かを勇気づけたいという思いが原動力だ。ショーは髙橋さん自ら企画し、集客までする。インスタのストーリーにダンス動画を載せたり、チラシを配ったり。一人でも多くの人にベリーダンスに興味を持ってもらおうと考えてきた。

「伝える」ための地道な努力は、オンワードの広報の仕事にも生きている。髙橋さんは社内用動画コンテンツの取材・制作も担当する。「グループの中には、すごく価値があるけれど、他の社員にすら知られていない仕事がある。私はそれを発掘して光を当てたい」と話す。「普段、自分で撮ったダンスの動画を編集してインスタに投稿していますが、これが(オンワードの)業務にも結構役に立っているんですよ」。

今後もオンワードで働きながら、プロのベリーダンサー業を続け、「新しい働き方のロールモデルになりたい」との思いを強くする。「後輩社員や、アパレル業界を目指す学生さんが、こんな働き方もアリなんだ!と思ってくれたら。それだけでも、やっていてよかったなと感じられますね」。

The post アパレル広報とベリーダンサー オンワードの若手女性社員が歩むパラレルキャリア appeared first on WWDJAPAN.

「フェラガモ」の命運握る29歳デザイナーが語る 伝統を前進させる覚悟

PROFILE: マクシミリアン・デイヴィス/「フェラガモ」クリエイティブ・ディレクター

マクシミリアン・デイヴィス/「フェラガモ」クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 英国マンチェスター生まれ。ジャマイカとトリニダード・トバゴにルーツをもつ。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業後、2020年に自身のブランド「マクシミリアン」を設立。若手支援プログラムの「ファッションイースト」に選ばれ、デビューシーズンからロンドン・ファッション・ウイークでコレクションを発表してきた。22年3月から現職

マクシミリアン・デイヴィス(Maximilian Davis)が「フェラガモ(FERRAGAMO)」のクリエイティブ・ディレクターに就任して約2年がたった。2022年3月に若干26歳で大役に抜擢された彼は、同年9月にデビューショーを開き、新たな章の幕開けを印象付けるミニマルで若々しいコレクションを披露。以来、豊富なアーカイブと向き合いながら自身のモダンな感性を生かし、1927年創業の老舗ブランドを未来へと推し進めている。そんなデイヴィス=クリエイティブ・ディレクターに、日本のメディアで初めての独占インタビューを実施。創業者や伝統への敬意から、デザインに対する考え方までを聞いた。

必要だったのは、新たな始まりだと感じさせること

WWD:就任当時は相当なプレッシャーがあったのでは?

マクシミリアン・デイヴィス「フェラガモ」クリエイティブ・ディレクター(以下、デイヴィス):もちろん、初めての挑戦だったから。でも、マルコ・ゴベッティ(Marco Gobbetti)CEOは「ジバンシィ(GIVENCHY)」時代にも当時25歳だったリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)を抜擢して成功に導いた実績がある人物。そんな彼が自分を選んでくれたことが自信につながった。マルコはとても協力的な人で素晴らしい指導者。私たちは目標やゴールが何なのか、いかにブランドを立て直して発展させるかについて何度も話し合った。クリエイティブ・ディレクターにとって、CEOとの関係性はとても重要。(ファッション業界内では)悪夢のような話もよく聞くから、とてもありがたく感じている。

WWD:就任から2年がたったが、今の気持ちは?

デイヴィス:居心地はいいと感じているけれど、私は常に自分がこれまでやってきた以上のことができると信じている。自分の仕事が“これで終わった”と満足することはない。いつだって学び、成長したいし、発展させたり変化させたりしていきたいことがある。

WWD:振り返ると、22年9月に発表したデビューコレクションで、ミニマルかつモダンなスタイルを軸に新しい「フェラガモ」像を明確に打ち出したのが印象的だった。新たなブランドイメージを確立する上で重視したことは?

デイヴィス:フレッシュであること。新たな始まりだと感じさせることが必要だった。自分が加わる前の「フェラガモ」は、いくつかの異なる方向性があり、少し分かりづらかったと思う。だからデビューコレクションはブランドにとっての新しいキャンバスを用意するため、ミニマルなシルエットにフォーカスした。特に、赤いジャケットドレスのルックが新生「フェラガモ」のシルエットを象徴していて、プロポーションやデザインを変えながらも毎シーズン打ち出している。そして、2シーズン目からは、ディテールや素材、プリント、テクスチャーにおける進化に取り組んでいる。

WWD:あなたが考える「フェラガモ」のDNAやコアバリューとは?

デイヴィス:何より創業者のサルヴァトーレ・フェラガモは革新的な人。彼はお菓子の包み紙のようなセロハンやワインのコルク、ラフィアといった身の回りにある素材を使って、靴を作っていた。そんなイノベーションの精神は今でもとても重要であり、ブランドの核となるDNAだと思う。そして、それに関連するもう一つの大切な部分は、クラフトへの向き合い方だ。昨日ちょうど、1万5000足のシューズをアーカイブとして持っているブランドが他にどれだけあるか?ということをチームと話したところだけど、それこそが「フェラガモ」の伝統やクラフツマンシップを物語っている。そして、受け継がれるイタリアの職人技と素材は「フェラガモ」の原点であり、ずっと業界をリードする特別な価値になっている。

WWD:では、今もよくアーカイブも訪れている?

デイヴィス:コレクション制作を始める時は、訪れるべきだと考えている。サルヴァトーレとファミリーがこれまで築き上げてきたものに敬意を払いたいからね。だから、アーカイブを見に行ったり、30年以上「フェラガモ」で働いている人たちに話を聞いたりして、当時のコレクションはどうだったか、どんな方向性だったかということを知るんだ。そういったコレクションの出発点になる豊かなアーカイブや知識を持った人がいることはありがたく、それが「フェラガモ」というブランドをユニークな存在にしていると思う。実際、毎シーズン、アーカイブを調べて、新しいアイデアや素材、アプローチを見つけることは、とても楽しい。

“家族”のためにデザインするというアプローチ

WWD:「フェラガモ」には、100年近い歴史がある。クリエイティブ・ディレクターとして、伝統あるブランドを“現代的”に表現するために、新たに持ち込んだ価値は?

デイヴィス:自分のブランドでもそうしていたように、さまざまな世代が入り混じる“家族”のような人々のためにデザインするというアプローチ。より成熟した顧客に対する感性があると同時に若々しい遊び心あふれるエネルギーもあるということは、私が「フェラガモ」のクリエイティブ・ディレクターに選ばれた理由の一つだと思う。最新のコレクションではさらにその意識を強く持っていて、家族全員に合うようなラインアップに発展できている手応えがある。そんな“あらゆる年齢層にリーチできる品ぞろえ”というのは、靴でそれを成し遂げた「フェラガモ」の原点にも通じること。自分の手掛ける「フェラガモ」ではウエアやバッグも含め、それを実現したい。また、新たに持ち込んだものではないけれど、1980〜90年代の「フェラガモ」に見られたようなセンシュアリティー(官能性)とエレガンスを取り戻し、新たなエネルギーをもたらしたいと考えている。

WWD:確かにコレクションからは、センシュアリティーやエレガンスも感じられる。特に23-24年秋冬では、ソフィア・ローレン(Sophia Loren)やマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)といった1950年代に活躍したスターから着想を得ながらも、当時の女性性の表現は「異星人のように感じる」と語っていた。過去と比べて、現代のセンシュアリティーやエレガンスはどのように違うと感じる?

デイヴィス:現代の美しさは、もっと多様でオープンだ。50年代の人たちは、自分の体をよりグラマラスに、より官能的に見せる方法として、特定の着こなしをしていたと思う。23-24年秋冬コレクションで取り組んだのは、そこに目を向ながらも、現代風にアレンジするというアプローチ。例えば、マリリン・モンローを象徴する白いドレスのようなサークルスカートをナイロンで作り、コクーンシェイプのウインドブレーカーと合わせるといったようにね。50年代のシルエットを取り入れながらも、どんな素材なら現代的に感じられるか、今を生きる人々はどのような服装を望んでいるのかを考えたんだ。

WWD:デビュー当初に比べると、最近のコレクションはより落ち着きがあり、着やすいアイテムも増えた印象を受ける。実際に“売れる”ものを作ることをどれくらい意識しているか?クリエイティブとビジネスのバランスを取る難しさは感じるか?

デイヴィス:難しいことではなく、商業性とクリエイティビティーのそれぞれを適切な形で打ち出せばいいと考えている。常にデザインチームに確かめているのは、「自分がデザインしているものを自分自身が身に着けたいと思うか?」ということ。デザインする人自身がその製品を信じられなければ良いものは生まれない。それに、素材や構造が適切であり、着心地が良くラグジュアリーであるかを理解するためには、身に着けてみることが必要だ。ショー後から生産に入るまでにも、それぞれが実際に着用して問題点を見つけ出し、製品を改良している。もの作りに対するそういった姿勢は、商業性や実際に売れるものを理解するのにとても役立つと思う。その上で、ショーで見せるメーン・コレクションでは、クリエイティビティーを押し出すため、少しだけウエアラブルではないものを加えることもある。一方、核となるスタイルを提案するプレ・コレクションは理解してもらいやすく、ウエアラブルであること大事だと考えている。

WWD:これまでのコレクションを見ると、色の選び方が独特で印象的だ。どんなところから、そのヒントや着想を得ているのか?

デイヴィス:昔から「フェラガモ」の色使いは力強かったから、今後も受け継いでいくべき要素だと考えている。色使いに関しては、たくさんのアーカイブをリサーチしたり、美術館でいろんな絵画を見たり。それに、自分のルーツであるカリビアンの伝統によるところも大きいと思う。現地のカーニバルでは、自由の表現として、一見マッチしないような色を組み合わせる。だから、私にとってこの色彩感覚は自然なもので、心の中はとてもカラフル。自分自身は黒や紺といった落ち着いた色ばかり着ているけれどね(笑)。

シューズとバッグに対するこだわり

WWD:「フェラガモ」の代名詞であるシューズをはじめ、実用品としての側面も大きいバッグやシューズの制作は、ウエアとはまたアプローチが異なると思う。どのように取り組んでいるか?

デイヴィス:ウエアで大切にしているのは、これまでのシルエットをベースにしながら新しいものを生み出すこと。一方、バッグを制作する時には、機能性に加え、それがブランドを象徴するとともに将来的にも押し出していきたいものかどうかを考える。例えば、23-24年秋冬に初披露した“ハグ(HUG)”バッグは、シーズンごとに新たな色や素材、アレンジでアップデートしている。それはファミリーを増やしていくような感覚。ただ、コレクションを見た時に一目で「フェラガモ」の魅力と一貫性を理解してもらえるようを意識している。シューズは、ウエアと同じようにデザインにおける新しさや面白さを探求しているが、ショーピースと同じデザインでもより低いヒールやフラットを製品としては提案することで、さまざまなペルソナに合うようにしている。特にバッグやシューズは、身近なアイテムだからこそ確実にウエアラブルであり、クリエイティビティーとクラフトを感じられるものであるべきだと思う。

WWD:これからさらに強化したり、新たに取り組んだりしていきたいアイテムは?

デイヴィス:私たちは、シューズでブランドを認識してもらわなければならない。バレエシューズなど、いくつか象徴するようなアイテムはあったが、必要なのはフルラインアップをそろえてプッシュしていくこと。「フェラガモ」を訪れた時に、デイシューズも、イブニングシューズも、サンダルも買えるんだと思ってもらいたい。そして、それは何年も履くことができ、何世代にもわたって受け継がれていくもの。だからシューズは何より重要であり、今後もさらに注力していく。

The post 「フェラガモ」の命運握る29歳デザイナーが語る 伝統を前進させる覚悟 appeared first on WWDJAPAN.

ファッション業界から飲食業界へ 元「GR8」店長の竹内隆平が目指すもの

竹内隆平/カフェ「バゲージ」「ポート」オーナー

大学までサッカーに明け暮れ、その後ソフトバンクの法人営業を経て2010年「GR8」に入社。当時最速で社員になり店長、バイヤーを兼任し2019年に退社。
2020年1月からカフェ「バゲージ」をオープンし現在2店舗のオーナー。

今回の「ファッション業界人辞典」は番外編。
ラフォーレ原宿にあるセレクトショップ「グレイト(GR8)」の元店長で、現在は表参道にある「バゲージ」と富ヶ谷にある「ポート」、2店舗のカフェオーナーをしている竹内隆平のカフェ業務の1日とケータリング業務に密着し、なぜカフェ業界に転身したのか、今後の展望などを聞いた。

The post ファッション業界から飲食業界へ 元「GR8」店長の竹内隆平が目指すもの appeared first on WWDJAPAN.

「LINE FRIENDS」の代表に聞く 渋谷新旗艦店は情報発信基地とファンコミニティーの聖地

7月15日まで、NewJeans(ニュージーンズ)のポップアップイベントを開催中の「ラインフレンズ(LINE FRIENDS)」による大型旗艦店「ラインフレンズ スクエア シブヤ(LINE FRIENDS SQUARE SHIBUYA)」。村上隆と藤原ヒロシというアート界・ファッション界の巨匠2人を巻き込むなど、注目度も高い。店内には、NewJeansのミュージックビデオやメンバーからのコメント動画などのほか、BTSのメンバーによるサイン入りの手形やキャラクターの開発背景時にメンバー自らが描いたスケッチなどを展示し、ファン垂涎のコンテンツが満載だ。拡充する強力なコンテンツの背景は?プロジェクトの展望をLINE Friends Japanの松岡毅法人長に聞いた。

――2018年にオープンした原宿店を22年12月にクローズした。なぜこのタイミングで新しい旗艦店をオープンすることにしたのか?

松岡毅LINE Friends Japan法人長(以下、松岡):理由は複数あるが、1つ目はコロナが落ち着き、インバウンドが戻ってきたこと。2つ目は日本において、推しカツやオタ活の対象が、アイドル以外にも広がってきたことを感じていたこと。そして3つ目は、われわれとして、複数の新しいIP(知的財産)をリリースする予定があり、その情報発信基地としての場所が必要だったことから、旗艦店のオープンに至った。

――韓国をはじめとするトレンドの発信地として、渋谷を選んだ理由は?

松岡:われわれが扱っているキャラクターは韓国に限ったわけではないが、さまざまな国のキャラクターを新鮮な状態でお客さまに届けたかった。いくつか候補地はあったものの、やはり渋谷がいいだろうと。渋谷は若者の街という印象もあるが、再開発が進み、ベンチャー企業も多く、ファミリーや観光客、インバウンドもいる。多様性がある街は、グローバル企業であるわれわれに相応しい場所だ。

――具体的なターゲットは?

松岡:キャラクターごとにターゲットは異なる。従来型の性・年齢・属性で切るというよりは、自分の好きなことに熱中している人、そして、その好きなものを好きだとはっきりと言い、ほかの人に拡散するような人をターゲットにしている。

――NewJeansやBTSのようなアーティスト以外でのコラボの可能性もある?

松岡:第1弾コラボのNewJeansは長期的なパートナーとしてこれからも継続するが、年内には、ほかのK-POPアーティスト、日本のクリエイターやアパレルブランドとの計画もある。旗艦店では、3週間から1カ月ほどでポップアップイベントが変わっていくイメージだ。

――村上隆さんや藤原ヒロシさんといった、日本のトップアーティストやトップクリエイターとコラボできる理由は何か?

松岡:われわれはファンをとても大切にしている。ファンの気持ちやファンが好きだと思うもの、ファンが望んでいるものを提供したい。そして、アーティストやクリエイターを尊重し、その方がやりたいことや望んでいることを形にできる。ファンとクリエイターを繋ぐクリエイティブ能力と商品開発力を評価してもらえているのだと思う。

――今後の展望は?

松岡:この店を情報発信基地と、ファン同士が仲良くなれる聖地にしたい。われわれとして注力するIPはもちろん、年内に新しいブランドもローンチする。ここに来れば、新しい発見がある、見たこともないものが見られるという場所にしたい。

The post 「LINE FRIENDS」の代表に聞く 渋谷新旗艦店は情報発信基地とファンコミニティーの聖地 appeared first on WWDJAPAN.

NewJeansと村上隆、藤原ヒロシがコラボ 「LINE FRIENDS」渋谷旗艦店が豪華共演でこけら落とし

海外アーティスト史上最速のデビュー1年11カ月で東京ドーム単独公演を達成したNewJeans(ニュージーンズ)が、7月15日まで、東京・渋谷でポップアップイベントを開催中だ。場所は、このほど原宿から渋谷に移転オープンしたLINE発のグローバルキャラクターブランド「ラインフレンズ(LINE FRIENDS)」によるストア「ラインフレンズ スクエア シブヤ(LINE FRIENDS SQUARE SHIBUYA)」(東京都渋谷区神南一丁目19番10号 PARKWAY SQUARE 2)。地下1階から2階までの総面積約1000平方メートルに及ぶこの大型フラッグシップストアには、NewJeansの他にもBTSと共に開発した「BT21」や「minini」「うさまる」「ねこぺん日和」などのキャラクターブランドが一堂に会す。

地下1階と2階のポップアップゾーンは期間中、NewJeans一色に染まり、ファンならずともNewJeansの魅力を感じられる特別な空間と化している。目玉は何と言っても、村上隆と藤原ヒロシがそれぞれコラボレーションパートナーを務めた「NewJeans × MURAKAMI」と「NewJeans × Hiroshi Fujiwara」だ。Tシャツやキャップ、バンダナ、バッグ、クッション、キーホルダーなど、多種多様なコラボアイテムがラインアップする。

村上隆とミン・ヒジンが
オープニングに駆け付けた

オープニングでは、村上とNewJeansのプロデューサーであるアドア(ADOA)のミン・ヒジン代表が来店。以前からNewJeansのファンだと公言する村上は、「今回のコラボレーションの1番のポイントは、ミン・ヒジンさん本人とLINEのメッセージで、全てのやりとりができたことだ。タイムラインで次々といろんなことが決まっていく中で、毎晩24時過ぎまでやりとりが続き、彼女の細かいオーダーを聞けて、大変勉強になった」と言う。

なぜNewJeansに惹かれるのか?と問うと、「僕自身もなんでこんなに好きなのか考えたが、コンサートで松田聖子や竹内まりあを歌うようなところ。すごい!まさかそこか!やられた!と。コラボしたキャラクターがSpotifyのトップページに出てきたときには人生で一番ぐらいのレベルで感動した。見た瞬間に思わず、『あっ!』と子どもみたいな声が出た」と興奮気味に答えた。

The post NewJeansと村上隆、藤原ヒロシがコラボ 「LINE FRIENDS」渋谷旗艦店が豪華共演でこけら落とし appeared first on WWDJAPAN.

NewJeansと村上隆、藤原ヒロシがコラボ 「LINE FRIENDS」渋谷旗艦店が豪華共演でこけら落とし

海外アーティスト史上最速のデビュー1年11カ月で東京ドーム単独公演を達成したNewJeans(ニュージーンズ)が、7月15日まで、東京・渋谷でポップアップイベントを開催中だ。場所は、このほど原宿から渋谷に移転オープンしたLINE発のグローバルキャラクターブランド「ラインフレンズ(LINE FRIENDS)」によるストア「ラインフレンズ スクエア シブヤ(LINE FRIENDS SQUARE SHIBUYA)」(東京都渋谷区神南一丁目19番10号 PARKWAY SQUARE 2)。地下1階から2階までの総面積約1000平方メートルに及ぶこの大型フラッグシップストアには、NewJeansの他にもBTSと共に開発した「BT21」や「minini」「うさまる」「ねこぺん日和」などのキャラクターブランドが一堂に会す。

地下1階と2階のポップアップゾーンは期間中、NewJeans一色に染まり、ファンならずともNewJeansの魅力を感じられる特別な空間と化している。目玉は何と言っても、村上隆と藤原ヒロシがそれぞれコラボレーションパートナーを務めた「NewJeans × MURAKAMI」と「NewJeans × Hiroshi Fujiwara」だ。Tシャツやキャップ、バンダナ、バッグ、クッション、キーホルダーなど、多種多様なコラボアイテムがラインアップする。

村上隆とミン・ヒジンが
オープニングに駆け付けた

オープニングでは、村上とNewJeansのプロデューサーであるアドア(ADOA)のミン・ヒジン代表が来店。以前からNewJeansのファンだと公言する村上は、「今回のコラボレーションの1番のポイントは、ミン・ヒジンさん本人とLINEのメッセージで、全てのやりとりができたことだ。タイムラインで次々といろんなことが決まっていく中で、毎晩24時過ぎまでやりとりが続き、彼女の細かいオーダーを聞けて、大変勉強になった」と言う。

なぜNewJeansに惹かれるのか?と問うと、「僕自身もなんでこんなに好きなのか考えたが、コンサートで松田聖子や竹内まりあを歌うようなところ。すごい!まさかそこか!やられた!と。コラボしたキャラクターがSpotifyのトップページに出てきたときには人生で一番ぐらいのレベルで感動した。見た瞬間に思わず、『あっ!』と子どもみたいな声が出た」と興奮気味に答えた。

The post NewJeansと村上隆、藤原ヒロシがコラボ 「LINE FRIENDS」渋谷旗艦店が豪華共演でこけら落とし appeared first on WWDJAPAN.

小説家・山内マリコが振り返る「自身のキャリア」 「作家は信用商売。書いてきたものは裏切らない」

PROFILE: 山内マリコ

山内マリコ
PROFILE: 1980年富山県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業。2008年に短編「16歳はセックスの齢」で第7回「R-18文学賞」読者賞を受賞。12年、受賞作を含む短編集「ここは退屈迎えに来て」を刊行してデビュー。その他の著書に「アズミ・ハルコは行方不明」「あのこは貴族」「選んだ孤独はよい孤独」「一心同体だった」「すべてのことはメッセージ 小説ユーミン」などがある。

小説家・山内マリコの最新作「マリリン・トールド・ミー」(河出書房新社)は、1950年代に活躍した映画スターのマリリン・モンローをモチーフに、コロナ禍に大学生活を送る大学生が主人公。70年の時を経て、今なおセックスシンボルとしてのイメージが強いマリリンを、フェミニズムの文脈で捉え直した意欲作は、どのように生まれたのか。また、自身のキャリアも振り返りながら、作家としての歩みをたどる。

——最新作「マリリン・トールド・ミー」で、マリリン・モンローをモチーフにした経緯は?

山内マリコ(以下、山内):きっかけとしては、1970年代からウーマン・リブ運動をけん引する田中美津さんの「いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論」という本です。今読んでも言葉がキレッキレ。ただ、マリリン・モンローに触れた箇所は、従来のセックスシンボル的な書かれ方で、小さな疑問と興味を持ちました。

マリリンについて調べてみると、1962年8月5日に亡くなったあと、入れ替わるように時代が変わり、アメリカの女性たちの間にウーマンリブが芽生えだすんです。もし、マリリンがもう少し長く生きることができていたら、フェミニズムに救われたかもしれない。少なくとも、“セックスシンボル”という搾取的なイメージではなく、もう少しリスペクトされる存在だったのではと。生前の言動からして、フェミニズムアイコンにイメージが塗り替わった可能性だって充分ありえたと思えました。

——時代を超えてマリリンと出会う本作の主人公・瀬戸杏奈は、現代のコロナ禍に大学へ通う学生です。

山内:この小説は、コロナ禍真っただ中だった2022年の「文藝」に寄稿した短編がもとになっています。その号の特集テーマが「怒り」だったんです。今、怒りの感情を抱いているのは大学生だろうな、と。そこで、マリリンのことを書きたいという気持ちと、怒りというテーマが結びついて、主人公の造形ができました。

私は大学時代に同性の親友と出会ったことで、大げさに言うと、今の自分になれました。それで、女性同士の友情は異性愛にも負けないくらいすごいんだっていうことを、物語に書いてきたわけです。そのテーマが作家としてのモチベーションであり、旧弊な社会への挑戦でもあったので。

だけど、コロナ禍で大学生活を送った世代は、授業はリモートで2年間ずっとキャンパスにも行けず、出会いもなく、友達をつくること自体が難しくなってしまった。そんな彼らに、安易に親友を礼賛するような物語は通用しない。そもそも、友達がいないからダメってわけじゃないし、もうこの世にいない人とだって、交流を深めることはできるはず。そういう形での救いこそ、書く意味があるんじゃないかと思ったんです。

現代の若者たちが手にした、「学び」という財産

——本作は山内マリコ作品では初めてと言っていい、ファンタジーな物語ですよね。

山内:確かに、60年前に死んだマリリンから電話がかかってくるというシチュエーションは、幻想的というか、いつも書いているリアリティーラインとは違いますね。でもコロナ禍で私たちが経験したことって、「まさか現実にこんなことが起きるなんて!」というような世界線でした。なので、そこまで突飛なアイデアのつもりもなく、「そういうことも起こり得るかもしれないな」と思って書いていました。

——大学生の登場人物たちが、みな理知的で勉強熱心なところも現代っぽいなと感じました。

山内:大学生を描いた物語なのに、遊んだりするような場面は全然なくて、図書館で文献を読んだり、ゼミで討論するシーンが多いなんて、一昔前だったらかなり異色だったと思います。でもこれが、今のリアルなのかなって。

私個人は、大学生のころはフェミニズムについて何も知りませんでした。年齢を重ねていく中で女性としての当事者性がより強くなって、違和感を持つようになり、アラサーのときに上野千鶴子さんの本を読み、頭を殴られるようなショックを受けて開眼しました。

そのことを上野さんに話したら、「あら、じゃああなた、それまで幸せだったのね」って(笑)。女性がフェミニズムに目覚めるのは、女性であることの困難にぶち当たった時なんですよね。人は不幸になってはじめて、ちゃんと考えようとするわけで。ということは今20代の人たちが、フェミニズムをはじめ社会の悪しき構造にも問題意識を持っているのは、それだけ困難な目にあっているからだと思うんです。

ただ一つ思うのは、コロナ禍でかなわなかったこともたくさんあるけれど、それによって社会の問題に目を向けるようになり、学ぶ機会が増えたのだとしたら、それは一生ものになる貴重な財産だということです。

——勉強の話でいうと、多様な価値観に触れていく主人公が<なんだか学習させられてるAIみたいだ>と感じる描写があって、確かに今の時代、自分の感情よりも先に、例えば「今の発言、SNSで炎上しそうだな」というような、外部に審判を求めてしまう傾向があるなと感じました。

山内:SNSを見ている人たちの間で、炎上判定をする超自我みたいなものが形成されて、その共通感覚が育ったことで、社会の価値観がここ数年で大きく変わったんじゃないかなと感じています。Xのポストを見て、答え合わせする感覚というか。

杏奈は最初のうち、SNSの意見をつまみ読みしたり、人の顔色をうかがったりする中で築いた、あやふやなジェンダー観しか持っていません。マリリンに興味を持ち、本を読むことで、もっと耐久性のある考えを持てるようになります。外部に審判を求めるだけじゃない、自分で考えることのできる人間に成長させてくれたのが、マリリンなんです。

マリリンはアイコンとして超有名だけど、誤解され続けてきた存在

——マリリン・モンローについては、本作を書く前から興味を持って調べたりはしていたのですか。

山内:「お熱いのがお好き」や「紳士は金髪がお好き」は観たことがある程度でした。あとは、不幸な生い立ちだったとか、実は読書家だったというくらい。ただ、なにかありそうだなと、直感が働いたというか。

最初は「あの時代にもっとフェミニズムが根付いていたら、マリリンも救われたかもしれない」と思ったんです。ところが調べていくうちに、むしろ逆なことが分かりました。「マリリン・モンロー 瞳の中の秘密」という2012年製作のドキュメンタリーでは、マリリンは性革命の急先鋒だったとして、彼女がいたからこそフェミニズムが生まれたんだとまで言っていて。やっぱりフェミニズムの文脈で語られるべき存在だったと、すぐに確信しました。

——マリリンのどういったところで、そう感じたのでしょう。

山内:決定的なのは、雑誌に性被害を告発する文章を寄せているところです。映画界は黎明期から「キャスティングカウチ(セックスに応じた相手に役を回すこと)」という隠語があるくらい、権力を持つプロデューサーが女優を性的に搾取していた業界。マリリンは、17年の#MeTooの先駆けをたった一人でやっていたんです。また、セクシーなステレオタイプの役しか回さない映画会社に反旗を翻して、撮影をボイコットして訴訟を起こし、独立プロダクションを作るなど、精一杯の抵抗をしています。これは現代の芸能界に置き換えて考えても、すごい行動力。

マリリンが望んでいたのは、質の高い文芸作品に出ること。そして、真っ当な給料を払ってもらうこと。実はマリリンが結んでいたのは、奴隷契約に等しいものだった。不当な給料で働かされていることに声をあげた点なども、とても現代に通じると感じました。

——時代を超えて再びスポットを当てるということでいえば、山内さんは、柚木麻子さんと共同で責任編集を務めた19年の「エトセトラ VOL.2 特集:We LOVE 田嶋陽子!」号を象徴とする、令和の田嶋陽子ブームの仕掛け人でもあります。

山内:90年代にテレビを見ていた人なら、田嶋陽子さんといえば、男性論客を相手に怒っているフェミニストという、ちょっとネガティブなイメージでした。ところが、「愛という名の支配」というご著書を読んだら、素晴らしく明晰な、フェミニズム入門に最適な本で。この本をみんなにも読んでもらいたい、田嶋先生の誤解されたイメージを刷新したいという気持ちで、特集をぶち上げました。同じ時期に新潮文庫の編集者さんがこの本を復刊させてくれたこともあり、カムバは大成功(笑)。

最も有名なアイコンを今の文脈で語り直すことは、インパクトがあって、メッセージが伝わるスピードも早い。有名であればあるほど有効なんです。「マリリン・トールド・ミー」をきっかけに、本当のマリリンを知りたいと思ってくれる人が増えたらうれしいですね。

文学をかっこいい若者カルチャーにしたかった

——山内さんはデビュー作の「ここは退屈迎えに来て」(2012年、幻冬舎)の時から、女性同士の友情や連帯を書き続けていますね。

山内:「ここは退屈迎えに来て」が出たのは、もはや一昔前の時代ですね。女の子たちが中心の友情物語にしたかったのですが、最初に原稿を見てくれた編集者さんからは、「恋愛小説を書いてほしい」とストレートに言われてしまい、アドバイスを受けて、全ての短編に共通して“椎名”という男の子が登場する連作になりました。各短編の中身は、女の子の友情なんです。ただ見え方としては、好きな男子を巡る話という構成になっていて、ちょっとねじれています。

結果的にその構成はすごくほめられたのですが、中心に椎名への恋愛感情を据えたことで、人によってはタイトルを、女子が男子に向かって言っている、さも王子様を待っているような言葉と解釈されるみたいで。そういう感想を聞くたびに、ああ、あれは過渡期の作品だったなぁと感じます。

私としては、大学卒業後に離れ離れになった親友とよく言い合っていた言葉をイメージしているので、あれは女の子が女の子に向けて、迎えに来てよって言っているつもりなんです。22年に出した「一心同体だった」では、シスターフッドの物語を全力で書ける時代になり、デビュー作での悔いを全部やり切りました。

——デビュー前、小説家という職業については、どう捉えていましたか。

山内:なりたいものの一つではあったんですが、恥ずかしくてなかなか公言できなかったです。小説も好きだし、映画も好きだし、写真家にも憧れていて。なりたいものだらけでした。挫折をくり返して、最終的に本腰を入れて目指したのが小説だった。結果的に、自分に一番向いている職業だったと思っています。

私が10代だった1990年代は、雑誌や本で見るサブカルチャーの世界が輝いていました。ところが2000年代が進むにつれて、アニメやアイドルのオタクカルチャーが勢いを増して、産業として成立していきます。サブカルって、それ自体ではあまりお金を生み出さないんですね。経済に余裕があってはじめて成立するところがある。好きだったカルチャーが完敗していくのを横目で見ながら、でも自分もあの世界に行きたいんだよという気持ちで、20代はずっと踏ん張っていました。

本や小説を、少なくとも私は、かっこいいものだと思っています。10代のころに自分が憧れていたような、素敵なものでありたいし、あってほしい。装丁にこだわるのも、そういう思いがあるから。文学には、かっこいい若者カルチャーであってほしいし、自分が若い頃に背伸びして手にとった本や映画、そこからいろんなことを学んだように、私の小説もそういう存在になったらいいなって。

プロは出し切ったあとが勝負

——デビューしたあと、山内さんは小説だけではなく、雑誌のコラム連載もたくさんされていましたよね。

山内:連載を抱えていたマックスの時期は2015年か16年くらい、小説だと「あのこは貴族」を書いていた頃ですね。毎週の締め切りが「週刊文春」と「アンアン」、隔週で「テレビブロス」、その他にも連載と、単発の寄稿や書評、映画のレビュー、掌編小説、短編小説、とにかく書きまくってました。

——みうらじゅんさんが、ご自身を筆頭に雑誌の世界で有名な書き手を「雑誌タレント」と名付けていましたが、その最後の世代が山内マリコと武田砂鉄かなと。

山内:砂鉄さんの連載量に比べたら全然です。私より上の世代だと、しまおまほさんかな。私が雑誌タレントとして忙しかったころは、どこへ行っても何を見ても頭の片隅で、これはあの媒体にこう書いて〜みたいなことを考えていました。すごく疲れた(笑)! 私は雑誌で育ったので、媒体に合わせて書き方も変えるし、お題があればいくらでも書けるんです。ただ、目の前の雑誌の締め切りに追われるうちに、肝心の小説のほうがうまくまわらなくなってしまった。

ひたすら迫ってくる雑誌の締め切りに身を削られ、時間を奪われ、小説に集中したいと思いつつ無理をしつづけ、コントロールが利かなくなって。17〜18年くらいから、徐々にスランプ期に入っていきました。

——スランプはどのくらい続いたのですか。

山内:4〜5年くらいですかね。小説を書いても書いても、及第点を出せるものにならなくて、自分でボツにしていました。抜け出すきっかけになったのは、「すべてのことはメッセージ 小説ユーミン」(マガジンハウス)。ユーミンのデビュー50周年記念でオファーをいただいたので、締め切りは絶対厳守。そのプレッシャーのおかげで、難航していた「一心同体だった」を書き上げられてスランプも脱出、いい流れで「小説ユーミン」に取り組めて、プロとして一山超えられたと思いました。

私は新人賞をとってから単行本デビューするまでが長くて、ネグレクト状態だったその時期に、自分の作品を客観的に、批評的に見て、一人で黙々とブラッシュアップしていく力をつけていきました。だから自分が「手のかからない作家」であることを、ずっといいことだと思っていたんです。でも、もう少し編集者さんに頼ったり甘えたりできていれば、スランプがあそこまで長引かなかったかもしれない。そういうところも、キャリアや年齢に応じて、変えていかなきゃいけないかもなと思います。

——作家として、SNSとの付き合い方については、どう考えていますか。

山内:SNSでずばずば発言して知名度を上げて、ついでに上手に宣伝している作家さんを見ると、素直にうらやましいです。昔は、作家は意見や態度を表明できる特権的な立場にいたけれど、今は逆に、その立場のせいで言えないことが多くなったり、むしろ匿名の人たちの方がよっぽど自由に発信していますよね。

ただ、12年間、作家を続けてきて思うのは、これは信用商売なんだってこと。時間をかけて生み出した作品によって、読者さんの信頼を積み上げていく。1作1作、手に取ってくれた人に、「ああ、この作家の小説をもっと読みたい」と思ってもらえる本を書いていくこと。自分の内側から出てくるものを真摯に書く。小説もそうですが、雑誌に掲載されるエッセイでも、力を抜かずに全力で書く。そうやってせっせと信用を積み上げて、読者さんを少しずつ増やしてきたと思っています。

なので、SNSを見て「なんだこんな人か」とがっかりされてしまっては、元も子もない。最低限の情報拡散には使うけれど、ホットなトピックに食いついていらんことは言いたくない、という自制心を働かせています。臆病と思われるかもしれないけど、SNSで得た刺激も小説にフィードバックして、作品にしていく。そういうやり方でバランスをとっています。なのでSNSは、インプットのツールとしてなくてはならないもの、でしょうかね。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

■「マリリン・トールド・ミー」
著者:山内マリコ
仕様:46判/256ページ
発売⽇:2024年5⽉28⽇
定価:1870円
出版社:河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309031859/

The post 小説家・山内マリコが振り返る「自身のキャリア」 「作家は信用商売。書いてきたものは裏切らない」 appeared first on WWDJAPAN.

「ディオール」ビューティのトップが初めて語る ドレスと香りから生まれたメゾンの物語

PROFILE: 2010年にマーケティング ディレクターとしてクリスチャン・ディオール・クチュールに入社。12年、パルファン・クリスチャン・ディオールのメゾン ジェネラル ディレクターを経て、19年にゲラン社長兼最高経営責任者に就任。23年から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

「ディオール(DIOR)」は創業者クリスチャン・ディオール(Christian Dior)のクリエイションと物語を根幹に据え、時代背景や人々の心を反映しながら80年近くの歴史を紡いできた。創業とともに発表したフレグランス“ミス ディオール”を中心に、メイクアップやスキンケアなど全カテゴリーにヒット商品を抱え、幅広いファンを取り込む。開催中の「ミス ディオール展覧会 ある女性の物語」に合わせて来日したヴェロニク・クルトワ(Veronique Courtois)=パルファン・クリスチャン・ディオール プレジデント兼CEOに、メディア初となるインタビューを実施し、展覧会の狙いからメゾンの強さの秘訣まで話を聞いた。

“ミス ディオール”は単なるフレグランスではない

WWD:「ディオール」にとって“ミス ディオール”はどんな存在か。
ヴェロニク・クルトワ=パルファン・クリスチャン・ディオール プレジデント兼CEO(以下、クルトワCEO):「ディオール」の代名詞だ。クリスチャン・ディオールは1947年2月12日、初のファッションショーと同時にフレグランス“ミス ディオール”を発表した。「ディオール」は、ドレスと香りから生まれたと言える。また、クリスチャン・ディオールは自身について、クチュリエでありパフューマーでありたいと公言していた。第2次世界大戦後、悲しみに満ちていたフランスで、女性たちがエレガンスを通してインスピレーションを得られる時代を思い描き創作したのが“ミス ディオール”だ。最初のコレクションは後に「ニュールック」と呼ばれ、世界の注目を集め今に至っている。われわれとって、“ミス ディオール”は単なるフレグランスではない。エレガンスと革新的な精神、そしてクリスチャン・ディオール自身の夢を象徴する。

WWD:展覧会ではどんなメッセージを表現した?
クルトワCEO:「ディオール」のレガシーと現代性の融合を表現した。香りは進化し、世界も進化している。展覧会ではこのアイコニックなフレグランスの誕生から、今年フランシス・クルジャンが考案した最新作に至るまで、時代の変化をどう反映し、進化してきたかを振り返る。約80年にわたって築いてきた“ミス・ディオール”の精神を再発見してほしい。「ディオール」の根幹に流れる不変のDNAと、進化しながら築き上げたレガシーは、長年のファンのみならず若い世代にも響くだろう。

進化し続けることで、若さと輝きを失わない

WWD:フランシス・クルジャン(Francis Kurkdjian)による“ミス ディオール”が生まれた背景は?
クルトワCEO:“ミス ディオール”は、クリスチャン・ディオール自身の手から生まれ、その時代の女性を尊重しながら、情熱的なクリエイターによって繰り返し再解釈・創作されてきた。時代を超えて進化し続けることで、若さと輝きを失わずに現在に至っている。クルジャンの最新の解釈も同様だ。最新作ではクルジャンもまた、クリスチャン・ディオールに深い敬意を払い、作り上げた。“永遠の若さ”からインスピレーションを得て、多様で豊かな香調を取り入れ、ジャスミンに新たな解釈を加えることで現代的に仕上げた。これはまさに革新的な「ニュールック」だ。

WWD:2022年から23年にかけて東京で開催した「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展に続き、再び建築家の重松象平が空間デザインを手掛けた。
クルトワCEO:重松氏は、素晴らしい建築家であり空間デザイナーだ。現代的なデザインと「ディオール」が長年大切にしてきた文化を融合させる才能がある。

WWD:“ミス ディオール”はアーティストとのコラボレーションも盛んだ。その理由は?
クルトワCEO:アーティストは、世界を独自の視点で見て、常に問題提起する。その視点を取り入れ、物事を新しい角度から見ることで、“ミス ディオール”は革新を続けている。また、クリスチャン・ディオールは元々ギャラリーオーナーで常にアーティストに囲まれていた。われわれには、この伝統を受け継ぐ義務がある。今回注目すべきは、フランス人アーティスト、エヴァ・ジョスパンとのコラボレーションだ。ムンバイの女性による手刺しゅうの部屋と限定エディションを発表した。他にも、ナタリー・ポートマンがキャンペーンフィルムで着用したオートクチュールドレスをはじめ、アートピースや歴代の“ミス ディオール”の貴重なアーカイブを展示する。アーティストと共に未来を大胆に見据えることが重要だ。

クチュールとフレグランスの物語は相互的であり、
ますます緊密に協力していく

WWD:クリエイティブ ディレクターを務めるマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)やキム・ジョーンズ(Kim Jones)は、ファッションやビューティのアーカイブに触発されている。
クルトワCEO:マリア・グラツィアの最新の24-25年秋冬コレクションは、今回展示している1967年の「ディオール」初のレディトゥウエア コレクション「ミス ディオール」から着想している。エヴァ・ジョスパンの美しい刺しゅうの限定ボトルもコレクションにおける協力から誕生したもの。クチュールとフレグランスの物語は相互的であり、ますます緊密に協力していく。これが“ミス ディオール”をより豊かにし、他の香りとは全く異なる存在に導く理由だ。

WWD:日本のフレグランス市場で“ミス ディオール”に焦点を当てる狙いは?
クルトワCEO:日本のフレグランス市場には大きな成長の可能性がある。「ディオール」のフレグランスはすでに日本で人気を獲得し、数多くのベストコスメを受賞している。香りは、感情的な夢の世界だ。自分をセクシーに見せるためでなく、自分らしさを表現し、エンパワーメントしてくれるもの。口紅と同じようにどの色を選ぶのか、どの香りを選ぶのかはその人の個性に委ねられる。自己表現の手段だと伝えられたら、より市場に広まるだろう。日本の若い世代はフレグランスに興味を持ち、強く引きつけられていると見ている。

WWD:フレグランスだけでなく、メイクやスキンケアも好調だ。全カテゴリーでのメゾンの強さの秘訣をどう分析するか。
クルトワCEO:まず、クリスチャン・ディオールの天才的なビジョンから始まっていること。「ディオール」は、純粋で私的なものから生まれた。また、商品の品質にも献身的にこだわっている。店内での感情的な体験も重要だ。例えば“リップ グロウ”を購入した若い女性は、その瞬間から「ディオール」ファミリーの一員になり、メゾンの一部となったように感じるだろう。これはエントリープライスから最も高価な商品まで、全てに共通する。これがメゾンの深みを生み出し、成功の一助となっている。今回の展覧会のような没入型の体験は、顧客がメゾンと感覚的に関わり、背後の豊かなレガシーと革新を伝える。今後も各国に応じた施策で、伝統と現代性のバランスを保ちながら成長を続けていく。

The post 「ディオール」ビューティのトップが初めて語る ドレスと香りから生まれたメゾンの物語 appeared first on WWDJAPAN.

徹底したマーケティングで立教大生の心をつかむ 【次世代美容師:「ラボヌールヘアーレーヴ 池袋店」志村大成スタイリスト】

PROFILE: 志村大成/「ラボヌールヘアーレーヴ(La Bonheur hair reve)池袋店」スタイリスト

志村大成/「ラボヌールヘアーレーヴ(La Bonheur hair reve)池袋店」スタイリスト
PROFILE: (しむら・たいせい)26歳、美容師歴7年目。都内数店舗を経て、「ラボヌールヘアーレーヴ」に入社。大学生の顧客からの圧倒的な支持を得ており、150~200万円という高い月間売上を保つ。PHOTO:YOHEI KICHIRAKU

SNSにより個人での集客が可能になった今、美容師の“セルフブランディング”の重要性が増している。さらに多様な働き方が可能になったり、得意分野を持つ“特化型美容師”が登場したりするなどの背景もあり、これまでの画一的なフレームを超える個性や特徴を備えた美容師が求められている。そうした“次世代型”の美容師にスポットを当てる当連載。第1回は、“大学生のマーケティング”に長けた「ラボヌールヘアーレーヴ(La Bonheur hair reve)池袋店」の志村大成スタイリストに話を聞いた。

WWD:美容師になったきっかけと、簡単な経歴は?

志村大成「ラボヌールヘアーレーヴ 池袋店」スタイリスト(以下、志村):人と関わる仕事がしたくて、最初は教師を考えていたのですが、“人の生活に関わることができる”という点に惹かれて美容師を選びました。美容学校を卒業してからは、都内の数店舗を経て当サロンに入社しました。周りのスタッフの人柄や、スタッフ教育がしっかりしている点が自分に合っていたので、この店に落ち着いた感じです。

WWD:顧客層は?

志村:お店が池袋の駅前にあるので、池袋に買い物に来る人や、埼玉方面在住の人が多い印象です。年齢的にいうと、私自身が26歳ということもあり、同年代かそれ以下の顧客が多いですね。特に、近くに立教大学があるので、立教大生(女性)がすごく多いです。

WWD:顧客の特徴は?

志村:東京・青山や表参道の美容室に通う人は、「このスタイルにしたい」「この美容師に切ってもらいたい」と明確に決まっているケースが多いと思うのですが、池袋はもう少しフランクですね。明確な仕上がりのイメージよりも、何となく“日々の生活の中に溶け込むおしゃれ”を求めるお客さまが多いです。例えば韓国スタイルにしたくて、韓国風のファッションに身を包んで来店する、といったお客さまは少ないですね。極端なデザインは、求められていない印象です。基本的にはナチュラルで、韓国好きのお客さまなら少し韓国テイストをプラスする、といったところでしょうか。そういう意味では、青山や表参道のサロンとは戦い方が違うと思います。

WWD:どういった戦略をとっている?

志村:今は立教大生の顧客が多いこともあり、アイドルヘアを打ち出しています。立教大生のお客さまには、ロング丈のワンピースを着て来店する人がすごく多いです。そんな“立教大生が見てかわいいと思うスタイル”を突き詰めていった結果、アイドルグループ「乃木坂48」の衣装にロングスカートが多いことに気付きました。そこで、彼女たちのヘアスタイルを提案してみたら、立教大生に“刺さった”んです。

WWD:“アイドルヘア”というと黒髪のイメージがあるが。

志村︰黒髪だと、僕からするとモードに寄ってしまいます。モード系だと、立教大生が好む王道とは違いますね。アイドルヘアの中でも、理想は(アイドルグループ「乃木坂48」を卒業した)白石麻衣さんのヘア。白石麻衣さん風のヘアをウイッグで作って投稿したらバズったくらい、白石さんが好みそうな“ミスコン風のヘア”(大学のミスキャンパスコンテストで多く見られるナチュラルで上品なヘア)はウケがいいです。

WWD:インスタグラムにも、“ミスコン風のヘア”の投稿が多い。

志村:そうですね。お客さまとモデルの写真を、半々くらいの割合で載せているのですが、モデルは全員、大学のミスコン出場者にお願いしています。今は韓国スタイルが人気なので、「#サロンモデル」で検索すると、少しイメージの異なるモデルがヒットしがちなんです。「#ミスコン」で検索すると、立教大生が憧れるモデルに出会えるケースが多いですね。お客さまに関しては、たとえヘアスタイルがばっちりキマッていても、パンツをはいていたら撮らせてもらわないですね。それくらい繊細に、“立教大生ウケ”のSNSを作り上げています。

WWD:ヘアカラーはどんな色がウケる?

志村:基本的にはワンカラーで、ベージュやブラウン系、くすませ過ぎないアッシュ系が通年で人気ですね。くすませ過ぎるとワンピースに似合わなくなるので、くすませ過ぎないことがポイントです。今年の夏から秋にかけては、少し明るめのトーンを提案していくつもりです。「イルミナカラー(ILLUMINA COLOR)」の“ムーンライト”のような、赤味を抑えたクール系のベージュが理想です。“ムーンライト”は単品使いで、立教大生が好みそうな、クールさを感じつつもまろやかに見えるベージュにできます。もう少しくすませたいときや、オリーブに寄せたいときなどには、差し色として“マリーン”や“ディープシー”と組み合わせると、イメージが変わるので使いやすい。今は毎日使っています。

WWD:“ムーンライト”と同じ「アーバンスカイコレクション」には“ナイトスカイ”もあるけれど、そちらはどう?

志村:“ナイトスカイ”は、しっかりとしたグレーにできるので、髪色を落ち着かせたいお客さまなどに使っています。また、例えばラベンダーグレージュのような、“〇〇グレージュ”が作りやすい。1本でグレージュが完成しているので、作りたい色を足していくだけでできてしまう。

WWD:ワンカラーが人気とのことだが、ブリーチはあまり使わない?

志村:ブリーチはさほど多くないですが、「アーバンスカイコレクション」の、ブリーチほど髪を傷ませずにトーンアップがかなう「ライトニングシステム」には助けられています。というのも、立教大生のお客さまには、初めてカラーリングする人も多いです。しかもカウンセリングをしてみると、1回のカラーでは対応できない仕上がりをイメージしていることも少なくない。これまでは、そうしたお客さまに「一度ではできないから、何度かカラーを繰り返して育てていきましょう」と提案していたけれど、「ライトニングシステム」だと初カラーでも透明感を出しやすいので、「今日できますよ」と言うことが可能です。立教大生が求めているカラーには、ブリーチほどのリフト力はいらないので、まさに“ドンピシャ”なアイテム。1日でできるため単価アップの提案が可能で、ブリーチよりも塗りやすいため時短につながり、客単価が上がりました。

WWD:そうしたヘアカラーデザインをSNSに投稿する際に気を付けていることは?

志村:ヘアカラーデザインに限ったことではないけれど、投稿時間には気をつかっています。朝に投稿しても大学生は見ないので、夕方、大学生が帰宅する17~18時くらいが狙い目ですね。あと、特定のヘアカラーデザインというよりも、雰囲気を推しているので、後姿は撮らないです。

WWD:今後やりたいことは?

志村:お客さまがしている、ネイルやメイクの繊細な違いに気付けるように、現在勉強中です。その中で今後はメイクもしたいと思うようになり、ゆくゆくは髪色に合わせてタッチアップをしてあげられたら、と思っています。また、現在は主要な顧客層が大学生ですが、自分の年齢とともに変わってくるものだと思っています。その変化に合わせて、提案も変えていける美容師になりたいですね。

The post 徹底したマーケティングで立教大生の心をつかむ 【次世代美容師:「ラボヌールヘアーレーヴ 池袋店」志村大成スタイリスト】 appeared first on WWDJAPAN.

ドラァグクイーンのド派手メイクを大解剖 大規模ドラァグショー「オピュランス」の楽屋に1日密着

PROFILE: (左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh) (右)セラ・トニン(Sera Tonin)

(左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)<br />
(右)セラ・トニン(Sera Tonin)
PROFILE: (ヴェラ・ストロンジュ)フィリピン出身で8歳からダンスを始める。細部まで作り込んだコレオグラフィーや高いダンススキルを武器に、見る者全てを魅了する。インスタグラム:@vera.strondh (セラ・トニン)イギリス出身の“ハッピーホルモン”。手作りのウィッグと大胆なアクロバットの技で観客を魅了し、ストーリー性豊かなショーを披露する。インスタグラム:@yeah_im_good_thanks

大規模なドラァグショー「オピュランス(OPULENCE)」が、5月19日に東京・歌舞伎町タワーで行われた。同イベントのバックステージに潜入し、日本でドラァグクイーンとして活躍するヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)と、セラ・トニン(Sera Tonin)の2人のメイク完成までに密着。2人のメイクルーティンやこれだけは欠かせないというアイテム、こだわりのポイントなどを聞いた。

「オピュランス」とは?

「オピュランス」は、世界的なドラァグクイーンをゲストに迎える日本初の大規模ドラァグショー。ネットフリックス(NETFLIX)で放送しているリアリティー番組「ル・ポールのドラァグレース」の有名な海外クイーンや日本で活動しているクイーン、ダンサーらが登場する。第1回は2023年1月7日にお台場のZepp ダイバーシティで、第2回以降は継続して東急歌舞伎町タワー内のZepp 新宿で開催。今年の10月には東京と大阪の2カ所で開催が決定している。

ショーメイクはトータル5時間!?

WWD:まずは「オピュランス」の出演、お疲れさまでした。ショーを終えて、感想は?

セラ・トニン(以下、セラ):無事に終えて、達成感がありました。制作段階ももちろん楽しいのですが、常にショーのことを考えていて、「どんな演出や衣装にしようかな」と新しいアイデアを探し続けていました。頻繁に徹夜していろいろと考え込んだり、心配したりしなくてよいと思うとホッとしますね。すごく楽しいひと時を過ごすことができたし、全力を出し切れて良かったです。

ヴェラ・ストロンジュ(以下、ヴェラ):家に帰って、シャワーを浴びて、リラックスできたときはとんでもない解放感でした。今回のショーは100%楽しめたので、10月に開催する「オピュランス」も同じ気持ちで挑みたいです。私が楽しんでステージに立てば、ファンのみんなにも楽しさがきっと伝わると思うので。

WWD:ショーでは5時間ほどかけてメイク&ヘアの作業をしていましたが、いつもあのくらいかかる?

セラ:ローカルのショーのときは、30分くらいで仕上げます。今回の「オピュランス」のような大きなショーだと、考えるべきことやチェックすべきことがたくさんあります。自分のメイク中にも衣装やダンスリハーサル、ほかのダンサーのメイクまで……ショーに関わる全てを確認するので、トータルで5時間ほどかかってしまうんです。

ヴェラ:「あのときこうすれば良かったな〜」って後悔したくないから、私もショー全体を細かくチェックするようにしています。自分のメイクにもショーの細かい確認にも時間をかけたいから、今回は開演10時間前に楽屋入りしました。あと、1パーツのメイクを終えるごとに踊ったり歌ったり、たばこ休憩を挟んだりしてリフレッシュ! これはほかのクイーンも「それな〜」って共感してくれると思います(笑)。

WWD:メイクルーティンを最初から最後まで見ていて、ベビーパウダーをたっぷり叩いている様子が何回か見られた。その理由は?

セラ:理由は2つ。一つ目はスキンケア後の油分を抑える役割で、ベビーパウダーをたたくと瞬時にマットになるので、厚塗りにならずベースメイクを重ねることができます。2つ目は、目の下にたっぷりとたたいて、ブラックやパープルなどの濃い色のアイシャドウの粉飛びを防ぐため。頬に落ちてきてもベビーパウダーがバリアしてくれて、さっと払うだけですぐなくなるので。

ヴェラ:私は眉毛を隠すときだけ、ベビーパウダーを使います。のりで眉毛をつぶして乾いてきたら、押さえるんです。あと、ベビーパウダーは白い粉状なので、眉毛の元の色を隠せるのもうれしい。クイーンは全員持っている必須アイテムよ。

やっぱりアイメイクが命。ヴェラは「蛇」のような目元を表現

WWD:メイクはどのパーツに力を入れている?

セラ:アイメイクですね。戦う強い女性を表現したいから、そのためにはバサバサの付けまつげとカラフルなアイシャドウが重要なの。

ヴェラ:私もアイメイク。パフォーマンスの時に睨みつけるような表情をすることが多いので、アイラインは「蛇」をイメージして力強い目を表現しています。アイシャドウはブラウン系で、とにかくラインを強調! あと、唇は丸くかなりオーバーリップにしてグリッターでキラキラに。ステージに立ったときに遠くのファンでも見えるようにアピールしたいからね。

WWD:これなしではドラァグメイクが完成しない!というメイクアイテムを一つ挙げるとしたら?

セラ:どれか1つを選べと言われると難しいけれど……汎用性の高い漆黒カラーのアイライナーかな。これさえあれば、アイブロウ、アイライナー、リップに使えるから。

ヴェラ:(激しく頷き)同感。アイライナーでガツンとメイクしないとテンションが上がらないし、自分らしさを出せないしね。

WWD:激しいダンスをしても崩れないメイクの秘訣は?

セラ:汗や涙、皮脂などに強く、長時間崩れない化粧下地とメイクフィックススプレーを選ぶこと。「フェンティ ビューティ バイ リアーナ(FENTY BEAUTY BY RIHANNA)」の上質な化粧下地でファンデーションを密着させて、仕上げにフィックススプレーでロック!

ヴェラ:化粧下地とフィックススプレーを使用するのは同じですが、私は「M・A・C」を使っていますね。

WWD:一番気に入っているコスメブランドは?

セラ:アイテムによってブランドを使い分けているので、一つだけ選ぶのは難しいですね。汗をかきやすいので、ベースメイクは「フェンティ ビューティ バイ リアーナ」の化粧下地やファンデーションを、アイシャドウは海外のコスメブランド「ジュビアズプレイス(JUVIA'S PLACE)」の多色パレットを気に入っています。

特に「ジュビアズプレイス」のアイシャドウパレットは発色と持続力がすばらしく、周りのクイーンもみんな持っているわ。値段も手頃で長持ちするので、何年使っているかもう覚えていないくらい愛用しています(笑)。

ヴェラ:私はやっぱり「M・A・C」ですね。アイメイク、リップ、ベースメイクなど、ほとんど「M・A・C」でそろえていて、とにかくロングラスティングなところがステージメイク向き。「M・A・C」で働いている親友から「これ絶対あんたに似合う」って商品をおすすめしてもらうんだけど、「それな〜!」「かわいい!」って全部買っちゃうの。

まつげの土台を育てる“まつげ美容液”が欠かせない!

WWD:日常のスキンケアで気にかけていることは?

ヴェラ:お風呂上がりのスキンケアはリピートし続けている「ネイチャーリパブリック(NATURE REPUBLIC)」の“マイルド&モイスチャーアロエジェル(ジャータイプ)”と、最近はアイケアをするようになって「スカルプD」のまつ毛美容液を使っています。これを使い始めてから、付けまつげが取れにくくなった。全然違う!

セラ:私も「スカルプD」の“まつげ美容液 プレミアム”を使っています。ショーメイクで必ず付けまつげを使うのですが、オフするときに自まつげが一緒に抜けてしまったりするんです。でも、このアイテムをしばらく使い続けたら、地まつげが強く、抜けにくくなりました。ヴェラよりも年上だし、夜遅くまで起きているから目元のスペシャルケアも手を抜けないですね。

WWD:プライベートでもメイクはする?

セラ:クラブやイベントなどに行くときは、少しだけメイクをします。気分がアガるし、自分に自信を持てるようになるので。クイーンであれ、ガールであれ、ボーイであれ、その中間であれ、メイクは誰にとってもパワフルになれる最高のツールだと思うんです。もちろん、メイクをする気になれない(メイクなんてどうでもいい)日もあるけどね。

ヴェラ:多分、2週間に1回くらい。出かけるときは眉毛ぐらい描くけれど、なるべく肌を休ませたいからメイクは普段しないようにしています。

WWD:どのようにメイクを学んだ?

セラ:友人やプロのメイクアップアーティストが周囲にいたので、まずは技を盗むことからスタート。メイクに関しては右も左も分からなかったので、非常にありがたかったですね。初めは彼らからヒントやコツを学び、それからはユーチューブでクイーンのメイク動画などをたくさん見ました。メイクの道のりを振り返ると、さまざまなクイーンから良いところを少しずつ盗み、それらを取り入れることによって上達してきたかな。

ヴェラ:よくTikTokを見ます。ショート動画なのでサクサク見られるし、いろいろなクイーンがメイクティップスを発信しているのでかなり参考にした。

WWD:特にアイブロウは独特なので難しそう。

セラ:以前は眉毛をのりで平らにつぶしてメイクしていましたが、今は自然な眉の形を生かしてメイクしています。1年くらい前かな? ヴェラ、私のメイクが変わり始めたのを覚えている?

ヴェラ:うん、スマートフォンのフォルダにまだ写真があるよ。コロナ禍はみんな外出せずにたくさんメイクの練習をして、新しいことにトライして腕を上げました。

セラ:自分の顔にどのようなメイクが合うのか、研究と試行錯誤を重ねることで自分に合ったベストなメイクを見つけることができます。眉毛をそるクイーンもいると聞きますが、私は「えー!そんなことしたくない!」って感じ。

ドラァグクイーンのメイクに正解はない

WWD:ちなみにロールモデルはいる?

セラ:ドラァグクイーンを始めたころの私に聞いたら、ゲイ文化のアイコンや強い女性らの名を挙げたと思います。例えば、マドンナ(Madonna)とか。そこから時間がたって、現在の私のロールモデルはヴェラを含め、周りのコミュニティーにいる友人たちです。常に刺激を受けるし、私も新しいことに挑戦しようという気持ちにさせてくれます。

ヴェラ:私は強い女性を参考にしています。例えば、ラッパーのニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)やタイラ(Tyla)など。あとはお母さんもかっこいい女性で、とても憧れている。そんな女性像を目指しています。

WWD:最後に、2人にとってのドラァグクイーンメイクとは?

セラ:ドラァグクイーンは、女性という姿をかなり強調しています。見本となる女性らのすてきで最高な部分を少しずつピックアップして、それを1000倍にも誇張。目は大きく、眉毛は美しく、ふっくらとした唇、チークもたっぷり乗せて、シュッとした高い鼻にメイクして……女性の美を強くアピールすることで、非現実的に仕上げているのです。

ヴェラ:アートであり、メイクをする人はペインター(画家)だと思っています。そしてドラァグクイーンのメイクに決まりはなく、自分の思い描くクイーンを自由に表現して良いんです。ドラァグクイーンと聞くと、ド派手なヘアスタイルやメイク、ハイヒール、マーメイドドレスなどの華美な装いが思い浮かぶと思いますが、私はその常識をぶち壊したい。ツインテール、スニーカー、ダイナミックなダンス、自分が一番クールだと思える、目指すべきクイーンを自由に表現しています。

The post ドラァグクイーンのド派手メイクを大解剖 大規模ドラァグショー「オピュランス」の楽屋に1日密着 appeared first on WWDJAPAN.

ドラァグクイーンのド派手メイクを大解剖 大規模ドラァグショー「オピュランス」の楽屋に1日密着

PROFILE: (左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh) (右)セラ・トニン(Sera Tonin)

(左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)<br />
(右)セラ・トニン(Sera Tonin)
PROFILE: (ヴェラ・ストロンジュ)フィリピン出身で8歳からダンスを始める。細部まで作り込んだコレオグラフィーや高いダンススキルを武器に、見る者全てを魅了する。インスタグラム:@vera.strondh (セラ・トニン)イギリス出身の“ハッピーホルモン”。手作りのウィッグと大胆なアクロバットの技で観客を魅了し、ストーリー性豊かなショーを披露する。インスタグラム:@yeah_im_good_thanks

大規模なドラァグショー「オピュランス(OPULENCE)」が、5月19日に東京・歌舞伎町タワーで行われた。同イベントのバックステージに潜入し、日本でドラァグクイーンとして活躍するヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)と、セラ・トニン(Sera Tonin)の2人のメイク完成までに密着。2人のメイクルーティンやこれだけは欠かせないというアイテム、こだわりのポイントなどを聞いた。

「オピュランス」とは?

「オピュランス」は、世界的なドラァグクイーンをゲストに迎える日本初の大規模ドラァグショー。ネットフリックス(NETFLIX)で放送しているリアリティー番組「ル・ポールのドラァグレース」の有名な海外クイーンや日本で活動しているクイーン、ダンサーらが登場する。第1回は2023年1月7日にお台場のZepp ダイバーシティで、第2回以降は継続して東急歌舞伎町タワー内のZepp 新宿で開催。今年の10月には東京と大阪の2カ所で開催が決定している。

ショーメイクはトータル5時間!?

WWD:まずは「オピュランス」の出演、お疲れさまでした。ショーを終えて、感想は?

セラ・トニン(以下、セラ):無事に終えて、達成感がありました。制作段階ももちろん楽しいのですが、常にショーのことを考えていて、「どんな演出や衣装にしようかな」と新しいアイデアを探し続けていました。頻繁に徹夜していろいろと考え込んだり、心配したりしなくてよいと思うとホッとしますね。すごく楽しいひと時を過ごすことができたし、全力を出し切れて良かったです。

ヴェラ・ストロンジュ(以下、ヴェラ):家に帰って、シャワーを浴びて、リラックスできたときはとんでもない解放感でした。今回のショーは100%楽しめたので、10月に開催する「オピュランス」も同じ気持ちで挑みたいです。私が楽しんでステージに立てば、ファンのみんなにも楽しさがきっと伝わると思うので。

WWD:ショーでは5時間ほどかけてメイク&ヘアの作業をしていましたが、いつもあのくらいかかる?

セラ:ローカルのショーのときは、30分くらいで仕上げます。今回の「オピュランス」のような大きなショーだと、考えるべきことやチェックすべきことがたくさんあります。自分のメイク中にも衣装やダンスリハーサル、ほかのダンサーのメイクまで……ショーに関わる全てを確認するので、トータルで5時間ほどかかってしまうんです。

ヴェラ:「あのときこうすれば良かったな〜」って後悔したくないから、私もショー全体を細かくチェックするようにしています。自分のメイクにもショーの細かい確認にも時間をかけたいから、今回は開演10時間前に楽屋入りしました。あと、1パーツのメイクを終えるごとに踊ったり歌ったり、たばこ休憩を挟んだりしてリフレッシュ! これはほかのクイーンも「それな〜」って共感してくれると思います(笑)。

WWD:メイクルーティンを最初から最後まで見ていて、ベビーパウダーをたっぷり叩いている様子が何回か見られた。その理由は?

セラ:理由は2つ。一つ目はスキンケア後の油分を抑える役割で、ベビーパウダーをたたくと瞬時にマットになるので、厚塗りにならずベースメイクを重ねることができます。2つ目は、目の下にたっぷりとたたいて、ブラックやパープルなどの濃い色のアイシャドウの粉飛びを防ぐため。頬に落ちてきてもベビーパウダーがバリアしてくれて、さっと払うだけですぐなくなるので。

ヴェラ:私は眉毛を隠すときだけ、ベビーパウダーを使います。のりで眉毛をつぶして乾いてきたら、押さえるんです。あと、ベビーパウダーは白い粉状なので、眉毛の元の色を隠せるのもうれしい。クイーンは全員持っている必須アイテムよ。

やっぱりアイメイクが命。ヴェラは「蛇」のような目元を表現

WWD:メイクはどのパーツに力を入れている?

セラ:アイメイクですね。戦う強い女性を表現したいから、そのためにはバサバサの付けまつげとカラフルなアイシャドウが重要なの。

ヴェラ:私もアイメイク。パフォーマンスの時に睨みつけるような表情をすることが多いので、アイラインは「蛇」をイメージして力強い目を表現しています。アイシャドウはブラウン系で、とにかくラインを強調! あと、唇は丸くかなりオーバーリップにしてグリッターでキラキラに。ステージに立ったときに遠くのファンでも見えるようにアピールしたいからね。

WWD:これなしではドラァグメイクが完成しない!というメイクアイテムを一つ挙げるとしたら?

セラ:どれか1つを選べと言われると難しいけれど……汎用性の高い漆黒カラーのアイライナーかな。これさえあれば、アイブロウ、アイライナー、リップに使えるから。

ヴェラ:(激しく頷き)同感。アイライナーでガツンとメイクしないとテンションが上がらないし、自分らしさを出せないしね。

WWD:激しいダンスをしても崩れないメイクの秘訣は?

セラ:汗や涙、皮脂などに強く、長時間崩れない化粧下地とメイクフィックススプレーを選ぶこと。「フェンティ ビューティ バイ リアーナ(FENTY BEAUTY BY RIHANNA)」の上質な化粧下地でファンデーションを密着させて、仕上げにフィックススプレーでロック!

ヴェラ:化粧下地とフィックススプレーを使用するのは同じですが、私は「M・A・C」を使っていますね。

WWD:一番気に入っているコスメブランドは?

セラ:アイテムによってブランドを使い分けているので、一つだけ選ぶのは難しいですね。汗をかきやすいので、ベースメイクは「フェンティ ビューティ バイ リアーナ」の化粧下地やファンデーションを、アイシャドウは海外のコスメブランド「ジュビアズプレイス(JUVIA'S PLACE)」の多色パレットを気に入っています。

特に「ジュビアズプレイス」のアイシャドウパレットは発色と持続力がすばらしく、周りのクイーンもみんな持っているわ。値段も手頃で長持ちするので、何年使っているかもう覚えていないくらい愛用しています(笑)。

ヴェラ:私はやっぱり「M・A・C」ですね。アイメイク、リップ、ベースメイクなど、ほとんど「M・A・C」でそろえていて、とにかくロングラスティングなところがステージメイク向き。「M・A・C」で働いている親友から「これ絶対あんたに似合う」って商品をおすすめしてもらうんだけど、「それな〜!」「かわいい!」って全部買っちゃうの。

まつげの土台を育てる“まつげ美容液”が欠かせない!

WWD:日常のスキンケアで気にかけていることは?

ヴェラ:お風呂上がりのスキンケアはリピートし続けている「ネイチャーリパブリック(NATURE REPUBLIC)」の“マイルド&モイスチャーアロエジェル(ジャータイプ)”と、最近はアイケアをするようになって「スカルプD」のまつ毛美容液を使っています。これを使い始めてから、付けまつげが取れにくくなった。全然違う!

セラ:私も「スカルプD」の“まつげ美容液 プレミアム”を使っています。ショーメイクで必ず付けまつげを使うのですが、オフするときに自まつげが一緒に抜けてしまったりするんです。でも、このアイテムをしばらく使い続けたら、地まつげが強く、抜けにくくなりました。ヴェラよりも年上だし、夜遅くまで起きているから目元のスペシャルケアも手を抜けないですね。

WWD:プライベートでもメイクはする?

セラ:クラブやイベントなどに行くときは、少しだけメイクをします。気分がアガるし、自分に自信を持てるようになるので。クイーンであれ、ガールであれ、ボーイであれ、その中間であれ、メイクは誰にとってもパワフルになれる最高のツールだと思うんです。もちろん、メイクをする気になれない(メイクなんてどうでもいい)日もあるけどね。

ヴェラ:多分、2週間に1回くらい。出かけるときは眉毛ぐらい描くけれど、なるべく肌を休ませたいからメイクは普段しないようにしています。

WWD:どのようにメイクを学んだ?

セラ:友人やプロのメイクアップアーティストが周囲にいたので、まずは技を盗むことからスタート。メイクに関しては右も左も分からなかったので、非常にありがたかったですね。初めは彼らからヒントやコツを学び、それからはユーチューブでクイーンのメイク動画などをたくさん見ました。メイクの道のりを振り返ると、さまざまなクイーンから良いところを少しずつ盗み、それらを取り入れることによって上達してきたかな。

ヴェラ:よくTikTokを見ます。ショート動画なのでサクサク見られるし、いろいろなクイーンがメイクティップスを発信しているのでかなり参考にした。

WWD:特にアイブロウは独特なので難しそう。

セラ:以前は眉毛をのりで平らにつぶしてメイクしていましたが、今は自然な眉の形を生かしてメイクしています。1年くらい前かな? ヴェラ、私のメイクが変わり始めたのを覚えている?

ヴェラ:うん、スマートフォンのフォルダにまだ写真があるよ。コロナ禍はみんな外出せずにたくさんメイクの練習をして、新しいことにトライして腕を上げました。

セラ:自分の顔にどのようなメイクが合うのか、研究と試行錯誤を重ねることで自分に合ったベストなメイクを見つけることができます。眉毛をそるクイーンもいると聞きますが、私は「えー!そんなことしたくない!」って感じ。

ドラァグクイーンのメイクに正解はない

WWD:ちなみにロールモデルはいる?

セラ:ドラァグクイーンを始めたころの私に聞いたら、ゲイ文化のアイコンや強い女性らの名を挙げたと思います。例えば、マドンナ(Madonna)とか。そこから時間がたって、現在の私のロールモデルはヴェラを含め、周りのコミュニティーにいる友人たちです。常に刺激を受けるし、私も新しいことに挑戦しようという気持ちにさせてくれます。

ヴェラ:私は強い女性を参考にしています。例えば、ラッパーのニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)やタイラ(Tyla)など。あとはお母さんもかっこいい女性で、とても憧れている。そんな女性像を目指しています。

WWD:最後に、2人にとってのドラァグクイーンメイクとは?

セラ:ドラァグクイーンは、女性という姿をかなり強調しています。見本となる女性らのすてきで最高な部分を少しずつピックアップして、それを1000倍にも誇張。目は大きく、眉毛は美しく、ふっくらとした唇、チークもたっぷり乗せて、シュッとした高い鼻にメイクして……女性の美を強くアピールすることで、非現実的に仕上げているのです。

ヴェラ:アートであり、メイクをする人はペインター(画家)だと思っています。そしてドラァグクイーンのメイクに決まりはなく、自分の思い描くクイーンを自由に表現して良いんです。ドラァグクイーンと聞くと、ド派手なヘアスタイルやメイク、ハイヒール、マーメイドドレスなどの華美な装いが思い浮かぶと思いますが、私はその常識をぶち壊したい。ツインテール、スニーカー、ダイナミックなダンス、自分が一番クールだと思える、目指すべきクイーンを自由に表現しています。

The post ドラァグクイーンのド派手メイクを大解剖 大規模ドラァグショー「オピュランス」の楽屋に1日密着 appeared first on WWDJAPAN.

沖縄コスメLIST.3 「コスメアカデミア」琉球大学の再生医療研究をもとに誕生した幹細胞コスメ

県内外で定評のある“沖縄コスメブランド”を紹介する企画の第3弾。今回取り上げるブランドは、琉球大学医学部の再生医療研究から生まれた幹細胞コスメ「コスメアカデミア(COSME ACADEMIA)」だ。清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授に話を聞いた。

――:幹細胞コスメブランド「コスメアカデミア」を設立したきっかけを教えてください。

清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授(以下、清水):沖縄県とロート製薬の合同出資により、2015年に琉球大学構内に細胞培養加工施設が建設されたことがきっかけです。この施設を活用することで、がんを切除したことでへこんでしまった患者さんの頬を、本人から採取した脂肪幹細胞を培養して移植する形成手術を国内で初めて成功させることができました。

その研究の過程で、脂肪幹細胞を培養増殖した際にでてくる〝上澄み液″の「培養上清液」に成長因子などさまざまな生理活性物質が含まれていることがわかりまして。そこで、この培養上清液を治療や化粧品へと応用できないかと考え、2017年に会社を設立し、細胞培養加工施設内で化粧品の研究をスタートさせました。

――:つまり、いま流行している“幹細胞コスメ”の先駆けが沖縄でできていた、ということですね。これは驚きです。

清水:そう言えるかと思います。さらに言えば、そもそもこの施設の目的は官民のサポートを受けた再生医療プロジェクトの推進です。私たちは研究のために脂肪幹細胞の検体を多く採取しており、現在(24年6月)、148検体のヒト体性幹細胞を管理しています。そして、その中から健康的で優れた脂肪幹細胞を選び、その培養上清液を「コスメアカデミア」に配合しているため、化粧品としての効果も非常に期待できると考えています。

――:確かにこれほど立派な研究施設は国内でも有数かと思いますし、治療の研究をされていることから、その品質も医薬品に準ずるグレード。その点で安全性も確保されていますね。

清水:おっしゃる通りです。当然のことですが、研究過程はもちろん、化粧品の製造過程でおいても、ウイルスが入っていないかなど、医薬品グレードで準じるレベルで厳格にチェックしています。そう考えると、もし当社が学術機関と提携した医薬ベンチャーでなかったら、化粧品それぞれの価格にゼロがひとつ増えるかもしれませんね……。治療研究や創薬研究が本来の目的で、化粧品である「コスメアカデミア」はその副産物であるために実現した価格だと思います。

――:「コスメアカデミア」シリーズは5品がラインアップされていますが、いちばんのおすすめは?

清水:初めてお使いいただく人には“ローション”(120mL、1万3200円)がおすすめです。幹細胞培養液が高配合されているため、化粧水でありながら高い潤いを実感していただけます。また、集中ケアとしては“セラムマスク”(5枚入り、9900円)も肌活力を高めてくれると好評です。美容医療の先生にはレーザー治療のアフターケアとしてもお使いいただいています。

――:今後、「コスメアカデミア」をどのように進化させていきたいですか?

清水:琉球大学では再生医療研究に注力しているため、幹細胞を使って怪我を治癒するにあたり、患者の声を直接聞けることや、その効果をフィードバックできるという利点があります。また、沖縄は多くのプロ野球球団のキャンプ地になっていることから、スポーツ再生医療の観点から治療研究をすぐに応用できるという強みもあります。このような経験や知見を通じて、幹細胞のよりよい培養法や活用法に取り組んでいくことで、治療と化粧品の双方を発展させるよう努めていきたいと考えています。

The post 沖縄コスメLIST.3 「コスメアカデミア」琉球大学の再生医療研究をもとに誕生した幹細胞コスメ appeared first on WWDJAPAN.

沖縄コスメLIST.3 「コスメアカデミア」琉球大学の再生医療研究をもとに誕生した幹細胞コスメ

県内外で定評のある“沖縄コスメブランド”を紹介する企画の第3弾。今回取り上げるブランドは、琉球大学医学部の再生医療研究から生まれた幹細胞コスメ「コスメアカデミア(COSME ACADEMIA)」だ。清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授に話を聞いた。

――:幹細胞コスメブランド「コスメアカデミア」を設立したきっかけを教えてください。

清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授(以下、清水):沖縄県とロート製薬の合同出資により、2015年に琉球大学構内に細胞培養加工施設が建設されたことがきっかけです。この施設を活用することで、がんを切除したことでへこんでしまった患者さんの頬を、本人から採取した脂肪幹細胞を培養して移植する形成手術を国内で初めて成功させることができました。

その研究の過程で、脂肪幹細胞を培養増殖した際にでてくる〝上澄み液″の「培養上清液」に成長因子などさまざまな生理活性物質が含まれていることがわかりまして。そこで、この培養上清液を治療や化粧品へと応用できないかと考え、2017年に会社を設立し、細胞培養加工施設内で化粧品の研究をスタートさせました。

――:つまり、いま流行している“幹細胞コスメ”の先駆けが沖縄でできていた、ということですね。これは驚きです。

清水:そう言えるかと思います。さらに言えば、そもそもこの施設の目的は官民のサポートを受けた再生医療プロジェクトの推進です。私たちは研究のために脂肪幹細胞の検体を多く採取しており、現在(24年6月)、148検体のヒト体性幹細胞を管理しています。そして、その中から健康的で優れた脂肪幹細胞を選び、その培養上清液を「コスメアカデミア」に配合しているため、化粧品としての効果も非常に期待できると考えています。

――:確かにこれほど立派な研究施設は国内でも有数かと思いますし、治療の研究をされていることから、その品質も医薬品に準ずるグレード。その点で安全性も確保されていますね。

清水:おっしゃる通りです。当然のことですが、研究過程はもちろん、化粧品の製造過程でおいても、ウイルスが入っていないかなど、医薬品グレードで準じるレベルで厳格にチェックしています。そう考えると、もし当社が学術機関と提携した医薬ベンチャーでなかったら、化粧品それぞれの価格にゼロがひとつ増えるかもしれませんね……。治療研究や創薬研究が本来の目的で、化粧品である「コスメアカデミア」はその副産物であるために実現した価格だと思います。

――:「コスメアカデミア」シリーズは5品がラインアップされていますが、いちばんのおすすめは?

清水:初めてお使いいただく人には“ローション”(120mL、1万3200円)がおすすめです。幹細胞培養液が高配合されているため、化粧水でありながら高い潤いを実感していただけます。また、集中ケアとしては“セラムマスク”(5枚入り、9900円)も肌活力を高めてくれると好評です。美容医療の先生にはレーザー治療のアフターケアとしてもお使いいただいています。

――:今後、「コスメアカデミア」をどのように進化させていきたいですか?

清水:琉球大学では再生医療研究に注力しているため、幹細胞を使って怪我を治癒するにあたり、患者の声を直接聞けることや、その効果をフィードバックできるという利点があります。また、沖縄は多くのプロ野球球団のキャンプ地になっていることから、スポーツ再生医療の観点から治療研究をすぐに応用できるという強みもあります。このような経験や知見を通じて、幹細胞のよりよい培養法や活用法に取り組んでいくことで、治療と化粧品の双方を発展させるよう努めていきたいと考えています。

The post 沖縄コスメLIST.3 「コスメアカデミア」琉球大学の再生医療研究をもとに誕生した幹細胞コスメ appeared first on WWDJAPAN.

劇場アニメ「ルックバック」主演の河合優実と吉田美月喜が語る「物語が持つ力」——「人生を救うこともできる」

PROFILE: 左:河合優実/俳優 右:吉田美月喜/俳優

左:河合優実/俳優 右:吉田美月喜/俳優
PROFILE: 左:(かわい・ゆうみ)2000年12月19日生まれ、東京都出身。21年出演「サマーフィルムにのって」「由宇子の天秤」で、第43回ヨコハマ映画祭<最優秀新人賞>、第35回高崎映画祭<最優秀新人俳優賞>、第95回キネマ旬報ベスト・テン<新人女優賞>、第64回ブルーリボン賞<新人賞>、21年度全国映連賞<女優賞>を受賞。その他の出演作に、映画「PLAN 75」(22)、「少女は卒業しない」(23)、「あんのこと」(24)やドラマ「不適切にもほどがある!」(24)、「RoOT / ルート」(24)などがある。 右:(よしだ・みづき)2003年3月10日生まれ、東京都出身。17年にスカウトされ、芸能界デビュー。主演作に、映画「あつい胸さわぎ」(23)「カムイのうた」(23)「メイヘムガールズ」(22)、ドラマ「マイストロベリーフィルム」などがある。その他、主な出演作に、Netflixオリジナルドラマ「今際の国のアリス」(20)やTBS日曜劇場「ドラゴン桜」(21)、日本テレビ「ネメシス」(21)などがある。

漫画への情熱が、少女2人の思いをつなぐ——。「チェンソーマン」や「ファイアパンチ」などで知られる人気漫画家・藤本タツキが2021年に発表した読み切り漫画「ルックバック」。ポップカルチャーや実在の事件への言及、漫画を通じ創造の可能性と業を描く俯瞰的な視点など、多層的で奥行きのある物語は、公開するやいなや瞬く間に話題となり「このマンガがすごい!2022」オトコ編第1位にも輝いた。そんな「ルックバック」が劇場アニメとなり、6月28日に全国公開された。監督・脚本・キャラクターデザインを担当したのは「風立ちぬ」(13)をはじめ、数多くの劇場アニメーションに主要スタッフとして携わり、世界中から支持を集める押山清高。主人公の藤野と京本を演じるのは、ともに声優初挑戦となる河合優実と吉田美月喜だ。2人は藤本タツキと押山清高が作り上げたキャラクターにどのように魂を吹き込んだのか、話を聞いた。

声優に初挑戦

——初めて原作漫画「ルックバック」を読んだときの感想はいかがでしたか?

河合優実(以下、河合):「少年ジャンプ+」で公開当時に「ルックバック」を読みましたが、時間が交差するアイデアはもちろん、藤本タツキさんが考える創造的なことや、その当時感じていたことを乗せて描いているのがとても面白いなと思いました。そして何より、その熱量が読んでいるみんなに伝わっていった現象自体がすごく印象に残っています。

吉田美月喜(以下、吉田):私が原作に初めて触れたのは本作のオーディションを受けることが決まってからで、当時は藤野と京本どちらを演じるか分からないまま読んだんです。元々藤本タツキ先生の「チェンソーマン」は読んでいて、バトルもののイメージが強かったので「ルックバック」での作風や語り口の違いに驚かされました。日常の温かみもありつつ、すごく漫画ならではの力を感じる素敵な作品だったので、これがどう映像化されるんだろうと読みながらワクワクしましたね。

——今作が声優初挑戦のお2人ですが、出演が決まったときの心境を教えてください。

河合:オーディションはいつも受かりたいという気持ちで臨んでいるんですが、中でも「ルックバック」は原作に惹かれてやりたいと強く感じていた作品だったので、決まった時はすごく嬉しかったです。声優は初めてでプレッシャーもありましたが、プロの声優さんもいる中で自分を選んでくれたことにはきちんと理由があるんだろうと自分に言い聞かせながらアフレコに挑みました。声優のお仕事は以前からやってみたかったので、楽しみな作品としてご褒美を頂いたような気持ちでしたね。

吉田:今まで声優のオーディションを受けてもなかなか結果に結びつかなかったこともあり、あまり自分の声には自信がなかったので、今回まさか受かるとは思わずびっくりしました。京本役が決まると同時に、藤野役は河合さんだと聞いたんですが、実はそれもまたちょっと意外で。というのも私の中で河合さんは渋めの声の印象だったんです。でも今回久々にお会いしてアフレコを見ていたら、私の印象を覆す藤野にピッタリな声を出していて「すごい…」と聞き入っちゃいました。

——身体的な表現を伴う俳優と、声だけで機微を表現する声優とでは感覚が大きく違ったと思いますが、どのように役作りをし、演じられていったんでしょうか?

河合:プロの声優さんの技術を今から身につけることは絶対できないし、でも映像と同じお芝居をするのも多分違うし、最初は「ルックバック」の声優をやるにあたってどうするのが正解なんだろうという葛藤が自分の中でありました。でもオーディションに受かってその次にスタッフの方々にお会いできるのがアフレコだったので、あまり自分の中でイメージを固めすぎず柔軟に臨んだ方が良いかなと考えるようになったんです。だからアフレコに入るまでは脚本や漫画を読んだときの心境とか、藤野と京本の関係性とかそういうことだけを考えて、あとは現場で音響監督や美月喜ちゃんと一緒に作り上げていきました。

吉田:私はアフレコ前に方言指導で一度だけスタッフの皆さんにお会いしたんです。その時に、私の「そのままの声が京本に通じると感じたので、台詞は練習しすぎず方言の練習だけしてほしい」と言われて。どういうことだろう…と思いつつ、ひたすら方言のテープを聴いてそれを感情ゼロで話してっていうのを繰り返していました。声優だと声でしか表現ができないということもあり、方言もごまかしがきかないので、そこは本当に頑張りました。でも変に身構えて家で演技の練習をしすぎなくて良かったと思います。録る前は不安だったんですが、実際アフレコする時には、音響監督が方向性を調整しながら導いてくれていたので、そこを信じていけば大丈夫だろうという安心感がありました。

河合:確かにそうだね。私もディレクションに従ったりオーダーに応えようという気持ちが、いつものお芝居より強かったなと思いました。それは声優の仕事がわからないからこそですね。

——監督ではなく音響監督がお2人のディレクションをされていたんですね。

河合:そうですね。監督も一緒でしたが、声優の演出をしてくれるのは音響監督でした。私も「監督とはあんまり直接話さないんだ……」って初めて知って。もちろん監督によるのかもしれないんですが。

吉田:今回の現場だと、監督が感覚で考えていることを音響監督が汲み取って、私たちに分かりやすく言語化して伝えてくれていたのかなと思います。

河合:音響監督は木村絵理子さんという方なんですが、放言指導の声優さんも「木村さんはすごい」って言うくらいの方で。対面ではなくブースでしか話せない中で、すごく分かりやすい言葉でどうすればいいのかを明瞭に伝えてくださって、とても頼りになりました。

——藤野の走るシーンの躍動感が素晴らしかったですが、あのシーンも何か指示があったんですか?

吉田:たしか走るシーンはあんまり指示を受けてなかったよね? そこは流石のプロでした。

河合:いやいや(笑)。でも確かに動きながらやってみてくださいといった指示は受けたりしていましたけど、そういう走ったり息遣いだったりという台詞がない場面は、思うままにやってくださいと言われることが多かった気がします。生っぽさやライブ感をまず録ってみたいということで。

物語の持つ力

——「ルックバック」は物語や創作の力を描く作品でもありますが、演じることで物語を紡ぐお2人にとって、物語の持つ力とはどういうものだと思いますか?

吉田:すごく大きな影響を与えるものですね。例えば私は小さい頃、「アンパンマン」のロールパンナが好きだったんですけど、あの少し闇がある感じに憧れたりして(笑)。そういう風に私自身、物語やその登場人物に憧れたり、大きな影響を与えられてきたと思うんです。この「ルックバック」を観たことで漫画を描きたいと思う人もいるでしょうし、物語は人生を豊かにしてくれるものですよね。一方で影響が大きいからこその怖さもありますけど。だからこそ自分が作品に携わる時は、誰かの人生に良い影響をもたらすことを目標に作りたいなといつも考えています。

河合:本当に良くも悪くも、とても大きな力を持っていますよね。子供たちが「アンパンマン」を観て、登場人物や善悪の描写に影響を受けて、自分の中の価値観や倫理観として溶けていくように、物語は観ている人の世界と繋がっているということを私も自覚していたいなと考えています。物語は人生を丸ごと変えられるし、救うこともできるし……その力が与える影響を受ける側としても知っているからこそ、作る側に立った時もそのことを忘れないでいたいなと。

——本作への参加で自分の声や、声の芝居に対する考え方に変化はありましたか?

河合:お芝居の中で声がどれだけ大きい要素を持っているかを理解しているつもりでも、実際に声優をやってみると声の芝居をする上での感覚の違いをとても感じましたね。元々舞台や映像、朗読や声優における声の使い方の違いを考えることは好きだったんですけど、映像を続けていくうちにその意識が離れつつあったので、今回声の根本的な部分について考え直すきっかけにもなりました。間違いなく良い影響を及ぼす体験だったと思います。

吉田:私も声の重要さを理解するという意味でとても大切な作品になったと思います。今まで映画のナレーション部分がすごく苦手だったんですよね。声に感情を乗せてるつもりでも変わってないと言われることもよくあったりと声にコンプレックスを持っていて。でもこの作品に出会って、少なからず自分の声を肯定できたんです。だからこの経験を活かして、これからは身体だけじゃなくてもっと声を意識したお芝居をしていきたいなと思いました。

——最後に劇場アニメ「ルックバック」の見どころを教えていただけますか?

河合:声優を演じる時に見た映像はまだラフの段階だったんですが、押山監督の作るアニメーションが本当に素晴らしくって。漫画だからできると思っていた表現が、その質感は変わらず、動くことでより魅力的になっていたんです。漫画「ルックバック」に生命力を注ぎ込んだシンプルかつ最高の映像だと思うので、何より押山監督のアニメーションを知ってもらいたい気持ちが大きいです。そして限られた時間のパーソナルな映画ではあるんですけど、自分の人生の中できっと思い当たる節がある物語だと思うので、漫画をチェックしてなかった人にも観てほしいですね。

吉田:劇場アニメ化の発表があったときの皆さんの反応を見て、改めてこんなにたくさんの人に愛されている作品に関わることができたんだと実感しました。予告を見て「漫画の世界がそのまま動いている」と喜んでいる方もたくさんいたので、きっとその期待を裏切らないものになっているんじゃないかなと思います。少女たちの生きる力や情熱の向け方は、私自身羨ましく感じるほどに素敵なので、原作ファンのみならずいろんな人に共感してもらえると信じています。

PHOTOS:TAKUYA MAEDA(W)

■劇場アニメ「ルックバック」
6月28日全国ロードショー
出演:河合優実、吉田美月喜
原作」藤本タツキ「ルックバック」(集英社ジャンプコミックス刊)
監督・脚本・キャラクターデザイン:押山清高
アニメーション制作:スタジオドリアン
© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
https://lookback-anime.com

The post 劇場アニメ「ルックバック」主演の河合優実と吉田美月喜が語る「物語が持つ力」——「人生を救うこともできる」 appeared first on WWDJAPAN.

世界が注目するK-POPガールズグループBABYMONSTERインタビュー メンバーの意外な一面を告白

PROFILE: BABYMONSTER(ベイビーモンスター)

PROFILE: YG ENTERTAINMENTから約7年ぶりにデビューしたガールズグループ。韓国出身のアヒョン、ラミ、ローラ、タイ出身のパリタ、チキータ、日本出身のルカ、アサによる7人で構成されている。24年4月には、1st MINI ALBUM「BABYMONS7ER」で完全体デビュー。タイトル曲「SHEESH」は公開から約33日で再生回数2億を記録。歴代のK-POPガールズグループデビュー曲のMVの中で最も速い記録となり、次世代K-POPを代表するガールズグループとして存在感を見せつけている。

BIGBANG(ビッグバン)やBLACKPINK(ブラックピンク)など、これまで世界的アーティストを多数輩出してきた韓国のYG ENTERTAINMENTから約7年ぶりにデビューした7人組ガールズグループBABYMONSTER(ベイビーモンスター)。

メンバーは韓国出身のアヒョン、ラミ、ローラ、タイ出身のパリタ、チキータ、日本出身のルカ、アサの7人。今年4月に1st MINI ALBUM「BABYMONS7ER」で完全体デビューを果たした。タイトル曲「SHEESH」は公開から約33日で再生回数2億回を記録。歴代のK-POPガールズグループデビュー曲のMVの中で最も速い記録となり、次世代K-POPを代表するガールズグループとして存在感を見せつけている。

5月からは東京、ジャカルタ、シンガポール、台北、バンコクとアジア5都市を回るファンミーティングツアーを開催中。先日、7月30、31日に神戸・ワールド記念ホールでの追加公演も発表された。8月には日本最大の音楽フェスティバル「SUMMER SONIC 2024」への出演が決定し、さらなる活躍が期待される。

7月1日に新曲「FOREVER」が発表されるのを前に、「WWDJAPAN」では彼女たちの貴重なインタビューが実現。東京でのファンミーティングを終えての率直な思いやファッションのこと、メンバーのお互いの印象など話を聞いた。

——東京が世界初演となった、5月に行われたファンミーティング「BABYMONSTER PRESENTS:SEE YOU THERE」では、新人とは思えないパワフルで圧倒的なステージに魅了されました。世界初披露となった「LIKE THAT」のパフォーマンスもあり、とても豪華な内容でしたね。実際にファンの方の前に立ってみていかがでしたか?

ルカ:母国の日本にメンバーと初めて来て、初のファンミーティングをすることができて本当にうれしかったです。ファンの方の歓声もすごく大きくてびっくりしたし、楽しかったです。

アサ:こういうイベントをするのが夢だったので興奮しました。皆さんの声を受けて、より盛り上がってステージをすることができたと思います。

——デビュー曲「SHEESH」は世界中でヒットを記録していますが、特に好きなパートや、表現にこだわっているパートはどこでしょうか。

パリタ:「BABY, I’mma MONSTER」というパートはキリングパートなので、そこはすごくこだわって表現しています。

ルカ:サビで両腕を上げて回す振り付けや、足で蹴るポイントダンスがあるのですが、そこに注目してほしいです!

——皆さんのファッションのこだわりもお聞きしたいです。普段のファッションのテイストと、よく取り入れるアイテムを教えてください。

ルカ:私はいろいろなスタイルの服を着るのですが、一番はやっぱりストリート系が多いです。よく使うアイテムは、帽子とサングラスですね。アクセサリーも好きで、よくポイントで身につけます。

パリタ:サングラスやネックレスをよく取り入れます。最近は革ジャンを着るのにハマっています。

アサ:「自分のスタイルはこう」と説明することは難しいのですが、私も帽子やスカーフなどを取り入れてファッションを完成させることが好きです。

アヒョン:スキニーとゴツめのブーツを合わせて、ジャケットを着るのが好きです。

ラミ:かわいい系やきれい系より、ヒップホップでカッコいいスタイルが好きです。ラインが太めのヒップなパンツをよくはきます。

ローラ:普段出かけるときはスカートをよくはきます。かわいいトップスとマッチングさせて着こなすスタイルがお気に入りです。

チキータ:よく使うのはサングラス。最近はオーバーサイズのTシャツが好きですね。

——サングラス好きのメンバーが多いんですね!

ルカ:確かに! メイクをしていないときでもポイントを作れるので、私はよく活用していますね。

各メンバーの印象は?

——続いては皆さんの関係性やキャラクターを掘り下げたいので、隣に座っているメンバーのリスペクトしている点と、面白いと感じる部分を教えてください。

ルカ:アサは完璧主義なんです。私はそういうタイプじゃないので、すごくリスペクトしています。そして普段はおしとやかな感じなんですけど、たまに少しおかしくなっちゃう瞬間があって、面白いなと思います。夜遅くまで練習したときとかは特にそうですね。テンションがおかしくなるんです(笑)。

アサ:(笑)。ローラはとても繊細な部分で私たちをリードしてくれる面があって、そういうところをリスペクトしています。そして、こんなにかわいい顔なのに、豪快な声で話すことがあるので、ギャップがあって面白いです。

ローラ:リタお姉さん(パリタ)は多言語を操るのが得意なので、たくさん助けてもらいますし、顔がお姫様みたい!なのに、たまに思ってもみなかったようなギャグをいきなりポンと放つ瞬間があって、すごく面白いです。

パリタ:チキータはすごく若い歳で練習生として入ってきて、練習生期間も短かったのですが、それでも練習をすごくたくさんして、とても上手にできるので本当にすごいと思います。スター性を持っているところもリスペクトしていますね。面白いと思うのは、おいしいものを食べたときのリアクションと表情。すごくオーバーリアクションなんです(笑)。

チキータ:アヒョンお姉さんは、ダンスを遅くまで練習したりする努力家なところと、素晴らしい歌声を尊敬しています。言語の面でもたくさん助けてくれます。面白いところは、私と同じになるけど(笑)、おいしいものを食べたときのリアクションです。

ルカ:目が大きくなるんだよね(笑)。

アヒョン:(照れたように笑う)。ラミは冷静沈着な人で、ステージの上で何かが起こったとしても、落ち着いて対応できるところがすごいと思います。そして、練習中に場を和ませてくれます。

ラミ:ルカお姉さんは最年長だから、グループを引っ張っていかなければならず、負担が大きいと思うんです。ダンスの練習や、こうした日本の活動などでもメンバーの面倒をすごくよく見てくれて、頼もしいです。そしてステージの上では本当にカリスマ。だけどステージを降りるとすごくかわいらしくて……ちょっと末っ子みたいなところがあって本当に面白いです。

——ひょうきんな最年長なんですね。

ルカ:はい(笑)。

日本のファンに向けて

——7月末には神戸でのファンミーティングも発表されました。今後また日本に来る機会も増えると思いますが、日本で行ってみたいところや、やってみたいことはありますか?

(全員で声をそろえて):ディズニーランド、ディズニーシー!

アサ:みんなで「日本のテーマパークに行きたいね」とずっと話していたので、時間ができたら全員で一緒に行ってみたいです。

チキータ:私はUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行きたい!「ハリー・ポッター」が大好きなので、ホグワーツ城に行ってみたいです。

ローラ:(日本語で)私もめっちゃ好き!

——ぜひ両方行ってきてほしいです! 最後に、日本のファンの皆さんへ向けて一言ずつメッセージをお願いします。

ルカ:これから日本での活動もいろいろ増えてくると思いますが、今よりももっともっと素敵なものをお届けできるようにいっぱい考えていくので、たくさんの応援をよろしくお願いします。

パリタ:初めて日本に来て、ファンの方たちにお会いできて幸せでしたし、とてもたくさんの方が応援してくれて本当にびっくりしました。これからももっと頑張ります!

アサ:今回こうして初めてメンバーたちと一緒に日本に来ることができて、すごく嬉しかったです。次はもっと多くの日本のファンの人たちにお会いして、いろんなイベントや活動をしていきたいと思います。たくさん期待していてください。

アヒョン:ファンミーティングを日本の皆さんと一緒に始めることができてとても嬉しかったですし、ものすごい熱意を感じられて幸せでした。

ラミ:日本で初めてのファンミーティングができてとても嬉しかったです。足りない部分もあったかもしれませんが、そういった部分も可愛く見てくださってありがたかったです。今後もっといい姿をたくさん見せますので、期待して待っていてください。

ローラ:今回初めて日本に来ましたが、ファンミーティングなどでとても良い思い出をつくることができて、本当に感謝しています。さらに練習を重ねて、次回はもっともっとかっこいい舞台をできるように頑張ります!

チキータ:初めてのファンミーティングだったのでちょっと緊張もしたのですが、ファンの方がたくさん応援してくださって幸せでした。これからも努力して頑張ります。

■Digital Single「FOREVER」
7月1日リリース

■BABYMONSTER 1stファンミーティング「BABYMONSTER PRESENTS:SEE YOU THERE -FINAL-」
2024年7月30日 開場 17:30/開演 18:30
2024年7月31日 開場 13:00/開演 14:00、開場 17:30/開演 18:30
会場:神戸・ワールド記念ホール
https://yg-babymonster-official.jp/live/see-you-there-final/

The post 世界が注目するK-POPガールズグループBABYMONSTERインタビュー メンバーの意外な一面を告白 appeared first on WWDJAPAN.

韓国の若者に大人気のメンズブランド「サンサンギア」 ディレクターが語るブランドのコア

2019年にスタートした「サンサンギア(SAN SAN GEAR)」は、今韓国で最も勢いのあるメンズファッションブランドの一つだ。ストリートにアウトドア、サブカルチャーをミクスチャーしたスタイルで若者の間で支持を広め、日本でも取り扱うセレクトショップが増えている。ブランドのキム・セフン(Kim Sehun)ディレクターに、ブランドのこれまでと展望を聞いた。

―ブランドを立ち上げたきっかけは。

キム・セフン「サンサンギア」ディレクター(以下、キム):「サンサンギア」は、ストリートウェアを楽しむ消費者に新しい選択肢を提案するために始めたブランドです。他のブランドによくみられるポップカルチャーや現代美術ではなく、傍流のサブカルチャーをブランドのエッセンスとしています。これはブランドが始まってから今まで、ずっと変わらない部分です。

デザイン、コラボ、コンテンツなど、個々の要素がバラバラにならないように大きな文脈を意識しています。スタートしたばかりの頃は私がデザインだけでなく、物流、CSまですべての業務をこなさなければなりませんでした。現在はデザイン、コンテンツ、グラフィック、ソーシング、物流/CS、戦略企画など、チームが細分化されています。より効率的に仕事ができるインフラが構築できています。

―韓国の若いディレクターが運営するブランドの特徴的な点は「ビジュアルマーケティング」だ。「サンサンギア」はディストピア、近未来、ファンタジーなど、奇抜なアイデアを毎コレクションに盛り込んでいる。

キム:私たちが「ビジュアルマーケティング」で重視していることは大きく2つに分かれます。まず、何を見せるか、そしてどのように見せるか。

「何を見せるか」については、シーズンの企画会議を非常に重要視しています。企画会議はシーズンの1年半前から行われることもあり、2023年春夏の“MERCURIAL”、秋冬の“THIRD KIT”、24年春夏の “SCOPE”といったキーワードでメインテーマを決めます。すべての社内チームがつながりながら仕事ができるよう、クイックビューや小規模な会議も頻繁に行っています。

コンテンツの見せ方においては「芸術性」「現時性」「直感性」の3つをすべて満たすよう心がけています。コンテンツ自体は必ず芸術レベルの高いものでなければなりませんが、私たちが選んだ素材や表現方法が適切であり、またそれを見る人が、私たちが伝えたいことを簡単に理解できることも重要です。

さまざまなカルチャーを照らす存在に

―2024年SSコレクションのエディトリアルイメージで何を伝えたかったのかを教えてほしい。

キム:今シーズンのテーマは“SCOPE”、つまり「観察」です。とあるアーティストの歩みから、木材の細胞の顕微鏡写真まで、スコープの倍率を調節したレイヤーで、さまざまな観察対象に対する美学を語ることを試みました。

―自社発行のマガジン「スコープ」をコレクションと一緒に公開した。一般的なファッション企業ではあまりやらないことだ。

キム:雑誌は、私たちが表現したいことを最も直感的かつ多様に表現することができる、顧客に最も身近な形のコンテンツです。私たちの雑誌“燦燦(さんさん)”では、単にルックブックやエディトリアル写真だけではなく、シーズンのテーマと私たちが追求する価値を、より多様に見せようと考えています。ミュージックプレイリストやグルメなどの要素も盛り込みました。

私たちは「サンサンギア」が一つの“文化”になってほしいと考えています。かつて注目された、あるいはまだ注目されていないさまざまなサブカルチャーを「さんさんと」照らす存在です。

―日本の若者の間でも人気が高まっている。

キム:想像以上に私たちのブランドを好きになってくれて、本当に感謝しています。私は子供の頃、日本のアニメを見て育ち、日本の市場を見てファッションを勉強しました。日本はファッションや文化的なレベルが高い国です。日本に出張に行った時、道行く人たちが自分だけのムードでスタイリングしたファッションをしていて、衝撃を受けました。だから最初は「サンサンギア」が日本で通用するかどうか不安だったのも事実です。

日本の若い層は、デザインのディテールやコンテンツのナラティブ(物語性)を尊重する意識が非常に高い。だから私たちが作った製品が彼らのニーズに合致したのではないかと思います。

―今年3月には、フラッグシップストアを立ち上げた。

キム:私たちの最初のオフライン店舗の名前は「合井(ハプチョン)ストア」で、ソウル市マポ区の想像広場付近にあります。「サンサンギア」が見せたいテクニカルなムードを未来志向的かつ現実的に解釈し、店舗に溶け込ませました。

メイン素材にはステンレスを使っています。空間全体においては、ステンレス特有の冷たくて硬い雰囲気を中和させるために、フレームのないソファと大理石を随所に配置しました。外部の造園にも気を配りましたが、自然素材である石と苔を設え、内部素材と対比させながらバランス感を持たせました。

また、弘大(ホンデ)の中心地に位置する住宅建物として、建物に入居した店舗の変遷、つまり時間を可視化しようと考えました。過去の痕跡を取り除いた建物の骨格に特別な加工をせず、素材本来の風合いを生かしてインテリアを配置し、なるべくシンプルに空間をデザインしました。これにより、「サンサンギア」が持っている生き生きとしたムードうまく溶け込ませようと考えました。 また、窓やドアを大きくして開放感のある空間にし、外部とのつながりを強調しました。

―今後ブランドが目指す方向性を教えてほしい。

キム:「サンサンギア」は、伝統的なストリートウェアブランドの持つ多様性を追求しつつ、私たち独自のビジュアル言語を重要視しています。ストリートウェアブランドとして、これまでにはなかったアイデンティティーを持ちたいと考えています。例えばブランドを代表するアイテムである「ウインドブレーカー」は、季節性、機能性、ディテールなどにバリエーションを持たせ、一つのアイテムにおける多様性を持たせています。

ストリートファッションは衣服だけでなく、その存在自体が多様性を象徴する文化です。さまざまなジャンルを横断し、ファッションを衣類だけでなく、文化に拡張して見せるブランドでありたいと考えています。今後もローカルアーティストとのコラボレーションはもちろん、グローバルブランドとのコラボ、IP(知的財産)の活用など、多角的で立体的な活動をしていく予定です。そのためには、ブランドムードをもっと柔軟にすべく枠にとらわれない服を制作し、同時にコンテンツを通じたメッセージもより先鋭化したいと思っています。

The post 韓国の若者に大人気のメンズブランド「サンサンギア」 ディレクターが語るブランドのコア appeared first on WWDJAPAN.

韓国の若者に大人気のメンズブランド「サンサンギア」 ディレクターが語るブランドのコア

2019年にスタートした「サンサンギア(SAN SAN GEAR)」は、今韓国で最も勢いのあるメンズファッションブランドの一つだ。ストリートにアウトドア、サブカルチャーをミクスチャーしたスタイルで若者の間で支持を広め、日本でも取り扱うセレクトショップが増えている。ブランドのキム・セフン(Kim Sehun)ディレクターに、ブランドのこれまでと展望を聞いた。

―ブランドを立ち上げたきっかけは。

キム・セフン「サンサンギア」ディレクター(以下、キム):「サンサンギア」は、ストリートウェアを楽しむ消費者に新しい選択肢を提案するために始めたブランドです。他のブランドによくみられるポップカルチャーや現代美術ではなく、傍流のサブカルチャーをブランドのエッセンスとしています。これはブランドが始まってから今まで、ずっと変わらない部分です。

デザイン、コラボ、コンテンツなど、個々の要素がバラバラにならないように大きな文脈を意識しています。スタートしたばかりの頃は私がデザインだけでなく、物流、CSまですべての業務をこなさなければなりませんでした。現在はデザイン、コンテンツ、グラフィック、ソーシング、物流/CS、戦略企画など、チームが細分化されています。より効率的に仕事ができるインフラが構築できています。

―韓国の若いディレクターが運営するブランドの特徴的な点は「ビジュアルマーケティング」だ。「サンサンギア」はディストピア、近未来、ファンタジーなど、奇抜なアイデアを毎コレクションに盛り込んでいる。

キム:私たちが「ビジュアルマーケティング」で重視していることは大きく2つに分かれます。まず、何を見せるか、そしてどのように見せるか。

「何を見せるか」については、シーズンの企画会議を非常に重要視しています。企画会議はシーズンの1年半前から行われることもあり、2023年春夏の“MERCURIAL”、秋冬の“THIRD KIT”、24年春夏の “SCOPE”といったキーワードでメインテーマを決めます。すべての社内チームがつながりながら仕事ができるよう、クイックビューや小規模な会議も頻繁に行っています。

コンテンツの見せ方においては「芸術性」「現時性」「直感性」の3つをすべて満たすよう心がけています。コンテンツ自体は必ず芸術レベルの高いものでなければなりませんが、私たちが選んだ素材や表現方法が適切であり、またそれを見る人が、私たちが伝えたいことを簡単に理解できることも重要です。

さまざまなカルチャーを照らす存在に

―2024年SSコレクションのエディトリアルイメージで何を伝えたかったのかを教えてほしい。

キム:今シーズンのテーマは“SCOPE”、つまり「観察」です。とあるアーティストの歩みから、木材の細胞の顕微鏡写真まで、スコープの倍率を調節したレイヤーで、さまざまな観察対象に対する美学を語ることを試みました。

―自社発行のマガジン「スコープ」をコレクションと一緒に公開した。一般的なファッション企業ではあまりやらないことだ。

キム:雑誌は、私たちが表現したいことを最も直感的かつ多様に表現することができる、顧客に最も身近な形のコンテンツです。私たちの雑誌“燦燦(さんさん)”では、単にルックブックやエディトリアル写真だけではなく、シーズンのテーマと私たちが追求する価値を、より多様に見せようと考えています。ミュージックプレイリストやグルメなどの要素も盛り込みました。

私たちは「サンサンギア」が一つの“文化”になってほしいと考えています。かつて注目された、あるいはまだ注目されていないさまざまなサブカルチャーを「さんさんと」照らす存在です。

―日本の若者の間でも人気が高まっている。

キム:想像以上に私たちのブランドを好きになってくれて、本当に感謝しています。私は子供の頃、日本のアニメを見て育ち、日本の市場を見てファッションを勉強しました。日本はファッションや文化的なレベルが高い国です。日本に出張に行った時、道行く人たちが自分だけのムードでスタイリングしたファッションをしていて、衝撃を受けました。だから最初は「サンサンギア」が日本で通用するかどうか不安だったのも事実です。

日本の若い層は、デザインのディテールやコンテンツのナラティブ(物語性)を尊重する意識が非常に高い。だから私たちが作った製品が彼らのニーズに合致したのではないかと思います。

―今年3月には、フラッグシップストアを立ち上げた。

キム:私たちの最初のオフライン店舗の名前は「合井(ハプチョン)ストア」で、ソウル市マポ区の想像広場付近にあります。「サンサンギア」が見せたいテクニカルなムードを未来志向的かつ現実的に解釈し、店舗に溶け込ませました。

メイン素材にはステンレスを使っています。空間全体においては、ステンレス特有の冷たくて硬い雰囲気を中和させるために、フレームのないソファと大理石を随所に配置しました。外部の造園にも気を配りましたが、自然素材である石と苔を設え、内部素材と対比させながらバランス感を持たせました。

また、弘大(ホンデ)の中心地に位置する住宅建物として、建物に入居した店舗の変遷、つまり時間を可視化しようと考えました。過去の痕跡を取り除いた建物の骨格に特別な加工をせず、素材本来の風合いを生かしてインテリアを配置し、なるべくシンプルに空間をデザインしました。これにより、「サンサンギア」が持っている生き生きとしたムードうまく溶け込ませようと考えました。 また、窓やドアを大きくして開放感のある空間にし、外部とのつながりを強調しました。

―今後ブランドが目指す方向性を教えてほしい。

キム:「サンサンギア」は、伝統的なストリートウェアブランドの持つ多様性を追求しつつ、私たち独自のビジュアル言語を重要視しています。ストリートウェアブランドとして、これまでにはなかったアイデンティティーを持ちたいと考えています。例えばブランドを代表するアイテムである「ウインドブレーカー」は、季節性、機能性、ディテールなどにバリエーションを持たせ、一つのアイテムにおける多様性を持たせています。

ストリートファッションは衣服だけでなく、その存在自体が多様性を象徴する文化です。さまざまなジャンルを横断し、ファッションを衣類だけでなく、文化に拡張して見せるブランドでありたいと考えています。今後もローカルアーティストとのコラボレーションはもちろん、グローバルブランドとのコラボ、IP(知的財産)の活用など、多角的で立体的な活動をしていく予定です。そのためには、ブランドムードをもっと柔軟にすべく枠にとらわれない服を制作し、同時にコンテンツを通じたメッセージもより先鋭化したいと思っています。

The post 韓国の若者に大人気のメンズブランド「サンサンギア」 ディレクターが語るブランドのコア appeared first on WWDJAPAN.

41歳冨永愛は「わりと幸せ」 コンプレックスと「生きたいように生きると決めた」理由

PROFILE: 冨永愛

冨永愛
PROFILE: (とみなが・あい)17 歳でNYコレクションデビューを果たし一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルのほかテレビやラジオパーソナリティー、イベント、俳優などさまざまな分野にも精力的に挑戦。俳優としては、2019 年放送のTBS日曜劇場「グランメゾン東京」をはじめ、 23年に放送された NHK ドラマ「大奥」では吉宗役として主演を務め話題となった。日本人として唯一無二のキャリアをもつスーパーモデルとして、チャリティ・社会貢献活動や日本の伝統文化を伝える活動など、その活躍の場をクリエイティブに広げている。24年4月、全国の伝統文化を訪ねる番組「冨永愛の伝統to未来」 (BS日テレ)がスタート。公益財団法人ジョイセフアンバサダー、消費者庁エシカルライフスタイル SDGs アンバ サダー、ITOCHU SDGs STUDIO エバンジェリスト。著書に「冨永愛 美の法則」「冨永愛 美をつくる食事」(ともにダイヤモンド社)ほか。24年6月28日発売「冨永愛 新・幸福論 生きたいように生きる」(主婦の友社)

日本を代表するモデルの冨永愛が6月28日、新たなエッセイ本「冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる」(主婦の友社)を発売する。これまで、「冨永愛 美の法則」「冨永愛 美をつくる食事」(ともにダイヤモンド社)といった自己流の美容法や食事術の著書をリリースしてきた冨永だが、新書のテーマはコンプレックスだ。今やファッションという世界だけでなく、俳優やタレントとして日本中で知られる冨永は、若者の憧れる存在でもある。「41歳の冨永愛は、わりと幸せなんです」と語り始める新書の表紙は、彼女のスッピンの笑顔。コンプレックスと向き合い、「生きたいように生きると決めた」彼女の真意を探った。

「自分を信じて生きていくことがきっと幸せにつながる」

――新書のテーマは「コンプレックス」。初告白する内容も多いと思うが、発売を迎えるにあたっての心境は?

冨永:実を言うと、最後の最後まで本当にこの本を出すべきか悩みました。まだまだ40年生きてきただけで、こういった本を出すなんてちょっと生意気だなって思ったんですよ。伝えたいメッセージがあるのかと聞かれても、特になくて。本当に自分が今思っていることを素直に書いていて、それが皆さんの何かのヒントになれればいいなと思っています。そうであれば、自分もこう生きている証になるというか、生きててよかったなって思えるようになれるから。うん、それだけですね。

――新著のプロローグで、「41歳の冨永愛は、わりと幸せなんです。」と綴っている。自分のことをそう思えるようになったのはいつから?

冨永:もうほんとうに最近です。41年生きてこないと分からない、そんな幸せ感がきっとあるんだと思うんですよね。振り返ってみて「わりと幸せじゃん」っていうところに至るには多分これくらい生きてこないと感じないんだろうなって。そう実感してからは、自分の言動や思考回路も変わって、対処する予測もしやすくなって、ここまですれば辛くなるとか、それでも自分から挑戦していくとか、考え方や行動がすごく楽になりました。それが幸せっていうことなんだと思うんです。

――幸せを感じることが増えたことで、変わったことは?

冨永:少なくとも、怒りや悔しさを感じる割合は減りましたね。自分のエネルギーの100%が悔しいっていう感情だったこともあったけれど、今は7割くらいまで減ったかな。幸せを感じることが増えても、新しいことに挑戦をし続けていて、悔しい思いもたくさんしていて、それはそれで私の原動力でもあるんですよね。

――多くの人が生い立ちや容姿など何かしらにコンプレックスを抱えて生きているが、「自分の生きたいように生きる」ためにどのように考えるといいのか

冨永:それは私にとっても人生の大きなテーマで、私自身の経験の中である程度の答えが見えてきたくらいな感じかな。ただ、誰しもが生きる環境で縛られているもので、そういうものから解放されることで生きたいように生きるということではないんですよ。縛りがある中で、どう生きていきたいのか考えていくということに意味があるんじゃないかなって。自分の判断に後悔してきたことももちろんあるけど、できないことの中で、自分が自分自身のことを信じて生きていけるようになるっていうこと自体が、きっと幸せにつながっていくんじゃないかなって思いますね。

――著書で「運は巡る。いただいた恩は誰かに送る」とある。チャリティー活動などさまざまな活動に精力的だが、人に恩を与えることで、自分に返ってくるという実感はあるのか。またどういったモチベーションで取り組んでいるのか

冨永:実感があるのかと言われたら特にない。でもふとした時に、自分が幸運に恵まれたり、いい巡り合わせがあったり、すごくいいタイミングだったり、きっとそういうことも含めて、こういうことなんだろうなって。自分が幸せになるために誰かに何をするっていうことではそもそもないです。もらったものを他に送っていくっていうこの循環を良くすることで、いい人生、いい巡りになっていくという考え方です。

社会貢献について言うと、恵まれた立場にあり、社会的影響力もある自分が、やるべきことだと思ってやっていることです。それに、自分の今の立ち位置を理解することもできる。そんな見方もできると思うんです。中年期特有の心理的危機を“ミドルエイジクライシス”と言われていたりもしますが、これくらいの年代の方は何においても慣れてきちゃっている年頃。ちゃんとした仕事もあって、お金も生活も充実していて、先のことも割と読めてきている年代。それって幸せなことだと思うんですよ。幸せなはずなんですよね。でもそれに気付いていないだけ。だからクライシスになっちゃう。私は真逆だと思うんですよね。自分がどういう状況なのかという立ち位置やポジションを俯瞰して見ることもできるのが社会貢献でもある。いろんな環境や状況で生まれている人たちに会いに行って、特にアフリカでは自分がどういう人間なのかって思い知らされる。ある意味、自分を知るために行っているかもしれないけれど、恩が返ってくるからやっているわけではないです。でもどこかで絶対返ってくるだろうなって信じているっていうことですよね。

息子が厳しいモデルの道へ。「うれしい気持ちはない」

――「セカンドキャリアが見つけやすい世界にしたい」と昨年7月に新事務所、Crossover(クロスオーバー)を設立し、著書では「人生の後半戦の、私の重要な仕事の1つだ」と語っている。その真意は?

冨永:そういったことも考えていかなきゃいけない年齢なんだっていうことかな。自分だけのことを考えていくというよりも、子育てと似ているかもしれないけれど、これから先、ファッションの世界がどうなっていくのかと考えた時に、あまりいい未来が見えてこない。そうした中でモデルの道1本だけだと難しくなる。今私はモデル業以外に色々やらせてもらっているので、その経験が若いクリエイターたちのためになればいいなという思いがあります。

――「100歳になってもランウエイを歩ける私でいたい」という冨永さんの目標は、モデルとしての真の強さが伺える

冨永:昔のショーの様子を見ると、顔つきも歩き方も全然違いますよね。歳を重ねて経験を積めば、表現者として豊かになっていくと思いますね。モデルっていろんなジャンルがありますけど、それが自分だよなって。うん、ランウエイやってなんぼだと思う。モデルをやれたから、この仕事に出会えたから、今の自分があるっていうのはすごくありますし、だから原点ですよね。いつまでもモデルでありたいなって思いますね。

――息子の章胤(あきつぐ)さんもモデルとなり一昨年キャリアをスタートし、俳優としても共演を果たすなど、親子共々活躍しているが、どのような思いがあるか

冨永:私と同じモデルの道に進みたいと聞いたときは、正直うれしい気持ちはなかった。それは今も変わらないです。違う分野に行ってほしかったというのが本音。でも彼のインタビュー記事なんか見ていると、私のことを「尊敬している」って言っていて、私の背中を見てくれていたんだなって、うれしいですけどね。それでもやっぱり畑の広いウィメンズに比べるとメンズは狭き世界。いくら私の息子っていう名前があったとしても、それが助けになるのは2、3年じゃないかって話はしています。そこから自分がどう頑張るかが大事になってくると思っています。

「年を重ねること、基本的にはなるようになる」

――今年42歳を迎え、26年目のキャリアとなる。今や俳優やMCなど幅広く活動しているが、20代のときは今のような自分を想像していたか。また当時の自分をどう振り返るか

冨永:今の自分のことは全く想像していなかったですね。20代はトップモデルを目指して、海外のコレクションを回ることが自分にとって大事なことで、まさか40代で俳優をやっているなんて思ってもいなかったですね。当時のショーの動画なんて見ていると、「かわいいな」「頑張ってるな」って愛おしく思えます。

――幅広く活動する中で、チャレンジする場に直面するときなど、どのようにメンタルトレーニングをしているのか

冨永:大一番のときは、自分を信じることがすごく助けになります。そのための準備は大事。それなりに自分を信じていないとリハーサルなしのショーだってある。自分らしさを発揮できるエネルギーの量や緊張の度合いが違えば、自分の可能性の幅も変わってくると思う。十分準備をすることで、あとは本番で出し切るしかない。自分自身で「大丈夫」と思えるか思えないかでその場をどう乗り越えられるかが変わってくると思っています。私はどちらかというと、自分で人生の道をつくってきたというよりは、その時々の自分のジャッジがあって、ご縁やタイミングがつながり今に至ったという感じですね。

――新著の表紙での清々しい表情がとても印象的だ。今はどういった心境か

冨永:これ実はスッピンなんです。レタッチもほとんどしていなくて。若いころはスッピンでそのまま撮影ってよくありましたけど、さすがにドキドキしましたね。ちょっとどんな顔していいか分かんないなって(笑)。でも出版に向けた意気込みとしては、「まだまだだな」って。自分はまたこれからいろんな経験を重ねて、どういう扉を開いていくんだろうって考えていますね。今の自分のこれ以上はないから、この表紙の自分が全てを物語っているという感じ。これまでも3、4冊の本を出版していますけど、それらは私の歩いてきた足跡。だから私の中ではもう過去のものなんですよね。もうずっと先を見ています。

――女性として、今後どのように年を重ねていきたいと考えているか

冨永:基本的にはなるようになる。あとはちょっとした余力を残しておけるようにして。これからは100%のエネルギーの残し方を考えていく生き方をしないと、きっと体壊すなあって思っています。もちろん100%全力で仕事に向き合うこともあるんですが、地方に行ったりして安らいだりして、余力を蓄えたりして最適なバランスをどう探っていくかがこれからは大事になってくるかなと思っています。

PHOTOS:MICHIKA MOCHIZUKI
STYLING:SOHEI YOSHIDA(SIGNO)
HAIR &MAKE-UP:MIFUNE(SIGNO)
衣装協力:シャツ、パンツ、シューズ、アクセサリー(すべてバーバリー/バーバリー・ジャパン)

The post 41歳冨永愛は「わりと幸せ」 コンプレックスと「生きたいように生きると決めた」理由 appeared first on WWDJAPAN.

ロンドンのバンド、bar italia(バー・イタリア)が語る「創作の秘密」 “共有できないものがある”ことが重要

PROFILE: バー・イタリア(bar italia)

PROFILE: アート界隈でも活躍してきたイタリア人女性ニーナ・クリスタンテと、ダブル・ヴァーゴとしての活動でも知られるジェズミ・タリック・フェフミとサム・フェントンの3人組。奇才ディーン・ブラントのレーベル〈World Music〉から2枚のアルバムリリースを経て、2023年3月に〈Matador Records〉と電撃契約を発表。その後は怒涛のように1年に2枚のアルバム「Tracey Denim」を5月に、「The Twits」を11月にリリース。23年末には多くの主要年間アルバムチャートに選出されるなど大きな注目を集めている。24年5月には初の来日公演が実現した。

ロンドンを拠点に活動するニーナ・クリスタンテ(Vo)、ジェズミ・タリック・フェフミ(Vo/G)、サム・フェントン(Vo/G)の3人からなるバー・イタリア(bar italia)。ディーン・ブラントが主宰する〈World Music〉からデビューしたころのアブストラクトで実験的なスタイルとは変わり、昨年リリースした2枚のアルバム「Tracey Denim」と「The Twits」ではギター・ロック的なアプローチを大きく前進させたサウンドが鮮烈な印象を刻んだ。5月の来日時に見せた生身のバー・イタリアは、かつての実体感が希薄で匿名性を帯びていたイメージは見る影もなく、「バンド」としてのアイデンティティーを主張するようにラウドで陶酔感に満ちていて、白熱したものだった。

活況が続く英国のロック・シーン。その新たなアイコンとして注目を浴びるバー・イタリアだが、一方で地元ロンドンのアンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージック・シーンに“出自”を持つかれらの佇まいからは、ブラック・ミディ(Black Midi)やファット・ホワイト・ファミリー(Fat White Family)などに代表されるサウス・ロンドン〜「The Windmill」周りのバンド・コミュニティーとは異なる空気感のようなものが感じられる。音楽以外にもさまざまなアート活動に勤しみ、ニーナに至っては栄養士やパーソナル・トレーナーとしての経歴の持ち主でもあるという、異色の背景を窺わせる3人。そんな彼女らの創作の秘密について、公演翌日に中目黒にあるオフィスで話を聞いた。

始めたころはこれといったビジョンもなかった

——昨日のライブですが、演奏はもちろんステージングも含めて最高でした。バー・イタリアが本格的に活動を始めたのはパンデミックの最中のことで、当然ライブなんてできない状況だったと思うんですけど。

サム・フェントン(以下、サム):そうだね。まったくできない状況だったし、想像すること自体がリアルじゃなかったというか。

ジェズミ・タリック・フェフミ(以下、ジェズミ):2021年の初めにマンチェスターでライブをやったのが最初だったんじゃないかな。

——初めからあんな感じだったんですか。

ジェズミ:徐々に発展していった感じかな。単純に演奏がうまくなったというのもあるし、3人の一体感という部分も含めてね。

サム:このバンドを始めたころはレコーディングのためだけに曲を書いている感じだった。スタジオで一度だけ演奏して、レコーディングして、それから1年ぐらい曲にはまったく触れず、曲の存在自体も忘れて……という状態だったんだけど、いざライブをやりますってなったときに、作った曲の中でもライブで映えるものとそうでないものがはっきりと分かるようになって。たぶんそういう経験ができたからこそ、今はライブで映える曲が作れるようになったんだと思う。

——バー・イタリアはこれまでに4枚のアルバムをリリースしていますが、結成当初と今とではサウンドやプロダクションの印象はだいぶ違いますね。

サム:(バー・イタリアを始めたころは)これといったビジョンもなかったと思う。どの曲もスタイルが違っていて、似たような曲がまったくなかった。でも、最近の作品の方が音楽性の幅は広いと思う。

ジェズミ:最初の1、2枚目のころはかなりつまらない曲の作り方だったと思う。(サムと)1本のギターを貸し合ったりしていた感じだったし、ソングライティングやレコーディングもバラバラで、みんなで一緒に演奏しているって感じがなかったしね。

3人だからこその魅力

——3人ともバー・イタリアを始める以前から他の活動もしていましたが、「バー・イタリアでしか得られない特別なものはなんですか?」と聞かれたらどう答えますか。

ジェズミ:まず“友達”ってところが大きいだろうね。音楽を作り始めたきっかけは友達同士だったからで、僕たちの音楽は一緒につるんで遊んでいたからこそ自然と生まれたものばかりだったと思うし。

ニーナ・クリスタンテ(以下、ニーナ):今作っている音楽はこの2人とじゃないと絶対作れないものだと思うし、そう信じている。だから私たちに特化した音楽になっているし、バー・イタリアのサウンドは私たち3人だけのものだと思う。

——ちなみに、バー・イタリアを始めるにあたって3人がシェアしていたアイデア、音楽的なテイストはどんな感じだったのでしょうか。

ニーナ:答えるのが難しいな(笑)。

ジェズミ:それよりもこの3人の場合、“共有できないものがある”ってことの方が重要なんじゃないかな。音楽について意見が合わないことの方が多いし、むしろお互いに自分の限界や境界線を広げあっているというか。

ニーナ:私の場合、テイストを共有するというより……一緒に音楽を作るのって、学生だったときを思い起こさせるところがあって。友達と同じものにハマって、好きなものに対して一緒に興奮する気持ちとか、子どものころに戻ったような気持ちになるところがあるというか。だから3人で曲を作っていて、そこにボーカルが入って最高の形でハマるとテンションが最高に上がるし、子どもみたいに無邪気でハッピーな気分でいっぱいになる。その感覚はこの3人でしか作り出せないものだと思うし、それが“お互いの境界線を広げていく”って話にもつながっていくんじゃないかな。

——ニーナさんはソロでも活動していますが、「バンド」に対して憧れがあった?

ニーナ:はい。誰かと一緒に何かをやるのが好きなので。

—これはカジュアルな質問ですが、例えば自分たちのレコードの隣に誰か好きなアーティストのレコードを置くとしたら、今の気分で何を選びますか。

3人:(お互いに顔を見合わせる)。

ニーナ:分からない(笑)。逆に、あなたなら何を選ぶ?

——昨日のライブを観た後だと、スウェル・マップス(Swell Maps)のファースト(「A Trip to Marineville」)とか……。

サム:クールだね。まさに昨日聴いていたよ。

——あとはソニック・ユース(Sonic Youth)……それか最初の2枚のアルバムの隣だったら、ヤング・マーブル・ジャイアンツ(Young Marble Giants)の「Colossal Youth」とか。

ジェズミ:いいね、みんな好きだよ。

——ここまで、バー・イタリアのルーツやリファレンスを知る手がかりとなるような具体的なバンドの名前が、みなさんの口からはなかなか出てこないんですけど(笑)。

3人:(笑)。

——やっぱり、何かと比較されたり、類型化されたりすることには警戒心がありますか。

ジェズミ:初めは悩んだけど、もう慣れたよ。自分たちのやること全てが誰かにたとえられたり、特定のバンドと関連付けて聴かれたりすることに腹が立つこともあった。でもよくよく考えると、比較されるバンドはどれも素晴らしいバンドばかりだなって(笑)。それに、僕たちがやっている音楽は誰とも似ていないって思えるようになれたっていうのもあると思う。

サム:そもそも、自分が聴いているバンドと似てしまうのは自然なことだと思うし、だから望むと望まざるとにかかわらず、そうなってしまう部分はあるんじゃないかな。

レコーディング環境とサウンド

——最初の2枚のアルバムではレコーディング・プロジェクト的な側面が大きかったバー・イタリアですが、昨年リリースされた2枚のアルバムでは「バンド」としての実体感やライブ・フィールを増したサウンドが印象的です。バー・イタリアを始めてからここまでの変化や成長についてはどんな手応えを感じていますか。

ニーナ:私たちは成長していると思うし、レコーディングの機会や時間も増えた。バンドを始めたころはみんな仕事を持っていたし、他にやらなきゃいけないこともあって。前にも同じようなことを聞かれた気がするんだけど、その時に私が、たとえプロフェッショナルになったとしても音楽を作ることに興奮しなくなったり、インスピレーションを感じなくなったりするようなことはない、みたいなことを言ったのを覚えていて。もしかしたら誰かの言葉の引用だったのかもしれないけど、でも(プロフェッショナルとして)真剣に打ち込むことで自分自身のことをより深く掘り下げ、もっと多くの時間を音楽に捧げることができるようになる。そしてその結果、いいスタジオを使うことができるようになったり、心から尊敬できる人たちと一緒に音楽を作る機会に恵まれたりするようになる。

今回、マルタ・サローニがミックス・エンジニアを務めてくれたのもそういうことだと思うし、前にジャズミの部屋で音楽を作っていたころには考えられなかったようなステップアップだったと思う。

——昨年リリースされた「Tracey Denim」と「The Twits」は共にマルタ・サローニ(ビョーク、ブラック・ミディ、ジ・エックス・エックス)がミキシングを手がけたアルバムになりますが、どんなところに制作のポイントを置いていましたか。

サム:「Tracey Denim」はいわゆるレコーディング・スタジオ、つまり音楽のために特化した環境で制作されたもので、「The Twits」はスペインの島にある一軒家——もとは馬小屋だったらしいんだけど、いわば“アコースティック”な質感を持った環境で制作されたものだった。だから環境がまったく違っていて、そういう異なるシチュエーションで音楽を作ることでどんな変化が生まれるのか、それを追求したいというのがあった。マルタは環境を生かすのがとても上手で、だからそうした環境の違いが音の強度や質感に現れていると思う。

ジェズミ:それと、「The Twits」はライブ感が強いと思う。レコーディング・ルームにマイクをたくさん入れたり、「Tracey Denim」のときにはやれなかったアプローチを試したりした。十分な機材がそろったのが初めてだったというのも大きかったと思う。

——“環境と音響”という話は、ローファイでアンビエントな感触を持った最初の2枚のアルバム、「Quarrel」と「Bedhead」のころのサウンドにも通じるポイントかもしれないですね。

サム:1枚目(「Quarrel」)のゴシック・フィールは、録音していた部屋の床が木だったという影響もあるかもしれない。その上でキャスター付きの椅子に座って作業をしていたから床がきしむ音だったり、あと下の階が肉屋だったから肉を切る音だったり(笑)、そうしたいろんなハウス・サウンドがレコーディングに入っていた。それと2枚目(「Bedhead」)はコンプレッサーで圧縮した音をたくさん使っていて、それに外が騒がしいビルでレコーディングしていたのもあって……そうしたバックグラウンドにある小さな音全てが後付けでテクスチャーを構成する一部になっていたんだと思う。たまたま起きた奇跡とでもいうかな。

ニーナ:そういえば、「The Twits」のレコーディングで不思議なことがあって。というのも、スタジオでは常にハミングのような音が聞こえていて、レコーディングは基本的に夜にやっていたんだけど、その音は夜になるとどんどん激しくなって。で、実はその場所全体がソーラーパネルで動いていて、その蓄電の音がハミングの正体だったという(笑)。でも、マルタはその音を消すのではなく、ちょっとした加工を施すことでサウンド・エフェクトの一部として取り入れようとしていた。実際にそれがどの程度作品にフィードバックをもたらしているのか分からないけど。

バンドの見え方/見せ方

——3人はアートスクール出身で、音楽以外の活動もされています。前に、ロンドンで合同のアート展を開催されたと記事で読みましたが、どんな作品を制作しているんですか。

サム:あの時はドローイングだった。僕たちはみんなそれぞれ絵を描いていて、ニーナは絵以外の活動もしている。でも僕たちの場合、絵を描くことが絆の一部になっているところがあって、絵のスタイルはそれぞれまったく違うけど、お互いの絵が好きなんだ。だから僕らの絵を集めて一緒に見せる展覧会をやったら面白いんじゃないかって思ったんだ。

——どんな絵を描いているんですか。

ジェズミ:僕は友達の絵を描いているよ(笑)。

——3人にとって、音楽とアートはどんな関係にありますか。

ジェズミ:僕にとっては別物かな。

ニーナ:私の場合はつながりがあると思う。

サム:潜在意識のレベルでは互いに影響を与えていると思うけど、実際に顕在化するのは2つの異なる領域のように感じる。

——ニーナさんはパーソナル・トレーナーや栄養士としての経歴もお持ちですが、そこにもつながりは感じますか。

ニーナ:音楽への影響はないと思う。でも、ツアーにはアスレチック的な側面があって、実際に体力が必要とされる部分がある。だからそういう意味では、関連していると考えるのがしっくりくるかな。それと、(パーソナル・トレーナーや栄養士として)自分が学んだたくさんの知識を通じて、パフォーマンスをする上でのルーチンや身体の使い方を作り上げてきたってところはあるかもしれない。

——ニーナさんの場合、「アートと健康」というのがテーマの一つとしてあるのかな、と。

ニーナ:そうですね、私自身のアート活動は健康と結びついていると思う。ただ、バー・イタリアで作る音楽とは結びついていない。私にとってアートと音楽の接点は、ミュージック・ビデオとかフライヤーとか、音楽に付随するあらゆる視覚的な表現からインスピレーションを得ているってところだと思う。

——例えば、昨年リリースされた2枚のアルバムをきっかけにメディアへの露出が増える中で、自分たちが“ビジュアル”としてどう映るか、バンドの見え方/見せ方みたいな部分について、何か考えたり意識したこと、あるいはナーバスになったりしたところはありましたか。

ジェズミ:正直、メディアで自分を見るたびに「俺って本当にバカな格好をしているな」って思うよ(笑)。朝起きて着替える時に、わざと「この服、笑えるな」みたいな格好をして外に出て写真を撮られて、それを後で見て「なんて格好をしてんだろう!」って驚くこともあったり(笑)。

サム:俺たちは2人とも昔から、どっちがダサいコーデができるか競い合っているところがあって(笑)。どっちが長いベストを着るかとか、どっちがスキニージーンズをはくかとか(笑)。

ニーナ:私は“イメージを作り上げていく”というアイデアが好き。だから2人の “クリエーション”を横で楽しんでいる(笑)。

——お決まりの質問ですが……好きなブランドはありますか?

サム:ノー、ノー、ノー、ノー(笑)。

ニーナ:バー・イタリアの外ではファッションを楽しんでいるけど、でも好きなブランドを挙げていったらキリがない。それに、もしブランド名を言ったらそれを買わなくちゃいけなくなっちゃうし(笑)。

——昨日のステージではニーナさんの衣装もすてきでしたが、例えば自分にとっての“ヴィジュアル”のアイコンみたいな存在はいますか。

ニーナ:私のおばあちゃん。サムはマドンナみたいだけど(笑)。でも、女性のパフォーマンスは好きだし、とても惹かれます。

■「The Twits」
01. my little tony
02. Real house wibes (desperate house vibes)
03. twist
04. worlds greatest emoter
05. calm down with me
06. Shoo
07. que suprise
08. Hi fiver
09. Brush w Faith
10. glory hunter
11. sounds like you had to be there
12. Jelsy
13. bibs
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13700

The post ロンドンのバンド、bar italia(バー・イタリア)が語る「創作の秘密」 “共有できないものがある”ことが重要 appeared first on WWDJAPAN.

毎年3割増と安定成長をキープ ノーズショップ代表が語る20代がけん引する日本のフレグランス市場

PROFILE: 中森友喜/NOSE SHOP代表

中森友喜/NOSE SHOP代表
PROFILE: (なかもり・とものぶ)香水キュレーター、香水翻訳家、香水起業家。2017年、世界各国の新進気鋭のニッチフレグランスブランドを紹介する香水のセレクトショップ「ノーズショップ」を設立。取り扱うすべての香水のセレクトとストーリーの翻訳を手掛け、その取り扱い品種の幅広さと香水文の翻訳量は日本随一を誇る。世界中の香水クリエイターとも良好な関係を築いている。かつて「香水砂漠」とさえ呼ばれた日本の香水市場の改革者・第一人者として、現在、日本全国に12店舗のショップを構え、世界18カ国から約50ブランド、約700種類の香水やルームフレグランスをセレクトして販売している。日本における香水文化のさらなる認知拡大に向け、香りにまつわるさまざまなサービスを展開している

コロナを機に日本のフレグランス市場が拡大している。富士経済によると、ここ数年のフレグランス市場は、毎年伸長率が約10%と好調。一部のマニアのものとされてきたニッチフレグランスも次々と日本に上陸している。フレグランス売り場を拡大する百貨店や商業施設も多く、フレグランスの売上高が前年比50%増という店もあり、売れ筋商材としての存在感を増している。日本におけるニッチフレグランス市場を牽引してきたのが香りのセレクトショップ「ノーズショップ(NOSE SHOP)」だ。2017年にニュウマン新宿に初店舗をオープンし、現在では日本全国に12店舗を構えている。中森友喜NOSE SHOP代表に、ノーズショップの商況や売れ筋、日本のフレグランス市場について聞いた。

フレグランスに関心を持つ20代が増加

WWD:ここ数年のノーズショップの売上高の伸長率は?

中森友喜NOSE SHOP代表(以下、中森):前年比30%増という安定的な成長を目指しており、コントロールしながら運営している。2022年は前年比36%増、23年は同34%増、24年は39%増を予定している。

WWD:店舗数及び取り扱いブランド数は?

中森:19年末の時点で全国4店舗だったが、23年に10店舗、24年に12店舗になった。物流等あらゆる面で負担がかからないペースで、年間2~3店舗出店している。ブランド数は、2カ月に1ブランドの導入し、年間6~8ブランド程度を新規で増やしている。現在の取り扱いブランド数は66、約800種類。在庫は自社でコントロールし、できる限り、商品の取り扱い中止はせずに香りの種類を増やすようにしている。

WWD:どのような層が購入するか?

中森:拡大改装した渋谷店は若い層で賑わっている。全体的に20代が増えており、ファッションの1部、メイクの1部として香水が必需品になっていると感じる。次に30代、40代で、女性が7割、男性が3割。百貨店などでは、男女比率が半々という店舗もある。インバウンド比率は2~3割だが、銀座や麻布台の店舗はインバウンド客が多く、4~5割だ。

消費者の香りに対する解像度がアップ

WWD:好調なブランドは?

中森:前年比40~50%増と絶好調なのがフランス発「メゾン マティン(MAISON MATINE)」だ。専属のイラストレーターがいて、フレグランスごとにボトルにはユーモラスなイラストが描かれているのが特徴。面白いネーミングや性別問わず使用できる香りで、価格も手頃なためファーストフレグランスに選ばれることもある。お風呂上がりのようなフレッシュな香りの“プンプン”、お茶系の“ワルニ ワルニ”などが人気。ピーチをベースにした“あらしのうみ”は、新定番ともいえるトップセラーだ。同じく、フランス発「エッセンシャル パルファン(ESSENTIAL PARFUMS)」も同40~50%増と好調。一流調香師が手掛けるニッチでこだわりのある香りなのにも関わらず、価格も比較的手頃。ニッチフレグランスが高くなりすぎた今、高品質のものを手に取りやすい価格でという創業者の姿勢が支持されている。人気の香りは、“ナイス ベルガモット”や“ボワ アンペリアル”など。人と違う香りを探している20代の購入者が多い。日本で約10年程度輸入販売しているイタリア発「ラボラトリオ・オルファティーボ(LABORATORIO OLFATTIVO)」は同10〜20%増。ムスクの柑橘系で爽やかだが、香り立ちが変わる穏やかな香りの“ニードユー”やエジプト神話の中の神聖な花の香りの“ヌン”などが好調。夏は、シンプルだが深みのあるブラッドオレンジの香り“アランチア・ロッサ”が人気。長年販売しているということもあり、人気が安定している。

WWD:好調ブランドの中心価格帯は?

中森:フルボトル(50mL~100mL)で2万〜2万円半が中心価格帯。10mLのミニボトルやディスカバリーセットなど、1万円前後のものはトライアルやギフト需要で動く。

WWD:ここ最近人気のフレグランスの傾向は?

中森:世界的にグルマンの甘い香りが人気で勢いを感じる。昨年取り扱いをスタートした「ピエール・ギョーム(PIERRE GUILLAUME)」は、グルマンの貴公子と呼ばれる存在で人気が高い。まるで、生菓子のような印象だが、香水として美しく香るのが特徴だ。幼少期の朝食の思い出を表現した“ムスク マオリ”はホットチョコレートが香る人気のアイテム。ムスク系も人気が高い。ニューヨーク発「ノーメンクレイチャー(NOMENCLATURE)」は天然香料ではなく、敢えて合成香料にフォーカスし数々の名香を生み出す芳香分子に着目したブランド。合成ムスクを使用した“アデレット”は肌馴染みがよく売り切れになったこともある。日本の“シソ”を清涼感たっぷりに表現した“シソー”は、通常のミントなどの爽やかな香りと一味違って人気だ。また、タバコ、シャンパンやジンなどのお酒といった香りへの注目も高まっている。消費者の香りに対する解像度がアップしており、一歩、二歩先の香りを求める傾向にある。

コロナ以降生まれた香りのマイクロトレンド

WWD:フレグランス市場および消費者動向の変化は?

中森:日本人にとって強い香りはマナー違反的に思われていたが、コロナ禍になってマスクにより香りを意識しなくても良くなった。自宅で、自分の好きな香りをまとう人が増えた。コロナ以降、人気のものから個性的な香りまで、いろいろな香りがマイクロトレンドとして売れるようになった。コロナが落ち着き、マスクを外すと巻き返しがあるかと思ったら、それはなく、個性的な香りへの需要が広がりつつある。ビジネスとしては、売れ筋の予測が立たず難しいが、文化的な視点からは、香りの好みの多様化は歓迎すべき現象だ。

WWD:日本のフレグランス市場についてどのように分析するか?

中森:香水のニュースが多く、“香水砂漠”から喜ばしい市場に変化しつつある。ポジティブに捉えているが、市場規模はまだ小さい。20~50代を対象に香水を使用しているかを調査したところ、その割合は3割以下だ。また、盛り上がっているのは東京や大阪が中心で、地方はこれからだと感じる。ブームとして終わらせたくないので、香水が嗅覚のエンタメであり、それを届けるニッチフレグランスを知ってもらえるよう地道に努力したい。

WWD:今後どのような取り組みを強化するか?

中森:中森:香水市場で、業界のリーダーやプレイヤーが増えてきた。ラグジュアリー・ブランドもどんどん参入し、盛り上がっている。その中で、ニッチフレグランスらしさを伝えていく。ブランディングや体験価値を向上させるための情報発信や、商品、店舗設計、サービスで、個性を磨きながら行うのが大切だ。

The post 毎年3割増と安定成長をキープ ノーズショップ代表が語る20代がけん引する日本のフレグランス市場 appeared first on WWDJAPAN.

グラフィックデザイナー・八木幣二郎 新作個展で考えた「デザイナーの責任」と「未来に対してすべきこと」

PROFILE: 八木幣二郎/アートディレクター、グラフィックデザイナー

PROFILE: (やぎ・へいじろう)1999年、東京都生まれ。グラフィックデザインを軸にデザインが本来持っていたはずのグラフィカルな要素を未来からの視線で発掘している。ポスター、ビジュアルなどのグラフィックデザインをはじめ、CDやブックデザインなども手掛けている。主な展覧会に、個展「誤植」(2022年/The 5th Floor)、「Dynamesh」(22年/T-House New Balance)、グループ展「power/point」(22年/アキバタマビ 21)がある。

1999年生まれのアートディレクター兼グラフィックデザイナーの八木幣二郎。3DCG 用ソフトウェア“Zbrush”を駆使し、本やパンフレットの装丁からポスターやフライヤー、レコードのジャケットのデザイン、展示会場のディレクションなど、グラフィックデザインを中心に幅広く活動し、唯一無二のデザイン様式を創り上げている。

7月10日まで東京・銀座の「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」(以下「ggg」)」で個展「NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」が開催中で、1階ではSF的な設定に基づく架空の印刷会社「NOHIN(ノーヒン)社」の CI(コーポレート・アイデンティティー)をさまざまなアイテムや資料で展開。地下1階では、八木が尊敬する日本のグラフィックデザイン史を彩る巨匠デザイナー10人の傑作ポスター18点と共に、八木がそれぞれのポスターを再解釈し、3DCGで制作した新作を展示している。

今回、同展の話を起点にグラフィックデザインに対する自身の考えを聞いた。

「デザインの力」を考える

——個展は、2022年に発表した「The 5th Floor」での個展「誤植」以来かと思います。いつごろから本展の企画が進み始めたのでしょうか?

八木幣二郎(以下、八木):お声掛けいただけたのは、2年ほど前ですね。2022年に渋谷パルコの「パルコ ミュージアム トーキョー」でアーティストの布施琳太郎さんが個展「新しい死体」を開催したときに、今回の展示の企画者である亜洲中西屋の中西夫妻とお仕事をご一緒する機会があり、お2人を介して「ggg」とのご縁をつくっていただいたのがきっかけとなりました。でも実際に開催が決まってみると、自分にとっては畏れ多い場所なので、展示の話を進めていくうちに、どんどん現実味を帯びてきて焦りも感じてましたね。

——「ggg」の従来の展示といえば、過去の代表的な制作物の展示に加えて新作の展示を発表するイメージですが、今回は1階から従来の展示形式から逸脱していますね。「架空の企業を作る」というのは、一見大喜利的にも見えますが、どのような想いがあったのでしょうか?

八木:展示コンセプトが決まってからというもの、ずっと「デザインの力」について考えていました。小谷充さんの著書の「映画のなかのロゴマーク 視覚言語と物語の構造」 に書いてあるような、映画——「モンスターズ・インク」「七人の侍」「20世紀少年」などの中でどのようにデザインが登場人物に作用しているか考えていて。同時に、もし社会や人を動かす力がグラフィックデザインにあるとしたら、3DCGを用いた自分のグラフィックデザインは今の国内のグラフィックシーンの文脈において、どこに属していてどのように扱われていくんだろう……と漠然とした不安も感じていました。

——八木さんから見る、今の国内のグラフィックシーンの文脈というのは?

八木:よく他の分野の友達に「グラフィックデザインとは」と聞かれたときに、自分なりに考えるざっくりとした3軸の分け方があります。もちろん、それぞれのデザイナーは、いくつもの文脈を踏まえた上で実践に及んでおられるのだと思いますが、まず一つの軸が、中島英樹さん、秋山伸さん、田中義久さんなど物質的なものに多様なアプローチを仕掛ける方々、二つ目の軸が工芸的な手法で文字や文様を扱う佐々木俊さん、小林一毅さん、鈴木哲生さんなど、三つ目が工作舎の系譜で、図形的に文化史的な背景を取り込むことに巧みな杉浦康平さん、羽良多平吉さん、戸田ツトムさんというふうに分類できるんじゃないかなと考えています。そのように分けると、どうも自分のグラフィックデザインはいずれの延長線上にもないように感じていて。

——八木さんと言ったら、3DCGを使って独自の道を歩んでいる印象があったので、これまでの話は意外ですね。

八木:今の自分のデザインがどのグラフィックデザインの文脈にも当てはまらないのであれば、せっかく「ggg」で展示できるのだから、これを機にグラフィックデザイン史に新たなレールを引かなきゃなという思いがありました。その思いをきっかけに、架空の企業「NOHIN」をねつ造して、現在、そして未来から見ても、過去に3DCGを使ったグラフィックデザインが存在したことを証明するような、オーパーツ(間違った出土品)的な資料展示形式を取りました。

——今回の展示のテキストにもあった「グラフィックデザインは嘘を本当にできる」という考え方にもつながってきそうですね。

八木:そうですね。デザインの力を考える中で、プロパガンダデザインについてもあらためて勉強しました。公に語られることはあまりありませんが、ナチスドイツのグラフィックデザインは非常に重要で、デザイナーとしては、どうしても考えざるを得ない。歴史的な事実としてあれだけ人々を動かしたにもかかわらず、結局デザイナーの責任は問われないじゃないですか。最初に扇動された10代後半〜30代前半の若者が興味を持って、徐々に上の世代も興味を示すような構造は、ある意味、広告戦略そのものだと思います。デザインの力がどのように作用し、そこで果たして自分に何ができるのか。そうしたデザイナーの責任や未来に対してすべきことを考えた結果としての展示発表でした。

意識的にこれまでやっていない量とサイズに挑戦

——1階も地下1階も全て新作展示ですか?

八木:そうですね。3DCGを主に使っていきたいという気持ちがありつつも、正直ここ数年、アウトプットできる手札に詰まっていた時期がありました。バリエーションが出せないというか。かといって、3DCGを使わない選択肢を取ると、先ほど言った3軸とも交わらない上、どこに軸足を置いてよいか分からなくなるという危機感もあって。スランプを乗り越えるためにも、今回の展示では苦しみながらも、とにかく量を作っていきました。

——デザイン史の変化で言うと、デジタルフライヤーやSNSなどアウトプットする形態も変わってきていると思います。今回は、特に地下1階の展示含めて印刷物が多かったですが、意識的な取り組みだったのでしょうか?

八木:体感的に、展示で制作したようなB1判〜B0判サイズのポスターって、この先制作できる機会がどんどんなくなるんじゃないかなと感じていて。もちろん平面構成を美大受験のときに勉強したり、大学では烏口(※均一な太さの線をひくための描画用具)で線を引いたり、フライヤーやポスターの作り方を授業で習うこともありましたが、いざ卒業したら環境として紙を触る機会はまれでした。今、そうした時代の流れもあってか、同世代のグラフィックデザイナーの作品を見ていると、逆にデジタルフライヤーに紙のテクスチャーを乗せる手法が流行っています。紙の必要性が失われているからこそのちょっとした渇望というか。

——物質が必要なくなっている時代だからこそ、物質性をデザインの中で求めているのですね。

八木:でも個人的には、グラフィックデザイナーとグラフィックアーティストの明確な相違点に、紙との関係性があるように思っていて。デザイナーは、やっぱり紙について考える仕事なんじゃないかなと。その端境(はざかい)期に活動している自分としては、この機会を逃したら大判印刷のデザインに取り組むこともないように思えて、初めて挑戦する量とサイズ感を意識的に設定しました。

——10人の巨匠によるポスターは、ご自身でセレクションされたのでしょうか? 未来的なメッセージが多いように感じました。

八木:お借りできなかったものもありますが、自分で選びました。展示全体として、会場の音楽もしかり、万博のパビリオンのような雰囲気を目指しました。「月の石展」や「ツタンーカーメン展」の告知ビジュアルに映っているような未知のものが、本当に会場で見られたときの驚きを作りたいなと思って。地下1階にオリンピックや万博、ワールドカップなど、これまでのグラフィックデザイン史において重要な画期となったポスターを展示して。1階では今回の展示のキービジュアルにフルCGで描かれているオリジナルのプリンターが、本当に実在するような構成にしました。

——巨匠たちの作品の横に自分の作品が並ぶというのは、制作するときから緊張感がありそうですね。

八木:そう思っていたのですが、いざ冷静にAdobe上のツルっとした平面上で彼らのポスターデザインを見たら、意外にも制作がスムーズに進みました。データとしてデザインを見ることで、印刷によるテクスチャーの視覚効果がどのように使われているのかも新鮮に気付くことができました。当時の印刷のインクを調べると、今では使えないような有害物質が含まれたものも使われていることもあり、でもそのおかげで今も褪色していないとか。巨匠たちのグラフィックデザインから刺激を得ながら、自分の作品へとアウトプットしていけました。

スランプからの脱出

——先ほど話していたスランプからは、量を作っていくことで最終的に抜け出せましたか?

八木:実は、ちょうど地下1階のポスターの1〜2枚目を作っているときがスランプ真っ只中でした。「The 5th Floor」での個展を発表したころに自分のCGへの限界値を感じていて。そこから1年間ほど、CGを封印してAdobeソフトを使いながら、ちゃんと基礎からデザインを洗練させる期間がありました。そこを経て、CGにもう一度触れたら、うまく融合できることがあるんじゃないかと考えていたのですが、逆に全くCGが作れなくなってしまって。

「NOHIN」展の制作を始めるころは、ちょうど徐々にCGの感覚が取り戻せて少し俯瞰して技法や自分を見れるような時期だったこともあり、1〜2枚目で手が詰まってしまって。それでも日々葛藤しながら作り続けたら、なにか吹っ切れたように3〜4ヵ月で一気に16枚以上作れました。

——吹っ切れたきっかけは、どこにあったのでしょうか?

八木:今回の展示は架空の「NOHIN」というクライアントはいるものの、レスポンスが返ってくるわけでもなかったので、とにかく自問自答で正解を出していくうちに自然と吹っ切れましたね。いつも友人のアーティストの展示にグラフィックデザイナーとして関わるときは、デザイン視点でキュレーションに対して話を進めています。ハンドアウトから見たときの会場のレイアウト、サインを置く場所など一緒に複数人と相談して決めていたわけですが、当たり前ですけど、今回はそうした判断も自分に委ねられていました。ある意味山ごもりに近い環境に自分を置くことで、吹っ切れたんだと思います。

——制作時は、完成形を想像しながら手を動かしていくのでしょうか?

八木:そうですね。料理のレシピのように、自分専用のテクスチャーメモが手元にあってそれを見返しながら作りたいテクスチャーを形にしています。これまでに手を動かしながら、見つけたやり方も書いてあれば、ほかの方のデザインや写真を見て解析した技法もメモしています。

今回の展示で言うと、戸田ツトムさんによる寺山修司主宰の劇団天井桟敷公演「観客席」に並べたポスターでは、一般的にゲームエンジンとして使われる「UnrealEngine」でベースを作ってレンダリングして、その画像をいかにテクスチャーとして落とし込むか模索していきました。もともとテクスチャーフェチなところもあるので、普段SNS上では失われてしまう解像度のディテールを存分に印刷で実現できる過程は楽しかったです。

——八木さんらしいグラフィックデザインの一つに、テクスチャーへのこだわりがありますよね。

八木:幼少期からSF映画や漫画、ゲームが好きで、デザイナーよりも先に、クリーチャーを作るコンセプトアーティストになりたいと思ってました。中でも小学生低学年のときに読んでいた、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」からの影響は大きいです。小学生のころは、休み時間になるとずっと「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画を読んでは、自分も模写したりオリジナルの妖怪を描いたりして。水木しげるが描く妖怪や背景のテクスチャーは好きでしたね。

——これまで美術系のお仕事が多かったと思いますが、今回の展示を機にいろいろと自分の中のジレンマから解放されて、今後はどのような仕事をしてみたいですか?

八木:今回の展覧会のために制作したポスターのようなグラフィックデザイン(紙と触れる印刷仕事)と並行して、1階の展示のようなアートディレクション(印刷のためのルール作りやCIなど)もやりたいです。「バレンシアガ(BALENCIAGA)」や「エリオット エミル(HELIOT EMIL)」などファッションにも興味があるので、ブランドのディレクションにも入りたいですし、小さいころから好きなSF映画、アニメの仕事もやってみたいですね。CGデザインを使った街のサイン計画制作にも興味があります。3DCGのソフトだけではなく、さまざまなソフトや技法を自分の中でアップデートさせながら、あらゆるジャンルでグラフィックデザイナーとして活動していきたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■ ギンザ・グラフィック・ギャラリー第402回企画展「八木幣二郎 NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」
会期:5月24日〜7月10日
会場:ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
住所:東京都中央区銀座 7-7-2 DNP 銀座ビル 1F/B1
時間:11:00〜19:00
休日:日曜・祝日
https://www.dnpfcp.jp/gallery/ggg/jp/00000831

The post グラフィックデザイナー・八木幣二郎 新作個展で考えた「デザイナーの責任」と「未来に対してすべきこと」 appeared first on WWDJAPAN.

トリンドル玲奈が語る新たな自分 「やっと人と違うことを楽しめるようになった」

PROFILE: (とりんどる・れいな)1992年1月23日生まれ。オーストリア出身。雑誌の専属モデルとして活動を始め、バラエティー番組や広告などに出演。2012年にドラマ「黒の女教師」で俳優デビュー。映画「リアル鬼ごっこ」で第19回ファンタジア国際映画祭・最優秀女優賞を受賞。近年の出演作品に、ドラマ「ウソ婚」「不適切にもほどがある!」「イップス」、初舞台出演「OUT OF ORDER」がある。情報番組「ひるおび」金曜日午前レギュラー出演中

栗色のボブスタイルが印象的だったトリンドル玲奈は今年、ベリーショートへと大胆なイメージチェンジを遂げた。憧れの女性にオードリー・ヘプバーンら1960年代の俳優をあげ、フランソワーズ・サガン原作の映画「悲しみよこんにちは」の主役を演じたジーン・セバーグの写真を目にしたことがきっかけでヘアカットをしたという。初舞台への挑戦や結婚など新たなステージに立つトリンドルに、ファッションやメイクへのこだわりや「周りの人と同じであろうとしていた」という意外な過去まで話を聞いた。

WWD:大胆なヘアカットをしたきっかけは?
トリンドル玲奈(以下、トリンドル):母から「ベリーショートが絶対に似合う」と言われたことです。実は2年前にジーン・セバーグの写真を見てから、いつか切りたいと思っていました。今年に入ってから髪をアップにまとめることが多く、もしかして短くてもいいのではないかと思い、美容師さんと相談して心を決めました。

WWD:普段のメイクやファッションに変化はあった?
トリンドル:とても変わりました。ベリーショートにしてから、目を主役にしたアイメイクが楽しいです。特にアイラインを描くのが大好きで、赤みの強いブラウンをしっかり引いたり、ほんの少しつけまつげを付けたり。今日の撮影ではブルーのアイシャドウをのせてもらい気に入っています。リップの色は控えめに、ベージュ系でぷるんとさせるのがマイブーム。眉毛も平行でないと嫌だったのが、最近は自眉の形を生かした女性らしいアーチ状にしています。眉毛が骨格に沿っていた方がきれいなんです。ファッションも肌が少し見えていたり、フレアやウエストマークなど骨格を強調するシルエットだったり、女性らしくエッジが効いたものがしっくりくるようになりました。

素肌の艶を生かしたスキンケアに夢中

WWD:普段のスキンケアルーティンは?
トリンドル:最近は「ミース」の化粧水とナイトクリームを使っています。化粧水で2、3回ぐらい繰り返し保湿すると、肌本来の艶が出る気がします。ハマっているのは、「カネボウ」のふき取り化粧水。母のおすすめで数日使ってみたら、洗顔だけでは取れなかった汚れが落ちて、肌が柔らかく“ちゅるん”ってなったような気がするんです。髪形もスキンケアも母の提案ですね。日中は日焼け止めを必ず塗ります。少しトーンアップするものが好きで、韓国ブランドの「ダルバ」の日焼け止めが素肌の艶を生かしてきれいに仕上げてくれるのでお気に入りです。

WWD:憧れのビューティミューズは?
トリンドル:髪を切るきっかけになったジーン・セバーグ以外にも、オードリー・ヘプバーンやミア・ファロー、ウィノナ・ライダーの写真をたくさん保存して眺めています。共通するのは、ショートカットでありながら品があること。その人自身の美しさが出ていて魅力的です。フェミニンな服装も多く、ヘアスタイルとファッションのバランスを参考にしています。

日々の過ごし方が美しさにつながる

WWD:30代になり、美しさについて考え方の変化は?
トリンドル:日々の過ごし方が顔に出ると気づきました。もちろん美容のアプローチも楽しくて好きなのですが、毎日の生活や食事が大切だと考えています。特に周りの人を大切にすること。夫や家族、友人、ファンの方、撮影やお芝居のスタッフの方々、今の自分を好きでいてくれる人を大切にして、こちらも好きでいると良い関係が生まれて、幸せな気持ちになります。少し嫌なことを言われたりしても、全く気にならなくなりました。

WWD:もともとは周囲を気にすることが多かった?
トリンドル:実は髪を切る前日も、とても悩んでいたんです。私は前髪を少し短く切りすぎるだけでも、鏡の前で気にするようなタイプで、子どものころから周りの人と同じでいたい性格でした。派手なことやみんなと違うことは好まず、髪形もみんなと同じでいいと思っていたんです。それでも夫が「断然ベリーショートの方がいいよ」と言ってくれて、切り終えてからも「かわいいね」と言ってくれる。最近はささいな褒め言葉でもちゃんと真に受けて、うれしい気持ちになっちゃおうと思っています。

WWD:自分らしさを楽しみ始めた。
トリンドル:みんなと同じでいようとすると、他の人が何をしているのか気になってしまうんですよ。でも今はメイクも服も自分の目で見て、着てみて、試してみて、それから似合うものを選ぶのですごく楽しい。みんなと一緒じゃなくてもいいかもって、32歳になってやっと思えました。


MODEL : REINA TRIENDL, ART DIRECTION : RYO TOMIZUKA, PHOTOS : YOSHIYUKI NAGATOMO, STYLING : MIYUKI UESUGI(SENSE OF HUMOUR), HAIR & MAKEUP : KENJI TAKAGAKI(SHIMA)
フーディー13万6400円/ニューナウ(press@landnk.co.jp)、ドレス8万5800円※参考色/カナコサカイ(info@kanakosakai.com)、ブーツ9万7900円※参考価格/ガニー(customerservice@ganni.com)、中に着たボディースーツ/スタイリスト私物 

The post トリンドル玲奈が語る新たな自分 「やっと人と違うことを楽しめるようになった」 appeared first on WWDJAPAN.

ドリス・ヴァン・ノッテン、最後のショーを前に心境を語る

「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」は、パリ時間の6月22日20時半(日本時間23日3時半)から2025年春夏メンズのショーを開き、創業デザイナーのドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)が手掛ける最後のコレクションを発表する。アントワープでその準備を進める彼に話を聞いた。

「緊張はこれまで通り、いやそれ以上にかもしれない。もちろんプレッシャーがあるからね。皆の期待値は高いだろう」。そう語るドリスは今、激しい感情の浮き沈みを感じている。そして、インタビュー前日にコレクションの最終チェックを終えた彼は「全ての服がそこに吊り下げられているけれど、ある意味、難しくもあった。いつもなら、色彩の進化や6つのラックに吊るされた見せたいもの全てと向き合う瞬間を楽しんでいる。けれど、これが最後だと気付くと、その瞬間、『あまりいい決断ではなかったかもしれない』と思った」と明かす。

今年3月、38年間ブランドを手掛け続けてきたドリスが退任するという発表は、多くの業界人やファンに衝撃と動揺をもたらした。現在66歳のデザイナー自身も、ショー後に自分がどんな気持ちになるか分からないと認め、「『あぁ、これが私にできる最高の決断だった』と思う日もあれば、『何て決断をしてしまったのだろう』と感じる日もある」 と話す。「もちろん、たくさんのことを恋しく思うことになるだろう。ただ一方で、私は『ドリス ヴァン ノッテン』とつながり続けていく。完全にブランドから離れてしまうわけではなく、アドバイザーのような役割を担うことになる。メイクアップとビューティで忙しくなりそうだし、店舗デザインにもまだ関わるつもりだ……けれど、コレクションは、もう私の仕事ではなくなる」。

最後のコレクションについて聞かれたドリスは多くを語らなかったが、懐古的なものにはならないとし、次のように答えた。「考えたのは、振り返らないということだった。もちろん、私のことを知っている人なら、再び登場する特定のテーマや小さなディテール、要素に気づくだろう。でも、このコレクションは数歩前に進んだものだ。ノスタルジックにはなりたくなかったので、未来を見据えて、素材の実験的な試みなどを多く取り入れている」。そんなコレクションを披露する今季最注目のショーには、多くの同業デザイナーも駆けつけると見られる。

ドリスが大切にしてきたファッションショー

ドリスは、イメージを作り上げ、ストーリーを表現する場として、ファッションショーをとても大切にしているデザイナーだ。広告を打たない姿勢を貫いてきた(実は80年代に一度雑誌に広告を出したことがあり後悔している)彼は、新型コロナウイルスのパンデミックで断念せざるを得なかった2年間を除き、メンズは1992年春夏から、ウィメンズは94年春夏からずっとショーを続けてきた。

そして、彼は「周年」よりもショーを継続してきた「通算回数」を重視している。50回目となった05年春夏は、シャンデリアが吊るされた空間で140メートルの長い食卓をランウエイに見立てた印象的なショーを開催。100回目となった17-18年秋冬は、過去に同ブランドのショーを歩いたモデルと現役モデルをミックスし、過去のコレクションで用いたお気に入りのパターンの上にグラフィカルなプリントを重ねたコレクションを見せた。また05年には全50回のショーを、17年には全100回のショーをまとめた本も出版している。

今回、ショー数日前に届いたインビテーションは、メタリックシルバーの背景に白字で「LOVE」と書かれたものだった。服をこよなく愛し、多くの人々に愛されてきたドリスは、最後にどんなショーを見せてくれるのか。期待が高まる。

The post ドリス・ヴァン・ノッテン、最後のショーを前に心境を語る appeared first on WWDJAPAN.

朝倉未来が手掛ける「マタン アヴニール」の新クリエイティブ・ディテクターに岩谷俊和が就任

プロ総合格闘家でYouTubeでも活躍する朝倉未来が⼿掛けるファッションブランド「マタン アヴニール(MATIN AVENIR)」のクリエイティブ・ディレクターにファッションデザイナーの岩⾕俊和が就任した。6月21日から、岩⾕俊和監修によるティザームービーとキーヴィジュアルの公開と共に、公式オンラインショップでカプセルコレクションの販売を開始。さらに、10⽉発売のメインコレクションでは様々なブランドとのコラボレーションも予定している。

今回、YouTubeの特別企画として村上要「WWDJAPAN」編集長が岩谷デザイナーと朝倉選手にインタビューを実施。朝倉選手が“動けるおしゃれ”をブランドコンセプトに掲げた原点や、岩谷デザイナーが就任した経緯、今後のブランドの展開などを聞いた。

岩⾕デザイナーは、2003年春夏東京コレクションで「ドレスキャンプ(DRESSCAMP)」でデビュー以来、パリコレクション、アメリカ、中国、香港、ベトナムなどの国でコレクションを発表。そのほか、ウォッチ&ジュエリーメゾン「ピアジェ(PIAGET)」やコスメブランド「M・A・C」のクリエイションに携わるなど、ファッションにとどまらず幅広く活躍している。

The post 朝倉未来が手掛ける「マタン アヴニール」の新クリエイティブ・ディテクターに岩谷俊和が就任 appeared first on WWDJAPAN.

ユナイテッドアローズ、辺見えみりとブランド始動 “新大人マーケット”開拓目指す

ユナイテッドアローズ(以下、UA)はこのほど、女優の辺見えみりをディレクターに迎えた新ウィメンズブランド「コンテ(CONTE)」を関係者向けに披露した。豊洲の海沿いに設えたコテージのような空間にファーストコレクションの全70型を並べ、肩の力が抜けたモードな世界観を表現した。商品は8月からECサイトで先行受注会を受け付け、9月に一般販売を開始する。

ユナイテッドアローズは、中長期経営計画に「UAマルチ戦略」を掲げ、2033年までにアパレル領域の新規事業で売上高400億円を目標値に事業ポートフォリオの拡充に注力している。その一端を担う「コンテ」は、トラッドをベースにモード感を加え「UA社ではまだ取りきれていない40代を中心とした“新大人マーケット”を狙う」(神永和洋ブランドビジネス本部SBU部コンテ課課長)。価格帯は基幹事業の「ユナイテッドアローズ」と、ハイエンド業態の「ドゥロワー」の中間に位置し、コート7万~15万円、ジャケット4万5000~6万円、パンツ2万~5万円、スカート2万~5万円、ワンピース3万~6万円、ニット2万~4万円、シャツ・ブラウス2万~4万円、Tシャツ・スウェット1万~3万円。神永課長は、「『UA』ほどトラッドすぎず、『ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ(BEAUTY&YOUTH UNITED ARROWS以下、BY)』ほどカジュアルすぎない間のテイストが狙いだ。テイスト軸でもターゲット軸でもまさに辺見さんが適任だと考えた」と経緯を話す。辺見は過去にベイクルーズの「プラージュ(PLAGE)」のコンセプターや自身のアパレルブランド運営の経験もある。

自然体でいられる優しさとモード感を大事に

辺見は「自然体でいられるような優しさがありながら、どこかにピリッとするようなもモード感を大事にした」という。生地やディテールでメンズライクな要素を取り入れつつも、柔らかな色味やシルエットが強み。オリジナル商品を中心に、「ジルサンダー(JIL SANDER)」のバッグやシューズ、ジュエリーブランド「ヨン(YON)」の別注アクセサリーなど辺見がセレクトした仕入れブランドも一部取り扱う。

辺見は現在47歳。「年齢を重ねる中で、自分が本当に欲しいと思える服が少なくなってきた」ことが原動力になった。コンセプトは“ヌーベルベージュ(新しいベージュ)”。「元々ベージュがすごく好きだったが、年齢を重ねるごとに肌の色が変わり映える色味が変わってきた。女性の美しさや艶っぽさを引き出してくれる新しいベージュを提案したいという思いをこめた」という。そんな辺見が理想とするベージュを表現したのが、カットジャカードのベスト(3万5200円)とパンツ(3万9600円)のセットアップだ。華やかさがありながらも、優しい色味のバランス。生地は辺見自身が桐生の工場に訪れ、いちから企画した。

「コンテ」のテイストを方向付けてくれたというコート(7万9200円)は、梳毛を平織りしたメンズライクな生地を用い、緩やかにカーブを描くシルエットが女性らしさを醸し出す。「トレンチコートはもう持っているし、ちょっと飽きてきている感覚もある」と振り返り、取りはずし可能な太めのベルトでデザイン性を加えた。ダブルフェースで仕上げることで実現した軽さも魅力だ。コートをはじめファーストコレクションで使用した生地は9割が国内産。「品質はもちろん、経年劣化も愛せるような基準で生地を選んだ。そうして世代を超えて長く着てもらうことが、私の提案したいサステナブルだ」と話す。

「いちタレントブランドでは終わらせたくない」

スカートは「大人になるとフェミニンすぎると恥ずかしい」と話し、上記のコートと共地で企画し、上品なフレアが広がるAラインに仕上げている。シルエットやディテールも、辺見の実体験に基づき40代以上の女性が抵抗なく着られる肌の露出を追求した点もポイント。例えばベストでは、「どうしても厚みが出てくる」という肩は生地にハリを持たせてゆるやかな逆三角形を描くことですっきりとしたシルエットに。素肌に重ねたアクセサリーが映える襟元もこだわりだ。「首回りは特に難しい部分。アイテム1点1点ベストなバランス感を追求した」という。トレンドのシアー素材を用いたシャツは、キャミソールとセットアップで提案する。

構想期間は約2年。辺見は週に2〜3日程、終日UAオフィスに出社し企画チームと一緒になって「コンテ」を作り上げた。「いちタレントブランドでは終わらせたくない。ブランドを成長させるためには、愛情が不可欠で『コンテ』のチームは同世代のメンバーで、みんなが愛を持って関わってくれている。それを強みに長期的な視点で育てていきたい」と話す。神永課長は「UAとしてもある程度の規模感を持って育てていく方針だ」と加えた。8月2日からはユナイテッドアローズ麻布台ヒルズ店、六本木店、ルミネ横浜店でポップアップイベントを実施する。年内には、都内に2店舗出店を目指す。

The post ユナイテッドアローズ、辺見えみりとブランド始動 “新大人マーケット”開拓目指す appeared first on WWDJAPAN.

スニーカーブランド「ヴェジャ」が広告費をかけずに成長を続ける理由 

PROFILE: フランソワ・ギラン・モリィヨン/「ヴェジャ」共同創業者 フランス生まれ。1998~2002年、ビジネススクールの名門校HECで経営学を学ぶ。04年「ヴェジャ」を設立 PHOTO : SHUHEI SHINE
サステナビリティとデザイン性、ビジネス成長を両立してみせるのがフランス発のスニーカーブランド「ヴェジャ(VEJA)」だ。人気モデルの“V-10”はアッパーにVの字をあしらった一見シンプルなスニーカーだが、その一足には消費をポジティブな力に変えるためのさまざまな工夫が凝らされている。

創業者のフランソワ・ギラン・モリィヨン(Francois Ghislain Morillion)とセバスチャン・コップ(Sebastien Kopp)は、「自分たちの世代を象徴するアイテムであるスニーカーでオルタナティブなモノづくりを実践したい」と2004年に同ブランドを立ち上げた。ブランド名はポルトガル語で“見る”を意味する。欧米を中心にビジネスを広げ、累計の製品販売数は1400万足にのぼる。このほど来日したモリィヨン共同創業者は、今後日本での存在感をより高めていきたいと意気込む。モリィヨンに「ヴェジャ」の独自性を聞いた。

WWD:「ヴェジャ」は創業当初から広告費用をかけず、生産者の賃金と生産工程の改革に多くを投資する方法を貫いてきた。オーガニックで成長できた強みをどう分析する?

フランソワ・ギラン・モリィヨン(以下、モリィヨン):第一にスタイルだ。一般的にサステナブルだからという理由で商品を購入する人はほとんどいない。お客さんとの最初の接点はあくまでビジュアルだと強く意識している。自分たちは広告を通して消費欲求を喚起しない分、よりシビアに人々が直感的に欲しくなるデザインを追求している。もちろん、初めからそれができたわけではなく、周りのフィードバッグも得ながら何度も修正を重ねてきた。

WWD:「ヴェジャ」のスタイルはファッション業界内でもファンが多く、さまざまな有名ブランドとのコラボレーションも実現している。

モリィヨン:私たちが尊敬するアニエス・ベーが最初のコラボ先だった。今ではコラボ事例は100以上ある。以前「ヴェジャ」のECサイトで何足も商品を購入してくれる人がいて、チーム内で「毎回熱心に買ってくれるこの人は誰だろう」と話していた。そうしたらその人物がリック・オウエンスだと分かった時には驚いた。その後、彼のチームから正式なオファーをもらってコラボが実現した。

WWD:あなたは主に生産面を担っているが、「ヴェジャ」の理想のサプライチェーンとは?

モリィヨン:理想は100%オーガニック素材で製造することだ。工業型の農地ではなく、小規模なオーガニック農地から素材を調達したい。現在コットンは、ブラジルとペルーで生産されたオーガニックコットンを直接仕入れている。ラバーはアマゾンの天然ゴムで、こちらも生産者から直接仕入れるサプライチェーンができている。次の課題は、サトウキビ由来のEVAだ。ブラジルではサトウキビが育たないためまだ直接のルートができていない。まだまだやるべきことはたくさんある。

「サステナビリティとコストはトレードオフの関係にはない」

WWD:他社からは物価高や生産コストが上昇し、サステナビリティに投資できないという話も聞く。

モリィヨン:一時期は商品の値上げをせざるを得なかったのは私たちも同じだ。ただ「ヴェジャ」にとって、サステナビリティはトレードオフの関係にない。サステナブルな解を探す作業は、私たちには純粋な楽しみなんだ。サステナビリティをコンプライアンスに準ずるための制約と捉えている他社と大きく違う部分だと思う。解を見つけるためには生産者との距離感はすごく大事で、10年ほど前には私はパリからブラジルに引っ越した。現地で素敵な工房と出会って、この人たちとどうやったら一緒に仕事ができるだろうかと試行錯誤していた延長で今のチームが出来上がった。

WWD:現在70カ国以上でビジネスを展開している。ビジネス規模を拡大しながらも透明性を担保し続けられる秘訣は?

モリィヨン:確かに最初は会社の規模が大きくなるにつれ、自分たちが貫いてきた倫理とのバランスが取れなくなるのではないかと心配だった。でも実際はその逆で規模が大きくなればなるほど、理想に近づくことができる。生産者に払う賃金も増やすことができるし、革新的な素材の開発のためにプロフェッショナルな人材をチームに迎えられているのもビジネスの成長があってこそ。それから、革新的な素材を使うためにはある程度の量を扱う必要がある。「ヴェジャ」が採用しているリサイクルポリエステル糸は、生産拠点のブラジルで地元の廃棄ボトルを回収し、そこから自社工場で100%廃棄ボトル由来の糸を製造している。一般的なリサイクルペットボトル由来のポリエステル糸では、そのペットボトルがどこから来たのかわからない場合が多いし、リサイクル糸を作るためにペットボトルを生産しているという本末転倒な話も耳にした。そこでブラジルの人々と連携し2年ほどかけて今の形を実現できた。ビジネス成長と比例して、より洗練されたサプライチェーンが構築できる。

WWD:来年は創業20周年を迎える。これまでターニングポイントとなるような出来事はあった?

モリィヨン:特に大きな転換点なかったように思う。むしろ1本の木が自由に枝を広げながら成長するように、どの地域もそれぞれのペースで自然に着実と成長してきた。最初はヨーロッパが中心で、最近ではアメリカと南アメリカが特に伸びている。振り返ればもちろん、失敗もたくさんあったし一方で予想外の成功もあった。たとえば、パリに12年前にオープンしたセレクトショップ業態「センターコマーシャル」は、最初は周りから「絶対うまく行かない」と心配されたが、今もとても好調だ。「センターコマーシャル」では「パタゴニア」を筆頭に、共感するブランドを並べている。「ポーター(PORTER)」「ナナミカ(NANAMICA)」「スティル バイ ハンド(STILL BY HAND」)」など、日本のブランドもたくさんある。来年以降は韓国に支社を立ち上げる予定で、アジア市場に力を入れる。特に日本はブランドとしての存在感はまだまだ出せていない。ポップアップやローカルモデルの企画など、しっかりコミュニケーションしていきたい。

The post スニーカーブランド「ヴェジャ」が広告費をかけずに成長を続ける理由  appeared first on WWDJAPAN.

スニーカーブランド「ヴェジャ」が広告費をかけずに成長を続ける理由 

PROFILE: フランソワ・ギラン・モリィヨン/「ヴェジャ」共同創業者 フランス生まれ。1998~2002年、ビジネススクールの名門校HECで経営学を学ぶ。04年「ヴェジャ」を設立 PHOTO : SHUHEI SHINE
サステナビリティとデザイン性、ビジネス成長を両立してみせるのがフランス発のスニーカーブランド「ヴェジャ(VEJA)」だ。人気モデルの“V-10”はアッパーにVの字をあしらった一見シンプルなスニーカーだが、その一足には消費をポジティブな力に変えるためのさまざまな工夫が凝らされている。

創業者のフランソワ・ギラン・モリィヨン(Francois Ghislain Morillion)とセバスチャン・コップ(Sebastien Kopp)は、「自分たちの世代を象徴するアイテムであるスニーカーでオルタナティブなモノづくりを実践したい」と2004年に同ブランドを立ち上げた。ブランド名はポルトガル語で“見る”を意味する。欧米を中心にビジネスを広げ、累計の製品販売数は1400万足にのぼる。このほど来日したモリィヨン共同創業者は、今後日本での存在感をより高めていきたいと意気込む。モリィヨンに「ヴェジャ」の独自性を聞いた。

WWD:「ヴェジャ」は創業当初から広告費用をかけず、生産者の賃金と生産工程の改革に多くを投資する方法を貫いてきた。オーガニックで成長できた強みをどう分析する?

フランソワ・ギラン・モリィヨン(以下、モリィヨン):第一にスタイルだ。一般的にサステナブルだからという理由で商品を購入する人はほとんどいない。お客さんとの最初の接点はあくまでビジュアルだと強く意識している。自分たちは広告を通して消費欲求を喚起しない分、よりシビアに人々が直感的に欲しくなるデザインを追求している。もちろん、初めからそれができたわけではなく、周りのフィードバッグも得ながら何度も修正を重ねてきた。

WWD:「ヴェジャ」のスタイルはファッション業界内でもファンが多く、さまざまな有名ブランドとのコラボレーションも実現している。

モリィヨン:私たちが尊敬するアニエス・ベーが最初のコラボ先だった。今ではコラボ事例は100以上ある。以前「ヴェジャ」のECサイトで何足も商品を購入してくれる人がいて、チーム内で「毎回熱心に買ってくれるこの人は誰だろう」と話していた。そうしたらその人物がリック・オウエンスだと分かった時には驚いた。その後、彼のチームから正式なオファーをもらってコラボが実現した。

WWD:あなたは主に生産面を担っているが、「ヴェジャ」の理想のサプライチェーンとは?

モリィヨン:理想は100%オーガニック素材で製造することだ。工業型の農地ではなく、小規模なオーガニック農地から素材を調達したい。現在コットンは、ブラジルとペルーで生産されたオーガニックコットンを直接仕入れている。ラバーはアマゾンの天然ゴムで、こちらも生産者から直接仕入れるサプライチェーンができている。次の課題は、サトウキビ由来のEVAだ。ブラジルではサトウキビが育たないためまだ直接のルートができていない。まだまだやるべきことはたくさんある。

「サステナビリティとコストはトレードオフの関係にはない」

WWD:他社からは物価高や生産コストが上昇し、サステナビリティに投資できないという話も聞く。

モリィヨン:一時期は商品の値上げをせざるを得なかったのは私たちも同じだ。ただ「ヴェジャ」にとって、サステナビリティはトレードオフの関係にない。サステナブルな解を探す作業は、私たちには純粋な楽しみなんだ。サステナビリティをコンプライアンスに準ずるための制約と捉えている他社と大きく違う部分だと思う。解を見つけるためには生産者との距離感はすごく大事で、10年ほど前には私はパリからブラジルに引っ越した。現地で素敵な工房と出会って、この人たちとどうやったら一緒に仕事ができるだろうかと試行錯誤していた延長で今のチームが出来上がった。

WWD:現在70カ国以上でビジネスを展開している。ビジネス規模を拡大しながらも透明性を担保し続けられる秘訣は?

モリィヨン:確かに最初は会社の規模が大きくなるにつれ、自分たちが貫いてきた倫理とのバランスが取れなくなるのではないかと心配だった。でも実際はその逆で規模が大きくなればなるほど、理想に近づくことができる。生産者に払う賃金も増やすことができるし、革新的な素材の開発のためにプロフェッショナルな人材をチームに迎えられているのもビジネスの成長があってこそ。それから、革新的な素材を使うためにはある程度の量を扱う必要がある。「ヴェジャ」が採用しているリサイクルポリエステル糸は、生産拠点のブラジルで地元の廃棄ボトルを回収し、そこから自社工場で100%廃棄ボトル由来の糸を製造している。一般的なリサイクルペットボトル由来のポリエステル糸では、そのペットボトルがどこから来たのかわからない場合が多いし、リサイクル糸を作るためにペットボトルを生産しているという本末転倒な話も耳にした。そこでブラジルの人々と連携し2年ほどかけて今の形を実現できた。ビジネス成長と比例して、より洗練されたサプライチェーンが構築できる。

WWD:来年は創業20周年を迎える。これまでターニングポイントとなるような出来事はあった?

モリィヨン:特に大きな転換点なかったように思う。むしろ1本の木が自由に枝を広げながら成長するように、どの地域もそれぞれのペースで自然に着実と成長してきた。最初はヨーロッパが中心で、最近ではアメリカと南アメリカが特に伸びている。振り返ればもちろん、失敗もたくさんあったし一方で予想外の成功もあった。たとえば、パリに12年前にオープンしたセレクトショップ業態「センターコマーシャル」は、最初は周りから「絶対うまく行かない」と心配されたが、今もとても好調だ。「センターコマーシャル」では「パタゴニア」を筆頭に、共感するブランドを並べている。「ポーター(PORTER)」「ナナミカ(NANAMICA)」「スティル バイ ハンド(STILL BY HAND」)」など、日本のブランドもたくさんある。来年以降は韓国に支社を立ち上げる予定で、アジア市場に力を入れる。特に日本はブランドとしての存在感はまだまだ出せていない。ポップアップやローカルモデルの企画など、しっかりコミュニケーションしていきたい。

The post スニーカーブランド「ヴェジャ」が広告費をかけずに成長を続ける理由  appeared first on WWDJAPAN.

香水の老香水の老舗メーカー3代目による「ラブソルー」 部屋ごとに香りが異なるパルファムホテルも運営

フレグランス「ラブソルー(LABSOLUE)」は、イタリアの老舗化粧品ブランド「マーヴィン(MARVIN)」を築いたマートン一族によるブランドだ。1940年に医薬品メーカーとして設立されたマーヴィンは60年代に化粧品やフレグランスの製造をスタート。イタリアの国民的な化粧品ブランドとして愛されている。「ラブソルー」は、3代目であるジョルジアとアンブラ・マートン姉妹が設立し、ラボラトリーを併設した世界初のパルファムホテル「マグナ パルス」を開業。68室の部屋ごとに異なる「ラブソルー」の香りが割り当てられている。日本では、歯磨き粉ブランド「マーヴィス(MARVIS)」などを取り扱うアッパーハウスが販売。5月に来日したアンブラ・マートン=ラブソルー共同設立者に話を聞いた。

フランス製中心の香水市場にメード・イン・イタリーを

WWD:フレグランスブランドを立ち上げた経緯は?

アンブラ・マートン=ラブソルー共同設立者(以下、マートン):曽祖父が営んでいたのは抗生物質や目薬などの医薬品を製造するメーカーだったが、そのノウハウ活かして医薬品の安全性を反映した化粧品や香水を生産するようになった。70年代後半にはイタリアがファッションの中心地になった。デザイナーたちは香水を作りたがったが、当時、イタリア製のフレグランスは品質が低いと考えられていたので、皆フランスで製造していた。そこで、父親は、医薬品のように高品質の香水をイタリアで製造できるとデザイナーたちを説得した。「ヴェルサーチェ(VERSACE)」や「ロベルト カヴァリ(ROBERTO CAVALLI)」など多くのブランドの香水を手掛けるようになりビジネスが拡大した。そして、私たちでオリジナルの香水をつくりたいと考えた。

WWD:「ラブソルー」のブランドコンセプトは?

マートン:ブランド名は、ラボラトリーからの“ラブ”とアブソルート(完全)からの“ソルー”を組み合わせたもの。3代にわたって引き継がれた伝統と歴史に培われた香水製造の基礎を反映している。自然からの抽出物をできるだけ自然のまま贅沢に配合した香りで、フルーツ、フラワー、ウッドという3つのカテゴリーから構成される嗅覚のライブラリー。

WWD:他のフレグランスブランドと大きく違う点は?

マートン:既にブランドはたくさんあるので、同じようなブランドは必要ないと思った。「ラブソルー」はライフスタイルを軸にしたブランドとして、香水やホームフレグランスを提供している。また、3代に渡り、イタリア国内の自社工場で香水を製造してきた。だから、最高の調香師たちとはビジネスだけでなく、家族的な付き合いがあり、深いつながりがある。だから、彼らと一緒に作る香水は、われわれ家族のストーリーの一部であり、通常のブランドのものとは異なる職人的なパーソナルタッチがある。

家族の歴史が刻まれた工場をホテルとラボに

WWD:ラボラトリー併設のホテルをスタートした経緯は?

マートン:香水ビジネスの拡大に伴いミラノ市内にあった香水工場を郊外へ移設した。香水工場はわれわれ一族の伝統が反映された大切な場所。ナビリオ運河近くで、昔は工業地区だったが今はデザイン地区として賑わっている。家族で話し合って工場をラボラトリーとして残そうということになった。そこで、香水とホスピタリティーをコンセプトに、世界で初めて、そして唯一のパルファム・ホテルにした。

WWD:ホテルの部屋ごとに異なる香りをプロデュースしたようだが?

マートン:最初は29部屋だったので、29種類の香水を作った。香水の名前は、シンプルにルームナンバーにした。今では、68部屋になり、その分香りの種類も増えた。好きな香りを選んで部屋に空きがあれば、チェックインできるようにしている。また、ホテルでは、嗅覚に関する体験を提供している。香水から着想を得たアペリティフや料理を提供している。例えば、ローズマリーやベルガモットといった原料から、燻した香りなど、香水作りにまつわるさまざまな要素をシェフやミクソロジストのアイデアでメニューにしている。また、スパでは、アロマテラピーのサービスもある。また、ラボラトリーでは、香りの文化に関するワークショップを行なっている。調香師やリサーチャーによるレクチャーや、日本の香道のセレモニーなど、嗅覚に関する異なるトピックスを選んで無料で開催している。

WWD:どのように、各部屋の香りをデザインしたか?香リには、個人の好き嫌いがあると思うが?

マートン:「ラブソルー」が大切にしている哲学は、“エレガンス”。香水が、着ける人以上に存在感があってはだめ。着ける人と共に息をするような存在であるべき。どの香りも、これは、バニラ、ローズとすぐわかるような圧倒されるような強さがなく、ごく自然でさりげない。だから、あらゆる人に受け入れられる。部屋に入って、気持ちよく特別に感じる香りばかりだ。香水嫌いの某著名フォトグラファーが宿泊した際も、問題なかったし香り付きのアメニティーも使用してくれた。

調香師と共に引き出す香りの“感情”や“質感”

WWD:調香師はどのように選ぶか?

マートン:調香師はアーティストと同じ。絵画に例えると、フィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)やパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)、アンリ・マティス(Henri Matisse)らの絵画はスタイルは違えども、それぞれに巨匠と呼ばれる特徴がある。調香師も同じで、この香りであれば、この調香師に頼むべきと直感的に分かる。調香師と働く時に一番大切なのは、彼らをインスパイアすること。香水作りには、技術的な情報やマーケティングを必要とする一方で、感情や質感といったものを感じ取ってもらうよう誘う必要がある。ランチを一緒にしたり、語り合ったり、とてもシンプルなこと。だが、一つの香りの調香に、何カ月も何年もかかることもある。

WWD:ベストセラーとその理由は?

マートン:”19 レーニョ・ディ・グアイアコ”。ガイアックウッドとても洗練されているけどシンプルな香り。ジャック・キャヴァリエ(Jacques Cavallier)が聴講した“24 ザガラ”はシチリア特有のレモンの花の香りで、さんさんと降り注ぐ太陽をボトルに閉じ込めたようなフレグランス。カラブリアの海岸に育つベルガモットを使用した“101ベルガモット”やビターオレンジの木や花など異なるパーツから抽出した“23 ネロリ”、地中海には欠かせない植物である“202 フィグ”など定番的な香りも人気だ。

WWD:現在どこで販売しているか?

マートン:ミラノとローマには直営店があり、イタリア国内のニッチフレグランス専門店で販売している。他、台湾と日本でも販売中で、これからヨーロッパへ進出する。

WWD:今後、どのようにブランドを成長させたいか?

マートン:われわれ一族の伝統やノウハウを伝えながら、ライフスタイルブランドとして成長させたい。ブランド哲学を理解し、イタリアのラボのような体験ができる店舗コンセプトの展開をしてくれるパートナーと共に大切に育てていきたい。

The post 香水の老香水の老舗メーカー3代目による「ラブソルー」 部屋ごとに香りが異なるパルファムホテルも運営 appeared first on WWDJAPAN.

韓国で話題の「ヒノック」日本上陸 「3年探し続けた」ヒノキへのこだわり

消臭スプレーなどを扱う韓国発のライフエチケットブランド「ヒノック(HINOK)」が6月20日に日本初上陸する。同ブランドは、韓国・チェジュ島に育つヒノキから抽出したヒノキエキスとヒノキオイルを中心に開発し、厳格なフランスのイブビーガン(EVE VEGAN)認証や、韓国初のプラスチックニュートラル認証を取得している。本国では20〜30代の男女の支持が厚く、売れ筋の消臭スプレーはリピート率も高い。初の海外展開への思いやブランド誕生の経緯、開発のこだわりについて、パク・ソヒ(Park Sohee)ヒノック ライフ(hinok life Inc.)最高経営責任者に話を聞いた。

3年探して見つけた原料
チェジュ島のヒノキ

PROFILE: パク・ソヒ/ヒノック ライフ最高経営責任者

パク・ソヒ/ヒノック ライフ最高経営責任者
PROFILE: 韓国の「キールズ」でマーケティングディレクター、「イニスフリー」商品開発チームのリーダーを務めるなど、約20年にわたり化粧品業界に携わる。妊娠をきっかけに、地球と人が共生できる社会を目指すライフエチケットブランド「ヒノック」を2021年4月にローンチし、現職 PHOTO : YUTA KATO

WWD:「ヒノック」を立ち上げた経緯について教えてほしい。

パク・ソヒ=ヒノック ライフ最高経営責任者(以下、パク):ロレアル(L’OREAL)の「キールズ(KIEHL'S SINCE 1851)」やアモーレパシフィック(AMOREPACIFIC)の「イニスフリー(INNISFREE)」など、化粧品業界でマーケティングや商品開発を約20年間担当していた。そこでいびつな形のニンジンやコーヒーかすなど廃棄物を再利用する取り組みに従事する中で、「持続可能な製品を作りたい」という思いが高まった。さらに、2017年の妊娠をきっかけに「未来を生きる子どもたちのために美しい環境を残すことが大人たちの責任である」と強く感じるようになった。そして21年4月、子どもに無害で信頼できるライフエチケットブランド「ヒノック」を立ち上げた。

WWD:“いつも緑と共に”という意味が込められた「ヒノック」は、韓国で初めて世界自然遺産に登録されたチェジュ島のヒノキにこだわり開発している。

パク:ブランドが誕生するまで、原料探しに3年、開発に1年と計4年の準備が必要だった。原料を探す中でヒノキを使った家具職人と出会い、ヒノキに含まれている揮発性物質のフィトンチッドには、アロマ効果や抗菌効果があると分かった。「ヒノック」は、3つの原則に従ってモノ作りを行っている。1つ目は透明性のある製造方法「クリーンメイド」、2つ目は証明された効果を届ける「ファクト&エフェクト」、そして3つ目は環境と共に生きる持続可能な「サステナビリティ」だ。

WWD:具体的には?

パク:自然を傷つけない方法として、済州(チェジュ)資源植物研究所と共に行う枝打ち(健康な木材育成のため余分な枝を切り落とすこと)作業の後に残ったヒノキのみを使用し、エキス抽出後に残った葉と茎は発酵した後、森の堆肥として活用している。また、チェジュ島は火山活動によってできた島のため、土壌は透水性と保水性に優れている。そこで育ったヒノキは香りが素晴らしく、夏に枝打ちしたヒノキはよりウッディーな香り、冬に枝打ちしたヒノキはシトラスの爽やかな香りなど、季節によって良さがある。

サステナビリティには
意図と美しさのバランスが大事

WWD:商品ラインアップは?

パク:衣類や寝具類、ベビー用品、ペット用品、車内などに使える消臭スプレーや、ハンドウォッシュ、ハンドバーム、1000時間熟成乾燥させて作った固形せっけんだ。韓国ではほかにも、スキンケア成分100%の低刺激弱酸性·中性洗濯洗剤やルームスプレーも販売している。

WWD:「ヒノック」はイブビーガン認証やプラスチックニュートラル認証を取得している。認証の重要性をどのように考えている?

パク:サステナビリティは、どのブランドも取り組むべき課題だ。プラスチックニュートラル認証はアメリカの認証で、韓国のブランドとして初めて取得した。脱プラスチックは重要だが、プラスチックを商品に一切使用しないのは難しく、現実的ではない。「ヒノック」では、スプレーボトルのトリガーにだけプラスチックを使用している。それ以外は再生樹脂(PCR)を使用しているほか、リフィルを用意して“詰め替えライフ”を提案するなど、過度なパッケージングの削減やプラスチックの責任ある使用に取り組んでいる。また、プラスチックを再生するための人件費はとても安く、それがリサイクルが進まない要因の1つでもある。私たちは、その課題についても向き合っているところだ。

WWD:開発でこだわった点は?

パク:最も重視しているのは、生産地であるチェジュ島の人とのコミュニケーションだ。例えば、ヒノキの枝打ちを機械で賄えば、たくさんの原料を早く得ることができる。しかし、それでは木が傷ついてしまう原因にもなる。「ヒノック」では地元住民と共に手作業で枝打ちを行うことで、新たな雇用を生み出すことにも貢献している。そして、サステナビリティを浸透させるには、製品内容と同じくらいデザインも重要だと考えており、開発では特にデザイン面にこだわった。

WWD:サステナビリティにつながるデザインとは?

パク:ブランドがどんなに素晴らしい環境への意志を持っていても、見た目が美しくないと持続できないと感じている。ブランドの意図と美しさのバランスが大事であり、「ヒノック」はどこに置いてもその空間になじみ、時間がたっても美しさが色あせない、長く愛されるビンテージ家具をイメージしてデザインした。家庭にある消臭剤は、棚の中など目立たない場所に片付けられることが多い。それだといずれ使わなくなってしまう。デザインの力を借りて、日常を清潔で衛生的なものにする商品を開発した。パッケージには、ブランドのシグニチャーとして緩やかな曲線を描いている。これは商品を使った瞬間、ヒノキの香りと共に“自然に入るドア”をイメージした。

WWD:今後の展望は?

パク:初の海外進出として日本に上陸し、ザ・コンランショップ(THE CONRAN SHOP)の各店舗で6月20日から先行販売する。また、ザ・コンランショップ東京店では7月15日までポップアップストアをオープンする。そして7月には、ソウル・北村韓屋村(プッチョンハノクマウル)エリアに初の旗艦店もオープン予定だ。開業に合わせて、鎮静効果のあるヒノキのポプリの新商品も発売する。今後ブランドがさらに成長すれば、店舗でのリフィルステーション(量り売り)も行いたい。日本は、おもてなしの精神や好きなモノ・コトに時間をかけて投資をする文化があり、トレンドに左右されない固有の色を持っている。そんな日本に「ヒノック」を紹介できてとてもうれしい。“幸せ”とは、規模に関係なく好きなことを継続すること。朝起きて「ヒノック」のアイテムを使えば、心を整えることができる。日常での小さな“幸せ”を感じてほしい。

The post 韓国で話題の「ヒノック」日本上陸 「3年探し続けた」ヒノキへのこだわり appeared first on WWDJAPAN.

ZOZO×GAUSSY、2人のキーパーソンが語る「ロボット×アパレル物流」

ネット通販の拡大やフリマアプリの普及に伴い、国内の宅配便の数量は増加の一途をたどる一方で、「2024年問題」「人手不足」など課題も増えており、物流改革は待ったなしだ。解決のカギとされているのが最先端ロボットなどを駆使した自動化だ。今後も伸びが期待されるファッションとビューティ分野で、物流はどうあるべきか。年間の商品取扱高は5369億円(2024年3月期、その他商品取扱高を除く)、物流拠点の総面積は約55万㎡を擁し、ファッションECでは圧倒的なパワーを持つZOZOで、物流部門のキーパーソンの一人であるフルフィルメント本部オペレーションデザイン部の桐山慎一郎ディレクターと、物流スタートアップのガウシー(GAUSSY)の櫻井進悟社長/CEOに聞いた。

アパレル物流が抱える課題とは?

WWD:2024年問題や人手不足など物流を取り巻く環境は?

櫻井進悟ガウシー社長/CEO(以下、櫻井):マクロ的な話から始めると、日本の労働人口はどんどん減っており、配送業者の労働時間規制に伴う「2024年問題」のようにキャパシティーも減っていく流れにある。一方でECやフリマアプリの普及などで宅配荷物は増えている。需要は伸び続ける一方で、キャパは減少しており、さらにそのギャップは大きくなっていく。これが現状だ。その解決策として、鍵になるのが物流ロボットを絡めた効率化や自動化だ。

WWD:ファッションやビューティ分野ならではの課題は?

桐山慎一郎ZOZOフルフィルメント本部オペレーションデザイン部ディレクター(以下、桐山):当社は習志野に2つ、つくばに3つ、合計で5つの物流拠点を持ち、拠点の総面積は約55万㎡。年間の出荷件数は約5500万件で、商品取扱高は5369億円になる。櫻井さんがおっしゃっていた課題は、われわれも感じている。人手が足りないということはないが、以前よりも人が集まりにくくなっている。アパレル物流の他の業種との違いは多品種小ロットであること。季節によって扱うアイテムがガラリと変わり、例えば夏によく動くカットソーと、冬のダウンジャケットは大きさが全然違うので、仮に同じアイテム数でも必要な保管スペースはかなり変わるし、マテハンや仕分けなどの設備もそうした多彩なアイテムに対応する必要がある。これは自動化を考えるときの大きなポイントにもなる。

年間5500万件を出荷する
ZOZOの「凄み」と「強み」

WWD:24年3月期のZOZOの年間出荷数はなんと約5500万件。膨大な数のアイテムを出荷している。櫻井社長から見たZOZOの強みとは?

櫻井:この数年物流分野では、AI(人工知能)を搭載した新しいロボットなど、文字通り日進月歩でテクノロジーが進化しており、とにかく変化が激しい。こうした時代に重要なのは、キャッチアップしつつ、進化し、変化すること。当社はアパレルに限らず、物流のリーディングカンパニーを筆頭に、化粧品系、食品系などさまざまな取引先を持っているが、物流の改革・改善にとても意欲的と感じた。特にPoC(ピーオーシー、概念実証:アイデアや技術が実現可能かを検証すること)を積極的に行っていることに驚いた。

桐山:当社はファッション企業であると同時にテックカンパニーでもある。ECシステムはもちろん、物流拠点で使うWMS(拠点内の管理システム)も自社で設計・開発を行っている。これは当社の強みで、新しいロボットや設備を導入する際に、コスト面でもスピード面でもかなりのメリットがある。櫻井さんのご指摘の通り、新しいツールやロボットが出てくるので、常にリサーチし、かつなるべくスピード感を持って検証もしている。年単位の大きなものから、新しいソリューションやツールを試すような小規模なものまで含めると、5つの物流拠点で常に数十のプロジェクトが動いている。

数字以上の価値!?
「オムニソーター」は何を変える?

櫻井:アパレル物流は入荷から検品、仕分け、保管、撮影があり、注文が入るとピッキング、仕分け、梱包、出荷というのが一つの流れ。物流拠点は膨大な入荷と出荷を同時にこなさねばならない場所であり、もちろんミスも許されない。物流改革の現場では、こうした作業をこなしながら、改善・改革を行わなければならない。そうした中で年間約5500万件を処理しているZOZOが、並行して数十の改善プロジェクトを動かしているのは本当に驚異的なことだ。

WWD:「オムニソーター」の導入の経緯は?

櫻井:まず1台のオムニソーターをPoCとして購入いただいて、数か月間の実証を経て最終的に9台の本格導入に繋げていただいた。「オムニソーター」はいわゆる仕分けロボットで、ZOZOBASE習志野1では梱包前の仕分けに採用された。「オムニソーター」の特徴は約10坪からという省スペースと、1時間最大1200アイテムという処理能力の高さが評価された。

桐山:省人化を促進するにあたり、より効率的な仕分け方法を検討していた。ZOZOBASE習志野1で「オムニソーター」以前に使っていた仕分け機だと、作業者がしゃがんだり、横に動いたりと動作が多い。一つ一つは小さくても作業者は1日に何度も繰り返すわけで、かなり作業負担は大きかった。「オムニソーター」の導入でもちろん作業効率は上がったが、それと同じくらい作業者の負担が減ったことに手応えを感じている。こうしたことはなかなか数字で出すのは難しいが、全体の作業効率の向上にもつながる。あとは細かい部分だと、機械自体の設計の柔軟性。高さを調整したり、建物の構造に合わせて柱を囲うように機械を設置したりと、導入時にはかなり細かく仕様を調整してもらえた。当社でも同じZOZOBASEでも場所によってレイアウトはぜんぜん違う。現場からすると、こうした柔軟性はかなりありがたい。

アパレル物流改革のカギは
「アナログ&最先端テックの
ベストミックス」!?

WWD:物流はこれからどう変わる?

櫻井:物流にもトレンドのようなものがあって、今はやはり最先端のロボットを導入した「自動化」の流れが強い。実際、環境的にも宅配便は増え続ける一方で、物流現場の人手不足はますます進む。ただ、自動化はいいことばかりではなく、設備のキャパシティーを稼働のピークに合わせることになり、アパレルのように時期やシーズンで稼働が上下しやすい業種だと、繁閑差で稼働率がかなり変わってしまい、ROI(投資効率)が下がる。できるだけ省人化を進めながら、それぞれの企業が最適なベストミックスを探すことになる。

桐山:同感です。そもそも「2024年問題」や人手不足、それに伴うコスト増、さらに新しい設備やロボットのROIなど、物流の現場はパラメータ(変数)が多く、課題自体が非常に複雑になり、現場にいると「自動化」が魔法の杖のように全てを解決してくれるなんてことはまずないと日々実感している。当社の場合は一つ一つの課題に向き合いつつ、「ゆっくり配送」のような販売時の工夫など、物流部門だけでなく他部門との連携も増やしている。今後はさらに、ブランドとの連携や協業も増やしていきたい。

PHOTO :YUTA FUCHIKAMI

問い合わせ先
pr_group01@hubs-poke.jp

The post ZOZO×GAUSSY、2人のキーパーソンが語る「ロボット×アパレル物流」 appeared first on WWDJAPAN.

ZOZO×GAUSSY、2人のキーパーソンが語る「ロボット×アパレル物流」

ネット通販の拡大やフリマアプリの普及に伴い、国内の宅配便の数量は増加の一途をたどる一方で、「2024年問題」「人手不足」など課題も増えており、物流改革は待ったなしだ。解決のカギとされているのが最先端ロボットなどを駆使した自動化だ。今後も伸びが期待されるファッションとビューティ分野で、物流はどうあるべきか。年間の商品取扱高は5369億円(2024年3月期、その他商品取扱高を除く)、物流拠点の総面積は約55万㎡を擁し、ファッションECでは圧倒的なパワーを持つZOZOで、物流部門のキーパーソンの一人であるフルフィルメント本部オペレーションデザイン部の桐山慎一郎ディレクターと、物流スタートアップのガウシー(GAUSSY)の櫻井進悟社長/CEOに聞いた。

アパレル物流が抱える課題とは?

WWD:2024年問題や人手不足など物流を取り巻く環境は?

櫻井進悟ガウシー社長/CEO(以下、櫻井):マクロ的な話から始めると、日本の労働人口はどんどん減っており、配送業者の労働時間規制に伴う「2024年問題」のようにキャパシティーも減っていく流れにある。一方でECやフリマアプリの普及などで宅配荷物は増えている。需要は伸び続ける一方で、キャパは減少しており、さらにそのギャップは大きくなっていく。これが現状だ。その解決策として、鍵になるのが物流ロボットを絡めた効率化や自動化だ。

WWD:ファッションやビューティ分野ならではの課題は?

桐山慎一郎ZOZOフルフィルメント本部オペレーションデザイン部ディレクター(以下、桐山):当社は習志野に2つ、つくばに3つ、合計で5つの物流拠点を持ち、拠点の総面積は約55万㎡。年間の出荷件数は約5500万件で、商品取扱高は5369億円になる。櫻井さんがおっしゃっていた課題は、われわれも感じている。人手が足りないということはないが、以前よりも人が集まりにくくなっている。アパレル物流の他の業種との違いは多品種小ロットであること。季節によって扱うアイテムがガラリと変わり、例えば夏によく動くカットソーと、冬のダウンジャケットは大きさが全然違うので、仮に同じアイテム数でも必要な保管スペースはかなり変わるし、マテハンや仕分けなどの設備もそうした多彩なアイテムに対応する必要がある。これは自動化を考えるときの大きなポイントにもなる。

年間5500万件を出荷する
ZOZOの「凄み」と「強み」

WWD:24年3月期のZOZOの年間出荷数はなんと約5500万件。膨大な数のアイテムを出荷している。櫻井社長から見たZOZOの強みとは?

櫻井:この数年物流分野では、AI(人工知能)を搭載した新しいロボットなど、文字通り日進月歩でテクノロジーが進化しており、とにかく変化が激しい。こうした時代に重要なのは、キャッチアップしつつ、進化し、変化すること。当社はアパレルに限らず、物流のリーディングカンパニーを筆頭に、化粧品系、食品系などさまざまな取引先を持っているが、物流の改革・改善にとても意欲的と感じた。特にPoC(ピーオーシー、概念実証:アイデアや技術が実現可能かを検証すること)を積極的に行っていることに驚いた。

桐山:当社はファッション企業であると同時にテックカンパニーでもある。ECシステムはもちろん、物流拠点で使うWMS(拠点内の管理システム)も自社で設計・開発を行っている。これは当社の強みで、新しいロボットや設備を導入する際に、コスト面でもスピード面でもかなりのメリットがある。櫻井さんのご指摘の通り、新しいツールやロボットが出てくるので、常にリサーチし、かつなるべくスピード感を持って検証もしている。年単位の大きなものから、新しいソリューションやツールを試すような小規模なものまで含めると、5つの物流拠点で常に数十のプロジェクトが動いている。

数字以上の価値!?
「オムニソーター」は何を変える?

櫻井:アパレル物流は入荷から検品、仕分け、保管、撮影があり、注文が入るとピッキング、仕分け、梱包、出荷というのが一つの流れ。物流拠点は膨大な入荷と出荷を同時にこなさねばならない場所であり、もちろんミスも許されない。物流改革の現場では、こうした作業をこなしながら、改善・改革を行わなければならない。そうした中で年間約5500万件を処理しているZOZOが、並行して数十の改善プロジェクトを動かしているのは本当に驚異的なことだ。

WWD:「オムニソーター」の導入の経緯は?

櫻井:まず1台のオムニソーターをPoCとして購入いただいて、数か月間の実証を経て最終的に9台の本格導入に繋げていただいた。「オムニソーター」はいわゆる仕分けロボットで、ZOZOBASE習志野1では梱包前の仕分けに採用された。「オムニソーター」の特徴は約10坪からという省スペースと、1時間最大1200アイテムという処理能力の高さが評価された。

桐山:省人化を促進するにあたり、より効率的な仕分け方法を検討していた。ZOZOBASE習志野1で「オムニソーター」以前に使っていた仕分け機だと、作業者がしゃがんだり、横に動いたりと動作が多い。一つ一つは小さくても作業者は1日に何度も繰り返すわけで、かなり作業負担は大きかった。「オムニソーター」の導入でもちろん作業効率は上がったが、それと同じくらい作業者の負担が減ったことに手応えを感じている。こうしたことはなかなか数字で出すのは難しいが、全体の作業効率の向上にもつながる。あとは細かい部分だと、機械自体の設計の柔軟性。高さを調整したり、建物の構造に合わせて柱を囲うように機械を設置したりと、導入時にはかなり細かく仕様を調整してもらえた。当社でも同じZOZOBASEでも場所によってレイアウトはぜんぜん違う。現場からすると、こうした柔軟性はかなりありがたい。

アパレル物流改革のカギは
「アナログ&最先端テックの
ベストミックス」!?

WWD:物流はこれからどう変わる?

櫻井:物流にもトレンドのようなものがあって、今はやはり最先端のロボットを導入した「自動化」の流れが強い。実際、環境的にも宅配便は増え続ける一方で、物流現場の人手不足はますます進む。ただ、自動化はいいことばかりではなく、設備のキャパシティーを稼働のピークに合わせることになり、アパレルのように時期やシーズンで稼働が上下しやすい業種だと、繁閑差で稼働率がかなり変わってしまい、ROI(投資効率)が下がる。できるだけ省人化を進めながら、それぞれの企業が最適なベストミックスを探すことになる。

桐山:同感です。そもそも「2024年問題」や人手不足、それに伴うコスト増、さらに新しい設備やロボットのROIなど、物流の現場はパラメータ(変数)が多く、課題自体が非常に複雑になり、現場にいると「自動化」が魔法の杖のように全てを解決してくれるなんてことはまずないと日々実感している。当社の場合は一つ一つの課題に向き合いつつ、「ゆっくり配送」のような販売時の工夫など、物流部門だけでなく他部門との連携も増やしている。今後はさらに、ブランドとの連携や協業も増やしていきたい。

PHOTO :YUTA FUCHIKAMI

問い合わせ先
pr_group01@hubs-poke.jp

The post ZOZO×GAUSSY、2人のキーパーソンが語る「ロボット×アパレル物流」 appeared first on WWDJAPAN.

死に在庫を生き生きとした「ライブ ストック」に スタイリストの挑戦、故郷の長野から全国に

故郷の長野県上田市でセレクトショップの「エディストリアル ストア(EDISTORIAL STORE)」を手掛ける、小沢宏スタイリストの「ライブ ストック」という考え方が広がっている。「エディストリアル ストア」は、アパレル企業が倉庫で寝かしている在庫を、小沢のスタイリストとしての審美眼を生かしてセレクトして販売。雑誌のシューティングページのような世界観の演出やミックスコーディネイトで思いを発信しながら、死に在庫だった「デッド ストック」に命を吹き込み、生き生きとした魅力を放つ「ライブ ストック」として販売する。業界人らしい“洋服愛”とスタイリストとして培った人脈やノウハウに基づく小沢の取り組みは、在庫問題に苦慮するアパレルメーカーやディストリビューター、商業施設などの賛同を得て、拡大中。「ライブ ストック」という考え方を発信する「エディストリアル ストア」のビジネスモデルは、上田市から長野県、そして都内へと広がっている。

オフプライスストアと一線を画す、
「逆張り」と「雑誌の3D化」

>「焦り」を感じていたスタイリスト小沢宏が、地元で審美眼を生かして在庫活用のセレクトショップ

小沢が「エディストリアル ストア」を立ち上げた経緯は、上のリンクの通り。アパレルメーカーなどから「新古品(一度は出荷されたが未使用の商品のこと)」を買い取って販売するビジネスモデルは、一般的には「オフプライス」業態と呼ばれるが、小沢は「(オフプライスとは)異なっている」と話す。

小沢がそう言い切れるのは、スタイリストやフリーの編集者として、長年ファッション誌で活躍してきたキャリアの賜物だろう。まず小沢は、「『エディストリアル ストア』では、時に(当時の)販売価格以上の値段をつけることがある」という。その理由は、「スタイリストならではの『逆張り』」と小沢。「例えばルーズフィット全盛のタイミングで、『いつ、タイトフィットを提案しようか?』と考えて実行するなど、スタイリストは常に時代の先を読んで、『逆張り』している」と続ける。通常のオフプライスストアは、「新古品」を“シーズン落ち”と捉え、価値は下がっているから当時よりも安く販売している。一方の「エディストリアル ストア」は、その「新古品」が再び、もしくは新たに価値を帯び始めるタイミングで販売しようと試みるから、時に価格は当時よりも高くなるというわけだ。

そして小沢は、新たな価値を、さまざまな手法で届ける。例えば商品には、一着一着に思いの丈を綴ったカードを下げたり、可動式の什器を活用するなどして空間を演出。ブランドの垣根を超えたミックスコーディネートも、新たな価値の表現方法の1つだ。小沢は、こうした手法を「雑誌の3D化」と呼ぶ。ミックスコーディネートや、可動式の什器を使った空間演出は、雑誌の世界では当たり前の新たな価値を伝えるための手段。二次元の雑誌での取り組みを、三次元の「エディストリアル ストア」で再現している感覚だ。思いを綴ったカードは、雑誌の文章やキャプションのような存在なのだろう。

編集長は小沢、イベントでは
ゲストエディターを招き異なる視点を発信

「エディストリアル ストア」のオープンから2年。小沢の思いや取り組みは今、少しずつ広がっている。同じ長野県の松本パルコを皮切りに、丸の内や渋谷、南青山で開催したイベントには、ビームスやユナイテッドアローズ、ディストリビューターのコロネットなどが参画した。

イベントについて小沢は、「自分は編集長。そこにゲストエディターを招いている」と、ここでもファッション誌の感覚を忘れない。例えば「リステア」の柴田麻衣子クリエイティブ・ディレクターや、シトウレイ=ストリート・スタイル・フォトグラファーをゲストエディターに招いて、彼女たちが選んだ「ライブ ストック」を集積して発信。まさに小沢が編集長を務めるファッション誌に、柴田やシトウは寄稿したり、ゲスト編集者としてページを作ったりの取り組みだ。

小沢は、在庫に新たな命を吹き込む「ライブ ストック」という考え方には、「他にも応用できる弾力性」があると捉えている。上田の「エディストリアル ストア」は、「ニューヨークのソーホーやブルックリン、パリのマレにあっても負けない存在」と小沢。引き続きさまざまなゲストエディター、ブランドや企業と共に、「ライブ ストック」という概念を上田から全国、そして世界に届ける。

The post 死に在庫を生き生きとした「ライブ ストック」に スタイリストの挑戦、故郷の長野から全国に appeared first on WWDJAPAN.

「有吉弘行の脱法TV」企画・演出の原田和実 フジテレビ入社5年目が目指す「見たことのない番組作り」

PROFILE: 原田和実/テレビディレクター

原田和実/テレビディレクター
PROFILE: (はらだ・かずとみ)1996年生まれ、静岡県出身。テレビディレクター。フジテレビ編成制作局バラエティ制作センター所属。2020年に入社し、翌21年に手掛けた「ここにタイトルを入力」が話題に。22年には「あえいうえおあお」などを企画・演出。23年には「ここにタイトルを入力」の新春特番や「有吉弘行の脱法TV」を手掛ける。PHOTO:TAMEKI OSHIRO

入社1年目で企画書を提出し、2年目で初めて企画・演出を務めたテレビ番組「ここにタイトルを入力」が大きな注目を集めた、フジテレビの原田和実。その後も話題作を作り続け、直近では「有吉弘行の脱法TV」が放送されたばかり。現在5年目、その発想の源と、企画を正しく実現するまでのこだわりを聞いた。

——もともと学生時代は放送作家になりたかったと?

原田和実(以下、原田):はい。大学では劇団を立ち上げて、脚本・演出をしていたのですが、当時テレビ東京で放送していたシチュエーションコメディの「ウレロ☆」シリーズが大好きで、その番組に脚本で参加していたシベリア少女鉄道という劇団を主宰する土屋亮一さんに憧れていました。自分の劇団で作・演出をやりながら、テレビ番組でも脚本やコントを書く、そういう仕事をしたいなって。

——「ウレロ☆」シリーズでは、放送作家であり脚本家のオークラさんも参加していました。

原田:オークラさんも尊敬する作家の1人です。バナナマン×東京03「handmade works live」や「崩壊シリーズ」は自分の人生に欠かせない大好きな作品だし、まさに舞台とテレビを行き来するような仕事をされていて。いまだに「ウレロ☆」シリーズを超えるコント番組はないと思っているくらいです。

——原田さんの手掛ける番組は、いわゆるメタ構造の企画が多いですが、それはシベリア少女鉄道からの影響ですか?

原田:そうですね。僕の中でバイブル的な存在です。シベリア少女鉄道のメタ的な視点に衝撃を受けたことが、「作り手」を意識するきっかけにもなってて。フジテレビに入社したときから、自分で番組を作るなら、テレビのフレームワークを利用したおもしろい企画をやりたいなと思っていました。

——あえて「ウレロ☆」以外だと、どんな番組がお好みですか?

原田:「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ)を見たときは「うわ、やられた」と思いました。構造でうまく遊びながら、作り込みが丁寧で、あの出力のものを特番ではなく毎週レギュラーでやれるのがすごいなって。

演者ありきではなく、企画の時点で80点を目指す

——初めて企画・演出を手掛けた「ここにタイトルを入力」(2021年〜)は、若手のトライアル枠ということで、ターゲットなどのオーダーがなく、自由に個性を発揮できたと思うのですが。

原田:ありがたいことに、ゼロから最後まで自分の好きなようにやらせてもらいました。企画としては、それまで自分がテレビを見ながら抱いていた違和感がアイデアのもとになっていて、初めての企画・演出だったこともあり、その違和感と破壊衝動のようなものを結びつけて、言語化していく作業でした。

——テレビは良くも悪くも強固なフォーマットによって成立している番組がほとんどなので、破壊しがいがありますよね。

原田:僕自身そこまで熱心にたくさんのテレビ番組を見てきたわけではないので、そんな僕でもイメージできる範囲のテレビ像をネタにするということは意識していました。逆に、もし僕がコアなテレビ視聴者だったら、企画がニッチになりすぎていた可能性もあると思います。

——ちなみに、「ここにタイトルを入力」の中で、原田さんの個人的なお気に入り回は?

原田:霜降り明星のせいやさんを主役にした「その恋、買い取ってもいいですか?」ですかね。あまり自分の番組を見返すことはないんですけど、この回は何度か見返しちゃっています。シンプルに「恋愛を買い取る」という、あまりにもテレビでやってそうなコンセプト感が大喜利の回答として気に入ってます。

——番組を作る立場から見て、やはり芸人さんは演者として欠かせない存在ですか。

原田:重要な役割を担っていただくことが多いので、ものすごくリスペクトしています。そもそも、自分の企画の立て方として、出演者の方の力量ありきではなく、まずは企画の段階で80点くらいは目指せたらなと思ってるんです。枠組みやフォーマットだけで、ある程度まで笑えるものにはなってるよね、という。その企画をもとに、現場で出演者のみなさんの力をお借りして、100点満点中200点を狙っていけるような感覚。企画者である自分はあくまで趣旨を説明することまでしかできないので、それを出演者の方、特に芸人さんが、より分かりやすく、おもしろく、「伝えたいこと」を「伝わるもの」に仕上げてくれるイメージです。

——ご自身の企画と相性がいいなと思うのは、どういうタイプの演者ですか。

原田:基本的に僕が考える企画の特性が、テレビの構造を使ったボケ要素の強い企画なので、出演者はツッコミの方が相性いいと思っています。制作者がボケて、演者がツッコミを入れる、という構図になるので。

——企画にツッコミを入れるといえば、原田さんが企画・演出を手掛けた「あえいうえおあお」(22年)は、毎回フジテレビのアナウンサーの1人にフォーカスして、密着ドキュメンタリーを装いながら、最後は奇抜な着地をする番組でした。

原田:あの番組もある種のボケ企画ですが、テーマとしては局のアナウンサーの魅力を伝えることがお題だったので、どちらかというと広告を作るつもりで考えました。とはいえ、よくあるアナウンサー番組にはしたくなかったので、新しい魅力を引き出しつつ、企画として笑いのレイヤーを乗せることを意識した結果、ああいったドキュメンタリーから展開していく構成になりました。

人為的なコンプライアンスチェックの過程をそのまま企画に

——6月6日に第2弾が放送された「有吉弘行の脱法TV」は、「テレビでできないとされていること」をテーマに、コンプライアンスの境界を探る企画でした。

原田:企画を思いついたきっかけとしては、第1弾でも検証した乳首の落書きってどこまで映せるんだろう、というものです。幼稚園児が描いた下手なものはOKなはずだし、芸大生が描いた写真みたいにリアルなものはNGな気がするし、だったら、必ずそこには映せなくなる境界線が存在していて、逆に言えば、そのギリギリのラインは映せるはずだなと。YouTubeではAIを使ってある程度の規制をかけていますが、テレビは完全に人が判定しているんです。局内にコンプライアンスをチェックする専門の部署がある。機械ではなく人間が決める、その曖昧さがおもしろいなと思い、どう判定するのかをそのまま企画にしました。なので、番組制作中は、毎日その部署に通って「この絵に描かれた乳首は放送できますか? もう少しだけリアルでも大丈夫ですか?」など、繊細な微調整を繰り返して本当の限界値を探ってました。

——実際にコンプライアンスをチェックする部署の担当者は、どういう反応だったのですか。

原田:全然、邪険にはされなかったですね。当然ですが、コンプライアンスチェックの方もテレビをつまらなくしてやろうと思って仕事をしてるわけではないので、協力するからにはおもしろい番組にしたいと言っていただき、つまびらかな検証をしてもらいました。どうして放送できないのかをちゃんと言葉にしてもらえたので、建設的なやりとりができたと思います。

——そもそも、かつては放送できていたものが、今は放送できないというのは、放送法などのルール改正があったわけではなく、あくまで局の判断、自主規制の問題ですよね?

原田:そうです。違法性とかではなく、あくまで会社としての危機管理の問題。世間の空気感やSNSで起きた事件などの蓄積があって、人為的に判断しています。線引きは局によっても、放送する時間帯によっても違いますし、細かく言えば、その番組に出演している人によっても変わると思います。と、あまり裏話はしたくないのですが……「有吉弘行の脱法TV」の制作段階でも、放送に至らなかったアイデアはたくさんあるんです。いじってはダメな領域、そもそも線引きを検証すること自体がNGという。なので、企画が生まれたとしても社内で通すのが難しいというケースが少なからずありますね。

テレビをメタ的に解釈して企画にするのは禁じ手にも近い

——これまでに観てきた演劇などの影響があるとはいえ、入社1年目から、テレビのフレームそのものを疑う企画を連発しているのは、非常に特異な才能だと思います。

原田:もちろんキャリアを積んで、テレビ制作の基礎を学んだからこそ作れる素晴らしい番組もあると思います。ただ、大前提として、僕はテレビで見たことのない番組を作りたいし、まだやられていない方法で人を笑わせたい。そこが大きなモチベーションになっているので。自分の感覚としては、テレビの長い歴史の中で、もう大体のことはやり尽くされている。そうなると、どうしても決まった領域の中で、どんどん細かい大喜利でしか差別化できない番組作りが加速してしまう気がしていて。そういう意味では、テレビをメタ的に解釈して企画にするっていうのは、禁じ手に近い。領域を無理やり拡張してしまう、本来は最後にたどり着く大喜利でもあるという。

——終わりの始まり、ですよね。と同時に、例えばYouTubeなど別のメディアで、テレビを脱構築するような企画をやるのではなく、テレビ局員として内側から揺さぶっていることに意義があるなと。

原田:僕はテレビでテレビをいじるからこそ、おもしろいと思っているんです。なんだかんだテレビは共通言語が最も多いメディアだと思うので、たとえテレビをまったく見ていない人でも、テレビってこういうもの、というイメージくらいは持っている。それこそコンプラが厳しくなっている、とか。個々人が抱くそのイメージの良し悪しとは別に、構造や文脈が共有されているって、ものすごいアドバンテージです。普段触れていない人にまで、そのイメージが知れ渡っていることが、テレビが最も優位性を発揮できるところだと思っていて、だからこそ、ふざけがいがあるんです。

結局最初のアイデアが一番おもしろかった、とならないために

——企画を考える上で、こういうことはやらないようにしている、というのはありますか?

原田:実体験で言うと、スタートの時点で「 純粋なエンタメとしてのおもしろさ」以外のことを目標として設定しない、ということですかね。「視聴率が取れそう」はもちろん、レギュラーとして継続できそうとか、マネタイズができそうとか、純粋なおもしろさ以外を初期段階で目標にすると、どうしてもコンテンツとしての爆発力に欠けたものになるし、直線的な企画になってしまうんですよね。余白を持って漂わせてこそ企画はおもしろくなっていくと思うので。

その上で、最初に思いついたことは曲げないようにしています。企画を番組として成立させる過程では、どうしてもロジックがうまくいかない部分が出てきたりするので、現実的な落とし所を探ることになるんですけど、そこで路線を変えてしまうと、結局最初のアイデアが一番おもしろかった、という結果になりがちなんです。

——本来は完成形が一番おもしろくなっていないといけないのに。

原田:そう、思いついたときがピークって、それじゃあせっかく作る意味がなくなってしまう。

——原田さんの番組は、「ここにタイトルを入力」のバイキング小峠さんが半分になっているビジュアルや、「有吉弘行の脱法TV」の「海賊版ガチャピン」など、ネット映えする一枚絵やパワーワードがいつも用意されています。

原田:それは、企画を考えるときはたいてい絵から思い浮かべるっていうことが一つと、日々摂取しているものがどうしてもネット文脈のものが多いので、言葉に落とし込む段階で自然とそうなっているんだと思います。感覚としても、今のテレビバラエティの潮流よりも、ネットの文脈をなぞるほうが意識としては強いです。

——最後に。「有吉弘行の脱法TV」の第2弾では、冒頭にMCの有吉さんが、番組の方向性を決定づける大事な話をしていますよね。

原田:実際に現場でご一緒すると、有吉さんのすさまじい能力に驚かされます。瞬時に企画の趣旨を理解して、それを適切な言葉で伝えてくれる。第1弾で「大人のビデオ」をテーマにした企画があるのですが、料理してるお母さんをずっと映して、その後ろで男女がそういうことをするのが小さく見切れてるという。映像的にはお母さんがメインだから、っていう趣旨なんですけど、有吉さんがVTRを見た瞬間「お母さん、がんばれ」って言ったんです。この一言だけで、視聴者に企画の見方を完璧に説明してくれた。あの洞察力と言語化力には感動しました。この番組の企画性を考えても、もし有吉さんがMCじゃなかったら、まったく異なった見方をされたり、そもそも番組として成立していなかった可能性は大いにあると思うので、感謝しかありません。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

「有吉弘行の脱法TV」#2
テレビを知り尽くした有吉弘行が「テレビで出来ないとされていること」を知恵を振り絞って抜け穴を考え、何とか実現しようとするギリギリ合法なバラエティー番組の第2弾。昨年放送された第1弾では、「地上波で映せる乳首の限界」、「訴えられないガチャピンの海賊版の境界線」などを検証。第2弾もさまざまなテーマで“脱法”を企てている。

6月19日までTVerで配信中
https://tver.jp/episodes/epv9zru7em

The post 「有吉弘行の脱法TV」企画・演出の原田和実 フジテレビ入社5年目が目指す「見たことのない番組作り」 appeared first on WWDJAPAN.

「有吉弘行の脱法TV」企画・演出の原田和実 フジテレビ入社5年目が目指す「見たことのない番組作り」

PROFILE: 原田和実/テレビディレクター

原田和実/テレビディレクター
PROFILE: (はらだ・かずとみ)1996年生まれ、静岡県出身。テレビディレクター。フジテレビ編成制作局バラエティ制作センター所属。2020年に入社し、翌21年に手掛けた「ここにタイトルを入力」が話題に。22年には「あえいうえおあお」などを企画・演出。23年には「ここにタイトルを入力」の新春特番や「有吉弘行の脱法TV」を手掛ける。PHOTO:TAMEKI OSHIRO

入社1年目で企画書を提出し、2年目で初めて企画・演出を務めたテレビ番組「ここにタイトルを入力」が大きな注目を集めた、フジテレビの原田和実。その後も話題作を作り続け、直近では「有吉弘行の脱法TV」が放送されたばかり。現在5年目、その発想の源と、企画を正しく実現するまでのこだわりを聞いた。

——もともと学生時代は放送作家になりたかったと?

原田和実(以下、原田):はい。大学では劇団を立ち上げて、脚本・演出をしていたのですが、当時テレビ東京で放送していたシチュエーションコメディの「ウレロ☆」シリーズが大好きで、その番組に脚本で参加していたシベリア少女鉄道という劇団を主宰する土屋亮一さんに憧れていました。自分の劇団で作・演出をやりながら、テレビ番組でも脚本やコントを書く、そういう仕事をしたいなって。

——「ウレロ☆」シリーズでは、放送作家であり脚本家のオークラさんも参加していました。

原田:オークラさんも尊敬する作家の1人です。バナナマン×東京03「handmade works live」や「崩壊シリーズ」は自分の人生に欠かせない大好きな作品だし、まさに舞台とテレビを行き来するような仕事をされていて。いまだに「ウレロ☆」シリーズを超えるコント番組はないと思っているくらいです。

——原田さんの手掛ける番組は、いわゆるメタ構造の企画が多いですが、それはシベリア少女鉄道からの影響ですか?

原田:そうですね。僕の中でバイブル的な存在です。シベリア少女鉄道のメタ的な視点に衝撃を受けたことが、「作り手」を意識するきっかけにもなってて。フジテレビに入社したときから、自分で番組を作るなら、テレビのフレームワークを利用したおもしろい企画をやりたいなと思っていました。

——あえて「ウレロ☆」以外だと、どんな番組がお好みですか?

原田:「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ)を見たときは「うわ、やられた」と思いました。構造でうまく遊びながら、作り込みが丁寧で、あの出力のものを特番ではなく毎週レギュラーでやれるのがすごいなって。

演者ありきではなく、企画の時点で80点を目指す

——初めて企画・演出を手掛けた「ここにタイトルを入力」(2021年〜)は、若手のトライアル枠ということで、ターゲットなどのオーダーがなく、自由に個性を発揮できたと思うのですが。

原田:ありがたいことに、ゼロから最後まで自分の好きなようにやらせてもらいました。企画としては、それまで自分がテレビを見ながら抱いていた違和感がアイデアのもとになっていて、初めての企画・演出だったこともあり、その違和感と破壊衝動のようなものを結びつけて、言語化していく作業でした。

——テレビは良くも悪くも強固なフォーマットによって成立している番組がほとんどなので、破壊しがいがありますよね。

原田:僕自身そこまで熱心にたくさんのテレビ番組を見てきたわけではないので、そんな僕でもイメージできる範囲のテレビ像をネタにするということは意識していました。逆に、もし僕がコアなテレビ視聴者だったら、企画がニッチになりすぎていた可能性もあると思います。

——ちなみに、「ここにタイトルを入力」の中で、原田さんの個人的なお気に入り回は?

原田:霜降り明星のせいやさんを主役にした「その恋、買い取ってもいいですか?」ですかね。あまり自分の番組を見返すことはないんですけど、この回は何度か見返しちゃっています。シンプルに「恋愛を買い取る」という、あまりにもテレビでやってそうなコンセプト感が大喜利の回答として気に入ってます。

——番組を作る立場から見て、やはり芸人さんは演者として欠かせない存在ですか。

原田:重要な役割を担っていただくことが多いので、ものすごくリスペクトしています。そもそも、自分の企画の立て方として、出演者の方の力量ありきではなく、まずは企画の段階で80点くらいは目指せたらなと思ってるんです。枠組みやフォーマットだけで、ある程度まで笑えるものにはなってるよね、という。その企画をもとに、現場で出演者のみなさんの力をお借りして、100点満点中200点を狙っていけるような感覚。企画者である自分はあくまで趣旨を説明することまでしかできないので、それを出演者の方、特に芸人さんが、より分かりやすく、おもしろく、「伝えたいこと」を「伝わるもの」に仕上げてくれるイメージです。

——ご自身の企画と相性がいいなと思うのは、どういうタイプの演者ですか。

原田:基本的に僕が考える企画の特性が、テレビの構造を使ったボケ要素の強い企画なので、出演者はツッコミの方が相性いいと思っています。制作者がボケて、演者がツッコミを入れる、という構図になるので。

——企画にツッコミを入れるといえば、原田さんが企画・演出を手掛けた「あえいうえおあお」(22年)は、毎回フジテレビのアナウンサーの1人にフォーカスして、密着ドキュメンタリーを装いながら、最後は奇抜な着地をする番組でした。

原田:あの番組もある種のボケ企画ですが、テーマとしては局のアナウンサーの魅力を伝えることがお題だったので、どちらかというと広告を作るつもりで考えました。とはいえ、よくあるアナウンサー番組にはしたくなかったので、新しい魅力を引き出しつつ、企画として笑いのレイヤーを乗せることを意識した結果、ああいったドキュメンタリーから展開していく構成になりました。

人為的なコンプライアンスチェックの過程をそのまま企画に

——6月6日に第2弾が放送された「有吉弘行の脱法TV」は、「テレビでできないとされていること」をテーマに、コンプライアンスの境界を探る企画でした。

原田:企画を思いついたきっかけとしては、第1弾でも検証した乳首の落書きってどこまで映せるんだろう、というものです。幼稚園児が描いた下手なものはOKなはずだし、芸大生が描いた写真みたいにリアルなものはNGな気がするし、だったら、必ずそこには映せなくなる境界線が存在していて、逆に言えば、そのギリギリのラインは映せるはずだなと。YouTubeではAIを使ってある程度の規制をかけていますが、テレビは完全に人が判定しているんです。局内にコンプライアンスをチェックする専門の部署がある。機械ではなく人間が決める、その曖昧さがおもしろいなと思い、どう判定するのかをそのまま企画にしました。なので、番組制作中は、毎日その部署に通って「この絵に描かれた乳首は放送できますか? もう少しだけリアルでも大丈夫ですか?」など、繊細な微調整を繰り返して本当の限界値を探ってました。

——実際にコンプライアンスをチェックする部署の担当者は、どういう反応だったのですか。

原田:全然、邪険にはされなかったですね。当然ですが、コンプライアンスチェックの方もテレビをつまらなくしてやろうと思って仕事をしてるわけではないので、協力するからにはおもしろい番組にしたいと言っていただき、つまびらかな検証をしてもらいました。どうして放送できないのかをちゃんと言葉にしてもらえたので、建設的なやりとりができたと思います。

——そもそも、かつては放送できていたものが、今は放送できないというのは、放送法などのルール改正があったわけではなく、あくまで局の判断、自主規制の問題ですよね?

原田:そうです。違法性とかではなく、あくまで会社としての危機管理の問題。世間の空気感やSNSで起きた事件などの蓄積があって、人為的に判断しています。線引きは局によっても、放送する時間帯によっても違いますし、細かく言えば、その番組に出演している人によっても変わると思います。と、あまり裏話はしたくないのですが……「有吉弘行の脱法TV」の制作段階でも、放送に至らなかったアイデアはたくさんあるんです。いじってはダメな領域、そもそも線引きを検証すること自体がNGという。なので、企画が生まれたとしても社内で通すのが難しいというケースが少なからずありますね。

テレビをメタ的に解釈して企画にするのは禁じ手にも近い

——これまでに観てきた演劇などの影響があるとはいえ、入社1年目から、テレビのフレームそのものを疑う企画を連発しているのは、非常に特異な才能だと思います。

原田:もちろんキャリアを積んで、テレビ制作の基礎を学んだからこそ作れる素晴らしい番組もあると思います。ただ、大前提として、僕はテレビで見たことのない番組を作りたいし、まだやられていない方法で人を笑わせたい。そこが大きなモチベーションになっているので。自分の感覚としては、テレビの長い歴史の中で、もう大体のことはやり尽くされている。そうなると、どうしても決まった領域の中で、どんどん細かい大喜利でしか差別化できない番組作りが加速してしまう気がしていて。そういう意味では、テレビをメタ的に解釈して企画にするっていうのは、禁じ手に近い。領域を無理やり拡張してしまう、本来は最後にたどり着く大喜利でもあるという。

——終わりの始まり、ですよね。と同時に、例えばYouTubeなど別のメディアで、テレビを脱構築するような企画をやるのではなく、テレビ局員として内側から揺さぶっていることに意義があるなと。

原田:僕はテレビでテレビをいじるからこそ、おもしろいと思っているんです。なんだかんだテレビは共通言語が最も多いメディアだと思うので、たとえテレビをまったく見ていない人でも、テレビってこういうもの、というイメージくらいは持っている。それこそコンプラが厳しくなっている、とか。個々人が抱くそのイメージの良し悪しとは別に、構造や文脈が共有されているって、ものすごいアドバンテージです。普段触れていない人にまで、そのイメージが知れ渡っていることが、テレビが最も優位性を発揮できるところだと思っていて、だからこそ、ふざけがいがあるんです。

結局最初のアイデアが一番おもしろかった、とならないために

——企画を考える上で、こういうことはやらないようにしている、というのはありますか?

原田:実体験で言うと、スタートの時点で「 純粋なエンタメとしてのおもしろさ」以外のことを目標として設定しない、ということですかね。「視聴率が取れそう」はもちろん、レギュラーとして継続できそうとか、マネタイズができそうとか、純粋なおもしろさ以外を初期段階で目標にすると、どうしてもコンテンツとしての爆発力に欠けたものになるし、直線的な企画になってしまうんですよね。余白を持って漂わせてこそ企画はおもしろくなっていくと思うので。

その上で、最初に思いついたことは曲げないようにしています。企画を番組として成立させる過程では、どうしてもロジックがうまくいかない部分が出てきたりするので、現実的な落とし所を探ることになるんですけど、そこで路線を変えてしまうと、結局最初のアイデアが一番おもしろかった、という結果になりがちなんです。

——本来は完成形が一番おもしろくなっていないといけないのに。

原田:そう、思いついたときがピークって、それじゃあせっかく作る意味がなくなってしまう。

——原田さんの番組は、「ここにタイトルを入力」のバイキング小峠さんが半分になっているビジュアルや、「有吉弘行の脱法TV」の「海賊版ガチャピン」など、ネット映えする一枚絵やパワーワードがいつも用意されています。

原田:それは、企画を考えるときはたいてい絵から思い浮かべるっていうことが一つと、日々摂取しているものがどうしてもネット文脈のものが多いので、言葉に落とし込む段階で自然とそうなっているんだと思います。感覚としても、今のテレビバラエティの潮流よりも、ネットの文脈をなぞるほうが意識としては強いです。

——最後に。「有吉弘行の脱法TV」の第2弾では、冒頭にMCの有吉さんが、番組の方向性を決定づける大事な話をしていますよね。

原田:実際に現場でご一緒すると、有吉さんのすさまじい能力に驚かされます。瞬時に企画の趣旨を理解して、それを適切な言葉で伝えてくれる。第1弾で「大人のビデオ」をテーマにした企画があるのですが、料理してるお母さんをずっと映して、その後ろで男女がそういうことをするのが小さく見切れてるという。映像的にはお母さんがメインだから、っていう趣旨なんですけど、有吉さんがVTRを見た瞬間「お母さん、がんばれ」って言ったんです。この一言だけで、視聴者に企画の見方を完璧に説明してくれた。あの洞察力と言語化力には感動しました。この番組の企画性を考えても、もし有吉さんがMCじゃなかったら、まったく異なった見方をされたり、そもそも番組として成立していなかった可能性は大いにあると思うので、感謝しかありません。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

「有吉弘行の脱法TV」#2
テレビを知り尽くした有吉弘行が「テレビで出来ないとされていること」を知恵を振り絞って抜け穴を考え、何とか実現しようとするギリギリ合法なバラエティー番組の第2弾。昨年放送された第1弾では、「地上波で映せる乳首の限界」、「訴えられないガチャピンの海賊版の境界線」などを検証。第2弾もさまざまなテーマで“脱法”を企てている。

6月19日までTVerで配信中
https://tver.jp/episodes/epv9zru7em

The post 「有吉弘行の脱法TV」企画・演出の原田和実 フジテレビ入社5年目が目指す「見たことのない番組作り」 appeared first on WWDJAPAN.

「手仕事は世界に誇れる日本の強み」 有松で400年続く伝統技術の未来を担うスズサン5代目が語る

PROFILE: 村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター

村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1982年愛知県名古屋市生まれ。英国のサリー美術大学を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科を卒業。在学中の2008年にデュッセルドルフでsuzusan e.K. (現Suzusan GmbH & Co. KG)を設立。自社ブランド「スズサン」をスタートした。14年に法人化した家業のスズサン(旧鈴三商店)を4代目の父から継承し、20年から現職。現在もデュッセルドルフで暮らしながら、デザインや有松でのモノづくりを監修している

名古屋市有松で400年以上続く伝統技術である有松鳴海絞りを生かしたアイテムを提案する「スズサン(SUZUSAN)」は6月29日まで、ドイツ・ベルリンを代表するセレクトショップのアンドレアス ムルクディス(ANDREAS MURKDIS)でイベント「ハンズ・イン・ジャパン(HANDS IN JAPAN)」を開催中だ。同イベントは「スズサン」のウエアやホームアイテムと共に、モダンな感性と日本の伝統技術を掛け合わせた12ブランドの手仕事を感じる製品を展示・販売するもの。開幕に合わせてベルリンを訪れた村瀬弘行最高経営責任者(CEO)兼クリエイティブ・ディレクターに、「スズサン」の歩みやイベント開催のきっかけから日本の伝統技術に対する思い、そして、これからの夢までを聞いた。

興味がなかった家業を継ぐ気になった理由

「小さい頃から布に囲まれて育ったので、日本にいた時は家業に興味がなかった」と明かす村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、もともと職人である父の後を継ぐつもりはなく、アーティストを志して英国に留学。その後、ドイツに移り、デュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科で学んだ。「ある時、父が英国で『ニッティング&スティッチング・ショー(The Knitting & Stitching Show)』(消費者向けのテキスタイルイベント)に招待され通訳として同行し、そこで現地の人たちが有松絞りに強い興味や関心を示す姿を目の当たりにして衝撃を受けた。また、別の機会にコンテンポラリーアート界の有名ギャラリストであるビクトリア・ミロ(Victoria Miro)に有松絞りの生地を見せたところ、とても気に入り、たくさん購入してくれた。その時に感じたのは、日本の伝統工芸はヨーロッパにおけるコンテンポラリーアートと同じレベルになりうるということ。そこで、コンテンポラリーアートをやりたい自分の気持ちと家業である伝統工芸という、かけ離れていると感じていた2つがつながった」と振り返る。

そして、経営学を専攻していたドイツ人のルームメイトが、たまたま家に置いてあった有松絞りの布を気に入ったことから、一緒にデュッセルドルフで起業。5枚のスカーフから、スズサン初のオリジナルブランド「スズサン」をスタートした。ただ、最初から順風満帆だったわけではなく、ヨーロッパ各地のセレクトショップにアポ無しで飛び込み、説明してまわったという。その時、最初に買い付けてくれた店の一つが、アンドレアス ムルクディスだった。

世界を知るデザイナーの発想と日本の職人技術の融合

今回のイベントのきっかけになったのは、2022年にパリのギャルリー・ヴィヴィエンヌで開かれた名古屋市主催の伝統産業海外マーケティング支援プロジェクト「クリエイション・アズ・ダイアログ(Creation as DIALOGUE)」のイベントだった。村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、世界を知るデザイナーの新しい発想と名古屋に根差す伝統的な手仕事を結び付け、海外での販路開拓を目指す同プロジェクトのクリエイティブ・ディレクター兼統括コーディネーターを務めており、自身でバイイングをしているアンドレアス・ムルクディス=オーナーのことも招待。アンドレアス ムルクディスでは、もともといくつもの日本ブランドを取り扱っていたが、会場でムルクディス=オーナーはモノづくりの背景や技術に感銘を受けたという。

「クリエイション・アズ・ダイアログ」では、「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」でバッグデザイナーを務めていた古川紗和子、「ヴァン クリーフ&アーペル(VAN CLEEF & ARPELS)」などでジュエリーデザイナーのキャリアを積んだ名和光道、建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロン(HERZOG & DE MEURON)出身のダイスケ・ヒラバヤシの3人を起用し、伝統工芸を手掛ける10社の職人をマッチング。革新的な新製品開発に取り組んだ結果、仏壇製作のノウハウを生かした木製のバニティーボックスや、モダンアートのような配色で仕上げられた漆塗りの燭台と香立て、七宝焼きのジュエリーなどが生まれた。それらに加え、今回の「ハンズ・イン・ジャパン」では、長野の山翠舎によるブランド「サンスイ(SAUSUI)」の解体された古民家の木材を使ったオブジェや、東京の廣田硝子によるあぶり出し技法を用いたグラス、線香の生産地として知られる淡路島の薫寿堂がパリ拠点「サノマ(CANOMA)」と共同制作したインセンス(お香)などもラインアップする。

海外からの視点で見る日本の伝統工芸

村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターがこういったイベントに携わる背景には、「なくなってしまう寸前の日本の伝統的な手仕事を、次世代につなげたい」という熱い想いがある。「日本には経済産業省に指定された『伝統的工芸品』が241もあり、本当に手仕事が盛んな国。そんな国は他にはほぼなく、世界に誇れる日本の強みだと思う。しかし、その多くは、次世代の後継者がいなかったり、現代的に表現する方法を知らなかったりという課題に直面している。15年前は自分の家業も同じような状況で職人は父一人だったが、今では若者も含め職人が19人にまで増えた。お金も経験もコネもなくゼロからスタートした『スズサン』での自分自身の経験を他の伝統工芸にも生かしたい」。

その経験から語るのは、「日本のクラフトは“メード・イン・ジャパン”と声高に主張しがちだが、その必要はない。手に取ってもらうきっかけは美しい色や心地よい手触りなどでいいと思う。けれど、背景にある伝統技術やストーリーを異なる文化背景を持った人に理解してもらうのは工夫が必要」ということ。「日本の伝統工芸の多くは上質で美しく、それを生み出す職人は素晴らしい技術を持っている。一方、彼らはある意味、井の中の蛙のようでもある。もちろん、長年同じものを作り続けている職人たちが自分たちの作品や製品を“世界一”だと考えるのは当たり前だ。しかし、いかに優れた製品であっても、職人たちが自分たちの立場で考えて『良い』と思う伝え方や見せ方は、必ずしもベストではない。海外市場においては、伝統的な使い方がフィットしないことも多い。外からの客観的な目線が必要だ」。そういった意味で海外を拠点にするメリットは大きく、「自分が入ることで、海外で受け入れられる方法やアイデアを日本の伝統工芸にもたらすことができると思う」と続ける。

「世界の人に日本の職人のもとを訪れてもらいたい」

「スズサン」の取扱店舗は現在、パリのレクレルール(LECLAIREUR)やミラノのビッフィ(BIFFI)といった有名店をはじめ、世界29カ国120店。そのうちの65%はヨーロッパ、15%は北米、日本は15〜20%程度だといい、海外市場でしっかりとブランドを確立していることが分かる。また、村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、昨年からイベント「東京クリエイティブサロン」にも関わっており、その一環で参画企業の羽田未来総合研究所と共に海外からVIPゲストを招へいして、地方の工房や工場を巡るツアーも企画した。そんな彼は、今後をどのように見据えているのか?

「この15年は日本の伝統文化を世界に打ち出していくことに注力してきた。次の15年は世界のユーザーを有松に迎えるような取り組みに力を入れていく。今計画しているのは、ローカルツアーを組むこと。海外から現地に足を運んでもらい、ワークショップや郷土料理などを通して、地域に根差した伝統文化やモノづくりに触れてもらいたい。製品を作ったり売ったりというだけでなく、体験による人間らしいコミュニケーションを通して、顧客と職人のつながりを生み出していけたらうれしい」。作り手と使い手、昔ながらの伝統と未来の可能性、そして日本と海外をつなぐ架け橋としての挑戦はこれからも続く。

The post 「手仕事は世界に誇れる日本の強み」 有松で400年続く伝統技術の未来を担うスズサン5代目が語る appeared first on WWDJAPAN.

「手仕事は世界に誇れる日本の強み」 有松で400年続く伝統技術の未来を担うスズサン5代目が語る

PROFILE: 村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター

村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1982年愛知県名古屋市生まれ。英国のサリー美術大学を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科を卒業。在学中の2008年にデュッセルドルフでsuzusan e.K. (現Suzusan GmbH & Co. KG)を設立。自社ブランド「スズサン」をスタートした。14年に法人化した家業のスズサン(旧鈴三商店)を4代目の父から継承し、20年から現職。現在もデュッセルドルフで暮らしながら、デザインや有松でのモノづくりを監修している

名古屋市有松で400年以上続く伝統技術である有松鳴海絞りを生かしたアイテムを提案する「スズサン(SUZUSAN)」は6月29日まで、ドイツ・ベルリンを代表するセレクトショップのアンドレアス ムルクディス(ANDREAS MURKDIS)でイベント「ハンズ・イン・ジャパン(HANDS IN JAPAN)」を開催中だ。同イベントは「スズサン」のウエアやホームアイテムと共に、モダンな感性と日本の伝統技術を掛け合わせた12ブランドの手仕事を感じる製品を展示・販売するもの。開幕に合わせてベルリンを訪れた村瀬弘行最高経営責任者(CEO)兼クリエイティブ・ディレクターに、「スズサン」の歩みやイベント開催のきっかけから日本の伝統技術に対する思い、そして、これからの夢までを聞いた。

興味がなかった家業を継ぐ気になった理由

「小さい頃から布に囲まれて育ったので、日本にいた時は家業に興味がなかった」と明かす村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、もともと職人である父の後を継ぐつもりはなく、アーティストを志して英国に留学。その後、ドイツに移り、デュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科で学んだ。「ある時、父が英国で『ニッティング&スティッチング・ショー(The Knitting & Stitching Show)』(消費者向けのテキスタイルイベント)に招待され通訳として同行し、そこで現地の人たちが有松絞りに強い興味や関心を示す姿を目の当たりにして衝撃を受けた。また、別の機会にコンテンポラリーアート界の有名ギャラリストであるビクトリア・ミロ(Victoria Miro)に有松絞りの生地を見せたところ、とても気に入り、たくさん購入してくれた。その時に感じたのは、日本の伝統工芸はヨーロッパにおけるコンテンポラリーアートと同じレベルになりうるということ。そこで、コンテンポラリーアートをやりたい自分の気持ちと家業である伝統工芸という、かけ離れていると感じていた2つがつながった」と振り返る。

そして、経営学を専攻していたドイツ人のルームメイトが、たまたま家に置いてあった有松絞りの布を気に入ったことから、一緒にデュッセルドルフで起業。5枚のスカーフから、スズサン初のオリジナルブランド「スズサン」をスタートした。ただ、最初から順風満帆だったわけではなく、ヨーロッパ各地のセレクトショップにアポ無しで飛び込み、説明してまわったという。その時、最初に買い付けてくれた店の一つが、アンドレアス ムルクディスだった。

世界を知るデザイナーの発想と日本の職人技術の融合

今回のイベントのきっかけになったのは、2022年にパリのギャルリー・ヴィヴィエンヌで開かれた名古屋市主催の伝統産業海外マーケティング支援プロジェクト「クリエイション・アズ・ダイアログ(Creation as DIALOGUE)」のイベントだった。村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、世界を知るデザイナーの新しい発想と名古屋に根差す伝統的な手仕事を結び付け、海外での販路開拓を目指す同プロジェクトのクリエイティブ・ディレクター兼統括コーディネーターを務めており、自身でバイイングをしているアンドレアス・ムルクディス=オーナーのことも招待。アンドレアス ムルクディスでは、もともといくつもの日本ブランドを取り扱っていたが、会場でムルクディス=オーナーはモノづくりの背景や技術に感銘を受けたという。

「クリエイション・アズ・ダイアログ」では、「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」でバッグデザイナーを務めていた古川紗和子、「ヴァン クリーフ&アーペル(VAN CLEEF & ARPELS)」などでジュエリーデザイナーのキャリアを積んだ名和光道、建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロン(HERZOG & DE MEURON)出身のダイスケ・ヒラバヤシの3人を起用し、伝統工芸を手掛ける10社の職人をマッチング。革新的な新製品開発に取り組んだ結果、仏壇製作のノウハウを生かした木製のバニティーボックスや、モダンアートのような配色で仕上げられた漆塗りの燭台と香立て、七宝焼きのジュエリーなどが生まれた。それらに加え、今回の「ハンズ・イン・ジャパン」では、長野の山翠舎によるブランド「サンスイ(SAUSUI)」の解体された古民家の木材を使ったオブジェや、東京の廣田硝子によるあぶり出し技法を用いたグラス、線香の生産地として知られる淡路島の薫寿堂がパリ拠点「サノマ(CANOMA)」と共同制作したインセンス(お香)などもラインアップする。

海外からの視点で見る日本の伝統工芸

村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターがこういったイベントに携わる背景には、「なくなってしまう寸前の日本の伝統的な手仕事を、次世代につなげたい」という熱い想いがある。「日本には経済産業省に指定された『伝統的工芸品』が241もあり、本当に手仕事が盛んな国。そんな国は他にはほぼなく、世界に誇れる日本の強みだと思う。しかし、その多くは、次世代の後継者がいなかったり、現代的に表現する方法を知らなかったりという課題に直面している。15年前は自分の家業も同じような状況で職人は父一人だったが、今では若者も含め職人が19人にまで増えた。お金も経験もコネもなくゼロからスタートした『スズサン』での自分自身の経験を他の伝統工芸にも生かしたい」。

その経験から語るのは、「日本のクラフトは“メード・イン・ジャパン”と声高に主張しがちだが、その必要はない。手に取ってもらうきっかけは美しい色や心地よい手触りなどでいいと思う。けれど、背景にある伝統技術やストーリーを異なる文化背景を持った人に理解してもらうのは工夫が必要」ということ。「日本の伝統工芸の多くは上質で美しく、それを生み出す職人は素晴らしい技術を持っている。一方、彼らはある意味、井の中の蛙のようでもある。もちろん、長年同じものを作り続けている職人たちが自分たちの作品や製品を“世界一”だと考えるのは当たり前だ。しかし、いかに優れた製品であっても、職人たちが自分たちの立場で考えて『良い』と思う伝え方や見せ方は、必ずしもベストではない。海外市場においては、伝統的な使い方がフィットしないことも多い。外からの客観的な目線が必要だ」。そういった意味で海外を拠点にするメリットは大きく、「自分が入ることで、海外で受け入れられる方法やアイデアを日本の伝統工芸にもたらすことができると思う」と続ける。

「世界の人に日本の職人のもとを訪れてもらいたい」

「スズサン」の取扱店舗は現在、パリのレクレルール(LECLAIREUR)やミラノのビッフィ(BIFFI)といった有名店をはじめ、世界29カ国120店。そのうちの65%はヨーロッパ、15%は北米、日本は15〜20%程度だといい、海外市場でしっかりとブランドを確立していることが分かる。また、村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、昨年からイベント「東京クリエイティブサロン」にも関わっており、その一環で参画企業の羽田未来総合研究所と共に海外からVIPゲストを招へいして、地方の工房や工場を巡るツアーも企画した。そんな彼は、今後をどのように見据えているのか?

「この15年は日本の伝統文化を世界に打ち出していくことに注力してきた。次の15年は世界のユーザーを有松に迎えるような取り組みに力を入れていく。今計画しているのは、ローカルツアーを組むこと。海外から現地に足を運んでもらい、ワークショップや郷土料理などを通して、地域に根差した伝統文化やモノづくりに触れてもらいたい。製品を作ったり売ったりというだけでなく、体験による人間らしいコミュニケーションを通して、顧客と職人のつながりを生み出していけたらうれしい」。作り手と使い手、昔ながらの伝統と未来の可能性、そして日本と海外をつなぐ架け橋としての挑戦はこれからも続く。

The post 「手仕事は世界に誇れる日本の強み」 有松で400年続く伝統技術の未来を担うスズサン5代目が語る appeared first on WWDJAPAN.

パルコ店長から百貨店店長に 大丸東京店・緒方店長がねらう「化学反応」

PROFILE: 緒方道則/大丸松坂屋百貨店執行役員大丸東京店長

緒方道則/大丸松坂屋百貨店執行役員大丸東京店長
PROFILE: (おがた・みちのり)1992年パルコ入社。地方店や大型店で経験を重ねたのち、仙台店・上野店・仙台2などの準備室に勤務。2013年から大丸松坂屋百貨店へ1年間出向。17年に心斎橋パルコ準備室長を経て、20年に開業した同店の店長に就く。24年3月から現職

3月1日付で大丸東京店の店長に就任した緒方道則氏の人事は、百貨店業界において異例のものだった。緒方氏は大丸松坂屋百貨店と同じJ.フロント リテイリング(JFR)傘下のパルコ出身で、直前まで心斎橋パルコの店長だった。百貨店の店長は現場を知り尽くしたプロパー社員が就くポジションだったが、その常識を覆す。「百貨店の伝統とパルコの革新の融合」こそがが自分の役割だと緒方氏は話す。

WWD:就任して2カ月半が過ぎた(取材時点)。パルコと大丸の違いをどう感じている?

緒方道則・大丸東京店長(以下、緒方):デベロッパーによるショッピングセンター(SC)、小売業による百貨店という業態の違いはもちろんある。だけど最大の違いは、のれんの重みだ。お客さまは洋服でもお菓子でも「大丸で買う」とおっしゃる。パルコの場合は、テナントの名前が前に出るケースが多い。お客さまから「大丸らしくない」「大丸ならこうあるべきだ」という厳しい声も届く。百貨店に求められるレベルは高い。それに応えようとスタッフも誇りを持って働いている。

有形無形の「のれんの力」

WWD:取り扱うカテゴリーも客層もパルコに比べて幅広い。

緒方:(ファッションが中心の)パルコは一定の年齢で卒業するお客さまが多い。自然に顧客世代がリセットさせる。だからテナントも大胆と変えることができる。一方、百貨店はお客さまとの関係が長く続く。大丸でランドセルを買ってもらった子供がやがて親になり、自分の子供のランドセルも大丸で求める。祖母が孫の就職祝いに財布を買ってあげる。3代にわたって大丸を利用してくださるお客さまも少なくない。長い歳月をかけて築かれる信頼関係は、百貨店の最大の財産だ。識別IDがなくても、密につながっているお客さまがたくさんいる。これも有形無形ののれんの力だ。

私が2月までいた心斎橋パルコは年間入店客数が1500万〜1600万人だった。大丸東京店は東京駅直結の立地のため約3000万人に上る。もちろん売上高も大きく違う。心斎橋パルコはパルコの上位店ではあるが259億円(24年2月期、テナント取扱高)。大丸東京店の783億円(同、総額売上高)と比べると差がある。

WWD:デベロッパー業であるパルコとは組織体制も異なる。

緒方:心斎橋パルコが社員25人前後で現場を回すのに対し、大丸東京店は230人前後が働く。パルコは渋谷、心斎橋、名古屋のような旗艦店の店長も部長級。大丸松坂屋の場合、主要店舗の店長は執行役員になる。店舗には人事機能もある。百貨店の店舗は一つの会社のようなものだと思う。

WWD:店長の仕事も異なるのか。

緒方:パルコの店長はプレイングマネージャーのような存在だ。店舗の改装も主導し、アパレルなどの取引先にも商談に行く。一方、社員が多い百貨店は組織の役割分担がしっかりしているので、店長の仕事はマネジメント型になるのかなと感じている。ただ、私が百貨店に呼ばれたのは化学変化を期待されてのこと。新しい店長の姿を探っていきたい。

WWD:毎朝の開店時に入り口に立って客入れもするのか。

緒方:店舗にいる時は可能な限り立つようにしている。これもパルコにはない新鮮な習慣だ。百貨店の店長の責任は重い。例えば、月1回の飲食店の衛生チェックも私が白衣を着て、厨房の確認に立ち会う。スプリンクラーや避難経路の確認など防災点検も店長の大切な仕事だ。店長が現場の隅々まで責任を持つ。お客さまからのクレーム対応も取引先ではなく、まず百貨店が受け付ける。百貨店は提供する商品とサービスの全てに責任を持つ。のれんとは、こうして長い時間をかけて築かれてきたのだと実感している。

異例の人事に「え?なんで?」

WWD:今回の異動では、緒方さんともう1人、渋谷パルコの店長だった塩山将人さんも大丸札幌店の店長になった。JFRとしての思惑があるはずだが、内示で何か言われたか。

緒方:JFRの好本達也社長(当時)に「大丸東京店の店長をやってくれ」と言われて、「え?なんで?」という感じだった。驚いたけれど、自分は何事もポジティブに受け取る性格だ。業態も違う、管理手法も違う。でもお客さまの期待に応える仕事の本質は変わらない。好本さんからは「これまでの経験も生かして、新しい目で東京店を見てくれ」と言われた。百貨店の伝統とパルコの革新の融合を託されたのだと解釈している。

WWD:心斎橋パルコの店長時代は、隣接する大丸心斎橋店とずっと連携してきた。

緒方:20年11月に開業した心斎橋パルコは、各フロアが連絡通路で大丸心斎橋店と連結していた。買い回るお客さまを増やし、シナジーを最大化しようと、常に協力し合ってきた。特に大丸心斎橋店の小室孝裕店長からは学ぶことが多かった。

実は13年から14年にかけて大丸松坂屋の本社(東京・木場)に出向した経験もある。JFRがパルコをグループ化して初の人事交流のメンバーの1人だった。パルコから出向した私は主に百貨店のMDを経験させてもらった。一方、大丸松坂屋からパルコに出向したのが現JFR社長の小野圭一さんだった。

役職に関係なく議論する「面白くする会」

WWD:大丸東京店をどんな店にしたい?

緒方:東京駅直結で全国のお客さまとつながる百貨店だ。ポテンシャルは大きい。徒歩圏にある日本橋の三越と高島屋は重厚な店舗を構え、百貨店の伝統をしっかり守っている。大丸はそれとは異なる路線を押し進めるべきだ。12年に建て替え開業してから基本的なフレームは変わっていない。八重洲・丸の内は再開発でこれからも街の姿が変わる。面白い仕掛けがいろいろとできる。

たとえば、地下1階のわれわれの隣で営業している東京駅一番街(JR東海の子会社・東京ステーション開発が運営)の「東京キャラクターストリート」には日本中から推し活の人が押し寄せている。大丸もカルチャーやエンタメとの結びつきを強化して、もっと新しいお客さまを呼びたい。大丸東京店でも3月から約1カ月間、人気コミック「メンタル強め美女 白川さん」をコラボした企画を店内の各所で展開した。6月5〜11日にはVチューバーグループ・にじさんじのライバーと組んだ「アンディメンション(UN-DIMENSION)」のポップアップも好評だった。ショッピングのエンタメ化に可能性を感じている。近年、JFRはeスポーツ分野への投資を強めているが、そんなフロアがあってもいい。

WWD:殻を破ることはできるか。

緒方:実は前店長の田中倫暁さん(現・大丸松坂屋常務執行役員経営戦略本部長)が昨年から風土改革に着手し、月に2回「東京店を面白くする会」を開いている。現場の従業員が集まって、役職に関係なくざっくばらんに議論を交わしている。変化を恐れずに新しいことに挑戦するマインドを醸成する。そんな流れを促していきたい。

The post パルコ店長から百貨店店長に 大丸東京店・緒方店長がねらう「化学反応」 appeared first on WWDJAPAN.

サッカー日本代表・三笘薫が「ゼロハリバートン」のアンバサダーに就任

森下宏明エース社長に聞く起用理由

エース(東京、森下宏明社長)傘下のスーツケースブランド「ゼロハリバートン(ZERO HALLIBURTON)」は、サッカー日本代表の三笘薫選手とアンバサダー契約を結んだ。

森下社長は三笘の起用理由について、「グローバルな活躍ぶりやサッカーに対するストイックさなど、本人の生き様や姿勢に共感し、『ゼロハリバートン』のブランドコンセプトである“In Pursuit(追求)”とも一致したため」と述べる。

三笘選手に単独インタビュー

WWD:「ゼロハリバートン」との出合いは?

三笘薫(以下、三笘):僕が中高生のころ、兄が使っていて親近感があった。

WWD:「ゼロハリバートン」は、上質さと機能性を併せ持つスーツケース界のユーティリティープレーヤーといえる。同じくユーティリティープレーヤーである三笘選手が、同ブランドについて特に優れていると感じる点は?

三笘:内容物をしっかり守ってくれること。僕は1泊の予定でも2泊分の下着を持って行くタイプで、すぐに荷物が増えてしまう(笑)。それに加えて、筋肉をほぐすマシンガンや超音波の出る装置など精密で高価なものも持ち運ぶので、「ゼロハリバートン」の収納力とアルミニウムケースの保護力は心強い。キャスターのスムーズさにも感動していて、イングランドの石畳もストレスなく持ち運べる。傷が付きにくく、神経質に扱わなくて良いのもうれしい。

WWD:デザイン面の評価は?

三笘:ソリッドでスタイリッシュ。存在感がありつつも、場所ごとに溶け込んでくれる。

WWD:スーツケースに必ず入れているものはある?

三笘:アウェーの試合のときなどは、普段から飲んでいる水(500mL)を2本ほど携行する。やはり体に入れるものには気を付けたいし、100%以上のパフォーマンスを発揮したいので。

WWD:最後に少しプライベートな質問も。「ゼロハリバートン」を持って夫婦で出掛けるとしたらどこに行きたい?

三笘:これまで行ったことがないところに行ってみたい。例えば四国で、本場のおいしいうどんを食べてみたり。「ゼロハリバートン」はシンプルなので、女性が使っても良いと思う。

三笘選手と「ゼロハリ」のプロフィール

三笘は、1997年5月20日生まれ、大分県出身。川崎フロンターレを経て、現在はイングランド・プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに所属する。2022年に結婚を発表した。

「ゼロハリバートン」は1938年、アメリカ中西部で創業した。NASA(アメリカ航空宇宙局)の依頼によりアポロ11号用に“月面採取標本格納器”を製造し、69年に月の石を持ち帰ったエピソードで知られる。アルミニウムケースがブランドアイコンだ。2006年、エースが買収した。

PHOTOS : NORIHITO SUZUKI

The post サッカー日本代表・三笘薫が「ゼロハリバートン」のアンバサダーに就任 appeared first on WWDJAPAN.

「成分トレンド」で注目度増す! 今、なぜ「ペプチド」なのか?

スキンケアを成分で選ぶトレンドは、2024年も続きそうだ。ビタミンC、ナイアシンアミドに続くネクスト成分は何か?化粧品の発表会で、「ペプチド」を耳にする機会が増えた。例えば、今年日本上陸を果たした韓国スキンケアブランド「パーセル(PURCELL)」は、独自のペプチドエキスを高濃度配合した美容液“パーセル PD フェイスセラム”(30mL、5610円)を発売。また、パーソナライズヘアケアブランド「メデュラ(MEDULLA)」は、洗い流さない髪用美容液“メデュラ ハイパーリンクセラム”(55mL、定期3960円、会員価格4400円、通常5280円)に、ダメージ補修が期待できる低分子ペプチドを採用している。

ぺプチドは、アミノ酸が2個以上結合したもので体内にも存在する。コラーゲンやエラスチンに働きかけ、若々しい肌を保つという。今回は、美容業界の3人のキーパーソンに、ペプチドがマーケットで支持される理由を聞く。回答者は、Dr. デス・フェルナンデス「エンビロン(ENVIRON)」スキンケアシステム開発者、竹岡篤史スキンケア成分ハンター、山中美智子「ファヴス(FAVS)」プロデューサー。

――― 「エンビロン」スキンケアシステム開発者であるDr. デスが23年に来日した時「これから注目すべき成分は、エイジレスな肌に欠かせない『ペプチド』」と断言していた。理由は?

Dr. デス・フェルナンデス「エンビロン(ENVIRON)」スキンケアシステム開発者(以下、Dr. デス):「エンビロン」は、ペプチド配合の化粧品を25年以上開発してきた。まずペプチドは、アミノ酸が鎖状につながったもので体内に存在する。タンパク質を構成する物質であること、特にアミノ酸配列は、ある特定の細胞が他の細胞の活動を変化させるための指示伝達物質であるということから話した方が良いだろう。ペプチドは、組織間の「会話」に不可欠な物質であり、対象の組織と調和しながら、さまざまな共鳴で振動している。私たちの体内には20種類のアミノ酸があり、ペプチドはたった2つのアミノ酸が結合した「ジペプチド」、あるいは6つの結合「ヘキサペプチド」であったりする。アミノ酸が長く連なったものは、「ポリペプチド」と呼ばれる。ジペプチドの場合、20種のアミノ酸の組み合わせは1000通り以上にもなり、ペプチドのサイズを大きくすればその組み合わせは何十万通りにもなるが、そのうち、効果が認められるペプチドはほんのわずかだ。

皮膚におけるペプチドの研究は、創傷部位に含まれるコラーゲンやエラスチンの再生・形成を刺激することの発見に始まる。また、ペプチドは、若い人の肌に多く含まれ、肌の若さを保つ働きがある。光ダメージによってコラーゲンとエラスチンは壊されてしまうため、若々しい肌を保ちたいのであれば再生する必要がある。 ここまで、天然ペプチドについて述べてきたが、色素沈着(シミ)のコントロール・脂肪細胞に働きかけるなどの有効性が認められた「合成」ペプチドも存在する。この分野は急速に成長しており、毎月のように新しいペプチドが開発されている。発表前の 新しいペプチドを提供してくれる企業もあり、「エンビロン」は非常に早い段階でこれらの商品の処方や実験を開始することができると自負している。特に、“C―クエンスシリーズ”などに、先駆けてペプチドを配合してきた。

――― 「ファヴス」では“ペプチドハイドレーティングアンプル”(3190円)にペプチドを配合している。その理由は?

山中美智子「ファヴス」プロデューサー(以下、山中):一般的に、ペプチドや成長因子は皮膚の細胞の分裂・再生をサポートするといわれている。「ファヴス」のアンプルには一種類のペプチドを入れたのではなく、さまざまなペプチドと成長因子を同時に配合し、多方面にアプローチすることを目指した。選定したペプチドは、EGF1g当たり2000万円以上と非常に高価だ。また高含量の単一製剤として使用した場合、肌が敏感になるといった副作用を想定し、複合ペプチド+成長因子とし、商品価格を抑えるように努力している。

―――「ペプチド」をスキンケアで継続的に使うメリット、期待できる効果は?

竹岡篤史スキンケア成分ハンター(以下、竹岡):ビタミン同様に肌の持つ機能を助けたり、一時的に活性化させたり、沈静化を早めたりして、肌が持つ再生力を高めたり、健康な状態でいようとする力「恒常性」を高めたりする。ペプチドは、体の重要な機能、再生や代謝のスイッチをONやOFFにし、いわば肌の「向上力」を上げる成分といえる。

Dr.デス:ペプチドは、コラーゲンやエラスチンなどを最大限に増やし、引き締まった健康的な厚みのある肌を手に入れることができる。ペプチドは、継続的に使用することが望ましい。はじめは濃度が低く、望ましい効果を感じられるレベルまで組織中のペプチド濃度を高めるには数日かかるからだ。もうひとつの理由は、ペプチドが皮膚を通過する際に変質し、吸収されたときに活性が低下してしまう可能性があるためだ。あるメッセンジャーペプチドは、コラーゲンをより多く生成する「機械のスイッチを入れる」かもしれないが、永久持続的ではない。ペプチドがスイッチ機能を果たさなくなると、別のペプチドに交換しなければならないことも覚えておきたい。

――― なぜ、今ペプチドが見直されているのか。自身を「敏感肌」と感じる人が増えていることとも関係する?

竹岡:ペプチドは、既に20年以上に渡り世界中で応用されてきた。肌への効果も研究されていて、信用できる成分だ。私の知る限り、化粧品で使用されるペプチドのほとんどは非常に短いオリゴペプチドからできており、アレルギー性が発生しないように設計されている。肌へどのように働くのかも考えて開発されているので、非常に低濃度で効果を示すことも特徴だ。有効性を保ちながら、肌にやさしい安全性も設計ができることが魅力。敏感肌や刺激を感じやすい人にも使用可能な成分であり、カスタマイズしやすいのもメリットだ。新しいものに目移りしやすい化粧品業界において、温故知新の動きなのではないか。

山中:韓国のビューティトレンドとも関係している。Cosmetic Mania Newsが報じた、2023年時点の韓国コスメのトレンド展望データによれば、エイジングケアのニーズが1位だった。日本でも、エイジングケアを中低価格アイテムでかなえたいニーズが高まっていて、エイジングケアに長けた成分としてペプチドが見直されている。

――― 今後「ペプチド」以外で、ニーズが高まりそうな注目成分は?

山中:フサザキスイセン根エキスやツボクサエキスなど植物由来成分だ。「ファヴス」では、成長因子などをリポソーム化して肌に適切に届けることも大切にしている。

竹岡:毛穴に着目したスキンケア成分の開発が広がってきている。中でも注目しているのが「ローヤルゼリー酸(表示名称は、10-ヒドロキシデセン酸、10-ヒドロキシデカン酸、セバシン酸など)」だ。ハチミツにはなく、ローヤルゼリーにのみ含まれる脂肪酸の一群をローヤルゼリー酸と呼ぶ。例えば、ヒドロキシデカン酸、セバシン酸は「シシ(SISI)」のクレジングの共通成分、「マナラ(MANALA)」の“オンリーエッセンス”(100mL、6050円)や“アクナル”シリーズに採用されている。また、アゼライン酸などの「ヒドロキシ酸」にも注目している。

Dr.デス:健康で美しい肌をつくり、それを維持するための要件をペプチド単独で、全てカバーできるわけではない。ビタミンAはDNAを健康な状態に保ち、細胞を保護する重要な分子。全てのスキンケアにおいて何らかの形で取り入れるべきだ。問題は、太陽の光を浴びるたび、皮膚に備わっているビタミンAが破壊されることでシミのような色素沈着や、シワ、ニキビが起きたりする。ビタミンAはヒアルロン酸生成に不可欠な成分であるため、ビタミンAが不足すると乾燥肌につながる可能性もある。さらに、ビタミンCなどの抗酸化物質を補う必要があるほか、肌質によってはAHA(アルファヒドロキシ酸)を使うこともオススメだ。エンビロンのC-クエンスセラム(35mL、1万8040円~2万2770円)には、ペプチドだけではなく、ビタミンAやC、EEなど多彩な美容成分を採用している。

The post 「成分トレンド」で注目度増す! 今、なぜ「ペプチド」なのか? appeared first on WWDJAPAN.

“アパレル正社員”の道を選んだカリスマインフルエンサー 加藤愛里が「ティーナ:ジョジュン」で描く夢

PROFILE: 加藤愛里/「ティーナ:ジョジュン」クリエイティブディレクター&デザイナー

加藤愛里/「ティーナ:ジョジュン」クリエイティブディレクター&デザイナー
PROFILE: (かとう・あいり)/1998年生まれ、岐阜県出身。大学時代にユーチューブで活動を始め、現在インスタグラムでは21万人のフォロワーを抱えるインフルエンサー。シライに正社員として入社し、2021年2月「ティーナ:ジョジュン」を立ち上げ、クリエイティブディレクター&デザイナーを務める PHOTO:SHUHEI SHINE

「ティーナ:ジョジュン(TINA:JOJUN)」は、ルミネエスト新宿やルクア大阪など全国に5店舗を構える、若い女性の間で人気のアパレルブランドだ。クリエイティブディレクター&デザイナーの加藤愛里はインスタフォロワー21万人を抱えるカリスマ。大学時代からユーチューブやインスタグラムで活動していたが、卒業後は名古屋のアパレル企業であるシライ(白井浩一社長)に正社員として入社し、ブランドを立ち上げた。インフルエンサーが個人事業主としてブランドを運営するケースも珍しくない昨今、彼女が「アパレル社員」として働く道を選んだ理由とブランドの今後について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ティーナ:ジョジュン」のコンセプトやターゲットについて教えてください。

加藤愛里(以下、加藤):“OLD AND NEW”がコンセプトです。「古くて新しい」「定番だけど奥深い」「定番だけど被らない」服作りを心掛けています。私のフォロワーの層がだいたい大学1年生ぐらいから32、3ぐらいまでの方が多いので、そのあたりの年齢層を意識していますね。

WWD:ブランド立ち上げまでの経緯は。

加藤:小学生の時からずっと自分でファッションブランドをやりたい、ブランドをやるならブランド名は「ティーナ」にしたい、とずっと家族に言っていたのを覚えています。デザイナーになるっていう夢以外、考えたことがなくて。

高校ではニュージーランドに1年間留学していました。そこで服ができるまでの一連の流れを学ぶ中で、自分が「職人気質ではない」と気づきました。手を動かして服を作ることが好きなんじゃなくて、それまでの過程、頭の中で自分が欲しいものを考えているときが、1番自分にとって幸せな時間だと気づいたんです。 だから服飾学校には行かず、大学ではマーケティングとマネジメントの勉強をしました。

大学時代には「まずSNSでファンを集めよう!」と思い、ユーチューブチャンネルも開設しました。自分が好きな世界観を発信しているうちに、自然とフォロワーが増えて“インフルエンサー”と言われるようになりました。ただその間も、あくまでブランドをやることしか頭になかったので、ユーチューブやインスタグラムは私の感性を表現する場所として徹底していました。卒業後はシライに入社して、ブランドを立ち上げました。

WWD:例えばインフルエンサーとしての活動をメインにしつつ、業務委託でブランド運営に携わる選択肢もあったのではないでしょうか。

加藤:「インフルエンサーブランド」ではなく、しっかりと服として見てもらえるモノ作りをしたいと思ったのが1番の理由です。それに個人事業主だと、自分の性格的に「今後どうしよう」「大丈夫かな」と心配ごとで頭がいっぱいになってしまうので(笑)。学生の頃からブランドをやりたい!とSNSで公言していたので、たくさんの会社からお声がけいただきました。その中で、「自分の作りたいものが本当に作れるのか?」ということを軸に会社(シライ)を選びました。当社はウィメンズファッションを扱う自社ECサイト「ジョイントスペース(JOINT SPACE))」を運営しています。自社でアパレル商品の企画・製造・販売まで一貫できる体制があるのが決め手でしたね。

WWD::社員としての働き方は?

加藤:ガッツリ週5で働いています。シーズンのコンセプト決めはもちろん、服のデザインからSNS・展示会に関することまで全て関わります。インスタグラムのフィード投稿のトップは「ティーナ」の世界観が一番伝わるようにしたいですし、私にしかできないクリエイティブ。写真撮影を自分ですることもあります。「ティーナ」の世界観を表現するための仕事は、基本的に全部自分が関わっています。逆に、インフルエンサーとしての活動は合間を縫ってやる程度になってしまっていて、ユーチューブの更新も年に3回とかになっちゃっています。

WWD:一番大変な仕事は何ですか?

加藤:デザインですね。トップスの柄はイラレで制作して、オリジナルの柄を1人で作ることもあります。「どっからどう見てもあいりちゃんが作ったでしょ!」みたいなものを作ることがこだわりです。世の中のトレンドを意識しすぎて、「みんなこういうものが好きだよね」という服を作ってた時期もありました。その時は、今よりもっときれいめの服が多かったです。その時はSNSフォロワーも伸び悩んでいて。何がダメなんだろうと考えたとき、今の「ティーナ」の服を自分が着たいかと考えたら「自分らしくない」「違うな」と気がついたんです。2023年秋冬のタイミングで、世の中のニーズを一旦考えないようにして、自分が本当に着たい服だけを作りました。展示会の反応も良くなり、SNS発信の方向性も変えたことでフォロワーがまた一気に伸びました。

WWD:やりがいは?

加藤:最初はファンの子が買ってくれることが、すごく自分の背中を押してくれていたんです。街を歩いていると必ず2、3人自分のブランドの服を着ている人に会うのですが、昔はその着ている子と目が合うと「あいりちゃんだ!」って声を掛けられていました。ただ今は少なくなりましたね。逆に「ティーナ」を着ていても私のことを知らない人が増えていて、それがうれしいです。ブランドが私から離れて独り立ちできているということだから。「ティーナ」が私の知らないところで「服」として選ばれているんだなぁと実感します。

インフルエンサーブランドって今の時代結構くくりにされちゃうじゃないですか。私的にはそれを乗り越えるのが第1ステップだなって思っていて、それはクリアできたのかな。

ティーナのファンには私より一回り年下の学生さんもたくさんいます。これから「好きなものばかり作っていていいのかな?」「デザインよりも質なのかな?」と悩むこともあるかもしれませんが、ファンの子たちと一緒に年を重ねながら、「ティーナ」をできるだけ長く続けていきたいです。

The post “アパレル正社員”の道を選んだカリスマインフルエンサー 加藤愛里が「ティーナ:ジョジュン」で描く夢 appeared first on WWDJAPAN.

「アディダス」のデジタルネックレスが300万円超え 「ロブロックス」がファッション産業にもたらすもの

コミュニケーションプラットフォーム「ロブロックス(ROBLOX)」は、2006年のサービス開始以来、アバタースタイリングを提案し続けてきた。先鋭的な機能やプロジェクト、ファッションブランドとのコラボレーションにより、デジタル上のファッションスタイルの選択肢を着実に広げている。メタバーストレンドの衰退を受け、企業側がバーチャルに関するもの全体を見直しているのは事実であるものの、「ロブロックス」のウィニー・バーク(Winnie Burke、以下ウィニー)グローバル・グループ・ディレクターが考える未来は真逆だ。ウィニーは米「WWD」の取材に対し、「ブランド・パートナーシップの数は増えており、数年単位での取り組みを持つほど関係性も深まっている」と語る。

PROFILE: ウィニー・バーク(Winnie Burke)/「ロブロックス」グローバル・グループ・ディレクター

ウィニー・バーク(Winnie Burke)/「ロブロックス」グローバル・グループ・ディレクター
PROFILE: ニューヨーク・タイムズ在籍後、ソニー・ピクチャーズエンタテインメントでデジタル広告セールス担当副社長を務めた。2015年にロブロックスに入社

広がるブランド・パートナーシップ
小売店とのコラボレーションも

「ロブロックス」上で販売された「アディダス(ADIDAS)」とのコラボによるデジタルネックレスは、今月200万Robux(約312万円※1ドル156円、6月10日時点)で落札された。それまで「ロブロックス」上で販売された限定バーチャルアイテムの最高額とされていた「ランボルギーニ(LAMBORGHINI)」の150万Robux(約234万円)のハットを超え、過去最高額となった。

「ロブロックス」のデイリーアクティブユーザー数は、23年12月末時点で7770万人━━これはイギリスの全人口よりも多い。膨大なユーザーを熱狂させ続けるのは、絶え間ない技術アップデートとユーザー体験、熱心なクリエイター・コミュニティーの構築、そして世界的ブランドとの長年にわたるコミュニケーションだ。「ロブロックス」は過去1年だけでも、「ヴェルサーチェ(VERSACE)」「ヒューゴ ボス(HUGO BOSS)」「ラブシャックファンシー(LOVESHACKFANCY)」「ジバンシイ(GIVENCHY)」、ロレアル、ヒルトンホテル、ウォルマート……その他多くのブランドや企業戦略のためのパートナーシップを築いた。

大きな盛り上がりを見せる「ロブロックス」だが、プラットフォームの成長においてはさらなる投資が必要だ。23年1〜9月の間、プラットフォーム上で販売されたデジタル商品は160万点を超え、前年同期比で15%増加した。一方で、同社の最新の第1四半期(24年1〜3月期)の業績報告書は、ユーザーの支出が減速していることを示唆した。同期の売上高は22%増の8億100万ドル(約1249億5600万円)に達したものの、第2四半期の予測を下方修正したことが投資家の不安を煽ったのだ。つまり「ロブロックス」は新たな収益源を見つける必要に迫られており、すでにその課題に着手している。今年4月、「ロブロックス」マーケットプレイスは申請プロセスを廃止し、資格基準を満たせば誰でもデジタルアイテムを販売できるようになった。先月には、仮想空間上のビルボードで動画広告配信を開始した。

そして次なるチャレンジは小売店への進出だ。かねてから取り組みを進めてきたウォルマートは、「ロブロックス」上でフィジカルとデジタル両方での商品販売をテストしている。先月「ロブロックス」クリエイター3人とコラボし、ウォルマートで実際に売っている「ノーバウンダリーズ(NO BOUNDARIES)」のバッグ、「TAL」のステンレスタンブラー、「オン(ONN)」のワイヤレスヘッドホンの3商品を「ロブロックス」仕様にデザイン。これらデジタルアイテムを「ロブロックス」上で購入すると、フィジカル商品が手元に届き、売り上げは直接ウォルマート側に支払われる仕組みだ。これらの取り組みは、eコマース上での取引がどれだけユーザー、特にZ世代に響くのかを試験するものだった。

「WWD」のインタビューの中で、ウィニーは“「ロブロックス」とファッションの関係”、そして“その関係がどのように成長しているか”、また“ゲームプラットフォームにおける最新の商品販売と広告”について語った。

WWD:「ロブロックス」は以前からファッションブランドとのパートナーシップを築いてきた。最近では「アディダス」との取り組みが良い例だ。

ウィニー・バーク(以下、ウィニー):「アディダス」は、このプラットフォームへのアプローチにおいて非常に理解がある先進的なブランドだ。私達と「アディダス」チームは密接に協力し戦略を練った。私達からはプラットフォーム上のトレンド傾向や「ロブロックス」上での仮想経済、仮想ビジネス、そして彼らが作成する商品の管理方法など、コンサルティング的なアプローチを提供した。

WWD:「アディダス」のほか、どれほどの企業と取り組みを行っている?

ウィニー:カテゴリーを問わず、300以上のブランドと話が進んでいる。私達のコミュニティーにおいて、自己表現とデジタル・アイデンティティーはとても重要なものだ。ウォルマートのような歴史のある小売業者から、「バーバリー(BURBERRY)」や「グッチ(GUCCI)」のようなラグジュアリーブランド、そして「アディダス」や「ナイキ(NIKE)」「プーマ(PUMA)」などのスポーツブランド、さらにファストファッションまで、多くのブランドや企業とプロジェクトに取り組んでいる。数えればきりがないほどだ。

多くのメタバースが衰退する中
「ロブロックス」が成長し続ける理由

WWD:「ロブロックス」は時にメタバースに分類される。しかし独立したプラットフォームであり、独立した仮想世界であるからこそ、他のエコシステムに依存せず、メタバースバブルの崩壊から隔離されているようにも感じる。

ウィニー:同感だ。しかし同時に、ゲームは限定的なものだと感じる。私達のプラットフォームで最も特徴的なことは、ゲーム、エンターテインメント、ソーシャライゼーション、そして友人と共に楽しめるアクティビティーや体験全てが1つに組み合わさっている部分だ。コンサートに参加したり、アーティストに会ったり、プライベートサーバーで気が知れた仲間とつながったり、ファッションショーに参加したり、アバターを着飾ったりすることもできる。中でもファッションスタイルを表現するゲーム“Dressed to Impress”は、「ロブロックス」上でもトップクラスに人気のコンテンツだ。

WWD:様々なコンテンツがそろった「ロブロックス」は、かなり自己完結的な環境とも言える。その一方で2万ドル(約312万円)ものバーチャルアイテムを買ったら、他のプラットフォームでも着用したくなりそうなものだ。他のゲームやプラットフォームとの相互運用性についての計画は?

ウィニー:第一に、私達はコミュニティーのために作られた組織である。現時点で私達が計画していることはないが、「商品をプラットフォーム外に持ち出すことで、コミュニティーに良い影響力をもたらすのか」という部分では常に注目し、検討しているテーマだ。「ロブロックス」の特徴の一つとして、そのアイテムの有用性がプラットフォーム上に存在することだと考えている。アイテムを身につけたり、ステータスとして見せたりしたい場合、「ロブロックス」上なら大勢のオーディエンスや仲間にアピールすることができる。7800万近いユーザーがいるため、絶大な自己表現の場になり得るのだ。プラットフォームそのものは独立的で閉鎖的に見えるかも知れないが、体験自体は非中央集権的であると言えるだろう。

“フィジタル”で実現する
インタラクティブなeコマース戦略

WWD:「ロブロックス」におけるファッションプロジェクトの軌跡とは?

ウィニー:ラグジュアリーブランドはこのプラットフォームに早い時期から参入していた。21年、「グッチ」のデジタル“ディオニュソス”バッグは二次流通でブームを起こし、約4115ドル(約64万1940円)で落札された。現実で販売されているバッグの価格3400ドル(約53万400円)を700ドル(約10万9200円)以上も上回ったのだ。
この「グッチ」の取り組みは、他のラグジュアリーブランドが取り組みを行うための良い指標となった。もちろん慎重に様子を伺うブランドは多いが、この業界ではよくあることだ。十数年前のソーシャルプラットフォームがたどった軌跡とよく似ている。今では、これから取り組みを始めるブランドだけではなく、すでにアクションを始めているブランドでさえ「自分達は遅れをとっているのでは」と焦っている。しかし進化し続けているプラットフォームだからそう感じるだけで、実際は遅れているなんてことはない。

WWD:広告についてはどのような戦略を持つ?

ウィニー:仮想空間上のビルボードを活用することで、デジタル上であっても現実世界と変わらないチャネルとして利用できる。これにより、ブランド側が金銭・時間的な負担を負うことなくプロモーションにつながるよう努めている。

WWD:eコマースプラットフォームとしての「ロブロックス」に至るまでの道のりとは?

ウィニー:ここ1年半ほどはコミュニティーだけでなく、マーケティング担当者やプラットフォームに参加しているブランドのニーズにも耳を傾けてきた。「ロブロックス」には、多くの時間を消費する膨大なオーディエンスがいる。instagram、Pinterest、TikTokなど、他のプラットフォームも実装してきたように、「ロブロックス」もeコマースプラットフォームとして確立していきたい。ブランドやユーザーがプラットフォームから離脱せずに商品の売買を行えるようにしたいと考えている。

WWD:ウォルマートとのプロジェクトは、eコマース事業のための試験的な取り組みだったのか?

ウィニー:確かにウォルマートとの取り組みは試験的に行った。実際にウォルマートが持つエコシステムの中で反響が大きく、トレンドになっている3つの商品をeコマースで提供することができた。「ロブロックス」上のバーチャルアイテムはフィジカルアイテムとは少し異なるが、それがカギだ。ここからインスピレーションを得て欲しい。「アディダス」が販売したデジタルネックレスを現実世界で生産していないのと同じだ。

「ロブロックス」は研究開発として活用するためのプラットフォームではないが、実際に企業はそのように考えているだろう。昨年行った「フェンティ ビューティ(FENTY BEAUTY)」とのコラボレーションでは、ユーザーが作成した様々なバージョンのリップからリアーナが選んだものをフィジカル商品として生産した。このように実際に“フィジタル”が実現した例はたくさんあるし、今後もっと増えていくだろう。

WWD:「アディダス」のデジタルネックレスにはフィジカルスニーカーが付属し、「ランボルギーニ」のデジタルハットはイタリアのランボルギーニ本社へのツアー特権が付属した。「ロブロックス」は今後も、さらなる“フィジタル”体験の提供を強化していく予定なのか。

ウィニー:最終的には私たちのテクノロジーによって、誰もがプラットフォーム上で販売者になれるようになることを目指している。ブランドにとっても、クリエイターにとっても、デジタル上の仲間と共にフィジカル商品の体験を共有できるようにしたい。今年はより正式なソリューションを確立し、複数の実験を行う予定だ。

The post 「アディダス」のデジタルネックレスが300万円超え 「ロブロックス」がファッション産業にもたらすもの appeared first on WWDJAPAN.

「なぜコスメを“ガシャポン”に?」 おもちゃメーカー・バンダイの企画担当者に素朴な疑問をぶつけてみた

PROFILE: 古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ

古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ
PROFILE: PROFILE: (ふるさわ・つぐみ)2016年、バンダイに入社。コスメブランド「クレアボーテ」の商品企画開発を担当している PHOTO : SHUHEI SHINE

コロナ禍以降、気づけばどこもかしこも“ガシャポン”だらけ。駅や商業施設、空港、コンビニまで……“ガシャポン”の自販機を見かける機会が多くなっています。“ガシャポン”といえば、おもちゃやミニチュアのフィギュアなどが思い浮かびますが、実際に使えるコスメが出てくるバンダイのガシャポンシリーズ「ポンデクルール(PON DE COULEUR)」の“ガシャポンコスメ”が異彩を放っています。今までに、サンリオやアニメ「おジャ魔女どれみ」などとコラボし、SNSでも話題となりました。

「なぜコスメを“ガシャポン”にしようと思ったのか」「炎天下の中でも大丈夫なの?」などの素朴な疑問を、バンダイの化粧品ブランド「クレアボーテ(CREERBEAUTE)」の企画を担当している古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフにぶつけてみました。

“ガシャポンコスメ”の課題は、自分で好きな色を選べないこと

WWD:コスメを“ガシャポン”にしようと思ったきっかけは?

古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ(以下、古澤):“ガシャポン”の市場が非常に好調だということは、社内で共有がありました。実は、バンダイは約10年前から「クレアボーテ」というコスメブランドを展開しており、これまでは店頭に並ぶ化粧品の商品化が多かったのです。

ある時、バンダイが作る、おもちゃ屋さんならではのエンターテイメント性のあるコスメを生み出したい、今好調な“ガシャポン”市場でコスメを売るとどうなるんだろう、“色味がランダムで出てくるコスメ”を売ったらどんな風に受け取ってもらえるんだろう、と考えたことが“ガシャポンコスメ”を作ったきっかけです。

WWD:不安はなかったか?

古澤:古澤:とても不安でした。色を自分で選べないということがネガティブにならないよう、どんなカラーが出てきても「当たりだ!」と思ってもらえるよう、万人受けするカラー展開と使用感を意識しました。今までにない誰もがワクワクするコスメを生み出したかったのです。また、コスメは肌に直接塗布するものなのでお客さまに安心安全に使用してもらえるよう、品質管理は徹底しました。

WWD:苦労した点は?

古澤:マシンのディスプレイポスターですね。化粧品売り場とは違いテスターが置けないので、色味や商品のサイズ感などが伝わりにくいことが課題でした。この小さなポスターの中に情報量を詰め込みすぎず、商品を魅力的に、カラー展開をわかりやすく訴求できるかをかなり試行錯誤しました。

発売前にはディスプレーの状態でどのくらい魅力的に見えるかなどのマーケティング調査を実施し、ユーザーの声を募りました。そうして何度も調査を繰り返し、メイクイメージやサイズの表記、天面のデザイン、活用方法などを盛り込み、さらにキャラクターのファンをがっかりさせない世界観のデザインを意識しました。このポスターは、商品とお客さまのファーストインプレションになるので一番時間をかけました。

WWD:コラボレーションするキャラクターはどのように選定している?

古澤:化粧品という商材と、キャラクターの世界観の相乗効果があるかどうかで決めています。子どもの頃、化粧品は大人のお姉さんが使っているという憧れ的な思いを抱いていた人もいたのではないでしょうか。そんな昔に憧れていたキャラクターや作品をセレクトし、版元にコラボしませんか?と声を掛けています。

古澤「自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしい」

WWD:昨今、パーソナルカラーを元にコスメを選ぶ人が増えていると感じます。バラエティーショップの什器や店頭のポップまで、「イエローベースにおすすめ」「ブルーベースにぴったり」などの訴求を見かけるようになりました。

古澤:そんなはやりがある中、この“ガシャポンコスメ”は異端児だと思っています。基本的に化粧品を買う時、自分に似合う色や好きな色を選びたい、失敗したくないという心理が働くことが当たり前ですが、“ガシャポンコスメ”には普段手に取らない新しい色と出合ってほしい、そして自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしいという思いを込めています。

だからこそ、“ガシャポン”シリーズ「ポンデクルール」は、キャッチコピーに“あたらしい色(じぶん)に出会おう”を掲げているんです。

WWD:実際に水色のマルチカラーパウダーを使ってみました。一見使いづらそうな色味ですが、肌に良くなじむ穏やかな発色で、透明感のあるメイクに仕上がります。ただ、メイク初心者にはむずかしそうなこのカラー、使い方はどのように提案するのですか?

古澤:意外と使い勝手が良いカラーなんです。自分には似合わないからとポーチの奥底に眠ってしまうのはもったいないので、手持ちのコスメに重ねてニュアンスチェンジとして使用したり、目元や頬などの顔のさまざまなパーツに使える色味に仕上げました。

WWD:サイズもそこまで小ささを感じなくて、持ち運びやすく、いろんなシーンで使いやすそうです。そういった手軽さもいいですね。

古澤:そうですね。使用方法もいろいろと検討しました。この“ガシャポンコスメ”を手にするきっかけがお目当てのキャラクターで、メイクをしたことがない人がこの商品を手にするかもしれません。そういったことも想定して公式サイトにメイクイメージを掲載したり、他のカラーと組み合わせて使用するメイク方法などを提案しています。

おもちゃメーカーだからこそ、安心安全を徹底

WWD:炎天下の野外など、設置場所によって安全性が左右されてしまうのでは?

古澤:品質管理については、真夏のトラックの中で異変が起きないかなど、かなり厳しい環境を想定して検査を繰り返しました。通常の店頭に並んでいる化粧品よりも過酷な環境下に置かれるというのは想像できるので、安全性には十分に配慮しています。

“ガシャポン”を回した時に落としてパウダーが割れてしまったり、カプセルの中でケースが傷ついたりしないように緩衝材でしっかりと包装するなど、徹底的に検証しました。

WWD:良く見るカラフルなカプセルとは違い、中身が全く見えない黒の理由は?

古澤:開封するまでどんなカラーが出てくるのか分からないワクワク感を楽しんでいただきたく、ブラックのカプセルを採用しています。

WWD:特にこだわった部分は?

古澤:容器の透明度ですね。おもちゃの透明のパーツよりもさらに化粧品が美しく見える、清潔感のあるクリアな容器を採用しています。カプセル自販機での販売を想定した安全基準と、美しい透明感を維持できるギリギリのバランスを攻めました。あとは天面のイラストデザインと、マルチカラーパウダーの色味がリンクするような一体感も心掛けています。

高品質なコスメとキャラクターグッズの両立を目指す

WWD:販売後の反響は?

古澤:ありがたいことに、売り上げもSNSの反響も想像以上でした。2024年3月に“ガシャポンコスメ”を発売しましたが、計画比を大きく上回る形で好スタートを切っています。

WWD:課題は?

古澤:バンダイはおもちゃやゲーム、キャラクターグッズなどのイメージが強く「クレアボーテ」というコスメブランドがあること自体、まだ浸透していません。キャラクターの世界観を反映したパッケージは好評ですが、今後は品質の良さもアピールしていきたいです。

WWD:今後について教えてください

古澤:手軽に楽しめるコスメかつキャラクターグッズとしても満足してもらえるよう両立をしながら、“ガシャポンコスメ”のシリーズを拡充していきたいです。現在はマルチカラーパウダーのみの展開ですが、リップやベースメイクなどの別アイテムも取り扱いを検討しています。皆さんに商品を届けられる準備ができたら発表するので、それまで楽しみにしていてください。

The post 「なぜコスメを“ガシャポン”に?」 おもちゃメーカー・バンダイの企画担当者に素朴な疑問をぶつけてみた appeared first on WWDJAPAN.

「なぜコスメを“ガシャポン”に?」 おもちゃメーカー・バンダイの企画担当者に素朴な疑問をぶつけてみた

PROFILE: 古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ

古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ
PROFILE: PROFILE: (ふるさわ・つぐみ)2016年、バンダイに入社。コスメブランド「クレアボーテ」の商品企画開発を担当している PHOTO : SHUHEI SHINE

コロナ禍以降、気づけばどこもかしこも“ガシャポン”だらけ。駅や商業施設、空港、コンビニまで……“ガシャポン”の自販機を見かける機会が多くなっています。“ガシャポン”といえば、おもちゃやミニチュアのフィギュアなどが思い浮かびますが、実際に使えるコスメが出てくるバンダイのガシャポンシリーズ「ポンデクルール(PON DE COULEUR)」の“ガシャポンコスメ”が異彩を放っています。今までに、サンリオやアニメ「おジャ魔女どれみ」などとコラボし、SNSでも話題となりました。

「なぜコスメを“ガシャポン”にしようと思ったのか」「炎天下の中でも大丈夫なの?」などの素朴な疑問を、バンダイの化粧品ブランド「クレアボーテ(CREERBEAUTE)」の企画を担当している古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフにぶつけてみました。

“ガシャポンコスメ”の課題は、自分で好きな色を選べないこと

WWD:コスメを“ガシャポン”にしようと思ったきっかけは?

古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ(以下、古澤):“ガシャポン”の市場が非常に好調だということは、社内で共有がありました。実は、バンダイは約10年前から「クレアボーテ」というコスメブランドを展開しており、これまでは店頭に並ぶ化粧品の商品化が多かったのです。

ある時、バンダイが作る、おもちゃ屋さんならではのエンターテイメント性のあるコスメを生み出したい、今好調な“ガシャポン”市場でコスメを売るとどうなるんだろう、“色味がランダムで出てくるコスメ”を売ったらどんな風に受け取ってもらえるんだろう、と考えたことが“ガシャポンコスメ”を作ったきっかけです。

WWD:不安はなかったか?

古澤:古澤:とても不安でした。色を自分で選べないということがネガティブにならないよう、どんなカラーが出てきても「当たりだ!」と思ってもらえるよう、万人受けするカラー展開と使用感を意識しました。今までにない誰もがワクワクするコスメを生み出したかったのです。また、コスメは肌に直接塗布するものなのでお客さまに安心安全に使用してもらえるよう、品質管理は徹底しました。

WWD:苦労した点は?

古澤:マシンのディスプレイポスターですね。化粧品売り場とは違いテスターが置けないので、色味や商品のサイズ感などが伝わりにくいことが課題でした。この小さなポスターの中に情報量を詰め込みすぎず、商品を魅力的に、カラー展開をわかりやすく訴求できるかをかなり試行錯誤しました。

発売前にはディスプレーの状態でどのくらい魅力的に見えるかなどのマーケティング調査を実施し、ユーザーの声を募りました。そうして何度も調査を繰り返し、メイクイメージやサイズの表記、天面のデザイン、活用方法などを盛り込み、さらにキャラクターのファンをがっかりさせない世界観のデザインを意識しました。このポスターは、商品とお客さまのファーストインプレションになるので一番時間をかけました。

WWD:コラボレーションするキャラクターはどのように選定している?

古澤:化粧品という商材と、キャラクターの世界観の相乗効果があるかどうかで決めています。子どもの頃、化粧品は大人のお姉さんが使っているという憧れ的な思いを抱いていた人もいたのではないでしょうか。そんな昔に憧れていたキャラクターや作品をセレクトし、版元にコラボしませんか?と声を掛けています。

古澤「自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしい」

WWD:昨今、パーソナルカラーを元にコスメを選ぶ人が増えていると感じます。バラエティーショップの什器や店頭のポップまで、「イエローベースにおすすめ」「ブルーベースにぴったり」などの訴求を見かけるようになりました。

古澤:そんなはやりがある中、この“ガシャポンコスメ”は異端児だと思っています。基本的に化粧品を買う時、自分に似合う色や好きな色を選びたい、失敗したくないという心理が働くことが当たり前ですが、“ガシャポンコスメ”には普段手に取らない新しい色と出合ってほしい、そして自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしいという思いを込めています。

だからこそ、“ガシャポン”シリーズ「ポンデクルール」は、キャッチコピーに“あたらしい色(じぶん)に出会おう”を掲げているんです。

WWD:実際に水色のマルチカラーパウダーを使ってみました。一見使いづらそうな色味ですが、肌に良くなじむ穏やかな発色で、透明感のあるメイクに仕上がります。ただ、メイク初心者にはむずかしそうなこのカラー、使い方はどのように提案するのですか?

古澤:意外と使い勝手が良いカラーなんです。自分には似合わないからとポーチの奥底に眠ってしまうのはもったいないので、手持ちのコスメに重ねてニュアンスチェンジとして使用したり、目元や頬などの顔のさまざまなパーツに使える色味に仕上げました。

WWD:サイズもそこまで小ささを感じなくて、持ち運びやすく、いろんなシーンで使いやすそうです。そういった手軽さもいいですね。

古澤:そうですね。使用方法もいろいろと検討しました。この“ガシャポンコスメ”を手にするきっかけがお目当てのキャラクターで、メイクをしたことがない人がこの商品を手にするかもしれません。そういったことも想定して公式サイトにメイクイメージを掲載したり、他のカラーと組み合わせて使用するメイク方法などを提案しています。

おもちゃメーカーだからこそ、安心安全を徹底

WWD:炎天下の野外など、設置場所によって安全性が左右されてしまうのでは?

古澤:品質管理については、真夏のトラックの中で異変が起きないかなど、かなり厳しい環境を想定して検査を繰り返しました。通常の店頭に並んでいる化粧品よりも過酷な環境下に置かれるというのは想像できるので、安全性には十分に配慮しています。

“ガシャポン”を回した時に落としてパウダーが割れてしまったり、カプセルの中でケースが傷ついたりしないように緩衝材でしっかりと包装するなど、徹底的に検証しました。

WWD:良く見るカラフルなカプセルとは違い、中身が全く見えない黒の理由は?

古澤:開封するまでどんなカラーが出てくるのか分からないワクワク感を楽しんでいただきたく、ブラックのカプセルを採用しています。

WWD:特にこだわった部分は?

古澤:容器の透明度ですね。おもちゃの透明のパーツよりもさらに化粧品が美しく見える、清潔感のあるクリアな容器を採用しています。カプセル自販機での販売を想定した安全基準と、美しい透明感を維持できるギリギリのバランスを攻めました。あとは天面のイラストデザインと、マルチカラーパウダーの色味がリンクするような一体感も心掛けています。

高品質なコスメとキャラクターグッズの両立を目指す

WWD:販売後の反響は?

古澤:ありがたいことに、売り上げもSNSの反響も想像以上でした。2024年3月に“ガシャポンコスメ”を発売しましたが、計画比を大きく上回る形で好スタートを切っています。

WWD:課題は?

古澤:バンダイはおもちゃやゲーム、キャラクターグッズなどのイメージが強く「クレアボーテ」というコスメブランドがあること自体、まだ浸透していません。キャラクターの世界観を反映したパッケージは好評ですが、今後は品質の良さもアピールしていきたいです。

WWD:今後について教えてください

古澤:手軽に楽しめるコスメかつキャラクターグッズとしても満足してもらえるよう両立をしながら、“ガシャポンコスメ”のシリーズを拡充していきたいです。現在はマルチカラーパウダーのみの展開ですが、リップやベースメイクなどの別アイテムも取り扱いを検討しています。皆さんに商品を届けられる準備ができたら発表するので、それまで楽しみにしていてください。

The post 「なぜコスメを“ガシャポン”に?」 おもちゃメーカー・バンダイの企画担当者に素朴な疑問をぶつけてみた appeared first on WWDJAPAN.

ラッパーのvalkneeが作り出す“新たな文化圏”——かわいいからY2K、魔女、ヤンキー、宝塚までMIX

PROFILE: valknee(バルニー)/ラッパー、アーティスト

valknee(バルニー)/ラッパー、アーティスト
PROFILE: 2019年に音楽活動を開始。20年5月にリリースしたシングル「Zoom」でヒップホップファンのみならず幅広い人々から注目を浴び、同曲に参加したメンバーと「Zoomgals」として活動。22年7月にリリースしたEP「vs.」はアメリカの大手音楽メディアPitchforkに掲載された。「ラップスタア誕生2023」への出演や、和田彩花、REIRIE、lyrical schoolといったアイドルへの楽曲提供など活動の幅を広げる。24年4月に1stアルバム「Ordinary」をリリースした。

valknee(バルニー)は、自身のリアルを追求しながら従来のヒップホップの価値観に異を唱えてきた、オルタナティブなラッパーだ。2019年にデビューして以降、世の中への怒りや不満を糧に毒のあるかわいさを作品に取り入れ、独自の世界観を築き上げてきた。コロナ禍に女性ラッパーたちと連帯し結成したZoomgals(ズームギャルズ)をはじめとして、ヒップホップ・フェミニズムの文脈でも重要な存在に。今年の4月にはファーストアルバム「Ordinary」をリリース、先日は渋谷WWWで初のワンマンライブも実現させた。

一方で、ルーツの1つにアイドル音楽もあり、REIRIE(レイリエ)や和田彩花、lyrical school(リリカルスクール)の楽曲プロデュースでも才能を発揮。音楽活動以外では仲間と運営する音声メディア「ラジオ屋さんごっこ」が人気を得ており、その幅広い活動に注目が集まっている。valkneeから発信されるユニークでかわいい表現はクリエイター層の支持も厚く、新たな文化圏を形成しつつあって興味深い。今回は、これまであまり語られることがなかった、表現におけるビジュアルやデザイン・ファッション面を中心に話を聞いた。

アートディレクター“あおいち”の存在

——今回はvalkneeさんのビジュアルやデザイン・ファッション面について伺いたいんですが、出身はムサビ(武蔵野美術大学)でしたよね? 美大時代に学んだことは今の制作に活かされてますか?

valknee:いや、活かされてないと思います(笑)。私は空間演出デザイン学科だったんですけど、何をやりたいのか分からないまま美大時代を過ごしてしまったんですよ。楽しい大学生活ではあったけど、ずっとふざけてた気がする。それよりは、浪人中に予備校でデッサンを描いていたことの方が今につながっているなと思います。デッサンで、描く時にまず薄目で見て全体の陰影をつかんでから、その後ちゃんと見て細部を描く。そういったズームアウトした物の見方というのが、今も役立っているように思いますね。

——俯瞰した引きの視点、ということですね。実際に具体例を伺っていきたいのですが、例えば最新アルバム「Ordinary」のアートワークはどのように作っていったのでしょう。

valknee:私が“あおいち”と呼んでいる、アートディレクターのAOI ITOHさんが私のアー写やジャケ写を長らく担当してくれてるんですけど、今回まだアルバムの中の2曲くらいしかできあがっていない段階でそれをシェアして、「この曲からイメージする私のファーストアルバムを具現化してほしい」と伝えたんです。具体的な色のニュアンスとか、ジャケ写の中で何%くらい私の写真が占めるのかといったことは私が指定してますけど、あとはお任せしています。

私とあおいちの中では、「こういうのがかわいいものだよね」「イケてるよね」という共通の認識というのがあって。これまではそれを全開にしながら自由に表現してきたんですけど、ファーストアルバムはもう少しニュートラルなものにしようということで、若干の調整を入れました。コテコテすぎずサラッとした味わいのものにしたかったんです。あおいちはクライアントワークというよりはどちらかというとアーティスト気質の人で、自由にやってもらったらもっとコテコテのものになると思うんです。でも世の中って私たちみたいな好みの人ばかりじゃないから、もうちょっと手に取りやすいものにしたいんだよねということを話しました。

——なるほど。使用カラーでいうとこれまではピンクが多かったですが、そこは、今回は初めから排除していた?

valknee:そうですね、ピンクと紫は今までたくさん使ってきたのでやめようという話はしました。そういった色を見て共感してくれる方たちは、もうすでにvalkneeを聴いてくれてるんじゃないかなと思って。それより今回は青でいきたかったんですよ。ユースカルチャーにおけるオルタナティブなラップシーンでは、最近イベントのフライヤーやジャケットで青がよく使われていて、手に取りやすい。もちろん、個人的にも嫌いじゃない色だし。やっぱり1枚目のアルバムなので、自己紹介的にいろんな人に手に取ってもらいやすいようにというのを重視しましたね。

——しかも、青のパレットの中でも少しくすんだ感じの色合いですよね。

valknee:最初あおいちからはもう少しパキパキの青であがってきたんですけど、もうちょっとクラフト感がある方がユーズドっぽくて好きなので、そこは微妙な調整を入れていきました。

——アートワークに合わせて、音楽性もこれまでのvalknee的ギャルさ全開という感じではない。そこは少し抑えられた気がします。

valknee:確かに、1曲目の「OG」は庶民的なギャルの日常を描写してますけど、他はそうでもないですよね。ライブをやる時のことを考えるようになったからだと思います。もう少し湿度のあるエモいセクションがあってもいいし、最後はいつも通りドカンと盛り上げてギャル全開でいこう、みたいな。

——以前にはなかった、新たな視点が加わってきたと。

valknee:以前はMAX100人の小箱で盛り上げることを考えていたけど、最近は箱のサイズも徐々に大きくなったり、フェスに出させてもらったりする中で、ロケーションに合う楽曲が必要になってきた感じです。今までいろんなアーティストが「ステージが変わらないと出せない音ってあるよね」ということを言ってて意味が分からなかったんですけど(笑)、ちょっとだけ分かってきた気もします。想像力が増えて、作れる楽曲の幅が広がったようなイメージ。

——あおいちさんとは、今後どういった形でvalkneeを大きくしていきたいか、というようなことも話すんですか?

valknee:いや、あおいちとは目の前のことしか話してないですね。あおいち自身はクラブもフェスも関心がなくて、純粋に私のことだけを応援してくれてる人なんですよ。私にカッコいいスタイリングとヘアメイクをしてイイ感じの写真を撮ることに興味があって、くらいの感覚。私がどこのステージに行こうがあまり興味ないというか(笑)。それよりは、「今これがカッコいい」「これってかわいいよね」というのをシェアし合える仲。あと、ネットのミームも好きで、SNSでのvalkneeへの反応を見て喜んだりとか。昔、「私がビッグになってあおいちを大きいステージに連れてく!」って言ったこともあるんですが、「はて? 大きいステージとは?」みたいな感じだった(笑)。

——あおいちさんとはほぼクルーと言っていいくらいの距離感で一緒にやってきていると思いますが、そもそも最初の出会いはどういうきっかけだったんでしょう。

valknee:最初は「ラジオ屋さんごっこ」の仲間(つーちゃん)が、valkneeに似合いそうな子がいるから紹介するよって言ってくれて。あおいちは当時美大生で、卒展に向けて制作しているような時期でした。それで、あおいちの毒があって刺してくるような作品を見てビビッと来た。どギツイピンクの色合いや真っ赤な血が使われていて、和の世界観の中にかわいいカルチャーや毒気のあるキラキラしたものが盛り込まれていたんです。あおいちも私の曲を気に入ってくれて、意気投合しました。

衣装について

——クルーといえば、バックDJをされているバイレファンキかけ子さんも含めて3人が仲良しですよね。あおいちさんのクリエイティブの世界観には宝塚が大きな影響を与えていると思いますが、バイレファンキかけ子さんも宝塚がお好きみたいで。valkneeチームには、共通の大きなバイブスとして宝塚の存在があるのでしょうか。

valknee:そう、あおいちとかけ子さんも仲が良くて、2人で宝塚を観に行ったりしていますね。私は観たことがなくて、この前初めて連れていってもらいました。圧倒されて終わった(笑)。でも、意識的に観てなくても知らず知らずのうちに影響は受けてるかもしれない。あおいちの家に作業しに行くと、デフォルトで大きいTV画面にスカパーの「タカラヅカ・スカイ・ステージ」というチャンネルが延々と流れてるんですよ(笑)。

——それはもう、影響を受けざるを得ないですね(笑)。

valknee:そういうのも含めて、基本的なノリが合ってるなとは思います。制作をしているとやっぱり合う・合わないがでてくるじゃないですか。自分の場合はそういったナードっぽい人の方が仲良くなりやすい。あおいちはコンプレックスとか悲しみも理解してくれるような室内系のバイブスがあって、とはいえメソメソ系ではなく、室内にいながらも強さがあって、でも疲れやすくて……(笑)。

——ワンマンライブでの衣装も、valkneeさんならではの世界観が表現されていました。あれはどのように固めていったんですか?

valknee:衣装はあおいちに丸投げでも良かったんですけど、まずは自分で考えてみようと思ってイメージを集めていきました。K-POPアイドルの画像も集めて参考にしたかな。1つは今までの延長で、茶系のファーを使って野生の感じもありつつ2000年代的なスタイル。もう1つは、海賊(笑)。新品で購入したのもあるけど、ほとんどがメルカリです。それをあおいちの家に持って行って、インナーや足元など一部を修正して仕上げてもらった感じ。

私の活動規模だとまだまだ予算はなくて、スタイリストさんにお願いするのはちょっと厳しいから、できることは全部自分でやってます。メルカリでも、「ウエスタン ベルト」「上限〇〇円まで」みたいな感じで検索しまくりました(笑)。今回、幕間の映像も全部自分で作ったんですよ。

——なるほど、基本はメルカリなんですね。リアルの古着屋はあまり使わない?

valknee:あまり使わないんですよ。大阪へ行った時にかわいい古着屋を教えてもらって行ったりはしたけど、日常的に東京で行くお店はないですね。今まで働きながら音楽活動をしていたので、週 5で働いて音楽作ってライブもすると余裕がなくて、もう本も読めないみたいな生活で。そうなると、服も本当は好きなんですけどどんどん後回しになっていった。

最近やっと仕事を辞めて音楽活動に専念できるようになったので、ようやくファッションを楽しむ1年生になれた感じ(笑)。あと、自分で服を決めて買うのがけっこう苦手な気がする。それこそ、最近はあおいちとかけ子さんが「これ似合いそうですよ」って勝手にLINEで送ってくれるようになって。そういう時は、あまり考えずに買うようにしてます。彼女たちのセンスを信用してるから。

——valkneeさんといえば、「ルルムウ(RURUMU)」をよく着られている印象もあります。楽曲プロデュースされていたREIRIEも、「ルルムウ」を着用してますね。いつ頃から愛用されてるんですか?

valknee:確かに、「ルルムウ」は好きですね。自分が大学生くらいの時に、国内のちょっと変わったアイドルの人たちが「ルルムウ」を着はじめた記憶があって。凝ったディテールで、魔女っぽくて、かわいいものが好きな心を刺激されるような作りだなと思って当時は見てました。でも私はチャリンコにも乗るし、活発に動くので、難しそうな気がしてずっと見送ってたんですよ。酔っぱらって歩いてたら、そのあたりに引っ掛けて破いちゃいそうじゃないですか(笑)。その後あおいちが「ルルムウ」を手伝うようになったのもあって、ちゃんと見てみたら意外にカジュアルに着られるものもあるなということに気付き購入するようになりました。

共感するラッパーやアーティスト

——ちなみに、ファッション面で共感するラッパーやアーティストはいますか?

valknee:KAMIYAちゃんはファンですね。でも、普通にかてぃとかも好きです。ちょっと悪くてダークな感じというか。

——KAMIYAもかてぃも、ちょっとだけヤンキーっぽいのかもしれない。ということは、sheidA (シェイダ)とか。

valknee:あぁ、sheidAもインスタ見ちゃいますね。そうそう、ヤンキーっぽいけどかわいいっていうのは好きかも。あとはAlice Longyu Gao(アリス・ロンギュ・ギャオ)とかも好き。才能や内面によって、見た目のビジュアルがより素敵に見えるというのが理想だなと思っていて、それは自分も目指したいと思ってます。ただ、まっすぐ見た目が良くてかわいく見えるというのも放棄したくないんですよ。

例えば、私の音楽性だったらK-POPアイドルみたいなファッションの要素ってなくても別にいいと思うんですけど、でもそういうのをあえて取り入れたい。全体としてなんかイケてる、というふうに見てもらいたいです。

——yeaule(ユール)とかJazmin Bean (ジャズミン・ビーン)とかも、まさにそうですよね。かわいいものをどのように自分なりに捉えるかという思想が、ビジュアルに表れている。

valknee:そうなんですよ。Ashnikko(アシュニコ)とかもそう。プラス、自分を奇抜にして面白がって見てもらいたいという感覚もあるのかな。自分もビジュアルを見て違和感を感じてもらいたいから、そのあたりも近いのかも。あとは、見た目を過剰に気にして痩せたいとか若く見えたいとかっていう価値観から抜け出せない人ってたくさんいて、自分もそこで悩むことが多いし、だからそういうところにフィールしてくれる人たちに向けて服を着たいです。世の中のいろんな価値観から解脱したいけど、今日すぐにやめられるわけではないし、その悩みをちゃんと表現できている人に憧れる。

——ちなみに、気になっているスタイリストはいますか?

valknee:そんなにたくさんの人を見ているわけではないですけど、Yuri Noshoさんは好きです。新品を使って終わりじゃない感じが良いし、かわいい。

——でもvalkneeさんの場合、スタイリストと組んでもあまり丸投げしなさそうですよね。ちゃんと自分でも関わっていたいタイプのように見えます。

valknee:私はコントロールフリークなところがあって、自分がどう見えているかをちゃんと把握していないと心配になっちゃうんですよね。それはアートディレクションやファッション以外の、音楽についてもそう。実際それで遅延したこともあるし、自分のオーダーを言いすぎてたんだと思う。作ってもらったトラックに対して、一部のメロディーだけを外して、自分でMIDIで打ったものを渡したりとか……さすがにそれだと作家さんによってはぎくしゃくするし、最新アルバムでは音楽面はお任せしました。

“valknee文化圏”

——ファンの方と相互にコミュニケーションするようなクリエイティブのあり方も模索していますよね。ワンマンライブでは、以前募集していたvalkneeのお友達キャラクターも公開していました。

valknee:あおいちとインスタライブをしながら、ワンマンライブに向けて会議をしたことがあったんです。ライブのマーチをどうしようかと話していた時に、それこそNewJeans(ニュージーンズ)とかのキャラクターがかわいいってなって、恐らく私のリスナーもそういうの好きだろうなと思って募集しちゃいました。その場であおいちがキャラクターを描いて、「じゃあ皆これよりかわいいの描けたら送って~!締切は明後日です!」っていうノリ。妄想してるのは、ファンの方が描いてくれたキャラクターを漫画にしたり、ゲーセンのプライズ(景品)とかにしたり……それでフィーは原作者に入ったらいいよね、みたいな(笑)。

——夢が膨らみますね。ファンの皆さんが描いたキャラクターを見てすごいなと思ったのは、やっぱり皆valkneeさんの好みを分かっていて、どれもトーンが近いんですよね。

valknee:そうなんですよ!曲の内容がキャラクターに反映されていたりして。すごいと思います。

——ライブではmoe_magmag(モエマグマグ)さんのイラストもスクリーンに投影されてました。

valknee:KAMIYAちゃんのジャケ写も描いている方ですね。

——そういったいろんな人が集まってきている、“valknee文化圏”がいまどんどん面白くなってきている印象がある。しかも、実際クリエイターの方が多いんですよね。音楽に限らず、絵を描いていたり服を作っていたり、ユニークなことをしている人がたくさんいる印象です。

valknee:そうなったらいいなと思ってたので、うれしいです。自分はどこに行ってもどんどん新しい友達ができるタイプではなくて、それよりは、好きなモノでつながって共通のゆるいノリを作っていく方が合ってるんですよ。だから、結果的にそういう人が集まってきてるのはうれしい。なんか集団になってきてますよね。

——まだ名前のついていない、新しいコミュニティーができつつあると思うんです。それは、原宿的なかわいさもありつつY2Kもありつつ魔女感もあって、若干のヤンキー感もあって、あと宝塚感も入った(笑)、何とも形容しがたい文化圏。

valknee:そうそう、何とも言えない文化圏(笑)。そういったかわいいモノづくりのノリを復活させたいですよね。ちょっと前まで、「シブカル祭。」とかミスiD系の文脈とかいろいろとあったじゃないですか。そういうのに近いノリを復活させたいですね。

——それこそ、今度7月7日にvalkneeさんが手がけるイベント「Crash Summer」に出演するPINKBLESS(ピンクブレス)やかりん©︎は、そういった新しいギャルバイブスを持った人たちですよね。

valknee:確かに。インターネットを主軸にして活動している新しい世代のカッコいい人たちも今たくさんいるけど、それよりはもうちょっと身体性のある人たちというか。この新しいかわいいカルチャーに何か名前がついたらもっと広まりそうな気もします。「Crash Summer」は、そういった演者たちもたくさん集まってライブするので、皆のファッションを見るだけでも面白いと思う。ぜひいろんな方に遊びに来てほしいです。

PHOTOS:RIE AMANO

■イベント「Crash Summer」
日程:2024年7月7日
時間:OPEN & START 16:30 / CLOSE 21:00
会場:東京・渋谷 WWW X、WWW、 WWWβ
料金:ADV. 5000円 / U-18 4000円 (各1D代別途)
https://www-shibuya.jp/schedule/017903.php

■valknee 「Ordinary」
2024年4月10日リリース
Label:valknee
Tracklist:
1. OG(Prod. ピアノ男)
2. LOOSE(Prod. SEKITOVA)
3. SWAAAG ONLY(Prod. hirihiri)
4. Load My Game(Prod. NUU$HI)
5. Even If(Prod. NUU$HI)
6. Over Sea(Prod. NUU$HI)
7. NOT FOR ME(Prod. KUROMAKU)
8. BREEEEZE(Prod. バイレファンキかけ子)
9. Watch me!(Prod. hirihiri)
10. WHITE DOWN JKT(Prod. hirihiri)
https://linkco.re/H2ggCA9q

The post ラッパーのvalkneeが作り出す“新たな文化圏”——かわいいからY2K、魔女、ヤンキー、宝塚までMIX appeared first on WWDJAPAN.

サキュレアクトが展開する石油に替わる微細藻類原料「ソラルナオイル」の未来像

石油と無関係の生活を送ることは難しい現代社会。それは便利な一方で環境に与える影響も大きい。サキュレアクトがその石油に替わる原料として普及と活用に取り組んでいるのが、微細藻類から作られるソラルナオイルだ。塩原祥子代表取締役は「化粧品業界の負のループを目の当たりにしたことが代替エネルギービジネスに携わるきっかけ」と吐露する。

塩原代表はさまざまな形で25年間化粧品業界に携わり、直近のドラッグストア商材を扱う企業に属していた際に「何千店舗もある大手ドラッグストアとの取り引きがいったん決まると、1SKUにつき1〜2万点納品することになる。販売期間が過ぎるとそれが返品されるわけだが、各店舗独自の防犯タグやシールなどが付いており、それを付け替えての再販は現実的には難しい。保管しても倉庫代がかかるため、結局、安売り業者に卸したり、産業廃棄物として廃棄したりするしかない。化粧品の原料は水以外のほとんどを世界各地から輸入しているわけで、CO2を出して大量に作って売り、今度はお金を払ってCO2を出して大量廃棄する負のループを目の当たりにし、『いったい私は何をやっているんだろう』と嫌気が差した」ことから一度は化粧品業界を卒業した。

その後、22年7月、微細藻類のソラリスとルナリスに出合い再び化粧品業界に戻ることになった。「この微細藻類から石油由来の燃料に替わるSAF(持続可能な航空燃料)を作る研究をしているのがJ-POWER。国際的には50年までの航空分野のカーボンニュートラルという長期目標が掲げられており、現在、さまざまなバイオマスエネルギーを研究している。その一つであるソラリスとルナリスは太陽光と海水、CO2、栄養塩があり、条件が整えば連続的に短期間で増殖する。このソラリスとルナリスを使って、SAFになるまでの過程でできることがあると思い、23年3月にサキュレアクトを起業した」。

そして、「化粧品原料の9割は水と油だ。その油を石油由来ではなく、国内で培養されるソラリスとルナリスから抽出するソラルナオイルを基材として使用できたら面白いなと。さらに、プラスチックの原料にもなるため容器にも使える」と、オリジナルブランド「530(ファイブサーティー)」からソラルナオイル含有の第1弾商品の石けん“シーデザインソープ(SEA DESING SOAP)”を6月10日にマクアケで発売する。同商品は、プラスチック容器を使わない、製造時に水を多く使わない・CO2排出量を極限まで減らせるなどが特長。生活の中からプラスチック商品を減らすきっかけになればとの思いから誕生した、天然由来成分100%で肌にも海にも優しい石けんだ。今後は「ソラルナオイルという名前を普及させ、微細藻類の素晴らしさを伝えていきながら、エネルギーとして未来につながることを広めていきたい」と前を向く。

PHOTO : YUKIE SUGANO
TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
サキュレアクト
info@circureact.com

The post サキュレアクトが展開する石油に替わる微細藻類原料「ソラルナオイル」の未来像 appeared first on WWDJAPAN.

サキュレアクトが展開する石油に替わる微細藻類原料「ソラルナオイル」の未来像

石油と無関係の生活を送ることは難しい現代社会。それは便利な一方で環境に与える影響も大きい。サキュレアクトがその石油に替わる原料として普及と活用に取り組んでいるのが、微細藻類から作られるソラルナオイルだ。塩原祥子代表取締役は「化粧品業界の負のループを目の当たりにしたことが代替エネルギービジネスに携わるきっかけ」と吐露する。

塩原代表はさまざまな形で25年間化粧品業界に携わり、直近のドラッグストア商材を扱う企業に属していた際に「何千店舗もある大手ドラッグストアとの取り引きがいったん決まると、1SKUにつき1〜2万点納品することになる。販売期間が過ぎるとそれが返品されるわけだが、各店舗独自の防犯タグやシールなどが付いており、それを付け替えての再販は現実的には難しい。保管しても倉庫代がかかるため、結局、安売り業者に卸したり、産業廃棄物として廃棄したりするしかない。化粧品の原料は水以外のほとんどを世界各地から輸入しているわけで、CO2を出して大量に作って売り、今度はお金を払ってCO2を出して大量廃棄する負のループを目の当たりにし、『いったい私は何をやっているんだろう』と嫌気が差した」ことから一度は化粧品業界を卒業した。

その後、22年7月、微細藻類のソラリスとルナリスに出合い再び化粧品業界に戻ることになった。「この微細藻類から石油由来の燃料に替わるSAF(持続可能な航空燃料)を作る研究をしているのがJ-POWER。国際的には50年までの航空分野のカーボンニュートラルという長期目標が掲げられており、現在、さまざまなバイオマスエネルギーを研究している。その一つであるソラリスとルナリスは太陽光と海水、CO2、栄養塩があり、条件が整えば連続的に短期間で増殖する。このソラリスとルナリスを使って、SAFになるまでの過程でできることがあると思い、23年3月にサキュレアクトを起業した」。

そして、「化粧品原料の9割は水と油だ。その油を石油由来ではなく、国内で培養されるソラリスとルナリスから抽出するソラルナオイルを基材として使用できたら面白いなと。さらに、プラスチックの原料にもなるため容器にも使える」と、オリジナルブランド「530(ファイブサーティー)」からソラルナオイル含有の第1弾商品の石けん“シーデザインソープ(SEA DESING SOAP)”を6月10日にマクアケで発売する。同商品は、プラスチック容器を使わない、製造時に水を多く使わない・CO2排出量を極限まで減らせるなどが特長。生活の中からプラスチック商品を減らすきっかけになればとの思いから誕生した、天然由来成分100%で肌にも海にも優しい石けんだ。今後は「ソラルナオイルという名前を普及させ、微細藻類の素晴らしさを伝えていきながら、エネルギーとして未来につながることを広めていきたい」と前を向く。

PHOTO : YUKIE SUGANO
TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
サキュレアクト
info@circureact.com

The post サキュレアクトが展開する石油に替わる微細藻類原料「ソラルナオイル」の未来像 appeared first on WWDJAPAN.

新垣結衣×早瀬憩 「誰かと食べるごはんはおいしい」——人と人は分かりあえない現実の中で、誰かと生きていくには

PROFILE: 左:新垣結衣/俳優 右:早瀬憩/俳優

左:新垣結衣/俳優 右:早瀬憩/俳優
PROFILE: 左:(あらがき・ゆい)1988年6月11日、沖縄県出身。2007年に公開された主演映画「恋空」で第31回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。「ミックス。」(17)では第41回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、第60回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。近年の主な出演映画は「劇場版 コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-」(18)、「ゴーストブック おばけずかん」(22)、「正欲」(23)などがある。テレビドラマでは、「コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-」シリーズ(CX)、「リーガル・ハイ」シリーズ(CX)、「逃げるは恥だが役に立つ」(16/TBS)、「獣になれない私たち」(18/NTV)、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(22)、「風間公親-教場0-」(23/CX)などに出演。 右:(はやせ・いこい)2007年6月6日生まれ。23年、日本テレビ「ブラッシュ アップライフ」で門倉夏希の中学時代を演じて注目を集める。フジテレビ「うちの弁護士は手がかかる」(23)にも天野杏(中学生時代)役として出演。雪印メグミルク「雪印北海道バター」やSUPER BEAVER「決心」のMVにも出演。

「あなたと私は別の人間だから。あなたの感情も、私の感情も自分だけのものだから。分かち合うことはできない」

「違国日記」の主人公・高代槙生は、15歳の少女・田汲朝に言い放つ。朝は一見冷たく感じる言葉に「そんなの嫌だ!」と目をうるませて反論するが、槙生の表情はかたくなだ。朝は両親を事故で失い、茫然自失する中で、叔母である槙生から「ずっとうちに帰ってきなさい」と言われ、同居生活を始めたばかり。

原作者である漫画家・ヤマシタトモコは、「現実的に人間は分かりあえないものであるし、それを大前提とした上で、『それでも』と超えていこうとすることが、物語においてすごく美しい」とインタビューで語る。このテーマが反映された本作では随所に「分かりあえなさ」が“温かく”描かれる。

映画「違国日記」で槙生を演じた新垣結衣、槙生と同居する女子高校生・朝役の早瀬憩に、本作に向き合うことで感じた「他者との付き合い方」について話を聞いた。

共感を覚えるも、苦戦した特徴的な言葉たち

本作は、人気作品の実写映画化であるため、新垣と早瀬は共に「どういった反応が返ってくるのか、やっぱり不安」「原作を徹底的に読みこみ、現場でもずっと読んでいた」と口にする。

新垣は、「あなたと私は別の人間だから」と断言する槙生のスタンスに「私自身も人との向き合い方として、それぞれ違う人間であるということを意識していたいと思っているし、それぞれの世界を大事にしたいタイプなので、共感する部分は多い」とうなずく。そんな中で、苦労したのは「言い方」だという。

新垣結衣(以下、新垣):「違国日記」ならではの言葉選びがとても好きで原作の魅力の1つだと思うんですけど、生身の人間の口から発したときにどう聞こえるかというのが難しい点だなと当初感じていました。いちファンとしてはその魅力を映画にも活かしたいと思いましたし、監督と相談しながら試行錯誤しましたね。最終的には、本番前に原作の槙生ちゃんの表情を頭でイメージしながら演じることでスッとセリフを言えた気がします。

早瀬憩(以下、早瀬):槙生ちゃんは、言葉にしづらい感情をバシッと言ってくれますよね。朝の両親の葬儀中で「決してあなたを踏みにじらない」と言ってくれたシーンは、朝として聞いて、泣きそうになりました。

「ある日突然、大人になるわけじゃないんだよ」

新垣は現在35歳、対する早瀬は16歳。19歳差の2人の年齢は、原作とほぼ同じだ。そんな本作では、朝が槙生の「大人らしからぬ姿」を見て驚くシーンが数多く存在する。早瀬は作中の「ある日突然、大人になるわけじゃないんだよ」というセリフに、新鮮な驚きがあったという。

早瀬:私は、「違国日記」の撮影前までは、長い時間一緒に過ごしてきた大人といえば、家族や先生、あとはマネージャーさんだけでした。だから「大人=かっこよくて、自分のことは自分でできる」イメージが強かったんです。でも、この作品に出てくる大人って、槙生ちゃんだけじゃなくてみんな悩んでいるので、「大人も悩むし、完璧ではないんだ」と感じられました。これは、自分にとってすごくよかった気がします。

新垣:私は15歳の頃に上京してきたんです。当時は分からないことだらけでしたけど、今はその倍以上生きてきて、見えてるものが増えたなぁとは思うのですが……30代って、もっと大人だと思ってました(笑)。

大人って、いろんなことを知ってて、ある程度のことはうまくやれる存在だと思っていたんですけど、実際自分が大人と呼ばれる年齢になっても早起きも予約の電話も苦手だし、できないことも知らないことも山ほどある。いつまでたっても途中なんだと日々実感しているので「違国日記」のキャラクターには、「そうだよね」と思うことが多いです。

早瀬:でも、現場にいる結衣さんや瀬田なつき監督は、1つ質問すると100ぐらいに返してくれて……すごいなぁって。大人の人たちに相談したことがなかったので「聞いてもいいんだ」と初めて思えました。大人って少し怖い印象もあったのですが、撮影期間を通してハードルが下がったような気がします。

新垣:よかった(笑)。朝は若いが故に、人と関わるとき、「相手に不快な思いをさせるかもしれない」とか「自分が傷つくかもしれない」という恐れがない……その真っすぐさが、槙生には眩しかったかもしれないし私もとてもハッとさせられました。

劇中の話ですが、朝はたとえ自分が誰かを傷つけてしまったとしても、それすら素直に受け止めて「ごめんなさい」としっかり謝れる。朝の純真さが、私が演じた槙生ちゃんのコンプレックスを刺激して、ムズムズするシーンもありました。そういうフレッシュな素直さって、なかなか取り戻せないので。

「自分がある大人」と「フレッシュな少女」の違いは、劇中では槙生と朝の服にも表れる。新垣は槙生らしさを「サイズ感」と、早瀬は朝の服を「カラフル」だと分析する。

新垣:槙生ちゃんは、部屋のシーンが多いのでスエットみたいな楽な格好の印象も強いですが、身なりに無頓着な人ではなくて、外出時はちゃんとしているし、けっこう幅広いアイテムを着用しているんですよね。そんな中で彼女らしさを表現するには、流行りではない心地よさと、サイズ感がポイントでした。

早瀬:朝は、古着っぽいカラフルな服を着るんですよね。朝自身が好きな色を探していたり、いろんな感情があったりするからなんだと思っています。私は普段、モノトーンのワンピースみたいな服をよく着ていたので、すごく新鮮でした。

新垣:あれ? 現場で見た私服は結構カラフルな色を着ていたような……。

早瀬:撮影期間中は心が朝だったので、朝が選ぶものを選んでたような気がします(笑)。撮影前はボーイッシュな格好はあまりしてこなかったんですけど、朝を演じさせてもらってから古着も着るようになりました。自分が染まったのかもしれません。

「いってきます」「いってらっしゃい」の積み重ね

分かりあうことが不可能な現実で、重要な役割を果たすのが食事だ。槙生と朝は、一緒にエクレアやピクルス、餃子を食べて、怒ったり泣いたり笑い合ったりする。新垣自身も「誰かととる食事で毎日が楽しくなる」と微笑む。

早瀬:餃子をみんなで包む「包団(パオダン)」結成のシーンは本当に楽しかったです。みんなで作って食べるとこんなにおいしいんだって。

新垣:あのシーンは「自由にしてください」とだけオーダーがあったので、みんなで盛り上がりました。

誰かと食べるごはんは本当においしいですよね。手の込んだ料理ではなくても、素朴なものでも全然味が違ってくる。もちろん1人で食べても美味しいですし、人によって毎日のその時間をどう過ごしたいかはそれぞれですが、私の実感としては「誰かと食べるごはん」は、自分にとってすごく満たされる時間です。

早瀬:私には、まだ生活とか暮らしとかって、ちょっと遠いんですけど……。実は、結衣さんの、「憩ちゃんの作った卵焼きを食べてみたい」という言葉がきっかけで、最近初めて卵焼きを作りました。今まで料理ってあんまりしたことがなくて、スクランブルエッグみたいになっちゃいそうだなぁと思いながら作ったんですけど、なんとか作れました。

毎日とる食事。そこに「きっかけ」があるとは、忙しく生きていると気が付きもしない。槙生と朝は食事を通して歩み寄っていくが、その距離感を劇中で表しているのが「いってきます」「いってらっしゃい」という言葉なのだという。新垣、早瀬は声をそろえて「好きなやりとり」と話す。

早瀬:本当に何気ないんですけど「いってきます」「いってらっしゃい」が、映画の最初と最後にあるんですね。最初は2人が全然打ち解けていない(笑)。でも、最後の方に出てくるこのやりとりは、全然違う。「いってらっしゃい」って言ってくれる槙生ちゃんの顔がすごく好きです。応援してくれてるのが分かる。

新垣:最後は、日々を重ねて何度も言ってきたような「いってきます」「いってらっしゃい」になってたね。本当に何気ないんですけど、もしかすると、距離感が一番分かりやすいコミュニケーションなのかもしれないですね。ささいなことが実は温かさを持っている。こういうことを、実感させてくれる作品だと改めて感じます。

誰かと関わることで、人は“途中”の道を進んでいく。毎日の小さな積み重ねの先に「いつのまにそんなに大人になったの?」と驚き、「あなたが幸せでいてくれればいい」と願う日がやってくるのかもしれない。たとえ、分かりあえなくても。

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLIST:[YUI ARAGAKI]YOSHIAKI KOMATSU(nomadica)、[IKOI HAYASE]MIZUKI KOBAYASHI
HAIR & MAKEUP:[YUI ARAGAKI]ASUKA FUJIO(kichi)、[IKOI HAYASE]MOE MORIOKA(sui)

[YUI ARAGAKI]ネイビースエットベスト 2万900円/チノ(モールド 03-6805-1449)、シャツワンピース 16万2800円/プルーン・ゴールドシュミット(メゾン・ディセット 03-3470-2100)、ベージュスラックス 4万6200円/ハイク(ボウルズ 03-3719-1239)、靴 5万1700円/ニードルズ(ネペンテス ウーマン トウキョウ 03-5962-7721)、ピアス 2万6400円、左手人さし指リング 9万9000円/共にマリハ(マリハ 03-6459-2572)、右手人さし指リング 2万7500円/セルジュ・トラヴァル(アッシュ・ペー・フランス hpfrance@hpgrp.com)、右手薬指リング 2万6950円/プリュイ(プリュイ トウキョウ 03-6450-5777)

[IKOI HAYASE]トップス 6980円/ソマリ(シアンPR)、パンツ 3万4100円/パノルマ、左手リング7万1500円、右手リング 8万5800円、左耳イヤーカフ 5万5000円、右耳イヤーカフ 3万5200円/すべてイー・エム(イー・エム 青山)

■映画「違国日記」
6月7日から全国ロードショー
出演:新垣結衣、早瀬憩
夏帆、小宮山莉渚、中村優子、伊礼姫奈、滝澤エリカ、染谷将太、銀粉蝶、瀬戸康史
監督・脚本 :瀬田なつき
原作 :ヤマシタトモコ 「違国日記」 (祥伝社 FEEL COMICS)
音楽:高木正勝 
劇中歌:「あさのうた」(作詞・作曲:橋本絵莉子)
撮影:四宮秀俊 
照明:永田ひでのり 
美術:安宅紀史、田中直純
衣裳:纐纈春樹
企画・制作:東京テアトル 
配給:東京テアトル、ショウゲート
2024年/日本/カラー/シネスコ/DCP5.1ch/139分
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会
https://ikoku-movie.com

The post 新垣結衣×早瀬憩 「誰かと食べるごはんはおいしい」——人と人は分かりあえない現実の中で、誰かと生きていくには appeared first on WWDJAPAN.

「ロクシタン」がブランドビジョン“ 消費を再生に”を軸に変化を育む活動で美しい未来を築く

「ロクシタン(L'OCCITANE)」は人と自然との調和を大切にし、創設当初から時代先駆けいち早くサステナビリティを啓蒙し続けてきた。ブランドビジョン“消費を再生に–Turn Consumption into Regeneration”を掲げ、環境保全に留まらない、地球にポジティブなインパクトを還元するブンドの在り方を体現している。満を持して昨年9月に「Bコープ」認証を取得した。その目的について、ラファエル・アーカンヴォー・シコット=ロクシタングループチーフサステナビリティオフィサーは、「ロクシタンブランドの取り組みを、Bコープを通じて可視化しさらに他の加盟ブランドや企業との横連携を図りながらより大きなムーブメントを生み出していくため」と語る。

ブランドは、「植物の多様性を保護」「生産者をサポート」「地球の自然に優しく」など6つのコミットメントを掲げているが、中でも精力的に推し進めている一つが「地球の自然にやさしくReducing waste」だ。一例として、アイコン商品である“シア ハンドクリーム”(30mL、1760円)のパッケージを昨年100%リサイクル可能な容器へとリニューアル。これにより年間369万6000tのCO2と28tのプラスチックの削減が可能に。また、本体容器より60〜90%のプラスチック削減につながるというエコレフィルの提供や、土壌の再生を促す有機栽培、フェアトレードの推進といった環境を尊重した原材料調達における取り組みは、厳格な基準を持つBコープ認定においても高く評価された。さらにロクシタングループのカーボンフットプリントの45%を占めるのはユーズフェーズ(商品の消費行動で排出される二酸化炭素量)であることから、今後は消費者との“共同削減”を目的とした商品開発にも真摯に取り組む。

また植物の力を医薬部外品として最大限に生かし、自然由来成分99%の商品で毛根の血流促進にアプローチする医薬部外品“薬用 メディカル アンチヘアロスセラム(販売名:ロクシタン アドバンスト スカルプケア)”は、消費者から高い評価を得て、日本でも好調な売り上げを続けている。そのほか日本ではプロヴァンスに根付くライフスタイル「Artde Vivre(暮らしの芸術)」を表現した新コンセプトストアとして、世界に先駆けて渋谷店「ロクシタン・シブヤ・トーキョー」が4月にリニューアルオープンした。「ロクシタン」生誕の地、南仏プロヴァンスならではのラグジュアリーな空間を体現し、現在世界ですでに100店舗以上に導入しているレフィルファウンテンを日本で初めて導入した。今後も「全ての化粧品ブランドがサステナブルであるべき」という強い信念を軸に、業界の先駆者としてより美しい未来への変化を育むことを目指す。

TEXT : ERINA NAKAZAWA
問い合わせ先
ロクシタンジャポンカスタマーサービス
0570-66-6940

The post 「ロクシタン」がブランドビジョン“ 消費を再生に”を軸に変化を育む活動で美しい未来を築く appeared first on WWDJAPAN.

英国発「エボルブ」がエステ市場に参入 確かな効果実感をプロの手で

Beが展開する英国発サステナブルオーガニックブランド「エボルブ(EVOLVE)」はオーガニックでありながら、リピートしたくなるような機能性の高いスキンケア商品を展開し世界各国の人々を魅了する。日本には2023年9月に初上陸し、堅実にファンを獲得してきた。5月以降、新たな市場としてエステ・スパ市場に参入し新たな市場を切り開く。

イギリスで2009年に誕生した「エボルブ」は、創業者のローラ・ルドーが「肌に効果があることは当たり前。追求すべきは、その先にある。美を追求する中で、オーガニック・ナチュラルコスメにできないことはない。植物の力は化学を超えると信じている。それを証明するために私たちは処方開発力を磨き挑戦し続ける」との思いから、より健康的で環境に優しく、人と地球に優しい商品の開発に注力する。30年以上天然製剤を制作する専門力を持った研究開発チームが機能性を追求し、原材料を選定。肌や目に見える変化をもたらし、より持続可能で健康的な商品を作り続けるために、天然由来成分や栄養指数の高いオーガニック原料、コスモス認証のある成分を選択する。

商品に使用する原料は、南アフリカの小規模な地元のメーカーから調達することで雇用機会の創出も後押しする。そのほか、パームオイル使用の削減や植林活動にも注力。可能な限りフェアトレードまたは公正取引された原材料や、ココナツやスイートアーモンドオイルなど食品業界で使われなかった食品をアップサイクル原料として活用している。ビーガン処方などさまざまな厳しい基準もクリアし、多岐に渡り地球環境に配慮したモノ作りを推進する。22年には社会性と事業性を両立した世界的認証Bコープも取得した。

日本では昨年9月の上陸以来、スター商品の“バイオレチノール ゴールドマスク”を筆頭に完売商品が続出。確かな効果実感がリピートにつながっている。本国が事業拡大の一環でスパ事業に進出したことを受け、今春からエステ・スパ市場に参入する。5月中旬に東京ビッグサイトで開催された「ビューティワールドジャパン東京」にブース出展したところ、新たに開発した3つのエステメニューの説明後に導入を決めるサロンも多く、予算比15倍で着地した。「目を引く商品だけでなく、企業理念・製造のこだわりを知り、使用感や香りを体感していただいた結果、多くの人に商品力の高さを理解してもらえた。上質なオーガニックコスメを探し求める顧客を持つサロンも多かった」(桐山依子ブランドマネージャー兼営業部部長)との考えから、効果実感の高い商品をプロの手技によってさらに引き出し魅力を届ける。

PHOTO : AKIHIRO SAKAI(TRIVAL)
TEXT : NATSUMI YONEYAMA
問い合わせ先
Beカスタマーサポート
03-6868-4779

The post 英国発「エボルブ」がエステ市場に参入 確かな効果実感をプロの手で appeared first on WWDJAPAN.

「バルクオム」の10年が変えたメンズスキンケアと野口CEOが語る未来像

メンズビューティブランド「バルクオム(BULK HOMME)」がスタートしたのは2013年のことだ。今ほど男性のスキンケア習慣が一般化しておらず、プチプラ商品でも使っていれば褒められた時代。洗顔、化粧水、乳液をそろえると1万円に迫る、マスの男性向けとしてはかなり攻めた価格設定で、メンズスキンケア市場に参入した。

ブランドを立ち上げた当時、大学2年生だったバルクオムの野口卓也CEOは、「美容への関心・知識は人並みか、それ以下だった」という。一般男性と変わらぬ美容意識、それゆえ業界の常識に縛られない発想力があった。

それから10年、「バルクオム」は世の男性の美容へのモチベーションを動かし、メンズスキンケアのリーディングブランドに成長する。バルクオムは、主要ドラッグストアやバラエティーショップ、ECを合計したメーカー別販売シェア(2023年1〜12月)において、メンズカテゴリーの洗顔料で2位、化粧水で1位、乳液で1位を獲得。シリーズ累計出荷本数は1300万本を突破した。(出典:富士経済「化粧品マーケティング要覧 2023」)。

今や美容関心層だけでなく一般男性からも広く支持されるようになった「バルクオム」。野口CEOにブランドのこれまでと描く未来を聞いた。

男性は「めんどくさがり」か
常識を疑い、王道を目指す

PROFILE: 野口卓也/バルクオムCEO

野口卓也/バルクオムCEO
PROFILE: (のぐち・たくや)慶應義塾大学環境情報学部中退。ITベンチャー等複数の企業を立ち上げ、13年に「バルクオム」をスタート。17年、組織再編を経てバルクオムを設立、CEOに就任 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:創業のきっかけは。

野口卓也バルクオムCEO(以下、野口):「メンズスキンケアを世の中に啓蒙したい」とか、そういう思想めいたものはなかった。ビジネスを自分で興して戦い、勝算が高そうな領域がたまたまメンズコスメだったというだけ。メンズビューティ市場の王道カテゴリー、僕はそれをスキンケアだと思っていたのだが、そこにはまだ圧倒的なブランドがないと感じていた。

WWD:10年前、スキンケアをする男性は今よりもニッチだった。

野口:文明未開の島の住民に商品を売るようなものだった。スキンケアのやり方も、やる意味も分からない人ばかり。マーケティングの世界では、需要の全くないところを攻めるのは悪手だ。プロのマーケターたちは、「ここはだめだ」と見切りをつけていたから、メンズスキンケア市場は広がらなかった。ただ新参者で知識も経験もない僕は、「潜在需要のフロンティアだ」と喜び勇んで飛び込んだ。

WWD:洗顔、化粧水、乳液の3ステップ提案かつ、合計価格は1万円近い。一般男性にとってはハードルが高かったはずだ。

野口:新参者の僕は、メンズビューティ業界の常識を疑うことから始めた。例えば男性のペルソナは「めんどくさがり」。そのせいか男性向けスキンケアは手軽なオールインワンタイプが主流だったが、成功事例と言える商品はほとんど見当たらなかった。

僕は本当にそうなのか?と疑い、別の仮説を立てた。求められているのは、多少値段が張っても、手間がかかっても間違いない「王道のベーシック」なのではないかと。「バルクオム」の商品開発は予算に縛られることなく、女性向けの本格的なスキンケアにも負けない処方を詰め込んだ。

成分や処方を語らず
コンセプトの強さで勝負

WWD:デザインやコンセプトも趣向を凝らした?

野口:ブランド名の「バルク」は、成分や処方などにこだわった“中身”を意味する。ただ、それについてくどくど説明したくなかった。美容に興味がない僕自身、カタカナや専門用語でスゴさを語られても響かないからだ。

全てはファーストインプレッションで決まると考え、コンセプトを磨いた。コスメの世界で男性向けは「手軽でそれなり」なイメージがあり、かたや女性向けは「本格的で効果実感できる」イメージがある。世に出ている男性向けコスメは黒のパッケージばかりだったから、あえて白をキーカラーにすることで、“本物”であることを連想させると気が付いた。コストを少しでも削るためにパッケージを徹底的に簡素化したが、それは余分を削ぎ落とし、バルク(中身)への本気度を際立たせる意図もあった。

WWD:滑り出しはどうだったか。

野口:最初の2年間は全く売れなかった(笑)。ターニングポイントになったのは3年目。SNS広告にいち早く注力し、フェイスブックが大きな認知・流入のハブになった。当時、SNS上ではメンズスキンケアの競合はほぼ皆無で、自由にターゲットに訴求できる夢のような環境だった。

突飛なことをしたからうまくいったという感覚はない。小売店の棚の目立つところに商品を置いていただくための営業が大事なように、オンラインでも同じ発想で、スキンケアを探す男性の目に留めていただく努力をした。

キムタクCMで一気に販路拡大
“ブランディング”に縛られない

WWD:木村拓哉さんを起用したテレビCM(2020年春、21年秋)は話題になった。

野口:これをきっかけに、さまざまな大手ドラッグストアチェーンから商談や問い合わせが入り、3000〜4000だった取り扱い店の数は一気に1万以上に広がった。20年10月にはマツモトキヨシ・ココカラファインのグループ1371店舗(当時)で販売を開始し、現在は1万以上の小売店やサロンで取扱いがある。認知拡大はEC販売にも相乗効果があり、現在も売り上げのうちオンライン(公式EC+モール)が6〜7割を占めている。

WWD:認知が一気に広がり、ブランディングを舵取りする難しさは感じなかったか。

野口:たまに聞かれる質問だが、僕は“ブランディング”というものついてあまり考えたことがない。「バルクオム」を目的にわざわざドラッグストアを訪れる男性客が多い、というデータが出ていることはうれしい。だが日用品ついででも買っていただければ、ありがたいことだ。ドラッグストア、バラエティーストア、EC、どこで買われるお客さまも「バルクオム」のファンであることは変わりない。そこはフラットに見ている。

他のブランドに「真似されている」と感じることは増えた。だが僕らは真似できないバルク(中身)を作り続けるだけだ。定期購入プログラムを利用いただいているお客さまのエンゲージメントも高く、クオリティーに対する自信は揺らがない。

ヘアケアで圧倒的ナンバーワンへ
メンズビューティの新概念に挑戦

WWD:ヘアケア(2018年発売)、メイクアップ(21年発売)にもラインアップを広げた。

野口:「バルクオム」はかくあるべしというポリシーは全くないし、どんどん変化していく。ブランドを山に例えるなら、スキンケアで一定の成功を収めた今がようやく1合目。2合目は、ヘアケア分野における圧倒的なシェア獲得。すでにどの販路でも売れ筋上位に食い込んでいるが、圧倒的なナンバーワンになれるはずだ。売上規模も今の2、3倍にできる。

メイクアップは小売店の棚を見てもらえば分かるが、あまり売れてない(笑)。需要がニッチだから、広告費を投じれば結果がついてくるという単純な話ではない。商品、売り方、コミュニケーションの工夫が必要だし、先は長い。だが男性の美容文化がこれから発展する中で必要とする人は増えていくだろう。使命感を持って、腰を据えて育てていく。

WWD:昨年11月にはインナービューティの提案として“ザ・プロテイン”を発売した。

野口:これからの「バルクオム」を象徴する商品になる。メンズビューティの分野で新しい“概念”を作り出すことにもチャレンジしたい。

プロテインは一般的に筋力増大を補助する栄養剤のイメージだが、僕らが提案するのはインナービューティーのためのサプリメント。男性の美容と、日中を健やかに過ごすために必要な栄養素として、タンパク質だけでなくさまざまなコンディショニング成分を配合した。プロテインという名称を使ったのは、体に摂取するものとして、男性にとってなじみがあり、コンセプトが伝わりやすいと考えたからだ。

これまでの商品と生まれたプロセスも違う。これまでは僕をはじめ一部の人間がコンセプト設計するものが多かったが、この“ザ・プロテイン”は社員のアイデアが元になった。会社は40人前後の少数チームだが、ボトムアップのアイデアも積極的に生かしていく。

例えば100年前には“まつ毛美容液”というものは影も形もなかった。誰かがゼロから作り出して市場に広め、「まつ毛美容」を文化として定着させた。新しい概念を作り出すために、主語となるブランドの知名度や信頼性は強みになる。「バルクオム」はそれにチャレンジできる場所にいる。まずは“ザ・プロテイン”を通じて「メンズインナービューティー」という新しい美容文化を作り出したい。

WWD:思い描く“頂上”の景色は。

野口:メンズビューティの世界ナンバーワンブランドになること。とはいえ売上高は国内が9割以上で、(グローバル戦略は)まだまだ胸をはって言える規模ではない。海外では中国が最優先。現地のメンズビューティ市場はレッドオーシャンと化しているが、クオリティーではどこにも負けていない。消費は冷え込んでおり我慢どきだが、粘り強く機をうかがっていく。

The post 「バルクオム」の10年が変えたメンズスキンケアと野口CEOが語る未来像 appeared first on WWDJAPAN.

「バルクオム」の10年が変えたメンズスキンケアと野口CEOが語る未来像

メンズビューティブランド「バルクオム(BULK HOMME)」がスタートしたのは2013年のことだ。今ほど男性のスキンケア習慣が一般化しておらず、プチプラ商品でも使っていれば褒められた時代。洗顔、化粧水、乳液をそろえると1万円に迫る、マスの男性向けとしてはかなり攻めた価格設定で、メンズスキンケア市場に参入した。

ブランドを立ち上げた当時、大学2年生だったバルクオムの野口卓也CEOは、「美容への関心・知識は人並みか、それ以下だった」という。一般男性と変わらぬ美容意識、それゆえ業界の常識に縛られない発想力があった。

それから10年、「バルクオム」は世の男性の美容へのモチベーションを動かし、メンズスキンケアのリーディングブランドに成長する。バルクオムは、主要ドラッグストアやバラエティーショップ、ECを合計したメーカー別販売シェア(2023年1〜12月)において、メンズカテゴリーの洗顔料で2位、化粧水で1位、乳液で1位を獲得。シリーズ累計出荷本数は1300万本を突破した。(出典:富士経済「化粧品マーケティング要覧 2023」)。

今や美容関心層だけでなく一般男性からも広く支持されるようになった「バルクオム」。野口CEOにブランドのこれまでと描く未来を聞いた。

男性は「めんどくさがり」か
常識を疑い、王道を目指す

PROFILE: 野口卓也/バルクオムCEO

野口卓也/バルクオムCEO
PROFILE: (のぐち・たくや)慶應義塾大学環境情報学部中退。ITベンチャー等複数の企業を立ち上げ、13年に「バルクオム」をスタート。17年、組織再編を経てバルクオムを設立、CEOに就任 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:創業のきっかけは。

野口卓也バルクオムCEO(以下、野口):「メンズスキンケアを世の中に啓蒙したい」とか、そういう思想めいたものはなかった。ビジネスを自分で興して戦い、勝算が高そうな領域がたまたまメンズコスメだったというだけ。メンズビューティ市場の王道カテゴリー、僕はそれをスキンケアだと思っていたのだが、そこにはまだ圧倒的なブランドがないと感じていた。

WWD:10年前、スキンケアをする男性は今よりもニッチだった。

野口:文明未開の島の住民に商品を売るようなものだった。スキンケアのやり方も、やる意味も分からない人ばかり。マーケティングの世界では、需要の全くないところを攻めるのは悪手だ。プロのマーケターたちは、「ここはだめだ」と見切りをつけていたから、メンズスキンケア市場は広がらなかった。ただ新参者で知識も経験もない僕は、「潜在需要のフロンティアだ」と喜び勇んで飛び込んだ。

WWD:洗顔、化粧水、乳液の3ステップ提案かつ、合計価格は1万円近い。一般男性にとってはハードルが高かったはずだ。

野口:新参者の僕は、メンズビューティ業界の常識を疑うことから始めた。例えば男性のペルソナは「めんどくさがり」。そのせいか男性向けスキンケアは手軽なオールインワンタイプが主流だったが、成功事例と言える商品はほとんど見当たらなかった。

僕は本当にそうなのか?と疑い、別の仮説を立てた。求められているのは、多少値段が張っても、手間がかかっても間違いない「王道のベーシック」なのではないかと。「バルクオム」の商品開発は予算に縛られることなく、女性向けの本格的なスキンケアにも負けない処方を詰め込んだ。

成分や処方を語らず
コンセプトの強さで勝負

WWD:デザインやコンセプトも趣向を凝らした?

野口:ブランド名の「バルク」は、成分や処方などにこだわった“中身”を意味する。ただ、それについてくどくど説明したくなかった。美容に興味がない僕自身、カタカナや専門用語でスゴさを語られても響かないからだ。

全てはファーストインプレッションで決まると考え、コンセプトを磨いた。コスメの世界で男性向けは「手軽でそれなり」なイメージがあり、かたや女性向けは「本格的で効果実感できる」イメージがある。世に出ている男性向けコスメは黒のパッケージばかりだったから、あえて白をキーカラーにすることで、“本物”であることを連想させると気が付いた。コストを少しでも削るためにパッケージを徹底的に簡素化したが、それは余分を削ぎ落とし、バルク(中身)への本気度を際立たせる意図もあった。

WWD:滑り出しはどうだったか。

野口:最初の2年間は全く売れなかった(笑)。ターニングポイントになったのは3年目。SNS広告にいち早く注力し、フェイスブックが大きな認知・流入のハブになった。当時、SNS上ではメンズスキンケアの競合はほぼ皆無で、自由にターゲットに訴求できる夢のような環境だった。

突飛なことをしたからうまくいったという感覚はない。小売店の棚の目立つところに商品を置いていただくための営業が大事なように、オンラインでも同じ発想で、スキンケアを探す男性の目に留めていただく努力をした。

キムタクCMで一気に販路拡大
“ブランディング”に縛られない

WWD:木村拓哉さんを起用したテレビCM(2020年春、21年秋)は話題になった。

野口:これをきっかけに、さまざまな大手ドラッグストアチェーンから商談や問い合わせが入り、3000〜4000だった取り扱い店の数は一気に1万以上に広がった。20年10月にはマツモトキヨシ・ココカラファインのグループ1371店舗(当時)で販売を開始し、現在は1万以上の小売店やサロンで取扱いがある。認知拡大はEC販売にも相乗効果があり、現在も売り上げのうちオンライン(公式EC+モール)が6〜7割を占めている。

WWD:認知が一気に広がり、ブランディングを舵取りする難しさは感じなかったか。

野口:たまに聞かれる質問だが、僕は“ブランディング”というものついてあまり考えたことがない。「バルクオム」を目的にわざわざドラッグストアを訪れる男性客が多い、というデータが出ていることはうれしい。だが日用品ついででも買っていただければ、ありがたいことだ。ドラッグストア、バラエティーストア、EC、どこで買われるお客さまも「バルクオム」のファンであることは変わりない。そこはフラットに見ている。

他のブランドに「真似されている」と感じることは増えた。だが僕らは真似できないバルク(中身)を作り続けるだけだ。定期購入プログラムを利用いただいているお客さまのエンゲージメントも高く、クオリティーに対する自信は揺らがない。

ヘアケアで圧倒的ナンバーワンへ
メンズビューティの新概念に挑戦

WWD:ヘアケア(2018年発売)、メイクアップ(21年発売)にもラインアップを広げた。

野口:「バルクオム」はかくあるべしというポリシーは全くないし、どんどん変化していく。ブランドを山に例えるなら、スキンケアで一定の成功を収めた今がようやく1合目。2合目は、ヘアケア分野における圧倒的なシェア獲得。すでにどの販路でも売れ筋上位に食い込んでいるが、圧倒的なナンバーワンになれるはずだ。売上規模も今の2、3倍にできる。

メイクアップは小売店の棚を見てもらえば分かるが、あまり売れてない(笑)。需要がニッチだから、広告費を投じれば結果がついてくるという単純な話ではない。商品、売り方、コミュニケーションの工夫が必要だし、先は長い。だが男性の美容文化がこれから発展する中で必要とする人は増えていくだろう。使命感を持って、腰を据えて育てていく。

WWD:昨年11月にはインナービューティの提案として“ザ・プロテイン”を発売した。

野口:これからの「バルクオム」を象徴する商品になる。メンズビューティの分野で新しい“概念”を作り出すことにもチャレンジしたい。

プロテインは一般的に筋力増大を補助する栄養剤のイメージだが、僕らが提案するのはインナービューティーのためのサプリメント。男性の美容と、日中を健やかに過ごすために必要な栄養素として、タンパク質だけでなくさまざまなコンディショニング成分を配合した。プロテインという名称を使ったのは、体に摂取するものとして、男性にとってなじみがあり、コンセプトが伝わりやすいと考えたからだ。

これまでの商品と生まれたプロセスも違う。これまでは僕をはじめ一部の人間がコンセプト設計するものが多かったが、この“ザ・プロテイン”は社員のアイデアが元になった。会社は40人前後の少数チームだが、ボトムアップのアイデアも積極的に生かしていく。

例えば100年前には“まつ毛美容液”というものは影も形もなかった。誰かがゼロから作り出して市場に広め、「まつ毛美容」を文化として定着させた。新しい概念を作り出すために、主語となるブランドの知名度や信頼性は強みになる。「バルクオム」はそれにチャレンジできる場所にいる。まずは“ザ・プロテイン”を通じて「メンズインナービューティー」という新しい美容文化を作り出したい。

WWD:思い描く“頂上”の景色は。

野口:メンズビューティの世界ナンバーワンブランドになること。とはいえ売上高は国内が9割以上で、(グローバル戦略は)まだまだ胸をはって言える規模ではない。海外では中国が最優先。現地のメンズビューティ市場はレッドオーシャンと化しているが、クオリティーではどこにも負けていない。消費は冷え込んでおり我慢どきだが、粘り強く機をうかがっていく。

The post 「バルクオム」の10年が変えたメンズスキンケアと野口CEOが語る未来像 appeared first on WWDJAPAN.