Da-iCE工藤大輝とスタイリスト熊谷隆志が語る「ファション愛と10周年、ZOZOコラボ」

PROFILE: 熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE

熊谷隆志/スタイリスト、クリエイティブ・ディレクター(左)と工藤大輝/Da-iCE
PROFILE: (くまがい・たかし)1990年代からトップスタイリストとして活躍。ブランドディレクション、フォトグラファー、内装空間や植栽のディレクションなども行っており、2018年から「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をスタート PROFILE:(くどう・たいき)Da-iCEのパフォーマー兼リーダー。北海道出身。Da-iCEは4オクターブのツインボーカルの5人組アーティストで、メンバーはボーカルの大野雄大・花村想太と、パフォーマーの工藤大輝・岩岡徹・和田颯の5人。2011年1月17日に結成、14年1月15日にメジャーデビュー。20 年 11 月にリリースした『CITRUS』は、日本人男性ダンス&ボーカルグループ史上初のサブスク 1 億回再生を突破し、2021 年「第 63 回日本レコード大賞」を受賞。24 年にメジャーデビュー10 周年を迎え、4 月 17 日には最新シングル「I wonder」をリリース PHOTO:YUTA FUCHIKAMI

「ゾゾタウン」は、5 人組男性アーティスト「Da-iCE」のメジャーデビュー10 周年を記念したコラボレーション企画の第 2 弾として、世界で活躍するマルチ・アーティストのダニー・サングラ氏による描き下ろしイラストを 使用したアイテムを、8 月 2 日から「ゾゾタウン」限定で受注販売する。2つのコラボのディレクションを努めたスタイリストの熊谷隆志と、服好きで知られる「Da-iCE」のファッション番長である工藤大輝の対談をお届けする。

Da-iCEが「ゾゾタウン」とコラボレーションした理由

―メジャーデビュー10周年、おめでとうございます。

工藤大輝(以下、工藤):ありがとうございます。メジャーデビューしてからの10年は本当にあっという間だったでした。2017年に、Da-iCEの結成6年目の記念日に行った武道館公演がひとつのターニングポイントになったことは、みんなでよく話していて、振り返ってみると、解散していた可能性だってあったと思います。結果的に、メンバーみんなで楽しく活動しながら、こうして10周年を迎えられたのでとても嬉しいです。

―記念すべきタイミングで、ZOZOTOWNとのコラボレーション企画がスタートした。

工藤:10周年なので、いわゆる「グッズ」ではなく、自分たちがご一緒したい方とコラボしたり、みんなが欲しいものを形にするほうが良いのではないかという話をしていたので、今回は念願が叶ってとても素晴らしい機会でした。

―コラボ企画第一弾となる「Da-iCE × WIND AND SEA」は即完。制作はどのように進めた?

工藤:まさか憧れの熊谷さんと直接やり取りさせていただける日が来るなんて、想像もしていなかったので、打ち合わせの度に緊張していました。本当にありがとうございました。

熊谷隆志(以下、熊谷):工藤さんは洋服について、僕よりも多くのことを知っているんじゃないかと思うくらい詳しい(笑)。最初に会ってすぐに、「この人は本当の服好きだ」ということが分かった。知識の豊富さに加え、とにかく「服を着ること」をよく知っている。アパレルやファッション業界人と話しているような感じだった。なので、こちらも提案がしやすかったし、結果的にデザインは、無駄が削ぎ落とされたシンプルなものになったなあ。

工藤:ありがとうございます(笑)。両親とも服好きだった影響もあって、僕自身も子どもの頃から服が好きで、Da-iCEの前は渋谷の「アメリカンアパレル」で販売員をやっていました。服は衣装も含めて毎月かなり買っています。とはいえ、熊谷さんと一緒に洋服を作らせていただくということもあって、事前にけっこう準備もしました。

―特にこだわった点や、オススメのコーディネートはありますか?

工藤:セットアップのジップを、僕の好みでダブルジップにしてもらったんです。上までキュッと閉めるけど、下は少し開けて、中のレイヤーを見せる着こなしが、90年代のヒップホップの雰囲気があって好きなんです。踊っている時も、中の服やシルエットがきれいに見える。ここはこだわりました。

熊谷:実際にDa-iCEのメンバーに、今回のコラボアイテムを着てもらって、僕が撮影をしたときも、踊りが入るとまた洋服の雰囲気が違って見えた。服も一緒に動いてくれるというか。作った甲斐があったな、と。

ダニ―・サングラとコラボ!キュートな「Da-iCE」グラフィック誕生の裏側

―今回は、熊谷さん監修によるアーティスト・ダニー・サングラをパートナーに迎えた、第二弾コラボアイテムを発表した。キュートなグラフィックが誕生するまでの経緯は?

熊谷:まずは僕からDa-iCEの皆さんに、グラフィックアーティストを何名か提案して、皆さんが選んだのがダニー・サングラさんのアートワークだった。

工藤:どの方も超大物ばかりで、本当に素敵で悩みましたが、Da-iCEというグループの個性を考えた時に、一番相性が良さそうなのが、ダニー・サングラさんでした。

―グラフィックのデザインはどのように詰めていった?

工藤:僕らのアルバムのタイトルや、自分たちのキーとなるワードを落とし込みました。実際にダニー・サングラさんとリモートで会話もさせていただきました。様々な高級メゾンの仕事をされているのにとても気さくで、素敵な方でした。いろんなグラフィックを作ってくださったので、まずアイテム数を絞るのに一苦労(笑)。ワークシャツはお気に入りで、今回のコラボがリリースされるのは秋口なので、ロンTとレイヤードして着回したりしても可愛い。

熊谷:ボトムスは、今日工藤さんがはかれているようなパンツと合わせたりしても可愛いよね。

―工藤さんは、おしゃれなDa-iCEのメンバーの中でも特に、ファッション好きとして知られている。

工藤:母が北海道のファッションの専門学校出身で、物心つく前から、いろんなジャンルの洋服を着せてもらっていて、僕も自然と好きになりました。ものづくりなども好きな母だったので、音楽の道に進むと言ったときも、反対されることはなく、好きにやったら良いと背中を押してもらえました。

熊谷:僕も母が美大出身だった影響で、毎日いろんな格好をしていました。家の中のカラーリングが、他の同世代の友達の家とは違う印象が幼心にあった。僕は南部鉄器という伝統工芸の家に生まれたので、後継という道から逃れるために、小さい頃からずっと、ファッションをやっていきたいという主張をしていた。「東京に行きたい、パリに行きたい」って(笑)。パリの専門学校を卒業して、ファッションの道に入って、今年で30周年目です。

―今回のコラボでやりとりする中で、熊谷さんから見えた工藤さんというアーティスト像は、どのような印象?

熊谷:一言でいうと「柔軟」。リズムに乗って生きているような身軽さがとても素敵だな、と。最近の僕は昔に比べると、フットワークが重くなってきている部分もあるので、今回のコラボで昔の気持ちを取り戻したような気にもなった。とても刺激を受けた。

工藤:恐縮です。このインタビュー前にご挨拶にうかがったときに、今日も熊谷さんは午前中ゴルフに行かれていたと聞いて、驚きました。僕よりも全然柔軟でフットワークが軽い(笑)。熊谷さんはゴルフのブランドもやられている。趣味とお仕事が結びついているんだなあ、とも感じました。

熊谷:趣味を仕事にしないとやる時間がないんですよ。

―工藤さんにとって、ファッションは趣味に分類されるんでしょうか?

工藤:難しいですね。Da-iCEのメンバーでいる以上、自分の好みだけではなく、グループのカラーに合わせたファッションに寄り添う必要があって。Da-iCEの衣装を探す時は、普段は行かないような少し尖ったショップに行ってみたり。Da-iCEはダンスボーカルグループなので元を辿るとヒップホップ。そのカルチャーを無視した服装でヒップホップを踊ると、説得力がなくなってしまう。そういったことも意識してスタイリングを選んでいるので、100%趣味とは言い切れないかも。

熊谷:ファレル・ウィリアムス以降は、スーツを着てもヒップホップって言われるようにもなったから、少し選択肢の幅は広がっているよね。

―やはり音楽とファッションは、根っこの部分で繋がっている?

熊谷:最近20代の子たちとよく一緒に仕事をする機会があって、最近、「熊谷さん、渋谷系ってかっこいいですよ」とかって言うんですよ(笑)。

工藤:漫画『NANA』も今めちゃくちゃ流行っていますよね、その流れからヴィヴィアン・ウエストウッドのORB ネックレスも再注目されていて。ORBが最初に流行っていた時代って、僕いくつだっけみたいな(笑)。

熊谷:僕も当時を知っているから話せるんです、20代の子とは。僕は彼ら・彼女らのご両親くらいの年齢なので、小さい頃に無意識に聞いていた音楽が潜在意識にあって、ファッションに影響を与えたりするんじゃないかな。あとは、今の古着屋さんに並んでいる洋服は、僕ら世代の人が出したものが多いから、自然と昔の流れが戻ってきたり。20年サイクルだしね、流行は。

工藤:今のダンスボーカルの流行りも90年代〜2000年代前半くらい。服装もB系で、ティンバーランドがまた流行っていたり。確かに自分も昔、履いていたなって(笑)。

―お二人の今のファッションのムードはいかがですか?

熊谷:10年前くらいにネイティブアメリカンの感じを取り入れていましたが、「ウィンダンシー(WIND AND SEA)」をはじめたことで、ちょっとストリートな雰囲気にいってみたりもしていて。最近は、ネイティブっぽい感じと今のストリートをミックスさせた感じが好きかなあ。

工藤:僕は今年37歳になるんですけど、少し前までは大人っぽく見せたくて、きっちりした格好を好んで着てました。ドメスティックなブランドを取り入れた、綺麗めな格好みたいな。でも最近は、人からの見られ方はあまり気にしなくなってきたので、ストリートに寄る日もあったり、自由にファッションを楽しんでいます。今日は、熊谷さんのブランドの「ネサーンス(NAISSANCE)」のトップスをメインに合わせました。アクセサリーは、ヨーロッパのもので揃えている。僕は「ビオトープ(BIOTOP)」が好きでよく行くんですけど...

熊谷:「ビオトープ」はアパレル会社のジュンさんと僕で作ったんですよ。

工藤:えー!めちゃめちゃ行きますし、お世話になっています。大好きです!

2人が贈るファッションを楽しむ若い世代へのメッセージとは?

―それでは最後に、お二人のようにファッションを楽しむ若い世代に、メッセージをお願いします。

工藤:あまりSNSのアルゴリズムばかりに乗らないほうが良いんじゃない、と思っています。自分の好きなものの延長だけを追うのではなく、音楽やファッションは、冒険して、失敗を繰り返した先に、自分だけの発見があるから面白い。カルチャーもジャンルも異なるアイテムにチャレンジすることを、楽しんでもらいたいです。

熊谷:スマホとネットだけで買い物をしていた若い世代に最近、「ブーン(Boon)」や「ポパイ(POPEYE)」のバックナンバーを読んでみたりする子が増えてきた。ファッションのことを質問されると、なんでも教えちゃう。あと古着屋さんも今はすごく元気なので、おしゃれの入門が古着というのもありだと思う。工藤さんも言っていたように、いろいろ試して、どんどん新しい出会いに繋げていって欲しい。

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三宅健がアルバム「THE iDOL」をリリース 体現する唯一無二の“アイドル”像

三宅健
PROFILE:(みやけ・けん)/1979年7月2日生まれ、神奈川県出身。2023年7月最初のTOBEアーティストとして出発することを発表。 表現者として、新たなエンターテインメントの形に挑戦していくこと、そして新たな「アイドル像」を 描いていくことを表明した。6月22、23日には有明アリーナにて単独コンサート「2024 Live Performance The Otherside : Another Me Presented by KEN MIYAKE」を開催した
三宅健が6月5日、ソロアルバム「THE iDOL」をリリースした。30年のアイドル活動を経て三宅がたどり着いたのは、自らの職業であり生き様、そして紛れもなく現代日本を代表する文化である“アイドル”だ。

2020年代のJ-POPらしい多種多様な音楽ジャンルを詰め込んだ仕上がりながらも、何よりも印象的なのはアルバムとしての強いトータル感。そこには三宅が愛するアートへの強いリスペクトや情熱を感じずにいられない。そして、SIRUPやMicro、WurtSら数々のアーティストと共に作り上げた各楽曲にはどれも捻りが効いていて、さらりと聴き流すことも、深く掘り下げることもできるポップソングの理想的なバランスが実現されている。7月で事務所・TOBEに移籍して1年を迎えた。三宅健はどのように「THE iDOL」にたどり着いたのか?

三宅はインタビューの席に着きながら、腕に身につけた「ゴローズ(GORO’S)のバングルについて「14〜15歳の頃、ネイティブアメリカンに憧れて購入したんです。以来、『ゴローズ』以外のアクセサリーは身に着けないと決めたんです」と教えてくれた。「THE iDOL」にも、このインタビューでの発言にも、そんな三宅の初期衝動と継続への強い意思が通っている。

悲しさや苦悩までも包括した“アイドル”

WWD:三宅さんは以前、「好きなアーティストとコラボしながら、音楽を作っていきたい」といった思いを語っていました。今作にもそのコンセプトは当てはまりますか?

三宅健(以下、三宅):そうですね。普段好きで聴いているアーティストを中心に、今の自分や今の気分に合う人たちに楽曲を提供していただきました。ただ、前作であるミニアルバム「NEWWW」(2022年11月リリース)は全体的に暗めの楽曲が多かったこともあり、「今回はよりポップに」と考え、全体的に明るめの楽曲を集めたという違いはあります。

WWD:何よりも「THE iDOL」という直球ながらも含みの感じるタイトルが印象的です。メタ的に“アイドル”を掲げたのには、活動30周年という節目が関係しているのでしょうか?

三宅:今回は、若手など新進気鋭のクリエイターの方々に楽曲を提供してもらうことで、30年間アイドル業をやってきた僕の新たな一面を引き出してもらいたかった。もう一つはまだ具体的には言えないのですが、自分自身を題材としたプロジェクトを考えていて、それとリンクしたものにもなっています。
 グループとしての活動を終えて一人での活動を始めるにあたり、これからの自分について深く考えました。言ってしまえば、アイドルという選択をしなくてもよかった。でも、アイドルとしてやっていくことを決意した時に、「アイドル・三宅健とは何か?」という問いとすごく向き合うことになったんですね。そんな時期に作ったのが、シングルとしてリリースをした「Ready To Dance」と「iDOLING」です。それぞれSIRUPとMicroと一緒に作った曲ですけど、僕の頭の中と彼らの意見を重ねて試行錯誤しながら作ったので、この2曲にはリアルな僕が詰まっている。「Ready To Dance」と「iDOLING」を中心に他の楽曲が集まってきたことで、「THE iDOL」というアルバムが完成しました。

WWD:「iDOLING」はアイドルとしての華やかさだけじゃなく、苦悩までもがはっきりと描かれています。

三宅:「iDOLING」は、ファンのみんなが「三宅健という人間そのもの」を愛してくれているのか、「アイドル三宅健」としてラベリングされた自分を好きだと言ってくれているのか、それが分からなくなり苦しんだ時期に作った曲なんです。ソロでやる、と自分で決めてスタートしたはずなのに、新しい場所で活動を始めてみたら「自分がどう見えているのか」「どう思われているのか」と考え始めてしまった。そもそもこの曲は以前、Microと一緒に作ったソロ曲「悲しいほどにア・イ・ド・ル」の続編なのですが、あの曲は小泉今日子さんの名曲「なんてったってアイドル」の2010年版を作ろうと、当時の自分のアイドルに対する思いや恋愛観を込めた曲なんです。そんな曲の続きを再びMicroと作るなら、自分自身が今思っていることを含め、アイドル活動30年の過去・現在・未来を落としこまないと成立しない。そう考えて、そのタイミングでの自分のリアルな苦悩も取り入れた曲になりました。

WWD:“悲しむたびに IDOL”というフレーズが象徴するように、悩みすらも芸になるというアイドルが抱える矛盾までも歌詞になっているのが印象的です。

三宅:僕自身、メジャーとマイナーでいえば、マイナー調の曲の方が好きなんです。「悲しいほどにア・イ・ド・ル」もそうでしたが、今回の「iDOLING」も、1970年代頃のディスコをイメージして作っていて、「思わずビートを刻んじゃう、踊りたくなる曲なんだけど、流れてくるメロディーラインはちょっと切ない」という点はコンセプトとして狙っていました。そしてファンの人たちは、僕の中から出てくるちょっとした孤独感や寂しさも感じ取って見てくれていると思うんです。そういった感情の機微までも、ギリギリのラインまでは包み隠すことなく楽曲に込めるように作りました。

WWD:悩み、苦しんだ先に、結果的にはファンへの強い信頼を感じる作り方をされたのですね。

三宅:はい。アルバムの内容的にも今回は2つの軸があって、一つ目は「ファンのみんなへのメッセージ」です。12曲+ボーナストラック2曲の全14曲の中には、ファンに対する僕からの暗号がたくさん散りばめられていて、このアルバムを聴いてもらえれば暗号が解き明かされるように作っています。そしてもう一つは、「誰が聴いても楽しめる、普遍的な恋愛ソング集」というもの。この2つの軸をコンセプトとして作っているので、「THE iDOL」というタイトルにしています。

WWD:SIRUPさんとの「Ready To Dance」もMicroさんとの「iDOLING」も、三宅さんの思いやディレクションが込められている曲だと思います。それは他の楽曲でも同じですか?

三宅:いえ、全部の収録曲がそうなってしまうとつまらないので、全曲はあえてディレクションしないようにしています。例えば、「BOY」という曲がそうですね。よく行くカフェにDJをやっているスタッフさんがいて。話をしているうちに「知り合いから『ヤバいデモができた』って曲が送られてきたんですけど」と言われ、聴いてみたらものすごく良かった。そんな、偶然のつながりからできた楽曲です。

WWD:作為と無作為のバランスは、作品の内容やムードに大きな影響を与えますよね。

三宅:音楽に限らずアートもそうなのですが、僕は想像する余白がある作品や表現がすごく好きなんです。だから、自分の作品にもそういう余白は残しておきたいし、その遊びを楽しんでほしいなと思います。もちろん伏線が回収されていく気持ちよさみたいなものもありますが、全ての伏線が回収される必要もないと思うし、そこに面白さがあると思うんですよね。

WWD:三宅さんは以前「アーティストは何か生み出す存在であり、自分はあくまでアイドル」といった内容の発言をされていましたが、今作「THE iDOL」全体のコンセプト作りを含めたプロデュース/ディレクションワークからは、「アーティスト三宅健」が強くにじみ出ているように感じます。

三宅:グループがなくなったときに、自分を何者と名乗ろうか考えたんです。その時に、やっぱりアイドルという言葉が一番しっくりきたんですよね。言葉の捉え方は人それぞれですが、僕の場合は0から何かをクリエイトする人がクリエイターでありアーティストだという認識があるし、周りにも友だちにもそういう優秀なクリエイターやアーティストの人たちがいるんです。だから、「表現者?……違う」。「アーティスト?……違う」って。もちろん自分はアート思考でものを考えるのが好きだし、クリエイティブなことも好きなので、そこの追求はしたい。けれども、自分の中にクリエイターやアーティストへの強いリスペクトがあるからこそ「名乗りたくない」と思いました。改めてアイドルという言葉を辞書で調べたら、偶像や幻想という言葉が出てきて、それを見た時、「アイドル=何者にもなり得る存在」と捉えたんです。

WWD:なるほど。

三宅:だから今回の「THE iDOL」というアルバムは、タイムレスでジャンルレスな作品にしたいと思いました。なぜなら、アイドルという存在自体がボーダーを超えられる特性を持っているからです。何色にでも染まることができて、自由に色々な所を行き来できる存在=アイドル。それは音楽性だけの話じゃなく、仕事の面でもそうです。バラエティをやることもあれば、お芝居の仕事をすることもあれば、歌唱することもある。だから、僕は今改めて、アイドルと名乗りたいと思ったんです。

WWD:近年、三宅さんの発言や動きからは、アイドル文化への課題意識やその改善を目指す意思が感じられます。

三宅:おこがましいようであまり声高に言いたくはないのですが、自分自身が30年アイドルをやってきた中で、偉大な先輩たちがアイドルという仕事の枠を広げてくれた恩恵を強く感じていて、彼らへのリスペクトや感謝がある。そして、アイドルという文化に強い可能性を感じるからこそ、アップデートできたらと。というのも、どうしてもアイドルって専門性がないように見えて軽んじられたり、あるいは短期的に消費されたりする文化が日本には根付いている。この状況を良い方向性に変えてゆきたいという気持ちがあります。

WWD:短期的な消費という点は、特に女性アイドルにおいて指摘されるポイントだと思いますが、男性もそこは同じだと感じられますか?

三宅:そうですね。男性アイドルの場合、僕らの世代ではSMAPがすごく活動の場を広げてくれた存在です。その恩恵を僕らは受けている。でも、今は僕らの時以上にアイドル戦国時代で、いろんなアイドルの形があって、生き残っていくことは本当に大変な時代だと思います。そんな時代だからこそ、僕は、アイドルとその外側の何かを掛け合わせることで、後進のアイドルに新しい道を作ることができたらいいなと思っています。

WWD:たしかにSMAPは年齢的にも活動範囲の点でも、アイドルの枠組みを広げた存在ですよね。

三宅:SMAPは間違いなく僕の中での揺るぎないアイドル像であって、多感な時期を一緒に過ごすことができた青春そのものです。だから、それはずっと色褪せない存在ですね。

WWD:「iDOLING」のMVのダンスシーンには、三宅さんがリスペクトする中居正広さんを経由してマイケル・ジャクソンへ至るような、アイドル文化の歴史へのリスペクトを感じました。そうした「アイドル文化の継承」は、三宅さんが意識されているポイントですか?

三宅:「継承しよう」と意識して活動しているわけではないです。ただ、自分がアイドルとして30年活動してきた中で、自分がこれからのアイドルの道を構築していくのかを考えるべき立場や世代になってきたのは間違いないですね。日々、「自分は何をすればいいのか」「アイドル・三宅健には何ができるのか」といったことは考えています。三宅健が「アイドル・三宅健」を作っていく。それを生涯かけて続けることができれば、それはいつかどこかである種の「創作活動」になるのではないかと思っています。

CREDIT
ジャケット30万8000円、パンツ13万2000円/以上、リバーバレイト(イーライト03-6712-7034)、ベスト3万7400円/ティーエイチプロダクツ(TARO HORIUCHI Inc. contact@a-tconcepts.com) 、シューズ7万2600円/アデュー(バウ インク070-9199-0913)、その他、本人私物
PHTOS:SHUHEI TSUNEKAWA(SIGNO)
STYLING:MASAAKI IDA
HAIR & MAKEUP : KENJI IDE(UM)

INFORMATION

■「THE iDOL」

2024年6月5日リリース
9:00〜20:00(最終入場19:00)
3形態(初回限定盤A、初回限定盤B、通常盤)
収録曲:
M1 ホーンテッド
M2 Ready To Dance M3 100CANDLE
M4 DROP
M5 iDOLING
M6 ジェットコースター M7 I'm good
M8 circus
M9 mydoll
M10 Unzari
M11 ドラマチック M12 BOY
Bonus1 LOVE Bottle
Bonus2 星に願いを

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「ブルネロ クチネリ」が能登半島地震の被災地支援 輪島の漆職人招きイベント

「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」は7月13日に、能登半島地震で被災した石川・輪島の漆職人を招いたトークイベントを表参道店で開催した。輪島塗の漆器販売を手掛ける千舟堂岡垣漆器店の協力のもと、地下2階のギャラリースペースでは漆器作品を8月31日まで展示販売し、職人たちの支援につなげる。

今年1月に発生した能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島は、日本三大漆器と称される輪島塗の文化が受け継がれてきた。宮川ダビデ=ブルネロ クチネリ ジャパン社長は都内で開かれた展示会をきっかけに輪島塗に関心を持った。「現地では、もう一度製作をスタートするには時間がかかるので再開を諦めざるを得ない状況だと聞いた。職人を大切にする私たちだからこそ、この素晴らしい文化を継承する支援をしたいと思った」と話す。

実際に現地に訪れ、職人たちと交流するなかで「作品のすばらしさだけでなく、皆さんの人柄にも惹かれ支援したいという気持ちがさらに強くなった」という。イベントでは、現地の様子を動画で流し、「地震発生から約半年が経った今もまだまだ支援が必要な状況だ」と観客に投げかけた。

イベント冒頭では、千舟堂岡垣漆器店の岡垣祐吾社長が輪島塗について解説した。江戸時代に確立したと言われる輪島塗は、124の工程が全て手仕事で行われる。それぞれの工程に特化した職人が手掛けているのも特徴だ。「これまで各工程でレベルの高いモノ作りができる分業制は強みだと思っていた。しかし今、仕事ができない状況の職人さんもいるなかで、分業制が再開に向けての1つの壁になっている」と話す。岡垣社長によると、徐々に復興は進んでいるものの、まだ断水が続いていたり、半壊した家の中で作業を強いられていたりする職人たちも多くいるという。

「今必要なのは、安心して作業に取り組める環境と皆さまからの温かいメッセージだ。お金や物資ももちろんありがたいが、職人たちはお客さまからのご感想や叱咤激励が一番励みになる」と岡崎社長。トークセッション後半では、震災発生後もモノ作りを続ける塗り師の余門晴彦さんと蒔絵師の代田和哉さんが、作業の一部を実演して見せるなどした。

「ブルネロ クチネリ」は、今後もさまざまな形で輪島の支援を継続する方針だ。8月には社員参加型で能登で行われるキリコ祭りの現地ボランティアを行う予定だという。

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「ブルネロ クチネリ」が能登半島地震の被災地支援 輪島の漆職人招きイベント

「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」は7月13日に、能登半島地震で被災した石川・輪島の漆職人を招いたトークイベントを表参道店で開催した。輪島塗の漆器販売を手掛ける千舟堂岡垣漆器店の協力のもと、地下2階のギャラリースペースでは漆器作品を8月31日まで展示販売し、職人たちの支援につなげる。

今年1月に発生した能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島は、日本三大漆器と称される輪島塗の文化が受け継がれてきた。宮川ダビデ=ブルネロ クチネリ ジャパン社長は都内で開かれた展示会をきっかけに輪島塗に関心を持った。「現地では、もう一度製作をスタートするには時間がかかるので再開を諦めざるを得ない状況だと聞いた。職人を大切にする私たちだからこそ、この素晴らしい文化を継承する支援をしたいと思った」と話す。

実際に現地に訪れ、職人たちと交流するなかで「作品のすばらしさだけでなく、皆さんの人柄にも惹かれ支援したいという気持ちがさらに強くなった」という。イベントでは、現地の様子を動画で流し、「地震発生から約半年が経った今もまだまだ支援が必要な状況だ」と観客に投げかけた。

イベント冒頭では、千舟堂岡垣漆器店の岡垣祐吾社長が輪島塗について解説した。江戸時代に確立したと言われる輪島塗は、124の工程が全て手仕事で行われる。それぞれの工程に特化した職人が手掛けているのも特徴だ。「これまで各工程でレベルの高いモノ作りができる分業制は強みだと思っていた。しかし今、仕事ができない状況の職人さんもいるなかで、分業制が再開に向けての1つの壁になっている」と話す。岡垣社長によると、徐々に復興は進んでいるものの、まだ断水が続いていたり、半壊した家の中で作業を強いられていたりする職人たちも多くいるという。

「今必要なのは、安心して作業に取り組める環境と皆さまからの温かいメッセージだ。お金や物資ももちろんありがたいが、職人たちはお客さまからのご感想や叱咤激励が一番励みになる」と岡崎社長。トークセッション後半では、震災発生後もモノ作りを続ける塗り師の余門晴彦さんと蒔絵師の代田和哉さんが、作業の一部を実演して見せるなどした。

「ブルネロ クチネリ」は、今後もさまざまな形で輪島の支援を継続する方針だ。8月には社員参加型で能登で行われるキリコ祭りの現地ボランティアを行う予定だという。

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ニューヨーク発「ミズキ」 日米で育った感性を融合したモダンで温かみのあるパールジュエリーを提案

PROFILE: ミズキ・ゴルツ/「ミズキ」創業者兼デザイナー

ミズキ・ゴルツ/「ミズキ」創業者兼デザイナー
PROFILE: 東京生まれ。10歳で米ニューヨークに移住。ニューヨーク・スクール・オブ・ビジュアル・アーツで彫刻を学ぶ。1996年に夫と「ミズキ」を設立。ニューヨークとカリフォルニアという東と西海岸を行き来するライフスタイルを送りながら、日本人としての美的感覚とんヒューヨークで磨いたセンスを融合したジュエリーを提案

ニューヨーク発ジュエリーブランド「ミズキ(MIZUKI)」の創業者兼デザイナーであるミズキ・ゴルツが「ロンハーマン(RON HERMAN)」のポップアップショップ開催のために来日した。同ブランドは、彼女が夫と1996年に設立。パールを中心にした繊細なデザインのジュエリーは世界中で愛されている。日本では、「ロンハーマン」をはじめ、「エストネーション(ESTNATION)」「トゥモローランド(TOMORROWLAND)」などのセレクトショップを中心に販売。2024年秋冬シーズンからは、「ロンハーマン」を展開するリトルリーグが独占販売権を取得した。来日したゴルツにクリエイションやビジネスについて聞いた。

温かみのあるモダンなジュエリーを提供

WWD:ジュエリーブランドを立ち上げたきっかけは?

ミズキ・ゴルツ「ミズキ」創業者兼デザイナー(以下、ゴルツ):ニューヨークの芸術大学のスクール・オブ・ビジュアルアーツで彫刻を専攻した。ファッションにも興味があったので、卒業後にグラスビーズでネックレスを作って街中でつけていたら、「誰がデザインしたのか。欲しい」と言われて20ドル(約3200円)で販売した。それで、小さな彫刻をファインジュエリーにできるかもしれないと考えた。

WWD:ブランドのコンセプトは?

ゴルツ:ファッションとファインジュエリーの融合。モダンなジュエリーは冷たいと感じることもあるけど、自然素材のパールを使用した美しくモダンで温かみのあるジュエリーを提供したい。重ね付けできるデザインがポイントだ。

WWD:デザインのこだわりは?

ゴルツ:アートを学んだので、インスピレーションに頼らなくても、クリエイションのベースがあり、直感や感性がある。パールを通してさまざまなストーリーや感情を伝えることができると思う。

一つ一つ違う美しさを持つパールは女性を象徴する素材

WWD:パールにフォーカスする理由は?他のパールのジュエリーブランドとの差別化は?

ゴルツ:パールはまるで女性を代弁するかのような素材。自然の恵みであり、宝石の女王だ。女性はみんな違うようにパールも一つ一つ違って、それぞれ違う自然の美しさがある。女性を体現する最高のジュエリーだと思う。「ミキモト(MIKIMOTO)」や「タサキ(TASAKI)」は素晴らしいジュエリーブランド。最高に美しいパールジュエリーを提供しているし、モダンなデザインで若い消費者にもアピールしている。「ミズキ」では、常にモダンなデザインのパールジュエリーを提供してきた。私は10歳まで日本で育ち、その後ニューヨークへ移住した。日本とアメリカという全く異なる文化を体験し、吸収した。クリエイションにおいては半分日本、半分ニューヨークの感性を融合している。ジュエリーの大きさやプロポーションの好みは市場によって異なるが、私は、25年間いろいろな経験をしてきたので、直感を信じて躊躇せずクリエイションできる。ゴールド、シルバーなどさまざまな金属やグラス、色石、ダイヤモンド、パールなどさまざまな素材を使用してきたが、一番しっくりくるのがパール。パールを使用して、モダンな女性が着けたいと思うジュエリーを作りたい。

WWD:アコヤ真珠の希少性が高まっているが?真珠の調達はどのように行っている?

ゴルツ:パールの調達は難しくなっている。ダイヤモンドやゴールドの価格も高騰している。だから、デザインで工夫をするしかない。滝のようなデザインにするには、さまざまなサイズのパールを調達することが大切。最近では、淡水パールの品質も上がってきていると思う。

360度どこから見ても美しく誰にでも寄り添うデザイン

WWD:ターゲットは?

ゴルツ:働く女性が自分のために購入するケースが多い。ギフト需要もある。モダンなパールジュエリーや特別なデザインを探している人が多い。だから、既に彼女たちが持っているパールジュエリーとは違うファッショナブルで個性的なデザインを提要している。「ミズキ」のデザインとクオリティーを信頼してくれている顧客から支持されている。

WWD:ベストセラーとその理由は?

ゴルツ:クラシックな“シー・オブ・ビューティ”シリーズや“バナナ・フープ”、“Yネックレス”などさまざま。着ける人全てに似合う体と思う。着ける人に寄り添うデザインを心がけているから、自然に馴染む。アートを学んだのでどの角度から見ても美しいプロポーションを計算してデザインしている。

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?

ゴルツ:アメリカ、イギリス、ポーランド、ルーマニア、ドバイ、レバノン、トルコ、アジア各国などで約50店舗。

WWD:日本におけるディストリビューターに「ロンハーマン」を展開するリトルリーグを選んだ理由は?

ゴルツ:「ロンハーマン」は、アメリカのセレクトショップの文化を日本に導入して融合させた最初の店舗。だから、日本とアメリカで育った私の感性に近いと感じる。長年一緒に取り組んできたので、自然な選択だった。今後、さらに日本でのビジネスに注力して広げていきたい。さまざまな国にジュエリーを通して新しい経験を提供したい。中東などの新しい市場について学びながら、好まれるデザインを提供していきたい。

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「アンリアレイジ オム」立ち上げの本当の理由 岐阜企業とのタッグでメンズ服の可能性探る

「アンリアレイジ(ANREALAGE)」の森永邦彦デザイナーは、メンズライン「アンリアレイジ オム(ANREALAGE HOMME以下、オム)」を始動し、今年3月にファーストコレクションを披露した。スタイリストのTEPPEIや「ノリエノモト(NORIENOMOTO)」の榎本紀子デザイナーとコラボしたスタイリングやアイテムなどで話題を集めた。「アンリアレイジ」設立から21年が経つ今、なぜ森永デザイナーは「オム」を立ち上げたのか。目指すブランド像や、新たな取り組みなどについて聞いた。

WWD:「アンリアレイジ オム(以下、オム)」を始動した経緯を改めて教えてほしい。

森永邦彦「アンリアレイジ オム」デザイナー(以下、森永):今のメンズウエアにないものを作り、メンズウエアで“ファンタジー性”を描きたかったから。メンズはテーラード重視のスタイルなので、アイテムに制限が多い。ウィメンズウエアでは当たり前のものがないこともあるため、それを“ファンタジー”と呼んでいる。例えば、メンズウエアはレイヤードしたスタイリング提案がしづらいのを逆手に取り、ジャケットの上に着られるシャツを作れたら面白い。メンズ版の十二単のような、ドレスっぽいスタイルが生まれるかもしれない。

基本的に「アンリアレイジ」黎明期の洋服をベースにしているが、懐かしむだけでは意味がないため、どう更新していけるかが重要だ。制約を設けず、素材使いに工夫を加え、フェミニンではないレースの使い方を考えたり、ポップでカラフルな色使いを採用したりしたいと考える。「これぞメンズ」なクールなスタイルではなく、未熟で子どもっぽい人間像も具現化したい。

WWD:「オム」ではスタイリストのTEPPEIをビジネスパートナーに迎えた。どのように共に服作りをするのか?

森永:僕らの原風景は、2000年代の原宿にある。その頃のワクワクしていた気持ちに戻れる洋服をTEPPEIくんと一緒に作るつもりだ。当時のファッション雑誌を見ると、今でもすごく面白いと感じるものがあるから。通常、スタイリストは、デザイナーが作ったものをどう組み立てるかを考えるのが役目。でも、「オム」で彼は自分のことを“スタイルコンポーザー”と自称している。“コンポーザー(composer)”はいわば作曲家のこと。2人で「どういうスタイルを作るか?」を話し合い、ジャケットの丈やボトムのシルエットなどを調整していく。「アンリアレイジ」がコンセプトをベースに作るブランドならば、「オム」は理想のスタイルをベースにするブランドだ。

WWD:ファーストコレクションの反響は?

森永:想定外に大きかった。実は今回、初めて一般のお客さま向けにも展示会を開催した。トグルが付いたシャツや、ノリちゃん(榎本紀子デザイナー)と合作したスタジャンなど、まとまった数の受注が付いたアイテムがいくつもあったし、全面をボタンで覆ったジャケットのように、約300万円するアイテムをオーダーしてくれる人もいた。

WWD:なぜ一般向けに開催を?

森永:ウィメンズのパリのスケジュールに合わせた「アンリアレイジ」とは異なり、「オム」は、東京のファッション・ウイークを中心に動くブランド。だからこそ、日本のお客さまを巻き込んだブランド作りをすべきだと考えた。正直に言うと、ショーの座席は、ブランドと関係性の薄いインフルエンサーよりも、これまで実際に商品を買ってくれたお客さまに多く割り当てた。ランウエイを見て「この服が好きだ」と感じてくれた人が、そのまま展示会に来られる流れを作りたくて。

WWD:販路を自社ECと直営店主軸にしている理由は?

森永:もちろん、卸もやりたい気持ちはある。ただ、自分たちでマネジメントできる範囲で販売したいので、あくまでも主軸は自社ECサイトと直営店。だから、その第一歩として原宿に「オム」の店舗を8月にオープンすることに決めた。東京・青山にあり、7月15日に営業終了した「アンリアレイジ」本店とは雰囲気を大幅に変える。手仕事を追求していたブランドの原点に立ち返るような、手作り感溢れる店にしたい。下手なりに頑張って作る、ということを大事にしているため、もしかしたら店舗もDIYするかもしれない。

岐阜のアパレル企業とタッグ
「ブランドと工場を対等な関係に」

WWD:新ラインを作るため生産体制はどう調整する?

森永:自社の人員を増やすことはしないが、新たな生産背景にチャレンジする。OEMやODMを行う岐阜県のアパレル企業、サンエース(SUNACE)と協業することに決めた。90%を同社で生産し、残りの10%は「アンリアレイジ」が国立市に構えるアトリエで賄うつもり。サンエースは、モチベーションの高い若手社員がどんどん増えており、3Dパターンのような最新の仕組みが整っている。「この人たちと一緒に、ブランドを作るチームを形成したい」と思った。

工場名を公にするのは、ファッション業界内ではまだ珍しい試みのはずだ。通常であればブランドは、工場の価格競争を避けるために生産背景を公表しない。しかし、昨今は安く仕立ててくれる工場を探すうちに、海外に生産拠点が流れてしまうようになった。日本を拠点にブランドを営む上で、それは何か大きな損失であるような気がした。

WWD:サンエースとの協業内容は?

森永:在庫リスクを軽減するため、サンエースのラインを丸ごと買い取る契約をした。奇抜なデザインの服は売れ残りやすいから、ブランド側も小ロットで製造したがる。そうすると、どこの工場からも「採算が合わないので作れない」と断られてしまう。だから「オム」ではブランド専用のラインを工場内に作ってもらって、売れやすい商品もそうでない商品も発注しやすい環境を整えた。結果的に、複雑な構造の服も価格を抑えて販売することができると思う。

WWD:日本のモノ作りの課題は?

森永:これまでブランドと工場の関係性は、極端かもしれないが、ブランドが「指示を出したら、あとは出来上がりを待つだけ」というような一方向なコミュニケーションになりやすかった。ただ、やはり両者の間には対話が必要だ。「オム」ではそれを強化するため、サンエースに常駐する人員を一人派遣することにした。工場がブランドに対して「もっとこう縫ったほうがいい」「この仕様を変えたらはき心地が良くなる」と意見を出すなど、デザイナーと工場が互いに高め合うモノづくりをする。そうすれば、ブランドはさらに成長できると思う。

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「ベントレー」が新型“コンチネンタルGTスピード”を発表 本国幹部に聞く、自動車におけるラグジュアリーとは

英国の自動車ブランドである「ベントレー(BENTLEY)」が“コンチネンタルGTスピード”の新型モデルを日本向けに披露。ラグジュアリーブランドがコアバリューをどのようにプロダクトに落とし込んでいるのか。そしてどのように進化しようとしているのか。来日したベントレー モーターズ リミテッドのウェイン・ブルース=チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサーとニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター、そして遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクターにインタビューを行った。

――ベントレーのフラッグシップである“コンチネンタルGT”のなかでも、よりパワフルなモデルである“コンチネンタルGTスピード”は、シリーズ誕生から4世代目となるクルマですが、この魅力について教えて下さい。

遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクター(以下、遠藤):まずデザインから触れるとわかりやすいだろう。「ベントレー」はデザイン哲学をアップデートし続けているブランドだ。自分たち自身にチャレンジしながら新しい哲学を再定義し、新しいものを生み出している。レスティングビースト(休息する肉食動物)をモチーフとしたボディのシルエット、直立するサラブレッドの美しい立ち姿をモチーフにしたフロントの先端のデザインなど、「ベントレー」らしさを形作ってきたモチーフを継承しながら時代にあわせてアップデートしている。今回発表した“コンチネンタルGTスピード”は、多くの人に愛されてきた要素をアップデートした最新モデルだ。

ウェイン・ブルース=ベントレー モーターズ リミテッド チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサー(以下、ウェイン):クルマについて詳しくはなくても、「ベントレー」というブランドとヘリテイジを深く理解しているお客さまが乗っている点が「ベントレー」の特徴だ。新型“コンチネンタルGTスピード”は、ハイブリッドパワートレインというテクノロジーと、「ベントレー」を特徴づけるクラフトマンシップのマジカルヒュージョンだ。

――「ベントレー」のフラッグシップである“コンチネンタルGT”がアップデートされた。4世代目となるということだが、外見上では先代からの大きな変化を控えたように見受けられる。これまでのモデルと最新の4世代目の違いは。

ウェイン:パワートレインを電気とガソリンエンジンのハイブリッドとしたことにより、車両の68%を占める部分が新しくなっている。そのほとんどは目に見えないところだが、電気モーターを搭載しバッテリーを積むには車両の内部で大幅な改良が必要だった。エクステリアデザインでは主にフロントやリアに変化を加えている。“コンチネンタルGT”にはいくつかのモデルがあり、この“スピード”はパワーにおいてトップにあるマシンであり、パワーに焦点を当てたモデルを最初に発表したという点が過去のモデルとは異なっている。

ニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター(以下、ニコ):“コンチネンタルGT”は私達にとってのアイコンである。アイコンというのは劇的には変わらないものと考える。今回は劇的な変更は加えていない。というのもこれまで21年にわたりお客さまに愛されてきたモデルであり、既存のお客さまのニーズに応えることも重要だと考えるからだ。もちろん、これまで「ベントレー」に乗っていない人にも魅力的な充分新しいデザインに仕上がっている。あくまでも“コンチネンタルGT”はアイコン的モデルなので、われわれも慎重に取り扱った。

――自動車におけるラグジュアリーのひとつの傾向として、グランドツーリング(長距離のクルマによる旅)という用途に注目が集まっていることがいえる。グランドツーリングを関する“コンチネンタルGT”はこの領域におけるユニークな存在ではあるが、どのような優位性を持つと考えているのか。

ウェイン:デイリーなスーパーカーであることだ。

遠藤:日本でいうとグランドツーリングは「ベントレー」の出発点。移動という面で特にユーザビリティが高いことが特徴だ。そしてウェインが言うように汎用的でもある。長い距離を走り、その時間がなんて楽しいんだろうと感じる快適さが「ベントレー」にはある。お客さまにヒアリングすると「『ベントレー』は5000キロ乗っても疲れない」という声もあった。出張やロングドライブでドライブ、帰りはクルマなんて乗りたくない、電車や飛行機で帰ろうと思うような距離でも「ベントレー」なら疲れを感じることなく、むしろ過ごした時間が楽しいとおっしゃるお客さまがいる。「ベントレー」が持つグランドツーリングの特徴だ。クルマの中にいる時間が楽しく、快適で、そして一緒に過ごした方々との時間が忘れがたいものになり、また乗りたいと思う。それが「ベントレー」の大きな魅力だと捉えている。

ダイバーシティー&インクルージョンを積極支援

――ラグジュアリーライフスタイルブランドとして、未来に向けて描く姿は

ウェイン:ブランドが取り組んでいることは、ファッションの世界でも見られるように、買ってくださったお客さまと価値観を共有すること。われわれは2019年に創業100周年で立てた「Beyond100」戦略のもとに未来へと進んでいる。そのなかで「ベントレー」は「サスティナブルなラグジュアリーモビリティのリーダーになる」という目標を掲げていた。6年前には工場をカーボンニュートラル化した。そしてさまざまなリサイクル活動を行っている。排気ガスを出すクルマからハイブリッド化も進めており、今回の新型車両ではCO2排出量を10%にまで削減した。また、フォルクスワーゲングループの他のブランドと協力して進めていることだが、サプライチェーン全体でのCO2排出量削減にも取り組んでいる。同時に、コミュニティーに対する貢献も進めている。「ベントレー」の本社があるのはイングランド北西のクルーという場所で、決して裕福な地域ではない。ここでは「ベントレー」が雇用主として最大の会社であるという意味でコミュニティーへのサポートも進めている。さらに、10社のパートナーと環境財団を設立し、数百万ポンド(数億円)を寄付した。ダイバーシティー&インクルージョンの活動も社内外で進めている。

――ダイバーシティー&インクルージョンにベントレーでは積極的に取り組み、その成果を定期的に発信している。その狙いは。

ウェイン:2つの理由がある。それが正しいことだと信じているからだ。これまで買ったことのないお客さまを引きつけようと思ったら、そのような方々にとっても「ベントレー」が大事な存在でなければならない。そのためには正しいことをしないといけない。

そしてもう一つは、経営の観点だ。多様な人材、多様な考え方を受け入れることで会社を変える助けにしようという狙いがある。4年前には私の提案から地元のプライドフェスティバルを支援した。レインボーカラーにラッピングしたクルマも提供した。このような勇気ある発信はベントレーとして初めてだったので反響は非常に大きかった。LGBTQの社員も勇気を得て、自分たちも関わりたいと名乗り出た。いまでは社内に5つのインクルージョンに関するネットワークがある。1つはプライド系のネットワーク、そして女性活躍、さらに精神的に疾患を抱える人のネットワーク、4つめが多様な民族のネットワーク、5つめが、軍人、警察官出身のネットワークだ。それぞれのミッションは、4500人の社員にインクルージョンを啓蒙して伝えること。現在ではこのネットワークに700人の社員が関わっている。D&Iのアクティビストの招へいやLinkedinなどの公共に使えるチャネルで、自分たちの活動を発信したことにより、ベントレーの求人への応募における女性比率がかなり増えた。

――ラグジュアリーは時代によって定義が変わる。いま求められるラグジュアリーとはどのようなものだと考えるか「ベントレー」が提案したいラグジュアリーとはどのようなものか。

ニコ:ラグジュアリーは客観的なものではない。高価であることや、大きなロゴがついていることで測れるものではない。自分にとって特別であることがラグジュアリーだ。クルマでいえば自分の好みにあったドリームカーであること。ハンドステッチや素材、エクスクルーシブなクラフトマンシップといった生産工程に関わることもラグジュアリーを叶える要素だ。

ウェイン:マーケティングにおいては価格による明確なラグジュアリーの定義がある。すなわち18万ユーロ(約3132万円)から上がラグジュアリー。そして概念としては、ラグジュアリーとは希少価値があるもので、自分を甘やかすためのものだ。その点でわれわれは「ベントレー」の製品はデイリー・ラグジュアリーと言っているが、耐久性が高く、多少雑に使っても大丈夫という実用的なラグジュアリーだ。さらに、460億パターンのパーソナライズができ、自分だけの一台を作ることができる。この点もまたラグジュアリーであると考える。

遠藤:日本におけるラグジュアリーはさまざまな捉え方があるが、私が考える日本におけるラグジュアリーは、リベラルアーツや教養。芸術的な観点にどれだけ労力を割けるかにある。ただお金をかけるだけではなく、時間をかけたり、学び、そういうものを愛する目を養っていることが日本におけるラグジュアリー。ベントレーはもちろんラグジュアリーだが、クルマづくりにおいて手作業によるハンドステッチをあしらった革のパーツやダイヤモンド状のキルティングパターンを施した内装など、時間をかけて長年の歴史があるクラフトマンシップを注ぎ込んでいる。

遠藤:このように丁寧に作られた、長年の歴史があるものを普段遣いできる。これは日本におけるラグジュアリーだと言える。「ベントレー」の価値は、普段袖を通すTシャツやシャワー後に着るバスローブといったものを非常にクオリティーの高いものを使うように、自動車のなかでそういった物に触れられるところにあり、これこそ究極のラグジュアリーだと考えている。

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「ベントレー」が新型“コンチネンタルGTスピード”を発表 本国幹部に聞く、自動車におけるラグジュアリーとは

英国の自動車ブランドである「ベントレー(BENTLEY)」が“コンチネンタルGTスピード”の新型モデルを日本向けに披露。ラグジュアリーブランドがコアバリューをどのようにプロダクトに落とし込んでいるのか。そしてどのように進化しようとしているのか。来日したベントレー モーターズ リミテッドのウェイン・ブルース=チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサーとニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター、そして遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクターにインタビューを行った。

――ベントレーのフラッグシップである“コンチネンタルGT”のなかでも、よりパワフルなモデルである“コンチネンタルGTスピード”は、シリーズ誕生から4世代目となるクルマですが、この魅力について教えて下さい。

遠藤克之輔ベントレー モーターズ ジャパン ブランドダイレクター(以下、遠藤):まずデザインから触れるとわかりやすいだろう。「ベントレー」はデザイン哲学をアップデートし続けているブランドだ。自分たち自身にチャレンジしながら新しい哲学を再定義し、新しいものを生み出している。レスティングビースト(休息する肉食動物)をモチーフとしたボディのシルエット、直立するサラブレッドの美しい立ち姿をモチーフにしたフロントの先端のデザインなど、「ベントレー」らしさを形作ってきたモチーフを継承しながら時代にあわせてアップデートしている。今回発表した“コンチネンタルGTスピード”は、多くの人に愛されてきた要素をアップデートした最新モデルだ。

ウェイン・ブルース=ベントレー モーターズ リミテッド チーフ・コミュニケーション& D&Iオフィサー(以下、ウェイン):クルマについて詳しくはなくても、「ベントレー」というブランドとヘリテイジを深く理解しているお客さまが乗っている点が「ベントレー」の特徴だ。新型“コンチネンタルGTスピード”は、ハイブリッドパワートレインというテクノロジーと、「ベントレー」を特徴づけるクラフトマンシップのマジカルヒュージョンだ。

――「ベントレー」のフラッグシップである“コンチネンタルGT”がアップデートされた。4世代目となるということだが、外見上では先代からの大きな変化を控えたように見受けられる。これまでのモデルと最新の4世代目の違いは。

ウェイン:パワートレインを電気とガソリンエンジンのハイブリッドとしたことにより、車両の68%を占める部分が新しくなっている。そのほとんどは目に見えないところだが、電気モーターを搭載しバッテリーを積むには車両の内部で大幅な改良が必要だった。エクステリアデザインでは主にフロントやリアに変化を加えている。“コンチネンタルGT”にはいくつかのモデルがあり、この“スピード”はパワーにおいてトップにあるマシンであり、パワーに焦点を当てたモデルを最初に発表したという点が過去のモデルとは異なっている。

ニコ・クールマン=アジアパシフィックリージョナルディレクター(以下、ニコ):“コンチネンタルGT”は私達にとってのアイコンである。アイコンというのは劇的には変わらないものと考える。今回は劇的な変更は加えていない。というのもこれまで21年にわたりお客さまに愛されてきたモデルであり、既存のお客さまのニーズに応えることも重要だと考えるからだ。もちろん、これまで「ベントレー」に乗っていない人にも魅力的な充分新しいデザインに仕上がっている。あくまでも“コンチネンタルGT”はアイコン的モデルなので、われわれも慎重に取り扱った。

――自動車におけるラグジュアリーのひとつの傾向として、グランドツーリング(長距離のクルマによる旅)という用途に注目が集まっていることがいえる。グランドツーリングを関する“コンチネンタルGT”はこの領域におけるユニークな存在ではあるが、どのような優位性を持つと考えているのか。

ウェイン:デイリーなスーパーカーであることだ。

遠藤:日本でいうとグランドツーリングは「ベントレー」の出発点。移動という面で特にユーザビリティが高いことが特徴だ。そしてウェインが言うように汎用的でもある。長い距離を走り、その時間がなんて楽しいんだろうと感じる快適さが「ベントレー」にはある。お客さまにヒアリングすると「『ベントレー』は5000キロ乗っても疲れない」という声もあった。出張やロングドライブでドライブ、帰りはクルマなんて乗りたくない、電車や飛行機で帰ろうと思うような距離でも「ベントレー」なら疲れを感じることなく、むしろ過ごした時間が楽しいとおっしゃるお客さまがいる。「ベントレー」が持つグランドツーリングの特徴だ。クルマの中にいる時間が楽しく、快適で、そして一緒に過ごした方々との時間が忘れがたいものになり、また乗りたいと思う。それが「ベントレー」の大きな魅力だと捉えている。

ダイバーシティー&インクルージョンを積極支援

――ラグジュアリーライフスタイルブランドとして、未来に向けて描く姿は

ウェイン:ブランドが取り組んでいることは、ファッションの世界でも見られるように、買ってくださったお客さまと価値観を共有すること。われわれは2019年に創業100周年で立てた「Beyond100」戦略のもとに未来へと進んでいる。そのなかで「ベントレー」は「サスティナブルなラグジュアリーモビリティのリーダーになる」という目標を掲げていた。6年前には工場をカーボンニュートラル化した。そしてさまざまなリサイクル活動を行っている。排気ガスを出すクルマからハイブリッド化も進めており、今回の新型車両ではCO2排出量を10%にまで削減した。また、フォルクスワーゲングループの他のブランドと協力して進めていることだが、サプライチェーン全体でのCO2排出量削減にも取り組んでいる。同時に、コミュニティーに対する貢献も進めている。「ベントレー」の本社があるのはイングランド北西のクルーという場所で、決して裕福な地域ではない。ここでは「ベントレー」が雇用主として最大の会社であるという意味でコミュニティーへのサポートも進めている。さらに、10社のパートナーと環境財団を設立し、数百万ポンド(数億円)を寄付した。ダイバーシティー&インクルージョンの活動も社内外で進めている。

――ダイバーシティー&インクルージョンにベントレーでは積極的に取り組み、その成果を定期的に発信している。その狙いは。

ウェイン:2つの理由がある。それが正しいことだと信じているからだ。これまで買ったことのないお客さまを引きつけようと思ったら、そのような方々にとっても「ベントレー」が大事な存在でなければならない。そのためには正しいことをしないといけない。

そしてもう一つは、経営の観点だ。多様な人材、多様な考え方を受け入れることで会社を変える助けにしようという狙いがある。4年前には私の提案から地元のプライドフェスティバルを支援した。レインボーカラーにラッピングしたクルマも提供した。このような勇気ある発信はベントレーとして初めてだったので反響は非常に大きかった。LGBTQの社員も勇気を得て、自分たちも関わりたいと名乗り出た。いまでは社内に5つのインクルージョンに関するネットワークがある。1つはプライド系のネットワーク、そして女性活躍、さらに精神的に疾患を抱える人のネットワーク、4つめが多様な民族のネットワーク、5つめが、軍人、警察官出身のネットワークだ。それぞれのミッションは、4500人の社員にインクルージョンを啓蒙して伝えること。現在ではこのネットワークに700人の社員が関わっている。D&Iのアクティビストの招へいやLinkedinなどの公共に使えるチャネルで、自分たちの活動を発信したことにより、ベントレーの求人への応募における女性比率がかなり増えた。

――ラグジュアリーは時代によって定義が変わる。いま求められるラグジュアリーとはどのようなものだと考えるか「ベントレー」が提案したいラグジュアリーとはどのようなものか。

ニコ:ラグジュアリーは客観的なものではない。高価であることや、大きなロゴがついていることで測れるものではない。自分にとって特別であることがラグジュアリーだ。クルマでいえば自分の好みにあったドリームカーであること。ハンドステッチや素材、エクスクルーシブなクラフトマンシップといった生産工程に関わることもラグジュアリーを叶える要素だ。

ウェイン:マーケティングにおいては価格による明確なラグジュアリーの定義がある。すなわち18万ユーロ(約3132万円)から上がラグジュアリー。そして概念としては、ラグジュアリーとは希少価値があるもので、自分を甘やかすためのものだ。その点でわれわれは「ベントレー」の製品はデイリー・ラグジュアリーと言っているが、耐久性が高く、多少雑に使っても大丈夫という実用的なラグジュアリーだ。さらに、460億パターンのパーソナライズができ、自分だけの一台を作ることができる。この点もまたラグジュアリーであると考える。

遠藤:日本におけるラグジュアリーはさまざまな捉え方があるが、私が考える日本におけるラグジュアリーは、リベラルアーツや教養。芸術的な観点にどれだけ労力を割けるかにある。ただお金をかけるだけではなく、時間をかけたり、学び、そういうものを愛する目を養っていることが日本におけるラグジュアリー。ベントレーはもちろんラグジュアリーだが、クルマづくりにおいて手作業によるハンドステッチをあしらった革のパーツやダイヤモンド状のキルティングパターンを施した内装など、時間をかけて長年の歴史があるクラフトマンシップを注ぎ込んでいる。

遠藤:このように丁寧に作られた、長年の歴史があるものを普段遣いできる。これは日本におけるラグジュアリーだと言える。「ベントレー」の価値は、普段袖を通すTシャツやシャワー後に着るバスローブといったものを非常にクオリティーの高いものを使うように、自動車のなかでそういった物に触れられるところにあり、これこそ究極のラグジュアリーだと考えている。

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俳優のパク・ボゴムとNewJeansのダニエルが「セリーヌ 御堂筋」に来店 2人からのスペシャルメッセージも

「セリーヌ(CELINE)」のグローバルアンバサダーであるパク・ボゴムとニュージーンズ(NewJeans)のダニエルは7月8日、今年5月に大阪・心斎橋にオープンした「セリーヌ 御堂筋」を訪れた。「WWDJAPAN」では2人にショートインタビューを実施した。

「僕にとっては新しい挑戦をするブランド」(パク・ボコム)

WWD:パク・ボコムさんにとって「セリーヌ」はどんなブランド?

パク・ボゴム(以下、パク):「セリーヌ」はシンプルで華やかなブランドですが、僕にとっては新しい挑戦をするブランドだと思います。

WWD:「セリーヌ 御堂筋」の印象は?

パク:「セリーヌ 御堂筋」は、たくさん製品があってビックリしました。

WWD:今日のファッションのポイントは?

パク:シンプルです。白と黒でコーディネートしました。

WWD:「セリーヌ」でお気に入りのアイテムは?

パク:(バッグの)“スモール トリオンフ ブザス”です。

WWD:日本のファンにメッセージをお願いします。

パク:日本のファンの皆さん、僕にいつも愛と関心と祝福をくださって本当にありがとうございます。(僕も)皆さんをいつも祝福しています。

「広々としてきれいで美しいお店」(ダニエル)

WWD:NewJeansの東京ドーム公演を終えたばかりですが、ライブの感想を教えてください。

ダニエル:間違いなく最高でした。すごく楽しかったし、あんなにたくさんのバニーズが応援しに駆けつけてくれたことが未だに信じられません。とても感謝しています。

WWD:「セリーヌ 御堂筋」の印象は?

ダニエル:いろんな印象を受けましたが、広々としてきれいで、「セリーヌ」らしい印象を受けました。また店内のディティールに何度も目が引かれました。とても美しいお店です。

WWD:「セリーヌ」でお気に入りのアイテムは?

ダニエル:“ティーン ニノ”のバッグはいくら見ても飽きないお気に入り。すごくかわいいです。

WWD:この夏挑戦したいファッションは?
ダニエル:カラフルな洋服が好きなので、夏らしい色鮮やかなファッションに挑戦したいです。「セリーヌ」にはカラフルでゴージャスな服がたくさんあるので。

WWD:日本のファンにメッセージを。
ダニエル:ありがとう。またねー。

「セリーヌ 御堂筋」

関西エリア最大となる同店は、同店舗は1〜4階までの4フロア構成で、440平方メートルの広さを誇る新しいフラグシップストアで、2019年から世界中で採用されている、エディ・スリマン(Hedi Slimane)による建築デザインコンセプトを取り入れている。

1階はレザーグッズを中心に、ライフスタイルアクセサリーコレクション“メゾン セリーヌ”やフレグランス“オート パフューマリー”、ジュエリーコレクションが並ぶ。2階はウィメンズのプレタポルテ、3階はメンズのプレタポルテをそろえる。

店内にはスガー・ダイバッド・ラーセン、ヴィヴィアン・スーターによる絵画、アナベス・マークス、キム・ユン・シン、菅木志雄、ライアン・プレシアドによる作品など、幅広い現代アートのセレクションを展示されている。

◾️セリーヌ 御堂筋
営業時間:11:00〜20:00
住所:大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-6-18
電話:03-5414-1401

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シップス、若年層向けの新レーベルは29歳バイヤーの「本当にやりたかった」を発信

シップス(SHIPS)は2024年秋物から、20〜30代向けの新メンズレーベル「シティ アンビエント プロダクツ(CITY AMBIENT PRODUCTS )」(以下、CPA)の販売を始める。8月8日にオープンするレーベルサイトとシップスの一部店舗(20店)で取り扱う。若年層へのリーチと既存店の売り上げ拡大を目指し、目標売上高は24年秋冬で4億円、立ち上げから1年で10億円を掲げる。強みはターゲット世代で、同ブランドのディレクターを務める29歳社員、瀬谷俊法の等身大の感性だ。

瀬谷ディレクターは18歳から店頭スタッフでアルバイトとして経験を積み、現在はシップスのバイヤーを務める。瀬谷ディレクターは、「僕たちの世代は古着か、背伸びしてラグジュアリーブランドを買うか。その間の選択肢が少ないと感じていた。セレクトの全盛期を知らない同世代がふらっと店に立ち寄った時に、直感的にいいなと思えるものに出合えるレーベルにしていきたい」と話す。

同社は若年層向けレーベル「シップス ジェットブルー」を2018年に終了している。「シップス ジェットブルー」に替わる「CPA」では、あえて「シップス」の名前は出さずに異なる世界観を前面に出した。ファーストシーズンは約50型企画。瀬谷ディレクターが好きなアンビエント・ミュージックに通ずるミニマルなムードが着想源だ。ブランド名の頭文字CPAを流線的なフォントに落とし込んだロゴをプリントしたTシャツやビーニーなどのロゴアイテムをシグネチャーとして打ち出す。ミニマルな世界観に映えるライムグリーンをレーベルのキーカラーに採用し、ファーストシーズンはジップアップパーカやビーニー、ショッパーのトートバッグなどに落とし込んだ。一推しアウターのスタンドカラーのボンバージャケット(1万7600円)。シガレットポケットを付けずに削ぎ落としたデザインにこだわった。「着る人を選ばず、ユニセックスで楽しんでもらいたい」と瀬谷バイヤー。価格帯はカットソー4500円~、ボトムス9000円〜、アウター1万5000~とシップスの3割程度に抑えた。

仕入れアイテムは全体の2割程度。スウェーデン発の「セファ(SEFA)」や米百貨店のJ.C.ペニーのプライベートブランド「タウンクラフト(TOWN CRAFT)」など「今取り入れたい気分のブランドを柔軟に取り入れた」。

シーズンビジュアルも同世代のクリエイターと作り上げた。瀬谷ディレクター「ルーツを大事にするシップスがすごく好きだからこそ、それを今っぽい表現でより広く届けていきたい。CPAでは本当にやりたかったことを発信できた」と達成感を滲ませる。ゆくゆくは単独店の出店も視野に入れるという。

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韓国・ソウルの若者に人気のリップは? トレンドスポットのソンスで街頭インタビュー

最近の韓国のホットスポットといえば、真っ先に思い浮かぶのは聖水(ソンス)ではないだろうか。アパレルやコスメブランドのポップアップやおしゃれなカフェ、さまざまなブランドの路面店などがひしめき合うエリアだ。

今回、ソンスで買い物を楽しむ韓国の若者8人に普段持ち歩いているリップを聞き、アイテムと共にお気に入りの理由も教えてもらった。

もはやアクセサリー?! 「ブレイ」のリップ&チーク

ブランド:「ブレイ(BRAYE)」
商品名:“リップスリックリップアンドチーク”

「専用のチェーンを購入して、ネックレスやベルトループに通して腰に付けたりと、アクセサリーのように使えます。他になくて新しいですよね。5番のソフトピンク“イズ”を持っているのですが、グロッシーな仕上がりで重ねれば重ねるほど艶や発色が増します。鏡が付いているわけではないのですが、パッケージがミラーのようになっているのでわざわざカバンから鏡やリップを取り出す必要がなく、手軽にメイク直しできるのもうれしいです」(モデル・20代後半)

「3CE」のマットリップを2本持ち

ブランド:「3CE」
商品名:“ソフトマットリップスティック”、“ブラーウォーターティント”

「両方マットな質感で、発色が良いところがお気に入り。カラーは、自分の元の唇の色に近い“MLBB(My Lips But Better)カラー”を選んでいます。ふわっと柔らかそうな唇になる“ソフトマットリップスティック”は、おもちゃみたいなクリアパッケージが好き。“ブラーウォーターティント”、はウオータリーな軽い質感なのに時間が経つとマットに変化するユニークなリップです」(学生・20代前半)

これ1つで統一感をかなえる「フィー」の“プリンポット”

ブランド:「フィー(FWEE)」
商品名:“リップアンドチークブラーリープリンポット”

「リップとチーク両方に使えるので、これ1つ持っていればポーチの中もかさばらないし、普段ミニバッグを使う私にはピッタリなんです。その上メイクにも統一感が出るので一石二鳥。マットタイプだけど乾燥も気にならないです」(20代前半)

「フィー」の“濃度別”リップグロス

ブランド:「フィー」
商品名:“3Dボリューミンググロス”

「保湿力があるのに、着け心地が軽くてベタベタしません。グミみたいなパッケージもかわいいですね。あまりに使用頻度が高すぎて、ロゴが剥げてしまってるんです(笑)」(大学生・20代前半)

ブランド:「フィー」
商品名:“3Dボリューミンググロス”

「私は濃度70%の“04 エンドゥ”。手軽に保湿・艶・血色をプラスできるのでバッグの中に必ず忍ばせています。色持ちは良くないのですが、ぷるんとした艶感が好きです」(会社員・20代後半)

艶が長持ちする「ペリペラ」のティント

ブランド:「ペリペラ(PERIPERA)」
商品名:“ウォーター ベアー ティント”

「カラーは柔らかなクールトーンのピンク系“ミュート パラダイス”。発色はナチュラルで、ベタつかないのに艶が長持ちするんです。朝塗って、お昼頃になってもほんのり艶が残っています。次もリピートする予定!」(20代後半)

リピート2本目に突入!「クリオ」の“クリスタルティント”

ブランド:「クリオ(CLIO)」
商品名:“クリスタルグラムティント”

「適当に塗ってもメイクがバッチリ決まります。リップグロスは苦手なのですが、これはさらっとした付け心地なのに厚みがあるような艶感が出て、理想の唇に仕上がります。好きすぎて、もう2本目です」(大学生・20代前半)

「リリーバイレッド」の“褒められリップ”

ブランド:「リリーバイレッド(LILYBYRED)」
商品名:“ジューシーライアー ウォーターティント”

「リップはレッド系が好きで、これを塗って出かけるとよく『かわいいね』って言われます」(20代前半)

「フリン」のリップはマットなのに乾燥知らず!

ブランド:「フリン(FLYNN)」
商品名:“アディクションベルベッドティント”

「この『フリン』の“アディクションベルベッドティント”はマットなのですが、乾燥せず、皮むけしないところが好きです」(10代後半)

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アパレル広報とベリーダンサー オンワードの若手女性社員が歩むパラレルキャリア

働き方に“正解”はない時代。アパレル業界でも一つのキャリアに縛られず、自分らしく働くことを望む若者が増えている。大手アパレルのオンワードホールディングスで働く髙橋和佳子さん(27)もその一人だ。

某日、都内のレストランでベリーダンスショーが開かれた。客の視線を一身に浴びるのは、きらびやかな衣装に身を包んだ髙橋さん。ムーディーな音楽に乗せた流麗なダンスに、会場は拍手喝采に包まれた。

ショーがフィナーレを迎えると、時計はすでに夜の22時を回っていた。髙橋さんは手早く着替えを済ませ、足早に会場を後にする。明日は朝から、日本橋のオンワードグループ本社に出勤しなくてはならない。

自由でその人らしさが表現できる
フュージョンベリーダンスの魅力

プロのベリーダンサーとしての顔を持つ髙橋さんは、オンワードホールディングスに新卒入社して現在5年目。婦人服ブランド「ICB」を経て広報部に配属された。「(広報は)私のような若手が配属される事があまりないポジションなので、辞令を聞いて驚きました。広報業務は、グループ全体の方向性や子会社の状況、業界全体の動向まで理解していないと務まりません。今も勉強の毎日です」。現在は「アンフィーロ(UNFILO)」「ステッピ(STEPPI)」「ネイヴ(NAVE)」といった成長フェーズのD2Cブランドを担当し、プレスリリースの作成やメディアの取材対応が主な仕事だ。

ベリーダンスとの出合いは、東京外国語大学在学中に友人に誘われ、部活に入ったのがきっかけ。東京外大のベリーダンス部は、日本で初めてプロのベリーダンサーを輩出した名門。手を引かれて飛び込んだ世界だが、「気がついたら部長になっていた」と笑う。

髙橋さんがのめり込んだのは、ベリーダンスにさまざまな音楽やカルチャーを融合した「フュージョンベリーダンス」。ベリーダンスの伝統を重んじながらも、音楽や衣装、踊りのスタイルなどは自由。踊り手それぞれの個性を出せるのが魅力だ。「サンバを踊るならお尻が大きい方がいいとかとか、K-POPは肌が白くて細いのが正義とか、そういう“美しさの基準”がない。どんな体形の人が踊っても、その人の女性らしさがちゃんと見える、インクルーシブなダンスなんです」と目を輝かせる。

社内の新制度を活用
出演やレッスンの日は早め退勤

大学を1年間休学し、米国にダンス留学もした。帰国後はプロも視野に入れ、一層打ち込んだ。ただダンスだけで食べていくのは難しいとも感じていたという。「ベリーダンスを続けていきたいからこそ、一般企業への就職を選ぶべきだと思っていました」。服が好きで、「就職するならアパレル」と考えていた髙橋さんは、数社の採用面接を受けてオンワードを選んだ。

入社以降も仕事の傍ら、夜はベリーダンスの練習を続け、休日はイベントに参加するなど腕前を磨いてきた。22年の7月にグループとして副業が正式に解禁され、入社4年目以降の社員が対象となった。髙橋さんは昨年4月にプロダンサーとしての活動が社内で承認され、同年6月にフュージョンベリーダンスの全国大会で優勝。「社内でも、プロダンサーですと胸を張って言えるようになりました」。

現在はイベント出演やレッスン講師業でも報酬を得ている。オンワードは社員の柔軟な働き方を推奨する目的で、朝8〜10時の間から10分刻みで出勤時間を自由に決められる新制度もスタートした。髙橋さんは夕方にレッスンやイベントがある日は早めに出勤し、仕事を切り上げてダンススタジオや会場に直行する。

社内では今年4月から、広報業務に加えてサステナビリティ推進担当を兼任し、新たなインプットに追われている。へとへとになって帰った日も、ダンスの振り付けの作成やパフォーマンス練習は欠かさない。

「ダンスで誰かの背中を押したい」
社内では新しいロールモデルに

プロを名乗るようになって、ダンスに向き合う意識が変わったという髙橋さん。「多くの人がイメージするベリーダンスは、長い髪を靡かせて、キラキラの衣装で、セクシーな動きで男性を喜ばせるダンス。でも私がやりたい表現は少し違う。誰もがコンプレックスを抱えているけれど、私はダンスを通じて自分を思い切り表現できるようになった。完璧じゃなくていいし、どこか欠けていたり、傷がついている方がきれいかもしれない。そんなことをダンスで伝えられたらと思います」。

誰かを勇気づけたいという思いが原動力だ。ショーは髙橋さん自ら企画し、集客までする。インスタのストーリーにダンス動画を載せたり、チラシを配ったり。一人でも多くの人にベリーダンスに興味を持ってもらおうと考えてきた。

「伝える」ための地道な努力は、オンワードの広報の仕事にも生きている。髙橋さんは社内用動画コンテンツの取材・制作も担当する。「グループの中には、すごく価値があるけれど、他の社員にすら知られていない仕事がある。私はそれを発掘して光を当てたい」と話す。「普段、自分で撮ったダンスの動画を編集してインスタに投稿していますが、これが(オンワードの)業務にも結構役に立っているんですよ」。

今後もオンワードで働きながら、プロのベリーダンサー業を続け、「新しい働き方のロールモデルになりたい」との思いを強くする。「後輩社員や、アパレル業界を目指す学生さんが、こんな働き方もアリなんだ!と思ってくれたら。それだけでも、やっていてよかったなと感じられますね」。

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「フェラガモ」の命運握る29歳デザイナーが語る 伝統を前進させる覚悟

PROFILE: マクシミリアン・デイヴィス/「フェラガモ」クリエイティブ・ディレクター

マクシミリアン・デイヴィス/「フェラガモ」クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 英国マンチェスター生まれ。ジャマイカとトリニダード・トバゴにルーツをもつ。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業後、2020年に自身のブランド「マクシミリアン」を設立。若手支援プログラムの「ファッションイースト」に選ばれ、デビューシーズンからロンドン・ファッション・ウイークでコレクションを発表してきた。22年3月から現職

マクシミリアン・デイヴィス(Maximilian Davis)が「フェラガモ(FERRAGAMO)」のクリエイティブ・ディレクターに就任して約2年がたった。2022年3月に若干26歳で大役に抜擢された彼は、同年9月にデビューショーを開き、新たな章の幕開けを印象付けるミニマルで若々しいコレクションを披露。以来、豊富なアーカイブと向き合いながら自身のモダンな感性を生かし、1927年創業の老舗ブランドを未来へと推し進めている。そんなデイヴィス=クリエイティブ・ディレクターに、日本のメディアで初めての独占インタビューを実施。創業者や伝統への敬意から、デザインに対する考え方までを聞いた。

必要だったのは、新たな始まりだと感じさせること

WWD:就任当時は相当なプレッシャーがあったのでは?

マクシミリアン・デイヴィス「フェラガモ」クリエイティブ・ディレクター(以下、デイヴィス):もちろん、初めての挑戦だったから。でも、マルコ・ゴベッティ(Marco Gobbetti)CEOは「ジバンシィ(GIVENCHY)」時代にも当時25歳だったリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)を抜擢して成功に導いた実績がある人物。そんな彼が自分を選んでくれたことが自信につながった。マルコはとても協力的な人で素晴らしい指導者。私たちは目標やゴールが何なのか、いかにブランドを立て直して発展させるかについて何度も話し合った。クリエイティブ・ディレクターにとって、CEOとの関係性はとても重要。(ファッション業界内では)悪夢のような話もよく聞くから、とてもありがたく感じている。

WWD:就任から2年がたったが、今の気持ちは?

デイヴィス:居心地はいいと感じているけれど、私は常に自分がこれまでやってきた以上のことができると信じている。自分の仕事が“これで終わった”と満足することはない。いつだって学び、成長したいし、発展させたり変化させたりしていきたいことがある。

WWD:振り返ると、22年9月に発表したデビューコレクションで、ミニマルかつモダンなスタイルを軸に新しい「フェラガモ」像を明確に打ち出したのが印象的だった。新たなブランドイメージを確立する上で重視したことは?

デイヴィス:フレッシュであること。新たな始まりだと感じさせることが必要だった。自分が加わる前の「フェラガモ」は、いくつかの異なる方向性があり、少し分かりづらかったと思う。だからデビューコレクションはブランドにとっての新しいキャンバスを用意するため、ミニマルなシルエットにフォーカスした。特に、赤いジャケットドレスのルックが新生「フェラガモ」のシルエットを象徴していて、プロポーションやデザインを変えながらも毎シーズン打ち出している。そして、2シーズン目からは、ディテールや素材、プリント、テクスチャーにおける進化に取り組んでいる。

WWD:あなたが考える「フェラガモ」のDNAやコアバリューとは?

デイヴィス:何より創業者のサルヴァトーレ・フェラガモは革新的な人。彼はお菓子の包み紙のようなセロハンやワインのコルク、ラフィアといった身の回りにある素材を使って、靴を作っていた。そんなイノベーションの精神は今でもとても重要であり、ブランドの核となるDNAだと思う。そして、それに関連するもう一つの大切な部分は、クラフトへの向き合い方だ。昨日ちょうど、1万5000足のシューズをアーカイブとして持っているブランドが他にどれだけあるか?ということをチームと話したところだけど、それこそが「フェラガモ」の伝統やクラフツマンシップを物語っている。そして、受け継がれるイタリアの職人技と素材は「フェラガモ」の原点であり、ずっと業界をリードする特別な価値になっている。

WWD:では、今もよくアーカイブも訪れている?

デイヴィス:コレクション制作を始める時は、訪れるべきだと考えている。サルヴァトーレとファミリーがこれまで築き上げてきたものに敬意を払いたいからね。だから、アーカイブを見に行ったり、30年以上「フェラガモ」で働いている人たちに話を聞いたりして、当時のコレクションはどうだったか、どんな方向性だったかということを知るんだ。そういったコレクションの出発点になる豊かなアーカイブや知識を持った人がいることはありがたく、それが「フェラガモ」というブランドをユニークな存在にしていると思う。実際、毎シーズン、アーカイブを調べて、新しいアイデアや素材、アプローチを見つけることは、とても楽しい。

“家族”のためにデザインするというアプローチ

WWD:「フェラガモ」には、100年近い歴史がある。クリエイティブ・ディレクターとして、伝統あるブランドを“現代的”に表現するために、新たに持ち込んだ価値は?

デイヴィス:自分のブランドでもそうしていたように、さまざまな世代が入り混じる“家族”のような人々のためにデザインするというアプローチ。より成熟した顧客に対する感性があると同時に若々しい遊び心あふれるエネルギーもあるということは、私が「フェラガモ」のクリエイティブ・ディレクターに選ばれた理由の一つだと思う。最新のコレクションではさらにその意識を強く持っていて、家族全員に合うようなラインアップに発展できている手応えがある。そんな“あらゆる年齢層にリーチできる品ぞろえ”というのは、靴でそれを成し遂げた「フェラガモ」の原点にも通じること。自分の手掛ける「フェラガモ」ではウエアやバッグも含め、それを実現したい。また、新たに持ち込んだものではないけれど、1980〜90年代の「フェラガモ」に見られたようなセンシュアリティー(官能性)とエレガンスを取り戻し、新たなエネルギーをもたらしたいと考えている。

WWD:確かにコレクションからは、センシュアリティーやエレガンスも感じられる。特に23-24年秋冬では、ソフィア・ローレン(Sophia Loren)やマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)といった1950年代に活躍したスターから着想を得ながらも、当時の女性性の表現は「異星人のように感じる」と語っていた。過去と比べて、現代のセンシュアリティーやエレガンスはどのように違うと感じる?

デイヴィス:現代の美しさは、もっと多様でオープンだ。50年代の人たちは、自分の体をよりグラマラスに、より官能的に見せる方法として、特定の着こなしをしていたと思う。23-24年秋冬コレクションで取り組んだのは、そこに目を向ながらも、現代風にアレンジするというアプローチ。例えば、マリリン・モンローを象徴する白いドレスのようなサークルスカートをナイロンで作り、コクーンシェイプのウインドブレーカーと合わせるといったようにね。50年代のシルエットを取り入れながらも、どんな素材なら現代的に感じられるか、今を生きる人々はどのような服装を望んでいるのかを考えたんだ。

WWD:デビュー当初に比べると、最近のコレクションはより落ち着きがあり、着やすいアイテムも増えた印象を受ける。実際に“売れる”ものを作ることをどれくらい意識しているか?クリエイティブとビジネスのバランスを取る難しさは感じるか?

デイヴィス:難しいことではなく、商業性とクリエイティビティーのそれぞれを適切な形で打ち出せばいいと考えている。常にデザインチームに確かめているのは、「自分がデザインしているものを自分自身が身に着けたいと思うか?」ということ。デザインする人自身がその製品を信じられなければ良いものは生まれない。それに、素材や構造が適切であり、着心地が良くラグジュアリーであるかを理解するためには、身に着けてみることが必要だ。ショー後から生産に入るまでにも、それぞれが実際に着用して問題点を見つけ出し、製品を改良している。もの作りに対するそういった姿勢は、商業性や実際に売れるものを理解するのにとても役立つと思う。その上で、ショーで見せるメーン・コレクションでは、クリエイティビティーを押し出すため、少しだけウエアラブルではないものを加えることもある。一方、核となるスタイルを提案するプレ・コレクションは理解してもらいやすく、ウエアラブルであること大事だと考えている。

WWD:これまでのコレクションを見ると、色の選び方が独特で印象的だ。どんなところから、そのヒントや着想を得ているのか?

デイヴィス:昔から「フェラガモ」の色使いは力強かったから、今後も受け継いでいくべき要素だと考えている。色使いに関しては、たくさんのアーカイブをリサーチしたり、美術館でいろんな絵画を見たり。それに、自分のルーツであるカリビアンの伝統によるところも大きいと思う。現地のカーニバルでは、自由の表現として、一見マッチしないような色を組み合わせる。だから、私にとってこの色彩感覚は自然なもので、心の中はとてもカラフル。自分自身は黒や紺といった落ち着いた色ばかり着ているけれどね(笑)。

シューズとバッグに対するこだわり

WWD:「フェラガモ」の代名詞であるシューズをはじめ、実用品としての側面も大きいバッグやシューズの制作は、ウエアとはまたアプローチが異なると思う。どのように取り組んでいるか?

デイヴィス:ウエアで大切にしているのは、これまでのシルエットをベースにしながら新しいものを生み出すこと。一方、バッグを制作する時には、機能性に加え、それがブランドを象徴するとともに将来的にも押し出していきたいものかどうかを考える。例えば、23-24年秋冬に初披露した“ハグ(HUG)”バッグは、シーズンごとに新たな色や素材、アレンジでアップデートしている。それはファミリーを増やしていくような感覚。ただ、コレクションを見た時に一目で「フェラガモ」の魅力と一貫性を理解してもらえるようを意識している。シューズは、ウエアと同じようにデザインにおける新しさや面白さを探求しているが、ショーピースと同じデザインでもより低いヒールやフラットを製品としては提案することで、さまざまなペルソナに合うようにしている。特にバッグやシューズは、身近なアイテムだからこそ確実にウエアラブルであり、クリエイティビティーとクラフトを感じられるものであるべきだと思う。

WWD:これからさらに強化したり、新たに取り組んだりしていきたいアイテムは?

デイヴィス:私たちは、シューズでブランドを認識してもらわなければならない。バレエシューズなど、いくつか象徴するようなアイテムはあったが、必要なのはフルラインアップをそろえてプッシュしていくこと。「フェラガモ」を訪れた時に、デイシューズも、イブニングシューズも、サンダルも買えるんだと思ってもらいたい。そして、それは何年も履くことができ、何世代にもわたって受け継がれていくもの。だからシューズは何より重要であり、今後もさらに注力していく。

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ファッション業界から飲食業界へ 元「GR8」店長の竹内隆平が目指すもの

竹内隆平/カフェ「バゲージ」「ポート」オーナー

大学までサッカーに明け暮れ、その後ソフトバンクの法人営業を経て2010年「GR8」に入社。当時最速で社員になり店長、バイヤーを兼任し2019年に退社。
2020年1月からカフェ「バゲージ」をオープンし現在2店舗のオーナー。

今回の「ファッション業界人辞典」は番外編。
ラフォーレ原宿にあるセレクトショップ「グレイト(GR8)」の元店長で、現在は表参道にある「バゲージ」と富ヶ谷にある「ポート」、2店舗のカフェオーナーをしている竹内隆平のカフェ業務の1日とケータリング業務に密着し、なぜカフェ業界に転身したのか、今後の展望などを聞いた。

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「LINE FRIENDS」の代表に聞く 渋谷新旗艦店は情報発信基地とファンコミニティーの聖地

7月15日まで、NewJeans(ニュージーンズ)のポップアップイベントを開催中の「ラインフレンズ(LINE FRIENDS)」による大型旗艦店「ラインフレンズ スクエア シブヤ(LINE FRIENDS SQUARE SHIBUYA)」。村上隆と藤原ヒロシというアート界・ファッション界の巨匠2人を巻き込むなど、注目度も高い。店内には、NewJeansのミュージックビデオやメンバーからのコメント動画などのほか、BTSのメンバーによるサイン入りの手形やキャラクターの開発背景時にメンバー自らが描いたスケッチなどを展示し、ファン垂涎のコンテンツが満載だ。拡充する強力なコンテンツの背景は?プロジェクトの展望をLINE Friends Japanの松岡毅法人長に聞いた。

――2018年にオープンした原宿店を22年12月にクローズした。なぜこのタイミングで新しい旗艦店をオープンすることにしたのか?

松岡毅LINE Friends Japan法人長(以下、松岡):理由は複数あるが、1つ目はコロナが落ち着き、インバウンドが戻ってきたこと。2つ目は日本において、推しカツやオタ活の対象が、アイドル以外にも広がってきたことを感じていたこと。そして3つ目は、われわれとして、複数の新しいIP(知的財産)をリリースする予定があり、その情報発信基地としての場所が必要だったことから、旗艦店のオープンに至った。

――韓国をはじめとするトレンドの発信地として、渋谷を選んだ理由は?

松岡:われわれが扱っているキャラクターは韓国に限ったわけではないが、さまざまな国のキャラクターを新鮮な状態でお客さまに届けたかった。いくつか候補地はあったものの、やはり渋谷がいいだろうと。渋谷は若者の街という印象もあるが、再開発が進み、ベンチャー企業も多く、ファミリーや観光客、インバウンドもいる。多様性がある街は、グローバル企業であるわれわれに相応しい場所だ。

――具体的なターゲットは?

松岡:キャラクターごとにターゲットは異なる。従来型の性・年齢・属性で切るというよりは、自分の好きなことに熱中している人、そして、その好きなものを好きだとはっきりと言い、ほかの人に拡散するような人をターゲットにしている。

――NewJeansやBTSのようなアーティスト以外でのコラボの可能性もある?

松岡:第1弾コラボのNewJeansは長期的なパートナーとしてこれからも継続するが、年内には、ほかのK-POPアーティスト、日本のクリエイターやアパレルブランドとの計画もある。旗艦店では、3週間から1カ月ほどでポップアップイベントが変わっていくイメージだ。

――村上隆さんや藤原ヒロシさんといった、日本のトップアーティストやトップクリエイターとコラボできる理由は何か?

松岡:われわれはファンをとても大切にしている。ファンの気持ちやファンが好きだと思うもの、ファンが望んでいるものを提供したい。そして、アーティストやクリエイターを尊重し、その方がやりたいことや望んでいることを形にできる。ファンとクリエイターを繋ぐクリエイティブ能力と商品開発力を評価してもらえているのだと思う。

――今後の展望は?

松岡:この店を情報発信基地と、ファン同士が仲良くなれる聖地にしたい。われわれとして注力するIPはもちろん、年内に新しいブランドもローンチする。ここに来れば、新しい発見がある、見たこともないものが見られるという場所にしたい。

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NewJeansと村上隆、藤原ヒロシがコラボ 「LINE FRIENDS」渋谷旗艦店が豪華共演でこけら落とし

海外アーティスト史上最速のデビュー1年11カ月で東京ドーム単独公演を達成したNewJeans(ニュージーンズ)が、7月15日まで、東京・渋谷でポップアップイベントを開催中だ。場所は、このほど原宿から渋谷に移転オープンしたLINE発のグローバルキャラクターブランド「ラインフレンズ(LINE FRIENDS)」によるストア「ラインフレンズ スクエア シブヤ(LINE FRIENDS SQUARE SHIBUYA)」(東京都渋谷区神南一丁目19番10号 PARKWAY SQUARE 2)。地下1階から2階までの総面積約1000平方メートルに及ぶこの大型フラッグシップストアには、NewJeansの他にもBTSと共に開発した「BT21」や「minini」「うさまる」「ねこぺん日和」などのキャラクターブランドが一堂に会す。

地下1階と2階のポップアップゾーンは期間中、NewJeans一色に染まり、ファンならずともNewJeansの魅力を感じられる特別な空間と化している。目玉は何と言っても、村上隆と藤原ヒロシがそれぞれコラボレーションパートナーを務めた「NewJeans × MURAKAMI」と「NewJeans × Hiroshi Fujiwara」だ。Tシャツやキャップ、バンダナ、バッグ、クッション、キーホルダーなど、多種多様なコラボアイテムがラインアップする。

村上隆とミン・ヒジンが
オープニングに駆け付けた

オープニングでは、村上とNewJeansのプロデューサーであるアドア(ADOA)のミン・ヒジン代表が来店。以前からNewJeansのファンだと公言する村上は、「今回のコラボレーションの1番のポイントは、ミン・ヒジンさん本人とLINEのメッセージで、全てのやりとりができたことだ。タイムラインで次々といろんなことが決まっていく中で、毎晩24時過ぎまでやりとりが続き、彼女の細かいオーダーを聞けて、大変勉強になった」と言う。

なぜNewJeansに惹かれるのか?と問うと、「僕自身もなんでこんなに好きなのか考えたが、コンサートで松田聖子や竹内まりあを歌うようなところ。すごい!まさかそこか!やられた!と。コラボしたキャラクターがSpotifyのトップページに出てきたときには人生で一番ぐらいのレベルで感動した。見た瞬間に思わず、『あっ!』と子どもみたいな声が出た」と興奮気味に答えた。

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NewJeansと村上隆、藤原ヒロシがコラボ 「LINE FRIENDS」渋谷旗艦店が豪華共演でこけら落とし

海外アーティスト史上最速のデビュー1年11カ月で東京ドーム単独公演を達成したNewJeans(ニュージーンズ)が、7月15日まで、東京・渋谷でポップアップイベントを開催中だ。場所は、このほど原宿から渋谷に移転オープンしたLINE発のグローバルキャラクターブランド「ラインフレンズ(LINE FRIENDS)」によるストア「ラインフレンズ スクエア シブヤ(LINE FRIENDS SQUARE SHIBUYA)」(東京都渋谷区神南一丁目19番10号 PARKWAY SQUARE 2)。地下1階から2階までの総面積約1000平方メートルに及ぶこの大型フラッグシップストアには、NewJeansの他にもBTSと共に開発した「BT21」や「minini」「うさまる」「ねこぺん日和」などのキャラクターブランドが一堂に会す。

地下1階と2階のポップアップゾーンは期間中、NewJeans一色に染まり、ファンならずともNewJeansの魅力を感じられる特別な空間と化している。目玉は何と言っても、村上隆と藤原ヒロシがそれぞれコラボレーションパートナーを務めた「NewJeans × MURAKAMI」と「NewJeans × Hiroshi Fujiwara」だ。Tシャツやキャップ、バンダナ、バッグ、クッション、キーホルダーなど、多種多様なコラボアイテムがラインアップする。

村上隆とミン・ヒジンが
オープニングに駆け付けた

オープニングでは、村上とNewJeansのプロデューサーであるアドア(ADOA)のミン・ヒジン代表が来店。以前からNewJeansのファンだと公言する村上は、「今回のコラボレーションの1番のポイントは、ミン・ヒジンさん本人とLINEのメッセージで、全てのやりとりができたことだ。タイムラインで次々といろんなことが決まっていく中で、毎晩24時過ぎまでやりとりが続き、彼女の細かいオーダーを聞けて、大変勉強になった」と言う。

なぜNewJeansに惹かれるのか?と問うと、「僕自身もなんでこんなに好きなのか考えたが、コンサートで松田聖子や竹内まりあを歌うようなところ。すごい!まさかそこか!やられた!と。コラボしたキャラクターがSpotifyのトップページに出てきたときには人生で一番ぐらいのレベルで感動した。見た瞬間に思わず、『あっ!』と子どもみたいな声が出た」と興奮気味に答えた。

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小説家・山内マリコが振り返る「自身のキャリア」 「作家は信用商売。書いてきたものは裏切らない」

PROFILE: 山内マリコ

山内マリコ
PROFILE: 1980年富山県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業。2008年に短編「16歳はセックスの齢」で第7回「R-18文学賞」読者賞を受賞。12年、受賞作を含む短編集「ここは退屈迎えに来て」を刊行してデビュー。その他の著書に「アズミ・ハルコは行方不明」「あのこは貴族」「選んだ孤独はよい孤独」「一心同体だった」「すべてのことはメッセージ 小説ユーミン」などがある。

小説家・山内マリコの最新作「マリリン・トールド・ミー」(河出書房新社)は、1950年代に活躍した映画スターのマリリン・モンローをモチーフに、コロナ禍に大学生活を送る大学生が主人公。70年の時を経て、今なおセックスシンボルとしてのイメージが強いマリリンを、フェミニズムの文脈で捉え直した意欲作は、どのように生まれたのか。また、自身のキャリアも振り返りながら、作家としての歩みをたどる。

——最新作「マリリン・トールド・ミー」で、マリリン・モンローをモチーフにした経緯は?

山内マリコ(以下、山内):きっかけとしては、1970年代からウーマン・リブ運動をけん引する田中美津さんの「いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論」という本です。今読んでも言葉がキレッキレ。ただ、マリリン・モンローに触れた箇所は、従来のセックスシンボル的な書かれ方で、小さな疑問と興味を持ちました。

マリリンについて調べてみると、1962年8月5日に亡くなったあと、入れ替わるように時代が変わり、アメリカの女性たちの間にウーマンリブが芽生えだすんです。もし、マリリンがもう少し長く生きることができていたら、フェミニズムに救われたかもしれない。少なくとも、“セックスシンボル”という搾取的なイメージではなく、もう少しリスペクトされる存在だったのではと。生前の言動からして、フェミニズムアイコンにイメージが塗り替わった可能性だって充分ありえたと思えました。

——時代を超えてマリリンと出会う本作の主人公・瀬戸杏奈は、現代のコロナ禍に大学へ通う学生です。

山内:この小説は、コロナ禍真っただ中だった2022年の「文藝」に寄稿した短編がもとになっています。その号の特集テーマが「怒り」だったんです。今、怒りの感情を抱いているのは大学生だろうな、と。そこで、マリリンのことを書きたいという気持ちと、怒りというテーマが結びついて、主人公の造形ができました。

私は大学時代に同性の親友と出会ったことで、大げさに言うと、今の自分になれました。それで、女性同士の友情は異性愛にも負けないくらいすごいんだっていうことを、物語に書いてきたわけです。そのテーマが作家としてのモチベーションであり、旧弊な社会への挑戦でもあったので。

だけど、コロナ禍で大学生活を送った世代は、授業はリモートで2年間ずっとキャンパスにも行けず、出会いもなく、友達をつくること自体が難しくなってしまった。そんな彼らに、安易に親友を礼賛するような物語は通用しない。そもそも、友達がいないからダメってわけじゃないし、もうこの世にいない人とだって、交流を深めることはできるはず。そういう形での救いこそ、書く意味があるんじゃないかと思ったんです。

現代の若者たちが手にした、「学び」という財産

——本作は山内マリコ作品では初めてと言っていい、ファンタジーな物語ですよね。

山内:確かに、60年前に死んだマリリンから電話がかかってくるというシチュエーションは、幻想的というか、いつも書いているリアリティーラインとは違いますね。でもコロナ禍で私たちが経験したことって、「まさか現実にこんなことが起きるなんて!」というような世界線でした。なので、そこまで突飛なアイデアのつもりもなく、「そういうことも起こり得るかもしれないな」と思って書いていました。

——大学生の登場人物たちが、みな理知的で勉強熱心なところも現代っぽいなと感じました。

山内:大学生を描いた物語なのに、遊んだりするような場面は全然なくて、図書館で文献を読んだり、ゼミで討論するシーンが多いなんて、一昔前だったらかなり異色だったと思います。でもこれが、今のリアルなのかなって。

私個人は、大学生のころはフェミニズムについて何も知りませんでした。年齢を重ねていく中で女性としての当事者性がより強くなって、違和感を持つようになり、アラサーのときに上野千鶴子さんの本を読み、頭を殴られるようなショックを受けて開眼しました。

そのことを上野さんに話したら、「あら、じゃああなた、それまで幸せだったのね」って(笑)。女性がフェミニズムに目覚めるのは、女性であることの困難にぶち当たった時なんですよね。人は不幸になってはじめて、ちゃんと考えようとするわけで。ということは今20代の人たちが、フェミニズムをはじめ社会の悪しき構造にも問題意識を持っているのは、それだけ困難な目にあっているからだと思うんです。

ただ一つ思うのは、コロナ禍でかなわなかったこともたくさんあるけれど、それによって社会の問題に目を向けるようになり、学ぶ機会が増えたのだとしたら、それは一生ものになる貴重な財産だということです。

——勉強の話でいうと、多様な価値観に触れていく主人公が<なんだか学習させられてるAIみたいだ>と感じる描写があって、確かに今の時代、自分の感情よりも先に、例えば「今の発言、SNSで炎上しそうだな」というような、外部に審判を求めてしまう傾向があるなと感じました。

山内:SNSを見ている人たちの間で、炎上判定をする超自我みたいなものが形成されて、その共通感覚が育ったことで、社会の価値観がここ数年で大きく変わったんじゃないかなと感じています。Xのポストを見て、答え合わせする感覚というか。

杏奈は最初のうち、SNSの意見をつまみ読みしたり、人の顔色をうかがったりする中で築いた、あやふやなジェンダー観しか持っていません。マリリンに興味を持ち、本を読むことで、もっと耐久性のある考えを持てるようになります。外部に審判を求めるだけじゃない、自分で考えることのできる人間に成長させてくれたのが、マリリンなんです。

マリリンはアイコンとして超有名だけど、誤解され続けてきた存在

——マリリン・モンローについては、本作を書く前から興味を持って調べたりはしていたのですか。

山内:「お熱いのがお好き」や「紳士は金髪がお好き」は観たことがある程度でした。あとは、不幸な生い立ちだったとか、実は読書家だったというくらい。ただ、なにかありそうだなと、直感が働いたというか。

最初は「あの時代にもっとフェミニズムが根付いていたら、マリリンも救われたかもしれない」と思ったんです。ところが調べていくうちに、むしろ逆なことが分かりました。「マリリン・モンロー 瞳の中の秘密」という2012年製作のドキュメンタリーでは、マリリンは性革命の急先鋒だったとして、彼女がいたからこそフェミニズムが生まれたんだとまで言っていて。やっぱりフェミニズムの文脈で語られるべき存在だったと、すぐに確信しました。

——マリリンのどういったところで、そう感じたのでしょう。

山内:決定的なのは、雑誌に性被害を告発する文章を寄せているところです。映画界は黎明期から「キャスティングカウチ(セックスに応じた相手に役を回すこと)」という隠語があるくらい、権力を持つプロデューサーが女優を性的に搾取していた業界。マリリンは、17年の#MeTooの先駆けをたった一人でやっていたんです。また、セクシーなステレオタイプの役しか回さない映画会社に反旗を翻して、撮影をボイコットして訴訟を起こし、独立プロダクションを作るなど、精一杯の抵抗をしています。これは現代の芸能界に置き換えて考えても、すごい行動力。

マリリンが望んでいたのは、質の高い文芸作品に出ること。そして、真っ当な給料を払ってもらうこと。実はマリリンが結んでいたのは、奴隷契約に等しいものだった。不当な給料で働かされていることに声をあげた点なども、とても現代に通じると感じました。

——時代を超えて再びスポットを当てるということでいえば、山内さんは、柚木麻子さんと共同で責任編集を務めた19年の「エトセトラ VOL.2 特集:We LOVE 田嶋陽子!」号を象徴とする、令和の田嶋陽子ブームの仕掛け人でもあります。

山内:90年代にテレビを見ていた人なら、田嶋陽子さんといえば、男性論客を相手に怒っているフェミニストという、ちょっとネガティブなイメージでした。ところが、「愛という名の支配」というご著書を読んだら、素晴らしく明晰な、フェミニズム入門に最適な本で。この本をみんなにも読んでもらいたい、田嶋先生の誤解されたイメージを刷新したいという気持ちで、特集をぶち上げました。同じ時期に新潮文庫の編集者さんがこの本を復刊させてくれたこともあり、カムバは大成功(笑)。

最も有名なアイコンを今の文脈で語り直すことは、インパクトがあって、メッセージが伝わるスピードも早い。有名であればあるほど有効なんです。「マリリン・トールド・ミー」をきっかけに、本当のマリリンを知りたいと思ってくれる人が増えたらうれしいですね。

文学をかっこいい若者カルチャーにしたかった

——山内さんはデビュー作の「ここは退屈迎えに来て」(2012年、幻冬舎)の時から、女性同士の友情や連帯を書き続けていますね。

山内:「ここは退屈迎えに来て」が出たのは、もはや一昔前の時代ですね。女の子たちが中心の友情物語にしたかったのですが、最初に原稿を見てくれた編集者さんからは、「恋愛小説を書いてほしい」とストレートに言われてしまい、アドバイスを受けて、全ての短編に共通して“椎名”という男の子が登場する連作になりました。各短編の中身は、女の子の友情なんです。ただ見え方としては、好きな男子を巡る話という構成になっていて、ちょっとねじれています。

結果的にその構成はすごくほめられたのですが、中心に椎名への恋愛感情を据えたことで、人によってはタイトルを、女子が男子に向かって言っている、さも王子様を待っているような言葉と解釈されるみたいで。そういう感想を聞くたびに、ああ、あれは過渡期の作品だったなぁと感じます。

私としては、大学卒業後に離れ離れになった親友とよく言い合っていた言葉をイメージしているので、あれは女の子が女の子に向けて、迎えに来てよって言っているつもりなんです。22年に出した「一心同体だった」では、シスターフッドの物語を全力で書ける時代になり、デビュー作での悔いを全部やり切りました。

——デビュー前、小説家という職業については、どう捉えていましたか。

山内:なりたいものの一つではあったんですが、恥ずかしくてなかなか公言できなかったです。小説も好きだし、映画も好きだし、写真家にも憧れていて。なりたいものだらけでした。挫折をくり返して、最終的に本腰を入れて目指したのが小説だった。結果的に、自分に一番向いている職業だったと思っています。

私が10代だった1990年代は、雑誌や本で見るサブカルチャーの世界が輝いていました。ところが2000年代が進むにつれて、アニメやアイドルのオタクカルチャーが勢いを増して、産業として成立していきます。サブカルって、それ自体ではあまりお金を生み出さないんですね。経済に余裕があってはじめて成立するところがある。好きだったカルチャーが完敗していくのを横目で見ながら、でも自分もあの世界に行きたいんだよという気持ちで、20代はずっと踏ん張っていました。

本や小説を、少なくとも私は、かっこいいものだと思っています。10代のころに自分が憧れていたような、素敵なものでありたいし、あってほしい。装丁にこだわるのも、そういう思いがあるから。文学には、かっこいい若者カルチャーであってほしいし、自分が若い頃に背伸びして手にとった本や映画、そこからいろんなことを学んだように、私の小説もそういう存在になったらいいなって。

プロは出し切ったあとが勝負

——デビューしたあと、山内さんは小説だけではなく、雑誌のコラム連載もたくさんされていましたよね。

山内:連載を抱えていたマックスの時期は2015年か16年くらい、小説だと「あのこは貴族」を書いていた頃ですね。毎週の締め切りが「週刊文春」と「アンアン」、隔週で「テレビブロス」、その他にも連載と、単発の寄稿や書評、映画のレビュー、掌編小説、短編小説、とにかく書きまくってました。

——みうらじゅんさんが、ご自身を筆頭に雑誌の世界で有名な書き手を「雑誌タレント」と名付けていましたが、その最後の世代が山内マリコと武田砂鉄かなと。

山内:砂鉄さんの連載量に比べたら全然です。私より上の世代だと、しまおまほさんかな。私が雑誌タレントとして忙しかったころは、どこへ行っても何を見ても頭の片隅で、これはあの媒体にこう書いて〜みたいなことを考えていました。すごく疲れた(笑)! 私は雑誌で育ったので、媒体に合わせて書き方も変えるし、お題があればいくらでも書けるんです。ただ、目の前の雑誌の締め切りに追われるうちに、肝心の小説のほうがうまくまわらなくなってしまった。

ひたすら迫ってくる雑誌の締め切りに身を削られ、時間を奪われ、小説に集中したいと思いつつ無理をしつづけ、コントロールが利かなくなって。17〜18年くらいから、徐々にスランプ期に入っていきました。

——スランプはどのくらい続いたのですか。

山内:4〜5年くらいですかね。小説を書いても書いても、及第点を出せるものにならなくて、自分でボツにしていました。抜け出すきっかけになったのは、「すべてのことはメッセージ 小説ユーミン」(マガジンハウス)。ユーミンのデビュー50周年記念でオファーをいただいたので、締め切りは絶対厳守。そのプレッシャーのおかげで、難航していた「一心同体だった」を書き上げられてスランプも脱出、いい流れで「小説ユーミン」に取り組めて、プロとして一山超えられたと思いました。

私は新人賞をとってから単行本デビューするまでが長くて、ネグレクト状態だったその時期に、自分の作品を客観的に、批評的に見て、一人で黙々とブラッシュアップしていく力をつけていきました。だから自分が「手のかからない作家」であることを、ずっといいことだと思っていたんです。でも、もう少し編集者さんに頼ったり甘えたりできていれば、スランプがあそこまで長引かなかったかもしれない。そういうところも、キャリアや年齢に応じて、変えていかなきゃいけないかもなと思います。

——作家として、SNSとの付き合い方については、どう考えていますか。

山内:SNSでずばずば発言して知名度を上げて、ついでに上手に宣伝している作家さんを見ると、素直にうらやましいです。昔は、作家は意見や態度を表明できる特権的な立場にいたけれど、今は逆に、その立場のせいで言えないことが多くなったり、むしろ匿名の人たちの方がよっぽど自由に発信していますよね。

ただ、12年間、作家を続けてきて思うのは、これは信用商売なんだってこと。時間をかけて生み出した作品によって、読者さんの信頼を積み上げていく。1作1作、手に取ってくれた人に、「ああ、この作家の小説をもっと読みたい」と思ってもらえる本を書いていくこと。自分の内側から出てくるものを真摯に書く。小説もそうですが、雑誌に掲載されるエッセイでも、力を抜かずに全力で書く。そうやってせっせと信用を積み上げて、読者さんを少しずつ増やしてきたと思っています。

なので、SNSを見て「なんだこんな人か」とがっかりされてしまっては、元も子もない。最低限の情報拡散には使うけれど、ホットなトピックに食いついていらんことは言いたくない、という自制心を働かせています。臆病と思われるかもしれないけど、SNSで得た刺激も小説にフィードバックして、作品にしていく。そういうやり方でバランスをとっています。なのでSNSは、インプットのツールとしてなくてはならないもの、でしょうかね。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

■「マリリン・トールド・ミー」
著者:山内マリコ
仕様:46判/256ページ
発売⽇:2024年5⽉28⽇
定価:1870円
出版社:河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309031859/

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「ディオール」ビューティのトップが初めて語る ドレスと香りから生まれたメゾンの物語

PROFILE: 2010年にマーケティング ディレクターとしてクリスチャン・ディオール・クチュールに入社。12年、パルファン・クリスチャン・ディオールのメゾン ジェネラル ディレクターを経て、19年にゲラン社長兼最高経営責任者に就任。23年から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

「ディオール(DIOR)」は創業者クリスチャン・ディオール(Christian Dior)のクリエイションと物語を根幹に据え、時代背景や人々の心を反映しながら80年近くの歴史を紡いできた。創業とともに発表したフレグランス“ミス ディオール”を中心に、メイクアップやスキンケアなど全カテゴリーにヒット商品を抱え、幅広いファンを取り込む。開催中の「ミス ディオール展覧会 ある女性の物語」に合わせて来日したヴェロニク・クルトワ(Veronique Courtois)=パルファン・クリスチャン・ディオール プレジデント兼CEOに、メディア初となるインタビューを実施し、展覧会の狙いからメゾンの強さの秘訣まで話を聞いた。

“ミス ディオール”は単なるフレグランスではない

WWD:「ディオール」にとって“ミス ディオール”はどんな存在か。
ヴェロニク・クルトワ=パルファン・クリスチャン・ディオール プレジデント兼CEO(以下、クルトワCEO):「ディオール」の代名詞だ。クリスチャン・ディオールは1947年2月12日、初のファッションショーと同時にフレグランス“ミス ディオール”を発表した。「ディオール」は、ドレスと香りから生まれたと言える。また、クリスチャン・ディオールは自身について、クチュリエでありパフューマーでありたいと公言していた。第2次世界大戦後、悲しみに満ちていたフランスで、女性たちがエレガンスを通してインスピレーションを得られる時代を思い描き創作したのが“ミス ディオール”だ。最初のコレクションは後に「ニュールック」と呼ばれ、世界の注目を集め今に至っている。われわれとって、“ミス ディオール”は単なるフレグランスではない。エレガンスと革新的な精神、そしてクリスチャン・ディオール自身の夢を象徴する。

WWD:展覧会ではどんなメッセージを表現した?
クルトワCEO:「ディオール」のレガシーと現代性の融合を表現した。香りは進化し、世界も進化している。展覧会ではこのアイコニックなフレグランスの誕生から、今年フランシス・クルジャンが考案した最新作に至るまで、時代の変化をどう反映し、進化してきたかを振り返る。約80年にわたって築いてきた“ミス・ディオール”の精神を再発見してほしい。「ディオール」の根幹に流れる不変のDNAと、進化しながら築き上げたレガシーは、長年のファンのみならず若い世代にも響くだろう。

進化し続けることで、若さと輝きを失わない

WWD:フランシス・クルジャン(Francis Kurkdjian)による“ミス ディオール”が生まれた背景は?
クルトワCEO:“ミス ディオール”は、クリスチャン・ディオール自身の手から生まれ、その時代の女性を尊重しながら、情熱的なクリエイターによって繰り返し再解釈・創作されてきた。時代を超えて進化し続けることで、若さと輝きを失わずに現在に至っている。クルジャンの最新の解釈も同様だ。最新作ではクルジャンもまた、クリスチャン・ディオールに深い敬意を払い、作り上げた。“永遠の若さ”からインスピレーションを得て、多様で豊かな香調を取り入れ、ジャスミンに新たな解釈を加えることで現代的に仕上げた。これはまさに革新的な「ニュールック」だ。

WWD:2022年から23年にかけて東京で開催した「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展に続き、再び建築家の重松象平が空間デザインを手掛けた。
クルトワCEO:重松氏は、素晴らしい建築家であり空間デザイナーだ。現代的なデザインと「ディオール」が長年大切にしてきた文化を融合させる才能がある。

WWD:“ミス ディオール”はアーティストとのコラボレーションも盛んだ。その理由は?
クルトワCEO:アーティストは、世界を独自の視点で見て、常に問題提起する。その視点を取り入れ、物事を新しい角度から見ることで、“ミス ディオール”は革新を続けている。また、クリスチャン・ディオールは元々ギャラリーオーナーで常にアーティストに囲まれていた。われわれには、この伝統を受け継ぐ義務がある。今回注目すべきは、フランス人アーティスト、エヴァ・ジョスパンとのコラボレーションだ。ムンバイの女性による手刺しゅうの部屋と限定エディションを発表した。他にも、ナタリー・ポートマンがキャンペーンフィルムで着用したオートクチュールドレスをはじめ、アートピースや歴代の“ミス ディオール”の貴重なアーカイブを展示する。アーティストと共に未来を大胆に見据えることが重要だ。

クチュールとフレグランスの物語は相互的であり、
ますます緊密に協力していく

WWD:クリエイティブ ディレクターを務めるマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)やキム・ジョーンズ(Kim Jones)は、ファッションやビューティのアーカイブに触発されている。
クルトワCEO:マリア・グラツィアの最新の24-25年秋冬コレクションは、今回展示している1967年の「ディオール」初のレディトゥウエア コレクション「ミス ディオール」から着想している。エヴァ・ジョスパンの美しい刺しゅうの限定ボトルもコレクションにおける協力から誕生したもの。クチュールとフレグランスの物語は相互的であり、ますます緊密に協力していく。これが“ミス ディオール”をより豊かにし、他の香りとは全く異なる存在に導く理由だ。

WWD:日本のフレグランス市場で“ミス ディオール”に焦点を当てる狙いは?
クルトワCEO:日本のフレグランス市場には大きな成長の可能性がある。「ディオール」のフレグランスはすでに日本で人気を獲得し、数多くのベストコスメを受賞している。香りは、感情的な夢の世界だ。自分をセクシーに見せるためでなく、自分らしさを表現し、エンパワーメントしてくれるもの。口紅と同じようにどの色を選ぶのか、どの香りを選ぶのかはその人の個性に委ねられる。自己表現の手段だと伝えられたら、より市場に広まるだろう。日本の若い世代はフレグランスに興味を持ち、強く引きつけられていると見ている。

WWD:フレグランスだけでなく、メイクやスキンケアも好調だ。全カテゴリーでのメゾンの強さの秘訣をどう分析するか。
クルトワCEO:まず、クリスチャン・ディオールの天才的なビジョンから始まっていること。「ディオール」は、純粋で私的なものから生まれた。また、商品の品質にも献身的にこだわっている。店内での感情的な体験も重要だ。例えば“リップ グロウ”を購入した若い女性は、その瞬間から「ディオール」ファミリーの一員になり、メゾンの一部となったように感じるだろう。これはエントリープライスから最も高価な商品まで、全てに共通する。これがメゾンの深みを生み出し、成功の一助となっている。今回の展覧会のような没入型の体験は、顧客がメゾンと感覚的に関わり、背後の豊かなレガシーと革新を伝える。今後も各国に応じた施策で、伝統と現代性のバランスを保ちながら成長を続けていく。

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徹底したマーケティングで立教大生の心をつかむ 【次世代美容師:「ラボヌールヘアーレーヴ 池袋店」志村大成スタイリスト】

PROFILE: 志村大成/「ラボヌールヘアーレーヴ(La Bonheur hair reve)池袋店」スタイリスト

志村大成/「ラボヌールヘアーレーヴ(La Bonheur hair reve)池袋店」スタイリスト
PROFILE: (しむら・たいせい)26歳、美容師歴7年目。都内数店舗を経て、「ラボヌールヘアーレーヴ」に入社。大学生の顧客からの圧倒的な支持を得ており、150~200万円という高い月間売上を保つ。PHOTO:YOHEI KICHIRAKU

SNSにより個人での集客が可能になった今、美容師の“セルフブランディング”の重要性が増している。さらに多様な働き方が可能になったり、得意分野を持つ“特化型美容師”が登場したりするなどの背景もあり、これまでの画一的なフレームを超える個性や特徴を備えた美容師が求められている。そうした“次世代型”の美容師にスポットを当てる当連載。第1回は、“大学生のマーケティング”に長けた「ラボヌールヘアーレーヴ(La Bonheur hair reve)池袋店」の志村大成スタイリストに話を聞いた。

WWD:美容師になったきっかけと、簡単な経歴は?

志村大成「ラボヌールヘアーレーヴ 池袋店」スタイリスト(以下、志村):人と関わる仕事がしたくて、最初は教師を考えていたのですが、“人の生活に関わることができる”という点に惹かれて美容師を選びました。美容学校を卒業してからは、都内の数店舗を経て当サロンに入社しました。周りのスタッフの人柄や、スタッフ教育がしっかりしている点が自分に合っていたので、この店に落ち着いた感じです。

WWD:顧客層は?

志村:お店が池袋の駅前にあるので、池袋に買い物に来る人や、埼玉方面在住の人が多い印象です。年齢的にいうと、私自身が26歳ということもあり、同年代かそれ以下の顧客が多いですね。特に、近くに立教大学があるので、立教大生(女性)がすごく多いです。

WWD:顧客の特徴は?

志村:東京・青山や表参道の美容室に通う人は、「このスタイルにしたい」「この美容師に切ってもらいたい」と明確に決まっているケースが多いと思うのですが、池袋はもう少しフランクですね。明確な仕上がりのイメージよりも、何となく“日々の生活の中に溶け込むおしゃれ”を求めるお客さまが多いです。例えば韓国スタイルにしたくて、韓国風のファッションに身を包んで来店する、といったお客さまは少ないですね。極端なデザインは、求められていない印象です。基本的にはナチュラルで、韓国好きのお客さまなら少し韓国テイストをプラスする、といったところでしょうか。そういう意味では、青山や表参道のサロンとは戦い方が違うと思います。

WWD:どういった戦略をとっている?

志村:今は立教大生の顧客が多いこともあり、アイドルヘアを打ち出しています。立教大生のお客さまには、ロング丈のワンピースを着て来店する人がすごく多いです。そんな“立教大生が見てかわいいと思うスタイル”を突き詰めていった結果、アイドルグループ「乃木坂48」の衣装にロングスカートが多いことに気付きました。そこで、彼女たちのヘアスタイルを提案してみたら、立教大生に“刺さった”んです。

WWD:“アイドルヘア”というと黒髪のイメージがあるが。

志村︰黒髪だと、僕からするとモードに寄ってしまいます。モード系だと、立教大生が好む王道とは違いますね。アイドルヘアの中でも、理想は(アイドルグループ「乃木坂48」を卒業した)白石麻衣さんのヘア。白石麻衣さん風のヘアをウイッグで作って投稿したらバズったくらい、白石さんが好みそうな“ミスコン風のヘア”(大学のミスキャンパスコンテストで多く見られるナチュラルで上品なヘア)はウケがいいです。

WWD:インスタグラムにも、“ミスコン風のヘア”の投稿が多い。

志村:そうですね。お客さまとモデルの写真を、半々くらいの割合で載せているのですが、モデルは全員、大学のミスコン出場者にお願いしています。今は韓国スタイルが人気なので、「#サロンモデル」で検索すると、少しイメージの異なるモデルがヒットしがちなんです。「#ミスコン」で検索すると、立教大生が憧れるモデルに出会えるケースが多いですね。お客さまに関しては、たとえヘアスタイルがばっちりキマッていても、パンツをはいていたら撮らせてもらわないですね。それくらい繊細に、“立教大生ウケ”のSNSを作り上げています。

WWD:ヘアカラーはどんな色がウケる?

志村:基本的にはワンカラーで、ベージュやブラウン系、くすませ過ぎないアッシュ系が通年で人気ですね。くすませ過ぎるとワンピースに似合わなくなるので、くすませ過ぎないことがポイントです。今年の夏から秋にかけては、少し明るめのトーンを提案していくつもりです。「イルミナカラー(ILLUMINA COLOR)」の“ムーンライト”のような、赤味を抑えたクール系のベージュが理想です。“ムーンライト”は単品使いで、立教大生が好みそうな、クールさを感じつつもまろやかに見えるベージュにできます。もう少しくすませたいときや、オリーブに寄せたいときなどには、差し色として“マリーン”や“ディープシー”と組み合わせると、イメージが変わるので使いやすい。今は毎日使っています。

WWD:“ムーンライト”と同じ「アーバンスカイコレクション」には“ナイトスカイ”もあるけれど、そちらはどう?

志村:“ナイトスカイ”は、しっかりとしたグレーにできるので、髪色を落ち着かせたいお客さまなどに使っています。また、例えばラベンダーグレージュのような、“〇〇グレージュ”が作りやすい。1本でグレージュが完成しているので、作りたい色を足していくだけでできてしまう。

WWD:ワンカラーが人気とのことだが、ブリーチはあまり使わない?

志村:ブリーチはさほど多くないですが、「アーバンスカイコレクション」の、ブリーチほど髪を傷ませずにトーンアップがかなう「ライトニングシステム」には助けられています。というのも、立教大生のお客さまには、初めてカラーリングする人も多いです。しかもカウンセリングをしてみると、1回のカラーでは対応できない仕上がりをイメージしていることも少なくない。これまでは、そうしたお客さまに「一度ではできないから、何度かカラーを繰り返して育てていきましょう」と提案していたけれど、「ライトニングシステム」だと初カラーでも透明感を出しやすいので、「今日できますよ」と言うことが可能です。立教大生が求めているカラーには、ブリーチほどのリフト力はいらないので、まさに“ドンピシャ”なアイテム。1日でできるため単価アップの提案が可能で、ブリーチよりも塗りやすいため時短につながり、客単価が上がりました。

WWD:そうしたヘアカラーデザインをSNSに投稿する際に気を付けていることは?

志村:ヘアカラーデザインに限ったことではないけれど、投稿時間には気をつかっています。朝に投稿しても大学生は見ないので、夕方、大学生が帰宅する17~18時くらいが狙い目ですね。あと、特定のヘアカラーデザインというよりも、雰囲気を推しているので、後姿は撮らないです。

WWD:今後やりたいことは?

志村:お客さまがしている、ネイルやメイクの繊細な違いに気付けるように、現在勉強中です。その中で今後はメイクもしたいと思うようになり、ゆくゆくは髪色に合わせてタッチアップをしてあげられたら、と思っています。また、現在は主要な顧客層が大学生ですが、自分の年齢とともに変わってくるものだと思っています。その変化に合わせて、提案も変えていける美容師になりたいですね。

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ドラァグクイーンのド派手メイクを大解剖 大規模ドラァグショー「オピュランス」の楽屋に1日密着

PROFILE: (左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh) (右)セラ・トニン(Sera Tonin)

(左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)<br />
(右)セラ・トニン(Sera Tonin)
PROFILE: (ヴェラ・ストロンジュ)フィリピン出身で8歳からダンスを始める。細部まで作り込んだコレオグラフィーや高いダンススキルを武器に、見る者全てを魅了する。インスタグラム:@vera.strondh (セラ・トニン)イギリス出身の“ハッピーホルモン”。手作りのウィッグと大胆なアクロバットの技で観客を魅了し、ストーリー性豊かなショーを披露する。インスタグラム:@yeah_im_good_thanks

大規模なドラァグショー「オピュランス(OPULENCE)」が、5月19日に東京・歌舞伎町タワーで行われた。同イベントのバックステージに潜入し、日本でドラァグクイーンとして活躍するヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)と、セラ・トニン(Sera Tonin)の2人のメイク完成までに密着。2人のメイクルーティンやこれだけは欠かせないというアイテム、こだわりのポイントなどを聞いた。

「オピュランス」とは?

「オピュランス」は、世界的なドラァグクイーンをゲストに迎える日本初の大規模ドラァグショー。ネットフリックス(NETFLIX)で放送しているリアリティー番組「ル・ポールのドラァグレース」の有名な海外クイーンや日本で活動しているクイーン、ダンサーらが登場する。第1回は2023年1月7日にお台場のZepp ダイバーシティで、第2回以降は継続して東急歌舞伎町タワー内のZepp 新宿で開催。今年の10月には東京と大阪の2カ所で開催が決定している。

ショーメイクはトータル5時間!?

WWD:まずは「オピュランス」の出演、お疲れさまでした。ショーを終えて、感想は?

セラ・トニン(以下、セラ):無事に終えて、達成感がありました。制作段階ももちろん楽しいのですが、常にショーのことを考えていて、「どんな演出や衣装にしようかな」と新しいアイデアを探し続けていました。頻繁に徹夜していろいろと考え込んだり、心配したりしなくてよいと思うとホッとしますね。すごく楽しいひと時を過ごすことができたし、全力を出し切れて良かったです。

ヴェラ・ストロンジュ(以下、ヴェラ):家に帰って、シャワーを浴びて、リラックスできたときはとんでもない解放感でした。今回のショーは100%楽しめたので、10月に開催する「オピュランス」も同じ気持ちで挑みたいです。私が楽しんでステージに立てば、ファンのみんなにも楽しさがきっと伝わると思うので。

WWD:ショーでは5時間ほどかけてメイク&ヘアの作業をしていましたが、いつもあのくらいかかる?

セラ:ローカルのショーのときは、30分くらいで仕上げます。今回の「オピュランス」のような大きなショーだと、考えるべきことやチェックすべきことがたくさんあります。自分のメイク中にも衣装やダンスリハーサル、ほかのダンサーのメイクまで……ショーに関わる全てを確認するので、トータルで5時間ほどかかってしまうんです。

ヴェラ:「あのときこうすれば良かったな〜」って後悔したくないから、私もショー全体を細かくチェックするようにしています。自分のメイクにもショーの細かい確認にも時間をかけたいから、今回は開演10時間前に楽屋入りしました。あと、1パーツのメイクを終えるごとに踊ったり歌ったり、たばこ休憩を挟んだりしてリフレッシュ! これはほかのクイーンも「それな〜」って共感してくれると思います(笑)。

WWD:メイクルーティンを最初から最後まで見ていて、ベビーパウダーをたっぷり叩いている様子が何回か見られた。その理由は?

セラ:理由は2つ。一つ目はスキンケア後の油分を抑える役割で、ベビーパウダーをたたくと瞬時にマットになるので、厚塗りにならずベースメイクを重ねることができます。2つ目は、目の下にたっぷりとたたいて、ブラックやパープルなどの濃い色のアイシャドウの粉飛びを防ぐため。頬に落ちてきてもベビーパウダーがバリアしてくれて、さっと払うだけですぐなくなるので。

ヴェラ:私は眉毛を隠すときだけ、ベビーパウダーを使います。のりで眉毛をつぶして乾いてきたら、押さえるんです。あと、ベビーパウダーは白い粉状なので、眉毛の元の色を隠せるのもうれしい。クイーンは全員持っている必須アイテムよ。

やっぱりアイメイクが命。ヴェラは「蛇」のような目元を表現

WWD:メイクはどのパーツに力を入れている?

セラ:アイメイクですね。戦う強い女性を表現したいから、そのためにはバサバサの付けまつげとカラフルなアイシャドウが重要なの。

ヴェラ:私もアイメイク。パフォーマンスの時に睨みつけるような表情をすることが多いので、アイラインは「蛇」をイメージして力強い目を表現しています。アイシャドウはブラウン系で、とにかくラインを強調! あと、唇は丸くかなりオーバーリップにしてグリッターでキラキラに。ステージに立ったときに遠くのファンでも見えるようにアピールしたいからね。

WWD:これなしではドラァグメイクが完成しない!というメイクアイテムを一つ挙げるとしたら?

セラ:どれか1つを選べと言われると難しいけれど……汎用性の高い漆黒カラーのアイライナーかな。これさえあれば、アイブロウ、アイライナー、リップに使えるから。

ヴェラ:(激しく頷き)同感。アイライナーでガツンとメイクしないとテンションが上がらないし、自分らしさを出せないしね。

WWD:激しいダンスをしても崩れないメイクの秘訣は?

セラ:汗や涙、皮脂などに強く、長時間崩れない化粧下地とメイクフィックススプレーを選ぶこと。「フェンティ ビューティ バイ リアーナ(FENTY BEAUTY BY RIHANNA)」の上質な化粧下地でファンデーションを密着させて、仕上げにフィックススプレーでロック!

ヴェラ:化粧下地とフィックススプレーを使用するのは同じですが、私は「M・A・C」を使っていますね。

WWD:一番気に入っているコスメブランドは?

セラ:アイテムによってブランドを使い分けているので、一つだけ選ぶのは難しいですね。汗をかきやすいので、ベースメイクは「フェンティ ビューティ バイ リアーナ」の化粧下地やファンデーションを、アイシャドウは海外のコスメブランド「ジュビアズプレイス(JUVIA'S PLACE)」の多色パレットを気に入っています。

特に「ジュビアズプレイス」のアイシャドウパレットは発色と持続力がすばらしく、周りのクイーンもみんな持っているわ。値段も手頃で長持ちするので、何年使っているかもう覚えていないくらい愛用しています(笑)。

ヴェラ:私はやっぱり「M・A・C」ですね。アイメイク、リップ、ベースメイクなど、ほとんど「M・A・C」でそろえていて、とにかくロングラスティングなところがステージメイク向き。「M・A・C」で働いている親友から「これ絶対あんたに似合う」って商品をおすすめしてもらうんだけど、「それな〜!」「かわいい!」って全部買っちゃうの。

まつげの土台を育てる“まつげ美容液”が欠かせない!

WWD:日常のスキンケアで気にかけていることは?

ヴェラ:お風呂上がりのスキンケアはリピートし続けている「ネイチャーリパブリック(NATURE REPUBLIC)」の“マイルド&モイスチャーアロエジェル(ジャータイプ)”と、最近はアイケアをするようになって「スカルプD」のまつ毛美容液を使っています。これを使い始めてから、付けまつげが取れにくくなった。全然違う!

セラ:私も「スカルプD」の“まつげ美容液 プレミアム”を使っています。ショーメイクで必ず付けまつげを使うのですが、オフするときに自まつげが一緒に抜けてしまったりするんです。でも、このアイテムをしばらく使い続けたら、地まつげが強く、抜けにくくなりました。ヴェラよりも年上だし、夜遅くまで起きているから目元のスペシャルケアも手を抜けないですね。

WWD:プライベートでもメイクはする?

セラ:クラブやイベントなどに行くときは、少しだけメイクをします。気分がアガるし、自分に自信を持てるようになるので。クイーンであれ、ガールであれ、ボーイであれ、その中間であれ、メイクは誰にとってもパワフルになれる最高のツールだと思うんです。もちろん、メイクをする気になれない(メイクなんてどうでもいい)日もあるけどね。

ヴェラ:多分、2週間に1回くらい。出かけるときは眉毛ぐらい描くけれど、なるべく肌を休ませたいからメイクは普段しないようにしています。

WWD:どのようにメイクを学んだ?

セラ:友人やプロのメイクアップアーティストが周囲にいたので、まずは技を盗むことからスタート。メイクに関しては右も左も分からなかったので、非常にありがたかったですね。初めは彼らからヒントやコツを学び、それからはユーチューブでクイーンのメイク動画などをたくさん見ました。メイクの道のりを振り返ると、さまざまなクイーンから良いところを少しずつ盗み、それらを取り入れることによって上達してきたかな。

ヴェラ:よくTikTokを見ます。ショート動画なのでサクサク見られるし、いろいろなクイーンがメイクティップスを発信しているのでかなり参考にした。

WWD:特にアイブロウは独特なので難しそう。

セラ:以前は眉毛をのりで平らにつぶしてメイクしていましたが、今は自然な眉の形を生かしてメイクしています。1年くらい前かな? ヴェラ、私のメイクが変わり始めたのを覚えている?

ヴェラ:うん、スマートフォンのフォルダにまだ写真があるよ。コロナ禍はみんな外出せずにたくさんメイクの練習をして、新しいことにトライして腕を上げました。

セラ:自分の顔にどのようなメイクが合うのか、研究と試行錯誤を重ねることで自分に合ったベストなメイクを見つけることができます。眉毛をそるクイーンもいると聞きますが、私は「えー!そんなことしたくない!」って感じ。

ドラァグクイーンのメイクに正解はない

WWD:ちなみにロールモデルはいる?

セラ:ドラァグクイーンを始めたころの私に聞いたら、ゲイ文化のアイコンや強い女性らの名を挙げたと思います。例えば、マドンナ(Madonna)とか。そこから時間がたって、現在の私のロールモデルはヴェラを含め、周りのコミュニティーにいる友人たちです。常に刺激を受けるし、私も新しいことに挑戦しようという気持ちにさせてくれます。

ヴェラ:私は強い女性を参考にしています。例えば、ラッパーのニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)やタイラ(Tyla)など。あとはお母さんもかっこいい女性で、とても憧れている。そんな女性像を目指しています。

WWD:最後に、2人にとってのドラァグクイーンメイクとは?

セラ:ドラァグクイーンは、女性という姿をかなり強調しています。見本となる女性らのすてきで最高な部分を少しずつピックアップして、それを1000倍にも誇張。目は大きく、眉毛は美しく、ふっくらとした唇、チークもたっぷり乗せて、シュッとした高い鼻にメイクして……女性の美を強くアピールすることで、非現実的に仕上げているのです。

ヴェラ:アートであり、メイクをする人はペインター(画家)だと思っています。そしてドラァグクイーンのメイクに決まりはなく、自分の思い描くクイーンを自由に表現して良いんです。ドラァグクイーンと聞くと、ド派手なヘアスタイルやメイク、ハイヒール、マーメイドドレスなどの華美な装いが思い浮かぶと思いますが、私はその常識をぶち壊したい。ツインテール、スニーカー、ダイナミックなダンス、自分が一番クールだと思える、目指すべきクイーンを自由に表現しています。

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ドラァグクイーンのド派手メイクを大解剖 大規模ドラァグショー「オピュランス」の楽屋に1日密着

PROFILE: (左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh) (右)セラ・トニン(Sera Tonin)

(左)ヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)<br />
(右)セラ・トニン(Sera Tonin)
PROFILE: (ヴェラ・ストロンジュ)フィリピン出身で8歳からダンスを始める。細部まで作り込んだコレオグラフィーや高いダンススキルを武器に、見る者全てを魅了する。インスタグラム:@vera.strondh (セラ・トニン)イギリス出身の“ハッピーホルモン”。手作りのウィッグと大胆なアクロバットの技で観客を魅了し、ストーリー性豊かなショーを披露する。インスタグラム:@yeah_im_good_thanks

大規模なドラァグショー「オピュランス(OPULENCE)」が、5月19日に東京・歌舞伎町タワーで行われた。同イベントのバックステージに潜入し、日本でドラァグクイーンとして活躍するヴェラ・ストロンジュ(Vera Strondh)と、セラ・トニン(Sera Tonin)の2人のメイク完成までに密着。2人のメイクルーティンやこれだけは欠かせないというアイテム、こだわりのポイントなどを聞いた。

「オピュランス」とは?

「オピュランス」は、世界的なドラァグクイーンをゲストに迎える日本初の大規模ドラァグショー。ネットフリックス(NETFLIX)で放送しているリアリティー番組「ル・ポールのドラァグレース」の有名な海外クイーンや日本で活動しているクイーン、ダンサーらが登場する。第1回は2023年1月7日にお台場のZepp ダイバーシティで、第2回以降は継続して東急歌舞伎町タワー内のZepp 新宿で開催。今年の10月には東京と大阪の2カ所で開催が決定している。

ショーメイクはトータル5時間!?

WWD:まずは「オピュランス」の出演、お疲れさまでした。ショーを終えて、感想は?

セラ・トニン(以下、セラ):無事に終えて、達成感がありました。制作段階ももちろん楽しいのですが、常にショーのことを考えていて、「どんな演出や衣装にしようかな」と新しいアイデアを探し続けていました。頻繁に徹夜していろいろと考え込んだり、心配したりしなくてよいと思うとホッとしますね。すごく楽しいひと時を過ごすことができたし、全力を出し切れて良かったです。

ヴェラ・ストロンジュ(以下、ヴェラ):家に帰って、シャワーを浴びて、リラックスできたときはとんでもない解放感でした。今回のショーは100%楽しめたので、10月に開催する「オピュランス」も同じ気持ちで挑みたいです。私が楽しんでステージに立てば、ファンのみんなにも楽しさがきっと伝わると思うので。

WWD:ショーでは5時間ほどかけてメイク&ヘアの作業をしていましたが、いつもあのくらいかかる?

セラ:ローカルのショーのときは、30分くらいで仕上げます。今回の「オピュランス」のような大きなショーだと、考えるべきことやチェックすべきことがたくさんあります。自分のメイク中にも衣装やダンスリハーサル、ほかのダンサーのメイクまで……ショーに関わる全てを確認するので、トータルで5時間ほどかかってしまうんです。

ヴェラ:「あのときこうすれば良かったな〜」って後悔したくないから、私もショー全体を細かくチェックするようにしています。自分のメイクにもショーの細かい確認にも時間をかけたいから、今回は開演10時間前に楽屋入りしました。あと、1パーツのメイクを終えるごとに踊ったり歌ったり、たばこ休憩を挟んだりしてリフレッシュ! これはほかのクイーンも「それな〜」って共感してくれると思います(笑)。

WWD:メイクルーティンを最初から最後まで見ていて、ベビーパウダーをたっぷり叩いている様子が何回か見られた。その理由は?

セラ:理由は2つ。一つ目はスキンケア後の油分を抑える役割で、ベビーパウダーをたたくと瞬時にマットになるので、厚塗りにならずベースメイクを重ねることができます。2つ目は、目の下にたっぷりとたたいて、ブラックやパープルなどの濃い色のアイシャドウの粉飛びを防ぐため。頬に落ちてきてもベビーパウダーがバリアしてくれて、さっと払うだけですぐなくなるので。

ヴェラ:私は眉毛を隠すときだけ、ベビーパウダーを使います。のりで眉毛をつぶして乾いてきたら、押さえるんです。あと、ベビーパウダーは白い粉状なので、眉毛の元の色を隠せるのもうれしい。クイーンは全員持っている必須アイテムよ。

やっぱりアイメイクが命。ヴェラは「蛇」のような目元を表現

WWD:メイクはどのパーツに力を入れている?

セラ:アイメイクですね。戦う強い女性を表現したいから、そのためにはバサバサの付けまつげとカラフルなアイシャドウが重要なの。

ヴェラ:私もアイメイク。パフォーマンスの時に睨みつけるような表情をすることが多いので、アイラインは「蛇」をイメージして力強い目を表現しています。アイシャドウはブラウン系で、とにかくラインを強調! あと、唇は丸くかなりオーバーリップにしてグリッターでキラキラに。ステージに立ったときに遠くのファンでも見えるようにアピールしたいからね。

WWD:これなしではドラァグメイクが完成しない!というメイクアイテムを一つ挙げるとしたら?

セラ:どれか1つを選べと言われると難しいけれど……汎用性の高い漆黒カラーのアイライナーかな。これさえあれば、アイブロウ、アイライナー、リップに使えるから。

ヴェラ:(激しく頷き)同感。アイライナーでガツンとメイクしないとテンションが上がらないし、自分らしさを出せないしね。

WWD:激しいダンスをしても崩れないメイクの秘訣は?

セラ:汗や涙、皮脂などに強く、長時間崩れない化粧下地とメイクフィックススプレーを選ぶこと。「フェンティ ビューティ バイ リアーナ(FENTY BEAUTY BY RIHANNA)」の上質な化粧下地でファンデーションを密着させて、仕上げにフィックススプレーでロック!

ヴェラ:化粧下地とフィックススプレーを使用するのは同じですが、私は「M・A・C」を使っていますね。

WWD:一番気に入っているコスメブランドは?

セラ:アイテムによってブランドを使い分けているので、一つだけ選ぶのは難しいですね。汗をかきやすいので、ベースメイクは「フェンティ ビューティ バイ リアーナ」の化粧下地やファンデーションを、アイシャドウは海外のコスメブランド「ジュビアズプレイス(JUVIA'S PLACE)」の多色パレットを気に入っています。

特に「ジュビアズプレイス」のアイシャドウパレットは発色と持続力がすばらしく、周りのクイーンもみんな持っているわ。値段も手頃で長持ちするので、何年使っているかもう覚えていないくらい愛用しています(笑)。

ヴェラ:私はやっぱり「M・A・C」ですね。アイメイク、リップ、ベースメイクなど、ほとんど「M・A・C」でそろえていて、とにかくロングラスティングなところがステージメイク向き。「M・A・C」で働いている親友から「これ絶対あんたに似合う」って商品をおすすめしてもらうんだけど、「それな〜!」「かわいい!」って全部買っちゃうの。

まつげの土台を育てる“まつげ美容液”が欠かせない!

WWD:日常のスキンケアで気にかけていることは?

ヴェラ:お風呂上がりのスキンケアはリピートし続けている「ネイチャーリパブリック(NATURE REPUBLIC)」の“マイルド&モイスチャーアロエジェル(ジャータイプ)”と、最近はアイケアをするようになって「スカルプD」のまつ毛美容液を使っています。これを使い始めてから、付けまつげが取れにくくなった。全然違う!

セラ:私も「スカルプD」の“まつげ美容液 プレミアム”を使っています。ショーメイクで必ず付けまつげを使うのですが、オフするときに自まつげが一緒に抜けてしまったりするんです。でも、このアイテムをしばらく使い続けたら、地まつげが強く、抜けにくくなりました。ヴェラよりも年上だし、夜遅くまで起きているから目元のスペシャルケアも手を抜けないですね。

WWD:プライベートでもメイクはする?

セラ:クラブやイベントなどに行くときは、少しだけメイクをします。気分がアガるし、自分に自信を持てるようになるので。クイーンであれ、ガールであれ、ボーイであれ、その中間であれ、メイクは誰にとってもパワフルになれる最高のツールだと思うんです。もちろん、メイクをする気になれない(メイクなんてどうでもいい)日もあるけどね。

ヴェラ:多分、2週間に1回くらい。出かけるときは眉毛ぐらい描くけれど、なるべく肌を休ませたいからメイクは普段しないようにしています。

WWD:どのようにメイクを学んだ?

セラ:友人やプロのメイクアップアーティストが周囲にいたので、まずは技を盗むことからスタート。メイクに関しては右も左も分からなかったので、非常にありがたかったですね。初めは彼らからヒントやコツを学び、それからはユーチューブでクイーンのメイク動画などをたくさん見ました。メイクの道のりを振り返ると、さまざまなクイーンから良いところを少しずつ盗み、それらを取り入れることによって上達してきたかな。

ヴェラ:よくTikTokを見ます。ショート動画なのでサクサク見られるし、いろいろなクイーンがメイクティップスを発信しているのでかなり参考にした。

WWD:特にアイブロウは独特なので難しそう。

セラ:以前は眉毛をのりで平らにつぶしてメイクしていましたが、今は自然な眉の形を生かしてメイクしています。1年くらい前かな? ヴェラ、私のメイクが変わり始めたのを覚えている?

ヴェラ:うん、スマートフォンのフォルダにまだ写真があるよ。コロナ禍はみんな外出せずにたくさんメイクの練習をして、新しいことにトライして腕を上げました。

セラ:自分の顔にどのようなメイクが合うのか、研究と試行錯誤を重ねることで自分に合ったベストなメイクを見つけることができます。眉毛をそるクイーンもいると聞きますが、私は「えー!そんなことしたくない!」って感じ。

ドラァグクイーンのメイクに正解はない

WWD:ちなみにロールモデルはいる?

セラ:ドラァグクイーンを始めたころの私に聞いたら、ゲイ文化のアイコンや強い女性らの名を挙げたと思います。例えば、マドンナ(Madonna)とか。そこから時間がたって、現在の私のロールモデルはヴェラを含め、周りのコミュニティーにいる友人たちです。常に刺激を受けるし、私も新しいことに挑戦しようという気持ちにさせてくれます。

ヴェラ:私は強い女性を参考にしています。例えば、ラッパーのニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)やタイラ(Tyla)など。あとはお母さんもかっこいい女性で、とても憧れている。そんな女性像を目指しています。

WWD:最後に、2人にとってのドラァグクイーンメイクとは?

セラ:ドラァグクイーンは、女性という姿をかなり強調しています。見本となる女性らのすてきで最高な部分を少しずつピックアップして、それを1000倍にも誇張。目は大きく、眉毛は美しく、ふっくらとした唇、チークもたっぷり乗せて、シュッとした高い鼻にメイクして……女性の美を強くアピールすることで、非現実的に仕上げているのです。

ヴェラ:アートであり、メイクをする人はペインター(画家)だと思っています。そしてドラァグクイーンのメイクに決まりはなく、自分の思い描くクイーンを自由に表現して良いんです。ドラァグクイーンと聞くと、ド派手なヘアスタイルやメイク、ハイヒール、マーメイドドレスなどの華美な装いが思い浮かぶと思いますが、私はその常識をぶち壊したい。ツインテール、スニーカー、ダイナミックなダンス、自分が一番クールだと思える、目指すべきクイーンを自由に表現しています。

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沖縄コスメLIST.3 「コスメアカデミア」琉球大学の再生医療研究をもとに誕生した幹細胞コスメ

県内外で定評のある“沖縄コスメブランド”を紹介する企画の第3弾。今回取り上げるブランドは、琉球大学医学部の再生医療研究から生まれた幹細胞コスメ「コスメアカデミア(COSME ACADEMIA)」だ。清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授に話を聞いた。

――:幹細胞コスメブランド「コスメアカデミア」を設立したきっかけを教えてください。

清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授(以下、清水):沖縄県とロート製薬の合同出資により、2015年に琉球大学構内に細胞培養加工施設が建設されたことがきっかけです。この施設を活用することで、がんを切除したことでへこんでしまった患者さんの頬を、本人から採取した脂肪幹細胞を培養して移植する形成手術を国内で初めて成功させることができました。

その研究の過程で、脂肪幹細胞を培養増殖した際にでてくる〝上澄み液″の「培養上清液」に成長因子などさまざまな生理活性物質が含まれていることがわかりまして。そこで、この培養上清液を治療や化粧品へと応用できないかと考え、2017年に会社を設立し、細胞培養加工施設内で化粧品の研究をスタートさせました。

――:つまり、いま流行している“幹細胞コスメ”の先駆けが沖縄でできていた、ということですね。これは驚きです。

清水:そう言えるかと思います。さらに言えば、そもそもこの施設の目的は官民のサポートを受けた再生医療プロジェクトの推進です。私たちは研究のために脂肪幹細胞の検体を多く採取しており、現在(24年6月)、148検体のヒト体性幹細胞を管理しています。そして、その中から健康的で優れた脂肪幹細胞を選び、その培養上清液を「コスメアカデミア」に配合しているため、化粧品としての効果も非常に期待できると考えています。

――:確かにこれほど立派な研究施設は国内でも有数かと思いますし、治療の研究をされていることから、その品質も医薬品に準ずるグレード。その点で安全性も確保されていますね。

清水:おっしゃる通りです。当然のことですが、研究過程はもちろん、化粧品の製造過程でおいても、ウイルスが入っていないかなど、医薬品グレードで準じるレベルで厳格にチェックしています。そう考えると、もし当社が学術機関と提携した医薬ベンチャーでなかったら、化粧品それぞれの価格にゼロがひとつ増えるかもしれませんね……。治療研究や創薬研究が本来の目的で、化粧品である「コスメアカデミア」はその副産物であるために実現した価格だと思います。

――:「コスメアカデミア」シリーズは5品がラインアップされていますが、いちばんのおすすめは?

清水:初めてお使いいただく人には“ローション”(120mL、1万3200円)がおすすめです。幹細胞培養液が高配合されているため、化粧水でありながら高い潤いを実感していただけます。また、集中ケアとしては“セラムマスク”(5枚入り、9900円)も肌活力を高めてくれると好評です。美容医療の先生にはレーザー治療のアフターケアとしてもお使いいただいています。

――:今後、「コスメアカデミア」をどのように進化させていきたいですか?

清水:琉球大学では再生医療研究に注力しているため、幹細胞を使って怪我を治癒するにあたり、患者の声を直接聞けることや、その効果をフィードバックできるという利点があります。また、沖縄は多くのプロ野球球団のキャンプ地になっていることから、スポーツ再生医療の観点から治療研究をすぐに応用できるという強みもあります。このような経験や知見を通じて、幹細胞のよりよい培養法や活用法に取り組んでいくことで、治療と化粧品の双方を発展させるよう努めていきたいと考えています。

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沖縄コスメLIST.3 「コスメアカデミア」琉球大学の再生医療研究をもとに誕生した幹細胞コスメ

県内外で定評のある“沖縄コスメブランド”を紹介する企画の第3弾。今回取り上げるブランドは、琉球大学医学部の再生医療研究から生まれた幹細胞コスメ「コスメアカデミア(COSME ACADEMIA)」だ。清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授に話を聞いた。

――:幹細胞コスメブランド「コスメアカデミア」を設立したきっかけを教えてください。

清水雄介「コスメアカデミア」創業者・琉球大学大学院 医学研究科形成外科学講座 主任教授(以下、清水):沖縄県とロート製薬の合同出資により、2015年に琉球大学構内に細胞培養加工施設が建設されたことがきっかけです。この施設を活用することで、がんを切除したことでへこんでしまった患者さんの頬を、本人から採取した脂肪幹細胞を培養して移植する形成手術を国内で初めて成功させることができました。

その研究の過程で、脂肪幹細胞を培養増殖した際にでてくる〝上澄み液″の「培養上清液」に成長因子などさまざまな生理活性物質が含まれていることがわかりまして。そこで、この培養上清液を治療や化粧品へと応用できないかと考え、2017年に会社を設立し、細胞培養加工施設内で化粧品の研究をスタートさせました。

――:つまり、いま流行している“幹細胞コスメ”の先駆けが沖縄でできていた、ということですね。これは驚きです。

清水:そう言えるかと思います。さらに言えば、そもそもこの施設の目的は官民のサポートを受けた再生医療プロジェクトの推進です。私たちは研究のために脂肪幹細胞の検体を多く採取しており、現在(24年6月)、148検体のヒト体性幹細胞を管理しています。そして、その中から健康的で優れた脂肪幹細胞を選び、その培養上清液を「コスメアカデミア」に配合しているため、化粧品としての効果も非常に期待できると考えています。

――:確かにこれほど立派な研究施設は国内でも有数かと思いますし、治療の研究をされていることから、その品質も医薬品に準ずるグレード。その点で安全性も確保されていますね。

清水:おっしゃる通りです。当然のことですが、研究過程はもちろん、化粧品の製造過程でおいても、ウイルスが入っていないかなど、医薬品グレードで準じるレベルで厳格にチェックしています。そう考えると、もし当社が学術機関と提携した医薬ベンチャーでなかったら、化粧品それぞれの価格にゼロがひとつ増えるかもしれませんね……。治療研究や創薬研究が本来の目的で、化粧品である「コスメアカデミア」はその副産物であるために実現した価格だと思います。

――:「コスメアカデミア」シリーズは5品がラインアップされていますが、いちばんのおすすめは?

清水:初めてお使いいただく人には“ローション”(120mL、1万3200円)がおすすめです。幹細胞培養液が高配合されているため、化粧水でありながら高い潤いを実感していただけます。また、集中ケアとしては“セラムマスク”(5枚入り、9900円)も肌活力を高めてくれると好評です。美容医療の先生にはレーザー治療のアフターケアとしてもお使いいただいています。

――:今後、「コスメアカデミア」をどのように進化させていきたいですか?

清水:琉球大学では再生医療研究に注力しているため、幹細胞を使って怪我を治癒するにあたり、患者の声を直接聞けることや、その効果をフィードバックできるという利点があります。また、沖縄は多くのプロ野球球団のキャンプ地になっていることから、スポーツ再生医療の観点から治療研究をすぐに応用できるという強みもあります。このような経験や知見を通じて、幹細胞のよりよい培養法や活用法に取り組んでいくことで、治療と化粧品の双方を発展させるよう努めていきたいと考えています。

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劇場アニメ「ルックバック」主演の河合優実と吉田美月喜が語る「物語が持つ力」——「人生を救うこともできる」

PROFILE: 左:河合優実/俳優 右:吉田美月喜/俳優

左:河合優実/俳優 右:吉田美月喜/俳優
PROFILE: 左:(かわい・ゆうみ)2000年12月19日生まれ、東京都出身。21年出演「サマーフィルムにのって」「由宇子の天秤」で、第43回ヨコハマ映画祭<最優秀新人賞>、第35回高崎映画祭<最優秀新人俳優賞>、第95回キネマ旬報ベスト・テン<新人女優賞>、第64回ブルーリボン賞<新人賞>、21年度全国映連賞<女優賞>を受賞。その他の出演作に、映画「PLAN 75」(22)、「少女は卒業しない」(23)、「あんのこと」(24)やドラマ「不適切にもほどがある!」(24)、「RoOT / ルート」(24)などがある。 右:(よしだ・みづき)2003年3月10日生まれ、東京都出身。17年にスカウトされ、芸能界デビュー。主演作に、映画「あつい胸さわぎ」(23)「カムイのうた」(23)「メイヘムガールズ」(22)、ドラマ「マイストロベリーフィルム」などがある。その他、主な出演作に、Netflixオリジナルドラマ「今際の国のアリス」(20)やTBS日曜劇場「ドラゴン桜」(21)、日本テレビ「ネメシス」(21)などがある。

漫画への情熱が、少女2人の思いをつなぐ——。「チェンソーマン」や「ファイアパンチ」などで知られる人気漫画家・藤本タツキが2021年に発表した読み切り漫画「ルックバック」。ポップカルチャーや実在の事件への言及、漫画を通じ創造の可能性と業を描く俯瞰的な視点など、多層的で奥行きのある物語は、公開するやいなや瞬く間に話題となり「このマンガがすごい!2022」オトコ編第1位にも輝いた。そんな「ルックバック」が劇場アニメとなり、6月28日に全国公開された。監督・脚本・キャラクターデザインを担当したのは「風立ちぬ」(13)をはじめ、数多くの劇場アニメーションに主要スタッフとして携わり、世界中から支持を集める押山清高。主人公の藤野と京本を演じるのは、ともに声優初挑戦となる河合優実と吉田美月喜だ。2人は藤本タツキと押山清高が作り上げたキャラクターにどのように魂を吹き込んだのか、話を聞いた。

声優に初挑戦

——初めて原作漫画「ルックバック」を読んだときの感想はいかがでしたか?

河合優実(以下、河合):「少年ジャンプ+」で公開当時に「ルックバック」を読みましたが、時間が交差するアイデアはもちろん、藤本タツキさんが考える創造的なことや、その当時感じていたことを乗せて描いているのがとても面白いなと思いました。そして何より、その熱量が読んでいるみんなに伝わっていった現象自体がすごく印象に残っています。

吉田美月喜(以下、吉田):私が原作に初めて触れたのは本作のオーディションを受けることが決まってからで、当時は藤野と京本どちらを演じるか分からないまま読んだんです。元々藤本タツキ先生の「チェンソーマン」は読んでいて、バトルもののイメージが強かったので「ルックバック」での作風や語り口の違いに驚かされました。日常の温かみもありつつ、すごく漫画ならではの力を感じる素敵な作品だったので、これがどう映像化されるんだろうと読みながらワクワクしましたね。

——今作が声優初挑戦のお2人ですが、出演が決まったときの心境を教えてください。

河合:オーディションはいつも受かりたいという気持ちで臨んでいるんですが、中でも「ルックバック」は原作に惹かれてやりたいと強く感じていた作品だったので、決まった時はすごく嬉しかったです。声優は初めてでプレッシャーもありましたが、プロの声優さんもいる中で自分を選んでくれたことにはきちんと理由があるんだろうと自分に言い聞かせながらアフレコに挑みました。声優のお仕事は以前からやってみたかったので、楽しみな作品としてご褒美を頂いたような気持ちでしたね。

吉田:今まで声優のオーディションを受けてもなかなか結果に結びつかなかったこともあり、あまり自分の声には自信がなかったので、今回まさか受かるとは思わずびっくりしました。京本役が決まると同時に、藤野役は河合さんだと聞いたんですが、実はそれもまたちょっと意外で。というのも私の中で河合さんは渋めの声の印象だったんです。でも今回久々にお会いしてアフレコを見ていたら、私の印象を覆す藤野にピッタリな声を出していて「すごい…」と聞き入っちゃいました。

——身体的な表現を伴う俳優と、声だけで機微を表現する声優とでは感覚が大きく違ったと思いますが、どのように役作りをし、演じられていったんでしょうか?

河合:プロの声優さんの技術を今から身につけることは絶対できないし、でも映像と同じお芝居をするのも多分違うし、最初は「ルックバック」の声優をやるにあたってどうするのが正解なんだろうという葛藤が自分の中でありました。でもオーディションに受かってその次にスタッフの方々にお会いできるのがアフレコだったので、あまり自分の中でイメージを固めすぎず柔軟に臨んだ方が良いかなと考えるようになったんです。だからアフレコに入るまでは脚本や漫画を読んだときの心境とか、藤野と京本の関係性とかそういうことだけを考えて、あとは現場で音響監督や美月喜ちゃんと一緒に作り上げていきました。

吉田:私はアフレコ前に方言指導で一度だけスタッフの皆さんにお会いしたんです。その時に、私の「そのままの声が京本に通じると感じたので、台詞は練習しすぎず方言の練習だけしてほしい」と言われて。どういうことだろう…と思いつつ、ひたすら方言のテープを聴いてそれを感情ゼロで話してっていうのを繰り返していました。声優だと声でしか表現ができないということもあり、方言もごまかしがきかないので、そこは本当に頑張りました。でも変に身構えて家で演技の練習をしすぎなくて良かったと思います。録る前は不安だったんですが、実際アフレコする時には、音響監督が方向性を調整しながら導いてくれていたので、そこを信じていけば大丈夫だろうという安心感がありました。

河合:確かにそうだね。私もディレクションに従ったりオーダーに応えようという気持ちが、いつものお芝居より強かったなと思いました。それは声優の仕事がわからないからこそですね。

——監督ではなく音響監督がお2人のディレクションをされていたんですね。

河合:そうですね。監督も一緒でしたが、声優の演出をしてくれるのは音響監督でした。私も「監督とはあんまり直接話さないんだ……」って初めて知って。もちろん監督によるのかもしれないんですが。

吉田:今回の現場だと、監督が感覚で考えていることを音響監督が汲み取って、私たちに分かりやすく言語化して伝えてくれていたのかなと思います。

河合:音響監督は木村絵理子さんという方なんですが、放言指導の声優さんも「木村さんはすごい」って言うくらいの方で。対面ではなくブースでしか話せない中で、すごく分かりやすい言葉でどうすればいいのかを明瞭に伝えてくださって、とても頼りになりました。

——藤野の走るシーンの躍動感が素晴らしかったですが、あのシーンも何か指示があったんですか?

吉田:たしか走るシーンはあんまり指示を受けてなかったよね? そこは流石のプロでした。

河合:いやいや(笑)。でも確かに動きながらやってみてくださいといった指示は受けたりしていましたけど、そういう走ったり息遣いだったりという台詞がない場面は、思うままにやってくださいと言われることが多かった気がします。生っぽさやライブ感をまず録ってみたいということで。

物語の持つ力

——「ルックバック」は物語や創作の力を描く作品でもありますが、演じることで物語を紡ぐお2人にとって、物語の持つ力とはどういうものだと思いますか?

吉田:すごく大きな影響を与えるものですね。例えば私は小さい頃、「アンパンマン」のロールパンナが好きだったんですけど、あの少し闇がある感じに憧れたりして(笑)。そういう風に私自身、物語やその登場人物に憧れたり、大きな影響を与えられてきたと思うんです。この「ルックバック」を観たことで漫画を描きたいと思う人もいるでしょうし、物語は人生を豊かにしてくれるものですよね。一方で影響が大きいからこその怖さもありますけど。だからこそ自分が作品に携わる時は、誰かの人生に良い影響をもたらすことを目標に作りたいなといつも考えています。

河合:本当に良くも悪くも、とても大きな力を持っていますよね。子供たちが「アンパンマン」を観て、登場人物や善悪の描写に影響を受けて、自分の中の価値観や倫理観として溶けていくように、物語は観ている人の世界と繋がっているということを私も自覚していたいなと考えています。物語は人生を丸ごと変えられるし、救うこともできるし……その力が与える影響を受ける側としても知っているからこそ、作る側に立った時もそのことを忘れないでいたいなと。

——本作への参加で自分の声や、声の芝居に対する考え方に変化はありましたか?

河合:お芝居の中で声がどれだけ大きい要素を持っているかを理解しているつもりでも、実際に声優をやってみると声の芝居をする上での感覚の違いをとても感じましたね。元々舞台や映像、朗読や声優における声の使い方の違いを考えることは好きだったんですけど、映像を続けていくうちにその意識が離れつつあったので、今回声の根本的な部分について考え直すきっかけにもなりました。間違いなく良い影響を及ぼす体験だったと思います。

吉田:私も声の重要さを理解するという意味でとても大切な作品になったと思います。今まで映画のナレーション部分がすごく苦手だったんですよね。声に感情を乗せてるつもりでも変わってないと言われることもよくあったりと声にコンプレックスを持っていて。でもこの作品に出会って、少なからず自分の声を肯定できたんです。だからこの経験を活かして、これからは身体だけじゃなくてもっと声を意識したお芝居をしていきたいなと思いました。

——最後に劇場アニメ「ルックバック」の見どころを教えていただけますか?

河合:声優を演じる時に見た映像はまだラフの段階だったんですが、押山監督の作るアニメーションが本当に素晴らしくって。漫画だからできると思っていた表現が、その質感は変わらず、動くことでより魅力的になっていたんです。漫画「ルックバック」に生命力を注ぎ込んだシンプルかつ最高の映像だと思うので、何より押山監督のアニメーションを知ってもらいたい気持ちが大きいです。そして限られた時間のパーソナルな映画ではあるんですけど、自分の人生の中できっと思い当たる節がある物語だと思うので、漫画をチェックしてなかった人にも観てほしいですね。

吉田:劇場アニメ化の発表があったときの皆さんの反応を見て、改めてこんなにたくさんの人に愛されている作品に関わることができたんだと実感しました。予告を見て「漫画の世界がそのまま動いている」と喜んでいる方もたくさんいたので、きっとその期待を裏切らないものになっているんじゃないかなと思います。少女たちの生きる力や情熱の向け方は、私自身羨ましく感じるほどに素敵なので、原作ファンのみならずいろんな人に共感してもらえると信じています。

PHOTOS:TAKUYA MAEDA(W)

■劇場アニメ「ルックバック」
6月28日全国ロードショー
出演:河合優実、吉田美月喜
原作」藤本タツキ「ルックバック」(集英社ジャンプコミックス刊)
監督・脚本・キャラクターデザイン:押山清高
アニメーション制作:スタジオドリアン
© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
https://lookback-anime.com

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世界が注目するK-POPガールズグループBABYMONSTERインタビュー メンバーの意外な一面を告白

PROFILE: BABYMONSTER(ベイビーモンスター)

PROFILE: YG ENTERTAINMENTから約7年ぶりにデビューしたガールズグループ。韓国出身のアヒョン、ラミ、ローラ、タイ出身のパリタ、チキータ、日本出身のルカ、アサによる7人で構成されている。24年4月には、1st MINI ALBUM「BABYMONS7ER」で完全体デビュー。タイトル曲「SHEESH」は公開から約33日で再生回数2億を記録。歴代のK-POPガールズグループデビュー曲のMVの中で最も速い記録となり、次世代K-POPを代表するガールズグループとして存在感を見せつけている。

BIGBANG(ビッグバン)やBLACKPINK(ブラックピンク)など、これまで世界的アーティストを多数輩出してきた韓国のYG ENTERTAINMENTから約7年ぶりにデビューした7人組ガールズグループBABYMONSTER(ベイビーモンスター)。

メンバーは韓国出身のアヒョン、ラミ、ローラ、タイ出身のパリタ、チキータ、日本出身のルカ、アサの7人。今年4月に1st MINI ALBUM「BABYMONS7ER」で完全体デビューを果たした。タイトル曲「SHEESH」は公開から約33日で再生回数2億回を記録。歴代のK-POPガールズグループデビュー曲のMVの中で最も速い記録となり、次世代K-POPを代表するガールズグループとして存在感を見せつけている。

5月からは東京、ジャカルタ、シンガポール、台北、バンコクとアジア5都市を回るファンミーティングツアーを開催中。先日、7月30、31日に神戸・ワールド記念ホールでの追加公演も発表された。8月には日本最大の音楽フェスティバル「SUMMER SONIC 2024」への出演が決定し、さらなる活躍が期待される。

7月1日に新曲「FOREVER」が発表されるのを前に、「WWDJAPAN」では彼女たちの貴重なインタビューが実現。東京でのファンミーティングを終えての率直な思いやファッションのこと、メンバーのお互いの印象など話を聞いた。

——東京が世界初演となった、5月に行われたファンミーティング「BABYMONSTER PRESENTS:SEE YOU THERE」では、新人とは思えないパワフルで圧倒的なステージに魅了されました。世界初披露となった「LIKE THAT」のパフォーマンスもあり、とても豪華な内容でしたね。実際にファンの方の前に立ってみていかがでしたか?

ルカ:母国の日本にメンバーと初めて来て、初のファンミーティングをすることができて本当にうれしかったです。ファンの方の歓声もすごく大きくてびっくりしたし、楽しかったです。

アサ:こういうイベントをするのが夢だったので興奮しました。皆さんの声を受けて、より盛り上がってステージをすることができたと思います。

——デビュー曲「SHEESH」は世界中でヒットを記録していますが、特に好きなパートや、表現にこだわっているパートはどこでしょうか。

パリタ:「BABY, I’mma MONSTER」というパートはキリングパートなので、そこはすごくこだわって表現しています。

ルカ:サビで両腕を上げて回す振り付けや、足で蹴るポイントダンスがあるのですが、そこに注目してほしいです!

——皆さんのファッションのこだわりもお聞きしたいです。普段のファッションのテイストと、よく取り入れるアイテムを教えてください。

ルカ:私はいろいろなスタイルの服を着るのですが、一番はやっぱりストリート系が多いです。よく使うアイテムは、帽子とサングラスですね。アクセサリーも好きで、よくポイントで身につけます。

パリタ:サングラスやネックレスをよく取り入れます。最近は革ジャンを着るのにハマっています。

アサ:「自分のスタイルはこう」と説明することは難しいのですが、私も帽子やスカーフなどを取り入れてファッションを完成させることが好きです。

アヒョン:スキニーとゴツめのブーツを合わせて、ジャケットを着るのが好きです。

ラミ:かわいい系やきれい系より、ヒップホップでカッコいいスタイルが好きです。ラインが太めのヒップなパンツをよくはきます。

ローラ:普段出かけるときはスカートをよくはきます。かわいいトップスとマッチングさせて着こなすスタイルがお気に入りです。

チキータ:よく使うのはサングラス。最近はオーバーサイズのTシャツが好きですね。

——サングラス好きのメンバーが多いんですね!

ルカ:確かに! メイクをしていないときでもポイントを作れるので、私はよく活用していますね。

各メンバーの印象は?

——続いては皆さんの関係性やキャラクターを掘り下げたいので、隣に座っているメンバーのリスペクトしている点と、面白いと感じる部分を教えてください。

ルカ:アサは完璧主義なんです。私はそういうタイプじゃないので、すごくリスペクトしています。そして普段はおしとやかな感じなんですけど、たまに少しおかしくなっちゃう瞬間があって、面白いなと思います。夜遅くまで練習したときとかは特にそうですね。テンションがおかしくなるんです(笑)。

アサ:(笑)。ローラはとても繊細な部分で私たちをリードしてくれる面があって、そういうところをリスペクトしています。そして、こんなにかわいい顔なのに、豪快な声で話すことがあるので、ギャップがあって面白いです。

ローラ:リタお姉さん(パリタ)は多言語を操るのが得意なので、たくさん助けてもらいますし、顔がお姫様みたい!なのに、たまに思ってもみなかったようなギャグをいきなりポンと放つ瞬間があって、すごく面白いです。

パリタ:チキータはすごく若い歳で練習生として入ってきて、練習生期間も短かったのですが、それでも練習をすごくたくさんして、とても上手にできるので本当にすごいと思います。スター性を持っているところもリスペクトしていますね。面白いと思うのは、おいしいものを食べたときのリアクションと表情。すごくオーバーリアクションなんです(笑)。

チキータ:アヒョンお姉さんは、ダンスを遅くまで練習したりする努力家なところと、素晴らしい歌声を尊敬しています。言語の面でもたくさん助けてくれます。面白いところは、私と同じになるけど(笑)、おいしいものを食べたときのリアクションです。

ルカ:目が大きくなるんだよね(笑)。

アヒョン:(照れたように笑う)。ラミは冷静沈着な人で、ステージの上で何かが起こったとしても、落ち着いて対応できるところがすごいと思います。そして、練習中に場を和ませてくれます。

ラミ:ルカお姉さんは最年長だから、グループを引っ張っていかなければならず、負担が大きいと思うんです。ダンスの練習や、こうした日本の活動などでもメンバーの面倒をすごくよく見てくれて、頼もしいです。そしてステージの上では本当にカリスマ。だけどステージを降りるとすごくかわいらしくて……ちょっと末っ子みたいなところがあって本当に面白いです。

——ひょうきんな最年長なんですね。

ルカ:はい(笑)。

日本のファンに向けて

——7月末には神戸でのファンミーティングも発表されました。今後また日本に来る機会も増えると思いますが、日本で行ってみたいところや、やってみたいことはありますか?

(全員で声をそろえて):ディズニーランド、ディズニーシー!

アサ:みんなで「日本のテーマパークに行きたいね」とずっと話していたので、時間ができたら全員で一緒に行ってみたいです。

チキータ:私はUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行きたい!「ハリー・ポッター」が大好きなので、ホグワーツ城に行ってみたいです。

ローラ:(日本語で)私もめっちゃ好き!

——ぜひ両方行ってきてほしいです! 最後に、日本のファンの皆さんへ向けて一言ずつメッセージをお願いします。

ルカ:これから日本での活動もいろいろ増えてくると思いますが、今よりももっともっと素敵なものをお届けできるようにいっぱい考えていくので、たくさんの応援をよろしくお願いします。

パリタ:初めて日本に来て、ファンの方たちにお会いできて幸せでしたし、とてもたくさんの方が応援してくれて本当にびっくりしました。これからももっと頑張ります!

アサ:今回こうして初めてメンバーたちと一緒に日本に来ることができて、すごく嬉しかったです。次はもっと多くの日本のファンの人たちにお会いして、いろんなイベントや活動をしていきたいと思います。たくさん期待していてください。

アヒョン:ファンミーティングを日本の皆さんと一緒に始めることができてとても嬉しかったですし、ものすごい熱意を感じられて幸せでした。

ラミ:日本で初めてのファンミーティングができてとても嬉しかったです。足りない部分もあったかもしれませんが、そういった部分も可愛く見てくださってありがたかったです。今後もっといい姿をたくさん見せますので、期待して待っていてください。

ローラ:今回初めて日本に来ましたが、ファンミーティングなどでとても良い思い出をつくることができて、本当に感謝しています。さらに練習を重ねて、次回はもっともっとかっこいい舞台をできるように頑張ります!

チキータ:初めてのファンミーティングだったのでちょっと緊張もしたのですが、ファンの方がたくさん応援してくださって幸せでした。これからも努力して頑張ります。

■Digital Single「FOREVER」
7月1日リリース

■BABYMONSTER 1stファンミーティング「BABYMONSTER PRESENTS:SEE YOU THERE -FINAL-」
2024年7月30日 開場 17:30/開演 18:30
2024年7月31日 開場 13:00/開演 14:00、開場 17:30/開演 18:30
会場:神戸・ワールド記念ホール
https://yg-babymonster-official.jp/live/see-you-there-final/

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韓国の若者に大人気のメンズブランド「サンサンギア」 ディレクターが語るブランドのコア

2019年にスタートした「サンサンギア(SAN SAN GEAR)」は、今韓国で最も勢いのあるメンズファッションブランドの一つだ。ストリートにアウトドア、サブカルチャーをミクスチャーしたスタイルで若者の間で支持を広め、日本でも取り扱うセレクトショップが増えている。ブランドのキム・セフン(Kim Sehun)ディレクターに、ブランドのこれまでと展望を聞いた。

―ブランドを立ち上げたきっかけは。

キム・セフン「サンサンギア」ディレクター(以下、キム):「サンサンギア」は、ストリートウェアを楽しむ消費者に新しい選択肢を提案するために始めたブランドです。他のブランドによくみられるポップカルチャーや現代美術ではなく、傍流のサブカルチャーをブランドのエッセンスとしています。これはブランドが始まってから今まで、ずっと変わらない部分です。

デザイン、コラボ、コンテンツなど、個々の要素がバラバラにならないように大きな文脈を意識しています。スタートしたばかりの頃は私がデザインだけでなく、物流、CSまですべての業務をこなさなければなりませんでした。現在はデザイン、コンテンツ、グラフィック、ソーシング、物流/CS、戦略企画など、チームが細分化されています。より効率的に仕事ができるインフラが構築できています。

―韓国の若いディレクターが運営するブランドの特徴的な点は「ビジュアルマーケティング」だ。「サンサンギア」はディストピア、近未来、ファンタジーなど、奇抜なアイデアを毎コレクションに盛り込んでいる。

キム:私たちが「ビジュアルマーケティング」で重視していることは大きく2つに分かれます。まず、何を見せるか、そしてどのように見せるか。

「何を見せるか」については、シーズンの企画会議を非常に重要視しています。企画会議はシーズンの1年半前から行われることもあり、2023年春夏の“MERCURIAL”、秋冬の“THIRD KIT”、24年春夏の “SCOPE”といったキーワードでメインテーマを決めます。すべての社内チームがつながりながら仕事ができるよう、クイックビューや小規模な会議も頻繁に行っています。

コンテンツの見せ方においては「芸術性」「現時性」「直感性」の3つをすべて満たすよう心がけています。コンテンツ自体は必ず芸術レベルの高いものでなければなりませんが、私たちが選んだ素材や表現方法が適切であり、またそれを見る人が、私たちが伝えたいことを簡単に理解できることも重要です。

さまざまなカルチャーを照らす存在に

―2024年SSコレクションのエディトリアルイメージで何を伝えたかったのかを教えてほしい。

キム:今シーズンのテーマは“SCOPE”、つまり「観察」です。とあるアーティストの歩みから、木材の細胞の顕微鏡写真まで、スコープの倍率を調節したレイヤーで、さまざまな観察対象に対する美学を語ることを試みました。

―自社発行のマガジン「スコープ」をコレクションと一緒に公開した。一般的なファッション企業ではあまりやらないことだ。

キム:雑誌は、私たちが表現したいことを最も直感的かつ多様に表現することができる、顧客に最も身近な形のコンテンツです。私たちの雑誌“燦燦(さんさん)”では、単にルックブックやエディトリアル写真だけではなく、シーズンのテーマと私たちが追求する価値を、より多様に見せようと考えています。ミュージックプレイリストやグルメなどの要素も盛り込みました。

私たちは「サンサンギア」が一つの“文化”になってほしいと考えています。かつて注目された、あるいはまだ注目されていないさまざまなサブカルチャーを「さんさんと」照らす存在です。

―日本の若者の間でも人気が高まっている。

キム:想像以上に私たちのブランドを好きになってくれて、本当に感謝しています。私は子供の頃、日本のアニメを見て育ち、日本の市場を見てファッションを勉強しました。日本はファッションや文化的なレベルが高い国です。日本に出張に行った時、道行く人たちが自分だけのムードでスタイリングしたファッションをしていて、衝撃を受けました。だから最初は「サンサンギア」が日本で通用するかどうか不安だったのも事実です。

日本の若い層は、デザインのディテールやコンテンツのナラティブ(物語性)を尊重する意識が非常に高い。だから私たちが作った製品が彼らのニーズに合致したのではないかと思います。

―今年3月には、フラッグシップストアを立ち上げた。

キム:私たちの最初のオフライン店舗の名前は「合井(ハプチョン)ストア」で、ソウル市マポ区の想像広場付近にあります。「サンサンギア」が見せたいテクニカルなムードを未来志向的かつ現実的に解釈し、店舗に溶け込ませました。

メイン素材にはステンレスを使っています。空間全体においては、ステンレス特有の冷たくて硬い雰囲気を中和させるために、フレームのないソファと大理石を随所に配置しました。外部の造園にも気を配りましたが、自然素材である石と苔を設え、内部素材と対比させながらバランス感を持たせました。

また、弘大(ホンデ)の中心地に位置する住宅建物として、建物に入居した店舗の変遷、つまり時間を可視化しようと考えました。過去の痕跡を取り除いた建物の骨格に特別な加工をせず、素材本来の風合いを生かしてインテリアを配置し、なるべくシンプルに空間をデザインしました。これにより、「サンサンギア」が持っている生き生きとしたムードうまく溶け込ませようと考えました。 また、窓やドアを大きくして開放感のある空間にし、外部とのつながりを強調しました。

―今後ブランドが目指す方向性を教えてほしい。

キム:「サンサンギア」は、伝統的なストリートウェアブランドの持つ多様性を追求しつつ、私たち独自のビジュアル言語を重要視しています。ストリートウェアブランドとして、これまでにはなかったアイデンティティーを持ちたいと考えています。例えばブランドを代表するアイテムである「ウインドブレーカー」は、季節性、機能性、ディテールなどにバリエーションを持たせ、一つのアイテムにおける多様性を持たせています。

ストリートファッションは衣服だけでなく、その存在自体が多様性を象徴する文化です。さまざまなジャンルを横断し、ファッションを衣類だけでなく、文化に拡張して見せるブランドでありたいと考えています。今後もローカルアーティストとのコラボレーションはもちろん、グローバルブランドとのコラボ、IP(知的財産)の活用など、多角的で立体的な活動をしていく予定です。そのためには、ブランドムードをもっと柔軟にすべく枠にとらわれない服を制作し、同時にコンテンツを通じたメッセージもより先鋭化したいと思っています。

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韓国の若者に大人気のメンズブランド「サンサンギア」 ディレクターが語るブランドのコア

2019年にスタートした「サンサンギア(SAN SAN GEAR)」は、今韓国で最も勢いのあるメンズファッションブランドの一つだ。ストリートにアウトドア、サブカルチャーをミクスチャーしたスタイルで若者の間で支持を広め、日本でも取り扱うセレクトショップが増えている。ブランドのキム・セフン(Kim Sehun)ディレクターに、ブランドのこれまでと展望を聞いた。

―ブランドを立ち上げたきっかけは。

キム・セフン「サンサンギア」ディレクター(以下、キム):「サンサンギア」は、ストリートウェアを楽しむ消費者に新しい選択肢を提案するために始めたブランドです。他のブランドによくみられるポップカルチャーや現代美術ではなく、傍流のサブカルチャーをブランドのエッセンスとしています。これはブランドが始まってから今まで、ずっと変わらない部分です。

デザイン、コラボ、コンテンツなど、個々の要素がバラバラにならないように大きな文脈を意識しています。スタートしたばかりの頃は私がデザインだけでなく、物流、CSまですべての業務をこなさなければなりませんでした。現在はデザイン、コンテンツ、グラフィック、ソーシング、物流/CS、戦略企画など、チームが細分化されています。より効率的に仕事ができるインフラが構築できています。

―韓国の若いディレクターが運営するブランドの特徴的な点は「ビジュアルマーケティング」だ。「サンサンギア」はディストピア、近未来、ファンタジーなど、奇抜なアイデアを毎コレクションに盛り込んでいる。

キム:私たちが「ビジュアルマーケティング」で重視していることは大きく2つに分かれます。まず、何を見せるか、そしてどのように見せるか。

「何を見せるか」については、シーズンの企画会議を非常に重要視しています。企画会議はシーズンの1年半前から行われることもあり、2023年春夏の“MERCURIAL”、秋冬の“THIRD KIT”、24年春夏の “SCOPE”といったキーワードでメインテーマを決めます。すべての社内チームがつながりながら仕事ができるよう、クイックビューや小規模な会議も頻繁に行っています。

コンテンツの見せ方においては「芸術性」「現時性」「直感性」の3つをすべて満たすよう心がけています。コンテンツ自体は必ず芸術レベルの高いものでなければなりませんが、私たちが選んだ素材や表現方法が適切であり、またそれを見る人が、私たちが伝えたいことを簡単に理解できることも重要です。

さまざまなカルチャーを照らす存在に

―2024年SSコレクションのエディトリアルイメージで何を伝えたかったのかを教えてほしい。

キム:今シーズンのテーマは“SCOPE”、つまり「観察」です。とあるアーティストの歩みから、木材の細胞の顕微鏡写真まで、スコープの倍率を調節したレイヤーで、さまざまな観察対象に対する美学を語ることを試みました。

―自社発行のマガジン「スコープ」をコレクションと一緒に公開した。一般的なファッション企業ではあまりやらないことだ。

キム:雑誌は、私たちが表現したいことを最も直感的かつ多様に表現することができる、顧客に最も身近な形のコンテンツです。私たちの雑誌“燦燦(さんさん)”では、単にルックブックやエディトリアル写真だけではなく、シーズンのテーマと私たちが追求する価値を、より多様に見せようと考えています。ミュージックプレイリストやグルメなどの要素も盛り込みました。

私たちは「サンサンギア」が一つの“文化”になってほしいと考えています。かつて注目された、あるいはまだ注目されていないさまざまなサブカルチャーを「さんさんと」照らす存在です。

―日本の若者の間でも人気が高まっている。

キム:想像以上に私たちのブランドを好きになってくれて、本当に感謝しています。私は子供の頃、日本のアニメを見て育ち、日本の市場を見てファッションを勉強しました。日本はファッションや文化的なレベルが高い国です。日本に出張に行った時、道行く人たちが自分だけのムードでスタイリングしたファッションをしていて、衝撃を受けました。だから最初は「サンサンギア」が日本で通用するかどうか不安だったのも事実です。

日本の若い層は、デザインのディテールやコンテンツのナラティブ(物語性)を尊重する意識が非常に高い。だから私たちが作った製品が彼らのニーズに合致したのではないかと思います。

―今年3月には、フラッグシップストアを立ち上げた。

キム:私たちの最初のオフライン店舗の名前は「合井(ハプチョン)ストア」で、ソウル市マポ区の想像広場付近にあります。「サンサンギア」が見せたいテクニカルなムードを未来志向的かつ現実的に解釈し、店舗に溶け込ませました。

メイン素材にはステンレスを使っています。空間全体においては、ステンレス特有の冷たくて硬い雰囲気を中和させるために、フレームのないソファと大理石を随所に配置しました。外部の造園にも気を配りましたが、自然素材である石と苔を設え、内部素材と対比させながらバランス感を持たせました。

また、弘大(ホンデ)の中心地に位置する住宅建物として、建物に入居した店舗の変遷、つまり時間を可視化しようと考えました。過去の痕跡を取り除いた建物の骨格に特別な加工をせず、素材本来の風合いを生かしてインテリアを配置し、なるべくシンプルに空間をデザインしました。これにより、「サンサンギア」が持っている生き生きとしたムードうまく溶け込ませようと考えました。 また、窓やドアを大きくして開放感のある空間にし、外部とのつながりを強調しました。

―今後ブランドが目指す方向性を教えてほしい。

キム:「サンサンギア」は、伝統的なストリートウェアブランドの持つ多様性を追求しつつ、私たち独自のビジュアル言語を重要視しています。ストリートウェアブランドとして、これまでにはなかったアイデンティティーを持ちたいと考えています。例えばブランドを代表するアイテムである「ウインドブレーカー」は、季節性、機能性、ディテールなどにバリエーションを持たせ、一つのアイテムにおける多様性を持たせています。

ストリートファッションは衣服だけでなく、その存在自体が多様性を象徴する文化です。さまざまなジャンルを横断し、ファッションを衣類だけでなく、文化に拡張して見せるブランドでありたいと考えています。今後もローカルアーティストとのコラボレーションはもちろん、グローバルブランドとのコラボ、IP(知的財産)の活用など、多角的で立体的な活動をしていく予定です。そのためには、ブランドムードをもっと柔軟にすべく枠にとらわれない服を制作し、同時にコンテンツを通じたメッセージもより先鋭化したいと思っています。

The post 韓国の若者に大人気のメンズブランド「サンサンギア」 ディレクターが語るブランドのコア appeared first on WWDJAPAN.

41歳冨永愛は「わりと幸せ」 コンプレックスと「生きたいように生きると決めた」理由

PROFILE: 冨永愛

冨永愛
PROFILE: (とみなが・あい)17 歳でNYコレクションデビューを果たし一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルのほかテレビやラジオパーソナリティー、イベント、俳優などさまざまな分野にも精力的に挑戦。俳優としては、2019 年放送のTBS日曜劇場「グランメゾン東京」をはじめ、 23年に放送された NHK ドラマ「大奥」では吉宗役として主演を務め話題となった。日本人として唯一無二のキャリアをもつスーパーモデルとして、チャリティ・社会貢献活動や日本の伝統文化を伝える活動など、その活躍の場をクリエイティブに広げている。24年4月、全国の伝統文化を訪ねる番組「冨永愛の伝統to未来」 (BS日テレ)がスタート。公益財団法人ジョイセフアンバサダー、消費者庁エシカルライフスタイル SDGs アンバ サダー、ITOCHU SDGs STUDIO エバンジェリスト。著書に「冨永愛 美の法則」「冨永愛 美をつくる食事」(ともにダイヤモンド社)ほか。24年6月28日発売「冨永愛 新・幸福論 生きたいように生きる」(主婦の友社)

日本を代表するモデルの冨永愛が6月28日、新たなエッセイ本「冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる」(主婦の友社)を発売する。これまで、「冨永愛 美の法則」「冨永愛 美をつくる食事」(ともにダイヤモンド社)といった自己流の美容法や食事術の著書をリリースしてきた冨永だが、新書のテーマはコンプレックスだ。今やファッションという世界だけでなく、俳優やタレントとして日本中で知られる冨永は、若者の憧れる存在でもある。「41歳の冨永愛は、わりと幸せなんです」と語り始める新書の表紙は、彼女のスッピンの笑顔。コンプレックスと向き合い、「生きたいように生きると決めた」彼女の真意を探った。

「自分を信じて生きていくことがきっと幸せにつながる」

――新書のテーマは「コンプレックス」。初告白する内容も多いと思うが、発売を迎えるにあたっての心境は?

冨永:実を言うと、最後の最後まで本当にこの本を出すべきか悩みました。まだまだ40年生きてきただけで、こういった本を出すなんてちょっと生意気だなって思ったんですよ。伝えたいメッセージがあるのかと聞かれても、特になくて。本当に自分が今思っていることを素直に書いていて、それが皆さんの何かのヒントになれればいいなと思っています。そうであれば、自分もこう生きている証になるというか、生きててよかったなって思えるようになれるから。うん、それだけですね。

――新著のプロローグで、「41歳の冨永愛は、わりと幸せなんです。」と綴っている。自分のことをそう思えるようになったのはいつから?

冨永:もうほんとうに最近です。41年生きてこないと分からない、そんな幸せ感がきっとあるんだと思うんですよね。振り返ってみて「わりと幸せじゃん」っていうところに至るには多分これくらい生きてこないと感じないんだろうなって。そう実感してからは、自分の言動や思考回路も変わって、対処する予測もしやすくなって、ここまですれば辛くなるとか、それでも自分から挑戦していくとか、考え方や行動がすごく楽になりました。それが幸せっていうことなんだと思うんです。

――幸せを感じることが増えたことで、変わったことは?

冨永:少なくとも、怒りや悔しさを感じる割合は減りましたね。自分のエネルギーの100%が悔しいっていう感情だったこともあったけれど、今は7割くらいまで減ったかな。幸せを感じることが増えても、新しいことに挑戦をし続けていて、悔しい思いもたくさんしていて、それはそれで私の原動力でもあるんですよね。

――多くの人が生い立ちや容姿など何かしらにコンプレックスを抱えて生きているが、「自分の生きたいように生きる」ためにどのように考えるといいのか

冨永:それは私にとっても人生の大きなテーマで、私自身の経験の中である程度の答えが見えてきたくらいな感じかな。ただ、誰しもが生きる環境で縛られているもので、そういうものから解放されることで生きたいように生きるということではないんですよ。縛りがある中で、どう生きていきたいのか考えていくということに意味があるんじゃないかなって。自分の判断に後悔してきたことももちろんあるけど、できないことの中で、自分が自分自身のことを信じて生きていけるようになるっていうこと自体が、きっと幸せにつながっていくんじゃないかなって思いますね。

――著書で「運は巡る。いただいた恩は誰かに送る」とある。チャリティー活動などさまざまな活動に精力的だが、人に恩を与えることで、自分に返ってくるという実感はあるのか。またどういったモチベーションで取り組んでいるのか

冨永:実感があるのかと言われたら特にない。でもふとした時に、自分が幸運に恵まれたり、いい巡り合わせがあったり、すごくいいタイミングだったり、きっとそういうことも含めて、こういうことなんだろうなって。自分が幸せになるために誰かに何をするっていうことではそもそもないです。もらったものを他に送っていくっていうこの循環を良くすることで、いい人生、いい巡りになっていくという考え方です。

社会貢献について言うと、恵まれた立場にあり、社会的影響力もある自分が、やるべきことだと思ってやっていることです。それに、自分の今の立ち位置を理解することもできる。そんな見方もできると思うんです。中年期特有の心理的危機を“ミドルエイジクライシス”と言われていたりもしますが、これくらいの年代の方は何においても慣れてきちゃっている年頃。ちゃんとした仕事もあって、お金も生活も充実していて、先のことも割と読めてきている年代。それって幸せなことだと思うんですよ。幸せなはずなんですよね。でもそれに気付いていないだけ。だからクライシスになっちゃう。私は真逆だと思うんですよね。自分がどういう状況なのかという立ち位置やポジションを俯瞰して見ることもできるのが社会貢献でもある。いろんな環境や状況で生まれている人たちに会いに行って、特にアフリカでは自分がどういう人間なのかって思い知らされる。ある意味、自分を知るために行っているかもしれないけれど、恩が返ってくるからやっているわけではないです。でもどこかで絶対返ってくるだろうなって信じているっていうことですよね。

息子が厳しいモデルの道へ。「うれしい気持ちはない」

――「セカンドキャリアが見つけやすい世界にしたい」と昨年7月に新事務所、Crossover(クロスオーバー)を設立し、著書では「人生の後半戦の、私の重要な仕事の1つだ」と語っている。その真意は?

冨永:そういったことも考えていかなきゃいけない年齢なんだっていうことかな。自分だけのことを考えていくというよりも、子育てと似ているかもしれないけれど、これから先、ファッションの世界がどうなっていくのかと考えた時に、あまりいい未来が見えてこない。そうした中でモデルの道1本だけだと難しくなる。今私はモデル業以外に色々やらせてもらっているので、その経験が若いクリエイターたちのためになればいいなという思いがあります。

――「100歳になってもランウエイを歩ける私でいたい」という冨永さんの目標は、モデルとしての真の強さが伺える

冨永:昔のショーの様子を見ると、顔つきも歩き方も全然違いますよね。歳を重ねて経験を積めば、表現者として豊かになっていくと思いますね。モデルっていろんなジャンルがありますけど、それが自分だよなって。うん、ランウエイやってなんぼだと思う。モデルをやれたから、この仕事に出会えたから、今の自分があるっていうのはすごくありますし、だから原点ですよね。いつまでもモデルでありたいなって思いますね。

――息子の章胤(あきつぐ)さんもモデルとなり一昨年キャリアをスタートし、俳優としても共演を果たすなど、親子共々活躍しているが、どのような思いがあるか

冨永:私と同じモデルの道に進みたいと聞いたときは、正直うれしい気持ちはなかった。それは今も変わらないです。違う分野に行ってほしかったというのが本音。でも彼のインタビュー記事なんか見ていると、私のことを「尊敬している」って言っていて、私の背中を見てくれていたんだなって、うれしいですけどね。それでもやっぱり畑の広いウィメンズに比べるとメンズは狭き世界。いくら私の息子っていう名前があったとしても、それが助けになるのは2、3年じゃないかって話はしています。そこから自分がどう頑張るかが大事になってくると思っています。

「年を重ねること、基本的にはなるようになる」

――今年42歳を迎え、26年目のキャリアとなる。今や俳優やMCなど幅広く活動しているが、20代のときは今のような自分を想像していたか。また当時の自分をどう振り返るか

冨永:今の自分のことは全く想像していなかったですね。20代はトップモデルを目指して、海外のコレクションを回ることが自分にとって大事なことで、まさか40代で俳優をやっているなんて思ってもいなかったですね。当時のショーの動画なんて見ていると、「かわいいな」「頑張ってるな」って愛おしく思えます。

――幅広く活動する中で、チャレンジする場に直面するときなど、どのようにメンタルトレーニングをしているのか

冨永:大一番のときは、自分を信じることがすごく助けになります。そのための準備は大事。それなりに自分を信じていないとリハーサルなしのショーだってある。自分らしさを発揮できるエネルギーの量や緊張の度合いが違えば、自分の可能性の幅も変わってくると思う。十分準備をすることで、あとは本番で出し切るしかない。自分自身で「大丈夫」と思えるか思えないかでその場をどう乗り越えられるかが変わってくると思っています。私はどちらかというと、自分で人生の道をつくってきたというよりは、その時々の自分のジャッジがあって、ご縁やタイミングがつながり今に至ったという感じですね。

――新著の表紙での清々しい表情がとても印象的だ。今はどういった心境か

冨永:これ実はスッピンなんです。レタッチもほとんどしていなくて。若いころはスッピンでそのまま撮影ってよくありましたけど、さすがにドキドキしましたね。ちょっとどんな顔していいか分かんないなって(笑)。でも出版に向けた意気込みとしては、「まだまだだな」って。自分はまたこれからいろんな経験を重ねて、どういう扉を開いていくんだろうって考えていますね。今の自分のこれ以上はないから、この表紙の自分が全てを物語っているという感じ。これまでも3、4冊の本を出版していますけど、それらは私の歩いてきた足跡。だから私の中ではもう過去のものなんですよね。もうずっと先を見ています。

――女性として、今後どのように年を重ねていきたいと考えているか

冨永:基本的にはなるようになる。あとはちょっとした余力を残しておけるようにして。これからは100%のエネルギーの残し方を考えていく生き方をしないと、きっと体壊すなあって思っています。もちろん100%全力で仕事に向き合うこともあるんですが、地方に行ったりして安らいだりして、余力を蓄えたりして最適なバランスをどう探っていくかがこれからは大事になってくるかなと思っています。

PHOTOS:MICHIKA MOCHIZUKI
STYLING:SOHEI YOSHIDA(SIGNO)
HAIR &MAKE-UP:MIFUNE(SIGNO)
衣装協力:シャツ、パンツ、シューズ、アクセサリー(すべてバーバリー/バーバリー・ジャパン)

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ロンドンのバンド、bar italia(バー・イタリア)が語る「創作の秘密」 “共有できないものがある”ことが重要

PROFILE: バー・イタリア(bar italia)

PROFILE: アート界隈でも活躍してきたイタリア人女性ニーナ・クリスタンテと、ダブル・ヴァーゴとしての活動でも知られるジェズミ・タリック・フェフミとサム・フェントンの3人組。奇才ディーン・ブラントのレーベル〈World Music〉から2枚のアルバムリリースを経て、2023年3月に〈Matador Records〉と電撃契約を発表。その後は怒涛のように1年に2枚のアルバム「Tracey Denim」を5月に、「The Twits」を11月にリリース。23年末には多くの主要年間アルバムチャートに選出されるなど大きな注目を集めている。24年5月には初の来日公演が実現した。

ロンドンを拠点に活動するニーナ・クリスタンテ(Vo)、ジェズミ・タリック・フェフミ(Vo/G)、サム・フェントン(Vo/G)の3人からなるバー・イタリア(bar italia)。ディーン・ブラントが主宰する〈World Music〉からデビューしたころのアブストラクトで実験的なスタイルとは変わり、昨年リリースした2枚のアルバム「Tracey Denim」と「The Twits」ではギター・ロック的なアプローチを大きく前進させたサウンドが鮮烈な印象を刻んだ。5月の来日時に見せた生身のバー・イタリアは、かつての実体感が希薄で匿名性を帯びていたイメージは見る影もなく、「バンド」としてのアイデンティティーを主張するようにラウドで陶酔感に満ちていて、白熱したものだった。

活況が続く英国のロック・シーン。その新たなアイコンとして注目を浴びるバー・イタリアだが、一方で地元ロンドンのアンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージック・シーンに“出自”を持つかれらの佇まいからは、ブラック・ミディ(Black Midi)やファット・ホワイト・ファミリー(Fat White Family)などに代表されるサウス・ロンドン〜「The Windmill」周りのバンド・コミュニティーとは異なる空気感のようなものが感じられる。音楽以外にもさまざまなアート活動に勤しみ、ニーナに至っては栄養士やパーソナル・トレーナーとしての経歴の持ち主でもあるという、異色の背景を窺わせる3人。そんな彼女らの創作の秘密について、公演翌日に中目黒にあるオフィスで話を聞いた。

始めたころはこれといったビジョンもなかった

——昨日のライブですが、演奏はもちろんステージングも含めて最高でした。バー・イタリアが本格的に活動を始めたのはパンデミックの最中のことで、当然ライブなんてできない状況だったと思うんですけど。

サム・フェントン(以下、サム):そうだね。まったくできない状況だったし、想像すること自体がリアルじゃなかったというか。

ジェズミ・タリック・フェフミ(以下、ジェズミ):2021年の初めにマンチェスターでライブをやったのが最初だったんじゃないかな。

——初めからあんな感じだったんですか。

ジェズミ:徐々に発展していった感じかな。単純に演奏がうまくなったというのもあるし、3人の一体感という部分も含めてね。

サム:このバンドを始めたころはレコーディングのためだけに曲を書いている感じだった。スタジオで一度だけ演奏して、レコーディングして、それから1年ぐらい曲にはまったく触れず、曲の存在自体も忘れて……という状態だったんだけど、いざライブをやりますってなったときに、作った曲の中でもライブで映えるものとそうでないものがはっきりと分かるようになって。たぶんそういう経験ができたからこそ、今はライブで映える曲が作れるようになったんだと思う。

——バー・イタリアはこれまでに4枚のアルバムをリリースしていますが、結成当初と今とではサウンドやプロダクションの印象はだいぶ違いますね。

サム:(バー・イタリアを始めたころは)これといったビジョンもなかったと思う。どの曲もスタイルが違っていて、似たような曲がまったくなかった。でも、最近の作品の方が音楽性の幅は広いと思う。

ジェズミ:最初の1、2枚目のころはかなりつまらない曲の作り方だったと思う。(サムと)1本のギターを貸し合ったりしていた感じだったし、ソングライティングやレコーディングもバラバラで、みんなで一緒に演奏しているって感じがなかったしね。

3人だからこその魅力

——3人ともバー・イタリアを始める以前から他の活動もしていましたが、「バー・イタリアでしか得られない特別なものはなんですか?」と聞かれたらどう答えますか。

ジェズミ:まず“友達”ってところが大きいだろうね。音楽を作り始めたきっかけは友達同士だったからで、僕たちの音楽は一緒につるんで遊んでいたからこそ自然と生まれたものばかりだったと思うし。

ニーナ・クリスタンテ(以下、ニーナ):今作っている音楽はこの2人とじゃないと絶対作れないものだと思うし、そう信じている。だから私たちに特化した音楽になっているし、バー・イタリアのサウンドは私たち3人だけのものだと思う。

——ちなみに、バー・イタリアを始めるにあたって3人がシェアしていたアイデア、音楽的なテイストはどんな感じだったのでしょうか。

ニーナ:答えるのが難しいな(笑)。

ジェズミ:それよりもこの3人の場合、“共有できないものがある”ってことの方が重要なんじゃないかな。音楽について意見が合わないことの方が多いし、むしろお互いに自分の限界や境界線を広げあっているというか。

ニーナ:私の場合、テイストを共有するというより……一緒に音楽を作るのって、学生だったときを思い起こさせるところがあって。友達と同じものにハマって、好きなものに対して一緒に興奮する気持ちとか、子どものころに戻ったような気持ちになるところがあるというか。だから3人で曲を作っていて、そこにボーカルが入って最高の形でハマるとテンションが最高に上がるし、子どもみたいに無邪気でハッピーな気分でいっぱいになる。その感覚はこの3人でしか作り出せないものだと思うし、それが“お互いの境界線を広げていく”って話にもつながっていくんじゃないかな。

——ニーナさんはソロでも活動していますが、「バンド」に対して憧れがあった?

ニーナ:はい。誰かと一緒に何かをやるのが好きなので。

—これはカジュアルな質問ですが、例えば自分たちのレコードの隣に誰か好きなアーティストのレコードを置くとしたら、今の気分で何を選びますか。

3人:(お互いに顔を見合わせる)。

ニーナ:分からない(笑)。逆に、あなたなら何を選ぶ?

——昨日のライブを観た後だと、スウェル・マップス(Swell Maps)のファースト(「A Trip to Marineville」)とか……。

サム:クールだね。まさに昨日聴いていたよ。

——あとはソニック・ユース(Sonic Youth)……それか最初の2枚のアルバムの隣だったら、ヤング・マーブル・ジャイアンツ(Young Marble Giants)の「Colossal Youth」とか。

ジェズミ:いいね、みんな好きだよ。

——ここまで、バー・イタリアのルーツやリファレンスを知る手がかりとなるような具体的なバンドの名前が、みなさんの口からはなかなか出てこないんですけど(笑)。

3人:(笑)。

——やっぱり、何かと比較されたり、類型化されたりすることには警戒心がありますか。

ジェズミ:初めは悩んだけど、もう慣れたよ。自分たちのやること全てが誰かにたとえられたり、特定のバンドと関連付けて聴かれたりすることに腹が立つこともあった。でもよくよく考えると、比較されるバンドはどれも素晴らしいバンドばかりだなって(笑)。それに、僕たちがやっている音楽は誰とも似ていないって思えるようになれたっていうのもあると思う。

サム:そもそも、自分が聴いているバンドと似てしまうのは自然なことだと思うし、だから望むと望まざるとにかかわらず、そうなってしまう部分はあるんじゃないかな。

レコーディング環境とサウンド

——最初の2枚のアルバムではレコーディング・プロジェクト的な側面が大きかったバー・イタリアですが、昨年リリースされた2枚のアルバムでは「バンド」としての実体感やライブ・フィールを増したサウンドが印象的です。バー・イタリアを始めてからここまでの変化や成長についてはどんな手応えを感じていますか。

ニーナ:私たちは成長していると思うし、レコーディングの機会や時間も増えた。バンドを始めたころはみんな仕事を持っていたし、他にやらなきゃいけないこともあって。前にも同じようなことを聞かれた気がするんだけど、その時に私が、たとえプロフェッショナルになったとしても音楽を作ることに興奮しなくなったり、インスピレーションを感じなくなったりするようなことはない、みたいなことを言ったのを覚えていて。もしかしたら誰かの言葉の引用だったのかもしれないけど、でも(プロフェッショナルとして)真剣に打ち込むことで自分自身のことをより深く掘り下げ、もっと多くの時間を音楽に捧げることができるようになる。そしてその結果、いいスタジオを使うことができるようになったり、心から尊敬できる人たちと一緒に音楽を作る機会に恵まれたりするようになる。

今回、マルタ・サローニがミックス・エンジニアを務めてくれたのもそういうことだと思うし、前にジャズミの部屋で音楽を作っていたころには考えられなかったようなステップアップだったと思う。

——昨年リリースされた「Tracey Denim」と「The Twits」は共にマルタ・サローニ(ビョーク、ブラック・ミディ、ジ・エックス・エックス)がミキシングを手がけたアルバムになりますが、どんなところに制作のポイントを置いていましたか。

サム:「Tracey Denim」はいわゆるレコーディング・スタジオ、つまり音楽のために特化した環境で制作されたもので、「The Twits」はスペインの島にある一軒家——もとは馬小屋だったらしいんだけど、いわば“アコースティック”な質感を持った環境で制作されたものだった。だから環境がまったく違っていて、そういう異なるシチュエーションで音楽を作ることでどんな変化が生まれるのか、それを追求したいというのがあった。マルタは環境を生かすのがとても上手で、だからそうした環境の違いが音の強度や質感に現れていると思う。

ジェズミ:それと、「The Twits」はライブ感が強いと思う。レコーディング・ルームにマイクをたくさん入れたり、「Tracey Denim」のときにはやれなかったアプローチを試したりした。十分な機材がそろったのが初めてだったというのも大きかったと思う。

——“環境と音響”という話は、ローファイでアンビエントな感触を持った最初の2枚のアルバム、「Quarrel」と「Bedhead」のころのサウンドにも通じるポイントかもしれないですね。

サム:1枚目(「Quarrel」)のゴシック・フィールは、録音していた部屋の床が木だったという影響もあるかもしれない。その上でキャスター付きの椅子に座って作業をしていたから床がきしむ音だったり、あと下の階が肉屋だったから肉を切る音だったり(笑)、そうしたいろんなハウス・サウンドがレコーディングに入っていた。それと2枚目(「Bedhead」)はコンプレッサーで圧縮した音をたくさん使っていて、それに外が騒がしいビルでレコーディングしていたのもあって……そうしたバックグラウンドにある小さな音全てが後付けでテクスチャーを構成する一部になっていたんだと思う。たまたま起きた奇跡とでもいうかな。

ニーナ:そういえば、「The Twits」のレコーディングで不思議なことがあって。というのも、スタジオでは常にハミングのような音が聞こえていて、レコーディングは基本的に夜にやっていたんだけど、その音は夜になるとどんどん激しくなって。で、実はその場所全体がソーラーパネルで動いていて、その蓄電の音がハミングの正体だったという(笑)。でも、マルタはその音を消すのではなく、ちょっとした加工を施すことでサウンド・エフェクトの一部として取り入れようとしていた。実際にそれがどの程度作品にフィードバックをもたらしているのか分からないけど。

バンドの見え方/見せ方

——3人はアートスクール出身で、音楽以外の活動もされています。前に、ロンドンで合同のアート展を開催されたと記事で読みましたが、どんな作品を制作しているんですか。

サム:あの時はドローイングだった。僕たちはみんなそれぞれ絵を描いていて、ニーナは絵以外の活動もしている。でも僕たちの場合、絵を描くことが絆の一部になっているところがあって、絵のスタイルはそれぞれまったく違うけど、お互いの絵が好きなんだ。だから僕らの絵を集めて一緒に見せる展覧会をやったら面白いんじゃないかって思ったんだ。

——どんな絵を描いているんですか。

ジェズミ:僕は友達の絵を描いているよ(笑)。

——3人にとって、音楽とアートはどんな関係にありますか。

ジェズミ:僕にとっては別物かな。

ニーナ:私の場合はつながりがあると思う。

サム:潜在意識のレベルでは互いに影響を与えていると思うけど、実際に顕在化するのは2つの異なる領域のように感じる。

——ニーナさんはパーソナル・トレーナーや栄養士としての経歴もお持ちですが、そこにもつながりは感じますか。

ニーナ:音楽への影響はないと思う。でも、ツアーにはアスレチック的な側面があって、実際に体力が必要とされる部分がある。だからそういう意味では、関連していると考えるのがしっくりくるかな。それと、(パーソナル・トレーナーや栄養士として)自分が学んだたくさんの知識を通じて、パフォーマンスをする上でのルーチンや身体の使い方を作り上げてきたってところはあるかもしれない。

——ニーナさんの場合、「アートと健康」というのがテーマの一つとしてあるのかな、と。

ニーナ:そうですね、私自身のアート活動は健康と結びついていると思う。ただ、バー・イタリアで作る音楽とは結びついていない。私にとってアートと音楽の接点は、ミュージック・ビデオとかフライヤーとか、音楽に付随するあらゆる視覚的な表現からインスピレーションを得ているってところだと思う。

——例えば、昨年リリースされた2枚のアルバムをきっかけにメディアへの露出が増える中で、自分たちが“ビジュアル”としてどう映るか、バンドの見え方/見せ方みたいな部分について、何か考えたり意識したこと、あるいはナーバスになったりしたところはありましたか。

ジェズミ:正直、メディアで自分を見るたびに「俺って本当にバカな格好をしているな」って思うよ(笑)。朝起きて着替える時に、わざと「この服、笑えるな」みたいな格好をして外に出て写真を撮られて、それを後で見て「なんて格好をしてんだろう!」って驚くこともあったり(笑)。

サム:俺たちは2人とも昔から、どっちがダサいコーデができるか競い合っているところがあって(笑)。どっちが長いベストを着るかとか、どっちがスキニージーンズをはくかとか(笑)。

ニーナ:私は“イメージを作り上げていく”というアイデアが好き。だから2人の “クリエーション”を横で楽しんでいる(笑)。

——お決まりの質問ですが……好きなブランドはありますか?

サム:ノー、ノー、ノー、ノー(笑)。

ニーナ:バー・イタリアの外ではファッションを楽しんでいるけど、でも好きなブランドを挙げていったらキリがない。それに、もしブランド名を言ったらそれを買わなくちゃいけなくなっちゃうし(笑)。

——昨日のステージではニーナさんの衣装もすてきでしたが、例えば自分にとっての“ヴィジュアル”のアイコンみたいな存在はいますか。

ニーナ:私のおばあちゃん。サムはマドンナみたいだけど(笑)。でも、女性のパフォーマンスは好きだし、とても惹かれます。

■「The Twits」
01. my little tony
02. Real house wibes (desperate house vibes)
03. twist
04. worlds greatest emoter
05. calm down with me
06. Shoo
07. que suprise
08. Hi fiver
09. Brush w Faith
10. glory hunter
11. sounds like you had to be there
12. Jelsy
13. bibs
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13700

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毎年3割増と安定成長をキープ ノーズショップ代表が語る20代がけん引する日本のフレグランス市場

PROFILE: 中森友喜/NOSE SHOP代表

中森友喜/NOSE SHOP代表
PROFILE: (なかもり・とものぶ)香水キュレーター、香水翻訳家、香水起業家。2017年、世界各国の新進気鋭のニッチフレグランスブランドを紹介する香水のセレクトショップ「ノーズショップ」を設立。取り扱うすべての香水のセレクトとストーリーの翻訳を手掛け、その取り扱い品種の幅広さと香水文の翻訳量は日本随一を誇る。世界中の香水クリエイターとも良好な関係を築いている。かつて「香水砂漠」とさえ呼ばれた日本の香水市場の改革者・第一人者として、現在、日本全国に12店舗のショップを構え、世界18カ国から約50ブランド、約700種類の香水やルームフレグランスをセレクトして販売している。日本における香水文化のさらなる認知拡大に向け、香りにまつわるさまざまなサービスを展開している

コロナを機に日本のフレグランス市場が拡大している。富士経済によると、ここ数年のフレグランス市場は、毎年伸長率が約10%と好調。一部のマニアのものとされてきたニッチフレグランスも次々と日本に上陸している。フレグランス売り場を拡大する百貨店や商業施設も多く、フレグランスの売上高が前年比50%増という店もあり、売れ筋商材としての存在感を増している。日本におけるニッチフレグランス市場を牽引してきたのが香りのセレクトショップ「ノーズショップ(NOSE SHOP)」だ。2017年にニュウマン新宿に初店舗をオープンし、現在では日本全国に12店舗を構えている。中森友喜NOSE SHOP代表に、ノーズショップの商況や売れ筋、日本のフレグランス市場について聞いた。

フレグランスに関心を持つ20代が増加

WWD:ここ数年のノーズショップの売上高の伸長率は?

中森友喜NOSE SHOP代表(以下、中森):前年比30%増という安定的な成長を目指しており、コントロールしながら運営している。2022年は前年比36%増、23年は同34%増、24年は39%増を予定している。

WWD:店舗数及び取り扱いブランド数は?

中森:19年末の時点で全国4店舗だったが、23年に10店舗、24年に12店舗になった。物流等あらゆる面で負担がかからないペースで、年間2~3店舗出店している。ブランド数は、2カ月に1ブランドの導入し、年間6~8ブランド程度を新規で増やしている。現在の取り扱いブランド数は66、約800種類。在庫は自社でコントロールし、できる限り、商品の取り扱い中止はせずに香りの種類を増やすようにしている。

WWD:どのような層が購入するか?

中森:拡大改装した渋谷店は若い層で賑わっている。全体的に20代が増えており、ファッションの1部、メイクの1部として香水が必需品になっていると感じる。次に30代、40代で、女性が7割、男性が3割。百貨店などでは、男女比率が半々という店舗もある。インバウンド比率は2~3割だが、銀座や麻布台の店舗はインバウンド客が多く、4~5割だ。

消費者の香りに対する解像度がアップ

WWD:好調なブランドは?

中森:前年比40~50%増と絶好調なのがフランス発「メゾン マティン(MAISON MATINE)」だ。専属のイラストレーターがいて、フレグランスごとにボトルにはユーモラスなイラストが描かれているのが特徴。面白いネーミングや性別問わず使用できる香りで、価格も手頃なためファーストフレグランスに選ばれることもある。お風呂上がりのようなフレッシュな香りの“プンプン”、お茶系の“ワルニ ワルニ”などが人気。ピーチをベースにした“あらしのうみ”は、新定番ともいえるトップセラーだ。同じく、フランス発「エッセンシャル パルファン(ESSENTIAL PARFUMS)」も同40~50%増と好調。一流調香師が手掛けるニッチでこだわりのある香りなのにも関わらず、価格も比較的手頃。ニッチフレグランスが高くなりすぎた今、高品質のものを手に取りやすい価格でという創業者の姿勢が支持されている。人気の香りは、“ナイス ベルガモット”や“ボワ アンペリアル”など。人と違う香りを探している20代の購入者が多い。日本で約10年程度輸入販売しているイタリア発「ラボラトリオ・オルファティーボ(LABORATORIO OLFATTIVO)」は同10〜20%増。ムスクの柑橘系で爽やかだが、香り立ちが変わる穏やかな香りの“ニードユー”やエジプト神話の中の神聖な花の香りの“ヌン”などが好調。夏は、シンプルだが深みのあるブラッドオレンジの香り“アランチア・ロッサ”が人気。長年販売しているということもあり、人気が安定している。

WWD:好調ブランドの中心価格帯は?

中森:フルボトル(50mL~100mL)で2万〜2万円半が中心価格帯。10mLのミニボトルやディスカバリーセットなど、1万円前後のものはトライアルやギフト需要で動く。

WWD:ここ最近人気のフレグランスの傾向は?

中森:世界的にグルマンの甘い香りが人気で勢いを感じる。昨年取り扱いをスタートした「ピエール・ギョーム(PIERRE GUILLAUME)」は、グルマンの貴公子と呼ばれる存在で人気が高い。まるで、生菓子のような印象だが、香水として美しく香るのが特徴だ。幼少期の朝食の思い出を表現した“ムスク マオリ”はホットチョコレートが香る人気のアイテム。ムスク系も人気が高い。ニューヨーク発「ノーメンクレイチャー(NOMENCLATURE)」は天然香料ではなく、敢えて合成香料にフォーカスし数々の名香を生み出す芳香分子に着目したブランド。合成ムスクを使用した“アデレット”は肌馴染みがよく売り切れになったこともある。日本の“シソ”を清涼感たっぷりに表現した“シソー”は、通常のミントなどの爽やかな香りと一味違って人気だ。また、タバコ、シャンパンやジンなどのお酒といった香りへの注目も高まっている。消費者の香りに対する解像度がアップしており、一歩、二歩先の香りを求める傾向にある。

コロナ以降生まれた香りのマイクロトレンド

WWD:フレグランス市場および消費者動向の変化は?

中森:日本人にとって強い香りはマナー違反的に思われていたが、コロナ禍になってマスクにより香りを意識しなくても良くなった。自宅で、自分の好きな香りをまとう人が増えた。コロナ以降、人気のものから個性的な香りまで、いろいろな香りがマイクロトレンドとして売れるようになった。コロナが落ち着き、マスクを外すと巻き返しがあるかと思ったら、それはなく、個性的な香りへの需要が広がりつつある。ビジネスとしては、売れ筋の予測が立たず難しいが、文化的な視点からは、香りの好みの多様化は歓迎すべき現象だ。

WWD:日本のフレグランス市場についてどのように分析するか?

中森:香水のニュースが多く、“香水砂漠”から喜ばしい市場に変化しつつある。ポジティブに捉えているが、市場規模はまだ小さい。20~50代を対象に香水を使用しているかを調査したところ、その割合は3割以下だ。また、盛り上がっているのは東京や大阪が中心で、地方はこれからだと感じる。ブームとして終わらせたくないので、香水が嗅覚のエンタメであり、それを届けるニッチフレグランスを知ってもらえるよう地道に努力したい。

WWD:今後どのような取り組みを強化するか?

中森:中森:香水市場で、業界のリーダーやプレイヤーが増えてきた。ラグジュアリー・ブランドもどんどん参入し、盛り上がっている。その中で、ニッチフレグランスらしさを伝えていく。ブランディングや体験価値を向上させるための情報発信や、商品、店舗設計、サービスで、個性を磨きながら行うのが大切だ。

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グラフィックデザイナー・八木幣二郎 新作個展で考えた「デザイナーの責任」と「未来に対してすべきこと」

PROFILE: 八木幣二郎/アートディレクター、グラフィックデザイナー

PROFILE: (やぎ・へいじろう)1999年、東京都生まれ。グラフィックデザインを軸にデザインが本来持っていたはずのグラフィカルな要素を未来からの視線で発掘している。ポスター、ビジュアルなどのグラフィックデザインをはじめ、CDやブックデザインなども手掛けている。主な展覧会に、個展「誤植」(2022年/The 5th Floor)、「Dynamesh」(22年/T-House New Balance)、グループ展「power/point」(22年/アキバタマビ 21)がある。

1999年生まれのアートディレクター兼グラフィックデザイナーの八木幣二郎。3DCG 用ソフトウェア“Zbrush”を駆使し、本やパンフレットの装丁からポスターやフライヤー、レコードのジャケットのデザイン、展示会場のディレクションなど、グラフィックデザインを中心に幅広く活動し、唯一無二のデザイン様式を創り上げている。

7月10日まで東京・銀座の「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」(以下「ggg」)」で個展「NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」が開催中で、1階ではSF的な設定に基づく架空の印刷会社「NOHIN(ノーヒン)社」の CI(コーポレート・アイデンティティー)をさまざまなアイテムや資料で展開。地下1階では、八木が尊敬する日本のグラフィックデザイン史を彩る巨匠デザイナー10人の傑作ポスター18点と共に、八木がそれぞれのポスターを再解釈し、3DCGで制作した新作を展示している。

今回、同展の話を起点にグラフィックデザインに対する自身の考えを聞いた。

「デザインの力」を考える

——個展は、2022年に発表した「The 5th Floor」での個展「誤植」以来かと思います。いつごろから本展の企画が進み始めたのでしょうか?

八木幣二郎(以下、八木):お声掛けいただけたのは、2年ほど前ですね。2022年に渋谷パルコの「パルコ ミュージアム トーキョー」でアーティストの布施琳太郎さんが個展「新しい死体」を開催したときに、今回の展示の企画者である亜洲中西屋の中西夫妻とお仕事をご一緒する機会があり、お2人を介して「ggg」とのご縁をつくっていただいたのがきっかけとなりました。でも実際に開催が決まってみると、自分にとっては畏れ多い場所なので、展示の話を進めていくうちに、どんどん現実味を帯びてきて焦りも感じてましたね。

——「ggg」の従来の展示といえば、過去の代表的な制作物の展示に加えて新作の展示を発表するイメージですが、今回は1階から従来の展示形式から逸脱していますね。「架空の企業を作る」というのは、一見大喜利的にも見えますが、どのような想いがあったのでしょうか?

八木:展示コンセプトが決まってからというもの、ずっと「デザインの力」について考えていました。小谷充さんの著書の「映画のなかのロゴマーク 視覚言語と物語の構造」 に書いてあるような、映画——「モンスターズ・インク」「七人の侍」「20世紀少年」などの中でどのようにデザインが登場人物に作用しているか考えていて。同時に、もし社会や人を動かす力がグラフィックデザインにあるとしたら、3DCGを用いた自分のグラフィックデザインは今の国内のグラフィックシーンの文脈において、どこに属していてどのように扱われていくんだろう……と漠然とした不安も感じていました。

——八木さんから見る、今の国内のグラフィックシーンの文脈というのは?

八木:よく他の分野の友達に「グラフィックデザインとは」と聞かれたときに、自分なりに考えるざっくりとした3軸の分け方があります。もちろん、それぞれのデザイナーは、いくつもの文脈を踏まえた上で実践に及んでおられるのだと思いますが、まず一つの軸が、中島英樹さん、秋山伸さん、田中義久さんなど物質的なものに多様なアプローチを仕掛ける方々、二つ目の軸が工芸的な手法で文字や文様を扱う佐々木俊さん、小林一毅さん、鈴木哲生さんなど、三つ目が工作舎の系譜で、図形的に文化史的な背景を取り込むことに巧みな杉浦康平さん、羽良多平吉さん、戸田ツトムさんというふうに分類できるんじゃないかなと考えています。そのように分けると、どうも自分のグラフィックデザインはいずれの延長線上にもないように感じていて。

——八木さんと言ったら、3DCGを使って独自の道を歩んでいる印象があったので、これまでの話は意外ですね。

八木:今の自分のデザインがどのグラフィックデザインの文脈にも当てはまらないのであれば、せっかく「ggg」で展示できるのだから、これを機にグラフィックデザイン史に新たなレールを引かなきゃなという思いがありました。その思いをきっかけに、架空の企業「NOHIN」をねつ造して、現在、そして未来から見ても、過去に3DCGを使ったグラフィックデザインが存在したことを証明するような、オーパーツ(間違った出土品)的な資料展示形式を取りました。

——今回の展示のテキストにもあった「グラフィックデザインは嘘を本当にできる」という考え方にもつながってきそうですね。

八木:そうですね。デザインの力を考える中で、プロパガンダデザインについてもあらためて勉強しました。公に語られることはあまりありませんが、ナチスドイツのグラフィックデザインは非常に重要で、デザイナーとしては、どうしても考えざるを得ない。歴史的な事実としてあれだけ人々を動かしたにもかかわらず、結局デザイナーの責任は問われないじゃないですか。最初に扇動された10代後半〜30代前半の若者が興味を持って、徐々に上の世代も興味を示すような構造は、ある意味、広告戦略そのものだと思います。デザインの力がどのように作用し、そこで果たして自分に何ができるのか。そうしたデザイナーの責任や未来に対してすべきことを考えた結果としての展示発表でした。

意識的にこれまでやっていない量とサイズに挑戦

——1階も地下1階も全て新作展示ですか?

八木:そうですね。3DCGを主に使っていきたいという気持ちがありつつも、正直ここ数年、アウトプットできる手札に詰まっていた時期がありました。バリエーションが出せないというか。かといって、3DCGを使わない選択肢を取ると、先ほど言った3軸とも交わらない上、どこに軸足を置いてよいか分からなくなるという危機感もあって。スランプを乗り越えるためにも、今回の展示では苦しみながらも、とにかく量を作っていきました。

——デザイン史の変化で言うと、デジタルフライヤーやSNSなどアウトプットする形態も変わってきていると思います。今回は、特に地下1階の展示含めて印刷物が多かったですが、意識的な取り組みだったのでしょうか?

八木:体感的に、展示で制作したようなB1判〜B0判サイズのポスターって、この先制作できる機会がどんどんなくなるんじゃないかなと感じていて。もちろん平面構成を美大受験のときに勉強したり、大学では烏口(※均一な太さの線をひくための描画用具)で線を引いたり、フライヤーやポスターの作り方を授業で習うこともありましたが、いざ卒業したら環境として紙を触る機会はまれでした。今、そうした時代の流れもあってか、同世代のグラフィックデザイナーの作品を見ていると、逆にデジタルフライヤーに紙のテクスチャーを乗せる手法が流行っています。紙の必要性が失われているからこそのちょっとした渇望というか。

——物質が必要なくなっている時代だからこそ、物質性をデザインの中で求めているのですね。

八木:でも個人的には、グラフィックデザイナーとグラフィックアーティストの明確な相違点に、紙との関係性があるように思っていて。デザイナーは、やっぱり紙について考える仕事なんじゃないかなと。その端境(はざかい)期に活動している自分としては、この機会を逃したら大判印刷のデザインに取り組むこともないように思えて、初めて挑戦する量とサイズ感を意識的に設定しました。

——10人の巨匠によるポスターは、ご自身でセレクションされたのでしょうか? 未来的なメッセージが多いように感じました。

八木:お借りできなかったものもありますが、自分で選びました。展示全体として、会場の音楽もしかり、万博のパビリオンのような雰囲気を目指しました。「月の石展」や「ツタンーカーメン展」の告知ビジュアルに映っているような未知のものが、本当に会場で見られたときの驚きを作りたいなと思って。地下1階にオリンピックや万博、ワールドカップなど、これまでのグラフィックデザイン史において重要な画期となったポスターを展示して。1階では今回の展示のキービジュアルにフルCGで描かれているオリジナルのプリンターが、本当に実在するような構成にしました。

——巨匠たちの作品の横に自分の作品が並ぶというのは、制作するときから緊張感がありそうですね。

八木:そう思っていたのですが、いざ冷静にAdobe上のツルっとした平面上で彼らのポスターデザインを見たら、意外にも制作がスムーズに進みました。データとしてデザインを見ることで、印刷によるテクスチャーの視覚効果がどのように使われているのかも新鮮に気付くことができました。当時の印刷のインクを調べると、今では使えないような有害物質が含まれたものも使われていることもあり、でもそのおかげで今も褪色していないとか。巨匠たちのグラフィックデザインから刺激を得ながら、自分の作品へとアウトプットしていけました。

スランプからの脱出

——先ほど話していたスランプからは、量を作っていくことで最終的に抜け出せましたか?

八木:実は、ちょうど地下1階のポスターの1〜2枚目を作っているときがスランプ真っ只中でした。「The 5th Floor」での個展を発表したころに自分のCGへの限界値を感じていて。そこから1年間ほど、CGを封印してAdobeソフトを使いながら、ちゃんと基礎からデザインを洗練させる期間がありました。そこを経て、CGにもう一度触れたら、うまく融合できることがあるんじゃないかと考えていたのですが、逆に全くCGが作れなくなってしまって。

「NOHIN」展の制作を始めるころは、ちょうど徐々にCGの感覚が取り戻せて少し俯瞰して技法や自分を見れるような時期だったこともあり、1〜2枚目で手が詰まってしまって。それでも日々葛藤しながら作り続けたら、なにか吹っ切れたように3〜4ヵ月で一気に16枚以上作れました。

——吹っ切れたきっかけは、どこにあったのでしょうか?

八木:今回の展示は架空の「NOHIN」というクライアントはいるものの、レスポンスが返ってくるわけでもなかったので、とにかく自問自答で正解を出していくうちに自然と吹っ切れましたね。いつも友人のアーティストの展示にグラフィックデザイナーとして関わるときは、デザイン視点でキュレーションに対して話を進めています。ハンドアウトから見たときの会場のレイアウト、サインを置く場所など一緒に複数人と相談して決めていたわけですが、当たり前ですけど、今回はそうした判断も自分に委ねられていました。ある意味山ごもりに近い環境に自分を置くことで、吹っ切れたんだと思います。

——制作時は、完成形を想像しながら手を動かしていくのでしょうか?

八木:そうですね。料理のレシピのように、自分専用のテクスチャーメモが手元にあってそれを見返しながら作りたいテクスチャーを形にしています。これまでに手を動かしながら、見つけたやり方も書いてあれば、ほかの方のデザインや写真を見て解析した技法もメモしています。

今回の展示で言うと、戸田ツトムさんによる寺山修司主宰の劇団天井桟敷公演「観客席」に並べたポスターでは、一般的にゲームエンジンとして使われる「UnrealEngine」でベースを作ってレンダリングして、その画像をいかにテクスチャーとして落とし込むか模索していきました。もともとテクスチャーフェチなところもあるので、普段SNS上では失われてしまう解像度のディテールを存分に印刷で実現できる過程は楽しかったです。

——八木さんらしいグラフィックデザインの一つに、テクスチャーへのこだわりがありますよね。

八木:幼少期からSF映画や漫画、ゲームが好きで、デザイナーよりも先に、クリーチャーを作るコンセプトアーティストになりたいと思ってました。中でも小学生低学年のときに読んでいた、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」からの影響は大きいです。小学生のころは、休み時間になるとずっと「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画を読んでは、自分も模写したりオリジナルの妖怪を描いたりして。水木しげるが描く妖怪や背景のテクスチャーは好きでしたね。

——これまで美術系のお仕事が多かったと思いますが、今回の展示を機にいろいろと自分の中のジレンマから解放されて、今後はどのような仕事をしてみたいですか?

八木:今回の展覧会のために制作したポスターのようなグラフィックデザイン(紙と触れる印刷仕事)と並行して、1階の展示のようなアートディレクション(印刷のためのルール作りやCIなど)もやりたいです。「バレンシアガ(BALENCIAGA)」や「エリオット エミル(HELIOT EMIL)」などファッションにも興味があるので、ブランドのディレクションにも入りたいですし、小さいころから好きなSF映画、アニメの仕事もやってみたいですね。CGデザインを使った街のサイン計画制作にも興味があります。3DCGのソフトだけではなく、さまざまなソフトや技法を自分の中でアップデートさせながら、あらゆるジャンルでグラフィックデザイナーとして活動していきたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■ ギンザ・グラフィック・ギャラリー第402回企画展「八木幣二郎 NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」
会期:5月24日〜7月10日
会場:ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
住所:東京都中央区銀座 7-7-2 DNP 銀座ビル 1F/B1
時間:11:00〜19:00
休日:日曜・祝日
https://www.dnpfcp.jp/gallery/ggg/jp/00000831

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トリンドル玲奈が語る新たな自分 「やっと人と違うことを楽しめるようになった」

PROFILE: (とりんどる・れいな)1992年1月23日生まれ。オーストリア出身。雑誌の専属モデルとして活動を始め、バラエティー番組や広告などに出演。2012年にドラマ「黒の女教師」で俳優デビュー。映画「リアル鬼ごっこ」で第19回ファンタジア国際映画祭・最優秀女優賞を受賞。近年の出演作品に、ドラマ「ウソ婚」「不適切にもほどがある!」「イップス」、初舞台出演「OUT OF ORDER」がある。情報番組「ひるおび」金曜日午前レギュラー出演中

栗色のボブスタイルが印象的だったトリンドル玲奈は今年、ベリーショートへと大胆なイメージチェンジを遂げた。憧れの女性にオードリー・ヘプバーンら1960年代の俳優をあげ、フランソワーズ・サガン原作の映画「悲しみよこんにちは」の主役を演じたジーン・セバーグの写真を目にしたことがきっかけでヘアカットをしたという。初舞台への挑戦や結婚など新たなステージに立つトリンドルに、ファッションやメイクへのこだわりや「周りの人と同じであろうとしていた」という意外な過去まで話を聞いた。

WWD:大胆なヘアカットをしたきっかけは?
トリンドル玲奈(以下、トリンドル):母から「ベリーショートが絶対に似合う」と言われたことです。実は2年前にジーン・セバーグの写真を見てから、いつか切りたいと思っていました。今年に入ってから髪をアップにまとめることが多く、もしかして短くてもいいのではないかと思い、美容師さんと相談して心を決めました。

WWD:普段のメイクやファッションに変化はあった?
トリンドル:とても変わりました。ベリーショートにしてから、目を主役にしたアイメイクが楽しいです。特にアイラインを描くのが大好きで、赤みの強いブラウンをしっかり引いたり、ほんの少しつけまつげを付けたり。今日の撮影ではブルーのアイシャドウをのせてもらい気に入っています。リップの色は控えめに、ベージュ系でぷるんとさせるのがマイブーム。眉毛も平行でないと嫌だったのが、最近は自眉の形を生かした女性らしいアーチ状にしています。眉毛が骨格に沿っていた方がきれいなんです。ファッションも肌が少し見えていたり、フレアやウエストマークなど骨格を強調するシルエットだったり、女性らしくエッジが効いたものがしっくりくるようになりました。

素肌の艶を生かしたスキンケアに夢中

WWD:普段のスキンケアルーティンは?
トリンドル:最近は「ミース」の化粧水とナイトクリームを使っています。化粧水で2、3回ぐらい繰り返し保湿すると、肌本来の艶が出る気がします。ハマっているのは、「カネボウ」のふき取り化粧水。母のおすすめで数日使ってみたら、洗顔だけでは取れなかった汚れが落ちて、肌が柔らかく“ちゅるん”ってなったような気がするんです。髪形もスキンケアも母の提案ですね。日中は日焼け止めを必ず塗ります。少しトーンアップするものが好きで、韓国ブランドの「ダルバ」の日焼け止めが素肌の艶を生かしてきれいに仕上げてくれるのでお気に入りです。

WWD:憧れのビューティミューズは?
トリンドル:髪を切るきっかけになったジーン・セバーグ以外にも、オードリー・ヘプバーンやミア・ファロー、ウィノナ・ライダーの写真をたくさん保存して眺めています。共通するのは、ショートカットでありながら品があること。その人自身の美しさが出ていて魅力的です。フェミニンな服装も多く、ヘアスタイルとファッションのバランスを参考にしています。

日々の過ごし方が美しさにつながる

WWD:30代になり、美しさについて考え方の変化は?
トリンドル:日々の過ごし方が顔に出ると気づきました。もちろん美容のアプローチも楽しくて好きなのですが、毎日の生活や食事が大切だと考えています。特に周りの人を大切にすること。夫や家族、友人、ファンの方、撮影やお芝居のスタッフの方々、今の自分を好きでいてくれる人を大切にして、こちらも好きでいると良い関係が生まれて、幸せな気持ちになります。少し嫌なことを言われたりしても、全く気にならなくなりました。

WWD:もともとは周囲を気にすることが多かった?
トリンドル:実は髪を切る前日も、とても悩んでいたんです。私は前髪を少し短く切りすぎるだけでも、鏡の前で気にするようなタイプで、子どものころから周りの人と同じでいたい性格でした。派手なことやみんなと違うことは好まず、髪形もみんなと同じでいいと思っていたんです。それでも夫が「断然ベリーショートの方がいいよ」と言ってくれて、切り終えてからも「かわいいね」と言ってくれる。最近はささいな褒め言葉でもちゃんと真に受けて、うれしい気持ちになっちゃおうと思っています。

WWD:自分らしさを楽しみ始めた。
トリンドル:みんなと同じでいようとすると、他の人が何をしているのか気になってしまうんですよ。でも今はメイクも服も自分の目で見て、着てみて、試してみて、それから似合うものを選ぶのですごく楽しい。みんなと一緒じゃなくてもいいかもって、32歳になってやっと思えました。


MODEL : REINA TRIENDL, ART DIRECTION : RYO TOMIZUKA, PHOTOS : YOSHIYUKI NAGATOMO, STYLING : MIYUKI UESUGI(SENSE OF HUMOUR), HAIR & MAKEUP : KENJI TAKAGAKI(SHIMA)
フーディー13万6400円/ニューナウ(press@landnk.co.jp)、ドレス8万5800円※参考色/カナコサカイ(info@kanakosakai.com)、ブーツ9万7900円※参考価格/ガニー(customerservice@ganni.com)、中に着たボディースーツ/スタイリスト私物 

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ドリス・ヴァン・ノッテン、最後のショーを前に心境を語る

「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」は、パリ時間の6月22日20時半(日本時間23日3時半)から2025年春夏メンズのショーを開き、創業デザイナーのドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)が手掛ける最後のコレクションを発表する。アントワープでその準備を進める彼に話を聞いた。

「緊張はこれまで通り、いやそれ以上にかもしれない。もちろんプレッシャーがあるからね。皆の期待値は高いだろう」。そう語るドリスは今、激しい感情の浮き沈みを感じている。そして、インタビュー前日にコレクションの最終チェックを終えた彼は「全ての服がそこに吊り下げられているけれど、ある意味、難しくもあった。いつもなら、色彩の進化や6つのラックに吊るされた見せたいもの全てと向き合う瞬間を楽しんでいる。けれど、これが最後だと気付くと、その瞬間、『あまりいい決断ではなかったかもしれない』と思った」と明かす。

今年3月、38年間ブランドを手掛け続けてきたドリスが退任するという発表は、多くの業界人やファンに衝撃と動揺をもたらした。現在66歳のデザイナー自身も、ショー後に自分がどんな気持ちになるか分からないと認め、「『あぁ、これが私にできる最高の決断だった』と思う日もあれば、『何て決断をしてしまったのだろう』と感じる日もある」 と話す。「もちろん、たくさんのことを恋しく思うことになるだろう。ただ一方で、私は『ドリス ヴァン ノッテン』とつながり続けていく。完全にブランドから離れてしまうわけではなく、アドバイザーのような役割を担うことになる。メイクアップとビューティで忙しくなりそうだし、店舗デザインにもまだ関わるつもりだ……けれど、コレクションは、もう私の仕事ではなくなる」。

最後のコレクションについて聞かれたドリスは多くを語らなかったが、懐古的なものにはならないとし、次のように答えた。「考えたのは、振り返らないということだった。もちろん、私のことを知っている人なら、再び登場する特定のテーマや小さなディテール、要素に気づくだろう。でも、このコレクションは数歩前に進んだものだ。ノスタルジックにはなりたくなかったので、未来を見据えて、素材の実験的な試みなどを多く取り入れている」。そんなコレクションを披露する今季最注目のショーには、多くの同業デザイナーも駆けつけると見られる。

ドリスが大切にしてきたファッションショー

ドリスは、イメージを作り上げ、ストーリーを表現する場として、ファッションショーをとても大切にしているデザイナーだ。広告を打たない姿勢を貫いてきた(実は80年代に一度雑誌に広告を出したことがあり後悔している)彼は、新型コロナウイルスのパンデミックで断念せざるを得なかった2年間を除き、メンズは1992年春夏から、ウィメンズは94年春夏からずっとショーを続けてきた。

そして、彼は「周年」よりもショーを継続してきた「通算回数」を重視している。50回目となった05年春夏は、シャンデリアが吊るされた空間で140メートルの長い食卓をランウエイに見立てた印象的なショーを開催。100回目となった17-18年秋冬は、過去に同ブランドのショーを歩いたモデルと現役モデルをミックスし、過去のコレクションで用いたお気に入りのパターンの上にグラフィカルなプリントを重ねたコレクションを見せた。また05年には全50回のショーを、17年には全100回のショーをまとめた本も出版している。

今回、ショー数日前に届いたインビテーションは、メタリックシルバーの背景に白字で「LOVE」と書かれたものだった。服をこよなく愛し、多くの人々に愛されてきたドリスは、最後にどんなショーを見せてくれるのか。期待が高まる。

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朝倉未来が手掛ける「マタン アヴニール」の新クリエイティブ・ディテクターに岩谷俊和が就任

プロ総合格闘家でYouTubeでも活躍する朝倉未来が⼿掛けるファッションブランド「マタン アヴニール(MATIN AVENIR)」のクリエイティブ・ディレクターにファッションデザイナーの岩⾕俊和が就任した。6月21日から、岩⾕俊和監修によるティザームービーとキーヴィジュアルの公開と共に、公式オンラインショップでカプセルコレクションの販売を開始。さらに、10⽉発売のメインコレクションでは様々なブランドとのコラボレーションも予定している。

今回、YouTubeの特別企画として村上要「WWDJAPAN」編集長が岩谷デザイナーと朝倉選手にインタビューを実施。朝倉選手が“動けるおしゃれ”をブランドコンセプトに掲げた原点や、岩谷デザイナーが就任した経緯、今後のブランドの展開などを聞いた。

岩⾕デザイナーは、2003年春夏東京コレクションで「ドレスキャンプ(DRESSCAMP)」でデビュー以来、パリコレクション、アメリカ、中国、香港、ベトナムなどの国でコレクションを発表。そのほか、ウォッチ&ジュエリーメゾン「ピアジェ(PIAGET)」やコスメブランド「M・A・C」のクリエイションに携わるなど、ファッションにとどまらず幅広く活躍している。

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ユナイテッドアローズ、辺見えみりとブランド始動 “新大人マーケット”開拓目指す

ユナイテッドアローズ(以下、UA)はこのほど、女優の辺見えみりをディレクターに迎えた新ウィメンズブランド「コンテ(CONTE)」を関係者向けに披露した。豊洲の海沿いに設えたコテージのような空間にファーストコレクションの全70型を並べ、肩の力が抜けたモードな世界観を表現した。商品は8月からECサイトで先行受注会を受け付け、9月に一般販売を開始する。

ユナイテッドアローズは、中長期経営計画に「UAマルチ戦略」を掲げ、2033年までにアパレル領域の新規事業で売上高400億円を目標値に事業ポートフォリオの拡充に注力している。その一端を担う「コンテ」は、トラッドをベースにモード感を加え「UA社ではまだ取りきれていない40代を中心とした“新大人マーケット”を狙う」(神永和洋ブランドビジネス本部SBU部コンテ課課長)。価格帯は基幹事業の「ユナイテッドアローズ」と、ハイエンド業態の「ドゥロワー」の中間に位置し、コート7万~15万円、ジャケット4万5000~6万円、パンツ2万~5万円、スカート2万~5万円、ワンピース3万~6万円、ニット2万~4万円、シャツ・ブラウス2万~4万円、Tシャツ・スウェット1万~3万円。神永課長は、「『UA』ほどトラッドすぎず、『ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ(BEAUTY&YOUTH UNITED ARROWS以下、BY)』ほどカジュアルすぎない間のテイストが狙いだ。テイスト軸でもターゲット軸でもまさに辺見さんが適任だと考えた」と経緯を話す。辺見は過去にベイクルーズの「プラージュ(PLAGE)」のコンセプターや自身のアパレルブランド運営の経験もある。

自然体でいられる優しさとモード感を大事に

辺見は「自然体でいられるような優しさがありながら、どこかにピリッとするようなもモード感を大事にした」という。生地やディテールでメンズライクな要素を取り入れつつも、柔らかな色味やシルエットが強み。オリジナル商品を中心に、「ジルサンダー(JIL SANDER)」のバッグやシューズ、ジュエリーブランド「ヨン(YON)」の別注アクセサリーなど辺見がセレクトした仕入れブランドも一部取り扱う。

辺見は現在47歳。「年齢を重ねる中で、自分が本当に欲しいと思える服が少なくなってきた」ことが原動力になった。コンセプトは“ヌーベルベージュ(新しいベージュ)”。「元々ベージュがすごく好きだったが、年齢を重ねるごとに肌の色が変わり映える色味が変わってきた。女性の美しさや艶っぽさを引き出してくれる新しいベージュを提案したいという思いをこめた」という。そんな辺見が理想とするベージュを表現したのが、カットジャカードのベスト(3万5200円)とパンツ(3万9600円)のセットアップだ。華やかさがありながらも、優しい色味のバランス。生地は辺見自身が桐生の工場に訪れ、いちから企画した。

「コンテ」のテイストを方向付けてくれたというコート(7万9200円)は、梳毛を平織りしたメンズライクな生地を用い、緩やかにカーブを描くシルエットが女性らしさを醸し出す。「トレンチコートはもう持っているし、ちょっと飽きてきている感覚もある」と振り返り、取りはずし可能な太めのベルトでデザイン性を加えた。ダブルフェースで仕上げることで実現した軽さも魅力だ。コートをはじめファーストコレクションで使用した生地は9割が国内産。「品質はもちろん、経年劣化も愛せるような基準で生地を選んだ。そうして世代を超えて長く着てもらうことが、私の提案したいサステナブルだ」と話す。

「いちタレントブランドでは終わらせたくない」

スカートは「大人になるとフェミニンすぎると恥ずかしい」と話し、上記のコートと共地で企画し、上品なフレアが広がるAラインに仕上げている。シルエットやディテールも、辺見の実体験に基づき40代以上の女性が抵抗なく着られる肌の露出を追求した点もポイント。例えばベストでは、「どうしても厚みが出てくる」という肩は生地にハリを持たせてゆるやかな逆三角形を描くことですっきりとしたシルエットに。素肌に重ねたアクセサリーが映える襟元もこだわりだ。「首回りは特に難しい部分。アイテム1点1点ベストなバランス感を追求した」という。トレンドのシアー素材を用いたシャツは、キャミソールとセットアップで提案する。

構想期間は約2年。辺見は週に2〜3日程、終日UAオフィスに出社し企画チームと一緒になって「コンテ」を作り上げた。「いちタレントブランドでは終わらせたくない。ブランドを成長させるためには、愛情が不可欠で『コンテ』のチームは同世代のメンバーで、みんなが愛を持って関わってくれている。それを強みに長期的な視点で育てていきたい」と話す。神永課長は「UAとしてもある程度の規模感を持って育てていく方針だ」と加えた。8月2日からはユナイテッドアローズ麻布台ヒルズ店、六本木店、ルミネ横浜店でポップアップイベントを実施する。年内には、都内に2店舗出店を目指す。

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スニーカーブランド「ヴェジャ」が広告費をかけずに成長を続ける理由 

PROFILE: フランソワ・ギラン・モリィヨン/「ヴェジャ」共同創業者 フランス生まれ。1998~2002年、ビジネススクールの名門校HECで経営学を学ぶ。04年「ヴェジャ」を設立 PHOTO : SHUHEI SHINE
サステナビリティとデザイン性、ビジネス成長を両立してみせるのがフランス発のスニーカーブランド「ヴェジャ(VEJA)」だ。人気モデルの“V-10”はアッパーにVの字をあしらった一見シンプルなスニーカーだが、その一足には消費をポジティブな力に変えるためのさまざまな工夫が凝らされている。

創業者のフランソワ・ギラン・モリィヨン(Francois Ghislain Morillion)とセバスチャン・コップ(Sebastien Kopp)は、「自分たちの世代を象徴するアイテムであるスニーカーでオルタナティブなモノづくりを実践したい」と2004年に同ブランドを立ち上げた。ブランド名はポルトガル語で“見る”を意味する。欧米を中心にビジネスを広げ、累計の製品販売数は1400万足にのぼる。このほど来日したモリィヨン共同創業者は、今後日本での存在感をより高めていきたいと意気込む。モリィヨンに「ヴェジャ」の独自性を聞いた。

WWD:「ヴェジャ」は創業当初から広告費用をかけず、生産者の賃金と生産工程の改革に多くを投資する方法を貫いてきた。オーガニックで成長できた強みをどう分析する?

フランソワ・ギラン・モリィヨン(以下、モリィヨン):第一にスタイルだ。一般的にサステナブルだからという理由で商品を購入する人はほとんどいない。お客さんとの最初の接点はあくまでビジュアルだと強く意識している。自分たちは広告を通して消費欲求を喚起しない分、よりシビアに人々が直感的に欲しくなるデザインを追求している。もちろん、初めからそれができたわけではなく、周りのフィードバッグも得ながら何度も修正を重ねてきた。

WWD:「ヴェジャ」のスタイルはファッション業界内でもファンが多く、さまざまな有名ブランドとのコラボレーションも実現している。

モリィヨン:私たちが尊敬するアニエス・ベーが最初のコラボ先だった。今ではコラボ事例は100以上ある。以前「ヴェジャ」のECサイトで何足も商品を購入してくれる人がいて、チーム内で「毎回熱心に買ってくれるこの人は誰だろう」と話していた。そうしたらその人物がリック・オウエンスだと分かった時には驚いた。その後、彼のチームから正式なオファーをもらってコラボが実現した。

WWD:あなたは主に生産面を担っているが、「ヴェジャ」の理想のサプライチェーンとは?

モリィヨン:理想は100%オーガニック素材で製造することだ。工業型の農地ではなく、小規模なオーガニック農地から素材を調達したい。現在コットンは、ブラジルとペルーで生産されたオーガニックコットンを直接仕入れている。ラバーはアマゾンの天然ゴムで、こちらも生産者から直接仕入れるサプライチェーンができている。次の課題は、サトウキビ由来のEVAだ。ブラジルではサトウキビが育たないためまだ直接のルートができていない。まだまだやるべきことはたくさんある。

「サステナビリティとコストはトレードオフの関係にはない」

WWD:他社からは物価高や生産コストが上昇し、サステナビリティに投資できないという話も聞く。

モリィヨン:一時期は商品の値上げをせざるを得なかったのは私たちも同じだ。ただ「ヴェジャ」にとって、サステナビリティはトレードオフの関係にない。サステナブルな解を探す作業は、私たちには純粋な楽しみなんだ。サステナビリティをコンプライアンスに準ずるための制約と捉えている他社と大きく違う部分だと思う。解を見つけるためには生産者との距離感はすごく大事で、10年ほど前には私はパリからブラジルに引っ越した。現地で素敵な工房と出会って、この人たちとどうやったら一緒に仕事ができるだろうかと試行錯誤していた延長で今のチームが出来上がった。

WWD:現在70カ国以上でビジネスを展開している。ビジネス規模を拡大しながらも透明性を担保し続けられる秘訣は?

モリィヨン:確かに最初は会社の規模が大きくなるにつれ、自分たちが貫いてきた倫理とのバランスが取れなくなるのではないかと心配だった。でも実際はその逆で規模が大きくなればなるほど、理想に近づくことができる。生産者に払う賃金も増やすことができるし、革新的な素材の開発のためにプロフェッショナルな人材をチームに迎えられているのもビジネスの成長があってこそ。それから、革新的な素材を使うためにはある程度の量を扱う必要がある。「ヴェジャ」が採用しているリサイクルポリエステル糸は、生産拠点のブラジルで地元の廃棄ボトルを回収し、そこから自社工場で100%廃棄ボトル由来の糸を製造している。一般的なリサイクルペットボトル由来のポリエステル糸では、そのペットボトルがどこから来たのかわからない場合が多いし、リサイクル糸を作るためにペットボトルを生産しているという本末転倒な話も耳にした。そこでブラジルの人々と連携し2年ほどかけて今の形を実現できた。ビジネス成長と比例して、より洗練されたサプライチェーンが構築できる。

WWD:来年は創業20周年を迎える。これまでターニングポイントとなるような出来事はあった?

モリィヨン:特に大きな転換点なかったように思う。むしろ1本の木が自由に枝を広げながら成長するように、どの地域もそれぞれのペースで自然に着実と成長してきた。最初はヨーロッパが中心で、最近ではアメリカと南アメリカが特に伸びている。振り返ればもちろん、失敗もたくさんあったし一方で予想外の成功もあった。たとえば、パリに12年前にオープンしたセレクトショップ業態「センターコマーシャル」は、最初は周りから「絶対うまく行かない」と心配されたが、今もとても好調だ。「センターコマーシャル」では「パタゴニア」を筆頭に、共感するブランドを並べている。「ポーター(PORTER)」「ナナミカ(NANAMICA)」「スティル バイ ハンド(STILL BY HAND」)」など、日本のブランドもたくさんある。来年以降は韓国に支社を立ち上げる予定で、アジア市場に力を入れる。特に日本はブランドとしての存在感はまだまだ出せていない。ポップアップやローカルモデルの企画など、しっかりコミュニケーションしていきたい。

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スニーカーブランド「ヴェジャ」が広告費をかけずに成長を続ける理由 

PROFILE: フランソワ・ギラン・モリィヨン/「ヴェジャ」共同創業者 フランス生まれ。1998~2002年、ビジネススクールの名門校HECで経営学を学ぶ。04年「ヴェジャ」を設立 PHOTO : SHUHEI SHINE
サステナビリティとデザイン性、ビジネス成長を両立してみせるのがフランス発のスニーカーブランド「ヴェジャ(VEJA)」だ。人気モデルの“V-10”はアッパーにVの字をあしらった一見シンプルなスニーカーだが、その一足には消費をポジティブな力に変えるためのさまざまな工夫が凝らされている。

創業者のフランソワ・ギラン・モリィヨン(Francois Ghislain Morillion)とセバスチャン・コップ(Sebastien Kopp)は、「自分たちの世代を象徴するアイテムであるスニーカーでオルタナティブなモノづくりを実践したい」と2004年に同ブランドを立ち上げた。ブランド名はポルトガル語で“見る”を意味する。欧米を中心にビジネスを広げ、累計の製品販売数は1400万足にのぼる。このほど来日したモリィヨン共同創業者は、今後日本での存在感をより高めていきたいと意気込む。モリィヨンに「ヴェジャ」の独自性を聞いた。

WWD:「ヴェジャ」は創業当初から広告費用をかけず、生産者の賃金と生産工程の改革に多くを投資する方法を貫いてきた。オーガニックで成長できた強みをどう分析する?

フランソワ・ギラン・モリィヨン(以下、モリィヨン):第一にスタイルだ。一般的にサステナブルだからという理由で商品を購入する人はほとんどいない。お客さんとの最初の接点はあくまでビジュアルだと強く意識している。自分たちは広告を通して消費欲求を喚起しない分、よりシビアに人々が直感的に欲しくなるデザインを追求している。もちろん、初めからそれができたわけではなく、周りのフィードバッグも得ながら何度も修正を重ねてきた。

WWD:「ヴェジャ」のスタイルはファッション業界内でもファンが多く、さまざまな有名ブランドとのコラボレーションも実現している。

モリィヨン:私たちが尊敬するアニエス・ベーが最初のコラボ先だった。今ではコラボ事例は100以上ある。以前「ヴェジャ」のECサイトで何足も商品を購入してくれる人がいて、チーム内で「毎回熱心に買ってくれるこの人は誰だろう」と話していた。そうしたらその人物がリック・オウエンスだと分かった時には驚いた。その後、彼のチームから正式なオファーをもらってコラボが実現した。

WWD:あなたは主に生産面を担っているが、「ヴェジャ」の理想のサプライチェーンとは?

モリィヨン:理想は100%オーガニック素材で製造することだ。工業型の農地ではなく、小規模なオーガニック農地から素材を調達したい。現在コットンは、ブラジルとペルーで生産されたオーガニックコットンを直接仕入れている。ラバーはアマゾンの天然ゴムで、こちらも生産者から直接仕入れるサプライチェーンができている。次の課題は、サトウキビ由来のEVAだ。ブラジルではサトウキビが育たないためまだ直接のルートができていない。まだまだやるべきことはたくさんある。

「サステナビリティとコストはトレードオフの関係にはない」

WWD:他社からは物価高や生産コストが上昇し、サステナビリティに投資できないという話も聞く。

モリィヨン:一時期は商品の値上げをせざるを得なかったのは私たちも同じだ。ただ「ヴェジャ」にとって、サステナビリティはトレードオフの関係にない。サステナブルな解を探す作業は、私たちには純粋な楽しみなんだ。サステナビリティをコンプライアンスに準ずるための制約と捉えている他社と大きく違う部分だと思う。解を見つけるためには生産者との距離感はすごく大事で、10年ほど前には私はパリからブラジルに引っ越した。現地で素敵な工房と出会って、この人たちとどうやったら一緒に仕事ができるだろうかと試行錯誤していた延長で今のチームが出来上がった。

WWD:現在70カ国以上でビジネスを展開している。ビジネス規模を拡大しながらも透明性を担保し続けられる秘訣は?

モリィヨン:確かに最初は会社の規模が大きくなるにつれ、自分たちが貫いてきた倫理とのバランスが取れなくなるのではないかと心配だった。でも実際はその逆で規模が大きくなればなるほど、理想に近づくことができる。生産者に払う賃金も増やすことができるし、革新的な素材の開発のためにプロフェッショナルな人材をチームに迎えられているのもビジネスの成長があってこそ。それから、革新的な素材を使うためにはある程度の量を扱う必要がある。「ヴェジャ」が採用しているリサイクルポリエステル糸は、生産拠点のブラジルで地元の廃棄ボトルを回収し、そこから自社工場で100%廃棄ボトル由来の糸を製造している。一般的なリサイクルペットボトル由来のポリエステル糸では、そのペットボトルがどこから来たのかわからない場合が多いし、リサイクル糸を作るためにペットボトルを生産しているという本末転倒な話も耳にした。そこでブラジルの人々と連携し2年ほどかけて今の形を実現できた。ビジネス成長と比例して、より洗練されたサプライチェーンが構築できる。

WWD:来年は創業20周年を迎える。これまでターニングポイントとなるような出来事はあった?

モリィヨン:特に大きな転換点なかったように思う。むしろ1本の木が自由に枝を広げながら成長するように、どの地域もそれぞれのペースで自然に着実と成長してきた。最初はヨーロッパが中心で、最近ではアメリカと南アメリカが特に伸びている。振り返ればもちろん、失敗もたくさんあったし一方で予想外の成功もあった。たとえば、パリに12年前にオープンしたセレクトショップ業態「センターコマーシャル」は、最初は周りから「絶対うまく行かない」と心配されたが、今もとても好調だ。「センターコマーシャル」では「パタゴニア」を筆頭に、共感するブランドを並べている。「ポーター(PORTER)」「ナナミカ(NANAMICA)」「スティル バイ ハンド(STILL BY HAND」)」など、日本のブランドもたくさんある。来年以降は韓国に支社を立ち上げる予定で、アジア市場に力を入れる。特に日本はブランドとしての存在感はまだまだ出せていない。ポップアップやローカルモデルの企画など、しっかりコミュニケーションしていきたい。

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香水の老香水の老舗メーカー3代目による「ラブソルー」 部屋ごとに香りが異なるパルファムホテルも運営

フレグランス「ラブソルー(LABSOLUE)」は、イタリアの老舗化粧品ブランド「マーヴィン(MARVIN)」を築いたマートン一族によるブランドだ。1940年に医薬品メーカーとして設立されたマーヴィンは60年代に化粧品やフレグランスの製造をスタート。イタリアの国民的な化粧品ブランドとして愛されている。「ラブソルー」は、3代目であるジョルジアとアンブラ・マートン姉妹が設立し、ラボラトリーを併設した世界初のパルファムホテル「マグナ パルス」を開業。68室の部屋ごとに異なる「ラブソルー」の香りが割り当てられている。日本では、歯磨き粉ブランド「マーヴィス(MARVIS)」などを取り扱うアッパーハウスが販売。5月に来日したアンブラ・マートン=ラブソルー共同設立者に話を聞いた。

フランス製中心の香水市場にメード・イン・イタリーを

WWD:フレグランスブランドを立ち上げた経緯は?

アンブラ・マートン=ラブソルー共同設立者(以下、マートン):曽祖父が営んでいたのは抗生物質や目薬などの医薬品を製造するメーカーだったが、そのノウハウ活かして医薬品の安全性を反映した化粧品や香水を生産するようになった。70年代後半にはイタリアがファッションの中心地になった。デザイナーたちは香水を作りたがったが、当時、イタリア製のフレグランスは品質が低いと考えられていたので、皆フランスで製造していた。そこで、父親は、医薬品のように高品質の香水をイタリアで製造できるとデザイナーたちを説得した。「ヴェルサーチェ(VERSACE)」や「ロベルト カヴァリ(ROBERTO CAVALLI)」など多くのブランドの香水を手掛けるようになりビジネスが拡大した。そして、私たちでオリジナルの香水をつくりたいと考えた。

WWD:「ラブソルー」のブランドコンセプトは?

マートン:ブランド名は、ラボラトリーからの“ラブ”とアブソルート(完全)からの“ソルー”を組み合わせたもの。3代にわたって引き継がれた伝統と歴史に培われた香水製造の基礎を反映している。自然からの抽出物をできるだけ自然のまま贅沢に配合した香りで、フルーツ、フラワー、ウッドという3つのカテゴリーから構成される嗅覚のライブラリー。

WWD:他のフレグランスブランドと大きく違う点は?

マートン:既にブランドはたくさんあるので、同じようなブランドは必要ないと思った。「ラブソルー」はライフスタイルを軸にしたブランドとして、香水やホームフレグランスを提供している。また、3代に渡り、イタリア国内の自社工場で香水を製造してきた。だから、最高の調香師たちとはビジネスだけでなく、家族的な付き合いがあり、深いつながりがある。だから、彼らと一緒に作る香水は、われわれ家族のストーリーの一部であり、通常のブランドのものとは異なる職人的なパーソナルタッチがある。

家族の歴史が刻まれた工場をホテルとラボに

WWD:ラボラトリー併設のホテルをスタートした経緯は?

マートン:香水ビジネスの拡大に伴いミラノ市内にあった香水工場を郊外へ移設した。香水工場はわれわれ一族の伝統が反映された大切な場所。ナビリオ運河近くで、昔は工業地区だったが今はデザイン地区として賑わっている。家族で話し合って工場をラボラトリーとして残そうということになった。そこで、香水とホスピタリティーをコンセプトに、世界で初めて、そして唯一のパルファム・ホテルにした。

WWD:ホテルの部屋ごとに異なる香りをプロデュースしたようだが?

マートン:最初は29部屋だったので、29種類の香水を作った。香水の名前は、シンプルにルームナンバーにした。今では、68部屋になり、その分香りの種類も増えた。好きな香りを選んで部屋に空きがあれば、チェックインできるようにしている。また、ホテルでは、嗅覚に関する体験を提供している。香水から着想を得たアペリティフや料理を提供している。例えば、ローズマリーやベルガモットといった原料から、燻した香りなど、香水作りにまつわるさまざまな要素をシェフやミクソロジストのアイデアでメニューにしている。また、スパでは、アロマテラピーのサービスもある。また、ラボラトリーでは、香りの文化に関するワークショップを行なっている。調香師やリサーチャーによるレクチャーや、日本の香道のセレモニーなど、嗅覚に関する異なるトピックスを選んで無料で開催している。

WWD:どのように、各部屋の香りをデザインしたか?香リには、個人の好き嫌いがあると思うが?

マートン:「ラブソルー」が大切にしている哲学は、“エレガンス”。香水が、着ける人以上に存在感があってはだめ。着ける人と共に息をするような存在であるべき。どの香りも、これは、バニラ、ローズとすぐわかるような圧倒されるような強さがなく、ごく自然でさりげない。だから、あらゆる人に受け入れられる。部屋に入って、気持ちよく特別に感じる香りばかりだ。香水嫌いの某著名フォトグラファーが宿泊した際も、問題なかったし香り付きのアメニティーも使用してくれた。

調香師と共に引き出す香りの“感情”や“質感”

WWD:調香師はどのように選ぶか?

マートン:調香師はアーティストと同じ。絵画に例えると、フィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)やパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)、アンリ・マティス(Henri Matisse)らの絵画はスタイルは違えども、それぞれに巨匠と呼ばれる特徴がある。調香師も同じで、この香りであれば、この調香師に頼むべきと直感的に分かる。調香師と働く時に一番大切なのは、彼らをインスパイアすること。香水作りには、技術的な情報やマーケティングを必要とする一方で、感情や質感といったものを感じ取ってもらうよう誘う必要がある。ランチを一緒にしたり、語り合ったり、とてもシンプルなこと。だが、一つの香りの調香に、何カ月も何年もかかることもある。

WWD:ベストセラーとその理由は?

マートン:”19 レーニョ・ディ・グアイアコ”。ガイアックウッドとても洗練されているけどシンプルな香り。ジャック・キャヴァリエ(Jacques Cavallier)が聴講した“24 ザガラ”はシチリア特有のレモンの花の香りで、さんさんと降り注ぐ太陽をボトルに閉じ込めたようなフレグランス。カラブリアの海岸に育つベルガモットを使用した“101ベルガモット”やビターオレンジの木や花など異なるパーツから抽出した“23 ネロリ”、地中海には欠かせない植物である“202 フィグ”など定番的な香りも人気だ。

WWD:現在どこで販売しているか?

マートン:ミラノとローマには直営店があり、イタリア国内のニッチフレグランス専門店で販売している。他、台湾と日本でも販売中で、これからヨーロッパへ進出する。

WWD:今後、どのようにブランドを成長させたいか?

マートン:われわれ一族の伝統やノウハウを伝えながら、ライフスタイルブランドとして成長させたい。ブランド哲学を理解し、イタリアのラボのような体験ができる店舗コンセプトの展開をしてくれるパートナーと共に大切に育てていきたい。

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韓国で話題の「ヒノック」日本上陸 「3年探し続けた」ヒノキへのこだわり

消臭スプレーなどを扱う韓国発のライフエチケットブランド「ヒノック(HINOK)」が6月20日に日本初上陸する。同ブランドは、韓国・チェジュ島に育つヒノキから抽出したヒノキエキスとヒノキオイルを中心に開発し、厳格なフランスのイブビーガン(EVE VEGAN)認証や、韓国初のプラスチックニュートラル認証を取得している。本国では20〜30代の男女の支持が厚く、売れ筋の消臭スプレーはリピート率も高い。初の海外展開への思いやブランド誕生の経緯、開発のこだわりについて、パク・ソヒ(Park Sohee)ヒノック ライフ(hinok life Inc.)最高経営責任者に話を聞いた。

3年探して見つけた原料
チェジュ島のヒノキ

PROFILE: パク・ソヒ/ヒノック ライフ最高経営責任者

パク・ソヒ/ヒノック ライフ最高経営責任者
PROFILE: 韓国の「キールズ」でマーケティングディレクター、「イニスフリー」商品開発チームのリーダーを務めるなど、約20年にわたり化粧品業界に携わる。妊娠をきっかけに、地球と人が共生できる社会を目指すライフエチケットブランド「ヒノック」を2021年4月にローンチし、現職 PHOTO : YUTA KATO

WWD:「ヒノック」を立ち上げた経緯について教えてほしい。

パク・ソヒ=ヒノック ライフ最高経営責任者(以下、パク):ロレアル(L’OREAL)の「キールズ(KIEHL'S SINCE 1851)」やアモーレパシフィック(AMOREPACIFIC)の「イニスフリー(INNISFREE)」など、化粧品業界でマーケティングや商品開発を約20年間担当していた。そこでいびつな形のニンジンやコーヒーかすなど廃棄物を再利用する取り組みに従事する中で、「持続可能な製品を作りたい」という思いが高まった。さらに、2017年の妊娠をきっかけに「未来を生きる子どもたちのために美しい環境を残すことが大人たちの責任である」と強く感じるようになった。そして21年4月、子どもに無害で信頼できるライフエチケットブランド「ヒノック」を立ち上げた。

WWD:“いつも緑と共に”という意味が込められた「ヒノック」は、韓国で初めて世界自然遺産に登録されたチェジュ島のヒノキにこだわり開発している。

パク:ブランドが誕生するまで、原料探しに3年、開発に1年と計4年の準備が必要だった。原料を探す中でヒノキを使った家具職人と出会い、ヒノキに含まれている揮発性物質のフィトンチッドには、アロマ効果や抗菌効果があると分かった。「ヒノック」は、3つの原則に従ってモノ作りを行っている。1つ目は透明性のある製造方法「クリーンメイド」、2つ目は証明された効果を届ける「ファクト&エフェクト」、そして3つ目は環境と共に生きる持続可能な「サステナビリティ」だ。

WWD:具体的には?

パク:自然を傷つけない方法として、済州(チェジュ)資源植物研究所と共に行う枝打ち(健康な木材育成のため余分な枝を切り落とすこと)作業の後に残ったヒノキのみを使用し、エキス抽出後に残った葉と茎は発酵した後、森の堆肥として活用している。また、チェジュ島は火山活動によってできた島のため、土壌は透水性と保水性に優れている。そこで育ったヒノキは香りが素晴らしく、夏に枝打ちしたヒノキはよりウッディーな香り、冬に枝打ちしたヒノキはシトラスの爽やかな香りなど、季節によって良さがある。

サステナビリティには
意図と美しさのバランスが大事

WWD:商品ラインアップは?

パク:衣類や寝具類、ベビー用品、ペット用品、車内などに使える消臭スプレーや、ハンドウォッシュ、ハンドバーム、1000時間熟成乾燥させて作った固形せっけんだ。韓国ではほかにも、スキンケア成分100%の低刺激弱酸性·中性洗濯洗剤やルームスプレーも販売している。

WWD:「ヒノック」はイブビーガン認証やプラスチックニュートラル認証を取得している。認証の重要性をどのように考えている?

パク:サステナビリティは、どのブランドも取り組むべき課題だ。プラスチックニュートラル認証はアメリカの認証で、韓国のブランドとして初めて取得した。脱プラスチックは重要だが、プラスチックを商品に一切使用しないのは難しく、現実的ではない。「ヒノック」では、スプレーボトルのトリガーにだけプラスチックを使用している。それ以外は再生樹脂(PCR)を使用しているほか、リフィルを用意して“詰め替えライフ”を提案するなど、過度なパッケージングの削減やプラスチックの責任ある使用に取り組んでいる。また、プラスチックを再生するための人件費はとても安く、それがリサイクルが進まない要因の1つでもある。私たちは、その課題についても向き合っているところだ。

WWD:開発でこだわった点は?

パク:最も重視しているのは、生産地であるチェジュ島の人とのコミュニケーションだ。例えば、ヒノキの枝打ちを機械で賄えば、たくさんの原料を早く得ることができる。しかし、それでは木が傷ついてしまう原因にもなる。「ヒノック」では地元住民と共に手作業で枝打ちを行うことで、新たな雇用を生み出すことにも貢献している。そして、サステナビリティを浸透させるには、製品内容と同じくらいデザインも重要だと考えており、開発では特にデザイン面にこだわった。

WWD:サステナビリティにつながるデザインとは?

パク:ブランドがどんなに素晴らしい環境への意志を持っていても、見た目が美しくないと持続できないと感じている。ブランドの意図と美しさのバランスが大事であり、「ヒノック」はどこに置いてもその空間になじみ、時間がたっても美しさが色あせない、長く愛されるビンテージ家具をイメージしてデザインした。家庭にある消臭剤は、棚の中など目立たない場所に片付けられることが多い。それだといずれ使わなくなってしまう。デザインの力を借りて、日常を清潔で衛生的なものにする商品を開発した。パッケージには、ブランドのシグニチャーとして緩やかな曲線を描いている。これは商品を使った瞬間、ヒノキの香りと共に“自然に入るドア”をイメージした。

WWD:今後の展望は?

パク:初の海外進出として日本に上陸し、ザ・コンランショップ(THE CONRAN SHOP)の各店舗で6月20日から先行販売する。また、ザ・コンランショップ東京店では7月15日までポップアップストアをオープンする。そして7月には、ソウル・北村韓屋村(プッチョンハノクマウル)エリアに初の旗艦店もオープン予定だ。開業に合わせて、鎮静効果のあるヒノキのポプリの新商品も発売する。今後ブランドがさらに成長すれば、店舗でのリフィルステーション(量り売り)も行いたい。日本は、おもてなしの精神や好きなモノ・コトに時間をかけて投資をする文化があり、トレンドに左右されない固有の色を持っている。そんな日本に「ヒノック」を紹介できてとてもうれしい。“幸せ”とは、規模に関係なく好きなことを継続すること。朝起きて「ヒノック」のアイテムを使えば、心を整えることができる。日常での小さな“幸せ”を感じてほしい。

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ZOZO×GAUSSY、2人のキーパーソンが語る「ロボット×アパレル物流」

ネット通販の拡大やフリマアプリの普及に伴い、国内の宅配便の数量は増加の一途をたどる一方で、「2024年問題」「人手不足」など課題も増えており、物流改革は待ったなしだ。解決のカギとされているのが最先端ロボットなどを駆使した自動化だ。今後も伸びが期待されるファッションとビューティ分野で、物流はどうあるべきか。年間の商品取扱高は5369億円(2024年3月期、その他商品取扱高を除く)、物流拠点の総面積は約55万㎡を擁し、ファッションECでは圧倒的なパワーを持つZOZOで、物流部門のキーパーソンの一人であるフルフィルメント本部オペレーションデザイン部の桐山慎一郎ディレクターと、物流スタートアップのガウシー(GAUSSY)の櫻井進悟社長/CEOに聞いた。

アパレル物流が抱える課題とは?

WWD:2024年問題や人手不足など物流を取り巻く環境は?

櫻井進悟ガウシー社長/CEO(以下、櫻井):マクロ的な話から始めると、日本の労働人口はどんどん減っており、配送業者の労働時間規制に伴う「2024年問題」のようにキャパシティーも減っていく流れにある。一方でECやフリマアプリの普及などで宅配荷物は増えている。需要は伸び続ける一方で、キャパは減少しており、さらにそのギャップは大きくなっていく。これが現状だ。その解決策として、鍵になるのが物流ロボットを絡めた効率化や自動化だ。

WWD:ファッションやビューティ分野ならではの課題は?

桐山慎一郎ZOZOフルフィルメント本部オペレーションデザイン部ディレクター(以下、桐山):当社は習志野に2つ、つくばに3つ、合計で5つの物流拠点を持ち、拠点の総面積は約55万㎡。年間の出荷件数は約5500万件で、商品取扱高は5369億円になる。櫻井さんがおっしゃっていた課題は、われわれも感じている。人手が足りないということはないが、以前よりも人が集まりにくくなっている。アパレル物流の他の業種との違いは多品種小ロットであること。季節によって扱うアイテムがガラリと変わり、例えば夏によく動くカットソーと、冬のダウンジャケットは大きさが全然違うので、仮に同じアイテム数でも必要な保管スペースはかなり変わるし、マテハンや仕分けなどの設備もそうした多彩なアイテムに対応する必要がある。これは自動化を考えるときの大きなポイントにもなる。

年間5500万件を出荷する
ZOZOの「凄み」と「強み」

WWD:24年3月期のZOZOの年間出荷数はなんと約5500万件。膨大な数のアイテムを出荷している。櫻井社長から見たZOZOの強みとは?

櫻井:この数年物流分野では、AI(人工知能)を搭載した新しいロボットなど、文字通り日進月歩でテクノロジーが進化しており、とにかく変化が激しい。こうした時代に重要なのは、キャッチアップしつつ、進化し、変化すること。当社はアパレルに限らず、物流のリーディングカンパニーを筆頭に、化粧品系、食品系などさまざまな取引先を持っているが、物流の改革・改善にとても意欲的と感じた。特にPoC(ピーオーシー、概念実証:アイデアや技術が実現可能かを検証すること)を積極的に行っていることに驚いた。

桐山:当社はファッション企業であると同時にテックカンパニーでもある。ECシステムはもちろん、物流拠点で使うWMS(拠点内の管理システム)も自社で設計・開発を行っている。これは当社の強みで、新しいロボットや設備を導入する際に、コスト面でもスピード面でもかなりのメリットがある。櫻井さんのご指摘の通り、新しいツールやロボットが出てくるので、常にリサーチし、かつなるべくスピード感を持って検証もしている。年単位の大きなものから、新しいソリューションやツールを試すような小規模なものまで含めると、5つの物流拠点で常に数十のプロジェクトが動いている。

数字以上の価値!?
「オムニソーター」は何を変える?

櫻井:アパレル物流は入荷から検品、仕分け、保管、撮影があり、注文が入るとピッキング、仕分け、梱包、出荷というのが一つの流れ。物流拠点は膨大な入荷と出荷を同時にこなさねばならない場所であり、もちろんミスも許されない。物流改革の現場では、こうした作業をこなしながら、改善・改革を行わなければならない。そうした中で年間約5500万件を処理しているZOZOが、並行して数十の改善プロジェクトを動かしているのは本当に驚異的なことだ。

WWD:「オムニソーター」の導入の経緯は?

櫻井:まず1台のオムニソーターをPoCとして購入いただいて、数か月間の実証を経て最終的に9台の本格導入に繋げていただいた。「オムニソーター」はいわゆる仕分けロボットで、ZOZOBASE習志野1では梱包前の仕分けに採用された。「オムニソーター」の特徴は約10坪からという省スペースと、1時間最大1200アイテムという処理能力の高さが評価された。

桐山:省人化を促進するにあたり、より効率的な仕分け方法を検討していた。ZOZOBASE習志野1で「オムニソーター」以前に使っていた仕分け機だと、作業者がしゃがんだり、横に動いたりと動作が多い。一つ一つは小さくても作業者は1日に何度も繰り返すわけで、かなり作業負担は大きかった。「オムニソーター」の導入でもちろん作業効率は上がったが、それと同じくらい作業者の負担が減ったことに手応えを感じている。こうしたことはなかなか数字で出すのは難しいが、全体の作業効率の向上にもつながる。あとは細かい部分だと、機械自体の設計の柔軟性。高さを調整したり、建物の構造に合わせて柱を囲うように機械を設置したりと、導入時にはかなり細かく仕様を調整してもらえた。当社でも同じZOZOBASEでも場所によってレイアウトはぜんぜん違う。現場からすると、こうした柔軟性はかなりありがたい。

アパレル物流改革のカギは
「アナログ&最先端テックの
ベストミックス」!?

WWD:物流はこれからどう変わる?

櫻井:物流にもトレンドのようなものがあって、今はやはり最先端のロボットを導入した「自動化」の流れが強い。実際、環境的にも宅配便は増え続ける一方で、物流現場の人手不足はますます進む。ただ、自動化はいいことばかりではなく、設備のキャパシティーを稼働のピークに合わせることになり、アパレルのように時期やシーズンで稼働が上下しやすい業種だと、繁閑差で稼働率がかなり変わってしまい、ROI(投資効率)が下がる。できるだけ省人化を進めながら、それぞれの企業が最適なベストミックスを探すことになる。

桐山:同感です。そもそも「2024年問題」や人手不足、それに伴うコスト増、さらに新しい設備やロボットのROIなど、物流の現場はパラメータ(変数)が多く、課題自体が非常に複雑になり、現場にいると「自動化」が魔法の杖のように全てを解決してくれるなんてことはまずないと日々実感している。当社の場合は一つ一つの課題に向き合いつつ、「ゆっくり配送」のような販売時の工夫など、物流部門だけでなく他部門との連携も増やしている。今後はさらに、ブランドとの連携や協業も増やしていきたい。

PHOTO :YUTA FUCHIKAMI

問い合わせ先
pr_group01@hubs-poke.jp

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ZOZO×GAUSSY、2人のキーパーソンが語る「ロボット×アパレル物流」

ネット通販の拡大やフリマアプリの普及に伴い、国内の宅配便の数量は増加の一途をたどる一方で、「2024年問題」「人手不足」など課題も増えており、物流改革は待ったなしだ。解決のカギとされているのが最先端ロボットなどを駆使した自動化だ。今後も伸びが期待されるファッションとビューティ分野で、物流はどうあるべきか。年間の商品取扱高は5369億円(2024年3月期、その他商品取扱高を除く)、物流拠点の総面積は約55万㎡を擁し、ファッションECでは圧倒的なパワーを持つZOZOで、物流部門のキーパーソンの一人であるフルフィルメント本部オペレーションデザイン部の桐山慎一郎ディレクターと、物流スタートアップのガウシー(GAUSSY)の櫻井進悟社長/CEOに聞いた。

アパレル物流が抱える課題とは?

WWD:2024年問題や人手不足など物流を取り巻く環境は?

櫻井進悟ガウシー社長/CEO(以下、櫻井):マクロ的な話から始めると、日本の労働人口はどんどん減っており、配送業者の労働時間規制に伴う「2024年問題」のようにキャパシティーも減っていく流れにある。一方でECやフリマアプリの普及などで宅配荷物は増えている。需要は伸び続ける一方で、キャパは減少しており、さらにそのギャップは大きくなっていく。これが現状だ。その解決策として、鍵になるのが物流ロボットを絡めた効率化や自動化だ。

WWD:ファッションやビューティ分野ならではの課題は?

桐山慎一郎ZOZOフルフィルメント本部オペレーションデザイン部ディレクター(以下、桐山):当社は習志野に2つ、つくばに3つ、合計で5つの物流拠点を持ち、拠点の総面積は約55万㎡。年間の出荷件数は約5500万件で、商品取扱高は5369億円になる。櫻井さんがおっしゃっていた課題は、われわれも感じている。人手が足りないということはないが、以前よりも人が集まりにくくなっている。アパレル物流の他の業種との違いは多品種小ロットであること。季節によって扱うアイテムがガラリと変わり、例えば夏によく動くカットソーと、冬のダウンジャケットは大きさが全然違うので、仮に同じアイテム数でも必要な保管スペースはかなり変わるし、マテハンや仕分けなどの設備もそうした多彩なアイテムに対応する必要がある。これは自動化を考えるときの大きなポイントにもなる。

年間5500万件を出荷する
ZOZOの「凄み」と「強み」

WWD:24年3月期のZOZOの年間出荷数はなんと約5500万件。膨大な数のアイテムを出荷している。櫻井社長から見たZOZOの強みとは?

櫻井:この数年物流分野では、AI(人工知能)を搭載した新しいロボットなど、文字通り日進月歩でテクノロジーが進化しており、とにかく変化が激しい。こうした時代に重要なのは、キャッチアップしつつ、進化し、変化すること。当社はアパレルに限らず、物流のリーディングカンパニーを筆頭に、化粧品系、食品系などさまざまな取引先を持っているが、物流の改革・改善にとても意欲的と感じた。特にPoC(ピーオーシー、概念実証:アイデアや技術が実現可能かを検証すること)を積極的に行っていることに驚いた。

桐山:当社はファッション企業であると同時にテックカンパニーでもある。ECシステムはもちろん、物流拠点で使うWMS(拠点内の管理システム)も自社で設計・開発を行っている。これは当社の強みで、新しいロボットや設備を導入する際に、コスト面でもスピード面でもかなりのメリットがある。櫻井さんのご指摘の通り、新しいツールやロボットが出てくるので、常にリサーチし、かつなるべくスピード感を持って検証もしている。年単位の大きなものから、新しいソリューションやツールを試すような小規模なものまで含めると、5つの物流拠点で常に数十のプロジェクトが動いている。

数字以上の価値!?
「オムニソーター」は何を変える?

櫻井:アパレル物流は入荷から検品、仕分け、保管、撮影があり、注文が入るとピッキング、仕分け、梱包、出荷というのが一つの流れ。物流拠点は膨大な入荷と出荷を同時にこなさねばならない場所であり、もちろんミスも許されない。物流改革の現場では、こうした作業をこなしながら、改善・改革を行わなければならない。そうした中で年間約5500万件を処理しているZOZOが、並行して数十の改善プロジェクトを動かしているのは本当に驚異的なことだ。

WWD:「オムニソーター」の導入の経緯は?

櫻井:まず1台のオムニソーターをPoCとして購入いただいて、数か月間の実証を経て最終的に9台の本格導入に繋げていただいた。「オムニソーター」はいわゆる仕分けロボットで、ZOZOBASE習志野1では梱包前の仕分けに採用された。「オムニソーター」の特徴は約10坪からという省スペースと、1時間最大1200アイテムという処理能力の高さが評価された。

桐山:省人化を促進するにあたり、より効率的な仕分け方法を検討していた。ZOZOBASE習志野1で「オムニソーター」以前に使っていた仕分け機だと、作業者がしゃがんだり、横に動いたりと動作が多い。一つ一つは小さくても作業者は1日に何度も繰り返すわけで、かなり作業負担は大きかった。「オムニソーター」の導入でもちろん作業効率は上がったが、それと同じくらい作業者の負担が減ったことに手応えを感じている。こうしたことはなかなか数字で出すのは難しいが、全体の作業効率の向上にもつながる。あとは細かい部分だと、機械自体の設計の柔軟性。高さを調整したり、建物の構造に合わせて柱を囲うように機械を設置したりと、導入時にはかなり細かく仕様を調整してもらえた。当社でも同じZOZOBASEでも場所によってレイアウトはぜんぜん違う。現場からすると、こうした柔軟性はかなりありがたい。

アパレル物流改革のカギは
「アナログ&最先端テックの
ベストミックス」!?

WWD:物流はこれからどう変わる?

櫻井:物流にもトレンドのようなものがあって、今はやはり最先端のロボットを導入した「自動化」の流れが強い。実際、環境的にも宅配便は増え続ける一方で、物流現場の人手不足はますます進む。ただ、自動化はいいことばかりではなく、設備のキャパシティーを稼働のピークに合わせることになり、アパレルのように時期やシーズンで稼働が上下しやすい業種だと、繁閑差で稼働率がかなり変わってしまい、ROI(投資効率)が下がる。できるだけ省人化を進めながら、それぞれの企業が最適なベストミックスを探すことになる。

桐山:同感です。そもそも「2024年問題」や人手不足、それに伴うコスト増、さらに新しい設備やロボットのROIなど、物流の現場はパラメータ(変数)が多く、課題自体が非常に複雑になり、現場にいると「自動化」が魔法の杖のように全てを解決してくれるなんてことはまずないと日々実感している。当社の場合は一つ一つの課題に向き合いつつ、「ゆっくり配送」のような販売時の工夫など、物流部門だけでなく他部門との連携も増やしている。今後はさらに、ブランドとの連携や協業も増やしていきたい。

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死に在庫を生き生きとした「ライブ ストック」に スタイリストの挑戦、故郷の長野から全国に

故郷の長野県上田市でセレクトショップの「エディストリアル ストア(EDISTORIAL STORE)」を手掛ける、小沢宏スタイリストの「ライブ ストック」という考え方が広がっている。「エディストリアル ストア」は、アパレル企業が倉庫で寝かしている在庫を、小沢のスタイリストとしての審美眼を生かしてセレクトして販売。雑誌のシューティングページのような世界観の演出やミックスコーディネイトで思いを発信しながら、死に在庫だった「デッド ストック」に命を吹き込み、生き生きとした魅力を放つ「ライブ ストック」として販売する。業界人らしい“洋服愛”とスタイリストとして培った人脈やノウハウに基づく小沢の取り組みは、在庫問題に苦慮するアパレルメーカーやディストリビューター、商業施設などの賛同を得て、拡大中。「ライブ ストック」という考え方を発信する「エディストリアル ストア」のビジネスモデルは、上田市から長野県、そして都内へと広がっている。

オフプライスストアと一線を画す、
「逆張り」と「雑誌の3D化」

>「焦り」を感じていたスタイリスト小沢宏が、地元で審美眼を生かして在庫活用のセレクトショップ

小沢が「エディストリアル ストア」を立ち上げた経緯は、上のリンクの通り。アパレルメーカーなどから「新古品(一度は出荷されたが未使用の商品のこと)」を買い取って販売するビジネスモデルは、一般的には「オフプライス」業態と呼ばれるが、小沢は「(オフプライスとは)異なっている」と話す。

小沢がそう言い切れるのは、スタイリストやフリーの編集者として、長年ファッション誌で活躍してきたキャリアの賜物だろう。まず小沢は、「『エディストリアル ストア』では、時に(当時の)販売価格以上の値段をつけることがある」という。その理由は、「スタイリストならではの『逆張り』」と小沢。「例えばルーズフィット全盛のタイミングで、『いつ、タイトフィットを提案しようか?』と考えて実行するなど、スタイリストは常に時代の先を読んで、『逆張り』している」と続ける。通常のオフプライスストアは、「新古品」を“シーズン落ち”と捉え、価値は下がっているから当時よりも安く販売している。一方の「エディストリアル ストア」は、その「新古品」が再び、もしくは新たに価値を帯び始めるタイミングで販売しようと試みるから、時に価格は当時よりも高くなるというわけだ。

そして小沢は、新たな価値を、さまざまな手法で届ける。例えば商品には、一着一着に思いの丈を綴ったカードを下げたり、可動式の什器を活用するなどして空間を演出。ブランドの垣根を超えたミックスコーディネートも、新たな価値の表現方法の1つだ。小沢は、こうした手法を「雑誌の3D化」と呼ぶ。ミックスコーディネートや、可動式の什器を使った空間演出は、雑誌の世界では当たり前の新たな価値を伝えるための手段。二次元の雑誌での取り組みを、三次元の「エディストリアル ストア」で再現している感覚だ。思いを綴ったカードは、雑誌の文章やキャプションのような存在なのだろう。

編集長は小沢、イベントでは
ゲストエディターを招き異なる視点を発信

「エディストリアル ストア」のオープンから2年。小沢の思いや取り組みは今、少しずつ広がっている。同じ長野県の松本パルコを皮切りに、丸の内や渋谷、南青山で開催したイベントには、ビームスやユナイテッドアローズ、ディストリビューターのコロネットなどが参画した。

イベントについて小沢は、「自分は編集長。そこにゲストエディターを招いている」と、ここでもファッション誌の感覚を忘れない。例えば「リステア」の柴田麻衣子クリエイティブ・ディレクターや、シトウレイ=ストリート・スタイル・フォトグラファーをゲストエディターに招いて、彼女たちが選んだ「ライブ ストック」を集積して発信。まさに小沢が編集長を務めるファッション誌に、柴田やシトウは寄稿したり、ゲスト編集者としてページを作ったりの取り組みだ。

小沢は、在庫に新たな命を吹き込む「ライブ ストック」という考え方には、「他にも応用できる弾力性」があると捉えている。上田の「エディストリアル ストア」は、「ニューヨークのソーホーやブルックリン、パリのマレにあっても負けない存在」と小沢。引き続きさまざまなゲストエディター、ブランドや企業と共に、「ライブ ストック」という概念を上田から全国、そして世界に届ける。

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「有吉弘行の脱法TV」企画・演出の原田和実 フジテレビ入社5年目が目指す「見たことのない番組作り」

PROFILE: 原田和実/テレビディレクター

原田和実/テレビディレクター
PROFILE: (はらだ・かずとみ)1996年生まれ、静岡県出身。テレビディレクター。フジテレビ編成制作局バラエティ制作センター所属。2020年に入社し、翌21年に手掛けた「ここにタイトルを入力」が話題に。22年には「あえいうえおあお」などを企画・演出。23年には「ここにタイトルを入力」の新春特番や「有吉弘行の脱法TV」を手掛ける。PHOTO:TAMEKI OSHIRO

入社1年目で企画書を提出し、2年目で初めて企画・演出を務めたテレビ番組「ここにタイトルを入力」が大きな注目を集めた、フジテレビの原田和実。その後も話題作を作り続け、直近では「有吉弘行の脱法TV」が放送されたばかり。現在5年目、その発想の源と、企画を正しく実現するまでのこだわりを聞いた。

——もともと学生時代は放送作家になりたかったと?

原田和実(以下、原田):はい。大学では劇団を立ち上げて、脚本・演出をしていたのですが、当時テレビ東京で放送していたシチュエーションコメディの「ウレロ☆」シリーズが大好きで、その番組に脚本で参加していたシベリア少女鉄道という劇団を主宰する土屋亮一さんに憧れていました。自分の劇団で作・演出をやりながら、テレビ番組でも脚本やコントを書く、そういう仕事をしたいなって。

——「ウレロ☆」シリーズでは、放送作家であり脚本家のオークラさんも参加していました。

原田:オークラさんも尊敬する作家の1人です。バナナマン×東京03「handmade works live」や「崩壊シリーズ」は自分の人生に欠かせない大好きな作品だし、まさに舞台とテレビを行き来するような仕事をされていて。いまだに「ウレロ☆」シリーズを超えるコント番組はないと思っているくらいです。

——原田さんの手掛ける番組は、いわゆるメタ構造の企画が多いですが、それはシベリア少女鉄道からの影響ですか?

原田:そうですね。僕の中でバイブル的な存在です。シベリア少女鉄道のメタ的な視点に衝撃を受けたことが、「作り手」を意識するきっかけにもなってて。フジテレビに入社したときから、自分で番組を作るなら、テレビのフレームワークを利用したおもしろい企画をやりたいなと思っていました。

——あえて「ウレロ☆」以外だと、どんな番組がお好みですか?

原田:「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ)を見たときは「うわ、やられた」と思いました。構造でうまく遊びながら、作り込みが丁寧で、あの出力のものを特番ではなく毎週レギュラーでやれるのがすごいなって。

演者ありきではなく、企画の時点で80点を目指す

——初めて企画・演出を手掛けた「ここにタイトルを入力」(2021年〜)は、若手のトライアル枠ということで、ターゲットなどのオーダーがなく、自由に個性を発揮できたと思うのですが。

原田:ありがたいことに、ゼロから最後まで自分の好きなようにやらせてもらいました。企画としては、それまで自分がテレビを見ながら抱いていた違和感がアイデアのもとになっていて、初めての企画・演出だったこともあり、その違和感と破壊衝動のようなものを結びつけて、言語化していく作業でした。

——テレビは良くも悪くも強固なフォーマットによって成立している番組がほとんどなので、破壊しがいがありますよね。

原田:僕自身そこまで熱心にたくさんのテレビ番組を見てきたわけではないので、そんな僕でもイメージできる範囲のテレビ像をネタにするということは意識していました。逆に、もし僕がコアなテレビ視聴者だったら、企画がニッチになりすぎていた可能性もあると思います。

——ちなみに、「ここにタイトルを入力」の中で、原田さんの個人的なお気に入り回は?

原田:霜降り明星のせいやさんを主役にした「その恋、買い取ってもいいですか?」ですかね。あまり自分の番組を見返すことはないんですけど、この回は何度か見返しちゃっています。シンプルに「恋愛を買い取る」という、あまりにもテレビでやってそうなコンセプト感が大喜利の回答として気に入ってます。

——番組を作る立場から見て、やはり芸人さんは演者として欠かせない存在ですか。

原田:重要な役割を担っていただくことが多いので、ものすごくリスペクトしています。そもそも、自分の企画の立て方として、出演者の方の力量ありきではなく、まずは企画の段階で80点くらいは目指せたらなと思ってるんです。枠組みやフォーマットだけで、ある程度まで笑えるものにはなってるよね、という。その企画をもとに、現場で出演者のみなさんの力をお借りして、100点満点中200点を狙っていけるような感覚。企画者である自分はあくまで趣旨を説明することまでしかできないので、それを出演者の方、特に芸人さんが、より分かりやすく、おもしろく、「伝えたいこと」を「伝わるもの」に仕上げてくれるイメージです。

——ご自身の企画と相性がいいなと思うのは、どういうタイプの演者ですか。

原田:基本的に僕が考える企画の特性が、テレビの構造を使ったボケ要素の強い企画なので、出演者はツッコミの方が相性いいと思っています。制作者がボケて、演者がツッコミを入れる、という構図になるので。

——企画にツッコミを入れるといえば、原田さんが企画・演出を手掛けた「あえいうえおあお」(22年)は、毎回フジテレビのアナウンサーの1人にフォーカスして、密着ドキュメンタリーを装いながら、最後は奇抜な着地をする番組でした。

原田:あの番組もある種のボケ企画ですが、テーマとしては局のアナウンサーの魅力を伝えることがお題だったので、どちらかというと広告を作るつもりで考えました。とはいえ、よくあるアナウンサー番組にはしたくなかったので、新しい魅力を引き出しつつ、企画として笑いのレイヤーを乗せることを意識した結果、ああいったドキュメンタリーから展開していく構成になりました。

人為的なコンプライアンスチェックの過程をそのまま企画に

——6月6日に第2弾が放送された「有吉弘行の脱法TV」は、「テレビでできないとされていること」をテーマに、コンプライアンスの境界を探る企画でした。

原田:企画を思いついたきっかけとしては、第1弾でも検証した乳首の落書きってどこまで映せるんだろう、というものです。幼稚園児が描いた下手なものはOKなはずだし、芸大生が描いた写真みたいにリアルなものはNGな気がするし、だったら、必ずそこには映せなくなる境界線が存在していて、逆に言えば、そのギリギリのラインは映せるはずだなと。YouTubeではAIを使ってある程度の規制をかけていますが、テレビは完全に人が判定しているんです。局内にコンプライアンスをチェックする専門の部署がある。機械ではなく人間が決める、その曖昧さがおもしろいなと思い、どう判定するのかをそのまま企画にしました。なので、番組制作中は、毎日その部署に通って「この絵に描かれた乳首は放送できますか? もう少しだけリアルでも大丈夫ですか?」など、繊細な微調整を繰り返して本当の限界値を探ってました。

——実際にコンプライアンスをチェックする部署の担当者は、どういう反応だったのですか。

原田:全然、邪険にはされなかったですね。当然ですが、コンプライアンスチェックの方もテレビをつまらなくしてやろうと思って仕事をしてるわけではないので、協力するからにはおもしろい番組にしたいと言っていただき、つまびらかな検証をしてもらいました。どうして放送できないのかをちゃんと言葉にしてもらえたので、建設的なやりとりができたと思います。

——そもそも、かつては放送できていたものが、今は放送できないというのは、放送法などのルール改正があったわけではなく、あくまで局の判断、自主規制の問題ですよね?

原田:そうです。違法性とかではなく、あくまで会社としての危機管理の問題。世間の空気感やSNSで起きた事件などの蓄積があって、人為的に判断しています。線引きは局によっても、放送する時間帯によっても違いますし、細かく言えば、その番組に出演している人によっても変わると思います。と、あまり裏話はしたくないのですが……「有吉弘行の脱法TV」の制作段階でも、放送に至らなかったアイデアはたくさんあるんです。いじってはダメな領域、そもそも線引きを検証すること自体がNGという。なので、企画が生まれたとしても社内で通すのが難しいというケースが少なからずありますね。

テレビをメタ的に解釈して企画にするのは禁じ手にも近い

——これまでに観てきた演劇などの影響があるとはいえ、入社1年目から、テレビのフレームそのものを疑う企画を連発しているのは、非常に特異な才能だと思います。

原田:もちろんキャリアを積んで、テレビ制作の基礎を学んだからこそ作れる素晴らしい番組もあると思います。ただ、大前提として、僕はテレビで見たことのない番組を作りたいし、まだやられていない方法で人を笑わせたい。そこが大きなモチベーションになっているので。自分の感覚としては、テレビの長い歴史の中で、もう大体のことはやり尽くされている。そうなると、どうしても決まった領域の中で、どんどん細かい大喜利でしか差別化できない番組作りが加速してしまう気がしていて。そういう意味では、テレビをメタ的に解釈して企画にするっていうのは、禁じ手に近い。領域を無理やり拡張してしまう、本来は最後にたどり着く大喜利でもあるという。

——終わりの始まり、ですよね。と同時に、例えばYouTubeなど別のメディアで、テレビを脱構築するような企画をやるのではなく、テレビ局員として内側から揺さぶっていることに意義があるなと。

原田:僕はテレビでテレビをいじるからこそ、おもしろいと思っているんです。なんだかんだテレビは共通言語が最も多いメディアだと思うので、たとえテレビをまったく見ていない人でも、テレビってこういうもの、というイメージくらいは持っている。それこそコンプラが厳しくなっている、とか。個々人が抱くそのイメージの良し悪しとは別に、構造や文脈が共有されているって、ものすごいアドバンテージです。普段触れていない人にまで、そのイメージが知れ渡っていることが、テレビが最も優位性を発揮できるところだと思っていて、だからこそ、ふざけがいがあるんです。

結局最初のアイデアが一番おもしろかった、とならないために

——企画を考える上で、こういうことはやらないようにしている、というのはありますか?

原田:実体験で言うと、スタートの時点で「 純粋なエンタメとしてのおもしろさ」以外のことを目標として設定しない、ということですかね。「視聴率が取れそう」はもちろん、レギュラーとして継続できそうとか、マネタイズができそうとか、純粋なおもしろさ以外を初期段階で目標にすると、どうしてもコンテンツとしての爆発力に欠けたものになるし、直線的な企画になってしまうんですよね。余白を持って漂わせてこそ企画はおもしろくなっていくと思うので。

その上で、最初に思いついたことは曲げないようにしています。企画を番組として成立させる過程では、どうしてもロジックがうまくいかない部分が出てきたりするので、現実的な落とし所を探ることになるんですけど、そこで路線を変えてしまうと、結局最初のアイデアが一番おもしろかった、という結果になりがちなんです。

——本来は完成形が一番おもしろくなっていないといけないのに。

原田:そう、思いついたときがピークって、それじゃあせっかく作る意味がなくなってしまう。

——原田さんの番組は、「ここにタイトルを入力」のバイキング小峠さんが半分になっているビジュアルや、「有吉弘行の脱法TV」の「海賊版ガチャピン」など、ネット映えする一枚絵やパワーワードがいつも用意されています。

原田:それは、企画を考えるときはたいてい絵から思い浮かべるっていうことが一つと、日々摂取しているものがどうしてもネット文脈のものが多いので、言葉に落とし込む段階で自然とそうなっているんだと思います。感覚としても、今のテレビバラエティの潮流よりも、ネットの文脈をなぞるほうが意識としては強いです。

——最後に。「有吉弘行の脱法TV」の第2弾では、冒頭にMCの有吉さんが、番組の方向性を決定づける大事な話をしていますよね。

原田:実際に現場でご一緒すると、有吉さんのすさまじい能力に驚かされます。瞬時に企画の趣旨を理解して、それを適切な言葉で伝えてくれる。第1弾で「大人のビデオ」をテーマにした企画があるのですが、料理してるお母さんをずっと映して、その後ろで男女がそういうことをするのが小さく見切れてるという。映像的にはお母さんがメインだから、っていう趣旨なんですけど、有吉さんがVTRを見た瞬間「お母さん、がんばれ」って言ったんです。この一言だけで、視聴者に企画の見方を完璧に説明してくれた。あの洞察力と言語化力には感動しました。この番組の企画性を考えても、もし有吉さんがMCじゃなかったら、まったく異なった見方をされたり、そもそも番組として成立していなかった可能性は大いにあると思うので、感謝しかありません。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

「有吉弘行の脱法TV」#2
テレビを知り尽くした有吉弘行が「テレビで出来ないとされていること」を知恵を振り絞って抜け穴を考え、何とか実現しようとするギリギリ合法なバラエティー番組の第2弾。昨年放送された第1弾では、「地上波で映せる乳首の限界」、「訴えられないガチャピンの海賊版の境界線」などを検証。第2弾もさまざまなテーマで“脱法”を企てている。

6月19日までTVerで配信中
https://tver.jp/episodes/epv9zru7em

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「有吉弘行の脱法TV」企画・演出の原田和実 フジテレビ入社5年目が目指す「見たことのない番組作り」

PROFILE: 原田和実/テレビディレクター

原田和実/テレビディレクター
PROFILE: (はらだ・かずとみ)1996年生まれ、静岡県出身。テレビディレクター。フジテレビ編成制作局バラエティ制作センター所属。2020年に入社し、翌21年に手掛けた「ここにタイトルを入力」が話題に。22年には「あえいうえおあお」などを企画・演出。23年には「ここにタイトルを入力」の新春特番や「有吉弘行の脱法TV」を手掛ける。PHOTO:TAMEKI OSHIRO

入社1年目で企画書を提出し、2年目で初めて企画・演出を務めたテレビ番組「ここにタイトルを入力」が大きな注目を集めた、フジテレビの原田和実。その後も話題作を作り続け、直近では「有吉弘行の脱法TV」が放送されたばかり。現在5年目、その発想の源と、企画を正しく実現するまでのこだわりを聞いた。

——もともと学生時代は放送作家になりたかったと?

原田和実(以下、原田):はい。大学では劇団を立ち上げて、脚本・演出をしていたのですが、当時テレビ東京で放送していたシチュエーションコメディの「ウレロ☆」シリーズが大好きで、その番組に脚本で参加していたシベリア少女鉄道という劇団を主宰する土屋亮一さんに憧れていました。自分の劇団で作・演出をやりながら、テレビ番組でも脚本やコントを書く、そういう仕事をしたいなって。

——「ウレロ☆」シリーズでは、放送作家であり脚本家のオークラさんも参加していました。

原田:オークラさんも尊敬する作家の1人です。バナナマン×東京03「handmade works live」や「崩壊シリーズ」は自分の人生に欠かせない大好きな作品だし、まさに舞台とテレビを行き来するような仕事をされていて。いまだに「ウレロ☆」シリーズを超えるコント番組はないと思っているくらいです。

——原田さんの手掛ける番組は、いわゆるメタ構造の企画が多いですが、それはシベリア少女鉄道からの影響ですか?

原田:そうですね。僕の中でバイブル的な存在です。シベリア少女鉄道のメタ的な視点に衝撃を受けたことが、「作り手」を意識するきっかけにもなってて。フジテレビに入社したときから、自分で番組を作るなら、テレビのフレームワークを利用したおもしろい企画をやりたいなと思っていました。

——あえて「ウレロ☆」以外だと、どんな番組がお好みですか?

原田:「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ)を見たときは「うわ、やられた」と思いました。構造でうまく遊びながら、作り込みが丁寧で、あの出力のものを特番ではなく毎週レギュラーでやれるのがすごいなって。

演者ありきではなく、企画の時点で80点を目指す

——初めて企画・演出を手掛けた「ここにタイトルを入力」(2021年〜)は、若手のトライアル枠ということで、ターゲットなどのオーダーがなく、自由に個性を発揮できたと思うのですが。

原田:ありがたいことに、ゼロから最後まで自分の好きなようにやらせてもらいました。企画としては、それまで自分がテレビを見ながら抱いていた違和感がアイデアのもとになっていて、初めての企画・演出だったこともあり、その違和感と破壊衝動のようなものを結びつけて、言語化していく作業でした。

——テレビは良くも悪くも強固なフォーマットによって成立している番組がほとんどなので、破壊しがいがありますよね。

原田:僕自身そこまで熱心にたくさんのテレビ番組を見てきたわけではないので、そんな僕でもイメージできる範囲のテレビ像をネタにするということは意識していました。逆に、もし僕がコアなテレビ視聴者だったら、企画がニッチになりすぎていた可能性もあると思います。

——ちなみに、「ここにタイトルを入力」の中で、原田さんの個人的なお気に入り回は?

原田:霜降り明星のせいやさんを主役にした「その恋、買い取ってもいいですか?」ですかね。あまり自分の番組を見返すことはないんですけど、この回は何度か見返しちゃっています。シンプルに「恋愛を買い取る」という、あまりにもテレビでやってそうなコンセプト感が大喜利の回答として気に入ってます。

——番組を作る立場から見て、やはり芸人さんは演者として欠かせない存在ですか。

原田:重要な役割を担っていただくことが多いので、ものすごくリスペクトしています。そもそも、自分の企画の立て方として、出演者の方の力量ありきではなく、まずは企画の段階で80点くらいは目指せたらなと思ってるんです。枠組みやフォーマットだけで、ある程度まで笑えるものにはなってるよね、という。その企画をもとに、現場で出演者のみなさんの力をお借りして、100点満点中200点を狙っていけるような感覚。企画者である自分はあくまで趣旨を説明することまでしかできないので、それを出演者の方、特に芸人さんが、より分かりやすく、おもしろく、「伝えたいこと」を「伝わるもの」に仕上げてくれるイメージです。

——ご自身の企画と相性がいいなと思うのは、どういうタイプの演者ですか。

原田:基本的に僕が考える企画の特性が、テレビの構造を使ったボケ要素の強い企画なので、出演者はツッコミの方が相性いいと思っています。制作者がボケて、演者がツッコミを入れる、という構図になるので。

——企画にツッコミを入れるといえば、原田さんが企画・演出を手掛けた「あえいうえおあお」(22年)は、毎回フジテレビのアナウンサーの1人にフォーカスして、密着ドキュメンタリーを装いながら、最後は奇抜な着地をする番組でした。

原田:あの番組もある種のボケ企画ですが、テーマとしては局のアナウンサーの魅力を伝えることがお題だったので、どちらかというと広告を作るつもりで考えました。とはいえ、よくあるアナウンサー番組にはしたくなかったので、新しい魅力を引き出しつつ、企画として笑いのレイヤーを乗せることを意識した結果、ああいったドキュメンタリーから展開していく構成になりました。

人為的なコンプライアンスチェックの過程をそのまま企画に

——6月6日に第2弾が放送された「有吉弘行の脱法TV」は、「テレビでできないとされていること」をテーマに、コンプライアンスの境界を探る企画でした。

原田:企画を思いついたきっかけとしては、第1弾でも検証した乳首の落書きってどこまで映せるんだろう、というものです。幼稚園児が描いた下手なものはOKなはずだし、芸大生が描いた写真みたいにリアルなものはNGな気がするし、だったら、必ずそこには映せなくなる境界線が存在していて、逆に言えば、そのギリギリのラインは映せるはずだなと。YouTubeではAIを使ってある程度の規制をかけていますが、テレビは完全に人が判定しているんです。局内にコンプライアンスをチェックする専門の部署がある。機械ではなく人間が決める、その曖昧さがおもしろいなと思い、どう判定するのかをそのまま企画にしました。なので、番組制作中は、毎日その部署に通って「この絵に描かれた乳首は放送できますか? もう少しだけリアルでも大丈夫ですか?」など、繊細な微調整を繰り返して本当の限界値を探ってました。

——実際にコンプライアンスをチェックする部署の担当者は、どういう反応だったのですか。

原田:全然、邪険にはされなかったですね。当然ですが、コンプライアンスチェックの方もテレビをつまらなくしてやろうと思って仕事をしてるわけではないので、協力するからにはおもしろい番組にしたいと言っていただき、つまびらかな検証をしてもらいました。どうして放送できないのかをちゃんと言葉にしてもらえたので、建設的なやりとりができたと思います。

——そもそも、かつては放送できていたものが、今は放送できないというのは、放送法などのルール改正があったわけではなく、あくまで局の判断、自主規制の問題ですよね?

原田:そうです。違法性とかではなく、あくまで会社としての危機管理の問題。世間の空気感やSNSで起きた事件などの蓄積があって、人為的に判断しています。線引きは局によっても、放送する時間帯によっても違いますし、細かく言えば、その番組に出演している人によっても変わると思います。と、あまり裏話はしたくないのですが……「有吉弘行の脱法TV」の制作段階でも、放送に至らなかったアイデアはたくさんあるんです。いじってはダメな領域、そもそも線引きを検証すること自体がNGという。なので、企画が生まれたとしても社内で通すのが難しいというケースが少なからずありますね。

テレビをメタ的に解釈して企画にするのは禁じ手にも近い

——これまでに観てきた演劇などの影響があるとはいえ、入社1年目から、テレビのフレームそのものを疑う企画を連発しているのは、非常に特異な才能だと思います。

原田:もちろんキャリアを積んで、テレビ制作の基礎を学んだからこそ作れる素晴らしい番組もあると思います。ただ、大前提として、僕はテレビで見たことのない番組を作りたいし、まだやられていない方法で人を笑わせたい。そこが大きなモチベーションになっているので。自分の感覚としては、テレビの長い歴史の中で、もう大体のことはやり尽くされている。そうなると、どうしても決まった領域の中で、どんどん細かい大喜利でしか差別化できない番組作りが加速してしまう気がしていて。そういう意味では、テレビをメタ的に解釈して企画にするっていうのは、禁じ手に近い。領域を無理やり拡張してしまう、本来は最後にたどり着く大喜利でもあるという。

——終わりの始まり、ですよね。と同時に、例えばYouTubeなど別のメディアで、テレビを脱構築するような企画をやるのではなく、テレビ局員として内側から揺さぶっていることに意義があるなと。

原田:僕はテレビでテレビをいじるからこそ、おもしろいと思っているんです。なんだかんだテレビは共通言語が最も多いメディアだと思うので、たとえテレビをまったく見ていない人でも、テレビってこういうもの、というイメージくらいは持っている。それこそコンプラが厳しくなっている、とか。個々人が抱くそのイメージの良し悪しとは別に、構造や文脈が共有されているって、ものすごいアドバンテージです。普段触れていない人にまで、そのイメージが知れ渡っていることが、テレビが最も優位性を発揮できるところだと思っていて、だからこそ、ふざけがいがあるんです。

結局最初のアイデアが一番おもしろかった、とならないために

——企画を考える上で、こういうことはやらないようにしている、というのはありますか?

原田:実体験で言うと、スタートの時点で「 純粋なエンタメとしてのおもしろさ」以外のことを目標として設定しない、ということですかね。「視聴率が取れそう」はもちろん、レギュラーとして継続できそうとか、マネタイズができそうとか、純粋なおもしろさ以外を初期段階で目標にすると、どうしてもコンテンツとしての爆発力に欠けたものになるし、直線的な企画になってしまうんですよね。余白を持って漂わせてこそ企画はおもしろくなっていくと思うので。

その上で、最初に思いついたことは曲げないようにしています。企画を番組として成立させる過程では、どうしてもロジックがうまくいかない部分が出てきたりするので、現実的な落とし所を探ることになるんですけど、そこで路線を変えてしまうと、結局最初のアイデアが一番おもしろかった、という結果になりがちなんです。

——本来は完成形が一番おもしろくなっていないといけないのに。

原田:そう、思いついたときがピークって、それじゃあせっかく作る意味がなくなってしまう。

——原田さんの番組は、「ここにタイトルを入力」のバイキング小峠さんが半分になっているビジュアルや、「有吉弘行の脱法TV」の「海賊版ガチャピン」など、ネット映えする一枚絵やパワーワードがいつも用意されています。

原田:それは、企画を考えるときはたいてい絵から思い浮かべるっていうことが一つと、日々摂取しているものがどうしてもネット文脈のものが多いので、言葉に落とし込む段階で自然とそうなっているんだと思います。感覚としても、今のテレビバラエティの潮流よりも、ネットの文脈をなぞるほうが意識としては強いです。

——最後に。「有吉弘行の脱法TV」の第2弾では、冒頭にMCの有吉さんが、番組の方向性を決定づける大事な話をしていますよね。

原田:実際に現場でご一緒すると、有吉さんのすさまじい能力に驚かされます。瞬時に企画の趣旨を理解して、それを適切な言葉で伝えてくれる。第1弾で「大人のビデオ」をテーマにした企画があるのですが、料理してるお母さんをずっと映して、その後ろで男女がそういうことをするのが小さく見切れてるという。映像的にはお母さんがメインだから、っていう趣旨なんですけど、有吉さんがVTRを見た瞬間「お母さん、がんばれ」って言ったんです。この一言だけで、視聴者に企画の見方を完璧に説明してくれた。あの洞察力と言語化力には感動しました。この番組の企画性を考えても、もし有吉さんがMCじゃなかったら、まったく異なった見方をされたり、そもそも番組として成立していなかった可能性は大いにあると思うので、感謝しかありません。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

「有吉弘行の脱法TV」#2
テレビを知り尽くした有吉弘行が「テレビで出来ないとされていること」を知恵を振り絞って抜け穴を考え、何とか実現しようとするギリギリ合法なバラエティー番組の第2弾。昨年放送された第1弾では、「地上波で映せる乳首の限界」、「訴えられないガチャピンの海賊版の境界線」などを検証。第2弾もさまざまなテーマで“脱法”を企てている。

6月19日までTVerで配信中
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「手仕事は世界に誇れる日本の強み」 有松で400年続く伝統技術の未来を担うスズサン5代目が語る

PROFILE: 村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター

村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1982年愛知県名古屋市生まれ。英国のサリー美術大学を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科を卒業。在学中の2008年にデュッセルドルフでsuzusan e.K. (現Suzusan GmbH & Co. KG)を設立。自社ブランド「スズサン」をスタートした。14年に法人化した家業のスズサン(旧鈴三商店)を4代目の父から継承し、20年から現職。現在もデュッセルドルフで暮らしながら、デザインや有松でのモノづくりを監修している

名古屋市有松で400年以上続く伝統技術である有松鳴海絞りを生かしたアイテムを提案する「スズサン(SUZUSAN)」は6月29日まで、ドイツ・ベルリンを代表するセレクトショップのアンドレアス ムルクディス(ANDREAS MURKDIS)でイベント「ハンズ・イン・ジャパン(HANDS IN JAPAN)」を開催中だ。同イベントは「スズサン」のウエアやホームアイテムと共に、モダンな感性と日本の伝統技術を掛け合わせた12ブランドの手仕事を感じる製品を展示・販売するもの。開幕に合わせてベルリンを訪れた村瀬弘行最高経営責任者(CEO)兼クリエイティブ・ディレクターに、「スズサン」の歩みやイベント開催のきっかけから日本の伝統技術に対する思い、そして、これからの夢までを聞いた。

興味がなかった家業を継ぐ気になった理由

「小さい頃から布に囲まれて育ったので、日本にいた時は家業に興味がなかった」と明かす村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、もともと職人である父の後を継ぐつもりはなく、アーティストを志して英国に留学。その後、ドイツに移り、デュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科で学んだ。「ある時、父が英国で『ニッティング&スティッチング・ショー(The Knitting & Stitching Show)』(消費者向けのテキスタイルイベント)に招待され通訳として同行し、そこで現地の人たちが有松絞りに強い興味や関心を示す姿を目の当たりにして衝撃を受けた。また、別の機会にコンテンポラリーアート界の有名ギャラリストであるビクトリア・ミロ(Victoria Miro)に有松絞りの生地を見せたところ、とても気に入り、たくさん購入してくれた。その時に感じたのは、日本の伝統工芸はヨーロッパにおけるコンテンポラリーアートと同じレベルになりうるということ。そこで、コンテンポラリーアートをやりたい自分の気持ちと家業である伝統工芸という、かけ離れていると感じていた2つがつながった」と振り返る。

そして、経営学を専攻していたドイツ人のルームメイトが、たまたま家に置いてあった有松絞りの布を気に入ったことから、一緒にデュッセルドルフで起業。5枚のスカーフから、スズサン初のオリジナルブランド「スズサン」をスタートした。ただ、最初から順風満帆だったわけではなく、ヨーロッパ各地のセレクトショップにアポ無しで飛び込み、説明してまわったという。その時、最初に買い付けてくれた店の一つが、アンドレアス ムルクディスだった。

世界を知るデザイナーの発想と日本の職人技術の融合

今回のイベントのきっかけになったのは、2022年にパリのギャルリー・ヴィヴィエンヌで開かれた名古屋市主催の伝統産業海外マーケティング支援プロジェクト「クリエイション・アズ・ダイアログ(Creation as DIALOGUE)」のイベントだった。村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、世界を知るデザイナーの新しい発想と名古屋に根差す伝統的な手仕事を結び付け、海外での販路開拓を目指す同プロジェクトのクリエイティブ・ディレクター兼統括コーディネーターを務めており、自身でバイイングをしているアンドレアス・ムルクディス=オーナーのことも招待。アンドレアス ムルクディスでは、もともといくつもの日本ブランドを取り扱っていたが、会場でムルクディス=オーナーはモノづくりの背景や技術に感銘を受けたという。

「クリエイション・アズ・ダイアログ」では、「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」でバッグデザイナーを務めていた古川紗和子、「ヴァン クリーフ&アーペル(VAN CLEEF & ARPELS)」などでジュエリーデザイナーのキャリアを積んだ名和光道、建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロン(HERZOG & DE MEURON)出身のダイスケ・ヒラバヤシの3人を起用し、伝統工芸を手掛ける10社の職人をマッチング。革新的な新製品開発に取り組んだ結果、仏壇製作のノウハウを生かした木製のバニティーボックスや、モダンアートのような配色で仕上げられた漆塗りの燭台と香立て、七宝焼きのジュエリーなどが生まれた。それらに加え、今回の「ハンズ・イン・ジャパン」では、長野の山翠舎によるブランド「サンスイ(SAUSUI)」の解体された古民家の木材を使ったオブジェや、東京の廣田硝子によるあぶり出し技法を用いたグラス、線香の生産地として知られる淡路島の薫寿堂がパリ拠点「サノマ(CANOMA)」と共同制作したインセンス(お香)などもラインアップする。

海外からの視点で見る日本の伝統工芸

村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターがこういったイベントに携わる背景には、「なくなってしまう寸前の日本の伝統的な手仕事を、次世代につなげたい」という熱い想いがある。「日本には経済産業省に指定された『伝統的工芸品』が241もあり、本当に手仕事が盛んな国。そんな国は他にはほぼなく、世界に誇れる日本の強みだと思う。しかし、その多くは、次世代の後継者がいなかったり、現代的に表現する方法を知らなかったりという課題に直面している。15年前は自分の家業も同じような状況で職人は父一人だったが、今では若者も含め職人が19人にまで増えた。お金も経験もコネもなくゼロからスタートした『スズサン』での自分自身の経験を他の伝統工芸にも生かしたい」。

その経験から語るのは、「日本のクラフトは“メード・イン・ジャパン”と声高に主張しがちだが、その必要はない。手に取ってもらうきっかけは美しい色や心地よい手触りなどでいいと思う。けれど、背景にある伝統技術やストーリーを異なる文化背景を持った人に理解してもらうのは工夫が必要」ということ。「日本の伝統工芸の多くは上質で美しく、それを生み出す職人は素晴らしい技術を持っている。一方、彼らはある意味、井の中の蛙のようでもある。もちろん、長年同じものを作り続けている職人たちが自分たちの作品や製品を“世界一”だと考えるのは当たり前だ。しかし、いかに優れた製品であっても、職人たちが自分たちの立場で考えて『良い』と思う伝え方や見せ方は、必ずしもベストではない。海外市場においては、伝統的な使い方がフィットしないことも多い。外からの客観的な目線が必要だ」。そういった意味で海外を拠点にするメリットは大きく、「自分が入ることで、海外で受け入れられる方法やアイデアを日本の伝統工芸にもたらすことができると思う」と続ける。

「世界の人に日本の職人のもとを訪れてもらいたい」

「スズサン」の取扱店舗は現在、パリのレクレルール(LECLAIREUR)やミラノのビッフィ(BIFFI)といった有名店をはじめ、世界29カ国120店。そのうちの65%はヨーロッパ、15%は北米、日本は15〜20%程度だといい、海外市場でしっかりとブランドを確立していることが分かる。また、村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、昨年からイベント「東京クリエイティブサロン」にも関わっており、その一環で参画企業の羽田未来総合研究所と共に海外からVIPゲストを招へいして、地方の工房や工場を巡るツアーも企画した。そんな彼は、今後をどのように見据えているのか?

「この15年は日本の伝統文化を世界に打ち出していくことに注力してきた。次の15年は世界のユーザーを有松に迎えるような取り組みに力を入れていく。今計画しているのは、ローカルツアーを組むこと。海外から現地に足を運んでもらい、ワークショップや郷土料理などを通して、地域に根差した伝統文化やモノづくりに触れてもらいたい。製品を作ったり売ったりというだけでなく、体験による人間らしいコミュニケーションを通して、顧客と職人のつながりを生み出していけたらうれしい」。作り手と使い手、昔ながらの伝統と未来の可能性、そして日本と海外をつなぐ架け橋としての挑戦はこれからも続く。

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「手仕事は世界に誇れる日本の強み」 有松で400年続く伝統技術の未来を担うスズサン5代目が語る

PROFILE: 村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター

村瀬弘行/スズサンCEO兼クリエイティブ・ディレクター
PROFILE: 1982年愛知県名古屋市生まれ。英国のサリー美術大学を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科を卒業。在学中の2008年にデュッセルドルフでsuzusan e.K. (現Suzusan GmbH & Co. KG)を設立。自社ブランド「スズサン」をスタートした。14年に法人化した家業のスズサン(旧鈴三商店)を4代目の父から継承し、20年から現職。現在もデュッセルドルフで暮らしながら、デザインや有松でのモノづくりを監修している

名古屋市有松で400年以上続く伝統技術である有松鳴海絞りを生かしたアイテムを提案する「スズサン(SUZUSAN)」は6月29日まで、ドイツ・ベルリンを代表するセレクトショップのアンドレアス ムルクディス(ANDREAS MURKDIS)でイベント「ハンズ・イン・ジャパン(HANDS IN JAPAN)」を開催中だ。同イベントは「スズサン」のウエアやホームアイテムと共に、モダンな感性と日本の伝統技術を掛け合わせた12ブランドの手仕事を感じる製品を展示・販売するもの。開幕に合わせてベルリンを訪れた村瀬弘行最高経営責任者(CEO)兼クリエイティブ・ディレクターに、「スズサン」の歩みやイベント開催のきっかけから日本の伝統技術に対する思い、そして、これからの夢までを聞いた。

興味がなかった家業を継ぐ気になった理由

「小さい頃から布に囲まれて育ったので、日本にいた時は家業に興味がなかった」と明かす村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、もともと職人である父の後を継ぐつもりはなく、アーティストを志して英国に留学。その後、ドイツに移り、デュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科で学んだ。「ある時、父が英国で『ニッティング&スティッチング・ショー(The Knitting & Stitching Show)』(消費者向けのテキスタイルイベント)に招待され通訳として同行し、そこで現地の人たちが有松絞りに強い興味や関心を示す姿を目の当たりにして衝撃を受けた。また、別の機会にコンテンポラリーアート界の有名ギャラリストであるビクトリア・ミロ(Victoria Miro)に有松絞りの生地を見せたところ、とても気に入り、たくさん購入してくれた。その時に感じたのは、日本の伝統工芸はヨーロッパにおけるコンテンポラリーアートと同じレベルになりうるということ。そこで、コンテンポラリーアートをやりたい自分の気持ちと家業である伝統工芸という、かけ離れていると感じていた2つがつながった」と振り返る。

そして、経営学を専攻していたドイツ人のルームメイトが、たまたま家に置いてあった有松絞りの布を気に入ったことから、一緒にデュッセルドルフで起業。5枚のスカーフから、スズサン初のオリジナルブランド「スズサン」をスタートした。ただ、最初から順風満帆だったわけではなく、ヨーロッパ各地のセレクトショップにアポ無しで飛び込み、説明してまわったという。その時、最初に買い付けてくれた店の一つが、アンドレアス ムルクディスだった。

世界を知るデザイナーの発想と日本の職人技術の融合

今回のイベントのきっかけになったのは、2022年にパリのギャルリー・ヴィヴィエンヌで開かれた名古屋市主催の伝統産業海外マーケティング支援プロジェクト「クリエイション・アズ・ダイアログ(Creation as DIALOGUE)」のイベントだった。村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、世界を知るデザイナーの新しい発想と名古屋に根差す伝統的な手仕事を結び付け、海外での販路開拓を目指す同プロジェクトのクリエイティブ・ディレクター兼統括コーディネーターを務めており、自身でバイイングをしているアンドレアス・ムルクディス=オーナーのことも招待。アンドレアス ムルクディスでは、もともといくつもの日本ブランドを取り扱っていたが、会場でムルクディス=オーナーはモノづくりの背景や技術に感銘を受けたという。

「クリエイション・アズ・ダイアログ」では、「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」でバッグデザイナーを務めていた古川紗和子、「ヴァン クリーフ&アーペル(VAN CLEEF & ARPELS)」などでジュエリーデザイナーのキャリアを積んだ名和光道、建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロン(HERZOG & DE MEURON)出身のダイスケ・ヒラバヤシの3人を起用し、伝統工芸を手掛ける10社の職人をマッチング。革新的な新製品開発に取り組んだ結果、仏壇製作のノウハウを生かした木製のバニティーボックスや、モダンアートのような配色で仕上げられた漆塗りの燭台と香立て、七宝焼きのジュエリーなどが生まれた。それらに加え、今回の「ハンズ・イン・ジャパン」では、長野の山翠舎によるブランド「サンスイ(SAUSUI)」の解体された古民家の木材を使ったオブジェや、東京の廣田硝子によるあぶり出し技法を用いたグラス、線香の生産地として知られる淡路島の薫寿堂がパリ拠点「サノマ(CANOMA)」と共同制作したインセンス(お香)などもラインアップする。

海外からの視点で見る日本の伝統工芸

村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターがこういったイベントに携わる背景には、「なくなってしまう寸前の日本の伝統的な手仕事を、次世代につなげたい」という熱い想いがある。「日本には経済産業省に指定された『伝統的工芸品』が241もあり、本当に手仕事が盛んな国。そんな国は他にはほぼなく、世界に誇れる日本の強みだと思う。しかし、その多くは、次世代の後継者がいなかったり、現代的に表現する方法を知らなかったりという課題に直面している。15年前は自分の家業も同じような状況で職人は父一人だったが、今では若者も含め職人が19人にまで増えた。お金も経験もコネもなくゼロからスタートした『スズサン』での自分自身の経験を他の伝統工芸にも生かしたい」。

その経験から語るのは、「日本のクラフトは“メード・イン・ジャパン”と声高に主張しがちだが、その必要はない。手に取ってもらうきっかけは美しい色や心地よい手触りなどでいいと思う。けれど、背景にある伝統技術やストーリーを異なる文化背景を持った人に理解してもらうのは工夫が必要」ということ。「日本の伝統工芸の多くは上質で美しく、それを生み出す職人は素晴らしい技術を持っている。一方、彼らはある意味、井の中の蛙のようでもある。もちろん、長年同じものを作り続けている職人たちが自分たちの作品や製品を“世界一”だと考えるのは当たり前だ。しかし、いかに優れた製品であっても、職人たちが自分たちの立場で考えて『良い』と思う伝え方や見せ方は、必ずしもベストではない。海外市場においては、伝統的な使い方がフィットしないことも多い。外からの客観的な目線が必要だ」。そういった意味で海外を拠点にするメリットは大きく、「自分が入ることで、海外で受け入れられる方法やアイデアを日本の伝統工芸にもたらすことができると思う」と続ける。

「世界の人に日本の職人のもとを訪れてもらいたい」

「スズサン」の取扱店舗は現在、パリのレクレルール(LECLAIREUR)やミラノのビッフィ(BIFFI)といった有名店をはじめ、世界29カ国120店。そのうちの65%はヨーロッパ、15%は北米、日本は15〜20%程度だといい、海外市場でしっかりとブランドを確立していることが分かる。また、村瀬CEO兼クリエイティブ・ディレクターは、昨年からイベント「東京クリエイティブサロン」にも関わっており、その一環で参画企業の羽田未来総合研究所と共に海外からVIPゲストを招へいして、地方の工房や工場を巡るツアーも企画した。そんな彼は、今後をどのように見据えているのか?

「この15年は日本の伝統文化を世界に打ち出していくことに注力してきた。次の15年は世界のユーザーを有松に迎えるような取り組みに力を入れていく。今計画しているのは、ローカルツアーを組むこと。海外から現地に足を運んでもらい、ワークショップや郷土料理などを通して、地域に根差した伝統文化やモノづくりに触れてもらいたい。製品を作ったり売ったりというだけでなく、体験による人間らしいコミュニケーションを通して、顧客と職人のつながりを生み出していけたらうれしい」。作り手と使い手、昔ながらの伝統と未来の可能性、そして日本と海外をつなぐ架け橋としての挑戦はこれからも続く。

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パルコ店長から百貨店店長に 大丸東京店・緒方店長がねらう「化学反応」

PROFILE: 緒方道則/大丸松坂屋百貨店執行役員大丸東京店長

緒方道則/大丸松坂屋百貨店執行役員大丸東京店長
PROFILE: (おがた・みちのり)1992年パルコ入社。地方店や大型店で経験を重ねたのち、仙台店・上野店・仙台2などの準備室に勤務。2013年から大丸松坂屋百貨店へ1年間出向。17年に心斎橋パルコ準備室長を経て、20年に開業した同店の店長に就く。24年3月から現職

3月1日付で大丸東京店の店長に就任した緒方道則氏の人事は、百貨店業界において異例のものだった。緒方氏は大丸松坂屋百貨店と同じJ.フロント リテイリング(JFR)傘下のパルコ出身で、直前まで心斎橋パルコの店長だった。百貨店の店長は現場を知り尽くしたプロパー社員が就くポジションだったが、その常識を覆す。「百貨店の伝統とパルコの革新の融合」こそがが自分の役割だと緒方氏は話す。

WWD:就任して2カ月半が過ぎた(取材時点)。パルコと大丸の違いをどう感じている?

緒方道則・大丸東京店長(以下、緒方):デベロッパーによるショッピングセンター(SC)、小売業による百貨店という業態の違いはもちろんある。だけど最大の違いは、のれんの重みだ。お客さまは洋服でもお菓子でも「大丸で買う」とおっしゃる。パルコの場合は、テナントの名前が前に出るケースが多い。お客さまから「大丸らしくない」「大丸ならこうあるべきだ」という厳しい声も届く。百貨店に求められるレベルは高い。それに応えようとスタッフも誇りを持って働いている。

有形無形の「のれんの力」

WWD:取り扱うカテゴリーも客層もパルコに比べて幅広い。

緒方:(ファッションが中心の)パルコは一定の年齢で卒業するお客さまが多い。自然に顧客世代がリセットさせる。だからテナントも大胆と変えることができる。一方、百貨店はお客さまとの関係が長く続く。大丸でランドセルを買ってもらった子供がやがて親になり、自分の子供のランドセルも大丸で求める。祖母が孫の就職祝いに財布を買ってあげる。3代にわたって大丸を利用してくださるお客さまも少なくない。長い歳月をかけて築かれる信頼関係は、百貨店の最大の財産だ。識別IDがなくても、密につながっているお客さまがたくさんいる。これも有形無形ののれんの力だ。

私が2月までいた心斎橋パルコは年間入店客数が1500万〜1600万人だった。大丸東京店は東京駅直結の立地のため約3000万人に上る。もちろん売上高も大きく違う。心斎橋パルコはパルコの上位店ではあるが259億円(24年2月期、テナント取扱高)。大丸東京店の783億円(同、総額売上高)と比べると差がある。

WWD:デベロッパー業であるパルコとは組織体制も異なる。

緒方:心斎橋パルコが社員25人前後で現場を回すのに対し、大丸東京店は230人前後が働く。パルコは渋谷、心斎橋、名古屋のような旗艦店の店長も部長級。大丸松坂屋の場合、主要店舗の店長は執行役員になる。店舗には人事機能もある。百貨店の店舗は一つの会社のようなものだと思う。

WWD:店長の仕事も異なるのか。

緒方:パルコの店長はプレイングマネージャーのような存在だ。店舗の改装も主導し、アパレルなどの取引先にも商談に行く。一方、社員が多い百貨店は組織の役割分担がしっかりしているので、店長の仕事はマネジメント型になるのかなと感じている。ただ、私が百貨店に呼ばれたのは化学変化を期待されてのこと。新しい店長の姿を探っていきたい。

WWD:毎朝の開店時に入り口に立って客入れもするのか。

緒方:店舗にいる時は可能な限り立つようにしている。これもパルコにはない新鮮な習慣だ。百貨店の店長の責任は重い。例えば、月1回の飲食店の衛生チェックも私が白衣を着て、厨房の確認に立ち会う。スプリンクラーや避難経路の確認など防災点検も店長の大切な仕事だ。店長が現場の隅々まで責任を持つ。お客さまからのクレーム対応も取引先ではなく、まず百貨店が受け付ける。百貨店は提供する商品とサービスの全てに責任を持つ。のれんとは、こうして長い時間をかけて築かれてきたのだと実感している。

異例の人事に「え?なんで?」

WWD:今回の異動では、緒方さんともう1人、渋谷パルコの店長だった塩山将人さんも大丸札幌店の店長になった。JFRとしての思惑があるはずだが、内示で何か言われたか。

緒方:JFRの好本達也社長(当時)に「大丸東京店の店長をやってくれ」と言われて、「え?なんで?」という感じだった。驚いたけれど、自分は何事もポジティブに受け取る性格だ。業態も違う、管理手法も違う。でもお客さまの期待に応える仕事の本質は変わらない。好本さんからは「これまでの経験も生かして、新しい目で東京店を見てくれ」と言われた。百貨店の伝統とパルコの革新の融合を託されたのだと解釈している。

WWD:心斎橋パルコの店長時代は、隣接する大丸心斎橋店とずっと連携してきた。

緒方:20年11月に開業した心斎橋パルコは、各フロアが連絡通路で大丸心斎橋店と連結していた。買い回るお客さまを増やし、シナジーを最大化しようと、常に協力し合ってきた。特に大丸心斎橋店の小室孝裕店長からは学ぶことが多かった。

実は13年から14年にかけて大丸松坂屋の本社(東京・木場)に出向した経験もある。JFRがパルコをグループ化して初の人事交流のメンバーの1人だった。パルコから出向した私は主に百貨店のMDを経験させてもらった。一方、大丸松坂屋からパルコに出向したのが現JFR社長の小野圭一さんだった。

役職に関係なく議論する「面白くする会」

WWD:大丸東京店をどんな店にしたい?

緒方:東京駅直結で全国のお客さまとつながる百貨店だ。ポテンシャルは大きい。徒歩圏にある日本橋の三越と高島屋は重厚な店舗を構え、百貨店の伝統をしっかり守っている。大丸はそれとは異なる路線を押し進めるべきだ。12年に建て替え開業してから基本的なフレームは変わっていない。八重洲・丸の内は再開発でこれからも街の姿が変わる。面白い仕掛けがいろいろとできる。

たとえば、地下1階のわれわれの隣で営業している東京駅一番街(JR東海の子会社・東京ステーション開発が運営)の「東京キャラクターストリート」には日本中から推し活の人が押し寄せている。大丸もカルチャーやエンタメとの結びつきを強化して、もっと新しいお客さまを呼びたい。大丸東京店でも3月から約1カ月間、人気コミック「メンタル強め美女 白川さん」をコラボした企画を店内の各所で展開した。6月5〜11日にはVチューバーグループ・にじさんじのライバーと組んだ「アンディメンション(UN-DIMENSION)」のポップアップも好評だった。ショッピングのエンタメ化に可能性を感じている。近年、JFRはeスポーツ分野への投資を強めているが、そんなフロアがあってもいい。

WWD:殻を破ることはできるか。

緒方:実は前店長の田中倫暁さん(現・大丸松坂屋常務執行役員経営戦略本部長)が昨年から風土改革に着手し、月に2回「東京店を面白くする会」を開いている。現場の従業員が集まって、役職に関係なくざっくばらんに議論を交わしている。変化を恐れずに新しいことに挑戦するマインドを醸成する。そんな流れを促していきたい。

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サッカー日本代表・三笘薫が「ゼロハリバートン」のアンバサダーに就任

森下宏明エース社長に聞く起用理由

エース(東京、森下宏明社長)傘下のスーツケースブランド「ゼロハリバートン(ZERO HALLIBURTON)」は、サッカー日本代表の三笘薫選手とアンバサダー契約を結んだ。

森下社長は三笘の起用理由について、「グローバルな活躍ぶりやサッカーに対するストイックさなど、本人の生き様や姿勢に共感し、『ゼロハリバートン』のブランドコンセプトである“In Pursuit(追求)”とも一致したため」と述べる。

三笘選手に単独インタビュー

WWD:「ゼロハリバートン」との出合いは?

三笘薫(以下、三笘):僕が中高生のころ、兄が使っていて親近感があった。

WWD:「ゼロハリバートン」は、上質さと機能性を併せ持つスーツケース界のユーティリティープレーヤーといえる。同じくユーティリティープレーヤーである三笘選手が、同ブランドについて特に優れていると感じる点は?

三笘:内容物をしっかり守ってくれること。僕は1泊の予定でも2泊分の下着を持って行くタイプで、すぐに荷物が増えてしまう(笑)。それに加えて、筋肉をほぐすマシンガンや超音波の出る装置など精密で高価なものも持ち運ぶので、「ゼロハリバートン」の収納力とアルミニウムケースの保護力は心強い。キャスターのスムーズさにも感動していて、イングランドの石畳もストレスなく持ち運べる。傷が付きにくく、神経質に扱わなくて良いのもうれしい。

WWD:デザイン面の評価は?

三笘:ソリッドでスタイリッシュ。存在感がありつつも、場所ごとに溶け込んでくれる。

WWD:スーツケースに必ず入れているものはある?

三笘:アウェーの試合のときなどは、普段から飲んでいる水(500mL)を2本ほど携行する。やはり体に入れるものには気を付けたいし、100%以上のパフォーマンスを発揮したいので。

WWD:最後に少しプライベートな質問も。「ゼロハリバートン」を持って夫婦で出掛けるとしたらどこに行きたい?

三笘:これまで行ったことがないところに行ってみたい。例えば四国で、本場のおいしいうどんを食べてみたり。「ゼロハリバートン」はシンプルなので、女性が使っても良いと思う。

三笘選手と「ゼロハリ」のプロフィール

三笘は、1997年5月20日生まれ、大分県出身。川崎フロンターレを経て、現在はイングランド・プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに所属する。2022年に結婚を発表した。

「ゼロハリバートン」は1938年、アメリカ中西部で創業した。NASA(アメリカ航空宇宙局)の依頼によりアポロ11号用に“月面採取標本格納器”を製造し、69年に月の石を持ち帰ったエピソードで知られる。アルミニウムケースがブランドアイコンだ。2006年、エースが買収した。

PHOTOS : NORIHITO SUZUKI

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「成分トレンド」で注目度増す! 今、なぜ「ペプチド」なのか?

スキンケアを成分で選ぶトレンドは、2024年も続きそうだ。ビタミンC、ナイアシンアミドに続くネクスト成分は何か?化粧品の発表会で、「ペプチド」を耳にする機会が増えた。例えば、今年日本上陸を果たした韓国スキンケアブランド「パーセル(PURCELL)」は、独自のペプチドエキスを高濃度配合した美容液“パーセル PD フェイスセラム”(30mL、5610円)を発売。また、パーソナライズヘアケアブランド「メデュラ(MEDULLA)」は、洗い流さない髪用美容液“メデュラ ハイパーリンクセラム”(55mL、定期3960円、会員価格4400円、通常5280円)に、ダメージ補修が期待できる低分子ペプチドを採用している。

ぺプチドは、アミノ酸が2個以上結合したもので体内にも存在する。コラーゲンやエラスチンに働きかけ、若々しい肌を保つという。今回は、美容業界の3人のキーパーソンに、ペプチドがマーケットで支持される理由を聞く。回答者は、Dr. デス・フェルナンデス「エンビロン(ENVIRON)」スキンケアシステム開発者、竹岡篤史スキンケア成分ハンター、山中美智子「ファヴス(FAVS)」プロデューサー。

――― 「エンビロン」スキンケアシステム開発者であるDr. デスが23年に来日した時「これから注目すべき成分は、エイジレスな肌に欠かせない『ペプチド』」と断言していた。理由は?

Dr. デス・フェルナンデス「エンビロン(ENVIRON)」スキンケアシステム開発者(以下、Dr. デス):「エンビロン」は、ペプチド配合の化粧品を25年以上開発してきた。まずペプチドは、アミノ酸が鎖状につながったもので体内に存在する。タンパク質を構成する物質であること、特にアミノ酸配列は、ある特定の細胞が他の細胞の活動を変化させるための指示伝達物質であるということから話した方が良いだろう。ペプチドは、組織間の「会話」に不可欠な物質であり、対象の組織と調和しながら、さまざまな共鳴で振動している。私たちの体内には20種類のアミノ酸があり、ペプチドはたった2つのアミノ酸が結合した「ジペプチド」、あるいは6つの結合「ヘキサペプチド」であったりする。アミノ酸が長く連なったものは、「ポリペプチド」と呼ばれる。ジペプチドの場合、20種のアミノ酸の組み合わせは1000通り以上にもなり、ペプチドのサイズを大きくすればその組み合わせは何十万通りにもなるが、そのうち、効果が認められるペプチドはほんのわずかだ。

皮膚におけるペプチドの研究は、創傷部位に含まれるコラーゲンやエラスチンの再生・形成を刺激することの発見に始まる。また、ペプチドは、若い人の肌に多く含まれ、肌の若さを保つ働きがある。光ダメージによってコラーゲンとエラスチンは壊されてしまうため、若々しい肌を保ちたいのであれば再生する必要がある。 ここまで、天然ペプチドについて述べてきたが、色素沈着(シミ)のコントロール・脂肪細胞に働きかけるなどの有効性が認められた「合成」ペプチドも存在する。この分野は急速に成長しており、毎月のように新しいペプチドが開発されている。発表前の 新しいペプチドを提供してくれる企業もあり、「エンビロン」は非常に早い段階でこれらの商品の処方や実験を開始することができると自負している。特に、“C―クエンスシリーズ”などに、先駆けてペプチドを配合してきた。

――― 「ファヴス」では“ペプチドハイドレーティングアンプル”(3190円)にペプチドを配合している。その理由は?

山中美智子「ファヴス」プロデューサー(以下、山中):一般的に、ペプチドや成長因子は皮膚の細胞の分裂・再生をサポートするといわれている。「ファヴス」のアンプルには一種類のペプチドを入れたのではなく、さまざまなペプチドと成長因子を同時に配合し、多方面にアプローチすることを目指した。選定したペプチドは、EGF1g当たり2000万円以上と非常に高価だ。また高含量の単一製剤として使用した場合、肌が敏感になるといった副作用を想定し、複合ペプチド+成長因子とし、商品価格を抑えるように努力している。

―――「ペプチド」をスキンケアで継続的に使うメリット、期待できる効果は?

竹岡篤史スキンケア成分ハンター(以下、竹岡):ビタミン同様に肌の持つ機能を助けたり、一時的に活性化させたり、沈静化を早めたりして、肌が持つ再生力を高めたり、健康な状態でいようとする力「恒常性」を高めたりする。ペプチドは、体の重要な機能、再生や代謝のスイッチをONやOFFにし、いわば肌の「向上力」を上げる成分といえる。

Dr.デス:ペプチドは、コラーゲンやエラスチンなどを最大限に増やし、引き締まった健康的な厚みのある肌を手に入れることができる。ペプチドは、継続的に使用することが望ましい。はじめは濃度が低く、望ましい効果を感じられるレベルまで組織中のペプチド濃度を高めるには数日かかるからだ。もうひとつの理由は、ペプチドが皮膚を通過する際に変質し、吸収されたときに活性が低下してしまう可能性があるためだ。あるメッセンジャーペプチドは、コラーゲンをより多く生成する「機械のスイッチを入れる」かもしれないが、永久持続的ではない。ペプチドがスイッチ機能を果たさなくなると、別のペプチドに交換しなければならないことも覚えておきたい。

――― なぜ、今ペプチドが見直されているのか。自身を「敏感肌」と感じる人が増えていることとも関係する?

竹岡:ペプチドは、既に20年以上に渡り世界中で応用されてきた。肌への効果も研究されていて、信用できる成分だ。私の知る限り、化粧品で使用されるペプチドのほとんどは非常に短いオリゴペプチドからできており、アレルギー性が発生しないように設計されている。肌へどのように働くのかも考えて開発されているので、非常に低濃度で効果を示すことも特徴だ。有効性を保ちながら、肌にやさしい安全性も設計ができることが魅力。敏感肌や刺激を感じやすい人にも使用可能な成分であり、カスタマイズしやすいのもメリットだ。新しいものに目移りしやすい化粧品業界において、温故知新の動きなのではないか。

山中:韓国のビューティトレンドとも関係している。Cosmetic Mania Newsが報じた、2023年時点の韓国コスメのトレンド展望データによれば、エイジングケアのニーズが1位だった。日本でも、エイジングケアを中低価格アイテムでかなえたいニーズが高まっていて、エイジングケアに長けた成分としてペプチドが見直されている。

――― 今後「ペプチド」以外で、ニーズが高まりそうな注目成分は?

山中:フサザキスイセン根エキスやツボクサエキスなど植物由来成分だ。「ファヴス」では、成長因子などをリポソーム化して肌に適切に届けることも大切にしている。

竹岡:毛穴に着目したスキンケア成分の開発が広がってきている。中でも注目しているのが「ローヤルゼリー酸(表示名称は、10-ヒドロキシデセン酸、10-ヒドロキシデカン酸、セバシン酸など)」だ。ハチミツにはなく、ローヤルゼリーにのみ含まれる脂肪酸の一群をローヤルゼリー酸と呼ぶ。例えば、ヒドロキシデカン酸、セバシン酸は「シシ(SISI)」のクレジングの共通成分、「マナラ(MANALA)」の“オンリーエッセンス”(100mL、6050円)や“アクナル”シリーズに採用されている。また、アゼライン酸などの「ヒドロキシ酸」にも注目している。

Dr.デス:健康で美しい肌をつくり、それを維持するための要件をペプチド単独で、全てカバーできるわけではない。ビタミンAはDNAを健康な状態に保ち、細胞を保護する重要な分子。全てのスキンケアにおいて何らかの形で取り入れるべきだ。問題は、太陽の光を浴びるたび、皮膚に備わっているビタミンAが破壊されることでシミのような色素沈着や、シワ、ニキビが起きたりする。ビタミンAはヒアルロン酸生成に不可欠な成分であるため、ビタミンAが不足すると乾燥肌につながる可能性もある。さらに、ビタミンCなどの抗酸化物質を補う必要があるほか、肌質によってはAHA(アルファヒドロキシ酸)を使うこともオススメだ。エンビロンのC-クエンスセラム(35mL、1万8040円~2万2770円)には、ペプチドだけではなく、ビタミンAやC、EEなど多彩な美容成分を採用している。

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“アパレル正社員”の道を選んだカリスマインフルエンサー 加藤愛里が「ティーナ:ジョジュン」で描く夢

PROFILE: 加藤愛里/「ティーナ:ジョジュン」クリエイティブディレクター&デザイナー

加藤愛里/「ティーナ:ジョジュン」クリエイティブディレクター&デザイナー
PROFILE: (かとう・あいり)/1998年生まれ、岐阜県出身。大学時代にユーチューブで活動を始め、現在インスタグラムでは21万人のフォロワーを抱えるインフルエンサー。シライに正社員として入社し、2021年2月「ティーナ:ジョジュン」を立ち上げ、クリエイティブディレクター&デザイナーを務める PHOTO:SHUHEI SHINE

「ティーナ:ジョジュン(TINA:JOJUN)」は、ルミネエスト新宿やルクア大阪など全国に5店舗を構える、若い女性の間で人気のアパレルブランドだ。クリエイティブディレクター&デザイナーの加藤愛里はインスタフォロワー21万人を抱えるカリスマ。大学時代からユーチューブやインスタグラムで活動していたが、卒業後は名古屋のアパレル企業であるシライ(白井浩一社長)に正社員として入社し、ブランドを立ち上げた。インフルエンサーが個人事業主としてブランドを運営するケースも珍しくない昨今、彼女が「アパレル社員」として働く道を選んだ理由とブランドの今後について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「ティーナ:ジョジュン」のコンセプトやターゲットについて教えてください。

加藤愛里(以下、加藤):“OLD AND NEW”がコンセプトです。「古くて新しい」「定番だけど奥深い」「定番だけど被らない」服作りを心掛けています。私のフォロワーの層がだいたい大学1年生ぐらいから32、3ぐらいまでの方が多いので、そのあたりの年齢層を意識していますね。

WWD:ブランド立ち上げまでの経緯は。

加藤:小学生の時からずっと自分でファッションブランドをやりたい、ブランドをやるならブランド名は「ティーナ」にしたい、とずっと家族に言っていたのを覚えています。デザイナーになるっていう夢以外、考えたことがなくて。

高校ではニュージーランドに1年間留学していました。そこで服ができるまでの一連の流れを学ぶ中で、自分が「職人気質ではない」と気づきました。手を動かして服を作ることが好きなんじゃなくて、それまでの過程、頭の中で自分が欲しいものを考えているときが、1番自分にとって幸せな時間だと気づいたんです。 だから服飾学校には行かず、大学ではマーケティングとマネジメントの勉強をしました。

大学時代には「まずSNSでファンを集めよう!」と思い、ユーチューブチャンネルも開設しました。自分が好きな世界観を発信しているうちに、自然とフォロワーが増えて“インフルエンサー”と言われるようになりました。ただその間も、あくまでブランドをやることしか頭になかったので、ユーチューブやインスタグラムは私の感性を表現する場所として徹底していました。卒業後はシライに入社して、ブランドを立ち上げました。

WWD:例えばインフルエンサーとしての活動をメインにしつつ、業務委託でブランド運営に携わる選択肢もあったのではないでしょうか。

加藤:「インフルエンサーブランド」ではなく、しっかりと服として見てもらえるモノ作りをしたいと思ったのが1番の理由です。それに個人事業主だと、自分の性格的に「今後どうしよう」「大丈夫かな」と心配ごとで頭がいっぱいになってしまうので(笑)。学生の頃からブランドをやりたい!とSNSで公言していたので、たくさんの会社からお声がけいただきました。その中で、「自分の作りたいものが本当に作れるのか?」ということを軸に会社(シライ)を選びました。当社はウィメンズファッションを扱う自社ECサイト「ジョイントスペース(JOINT SPACE))」を運営しています。自社でアパレル商品の企画・製造・販売まで一貫できる体制があるのが決め手でしたね。

WWD::社員としての働き方は?

加藤:ガッツリ週5で働いています。シーズンのコンセプト決めはもちろん、服のデザインからSNS・展示会に関することまで全て関わります。インスタグラムのフィード投稿のトップは「ティーナ」の世界観が一番伝わるようにしたいですし、私にしかできないクリエイティブ。写真撮影を自分ですることもあります。「ティーナ」の世界観を表現するための仕事は、基本的に全部自分が関わっています。逆に、インフルエンサーとしての活動は合間を縫ってやる程度になってしまっていて、ユーチューブの更新も年に3回とかになっちゃっています。

WWD:一番大変な仕事は何ですか?

加藤:デザインですね。トップスの柄はイラレで制作して、オリジナルの柄を1人で作ることもあります。「どっからどう見てもあいりちゃんが作ったでしょ!」みたいなものを作ることがこだわりです。世の中のトレンドを意識しすぎて、「みんなこういうものが好きだよね」という服を作ってた時期もありました。その時は、今よりもっときれいめの服が多かったです。その時はSNSフォロワーも伸び悩んでいて。何がダメなんだろうと考えたとき、今の「ティーナ」の服を自分が着たいかと考えたら「自分らしくない」「違うな」と気がついたんです。2023年秋冬のタイミングで、世の中のニーズを一旦考えないようにして、自分が本当に着たい服だけを作りました。展示会の反応も良くなり、SNS発信の方向性も変えたことでフォロワーがまた一気に伸びました。

WWD:やりがいは?

加藤:最初はファンの子が買ってくれることが、すごく自分の背中を押してくれていたんです。街を歩いていると必ず2、3人自分のブランドの服を着ている人に会うのですが、昔はその着ている子と目が合うと「あいりちゃんだ!」って声を掛けられていました。ただ今は少なくなりましたね。逆に「ティーナ」を着ていても私のことを知らない人が増えていて、それがうれしいです。ブランドが私から離れて独り立ちできているということだから。「ティーナ」が私の知らないところで「服」として選ばれているんだなぁと実感します。

インフルエンサーブランドって今の時代結構くくりにされちゃうじゃないですか。私的にはそれを乗り越えるのが第1ステップだなって思っていて、それはクリアできたのかな。

ティーナのファンには私より一回り年下の学生さんもたくさんいます。これから「好きなものばかり作っていていいのかな?」「デザインよりも質なのかな?」と悩むこともあるかもしれませんが、ファンの子たちと一緒に年を重ねながら、「ティーナ」をできるだけ長く続けていきたいです。

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「アディダス」のデジタルネックレスが300万円超え 「ロブロックス」がファッション産業にもたらすもの

コミュニケーションプラットフォーム「ロブロックス(ROBLOX)」は、2006年のサービス開始以来、アバタースタイリングを提案し続けてきた。先鋭的な機能やプロジェクト、ファッションブランドとのコラボレーションにより、デジタル上のファッションスタイルの選択肢を着実に広げている。メタバーストレンドの衰退を受け、企業側がバーチャルに関するもの全体を見直しているのは事実であるものの、「ロブロックス」のウィニー・バーク(Winnie Burke、以下ウィニー)グローバル・グループ・ディレクターが考える未来は真逆だ。ウィニーは米「WWD」の取材に対し、「ブランド・パートナーシップの数は増えており、数年単位での取り組みを持つほど関係性も深まっている」と語る。

PROFILE: ウィニー・バーク(Winnie Burke)/「ロブロックス」グローバル・グループ・ディレクター

ウィニー・バーク(Winnie Burke)/「ロブロックス」グローバル・グループ・ディレクター
PROFILE: ニューヨーク・タイムズ在籍後、ソニー・ピクチャーズエンタテインメントでデジタル広告セールス担当副社長を務めた。2015年にロブロックスに入社

広がるブランド・パートナーシップ
小売店とのコラボレーションも

「ロブロックス」上で販売された「アディダス(ADIDAS)」とのコラボによるデジタルネックレスは、今月200万Robux(約312万円※1ドル156円、6月10日時点)で落札された。それまで「ロブロックス」上で販売された限定バーチャルアイテムの最高額とされていた「ランボルギーニ(LAMBORGHINI)」の150万Robux(約234万円)のハットを超え、過去最高額となった。

「ロブロックス」のデイリーアクティブユーザー数は、23年12月末時点で7770万人━━これはイギリスの全人口よりも多い。膨大なユーザーを熱狂させ続けるのは、絶え間ない技術アップデートとユーザー体験、熱心なクリエイター・コミュニティーの構築、そして世界的ブランドとの長年にわたるコミュニケーションだ。「ロブロックス」は過去1年だけでも、「ヴェルサーチェ(VERSACE)」「ヒューゴ ボス(HUGO BOSS)」「ラブシャックファンシー(LOVESHACKFANCY)」「ジバンシイ(GIVENCHY)」、ロレアル、ヒルトンホテル、ウォルマート……その他多くのブランドや企業戦略のためのパートナーシップを築いた。

大きな盛り上がりを見せる「ロブロックス」だが、プラットフォームの成長においてはさらなる投資が必要だ。23年1〜9月の間、プラットフォーム上で販売されたデジタル商品は160万点を超え、前年同期比で15%増加した。一方で、同社の最新の第1四半期(24年1〜3月期)の業績報告書は、ユーザーの支出が減速していることを示唆した。同期の売上高は22%増の8億100万ドル(約1249億5600万円)に達したものの、第2四半期の予測を下方修正したことが投資家の不安を煽ったのだ。つまり「ロブロックス」は新たな収益源を見つける必要に迫られており、すでにその課題に着手している。今年4月、「ロブロックス」マーケットプレイスは申請プロセスを廃止し、資格基準を満たせば誰でもデジタルアイテムを販売できるようになった。先月には、仮想空間上のビルボードで動画広告配信を開始した。

そして次なるチャレンジは小売店への進出だ。かねてから取り組みを進めてきたウォルマートは、「ロブロックス」上でフィジカルとデジタル両方での商品販売をテストしている。先月「ロブロックス」クリエイター3人とコラボし、ウォルマートで実際に売っている「ノーバウンダリーズ(NO BOUNDARIES)」のバッグ、「TAL」のステンレスタンブラー、「オン(ONN)」のワイヤレスヘッドホンの3商品を「ロブロックス」仕様にデザイン。これらデジタルアイテムを「ロブロックス」上で購入すると、フィジカル商品が手元に届き、売り上げは直接ウォルマート側に支払われる仕組みだ。これらの取り組みは、eコマース上での取引がどれだけユーザー、特にZ世代に響くのかを試験するものだった。

「WWD」のインタビューの中で、ウィニーは“「ロブロックス」とファッションの関係”、そして“その関係がどのように成長しているか”、また“ゲームプラットフォームにおける最新の商品販売と広告”について語った。

WWD:「ロブロックス」は以前からファッションブランドとのパートナーシップを築いてきた。最近では「アディダス」との取り組みが良い例だ。

ウィニー・バーク(以下、ウィニー):「アディダス」は、このプラットフォームへのアプローチにおいて非常に理解がある先進的なブランドだ。私達と「アディダス」チームは密接に協力し戦略を練った。私達からはプラットフォーム上のトレンド傾向や「ロブロックス」上での仮想経済、仮想ビジネス、そして彼らが作成する商品の管理方法など、コンサルティング的なアプローチを提供した。

WWD:「アディダス」のほか、どれほどの企業と取り組みを行っている?

ウィニー:カテゴリーを問わず、300以上のブランドと話が進んでいる。私達のコミュニティーにおいて、自己表現とデジタル・アイデンティティーはとても重要なものだ。ウォルマートのような歴史のある小売業者から、「バーバリー(BURBERRY)」や「グッチ(GUCCI)」のようなラグジュアリーブランド、そして「アディダス」や「ナイキ(NIKE)」「プーマ(PUMA)」などのスポーツブランド、さらにファストファッションまで、多くのブランドや企業とプロジェクトに取り組んでいる。数えればきりがないほどだ。

多くのメタバースが衰退する中
「ロブロックス」が成長し続ける理由

WWD:「ロブロックス」は時にメタバースに分類される。しかし独立したプラットフォームであり、独立した仮想世界であるからこそ、他のエコシステムに依存せず、メタバースバブルの崩壊から隔離されているようにも感じる。

ウィニー:同感だ。しかし同時に、ゲームは限定的なものだと感じる。私達のプラットフォームで最も特徴的なことは、ゲーム、エンターテインメント、ソーシャライゼーション、そして友人と共に楽しめるアクティビティーや体験全てが1つに組み合わさっている部分だ。コンサートに参加したり、アーティストに会ったり、プライベートサーバーで気が知れた仲間とつながったり、ファッションショーに参加したり、アバターを着飾ったりすることもできる。中でもファッションスタイルを表現するゲーム“Dressed to Impress”は、「ロブロックス」上でもトップクラスに人気のコンテンツだ。

WWD:様々なコンテンツがそろった「ロブロックス」は、かなり自己完結的な環境とも言える。その一方で2万ドル(約312万円)ものバーチャルアイテムを買ったら、他のプラットフォームでも着用したくなりそうなものだ。他のゲームやプラットフォームとの相互運用性についての計画は?

ウィニー:第一に、私達はコミュニティーのために作られた組織である。現時点で私達が計画していることはないが、「商品をプラットフォーム外に持ち出すことで、コミュニティーに良い影響力をもたらすのか」という部分では常に注目し、検討しているテーマだ。「ロブロックス」の特徴の一つとして、そのアイテムの有用性がプラットフォーム上に存在することだと考えている。アイテムを身につけたり、ステータスとして見せたりしたい場合、「ロブロックス」上なら大勢のオーディエンスや仲間にアピールすることができる。7800万近いユーザーがいるため、絶大な自己表現の場になり得るのだ。プラットフォームそのものは独立的で閉鎖的に見えるかも知れないが、体験自体は非中央集権的であると言えるだろう。

“フィジタル”で実現する
インタラクティブなeコマース戦略

WWD:「ロブロックス」におけるファッションプロジェクトの軌跡とは?

ウィニー:ラグジュアリーブランドはこのプラットフォームに早い時期から参入していた。21年、「グッチ」のデジタル“ディオニュソス”バッグは二次流通でブームを起こし、約4115ドル(約64万1940円)で落札された。現実で販売されているバッグの価格3400ドル(約53万400円)を700ドル(約10万9200円)以上も上回ったのだ。
この「グッチ」の取り組みは、他のラグジュアリーブランドが取り組みを行うための良い指標となった。もちろん慎重に様子を伺うブランドは多いが、この業界ではよくあることだ。十数年前のソーシャルプラットフォームがたどった軌跡とよく似ている。今では、これから取り組みを始めるブランドだけではなく、すでにアクションを始めているブランドでさえ「自分達は遅れをとっているのでは」と焦っている。しかし進化し続けているプラットフォームだからそう感じるだけで、実際は遅れているなんてことはない。

WWD:広告についてはどのような戦略を持つ?

ウィニー:仮想空間上のビルボードを活用することで、デジタル上であっても現実世界と変わらないチャネルとして利用できる。これにより、ブランド側が金銭・時間的な負担を負うことなくプロモーションにつながるよう努めている。

WWD:eコマースプラットフォームとしての「ロブロックス」に至るまでの道のりとは?

ウィニー:ここ1年半ほどはコミュニティーだけでなく、マーケティング担当者やプラットフォームに参加しているブランドのニーズにも耳を傾けてきた。「ロブロックス」には、多くの時間を消費する膨大なオーディエンスがいる。instagram、Pinterest、TikTokなど、他のプラットフォームも実装してきたように、「ロブロックス」もeコマースプラットフォームとして確立していきたい。ブランドやユーザーがプラットフォームから離脱せずに商品の売買を行えるようにしたいと考えている。

WWD:ウォルマートとのプロジェクトは、eコマース事業のための試験的な取り組みだったのか?

ウィニー:確かにウォルマートとの取り組みは試験的に行った。実際にウォルマートが持つエコシステムの中で反響が大きく、トレンドになっている3つの商品をeコマースで提供することができた。「ロブロックス」上のバーチャルアイテムはフィジカルアイテムとは少し異なるが、それがカギだ。ここからインスピレーションを得て欲しい。「アディダス」が販売したデジタルネックレスを現実世界で生産していないのと同じだ。

「ロブロックス」は研究開発として活用するためのプラットフォームではないが、実際に企業はそのように考えているだろう。昨年行った「フェンティ ビューティ(FENTY BEAUTY)」とのコラボレーションでは、ユーザーが作成した様々なバージョンのリップからリアーナが選んだものをフィジカル商品として生産した。このように実際に“フィジタル”が実現した例はたくさんあるし、今後もっと増えていくだろう。

WWD:「アディダス」のデジタルネックレスにはフィジカルスニーカーが付属し、「ランボルギーニ」のデジタルハットはイタリアのランボルギーニ本社へのツアー特権が付属した。「ロブロックス」は今後も、さらなる“フィジタル”体験の提供を強化していく予定なのか。

ウィニー:最終的には私たちのテクノロジーによって、誰もがプラットフォーム上で販売者になれるようになることを目指している。ブランドにとっても、クリエイターにとっても、デジタル上の仲間と共にフィジカル商品の体験を共有できるようにしたい。今年はより正式なソリューションを確立し、複数の実験を行う予定だ。

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「なぜコスメを“ガシャポン”に?」 おもちゃメーカー・バンダイの企画担当者に素朴な疑問をぶつけてみた

PROFILE: 古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ

古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ
PROFILE: PROFILE: (ふるさわ・つぐみ)2016年、バンダイに入社。コスメブランド「クレアボーテ」の商品企画開発を担当している PHOTO : SHUHEI SHINE

コロナ禍以降、気づけばどこもかしこも“ガシャポン”だらけ。駅や商業施設、空港、コンビニまで……“ガシャポン”の自販機を見かける機会が多くなっています。“ガシャポン”といえば、おもちゃやミニチュアのフィギュアなどが思い浮かびますが、実際に使えるコスメが出てくるバンダイのガシャポンシリーズ「ポンデクルール(PON DE COULEUR)」の“ガシャポンコスメ”が異彩を放っています。今までに、サンリオやアニメ「おジャ魔女どれみ」などとコラボし、SNSでも話題となりました。

「なぜコスメを“ガシャポン”にしようと思ったのか」「炎天下の中でも大丈夫なの?」などの素朴な疑問を、バンダイの化粧品ブランド「クレアボーテ(CREERBEAUTE)」の企画を担当している古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフにぶつけてみました。

“ガシャポンコスメ”の課題は、自分で好きな色を選べないこと

WWD:コスメを“ガシャポン”にしようと思ったきっかけは?

古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ(以下、古澤):“ガシャポン”の市場が非常に好調だということは、社内で共有がありました。実は、バンダイは約10年前から「クレアボーテ」というコスメブランドを展開しており、これまでは店頭に並ぶ化粧品の商品化が多かったのです。

ある時、バンダイが作る、おもちゃ屋さんならではのエンターテイメント性のあるコスメを生み出したい、今好調な“ガシャポン”市場でコスメを売るとどうなるんだろう、“色味がランダムで出てくるコスメ”を売ったらどんな風に受け取ってもらえるんだろう、と考えたことが“ガシャポンコスメ”を作ったきっかけです。

WWD:不安はなかったか?

古澤:古澤:とても不安でした。色を自分で選べないということがネガティブにならないよう、どんなカラーが出てきても「当たりだ!」と思ってもらえるよう、万人受けするカラー展開と使用感を意識しました。今までにない誰もがワクワクするコスメを生み出したかったのです。また、コスメは肌に直接塗布するものなのでお客さまに安心安全に使用してもらえるよう、品質管理は徹底しました。

WWD:苦労した点は?

古澤:マシンのディスプレイポスターですね。化粧品売り場とは違いテスターが置けないので、色味や商品のサイズ感などが伝わりにくいことが課題でした。この小さなポスターの中に情報量を詰め込みすぎず、商品を魅力的に、カラー展開をわかりやすく訴求できるかをかなり試行錯誤しました。

発売前にはディスプレーの状態でどのくらい魅力的に見えるかなどのマーケティング調査を実施し、ユーザーの声を募りました。そうして何度も調査を繰り返し、メイクイメージやサイズの表記、天面のデザイン、活用方法などを盛り込み、さらにキャラクターのファンをがっかりさせない世界観のデザインを意識しました。このポスターは、商品とお客さまのファーストインプレションになるので一番時間をかけました。

WWD:コラボレーションするキャラクターはどのように選定している?

古澤:化粧品という商材と、キャラクターの世界観の相乗効果があるかどうかで決めています。子どもの頃、化粧品は大人のお姉さんが使っているという憧れ的な思いを抱いていた人もいたのではないでしょうか。そんな昔に憧れていたキャラクターや作品をセレクトし、版元にコラボしませんか?と声を掛けています。

古澤「自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしい」

WWD:昨今、パーソナルカラーを元にコスメを選ぶ人が増えていると感じます。バラエティーショップの什器や店頭のポップまで、「イエローベースにおすすめ」「ブルーベースにぴったり」などの訴求を見かけるようになりました。

古澤:そんなはやりがある中、この“ガシャポンコスメ”は異端児だと思っています。基本的に化粧品を買う時、自分に似合う色や好きな色を選びたい、失敗したくないという心理が働くことが当たり前ですが、“ガシャポンコスメ”には普段手に取らない新しい色と出合ってほしい、そして自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしいという思いを込めています。

だからこそ、“ガシャポン”シリーズ「ポンデクルール」は、キャッチコピーに“あたらしい色(じぶん)に出会おう”を掲げているんです。

WWD:実際に水色のマルチカラーパウダーを使ってみました。一見使いづらそうな色味ですが、肌に良くなじむ穏やかな発色で、透明感のあるメイクに仕上がります。ただ、メイク初心者にはむずかしそうなこのカラー、使い方はどのように提案するのですか?

古澤:意外と使い勝手が良いカラーなんです。自分には似合わないからとポーチの奥底に眠ってしまうのはもったいないので、手持ちのコスメに重ねてニュアンスチェンジとして使用したり、目元や頬などの顔のさまざまなパーツに使える色味に仕上げました。

WWD:サイズもそこまで小ささを感じなくて、持ち運びやすく、いろんなシーンで使いやすそうです。そういった手軽さもいいですね。

古澤:そうですね。使用方法もいろいろと検討しました。この“ガシャポンコスメ”を手にするきっかけがお目当てのキャラクターで、メイクをしたことがない人がこの商品を手にするかもしれません。そういったことも想定して公式サイトにメイクイメージを掲載したり、他のカラーと組み合わせて使用するメイク方法などを提案しています。

おもちゃメーカーだからこそ、安心安全を徹底

WWD:炎天下の野外など、設置場所によって安全性が左右されてしまうのでは?

古澤:品質管理については、真夏のトラックの中で異変が起きないかなど、かなり厳しい環境を想定して検査を繰り返しました。通常の店頭に並んでいる化粧品よりも過酷な環境下に置かれるというのは想像できるので、安全性には十分に配慮しています。

“ガシャポン”を回した時に落としてパウダーが割れてしまったり、カプセルの中でケースが傷ついたりしないように緩衝材でしっかりと包装するなど、徹底的に検証しました。

WWD:良く見るカラフルなカプセルとは違い、中身が全く見えない黒の理由は?

古澤:開封するまでどんなカラーが出てくるのか分からないワクワク感を楽しんでいただきたく、ブラックのカプセルを採用しています。

WWD:特にこだわった部分は?

古澤:容器の透明度ですね。おもちゃの透明のパーツよりもさらに化粧品が美しく見える、清潔感のあるクリアな容器を採用しています。カプセル自販機での販売を想定した安全基準と、美しい透明感を維持できるギリギリのバランスを攻めました。あとは天面のイラストデザインと、マルチカラーパウダーの色味がリンクするような一体感も心掛けています。

高品質なコスメとキャラクターグッズの両立を目指す

WWD:販売後の反響は?

古澤:ありがたいことに、売り上げもSNSの反響も想像以上でした。2024年3月に“ガシャポンコスメ”を発売しましたが、計画比を大きく上回る形で好スタートを切っています。

WWD:課題は?

古澤:バンダイはおもちゃやゲーム、キャラクターグッズなどのイメージが強く「クレアボーテ」というコスメブランドがあること自体、まだ浸透していません。キャラクターの世界観を反映したパッケージは好評ですが、今後は品質の良さもアピールしていきたいです。

WWD:今後について教えてください

古澤:手軽に楽しめるコスメかつキャラクターグッズとしても満足してもらえるよう両立をしながら、“ガシャポンコスメ”のシリーズを拡充していきたいです。現在はマルチカラーパウダーのみの展開ですが、リップやベースメイクなどの別アイテムも取り扱いを検討しています。皆さんに商品を届けられる準備ができたら発表するので、それまで楽しみにしていてください。

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「なぜコスメを“ガシャポン”に?」 おもちゃメーカー・バンダイの企画担当者に素朴な疑問をぶつけてみた

PROFILE: 古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ

古澤つぐみ/バンダイ ライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ
PROFILE: PROFILE: (ふるさわ・つぐみ)2016年、バンダイに入社。コスメブランド「クレアボーテ」の商品企画開発を担当している PHOTO : SHUHEI SHINE

コロナ禍以降、気づけばどこもかしこも“ガシャポン”だらけ。駅や商業施設、空港、コンビニまで……“ガシャポン”の自販機を見かける機会が多くなっています。“ガシャポン”といえば、おもちゃやミニチュアのフィギュアなどが思い浮かびますが、実際に使えるコスメが出てくるバンダイのガシャポンシリーズ「ポンデクルール(PON DE COULEUR)」の“ガシャポンコスメ”が異彩を放っています。今までに、サンリオやアニメ「おジャ魔女どれみ」などとコラボし、SNSでも話題となりました。

「なぜコスメを“ガシャポン”にしようと思ったのか」「炎天下の中でも大丈夫なの?」などの素朴な疑問を、バンダイの化粧品ブランド「クレアボーテ(CREERBEAUTE)」の企画を担当している古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフにぶつけてみました。

“ガシャポンコスメ”の課題は、自分で好きな色を選べないこと

WWD:コスメを“ガシャポン”にしようと思ったきっかけは?

古澤つぐみライフスタイル事業部 ファッショングッズチーム チーフ(以下、古澤):“ガシャポン”の市場が非常に好調だということは、社内で共有がありました。実は、バンダイは約10年前から「クレアボーテ」というコスメブランドを展開しており、これまでは店頭に並ぶ化粧品の商品化が多かったのです。

ある時、バンダイが作る、おもちゃ屋さんならではのエンターテイメント性のあるコスメを生み出したい、今好調な“ガシャポン”市場でコスメを売るとどうなるんだろう、“色味がランダムで出てくるコスメ”を売ったらどんな風に受け取ってもらえるんだろう、と考えたことが“ガシャポンコスメ”を作ったきっかけです。

WWD:不安はなかったか?

古澤:古澤:とても不安でした。色を自分で選べないということがネガティブにならないよう、どんなカラーが出てきても「当たりだ!」と思ってもらえるよう、万人受けするカラー展開と使用感を意識しました。今までにない誰もがワクワクするコスメを生み出したかったのです。また、コスメは肌に直接塗布するものなのでお客さまに安心安全に使用してもらえるよう、品質管理は徹底しました。

WWD:苦労した点は?

古澤:マシンのディスプレイポスターですね。化粧品売り場とは違いテスターが置けないので、色味や商品のサイズ感などが伝わりにくいことが課題でした。この小さなポスターの中に情報量を詰め込みすぎず、商品を魅力的に、カラー展開をわかりやすく訴求できるかをかなり試行錯誤しました。

発売前にはディスプレーの状態でどのくらい魅力的に見えるかなどのマーケティング調査を実施し、ユーザーの声を募りました。そうして何度も調査を繰り返し、メイクイメージやサイズの表記、天面のデザイン、活用方法などを盛り込み、さらにキャラクターのファンをがっかりさせない世界観のデザインを意識しました。このポスターは、商品とお客さまのファーストインプレションになるので一番時間をかけました。

WWD:コラボレーションするキャラクターはどのように選定している?

古澤:化粧品という商材と、キャラクターの世界観の相乗効果があるかどうかで決めています。子どもの頃、化粧品は大人のお姉さんが使っているという憧れ的な思いを抱いていた人もいたのではないでしょうか。そんな昔に憧れていたキャラクターや作品をセレクトし、版元にコラボしませんか?と声を掛けています。

古澤「自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしい」

WWD:昨今、パーソナルカラーを元にコスメを選ぶ人が増えていると感じます。バラエティーショップの什器や店頭のポップまで、「イエローベースにおすすめ」「ブルーベースにぴったり」などの訴求を見かけるようになりました。

古澤:そんなはやりがある中、この“ガシャポンコスメ”は異端児だと思っています。基本的に化粧品を買う時、自分に似合う色や好きな色を選びたい、失敗したくないという心理が働くことが当たり前ですが、“ガシャポンコスメ”には普段手に取らない新しい色と出合ってほしい、そして自分に似合う色と偶然出合えた時の喜びを体験してほしいという思いを込めています。

だからこそ、“ガシャポン”シリーズ「ポンデクルール」は、キャッチコピーに“あたらしい色(じぶん)に出会おう”を掲げているんです。

WWD:実際に水色のマルチカラーパウダーを使ってみました。一見使いづらそうな色味ですが、肌に良くなじむ穏やかな発色で、透明感のあるメイクに仕上がります。ただ、メイク初心者にはむずかしそうなこのカラー、使い方はどのように提案するのですか?

古澤:意外と使い勝手が良いカラーなんです。自分には似合わないからとポーチの奥底に眠ってしまうのはもったいないので、手持ちのコスメに重ねてニュアンスチェンジとして使用したり、目元や頬などの顔のさまざまなパーツに使える色味に仕上げました。

WWD:サイズもそこまで小ささを感じなくて、持ち運びやすく、いろんなシーンで使いやすそうです。そういった手軽さもいいですね。

古澤:そうですね。使用方法もいろいろと検討しました。この“ガシャポンコスメ”を手にするきっかけがお目当てのキャラクターで、メイクをしたことがない人がこの商品を手にするかもしれません。そういったことも想定して公式サイトにメイクイメージを掲載したり、他のカラーと組み合わせて使用するメイク方法などを提案しています。

おもちゃメーカーだからこそ、安心安全を徹底

WWD:炎天下の野外など、設置場所によって安全性が左右されてしまうのでは?

古澤:品質管理については、真夏のトラックの中で異変が起きないかなど、かなり厳しい環境を想定して検査を繰り返しました。通常の店頭に並んでいる化粧品よりも過酷な環境下に置かれるというのは想像できるので、安全性には十分に配慮しています。

“ガシャポン”を回した時に落としてパウダーが割れてしまったり、カプセルの中でケースが傷ついたりしないように緩衝材でしっかりと包装するなど、徹底的に検証しました。

WWD:良く見るカラフルなカプセルとは違い、中身が全く見えない黒の理由は?

古澤:開封するまでどんなカラーが出てくるのか分からないワクワク感を楽しんでいただきたく、ブラックのカプセルを採用しています。

WWD:特にこだわった部分は?

古澤:容器の透明度ですね。おもちゃの透明のパーツよりもさらに化粧品が美しく見える、清潔感のあるクリアな容器を採用しています。カプセル自販機での販売を想定した安全基準と、美しい透明感を維持できるギリギリのバランスを攻めました。あとは天面のイラストデザインと、マルチカラーパウダーの色味がリンクするような一体感も心掛けています。

高品質なコスメとキャラクターグッズの両立を目指す

WWD:販売後の反響は?

古澤:ありがたいことに、売り上げもSNSの反響も想像以上でした。2024年3月に“ガシャポンコスメ”を発売しましたが、計画比を大きく上回る形で好スタートを切っています。

WWD:課題は?

古澤:バンダイはおもちゃやゲーム、キャラクターグッズなどのイメージが強く「クレアボーテ」というコスメブランドがあること自体、まだ浸透していません。キャラクターの世界観を反映したパッケージは好評ですが、今後は品質の良さもアピールしていきたいです。

WWD:今後について教えてください

古澤:手軽に楽しめるコスメかつキャラクターグッズとしても満足してもらえるよう両立をしながら、“ガシャポンコスメ”のシリーズを拡充していきたいです。現在はマルチカラーパウダーのみの展開ですが、リップやベースメイクなどの別アイテムも取り扱いを検討しています。皆さんに商品を届けられる準備ができたら発表するので、それまで楽しみにしていてください。

The post 「なぜコスメを“ガシャポン”に?」 おもちゃメーカー・バンダイの企画担当者に素朴な疑問をぶつけてみた appeared first on WWDJAPAN.

ラッパーのvalkneeが作り出す“新たな文化圏”——かわいいからY2K、魔女、ヤンキー、宝塚までMIX

PROFILE: valknee(バルニー)/ラッパー、アーティスト

valknee(バルニー)/ラッパー、アーティスト
PROFILE: 2019年に音楽活動を開始。20年5月にリリースしたシングル「Zoom」でヒップホップファンのみならず幅広い人々から注目を浴び、同曲に参加したメンバーと「Zoomgals」として活動。22年7月にリリースしたEP「vs.」はアメリカの大手音楽メディアPitchforkに掲載された。「ラップスタア誕生2023」への出演や、和田彩花、REIRIE、lyrical schoolといったアイドルへの楽曲提供など活動の幅を広げる。24年4月に1stアルバム「Ordinary」をリリースした。

valknee(バルニー)は、自身のリアルを追求しながら従来のヒップホップの価値観に異を唱えてきた、オルタナティブなラッパーだ。2019年にデビューして以降、世の中への怒りや不満を糧に毒のあるかわいさを作品に取り入れ、独自の世界観を築き上げてきた。コロナ禍に女性ラッパーたちと連帯し結成したZoomgals(ズームギャルズ)をはじめとして、ヒップホップ・フェミニズムの文脈でも重要な存在に。今年の4月にはファーストアルバム「Ordinary」をリリース、先日は渋谷WWWで初のワンマンライブも実現させた。

一方で、ルーツの1つにアイドル音楽もあり、REIRIE(レイリエ)や和田彩花、lyrical school(リリカルスクール)の楽曲プロデュースでも才能を発揮。音楽活動以外では仲間と運営する音声メディア「ラジオ屋さんごっこ」が人気を得ており、その幅広い活動に注目が集まっている。valkneeから発信されるユニークでかわいい表現はクリエイター層の支持も厚く、新たな文化圏を形成しつつあって興味深い。今回は、これまであまり語られることがなかった、表現におけるビジュアルやデザイン・ファッション面を中心に話を聞いた。

アートディレクター“あおいち”の存在

——今回はvalkneeさんのビジュアルやデザイン・ファッション面について伺いたいんですが、出身はムサビ(武蔵野美術大学)でしたよね? 美大時代に学んだことは今の制作に活かされてますか?

valknee:いや、活かされてないと思います(笑)。私は空間演出デザイン学科だったんですけど、何をやりたいのか分からないまま美大時代を過ごしてしまったんですよ。楽しい大学生活ではあったけど、ずっとふざけてた気がする。それよりは、浪人中に予備校でデッサンを描いていたことの方が今につながっているなと思います。デッサンで、描く時にまず薄目で見て全体の陰影をつかんでから、その後ちゃんと見て細部を描く。そういったズームアウトした物の見方というのが、今も役立っているように思いますね。

——俯瞰した引きの視点、ということですね。実際に具体例を伺っていきたいのですが、例えば最新アルバム「Ordinary」のアートワークはどのように作っていったのでしょう。

valknee:私が“あおいち”と呼んでいる、アートディレクターのAOI ITOHさんが私のアー写やジャケ写を長らく担当してくれてるんですけど、今回まだアルバムの中の2曲くらいしかできあがっていない段階でそれをシェアして、「この曲からイメージする私のファーストアルバムを具現化してほしい」と伝えたんです。具体的な色のニュアンスとか、ジャケ写の中で何%くらい私の写真が占めるのかといったことは私が指定してますけど、あとはお任せしています。

私とあおいちの中では、「こういうのがかわいいものだよね」「イケてるよね」という共通の認識というのがあって。これまではそれを全開にしながら自由に表現してきたんですけど、ファーストアルバムはもう少しニュートラルなものにしようということで、若干の調整を入れました。コテコテすぎずサラッとした味わいのものにしたかったんです。あおいちはクライアントワークというよりはどちらかというとアーティスト気質の人で、自由にやってもらったらもっとコテコテのものになると思うんです。でも世の中って私たちみたいな好みの人ばかりじゃないから、もうちょっと手に取りやすいものにしたいんだよねということを話しました。

——なるほど。使用カラーでいうとこれまではピンクが多かったですが、そこは、今回は初めから排除していた?

valknee:そうですね、ピンクと紫は今までたくさん使ってきたのでやめようという話はしました。そういった色を見て共感してくれる方たちは、もうすでにvalkneeを聴いてくれてるんじゃないかなと思って。それより今回は青でいきたかったんですよ。ユースカルチャーにおけるオルタナティブなラップシーンでは、最近イベントのフライヤーやジャケットで青がよく使われていて、手に取りやすい。もちろん、個人的にも嫌いじゃない色だし。やっぱり1枚目のアルバムなので、自己紹介的にいろんな人に手に取ってもらいやすいようにというのを重視しましたね。

——しかも、青のパレットの中でも少しくすんだ感じの色合いですよね。

valknee:最初あおいちからはもう少しパキパキの青であがってきたんですけど、もうちょっとクラフト感がある方がユーズドっぽくて好きなので、そこは微妙な調整を入れていきました。

——アートワークに合わせて、音楽性もこれまでのvalknee的ギャルさ全開という感じではない。そこは少し抑えられた気がします。

valknee:確かに、1曲目の「OG」は庶民的なギャルの日常を描写してますけど、他はそうでもないですよね。ライブをやる時のことを考えるようになったからだと思います。もう少し湿度のあるエモいセクションがあってもいいし、最後はいつも通りドカンと盛り上げてギャル全開でいこう、みたいな。

——以前にはなかった、新たな視点が加わってきたと。

valknee:以前はMAX100人の小箱で盛り上げることを考えていたけど、最近は箱のサイズも徐々に大きくなったり、フェスに出させてもらったりする中で、ロケーションに合う楽曲が必要になってきた感じです。今までいろんなアーティストが「ステージが変わらないと出せない音ってあるよね」ということを言ってて意味が分からなかったんですけど(笑)、ちょっとだけ分かってきた気もします。想像力が増えて、作れる楽曲の幅が広がったようなイメージ。

——あおいちさんとは、今後どういった形でvalkneeを大きくしていきたいか、というようなことも話すんですか?

valknee:いや、あおいちとは目の前のことしか話してないですね。あおいち自身はクラブもフェスも関心がなくて、純粋に私のことだけを応援してくれてる人なんですよ。私にカッコいいスタイリングとヘアメイクをしてイイ感じの写真を撮ることに興味があって、くらいの感覚。私がどこのステージに行こうがあまり興味ないというか(笑)。それよりは、「今これがカッコいい」「これってかわいいよね」というのをシェアし合える仲。あと、ネットのミームも好きで、SNSでのvalkneeへの反応を見て喜んだりとか。昔、「私がビッグになってあおいちを大きいステージに連れてく!」って言ったこともあるんですが、「はて? 大きいステージとは?」みたいな感じだった(笑)。

——あおいちさんとはほぼクルーと言っていいくらいの距離感で一緒にやってきていると思いますが、そもそも最初の出会いはどういうきっかけだったんでしょう。

valknee:最初は「ラジオ屋さんごっこ」の仲間(つーちゃん)が、valkneeに似合いそうな子がいるから紹介するよって言ってくれて。あおいちは当時美大生で、卒展に向けて制作しているような時期でした。それで、あおいちの毒があって刺してくるような作品を見てビビッと来た。どギツイピンクの色合いや真っ赤な血が使われていて、和の世界観の中にかわいいカルチャーや毒気のあるキラキラしたものが盛り込まれていたんです。あおいちも私の曲を気に入ってくれて、意気投合しました。

衣装について

——クルーといえば、バックDJをされているバイレファンキかけ子さんも含めて3人が仲良しですよね。あおいちさんのクリエイティブの世界観には宝塚が大きな影響を与えていると思いますが、バイレファンキかけ子さんも宝塚がお好きみたいで。valkneeチームには、共通の大きなバイブスとして宝塚の存在があるのでしょうか。

valknee:そう、あおいちとかけ子さんも仲が良くて、2人で宝塚を観に行ったりしていますね。私は観たことがなくて、この前初めて連れていってもらいました。圧倒されて終わった(笑)。でも、意識的に観てなくても知らず知らずのうちに影響は受けてるかもしれない。あおいちの家に作業しに行くと、デフォルトで大きいTV画面にスカパーの「タカラヅカ・スカイ・ステージ」というチャンネルが延々と流れてるんですよ(笑)。

——それはもう、影響を受けざるを得ないですね(笑)。

valknee:そういうのも含めて、基本的なノリが合ってるなとは思います。制作をしているとやっぱり合う・合わないがでてくるじゃないですか。自分の場合はそういったナードっぽい人の方が仲良くなりやすい。あおいちはコンプレックスとか悲しみも理解してくれるような室内系のバイブスがあって、とはいえメソメソ系ではなく、室内にいながらも強さがあって、でも疲れやすくて……(笑)。

——ワンマンライブでの衣装も、valkneeさんならではの世界観が表現されていました。あれはどのように固めていったんですか?

valknee:衣装はあおいちに丸投げでも良かったんですけど、まずは自分で考えてみようと思ってイメージを集めていきました。K-POPアイドルの画像も集めて参考にしたかな。1つは今までの延長で、茶系のファーを使って野生の感じもありつつ2000年代的なスタイル。もう1つは、海賊(笑)。新品で購入したのもあるけど、ほとんどがメルカリです。それをあおいちの家に持って行って、インナーや足元など一部を修正して仕上げてもらった感じ。

私の活動規模だとまだまだ予算はなくて、スタイリストさんにお願いするのはちょっと厳しいから、できることは全部自分でやってます。メルカリでも、「ウエスタン ベルト」「上限〇〇円まで」みたいな感じで検索しまくりました(笑)。今回、幕間の映像も全部自分で作ったんですよ。

——なるほど、基本はメルカリなんですね。リアルの古着屋はあまり使わない?

valknee:あまり使わないんですよ。大阪へ行った時にかわいい古着屋を教えてもらって行ったりはしたけど、日常的に東京で行くお店はないですね。今まで働きながら音楽活動をしていたので、週 5で働いて音楽作ってライブもすると余裕がなくて、もう本も読めないみたいな生活で。そうなると、服も本当は好きなんですけどどんどん後回しになっていった。

最近やっと仕事を辞めて音楽活動に専念できるようになったので、ようやくファッションを楽しむ1年生になれた感じ(笑)。あと、自分で服を決めて買うのがけっこう苦手な気がする。それこそ、最近はあおいちとかけ子さんが「これ似合いそうですよ」って勝手にLINEで送ってくれるようになって。そういう時は、あまり考えずに買うようにしてます。彼女たちのセンスを信用してるから。

——valkneeさんといえば、「ルルムウ(RURUMU)」をよく着られている印象もあります。楽曲プロデュースされていたREIRIEも、「ルルムウ」を着用してますね。いつ頃から愛用されてるんですか?

valknee:確かに、「ルルムウ」は好きですね。自分が大学生くらいの時に、国内のちょっと変わったアイドルの人たちが「ルルムウ」を着はじめた記憶があって。凝ったディテールで、魔女っぽくて、かわいいものが好きな心を刺激されるような作りだなと思って当時は見てました。でも私はチャリンコにも乗るし、活発に動くので、難しそうな気がしてずっと見送ってたんですよ。酔っぱらって歩いてたら、そのあたりに引っ掛けて破いちゃいそうじゃないですか(笑)。その後あおいちが「ルルムウ」を手伝うようになったのもあって、ちゃんと見てみたら意外にカジュアルに着られるものもあるなということに気付き購入するようになりました。

共感するラッパーやアーティスト

——ちなみに、ファッション面で共感するラッパーやアーティストはいますか?

valknee:KAMIYAちゃんはファンですね。でも、普通にかてぃとかも好きです。ちょっと悪くてダークな感じというか。

——KAMIYAもかてぃも、ちょっとだけヤンキーっぽいのかもしれない。ということは、sheidA (シェイダ)とか。

valknee:あぁ、sheidAもインスタ見ちゃいますね。そうそう、ヤンキーっぽいけどかわいいっていうのは好きかも。あとはAlice Longyu Gao(アリス・ロンギュ・ギャオ)とかも好き。才能や内面によって、見た目のビジュアルがより素敵に見えるというのが理想だなと思っていて、それは自分も目指したいと思ってます。ただ、まっすぐ見た目が良くてかわいく見えるというのも放棄したくないんですよ。

例えば、私の音楽性だったらK-POPアイドルみたいなファッションの要素ってなくても別にいいと思うんですけど、でもそういうのをあえて取り入れたい。全体としてなんかイケてる、というふうに見てもらいたいです。

——yeaule(ユール)とかJazmin Bean (ジャズミン・ビーン)とかも、まさにそうですよね。かわいいものをどのように自分なりに捉えるかという思想が、ビジュアルに表れている。

valknee:そうなんですよ。Ashnikko(アシュニコ)とかもそう。プラス、自分を奇抜にして面白がって見てもらいたいという感覚もあるのかな。自分もビジュアルを見て違和感を感じてもらいたいから、そのあたりも近いのかも。あとは、見た目を過剰に気にして痩せたいとか若く見えたいとかっていう価値観から抜け出せない人ってたくさんいて、自分もそこで悩むことが多いし、だからそういうところにフィールしてくれる人たちに向けて服を着たいです。世の中のいろんな価値観から解脱したいけど、今日すぐにやめられるわけではないし、その悩みをちゃんと表現できている人に憧れる。

——ちなみに、気になっているスタイリストはいますか?

valknee:そんなにたくさんの人を見ているわけではないですけど、Yuri Noshoさんは好きです。新品を使って終わりじゃない感じが良いし、かわいい。

——でもvalkneeさんの場合、スタイリストと組んでもあまり丸投げしなさそうですよね。ちゃんと自分でも関わっていたいタイプのように見えます。

valknee:私はコントロールフリークなところがあって、自分がどう見えているかをちゃんと把握していないと心配になっちゃうんですよね。それはアートディレクションやファッション以外の、音楽についてもそう。実際それで遅延したこともあるし、自分のオーダーを言いすぎてたんだと思う。作ってもらったトラックに対して、一部のメロディーだけを外して、自分でMIDIで打ったものを渡したりとか……さすがにそれだと作家さんによってはぎくしゃくするし、最新アルバムでは音楽面はお任せしました。

“valknee文化圏”

——ファンの方と相互にコミュニケーションするようなクリエイティブのあり方も模索していますよね。ワンマンライブでは、以前募集していたvalkneeのお友達キャラクターも公開していました。

valknee:あおいちとインスタライブをしながら、ワンマンライブに向けて会議をしたことがあったんです。ライブのマーチをどうしようかと話していた時に、それこそNewJeans(ニュージーンズ)とかのキャラクターがかわいいってなって、恐らく私のリスナーもそういうの好きだろうなと思って募集しちゃいました。その場であおいちがキャラクターを描いて、「じゃあ皆これよりかわいいの描けたら送って~!締切は明後日です!」っていうノリ。妄想してるのは、ファンの方が描いてくれたキャラクターを漫画にしたり、ゲーセンのプライズ(景品)とかにしたり……それでフィーは原作者に入ったらいいよね、みたいな(笑)。

——夢が膨らみますね。ファンの皆さんが描いたキャラクターを見てすごいなと思ったのは、やっぱり皆valkneeさんの好みを分かっていて、どれもトーンが近いんですよね。

valknee:そうなんですよ!曲の内容がキャラクターに反映されていたりして。すごいと思います。

——ライブではmoe_magmag(モエマグマグ)さんのイラストもスクリーンに投影されてました。

valknee:KAMIYAちゃんのジャケ写も描いている方ですね。

——そういったいろんな人が集まってきている、“valknee文化圏”がいまどんどん面白くなってきている印象がある。しかも、実際クリエイターの方が多いんですよね。音楽に限らず、絵を描いていたり服を作っていたり、ユニークなことをしている人がたくさんいる印象です。

valknee:そうなったらいいなと思ってたので、うれしいです。自分はどこに行ってもどんどん新しい友達ができるタイプではなくて、それよりは、好きなモノでつながって共通のゆるいノリを作っていく方が合ってるんですよ。だから、結果的にそういう人が集まってきてるのはうれしい。なんか集団になってきてますよね。

——まだ名前のついていない、新しいコミュニティーができつつあると思うんです。それは、原宿的なかわいさもありつつY2Kもありつつ魔女感もあって、若干のヤンキー感もあって、あと宝塚感も入った(笑)、何とも形容しがたい文化圏。

valknee:そうそう、何とも言えない文化圏(笑)。そういったかわいいモノづくりのノリを復活させたいですよね。ちょっと前まで、「シブカル祭。」とかミスiD系の文脈とかいろいろとあったじゃないですか。そういうのに近いノリを復活させたいですね。

——それこそ、今度7月7日にvalkneeさんが手がけるイベント「Crash Summer」に出演するPINKBLESS(ピンクブレス)やかりん©︎は、そういった新しいギャルバイブスを持った人たちですよね。

valknee:確かに。インターネットを主軸にして活動している新しい世代のカッコいい人たちも今たくさんいるけど、それよりはもうちょっと身体性のある人たちというか。この新しいかわいいカルチャーに何か名前がついたらもっと広まりそうな気もします。「Crash Summer」は、そういった演者たちもたくさん集まってライブするので、皆のファッションを見るだけでも面白いと思う。ぜひいろんな方に遊びに来てほしいです。

PHOTOS:RIE AMANO

■イベント「Crash Summer」
日程:2024年7月7日
時間:OPEN & START 16:30 / CLOSE 21:00
会場:東京・渋谷 WWW X、WWW、 WWWβ
料金:ADV. 5000円 / U-18 4000円 (各1D代別途)
https://www-shibuya.jp/schedule/017903.php

■valknee 「Ordinary」
2024年4月10日リリース
Label:valknee
Tracklist:
1. OG(Prod. ピアノ男)
2. LOOSE(Prod. SEKITOVA)
3. SWAAAG ONLY(Prod. hirihiri)
4. Load My Game(Prod. NUU$HI)
5. Even If(Prod. NUU$HI)
6. Over Sea(Prod. NUU$HI)
7. NOT FOR ME(Prod. KUROMAKU)
8. BREEEEZE(Prod. バイレファンキかけ子)
9. Watch me!(Prod. hirihiri)
10. WHITE DOWN JKT(Prod. hirihiri)
https://linkco.re/H2ggCA9q

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サキュレアクトが展開する石油に替わる微細藻類原料「ソラルナオイル」の未来像

石油と無関係の生活を送ることは難しい現代社会。それは便利な一方で環境に与える影響も大きい。サキュレアクトがその石油に替わる原料として普及と活用に取り組んでいるのが、微細藻類から作られるソラルナオイルだ。塩原祥子代表取締役は「化粧品業界の負のループを目の当たりにしたことが代替エネルギービジネスに携わるきっかけ」と吐露する。

塩原代表はさまざまな形で25年間化粧品業界に携わり、直近のドラッグストア商材を扱う企業に属していた際に「何千店舗もある大手ドラッグストアとの取り引きがいったん決まると、1SKUにつき1〜2万点納品することになる。販売期間が過ぎるとそれが返品されるわけだが、各店舗独自の防犯タグやシールなどが付いており、それを付け替えての再販は現実的には難しい。保管しても倉庫代がかかるため、結局、安売り業者に卸したり、産業廃棄物として廃棄したりするしかない。化粧品の原料は水以外のほとんどを世界各地から輸入しているわけで、CO2を出して大量に作って売り、今度はお金を払ってCO2を出して大量廃棄する負のループを目の当たりにし、『いったい私は何をやっているんだろう』と嫌気が差した」ことから一度は化粧品業界を卒業した。

その後、22年7月、微細藻類のソラリスとルナリスに出合い再び化粧品業界に戻ることになった。「この微細藻類から石油由来の燃料に替わるSAF(持続可能な航空燃料)を作る研究をしているのがJ-POWER。国際的には50年までの航空分野のカーボンニュートラルという長期目標が掲げられており、現在、さまざまなバイオマスエネルギーを研究している。その一つであるソラリスとルナリスは太陽光と海水、CO2、栄養塩があり、条件が整えば連続的に短期間で増殖する。このソラリスとルナリスを使って、SAFになるまでの過程でできることがあると思い、23年3月にサキュレアクトを起業した」。

そして、「化粧品原料の9割は水と油だ。その油を石油由来ではなく、国内で培養されるソラリスとルナリスから抽出するソラルナオイルを基材として使用できたら面白いなと。さらに、プラスチックの原料にもなるため容器にも使える」と、オリジナルブランド「530(ファイブサーティー)」からソラルナオイル含有の第1弾商品の石けん“シーデザインソープ(SEA DESING SOAP)”を6月10日にマクアケで発売する。同商品は、プラスチック容器を使わない、製造時に水を多く使わない・CO2排出量を極限まで減らせるなどが特長。生活の中からプラスチック商品を減らすきっかけになればとの思いから誕生した、天然由来成分100%で肌にも海にも優しい石けんだ。今後は「ソラルナオイルという名前を普及させ、微細藻類の素晴らしさを伝えていきながら、エネルギーとして未来につながることを広めていきたい」と前を向く。

PHOTO : YUKIE SUGANO
TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
サキュレアクト
info@circureact.com

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サキュレアクトが展開する石油に替わる微細藻類原料「ソラルナオイル」の未来像

石油と無関係の生活を送ることは難しい現代社会。それは便利な一方で環境に与える影響も大きい。サキュレアクトがその石油に替わる原料として普及と活用に取り組んでいるのが、微細藻類から作られるソラルナオイルだ。塩原祥子代表取締役は「化粧品業界の負のループを目の当たりにしたことが代替エネルギービジネスに携わるきっかけ」と吐露する。

塩原代表はさまざまな形で25年間化粧品業界に携わり、直近のドラッグストア商材を扱う企業に属していた際に「何千店舗もある大手ドラッグストアとの取り引きがいったん決まると、1SKUにつき1〜2万点納品することになる。販売期間が過ぎるとそれが返品されるわけだが、各店舗独自の防犯タグやシールなどが付いており、それを付け替えての再販は現実的には難しい。保管しても倉庫代がかかるため、結局、安売り業者に卸したり、産業廃棄物として廃棄したりするしかない。化粧品の原料は水以外のほとんどを世界各地から輸入しているわけで、CO2を出して大量に作って売り、今度はお金を払ってCO2を出して大量廃棄する負のループを目の当たりにし、『いったい私は何をやっているんだろう』と嫌気が差した」ことから一度は化粧品業界を卒業した。

その後、22年7月、微細藻類のソラリスとルナリスに出合い再び化粧品業界に戻ることになった。「この微細藻類から石油由来の燃料に替わるSAF(持続可能な航空燃料)を作る研究をしているのがJ-POWER。国際的には50年までの航空分野のカーボンニュートラルという長期目標が掲げられており、現在、さまざまなバイオマスエネルギーを研究している。その一つであるソラリスとルナリスは太陽光と海水、CO2、栄養塩があり、条件が整えば連続的に短期間で増殖する。このソラリスとルナリスを使って、SAFになるまでの過程でできることがあると思い、23年3月にサキュレアクトを起業した」。

そして、「化粧品原料の9割は水と油だ。その油を石油由来ではなく、国内で培養されるソラリスとルナリスから抽出するソラルナオイルを基材として使用できたら面白いなと。さらに、プラスチックの原料にもなるため容器にも使える」と、オリジナルブランド「530(ファイブサーティー)」からソラルナオイル含有の第1弾商品の石けん“シーデザインソープ(SEA DESING SOAP)”を6月10日にマクアケで発売する。同商品は、プラスチック容器を使わない、製造時に水を多く使わない・CO2排出量を極限まで減らせるなどが特長。生活の中からプラスチック商品を減らすきっかけになればとの思いから誕生した、天然由来成分100%で肌にも海にも優しい石けんだ。今後は「ソラルナオイルという名前を普及させ、微細藻類の素晴らしさを伝えていきながら、エネルギーとして未来につながることを広めていきたい」と前を向く。

PHOTO : YUKIE SUGANO
TEXT : YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
サキュレアクト
info@circureact.com

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新垣結衣×早瀬憩 「誰かと食べるごはんはおいしい」——人と人は分かりあえない現実の中で、誰かと生きていくには

PROFILE: 左:新垣結衣/俳優 右:早瀬憩/俳優

左:新垣結衣/俳優 右:早瀬憩/俳優
PROFILE: 左:(あらがき・ゆい)1988年6月11日、沖縄県出身。2007年に公開された主演映画「恋空」で第31回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。「ミックス。」(17)では第41回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、第60回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。近年の主な出演映画は「劇場版 コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-」(18)、「ゴーストブック おばけずかん」(22)、「正欲」(23)などがある。テレビドラマでは、「コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-」シリーズ(CX)、「リーガル・ハイ」シリーズ(CX)、「逃げるは恥だが役に立つ」(16/TBS)、「獣になれない私たち」(18/NTV)、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(22)、「風間公親-教場0-」(23/CX)などに出演。 右:(はやせ・いこい)2007年6月6日生まれ。23年、日本テレビ「ブラッシュ アップライフ」で門倉夏希の中学時代を演じて注目を集める。フジテレビ「うちの弁護士は手がかかる」(23)にも天野杏(中学生時代)役として出演。雪印メグミルク「雪印北海道バター」やSUPER BEAVER「決心」のMVにも出演。

「あなたと私は別の人間だから。あなたの感情も、私の感情も自分だけのものだから。分かち合うことはできない」

「違国日記」の主人公・高代槙生は、15歳の少女・田汲朝に言い放つ。朝は一見冷たく感じる言葉に「そんなの嫌だ!」と目をうるませて反論するが、槙生の表情はかたくなだ。朝は両親を事故で失い、茫然自失する中で、叔母である槙生から「ずっとうちに帰ってきなさい」と言われ、同居生活を始めたばかり。

原作者である漫画家・ヤマシタトモコは、「現実的に人間は分かりあえないものであるし、それを大前提とした上で、『それでも』と超えていこうとすることが、物語においてすごく美しい」とインタビューで語る。このテーマが反映された本作では随所に「分かりあえなさ」が“温かく”描かれる。

映画「違国日記」で槙生を演じた新垣結衣、槙生と同居する女子高校生・朝役の早瀬憩に、本作に向き合うことで感じた「他者との付き合い方」について話を聞いた。

共感を覚えるも、苦戦した特徴的な言葉たち

本作は、人気作品の実写映画化であるため、新垣と早瀬は共に「どういった反応が返ってくるのか、やっぱり不安」「原作を徹底的に読みこみ、現場でもずっと読んでいた」と口にする。

新垣は、「あなたと私は別の人間だから」と断言する槙生のスタンスに「私自身も人との向き合い方として、それぞれ違う人間であるということを意識していたいと思っているし、それぞれの世界を大事にしたいタイプなので、共感する部分は多い」とうなずく。そんな中で、苦労したのは「言い方」だという。

新垣結衣(以下、新垣):「違国日記」ならではの言葉選びがとても好きで原作の魅力の1つだと思うんですけど、生身の人間の口から発したときにどう聞こえるかというのが難しい点だなと当初感じていました。いちファンとしてはその魅力を映画にも活かしたいと思いましたし、監督と相談しながら試行錯誤しましたね。最終的には、本番前に原作の槙生ちゃんの表情を頭でイメージしながら演じることでスッとセリフを言えた気がします。

早瀬憩(以下、早瀬):槙生ちゃんは、言葉にしづらい感情をバシッと言ってくれますよね。朝の両親の葬儀中で「決してあなたを踏みにじらない」と言ってくれたシーンは、朝として聞いて、泣きそうになりました。

「ある日突然、大人になるわけじゃないんだよ」

新垣は現在35歳、対する早瀬は16歳。19歳差の2人の年齢は、原作とほぼ同じだ。そんな本作では、朝が槙生の「大人らしからぬ姿」を見て驚くシーンが数多く存在する。早瀬は作中の「ある日突然、大人になるわけじゃないんだよ」というセリフに、新鮮な驚きがあったという。

早瀬:私は、「違国日記」の撮影前までは、長い時間一緒に過ごしてきた大人といえば、家族や先生、あとはマネージャーさんだけでした。だから「大人=かっこよくて、自分のことは自分でできる」イメージが強かったんです。でも、この作品に出てくる大人って、槙生ちゃんだけじゃなくてみんな悩んでいるので、「大人も悩むし、完璧ではないんだ」と感じられました。これは、自分にとってすごくよかった気がします。

新垣:私は15歳の頃に上京してきたんです。当時は分からないことだらけでしたけど、今はその倍以上生きてきて、見えてるものが増えたなぁとは思うのですが……30代って、もっと大人だと思ってました(笑)。

大人って、いろんなことを知ってて、ある程度のことはうまくやれる存在だと思っていたんですけど、実際自分が大人と呼ばれる年齢になっても早起きも予約の電話も苦手だし、できないことも知らないことも山ほどある。いつまでたっても途中なんだと日々実感しているので「違国日記」のキャラクターには、「そうだよね」と思うことが多いです。

早瀬:でも、現場にいる結衣さんや瀬田なつき監督は、1つ質問すると100ぐらいに返してくれて……すごいなぁって。大人の人たちに相談したことがなかったので「聞いてもいいんだ」と初めて思えました。大人って少し怖い印象もあったのですが、撮影期間を通してハードルが下がったような気がします。

新垣:よかった(笑)。朝は若いが故に、人と関わるとき、「相手に不快な思いをさせるかもしれない」とか「自分が傷つくかもしれない」という恐れがない……その真っすぐさが、槙生には眩しかったかもしれないし私もとてもハッとさせられました。

劇中の話ですが、朝はたとえ自分が誰かを傷つけてしまったとしても、それすら素直に受け止めて「ごめんなさい」としっかり謝れる。朝の純真さが、私が演じた槙生ちゃんのコンプレックスを刺激して、ムズムズするシーンもありました。そういうフレッシュな素直さって、なかなか取り戻せないので。

「自分がある大人」と「フレッシュな少女」の違いは、劇中では槙生と朝の服にも表れる。新垣は槙生らしさを「サイズ感」と、早瀬は朝の服を「カラフル」だと分析する。

新垣:槙生ちゃんは、部屋のシーンが多いのでスエットみたいな楽な格好の印象も強いですが、身なりに無頓着な人ではなくて、外出時はちゃんとしているし、けっこう幅広いアイテムを着用しているんですよね。そんな中で彼女らしさを表現するには、流行りではない心地よさと、サイズ感がポイントでした。

早瀬:朝は、古着っぽいカラフルな服を着るんですよね。朝自身が好きな色を探していたり、いろんな感情があったりするからなんだと思っています。私は普段、モノトーンのワンピースみたいな服をよく着ていたので、すごく新鮮でした。

新垣:あれ? 現場で見た私服は結構カラフルな色を着ていたような……。

早瀬:撮影期間中は心が朝だったので、朝が選ぶものを選んでたような気がします(笑)。撮影前はボーイッシュな格好はあまりしてこなかったんですけど、朝を演じさせてもらってから古着も着るようになりました。自分が染まったのかもしれません。

「いってきます」「いってらっしゃい」の積み重ね

分かりあうことが不可能な現実で、重要な役割を果たすのが食事だ。槙生と朝は、一緒にエクレアやピクルス、餃子を食べて、怒ったり泣いたり笑い合ったりする。新垣自身も「誰かととる食事で毎日が楽しくなる」と微笑む。

早瀬:餃子をみんなで包む「包団(パオダン)」結成のシーンは本当に楽しかったです。みんなで作って食べるとこんなにおいしいんだって。

新垣:あのシーンは「自由にしてください」とだけオーダーがあったので、みんなで盛り上がりました。

誰かと食べるごはんは本当においしいですよね。手の込んだ料理ではなくても、素朴なものでも全然味が違ってくる。もちろん1人で食べても美味しいですし、人によって毎日のその時間をどう過ごしたいかはそれぞれですが、私の実感としては「誰かと食べるごはん」は、自分にとってすごく満たされる時間です。

早瀬:私には、まだ生活とか暮らしとかって、ちょっと遠いんですけど……。実は、結衣さんの、「憩ちゃんの作った卵焼きを食べてみたい」という言葉がきっかけで、最近初めて卵焼きを作りました。今まで料理ってあんまりしたことがなくて、スクランブルエッグみたいになっちゃいそうだなぁと思いながら作ったんですけど、なんとか作れました。

毎日とる食事。そこに「きっかけ」があるとは、忙しく生きていると気が付きもしない。槙生と朝は食事を通して歩み寄っていくが、その距離感を劇中で表しているのが「いってきます」「いってらっしゃい」という言葉なのだという。新垣、早瀬は声をそろえて「好きなやりとり」と話す。

早瀬:本当に何気ないんですけど「いってきます」「いってらっしゃい」が、映画の最初と最後にあるんですね。最初は2人が全然打ち解けていない(笑)。でも、最後の方に出てくるこのやりとりは、全然違う。「いってらっしゃい」って言ってくれる槙生ちゃんの顔がすごく好きです。応援してくれてるのが分かる。

新垣:最後は、日々を重ねて何度も言ってきたような「いってきます」「いってらっしゃい」になってたね。本当に何気ないんですけど、もしかすると、距離感が一番分かりやすいコミュニケーションなのかもしれないですね。ささいなことが実は温かさを持っている。こういうことを、実感させてくれる作品だと改めて感じます。

誰かと関わることで、人は“途中”の道を進んでいく。毎日の小さな積み重ねの先に「いつのまにそんなに大人になったの?」と驚き、「あなたが幸せでいてくれればいい」と願う日がやってくるのかもしれない。たとえ、分かりあえなくても。

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLIST:[YUI ARAGAKI]YOSHIAKI KOMATSU(nomadica)、[IKOI HAYASE]MIZUKI KOBAYASHI
HAIR & MAKEUP:[YUI ARAGAKI]ASUKA FUJIO(kichi)、[IKOI HAYASE]MOE MORIOKA(sui)

[YUI ARAGAKI]ネイビースエットベスト 2万900円/チノ(モールド 03-6805-1449)、シャツワンピース 16万2800円/プルーン・ゴールドシュミット(メゾン・ディセット 03-3470-2100)、ベージュスラックス 4万6200円/ハイク(ボウルズ 03-3719-1239)、靴 5万1700円/ニードルズ(ネペンテス ウーマン トウキョウ 03-5962-7721)、ピアス 2万6400円、左手人さし指リング 9万9000円/共にマリハ(マリハ 03-6459-2572)、右手人さし指リング 2万7500円/セルジュ・トラヴァル(アッシュ・ペー・フランス hpfrance@hpgrp.com)、右手薬指リング 2万6950円/プリュイ(プリュイ トウキョウ 03-6450-5777)

[IKOI HAYASE]トップス 6980円/ソマリ(シアンPR)、パンツ 3万4100円/パノルマ、左手リング7万1500円、右手リング 8万5800円、左耳イヤーカフ 5万5000円、右耳イヤーカフ 3万5200円/すべてイー・エム(イー・エム 青山)

■映画「違国日記」
6月7日から全国ロードショー
出演:新垣結衣、早瀬憩
夏帆、小宮山莉渚、中村優子、伊礼姫奈、滝澤エリカ、染谷将太、銀粉蝶、瀬戸康史
監督・脚本 :瀬田なつき
原作 :ヤマシタトモコ 「違国日記」 (祥伝社 FEEL COMICS)
音楽:高木正勝 
劇中歌:「あさのうた」(作詞・作曲:橋本絵莉子)
撮影:四宮秀俊 
照明:永田ひでのり 
美術:安宅紀史、田中直純
衣裳:纐纈春樹
企画・制作:東京テアトル 
配給:東京テアトル、ショウゲート
2024年/日本/カラー/シネスコ/DCP5.1ch/139分
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会
https://ikoku-movie.com

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「ロクシタン」がブランドビジョン“ 消費を再生に”を軸に変化を育む活動で美しい未来を築く

「ロクシタン(L'OCCITANE)」は人と自然との調和を大切にし、創設当初から時代先駆けいち早くサステナビリティを啓蒙し続けてきた。ブランドビジョン“消費を再生に–Turn Consumption into Regeneration”を掲げ、環境保全に留まらない、地球にポジティブなインパクトを還元するブンドの在り方を体現している。満を持して昨年9月に「Bコープ」認証を取得した。その目的について、ラファエル・アーカンヴォー・シコット=ロクシタングループチーフサステナビリティオフィサーは、「ロクシタンブランドの取り組みを、Bコープを通じて可視化しさらに他の加盟ブランドや企業との横連携を図りながらより大きなムーブメントを生み出していくため」と語る。

ブランドは、「植物の多様性を保護」「生産者をサポート」「地球の自然に優しく」など6つのコミットメントを掲げているが、中でも精力的に推し進めている一つが「地球の自然にやさしくReducing waste」だ。一例として、アイコン商品である“シア ハンドクリーム”(30mL、1760円)のパッケージを昨年100%リサイクル可能な容器へとリニューアル。これにより年間369万6000tのCO2と28tのプラスチックの削減が可能に。また、本体容器より60〜90%のプラスチック削減につながるというエコレフィルの提供や、土壌の再生を促す有機栽培、フェアトレードの推進といった環境を尊重した原材料調達における取り組みは、厳格な基準を持つBコープ認定においても高く評価された。さらにロクシタングループのカーボンフットプリントの45%を占めるのはユーズフェーズ(商品の消費行動で排出される二酸化炭素量)であることから、今後は消費者との“共同削減”を目的とした商品開発にも真摯に取り組む。

また植物の力を医薬部外品として最大限に生かし、自然由来成分99%の商品で毛根の血流促進にアプローチする医薬部外品“薬用 メディカル アンチヘアロスセラム(販売名:ロクシタン アドバンスト スカルプケア)”は、消費者から高い評価を得て、日本でも好調な売り上げを続けている。そのほか日本ではプロヴァンスに根付くライフスタイル「Artde Vivre(暮らしの芸術)」を表現した新コンセプトストアとして、世界に先駆けて渋谷店「ロクシタン・シブヤ・トーキョー」が4月にリニューアルオープンした。「ロクシタン」生誕の地、南仏プロヴァンスならではのラグジュアリーな空間を体現し、現在世界ですでに100店舗以上に導入しているレフィルファウンテンを日本で初めて導入した。今後も「全ての化粧品ブランドがサステナブルであるべき」という強い信念を軸に、業界の先駆者としてより美しい未来への変化を育むことを目指す。

TEXT : ERINA NAKAZAWA
問い合わせ先
ロクシタンジャポンカスタマーサービス
0570-66-6940

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英国発「エボルブ」がエステ市場に参入 確かな効果実感をプロの手で

Beが展開する英国発サステナブルオーガニックブランド「エボルブ(EVOLVE)」はオーガニックでありながら、リピートしたくなるような機能性の高いスキンケア商品を展開し世界各国の人々を魅了する。日本には2023年9月に初上陸し、堅実にファンを獲得してきた。5月以降、新たな市場としてエステ・スパ市場に参入し新たな市場を切り開く。

イギリスで2009年に誕生した「エボルブ」は、創業者のローラ・ルドーが「肌に効果があることは当たり前。追求すべきは、その先にある。美を追求する中で、オーガニック・ナチュラルコスメにできないことはない。植物の力は化学を超えると信じている。それを証明するために私たちは処方開発力を磨き挑戦し続ける」との思いから、より健康的で環境に優しく、人と地球に優しい商品の開発に注力する。30年以上天然製剤を制作する専門力を持った研究開発チームが機能性を追求し、原材料を選定。肌や目に見える変化をもたらし、より持続可能で健康的な商品を作り続けるために、天然由来成分や栄養指数の高いオーガニック原料、コスモス認証のある成分を選択する。

商品に使用する原料は、南アフリカの小規模な地元のメーカーから調達することで雇用機会の創出も後押しする。そのほか、パームオイル使用の削減や植林活動にも注力。可能な限りフェアトレードまたは公正取引された原材料や、ココナツやスイートアーモンドオイルなど食品業界で使われなかった食品をアップサイクル原料として活用している。ビーガン処方などさまざまな厳しい基準もクリアし、多岐に渡り地球環境に配慮したモノ作りを推進する。22年には社会性と事業性を両立した世界的認証Bコープも取得した。

日本では昨年9月の上陸以来、スター商品の“バイオレチノール ゴールドマスク”を筆頭に完売商品が続出。確かな効果実感がリピートにつながっている。本国が事業拡大の一環でスパ事業に進出したことを受け、今春からエステ・スパ市場に参入する。5月中旬に東京ビッグサイトで開催された「ビューティワールドジャパン東京」にブース出展したところ、新たに開発した3つのエステメニューの説明後に導入を決めるサロンも多く、予算比15倍で着地した。「目を引く商品だけでなく、企業理念・製造のこだわりを知り、使用感や香りを体感していただいた結果、多くの人に商品力の高さを理解してもらえた。上質なオーガニックコスメを探し求める顧客を持つサロンも多かった」(桐山依子ブランドマネージャー兼営業部部長)との考えから、効果実感の高い商品をプロの手技によってさらに引き出し魅力を届ける。

PHOTO : AKIHIRO SAKAI(TRIVAL)
TEXT : NATSUMI YONEYAMA
問い合わせ先
Beカスタマーサポート
03-6868-4779

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「バルクオム」の10年が変えたメンズスキンケアと野口CEOが語る未来像

メンズビューティブランド「バルクオム(BULK HOMME)」がスタートしたのは2013年のことだ。今ほど男性のスキンケア習慣が一般化しておらず、プチプラ商品でも使っていれば褒められた時代。洗顔、化粧水、乳液をそろえると1万円に迫る、マスの男性向けとしてはかなり攻めた価格設定で、メンズスキンケア市場に参入した。

ブランドを立ち上げた当時、大学2年生だったバルクオムの野口卓也CEOは、「美容への関心・知識は人並みか、それ以下だった」という。一般男性と変わらぬ美容意識、それゆえ業界の常識に縛られない発想力があった。

それから10年、「バルクオム」は世の男性の美容へのモチベーションを動かし、メンズスキンケアのリーディングブランドに成長する。バルクオムは、主要ドラッグストアやバラエティーショップ、ECを合計したメーカー別販売シェア(2023年1〜12月)において、メンズカテゴリーの洗顔料で2位、化粧水で1位、乳液で1位を獲得。シリーズ累計出荷本数は1300万本を突破した。(出典:富士経済「化粧品マーケティング要覧 2023」)。

今や美容関心層だけでなく一般男性からも広く支持されるようになった「バルクオム」。野口CEOにブランドのこれまでと描く未来を聞いた。

男性は「めんどくさがり」か
常識を疑い、王道を目指す

PROFILE: 野口卓也/バルクオムCEO

野口卓也/バルクオムCEO
PROFILE: (のぐち・たくや)慶應義塾大学環境情報学部中退。ITベンチャー等複数の企業を立ち上げ、13年に「バルクオム」をスタート。17年、組織再編を経てバルクオムを設立、CEOに就任 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:創業のきっかけは。

野口卓也バルクオムCEO(以下、野口):「メンズスキンケアを世の中に啓蒙したい」とか、そういう思想めいたものはなかった。ビジネスを自分で興して戦い、勝算が高そうな領域がたまたまメンズコスメだったというだけ。メンズビューティ市場の王道カテゴリー、僕はそれをスキンケアだと思っていたのだが、そこにはまだ圧倒的なブランドがないと感じていた。

WWD:10年前、スキンケアをする男性は今よりもニッチだった。

野口:文明未開の島の住民に商品を売るようなものだった。スキンケアのやり方も、やる意味も分からない人ばかり。マーケティングの世界では、需要の全くないところを攻めるのは悪手だ。プロのマーケターたちは、「ここはだめだ」と見切りをつけていたから、メンズスキンケア市場は広がらなかった。ただ新参者で知識も経験もない僕は、「潜在需要のフロンティアだ」と喜び勇んで飛び込んだ。

WWD:洗顔、化粧水、乳液の3ステップ提案かつ、合計価格は1万円近い。一般男性にとってはハードルが高かったはずだ。

野口:新参者の僕は、メンズビューティ業界の常識を疑うことから始めた。例えば男性のペルソナは「めんどくさがり」。そのせいか男性向けスキンケアは手軽なオールインワンタイプが主流だったが、成功事例と言える商品はほとんど見当たらなかった。

僕は本当にそうなのか?と疑い、別の仮説を立てた。求められているのは、多少値段が張っても、手間がかかっても間違いない「王道のベーシック」なのではないかと。「バルクオム」の商品開発は予算に縛られることなく、女性向けの本格的なスキンケアにも負けない処方を詰め込んだ。

成分や処方を語らず
コンセプトの強さで勝負

WWD:デザインやコンセプトも趣向を凝らした?

野口:ブランド名の「バルク」は、成分や処方などにこだわった“中身”を意味する。ただ、それについてくどくど説明したくなかった。美容に興味がない僕自身、カタカナや専門用語でスゴさを語られても響かないからだ。

全てはファーストインプレッションで決まると考え、コンセプトを磨いた。コスメの世界で男性向けは「手軽でそれなり」なイメージがあり、かたや女性向けは「本格的で効果実感できる」イメージがある。世に出ている男性向けコスメは黒のパッケージばかりだったから、あえて白をキーカラーにすることで、“本物”であることを連想させると気が付いた。コストを少しでも削るためにパッケージを徹底的に簡素化したが、それは余分を削ぎ落とし、バルク(中身)への本気度を際立たせる意図もあった。

WWD:滑り出しはどうだったか。

野口:最初の2年間は全く売れなかった(笑)。ターニングポイントになったのは3年目。SNS広告にいち早く注力し、フェイスブックが大きな認知・流入のハブになった。当時、SNS上ではメンズスキンケアの競合はほぼ皆無で、自由にターゲットに訴求できる夢のような環境だった。

突飛なことをしたからうまくいったという感覚はない。小売店の棚の目立つところに商品を置いていただくための営業が大事なように、オンラインでも同じ発想で、スキンケアを探す男性の目に留めていただく努力をした。

キムタクCMで一気に販路拡大
“ブランディング”に縛られない

WWD:木村拓哉さんを起用したテレビCM(2020年春、21年秋)は話題になった。

野口:これをきっかけに、さまざまな大手ドラッグストアチェーンから商談や問い合わせが入り、3000〜4000だった取り扱い店の数は一気に1万以上に広がった。20年10月にはマツモトキヨシ・ココカラファインのグループ1371店舗(当時)で販売を開始し、現在は1万以上の小売店やサロンで取扱いがある。認知拡大はEC販売にも相乗効果があり、現在も売り上げのうちオンライン(公式EC+モール)が6〜7割を占めている。

WWD:認知が一気に広がり、ブランディングを舵取りする難しさは感じなかったか。

野口:たまに聞かれる質問だが、僕は“ブランディング”というものついてあまり考えたことがない。「バルクオム」を目的にわざわざドラッグストアを訪れる男性客が多い、というデータが出ていることはうれしい。だが日用品ついででも買っていただければ、ありがたいことだ。ドラッグストア、バラエティーストア、EC、どこで買われるお客さまも「バルクオム」のファンであることは変わりない。そこはフラットに見ている。

他のブランドに「真似されている」と感じることは増えた。だが僕らは真似できないバルク(中身)を作り続けるだけだ。定期購入プログラムを利用いただいているお客さまのエンゲージメントも高く、クオリティーに対する自信は揺らがない。

ヘアケアで圧倒的ナンバーワンへ
メンズビューティの新概念に挑戦

WWD:ヘアケア(2018年発売)、メイクアップ(21年発売)にもラインアップを広げた。

野口:「バルクオム」はかくあるべしというポリシーは全くないし、どんどん変化していく。ブランドを山に例えるなら、スキンケアで一定の成功を収めた今がようやく1合目。2合目は、ヘアケア分野における圧倒的なシェア獲得。すでにどの販路でも売れ筋上位に食い込んでいるが、圧倒的なナンバーワンになれるはずだ。売上規模も今の2、3倍にできる。

メイクアップは小売店の棚を見てもらえば分かるが、あまり売れてない(笑)。需要がニッチだから、広告費を投じれば結果がついてくるという単純な話ではない。商品、売り方、コミュニケーションの工夫が必要だし、先は長い。だが男性の美容文化がこれから発展する中で必要とする人は増えていくだろう。使命感を持って、腰を据えて育てていく。

WWD:昨年11月にはインナービューティの提案として“ザ・プロテイン”を発売した。

野口:これからの「バルクオム」を象徴する商品になる。メンズビューティの分野で新しい“概念”を作り出すことにもチャレンジしたい。

プロテインは一般的に筋力増大を補助する栄養剤のイメージだが、僕らが提案するのはインナービューティーのためのサプリメント。男性の美容と、日中を健やかに過ごすために必要な栄養素として、タンパク質だけでなくさまざまなコンディショニング成分を配合した。プロテインという名称を使ったのは、体に摂取するものとして、男性にとってなじみがあり、コンセプトが伝わりやすいと考えたからだ。

これまでの商品と生まれたプロセスも違う。これまでは僕をはじめ一部の人間がコンセプト設計するものが多かったが、この“ザ・プロテイン”は社員のアイデアが元になった。会社は40人前後の少数チームだが、ボトムアップのアイデアも積極的に生かしていく。

例えば100年前には“まつ毛美容液”というものは影も形もなかった。誰かがゼロから作り出して市場に広め、「まつ毛美容」を文化として定着させた。新しい概念を作り出すために、主語となるブランドの知名度や信頼性は強みになる。「バルクオム」はそれにチャレンジできる場所にいる。まずは“ザ・プロテイン”を通じて「メンズインナービューティー」という新しい美容文化を作り出したい。

WWD:思い描く“頂上”の景色は。

野口:メンズビューティの世界ナンバーワンブランドになること。とはいえ売上高は国内が9割以上で、(グローバル戦略は)まだまだ胸をはって言える規模ではない。海外では中国が最優先。現地のメンズビューティ市場はレッドオーシャンと化しているが、クオリティーではどこにも負けていない。消費は冷え込んでおり我慢どきだが、粘り強く機をうかがっていく。

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「バルクオム」の10年が変えたメンズスキンケアと野口CEOが語る未来像

メンズビューティブランド「バルクオム(BULK HOMME)」がスタートしたのは2013年のことだ。今ほど男性のスキンケア習慣が一般化しておらず、プチプラ商品でも使っていれば褒められた時代。洗顔、化粧水、乳液をそろえると1万円に迫る、マスの男性向けとしてはかなり攻めた価格設定で、メンズスキンケア市場に参入した。

ブランドを立ち上げた当時、大学2年生だったバルクオムの野口卓也CEOは、「美容への関心・知識は人並みか、それ以下だった」という。一般男性と変わらぬ美容意識、それゆえ業界の常識に縛られない発想力があった。

それから10年、「バルクオム」は世の男性の美容へのモチベーションを動かし、メンズスキンケアのリーディングブランドに成長する。バルクオムは、主要ドラッグストアやバラエティーショップ、ECを合計したメーカー別販売シェア(2023年1〜12月)において、メンズカテゴリーの洗顔料で2位、化粧水で1位、乳液で1位を獲得。シリーズ累計出荷本数は1300万本を突破した。(出典:富士経済「化粧品マーケティング要覧 2023」)。

今や美容関心層だけでなく一般男性からも広く支持されるようになった「バルクオム」。野口CEOにブランドのこれまでと描く未来を聞いた。

男性は「めんどくさがり」か
常識を疑い、王道を目指す

PROFILE: 野口卓也/バルクオムCEO

野口卓也/バルクオムCEO
PROFILE: (のぐち・たくや)慶應義塾大学環境情報学部中退。ITベンチャー等複数の企業を立ち上げ、13年に「バルクオム」をスタート。17年、組織再編を経てバルクオムを設立、CEOに就任 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

WWD:創業のきっかけは。

野口卓也バルクオムCEO(以下、野口):「メンズスキンケアを世の中に啓蒙したい」とか、そういう思想めいたものはなかった。ビジネスを自分で興して戦い、勝算が高そうな領域がたまたまメンズコスメだったというだけ。メンズビューティ市場の王道カテゴリー、僕はそれをスキンケアだと思っていたのだが、そこにはまだ圧倒的なブランドがないと感じていた。

WWD:10年前、スキンケアをする男性は今よりもニッチだった。

野口:文明未開の島の住民に商品を売るようなものだった。スキンケアのやり方も、やる意味も分からない人ばかり。マーケティングの世界では、需要の全くないところを攻めるのは悪手だ。プロのマーケターたちは、「ここはだめだ」と見切りをつけていたから、メンズスキンケア市場は広がらなかった。ただ新参者で知識も経験もない僕は、「潜在需要のフロンティアだ」と喜び勇んで飛び込んだ。

WWD:洗顔、化粧水、乳液の3ステップ提案かつ、合計価格は1万円近い。一般男性にとってはハードルが高かったはずだ。

野口:新参者の僕は、メンズビューティ業界の常識を疑うことから始めた。例えば男性のペルソナは「めんどくさがり」。そのせいか男性向けスキンケアは手軽なオールインワンタイプが主流だったが、成功事例と言える商品はほとんど見当たらなかった。

僕は本当にそうなのか?と疑い、別の仮説を立てた。求められているのは、多少値段が張っても、手間がかかっても間違いない「王道のベーシック」なのではないかと。「バルクオム」の商品開発は予算に縛られることなく、女性向けの本格的なスキンケアにも負けない処方を詰め込んだ。

成分や処方を語らず
コンセプトの強さで勝負

WWD:デザインやコンセプトも趣向を凝らした?

野口:ブランド名の「バルク」は、成分や処方などにこだわった“中身”を意味する。ただ、それについてくどくど説明したくなかった。美容に興味がない僕自身、カタカナや専門用語でスゴさを語られても響かないからだ。

全てはファーストインプレッションで決まると考え、コンセプトを磨いた。コスメの世界で男性向けは「手軽でそれなり」なイメージがあり、かたや女性向けは「本格的で効果実感できる」イメージがある。世に出ている男性向けコスメは黒のパッケージばかりだったから、あえて白をキーカラーにすることで、“本物”であることを連想させると気が付いた。コストを少しでも削るためにパッケージを徹底的に簡素化したが、それは余分を削ぎ落とし、バルク(中身)への本気度を際立たせる意図もあった。

WWD:滑り出しはどうだったか。

野口:最初の2年間は全く売れなかった(笑)。ターニングポイントになったのは3年目。SNS広告にいち早く注力し、フェイスブックが大きな認知・流入のハブになった。当時、SNS上ではメンズスキンケアの競合はほぼ皆無で、自由にターゲットに訴求できる夢のような環境だった。

突飛なことをしたからうまくいったという感覚はない。小売店の棚の目立つところに商品を置いていただくための営業が大事なように、オンラインでも同じ発想で、スキンケアを探す男性の目に留めていただく努力をした。

キムタクCMで一気に販路拡大
“ブランディング”に縛られない

WWD:木村拓哉さんを起用したテレビCM(2020年春、21年秋)は話題になった。

野口:これをきっかけに、さまざまな大手ドラッグストアチェーンから商談や問い合わせが入り、3000〜4000だった取り扱い店の数は一気に1万以上に広がった。20年10月にはマツモトキヨシ・ココカラファインのグループ1371店舗(当時)で販売を開始し、現在は1万以上の小売店やサロンで取扱いがある。認知拡大はEC販売にも相乗効果があり、現在も売り上げのうちオンライン(公式EC+モール)が6〜7割を占めている。

WWD:認知が一気に広がり、ブランディングを舵取りする難しさは感じなかったか。

野口:たまに聞かれる質問だが、僕は“ブランディング”というものついてあまり考えたことがない。「バルクオム」を目的にわざわざドラッグストアを訪れる男性客が多い、というデータが出ていることはうれしい。だが日用品ついででも買っていただければ、ありがたいことだ。ドラッグストア、バラエティーストア、EC、どこで買われるお客さまも「バルクオム」のファンであることは変わりない。そこはフラットに見ている。

他のブランドに「真似されている」と感じることは増えた。だが僕らは真似できないバルク(中身)を作り続けるだけだ。定期購入プログラムを利用いただいているお客さまのエンゲージメントも高く、クオリティーに対する自信は揺らがない。

ヘアケアで圧倒的ナンバーワンへ
メンズビューティの新概念に挑戦

WWD:ヘアケア(2018年発売)、メイクアップ(21年発売)にもラインアップを広げた。

野口:「バルクオム」はかくあるべしというポリシーは全くないし、どんどん変化していく。ブランドを山に例えるなら、スキンケアで一定の成功を収めた今がようやく1合目。2合目は、ヘアケア分野における圧倒的なシェア獲得。すでにどの販路でも売れ筋上位に食い込んでいるが、圧倒的なナンバーワンになれるはずだ。売上規模も今の2、3倍にできる。

メイクアップは小売店の棚を見てもらえば分かるが、あまり売れてない(笑)。需要がニッチだから、広告費を投じれば結果がついてくるという単純な話ではない。商品、売り方、コミュニケーションの工夫が必要だし、先は長い。だが男性の美容文化がこれから発展する中で必要とする人は増えていくだろう。使命感を持って、腰を据えて育てていく。

WWD:昨年11月にはインナービューティの提案として“ザ・プロテイン”を発売した。

野口:これからの「バルクオム」を象徴する商品になる。メンズビューティの分野で新しい“概念”を作り出すことにもチャレンジしたい。

プロテインは一般的に筋力増大を補助する栄養剤のイメージだが、僕らが提案するのはインナービューティーのためのサプリメント。男性の美容と、日中を健やかに過ごすために必要な栄養素として、タンパク質だけでなくさまざまなコンディショニング成分を配合した。プロテインという名称を使ったのは、体に摂取するものとして、男性にとってなじみがあり、コンセプトが伝わりやすいと考えたからだ。

これまでの商品と生まれたプロセスも違う。これまでは僕をはじめ一部の人間がコンセプト設計するものが多かったが、この“ザ・プロテイン”は社員のアイデアが元になった。会社は40人前後の少数チームだが、ボトムアップのアイデアも積極的に生かしていく。

例えば100年前には“まつ毛美容液”というものは影も形もなかった。誰かがゼロから作り出して市場に広め、「まつ毛美容」を文化として定着させた。新しい概念を作り出すために、主語となるブランドの知名度や信頼性は強みになる。「バルクオム」はそれにチャレンジできる場所にいる。まずは“ザ・プロテイン”を通じて「メンズインナービューティー」という新しい美容文化を作り出したい。

WWD:思い描く“頂上”の景色は。

野口:メンズビューティの世界ナンバーワンブランドになること。とはいえ売上高は国内が9割以上で、(グローバル戦略は)まだまだ胸をはって言える規模ではない。海外では中国が最優先。現地のメンズビューティ市場はレッドオーシャンと化しているが、クオリティーではどこにも負けていない。消費は冷え込んでおり我慢どきだが、粘り強く機をうかがっていく。

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新生「メルヴィータ」、オーガニックで人々の心と世界にポジティブな影響を

仏発オーガニックコスメブランド「メルヴィータ(MELVITA)」は今年、コンセプトに「バイオリジェネラティブビューティー(BIO-REGENERATIVEBEAUTY)/自然の再生力で、美しさが目覚める。」を掲げてブランドが進化する。ロゴやパッケージも一新し、大きな転換期を迎える。4月に就任したティニオマリアクリスティーナクエンカ新社長は「『メルヴィータ』にとってフランスと日本はとても重要な市場。日本では一定の支持を得ているが、次のステップとして新たなコミュニケーションを導入しなければならない」と力強く語る。

「メルヴィータ」は創業からロゴを変更しておらず、柔らかくてかわいい女性という印象を持たれていた。「2011年の日本初上陸時から愛用しそのまま共に成長したお客さまが多いため、ルミネ新宿店のメイン客層は40〜50代だ。そのため、新客を取り込まないと次の世代を作ることができない。商品のクオリティーは高いにも関わらず見た目のかわいさに起因するミスマッチもあるため、近代的で洗練されたオーガニックの強さを出すロゴやパッケージに変更して、ユニセックスにアピールしていく」。そのほか、「バイオリジェネラティブビューティー」をキーワードとしたキャンペーンやイベントの実施、ワンランク上のプレミアムラインの展開を検討するなど話題性を創出する。

「メルヴィータ」は、商品を使うほどに肌や環境が良くなる影響を伝えるために4つの柱を設定。常に先進的な商品開発を追求する「根源的なオーガニック(ORIGIN)」、自然由来成分を使いバイオサイエンスで美しい肌をかなえる「肌と一体化する(EXPERTISE)」、クリーンかつ自然と生き物を尊重する「インパクトのある美しい(COMMITMENTS)」、肌だけではなく心も深く満たす「美しさが開花する(BENEFITS)」を掲げている。その思いを象徴する商品が“ソルスデローズエッセンスローション”(150mL、4400円)や、“ネクターデルミエールアクティベーターオイルウォーター”(50mL、4730円)などだ。

23年にはロクシタングループとしてサステナビリティのグローバル認証「Bコーポレーション」を取得。社会性と経済性を兼ね備えた企業として強みを生かし、日本市場では前年を維持する業績をプラスに転換を図る。「将来的に都心の誰もが目にする場所にブランドを存在させたい。そのために、ブランドは変わらなければいけない」。リブランディングをきっかけに新コミュニケーションを多数展開していく。

PHOTO : SHUHEI SHINE
TEXT : WAKANA NAKADE
問い合わせ先
メルヴィータジャポン カスタマーサービス
03-5210-5723

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アダストリアが「ブレイモア」を支援 “東大卒”イメージの脱却に挑む25歳の野心

PROFILE: 松井勇樹/「ブレイモア」デザイナー(右)

松井勇樹/「ブレイモア」デザイナー(右)
PROFILE: (まつい・ゆうき)1998年生まれ、神奈川県出身。2023年春夏シーズンにアパレルブランド「ブレイモア(BLAYMORE)」を立ち上げる。2021年に東京大学を23年に文化服装学院服装科を卒業。現在は東京大学大学院農学生命研究科に在籍し、サステナビリティファッションが社会に及ぼす影響について研究する。哲学や歴史をベースにしたコレクションを、服装造形の技術を用いながら制作する。デザインのほか、パターンやグラフィックなども幅広く手掛ける。24年6月、アダストリアの「リードプロジェクト」に参加し、24年春夏コレクションを発表した。PHOTO: TAMEKI OSHIRO

アダストリアは6月5日、若手クリエイターを支援する新規プロジェクト「リードプロジェクト(LEAD PROJECT)」の始動を発表した。アダストリアの村岡秀紀「リードプロジェクト」プロジェクトリーダーが中心となり、ファッション業界での活躍を夢見る若手クリエイターとタッグを組み、アダストリアの生産背景を提供して、クリエイターがそれぞれのブランドでやりたいことを具現化する。

第1弾の支援デザイナーは3人で、うち一人が「ブレイモア(BLAYMORE)」の松井勇樹デザイナーだ。「リードプロジェクト」の支援下では初となる2024年春夏コレクションにおいて、セットアップやショートパンツ、Tシャツ、バッグなど全14型をそろえた。アダストリアのECサイト「ドットエスティ(.ST)」で6月12日に発売する。

松井デザイナーは「ブレイモア(BLAYMORE)」を2023年に立ち上げ、洋服づくりの裏側を見せるSNS運営でファンを増やしてきた。現在のインスタグラムフォロワーは約8万。同氏は東京大学&文化服装学院卒業で、これまではその学歴が注目を浴びることも多かった。しかし、「東京大学卒業というイメージだけで終わりたくない」と、今回のプロジェクトに情熱を傾ける。松井デザイナーと、プロジェクトの仕掛け人である村岡に話を聞いた。

「イッセイ ミヤケ」の衝撃
表現者を目指し文化服装学院へ

WWDJAPAN(以下、WWD):これまでの経歴について改めて教えてほしい。

松井勇樹「ブレイモア」デザイナー(以下、松井デザイナー):ファッションに関心を抱いたのは、東京大学に入学してすぐ、友人に「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」を紹介されたことがきっかけだ。それまでは受験勉強ばかりで、ファッションをあまり気にかけてこなかったため衝撃を受けた。

ただ、すぐにデザイナーを志したわけではない。就職活動時は一般企業にエントリーしていた。すでに内定も受けていたが、「やっぱり表現者としての側面を伸ばしたい」と考え直し、入社を急遽辞退した。東京大学院への進学に方向転換し、夜間コースで文化服装学院の服装科に通うことを決めた。入学前から実家のミシンでお直しやリメイクをたまにしていたが、文化服装学院に進学してから服飾の勉強を本格的に始めた。大学院では農学を専門に、サステナブルファッションが環境に及ぼす影響を定量調査している。

WWD:「ブレイモア」を立ち上げたのはいつ?

松井デザイナー:文化服装学院2年生の頃だ。当時、洋服作りのスキルだけでなく、ビジネス面の経験値を高める必要性を感じていた。知人のつてによって奇跡的に繊維商社の社長とつながり、スポンサーになってもらうことができたため、ブランドを立ち上げた。2シーズンにわたって支援を受けながら、企画から生産、販売まで関わった経験が下積みになったと思う。

WWD:ブランドの特徴は?

松井デザイナー:“右脳で引かれ左脳で納得のいくワードローブ”がコンセプト。直感的な判断をする右脳に訴えるような、圧倒的な見栄えを作りたいという思いを込めた。また、左脳は論理的思考を司る部位なので、自分が文化服装学院で学んだ服飾のテクニックを、着心地の良さなどに落とし込みたい。

特徴は、ルーズシルエット。ゆったり着られるけど、あくまでも体のシルエットに沿うような仕様にこだわっている。ほかにもステッチのコバを細かくしたり、ファスナーを見せないようにしたりして、ミニマルな見た目になるように工夫している。

インフルエンサーの夢を実現
「リードプロジェクト」とは

WWDJAPAN:「リードプロジェクト」の目的は?

村岡秀樹「リードプロジェクト」代表(以下、村岡代表): 「リードプロジェクト」はインフルエンサーの夢や志の具現化を図るプロジェクトだ。現代ではSNSの発展により、誰もが影響力を持てるようになった。コロナ禍でD2Cビジネスが勢いづく中、アパレル企業の多くは、インフルエンサーブランドが市場のシェアを奪う脅威と見なす傾向にあった。しかしわれわれは「手を取り合った方が新たなビジネスチャンスが生まれるのでは」と考え、魅力的なインフルエンサーを探し出し、彼らの夢を支援するプロジェクトを始めることにした。社員3人で構成するスモールチャレンジだ。

インフルエンサー個人とコラボする試みは、それほど珍しくない。ただ、「リードプロジェクト」がほかと異なるのは、参加するクリエイターがすでにブランドを持っているということ。あくまでも彼らがやりたいことを、アダストリアがバックアップする。

WWD:プロジェクトに参加するインフルエンサーの選定基準は?

村岡代表:志の高さを重視した。松井君は、一般的なインフルエンサーとは一線を画す存在だ。自身のブランド「ブレイモア」に対する思いや、彼のクリエイションにひもづく知識の多彩さが魅力的。将来のビジョンも明確であり、それをサポートしたいと感じた。松井君はインスタグラムで約8万のフォロワーを抱えている。これまでいろいろなインフルエンサーと話してきたが、彼ほどの上昇志向を持つ若手は珍しい。素直に「めっちゃ面白い子だ!」と心引かれた。

WWD:松井デザイナーの将来のビジョンとは?

松井デザイナー: パリコレに参加したい。三宅一生デザイナーや山本耀司デザイナーは、30代半ばでパリに進出した。今、自分は25歳なので、10年後までに挑戦したいと思っている。

WWD:アダストリアの支援を受けることで、ブランド運営は何が変わるか。

松井デザイナー:アダストリアの生産背景を使用できるため、効率化が図れる。価格帯を前シーズンの6〜7割である8000〜2万7000円に下げており、「ブレイモア」の洋服をこれまでより多くのお客さまに届けることができるはずだ。商品ラインアップも広がり、合皮素材を使ったアイテムやアクセサリーも開発可能になる。

また、コンセプトメーキングやデザインにさらに注力できるようになった。これまでは企画や生産、販売などにも携わっていたため、業務で手いっぱいになることが多かった。今後は自分の哲学を洋服に込めるための時間を増やせる。

村岡代表:基本的に、松井君は「ブレイモア」のディレクションをこれまで通り担う。商品企画のアイデアや、SNSプロモーションの進め方について意見してもらう予定だ。アダストリアが蓄積してきた経験やノウハウを使って、松井君のクリエイションイメージを具現化し、新たなトレンドを創出していきたい。

「リードプロジェクト」で初披露となる2024年春夏コレクションでは、セットアップやショートパンツ、Tシャツ、バッグなど全14型をそろえた。6月12日にアダストリアのECサイト「ドットエスティ(.ST)」で発売する。

WWD:今後の目標は?

松井デザイナー:全て納得が行くものを作り、できるだけ多くの人に洋服を手に取ってもらいたい。“東京大学”という見られ方だけで終わらないようにしたい。

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anoが「ドクターマーチン」のサマーサンダルキャンペーン“MADE FOR SUMMER”に登場 自身が考える“強さ”と“表現”とは

「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」は新作サマーサンダルのキャンペーン“MADE FOR SUMMER”を実施中だ。5月25日には渋谷109エントランススペースでスペシャルイベントを開催した。スペシャルコンテンツとして本キャンペーンのイメージキャラクターであるanoがサプライズ登場し、お笑いコンビ・ニューヨークとのトークセッションを実施したほか、ラッパーのKID FRESINOがゲリラライブを行った。

“MADE FOR SUMMER”キャンペーンで掲げるのは、長めのシューレースが特徴的な“ナルティラ サンダル”2種と、頑丈でありながら軽やかに履ける“トラクト”コレクションの6種。anoは「今日履いている“ペアソン マルチストラップ サンダル”は軽くて、どんな服にも合わせやすい。シンプルにTシャツに合わせるだけでもかわいく仕上がる。“ナルティラ XL グラディエーター サンダル”は、シューレースを足首で結んだり、ふくらはぎまで編み上げたり自由に履けるのと、厚底なのも気に入っている。ワンピースに合わせて、少しドレッシーに履きこなしたい」とコーディネートのアイデアをシェアした。

タフで弾力性に優れた履き心地の「ドクターマーチン」のフットウエアは、“MADE STRONG”をテーマに掲げ、時代に合わせて進化を遂げながら、履く人それぞれの“強さ”の表現を後押ししてきた。等身大で“強さ”を表現する現代のアイコンであるanoに、自身が思う“強さ”と”表現”について尋ねると「強い存在だと言われることが多いが、自分自身は『もっと強くなりたい』と思うことがたくさんある。それでも強いと思われるのは、自分の気持ちをストレートに表現しているからなのかな。我慢をため込んで壊れてしまうのは、強いように見えて実は弱いようにも感じる。普段から自分の気持ちに向き合うための時間を大切にしていて、それが表現につながっている。歌でもSNSでもトークでも、どんな場面でも自分自身が無意識にしていること全てが“表現”なのだと思う」と答えた。現在公開中の映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では声優業にチャレンジするなど、アーティストにとどまらず多岐にわたり活躍する。大躍進を遂げたこの1年を振り返り「アーティストやタレント、演技、声優など、いろいろな経験ができた1年だった。今後はこれまでに行ってきたことをより深く、繊細に積み重ねていくことで、未来の自分の表現がどのように変化していくのかが楽しみ」と締めくくった。

本キャンペーン期間中、「ドクターマーチン」一部店舗、オンラインストアで対象のサンダルを購入した人には、映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」とのコラボレーションステッカーをプレゼントする。※先着順、無くなり次第終了

問い合わせ先
ドクターマーチン・エアウエア ジャパン
0120-66-1460

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anoが「ドクターマーチン」のサマーサンダルキャンペーン“MADE FOR SUMMER”に登場 自身が考える“強さ”と“表現”とは

「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」は新作サマーサンダルのキャンペーン“MADE FOR SUMMER”を実施中だ。5月25日には渋谷109エントランススペースでスペシャルイベントを開催した。スペシャルコンテンツとして本キャンペーンのイメージキャラクターであるanoがサプライズ登場し、お笑いコンビ・ニューヨークとのトークセッションを実施したほか、ラッパーのKID FRESINOがゲリラライブを行った。

“MADE FOR SUMMER”キャンペーンで掲げるのは、長めのシューレースが特徴的な“ナルティラ サンダル”2種と、頑丈でありながら軽やかに履ける“トラクト”コレクションの6種。anoは「今日履いている“ペアソン マルチストラップ サンダル”は軽くて、どんな服にも合わせやすい。シンプルにTシャツに合わせるだけでもかわいく仕上がる。“ナルティラ XL グラディエーター サンダル”は、シューレースを足首で結んだり、ふくらはぎまで編み上げたり自由に履けるのと、厚底なのも気に入っている。ワンピースに合わせて、少しドレッシーに履きこなしたい」とコーディネートのアイデアをシェアした。

タフで弾力性に優れた履き心地の「ドクターマーチン」のフットウエアは、“MADE STRONG”をテーマに掲げ、時代に合わせて進化を遂げながら、履く人それぞれの“強さ”の表現を後押ししてきた。等身大で“強さ”を表現する現代のアイコンであるanoに、自身が思う“強さ”と”表現”について尋ねると「強い存在だと言われることが多いが、自分自身は『もっと強くなりたい』と思うことがたくさんある。それでも強いと思われるのは、自分の気持ちをストレートに表現しているからなのかな。我慢をため込んで壊れてしまうのは、強いように見えて実は弱いようにも感じる。普段から自分の気持ちに向き合うための時間を大切にしていて、それが表現につながっている。歌でもSNSでもトークでも、どんな場面でも自分自身が無意識にしていること全てが“表現”なのだと思う」と答えた。現在公開中の映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では声優業にチャレンジするなど、アーティストにとどまらず多岐にわたり活躍する。大躍進を遂げたこの1年を振り返り「アーティストやタレント、演技、声優など、いろいろな経験ができた1年だった。今後はこれまでに行ってきたことをより深く、繊細に積み重ねていくことで、未来の自分の表現がどのように変化していくのかが楽しみ」と締めくくった。

本キャンペーン期間中、「ドクターマーチン」一部店舗、オンラインストアで対象のサンダルを購入した人には、映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」とのコラボレーションステッカーをプレゼントする。※先着順、無くなり次第終了

問い合わせ先
ドクターマーチン・エアウエア ジャパン
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音楽家・渋谷慶一郎「アンドロイド・オペラ」6年ぶり凱旋 協働の「ハトラ」デザイナー・長見佳祐とアーティスト・岸裕真が語る魅力と背景

ピアノやオーケストラ、電子音響、ノイズを駆使し、近年ではアンドロイドや人工知能を導入するなど、領域を横断しながら前進し続ける音楽家、渋谷慶一郎。渋谷のメインプロジェクトであり、これまでデュッセルドルフやドバイ、パリなど世界各地で上演してきた舞台芸術シリーズ「アンドロイド・オペラ」が、単独公演としては約6年ぶりに日本で開催される。

恵比寿ガーデンホールで6月18日に上演される本作は2部構成で、第1部には2018年に新国立劇場の委嘱により初演された、子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ「スーパーエンジェルス(Super Angels)」の抜粋が、第2部には2022年にドバイ万博で発表し翌年にパリ・シャトレ座で上演したアンドロイド・オペラ「ミラー(MIRROR)」が披露される。

第1部「スーパーエンジェルス」に参加する児童合唱団「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の衣装を担当する「ハトラ(HATRA)」デザイナーの長見佳祐と、同じく映像演出を手掛けるアーティスト、岸裕真の2人に、渋谷本人や「アンドロイド・オペラ」との出会い、そして公演参加に至る経緯や制作背景について話を聞いた。

「アンドロイド・オペラ」との出会い

PROFILE: 長見佳祐/「ハトラ」代表(左)、岸裕真/アーティスト(右)

長見佳祐/「ハトラ」代表(左)、岸裕真/アーティスト(右)<br />
PROFILE: (ながみ・けいすけ)2006年パリでクチュール技術を学び2010年に帰国後「ハトラ」を設立。衣服を境界状況的な空間と捉えたリミナル・ウェアを提案。3Dクロスシミュレーション、生成AIを始めとするデジタル技術に基づくデザイン手法を確立し、様々なリアリティが溶け合う身体観をリサーチする。主な出展に「JAPANORAMA」(ポンピドゥー・センター・メス、フランス、2017)「DXP2」(金沢21世紀美術館、2024)など。著書に『CLO: DIGITAL MODELISM』(BNN、2023)(きし・ゆうま)人工知能(AI)を用いてデジタル作品や彫刻を制作するアーティスト。主に、西洋とアジアの美術史の規範からモチーフやシンボルを借用し、美学の歴史に対する認識を歪めるような作品を制作。 PHOTO : GO KAKIZAKI

——まずお2人と「アンドロイド・オペラ」との出会いについて教えてください。

長見佳祐(以下、長見):18年に日本科学未来館で初演された「スケアリー・ビューティ(Scary Beauty)」を観劇しました。開演前の会場には「これから何が起こるんだろう?」「もしかしたら何も起こらないのでは?」という、未知の状況を前にした緊張感が立ち込めていたことを覚えています。

開演してしばらくは、舞台中央に立つアンドロイド「オルタ」にばかり目がいったのですが、次第に、渋谷さんやオーケストラの皆さんが「オルタ」という新しい存在・知性と対峙してどう振るまうのか、どう自分たちをアップデートするのかという、人間側の挙動や変化に関心が移っていきました。人類の営みの縮図が表象されているように感じ、強く心を動かされました。

岸裕真(以下、岸):僕が渋谷さんとアンドロイド・オペラを初めて知ったのは、4、5年前、大学院の修士過程の頃です。当時「テクノロジーとアート」について話せる人が周りにおらず、たまたまツイッター(編注:現X)経由で長見さんと知り合い、やり取りが始まりました。そしてある時、長見さんが渋谷さんの「アンドロイド・オペラ」と「スケアリー・ビューティ」について教えてくれたんです。

——どのような流れで「スケアリー・ビューティ」の話題になったのでしょうか?

:AIとアートの関係性について話していた流れでした。その前にAI・機械学習分野の国際会議「ニュール・アイ・ピー・エス(NeurIPS)」に参加したんです。同会議は、その年にほぼ初めてAIアートに関するセッションが設けられ、AIを道具として使うべきだとする「AIは道具」派と、人格と見做すべきだと主張する「AIはコラボレーター」派の論争が起こるなど、小規模ながら盛り上がりを見せました。参加後に会議の話を長見さんに伝えた時に、長見さんは「スケアリー・ビューティ」について熱く語ってくれて、すぐにユーチューブで記録映像を見ました。


アンドロイド・オペラ 「スケアリー・ビューティ」 渋谷慶一郎 日本科学未来館公演

その後、初個展「ネイバーズ・ルーム(Neighbors' Room)」に向けて作品を制作していったのですが、振り返ると、AIとの向き合い方を考える上で1つのロールモデル、参照点になったのが渋谷さんと「スケアリー・ビューティ」だったと感じます。

——今回の公演に参加されることになったのはどんな経緯でしたか?

:昨年3月から6月に開催した僕の個展「フランケンシュタイン・ペーパーズ(The Frankenstein Papers)」を渋谷さんが観に来てくださり、僕は不在だったのですが、SNSでメンションをいただきました。その後雑誌「リアルサウンド」での対談で初めてお会いして意見交換をしたところ「何か一緒にやろう」と誘っていただき、10月に金沢21世紀美術館で上演された渋谷さんと池上高志さん共作のアンドロイド対話劇「イデア(IDEA)」への参加が決まりました。

『IDEA』の脚本、2台のアンドロイドの台詞はすべてGPTで生成されています。僕はGPTの学習やディレクションに関するお手伝いをしました。その打ち上げの場で、次もぜひ、と言っていただき、今回の公演への参加に至った次第です。

——そこに長見さんが参加されることになったのは?

:長見さんとは何度も共作をしています。ちょうど「イデア」の上演と同時期に金沢21世紀美術館で開催された企画展「D X P (デジタル・トランスフォーメーション・プラネット) ―次のインターフェースへ」にも「HATRA+Yuma Kishi」名義で共同インスタレーション作品を出展しました。渋谷さんは、長見さんのことも、僕と長見さんの関係性もご存じで、「スーパーエンジェルス」について話し合う中で「衣装は長見さんにお願いできないか?」と話がまとまり、僕から長見さんに相談したんです。

長見:岸くん経由でお話をいただいてから、正式に参加が決定するまではとても早かったですね。僕は21年に新国立劇場で上演された「スーパーエンジェルス」の初演も観劇しましたし、今回の公演の概要を教えていただいた時に明確なプランがすぐに思い浮かびました。それを岸くん経由で渋谷さんにお伝えして、初めてお会いした時に「じゃあどう進めようか?」と実行プロセスについて話を進められたんです。

「スーパーエンジェルス」参加に向けたクリエーション

——今作でのお2人の担当領域や制作プロセスを教えていただけますか?

長見:第1部の「スーパーエンジェルス」に参加する、多様な特徴と背景を持つ子どもたちの児童合唱団「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の衣装制作を担当しています。さまざまな体格の約30名の子どもたちが歌い、踊る演目で、大きなアクションもあるんです。彼らを包み込みながら、その動きを増幅し、劇場全体に解き放つような衣装を制作したいと考えています。ぜひ公演で確かめていただきたいですね。

——長見さんはかねてから3DモデリングソフトウェアCLO(クロ)やAIを活用されていますが、今回も同様ですか?

長見:はい。ただCLOにせよAIにせよ、僕にとってはもはや「筆と紙」のように当たり前の存在なので、特段強調することでもありません。制作に自然と入り込んでくるものです。

——今回の制作でいつもと異なっていることはありますか?

長見:衣装の安全性には、いつも以上に配慮していますね。なかには視力が弱いお子さんもいますし、先述の通り、舞台では動きもあるので、衣装が危険を誘発しないよう意識しながら制作しています。

——映像演出を担当される岸さんは、どのように制作されていますか?

:渋谷さんからは、第1部と第2部のそれぞれに対するイメージを共有していただきました。演奏楽曲の歌詞を読み解き、方向性に沿いながら、来場される方たちに多くを感じてもらえるような空間を演出する映像を制作したいと考えています。

ネタバレはできませんが、中間的な存在としての「天使」が鍵になります。媒介者・メッセンジャーとして神と人間を行き来する天使は、作品を通して「始まり/終わり」や「生/死」「西洋/東洋」などの境界を問い続ける渋谷さんにとって大切なモチーフでしょうし、人工知能という非人間的存在と自己の交友関係から作品を作る僕にとっても、興味深い存在です。この時代に、人工知能とともにどんな天使を降臨させられるか、目下制作を進めています。

2人が考える「アンドロイド・オペラ」の見どころ

——最後に、今回の東京公演の見所について、それぞれのお考えをお聞かせください。

長見
:アンドロイドの「オルタ」が、妹島和世さんがデザインされた台座とともに強い存在感を放っているので、まずそこに目が行くかもしれませんが、ぜひ舞台全体を観てほしいです。舞台上の多様なプレイヤーの連関や相互作用に目を向けると、すごいことが起こっていることに気が付くというか、「アンドロイド・オペラ」への印象が大きく変わるのではないでしょうか。

:同感です。今回の東京公演は、オルタ、渋谷さん、「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の子どもたち、オーケストラ、長見さんの衣装など、多種多彩なプレイヤーやクリエイションが集まる空間です。僕は人工知能と共にその空間の意味を最大化するような映像を制作できればと思っています。細部に注目しつつ、空間全体も堪能していただきたいですね。

【公演概要】
Android Opera TOKYO - MIRROR/Super Angels excerpts.
公演日:2024年6月18日(火)
時間:開場18時、開演19時
会場:恵比寿ガーデンホール(チケットは完売)

第一部 Super Angels excerpts.
コンセプト、作曲、ピアノ、エレクトロニクス:渋谷慶一郎
歌詞:島田雅彦
ヴォーカル:アンドロイド・オルタ4
コーラス:ホワイトハンドコーラスNIPPON
オーケストラ:アンドロイド・オペラ・トーキョー・オーケストラ(コンサートマスター 成田達輝)
アンドロイド プログラミング:今井慎太郎
映像:岸裕真
衣装(ホワイトハンドコーラスNIPPON):ハトラ
衣装協力(ホワイトハンドコーラスNIPPON):ノヴェスタ

第二部 Android Opera MIRROR
コンセプト、作曲、ピアノ、エレクトロニクス:渋谷慶一郎
ヴォーカル:アンドロイド・オルタ4
声明:高野山声明(山本泰弘、柏原大弘、谷朋信、亀谷匠英)
オーケストラ:アンドロイド・オペラ・トーキョー・オーケストラ(コンサートマスター 成田達輝)
映像:ジャスティン・エマルド
アンドロイド プログラミング:今井慎太郎

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「コス」が京都の絞り染め職人とコラボ 衰退する工芸技術を広めるきっかけに


ロンドン発の「コス(COS)」はこのほど、京都の絞り染め職人の田端和樹とコラボレーションしたカプセルコレクションを発表した。6月5日から「コス」青山店、マリン アンド ウォーク ヨコハマ店、東京・台場のダイバーシティ店および公式ECサイトで販売する。発売を記念し5月30日には京都芸術大学で、国内外のプレスや学生を招いた絞り染めの体験ワークショップとトークイベントを開催した。

絞り染めは1000年以上の歴史を持つ染め技術で、水資源に恵まれた京都で大きく発展した。田端は従来絹地に限られていた「京鹿の子絞り」の技術を受け継ぎながら、綿や麻などさまざまな生地に応用し独自の「たばた絞り」を考案した人物だ。「コス」はコレクションのテーマである「自然」を表現する方法として、鮮やかな色彩や有機的な模様が特徴の絞り染めに着目。カリン・グスタフソン(Karin Gustafsson)=デザイン・ディレクターは、「絞り染めを採用するには、私たちの力だけでは本来の良さ表現しきれないと思った。そこで日本の職人と協業しこの伝統のすばらしさを世の中に伝えていくことが重要だと考えた」と話す。インスタグラムで田端の作品を見つけたことをきっかけにオファー。約1年の製作期間をかけて完成した。

「手筋絞り」や「雪花絞り」で生み出す模様を落とし込んだ14点

コレクションは田端がデザインした4つの模様を、メンズとウィメンズ、アクセサリーの14点のアイテムにプリントや織りで落とし込んだ。透けるシアサッカー素材のワイドパンツ(2万3500円)と半袖シャツ(1万8500円)のセットアップは、じゃばら状に折った布に糸を巻きつけて独特な縞模様を生み出す「手筋絞り」のデザインを施した。太陽のようなオレンジで染め上げたカフタンドレス(3万1000円)は、絞りの線がさまざまな方向を向くように配置し、不ぞろいな模様の味を際立たせた。100%シルクのスカーフ(価格未定)には、雪の結晶のような模様が特徴の「雪花絞り」で柄をデザインした。

絞り染めは糸の巻きつけ具合や染める角度などによって模様の出方が毎回異なり、細部に職人の技が問われる。田端は「コス」からのオーダーに沿って「完璧すぎず、不ぞろいすぎない絶妙なバランスを目指した」と説明。グスタフソン=デザイン・ディレクターは、「田端氏が生み出す柄は力強さがあると同時に穏やかな印象を受けた。タイムレスなデザインに重きを置く『コス』のファッションと通ずるものがあった」とコメントした。

従来絞り染めは1点1点手作業で行うため製作できる点数は限られる。加えてプリントでは絞りのかすれやにじみの表現が難しいとされる。今回両者が協力してそうした細部の味をプリントで忠実に再現することで、絞りならではの風合いを担保しながら量産することが叶った。田端は「職人が見ても本物と区別がつかないほどの仕上がりになった」と出来を語る。

74歳で若手、後継者不足の産業を広めるきっかけに

京都芸術大学で開催したイベントでは、田端による絞り染めのデモンストレーションや、実際に参加者が布を糸で縛るワークショップなどを行った。後半は田端が工房で働く4人の学生インターンと共にそれぞれの柄に込めた思いや試行錯誤を繰り返した過程について語った。

また後継者不足の現状についても言及。技術の習得に時間がかかることや、着物の需要が縮小するなかで活かせる仕事が減っていることなどが原因だと言う。田端は「私が継いだ時点では74歳だった父が若手と呼ばれるような状況で、今44歳の私の、横にも下にも人材がいない」と課題を語る。「手仕事だけでは届けられる範囲が限られている。今回のコラボが世界中の人々に絞り染めを知ってもらえるいい機会になるはずだ」と意義を語った。

グスタフソン=デザイン・ディレクターは、「私たちは工芸やモノ作りのオリジナリティーを尊重する。まだ具体的な計画はないが、今後も日本の職人との協業の可能性は探っていきたい」と話した。

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「ピーチ・ジョン」の座談会でバービーを直撃 「自己肯定感をアップさせる下着を届けたい」

ピーチ・ジョンは4月、お笑いコンビ「フォーリンラブ」のバービーを起用したブランド「ルフルダダ(LUHUL DADA)」の新コレクション試着会と座談会を開催した。この座談会は、バービー本人の要望から実現。13人の参加者は、ピーチ・ジョンの公式インスタグラムでアンケートを実施して選出した。座談会ではコラボ商品の愛用者13人が司会者のバービーを囲みながら、新コレクションの感想をはじめ、下着に対する思いや悩みなどを語り合った。

新作については、「気分が上がる」「つけ心地が良い」といった声をはじめ、ブラジャーはアンダー90cm、Hカップまで、ボトムスは、5Lサイズ幅広いサイズを展開するブランドらしく、「ブラとショーツがおそろいで着けられてうれしい」「初めてソングをはいて快適だと感じた」「自分の体に合う下着を選べばいいと思えた」という感想も。参加者は、これらリアルな声をSNSで拡散。座談会終了後、バービーにコラボ愛用者と向き合った感想を聞いた。

下着のデザインの機能性を通して元気を届けたい

WWD:初めてのリアルな座談会の感想は?

バービー:20年にコラボを始めたが、私の思いや商品に対するこだわりが、ちゃんと伝わっていると初めて実感して驚いた。「下着を通して考え方が変わった」という声もあり、このコラボを通して何かを変えたり心に響いたりするきっかけを作れたことをうれしく思う。

WWD:自分にとって、このコラボの意味は?

バービー:このコラボが女性の体について話すきっかけになった。世の中でフェムテックや「性と生殖に関する健康と権利(SRHR)」の発信が増えたが、下着は、女性の置かれている立場や生活が伝わってくる存在。私と女性の体をつないでくれる存在が下着だと思考える。

WWD:「ルフルダダ」を通して伝えたいこととは?

バービー:「自分の体だっていい」と体に対する肯定感がアップしたり、下着を着けることでテンションが上がったりするきっかけになればいいと思う。それは、コラボを始めた時から変わっていない。デザインと機能性の2つを通して着ける人に元気を届けられたらと思う。資材などが高騰していて難しいが、より多くの人に着けてもらえるよう、価格も23年にブランド化する以前よりも抑えられるように努力している。

WWD:20年から続く「ピーチ・ジョン」最長のコラボだが、心掛けていることは?

バービー:まず、売れないと続けられないということを意識している。自分が好きなデザインで進めることもあるが、販売枚数が見込める事も大切。私の中ではいつも、その2つのせめぎ合い。数字を見ると、予測とギャップがあることも多い。いつも売れるサイズがデザインによって売れないときもある。それらについて日々勉強しながら、守りと攻めのバランスを追求している。

妊活・妊娠により変化した下着への考え

WWD:ボディーポジティブやフェミニズムに関する取材も増えているが、情報発信する際に心掛けていることは?

バービー:「……するべき」「……がおすすめ」という言葉は使わないようにしている。あくまで“私”を主語にして、物ごとを伝える。自分で決断したり行動したりすることが大事で、それが自信につながったり自己肯定感を上げたりする秘訣だと思う。だから、「私は私の考えでこうしたので、自分考えで決定してほしい」というニュアンスを伝えるようにしている。

WWD:これから挑戦したいことは?

バービー:女性の体にフィットする専門的なアイテム、例えば、生理や妊娠・出産に関連するものや悩みに寄り添うような商品を手掛けられたら嬉しい。これまでデザイン重視だったが、妊活・妊娠したことで、快適性を重視するようになり、下着に対する考え方が変わった。

内田美央ピーチ・ジョン広報宣伝担当は、コラボがこれほど長く続いた理由を「女性からの信頼度がとても高く、見逃してしまいそうな小さな心のモヤモヤにも真摯に向き合ってモノづくりしているのが理由」と語った。新たなライフステージを迎えたバービーとのコラボは、今後さらに充実したものになりそうだ。

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“琉球手技”で沖縄・東京ともリピーター続出 予約がとれないトップエステティシャン伊是名祐子さん

沖縄と東京の2拠点で活躍するエステティシャンである伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ(VIVACE BEAUTY)」主宰。琉球舞踊の所作を手技にとりいれた独自メソッドも好評で、施術予約は常に1年先まで埋まっていると話す。そんな国内有数のトップエステティシャンである伊是名さんのパーソナルヒストリーを取材した。

――:伊是名さんがエステティシャンを目指したきっかけは?

伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ」主宰(以下、伊是名):もともと母親が化粧品店を営んでいまして。近所の主婦が来店しては、母からパックやマッサージを受けて、その日の出来事などを報告する……幼少の頃からそのやりとりを見ていて、将来はこういう仕事をしたいといった憧れがありました。その後、高校を卒業してから、美容の仕事に携わろうと、エステティシャンとしての勉強を福岡や東京で経験しました。

――:伊是名さんは1997年当時、沖縄では珍しかったラグジュアリーホテル「ザ・ブセナテラス」のスパの立ち上げに参画しましたよね。あの当時はまだ20代?

伊是名:そうですね。まだ24歳でした。当時は東京や福岡でエステティシャンの経験がある人が珍しかったのかもしれません。「ザ・ブセナテラス」のスパを立ち上げるお話をいただいて。それと同時に、自分の実力も高めたいと思い、ホテルで経験を積みつつ、国際ライセンス(CIDESCOディプロマ)も取得しました。その後、32歳の時に那覇市首里でトリートメントサロン「ビバーチェ ビューティ」を設立。それから約10年後の41歳のときに東京に進出しました。東京ではパレスホテル東京にある「エビアン スパ 東京」の技術トレーナーや、アルビオンのスキンケア「インフィオレ(INFIORE)」(現在は取り扱い終了)のメソッド制作監修など、さまざまなブランドとお取り組みをさせていただいています。

――:顧客へのトリートメントは沖縄と東京の2拠点で提供しているとのことですが、1年先まで予約が詰まっているそうですね。

伊是名:ありがたいことに、ほとんどのお客さまは1カ月に1回のペースでいらして、その時に1年先まで予約を入れていただいているので、常に空きがない状態でして、私も風邪をひけません(笑)。

――:多くの顧客がリピートする伊是名さんの手技ですが、その魅力は沖縄の古典である琉球舞踊を取り入れていることにあるとか。

伊是名:はい。琉球舞踊には男踊りと女踊りの2つの踊りがあるのですが、それぞれコシを入れたり、しなやかに体重移動をしたりと、体幹を鍛えるような動きが多くあります。私自身も、3歳から琉球舞踊を習っていますが、エステティシャンに多い、腰痛や腱鞘炎などのトラブルが一切無くて。そこで、この琉球舞踊の踊りをトリートメントメソッドに生かせないかと考え、20年かけて琉球メソッド「クシャティ」を生み出しました。「クシャティ」とは沖縄の方言で“後ろ盾”とか“そっと背中を押す”という意味なのですが、お客様ご本人のお身体をそっと支えたいという思いを込めて名付けています。

――:「クシャティ」のトリートメントの特徴は?

伊是名:琉球舞踊のしなやかな手の動きを取り入れることで、独自のメソッドとフローを開発しました。無意識のうちに緊張している身体の力をゆるめることで、リンパの流れ、静脈血の戻りを促すことを目的としています。そのために、エステティックの技術はもちろん、整体の理論と技術で、人に本来備わっている自然治癒力・免疫力をもとに戻すように整えていきます。また、琉球古典音楽の持つ独特な音色や残響音は胎教内の周波数や波動とも近いということから、施術中は琉球の古典音楽をBGMに流しており、お客さまには深いリラクゼーションをご実感いただいています。トリートメント時間は2時間ですが、この施術を受けただけで就寝中の歯ぎしりや食いしばりの症状、不眠が緩和したとお話される方も多くいらっしゃいます。

――:「クシャティ」の施術はメンタルにも働きかけますよね。沖縄を感じ入るトリートメントだと思います。

伊是名:ありがとうございます。インドには“アーユルヴェーダ”が、ハワイには“ロミロミ”があるように、沖縄の伝統文化の一つとして「クシャティ」を根付かせていく、というのが目標でもあります。「クシャティ」を開発するにあたっては、琉球舞踊や古典音楽だけではなく、琉球王国から息づく“祈り”の文化も勉強しました。たとえば、そのひとつに、婚礼の際に親から娘へと贈られる“房指輪”という花嫁のための指輪があるのですが、それには衣食住に恵まれるようにという祈りが込められていまして。「クシャティ」の施術を始める前に、房指輪を使って精神統一をするのですが、そういった儀式的様式的なことも高いトリートメント効果が得られる理由の一つだと思っています。沖縄を知るきっかけは食やリゾートホテル、三線など、いろいろあると思いますが、そのきっかけの一つに、スパトリートメントである「クシャティ」を加えられたらと願っています。

――:「クシャティ」はその高い効果からリピーターが多いということで、施術するエステティシャンに予約が相次ぐ気が(笑)。

伊是名:そうですね。リピーターのお客さまはメンテナンスということで月に1度来店される人が多いので、予約が増えても対応できるという心意気のあるエステティシャンに、このメソッドを丁寧に伝授していけたらと考えています。

「VIVACE BEAUTY」
住所:沖縄県那覇市首里石嶺町4-318
TEL:098-887-5111
営業時間:10:30-20:00 月曜定休

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“琉球手技”で沖縄・東京ともリピーター続出 予約がとれないトップエステティシャン伊是名祐子さん

沖縄と東京の2拠点で活躍するエステティシャンである伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ(VIVACE BEAUTY)」主宰。琉球舞踊の所作を手技にとりいれた独自メソッドも好評で、施術予約は常に1年先まで埋まっていると話す。そんな国内有数のトップエステティシャンである伊是名さんのパーソナルヒストリーを取材した。

――:伊是名さんがエステティシャンを目指したきっかけは?

伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ」主宰(以下、伊是名):もともと母親が化粧品店を営んでいまして。近所の主婦が来店しては、母からパックやマッサージを受けて、その日の出来事などを報告する……幼少の頃からそのやりとりを見ていて、将来はこういう仕事をしたいといった憧れがありました。その後、高校を卒業してから、美容の仕事に携わろうと、エステティシャンとしての勉強を福岡や東京で経験しました。

――:伊是名さんは1997年当時、沖縄では珍しかったラグジュアリーホテル「ザ・ブセナテラス」のスパの立ち上げに参画しましたよね。あの当時はまだ20代?

伊是名:そうですね。まだ24歳でした。当時は東京や福岡でエステティシャンの経験がある人が珍しかったのかもしれません。「ザ・ブセナテラス」のスパを立ち上げるお話をいただいて。それと同時に、自分の実力も高めたいと思い、ホテルで経験を積みつつ、国際ライセンス(CIDESCOディプロマ)も取得しました。その後、32歳の時に那覇市首里でトリートメントサロン「ビバーチェ ビューティ」を設立。それから約10年後の41歳のときに東京に進出しました。東京ではパレスホテル東京にある「エビアン スパ 東京」の技術トレーナーや、アルビオンのスキンケア「インフィオレ(INFIORE)」(現在は取り扱い終了)のメソッド制作監修など、さまざまなブランドとお取り組みをさせていただいています。

――:顧客へのトリートメントは沖縄と東京の2拠点で提供しているとのことですが、1年先まで予約が詰まっているそうですね。

伊是名:ありがたいことに、ほとんどのお客さまは1カ月に1回のペースでいらして、その時に1年先まで予約を入れていただいているので、常に空きがない状態でして、私も風邪をひけません(笑)。

――:多くの顧客がリピートする伊是名さんの手技ですが、その魅力は沖縄の古典である琉球舞踊を取り入れていることにあるとか。

伊是名:はい。琉球舞踊には男踊りと女踊りの2つの踊りがあるのですが、それぞれコシを入れたり、しなやかに体重移動をしたりと、体幹を鍛えるような動きが多くあります。私自身も、3歳から琉球舞踊を習っていますが、エステティシャンに多い、腰痛や腱鞘炎などのトラブルが一切無くて。そこで、この琉球舞踊の踊りをトリートメントメソッドに生かせないかと考え、20年かけて琉球メソッド「クシャティ」を生み出しました。「クシャティ」とは沖縄の方言で“後ろ盾”とか“そっと背中を押す”という意味なのですが、お客様ご本人のお身体をそっと支えたいという思いを込めて名付けています。

――:「クシャティ」のトリートメントの特徴は?

伊是名:琉球舞踊のしなやかな手の動きを取り入れることで、独自のメソッドとフローを開発しました。無意識のうちに緊張している身体の力をゆるめることで、リンパの流れ、静脈血の戻りを促すことを目的としています。そのために、エステティックの技術はもちろん、整体の理論と技術で、人に本来備わっている自然治癒力・免疫力をもとに戻すように整えていきます。また、琉球古典音楽の持つ独特な音色や残響音は胎教内の周波数や波動とも近いということから、施術中は琉球の古典音楽をBGMに流しており、お客さまには深いリラクゼーションをご実感いただいています。トリートメント時間は2時間ですが、この施術を受けただけで就寝中の歯ぎしりや食いしばりの症状、不眠が緩和したとお話される方も多くいらっしゃいます。

――:「クシャティ」の施術はメンタルにも働きかけますよね。沖縄を感じ入るトリートメントだと思います。

伊是名:ありがとうございます。インドには“アーユルヴェーダ”が、ハワイには“ロミロミ”があるように、沖縄の伝統文化の一つとして「クシャティ」を根付かせていく、というのが目標でもあります。「クシャティ」を開発するにあたっては、琉球舞踊や古典音楽だけではなく、琉球王国から息づく“祈り”の文化も勉強しました。たとえば、そのひとつに、婚礼の際に親から娘へと贈られる“房指輪”という花嫁のための指輪があるのですが、それには衣食住に恵まれるようにという祈りが込められていまして。「クシャティ」の施術を始める前に、房指輪を使って精神統一をするのですが、そういった儀式的様式的なことも高いトリートメント効果が得られる理由の一つだと思っています。沖縄を知るきっかけは食やリゾートホテル、三線など、いろいろあると思いますが、そのきっかけの一つに、スパトリートメントである「クシャティ」を加えられたらと願っています。

――:「クシャティ」はその高い効果からリピーターが多いということで、施術するエステティシャンに予約が相次ぐ気が(笑)。

伊是名:そうですね。リピーターのお客さまはメンテナンスということで月に1度来店される人が多いので、予約が増えても対応できるという心意気のあるエステティシャンに、このメソッドを丁寧に伝授していけたらと考えています。

「VIVACE BEAUTY」
住所:沖縄県那覇市首里石嶺町4-318
TEL:098-887-5111
営業時間:10:30-20:00 月曜定休

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小松菜奈×松田龍平 2人が考える「役者の魅力」とは——映画「わたくしどもは。」で初共演

PROFILE: 左:小松菜奈/俳優 右:松田龍平/俳優

左:小松菜奈/俳優 右:松田龍平/俳優
PROFILE: 左:(こまつ・なな)1996年生まれ。長編映画初出演を果たした映画「渇き。」(2014)で、第38回日本アカデミー賞新人俳優賞ほか多数の新人賞を受賞。映画「沈黙-サイレンス-」(16)でハリウッドデビュー。映画「閉鎖病棟-それぞれの朝-」(19)では第43回日本アカデミー賞優秀助演女優賞、「糸」(20)で第44回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。主な出演作に映画「ディストラクション・ベイビーズ」(16)、「さよならくちびる」(19)、「さくら」(20)、「ムーンライト・シャドウ」(21)、「余命10年」(22)などがある。 右:(まつだ・りゅうへい)1983年生まれ、東京都出身。映画「御法度」(1999)で数々の新人賞を総なめし、その後、主演作「青い春」(2002)での圧倒的な存在感で注目を浴びる。「舟を編む」(13)で第37回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、第38回報知映画賞主演男優賞、第68回毎日映画コンクール男優主演賞、第23回日本映画批評家大賞主演男優賞他、多くの賞を受賞。主な映画出演作に「劔岳 点の記」(09)、「まほろ駅前多田便利軒」シリーズ(11・13・14)、「北のカナリアたち」(12)、「探偵はBARにいる」シリーズ(11・13・17)、「ジヌよさらば~かむろば村へ~」(15)、「モヒカン故郷に帰る」「ぼくのおじさん」(16)、「散歩する侵略者」(17)、「羊の木」「泣き虫しょったんの奇跡」(18)など。待機作に、映画「次元を超えるTRANSCENDING DIMENSIONS」(公開時期調整中)などがある。

どこか分からない場所で、記憶も名前もなくした男女が出会う。映画「わたくしどもは。」は現世と来世の狭間で繰り広げられる魂たちの物語。監督の富名哲也は、これまで釜山国際映画祭やベルリン国際映画祭に出品するなど、海外で注目を集めてきた新鋭で本作は長編2作目となる。そこでW主演を務めて初共演したのが、ミドリ役の小松菜奈とアオ役の松田龍平。2人は富名監督が生み出した神秘的な世界に、どのように向き合ったのか。

※記事内では映画のストーリーに言及する部分があります。

観る者の想像力をかきたてる映画

——映画「わたくしどもは。」は独自の世界観がある作品でしたね。監督の美意識を感じさせながらも、観る者の想像力をかきたてます。

松田龍平(以下、松田):そうですね。どんな作品なのか説明するのは難しいですね。死者の話ではあるんですけど、少ない台詞の中から、確かに何かを1つずつ拾いながら、エンディングまでゆっくり楽しめる映画だと思いました。美しい佐渡島で自分なりに答えを出しながら、わからないところは監督の中にあるものに身を委ねればいいやという感じでやっていました。

小松菜奈(以下、小松):観る方によって、いろいろ解釈できる作品ですよね。言葉も少なくて、感情を表情や仕草、時にはダンスを通じて表現する。風の音や鳥のさえずりとか自然の音も表現の一部というか、目をつむって音に耳を傾けたくなるときがあるんですよね。だから映画を観ているだけではなく、聞いているような気もして。映画を観ながら「こういうことなのかな」って自分なりに想像する余白もあって、魂が物語に引き寄せられていくような作品でした。

——映画の舞台になった佐渡島の風景も印象的で、異世界感が伝わってきました。

小松:実際にロケ地の佐渡島に行ってみて、この作品の独特の空気感が分かったような気がしました。例えば(物語の舞台になった)鉱山で金を採るために多くの人が亡くなっているんですけど、外は蒸し暑いのにトンネルの中はひんやりしているんですよね。魂が漂っていそうな気配を感じさせる。島の自然も印象的で、ここで撮影をすれば作品の世界と交われるような気がしました。

——出てくるキャラクターも不思議な存在ですよね。人間であって人間でないような。ミドリが自分のことを「私(わたくし)」というのが最初は奇妙な感じがしたのですが、観ているうちにだんだんとなじんできました。

小松:台本を読んでいるときは、ミドリが生きているのか亡くなっているのか、分からなくなる瞬間がありました。魂が生と死を行き来しているというか。最初の台本では、登場人物1人1人のバックボーンが分かるように描かれていたんです。それが途中で変わって、キャラクターを説明する部分が削ぎ落とされていきました。そんな中で、しゃべり方も変わって「私(わたくし)」という普段使わない言い方になったんです。それを自分の中に落とし込むのが大変で。

松田:ちょっと、戸惑ってましたよね。「これであってますかね?」って。

小松:(龍平さんに)聞いたりしてましたよね。

松田:俺も分からないけど、あってると思いますって(笑)。

小松:でも、ミドリがいるのが現世と来世の狭間の世界で、死んだことで記憶がなくなってリセットされたんだったら、「私(わたくし)」でもおかしくないかも、と思ったんです。

——リアルに演じると生きている人間と変わらなくなってしまう。でも、いかにもな幽霊の演技だとホラーになってしまう。そのバランスが難しいですね。

松田:窓からじっと外を見ているシーンがあったんですけど、心霊写真とかで誰もいないはずの窓にぼんやり写り込んじゃった霊ってあるじゃないですか。そういう存在かって思って。ミドリやほかの霊たちは、自分が死んだことに気付いていなくて、奇妙な状態でいることに戸惑っているけど、僕が演じたアオは自分が死んだことに何となく気付いている。こじらせている霊だと思うんですよね。だから天国にもいけず、地縛霊みたいになってしまっているんじゃないかって思って。お芝居では自分は死人だ、って思いながら演じていたから、なんだか息もしづらくて。呼吸って生きている証じゃないですか。そういうことを考えていると、めちゃくちゃ芝居しづらかったですね。

仕事=社会における自分の役割

——みなさん感情をあまりあらわにせず、淡々と演じているようでしたが、お芝居のトーンなど微妙なバランスが必要だったんですね。富名監督は現場で細かな指示をされたのでしょうか。

松田:監督は、現場で思いついたことがあると、元の台本だったり、これまでやっていたことを全部捨てられちゃう人なんですよ。初めは「え、まじすか?」ってなるんだけど、監督は楽しそうだし「こっちの方が面白いと思って」みたいな感じだから。僕も気持ち的に楽になれたところがあって。そういう風に切り替えられるのはすごいなと思いました。

——でも、突然段取りと違うことをやるというのは役者としては大変だったのでは?

松田:まあ、そうですね。台詞を書いているシーンがあって。字を書くだけだからって油断していたら、前日に「独白にします」って言われて、全然台詞が出てこなくて。それはちゃんと覚えなかった僕のせいなんだけど(笑)。小松さんは急な変更にも対応出来ていて、さすがだなぁ、って思いました。

小松:その台詞も独特でしたよね。自分に喋っているような感じで。監督はいつもニコニコしていて、すごく楽しそうでした。その場その場で、ああしよう、こうしてみようってアイデアを出されて、もうちょっと何かが欲しい、と思ったときは役者と一緒に考える。作り込んでいくというより、そこにあるものを活かすことを楽しんでいたような気がします。だから、実際にある建物に手を加えるのではなく、そのままの状態で使って、そこに登場人物が現れることで映画的な世界になる。アオの部屋なんてベッドが1つあるだけなんですよ。

松田:ベッドって言っても木の板だけだったからね。しかも床は土っていう(笑)。家っていうか、廃墟で。そこに住んでるのは自分が死んだ人間だと分かっているから気にならないのかもしれないし、生きていた頃の生活を忘れちゃったからかもしれないなって思って、面白いなって、納得しちゃってましたね。

——アオはそういう場所で1人でいて、ミドリと仲間たちは居心地が良さそうな家で食卓を囲んでいますよね。

松田:ミドリたちは自分が死んだことに気付いていないから、何となくの生前の記憶の中で、死ぬ前と同じような生活をしているんでしょうね。あと、面白かったのが、霊ってさまよっているイメージがあるけど、この作品では皆、なんらかの仕事をしているってところで。ミドリたちは清掃、アオも警備員みたいなことをやっていたり。やっぱりどんな形だとしても、働くってことは重要なんだろうなって。死んでまで働きたくないよって思うかもしれないけど。なんか、グッときたんですよね。死んでいるから好き勝手やってるわけじゃなくて、結局生きていようが死んでいようが、人は人のままなのかもしれないなぁって。それって結構深いテーマというか。面白い考え方だなって思って。仕事ってお金をもらうためだけにあるわけじゃなくて、存在する上での役割というか。昔から食べるために狩りをしたり、家を守る人がいたり。死んでから霊になっても何かしらの仕事をするってことは「そこ」にいる理由なのかもしれないなと。監督に聞いたわけじゃないから、あれですけど。面白いですよね。

小松:監督に裏設定など、聞きたいことがいっぱいありましたね。

——そういうことを想像する面白さが、この作品にはありますね。それにしても、アオとミドリの関係は不思議ですね。映画の最初のシーンで、どうやら前世で2人は心中したらしいことが分かりますが、この世界では彼らは記憶をなくして相手のことを思い出せない。しかも、片方は死んだことに気付いていなくて、もう片方は霊であることをこじらせている。

松田:2人とも前世に記憶も感情もおいてきている、限りなくニュートラルな魂みたいな感じなんだけど、アオとミドリが出会っときにお互いに何かを感じるところから始まるんですよね。時が止まっている。何もない死後の世界に新しい風が吹くような。切れそうな細い赤い糸で結ばれているような2人の姿が印象的で。真っ暗なトンネルの中を無言で2人歩いているような、その距離感がいいなと思いました。僕はアオを演じているとき、あの死後の世界にいる唯一の光というか、ここにいる意味みたいなものをミドリに感じながら演じているところがありました。

——心中をしたくらいだから、きっと前世では激しく愛を交わしていたんでしょうね。だからその余熱みたいなものが、記憶や感情を失った2人を結びつけているのかもしれません。

松田:2人が飛び降りるシーンは、生を感じさせる強い感情があってもいいんじゃないかと思っていたんだけど、手をつなぐだけで十分生きている感情が伝わってきて。すごいなって。そういう愛の描き方は今までになかったような気がしました。

小松:ミドリとアオって恋人らしくは描かれていないんですよね。縁で結ばれた2人、それ以上でもそれ以下でもないというか。向かい合って喋るというより、隣同士で喋るような感じ。ラストで長いトンネルを2人で歩くシーンがあって。監督からはカットがかかるまで歩いてくださいって言われたんですけど、本当に長いトンネルで、歩いても歩いても出口が見つからなかったんです。ミドリとアオって、一緒にいる理由は見つからないけど一緒にいることでどこか安心するというか。切っても切っても、切り離せない関係なのかなって思いました。

初共演について

小松菜奈と松田龍平

——ちなみにお2人は、今回初めて共演されてみて相性はいかがでした?

松田:そうですね。俺の、ギャグなのかなんなのか分からないボールもちゃんと拾ってくれて助かってました(笑)。

小松:龍平さんの間(ま)が面白いんですよね(笑)。ボソッと言うこととか、突っ込みたくなるんですよ。

松田:そう、結構、鋭く返してくれるから楽しかったです。

——楽しい現場だったんですね。映画の登場人物みたいに色で相手を表現すると何色でしょう。

松田:なんだろう。緑系かな。エメラルドグリーンとか。

小松:私、ファッションで身に着ける色は緑が多いですよ。古着が好きなんですけど、今日も緑だなって思うこともあって。

——松田さんは何色でしょう?

小松:青系かな。濃い青。

松田:俺はオレンジが好きなんですよ。

小松:そうなんですか! 意外ですね。私も落ち着いた色より、ビビッドな色の方が好きですね。

——オレンジってポジティブな心理効果を与えると言われてますよね。先ほど、死んだ後も仕事をしているという設定が面白い、という話がありましたが、お2人は役者という仕事にどんな気持ちで向き合っておられるのでしょうか。

松田:そうですね、俳優は作品ごとに役も仕事する人も変わるじゃないですか。また一緒に仕事出来る機会もあるけど、やっぱり職場がガラッと変わるから、僕なんか一緒になった人にすごく影響受ける方だから。人との出会いで役だったり僕自身の生き様みたいなものが反映されて。そんな仕事だと思いますね。はっきりした正解があるわけじゃないし。

——人生経験が仕事に反映される?

松田:そうですね。いろんな人がいるからなぁ、感情も。いろんな人生があるから。そういう意味だと、思うがままに生きれば良いと思うんだけど。やっぱり役者としては振り幅がないといけないのかもしれないですね。それでも結局は役者の仕事ってよくわからないところがあります。

小松:私はモデルとしてキャリアをスタートしたのですが、この仕事を通じて貴重な人生体験をさせていただいていると思います。作品ごとに新しい出会いがあって、どんどん親戚が増えていくような感じというか。出会った方たちは、再会したときに「女優」としてではなく親戚みたいに接してくれる。そういうところが面白いと思います。

——また、楽しい親戚が増えましたね(笑)。

小松:そうですね(笑)。この世界じゃなかったら、こんな面白い方たちと出会えなかったと思います。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
STYLING:[NANA KOMATSU]AYAKA ENDO、[RYUHEI MATSUDA]DAI ISHII
HAIR & MAKEUP:[NANA KOMATSU]MAI OZAWA(mod’s hair)、[RYUHEI MATSUDA] TARO YOSHIDA(W)

[NANA KOMATSU]ジャケット 14万5200円、スカート 9万9000円/共にアクネ ストゥディオズ(アクネ ストゥディオズ アオヤマ 03-6418-9923)、中に着ているシャツ 6万6000円(参考価格)/アヴァヴァヴ(サカス ピーアール 03-6447-2762)、リング(右手)人さし指 154万円、中指 46万7500円、(左手)人さし指(上)24万6400円、(下)63万8000円、中指 45万1000円/全てシャネル(シャネル カスタマーケア 0120-525-519)

■「わたくしどもは。」
5月31日から新宿シネマカリテほか全国順次公開
出演:小松菜奈 松田龍平
片岡千之助 石橋静河 内田也哉子 森山開次 辰⺒満次郎 / 田中泯 大竹しのぶ
音楽:野田洋次郎
監督・脚本・編集:富名哲也
企画・プロデュース・キャスティング:畠中美奈
製作・配給:テツヤトミナフィルム
配給協力:ハピネットファントム・スタジオ
2023年/日本/101分/カラー/スタンダード/5.1ch 映倫:G
©2023 テツヤトミナフィルム
https://watakushidomowa.com

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「MIMC」がローズ水のスキンミストを発売 北島寿代表が語るローズの魅力と可能性

天然原料に徹底してこだわった商品で石けんオフメイクを提唱し、環境保全や社会貢献活動にも積極的に関わる「MIMC」は5月30日、化粧水ミスト“オーガニックローズスキンミスト”(110g、4950円)を発売する。新商品“オーガニックローズスキンミスト”は、希少なブルガリアンローズをぜいたくに配合し、そのローズ水を全身でまとうことができる化粧水ミスト。化学者としての探究心を胸にさまざまな開発を続ける北島寿代表に、自ら大学院に通いその研究に邁進するローズに期待する理由、そしてこれからの挑戦について聞いた。

「ローズを原料とする商品開発は2011年から始まっているが、昨年5月、ローズの原産国であるブルガリアの国立アカデミーと弊社との研究チームが発足し、最先端のローズ研究の成果を共有するほか、その科学的かつ医学的効果など横断的に探求できるようになった。それと同時に私自身も今、大学院医学部の研究生としてローズの解明に取り組み、研究発表の準備をしている。ローズは世界で最も愛されている美容成分であると同時にその医学的効果から、古くより薬として使われている。弊社は、ブルガリアのごく限られた地域の指定農場でオーガニック栽培する世界最高峰のダマスクローズを原料としている。開花直後に朝摘みした花びらは、農場内にある蒸留所でローズ水を抽出する。通常、ローズ水はローズオイルを抽出する課程で得られる副産物、いわば残渣だが、弊社のローズ水は先端技術である水蒸気ダブル蒸留法で抽出されており、本来は分離してしまうローズオイルを高濃度で含んでいるのが大きな特長だ。“オーガニックローズスキンミスト”はそのミストの一つ一つにオイルが溶け込んでいるため香り高く、満開のローズ畑に立ったかのような感覚を味わってもらえるはず。こうした、エビデンスの集大成に見つけたブルガリアンローズ美容を商品に落とし込み、“ローズシューティカル”ラインとしてシリーズ化した。同商品は、その第三弾アイテムとなる。また、12月には今年収穫したローズヌーボーを使用した新商品を発表する予定だ」(北島寿「MIMC」開発者兼代表)。

昨年8月に発売した、ローズ水100%のインナーケア商品 “オーガニックインナーセラムドリンク”も好評だ。先端技術による抽出方法や濃縮成分、濃厚な香り、有機JAS認定などのアプローチが話題となった。「ドリンクは420種の厳しい検査基準を満たし、有機JAS認定を取得した。5月30日のミスト発売から表参道店でドリンクの空きビン回収をスタートし、順次拡大する計画だ。ビンは砕かれ、新たなビンとして生まれ変わり循環していく。世界はサステナブルからリジェネレーション(再生的/繰り返し生み出す)へと移行している。創業以来、天然原料にこだわってきたが、もうそれでは間に合わない。地球環境の再生を考えた時、容器は切り離せない問題だ。コロナ禍、研究者魂に火が付き論文を読み、再生容器に関わる研究者や機関に連絡をとった。そして実現したのが、23年ホリデーコレクションで採用した古紙を原料とするコンパクトケースや再生PET繊維によるマルチポーチだ。これまで物性などに課題があり数が限られていたが、今年は拡大する。今後は中身だけでなく容器にも全力で取り組み、リジェネレーションに挑戦していきたい」。

TEXT:YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
MIMCお客さまサポート
03-6455-5165

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オンラインMTGのフィルターに負けないファンデ&リップで回復を狙う「M・A・C」事業部長 ライバルは、AI?

PROFILE: YK・リー/「M・A・C」事業部長

YK・リー/「M・A・C」事業部長
PROFILE: 韓国生まれ。2001年に梨花女子大学校を卒業。マーケティング領域で20年の経験を持ち、マーケティング戦略やイノベーション開発、キャンペーン企画などに携わってきた。02年、石けんを中心とする韓国の中堅財閥・愛敬グループでキャリアをスタートする。07年から10年、ソウル・チョンノグのマクドナルドでコア・メニュー・ブランド・マネジャーを務め、経営の50%の責任を受け持つ。日本の外食チェーン企業のすかいらーくやジョンソン・エンド・ジョンソンを経て、23年エスティ ローダーに入社し、現職 PHOTO : YUTA KATO

エスティ ローダー傘下の「M・A・C」は今年、ブランド設立40周年を迎える。そもそも「M・A・C」は、“メイクアップ・アート・コスメティクス”の頭文字を取ったもの。プロのメイクアップアーティストがカナダ・トロントで設立し、専門知識を強みにメイクアップとスキンケア商品を開発する。“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を信条に掲げ、ダイバーシティーやジェンダーフリーが叫ばれるようになるはるか前から、多様性と個性を尊重する商品を世に送り出してきた。現在同ブランドの日本における事業部長を務めるYK・リー(YK Lee)は、コロナ禍を通して大きく変化した消費動向と向き合い、「M・A・C」のさらなる成長戦略を練っている。3月に着任1年の節目を迎えたリー事業部長に、「M・A・C」の強みや日本でのビジネスなどについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):事業部長着任後の1年間でどのようなことに取り組んだ?

YK・リー「M・A・C」事業部長(以下、リー):コロナ禍以降、大きく変化した消費動向に応じた商品開発に取り組んだ。コロナ禍は人と会う機会が少なく、オンラインではフィルターに頼れるのであまりメイクをしない人が多かった。一方コロナ禍が明けると、以前のようにまた人に会う機会が増え、人々は自己主張・自己表現をする機会を楽しんでいる。そこで対面で会うときにも、フィルターのようにふんわりした肌をかなえられるリキッドファンデーション“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”[SPF25・PA++](全16色、各30mL、各7260円)を開発した。マスクを外せるようになったので、リップスティックの新作“マキシマル シルキー マット リップスティック”(全25色、各4620円)や“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”(全7色、各3960円)にも注力している。

WWD:これまでのキャリアをどう生かしている?

リー:これまで情熱を傾けてきたのは、課題のあるブランドをV字回復させること。成功したときの達成感には、中毒性がある。前職は、外資企業が買収した日本のブランド。親会社の意向と日本独特の文化が折り合わず、売り上げが落ちていた。そこでは、美容エディターや美容賢者らが愛用しているのに認知度が低い商品でテレビCMを打ち、改めて認知度を高め、売り上げを伸ばした。マーケティング領域での20年の経験を生かし、「M・A・C」もさらに成長させたい。

WWD:事業部長に着任した当時は、「M・A・C」も伸び悩んでいた?

リー:カラーメイクアップを主軸とするブランドはどこもあまり好調ではなかったので、声が掛かったときは悩んだ。しかし私自身、リップスティックをはじめとする「M・A・C」の化粧品を使っており、愛着のあるブランドだったので、挑戦してみたいと思った。

WWD:日本の現在の商況は?

リー:日本はリップとファンデーションが好調で、世界でトップ10に入る国だ。日本のお客さまは、買い物における失敗を恐れる傾向が強い。だからこそブランドスイッチが起こりづらく、同じ商品が長く愛されている。メイクアップに関しては、ビフォー/アフターをガラッと変えるものよりも、自分らしさを生かすものが人気だ。

WWD:今後のビジョンは?

リー:韓国コスメやプチプラブランドなど、手頃な価格でメイクアップを楽しめる選択肢が増えた。「M・A・C」だけが持つアーティストリーやストーリーを生かし、品質のさらなる向上に取り組むつもりだ。直近の新商品“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”や“グロー プレイ クッショニー ブラッシュ”、“スタジオ ラディアンス セラム ファンデーション”、“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”などはスキンケア成分を高配合し、メイクアップブランドでありながらスキンケア効果にも注力して開発している。また、マイクロプラスチックの使用量を削減し、最先端の技術にこだわって製造している。「M・A・C」の品質の高さを、より訴求していきたい。

改めて「M・A・C」というブランドについて

WWD:「M・A・C」の強みは?

リー:専門家による卓越した技術だ。メイクアップアーティストがお客さまに寄り添って、メイクアップの楽しさを教えたり、悩みを解決したりする。コロナ禍では美容部員の接客に制限が多く、自信をなくしたり、スキルを伸ばせなかったりなどの課題を抱えていたので、事業部長着任後すぐに美容部員の教育チームを強化した。店舗での接客やメイクアップ技術のトレーニングなどを行っている。

また、以前は店舗間のつながりが強かったが、コロナ禍には距離が生まれてしまっていた。コミュニケーションの活性化を目指し、今年は全てのリテール・マネジャー(全国の「M・A・C」カウンターの店長)が対面で集まれるイベントを開催する予定だ。

WWD:「M・A・C」を通してどのようなメッセージを届けたい?

リー:「M・A・C」は、“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を重視している。今でこそダイバーシティー&インクルージョンは当たり前になったが、ブランドが誕生した40年前から、この価値観を貫いてきたことを誇りに思う。全ての女性と少女の平等な権利と、健康で安心な未来をサポートするビバ グラム基金は、「M・A・C」の価値観を象徴する。売り上げは100%、女性や少女、LGBTQIA+、HIV・エイズとともに生きる人々の支援に充てている。創設以来、世界で総額5億ドル(約775億円)以上を寄付し、今も増え続けている。

店の売り上げにならないので開始当初は百貨店の反発などもあったと聞いているが、「M・A・C」の価値観を根気強くコミュニケーションすることで理解してもらえた。今は、かつてに比べすんなり受け入れてもらえているし、百貨店側も積極的だ。6月には“ビバ グラム リップスティック”をリニューアルし、「M・A・C」のメッセージをさらに推し進める予定だ。

WWD:「M・A・C」の脅威は?

リー:日々進化しているAIだ。フィルターをつけるだけで、メイクの必要がない。メイクアップという行為自体を消し去ってしまうほどの力があるかもしれない。現在では人が提案するようなテクニックも、AIが提案する時代が来るだろう。だからこそ、教育・接客をさらに強化したい。

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オンラインMTGのフィルターに負けないファンデ&リップで回復を狙う「M・A・C」事業部長 ライバルは、AI?

PROFILE: YK・リー/「M・A・C」事業部長

YK・リー/「M・A・C」事業部長
PROFILE: 韓国生まれ。2001年に梨花女子大学校を卒業。マーケティング領域で20年の経験を持ち、マーケティング戦略やイノベーション開発、キャンペーン企画などに携わってきた。02年、石けんを中心とする韓国の中堅財閥・愛敬グループでキャリアをスタートする。07年から10年、ソウル・チョンノグのマクドナルドでコア・メニュー・ブランド・マネジャーを務め、経営の50%の責任を受け持つ。日本の外食チェーン企業のすかいらーくやジョンソン・エンド・ジョンソンを経て、23年エスティ ローダーに入社し、現職 PHOTO : YUTA KATO

エスティ ローダー傘下の「M・A・C」は今年、ブランド設立40周年を迎える。そもそも「M・A・C」は、“メイクアップ・アート・コスメティクス”の頭文字を取ったもの。プロのメイクアップアーティストがカナダ・トロントで設立し、専門知識を強みにメイクアップとスキンケア商品を開発する。“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を信条に掲げ、ダイバーシティーやジェンダーフリーが叫ばれるようになるはるか前から、多様性と個性を尊重する商品を世に送り出してきた。現在同ブランドの日本における事業部長を務めるYK・リー(YK Lee)は、コロナ禍を通して大きく変化した消費動向と向き合い、「M・A・C」のさらなる成長戦略を練っている。3月に着任1年の節目を迎えたリー事業部長に、「M・A・C」の強みや日本でのビジネスなどについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):事業部長着任後の1年間でどのようなことに取り組んだ?

YK・リー「M・A・C」事業部長(以下、リー):コロナ禍以降、大きく変化した消費動向に応じた商品開発に取り組んだ。コロナ禍は人と会う機会が少なく、オンラインではフィルターに頼れるのであまりメイクをしない人が多かった。一方コロナ禍が明けると、以前のようにまた人に会う機会が増え、人々は自己主張・自己表現をする機会を楽しんでいる。そこで対面で会うときにも、フィルターのようにふんわりした肌をかなえられるリキッドファンデーション“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”[SPF25・PA++](全16色、各30mL、各7260円)を開発した。マスクを外せるようになったので、リップスティックの新作“マキシマル シルキー マット リップスティック”(全25色、各4620円)や“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”(全7色、各3960円)にも注力している。

WWD:これまでのキャリアをどう生かしている?

リー:これまで情熱を傾けてきたのは、課題のあるブランドをV字回復させること。成功したときの達成感には、中毒性がある。前職は、外資企業が買収した日本のブランド。親会社の意向と日本独特の文化が折り合わず、売り上げが落ちていた。そこでは、美容エディターや美容賢者らが愛用しているのに認知度が低い商品でテレビCMを打ち、改めて認知度を高め、売り上げを伸ばした。マーケティング領域での20年の経験を生かし、「M・A・C」もさらに成長させたい。

WWD:事業部長に着任した当時は、「M・A・C」も伸び悩んでいた?

リー:カラーメイクアップを主軸とするブランドはどこもあまり好調ではなかったので、声が掛かったときは悩んだ。しかし私自身、リップスティックをはじめとする「M・A・C」の化粧品を使っており、愛着のあるブランドだったので、挑戦してみたいと思った。

WWD:日本の現在の商況は?

リー:日本はリップとファンデーションが好調で、世界でトップ10に入る国だ。日本のお客さまは、買い物における失敗を恐れる傾向が強い。だからこそブランドスイッチが起こりづらく、同じ商品が長く愛されている。メイクアップに関しては、ビフォー/アフターをガラッと変えるものよりも、自分らしさを生かすものが人気だ。

WWD:今後のビジョンは?

リー:韓国コスメやプチプラブランドなど、手頃な価格でメイクアップを楽しめる選択肢が増えた。「M・A・C」だけが持つアーティストリーやストーリーを生かし、品質のさらなる向上に取り組むつもりだ。直近の新商品“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”や“グロー プレイ クッショニー ブラッシュ”、“スタジオ ラディアンス セラム ファンデーション”、“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”などはスキンケア成分を高配合し、メイクアップブランドでありながらスキンケア効果にも注力して開発している。また、マイクロプラスチックの使用量を削減し、最先端の技術にこだわって製造している。「M・A・C」の品質の高さを、より訴求していきたい。

改めて「M・A・C」というブランドについて

WWD:「M・A・C」の強みは?

リー:専門家による卓越した技術だ。メイクアップアーティストがお客さまに寄り添って、メイクアップの楽しさを教えたり、悩みを解決したりする。コロナ禍では美容部員の接客に制限が多く、自信をなくしたり、スキルを伸ばせなかったりなどの課題を抱えていたので、事業部長着任後すぐに美容部員の教育チームを強化した。店舗での接客やメイクアップ技術のトレーニングなどを行っている。

また、以前は店舗間のつながりが強かったが、コロナ禍には距離が生まれてしまっていた。コミュニケーションの活性化を目指し、今年は全てのリテール・マネジャー(全国の「M・A・C」カウンターの店長)が対面で集まれるイベントを開催する予定だ。

WWD:「M・A・C」を通してどのようなメッセージを届けたい?

リー:「M・A・C」は、“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を重視している。今でこそダイバーシティー&インクルージョンは当たり前になったが、ブランドが誕生した40年前から、この価値観を貫いてきたことを誇りに思う。全ての女性と少女の平等な権利と、健康で安心な未来をサポートするビバ グラム基金は、「M・A・C」の価値観を象徴する。売り上げは100%、女性や少女、LGBTQIA+、HIV・エイズとともに生きる人々の支援に充てている。創設以来、世界で総額5億ドル(約775億円)以上を寄付し、今も増え続けている。

店の売り上げにならないので開始当初は百貨店の反発などもあったと聞いているが、「M・A・C」の価値観を根気強くコミュニケーションすることで理解してもらえた。今は、かつてに比べすんなり受け入れてもらえているし、百貨店側も積極的だ。6月には“ビバ グラム リップスティック”をリニューアルし、「M・A・C」のメッセージをさらに推し進める予定だ。

WWD:「M・A・C」の脅威は?

リー:日々進化しているAIだ。フィルターをつけるだけで、メイクの必要がない。メイクアップという行為自体を消し去ってしまうほどの力があるかもしれない。現在では人が提案するようなテクニックも、AIが提案する時代が来るだろう。だからこそ、教育・接客をさらに強化したい。

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“守破離”の精神で進化する桃谷順天館 140年の思いと新たな挑戦

桃谷順天館は来年の創業140周年を目前に、4月に新スキンケアブランド「レグラージュ(REGLAGE)」を立ち上げた。同ブランドは、桃谷順天館が139年の歴史で研究・開発した6万通りの処方の中から厳選した、全87アイテムの商品をラインアップ。SNS分析などを得意とする若手社員を集めたデジタルマーケティングチームが主体となり、同社にとっても新しい取り組みとなった。新たな挑戦を続ける桃谷順天館の桃谷誠一郎社長兼CEOに話を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):新スキンケアブランド「レグラージュ」を立ち上げた理由は?

桃谷誠一郎社長兼CEO(以下、桃谷):それぞれの組織に属していたデジタルを得意とする若手社員を集めたデジタルマーケティングチームを1年前に発足した。このチームの得意分野でもあるデジタルの世界で最も伝わりやすいブランドを作ろうと考え、立ち上げたのが「レグラージュ」だ。

WWD:第1弾ではクレンジングからクリームまで一気に87の商品をそろえた。

桃谷:桃谷順天館には139年の歴史の中で研究・開発した6万通り以上の処方がある。取り扱いブランド・アイテム数も多く、長期間に渡り商品を愛用していただいているお客さまもいて、中には廃盤にした商品を「もう一度使いたい」という声がお客さま相談室に今も寄せられる。もう一方で、環境問題を考慮した際にドラッグストアの棚割で置くことが難しい規格の商品もある。それらを踏まえ、「レグラージュ」ではECを販路に設定し、6万通りの処方を活用した商品群で鮮度が高いうちに使い切れる容量の設計や環境に配慮したパッケージを採用。デザインやコピー、SNSを活用した施策など、若手社員が中心となってディレクションした。私や会長(藤本謙介会長兼CCO)は一切口を出さなかった。

WWD:若手社員の活躍の場を広げている。

桃谷:私は、社長が口出しすると失敗する確率が上がると思っている。「社長が言っているから」では、いいモノは生まれない。私がトライアンドエラーを積み重ねてきたように、若手には新鮮な気持ちでどんどん挑戦してもらいたい。若い人たちの力が発揮できる環境を整えるのが社歴の長いわれわれの仕事でもある。会社は人だ。社員が働きやすい環境を作るということに尽きる。

主軸のスキンケア好調で売上高10%増

WWD:直近の商況は?

桃谷:2023年は、グループ会社であるセルフ販売の明色化粧品とOEM /ODMのコスメテックジャパンが順調に伸長し、グループ全体の売上高は前年比10%増で着地した。明色化粧品では、昨年9月に発売した毛穴専門スキンケアシリーズ“ケアナボーテ”のピュアビタミンCを配合した美容液“VC15特濃美容液”(30mL、2530円)が非常に売れた。スキンケアの高まりを受け、処方が難しいと言われるピュアビタミンCを15%と高濃度で配合しながらも他ブランドよりも低価格で実現した同商品は、インフルエンサーのオーガニック投稿で人気に火がつき、継続して売れている。このほかにも、高機能エイジングケアシリーズ“メディショット”のナイアシンアミドを15%高配合した“メディショット NA15リンクル濃美容液”(30mL、1650円)も好調に伸びている。一方で、明色化粧品は豊富な商品をラインアップしているが、原料高や輸送コストなどの問題をクリアできる商品群に絞ろうと考えている。利益を出しながら研究開発に投資し、次のステージに向けて推し進める。

WWD:「人々のお悩みを解決したい」という創業者の桃谷政次郎氏の思いは変わらず継承されている。

桃谷:創業のきっかけとなったニキビを防ぐ“美顔水”(1885年~)は今もロングセラー商品として親しまれているが、これを販売しているだけでいいというわけではない。時代の変化に伴い、お客さまが求めることも変わってくる。お客さまのニーズに寄り添い、積極的に応えるというのが私の思いでもある。新しいことにはどんどん挑戦していく。

WWD:来年は創業140周年を迎える。今後の展望は。

桃谷:創業者の思いでもある「目の前で悩んでいる方のお悩みを解決する」という原点は守っていくが、「守破離」という言葉があるように“破る”ことも大切だ。私が社長に就いてから30年経つが、私自身が作ってきたものが呪縛になっているのではと感じることがある。ルールや時代に合わせて改革してきたそれらが年輪のように溜まり、1人歩きしているものがある。守破離のごとく、創業者の思いを体現するために何が必要かと原点に立ち返りながら、われわれ流の美のあり方を自分たちで考えた、新しい側面を持つ桃谷順天館へと成長させていきたい。

WWD:海外事業も広げていく。

桃谷:明色化粧品といえば、質の高い商品が1000円前後で売られているお買い得商品と認識されていて、今の為替含め海外でのチャンスは大きい。しかし今あるものではなく、グローバルを見据えたバリューのある商品やブランドを開発したいと考えている。10年後を見据え、スピードを上げながらグローバルでも活躍する企業を目指す。

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「サカイ」と協働 伝統とモダンが交差する「バニー/ユージ」の日常に寄り添うエレガンス

「サカイ(SACAI)」は、ゴールデンウィーク中、東京・南青山の旗艦店で「バニー/ユージ(BUNNEY/EUG)」による純銀製の花瓶の展示受注会を開催した。

「バニー/ユージ」とは、元アップル(Apple)のインダストリアル・デザイナー、ユージン・ワン(Eugene Whang)と、イギリスのジュエリーブランド「バニー(Bunney)」を主宰するデザイナーのアンドリュー・バニー(Andrew Bunney)によるコラボレーションプロジェクトだ。2人は、伝統的なジュエリーの技術と革新的なプロダクトデザインを融合させ、純銀製の花瓶に加え、ダイヤモンドやルビーなどのジェムストーンをふんだんにあしらったラグジュアリーなブローチを制作。世代を超えて受け継がれていく価値のあるアイテムが誕生した。

そこに以前から2人と親交の深い「サカイ」が加わり、三者によるコラボレーションが実現。花瓶とブローチに着想を得たアパレルカプセルコレクション「バニー/ユージ/サカイ(BUNNEY/EUG/SACAI)」を発表した。アパレルアイテムは、一部売り切れのアイテムを除いて、現在も南青山の「サカイ」旗艦店のほか、銀座のドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)とイギリスのドーバー ストリート マーケット ロンドン(DOVER STREET MARKET LONDON)で購入できる。展示会に来日したユージン・ワンとアンドリュー・バニーに、花瓶やジュエリー制作に込めた想いやプロセス、手法・デザインへのこだわりについて話を聞いた。

伝統技術とインダストリアルデザインが交差するニューフェーズ

ーーコラボレーションの背景について。花瓶に着目したのはなぜですか?

ユージン・ワン(以下、ユージン):普段使いの花瓶をデザインしたいと思っていました。理想の花瓶をずっと探していましたが、満足いくものに出会えなかったんです。欲しい花瓶を想像した時、シンプルな形状で、一日の中で姿が変化するようなイメージが浮かびました。時には花瓶自体の存在が消え、花そのものが浮かび上がってくるようなものです。

また以前から、一輪の花でも生け方次第で空間を際立たせられる「生け花」に興味があったので、一輪挿としても使える花瓶を考えました。そんな時、個人のプロジェクトでコラボレーションをしていたアンドリューに相談したんです。彼の銀細工の世界や、伝統的なものづくりの手法を用いたアプローチに興味がありました。

ーー「サカイ」とのコラボレーションはどういった経緯で?

ユージン: 2人にとって長年の友人の「サカイ」(阿部千登勢デザイナー)に相談を持ちかけたのがきっかけです。今回のコレクションは花瓶、ブローチ、アパレルの3つの軸があり、私たちは花器とブローチをデザインしました。「サカイ」からは、フラワーショップのユニフォームを現代風にアレンジしたコートをはじめ、アパレルアイテムを提案してもらいました。

ブローチは花瓶と衣服の架け橋のような存在です。また花瓶やブローチに手が届かない人でも、同じ製法で作ったシルバーが付属するアパレルアイテムは楽しめるかもしれない。だからこそアパレルとブローチは花瓶の延長線上にあり、「サカイ」とのコラボレーションだからこそ生まれたものです。

ーー花瓶や、モチーフとなったチューリップにまつわる個人的な思いやエピソードはありますか?

アンドリュー・バニー(以下、アンドリュー):コラボレーションが決まってから、まずどんな花をアレンジすると魅力的に映えるのかを考えたんです。

リサーチするうちに、「チューリップマニア」という17世紀のオランダでの社会現象に興味を抱きました。希少なチューリップへの人々の熱が高まり、球根の価格が極度に高騰、1本につき現在の100万ドルに相当する価格で取引されるまでになった現象です。この象徴的な出来事に着想し、チューリップをモチーフに選びました。そして花瓶、ブローチ、アパレルという3軸に統一感を与えるために、チューリップモチーフの美しいエンブレムをデザインしました。

ーークリエーション面ではどんな相互作用が生まれましたか?

アンドリュー:私が専門とするジュエリーは職人技に基づいた極めて伝統的なものです。一方でユージンの専門であるインダストリアル・デザインはより現代的なもの。ただし、それぞれの感性や興味には共通する部分があって、お互いの世界をリスペクトしています。2人の世界がどちらも活かされるからこそ、おもしろいものが生まれました。

ユージン:2人の世界が交差するポイントを探る作業は面白かったです。

アンドリュー:花瓶の製造技法は元来とても伝統的なものですが、デザインはモダンです。技術的に難しい部分がいくつもあり、職人たちにとって未経験のこともありましたが、実現したいイメージを理解してもらい、難しさも醍醐味として感じてもらいつつ完成に近づけました。

ユージン:花瓶の製造はすべて手作業。何人もの職人が各工程に関わり、完成に7週間もかかります。以前関わっていたインダストリアル・デザインでは、人間の形跡は製品から消され、7週間あれば50万個のプロダクトを作るような世界。今回、伝統的手法でものづくりに関われたのは、新鮮な経験でした。

精巧な職人技と緻密なコミュニケーションで
オーセンティックなデザインを実現

ーー具体的なデザインはどのように進めましたか?

アンドリュー:まずはアイデアを話し合います。ある程度アイデアが固まったら、ユージンが厳密にスケッチを作ります。それは最終的なプロダクトにとても近いイメージです。スケッチを活用して、職人チームと丁寧にコミュニケーションを取りました。

花瓶は、フラットな金属板を「スピニング」という技法で回転させながら成形しています。特に難しかったのはリップ(折り返し)の部分。技術的な課題は他にもたくさんありましたが、職人たちの技術とアイデアでクリアしていきました。

私たちはロンドンとサンフランシスコという離れた場所で活動していますが、テキストメッセージや写真、ビデオ、テクニカル・ドローイング(設計図)などで迅速にイメージを共有していきました。伝統的な技術と、現代のコミュニケーション・ツールを駆使することでプロジェクトが実現したんです。

ーー花瓶は質感が異なる2種類のラインアップですね。

ユージン:花瓶はハイポリッシュ仕上げとハンマリング仕上げ(鎚目打ち)の2種類です。それぞれ光のとらえ方や反射の仕方がまったく違うので、この2つの選択肢を用意したかったんです。

花瓶の材質と飾る花にフォーカスを当てるため、シンプルな形状にしたいと考えていました。シルバーは光を反射し、イメージを変化させるのに効果的です。開口部のスリットは一輪の花でも固定でき、内側のゴールドプレートに反射した光がそのスリットから溢れるようになっています。

金色の内部が上部だけ露出しスリットから外に溢れ出すさまは、内面の美しさが表に溢れ出てくることを表しているとも言えるし、季節に開く花の姿そのものとも言えます。

花瓶やジュエリーに込められた願い
「もの」と「人々の想い」の継承

ーー「長く愛されるもの」がデザインテーマのひとつです。ものを残し、受け継ぐことについて、考えを聞かせてください。

アンドリュー:ジュエリーとファッションでは、それぞれに違った意味があるでしょう。初めて買った靴やジーンズなど、私たちはファッションに強い愛着や意味を見出すことがあります。人生の時を刻むもの、と言ってもいいかもしれない。ジュエリーは少し違って、結婚式や出産などの特別な機会に贈られ、何世代にもわたって受け継がれていくもの。何十年も生き続けるものだからこそ、適切な素材と技術を用いる必要があります。

貴金属でこれほど大きい花瓶を作るのはとても珍しい。願わくば末永く使ってもらえるように、という思いを込めています。贈られた人にとっても、買った人にとっても、宝物になるように、と。

ーーユージンさんはいかがですか?

ユージン:過去に手がけたすべてのプロジェクトにおいて、目標は常に「長持ちするものを作る」こと。ただテクノロジーを扱う場合、ソフトウェアのようなパーツは急速に進化し、本来は10年以上使える品質だとしても、実際に継続して使われるかどうかはトレンドや仕様に左右されます。残念ですが、それはインダストリアル・デザインの宿命です。

今回、何世代にもわたって受け継がれうる花瓶を作れたことは新鮮な経験でした。

ーー最後に、これらの花瓶が人々にどのような効果を与えることを期待しますか?

アンドリュー:花瓶を受け取った人、あるいは接した人が、選ばれた素材や技術を理解し、これがいかに特別なものかを感じてくれることを願っています。そしてこの花瓶を家に置いて、遊びに来た友だちと鑑賞して楽しんでもらえたらと思います。

ユージン:シンプルなものから得られる感覚に触れてほしいです。チューリップのように、ありふれた日常の花々を讃えるような感覚を表現したいと考えて制作したので。

■「バニー/ ユージ」および「バニー/ユージ/サカイ」
サカイ青山店では花瓶とブローチ、ウェアコレクションを展示販売(現在は終了)。
アパレルは、上記の店舗ほか、銀座のドーバー ストリート マーケット ギンザとイギリスのドーバー ストリート マーケット ロンドン、および公式オンラインストアで引き続き販売中(一部品切れあり)。

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メルローズの3つの柱「M・V・P」 次の時代を切り開くための指針を策定

1973年創業のメルローズは昨年、50周年の節目を迎えた。アニバーサリーイヤーの昨年から今年にかけては、記念商品やコラボレーションが目白押しだ。そして日本の服飾史に名を刻む偉大な足跡をベースに、次の時代に飛躍するための新しい企業理念「M・V・P」を策定した。同社を率いる東秀行社長は、どんな企業を目指すのか。

WWDJAPAN(以下、WWD):「M・V・P」にはどんな思いを込めたのか。

東秀行社長(以下、東):服は着る人のためにある。お客さまにワクワクとドキドキを届ける――。当社には脈々と引き継がれてきた考え方がある。50周年を機に、それらを改めて言語化した3つの柱がM・V・Pだ。MISSION(ミッション)、VALUE(バリュー)、PRIDE(プライド)の頭文字から名付けた。言語化することで、迷ったらいつでも立ち返る行動規範としていきたい。5年先、10年先、50年先まで見据えて作った。私たちは創業以来、ゼロからイチを作るイノベーションを愚直に重ねてきた。それを表現した旗印だ。

WWD:最初のミッションは「未来をつくる挑戦と創造」と定義している。

東:議論を始めたのはコロナ禍だった。大変な時期だったからこそ、ファッション企業に何ができるか、根本から考えることができた。導き出されたのは挑戦と創造という言葉。当たり前だけど、挑戦しないと何かを創造することはできない。失敗を重ねることがイノベーションに近づく唯一の方法であり、イノベーションがなければお客さまからの共感を得られない。挑戦と創造を止めたとき、企業は魅力を失う。メルローズが50年も支持されてきたのは、常に新しい挑戦を続けたからだ。

WWD:バリューには「真のもの作り精神」「真価のある商品」「真のサービス」「真の感動」といった言葉が並ぶ。

東:2年前に社長に就いたとき、働くわれわれが自分たちの価値をきちんと認識していない気がしていた。メルローズはゼロからイチを生み出している。デザイナーが自分の発想でデザイン画を描き、パタンナーが美しいシルエットと快適な着心地を作り出す型紙を作り、生産担当が最良のサプライチェーン(供給網)を構築し、営業が最適なマーケティングをし、店頭では販売員が最高のホスピタリティーで接客する。例えば10万円のワンピースがあるとして、当社の商品は同じ価格帯のどのブランドよりもレベルが高いと私は自負している。その価値を正確に認識した上で、自信をもってお客さまに伝えるべきだ。

WWD:最後のプライドもその延長にある。

東:真面目に積み重ねてきたことに一人一人が誇りを持つべきだ。ゼロからイチを作る。ブランドと商品にしっかりしたストーリーを構築する。五感に訴える店舗空間で最高のおもてなしをする。当たり前に思われる方もいるかもしれないが、実際は当たり前を妥協せずに継続するのは易しくない。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

メルローズの新しい挑戦 
注目すべき卸ブランド

「ドメル」は根強いファンを持つデザイナー田口直見によるブランドで、2023年にスタートした。近年、百貨店やセレクトショップでは富裕層の取り込みも視野に入れたドメスティックブランドが脚光を浴びており、そこにピタリと当てはまる。

「カレンテージ」はディレクター塚崎恵理子が2017年にスタートした。世界の旅から得たインスピレーションをトラディショナルな洋服の成り立ちをベースに現代的なエッセンスを加え、独自のアーティザナルなタッチで作る。2024年秋冬からはメンズがスタートする。

「エスロー」はデザイナー清水一子により2021年秋にスタート。何気ないシンプルな服でありながら、絶妙なバランスで着る人の感情に訴えられるのは、綿密に計算されたパターンがあればこそ。普遍的な美しさの中に静かな情熱が宿る、現代を生きる女性のためのワードローブ。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

50周年にちなんだ話題がいっぱい
「50のモノコト」

メルローズは創業50周年にちなんだ特設サイトで「50のモノコト」を2023年6月から展開中だ。節目を記念したコラボレーション、イベント、新商品、新ブランド、インタビュー、新規出店など50のさまざまな話題を1年間かけ、掲載している。

ここでは現在までに紹介された50のモノコトの中から、注目の話題をピックアップした。全ての情報を確認したい人は特設サイトを是非見てほしい。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)
問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

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メルローズの3つの柱「M・V・P」 次の時代を切り開くための指針を策定

1973年創業のメルローズは昨年、50周年の節目を迎えた。アニバーサリーイヤーの昨年から今年にかけては、記念商品やコラボレーションが目白押しだ。そして日本の服飾史に名を刻む偉大な足跡をベースに、次の時代に飛躍するための新しい企業理念「M・V・P」を策定した。同社を率いる東秀行社長は、どんな企業を目指すのか。

WWDJAPAN(以下、WWD):「M・V・P」にはどんな思いを込めたのか。

東秀行社長(以下、東):服は着る人のためにある。お客さまにワクワクとドキドキを届ける――。当社には脈々と引き継がれてきた考え方がある。50周年を機に、それらを改めて言語化した3つの柱がM・V・Pだ。MISSION(ミッション)、VALUE(バリュー)、PRIDE(プライド)の頭文字から名付けた。言語化することで、迷ったらいつでも立ち返る行動規範としていきたい。5年先、10年先、50年先まで見据えて作った。私たちは創業以来、ゼロからイチを作るイノベーションを愚直に重ねてきた。それを表現した旗印だ。

WWD:最初のミッションは「未来をつくる挑戦と創造」と定義している。

東:議論を始めたのはコロナ禍だった。大変な時期だったからこそ、ファッション企業に何ができるか、根本から考えることができた。導き出されたのは挑戦と創造という言葉。当たり前だけど、挑戦しないと何かを創造することはできない。失敗を重ねることがイノベーションに近づく唯一の方法であり、イノベーションがなければお客さまからの共感を得られない。挑戦と創造を止めたとき、企業は魅力を失う。メルローズが50年も支持されてきたのは、常に新しい挑戦を続けたからだ。

WWD:バリューには「真のもの作り精神」「真価のある商品」「真のサービス」「真の感動」といった言葉が並ぶ。

東:2年前に社長に就いたとき、働くわれわれが自分たちの価値をきちんと認識していない気がしていた。メルローズはゼロからイチを生み出している。デザイナーが自分の発想でデザイン画を描き、パタンナーが美しいシルエットと快適な着心地を作り出す型紙を作り、生産担当が最良のサプライチェーン(供給網)を構築し、営業が最適なマーケティングをし、店頭では販売員が最高のホスピタリティーで接客する。例えば10万円のワンピースがあるとして、当社の商品は同じ価格帯のどのブランドよりもレベルが高いと私は自負している。その価値を正確に認識した上で、自信をもってお客さまに伝えるべきだ。

WWD:最後のプライドもその延長にある。

東:真面目に積み重ねてきたことに一人一人が誇りを持つべきだ。ゼロからイチを作る。ブランドと商品にしっかりしたストーリーを構築する。五感に訴える店舗空間で最高のおもてなしをする。当たり前に思われる方もいるかもしれないが、実際は当たり前を妥協せずに継続するのは易しくない。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

メルローズの新しい挑戦 
注目すべき卸ブランド

「ドメル」は根強いファンを持つデザイナー田口直見によるブランドで、2023年にスタートした。近年、百貨店やセレクトショップでは富裕層の取り込みも視野に入れたドメスティックブランドが脚光を浴びており、そこにピタリと当てはまる。

「カレンテージ」はディレクター塚崎恵理子が2017年にスタートした。世界の旅から得たインスピレーションをトラディショナルな洋服の成り立ちをベースに現代的なエッセンスを加え、独自のアーティザナルなタッチで作る。2024年秋冬からはメンズがスタートする。

「エスロー」はデザイナー清水一子により2021年秋にスタート。何気ないシンプルな服でありながら、絶妙なバランスで着る人の感情に訴えられるのは、綿密に計算されたパターンがあればこそ。普遍的な美しさの中に静かな情熱が宿る、現代を生きる女性のためのワードローブ。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

50周年にちなんだ話題がいっぱい
「50のモノコト」

メルローズは創業50周年にちなんだ特設サイトで「50のモノコト」を2023年6月から展開中だ。節目を記念したコラボレーション、イベント、新商品、新ブランド、インタビュー、新規出店など50のさまざまな話題を1年間かけ、掲載している。

ここでは現在までに紹介された50のモノコトの中から、注目の話題をピックアップした。全ての情報を確認したい人は特設サイトを是非見てほしい。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)
問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

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ドナータ・ヴェンダースがレッドカーペットで見せたVHSのアップサイクルドレスとクラフツマンシップ

写真家のドナータ・ヴェンダース(Donata Wenders)が制作に携わっている、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督作品「パーフェクト・デイズ」が国際長編映画賞にノミネートされたため、夫婦揃って授賞式のレッドカーペットに登場した。その時にドナータが着用していたドレスに注目が集まっている。

レッドカーペットといえば、スターたちがビッグメゾンのオートクチュールやプレタポルテのドレスで華やかに登場するアカデミー賞のハイライト。ドナータが披露したドレスは、光沢素材で立体的に編み込まれたエレガントなイブニングドレスのように見えるが、実はヴィムが手掛けた3作品の映画のVHS(ビデオテープ)を解体し、縄のように編み上げて作られたドレスだ。

このユニークなドレスを制作したのは「クルーバ(CRUBA)」というベルリン拠点のインディペンデントブランドだ。ミラ・フォン・デア・オーステン(Mira von der Osten)「クルーバ」デザイナーは、NYとパリのパーソンズ美術大学でファッションを学んだのち、2009年に「クルーバ」を設立。ヨーロッパ国内から高品質な素材を厳選し、ベルリン近郊にある家族経営の小さな工場で生産を行い、環境に配慮したモノづくりをしており、良心的な価格帯も人気を集めている理由の一つだ。

近年、伝統的なドレスコードを覆す独創的なファッションが見られるようになったアカデミー賞授賞式だが、インディペンデントなブランドがラグジュアリーブランドと共にレッドカーペットで作品を披露することは稀だろう。そんなほんの一握りのチャンスを掴んだ経緯は何だったのだろうか?VHSテープからドレスが誕生した秘話やドナータが着用した経緯など、デザイナーのミラに尋ねた。

WWDJAPAN(以下、WWD):ドナータ・ヴェンダースのアカデミー賞の衣装を手がけることになった経緯は?

ミラ・フォン・デア・オーステン(以下、ミラ):「パーフェクト・デイズ」のストーリーにはカセットテープが登場しますが、まずそこに興味を持ちました。ヴィム・ヴェンダースがカセットテープの存在を物語に美しく織り込んでいて、素晴らしいと思いました。上映後にヴィムとドナータに会い、「クルーバ」でVHSをアップサイクリングしたプロジェクトを進めていることを軽く話しました。その時に冗談で「もし、アカデミー賞にノミネートされたら、衣装を作らせて欲しいという手紙を書くつもりだ」と伝えました。ランウエイにも登場しているヴィムは、きっと「ヨウジヤマモト」を着るだろうと思っていたので、私はドナータに尋ねました。その時、すでに彼女には「シャネル」から話が来ていたそうですが、私たちのVHSのアップサイクル作品を見に来てくれると言ってくれました。

WWD:VHSからドレスを作るというアイデアはどのようにして生まれた?

ミラ:私の名付け親がとても映画好きで、膨大な数のVHSを所有していて「廃棄するのではなく何かに再利用できないか?」とアイデアを求められたのがきっかけです。VHSのテープを「クルーバ」のスタジオに送り、解体してからマイラーテープ(アクリル系接着剤でコーティングされたポリエステル)を取り除き、編み込んだり、織り込んだりする実験を始めました。そこで、VHSテープの素材の耐久性に驚きました。洗濯機で洗っても形が崩れないんです。そこから毒性のあるPVCで作られたラインストーンの代替にできることを発見しました。最も驚いたことはVHSテープの光沢感で、これがアイデアの火付け役となりました。映画に携わるスターのドレスを映画のVHSテープから作るなんて素晴らしいことだと思いませんか?

WWD:制作過程で最も大変だった点は?

ミラ:ドレスを制作する時間に全く余裕がなかったことですね。VHSテープからドレスを作るには、7〜10日間連続で編み続ける必要がありました。その後、編み込んだVHSテープの下にシルクのガウンを縫い付けてドレスとして着れるようにしなければなりませんでした。6人の編み手が10日未満でドレスを完成させましたが、完成までにドナータは3回のフィッティングをしました。また、「パーフェクトデイズ」とのつながりを示すため、少し大きめのカセットテープの形をした3Dプリントのクラッチバッグも同時にデザインしました。これは生分解性プラスチックで作っています。

WWD:ドレスの素材となった映画作品は?

ミラ:ドナータのお気に入りの「Tokyo-Ga」「ベルリン・天使の唄(Wings of Desire)「パリ、テキサス」の3作品のVHSを提供してくれました。

WWD:実際に彼女がアカデミー賞の式典でそのドレスを着ているのを見て、どんな気持ちでしたか?

ミラ:ドナータがドレスを着用した姿を現地からビデオメッセージで送ってくれました。その時に、VHSテープを再生した時に生じるノイズ音を真似しながら「聞こえますか?今、アカデミー賞に向かっています」と言ったんです。それを聞いてとても感動し、現実に起こっていることだと信じることができませんでした。ドレスを着てレッドカーペットを歩くドナータの姿はとても優雅で、完璧に着こなしていて感激しました。ヴィムもその美しい姿に完全に魅了されていることがわかりました。

WWD:メディアからはどのような反響がありましたか?

ミラ:圧倒するほどの反響があり、自分でも驚いています。ドイツだけでなく、他のヨーロッパの国やアメリカ、日本のメディアが次々と取り上げてくれて、ベストドレッサーのリストにも掲載されました。ヴィムも「自分の映画のVHSテープを着るというアイデアに興奮している」とコメントしてくれました。アカデミー賞授賞式が終わった後にドレスをミュージアムで展示したいとオファーも受けましたので、日本やアメリカ、ベルリンでも発表したいと思っています。

WWD:サステナビリティについて思うことは?

ミラ:世界的なサステナビリティのムーブメントの中で、ファッション業界は真の目的を達成するにはまだ程遠い現状です。例えば、レッドカーペットは、著名人やセレブリティと契約している企業が権力を持っているため、革新的なアイデアを持つインディペンデントなブランドやサステナビリティを意識したブランドの作品が披露されることはめったにありません。私たちのようなブランドがセレブリティにドレスを提供する機会は極めて限られているんです。そういった現実でドナータはクラフツマンシップの重要性を信じ「クルーバ」のようなブランドを支援してくれています。今回は、アカデミー賞授賞式のレッドカーペットという貴重な場面を通してスローファッションを多くの人に知ってもらえたと思います。

WWD:ブランドを続ける上で最も重要だと思うことは?

ミラ:私たちは常にファッションを通じたコミュニケーションのために、業界の限界を広げるような新しい方法を模索しています。ファッションは文化と深く関わり、生活にも大きな影響を与えますので、責任のあるデザインを創造することが重要です。ブランドを続けていく中で、ドナータやヴィムのような人物と国境を越えてコラボレーションする機会を得たことはとても光栄なことです。

ドナータ・ヴェンダースが「クルーバ」を選んだ理由

WWD:アカデミー賞授賞式の衣装に「クルーバ」のドレスを選んだ理由は?

ドナータ・ヴェンダース(以下、ドナータ):ミラに会った時にVHSテープをアップサイクルして作るドレスのアイデアを聞きました。その後、彼女のスタジオに行き、解体されたVHSテープの素材の可能性に魅了されたのですが、その時すでに私の体型と個性に合ったドレスを作る準備ができていました。VHSはすでに時代遅れなフォーマットで、普通ならゴミになってしまうでしょう。しかし、ミラはそこからヴィム作品のVHSテープでドレスを作るという素晴らしいアイデアを生み出し提案してくれました。私はそのアイデアに夢中になって、すぐにヴィムの3作品のVHSを提供し、そこからドレスの制作がスタートしました。

WWD:衣服に用いられる生地とは異なり、VHSは硬い素材です。着用するのは大変だったのでは?

ドナータ:VHSテープは光沢があり、硬く見えるかもしれませんが、実際には柔らかくて非常に軽いんです。それに、VHSテープを編み込んだドレスには、形状を保つために重要な役割を果たしますためのアンダードレスが付いているので、着用していても快適に過ごせました。映画のイベントに常に着ていきたいくらいこのドレスが大好きで、一番のお気に入りのイベント用ドレスなりました。

WWD:「パーフェクト・デイズ」では、カセットテープが重要なアイテムとなり、「クルーバ」のドレスではVHSテープが重要な素材となりました。カセットテープのリバイバルやリサイクル、またはアップサイクルする最近のカルチャーについて思うことは?

ドナータ:カセットテープは素晴らしい媒体だと思っています。デジタル世代の若者たちがカセットテープに魅力を感じていることは理解できます。ただ、VHSテープは映画を観るには非常に不向きな素材ですので、ドレスとして使用する方が遥かに良い使い道です。

私は自分の服に手入れをすることが好きなので、デッドストックの生地を再利用したり、ブラウスやパンツ、靴下、ドレス、スカートを修理したりしています。自分たちの手でものを作る方法を知らない人が増えている今、アップサイクルの文化は消費主義社会でアナログとデジタルのバランスを保つために必要な存在です。日常生活でも手仕事は重要ですので、ごく自然に生まれた考え方だと思います。古い材料やものを再利用すれば、新しい価値とも触れ合うことができますので、私はそんな生き方にとても共感しています。

WWD:常にスタイリッシュですが、特にお気に入りのファッションブランドはありますか?また、ファッションでの自分のルールは?

ドナータ:ありがとうございます!嬉しいです。私はヴィムと一緒にいろんな場所を旅しながら仕事や生活をしています。そんな生活を何年も続けていると自分の服が家や隠れ家、そして、友人のような存在になっていることに気付きました。私にとって洋服は身近にある大切な存在です。お気に入りのデザイナーは、ヨウジヤマモトとポール・ハーデンです。そして、今回の「クルーバ」のドレスが私の愛する洋服に仲間入りしました。

インディペンデントなブランドでも世界の舞台に立てる未来に期待

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ミラが語るように、今後も「クルーバ」のような小規模展開のブランドがレッドカーペットという晴れ舞台で日の目を浴びることに期待したい。また、各国のミュージアムで展示されることによって、VHSのアップサイクルという斬新なアイデアとクラフツマンシップの可能性が広がっていくことを願う。

「WWDJAPAN」5月27日号はサステナビリティ特集です。「アップサイクル」など、知っておくべき用語について解説しています。

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ドナータ・ヴェンダースがレッドカーペットで見せたVHSのアップサイクルドレスとクラフツマンシップ

写真家のドナータ・ヴェンダース(Donata Wenders)が制作に携わっている、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督作品「パーフェクト・デイズ」が国際長編映画賞にノミネートされたため、夫婦揃って授賞式のレッドカーペットに登場した。その時にドナータが着用していたドレスに注目が集まっている。

レッドカーペットといえば、スターたちがビッグメゾンのオートクチュールやプレタポルテのドレスで華やかに登場するアカデミー賞のハイライト。ドナータが披露したドレスは、光沢素材で立体的に編み込まれたエレガントなイブニングドレスのように見えるが、実はヴィムが手掛けた3作品の映画のVHS(ビデオテープ)を解体し、縄のように編み上げて作られたドレスだ。

このユニークなドレスを制作したのは「クルーバ(CRUBA)」というベルリン拠点のインディペンデントブランドだ。ミラ・フォン・デア・オーステン(Mira von der Osten)「クルーバ」デザイナーは、NYとパリのパーソンズ美術大学でファッションを学んだのち、2009年に「クルーバ」を設立。ヨーロッパ国内から高品質な素材を厳選し、ベルリン近郊にある家族経営の小さな工場で生産を行い、環境に配慮したモノづくりをしており、良心的な価格帯も人気を集めている理由の一つだ。

近年、伝統的なドレスコードを覆す独創的なファッションが見られるようになったアカデミー賞授賞式だが、インディペンデントなブランドがラグジュアリーブランドと共にレッドカーペットで作品を披露することは稀だろう。そんなほんの一握りのチャンスを掴んだ経緯は何だったのだろうか?VHSテープからドレスが誕生した秘話やドナータが着用した経緯など、デザイナーのミラに尋ねた。

WWDJAPAN(以下、WWD):ドナータ・ヴェンダースのアカデミー賞の衣装を手がけることになった経緯は?

ミラ・フォン・デア・オーステン(以下、ミラ):「パーフェクト・デイズ」のストーリーにはカセットテープが登場しますが、まずそこに興味を持ちました。ヴィム・ヴェンダースがカセットテープの存在を物語に美しく織り込んでいて、素晴らしいと思いました。上映後にヴィムとドナータに会い、「クルーバ」でVHSをアップサイクリングしたプロジェクトを進めていることを軽く話しました。その時に冗談で「もし、アカデミー賞にノミネートされたら、衣装を作らせて欲しいという手紙を書くつもりだ」と伝えました。ランウエイにも登場しているヴィムは、きっと「ヨウジヤマモト」を着るだろうと思っていたので、私はドナータに尋ねました。その時、すでに彼女には「シャネル」から話が来ていたそうですが、私たちのVHSのアップサイクル作品を見に来てくれると言ってくれました。

WWD:VHSからドレスを作るというアイデアはどのようにして生まれた?

ミラ:私の名付け親がとても映画好きで、膨大な数のVHSを所有していて「廃棄するのではなく何かに再利用できないか?」とアイデアを求められたのがきっかけです。VHSのテープを「クルーバ」のスタジオに送り、解体してからマイラーテープ(アクリル系接着剤でコーティングされたポリエステル)を取り除き、編み込んだり、織り込んだりする実験を始めました。そこで、VHSテープの素材の耐久性に驚きました。洗濯機で洗っても形が崩れないんです。そこから毒性のあるPVCで作られたラインストーンの代替にできることを発見しました。最も驚いたことはVHSテープの光沢感で、これがアイデアの火付け役となりました。映画に携わるスターのドレスを映画のVHSテープから作るなんて素晴らしいことだと思いませんか?

WWD:制作過程で最も大変だった点は?

ミラ:ドレスを制作する時間に全く余裕がなかったことですね。VHSテープからドレスを作るには、7〜10日間連続で編み続ける必要がありました。その後、編み込んだVHSテープの下にシルクのガウンを縫い付けてドレスとして着れるようにしなければなりませんでした。6人の編み手が10日未満でドレスを完成させましたが、完成までにドナータは3回のフィッティングをしました。また、「パーフェクトデイズ」とのつながりを示すため、少し大きめのカセットテープの形をした3Dプリントのクラッチバッグも同時にデザインしました。これは生分解性プラスチックで作っています。

WWD:ドレスの素材となった映画作品は?

ミラ:ドナータのお気に入りの「Tokyo-Ga」「ベルリン・天使の唄(Wings of Desire)「パリ、テキサス」の3作品のVHSを提供してくれました。

WWD:実際に彼女がアカデミー賞の式典でそのドレスを着ているのを見て、どんな気持ちでしたか?

ミラ:ドナータがドレスを着用した姿を現地からビデオメッセージで送ってくれました。その時に、VHSテープを再生した時に生じるノイズ音を真似しながら「聞こえますか?今、アカデミー賞に向かっています」と言ったんです。それを聞いてとても感動し、現実に起こっていることだと信じることができませんでした。ドレスを着てレッドカーペットを歩くドナータの姿はとても優雅で、完璧に着こなしていて感激しました。ヴィムもその美しい姿に完全に魅了されていることがわかりました。

WWD:メディアからはどのような反響がありましたか?

ミラ:圧倒するほどの反響があり、自分でも驚いています。ドイツだけでなく、他のヨーロッパの国やアメリカ、日本のメディアが次々と取り上げてくれて、ベストドレッサーのリストにも掲載されました。ヴィムも「自分の映画のVHSテープを着るというアイデアに興奮している」とコメントしてくれました。アカデミー賞授賞式が終わった後にドレスをミュージアムで展示したいとオファーも受けましたので、日本やアメリカ、ベルリンでも発表したいと思っています。

WWD:サステナビリティについて思うことは?

ミラ:世界的なサステナビリティのムーブメントの中で、ファッション業界は真の目的を達成するにはまだ程遠い現状です。例えば、レッドカーペットは、著名人やセレブリティと契約している企業が権力を持っているため、革新的なアイデアを持つインディペンデントなブランドやサステナビリティを意識したブランドの作品が披露されることはめったにありません。私たちのようなブランドがセレブリティにドレスを提供する機会は極めて限られているんです。そういった現実でドナータはクラフツマンシップの重要性を信じ「クルーバ」のようなブランドを支援してくれています。今回は、アカデミー賞授賞式のレッドカーペットという貴重な場面を通してスローファッションを多くの人に知ってもらえたと思います。

WWD:ブランドを続ける上で最も重要だと思うことは?

ミラ:私たちは常にファッションを通じたコミュニケーションのために、業界の限界を広げるような新しい方法を模索しています。ファッションは文化と深く関わり、生活にも大きな影響を与えますので、責任のあるデザインを創造することが重要です。ブランドを続けていく中で、ドナータやヴィムのような人物と国境を越えてコラボレーションする機会を得たことはとても光栄なことです。

ドナータ・ヴェンダースが「クルーバ」を選んだ理由

WWD:アカデミー賞授賞式の衣装に「クルーバ」のドレスを選んだ理由は?

ドナータ・ヴェンダース(以下、ドナータ):ミラに会った時にVHSテープをアップサイクルして作るドレスのアイデアを聞きました。その後、彼女のスタジオに行き、解体されたVHSテープの素材の可能性に魅了されたのですが、その時すでに私の体型と個性に合ったドレスを作る準備ができていました。VHSはすでに時代遅れなフォーマットで、普通ならゴミになってしまうでしょう。しかし、ミラはそこからヴィム作品のVHSテープでドレスを作るという素晴らしいアイデアを生み出し提案してくれました。私はそのアイデアに夢中になって、すぐにヴィムの3作品のVHSを提供し、そこからドレスの制作がスタートしました。

WWD:衣服に用いられる生地とは異なり、VHSは硬い素材です。着用するのは大変だったのでは?

ドナータ:VHSテープは光沢があり、硬く見えるかもしれませんが、実際には柔らかくて非常に軽いんです。それに、VHSテープを編み込んだドレスには、形状を保つために重要な役割を果たしますためのアンダードレスが付いているので、着用していても快適に過ごせました。映画のイベントに常に着ていきたいくらいこのドレスが大好きで、一番のお気に入りのイベント用ドレスなりました。

WWD:「パーフェクト・デイズ」では、カセットテープが重要なアイテムとなり、「クルーバ」のドレスではVHSテープが重要な素材となりました。カセットテープのリバイバルやリサイクル、またはアップサイクルする最近のカルチャーについて思うことは?

ドナータ:カセットテープは素晴らしい媒体だと思っています。デジタル世代の若者たちがカセットテープに魅力を感じていることは理解できます。ただ、VHSテープは映画を観るには非常に不向きな素材ですので、ドレスとして使用する方が遥かに良い使い道です。

私は自分の服に手入れをすることが好きなので、デッドストックの生地を再利用したり、ブラウスやパンツ、靴下、ドレス、スカートを修理したりしています。自分たちの手でものを作る方法を知らない人が増えている今、アップサイクルの文化は消費主義社会でアナログとデジタルのバランスを保つために必要な存在です。日常生活でも手仕事は重要ですので、ごく自然に生まれた考え方だと思います。古い材料やものを再利用すれば、新しい価値とも触れ合うことができますので、私はそんな生き方にとても共感しています。

WWD:常にスタイリッシュですが、特にお気に入りのファッションブランドはありますか?また、ファッションでの自分のルールは?

ドナータ:ありがとうございます!嬉しいです。私はヴィムと一緒にいろんな場所を旅しながら仕事や生活をしています。そんな生活を何年も続けていると自分の服が家や隠れ家、そして、友人のような存在になっていることに気付きました。私にとって洋服は身近にある大切な存在です。お気に入りのデザイナーは、ヨウジヤマモトとポール・ハーデンです。そして、今回の「クルーバ」のドレスが私の愛する洋服に仲間入りしました。

インディペンデントなブランドでも世界の舞台に立てる未来に期待

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ミラが語るように、今後も「クルーバ」のような小規模展開のブランドがレッドカーペットという晴れ舞台で日の目を浴びることに期待したい。また、各国のミュージアムで展示されることによって、VHSのアップサイクルという斬新なアイデアとクラフツマンシップの可能性が広がっていくことを願う。

「WWDJAPAN」5月27日号はサステナビリティ特集です。「アップサイクル」など、知っておくべき用語について解説しています。

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パリ五輪メダルで認知度が急上昇 パリ発「ショーメ」の新CEOに聞く歴史とモダニティーの共存

PROFILE: チャールズ・レオン/ショーメ最高経営責任者

チャールズ・レオン/ショーメ最高経営責任者
PROFILE: 香港生まれ。香港中文大学とパリのESSECビジネススクール卒業。カルティエでキャリアをスタートし、マーケティングや小売分野に従事。2006年にショーメに入社。6年間にわたり中国市場中心にアジア太平洋地域を担当。その功績が認められ12年、ディストリビューション&セールス担当バイス・プレジデントに昇格。18年、フレッドのCEOに就任。24年1月から現職
PHOTO:KOHEI KANNO

フランス発「ショーメ(CHAUMET)」は、1780年にパリで創業した老舗で、ナポレオン1世御用達のジュエラーとして知られている。世界中の王族や貴族に愛され、ティアラがメゾンのアイコン。7月に開幕するパリオリンピック・パラリンピック(パリ五輪)のメダルも手掛けるフランスを代表するジュエラーだ。メダルの発表時に全世界でニュースが放映され、ブランドの認知度がアップしたようだ。今年1月には、同じくフランス発ジュエラーの「フレッド(FRED)」を率いたチャールズ・レオン氏がショーメの最高経営責任者(CEO)に就任。4月に東京都内で開催した顧客向けハイジュエリーイベントのために来日したレオンCEOに話を聞いた。

フランスの国宝的なジュエラーとして時代と共に進化

WWD:CEOに就任して初めて行ったことは?

チャールズ・レオン=ショーメCEO(以下、レオン):新年にチームのみんなとガレット・デ・ロワ(フランスで新年を祝うケーキ。王様のお菓子と呼ばれ、切り分けたケーキの中のフェーヴという陶器を当てた人は、その日、王・王女になれるといわれ、紙製の王冠をかぶって祝う)で、好調だった昨年度の実績も兼ねて戴冠式のように祝った。

WWD:「ショーメ」のジュエラーとしてのポジショニングは?

レオン:特別で名声があるフランスの国宝的な存在。フランスの歴史上の重要な出来事と共に歩んできたし、今年のパリ五輪のメダルをデザインした。メダルは、最も美しく輝く宝石であるべきだ。買えるものではない。勝たなければ手にすることができない貴重なもの。それを作ったパリのブランドであることを誇らしく思う。

WWD:他のジュエラーと違う点は?

レオン:歴史以外では、最高の職人技、品質の高さ、洗練されたパリジャンテイストが挙げられる。あまり目立たず、非常に高度なクラフツマンシップが光るクワイエット・ラグジアュリーを体現するジュエラー。文化的な遺産のようなメゾンだ。

WWD:歴史あるメゾンをどのように発展させるか?

レオン:以前は、王侯貴族へジュエリーを提供していた。ナポレオンやジョゼフィーヌ皇后などは当時のファッションアイコンで大きな影響力があった。昔はディナーに行く際にティアラを着用していたが、今は、リングやネックレスなどに形を変えている。過去にとらわれるのではなく、その時代のライフスタイルに合わせて進化していくのが重要。歴史がありながらも、今日的であることが大切だ。

ブランド認知がアップし“ビー マイ ラブ”が絶好調

WWD:売れ筋のジュエリーと中心価格帯は?

レオン:今まで“ジョゼフィーヌ”や“リアン”の人気が高かったが、ここ最近は“ビー マイ ラブ”がリングを中心に好調だ。かわいらしさとクールな面、両方あるし、ユニセックスに着用でき、人気が高まっている。売れ筋価格帯は、25万〜68万円程度。コミュニケーション強化を行ってきたし、パリ五輪のメダルを手掛けるというニュースの影響もあり、知名度がアップして新顧客獲得につながっている。日本では、今年の第1四半期の売上高は前年比51%増だった。訪日客の購入もあるが、そのほとんどが日本人客によるものだ。

WWD:強化するカテゴリーや市場、施策は?

レオン:ハイジュエリーを強化していく。ドラマチックで、現代的なハイジュエリーのイベントを開催するつもりだ。「ショーメ」は自然を着想源に、その時代にあったベストの技術を駆使して生き生きとした繊細な作品を作ってきた。それを時系列的に見てもらえるような展示もしたい。好調の“ビー マイ ラブ”も強化する。モダンでユニセックスなデザインなので、大きな可能性を持っている。日本で人気の“ジョゼフィーヌ”“リアン”も引き続き注力していく。市場に関しては、中東と東南アジアを強化する。インドやタイ、スリランカは宝石の採掘が行われており、伝統的なハイジュエリーが根付いている。最近では、ヨーロッパのスタイルのジュエリーが求められ始めた。昨年ベトナム、マレーシアに、今年タイに出店した。インドやインドネシアへの出店も視野に入れている。中東の若い層には、“ビー マイ ラブ”と“リアン”が大人気で、日常的にジュエリーを楽しんでいる。中東では、サウジアラビアとUAE首長国連邦に各3店舗、クエートに2店舗、カタールに1店舗を運営している。

WWD:今後の世界戦略は?現在、何カ国で販売しているか?主要市場は?

レオン:もっと多様性のある顧客層を取り込みたい。「ショーメ」を知らない人や男性にもブランドを知ってもらいたい。また、「ショーメ」=ブライダルというイメージを崩して、記念日、ご褒美、ギフトなどさまざまなオケージョンで購入してもらいたい。ヨーロッパ、中東、アジア中心に19カ国に直営店、コーナーも含めると今年、店舗数は92店舗になる予定だ。主要市場は、中国、フランス、中東だ。

WWD:日本における戦略は?

レオン:日本は最も伸長率が高い市場の一つ。アジアでは最も歴史のある市場で、強い顧客ベースがある。日本人の消費者は成熟していて職人技に価値があることを良くわかっている。ストーリーを伝えながら、日本人が求める洗練された上品なスタイルを届けていきたい。日本市場には積極的に投資していく。まずは、大阪・心斎橋店の改装を予定しており、パリの雰囲気と関西のテイストをどのようにミックスするかが課題だ。その次には銀座本店を改装する。パリ・ヴァンドーム広場を銀座に持ち込む意気込みで行うつもりだ。

WWD:今年はパリ五輪のメダル制作などで注目が集まるが、ブランドとしてどのような取り組みを行うか?

レオン:常に動きのあるブランドにするため、コミュニケーションの方法を変えるつもりだ。もっと、モダンな現代にマッチしたものにしたい。今年後半には、新しいキャンペーンを展開する。

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尖った服が売れる店、代々木上原「デルタ」の強さの秘訣 「ファッションは生きる行為そのもの」

PROFILE: 大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー

大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー
PROFILE: 文化服装学院・旧スタイリスト科卒業。ブティックでの販売員などファッション業界でさまざまな経験を積んだ後、2004年に「デルタ」をオープン。2020年に地球環境と人権をテーマにしたプロジェクト「ブレス バイ デルタ」をスタート。デザイン性の高いゼロウエイストなコラボアイテムをさまざまななデザイナーと企画している PHOTO:YOW TAKAHASHI
代々木上原に住んで十数年。この街の好きなところはたくさんありますが、「デルタ(DELTA)」という信頼の置けるセレクトショップがあることもその1つ。周りの業界関係者から「今、尖った服が売れる店」として「デルタ」の名前が挙がることも珍しくありません。商品ラインアップのセンスはさることながら、サステナビリティ分野の担当記者である自分の社会的な正義感とファッションを楽しみたい気持ちを心置きなく発散させてくれる店でもあるんです。同店は今年で20周年を迎えます。そんな節目にオーナーの大倉綾さんに「尖った服が売れる店」の強さの秘訣やフィロソフィーを聞きました。

仕入れの基準は服を通してデザイナーの哲学が見えるかどうか

「デルタ」は当時27歳だった綾さんが、夫の有記さんと一緒に東北沢に5坪の店舗をオープンしたのが始まり。綾さんは学生時代スタイリストを目指して文化服装学院を卒業しますが、実際にスタイリストの仕事で食べていくのはいばらの道。知り合いのブティックなどで販売員としてキャリアをスタートさせます。当時のお客さんから「あなたがお店を出したら通うわ」と言われたことに背中を押され、夫の有記さんと一緒に起業。2004年に東北沢に出店し、08年に現在の場所へと移転しました。

白を基調にした店内は、ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)大丸京都店などを手掛けた建築家の永山祐子氏による設計です。以前はラグジュアリーブランドも扱っていましたが、今は「ノワール ケイ ニノミヤ(NOIR KEI NINOMIYA)」や「ワタル トミナガ(WATARU TOMINAGA)」「ハトラ(HATRA)」など国内ブランドが中心。顧客層は女性を中心に、20代〜50代までと幅広い。業界関係者以外にも、医療関係やクリエイター、SEなどさまざまな職業の人が訪れるそう。

「業界関係者にはよくカテゴライズしづらい店と言われますが、商品はあらかじめテーマを設けたり、スタイリングを想定したりすることもなく自由な感覚で仕入れています。お客さまもブランドにこだわりがなく、その自由さ楽しんでくれている方が多い。大事にしているのは、デザイナーの哲学や人柄が服を通して見えることです」と綾さん。

店作りの際に影響を受けたのは、ニューヨークのインディペンデントカルチャーだったと言います。今は閉店してしまいましたが、「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」をはじめ、ファッションと音楽、カルチャー全体が自然に交わるシーンの面白さにも心を動かされたそう。私自身も初めてニューヨークの「オープニングセレモニー」を訪れたとき、店内に並ぶ服1つ1つの強さに圧倒された記憶がありますが、現在の「デルタ」にも似た感覚を抱きます。

「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店での挑戦

商品ラインアップはもちろんですが、国連(UNHCR)などへの寄付を目的としたチャリティーイベントや、選挙期間中には投票証明書を提示すると割引きになる「選挙割」を実施して投票を促すなど、ファッションを消費するだけで終わらせない店のアティチュードこそ私がこの店を推す理由です。

「ニューヨークに行った時にちょうど選挙期間中で、マーク・ジェイコブスがヒラリー・クリントンのTシャツを作って売っていて、これぞファッションと感じたのを覚えています。さかのぼれば、キャサリン・ハムネットやヴィヴィアン・ウエストウッドなどにも影響を受けてきました。ファッションは時代を映す鏡で、生きるという行為そのもの。そこを無視して服を売ることは、私たちには表面的に見える。店はコミュニケーションの場所で、社会とは切っても切り離せないんです」と綾さんは語ります。

20年には「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店「ブレス バイ デルタ」をオープンしました。店内には「ベースマーク(BASE MARK)」によるアップサイクルプロジェクト「リ:マーク プロジェクト(RE:MARK PROJECT)」や、非動物性の素材にこだわる「ビーガンタイガー(VEGAN TIGER)」、社会的運動へのオマージュをテーマにしているパリ発の「カルネボレンテ(CARNE BOLLENTE)」などが並びます。

サステナビリティ担当記者として、環境問題や人権問題を伝える難しさは日々痛感していますが、「デルタ」はそれを軽やかにそしてかっこよく実践します。「私たちも最初は手探りでした。やっぱりモノが持つ力や見た瞬間に楽しさを感じることが絶対です。私たちが上手く提案しているというよりは、サステナブルな理念と両立した良いブランドが出てきたことが大きいと思います」。

コロナ禍のロックダウン中には、産業の環境問題や人権問題に関わる現状を店のスタッフと一緒に学び、「ファッションの根本を考えること」に時間を割いたと言います。「コロナ前から何を基準に仕入れるべきか分からなくなっていたんだと思います。そこである意味、視野を狭めることによってこれまでと違った角度から魅力を発見できた」。

サステナビリティとファッションを考える時について回るのが、「だったらもう服買わなければいいんじゃないですか?」という極論。あえて、というかちょっとすがるような気持ちでこの質問をぶつけてみました。すると綾さんは少し表情を変えて、「私たちはファッションの人間ですから、やめるってことはないんです」と一喝。「私はこの先もファッションが好きな人たちと一緒に未来を見たい。難しい課題があるからこそ、この場所でより良い未来に向かって一緒にクリエーションをしていきたい」と力強く答えてくれました。「デルタ」はファッションの持つ大事なパワーを感じさせてくれる店であり、持続可能な未来を一緒に試行錯誤してくれる心強いパートナーでもあると感じます。

20周年を迎える今年は、原点である音楽とファッションを交えた周年イベントも12月に企画しているそうです。ぜひ「デルタ」の世界観と、そこに集まるコミュニティーを体感してみてください。

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尖った服が売れる店、代々木上原「デルタ」の強さの秘訣 「ファッションは生きる行為そのもの」

PROFILE: 大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー

大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー
PROFILE: 文化服装学院・旧スタイリスト科卒業。ブティックでの販売員などファッション業界でさまざまな経験を積んだ後、2004年に「デルタ」をオープン。2020年に地球環境と人権をテーマにしたプロジェクト「ブレス バイ デルタ」をスタート。デザイン性の高いゼロウエイストなコラボアイテムをさまざまななデザイナーと企画している PHOTO:YOW TAKAHASHI
代々木上原に住んで十数年。この街の好きなところはたくさんありますが、「デルタ(DELTA)」という信頼の置けるセレクトショップがあることもその1つ。周りの業界関係者から「今、尖った服が売れる店」として「デルタ」の名前が挙がることも珍しくありません。商品ラインアップのセンスはさることながら、サステナビリティ分野の担当記者である自分の社会的な正義感とファッションを楽しみたい気持ちを心置きなく発散させてくれる店でもあるんです。同店は今年で20周年を迎えます。そんな節目にオーナーの大倉綾さんに「尖った服が売れる店」の強さの秘訣やフィロソフィーを聞きました。

仕入れの基準は服を通してデザイナーの哲学が見えるかどうか

「デルタ」は当時27歳だった綾さんが、夫の有記さんと一緒に東北沢に5坪の店舗をオープンしたのが始まり。綾さんは学生時代スタイリストを目指して文化服装学院を卒業しますが、実際にスタイリストの仕事で食べていくのはいばらの道。知り合いのブティックなどで販売員としてキャリアをスタートさせます。当時のお客さんから「あなたがお店を出したら通うわ」と言われたことに背中を押され、夫の有記さんと一緒に起業。2004年に東北沢に出店し、08年に現在の場所へと移転しました。

白を基調にした店内は、ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)大丸京都店などを手掛けた建築家の永山祐子氏による設計です。以前はラグジュアリーブランドも扱っていましたが、今は「ノワール ケイ ニノミヤ(NOIR KEI NINOMIYA)」や「ワタル トミナガ(WATARU TOMINAGA)」「ハトラ(HATRA)」など国内ブランドが中心。顧客層は女性を中心に、20代〜50代までと幅広い。業界関係者以外にも、医療関係やクリエイター、SEなどさまざまな職業の人が訪れるそう。

「業界関係者にはよくカテゴライズしづらい店と言われますが、商品はあらかじめテーマを設けたり、スタイリングを想定したりすることもなく自由な感覚で仕入れています。お客さまもブランドにこだわりがなく、その自由さ楽しんでくれている方が多い。大事にしているのは、デザイナーの哲学や人柄が服を通して見えることです」と綾さん。

店作りの際に影響を受けたのは、ニューヨークのインディペンデントカルチャーだったと言います。今は閉店してしまいましたが、「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」をはじめ、ファッションと音楽、カルチャー全体が自然に交わるシーンの面白さにも心を動かされたそう。私自身も初めてニューヨークの「オープニングセレモニー」を訪れたとき、店内に並ぶ服1つ1つの強さに圧倒された記憶がありますが、現在の「デルタ」にも似た感覚を抱きます。

「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店での挑戦

商品ラインアップはもちろんですが、国連(UNHCR)などへの寄付を目的としたチャリティーイベントや、選挙期間中には投票証明書を提示すると割引きになる「選挙割」を実施して投票を促すなど、ファッションを消費するだけで終わらせない店のアティチュードこそ私がこの店を推す理由です。

「ニューヨークに行った時にちょうど選挙期間中で、マーク・ジェイコブスがヒラリー・クリントンのTシャツを作って売っていて、これぞファッションと感じたのを覚えています。さかのぼれば、キャサリン・ハムネットやヴィヴィアン・ウエストウッドなどにも影響を受けてきました。ファッションは時代を映す鏡で、生きるという行為そのもの。そこを無視して服を売ることは、私たちには表面的に見える。店はコミュニケーションの場所で、社会とは切っても切り離せないんです」と綾さんは語ります。

20年には「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店「ブレス バイ デルタ」をオープンしました。店内には「ベースマーク(BASE MARK)」によるアップサイクルプロジェクト「リ:マーク プロジェクト(RE:MARK PROJECT)」や、非動物性の素材にこだわる「ビーガンタイガー(VEGAN TIGER)」、社会的運動へのオマージュをテーマにしているパリ発の「カルネボレンテ(CARNE BOLLENTE)」などが並びます。

サステナビリティ担当記者として、環境問題や人権問題を伝える難しさは日々痛感していますが、「デルタ」はそれを軽やかにそしてかっこよく実践します。「私たちも最初は手探りでした。やっぱりモノが持つ力や見た瞬間に楽しさを感じることが絶対です。私たちが上手く提案しているというよりは、サステナブルな理念と両立した良いブランドが出てきたことが大きいと思います」。

コロナ禍のロックダウン中には、産業の環境問題や人権問題に関わる現状を店のスタッフと一緒に学び、「ファッションの根本を考えること」に時間を割いたと言います。「コロナ前から何を基準に仕入れるべきか分からなくなっていたんだと思います。そこである意味、視野を狭めることによってこれまでと違った角度から魅力を発見できた」。

サステナビリティとファッションを考える時について回るのが、「だったらもう服買わなければいいんじゃないですか?」という極論。あえて、というかちょっとすがるような気持ちでこの質問をぶつけてみました。すると綾さんは少し表情を変えて、「私たちはファッションの人間ですから、やめるってことはないんです」と一喝。「私はこの先もファッションが好きな人たちと一緒に未来を見たい。難しい課題があるからこそ、この場所でより良い未来に向かって一緒にクリエーションをしていきたい」と力強く答えてくれました。「デルタ」はファッションの持つ大事なパワーを感じさせてくれる店であり、持続可能な未来を一緒に試行錯誤してくれる心強いパートナーでもあると感じます。

20周年を迎える今年は、原点である音楽とファッションを交えた周年イベントも12月に企画しているそうです。ぜひ「デルタ」の世界観と、そこに集まるコミュニティーを体感してみてください。

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セブン-イレブンが不得手な“若年層の取り込み”を韓国コスメが解決 「コスメを買いにセブンに来て」

セブン-イレブン・ジャパンは5月25日、韓国コスメブランド「クリオ(CLIO)」の姉妹ブランド「トゥインクルポップ(TWINKLE POP)」を、「トゥインクルポップ バイ クリオ(TWINKLE POP BY CLIO)」の名称で5月25日から全国のセブン-イレブン約2万店舗で発売する。

同社では、韓国のスキンケアアイテムの取り扱いはあったが、メイクアップアイテムを販売するのは初。この新たな試みにセブン-イレブンはどのような可能性を見出すのか、遅澤明子セブン-イレブン・ジャパン商品本部 雑貨・出版部 雑貨マーチャンダイザーに聞いた。

来店客は男性が多く、若年層の取り込みに苦戦していた

WWD:「トゥインクルポップ バイ クリオ」導入の狙いは。

遅澤明子セブン-イレブン・ジャパン商品本部 雑貨・出版部 雑貨マーチャンダイザー(以下、遅澤):セブン-イレブンの中心来店客層は40代以上の男性が多く、若年層の取り込みを不得手としていた。若年層にはセブン-イレブンで化粧品を扱っていることさえ認知されてないのでは?と思い、今回韓国コスメの導入を決めた。

WWD:韓国コスメに商機があるのか。

遅澤:日本輸入化粧品協会によると2022年に韓国からの化粧品の輸入額が長年1位だったフランスを上回るほど韓国のコスメブランドに勢いがある。「トゥインクルポップ」は、韓国では発売後2カ月で全商品が完売したほどの人気ぶり。同ブランドを導入することで、若年層の来店動機になると期待している。

埼玉の一部店舗でテスト販売。Xではプチバズ起こる

WWD:1月からテスト販売を実施し、Xでは「トゥインクルポップ」が話題に。これに関する投稿が2000いいねを獲得するなどのプチバズを起こした。「セブンに行かなくては!」「アイシャドウが気になる」「明日セブンに行ってみる」などのコメントが相次ぎ注目を集めた。

遅澤:埼玉県内の約100店舗でテスト販売を行なったが、販促活動を一切していないにもかかわらず、SNSや口コミで情報が広がり想定を上回る実績を残した。埼玉をテスト販売の地域に選んだのは、都会と地方都市の中間的な位置づけであること、われわれも実際に店頭を確認できることからだ。

WWD:韓国と日本で展開するブランド名が異なる理由は?

遅澤:韓国では「トゥインクルポップ」で展開しているが、日本ではアイシャドウパレットやクッションファンデーションが支持されている「クリオ」の方がなじみのある人が多いだろう。「クリオ」と関係のあるブランドだということを全面的に出した方がより効果が出ると考え「トゥインクルポップ バイ クリオ」とした。

WWD:全国展開にあたり課題は?

遅澤:什器の配置が加盟店によって異なる点。什器は組み立て不要で、段ボールから出してそのまま陳列できるように、各店に届ける。加盟店向けの商品展示会を年に何回か開催しており、そこで効率的な配置やコツなどをレクチャーし、売り上げを最大化できるような発信をした。

セブン-イレブンのコスメブランド「パラドゥ」との棲み分け

WWD:既存のナショナルブランド「パラドゥ」との棲み分けは?

遅澤:「パラドゥ」は、万人受けする品ぞろえやカラー展開で、30〜40代の方を中心に支持を得ている。一方、「トゥインクルポップ」は発色の良いメイクアイテムや華やかなグリッターアイシャドウなどの少し攻めたアイテムを展開するので、若年層に向けてアプローチする。

WWD:競合他社の韓国ブランドは欠品が続出している。

遅澤:商品は欠品を起こさないように強気な商品量を調達した。コスメコーナーの商品数は1.5倍に、売り場は2倍に拡大する。今後は売れ行き次第だが、限定アイテムの販売なども検討したい。

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【密着】「コウタグシケン」ができるまで 優しさとユーモア溢れるニットに込めた思い

「コウタグシケン(KOTA GUSHIKEN)」は、“knitwear for human beings.”をコンセプトに、国籍も肌の色もバックグラウンドもセクシャリティーも関係なく、老若男女全ての人に向けたニットを手掛けるニットブランドだ。デザイナーの具志堅幸太は、東京都と日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)主催の「東京ファッションアワード 2024(TOKYO FASHION AWARD 2024)」を23年に受賞し、今年3月の「楽天 ファッション ウィーク東京」でブランド初のショーを開催した。ショーには芸人の又吉直樹と好井まさお、アーティストの酩酊麻痺が出演し、コントとライブパフォーマンスという異例のコレクション発表で観客を沸かせた。「WWDJAPAN」は当日の舞台裏に密着し、ショー後にはアトリエでデザイナーの学生時代を振り返りながら、クリエイションの真髄に迫った。

ニットに目覚めたセントマ時代

WWDJAPAN(以下、WWD):ファッションに興味を持ったきっかけは?

具志堅幸太デザイナー(以下、具志堅):僕の最初の記憶では幼稚園のころ。それまでは母親が選んでくれた服を着ていたのが、ある日「この服は着たくない。今日から自分で選ぶ」と母に伝えたことを覚えている。そのころから好きな服を好きなようにスタイリングしたいというこだわりを持っていた気がする。小学生時代はスポーツに夢中で、中学受験して進学したものの、この先の自分の人生が、大学に入って、いい会社に就職して……と透けて見えた気がして。高校生のころに体調を崩して何度か入院し、時間が存分にあったので将来についていろいろ考えるうちに、自分の好きなファッションに挑戦してみようと思い立った。

WWD:ファッションを学んだのはいつから?

具志堅:高校3年の1年間、バンタンハイスクールに毎週日曜日に通った。アルミホイルでスカートを作るなど、頭の中で思い描いたものを表現する面白さを初めて知り、デザイナーになりたいと思った。

WWD:英セントラル・セント・マーチンズ(以下、セント・マーチンズ)のニット科に進学した理由は?

具志堅:バンタンで当時講師だった中里唯馬さん(「ユイマ ナカザト」デザイナー)がオランダのアントワープ王立芸術アカデミー出身で、海外の大学に進学するという選択肢を教わった。中でもセント・マーチンズのニット科とプリント科の学生の作品に惹かれ、進学を決意した。先輩から、ニット科の自由な学風を聞いてニット科を選んだ。

WWD:実際、ニット科はどうだった?

具志堅:当時は縫製やパターンの技術がなく、自分が何を作りたいのか、何を作れるのかさえ分からなかった。ニット科の初月に“家庭機”とよばれる家庭用編み機の使い方を学ぶ授業があり、実際に操作してみたら、自分が作ったとは思えないぐらいきれいな編み地のニットができた。何かを思い描いても形にできなかった自分が、糸から布を作り、ものづくりできることに感動し、「この機械、魔法じゃん!」と(笑)。それからニットにのめり込んでいった。

WWD:その後の学生生活は?

具志堅:セント・マーチンズ3年目の職業体験期間で、イタリアにある元ニット工場のモダテカ・ディアナで1カ月インターンを経験した。創業者のディアナ・フェレッティ・ヴェローニ(Deanna Ferretti Veroni)さんは、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のニットも手掛けていた方。そこで働きながら、膨大なアーカイブや本を見てひたすらリサーチしていた。その後はプリントやカラフルなニットウエアに定評のある「クリスチャン・ワイナンツ(CHRISTIAN WIJNANTS)」や「ディオール(DIOR)」でインターンをした。ラフ・シモンズ(Raf Simons)がクリエイティブ・ディレクターを務めていた時代で、彼が表現する「ディオール」が好きだったので働きたかった。

WWD:印象深い思い出は?

具志堅:ニット担当の上司に「幸太、かぎ針編みできる?」と聞かれ、全くやったことなかったけれど「できる」と答えたら、糸を10〜20個ほど目の前に置かれ、「何でもいいから好きな編み地を10個作って」と依頼された。上司がいなくなった瞬間、ユーチューブで編み方を調べ、見よう見まねで編んだ(笑)。家庭機でニットの基本を理解していたので、なんとかデザインとして見せられる編み地を提出できた。上司がいい方で、本来はその部署のトップがラフに提案するが、「これは幸太のデザインだから、あなたが提案しなさい」と言ってくれた。本社の広いスペースで緊張しながらラフにデザインを説明し、採用してもらえたのはいい思い出だ。

WWD:「ディオール」の後は?

具志堅:川西遼平さん(「レシス」デザイナー)が、当時パーソンズ美術大学の大学院に通っており、卒業コレクションの制作を手伝ってほしいと頼まれた。セント・マーチンズに入学する際の作品制作でお世話になっていたので、今なら恩返しができるとニューヨークに飛んだ。実は「ディオール」から次のシーズンの仕事のオファーをもらっていたが、「働きたいけれど、先輩と約束しているのでごめんなさい」と断った。その話を遼平さんにしたら、「『ディオール』を蹴って来たのか」と驚きながら喜んでいた(笑)。卒コレを手伝った後は、「プロエンザ スクーラー(PROENZA SCHOULER)」でインターンもした。

着想源は“ファッション以外”

WWD:卒業後に帰国した理由は?

具志堅:就職したかったから。というのも、セント・マーチンズは“クリエイション天国”でとてもいい環境である一方で、ビジネスについては教えてくれない。どのタイミングでサンプルを作り、展示会を開き、どのようにオーダーを取り、工場を見つけるのかなど、ビジネスの流れは何も知らなかったので、今のままではブランドビジネスはできないと感じていた。

WWD:自身のブランドにこだわった理由は?

具志堅:僕の卒業コレクションが「ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion、BoF)」に掲載されたのをきっかけに、就職のオファーが20件ぐらい届いた。伊勢丹からも「新しいコレクションがあれば売りたいので作りませんか?」と連絡をもらい、二つ返事でOKした。商品を見た代々木上原のセレクトショップ「デルタ(DELTA)」からもポップアップのお誘いをもらった。先輩のブランドを中国・上海で手伝う予定だったが、ビザが取れなかったので、ならば自分でブランドを立ち上げようと決めた。

WWD:デザインのインスピレーション源は?

具志堅:僕はファッションデザイナーだけど、音楽を聴いたり映画を観たり、友達と過ごしたりと、ファッションに関わっていない時間の方が圧倒的に多い。自分の日常生活で興味のあることや、感情、言葉をファッションに落とし込んだ方が、ほかとは違うものができると気付いた。完成した服が例え過去に誰かが作ったものに表層的に少し似ていたとしても、プロセスが全く違う。それに、ファッション以外からインスピレーションを受けた方が楽しいし、結果的に独自性や違和感にもつながる。

ファッションとユーモアは近い

WWD:24-25年秋冬コレクションのコンセプトは?

具志堅:一言でいうと、“整理整頓”。普段は展示会が終わったら、1、2カ月ほど地方を訪れたり、友達とライブに行ったりして、インスピレーション探しという名の遊びに繰り出しているが、今回は1月にパリで展示会があり、すぐに準備を始めないといけなかった。とりあえずアトリエの掃除と整理整頓をしたら、心がスッキリした。日本以外でのコレクション発表は大学時代以来。24-25年秋冬コレクションでは、改めてブランドの自己紹介がしたかった。

WWD:“整理整頓”をどう表現した?

具志堅:自己紹介のために昔のコレクションを見直すと、自分のいいところや悪いところを客観的に捉えられて、いいところは伸ばし、弱いところは強化しようと思った。ただ僕は整理整頓が苦手なので、できたところもあれば、できなかったところもある。コンセプトの英字“orgnaseid weIl”も実はスペルが間違っていて、「全然オーガナイズできてないじゃん。でも、それもいっか」という思いを込めている。普段からいいことも悪いことも全てデザインの糧にしているので、そのプロセスをショーでも表現し、ブランドの世界観を見せることができたら、ゲストにとっては楽しい時間になり、コレクションの紹介にもなると考えた。

WWD:コントとライブ形式にした理由は?

具志堅:「東京ファッションアワード」を受賞してショーを開催することになり、何がしたいかを改めて考えた。まず、観客も出演者も、ショーに携わるスタッフも僕自身も、全員が楽しかった、いい時間だったと思えるものにしたかった。好きなバンドのライブに行って良かったという感覚を、自分のショーでも持ってもらえたらすごいことだなと。その思いで構成を考えていたら、又吉直樹さんと好井まさおさん、酩酊麻痺(めいていまひ)が別々に思い浮かび、ダメ元で依頼したら皆さん快く引き受けてくれた。

WWD:演出もユニークだった。

具志堅:大変な状況のときこそユーモアを意識すると、ハッと気付くことやアイデアが生まれることがたくさんある。そういうときのアイデアが好きだ。ファッションとユーモアは遠いところにあるように見えて、ユーモアを突き詰めていくと、ファッションになり得るんだと卒業コレクションで気付いた。きっかけは、ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の「Skin Head Wig」の文字が描かれた作品。ウィッグ(カツラ)なのにスキンヘッドなのが面白くてデザインに取り入れたら、セント・マーチンズのチューターが大笑いで褒めてくれた。自分がかっこいいと思って作品にしたものが笑いにつながるバランス感に引かれ、現在はユーモアを積極的に取り入れている。

WWD:ニットの魅力とは?

具志堅:糸や編み方次第でどんな柄やテクスチャー、形も再現できる自由さ。そして、僕の作品を見た多くの人から“柔らかい”“優しい”と言われ、ニットの柔らかさや体を包み込む安心感にも気付いた。例えば、デニムジャケットやパンツをニットで作ると優しさや柔らかを帯び、同時に違和感も生まれる。そこが魅力だし、面白い。

WWD:最後に、ファッション業界を目指す人へメッセージを一言。

具志堅:ファッション以外もたくさん見た方がいい。結局はそれがファッションに返ってくるから。そして、人も自分も裏切らず、嘘をつかないこと。自分のことも裏切らないのは難しいけれど、自分自身にリスペクトがないと周りにもできないはず。人にも自分にも優しくあってほしい。

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【密着】「コウタグシケン」ができるまで 優しさとユーモア溢れるニットに込めた思い

「コウタグシケン(KOTA GUSHIKEN)」は、“knitwear for human beings.”をコンセプトに、国籍も肌の色もバックグラウンドもセクシャリティーも関係なく、老若男女全ての人に向けたニットを手掛けるニットブランドだ。デザイナーの具志堅幸太は、東京都と日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)主催の「東京ファッションアワード 2024(TOKYO FASHION AWARD 2024)」を23年に受賞し、今年3月の「楽天 ファッション ウィーク東京」でブランド初のショーを開催した。ショーには芸人の又吉直樹と好井まさお、アーティストの酩酊麻痺が出演し、コントとライブパフォーマンスという異例のコレクション発表で観客を沸かせた。「WWDJAPAN」は当日の舞台裏に密着し、ショー後にはアトリエでデザイナーの学生時代を振り返りながら、クリエイションの真髄に迫った。

ニットに目覚めたセントマ時代

WWDJAPAN(以下、WWD):ファッションに興味を持ったきっかけは?

具志堅幸太デザイナー(以下、具志堅):僕の最初の記憶では幼稚園のころ。それまでは母親が選んでくれた服を着ていたのが、ある日「この服は着たくない。今日から自分で選ぶ」と母に伝えたことを覚えている。そのころから好きな服を好きなようにスタイリングしたいというこだわりを持っていた気がする。小学生時代はスポーツに夢中で、中学受験して進学したものの、この先の自分の人生が、大学に入って、いい会社に就職して……と透けて見えた気がして。高校生のころに体調を崩して何度か入院し、時間が存分にあったので将来についていろいろ考えるうちに、自分の好きなファッションに挑戦してみようと思い立った。

WWD:ファッションを学んだのはいつから?

具志堅:高校3年の1年間、バンタンハイスクールに毎週日曜日に通った。アルミホイルでスカートを作るなど、頭の中で思い描いたものを表現する面白さを初めて知り、デザイナーになりたいと思った。

WWD:英セントラル・セント・マーチンズ(以下、セント・マーチンズ)のニット科に進学した理由は?

具志堅:バンタンで当時講師だった中里唯馬さん(「ユイマ ナカザト」デザイナー)がオランダのアントワープ王立芸術アカデミー出身で、海外の大学に進学するという選択肢を教わった。中でもセント・マーチンズのニット科とプリント科の学生の作品に惹かれ、進学を決意した。先輩から、ニット科の自由な学風を聞いてニット科を選んだ。

WWD:実際、ニット科はどうだった?

具志堅:当時は縫製やパターンの技術がなく、自分が何を作りたいのか、何を作れるのかさえ分からなかった。ニット科の初月に“家庭機”とよばれる家庭用編み機の使い方を学ぶ授業があり、実際に操作してみたら、自分が作ったとは思えないぐらいきれいな編み地のニットができた。何かを思い描いても形にできなかった自分が、糸から布を作り、ものづくりできることに感動し、「この機械、魔法じゃん!」と(笑)。それからニットにのめり込んでいった。

WWD:その後の学生生活は?

具志堅:セント・マーチンズ3年目の職業体験期間で、イタリアにある元ニット工場のモダテカ・ディアナで1カ月インターンを経験した。創業者のディアナ・フェレッティ・ヴェローニ(Deanna Ferretti Veroni)さんは、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のニットも手掛けていた方。そこで働きながら、膨大なアーカイブや本を見てひたすらリサーチしていた。その後はプリントやカラフルなニットウエアに定評のある「クリスチャン・ワイナンツ(CHRISTIAN WIJNANTS)」や「ディオール(DIOR)」でインターンをした。ラフ・シモンズ(Raf Simons)がクリエイティブ・ディレクターを務めていた時代で、彼が表現する「ディオール」が好きだったので働きたかった。

WWD:印象深い思い出は?

具志堅:ニット担当の上司に「幸太、かぎ針編みできる?」と聞かれ、全くやったことなかったけれど「できる」と答えたら、糸を10〜20個ほど目の前に置かれ、「何でもいいから好きな編み地を10個作って」と依頼された。上司がいなくなった瞬間、ユーチューブで編み方を調べ、見よう見まねで編んだ(笑)。家庭機でニットの基本を理解していたので、なんとかデザインとして見せられる編み地を提出できた。上司がいい方で、本来はその部署のトップがラフに提案するが、「これは幸太のデザインだから、あなたが提案しなさい」と言ってくれた。本社の広いスペースで緊張しながらラフにデザインを説明し、採用してもらえたのはいい思い出だ。

WWD:「ディオール」の後は?

具志堅:川西遼平さん(「レシス」デザイナー)が、当時パーソンズ美術大学の大学院に通っており、卒業コレクションの制作を手伝ってほしいと頼まれた。セント・マーチンズに入学する際の作品制作でお世話になっていたので、今なら恩返しができるとニューヨークに飛んだ。実は「ディオール」から次のシーズンの仕事のオファーをもらっていたが、「働きたいけれど、先輩と約束しているのでごめんなさい」と断った。その話を遼平さんにしたら、「『ディオール』を蹴って来たのか」と驚きながら喜んでいた(笑)。卒コレを手伝った後は、「プロエンザ スクーラー(PROENZA SCHOULER)」でインターンもした。

着想源は“ファッション以外”

WWD:卒業後に帰国した理由は?

具志堅:就職したかったから。というのも、セント・マーチンズは“クリエイション天国”でとてもいい環境である一方で、ビジネスについては教えてくれない。どのタイミングでサンプルを作り、展示会を開き、どのようにオーダーを取り、工場を見つけるのかなど、ビジネスの流れは何も知らなかったので、今のままではブランドビジネスはできないと感じていた。

WWD:自身のブランドにこだわった理由は?

具志堅:僕の卒業コレクションが「ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion、BoF)」に掲載されたのをきっかけに、就職のオファーが20件ぐらい届いた。伊勢丹からも「新しいコレクションがあれば売りたいので作りませんか?」と連絡をもらい、二つ返事でOKした。商品を見た代々木上原のセレクトショップ「デルタ(DELTA)」からもポップアップのお誘いをもらった。先輩のブランドを中国・上海で手伝う予定だったが、ビザが取れなかったので、ならば自分でブランドを立ち上げようと決めた。

WWD:デザインのインスピレーション源は?

具志堅:僕はファッションデザイナーだけど、音楽を聴いたり映画を観たり、友達と過ごしたりと、ファッションに関わっていない時間の方が圧倒的に多い。自分の日常生活で興味のあることや、感情、言葉をファッションに落とし込んだ方が、ほかとは違うものができると気付いた。完成した服が例え過去に誰かが作ったものに表層的に少し似ていたとしても、プロセスが全く違う。それに、ファッション以外からインスピレーションを受けた方が楽しいし、結果的に独自性や違和感にもつながる。

ファッションとユーモアは近い

WWD:24-25年秋冬コレクションのコンセプトは?

具志堅:一言でいうと、“整理整頓”。普段は展示会が終わったら、1、2カ月ほど地方を訪れたり、友達とライブに行ったりして、インスピレーション探しという名の遊びに繰り出しているが、今回は1月にパリで展示会があり、すぐに準備を始めないといけなかった。とりあえずアトリエの掃除と整理整頓をしたら、心がスッキリした。日本以外でのコレクション発表は大学時代以来。24-25年秋冬コレクションでは、改めてブランドの自己紹介がしたかった。

WWD:“整理整頓”をどう表現した?

具志堅:自己紹介のために昔のコレクションを見直すと、自分のいいところや悪いところを客観的に捉えられて、いいところは伸ばし、弱いところは強化しようと思った。ただ僕は整理整頓が苦手なので、できたところもあれば、できなかったところもある。コンセプトの英字“orgnaseid weIl”も実はスペルが間違っていて、「全然オーガナイズできてないじゃん。でも、それもいっか」という思いを込めている。普段からいいことも悪いことも全てデザインの糧にしているので、そのプロセスをショーでも表現し、ブランドの世界観を見せることができたら、ゲストにとっては楽しい時間になり、コレクションの紹介にもなると考えた。

WWD:コントとライブ形式にした理由は?

具志堅:「東京ファッションアワード」を受賞してショーを開催することになり、何がしたいかを改めて考えた。まず、観客も出演者も、ショーに携わるスタッフも僕自身も、全員が楽しかった、いい時間だったと思えるものにしたかった。好きなバンドのライブに行って良かったという感覚を、自分のショーでも持ってもらえたらすごいことだなと。その思いで構成を考えていたら、又吉直樹さんと好井まさおさん、酩酊麻痺(めいていまひ)が別々に思い浮かび、ダメ元で依頼したら皆さん快く引き受けてくれた。

WWD:演出もユニークだった。

具志堅:大変な状況のときこそユーモアを意識すると、ハッと気付くことやアイデアが生まれることがたくさんある。そういうときのアイデアが好きだ。ファッションとユーモアは遠いところにあるように見えて、ユーモアを突き詰めていくと、ファッションになり得るんだと卒業コレクションで気付いた。きっかけは、ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の「Skin Head Wig」の文字が描かれた作品。ウィッグ(カツラ)なのにスキンヘッドなのが面白くてデザインに取り入れたら、セント・マーチンズのチューターが大笑いで褒めてくれた。自分がかっこいいと思って作品にしたものが笑いにつながるバランス感に引かれ、現在はユーモアを積極的に取り入れている。

WWD:ニットの魅力とは?

具志堅:糸や編み方次第でどんな柄やテクスチャー、形も再現できる自由さ。そして、僕の作品を見た多くの人から“柔らかい”“優しい”と言われ、ニットの柔らかさや体を包み込む安心感にも気付いた。例えば、デニムジャケットやパンツをニットで作ると優しさや柔らかを帯び、同時に違和感も生まれる。そこが魅力だし、面白い。

WWD:最後に、ファッション業界を目指す人へメッセージを一言。

具志堅:ファッション以外もたくさん見た方がいい。結局はそれがファッションに返ってくるから。そして、人も自分も裏切らず、嘘をつかないこと。自分のことも裏切らないのは難しいけれど、自分自身にリスペクトがないと周りにもできないはず。人にも自分にも優しくあってほしい。

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ポッドキャストから東京ドームまで——ラジオの可能性を拡張する石井玄の仕事術

PROFILE: 石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー

石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー
PROFILE: (いしい・ひかる)1986年埼玉県生まれ。2011年サウンドマン入社。「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」などにディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた。20年ニッポン放送入社。「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」などのプロデュースを担当。21年にはエッセイ「アフタートーク」を刊行。プロデュースした「あの夜を覚えてる」が「2022 62nd ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」ACCグランプリ、Amazonオーディブル「佐藤と若林の3600」が「第4回 JAPAN PODCAST AWARDS」大賞を受賞。24年株式会社玄石を設立。

「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」など数々の人気ラジオ番組にディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた石井玄。近年では「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」や「あの夜を覚えてる」のプロデュース、そして2月18日に行われたラジオイベント「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」では製作総指揮を務めるなど活動の幅を広げている。

「今後さらなる自身の成長ために」と、今年3月にニッポン放送を退社し、新たに株式会社玄石を設立した。今回、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」から独立に至る思いや仕事に対するこだわり、そして気になる今後について話を聞いた。

「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」について

——石井さんの最近のお仕事といえば、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」のお話になるかと思います。“製作総指揮”という肩書きでしたが、実際にはどんなことをされていたんでしょうか?

石井玄(以下、石井):最初は「番組の15周年で何かやろう」と勝手に1人で考えたところから始まっています。だから、製作総指揮なんでしょうね、たぶん(笑)。言い出しっぺみたいな。僕の中で意味合いはそう捉えているんですけど。「具体的に何をやったんですか?」と言われると、全部やったからわからないんです。映画やテレビの世界にも製作総指揮という立場はあるんですけど、そういうことじゃなく、本当に“製作を総指揮した”という(笑)。

——最初から東京ドームでイベントをやることにリアリティーはありました?

石井:いや、ないです。みんなイメージだけで言っていました。「東京ドームでやりたい」って。でも、具体的にどうやるのかを想像して、実行に移した人間がラジオ業界で僕が初めてだったという。誰もやったことがないことをやるんだから、当然大変です。誰に聞いても答えはわからないし、みんなで悩みながら、あまたある選択肢の中から「これが正解なんじゃない?」って選んでいく作業でした。

——石井さんご自身が「東京ドームでやりたい」と思ったのはなぜなんですか?

石井:なんとなくイメージ先行で「東京ドームじゃないか?」ってなったんです。10周年のイベントをやった日本武道館より大きい会場っていっぱいあるんですけど、わかりやすいイメージとして、「武道館の次は東京ドーム」という“大きな間違い”をみんな最初にしていたのがよくなかったんでしょう(苦笑)。本当に何も知らなかったからできたんだと思います。でも、お笑いを、ラジオを、東京ドームでやるのは相当なインパクトになるだろうなと想像していました。リスナーに喜んでもらう。オードリーさんが楽しくやる。もちろん利益を出す。それらも目的だったんですけど、「ラジオってこんなにすごいんだよ」と見せるのもあったし、下を向いているラジオマンたちに「こういうこともできるんだ」って示したかったのはあります。この春にニッポン放送を辞めてから、いろいろなラジオ関係者とお会いして、みんな口々に「本当にすごかった」と言ってくれたんですけど、ポツポツと「悔しかった」「でも勇気をもらった」と言う人もいて。それがうれしかったですね。

——特に若い世代には大きな刺激になったんじゃないかと思います。

石井:各局の人たちと話していても「何かできるんじゃないか」って話になるし、キー局だけじゃなく、全国のラジオマンが「ラジオって捨てたもんじゃないな」と思ってくれたのは、自分でも目指していたところなのでよかったです。

——石井さんは他ジャンルの人やいろんな業界にいるリスナーとつながりながら仕事をしている印象があります。今回のドームでもテレビ界のスタッフさんと一緒に仕事をされていましたが、そこは意識されている部分なんですか?

石井:ラジオしかやってない人と話していると、とんでもなく狭い視野で喋っている場合が多いんです。なぜかラジオの中で競ったりするじゃないですか。これだけエンタメが世の中にあるのに、そんなこと意味がなくて、世界はどれだけ広いんだと。この時代、トップクリエイターはラジオ業界に来ないわけですから、当然、外のトップの人たちと仕事をしないと良いものは作れない。僕は至極当然のことをやっているだけで、それを珍しいと考えるのがよくないなって思っています。この前、TaiTanとも話をしていたんですけど、ラジオの人ってすぐラジオの話をするんですよ。ラジオの話はもういいよっていう。

——そもそも石井さんはラジオが好きで、ラジオ界をどうにかしたいと考えていたわけじゃないですか。でも、一見ラジオ界から離れているようにも見えるんですが。

石井:いや、全然話が違っていて、ラジオをどうにかしたいのに、ラジオの話をしてもしょうがないんです。長い歴史があるから、ノウハウも限界まで行っているし、どこにも新しいヒントは残ってないです。他のエンターテインメントから見ると、どれだけラジオは狭いところを狙ってやっているんだと憤(いきどお)りはあります。みんなもっと外の人と喋ったらいいのにと思っています。僕はこの3年半ぐらい「ラジオの人とはご飯に行かない」ってルールにしていたんで(笑)。他ジャンルの人と喋った方がヒントをくれるというのは絶対にあります。

「今後成長するためにはラジオ局にいてはいけない」

——石井さんはこの春、ニッポン放送を退社して独立されました。そういう感覚も独立したことに影響しているんでしょうか?

石井:あると思います。言葉を選ばず言うと、ラジオ局でこれ以上勉強することはないって思います。「僕が今後成長するためには狭い世界にいてはいけない」というのは辞めた理由の1つです。現状、東京ドームライブはラジオ局の中でできる最大規模のことなんです。もっと大きいことを後輩たちがやるかもしれないし、それは絶対やった方がいいと思うんですけど、それが実現するまで10年ぐらいかかるなら、外に出ちゃった方がいいなって。独立してからすごく感じるんですけど、いろんなジャンルの人たちと喋ってみて、僕自身、本当に知らないことだらけというか(笑)。偉そうに「外と喋れよ」なんて言っていても、僕も知識ゼロだなって。それが今は楽しいですね。イチからというか、ゼロから勉強が始まっているんで、このために辞めたんだなっていうことに気付きました。

——石井さんは制作会社でラジオのディレクターをやられていて、そこからニッポン放送に入社し、イベント関連のプロデューサーを担当されていました。そして、今度は独立。仕事の中身や状況を常に変えていくのは、正直、飽きっぽいところもあるんでしょうか?

石井:あると思います。何でものめり込んでやってしまうので、あとから振り返ると「もう1回やるのは大変だな」と思うし、同じことが何回もできないんですね。ここ数年でそれに気付きました。

——でも、ラジオ番組の制作ってある意味、毎週放送を繰り返していくものじゃないですか。

石井:番組の中で話していることは毎回違うじゃないですか。置かれた位置とか、喋る内容とかはちょっとずつ変わっていくので、それはいいと思うんですけど、僕自身の作業が同じになってくると飽きちゃうというか、攻略できちゃった感じになるんです。ゲームが好きなんですけど、クリアしたらもうやらないじゃないですか。偉そうなことを言ったらたたかれるかもしれないですけど(笑)、ラジオの作り方は大体わかったんです。「オールナイトニッポン」の作り方もわかりました。こうやればうまくいくというメソッドができあがりました。

もちろんもっと続けていけばさらに新しいことはできると思うんですけど、いったん愚直に繰り返す時期を過ぎたら、飽きちゃって辞めようって思ったんです。イベントもそうなんですけど、一度作り方がわかってきちゃうと、もう刺激を感じないですね。東京ドームは全然わからなかったんで、メチャクチャ面白かったです。

——ゲームで言うと、やり込み要素まで一気に全部やってしまうと。

石井:そういうタイプなんです。レベルもカンストして、アイテムも全部集めちゃっているから、違うゲームをやりたいと。もちろん厳密にはカンストしていないかもしれないですけど、現状できる部分ではカンストしたんで。そのままずっと同じゲームをやる人もいるじゃないですか。僕はそれができないんです。明確なクリアがないから、オンラインゲームは、まったくできないんですよ(笑)。

——仕事を変化させていくことに不安や戸惑いはないんですか?

石井:まったくないですね。今回、辞めるにあたって、先のことは何も決めてないんですよ。会社を作ってみよう。ポッドキャストの仕事はとりあえずあるから、最低限の生活はできるだろう。これでスタートするのが一番ワクワクするなって。だから、装備ゼロでゲームの世界に出ていく感じですよ。

——そうしないと興奮しないと。

石井:それは絶対にあると思います。ちょっとヤバいかもしれないですね。東京ドームでも当日はあまり興奮しなかったんです。それよりも、武道館ライブのときや「あの夜を覚えてる」(石井がプロデューサーを務めた生配信舞台演劇ドラマ)の方が血湧き肉躍る感覚があって。もちろんドームはすごいことだと思ったし、リスナーの姿を見てうれしかったし、感動したし、充実感はあったんですけど、優秀なスタッフがいてしっかり準備していたので、途中から成功は見えていて。こんなことを言ったら怒られるんですけど、もうちょっと不安要素を持ったままやればよかったなと思ったりしていました。「もっとトラブルがあったら面白いのに」と思っている時点で、そんな奴が製作総指揮じゃダメだろうと(笑)。

——このまま突き進んだら、どこまで行っちゃうんだろうって話ですね(笑)。

石井:だから、1回フラットにしなきゃいけないんです。会社を作るにあたっても、辞める前に全部決まっていたら僕はダメなんです。辞めたらすぐにYouTubeチャンネルが始まって、あれよあれよと配信系の大型企画の仕事が決まって大当たりして……みたいな動きはまったくしてなくて。テレビ局員の方が会社を辞めるときって「できない仕事があったから」という理由が多いんですけど、僕は特にそれがなくて、ほとんど何でもやれていました。それよりも、「何も決まらないまま辞めたらどうなっちゃうんだろう」という期待感が一番強かったです。

ただ、辞めてから3週間(取材時)ぐらい経ったんですけど、結構順調に仕事の依頼が来ちゃったので、それに関してはちょっともう飽きちゃっていますね(笑)。ありがたいんですけど、もうちょっと、どうなるかわかんないって時期が欲しかったなと。

「組織にいることが本当に向いてない」

——ポッドキャスト(「滔々あの夜咄」)でも仰っていましたけど、会社員は向いてなかったと?

石井:組織にいることは本当に向いてないと思います。一般的にどんな会社でも、結局、最後は上層部が物事を決めますよね。「なんで自分が決められないんだろう」と思うタイプなので。本当に自分が正しいかどうかはわからないですけど、仮説を立てて、長い時間かけて考えて導き出した答えが、明確な理由なく通らないことがあるじゃないですか。僕は「先輩が言うんだから間違いないだろう」と単純に考えたことがないですし、信用している人でさえも言っていることを鵜呑みにはしないです。上下ではなく、正しいことに決定権があるべきだと思っていますし。それは向いてないでしょう(笑)。ただ、会社とはそういう組織であるから、僕が間違ってますし、いなくなるべきは僕の方だなと気付きました。適応できないのは能力が低いからですし。

——仕事を始めたころからそういうスタンスだったんですか?

石井:最初から言うことは聞かなかったと思います。もちろん正しいことを言われたら聞きます。結果、生意気だと言われたし、言うこと聞かないって言われたし、怒られてばっかりでした。特に若いころはそういう感情を隠そうとしなかったですね。さすがに今はうまく隠せる場面もありました。そこは少し適応できたと思います(笑)。

——自分なりの折り合いのつけ方はあるんですか?

石井:ないです。僕は「言うだけ言いますよ」というスタンスだったので、発言はしていました。「間違っているけどな」と思いながら従わざるを得ないところは、どんな会社でも絶対ありますよね。ゼロにはできない。偉い人でも自分の本意じゃないこともあるかもしれないですしね。

——そこはどんな会社にいてもぶつかる問題点かもしれませんね。

石井:理由があって通らないならいいんですけど、よくわからない話だったら、「なんでなんだろう?」と疑問に思っちゃうんで。学生のころからそうですね。学校のルールなんて、学校側の都合で作られた守る必要のないルールもあるじゃないですか。その度に反発してました。

——もし若い人たちに「石井さんのようにどんどんもの申した方がいいですか?」と相談されたら、どうしますか?

石井:僕に責任は取れないけど、言いたかったら言ったらいいんじゃないですかね。そうなると社内で圧倒的な結果を出すしかないんです。結果を出したら、みんな話を聞いてくれますから。でも、それはそれで嫌なんですよね。結果を出したらその人の意見に耳を傾けるんじゃなく、新入社員でも建設的な意見を出す人がいたら、聞くべきです。だから、僕が作っているチームでは誰でも自由に発言してもらって、良かったら採用するようにして、なるべく「この人が言ったから」みたいなことはないように心がけていました。「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が重要です。

——立場は関係ないと。

石井:東京ドームライブを一緒に作ったあるスタッフさんに言われたんですけど、人数が多い会議でいろんな意見が出た際に、「石井さんはいろんなタイプの人間が悩んだりもめているとき、一番冷静に都度正解を出し続けるのが異常だ」って言われて、ああ、そこが僕の特徴かなと思いました。以前は、僕が「じゃあ、こうしましょう」と言った時に「なんでそうなった?」とメンバーがついて来られない時があったんです。東京ドームの会議ではテレビ業界の優秀なディレクターさんたちと仕事をしましたけど、みんな話が通じるのでやりやすかったですね。しかも、僕よりも建設的な意見を出してくれる先輩方でしたから、まだまだ経験値が足りないなと思えたのは、うれしかったですね。

——仕事で失敗したときは落ち込むんですか?

石井:落ち込まないですね。失敗したら、「まあ、そうか。あれがダメだったんだ。今後気をつけよう」っていう。信じて疑わないみたいなことがあまりないんで、どこかで「失敗するかもしれない」と思いながらやっていますから。だから、気付かなかった自分がよくないなと思うぐらいですね。

——人のミスに対しても感情的にはならない?

石井:だから、逆に言うと冷たいです(笑)。余裕があれば話したり、注意したりしますけど、余裕がない時はミスの原因に触れず、その先にどうするかをまず話します。「こうやったら最小限に被害を抑えられるから、そうしてください」って。ミスをした本人は落ち込んでいると思うんですけど、僕は「関係ないんで。次いきましょう」っていう。事前に話していたことをやらないでミスしたら怒りますけど、だいたいそういうときって、僕も含めて誰も気付かなくて、どうしようもない場合が多いですから、誰の責任でもないです。

——東京ドームでは製作総指揮としてたくさんの会議に参加していたそうですね。2023年はドームと同時に複数のイベントに関わっていたそうですが、マルチタスクはどんな風にこなしていますか?

石井:よく聞かれるんですけど、ゲームのRPGが一番特訓になっているかもしれないですね(笑)。今のRPGっていわゆる本筋のほかに無数のサブクエストがあるじゃないですか。あれをやるとマルチタスクができるようになります。サブクエストを一気に受けておくんです。それで、本筋を進めつつ、サブクエストもあるから、「ここでレベル上げをしながら、1回前の町に戻ったら最短距離になる」なんて考えるんです。僕はとにかく効率的にサブクエストをこなそうとするんで。横で見ている妻に「そんなにサブクエストをやらなくてもいいんじゃない? 早く本筋を進めるところが見たい」ってよく言われるんですけど(苦笑)。こういうゲームの進め方と仕事も一緒ですね。

——今はインプットの重要性がよく話題になりますが、石井さんはどんな風に意識されていますか?

石井:僕は3年前からいわゆるインプットをしないと決めていて。見たいものを見るというスタンスですね。送られてきた本も読みたいと思わなきゃ読まないですし、「あの映画は話題になっているから見に行かなきゃ」という感覚では行かないという。それはテレビもラジオも同じです。インプットと思った時点で仕事になるじゃないですか。だから、やめたんですよ。基礎知識として何でもかんでも見る時期はあったんですけど。最近いろんな人と会って話をするのがインプットになっているなと感じているんですけど、だからこそ「人とご飯を食うのはちょっと嫌だな」って思い始めています(笑)。好きな人とは行きたいです。

——石井さんが仕事をする上で「これだけは大切にしている」ことは何ですか?

石井:「手を抜かないこと」でしょうか。座組が大きくなると、やっぱりトップの人間が一番やらないとみんなもやらないので、自然とそうなってます。手を抜かないし、諦めない。「これはもう無理です」と言われても、こねくり回してなんとかするという。

——妥協はしない?

石井:「妥協」という言葉が正しいかどうかわかりません。残された選択肢の中でどれが一番クオリティーが上がるかを考えたときに、「これはむしろ諦めた方がいいよね」と判断するのは妥協と呼ぶかわからないじゃないですか。ただ、最適解がはっきりしているのに、「よくわからない人がよくわからないことを言ってるからダメ」みたいなことは絶対に許さないです。それで諦めたら「妥協」なんでしょうけど、僕はそれを通すので、妥協はしていない感覚ではいます。

独立後について

石井玄

——今後、具体的にやりたいことってイメージしていますか?

石井:何もなくて辞めたんですけど、ようやく最近見えてきて、ああこれが僕のやることかなと思った出来事があったんです。山梨放送の服部廉太郎さんという25歳のアナウンサーがキッカケで。会社のHPの問い合わせフォームから連絡が来たんですけど、「山梨放送が70周年だからイベントをやるんです。それを盛り上げたいんですけど、一緒にやってくれませんか? お金はないので、僕の給料から少し出します」みたいに書いてあったんで、「これは!!!」と思って。そういう方向で打ち合わせをして、この前は希望された山梨放送の社員の方を対象にセミナーをしました。他にも、関東のキー局の方ともいろいろと話をしていて、できることはたくさんあるし、各局に僕より上の年齢でも面白い人はいるし、やる気がある人もいるし、この人たちと仕事をすれば、ラジオを盛り上げられるんじゃないかと思いました。「こういうことができるのは自分しかいないんじゃないか」と。あとはTBSラジオの松重(暢洋)君ですよ。

——民放onlineのコラムで、オードリーの東京ドームイベントに「最後の絶望」と称してライバル心と悔しさをあらわにし、話題になりました。

石井:彼とご飯を食べたんですけど、「TBSラジオを盛り上げたいんです」という気持ちを聞いて、じゃあ、何かやろうと。何にも決まってないんですけど、今もずっとLINEのやりとりはしてます。彼のような若い世代に僕がやってきたことを伝えて、何か新しいものを作る手助けをするのが、自分の役割だなと。会社名を「玄石」(※磁石の意味)にしたことからもわかる通り、さまざまな人と人をくっつけるのが役割だと思うので。いろいろな人と会い続けて喋っていると面白くて、「こういうことをやりたいんですよ」と言われたときに「じゃあ、この間、会ったあの人とやったらいいんじゃないですか?」ってすぐ提案できるんです。ラジオ局同士でもそういう化学反応が起きたらいいなと思います。あとは、若い世代がやりたいことを、上の世代の方は邪魔しないであげてほしいですね。

——最近、石井さんが関わってきたお仕事って、ラジオと関係はあるけれど、現実的にはラジオではないじゃないですか。ラジオからはみ出したいみたいな気持ちはあるんですか?

石井:はみ出したいって気持ちはないですが、ラジオ以外にもある面白いことをやりたいという気持ちはあります。でも、ラジオはずっと好きだから、なくなったら悲しいじゃないですか。ただ、「ラジオ業界」なんて言うけど、実際はそんなものないんですよ。そもそもそんな括りはないし、そこにこだわりは全くなくて。

——2021年に発売された石井さんの著書「アフタートーク」(KADOKAWA )には「ぼくがラジオに救われたように、ラジオが未来永劫続いて、まだ見ぬ未来のリスナーを救って欲しい。それが、僕が生きている理由で、今まで仕事をしてきた理由で、これからも仕事をする理由です」という印象的な言葉が書かれています。当時と立場や状況も違いますが、この気持ちは変わらないですか?

石井:そうですね。今もその気持ちはあると思います。今、仕事のオファーをしてくれるのって、僕の作った番組を聴いたりとか、僕の関わったイベントに参加したりとか、そういう人が多いんです。特に「アフタートーク」を読んでいる人と「滔々あの夜咄」(石井がパーソナリティを務めていたポッドキャスト)を聴いていた人がほとんど。そういう人たちに対して何かしてあげたいという気持ちが、どちらかというと今は強いかもしれないです。その人たちはラジオが好きで、なにかやりたいと。僕を入り口の1つにして好きになってくれているので、そういう人たちと一緒にやっていったら面白いだろうなって。ラジオだけじゃなく、音声コンテンツやポッドキャストを含めた全体が凝り固まっているので、一度かき混ぜて大きなうねりを作りたいなと(笑)。

——今回のインタビューをするにあたって、石井さんのことを改めて調べたんですが、本当にたくさんの媒体で取材を受けていますよね。「アフタートーク」も含めてですが、ここまで発信をしているラジオのスタッフはほとんどいないので、業界を目指す人たちの指針になっているんじゃないかと。それは素晴らしいことだと思います。

石井:松重君が言っていましたよ。「石井さんは全部を刈り取ってしまった。どうしてくれるんですか?」って(笑)。でも、取材を受けるのも若いラジオマンに対してのメッセージなんです。申し訳ないけど、過去を見てる人たちは相手にしてなくて。やっぱり僕は未来にベットしたい。彼らががんばらないとラジオが終わってしまうから。もう僕の世代も役割が終わったと思っています。ここからいくらがんばったって、あと5年10年経ったら僕なんて何の役にも立たないです。今、20代から30代前半のラジオマンがどうがんばるのか。それを手助けしたいなって思います。あと、制作会社を辞めてニッポン放送に入ったのも、今回独立したのも、「こういう道があるよ」というメッセージでもあるんです。制作会社でもがんばっていれば局員になれる。まだどれだけ面白いものが作れるかわからないけれど、独立もできると。そういう道筋があるなら、ラジオのスタッフを目指す人も増えるだろうなって。

——そして、松重さんのように影響を受けた人たちが出てきていると。

石井:山梨放送の方と話していて、グッズやポッドキャストの重要性を説明しても「僕らじゃそういうのってできないんですよね」って言うんですよ。若いスタッフじゃなく、僕よりも年上の方たちですけど。やってないんだったら、できるかできないかなんてまだわからないじゃないですか。「座して死を待つつもりですか?」という。これは原文そのままで言いました。かつてニッポン放送や制作会社でも言ったんですけど。

「このままあなたたちは死んでも逃げ切れるからいいけど、僕らや下の世代は死にたくないから、やらないといけないんです」というのはずっと思っていることです。「逃げ切ろう」としてる人の相手をしてる場合じゃない。だから、僕は外に出ないといけないって思いました。これを読んだラジオに関わる人たちが、奮い立ったり、怒りを感じたり、嫉妬したり、悲しくなったり、何でもよいので感情が出てきて、なにか行動を起こしてくれることを期待してます。その時に協力できることがあれば、何でもやりたいです。いろいろと言いましたが、ラジオとポッドキャストを盛り上げるためにガンガンいくので、「皆さんご協力を何卒よろしくお願いいたします」って結論ですね。

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ポッドキャストから東京ドームまで——ラジオの可能性を拡張する石井玄の仕事術

PROFILE: 石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー

石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー
PROFILE: (いしい・ひかる)1986年埼玉県生まれ。2011年サウンドマン入社。「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」などにディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた。20年ニッポン放送入社。「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」などのプロデュースを担当。21年にはエッセイ「アフタートーク」を刊行。プロデュースした「あの夜を覚えてる」が「2022 62nd ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」ACCグランプリ、Amazonオーディブル「佐藤と若林の3600」が「第4回 JAPAN PODCAST AWARDS」大賞を受賞。24年株式会社玄石を設立。

「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」など数々の人気ラジオ番組にディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた石井玄。近年では「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」や「あの夜を覚えてる」のプロデュース、そして2月18日に行われたラジオイベント「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」では製作総指揮を務めるなど活動の幅を広げている。

「今後さらなる自身の成長ために」と、今年3月にニッポン放送を退社し、新たに株式会社玄石を設立した。今回、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」から独立に至る思いや仕事に対するこだわり、そして気になる今後について話を聞いた。

「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」について

——石井さんの最近のお仕事といえば、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」のお話になるかと思います。“製作総指揮”という肩書きでしたが、実際にはどんなことをされていたんでしょうか?

石井玄(以下、石井):最初は「番組の15周年で何かやろう」と勝手に1人で考えたところから始まっています。だから、製作総指揮なんでしょうね、たぶん(笑)。言い出しっぺみたいな。僕の中で意味合いはそう捉えているんですけど。「具体的に何をやったんですか?」と言われると、全部やったからわからないんです。映画やテレビの世界にも製作総指揮という立場はあるんですけど、そういうことじゃなく、本当に“製作を総指揮した”という(笑)。

——最初から東京ドームでイベントをやることにリアリティーはありました?

石井:いや、ないです。みんなイメージだけで言っていました。「東京ドームでやりたい」って。でも、具体的にどうやるのかを想像して、実行に移した人間がラジオ業界で僕が初めてだったという。誰もやったことがないことをやるんだから、当然大変です。誰に聞いても答えはわからないし、みんなで悩みながら、あまたある選択肢の中から「これが正解なんじゃない?」って選んでいく作業でした。

——石井さんご自身が「東京ドームでやりたい」と思ったのはなぜなんですか?

石井:なんとなくイメージ先行で「東京ドームじゃないか?」ってなったんです。10周年のイベントをやった日本武道館より大きい会場っていっぱいあるんですけど、わかりやすいイメージとして、「武道館の次は東京ドーム」という“大きな間違い”をみんな最初にしていたのがよくなかったんでしょう(苦笑)。本当に何も知らなかったからできたんだと思います。でも、お笑いを、ラジオを、東京ドームでやるのは相当なインパクトになるだろうなと想像していました。リスナーに喜んでもらう。オードリーさんが楽しくやる。もちろん利益を出す。それらも目的だったんですけど、「ラジオってこんなにすごいんだよ」と見せるのもあったし、下を向いているラジオマンたちに「こういうこともできるんだ」って示したかったのはあります。この春にニッポン放送を辞めてから、いろいろなラジオ関係者とお会いして、みんな口々に「本当にすごかった」と言ってくれたんですけど、ポツポツと「悔しかった」「でも勇気をもらった」と言う人もいて。それがうれしかったですね。

——特に若い世代には大きな刺激になったんじゃないかと思います。

石井:各局の人たちと話していても「何かできるんじゃないか」って話になるし、キー局だけじゃなく、全国のラジオマンが「ラジオって捨てたもんじゃないな」と思ってくれたのは、自分でも目指していたところなのでよかったです。

——石井さんは他ジャンルの人やいろんな業界にいるリスナーとつながりながら仕事をしている印象があります。今回のドームでもテレビ界のスタッフさんと一緒に仕事をされていましたが、そこは意識されている部分なんですか?

石井:ラジオしかやってない人と話していると、とんでもなく狭い視野で喋っている場合が多いんです。なぜかラジオの中で競ったりするじゃないですか。これだけエンタメが世の中にあるのに、そんなこと意味がなくて、世界はどれだけ広いんだと。この時代、トップクリエイターはラジオ業界に来ないわけですから、当然、外のトップの人たちと仕事をしないと良いものは作れない。僕は至極当然のことをやっているだけで、それを珍しいと考えるのがよくないなって思っています。この前、TaiTanとも話をしていたんですけど、ラジオの人ってすぐラジオの話をするんですよ。ラジオの話はもういいよっていう。

——そもそも石井さんはラジオが好きで、ラジオ界をどうにかしたいと考えていたわけじゃないですか。でも、一見ラジオ界から離れているようにも見えるんですが。

石井:いや、全然話が違っていて、ラジオをどうにかしたいのに、ラジオの話をしてもしょうがないんです。長い歴史があるから、ノウハウも限界まで行っているし、どこにも新しいヒントは残ってないです。他のエンターテインメントから見ると、どれだけラジオは狭いところを狙ってやっているんだと憤(いきどお)りはあります。みんなもっと外の人と喋ったらいいのにと思っています。僕はこの3年半ぐらい「ラジオの人とはご飯に行かない」ってルールにしていたんで(笑)。他ジャンルの人と喋った方がヒントをくれるというのは絶対にあります。

「今後成長するためにはラジオ局にいてはいけない」

——石井さんはこの春、ニッポン放送を退社して独立されました。そういう感覚も独立したことに影響しているんでしょうか?

石井:あると思います。言葉を選ばず言うと、ラジオ局でこれ以上勉強することはないって思います。「僕が今後成長するためには狭い世界にいてはいけない」というのは辞めた理由の1つです。現状、東京ドームライブはラジオ局の中でできる最大規模のことなんです。もっと大きいことを後輩たちがやるかもしれないし、それは絶対やった方がいいと思うんですけど、それが実現するまで10年ぐらいかかるなら、外に出ちゃった方がいいなって。独立してからすごく感じるんですけど、いろんなジャンルの人たちと喋ってみて、僕自身、本当に知らないことだらけというか(笑)。偉そうに「外と喋れよ」なんて言っていても、僕も知識ゼロだなって。それが今は楽しいですね。イチからというか、ゼロから勉強が始まっているんで、このために辞めたんだなっていうことに気付きました。

——石井さんは制作会社でラジオのディレクターをやられていて、そこからニッポン放送に入社し、イベント関連のプロデューサーを担当されていました。そして、今度は独立。仕事の中身や状況を常に変えていくのは、正直、飽きっぽいところもあるんでしょうか?

石井:あると思います。何でものめり込んでやってしまうので、あとから振り返ると「もう1回やるのは大変だな」と思うし、同じことが何回もできないんですね。ここ数年でそれに気付きました。

——でも、ラジオ番組の制作ってある意味、毎週放送を繰り返していくものじゃないですか。

石井:番組の中で話していることは毎回違うじゃないですか。置かれた位置とか、喋る内容とかはちょっとずつ変わっていくので、それはいいと思うんですけど、僕自身の作業が同じになってくると飽きちゃうというか、攻略できちゃった感じになるんです。ゲームが好きなんですけど、クリアしたらもうやらないじゃないですか。偉そうなことを言ったらたたかれるかもしれないですけど(笑)、ラジオの作り方は大体わかったんです。「オールナイトニッポン」の作り方もわかりました。こうやればうまくいくというメソッドができあがりました。

もちろんもっと続けていけばさらに新しいことはできると思うんですけど、いったん愚直に繰り返す時期を過ぎたら、飽きちゃって辞めようって思ったんです。イベントもそうなんですけど、一度作り方がわかってきちゃうと、もう刺激を感じないですね。東京ドームは全然わからなかったんで、メチャクチャ面白かったです。

——ゲームで言うと、やり込み要素まで一気に全部やってしまうと。

石井:そういうタイプなんです。レベルもカンストして、アイテムも全部集めちゃっているから、違うゲームをやりたいと。もちろん厳密にはカンストしていないかもしれないですけど、現状できる部分ではカンストしたんで。そのままずっと同じゲームをやる人もいるじゃないですか。僕はそれができないんです。明確なクリアがないから、オンラインゲームは、まったくできないんですよ(笑)。

——仕事を変化させていくことに不安や戸惑いはないんですか?

石井:まったくないですね。今回、辞めるにあたって、先のことは何も決めてないんですよ。会社を作ってみよう。ポッドキャストの仕事はとりあえずあるから、最低限の生活はできるだろう。これでスタートするのが一番ワクワクするなって。だから、装備ゼロでゲームの世界に出ていく感じですよ。

——そうしないと興奮しないと。

石井:それは絶対にあると思います。ちょっとヤバいかもしれないですね。東京ドームでも当日はあまり興奮しなかったんです。それよりも、武道館ライブのときや「あの夜を覚えてる」(石井がプロデューサーを務めた生配信舞台演劇ドラマ)の方が血湧き肉躍る感覚があって。もちろんドームはすごいことだと思ったし、リスナーの姿を見てうれしかったし、感動したし、充実感はあったんですけど、優秀なスタッフがいてしっかり準備していたので、途中から成功は見えていて。こんなことを言ったら怒られるんですけど、もうちょっと不安要素を持ったままやればよかったなと思ったりしていました。「もっとトラブルがあったら面白いのに」と思っている時点で、そんな奴が製作総指揮じゃダメだろうと(笑)。

——このまま突き進んだら、どこまで行っちゃうんだろうって話ですね(笑)。

石井:だから、1回フラットにしなきゃいけないんです。会社を作るにあたっても、辞める前に全部決まっていたら僕はダメなんです。辞めたらすぐにYouTubeチャンネルが始まって、あれよあれよと配信系の大型企画の仕事が決まって大当たりして……みたいな動きはまったくしてなくて。テレビ局員の方が会社を辞めるときって「できない仕事があったから」という理由が多いんですけど、僕は特にそれがなくて、ほとんど何でもやれていました。それよりも、「何も決まらないまま辞めたらどうなっちゃうんだろう」という期待感が一番強かったです。

ただ、辞めてから3週間(取材時)ぐらい経ったんですけど、結構順調に仕事の依頼が来ちゃったので、それに関してはちょっともう飽きちゃっていますね(笑)。ありがたいんですけど、もうちょっと、どうなるかわかんないって時期が欲しかったなと。

「組織にいることが本当に向いてない」

——ポッドキャスト(「滔々あの夜咄」)でも仰っていましたけど、会社員は向いてなかったと?

石井:組織にいることは本当に向いてないと思います。一般的にどんな会社でも、結局、最後は上層部が物事を決めますよね。「なんで自分が決められないんだろう」と思うタイプなので。本当に自分が正しいかどうかはわからないですけど、仮説を立てて、長い時間かけて考えて導き出した答えが、明確な理由なく通らないことがあるじゃないですか。僕は「先輩が言うんだから間違いないだろう」と単純に考えたことがないですし、信用している人でさえも言っていることを鵜呑みにはしないです。上下ではなく、正しいことに決定権があるべきだと思っていますし。それは向いてないでしょう(笑)。ただ、会社とはそういう組織であるから、僕が間違ってますし、いなくなるべきは僕の方だなと気付きました。適応できないのは能力が低いからですし。

——仕事を始めたころからそういうスタンスだったんですか?

石井:最初から言うことは聞かなかったと思います。もちろん正しいことを言われたら聞きます。結果、生意気だと言われたし、言うこと聞かないって言われたし、怒られてばっかりでした。特に若いころはそういう感情を隠そうとしなかったですね。さすがに今はうまく隠せる場面もありました。そこは少し適応できたと思います(笑)。

——自分なりの折り合いのつけ方はあるんですか?

石井:ないです。僕は「言うだけ言いますよ」というスタンスだったので、発言はしていました。「間違っているけどな」と思いながら従わざるを得ないところは、どんな会社でも絶対ありますよね。ゼロにはできない。偉い人でも自分の本意じゃないこともあるかもしれないですしね。

——そこはどんな会社にいてもぶつかる問題点かもしれませんね。

石井:理由があって通らないならいいんですけど、よくわからない話だったら、「なんでなんだろう?」と疑問に思っちゃうんで。学生のころからそうですね。学校のルールなんて、学校側の都合で作られた守る必要のないルールもあるじゃないですか。その度に反発してました。

——もし若い人たちに「石井さんのようにどんどんもの申した方がいいですか?」と相談されたら、どうしますか?

石井:僕に責任は取れないけど、言いたかったら言ったらいいんじゃないですかね。そうなると社内で圧倒的な結果を出すしかないんです。結果を出したら、みんな話を聞いてくれますから。でも、それはそれで嫌なんですよね。結果を出したらその人の意見に耳を傾けるんじゃなく、新入社員でも建設的な意見を出す人がいたら、聞くべきです。だから、僕が作っているチームでは誰でも自由に発言してもらって、良かったら採用するようにして、なるべく「この人が言ったから」みたいなことはないように心がけていました。「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が重要です。

——立場は関係ないと。

石井:東京ドームライブを一緒に作ったあるスタッフさんに言われたんですけど、人数が多い会議でいろんな意見が出た際に、「石井さんはいろんなタイプの人間が悩んだりもめているとき、一番冷静に都度正解を出し続けるのが異常だ」って言われて、ああ、そこが僕の特徴かなと思いました。以前は、僕が「じゃあ、こうしましょう」と言った時に「なんでそうなった?」とメンバーがついて来られない時があったんです。東京ドームの会議ではテレビ業界の優秀なディレクターさんたちと仕事をしましたけど、みんな話が通じるのでやりやすかったですね。しかも、僕よりも建設的な意見を出してくれる先輩方でしたから、まだまだ経験値が足りないなと思えたのは、うれしかったですね。

——仕事で失敗したときは落ち込むんですか?

石井:落ち込まないですね。失敗したら、「まあ、そうか。あれがダメだったんだ。今後気をつけよう」っていう。信じて疑わないみたいなことがあまりないんで、どこかで「失敗するかもしれない」と思いながらやっていますから。だから、気付かなかった自分がよくないなと思うぐらいですね。

——人のミスに対しても感情的にはならない?

石井:だから、逆に言うと冷たいです(笑)。余裕があれば話したり、注意したりしますけど、余裕がない時はミスの原因に触れず、その先にどうするかをまず話します。「こうやったら最小限に被害を抑えられるから、そうしてください」って。ミスをした本人は落ち込んでいると思うんですけど、僕は「関係ないんで。次いきましょう」っていう。事前に話していたことをやらないでミスしたら怒りますけど、だいたいそういうときって、僕も含めて誰も気付かなくて、どうしようもない場合が多いですから、誰の責任でもないです。

——東京ドームでは製作総指揮としてたくさんの会議に参加していたそうですね。2023年はドームと同時に複数のイベントに関わっていたそうですが、マルチタスクはどんな風にこなしていますか?

石井:よく聞かれるんですけど、ゲームのRPGが一番特訓になっているかもしれないですね(笑)。今のRPGっていわゆる本筋のほかに無数のサブクエストがあるじゃないですか。あれをやるとマルチタスクができるようになります。サブクエストを一気に受けておくんです。それで、本筋を進めつつ、サブクエストもあるから、「ここでレベル上げをしながら、1回前の町に戻ったら最短距離になる」なんて考えるんです。僕はとにかく効率的にサブクエストをこなそうとするんで。横で見ている妻に「そんなにサブクエストをやらなくてもいいんじゃない? 早く本筋を進めるところが見たい」ってよく言われるんですけど(苦笑)。こういうゲームの進め方と仕事も一緒ですね。

——今はインプットの重要性がよく話題になりますが、石井さんはどんな風に意識されていますか?

石井:僕は3年前からいわゆるインプットをしないと決めていて。見たいものを見るというスタンスですね。送られてきた本も読みたいと思わなきゃ読まないですし、「あの映画は話題になっているから見に行かなきゃ」という感覚では行かないという。それはテレビもラジオも同じです。インプットと思った時点で仕事になるじゃないですか。だから、やめたんですよ。基礎知識として何でもかんでも見る時期はあったんですけど。最近いろんな人と会って話をするのがインプットになっているなと感じているんですけど、だからこそ「人とご飯を食うのはちょっと嫌だな」って思い始めています(笑)。好きな人とは行きたいです。

——石井さんが仕事をする上で「これだけは大切にしている」ことは何ですか?

石井:「手を抜かないこと」でしょうか。座組が大きくなると、やっぱりトップの人間が一番やらないとみんなもやらないので、自然とそうなってます。手を抜かないし、諦めない。「これはもう無理です」と言われても、こねくり回してなんとかするという。

——妥協はしない?

石井:「妥協」という言葉が正しいかどうかわかりません。残された選択肢の中でどれが一番クオリティーが上がるかを考えたときに、「これはむしろ諦めた方がいいよね」と判断するのは妥協と呼ぶかわからないじゃないですか。ただ、最適解がはっきりしているのに、「よくわからない人がよくわからないことを言ってるからダメ」みたいなことは絶対に許さないです。それで諦めたら「妥協」なんでしょうけど、僕はそれを通すので、妥協はしていない感覚ではいます。

独立後について

石井玄

——今後、具体的にやりたいことってイメージしていますか?

石井:何もなくて辞めたんですけど、ようやく最近見えてきて、ああこれが僕のやることかなと思った出来事があったんです。山梨放送の服部廉太郎さんという25歳のアナウンサーがキッカケで。会社のHPの問い合わせフォームから連絡が来たんですけど、「山梨放送が70周年だからイベントをやるんです。それを盛り上げたいんですけど、一緒にやってくれませんか? お金はないので、僕の給料から少し出します」みたいに書いてあったんで、「これは!!!」と思って。そういう方向で打ち合わせをして、この前は希望された山梨放送の社員の方を対象にセミナーをしました。他にも、関東のキー局の方ともいろいろと話をしていて、できることはたくさんあるし、各局に僕より上の年齢でも面白い人はいるし、やる気がある人もいるし、この人たちと仕事をすれば、ラジオを盛り上げられるんじゃないかと思いました。「こういうことができるのは自分しかいないんじゃないか」と。あとはTBSラジオの松重(暢洋)君ですよ。

——民放onlineのコラムで、オードリーの東京ドームイベントに「最後の絶望」と称してライバル心と悔しさをあらわにし、話題になりました。

石井:彼とご飯を食べたんですけど、「TBSラジオを盛り上げたいんです」という気持ちを聞いて、じゃあ、何かやろうと。何にも決まってないんですけど、今もずっとLINEのやりとりはしてます。彼のような若い世代に僕がやってきたことを伝えて、何か新しいものを作る手助けをするのが、自分の役割だなと。会社名を「玄石」(※磁石の意味)にしたことからもわかる通り、さまざまな人と人をくっつけるのが役割だと思うので。いろいろな人と会い続けて喋っていると面白くて、「こういうことをやりたいんですよ」と言われたときに「じゃあ、この間、会ったあの人とやったらいいんじゃないですか?」ってすぐ提案できるんです。ラジオ局同士でもそういう化学反応が起きたらいいなと思います。あとは、若い世代がやりたいことを、上の世代の方は邪魔しないであげてほしいですね。

——最近、石井さんが関わってきたお仕事って、ラジオと関係はあるけれど、現実的にはラジオではないじゃないですか。ラジオからはみ出したいみたいな気持ちはあるんですか?

石井:はみ出したいって気持ちはないですが、ラジオ以外にもある面白いことをやりたいという気持ちはあります。でも、ラジオはずっと好きだから、なくなったら悲しいじゃないですか。ただ、「ラジオ業界」なんて言うけど、実際はそんなものないんですよ。そもそもそんな括りはないし、そこにこだわりは全くなくて。

——2021年に発売された石井さんの著書「アフタートーク」(KADOKAWA )には「ぼくがラジオに救われたように、ラジオが未来永劫続いて、まだ見ぬ未来のリスナーを救って欲しい。それが、僕が生きている理由で、今まで仕事をしてきた理由で、これからも仕事をする理由です」という印象的な言葉が書かれています。当時と立場や状況も違いますが、この気持ちは変わらないですか?

石井:そうですね。今もその気持ちはあると思います。今、仕事のオファーをしてくれるのって、僕の作った番組を聴いたりとか、僕の関わったイベントに参加したりとか、そういう人が多いんです。特に「アフタートーク」を読んでいる人と「滔々あの夜咄」(石井がパーソナリティを務めていたポッドキャスト)を聴いていた人がほとんど。そういう人たちに対して何かしてあげたいという気持ちが、どちらかというと今は強いかもしれないです。その人たちはラジオが好きで、なにかやりたいと。僕を入り口の1つにして好きになってくれているので、そういう人たちと一緒にやっていったら面白いだろうなって。ラジオだけじゃなく、音声コンテンツやポッドキャストを含めた全体が凝り固まっているので、一度かき混ぜて大きなうねりを作りたいなと(笑)。

——今回のインタビューをするにあたって、石井さんのことを改めて調べたんですが、本当にたくさんの媒体で取材を受けていますよね。「アフタートーク」も含めてですが、ここまで発信をしているラジオのスタッフはほとんどいないので、業界を目指す人たちの指針になっているんじゃないかと。それは素晴らしいことだと思います。

石井:松重君が言っていましたよ。「石井さんは全部を刈り取ってしまった。どうしてくれるんですか?」って(笑)。でも、取材を受けるのも若いラジオマンに対してのメッセージなんです。申し訳ないけど、過去を見てる人たちは相手にしてなくて。やっぱり僕は未来にベットしたい。彼らががんばらないとラジオが終わってしまうから。もう僕の世代も役割が終わったと思っています。ここからいくらがんばったって、あと5年10年経ったら僕なんて何の役にも立たないです。今、20代から30代前半のラジオマンがどうがんばるのか。それを手助けしたいなって思います。あと、制作会社を辞めてニッポン放送に入ったのも、今回独立したのも、「こういう道があるよ」というメッセージでもあるんです。制作会社でもがんばっていれば局員になれる。まだどれだけ面白いものが作れるかわからないけれど、独立もできると。そういう道筋があるなら、ラジオのスタッフを目指す人も増えるだろうなって。

——そして、松重さんのように影響を受けた人たちが出てきていると。

石井:山梨放送の方と話していて、グッズやポッドキャストの重要性を説明しても「僕らじゃそういうのってできないんですよね」って言うんですよ。若いスタッフじゃなく、僕よりも年上の方たちですけど。やってないんだったら、できるかできないかなんてまだわからないじゃないですか。「座して死を待つつもりですか?」という。これは原文そのままで言いました。かつてニッポン放送や制作会社でも言ったんですけど。

「このままあなたたちは死んでも逃げ切れるからいいけど、僕らや下の世代は死にたくないから、やらないといけないんです」というのはずっと思っていることです。「逃げ切ろう」としてる人の相手をしてる場合じゃない。だから、僕は外に出ないといけないって思いました。これを読んだラジオに関わる人たちが、奮い立ったり、怒りを感じたり、嫉妬したり、悲しくなったり、何でもよいので感情が出てきて、なにか行動を起こしてくれることを期待してます。その時に協力できることがあれば、何でもやりたいです。いろいろと言いましたが、ラジオとポッドキャストを盛り上げるためにガンガンいくので、「皆さんご協力を何卒よろしくお願いいたします」って結論ですね。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)

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「コンバース トウキョウ」には物語性がある【メルローズと私vol.3 集英社インターナショナル顧問・日高麻子さん】

メルローズは「マルティニーク」「ピンクハウス」など個性的なブランドを運営し、昨年50周年の節目を迎えた。同社と関わりの深い人たちによる連載「メルローズと私」の第3回のゲストは、集英社で「メンズノンノ」「ウオモ」といったメンズファッション誌の編集長を歴任してきた日高麻子さん。東京・青山の「コンバース トウキョウ」1号店で話を聞いた。

編集者としての出発点のブランド

1980年に集英社に入社し、学生の頃から憧れていた女性誌「モア」の編集部に配属されました。77年創刊の「モア」は「女性の自立」をうたい、巻頭インタビューに仏作家フランソワーズ・サガンが登場するような先進的な雑誌でした。まだ右も左も分からず先輩に付いて回っていたとき、大きな特集が持ち上がります。タイトルは「’81東京コレクションから女性の服と生き方を学ぶ」。ブランドの女性スタッフにコレクションで発表した服を着てもらい、お話を聞く。その見開きページを私が担当することになったのです。緊張しながら取材したのは「コム デ ギャルソン」「ワイズ」「ピンクハウス」「ビギ」の4ブランドでした。ファッションエディターとしての私の出発点です。

その後も当時の「メルローズ」の横森美奈子さん、「ビギ」の神戸真知子さん、「チューブ」の斎藤久夫さん、「インスパイア」の武内一志さん(後のメルローズ社長、現ビギグループホールディングス社長)といった方々との仕事を通じ、多くを学ばせてもらいました。メルローズの皆さんは新しいことに挑戦し、着る人をワクワクさせたいという姿勢が現在に至るまで一貫しています。ファッションへの愛情が深いのでしょう。

2015年に始まった「コンバース トウキョウ」は、まず着眼点が素晴らしい。

店舗作りでまず大切なのは、お客さんに「ここは私のための店なんだ」と思わせることです。その点、日本人にとって「コンバース」のスニーカーは特別で、思い入れが強い。いわゆるスポーツウエアとは全く違うファッションブランドとして成立させた手腕はさすがだと思いました。初期の頃のスタイリスト・野口強さんやデザイナー・落合宏理さんとのコラボレーションも、ブランドとの親和性が高く、「なるほど!」とうなりました。「コンバース」へのリスペクトと、芯のあるストーリーが感じられるのです。

雑誌作りと共鳴してくれた

メルローズやビギは、西洋で生まれた洋服を日本人に似合うものに変えていった企業の代表格です。西洋の美意識とは異なる日本独自のスタイルを築いた先駆けといえるでしょう。

1970年代から2000年代前半は雑誌の時代でした。雑誌を通じて全国津々浦々に流行が発信される。服に興味がなかった高校生の男の子が、誌面を見て「こんな服を着てみたい」とおこづかいを貯めて、ちょっと背伸びした服に袖を通す。オシャレに目覚め、成功と失敗を重ねて、感性を研ぎ澄ませていく。長らく「メンズノンノ」では、そんな読者をイメージして誌面を作ってきました。メルローズの服は、私たちの雑誌作りと共鳴してくれたのです。日本のファッションを底上げした功績は偉大です。あの時代があったからこそ、やがてさまざまな文化を吸収した日本のブランドやデザイナーたちが世界のトレンドをも動かすようになったのだと思っています。

問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

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「ステュディオス」、ニューヨークの路面店でレセプション開催 業界関係者でにぎわう

TOKYO BASEは米国初出店となる「ステュディオス トウキョウ ニューヨーク(STUDIOUS TOKYO NEW YORK)」を5月11日にニューヨークにオープンした。オープン前日に行われたレセプションパーティーには現地のファッション関係者が多く訪れた。

ベルベルジンの藤原裕が手がける「NM」など限定アイテムも

場所はラグジュアリーショップが立ち並ぶマンハッタンのソーホー地区で、名物ショップだった「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」の跡地。店内は奥行きのあるゆったりとした空間だ。取り扱いブランドは約10ブランドで全てが日本ブランド。「ステュディオス トウキョウ」でも取り扱いのある「アンダーカバー(UNDERCOVER)」や「N.ハリウッド(N.HOOLYWOOD)」「ホワイトマウンテニアリング(WHITE MOUNTAINEERING)」「ソフネット(SOPHNET.)」「ポーター(PORTER)」など、日本でも知名度のあるブランドを中心に並べた。ベルベルジンの藤原裕が手がけるデニムブランド「NM」など、ニューヨーク店のみ取り扱いのブランドもある。今後も日本の実力派ブランドを追加する予定だ。

同店の中根大樹ディレクターは、「品ぞろえは日本と大きくは変えていないが、世界で通用するブランドをそろえた。これからお客さまの反応を見て価格やサイジングなどを改善していく。ニューヨーク別注商品などにもチャレンジしたい」とコメント。レセプションでは日本らしいきれい目なストリートスタイルが好評でその場で商品を購入する人の姿も多く見られた。取り扱い商品は全てメンズだが、デザインによっては女性からの需要もあるようだ。

「ステュディオス」と親和性のあるブランドで勝負 「地道に顧客を作っていきたい」と谷CEO

現地を訪れた谷正人CEOは、「2007年に”日本発を世界へ”を掲げ、創業時からいつかは世界の中心であるニューヨークに出店したいと考えていた。原宿店と神南店の店長、エースとして活躍していたスタッフ3名が育ったこともあり、彼らを現地に派遣できる今がニューヨーク出店のタイミングだと思った。日本では中堅でもニューヨークではまだ新しさがあり、われわれと親和性のあるブランドをそろえている。地道に顧客を作っていきたい」とコメント。

「ステュディオス トウキョウ」は現在中国の北京、広州、深圳で展開し、今回が初の北米出店となる。今後はロンドンやソウルへの出店を視野に入れる。

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ユニクロがパリオリンピックのスウェーデン選手団ウエアを公開 ケミカルリサイクル初導入

PROFILE: 勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者

勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者
PROFILE: (かつた・ゆきひろ)伊勢丹、米バーニーズ ニューヨーク、ラルフ ローレン、バーグドルフ・グッドマンなどを経て、2005年にファーストリテイリングに入社し商品デザインを統括。以降、ジル・サンダー氏との「+J」を始め、さまざまなデザイナーコラボレーションを手掛けてきた。ユニクロ女子陸上競技部の顧問も務める。伊勢丹時代は実業団のラグビー部選手としても活躍。取材はユニクロ有明本部内の社員用ジムで実施

ユニクロは、7月に開幕するパリオリンピック・パラリンピック(以下、パリ大会)で、スウェーデン選手団に提供する公式ウエアや練習着を公開した。ユニクロとスウェーデンチームとのタッグは、2021年の東京大会、22年の北京冬季大会に続き3回目。ファッションの都パリでの開催ゆえに、各国選手団のウエアにもいつも以上に注目が集まるが、ユニクロが提案するのはネイビーを基調にしたシンプルなデザインだ。背景には、「輝くべきはウエアよりもアスリート」という思いがある。店頭で消費者から回収した衣料品をケミカルリサイクルした素材も16アイテムで採用。これはユニクロとして初の試みであり、今後の量産に向けた試金石とも言える。勝田幸宏ユニクロR&D統括責任者に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):パリ大会はクライメート・ポジティブを掲げ、「史上初の気候問題に積極的に貢献する五輪」を目指している。ユニクロとしても、初めてケミカルリサイクルに挑戦する。

勝田幸宏ファーストリテイリンググループ執行役員ユニクロR&D統括責任者(以下、勝田):日本の店頭に置いた回収ボックスで集めた衣料品をケミカルリサイクルしてポリエステルチップに戻し、再度紡績してスエットやTシャツなど16アイテムに採用した。数量にして5400枚のウエアにしている。お客さまから回収した服が、オリンピックというハレの場でアスリートが着る服になっていることをお客さまに知っていただきたいし、われわれとしてもそれができたことを誇りに思う。(ケミカルリサイクルは一般的に強度が落ちるという指摘もあるが)もちろん強度は問題ないレベルになっている。

今後、一般に販売する服でケミカルリサイクルを目指していく考えはもちろんあるが、ユニクロで販売する以上は100万着単位の物量が求められる。最初からそんな規模ではできない。ケミカルリサイクルの技術が整っていても、原資となる回収衣料が足りなくて作れないといったこともある。スウェーデン選手団への提供衣料は、ケミカルリサイクルに初めて挑戦する上で、規模としても適していた。ここからケミカルリサイクルをどう広げていけるかを考えていきたい。

WWD:東京、北京と2大会で取り組んできて、スウェーデンチームからはどんな要望やフィードバックがあったのか。

勝田:要望はデザイン面や機能面ではほぼなく、フィット感に関するものがほとんどだ。アスリートゆえ、きつい、ゆるい、長いといった繊細な要望がある。チームが合宿している先にパタンナーなどと共に出張して、そこでフィッティングチェックを何度か行ってきた。この5月後半には、26年のミラノ・コルティナ冬季大会のウエアのフィッティングのために、チームの合宿先に出張する予定だ。一般に販売する服も同様だが、100人中100人が満点を出すフィッティングはないが、東京や北京大会に比べて、パリ大会のウエアのフィットはよかったと言ってもらえるように改善を重ねてきた。

19競技の競技ウエアも提供

WWD:開会式などのセレモニーで着用する公式ウエアや練習着、移動着のほかに、ゴルフ、バドミントン、ボート、スケートボード、ブレイクダンスなど、オリパラ合わせて19種目の選手には、実際の競技中に着用するウエアも提供する。

勝田:担当する競技については選手団から作ってほしいと依頼があって決まるが、100分の1秒を争うような競技のウエアを作ることは、やはりスポーツ専業メーカーではないので難しい。ただ、水泳のキャップについては、先方からの要望で今回作っている。(作れない競技ウエアを作れますと言うような)果たせない約束はしない。宣伝目的で、なんでもかんでも引き受けるようなことはしない。これはサステナビリティ面についても同じだ。今回引き受けた競技については、機能面もデザイン面も100%約束を果たすという思いで取り組んだ。東京大会でスウェーデンチームが準優勝し、注目を集めた女子サッカーの競技ウエアも準備は進めていたが、残念ながら予選敗退で本選出場はならなかった。

WWD:ファッションの都での五輪開催となる。デザイン面で留意したのはどんな点か。

勝田:確かに文化や芸術の街での五輪開催ではある。だからといって、競技に人生をかけてきたアスリートたちの背景にあるストーリーが見えづらくなってしまうようではいけない。華やかなパリでさらに輝くべきはアスリートであり、デザインにおいて僕たちの妙な主張が入りこむようなことがあってはよくない。自分自身が元アスリートということもあって、そうした思いは強い。

「サントノーレでお茶をするときも街になじむ」デザイン

WWD:確かに、ネイビーを基調にした落ち着いた色合いとミニマルなデザインが印象的だ。

勝田:東京や北京大会では、まだ慣れていないのもあってやはり国旗のカラーを使った方がいいのではと思い、明るいブルーを採用したが、今回はネイビーを軸にしている。開会式などで着用するセレモニージャケットももっと明るい色にしてほしいと言われるだろうと思っていたし、実際言われたが、首元にイエローを差すに留めた。選手たちがサントノーレ通りでお茶をするのを想像して、そのとき着ていてもすてきに見えるデザインを追求した。セレモニージャケットは東京大会に続きニット製だが、今回から「ホールガーメント」による3Dニットにした。ただ、選手によっては体格がよすぎてホールガーメント編み機の幅が足りない。その場合は、編みの向きの縦と横を通常とは変えて対応した。別途プログラミングが必要で手間もかかり大変だったが、着心地のよさをさらに追求することができたと自負している。

元々、ユニクロが服作りで掲げているのは、服自体が個性を主張するというよりも、着る人の個性が輝くために服がお手伝いをするといった考え方だ。振り返ってみると、スウェーデンチームに提供する服のデザインは、まさにそうなっている。

WWD:東京や北京大会では、スウェーデンチームにウエアを提供したことでどのような効果や反響があったか。売り上げが伸びるといった面もあるのか。

勝田:商品面では、北京大会で選手に提供したダウンアウターの要素をヒントにして、100万点、200万点の量産に落とし込むケースも出てきている。大会中や直後に売り上げが大きく伸びるかというと、そういうことはない。それよりも、われわれが中長期的に、スウェーデンチームと共感しながらモノ作りを進めているんだということを知っていただくことに意義があると思っている。


リサイクル素材の使用割合は約50%

5年目となるユニクロとスウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会とのパートナーシップでは、クオリティー、イノベーション、サステナビリティの3軸を追求した“LifeWear”を選手団に提供する。ケミカルリサイクルを含め、全使用素材に占めるリサイクル素材の割合は東京大会での約33%から約50%に高め、提供アイテム数は東京大会から約20%削減。これらにより、温室効果ガス排出量は、東京大会での提供ウエアに比べ約50%削減した。

競技ウエアを提供する予定の種目は、オリンピックがゴルフ、バドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、セーリング、アーチェリー、射撃、スケートボード、ブレイクダンス、水泳(キャップ)、ビーチバレーボールの13、パラリンピックがバドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、水泳(同)の6。

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ユニクロがパリオリンピックのスウェーデン選手団ウエアを公開 ケミカルリサイクル初導入

PROFILE: 勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者

勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者
PROFILE: (かつた・ゆきひろ)伊勢丹、米バーニーズ ニューヨーク、ラルフ ローレン、バーグドルフ・グッドマンなどを経て、2005年にファーストリテイリングに入社し商品デザインを統括。以降、ジル・サンダー氏との「+J」を始め、さまざまなデザイナーコラボレーションを手掛けてきた。ユニクロ女子陸上競技部の顧問も務める。伊勢丹時代は実業団のラグビー部選手としても活躍。取材はユニクロ有明本部内の社員用ジムで実施

ユニクロは、7月に開幕するパリオリンピック・パラリンピック(以下、パリ大会)で、スウェーデン選手団に提供する公式ウエアや練習着を公開した。ユニクロとスウェーデンチームとのタッグは、2021年の東京大会、22年の北京冬季大会に続き3回目。ファッションの都パリでの開催ゆえに、各国選手団のウエアにもいつも以上に注目が集まるが、ユニクロが提案するのはネイビーを基調にしたシンプルなデザインだ。背景には、「輝くべきはウエアよりもアスリート」という思いがある。店頭で消費者から回収した衣料品をケミカルリサイクルした素材も16アイテムで採用。これはユニクロとして初の試みであり、今後の量産に向けた試金石とも言える。勝田幸宏ユニクロR&D統括責任者に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):パリ大会はクライメート・ポジティブを掲げ、「史上初の気候問題に積極的に貢献する五輪」を目指している。ユニクロとしても、初めてケミカルリサイクルに挑戦する。

勝田幸宏ファーストリテイリンググループ執行役員ユニクロR&D統括責任者(以下、勝田):日本の店頭に置いた回収ボックスで集めた衣料品をケミカルリサイクルしてポリエステルチップに戻し、再度紡績してスエットやTシャツなど16アイテムに採用した。数量にして5400枚のウエアにしている。お客さまから回収した服が、オリンピックというハレの場でアスリートが着る服になっていることをお客さまに知っていただきたいし、われわれとしてもそれができたことを誇りに思う。(ケミカルリサイクルは一般的に強度が落ちるという指摘もあるが)もちろん強度は問題ないレベルになっている。

今後、一般に販売する服でケミカルリサイクルを目指していく考えはもちろんあるが、ユニクロで販売する以上は100万着単位の物量が求められる。最初からそんな規模ではできない。ケミカルリサイクルの技術が整っていても、原資となる回収衣料が足りなくて作れないといったこともある。スウェーデン選手団への提供衣料は、ケミカルリサイクルに初めて挑戦する上で、規模としても適していた。ここからケミカルリサイクルをどう広げていけるかを考えていきたい。

WWD:東京、北京と2大会で取り組んできて、スウェーデンチームからはどんな要望やフィードバックがあったのか。

勝田:要望はデザイン面や機能面ではほぼなく、フィット感に関するものがほとんどだ。アスリートゆえ、きつい、ゆるい、長いといった繊細な要望がある。チームが合宿している先にパタンナーなどと共に出張して、そこでフィッティングチェックを何度か行ってきた。この5月後半には、26年のミラノ・コルティナ冬季大会のウエアのフィッティングのために、チームの合宿先に出張する予定だ。一般に販売する服も同様だが、100人中100人が満点を出すフィッティングはないが、東京や北京大会に比べて、パリ大会のウエアのフィットはよかったと言ってもらえるように改善を重ねてきた。

19競技の競技ウエアも提供

WWD:開会式などのセレモニーで着用する公式ウエアや練習着、移動着のほかに、ゴルフ、バドミントン、ボート、スケートボード、ブレイクダンスなど、オリパラ合わせて19種目の選手には、実際の競技中に着用するウエアも提供する。

勝田:担当する競技については選手団から作ってほしいと依頼があって決まるが、100分の1秒を争うような競技のウエアを作ることは、やはりスポーツ専業メーカーではないので難しい。ただ、水泳のキャップについては、先方からの要望で今回作っている。(作れない競技ウエアを作れますと言うような)果たせない約束はしない。宣伝目的で、なんでもかんでも引き受けるようなことはしない。これはサステナビリティ面についても同じだ。今回引き受けた競技については、機能面もデザイン面も100%約束を果たすという思いで取り組んだ。東京大会でスウェーデンチームが準優勝し、注目を集めた女子サッカーの競技ウエアも準備は進めていたが、残念ながら予選敗退で本選出場はならなかった。

WWD:ファッションの都での五輪開催となる。デザイン面で留意したのはどんな点か。

勝田:確かに文化や芸術の街での五輪開催ではある。だからといって、競技に人生をかけてきたアスリートたちの背景にあるストーリーが見えづらくなってしまうようではいけない。華やかなパリでさらに輝くべきはアスリートであり、デザインにおいて僕たちの妙な主張が入りこむようなことがあってはよくない。自分自身が元アスリートということもあって、そうした思いは強い。

「サントノーレでお茶をするときも街になじむ」デザイン

WWD:確かに、ネイビーを基調にした落ち着いた色合いとミニマルなデザインが印象的だ。

勝田:東京や北京大会では、まだ慣れていないのもあってやはり国旗のカラーを使った方がいいのではと思い、明るいブルーを採用したが、今回はネイビーを軸にしている。開会式などで着用するセレモニージャケットももっと明るい色にしてほしいと言われるだろうと思っていたし、実際言われたが、首元にイエローを差すに留めた。選手たちがサントノーレ通りでお茶をするのを想像して、そのとき着ていてもすてきに見えるデザインを追求した。セレモニージャケットは東京大会に続きニット製だが、今回から「ホールガーメント」による3Dニットにした。ただ、選手によっては体格がよすぎてホールガーメント編み機の幅が足りない。その場合は、編みの向きの縦と横を通常とは変えて対応した。別途プログラミングが必要で手間もかかり大変だったが、着心地のよさをさらに追求することができたと自負している。

元々、ユニクロが服作りで掲げているのは、服自体が個性を主張するというよりも、着る人の個性が輝くために服がお手伝いをするといった考え方だ。振り返ってみると、スウェーデンチームに提供する服のデザインは、まさにそうなっている。

WWD:東京や北京大会では、スウェーデンチームにウエアを提供したことでどのような効果や反響があったか。売り上げが伸びるといった面もあるのか。

勝田:商品面では、北京大会で選手に提供したダウンアウターの要素をヒントにして、100万点、200万点の量産に落とし込むケースも出てきている。大会中や直後に売り上げが大きく伸びるかというと、そういうことはない。それよりも、われわれが中長期的に、スウェーデンチームと共感しながらモノ作りを進めているんだということを知っていただくことに意義があると思っている。


リサイクル素材の使用割合は約50%

5年目となるユニクロとスウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会とのパートナーシップでは、クオリティー、イノベーション、サステナビリティの3軸を追求した“LifeWear”を選手団に提供する。ケミカルリサイクルを含め、全使用素材に占めるリサイクル素材の割合は東京大会での約33%から約50%に高め、提供アイテム数は東京大会から約20%削減。これらにより、温室効果ガス排出量は、東京大会での提供ウエアに比べ約50%削減した。

競技ウエアを提供する予定の種目は、オリンピックがゴルフ、バドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、セーリング、アーチェリー、射撃、スケートボード、ブレイクダンス、水泳(キャップ)、ビーチバレーボールの13、パラリンピックがバドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、水泳(同)の6。

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「ニューバランス」の最旬コラボレーター、ジョー・フレッシュグッズ 「とにかく、自分を偽らないこと」

故郷のアメリカ・シカゴを拠点に活動するジョー・フレッシュグッズ(Joe Freshgoods)ことジョセフ・ロビンソン(Joseph Robinson)。彼は、自身のブランド「ジョー・フレッシュグッズ」を手掛けるデザイナーであり、セレクトショップ「ファットタイガー ワークショップ(Fat Tiger Workshop)」を運営するファウンダーであり、若きアーティストやクリエイター支援するメンターであり、地元のブラックコミュニティーをサポートするチャリティプロジェクト「コミュニティー・グッズ(Community Goods)」の主宰者であり、シカゴの文化を自身の体験と重ねて世界に発信する“ストーリーテラー”である。

彼のストーリーテリングに賛同するシカゴベースのブランドや団体は数多く、これまでにNFLのシカゴ・ベアーズやシカゴ現代美術館などと協業を果たしてきた。そして、その巷説はシカゴの摩天楼を越え、1400km離れたボストンに本社を置く「ニューバランス(NEW BALANCE)」まで一足飛び。2020年2月にファーストコラボ“992”を発表すると、以降は「ニューバランス」の最旬コラボレーターの1人に数えられている。

そんなジョーが、1999年に発表された「ニューバランス」のパフォーマンスランニングシューズ“1000”をベースとした最新コラボモデル“ワン・サウザンド ウェン・シングス・ワー・ピュア(1000 WHEN THINGS WERE PURE)”の発売にあわせて、約1年半ぶりに来日。今作に込めた思いから、ジョーといえばのアイコニックなピンクカラーとの出合い、現在のスニーカーシーンについてまでを語ってくれた。

コラボでは“飽きられないこと”が重要

ーー今回のコラボモデル“ワン・サウザンド ウェン・シングス・ワー・ピュア”は、前作“990v4 メモリーズ・イン・モノクローム(990v4 MEMORIES IN MONOCHROME)”から約4カ月ぶりのリリースと、インターバルが短いですね。

ジョー・フレッシュグッズ(以下、ジョー):この4年間で、今作が8つ目のモデルになるから、相当のハイペースだと思う。だからこそ、“コンシューマーに飽きられてしまうかもしれない”といった不安は常にあるが、少しでも興味を引く工夫を凝らしているよ。

ーーそれでは、今回のコラボモデルのベースに“1000”を採用した理由を教えてください。

ジョー:理由はシンプルで、「ニューバランス」側からの提案だね。協業し始めて4年が経ち、俺からベースモデルを提案する権限もあるけれど、今の気分と“1000”のデザインが合ったから受け入れることにしたんだ。何より、自分のコラボ遍歴の中に未経験のモデルが加わるということは、今後のチャンスにつながると思ったのさ。

ーー“1000”は、1999年にオリジナルモデルが発売されて以来の初復刻ですが、ジョーさん自身は過去に着用経験のある品番なのでしょうか?

ジョー:いや、一度も履いたことが無かったけど、そのおかげで新鮮な気持ちでコラボに取り組むことができたよ。

ーー“990”シリーズや“574”とは異なり、“1000”という品番自体がある程度の知名度を持たないことは、コラボモデルを制作する上での難局になりませんでしたか?

ジョー:先ほども話したように、コラボでは“飽きられないこと”と、“大勢ではなく小規模のコンシューマーを相手にスタートすること”が何よりも重要だと思っているから、“1000”はむしろピッタリだったよ。徐々に親しんでもらい、知名度を上げていけばいいんだ。

ーー今回のコラボモデルが、“1000”という品番の入口になる機会ということですね。

ジョー:まさに、その通り。

ピンクという活動の原体験

ーー改めて、“ワン・サウザンド ウェン・シングス・ワー・ピュア”の着想源をご説明していただければと思います。

ジョー:俺のコラボプロジェクトは、ストーリーテリングを特に重要視していて、前作“990v4 メモリーズ・イン・モノクローム”は1998年が背景だったから、今作はその続きで2000年代初頭を着想源にしている。“1000”のオリジナルも1999年に発売されていたしね。2000年当時というと、俺は14~15歳のティーンエイジャーで、よく友達とダンスをしていたんだ。ベストダンサーではなかったけど、それなりに楽しんでいたよ(笑)。だから、ダンスをキービジュアルのモチーフにしていて、同時にシカゴのカルチャーを世界に広めたいという思いも込めているんだ(注:“フットワーク”と呼ばれる音楽およびダンスが、1990年代のシカゴで誕生)。

カラーに関しては、俺のサイト限定のピンクと、グローバルで展開するピンクがかったブロンズの2色を用意した。どちらもピンクがキーカラーなのは、服作りを始めるきっかけだったから。というのも、ラッパーのキャムロン(Cam'Ron、1990~2000年代に活躍したヒップホップ界随一のピンク好き)が常にピンクのアイテムを着用している姿に憧れて、それを真似るように自分でピンクのTシャツを作り始めたーーピンクが今の活動の原体験そのものなんだ。今も俺の最も好きなカラーで、今回の“1000”はキャムロンへのオマージュと、地元に“ピンクハウス”(注:築100年越えの外装がピンクの一軒家で、シカゴのランドマーク的存在)があったことなど、2000年代初頭のピンクへの思いを落とし込んだ結果なのさ。

ーーブロンズは、ジョーさんのコラボモデルの中では珍しいダークトーンですよね。

ジョー:俯瞰して「ニューバランス」とのコラボプロジェクト全体を見直した時、これまでのDNAはキープしながら、どこかでアクセントを付けたい気持ちが生まれて、意図的にカラーの変更を行ったんだ。新しいことにトライして、方向性を探ってる段階だね。

ーーカラーは最初から決め込んでいたのではなく、手探りで進めたのでしょうか?

ジョー:発売までに10個以上のサンプルを作ったんだけど、こんなことは初めて。やっぱり、自分が最初に思い描いていた色に一発で決めるより、実際にお店の棚に置いた時にどういう風に見えるか、スタイリングと合わせた時にどのように溶け込むか、などにも気を付けないといけないと思ったよ。最終的に、このカラーとブロンズで迷ったんだけど、君はどっちが好き?

ーー個人的には、ブロンズが好きですね。

ジョー:よかった!君がそう選ぶということは、グローバルでこのカラーを発売して正解ってことだよね。

ーー先ほど、ダンスの話が上がりましたが、シカゴのダンスコミュニティーでは「ニューバランス」の着用率が高いのでしょうか?

ジョー:あまり大きな声では言えないけど、その比率は高くないと思う。だからこそ、今回のビジュアルを制作したんだ。“周りが履いていないから、自分も履かない”といったような気持ちになってほしくなくて、「ニューバランス」というブランドの見方のアングルを変えて、提案した感じさ。

自分を偽らないこと

ーー2024年4月現在、スニーカーシーンは数年前と比べて落ち着いているとの見解が多いですが、渦中の人物としてどう見ていますか?

ジョー:特に落ち着いたとは感じていないかな。うれしいことに、俺と「ニューバランス」で作ったスニーカーの大部分は売れ残っていないけど、これはマーケットの動向を注視して、コンシューマーの声に耳を傾けているからだと思うしね。

ーーシカゴのスニーカーシーンの現状はいかがですか?

ジョー:他のアメリカの都市と同じで、街では流行っているモデルやハイプシューズをみんなが履いて、店にはそれが並んでいる感じだから、面白味はないと思う。それより、俺は今回で3回目の来日なんだけど、日本はリセール目的でスニーカーを買う人が少なくて、多くの人が意思を持って自分が欲しいモデルを選んで買っている印象があるね。俺が作ったスニーカーに対しては、ディテールに細かく注意を払ってくれているし、ユニークさにも価値を見出してくれていて、本当にありがたいよ。

ーー最後に、スニーカーをデザインする上で最も大切なマインドを教えてください。

ジョー:今、アスリートやラッパー、エンターテイナー、アーティストなど、多くの人がスニーカーのデザインを手掛けているけれども、その中で俺は本当に普通の人だと思っている(笑)。普通の人が、シカゴのちょっと厳しい環境の中から這い出して、一生懸命に仕事をしていたら、「ニューバランス」がチャンスを与えてくれた。なんでチャンスがもらえたかは分からないけど、“オーセンティック”な部分が評価されたんじゃないかな。とにかく、自分を偽らないことが大切なマインドだね。

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MEGUMIの新著は幸福度が上がる「心に効く美容」 自身の弱みや別れをつづった思いを聞く

PROFILE: MEGUMI

MEGUMI
PROFILE: :1981年9月25日生まれ、岡山県倉敷市出身。2001年に芸能界デビューを果たし、バラエティー番組や雑誌などを中心に活動。その後、映画やドラマ、舞台などに出演し、20年には映画「台風家族」「ひとよ」の2作品で第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。今年4月には、開校したばかりのバンタン渋谷美容学院大学部の名誉学院長に就任。現在は取締役として個人事務所や金沢に店を構えるカフェ「たもん」の経営も行う

俳優、タレント、カフェの経営者など多岐にわたり活動するMEGUMIが5月12日、美容本「心に効く美容」(講談社)を発売した。MEGUMIの美容本といえば、彼女が試した1000以上の美容法から、本当に効果を実感したものを厳選して紹介した「キレイはこれでつくれます」(ダイヤモンド社)が昨年最も売れた美容本(単行本実用書、トーハン調べ/単行本実用、日販調べ)としてベストセラーになった。また発売1年を迎えた4月には、発行部数が50万部を突破し大きな話題になったばかり。その第2弾ともいえる本作は、内側の美容を磨く心にフォーカス。彼女の本音やプライベートでの心情などを語る部分や一般的な女性の悩みに共鳴する部分から通じた美容法などがつづられている。新書について聞いた。

WWD:前作の著書「キレイはこれでつくれます」の売れ行きは業界でも驚異的な数値を記録しているが、自身への反響はどうだったか?

MEGUMI:本について、街中でもたくさんの方に声をかけていただきました。もともと美容好きの方に読んでいただいたこともすごくうれしかったんですが、美容についてあまり関心がなかった方にも、「シートマスクだったら自分でもできるかもしれない」「やってみたらすごく肌が変わった」と本を通して体験してくださって、笑顔で話しかけてくださることに、なんとも言えない感動がありましたね。彼女たちが1ミリでも幸せになっていると実感できたことは、私としても出版した目的がかなったなと思いました。

WWD:前作の出版を経て、今作「心に効く美容」を企画した思いとは?

MEGUMI:前作が“美容の導入”という内容であれば、今作はさらに深い部分を分かりやすく伝えられたらと、“心の美容”に焦点を当てました。その理由の一つに、美容に関する発信をするようになって、仕事や生活のことで悩んでいる方がたくさんいるんだなということを知りました。美容誌でもそうした企画が多いし、私のインスタグラムにも長文でメッセージをいただくことが増えて。そうした悩みに私も共感することも多くて、分かってはいたけれど、より向き合うきっかけにもなったんですよね。

私は悩んだときに運動をするとすごく救われるなんていう経験がよくあります。悩んでいる時こそ身体を温めるというメンタルにつながる美容法は、自分で自分に与えているいわば処方箋のようなもの。実際に、そうした心にアプローチする方法で私自身も助けられていることはすごく多いんです。自分の心や感情は瞬時に変えることは難しいけれども、その手綱を引くことはできるよっていうきっかけを今作では皆さんにお伝えしたいなって思いました。

WWD:具体的に一般の方からの悩みで共感することとは?

MEGUMI:女性って世の中から見えるフェーズがどんどん変わっていきますよね。キャピキャピ期を経て、キャリアウーマンや母親になって、おばさんになってみたいな。ただ、私自身も自分の見え方になかなかついていけないなってすごく感じるし、さまざまなフェーズにいる女性たちの悩みを聞いて、自分の人生を振り返っても、女性って大変だよなって共感する部分が多くあるんですよね。そうした女性の人生へのメッセージとしても、“心に効く美容”というテーマにしたんです。

「暗い海から抜け出したい」「藁にもすがる思い」を美容で緩和

WWD:本書冒頭で、MEGUMIさんの「メンタルが強そうと思われがちだが、実はそうではない」という本音に驚く読者も多いと思うが、その思いをつづった真意とは?

MEGUMI:芸能界というなかなかタフな場所にいて、自分の感情に押しつぶされそうになったり、圧倒されそうになったり、ものすごく理不尽な思いをしたり、さまざまな感情を経験しています。きっと皆さんが働く世界でもいろいろなことがあると思います。私自身はもともとそんなに強くないし、人一倍デリケートで面倒くさい部分が自分の中にはあると思っています。弱いからこそ、いち早くこの暗い海から抜け出したいと強く思うことが結構多くて。ただ、そのたびにうずくまるのではなく、専門的な方の話を聞いたり、マッサージに行ったり、運動をしたりということを藁にもすがる思いでいろいろとやっているんですよね。そうすることで、100%のつらさが60%くらいになったなとか、あの経験はすごく良かったなって思えることがすごくあるんです。そうした経験を通した心の美容法も本音で紹介しています。

WWD:また「私が一番苦手な感情」と題したインタビューページで、人生で経験する“別れ”や成長を遂げる一人息子への思いなどを赤裸々に綴っている。そうした自身の経験を共有することで、女性を応援したいといった思いもあるのか?

MEGUMI:私が取り組む仕事については、全ての女性にフォーカスしていると決めています。それはドラマでも映画でも全ての活動においてそうですが、今回の本については特にそうだと言えます。

WWD:本作では美容グッズ以外に、腹巻きや枕、おやつに加え、心に効くレシピなども紹介している。普段どのように美容に関してリサーチしているのか?

MEGUMI:「これいいよ」「このお店いいよ」って聞くとすぐにネットで買ったり、その場に行ったりするんですけど、それがまったく面倒って思わないんですよね。美容への興味が枯れないというか、本当に好きなんだと思います。前作で紹介したグッズも継続して愛用しているものもありますが、肌って年齢や季節ごとにも変わっていくものなので、同じものを使っていると何か止まっていく気がしていて。だからいろいろ試して、さまざまな化粧品や健康法をアップデートしていくことがいいんじゃないかなって思いますね。この本が出るころには、また新しいものを探していたり出合っていたりしているんでしょうね。きっとそういうものなんですよね。

WWD:MEGUMIさんにとって、常に自分の心そして肌と向き合うことは大事なことであり、きれいを保つことで自信にもつながると感じている?

MEGUMI:そうですね。肌がきれいになることで、幸福度を感じますよね。でも大人になればなるほど、誰も自分の面倒をみてくれない。そのことに腹をくくって、自分の幸せに向き合えるように、ちょっとしたことでこんなにメンタルがよくなるんだというヒントを伝えていきたい。調子が悪いと余裕もなくなっちゃって、人に優しくできないと思うんですよね。自分自身を整えることで人間関係も変わって、人生も変わる。最初はちっちゃいことかもしれないけれど、日々の積み重ねで大きなことに変わっていくと思っているので、その感覚を皆さんの中にも取り入れてもらえたらなって思っています。

「年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくない」

WWD:最後の章「人生にテーマとヒーローを持つ」では、俳優として、個人として、母としてなどに分けた、夢を叶えるための事業計画書をつくっているとある。将来、どのような女性像を思い描いているか

MEGUMI:まずは人に優しくできる人になれるように。それが難しくもありますが、生涯かけて掲げていたいことの1つだと思っています。あとは、年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくないなって。いくつになっても自分のやりたいことがある。だから、その夢を叶えるためにひたすら努力して達成して、そして次の夢に向かっていく。これを繰り返しています。ただこれはあくまで私のやり方。30~40代は、どういうことをしている自分がベストなのかということを探る時期だと思っているので、今の私は夢や目標に向かって走ることが一番幸せだと感じています。だけどやりたいことが多すぎて、休みでも打ち合わせ入れちゃったりして、予定を詰め込みすぎちゃうんですけどね。やりたいことをやるって腹をくくった以上、そこはしょうがないかなって、ただひたすらにやり続けるみたいな(笑)。死ぬまで続けたいって思っていますね。

WWD:最近達成した夢は?

MEGUMI:海外への挑戦です。日本と行き来するような仕事を年に1つずつ増やしていきたいなと思って、最近その機会が増えるようになりました。英語の勉強にも取り組んでいますが、日々忙しい時間との勝負。でも少しずつでも続けて行動していくことを大事にしています。私にとっては、それが一番心地いいので。皆さんにも心地のいいスタイルを見つけてほしいですね。

WWD:最後に、MEGUMIさんが思う美しい人とは?

MEGUMI:外側の美しさをケアするだけでなく、内側の心を整えているきれいな人。残念ながら35歳くらいを過ぎると、内側で怖そうな顔をしていたり、具合が悪そうだったりすると、表に透け出てしまうんですよね。そのためにも心も整えていく必要があると思っています。

前作は外側の美容について、今作は内側を整えることが美しさにつながるという美容法をお伝えしています。美しさを少しずつ自覚していくと、自然と行動力が上がったり、感謝の気持ちが誰かに向いたり、原動力や向上心がむくむくと湧いてくる。内側から引き出した美しさや自信が人生をいい方向に導いてくれるはずです。つらさや重だるさを感じるようなくすんだ瞬間に、「心に効く美容」をパラパラとめくって実践してもらえるとうれしいです。

PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI
STYLING:KUMI SAITO
HAIR &MAKE-UP:KIKKU
アクセサリー/「ブランイリス(BLANCIRIS)」
シューズ/「ジア ボルギーニ(GIA BORGHINI)」

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MEGUMIの新著は幸福度が上がる「心に効く美容」 自身の弱みや別れをつづった思いを聞く

PROFILE: MEGUMI

MEGUMI
PROFILE: :1981年9月25日生まれ、岡山県倉敷市出身。2001年に芸能界デビューを果たし、バラエティー番組や雑誌などを中心に活動。その後、映画やドラマ、舞台などに出演し、20年には映画「台風家族」「ひとよ」の2作品で第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。今年4月には、開校したばかりのバンタン渋谷美容学院大学部の名誉学院長に就任。現在は取締役として個人事務所や金沢に店を構えるカフェ「たもん」の経営も行う

俳優、タレント、カフェの経営者など多岐にわたり活動するMEGUMIが5月12日、美容本「心に効く美容」(講談社)を発売した。MEGUMIの美容本といえば、彼女が試した1000以上の美容法から、本当に効果を実感したものを厳選して紹介した「キレイはこれでつくれます」(ダイヤモンド社)が昨年最も売れた美容本(単行本実用書、トーハン調べ/単行本実用、日販調べ)としてベストセラーになった。また発売1年を迎えた4月には、発行部数が50万部を突破し大きな話題になったばかり。その第2弾ともいえる本作は、内側の美容を磨く心にフォーカス。彼女の本音やプライベートでの心情などを語る部分や一般的な女性の悩みに共鳴する部分から通じた美容法などがつづられている。新書について聞いた。

WWD:前作の著書「キレイはこれでつくれます」の売れ行きは業界でも驚異的な数値を記録しているが、自身への反響はどうだったか?

MEGUMI:本について、街中でもたくさんの方に声をかけていただきました。もともと美容好きの方に読んでいただいたこともすごくうれしかったんですが、美容についてあまり関心がなかった方にも、「シートマスクだったら自分でもできるかもしれない」「やってみたらすごく肌が変わった」と本を通して体験してくださって、笑顔で話しかけてくださることに、なんとも言えない感動がありましたね。彼女たちが1ミリでも幸せになっていると実感できたことは、私としても出版した目的がかなったなと思いました。

WWD:前作の出版を経て、今作「心に効く美容」を企画した思いとは?

MEGUMI:前作が“美容の導入”という内容であれば、今作はさらに深い部分を分かりやすく伝えられたらと、“心の美容”に焦点を当てました。その理由の一つに、美容に関する発信をするようになって、仕事や生活のことで悩んでいる方がたくさんいるんだなということを知りました。美容誌でもそうした企画が多いし、私のインスタグラムにも長文でメッセージをいただくことが増えて。そうした悩みに私も共感することも多くて、分かってはいたけれど、より向き合うきっかけにもなったんですよね。

私は悩んだときに運動をするとすごく救われるなんていう経験がよくあります。悩んでいる時こそ身体を温めるというメンタルにつながる美容法は、自分で自分に与えているいわば処方箋のようなもの。実際に、そうした心にアプローチする方法で私自身も助けられていることはすごく多いんです。自分の心や感情は瞬時に変えることは難しいけれども、その手綱を引くことはできるよっていうきっかけを今作では皆さんにお伝えしたいなって思いました。

WWD:具体的に一般の方からの悩みで共感することとは?

MEGUMI:女性って世の中から見えるフェーズがどんどん変わっていきますよね。キャピキャピ期を経て、キャリアウーマンや母親になって、おばさんになってみたいな。ただ、私自身も自分の見え方になかなかついていけないなってすごく感じるし、さまざまなフェーズにいる女性たちの悩みを聞いて、自分の人生を振り返っても、女性って大変だよなって共感する部分が多くあるんですよね。そうした女性の人生へのメッセージとしても、“心に効く美容”というテーマにしたんです。

「暗い海から抜け出したい」「藁にもすがる思い」を美容で緩和

WWD:本書冒頭で、MEGUMIさんの「メンタルが強そうと思われがちだが、実はそうではない」という本音に驚く読者も多いと思うが、その思いをつづった真意とは?

MEGUMI:芸能界というなかなかタフな場所にいて、自分の感情に押しつぶされそうになったり、圧倒されそうになったり、ものすごく理不尽な思いをしたり、さまざまな感情を経験しています。きっと皆さんが働く世界でもいろいろなことがあると思います。私自身はもともとそんなに強くないし、人一倍デリケートで面倒くさい部分が自分の中にはあると思っています。弱いからこそ、いち早くこの暗い海から抜け出したいと強く思うことが結構多くて。ただ、そのたびにうずくまるのではなく、専門的な方の話を聞いたり、マッサージに行ったり、運動をしたりということを藁にもすがる思いでいろいろとやっているんですよね。そうすることで、100%のつらさが60%くらいになったなとか、あの経験はすごく良かったなって思えることがすごくあるんです。そうした経験を通した心の美容法も本音で紹介しています。

WWD:また「私が一番苦手な感情」と題したインタビューページで、人生で経験する“別れ”や成長を遂げる一人息子への思いなどを赤裸々に綴っている。そうした自身の経験を共有することで、女性を応援したいといった思いもあるのか?

MEGUMI:私が取り組む仕事については、全ての女性にフォーカスしていると決めています。それはドラマでも映画でも全ての活動においてそうですが、今回の本については特にそうだと言えます。

WWD:本作では美容グッズ以外に、腹巻きや枕、おやつに加え、心に効くレシピなども紹介している。普段どのように美容に関してリサーチしているのか?

MEGUMI:「これいいよ」「このお店いいよ」って聞くとすぐにネットで買ったり、その場に行ったりするんですけど、それがまったく面倒って思わないんですよね。美容への興味が枯れないというか、本当に好きなんだと思います。前作で紹介したグッズも継続して愛用しているものもありますが、肌って年齢や季節ごとにも変わっていくものなので、同じものを使っていると何か止まっていく気がしていて。だからいろいろ試して、さまざまな化粧品や健康法をアップデートしていくことがいいんじゃないかなって思いますね。この本が出るころには、また新しいものを探していたり出合っていたりしているんでしょうね。きっとそういうものなんですよね。

WWD:MEGUMIさんにとって、常に自分の心そして肌と向き合うことは大事なことであり、きれいを保つことで自信にもつながると感じている?

MEGUMI:そうですね。肌がきれいになることで、幸福度を感じますよね。でも大人になればなるほど、誰も自分の面倒をみてくれない。そのことに腹をくくって、自分の幸せに向き合えるように、ちょっとしたことでこんなにメンタルがよくなるんだというヒントを伝えていきたい。調子が悪いと余裕もなくなっちゃって、人に優しくできないと思うんですよね。自分自身を整えることで人間関係も変わって、人生も変わる。最初はちっちゃいことかもしれないけれど、日々の積み重ねで大きなことに変わっていくと思っているので、その感覚を皆さんの中にも取り入れてもらえたらなって思っています。

「年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくない」

WWD:最後の章「人生にテーマとヒーローを持つ」では、俳優として、個人として、母としてなどに分けた、夢を叶えるための事業計画書をつくっているとある。将来、どのような女性像を思い描いているか

MEGUMI:まずは人に優しくできる人になれるように。それが難しくもありますが、生涯かけて掲げていたいことの1つだと思っています。あとは、年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくないなって。いくつになっても自分のやりたいことがある。だから、その夢を叶えるためにひたすら努力して達成して、そして次の夢に向かっていく。これを繰り返しています。ただこれはあくまで私のやり方。30~40代は、どういうことをしている自分がベストなのかということを探る時期だと思っているので、今の私は夢や目標に向かって走ることが一番幸せだと感じています。だけどやりたいことが多すぎて、休みでも打ち合わせ入れちゃったりして、予定を詰め込みすぎちゃうんですけどね。やりたいことをやるって腹をくくった以上、そこはしょうがないかなって、ただひたすらにやり続けるみたいな(笑)。死ぬまで続けたいって思っていますね。

WWD:最近達成した夢は?

MEGUMI:海外への挑戦です。日本と行き来するような仕事を年に1つずつ増やしていきたいなと思って、最近その機会が増えるようになりました。英語の勉強にも取り組んでいますが、日々忙しい時間との勝負。でも少しずつでも続けて行動していくことを大事にしています。私にとっては、それが一番心地いいので。皆さんにも心地のいいスタイルを見つけてほしいですね。

WWD:最後に、MEGUMIさんが思う美しい人とは?

MEGUMI:外側の美しさをケアするだけでなく、内側の心を整えているきれいな人。残念ながら35歳くらいを過ぎると、内側で怖そうな顔をしていたり、具合が悪そうだったりすると、表に透け出てしまうんですよね。そのためにも心も整えていく必要があると思っています。

前作は外側の美容について、今作は内側を整えることが美しさにつながるという美容法をお伝えしています。美しさを少しずつ自覚していくと、自然と行動力が上がったり、感謝の気持ちが誰かに向いたり、原動力や向上心がむくむくと湧いてくる。内側から引き出した美しさや自信が人生をいい方向に導いてくれるはずです。つらさや重だるさを感じるようなくすんだ瞬間に、「心に効く美容」をパラパラとめくって実践してもらえるとうれしいです。

PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI
STYLING:KUMI SAITO
HAIR &MAKE-UP:KIKKU
アクセサリー/「ブランイリス(BLANCIRIS)」
シューズ/「ジア ボルギーニ(GIA BORGHINI)」

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キム・ヒョナが2年ぶりのカムバック 届かなかった“頂き”を目指した新EP「アティチュード」

ワンダーガールズと4ミニッツの元メンバーであり、K-POPアーティストのキム・ヒョナが5月2日にEPアルバム「アティチュード(Attitude)」をリリースし、約2年ぶりのカムバックを果たした。リリースに先駆け、「WWD KOREA」はヒョナにインタビュー。「アティチュード」の制作過程や、目指した新たな音楽性について聞いた。

「アティチュード」は
手が届かないと思っていた
音楽に到達した証

WWD KOREA(以下、WWD):長い間、取り組んできたEPアルバム「アティチュード」がリリースされました。制作の裏話を聞かせてください

キム・ヒョナ(以下、ヒョナ):これまでの楽曲ではパフォーマンスに重点を置いてきましたが、今回はヴォーカルに大きくシフトしました。この試みは挑戦的で、「私にできるだろうか」という思いでいっぱいでした。困難で厳しい道のりでしたが、満足のいくアルバムにつながりました。

WWD:常に新しいことにチャレンジされていますが、今回のアルバムでの挑戦は何ですか?

ヒョナ:自分探しの旅が今回の挑戦でした。自分の限界に立ち向かい、それを超えていくこと。私は自分のボーカルについて多くの不安を抱えていましたし、自分の可能性を制限していたことにも気づきました。「アティチュード」は、自分には手が届かないと思っていた音楽に到達した証です。トレーニングは大変でしたが、成長に年齢は関係ないという貴重な教訓になりました。

やったことを繰り返したいとは思わない
常に新しいものを求めていく

WWD:これまでとはまったく違う“ヒョナ”になるのでしょうか?

ヒョナ:ひとつ確かなのは、これまで見せたことのない私の一面を見ることができるということです。今回のアルバムのユニークでエキサイティングなポイントだと思います。

WWD:今回のアルバムも“ヒョナ”のコンセプトとスタイルが色濃く反映されていますか?

ヒョナ:それならがっかりするかもしれません。音楽だけで判断されたいという思いがあったから、今回はシンプルでクールなアルバムを目指したので。だから、音の要素を足すことよりも削ることに集中しました。

WWD:どのようなきっかけでそのようなアプローチを取られたのか気になります

ヒョナ:プロデューサーやディレクターの意見をより重視し、プロに従うことを目指しました。以前は自分が表現したいことに集中していましたが、今回は彼らが表現したいメッセージを“ヒョナ”というアーティストを通して伝えようとしました。共同制作のプロセスが喜びの源になるようにしたかったのです。

WWD:マス・アピールにも取り組まなければならないのでは?

ヒョナ:マス・アピールとは何なのか、私もまだ理解しようとしている途中です。エンターテインメント業界の定義が曖昧になればなるほど、私の中でも不確かになっています。なので、いつも理解につながる助けを探しています。
一方で、「楽曲が万人に歌われるアーティストになる」という考えは、あまりないですね(笑)。前にやったことを繰り返したいとは思わない。常に新しいものを求めていくつもりです。

ハイキングへの挑戦と久々のバンコク訪問

WWD:最近、取り巻く環境が変化している中で、癒しがますます重要になってきているのではないですか?

ヒョナ:陳腐に聞こえるかもしれないですが、私にとっては働くことが一番の癒しです。あ!最近は別の癒しも見つけました。ハイキングです。優れなかった体調が良くなってきたこともあり、ハイキングに挑戦する気持ちに火がつきました。この山に登りきれば、レコーディングもきっと完走し届かなかった音楽に到達できる。そんな野望が湧いてきたのです。登りはきつかったですが、頂上に着いた時には達成感と新たなチャレンジ精神に満たされました。アチャサン(峨嵯山)に登ったのですが、今度は北漢山に挑戦したいですね。そんなわけで、最近は登山靴を物色中です。

WWD:久々のバンコク訪問。旅先で必ずすることはありますか?

ヒョナ:市場やスーパーマーケットもチェックは欠かせないです。バンコクに行くのは久しぶりですが、マーケットに行くとTシャツが4000ウォンくらいで売っています。ビンテージのTシャツを見つけるのが楽しいので、旅行のたびに訪れるようにしています。また、屋台で果物や串焼きを買って食べるのも大好きです。

惜しみない努力で
ステージに立ち続けたい

WWD:あなたはよく「生まれつきの才能だ」と言われますよね。これについてはどう思いますか?

ヒョナ:そう言ってもらえることには感謝しています。私自身はそう思っていないので(笑)。そのことを常に自覚しているし、だから陰で努力もしてきました。

WWD:自己満足を望む部分もあるのでは?

ヒョナ:その願望と共存しながらステージに立ち続けたいと思っています。パフォーマンスする機会を得るには、惜しみない努力しかありません。チャンスをつかむのは簡単ではないからこそ努力が不可欠なのです。

WWD:疲れを感じたり、圧倒されたりする瞬間はありますか?

ヒョナ:そんなときには私なりの休息方法があって、3日ほど完全に自宅にこもります。仕事をしていないと不安になってきますが、遅れをとるという選択肢は毛頭ありません。

WWD:家によくこもる人“ホームボディ”はインテリアにはこだわりがありますよね

ヒョナ:ビンテージ家具やアンティーク家具に深い愛情を持っています。その気持ちを表現するために、裁縫をすることもあります。最初は母からかぎ針編みを習ったのですが、ジーンズを再利用してバッグを作ったり、しまいにはカーテンを作ったりするほどになりました(笑)。今は家具のデザインに夢中です。ユニークな家具を作りたいなと思っています。

WWD:以前、ご自身のことを複雑な性格の持ち主だとおっしゃっていました。あれから約1年が経ちましたが、今のお気持ちはいかがですか?

ヒョナ:1年前よりもシンプルになり、安定したと思います。十分な休養を取ったことと、いい人たちに囲まれているおかげです。昔からのスタッフは、私がリラックスして見えると言ってくれし、よく眠れるようにもなりました。

WWD:ヒョナのカムバックを待つファンや読者に一言お願いします

ヒョナ:最近はあまり活動できていませんが、これからも更新していくつもりです。私にできることは音楽だけなので。
健康を大切にしつつ、素敵な音楽を携えて皆さんにお会いしたいです。そしてステージでは常に頑張りたいと思います。皆さんの健康を祈っています!

CONTRIBUTING DIRECTOR:HANNA CHOI
PHOTO:KYUNGYOON RYU
HAIR:HYOJEONG SHIN
MAKE-UP:MINAH PARK
STYLING:SUL JUNG, MINGYOUNG OCK(SSUL STYLE)
LOCATION:AAC(ALL ABOUT CONTENTS), CONRAD BANGKOK HOTEL

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テレ東・大森時生×ダ・ヴィンチ・恐山 2人が語る「イシナガキクエを探しています」とフェイクドキュメンタリーの未来

大森時生/テレビ東京 プロデューサー・ディレクター

PROFILE: (おおもり・ときお)1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「Raiken Nippon Hair」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」「祓除」を担当。Aマッソの単独公演「滑稽」でも企画・演出を務めた。昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出された。X(旧Twitter):@tokio____omori

ダ・ヴィンチ・恐山/ライター、小説家

PROFILE:(だ・ゔぃんち・おそれざん)東京都出身。2009年よりツイッターを中心にインターネット上での活動を開始。さまざまな媒体で活動した後、2015年に品田遊名義で小説家としてデビュー。以降、小説家としては品田遊の名義を利用している。2016年にバーグハンバーグバーグ入社。コンテンツのクリエティブディレクションから編集まで幅広く手掛ける。著書に「止まりだしたら走らない」(リトルモア)、「名称未設定ファイル」(キノブックス)、「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」(イースト・プレス)など。X(旧Twitter):@d_v_osorezan

テレビ東京のプロデューサー、大森時生が仕掛ける「TXQ FICTION」シリーズの第1弾として、2024年4月30日に「イシナガキクエを探しています(1)」が放送された。この番組は「探しています」とのタイトル通り、行方知れずとなった架空の人物“イシナガキクエ”を捜索するフィクション。これまで大森が手掛けてきた「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」などの評判が期待を呼び、放送中からSNSではさまざまな考察があふれた。

今回「イシナガキクエを探しています」第2回の放送を前に、対談形式で話を聞いた。そのお相手は、「オモコロ」などのメディアでライターとして活動、「SIX HACK」では構成を務め、さらに「品田遊」名義で小説も執筆するダ・ヴィンチ・恐山。同世代で触れてきた文化圏も近い2人が見据える、フェイクドキュメンタリーの未来とは。

「SIX HACK」はある種の自傷行為みたいだった

——お2人が最初にお仕事をしたのは2023年4〜5月に放送された「SIX HACK」ですが、その前から面識はあったのですか。

大森時生(以下、大森):2022年の12月に放送した「このテープもってないですか?」の時に、恐山さんが番組の感想をネットに書いてくれて、それをきっかけにご飯を食べに行ったのが最初ですね。

ダ・ヴィンチ・恐山(以下、恐山):その食事の席で、「一緒に何かやりましょう」という話をして、1カ月後くらいには「SIX HACK」の企画が送られてきました。

大森:業界人によくある、実現しない口約束に終わらないでよかったです。

恐山:ちなみにその「SIX HACK」では、構成という役割上、エンドクレジットで最初に私の名前が出るので、多くの人から番組の全体像を私が考えたと誤解されているのですが、決してそんなことはありません。

大森:ドラマでいう脚本家みたいに思われているんですかね。もしそうだとしたら確かに誤解で、あの番組はたくさんの人たちが関わって作っています。

恐山:企画や構成には初期から関わっていましたが、私が脚本を直接担当したのは主に番組内VTRなどです。

大森:もともと僕は恐山さんの作品や日記のファンだったのですが、「SIX HACK」につながる作品でいうと、品田遊名義の「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」(イースト・プレス)という本があって。あの本のトンマナというか、世にはびこる論破的なものからズレた視点が、番組のテーマ「偉くなる」と相性いいだろうなと思いました。

恐山:テレビで見られる“悪さ”から、もう一歩踏み込んだものをやりたいと思っていたので、そういう視点のズラしは意識しましたね。

——テレビ番組の構成をやってみた感触はいかがでしたか。

恐山:秩序のないネット空間と比べると、テレビはきちんとした枠組みがある分、おかしなことをやったときの緊張感はだいぶ違いました。ただ、自分で放送を見て、あんな番組を放送していいのだろうかと、率直に思いました。

大森:特に恐山さんが担当した「ネットで偉くなる」しぐさやコツを紹介したパートは、誰しもに広く関係するネタが多く、それは当然僕たちにも降りかかるところで、もはや最終的に自傷行為みたいになってましたよね。

実際につながる電話番号が用意されたわけ

——新作「イシナガキクエを探しています」は、いち視聴者として恐山さんはどう見ましたか。

恐山:子供のころ、ああいう人探し番組を見た時に感じたざわざわした気持ちを久しぶりに思い出しました。番組の体裁としてはホラーの感触もあるのですが、それよりも、テレビの中で何が起きているんだろう、という不安感の方が強かったです。

大森:いわゆるJホラー的な怖さとは違いますよね。例えば、イシナガキクエを探している当事者の“米原さん”という方がカメラに向かって話しているシーンは、米原さんの視線とか間に不気味さがあって、何か視聴者を驚かせるような仕掛けがあるわけじゃない。

恐山:そもそも、指名手配犯とかではなく一般人の、しかもだいぶ昔に失踪した人を探すという番組のコンセプト自体が歪(いびつ)ですよね。

大森:人を探す番組はテレビの定番としてありますけど、「イシナガキクエを探しています」は体裁がそれっぽいだけで、よく考えると、この人を探す理由も分からないし、肝心の番組意図がつかめないんです。今回は新しく立ち上げた「TXQ FICTION」という枠組みの中でフェイクドキュメンタリーをやることがテーマなので、これまで僕が作ってきた番組にあったような、構造でのだまし討ちとかではなく、フィクションとしての強度を高めることを追求しました。

恐山:フィクションとしての強度を高めてはいますが、なんならこれまで大森さんが作ってきたどの番組よりも、リアルだと勘違いする人が多そうな気がします。

大森:それは放送時間も関係あるかもしれません。「SIX HACK」は深夜1時からの放送でしたが、今回は深夜0時30分なので、統計的にはざっくり30万〜40万人が視聴しているんです。SNSなどを通じて番組の概要を知った上で見ている人もいますが、ほとんどの人は事前の情報なしで見ているはず。

——視聴者からの情報提供を呼びかける目的で、問い合わせ先の電話番号を放送内で紹介していましたが、あれはOKなんでしょうか。

大森:テレビには、ダメそうでダメではないことはたくさんあります。まさにこれはその一例だと思います。関係各所との綿密な擦り合わせはしました。実際につながる番号を用意したので、放送中に回線はパンクしちゃったんですけど。

恐山:深夜1時近くに電話をかけさせるって、相当なことですよ。

大森:存在しない番号でもよかったんですけど、むしろそれを探す方が難しい部分もあって。それに、コンセプトの段階で「イシナガキクエを探しています」という大きな嘘をついている以上、ほかの部分はなるべく本物にしておかないと、リアリティーがなくなってしまう。スタジオに電話を設置したのも、よくある人探し番組のセットには電話を受けるオペレーターが何人もいるよなっていうところから、じゃあ設置しようかっていう順番で。実際につながる電話番号があったらおもしろい、という発想では全然ないんです。

素材の段階から本物っぽさを追求する

恐山:人探し番組の体裁であるとか、実際につながる電話番号とか、そういった構造のおもしろさはもちろんあるんですけど、私が一番グッときたのは、あのおじいさんの表情やしぐさだったんですよね。

大森:さっき話に出た米原さんですね。

恐山:静かにたかぶっていく感情がなんとも言えず、これはすごいものを見たぞって。あのシーンは演技を超えた何かが確実に宿っていました。しかも、あの方はかなりの高齢者だと思うのですが、難解な番組のコンセプトをよく理解してもらえたなって。

『フェイクドキュメンタリー「Q」』を見ていても思うのですが、ロケーションにしても演技にしても、フェイクだからって決して安っぽくはせず、廃虚ひとつとっても、本気でふさわしい場所を探してくるじゃないですか。あれはすごいなと思います。

大森:「イシナガキクエを探しています」には、『フェイクドキュメンタリー「Q」』の寺内康太郎さんと皆口大地さんにも参加していただいています。寺内さんとはその前にも「祓除」というイベントでご一緒したのですが、僕が一番すごいと思ったのは、素材へのこだわりです。

テレビのやり方だと、撮ってきた映像はあくまで素材として使って、編集の段階で本物に近づけていくのが一般的です。つまり、完成品を本物っぽく仕上げることが最終目標。でも寺内さんは、素材の時点で本物っぽさを追求しているんです。だからこそ、ロケーションでも何でも、撮影の時からどうしたら本物に近づけられるか粘りまくる。素材にリアリティーがあると、編集のセンスや技術でどうにかするのとはまったく違う仕上がりになるんですよ。

恐山:廃虚にしても民家にしても、現実だからこその猥雑さはそう簡単に模造できるものではないですからね。

大森:民家を舞台にする場合、実際に人が住んでいた家じゃないと本物っぽさって出ないんですよね。不思議なことに、人が住んでいた家の匂いとかって、画面越しにも伝わるんです。

恐山:その感覚すごく分かります。匂い、伝わりますよ。

大森:1つ前の時代のフェイクドキュメンタリーは、あくまで低予算で、ロケーションや役者の演技にもそこまでこだわらなくていい、というものも見受けられました。でも今はそのフェーズではなく、これからはクオリティーが求められる時代になってきたのかなと。

恐山:そのうち映画の規模になって、いずれは黒澤映画みたいに民家を壊すかもしれない。

大森:「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999年)のころはまだ、アイデア一発で観客を驚かせることができましたが、そこから20年以上経って、最近だと「女神の継承」(21年)とか「呪詛」(22年)とか、映画の中でPOV(Point of View)の手法を使うことが増えてきて、視聴者にとっては映画のクオリティーが水準になっているんですよね。いまや配信で普通にテレビ画面でそういう作品を見ていますし。

そんな時代に、深夜のテレビ番組の予算と規模でフェイクドキュメンタリーを作るとなったら、どうしたって素材で粘るしかない。POVの手法で効率的に撮ったカットをつなげた作品に勝てる唯一の方法は、ノーカットで撮って、その素材を全部つなげると本物に見える、くらいのクオリティーが必要だと思ってやっています。

ロールプレイを続けていると本物に近づいてくる

——「イシナガキクエを探しています」のエンドクレジットを見ると、スタッフの人数がドラマと比べるとだいぶ少ないですよね。

大森:ドラマや映画の現場には必ずいる撮影部、照明部、美術部といった技術スタッフがロケ先にまったくいないんです。なぜいないかというと、そういった外部の専門スタッフがいると、本物に見えるまでひたすら粘って撮る、という手法ができないから。現場の座組としては、プロデューサーの僕と、演出部の寺内さんと皆口さん、近藤亮太さん、あとは役者の方々くらい。素材を撮ることに徹底的にこだわるには、このくらいの人数が限界なんです。技術部のスタッフがいると「いい加減にしろ」となってしまうので。

恐山:フェイクドキュメンタリーって、視聴者を引っ掛ける意図が少なからずあるわけなので、本質的にサディスティックなのは否定できないですよね。だからこそ、作り手が受け手をなめたような態度を出してはいけないと思うんです。なめない態度の1つとして、本物っぽさの追求というのがあって、作り手の「どうだ、すごいだろ」みたいな態度が透けて見えると、その時点で視聴者はびびらないし、失礼。そうではなく、作り手自身が「これ大丈夫か……」って、びびったり怖がったりしているくらいがいい。

大森:その最たるものが「祓除」でしたね。あれは僕も含めスタッフみんなあまりに複雑な入れ子構造が故に、不安な気持ちで制作していました。

恐山:「イシナガキクエを探しています」もこの先そうなっていくんですかね。

大森:いま#2を作っている最中なのですが、番組を見て情報提供の電話をかけてくれた人たちに、折り返しの電話をかけているんですよ。

恐山:え!? どういうことですか?

大森:2000件くらいの着信があったので、もちろん全員は無理ですけど、なるべく多くの人に「より詳しい話を聞かせてください」って、スタッフが電話をかけています。

恐山:そんな電話めちゃめちゃ怖いじゃないですか。

——野暮なことを承知で聞きますが、情報提供者の中には本当に人探しをしていると思っている人もいるのでしょうか。

大森:先ほど言った通り、視聴率から視聴人数を割り出すと、まったくの事前情報なしで見ている人も、中にはいるかもしれないです。そういう方には「TXQ FICTION」という番組であることをお伝えしています。

恐山:電話を折り返して得た情報は番組に反映するんですか?

大森:それは本編をご覧いただければと思います。

恐山:百物語の最後に妖怪が現れるのと同じで、このままいくと本物の方からどんどん近づいてきますよ。

大森:本物が近づいてくるだけじゃなく、これは「SIX HACK」や「祓除」を作りながら改めて実感したことですが、真剣にロールプレイを続けていると、自分たちも本物に近づいていくんですよね。

人はなぜ“考察”したがるのか

——インターネットの世界では、フェイクドキュメンタリーやホラー系が近年さらに盛り上がっているように見えます。

恐山:私が所属している「オモコロ」でも、ここ何年かのPV上位はホラーが独占していますね。映画化もされた「変な家」もオモコロの記事として出していましたし、大森さんと「祓除」でご一緒されていた梨さんも大人気です。

大森:有象無象が混在しまくるネットとホラーは相性いいですもんね。

恐山:それでいうと、小説を発表するサイトとかは数多くあるのですが、「オモコロ」みたいに何でもありなメディアって実はあんまりなくて。どのサイトやメディアもたいてい何かしらのテーマや専門性があるんですよね。だから「オモコロ」のような雑多な場所に突然ホラーが放り込まれると、余計に怖いっていうのはあるのかもしれません。読者は創作なのか実体験のエッセイなのか、何も分からないまま読むことになるので。

——ネット上のいわゆる「考察」については、どう見ていますか。「イシナガキクエを探しています」も放送中にかなり盛り上がっていました。

恐山:流行りとしての考察文化について言えば、騙される側にいたくないというか、より制作者の視点に近い、俯瞰した立場になりたいという動機もありそうです。何か騒動が起きたときに、誰よりも早くメタな視点で総括したくなる気持ちにも近い。

大森:余白が許せないような人も多いのかなって思いますね。正解の解釈を求めたがるというか。

恐山:もちろん、純粋にミステリーやホラーが好きで、趣味として読解を楽しんでいる人も当然います。SNSではそこが混在していますよね。

——大森さんご自身は、考察の盛り上がりを見越して作っているのでしょうか。

大森:いや、そんなにはしていないですね。「イシナガキクエを探しています」に関しては特にしていないです。あくまで純粋に物語として楽しんでほしいと思って作っています。それこそ今回私たちはネットに何も仕込んでいないんです。それなのに次々とネット上でイシナガキクエのピースのようなものが出てくる。視聴者の方が自らやっているんですよね。それが都市伝説の発生の過程のようで興味深いです。一部度を過ぎているので、良識の範囲内でやってほしいとは思いますが……。

脱構築的な手法では時代を超えられない

——一方で、インターネットの集合知によってさまざまな難問が解決していくことも実際にはあるわけで、受け手に対してどこまで期待していいのか、過度な期待はしない方がいいのか、そのあたりはどう考えていますか。

恐山:それは永遠の課題でしょうね。どこに照準を合わせるのか、作り手によってもかなりばらつきがあると思います。例えば雨穴さんの作品などは読み解きを前提としたエンタメとして人気ですが、妖しい雰囲気それ自体に感情を動かされる体験もできます。深く掘ろうと思えば掘りがいはありつつ、別に掘らなくても楽しめる、というのが理想ですよね。

大森:照準という意味では、結局は自分に合わせるしかないのかなと思います。そこを想像でやってしまうと、ミスが起こりやすい気がするんです。新しい表現を追求するためにも、なるべく想像とか予想ではなく、実感を伴った作りにしていきたいというか。

恐山:受け手の心情だけはコントロールできないですからね。

大森:ほんとそうなんですよ。どうせ分からないだろうと想像して幼稚なものを作りたくもないし、分かってくれるはずと予想して自己満足だけで終わるものも作りたくはない。

恐山:ジャンルの宿命として、考察から逃れられないこともまた事実ではありますし。なので私は、自分が見たい/見せたい景色を思い浮かべて創作や企画をしていて、受け手がそれを追体験できたらひとまず目的達成かなと思っているんです。だからこそ、私が「イシナガキクエを探しています」を見て一番いいなと思ったのは、あのおじいさんの迫真の姿だった。あのグロテスクだけど目の離せない瞬間を作り手は見せたかったんだなと感じたし、私も見たかった。ここに完璧なコミュニケーションが成立しているので、考察は必須ではないんです。

大森:恐山さんにそうおっしゃっていただいて、本当にうれしいです。僕が大事にしているのも感情です。種類はどうであれ、見た人の感情を動かしたい。

恐山:ただ、感情というのは個人的なものなので、他人との共有がとても難しい。共通の話題として消費するには考察や解釈、謎解きの方が相性いいんですよね。なので、バズを狙うのであれば、多くの人が共通の話題として盛り上がれる方を向いてしまう、という。

大森:……と、いろいろ言っていますが、TVerなどで再生回数が伸びるのは、深く考察してくれている熱心な視聴者のおかげであることも間違いないので、そこは素直に感謝しています。あとは、その深読みを実生活には反映させないでください、と祈るばかりです。日常生活にまで深読みを発揮させてしまうと、待っているのは陰謀論の類いしかないですから。

そういう意味では、もしかしたら自分の作った番組がその入り口になってしまっているのでは? という可能性についても常々考えているんです。その結果、今回から「TXQ FICTION」という名前をつけて、フィクションと銘打ったシリーズにしていこうと決めたところもあるので。

——事実かどうかをぼやかすことで増す恐怖もありますが、フィクションであると明言した方が潔いですし、態度としても真摯で、優しいと思います。

大森:僕自身、この仕事を始めた最初のころは特に、フィクションと謳うことで魅力が減るんじゃないかと思っていた時期もありました。でも、いろいろ自分の番組を作っていく中で、そこは堂々とフィクションと銘打った方がいい、そのことで魅力を損なうことはないと、はっきり思うようになりました。そこは個人的なフェーズの変化でもあります。

例えば、「このテープもってないですか?」は、バラエティー番組の体裁をとりながら、ギミックとして不気味な要素を忍ばせるという作りでした。ただ、そういった形式や構造のひねりで引きつける脱構築的な手法だと、瞬間風速は出せたとしても、時代は超えないとも思ったんです。同時代性という意味では楽しいし、そういう番組をまた作ることもあるかもしれませんが、それよりも今は、いつどの時代に見られても同じように楽しめるものを作りたい。そのためには、フィクションであることが必要だと考えています。

PHOTOS:YUTA FUCHIKAMI

■「イシナガキクエを探しています」(2)
テレビ東京
5月10日(金)深夜1時53分〜2時23分

■「イシナガキクエを探しています」(1)
の配信はこちら
https://tver.jp/episodes/epfy61qq2z

番組公式X
https://twitter.com/TXQFICTION

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三越伊勢丹の名物バイヤー、神谷氏がサステナビリティ推進室マネージャーに就任 新境地を語る

PROFILE: 神谷将太/三越伊勢丹ホールディングスサステナビリティ推進部マネージャー

神谷将太/三越伊勢丹ホールディングスサステナビリティ推進部マネージャー
PROFILE: 2009年に伊勢丹(現:三越伊勢丹)へ入社後、伊勢丹新宿店婦人服の店頭販売、アシスタントバイヤー、アシスタントマネージャーを経て15年よりバイヤー職を担う。15年-16年に伊勢丹新宿店インターナショナルデザイナーズバイヤー、17年-18年に伊勢丹新宿店インターナショナルクリエーターズバイヤー、19年から伊勢丹新宿店リ・スタイル バイヤーなどを経て、2024年4月より三越伊勢丹ホールディングス サステナビリティ推進部へ異動。ファッション×サステナビリティの価値創造に積極的にチャレンジし、さまざまな企画、プロジェクトを生み出した。中でも「デニム de ミライ~Denim Project~」「ピース de ミライ~Revalue Fashion Project~」の2つのプロジェクトのリーダーを務めた。趣味は地方の秘湯とサウナ巡り、特に北海道。 PHOTO:SHUHEI SHINE

伊勢丹新宿店でリ・スタイル担当などファッションのど真ん中でキャリアを積んできた名物バイヤーがこのほど、三越伊勢丹ホールディングスのサステナビリティの要職に着任した。廃棄デニムを再利用して話題になった「デニム de ミライ」企画など、バイヤー時代の型破りな仕事を経て新しい部署で何を担うのか。神谷将太三越伊勢丹ホールディングス総務統括部サステナビリティ推進部マネージャーに話を聞いた。

サステナビリティ推進部の「営業」を担う

WWD:辞令をどう受け止めましたか?

神谷将太三越伊勢丹ホールディングス総務統括部サステナビリティ推進部マネージャー(以下、神谷):サステナビリティ推進部は2022年にできた部署です。改めてそのミッションを聞くうちに“やるぞ”とモチベーションが上がりました。経営に近い立場でサステナリティのさまざまなことに関わり、知識や人脈を広げ、 また営業の現場に戻って活躍する。そういう循環も社は考えているようです。現場感覚と経験、社内外のつながりを生かして具体的な取り組みを推進したい。

WWD:具体的な業務を教えてください。

神谷:サステナビティ推進部が大きく3つのチーム、「環境」「営業」「従業員エンゲージメント」に分かれており、私は「営業」チームでマネージャーを務めます。

WWD:営業チームの役割とは。

神谷: “シンク グッド(think good)”のプロジェクトを、百貨店グループのみならず関連各社全体で推進をしていくことと、サプライチェーンマネジメントです。百貨店事業としてスタートした“シンク グッド”は、今年度からグループ会社、関連事業を含めて推進します。グループ会社はホームページに載せているだけで37あり、不動産、金融などさまざまなチームがある。本当にいろいろな事業があるので、まずは弊社のことも改めて勉強したい。彼らと伴走して、時にお取引先をつなぎ“シンク グッド”を広げていく。サステナリティの考え方に基づく戦略を勢いをもって構築したい。

WWD:サプライチェーンマネジメント業務を具体的に。

神谷:主にお取り組み先との対話です。最近は特にラグジュアリーブランドは自社の行動規範を持ち、こちらに提示されることも多い。昨年から、新宿店の商品チームを中心に現場のバイヤーが約500社のお取り組み先と対面で品質管理や法令順守、人権への配慮など双方の規範の話をしています。

WWD:1社ずつ話すのは労力ですね。行動規範を配って終わり、ではない、と。

神谷:対話を通じてお取り組み先がサプライチェーンの川上をどこまでさかのぼり、何を大切にしているかを把握できることは意味がある。小売りの立場だと川上の現実はなかなか見えないから、対話を通じてかなり勉強になっています。サステナビリティ推進部はグローバルの動きやリスクなどの情報共有をします。昨年までは学ぶ立場だったのですが今年は伝える側ですね。一方通行ではなく、現場が活かせる情報として伝えていきたい。

WWD:サステナビリティに携わると従来のファッションビジネスにはない言葉や価値観と出会うことが多いのでは?

神谷:勉強しなければ、はすごく実感しています。知らない用語、取り巻く法律もそうだし社内の行動規範や調達方針もそう。すでに明文化されたものはあるしバイヤーですからある程度は知っていたけれど、自分の言葉で言語化して人に伝えることはまた別です。

WWD:この職務で自身のどんな姿を目指していますか。

神谷:現場感覚と経験、あと社内外のつながりを生かして、具体的な取り組みを推進したい。

サステナビリティはカウンターカルチャーという意識だった


WWD:「営業」と聞くと何かを売るイメージですが、ここで言う「営業」は営業施策の横展開、という意味ですね。つなぎ、巻き込んでいく、それは神谷さんがバイヤーとして「デニム de ミライ」などで実践してきたことです。

神谷:そうですね、思い返せば、バイヤー着任1年目の2016年に工場の余剰生地をデザイナーとピックアップして多品種少量生産の提案をしたり、リ・スタイル プラス担当のときは、希少性×エシカルという設定で、「ファセッタズム(FACETASM)」や「コシェ(KOCHE)」などと環境配慮素材や余り物から1点ものを作ったりしていました。

WWD:早かったですね。

神谷:当時は「サステナビリティはメーンストリームでないからそこに新しい価値、先進性があるのではないか」と思い、取り組んでいました。リ・スタイル プラスらしいカウンターカルチャーという意識です。

WWD:“やらねば”ではなく、“新しいことをしよう”から入っているところがいいですね。

神谷:ファストファッションが急成長する中、大量生産に対するアンチテーゼであり、「価格より価値が大事だ」という感覚が強かったですね。ファッションに機能性だけでなく情緒性や社会性を加味し、新しい価値観として提供したかった。

WWD:2020年にリ・スタイルをリモデルしたときには「パワー・オブ・チョイス、私たちができること」といった切り口でした。

神谷:この時はサステナビリティという言葉を使いました。ただしサステナビリティを絶対的なものではなく、多様性のひとつ “美しい選択”としてとらえたメッセージです。

小売り・ファッションとサステナビリティを結びビジネスとして成立させる難しさ

WWD:そういった変化に敏感なのは、バイヤーとしてさまざまなクリエイションや社会を見続けてきたからこそでしょう。

神谷:そうですね。年に4回ほど海外出張をするなかでブランドから「これは再生ポリエステルで作った」「これは残反だから少量しかない」といった話を多く聞くようになったり、プライズに選ばれるデザイナーもマリーン・セル(Marine Serre)をはじめ、サステナビリティに通じる考えがある人が増えたりするのを見聞きするなかで「そういう文脈になっているのだな」と受け取りました。ただ、それをお客さんに押し付けるのも違う。1人1人を否定せずに自分なりのスタイルを発信したかった。

WWD:特に、2022年3月に実施した「デニム de ミライ」は大きな話題になりました。

神谷:自分の中でもそういうマインドが醸成していたときに、たまたまヤマサワプレスを訪れて廃棄寸前の「リーバイス(LEVI’S)」のジーンズ“501”の山を見て「なるほど、やろう」と思えた。“デニムdeミライ”での活動は、本業であるファッションコンテンツとしての魅力を高めようとしたことや、様々な人を巻き込んで規模を大きくして発信性を高めたこと、つまり本業として当たり前のことに精一杯の力を入れて活動したことで、良い結果につながりました。

WWD:それがその後の、2023年「リスタイルアーカイブ」、デニム以外の生地の残反も加えた「ピース de ミライ」へとつながりました。 一連の取り組みの中で難しいと感じたことは?

神谷:本業である小売り・ファッションとサステナビリティを組みつけてビジネスとして成立させることです。サステナビリティの活動は「今すぐ儲からないとやらない」という訳でもない。本業の戦略とサステナビリティを組みつけることで、結果として“経済的価値”と“社会的価値”の双方の向上につながります。企画の質の向上と規模の拡大を通じて、経済性と社会性の双方を追求することは難しかったです。

また、衣食住で質の高い・幅広いコンテンツとの協業や小売り他社との連携もポイントになりました。社内外の多くの人を巻き込み最終的には一人のバイヤーの企画から、会社規模の企画に引き上げたことは誇りです。

顧客のサステナビリティに対する関心度の変化

WWD:顧客のサステナビリティに対する関心度の変化をどうみていますか?

神谷:2010年から行っている顧客アンケートをホームページでも公開していますが、「当社のサステナビリティ活動を知っていますか?」の質問に対して10年は20%程度だった「イエス」が23年には50%を超えました。また「三越伊勢丹が取り組むべき課題」に関しては、21年度までは「商品の品質」がトップだったのに対して、22年度からは「食品廃棄物の削減」となり、サステナビリティにつながることに関心を持たれていることがうかがえます。

自由回答には「百貨店だからこそ、ラグジュアリーとサステナビリティを両立させてほしい」という声や「百貨店をきっかけに知ることが増えた」もあがっています。印象的なのは一時期聞かれた「サステナビリティはトレンドだよね」という言葉が最近はほとんど聞かれなくなったことです。

ファッションとサステナビリティは両立する

WWD:神谷さんが考える「ラグジュアリー」とは?

神谷:まず、ラグジュアリーは高級や豪華という意味ではないということを最初にお伝えしたいです。目新しさだけでもない。自分と仲間の未来を豊かにしてゆくもの、と考えています。豊かになる、をほかの言葉に置き換えると、感動する、笑顔になる、成長する、新しいつながりができるといったこと。それを実感できるのがラグジュアリーだと思います。

WWD:「ファッションの伊勢丹」は再先端のファッションを扱っています。その中でファッションとサステナビリティは両立すると思いますか?

神谷:両立すると思います。社会価値も含めて考えること自体がクリエイティブだと思うから。

WWD:今後の課題は?

神谷:バイヤーは幅広いスコープを持ち情報収集していますがリソースとなる要素が個人や規模の小さい事業者になることも多い。いわゆる「人と人」の関係性からキッカケが生まれ、そこに寄り添った活動となることも多いため、企画やプロジェクトが属人化しやすく、企画の規模化や発展性、継続性を目指した仕組み化が難しくなってしまうことが課題です。

「デニム de ミライ」のときは、ヤマサワプレスでオープンファクトリーを開催し、社内メンバーに実際に体験し共感いただいたことで多くの人を巻き込むことができました。共感を生みだすためのストーリーを作り、メンバーを集め、経験を共にして、組織化と仕組み化をしていくというプロセスが非常に大切だと思いました。

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中島セナが演技や絵と向き合うことで気付いた大切なこと

PROFILE: 中島セナ/モデル・俳優

中島セナ/モデル・俳優
PROFILE: (なかじま・せな)2006年生まれ、東京都出身。17年にスカウトされモデルデビュー。間もなく「POPEYE」や「COMMERCIAL PHOTO」などの表紙を飾り注目を集める。ほか、「クソ野郎と美しき世界」(18)、「WE ARE LITTLE ZOMBIES」(19)、「光を追いかけて」(21)などの話題映画にも出演。23年12月から配信された「Disney+」日本発オリジナルシリーズ「ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-」では、奥平大兼と共に主演を務めた。21年には新人女優の登竜門とされる「ポカリスエット」のCMに起用され、翌年も引続きヒロインを演じた。また、20年よりKANEBO「I HOPE.」のメインキャラクターも務めている。

中学生の頃からファッションモデルとして活動。近年は俳優としても注目を集める中島セナが、映画「あこがれの色彩」で初めて映画の単独主演に挑んだ。映画「あこがれの色彩」は、陶芸の街で父親と暮らす少女、結衣の物語。絵を描くことが好きな結衣は、美術教室に通っているが、技術を重視する指導になじめない。そんな中、父親に新しい恋人ができたことに動揺する。大人たちの都合に振り回されながら悩み、反発する結衣の揺れ動く想いを、中島セナは等身大の演技で表現した。監督は資生堂のCMを数多く手掛けるなど独自の美意識が評価される小島淳二。結衣と同じように絵を描くことを趣味にしている中島セナに、映画のことや色彩、ファッションについて話を聞いた。

——この物語のどんなところに興味を持たれました?

中島セナ(以下、中島):主人公の結衣と同じぐらいの年齢の時に撮影していたのですが、大人への不信感だったり、自分が思っていることを発露することへの難しさだったり、そういった結衣が抱えている10代特有の気持ちがよく分かったんです。結衣ほどは強くないですけど、私にもそういう感覚は少なからずあるので。

——結衣は14歳。複雑な年頃ですね。両親が離婚して父親と祖母と暮らしている結衣は、父親に恋人ができたことに対して嫌悪感を感じて親子関係がこじれていきます。思春期は親子関係が難しい時期ですね。

中島:私自身は父とは仲が良くてギクシャクしたりはしなかったのですが、周りではそういう話はよく聞きました。子どもの頃みたいにはいかなくなってくるというか。撮影前に監督と結衣についていろいろお話しさせていただいたのですが、監督は結衣と父親との関係が重要だということを言われていましたね。

——結衣の友達に対する距離感も微妙です。友達は援助交際のようなことを始めたりして危ういことに興味を持ち始める。結衣は絵を描いていたいけど、孤立するのは嫌だからなんとなく友達と付き合っています。

中島:友達との距離感がはかりづらい時期ですよね。私はわりと1人でいるのが好きで、学校でもグループに属したりせずに1人で本を読んでいたりしたんです。中学の頃には仕事をしていたので、学校以外の世界があることを知っていたことも大きかったんじゃないかなって思います。

——確かに、学校の外の世界を知っている、そこに自分の場所があるというのは他の生徒たちとは大きな違いですね。

中島:あと、子どもの頃から絵を描くのが好きだったんです。学校で友達と遊んだりするよりも、家に帰って絵を描いてました。絵は誰かと一緒にやることではないので、一人でいることに慣れていたのかもしれません。

絵を学ぶことで気付いたこと

——結衣の趣味も絵を描くことでしたね。結衣が絵を描くようになった理由が父親との関係にあることが最後に明らかにされますが、中島さんが絵を描くのが好きな理由は?

中島:絵が特別うまいというわけでもないのですが、気が付いたら描いていました。去年1年、先生に指導を受けて本格的に絵を勉強してみたんです。そうすることで、表現についていろいろ学ぶことができたので、これから絵に対する向き合い方は変わっていくような気がします。

——絵を勉強するなかで、どんな発見がありました?

中島:作者がどういう狙いでそれを描いたのか。こういう構図になっているのはどうしてなのか。作品の裏側を考えるようになったのは大きいと思います。映画の世界も同じで制作する側から見ると作品がまた違って見えてくる。これからは、絵を描くことが生きていく上で大切なものの1つになるんじゃないかなって思います。

——自分が作る側になることで見えてくるものってありますよね。映画の中で、結衣は自分の好きなように絵を描きたいのに、美術の先生は基礎をしっかりやりなさい、と結衣の描き方を注意します。自分の気持ちのおもむくままに描くのか。基礎を身につけるのか。その葛藤についてはどう感じました?

中島:基礎が絶対必要だとは思わなくて、自分がどんなものを目指しているかによって基礎を学ぶべきかどうかが変わってくる。自分の目標に合わせて何が必要かを考えればいいと思います。でも、「やるべきこと」と「やりたいこと」の間に挟まれることは重要なんじゃないでしょうか。そうすることで成長していく。だから私自身は、基礎的なことを学びながら自分の表現を探っていきたいと思っています。

——そうすることで自分にとって大切なものが見えてくるのかもしれませんね。そういえば、中島さんが描いた絵が映画の中にも登場しているとか。

中島:結衣の部屋にいっぱい貼ってあるんですけど、その中の何枚かが私の描いた絵なんです。

——結衣の絵はカラフルな色彩が印象的でしたが、中島さんの絵はどんな作風なのですか?

中島:色は好きだし重要だと思っているんですけど、結衣とは逆で私はモノクロで描くことが多いですね。

色彩、ファッションについて

——普段着ている服の色使いはどうですか?

中島:やっぱり、カラフルなものよりモノトーンのものが多いかもしれないですね。モノトーンは色が合わせやすいというのもあるんですよね。色が少ないと差し色を入れてもきれいにまとまるし。服を見るときは黒を手に取ることが多いです。

——モノトーンとの組み合わせでよく使う色は?

中島:緑が多いかも。緑も好きな色なんです。小物とかバッグは緑が多いですね。白と黒と緑という組み合わせが好きなんです。

——そろそろ、大人っぽい服に挑戦してみたいと思われたりはします?

中島:最近は親の服を借りたり、ちょっと高い服を買ってみたりしています。例えば、「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」。生地がすごくいし、体が動かしやすくて機能的だし、シルエットがちょっと変わっているところもいいなと思います。

——「黒」といえば山本耀司さんですよね。小島監督も独特の美意識を持たれています。この作品でも繊細な光の捉え方が印象的でしたが中島さんはどのように感じられました?

中島:本当に繊細な感覚をお持ちだと感じました。静けさのなかに独特の空気感を感じさせる映像だと思いました。

——「ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-」、そして、本作と主演を務めるようになってきましたが、役者という仕事は続けていきたいと思いますか?

中島:演じる、ということは、私にとってすごく難しいことなんですけど、役者の仕事を通じて吸収できることは吸収して自分の引き出しに入れていけたら良いなと思います。今回の作品では、初めて感情を爆発して叫ぶ演技をしたのですが、うまくできるかすごく不安でした。でも、監督と事前に話をしてなんとかやれました。そんな風に少しずつ経験を重ねて成長していきたいと思っています。

——演技と絵。その両方から刺激を受けながら成長していけるといいですね。

中島:演技と絵は違うものですが、私は何かを表現することが好きなんだなって思います。最近は文章や写真もやりたいと思っていて、いろんな表現を並行して追求していきたいですね。

PHOTO:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
HAIR & MAKEUP:TOMOKO KIDO
ラメジャガードパンツ2万6400円、スキッパーパフスリーブシャツ 2万6400円/ともにTICCA、シューズ 3万5200円/CASTELLANO

■「あこがれの色彩」
5月10日から渋谷シネクイントほか全国順次公開
出演:中島セナ、大迫一平、宮内麗花、安原琉那、MEGUMIなど
監督:小島淳二
撮影:安岡洋史
プロデューサー:荒木孝眞
配給:スタジオレヴォ
制作:teeveegraphics,INC.
協賛:佐賀県フィルムコミッション
2022年/日本/カラー/107 分/17:9/5.1ch デジタル
©2022 teevee graphics, INC. all rights reserved.
https://akogare-iro.jp

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