新生「メルヴィータ」、オーガニックで人々の心と世界にポジティブな影響を

仏発オーガニックコスメブランド「メルヴィータ(MELVITA)」は今年、コンセプトに「バイオリジェネラティブビューティー(BIO-REGENERATIVEBEAUTY)/自然の再生力で、美しさが目覚める。」を掲げてブランドが進化する。ロゴやパッケージも一新し、大きな転換期を迎える。4月に就任したティニオマリアクリスティーナクエンカ新社長は「『メルヴィータ』にとってフランスと日本はとても重要な市場。日本では一定の支持を得ているが、次のステップとして新たなコミュニケーションを導入しなければならない」と力強く語る。

「メルヴィータ」は創業からロゴを変更しておらず、柔らかくてかわいい女性という印象を持たれていた。「2011年の日本初上陸時から愛用しそのまま共に成長したお客さまが多いため、ルミネ新宿店のメイン客層は40〜50代だ。そのため、新客を取り込まないと次の世代を作ることができない。商品のクオリティーは高いにも関わらず見た目のかわいさに起因するミスマッチもあるため、近代的で洗練されたオーガニックの強さを出すロゴやパッケージに変更して、ユニセックスにアピールしていく」。そのほか、「バイオリジェネラティブビューティー」をキーワードとしたキャンペーンやイベントの実施、ワンランク上のプレミアムラインの展開を検討するなど話題性を創出する。

「メルヴィータ」は、商品を使うほどに肌や環境が良くなる影響を伝えるために4つの柱を設定。常に先進的な商品開発を追求する「根源的なオーガニック(ORIGIN)」、自然由来成分を使いバイオサイエンスで美しい肌をかなえる「肌と一体化する(EXPERTISE)」、クリーンかつ自然と生き物を尊重する「インパクトのある美しい(COMMITMENTS)」、肌だけではなく心も深く満たす「美しさが開花する(BENEFITS)」を掲げている。その思いを象徴する商品が“ソルスデローズエッセンスローション”(150mL、4400円)や、“ネクターデルミエールアクティベーターオイルウォーター”(50mL、4730円)などだ。

23年にはロクシタングループとしてサステナビリティのグローバル認証「Bコーポレーション」を取得。社会性と経済性を兼ね備えた企業として強みを生かし、日本市場では前年を維持する業績をプラスに転換を図る。「将来的に都心の誰もが目にする場所にブランドを存在させたい。そのために、ブランドは変わらなければいけない」。リブランディングをきっかけに新コミュニケーションを多数展開していく。

PHOTO : SHUHEI SHINE
TEXT : WAKANA NAKADE
問い合わせ先
メルヴィータジャポン カスタマーサービス
03-5210-5723

The post 新生「メルヴィータ」、オーガニックで人々の心と世界にポジティブな影響を appeared first on WWDJAPAN.

アダストリアが「ブレイモア」を支援 “東大卒”イメージの脱却に挑む25歳の野心

PROFILE: 松井勇樹/「ブレイモア」デザイナー(右)

松井勇樹/「ブレイモア」デザイナー(右)
PROFILE: (まつい・ゆうき)1998年生まれ、神奈川県出身。2023年春夏シーズンにアパレルブランド「ブレイモア(BLAYMORE)」を立ち上げる。2021年に東京大学を23年に文化服装学院服装科を卒業。現在は東京大学大学院農学生命研究科に在籍し、サステナビリティファッションが社会に及ぼす影響について研究する。哲学や歴史をベースにしたコレクションを、服装造形の技術を用いながら制作する。デザインのほか、パターンやグラフィックなども幅広く手掛ける。24年6月、アダストリアの「リードプロジェクト」に参加し、24年春夏コレクションを発表した。PHOTO: TAMEKI OSHIRO

アダストリアは6月5日、若手クリエイターを支援する新規プロジェクト「リードプロジェクト(LEAD PROJECT)」の始動を発表した。アダストリアの村岡秀紀「リードプロジェクト」プロジェクトリーダーが中心となり、ファッション業界での活躍を夢見る若手クリエイターとタッグを組み、アダストリアの生産背景を提供して、クリエイターがそれぞれのブランドでやりたいことを具現化する。

第1弾の支援デザイナーは3人で、うち一人が「ブレイモア(BLAYMORE)」の松井勇樹デザイナーだ。「リードプロジェクト」の支援下では初となる2024年春夏コレクションにおいて、セットアップやショートパンツ、Tシャツ、バッグなど全14型をそろえた。アダストリアのECサイト「ドットエスティ(.ST)」で6月12日に発売する。

松井デザイナーは「ブレイモア(BLAYMORE)」を2023年に立ち上げ、洋服づくりの裏側を見せるSNS運営でファンを増やしてきた。現在のインスタグラムフォロワーは約8万。同氏は東京大学&文化服装学院卒業で、これまではその学歴が注目を浴びることも多かった。しかし、「東京大学卒業というイメージだけで終わりたくない」と、今回のプロジェクトに情熱を傾ける。松井デザイナーと、プロジェクトの仕掛け人である村岡に話を聞いた。

「イッセイ ミヤケ」の衝撃
表現者を目指し文化服装学院へ

WWDJAPAN(以下、WWD):これまでの経歴について改めて教えてほしい。

松井勇樹「ブレイモア」デザイナー(以下、松井デザイナー):ファッションに関心を抱いたのは、東京大学に入学してすぐ、友人に「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」を紹介されたことがきっかけだ。それまでは受験勉強ばかりで、ファッションをあまり気にかけてこなかったため衝撃を受けた。

ただ、すぐにデザイナーを志したわけではない。就職活動時は一般企業にエントリーしていた。すでに内定も受けていたが、「やっぱり表現者としての側面を伸ばしたい」と考え直し、入社を急遽辞退した。東京大学院への進学に方向転換し、夜間コースで文化服装学院の服装科に通うことを決めた。入学前から実家のミシンでお直しやリメイクをたまにしていたが、文化服装学院に進学してから服飾の勉強を本格的に始めた。大学院では農学を専門に、サステナブルファッションが環境に及ぼす影響を定量調査している。

WWD:「ブレイモア」を立ち上げたのはいつ?

松井デザイナー:文化服装学院2年生の頃だ。当時、洋服作りのスキルだけでなく、ビジネス面の経験値を高める必要性を感じていた。知人のつてによって奇跡的に繊維商社の社長とつながり、スポンサーになってもらうことができたため、ブランドを立ち上げた。2シーズンにわたって支援を受けながら、企画から生産、販売まで関わった経験が下積みになったと思う。

WWD:ブランドの特徴は?

松井デザイナー:“右脳で引かれ左脳で納得のいくワードローブ”がコンセプト。直感的な判断をする右脳に訴えるような、圧倒的な見栄えを作りたいという思いを込めた。また、左脳は論理的思考を司る部位なので、自分が文化服装学院で学んだ服飾のテクニックを、着心地の良さなどに落とし込みたい。

特徴は、ルーズシルエット。ゆったり着られるけど、あくまでも体のシルエットに沿うような仕様にこだわっている。ほかにもステッチのコバを細かくしたり、ファスナーを見せないようにしたりして、ミニマルな見た目になるように工夫している。

インフルエンサーの夢を実現
「リードプロジェクト」とは

WWDJAPAN:「リードプロジェクト」の目的は?

村岡秀樹「リードプロジェクト」代表(以下、村岡代表): 「リードプロジェクト」はインフルエンサーの夢や志の具現化を図るプロジェクトだ。現代ではSNSの発展により、誰もが影響力を持てるようになった。コロナ禍でD2Cビジネスが勢いづく中、アパレル企業の多くは、インフルエンサーブランドが市場のシェアを奪う脅威と見なす傾向にあった。しかしわれわれは「手を取り合った方が新たなビジネスチャンスが生まれるのでは」と考え、魅力的なインフルエンサーを探し出し、彼らの夢を支援するプロジェクトを始めることにした。社員3人で構成するスモールチャレンジだ。

インフルエンサー個人とコラボする試みは、それほど珍しくない。ただ、「リードプロジェクト」がほかと異なるのは、参加するクリエイターがすでにブランドを持っているということ。あくまでも彼らがやりたいことを、アダストリアがバックアップする。

WWD:プロジェクトに参加するインフルエンサーの選定基準は?

村岡代表:志の高さを重視した。松井君は、一般的なインフルエンサーとは一線を画す存在だ。自身のブランド「ブレイモア」に対する思いや、彼のクリエイションにひもづく知識の多彩さが魅力的。将来のビジョンも明確であり、それをサポートしたいと感じた。松井君はインスタグラムで約8万のフォロワーを抱えている。これまでいろいろなインフルエンサーと話してきたが、彼ほどの上昇志向を持つ若手は珍しい。素直に「めっちゃ面白い子だ!」と心引かれた。

WWD:松井デザイナーの将来のビジョンとは?

松井デザイナー: パリコレに参加したい。三宅一生デザイナーや山本耀司デザイナーは、30代半ばでパリに進出した。今、自分は25歳なので、10年後までに挑戦したいと思っている。

WWD:アダストリアの支援を受けることで、ブランド運営は何が変わるか。

松井デザイナー:アダストリアの生産背景を使用できるため、効率化が図れる。価格帯を前シーズンの6〜7割である8000〜2万7000円に下げており、「ブレイモア」の洋服をこれまでより多くのお客さまに届けることができるはずだ。商品ラインアップも広がり、合皮素材を使ったアイテムやアクセサリーも開発可能になる。

また、コンセプトメーキングやデザインにさらに注力できるようになった。これまでは企画や生産、販売などにも携わっていたため、業務で手いっぱいになることが多かった。今後は自分の哲学を洋服に込めるための時間を増やせる。

村岡代表:基本的に、松井君は「ブレイモア」のディレクションをこれまで通り担う。商品企画のアイデアや、SNSプロモーションの進め方について意見してもらう予定だ。アダストリアが蓄積してきた経験やノウハウを使って、松井君のクリエイションイメージを具現化し、新たなトレンドを創出していきたい。

「リードプロジェクト」で初披露となる2024年春夏コレクションでは、セットアップやショートパンツ、Tシャツ、バッグなど全14型をそろえた。6月12日にアダストリアのECサイト「ドットエスティ(.ST)」で発売する。

WWD:今後の目標は?

松井デザイナー:全て納得が行くものを作り、できるだけ多くの人に洋服を手に取ってもらいたい。“東京大学”という見られ方だけで終わらないようにしたい。

The post アダストリアが「ブレイモア」を支援 “東大卒”イメージの脱却に挑む25歳の野心 appeared first on WWDJAPAN.

anoが「ドクターマーチン」のサマーサンダルキャンペーン“MADE FOR SUMMER”に登場 自身が考える“強さ”と“表現”とは

「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」は新作サマーサンダルのキャンペーン“MADE FOR SUMMER”を実施中だ。5月25日には渋谷109エントランススペースでスペシャルイベントを開催した。スペシャルコンテンツとして本キャンペーンのイメージキャラクターであるanoがサプライズ登場し、お笑いコンビ・ニューヨークとのトークセッションを実施したほか、ラッパーのKID FRESINOがゲリラライブを行った。

“MADE FOR SUMMER”キャンペーンで掲げるのは、長めのシューレースが特徴的な“ナルティラ サンダル”2種と、頑丈でありながら軽やかに履ける“トラクト”コレクションの6種。anoは「今日履いている“ペアソン マルチストラップ サンダル”は軽くて、どんな服にも合わせやすい。シンプルにTシャツに合わせるだけでもかわいく仕上がる。“ナルティラ XL グラディエーター サンダル”は、シューレースを足首で結んだり、ふくらはぎまで編み上げたり自由に履けるのと、厚底なのも気に入っている。ワンピースに合わせて、少しドレッシーに履きこなしたい」とコーディネートのアイデアをシェアした。

タフで弾力性に優れた履き心地の「ドクターマーチン」のフットウエアは、“MADE STRONG”をテーマに掲げ、時代に合わせて進化を遂げながら、履く人それぞれの“強さ”の表現を後押ししてきた。等身大で“強さ”を表現する現代のアイコンであるanoに、自身が思う“強さ”と”表現”について尋ねると「強い存在だと言われることが多いが、自分自身は『もっと強くなりたい』と思うことがたくさんある。それでも強いと思われるのは、自分の気持ちをストレートに表現しているからなのかな。我慢をため込んで壊れてしまうのは、強いように見えて実は弱いようにも感じる。普段から自分の気持ちに向き合うための時間を大切にしていて、それが表現につながっている。歌でもSNSでもトークでも、どんな場面でも自分自身が無意識にしていること全てが“表現”なのだと思う」と答えた。現在公開中の映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では声優業にチャレンジするなど、アーティストにとどまらず多岐にわたり活躍する。大躍進を遂げたこの1年を振り返り「アーティストやタレント、演技、声優など、いろいろな経験ができた1年だった。今後はこれまでに行ってきたことをより深く、繊細に積み重ねていくことで、未来の自分の表現がどのように変化していくのかが楽しみ」と締めくくった。

本キャンペーン期間中、「ドクターマーチン」一部店舗、オンラインストアで対象のサンダルを購入した人には、映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」とのコラボレーションステッカーをプレゼントする。※先着順、無くなり次第終了

問い合わせ先
ドクターマーチン・エアウエア ジャパン
0120-66-1460

The post anoが「ドクターマーチン」のサマーサンダルキャンペーン“MADE FOR SUMMER”に登場 自身が考える“強さ”と“表現”とは appeared first on WWDJAPAN.

anoが「ドクターマーチン」のサマーサンダルキャンペーン“MADE FOR SUMMER”に登場 自身が考える“強さ”と“表現”とは

「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」は新作サマーサンダルのキャンペーン“MADE FOR SUMMER”を実施中だ。5月25日には渋谷109エントランススペースでスペシャルイベントを開催した。スペシャルコンテンツとして本キャンペーンのイメージキャラクターであるanoがサプライズ登場し、お笑いコンビ・ニューヨークとのトークセッションを実施したほか、ラッパーのKID FRESINOがゲリラライブを行った。

“MADE FOR SUMMER”キャンペーンで掲げるのは、長めのシューレースが特徴的な“ナルティラ サンダル”2種と、頑丈でありながら軽やかに履ける“トラクト”コレクションの6種。anoは「今日履いている“ペアソン マルチストラップ サンダル”は軽くて、どんな服にも合わせやすい。シンプルにTシャツに合わせるだけでもかわいく仕上がる。“ナルティラ XL グラディエーター サンダル”は、シューレースを足首で結んだり、ふくらはぎまで編み上げたり自由に履けるのと、厚底なのも気に入っている。ワンピースに合わせて、少しドレッシーに履きこなしたい」とコーディネートのアイデアをシェアした。

タフで弾力性に優れた履き心地の「ドクターマーチン」のフットウエアは、“MADE STRONG”をテーマに掲げ、時代に合わせて進化を遂げながら、履く人それぞれの“強さ”の表現を後押ししてきた。等身大で“強さ”を表現する現代のアイコンであるanoに、自身が思う“強さ”と”表現”について尋ねると「強い存在だと言われることが多いが、自分自身は『もっと強くなりたい』と思うことがたくさんある。それでも強いと思われるのは、自分の気持ちをストレートに表現しているからなのかな。我慢をため込んで壊れてしまうのは、強いように見えて実は弱いようにも感じる。普段から自分の気持ちに向き合うための時間を大切にしていて、それが表現につながっている。歌でもSNSでもトークでも、どんな場面でも自分自身が無意識にしていること全てが“表現”なのだと思う」と答えた。現在公開中の映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では声優業にチャレンジするなど、アーティストにとどまらず多岐にわたり活躍する。大躍進を遂げたこの1年を振り返り「アーティストやタレント、演技、声優など、いろいろな経験ができた1年だった。今後はこれまでに行ってきたことをより深く、繊細に積み重ねていくことで、未来の自分の表現がどのように変化していくのかが楽しみ」と締めくくった。

本キャンペーン期間中、「ドクターマーチン」一部店舗、オンラインストアで対象のサンダルを購入した人には、映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」とのコラボレーションステッカーをプレゼントする。※先着順、無くなり次第終了

問い合わせ先
ドクターマーチン・エアウエア ジャパン
0120-66-1460

The post anoが「ドクターマーチン」のサマーサンダルキャンペーン“MADE FOR SUMMER”に登場 自身が考える“強さ”と“表現”とは appeared first on WWDJAPAN.

音楽家・渋谷慶一郎「アンドロイド・オペラ」6年ぶり凱旋 協働の「ハトラ」デザイナー・長見佳祐とアーティスト・岸裕真が語る魅力と背景

ピアノやオーケストラ、電子音響、ノイズを駆使し、近年ではアンドロイドや人工知能を導入するなど、領域を横断しながら前進し続ける音楽家、渋谷慶一郎。渋谷のメインプロジェクトであり、これまでデュッセルドルフやドバイ、パリなど世界各地で上演してきた舞台芸術シリーズ「アンドロイド・オペラ」が、単独公演としては約6年ぶりに日本で開催される。

恵比寿ガーデンホールで6月18日に上演される本作は2部構成で、第1部には2018年に新国立劇場の委嘱により初演された、子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ「スーパーエンジェルス(Super Angels)」の抜粋が、第2部には2022年にドバイ万博で発表し翌年にパリ・シャトレ座で上演したアンドロイド・オペラ「ミラー(MIRROR)」が披露される。

第1部「スーパーエンジェルス」に参加する児童合唱団「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の衣装を担当する「ハトラ(HATRA)」デザイナーの長見佳祐と、同じく映像演出を手掛けるアーティスト、岸裕真の2人に、渋谷本人や「アンドロイド・オペラ」との出会い、そして公演参加に至る経緯や制作背景について話を聞いた。

「アンドロイド・オペラ」との出会い

PROFILE: 長見佳祐/「ハトラ」代表(左)、岸裕真/アーティスト(右)

長見佳祐/「ハトラ」代表(左)、岸裕真/アーティスト(右)<br />
PROFILE: (ながみ・けいすけ)2006年パリでクチュール技術を学び2010年に帰国後「ハトラ」を設立。衣服を境界状況的な空間と捉えたリミナル・ウェアを提案。3Dクロスシミュレーション、生成AIを始めとするデジタル技術に基づくデザイン手法を確立し、様々なリアリティが溶け合う身体観をリサーチする。主な出展に「JAPANORAMA」(ポンピドゥー・センター・メス、フランス、2017)「DXP2」(金沢21世紀美術館、2024)など。著書に『CLO: DIGITAL MODELISM』(BNN、2023)(きし・ゆうま)人工知能(AI)を用いてデジタル作品や彫刻を制作するアーティスト。主に、西洋とアジアの美術史の規範からモチーフやシンボルを借用し、美学の歴史に対する認識を歪めるような作品を制作。 PHOTO : GO KAKIZAKI

——まずお2人と「アンドロイド・オペラ」との出会いについて教えてください。

長見佳祐(以下、長見):18年に日本科学未来館で初演された「スケアリー・ビューティ(Scary Beauty)」を観劇しました。開演前の会場には「これから何が起こるんだろう?」「もしかしたら何も起こらないのでは?」という、未知の状況を前にした緊張感が立ち込めていたことを覚えています。

開演してしばらくは、舞台中央に立つアンドロイド「オルタ」にばかり目がいったのですが、次第に、渋谷さんやオーケストラの皆さんが「オルタ」という新しい存在・知性と対峙してどう振るまうのか、どう自分たちをアップデートするのかという、人間側の挙動や変化に関心が移っていきました。人類の営みの縮図が表象されているように感じ、強く心を動かされました。

岸裕真(以下、岸):僕が渋谷さんとアンドロイド・オペラを初めて知ったのは、4、5年前、大学院の修士過程の頃です。当時「テクノロジーとアート」について話せる人が周りにおらず、たまたまツイッター(編注:現X)経由で長見さんと知り合い、やり取りが始まりました。そしてある時、長見さんが渋谷さんの「アンドロイド・オペラ」と「スケアリー・ビューティ」について教えてくれたんです。

——どのような流れで「スケアリー・ビューティ」の話題になったのでしょうか?

:AIとアートの関係性について話していた流れでした。その前にAI・機械学習分野の国際会議「ニュール・アイ・ピー・エス(NeurIPS)」に参加したんです。同会議は、その年にほぼ初めてAIアートに関するセッションが設けられ、AIを道具として使うべきだとする「AIは道具」派と、人格と見做すべきだと主張する「AIはコラボレーター」派の論争が起こるなど、小規模ながら盛り上がりを見せました。参加後に会議の話を長見さんに伝えた時に、長見さんは「スケアリー・ビューティ」について熱く語ってくれて、すぐにユーチューブで記録映像を見ました。


アンドロイド・オペラ 「スケアリー・ビューティ」 渋谷慶一郎 日本科学未来館公演

その後、初個展「ネイバーズ・ルーム(Neighbors' Room)」に向けて作品を制作していったのですが、振り返ると、AIとの向き合い方を考える上で1つのロールモデル、参照点になったのが渋谷さんと「スケアリー・ビューティ」だったと感じます。

——今回の公演に参加されることになったのはどんな経緯でしたか?

:昨年3月から6月に開催した僕の個展「フランケンシュタイン・ペーパーズ(The Frankenstein Papers)」を渋谷さんが観に来てくださり、僕は不在だったのですが、SNSでメンションをいただきました。その後雑誌「リアルサウンド」での対談で初めてお会いして意見交換をしたところ「何か一緒にやろう」と誘っていただき、10月に金沢21世紀美術館で上演された渋谷さんと池上高志さん共作のアンドロイド対話劇「イデア(IDEA)」への参加が決まりました。

『IDEA』の脚本、2台のアンドロイドの台詞はすべてGPTで生成されています。僕はGPTの学習やディレクションに関するお手伝いをしました。その打ち上げの場で、次もぜひ、と言っていただき、今回の公演への参加に至った次第です。

——そこに長見さんが参加されることになったのは?

:長見さんとは何度も共作をしています。ちょうど「イデア」の上演と同時期に金沢21世紀美術館で開催された企画展「D X P (デジタル・トランスフォーメーション・プラネット) ―次のインターフェースへ」にも「HATRA+Yuma Kishi」名義で共同インスタレーション作品を出展しました。渋谷さんは、長見さんのことも、僕と長見さんの関係性もご存じで、「スーパーエンジェルス」について話し合う中で「衣装は長見さんにお願いできないか?」と話がまとまり、僕から長見さんに相談したんです。

長見:岸くん経由でお話をいただいてから、正式に参加が決定するまではとても早かったですね。僕は21年に新国立劇場で上演された「スーパーエンジェルス」の初演も観劇しましたし、今回の公演の概要を教えていただいた時に明確なプランがすぐに思い浮かびました。それを岸くん経由で渋谷さんにお伝えして、初めてお会いした時に「じゃあどう進めようか?」と実行プロセスについて話を進められたんです。

「スーパーエンジェルス」参加に向けたクリエーション

——今作でのお2人の担当領域や制作プロセスを教えていただけますか?

長見:第1部の「スーパーエンジェルス」に参加する、多様な特徴と背景を持つ子どもたちの児童合唱団「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の衣装制作を担当しています。さまざまな体格の約30名の子どもたちが歌い、踊る演目で、大きなアクションもあるんです。彼らを包み込みながら、その動きを増幅し、劇場全体に解き放つような衣装を制作したいと考えています。ぜひ公演で確かめていただきたいですね。

——長見さんはかねてから3DモデリングソフトウェアCLO(クロ)やAIを活用されていますが、今回も同様ですか?

長見:はい。ただCLOにせよAIにせよ、僕にとってはもはや「筆と紙」のように当たり前の存在なので、特段強調することでもありません。制作に自然と入り込んでくるものです。

——今回の制作でいつもと異なっていることはありますか?

長見:衣装の安全性には、いつも以上に配慮していますね。なかには視力が弱いお子さんもいますし、先述の通り、舞台では動きもあるので、衣装が危険を誘発しないよう意識しながら制作しています。

——映像演出を担当される岸さんは、どのように制作されていますか?

:渋谷さんからは、第1部と第2部のそれぞれに対するイメージを共有していただきました。演奏楽曲の歌詞を読み解き、方向性に沿いながら、来場される方たちに多くを感じてもらえるような空間を演出する映像を制作したいと考えています。

ネタバレはできませんが、中間的な存在としての「天使」が鍵になります。媒介者・メッセンジャーとして神と人間を行き来する天使は、作品を通して「始まり/終わり」や「生/死」「西洋/東洋」などの境界を問い続ける渋谷さんにとって大切なモチーフでしょうし、人工知能という非人間的存在と自己の交友関係から作品を作る僕にとっても、興味深い存在です。この時代に、人工知能とともにどんな天使を降臨させられるか、目下制作を進めています。

2人が考える「アンドロイド・オペラ」の見どころ

——最後に、今回の東京公演の見所について、それぞれのお考えをお聞かせください。

長見
:アンドロイドの「オルタ」が、妹島和世さんがデザインされた台座とともに強い存在感を放っているので、まずそこに目が行くかもしれませんが、ぜひ舞台全体を観てほしいです。舞台上の多様なプレイヤーの連関や相互作用に目を向けると、すごいことが起こっていることに気が付くというか、「アンドロイド・オペラ」への印象が大きく変わるのではないでしょうか。

:同感です。今回の東京公演は、オルタ、渋谷さん、「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の子どもたち、オーケストラ、長見さんの衣装など、多種多彩なプレイヤーやクリエイションが集まる空間です。僕は人工知能と共にその空間の意味を最大化するような映像を制作できればと思っています。細部に注目しつつ、空間全体も堪能していただきたいですね。

【公演概要】
Android Opera TOKYO - MIRROR/Super Angels excerpts.
公演日:2024年6月18日(火)
時間:開場18時、開演19時
会場:恵比寿ガーデンホール(チケットは完売)

第一部 Super Angels excerpts.
コンセプト、作曲、ピアノ、エレクトロニクス:渋谷慶一郎
歌詞:島田雅彦
ヴォーカル:アンドロイド・オルタ4
コーラス:ホワイトハンドコーラスNIPPON
オーケストラ:アンドロイド・オペラ・トーキョー・オーケストラ(コンサートマスター 成田達輝)
アンドロイド プログラミング:今井慎太郎
映像:岸裕真
衣装(ホワイトハンドコーラスNIPPON):ハトラ
衣装協力(ホワイトハンドコーラスNIPPON):ノヴェスタ

第二部 Android Opera MIRROR
コンセプト、作曲、ピアノ、エレクトロニクス:渋谷慶一郎
ヴォーカル:アンドロイド・オルタ4
声明:高野山声明(山本泰弘、柏原大弘、谷朋信、亀谷匠英)
オーケストラ:アンドロイド・オペラ・トーキョー・オーケストラ(コンサートマスター 成田達輝)
映像:ジャスティン・エマルド
アンドロイド プログラミング:今井慎太郎

The post 音楽家・渋谷慶一郎「アンドロイド・オペラ」6年ぶり凱旋 協働の「ハトラ」デザイナー・長見佳祐とアーティスト・岸裕真が語る魅力と背景 appeared first on WWDJAPAN.

「コス」が京都の絞り染め職人とコラボ 衰退する工芸技術を広めるきっかけに


ロンドン発の「コス(COS)」はこのほど、京都の絞り染め職人の田端和樹とコラボレーションしたカプセルコレクションを発表した。6月5日から「コス」青山店、マリン アンド ウォーク ヨコハマ店、東京・台場のダイバーシティ店および公式ECサイトで販売する。発売を記念し5月30日には京都芸術大学で、国内外のプレスや学生を招いた絞り染めの体験ワークショップとトークイベントを開催した。

絞り染めは1000年以上の歴史を持つ染め技術で、水資源に恵まれた京都で大きく発展した。田端は従来絹地に限られていた「京鹿の子絞り」の技術を受け継ぎながら、綿や麻などさまざまな生地に応用し独自の「たばた絞り」を考案した人物だ。「コス」はコレクションのテーマである「自然」を表現する方法として、鮮やかな色彩や有機的な模様が特徴の絞り染めに着目。カリン・グスタフソン(Karin Gustafsson)=デザイン・ディレクターは、「絞り染めを採用するには、私たちの力だけでは本来の良さ表現しきれないと思った。そこで日本の職人と協業しこの伝統のすばらしさを世の中に伝えていくことが重要だと考えた」と話す。インスタグラムで田端の作品を見つけたことをきっかけにオファー。約1年の製作期間をかけて完成した。

「手筋絞り」や「雪花絞り」で生み出す模様を落とし込んだ14点

コレクションは田端がデザインした4つの模様を、メンズとウィメンズ、アクセサリーの14点のアイテムにプリントや織りで落とし込んだ。透けるシアサッカー素材のワイドパンツ(2万3500円)と半袖シャツ(1万8500円)のセットアップは、じゃばら状に折った布に糸を巻きつけて独特な縞模様を生み出す「手筋絞り」のデザインを施した。太陽のようなオレンジで染め上げたカフタンドレス(3万1000円)は、絞りの線がさまざまな方向を向くように配置し、不ぞろいな模様の味を際立たせた。100%シルクのスカーフ(価格未定)には、雪の結晶のような模様が特徴の「雪花絞り」で柄をデザインした。

絞り染めは糸の巻きつけ具合や染める角度などによって模様の出方が毎回異なり、細部に職人の技が問われる。田端は「コス」からのオーダーに沿って「完璧すぎず、不ぞろいすぎない絶妙なバランスを目指した」と説明。グスタフソン=デザイン・ディレクターは、「田端氏が生み出す柄は力強さがあると同時に穏やかな印象を受けた。タイムレスなデザインに重きを置く『コス』のファッションと通ずるものがあった」とコメントした。

従来絞り染めは1点1点手作業で行うため製作できる点数は限られる。加えてプリントでは絞りのかすれやにじみの表現が難しいとされる。今回両者が協力してそうした細部の味をプリントで忠実に再現することで、絞りならではの風合いを担保しながら量産することが叶った。田端は「職人が見ても本物と区別がつかないほどの仕上がりになった」と出来を語る。

74歳で若手、後継者不足の産業を広めるきっかけに

京都芸術大学で開催したイベントでは、田端による絞り染めのデモンストレーションや、実際に参加者が布を糸で縛るワークショップなどを行った。後半は田端が工房で働く4人の学生インターンと共にそれぞれの柄に込めた思いや試行錯誤を繰り返した過程について語った。

また後継者不足の現状についても言及。技術の習得に時間がかかることや、着物の需要が縮小するなかで活かせる仕事が減っていることなどが原因だと言う。田端は「私が継いだ時点では74歳だった父が若手と呼ばれるような状況で、今44歳の私の、横にも下にも人材がいない」と課題を語る。「手仕事だけでは届けられる範囲が限られている。今回のコラボが世界中の人々に絞り染めを知ってもらえるいい機会になるはずだ」と意義を語った。

グスタフソン=デザイン・ディレクターは、「私たちは工芸やモノ作りのオリジナリティーを尊重する。まだ具体的な計画はないが、今後も日本の職人との協業の可能性は探っていきたい」と話した。

The post 「コス」が京都の絞り染め職人とコラボ 衰退する工芸技術を広めるきっかけに appeared first on WWDJAPAN.

「ピーチ・ジョン」の座談会でバービーを直撃 「自己肯定感をアップさせる下着を届けたい」

ピーチ・ジョンは4月、お笑いコンビ「フォーリンラブ」のバービーを起用したブランド「ルフルダダ(LUHUL DADA)」の新コレクション試着会と座談会を開催した。この座談会は、バービー本人の要望から実現。13人の参加者は、ピーチ・ジョンの公式インスタグラムでアンケートを実施して選出した。座談会ではコラボ商品の愛用者13人が司会者のバービーを囲みながら、新コレクションの感想をはじめ、下着に対する思いや悩みなどを語り合った。

新作については、「気分が上がる」「つけ心地が良い」といった声をはじめ、ブラジャーはアンダー90cm、Hカップまで、ボトムスは、5Lサイズ幅広いサイズを展開するブランドらしく、「ブラとショーツがおそろいで着けられてうれしい」「初めてソングをはいて快適だと感じた」「自分の体に合う下着を選べばいいと思えた」という感想も。参加者は、これらリアルな声をSNSで拡散。座談会終了後、バービーにコラボ愛用者と向き合った感想を聞いた。

下着のデザインの機能性を通して元気を届けたい

WWD:初めてのリアルな座談会の感想は?

バービー:20年にコラボを始めたが、私の思いや商品に対するこだわりが、ちゃんと伝わっていると初めて実感して驚いた。「下着を通して考え方が変わった」という声もあり、このコラボを通して何かを変えたり心に響いたりするきっかけを作れたことをうれしく思う。

WWD:自分にとって、このコラボの意味は?

バービー:このコラボが女性の体について話すきっかけになった。世の中でフェムテックや「性と生殖に関する健康と権利(SRHR)」の発信が増えたが、下着は、女性の置かれている立場や生活が伝わってくる存在。私と女性の体をつないでくれる存在が下着だと思考える。

WWD:「ルフルダダ」を通して伝えたいこととは?

バービー:「自分の体だっていい」と体に対する肯定感がアップしたり、下着を着けることでテンションが上がったりするきっかけになればいいと思う。それは、コラボを始めた時から変わっていない。デザインと機能性の2つを通して着ける人に元気を届けられたらと思う。資材などが高騰していて難しいが、より多くの人に着けてもらえるよう、価格も23年にブランド化する以前よりも抑えられるように努力している。

WWD:20年から続く「ピーチ・ジョン」最長のコラボだが、心掛けていることは?

バービー:まず、売れないと続けられないということを意識している。自分が好きなデザインで進めることもあるが、販売枚数が見込める事も大切。私の中ではいつも、その2つのせめぎ合い。数字を見ると、予測とギャップがあることも多い。いつも売れるサイズがデザインによって売れないときもある。それらについて日々勉強しながら、守りと攻めのバランスを追求している。

妊活・妊娠により変化した下着への考え

WWD:ボディーポジティブやフェミニズムに関する取材も増えているが、情報発信する際に心掛けていることは?

バービー:「……するべき」「……がおすすめ」という言葉は使わないようにしている。あくまで“私”を主語にして、物ごとを伝える。自分で決断したり行動したりすることが大事で、それが自信につながったり自己肯定感を上げたりする秘訣だと思う。だから、「私は私の考えでこうしたので、自分考えで決定してほしい」というニュアンスを伝えるようにしている。

WWD:これから挑戦したいことは?

バービー:女性の体にフィットする専門的なアイテム、例えば、生理や妊娠・出産に関連するものや悩みに寄り添うような商品を手掛けられたら嬉しい。これまでデザイン重視だったが、妊活・妊娠したことで、快適性を重視するようになり、下着に対する考え方が変わった。

内田美央ピーチ・ジョン広報宣伝担当は、コラボがこれほど長く続いた理由を「女性からの信頼度がとても高く、見逃してしまいそうな小さな心のモヤモヤにも真摯に向き合ってモノづくりしているのが理由」と語った。新たなライフステージを迎えたバービーとのコラボは、今後さらに充実したものになりそうだ。

The post 「ピーチ・ジョン」の座談会でバービーを直撃 「自己肯定感をアップさせる下着を届けたい」 appeared first on WWDJAPAN.

“琉球手技”で沖縄・東京ともリピーター続出 予約がとれないトップエステティシャン伊是名祐子さん

沖縄と東京の2拠点で活躍するエステティシャンである伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ(VIVACE BEAUTY)」主宰。琉球舞踊の所作を手技にとりいれた独自メソッドも好評で、施術予約は常に1年先まで埋まっていると話す。そんな国内有数のトップエステティシャンである伊是名さんのパーソナルヒストリーを取材した。

――:伊是名さんがエステティシャンを目指したきっかけは?

伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ」主宰(以下、伊是名):もともと母親が化粧品店を営んでいまして。近所の主婦が来店しては、母からパックやマッサージを受けて、その日の出来事などを報告する……幼少の頃からそのやりとりを見ていて、将来はこういう仕事をしたいといった憧れがありました。その後、高校を卒業してから、美容の仕事に携わろうと、エステティシャンとしての勉強を福岡や東京で経験しました。

――:伊是名さんは1997年当時、沖縄では珍しかったラグジュアリーホテル「ザ・ブセナテラス」のスパの立ち上げに参画しましたよね。あの当時はまだ20代?

伊是名:そうですね。まだ24歳でした。当時は東京や福岡でエステティシャンの経験がある人が珍しかったのかもしれません。「ザ・ブセナテラス」のスパを立ち上げるお話をいただいて。それと同時に、自分の実力も高めたいと思い、ホテルで経験を積みつつ、国際ライセンス(CIDESCOディプロマ)も取得しました。その後、32歳の時に那覇市首里でトリートメントサロン「ビバーチェ ビューティ」を設立。それから約10年後の41歳のときに東京に進出しました。東京ではパレスホテル東京にある「エビアン スパ 東京」の技術トレーナーや、アルビオンのスキンケア「インフィオレ(INFIORE)」(現在は取り扱い終了)のメソッド制作監修など、さまざまなブランドとお取り組みをさせていただいています。

――:顧客へのトリートメントは沖縄と東京の2拠点で提供しているとのことですが、1年先まで予約が詰まっているそうですね。

伊是名:ありがたいことに、ほとんどのお客さまは1カ月に1回のペースでいらして、その時に1年先まで予約を入れていただいているので、常に空きがない状態でして、私も風邪をひけません(笑)。

――:多くの顧客がリピートする伊是名さんの手技ですが、その魅力は沖縄の古典である琉球舞踊を取り入れていることにあるとか。

伊是名:はい。琉球舞踊には男踊りと女踊りの2つの踊りがあるのですが、それぞれコシを入れたり、しなやかに体重移動をしたりと、体幹を鍛えるような動きが多くあります。私自身も、3歳から琉球舞踊を習っていますが、エステティシャンに多い、腰痛や腱鞘炎などのトラブルが一切無くて。そこで、この琉球舞踊の踊りをトリートメントメソッドに生かせないかと考え、20年かけて琉球メソッド「クシャティ」を生み出しました。「クシャティ」とは沖縄の方言で“後ろ盾”とか“そっと背中を押す”という意味なのですが、お客様ご本人のお身体をそっと支えたいという思いを込めて名付けています。

――:「クシャティ」のトリートメントの特徴は?

伊是名:琉球舞踊のしなやかな手の動きを取り入れることで、独自のメソッドとフローを開発しました。無意識のうちに緊張している身体の力をゆるめることで、リンパの流れ、静脈血の戻りを促すことを目的としています。そのために、エステティックの技術はもちろん、整体の理論と技術で、人に本来備わっている自然治癒力・免疫力をもとに戻すように整えていきます。また、琉球古典音楽の持つ独特な音色や残響音は胎教内の周波数や波動とも近いということから、施術中は琉球の古典音楽をBGMに流しており、お客さまには深いリラクゼーションをご実感いただいています。トリートメント時間は2時間ですが、この施術を受けただけで就寝中の歯ぎしりや食いしばりの症状、不眠が緩和したとお話される方も多くいらっしゃいます。

――:「クシャティ」の施術はメンタルにも働きかけますよね。沖縄を感じ入るトリートメントだと思います。

伊是名:ありがとうございます。インドには“アーユルヴェーダ”が、ハワイには“ロミロミ”があるように、沖縄の伝統文化の一つとして「クシャティ」を根付かせていく、というのが目標でもあります。「クシャティ」を開発するにあたっては、琉球舞踊や古典音楽だけではなく、琉球王国から息づく“祈り”の文化も勉強しました。たとえば、そのひとつに、婚礼の際に親から娘へと贈られる“房指輪”という花嫁のための指輪があるのですが、それには衣食住に恵まれるようにという祈りが込められていまして。「クシャティ」の施術を始める前に、房指輪を使って精神統一をするのですが、そういった儀式的様式的なことも高いトリートメント効果が得られる理由の一つだと思っています。沖縄を知るきっかけは食やリゾートホテル、三線など、いろいろあると思いますが、そのきっかけの一つに、スパトリートメントである「クシャティ」を加えられたらと願っています。

――:「クシャティ」はその高い効果からリピーターが多いということで、施術するエステティシャンに予約が相次ぐ気が(笑)。

伊是名:そうですね。リピーターのお客さまはメンテナンスということで月に1度来店される人が多いので、予約が増えても対応できるという心意気のあるエステティシャンに、このメソッドを丁寧に伝授していけたらと考えています。

「VIVACE BEAUTY」
住所:沖縄県那覇市首里石嶺町4-318
TEL:098-887-5111
営業時間:10:30-20:00 月曜定休

The post “琉球手技”で沖縄・東京ともリピーター続出 予約がとれないトップエステティシャン伊是名祐子さん appeared first on WWDJAPAN.

“琉球手技”で沖縄・東京ともリピーター続出 予約がとれないトップエステティシャン伊是名祐子さん

沖縄と東京の2拠点で活躍するエステティシャンである伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ(VIVACE BEAUTY)」主宰。琉球舞踊の所作を手技にとりいれた独自メソッドも好評で、施術予約は常に1年先まで埋まっていると話す。そんな国内有数のトップエステティシャンである伊是名さんのパーソナルヒストリーを取材した。

――:伊是名さんがエステティシャンを目指したきっかけは?

伊是名祐子「ビバーチェ ビューティ」主宰(以下、伊是名):もともと母親が化粧品店を営んでいまして。近所の主婦が来店しては、母からパックやマッサージを受けて、その日の出来事などを報告する……幼少の頃からそのやりとりを見ていて、将来はこういう仕事をしたいといった憧れがありました。その後、高校を卒業してから、美容の仕事に携わろうと、エステティシャンとしての勉強を福岡や東京で経験しました。

――:伊是名さんは1997年当時、沖縄では珍しかったラグジュアリーホテル「ザ・ブセナテラス」のスパの立ち上げに参画しましたよね。あの当時はまだ20代?

伊是名:そうですね。まだ24歳でした。当時は東京や福岡でエステティシャンの経験がある人が珍しかったのかもしれません。「ザ・ブセナテラス」のスパを立ち上げるお話をいただいて。それと同時に、自分の実力も高めたいと思い、ホテルで経験を積みつつ、国際ライセンス(CIDESCOディプロマ)も取得しました。その後、32歳の時に那覇市首里でトリートメントサロン「ビバーチェ ビューティ」を設立。それから約10年後の41歳のときに東京に進出しました。東京ではパレスホテル東京にある「エビアン スパ 東京」の技術トレーナーや、アルビオンのスキンケア「インフィオレ(INFIORE)」(現在は取り扱い終了)のメソッド制作監修など、さまざまなブランドとお取り組みをさせていただいています。

――:顧客へのトリートメントは沖縄と東京の2拠点で提供しているとのことですが、1年先まで予約が詰まっているそうですね。

伊是名:ありがたいことに、ほとんどのお客さまは1カ月に1回のペースでいらして、その時に1年先まで予約を入れていただいているので、常に空きがない状態でして、私も風邪をひけません(笑)。

――:多くの顧客がリピートする伊是名さんの手技ですが、その魅力は沖縄の古典である琉球舞踊を取り入れていることにあるとか。

伊是名:はい。琉球舞踊には男踊りと女踊りの2つの踊りがあるのですが、それぞれコシを入れたり、しなやかに体重移動をしたりと、体幹を鍛えるような動きが多くあります。私自身も、3歳から琉球舞踊を習っていますが、エステティシャンに多い、腰痛や腱鞘炎などのトラブルが一切無くて。そこで、この琉球舞踊の踊りをトリートメントメソッドに生かせないかと考え、20年かけて琉球メソッド「クシャティ」を生み出しました。「クシャティ」とは沖縄の方言で“後ろ盾”とか“そっと背中を押す”という意味なのですが、お客様ご本人のお身体をそっと支えたいという思いを込めて名付けています。

――:「クシャティ」のトリートメントの特徴は?

伊是名:琉球舞踊のしなやかな手の動きを取り入れることで、独自のメソッドとフローを開発しました。無意識のうちに緊張している身体の力をゆるめることで、リンパの流れ、静脈血の戻りを促すことを目的としています。そのために、エステティックの技術はもちろん、整体の理論と技術で、人に本来備わっている自然治癒力・免疫力をもとに戻すように整えていきます。また、琉球古典音楽の持つ独特な音色や残響音は胎教内の周波数や波動とも近いということから、施術中は琉球の古典音楽をBGMに流しており、お客さまには深いリラクゼーションをご実感いただいています。トリートメント時間は2時間ですが、この施術を受けただけで就寝中の歯ぎしりや食いしばりの症状、不眠が緩和したとお話される方も多くいらっしゃいます。

――:「クシャティ」の施術はメンタルにも働きかけますよね。沖縄を感じ入るトリートメントだと思います。

伊是名:ありがとうございます。インドには“アーユルヴェーダ”が、ハワイには“ロミロミ”があるように、沖縄の伝統文化の一つとして「クシャティ」を根付かせていく、というのが目標でもあります。「クシャティ」を開発するにあたっては、琉球舞踊や古典音楽だけではなく、琉球王国から息づく“祈り”の文化も勉強しました。たとえば、そのひとつに、婚礼の際に親から娘へと贈られる“房指輪”という花嫁のための指輪があるのですが、それには衣食住に恵まれるようにという祈りが込められていまして。「クシャティ」の施術を始める前に、房指輪を使って精神統一をするのですが、そういった儀式的様式的なことも高いトリートメント効果が得られる理由の一つだと思っています。沖縄を知るきっかけは食やリゾートホテル、三線など、いろいろあると思いますが、そのきっかけの一つに、スパトリートメントである「クシャティ」を加えられたらと願っています。

――:「クシャティ」はその高い効果からリピーターが多いということで、施術するエステティシャンに予約が相次ぐ気が(笑)。

伊是名:そうですね。リピーターのお客さまはメンテナンスということで月に1度来店される人が多いので、予約が増えても対応できるという心意気のあるエステティシャンに、このメソッドを丁寧に伝授していけたらと考えています。

「VIVACE BEAUTY」
住所:沖縄県那覇市首里石嶺町4-318
TEL:098-887-5111
営業時間:10:30-20:00 月曜定休

The post “琉球手技”で沖縄・東京ともリピーター続出 予約がとれないトップエステティシャン伊是名祐子さん appeared first on WWDJAPAN.

小松菜奈×松田龍平 2人が考える「役者の魅力」とは——映画「わたくしどもは。」で初共演

PROFILE: 左:小松菜奈/俳優 右:松田龍平/俳優

左:小松菜奈/俳優 右:松田龍平/俳優
PROFILE: 左:(こまつ・なな)1996年生まれ。長編映画初出演を果たした映画「渇き。」(2014)で、第38回日本アカデミー賞新人俳優賞ほか多数の新人賞を受賞。映画「沈黙-サイレンス-」(16)でハリウッドデビュー。映画「閉鎖病棟-それぞれの朝-」(19)では第43回日本アカデミー賞優秀助演女優賞、「糸」(20)で第44回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。主な出演作に映画「ディストラクション・ベイビーズ」(16)、「さよならくちびる」(19)、「さくら」(20)、「ムーンライト・シャドウ」(21)、「余命10年」(22)などがある。 右:(まつだ・りゅうへい)1983年生まれ、東京都出身。映画「御法度」(1999)で数々の新人賞を総なめし、その後、主演作「青い春」(2002)での圧倒的な存在感で注目を浴びる。「舟を編む」(13)で第37回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、第38回報知映画賞主演男優賞、第68回毎日映画コンクール男優主演賞、第23回日本映画批評家大賞主演男優賞他、多くの賞を受賞。主な映画出演作に「劔岳 点の記」(09)、「まほろ駅前多田便利軒」シリーズ(11・13・14)、「北のカナリアたち」(12)、「探偵はBARにいる」シリーズ(11・13・17)、「ジヌよさらば~かむろば村へ~」(15)、「モヒカン故郷に帰る」「ぼくのおじさん」(16)、「散歩する侵略者」(17)、「羊の木」「泣き虫しょったんの奇跡」(18)など。待機作に、映画「次元を超えるTRANSCENDING DIMENSIONS」(公開時期調整中)などがある。

どこか分からない場所で、記憶も名前もなくした男女が出会う。映画「わたくしどもは。」は現世と来世の狭間で繰り広げられる魂たちの物語。監督の富名哲也は、これまで釜山国際映画祭やベルリン国際映画祭に出品するなど、海外で注目を集めてきた新鋭で本作は長編2作目となる。そこでW主演を務めて初共演したのが、ミドリ役の小松菜奈とアオ役の松田龍平。2人は富名監督が生み出した神秘的な世界に、どのように向き合ったのか。

※記事内では映画のストーリーに言及する部分があります。

観る者の想像力をかきたてる映画

——映画「わたくしどもは。」は独自の世界観がある作品でしたね。監督の美意識を感じさせながらも、観る者の想像力をかきたてます。

松田龍平(以下、松田):そうですね。どんな作品なのか説明するのは難しいですね。死者の話ではあるんですけど、少ない台詞の中から、確かに何かを1つずつ拾いながら、エンディングまでゆっくり楽しめる映画だと思いました。美しい佐渡島で自分なりに答えを出しながら、わからないところは監督の中にあるものに身を委ねればいいやという感じでやっていました。

小松菜奈(以下、小松):観る方によって、いろいろ解釈できる作品ですよね。言葉も少なくて、感情を表情や仕草、時にはダンスを通じて表現する。風の音や鳥のさえずりとか自然の音も表現の一部というか、目をつむって音に耳を傾けたくなるときがあるんですよね。だから映画を観ているだけではなく、聞いているような気もして。映画を観ながら「こういうことなのかな」って自分なりに想像する余白もあって、魂が物語に引き寄せられていくような作品でした。

——映画の舞台になった佐渡島の風景も印象的で、異世界感が伝わってきました。

小松:実際にロケ地の佐渡島に行ってみて、この作品の独特の空気感が分かったような気がしました。例えば(物語の舞台になった)鉱山で金を採るために多くの人が亡くなっているんですけど、外は蒸し暑いのにトンネルの中はひんやりしているんですよね。魂が漂っていそうな気配を感じさせる。島の自然も印象的で、ここで撮影をすれば作品の世界と交われるような気がしました。

——出てくるキャラクターも不思議な存在ですよね。人間であって人間でないような。ミドリが自分のことを「私(わたくし)」というのが最初は奇妙な感じがしたのですが、観ているうちにだんだんとなじんできました。

小松:台本を読んでいるときは、ミドリが生きているのか亡くなっているのか、分からなくなる瞬間がありました。魂が生と死を行き来しているというか。最初の台本では、登場人物1人1人のバックボーンが分かるように描かれていたんです。それが途中で変わって、キャラクターを説明する部分が削ぎ落とされていきました。そんな中で、しゃべり方も変わって「私(わたくし)」という普段使わない言い方になったんです。それを自分の中に落とし込むのが大変で。

松田:ちょっと、戸惑ってましたよね。「これであってますかね?」って。

小松:(龍平さんに)聞いたりしてましたよね。

松田:俺も分からないけど、あってると思いますって(笑)。

小松:でも、ミドリがいるのが現世と来世の狭間の世界で、死んだことで記憶がなくなってリセットされたんだったら、「私(わたくし)」でもおかしくないかも、と思ったんです。

——リアルに演じると生きている人間と変わらなくなってしまう。でも、いかにもな幽霊の演技だとホラーになってしまう。そのバランスが難しいですね。

松田:窓からじっと外を見ているシーンがあったんですけど、心霊写真とかで誰もいないはずの窓にぼんやり写り込んじゃった霊ってあるじゃないですか。そういう存在かって思って。ミドリやほかの霊たちは、自分が死んだことに気付いていなくて、奇妙な状態でいることに戸惑っているけど、僕が演じたアオは自分が死んだことに何となく気付いている。こじらせている霊だと思うんですよね。だから天国にもいけず、地縛霊みたいになってしまっているんじゃないかって思って。お芝居では自分は死人だ、って思いながら演じていたから、なんだか息もしづらくて。呼吸って生きている証じゃないですか。そういうことを考えていると、めちゃくちゃ芝居しづらかったですね。

仕事=社会における自分の役割

——みなさん感情をあまりあらわにせず、淡々と演じているようでしたが、お芝居のトーンなど微妙なバランスが必要だったんですね。富名監督は現場で細かな指示をされたのでしょうか。

松田:監督は、現場で思いついたことがあると、元の台本だったり、これまでやっていたことを全部捨てられちゃう人なんですよ。初めは「え、まじすか?」ってなるんだけど、監督は楽しそうだし「こっちの方が面白いと思って」みたいな感じだから。僕も気持ち的に楽になれたところがあって。そういう風に切り替えられるのはすごいなと思いました。

——でも、突然段取りと違うことをやるというのは役者としては大変だったのでは?

松田:まあ、そうですね。台詞を書いているシーンがあって。字を書くだけだからって油断していたら、前日に「独白にします」って言われて、全然台詞が出てこなくて。それはちゃんと覚えなかった僕のせいなんだけど(笑)。小松さんは急な変更にも対応出来ていて、さすがだなぁ、って思いました。

小松:その台詞も独特でしたよね。自分に喋っているような感じで。監督はいつもニコニコしていて、すごく楽しそうでした。その場その場で、ああしよう、こうしてみようってアイデアを出されて、もうちょっと何かが欲しい、と思ったときは役者と一緒に考える。作り込んでいくというより、そこにあるものを活かすことを楽しんでいたような気がします。だから、実際にある建物に手を加えるのではなく、そのままの状態で使って、そこに登場人物が現れることで映画的な世界になる。アオの部屋なんてベッドが1つあるだけなんですよ。

松田:ベッドって言っても木の板だけだったからね。しかも床は土っていう(笑)。家っていうか、廃墟で。そこに住んでるのは自分が死んだ人間だと分かっているから気にならないのかもしれないし、生きていた頃の生活を忘れちゃったからかもしれないなって思って、面白いなって、納得しちゃってましたね。

——アオはそういう場所で1人でいて、ミドリと仲間たちは居心地が良さそうな家で食卓を囲んでいますよね。

松田:ミドリたちは自分が死んだことに気付いていないから、何となくの生前の記憶の中で、死ぬ前と同じような生活をしているんでしょうね。あと、面白かったのが、霊ってさまよっているイメージがあるけど、この作品では皆、なんらかの仕事をしているってところで。ミドリたちは清掃、アオも警備員みたいなことをやっていたり。やっぱりどんな形だとしても、働くってことは重要なんだろうなって。死んでまで働きたくないよって思うかもしれないけど。なんか、グッときたんですよね。死んでいるから好き勝手やってるわけじゃなくて、結局生きていようが死んでいようが、人は人のままなのかもしれないなぁって。それって結構深いテーマというか。面白い考え方だなって思って。仕事ってお金をもらうためだけにあるわけじゃなくて、存在する上での役割というか。昔から食べるために狩りをしたり、家を守る人がいたり。死んでから霊になっても何かしらの仕事をするってことは「そこ」にいる理由なのかもしれないなと。監督に聞いたわけじゃないから、あれですけど。面白いですよね。

小松:監督に裏設定など、聞きたいことがいっぱいありましたね。

——そういうことを想像する面白さが、この作品にはありますね。それにしても、アオとミドリの関係は不思議ですね。映画の最初のシーンで、どうやら前世で2人は心中したらしいことが分かりますが、この世界では彼らは記憶をなくして相手のことを思い出せない。しかも、片方は死んだことに気付いていなくて、もう片方は霊であることをこじらせている。

松田:2人とも前世に記憶も感情もおいてきている、限りなくニュートラルな魂みたいな感じなんだけど、アオとミドリが出会っときにお互いに何かを感じるところから始まるんですよね。時が止まっている。何もない死後の世界に新しい風が吹くような。切れそうな細い赤い糸で結ばれているような2人の姿が印象的で。真っ暗なトンネルの中を無言で2人歩いているような、その距離感がいいなと思いました。僕はアオを演じているとき、あの死後の世界にいる唯一の光というか、ここにいる意味みたいなものをミドリに感じながら演じているところがありました。

——心中をしたくらいだから、きっと前世では激しく愛を交わしていたんでしょうね。だからその余熱みたいなものが、記憶や感情を失った2人を結びつけているのかもしれません。

松田:2人が飛び降りるシーンは、生を感じさせる強い感情があってもいいんじゃないかと思っていたんだけど、手をつなぐだけで十分生きている感情が伝わってきて。すごいなって。そういう愛の描き方は今までになかったような気がしました。

小松:ミドリとアオって恋人らしくは描かれていないんですよね。縁で結ばれた2人、それ以上でもそれ以下でもないというか。向かい合って喋るというより、隣同士で喋るような感じ。ラストで長いトンネルを2人で歩くシーンがあって。監督からはカットがかかるまで歩いてくださいって言われたんですけど、本当に長いトンネルで、歩いても歩いても出口が見つからなかったんです。ミドリとアオって、一緒にいる理由は見つからないけど一緒にいることでどこか安心するというか。切っても切っても、切り離せない関係なのかなって思いました。

初共演について

小松菜奈と松田龍平

——ちなみにお2人は、今回初めて共演されてみて相性はいかがでした?

松田:そうですね。俺の、ギャグなのかなんなのか分からないボールもちゃんと拾ってくれて助かってました(笑)。

小松:龍平さんの間(ま)が面白いんですよね(笑)。ボソッと言うこととか、突っ込みたくなるんですよ。

松田:そう、結構、鋭く返してくれるから楽しかったです。

——楽しい現場だったんですね。映画の登場人物みたいに色で相手を表現すると何色でしょう。

松田:なんだろう。緑系かな。エメラルドグリーンとか。

小松:私、ファッションで身に着ける色は緑が多いですよ。古着が好きなんですけど、今日も緑だなって思うこともあって。

——松田さんは何色でしょう?

小松:青系かな。濃い青。

松田:俺はオレンジが好きなんですよ。

小松:そうなんですか! 意外ですね。私も落ち着いた色より、ビビッドな色の方が好きですね。

——オレンジってポジティブな心理効果を与えると言われてますよね。先ほど、死んだ後も仕事をしているという設定が面白い、という話がありましたが、お2人は役者という仕事にどんな気持ちで向き合っておられるのでしょうか。

松田:そうですね、俳優は作品ごとに役も仕事する人も変わるじゃないですか。また一緒に仕事出来る機会もあるけど、やっぱり職場がガラッと変わるから、僕なんか一緒になった人にすごく影響受ける方だから。人との出会いで役だったり僕自身の生き様みたいなものが反映されて。そんな仕事だと思いますね。はっきりした正解があるわけじゃないし。

——人生経験が仕事に反映される?

松田:そうですね。いろんな人がいるからなぁ、感情も。いろんな人生があるから。そういう意味だと、思うがままに生きれば良いと思うんだけど。やっぱり役者としては振り幅がないといけないのかもしれないですね。それでも結局は役者の仕事ってよくわからないところがあります。

小松:私はモデルとしてキャリアをスタートしたのですが、この仕事を通じて貴重な人生体験をさせていただいていると思います。作品ごとに新しい出会いがあって、どんどん親戚が増えていくような感じというか。出会った方たちは、再会したときに「女優」としてではなく親戚みたいに接してくれる。そういうところが面白いと思います。

——また、楽しい親戚が増えましたね(笑)。

小松:そうですね(笑)。この世界じゃなかったら、こんな面白い方たちと出会えなかったと思います。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
STYLING:[NANA KOMATSU]AYAKA ENDO、[RYUHEI MATSUDA]DAI ISHII
HAIR & MAKEUP:[NANA KOMATSU]MAI OZAWA(mod’s hair)、[RYUHEI MATSUDA] TARO YOSHIDA(W)

[NANA KOMATSU]ジャケット 14万5200円、スカート 9万9000円/共にアクネ ストゥディオズ(アクネ ストゥディオズ アオヤマ 03-6418-9923)、中に着ているシャツ 6万6000円(参考価格)/アヴァヴァヴ(サカス ピーアール 03-6447-2762)、リング(右手)人さし指 154万円、中指 46万7500円、(左手)人さし指(上)24万6400円、(下)63万8000円、中指 45万1000円/全てシャネル(シャネル カスタマーケア 0120-525-519)

■「わたくしどもは。」
5月31日から新宿シネマカリテほか全国順次公開
出演:小松菜奈 松田龍平
片岡千之助 石橋静河 内田也哉子 森山開次 辰⺒満次郎 / 田中泯 大竹しのぶ
音楽:野田洋次郎
監督・脚本・編集:富名哲也
企画・プロデュース・キャスティング:畠中美奈
製作・配給:テツヤトミナフィルム
配給協力:ハピネットファントム・スタジオ
2023年/日本/101分/カラー/スタンダード/5.1ch 映倫:G
©2023 テツヤトミナフィルム
https://watakushidomowa.com

The post 小松菜奈×松田龍平 2人が考える「役者の魅力」とは——映画「わたくしどもは。」で初共演 appeared first on WWDJAPAN.

「MIMC」がローズ水のスキンミストを発売 北島寿代表が語るローズの魅力と可能性

天然原料に徹底してこだわった商品で石けんオフメイクを提唱し、環境保全や社会貢献活動にも積極的に関わる「MIMC」は5月30日、化粧水ミスト“オーガニックローズスキンミスト”(110g、4950円)を発売する。新商品“オーガニックローズスキンミスト”は、希少なブルガリアンローズをぜいたくに配合し、そのローズ水を全身でまとうことができる化粧水ミスト。化学者としての探究心を胸にさまざまな開発を続ける北島寿代表に、自ら大学院に通いその研究に邁進するローズに期待する理由、そしてこれからの挑戦について聞いた。

「ローズを原料とする商品開発は2011年から始まっているが、昨年5月、ローズの原産国であるブルガリアの国立アカデミーと弊社との研究チームが発足し、最先端のローズ研究の成果を共有するほか、その科学的かつ医学的効果など横断的に探求できるようになった。それと同時に私自身も今、大学院医学部の研究生としてローズの解明に取り組み、研究発表の準備をしている。ローズは世界で最も愛されている美容成分であると同時にその医学的効果から、古くより薬として使われている。弊社は、ブルガリアのごく限られた地域の指定農場でオーガニック栽培する世界最高峰のダマスクローズを原料としている。開花直後に朝摘みした花びらは、農場内にある蒸留所でローズ水を抽出する。通常、ローズ水はローズオイルを抽出する課程で得られる副産物、いわば残渣だが、弊社のローズ水は先端技術である水蒸気ダブル蒸留法で抽出されており、本来は分離してしまうローズオイルを高濃度で含んでいるのが大きな特長だ。“オーガニックローズスキンミスト”はそのミストの一つ一つにオイルが溶け込んでいるため香り高く、満開のローズ畑に立ったかのような感覚を味わってもらえるはず。こうした、エビデンスの集大成に見つけたブルガリアンローズ美容を商品に落とし込み、“ローズシューティカル”ラインとしてシリーズ化した。同商品は、その第三弾アイテムとなる。また、12月には今年収穫したローズヌーボーを使用した新商品を発表する予定だ」(北島寿「MIMC」開発者兼代表)。

昨年8月に発売した、ローズ水100%のインナーケア商品 “オーガニックインナーセラムドリンク”も好評だ。先端技術による抽出方法や濃縮成分、濃厚な香り、有機JAS認定などのアプローチが話題となった。「ドリンクは420種の厳しい検査基準を満たし、有機JAS認定を取得した。5月30日のミスト発売から表参道店でドリンクの空きビン回収をスタートし、順次拡大する計画だ。ビンは砕かれ、新たなビンとして生まれ変わり循環していく。世界はサステナブルからリジェネレーション(再生的/繰り返し生み出す)へと移行している。創業以来、天然原料にこだわってきたが、もうそれでは間に合わない。地球環境の再生を考えた時、容器は切り離せない問題だ。コロナ禍、研究者魂に火が付き論文を読み、再生容器に関わる研究者や機関に連絡をとった。そして実現したのが、23年ホリデーコレクションで採用した古紙を原料とするコンパクトケースや再生PET繊維によるマルチポーチだ。これまで物性などに課題があり数が限られていたが、今年は拡大する。今後は中身だけでなく容器にも全力で取り組み、リジェネレーションに挑戦していきたい」。

TEXT:YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
MIMCお客さまサポート
03-6455-5165

The post 「MIMC」がローズ水のスキンミストを発売 北島寿代表が語るローズの魅力と可能性 appeared first on WWDJAPAN.

オンラインMTGのフィルターに負けないファンデ&リップで回復を狙う「M・A・C」事業部長 ライバルは、AI?

PROFILE: YK・リー/「M・A・C」事業部長

YK・リー/「M・A・C」事業部長
PROFILE: 韓国生まれ。2001年に梨花女子大学校を卒業。マーケティング領域で20年の経験を持ち、マーケティング戦略やイノベーション開発、キャンペーン企画などに携わってきた。02年、石けんを中心とする韓国の中堅財閥・愛敬グループでキャリアをスタートする。07年から10年、ソウル・チョンノグのマクドナルドでコア・メニュー・ブランド・マネジャーを務め、経営の50%の責任を受け持つ。日本の外食チェーン企業のすかいらーくやジョンソン・エンド・ジョンソンを経て、23年エスティ ローダーに入社し、現職 PHOTO : YUTA KATO

エスティ ローダー傘下の「M・A・C」は今年、ブランド設立40周年を迎える。そもそも「M・A・C」は、“メイクアップ・アート・コスメティクス”の頭文字を取ったもの。プロのメイクアップアーティストがカナダ・トロントで設立し、専門知識を強みにメイクアップとスキンケア商品を開発する。“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を信条に掲げ、ダイバーシティーやジェンダーフリーが叫ばれるようになるはるか前から、多様性と個性を尊重する商品を世に送り出してきた。現在同ブランドの日本における事業部長を務めるYK・リー(YK Lee)は、コロナ禍を通して大きく変化した消費動向と向き合い、「M・A・C」のさらなる成長戦略を練っている。3月に着任1年の節目を迎えたリー事業部長に、「M・A・C」の強みや日本でのビジネスなどについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):事業部長着任後の1年間でどのようなことに取り組んだ?

YK・リー「M・A・C」事業部長(以下、リー):コロナ禍以降、大きく変化した消費動向に応じた商品開発に取り組んだ。コロナ禍は人と会う機会が少なく、オンラインではフィルターに頼れるのであまりメイクをしない人が多かった。一方コロナ禍が明けると、以前のようにまた人に会う機会が増え、人々は自己主張・自己表現をする機会を楽しんでいる。そこで対面で会うときにも、フィルターのようにふんわりした肌をかなえられるリキッドファンデーション“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”[SPF25・PA++](全16色、各30mL、各7260円)を開発した。マスクを外せるようになったので、リップスティックの新作“マキシマル シルキー マット リップスティック”(全25色、各4620円)や“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”(全7色、各3960円)にも注力している。

WWD:これまでのキャリアをどう生かしている?

リー:これまで情熱を傾けてきたのは、課題のあるブランドをV字回復させること。成功したときの達成感には、中毒性がある。前職は、外資企業が買収した日本のブランド。親会社の意向と日本独特の文化が折り合わず、売り上げが落ちていた。そこでは、美容エディターや美容賢者らが愛用しているのに認知度が低い商品でテレビCMを打ち、改めて認知度を高め、売り上げを伸ばした。マーケティング領域での20年の経験を生かし、「M・A・C」もさらに成長させたい。

WWD:事業部長に着任した当時は、「M・A・C」も伸び悩んでいた?

リー:カラーメイクアップを主軸とするブランドはどこもあまり好調ではなかったので、声が掛かったときは悩んだ。しかし私自身、リップスティックをはじめとする「M・A・C」の化粧品を使っており、愛着のあるブランドだったので、挑戦してみたいと思った。

WWD:日本の現在の商況は?

リー:日本はリップとファンデーションが好調で、世界でトップ10に入る国だ。日本のお客さまは、買い物における失敗を恐れる傾向が強い。だからこそブランドスイッチが起こりづらく、同じ商品が長く愛されている。メイクアップに関しては、ビフォー/アフターをガラッと変えるものよりも、自分らしさを生かすものが人気だ。

WWD:今後のビジョンは?

リー:韓国コスメやプチプラブランドなど、手頃な価格でメイクアップを楽しめる選択肢が増えた。「M・A・C」だけが持つアーティストリーやストーリーを生かし、品質のさらなる向上に取り組むつもりだ。直近の新商品“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”や“グロー プレイ クッショニー ブラッシュ”、“スタジオ ラディアンス セラム ファンデーション”、“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”などはスキンケア成分を高配合し、メイクアップブランドでありながらスキンケア効果にも注力して開発している。また、マイクロプラスチックの使用量を削減し、最先端の技術にこだわって製造している。「M・A・C」の品質の高さを、より訴求していきたい。

改めて「M・A・C」というブランドについて

WWD:「M・A・C」の強みは?

リー:専門家による卓越した技術だ。メイクアップアーティストがお客さまに寄り添って、メイクアップの楽しさを教えたり、悩みを解決したりする。コロナ禍では美容部員の接客に制限が多く、自信をなくしたり、スキルを伸ばせなかったりなどの課題を抱えていたので、事業部長着任後すぐに美容部員の教育チームを強化した。店舗での接客やメイクアップ技術のトレーニングなどを行っている。

また、以前は店舗間のつながりが強かったが、コロナ禍には距離が生まれてしまっていた。コミュニケーションの活性化を目指し、今年は全てのリテール・マネジャー(全国の「M・A・C」カウンターの店長)が対面で集まれるイベントを開催する予定だ。

WWD:「M・A・C」を通してどのようなメッセージを届けたい?

リー:「M・A・C」は、“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を重視している。今でこそダイバーシティー&インクルージョンは当たり前になったが、ブランドが誕生した40年前から、この価値観を貫いてきたことを誇りに思う。全ての女性と少女の平等な権利と、健康で安心な未来をサポートするビバ グラム基金は、「M・A・C」の価値観を象徴する。売り上げは100%、女性や少女、LGBTQIA+、HIV・エイズとともに生きる人々の支援に充てている。創設以来、世界で総額5億ドル(約775億円)以上を寄付し、今も増え続けている。

店の売り上げにならないので開始当初は百貨店の反発などもあったと聞いているが、「M・A・C」の価値観を根気強くコミュニケーションすることで理解してもらえた。今は、かつてに比べすんなり受け入れてもらえているし、百貨店側も積極的だ。6月には“ビバ グラム リップスティック”をリニューアルし、「M・A・C」のメッセージをさらに推し進める予定だ。

WWD:「M・A・C」の脅威は?

リー:日々進化しているAIだ。フィルターをつけるだけで、メイクの必要がない。メイクアップという行為自体を消し去ってしまうほどの力があるかもしれない。現在では人が提案するようなテクニックも、AIが提案する時代が来るだろう。だからこそ、教育・接客をさらに強化したい。

The post オンラインMTGのフィルターに負けないファンデ&リップで回復を狙う「M・A・C」事業部長 ライバルは、AI? appeared first on WWDJAPAN.

オンラインMTGのフィルターに負けないファンデ&リップで回復を狙う「M・A・C」事業部長 ライバルは、AI?

PROFILE: YK・リー/「M・A・C」事業部長

YK・リー/「M・A・C」事業部長
PROFILE: 韓国生まれ。2001年に梨花女子大学校を卒業。マーケティング領域で20年の経験を持ち、マーケティング戦略やイノベーション開発、キャンペーン企画などに携わってきた。02年、石けんを中心とする韓国の中堅財閥・愛敬グループでキャリアをスタートする。07年から10年、ソウル・チョンノグのマクドナルドでコア・メニュー・ブランド・マネジャーを務め、経営の50%の責任を受け持つ。日本の外食チェーン企業のすかいらーくやジョンソン・エンド・ジョンソンを経て、23年エスティ ローダーに入社し、現職 PHOTO : YUTA KATO

エスティ ローダー傘下の「M・A・C」は今年、ブランド設立40周年を迎える。そもそも「M・A・C」は、“メイクアップ・アート・コスメティクス”の頭文字を取ったもの。プロのメイクアップアーティストがカナダ・トロントで設立し、専門知識を強みにメイクアップとスキンケア商品を開発する。“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を信条に掲げ、ダイバーシティーやジェンダーフリーが叫ばれるようになるはるか前から、多様性と個性を尊重する商品を世に送り出してきた。現在同ブランドの日本における事業部長を務めるYK・リー(YK Lee)は、コロナ禍を通して大きく変化した消費動向と向き合い、「M・A・C」のさらなる成長戦略を練っている。3月に着任1年の節目を迎えたリー事業部長に、「M・A・C」の強みや日本でのビジネスなどについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):事業部長着任後の1年間でどのようなことに取り組んだ?

YK・リー「M・A・C」事業部長(以下、リー):コロナ禍以降、大きく変化した消費動向に応じた商品開発に取り組んだ。コロナ禍は人と会う機会が少なく、オンラインではフィルターに頼れるのであまりメイクをしない人が多かった。一方コロナ禍が明けると、以前のようにまた人に会う機会が増え、人々は自己主張・自己表現をする機会を楽しんでいる。そこで対面で会うときにも、フィルターのようにふんわりした肌をかなえられるリキッドファンデーション“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”[SPF25・PA++](全16色、各30mL、各7260円)を開発した。マスクを外せるようになったので、リップスティックの新作“マキシマル シルキー マット リップスティック”(全25色、各4620円)や“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”(全7色、各3960円)にも注力している。

WWD:これまでのキャリアをどう生かしている?

リー:これまで情熱を傾けてきたのは、課題のあるブランドをV字回復させること。成功したときの達成感には、中毒性がある。前職は、外資企業が買収した日本のブランド。親会社の意向と日本独特の文化が折り合わず、売り上げが落ちていた。そこでは、美容エディターや美容賢者らが愛用しているのに認知度が低い商品でテレビCMを打ち、改めて認知度を高め、売り上げを伸ばした。マーケティング領域での20年の経験を生かし、「M・A・C」もさらに成長させたい。

WWD:事業部長に着任した当時は、「M・A・C」も伸び悩んでいた?

リー:カラーメイクアップを主軸とするブランドはどこもあまり好調ではなかったので、声が掛かったときは悩んだ。しかし私自身、リップスティックをはじめとする「M・A・C」の化粧品を使っており、愛着のあるブランドだったので、挑戦してみたいと思った。

WWD:日本の現在の商況は?

リー:日本はリップとファンデーションが好調で、世界でトップ10に入る国だ。日本のお客さまは、買い物における失敗を恐れる傾向が強い。だからこそブランドスイッチが起こりづらく、同じ商品が長く愛されている。メイクアップに関しては、ビフォー/アフターをガラッと変えるものよりも、自分らしさを生かすものが人気だ。

WWD:今後のビジョンは?

リー:韓国コスメやプチプラブランドなど、手頃な価格でメイクアップを楽しめる選択肢が増えた。「M・A・C」だけが持つアーティストリーやストーリーを生かし、品質のさらなる向上に取り組むつもりだ。直近の新商品“グロー プレイ テンダートーク リップ バーム”や“グロー プレイ クッショニー ブラッシュ”、“スタジオ ラディアンス セラム ファンデーション”、“スタジオ フィックス フルイッド SPF25”などはスキンケア成分を高配合し、メイクアップブランドでありながらスキンケア効果にも注力して開発している。また、マイクロプラスチックの使用量を削減し、最先端の技術にこだわって製造している。「M・A・C」の品質の高さを、より訴求していきたい。

改めて「M・A・C」というブランドについて

WWD:「M・A・C」の強みは?

リー:専門家による卓越した技術だ。メイクアップアーティストがお客さまに寄り添って、メイクアップの楽しさを教えたり、悩みを解決したりする。コロナ禍では美容部員の接客に制限が多く、自信をなくしたり、スキルを伸ばせなかったりなどの課題を抱えていたので、事業部長着任後すぐに美容部員の教育チームを強化した。店舗での接客やメイクアップ技術のトレーニングなどを行っている。

また、以前は店舗間のつながりが強かったが、コロナ禍には距離が生まれてしまっていた。コミュニケーションの活性化を目指し、今年は全てのリテール・マネジャー(全国の「M・A・C」カウンターの店長)が対面で集まれるイベントを開催する予定だ。

WWD:「M・A・C」を通してどのようなメッセージを届けたい?

リー:「M・A・C」は、“すべての年齢、すべての人種、すべての性別”を重視している。今でこそダイバーシティー&インクルージョンは当たり前になったが、ブランドが誕生した40年前から、この価値観を貫いてきたことを誇りに思う。全ての女性と少女の平等な権利と、健康で安心な未来をサポートするビバ グラム基金は、「M・A・C」の価値観を象徴する。売り上げは100%、女性や少女、LGBTQIA+、HIV・エイズとともに生きる人々の支援に充てている。創設以来、世界で総額5億ドル(約775億円)以上を寄付し、今も増え続けている。

店の売り上げにならないので開始当初は百貨店の反発などもあったと聞いているが、「M・A・C」の価値観を根気強くコミュニケーションすることで理解してもらえた。今は、かつてに比べすんなり受け入れてもらえているし、百貨店側も積極的だ。6月には“ビバ グラム リップスティック”をリニューアルし、「M・A・C」のメッセージをさらに推し進める予定だ。

WWD:「M・A・C」の脅威は?

リー:日々進化しているAIだ。フィルターをつけるだけで、メイクの必要がない。メイクアップという行為自体を消し去ってしまうほどの力があるかもしれない。現在では人が提案するようなテクニックも、AIが提案する時代が来るだろう。だからこそ、教育・接客をさらに強化したい。

The post オンラインMTGのフィルターに負けないファンデ&リップで回復を狙う「M・A・C」事業部長 ライバルは、AI? appeared first on WWDJAPAN.

“守破離”の精神で進化する桃谷順天館 140年の思いと新たな挑戦

桃谷順天館は来年の創業140周年を目前に、4月に新スキンケアブランド「レグラージュ(REGLAGE)」を立ち上げた。同ブランドは、桃谷順天館が139年の歴史で研究・開発した6万通りの処方の中から厳選した、全87アイテムの商品をラインアップ。SNS分析などを得意とする若手社員を集めたデジタルマーケティングチームが主体となり、同社にとっても新しい取り組みとなった。新たな挑戦を続ける桃谷順天館の桃谷誠一郎社長兼CEOに話を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):新スキンケアブランド「レグラージュ」を立ち上げた理由は?

桃谷誠一郎社長兼CEO(以下、桃谷):それぞれの組織に属していたデジタルを得意とする若手社員を集めたデジタルマーケティングチームを1年前に発足した。このチームの得意分野でもあるデジタルの世界で最も伝わりやすいブランドを作ろうと考え、立ち上げたのが「レグラージュ」だ。

WWD:第1弾ではクレンジングからクリームまで一気に87の商品をそろえた。

桃谷:桃谷順天館には139年の歴史の中で研究・開発した6万通り以上の処方がある。取り扱いブランド・アイテム数も多く、長期間に渡り商品を愛用していただいているお客さまもいて、中には廃盤にした商品を「もう一度使いたい」という声がお客さま相談室に今も寄せられる。もう一方で、環境問題を考慮した際にドラッグストアの棚割で置くことが難しい規格の商品もある。それらを踏まえ、「レグラージュ」ではECを販路に設定し、6万通りの処方を活用した商品群で鮮度が高いうちに使い切れる容量の設計や環境に配慮したパッケージを採用。デザインやコピー、SNSを活用した施策など、若手社員が中心となってディレクションした。私や会長(藤本謙介会長兼CCO)は一切口を出さなかった。

WWD:若手社員の活躍の場を広げている。

桃谷:私は、社長が口出しすると失敗する確率が上がると思っている。「社長が言っているから」では、いいモノは生まれない。私がトライアンドエラーを積み重ねてきたように、若手には新鮮な気持ちでどんどん挑戦してもらいたい。若い人たちの力が発揮できる環境を整えるのが社歴の長いわれわれの仕事でもある。会社は人だ。社員が働きやすい環境を作るということに尽きる。

主軸のスキンケア好調で売上高10%増

WWD:直近の商況は?

桃谷:2023年は、グループ会社であるセルフ販売の明色化粧品とOEM /ODMのコスメテックジャパンが順調に伸長し、グループ全体の売上高は前年比10%増で着地した。明色化粧品では、昨年9月に発売した毛穴専門スキンケアシリーズ“ケアナボーテ”のピュアビタミンCを配合した美容液“VC15特濃美容液”(30mL、2530円)が非常に売れた。スキンケアの高まりを受け、処方が難しいと言われるピュアビタミンCを15%と高濃度で配合しながらも他ブランドよりも低価格で実現した同商品は、インフルエンサーのオーガニック投稿で人気に火がつき、継続して売れている。このほかにも、高機能エイジングケアシリーズ“メディショット”のナイアシンアミドを15%高配合した“メディショット NA15リンクル濃美容液”(30mL、1650円)も好調に伸びている。一方で、明色化粧品は豊富な商品をラインアップしているが、原料高や輸送コストなどの問題をクリアできる商品群に絞ろうと考えている。利益を出しながら研究開発に投資し、次のステージに向けて推し進める。

WWD:「人々のお悩みを解決したい」という創業者の桃谷政次郎氏の思いは変わらず継承されている。

桃谷:創業のきっかけとなったニキビを防ぐ“美顔水”(1885年~)は今もロングセラー商品として親しまれているが、これを販売しているだけでいいというわけではない。時代の変化に伴い、お客さまが求めることも変わってくる。お客さまのニーズに寄り添い、積極的に応えるというのが私の思いでもある。新しいことにはどんどん挑戦していく。

WWD:来年は創業140周年を迎える。今後の展望は。

桃谷:創業者の思いでもある「目の前で悩んでいる方のお悩みを解決する」という原点は守っていくが、「守破離」という言葉があるように“破る”ことも大切だ。私が社長に就いてから30年経つが、私自身が作ってきたものが呪縛になっているのではと感じることがある。ルールや時代に合わせて改革してきたそれらが年輪のように溜まり、1人歩きしているものがある。守破離のごとく、創業者の思いを体現するために何が必要かと原点に立ち返りながら、われわれ流の美のあり方を自分たちで考えた、新しい側面を持つ桃谷順天館へと成長させていきたい。

WWD:海外事業も広げていく。

桃谷:明色化粧品といえば、質の高い商品が1000円前後で売られているお買い得商品と認識されていて、今の為替含め海外でのチャンスは大きい。しかし今あるものではなく、グローバルを見据えたバリューのある商品やブランドを開発したいと考えている。10年後を見据え、スピードを上げながらグローバルでも活躍する企業を目指す。

The post “守破離”の精神で進化する桃谷順天館 140年の思いと新たな挑戦 appeared first on WWDJAPAN.

「サカイ」と協働 伝統とモダンが交差する「バニー/ユージ」の日常に寄り添うエレガンス

「サカイ(SACAI)」は、ゴールデンウィーク中、東京・南青山の旗艦店で「バニー/ユージ(BUNNEY/EUG)」による純銀製の花瓶の展示受注会を開催した。

「バニー/ユージ」とは、元アップル(Apple)のインダストリアル・デザイナー、ユージン・ワン(Eugene Whang)と、イギリスのジュエリーブランド「バニー(Bunney)」を主宰するデザイナーのアンドリュー・バニー(Andrew Bunney)によるコラボレーションプロジェクトだ。2人は、伝統的なジュエリーの技術と革新的なプロダクトデザインを融合させ、純銀製の花瓶に加え、ダイヤモンドやルビーなどのジェムストーンをふんだんにあしらったラグジュアリーなブローチを制作。世代を超えて受け継がれていく価値のあるアイテムが誕生した。

そこに以前から2人と親交の深い「サカイ」が加わり、三者によるコラボレーションが実現。花瓶とブローチに着想を得たアパレルカプセルコレクション「バニー/ユージ/サカイ(BUNNEY/EUG/SACAI)」を発表した。アパレルアイテムは、一部売り切れのアイテムを除いて、現在も南青山の「サカイ」旗艦店のほか、銀座のドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)とイギリスのドーバー ストリート マーケット ロンドン(DOVER STREET MARKET LONDON)で購入できる。展示会に来日したユージン・ワンとアンドリュー・バニーに、花瓶やジュエリー制作に込めた想いやプロセス、手法・デザインへのこだわりについて話を聞いた。

伝統技術とインダストリアルデザインが交差するニューフェーズ

ーーコラボレーションの背景について。花瓶に着目したのはなぜですか?

ユージン・ワン(以下、ユージン):普段使いの花瓶をデザインしたいと思っていました。理想の花瓶をずっと探していましたが、満足いくものに出会えなかったんです。欲しい花瓶を想像した時、シンプルな形状で、一日の中で姿が変化するようなイメージが浮かびました。時には花瓶自体の存在が消え、花そのものが浮かび上がってくるようなものです。

また以前から、一輪の花でも生け方次第で空間を際立たせられる「生け花」に興味があったので、一輪挿としても使える花瓶を考えました。そんな時、個人のプロジェクトでコラボレーションをしていたアンドリューに相談したんです。彼の銀細工の世界や、伝統的なものづくりの手法を用いたアプローチに興味がありました。

ーー「サカイ」とのコラボレーションはどういった経緯で?

ユージン: 2人にとって長年の友人の「サカイ」(阿部千登勢デザイナー)に相談を持ちかけたのがきっかけです。今回のコレクションは花瓶、ブローチ、アパレルの3つの軸があり、私たちは花器とブローチをデザインしました。「サカイ」からは、フラワーショップのユニフォームを現代風にアレンジしたコートをはじめ、アパレルアイテムを提案してもらいました。

ブローチは花瓶と衣服の架け橋のような存在です。また花瓶やブローチに手が届かない人でも、同じ製法で作ったシルバーが付属するアパレルアイテムは楽しめるかもしれない。だからこそアパレルとブローチは花瓶の延長線上にあり、「サカイ」とのコラボレーションだからこそ生まれたものです。

ーー花瓶や、モチーフとなったチューリップにまつわる個人的な思いやエピソードはありますか?

アンドリュー・バニー(以下、アンドリュー):コラボレーションが決まってから、まずどんな花をアレンジすると魅力的に映えるのかを考えたんです。

リサーチするうちに、「チューリップマニア」という17世紀のオランダでの社会現象に興味を抱きました。希少なチューリップへの人々の熱が高まり、球根の価格が極度に高騰、1本につき現在の100万ドルに相当する価格で取引されるまでになった現象です。この象徴的な出来事に着想し、チューリップをモチーフに選びました。そして花瓶、ブローチ、アパレルという3軸に統一感を与えるために、チューリップモチーフの美しいエンブレムをデザインしました。

ーークリエーション面ではどんな相互作用が生まれましたか?

アンドリュー:私が専門とするジュエリーは職人技に基づいた極めて伝統的なものです。一方でユージンの専門であるインダストリアル・デザインはより現代的なもの。ただし、それぞれの感性や興味には共通する部分があって、お互いの世界をリスペクトしています。2人の世界がどちらも活かされるからこそ、おもしろいものが生まれました。

ユージン:2人の世界が交差するポイントを探る作業は面白かったです。

アンドリュー:花瓶の製造技法は元来とても伝統的なものですが、デザインはモダンです。技術的に難しい部分がいくつもあり、職人たちにとって未経験のこともありましたが、実現したいイメージを理解してもらい、難しさも醍醐味として感じてもらいつつ完成に近づけました。

ユージン:花瓶の製造はすべて手作業。何人もの職人が各工程に関わり、完成に7週間もかかります。以前関わっていたインダストリアル・デザインでは、人間の形跡は製品から消され、7週間あれば50万個のプロダクトを作るような世界。今回、伝統的手法でものづくりに関われたのは、新鮮な経験でした。

精巧な職人技と緻密なコミュニケーションで
オーセンティックなデザインを実現

ーー具体的なデザインはどのように進めましたか?

アンドリュー:まずはアイデアを話し合います。ある程度アイデアが固まったら、ユージンが厳密にスケッチを作ります。それは最終的なプロダクトにとても近いイメージです。スケッチを活用して、職人チームと丁寧にコミュニケーションを取りました。

花瓶は、フラットな金属板を「スピニング」という技法で回転させながら成形しています。特に難しかったのはリップ(折り返し)の部分。技術的な課題は他にもたくさんありましたが、職人たちの技術とアイデアでクリアしていきました。

私たちはロンドンとサンフランシスコという離れた場所で活動していますが、テキストメッセージや写真、ビデオ、テクニカル・ドローイング(設計図)などで迅速にイメージを共有していきました。伝統的な技術と、現代のコミュニケーション・ツールを駆使することでプロジェクトが実現したんです。

ーー花瓶は質感が異なる2種類のラインアップですね。

ユージン:花瓶はハイポリッシュ仕上げとハンマリング仕上げ(鎚目打ち)の2種類です。それぞれ光のとらえ方や反射の仕方がまったく違うので、この2つの選択肢を用意したかったんです。

花瓶の材質と飾る花にフォーカスを当てるため、シンプルな形状にしたいと考えていました。シルバーは光を反射し、イメージを変化させるのに効果的です。開口部のスリットは一輪の花でも固定でき、内側のゴールドプレートに反射した光がそのスリットから溢れるようになっています。

金色の内部が上部だけ露出しスリットから外に溢れ出すさまは、内面の美しさが表に溢れ出てくることを表しているとも言えるし、季節に開く花の姿そのものとも言えます。

花瓶やジュエリーに込められた願い
「もの」と「人々の想い」の継承

ーー「長く愛されるもの」がデザインテーマのひとつです。ものを残し、受け継ぐことについて、考えを聞かせてください。

アンドリュー:ジュエリーとファッションでは、それぞれに違った意味があるでしょう。初めて買った靴やジーンズなど、私たちはファッションに強い愛着や意味を見出すことがあります。人生の時を刻むもの、と言ってもいいかもしれない。ジュエリーは少し違って、結婚式や出産などの特別な機会に贈られ、何世代にもわたって受け継がれていくもの。何十年も生き続けるものだからこそ、適切な素材と技術を用いる必要があります。

貴金属でこれほど大きい花瓶を作るのはとても珍しい。願わくば末永く使ってもらえるように、という思いを込めています。贈られた人にとっても、買った人にとっても、宝物になるように、と。

ーーユージンさんはいかがですか?

ユージン:過去に手がけたすべてのプロジェクトにおいて、目標は常に「長持ちするものを作る」こと。ただテクノロジーを扱う場合、ソフトウェアのようなパーツは急速に進化し、本来は10年以上使える品質だとしても、実際に継続して使われるかどうかはトレンドや仕様に左右されます。残念ですが、それはインダストリアル・デザインの宿命です。

今回、何世代にもわたって受け継がれうる花瓶を作れたことは新鮮な経験でした。

ーー最後に、これらの花瓶が人々にどのような効果を与えることを期待しますか?

アンドリュー:花瓶を受け取った人、あるいは接した人が、選ばれた素材や技術を理解し、これがいかに特別なものかを感じてくれることを願っています。そしてこの花瓶を家に置いて、遊びに来た友だちと鑑賞して楽しんでもらえたらと思います。

ユージン:シンプルなものから得られる感覚に触れてほしいです。チューリップのように、ありふれた日常の花々を讃えるような感覚を表現したいと考えて制作したので。

■「バニー/ ユージ」および「バニー/ユージ/サカイ」
サカイ青山店では花瓶とブローチ、ウェアコレクションを展示販売(現在は終了)。
アパレルは、上記の店舗ほか、銀座のドーバー ストリート マーケット ギンザとイギリスのドーバー ストリート マーケット ロンドン、および公式オンラインストアで引き続き販売中(一部品切れあり)。

The post 「サカイ」と協働 伝統とモダンが交差する「バニー/ユージ」の日常に寄り添うエレガンス appeared first on WWDJAPAN.

メルローズの3つの柱「M・V・P」 次の時代を切り開くための指針を策定

1973年創業のメルローズは昨年、50周年の節目を迎えた。アニバーサリーイヤーの昨年から今年にかけては、記念商品やコラボレーションが目白押しだ。そして日本の服飾史に名を刻む偉大な足跡をベースに、次の時代に飛躍するための新しい企業理念「M・V・P」を策定した。同社を率いる東秀行社長は、どんな企業を目指すのか。

WWDJAPAN(以下、WWD):「M・V・P」にはどんな思いを込めたのか。

東秀行社長(以下、東):服は着る人のためにある。お客さまにワクワクとドキドキを届ける――。当社には脈々と引き継がれてきた考え方がある。50周年を機に、それらを改めて言語化した3つの柱がM・V・Pだ。MISSION(ミッション)、VALUE(バリュー)、PRIDE(プライド)の頭文字から名付けた。言語化することで、迷ったらいつでも立ち返る行動規範としていきたい。5年先、10年先、50年先まで見据えて作った。私たちは創業以来、ゼロからイチを作るイノベーションを愚直に重ねてきた。それを表現した旗印だ。

WWD:最初のミッションは「未来をつくる挑戦と創造」と定義している。

東:議論を始めたのはコロナ禍だった。大変な時期だったからこそ、ファッション企業に何ができるか、根本から考えることができた。導き出されたのは挑戦と創造という言葉。当たり前だけど、挑戦しないと何かを創造することはできない。失敗を重ねることがイノベーションに近づく唯一の方法であり、イノベーションがなければお客さまからの共感を得られない。挑戦と創造を止めたとき、企業は魅力を失う。メルローズが50年も支持されてきたのは、常に新しい挑戦を続けたからだ。

WWD:バリューには「真のもの作り精神」「真価のある商品」「真のサービス」「真の感動」といった言葉が並ぶ。

東:2年前に社長に就いたとき、働くわれわれが自分たちの価値をきちんと認識していない気がしていた。メルローズはゼロからイチを生み出している。デザイナーが自分の発想でデザイン画を描き、パタンナーが美しいシルエットと快適な着心地を作り出す型紙を作り、生産担当が最良のサプライチェーン(供給網)を構築し、営業が最適なマーケティングをし、店頭では販売員が最高のホスピタリティーで接客する。例えば10万円のワンピースがあるとして、当社の商品は同じ価格帯のどのブランドよりもレベルが高いと私は自負している。その価値を正確に認識した上で、自信をもってお客さまに伝えるべきだ。

WWD:最後のプライドもその延長にある。

東:真面目に積み重ねてきたことに一人一人が誇りを持つべきだ。ゼロからイチを作る。ブランドと商品にしっかりしたストーリーを構築する。五感に訴える店舗空間で最高のおもてなしをする。当たり前に思われる方もいるかもしれないが、実際は当たり前を妥協せずに継続するのは易しくない。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

メルローズの新しい挑戦 
注目すべき卸ブランド

「ドメル」は根強いファンを持つデザイナー田口直見によるブランドで、2023年にスタートした。近年、百貨店やセレクトショップでは富裕層の取り込みも視野に入れたドメスティックブランドが脚光を浴びており、そこにピタリと当てはまる。

「カレンテージ」はディレクター塚崎恵理子が2017年にスタートした。世界の旅から得たインスピレーションをトラディショナルな洋服の成り立ちをベースに現代的なエッセンスを加え、独自のアーティザナルなタッチで作る。2024年秋冬からはメンズがスタートする。

「エスロー」はデザイナー清水一子により2021年秋にスタート。何気ないシンプルな服でありながら、絶妙なバランスで着る人の感情に訴えられるのは、綿密に計算されたパターンがあればこそ。普遍的な美しさの中に静かな情熱が宿る、現代を生きる女性のためのワードローブ。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

50周年にちなんだ話題がいっぱい
「50のモノコト」

メルローズは創業50周年にちなんだ特設サイトで「50のモノコト」を2023年6月から展開中だ。節目を記念したコラボレーション、イベント、新商品、新ブランド、インタビュー、新規出店など50のさまざまな話題を1年間かけ、掲載している。

ここでは現在までに紹介された50のモノコトの中から、注目の話題をピックアップした。全ての情報を確認したい人は特設サイトを是非見てほしい。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)
問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

The post メルローズの3つの柱「M・V・P」 次の時代を切り開くための指針を策定 appeared first on WWDJAPAN.

メルローズの3つの柱「M・V・P」 次の時代を切り開くための指針を策定

1973年創業のメルローズは昨年、50周年の節目を迎えた。アニバーサリーイヤーの昨年から今年にかけては、記念商品やコラボレーションが目白押しだ。そして日本の服飾史に名を刻む偉大な足跡をベースに、次の時代に飛躍するための新しい企業理念「M・V・P」を策定した。同社を率いる東秀行社長は、どんな企業を目指すのか。

WWDJAPAN(以下、WWD):「M・V・P」にはどんな思いを込めたのか。

東秀行社長(以下、東):服は着る人のためにある。お客さまにワクワクとドキドキを届ける――。当社には脈々と引き継がれてきた考え方がある。50周年を機に、それらを改めて言語化した3つの柱がM・V・Pだ。MISSION(ミッション)、VALUE(バリュー)、PRIDE(プライド)の頭文字から名付けた。言語化することで、迷ったらいつでも立ち返る行動規範としていきたい。5年先、10年先、50年先まで見据えて作った。私たちは創業以来、ゼロからイチを作るイノベーションを愚直に重ねてきた。それを表現した旗印だ。

WWD:最初のミッションは「未来をつくる挑戦と創造」と定義している。

東:議論を始めたのはコロナ禍だった。大変な時期だったからこそ、ファッション企業に何ができるか、根本から考えることができた。導き出されたのは挑戦と創造という言葉。当たり前だけど、挑戦しないと何かを創造することはできない。失敗を重ねることがイノベーションに近づく唯一の方法であり、イノベーションがなければお客さまからの共感を得られない。挑戦と創造を止めたとき、企業は魅力を失う。メルローズが50年も支持されてきたのは、常に新しい挑戦を続けたからだ。

WWD:バリューには「真のもの作り精神」「真価のある商品」「真のサービス」「真の感動」といった言葉が並ぶ。

東:2年前に社長に就いたとき、働くわれわれが自分たちの価値をきちんと認識していない気がしていた。メルローズはゼロからイチを生み出している。デザイナーが自分の発想でデザイン画を描き、パタンナーが美しいシルエットと快適な着心地を作り出す型紙を作り、生産担当が最良のサプライチェーン(供給網)を構築し、営業が最適なマーケティングをし、店頭では販売員が最高のホスピタリティーで接客する。例えば10万円のワンピースがあるとして、当社の商品は同じ価格帯のどのブランドよりもレベルが高いと私は自負している。その価値を正確に認識した上で、自信をもってお客さまに伝えるべきだ。

WWD:最後のプライドもその延長にある。

東:真面目に積み重ねてきたことに一人一人が誇りを持つべきだ。ゼロからイチを作る。ブランドと商品にしっかりしたストーリーを構築する。五感に訴える店舗空間で最高のおもてなしをする。当たり前に思われる方もいるかもしれないが、実際は当たり前を妥協せずに継続するのは易しくない。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

メルローズの新しい挑戦 
注目すべき卸ブランド

「ドメル」は根強いファンを持つデザイナー田口直見によるブランドで、2023年にスタートした。近年、百貨店やセレクトショップでは富裕層の取り込みも視野に入れたドメスティックブランドが脚光を浴びており、そこにピタリと当てはまる。

「カレンテージ」はディレクター塚崎恵理子が2017年にスタートした。世界の旅から得たインスピレーションをトラディショナルな洋服の成り立ちをベースに現代的なエッセンスを加え、独自のアーティザナルなタッチで作る。2024年秋冬からはメンズがスタートする。

「エスロー」はデザイナー清水一子により2021年秋にスタート。何気ないシンプルな服でありながら、絶妙なバランスで着る人の感情に訴えられるのは、綿密に計算されたパターンがあればこそ。普遍的な美しさの中に静かな情熱が宿る、現代を生きる女性のためのワードローブ。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)

50周年にちなんだ話題がいっぱい
「50のモノコト」

メルローズは創業50周年にちなんだ特設サイトで「50のモノコト」を2023年6月から展開中だ。節目を記念したコラボレーション、イベント、新商品、新ブランド、インタビュー、新規出店など50のさまざまな話題を1年間かけ、掲載している。

ここでは現在までに紹介された50のモノコトの中から、注目の話題をピックアップした。全ての情報を確認したい人は特設サイトを是非見てほしい。

(一部抜粋。完全版は最後のリンク先から)
問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

The post メルローズの3つの柱「M・V・P」 次の時代を切り開くための指針を策定 appeared first on WWDJAPAN.

ドナータ・ヴェンダースがレッドカーペットで見せたVHSのアップサイクルドレスとクラフツマンシップ

写真家のドナータ・ヴェンダース(Donata Wenders)が制作に携わっている、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督作品「パーフェクト・デイズ」が国際長編映画賞にノミネートされたため、夫婦揃って授賞式のレッドカーペットに登場した。その時にドナータが着用していたドレスに注目が集まっている。

レッドカーペットといえば、スターたちがビッグメゾンのオートクチュールやプレタポルテのドレスで華やかに登場するアカデミー賞のハイライト。ドナータが披露したドレスは、光沢素材で立体的に編み込まれたエレガントなイブニングドレスのように見えるが、実はヴィムが手掛けた3作品の映画のVHS(ビデオテープ)を解体し、縄のように編み上げて作られたドレスだ。

このユニークなドレスを制作したのは「クルーバ(CRUBA)」というベルリン拠点のインディペンデントブランドだ。ミラ・フォン・デア・オーステン(Mira von der Osten)「クルーバ」デザイナーは、NYとパリのパーソンズ美術大学でファッションを学んだのち、2009年に「クルーバ」を設立。ヨーロッパ国内から高品質な素材を厳選し、ベルリン近郊にある家族経営の小さな工場で生産を行い、環境に配慮したモノづくりをしており、良心的な価格帯も人気を集めている理由の一つだ。

近年、伝統的なドレスコードを覆す独創的なファッションが見られるようになったアカデミー賞授賞式だが、インディペンデントなブランドがラグジュアリーブランドと共にレッドカーペットで作品を披露することは稀だろう。そんなほんの一握りのチャンスを掴んだ経緯は何だったのだろうか?VHSテープからドレスが誕生した秘話やドナータが着用した経緯など、デザイナーのミラに尋ねた。

WWDJAPAN(以下、WWD):ドナータ・ヴェンダースのアカデミー賞の衣装を手がけることになった経緯は?

ミラ・フォン・デア・オーステン(以下、ミラ):「パーフェクト・デイズ」のストーリーにはカセットテープが登場しますが、まずそこに興味を持ちました。ヴィム・ヴェンダースがカセットテープの存在を物語に美しく織り込んでいて、素晴らしいと思いました。上映後にヴィムとドナータに会い、「クルーバ」でVHSをアップサイクリングしたプロジェクトを進めていることを軽く話しました。その時に冗談で「もし、アカデミー賞にノミネートされたら、衣装を作らせて欲しいという手紙を書くつもりだ」と伝えました。ランウエイにも登場しているヴィムは、きっと「ヨウジヤマモト」を着るだろうと思っていたので、私はドナータに尋ねました。その時、すでに彼女には「シャネル」から話が来ていたそうですが、私たちのVHSのアップサイクル作品を見に来てくれると言ってくれました。

WWD:VHSからドレスを作るというアイデアはどのようにして生まれた?

ミラ:私の名付け親がとても映画好きで、膨大な数のVHSを所有していて「廃棄するのではなく何かに再利用できないか?」とアイデアを求められたのがきっかけです。VHSのテープを「クルーバ」のスタジオに送り、解体してからマイラーテープ(アクリル系接着剤でコーティングされたポリエステル)を取り除き、編み込んだり、織り込んだりする実験を始めました。そこで、VHSテープの素材の耐久性に驚きました。洗濯機で洗っても形が崩れないんです。そこから毒性のあるPVCで作られたラインストーンの代替にできることを発見しました。最も驚いたことはVHSテープの光沢感で、これがアイデアの火付け役となりました。映画に携わるスターのドレスを映画のVHSテープから作るなんて素晴らしいことだと思いませんか?

WWD:制作過程で最も大変だった点は?

ミラ:ドレスを制作する時間に全く余裕がなかったことですね。VHSテープからドレスを作るには、7〜10日間連続で編み続ける必要がありました。その後、編み込んだVHSテープの下にシルクのガウンを縫い付けてドレスとして着れるようにしなければなりませんでした。6人の編み手が10日未満でドレスを完成させましたが、完成までにドナータは3回のフィッティングをしました。また、「パーフェクトデイズ」とのつながりを示すため、少し大きめのカセットテープの形をした3Dプリントのクラッチバッグも同時にデザインしました。これは生分解性プラスチックで作っています。

WWD:ドレスの素材となった映画作品は?

ミラ:ドナータのお気に入りの「Tokyo-Ga」「ベルリン・天使の唄(Wings of Desire)「パリ、テキサス」の3作品のVHSを提供してくれました。

WWD:実際に彼女がアカデミー賞の式典でそのドレスを着ているのを見て、どんな気持ちでしたか?

ミラ:ドナータがドレスを着用した姿を現地からビデオメッセージで送ってくれました。その時に、VHSテープを再生した時に生じるノイズ音を真似しながら「聞こえますか?今、アカデミー賞に向かっています」と言ったんです。それを聞いてとても感動し、現実に起こっていることだと信じることができませんでした。ドレスを着てレッドカーペットを歩くドナータの姿はとても優雅で、完璧に着こなしていて感激しました。ヴィムもその美しい姿に完全に魅了されていることがわかりました。

WWD:メディアからはどのような反響がありましたか?

ミラ:圧倒するほどの反響があり、自分でも驚いています。ドイツだけでなく、他のヨーロッパの国やアメリカ、日本のメディアが次々と取り上げてくれて、ベストドレッサーのリストにも掲載されました。ヴィムも「自分の映画のVHSテープを着るというアイデアに興奮している」とコメントしてくれました。アカデミー賞授賞式が終わった後にドレスをミュージアムで展示したいとオファーも受けましたので、日本やアメリカ、ベルリンでも発表したいと思っています。

WWD:サステナビリティについて思うことは?

ミラ:世界的なサステナビリティのムーブメントの中で、ファッション業界は真の目的を達成するにはまだ程遠い現状です。例えば、レッドカーペットは、著名人やセレブリティと契約している企業が権力を持っているため、革新的なアイデアを持つインディペンデントなブランドやサステナビリティを意識したブランドの作品が披露されることはめったにありません。私たちのようなブランドがセレブリティにドレスを提供する機会は極めて限られているんです。そういった現実でドナータはクラフツマンシップの重要性を信じ「クルーバ」のようなブランドを支援してくれています。今回は、アカデミー賞授賞式のレッドカーペットという貴重な場面を通してスローファッションを多くの人に知ってもらえたと思います。

WWD:ブランドを続ける上で最も重要だと思うことは?

ミラ:私たちは常にファッションを通じたコミュニケーションのために、業界の限界を広げるような新しい方法を模索しています。ファッションは文化と深く関わり、生活にも大きな影響を与えますので、責任のあるデザインを創造することが重要です。ブランドを続けていく中で、ドナータやヴィムのような人物と国境を越えてコラボレーションする機会を得たことはとても光栄なことです。

ドナータ・ヴェンダースが「クルーバ」を選んだ理由

WWD:アカデミー賞授賞式の衣装に「クルーバ」のドレスを選んだ理由は?

ドナータ・ヴェンダース(以下、ドナータ):ミラに会った時にVHSテープをアップサイクルして作るドレスのアイデアを聞きました。その後、彼女のスタジオに行き、解体されたVHSテープの素材の可能性に魅了されたのですが、その時すでに私の体型と個性に合ったドレスを作る準備ができていました。VHSはすでに時代遅れなフォーマットで、普通ならゴミになってしまうでしょう。しかし、ミラはそこからヴィム作品のVHSテープでドレスを作るという素晴らしいアイデアを生み出し提案してくれました。私はそのアイデアに夢中になって、すぐにヴィムの3作品のVHSを提供し、そこからドレスの制作がスタートしました。

WWD:衣服に用いられる生地とは異なり、VHSは硬い素材です。着用するのは大変だったのでは?

ドナータ:VHSテープは光沢があり、硬く見えるかもしれませんが、実際には柔らかくて非常に軽いんです。それに、VHSテープを編み込んだドレスには、形状を保つために重要な役割を果たしますためのアンダードレスが付いているので、着用していても快適に過ごせました。映画のイベントに常に着ていきたいくらいこのドレスが大好きで、一番のお気に入りのイベント用ドレスなりました。

WWD:「パーフェクト・デイズ」では、カセットテープが重要なアイテムとなり、「クルーバ」のドレスではVHSテープが重要な素材となりました。カセットテープのリバイバルやリサイクル、またはアップサイクルする最近のカルチャーについて思うことは?

ドナータ:カセットテープは素晴らしい媒体だと思っています。デジタル世代の若者たちがカセットテープに魅力を感じていることは理解できます。ただ、VHSテープは映画を観るには非常に不向きな素材ですので、ドレスとして使用する方が遥かに良い使い道です。

私は自分の服に手入れをすることが好きなので、デッドストックの生地を再利用したり、ブラウスやパンツ、靴下、ドレス、スカートを修理したりしています。自分たちの手でものを作る方法を知らない人が増えている今、アップサイクルの文化は消費主義社会でアナログとデジタルのバランスを保つために必要な存在です。日常生活でも手仕事は重要ですので、ごく自然に生まれた考え方だと思います。古い材料やものを再利用すれば、新しい価値とも触れ合うことができますので、私はそんな生き方にとても共感しています。

WWD:常にスタイリッシュですが、特にお気に入りのファッションブランドはありますか?また、ファッションでの自分のルールは?

ドナータ:ありがとうございます!嬉しいです。私はヴィムと一緒にいろんな場所を旅しながら仕事や生活をしています。そんな生活を何年も続けていると自分の服が家や隠れ家、そして、友人のような存在になっていることに気付きました。私にとって洋服は身近にある大切な存在です。お気に入りのデザイナーは、ヨウジヤマモトとポール・ハーデンです。そして、今回の「クルーバ」のドレスが私の愛する洋服に仲間入りしました。

インディペンデントなブランドでも世界の舞台に立てる未来に期待

<

ミラが語るように、今後も「クルーバ」のような小規模展開のブランドがレッドカーペットという晴れ舞台で日の目を浴びることに期待したい。また、各国のミュージアムで展示されることによって、VHSのアップサイクルという斬新なアイデアとクラフツマンシップの可能性が広がっていくことを願う。

「WWDJAPAN」5月27日号はサステナビリティ特集です。「アップサイクル」など、知っておくべき用語について解説しています。

The post ドナータ・ヴェンダースがレッドカーペットで見せたVHSのアップサイクルドレスとクラフツマンシップ appeared first on WWDJAPAN.

ドナータ・ヴェンダースがレッドカーペットで見せたVHSのアップサイクルドレスとクラフツマンシップ

写真家のドナータ・ヴェンダース(Donata Wenders)が制作に携わっている、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督作品「パーフェクト・デイズ」が国際長編映画賞にノミネートされたため、夫婦揃って授賞式のレッドカーペットに登場した。その時にドナータが着用していたドレスに注目が集まっている。

レッドカーペットといえば、スターたちがビッグメゾンのオートクチュールやプレタポルテのドレスで華やかに登場するアカデミー賞のハイライト。ドナータが披露したドレスは、光沢素材で立体的に編み込まれたエレガントなイブニングドレスのように見えるが、実はヴィムが手掛けた3作品の映画のVHS(ビデオテープ)を解体し、縄のように編み上げて作られたドレスだ。

このユニークなドレスを制作したのは「クルーバ(CRUBA)」というベルリン拠点のインディペンデントブランドだ。ミラ・フォン・デア・オーステン(Mira von der Osten)「クルーバ」デザイナーは、NYとパリのパーソンズ美術大学でファッションを学んだのち、2009年に「クルーバ」を設立。ヨーロッパ国内から高品質な素材を厳選し、ベルリン近郊にある家族経営の小さな工場で生産を行い、環境に配慮したモノづくりをしており、良心的な価格帯も人気を集めている理由の一つだ。

近年、伝統的なドレスコードを覆す独創的なファッションが見られるようになったアカデミー賞授賞式だが、インディペンデントなブランドがラグジュアリーブランドと共にレッドカーペットで作品を披露することは稀だろう。そんなほんの一握りのチャンスを掴んだ経緯は何だったのだろうか?VHSテープからドレスが誕生した秘話やドナータが着用した経緯など、デザイナーのミラに尋ねた。

WWDJAPAN(以下、WWD):ドナータ・ヴェンダースのアカデミー賞の衣装を手がけることになった経緯は?

ミラ・フォン・デア・オーステン(以下、ミラ):「パーフェクト・デイズ」のストーリーにはカセットテープが登場しますが、まずそこに興味を持ちました。ヴィム・ヴェンダースがカセットテープの存在を物語に美しく織り込んでいて、素晴らしいと思いました。上映後にヴィムとドナータに会い、「クルーバ」でVHSをアップサイクリングしたプロジェクトを進めていることを軽く話しました。その時に冗談で「もし、アカデミー賞にノミネートされたら、衣装を作らせて欲しいという手紙を書くつもりだ」と伝えました。ランウエイにも登場しているヴィムは、きっと「ヨウジヤマモト」を着るだろうと思っていたので、私はドナータに尋ねました。その時、すでに彼女には「シャネル」から話が来ていたそうですが、私たちのVHSのアップサイクル作品を見に来てくれると言ってくれました。

WWD:VHSからドレスを作るというアイデアはどのようにして生まれた?

ミラ:私の名付け親がとても映画好きで、膨大な数のVHSを所有していて「廃棄するのではなく何かに再利用できないか?」とアイデアを求められたのがきっかけです。VHSのテープを「クルーバ」のスタジオに送り、解体してからマイラーテープ(アクリル系接着剤でコーティングされたポリエステル)を取り除き、編み込んだり、織り込んだりする実験を始めました。そこで、VHSテープの素材の耐久性に驚きました。洗濯機で洗っても形が崩れないんです。そこから毒性のあるPVCで作られたラインストーンの代替にできることを発見しました。最も驚いたことはVHSテープの光沢感で、これがアイデアの火付け役となりました。映画に携わるスターのドレスを映画のVHSテープから作るなんて素晴らしいことだと思いませんか?

WWD:制作過程で最も大変だった点は?

ミラ:ドレスを制作する時間に全く余裕がなかったことですね。VHSテープからドレスを作るには、7〜10日間連続で編み続ける必要がありました。その後、編み込んだVHSテープの下にシルクのガウンを縫い付けてドレスとして着れるようにしなければなりませんでした。6人の編み手が10日未満でドレスを完成させましたが、完成までにドナータは3回のフィッティングをしました。また、「パーフェクトデイズ」とのつながりを示すため、少し大きめのカセットテープの形をした3Dプリントのクラッチバッグも同時にデザインしました。これは生分解性プラスチックで作っています。

WWD:ドレスの素材となった映画作品は?

ミラ:ドナータのお気に入りの「Tokyo-Ga」「ベルリン・天使の唄(Wings of Desire)「パリ、テキサス」の3作品のVHSを提供してくれました。

WWD:実際に彼女がアカデミー賞の式典でそのドレスを着ているのを見て、どんな気持ちでしたか?

ミラ:ドナータがドレスを着用した姿を現地からビデオメッセージで送ってくれました。その時に、VHSテープを再生した時に生じるノイズ音を真似しながら「聞こえますか?今、アカデミー賞に向かっています」と言ったんです。それを聞いてとても感動し、現実に起こっていることだと信じることができませんでした。ドレスを着てレッドカーペットを歩くドナータの姿はとても優雅で、完璧に着こなしていて感激しました。ヴィムもその美しい姿に完全に魅了されていることがわかりました。

WWD:メディアからはどのような反響がありましたか?

ミラ:圧倒するほどの反響があり、自分でも驚いています。ドイツだけでなく、他のヨーロッパの国やアメリカ、日本のメディアが次々と取り上げてくれて、ベストドレッサーのリストにも掲載されました。ヴィムも「自分の映画のVHSテープを着るというアイデアに興奮している」とコメントしてくれました。アカデミー賞授賞式が終わった後にドレスをミュージアムで展示したいとオファーも受けましたので、日本やアメリカ、ベルリンでも発表したいと思っています。

WWD:サステナビリティについて思うことは?

ミラ:世界的なサステナビリティのムーブメントの中で、ファッション業界は真の目的を達成するにはまだ程遠い現状です。例えば、レッドカーペットは、著名人やセレブリティと契約している企業が権力を持っているため、革新的なアイデアを持つインディペンデントなブランドやサステナビリティを意識したブランドの作品が披露されることはめったにありません。私たちのようなブランドがセレブリティにドレスを提供する機会は極めて限られているんです。そういった現実でドナータはクラフツマンシップの重要性を信じ「クルーバ」のようなブランドを支援してくれています。今回は、アカデミー賞授賞式のレッドカーペットという貴重な場面を通してスローファッションを多くの人に知ってもらえたと思います。

WWD:ブランドを続ける上で最も重要だと思うことは?

ミラ:私たちは常にファッションを通じたコミュニケーションのために、業界の限界を広げるような新しい方法を模索しています。ファッションは文化と深く関わり、生活にも大きな影響を与えますので、責任のあるデザインを創造することが重要です。ブランドを続けていく中で、ドナータやヴィムのような人物と国境を越えてコラボレーションする機会を得たことはとても光栄なことです。

ドナータ・ヴェンダースが「クルーバ」を選んだ理由

WWD:アカデミー賞授賞式の衣装に「クルーバ」のドレスを選んだ理由は?

ドナータ・ヴェンダース(以下、ドナータ):ミラに会った時にVHSテープをアップサイクルして作るドレスのアイデアを聞きました。その後、彼女のスタジオに行き、解体されたVHSテープの素材の可能性に魅了されたのですが、その時すでに私の体型と個性に合ったドレスを作る準備ができていました。VHSはすでに時代遅れなフォーマットで、普通ならゴミになってしまうでしょう。しかし、ミラはそこからヴィム作品のVHSテープでドレスを作るという素晴らしいアイデアを生み出し提案してくれました。私はそのアイデアに夢中になって、すぐにヴィムの3作品のVHSを提供し、そこからドレスの制作がスタートしました。

WWD:衣服に用いられる生地とは異なり、VHSは硬い素材です。着用するのは大変だったのでは?

ドナータ:VHSテープは光沢があり、硬く見えるかもしれませんが、実際には柔らかくて非常に軽いんです。それに、VHSテープを編み込んだドレスには、形状を保つために重要な役割を果たしますためのアンダードレスが付いているので、着用していても快適に過ごせました。映画のイベントに常に着ていきたいくらいこのドレスが大好きで、一番のお気に入りのイベント用ドレスなりました。

WWD:「パーフェクト・デイズ」では、カセットテープが重要なアイテムとなり、「クルーバ」のドレスではVHSテープが重要な素材となりました。カセットテープのリバイバルやリサイクル、またはアップサイクルする最近のカルチャーについて思うことは?

ドナータ:カセットテープは素晴らしい媒体だと思っています。デジタル世代の若者たちがカセットテープに魅力を感じていることは理解できます。ただ、VHSテープは映画を観るには非常に不向きな素材ですので、ドレスとして使用する方が遥かに良い使い道です。

私は自分の服に手入れをすることが好きなので、デッドストックの生地を再利用したり、ブラウスやパンツ、靴下、ドレス、スカートを修理したりしています。自分たちの手でものを作る方法を知らない人が増えている今、アップサイクルの文化は消費主義社会でアナログとデジタルのバランスを保つために必要な存在です。日常生活でも手仕事は重要ですので、ごく自然に生まれた考え方だと思います。古い材料やものを再利用すれば、新しい価値とも触れ合うことができますので、私はそんな生き方にとても共感しています。

WWD:常にスタイリッシュですが、特にお気に入りのファッションブランドはありますか?また、ファッションでの自分のルールは?

ドナータ:ありがとうございます!嬉しいです。私はヴィムと一緒にいろんな場所を旅しながら仕事や生活をしています。そんな生活を何年も続けていると自分の服が家や隠れ家、そして、友人のような存在になっていることに気付きました。私にとって洋服は身近にある大切な存在です。お気に入りのデザイナーは、ヨウジヤマモトとポール・ハーデンです。そして、今回の「クルーバ」のドレスが私の愛する洋服に仲間入りしました。

インディペンデントなブランドでも世界の舞台に立てる未来に期待

<

ミラが語るように、今後も「クルーバ」のような小規模展開のブランドがレッドカーペットという晴れ舞台で日の目を浴びることに期待したい。また、各国のミュージアムで展示されることによって、VHSのアップサイクルという斬新なアイデアとクラフツマンシップの可能性が広がっていくことを願う。

「WWDJAPAN」5月27日号はサステナビリティ特集です。「アップサイクル」など、知っておくべき用語について解説しています。

The post ドナータ・ヴェンダースがレッドカーペットで見せたVHSのアップサイクルドレスとクラフツマンシップ appeared first on WWDJAPAN.

パリ五輪メダルで認知度が急上昇 パリ発「ショーメ」の新CEOに聞く歴史とモダニティーの共存

PROFILE: チャールズ・レオン/ショーメ最高経営責任者

チャールズ・レオン/ショーメ最高経営責任者
PROFILE: 香港生まれ。香港中文大学とパリのESSECビジネススクール卒業。カルティエでキャリアをスタートし、マーケティングや小売分野に従事。2006年にショーメに入社。6年間にわたり中国市場中心にアジア太平洋地域を担当。その功績が認められ12年、ディストリビューション&セールス担当バイス・プレジデントに昇格。18年、フレッドのCEOに就任。24年1月から現職
PHOTO:KOHEI KANNO

フランス発「ショーメ(CHAUMET)」は、1780年にパリで創業した老舗で、ナポレオン1世御用達のジュエラーとして知られている。世界中の王族や貴族に愛され、ティアラがメゾンのアイコン。7月に開幕するパリオリンピック・パラリンピック(パリ五輪)のメダルも手掛けるフランスを代表するジュエラーだ。メダルの発表時に全世界でニュースが放映され、ブランドの認知度がアップしたようだ。今年1月には、同じくフランス発ジュエラーの「フレッド(FRED)」を率いたチャールズ・レオン氏がショーメの最高経営責任者(CEO)に就任。4月に東京都内で開催した顧客向けハイジュエリーイベントのために来日したレオンCEOに話を聞いた。

フランスの国宝的なジュエラーとして時代と共に進化

WWD:CEOに就任して初めて行ったことは?

チャールズ・レオン=ショーメCEO(以下、レオン):新年にチームのみんなとガレット・デ・ロワ(フランスで新年を祝うケーキ。王様のお菓子と呼ばれ、切り分けたケーキの中のフェーヴという陶器を当てた人は、その日、王・王女になれるといわれ、紙製の王冠をかぶって祝う)で、好調だった昨年度の実績も兼ねて戴冠式のように祝った。

WWD:「ショーメ」のジュエラーとしてのポジショニングは?

レオン:特別で名声があるフランスの国宝的な存在。フランスの歴史上の重要な出来事と共に歩んできたし、今年のパリ五輪のメダルをデザインした。メダルは、最も美しく輝く宝石であるべきだ。買えるものではない。勝たなければ手にすることができない貴重なもの。それを作ったパリのブランドであることを誇らしく思う。

WWD:他のジュエラーと違う点は?

レオン:歴史以外では、最高の職人技、品質の高さ、洗練されたパリジャンテイストが挙げられる。あまり目立たず、非常に高度なクラフツマンシップが光るクワイエット・ラグジアュリーを体現するジュエラー。文化的な遺産のようなメゾンだ。

WWD:歴史あるメゾンをどのように発展させるか?

レオン:以前は、王侯貴族へジュエリーを提供していた。ナポレオンやジョゼフィーヌ皇后などは当時のファッションアイコンで大きな影響力があった。昔はディナーに行く際にティアラを着用していたが、今は、リングやネックレスなどに形を変えている。過去にとらわれるのではなく、その時代のライフスタイルに合わせて進化していくのが重要。歴史がありながらも、今日的であることが大切だ。

ブランド認知がアップし“ビー マイ ラブ”が絶好調

WWD:売れ筋のジュエリーと中心価格帯は?

レオン:今まで“ジョゼフィーヌ”や“リアン”の人気が高かったが、ここ最近は“ビー マイ ラブ”がリングを中心に好調だ。かわいらしさとクールな面、両方あるし、ユニセックスに着用でき、人気が高まっている。売れ筋価格帯は、25万〜68万円程度。コミュニケーション強化を行ってきたし、パリ五輪のメダルを手掛けるというニュースの影響もあり、知名度がアップして新顧客獲得につながっている。日本では、今年の第1四半期の売上高は前年比51%増だった。訪日客の購入もあるが、そのほとんどが日本人客によるものだ。

WWD:強化するカテゴリーや市場、施策は?

レオン:ハイジュエリーを強化していく。ドラマチックで、現代的なハイジュエリーのイベントを開催するつもりだ。「ショーメ」は自然を着想源に、その時代にあったベストの技術を駆使して生き生きとした繊細な作品を作ってきた。それを時系列的に見てもらえるような展示もしたい。好調の“ビー マイ ラブ”も強化する。モダンでユニセックスなデザインなので、大きな可能性を持っている。日本で人気の“ジョゼフィーヌ”“リアン”も引き続き注力していく。市場に関しては、中東と東南アジアを強化する。インドやタイ、スリランカは宝石の採掘が行われており、伝統的なハイジュエリーが根付いている。最近では、ヨーロッパのスタイルのジュエリーが求められ始めた。昨年ベトナム、マレーシアに、今年タイに出店した。インドやインドネシアへの出店も視野に入れている。中東の若い層には、“ビー マイ ラブ”と“リアン”が大人気で、日常的にジュエリーを楽しんでいる。中東では、サウジアラビアとUAE首長国連邦に各3店舗、クエートに2店舗、カタールに1店舗を運営している。

WWD:今後の世界戦略は?現在、何カ国で販売しているか?主要市場は?

レオン:もっと多様性のある顧客層を取り込みたい。「ショーメ」を知らない人や男性にもブランドを知ってもらいたい。また、「ショーメ」=ブライダルというイメージを崩して、記念日、ご褒美、ギフトなどさまざまなオケージョンで購入してもらいたい。ヨーロッパ、中東、アジア中心に19カ国に直営店、コーナーも含めると今年、店舗数は92店舗になる予定だ。主要市場は、中国、フランス、中東だ。

WWD:日本における戦略は?

レオン:日本は最も伸長率が高い市場の一つ。アジアでは最も歴史のある市場で、強い顧客ベースがある。日本人の消費者は成熟していて職人技に価値があることを良くわかっている。ストーリーを伝えながら、日本人が求める洗練された上品なスタイルを届けていきたい。日本市場には積極的に投資していく。まずは、大阪・心斎橋店の改装を予定しており、パリの雰囲気と関西のテイストをどのようにミックスするかが課題だ。その次には銀座本店を改装する。パリ・ヴァンドーム広場を銀座に持ち込む意気込みで行うつもりだ。

WWD:今年はパリ五輪のメダル制作などで注目が集まるが、ブランドとしてどのような取り組みを行うか?

レオン:常に動きのあるブランドにするため、コミュニケーションの方法を変えるつもりだ。もっと、モダンな現代にマッチしたものにしたい。今年後半には、新しいキャンペーンを展開する。

The post パリ五輪メダルで認知度が急上昇 パリ発「ショーメ」の新CEOに聞く歴史とモダニティーの共存 appeared first on WWDJAPAN.

尖った服が売れる店、代々木上原「デルタ」の強さの秘訣 「ファッションは生きる行為そのもの」

PROFILE: 大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー

大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー
PROFILE: 文化服装学院・旧スタイリスト科卒業。ブティックでの販売員などファッション業界でさまざまな経験を積んだ後、2004年に「デルタ」をオープン。2020年に地球環境と人権をテーマにしたプロジェクト「ブレス バイ デルタ」をスタート。デザイン性の高いゼロウエイストなコラボアイテムをさまざまななデザイナーと企画している PHOTO:YOW TAKAHASHI
代々木上原に住んで十数年。この街の好きなところはたくさんありますが、「デルタ(DELTA)」という信頼の置けるセレクトショップがあることもその1つ。周りの業界関係者から「今、尖った服が売れる店」として「デルタ」の名前が挙がることも珍しくありません。商品ラインアップのセンスはさることながら、サステナビリティ分野の担当記者である自分の社会的な正義感とファッションを楽しみたい気持ちを心置きなく発散させてくれる店でもあるんです。同店は今年で20周年を迎えます。そんな節目にオーナーの大倉綾さんに「尖った服が売れる店」の強さの秘訣やフィロソフィーを聞きました。

仕入れの基準は服を通してデザイナーの哲学が見えるかどうか

「デルタ」は当時27歳だった綾さんが、夫の有記さんと一緒に東北沢に5坪の店舗をオープンしたのが始まり。綾さんは学生時代スタイリストを目指して文化服装学院を卒業しますが、実際にスタイリストの仕事で食べていくのはいばらの道。知り合いのブティックなどで販売員としてキャリアをスタートさせます。当時のお客さんから「あなたがお店を出したら通うわ」と言われたことに背中を押され、夫の有記さんと一緒に起業。2004年に東北沢に出店し、08年に現在の場所へと移転しました。

白を基調にした店内は、ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)大丸京都店などを手掛けた建築家の永山祐子氏による設計です。以前はラグジュアリーブランドも扱っていましたが、今は「ノワール ケイ ニノミヤ(NOIR KEI NINOMIYA)」や「ワタル トミナガ(WATARU TOMINAGA)」「ハトラ(HATRA)」など国内ブランドが中心。顧客層は女性を中心に、20代〜50代までと幅広い。業界関係者以外にも、医療関係やクリエイター、SEなどさまざまな職業の人が訪れるそう。

「業界関係者にはよくカテゴライズしづらい店と言われますが、商品はあらかじめテーマを設けたり、スタイリングを想定したりすることもなく自由な感覚で仕入れています。お客さまもブランドにこだわりがなく、その自由さ楽しんでくれている方が多い。大事にしているのは、デザイナーの哲学や人柄が服を通して見えることです」と綾さん。

店作りの際に影響を受けたのは、ニューヨークのインディペンデントカルチャーだったと言います。今は閉店してしまいましたが、「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」をはじめ、ファッションと音楽、カルチャー全体が自然に交わるシーンの面白さにも心を動かされたそう。私自身も初めてニューヨークの「オープニングセレモニー」を訪れたとき、店内に並ぶ服1つ1つの強さに圧倒された記憶がありますが、現在の「デルタ」にも似た感覚を抱きます。

「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店での挑戦

商品ラインアップはもちろんですが、国連(UNHCR)などへの寄付を目的としたチャリティーイベントや、選挙期間中には投票証明書を提示すると割引きになる「選挙割」を実施して投票を促すなど、ファッションを消費するだけで終わらせない店のアティチュードこそ私がこの店を推す理由です。

「ニューヨークに行った時にちょうど選挙期間中で、マーク・ジェイコブスがヒラリー・クリントンのTシャツを作って売っていて、これぞファッションと感じたのを覚えています。さかのぼれば、キャサリン・ハムネットやヴィヴィアン・ウエストウッドなどにも影響を受けてきました。ファッションは時代を映す鏡で、生きるという行為そのもの。そこを無視して服を売ることは、私たちには表面的に見える。店はコミュニケーションの場所で、社会とは切っても切り離せないんです」と綾さんは語ります。

20年には「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店「ブレス バイ デルタ」をオープンしました。店内には「ベースマーク(BASE MARK)」によるアップサイクルプロジェクト「リ:マーク プロジェクト(RE:MARK PROJECT)」や、非動物性の素材にこだわる「ビーガンタイガー(VEGAN TIGER)」、社会的運動へのオマージュをテーマにしているパリ発の「カルネボレンテ(CARNE BOLLENTE)」などが並びます。

サステナビリティ担当記者として、環境問題や人権問題を伝える難しさは日々痛感していますが、「デルタ」はそれを軽やかにそしてかっこよく実践します。「私たちも最初は手探りでした。やっぱりモノが持つ力や見た瞬間に楽しさを感じることが絶対です。私たちが上手く提案しているというよりは、サステナブルな理念と両立した良いブランドが出てきたことが大きいと思います」。

コロナ禍のロックダウン中には、産業の環境問題や人権問題に関わる現状を店のスタッフと一緒に学び、「ファッションの根本を考えること」に時間を割いたと言います。「コロナ前から何を基準に仕入れるべきか分からなくなっていたんだと思います。そこである意味、視野を狭めることによってこれまでと違った角度から魅力を発見できた」。

サステナビリティとファッションを考える時について回るのが、「だったらもう服買わなければいいんじゃないですか?」という極論。あえて、というかちょっとすがるような気持ちでこの質問をぶつけてみました。すると綾さんは少し表情を変えて、「私たちはファッションの人間ですから、やめるってことはないんです」と一喝。「私はこの先もファッションが好きな人たちと一緒に未来を見たい。難しい課題があるからこそ、この場所でより良い未来に向かって一緒にクリエーションをしていきたい」と力強く答えてくれました。「デルタ」はファッションの持つ大事なパワーを感じさせてくれる店であり、持続可能な未来を一緒に試行錯誤してくれる心強いパートナーでもあると感じます。

20周年を迎える今年は、原点である音楽とファッションを交えた周年イベントも12月に企画しているそうです。ぜひ「デルタ」の世界観と、そこに集まるコミュニティーを体感してみてください。

The post 尖った服が売れる店、代々木上原「デルタ」の強さの秘訣 「ファッションは生きる行為そのもの」 appeared first on WWDJAPAN.

尖った服が売れる店、代々木上原「デルタ」の強さの秘訣 「ファッションは生きる行為そのもの」

PROFILE: 大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー

大倉綾/「デルタ」オーナー兼バイヤー
PROFILE: 文化服装学院・旧スタイリスト科卒業。ブティックでの販売員などファッション業界でさまざまな経験を積んだ後、2004年に「デルタ」をオープン。2020年に地球環境と人権をテーマにしたプロジェクト「ブレス バイ デルタ」をスタート。デザイン性の高いゼロウエイストなコラボアイテムをさまざまななデザイナーと企画している PHOTO:YOW TAKAHASHI
代々木上原に住んで十数年。この街の好きなところはたくさんありますが、「デルタ(DELTA)」という信頼の置けるセレクトショップがあることもその1つ。周りの業界関係者から「今、尖った服が売れる店」として「デルタ」の名前が挙がることも珍しくありません。商品ラインアップのセンスはさることながら、サステナビリティ分野の担当記者である自分の社会的な正義感とファッションを楽しみたい気持ちを心置きなく発散させてくれる店でもあるんです。同店は今年で20周年を迎えます。そんな節目にオーナーの大倉綾さんに「尖った服が売れる店」の強さの秘訣やフィロソフィーを聞きました。

仕入れの基準は服を通してデザイナーの哲学が見えるかどうか

「デルタ」は当時27歳だった綾さんが、夫の有記さんと一緒に東北沢に5坪の店舗をオープンしたのが始まり。綾さんは学生時代スタイリストを目指して文化服装学院を卒業しますが、実際にスタイリストの仕事で食べていくのはいばらの道。知り合いのブティックなどで販売員としてキャリアをスタートさせます。当時のお客さんから「あなたがお店を出したら通うわ」と言われたことに背中を押され、夫の有記さんと一緒に起業。2004年に東北沢に出店し、08年に現在の場所へと移転しました。

白を基調にした店内は、ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)大丸京都店などを手掛けた建築家の永山祐子氏による設計です。以前はラグジュアリーブランドも扱っていましたが、今は「ノワール ケイ ニノミヤ(NOIR KEI NINOMIYA)」や「ワタル トミナガ(WATARU TOMINAGA)」「ハトラ(HATRA)」など国内ブランドが中心。顧客層は女性を中心に、20代〜50代までと幅広い。業界関係者以外にも、医療関係やクリエイター、SEなどさまざまな職業の人が訪れるそう。

「業界関係者にはよくカテゴライズしづらい店と言われますが、商品はあらかじめテーマを設けたり、スタイリングを想定したりすることもなく自由な感覚で仕入れています。お客さまもブランドにこだわりがなく、その自由さ楽しんでくれている方が多い。大事にしているのは、デザイナーの哲学や人柄が服を通して見えることです」と綾さん。

店作りの際に影響を受けたのは、ニューヨークのインディペンデントカルチャーだったと言います。今は閉店してしまいましたが、「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」をはじめ、ファッションと音楽、カルチャー全体が自然に交わるシーンの面白さにも心を動かされたそう。私自身も初めてニューヨークの「オープニングセレモニー」を訪れたとき、店内に並ぶ服1つ1つの強さに圧倒された記憶がありますが、現在の「デルタ」にも似た感覚を抱きます。

「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店での挑戦

商品ラインアップはもちろんですが、国連(UNHCR)などへの寄付を目的としたチャリティーイベントや、選挙期間中には投票証明書を提示すると割引きになる「選挙割」を実施して投票を促すなど、ファッションを消費するだけで終わらせない店のアティチュードこそ私がこの店を推す理由です。

「ニューヨークに行った時にちょうど選挙期間中で、マーク・ジェイコブスがヒラリー・クリントンのTシャツを作って売っていて、これぞファッションと感じたのを覚えています。さかのぼれば、キャサリン・ハムネットやヴィヴィアン・ウエストウッドなどにも影響を受けてきました。ファッションは時代を映す鏡で、生きるという行為そのもの。そこを無視して服を売ることは、私たちには表面的に見える。店はコミュニケーションの場所で、社会とは切っても切り離せないんです」と綾さんは語ります。

20年には「地球環境と人権」をテーマにした姉妹店「ブレス バイ デルタ」をオープンしました。店内には「ベースマーク(BASE MARK)」によるアップサイクルプロジェクト「リ:マーク プロジェクト(RE:MARK PROJECT)」や、非動物性の素材にこだわる「ビーガンタイガー(VEGAN TIGER)」、社会的運動へのオマージュをテーマにしているパリ発の「カルネボレンテ(CARNE BOLLENTE)」などが並びます。

サステナビリティ担当記者として、環境問題や人権問題を伝える難しさは日々痛感していますが、「デルタ」はそれを軽やかにそしてかっこよく実践します。「私たちも最初は手探りでした。やっぱりモノが持つ力や見た瞬間に楽しさを感じることが絶対です。私たちが上手く提案しているというよりは、サステナブルな理念と両立した良いブランドが出てきたことが大きいと思います」。

コロナ禍のロックダウン中には、産業の環境問題や人権問題に関わる現状を店のスタッフと一緒に学び、「ファッションの根本を考えること」に時間を割いたと言います。「コロナ前から何を基準に仕入れるべきか分からなくなっていたんだと思います。そこである意味、視野を狭めることによってこれまでと違った角度から魅力を発見できた」。

サステナビリティとファッションを考える時について回るのが、「だったらもう服買わなければいいんじゃないですか?」という極論。あえて、というかちょっとすがるような気持ちでこの質問をぶつけてみました。すると綾さんは少し表情を変えて、「私たちはファッションの人間ですから、やめるってことはないんです」と一喝。「私はこの先もファッションが好きな人たちと一緒に未来を見たい。難しい課題があるからこそ、この場所でより良い未来に向かって一緒にクリエーションをしていきたい」と力強く答えてくれました。「デルタ」はファッションの持つ大事なパワーを感じさせてくれる店であり、持続可能な未来を一緒に試行錯誤してくれる心強いパートナーでもあると感じます。

20周年を迎える今年は、原点である音楽とファッションを交えた周年イベントも12月に企画しているそうです。ぜひ「デルタ」の世界観と、そこに集まるコミュニティーを体感してみてください。

The post 尖った服が売れる店、代々木上原「デルタ」の強さの秘訣 「ファッションは生きる行為そのもの」 appeared first on WWDJAPAN.

セブン-イレブンが不得手な“若年層の取り込み”を韓国コスメが解決 「コスメを買いにセブンに来て」

セブン-イレブン・ジャパンは5月25日、韓国コスメブランド「クリオ(CLIO)」の姉妹ブランド「トゥインクルポップ(TWINKLE POP)」を、「トゥインクルポップ バイ クリオ(TWINKLE POP BY CLIO)」の名称で5月25日から全国のセブン-イレブン約2万店舗で発売する。

同社では、韓国のスキンケアアイテムの取り扱いはあったが、メイクアップアイテムを販売するのは初。この新たな試みにセブン-イレブンはどのような可能性を見出すのか、遅澤明子セブン-イレブン・ジャパン商品本部 雑貨・出版部 雑貨マーチャンダイザーに聞いた。

来店客は男性が多く、若年層の取り込みに苦戦していた

WWD:「トゥインクルポップ バイ クリオ」導入の狙いは。

遅澤明子セブン-イレブン・ジャパン商品本部 雑貨・出版部 雑貨マーチャンダイザー(以下、遅澤):セブン-イレブンの中心来店客層は40代以上の男性が多く、若年層の取り込みを不得手としていた。若年層にはセブン-イレブンで化粧品を扱っていることさえ認知されてないのでは?と思い、今回韓国コスメの導入を決めた。

WWD:韓国コスメに商機があるのか。

遅澤:日本輸入化粧品協会によると2022年に韓国からの化粧品の輸入額が長年1位だったフランスを上回るほど韓国のコスメブランドに勢いがある。「トゥインクルポップ」は、韓国では発売後2カ月で全商品が完売したほどの人気ぶり。同ブランドを導入することで、若年層の来店動機になると期待している。

埼玉の一部店舗でテスト販売。Xではプチバズ起こる

WWD:1月からテスト販売を実施し、Xでは「トゥインクルポップ」が話題に。これに関する投稿が2000いいねを獲得するなどのプチバズを起こした。「セブンに行かなくては!」「アイシャドウが気になる」「明日セブンに行ってみる」などのコメントが相次ぎ注目を集めた。

遅澤:埼玉県内の約100店舗でテスト販売を行なったが、販促活動を一切していないにもかかわらず、SNSや口コミで情報が広がり想定を上回る実績を残した。埼玉をテスト販売の地域に選んだのは、都会と地方都市の中間的な位置づけであること、われわれも実際に店頭を確認できることからだ。

WWD:韓国と日本で展開するブランド名が異なる理由は?

遅澤:韓国では「トゥインクルポップ」で展開しているが、日本ではアイシャドウパレットやクッションファンデーションが支持されている「クリオ」の方がなじみのある人が多いだろう。「クリオ」と関係のあるブランドだということを全面的に出した方がより効果が出ると考え「トゥインクルポップ バイ クリオ」とした。

WWD:全国展開にあたり課題は?

遅澤:什器の配置が加盟店によって異なる点。什器は組み立て不要で、段ボールから出してそのまま陳列できるように、各店に届ける。加盟店向けの商品展示会を年に何回か開催しており、そこで効率的な配置やコツなどをレクチャーし、売り上げを最大化できるような発信をした。

セブン-イレブンのコスメブランド「パラドゥ」との棲み分け

WWD:既存のナショナルブランド「パラドゥ」との棲み分けは?

遅澤:「パラドゥ」は、万人受けする品ぞろえやカラー展開で、30〜40代の方を中心に支持を得ている。一方、「トゥインクルポップ」は発色の良いメイクアイテムや華やかなグリッターアイシャドウなどの少し攻めたアイテムを展開するので、若年層に向けてアプローチする。

WWD:競合他社の韓国ブランドは欠品が続出している。

遅澤:商品は欠品を起こさないように強気な商品量を調達した。コスメコーナーの商品数は1.5倍に、売り場は2倍に拡大する。今後は売れ行き次第だが、限定アイテムの販売なども検討したい。

The post セブン-イレブンが不得手な“若年層の取り込み”を韓国コスメが解決 「コスメを買いにセブンに来て」 appeared first on WWDJAPAN.

【密着】「コウタグシケン」ができるまで 優しさとユーモア溢れるニットに込めた思い

「コウタグシケン(KOTA GUSHIKEN)」は、“knitwear for human beings.”をコンセプトに、国籍も肌の色もバックグラウンドもセクシャリティーも関係なく、老若男女全ての人に向けたニットを手掛けるニットブランドだ。デザイナーの具志堅幸太は、東京都と日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)主催の「東京ファッションアワード 2024(TOKYO FASHION AWARD 2024)」を23年に受賞し、今年3月の「楽天 ファッション ウィーク東京」でブランド初のショーを開催した。ショーには芸人の又吉直樹と好井まさお、アーティストの酩酊麻痺が出演し、コントとライブパフォーマンスという異例のコレクション発表で観客を沸かせた。「WWDJAPAN」は当日の舞台裏に密着し、ショー後にはアトリエでデザイナーの学生時代を振り返りながら、クリエイションの真髄に迫った。

ニットに目覚めたセントマ時代

WWDJAPAN(以下、WWD):ファッションに興味を持ったきっかけは?

具志堅幸太デザイナー(以下、具志堅):僕の最初の記憶では幼稚園のころ。それまでは母親が選んでくれた服を着ていたのが、ある日「この服は着たくない。今日から自分で選ぶ」と母に伝えたことを覚えている。そのころから好きな服を好きなようにスタイリングしたいというこだわりを持っていた気がする。小学生時代はスポーツに夢中で、中学受験して進学したものの、この先の自分の人生が、大学に入って、いい会社に就職して……と透けて見えた気がして。高校生のころに体調を崩して何度か入院し、時間が存分にあったので将来についていろいろ考えるうちに、自分の好きなファッションに挑戦してみようと思い立った。

WWD:ファッションを学んだのはいつから?

具志堅:高校3年の1年間、バンタンハイスクールに毎週日曜日に通った。アルミホイルでスカートを作るなど、頭の中で思い描いたものを表現する面白さを初めて知り、デザイナーになりたいと思った。

WWD:英セントラル・セント・マーチンズ(以下、セント・マーチンズ)のニット科に進学した理由は?

具志堅:バンタンで当時講師だった中里唯馬さん(「ユイマ ナカザト」デザイナー)がオランダのアントワープ王立芸術アカデミー出身で、海外の大学に進学するという選択肢を教わった。中でもセント・マーチンズのニット科とプリント科の学生の作品に惹かれ、進学を決意した。先輩から、ニット科の自由な学風を聞いてニット科を選んだ。

WWD:実際、ニット科はどうだった?

具志堅:当時は縫製やパターンの技術がなく、自分が何を作りたいのか、何を作れるのかさえ分からなかった。ニット科の初月に“家庭機”とよばれる家庭用編み機の使い方を学ぶ授業があり、実際に操作してみたら、自分が作ったとは思えないぐらいきれいな編み地のニットができた。何かを思い描いても形にできなかった自分が、糸から布を作り、ものづくりできることに感動し、「この機械、魔法じゃん!」と(笑)。それからニットにのめり込んでいった。

WWD:その後の学生生活は?

具志堅:セント・マーチンズ3年目の職業体験期間で、イタリアにある元ニット工場のモダテカ・ディアナで1カ月インターンを経験した。創業者のディアナ・フェレッティ・ヴェローニ(Deanna Ferretti Veroni)さんは、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のニットも手掛けていた方。そこで働きながら、膨大なアーカイブや本を見てひたすらリサーチしていた。その後はプリントやカラフルなニットウエアに定評のある「クリスチャン・ワイナンツ(CHRISTIAN WIJNANTS)」や「ディオール(DIOR)」でインターンをした。ラフ・シモンズ(Raf Simons)がクリエイティブ・ディレクターを務めていた時代で、彼が表現する「ディオール」が好きだったので働きたかった。

WWD:印象深い思い出は?

具志堅:ニット担当の上司に「幸太、かぎ針編みできる?」と聞かれ、全くやったことなかったけれど「できる」と答えたら、糸を10〜20個ほど目の前に置かれ、「何でもいいから好きな編み地を10個作って」と依頼された。上司がいなくなった瞬間、ユーチューブで編み方を調べ、見よう見まねで編んだ(笑)。家庭機でニットの基本を理解していたので、なんとかデザインとして見せられる編み地を提出できた。上司がいい方で、本来はその部署のトップがラフに提案するが、「これは幸太のデザインだから、あなたが提案しなさい」と言ってくれた。本社の広いスペースで緊張しながらラフにデザインを説明し、採用してもらえたのはいい思い出だ。

WWD:「ディオール」の後は?

具志堅:川西遼平さん(「レシス」デザイナー)が、当時パーソンズ美術大学の大学院に通っており、卒業コレクションの制作を手伝ってほしいと頼まれた。セント・マーチンズに入学する際の作品制作でお世話になっていたので、今なら恩返しができるとニューヨークに飛んだ。実は「ディオール」から次のシーズンの仕事のオファーをもらっていたが、「働きたいけれど、先輩と約束しているのでごめんなさい」と断った。その話を遼平さんにしたら、「『ディオール』を蹴って来たのか」と驚きながら喜んでいた(笑)。卒コレを手伝った後は、「プロエンザ スクーラー(PROENZA SCHOULER)」でインターンもした。

着想源は“ファッション以外”

WWD:卒業後に帰国した理由は?

具志堅:就職したかったから。というのも、セント・マーチンズは“クリエイション天国”でとてもいい環境である一方で、ビジネスについては教えてくれない。どのタイミングでサンプルを作り、展示会を開き、どのようにオーダーを取り、工場を見つけるのかなど、ビジネスの流れは何も知らなかったので、今のままではブランドビジネスはできないと感じていた。

WWD:自身のブランドにこだわった理由は?

具志堅:僕の卒業コレクションが「ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion、BoF)」に掲載されたのをきっかけに、就職のオファーが20件ぐらい届いた。伊勢丹からも「新しいコレクションがあれば売りたいので作りませんか?」と連絡をもらい、二つ返事でOKした。商品を見た代々木上原のセレクトショップ「デルタ(DELTA)」からもポップアップのお誘いをもらった。先輩のブランドを中国・上海で手伝う予定だったが、ビザが取れなかったので、ならば自分でブランドを立ち上げようと決めた。

WWD:デザインのインスピレーション源は?

具志堅:僕はファッションデザイナーだけど、音楽を聴いたり映画を観たり、友達と過ごしたりと、ファッションに関わっていない時間の方が圧倒的に多い。自分の日常生活で興味のあることや、感情、言葉をファッションに落とし込んだ方が、ほかとは違うものができると気付いた。完成した服が例え過去に誰かが作ったものに表層的に少し似ていたとしても、プロセスが全く違う。それに、ファッション以外からインスピレーションを受けた方が楽しいし、結果的に独自性や違和感にもつながる。

ファッションとユーモアは近い

WWD:24-25年秋冬コレクションのコンセプトは?

具志堅:一言でいうと、“整理整頓”。普段は展示会が終わったら、1、2カ月ほど地方を訪れたり、友達とライブに行ったりして、インスピレーション探しという名の遊びに繰り出しているが、今回は1月にパリで展示会があり、すぐに準備を始めないといけなかった。とりあえずアトリエの掃除と整理整頓をしたら、心がスッキリした。日本以外でのコレクション発表は大学時代以来。24-25年秋冬コレクションでは、改めてブランドの自己紹介がしたかった。

WWD:“整理整頓”をどう表現した?

具志堅:自己紹介のために昔のコレクションを見直すと、自分のいいところや悪いところを客観的に捉えられて、いいところは伸ばし、弱いところは強化しようと思った。ただ僕は整理整頓が苦手なので、できたところもあれば、できなかったところもある。コンセプトの英字“orgnaseid weIl”も実はスペルが間違っていて、「全然オーガナイズできてないじゃん。でも、それもいっか」という思いを込めている。普段からいいことも悪いことも全てデザインの糧にしているので、そのプロセスをショーでも表現し、ブランドの世界観を見せることができたら、ゲストにとっては楽しい時間になり、コレクションの紹介にもなると考えた。

WWD:コントとライブ形式にした理由は?

具志堅:「東京ファッションアワード」を受賞してショーを開催することになり、何がしたいかを改めて考えた。まず、観客も出演者も、ショーに携わるスタッフも僕自身も、全員が楽しかった、いい時間だったと思えるものにしたかった。好きなバンドのライブに行って良かったという感覚を、自分のショーでも持ってもらえたらすごいことだなと。その思いで構成を考えていたら、又吉直樹さんと好井まさおさん、酩酊麻痺(めいていまひ)が別々に思い浮かび、ダメ元で依頼したら皆さん快く引き受けてくれた。

WWD:演出もユニークだった。

具志堅:大変な状況のときこそユーモアを意識すると、ハッと気付くことやアイデアが生まれることがたくさんある。そういうときのアイデアが好きだ。ファッションとユーモアは遠いところにあるように見えて、ユーモアを突き詰めていくと、ファッションになり得るんだと卒業コレクションで気付いた。きっかけは、ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の「Skin Head Wig」の文字が描かれた作品。ウィッグ(カツラ)なのにスキンヘッドなのが面白くてデザインに取り入れたら、セント・マーチンズのチューターが大笑いで褒めてくれた。自分がかっこいいと思って作品にしたものが笑いにつながるバランス感に引かれ、現在はユーモアを積極的に取り入れている。

WWD:ニットの魅力とは?

具志堅:糸や編み方次第でどんな柄やテクスチャー、形も再現できる自由さ。そして、僕の作品を見た多くの人から“柔らかい”“優しい”と言われ、ニットの柔らかさや体を包み込む安心感にも気付いた。例えば、デニムジャケットやパンツをニットで作ると優しさや柔らかを帯び、同時に違和感も生まれる。そこが魅力だし、面白い。

WWD:最後に、ファッション業界を目指す人へメッセージを一言。

具志堅:ファッション以外もたくさん見た方がいい。結局はそれがファッションに返ってくるから。そして、人も自分も裏切らず、嘘をつかないこと。自分のことも裏切らないのは難しいけれど、自分自身にリスペクトがないと周りにもできないはず。人にも自分にも優しくあってほしい。

The post 【密着】「コウタグシケン」ができるまで 優しさとユーモア溢れるニットに込めた思い appeared first on WWDJAPAN.

【密着】「コウタグシケン」ができるまで 優しさとユーモア溢れるニットに込めた思い

「コウタグシケン(KOTA GUSHIKEN)」は、“knitwear for human beings.”をコンセプトに、国籍も肌の色もバックグラウンドもセクシャリティーも関係なく、老若男女全ての人に向けたニットを手掛けるニットブランドだ。デザイナーの具志堅幸太は、東京都と日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)主催の「東京ファッションアワード 2024(TOKYO FASHION AWARD 2024)」を23年に受賞し、今年3月の「楽天 ファッション ウィーク東京」でブランド初のショーを開催した。ショーには芸人の又吉直樹と好井まさお、アーティストの酩酊麻痺が出演し、コントとライブパフォーマンスという異例のコレクション発表で観客を沸かせた。「WWDJAPAN」は当日の舞台裏に密着し、ショー後にはアトリエでデザイナーの学生時代を振り返りながら、クリエイションの真髄に迫った。

ニットに目覚めたセントマ時代

WWDJAPAN(以下、WWD):ファッションに興味を持ったきっかけは?

具志堅幸太デザイナー(以下、具志堅):僕の最初の記憶では幼稚園のころ。それまでは母親が選んでくれた服を着ていたのが、ある日「この服は着たくない。今日から自分で選ぶ」と母に伝えたことを覚えている。そのころから好きな服を好きなようにスタイリングしたいというこだわりを持っていた気がする。小学生時代はスポーツに夢中で、中学受験して進学したものの、この先の自分の人生が、大学に入って、いい会社に就職して……と透けて見えた気がして。高校生のころに体調を崩して何度か入院し、時間が存分にあったので将来についていろいろ考えるうちに、自分の好きなファッションに挑戦してみようと思い立った。

WWD:ファッションを学んだのはいつから?

具志堅:高校3年の1年間、バンタンハイスクールに毎週日曜日に通った。アルミホイルでスカートを作るなど、頭の中で思い描いたものを表現する面白さを初めて知り、デザイナーになりたいと思った。

WWD:英セントラル・セント・マーチンズ(以下、セント・マーチンズ)のニット科に進学した理由は?

具志堅:バンタンで当時講師だった中里唯馬さん(「ユイマ ナカザト」デザイナー)がオランダのアントワープ王立芸術アカデミー出身で、海外の大学に進学するという選択肢を教わった。中でもセント・マーチンズのニット科とプリント科の学生の作品に惹かれ、進学を決意した。先輩から、ニット科の自由な学風を聞いてニット科を選んだ。

WWD:実際、ニット科はどうだった?

具志堅:当時は縫製やパターンの技術がなく、自分が何を作りたいのか、何を作れるのかさえ分からなかった。ニット科の初月に“家庭機”とよばれる家庭用編み機の使い方を学ぶ授業があり、実際に操作してみたら、自分が作ったとは思えないぐらいきれいな編み地のニットができた。何かを思い描いても形にできなかった自分が、糸から布を作り、ものづくりできることに感動し、「この機械、魔法じゃん!」と(笑)。それからニットにのめり込んでいった。

WWD:その後の学生生活は?

具志堅:セント・マーチンズ3年目の職業体験期間で、イタリアにある元ニット工場のモダテカ・ディアナで1カ月インターンを経験した。創業者のディアナ・フェレッティ・ヴェローニ(Deanna Ferretti Veroni)さんは、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のニットも手掛けていた方。そこで働きながら、膨大なアーカイブや本を見てひたすらリサーチしていた。その後はプリントやカラフルなニットウエアに定評のある「クリスチャン・ワイナンツ(CHRISTIAN WIJNANTS)」や「ディオール(DIOR)」でインターンをした。ラフ・シモンズ(Raf Simons)がクリエイティブ・ディレクターを務めていた時代で、彼が表現する「ディオール」が好きだったので働きたかった。

WWD:印象深い思い出は?

具志堅:ニット担当の上司に「幸太、かぎ針編みできる?」と聞かれ、全くやったことなかったけれど「できる」と答えたら、糸を10〜20個ほど目の前に置かれ、「何でもいいから好きな編み地を10個作って」と依頼された。上司がいなくなった瞬間、ユーチューブで編み方を調べ、見よう見まねで編んだ(笑)。家庭機でニットの基本を理解していたので、なんとかデザインとして見せられる編み地を提出できた。上司がいい方で、本来はその部署のトップがラフに提案するが、「これは幸太のデザインだから、あなたが提案しなさい」と言ってくれた。本社の広いスペースで緊張しながらラフにデザインを説明し、採用してもらえたのはいい思い出だ。

WWD:「ディオール」の後は?

具志堅:川西遼平さん(「レシス」デザイナー)が、当時パーソンズ美術大学の大学院に通っており、卒業コレクションの制作を手伝ってほしいと頼まれた。セント・マーチンズに入学する際の作品制作でお世話になっていたので、今なら恩返しができるとニューヨークに飛んだ。実は「ディオール」から次のシーズンの仕事のオファーをもらっていたが、「働きたいけれど、先輩と約束しているのでごめんなさい」と断った。その話を遼平さんにしたら、「『ディオール』を蹴って来たのか」と驚きながら喜んでいた(笑)。卒コレを手伝った後は、「プロエンザ スクーラー(PROENZA SCHOULER)」でインターンもした。

着想源は“ファッション以外”

WWD:卒業後に帰国した理由は?

具志堅:就職したかったから。というのも、セント・マーチンズは“クリエイション天国”でとてもいい環境である一方で、ビジネスについては教えてくれない。どのタイミングでサンプルを作り、展示会を開き、どのようにオーダーを取り、工場を見つけるのかなど、ビジネスの流れは何も知らなかったので、今のままではブランドビジネスはできないと感じていた。

WWD:自身のブランドにこだわった理由は?

具志堅:僕の卒業コレクションが「ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion、BoF)」に掲載されたのをきっかけに、就職のオファーが20件ぐらい届いた。伊勢丹からも「新しいコレクションがあれば売りたいので作りませんか?」と連絡をもらい、二つ返事でOKした。商品を見た代々木上原のセレクトショップ「デルタ(DELTA)」からもポップアップのお誘いをもらった。先輩のブランドを中国・上海で手伝う予定だったが、ビザが取れなかったので、ならば自分でブランドを立ち上げようと決めた。

WWD:デザインのインスピレーション源は?

具志堅:僕はファッションデザイナーだけど、音楽を聴いたり映画を観たり、友達と過ごしたりと、ファッションに関わっていない時間の方が圧倒的に多い。自分の日常生活で興味のあることや、感情、言葉をファッションに落とし込んだ方が、ほかとは違うものができると気付いた。完成した服が例え過去に誰かが作ったものに表層的に少し似ていたとしても、プロセスが全く違う。それに、ファッション以外からインスピレーションを受けた方が楽しいし、結果的に独自性や違和感にもつながる。

ファッションとユーモアは近い

WWD:24-25年秋冬コレクションのコンセプトは?

具志堅:一言でいうと、“整理整頓”。普段は展示会が終わったら、1、2カ月ほど地方を訪れたり、友達とライブに行ったりして、インスピレーション探しという名の遊びに繰り出しているが、今回は1月にパリで展示会があり、すぐに準備を始めないといけなかった。とりあえずアトリエの掃除と整理整頓をしたら、心がスッキリした。日本以外でのコレクション発表は大学時代以来。24-25年秋冬コレクションでは、改めてブランドの自己紹介がしたかった。

WWD:“整理整頓”をどう表現した?

具志堅:自己紹介のために昔のコレクションを見直すと、自分のいいところや悪いところを客観的に捉えられて、いいところは伸ばし、弱いところは強化しようと思った。ただ僕は整理整頓が苦手なので、できたところもあれば、できなかったところもある。コンセプトの英字“orgnaseid weIl”も実はスペルが間違っていて、「全然オーガナイズできてないじゃん。でも、それもいっか」という思いを込めている。普段からいいことも悪いことも全てデザインの糧にしているので、そのプロセスをショーでも表現し、ブランドの世界観を見せることができたら、ゲストにとっては楽しい時間になり、コレクションの紹介にもなると考えた。

WWD:コントとライブ形式にした理由は?

具志堅:「東京ファッションアワード」を受賞してショーを開催することになり、何がしたいかを改めて考えた。まず、観客も出演者も、ショーに携わるスタッフも僕自身も、全員が楽しかった、いい時間だったと思えるものにしたかった。好きなバンドのライブに行って良かったという感覚を、自分のショーでも持ってもらえたらすごいことだなと。その思いで構成を考えていたら、又吉直樹さんと好井まさおさん、酩酊麻痺(めいていまひ)が別々に思い浮かび、ダメ元で依頼したら皆さん快く引き受けてくれた。

WWD:演出もユニークだった。

具志堅:大変な状況のときこそユーモアを意識すると、ハッと気付くことやアイデアが生まれることがたくさんある。そういうときのアイデアが好きだ。ファッションとユーモアは遠いところにあるように見えて、ユーモアを突き詰めていくと、ファッションになり得るんだと卒業コレクションで気付いた。きっかけは、ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の「Skin Head Wig」の文字が描かれた作品。ウィッグ(カツラ)なのにスキンヘッドなのが面白くてデザインに取り入れたら、セント・マーチンズのチューターが大笑いで褒めてくれた。自分がかっこいいと思って作品にしたものが笑いにつながるバランス感に引かれ、現在はユーモアを積極的に取り入れている。

WWD:ニットの魅力とは?

具志堅:糸や編み方次第でどんな柄やテクスチャー、形も再現できる自由さ。そして、僕の作品を見た多くの人から“柔らかい”“優しい”と言われ、ニットの柔らかさや体を包み込む安心感にも気付いた。例えば、デニムジャケットやパンツをニットで作ると優しさや柔らかを帯び、同時に違和感も生まれる。そこが魅力だし、面白い。

WWD:最後に、ファッション業界を目指す人へメッセージを一言。

具志堅:ファッション以外もたくさん見た方がいい。結局はそれがファッションに返ってくるから。そして、人も自分も裏切らず、嘘をつかないこと。自分のことも裏切らないのは難しいけれど、自分自身にリスペクトがないと周りにもできないはず。人にも自分にも優しくあってほしい。

The post 【密着】「コウタグシケン」ができるまで 優しさとユーモア溢れるニットに込めた思い appeared first on WWDJAPAN.

ポッドキャストから東京ドームまで——ラジオの可能性を拡張する石井玄の仕事術

PROFILE: 石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー

石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー
PROFILE: (いしい・ひかる)1986年埼玉県生まれ。2011年サウンドマン入社。「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」などにディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた。20年ニッポン放送入社。「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」などのプロデュースを担当。21年にはエッセイ「アフタートーク」を刊行。プロデュースした「あの夜を覚えてる」が「2022 62nd ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」ACCグランプリ、Amazonオーディブル「佐藤と若林の3600」が「第4回 JAPAN PODCAST AWARDS」大賞を受賞。24年株式会社玄石を設立。

「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」など数々の人気ラジオ番組にディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた石井玄。近年では「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」や「あの夜を覚えてる」のプロデュース、そして2月18日に行われたラジオイベント「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」では製作総指揮を務めるなど活動の幅を広げている。

「今後さらなる自身の成長ために」と、今年3月にニッポン放送を退社し、新たに株式会社玄石を設立した。今回、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」から独立に至る思いや仕事に対するこだわり、そして気になる今後について話を聞いた。

「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」について

——石井さんの最近のお仕事といえば、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」のお話になるかと思います。“製作総指揮”という肩書きでしたが、実際にはどんなことをされていたんでしょうか?

石井玄(以下、石井):最初は「番組の15周年で何かやろう」と勝手に1人で考えたところから始まっています。だから、製作総指揮なんでしょうね、たぶん(笑)。言い出しっぺみたいな。僕の中で意味合いはそう捉えているんですけど。「具体的に何をやったんですか?」と言われると、全部やったからわからないんです。映画やテレビの世界にも製作総指揮という立場はあるんですけど、そういうことじゃなく、本当に“製作を総指揮した”という(笑)。

——最初から東京ドームでイベントをやることにリアリティーはありました?

石井:いや、ないです。みんなイメージだけで言っていました。「東京ドームでやりたい」って。でも、具体的にどうやるのかを想像して、実行に移した人間がラジオ業界で僕が初めてだったという。誰もやったことがないことをやるんだから、当然大変です。誰に聞いても答えはわからないし、みんなで悩みながら、あまたある選択肢の中から「これが正解なんじゃない?」って選んでいく作業でした。

——石井さんご自身が「東京ドームでやりたい」と思ったのはなぜなんですか?

石井:なんとなくイメージ先行で「東京ドームじゃないか?」ってなったんです。10周年のイベントをやった日本武道館より大きい会場っていっぱいあるんですけど、わかりやすいイメージとして、「武道館の次は東京ドーム」という“大きな間違い”をみんな最初にしていたのがよくなかったんでしょう(苦笑)。本当に何も知らなかったからできたんだと思います。でも、お笑いを、ラジオを、東京ドームでやるのは相当なインパクトになるだろうなと想像していました。リスナーに喜んでもらう。オードリーさんが楽しくやる。もちろん利益を出す。それらも目的だったんですけど、「ラジオってこんなにすごいんだよ」と見せるのもあったし、下を向いているラジオマンたちに「こういうこともできるんだ」って示したかったのはあります。この春にニッポン放送を辞めてから、いろいろなラジオ関係者とお会いして、みんな口々に「本当にすごかった」と言ってくれたんですけど、ポツポツと「悔しかった」「でも勇気をもらった」と言う人もいて。それがうれしかったですね。

——特に若い世代には大きな刺激になったんじゃないかと思います。

石井:各局の人たちと話していても「何かできるんじゃないか」って話になるし、キー局だけじゃなく、全国のラジオマンが「ラジオって捨てたもんじゃないな」と思ってくれたのは、自分でも目指していたところなのでよかったです。

——石井さんは他ジャンルの人やいろんな業界にいるリスナーとつながりながら仕事をしている印象があります。今回のドームでもテレビ界のスタッフさんと一緒に仕事をされていましたが、そこは意識されている部分なんですか?

石井:ラジオしかやってない人と話していると、とんでもなく狭い視野で喋っている場合が多いんです。なぜかラジオの中で競ったりするじゃないですか。これだけエンタメが世の中にあるのに、そんなこと意味がなくて、世界はどれだけ広いんだと。この時代、トップクリエイターはラジオ業界に来ないわけですから、当然、外のトップの人たちと仕事をしないと良いものは作れない。僕は至極当然のことをやっているだけで、それを珍しいと考えるのがよくないなって思っています。この前、TaiTanとも話をしていたんですけど、ラジオの人ってすぐラジオの話をするんですよ。ラジオの話はもういいよっていう。

——そもそも石井さんはラジオが好きで、ラジオ界をどうにかしたいと考えていたわけじゃないですか。でも、一見ラジオ界から離れているようにも見えるんですが。

石井:いや、全然話が違っていて、ラジオをどうにかしたいのに、ラジオの話をしてもしょうがないんです。長い歴史があるから、ノウハウも限界まで行っているし、どこにも新しいヒントは残ってないです。他のエンターテインメントから見ると、どれだけラジオは狭いところを狙ってやっているんだと憤(いきどお)りはあります。みんなもっと外の人と喋ったらいいのにと思っています。僕はこの3年半ぐらい「ラジオの人とはご飯に行かない」ってルールにしていたんで(笑)。他ジャンルの人と喋った方がヒントをくれるというのは絶対にあります。

「今後成長するためにはラジオ局にいてはいけない」

——石井さんはこの春、ニッポン放送を退社して独立されました。そういう感覚も独立したことに影響しているんでしょうか?

石井:あると思います。言葉を選ばず言うと、ラジオ局でこれ以上勉強することはないって思います。「僕が今後成長するためには狭い世界にいてはいけない」というのは辞めた理由の1つです。現状、東京ドームライブはラジオ局の中でできる最大規模のことなんです。もっと大きいことを後輩たちがやるかもしれないし、それは絶対やった方がいいと思うんですけど、それが実現するまで10年ぐらいかかるなら、外に出ちゃった方がいいなって。独立してからすごく感じるんですけど、いろんなジャンルの人たちと喋ってみて、僕自身、本当に知らないことだらけというか(笑)。偉そうに「外と喋れよ」なんて言っていても、僕も知識ゼロだなって。それが今は楽しいですね。イチからというか、ゼロから勉強が始まっているんで、このために辞めたんだなっていうことに気付きました。

——石井さんは制作会社でラジオのディレクターをやられていて、そこからニッポン放送に入社し、イベント関連のプロデューサーを担当されていました。そして、今度は独立。仕事の中身や状況を常に変えていくのは、正直、飽きっぽいところもあるんでしょうか?

石井:あると思います。何でものめり込んでやってしまうので、あとから振り返ると「もう1回やるのは大変だな」と思うし、同じことが何回もできないんですね。ここ数年でそれに気付きました。

——でも、ラジオ番組の制作ってある意味、毎週放送を繰り返していくものじゃないですか。

石井:番組の中で話していることは毎回違うじゃないですか。置かれた位置とか、喋る内容とかはちょっとずつ変わっていくので、それはいいと思うんですけど、僕自身の作業が同じになってくると飽きちゃうというか、攻略できちゃった感じになるんです。ゲームが好きなんですけど、クリアしたらもうやらないじゃないですか。偉そうなことを言ったらたたかれるかもしれないですけど(笑)、ラジオの作り方は大体わかったんです。「オールナイトニッポン」の作り方もわかりました。こうやればうまくいくというメソッドができあがりました。

もちろんもっと続けていけばさらに新しいことはできると思うんですけど、いったん愚直に繰り返す時期を過ぎたら、飽きちゃって辞めようって思ったんです。イベントもそうなんですけど、一度作り方がわかってきちゃうと、もう刺激を感じないですね。東京ドームは全然わからなかったんで、メチャクチャ面白かったです。

——ゲームで言うと、やり込み要素まで一気に全部やってしまうと。

石井:そういうタイプなんです。レベルもカンストして、アイテムも全部集めちゃっているから、違うゲームをやりたいと。もちろん厳密にはカンストしていないかもしれないですけど、現状できる部分ではカンストしたんで。そのままずっと同じゲームをやる人もいるじゃないですか。僕はそれができないんです。明確なクリアがないから、オンラインゲームは、まったくできないんですよ(笑)。

——仕事を変化させていくことに不安や戸惑いはないんですか?

石井:まったくないですね。今回、辞めるにあたって、先のことは何も決めてないんですよ。会社を作ってみよう。ポッドキャストの仕事はとりあえずあるから、最低限の生活はできるだろう。これでスタートするのが一番ワクワクするなって。だから、装備ゼロでゲームの世界に出ていく感じですよ。

——そうしないと興奮しないと。

石井:それは絶対にあると思います。ちょっとヤバいかもしれないですね。東京ドームでも当日はあまり興奮しなかったんです。それよりも、武道館ライブのときや「あの夜を覚えてる」(石井がプロデューサーを務めた生配信舞台演劇ドラマ)の方が血湧き肉躍る感覚があって。もちろんドームはすごいことだと思ったし、リスナーの姿を見てうれしかったし、感動したし、充実感はあったんですけど、優秀なスタッフがいてしっかり準備していたので、途中から成功は見えていて。こんなことを言ったら怒られるんですけど、もうちょっと不安要素を持ったままやればよかったなと思ったりしていました。「もっとトラブルがあったら面白いのに」と思っている時点で、そんな奴が製作総指揮じゃダメだろうと(笑)。

——このまま突き進んだら、どこまで行っちゃうんだろうって話ですね(笑)。

石井:だから、1回フラットにしなきゃいけないんです。会社を作るにあたっても、辞める前に全部決まっていたら僕はダメなんです。辞めたらすぐにYouTubeチャンネルが始まって、あれよあれよと配信系の大型企画の仕事が決まって大当たりして……みたいな動きはまったくしてなくて。テレビ局員の方が会社を辞めるときって「できない仕事があったから」という理由が多いんですけど、僕は特にそれがなくて、ほとんど何でもやれていました。それよりも、「何も決まらないまま辞めたらどうなっちゃうんだろう」という期待感が一番強かったです。

ただ、辞めてから3週間(取材時)ぐらい経ったんですけど、結構順調に仕事の依頼が来ちゃったので、それに関してはちょっともう飽きちゃっていますね(笑)。ありがたいんですけど、もうちょっと、どうなるかわかんないって時期が欲しかったなと。

「組織にいることが本当に向いてない」

——ポッドキャスト(「滔々あの夜咄」)でも仰っていましたけど、会社員は向いてなかったと?

石井:組織にいることは本当に向いてないと思います。一般的にどんな会社でも、結局、最後は上層部が物事を決めますよね。「なんで自分が決められないんだろう」と思うタイプなので。本当に自分が正しいかどうかはわからないですけど、仮説を立てて、長い時間かけて考えて導き出した答えが、明確な理由なく通らないことがあるじゃないですか。僕は「先輩が言うんだから間違いないだろう」と単純に考えたことがないですし、信用している人でさえも言っていることを鵜呑みにはしないです。上下ではなく、正しいことに決定権があるべきだと思っていますし。それは向いてないでしょう(笑)。ただ、会社とはそういう組織であるから、僕が間違ってますし、いなくなるべきは僕の方だなと気付きました。適応できないのは能力が低いからですし。

——仕事を始めたころからそういうスタンスだったんですか?

石井:最初から言うことは聞かなかったと思います。もちろん正しいことを言われたら聞きます。結果、生意気だと言われたし、言うこと聞かないって言われたし、怒られてばっかりでした。特に若いころはそういう感情を隠そうとしなかったですね。さすがに今はうまく隠せる場面もありました。そこは少し適応できたと思います(笑)。

——自分なりの折り合いのつけ方はあるんですか?

石井:ないです。僕は「言うだけ言いますよ」というスタンスだったので、発言はしていました。「間違っているけどな」と思いながら従わざるを得ないところは、どんな会社でも絶対ありますよね。ゼロにはできない。偉い人でも自分の本意じゃないこともあるかもしれないですしね。

——そこはどんな会社にいてもぶつかる問題点かもしれませんね。

石井:理由があって通らないならいいんですけど、よくわからない話だったら、「なんでなんだろう?」と疑問に思っちゃうんで。学生のころからそうですね。学校のルールなんて、学校側の都合で作られた守る必要のないルールもあるじゃないですか。その度に反発してました。

——もし若い人たちに「石井さんのようにどんどんもの申した方がいいですか?」と相談されたら、どうしますか?

石井:僕に責任は取れないけど、言いたかったら言ったらいいんじゃないですかね。そうなると社内で圧倒的な結果を出すしかないんです。結果を出したら、みんな話を聞いてくれますから。でも、それはそれで嫌なんですよね。結果を出したらその人の意見に耳を傾けるんじゃなく、新入社員でも建設的な意見を出す人がいたら、聞くべきです。だから、僕が作っているチームでは誰でも自由に発言してもらって、良かったら採用するようにして、なるべく「この人が言ったから」みたいなことはないように心がけていました。「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が重要です。

——立場は関係ないと。

石井:東京ドームライブを一緒に作ったあるスタッフさんに言われたんですけど、人数が多い会議でいろんな意見が出た際に、「石井さんはいろんなタイプの人間が悩んだりもめているとき、一番冷静に都度正解を出し続けるのが異常だ」って言われて、ああ、そこが僕の特徴かなと思いました。以前は、僕が「じゃあ、こうしましょう」と言った時に「なんでそうなった?」とメンバーがついて来られない時があったんです。東京ドームの会議ではテレビ業界の優秀なディレクターさんたちと仕事をしましたけど、みんな話が通じるのでやりやすかったですね。しかも、僕よりも建設的な意見を出してくれる先輩方でしたから、まだまだ経験値が足りないなと思えたのは、うれしかったですね。

——仕事で失敗したときは落ち込むんですか?

石井:落ち込まないですね。失敗したら、「まあ、そうか。あれがダメだったんだ。今後気をつけよう」っていう。信じて疑わないみたいなことがあまりないんで、どこかで「失敗するかもしれない」と思いながらやっていますから。だから、気付かなかった自分がよくないなと思うぐらいですね。

——人のミスに対しても感情的にはならない?

石井:だから、逆に言うと冷たいです(笑)。余裕があれば話したり、注意したりしますけど、余裕がない時はミスの原因に触れず、その先にどうするかをまず話します。「こうやったら最小限に被害を抑えられるから、そうしてください」って。ミスをした本人は落ち込んでいると思うんですけど、僕は「関係ないんで。次いきましょう」っていう。事前に話していたことをやらないでミスしたら怒りますけど、だいたいそういうときって、僕も含めて誰も気付かなくて、どうしようもない場合が多いですから、誰の責任でもないです。

——東京ドームでは製作総指揮としてたくさんの会議に参加していたそうですね。2023年はドームと同時に複数のイベントに関わっていたそうですが、マルチタスクはどんな風にこなしていますか?

石井:よく聞かれるんですけど、ゲームのRPGが一番特訓になっているかもしれないですね(笑)。今のRPGっていわゆる本筋のほかに無数のサブクエストがあるじゃないですか。あれをやるとマルチタスクができるようになります。サブクエストを一気に受けておくんです。それで、本筋を進めつつ、サブクエストもあるから、「ここでレベル上げをしながら、1回前の町に戻ったら最短距離になる」なんて考えるんです。僕はとにかく効率的にサブクエストをこなそうとするんで。横で見ている妻に「そんなにサブクエストをやらなくてもいいんじゃない? 早く本筋を進めるところが見たい」ってよく言われるんですけど(苦笑)。こういうゲームの進め方と仕事も一緒ですね。

——今はインプットの重要性がよく話題になりますが、石井さんはどんな風に意識されていますか?

石井:僕は3年前からいわゆるインプットをしないと決めていて。見たいものを見るというスタンスですね。送られてきた本も読みたいと思わなきゃ読まないですし、「あの映画は話題になっているから見に行かなきゃ」という感覚では行かないという。それはテレビもラジオも同じです。インプットと思った時点で仕事になるじゃないですか。だから、やめたんですよ。基礎知識として何でもかんでも見る時期はあったんですけど。最近いろんな人と会って話をするのがインプットになっているなと感じているんですけど、だからこそ「人とご飯を食うのはちょっと嫌だな」って思い始めています(笑)。好きな人とは行きたいです。

——石井さんが仕事をする上で「これだけは大切にしている」ことは何ですか?

石井:「手を抜かないこと」でしょうか。座組が大きくなると、やっぱりトップの人間が一番やらないとみんなもやらないので、自然とそうなってます。手を抜かないし、諦めない。「これはもう無理です」と言われても、こねくり回してなんとかするという。

——妥協はしない?

石井:「妥協」という言葉が正しいかどうかわかりません。残された選択肢の中でどれが一番クオリティーが上がるかを考えたときに、「これはむしろ諦めた方がいいよね」と判断するのは妥協と呼ぶかわからないじゃないですか。ただ、最適解がはっきりしているのに、「よくわからない人がよくわからないことを言ってるからダメ」みたいなことは絶対に許さないです。それで諦めたら「妥協」なんでしょうけど、僕はそれを通すので、妥協はしていない感覚ではいます。

独立後について

石井玄

——今後、具体的にやりたいことってイメージしていますか?

石井:何もなくて辞めたんですけど、ようやく最近見えてきて、ああこれが僕のやることかなと思った出来事があったんです。山梨放送の服部廉太郎さんという25歳のアナウンサーがキッカケで。会社のHPの問い合わせフォームから連絡が来たんですけど、「山梨放送が70周年だからイベントをやるんです。それを盛り上げたいんですけど、一緒にやってくれませんか? お金はないので、僕の給料から少し出します」みたいに書いてあったんで、「これは!!!」と思って。そういう方向で打ち合わせをして、この前は希望された山梨放送の社員の方を対象にセミナーをしました。他にも、関東のキー局の方ともいろいろと話をしていて、できることはたくさんあるし、各局に僕より上の年齢でも面白い人はいるし、やる気がある人もいるし、この人たちと仕事をすれば、ラジオを盛り上げられるんじゃないかと思いました。「こういうことができるのは自分しかいないんじゃないか」と。あとはTBSラジオの松重(暢洋)君ですよ。

——民放onlineのコラムで、オードリーの東京ドームイベントに「最後の絶望」と称してライバル心と悔しさをあらわにし、話題になりました。

石井:彼とご飯を食べたんですけど、「TBSラジオを盛り上げたいんです」という気持ちを聞いて、じゃあ、何かやろうと。何にも決まってないんですけど、今もずっとLINEのやりとりはしてます。彼のような若い世代に僕がやってきたことを伝えて、何か新しいものを作る手助けをするのが、自分の役割だなと。会社名を「玄石」(※磁石の意味)にしたことからもわかる通り、さまざまな人と人をくっつけるのが役割だと思うので。いろいろな人と会い続けて喋っていると面白くて、「こういうことをやりたいんですよ」と言われたときに「じゃあ、この間、会ったあの人とやったらいいんじゃないですか?」ってすぐ提案できるんです。ラジオ局同士でもそういう化学反応が起きたらいいなと思います。あとは、若い世代がやりたいことを、上の世代の方は邪魔しないであげてほしいですね。

——最近、石井さんが関わってきたお仕事って、ラジオと関係はあるけれど、現実的にはラジオではないじゃないですか。ラジオからはみ出したいみたいな気持ちはあるんですか?

石井:はみ出したいって気持ちはないですが、ラジオ以外にもある面白いことをやりたいという気持ちはあります。でも、ラジオはずっと好きだから、なくなったら悲しいじゃないですか。ただ、「ラジオ業界」なんて言うけど、実際はそんなものないんですよ。そもそもそんな括りはないし、そこにこだわりは全くなくて。

——2021年に発売された石井さんの著書「アフタートーク」(KADOKAWA )には「ぼくがラジオに救われたように、ラジオが未来永劫続いて、まだ見ぬ未来のリスナーを救って欲しい。それが、僕が生きている理由で、今まで仕事をしてきた理由で、これからも仕事をする理由です」という印象的な言葉が書かれています。当時と立場や状況も違いますが、この気持ちは変わらないですか?

石井:そうですね。今もその気持ちはあると思います。今、仕事のオファーをしてくれるのって、僕の作った番組を聴いたりとか、僕の関わったイベントに参加したりとか、そういう人が多いんです。特に「アフタートーク」を読んでいる人と「滔々あの夜咄」(石井がパーソナリティを務めていたポッドキャスト)を聴いていた人がほとんど。そういう人たちに対して何かしてあげたいという気持ちが、どちらかというと今は強いかもしれないです。その人たちはラジオが好きで、なにかやりたいと。僕を入り口の1つにして好きになってくれているので、そういう人たちと一緒にやっていったら面白いだろうなって。ラジオだけじゃなく、音声コンテンツやポッドキャストを含めた全体が凝り固まっているので、一度かき混ぜて大きなうねりを作りたいなと(笑)。

——今回のインタビューをするにあたって、石井さんのことを改めて調べたんですが、本当にたくさんの媒体で取材を受けていますよね。「アフタートーク」も含めてですが、ここまで発信をしているラジオのスタッフはほとんどいないので、業界を目指す人たちの指針になっているんじゃないかと。それは素晴らしいことだと思います。

石井:松重君が言っていましたよ。「石井さんは全部を刈り取ってしまった。どうしてくれるんですか?」って(笑)。でも、取材を受けるのも若いラジオマンに対してのメッセージなんです。申し訳ないけど、過去を見てる人たちは相手にしてなくて。やっぱり僕は未来にベットしたい。彼らががんばらないとラジオが終わってしまうから。もう僕の世代も役割が終わったと思っています。ここからいくらがんばったって、あと5年10年経ったら僕なんて何の役にも立たないです。今、20代から30代前半のラジオマンがどうがんばるのか。それを手助けしたいなって思います。あと、制作会社を辞めてニッポン放送に入ったのも、今回独立したのも、「こういう道があるよ」というメッセージでもあるんです。制作会社でもがんばっていれば局員になれる。まだどれだけ面白いものが作れるかわからないけれど、独立もできると。そういう道筋があるなら、ラジオのスタッフを目指す人も増えるだろうなって。

——そして、松重さんのように影響を受けた人たちが出てきていると。

石井:山梨放送の方と話していて、グッズやポッドキャストの重要性を説明しても「僕らじゃそういうのってできないんですよね」って言うんですよ。若いスタッフじゃなく、僕よりも年上の方たちですけど。やってないんだったら、できるかできないかなんてまだわからないじゃないですか。「座して死を待つつもりですか?」という。これは原文そのままで言いました。かつてニッポン放送や制作会社でも言ったんですけど。

「このままあなたたちは死んでも逃げ切れるからいいけど、僕らや下の世代は死にたくないから、やらないといけないんです」というのはずっと思っていることです。「逃げ切ろう」としてる人の相手をしてる場合じゃない。だから、僕は外に出ないといけないって思いました。これを読んだラジオに関わる人たちが、奮い立ったり、怒りを感じたり、嫉妬したり、悲しくなったり、何でもよいので感情が出てきて、なにか行動を起こしてくれることを期待してます。その時に協力できることがあれば、何でもやりたいです。いろいろと言いましたが、ラジオとポッドキャストを盛り上げるためにガンガンいくので、「皆さんご協力を何卒よろしくお願いいたします」って結論ですね。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)

The post ポッドキャストから東京ドームまで——ラジオの可能性を拡張する石井玄の仕事術 appeared first on WWDJAPAN.

ポッドキャストから東京ドームまで——ラジオの可能性を拡張する石井玄の仕事術

PROFILE: 石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー

石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー
PROFILE: (いしい・ひかる)1986年埼玉県生まれ。2011年サウンドマン入社。「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」などにディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた。20年ニッポン放送入社。「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」などのプロデュースを担当。21年にはエッセイ「アフタートーク」を刊行。プロデュースした「あの夜を覚えてる」が「2022 62nd ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」ACCグランプリ、Amazonオーディブル「佐藤と若林の3600」が「第4回 JAPAN PODCAST AWARDS」大賞を受賞。24年株式会社玄石を設立。

「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」など数々の人気ラジオ番組にディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた石井玄。近年では「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」や「あの夜を覚えてる」のプロデュース、そして2月18日に行われたラジオイベント「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」では製作総指揮を務めるなど活動の幅を広げている。

「今後さらなる自身の成長ために」と、今年3月にニッポン放送を退社し、新たに株式会社玄石を設立した。今回、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」から独立に至る思いや仕事に対するこだわり、そして気になる今後について話を聞いた。

「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」について

——石井さんの最近のお仕事といえば、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」のお話になるかと思います。“製作総指揮”という肩書きでしたが、実際にはどんなことをされていたんでしょうか?

石井玄(以下、石井):最初は「番組の15周年で何かやろう」と勝手に1人で考えたところから始まっています。だから、製作総指揮なんでしょうね、たぶん(笑)。言い出しっぺみたいな。僕の中で意味合いはそう捉えているんですけど。「具体的に何をやったんですか?」と言われると、全部やったからわからないんです。映画やテレビの世界にも製作総指揮という立場はあるんですけど、そういうことじゃなく、本当に“製作を総指揮した”という(笑)。

——最初から東京ドームでイベントをやることにリアリティーはありました?

石井:いや、ないです。みんなイメージだけで言っていました。「東京ドームでやりたい」って。でも、具体的にどうやるのかを想像して、実行に移した人間がラジオ業界で僕が初めてだったという。誰もやったことがないことをやるんだから、当然大変です。誰に聞いても答えはわからないし、みんなで悩みながら、あまたある選択肢の中から「これが正解なんじゃない?」って選んでいく作業でした。

——石井さんご自身が「東京ドームでやりたい」と思ったのはなぜなんですか?

石井:なんとなくイメージ先行で「東京ドームじゃないか?」ってなったんです。10周年のイベントをやった日本武道館より大きい会場っていっぱいあるんですけど、わかりやすいイメージとして、「武道館の次は東京ドーム」という“大きな間違い”をみんな最初にしていたのがよくなかったんでしょう(苦笑)。本当に何も知らなかったからできたんだと思います。でも、お笑いを、ラジオを、東京ドームでやるのは相当なインパクトになるだろうなと想像していました。リスナーに喜んでもらう。オードリーさんが楽しくやる。もちろん利益を出す。それらも目的だったんですけど、「ラジオってこんなにすごいんだよ」と見せるのもあったし、下を向いているラジオマンたちに「こういうこともできるんだ」って示したかったのはあります。この春にニッポン放送を辞めてから、いろいろなラジオ関係者とお会いして、みんな口々に「本当にすごかった」と言ってくれたんですけど、ポツポツと「悔しかった」「でも勇気をもらった」と言う人もいて。それがうれしかったですね。

——特に若い世代には大きな刺激になったんじゃないかと思います。

石井:各局の人たちと話していても「何かできるんじゃないか」って話になるし、キー局だけじゃなく、全国のラジオマンが「ラジオって捨てたもんじゃないな」と思ってくれたのは、自分でも目指していたところなのでよかったです。

——石井さんは他ジャンルの人やいろんな業界にいるリスナーとつながりながら仕事をしている印象があります。今回のドームでもテレビ界のスタッフさんと一緒に仕事をされていましたが、そこは意識されている部分なんですか?

石井:ラジオしかやってない人と話していると、とんでもなく狭い視野で喋っている場合が多いんです。なぜかラジオの中で競ったりするじゃないですか。これだけエンタメが世の中にあるのに、そんなこと意味がなくて、世界はどれだけ広いんだと。この時代、トップクリエイターはラジオ業界に来ないわけですから、当然、外のトップの人たちと仕事をしないと良いものは作れない。僕は至極当然のことをやっているだけで、それを珍しいと考えるのがよくないなって思っています。この前、TaiTanとも話をしていたんですけど、ラジオの人ってすぐラジオの話をするんですよ。ラジオの話はもういいよっていう。

——そもそも石井さんはラジオが好きで、ラジオ界をどうにかしたいと考えていたわけじゃないですか。でも、一見ラジオ界から離れているようにも見えるんですが。

石井:いや、全然話が違っていて、ラジオをどうにかしたいのに、ラジオの話をしてもしょうがないんです。長い歴史があるから、ノウハウも限界まで行っているし、どこにも新しいヒントは残ってないです。他のエンターテインメントから見ると、どれだけラジオは狭いところを狙ってやっているんだと憤(いきどお)りはあります。みんなもっと外の人と喋ったらいいのにと思っています。僕はこの3年半ぐらい「ラジオの人とはご飯に行かない」ってルールにしていたんで(笑)。他ジャンルの人と喋った方がヒントをくれるというのは絶対にあります。

「今後成長するためにはラジオ局にいてはいけない」

——石井さんはこの春、ニッポン放送を退社して独立されました。そういう感覚も独立したことに影響しているんでしょうか?

石井:あると思います。言葉を選ばず言うと、ラジオ局でこれ以上勉強することはないって思います。「僕が今後成長するためには狭い世界にいてはいけない」というのは辞めた理由の1つです。現状、東京ドームライブはラジオ局の中でできる最大規模のことなんです。もっと大きいことを後輩たちがやるかもしれないし、それは絶対やった方がいいと思うんですけど、それが実現するまで10年ぐらいかかるなら、外に出ちゃった方がいいなって。独立してからすごく感じるんですけど、いろんなジャンルの人たちと喋ってみて、僕自身、本当に知らないことだらけというか(笑)。偉そうに「外と喋れよ」なんて言っていても、僕も知識ゼロだなって。それが今は楽しいですね。イチからというか、ゼロから勉強が始まっているんで、このために辞めたんだなっていうことに気付きました。

——石井さんは制作会社でラジオのディレクターをやられていて、そこからニッポン放送に入社し、イベント関連のプロデューサーを担当されていました。そして、今度は独立。仕事の中身や状況を常に変えていくのは、正直、飽きっぽいところもあるんでしょうか?

石井:あると思います。何でものめり込んでやってしまうので、あとから振り返ると「もう1回やるのは大変だな」と思うし、同じことが何回もできないんですね。ここ数年でそれに気付きました。

——でも、ラジオ番組の制作ってある意味、毎週放送を繰り返していくものじゃないですか。

石井:番組の中で話していることは毎回違うじゃないですか。置かれた位置とか、喋る内容とかはちょっとずつ変わっていくので、それはいいと思うんですけど、僕自身の作業が同じになってくると飽きちゃうというか、攻略できちゃった感じになるんです。ゲームが好きなんですけど、クリアしたらもうやらないじゃないですか。偉そうなことを言ったらたたかれるかもしれないですけど(笑)、ラジオの作り方は大体わかったんです。「オールナイトニッポン」の作り方もわかりました。こうやればうまくいくというメソッドができあがりました。

もちろんもっと続けていけばさらに新しいことはできると思うんですけど、いったん愚直に繰り返す時期を過ぎたら、飽きちゃって辞めようって思ったんです。イベントもそうなんですけど、一度作り方がわかってきちゃうと、もう刺激を感じないですね。東京ドームは全然わからなかったんで、メチャクチャ面白かったです。

——ゲームで言うと、やり込み要素まで一気に全部やってしまうと。

石井:そういうタイプなんです。レベルもカンストして、アイテムも全部集めちゃっているから、違うゲームをやりたいと。もちろん厳密にはカンストしていないかもしれないですけど、現状できる部分ではカンストしたんで。そのままずっと同じゲームをやる人もいるじゃないですか。僕はそれができないんです。明確なクリアがないから、オンラインゲームは、まったくできないんですよ(笑)。

——仕事を変化させていくことに不安や戸惑いはないんですか?

石井:まったくないですね。今回、辞めるにあたって、先のことは何も決めてないんですよ。会社を作ってみよう。ポッドキャストの仕事はとりあえずあるから、最低限の生活はできるだろう。これでスタートするのが一番ワクワクするなって。だから、装備ゼロでゲームの世界に出ていく感じですよ。

——そうしないと興奮しないと。

石井:それは絶対にあると思います。ちょっとヤバいかもしれないですね。東京ドームでも当日はあまり興奮しなかったんです。それよりも、武道館ライブのときや「あの夜を覚えてる」(石井がプロデューサーを務めた生配信舞台演劇ドラマ)の方が血湧き肉躍る感覚があって。もちろんドームはすごいことだと思ったし、リスナーの姿を見てうれしかったし、感動したし、充実感はあったんですけど、優秀なスタッフがいてしっかり準備していたので、途中から成功は見えていて。こんなことを言ったら怒られるんですけど、もうちょっと不安要素を持ったままやればよかったなと思ったりしていました。「もっとトラブルがあったら面白いのに」と思っている時点で、そんな奴が製作総指揮じゃダメだろうと(笑)。

——このまま突き進んだら、どこまで行っちゃうんだろうって話ですね(笑)。

石井:だから、1回フラットにしなきゃいけないんです。会社を作るにあたっても、辞める前に全部決まっていたら僕はダメなんです。辞めたらすぐにYouTubeチャンネルが始まって、あれよあれよと配信系の大型企画の仕事が決まって大当たりして……みたいな動きはまったくしてなくて。テレビ局員の方が会社を辞めるときって「できない仕事があったから」という理由が多いんですけど、僕は特にそれがなくて、ほとんど何でもやれていました。それよりも、「何も決まらないまま辞めたらどうなっちゃうんだろう」という期待感が一番強かったです。

ただ、辞めてから3週間(取材時)ぐらい経ったんですけど、結構順調に仕事の依頼が来ちゃったので、それに関してはちょっともう飽きちゃっていますね(笑)。ありがたいんですけど、もうちょっと、どうなるかわかんないって時期が欲しかったなと。

「組織にいることが本当に向いてない」

——ポッドキャスト(「滔々あの夜咄」)でも仰っていましたけど、会社員は向いてなかったと?

石井:組織にいることは本当に向いてないと思います。一般的にどんな会社でも、結局、最後は上層部が物事を決めますよね。「なんで自分が決められないんだろう」と思うタイプなので。本当に自分が正しいかどうかはわからないですけど、仮説を立てて、長い時間かけて考えて導き出した答えが、明確な理由なく通らないことがあるじゃないですか。僕は「先輩が言うんだから間違いないだろう」と単純に考えたことがないですし、信用している人でさえも言っていることを鵜呑みにはしないです。上下ではなく、正しいことに決定権があるべきだと思っていますし。それは向いてないでしょう(笑)。ただ、会社とはそういう組織であるから、僕が間違ってますし、いなくなるべきは僕の方だなと気付きました。適応できないのは能力が低いからですし。

——仕事を始めたころからそういうスタンスだったんですか?

石井:最初から言うことは聞かなかったと思います。もちろん正しいことを言われたら聞きます。結果、生意気だと言われたし、言うこと聞かないって言われたし、怒られてばっかりでした。特に若いころはそういう感情を隠そうとしなかったですね。さすがに今はうまく隠せる場面もありました。そこは少し適応できたと思います(笑)。

——自分なりの折り合いのつけ方はあるんですか?

石井:ないです。僕は「言うだけ言いますよ」というスタンスだったので、発言はしていました。「間違っているけどな」と思いながら従わざるを得ないところは、どんな会社でも絶対ありますよね。ゼロにはできない。偉い人でも自分の本意じゃないこともあるかもしれないですしね。

——そこはどんな会社にいてもぶつかる問題点かもしれませんね。

石井:理由があって通らないならいいんですけど、よくわからない話だったら、「なんでなんだろう?」と疑問に思っちゃうんで。学生のころからそうですね。学校のルールなんて、学校側の都合で作られた守る必要のないルールもあるじゃないですか。その度に反発してました。

——もし若い人たちに「石井さんのようにどんどんもの申した方がいいですか?」と相談されたら、どうしますか?

石井:僕に責任は取れないけど、言いたかったら言ったらいいんじゃないですかね。そうなると社内で圧倒的な結果を出すしかないんです。結果を出したら、みんな話を聞いてくれますから。でも、それはそれで嫌なんですよね。結果を出したらその人の意見に耳を傾けるんじゃなく、新入社員でも建設的な意見を出す人がいたら、聞くべきです。だから、僕が作っているチームでは誰でも自由に発言してもらって、良かったら採用するようにして、なるべく「この人が言ったから」みたいなことはないように心がけていました。「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が重要です。

——立場は関係ないと。

石井:東京ドームライブを一緒に作ったあるスタッフさんに言われたんですけど、人数が多い会議でいろんな意見が出た際に、「石井さんはいろんなタイプの人間が悩んだりもめているとき、一番冷静に都度正解を出し続けるのが異常だ」って言われて、ああ、そこが僕の特徴かなと思いました。以前は、僕が「じゃあ、こうしましょう」と言った時に「なんでそうなった?」とメンバーがついて来られない時があったんです。東京ドームの会議ではテレビ業界の優秀なディレクターさんたちと仕事をしましたけど、みんな話が通じるのでやりやすかったですね。しかも、僕よりも建設的な意見を出してくれる先輩方でしたから、まだまだ経験値が足りないなと思えたのは、うれしかったですね。

——仕事で失敗したときは落ち込むんですか?

石井:落ち込まないですね。失敗したら、「まあ、そうか。あれがダメだったんだ。今後気をつけよう」っていう。信じて疑わないみたいなことがあまりないんで、どこかで「失敗するかもしれない」と思いながらやっていますから。だから、気付かなかった自分がよくないなと思うぐらいですね。

——人のミスに対しても感情的にはならない?

石井:だから、逆に言うと冷たいです(笑)。余裕があれば話したり、注意したりしますけど、余裕がない時はミスの原因に触れず、その先にどうするかをまず話します。「こうやったら最小限に被害を抑えられるから、そうしてください」って。ミスをした本人は落ち込んでいると思うんですけど、僕は「関係ないんで。次いきましょう」っていう。事前に話していたことをやらないでミスしたら怒りますけど、だいたいそういうときって、僕も含めて誰も気付かなくて、どうしようもない場合が多いですから、誰の責任でもないです。

——東京ドームでは製作総指揮としてたくさんの会議に参加していたそうですね。2023年はドームと同時に複数のイベントに関わっていたそうですが、マルチタスクはどんな風にこなしていますか?

石井:よく聞かれるんですけど、ゲームのRPGが一番特訓になっているかもしれないですね(笑)。今のRPGっていわゆる本筋のほかに無数のサブクエストがあるじゃないですか。あれをやるとマルチタスクができるようになります。サブクエストを一気に受けておくんです。それで、本筋を進めつつ、サブクエストもあるから、「ここでレベル上げをしながら、1回前の町に戻ったら最短距離になる」なんて考えるんです。僕はとにかく効率的にサブクエストをこなそうとするんで。横で見ている妻に「そんなにサブクエストをやらなくてもいいんじゃない? 早く本筋を進めるところが見たい」ってよく言われるんですけど(苦笑)。こういうゲームの進め方と仕事も一緒ですね。

——今はインプットの重要性がよく話題になりますが、石井さんはどんな風に意識されていますか?

石井:僕は3年前からいわゆるインプットをしないと決めていて。見たいものを見るというスタンスですね。送られてきた本も読みたいと思わなきゃ読まないですし、「あの映画は話題になっているから見に行かなきゃ」という感覚では行かないという。それはテレビもラジオも同じです。インプットと思った時点で仕事になるじゃないですか。だから、やめたんですよ。基礎知識として何でもかんでも見る時期はあったんですけど。最近いろんな人と会って話をするのがインプットになっているなと感じているんですけど、だからこそ「人とご飯を食うのはちょっと嫌だな」って思い始めています(笑)。好きな人とは行きたいです。

——石井さんが仕事をする上で「これだけは大切にしている」ことは何ですか?

石井:「手を抜かないこと」でしょうか。座組が大きくなると、やっぱりトップの人間が一番やらないとみんなもやらないので、自然とそうなってます。手を抜かないし、諦めない。「これはもう無理です」と言われても、こねくり回してなんとかするという。

——妥協はしない?

石井:「妥協」という言葉が正しいかどうかわかりません。残された選択肢の中でどれが一番クオリティーが上がるかを考えたときに、「これはむしろ諦めた方がいいよね」と判断するのは妥協と呼ぶかわからないじゃないですか。ただ、最適解がはっきりしているのに、「よくわからない人がよくわからないことを言ってるからダメ」みたいなことは絶対に許さないです。それで諦めたら「妥協」なんでしょうけど、僕はそれを通すので、妥協はしていない感覚ではいます。

独立後について

石井玄

——今後、具体的にやりたいことってイメージしていますか?

石井:何もなくて辞めたんですけど、ようやく最近見えてきて、ああこれが僕のやることかなと思った出来事があったんです。山梨放送の服部廉太郎さんという25歳のアナウンサーがキッカケで。会社のHPの問い合わせフォームから連絡が来たんですけど、「山梨放送が70周年だからイベントをやるんです。それを盛り上げたいんですけど、一緒にやってくれませんか? お金はないので、僕の給料から少し出します」みたいに書いてあったんで、「これは!!!」と思って。そういう方向で打ち合わせをして、この前は希望された山梨放送の社員の方を対象にセミナーをしました。他にも、関東のキー局の方ともいろいろと話をしていて、できることはたくさんあるし、各局に僕より上の年齢でも面白い人はいるし、やる気がある人もいるし、この人たちと仕事をすれば、ラジオを盛り上げられるんじゃないかと思いました。「こういうことができるのは自分しかいないんじゃないか」と。あとはTBSラジオの松重(暢洋)君ですよ。

——民放onlineのコラムで、オードリーの東京ドームイベントに「最後の絶望」と称してライバル心と悔しさをあらわにし、話題になりました。

石井:彼とご飯を食べたんですけど、「TBSラジオを盛り上げたいんです」という気持ちを聞いて、じゃあ、何かやろうと。何にも決まってないんですけど、今もずっとLINEのやりとりはしてます。彼のような若い世代に僕がやってきたことを伝えて、何か新しいものを作る手助けをするのが、自分の役割だなと。会社名を「玄石」(※磁石の意味)にしたことからもわかる通り、さまざまな人と人をくっつけるのが役割だと思うので。いろいろな人と会い続けて喋っていると面白くて、「こういうことをやりたいんですよ」と言われたときに「じゃあ、この間、会ったあの人とやったらいいんじゃないですか?」ってすぐ提案できるんです。ラジオ局同士でもそういう化学反応が起きたらいいなと思います。あとは、若い世代がやりたいことを、上の世代の方は邪魔しないであげてほしいですね。

——最近、石井さんが関わってきたお仕事って、ラジオと関係はあるけれど、現実的にはラジオではないじゃないですか。ラジオからはみ出したいみたいな気持ちはあるんですか?

石井:はみ出したいって気持ちはないですが、ラジオ以外にもある面白いことをやりたいという気持ちはあります。でも、ラジオはずっと好きだから、なくなったら悲しいじゃないですか。ただ、「ラジオ業界」なんて言うけど、実際はそんなものないんですよ。そもそもそんな括りはないし、そこにこだわりは全くなくて。

——2021年に発売された石井さんの著書「アフタートーク」(KADOKAWA )には「ぼくがラジオに救われたように、ラジオが未来永劫続いて、まだ見ぬ未来のリスナーを救って欲しい。それが、僕が生きている理由で、今まで仕事をしてきた理由で、これからも仕事をする理由です」という印象的な言葉が書かれています。当時と立場や状況も違いますが、この気持ちは変わらないですか?

石井:そうですね。今もその気持ちはあると思います。今、仕事のオファーをしてくれるのって、僕の作った番組を聴いたりとか、僕の関わったイベントに参加したりとか、そういう人が多いんです。特に「アフタートーク」を読んでいる人と「滔々あの夜咄」(石井がパーソナリティを務めていたポッドキャスト)を聴いていた人がほとんど。そういう人たちに対して何かしてあげたいという気持ちが、どちらかというと今は強いかもしれないです。その人たちはラジオが好きで、なにかやりたいと。僕を入り口の1つにして好きになってくれているので、そういう人たちと一緒にやっていったら面白いだろうなって。ラジオだけじゃなく、音声コンテンツやポッドキャストを含めた全体が凝り固まっているので、一度かき混ぜて大きなうねりを作りたいなと(笑)。

——今回のインタビューをするにあたって、石井さんのことを改めて調べたんですが、本当にたくさんの媒体で取材を受けていますよね。「アフタートーク」も含めてですが、ここまで発信をしているラジオのスタッフはほとんどいないので、業界を目指す人たちの指針になっているんじゃないかと。それは素晴らしいことだと思います。

石井:松重君が言っていましたよ。「石井さんは全部を刈り取ってしまった。どうしてくれるんですか?」って(笑)。でも、取材を受けるのも若いラジオマンに対してのメッセージなんです。申し訳ないけど、過去を見てる人たちは相手にしてなくて。やっぱり僕は未来にベットしたい。彼らががんばらないとラジオが終わってしまうから。もう僕の世代も役割が終わったと思っています。ここからいくらがんばったって、あと5年10年経ったら僕なんて何の役にも立たないです。今、20代から30代前半のラジオマンがどうがんばるのか。それを手助けしたいなって思います。あと、制作会社を辞めてニッポン放送に入ったのも、今回独立したのも、「こういう道があるよ」というメッセージでもあるんです。制作会社でもがんばっていれば局員になれる。まだどれだけ面白いものが作れるかわからないけれど、独立もできると。そういう道筋があるなら、ラジオのスタッフを目指す人も増えるだろうなって。

——そして、松重さんのように影響を受けた人たちが出てきていると。

石井:山梨放送の方と話していて、グッズやポッドキャストの重要性を説明しても「僕らじゃそういうのってできないんですよね」って言うんですよ。若いスタッフじゃなく、僕よりも年上の方たちですけど。やってないんだったら、できるかできないかなんてまだわからないじゃないですか。「座して死を待つつもりですか?」という。これは原文そのままで言いました。かつてニッポン放送や制作会社でも言ったんですけど。

「このままあなたたちは死んでも逃げ切れるからいいけど、僕らや下の世代は死にたくないから、やらないといけないんです」というのはずっと思っていることです。「逃げ切ろう」としてる人の相手をしてる場合じゃない。だから、僕は外に出ないといけないって思いました。これを読んだラジオに関わる人たちが、奮い立ったり、怒りを感じたり、嫉妬したり、悲しくなったり、何でもよいので感情が出てきて、なにか行動を起こしてくれることを期待してます。その時に協力できることがあれば、何でもやりたいです。いろいろと言いましたが、ラジオとポッドキャストを盛り上げるためにガンガンいくので、「皆さんご協力を何卒よろしくお願いいたします」って結論ですね。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)

The post ポッドキャストから東京ドームまで——ラジオの可能性を拡張する石井玄の仕事術 appeared first on WWDJAPAN.

「コンバース トウキョウ」には物語性がある【メルローズと私vol.3 集英社インターナショナル顧問・日高麻子さん】

メルローズは「マルティニーク」「ピンクハウス」など個性的なブランドを運営し、昨年50周年の節目を迎えた。同社と関わりの深い人たちによる連載「メルローズと私」の第3回のゲストは、集英社で「メンズノンノ」「ウオモ」といったメンズファッション誌の編集長を歴任してきた日高麻子さん。東京・青山の「コンバース トウキョウ」1号店で話を聞いた。

編集者としての出発点のブランド

1980年に集英社に入社し、学生の頃から憧れていた女性誌「モア」の編集部に配属されました。77年創刊の「モア」は「女性の自立」をうたい、巻頭インタビューに仏作家フランソワーズ・サガンが登場するような先進的な雑誌でした。まだ右も左も分からず先輩に付いて回っていたとき、大きな特集が持ち上がります。タイトルは「’81東京コレクションから女性の服と生き方を学ぶ」。ブランドの女性スタッフにコレクションで発表した服を着てもらい、お話を聞く。その見開きページを私が担当することになったのです。緊張しながら取材したのは「コム デ ギャルソン」「ワイズ」「ピンクハウス」「ビギ」の4ブランドでした。ファッションエディターとしての私の出発点です。

その後も当時の「メルローズ」の横森美奈子さん、「ビギ」の神戸真知子さん、「チューブ」の斎藤久夫さん、「インスパイア」の武内一志さん(後のメルローズ社長、現ビギグループホールディングス社長)といった方々との仕事を通じ、多くを学ばせてもらいました。メルローズの皆さんは新しいことに挑戦し、着る人をワクワクさせたいという姿勢が現在に至るまで一貫しています。ファッションへの愛情が深いのでしょう。

2015年に始まった「コンバース トウキョウ」は、まず着眼点が素晴らしい。

店舗作りでまず大切なのは、お客さんに「ここは私のための店なんだ」と思わせることです。その点、日本人にとって「コンバース」のスニーカーは特別で、思い入れが強い。いわゆるスポーツウエアとは全く違うファッションブランドとして成立させた手腕はさすがだと思いました。初期の頃のスタイリスト・野口強さんやデザイナー・落合宏理さんとのコラボレーションも、ブランドとの親和性が高く、「なるほど!」とうなりました。「コンバース」へのリスペクトと、芯のあるストーリーが感じられるのです。

雑誌作りと共鳴してくれた

メルローズやビギは、西洋で生まれた洋服を日本人に似合うものに変えていった企業の代表格です。西洋の美意識とは異なる日本独自のスタイルを築いた先駆けといえるでしょう。

1970年代から2000年代前半は雑誌の時代でした。雑誌を通じて全国津々浦々に流行が発信される。服に興味がなかった高校生の男の子が、誌面を見て「こんな服を着てみたい」とおこづかいを貯めて、ちょっと背伸びした服に袖を通す。オシャレに目覚め、成功と失敗を重ねて、感性を研ぎ澄ませていく。長らく「メンズノンノ」では、そんな読者をイメージして誌面を作ってきました。メルローズの服は、私たちの雑誌作りと共鳴してくれたのです。日本のファッションを底上げした功績は偉大です。あの時代があったからこそ、やがてさまざまな文化を吸収した日本のブランドやデザイナーたちが世界のトレンドをも動かすようになったのだと思っています。

問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

The post 「コンバース トウキョウ」には物語性がある【メルローズと私vol.3 集英社インターナショナル顧問・日高麻子さん】 appeared first on WWDJAPAN.

「ステュディオス」、ニューヨークの路面店でレセプション開催 業界関係者でにぎわう

TOKYO BASEは米国初出店となる「ステュディオス トウキョウ ニューヨーク(STUDIOUS TOKYO NEW YORK)」を5月11日にニューヨークにオープンした。オープン前日に行われたレセプションパーティーには現地のファッション関係者が多く訪れた。

ベルベルジンの藤原裕が手がける「NM」など限定アイテムも

場所はラグジュアリーショップが立ち並ぶマンハッタンのソーホー地区で、名物ショップだった「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」の跡地。店内は奥行きのあるゆったりとした空間だ。取り扱いブランドは約10ブランドで全てが日本ブランド。「ステュディオス トウキョウ」でも取り扱いのある「アンダーカバー(UNDERCOVER)」や「N.ハリウッド(N.HOOLYWOOD)」「ホワイトマウンテニアリング(WHITE MOUNTAINEERING)」「ソフネット(SOPHNET.)」「ポーター(PORTER)」など、日本でも知名度のあるブランドを中心に並べた。ベルベルジンの藤原裕が手がけるデニムブランド「NM」など、ニューヨーク店のみ取り扱いのブランドもある。今後も日本の実力派ブランドを追加する予定だ。

同店の中根大樹ディレクターは、「品ぞろえは日本と大きくは変えていないが、世界で通用するブランドをそろえた。これからお客さまの反応を見て価格やサイジングなどを改善していく。ニューヨーク別注商品などにもチャレンジしたい」とコメント。レセプションでは日本らしいきれい目なストリートスタイルが好評でその場で商品を購入する人の姿も多く見られた。取り扱い商品は全てメンズだが、デザインによっては女性からの需要もあるようだ。

「ステュディオス」と親和性のあるブランドで勝負 「地道に顧客を作っていきたい」と谷CEO

現地を訪れた谷正人CEOは、「2007年に”日本発を世界へ”を掲げ、創業時からいつかは世界の中心であるニューヨークに出店したいと考えていた。原宿店と神南店の店長、エースとして活躍していたスタッフ3名が育ったこともあり、彼らを現地に派遣できる今がニューヨーク出店のタイミングだと思った。日本では中堅でもニューヨークではまだ新しさがあり、われわれと親和性のあるブランドをそろえている。地道に顧客を作っていきたい」とコメント。

「ステュディオス トウキョウ」は現在中国の北京、広州、深圳で展開し、今回が初の北米出店となる。今後はロンドンやソウルへの出店を視野に入れる。

The post 「ステュディオス」、ニューヨークの路面店でレセプション開催 業界関係者でにぎわう appeared first on WWDJAPAN.

ユニクロがパリオリンピックのスウェーデン選手団ウエアを公開 ケミカルリサイクル初導入

PROFILE: 勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者

勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者
PROFILE: (かつた・ゆきひろ)伊勢丹、米バーニーズ ニューヨーク、ラルフ ローレン、バーグドルフ・グッドマンなどを経て、2005年にファーストリテイリングに入社し商品デザインを統括。以降、ジル・サンダー氏との「+J」を始め、さまざまなデザイナーコラボレーションを手掛けてきた。ユニクロ女子陸上競技部の顧問も務める。伊勢丹時代は実業団のラグビー部選手としても活躍。取材はユニクロ有明本部内の社員用ジムで実施

ユニクロは、7月に開幕するパリオリンピック・パラリンピック(以下、パリ大会)で、スウェーデン選手団に提供する公式ウエアや練習着を公開した。ユニクロとスウェーデンチームとのタッグは、2021年の東京大会、22年の北京冬季大会に続き3回目。ファッションの都パリでの開催ゆえに、各国選手団のウエアにもいつも以上に注目が集まるが、ユニクロが提案するのはネイビーを基調にしたシンプルなデザインだ。背景には、「輝くべきはウエアよりもアスリート」という思いがある。店頭で消費者から回収した衣料品をケミカルリサイクルした素材も16アイテムで採用。これはユニクロとして初の試みであり、今後の量産に向けた試金石とも言える。勝田幸宏ユニクロR&D統括責任者に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):パリ大会はクライメート・ポジティブを掲げ、「史上初の気候問題に積極的に貢献する五輪」を目指している。ユニクロとしても、初めてケミカルリサイクルに挑戦する。

勝田幸宏ファーストリテイリンググループ執行役員ユニクロR&D統括責任者(以下、勝田):日本の店頭に置いた回収ボックスで集めた衣料品をケミカルリサイクルしてポリエステルチップに戻し、再度紡績してスエットやTシャツなど16アイテムに採用した。数量にして5400枚のウエアにしている。お客さまから回収した服が、オリンピックというハレの場でアスリートが着る服になっていることをお客さまに知っていただきたいし、われわれとしてもそれができたことを誇りに思う。(ケミカルリサイクルは一般的に強度が落ちるという指摘もあるが)もちろん強度は問題ないレベルになっている。

今後、一般に販売する服でケミカルリサイクルを目指していく考えはもちろんあるが、ユニクロで販売する以上は100万着単位の物量が求められる。最初からそんな規模ではできない。ケミカルリサイクルの技術が整っていても、原資となる回収衣料が足りなくて作れないといったこともある。スウェーデン選手団への提供衣料は、ケミカルリサイクルに初めて挑戦する上で、規模としても適していた。ここからケミカルリサイクルをどう広げていけるかを考えていきたい。

WWD:東京、北京と2大会で取り組んできて、スウェーデンチームからはどんな要望やフィードバックがあったのか。

勝田:要望はデザイン面や機能面ではほぼなく、フィット感に関するものがほとんどだ。アスリートゆえ、きつい、ゆるい、長いといった繊細な要望がある。チームが合宿している先にパタンナーなどと共に出張して、そこでフィッティングチェックを何度か行ってきた。この5月後半には、26年のミラノ・コルティナ冬季大会のウエアのフィッティングのために、チームの合宿先に出張する予定だ。一般に販売する服も同様だが、100人中100人が満点を出すフィッティングはないが、東京や北京大会に比べて、パリ大会のウエアのフィットはよかったと言ってもらえるように改善を重ねてきた。

19競技の競技ウエアも提供

WWD:開会式などのセレモニーで着用する公式ウエアや練習着、移動着のほかに、ゴルフ、バドミントン、ボート、スケートボード、ブレイクダンスなど、オリパラ合わせて19種目の選手には、実際の競技中に着用するウエアも提供する。

勝田:担当する競技については選手団から作ってほしいと依頼があって決まるが、100分の1秒を争うような競技のウエアを作ることは、やはりスポーツ専業メーカーではないので難しい。ただ、水泳のキャップについては、先方からの要望で今回作っている。(作れない競技ウエアを作れますと言うような)果たせない約束はしない。宣伝目的で、なんでもかんでも引き受けるようなことはしない。これはサステナビリティ面についても同じだ。今回引き受けた競技については、機能面もデザイン面も100%約束を果たすという思いで取り組んだ。東京大会でスウェーデンチームが準優勝し、注目を集めた女子サッカーの競技ウエアも準備は進めていたが、残念ながら予選敗退で本選出場はならなかった。

WWD:ファッションの都での五輪開催となる。デザイン面で留意したのはどんな点か。

勝田:確かに文化や芸術の街での五輪開催ではある。だからといって、競技に人生をかけてきたアスリートたちの背景にあるストーリーが見えづらくなってしまうようではいけない。華やかなパリでさらに輝くべきはアスリートであり、デザインにおいて僕たちの妙な主張が入りこむようなことがあってはよくない。自分自身が元アスリートということもあって、そうした思いは強い。

「サントノーレでお茶をするときも街になじむ」デザイン

WWD:確かに、ネイビーを基調にした落ち着いた色合いとミニマルなデザインが印象的だ。

勝田:東京や北京大会では、まだ慣れていないのもあってやはり国旗のカラーを使った方がいいのではと思い、明るいブルーを採用したが、今回はネイビーを軸にしている。開会式などで着用するセレモニージャケットももっと明るい色にしてほしいと言われるだろうと思っていたし、実際言われたが、首元にイエローを差すに留めた。選手たちがサントノーレ通りでお茶をするのを想像して、そのとき着ていてもすてきに見えるデザインを追求した。セレモニージャケットは東京大会に続きニット製だが、今回から「ホールガーメント」による3Dニットにした。ただ、選手によっては体格がよすぎてホールガーメント編み機の幅が足りない。その場合は、編みの向きの縦と横を通常とは変えて対応した。別途プログラミングが必要で手間もかかり大変だったが、着心地のよさをさらに追求することができたと自負している。

元々、ユニクロが服作りで掲げているのは、服自体が個性を主張するというよりも、着る人の個性が輝くために服がお手伝いをするといった考え方だ。振り返ってみると、スウェーデンチームに提供する服のデザインは、まさにそうなっている。

WWD:東京や北京大会では、スウェーデンチームにウエアを提供したことでどのような効果や反響があったか。売り上げが伸びるといった面もあるのか。

勝田:商品面では、北京大会で選手に提供したダウンアウターの要素をヒントにして、100万点、200万点の量産に落とし込むケースも出てきている。大会中や直後に売り上げが大きく伸びるかというと、そういうことはない。それよりも、われわれが中長期的に、スウェーデンチームと共感しながらモノ作りを進めているんだということを知っていただくことに意義があると思っている。


リサイクル素材の使用割合は約50%

5年目となるユニクロとスウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会とのパートナーシップでは、クオリティー、イノベーション、サステナビリティの3軸を追求した“LifeWear”を選手団に提供する。ケミカルリサイクルを含め、全使用素材に占めるリサイクル素材の割合は東京大会での約33%から約50%に高め、提供アイテム数は東京大会から約20%削減。これらにより、温室効果ガス排出量は、東京大会での提供ウエアに比べ約50%削減した。

競技ウエアを提供する予定の種目は、オリンピックがゴルフ、バドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、セーリング、アーチェリー、射撃、スケートボード、ブレイクダンス、水泳(キャップ)、ビーチバレーボールの13、パラリンピックがバドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、水泳(同)の6。

The post ユニクロがパリオリンピックのスウェーデン選手団ウエアを公開 ケミカルリサイクル初導入 appeared first on WWDJAPAN.

ユニクロがパリオリンピックのスウェーデン選手団ウエアを公開 ケミカルリサイクル初導入

PROFILE: 勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者

勝田幸宏/ファーストリテイリンググループ執行役員兼ユニクロR&D統括責任者
PROFILE: (かつた・ゆきひろ)伊勢丹、米バーニーズ ニューヨーク、ラルフ ローレン、バーグドルフ・グッドマンなどを経て、2005年にファーストリテイリングに入社し商品デザインを統括。以降、ジル・サンダー氏との「+J」を始め、さまざまなデザイナーコラボレーションを手掛けてきた。ユニクロ女子陸上競技部の顧問も務める。伊勢丹時代は実業団のラグビー部選手としても活躍。取材はユニクロ有明本部内の社員用ジムで実施

ユニクロは、7月に開幕するパリオリンピック・パラリンピック(以下、パリ大会)で、スウェーデン選手団に提供する公式ウエアや練習着を公開した。ユニクロとスウェーデンチームとのタッグは、2021年の東京大会、22年の北京冬季大会に続き3回目。ファッションの都パリでの開催ゆえに、各国選手団のウエアにもいつも以上に注目が集まるが、ユニクロが提案するのはネイビーを基調にしたシンプルなデザインだ。背景には、「輝くべきはウエアよりもアスリート」という思いがある。店頭で消費者から回収した衣料品をケミカルリサイクルした素材も16アイテムで採用。これはユニクロとして初の試みであり、今後の量産に向けた試金石とも言える。勝田幸宏ユニクロR&D統括責任者に聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):パリ大会はクライメート・ポジティブを掲げ、「史上初の気候問題に積極的に貢献する五輪」を目指している。ユニクロとしても、初めてケミカルリサイクルに挑戦する。

勝田幸宏ファーストリテイリンググループ執行役員ユニクロR&D統括責任者(以下、勝田):日本の店頭に置いた回収ボックスで集めた衣料品をケミカルリサイクルしてポリエステルチップに戻し、再度紡績してスエットやTシャツなど16アイテムに採用した。数量にして5400枚のウエアにしている。お客さまから回収した服が、オリンピックというハレの場でアスリートが着る服になっていることをお客さまに知っていただきたいし、われわれとしてもそれができたことを誇りに思う。(ケミカルリサイクルは一般的に強度が落ちるという指摘もあるが)もちろん強度は問題ないレベルになっている。

今後、一般に販売する服でケミカルリサイクルを目指していく考えはもちろんあるが、ユニクロで販売する以上は100万着単位の物量が求められる。最初からそんな規模ではできない。ケミカルリサイクルの技術が整っていても、原資となる回収衣料が足りなくて作れないといったこともある。スウェーデン選手団への提供衣料は、ケミカルリサイクルに初めて挑戦する上で、規模としても適していた。ここからケミカルリサイクルをどう広げていけるかを考えていきたい。

WWD:東京、北京と2大会で取り組んできて、スウェーデンチームからはどんな要望やフィードバックがあったのか。

勝田:要望はデザイン面や機能面ではほぼなく、フィット感に関するものがほとんどだ。アスリートゆえ、きつい、ゆるい、長いといった繊細な要望がある。チームが合宿している先にパタンナーなどと共に出張して、そこでフィッティングチェックを何度か行ってきた。この5月後半には、26年のミラノ・コルティナ冬季大会のウエアのフィッティングのために、チームの合宿先に出張する予定だ。一般に販売する服も同様だが、100人中100人が満点を出すフィッティングはないが、東京や北京大会に比べて、パリ大会のウエアのフィットはよかったと言ってもらえるように改善を重ねてきた。

19競技の競技ウエアも提供

WWD:開会式などのセレモニーで着用する公式ウエアや練習着、移動着のほかに、ゴルフ、バドミントン、ボート、スケートボード、ブレイクダンスなど、オリパラ合わせて19種目の選手には、実際の競技中に着用するウエアも提供する。

勝田:担当する競技については選手団から作ってほしいと依頼があって決まるが、100分の1秒を争うような競技のウエアを作ることは、やはりスポーツ専業メーカーではないので難しい。ただ、水泳のキャップについては、先方からの要望で今回作っている。(作れない競技ウエアを作れますと言うような)果たせない約束はしない。宣伝目的で、なんでもかんでも引き受けるようなことはしない。これはサステナビリティ面についても同じだ。今回引き受けた競技については、機能面もデザイン面も100%約束を果たすという思いで取り組んだ。東京大会でスウェーデンチームが準優勝し、注目を集めた女子サッカーの競技ウエアも準備は進めていたが、残念ながら予選敗退で本選出場はならなかった。

WWD:ファッションの都での五輪開催となる。デザイン面で留意したのはどんな点か。

勝田:確かに文化や芸術の街での五輪開催ではある。だからといって、競技に人生をかけてきたアスリートたちの背景にあるストーリーが見えづらくなってしまうようではいけない。華やかなパリでさらに輝くべきはアスリートであり、デザインにおいて僕たちの妙な主張が入りこむようなことがあってはよくない。自分自身が元アスリートということもあって、そうした思いは強い。

「サントノーレでお茶をするときも街になじむ」デザイン

WWD:確かに、ネイビーを基調にした落ち着いた色合いとミニマルなデザインが印象的だ。

勝田:東京や北京大会では、まだ慣れていないのもあってやはり国旗のカラーを使った方がいいのではと思い、明るいブルーを採用したが、今回はネイビーを軸にしている。開会式などで着用するセレモニージャケットももっと明るい色にしてほしいと言われるだろうと思っていたし、実際言われたが、首元にイエローを差すに留めた。選手たちがサントノーレ通りでお茶をするのを想像して、そのとき着ていてもすてきに見えるデザインを追求した。セレモニージャケットは東京大会に続きニット製だが、今回から「ホールガーメント」による3Dニットにした。ただ、選手によっては体格がよすぎてホールガーメント編み機の幅が足りない。その場合は、編みの向きの縦と横を通常とは変えて対応した。別途プログラミングが必要で手間もかかり大変だったが、着心地のよさをさらに追求することができたと自負している。

元々、ユニクロが服作りで掲げているのは、服自体が個性を主張するというよりも、着る人の個性が輝くために服がお手伝いをするといった考え方だ。振り返ってみると、スウェーデンチームに提供する服のデザインは、まさにそうなっている。

WWD:東京や北京大会では、スウェーデンチームにウエアを提供したことでどのような効果や反響があったか。売り上げが伸びるといった面もあるのか。

勝田:商品面では、北京大会で選手に提供したダウンアウターの要素をヒントにして、100万点、200万点の量産に落とし込むケースも出てきている。大会中や直後に売り上げが大きく伸びるかというと、そういうことはない。それよりも、われわれが中長期的に、スウェーデンチームと共感しながらモノ作りを進めているんだということを知っていただくことに意義があると思っている。


リサイクル素材の使用割合は約50%

5年目となるユニクロとスウェーデンオリンピック・パラリンピック委員会とのパートナーシップでは、クオリティー、イノベーション、サステナビリティの3軸を追求した“LifeWear”を選手団に提供する。ケミカルリサイクルを含め、全使用素材に占めるリサイクル素材の割合は東京大会での約33%から約50%に高め、提供アイテム数は東京大会から約20%削減。これらにより、温室効果ガス排出量は、東京大会での提供ウエアに比べ約50%削減した。

競技ウエアを提供する予定の種目は、オリンピックがゴルフ、バドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、セーリング、アーチェリー、射撃、スケートボード、ブレイクダンス、水泳(キャップ)、ビーチバレーボールの13、パラリンピックがバドミントン、卓球、テニス、カヌー、ボート、水泳(同)の6。

The post ユニクロがパリオリンピックのスウェーデン選手団ウエアを公開 ケミカルリサイクル初導入 appeared first on WWDJAPAN.

「ニューバランス」の最旬コラボレーター、ジョー・フレッシュグッズ 「とにかく、自分を偽らないこと」

故郷のアメリカ・シカゴを拠点に活動するジョー・フレッシュグッズ(Joe Freshgoods)ことジョセフ・ロビンソン(Joseph Robinson)。彼は、自身のブランド「ジョー・フレッシュグッズ」を手掛けるデザイナーであり、セレクトショップ「ファットタイガー ワークショップ(Fat Tiger Workshop)」を運営するファウンダーであり、若きアーティストやクリエイター支援するメンターであり、地元のブラックコミュニティーをサポートするチャリティプロジェクト「コミュニティー・グッズ(Community Goods)」の主宰者であり、シカゴの文化を自身の体験と重ねて世界に発信する“ストーリーテラー”である。

彼のストーリーテリングに賛同するシカゴベースのブランドや団体は数多く、これまでにNFLのシカゴ・ベアーズやシカゴ現代美術館などと協業を果たしてきた。そして、その巷説はシカゴの摩天楼を越え、1400km離れたボストンに本社を置く「ニューバランス(NEW BALANCE)」まで一足飛び。2020年2月にファーストコラボ“992”を発表すると、以降は「ニューバランス」の最旬コラボレーターの1人に数えられている。

そんなジョーが、1999年に発表された「ニューバランス」のパフォーマンスランニングシューズ“1000”をベースとした最新コラボモデル“ワン・サウザンド ウェン・シングス・ワー・ピュア(1000 WHEN THINGS WERE PURE)”の発売にあわせて、約1年半ぶりに来日。今作に込めた思いから、ジョーといえばのアイコニックなピンクカラーとの出合い、現在のスニーカーシーンについてまでを語ってくれた。

コラボでは“飽きられないこと”が重要

ーー今回のコラボモデル“ワン・サウザンド ウェン・シングス・ワー・ピュア”は、前作“990v4 メモリーズ・イン・モノクローム(990v4 MEMORIES IN MONOCHROME)”から約4カ月ぶりのリリースと、インターバルが短いですね。

ジョー・フレッシュグッズ(以下、ジョー):この4年間で、今作が8つ目のモデルになるから、相当のハイペースだと思う。だからこそ、“コンシューマーに飽きられてしまうかもしれない”といった不安は常にあるが、少しでも興味を引く工夫を凝らしているよ。

ーーそれでは、今回のコラボモデルのベースに“1000”を採用した理由を教えてください。

ジョー:理由はシンプルで、「ニューバランス」側からの提案だね。協業し始めて4年が経ち、俺からベースモデルを提案する権限もあるけれど、今の気分と“1000”のデザインが合ったから受け入れることにしたんだ。何より、自分のコラボ遍歴の中に未経験のモデルが加わるということは、今後のチャンスにつながると思ったのさ。

ーー“1000”は、1999年にオリジナルモデルが発売されて以来の初復刻ですが、ジョーさん自身は過去に着用経験のある品番なのでしょうか?

ジョー:いや、一度も履いたことが無かったけど、そのおかげで新鮮な気持ちでコラボに取り組むことができたよ。

ーー“990”シリーズや“574”とは異なり、“1000”という品番自体がある程度の知名度を持たないことは、コラボモデルを制作する上での難局になりませんでしたか?

ジョー:先ほども話したように、コラボでは“飽きられないこと”と、“大勢ではなく小規模のコンシューマーを相手にスタートすること”が何よりも重要だと思っているから、“1000”はむしろピッタリだったよ。徐々に親しんでもらい、知名度を上げていけばいいんだ。

ーー今回のコラボモデルが、“1000”という品番の入口になる機会ということですね。

ジョー:まさに、その通り。

ピンクという活動の原体験

ーー改めて、“ワン・サウザンド ウェン・シングス・ワー・ピュア”の着想源をご説明していただければと思います。

ジョー:俺のコラボプロジェクトは、ストーリーテリングを特に重要視していて、前作“990v4 メモリーズ・イン・モノクローム”は1998年が背景だったから、今作はその続きで2000年代初頭を着想源にしている。“1000”のオリジナルも1999年に発売されていたしね。2000年当時というと、俺は14~15歳のティーンエイジャーで、よく友達とダンスをしていたんだ。ベストダンサーではなかったけど、それなりに楽しんでいたよ(笑)。だから、ダンスをキービジュアルのモチーフにしていて、同時にシカゴのカルチャーを世界に広めたいという思いも込めているんだ(注:“フットワーク”と呼ばれる音楽およびダンスが、1990年代のシカゴで誕生)。

カラーに関しては、俺のサイト限定のピンクと、グローバルで展開するピンクがかったブロンズの2色を用意した。どちらもピンクがキーカラーなのは、服作りを始めるきっかけだったから。というのも、ラッパーのキャムロン(Cam'Ron、1990~2000年代に活躍したヒップホップ界随一のピンク好き)が常にピンクのアイテムを着用している姿に憧れて、それを真似るように自分でピンクのTシャツを作り始めたーーピンクが今の活動の原体験そのものなんだ。今も俺の最も好きなカラーで、今回の“1000”はキャムロンへのオマージュと、地元に“ピンクハウス”(注:築100年越えの外装がピンクの一軒家で、シカゴのランドマーク的存在)があったことなど、2000年代初頭のピンクへの思いを落とし込んだ結果なのさ。

ーーブロンズは、ジョーさんのコラボモデルの中では珍しいダークトーンですよね。

ジョー:俯瞰して「ニューバランス」とのコラボプロジェクト全体を見直した時、これまでのDNAはキープしながら、どこかでアクセントを付けたい気持ちが生まれて、意図的にカラーの変更を行ったんだ。新しいことにトライして、方向性を探ってる段階だね。

ーーカラーは最初から決め込んでいたのではなく、手探りで進めたのでしょうか?

ジョー:発売までに10個以上のサンプルを作ったんだけど、こんなことは初めて。やっぱり、自分が最初に思い描いていた色に一発で決めるより、実際にお店の棚に置いた時にどういう風に見えるか、スタイリングと合わせた時にどのように溶け込むか、などにも気を付けないといけないと思ったよ。最終的に、このカラーとブロンズで迷ったんだけど、君はどっちが好き?

ーー個人的には、ブロンズが好きですね。

ジョー:よかった!君がそう選ぶということは、グローバルでこのカラーを発売して正解ってことだよね。

ーー先ほど、ダンスの話が上がりましたが、シカゴのダンスコミュニティーでは「ニューバランス」の着用率が高いのでしょうか?

ジョー:あまり大きな声では言えないけど、その比率は高くないと思う。だからこそ、今回のビジュアルを制作したんだ。“周りが履いていないから、自分も履かない”といったような気持ちになってほしくなくて、「ニューバランス」というブランドの見方のアングルを変えて、提案した感じさ。

自分を偽らないこと

ーー2024年4月現在、スニーカーシーンは数年前と比べて落ち着いているとの見解が多いですが、渦中の人物としてどう見ていますか?

ジョー:特に落ち着いたとは感じていないかな。うれしいことに、俺と「ニューバランス」で作ったスニーカーの大部分は売れ残っていないけど、これはマーケットの動向を注視して、コンシューマーの声に耳を傾けているからだと思うしね。

ーーシカゴのスニーカーシーンの現状はいかがですか?

ジョー:他のアメリカの都市と同じで、街では流行っているモデルやハイプシューズをみんなが履いて、店にはそれが並んでいる感じだから、面白味はないと思う。それより、俺は今回で3回目の来日なんだけど、日本はリセール目的でスニーカーを買う人が少なくて、多くの人が意思を持って自分が欲しいモデルを選んで買っている印象があるね。俺が作ったスニーカーに対しては、ディテールに細かく注意を払ってくれているし、ユニークさにも価値を見出してくれていて、本当にありがたいよ。

ーー最後に、スニーカーをデザインする上で最も大切なマインドを教えてください。

ジョー:今、アスリートやラッパー、エンターテイナー、アーティストなど、多くの人がスニーカーのデザインを手掛けているけれども、その中で俺は本当に普通の人だと思っている(笑)。普通の人が、シカゴのちょっと厳しい環境の中から這い出して、一生懸命に仕事をしていたら、「ニューバランス」がチャンスを与えてくれた。なんでチャンスがもらえたかは分からないけど、“オーセンティック”な部分が評価されたんじゃないかな。とにかく、自分を偽らないことが大切なマインドだね。

The post 「ニューバランス」の最旬コラボレーター、ジョー・フレッシュグッズ 「とにかく、自分を偽らないこと」 appeared first on WWDJAPAN.

MEGUMIの新著は幸福度が上がる「心に効く美容」 自身の弱みや別れをつづった思いを聞く

PROFILE: MEGUMI

MEGUMI
PROFILE: :1981年9月25日生まれ、岡山県倉敷市出身。2001年に芸能界デビューを果たし、バラエティー番組や雑誌などを中心に活動。その後、映画やドラマ、舞台などに出演し、20年には映画「台風家族」「ひとよ」の2作品で第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。今年4月には、開校したばかりのバンタン渋谷美容学院大学部の名誉学院長に就任。現在は取締役として個人事務所や金沢に店を構えるカフェ「たもん」の経営も行う

俳優、タレント、カフェの経営者など多岐にわたり活動するMEGUMIが5月12日、美容本「心に効く美容」(講談社)を発売した。MEGUMIの美容本といえば、彼女が試した1000以上の美容法から、本当に効果を実感したものを厳選して紹介した「キレイはこれでつくれます」(ダイヤモンド社)が昨年最も売れた美容本(単行本実用書、トーハン調べ/単行本実用、日販調べ)としてベストセラーになった。また発売1年を迎えた4月には、発行部数が50万部を突破し大きな話題になったばかり。その第2弾ともいえる本作は、内側の美容を磨く心にフォーカス。彼女の本音やプライベートでの心情などを語る部分や一般的な女性の悩みに共鳴する部分から通じた美容法などがつづられている。新書について聞いた。

WWD:前作の著書「キレイはこれでつくれます」の売れ行きは業界でも驚異的な数値を記録しているが、自身への反響はどうだったか?

MEGUMI:本について、街中でもたくさんの方に声をかけていただきました。もともと美容好きの方に読んでいただいたこともすごくうれしかったんですが、美容についてあまり関心がなかった方にも、「シートマスクだったら自分でもできるかもしれない」「やってみたらすごく肌が変わった」と本を通して体験してくださって、笑顔で話しかけてくださることに、なんとも言えない感動がありましたね。彼女たちが1ミリでも幸せになっていると実感できたことは、私としても出版した目的がかなったなと思いました。

WWD:前作の出版を経て、今作「心に効く美容」を企画した思いとは?

MEGUMI:前作が“美容の導入”という内容であれば、今作はさらに深い部分を分かりやすく伝えられたらと、“心の美容”に焦点を当てました。その理由の一つに、美容に関する発信をするようになって、仕事や生活のことで悩んでいる方がたくさんいるんだなということを知りました。美容誌でもそうした企画が多いし、私のインスタグラムにも長文でメッセージをいただくことが増えて。そうした悩みに私も共感することも多くて、分かってはいたけれど、より向き合うきっかけにもなったんですよね。

私は悩んだときに運動をするとすごく救われるなんていう経験がよくあります。悩んでいる時こそ身体を温めるというメンタルにつながる美容法は、自分で自分に与えているいわば処方箋のようなもの。実際に、そうした心にアプローチする方法で私自身も助けられていることはすごく多いんです。自分の心や感情は瞬時に変えることは難しいけれども、その手綱を引くことはできるよっていうきっかけを今作では皆さんにお伝えしたいなって思いました。

WWD:具体的に一般の方からの悩みで共感することとは?

MEGUMI:女性って世の中から見えるフェーズがどんどん変わっていきますよね。キャピキャピ期を経て、キャリアウーマンや母親になって、おばさんになってみたいな。ただ、私自身も自分の見え方になかなかついていけないなってすごく感じるし、さまざまなフェーズにいる女性たちの悩みを聞いて、自分の人生を振り返っても、女性って大変だよなって共感する部分が多くあるんですよね。そうした女性の人生へのメッセージとしても、“心に効く美容”というテーマにしたんです。

「暗い海から抜け出したい」「藁にもすがる思い」を美容で緩和

WWD:本書冒頭で、MEGUMIさんの「メンタルが強そうと思われがちだが、実はそうではない」という本音に驚く読者も多いと思うが、その思いをつづった真意とは?

MEGUMI:芸能界というなかなかタフな場所にいて、自分の感情に押しつぶされそうになったり、圧倒されそうになったり、ものすごく理不尽な思いをしたり、さまざまな感情を経験しています。きっと皆さんが働く世界でもいろいろなことがあると思います。私自身はもともとそんなに強くないし、人一倍デリケートで面倒くさい部分が自分の中にはあると思っています。弱いからこそ、いち早くこの暗い海から抜け出したいと強く思うことが結構多くて。ただ、そのたびにうずくまるのではなく、専門的な方の話を聞いたり、マッサージに行ったり、運動をしたりということを藁にもすがる思いでいろいろとやっているんですよね。そうすることで、100%のつらさが60%くらいになったなとか、あの経験はすごく良かったなって思えることがすごくあるんです。そうした経験を通した心の美容法も本音で紹介しています。

WWD:また「私が一番苦手な感情」と題したインタビューページで、人生で経験する“別れ”や成長を遂げる一人息子への思いなどを赤裸々に綴っている。そうした自身の経験を共有することで、女性を応援したいといった思いもあるのか?

MEGUMI:私が取り組む仕事については、全ての女性にフォーカスしていると決めています。それはドラマでも映画でも全ての活動においてそうですが、今回の本については特にそうだと言えます。

WWD:本作では美容グッズ以外に、腹巻きや枕、おやつに加え、心に効くレシピなども紹介している。普段どのように美容に関してリサーチしているのか?

MEGUMI:「これいいよ」「このお店いいよ」って聞くとすぐにネットで買ったり、その場に行ったりするんですけど、それがまったく面倒って思わないんですよね。美容への興味が枯れないというか、本当に好きなんだと思います。前作で紹介したグッズも継続して愛用しているものもありますが、肌って年齢や季節ごとにも変わっていくものなので、同じものを使っていると何か止まっていく気がしていて。だからいろいろ試して、さまざまな化粧品や健康法をアップデートしていくことがいいんじゃないかなって思いますね。この本が出るころには、また新しいものを探していたり出合っていたりしているんでしょうね。きっとそういうものなんですよね。

WWD:MEGUMIさんにとって、常に自分の心そして肌と向き合うことは大事なことであり、きれいを保つことで自信にもつながると感じている?

MEGUMI:そうですね。肌がきれいになることで、幸福度を感じますよね。でも大人になればなるほど、誰も自分の面倒をみてくれない。そのことに腹をくくって、自分の幸せに向き合えるように、ちょっとしたことでこんなにメンタルがよくなるんだというヒントを伝えていきたい。調子が悪いと余裕もなくなっちゃって、人に優しくできないと思うんですよね。自分自身を整えることで人間関係も変わって、人生も変わる。最初はちっちゃいことかもしれないけれど、日々の積み重ねで大きなことに変わっていくと思っているので、その感覚を皆さんの中にも取り入れてもらえたらなって思っています。

「年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくない」

WWD:最後の章「人生にテーマとヒーローを持つ」では、俳優として、個人として、母としてなどに分けた、夢を叶えるための事業計画書をつくっているとある。将来、どのような女性像を思い描いているか

MEGUMI:まずは人に優しくできる人になれるように。それが難しくもありますが、生涯かけて掲げていたいことの1つだと思っています。あとは、年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくないなって。いくつになっても自分のやりたいことがある。だから、その夢を叶えるためにひたすら努力して達成して、そして次の夢に向かっていく。これを繰り返しています。ただこれはあくまで私のやり方。30~40代は、どういうことをしている自分がベストなのかということを探る時期だと思っているので、今の私は夢や目標に向かって走ることが一番幸せだと感じています。だけどやりたいことが多すぎて、休みでも打ち合わせ入れちゃったりして、予定を詰め込みすぎちゃうんですけどね。やりたいことをやるって腹をくくった以上、そこはしょうがないかなって、ただひたすらにやり続けるみたいな(笑)。死ぬまで続けたいって思っていますね。

WWD:最近達成した夢は?

MEGUMI:海外への挑戦です。日本と行き来するような仕事を年に1つずつ増やしていきたいなと思って、最近その機会が増えるようになりました。英語の勉強にも取り組んでいますが、日々忙しい時間との勝負。でも少しずつでも続けて行動していくことを大事にしています。私にとっては、それが一番心地いいので。皆さんにも心地のいいスタイルを見つけてほしいですね。

WWD:最後に、MEGUMIさんが思う美しい人とは?

MEGUMI:外側の美しさをケアするだけでなく、内側の心を整えているきれいな人。残念ながら35歳くらいを過ぎると、内側で怖そうな顔をしていたり、具合が悪そうだったりすると、表に透け出てしまうんですよね。そのためにも心も整えていく必要があると思っています。

前作は外側の美容について、今作は内側を整えることが美しさにつながるという美容法をお伝えしています。美しさを少しずつ自覚していくと、自然と行動力が上がったり、感謝の気持ちが誰かに向いたり、原動力や向上心がむくむくと湧いてくる。内側から引き出した美しさや自信が人生をいい方向に導いてくれるはずです。つらさや重だるさを感じるようなくすんだ瞬間に、「心に効く美容」をパラパラとめくって実践してもらえるとうれしいです。

PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI
STYLING:KUMI SAITO
HAIR &MAKE-UP:KIKKU
アクセサリー/「ブランイリス(BLANCIRIS)」
シューズ/「ジア ボルギーニ(GIA BORGHINI)」

The post MEGUMIの新著は幸福度が上がる「心に効く美容」 自身の弱みや別れをつづった思いを聞く appeared first on WWDJAPAN.

MEGUMIの新著は幸福度が上がる「心に効く美容」 自身の弱みや別れをつづった思いを聞く

PROFILE: MEGUMI

MEGUMI
PROFILE: :1981年9月25日生まれ、岡山県倉敷市出身。2001年に芸能界デビューを果たし、バラエティー番組や雑誌などを中心に活動。その後、映画やドラマ、舞台などに出演し、20年には映画「台風家族」「ひとよ」の2作品で第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。今年4月には、開校したばかりのバンタン渋谷美容学院大学部の名誉学院長に就任。現在は取締役として個人事務所や金沢に店を構えるカフェ「たもん」の経営も行う

俳優、タレント、カフェの経営者など多岐にわたり活動するMEGUMIが5月12日、美容本「心に効く美容」(講談社)を発売した。MEGUMIの美容本といえば、彼女が試した1000以上の美容法から、本当に効果を実感したものを厳選して紹介した「キレイはこれでつくれます」(ダイヤモンド社)が昨年最も売れた美容本(単行本実用書、トーハン調べ/単行本実用、日販調べ)としてベストセラーになった。また発売1年を迎えた4月には、発行部数が50万部を突破し大きな話題になったばかり。その第2弾ともいえる本作は、内側の美容を磨く心にフォーカス。彼女の本音やプライベートでの心情などを語る部分や一般的な女性の悩みに共鳴する部分から通じた美容法などがつづられている。新書について聞いた。

WWD:前作の著書「キレイはこれでつくれます」の売れ行きは業界でも驚異的な数値を記録しているが、自身への反響はどうだったか?

MEGUMI:本について、街中でもたくさんの方に声をかけていただきました。もともと美容好きの方に読んでいただいたこともすごくうれしかったんですが、美容についてあまり関心がなかった方にも、「シートマスクだったら自分でもできるかもしれない」「やってみたらすごく肌が変わった」と本を通して体験してくださって、笑顔で話しかけてくださることに、なんとも言えない感動がありましたね。彼女たちが1ミリでも幸せになっていると実感できたことは、私としても出版した目的がかなったなと思いました。

WWD:前作の出版を経て、今作「心に効く美容」を企画した思いとは?

MEGUMI:前作が“美容の導入”という内容であれば、今作はさらに深い部分を分かりやすく伝えられたらと、“心の美容”に焦点を当てました。その理由の一つに、美容に関する発信をするようになって、仕事や生活のことで悩んでいる方がたくさんいるんだなということを知りました。美容誌でもそうした企画が多いし、私のインスタグラムにも長文でメッセージをいただくことが増えて。そうした悩みに私も共感することも多くて、分かってはいたけれど、より向き合うきっかけにもなったんですよね。

私は悩んだときに運動をするとすごく救われるなんていう経験がよくあります。悩んでいる時こそ身体を温めるというメンタルにつながる美容法は、自分で自分に与えているいわば処方箋のようなもの。実際に、そうした心にアプローチする方法で私自身も助けられていることはすごく多いんです。自分の心や感情は瞬時に変えることは難しいけれども、その手綱を引くことはできるよっていうきっかけを今作では皆さんにお伝えしたいなって思いました。

WWD:具体的に一般の方からの悩みで共感することとは?

MEGUMI:女性って世の中から見えるフェーズがどんどん変わっていきますよね。キャピキャピ期を経て、キャリアウーマンや母親になって、おばさんになってみたいな。ただ、私自身も自分の見え方になかなかついていけないなってすごく感じるし、さまざまなフェーズにいる女性たちの悩みを聞いて、自分の人生を振り返っても、女性って大変だよなって共感する部分が多くあるんですよね。そうした女性の人生へのメッセージとしても、“心に効く美容”というテーマにしたんです。

「暗い海から抜け出したい」「藁にもすがる思い」を美容で緩和

WWD:本書冒頭で、MEGUMIさんの「メンタルが強そうと思われがちだが、実はそうではない」という本音に驚く読者も多いと思うが、その思いをつづった真意とは?

MEGUMI:芸能界というなかなかタフな場所にいて、自分の感情に押しつぶされそうになったり、圧倒されそうになったり、ものすごく理不尽な思いをしたり、さまざまな感情を経験しています。きっと皆さんが働く世界でもいろいろなことがあると思います。私自身はもともとそんなに強くないし、人一倍デリケートで面倒くさい部分が自分の中にはあると思っています。弱いからこそ、いち早くこの暗い海から抜け出したいと強く思うことが結構多くて。ただ、そのたびにうずくまるのではなく、専門的な方の話を聞いたり、マッサージに行ったり、運動をしたりということを藁にもすがる思いでいろいろとやっているんですよね。そうすることで、100%のつらさが60%くらいになったなとか、あの経験はすごく良かったなって思えることがすごくあるんです。そうした経験を通した心の美容法も本音で紹介しています。

WWD:また「私が一番苦手な感情」と題したインタビューページで、人生で経験する“別れ”や成長を遂げる一人息子への思いなどを赤裸々に綴っている。そうした自身の経験を共有することで、女性を応援したいといった思いもあるのか?

MEGUMI:私が取り組む仕事については、全ての女性にフォーカスしていると決めています。それはドラマでも映画でも全ての活動においてそうですが、今回の本については特にそうだと言えます。

WWD:本作では美容グッズ以外に、腹巻きや枕、おやつに加え、心に効くレシピなども紹介している。普段どのように美容に関してリサーチしているのか?

MEGUMI:「これいいよ」「このお店いいよ」って聞くとすぐにネットで買ったり、その場に行ったりするんですけど、それがまったく面倒って思わないんですよね。美容への興味が枯れないというか、本当に好きなんだと思います。前作で紹介したグッズも継続して愛用しているものもありますが、肌って年齢や季節ごとにも変わっていくものなので、同じものを使っていると何か止まっていく気がしていて。だからいろいろ試して、さまざまな化粧品や健康法をアップデートしていくことがいいんじゃないかなって思いますね。この本が出るころには、また新しいものを探していたり出合っていたりしているんでしょうね。きっとそういうものなんですよね。

WWD:MEGUMIさんにとって、常に自分の心そして肌と向き合うことは大事なことであり、きれいを保つことで自信にもつながると感じている?

MEGUMI:そうですね。肌がきれいになることで、幸福度を感じますよね。でも大人になればなるほど、誰も自分の面倒をみてくれない。そのことに腹をくくって、自分の幸せに向き合えるように、ちょっとしたことでこんなにメンタルがよくなるんだというヒントを伝えていきたい。調子が悪いと余裕もなくなっちゃって、人に優しくできないと思うんですよね。自分自身を整えることで人間関係も変わって、人生も変わる。最初はちっちゃいことかもしれないけれど、日々の積み重ねで大きなことに変わっていくと思っているので、その感覚を皆さんの中にも取り入れてもらえたらなって思っています。

「年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくない」

WWD:最後の章「人生にテーマとヒーローを持つ」では、俳優として、個人として、母としてなどに分けた、夢を叶えるための事業計画書をつくっているとある。将来、どのような女性像を思い描いているか

MEGUMI:まずは人に優しくできる人になれるように。それが難しくもありますが、生涯かけて掲げていたいことの1つだと思っています。あとは、年齢を理由に夢を追いかけることをやめたくないなって。いくつになっても自分のやりたいことがある。だから、その夢を叶えるためにひたすら努力して達成して、そして次の夢に向かっていく。これを繰り返しています。ただこれはあくまで私のやり方。30~40代は、どういうことをしている自分がベストなのかということを探る時期だと思っているので、今の私は夢や目標に向かって走ることが一番幸せだと感じています。だけどやりたいことが多すぎて、休みでも打ち合わせ入れちゃったりして、予定を詰め込みすぎちゃうんですけどね。やりたいことをやるって腹をくくった以上、そこはしょうがないかなって、ただひたすらにやり続けるみたいな(笑)。死ぬまで続けたいって思っていますね。

WWD:最近達成した夢は?

MEGUMI:海外への挑戦です。日本と行き来するような仕事を年に1つずつ増やしていきたいなと思って、最近その機会が増えるようになりました。英語の勉強にも取り組んでいますが、日々忙しい時間との勝負。でも少しずつでも続けて行動していくことを大事にしています。私にとっては、それが一番心地いいので。皆さんにも心地のいいスタイルを見つけてほしいですね。

WWD:最後に、MEGUMIさんが思う美しい人とは?

MEGUMI:外側の美しさをケアするだけでなく、内側の心を整えているきれいな人。残念ながら35歳くらいを過ぎると、内側で怖そうな顔をしていたり、具合が悪そうだったりすると、表に透け出てしまうんですよね。そのためにも心も整えていく必要があると思っています。

前作は外側の美容について、今作は内側を整えることが美しさにつながるという美容法をお伝えしています。美しさを少しずつ自覚していくと、自然と行動力が上がったり、感謝の気持ちが誰かに向いたり、原動力や向上心がむくむくと湧いてくる。内側から引き出した美しさや自信が人生をいい方向に導いてくれるはずです。つらさや重だるさを感じるようなくすんだ瞬間に、「心に効く美容」をパラパラとめくって実践してもらえるとうれしいです。

PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI
STYLING:KUMI SAITO
HAIR &MAKE-UP:KIKKU
アクセサリー/「ブランイリス(BLANCIRIS)」
シューズ/「ジア ボルギーニ(GIA BORGHINI)」

The post MEGUMIの新著は幸福度が上がる「心に効く美容」 自身の弱みや別れをつづった思いを聞く appeared first on WWDJAPAN.

キム・ヒョナが2年ぶりのカムバック 届かなかった“頂き”を目指した新EP「アティチュード」

ワンダーガールズと4ミニッツの元メンバーであり、K-POPアーティストのキム・ヒョナが5月2日にEPアルバム「アティチュード(Attitude)」をリリースし、約2年ぶりのカムバックを果たした。リリースに先駆け、「WWD KOREA」はヒョナにインタビュー。「アティチュード」の制作過程や、目指した新たな音楽性について聞いた。

「アティチュード」は
手が届かないと思っていた
音楽に到達した証

WWD KOREA(以下、WWD):長い間、取り組んできたEPアルバム「アティチュード」がリリースされました。制作の裏話を聞かせてください

キム・ヒョナ(以下、ヒョナ):これまでの楽曲ではパフォーマンスに重点を置いてきましたが、今回はヴォーカルに大きくシフトしました。この試みは挑戦的で、「私にできるだろうか」という思いでいっぱいでした。困難で厳しい道のりでしたが、満足のいくアルバムにつながりました。

WWD:常に新しいことにチャレンジされていますが、今回のアルバムでの挑戦は何ですか?

ヒョナ:自分探しの旅が今回の挑戦でした。自分の限界に立ち向かい、それを超えていくこと。私は自分のボーカルについて多くの不安を抱えていましたし、自分の可能性を制限していたことにも気づきました。「アティチュード」は、自分には手が届かないと思っていた音楽に到達した証です。トレーニングは大変でしたが、成長に年齢は関係ないという貴重な教訓になりました。

やったことを繰り返したいとは思わない
常に新しいものを求めていく

WWD:これまでとはまったく違う“ヒョナ”になるのでしょうか?

ヒョナ:ひとつ確かなのは、これまで見せたことのない私の一面を見ることができるということです。今回のアルバムのユニークでエキサイティングなポイントだと思います。

WWD:今回のアルバムも“ヒョナ”のコンセプトとスタイルが色濃く反映されていますか?

ヒョナ:それならがっかりするかもしれません。音楽だけで判断されたいという思いがあったから、今回はシンプルでクールなアルバムを目指したので。だから、音の要素を足すことよりも削ることに集中しました。

WWD:どのようなきっかけでそのようなアプローチを取られたのか気になります

ヒョナ:プロデューサーやディレクターの意見をより重視し、プロに従うことを目指しました。以前は自分が表現したいことに集中していましたが、今回は彼らが表現したいメッセージを“ヒョナ”というアーティストを通して伝えようとしました。共同制作のプロセスが喜びの源になるようにしたかったのです。

WWD:マス・アピールにも取り組まなければならないのでは?

ヒョナ:マス・アピールとは何なのか、私もまだ理解しようとしている途中です。エンターテインメント業界の定義が曖昧になればなるほど、私の中でも不確かになっています。なので、いつも理解につながる助けを探しています。
一方で、「楽曲が万人に歌われるアーティストになる」という考えは、あまりないですね(笑)。前にやったことを繰り返したいとは思わない。常に新しいものを求めていくつもりです。

ハイキングへの挑戦と久々のバンコク訪問

WWD:最近、取り巻く環境が変化している中で、癒しがますます重要になってきているのではないですか?

ヒョナ:陳腐に聞こえるかもしれないですが、私にとっては働くことが一番の癒しです。あ!最近は別の癒しも見つけました。ハイキングです。優れなかった体調が良くなってきたこともあり、ハイキングに挑戦する気持ちに火がつきました。この山に登りきれば、レコーディングもきっと完走し届かなかった音楽に到達できる。そんな野望が湧いてきたのです。登りはきつかったですが、頂上に着いた時には達成感と新たなチャレンジ精神に満たされました。アチャサン(峨嵯山)に登ったのですが、今度は北漢山に挑戦したいですね。そんなわけで、最近は登山靴を物色中です。

WWD:久々のバンコク訪問。旅先で必ずすることはありますか?

ヒョナ:市場やスーパーマーケットもチェックは欠かせないです。バンコクに行くのは久しぶりですが、マーケットに行くとTシャツが4000ウォンくらいで売っています。ビンテージのTシャツを見つけるのが楽しいので、旅行のたびに訪れるようにしています。また、屋台で果物や串焼きを買って食べるのも大好きです。

惜しみない努力で
ステージに立ち続けたい

WWD:あなたはよく「生まれつきの才能だ」と言われますよね。これについてはどう思いますか?

ヒョナ:そう言ってもらえることには感謝しています。私自身はそう思っていないので(笑)。そのことを常に自覚しているし、だから陰で努力もしてきました。

WWD:自己満足を望む部分もあるのでは?

ヒョナ:その願望と共存しながらステージに立ち続けたいと思っています。パフォーマンスする機会を得るには、惜しみない努力しかありません。チャンスをつかむのは簡単ではないからこそ努力が不可欠なのです。

WWD:疲れを感じたり、圧倒されたりする瞬間はありますか?

ヒョナ:そんなときには私なりの休息方法があって、3日ほど完全に自宅にこもります。仕事をしていないと不安になってきますが、遅れをとるという選択肢は毛頭ありません。

WWD:家によくこもる人“ホームボディ”はインテリアにはこだわりがありますよね

ヒョナ:ビンテージ家具やアンティーク家具に深い愛情を持っています。その気持ちを表現するために、裁縫をすることもあります。最初は母からかぎ針編みを習ったのですが、ジーンズを再利用してバッグを作ったり、しまいにはカーテンを作ったりするほどになりました(笑)。今は家具のデザインに夢中です。ユニークな家具を作りたいなと思っています。

WWD:以前、ご自身のことを複雑な性格の持ち主だとおっしゃっていました。あれから約1年が経ちましたが、今のお気持ちはいかがですか?

ヒョナ:1年前よりもシンプルになり、安定したと思います。十分な休養を取ったことと、いい人たちに囲まれているおかげです。昔からのスタッフは、私がリラックスして見えると言ってくれし、よく眠れるようにもなりました。

WWD:ヒョナのカムバックを待つファンや読者に一言お願いします

ヒョナ:最近はあまり活動できていませんが、これからも更新していくつもりです。私にできることは音楽だけなので。
健康を大切にしつつ、素敵な音楽を携えて皆さんにお会いしたいです。そしてステージでは常に頑張りたいと思います。皆さんの健康を祈っています!

CONTRIBUTING DIRECTOR:HANNA CHOI
PHOTO:KYUNGYOON RYU
HAIR:HYOJEONG SHIN
MAKE-UP:MINAH PARK
STYLING:SUL JUNG, MINGYOUNG OCK(SSUL STYLE)
LOCATION:AAC(ALL ABOUT CONTENTS), CONRAD BANGKOK HOTEL

The post キム・ヒョナが2年ぶりのカムバック 届かなかった“頂き”を目指した新EP「アティチュード」 appeared first on WWDJAPAN.

テレ東・大森時生×ダ・ヴィンチ・恐山 2人が語る「イシナガキクエを探しています」とフェイクドキュメンタリーの未来

大森時生/テレビ東京 プロデューサー・ディレクター

PROFILE: (おおもり・ときお)1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「Raiken Nippon Hair」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」「祓除」を担当。Aマッソの単独公演「滑稽」でも企画・演出を務めた。昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出された。X(旧Twitter):@tokio____omori

ダ・ヴィンチ・恐山/ライター、小説家

PROFILE:(だ・ゔぃんち・おそれざん)東京都出身。2009年よりツイッターを中心にインターネット上での活動を開始。さまざまな媒体で活動した後、2015年に品田遊名義で小説家としてデビュー。以降、小説家としては品田遊の名義を利用している。2016年にバーグハンバーグバーグ入社。コンテンツのクリエティブディレクションから編集まで幅広く手掛ける。著書に「止まりだしたら走らない」(リトルモア)、「名称未設定ファイル」(キノブックス)、「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」(イースト・プレス)など。X(旧Twitter):@d_v_osorezan

テレビ東京のプロデューサー、大森時生が仕掛ける「TXQ FICTION」シリーズの第1弾として、2024年4月30日に「イシナガキクエを探しています(1)」が放送された。この番組は「探しています」とのタイトル通り、行方知れずとなった架空の人物“イシナガキクエ”を捜索するフィクション。これまで大森が手掛けてきた「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」などの評判が期待を呼び、放送中からSNSではさまざまな考察があふれた。

今回「イシナガキクエを探しています」第2回の放送を前に、対談形式で話を聞いた。そのお相手は、「オモコロ」などのメディアでライターとして活動、「SIX HACK」では構成を務め、さらに「品田遊」名義で小説も執筆するダ・ヴィンチ・恐山。同世代で触れてきた文化圏も近い2人が見据える、フェイクドキュメンタリーの未来とは。

「SIX HACK」はある種の自傷行為みたいだった

——お2人が最初にお仕事をしたのは2023年4〜5月に放送された「SIX HACK」ですが、その前から面識はあったのですか。

大森時生(以下、大森):2022年の12月に放送した「このテープもってないですか?」の時に、恐山さんが番組の感想をネットに書いてくれて、それをきっかけにご飯を食べに行ったのが最初ですね。

ダ・ヴィンチ・恐山(以下、恐山):その食事の席で、「一緒に何かやりましょう」という話をして、1カ月後くらいには「SIX HACK」の企画が送られてきました。

大森:業界人によくある、実現しない口約束に終わらないでよかったです。

恐山:ちなみにその「SIX HACK」では、構成という役割上、エンドクレジットで最初に私の名前が出るので、多くの人から番組の全体像を私が考えたと誤解されているのですが、決してそんなことはありません。

大森:ドラマでいう脚本家みたいに思われているんですかね。もしそうだとしたら確かに誤解で、あの番組はたくさんの人たちが関わって作っています。

恐山:企画や構成には初期から関わっていましたが、私が脚本を直接担当したのは主に番組内VTRなどです。

大森:もともと僕は恐山さんの作品や日記のファンだったのですが、「SIX HACK」につながる作品でいうと、品田遊名義の「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」(イースト・プレス)という本があって。あの本のトンマナというか、世にはびこる論破的なものからズレた視点が、番組のテーマ「偉くなる」と相性いいだろうなと思いました。

恐山:テレビで見られる“悪さ”から、もう一歩踏み込んだものをやりたいと思っていたので、そういう視点のズラしは意識しましたね。

——テレビ番組の構成をやってみた感触はいかがでしたか。

恐山:秩序のないネット空間と比べると、テレビはきちんとした枠組みがある分、おかしなことをやったときの緊張感はだいぶ違いました。ただ、自分で放送を見て、あんな番組を放送していいのだろうかと、率直に思いました。

大森:特に恐山さんが担当した「ネットで偉くなる」しぐさやコツを紹介したパートは、誰しもに広く関係するネタが多く、それは当然僕たちにも降りかかるところで、もはや最終的に自傷行為みたいになってましたよね。

実際につながる電話番号が用意されたわけ

——新作「イシナガキクエを探しています」は、いち視聴者として恐山さんはどう見ましたか。

恐山:子供のころ、ああいう人探し番組を見た時に感じたざわざわした気持ちを久しぶりに思い出しました。番組の体裁としてはホラーの感触もあるのですが、それよりも、テレビの中で何が起きているんだろう、という不安感の方が強かったです。

大森:いわゆるJホラー的な怖さとは違いますよね。例えば、イシナガキクエを探している当事者の“米原さん”という方がカメラに向かって話しているシーンは、米原さんの視線とか間に不気味さがあって、何か視聴者を驚かせるような仕掛けがあるわけじゃない。

恐山:そもそも、指名手配犯とかではなく一般人の、しかもだいぶ昔に失踪した人を探すという番組のコンセプト自体が歪(いびつ)ですよね。

大森:人を探す番組はテレビの定番としてありますけど、「イシナガキクエを探しています」は体裁がそれっぽいだけで、よく考えると、この人を探す理由も分からないし、肝心の番組意図がつかめないんです。今回は新しく立ち上げた「TXQ FICTION」という枠組みの中でフェイクドキュメンタリーをやることがテーマなので、これまで僕が作ってきた番組にあったような、構造でのだまし討ちとかではなく、フィクションとしての強度を高めることを追求しました。

恐山:フィクションとしての強度を高めてはいますが、なんならこれまで大森さんが作ってきたどの番組よりも、リアルだと勘違いする人が多そうな気がします。

大森:それは放送時間も関係あるかもしれません。「SIX HACK」は深夜1時からの放送でしたが、今回は深夜0時30分なので、統計的にはざっくり30万〜40万人が視聴しているんです。SNSなどを通じて番組の概要を知った上で見ている人もいますが、ほとんどの人は事前の情報なしで見ているはず。

——視聴者からの情報提供を呼びかける目的で、問い合わせ先の電話番号を放送内で紹介していましたが、あれはOKなんでしょうか。

大森:テレビには、ダメそうでダメではないことはたくさんあります。まさにこれはその一例だと思います。関係各所との綿密な擦り合わせはしました。実際につながる番号を用意したので、放送中に回線はパンクしちゃったんですけど。

恐山:深夜1時近くに電話をかけさせるって、相当なことですよ。

大森:存在しない番号でもよかったんですけど、むしろそれを探す方が難しい部分もあって。それに、コンセプトの段階で「イシナガキクエを探しています」という大きな嘘をついている以上、ほかの部分はなるべく本物にしておかないと、リアリティーがなくなってしまう。スタジオに電話を設置したのも、よくある人探し番組のセットには電話を受けるオペレーターが何人もいるよなっていうところから、じゃあ設置しようかっていう順番で。実際につながる電話番号があったらおもしろい、という発想では全然ないんです。

素材の段階から本物っぽさを追求する

恐山:人探し番組の体裁であるとか、実際につながる電話番号とか、そういった構造のおもしろさはもちろんあるんですけど、私が一番グッときたのは、あのおじいさんの表情やしぐさだったんですよね。

大森:さっき話に出た米原さんですね。

恐山:静かにたかぶっていく感情がなんとも言えず、これはすごいものを見たぞって。あのシーンは演技を超えた何かが確実に宿っていました。しかも、あの方はかなりの高齢者だと思うのですが、難解な番組のコンセプトをよく理解してもらえたなって。

『フェイクドキュメンタリー「Q」』を見ていても思うのですが、ロケーションにしても演技にしても、フェイクだからって決して安っぽくはせず、廃虚ひとつとっても、本気でふさわしい場所を探してくるじゃないですか。あれはすごいなと思います。

大森:「イシナガキクエを探しています」には、『フェイクドキュメンタリー「Q」』の寺内康太郎さんと皆口大地さんにも参加していただいています。寺内さんとはその前にも「祓除」というイベントでご一緒したのですが、僕が一番すごいと思ったのは、素材へのこだわりです。

テレビのやり方だと、撮ってきた映像はあくまで素材として使って、編集の段階で本物に近づけていくのが一般的です。つまり、完成品を本物っぽく仕上げることが最終目標。でも寺内さんは、素材の時点で本物っぽさを追求しているんです。だからこそ、ロケーションでも何でも、撮影の時からどうしたら本物に近づけられるか粘りまくる。素材にリアリティーがあると、編集のセンスや技術でどうにかするのとはまったく違う仕上がりになるんですよ。

恐山:廃虚にしても民家にしても、現実だからこその猥雑さはそう簡単に模造できるものではないですからね。

大森:民家を舞台にする場合、実際に人が住んでいた家じゃないと本物っぽさって出ないんですよね。不思議なことに、人が住んでいた家の匂いとかって、画面越しにも伝わるんです。

恐山:その感覚すごく分かります。匂い、伝わりますよ。

大森:1つ前の時代のフェイクドキュメンタリーは、あくまで低予算で、ロケーションや役者の演技にもそこまでこだわらなくていい、というものも見受けられました。でも今はそのフェーズではなく、これからはクオリティーが求められる時代になってきたのかなと。

恐山:そのうち映画の規模になって、いずれは黒澤映画みたいに民家を壊すかもしれない。

大森:「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999年)のころはまだ、アイデア一発で観客を驚かせることができましたが、そこから20年以上経って、最近だと「女神の継承」(21年)とか「呪詛」(22年)とか、映画の中でPOV(Point of View)の手法を使うことが増えてきて、視聴者にとっては映画のクオリティーが水準になっているんですよね。いまや配信で普通にテレビ画面でそういう作品を見ていますし。

そんな時代に、深夜のテレビ番組の予算と規模でフェイクドキュメンタリーを作るとなったら、どうしたって素材で粘るしかない。POVの手法で効率的に撮ったカットをつなげた作品に勝てる唯一の方法は、ノーカットで撮って、その素材を全部つなげると本物に見える、くらいのクオリティーが必要だと思ってやっています。

ロールプレイを続けていると本物に近づいてくる

——「イシナガキクエを探しています」のエンドクレジットを見ると、スタッフの人数がドラマと比べるとだいぶ少ないですよね。

大森:ドラマや映画の現場には必ずいる撮影部、照明部、美術部といった技術スタッフがロケ先にまったくいないんです。なぜいないかというと、そういった外部の専門スタッフがいると、本物に見えるまでひたすら粘って撮る、という手法ができないから。現場の座組としては、プロデューサーの僕と、演出部の寺内さんと皆口さん、近藤亮太さん、あとは役者の方々くらい。素材を撮ることに徹底的にこだわるには、このくらいの人数が限界なんです。技術部のスタッフがいると「いい加減にしろ」となってしまうので。

恐山:フェイクドキュメンタリーって、視聴者を引っ掛ける意図が少なからずあるわけなので、本質的にサディスティックなのは否定できないですよね。だからこそ、作り手が受け手をなめたような態度を出してはいけないと思うんです。なめない態度の1つとして、本物っぽさの追求というのがあって、作り手の「どうだ、すごいだろ」みたいな態度が透けて見えると、その時点で視聴者はびびらないし、失礼。そうではなく、作り手自身が「これ大丈夫か……」って、びびったり怖がったりしているくらいがいい。

大森:その最たるものが「祓除」でしたね。あれは僕も含めスタッフみんなあまりに複雑な入れ子構造が故に、不安な気持ちで制作していました。

恐山:「イシナガキクエを探しています」もこの先そうなっていくんですかね。

大森:いま#2を作っている最中なのですが、番組を見て情報提供の電話をかけてくれた人たちに、折り返しの電話をかけているんですよ。

恐山:え!? どういうことですか?

大森:2000件くらいの着信があったので、もちろん全員は無理ですけど、なるべく多くの人に「より詳しい話を聞かせてください」って、スタッフが電話をかけています。

恐山:そんな電話めちゃめちゃ怖いじゃないですか。

——野暮なことを承知で聞きますが、情報提供者の中には本当に人探しをしていると思っている人もいるのでしょうか。

大森:先ほど言った通り、視聴率から視聴人数を割り出すと、まったくの事前情報なしで見ている人も、中にはいるかもしれないです。そういう方には「TXQ FICTION」という番組であることをお伝えしています。

恐山:電話を折り返して得た情報は番組に反映するんですか?

大森:それは本編をご覧いただければと思います。

恐山:百物語の最後に妖怪が現れるのと同じで、このままいくと本物の方からどんどん近づいてきますよ。

大森:本物が近づいてくるだけじゃなく、これは「SIX HACK」や「祓除」を作りながら改めて実感したことですが、真剣にロールプレイを続けていると、自分たちも本物に近づいていくんですよね。

人はなぜ“考察”したがるのか

——インターネットの世界では、フェイクドキュメンタリーやホラー系が近年さらに盛り上がっているように見えます。

恐山:私が所属している「オモコロ」でも、ここ何年かのPV上位はホラーが独占していますね。映画化もされた「変な家」もオモコロの記事として出していましたし、大森さんと「祓除」でご一緒されていた梨さんも大人気です。

大森:有象無象が混在しまくるネットとホラーは相性いいですもんね。

恐山:それでいうと、小説を発表するサイトとかは数多くあるのですが、「オモコロ」みたいに何でもありなメディアって実はあんまりなくて。どのサイトやメディアもたいてい何かしらのテーマや専門性があるんですよね。だから「オモコロ」のような雑多な場所に突然ホラーが放り込まれると、余計に怖いっていうのはあるのかもしれません。読者は創作なのか実体験のエッセイなのか、何も分からないまま読むことになるので。

——ネット上のいわゆる「考察」については、どう見ていますか。「イシナガキクエを探しています」も放送中にかなり盛り上がっていました。

恐山:流行りとしての考察文化について言えば、騙される側にいたくないというか、より制作者の視点に近い、俯瞰した立場になりたいという動機もありそうです。何か騒動が起きたときに、誰よりも早くメタな視点で総括したくなる気持ちにも近い。

大森:余白が許せないような人も多いのかなって思いますね。正解の解釈を求めたがるというか。

恐山:もちろん、純粋にミステリーやホラーが好きで、趣味として読解を楽しんでいる人も当然います。SNSではそこが混在していますよね。

——大森さんご自身は、考察の盛り上がりを見越して作っているのでしょうか。

大森:いや、そんなにはしていないですね。「イシナガキクエを探しています」に関しては特にしていないです。あくまで純粋に物語として楽しんでほしいと思って作っています。それこそ今回私たちはネットに何も仕込んでいないんです。それなのに次々とネット上でイシナガキクエのピースのようなものが出てくる。視聴者の方が自らやっているんですよね。それが都市伝説の発生の過程のようで興味深いです。一部度を過ぎているので、良識の範囲内でやってほしいとは思いますが……。

脱構築的な手法では時代を超えられない

——一方で、インターネットの集合知によってさまざまな難問が解決していくことも実際にはあるわけで、受け手に対してどこまで期待していいのか、過度な期待はしない方がいいのか、そのあたりはどう考えていますか。

恐山:それは永遠の課題でしょうね。どこに照準を合わせるのか、作り手によってもかなりばらつきがあると思います。例えば雨穴さんの作品などは読み解きを前提としたエンタメとして人気ですが、妖しい雰囲気それ自体に感情を動かされる体験もできます。深く掘ろうと思えば掘りがいはありつつ、別に掘らなくても楽しめる、というのが理想ですよね。

大森:照準という意味では、結局は自分に合わせるしかないのかなと思います。そこを想像でやってしまうと、ミスが起こりやすい気がするんです。新しい表現を追求するためにも、なるべく想像とか予想ではなく、実感を伴った作りにしていきたいというか。

恐山:受け手の心情だけはコントロールできないですからね。

大森:ほんとそうなんですよ。どうせ分からないだろうと想像して幼稚なものを作りたくもないし、分かってくれるはずと予想して自己満足だけで終わるものも作りたくはない。

恐山:ジャンルの宿命として、考察から逃れられないこともまた事実ではありますし。なので私は、自分が見たい/見せたい景色を思い浮かべて創作や企画をしていて、受け手がそれを追体験できたらひとまず目的達成かなと思っているんです。だからこそ、私が「イシナガキクエを探しています」を見て一番いいなと思ったのは、あのおじいさんの迫真の姿だった。あのグロテスクだけど目の離せない瞬間を作り手は見せたかったんだなと感じたし、私も見たかった。ここに完璧なコミュニケーションが成立しているので、考察は必須ではないんです。

大森:恐山さんにそうおっしゃっていただいて、本当にうれしいです。僕が大事にしているのも感情です。種類はどうであれ、見た人の感情を動かしたい。

恐山:ただ、感情というのは個人的なものなので、他人との共有がとても難しい。共通の話題として消費するには考察や解釈、謎解きの方が相性いいんですよね。なので、バズを狙うのであれば、多くの人が共通の話題として盛り上がれる方を向いてしまう、という。

大森:……と、いろいろ言っていますが、TVerなどで再生回数が伸びるのは、深く考察してくれている熱心な視聴者のおかげであることも間違いないので、そこは素直に感謝しています。あとは、その深読みを実生活には反映させないでください、と祈るばかりです。日常生活にまで深読みを発揮させてしまうと、待っているのは陰謀論の類いしかないですから。

そういう意味では、もしかしたら自分の作った番組がその入り口になってしまっているのでは? という可能性についても常々考えているんです。その結果、今回から「TXQ FICTION」という名前をつけて、フィクションと銘打ったシリーズにしていこうと決めたところもあるので。

——事実かどうかをぼやかすことで増す恐怖もありますが、フィクションであると明言した方が潔いですし、態度としても真摯で、優しいと思います。

大森:僕自身、この仕事を始めた最初のころは特に、フィクションと謳うことで魅力が減るんじゃないかと思っていた時期もありました。でも、いろいろ自分の番組を作っていく中で、そこは堂々とフィクションと銘打った方がいい、そのことで魅力を損なうことはないと、はっきり思うようになりました。そこは個人的なフェーズの変化でもあります。

例えば、「このテープもってないですか?」は、バラエティー番組の体裁をとりながら、ギミックとして不気味な要素を忍ばせるという作りでした。ただ、そういった形式や構造のひねりで引きつける脱構築的な手法だと、瞬間風速は出せたとしても、時代は超えないとも思ったんです。同時代性という意味では楽しいし、そういう番組をまた作ることもあるかもしれませんが、それよりも今は、いつどの時代に見られても同じように楽しめるものを作りたい。そのためには、フィクションであることが必要だと考えています。

PHOTOS:YUTA FUCHIKAMI

■「イシナガキクエを探しています」(2)
テレビ東京
5月10日(金)深夜1時53分〜2時23分

■「イシナガキクエを探しています」(1)
の配信はこちら
https://tver.jp/episodes/epfy61qq2z

番組公式X
https://twitter.com/TXQFICTION

The post テレ東・大森時生×ダ・ヴィンチ・恐山 2人が語る「イシナガキクエを探しています」とフェイクドキュメンタリーの未来 appeared first on WWDJAPAN.

三越伊勢丹の名物バイヤー、神谷氏がサステナビリティ推進室マネージャーに就任 新境地を語る

PROFILE: 神谷将太/三越伊勢丹ホールディングスサステナビリティ推進部マネージャー

神谷将太/三越伊勢丹ホールディングスサステナビリティ推進部マネージャー
PROFILE: 2009年に伊勢丹(現:三越伊勢丹)へ入社後、伊勢丹新宿店婦人服の店頭販売、アシスタントバイヤー、アシスタントマネージャーを経て15年よりバイヤー職を担う。15年-16年に伊勢丹新宿店インターナショナルデザイナーズバイヤー、17年-18年に伊勢丹新宿店インターナショナルクリエーターズバイヤー、19年から伊勢丹新宿店リ・スタイル バイヤーなどを経て、2024年4月より三越伊勢丹ホールディングス サステナビリティ推進部へ異動。ファッション×サステナビリティの価値創造に積極的にチャレンジし、さまざまな企画、プロジェクトを生み出した。中でも「デニム de ミライ~Denim Project~」「ピース de ミライ~Revalue Fashion Project~」の2つのプロジェクトのリーダーを務めた。趣味は地方の秘湯とサウナ巡り、特に北海道。 PHOTO:SHUHEI SHINE

伊勢丹新宿店でリ・スタイル担当などファッションのど真ん中でキャリアを積んできた名物バイヤーがこのほど、三越伊勢丹ホールディングスのサステナビリティの要職に着任した。廃棄デニムを再利用して話題になった「デニム de ミライ」企画など、バイヤー時代の型破りな仕事を経て新しい部署で何を担うのか。神谷将太三越伊勢丹ホールディングス総務統括部サステナビリティ推進部マネージャーに話を聞いた。

サステナビリティ推進部の「営業」を担う

WWD:辞令をどう受け止めましたか?

神谷将太三越伊勢丹ホールディングス総務統括部サステナビリティ推進部マネージャー(以下、神谷):サステナビリティ推進部は2022年にできた部署です。改めてそのミッションを聞くうちに“やるぞ”とモチベーションが上がりました。経営に近い立場でサステナリティのさまざまなことに関わり、知識や人脈を広げ、 また営業の現場に戻って活躍する。そういう循環も社は考えているようです。現場感覚と経験、社内外のつながりを生かして具体的な取り組みを推進したい。

WWD:具体的な業務を教えてください。

神谷:サステナビティ推進部が大きく3つのチーム、「環境」「営業」「従業員エンゲージメント」に分かれており、私は「営業」チームでマネージャーを務めます。

WWD:営業チームの役割とは。

神谷: “シンク グッド(think good)”のプロジェクトを、百貨店グループのみならず関連各社全体で推進をしていくことと、サプライチェーンマネジメントです。百貨店事業としてスタートした“シンク グッド”は、今年度からグループ会社、関連事業を含めて推進します。グループ会社はホームページに載せているだけで37あり、不動産、金融などさまざまなチームがある。本当にいろいろな事業があるので、まずは弊社のことも改めて勉強したい。彼らと伴走して、時にお取引先をつなぎ“シンク グッド”を広げていく。サステナリティの考え方に基づく戦略を勢いをもって構築したい。

WWD:サプライチェーンマネジメント業務を具体的に。

神谷:主にお取り組み先との対話です。最近は特にラグジュアリーブランドは自社の行動規範を持ち、こちらに提示されることも多い。昨年から、新宿店の商品チームを中心に現場のバイヤーが約500社のお取り組み先と対面で品質管理や法令順守、人権への配慮など双方の規範の話をしています。

WWD:1社ずつ話すのは労力ですね。行動規範を配って終わり、ではない、と。

神谷:対話を通じてお取り組み先がサプライチェーンの川上をどこまでさかのぼり、何を大切にしているかを把握できることは意味がある。小売りの立場だと川上の現実はなかなか見えないから、対話を通じてかなり勉強になっています。サステナビリティ推進部はグローバルの動きやリスクなどの情報共有をします。昨年までは学ぶ立場だったのですが今年は伝える側ですね。一方通行ではなく、現場が活かせる情報として伝えていきたい。

WWD:サステナビリティに携わると従来のファッションビジネスにはない言葉や価値観と出会うことが多いのでは?

神谷:勉強しなければ、はすごく実感しています。知らない用語、取り巻く法律もそうだし社内の行動規範や調達方針もそう。すでに明文化されたものはあるしバイヤーですからある程度は知っていたけれど、自分の言葉で言語化して人に伝えることはまた別です。

WWD:この職務で自身のどんな姿を目指していますか。

神谷:現場感覚と経験、あと社内外のつながりを生かして、具体的な取り組みを推進したい。

サステナビリティはカウンターカルチャーという意識だった


WWD:「営業」と聞くと何かを売るイメージですが、ここで言う「営業」は営業施策の横展開、という意味ですね。つなぎ、巻き込んでいく、それは神谷さんがバイヤーとして「デニム de ミライ」などで実践してきたことです。

神谷:そうですね、思い返せば、バイヤー着任1年目の2016年に工場の余剰生地をデザイナーとピックアップして多品種少量生産の提案をしたり、リ・スタイル プラス担当のときは、希少性×エシカルという設定で、「ファセッタズム(FACETASM)」や「コシェ(KOCHE)」などと環境配慮素材や余り物から1点ものを作ったりしていました。

WWD:早かったですね。

神谷:当時は「サステナビリティはメーンストリームでないからそこに新しい価値、先進性があるのではないか」と思い、取り組んでいました。リ・スタイル プラスらしいカウンターカルチャーという意識です。

WWD:“やらねば”ではなく、“新しいことをしよう”から入っているところがいいですね。

神谷:ファストファッションが急成長する中、大量生産に対するアンチテーゼであり、「価格より価値が大事だ」という感覚が強かったですね。ファッションに機能性だけでなく情緒性や社会性を加味し、新しい価値観として提供したかった。

WWD:2020年にリ・スタイルをリモデルしたときには「パワー・オブ・チョイス、私たちができること」といった切り口でした。

神谷:この時はサステナビリティという言葉を使いました。ただしサステナビリティを絶対的なものではなく、多様性のひとつ “美しい選択”としてとらえたメッセージです。

小売り・ファッションとサステナビリティを結びビジネスとして成立させる難しさ

WWD:そういった変化に敏感なのは、バイヤーとしてさまざまなクリエイションや社会を見続けてきたからこそでしょう。

神谷:そうですね。年に4回ほど海外出張をするなかでブランドから「これは再生ポリエステルで作った」「これは残反だから少量しかない」といった話を多く聞くようになったり、プライズに選ばれるデザイナーもマリーン・セル(Marine Serre)をはじめ、サステナビリティに通じる考えがある人が増えたりするのを見聞きするなかで「そういう文脈になっているのだな」と受け取りました。ただ、それをお客さんに押し付けるのも違う。1人1人を否定せずに自分なりのスタイルを発信したかった。

WWD:特に、2022年3月に実施した「デニム de ミライ」は大きな話題になりました。

神谷:自分の中でもそういうマインドが醸成していたときに、たまたまヤマサワプレスを訪れて廃棄寸前の「リーバイス(LEVI’S)」のジーンズ“501”の山を見て「なるほど、やろう」と思えた。“デニムdeミライ”での活動は、本業であるファッションコンテンツとしての魅力を高めようとしたことや、様々な人を巻き込んで規模を大きくして発信性を高めたこと、つまり本業として当たり前のことに精一杯の力を入れて活動したことで、良い結果につながりました。

WWD:それがその後の、2023年「リスタイルアーカイブ」、デニム以外の生地の残反も加えた「ピース de ミライ」へとつながりました。 一連の取り組みの中で難しいと感じたことは?

神谷:本業である小売り・ファッションとサステナビリティを組みつけてビジネスとして成立させることです。サステナビリティの活動は「今すぐ儲からないとやらない」という訳でもない。本業の戦略とサステナビリティを組みつけることで、結果として“経済的価値”と“社会的価値”の双方の向上につながります。企画の質の向上と規模の拡大を通じて、経済性と社会性の双方を追求することは難しかったです。

また、衣食住で質の高い・幅広いコンテンツとの協業や小売り他社との連携もポイントになりました。社内外の多くの人を巻き込み最終的には一人のバイヤーの企画から、会社規模の企画に引き上げたことは誇りです。

顧客のサステナビリティに対する関心度の変化

WWD:顧客のサステナビリティに対する関心度の変化をどうみていますか?

神谷:2010年から行っている顧客アンケートをホームページでも公開していますが、「当社のサステナビリティ活動を知っていますか?」の質問に対して10年は20%程度だった「イエス」が23年には50%を超えました。また「三越伊勢丹が取り組むべき課題」に関しては、21年度までは「商品の品質」がトップだったのに対して、22年度からは「食品廃棄物の削減」となり、サステナビリティにつながることに関心を持たれていることがうかがえます。

自由回答には「百貨店だからこそ、ラグジュアリーとサステナビリティを両立させてほしい」という声や「百貨店をきっかけに知ることが増えた」もあがっています。印象的なのは一時期聞かれた「サステナビリティはトレンドだよね」という言葉が最近はほとんど聞かれなくなったことです。

ファッションとサステナビリティは両立する

WWD:神谷さんが考える「ラグジュアリー」とは?

神谷:まず、ラグジュアリーは高級や豪華という意味ではないということを最初にお伝えしたいです。目新しさだけでもない。自分と仲間の未来を豊かにしてゆくもの、と考えています。豊かになる、をほかの言葉に置き換えると、感動する、笑顔になる、成長する、新しいつながりができるといったこと。それを実感できるのがラグジュアリーだと思います。

WWD:「ファッションの伊勢丹」は再先端のファッションを扱っています。その中でファッションとサステナビリティは両立すると思いますか?

神谷:両立すると思います。社会価値も含めて考えること自体がクリエイティブだと思うから。

WWD:今後の課題は?

神谷:バイヤーは幅広いスコープを持ち情報収集していますがリソースとなる要素が個人や規模の小さい事業者になることも多い。いわゆる「人と人」の関係性からキッカケが生まれ、そこに寄り添った活動となることも多いため、企画やプロジェクトが属人化しやすく、企画の規模化や発展性、継続性を目指した仕組み化が難しくなってしまうことが課題です。

「デニム de ミライ」のときは、ヤマサワプレスでオープンファクトリーを開催し、社内メンバーに実際に体験し共感いただいたことで多くの人を巻き込むことができました。共感を生みだすためのストーリーを作り、メンバーを集め、経験を共にして、組織化と仕組み化をしていくというプロセスが非常に大切だと思いました。

The post 三越伊勢丹の名物バイヤー、神谷氏がサステナビリティ推進室マネージャーに就任 新境地を語る appeared first on WWDJAPAN.

中島セナが演技や絵と向き合うことで気付いた大切なこと

PROFILE: 中島セナ/モデル・俳優

中島セナ/モデル・俳優
PROFILE: (なかじま・せな)2006年生まれ、東京都出身。17年にスカウトされモデルデビュー。間もなく「POPEYE」や「COMMERCIAL PHOTO」などの表紙を飾り注目を集める。ほか、「クソ野郎と美しき世界」(18)、「WE ARE LITTLE ZOMBIES」(19)、「光を追いかけて」(21)などの話題映画にも出演。23年12月から配信された「Disney+」日本発オリジナルシリーズ「ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-」では、奥平大兼と共に主演を務めた。21年には新人女優の登竜門とされる「ポカリスエット」のCMに起用され、翌年も引続きヒロインを演じた。また、20年よりKANEBO「I HOPE.」のメインキャラクターも務めている。

中学生の頃からファッションモデルとして活動。近年は俳優としても注目を集める中島セナが、映画「あこがれの色彩」で初めて映画の単独主演に挑んだ。映画「あこがれの色彩」は、陶芸の街で父親と暮らす少女、結衣の物語。絵を描くことが好きな結衣は、美術教室に通っているが、技術を重視する指導になじめない。そんな中、父親に新しい恋人ができたことに動揺する。大人たちの都合に振り回されながら悩み、反発する結衣の揺れ動く想いを、中島セナは等身大の演技で表現した。監督は資生堂のCMを数多く手掛けるなど独自の美意識が評価される小島淳二。結衣と同じように絵を描くことを趣味にしている中島セナに、映画のことや色彩、ファッションについて話を聞いた。

——この物語のどんなところに興味を持たれました?

中島セナ(以下、中島):主人公の結衣と同じぐらいの年齢の時に撮影していたのですが、大人への不信感だったり、自分が思っていることを発露することへの難しさだったり、そういった結衣が抱えている10代特有の気持ちがよく分かったんです。結衣ほどは強くないですけど、私にもそういう感覚は少なからずあるので。

——結衣は14歳。複雑な年頃ですね。両親が離婚して父親と祖母と暮らしている結衣は、父親に恋人ができたことに対して嫌悪感を感じて親子関係がこじれていきます。思春期は親子関係が難しい時期ですね。

中島:私自身は父とは仲が良くてギクシャクしたりはしなかったのですが、周りではそういう話はよく聞きました。子どもの頃みたいにはいかなくなってくるというか。撮影前に監督と結衣についていろいろお話しさせていただいたのですが、監督は結衣と父親との関係が重要だということを言われていましたね。

——結衣の友達に対する距離感も微妙です。友達は援助交際のようなことを始めたりして危ういことに興味を持ち始める。結衣は絵を描いていたいけど、孤立するのは嫌だからなんとなく友達と付き合っています。

中島:友達との距離感がはかりづらい時期ですよね。私はわりと1人でいるのが好きで、学校でもグループに属したりせずに1人で本を読んでいたりしたんです。中学の頃には仕事をしていたので、学校以外の世界があることを知っていたことも大きかったんじゃないかなって思います。

——確かに、学校の外の世界を知っている、そこに自分の場所があるというのは他の生徒たちとは大きな違いですね。

中島:あと、子どもの頃から絵を描くのが好きだったんです。学校で友達と遊んだりするよりも、家に帰って絵を描いてました。絵は誰かと一緒にやることではないので、一人でいることに慣れていたのかもしれません。

絵を学ぶことで気付いたこと

——結衣の趣味も絵を描くことでしたね。結衣が絵を描くようになった理由が父親との関係にあることが最後に明らかにされますが、中島さんが絵を描くのが好きな理由は?

中島:絵が特別うまいというわけでもないのですが、気が付いたら描いていました。去年1年、先生に指導を受けて本格的に絵を勉強してみたんです。そうすることで、表現についていろいろ学ぶことができたので、これから絵に対する向き合い方は変わっていくような気がします。

——絵を勉強するなかで、どんな発見がありました?

中島:作者がどういう狙いでそれを描いたのか。こういう構図になっているのはどうしてなのか。作品の裏側を考えるようになったのは大きいと思います。映画の世界も同じで制作する側から見ると作品がまた違って見えてくる。これからは、絵を描くことが生きていく上で大切なものの1つになるんじゃないかなって思います。

——自分が作る側になることで見えてくるものってありますよね。映画の中で、結衣は自分の好きなように絵を描きたいのに、美術の先生は基礎をしっかりやりなさい、と結衣の描き方を注意します。自分の気持ちのおもむくままに描くのか。基礎を身につけるのか。その葛藤についてはどう感じました?

中島:基礎が絶対必要だとは思わなくて、自分がどんなものを目指しているかによって基礎を学ぶべきかどうかが変わってくる。自分の目標に合わせて何が必要かを考えればいいと思います。でも、「やるべきこと」と「やりたいこと」の間に挟まれることは重要なんじゃないでしょうか。そうすることで成長していく。だから私自身は、基礎的なことを学びながら自分の表現を探っていきたいと思っています。

——そうすることで自分にとって大切なものが見えてくるのかもしれませんね。そういえば、中島さんが描いた絵が映画の中にも登場しているとか。

中島:結衣の部屋にいっぱい貼ってあるんですけど、その中の何枚かが私の描いた絵なんです。

——結衣の絵はカラフルな色彩が印象的でしたが、中島さんの絵はどんな作風なのですか?

中島:色は好きだし重要だと思っているんですけど、結衣とは逆で私はモノクロで描くことが多いですね。

色彩、ファッションについて

——普段着ている服の色使いはどうですか?

中島:やっぱり、カラフルなものよりモノトーンのものが多いかもしれないですね。モノトーンは色が合わせやすいというのもあるんですよね。色が少ないと差し色を入れてもきれいにまとまるし。服を見るときは黒を手に取ることが多いです。

——モノトーンとの組み合わせでよく使う色は?

中島:緑が多いかも。緑も好きな色なんです。小物とかバッグは緑が多いですね。白と黒と緑という組み合わせが好きなんです。

——そろそろ、大人っぽい服に挑戦してみたいと思われたりはします?

中島:最近は親の服を借りたり、ちょっと高い服を買ってみたりしています。例えば、「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」。生地がすごくいし、体が動かしやすくて機能的だし、シルエットがちょっと変わっているところもいいなと思います。

——「黒」といえば山本耀司さんですよね。小島監督も独特の美意識を持たれています。この作品でも繊細な光の捉え方が印象的でしたが中島さんはどのように感じられました?

中島:本当に繊細な感覚をお持ちだと感じました。静けさのなかに独特の空気感を感じさせる映像だと思いました。

——「ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-」、そして、本作と主演を務めるようになってきましたが、役者という仕事は続けていきたいと思いますか?

中島:演じる、ということは、私にとってすごく難しいことなんですけど、役者の仕事を通じて吸収できることは吸収して自分の引き出しに入れていけたら良いなと思います。今回の作品では、初めて感情を爆発して叫ぶ演技をしたのですが、うまくできるかすごく不安でした。でも、監督と事前に話をしてなんとかやれました。そんな風に少しずつ経験を重ねて成長していきたいと思っています。

——演技と絵。その両方から刺激を受けながら成長していけるといいですね。

中島:演技と絵は違うものですが、私は何かを表現することが好きなんだなって思います。最近は文章や写真もやりたいと思っていて、いろんな表現を並行して追求していきたいですね。

PHOTO:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
HAIR & MAKEUP:TOMOKO KIDO
ラメジャガードパンツ2万6400円、スキッパーパフスリーブシャツ 2万6400円/ともにTICCA、シューズ 3万5200円/CASTELLANO

■「あこがれの色彩」
5月10日から渋谷シネクイントほか全国順次公開
出演:中島セナ、大迫一平、宮内麗花、安原琉那、MEGUMIなど
監督:小島淳二
撮影:安岡洋史
プロデューサー:荒木孝眞
配給:スタジオレヴォ
制作:teeveegraphics,INC.
協賛:佐賀県フィルムコミッション
2022年/日本/カラー/107 分/17:9/5.1ch デジタル
©2022 teevee graphics, INC. all rights reserved.
https://akogare-iro.jp

The post 中島セナが演技や絵と向き合うことで気付いた大切なこと appeared first on WWDJAPAN.

中島セナが演技や絵と向き合うことで気付いた大切なこと

PROFILE: 中島セナ/モデル・俳優

中島セナ/モデル・俳優
PROFILE: (なかじま・せな)2006年生まれ、東京都出身。17年にスカウトされモデルデビュー。間もなく「POPEYE」や「COMMERCIAL PHOTO」などの表紙を飾り注目を集める。ほか、「クソ野郎と美しき世界」(18)、「WE ARE LITTLE ZOMBIES」(19)、「光を追いかけて」(21)などの話題映画にも出演。23年12月から配信された「Disney+」日本発オリジナルシリーズ「ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-」では、奥平大兼と共に主演を務めた。21年には新人女優の登竜門とされる「ポカリスエット」のCMに起用され、翌年も引続きヒロインを演じた。また、20年よりKANEBO「I HOPE.」のメインキャラクターも務めている。

中学生の頃からファッションモデルとして活動。近年は俳優としても注目を集める中島セナが、映画「あこがれの色彩」で初めて映画の単独主演に挑んだ。映画「あこがれの色彩」は、陶芸の街で父親と暮らす少女、結衣の物語。絵を描くことが好きな結衣は、美術教室に通っているが、技術を重視する指導になじめない。そんな中、父親に新しい恋人ができたことに動揺する。大人たちの都合に振り回されながら悩み、反発する結衣の揺れ動く想いを、中島セナは等身大の演技で表現した。監督は資生堂のCMを数多く手掛けるなど独自の美意識が評価される小島淳二。結衣と同じように絵を描くことを趣味にしている中島セナに、映画のことや色彩、ファッションについて話を聞いた。

——この物語のどんなところに興味を持たれました?

中島セナ(以下、中島):主人公の結衣と同じぐらいの年齢の時に撮影していたのですが、大人への不信感だったり、自分が思っていることを発露することへの難しさだったり、そういった結衣が抱えている10代特有の気持ちがよく分かったんです。結衣ほどは強くないですけど、私にもそういう感覚は少なからずあるので。

——結衣は14歳。複雑な年頃ですね。両親が離婚して父親と祖母と暮らしている結衣は、父親に恋人ができたことに対して嫌悪感を感じて親子関係がこじれていきます。思春期は親子関係が難しい時期ですね。

中島:私自身は父とは仲が良くてギクシャクしたりはしなかったのですが、周りではそういう話はよく聞きました。子どもの頃みたいにはいかなくなってくるというか。撮影前に監督と結衣についていろいろお話しさせていただいたのですが、監督は結衣と父親との関係が重要だということを言われていましたね。

——結衣の友達に対する距離感も微妙です。友達は援助交際のようなことを始めたりして危ういことに興味を持ち始める。結衣は絵を描いていたいけど、孤立するのは嫌だからなんとなく友達と付き合っています。

中島:友達との距離感がはかりづらい時期ですよね。私はわりと1人でいるのが好きで、学校でもグループに属したりせずに1人で本を読んでいたりしたんです。中学の頃には仕事をしていたので、学校以外の世界があることを知っていたことも大きかったんじゃないかなって思います。

——確かに、学校の外の世界を知っている、そこに自分の場所があるというのは他の生徒たちとは大きな違いですね。

中島:あと、子どもの頃から絵を描くのが好きだったんです。学校で友達と遊んだりするよりも、家に帰って絵を描いてました。絵は誰かと一緒にやることではないので、一人でいることに慣れていたのかもしれません。

絵を学ぶことで気付いたこと

——結衣の趣味も絵を描くことでしたね。結衣が絵を描くようになった理由が父親との関係にあることが最後に明らかにされますが、中島さんが絵を描くのが好きな理由は?

中島:絵が特別うまいというわけでもないのですが、気が付いたら描いていました。去年1年、先生に指導を受けて本格的に絵を勉強してみたんです。そうすることで、表現についていろいろ学ぶことができたので、これから絵に対する向き合い方は変わっていくような気がします。

——絵を勉強するなかで、どんな発見がありました?

中島:作者がどういう狙いでそれを描いたのか。こういう構図になっているのはどうしてなのか。作品の裏側を考えるようになったのは大きいと思います。映画の世界も同じで制作する側から見ると作品がまた違って見えてくる。これからは、絵を描くことが生きていく上で大切なものの1つになるんじゃないかなって思います。

——自分が作る側になることで見えてくるものってありますよね。映画の中で、結衣は自分の好きなように絵を描きたいのに、美術の先生は基礎をしっかりやりなさい、と結衣の描き方を注意します。自分の気持ちのおもむくままに描くのか。基礎を身につけるのか。その葛藤についてはどう感じました?

中島:基礎が絶対必要だとは思わなくて、自分がどんなものを目指しているかによって基礎を学ぶべきかどうかが変わってくる。自分の目標に合わせて何が必要かを考えればいいと思います。でも、「やるべきこと」と「やりたいこと」の間に挟まれることは重要なんじゃないでしょうか。そうすることで成長していく。だから私自身は、基礎的なことを学びながら自分の表現を探っていきたいと思っています。

——そうすることで自分にとって大切なものが見えてくるのかもしれませんね。そういえば、中島さんが描いた絵が映画の中にも登場しているとか。

中島:結衣の部屋にいっぱい貼ってあるんですけど、その中の何枚かが私の描いた絵なんです。

——結衣の絵はカラフルな色彩が印象的でしたが、中島さんの絵はどんな作風なのですか?

中島:色は好きだし重要だと思っているんですけど、結衣とは逆で私はモノクロで描くことが多いですね。

色彩、ファッションについて

——普段着ている服の色使いはどうですか?

中島:やっぱり、カラフルなものよりモノトーンのものが多いかもしれないですね。モノトーンは色が合わせやすいというのもあるんですよね。色が少ないと差し色を入れてもきれいにまとまるし。服を見るときは黒を手に取ることが多いです。

——モノトーンとの組み合わせでよく使う色は?

中島:緑が多いかも。緑も好きな色なんです。小物とかバッグは緑が多いですね。白と黒と緑という組み合わせが好きなんです。

——そろそろ、大人っぽい服に挑戦してみたいと思われたりはします?

中島:最近は親の服を借りたり、ちょっと高い服を買ってみたりしています。例えば、「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」。生地がすごくいし、体が動かしやすくて機能的だし、シルエットがちょっと変わっているところもいいなと思います。

——「黒」といえば山本耀司さんですよね。小島監督も独特の美意識を持たれています。この作品でも繊細な光の捉え方が印象的でしたが中島さんはどのように感じられました?

中島:本当に繊細な感覚をお持ちだと感じました。静けさのなかに独特の空気感を感じさせる映像だと思いました。

——「ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-」、そして、本作と主演を務めるようになってきましたが、役者という仕事は続けていきたいと思いますか?

中島:演じる、ということは、私にとってすごく難しいことなんですけど、役者の仕事を通じて吸収できることは吸収して自分の引き出しに入れていけたら良いなと思います。今回の作品では、初めて感情を爆発して叫ぶ演技をしたのですが、うまくできるかすごく不安でした。でも、監督と事前に話をしてなんとかやれました。そんな風に少しずつ経験を重ねて成長していきたいと思っています。

——演技と絵。その両方から刺激を受けながら成長していけるといいですね。

中島:演技と絵は違うものですが、私は何かを表現することが好きなんだなって思います。最近は文章や写真もやりたいと思っていて、いろんな表現を並行して追求していきたいですね。

PHOTO:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)
HAIR & MAKEUP:TOMOKO KIDO
ラメジャガードパンツ2万6400円、スキッパーパフスリーブシャツ 2万6400円/ともにTICCA、シューズ 3万5200円/CASTELLANO

■「あこがれの色彩」
5月10日から渋谷シネクイントほか全国順次公開
出演:中島セナ、大迫一平、宮内麗花、安原琉那、MEGUMIなど
監督:小島淳二
撮影:安岡洋史
プロデューサー:荒木孝眞
配給:スタジオレヴォ
制作:teeveegraphics,INC.
協賛:佐賀県フィルムコミッション
2022年/日本/カラー/107 分/17:9/5.1ch デジタル
©2022 teevee graphics, INC. all rights reserved.
https://akogare-iro.jp

The post 中島セナが演技や絵と向き合うことで気付いた大切なこと appeared first on WWDJAPAN.

世界で人気高まるスウェーデン発「アワー レガシー」 成功の秘訣は「ゆっくりと着実に」

スウェーデン発の「アワー レガシー(OUR LEGACY)」は、一見シンプルでありながら素材や加工にこだわりと遊び心が詰まったタイムレスなアイテムで、世界的に多くの支持を集めている。ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)やパリのザ・ブロークン・アーム(THE BROKEN ARM)を筆頭に、世界での販売店舗数は250超。スウェーデン・ストックホルム、英国ロンドン、ドイツ・ベルリンには直営の路面店を、韓国・ソウルには3つの百貨店内にショップ・イン・ショップを構える。創業者の一人であるヨックム・ハリン(Jockum Hallin)=クリエイティブ・ディレクターに、その成功を生んだファッション業界の常識にとらわれないアプローチや考え方を聞いた。

2005年にTシャツからスタート

「アワー レガシー」は、ハリンとクリストファー・ニイン(Christopher Nying)がメンズブランドとして2005年にストックホルムで設立。ストックホルムとイェーテボリの間にある小さな街ヨンショーピング出身の2人の出会いは12〜13歳のときで、同じチームでアイスホッケーをプレーしていたという。思春期を迎えた2人はスケートボードや音楽、アートなど他のことに興味を持ち、アイスホッケーからは遠のいたが、20歳の頃に再会。異なる得意分野や視点を持ちながらも考え方やマインドとして共通する部分を感じ、一緒にさまざまなプロジェクトに取り組んだ後、ブランドを立ち上げた。

服作りを専門的に学んだことがなかった2人は、まずTシャツ数型のコレクションからスタート。徐々にアイテムのカテゴリーを増やし、07年にフルコレクションを発表した。また同年には、長年の友人であるリカルドス・クラレン(Richardos Klaren)を共同経営者として迎えた。設立初期はさまざまな業務を一緒にこなしてきたというが、現在はニインがメーンラインのコレクションを監修。ハリンが16年に始動したサステナビリティにフォーカスした独自の取り組み「アワー レガシー ワークショップ(OUR LEGACY WORK SHOP、以下ワークショップ)」での他ブランドとのパートナーシップによるスペシャルプロジェクトなどを率い、クラレンが最高経営責任者としてビジネス面を担っている。

そして、「メンズウエアだけを手掛けていた時から、女性のファンもいた」というが、19年にはブランドの世界観を補完するためにウィメンズ・コレクションをスタート。「フェミニンな素材をメンズウエアに用いたり、男性的なシルエットをウィメンズサイズで表現したりと、両方を手掛けるようになったことで良いシナジーやエネルギーが生まれている」とハリンは説明する。

着用者に解釈を委ねるデザイン

「アワー レガシー」では、毎シーズンのコレクションを制作する際、象徴的な人物などを分かりやすいテーマを掲げることはない。その背景には「曖昧にすることで、着る人自身が自由に想像してほしい」という思いがあり、実際のアイテムにおいても「重要なのは年齢やスタイルなど特定の人を想定することではなく、プロダクトとしてベストな形で仕上げること。それを着たいように着てもらえればうれしい」と明かす。そんな着用者に解釈を委ねるデザインが、幅広い年齢層から支持を得るブランドの魅力の一つになっている。

そして、シンプルなデザインにオリジナリティーをもたらしているのは、素材への探求心。「ユニークなファブリックこそが、コレクションを際立たせる。だから、オリジナルで開発したものやエクスクルーシブの素材も多い」という。念頭に置くのは普遍的でありながら他にはない価値を持ったアイテムを生み出すことであり、「いろんな人のワードローブにおいて、いつまでも色褪せない一番のお気に入りになるような服を作りたい」と話す。

ブランドの世界観を強化する「ワークショップ」

また、「アワー レガシー」を語る上で欠かせないのは、独自のアプローチでサステナビリティに取り組む「ワークショップ」だ。その拠点となるのは、メーンラインのコレクションを取り扱う直営店とは別にストックホルムの中心地から少し離れた住宅街に設けたワークスペース兼ショップ。もともとは倉庫に溜まった生地や在庫から新たなものを生み出すためにスタートしたプロジェクトだったが、現在はアーカイブにハンドペイントなどを施した“クラフト”や過去のコレクションを割引価格で提供する“デッドストック”から余剰素材を組み合わせて作る“アップサイクル”やインスピレーション源となったビンテージアイテムの“リファレンス”まで9つのカテゴリーを展開する。

「『アワー レガシー』の中にあるリサイクルやアップサイクルのハブのようなもの」と表現する「ワークショップ」では、他ブランドとのコラボレーションにより、年間8〜12のスペシャルプロジェクトにも取り組んでいる。昨年は「エンポリオ アルマーニ(EMPORIO ARMANI)」との協業によるカプセルコレクションも手掛けた。きっかけはプロジェクトごとに異なり、「『エンポリオ アルマーニ』の場合は先方からアプローチがあったが、「サティスファイ(SATISFY)」のようにパーソナルな友人関係からプロジェクトに発展することも多い」という。全てに共通するのは、古い在庫や素材を使いながら、クリエイティブの力で新鮮で面白いアイテムを作ること。最新プロジェクトとして、4月26日にはフランスのシューズブランド「パラブーツ(PARABOOTS)」とのコラボによるデッキシューズを発売した。

目標は、世界の主要都市に“ホーム”を築くこと

「アワー レガシー」は来年、設立20周年を迎える。今後数年の目標に掲げるのは、東京やパリなど主要都市に、自分たちの“ホーム”となる空間を築くことだ。「東京は私たちが最も好きな街の一つであり、『アワー レガシー』にとって大きなポテンシャルを秘めているとも思う。間違いなく最優先の場所だ。また、ヨーロッパではパリやミラノ、アメリカだとニューヨークとロサンゼルスでの出店を検討している」とハリン。「店舗は体験の場であり、人々はリアルな体験を求めている。食べ物でも、レストランでサービスや雰囲気を含めて堪能するのと、家でデリバリーするのでは全く異なるだろう?特別なプロジェクトも交えながら、『アワー レガシー』の世界観を表現していくことが重要だと思う」と続ける。

また現在、メンズとウィメンズの売り上げ構成比率は8:2。市場規模という観点でウィメンズの重要性は高く、今後さらに広げていくことを視野に入れる。しかし、「『アワー レガシー』では、ずっとトレンドや他のブランドを追いかけることも、急激な成長を目指すこともなく、自分たちのペースでブランドを確立することに取り組んできた。それが今の支持につながっていると思う。メンズがオーガニックに成長してきたように、ウィメンズも焦ることなく、地道に続けていくつもり」と、その姿勢はあくまでも自然体だ。「インディペンデントなブランドである『アワー レガシー』は、いろんなところから受けるプレッシャーもなく、ただただ自分たちが良いと考えることに向き合える。だからこそ、出店や拡大を急ぐことはなく、これからもゆっくり着実に進めていきたい」。

The post 世界で人気高まるスウェーデン発「アワー レガシー」 成功の秘訣は「ゆっくりと着実に」 appeared first on WWDJAPAN.

世界で人気高まるスウェーデン発「アワー レガシー」 成功の秘訣は「ゆっくりと着実に」

スウェーデン発の「アワー レガシー(OUR LEGACY)」は、一見シンプルでありながら素材や加工にこだわりと遊び心が詰まったタイムレスなアイテムで、世界的に多くの支持を集めている。ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET)やパリのザ・ブロークン・アーム(THE BROKEN ARM)を筆頭に、世界での販売店舗数は250超。スウェーデン・ストックホルム、英国ロンドン、ドイツ・ベルリンには直営の路面店を、韓国・ソウルには3つの百貨店内にショップ・イン・ショップを構える。創業者の一人であるヨックム・ハリン(Jockum Hallin)=クリエイティブ・ディレクターに、その成功を生んだファッション業界の常識にとらわれないアプローチや考え方を聞いた。

2005年にTシャツからスタート

「アワー レガシー」は、ハリンとクリストファー・ニイン(Christopher Nying)がメンズブランドとして2005年にストックホルムで設立。ストックホルムとイェーテボリの間にある小さな街ヨンショーピング出身の2人の出会いは12〜13歳のときで、同じチームでアイスホッケーをプレーしていたという。思春期を迎えた2人はスケートボードや音楽、アートなど他のことに興味を持ち、アイスホッケーからは遠のいたが、20歳の頃に再会。異なる得意分野や視点を持ちながらも考え方やマインドとして共通する部分を感じ、一緒にさまざまなプロジェクトに取り組んだ後、ブランドを立ち上げた。

服作りを専門的に学んだことがなかった2人は、まずTシャツ数型のコレクションからスタート。徐々にアイテムのカテゴリーを増やし、07年にフルコレクションを発表した。また同年には、長年の友人であるリカルドス・クラレン(Richardos Klaren)を共同経営者として迎えた。設立初期はさまざまな業務を一緒にこなしてきたというが、現在はニインがメーンラインのコレクションを監修。ハリンが16年に始動したサステナビリティにフォーカスした独自の取り組み「アワー レガシー ワークショップ(OUR LEGACY WORK SHOP、以下ワークショップ)」での他ブランドとのパートナーシップによるスペシャルプロジェクトなどを率い、クラレンが最高経営責任者としてビジネス面を担っている。

そして、「メンズウエアだけを手掛けていた時から、女性のファンもいた」というが、19年にはブランドの世界観を補完するためにウィメンズ・コレクションをスタート。「フェミニンな素材をメンズウエアに用いたり、男性的なシルエットをウィメンズサイズで表現したりと、両方を手掛けるようになったことで良いシナジーやエネルギーが生まれている」とハリンは説明する。

着用者に解釈を委ねるデザイン

「アワー レガシー」では、毎シーズンのコレクションを制作する際、象徴的な人物などを分かりやすいテーマを掲げることはない。その背景には「曖昧にすることで、着る人自身が自由に想像してほしい」という思いがあり、実際のアイテムにおいても「重要なのは年齢やスタイルなど特定の人を想定することではなく、プロダクトとしてベストな形で仕上げること。それを着たいように着てもらえればうれしい」と明かす。そんな着用者に解釈を委ねるデザインが、幅広い年齢層から支持を得るブランドの魅力の一つになっている。

そして、シンプルなデザインにオリジナリティーをもたらしているのは、素材への探求心。「ユニークなファブリックこそが、コレクションを際立たせる。だから、オリジナルで開発したものやエクスクルーシブの素材も多い」という。念頭に置くのは普遍的でありながら他にはない価値を持ったアイテムを生み出すことであり、「いろんな人のワードローブにおいて、いつまでも色褪せない一番のお気に入りになるような服を作りたい」と話す。

ブランドの世界観を強化する「ワークショップ」

また、「アワー レガシー」を語る上で欠かせないのは、独自のアプローチでサステナビリティに取り組む「ワークショップ」だ。その拠点となるのは、メーンラインのコレクションを取り扱う直営店とは別にストックホルムの中心地から少し離れた住宅街に設けたワークスペース兼ショップ。もともとは倉庫に溜まった生地や在庫から新たなものを生み出すためにスタートしたプロジェクトだったが、現在はアーカイブにハンドペイントなどを施した“クラフト”や過去のコレクションを割引価格で提供する“デッドストック”から余剰素材を組み合わせて作る“アップサイクル”やインスピレーション源となったビンテージアイテムの“リファレンス”まで9つのカテゴリーを展開する。

「『アワー レガシー』の中にあるリサイクルやアップサイクルのハブのようなもの」と表現する「ワークショップ」では、他ブランドとのコラボレーションにより、年間8〜12のスペシャルプロジェクトにも取り組んでいる。昨年は「エンポリオ アルマーニ(EMPORIO ARMANI)」との協業によるカプセルコレクションも手掛けた。きっかけはプロジェクトごとに異なり、「『エンポリオ アルマーニ』の場合は先方からアプローチがあったが、「サティスファイ(SATISFY)」のようにパーソナルな友人関係からプロジェクトに発展することも多い」という。全てに共通するのは、古い在庫や素材を使いながら、クリエイティブの力で新鮮で面白いアイテムを作ること。最新プロジェクトとして、4月26日にはフランスのシューズブランド「パラブーツ(PARABOOTS)」とのコラボによるデッキシューズを発売した。

目標は、世界の主要都市に“ホーム”を築くこと

「アワー レガシー」は来年、設立20周年を迎える。今後数年の目標に掲げるのは、東京やパリなど主要都市に、自分たちの“ホーム”となる空間を築くことだ。「東京は私たちが最も好きな街の一つであり、『アワー レガシー』にとって大きなポテンシャルを秘めているとも思う。間違いなく最優先の場所だ。また、ヨーロッパではパリやミラノ、アメリカだとニューヨークとロサンゼルスでの出店を検討している」とハリン。「店舗は体験の場であり、人々はリアルな体験を求めている。食べ物でも、レストランでサービスや雰囲気を含めて堪能するのと、家でデリバリーするのでは全く異なるだろう?特別なプロジェクトも交えながら、『アワー レガシー』の世界観を表現していくことが重要だと思う」と続ける。

また現在、メンズとウィメンズの売り上げ構成比率は8:2。市場規模という観点でウィメンズの重要性は高く、今後さらに広げていくことを視野に入れる。しかし、「『アワー レガシー』では、ずっとトレンドや他のブランドを追いかけることも、急激な成長を目指すこともなく、自分たちのペースでブランドを確立することに取り組んできた。それが今の支持につながっていると思う。メンズがオーガニックに成長してきたように、ウィメンズも焦ることなく、地道に続けていくつもり」と、その姿勢はあくまでも自然体だ。「インディペンデントなブランドである『アワー レガシー』は、いろんなところから受けるプレッシャーもなく、ただただ自分たちが良いと考えることに向き合える。だからこそ、出店や拡大を急ぐことはなく、これからもゆっくり着実に進めていきたい」。

The post 世界で人気高まるスウェーデン発「アワー レガシー」 成功の秘訣は「ゆっくりと着実に」 appeared first on WWDJAPAN.

シモーン・ロシャ「私は、メンズもフェミニンではなく、ポエティックでセンシティブ」

今春、ロンドンを拠点とするデザイナーのシモーン・ロシャ(Simone Rocha)が来日した。台北にオープンした旗艦店を祝った直後の弾丸ツアーで、日本に到着するとドーバー ストリート マーケット ギンザでのプレス向けランチに直行するなど忙しそうだ。忙しいと言えば、彼女は2021年には「H&M」とコラボレーション。23年にはメンズを本格的にスタートし、24年には「ジャンポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」のゲストデザイナーとしてオートクチュール・コレクションに挑戦している。束の間の15分で、デザイナーを直撃した。

WWDJAPAN(以下、WWD):2月にロンドンで発表した、24-25年秋冬コレクションは、「ジャンポール・ゴルチエ」のゲストデザイナーとして1月に発表した24年春夏オートクチュール・コレクションを思わせる、グログランリボンを使ったコルセットやテーラードで新境地を開拓した印象だ。
シモーン・ロシャ「シモーン ロシャ」デザイナー(以下、シモーン):ゴルチエとの協業は、本当に面白かった。彼と一緒に、パリでアーカイブを見て、生地に触れて、あらためて厳格なのに扇状的、そして遊び心に溢れるテーラリングの本質を垣間見たの。クチュール・コレクションでは、そんなゴルチエのテーラードに忠実でありたかった。一方、私の「シモーン ロシャ」ではコルセットやテーラリングをベースとしたクリエイションを貫きながら、、ゴルチエの厳格なのに扇状的なムードをひっくり返したかった。私らしいチュールなどの生地を厳格なシルエットに加えることで、女性の体を称えつつも、もっと穏やかなムードにまとめたかった。どちらもコルセットが印象的なコレクションに仕上がったと思う。でも2つのムードはまるで異なっているわ。

WWD:同じくレースやチュール、パールを多用したメンズ・コレクションも、それなりに浸透してきた印象だ。特にバッグやブレスレットなど、パールのアクセサリーは男性にも支持されている。こんなにフェミニンなテイストが、男性に支持されると思っていた?
シモーン:私は、「フェミニン(女性的)」なメンズを作ろうと思っていないの。心がけているのは、ウィメンズ同様「ポエティック(詩的)」で「センシティブ(敏感)」なメンズ・コレクション。「H&M」とのコラボレーションでメンズに初挑戦した時は、正直いろんな反応をもらったわ。メンズ・コレクションにおける「マスキュリン(男性的)」と「フェミニン」の役割とは?なんて聞かれることもあった。正直、私はそんなこと一度も考えたことがなかったの(笑)。当時から私のメンズは、ウィメンズの写鏡みたいなものだから。だから、メンズも「ポエティック」で「センシティブ」。アクセサリーは、そんなスタイルにちょっとしたスパイスを加えるもの。ハーネスを組み合わせることで、機能性も高めたエッジーなアイテムなどを選んでくれる男性が増えて嬉しいわ。

WWD:忌憚なく言えば、「シモーン ロシャ」はメンズの始動からテーラード&コルセットまで、毎シーズン新境地を開拓して進化し続けている印象がある。一方、同じロンドン勢の中堅は、これまで通りヴィクトリアンテイストのドレスに終始している印象で、「シモーン ロシャ」のような進化を感じる機会が少ない。ヴィクトリアンテイストのドレスはロンドンらしいが、現代のTPO的にも、円安の今は価格的にも、日本のマーケットでは本当に難しい。このままだとロンドン・コレクションは、「バーバリー(BURBERRY)」や「ダンヒル(DUNHILL)」「JW アンダーソン(JW ANDERSON)」「シモーン ロシャ」を除き、インディーズブランドの学園祭みたいなイベントになってしまうのではないか?と危惧している。
シモーン:その通りだと思う。中国とアイルランドのハーフである私は、確かにロンドンでコレクションを発表しているけれど、ロンドンのデザイナーたちとは違う感覚を持っているのかもしれない。少なくとも私は、「ロンドンで発表している『ユニバース』なコレクション」を作ろうと思っているの。ここで言う「ユニバース」は、「世界的」であり、「普遍的」という意味ね。私は、ロンドンで発表しても、アイルランドで発表しても、東京で発表しても、共感してもらえるコレクションを作りたい。同じように去年でも、今でも、来年でも着てもらえるものでありたい。他のデザイナーもそんな感覚を意識すれば、状況は少し好転するんじゃないかしら?

The post シモーン・ロシャ「私は、メンズもフェミニンではなく、ポエティックでセンシティブ」 appeared first on WWDJAPAN.

サレへ・ベンバリーによる「クロックス」 多様な視点が生み出すデザインに迫る

世界中の老若男女が好む「クロックス(CROCS)」に革命をもたらしたシューズデザイナー、サレヘ・ベンバリー(Salehe Bembury)。37歳にして、シューズ業界で数々の名作を生み出してきた若きデザイナーだ。そんな彼が“指紋”から着想を得てデザインした「クロックス」の“ポーレックス クロッグ(THE POLLEX CLOG)”は、画期的なモールド成型(金型で樹脂を形づくる製法)を使用し、シューズ業界に新しいトレンドを生み出した。まるで恐竜の化石のような見た目のフォームには、立体成型サンダルの概念を変えるほどのインパクトがあった。そのシグネチャースタイルから一変、シンプルなフォームとナチュラルなカラーリングに仕上げた最新コラボモデル“サル(SARU)”が5月9日に発売する。東京でのお披露目となったポップアップイベントの会場で、サレへに思いを聞いた。

――シラキュース大学でインダストリアルデザインを学んだあなたがシューズデザイナーになったきっかけは?

サレヘ・ベンバリー(以下、サレへ):大学時代はそれがシューズのデザインに繋がるとは思ってもいなかった。ただ、シューズが自分自身にどんな影響を与えてきてくれたかは、今でも覚えている。スニーカーを履くと空を飛べるような気がして、自分がスーパーヒーローになったような気がしたんだ。だから、自分の仕事と関連付けたいとも思ったし、自分の成長とともに、シューズをデザインするチャンスがやってきた。そのチャンスに感謝しているよ。

――インダストリアルデザインがシューズのデザインに影響を与えていると思う?

サレへ:もちろん。シューズデザイナーになるにはいくつかの道があると思う。一つはファッションを学ぶこと。もう一つはインダストリアルデザインを学ぶこと。もし、僕がファッションだけを学んでいたら、今もどこか窮屈に感じていたかもしれない。当然、それも間違ったことではないけど、自分自身は多くの視点を持ちたかった。当時はタイポグラフィやホワイトスペース(新事業領域)について学んだんだ。それがシューズデザインに多くの影響を与えていると思う。美学や見た目のデザインよりも先に実用性と機能性を重視するのは、僕が他のデザイナーと違うところかも知れない。まずは実用性と機能性を考えて、その上で美学や見た目のデザインを追求するんだ。

――「クロックス」のデザインでは、どのように機能面にこだわった?

サレへ:専門的な話になるけど、市場に出回っている「クロックス」製品の大部分は、EVAでできている。EVAは、加工しやすく環境にもいい。汎用性は高いけど、グリップ力はもう少し高い方がいいと思った。“ポーレックス クロッグ”では、既存の製品をどのように改善できるかを考えて、実際にアウトソールの前後2カ所にTPU(熱可塑性ポリウレタン)を追加した。TPUはゴムのようにしなやかな弾力性とプラスチックのような強さを併せ持った素材で、摩擦力が向上する。そのほかにも、通気性や履き心地も改良していて、そうした細かい配慮が僕のデザインなんだ。

――趣味がハイキングだと聞いた。ハイキングがデザインにもたらした影響はある?

サレへ:もしかしたらハイキングがそういった機能面にインスピレーションを与えたのかもしれないけど、シューズデザインにおいては、消費者全体のことを考えなければいけないと思っている。通勤や通学で道を歩く人がいれば、シェフで一日中立ちっぱなしの人もいる。僕は誰にでも履けるものを目指しているんだ。

――“ポーレックス クロッグ”をはじめ、あなたのデザインは新しいフォームを作ることに定評がある。新しいデザインを生み出すために最も重要なことは?

サレへ:既存の製品の隙間を見つけて、その問題を解決するためのデザインを考えることだね。デザインをすると美的感覚にとらわれすぎて、機能よりも美的感覚に負けてしまうことがあると思うけど、僕は常に両方のバランスを保つように心がけている。

――“ポーレックス クロッグ”は、“指紋”から着想を得たとか。

サレへ:そうだね。指紋を三次元的にデザインした。「クロックス」から、自分のシルエットをゼロから作ることを許されたとき、これは素晴らしいチャンスだと思ったよ。ほとんどの優れたクリエーターやデザイナー、アーティストは、一貫したブランドアイデンティティーを持っているけど、それがロゴの中に存在しなくてもいいんだって分かったんだ。“指紋”のデザインは、まさに僕のロゴのようなものだね。

――今回のコラボレーションモデル“サル”について教えて欲しい。

サレへ:新しいデザインは、「クロックス」とのコラボレーションでやってきたブランドアイデンティティーやデザインアイデンティティーを、より多くの人に届けることを目指したんだ。コラボレーションの中で、僕たちは3年間、積極的に消費者と対話を続けてきた。これまでにパリで2回、ドバイで1回、そして今回の東京と、ポップアップイベントも開いてきた。たいていのシューズは10カ月で寿命を迎え、ブランドは次のシューズに移行していく。そのデザインアイデンティティーを生かして、さまざまな価格帯のさまざまな商品を開発するんだけど、“サル”もそれと同じく、次の新しいシューズにあたる。“ポーレックス クロッグ”では、カラーも大胆で明るい色を選んだけど、“サル”はよりシンプルなフォームで、カラーも自然に結びつくように控え目にした。これまでとは異なる消費者に訴えかけるためだよ。

――“サル”というネーミングの由来は?

サレへ:北海道の沙流川(さるがわ)から付けたんだ。沙流川は過去に日本の(一級河川の)水質調査で1位に選ばれているというのを見かけたからね。今回のコンセプトにぴったりだと思った。ネーミングは、コミュニケーションを生み出すからすごく大切にしている。

――シューズに限らず、将来、デザインしてみたいものはある?

サレへ:歯ブラシをデザインしたいね。歯ブラシはかなり長い間、あまり変わっていないと思うんだ。「ダイソン」の掃除機やハンドドライヤーは、何十年も変わっていなかったものをより良いものにした。全ての人が使う製品を再考することが重要なんだよ。それがビジネスチャンスでもあると思う。

The post サレへ・ベンバリーによる「クロックス」 多様な視点が生み出すデザインに迫る appeared first on WWDJAPAN.

スタイレム「リフィル」が「スキンアウェア」とコラボ “服は綿花畑から続くバトンのアンカー”

PROFILE: 左:小和田哲弘/スタイレム瀧定大阪第二事業部ガーメント1部38課課長、「リフィル」ディレクター 右:可児ひろ海/AWA代表取締役、「スキンアウェア」デザイナー

左:小和田哲弘/スタイレム瀧定大阪第二事業部ガーメント1部38課課長、「リフィル」ディレクター<br />
右:可児ひろ海/AWA代表取締役、「スキンアウェア」デザイナー
PROFILE: 左:(こわだ てつひろ)1976年生まれ。2001年、瀧定(現スタイレム瀧定大阪)入社。約10年間大手アパレルからセレクトショップなどに向けてカットソー生地の企画販売を行う。11年に新設された38課で製品OEMをスタート。製品づくりのノウハウを習得し、国内での生産背景を中心に事業を拡大。15年より38課課長に就任。入社以来「編み物(カットソー)」一筋で、原料の選定から製品に仕上げるまで<編み・染め・縫製>全工程に関わるプロフェッショナルとして数多くのプロジェクトに従事。MADE IN JAPANに特化した生地づくりと縫製を掛け合わせた究極のコットン「COTTONY」を完成させ、21年にD2Cブランド「リフィル(LIFiLL)」をデビューさせ、38課を率いながらディレクションをしている。 右:(かに ひろみ)2001年レディスブランド「コクーン(COCOON))を立ち上げ07年までコレクションを展開。女性の強さと柔らかさが同居したコレクションは女優やシンガーからも支持され、海外での評価も得る。デザイナー個人としても愛知万博のユニフォームや、資生堂Zaのスタッフユニフォームの制作を行った。04年にオーガニックコットンのレディスウェア・ランジェリーブランド 「スキンウェア(Skinware)」をスタート。伊勢丹新宿店などで販売しエシカルファッションの先駆けとなる。08年に両ブランドのコレクションを休止し、グローバルファッションブランドでデザイナー、コンサルタントとして参画。13年 「スキンウェア」をリニューアル再スタートする。2017年 「スキンアウェア(SkinAware)」にブランドリニューアル。

スタイレム瀧定大阪(以下、スタイレム)のD2Cブランド「リフィル(LIFILL)」は4月26日、「スキンアウェア(SKINAWARE)」とコラボレーションし、同社の「オーガニックフィールド(ORGANIC FIELD)」のコットン生地を用いたTシャツを発売した。対象のTシャツは既存の1型で、デザイナーが行ったことは色の指定のみ。だから中身が薄いかと言えばそうでもない。むしろアパレル産業の課題解決のヒントがそこにはある。

「リフィル(LIFILL)」はカットソー専門のブランドで、同社で長年カットソー生地を営業してきた小和田哲弘スタイレム瀧定大阪第二事業部ガーメント1部38課課長が2021年9月に社内公募で立ち上げた。「とにかくカットソーという生地が好き」というオタク気質の小和田ディレクターは「原料を突き詰め、糸の選定や編み方、染めなどの加工にこだわり“たかがTシャツ”だけど着用したときテンションがあがり生活を豊かにする」一着を追求している。

「オーガニックフィールド」のコットン生地を採用

カットソーの品質を左右するのは「原料」だと言われる。今回採用した原料は、スタイレムがインドで進めている「オーガニックフィールド」のコットンだ。生産段階で異物を手作業で丁寧に取り除いていることもあり、なめらかでしなやかな落ち感を持つ。名称に“オーガニック”の文字が入るが、既存のオーガニックコットンの認証を受けているわけではない。ならば「まがい物」かと言えばそれも違う。

「オーガニックフィールド」は同社が種の選定から綿花栽培、糸の生産までをオーガニックのプロセスで管理することで、トレーサビリティを確保している。オーガニックコットンの認証は現在、3年以上無農薬・無化学肥料で栽培されたものが対象となっており、小規模農家にとってはハードルが高い。そこで同社は現地のNGO、大手紡績会社と組んで小規模な農家の綿花栽培や労働環境の向上を支援しつつ、移行期間の綿花も含めて買い取っていく仕組みとして「オーガニックフィールド」を進めている。

世界的に需要が高まるオーガニックコットンだが、生産に手間がかかるため流通量は綿花全体の1%未満と少なく、価格が割高なのが現状だ。また、2020年には、オーガニックコットンの有力生産国であるインドで認証の大規模な不正行為が発覚するなど認証に対する信頼が揺らぐ“事件”が起きている。こういった現状を踏まえ、日本の商社はトレーサビリティを担保するオーガニックコットンのプロジェクトに各社取り組んでいる。「オーガニックフィールド」もその一つだ。

“畑に赴き、生産者と対話し、活動全体を支援することが大事”

今回「リフィル」が協業をした「スキンアウェア(SKINAWARE)」はオーガニックコットン&植物染めを用いたアパレル・インナーブランドで、エシカルファッションの先駆者的存在だ。認証オーガニックコットンだけを使用してきた可児ひろ海「スキンアウェア」デザイナーが「オーガニックフィールド」を採用した、その選択は「オーガニックフィールド」にとっては大きい。オーガニックコットンに見識がある可児は、今回の協業を決めた理由について次のように説明をする。「私のブランドは、糸段階から認証・認定を受けたオーガニックコットンを使うことをブランドの姿勢としている。同時に、生産者を増やすことの大切さも痛感しているので、生産者と直接つながり支援する『オーガニックフィールド』の取り組みに共感する。結局は人間がやることだから、畑に赴き、生産者と対話し、活動全体を支援することが大事だと思う。オーガニックの背景に関心が高いお客さんも増えてきたので、一緒に知識をつけるよいタイミングだとも思う」。

可児デザイナーと小和田ディレクターの付き合いは、20年近く。可児のこだわりを、生地オタクの小和田のこだわりが支えてきた。その関係性もまた長いサプライチェーンのひとつ。「結局は人間がやることだから」の一部である。「服のデザインのために生地を選ぶとき、最終的に見るのはスワッチだけど、その向こうには人がいる。オーガニック、サステナブル、フェアトレードと、言葉は色々あるが、畑でコットンを栽培している人たちの姿を見たとき“この人たちと作っているのだ”実感し、服は畑から続くバトンをお客さんに渡すアンカーなんだと腑に落ちた」と可児。1型だけのTシャツにおいて協業したコトとは、畑までさかのぼったモノづくりのストーリーであり価値観だ。

The post スタイレム「リフィル」が「スキンアウェア」とコラボ “服は綿花畑から続くバトンのアンカー” appeared first on WWDJAPAN.

スタイレム「リフィル」が「スキンアウェア」とコラボ “服は綿花畑から続くバトンのアンカー”

PROFILE: 左:小和田哲弘/スタイレム瀧定大阪第二事業部ガーメント1部38課課長、「リフィル」ディレクター 右:可児ひろ海/AWA代表取締役、「スキンアウェア」デザイナー

左:小和田哲弘/スタイレム瀧定大阪第二事業部ガーメント1部38課課長、「リフィル」ディレクター<br />
右:可児ひろ海/AWA代表取締役、「スキンアウェア」デザイナー
PROFILE: 左:(こわだ てつひろ)1976年生まれ。2001年、瀧定(現スタイレム瀧定大阪)入社。約10年間大手アパレルからセレクトショップなどに向けてカットソー生地の企画販売を行う。11年に新設された38課で製品OEMをスタート。製品づくりのノウハウを習得し、国内での生産背景を中心に事業を拡大。15年より38課課長に就任。入社以来「編み物(カットソー)」一筋で、原料の選定から製品に仕上げるまで<編み・染め・縫製>全工程に関わるプロフェッショナルとして数多くのプロジェクトに従事。MADE IN JAPANに特化した生地づくりと縫製を掛け合わせた究極のコットン「COTTONY」を完成させ、21年にD2Cブランド「リフィル(LIFiLL)」をデビューさせ、38課を率いながらディレクションをしている。 右:(かに ひろみ)2001年レディスブランド「コクーン(COCOON))を立ち上げ07年までコレクションを展開。女性の強さと柔らかさが同居したコレクションは女優やシンガーからも支持され、海外での評価も得る。デザイナー個人としても愛知万博のユニフォームや、資生堂Zaのスタッフユニフォームの制作を行った。04年にオーガニックコットンのレディスウェア・ランジェリーブランド 「スキンウェア(Skinware)」をスタート。伊勢丹新宿店などで販売しエシカルファッションの先駆けとなる。08年に両ブランドのコレクションを休止し、グローバルファッションブランドでデザイナー、コンサルタントとして参画。13年 「スキンウェア」をリニューアル再スタートする。2017年 「スキンアウェア(SkinAware)」にブランドリニューアル。

スタイレム瀧定大阪(以下、スタイレム)のD2Cブランド「リフィル(LIFILL)」は4月26日、「スキンアウェア(SKINAWARE)」とコラボレーションし、同社の「オーガニックフィールド(ORGANIC FIELD)」のコットン生地を用いたTシャツを発売した。対象のTシャツは既存の1型で、デザイナーが行ったことは色の指定のみ。だから中身が薄いかと言えばそうでもない。むしろアパレル産業の課題解決のヒントがそこにはある。

「リフィル(LIFILL)」はカットソー専門のブランドで、同社で長年カットソー生地を営業してきた小和田哲弘スタイレム瀧定大阪第二事業部ガーメント1部38課課長が2021年9月に社内公募で立ち上げた。「とにかくカットソーという生地が好き」というオタク気質の小和田ディレクターは「原料を突き詰め、糸の選定や編み方、染めなどの加工にこだわり“たかがTシャツ”だけど着用したときテンションがあがり生活を豊かにする」一着を追求している。

「オーガニックフィールド」のコットン生地を採用

カットソーの品質を左右するのは「原料」だと言われる。今回採用した原料は、スタイレムがインドで進めている「オーガニックフィールド」のコットンだ。生産段階で異物を手作業で丁寧に取り除いていることもあり、なめらかでしなやかな落ち感を持つ。名称に“オーガニック”の文字が入るが、既存のオーガニックコットンの認証を受けているわけではない。ならば「まがい物」かと言えばそれも違う。

「オーガニックフィールド」は同社が種の選定から綿花栽培、糸の生産までをオーガニックのプロセスで管理することで、トレーサビリティを確保している。オーガニックコットンの認証は現在、3年以上無農薬・無化学肥料で栽培されたものが対象となっており、小規模農家にとってはハードルが高い。そこで同社は現地のNGO、大手紡績会社と組んで小規模な農家の綿花栽培や労働環境の向上を支援しつつ、移行期間の綿花も含めて買い取っていく仕組みとして「オーガニックフィールド」を進めている。

世界的に需要が高まるオーガニックコットンだが、生産に手間がかかるため流通量は綿花全体の1%未満と少なく、価格が割高なのが現状だ。また、2020年には、オーガニックコットンの有力生産国であるインドで認証の大規模な不正行為が発覚するなど認証に対する信頼が揺らぐ“事件”が起きている。こういった現状を踏まえ、日本の商社はトレーサビリティを担保するオーガニックコットンのプロジェクトに各社取り組んでいる。「オーガニックフィールド」もその一つだ。

“畑に赴き、生産者と対話し、活動全体を支援することが大事”

今回「リフィル」が協業をした「スキンアウェア(SKINAWARE)」はオーガニックコットン&植物染めを用いたアパレル・インナーブランドで、エシカルファッションの先駆者的存在だ。認証オーガニックコットンだけを使用してきた可児ひろ海「スキンアウェア」デザイナーが「オーガニックフィールド」を採用した、その選択は「オーガニックフィールド」にとっては大きい。オーガニックコットンに見識がある可児は、今回の協業を決めた理由について次のように説明をする。「私のブランドは、糸段階から認証・認定を受けたオーガニックコットンを使うことをブランドの姿勢としている。同時に、生産者を増やすことの大切さも痛感しているので、生産者と直接つながり支援する『オーガニックフィールド』の取り組みに共感する。結局は人間がやることだから、畑に赴き、生産者と対話し、活動全体を支援することが大事だと思う。オーガニックの背景に関心が高いお客さんも増えてきたので、一緒に知識をつけるよいタイミングだとも思う」。

可児デザイナーと小和田ディレクターの付き合いは、20年近く。可児のこだわりを、生地オタクの小和田のこだわりが支えてきた。その関係性もまた長いサプライチェーンのひとつ。「結局は人間がやることだから」の一部である。「服のデザインのために生地を選ぶとき、最終的に見るのはスワッチだけど、その向こうには人がいる。オーガニック、サステナブル、フェアトレードと、言葉は色々あるが、畑でコットンを栽培している人たちの姿を見たとき“この人たちと作っているのだ”実感し、服は畑から続くバトンをお客さんに渡すアンカーなんだと腑に落ちた」と可児。1型だけのTシャツにおいて協業したコトとは、畑までさかのぼったモノづくりのストーリーであり価値観だ。

The post スタイレム「リフィル」が「スキンアウェア」とコラボ “服は綿花畑から続くバトンのアンカー” appeared first on WWDJAPAN.

ユナイテッドアローズの20代向け新シューズブランド 1万5000円以下で攻めたデザインに

 「シー ユナイテッドアローズ」[/caption]

ユナイテッドアローズがこのほど立ち上げたウィメンズシューズブランド「シー ユナイテッドアローズ(SY UNITED ARROWS)」(以下、シー)は、エッジの効いたデザインと1万5000円以下の手に取りやすい価格帯が強み。同社のシューズブランド「オデット エ オディール(ODETTE E ODILE)」で取りきれていなかった20代を狙う。企画は婦人靴メーカーで経験を積み昨年同社に入社した加藤亜季が担当する。

「オデット エ オディール」とすみ分け 確実に20代に届ける

「オデット エ オディール」課課長で「シー」の事業責任者を兼務する遠藤剛史は、「市場全体で見ると若者に向けた商品はギャルモードやベーシックなテイストに偏っている一方で、ラグジュアリーは価格が高騰している。日常的に履くことができて遊び心もあるモードカジュアルのカテゴリーは実は少ない。お客さまの『このデザインが欲しいけど、手が届かなかった』という気持ちを解消するブランドにしたい」と話す。

「オデット エ オディール」でも約3年前から若年層向けに1万円前後の商品を企画しEC限定で販売するなどの施策を取ってきた。「しかし、もともと顧客の年齢層が高い『オデット エ オディール』のなかでの提案には限界があった」と遠藤課長。2023年秋冬シーズンには「オデット エ オディール」を、モード感を強めたフェミニンシックをデザインコンセプトにより大人向けにリブランディングし、価格帯はこれまでのボリュームゾーンだった2万円以下から、2万〜3万円に裾野を広げた。

「それぞれ棲み分けをはっきりさせたことでブランドの輪郭がシャープになった。『シー』は4月に発売したばかりだが、ターゲット層に届いている感覚もある」と手応えを語る。現在「シー」の販路はECと「オデット エ オディール」直営店が中心。中長期的には単独店の出店も目指すという。

一歩踏み込んだデザインに挑戦

4月に発売した第一弾商品は、変形ウエッジヒールが特徴的なメタリックシルバーのパンプス(1万3200円)が象徴する大人モードな雰囲気と、きらびやかなピンクのスパンコールを全面に配したスクエアトゥのバレエシューズ(1万2100円)などの華やかな雰囲気の2つのテイストを軸に企画した。加藤担当は、「共通して開放的で前向きなエネルギーを感じてもらいたいと思った。過去の職場ではいろいろなメーカーやブランドを見てきたが、売れる商品を作ろうとするとデザインが控えめになる傾向があった。『シー』では、それをしてしまうと逆に他社と差別化が出来ない。思い切って一歩踏み込んだデザインに挑戦している」と話す。

大ぶりなビジューを散りばめたスポーツサンダル(1万4300円)は、ソールの縁にも小さなスタッズを配してデコラティブに仕上げた。きゃしゃなTストラップのサンダル(1万3200円)は、クリアヒールを組み合わせモードかつ清涼感のある印象に。共通して使用している中敷は、履き心地を考慮して厚みがあるものを採用した。市場で人気のフラットシューズはバリエーション豊富にそろえると同時に、7cmヒールをメインにスタイルアップを叶える提案にも重きを置く。デザイン性を担保しつつも、海外で生産したり合成皮革を採用したりすることでコストを抑える。

今後はターゲット層世代の店舗スタッフの声を取り入れながら、商品をアップデートしていく。また定期的に新作を出しインスタグラムを中心に訴求することで、接点を増やす。

The post ユナイテッドアローズの20代向け新シューズブランド 1万5000円以下で攻めたデザインに appeared first on WWDJAPAN.

「クラランス」のブランド責任者が語る、70年間継承する価値観と絶え間ない革新

PROFILE: カタリン・ベレニ/「クラランス」ブランドジェネラルマネージャー

カタリン・ベレニ/「クラランス」ブランドジェネラルマネージャー
PROFILE: ハンガリー生まれ。パリの国立高等装飾美術学校とフランスファッション学院を卒業し、アメリカでMBAを取得。2001年に「シュウ ウエムラ」ヨーロッパブランドマネージャーとしてキャリアをスタートする。07年にロレアルグループを退社し、韓国の化粧品研究者と共同で「エルボリアン」を設立。12年にロクシタングループが「エルボリアン」を買収。17年に「ロクシタン」と「エルボリアン」の最高クリエイティブオフィサーに就任。19年から現職 PHOTO : TAMEKI OSHIRO

「クラランス(CLARINS)」は今年、ブランド誕生70周年を迎える。日本市場の調査と、日本チームとの連携をより強固にするためにこのほど、カタリン・ベレニ(Katalin Berenyl)=「クラランス」ブランド・ジェネラル・マネージャーが来日した。70周年の節目に、ベストセラー商品の一つである“フィックス メイクアップ”(50mL、4950円)をリニューアルし、7月5日に発売を控える。そのほか創設者ジャック・クルタン・クラランス(Jacques Courtin Clarins)の価値観を継承しながら、イノベーションにも積極的だ。ブランドを統括するベレニに、商品開発のこだわりや各国での商況を聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):今回の来日の狙いは?

カタリン・ベレニ=「クラランス」ブランド・ジェネラル・マネージャー(以下、ベレニ):市場調査と、日本チームと直接コミュニケーションをとることが目的だ。世界でブランドを展開するにあたり、各国のチームや顧客の声を聞くことを重視する。それぞれの国で「クラランス」の商品がどのように息づいているかを知り、開発や戦略に生かしている。今回は、美容部員の声を聞くことで、顧客についての理解を深めるのも狙いの一つ。

WWD:日本事業をどう分析している?

ベレニ:日本はジャックが最も好きな国の一つで、消費者は厳密かつきめ細やかで要求のレベルが高い。ブランドが提唱する理念や哲学が受け入れやすい土壌がある。「クラランス」は、アジアでNo.3(同社調べ)のブランドに位置し、日本市場も成長しているものの満足のいく結果に達していない。

WWD:日本のチームに望むことは?

ベレニ:日本の顧客のニーズに応じた商品に絞って提案するべきだと考えている。商品の数を減らすわけではないが、より厳選した提案をしていきたい。また、「クラランス」は“植物を科学する”ブランドなので、厳選した商品の1つ1つにどのような成分が配合されており、それらが肌にどのような効果をもたらすのかをより明確に説明できるようになるべきだ。

創設者の価値観を70年間継承

WWD:「クラランス」70年の歴史をどのように振り返る?

ベレニ:「クラランス」は3代に渡る同族経営で、“女性の声に耳を傾け、最高の商品効果を提供する”という価値観を貫いてきた。商品開発とともに、商品の効果を最大限発揮するための使い方を開発し、美容部員に伝授してきた。創設者の価値観を70年間も忠実に守り、継承してきたブランドは世界でも数少ない。

WWD:世界でのビジネス展開は?

ベレニ:150カ国で販売しており、子会社が28社ある。売り上げは1位が中国で、アメリカとフランスが続く。中国とアメリカは大きなスキンケア市場で、高品質の商品を強く求めている。また、ヨーロッパでは絶対的な認知度を誇る。

WWD:コロナ前後の商況は?

ベレニ:2020〜21年のコロナ禍は業績が落ちたが、23年度はコロナ禍前の19年度と比べて20%成長した。想定より早く回復できたのは、ロイヤル顧客が多いことや商品の品質の高さが要因だと考えている。エイジングケア美容液“ダブル セーラム”や、唇をケアしながら色味を与える“リップコンフォートオイル”など、ほかのブランドに類似品がないような商品を多く生み出していることが好結果につながった。現在は、ボディーを含むスキンケアの売り上げが90%を占めているが、成長率はメイクアップの方が大きい。「クラランス」は女性の肌を守るためのメイクアップ商品を提案してきた。今後もスキンケア成分を配合したメイクアップ商品を積極的に開発し、販売していく。

WWD:好調な商品は?

ベレニ:どの国でも“ダブル セーラム”が最も売れている。今年、同商品のコンシューマーテストを初めて日本で行う予定だ。日本は要求のレベルが高く、フランスにとって重要な市場と捉えている。

ベストセラー“フィックス メイクアップ”を6年ぶりにリニューアル

WWD:08年に誕生した“フィックス メイクアップ”を6年ぶりにリニューアルする経緯は?

ベレニ:「クラランス」は絶え間ない革新を重視しており、常に商品の改良に取り組んでいる。今回の“フィックス メイクアップ”のリニューアルではスキンケア成分を97%配合。長時間保湿し、潤った艶のある肌をかなえる。また、自然由来成分の割合を94%まで高め、アルプスの自社農園で栽培したアルペンローズ エキスを配合した。乾燥などの外的ストレスから肌を守りながら、メイクを24時間フィックスするなど機能を向上した。

WWD:パッケージはどう変わった?

ベレニ:ボトルにリサイクルガラスを40%使用した。また、キャップに再生プラスチックを使用し、それ自体もリサイクルできるように改良した。「クラランス」は商品だけでなく、環境に配慮したパッケージの開発にもこだわっている。4月にリニューアルしたボディー用美容液“ボディ フィット アクティヴ”(200mL、1万450円)はチューブの47%に再生プラスチックを使用し、キャップも軽量化。それにより年間6トンのプラスチック使用量を削減した。

WWD:パッケージ開発の取り組みは?

ベレニ:25年までに、全ての商品が何らかの形でリサイクル可能あるいは詰め替え可能、再利用可能な状態を目指す。23年の段階で、商品の30%はパッケージに再生素材を使用している。25年には、使用率を50%に向上させる目標だ。

また現在、商品の70%はパッケージがリサイクル可能だ。リサイクル可能にするには単一素材でつくる必要があるが、メイクアップ商品はボトルやキャップ、スポイトなどさまざまなパーツがあるため単一素材にするのが難しい。25年までに、リサイクル可能な商品の割合を限りなく100%に近づける目標を掲げている。スキンケアは、25年までに全商品のパッケージをリサイクル可能にする予定だ。

WWD:リニューアル前の旧商品はどのように取り扱う?

ベレニ:全世界のアウトレットチェーンで販売する。あるいは、団体や協会などに寄付する。フランスの法律でも定められており、決して廃棄することはない。

得意とする植物研究を追求

WWD:改めて「クラランス」の強みは?

ベレニ:革新的であることと、商品の効果が高いことだ。世界トップ水準の研究所を擁し、23年には516種の植物を研究した。このうち商品化されたのはわずか10種だ。科学と本物思考を重視し、決して妥協しない商品開発に誇りを持っている。

WWD:今後のビジョンは?

ベレニ:「クラランス」はアルプスのオート・サヴォワ区域と、南仏ニーム近郊に自社農園を持つ。“農地から肌まで”という哲学を掲げており、30年までに、商品に必要な植物原料の3分の1を同農園から調達する目標だ。短期的な利益を追求するのではなく、長期的なビジョンに基づいて成長していきたい。

The post 「クラランス」のブランド責任者が語る、70年間継承する価値観と絶え間ない革新 appeared first on WWDJAPAN.

沖縄コスメLIST.2 「フローモ」元・大手日用品メーカー研究員が、沖縄の自然の恵みに感化されて開発

県内外で定評のある〝沖縄コスメブランド″を紹介する企画の第2弾。今回取り上げるブランドは、元・大手日用品メーカーの研究員だった女性が、沖縄移住をきっかけに大自然の恵みからインスパイアされて開発したスキンケア「フローモ(FROMO)」。石渡みち代「フローモ」代表・商品開発ディレクターに取材した。

――:石渡さんは東京から沖縄に移住されたそうですが、そのきっかけは?

石渡みち代「フローモ」代表・商品開発ディレクター(以下、石渡):私は出身が千葉で、東京で働いていたのですが、主人が沖縄に移住することになり、私も東京の会社をやめて、こちらに来ることになりました。

――:東京ではどんな仕事を?

石渡:日用品メーカーで研究員をしていました。植物由来の界面活性剤などを用いて洗剤を作ったり。その後は、以前から興味があった建築デザイン事務所に転職しまして。設計士・インテリアコーディネーターとして仕事をしていました。

――:日用品研究員からインテリアコーディネーターまで幅広いキャリアですね(笑)。でも、それぞれのキャリアがきっと化粧品開発やブランディングに生かされているのでしょうね。では、「フローモ」を立ち上げたきっかけを教えてください。

石渡:実は沖縄に移住してから、日光アレルギーである“日光過敏症”を発症してしまいまして。首やデコルテに発疹ができてしまったのですが、それが月桃水をつけたらみるみる完治して。その肌効果に驚いたことや、沖縄の自然に囲まれた生活を送るなかで、東京では得られない癒やしを得たこともあり、この自然の恵みをカタチにしようと思い、ブランドを設立することにしました。

――:では、初めに開発したのは月桃の化粧水?

石渡:はい。月桃の化粧水とスキンケアオイル、固形ソープの3点です。化粧水は月桃蒸留水100%と精油、さらにハチミツやグリセリン、ベタインを配合することで保湿力を強化しています。月桃は沖縄では昔から肌荒れにいいとされていることもあり、私自身が敏感肌ではありますが月桃は精油も配合しています。

――:確かに敏感肌には精油は刺激が強すぎる気がしますが、月桃は大丈夫、というか、むしろ肌に有効なんですね。そして「フローモ」にはもう一つ、“2830(にーはちさんぜろ)”というラインがありますね。こちらのライン名の意味は?

石渡:“2830”は月の満ち欠けの周期である28日と、ミツバチの平均的な寿命である30日の数字を組み合わせたものです。沖縄では中国の影響から旧暦文化が根付いていて、旧正月や旧盆など大きなイベントもあります。また、地元の方からは「満月の時に子どもがよく生まれやすい」とよく聞くこともあり、体内リズムを自然な状態に整えようという思いをこめてライン名にしました。また、ミツバチについては月桃化粧水を作った頃からハチミツの薬理作用に注目していまして。特に沖縄には“タイアワユキセンダン草”というキク科の野草があらゆる場所に自生しているのですが、この花を蜜源にしたハチミツには一般的なハチミツにはない、肌にいいビタミンB6・B7やポリフェノールなどが検出されたこともあり、このハチミツやミツロウがブランドのスター成分に相応しいと思い採用しました。

――:だから、ショップの隣に養蜂箱があったのですね! ミツバチがぶんぶんと元気に飛んでいました(笑)。

石渡:自社でハチミツも用意しようと、いまは巣箱を20箱ほど管理しています。スキンケアに配合するハチミツであれば充分な量を採取できています。

――:ハチミツや月桃のほか、県産のオリーブオイルや植物オイルも積極的に活用されているそうですね。

石渡:はい。県内の農家などで破棄されている素材のアップサイクルにも取り組んでいます。その活動が認められ、沖縄特産のみかん「カーブチー」と月桃を用いた天然バーム“Fofo ビーバーム”は、サステナブルコスメアワード2021にてブロンズ賞を獲得することができました。

――:SDGsにも意欲的に取り組まれていますね。

石渡:養蜂もそうですが、これからも県内で作られている素材を有効活用することで、サーキュラーエコノミーに貢献するような化粧品づくりを心掛けていきたいと考えています。

The post 沖縄コスメLIST.2 「フローモ」元・大手日用品メーカー研究員が、沖縄の自然の恵みに感化されて開発 appeared first on WWDJAPAN.

存在感増す中国コスメ 韓国メイクとの違いとは?

さまざまな中国コスメが日本に上陸している。中国国内でも、Z世代を中心に自国のコスメを愛用する若者が増えているという。今回、卸商社あらたと「フローラシス(花西子)」に売れ筋や人気の理由を聞いた。

1.5年で25店舗を出店予定の「フローラシス(花西子)」

中国コスメの中でも存在感を放つのが2017年誕生の「フローラシス(花西子)」だ。中国・浙江省に本社を置く杭州宜格化粧品(コウシュウイケイケショウヒン)が展開する。2023年は2月にアットコスメ原宿で1週間のポップアップを、秋には伊勢丹新宿本店1階の化粧品プロモーションスペースでポップアップを実施した。アットコスメ大阪にも商品棚を展開する。「われわれは、日本マーケットの展開を遂行し、パートナーと一緒に日本市場を開拓している。今後5年で、アジアほか北米やヨーロッパで50店舗の出店目標を掲げているが、うち25店舗を日本国内で計画している」と、曹明磊(ソウ メイライ)・花西子日本マーケティング責任者は話す。

―――伊勢丹のポップアップで売り上げ点数ベスト1位(23年9月末時点)は何か。

曹明磊(ソウ メイライ)・花西子日本マーケティング責任者(以下、曹):“玉養桃花ルースパウダー 05ラベンダー”(4100円)だ。細かい粉質とサラサラとした仕上がりが好評だ。インフルエンサーからの評価の影響も大きい。

―――ポップアップでのメインの顧客層は?

曹:幅広いが、メインは20〜40代の女性だった。理由は大きく3つある。まず、商品のパッケージが魅力的であること。粉質やラメ、発色など、商品の品質の良さ。そして、自分が好きなインフルエンサーが薦め購買するケースも多かった。

2.「パーフェクトダイアリー(PERFECTDIARY)」をはじめ複数ブランドを取り扱う卸商社「あらた」

―――現在、取り扱っている中国コスメブランドは?

柚原(ゆはら)晴香・あらたコスメ事業本部(以下、柚原)「パーフェクトダイアリー(PERFECTDIARY)」「ズーシー(ZEESEA)」「フラワーノーズ(FLOWERKNOWS)」「カラーキー(CLORKEY)」「カラーローズ(COLORROSE)」「ジューシー(JOOCYEE)」「ジュディドール(JUDYDOLL)」などを取り扱っている。日本の正規代理店で取り扱っているブランドのみを仕入れている。

―――その中でヒットアイテムとその理由は?

柚原:「パーフェクトダイアリー」では、“エクスプローラ12色動物アイシャドウパレット”(3990円)や“トランスルーシェントブルーリングルースパウダー”(3890円)が好調だ。アイシャドウパレットは目を引く動物柄のパッケージと捨て色がないカラー展開、発色の良さで人気。ルースパウダーはTikTokやインスタグラムなどのSNSで「水をはじくパウダー」として話題となりその後店頭で欠品するほど人気となった。「フラワーノーズ」など、見た目にこだわった製品は新しいシリーズが発売する度に、話題を集めている。また「ズーシー(ZEESEA)」の“夢幻燦爛動物シリーズ4色アイシャドウ”(1580円)は、猫や犬のかわいらしいパッケージと手に取りやすい価格帯で若年層を中心に売れている。

―――日本でも「千金メイク」に代表されるように、中国コスメ・メイクが受け入れられつつある印象だ。顧客の温度感については?

柚原:ブランドがこだわっている世界観や高いデザイン性はもちろん、品質面でも非常に優れているものも多く、日本の顧客にも苦手意識はないと感じている。展示会で中国コスメをご紹介する際も顧客からは好印象で、ブランドを既に知っている人も年々増えている。最近では各種SNSで中国メイクの発信が増えており、Z世代を中心にニーズが高まっている。韓国コスメとはまた違ったメイクも常に話題となっている印象だ。

―――韓国メイクと「千金メイク」などに代表される中国メイクでは、テイストにどのような違いがある?

柚原:あくまでも個人的な意見となるが、分類するとすれば韓国メイクはナチュラルな可愛い系、中国メイクは凛としてハッキリした印象の美人を目指す印象だ。韓国メイクはアイドルのような束感のあるまつ毛や透明感ある水光肌、自然な色味(ニュアンスカラー)や淡い配色のアイシャドウやチークを使用し「ナチュラルでキレイ」「かわいい」を強調する傾向がある。一方で中国メイクにおいては、アイラインやアイブロウをしっかりと描き、鮮やかな色味のリップを使用する。さらにハイライトやシェーディングで立体感を演出・陶器のような白いマット肌など美人度が増すようなメイクが多いのではないか。ここ最近の「千金メイク」においても華やかさのある令嬢のようなイメージで、韓国のアイドルメイクとは重視するポイントが異なると感じている。

The post 存在感増す中国コスメ 韓国メイクとの違いとは? appeared first on WWDJAPAN.

存在感増す中国コスメ 韓国メイクとの違いとは?

さまざまな中国コスメが日本に上陸している。中国国内でも、Z世代を中心に自国のコスメを愛用する若者が増えているという。今回、卸商社あらたと「フローラシス(花西子)」に売れ筋や人気の理由を聞いた。

1.5年で25店舗を出店予定の「フローラシス(花西子)」

中国コスメの中でも存在感を放つのが2017年誕生の「フローラシス(花西子)」だ。中国・浙江省に本社を置く杭州宜格化粧品(コウシュウイケイケショウヒン)が展開する。2023年は2月にアットコスメ原宿で1週間のポップアップを、秋には伊勢丹新宿本店1階の化粧品プロモーションスペースでポップアップを実施した。アットコスメ大阪にも商品棚を展開する。「われわれは、日本マーケットの展開を遂行し、パートナーと一緒に日本市場を開拓している。今後5年で、アジアほか北米やヨーロッパで50店舗の出店目標を掲げているが、うち25店舗を日本国内で計画している」と、曹明磊(ソウ メイライ)・花西子日本マーケティング責任者は話す。

―――伊勢丹のポップアップで売り上げ点数ベスト1位(23年9月末時点)は何か。

曹明磊(ソウ メイライ)・花西子日本マーケティング責任者(以下、曹):“玉養桃花ルースパウダー 05ラベンダー”(4100円)だ。細かい粉質とサラサラとした仕上がりが好評だ。インフルエンサーからの評価の影響も大きい。

―――ポップアップでのメインの顧客層は?

曹:幅広いが、メインは20〜40代の女性だった。理由は大きく3つある。まず、商品のパッケージが魅力的であること。粉質やラメ、発色など、商品の品質の良さ。そして、自分が好きなインフルエンサーが薦め購買するケースも多かった。

2.「パーフェクトダイアリー(PERFECTDIARY)」をはじめ複数ブランドを取り扱う卸商社「あらた」

―――現在、取り扱っている中国コスメブランドは?

柚原(ゆはら)晴香・あらたコスメ事業本部(以下、柚原)「パーフェクトダイアリー(PERFECTDIARY)」「ズーシー(ZEESEA)」「フラワーノーズ(FLOWERKNOWS)」「カラーキー(CLORKEY)」「カラーローズ(COLORROSE)」「ジューシー(JOOCYEE)」「ジュディドール(JUDYDOLL)」などを取り扱っている。日本の正規代理店で取り扱っているブランドのみを仕入れている。

―――その中でヒットアイテムとその理由は?

柚原:「パーフェクトダイアリー」では、“エクスプローラ12色動物アイシャドウパレット”(3990円)や“トランスルーシェントブルーリングルースパウダー”(3890円)が好調だ。アイシャドウパレットは目を引く動物柄のパッケージと捨て色がないカラー展開、発色の良さで人気。ルースパウダーはTikTokやインスタグラムなどのSNSで「水をはじくパウダー」として話題となりその後店頭で欠品するほど人気となった。「フラワーノーズ」など、見た目にこだわった製品は新しいシリーズが発売する度に、話題を集めている。また「ズーシー(ZEESEA)」の“夢幻燦爛動物シリーズ4色アイシャドウ”(1580円)は、猫や犬のかわいらしいパッケージと手に取りやすい価格帯で若年層を中心に売れている。

―――日本でも「千金メイク」に代表されるように、中国コスメ・メイクが受け入れられつつある印象だ。顧客の温度感については?

柚原:ブランドがこだわっている世界観や高いデザイン性はもちろん、品質面でも非常に優れているものも多く、日本の顧客にも苦手意識はないと感じている。展示会で中国コスメをご紹介する際も顧客からは好印象で、ブランドを既に知っている人も年々増えている。最近では各種SNSで中国メイクの発信が増えており、Z世代を中心にニーズが高まっている。韓国コスメとはまた違ったメイクも常に話題となっている印象だ。

―――韓国メイクと「千金メイク」などに代表される中国メイクでは、テイストにどのような違いがある?

柚原:あくまでも個人的な意見となるが、分類するとすれば韓国メイクはナチュラルな可愛い系、中国メイクは凛としてハッキリした印象の美人を目指す印象だ。韓国メイクはアイドルのような束感のあるまつ毛や透明感ある水光肌、自然な色味(ニュアンスカラー)や淡い配色のアイシャドウやチークを使用し「ナチュラルでキレイ」「かわいい」を強調する傾向がある。一方で中国メイクにおいては、アイラインやアイブロウをしっかりと描き、鮮やかな色味のリップを使用する。さらにハイライトやシェーディングで立体感を演出・陶器のような白いマット肌など美人度が増すようなメイクが多いのではないか。ここ最近の「千金メイク」においても華やかさのある令嬢のようなイメージで、韓国のアイドルメイクとは重視するポイントが異なると感じている。

The post 存在感増す中国コスメ 韓国メイクとの違いとは? appeared first on WWDJAPAN.

伝統を刷新し続ける「トミー ヒルフィガー」  “若者”と“セレブリティー”を起点に40年目へ

創業者本人が現在もデザイナーを務める「トミー ヒルフィガー(TOMMY HILFIGER)」は、2025年で40周年を迎える。常にニュースに事欠かず、今年2月にはニューヨーク・ファッション・ウイークにカムバックし、4月には「トミー ジーンズインターナショナル ゲームス(TOMMY JEANS INTERNATIONAL GAMES)」の復刻コレクションをリリース、K-POPグループのストレイキッズ(Stray Kids)と2度目のコラボを果たすなど、現在も精力的に活動し続けている。

WWDJAPAN(以下、WWD):「トミー ヒルフィガー表参道店」がリニューアルオープンしてから1年が経つ。手応えは。

トミー・ヒルフィガー=「トミー ヒルフィガー」デザイナー(以下、トミー):素晴らしい場所に店舗を構えられて、顧客に喜んでもらえているように感じる。コロナ禍の人々は外出自粛を余儀なくされていたから、最高のタイミングで店舗をリニューアルできた。ショッピングは多くの人にとって“気晴らし”。実店舗でリアルな購買体験を楽しんでもらいたい。現在、D2Cやライブコマースが台頭しているが、店舗が顧客に刺激的な体験を提供するものである限り、なくなることはないだろう。

WWD:来年で創業40周年だが、息の長いブランドになるために必要なことは。

トミー:常に市場から求められ続ける存在を目指すことだ。通常、ブランドの刷新には何十年とかかり、決して1日で達成できるものではない。だからこそ、全ての物事を適切に進める必要がある。

「トミー ヒルフィガー」の顧客の年齢層はとても幅広いが、中でも若い消費者は、ブランドの勢いを加速させてくれる存在。彼らはファッションやアート、音楽、エンターテインメント、スポーツの世界で起きていることに敏感。「トミー ヒルフィガー」はこれまで、数多くのセレブリティーとコラボしてきた。我々もカルチャーの一員だからこそ、コラボ相手には単なる有名人ではなく、その時々のカルチャーにおける重要人物を選ばなければいけない。

若者のニーズを視野に
MDバランスで応える

WWD:「トミー ヒルフィガー」が考える現代の若者の特徴は。

トミー:3つある。サステナビリティーに関心があり、テクノロジーが搭載された生地を好み、シルエットやディテール、色にこだわることだ。今日の顧客は妥協しない。ブランドは、彼らのニーズを意識できるかどうかにかかっている。

WWD:現代の若者は、ブランドの歴史に裏打ちされた“らしさ”に魅力を感じる傾向がある。ブランドの伝統と新鮮さを同時に提案する秘訣は何か。

トミー:「トミー ヒルフィガー」は、伝統的なアメリカンプレッピースタイルを打ち出すブランドで、それは今後も変わらない。その上で、MDのバランスが全ての鍵を握る。あまりにも前衛的なスタイルを発表したら、それについていけない顧客も出てくるし、逆に変わり映えのないスタイルばかりを発表していたら、それに飽きる顧客も出てきてしまう。

バランスが重要だ。我々は最近では、1996年の「トミージーンズ ゲームコレクション」の復刻や、スプリング・コレクション、2024-25年秋冬コレクションの発表の中で、メンズ、ウィメンズ、キッズラインのみならず、シューズやアクセサリーも充実させている。同時に、定番アイテムをそろえた「エッセンシャルズ」ラインに力を入れている。同ラインは、「トミー ヒルフィガー」のビジネスを前進させる上で基盤となる存在だと考える。

セレブリティーとの関係性
“尊重し合える”パートナーシップ

WWD:先述のセレブリティーとのコラボについて聞きたい。世界にはたくさんのセレブリティーがいるが、「トミーヒルフィガー」がコラボ相手を選ぶ基準は。

トミー:ブランドを愛してくれているかだ。「トミー ヒルフィガー」を大切に思ってくれない人に対して、ブランドの顔を務めてもらうためだけに報酬は払いたくはない。もちろん、我々もセレブリティーの才能を“当たり前のもの”として消費すべきではないし、人として彼らを好きになる必要がある。幸運なことに、「トミー ヒルフィガー」はその条件を満たしたセレブリティーと仕事ができている。

WWD:コミュニティーが細分化する現代において、新たな才能を探し当てることは必ずしも容易ではない。

トミー:「トミー ヒルフィガー」は、その時々の主流な価値観を察知するのに長けている。これまで、「音楽の世界やハリウッドでは今、何が起きているか?」など、各界の最新トレンドにアンテナを張ってきた。例えば、ブランドのミューズである女優のゼンデイヤ(Zendaya)も出会った当初こそディズニースターの一人だったが、今や世界的なファッションアイコンになっている。ジジ・ハディッド(Gigi Hadid)も、ランウエイに登場し始めた頃は無名だったが、今では最も有名なモデルの一人だ。

スポーツ界についても同じで、F1とファッションは密接な関係性を築いて久しい。その中でも「トミー ヒルフィガー」は、F1のスポンサーを30年前から務めてきたし、レーシングドライバーのルイス・ハミルトン(Lewis Hamilton)とも10年以上にわたってコラボしている。

WWD:23年秋のキャンペーンに引き続き、24年春のキャンペーンでもK-popボーイズグループのストレイキッズ(StrayKids)を起用した。

トミー:彼らは生き生きとした楽しい人たちで、「トミー ヒルフィガー」のブランドスピリットと合致する。若い世代を中心に大人気だ。才能に溢れていて、ビジュアルも申し分ない。現在、K-popは大きな影響力を持っているが、我々はその中でも特に素晴らしい才能を備えたグループを選んだと思っている。

The post 伝統を刷新し続ける「トミー ヒルフィガー」  “若者”と“セレブリティー”を起点に40年目へ appeared first on WWDJAPAN.

「スウォッチ」がアーティストのVERDYとのコラボコレクションを発売 本人が語るコラボレーションや「ベネチア・ビエンナーレ」への参加

「スウォッチ(SWATCH)」は、日本人アーティストのVERDYと“スウォッチ×VERDYコレクション”を発売した。両者はすでにイタリアの芸術の祭典「べネチア・ビエンナーレ国際美術展」(以下、「ビエンナーレ」)で「ヴィック ブロンズ バイ ヴェルディ(VICK BRONZE BY VERDY)」を発表し、4m大のブロンズカラーのフィギュアと時計をお披露目していたが、今回新たに4型をリリースした。

今回発表したのは、直径41mmの“ヴィック バイ ヴェルディ(VICK BY VERDY)”と“ヴィスティ バイ ヴェルディ(VISTY BY VERDY)”“ウェイステッドユース バイ ヴェルディ(WASTED YOUTH BY VERDY)”の3型(各1万5950円)と、34mmの“ガールズドントクライ バイ ヴェルディ(GIRLS DON’T CRY BY VERDY)”(1万4300円)で、それぞれVERDYを象徴するキャラクターやメッセージを文字盤やベルトに描いた。

さまざまなブランドと仕事をしているアーティスト自身の言葉で「スウォッチ」とのコラボレーションについて語ってもらった。

コラボレーションの経緯 
過去の名作をオマージュしつつ自分らしさも表現

WWDJAPAN(以下、WWD):今回のコラボレーションの経緯は?

VERDY:1年ほど前に今回発売したコラボコレクションの製作が決まり、そのプロセスで「スウォッチ」がサポートしている「ビエンナーレ」への参加を打診され、4m大のフィギュアの展示とブロンズカラーの限定時計の発売が決まった。

WWD:それぞれのアイテムについて。

VERDY:ハードコア・パンクファンのあいだで名作とされる、文字盤に「ストレート・エッジ(喫煙、ドラッグ、飲酒、快楽目的のセックスをしないというハードコアの思想)」のシンボルの「X」の文字が書かれた「スウォッチ」の時計がある。“ヴィック バイ ヴェルディ”はそれをオマージュし、「アナキズム」と「パンク」のシンボルである「A」を書いた。“ウェイステッドユース バイ ヴェルディ”は、文字盤にパンキッシュなコラージュで文字を入れ、ベルトにはいつも使っている総柄をあしらった。“ヴィスティ バイ ヴェルディ”は、新しいキャラクターであるVISTY(ヴィスティ)を使い、子どもの着用をイメージして派手で楽しい配色で作った。ひとまわり小さい“ガールズドントクライ バイ ヴェルディ”はメッセージ通り、女性が着用することを想定した。これも「スウォッチ」の過去の名作に敬意を払い、クリアカラーの文字盤とベルトにした。

WWD:ブロンズカラーのVICKの時計は、口の中の色が変わる仕様になっている。

VERDY:これは「スウォッチ」のデザインチームから提案してもらった。自分はあくまでグラフィックアーティストなので、プロダクトのデザインについて知らないことも多い。今回のように、パートナーのブランドから提案してもらったアイデアを採用することも多い。

アートとの関係が深い「スウォッチ」ならではのやりやすさ

WWD:製作は本国のデザインチームと進めていた?

VERDY:リモートで打ち合わせを続けてきたが、ファッションウイークでパリを訪れた時に打ち合わせをしたり、サンプル品を見せてもらったりした。打ち合わせ後の雑談で生まれるアイデアも多く、ともに仕事をする相手の人となりを知ることも必要。直接会って話すのは重要だと感じている。

WWD:アートとの関係が深い「スウォッチ」ならではのやりやすさはあったか?

VERDY:去年のジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)とのコラボレーションをはじめ、「スウォッチ」にはアーティストと作った膨大なアーカイブがある。それらを参照することで、アイデアをより具体的に想像できた。ベルトから文字盤、時計の針に至るまで、さまざまな要素をカスタムできる自由度の高さも魅力的だった。

WWD:さまざまなブランドや企業とコラボレーションをしているが、コラボレーションのパートナーを選ぶ基準は?

VERDY:そのブランドに対する思い入れがあるかどうか、直感的に自分が作りたいプロダクトのイメージが湧くかどうかを大事にしている。「スウォッチ」にはアーティストとのコラボレーションの歴史があり、キース・ヘリング(Keith Haring)が描いたポスターなど、自分にとっても思い入れが強いプロジェクトも多く、すぐにアイデアが湧いた。

自分らしさを貫いたからこその「ビエンナーレ」への参加

WWD:アーティストであれば誰もが参加を夢見る「ビエンナーレ」への参加が叶った。

VERDY:ストリートやファッションの文脈で作品を発表してきたので、「ビエンナーレ」は遠い世界だった。当初は想像もつかなかったが、こんなチャンスはなかなかないと思い挑戦を決めた。ベネチアでは各国のパビリオンを巡って作品を見て回ったが、イベントの規模にも圧倒されたし、難解なインスタレーションやコンセプチュアルアートなど、さまざまな種類の作品にも触れて多くの学びを得た。また初めて訪れたベネチアの街からも大いに刺激を受けた。

WWD:日本の代表としてではなく、「スウォッチ」とのコラボレーションの一環として「ビエンナーレ」に参加した。

VERDY:ぼくは、純粋なアーティストともグラフィックデザイナーとも異なり、カテゴリーしづらい異質な存在という自覚がある。活動を始めた当初は、デザイナーにせよ、アーティストにせよ、どちらかに専念しないと成功できないとさんざん言われてきた。そんな自分がブランドとのコラボレーションで「ビエンナーレ」に参加できたのは、自分らしさを貫いたからこそだと感じる。

The post 「スウォッチ」がアーティストのVERDYとのコラボコレクションを発売 本人が語るコラボレーションや「ベネチア・ビエンナーレ」への参加 appeared first on WWDJAPAN.

KNOWER(ノウワー)のルイス・コール&ジェネヴィーヴ・アルターディが語る「ジャズ」と「ポップ・ソング」の関係——「ジャズは古い音楽である必要はない」 

PROFILE: KNOWER(ノウワー)

KNOWER(ノウワー)
PROFILE: ドラマー/プロデューサーとして活躍するルイス・コール(Louis Cole)とボーカリストのジェネヴィーヴ・アルターディ(Genevieve Artadi)の2人からなるLA発超絶ポップ・ユニット。メンバーのルイス・コールは、現代のLAビート・ミュージック・シーンにおける最重要アーティストの1人。ノウワーとしては、2016年にグラミー賞受賞アーティスト、スナーキー・パピーの「ファミリー・ディナー Vol.2」に参加。さらに2017年には、レゴ映画「Ninjago」に楽曲提供を行うだけでなく、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのヨーロッパ公演のオープニング・アクトに抜擢。最新アルバム「KNOWER FOREVER」は23年12月8日に国内盤CDと、輸入盤LPでリリース。アルバムには、サックス奏者のサム・ゲンデル、ベーシストのサム・ウィルクスとモノネオンなど、超絶技巧と個性を持ち合わせたさまざまなミュージシャンが参加している。 ノウワーのルイス・コール(左)とジェネヴィーヴ・アルターディ(右)

ドラマー/プロデューサーのルイス・コール(Louis Cole)とボーカルのジェネヴィーヴ・アルターディ(Genevieve Artadi)によるLA発のポップ・ユニット、ノウワー(KNOWER)が6年ぶりの来日公演を行った。昨年の新作アルバム「KNOWER FOREVER」リリース後、初めてのツアーでもある。首を長くして待っていたリスナーも多かったようで、東京公演のチケットは即ソールドアウト、追加公演が決定するほどの盛況ぶりだった。

その追加公演として開催されたのが3月27日、神田スクエアホールでのライブ。これがツアーの初日となった。会場はホールの足元が見えないほど満員で、オープニングアクトを西口明宏、馬場智章、陸悠ら日本の気鋭サックス奏者3人をフロントに擁したテナーズ・イン・カオス(Tenors In Chaos)が務めると、続いてノウワーがルイスとジェネヴィーヴの他、ポール・コーニッシュ(key)、チキータ・マジック(イシス・ヒラルド/key)、サム・ウィルクス(b)、トム・ギル(g)を従えた計6人のバンド編成で登場した。オーディエンスを圧倒するエキサイティングな音楽は、ジャズ・ミュージシャンならではの超絶技巧に裏打ちされながらも、同時に、並外れたポップとも呼びたくなる強毒性のキャッチーさを備えたパフォーマンスでもあった。数曲で日本の気鋭ジャズ・ミュージシャンからなるホーンセクションとコラボレートしたことも来日公演だからこそ味わえる楽しみの1つだっただろう。

そんなノウワーの音楽をどう形容したらいいだろうかと考えていた時に頭をよぎったのが、2024年にグラミー賞で新設されたベスト・オルタナティブ・ジャズ・アルバム賞だった。映えある最優秀賞に選ばれたのはミシェル・ンデゲオチェロの「The Omnichord Real Book」(23)だったが、グラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーによれば、オルタナティブ・ジャズとは「ジャズ(即興、相互作用、ハーモニー、リズム、アレンジメント、作曲、スタイル)と、R&B、ヒップホップ、クラシック、現代即興、実験、ポップ、ラップ、エレクトロ/ダンスミュージック、スポークンワードなど他のジャンルを混ぜ合わせた、ジャンルを超えたハイブリッドなもの」だと定義している*。

変化し続ける今のジャズを捉えるのにぴったりではないだろうか。そしてジャズが背景にありながら突き抜けたポップを聴かせるノウワーの音楽もまさしく、オルタナティブ・ジャズと呼ぶのがふさわしいのではないか。今回のインタビューでは、ツアー初日の公演を終えたばかりのルイス・コールとジェネヴィーヴ・アルターディに、久しぶりの来日でのライブの手応えやステージ衣装へのこだわりの他、ノウワーというユニットとジャズそしてポップのつながりを伺った。

*「2024年開催の第66回グラミー賞に3つの新カテゴリーが追加」/「uDiscovermusic」日本版、2023年6月14日公開
https://udiscovermusic.jp/news/three-new-categories-added-grammy-awards

6年ぶり来日ツアー初日を終えて

——ジャパン・ツアー初日、大盛況でしたね。ノウワーとしては2018年以来6年ぶりの来日公演でもありますが、ライブの手応えはいかがでしたか?

ジェネヴィーヴ・アルターディ(以下、ジェネヴィーヴ):今回、初日ということもあり、ツアーをしている実感がすぐにはわかなかった。けれど演奏しているうちに「今、私はライブをやっているんだ」という思いが湧いてきて。特に何度も披露してきたおなじみの曲を歌った時はそう。もちろん、新しい曲を歌うのもとてもエキサイティングだった!

ルイス・コール(以下、ルイス):確かに信じられない気持ちだったね。アルバム(「KNOWER FOREVER」)を作るのもすごく長い時間をかけていて、今回はライブ・バンドでレコーディングしたんだけど、それを本当にライブでやっているという実感はやっぱりすぐには湧かなかった。まるで夢を見ているような、現実だとは思えない気分だったよ。

——昨年リリースされた新作「KNOWER FOREVER」には「ライブ・バンドでアルバムを作る」というコンセプトがありましたよね。それは、よりスムーズにライブを行うためでもあったそうですが、実際にアルバム完成後初めてのツアーを行って、スムーズにライブができたり、何か新たな発見があったりはしましたか?

ルイス:そう、アルバムそのものをライブ・バンドでレコーディングしたから、それをライブに移行することはこれまでよりもスムーズだった。でも一概に全てがスムーズになったわけじゃない。当然、難しいところもあったし、ライブをやることは常に挑戦なんだ。ただ「KNOWER FOREVER」はライブの時に劇的に変える必要がなかったから、基本的にはレコーディングした通りにライブでも演奏することができたかな。

ジェネヴィーヴ:そうね。

——新作の収録曲を中心に、過去アルバムの曲も演奏されていましたが、セットリストはあらかじめ決めていたのでしょうか? それともその場でやることを決めた曲もありましたか?

ルイス:セットリストは決めている。紙にプリントして置いていたわけじゃないけど、スマホに入れたのを見てたんだ。

——ライブではメトロノームを鳴らしていて、ジェネヴィーヴさんはヘッドセットを装着していましたね。演奏はクリックを聴きながら合わせていたのですか?

ジェネヴィーヴ:いや、私はクリックを聴いていたんじゃなくて、ヘッドセットを通して自分の声を聴いていたの。モニターから聴くと音量が大きくなりすぎてしまうから。で、どの曲も短いので、少しでも遅れると曲自体が台無しになる。だから遅れないよう正確に歌わなければいけなくて、自分の声を耳の中でじっくり聴きながら歌ってた。クリックは聴いてなかったけど、私にとってはバンド自体がメトロノームみたいな存在だった。とてもタイトな演奏をする人たちだから、リズムを完璧に保っていてくれたと思う。

ルイス:実は僕もメトロノームは聴いていなかったんだ。それよりもバンドが正しいスピードを保つことの方が僕の中では非常に大事で。そうでないと、演奏がノッてきて少しでも違うアレンジをしたら全てがおかしなことになってしまう。もし僕が速すぎたらみんなに迷惑がかかるからね(笑)。だから正しいスピードに設定したメトロノームを鳴らしてカウントオフしてから曲を始めていたんだ。

——ライブでは音源を忠実に再現することを重視していますか? それともライブならではの変化が起きることに重きを置いているのでしょうか?

ルイス:基本的にはアルバムの曲を忠実に再現しようと努めてる。特に音源の良い部分や僕が大好きな部分はライブでもたくさん演奏したいからね。でも同時にインプロヴィゼーションの余地も残しておきたい。ちょっとした瞬間にみんなが自由に変化をつけることもできるようにしたいんだ。だからそれらを混ぜていきたいと思ってるよ。

——そうした変化はバンド・メンバーによっても変わってきますよね。今回のツアー・メンバーは6年前の来日時とも、「KNOWER FOREVER」収録曲のメンバーとも若干違います。メンバーはどのように決めたのですか?

ルイス:みんな友人でありミュージシャンでもあり、もちろんミュージシャンとしても尊敬しているし、友人としても愛している人たちなんだ。ポール(・コーニッシュ/key)とサム(・ウィルクス/b)は僕らと同じLAに住んでいる。イシス(・ヒラルド/チキータ・マジック/key)は友人を通じて知り合って、最初は音楽をやるというより遊び仲間で、そこから一緒に音楽をやるようになっていった。トム(・ギル/g)は唯一、「KNOWER FOREVER」のレコーディングには参加していないメンバーで、演奏しているところを1回観ただけだったんだけど、その時に「この人はめちゃくちゃスペシャルなミュージシャンだ」と感動して。それから友人になって、今回のツアーでもお願いしたんだ。

——ノウワーのライブではファッションにもこだわりが感じられます。6年前の来日時はルイスさんがおなじみのスケルトンスーツも着用していましたが、今回はルイスさんがタンクトップ、ジェネヴィーヴさんはミニスカートで、お2人ともキャップをかぶったスポーティーな雰囲気がありました。ステージ衣装にはどのようなこだわりがありますか?

ルイス:基本的にはスーツケースいっぱいに思いつく限りの衣装を入れて持ってきて、その日のムードや気分で選ぶようにしてる。ステージの上に立った僕を見てほしいというよりも、音楽をじっくり聴いてほしいという思いの方が強いかな。だから音楽を聴いて楽しむのを邪魔しない衣装を心がけている。

ジェネヴィーヴ:私は普段はもっとガーリーな格好をしていて、ドレスやワンピースを着たり、ハイヒールを履いたりしてる。けどステージでは、特にノウワーの音楽はアスレチックなところがあるというか、ジャンプしたりもするので、そういう激しい運動ができる衣装を選んでいるかな。

——初日の公演ではスマホでステージを撮影するオーディエンスもたくさんいましたね。パフォーマンスを撮影したり、それをSNSにアップしたりすることについては、どのようなスタンスでいるのでしょうか?

ルイス:もはや世界がそうなっているので、どうしようもないと思ってる。でも何か新しいことを試す時は、これが撮られていると意識すると怖い部分も感じるかな。だから勇気を出さなくちゃならないけど、でも、もしもオーディエンスが撮影した動画があまり良くないサウンドだったとしたら、それは僕ら自身の責任だと思ってパフォーマンスしているね。

ノウワーというオルタナティブ・ジャズ

——ノウワーとジャズのつながりについて伺いたいのですが、ルイスさんは南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校で、ジェネヴィーヴさんはカリフォルニア州立大学ノースリッジ校で、お2人ともジャズを学ばれていますよね。具体的にはどのようなことを専門的に学ばれましたか?

ルイス:僕はドラムを専攻していたから、その技術的なレッスンが中心だった。でも大学でジャズを学ぶことにした一番の理由は、実は、他の若いミュージシャンたちに出会うためだったんだ。実際、そこで多くの素晴らしいミュージシャンと面識を得ることができた。例えば、サム・ゲンデルもそうだし、ピアニストのエルダー(・ジャンギロフ)やティグラン・ハマシアンもそう。他にもたくさんの、同じような考えを持った若いミュージシャンたちに出会うことができて、それは僕の人生で素晴らしい巡り合わせだった。

ジェネヴィーヴ:私の場合は少し違って、当時はまだ音楽を始めたばかりの初心者だった。だから、まずは音楽理論とか、インプロヴィゼーションのやり方、それに歌のハーモニーの作り方をたくさん学んだ。他のシンガーと一緒にボーカル・ジャズをたくさんやってみたりね。あとはビッグバンドの編曲や、クラシックのアナリーゼの授業もあった。学校はとても好きだったわ。勉強オタクみたいな感じで、たくさんのことを学ぶことができた。

——学生時代に特に研究したジャズ・ミュージシャンはいましたか?

ルイス:たくさんいる。本当に大好きなミュージシャンたち、例えばジャック・ディジョネットやトニー・ウィリアムス、キース・カーロック、それにネイト・ウッドといったドラマーたちに入れ込んだね。

ジェネヴィーヴ:私はマイルス・デイヴィスをたくさん聴いていた。他にもいろいろなサックス・プレイヤーたち、ジョー・ヘンダーソンとかソニー・ロリンズも聴き込んだわ。シンガーでいうとビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンがやっぱり大好き。実際にソロ・パートを書き起こして譜面にして自分で歌ったりしていたの。とにかく全てを吸収して身体の中に取り入れるという勉強の仕方をしていた。

——ノウワーはいわゆるジャズではないですが、ライブではジャズ・ミュージシャンならではのインプロヴィゼーションの魅力もありました。お2人にとって、ノウワーにおいて、ジャズを学んだからこそできることはどのようなことだと思いますか?

ルイス:一番大きいのはさまざまな種類のハーモニーを使っているところかな。もちろん、ジャズが持つワイルドなエネルギーも出ていると思う。ライブだと特にそうだね。でも、ジャズの歴史をさかのぼっていくと、1920〜40年代に爆発的に流行ったころは、ダンス・ミュージックないしポップ・ミュージックのようなものだと思われていたと思うんだ。だからそれがなくなってしまう必要はない。ジャズは古い音楽である必要はないし、年寄りのための音楽である必要もない。それどころか、エキサイティングで新鮮なものになり得るし、そういった気持ちを盛り上げるためのツールだと思ってる。つまり、ジャズそれ自体にポップ・ソングとしての構造みたいなものがあると思うんだ。

ジェネヴィーヴ:そうね。もちろん、ジャズとポップは完全にイコールというわけじゃない。「ポップ」ということはもともと「人気がある(popular)」という意味だから、ジャズが流行ればそれはポップと呼べるけど。私にとってジャズとポップの違いは、音楽的に言うと、ポップにはないハーモニーやメロディー、リズムがジャズにあるという点。だから、そのバランスはとても大事にしている。かつ、やっぱりインプロヴィゼーションというポップにはあまりない手法を使っている。私たちがノウワーでやっていることは、ジャズの要素を取り入れながら、それをあくまでもポップの構造の中でやっていくということ。

例えば歌詞を大事にしているのもそうだし、ポップならではのメロディーもたくさん使っている。ジャズの奥深さを極めていきつつ、どんどん極めることで逆にシンプルにすることをやっていると言えばいいかしら。シンプルでありながら同時に深みがある音楽。ジャズの持つ奥深さを、理解しやすくてエキサイティングなフォーマットに持ち込みたい。

——いわゆるジャズではないものの、ジャズを抜きには語ることができないような音楽は、これまで取り扱いが難しいものでしたが、今年グラミー賞に新設されたベスト・オルタナティブ・ジャズ賞が、まさにそうしたある意味でカテゴライズ困難なジャズを拾い上げることを可能にしたと思うんです。

ルイス:確かに!

——ルイスさんのソロ・アルバム「Quality Over Opinion」(22)もノミネートされましたよね。ノウワーも同様に、グラミー賞のカテゴリーでいえば「オルタナティブ・ジャズ」と呼ぶのが相応しい音楽ではないでしょうか?

ルイス:うん、そうだと思う。

ジェネヴィーヴ:私もオルタナティブ・ジャズを選ぶわ。

——もしもベスト・オルタナティブ・ジャズ賞がもっと前に創設されていたとしたら、お2人はどんな作品がノミネートしたと思いますか?

ルイス:ニーボディの「Kneebody」(05)。僕は彼らのファースト・アルバムが大好きなんだ。それと、デヴィッド・ビニーはいくつかあるんだけど、「Anacapa」(14)とか、アンビエント寄りの「Where Infinity Begins」(22)とかね。

ジェネヴィーヴ:トム・ギルやチキータ・マジックのアルバムも。

ルイス:(近くに座っていたチキータ・マジックことイシス・ヒラルドに向けて)チキータ、君のアルバムでどれがお気に入り?

イシス・ヒラルド:(照れ笑いを浮かべながら)「Mexico Sexi Time」(22)!

ルイス:それだ!

ジェネヴィーヴ:うん、私も「Mexico Sexi Time」を推すわ。

ルイス:僕も本当に大好き。トム・ギルだったら「Such Is Your Triumph」(11)かな。

ジェネヴィーヴ:あとペドロ・マルチンス。「Rádio Mistério」(23)。

——今挙げていただいたさまざまなアルバムは、どれもサウンドは一括りにできないと思いますが、ノウワーとの共通点を感じることはありますか?

ルイス:そうだね、音楽性は違っているけれど、精神的なところで共通点があると感じる。やっぱり僕たちがこの世界で生きていく上でやりたいことは、こういうことなんだという精神。どれもクリエイティブなエネルギーは同じというか。そういったクリエイティブなエネルギーを生み出すことによって、実際の音楽のクオリティーの面でも、美しさのようなものを持つことができると思うんだ。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

The post KNOWER(ノウワー)のルイス・コール&ジェネヴィーヴ・アルターディが語る「ジャズ」と「ポップ・ソング」の関係——「ジャズは古い音楽である必要はない」  appeared first on WWDJAPAN.

New Jeansやカイリー・ジェンナーなどからオファー相次ぐヘアメイクアップアーティスト松野仁美 ヘッドピースや3Dアートピースと表現方法を拡げる

PROFILE: 松野仁美

松野仁美
PROFILE: (まつの・ひとみ)兵庫県西宮市生まれ。ルトーア東亜美容専門学校卒業後、大阪でのヘアサロン勤務を経て上京し、MASAYUKI氏に師事。13年に独立し、ファッション誌や広告、ミュージックビデオ制作などに携わる。19年より本格的にヘッドピース制作を開始。21年に渡韓し、約1年間エンターテイメント業界を中心に活動する。22年に帰国し、ヘアメイクアップアーティスト、ヘッドピースクリエイターとして活躍する一方、3Dプリントを使ったアートピース制作を行う Instagram:@matsuno71 PHOTOS:RIE AMANO

美容師としてキャリアをスタートし、ヘアメイクアーティストのほかヘッドピースクリエイターとしても活動の場を広げる松野仁美さんは、最近は3Dプリンターを活用したアートピース制作にも力を入れる。先日は、カイリー・ジェンナー(Kylie Jenner)初のフレグランス「コズミック(COSMIC)」のイメージビジュアルにヘッドピースとリングが採用され、国内外から注目を集めた。内に秘めたクリエイティブ魂を解き放つかのように活動の場を広げるその原動力は何か、どのようにしてチャンスを掴んだか、制作現場であるアトリエで聞いた。

WWD:まずは、キャリアのスタートと経歴から教えてください

松野仁美(以下、松野):中学生の時からヘアメイクアップアーティストになりたいと思っていました。もともとファッションに興味があり、その流れでヘアメイクに興味を持ちましたが、当時はまだ想像の域を出ない程度。自分は瞬発的な集中のほうが向いていると分かっていたので、ファッションデザイナーのように長時間何かに向き合うより、ヘアメイクアップアーティストの方が合っているかな、と。今も、その時の勘は間違っていなかったと思います。大阪の美容学校を卒業し、大阪で4年間のサロン勤務を経て上京。ヘアメイクのアシスタントを約3年間務めて、13年に独立しました。アーティストのあいみょんとは同郷で地元のヒーローなのですが、独立して彼女と一緒に仕事ができたのは、いい親孝行になりました(笑)。

WWD:ヘアメイクアップアーティストとして独立してから心掛けた事は?

松野:いただいた1回の仕事が次につながるように、印象に残るようにしようと心掛けました。ただ悪目立ちしてはダメだし、馴染ませ過ぎては何も残らない。何が正解かは未だに分かりませんが、当時は、自分らしいポイントを一つ以上は入れるようにしていました。尊敬する先輩方は、激しいものでなくても何かしら目に止まるものがあったので、それに憧れ、目指しました。

WWD:松野さんの自分らしさとは?

松野:よく「かわいい」と言われます。私自身はかわいいものを作りたいとは思っていませんが、ただの「かわいい」ではない、何か私らしい色や雰囲気があるのかと思います。

WWD:なぜ、ヘッドピース制作を手掛けるように?

松野:ヘアメイクアーティストを目指した高校生の時にヘアメイクアップアーティストの加茂克也(故人)さんを知り、「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER MCQUEEN)」や「ジョン・ガリアーノ(JOHN GALLIANO)」のコレクションを見て、ファッションだけどテーマ性がある、インパクトのある表現に強く憧れました。アシスタント時代から作り始めてはいたのですが、その時はあまり探求できず、優先もしませんでした。独立してから再開し、表現したいものが形になり始めたのは2019年頃です。

フラストレーションからヘッドピース制作に

WWD:一度は止めたヘッドピース制作を、独立して再開したきっかけは?

松野:先ほど「自分らしいポイントを一つ以上は入れるように」と話しましたが、時代と共に、それすらかなわなくなったというか、渡された資料と同じものを作る事を求められ、自分の個性を押し殺さなきゃいけなくなり、何をしても学びを感じられなくなりました。だんだんフラストレーションが溜まり、もっと自分にしかできないものを探求したり、創造性のあるものを作ったりしたくなりました。もともとモノ作りへの憧れがあり、選択したのがヘアメイクだっただけ。仕事の延長線上にあるヘッドピースを制作する事で、自分のやりたい事が発揮でき、フラストレーションが溜まらなくなったんです。

WWD:そのヘッドピース制作が、徐々にビジネスになり始めたのは?

松野:21年に韓国のエンターテインメント業界に携わる人から声が掛かり、韓国で活動するようになったのがきっかけです。ちょうど環境も変えたかったし、海外に住みたいという気持ちもあったので、チャレンジしました。最近はファッション誌にアイドルが出るようになり、とくに韓国ではファッション業界とエンタメ業界がボーダ―レスになっていると感じます。ヘアメイクアップアーティストとしての仕事は順調でしたが、韓国では知り合いもおらず時間もあったので、ヘッドピースを制作しインスタグラムでつながった人たちと作品撮りも積極的に行いました。

WWD:韓国と日本では、作品撮りにも違いがある?

松野:日本では、作品撮りをするとしても、ナチュラルなテイストを求められる場合が多くて、自分のやりたいことを表現する場がありませんでした。逆に韓国では個性的なものやユニークなものなどインパクトがあるものを求められます。その時、いかに自分が今まで何もしてきていなかったか、技術が足りなかったかを痛感しましたね。ただ、作品をインスタにあげると気づいてくれる人がいて、フォトグラファーから声が掛かり、また新しい物を作って作品撮りして、それが仕事につながる。いい循環でした。

フォトグラファーのチョ・ギソクとの出会いが飛躍のきっかけ

WWD:自分の世界観を表現する韓国の作品撮りの方が、より松野さんに合っていた。

松野:そうですね。ある時、「イタリアンヴォーグ」の表紙やビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)などを撮影しているフォトグラファーのチョ・ギソク(Cho Giseok)さんと作品撮りする機会に恵まれました。彼がそれをインスタに載せてくれたのがきっかけとなって「ヘッドピースを使いたい」という連絡が来るようになり、K-POPガールズグループNew Jeans(ニュージーンズ)やRed Velvet(レッドベルベット)などとの仕事につながりました。

WWD:ヘアメイクアーティストとヘッドピースクリエイターの仕事のバランスは?

松野:ヘアメイクの仕事で収入を得て、自分のやりたい事はヘッドピースで表現すると分けて考えています。最近は、マネージャーがついて、広告の仕事など自分の作風の延長でできる仕事も増えました。

WWD:最近は活動の場もどんどん広がっている。

松野:韓国から帰国した当初は不安もありましたが、昨年はニュウマン新宿のウインドゥに作品が展示されたり、こうして取材して頂く機会が増えたり、順調にコツコツやっています。近々では、3月に東京クリエイティブサロン2024 K-BALLET TOKYO × TOMO KOIZUMIにヘアメイクアップアーティストとして参加しました。舞台のヘアメイクはミュージックビデオにも似ていて、プロフェッショナルなダンサーたちにも大いに刺激を受けたし、本当にやって良かったです。同じく3月にカイリー・ジェンナーが初のフレグランス「コズミック」を発売した際、イメージビジュアルにヘッドピースとリングが採用されました。

3Dでアートピースを制作

WWD:新しいチャレンジは?

松野:ニュウマン新宿の展示では、制作に3Dプリンターを取り入れました。もともとSFや近未来の世界に興味があり、それがインスピレーション源にもなっているので、これからも極力3Dでアートピースを制作したいと思っています。今後は、リサイクル素材を使った作品制作にもチャレンジしていきたいです。

WWD:ヘッドピースというより、アート作品を制作している印象だ。

松野:ヘッドピースにこだわっているわけではありません。もともとヘアメイクを仕事にしているから、顔まわりのパーツになりましたが、今はリングや首まわりに付けるものも作っていますし、今年は全身に装着できる立体物を作りたいと思っています。最終的にはっモノ(アート作品)だけで完結するのが目標です。モノを作って渡したら、それをどう使うかは渡した人の自由。クリエイティブ心はアートピースが完成した時点で消化しているので。

WWD:今後、表現したい事は?

松野:AIもこれだけ進んだ今、機械的過ぎるとテクノロジーに負けてしまうので、テクノロジーを利用するけれど、あまりに頼り過ぎないようにしたいです。人口的過ぎたり、無機質過ぎたりするものはあまり好きではないし、花も完璧な美しさでなく、朽ちかけた一瞬の美しさを表現したい。調和や共存を意識しつつ、自分のやり方で新しい表現を開拓したいですが、その開拓の仕方は今も模索中です。

The post New Jeansやカイリー・ジェンナーなどからオファー相次ぐヘアメイクアップアーティスト松野仁美 ヘッドピースや3Dアートピースと表現方法を拡げる appeared first on WWDJAPAN.

スニーカーブーム沈静化どこ吹く風 スイス発「オン」、急成長支えるイノベーション

PROFILE: オリヴィエ・ベルンハルド オン共同創業者兼執行役員

オリヴィエ・ベルンハルド  オン共同創業者兼執行役員
PROFILE: 1968年生まれ、スイス出身。オンの創業者3人のうちの1人。創業前はプロトライアスロン・デュアスロン選手で、1993〜2005年の間に世界選手権を3回、欧州選手権を1回、スイス選手権を15回制した。現在は、選手経験を生かした製品開発やブランドのコンセプトメーキングを主に担当している。背景のカーテンはオン ジャパンのある横浜・みなとみらいの風景が描かれており、各国で同様のオリジナルグラフィックを作っているのだという PHOTO:SUGURU TANAKA

「オン(ON)」のシューズを街で見掛ける機会が激増している。産業としてスポーツメーカーが盛んではないスイスで2010年に創業し、21年には米ニューヨーク証券取引所に上場。レアスニーカーブームが沈静化してナイキ、アディダスが苦しむ中、23年の売上高は前年比46.6%増の17億9210万スイスフラン(約3028億円)、純利益は同37.9%増の7960万スイスフラン(約134億円)で、26年には売上高35億5000万スイスフラン(約5999億円)を目指す。新勢力として成長街道を快走するが、何が短期間での躍進を可能にしているのか。来日した共同創業者の1人、オリヴィエ・ベルンハルド(Olivier Bernhard)に聞いた。(この記事は「WWDJAPAN」2024年4月22日号からの抜粋です)

WWDJAPAN(以下、WWD):創業前はプロのトライアスロン・デュアスロン選手だった。そこからオンを立ち上げた経緯は。

オリヴィエ・ベルンハルド オン 共同創業者兼執行役員(以下、ベルンハルド):5歳からレースに参加し、走ることや限界に挑戦することに喜びを感じていた。しかし、徐々に子どものころに感じた走る喜びが感じられなくなっていった。シューズには足をケガから守ることも求められるが、足を制約するのでなく、むしろ余裕を与えてパフォーマンスを高めていくような新しいランニング感覚のシューズを作れないか。そう有力スポーツメーカー数社に相談し、一緒に開発したいと伝えたら「開発チームは既にいる」と断られた。ならば自分でやるしかないと思ったのが、オン立ち上げの経緯だ。

WWD:最初の試作品では、ゴムホースを切って並べてソールにしたと聞く。雲の上を走る感覚を打ち出す、特許を持つ衝撃吸収構造“クラウドテック”に通ずるものだ。

ベルンハルド:砂や雪の上を走るときのような、滑らかな着地感覚を得たいと考えた。同時に、砂の上を走るとエネルギーが吸収されてしまい足が疲れるため、反発も得たい。ゴムホースは圧力をかけると平らになって、反発して形が元に戻るため、滑らかさと反発が両立できる。考え方はシンプルで、だからこそ他メーカーは考えなかったのかもしれない。しかし、例えばiPhoneもそうであるように、一見シンプルなものこそ実は非常に複雑な技術を要している。

時価総額は106億米ドル(約1兆6218万円)

WWD:製品開発で重視するのは。

ベルンハルド:常に心掛けているのは、(タウンユース用などでなく)まずパフォーマンス製品から開発すること。リサーチを重ねてデータを集め、新しい考え方を持ち込みイノベーションを起こす。例えばテニスシューズは(スイス出身でグランドスラム達成者の)ロジャー・フェデラー(Roger Federer)と組み開発した。ロジャーが履けるならパフォーマンスの信頼性を担保でき、消費者にとっても有益。当社の全てはイノベーションから始まる。それはサステナビリティ領域でも同様だ。

WWD:サステナビリティ領域では、循環型シューズのサブスクリプションサービス“サイクロン”を22年に本格開始した。

ベルンハルド:シューズを所有しないという考え方であり、パラダイムシフトだ。買わなければいけない、捨てなければいけないという考えを捨ててほしい。ただ、パラダイムシフトは簡単ではない。消費者に行動変容を促していく必要があるが、動画配信のサブスクサービス「ネットフリックス」が示すように、それは可能だと思っている。

WWD:創業からたった15年弱で、「ナイキ(NIKE)」「アディダス(ADIDAS)」と共に並べられるブランドになった。何がそれを可能にしたのか。

ベルンハルド:創業時、共同創業者の2人に「既に市場にはたくさんのランニングシューズがあり、これ以上は必要ない」と言われたが、ランニング感覚が従来とは違うシューズなら、消費者は求めるはずと説得した。今までなかった新しいものを生み出すイノベーションこそ、われわれの成長の源泉。あらゆる面で先駆的でありたい。

スニーカーは「これまでの売り方が古くなっただけ」

WWD:イノベーションを生み出す組織をどのように作っているのか。

ベルンハルド:私自身がアスリートであることも大きい。立ち上げ当初は知識もなかったが、自身も被験者となって、ラボでさまざまなテストを重ねてきた。早期から優れた研究者を集め、ランニングだけでなく、それ以外のスポーツにも応用できるチームを作った。今グローバルで約3000人の社員がいて、うち製品開発に関わる部門は350人ほど。チューリッヒにラボがあり、生産国のベトナムにも開発チームのメンバーがいる。会社としては、スポーツやアパレルの業界外から積極的に人を採用してきた。業界内から雇うと、過去の経験以上になりにくい。スイスにはランニングシューズメーカーの歴史がなく、だからこそ業界外から人を雇い、新鮮な考え方を持ち込む必要もあった。外部からの目線で自問自答を繰り返している。具体的には、テスラ、グーグル、レッドブル、アップルなどから来た社員もいる。

オンは非常に風通しがよくてユニークな組織だ。一番大切なものはチーム。社員皆が成長できる機会を提供しているし、自分の意見を自由に語っていい、それぞれの夢も聞きたい。そのような強いカルチャーがある。アスリートから製品改善のフィードバックを集めるように、社員のアイデアにも耳を傾ける。私も会社も挑戦することや難しいことが大好き。嵐の日の登山は晴れた日よりも難しいが、登頂した時の喜びはひとしお。チームメンバーも一緒に登っていたなら、皆で祝うことができる。

WWD:ナイキ、アディダスなど、欧米の大手スポーツ企業は直近は苦戦が目立つ。

ベルンハルド:それは何度も五輪でメダルを取ってきた選手について、なぜ今活躍していないのかと分析するようなものだ。われわれはまだ小型のスピードボートゆえ、小回りがきくが、大企業は何かあっても方向転換が難しい。ただ、イノベーションがややおざなりになっていた面はあるのでは。ブームが去り、スニーカー市場は飽和したといった報道も見るが、そうは思わない。これまでの売り方が古くなっただけだろう。大手スポーツブランドは競合ではあるものの、ライバルではない。例えばマラソンをする時、自分の周囲を走る選手からは学びがあるし、敬意を払う。大きなブランドに勝てたらうれしいが、歴史のある彼らから学ぶことは多い。

プレミアムスポーツブランドで首位目指す

WWD:さらなる成長への課題は何か。

ベルンハルド:プレミアムスポーツブランドで首位となるためには、クオリティー、パフォーマンス、サステナビリティとあらゆるものが求められる。急ピッチで伸びているため、成長痛はある。最大の課題は人材面。有能でカルチャーをさらに育んでくれる人、結果を出してくれる人を過去も今も探し続けている。イノベーションを続けるなら向こう5年は前年比3〜4割増で伸び続けると個人的には思うが、課題は続く。

WWD:スポーツブランドとファッションブランドの協業も引き続き盛んだ。

ベルンハルド:やり過ぎはよくないが、コラボレーションはそれぞれのブランドのコミュニティーをつなぐことができる。継続している「ロエベ(LOEWE)」との協業は、ハイエンドファッションとハイエンドパフォーマンスの組み合わせであり、理にかなっている。協業により、高品質や大胆なイノベーションを目指している。


サブスクで進める循環型プログラム“サイクロン”

アディダスやアシックスなど循環型スニーカーを開発する企業は増えているが、「オン」はトウゴマ種子由来の素材を主に使ったシューズ“クラウドネオ”を、月額3380円のサブスクリプションで提供している点がユニーク。定期的に走るランナーのシューズは相応に摩耗し、買い替える必要があるが、同シューズは600㎞を走れる設計で、これはシリアスランナーが3〜6カ月で走る距離に相当するという。履き古したら(または6カ月経過したら)新シューズをリクエストし、古いシューズは返却。返却後のシューズは再生可能パーツを粉砕し、新シューズや同素材のTシャツ“サイクロン-T”の原料とする。6カ月で交換した場合、1足あたりの価格は2万280円で、「オン」の他製品とほぼ同等、もしくは少し割高という設定だ。

The post スニーカーブーム沈静化どこ吹く風 スイス発「オン」、急成長支えるイノベーション appeared first on WWDJAPAN.

スニーカーブーム沈静化どこ吹く風 スイス発「オン」、急成長支えるイノベーション

PROFILE: オリヴィエ・ベルンハルド オン共同創業者兼執行役員

オリヴィエ・ベルンハルド  オン共同創業者兼執行役員
PROFILE: 1968年生まれ、スイス出身。オンの創業者3人のうちの1人。創業前はプロトライアスロン・デュアスロン選手で、1993〜2005年の間に世界選手権を3回、欧州選手権を1回、スイス選手権を15回制した。現在は、選手経験を生かした製品開発やブランドのコンセプトメーキングを主に担当している。背景のカーテンはオン ジャパンのある横浜・みなとみらいの風景が描かれており、各国で同様のオリジナルグラフィックを作っているのだという PHOTO:SUGURU TANAKA

「オン(ON)」のシューズを街で見掛ける機会が激増している。産業としてスポーツメーカーが盛んではないスイスで2010年に創業し、21年には米ニューヨーク証券取引所に上場。レアスニーカーブームが沈静化してナイキ、アディダスが苦しむ中、23年の売上高は前年比46.6%増の17億9210万スイスフラン(約3028億円)、純利益は同37.9%増の7960万スイスフラン(約134億円)で、26年には売上高35億5000万スイスフラン(約5999億円)を目指す。新勢力として成長街道を快走するが、何が短期間での躍進を可能にしているのか。来日した共同創業者の1人、オリヴィエ・ベルンハルド(Olivier Bernhard)に聞いた。(この記事は「WWDJAPAN」2024年4月22日号からの抜粋です)

WWDJAPAN(以下、WWD):創業前はプロのトライアスロン・デュアスロン選手だった。そこからオンを立ち上げた経緯は。

オリヴィエ・ベルンハルド オン 共同創業者兼執行役員(以下、ベルンハルド):5歳からレースに参加し、走ることや限界に挑戦することに喜びを感じていた。しかし、徐々に子どものころに感じた走る喜びが感じられなくなっていった。シューズには足をケガから守ることも求められるが、足を制約するのでなく、むしろ余裕を与えてパフォーマンスを高めていくような新しいランニング感覚のシューズを作れないか。そう有力スポーツメーカー数社に相談し、一緒に開発したいと伝えたら「開発チームは既にいる」と断られた。ならば自分でやるしかないと思ったのが、オン立ち上げの経緯だ。

WWD:最初の試作品では、ゴムホースを切って並べてソールにしたと聞く。雲の上を走る感覚を打ち出す、特許を持つ衝撃吸収構造“クラウドテック”に通ずるものだ。

ベルンハルド:砂や雪の上を走るときのような、滑らかな着地感覚を得たいと考えた。同時に、砂の上を走るとエネルギーが吸収されてしまい足が疲れるため、反発も得たい。ゴムホースは圧力をかけると平らになって、反発して形が元に戻るため、滑らかさと反発が両立できる。考え方はシンプルで、だからこそ他メーカーは考えなかったのかもしれない。しかし、例えばiPhoneもそうであるように、一見シンプルなものこそ実は非常に複雑な技術を要している。

時価総額は106億米ドル(約1兆6218万円)

WWD:製品開発で重視するのは。

ベルンハルド:常に心掛けているのは、(タウンユース用などでなく)まずパフォーマンス製品から開発すること。リサーチを重ねてデータを集め、新しい考え方を持ち込みイノベーションを起こす。例えばテニスシューズは(スイス出身でグランドスラム達成者の)ロジャー・フェデラー(Roger Federer)と組み開発した。ロジャーが履けるならパフォーマンスの信頼性を担保でき、消費者にとっても有益。当社の全てはイノベーションから始まる。それはサステナビリティ領域でも同様だ。

WWD:サステナビリティ領域では、循環型シューズのサブスクリプションサービス“サイクロン”を22年に本格開始した。

ベルンハルド:シューズを所有しないという考え方であり、パラダイムシフトだ。買わなければいけない、捨てなければいけないという考えを捨ててほしい。ただ、パラダイムシフトは簡単ではない。消費者に行動変容を促していく必要があるが、動画配信のサブスクサービス「ネットフリックス」が示すように、それは可能だと思っている。

WWD:創業からたった15年弱で、「ナイキ(NIKE)」「アディダス(ADIDAS)」と共に並べられるブランドになった。何がそれを可能にしたのか。

ベルンハルド:創業時、共同創業者の2人に「既に市場にはたくさんのランニングシューズがあり、これ以上は必要ない」と言われたが、ランニング感覚が従来とは違うシューズなら、消費者は求めるはずと説得した。今までなかった新しいものを生み出すイノベーションこそ、われわれの成長の源泉。あらゆる面で先駆的でありたい。

スニーカーは「これまでの売り方が古くなっただけ」

WWD:イノベーションを生み出す組織をどのように作っているのか。

ベルンハルド:私自身がアスリートであることも大きい。立ち上げ当初は知識もなかったが、自身も被験者となって、ラボでさまざまなテストを重ねてきた。早期から優れた研究者を集め、ランニングだけでなく、それ以外のスポーツにも応用できるチームを作った。今グローバルで約3000人の社員がいて、うち製品開発に関わる部門は350人ほど。チューリッヒにラボがあり、生産国のベトナムにも開発チームのメンバーがいる。会社としては、スポーツやアパレルの業界外から積極的に人を採用してきた。業界内から雇うと、過去の経験以上になりにくい。スイスにはランニングシューズメーカーの歴史がなく、だからこそ業界外から人を雇い、新鮮な考え方を持ち込む必要もあった。外部からの目線で自問自答を繰り返している。具体的には、テスラ、グーグル、レッドブル、アップルなどから来た社員もいる。

オンは非常に風通しがよくてユニークな組織だ。一番大切なものはチーム。社員皆が成長できる機会を提供しているし、自分の意見を自由に語っていい、それぞれの夢も聞きたい。そのような強いカルチャーがある。アスリートから製品改善のフィードバックを集めるように、社員のアイデアにも耳を傾ける。私も会社も挑戦することや難しいことが大好き。嵐の日の登山は晴れた日よりも難しいが、登頂した時の喜びはひとしお。チームメンバーも一緒に登っていたなら、皆で祝うことができる。

WWD:ナイキ、アディダスなど、欧米の大手スポーツ企業は直近は苦戦が目立つ。

ベルンハルド:それは何度も五輪でメダルを取ってきた選手について、なぜ今活躍していないのかと分析するようなものだ。われわれはまだ小型のスピードボートゆえ、小回りがきくが、大企業は何かあっても方向転換が難しい。ただ、イノベーションがややおざなりになっていた面はあるのでは。ブームが去り、スニーカー市場は飽和したといった報道も見るが、そうは思わない。これまでの売り方が古くなっただけだろう。大手スポーツブランドは競合ではあるものの、ライバルではない。例えばマラソンをする時、自分の周囲を走る選手からは学びがあるし、敬意を払う。大きなブランドに勝てたらうれしいが、歴史のある彼らから学ぶことは多い。

プレミアムスポーツブランドで首位目指す

WWD:さらなる成長への課題は何か。

ベルンハルド:プレミアムスポーツブランドで首位となるためには、クオリティー、パフォーマンス、サステナビリティとあらゆるものが求められる。急ピッチで伸びているため、成長痛はある。最大の課題は人材面。有能でカルチャーをさらに育んでくれる人、結果を出してくれる人を過去も今も探し続けている。イノベーションを続けるなら向こう5年は前年比3〜4割増で伸び続けると個人的には思うが、課題は続く。

WWD:スポーツブランドとファッションブランドの協業も引き続き盛んだ。

ベルンハルド:やり過ぎはよくないが、コラボレーションはそれぞれのブランドのコミュニティーをつなぐことができる。継続している「ロエベ(LOEWE)」との協業は、ハイエンドファッションとハイエンドパフォーマンスの組み合わせであり、理にかなっている。協業により、高品質や大胆なイノベーションを目指している。


サブスクで進める循環型プログラム“サイクロン”

アディダスやアシックスなど循環型スニーカーを開発する企業は増えているが、「オン」はトウゴマ種子由来の素材を主に使ったシューズ“クラウドネオ”を、月額3380円のサブスクリプションで提供している点がユニーク。定期的に走るランナーのシューズは相応に摩耗し、買い替える必要があるが、同シューズは600㎞を走れる設計で、これはシリアスランナーが3〜6カ月で走る距離に相当するという。履き古したら(または6カ月経過したら)新シューズをリクエストし、古いシューズは返却。返却後のシューズは再生可能パーツを粉砕し、新シューズや同素材のTシャツ“サイクロン-T”の原料とする。6カ月で交換した場合、1足あたりの価格は2万280円で、「オン」の他製品とほぼ同等、もしくは少し割高という設定だ。

The post スニーカーブーム沈静化どこ吹く風 スイス発「オン」、急成長支えるイノベーション appeared first on WWDJAPAN.

リナ・サワヤマが「コス」のキャンペーンに登場 ショートインタビューでファッション観を聞く

リナ・サワヤマ/シンガーソングライター

1990年生まれ、新潟出身。5歳の時に家族と共にロンドンへと移住し、進学したケンブリッジ大学で政治学と心理学の学士を取得。音楽制作は13歳から行なっていたが、大学卒業後にアーティスト活動を本格化。2017年にEP「RINA」でインディーデビューし、20年に発表した1stアルバム「SAWAYAMA」でブレイク。22年には音楽フェス「サマーソニック」で日本初のパフォーマンスを披露し、同年2ndアルバム「Hold The Girl」をリリースした

イギリス・ロンドンを拠点に活動する日本人シンガーソングライター、リナ・サワヤマ(Rina Sawayama)。R&Bやポップを下地としたサウンドを独自の世界観で昇華させた高い音楽性と共に、自身も属するLGBTQ+コミュニティをはじめ、声なき声の代弁者たるメッセージ性の強いリリックから、世界中で人気を集めるクィア・ポップスターだ。

H&Mグループの「コス(COS)」は、そんな彼女の姿勢に賛同する形で、2024年春夏シーズンのキャンペーンビジュアルのモデルに起用した。これを記念して、「WWDJAPAN」ではファッションにフォーカスしたショートインタビューを敢行。日本とイギリスという2つのバックグラウンドを持つ、彼女のファッション観とは?

ーーまずは、あなたが「コス」に対して抱いていたイメージについて教えてください。今回のコラボレーションを通じて、そのイメージは変わりましたか?それとも予想通りでしたか?

リナ・サワヤマ(以下、リナ):私にとって「コス」は、ワードローブにあるどのアイテムともコーディネートが可能な、間違いのないアイテムがいつでも手に入れることができるブランドですね。どのアイテムも長年ワードローブにありながら、時を経ても購入したばかりのような良い状態で着ることができています。今回のキャンペーンを通じて、トレンドを取り入れながらタイムレスにも着られるブランドであることを改めて知ることができました。

ーーキャンペーンビジュアルではさまざまなスタイリングを披露していましたが、気に入ったアイテムはありましたか?

リナ:ブラックドレスはドレープが美しく、ドレスアップしたいフィーマルなシーンはもちろん、ジャージー素材なのでカジュアルなシーンでも着用できるアイテムだと思いましたね。

ーーファッションブランドのビジュアルにフィーチャーされることの魅力と意義について、どう考えていますか?

リナ:ここ数シーズン、「コス」のキャンペーンに私が尊敬している才能ある人々が起用されたりと、ファッションブランドのビジュアルは世界的に年々注目度が高まっていると感じていました。その中で、私もその一員として招かれたことは本当に光栄です。

ーー現在のファッションシーンについては、どのような印象を持っていますか?

リナ:以前よりも、勇気を持って自己表現する人が増えている傾向にある気がします。

ーー自身のファッションの原体験は覚えていますか?

リナ:“実験”ですね。というのもファッションは、音楽や映画の世界と現実を行き来することで、新しいキャラクターにチャレンジできる最も重要な手段の一つでした。今の私にとっても、自己表現そのものですね。

ーーアーティストのリナ・サワヤマとしての“オン”のファッションと、日常生活の“オフ”のファッション。この2つの共通点や相違点、気を付けていることがあれば教えてください。

リナ:“オン”であるステージ衣装は、パフォーマンス中が最もパワフルな自分を体現している瞬間でもあるので、“鎧”ですね。最近、2ndアルバムの2度目のツアー「Hold The Girl: Reloaded」を終えたのですが、スタイリストでデザイナーのジャレッド・エルナー(Jared Ellner)や、素晴らしいブランドからの協力もあり、私の音楽をファッションで視覚的に具現化することができました。一方、創作活動中や“オフ”の日は、それこそ「コス」のアイテムが都会生活に適した実用性と汎用性を兼ね備えているので、頼りきっています。

ーー最後に、これまで2年周期でアルバムをリリースしてきましたが、次回作に関して公開できる情報があれば教えてください。

リナ:この3年間で、2つのアルバムをリリースし、3度のワールドツアーを終え、映画「ジョン・ウィック:コンセクエンス(John Wick: Chapter 4)」で俳優キアヌ・リーブス(Keanu Reeves)の相手役としてスクリーンデビューを果たすこともできました。だから、今は友人や家族、“Chosen family”(注:血縁等に縛られず、自身で選んだ家族の意)らと一緒に過ごしたり、訪れたことがない場所へ旅行したり、楽しく過ごしながら次回作のインスピレーションを集めている途中です。日本のファンの方々とは、6月にお会いできることを楽しみにしています!(注:NewJeansの来日公演にゲストアクトとして出演予定)

The post リナ・サワヤマが「コス」のキャンペーンに登場 ショートインタビューでファッション観を聞く appeared first on WWDJAPAN.

リナ・サワヤマが「コス」のキャンペーンに登場 ショートインタビューでファッション観を聞く

リナ・サワヤマ/シンガーソングライター

1990年生まれ、新潟出身。5歳の時に家族と共にロンドンへと移住し、進学したケンブリッジ大学で政治学と心理学の学士を取得。音楽制作は13歳から行なっていたが、大学卒業後にアーティスト活動を本格化。2017年にEP「RINA」でインディーデビューし、20年に発表した1stアルバム「SAWAYAMA」でブレイク。22年には音楽フェス「サマーソニック」で日本初のパフォーマンスを披露し、同年2ndアルバム「Hold The Girl」をリリースした

イギリス・ロンドンを拠点に活動する日本人シンガーソングライター、リナ・サワヤマ(Rina Sawayama)。R&Bやポップを下地としたサウンドを独自の世界観で昇華させた高い音楽性と共に、自身も属するLGBTQ+コミュニティをはじめ、声なき声の代弁者たるメッセージ性の強いリリックから、世界中で人気を集めるクィア・ポップスターだ。

H&Mグループの「コス(COS)」は、そんな彼女の姿勢に賛同する形で、2024年春夏シーズンのキャンペーンビジュアルのモデルに起用した。これを記念して、「WWDJAPAN」ではファッションにフォーカスしたショートインタビューを敢行。日本とイギリスという2つのバックグラウンドを持つ、彼女のファッション観とは?

ーーまずは、あなたが「コス」に対して抱いていたイメージについて教えてください。今回のコラボレーションを通じて、そのイメージは変わりましたか?それとも予想通りでしたか?

リナ・サワヤマ(以下、リナ):私にとって「コス」は、ワードローブにあるどのアイテムともコーディネートが可能な、間違いのないアイテムがいつでも手に入れることができるブランドですね。どのアイテムも長年ワードローブにありながら、時を経ても購入したばかりのような良い状態で着ることができています。今回のキャンペーンを通じて、トレンドを取り入れながらタイムレスにも着られるブランドであることを改めて知ることができました。

ーーキャンペーンビジュアルではさまざまなスタイリングを披露していましたが、気に入ったアイテムはありましたか?

リナ:ブラックドレスはドレープが美しく、ドレスアップしたいフィーマルなシーンはもちろん、ジャージー素材なのでカジュアルなシーンでも着用できるアイテムだと思いましたね。

ーーファッションブランドのビジュアルにフィーチャーされることの魅力と意義について、どう考えていますか?

リナ:ここ数シーズン、「コス」のキャンペーンに私が尊敬している才能ある人々が起用されたりと、ファッションブランドのビジュアルは世界的に年々注目度が高まっていると感じていました。その中で、私もその一員として招かれたことは本当に光栄です。

ーー現在のファッションシーンについては、どのような印象を持っていますか?

リナ:以前よりも、勇気を持って自己表現する人が増えている傾向にある気がします。

ーー自身のファッションの原体験は覚えていますか?

リナ:“実験”ですね。というのもファッションは、音楽や映画の世界と現実を行き来することで、新しいキャラクターにチャレンジできる最も重要な手段の一つでした。今の私にとっても、自己表現そのものですね。

ーーアーティストのリナ・サワヤマとしての“オン”のファッションと、日常生活の“オフ”のファッション。この2つの共通点や相違点、気を付けていることがあれば教えてください。

リナ:“オン”であるステージ衣装は、パフォーマンス中が最もパワフルな自分を体現している瞬間でもあるので、“鎧”ですね。最近、2ndアルバムの2度目のツアー「Hold The Girl: Reloaded」を終えたのですが、スタイリストでデザイナーのジャレッド・エルナー(Jared Ellner)や、素晴らしいブランドからの協力もあり、私の音楽をファッションで視覚的に具現化することができました。一方、創作活動中や“オフ”の日は、それこそ「コス」のアイテムが都会生活に適した実用性と汎用性を兼ね備えているので、頼りきっています。

ーー最後に、これまで2年周期でアルバムをリリースしてきましたが、次回作に関して公開できる情報があれば教えてください。

リナ:この3年間で、2つのアルバムをリリースし、3度のワールドツアーを終え、映画「ジョン・ウィック:コンセクエンス(John Wick: Chapter 4)」で俳優キアヌ・リーブス(Keanu Reeves)の相手役としてスクリーンデビューを果たすこともできました。だから、今は友人や家族、“Chosen family”(注:血縁等に縛られず、自身で選んだ家族の意)らと一緒に過ごしたり、訪れたことがない場所へ旅行したり、楽しく過ごしながら次回作のインスピレーションを集めている途中です。日本のファンの方々とは、6月にお会いできることを楽しみにしています!(注:NewJeansの来日公演にゲストアクトとして出演予定)

The post リナ・サワヤマが「コス」のキャンペーンに登場 ショートインタビューでファッション観を聞く appeared first on WWDJAPAN.

「ロクシタン」50周年に向けてリブランディング 渋谷店を皮切りに全世界で

「ロクシタン(L'OCCITANE)」は、2026年のブランド誕生50周年に向けてリブランディングする。商品を順次刷新するほか、渋谷店「ロクシタン・シブヤ・トーキョー(L'OCCITANE SHIBUYA TOKYO)」を4月27日にリニューアルするのを皮切りに全世界の店舗で改装を進める。ブランド発祥の地である南仏プロヴァンスの“アール・ド・ヴィーヴル(暮らしの芸術)”を表現する。

商品を販売する1階のテーマは“育む”。内壁は地層が着想源で、植物が育つ土壌や環境を再生しながら生態系を育む「ロクシタン」の取り組みを表現する。エントランスはポップアップスペースとし、3カ月ごとに変更し季節に合わせた商品を提案する。陳列する商品は従来から約半数に絞り、ミニマルかつシンプルで上質な空間をつくる。今後は随時行う商品パッケージのリニューアルを通して、これまでのポップなイメージからの転換を図る。

世界で20年に始まったリフィルファウンテンを日本で初めて導入。他店舗でも順次導入予定だ。また、19年2月から実施する空き容器の回収コーナーを引き続き設置。日本では累計69トンの空き容器を回収した。また、渋谷の象徴であるハチ公のイラストを入れた“渋谷 シアハンドクリーム”(30mL、1760円)と、富士山やダルマなどの縁起物をあしらった“JAPAN シアハンドクリーム” (30mL、1760円)を同店限定で販売する。

2、3階の「カフェ・ロクシタン・シブヤ・トーキョー(CAFE L'OCCITANE SHIBUYA TOKYO)」ではリニューアルに際し、南仏の郷土料理“白いんげん豆とソーセージ・豚肉のカスレ”(1780円)と“ロクシタン モンブラン”(1180円)を新メニューとして追加。2階は“創る”をコンセプトに、クラフトマンシップを感じられるアトリエを表現。3階は“解く(とく)”と題し、植物の研究を紐解く研究所から着想を得た。アーティストとコラボレーションしたフォトブースを用意し、3カ月ごとに入れ替える。第1弾はフラワーアーティストの宇田陽子と協業し、花々を立体造形で表現した。

店舗の外壁とカフェの内装に使用したラベンダーの造花は80%が再生原料。内装の建材にプラスチックをほとんど使わず、空調も再生エネルギーを採用した。環境に配慮した店舗や商品づくりについて木島潤子ロクシタンジャポン社長は、「押し付けがましくない形で、サステナビリティを意識してもらうきっかけにしてほしい」と話す。

渋谷は、ブランドの価値観を世界へ発信できる場所

木島社長は、「日本は『ロクシタン』にとって重要な市場だ。渋谷は国内外からの注目が集まる場所。ブランドの世界観を発信するのに適しているため、リニューアル1店舗目に選ばれた」と話す。「ロクシタン」は1976年の創設当時から、“自然と人への敬愛”を大切にしてきた。渋谷店は2006年にグローバル1000店舗目としてオープンし、リニューアルは3回目。今回の刷新について、「日本上陸26年目となり、ブランド本来の価値観を、改めて現代の解釈で届けることが求められていると思った。渋谷店は、『ロクシタン』のメッセージを世界に向けて発信し、常に顧客に感動や驚きを与え、ブランドの価値観や世界観を体感してもらえる空間にする」と続ける。

コロナ禍を経て、消費者の購買に対する価値観は変化。「本当に必要なものだけを買う“ミニマル思考”になったと感じている」。その中で「多くの上顧客の客単価が下がった。リブランディングを通して、顧客との関係性をより深めていくことを目指す。一方で、日本市場の売り上げは堅調に推移する。刷新を機に、さらに成長の勢いを上げていきたい」と語った。

The post 「ロクシタン」50周年に向けてリブランディング 渋谷店を皮切りに全世界で appeared first on WWDJAPAN.

「ロクシタン」50周年に向けてリブランディング 渋谷店を皮切りに全世界で

「ロクシタン(L'OCCITANE)」は、2026年のブランド誕生50周年に向けてリブランディングする。商品を順次刷新するほか、渋谷店「ロクシタン・シブヤ・トーキョー(L'OCCITANE SHIBUYA TOKYO)」を4月27日にリニューアルするのを皮切りに全世界の店舗で改装を進める。ブランド発祥の地である南仏プロヴァンスの“アール・ド・ヴィーヴル(暮らしの芸術)”を表現する。

商品を販売する1階のテーマは“育む”。内壁は地層が着想源で、植物が育つ土壌や環境を再生しながら生態系を育む「ロクシタン」の取り組みを表現する。エントランスはポップアップスペースとし、3カ月ごとに変更し季節に合わせた商品を提案する。陳列する商品は従来から約半数に絞り、ミニマルかつシンプルで上質な空間をつくる。今後は随時行う商品パッケージのリニューアルを通して、これまでのポップなイメージからの転換を図る。

世界で20年に始まったリフィルファウンテンを日本で初めて導入。他店舗でも順次導入予定だ。また、19年2月から実施する空き容器の回収コーナーを引き続き設置。日本では累計69トンの空き容器を回収した。また、渋谷の象徴であるハチ公のイラストを入れた“渋谷 シアハンドクリーム”(30mL、1760円)と、富士山やダルマなどの縁起物をあしらった“JAPAN シアハンドクリーム” (30mL、1760円)を同店限定で販売する。

2、3階の「カフェ・ロクシタン・シブヤ・トーキョー(CAFE L'OCCITANE SHIBUYA TOKYO)」ではリニューアルに際し、南仏の郷土料理“白いんげん豆とソーセージ・豚肉のカスレ”(1780円)と“ロクシタン モンブラン”(1180円)を新メニューとして追加。2階は“創る”をコンセプトに、クラフトマンシップを感じられるアトリエを表現。3階は“解く(とく)”と題し、植物の研究を紐解く研究所から着想を得た。アーティストとコラボレーションしたフォトブースを用意し、3カ月ごとに入れ替える。第1弾はフラワーアーティストの宇田陽子と協業し、花々を立体造形で表現した。

店舗の外壁とカフェの内装に使用したラベンダーの造花は80%が再生原料。内装の建材にプラスチックをほとんど使わず、空調も再生エネルギーを採用した。環境に配慮した店舗や商品づくりについて木島潤子ロクシタンジャポン社長は、「押し付けがましくない形で、サステナビリティを意識してもらうきっかけにしてほしい」と話す。

渋谷は、ブランドの価値観を世界へ発信できる場所

木島社長は、「日本は『ロクシタン』にとって重要な市場だ。渋谷は国内外からの注目が集まる場所。ブランドの世界観を発信するのに適しているため、リニューアル1店舗目に選ばれた」と話す。「ロクシタン」は1976年の創設当時から、“自然と人への敬愛”を大切にしてきた。渋谷店は2006年にグローバル1000店舗目としてオープンし、リニューアルは3回目。今回の刷新について、「日本上陸26年目となり、ブランド本来の価値観を、改めて現代の解釈で届けることが求められていると思った。渋谷店は、『ロクシタン』のメッセージを世界に向けて発信し、常に顧客に感動や驚きを与え、ブランドの価値観や世界観を体感してもらえる空間にする」と続ける。

コロナ禍を経て、消費者の購買に対する価値観は変化。「本当に必要なものだけを買う“ミニマル思考”になったと感じている」。その中で「多くの上顧客の客単価が下がった。リブランディングを通して、顧客との関係性をより深めていくことを目指す。一方で、日本市場の売り上げは堅調に推移する。刷新を機に、さらに成長の勢いを上げていきたい」と語った。

The post 「ロクシタン」50周年に向けてリブランディング 渋谷店を皮切りに全世界で appeared first on WWDJAPAN.

「クオン」創業者と大槌刺し子「サシコギャルズ」が、クラウドファンディングで目指す復興のその先

PROFILE: 藤原新/ムーンショット代表

藤原新/ムーンショット代表
PROFILE: (ふじわら・あらた)1978年8月16日、東京都新宿区生まれ。法政大学法学部卒業。法律に携わる仕事をしながら2010年に自身のブランド「イッシン(1sin)」をスタート。2012年4月に「デザインによる社会的課題の解決」を理念に株式会社ムーンショット(MOONSHOT)を設立。2016年に石橋真一郎をデザイナーとした「クオン(KUON)」を立ち上げ。ニューヨーク・ファッション・ウィークなどに参加。

2011年に東日本大震災の復興支援として発足した、大槌刺し子(旧:大槌復興刺し子プロジェクト)は存続の危機に陥っていた。岩手県で育まれた日本文化を守り、発展させるために動いたのが、メンズブランド「クオン(KUON)」の創業者で、ムーンショット(MOONSHOT)代表の藤原新だ。震災から13年が経ち、大槌刺し子はムーンショットと共同で新たな名前「サシコギャルズ(SASHIKO GALS)」を立ち上げ、復興支援のその先を目指す。4月30日まで実施するクラウドファンディングでは、早期に目標金額150万円を達成した。大槌刺し子が「クオン」を製作する過程を、経営者として見てきた藤原は法律に携わる一面を持ち、ソーシャルビジネスで起業し、ファッションの世界に飛び込んだ人物。そんな彼が命名したのが「サシコギャルズ」だ。伝統技術を継承し、復興支援を風化させないためにどうすべきか。プロジェクトの背景と展開について藤原に聞いた。

継続と継承の危機に陥る大槌刺し子

WWD:大槌刺し子を知ったきっかけは何ですか?

藤原新ムーンショット代表(以下、藤原):僕は2010年10月に大好きなファッションを基盤に、ソーシャルビジネスを起業するんですが、11年3月11日に東日本大震災が起きます。当初は違うアプローチを考えていましたが、震災が起きたので被災地で活動を始めます。最初は福島県南相馬市から始まり、宮城県の方に上がっていき、最終的に岩手県大槌町にたどり着き、そこで大槌刺し子と出合いました。

WWD:当時は被災地に行き、支援活動をしていたということですか?

藤原:僕はビジネスのみです。ですが、震災後という状況ですし、みなさんが今抱えている問題をどうやって解決しようというのが、ソーシャルビジネスですので、見方によっては支援活動かもしれません。だけど、ソーシャルビジネスは、長く続けていくことがとても大事です。ボランティアでは継続が難しくなってしまうので、支援をするけれども、活動がしっかり続くためには、ビジネスとして考える観点が必要だと考えていました。

WWD:今回クラウドファンディングを始めた経緯は?

藤原:大槌刺し子は、元々有志5人の方々が避難所で始めた取り組みでした。ただ、その方々がボランティアの方でしたので、当然長くは続けられません。そこで、NPO法人テラ・ルネッサンスが大槌刺し子の取り組みを引き継ぎます。けれど、彼らの活動のメインは海外での地雷の撤去や、貧困の人たちの生活支援でしたので、日本での活動だけにフォーカスをするのが難しくありました。また、NPOはビジネスを基盤にしているわけではないので、大槌刺し子だけをビジネスとして構築するのは難しい状況でした。

WWD:そのような状況で、なぜ当時の大槌刺し子は事業が継続できたのですか?

藤原:震災直後は次々と取材が来ていましたし、取材に来た方たちが大槌刺子を知ると、自然と広げてくれたんです。そうなると、多くの企業からたくさんの仕事が来ました。ただ、当然13年も経てば、当たり前ですけど、みんな忘れていきますよね。もちろん、このままではいけないと思い、オリジナルブランドをECで始めるなどしましたが、大槌刺し子のみなさんは、企画者というわけではありませんでしたし、売り上げは全盛期よりかなり減ってしまいました。今、大槌刺し子の仕事は、「クオン」の仕事の割合が多くなっています。それだけでは、大槌刺し子の事業自体が成り立たなくなってきて、加えてプロジェクトが始まってから13年経ち、職人の高齢化という課題も生まれてきました。

WWD:そこで、大槌刺し子のみなさんから具体的な相談があったのですか?

藤原:発注主側の「クオン」である僕は、大槌刺し子にはポテンシャルしかずっと感じていなかったんです。だけど、実際に話を詳しく聞くと、実は仕事量の減少や高齢化などで、「もう、このままだと大槌刺し子がなくなってしまうかもしれない」というご相談を受け、今までの発注主という立場ではなくて、同じ方向を向いて協業という形で一緒にやりましょうという話になりました。

WWD:その後、最初に考えたことは?

藤原:まず、下請けに頼らず大槌刺し子をブランド化することが一番大事だと考えました。そこで、事業として「サシコギャルズ」を立ち上げたんです。ただ、十分な資金があるわけではないので、クラウドファンディングで資金集めをしながら、「サシコギャルズ」の周知活動をしていきましょうというのが、今回クラウドファンディングを始めた経緯になります。

最初は信じてもらえなかったブランドネーム

WWD:「サシコギャルズ」のネーミングの由来は?

藤原:ギャルには賛否両論あるとは思いますが、僕は個人的にはギャルは人に対して壁を作らず、「いいものはいい」とストレートに言える子たちだと思っています。刺し子職人の40代から80代のおばあちゃんやお母さんたちが、事務所に集まってくるときは、みなさん、菓子袋を持ってくるんですよ。持ち寄って、ひと通りワイワイした後に無心になって刺し子をやります。その風景は、放課後やファミレスに集まって楽しんでいるギャルそのものだなと。この人たちのこのマインドは、間違いなくギャルだと思ったので、「サシコギャルズ」というネーミングにしました。

WWD:「サシコギャルズ」の名前を、職人のお母さんたちに初めて伝えたときの反応は?

藤原:実際に「サシコギャルズ」と伝えると、「ああ、いいね」と言ってくれたんですけど、そのときは信じてなかったみたいです(笑)。だけど、クラウドファンディングが始まる手前で、「NHK」をはじめとした取材が入ってきたときに、「サシコギャルズ」の由来を聞かれるんですよね。すると「藤原さん、本当のところ名前はなんですか?」と聞かれて、「いや、サシコギャルズだよ」と(笑)。そのときに、ネーミングの由来を伝えたら素敵だと共感してもらえ、そこからギャルの姿勢を、自分たちにオーバーラップして落とし込んでくれました。

WWD:当初設定の目標金額150万円は達成。実際に達成を知ったとき、職人たちの様子は?

藤原:「うわー!」と喜ぶ絵文字がきましたね(笑)。今までずっとOEMを中心にやっていたこともあり、「本当に支持してもらえるのか?」と、みんな不安を抱えていました。それが、実際にある程度早くクラウドファンディングの目標金額を達成したことは、すごく自信につながったと思います。
職人がブランドをメゾンにする

WWD:クラウドファンディングのリターンで、現在最も大きい支援額を集めているのがスニーカーの刺し子カスタムですが、このリターンを考案した背景は?

藤原:このプロジェクトは、大槌刺し子のビジネス化が大きな目的です。同時に、刺し子の文化をどう発展させるかということも、すごく大事なんです。「サシコギャルズ」は文化を守るというよりは、進化させる立場にいて欲しい人たちなので、従来の刺し子のイメージになかったものと考え、リターンでは今まで経験していなかったスニーカーやぬいぐるみの刺し子にトライしています。

WWD:スニーカーの刺し子カスタムを、本格的にビジネス展開する予定は?

藤原:今はクラウドファンディングで、「サシコギャルズ」の名前を広めることが大事だと思っています。今回のリターンは、どちらかというと技術を使ったサービスで、刺し子の可能性をまず伝えるためのものです。一方で、同時並行的にスポーツ、スニーカーブランドといった企業にも、お話をさせていただいています。クラウドファンディングのリターンは、あくまでお客さまのスニーカーをお預かりして刺し子をするというサービスですけれど、オフィシャルで刺し子スニーカーが出れば、やっぱりかっこいいですよね。

WWD:これまで継続してきた「クオン」と「サシコギャルズ」の今後は?

藤原:「クオン」はメゾンになりたいと思っています。デザイナーが変わろうが経営者が変わろうが、ブランドの核となる精神には職人がいるのではないでしょうか。「エルメス(HERMES)」しかり「シャネル(CHANEL)」しかりで、ブランドの価値を担保しているのは職人で、職人がブランドの価値を上げていると思っています。100年後も200年後も続いていくことが、僕らの理想の形。一人のカリスマデザイナーだけに立脚するのではなく、メゾンになりたいと思っているので、刺し子職人を僕ら「クオン」の中に入れたいんです。

WWD:「クオン」の中で職人たちが刺し子で自社のアイテムを製作しながら、外部にも刺し子をサービスとして提供していくイメージですか?

藤原:そうです。社内の事業に彼女たち職人がなっていくことが理想です。そこまで含めたビジネス展開という考えになります。今回の「サシコギャルズ」は率直に言えば「経営が厳しい、何とかしたい」という状況です。そして、僕たち「クオン」はメゾンになりたい。その思惑が一致しています。だから、「サシコギャルズ」を事業化した上で、彼女たちに「クオン」の職人になって欲しいと考えています。

ビジネスが復興支援を風化させない

WWD:復興支援を一時的なものにせず、継続していくために必要なことは?

藤原:ビジネスになっていくのが一番いいです。人が欲しい、人が必要としているのが、「モノなのか、コトなのか」という点を考えてちゃんと作り出すことが、すごく大事です。一方で、寄り添うことも非常に大事です。みなさん何かしら心に傷を抱えていることが多いので、寄り添いながら、それでいて、フェアでいることが大切です。東日本大震災のときもそうだったんですが、「支援慣れ」というのがあります。僕も南相馬から入って、その後、宮城の南三陸町へ移ったのですが、そこで帽子工場のリブランディングをお願いされたことがありました。

WWD:その取り組みはどのような結果に?

藤原:うまくいかなかったんです。なぜかと言うと、「藤原さんが全部やってくれる」となってしまったんです。それは、やっぱり無理なんですよね。工場のみなさん自身でやらなくてはいけないことはたくさんあって、だけど「藤原さんがいろいろやってくれるから」となってしまうと、そこはフェアではなくなってしまいます。だから常に寄り添いながらも、フェアであることはすごく大事だと思います。

WWD:職人の高齢化など、伝統技術には継承の課題があります。

藤原:時間の経過と町の過疎化による担い手の減少が起きています。おそらく、継承者の減少は、どの伝統技術においても直面していることですよね。日本の伝統技術としてうまくいっているのは、児島のデニムぐらいでは。あとは鯖江の眼鏡もうまくいっていますよね。

WWD:継承の課題を解決するためには?

藤原:「サシコギャルズ」のクラウドファンディングを始めると、近隣の教育現場から「授業でやりたい」というオファーをいただきました。東京にどうしても憧れる面はあると思いますが、自分たちの地場にこんなに素晴らしい技術があって、それが世界でも非常に評価されていることを、もっと知ってほしいです。今年から取り組みがはじまる予定なのです。授業で習った子たちが、そのまま「サシコギャルズ」に就職してくれたら、うれしいですね。

WWD:授業で学んだ学生が、サシコギャルズに就職することの利点とは?

藤原:もし、それが実現すれば町ぐるみで取り組めるんです。デニムの児島や眼鏡の鯖江が強いのは、行政も含めて町としてやっているからです。「一つの工房から町ぐるみで」という発展ができれば、伝統技術の継承という課題の解決に近づくのではないでしょうか。そしてその文化を、ちゃんと町の人たちが理解する。児島の人たちや鯖江の人たちは自分たちのよさを、わかっていると思うんですよね。自分たちの文化のよさを知ることは、すごく大事です。

WWD:今回のクラウドファンディングを経て、新しい展開が生まれそうですか?

藤原:先ほどお話した教育現場からのオファーもそうですし、百貨店さんから長期的なプランでのお取り組みというお話はいただいてまして、単純に何かモノを作って売るというよりは、いろんな人たちと可能性を探りながら進行していきたいです。

WWD:これからの「サシコギャルズ」の目標を教えてください。

藤原:「サシコギャルズ」が目指していることは、三つあります。一つは「刺し子の可能性を広げること」、二つめは「復興のその先を示すこと」です。復興支援事業から始まったものが、時間の経過とともに風化して失われていくことがすごく多いです。だけど、復興支援事業の中には、素晴らしい取り組みもあったはずなんですよ。でも、続かないことがほとんどでした。大槌刺し子は復興から始まったものですが、それが復興とは関係なくちゃんと続いて、ビジネスとして拡大していくところを見せることができればと思っています。

WWD:最後の三つめは?

藤原:地方創生です。大槌町だけじゃなくて、日本各地でどんどん過疎化が進んでいます。過疎化の原因は、そこに産業がないことで、それが一番の問題だと思っています。過疎化が進む町に産業を起こすことで、過疎化解決の糸口に少しでも繋がればと考えています。

The post 「クオン」創業者と大槌刺し子「サシコギャルズ」が、クラウドファンディングで目指す復興のその先 appeared first on WWDJAPAN.

パリ発ジュエラー「ジェミオ」創業者が語る好調要因 年内に表参道に出店

パリ発「ジェミオ(GEMMYO)」は2011年に誕生したジュエリーブランドだ。創業者であるポリーヌ・レニョーが、シャリフ・デブスとの婚約をきっかけに、パリ市内のジュエラーで婚約指輪を探したときのネガティブな体験をもとに設立。デジタルを駆使した受注生産で、ブライダル中心にメード・イン・フランスにこだわったジュエリーを適正価格で届けている。温かみのある接客もブランドにとって重要なポイントで、現在は自社EC以外に、フランス国内で6店舗、ブリュッセルとジュネーブに1店舗と計8つの直営店を運営。日本では,ホテルオークラ東京で毎週金曜日の午後と土曜日にアポイントメント制のブティックをオープンしている。来日したレニョー創業者に話を聞いた。

WWD:ブランドを立ち上げたきっかけと目的は?

ポリーヌ・レニョー=ジェミオ創業者(以下、レニョー):婚約者のシャリフとヴァンドーム広場のジュエラーに婚約指輪を探しに行った際、ダイヤモンドしか選択肢がないのに驚いたし、温かみに欠ける接客にがっかりした。だから、ダイヤモンド以外にも選択肢があるモダンなジュエリーブランドを作ろうと思った。サファイアやエメラルド、ルビーなど10種類以上の色石を選べるだけでなく、地金も選べ、パーソナルなカスタマイズ体験を提供。ジュエリーはメード・イン・フランスで全て受注生産だ。

WWD:ブランドのコンセプトは?

レニョー:モダンな次世代のためのジュエリーを適正価格で提供するということ。石や地金の選択肢が多く、受注後の製造過程を丁寧に顧客に伝えて、ECにおけるショッピング体験を温かみのある快適で特別なものにしている。だから、売り上げの割合は半分がEC。デジタルを駆使すると同時に、仕入れから小売りまで自社で行っているので、通常のジュエラーと比べると3~5割程度、手に取りやすい価格を実現している。金額に見合った価値を求める消費者に好評で売り上げも好調だ。

ブランド名は革新的な女性だった天皇の元明天皇から

WWD:ブランド名はどこから?

レニョー:「ジェミオ」のジェム(Gem)とは石のことで、ダイヤモンド以外のカラフルな宝石を知ってもらいたいという思いから。また、日本在住の義理の兄から偶然、女性だがパイオニア精神に満ちていた元明天皇の話を聞いた。ブランドにとって、革新性も大切な要素で、元明は“ゲンミョウ(Genmyo)”とも読めることからジェムと組み合わせて「ジェミオ」という名前にした。

WWD:デザインと製造はどのように行うか?こだわりは?

レニョー:デザインも製造もフランス国内で行う。フランスの職人が持つ手仕事の素晴らしさを知ってもらいたい。私がデザインチームを率いており、コンセプトからデザイン、製造を経てコレクション完成までに9カ月かかる。デザインのこだわりは、ジェンダーレス、快適な着け心地なので、日々着用できるということ。自然や建築などさまざまなインスピレーション源の背後にあるストーリーを大切にしている。

WWD:売れ筋アイテムと中心価格帯は?

レニョー:ブライダルでは、“レフコス”リングが売れ筋。石はグリーンサファイアやチョコレートダイヤモンドが人気で、石によるが中心価格帯は50万円程度。ジェンダーレスな“エンタイユ”コレクションも好調で、10万〜20万円程度。リングは、重ね着けして楽しめるのが特徴だ。

品質が高く人と違ったジュエリーをスマートに届ける

WWD:ターゲットは?

レニョー:国際的で都会的、経済的に自立した25~50代の女性が中心。品質が高く、人とは違ったものをスマートな方法で購入したいと思う女性。

WWD:ブランドの魅力をどのように消費者に伝えているか?

レニョー:SNSやウェブサイト。画像やビデオなど豊富なコンテンツを用意して発信するほか、インフルエンサーとも協業する。

WWD:日本に進出したきっかけと目的は?

レニョー:日本は美しい国で、市場はとても大きい。「ジェミオ」のデリケートなコンセプトは日本人女性に合うと思う。新たなジュエリーの選択肢としてアピールしたい。

WWD:日本での反応は?

レニョー:とても良い。インスタグラムを見て予約するカップルや親子が多い。

WWD:今後どのようにブランドを発展させていく?

レニョー:まずは、フランス国内でブランドを確立し、国際的に販路を拡大したい。年内には、スイスのチューリッヒと東京・表参道に路面店をオープンする。

The post パリ発ジュエラー「ジェミオ」創業者が語る好調要因 年内に表参道に出店 appeared first on WWDJAPAN.

アダストリア木村社長とベンチャーの旗手オアシス関谷社長が「グローバルワーク」✕「WWS」異例コラボを語り尽くす

アダストリアの基幹ブランド「グローバルワーク(GLOBAL WORK)」が、“スーツに見える作業着”として知られるオアシスライフスタイルグループの「WWS (ダブリューダブリューエス)」とコラボレーションした商品を4月26日から発売する。2型からスタートする、一見小さな取り組みだが、実は両者にとって大きな可能性を秘めたプロジェクトでもある。

グローバルワークは2024年2月期に売上高が前期比13.3%増の516億円となり、500億円を突破。期末店舗数は219店舗になった。1000億円達成に向けて、長く愛される日常着を突き詰め、強い看板商品の開発や店舗の大型化やオペレーションの進化などに取り組み、その名の通りグローバルな展開を目指している途上だ。セットアップ、そして、「WWS」との協業が、その起爆剤の一つになるのか。アダストリアの木村治社長と、太田訓・執行役員「グローバルワーク」営業本部長、オアシスライフスタイルグループの関谷有三社長が語る、シナジー&両社の強みとは?

異例のコラボのきっかけは?

WWD:協業のきっかけは、1年ほど前に小売業や飲食業の経営者が集まる食事会で、アダストリアの木村治社長とオアシスの関谷有三社長が出会ったことだと聞く。

木村治アダストリア社長(以下、木村):「グローバルワーク」や「ニコアンド」でセットアップを扱ってきたことや、飲食担当をしていることなどもあり、「WWS」や「春水堂」には目を留めていた。会ってみたら、自ら著書(「なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?」フォレスト出版刊)を持ってきて宣伝したりと、関谷社長自身が面白い方だった(笑)。

関谷有三オアシスライフスタイルグループ社長(以下、関谷):すごい大御所が集まる中で、アダストリアは『ライフスタイル界の巨人』であり、憧れの会社。木村社長もメディアなどで姿を拝見していたが実際にお目にかかると、とても気さくに声をかけていただき、渋谷ヒカリエにあるオフィスに遊びにおいでよと声をかけていただいたので、すぐに行った。ただ、そのときはコラボできたら面白いなとは思いつつ、実際には価格帯も規模も違うし、どういうアウトプットになるかはわからないというのが正直な気持ちだった。

ファンクショナルなボーダレスウエアでつながった
「グローバルワーク」と「WWS」の可能性

木村:「『WWS』の認知度を上げたい」という課題が話に出たので、だったらうちのブランドとコラボしたらいいのでは?と。アダストリアには多くのブランドがあるが、お客さまの層が幅広く、セットアップに力を入れている「グローバルワーク」が良い、とその場で太田を呼んでバトンを渡した。

基本的に、人との出会いをどう会社や事業につなげるかが僕の仕事であり、一番のチャンスになる。今回は関谷さんと「WWS」を、太田と「グローバルワーク」につないだが、実際にはそうした出会いをどうするかは任せた人間次第。任したスタッフは決して無理してやる必要はないと思っているが、こういったことはタイミングもとても重要だ。だから僕自身はなぜ今なのかを常に考え、やると決めたらすぐに動くようにしている。

太田訓アダストリア執行役員「グローバルワーク」営業本部長(以下、太田):「WWS」は業界内でも話題になっていたので知ってはいたが、マーケットも価格帯も異なるのでコンペティター(競合)とは思っていなかった。「スーツに見える作業着」というコンセプトも面白いし、売り方も斬新だなと思っていた。急遽同席したときにすぐ、「WWS」の独自素材「アルティメックス」を見て、これはすごいと思ったし、多様なライフスタイルに寄り添うボーダレスウエアブランドを目指す「WWS」のコンセプトにも共感した。

「グローバルワーク」では、こだわり抜いた日常着を提案するため、3つのFをフィロソフィーに掲げている。“ファッション”と、機能性の“ファンクション”、そして、日常生活で肌触りや質感、着心地を感覚的に〝良い〟と感じられる“フィーリング”だ。「WWS」のファンクションとは親和性を感じたし、私たちが職業やシーン、季節に関係なく着用できるシーンレスなアイテムの提供に向け、「ボーダレスウエア」を新しいキーワードとして定義できると思った。共感をベースに、お互いの強みを掛け算したら面白いことができるのではと考えた。純粋にお客さまにとって良い商品ができたので、多くの方々に体験して喜んでいただきたい。

アダストリアのノウハウで「WWS」を異例の半額で提供

WWD:「WWS」はセットアップで3万5000円。今回は同じ「アルティメックス」、“WWSアラエルソッカン”のジャケットで1万890円、スラックスで7920円と、半額に近い価格を実現している。商品の特徴やこだわりのポイントは?

太田:第1弾では定番のセットアップを作った。テキスタイルは、撥水性や速乾性、ストレッチ性があり、しわになりにくく、毎日洗濯機で丸洗いできるイージーケアという、「WWS」が独自開発した最高級の多機能素材「アルティメックス」を使った。しっとりした質感で、マットで、上品な光沢感と張りがある。「WWS」のメインラインはテーラードに近い形なので、コラボ商品では腰の後ろ側にゴムを入れるなど形やシルエットは「グローバルワーク」で実績のあるパターンを使用し、幅広いお客さまが着やすいようにした。

注力したのは、お互いのブランドの良さを大切にし、表現するかということ。Dカンや、内ポケットにファスナーを付けるなど、作業着として打ち出す「WWS」のコンセプトやこだわりのディテールを反映させた。ストレッチ性がとても高いので縫製が難しかったが、お付き合いしている取引先工場でしっかりした商品を作れた。

関谷:水道屋が開発した「スーツに見える作業着」は、6年目で累計25万着のセットアップを販売し、ブランド年商は10億円に育った。店舗やECだけでなく、2500社の法人にも愛用していただいている。ここまでアクティブスーツ市場が盛り上がってくるとは思っていなかったが、僕たちが機能系セットアップスーツの元祖だという自負がある。

僕らベンチャーの弱みではあるが、ロットの問題で、どんなに頑張っても超えられない価格の壁があった。「アルティメックス」は国産品で、原価もめちゃめちゃ高い。それが今回、アダストリアのノウハウや生産背景を活用することで、パターンも含めてビックリするぐらいハイクオリティのものをロープライスで作ることができた。正直これは本当に驚きだったし、この掛け算は経営者としてとても勉強になった。

WWD:カジュアルのイメージがある「グローバルワーク」の中で、どのような売り方をしていくのか?

木村:実は「グローバルワーク」では数年前からリングヂャケットと協業し、本格的なテーラリングと高見えする素材によりハイクオリティ、ハイコストパフォーマンスを追求したドレスクロージングライン「サロン ド グローバルワーク (Salon de GW)」を展開してきた。シーズンにもよるが、3ピースのセットアップからジャケット、パンツ、シャツ、ニット、ネクタイまで販売している実績がある。これも含めてセットアップ系の商品はかなり提供してきたが、まだその認知が薄い。今回のコラボは「WWS」の力を借りて、セットアップでも信頼がおけるブランドだということを訴求する好機になると思う。

太田:今回は「グローバルワーク」の30店舗と、自社の「ドットエスティ(.st)」、楽天、ZOZOのEC3モールで販売する。私たちの強みは、多くのお客さまが実際にいらっしゃり、手にとっていただけるリアル店舗があること。その店頭で「WWS」とのコラボがわかるように、素材やディテールのこだわり、商品メリットをしっかり伝えられる売り方を準備している。

関谷:「スーツに見えますが、作業着です」というコピーもしっかりと打ち出してもらう(笑)。第1弾もいいものが出来たが、第2弾でさらに「グローバルワーク」の真骨頂を感じた。「WWS」ではこれまでカジュアルのアイテムを展開してこなかったし、その知見もなかったが、第2弾はなんと、カジュアルアイテムと雑貨。僕らの「アルティメックス」を使ったカジュアルアイテムがどのようなものになるのか興味深いし、ここからも本当に多くのことを学ばせていただいた。

太田:今日木村が着ている、羽織にもなる半袖シャツや布帛Tシャツ、ショートパンツ、キャップ、サコッシュを用意する。もともと夏場によく売れるアイテムだが、機能性も高く、街中を歩けるキレイ目なカジュアルとして、仕事にもレジャーにも活用いただけると思う。

アダストリアのスピード感に、ベンチャーの旗手も「びっくり」

WWD:協業する中で驚いたことや、期待することは何か?

関谷:スピード感と的確性だ。僕らはベンチャーなのでスピード感や機動力で大手企業に挑んできた。だけどアダストリアは大きな会社なのに、木村さんのダイナミックな動き方や、太田さんのジャッジの速さ、そして、現場の方々のサンプルを上げる速度、修正するスピードなどが尋常でないぐらい早くて。「ミスター・ベンチャー」の僕でもびっくりした(笑)。そして、ふわっとしたリクエストに対してもディテールまでものすごく的確に返ってきて、サンプルの修正もビシッと上がってきて、さすがだなと感じた。

コストダウンに対しても並々ならぬ企業努力をしていた。アダストリアという会社と「グローバルワーク」というブランドのすごさの理由がわかった。手に届きやすい価格で顧客に提供してもらえることで、僕らみたいなニッチなブランドを知っていただけるのはすごくありがたいし面白い。ホリエモンや田村淳さん、マコなり社長など著名人も含めて、熱狂的なお客さまがいるが、これだけ安くてブランドのコンセプトやクオリティーを踏襲したとてつもなくいいものが出来てしまったので、驚かれると思うし、瞬殺・即完売だと思う。新しいお客さまに「WWS」を知っていただくことも含めて、どういう反応がいただけるか、「令和のヒットメーカー」としても楽しみにしている(笑)。

太田:通常、素材探しを含めて開発には半年以上かかったり、協業ではお互いをリスペクトしあいながらコンセプトを決定したりアプローバルを取ったりするのに時間がかかりがち。けれども今回は共通点が多くてコンセプトも明確だったので、異例のスピード感で進めることができた。

この数年はビジネスをしっかりと確立して上昇気流に乗せていくことにフォーカスしてきた。商品開発においては、ブランドの世界観というよりも、完成された単品を追求し、お客さまのニーズに応える商品を創り上げていくことにフォーカスし、研ぎ澄まされた仕事をしているところだ。その積み重ねを行うとともに、主力商品との掛け算で強みを生かせる取り組みも積極的に行っていきたい。

木村:関谷社長は『大きい会社』と言ってくれていたが、僕自身、アダストリアが大きな会社だという意識はまったくない。コラボももっと積極的にやろうとしているし、もっともっと楽しいことをやろうとしている。チャンスを生かすにはクイックさは必要不可欠。スピード感を増しながら、ますますご縁を大切する会社にしていきたい。

The post アダストリア木村社長とベンチャーの旗手オアシス関谷社長が「グローバルワーク」✕「WWS」異例コラボを語り尽くす appeared first on WWDJAPAN.

アダストリア木村社長とベンチャーの旗手オアシス関谷社長が「グローバルワーク」✕「WWS」異例コラボを語り尽くす

アダストリアの基幹ブランド「グローバルワーク(GLOBAL WORK)」が、“スーツに見える作業着”として知られるオアシスライフスタイルグループの「WWS (ダブリューダブリューエス)」とコラボレーションした商品を4月26日から発売する。2型からスタートする、一見小さな取り組みだが、実は両者にとって大きな可能性を秘めたプロジェクトでもある。

グローバルワークは2024年2月期に売上高が前期比13.3%増の516億円となり、500億円を突破。期末店舗数は219店舗になった。1000億円達成に向けて、長く愛される日常着を突き詰め、強い看板商品の開発や店舗の大型化やオペレーションの進化などに取り組み、その名の通りグローバルな展開を目指している途上だ。セットアップ、そして、「WWS」との協業が、その起爆剤の一つになるのか。アダストリアの木村治社長と、太田訓・執行役員「グローバルワーク」営業本部長、オアシスライフスタイルグループの関谷有三社長が語る、シナジー&両社の強みとは?

異例のコラボのきっかけは?

WWD:協業のきっかけは、1年ほど前に小売業や飲食業の経営者が集まる食事会で、アダストリアの木村治社長とオアシスの関谷有三社長が出会ったことだと聞く。

木村治アダストリア社長(以下、木村):「グローバルワーク」や「ニコアンド」でセットアップを扱ってきたことや、飲食担当をしていることなどもあり、「WWS」や「春水堂」には目を留めていた。会ってみたら、自ら著書(「なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?」フォレスト出版刊)を持ってきて宣伝したりと、関谷社長自身が面白い方だった(笑)。

関谷有三オアシスライフスタイルグループ社長(以下、関谷):すごい大御所が集まる中で、アダストリアは『ライフスタイル界の巨人』であり、憧れの会社。木村社長もメディアなどで姿を拝見していたが実際にお目にかかると、とても気さくに声をかけていただき、渋谷ヒカリエにあるオフィスに遊びにおいでよと声をかけていただいたので、すぐに行った。ただ、そのときはコラボできたら面白いなとは思いつつ、実際には価格帯も規模も違うし、どういうアウトプットになるかはわからないというのが正直な気持ちだった。

ファンクショナルなボーダレスウエアでつながった
「グローバルワーク」と「WWS」の可能性

木村:「『WWS』の認知度を上げたい」という課題が話に出たので、だったらうちのブランドとコラボしたらいいのでは?と。アダストリアには多くのブランドがあるが、お客さまの層が幅広く、セットアップに力を入れている「グローバルワーク」が良い、とその場で太田を呼んでバトンを渡した。

基本的に、人との出会いをどう会社や事業につなげるかが僕の仕事であり、一番のチャンスになる。今回は関谷さんと「WWS」を、太田と「グローバルワーク」につないだが、実際にはそうした出会いをどうするかは任せた人間次第。任したスタッフは決して無理してやる必要はないと思っているが、こういったことはタイミングもとても重要だ。だから僕自身はなぜ今なのかを常に考え、やると決めたらすぐに動くようにしている。

太田訓アダストリア執行役員「グローバルワーク」営業本部長(以下、太田):「WWS」は業界内でも話題になっていたので知ってはいたが、マーケットも価格帯も異なるのでコンペティター(競合)とは思っていなかった。「スーツに見える作業着」というコンセプトも面白いし、売り方も斬新だなと思っていた。急遽同席したときにすぐ、「WWS」の独自素材「アルティメックス」を見て、これはすごいと思ったし、多様なライフスタイルに寄り添うボーダレスウエアブランドを目指す「WWS」のコンセプトにも共感した。

「グローバルワーク」では、こだわり抜いた日常着を提案するため、3つのFをフィロソフィーに掲げている。“ファッション”と、機能性の“ファンクション”、そして、日常生活で肌触りや質感、着心地を感覚的に〝良い〟と感じられる“フィーリング”だ。「WWS」のファンクションとは親和性を感じたし、私たちが職業やシーン、季節に関係なく着用できるシーンレスなアイテムの提供に向け、「ボーダレスウエア」を新しいキーワードとして定義できると思った。共感をベースに、お互いの強みを掛け算したら面白いことができるのではと考えた。純粋にお客さまにとって良い商品ができたので、多くの方々に体験して喜んでいただきたい。

アダストリアのノウハウで「WWS」を異例の半額で提供

WWD:「WWS」はセットアップで3万5000円。今回は同じ「アルティメックス」、“WWSアラエルソッカン”のジャケットで1万890円、スラックスで7920円と、半額に近い価格を実現している。商品の特徴やこだわりのポイントは?

太田:第1弾では定番のセットアップを作った。テキスタイルは、撥水性や速乾性、ストレッチ性があり、しわになりにくく、毎日洗濯機で丸洗いできるイージーケアという、「WWS」が独自開発した最高級の多機能素材「アルティメックス」を使った。しっとりした質感で、マットで、上品な光沢感と張りがある。「WWS」のメインラインはテーラードに近い形なので、コラボ商品では腰の後ろ側にゴムを入れるなど形やシルエットは「グローバルワーク」で実績のあるパターンを使用し、幅広いお客さまが着やすいようにした。

注力したのは、お互いのブランドの良さを大切にし、表現するかということ。Dカンや、内ポケットにファスナーを付けるなど、作業着として打ち出す「WWS」のコンセプトやこだわりのディテールを反映させた。ストレッチ性がとても高いので縫製が難しかったが、お付き合いしている取引先工場でしっかりした商品を作れた。

関谷:水道屋が開発した「スーツに見える作業着」は、6年目で累計25万着のセットアップを販売し、ブランド年商は10億円に育った。店舗やECだけでなく、2500社の法人にも愛用していただいている。ここまでアクティブスーツ市場が盛り上がってくるとは思っていなかったが、僕たちが機能系セットアップスーツの元祖だという自負がある。

僕らベンチャーの弱みではあるが、ロットの問題で、どんなに頑張っても超えられない価格の壁があった。「アルティメックス」は国産品で、原価もめちゃめちゃ高い。それが今回、アダストリアのノウハウや生産背景を活用することで、パターンも含めてビックリするぐらいハイクオリティのものをロープライスで作ることができた。正直これは本当に驚きだったし、この掛け算は経営者としてとても勉強になった。

WWD:カジュアルのイメージがある「グローバルワーク」の中で、どのような売り方をしていくのか?

木村:実は「グローバルワーク」では数年前からリングヂャケットと協業し、本格的なテーラリングと高見えする素材によりハイクオリティ、ハイコストパフォーマンスを追求したドレスクロージングライン「サロン ド グローバルワーク (Salon de GW)」を展開してきた。シーズンにもよるが、3ピースのセットアップからジャケット、パンツ、シャツ、ニット、ネクタイまで販売している実績がある。これも含めてセットアップ系の商品はかなり提供してきたが、まだその認知が薄い。今回のコラボは「WWS」の力を借りて、セットアップでも信頼がおけるブランドだということを訴求する好機になると思う。

太田:今回は「グローバルワーク」の30店舗と、自社の「ドットエスティ(.st)」、楽天、ZOZOのEC3モールで販売する。私たちの強みは、多くのお客さまが実際にいらっしゃり、手にとっていただけるリアル店舗があること。その店頭で「WWS」とのコラボがわかるように、素材やディテールのこだわり、商品メリットをしっかり伝えられる売り方を準備している。

関谷:「スーツに見えますが、作業着です」というコピーもしっかりと打ち出してもらう(笑)。第1弾もいいものが出来たが、第2弾でさらに「グローバルワーク」の真骨頂を感じた。「WWS」ではこれまでカジュアルのアイテムを展開してこなかったし、その知見もなかったが、第2弾はなんと、カジュアルアイテムと雑貨。僕らの「アルティメックス」を使ったカジュアルアイテムがどのようなものになるのか興味深いし、ここからも本当に多くのことを学ばせていただいた。

太田:今日木村が着ている、羽織にもなる半袖シャツや布帛Tシャツ、ショートパンツ、キャップ、サコッシュを用意する。もともと夏場によく売れるアイテムだが、機能性も高く、街中を歩けるキレイ目なカジュアルとして、仕事にもレジャーにも活用いただけると思う。

アダストリアのスピード感に、ベンチャーの旗手も「びっくり」

WWD:協業する中で驚いたことや、期待することは何か?

関谷:スピード感と的確性だ。僕らはベンチャーなのでスピード感や機動力で大手企業に挑んできた。だけどアダストリアは大きな会社なのに、木村さんのダイナミックな動き方や、太田さんのジャッジの速さ、そして、現場の方々のサンプルを上げる速度、修正するスピードなどが尋常でないぐらい早くて。「ミスター・ベンチャー」の僕でもびっくりした(笑)。そして、ふわっとしたリクエストに対してもディテールまでものすごく的確に返ってきて、サンプルの修正もビシッと上がってきて、さすがだなと感じた。

コストダウンに対しても並々ならぬ企業努力をしていた。アダストリアという会社と「グローバルワーク」というブランドのすごさの理由がわかった。手に届きやすい価格で顧客に提供してもらえることで、僕らみたいなニッチなブランドを知っていただけるのはすごくありがたいし面白い。ホリエモンや田村淳さん、マコなり社長など著名人も含めて、熱狂的なお客さまがいるが、これだけ安くてブランドのコンセプトやクオリティーを踏襲したとてつもなくいいものが出来てしまったので、驚かれると思うし、瞬殺・即完売だと思う。新しいお客さまに「WWS」を知っていただくことも含めて、どういう反応がいただけるか、「令和のヒットメーカー」としても楽しみにしている(笑)。

太田:通常、素材探しを含めて開発には半年以上かかったり、協業ではお互いをリスペクトしあいながらコンセプトを決定したりアプローバルを取ったりするのに時間がかかりがち。けれども今回は共通点が多くてコンセプトも明確だったので、異例のスピード感で進めることができた。

この数年はビジネスをしっかりと確立して上昇気流に乗せていくことにフォーカスしてきた。商品開発においては、ブランドの世界観というよりも、完成された単品を追求し、お客さまのニーズに応える商品を創り上げていくことにフォーカスし、研ぎ澄まされた仕事をしているところだ。その積み重ねを行うとともに、主力商品との掛け算で強みを生かせる取り組みも積極的に行っていきたい。

木村:関谷社長は『大きい会社』と言ってくれていたが、僕自身、アダストリアが大きな会社だという意識はまったくない。コラボももっと積極的にやろうとしているし、もっともっと楽しいことをやろうとしている。チャンスを生かすにはクイックさは必要不可欠。スピード感を増しながら、ますますご縁を大切する会社にしていきたい。

The post アダストリア木村社長とベンチャーの旗手オアシス関谷社長が「グローバルワーク」✕「WWS」異例コラボを語り尽くす appeared first on WWDJAPAN.

映像ディレクター・上出遼平の「ありえない仕事術」 「10年先、20年先を見据えて、今からどうあるべきかを考える」

PROFILE: 上出遼平

上出遼平
PROFILE: (かみで・りょうへい)ディレクター、プロデューサー、作家。1989年東京都生まれ。ドキュメンタリー番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画から撮影、編集まで全工程を担う。同シリーズはポッドキャスト、書籍、漫画と多展開。ほかにも担当作品としてポッドキャスト番組「上出遼平 NY御馳走帖」や小説「歩山録」(講談社)などがある。

フリーのディレクターとして、テレビ番組からファッションブランドの動画制作まで、精力的に活動する上出遼平が、「これまで何度も依頼はあったが、全て断ってきた」という仕事論をテーマにした本をついに上梓。そのタイトルは「ありえない仕事術 正しい“正義”の使い方」(徳間書店)。

2022年6月におよそ11年間勤めたテレビ東京を退社し、2023年の夏にはニューヨークへ拠点を移した。テレビ東京時代にはディレクター/プロデューサーとしてドキュメンタリー番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート」や、深夜の停波枠に放送された「蓋」を手掛けたほか、作家としても書籍版「ハイパーハードボイルドグルメリポート」(朝日新聞出版)に、山岳小説「歩山録」(講談社)といった著作もある。

今回、断り続けてきた仕事論を執筆することに決めた経緯も含め、その生い立ちから仕事への向き合い方まで、現在の上出遼平がいかにして形づくられたのかを探る。

——ニューヨークでの暮らしぶりはいかがですか?

上出遼平(以下、上出):昨年の夏に引っ越して、ようやく半年たったくらいなので、暮らしぶりを語れるほど住んではいないんですよ。何の予想もせずに行ったので、とくに予想外の話とかもなく。強いて言うなら、思いのほか東京にいる時間が長くて家賃がもったいないなと。

——差し支えなければ、住んでいるエリアはどんな雰囲気なのでしょうか。

上出:マンハッタンの南東で高層ビルが立ち並ぶ経済エリアと、若者が集まるような文化エリアのちょうど狭間ですね。なので、スーツを着たビジネスマンもいれば、その間をスケーターがすべっている感じで、居心地はいいです。

——改めて、ニューヨークへの移住を決めた理由としては?

上出:自分も会社を辞めて、妻も会社員ではないので、東京に住む理由もないな、というくらいで、本当に何の計画性もないんですよ。

——ニューヨーク市民から日本人へのまなざしは、どう感じていますか?

上出:そこは本当に人によるというか、コミュニティーによりますね。僕が仕事で関わっている食やファッションのコミュニティーにいる人たちは日本にも興味を持っていますが、それ以外のコミュニティーの人たちにとっては、それほど関心もなさそうで、良くも悪くも特別な視線はないと思います。

ファッション関係者には「ギャルソン」や「ヨウジ」の服を着ている人はたくさんいますし、日本食のお店も次々にオープンしています。文化的なところだと、アニメが強いのは間違いないですが、話題にされるのは「AKIRA」とか「ポケモン」とか定番の作品だったりするので、最新作が注目されている、という感じではなさそうです。

仕事本ってどんだけ需要あるんだよ、そんなに売れるのかよ

——このたび刊行された「ありえない仕事術」について、なぜ仕事術をテーマにした本を書こうと?

上出:仕事術やビジネスをテーマにした本の執筆自体は、これまでに何社からも依頼をいただいていて、僕自身はそんな本を書く気はさらさらなかったので、全て断っていたんです。ただ、依頼が来ては断る、みたいなフェーズも1周したかな、というタイミングでまた依頼が来たので、どんだけ仕事術の本って需要あるんだよ、そんなに売れるのかよ、と思いまして。もともと僕は文章を書いて飯を食っていくことに強い憧れがあり、そういう意味でも、仕事本を書くことは避けて通れないんだなという感じもしたので、それなら自分なりのやり方で書いてみようと思いました。

——その「自分なりのやり方」というのが、本書における2部構成、第1部が仕事との向き合い方を綴った仕事論で、第2部が「死の肖像」というドキュメンタリーシリーズを制作する現場の“ルポルタージュ”という形式になったと。

上出:あえて簡単に言うと、僕自身が本に期待するのは物語を読むことで、自分が書きたいのも物語なんです。それは一般的な仕事術を記した本とは真逆のものなので、そこにどう折り合いをつけるか、というのがこの本でやったことですね。

——文筆業への憧れ、あるいは物語への関心は、いつ頃から芽生えたのでしょう。

上出:本を読むことの喜びは幼少期から感じていました。子どもの頃に買ってもらった、半分絵本みたいな「十五少年漂流記」は擦り切れるほど読みましたし。たとえ家のベッドの中にいても、本があればどこにでも行ける、その“旅”への没入感に完全にほれ込んだんです。もはや、それ以上の喜びはないんじゃないかっていうくらいに。その原体験があるので、一度はテレビ局の社員になりましたけど、今こうして文章を書くことを仕事にできているのは、むしろテレビ番組を作るよりも自然なことだと感じています。

勉強でガチガチの中学時代、パンクに出会ってしまった

——読書だけではなく、学生時代にはパンクバンドを組んだり、音楽にも夢中になっていたんですよね。

上出:高校生の頃にはバンドまがいのこともしていましたが、それはパンクの態度に憧れていたんです。一般的な正しさの外側にある価値観というか。というのも、中学時代、僕めっちゃ勉強してたんですよ。普通に公立中学に入って、人生で最初の試験、1年生の中間テストで学年1位になったんです。そうしたら親が大喜びで、これが正解なんだと思ってしまった。呪いの始まりです。それからは、中学生のくせにテスト前には徹夜して、教科書は全て暗記、校内1位を維持するために勉強しまくり。もう頭の中それしかない、みたいな。

そんなガチガチになっている時に、パンクに出会ってしまった。例えば、オナニーマシーンという名前からしていかがわしいバンドがいるのですが、メンバーは自分の父親と同じ歳くらいの大人なのに、ライブでは全裸になって酒を飲みながらステージで大暴れするんです。しかもお客さんたちはその光景に熱狂している。勉強ばっかりしていた自分にはあまりに衝撃で、その落差にやられました。

——1つ文化の扉が開くと、次々に連鎖していきますよね。

上出:パンクと出会ったのは兄の影響なのですが、兄はいわゆる伝統的な不良文化もかじっていたので、漫画の「特攻の拓」とかを借りて読んで、バイクにも興味を持ちました。パンクとバイクは隣接しているので、ヤフオクで安い革ジャンを買ったりして。それで、高校1年の時だったかな、池袋の手刀(チョップ)というライブハウスで、「革ジャン反抗期」なるイベントがあって観に行ったんです。そこで、ザ★ダッチワイフというパンクバンドをやっている不良の先輩と出会いました。その人は和彫にアイパーみたいな、普段は伝統的不良ファッションなんですけど、ライブハウスに行く時は革ジャン、みたいなスタイルで、かっこよかったんです。クリスマスに彼の家に泊まり込んでバイクの改造をしたり、集会に連れて行ってもらったりもしました。

ただ、高校にはほとんど友達いなかったですけどね。金髪にツナギや革ジャンで学校に行っていたので、明らかに浮きまくってました。夜はライブハウスに行って、明け方まで打ち上げにも参加して、駅のベンチで寝て、それでも勉強はちゃんとして。とはいえ、高校の後半はだいぶ不良文化からは離れていったんです。このまま極まっていくとまずいぞ、とも感じていたので、大学にはちゃんと行こうと。

——その後、早稲田大学の法学部に進学、少年犯罪や少年非行の事例を研究していたと。

上出:はい。10代の頃に自分が非行の道に片足を突っ込んだ経験もあって、まわりには逮捕されたりする仲間もいましたし、僕自身かなりの人に迷惑もかけました。そのことはもう取り返しがつかないので、せめて、なぜそういう少年が生まれるんだろうとか、悪ってなんだとか、少年犯罪や少年法について勉強してみようと思ったんです。他人事ではなく、犯罪傾向のあったかつての自分を肯定したかった、自分が非行に走った理由を知りたかった、というのも大きいです。

——少年院へ取材に行ったりもしたんですよね。

上出:少年院にも行きましたし、あとは、日本全国にある薬物依存症の自立支援施設、ダルクやアパリもまわったりしてました。足を運んで話を聞いたり、現場を見に行けるのは大学生のうちだけだろうと思っていたので。

トラブルが起きると上の人間が現場からさっといなくなる

——そんな大学生活から、テレビ東京へ入社することになった経緯は?

上出:少年犯罪の研究のほかにも、中国の山奥にある元ハンセン病患者が隔離されている村へ行ってボランティアをしたりもしていたんです。そのつながりで、大学3年の時に出入りしていたコミュニティーが、学生によるNGOだったりもしたので、そういう学生は新聞社とかメディア企業との親和性が高いんですよね。それでまわりが就職活動を始めた時に話をいろいろ聞いて、自分もやらなきゃと思って、採用の時期が最も早かったテレビ局を受けることにしました。日本テレビの選考は合宿に行ったりもしたんですけど、最終選考で落ちましたね。結局、受かったのがテレビ東京だったと。

——テレビ局の面接では、どういう志望動機を話したのですか?

上出:テレビはほとんど見てなかったので、それは正直に話しました。その上で、僕が何度も足を運んだ当時の中国のハンセン病隔離施設では、さまざまな誤解や知識の欠如によって、患者さんたちの人生が大きく狂わされていました。感染の要因も明らかになり、治療薬もある、もし正しい知識さえ伝わっていれば、いつまでも隔離されている必要はなかった。そういうことをメディアを通じて伝えたい、といったことを話したと思います。その意味では、当時面接で話したことは、そのまま「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」の構想と同じなんですよね。

——テレビ東京とはいえ、放送までこぎつけた「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」はかなりの異端で、報道局を除けば、テレビ局員の本流仕事は、いわゆる芸能人とのあれこれだったりしますよね。

上出:そうですね。どんなに評価されたとしても、「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」みたいな番組だけを作っていればいい、ということには絶対にならないです。おっしゃる通り、芸能人が出演するようなバラエティーの方が主流で、僕もADの頃はそういう番組を担当していました。

そんな仕事をしていく中で、自分の中ではこういうことが面白い、こういう番組を放送するべきだ、という信念と具体的な企画もあるのに、それはまったく通らず、意に反する番組を担当して、毎日毎日怒られる。そりゃあくじけますよ。番組の内容だけじゃなく、制作現場の体制についても疑問を感じていました。漫画的な不良の世界では、何かトラブルが起きた時に、たとえそれが下の者が起こした問題であっても、上の人間が出てきて責任を取ることが当たり前だった。なのにテレビの世界では、トラブルが起きると上の人間がさっと現場からいなくなり、最下層のADが全ての責任を負わされる。一体これは何なんだ。

——テレビの制作現場に限らず、間違った縦社会の構造ですね。

上出:そもそも、総務省から電波を与えられた免許事業社の一員というだけなのに、偉そうにできる意味が分からない。それに、どう考えても芸人さんやタレントさんのおかげでおもしろい番組として成立しているのに、なぜ制作者の方が偉そうにしているんだ、というのもずっと疑問でした。キャスティング権だったり、放送局員という立場だったり、たまたま権力的なものを手にした人間が、たたき上げで芸能の世界に生きている出演者に対して偉そうにできる道理はひとつもないですよ。

——なぜテレビ制作者はそんなに偉そうになってしまったと思いますか。

上出:今はだいぶ弱まっていますけど、やはり一昔前は、その影響力も含め、テレビが強かったからじゃないですかね。あとは、身一つで仕事をしている芸能人と一緒にいると、立場がないと何者でもない自分のコンプレックスを刺激されるのか、どうしても立場でものを言うようになってくる。そういう嫌な現場をたくさん見てきたので、僕はだいぶ声を上げてきた方だと思います。ADだった時でも「あなたの振る舞いや仕事のやり方には賛同できません。今すぐ改善するべきです」みたいなメールを送ったりしましたが、翌日には会社中にそのメールが知れ渡った結果、僕のほうがヤバいやつ認定されて終わり、みたいな感じでしたね。

目先の利益ではなく、長い目で見た時の経済合理性

——仕事について語られる時の定型として、「儲けるため」という視点と、「たとえ儲からなくてもやりたいことを」という視点の対比がありますが、上出さんはどう考えていますか。

上出:僕自身は幸運なことに、経済的に困窮していた経験はないのですが、まわりの人たちや取材で出会った人たちを見るに、お金というのが人間にとってどれほど重要か、というのは理解しているつもりです。その意味で、作品なり、仕事の成果を商業的に成立させることが重要だということに異論はありません。

ただ、僕が比較的安定していると言われるテレビ局を辞めて、お金にとらわれずにやりたいことを自由にやっているように見えているのだとしたら、それは、ほかの人たちとものを見るスパンが違うからだと思います。目の前の稼ぎだけを見たら、そりゃあこうなりますよね、という悲惨な現場は何度も目にしてきました。テレビ局はこうあるべきだ、という提案を常にしてきたのも、10年先、20年先を見据えて、今からどうあるべきか、という視点で語ってきたつもりです。

——「ありえない仕事術」の中でも<善きことをしようと努めれば努めるほど、ビジネスはうまくいく>と書かれていました

上出:例えば、SNSの登場で“フォロワー”という概念が生まれ、その価値がどんどん高まり、ビジネスにもつながるようになりましたよね。いわゆる炎上商法というのは、悪名は無名に勝るという考え方で、多くの人が飛びついた。炎上商法に限らず、SNS上の知名度を指標にしたり利用したりは、どこの企業でもやっています。でも長い目で見た時に、炎上上等の暴論や中身のない企画が、一体何になりますか? 目先の利益を求めてそういう仕事ばかりしてきた人、あるいは会社と、そこには加担しなかった人や会社と、10年後の経済合理性はどっちにありますか、という話です。

一方で、理念に甘えてビジネスの観点が抜けている場合もよくあります。だからこそ、僕はやるべきことを、きちんと売れるパッケージで世に出したい。多くの人に届いて、商業的にも成功させる。その小さい穴をこじ開けることにこそ、エンターテインメントの醍醐味はあると信じています。とくに海外に目を向けるようになってからは、日本国内のフォロワー数なんて、海を超えないですよ。

ラベリングがいかに無意味で不確かなものであるかを気づかせたい

——「ありえない仕事術」の第2部では、ドキュメンタリー制作の現場で起こるもろもろを題材にしていますが、中でも「人の不幸で飯を食う」ことに向き合った場面が印象的でした。

上出:ドキュメンタリーに限らず、例えばニュースの現場でも、不幸とは言わず“事件”を求めてしまう心情は制作者の誰もが抱えています。問題はそのことをどれだけ自覚できているか。作品のために事件を起こすなんてもってのほかですが、その上で、何を映し出せばいいのか、というのは、ずっと考え続けなければならないと思います。

「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」では、日常を生きているだけではなかなか足を踏み入れない地域やコミュニティーの食事をテーマにしていましたが、自分では行けないところ、見られないものを映し出すことがtele-visionの役割だと僕は認識しています。そこで何を思うのか、それは視聴者それぞれに委ねられていますが。

——ただ、上出さんの理念までは届かず、短絡的に「うわ〜やべ〜」くらいの軽いテンションで視聴している人もいて、その人たちも顧客なわけですよね。

上出:そうですね。それが悪いとは言わないし、そういう人たちも、最初に見た時は軽い気持ちだったとして、のちの人生でいろいろな経験を積んだあとに、あの時に見たあれって……と別のことを思うかもしれない。僕ができるのは種をまくことだけなので、人の目に触れさえすれば、1つお題は達成できたと思っています。

もしその「軽い気持ち」に問題があるとすれば、視聴者ではなく、むしろ制作者の方です。数字稼ぎを目的に、軽い気持ちで“ヤバい”場所にカメラを持って出掛けて行ったり、“ヤバい”人に話を聞いたりするようになったらおしまいです。制作者にとって「っぽい」ものを作るのは一番簡単で、結果もすぐに出て、気持ちがいいですからね。

——その「っぽい」ものと、上出さんの作品が時折並列で語られていることに、個人的には歯がゆさを感じてしまいます。

上出:それは僕自身も感じることはありますよ。あれとは根本的に違うんだけどな、という。ただ、意図や批評性がないまま“ヤバい”場所に行っても、全てがレクリエーションで終わってしまいますからね。どうしたって、そこで映してきたもの、現場での振る舞い、全てに差が出る。1つ言えるのは、僕は現場で必ず対話をします。取材対象者の主張を一方的にしゃべらせるようなことは絶対にしません。相手が聞かれたくないことも、必要だと思えば遠慮なく聞きます。そのことで、こちらも傷つくし、痛みを伴う。その覚悟を持った上で、自分が作品の主役になることもない。そもそも僕は“ヤバい”ものを撮るプロではありません。人が見たくないものを無理やり見せて、生き方を問う。それが仕事です。

——一方で、ドキュメンタリーにはラベリングの問題もあります。たった1人を取材対象にしても、その人が属している国やコミュニティー全体の傾向に見えてしまったり、1人のサンプルでしかないのに、あたかもその属性全てを語っているように見られてしまったり。

上出:ラベリングを避けられないのは事実です。とくに商業作品の場合、宣伝や告知の段階では、どうしたってラベリングに基づいた表現がついてまわる。繰り返しになりますが、やはり自覚の問題です。

あとは、きちんと本編を見てもらえた時に、僕はそのラベルをどこまで剥がせるか、というのを常に念頭に置いています。なんなら、そのラベリングがいかに無意味で、不確かなものであるかを気づかせたい。非常に効率は悪いし、商業的にはラベリングに頼った方が楽なんですけどね。でも、それをやったら終わり。それこそ長い目で見たら、いいこと1つもないですよ。

関わった人たち全員が納得しなければ、その作品に価値はない

——現在、上出さんはテレビ局を退社し、個人で仕事をしているわけですが、一定数の人たちが会社や組織に疑問を感じながらも、辞めずに続けているのはどうしてだと思いますか。

上出:多くの人が会社で働き続けるうちに、自信を剥奪されているんじゃないでしょうか。僕も会社員時代は、いろんな先輩に「テレビ局を辞めてやっていけるわけないだろ」みたいなことを言われましたから。ただし、先ほども話題に出たような、フォロワー数や目先の利益だけを追いかけて、思考停止のまま会社から言われた仕事だけを何十年も続けていたら、正直辞めてもやっていけないとは思います。酷な話ですが。

でも、自分の中に信念があったり、なんらかの疑問に耐えられないのであれば、いっそ辞めるのもありだとは思います。動物としては集団でいたほうが生存戦略的にいいのかもしれませんが、はぐれてもやっていけるのが人間だとも思いますし。もちろん、会社員でいることに無理に疑問を抱く必要はまったくないですけどね。ただ単に気に食わないことがあるとか、自分の未熟さのせいでうまくいかないことを会社のせいにするとか、そういうことを肯定するつもりはありません。むしろ個人でやっている方が、理不尽な目にはよく遭うし、それを1人で対処しなければいけません。

——個人で活動していると、常に自分で仕事を生み出さなければいけない困難さはありませんか?

上出:依頼される案件もありますし、やりたいこともやりきれないくらい溜まっているので、そこに困難さを感じることはありません。あとは、これも仕事本などで喧伝されているせいでよく勘違いされていますが、アイデアの出し方とかアイデアそのものに価値を見いだすのはちょっと違うかなと。それよりも重要なのは、実現可能性の方です。

例えば僕は、テレビ局員時代に街頭インタビューを何度もやらされましたけど、やっておいたおかげで、街頭インタビューにどのくらいの困難さがあるのか、肌感で分かります。100人に声をかけて、何人に無視されて、何人が応えてくれて、何人の回答がオンエアに使えるのか。テレビに限らず、現場の実情を理解しないまま、アイデアだけをポンポン出してくる人のなんと多いことか。そういうアイデアは、実現可能性がないだけではなく、往々にして現場へのリスペクトもない。アイデアだけでは仕事にならないんですよ。

——最近は少しずつですが、作品そのものへの評価だけではなく、その制作過程にも目を向けられるようになってはきましたよね。

上出:そこは本当に重要です。個人的には、作り手、出演者や取材対象者、受け手、この3者が全員納得できるものでないと、作品としての価値はないとすら思っています。価値がないというか、そこが出発点。制作の過程でハラスメントが起きていたり、出演者が合意していなかったり、受け手が傷ついたり、どれか1つでも欠陥があるようであれば、どんなに完成度の高い作品であっても、評価に値しない。もちろん、何かを刺しにいくジャーナリズムでは話がまったく異なります。極端な考え方かもしれませんが、いち制作者としては、このくらい過激な考え方を持っていないとダメだと思って、日々仕事しています。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■「ありえない仕事術 正しい“正義”の使い方」
著者:上出遼平
定価:1650円
判型/仕様:四六判ソフトカバー
出版社:徳間書店

The post 映像ディレクター・上出遼平の「ありえない仕事術」 「10年先、20年先を見据えて、今からどうあるべきかを考える」 appeared first on WWDJAPAN.

映像ディレクター・上出遼平の「ありえない仕事術」 「10年先、20年先を見据えて、今からどうあるべきかを考える」

PROFILE: 上出遼平

上出遼平
PROFILE: (かみで・りょうへい)ディレクター、プロデューサー、作家。1989年東京都生まれ。ドキュメンタリー番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画から撮影、編集まで全工程を担う。同シリーズはポッドキャスト、書籍、漫画と多展開。ほかにも担当作品としてポッドキャスト番組「上出遼平 NY御馳走帖」や小説「歩山録」(講談社)などがある。

フリーのディレクターとして、テレビ番組からファッションブランドの動画制作まで、精力的に活動する上出遼平が、「これまで何度も依頼はあったが、全て断ってきた」という仕事論をテーマにした本をついに上梓。そのタイトルは「ありえない仕事術 正しい“正義”の使い方」(徳間書店)。

2022年6月におよそ11年間勤めたテレビ東京を退社し、2023年の夏にはニューヨークへ拠点を移した。テレビ東京時代にはディレクター/プロデューサーとしてドキュメンタリー番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート」や、深夜の停波枠に放送された「蓋」を手掛けたほか、作家としても書籍版「ハイパーハードボイルドグルメリポート」(朝日新聞出版)に、山岳小説「歩山録」(講談社)といった著作もある。

今回、断り続けてきた仕事論を執筆することに決めた経緯も含め、その生い立ちから仕事への向き合い方まで、現在の上出遼平がいかにして形づくられたのかを探る。

——ニューヨークでの暮らしぶりはいかがですか?

上出遼平(以下、上出):昨年の夏に引っ越して、ようやく半年たったくらいなので、暮らしぶりを語れるほど住んではいないんですよ。何の予想もせずに行ったので、とくに予想外の話とかもなく。強いて言うなら、思いのほか東京にいる時間が長くて家賃がもったいないなと。

——差し支えなければ、住んでいるエリアはどんな雰囲気なのでしょうか。

上出:マンハッタンの南東で高層ビルが立ち並ぶ経済エリアと、若者が集まるような文化エリアのちょうど狭間ですね。なので、スーツを着たビジネスマンもいれば、その間をスケーターがすべっている感じで、居心地はいいです。

——改めて、ニューヨークへの移住を決めた理由としては?

上出:自分も会社を辞めて、妻も会社員ではないので、東京に住む理由もないな、というくらいで、本当に何の計画性もないんですよ。

——ニューヨーク市民から日本人へのまなざしは、どう感じていますか?

上出:そこは本当に人によるというか、コミュニティーによりますね。僕が仕事で関わっている食やファッションのコミュニティーにいる人たちは日本にも興味を持っていますが、それ以外のコミュニティーの人たちにとっては、それほど関心もなさそうで、良くも悪くも特別な視線はないと思います。

ファッション関係者には「ギャルソン」や「ヨウジ」の服を着ている人はたくさんいますし、日本食のお店も次々にオープンしています。文化的なところだと、アニメが強いのは間違いないですが、話題にされるのは「AKIRA」とか「ポケモン」とか定番の作品だったりするので、最新作が注目されている、という感じではなさそうです。

仕事本ってどんだけ需要あるんだよ、そんなに売れるのかよ

——このたび刊行された「ありえない仕事術」について、なぜ仕事術をテーマにした本を書こうと?

上出:仕事術やビジネスをテーマにした本の執筆自体は、これまでに何社からも依頼をいただいていて、僕自身はそんな本を書く気はさらさらなかったので、全て断っていたんです。ただ、依頼が来ては断る、みたいなフェーズも1周したかな、というタイミングでまた依頼が来たので、どんだけ仕事術の本って需要あるんだよ、そんなに売れるのかよ、と思いまして。もともと僕は文章を書いて飯を食っていくことに強い憧れがあり、そういう意味でも、仕事本を書くことは避けて通れないんだなという感じもしたので、それなら自分なりのやり方で書いてみようと思いました。

——その「自分なりのやり方」というのが、本書における2部構成、第1部が仕事との向き合い方を綴った仕事論で、第2部が「死の肖像」というドキュメンタリーシリーズを制作する現場の“ルポルタージュ”という形式になったと。

上出:あえて簡単に言うと、僕自身が本に期待するのは物語を読むことで、自分が書きたいのも物語なんです。それは一般的な仕事術を記した本とは真逆のものなので、そこにどう折り合いをつけるか、というのがこの本でやったことですね。

——文筆業への憧れ、あるいは物語への関心は、いつ頃から芽生えたのでしょう。

上出:本を読むことの喜びは幼少期から感じていました。子どもの頃に買ってもらった、半分絵本みたいな「十五少年漂流記」は擦り切れるほど読みましたし。たとえ家のベッドの中にいても、本があればどこにでも行ける、その“旅”への没入感に完全にほれ込んだんです。もはや、それ以上の喜びはないんじゃないかっていうくらいに。その原体験があるので、一度はテレビ局の社員になりましたけど、今こうして文章を書くことを仕事にできているのは、むしろテレビ番組を作るよりも自然なことだと感じています。

勉強でガチガチの中学時代、パンクに出会ってしまった

——読書だけではなく、学生時代にはパンクバンドを組んだり、音楽にも夢中になっていたんですよね。

上出:高校生の頃にはバンドまがいのこともしていましたが、それはパンクの態度に憧れていたんです。一般的な正しさの外側にある価値観というか。というのも、中学時代、僕めっちゃ勉強してたんですよ。普通に公立中学に入って、人生で最初の試験、1年生の中間テストで学年1位になったんです。そうしたら親が大喜びで、これが正解なんだと思ってしまった。呪いの始まりです。それからは、中学生のくせにテスト前には徹夜して、教科書は全て暗記、校内1位を維持するために勉強しまくり。もう頭の中それしかない、みたいな。

そんなガチガチになっている時に、パンクに出会ってしまった。例えば、オナニーマシーンという名前からしていかがわしいバンドがいるのですが、メンバーは自分の父親と同じ歳くらいの大人なのに、ライブでは全裸になって酒を飲みながらステージで大暴れするんです。しかもお客さんたちはその光景に熱狂している。勉強ばっかりしていた自分にはあまりに衝撃で、その落差にやられました。

——1つ文化の扉が開くと、次々に連鎖していきますよね。

上出:パンクと出会ったのは兄の影響なのですが、兄はいわゆる伝統的な不良文化もかじっていたので、漫画の「特攻の拓」とかを借りて読んで、バイクにも興味を持ちました。パンクとバイクは隣接しているので、ヤフオクで安い革ジャンを買ったりして。それで、高校1年の時だったかな、池袋の手刀(チョップ)というライブハウスで、「革ジャン反抗期」なるイベントがあって観に行ったんです。そこで、ザ★ダッチワイフというパンクバンドをやっている不良の先輩と出会いました。その人は和彫にアイパーみたいな、普段は伝統的不良ファッションなんですけど、ライブハウスに行く時は革ジャン、みたいなスタイルで、かっこよかったんです。クリスマスに彼の家に泊まり込んでバイクの改造をしたり、集会に連れて行ってもらったりもしました。

ただ、高校にはほとんど友達いなかったですけどね。金髪にツナギや革ジャンで学校に行っていたので、明らかに浮きまくってました。夜はライブハウスに行って、明け方まで打ち上げにも参加して、駅のベンチで寝て、それでも勉強はちゃんとして。とはいえ、高校の後半はだいぶ不良文化からは離れていったんです。このまま極まっていくとまずいぞ、とも感じていたので、大学にはちゃんと行こうと。

——その後、早稲田大学の法学部に進学、少年犯罪や少年非行の事例を研究していたと。

上出:はい。10代の頃に自分が非行の道に片足を突っ込んだ経験もあって、まわりには逮捕されたりする仲間もいましたし、僕自身かなりの人に迷惑もかけました。そのことはもう取り返しがつかないので、せめて、なぜそういう少年が生まれるんだろうとか、悪ってなんだとか、少年犯罪や少年法について勉強してみようと思ったんです。他人事ではなく、犯罪傾向のあったかつての自分を肯定したかった、自分が非行に走った理由を知りたかった、というのも大きいです。

——少年院へ取材に行ったりもしたんですよね。

上出:少年院にも行きましたし、あとは、日本全国にある薬物依存症の自立支援施設、ダルクやアパリもまわったりしてました。足を運んで話を聞いたり、現場を見に行けるのは大学生のうちだけだろうと思っていたので。

トラブルが起きると上の人間が現場からさっといなくなる

——そんな大学生活から、テレビ東京へ入社することになった経緯は?

上出:少年犯罪の研究のほかにも、中国の山奥にある元ハンセン病患者が隔離されている村へ行ってボランティアをしたりもしていたんです。そのつながりで、大学3年の時に出入りしていたコミュニティーが、学生によるNGOだったりもしたので、そういう学生は新聞社とかメディア企業との親和性が高いんですよね。それでまわりが就職活動を始めた時に話をいろいろ聞いて、自分もやらなきゃと思って、採用の時期が最も早かったテレビ局を受けることにしました。日本テレビの選考は合宿に行ったりもしたんですけど、最終選考で落ちましたね。結局、受かったのがテレビ東京だったと。

——テレビ局の面接では、どういう志望動機を話したのですか?

上出:テレビはほとんど見てなかったので、それは正直に話しました。その上で、僕が何度も足を運んだ当時の中国のハンセン病隔離施設では、さまざまな誤解や知識の欠如によって、患者さんたちの人生が大きく狂わされていました。感染の要因も明らかになり、治療薬もある、もし正しい知識さえ伝わっていれば、いつまでも隔離されている必要はなかった。そういうことをメディアを通じて伝えたい、といったことを話したと思います。その意味では、当時面接で話したことは、そのまま「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」の構想と同じなんですよね。

——テレビ東京とはいえ、放送までこぎつけた「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」はかなりの異端で、報道局を除けば、テレビ局員の本流仕事は、いわゆる芸能人とのあれこれだったりしますよね。

上出:そうですね。どんなに評価されたとしても、「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」みたいな番組だけを作っていればいい、ということには絶対にならないです。おっしゃる通り、芸能人が出演するようなバラエティーの方が主流で、僕もADの頃はそういう番組を担当していました。

そんな仕事をしていく中で、自分の中ではこういうことが面白い、こういう番組を放送するべきだ、という信念と具体的な企画もあるのに、それはまったく通らず、意に反する番組を担当して、毎日毎日怒られる。そりゃあくじけますよ。番組の内容だけじゃなく、制作現場の体制についても疑問を感じていました。漫画的な不良の世界では、何かトラブルが起きた時に、たとえそれが下の者が起こした問題であっても、上の人間が出てきて責任を取ることが当たり前だった。なのにテレビの世界では、トラブルが起きると上の人間がさっと現場からいなくなり、最下層のADが全ての責任を負わされる。一体これは何なんだ。

——テレビの制作現場に限らず、間違った縦社会の構造ですね。

上出:そもそも、総務省から電波を与えられた免許事業社の一員というだけなのに、偉そうにできる意味が分からない。それに、どう考えても芸人さんやタレントさんのおかげでおもしろい番組として成立しているのに、なぜ制作者の方が偉そうにしているんだ、というのもずっと疑問でした。キャスティング権だったり、放送局員という立場だったり、たまたま権力的なものを手にした人間が、たたき上げで芸能の世界に生きている出演者に対して偉そうにできる道理はひとつもないですよ。

——なぜテレビ制作者はそんなに偉そうになってしまったと思いますか。

上出:今はだいぶ弱まっていますけど、やはり一昔前は、その影響力も含め、テレビが強かったからじゃないですかね。あとは、身一つで仕事をしている芸能人と一緒にいると、立場がないと何者でもない自分のコンプレックスを刺激されるのか、どうしても立場でものを言うようになってくる。そういう嫌な現場をたくさん見てきたので、僕はだいぶ声を上げてきた方だと思います。ADだった時でも「あなたの振る舞いや仕事のやり方には賛同できません。今すぐ改善するべきです」みたいなメールを送ったりしましたが、翌日には会社中にそのメールが知れ渡った結果、僕のほうがヤバいやつ認定されて終わり、みたいな感じでしたね。

目先の利益ではなく、長い目で見た時の経済合理性

——仕事について語られる時の定型として、「儲けるため」という視点と、「たとえ儲からなくてもやりたいことを」という視点の対比がありますが、上出さんはどう考えていますか。

上出:僕自身は幸運なことに、経済的に困窮していた経験はないのですが、まわりの人たちや取材で出会った人たちを見るに、お金というのが人間にとってどれほど重要か、というのは理解しているつもりです。その意味で、作品なり、仕事の成果を商業的に成立させることが重要だということに異論はありません。

ただ、僕が比較的安定していると言われるテレビ局を辞めて、お金にとらわれずにやりたいことを自由にやっているように見えているのだとしたら、それは、ほかの人たちとものを見るスパンが違うからだと思います。目の前の稼ぎだけを見たら、そりゃあこうなりますよね、という悲惨な現場は何度も目にしてきました。テレビ局はこうあるべきだ、という提案を常にしてきたのも、10年先、20年先を見据えて、今からどうあるべきか、という視点で語ってきたつもりです。

——「ありえない仕事術」の中でも<善きことをしようと努めれば努めるほど、ビジネスはうまくいく>と書かれていました

上出:例えば、SNSの登場で“フォロワー”という概念が生まれ、その価値がどんどん高まり、ビジネスにもつながるようになりましたよね。いわゆる炎上商法というのは、悪名は無名に勝るという考え方で、多くの人が飛びついた。炎上商法に限らず、SNS上の知名度を指標にしたり利用したりは、どこの企業でもやっています。でも長い目で見た時に、炎上上等の暴論や中身のない企画が、一体何になりますか? 目先の利益を求めてそういう仕事ばかりしてきた人、あるいは会社と、そこには加担しなかった人や会社と、10年後の経済合理性はどっちにありますか、という話です。

一方で、理念に甘えてビジネスの観点が抜けている場合もよくあります。だからこそ、僕はやるべきことを、きちんと売れるパッケージで世に出したい。多くの人に届いて、商業的にも成功させる。その小さい穴をこじ開けることにこそ、エンターテインメントの醍醐味はあると信じています。とくに海外に目を向けるようになってからは、日本国内のフォロワー数なんて、海を超えないですよ。

ラベリングがいかに無意味で不確かなものであるかを気づかせたい

——「ありえない仕事術」の第2部では、ドキュメンタリー制作の現場で起こるもろもろを題材にしていますが、中でも「人の不幸で飯を食う」ことに向き合った場面が印象的でした。

上出:ドキュメンタリーに限らず、例えばニュースの現場でも、不幸とは言わず“事件”を求めてしまう心情は制作者の誰もが抱えています。問題はそのことをどれだけ自覚できているか。作品のために事件を起こすなんてもってのほかですが、その上で、何を映し出せばいいのか、というのは、ずっと考え続けなければならないと思います。

「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」では、日常を生きているだけではなかなか足を踏み入れない地域やコミュニティーの食事をテーマにしていましたが、自分では行けないところ、見られないものを映し出すことがtele-visionの役割だと僕は認識しています。そこで何を思うのか、それは視聴者それぞれに委ねられていますが。

——ただ、上出さんの理念までは届かず、短絡的に「うわ〜やべ〜」くらいの軽いテンションで視聴している人もいて、その人たちも顧客なわけですよね。

上出:そうですね。それが悪いとは言わないし、そういう人たちも、最初に見た時は軽い気持ちだったとして、のちの人生でいろいろな経験を積んだあとに、あの時に見たあれって……と別のことを思うかもしれない。僕ができるのは種をまくことだけなので、人の目に触れさえすれば、1つお題は達成できたと思っています。

もしその「軽い気持ち」に問題があるとすれば、視聴者ではなく、むしろ制作者の方です。数字稼ぎを目的に、軽い気持ちで“ヤバい”場所にカメラを持って出掛けて行ったり、“ヤバい”人に話を聞いたりするようになったらおしまいです。制作者にとって「っぽい」ものを作るのは一番簡単で、結果もすぐに出て、気持ちがいいですからね。

——その「っぽい」ものと、上出さんの作品が時折並列で語られていることに、個人的には歯がゆさを感じてしまいます。

上出:それは僕自身も感じることはありますよ。あれとは根本的に違うんだけどな、という。ただ、意図や批評性がないまま“ヤバい”場所に行っても、全てがレクリエーションで終わってしまいますからね。どうしたって、そこで映してきたもの、現場での振る舞い、全てに差が出る。1つ言えるのは、僕は現場で必ず対話をします。取材対象者の主張を一方的にしゃべらせるようなことは絶対にしません。相手が聞かれたくないことも、必要だと思えば遠慮なく聞きます。そのことで、こちらも傷つくし、痛みを伴う。その覚悟を持った上で、自分が作品の主役になることもない。そもそも僕は“ヤバい”ものを撮るプロではありません。人が見たくないものを無理やり見せて、生き方を問う。それが仕事です。

——一方で、ドキュメンタリーにはラベリングの問題もあります。たった1人を取材対象にしても、その人が属している国やコミュニティー全体の傾向に見えてしまったり、1人のサンプルでしかないのに、あたかもその属性全てを語っているように見られてしまったり。

上出:ラベリングを避けられないのは事実です。とくに商業作品の場合、宣伝や告知の段階では、どうしたってラベリングに基づいた表現がついてまわる。繰り返しになりますが、やはり自覚の問題です。

あとは、きちんと本編を見てもらえた時に、僕はそのラベルをどこまで剥がせるか、というのを常に念頭に置いています。なんなら、そのラベリングがいかに無意味で、不確かなものであるかを気づかせたい。非常に効率は悪いし、商業的にはラベリングに頼った方が楽なんですけどね。でも、それをやったら終わり。それこそ長い目で見たら、いいこと1つもないですよ。

関わった人たち全員が納得しなければ、その作品に価値はない

——現在、上出さんはテレビ局を退社し、個人で仕事をしているわけですが、一定数の人たちが会社や組織に疑問を感じながらも、辞めずに続けているのはどうしてだと思いますか。

上出:多くの人が会社で働き続けるうちに、自信を剥奪されているんじゃないでしょうか。僕も会社員時代は、いろんな先輩に「テレビ局を辞めてやっていけるわけないだろ」みたいなことを言われましたから。ただし、先ほども話題に出たような、フォロワー数や目先の利益だけを追いかけて、思考停止のまま会社から言われた仕事だけを何十年も続けていたら、正直辞めてもやっていけないとは思います。酷な話ですが。

でも、自分の中に信念があったり、なんらかの疑問に耐えられないのであれば、いっそ辞めるのもありだとは思います。動物としては集団でいたほうが生存戦略的にいいのかもしれませんが、はぐれてもやっていけるのが人間だとも思いますし。もちろん、会社員でいることに無理に疑問を抱く必要はまったくないですけどね。ただ単に気に食わないことがあるとか、自分の未熟さのせいでうまくいかないことを会社のせいにするとか、そういうことを肯定するつもりはありません。むしろ個人でやっている方が、理不尽な目にはよく遭うし、それを1人で対処しなければいけません。

——個人で活動していると、常に自分で仕事を生み出さなければいけない困難さはありませんか?

上出:依頼される案件もありますし、やりたいこともやりきれないくらい溜まっているので、そこに困難さを感じることはありません。あとは、これも仕事本などで喧伝されているせいでよく勘違いされていますが、アイデアの出し方とかアイデアそのものに価値を見いだすのはちょっと違うかなと。それよりも重要なのは、実現可能性の方です。

例えば僕は、テレビ局員時代に街頭インタビューを何度もやらされましたけど、やっておいたおかげで、街頭インタビューにどのくらいの困難さがあるのか、肌感で分かります。100人に声をかけて、何人に無視されて、何人が応えてくれて、何人の回答がオンエアに使えるのか。テレビに限らず、現場の実情を理解しないまま、アイデアだけをポンポン出してくる人のなんと多いことか。そういうアイデアは、実現可能性がないだけではなく、往々にして現場へのリスペクトもない。アイデアだけでは仕事にならないんですよ。

——最近は少しずつですが、作品そのものへの評価だけではなく、その制作過程にも目を向けられるようになってはきましたよね。

上出:そこは本当に重要です。個人的には、作り手、出演者や取材対象者、受け手、この3者が全員納得できるものでないと、作品としての価値はないとすら思っています。価値がないというか、そこが出発点。制作の過程でハラスメントが起きていたり、出演者が合意していなかったり、受け手が傷ついたり、どれか1つでも欠陥があるようであれば、どんなに完成度の高い作品であっても、評価に値しない。もちろん、何かを刺しにいくジャーナリズムでは話がまったく異なります。極端な考え方かもしれませんが、いち制作者としては、このくらい過激な考え方を持っていないとダメだと思って、日々仕事しています。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

■「ありえない仕事術 正しい“正義”の使い方」
著者:上出遼平
定価:1650円
判型/仕様:四六判ソフトカバー
出版社:徳間書店

The post 映像ディレクター・上出遼平の「ありえない仕事術」 「10年先、20年先を見据えて、今からどうあるべきかを考える」 appeared first on WWDJAPAN.

東京レインボープライドに初参加 LVMHジャパンが“自分らしく、美しく豊かに”生きる発信

PROFILE: 山内彩/LVMHジャパン ピープル&カルチャー シニア マネージャー

山内彩/LVMHジャパン ピープル&カルチャー シニア マネージャー
PROFILE: (やまのうち・あや)大学卒業後、婦人服製造販売ブランドでリテールを学んだ後に渡仏し、パリ第3大学を卒業。帰国し、ファッション企業向けのコーチングなどを手掛けた後、ケリングに入社。2018年LVMHに入社し、「ディオール」のリテール トレーニング マネージャーを経て、現職 PHOTO : YUKIE SUGANO

認定NPO法人の東京レインボープライドは4月20、21日、「東京レインボープライド2024(TOKYO RAINBOW PRIDE 2024以下、TRP)」を代々木公園で開催した。LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON JAPAN以下、LVMHジャパン)は同イベントに企業として初めて協賛し、同社のカルチャーやブランドの歴史、ダイバーシティー&インクルージョン(以下、D&I)の取り組みを紹介するブースを出展。20日には、同社が手掛ける「パルファム ジバンシイ(PARFUMS GIVENCHY)」と連携し、写真家のレスリー・キー(Leslie Kee)による一般来場者の撮影会を開催。21日のプライドパレードには、LVMHジャパンとグループブランドの社員と家族が250人規模で参加した。

また、TRPと連動した写真展「スーパーLVMH 〜 アール・ド・ヴィーヴル(SUPER LVMH 〜 ART DE VIVRE)」を5月19日まで原宿・キャットストリートの「クリエイティブ スペース アカデミア 21」で開催している。賛同する世界各国のセレブリティー30組とLVMHエグゼクティブ30人を、レスリー・キーが撮り下ろした。

LVMHジャパンで人材の育成と、人材を通したLVMHらしいカルチャーの醸成に取り組み、TRPへの出展に尽力した山内彩LVMHジャパン ピープル&カルチャー シニア マネージャーに、参加への経緯やD&Iの取り組みについて聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):TRP参加に至った経緯は?

山内彩LVMHジャパン ピープル&カルチャー シニア マネージャー(以下、山内):2019年、LGBTQ+当事者の同僚が「いつかLVMHでTRPに参加したい」と声を上げた。その後に、有志で集まった少人数でパレードを歩くことから始め、活動を徐々に広げた。22年、先行して出展した「パルファム ジバンシイ」からは刺激を受けた。同ブランドを率いる金山桃LVMHフレグランスブランズ ジェネラル マネージャー兼社長と話し、より大きなインパクトを出せるように、グループでも参加するべきではないかと考えた。

WWD:グループとして参加する上での苦労は?

山内:全ブランドの賛同を得ることはもちろん、確固たる目的を持ち、強いメッセージを発信する必要がある。簡単な道のりではなかった。各ブランドには、TRPへの参加は、グループミッションの“アール・ド・ヴィーヴル(美しく豊かに生きる喜び)”につながると説明した。“自分らしく生きる”ことこそ、“美しく豊かに生きる”ことと拡大解釈した。

WWD:TRP参加の意義とは?

山内:これほど多様な人材が集まる会社で、上からの命令ではなく各人が声を上げ、合意に至り、大きなプロジェクトを動かしたという体験は、社員にとって意義があった。このような過程を経て得た知識や経験は、さまざまなビジネスでも役に立つだろう。パレードへの参加は社員のモチベーションや帰属意識を高めるほか、表参道のけやき坂にフラッグを掲出することで社外にもメッセージを発信した。

最初は正直、グループでの参加は難しいと思っていた。しかし、そのような思い込みを覆すことに挑戦し、異なる意見を持った仲間と交流しながら共に未来を築いていく風土づくりにもつながる取り組みになった。

WWD:ブースを訪れた来場者へのメッセージは?

山内:ブースでは、LVMHジャパンのD&Iの取り組みを紹介するほか、レスリー・キーによる一般来場者の撮影会も開催。メイクアップは「パルファム ジバンシイ」のブースで行った。来場者には、アーティスティックな感覚を味わいながら、“新しい自分”や“本来の自分”を発見するきっかけにしてほしい。LVMHらしい“美しく豊かな”体験を通して、自己表現を広げられるような時間を提供したかった。

女性のセカンドキャリアを支援

WWD:TRP以外のD&Iに関する取り組みは?

山内:「メティエ・デクセロンス(METIERS D’EXCELLENCE以下、ME)」というプログラムを世界7カ国(フランス、スイス、イタリア、アメリカ、スペイン、日本、ドイツ)で実施しており、これまでに1400人以上が参加した。日本では21年にローンチし、販売員を育成するプログラムを通して女性のセカンドキャリアを支援している。

WWD:女性のセカンドキャリアに着目した経緯は?

山内:日本には、経験があるにも関わらず、出産やパートナーの転勤などでキャリアを離れ、10年やそれ以上のブランクを抱える女性が多くいる。正社員としての再就職も難しい状況だ。女性の活躍を促進したいという思いから、何らかの理由でキャリアを諦めざるを得なかった人や、転職を望む女性たちを対象にした。ファッションスクールでの学習や店頭での実技、マスタークラスでの研修という8カ月間のコースを無償で提供している。

WWD:プログラム参加者の反応は?

山内:日本では参加者の約8割が卒業し、約6割がLVMHジャパンに就職している。参加者からは、「このような機会がなければ、自分の可能性を広げることができなかった」「自分が本当に何をしたいのかに気づけた」などの声が届いている。

販売員は対人関係能力が必要で、継承が難しい職種だ。商品一つをとっても、多くの人が関わり、奥深い背景がある。顧客を理解し、ブランドや商品が持つ思いを届け、顧客の人生を豊かにできる販売員の育成に挑戦している。

WWD:日本におけるD&Iの課題は?

山内:D&Iに関しては人種や言語、宗教などさまざまな問題があり、それらは世界中どこにでも共通して存在すると思う。日本における課題は、多様性の見えづらさだ。日本は単一民族の国家なので、どうしても本来その人が持っているバックグラウンドや価値観、理念などが見えづらく、意識が向きにくい。日本でも、人間としてのより普遍的な多様性にもっと注目できるように取り組んでいきたい。

WWD:今後のビジョンは?

山内:グループミッションである“アール・ド・ヴィーヴル(自分らしく、美しく豊かに生きる)”を、社員が本当の意味で実感できる環境づくりを進めたい。学べる環境や、成長できるキャリアの機会を用意し、各人が自分らしさを持って活躍できる会社を目指している。さらに、それを世界にも発信しているという誇りを持てるように取り組みたい。1人1人が自分を大切にできるような環境をつくることで、他者への優しさが広がり、仕事においても全力を注げるようになると考えている。

■写真展「SUPER LVMH ~ ART DE VIVRE」Photographed by Leslie Kee
日程:4月19日〜5月19日
時間:11:00~19:00
会場:クリエイティブ スペース アカデミア 21
住所:東京都渋谷区神宮前5丁目27番7号 アルボーレ神宮前 1F/2F

The post 東京レインボープライドに初参加 LVMHジャパンが“自分らしく、美しく豊かに”生きる発信 appeared first on WWDJAPAN.

東京レインボープライドに連続参加「ジバンシイ」は社長のマイノリティーとしての過去からD&I推進

PROFILE: 金山桃/LVMHフレグランスブランズ ジェネラル マネージャー兼社長

金山桃/LVMHフレグランスブランズ ジェネラル マネージャー兼社長
PROFILE: (かなやま・もも)5歳でフランス・パリへ移住。ESSECビジネススクール卒業。2009年LVMHグループ会社のセフォラ、10年ロレアルに入社。18年に帰国し、日本ロレアルを経て22年2月にLVMHジャパンに入社。同年5月、LVMHフレグランスブランズに入社し現職

認定NPO法人の東京レインボープライドは4月20、21日、「東京レインボープライド2024(TOKYO RAINBOW PRIDE 2024以下、TRP)」を代々木公園で開催した。LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON JAPAN以下、LVMHジャパン)は同イベントに企業として初めて協賛し、同社のカルチャーやブランドの歴史、ダイバーシティー&インクルージョン(以下、D&I)の取り組みを紹介するブースを出展。傘下の「パルファム ジバンシイ(PARFUMS GIVENCHY)」は2年連続で出展し、メイクアップのタッチアップサービスやサンプル商品の配布のほか、TRPのために作ったレインボーカラーのロゴステッカーをプレゼントした。

「パルファム ジバンシイ」を率いる金山桃LVMHフレグランスブランズジェネラル マネージャー兼社長は日本で生まれた後、5歳でパリへ移住し、自身がマイノリティーであることを意識しながら育ったそう。こうしたバックグラウンドから、TRPの参加にも積極的だ。金山社長が目指すD&Iな企業とは?

WWDJAPAN(以下、WWD):改めて、TRPに参加した経緯は?

金山桃LVMHフレグランスブランズ ジェネラル マネージャー兼社長(以下、金山):22年に現職に就任した当時から、D&Iを強く意識したCSR(企業の社会的責任)ストラテジーを構築し、ブランドスビジネスとのシナジーを生み出すことを目指している。D&Iに関して特に日本では、LGBTQ+の基本的な権利や、それぞれがどのような人たちであるかの理解さえ、ほかの国々と比べて遅れていると感じていた。「パルファム ジバンシイ」として、日本の社会の前進に貢献したいという思いからTRPへの出展を決めた。

WWD:参加する意義をどう捉えている?

金山:TRPの参加は、始まりにすぎない。“LGBTQ+コミュニティーをサポートしている”というメッセージを公的に出すことは、“今後もLGBTQ+に関わる問題の解決に尽力していく”という決意表明でもあるから。

WWD:昨年の出展について、社員や顧客の反応は?

金山: 昨年のTRPには主にオフィススタッフが参加した。新たな才能を発揮した社員もいたし、全社員にとって新鮮で学びの多い経験になった。代々木公園のブースには、百貨店のカウンターには足を運びづらいという若者や男性含め、多様な人々が訪れた。TRPでの取り組みを見て、採用に応募してくれた人もいた。会社としてD&Iに真剣に取り組むことで、若い世代の共感を確実に得ているように感じる。

履歴書から性別欄や写真の添付を廃止

WWD:“恐れずに改革する(DARE TO REINVENT)”というスローガンを掲げ、どのような施策を行なっている?

金山:23年には認定NPO法人のりびっと(REBIT)と協業し、美容部員の定期的なトレーニングを開始した。例えば、男性がカウンターを訪れた際、「女性へのプレゼントですか?」と聞かないなどを学んでいる。D&Iの価値観がすれ違いやすい年配の社員含め、全員が啓発されるトレーニングを考えている。

WWD:社内の多様性を高めるための取り組みは?

金山:22年には履歴書から性別や婚姻状況、生年月日の欄を無くし、写真の添付も廃止した。応募する側の心理的不安を減らし、多様性を発揮して自分らしく働ける職場にしたい。インターンシップや再雇用、多国籍の採用なども始めた。もちろん“多様性”といっても、“何でも許容する”という意味ではない。「パルファム ジバンシイ」はエレガントなブランド。ブランドを長期的に継承するためにはイメージを守る必要があるので、バランスに留意しつつ、多様性を受け入れるインクルーシブな企業を目指している。

「5歳でパリへ移住し、白人ばかりの地区で唯一のアジア人として育った」

WWD:マイノリティーの一人として育ったバックグラウンドをどう振り返る?

金山:日本で生まれた後、5歳でパリへ移住した。白人ばかりの地区で唯一のアジア人として、肌の色はもちろん宗教や言語面でも、自身がマイノリティーであることを意識しながら育った。“自分がなぜここにいるのか”を常に正当化する必要があった。日本とフランス、2つの文化の中で成長した経験をポジティブに捉えられるようになったのは、帰国した18年以降。幼少期から多様な文化の中で教育を受けたことで、視野が広がり、自然とグローバルな感覚が備わった。

WWD:帰国後の経験は?

金山:日本に拠点を移した後も、まだ自分がマイノリティーであると感じている。7歳の娘がいるが、私は日本語の読み書きができないので、彼女の日本語の質問に答えられない。また、私が入社した当時、女性のジェネラル・マネジャーはLVMHジャパンでさえ少なかった。ビューティの中でもまだ数少ない。さらにグループ外から、かつラグジュアリーブランドの経験がないまま入社したので、孤独だった。こういった背景からも、D&Iは非常に重要だと考える。

WWD:今後の展望は?

金山:「パルファム ジバンシイ」は名前ばかりが大きくて、ビジネスのサイズはまだ小さい。これまでにやってきたことを続けていても成長できないので、多様な人材を雇用し、新たな挑戦を続けている。時には失敗をすることもあるけれど、挑戦を続けることが重要。その先に成功があるはずだ。

The post 東京レインボープライドに連続参加「ジバンシイ」は社長のマイノリティーとしての過去からD&I推進 appeared first on WWDJAPAN.

東京を皮切りに世界中のレインボープライドに参加 LVMH本国トップが語る多様性への思い

PROFILE: ヴァネッサ・ムンガー/LVMH チーフ ダイバーシティ&インクルージョン オフィサー

ヴァネッサ・ムンガー/LVMH チーフ ダイバーシティ&インクルージョン オフィサー
PROFILE: チャドとフランスにルーツを持つ。フランスのアフリカ大統領評議会のメンバーとしてアフリカの社会変革に取り組むほか、パリ政治学院の客員教師も務める。2020年、「マダムフィガロ」誌により“ウーマン・オブ・ザ・イヤー”に選出された。21年、LVMHに入社し、現職

認定NPO法人の東京レインボープライドは4月20、21日、「東京レインボープライド2024(TOKYO RAINBOW PRIDE 2024以下、TRP)」を代々木公園で開催した。LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON JAPAN以下、LVMHジャパン)は同イベントに企業として初めて協賛し、同社のカルチャーやブランドの歴史、ダイバーシティー&インクルージョン(以下、D&I)の取り組みを紹介するブースを出展。20日には、同社が手掛ける「パルファム ジバンシイ(PARFUMS GIVENCHY)」と連携し、写真家のレスリー・キー(Leslie Kee)による一般来場者の撮影会を開催。21日のプライドパレードには、LVMHジャパンとグループブランドの社員と家族が250人規模で参加した。

また、TRPと連動した写真展「スーパーLVMH 〜 アール・ド・ヴィーヴル(SUPER LVMH 〜 ART DE VIVRE)」を5月19日まで原宿・キャットストリートの「クリエイティブ スペース アカデミア 21」で開催している。賛同する世界各国のセレブリティー30組とLVMHエグゼクティブ30人を、レスリー・キーが撮り下ろした。

LVMHでチーフ D&I オフィサーを務めるヴァネッサ・ムンガー(Vanessa Moungar)に、同社がTRPに参加する理由やD&Iを推進する重要性について聞いた。

「個性の尊重と平等、平和を謳うメッセージ」

WWDJAPAN(以下、WWD):LVMHグループとしてTRPに参画する理由は?

ヴァネッサ・ムンガーLVMH チーフ D&I オフィサー(以下、ムンガー):“人々が違いを生む”と強く信じているから。全ての個人が、国籍や性自認、性的指向などに関わらず、自分らしく働ける環境づくりに取り組んでいる。TRPへの参加を通して、LVMHの強いメッセージを社員全員に届けたい。

昨年は“有言実行”をテーマに掲げた。企業が、「D&Iを重視している」とか「多様性を受け入れる社風だ」と言うのは簡単だ。しかし、役職などに関係なく多くの社員がTRPのために時間を割いて参加するというLVMHジャパンのスタッフの行動そのものが、LVMHの理念を明確に示している。

WWD:LVMHジャパンの参加を認めた理由は?

ムンガー:レインボープライドへの参加は各国のグループ会社の意思に任せており、参加を望む声があれば、本社は全力で支援する。LVMHジャパンや各ブランドの社員らは、数年にわたり自発的にTRPに参加してきた。その活動が広がり、今年はグループとしての協賛に発展した。

WWD:本国含め、LVMHとしてレインボープライドに参加している国は?

ムンガー:今年は東京を皮切りに、ロサンゼルス、パリ、ロンドン、マドリード、台湾、香港と続く。局所的な取り組みではなく、全世界でレインボープライドに参加していることを誇りに思う。D&Iは、世界中のLVMH社員が関心を持って真剣に取り組んでいるトピックだということを示している。

WWD:TRPに参加する意義は?

ムンガー:LVMHにはさまざまな部門と総計75のブランドがある時点で、すでに多様といえる。しかしそれ以上に、1つ1つのチーム内にも多様性が存在している。皆が同じであれば、お互いを理解し合う苦労もなく、より簡単かもしれない。しかし異なる個性を持った個人が団結し、同じ目標へ向かって挑む時、社員と社会の双方に非常にパワフルでポジティブな影響をもたらしうる。それは、個性の尊重と平等、平和を謳うメッセージだ。TRPへの参加は、私たちがこの主張にコミットしているという紛れもない証拠だ。

WWD:そもそも、LVMHにおけるD&Iオフィサーの任務とは?

ムンガー:主な任務は、D&Iに関するビジョンと戦略をグローバルレベルで推進すること。人事から調達、サプライチェーン、マーケティングまで、さまざまな役割の人々と連携し、どうしたらよりインクルーシブな会社にできるかを考え、実践している。

WWD:LVMHという世界的なコングロマリットにおける、D&Iの重要性とは?

ムンガー:冒頭でも話した通り、“人々が違いを生む”と信じている。多様な人々を引きつけ、才能を開花させ、できるだけ長く勤めてもらうためにも、社員1人1人が受け入れられていると感じられ、グループの成長のために最善を尽くせる環境を保証したい。80カ国以上で75ブランドを展開しているため、一度グループに入れば、才能を伸ばす無限の可能性がある。人が最大の財産と考えるLVMHにおいて、D&Iは戦略の主軸だ。長期的には、D&Iがグループの成功と持続可能性の根源になるだろう。

WWD:各国におけるD&Iの課題は?

ムンガー:無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)など世界共通の課題はあるが、それ以外はどれも各市場に特有だ。したがって、われわれは各国・地域の同僚と連携し、それぞれの実情にあった支援をする。日本で優先的に取り組んでいるのは、企業における女性の参画だ。LVMHグループは全社員の約70%が女性で、管理職とマネジャーの約65%が女性だ。これは“女性対男性”ではなく、バランスや多様性の問題だと捉えている。世界中のあらゆる会社の多様性を推進するためにも、TRPを通してLGBTQ+コミュニティーへのサポートと、インクルーシブな社風を示したい。

■写真展「SUPER LVMH ~ ART DE VIVRE」Photographed by Leslie Kee
日程:4月19日〜5月19日
時間:11:00~19:00
会場:クリエイティブ スペース アカデミア 21
住所:東京都渋谷区神宮前5丁目27番7号 アルボーレ神宮前 1F/2F

The post 東京を皮切りに世界中のレインボープライドに参加 LVMH本国トップが語る多様性への思い appeared first on WWDJAPAN.

東京を皮切りに世界中のレインボープライドに参加 LVMH本国トップが語る多様性への思い

PROFILE: ヴァネッサ・ムンガー/LVMH チーフ ダイバーシティ&インクルージョン オフィサー

ヴァネッサ・ムンガー/LVMH チーフ ダイバーシティ&インクルージョン オフィサー
PROFILE: チャドとフランスにルーツを持つ。フランスのアフリカ大統領評議会のメンバーとしてアフリカの社会変革に取り組むほか、パリ政治学院の客員教師も務める。2020年、「マダムフィガロ」誌により“ウーマン・オブ・ザ・イヤー”に選出された。21年、LVMHに入社し、現職

認定NPO法人の東京レインボープライドは4月20、21日、「東京レインボープライド2024(TOKYO RAINBOW PRIDE 2024以下、TRP)」を代々木公園で開催した。LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON JAPAN以下、LVMHジャパン)は同イベントに企業として初めて協賛し、同社のカルチャーやブランドの歴史、ダイバーシティー&インクルージョン(以下、D&I)の取り組みを紹介するブースを出展。20日には、同社が手掛ける「パルファム ジバンシイ(PARFUMS GIVENCHY)」と連携し、写真家のレスリー・キー(Leslie Kee)による一般来場者の撮影会を開催。21日のプライドパレードには、LVMHジャパンとグループブランドの社員と家族が250人規模で参加した。

また、TRPと連動した写真展「スーパーLVMH 〜 アール・ド・ヴィーヴル(SUPER LVMH 〜 ART DE VIVRE)」を5月19日まで原宿・キャットストリートの「クリエイティブ スペース アカデミア 21」で開催している。賛同する世界各国のセレブリティー30組とLVMHエグゼクティブ30人を、レスリー・キーが撮り下ろした。

LVMHでチーフ D&I オフィサーを務めるヴァネッサ・ムンガー(Vanessa Moungar)に、同社がTRPに参加する理由やD&Iを推進する重要性について聞いた。

「個性の尊重と平等、平和を謳うメッセージ」

WWDJAPAN(以下、WWD):LVMHグループとしてTRPに参画する理由は?

ヴァネッサ・ムンガーLVMH チーフ D&I オフィサー(以下、ムンガー):“人々が違いを生む”と強く信じているから。全ての個人が、国籍や性自認、性的指向などに関わらず、自分らしく働ける環境づくりに取り組んでいる。TRPへの参加を通して、LVMHの強いメッセージを社員全員に届けたい。

昨年は“有言実行”をテーマに掲げた。企業が、「D&Iを重視している」とか「多様性を受け入れる社風だ」と言うのは簡単だ。しかし、役職などに関係なく多くの社員がTRPのために時間を割いて参加するというLVMHジャパンのスタッフの行動そのものが、LVMHの理念を明確に示している。

WWD:LVMHジャパンの参加を認めた理由は?

ムンガー:レインボープライドへの参加は各国のグループ会社の意思に任せており、参加を望む声があれば、本社は全力で支援する。LVMHジャパンや各ブランドの社員らは、数年にわたり自発的にTRPに参加してきた。その活動が広がり、今年はグループとしての協賛に発展した。

WWD:本国含め、LVMHとしてレインボープライドに参加している国は?

ムンガー:今年は東京を皮切りに、ロサンゼルス、パリ、ロンドン、マドリード、台湾、香港と続く。局所的な取り組みではなく、全世界でレインボープライドに参加していることを誇りに思う。D&Iは、世界中のLVMH社員が関心を持って真剣に取り組んでいるトピックだということを示している。

WWD:TRPに参加する意義は?

ムンガー:LVMHにはさまざまな部門と総計75のブランドがある時点で、すでに多様といえる。しかしそれ以上に、1つ1つのチーム内にも多様性が存在している。皆が同じであれば、お互いを理解し合う苦労もなく、より簡単かもしれない。しかし異なる個性を持った個人が団結し、同じ目標へ向かって挑む時、社員と社会の双方に非常にパワフルでポジティブな影響をもたらしうる。それは、個性の尊重と平等、平和を謳うメッセージだ。TRPへの参加は、私たちがこの主張にコミットしているという紛れもない証拠だ。

WWD:そもそも、LVMHにおけるD&Iオフィサーの任務とは?

ムンガー:主な任務は、D&Iに関するビジョンと戦略をグローバルレベルで推進すること。人事から調達、サプライチェーン、マーケティングまで、さまざまな役割の人々と連携し、どうしたらよりインクルーシブな会社にできるかを考え、実践している。

WWD:LVMHという世界的なコングロマリットにおける、D&Iの重要性とは?

ムンガー:冒頭でも話した通り、“人々が違いを生む”と信じている。多様な人々を引きつけ、才能を開花させ、できるだけ長く勤めてもらうためにも、社員1人1人が受け入れられていると感じられ、グループの成長のために最善を尽くせる環境を保証したい。80カ国以上で75ブランドを展開しているため、一度グループに入れば、才能を伸ばす無限の可能性がある。人が最大の財産と考えるLVMHにおいて、D&Iは戦略の主軸だ。長期的には、D&Iがグループの成功と持続可能性の根源になるだろう。

WWD:各国におけるD&Iの課題は?

ムンガー:無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)など世界共通の課題はあるが、それ以外はどれも各市場に特有だ。したがって、われわれは各国・地域の同僚と連携し、それぞれの実情にあった支援をする。日本で優先的に取り組んでいるのは、企業における女性の参画だ。LVMHグループは全社員の約70%が女性で、管理職とマネジャーの約65%が女性だ。これは“女性対男性”ではなく、バランスや多様性の問題だと捉えている。世界中のあらゆる会社の多様性を推進するためにも、TRPを通してLGBTQ+コミュニティーへのサポートと、インクルーシブな社風を示したい。

■写真展「SUPER LVMH ~ ART DE VIVRE」Photographed by Leslie Kee
日程:4月19日〜5月19日
時間:11:00~19:00
会場:クリエイティブ スペース アカデミア 21
住所:東京都渋谷区神宮前5丁目27番7号 アルボーレ神宮前 1F/2F

The post 東京を皮切りに世界中のレインボープライドに参加 LVMH本国トップが語る多様性への思い appeared first on WWDJAPAN.

ステラ・マッカートニーがラグジュアリー、注目の技術、グリーンウォッシュを語る

PROFILE: ステラ・マッカートニー

ステラ・マッカートニー
PROFILE: 1971年英国ロンドン生まれ。95年ロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズ校卒業。97年「クロエ」のクリエイティブ・ディレクター就任。ケリングとのパートナーシップにより出資比率50対50としたジョイントベンチャーでステラ マッカートニーを設立し2001年10月にデビュー。04年アディダスと長期パートナーシップ締結。18年4月からケリングの保有していた50 %の株式を取得し独立企業に。19年7月、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトンとの提携を発表

ステラ・マッカートニーは今、何を思いどのように行動しているのか。「WWDJAPAN」は数年にわたり、サステナブル・ファッションをけん引するステラに、日々変化する状況を踏まえて質問を投げかけてきた。今回は、改めて考えてみたいラグジュアリーという言葉や難易度もコストも高い廃棄物利用、グリーン・ウォッシュへの対応について聞いた。

WWD:年々地球環境が危機的状況にある、というニュースを耳にする機会が増えている。ファッションを楽しむことと、地球環境の保護を両立できると思うか?

ステラ・マッカートニー(以下、ステラ):私はブランド設立時からレザー、羽毛、毛皮、エキゾチックレザーを使用していません。これは母なる地球を守るための大きな一歩です。アマゾンの森林伐採地域の80%が牛肉や皮革のための牛の飼育に直結していることをご存知ですか?畜産業は世界の温室効果ガス排出量の14.5%を占めており、これは航空産業全体よりも多いのです。

しかし、多くの人はハンドバッグや新しい洋服を買うとき、このようなことを考えません。私は望むものを妥協する必要はないと思っています。私たちは、環境負荷の少ない代替素材に投資し、先駆的なテクノロジーを駆使して革新しています。私たちが取り組んでいるのは、動物や地球に害を与えず、美しくラグジュアリーなファッションを手にすることができる、より良い方法があることを人々に伝えること。

そういったイノベーションとそれを支えるイノベーターたちを称えたのが、パリでの2024年サマーランウェイショー、ドバイで開催されたCOP28、そして今回の伊勢丹新宿本店で行った「ステラズサステナブルマーケット」です。私は、日本のコミュニティの情熱が大好きで、植物、ブドウ、リンゴから作られたレザーの代替素材や、私たちの他の最先端技術を紹介したいと思い、日本で行いました。イノベーションは、より地球に優しい未来に向かうために必要不可欠なものだから、私たちの取り組みを共有することで、ファッション業界だけでなく、それ以外の分野の人たちにもインスピレーションを与えられることを願っています。

WWD:春夏キャンペーンは、リサイクル工場を舞台に撮影をし、循環型社会への移行を訴求した。廃棄物の活用は、回収や分類に始まり、サプライチェーンの再構築、素材の品質担保のための技術革新などが欠かせないが、これらは難易度が高くコストもかかる。それでも廃棄物を活用する意義について改めて教えてほしい。

ステラ:私は、母なる地球から素材を採取することを止め、彼女の再生に貢献できるよう、リサイクル素材とリジェネラティブ素材のみを使用することを達成したいと考えています。従来の選択肢を使う方がはるかに簡単で安価ですが、次世代の素材に投資しなければ、ステラではありません。

アイコンバッグ“ファラベラ”が、ボディにリサイクル素材や、ハンドルにリサイクルブラスやリサイクル可能なアルミニウムのチェーンを用いることで進化してきたことをとても誇りに思っています。これは始まりにすぎず、私は常に調達やサプライチェーンの改善をチームに働きかけています。

私を知る人なら誰でも、私が廃棄物を嫌っていることを知っています。毎秒トラック1台分の衣類が埋立地や焼却炉に運ばれます。ファストファッションは年間1000億着以上の衣料品を生み出していますが、リサイクルされているのはその1%にも満たないのです。

24年サマーキャンペーンでは、廃棄物の中に見出される美しさを強調し、より循環的な未来への希望を鼓舞したかった。コレクションはこれまでで最もサステナブルなもので、ノナソース(NONA Source)のデッドストック生地の再利用を含め、95%が環境に配慮した素材から作られています。リサイクル素材を使うことで、必要なエネルギーはバージン繊維生産の半分以下となり、地球から多くの資源を採取する必要がなくなります。

キャンペーンでは、プロテインエヴォリューション(Protein Evolution)社のバイオピュア(BioPure)テクノロジーから作られた世界初のパーカーを撮影しました。このテクノロジーは、酵素と技術の融合により、プラスチック廃棄物を無限にリサイクル可能なポリエステルに変えるという驚くべき革新技術です。私は、共同設立したSOSファンド(SOS Fund)サステナブル投資ファンドであるを通じてこれを支援しており、その可能性にこれ以上ないほど期待しています。

WWD:廃棄物を原料とした素材について。サプライチェーン構築から行ったヴーヴ・クリコとの協働プロジェクトでは、ブドウの残渣や、プレコンシューマー、ポストコンシューマーのコルクを活用したプロダクトをわずか18カ月で開発した。特に苦労した点は?

ステラ:23年以上この仕事に携わってきて言えるのは、あらゆる素材の革新には課題があるということ。幸いなことに、「ヴーヴ・クリコ」でサステナビリティ、革新、再生への情熱が私と一致するパートナーを見つけることができました。マダム・クリコ自身が女性のパイオニアであり、私たちがレザーに代わる次世代素材に使用したブドウが、彼女が200年ほど前に購入したフランス・ランスのブドウ園で収穫されたものであることを、とても気に入っています。

私たちはすでにベジア社(VEJEA)と、ブドウをベースにした動物性レザーの代替素材に取り組んでいて、彼らがヴーヴ・クリコとのコラボレーションで提携し、18ヶ月でこの素材を作り上げました。彼らとは、地球への影響を最小限に抑えながら最もラグジュアリーな製品を作るという私たちのビジョンを分かち合っています。この代替素材は、80%が植物由来、再生可能、そしてリサイクル原料で作られています。

WWD:あなたが考えるラグジュアリーとは何か。

ステラ:真のラグジュアリーとは、自分たちが着たいと思う服やアクセサリーを、生き物や母なる地球に害を与えていないと知りながら身につけられることや、誇りを持って次の世代に引き継ぎ、彼らもまた身に付けたくなるようなタイムレスな製品です。真のラグジュアリーとは、デザイン、伝統的な職人技、高い品質だけでなく、素材革新やサステナブルな解決策を生み出す先駆的な思考を評価する必要があることを私たち全員が理解する必要があります。それこそが、私たちの作品を希少で特別なものにします。

WWD:重視している技術・技法について、最新技術はもちろん、今見直されている伝統技法で、注目しているものあれば教えてほしい。例えば、伝統技法はあなたの制作活動にどのような役割を果たしているか?

ステラ:その完璧な例が、15年前に発売され、ヴィーガンバッグの起源となった、ブランドのアイコン“ファラベラ”バッグです。私たちは、動物皮革に代わる代替素材を扱うために、イタリアのなめしなどの職人に対して改めてトレーニングを実施してきました。“ファラベラ”には、他の高級バッグと同じレベルの職人技が施され、残酷性が一切ありません。ファラベラの象徴であるチェーンは、ひとつひとつ手作業で穴を開けたバッグ本体に、オーガニックコットンの紐で取り付けられています。これは、私たちの地球が必要としているリサイクル、バイオベース、そしてサステナブルな解決策を見据えながら、お客さまが求める伝統的な技法や技術を用いたものです。

WWD:グリーン・ウォッシュと言われることを恐れてサステナビリティの発信を控える企業や人が増えていると聞く。この傾向についてどう思うか?批判を恐れている人にアドバイスがあれば。

ステラ:グリーン・ウォッシュを避ける最善の方法は、自分たちが行ってきたこと、あるいは行っていることだけを伝えることです。言うばかりでなく、実際に行動することで、実直で透明性があり、信頼できる発言になります。行動は言葉よりも説得力を持ちます!

The post ステラ・マッカートニーがラグジュアリー、注目の技術、グリーンウォッシュを語る appeared first on WWDJAPAN.

「シーピー カンパニー」デザイナー2人の野心 幅広い層の心をつかむ機能美と革新性

イタリア・ボローニャ発の「シーピー カンパニー(C.P. COMPANY)」が、日本初の旗艦店を2月にオープンした。同ブランドを1971年に立ち上げた故マッシモ・オスティ(Massimo Osti)は、エロルソン・ヒュー(Errolson Hugh)やキコ・コスタディノフ(Kiko Kostadinov)ら、テクニカルなウエアを得意とするデザイナーたちに影響を与えた人物で、 “The Godfather of Urban Sportswear”とも称されている。

「シーピー カンパニー」は、縫製後に染色を施すことで独特な色味と生地感に仕上げる技術“ガーメントダイ”をはじめ、通常は紙に用いる印刷方法でTシャツを制作するなど、グラフィックデザイナーだった故マッシモの経験を生かした革新的なアイデアを数多く導入。同時に、現代では定番となったミリタリーウエアやワークウエアの機能性にいち早く着目し、ファッションアイテムへと昇華させた比類なきブランドだ。

同ブランドが生み出した数々のアイテムは、デザインだけでなく生地開発や染色技術と結実しており、そのどれもがトレンドに左右されず、時代を越えてもエバーグリーンな輝きを放つ。現在もコアなファンから若い世代まで幅広い層の支持を集め、ビンテージ市場でアーカイブの価値が年々上がっているのは、半ば必然ともいえるだろう。

そして、故マッシモの飽くなき探究心と愚直な姿勢は、現在ヘッドデザイナーを務めるポール・ハーヴェイ(Paul Harvey)とアレッサンドロ・プンジェッティ(Alessandro Pungetti)の2人にも引き継がれている。旗艦店オープンのタイミング来日した、ハーヴェイとプンジェッティ、さらにマッシモの息子であるロレンツォ・オスティ(Lorenzo Osti)社長兼GMの3人へのインタビューから、「シーピー カンパニー」を解き明かす。

「意匠性との二者択一であれば機能性を選ぶ」

PROFILE: ポール・ハーヴェイ/「シーピー カンパニー」デザイナー

ポール・ハーヴェイ/「シーピー カンパニー」デザイナー
PROFILE: 1957年生まれ、イギリス・ミドルズブラ出身。ロンドンのセントラル・セント・マーチンを卒業後、イタリアに渡ってフリーランスデザイナーとして「モンクレール」「フィオルッチ」「ベネトン」などの仕事を15年間手掛けた。94年からは当時「シーピー カンパニー」内のレーベルだった「ストーンアイランド」のデザイナーを12年間務めた後、「シーピー カンパニー」のデザイナーに就任 PHOTO:KO TSUCHIYA

ーーまずは、二人が「シーピー カンパニー」のヘッドデザイナーに参画した経緯を教えてください。(注:1971〜1998年はマッシモ・オスティが、1998〜2001年はモレノ・フェラーリがヘッドデザイナー)

アレッサンドロ・プンジェッティ(以下、プンジェッティ):私は、「シーピー カンパニー」の創設地でもあるボローニャ生まれなので、ブランドとマッシモ・オスティのことは早くから知っていたんだ。そして、1990年代に別のブランドでデザイナーとして働いていたところ、当時オーナーだったカルロ・リヴェッティ(Carlo Rivetti、現ストーンアイランド会長兼クリエイティブ・ディレクター)に声をかけられて2001年から働き始めた。それからしばらくして、「シーピー カンパニー」がある企業とコラボをすることになった際、仲介人から「素晴らしいデザイナーがいる」と紹介されたのが、友人のポールだったんだ。

ポール・ハーヴェイ(以下、ハーヴェイ):アレッサンドロとは1990年代から知り合いで、2012年に2人で「テン シー(TEN C)」というブランドも立ち上げている。その後「シーピー カンパニー」でも一緒に働くようになったのさ。

ーー「シーピー カンパニー」といえば、設立時からミリタリーウエアやワークウエアを着想源とした機能性が特徴の一つです。意匠性とのバランスをはじめ、デザイン時に留意している点はありますか?

ハーヴェイ:世界中で聞かれる質問だ(笑)。「シーピー カンパニー」の洋服をデザインする上で、それぞれのディテールには意味があって機能すべきだと考えているから、意匠性との二者択一であれば機能性を選ぶ。意味のない装飾としてのディテールは、極力デザインしたくないな。

ーー“Form follows function(形態は機能に従う)”ですね。

ハーヴェイ:まさに。“Functional beauty(機能美)”という言葉が存在しているように、デザインの根底には機能があるんだ。

「全てが着想源。それらをどう昇華していくか」

PROFILE: アレッサンドロ・プンジェッティ/「シーピー カンパニー」デザイナー

アレッサンドロ・プンジェッティ/「シーピー カンパニー」デザイナー
PROFILE: 1956年生まれ、イタリア・ボローニャ出身。機械工学の製図技師として働いた後、ファッションデザイナーに転身した。フリーランスのデザイナーとして「ゼニア」や「アイスバーグ」などに携わる。94年にポール・ハーヴェイと共に「ストーンアイランド」に加わり、ニットウエアのデザインを6年間行った。2001年から現職 PHOTO:KO TSUCHIYA

ーー機能性と同時に、生地開発や染色技術もブランドの不可欠要素ですが、デザインありきなのか、もしくは逆か。完成までのプロセスを教えてください。

ハーヴェイ:生地先行のデザイン思索とデザイン先行の生地選択、そのどちらのアプローチもあり得る。

プンジェッティ:コレクション全体のバランスで考えており、どちらかといえば生地先行が多いかもしれない。ただ、アイテムのデザインを入口に私たちからテキスタイルサプライヤーに開発を依頼することも多々ある。逆に、彼らが新しい生地を開発したらすぐに提案してくれるし、どんな生地が欲しいかも逐一聞いてくれるんだ。彼らもチームの一員として行動を共にしている感覚に近い。

ーー提案された生地からアイテムのアイデアが生まれることもある?

プンジェッティ:生地や素材だけでなく、技術、体験、他のブランドの洋服、ユニホームなど、全てが着想源さ。それらをどうイノベーティブなアイテムに昇華していくかが、「シーピー カンパニー」の考え方だ。

ハーヴェイ:「シーピー カンパニー」にルールはない。基本的に、常にイノベーティブなアイテムを生み出したい欲望があるんだ。

ーー着想源というと、他ブランドの多くはシーズンごとに映画や音楽、旅など、明確なテーマを設けてコレクションを制作しますよね。

ハーヴェイ:われわれもシーズンごとにコレクションを発表しているから、同様の発想で制作することはできるけど、実行には移さないと思う。

ーーでは、数多くの生地や加工の中で気に入っているものはありますか?

プンジェッティ:あまりにも多すぎるからな……。あえて挙げるとするならば、泥染加工の“ティントテラ(Tinto Terra)”だ(注:土を原料とした天然色素を利用し、素材に虹色の光沢を与える加工法)。

ハーヴェイ:いろいろな生地と技術を組み合わせているから難しいが、われわれの「ゴアテックス」の使い方は面白いと思っている(注:世界で初めて同素材のガーメントダイを成功させている)。

1988年のエポックメイキングな発明

ーー1988年に誕生したジャケット“ミッレ ミリア(MILLE MIGLIA、通称ゴーグルジャケット)”のゴーグルとウォッチビューアーレンズのディテールは、今ではブランドのシンボルとなっていますよね。

プンジェッティ:どちらも現代では優れた機能性を誇るわけではないが、本来は純粋な意味があったディテールだからこそ、年月を経ていく中でシンボルへと確立していったのだろう。特にウォッチビューアーレンズは、さまざまな箇所にあしらわれるようになったことで機能性を損なった反面、それ自体がブランド力を持つようになったと考えている。

ハーヴェイ:ゴーグルジャケットは、いつだってクリエイションの源だ。例えば、実際にゴーグルを使用しようとすればフードを被る以外の方法はないから、フードは絶対に必要なパーツになる。では、Tシャツしか着用していない場合は?といった具合だ。ウォッチビューアーレンズのデザインも本当に大変で、袖の横にあしらうと人や壁に当たる可能性が高まり、時計の真上ではレンズに触れて傷が付く。時間を確認する際には、レンズを時計に近付けるために袖をギュッと引っ張る必要がある。言ってしまうと、機能性は低い(笑)。だが、設立当初からシンボリックなデザインがなかった「シーピー カンパニー」にとって、ゴーグルとウォッチビューアーレンズをデザインとして落とし込めるようになったことは、エポックメイキングな発明だったんだ。

ーー“ミッレ ミリア”などのアーカイブアイテムを振り返り、最新コレクションに生かすことはよくあるのでしょうか?

ハーヴェイ:アーカイブに時間を費やすことは全くないと言っていい。

プンジェッティ:倉庫にアーカイブを見に行くことはあるが、頻繁ではない。過去のアイテムは全て頭に入っているし、立ち戻っばかりだと繰り返しになってしまう。過去の真似ごとと、ヘリテージへのリスペクトは別物だ。

ーー「シーピー カンパニー」のアーカイブアイテムが昨今ビンテージ市場で人気を博している現象についてはどう考えますか?

プンジェッティ:一度市場に出たアイテムは、個の命を持っているものとしてコントロールすべきではない。そのためビンテージ市場には介入せず別の土俵だと割り切っているが、人気を集めているのは本当にハッピーなことだ。

ロレンツォ・オスティ(以下、オスティ):これに関しては、私からも言いたいことがある。私たちとは別のプレーヤーによるこの事象は、洋服の耐久性と世代を越えて愛されていることを示す何よりの証拠だ。そして、長く着続けられていることは、結果としてサステナビリティにもつながる。素晴らしいことでしかないよ。

ーー現行とアーカイブの双方でファンを獲得している理由の一つは、ヘリテージとモダンという相対する価値観の共存だと思います。

ハーヴェイ:常に挑戦し続けてきたので、「長年にわたって、変わらず同じことを続けてきた」とは言いたくないが、その継続性にオーセンティシティー(普遍性、信頼性)を感じ取ってくれているのだろう。変わらないことに意味を見出せない人がいる一方で、そこに“本物”という価値観を見出してくれる人もいる。歴史を守りながら方向性は変えず進化していくーーいい意味でグレーゾーンな部分が魅力になっているのだと思う。

常に探求を続ける貪欲な姿勢

ーー二人が思う「シーピー カンパニー」のDNAとは?

ハーヴェイ:よく聞かれるが、難しいから次の質問で。というのは冗談(笑)。個人的には、常にイノベーティブであること。機能性という概念や、アイテムの命が長く続くための生地選びも重要だが、それはあくまで一部のこと。DNA自体が複雑な構造のように、他にも多くの要素があって言い尽くせないな。

プンジェッティ:マッシモ・オスティという人物が始めたブランドだから、彼の存在そのものが着想源。それをどう現代的に解釈するかがブランドのDNAだ。

ーー最後に、2024年はマッシモ・オスティの生誕80周年です。何か企画していることはありますか?

オスティ:今年中に新レーベル「マッシモ オスティ ストゥディオ(MASSIMO OSTI STUDIO)」を本格的に浸透させたい。「シーピー カンパニー」の中の一つのレーベルとしての位置付けで、最先端の技術を駆使した、実験的なプロダクトを今後も小規模で発表していく予定だ。また、父が遺したイノベーションの多くは、残念ながらファッションスクールではあまり伝えられていない現状にあるので、将来的にファウンデーションの設立を視野に入れている。そして、2025年は父の死後20年という節目のため、大規模な回顧展を企画中だ。東京を含む、世界中の都市を巡る予定だから楽しみにしていてほしい。

The post 「シーピー カンパニー」デザイナー2人の野心 幅広い層の心をつかむ機能美と革新性 appeared first on WWDJAPAN.

「ステュディオス」が米国初出店 NYのOC跡地に5月11日オープン

TOKYO BASEは5月11日、ニューヨークに米国初店舗となる「ステュディオス トウキョウ ニューヨーク(STUDIOS TOKYO NEWYORK)」をオープンする。2020年に閉店していた、ソーホー地区の名物ショップだった「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」の跡地。合わせて現地ECも開設する。

売り場面積は、約231平方メートル。内装は他の「ステュディオス トウキョウ」同様に建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICEが手掛け、畳を使ったフィッティングルームなどジャパニーズテイストを前面に出す。原宿本店の店長ら「エース級の販売力があるスタッフ」3人を現地に派遣し、開店当初は「ソフネット(SOPHNET.)」「アンダーカバー(UNDERCOVER)」「N.ハリウッド(N.HOOLYWOOD)」など約12ブランドを取り扱う。

谷正人・最高経営責任者(CEO)は、「気をてらったことはせずに、強みが生かせるブランドラインアップでまずは勝負する。現地の反応を見ながら徐々に軌道修正を加えていくつもりだ。同店をきっかけに可能性を見極め、米国内での出店戦略は考えていく」とコメント。初年度中に黒字化を目指すという。

「ステュディオス トウキョウ」は、「ステュディオス」のハイエンド業態。神南店のほか、広州店、深圳店、北京店に出店する。同社の中国事業はコロナ以降、苦戦している。一方で、谷CEOは企業理念である「日本初を世界へ」を実現するため2028年1月期を最終年度とする中期経営計画では、世界の主要10都市への出店を目標に掲げ海外事業は拡大する方針。24年1月期末の海外店舗数は中国本土12店舗、香港3店舗。なお、25年1月期中に中国本土の4店退店し、不採算店舗撤退を完了させる。

The post 「ステュディオス」が米国初出店 NYのOC跡地に5月11日オープン appeared first on WWDJAPAN.

「ステュディオス」が米国初出店 NYのOC跡地に5月11日オープン

TOKYO BASEは5月11日、ニューヨークに米国初店舗となる「ステュディオス トウキョウ ニューヨーク(STUDIOS TOKYO NEWYORK)」をオープンする。2020年に閉店していた、ソーホー地区の名物ショップだった「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」の跡地。合わせて現地ECも開設する。

売り場面積は、約231平方メートル。内装は他の「ステュディオス トウキョウ」同様に建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICEが手掛け、畳を使ったフィッティングルームなどジャパニーズテイストを前面に出す。原宿本店の店長ら「エース級の販売力があるスタッフ」3人を現地に派遣し、開店当初は「ソフネット(SOPHNET.)」「アンダーカバー(UNDERCOVER)」「N.ハリウッド(N.HOOLYWOOD)」など約12ブランドを取り扱う。

谷正人・最高経営責任者(CEO)は、「気をてらったことはせずに、強みが生かせるブランドラインアップでまずは勝負する。現地の反応を見ながら徐々に軌道修正を加えていくつもりだ。同店をきっかけに可能性を見極め、米国内での出店戦略は考えていく」とコメント。初年度中に黒字化を目指すという。

「ステュディオス トウキョウ」は、「ステュディオス」のハイエンド業態。神南店のほか、広州店、深圳店、北京店に出店する。同社の中国事業はコロナ以降、苦戦している。一方で、谷CEOは企業理念である「日本初を世界へ」を実現するため2028年1月期を最終年度とする中期経営計画では、世界の主要10都市への出店を目標に掲げ海外事業は拡大する方針。24年1月期末の海外店舗数は中国本土12店舗、香港3店舗。なお、25年1月期中に中国本土の4店退店し、不採算店舗撤退を完了させる。

The post 「ステュディオス」が米国初出店 NYのOC跡地に5月11日オープン appeared first on WWDJAPAN.

「ダイソン」からブランド史上最軽量のヘアドライヤー“ダイソン スーパーソニック r ヘアドライヤー”誕生 日本先行カラーも登場

「ダイソン(DYSON)」は、ブランド史上最軽量のヘアドライヤー“ダイソン スーパーソニック r ヘアドライヤー”(全3色、各5万9000円※編集部調べ)を直営店や公式サイト、百貨店、提携ヘアサロン、家電量販店で4月18日から順次発売する。一足早く発売したプロモデルは1色展開だが、一般向けモデルは3色を用意。セラミックピンクは真珠からインスアパされたカラーで、日本先行で展開となる。

「ダイソン」は2016年にビューティ分野に進出。以降、得意とするモーター技術と革新的な発想でユニークなヘアケア商品を手がけてきた。その中で世界各国のヘアスタイリストから、ドライヤーの重量についての意見を多く得たことから、小型化と軽量化を実現した“ダイソン スーパーソニック r ヘアドライヤー”が誕生した。

同商品は人間工学に基づき設計された“r”を彷彿とするユニークな形状で、重量わずか325gと既存商品と比べて20%軽量化、30%の小型化を実現した。また、新開発の流線形のヒーターテクノロジーによって、気流の均一な加熱を実現し、インテリジェント・ヒートコントロール機能が熱ダメージから髪を守りながら、素早く乾かすことを可能とした。速乾・低温・なめらかツールと3種のアタッチメントを用意。本体と連動するRFIDセンサーを搭載し、本体に装着すると瞬時に最適な風速と風温を自動調節し、それら風速と風温を記憶する機能も持つ。

カラーは、日本先行のセラミックピンクとピンカブルー/トパーズ、セラミックパティーナ/トパーズの3色をそろえる。ヒーローカラーのセラミックピンクは、真珠からインスピレーションを受け、淡いピンク色で光沢を感じる仕上げとなっている。

4月18日開催したお披露目会にはイギリス本国からキャサリーン・ピアース=ダイソンビューティー プレジデントやギャビン・ギャリガン=ダイソン エンジニア、ダイソン ヘアケアアンバサダーの新木優子が登壇した。新木は「髪が長いので乾燥する際のドライヤーの重量が気になっていて、乾かす時間も短縮したいと思っていた。“ダイソン スーパーソニック r ヘアドライヤー”は髪のダメージも軽減し、軽くさらっと仕上がる点も気に入っている」とコメントした。

ビューティ分野の開発に955億円を投資

キャサリーン・ピアース=ダイソンビューティー プレジデントに新商品を開発した背景や今後の展望を聞いた。

WWD:“ダイソン スーパーソニック r ヘアドライヤー”開発のヒントになったのは?

キャサリーン・ピアース=ダイソンビューティー プレジデント(以下、ピアース):世界中のヘアスタイリストがどのような機能を求めているかに耳を傾けていた。サロンワークをする中で、視界が妨げられないことが重要だと理解した。あとは、1日中作業をする中でドライヤーの重量がストレスになっていることが分かった。そこで軽量化、小型化を実現し、ヘアスタイリストのパフォーマンス向上に役立つ“ダイソン スーパーソニック r ヘアドライヤー”を開発した。

WWD:商品化にあたり苦労した点は?

ピアース:全ての面かな(笑)。確実にパワフルでありながら、そしてパフォーマンス性も高くありながら、同時に軽量であって小さくある、 そういうものを開発する必要があった。それにはヘッド部分に搭載したヒーターがポイントで、流線型で空気を動かしそこで温めてエアフローの中で均一な風温をかなえた。

WWD:“r”の形状にした狙いは。

ピアース:人間工学的により心地よく使える形状が“r”だった。後頭部など従来は届きにくかった箇所もカバーできるようになった。まるで自分の手の延長のような形で使いやすさを追求した。内側に冷風を放つコールドショットを設置することで、温風と冷風の切り替えがスムーズにできるようになった点もポイントだ。

WWD:メンテナンスも容易にできる仕様とした。

ピアース:大前提として商品の耐久性を約束している。本体下部のフィルターユニットは簡単に外せ、水洗いを可能とした。このメンテナンスでフルパフォーマンスにすぐに戻ることができる。

WWD:ビューティ商品は今後も拡充していく。

ピアース: 22年にビューティ商品の開発に5億ポンド(約955億円)投資した。4〜5年をかけて20の新商品を展開する予定で、今年だけでも3商品を発売している。ビューティ分野に関しても熱意をもって開発していて、成長もしている。今後も新しいニュースを伝えていくので期待してほしい。

The post 「ダイソン」からブランド史上最軽量のヘアドライヤー“ダイソン スーパーソニック r ヘアドライヤー”誕生 日本先行カラーも登場 appeared first on WWDJAPAN.

新宿「駅ナカ」に「トレンドグルメ」のワケ、狙いをルミネ社長に直撃

ルミネは4月17日、JR新宿駅構内に飲食を中心とした商業施設「イイトルミネ(EATo LUMINE)」をオープンした。出店テナント数は28店舗で、そのうち実に22店舗がルミネ初出店。とはいえ女性に強いルミネらしく、「トレンドグルメ」を軸に「タイパ(タイムパフォーマンス)」や「ウェルパ(ウェルネスパフォーマンス)」といったキーワードを散りばめ、人気・実力ともに高いスイーツやフード、コスメ店舗を導入した。1681駅を展開するJR東日本でも最大の1日80万人近い乗客数を誇る新宿駅で、ライフスタイルを切り口にした狙いは何か。JR東日本時代には東京駅の「グランスタ」開発やスーパー紀伊國屋のM&Aなどを手掛けてきたルミネの表輝幸社長に聞いた。

表輝幸/ルミネ社長(中央) プロフィール

(おもて・てるゆき)早稲田大学大学院理工学研究科を修了し、同年にJR東日本に入社。ホテル、住宅、新規事業開発などに従事し、2000年日本レストラン調理センター社長にグループ最年少で就任。その後高級スーパーの紀ノ國屋のM&A、東京駅グランスタ開発などを手掛け、11年からルミネ常務取締役、専務取締役を経て、16年にJR東日本の執行役員、21年から常務執行役員、23年6月から現職

WWD:テナント構成の狙いは?

表輝幸ルミネ社長(以下、表):駅ナカなので当然「タイパ」に優れつつ、毎日来ていただいても楽しさを提供できる「トレンドグルメ」を打ち出し、かつウェルネスや健康にも配慮した「ウェルパ」も取り入れた。ルミネは20〜30代の女性が中心顧客層だが、「イイトルミネ」はより幅広い客層を想定しており、インバウンドやお土産といった要素も取り入れている。特にお土産やお持たせは、日本ならではの考え方で、「イイトルミネ」発の”お土産”や”グルメ”を生み出したい。

WWD:MDは「トレンドグルメ」「ウェルパ」といったルミネの持ち味であるライフスタイルを切り口にした。「駅弁」といったすでに東京駅で大成功を収めているモノ軸でも良かったのでは?

表:駅や地域によってしっかり個性を打ち出していくべきだ。東京駅には東京駅の、新宿駅には新宿駅の個性があるべきで、その意味では新宿駅といえば、ルミネであり、ルミネらしさとは、毎日の生活を楽しくするライフスタイルが切り口になる。


WWD:ルミネにとっても、ここまで本格的な飲食は初めて。今後の成功の可否を握るのは?

表:やはり仮説を検証しつつ、ニーズに沿って修正していく変化対応だろう。これはもちろん既存のルミネでも最も重視していることだが、「イイトルミネ」はさらにスピードが要求される。ファッションのトレンドも相当なスピードだが、「イイトルミネ」は毎日訪れるお客さまを想定している。毎日来てもなにか新しい発見やコト・モノが要求されている。その意味ではファッション以上にスピード感のある商品開発や仕掛けが必要になる。

WWD:相乗効果への期待は?

表:もちろん大いにある。ルミネの強みは、掛け算であり、今回はウェルネスやタイパといったキーワードを掛け合わせることで、新商品や新業態の開発にもつながった。「イイトルミネ」で得たノウハウやテナントとのつながりは、他のルミネ店舗にも今後どんどん生かしていく。

WWD:2月13日から、JR東日本グループのJREポイントの連携がスタートした。そのメリットは?

表:新規顧客の開拓の面で、かなり強力な武器になる。ルミネカードは既存の顧客にかなり活用してもらっているが、20〜30代の女性が中心で、その起点もクレジットカードになる。一方でZ世代以下のクレカを持っていなかったり、クレカよりも電子決済やバーコード決済を使う層やシーンは着実に増えている。JREポイントと連携することで、若年層や男性などの新規のユーザー層を掘り起こし、獲得することが可能になる。

The post 新宿「駅ナカ」に「トレンドグルメ」のワケ、狙いをルミネ社長に直撃 appeared first on WWDJAPAN.

アーバンリサーチのオリジナルブランド「ラート」が新宿ルミネで初のポップアップ

アーバンリサーチのオリジナルブランド「ラート(LAATO)」が、新宿ルミネ12階イベントスペースでブランド初のポップアップストアを出店中だ。会期は4月29日まで。

「ラート」は2020年春夏シーズンに、EC専業ブランドとしてスタート。過去に「ケービーエフ(KBF)」などのディレクターを務めたアーバンリサーチの中林智佳がディレクションする。

 特徴は柔らかなカラーリングとリラックス感のあるシルエット。そこに深めのスリットやフリルなどのディテールでさりげない女性らしさを加えている。たとえば、2024年春夏コレクションから1枚でスタイリングが決まる襟付きのオールインワン(1万8700円)はワイドなシルエットながら細いウエストベルトや小さめのボタンで華奢さを加えた。クロップド丈のスタンドカラーシャツ(1万4300円)は、「エッグ」と名付けた優しい黄色でブランドらしさを表現する。サマーニットのカーディガン(1万4300円)は、程よい透け感とVネックで肌を見せる。

コンセプトは「わたしはわたし」

 中林ディレクターは、「年齢やテイストでターゲットは定めていない。『わたしはわたし』をコンセプトに、いろんな人が好きなように着て楽しめる提案を心がけている。スタート以降、『ラート』の色味を気に入ってくださる人は多い」と話す。

ポップアップストアでは、淡い色味を中心としたインテリアでブランドの世界観を表現。2024年春夏コレクションのほか、さまざまな着方ができるフリルキャミソール(8250円)の新色と、牛革の巾着バッグ(1万5400円)の限定品を販売する。税込1万3000円以上購入した人を対象に、コレクションのセットアップと同じプリント柄のエコバッグを、税込2万円以上購入した人にはニットバッグをプレゼントする。

「今回はたまたまご縁があって初のポップアップストアを開くことができた。ゆくゆくは出店や卸も視野に入れて、成長させたい」と中林ディレクター。

The post アーバンリサーチのオリジナルブランド「ラート」が新宿ルミネで初のポップアップ appeared first on WWDJAPAN.

ドリームワークスが「ユニバーサルオーバーオール」の全世界商標権取得 100年のレガシーを引き継ぎ世界へ販路拡大

OEMや海外ブランドのライセンス事業を手掛けるドリームワークス(DREAMWORKS)が、米シカゴ発の老舗ワークウエアブランド「ユニバーサルオーバーオール(UNIVERSAL OVERALL)」の全世界商標権を創業家から譲り受けた。同社は2016年にグローバル販売権を取得。企画から生産、販売まで行っており、19年には渋谷に直営店をオープン。国内200カ所とアジアに卸を展開している実績が評価された。

「ユニバーサルオーバーオール」にとって今年は創業100周年のアニバーサリーイヤーでもある。3月19日、東京・恵比寿で関係者に向けて記念パーティーを開催し、創業家出身のサラ・エッカーリング・グリーンバーグ(Sara Eckerling Greenberg)社長兼最高経営責任者(CEO)と夫のジェイソン・グリーンバーグ(Jason Greenberg)営業部長兼最高執行責任者(COO)が来日。ここではブランドの過去のアーカイブを振り返るとともに、サラ社長兼CEOとジェイソン営業部長兼COOにインタビュー。100周年を迎えた今の気持ちと同社への期待を聞いた。

東南アジア・ヨーロッパを中心に
海外販売を強化

ドリームワークスのもと、「ユニバーサルオーバーオール」が次の100年に向けて強化するのは、海外販売だ。すでに同社が手掛けている香港・台湾・中国・韓国に加えて、東南アジアやヨーロッパを中心に新規卸先の開拓とブランド単独店出店を計画。2025年には海外売上高10億円(小売価格)を目指す。一方の日本国内においては、今後はカジュアルウエア・雑貨以外の分野を拡大し、作業服市場にも参入しながら、現状の国内売上高約30億円規模から50億円規模への成長を中長期目標に掲げる。

ファッション市場に浸透させた
ドリームワークスの功績を評価

本国のサラ社長兼CEOは「我々はユニフォームの品質にこだわり、100年にわたってブランドを確立してきた。アメリカの厳しい環境下を働くワーカー達を支えてきたクオリティーが最たる魅力だ」とふまえたうえで「節目の瞬間をドリームワークスと共有できることがとても幸せだ。これを実現できたのも、両者の友好的な関係性があってのことだ」と続けた。

日本ではセレクトショップの別注品が人気で、質実剛健なワークウエアとしてだけでなくファッションとして受け入れられていることについて「非常に素晴らしいことだ。時代の流れとともに多様性が広がり、日本のマーケットはブランドの真価を非常によく見いだしてくれたと感じる」とジェイソン営業部長兼COO。「ドリームワークスは日本のマーケットを理解している。6色あったタグの中からアイコニックなオレンジのタグに着目したのも、ワークウエアをカジュアルウエアに応用したのも、マーケットへの深い理解があってのものだ。特に気に入っているアイテムは、クレイジーパターンのカバーオール。ワークをファッションに昇華させた代表例であり、革新的なアイデアだ」と評価した。

「世界規模のワークウエアブランドに
してもらいたい」

ドリームワークスにブランドを譲渡した理由については「これまで築き上げてきた信頼と、優秀なチームであるという期待によるところが大きい。100年という長い歴史があり、思い入れのあるブランドだが、ドリームワークスであればこれからの100年も『ユニバーサルオーバーオール』とともに歩んでくれると信じている」とサラ社長兼CEOは説明。

今後については「日本国内にとどまらず、どんどん広めていってほしい。ブランドの非常に長い歴史のなかで今まで成しえなかった、世界規模のワークウエアブランドになることを期待している。100年の歴史を積み上げることが容易でないことは我々が一番理解しているが、ドリームワークスならできると確信している」とジェイソン営業部長兼COOも期待を寄せた。

同ブランドの営業活動とブランド事業を推進する奥山哲朗取締役副社長は「2024年2月に香港に事務所を設け、海外販売責任者を置き、強化している。まだ卸先は少ないが、インドネシアやシンガポールでの販売も始めたところだ。また、25年1月には欧州で合同展の出展も考えている。24年度中には中国にディストリビューションセンターの開設を計画しており、ここを起点に世界中に商品供給できる体制を構築する」と語った。

ブランドを象徴する
貴重なアーカイブ

1924年、オーストリア出身のマックス&ジョー・エッカーリング兄弟がアメリカン・ドリームを探し求め、シカゴのルーズベルト通りに面した建物の3階にロフトを借りて炭坑夫たちに向けたワークウエアの製造を開始したのが「ユニバーサルオーバーオール」の始まりだ。

マックスがオーダー受注、販売、デリバリーを行い、ジョーがパターン作りから裁断、縫製までを担当。主にメンズのデニムやダンガリーを中心に展開し、ハードワークに耐えられるワークウエアの定番として労働者たちに受け入れられた。

代表アイテムは、彼らがワークウエアの中で特に重要視していたカバーオールジャケット。フロントには4つのパネルポケットを採用し、ワークウエアならではのトリプルステッチを取り入れるなど実用性とタフさを追求したデザインが特徴。羽織ることを前提に作られたゆとりのあるパターンは、現代にも変わらず受け継がれている。ブランドの成長にともない、胸当てのオーバーオールやショップコートエプロン、ショップコートなどアイテムラインアップを広げていった。

TEXT : CHIKAKO ICHINOI
問い合わせ先
ドリームワークス
03-6447-2470

The post ドリームワークスが「ユニバーサルオーバーオール」の全世界商標権取得 100年のレガシーを引き継ぎ世界へ販路拡大 appeared first on WWDJAPAN.

セレブ御用達ジュエラー「メシカ」がハイジュエリーイベントを開催 父から受け継いだ知見をジュエリーに

パリ発ジュエラー「メシカ(MESSIKA)」は3月29日、東京エディション虎ノ門でイベントを開催した。ダイヤモンドに特化した同ブランドは、リアーナ(Rihanna)やビヨンセ(Beyonce)、ケイト・モス(Kate Moss)など多くのセレブから支持がされ、レッドカーペットの常連だ。伝説のニューヨークのディスコであるクラブ54がテーマの同イベントでは、最新ハイジュエリーコレクション“ミッドナイト・サン”を展示。このコレクションは昨年秋のパリ・ファッション・ウイークで、ランウエイ形式で発表されたものだ。同イベントには、「メシカ」のアイコニックなジュエリーをまとった菊地凛子や滝沢眞規子などのセレブリティーやVIPが来場した。

イベントのために来日した「メシカ」のヴァレリー・メシカ創業者兼アーティスティック・ディレクターは、「日本は重要な市場。20年とジュエラーとしての歴史が浅いが、ブランドのエネルギーをクラブ54のテーマで伝えたいと思った」と語った。現在「メシカ」は、世界80カ国で80の直営店および600店舗で販売。父親がダイヤモンド商だったため、ダイヤモンドは彼女にとって身近なものだった。そのため、「メシカ」のジュエリーはクールで軽やか、現代の女性のためのスタイリッシュなデザインを提案している。「父から受け継いだダイヤモンドに対する知見がある。そのノウハウやストーリーを伝えていきたい」。

問い合わせ先
メシカジャパン
03-5946-8299

The post セレブ御用達ジュエラー「メシカ」がハイジュエリーイベントを開催 父から受け継いだ知見をジュエリーに appeared first on WWDJAPAN.

セレブ御用達ジュエラー「メシカ」がハイジュエリーイベントを開催 父から受け継いだ知見をジュエリーに

パリ発ジュエラー「メシカ(MESSIKA)」は3月29日、東京エディション虎ノ門でイベントを開催した。ダイヤモンドに特化した同ブランドは、リアーナ(Rihanna)やビヨンセ(Beyonce)、ケイト・モス(Kate Moss)など多くのセレブから支持がされ、レッドカーペットの常連だ。伝説のニューヨークのディスコであるクラブ54がテーマの同イベントでは、最新ハイジュエリーコレクション“ミッドナイト・サン”を展示。このコレクションは昨年秋のパリ・ファッション・ウイークで、ランウエイ形式で発表されたものだ。同イベントには、「メシカ」のアイコニックなジュエリーをまとった菊地凛子や滝沢眞規子などのセレブリティーやVIPが来場した。

イベントのために来日した「メシカ」のヴァレリー・メシカ創業者兼アーティスティック・ディレクターは、「日本は重要な市場。20年とジュエラーとしての歴史が浅いが、ブランドのエネルギーをクラブ54のテーマで伝えたいと思った」と語った。現在「メシカ」は、世界80カ国で80の直営店および600店舗で販売。父親がダイヤモンド商だったため、ダイヤモンドは彼女にとって身近なものだった。そのため、「メシカ」のジュエリーはクールで軽やか、現代の女性のためのスタイリッシュなデザインを提案している。「父から受け継いだダイヤモンドに対する知見がある。そのノウハウやストーリーを伝えていきたい」。

問い合わせ先
メシカジャパン
03-5946-8299

The post セレブ御用達ジュエラー「メシカ」がハイジュエリーイベントを開催 父から受け継いだ知見をジュエリーに appeared first on WWDJAPAN.

最注目のガールズグループME:I(ミーアイ)独占インタビュー 「未来のアイドル」が描く未来

PROFILE: ME:I

ME:I
PROFILE: (ミーアイ)日本最大級のサバイバルオーディション番組の初のガールズ版「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」で新たに “国民プロデューサー”と呼ばれる視聴者による国民投票によって101人の練習生から選ばれたCOCORO、MIU、MOMONA、RAN、SHIZUKU、AYANE、KEIKO、KOKONA、RINON、SUZU、TSUZUMIによる11人組のガールズグループ。グループ名には新しい日本の世代を代表する「未来のアイドル」という意味が込められている。ME:Iのメンバー。左からMIU、TSUZUMI、COCORO、SHIZUKU、RINON、MONONA、RAN、KEIKO、KOKONA、AYANE、SUZU

2023年12月に最終回を迎えた、日本最大級のサバイバルオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」。そこで選ばれた11人組ガールズグループME:I(ミーアイ)が、4月17日デビューシングル「MIRAI」で、いよいよデビューを果たす。

デビュー前に行われたファンコンサートでは、東京(追加公演含む)・大阪の2都市で、全9公演、約6.5万人を動員するなど、 その人気の高さがうかがえる。今回は、そんな注目のグループME:Iの11人、COCORO、MIU、MOMONA、RAN、SHIZUKU、AYANE、KEIKO、KOKONA、RINON、SUZU、TSUZUMIに独占インタビュー。

11人を3組に分けて、それぞれのオーディション当時の思い出や、グループを結成してから知ったメンバーの意外な素顔などを聞きつつ、全員にファッションへのこだわり、そしてME:Iの未来についてたっぷりと語ってもらった。

「初めてのオフを過ごした4人です」 AYANE×KOKONA×SHIZUKU ×RINON

WWDJAPAN(以下、WWD):とても仲の良い印象の4人ですが、4人での思い出はありますか?

SHIZUKU:グループを結成した直後、韓国で合宿をしていた時に、この4人で買い物に行きました。たしか初めてお休みをいただいた日だったよね?

RINON:私が「買い物に行きたい!」って言った時に、3人が「いいね!」「私も行きたい!」と言ってくれて「じゃあみんなで行こう!」っていうことになったんです。

WWD:皆さんのファッションの趣味は合うんですか?

SHIZUKU:私とりんりん(RINON)は合うよね!

KOKONA:確かに、この2人(SHIZUKU&RINON)はガーリーな洋服を着ているイメージがあります。私はスタイリッシュな洋服が好きなので、メンバーだったらKEIKOちゃんと1番趣味が合いますね。

AYANE:私はカジュアルでシンプルなものを着ることが多いです。メンバーだったら……。

RINON:彼女は黄色が好きで、服も黄色ばかりなので、誰も同じような系統はいません。

AYANE・KOKONA・SHIZUKU:(笑)。

WWD:それぞれ隣に座っているメンバーの意外な一面を教えてください。(※取材時の並びはSHIZUKU→KOKONA→AYANE→RINON)

SHIZUKU:KOKONAは、オーディション中はすごくクールで、静かに1人でいる時間を大切にしているイメージでした。ただデビューに向けた合宿中、練習を終えて、それぞれの宿舎に帰り、自分の部屋でリラックスしていると、毎日のように話をして意外と寂しがりやで甘えたがりなところがあって、かわいいなと思いました。今はもう慣れました(笑)。

KOKONA:(笑)。しーちゃん(SHIZUKU)は明るくて受け入れてくれる人だと思っていたので(笑)。AYANEちゃんは物静かでしっかりしている子だなと思っていました。でも、一緒に生活する時間が増える中で、よくしゃべる子だなと。たくさんボケてくれるし、とにかく面白いです。

AYANE:ハードル上げないでよ(笑)。そうですね、RINONちゃんはオーディション中から一緒にいることが多く、今もよくお供させていただいているのですが……うーん……意外なところと言われると、もう当たり前になりつつあるので、難しいですね。あえていうなら、頼もしい姉御肌な一面があるところかなと思います。私、人混みが苦手なんですが、そういう時に引っ張ってくれますし、すごく気にかけてくれて。行動の1つ1つに優しさが感じられるんです。

RINON:しーちゃんは、初めて会った時から「お嬢様」っていうイメージです。でも、スーツケースの半分がお菓子で埋まっていたり、フィナンシェやクッキーを食べていそうなイメージなのに、私が見たことないような駄菓子も食べていて、意外な一面だらけです。

伝説のステージを作り上げた“Body & Soul 2組”  MIU×TSUZUMI×COCORO×SUZU

WWD:グループバトルにおいて“Body & Soul 2組”として一緒だった皆さん。当時の思い出を教えてください。

COCORO:いろいろ大変ではあったんですけど、今思い返すと、自分がやったステージの中で一番気に入っています。トレーナーさんからも「誰一人埋もれることなく、目立っていて、すてきだった」と言っていただけて、すごくうれしかったです。

TSUZUMI:国民プロデューサー(番組視聴者)の前で、初めて披露したステージだったので、舞台前は不安でした。ただ、チームのみんなが「つづみん(TSUZUMI)ならできるよ!」って言ってくれたり、「もう無理!」って言った時にMIUちゃんが「大丈夫」って言ってくれたりして、すごく助けられましたね。チームでも個人でも1位を取れてうれしかったです。

SUZU:ファンの方と初めて対面したステージだったので、緊張してしまって、自分では出し切れなかった部分もありました。ただ周りの練習生やトレーナーさんからアベンジャーズチームと呼ばれていた期待を裏切らないような舞台ができたので、すごくよかったです。

MIU:“Body & Soul 2組”は、私が唯一チームのメンバーを選ばせていただいた機会でした。こういう機会って、今後もきっとないと思うので、そういう意味でも思い出深いです。

WWD:今回の撮影でも着ていた衣装のポイントを教えてください。

COCORO:黄色やオレンジ、緑など暖色を使っていて、活発な雰囲気が私たちに合っているなと思います。

TSUZUMI:私は初めて見るような長いシュシュを着けているのですが、これを着けるとテンションが上がるんです。かわいくてお気に入りですね。

MIU:緑、オレンジ、黄色が共存しているメンバーが少ない中で、私はいろんな色が共存しています。ぜひ注目していただきたいです。

COCORO:私的には、MIUちゃんは、このジャケットがとても似合っているなと思います!

SUZU:私はこの茶色のスカートがお気に入りです。80&90年代っぽい雰囲気もかわいいですよね。

WWD:隣に座っているメンバーの意外な一面を教えてください。(※取材時の並びはCOCORO→MIU→TSUZUMI→SUZU)

COCORO:一緒にいる時間が長すぎて、もはや意外ではないんですけど、MIUちゃんはクールに見えて、とてもかわいい一面も持っているんです。例えば、ご飯をお口パンパンにして食べたり(笑)。そういうギャップに注目してほしいですね。

MIU:YOU:ME(ユーミー、ME:Iのファンネーム)の皆さんから見たTSUZUMIは末っ子で元気なイメージがあると思います。でも(番組終盤のコンセプトバトルで)「&ME」を披露したあたりから、すごく成長していて「お姉さんになったな」と日々思っています。同じグループで活動するようになってからは、それをさらに感じるようになりました。みんなに積極的に声をかけていることもあるので、すごくしっかりしているなと。

TSUZUMI:SUZUは大人っぽく見える一方、実はふわふわしていて赤ちゃんみたいな子なんです。だから「朝とか苦手なのかな?」というイメージを持っていたのですが、意外とすごく早起きで!私より集合時間が遅い時も、私より早く起きているので、すごいなと思っています。

SUZU:(COCOROは)本当に頼れるお姉さんなんですけど、でもたまにちょっと抜けるところがあって。でも、そういう2つの面を行き来しているのも、COCOROちゃんっぽいなと思います。

奇跡的なバランスだった“TOKYO GIRL 2組”  RAN×MOMONA×KEIKO

WWD:グループバトルにおいて“TOKYO GIRL 2組”で一緒だった皆さん。当時の思い出を教えてください。

MOMONA:とにかく最初から波長の合う6人でした。最初のバトルだったこともあって、ほかのグループが苦戦している中、練習も人間関係もあまりにも問題がなくて、トレーナーさんに「果たしてこれで合っているんですか?」って質問したくらい。そうしたら「それは限りなく奇跡に近いことだから、楽しんでやりな!」って言ってもらえて。結果として最高の思い出になりました。

KEIKO:グループバトルでは、勝者になったチームにベネフィットが与えられたんですけど、そのルールを知った日から「もしベネフィットが取れたら、夢の国に行こう!」って約束して頑張りました。実際にベネフィットがもらえた時は、すぐに日程を決めて、みんなで行きましたね。

RAN:このチームは、私がメンバーを選ばせていただいたんですけど、和気あいあいとした順調すぎるグループでしたね。それからみんなで言霊を大切にしていたのが思い出に残っています。風邪がはやっていたので「負けない!」「最強だ!」と声を出して呼びかけあって、結果的に最後まで誰1人欠けることなく、練習も順調に進んで。奇跡みたいにバランスの取れた良いチームでしたね。

WWD:3人のファッションにおけるこだわりは?

KEIKO:私はどこのブランドが好きとかではなく、直感で服を選ぶタイプです。お店に入った瞬間に、自分のときめく服があるか分かるので、買い物に行っても全然買わない日とたくさん買う日の差がすごくて驚かれます。

MOMONA:私はいろんな系統が好きです。10代半ばの頃は、自分に対する固定観念で「今の私がこのスカートを履いたら、恥ずかしいかも」とか思っていた時もありました。でも、今は柔軟に自分に対していろんなイメージを持つようになって、いろんな系統を恥ずかしがらず思うがまま着られるようになって、とても楽しいです。10代の頃の私と同じように悩んでいる人がいたら、そう伝えたいですね!

RAN:私は古着なども好きなのですが、キレイめなカジュアルを意識しています。あとはメイクや髪型によって印象が変わるタイプなので、以前は髪色をチェンジして楽しんでいました。

WWD:隣に座っているメンバーの意外な一面を教えてください。(※取材時の並びはKEIKO→MOMONA→RAN)

KEIKO:笠原(MOMONA)さんは、第一印象めちゃ大人だなと思いました!私がタメ口で話しているのに、敬語で返されたのを覚えています。今は完全に……ファミリーです!

MOMONA:楽屋が一緒だった時に、すごく視線を感じて、見てみたらRANだったというのが初対面の印象です。今となっては「人見知りをしていたんだな」ってわかるんですけど、当時は「もしかしてライバル心を燃やされているのかな」って思って、反応できずにいましたね。今は、思ったよりも変だなと思っています(笑)。基本的にノリがめっちゃいい!なんでも対応してくれるんです。

RAN:KEIKOは、レベル分けテストの時に初めて出会ったんですけど、こんなに生まれながらにしてエンターテイナーみたいな子がいるとは思っていなかったので「この子、疲れないのかな?」って思いました(笑)。でも、グループバトルでメンバーでKEIKOを選んでからは距離が縮まって。今は意外と1人の時間も好きなんだなと知りました。そうやって人生をうまく切り抜けている感じが大人だなとも。

KEIKO:まじで、なんで呼ばれたのか分かんなかったもん。

RAN:(笑)。一方的に、大好きで気になっていたんだよね。

メンバーがこれから挑戦したいこと

WWD:デビューに向けイメージチェンジしたメンバーも多くいますが、今後挑戦してみたいファッションはありますか?

SHIZUKU:私はガーリーな服が好きで、このオーディションに参加するまでズボンを私服で持っていませんでした。でも、メンバーがズボンを履いているのを見て「かっこいいな!」と感じるようになったので、かっこいいファッションにも挑戦したいですし、似合う自分でありたいなと思っています。

KOKONA:しーちゃん(SHIZUKU)とは逆で、ほとんどズボンしか履いてこなかったのですが、ガーリーなワンピースとかにも挑戦してみたいです。

AYANE:私はハイトーンカラーをやってみたいです。寒色が肌に合うので、ヘアを紫や青にしてみたいですね。

RINON:私は衣装でも私服でもいいので、スーツを着てみたいです。ヘアスタイルは自分の黒髪が気に入っているし、ファンの方からも褒めていただけるのですが、もし変更するなら金髪がいいですね。

COCORO:私は以前、白に近いシルバーにしていた時期もあって。いつかはまたゴールドとかにしてみたいなと思っています。

MIU:私はワイン系の赤髪を、今のロングヘアのままやってみたいです。

TSUZUMI:私はハイトーンにするのが夢なので、いつか挑戦したいです。

SUZU:今、髪の毛を伸ばしている途中なんですけど、MIUちゃんくらいまで伸びたら、薄いピンク系にしてみたいです。

KEIKO:私はブルーブラックの髪にシルバーのインナーカラーをやりたくて、それを今、におわせています。

MOMONA:私は金髪ロングをやりたいです。基本的にロングヘアが大好きなので、スーパーロングでブロンドの髪をなびかせてパフォーマンスしたいです。

RAN:前髪重めパッツンのメッシュヘアをしてみたいです。ファッションはちょっと個性的な感じや、パキッとしたモード系のものにもチャレンジできたらなと思っています。

WWD:最後にこれからME:Iとして、もしくは個人として挑戦してみたいことを教えてください。

SHIZUKU:ミュージカルが好きなので、いつかミュージカルの舞台に立ちたいです。

KOKONA:昔からモデルのお仕事に興味があったので、ショーに出てみたいです。

AYANE:メンバー同士だけではなく、いろいろな方とカバー曲やデュエット曲でコラボしてみたいなと思います。そうすることでいろんな表現を習得したいです。

RINON:私は演技のお仕事をしたいです。アイドルはもちろん、ドラマや映画を見るのが大好きなので、自分も出てみたいなって。

COCORO:私たちの宣伝トラックが走ったり、顔がプリントされたバスに乗って宣伝に回ったりみたいなことをやってみたいです。個人では声のお仕事や演技に興味があります。

MIU:グループとしてはメンバーの母校や文化祭にサプライズ登場してみたいです。個人では作詞・作曲をした曲を、ME:Iの曲として提供してみたいです。

TSUZUMI:演技をやってみたいです。MV撮影の時に演技をしてみたらすごく楽しくて、自分の表情をモニターで確認したら「意外とできてるじゃん!」と思ったので興味が湧きました。あとはほかのアーティストさんと楽曲をコラボしたいです。

SUZU:グループとしては海外に飛んでみたいです。個人としては、ミュージカル調の曲やバラードソングも極めながら、演技の勉強もして表現の幅を広げたいです。

KEIKO:私は自分の地元である名古屋でライブをしたいです!

MOMONA:いろんなところで、いろんな話をしてはいるんですけど……最近はお仕事を通して、いろんな国に行ってみたいなと思っています。ME:Iみんなファッションが好きなので、ファッションの仕事などでも行ってみたいです。

RAN:私はME:Iで野外フェスに出演したいです。若くて、エネルギッシュなグループなので、屋内だともったいないというか(笑)。解放されたステージで、自由にやってみたいですね!

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI

■デビューシングル「MIRAI」(ミライ)
2024年4月17日リリース
4形態(初回限定盤A、初回限定盤B、通常盤、FC限定盤)
収録曲:1.「Click」 2.「Sugar Bomb」 3.「&ME (ME:I Ver.)」4.「CHOPPY CHOPPY (ME:I Ver.)」(3. 4.は通常盤、FC限定盤のみに収録)
https://me-i.jp

The post 最注目のガールズグループME:I(ミーアイ)独占インタビュー 「未来のアイドル」が描く未来 appeared first on WWDJAPAN.

Z世代が手掛けるジュエリー「リメルリック」 大学院生のデザイナーに聞くジェンダーに対する意識

PROFILE: (れん)2000年7月3日、東京都出身。日本大学大学院芸術研究科在学中。23年から、「シャランポア」などのジュエリーブランドを手掛ける安部真理子代表が立ち上げたジュエリーブランド「リメルリック」のブランドディレクターとして活躍。趣味は音楽、芸術鑑賞、モノ作り PHOTO:TSUKASA NAKAGAWA

ジュエリーブランド「リメルリック(REMELRIC)」は、 “都市鉱山”と呼ばれる廃棄された携帯電話やPCなどから採取した金属を精製した“リファインメタル”やデッドストックの石を使用した環境に優しいブランドだ。日本大学大学院生のRENが手掛けるジュエリーは、男性、女性両方が着用できるジェンダーニュートラルなデザイン。カメラマンの川島小鳥が撮影したビジュアルには、ジュエリーを重ね付けした男性が登場している。ブランドのオンラインストアや「エル・ショップ(ELLE SHOP)」の他、ユナイテッドアローズ麻布台ヒルズ店でも販売をスタート。ファッションが大好きというデザイナーのRENは、ジュエリーをはじめ、ネイルやメイクまで日常的に楽しんでいる。Z世代彼に、ブランドやジェンダーに対する意識について聞いた。

年齢、性別を区切ってモノ作りをする時代ではない

WWD:「リメルリック」をジェンダーニュートラルなブランドとしてスタートした理由と目的は?

REN「リメルリック」ブランドディレクター(以下、REN):ファッションには、素材やシルエットなど、ある程度、男女の区分けがあるが、ジュエリーにはない。だから、自然とジェンダーを気にせずデザインしている。ジュエリーは毎日着けるモノなので、日常に溶け込むデザインを意識している。ジェンダーニュートラルなブランドにしたのは、男女、年齢問わず、全ての人に着けてほしいから。今、年齢や性別を区切ってモノ作りをする時代ではない。

WWD:ブランドのコンセプトは?

REN:温故知新。アートやカルチャーが好きで、今流行っているものよりも、アール・デコ、シノワズリ、1990年代のカルチャーなど、過去のものにインスパイアされることが多い。ジュエリーは、受け継いでいくものだから、長く着けてもらいたい。

WWD:ビジュアルに男性モデルを起用したのは?

REN:世の中、ジュエリーのビジュアルに登場するのは、女性がほとんど。女性でもいいが、逆に男性でもいいのではと思った。“女性のためのジュエリー”というジェンダー感を出したくなかった。個人的に川島(小鳥)さんのデジタルではなく、フィルムでスナップ的に撮影した世界観が大好き。その世界観に合う男性モデルが友人にいたのでキャスティングし、アットホームな雰囲気で撮影した。ジュエリーは日々着用するものなので、川島さんの日常の1シーンを切り取る手法は、ピッタリだと思った。

プレイリストを作るようにジュエリーを楽しむ

WWD:ジュエリーを着用し始めたのはいつか?

REN:ファッションが好きで、小学校高学年〜中学生の頃から母親の指輪や「ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIENNE WESTWOOD)」のシルバージュエリーなど着けていた。ジュエリーもファッションの一部だと思っていた。ジュエリーを着けると幸せな気持ちになる。「インスタグラム」を始めたのは12歳の時で、ネイルサロンが打ち出したシルバーアクセサリーなどのジュエリーに注目し始めた。当時は、セレクトショップの「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」「キャンディ/フェイクトーキョー(CANDY/FAKE TOKYO)」などが盛り上がっていて、そのようなジュエリーを提案していた。今でもカルチャー発信している「グレイト(GR8)」は、大好きで、一番イケていると思う。

WWD:自分にとってジュエリーとは?どのように楽しむか?

REN:毎日着用するものもあるが、変身アイテムのようなもの。アニメに出てくるステッキやコンパクト、ベルト的な感覚。お守り的な感覚は全くない。その日の気分でファッションの一部として着けたいものを着ける。例えば「リーバイス(LEVI’S)」のデニムに「ヘインズ(HANES)」のTシャツに「アンブッシュ(AMBUSH)」のキラキラジュエリーを着ける。ジュエリーが変化球になり、かわいいと思う。ジュエリーは身につけられるアートといった感覚で、ムードにより着けるものが変わる。ゴールドやシルバーなど、ジュエリーの組み合わせはパズルのように、音楽のプレイリストを作る感覚と同じだ。

“キラキラ”や“ピチピチ”、ヒールも選択肢の一つ

WWD:ファッションにおけるジェンダーを気にするか?

REN:全く気にしない。個人的には、モードもストリートも、クワイエットラグジュアリーも、デコラティブなものも全部好き。「ジャックムス(JACQUEMUS)」や「ガニー(GANNI)」が好きで、「ミュウミュウ(MIU MIU)」や「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」のようなファッションもいい。今の気分は、「ジャックムス」のピチピチニットが着たい。ラメなどトレンドのキラキラが好きなので、バッグやシューズに取り入れたい。シューズもヒールがあるものが好き。「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」の足袋ブーツがジェンダーレスの象徴。「ロジェ ヴィヴィエ(ROGER VIVIER)」が好きで、ビジュー付きのシューズを履いてみたい。女性だったら着てみたいのは、「ヴァレンティノ(VALENTINO)」などのオートクチュール。マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)による「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」など、10年以上前のラグジュアリー・ブランドのウィメンズにも興味がある。

WWD:ジェンダーニュートラルは広がると思うか?

REN:ファッションでは、「バレンシアガ(BALENCIAGA)」でジェンダーに対する流れが変わったと思う。オーバーサイズがトレンドになり、ムーブメント的にカルチャー感覚で変化した。Y2Kトレンドがジェンダーの壁を薄くしたと思うし、SNS発信により、一般的な見方がフラットになった。これからのY3Kは宇宙っぽい雰囲気で、メタバース感がある。「ディーゼル(DIESEL)」「コペルニ(COPERNI)」「オットリンガー(OTTO LINGER)」などがイケていると思う。また、男性がメイクするのが当たり前の時代になった。韓国コスメやSNSインフルエンサー、広告の影響で男性の間でもビューティが広がっている。ドラァグクイーンなどもファッションの一つのコンテンツとして当然になると思う。

「WWDJAPAN」2024年4月8日号では、ジュエリー中心に広がるジェンダーニュートラルの波を特集している。メンズジュエリーの今のリポートを始め、Z & ミレニアル世代の4人のリアルな声を通して、ファッションにおけるジェンダーの意識を探る。

The post Z世代が手掛けるジュエリー「リメルリック」 大学院生のデザイナーに聞くジェンダーに対する意識 appeared first on WWDJAPAN.

アパレル業界“シロウト”3人で年商5億円 「クヌースマーフ」常識知らずの突破力

コロナ禍でバブル的に急増したEC主軸のアパレルブランドも、選別淘汰が進んでいる。生き残れるのは、強い個性を備えたブランドだけだ。IN Inc.が運営するEC主軸ブランド「クヌースマーフ(KNUTH MARF)」は設立(2021年11月)から1年で年商5億円に達するなど急成長を遂げた。アパレル業界未経験のコアメンバー3人が作る服と世界観は、既成概念に捉われない面白さがある。

IN Inc.のメンバー5人のうち、コアメンバーであるデザインディレクターのChiemiは元保育士、クリエイティブディレクター和泉琴華の本職はイラストレーター。中井亮CEOは、吉本総合芸能学院で学び、本気で芸人を目指していた過去がある。「僕らが事業を始めたとき、それは今もかもしれませんが、アパレル業界の常識というものが全くなかったんです」と中井CEO。

カテゴライズできない服
着る人のときめきが最優先

2024年春夏は、マニッシュなチェスターコートやシャツもあれば、フェミニンなオフショルダーのワンピース、ヌーディーな透け感のあるラメニットもある。モノトーン配色にフリンジで表情感を与えたセットアップは、素材のテクスチャーを楽しめる玄人向けな一着。“フェミニン”“マニッシュ”といったカテゴライズにはまらない、多彩なラインアップだ。

いかにも工賃がかかっていそうな、デザインを効かせた服も多い。「一番大事にしているのは、お客さまがときめくようなひとクセある提案」とChiEmiデザインディレクター 。商品企画では「原価率」や「利益率」の業界の常識的な水準にも縛られない 。「ブランドがまだ若い今は、利益をいくら残すかよりも、お客さまに喜んでもらいブランドを好きになってもらうことがよっぽど大事だと思っています」。

個々人の役割が明確だから
全力投球できる

パリに「クヌースマーフ」の服を持ち込み、現地の人にアポ無し依頼で着てもらい スナップ撮影を敢行するなど、ビジュアル面でも予算と労力を惜しまない。クリエイティブディレクションは、イラストレーターの和泉の専任だ。「(ビジュアル制作は)服ができた。じゃあ、どう見せよう?という後付けの発想ではない。服のデザインはChiEmiの仕事、ビジュアル制作は私。それぞれに明確な役割があるから全力で面白いものを作れる」(和泉)。

元芸人という、経歴の異色さで言えば一番の中井CEO。ブランド運営全般と生産管理や品質管理などのバックオフィス業務を担う。コロナ禍で外部とのコミュニケーションがままならない中では、苦労も多かった。「初期の頃はサンプル商品が依頼と違う生地に変わっていたり、 倉庫会社のミスで、1つのご注文に対して二重発送をしてしまったり……」。さまざまなトラブルに見舞われながら、「本気でお笑いで食べていく」ことを目指した胆力で、縁の下の力持ちをこなしてきた。

「一人一人に得意分野があって、それぞれが最後の砦という自覚がある。僕らには業界の常識がないから、“怖い”も分からないし、ただがむしゃらにやっていくだけ」。

現在はTOKYO BASEの「ステュディオス(STUDIOUS)」の一部店舗でも卸販売しているが、今後はリアルでの接点を積極的に増やす。直近では23年11月、福岡天神地区のビルのワンフロアを借り、ブランド2周年のポップアップストアを実施。1100人超を集客し、売り上げも予算を大きく超えた。2月末には阪急うめだ本店でもポップアップストアを開催した。年内には名古屋、九州の商業施設でも計画する。2〜3年内には「週末営業やギャラリー形式など、既存の店舗のあり方にとらわれない形」での実店舗出店を目指す。

The post アパレル業界“シロウト”3人で年商5億円 「クヌースマーフ」常識知らずの突破力 appeared first on WWDJAPAN.

高評価を得たのは?「アットコスメ」の口コミから読み解く“オイル美容液”ヒットの法則

ユーザーは、何を基準にスキンケアを選んでいるのか?今回は「アットコスメ」に寄せられた「オイル美容液」の口コミを原田彩子「アットコスメ」リサーチプランナーが解説。ヒットの法則を読み解いていく(集計期間:2024年2月1日~29日)。

―――2月の「オイル美容液」カテゴリーで象徴的に使われているキーワードは?

原田彩子「アットコスメ」リサーチプランナー(以下、原田):昨年2月と比較すると「YouTube」というワードが増加している。クリームや美容液などと比較すると使用率は低く、使用方法、使用量も難しいことから、動画の詳しい情報やハウツーが求められているのではないでしょうか。「ブレンドする」「混ぜる」というワードも増加しており、使用法の幅も広がっている様子が読み取れる。

【アットコスメ2024年2月「オイル」口コミ TOP5】

1位「RMK」“RMK Wトリートメントオイル”(50mL、4400円)

原田:肌をやわらかくするオイル層と、角質層をみずみずしく満たすうるおい層がひとつになった、プレケア用のトリートメントオイル。口コミでは、「肌が柔らかくなる」「次に使う化粧水の浸透もよくなった」という意見が他の商品と比較し多く出現している。また「柑橘系の爽やかな香りで気分があがる」「癒される」という声が散見される。伸びもよく、デパコスでありながら「コスパが良い」という意見も比較的多く寄せられている商品だ。

2位「ミノン(MINON)」“アミノモイスト エイジングケア オイル”(20mL、1650円※編集部調べ)

原田:「SNSでバズっていたので買ってみました」という声も多い話題のアイテム。他の商品よりも「安心する」というワードが多く出現しており、肌が敏感な人や季節を問わず使用できるとの声が寄せられていまる。「自分に足りなかったのは保湿だと実感させられました」という口コミが示すように、うるおい、保湿力も高く評価されている。さらに、乳液やクリームに混ぜる、単体で使用する、顔全体、口元や目元のみなど、人によって使い方・使う場所も異なるようで、肌悩みや肌状態によってさまざまな使い方をされている様子がうかがえる。

3位「ゲラン(GUERLAIN)」“アベイユ ロイヤル アドバンスト ウォータリー オイル”(30mL、税込2万570円/50mL(限定)、1万9360円/50mL、2万8160円)

原田:「毛穴が目立たなくなる」「キメが整う」「肌にツヤが出る」などの効果感の表現が、他の商品より比較的多く出現している。「ウォータリーオイルの中のカプセルを、手の温度で温めながら馴染ませると金箔になる、演出もすごい!」、また香りへの言及も多い。「癒されて、スキンケアが楽しくなる美容液だなと感じました」、「高級感のあるボトル」、「さすがゲラン様」など情緒的な満足度も高い様子がうかがえる。

4位「ニュクス(NUXE)」“プロディジューオイル”(50mL、3,630円/100mL、5940円)

原田:顔以外にも髪、爪、ボディなど頭から足の先まで全身に使えるマルチオイル。「使用感もクセがなく、スプレー式なので広範囲に使いやすい」、「手に残ったオイルは髪や手に塗れる」と使い勝手のよさも高く評価されている。また、様々なパーツに使用できるため、コスパがよいという声も見られます。香りに関する記述も多く、甘い香りで香水代わりに使用している人も少なくないようだ。

5位「ハーバー(HABA)」“高品位「スクワラン」”(15m、1540円/30mL、2750円、60mL、5060円/120mL、9350円)

原田:1983年発売のロングセラー商品で、「アットコスメ」でもすでに2016年に殿堂入りしているほど長期にわたり人気を獲得。15mLから120mLまで幅広いサイズ展開があり、リピーターだけではなく新規のユーザーが試しやすい機会を提供している。口コミでも、「お試し」というワードが特徴的に出現していて、「お守りコスメとして手元に置いておきたくなる」との声も散見され、安心して購入に至っている様子が垣間見られる。さらに、「皮むけ」「肌荒れ」「ニキビ」など悩み系のワードの出現率が他の商品より比較的多く出現している。

―――「オイル美容液」以外で好調なカテゴリーは?

原田:スポンジ、ブラシなどの「メイクアップグッズ」「ブラシクリーナー」。オイルの口コミで増加傾向にあった「YouTube」にも関連するが、プロのテクニックを見て情報源が増えたことによる影響が大きいと考えている。また、比較的安価なグッズや、水洗いしなくても簡単に汚れを落とせるクリーナーが増えたことも要因のひとつではないか。「ブラシを使ってメイクをするのが楽しい」という声もあがっている。

―――いま注目する「トレンドの芽」は。

原田:「下地不要」。化粧下地不要のファンデーションも増えてきているが、口コミでも増加中だ。手軽さへの言及はもちろんのこと、スキンケアが配合されているので直接肌に触れることに抵抗がない、むしろ積極的に使いたいとの声がある。ベースメイクのスキンケア化に伴い考え方も変化している様子が垣間見られる。

The post 高評価を得たのは?「アットコスメ」の口コミから読み解く“オイル美容液”ヒットの法則 appeared first on WWDJAPAN.

「ボンジュール、マダム」で意識した性別 NY発日本生まれジュエリー「ミラモア」の稲木ジョージCEOに聞くジェンダーニュートラル

PROFILE: 稲木ジョージ/ミラモアCEO兼ブランドビジョニア

稲木ジョージ/ミラモアCEO兼ブランドビジョニア
PROFILE: (いなき・ジョージ)1987年、フィリピン生まれ。9歳までフィリピンで、その後日本で育つ。大学卒業後「アメリカン アパレル」のPRとして活躍。2014年に拠点を米ニューヨークに移し、デジタルPRとしてラグジュアリーをはじめファッションやビューティ業界に携わる。19年から現職 PHOTO:TSUKASA NAKAGAWA

ニューヨーク発、メード・イン・ジャパンのジュエリー「ミラモア(MIRAMORE)」は今年5周年を迎えた。同ブランドは、立ち上げ当時からジェンダーニュートラルなジュエリーを提案している。ブランド設立時から、今トレンドのチェーンを主役にしたジュエリーを提案。ブームが再来した金継ぎをテーマにしたり、点字をジュエリーに落とし込んだり、ユニバーサルデザインを意識してジュエリーを制作している。5年前のブランド設立時には、一見女性に見える男性モデルを起用したビジュアルを打ち出した。ここ数年で、ジェンダーニュートラルな動きは広がりつつあるが、当時はまだ一般的ではなかった。稲木ジョージ=ミラモア最高経営責任者(CEO) 兼ブランドビジョネアに、ブランドおよび、ジェンダーニュートラルな動きについて聞いた。

創業時に打ち出したジェンダーニュートラルなビジュアル

WWD:「ミラモア」をジェンダーレスなジュエリーブランドとして立ち上げた理由と目的は?

稲木ジョージ=ミラモアCEO兼ブランドビジョネア(以下、稲木):ジェンダーレスとか、ジェンダーニュートラルという概念が元々ない。小さい頃からジュエリーが好きで、高校生の時からピアスを着けていた。当時、周囲にジュエリーを着けている男性はいなかったけど、「おしゃれだね」と言われていた。コメ兵でジュエリーを販売したこともあり、そこでジュエリーの基礎を学んだ。ブランドを立ち上げた当時、メンズジュエリーというと、ラッパーが着用するようなものばかり。「クローム ハーツ(CROM HEARTS)」や「ゴローズ(GORO‘S)」がなどのゴツいシルバージュエリーが中心で、宝飾の町で知られる御徒町でオーダーした喜平チェーンなど洗練されたデザインがなかった。一方で、女性用ジュエリーは、華奢でかわいいものがほとんど。私の周りにいる女性は自立して意思を持った女性が多く、彼女たちが着けたいと思うジュエリーを作りたかった。それで、男性、女性、どちらも着けられるジュエリーにした。

WWD:立ち上げ時に女性に見える男性モデルを起用したビジュアルを撮影したのは?

稲木:約10年前パリに行ったとき、ツーブロックだったのに「ボンジュール、マダム」と言われた。ビジュアルは、それに対するオマージュ。髪型はツーブロックだったのに、自分が女性に間違えられたことに対して、どういう意味だろう、面白いと思った。フォトグラファーのベッティナ・ランス(Bettina Lheims)による1990年代の写真集「モダン ラバーズ」がすごく好きで、女性に間違えられた自分のパロディーとしてビジュアルを制作した。男性がジュエリーを着けてもいいと思ったし、他のブランドとは違った表現がしたかった。自分でキャスティングをし、濃いブルーのシャドウにピンクの口紅というメイクアップのディレクションもした。2019年に、ベッティナのパリのスタジオで撮影した。

ユニバーサルな“金継ぎ”をベースにヘリテージブランドに

WWD:ブランドのコンセプトは?

稲木:デザイン・イン・ニューヨーク、ハンドクラフテッド・イン・ジャパン。約10年前に渡米した。元々、日本製のものは好きだったが、ジュエリー業界で有名な日本ブランドは少ない。日本のブランドは日本人に合うデザインを提案するが、私は、全世界で通用するジュエリーをデザインしたいと思った。一過性のトレンドではなく、不動のファインジュエリーブランドとしての確立を目指したい。日本の文化や職人には、“ものを長く大切にする”という意識があり、それがアメリカとの大きな違いだ。だから、ジュエリーで日本の文化や職人技を反映したジャパニーズ・ヘリテージブランドを作ろうと思った。私の年代でヘリテージブランドを作る人は少ないが、継承するという意味で、とても大切なこと。金継ぎのジュエリーを作ったのは、その哲学が、国籍、年齢、関係なくユニバーサルだと思ったから。私は母子家庭に育ったので、経済的にも大変で、幼少期に逆境を体験した。当時は怒りと葛藤しかなかったが、金継ぎの哲学に出合い、傷ついた自分が好きになった。ユニバーサルデザインというと、障がい者にフォーカスしたものと思われがちだが、傷ついたことのない人なんて世の中にいない。傷を認めてこそ、その人がある。ジュエリーを身に着けることでその人が金継ぎされるというのがコンセプト。それが、「ミラモア」が発信するメッセージだ。

社会的許容性の広がりから広がるジェンダーニュートラル

WWD:ここ数年、日本で男性のジュエリー着用が広まっているが?

稲木:すごくいいことだと思う。最近、ネックレスでは、チョーカー、ピアスはフープを着けている男性が多い。約5年前にイタリア・ミラノでおしゃれな若い男性がそれらを着け始めた。若い人が着けているものは、どんどん広まると思う。だから、原宿や渋谷で彼らを観察してデザインに反映している。

WWD:ここ数年のジェンダー意識の変化についてどう考えるか?

稲木:私が20代の頃は、男性がバッグを持っていたら、一般的にゲイと呼ばれた。ピアスも、左、右、どちらに着けるかで属性が決められていたが、今はそれがない。ここ10年で、急速にその意識が変わった。ジェンダーニュートラルなファッションも増えているが、Z世代の男性はちょっと違う。以前は、マッチョな男性像が当たり前だったが、社会的許容性が広がり、若い世代はもっと自由だ。ソーホーに住んでいるが、Z世代ではジェンダーフルイドが進んでいる。25歳以下だと、ファッションにおける男性、女性という固定観念が崩れ、交差している。だから、男性、女性、ノンバイナリー、さまざまなジェンダーがあって、それは、各自が決めること。だから、“彼(He)や“彼女(She)”ではなく、“彼ら(They)”という呼び方が一般的になっている。

「WWDJAPAN」2024年4月8日号では、ジュエリー中心に広がるジェンダーニュートラルの波を特集している。メンズジュエリーの今のリポートを始め、Z & ミレニアル世代の4人のリアルな声を通して、ファッションにおけるジェンダーの意識を探る。Z世代で「リメルリック」のジュエリーデザインを手掛けるRENさんの記事は4月15日公開予定。

The post 「ボンジュール、マダム」で意識した性別 NY発日本生まれジュエリー「ミラモア」の稲木ジョージCEOに聞くジェンダーニュートラル appeared first on WWDJAPAN.

LVMH傘下メイクアップフォーエバーCEOが語る 「機能性だけでモノは売れない」

PROFILE: シャルルアンリ・ルヴァイヤン/メイクアップフォーエバー社長兼最高経営責任者

シャルルアンリ・ルヴァイヤン/メイクアップフォーエバー社長兼最高経営責任者
PROFILE: 仏エコール・ポリテクニークと米スタンフォード大学でコンピューターサイエンスの学位を取得。ハーバード・ビジネス・スクール卒業。フランスの公務員、省庁、欧州連合でキャリアを積んだ。その後、電気通信と化学産業で管理職を務めた。LVMHへは2019年にベルナール・アルノー会長兼最高経営責任者(CEO)のアドバイザーとして入社した後、「ルイ・ヴィトン」のチーフ・デジタル・オフィサーを務めた。23年3月から現職

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(以下、LVMH)傘下でパリ生まれのプロフェッショナル・メイクアップブランド「メイクアップフォーエバー(MAKE UP FOR EVER)」は今年、ブランド設立40周年を迎える。映画やテレビ、舞台、ファッションショーなどのバックステージを支えるメイクアップ用品を数多く開発し続け、現在は一般消費者のファンを世界中で増やしている。日本では昨年末、エリア初の店舗を渋谷スクランブルスクエアにオープンした。前職で「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のチーフ・デジタル・オフィサーを務め、昨年3月にグローバルの社長兼最高経営責任者(CEO)に就任したシャルルアンリ・ルヴァイヤン(Charles-Henri Levaillant)氏が描くブランドの未来とは?

中東ではNO.1メイクアップブランド

WWD:直近はラグジュアリーファッションの世界に身を置き、ビューティブランドは自身にとって新たな領域だが印象は?

シャルルアンリ・ルヴァイヤン=メイクアップフォーエバー社長兼CEO(以下、ルヴァイヤン):化粧品業界は私にとって全く新しいビジネス分野で、化粧品業界の速いスピード感にワクワクしている。メイクアップは高い技術を必要とする世界であると同時に大変芸術的なもので、私はこの分野が大好きだ。

WWD:4年前にベルナール・アルノー(Bernard Arnault)LVMH会長兼CEOから直々に誘われたということだが、期待されているミッションは?

ルヴァイヤン:メイクアップに置いて世界のトップブランドの一つになることを目標に掲げている。中東ではすでにNo.1のメイクアップブランドなので、野心的ではあるが現実的とも言える。時間はかかるかもしれないが、一旦軌道に乗ってしまえばわれわれが考えているよりずっと早く素晴らしい結果を出せるだろう。

WWD:「メイクアップフォーエバー」の競争力とは?

ルヴァイヤン:先ほど申し上げた通り、メイクアップは高度な技術を要する非常に芸術的なものだ。われわれはその両方を高いレベルでマスターしている。「メイクアップフォーエバー」はイノベーションを原動力とするブランドで、商品は最高のパフォーマンスを保証するために全ての商品をプロのメイクアップアーティストたちと共同開発している。同時に、われわれには大胆なコミュニケーションと芸術性がある。生まれながらのアーティストであり、40年の伝統がある。上海とパリにある2つのアカデミーは、私たちの教育への情熱を示すユニークな拠点だ。

競争の激しいメイクアップ業界で
勝者の条件は革新性、マルチカテゴリー、個性

WWD:ブランドの成長戦略をどのように描くか?

ルヴァイヤン:メイクアップ業界は厳しい世界だ。ビューティ業界で最も競争が激しく、スピードが速く、革新的な業界の1つでもある。業界における世界的な競争に勝つブランドは、革新的で、複数のカテゴリーにまたがり、明確な個性を持っていると考えている。だからこそわれわれの戦略は、市場に強力なイノベーションを提供し、メイクアップがアートであることを再確認することに基づいている。「メイクアップフォーエバー」は最もパフォーマンス性の高いアーティスティックブランドを目指している。「メイクアップフォーエバー」は40年に渡りメイクアップ業界に貢献してきており、これからもずっとそうしていくつもりだ。「メイクアップフォーエバー」はファッションブランドでもセレブリティーブランドでもない。高いパフォーマンスと洗練された芸術性に焦点を当てた長期的なブランドだ。

WWD:具体的に実行することは。

ルヴァイヤン:これまで以上にプロとしてのアイデンティティーを研ぎ澄まし、革新的な処方を追求し続ける必要がある。多くの人が「メイクアップフォーエバー」はプロ用だから使うのが難しいと思っているが、実際はプロが愛用する商品だからこそ最も使いやすく、最もユーザーフレンドリーであることを示すべきだ。われわれが何を目指しているかをより大きなスケールで表現したいと思っている。

ローカライズとフランスらしさの両立を目指して

WWD:ブランドにとって日本市場の位置付けは?

ルヴァイヤン:日本で小売り市場に参入してから歴史が浅いため、他国と比べるとまだシェアが高いとは言えないが、日本市場はレベルが高く、洗練されているので重視している。「メイクアップフォーエバー」は、以前はプロフェッショナル向けとして展開していたが、一般市場でさらに発展する大きな可能性を持っている。そのためには長期的な視野に立ち、自分たちが何者であるか、何を目指しているかをもっと表現していく必要がある。パフォーマンス、芸術性、教育、伝達、パーソナリティーの解放。逆説的に聞こえるかもしれないが、日本にローカライズすることを受け入れると同時に、「メイクアップフォーエバー」のフランスらしさをもっと表現する必要があるとも思う。

WWD「ルイ・ヴィトン」での経験から「メイクアップフォーエバー」の成長に生かせる知見はあるか。

ルヴァイヤン:「メイクアップフォーエバー」には非常に機能性の高い商品がそろっている。しかし、性能だけでは売れないのも事実だ。「ルイ・ヴィトン」での経験から、人々は魅力的で自分が強く欲しいと望むものを買うのであり、性能は安心感を与えるものでしかないということを学んだ。だからわれわれは「メイクアップフォーエバー」を非常に魅力的なブランドに変える必要がある。これは長期的な課題であり、多くの小さな行動から始まる。例えば、「メイクアップフォーエバー」の高機能なメイクブラシにフィーチャーして、日本のアーティストたちと芸樹的なコラボレーションをするというアイデアはどうか?こうした新しい視点でさまざまな仕掛けづくりをしていきたい。

The post LVMH傘下メイクアップフォーエバーCEOが語る 「機能性だけでモノは売れない」 appeared first on WWDJAPAN.

LVMH傘下メイクアップフォーエバーCEOが語る 「機能性だけでモノは売れない」

PROFILE: シャルルアンリ・ルヴァイヤン/メイクアップフォーエバー社長兼最高経営責任者

シャルルアンリ・ルヴァイヤン/メイクアップフォーエバー社長兼最高経営責任者
PROFILE: 仏エコール・ポリテクニークと米スタンフォード大学でコンピューターサイエンスの学位を取得。ハーバード・ビジネス・スクール卒業。フランスの公務員、省庁、欧州連合でキャリアを積んだ。その後、電気通信と化学産業で管理職を務めた。LVMHへは2019年にベルナール・アルノー会長兼最高経営責任者(CEO)のアドバイザーとして入社した後、「ルイ・ヴィトン」のチーフ・デジタル・オフィサーを務めた。23年3月から現職

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(以下、LVMH)傘下でパリ生まれのプロフェッショナル・メイクアップブランド「メイクアップフォーエバー(MAKE UP FOR EVER)」は今年、ブランド設立40周年を迎える。映画やテレビ、舞台、ファッションショーなどのバックステージを支えるメイクアップ用品を数多く開発し続け、現在は一般消費者のファンを世界中で増やしている。日本では昨年末、エリア初の店舗を渋谷スクランブルスクエアにオープンした。前職で「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のチーフ・デジタル・オフィサーを務め、昨年3月にグローバルの社長兼最高経営責任者(CEO)に就任したシャルルアンリ・ルヴァイヤン(Charles-Henri Levaillant)氏が描くブランドの未来とは?

中東ではNO.1メイクアップブランド

WWD:直近はラグジュアリーファッションの世界に身を置き、ビューティブランドは自身にとって新たな領域だが印象は?

シャルルアンリ・ルヴァイヤン=メイクアップフォーエバー社長兼CEO(以下、ルヴァイヤン):化粧品業界は私にとって全く新しいビジネス分野で、化粧品業界の速いスピード感にワクワクしている。メイクアップは高い技術を必要とする世界であると同時に大変芸術的なもので、私はこの分野が大好きだ。

WWD:4年前にベルナール・アルノー(Bernard Arnault)LVMH会長兼CEOから直々に誘われたということだが、期待されているミッションは?

ルヴァイヤン:メイクアップに置いて世界のトップブランドの一つになることを目標に掲げている。中東ではすでにNo.1のメイクアップブランドなので、野心的ではあるが現実的とも言える。時間はかかるかもしれないが、一旦軌道に乗ってしまえばわれわれが考えているよりずっと早く素晴らしい結果を出せるだろう。

WWD:「メイクアップフォーエバー」の競争力とは?

ルヴァイヤン:先ほど申し上げた通り、メイクアップは高度な技術を要する非常に芸術的なものだ。われわれはその両方を高いレベルでマスターしている。「メイクアップフォーエバー」はイノベーションを原動力とするブランドで、商品は最高のパフォーマンスを保証するために全ての商品をプロのメイクアップアーティストたちと共同開発している。同時に、われわれには大胆なコミュニケーションと芸術性がある。生まれながらのアーティストであり、40年の伝統がある。上海とパリにある2つのアカデミーは、私たちの教育への情熱を示すユニークな拠点だ。

競争の激しいメイクアップ業界で
勝者の条件は革新性、マルチカテゴリー、個性

WWD:ブランドの成長戦略をどのように描くか?

ルヴァイヤン:メイクアップ業界は厳しい世界だ。ビューティ業界で最も競争が激しく、スピードが速く、革新的な業界の1つでもある。業界における世界的な競争に勝つブランドは、革新的で、複数のカテゴリーにまたがり、明確な個性を持っていると考えている。だからこそわれわれの戦略は、市場に強力なイノベーションを提供し、メイクアップがアートであることを再確認することに基づいている。「メイクアップフォーエバー」は最もパフォーマンス性の高いアーティスティックブランドを目指している。「メイクアップフォーエバー」は40年に渡りメイクアップ業界に貢献してきており、これからもずっとそうしていくつもりだ。「メイクアップフォーエバー」はファッションブランドでもセレブリティーブランドでもない。高いパフォーマンスと洗練された芸術性に焦点を当てた長期的なブランドだ。

WWD:具体的に実行することは。

ルヴァイヤン:これまで以上にプロとしてのアイデンティティーを研ぎ澄まし、革新的な処方を追求し続ける必要がある。多くの人が「メイクアップフォーエバー」はプロ用だから使うのが難しいと思っているが、実際はプロが愛用する商品だからこそ最も使いやすく、最もユーザーフレンドリーであることを示すべきだ。われわれが何を目指しているかをより大きなスケールで表現したいと思っている。

ローカライズとフランスらしさの両立を目指して

WWD:ブランドにとって日本市場の位置付けは?

ルヴァイヤン:日本で小売り市場に参入してから歴史が浅いため、他国と比べるとまだシェアが高いとは言えないが、日本市場はレベルが高く、洗練されているので重視している。「メイクアップフォーエバー」は、以前はプロフェッショナル向けとして展開していたが、一般市場でさらに発展する大きな可能性を持っている。そのためには長期的な視野に立ち、自分たちが何者であるか、何を目指しているかをもっと表現していく必要がある。パフォーマンス、芸術性、教育、伝達、パーソナリティーの解放。逆説的に聞こえるかもしれないが、日本にローカライズすることを受け入れると同時に、「メイクアップフォーエバー」のフランスらしさをもっと表現する必要があるとも思う。

WWD「ルイ・ヴィトン」での経験から「メイクアップフォーエバー」の成長に生かせる知見はあるか。

ルヴァイヤン:「メイクアップフォーエバー」には非常に機能性の高い商品がそろっている。しかし、性能だけでは売れないのも事実だ。「ルイ・ヴィトン」での経験から、人々は魅力的で自分が強く欲しいと望むものを買うのであり、性能は安心感を与えるものでしかないということを学んだ。だからわれわれは「メイクアップフォーエバー」を非常に魅力的なブランドに変える必要がある。これは長期的な課題であり、多くの小さな行動から始まる。例えば、「メイクアップフォーエバー」の高機能なメイクブラシにフィーチャーして、日本のアーティストたちと芸樹的なコラボレーションをするというアイデアはどうか?こうした新しい視点でさまざまな仕掛けづくりをしていきたい。

The post LVMH傘下メイクアップフォーエバーCEOが語る 「機能性だけでモノは売れない」 appeared first on WWDJAPAN.

“香りの女王”と呼ばれているブルガリアンローズをコース料理に 「MIMC」が一夜限りの晩餐会を開催

「エムアイエムシー(MIMC)」は2月22日、世界で愛されているブルガリアンローズを五感で楽しむ一夜限りの晩餐会を開催した。

会場は、東京・西麻布にあるイタリアンレストラン「アルポルト」。コース料理にはブランド指定のオーガニック農場で1年に3週間だけ花開くローズを手摘みし、高濃度のローズオイルを含むローズの美容成分を抽出したインナーケアドリンク“ローズエマルションウォーター”(150mL、4104円)を贅沢に使用した全8品のフルコースが振る舞われた。また、食事の途中には水にローズウオーターを加えたローズ水が用意されるなど、参加者は“バラ三昧”なひと時を味わった。

イベントにはオーナーシェフである片岡護氏も登場し、自ら各テーブルに回ってコース料理の説明を行ったり、ブルガリアンローズの魅力を語ったりと、参加者をもてなした。

なぜ、この晩餐会を開催したのか。北島寿 代表取締役会長にイベントの狙いやブルガリアンローズの今後の展望などについて聞いた。

北島会長「“香りの女王”ブルガリアンローズの魅力を広めたい」

PROFILE: 北島 寿「MIMC」開発者 兼 代表取締役

北島 寿「MIMC」開発者 兼 代表取締役
PROFILE: (きたじま ことぶき)東北大学博士課程前期理学研究科修了。自然派化粧品会社に勤めた後、2001年にアメリカ西海岸に渡り、オーガニック化粧品や先進的美容医療のマーケティングを学ぶ。07年に「MIMC」を設立し、17年に美容本「クレンジングをやめたら肌がきれいになった」(文藝春秋)を発刊。

WWDJAPAN(以下、WWD):このイベントを開催した狙いは?

北島寿 開発者兼代表取締役(以下、北島会長):ブルガリアンローズは化粧品にとって肌への効能・効果の高さと希少性からラグジュアリーな素材であり、パフュームにとっても絶対に欠かせない素材で、“香りの女王”と呼ばれている。

実は、ブルガリアンローズは古くから東洋の漢方のように「薬草」として体内に取り入れられてきていた。睡眠改善やストレス改善、抗酸化、美肌効果などからインナービューティとしての効果はもちろん、ローズは味も本当においしいものであるとされている。

この魅力を広く知らしめるために“毎日、心から取り入れたくなるようなものを”というメッセージを掲げ、食べておいしい、見て美しいと思える体験や感動を味わってもらいたかった。

WWD:なぜ片岡シェフにオファーしたのか

北島会長:片岡氏はブルガリアンローズ文化協会の理事であり、日本を代表するシェフである。毎年開催している大会「ローズウォーターレシピアワード」で審査員を務めていることもあり、ローズを使った料理に造詣がとても深く、前菜からデザートまでローズを使ったフルコースを作ってもらえると思った。

WWD:「MIMC」で販売しているローズ製品“ローズ シューティカル(ROSE CEUTICAL)”ラインの売れ行きは?

北島会長:ブルガリアンローズをキー成分に配合した“ローズ シューティカル”ラインは、インナーケアドリンク“オーガニックインナーセラムドリンク”(150mL、4104円)と、“コンセントレートブライトニングセラム”(30mL、1万6500円)の2種を展開している。購入者層は、ドリンクは40才~50才を中心に、美容液はまんべんなく幅広い層に支持されている。

WWD:今後の展望について

北島会長:“オーガニックインナーセラムドリンク”は体の中から調子を整えて美しくなる「インナービューティ」であり、毎日おいしく楽しめる「食」でもある。今後は、同商品を絡めて色々な人とコラボレーションする予定だ。たくさんの人にローズの魅力を伝えるため、さまざまな活動を通して広めていきたい。

The post “香りの女王”と呼ばれているブルガリアンローズをコース料理に 「MIMC」が一夜限りの晩餐会を開催 appeared first on WWDJAPAN.

アカデミー賞のドレスで再注目の「ロダルテ」 デザイナー姉妹が「正当に評価されていない」と感じる理由

ケイト・マレヴィ(Kate Mulleavy)とローラ・マレヴィ(Laura Mulleavy)姉妹によるブランド「ロダルテ(RODARTE)」は、来年ブランド設立20周年を迎える。地元ロサンゼルスを拠点に、ニューヨーク・ファッション・ウイークに参加し、コレクションを発表してきた。近年では、アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞などの授賞式に参加するセレブリティーのカスタムドレスを手掛けたり、映画やオペラの衣装を制作したりと、活動の場を広げている。こうして実力を発揮し、キャリアを積んできているものの、2人は「(ファッション業界において)デザイナーとして正当に評価されていない」と感じるという。

ケイトは1979年、ローラは80年に、カリフォルニア州パサデナで生まれた。姉妹である2人は幼い頃からデザイナーになる夢を持ち、カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)を卒業後、故郷のパサデナに戻り、05年に母親の旧姓を冠した「ロダルテ」を設立した。06年春夏シーズンにニューヨークでデビューコレクションを発表し、08年には、Tシャツやカジュアルウエアのコレクション「ラダルテ(RADARTE)」をスタート。09年、アメリカファッション協議会(COUNCIL OF FASHION DESIGNERS OF AMERICA以下、CFDA)による「CFDAアワード(CFDA Awards)」の新人賞にあたるスワロフスキー・アワードのウィメンズ部門を受賞。その後もコレクションの発表をする傍ら、映画「ブラック・スワン(BLACK SWAN)」やオペラ「ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)」で衣装をデザインするなど、新たな道を切り開いてきた。映画制作にも取り組み、17年には姉妹が脚本と監督を手掛け、キルスティン・ダンスト(Kirsten Dunst)が主演を務めた映画「WOODSHOCK」が、第74回ベネチア国際映画祭で公開された。

同世代のアメリカブランドには、02年設立の「プロエンザ スクーラー(PROENZA SCHOULER)」や今年20周年を迎える「トリー バーチ(TORY BURCH)」がある。またロサンゼルスのつながりで言えば、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」前メンズ・アーティスティック・デザイナーで「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH)」の創業者ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)や、「モスキーノ(MOSCHINO)」のクリエイティブ・ディレクターだったジェレミー・スコット(Jeremy Scott)といった、ビッグメゾンに抜擢された男性デザイナーがいる。

女性デザイナーが活躍する難しさを痛感

メトロポリタン美術館(METROPOLITAN MUSEUM OF ART)のコスチューム・インスティチュート(COSTUME INSTITUTE)は12月、ファッション業界における女性のデザイナーの仕事にフォーカスした展覧会「ウィメン・ドレッシング・ウィメン(Women Dressing Women)」を開催。「ロダルテ」の作品も展示されているこの展覧会や、23年9月に退任した「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」のクリエイティブ・ディレクター、サラ・バートン(Sarah Burton)の後任に男性デザイナーのショーン・マクギアー(Sean McGirr)が起用されたことをきっかけに、ファッション業界における性差別や欧州のラグジュアリーブランドを率いる女性デザイナーの少なさに関する対話が増えているが、マレヴィ姉妹はこれを痛感しているという。その一例として、キャリア20年にして一度だけ、大手メゾンからクリエイティブ・ディレクター候補として声を掛けられたときのことを挙げた。

「たった一回の会話でそぐわないと判断され、とてもショックだった。私たちは最高の女優たちにドレスを提供し、すばらしい衣装を作り、世界中の美術館に展示され、ショーも開催し、アーティストとも協業している。これらすべてを独立した企業として行ってきたし、人々は『ロダルテ』がどういうブランドであるかも知っている。自惚れるわけではないが、ほかに何が必要だというのか」。

最近では、映画祭などのレッドカーペットでその名を広めている。今年に入ってからは、1月に行われた第35回パームスプリングス国際映画祭で、第81回ゴールデングローブ賞で主演女優賞(ドラマ部門)を受賞したリリー・グラッドストーン(Lily Gladstone)にドレスを提供。その後の第96回アカデミー賞では、最多受賞となった「オッペンハイマー(Oppenheimer)」のプロデューサー、エマ・トーマス(Emma Thomas)や映画監督マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)の娘で俳優兼監督であるフランチェスカ・スコセッシ(Francesca Scorsese)ら、過去最多12人のドレスをデザイン。制作には、8人のチームで数カ月におよぶ集中的な作業を要した。

その間には、「ロダルテ」の24-25年秋冬コレクションのルックブックとポートレートシリーズにも取り掛かっていたため、多忙を極めたという。ローラは、「すごく疲れたわ。12ルックはそれぞれ4〜5回ものフィッティングが必要だった」と、俳優らのスケジュールに合わせながらドレスを制作したことを明かした。

トーマスには、シースルーの袖に、フロントをクロスさせた黒のドレスを提供。長年映画業界に携わり、今回「ロダルテ」にドレスを依頼したスタイリストのクリスティーナ・エールリッヒ(Cristina Ehrlich)は、「ケイトとローラには、レッドカーペットという晴れの舞台で詩的に語りかけるような、ユニークで時代を超越したスーパーフェミニンなドレスを生み出す目と知性がある」と高く評価した。

ケイトは、トーマスにドレスを着せたことは意義深いことだったと振り返る。「男性中心で女性の活躍が容易ではない映画業界で、多くのことを成し遂げてきた彼女に、とてもインスパイアされた。多くの扉を開いてきた彼女の活躍の重みを感じたし、彼女が10年後を振り返って、まだこのドレスを好きでいてくれることを願っている」。

大手ブランドは、レッドカーペットなどの重要なイベントでトップクラスのセレブに衣装を着用してもらうため、報酬を支払うことも多い。そうした予算がないブランドは、デザインを無料で行うことしかできないが、ケイトは「それでも『ロダルテ』を選んでくれたとき、これまで誠実に積み上げてきた実績を誇らしく思う」と話した。

「何十億ドル規模の巨大企業と同じレベルで活動することは、持続可能ではない」

「ロダルテ」は売上高などの数字を公開していないが、独自の戦略を掲げて事業を拡大してきた。コロナ禍の間、年2回のコレクション発表を4回に切り替え、イヴニングウエアを中心に発表することにし、D2Cのオンライン販売を強化。また、米高級百貨店バーグドルフ・グッドマン(Bergdorf Goodman)やサックス・フィフス・アベニュー(SAKS FIFTH AVENUE)、ECのモーダ・オペランディ(MODA OPERANDI)、ネッタポルテ(NET-A-PORTER)、マイテレサ(MYTHERESA)、ショップボップ(SHOPBOP)、アマゾン・ラグジュアリー(Amazon Luxury)でも販売している。主な価格帯は、プレタポルテとイヴニングウエアが966〜4000ドル(約14万〜60万円)、セミクチュールは4000〜1万ドル(約60万〜151万円)、オーダーメードのクチュールは1万〜4万ドル(約151万〜604万円)。さらにブライダルを加え、ネッタポルテでカプセルコレクションを発売する予定だ。

同ブランドは23年9月に発表した24年春夏コレクション以来、ランウエイショーを行っていないが、今年9月のニューヨーク・ファッション・ウイークに参加するかどうかは未定だという。「何十億ドル規模の巨大企業と同じレベルで活動することは持続可能ではない。映画制作も手掛けているので、シーズンにとらわれず、クリエイティビティーを大切にデザインし、必要に応じてショーを開催する。こうした“賢い”決断の積み重ねが、ビジネスを続けられてきた理由だと思う。私たちはアーティストであり、夢を与えるコレクションを作っている」とマレヴィ姉妹。また、彼女たちのように女性主導のビジネスが成功するためには、より均等な機会の創出など業界のシステム改革が必要だと説いた。

The post アカデミー賞のドレスで再注目の「ロダルテ」 デザイナー姉妹が「正当に評価されていない」と感じる理由 appeared first on WWDJAPAN.

アカデミー賞のドレスで再注目の「ロダルテ」 デザイナー姉妹が「正当に評価されていない」と感じる理由

ケイト・マレヴィ(Kate Mulleavy)とローラ・マレヴィ(Laura Mulleavy)姉妹によるブランド「ロダルテ(RODARTE)」は、来年ブランド設立20周年を迎える。地元ロサンゼルスを拠点に、ニューヨーク・ファッション・ウイークに参加し、コレクションを発表してきた。近年では、アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞などの授賞式に参加するセレブリティーのカスタムドレスを手掛けたり、映画やオペラの衣装を制作したりと、活動の場を広げている。こうして実力を発揮し、キャリアを積んできているものの、2人は「(ファッション業界において)デザイナーとして正当に評価されていない」と感じるという。

ケイトは1979年、ローラは80年に、カリフォルニア州パサデナで生まれた。姉妹である2人は幼い頃からデザイナーになる夢を持ち、カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)を卒業後、故郷のパサデナに戻り、05年に母親の旧姓を冠した「ロダルテ」を設立した。06年春夏シーズンにニューヨークでデビューコレクションを発表し、08年には、Tシャツやカジュアルウエアのコレクション「ラダルテ(RADARTE)」をスタート。09年、アメリカファッション協議会(COUNCIL OF FASHION DESIGNERS OF AMERICA以下、CFDA)による「CFDAアワード(CFDA Awards)」の新人賞にあたるスワロフスキー・アワードのウィメンズ部門を受賞。その後もコレクションの発表をする傍ら、映画「ブラック・スワン(BLACK SWAN)」やオペラ「ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)」で衣装をデザインするなど、新たな道を切り開いてきた。映画制作にも取り組み、17年には姉妹が脚本と監督を手掛け、キルスティン・ダンスト(Kirsten Dunst)が主演を務めた映画「WOODSHOCK」が、第74回ベネチア国際映画祭で公開された。

同世代のアメリカブランドには、02年設立の「プロエンザ スクーラー(PROENZA SCHOULER)」や今年20周年を迎える「トリー バーチ(TORY BURCH)」がある。またロサンゼルスのつながりで言えば、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」前メンズ・アーティスティック・デザイナーで「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH)」の創業者ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)や、「モスキーノ(MOSCHINO)」のクリエイティブ・ディレクターだったジェレミー・スコット(Jeremy Scott)といった、ビッグメゾンに抜擢された男性デザイナーがいる。

女性デザイナーが活躍する難しさを痛感

メトロポリタン美術館(METROPOLITAN MUSEUM OF ART)のコスチューム・インスティチュート(COSTUME INSTITUTE)は12月、ファッション業界における女性のデザイナーの仕事にフォーカスした展覧会「ウィメン・ドレッシング・ウィメン(Women Dressing Women)」を開催。「ロダルテ」の作品も展示されているこの展覧会や、23年9月に退任した「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」のクリエイティブ・ディレクター、サラ・バートン(Sarah Burton)の後任に男性デザイナーのショーン・マクギアー(Sean McGirr)が起用されたことをきっかけに、ファッション業界における性差別や欧州のラグジュアリーブランドを率いる女性デザイナーの少なさに関する対話が増えているが、マレヴィ姉妹はこれを痛感しているという。その一例として、キャリア20年にして一度だけ、大手メゾンからクリエイティブ・ディレクター候補として声を掛けられたときのことを挙げた。

「たった一回の会話でそぐわないと判断され、とてもショックだった。私たちは最高の女優たちにドレスを提供し、すばらしい衣装を作り、世界中の美術館に展示され、ショーも開催し、アーティストとも協業している。これらすべてを独立した企業として行ってきたし、人々は『ロダルテ』がどういうブランドであるかも知っている。自惚れるわけではないが、ほかに何が必要だというのか」。

最近では、映画祭などのレッドカーペットでその名を広めている。今年に入ってからは、1月に行われた第35回パームスプリングス国際映画祭で、第81回ゴールデングローブ賞で主演女優賞(ドラマ部門)を受賞したリリー・グラッドストーン(Lily Gladstone)にドレスを提供。その後の第96回アカデミー賞では、最多受賞となった「オッペンハイマー(Oppenheimer)」のプロデューサー、エマ・トーマス(Emma Thomas)や映画監督マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)の娘で俳優兼監督であるフランチェスカ・スコセッシ(Francesca Scorsese)ら、過去最多12人のドレスをデザイン。制作には、8人のチームで数カ月におよぶ集中的な作業を要した。

その間には、「ロダルテ」の24-25年秋冬コレクションのルックブックとポートレートシリーズにも取り掛かっていたため、多忙を極めたという。ローラは、「すごく疲れたわ。12ルックはそれぞれ4〜5回ものフィッティングが必要だった」と、俳優らのスケジュールに合わせながらドレスを制作したことを明かした。

トーマスには、シースルーの袖に、フロントをクロスさせた黒のドレスを提供。長年映画業界に携わり、今回「ロダルテ」にドレスを依頼したスタイリストのクリスティーナ・エールリッヒ(Cristina Ehrlich)は、「ケイトとローラには、レッドカーペットという晴れの舞台で詩的に語りかけるような、ユニークで時代を超越したスーパーフェミニンなドレスを生み出す目と知性がある」と高く評価した。

ケイトは、トーマスにドレスを着せたことは意義深いことだったと振り返る。「男性中心で女性の活躍が容易ではない映画業界で、多くのことを成し遂げてきた彼女に、とてもインスパイアされた。多くの扉を開いてきた彼女の活躍の重みを感じたし、彼女が10年後を振り返って、まだこのドレスを好きでいてくれることを願っている」。

大手ブランドは、レッドカーペットなどの重要なイベントでトップクラスのセレブに衣装を着用してもらうため、報酬を支払うことも多い。そうした予算がないブランドは、デザインを無料で行うことしかできないが、ケイトは「それでも『ロダルテ』を選んでくれたとき、これまで誠実に積み上げてきた実績を誇らしく思う」と話した。

「何十億ドル規模の巨大企業と同じレベルで活動することは、持続可能ではない」

「ロダルテ」は売上高などの数字を公開していないが、独自の戦略を掲げて事業を拡大してきた。コロナ禍の間、年2回のコレクション発表を4回に切り替え、イヴニングウエアを中心に発表することにし、D2Cのオンライン販売を強化。また、米高級百貨店バーグドルフ・グッドマン(Bergdorf Goodman)やサックス・フィフス・アベニュー(SAKS FIFTH AVENUE)、ECのモーダ・オペランディ(MODA OPERANDI)、ネッタポルテ(NET-A-PORTER)、マイテレサ(MYTHERESA)、ショップボップ(SHOPBOP)、アマゾン・ラグジュアリー(Amazon Luxury)でも販売している。主な価格帯は、プレタポルテとイヴニングウエアが966〜4000ドル(約14万〜60万円)、セミクチュールは4000〜1万ドル(約60万〜151万円)、オーダーメードのクチュールは1万〜4万ドル(約151万〜604万円)。さらにブライダルを加え、ネッタポルテでカプセルコレクションを発売する予定だ。

同ブランドは23年9月に発表した24年春夏コレクション以来、ランウエイショーを行っていないが、今年9月のニューヨーク・ファッション・ウイークに参加するかどうかは未定だという。「何十億ドル規模の巨大企業と同じレベルで活動することは持続可能ではない。映画制作も手掛けているので、シーズンにとらわれず、クリエイティビティーを大切にデザインし、必要に応じてショーを開催する。こうした“賢い”決断の積み重ねが、ビジネスを続けられてきた理由だと思う。私たちはアーティストであり、夢を与えるコレクションを作っている」とマレヴィ姉妹。また、彼女たちのように女性主導のビジネスが成功するためには、より均等な機会の創出など業界のシステム改革が必要だと説いた。

The post アカデミー賞のドレスで再注目の「ロダルテ」 デザイナー姉妹が「正当に評価されていない」と感じる理由 appeared first on WWDJAPAN.

箕輪厚介が手掛ける“古着バー”が5月にオープン コミュニティーが生まれる“溜まり場”に

PROFILE:齋藤秀行/メローカナリア代表(左) プロフィール

(さいとう・ひでゆき)古着屋「カナリ 中目黒」「カナリ 代々木八幡」「エブリシング イズ エブリシング下北沢」「カナリ 代々木上原」、カフェ「代々木上原 モナリザコーヒー」を展開

PROFILE:箕輪厚介/編集者、実業家(右) プロフィール

(みのわ・こうすけ)2010年双葉社に入社、ファッション誌の広告営業を経験後、編集者に転身。15年からは幻冬舎に入社し多数のヒット書籍を手掛ける傍ら、エクソダス代表取締役、キャンプファイヤーコミュニティーのチェアマンを務める。家系ラーメン店「箕輪家」、サウナホテル「サウナランド浅草」などのプロデュース業にも取り組む

数々のヒット書籍を生み出し、実業家やコメンテーターとして多岐にわたり活躍し続ける幻冬舎の箕輪厚介氏。2022年には家系ラーメン店「箕輪家」、サウナホテル「サウナランド浅草」をプロデュースし話題を呼んだ。編集者でありながらビジネスパーソンである彼の次なる照準は、意外にも“古着バー”の開業だと言う。手を組むのは、古着屋やカフェを経営するメローカナリア代表の齋藤秀行氏だ。“古着ブーム終焉”と言われる中、彼らが新たに古着ビジネスを始める理由とは?2人が考える生き残りの道筋を聞いた。

Xをきっかけに古着バー開業へ
初年売り上げ目標は5000万円

WWD:古着事業を始めようとしたきっかけは?

箕輪厚介(以下、箕輪):Xで私に顧問を依頼したい企業を募ったことがきっかけだ。複数の問い合わせがあった中で、古着屋のオーナーである齋藤さんの問い合わせが目についた。私は古着に詳しくはないが、好きなものに対してこだわりを持って語っている人に惹かれる。実際にYouTubeで「ハルキの古着」「さらば森田の五反田ガレージ」など古着コンテンツを見るのが好きだったから、齋藤さんの声掛けはうれしかった。

齋藤秀行(以下、齋藤):閉業予定の古着屋「エブリシング イズ エブリシング 下北沢」の物件は、借りたのがコロナ禍だったことから、今の下北沢では考えられないほど家賃が安い。手放すのは勿体無いし、他にも古着屋を経営していることから、この物件では少しチャレンジしてみたいと思った。ファッション界隈の多くの人は、箕輪さんの人を“お金の人”と少し冷めた感覚で見ていると思うし、古着の世界では“売れない方が美しい”みたいなムードも感じる。しかし私達だって、表ではお金のことを話さなくても売り上げが立てばうれしい。“古着ブーム終焉”と言われる中、私自身もこのブームは絶対に終わると考えている。古着業界にとって厳しい時代が来るからこそ、「何か新しい世界が作れたら」と言う気持ちで、あえて“お金っぽさ”を感じる箕輪さんに顧問を依頼した。私自身もアパレルだけではなく、コーヒー屋を展開したりなどさまざまな事業を行う部分で、マルチに活躍する彼の考え方に共感できた。

箕輪:まずは5月から1年間で5000万円、そこから徐々に1億円を目指す。古着に限らないが、あらゆるブームは5〜7割が本当に好きな人、2〜3割ぐらいが“にわか”、3割ぐらいが投機目的、と言ったバランスによってブームになっている。投機があることによってムーブメントになっていることは間違いないが、その割合が多くなると本来のファン達が離れていき、やがて投機する人もいなくなる。これこそバブルが弾ける瞬間だ。ビジネスとしてただカルチャーに乗ろうとすると、バブルが弾けた時に生き残れないだろう。

コンセプトは“ネオスナック”
お酒を飲みながら古着を買える空間に

WWD:オープン予定日や店のコンセプトは?

齋藤:4月7日まで現在の「エブリシング イズ エブリシング 下北沢」を運営し、その店舗をリニューアルする形で5月1日にオープンする予定。まだ店舗名は決まっていないし、店長も募集中だ。

箕輪:古着に関する知見が無い私がただ古着屋をやっても、それこそ“時代のブームに乗っかっただけ”みたいな形になってしまうだろう。今38歳の私も含め、普段港区で飲んでいるような40代の人達も下北沢に来ると落ち着くし、ワクワクする。かと言って古着を買うためだけに来るというのは少しハードルが高いし、バーのような雰囲気にしたいと考えた。今流行している、いわゆる“ネオスナック”のようなイメージだ。90年代の懐かしさを感じる空間で、同じ世界観を持つ古着を展開したい。お酒が飲めて、語り合って、その場にある服も買えるーーつい何となく行ってしまうような場所になるのが理想である。実際に私も飲みに行くし、時には“1日店長”として店に立つ予定だ。

WWD:店長にはどのような人材を採用予定?

箕輪:自分がサウナを経営する中で、流行に乗って開業した店舗のほとんどは、ブームが落ち着いた頃になくなっていくのを肌で感じた。だから古着に関しても、私の“好きレベル”ではきっとダメになってしまう。そのため当初は「古着大好き!」みたいな知見のある人を店長として立てて、その人にフルベットして好きなようにやってもらおうとしたが、そう簡単に良い人材は見つからない。そこで「ファッションもコミュニティーなのでは」と考えた。ファッションが好きな人は、自分の好きな価値観や人との繋がりを共有するユニフォームのように服を選んでいる。そういった視点で考えれば、私が手掛ける書籍やラーメン、サウナ、オンラインサロンも基本的にはコミュニティービジネスで、自分が得意とする分野だ。その文脈で言うと、知識がなくてもファッションを楽しんでいて、気持ちの良い接客ができて、一緒に作っていくという意識が持てる人が理想だ。私のラーメン屋は家系ラーメンから始まったが、次に二郎系ラーメンを売り始めて今とても人気がある。業界的には家系の店が二郎系を出すのは邪道らしいが、箕輪家の店長はラーメン業界の人ではないし、ある意味斬新な発想で始められた。そんなふうに、固定概念に縛られていない人の方が面白いことができると考えている。

WWD:商品の買い付けは誰が行う?

箕輪:店長が決まり次第、店長と私、齋藤さんで買い付けに行きたいと思っている。最初の買付先はタイだ。

齋藤:タイは、今世界で1番古着が集まっている国。アメリカやヨーロッパの古着が集まっていて、最近の古着の多くはタイの業者が仕掛けている。パキスタンにも古着は多いが、一般的にはアクセスがしにくい国だからこそ、パキスタンの業者もタイに卸に来るほどだ。昔は一部の人しか知らなかったが、今はどんな人でも買い付けに行きやすい環境になった。

箕輪:知人がちょうどタイに移住するのと、キックボクシングをやっているのもあり、ムエタイ合宿もしたいなと思っていて(笑)。買い付けと言っても、私は何を選べば良いかわからない。でもみんなで一緒に買い付けに行って、みんなで売るというストーリーがこれからの時代は大事なんだと思う。

WWD:古着バーの次に挑戦したい事業は?

箕輪:いつもその場で「これやりましょう」と話が決まることが多く、思った時点でスタートする。だからこそ、今の時点で次に考えていることは特にない。とは言え、鈴木おさむさんの引退を身近で見ていて、「変わったことをやりたい」と改めて感じた。普遍的に続くものを作りたいとは思わないが、将来過去を振り返った時に「よく分からなかったけど一時期そういうブームあったよね」みたいな現象を生みたい。古着バーにしても、下北沢で他の人達が真似してやり始めるような流れになると理想的だ。

ファッション誌の広告営業やブランド企画への出演も
箕輪氏が見るファッション業界の可能性

WWD:箕輪さん自身は普段、どのように服を選んでいる?

箕輪:一時期はペンキで服にペイントするのにハマってペンキばかり買ったり、“たけしセーター”にハマったり、本当に訳のわからない買い物をしていると思う(笑)。少し前はグレーのスエットにハマっていて、メルカリで“グレー”“スエット”で検索をして買い集めていた。その時にたまたま買った「ヒューマンメイド(HUMAN MADE)」のスエットをよく着ていたら、ブランドの関係者から人伝で「箕輪さんは『ヒューマンメイド』が好きなんですか」と聞かれて。「グレーのスエットだから」という理由で買っただけだったから、本当に恥ずかしかった(笑)。

WWD:ファッション企画に起用されることもあるが、自身はどのように感じている?

箕輪:これまでにビームスやエストネーションが企画で私を起用してくれたことがある。ファッション好きな人達がなぜ私を起用するのか不思議だったが、ビームスの設楽洋社長が言うには「ファッションというのは片方で“それは違うでしょ”と否定されるようなことをやり、もう片方で“わかっているな”とお客さんが共感し喜ぶこと、両方をやらないとすぐにダサくなり、批判される」のだそうだ。きっと僕を起用する企業は既存のイメージを壊したいとか、変わったイメージをつけたいのだろう。

WWD:ファッション誌の広告営業の経歴を持つ箕輪さんが、ファッション業界に関して思うことは?

箕輪:そもそも、ファッション業界そのものが独特で、ビジネスとしてすごく今っぽい。今は品質や実用性のみで買うことがなくなってきている時代だ。その中で多くの企業が商品そのものの意味を考えたり、熱量の高いコミュニティーを作ろうとしているが、ファッション業界は昔から商品のストーリーや表現、コミュニティーを追求してきた業界だ。別の種族の人から見たら全く訳わからないような商品が、一部の人には魅力的に感じられるーーある意味宗教っぽくもあるが、すごく理想的だ。信者ビジネスとか揶揄されてしまうこともあるが、お客さんがファンになり、ファンが信者になってくれるような商品やブランドでなくては、将来的には価値がなくなっていく。そういった意味でファッション業界はとても先鋭的で、今の時代に合っていると感じる。

WWD:多様な業種に携わる中で、今後ビジネスのカギとなるのは何だと思う?

箕輪:昨今“居場所”“溜まり場”みたいなものの需要を強く感じる。“食うために稼ぐ”のは辛くても、その目的があるだけ、実は幸せだ。将来、AIが仕事の多くを担う時代に突入し、食うために稼ぐことが不要な世界になったら、自分達のコミュニティーに貢献することに生きる意味を感じるのだと思う。金銭的なものを介さない価値の交換や、それぞれが自分に合った方法で貢献する“溜まり場”、すなわちコミュニティーが求められるだろう。例え話として「高級レストランか、バーベキューか」とよく挙げられるが、バーベキューは自分達で火をつけたり、肉を焼いたり、それぞれに役割があるからこそコミュニティーが生まれる。今回始める“古着バー”でも雇う店長やスタッフのアイデアを取り入れたり、お店側とお客さん側の垣根を超えて、みんなで“溜まり場”を作っていくバーベキュー型の店にしていきたい。

PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

The post 箕輪厚介が手掛ける“古着バー”が5月にオープン コミュニティーが生まれる“溜まり場”に appeared first on WWDJAPAN.

箕輪厚介が手掛ける“古着バー”が5月にオープン コミュニティーが生まれる“溜まり場”に

PROFILE:齋藤秀行/メローカナリア代表(左) プロフィール

(さいとう・ひでゆき)古着屋「カナリ 中目黒」「カナリ 代々木八幡」「エブリシング イズ エブリシング下北沢」「カナリ 代々木上原」、カフェ「代々木上原 モナリザコーヒー」を展開

PROFILE:箕輪厚介/編集者、実業家(右) プロフィール

(みのわ・こうすけ)2010年双葉社に入社、ファッション誌の広告営業を経験後、編集者に転身。15年からは幻冬舎に入社し多数のヒット書籍を手掛ける傍ら、エクソダス代表取締役、キャンプファイヤーコミュニティーのチェアマンを務める。家系ラーメン店「箕輪家」、サウナホテル「サウナランド浅草」などのプロデュース業にも取り組む

数々のヒット書籍を生み出し、実業家やコメンテーターとして多岐にわたり活躍し続ける幻冬舎の箕輪厚介氏。2022年には家系ラーメン店「箕輪家」、サウナホテル「サウナランド浅草」をプロデュースし話題を呼んだ。編集者でありながらビジネスパーソンである彼の次なる照準は、意外にも“古着バー”の開業だと言う。手を組むのは、古着屋やカフェを経営するメローカナリア代表の齋藤秀行氏だ。“古着ブーム終焉”と言われる中、彼らが新たに古着ビジネスを始める理由とは?2人が考える生き残りの道筋を聞いた。

Xをきっかけに古着バー開業へ
初年売り上げ目標は5000万円

WWD:古着事業を始めようとしたきっかけは?

箕輪厚介(以下、箕輪):Xで私に顧問を依頼したい企業を募ったことがきっかけだ。複数の問い合わせがあった中で、古着屋のオーナーである齋藤さんの問い合わせが目についた。私は古着に詳しくはないが、好きなものに対してこだわりを持って語っている人に惹かれる。実際にYouTubeで「ハルキの古着」「さらば森田の五反田ガレージ」など古着コンテンツを見るのが好きだったから、齋藤さんの声掛けはうれしかった。

齋藤秀行(以下、齋藤):閉業予定の古着屋「エブリシング イズ エブリシング 下北沢」の物件は、借りたのがコロナ禍だったことから、今の下北沢では考えられないほど家賃が安い。手放すのは勿体無いし、他にも古着屋を経営していることから、この物件では少しチャレンジしてみたいと思った。ファッション界隈の多くの人は、箕輪さんの人を“お金の人”と少し冷めた感覚で見ていると思うし、古着の世界では“売れない方が美しい”みたいなムードも感じる。しかし私達だって、表ではお金のことを話さなくても売り上げが立てばうれしい。“古着ブーム終焉”と言われる中、私自身もこのブームは絶対に終わると考えている。古着業界にとって厳しい時代が来るからこそ、「何か新しい世界が作れたら」と言う気持ちで、あえて“お金っぽさ”を感じる箕輪さんに顧問を依頼した。私自身もアパレルだけではなく、コーヒー屋を展開したりなどさまざまな事業を行う部分で、マルチに活躍する彼の考え方に共感できた。

箕輪:まずは5月から1年間で5000万円、そこから徐々に1億円を目指す。古着に限らないが、あらゆるブームは5〜7割が本当に好きな人、2〜3割ぐらいが“にわか”、3割ぐらいが投機目的、と言ったバランスによってブームになっている。投機があることによってムーブメントになっていることは間違いないが、その割合が多くなると本来のファン達が離れていき、やがて投機する人もいなくなる。これこそバブルが弾ける瞬間だ。ビジネスとしてただカルチャーに乗ろうとすると、バブルが弾けた時に生き残れないだろう。

コンセプトは“ネオスナック”
お酒を飲みながら古着を買える空間に

WWD:オープン予定日や店のコンセプトは?

齋藤:4月7日まで現在の「エブリシング イズ エブリシング 下北沢」を運営し、その店舗をリニューアルする形で5月1日にオープンする予定。まだ店舗名は決まっていないし、店長も募集中だ。

箕輪:古着に関する知見が無い私がただ古着屋をやっても、それこそ“時代のブームに乗っかっただけ”みたいな形になってしまうだろう。今38歳の私も含め、普段港区で飲んでいるような40代の人達も下北沢に来ると落ち着くし、ワクワクする。かと言って古着を買うためだけに来るというのは少しハードルが高いし、バーのような雰囲気にしたいと考えた。今流行している、いわゆる“ネオスナック”のようなイメージだ。90年代の懐かしさを感じる空間で、同じ世界観を持つ古着を展開したい。お酒が飲めて、語り合って、その場にある服も買えるーーつい何となく行ってしまうような場所になるのが理想である。実際に私も飲みに行くし、時には“1日店長”として店に立つ予定だ。

WWD:店長にはどのような人材を採用予定?

箕輪:自分がサウナを経営する中で、流行に乗って開業した店舗のほとんどは、ブームが落ち着いた頃になくなっていくのを肌で感じた。だから古着に関しても、私の“好きレベル”ではきっとダメになってしまう。そのため当初は「古着大好き!」みたいな知見のある人を店長として立てて、その人にフルベットして好きなようにやってもらおうとしたが、そう簡単に良い人材は見つからない。そこで「ファッションもコミュニティーなのでは」と考えた。ファッションが好きな人は、自分の好きな価値観や人との繋がりを共有するユニフォームのように服を選んでいる。そういった視点で考えれば、私が手掛ける書籍やラーメン、サウナ、オンラインサロンも基本的にはコミュニティービジネスで、自分が得意とする分野だ。その文脈で言うと、知識がなくてもファッションを楽しんでいて、気持ちの良い接客ができて、一緒に作っていくという意識が持てる人が理想だ。私のラーメン屋は家系ラーメンから始まったが、次に二郎系ラーメンを売り始めて今とても人気がある。業界的には家系の店が二郎系を出すのは邪道らしいが、箕輪家の店長はラーメン業界の人ではないし、ある意味斬新な発想で始められた。そんなふうに、固定概念に縛られていない人の方が面白いことができると考えている。

WWD:商品の買い付けは誰が行う?

箕輪:店長が決まり次第、店長と私、齋藤さんで買い付けに行きたいと思っている。最初の買付先はタイだ。

齋藤:タイは、今世界で1番古着が集まっている国。アメリカやヨーロッパの古着が集まっていて、最近の古着の多くはタイの業者が仕掛けている。パキスタンにも古着は多いが、一般的にはアクセスがしにくい国だからこそ、パキスタンの業者もタイに卸に来るほどだ。昔は一部の人しか知らなかったが、今はどんな人でも買い付けに行きやすい環境になった。

箕輪:知人がちょうどタイに移住するのと、キックボクシングをやっているのもあり、ムエタイ合宿もしたいなと思っていて(笑)。買い付けと言っても、私は何を選べば良いかわからない。でもみんなで一緒に買い付けに行って、みんなで売るというストーリーがこれからの時代は大事なんだと思う。

WWD:古着バーの次に挑戦したい事業は?

箕輪:いつもその場で「これやりましょう」と話が決まることが多く、思った時点でスタートする。だからこそ、今の時点で次に考えていることは特にない。とは言え、鈴木おさむさんの引退を身近で見ていて、「変わったことをやりたい」と改めて感じた。普遍的に続くものを作りたいとは思わないが、将来過去を振り返った時に「よく分からなかったけど一時期そういうブームあったよね」みたいな現象を生みたい。古着バーにしても、下北沢で他の人達が真似してやり始めるような流れになると理想的だ。

ファッション誌の広告営業やブランド企画への出演も
箕輪氏が見るファッション業界の可能性

WWD:箕輪さん自身は普段、どのように服を選んでいる?

箕輪:一時期はペンキで服にペイントするのにハマってペンキばかり買ったり、“たけしセーター”にハマったり、本当に訳のわからない買い物をしていると思う(笑)。少し前はグレーのスエットにハマっていて、メルカリで“グレー”“スエット”で検索をして買い集めていた。その時にたまたま買った「ヒューマンメイド(HUMAN MADE)」のスエットをよく着ていたら、ブランドの関係者から人伝で「箕輪さんは『ヒューマンメイド』が好きなんですか」と聞かれて。「グレーのスエットだから」という理由で買っただけだったから、本当に恥ずかしかった(笑)。

WWD:ファッション企画に起用されることもあるが、自身はどのように感じている?

箕輪:これまでにビームスやエストネーションが企画で私を起用してくれたことがある。ファッション好きな人達がなぜ私を起用するのか不思議だったが、ビームスの設楽洋社長が言うには「ファッションというのは片方で“それは違うでしょ”と否定されるようなことをやり、もう片方で“わかっているな”とお客さんが共感し喜ぶこと、両方をやらないとすぐにダサくなり、批判される」のだそうだ。きっと僕を起用する企業は既存のイメージを壊したいとか、変わったイメージをつけたいのだろう。

WWD:ファッション誌の広告営業の経歴を持つ箕輪さんが、ファッション業界に関して思うことは?

箕輪:そもそも、ファッション業界そのものが独特で、ビジネスとしてすごく今っぽい。今は品質や実用性のみで買うことがなくなってきている時代だ。その中で多くの企業が商品そのものの意味を考えたり、熱量の高いコミュニティーを作ろうとしているが、ファッション業界は昔から商品のストーリーや表現、コミュニティーを追求してきた業界だ。別の種族の人から見たら全く訳わからないような商品が、一部の人には魅力的に感じられるーーある意味宗教っぽくもあるが、すごく理想的だ。信者ビジネスとか揶揄されてしまうこともあるが、お客さんがファンになり、ファンが信者になってくれるような商品やブランドでなくては、将来的には価値がなくなっていく。そういった意味でファッション業界はとても先鋭的で、今の時代に合っていると感じる。

WWD:多様な業種に携わる中で、今後ビジネスのカギとなるのは何だと思う?

箕輪:昨今“居場所”“溜まり場”みたいなものの需要を強く感じる。“食うために稼ぐ”のは辛くても、その目的があるだけ、実は幸せだ。将来、AIが仕事の多くを担う時代に突入し、食うために稼ぐことが不要な世界になったら、自分達のコミュニティーに貢献することに生きる意味を感じるのだと思う。金銭的なものを介さない価値の交換や、それぞれが自分に合った方法で貢献する“溜まり場”、すなわちコミュニティーが求められるだろう。例え話として「高級レストランか、バーベキューか」とよく挙げられるが、バーベキューは自分達で火をつけたり、肉を焼いたり、それぞれに役割があるからこそコミュニティーが生まれる。今回始める“古着バー”でも雇う店長やスタッフのアイデアを取り入れたり、お店側とお客さん側の垣根を超えて、みんなで“溜まり場”を作っていくバーベキュー型の店にしていきたい。

PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

The post 箕輪厚介が手掛ける“古着バー”が5月にオープン コミュニティーが生まれる“溜まり場”に appeared first on WWDJAPAN.

箕輪厚介が手掛ける“古着バー”が5月にオープン コミュニティーが生まれる“溜まり場”に

PROFILE: (左)齋藤秀行/メローカナリア代表(右)箕輪厚介/編集者、実業家

(左)齋藤秀行/メローカナリア代表(右)箕輪厚介/編集者、実業家<br />
PROFILE: 齋藤秀行(さいとう・ひでゆき)古着屋「カナリ 中目黒」「カナリ 代々木八幡」「エブリシング イズ エブリシング下北沢」「カナリ 代々木上原」、カフェ「代々木上原 モナリザコーヒー」を展開 箕輪厚介(みのわ・こうすけ)2010年双葉社に入社、ファッション誌の広告営業を経験後、編集者に転身。15年からは幻冬舎に入社し多数のヒット書籍を手がける傍ら、エクソダス代表取締役、キャンプファイヤーコミュニティーのチェアマンを務める。家系ラーメン店「箕輪家」、サウナホテル「サウナランド浅草」などのプロデュース業にも取り組む

数々のヒット書籍を生み出し、実業家やコメンテーターとして多岐にわたり活躍し続ける幻冬舎の箕輪厚介氏。2022年には家系ラーメン店「箕輪家」、サウナホテル「サウナランド浅草」をプロデュースし話題を呼んだ。編集者でありながらビジネスパーソンである彼の次なる照準は、意外にも“古着バー”の開業だと言う。手を組むのは、古着屋やカフェを経営するメローカナリア代表の齋藤秀行氏だ。“古着ブーム終焉”と言われる中、彼らが新たに古着ビジネスを始める理由とは?2人が考える生き残りの道筋を聞いた。

Xをきっかけに古着バー開業へ
初年売り上げ目標は5000万円

WWD:古着事業を始めようとしたきっかけは?

箕輪厚介(以下、箕輪):Xで私に顧問を依頼したい企業を募ったことがきっかけだ。複数の問い合わせがあった中で、古着屋のオーナーである齋藤さんの問い合わせが目についた。私は古着に詳しくはないが、好きなものに対してこだわりを持って語っている人に惹かれる。実際にYouTubeで「ハルキの古着」「さらば森田の五反田ガレージ」など古着コンテンツを見るのが好きだったから、齋藤さんの声掛けはうれしかった。

齋藤秀行(以下、齋藤):4月7日に閉業した古着屋「エブリシング イズ エブリシング 下北沢」の物件は、借りたのがコロナ禍だったことから、今の下北沢では考えられないほど家賃が安い。手放すのは勿体無いし、他にも古着屋を経営していることから、この物件では新たなチャレンジをしてみたいと思った。ファッション界隈の多くの人は、箕輪さんの人を“お金の人”と少し冷めた感覚で見ていると思うし、古着の世界では“売れない方が美しい”みたいなムードも感じる。しかし私達だって、表ではお金のことを話さなくても売り上げが立てばうれしい。“古着ブーム終焉”と言われる中、私自身もこのブームは絶対に終わると考えている。古着業界にとって厳しい時代が来るからこそ、「何か新しい世界が作れたら」と言う気持ちで、あえて“お金っぽさ”を感じる箕輪さんに顧問を依頼した。私自身もアパレルだけではなく、カフェを展開したりなどさまざまな事業を行う部分で、マルチに活躍する彼の考え方に共感できた。

箕輪:まずは5月から1年間で5000万円、そこから徐々に1億円を目指す。古着に限らないが、あらゆるブームは5〜7割が本当に好きな人、2〜3割ぐらいが“にわか”、3割ぐらいが投機目的、と言ったバランスによって成り立つ。投機があることによってムーブメントになっていることは間違いないが、その割合が多くなると本来のファン達が離れていき、やがて投機する人もいなくなる。これこそバブルが弾ける瞬間だ。ビジネスとしてただカルチャーに乗ろうとすると、バブルが弾けた時に生き残れないだろう。

コンセプトは“ネオスナック”
お酒を飲みながら古着を買える空間に

WWD:オープン予定日や店のコンセプトは?

齋藤:「エブリシング イズ エブリシング 下北沢」の店舗をリニューアルする形で、5月1日に“古着バー”をオープンする。まだ店舗名は決まっていないし、店長も募集中だ。

箕輪:古着に関する知見が無い私がただ古着屋をやっても、それこそ“時代のブームに乗っかっただけ”みたいな形になってしまうだろう。今38歳の私も含め、普段港区で飲んでいるような40代の人達も下北沢に来ると落ち着くし、ワクワクする。かと言って古着を買うためだけに来るというのは少しハードルが高いし、バーのような雰囲気にしたいと考えた。今流行している、いわゆる“ネオスナック”のようなイメージだ。90年代の懐かしさを感じる空間で、同じ世界観を持つ古着を展開したい。お酒が飲めて、語り合って、その場にある服も買える――つい何となく行ってしまうような場所になるのが理想である。実際に私も飲みに行くし、時には“1日店長”として店に立つ予定だ。

WWD:現在店長を募集中だが、どのような人材を採用予定?

箕輪:自分がサウナを経営する中で、流行に乗って開業した店舗のほとんどは、ブームが落ち着いた頃になくなっていくのを肌で感じた。だから古着に関しても、私の“好きレベル”ではきっとダメになってしまう。そのため当初は「古着大好き!」みたいな知見のある人を店長として立てて、その人にフルベットして好きなようにやってもらおうとしたが、そう簡単に良い人材は見つからない。そこで「ファッションもコミュニティーなのでは」と考えた。ファッションが好きな人は、自分の好きな価値観や人との繋がりを共有するユニフォームのように服を選んでいる。そういった視点で考えれば、私が手がける書籍やラーメン、サウナ、オンラインサロンも基本的にはコミュニティービジネスで、自分が得意とする分野だ。その文脈で言うと、知識がなくてもファッションを楽しんでいて、気持ちの良い接客ができて、一緒に作っていくという意識が持てる人が理想だ。私のラーメン屋は家系ラーメンから始まったが、次に二郎系ラーメンを売り始めて今とても人気がある。業界的には家系の店が二郎系を出すのは邪道らしいが、箕輪家の店長はラーメン業界の人ではないし、ある意味斬新な発想で始められた。そんなふうに、固定概念に縛られていない人の方が面白いことができると考えている。

WWD:商品の買い付けは誰が行う?

箕輪:店長が決まり次第、店長と私、齋藤さんで買い付けに行きたいと思っている。最初の買付先はタイだ。

齋藤:タイは、今世界で1番古着が集まっている国。アメリカやヨーロッパの古着が集まっていて、最近の古着の多くはタイの業者から仕入れられている。パキスタンにも古着は多いが、一般的にはアクセスがしにくい国だからこそ、パキスタンの業者もタイに卸に来るほどだ。昔は一部の人しか知らなかったが、今はどんな人でも買い付けに行きやすい環境になった。

箕輪:知人がちょうどタイに移住するのと、キックボクシングをやっているのもあり、ムエタイ合宿もしたいなと思っていて(笑)。買い付けと言っても、私は何を選べば良いかわからない。でもみんなで一緒に買い付けに行って、みんなで売るというストーリーがこれからの時代は大事なんだと思う。

WWD:古着バーの次に挑戦したい事業は?

箕輪:いつもその場で「これやりましょう」と話が決まることが多く、思った時点でスタートする。だからこそ、今の時点で次に考えていることは特にない。とは言え、鈴木おさむさんの引退を身近で見ていて、「変わったことをやりたい」と改めて感じた。普遍的に続くものを作りたいとは思わないが、将来過去を振り返った時に「よく分からなかったけど一時期そういうブームあったよね」みたいな現象を生みたい。“古着バー”にしても、下北沢で他の人達が真似してやり始めるような流れになると理想的だ。

ファッション誌の広告営業経験やブランド企画の出演も
箕輪氏が見るファッション業界の可能性

WWD:箕輪さん自身は普段、どんな服を選んでいる?

箕輪:一時期はペンキで服にペイントするのにハマってペンキばかり買ったり、“たけしセーター”に夢中になったり、本当に訳のわからない買い物をしていると思う(笑)。少し前はグレーのスエットが好きで、メルカリで“グレー”“スエット”で検索をして買い集めていた。その時にたまたま買った「ヒューマンメイド(HUMAN MADE)」のスエットをよく着ていたら、ブランドの関係者から人伝で「箕輪さんは『ヒューマンメイド』が好きなんですか」と聞かれて。「グレーのスエットだから」という理由で買っただけだったから、本当に恥ずかしかった(笑)。

WWD:過去にはファッション企業の企画に起用されたが、自身はどのように感じている?

箕輪:これまでにビームスやエストネーションが企画で私を起用してくれたことがある。ファッション好きな人達がなぜ私を起用するのか不思議だったが、ビームスの設楽洋社長が言うには「ファッションというのは片方で“それは違うでしょ”と否定されるようなことをやり、もう片方で“わかっているな”とお客さんが共感し喜ぶこと、両方をやらないとすぐにダサくなり、批判される」のだそうだ。きっと僕を起用する企業は既存のイメージを壊したいとか、変わったイメージをつけたいのだろう。

WWD:ファッション誌の広告営業の経歴を持つ箕輪さんは、ファッション業界をどのように見ている?

箕輪:そもそも、ファッション業界そのものが独特で、ビジネスとしてすごく今っぽい。今は品質や実用性のみで買うことがなくなってきている時代だ。その中で多くの企業が商品そのものの意味を考えたり、熱量の高いコミュニティーを作ろうとしているが、ファッション業界は昔から商品のストーリーや表現、コミュニティーを追求してきた業界だ。別の種族の人から見たら全く訳わからないような商品が、一部の人には魅力的に感じられる――ある意味宗教っぽくもあるが、すごく理想的だ。信者ビジネスとか揶揄されてしまうこともあるが、お客さんがファンになり、ファンが信者になってくれるような商品やブランドでなくては、将来的には価値がなくなっていく。そういった意味でファッション業界はとても先鋭的で、今の時代に合っていると感じる。

WWD:多様な業種に携わる中で、今後ビジネスのカギとなるのは何だと思う?

箕輪:昨今“居場所”“溜まり場”みたいなものの需要を強く感じる。“食うために稼ぐ”のは辛くても、その目的があるだけ、実は幸せだ。将来、AIが仕事の多くを担う時代に突入し、食うために稼ぐことが不要な世界になったら、自分達のコミュニティーに貢献することに生きる意味を感じるのだと思う。金銭的なものを介さない価値の交換や、それぞれが自分に合った方法で貢献する“溜まり場”、すなわちコミュニティーが求められるだろう。例え話として「高級レストランか、バーベキューか」とよく挙げられるが、バーベキューは自分達で火をつけたり、肉を焼いたり、それぞれに役割があるからこそコミュニティーが生まれる。今回始める“古着バー”でも雇う店長やスタッフのアイデアを取り入れたり、お店側とお客さん側の垣根を超えて、みんなで“溜まり場”を作っていくバーベキュー型の店にしていきたい。

PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

The post 箕輪厚介が手掛ける“古着バー”が5月にオープン コミュニティーが生まれる“溜まり場”に appeared first on WWDJAPAN.

成分ブームの火付け役「オーディナリー」CEOに聞く、カルト的人気の裏側

エスティ ローダー カンパニーズ(ESTEE LAUDER COMPANIES以下、ELC)傘下のカナダの化粧品会社デシエム(DECIEM)が展開するスキンケアブランド「オーディナリー(THE ORDINARY)」が日本に上陸する。「アットコスメ トーキョー(@COSME TOKYO)」および「アットコスメ オーサカ(@COSME OSAKA)」をはじめ全国の「アットコスメ」約20店舗と、オンラインストア「アットコスメ ショッピング(@COSME SHOPPINNG)」で5月29日に発売する。

同ブランドは成分濃度や配合、価格設定、有効性に関して高い透明性を目指し広告費やパッケージにコストをかけないことで知られ、ヒーロー商品に多機能セラム“ナイアシンアミド10%+亜鉛1%”(30mL、1100円/60mL、1980円)などがある。2016年誕生の新興ブランドながら瞬く間に世界中で熱狂的なファンを獲得。17年にELCがデシエムに最初の投資を行い、21年には10億ドル(約1510億円)で過半数株式を取得した。当時の企業価値評価額は22億ドル(約3322億円)と、ELCにとって(企業価値評価額ベースで当時)過去最大の買収となり話題を呼んだ。来日したニコラ・キルナー(Nicola Kilner)=デシエムCEO兼共同創業者に急成長の裏側を聞いた。

フラストレーションから
生まれたブランド

WWD:「オーディナリー」誕生の背景は?

ニコラ・キルナー=デシエムCEO兼共同創業者(以下、キルナー):2013年に、自社で処方開発から製造、デザイン、クリエイティブまでを行うインキュベーターとしてデシエムを設立した。デシエムはラテン語で数字の10を意味し、さまざまなブランドを立ち上げ始めた。その中で、私たちは大きなフラストレーションと対峙していた。というのも、化粧品業界では商品名にグロー美容液などジェネリック(一般的、総称的)な名称が使われており、その状況で消費者が品質を理解するのは難しく、もっと透明性が必要であると強く感じていたからだ。私たちは化粧品が効くかどうかを決めるのは価格ではないと強く信じていたので、配合成分を商品名に反映するなどしてなんとか自分たちの手で化粧品業界に透明性をもたらしたいと考え、16年に「オーディナリー」が誕生した。

WWD:ローンチして瞬く間に熱狂的なファンがつき、世界的に知られるブランドになった。現在は何カ国で展開している?

キルナー:ウェブサイトを通じて世界中に出荷しており、162の国と地域をカバーしている。北米とヨーロッパのほとんどの国、韓国にも拠点があり、南アフリカやインドでは直営店も展開する。ビジネスの規模としてはアメリカが最大で、非常に大きな成功を収めている。新興市場ではインドと韓国が良い兆しを見せており、将来的に大きな期待が持てるだろう。日本も、高品質なスキンケアと成分に対して情熱的な消費者がいるため大変楽しみにしている。

ELCは製造やサプライチェーン、新規市場への参入をサポートしてくれている。北米のような市場では、私たち自身のチームがオフィスを構えており、ビジネスの大部分が私たちのチームによるものだが、特にオペレーション面や、インド、南アフリカ、日本など新規市場ではELCのサポートが大きな助けになっている。私たちは全商品の製造をカナダにある自社ラボで行っているため、スケールアップするためにサプライチェーンやさまざまなサプライヤー確保の面で専門的な助けが必要だった。

ソーシャルメディアの台頭が
急成長の追い風に

WWD:北米、特にアメリカで大きな成功を収めた要因は?

キルナー:まずはディストリビューションパートナーの寄与が大きい。また、米国のお客さまは非常にパワフルな情熱を持っており、それに支えられて消費者と良い関係性を築けたこともある。北米では特にTikTokの影響が非常に大きく、そのコミュニティー内では消費者が彼らのストーリーや信念、ブランドや商品の使い方をシェアしあっている。Z世代におけるソーシャルメディアの台頭が北米市場における成功に導いた。

WWD:ヨーロッパの商況は?

キルナー:継続的に良い状況にある。特にイギリスは市場シェアのランキングを上げながら順調に拡大している。ハロッズ(HARROD'S)やセルフリッジ(SELFRIDGES)など高級百貨店にコーナーを持つ一方で、気軽にアクセスできるECチャネルまで非常に幅広い流通網で展開している。そのほかのヨーロッパ諸国はセフォラ(SEPHORA)とダグラス(DOUGLAS)が主要なパートナーだが、直営店も展開し、オンライン、百貨店とも提携している。

WWD:今回、日本市場への参入を決めた経緯は?

キルナー:日本市場へは何年も前から参入を考えていたが、ブランドを立ち上げてすぐにソーシャルメディアを通じてあっという間にグローバルな需要を獲得したことが困難の1つになった。また、新規市場に参入するにあたり化粧品の登録手続きにも時間を要した。パンデミック後、私たちは日本を常に最優先市場の1つと位置付け進めてきた。

世界的な”成分ブーム”をけん引

WWD:日本では近年、化粧品購入の際に配合成分を重視する“成分ブーム”が起きている。そのことは知っていた?

キルナー:そうしたトレンドが続いていることを非常にうれしく思っている。「オーディナリー」を立ち上げたのは16年の後半で、その頃はビタミンCやヒアルロン酸などの成分は一般消費者にも浸透していたが、われわれが商品名につけているナイアシンアミドなどはまだなじみがなかった。グーグルトレンド(Google Trends)の推移を見ると、そうしたマイナーだった成分が「オーディナリー」のローンチと時を同じくして伸びているのが分かる。消費者が成分に関する知識を得て、より賢明な判断ができるようになったのは素晴らしいことだ。

WWD:“成分ブーム”は中国や韓国でも数年前から大きなトレンドになっている。グローバルでも同じ状況か?

キルナー:北米やヨーロッパをはじめ世界中でこのトレンドは数年続いており、その勢いが衰える気配はない。過去数年間を振り返ると、グリコール酸が急上昇トレンドになったこともあるし、ペプチドがトレンドになったこともある。成分によってピークはずれるが、とにかく消費者が一貫して成分に着目していることは間違いない。北米やヨーロッパではトレンドというよりスキンケアへの新たな理解が深まったとみることもできる。それは非常にサステナブルなことだ。

WWD:ブランド立ち上げ前から成分トレンドの芽は感じていた?

キルナー:グーグルトレンドの推移を見るとはっきり分かるが、私たちが成分美容を打ち出してブランドを立ち上げた後、それに追随するブランドが出てきて、成分ブームのトレンドが強まっていったと分析している。ブランド立ち上げから7年が経ったが、その間、成分トレンドという追い風が衰えないのは驚くべきことだ。私たちの商品を愛してくれる消費者やプレス、そしてソーシャルメディアなどの力により加速したものでとても感謝している。愛用者が口コミで家族や友人に商品や体験を日々伝えてくれており、追い風はよりパワフルになっている。

WWD:日本では、アットコスメというセミセルフ型の実店舗から販売をスタートするが、グローバルでは主要な販路としてどこにフォーカスしている?

キルナー:消費者がどこで買い物をしているかに注目しがちだが、「オーディナリー」の良いところは年齢やジェンダーを問わないことだ。私たちは「オーディナリー」が全ての人たちのための商品だと信じているため、より幅広い販路を考えることができる。ブランドストーリーをきちんと伝えられるかを重視してパートナーを見つけている。グローバルでは高級化粧品を扱うセフォラ(SEPHORA)や同様の小売店と良いパートナーシップを築いているが、各マーケットのメインプレーヤーであり、ブランドストーリーを伝えられる最適な場を探す。日本ではアットコスメがブランド立ち上げの場として完璧だった。

ウェブ上の処方ビルダーで
教育機会を提供

WWD:消費者が商品を自分でカスタマイズして使う特性上、日本でも百貨店のカウンターでカウンセリングを受けたいニーズがあると思うがそうした選択肢は?

キルナー:もちろん百貨店に出店したいし、いつかは東京に直営店を持ちたい。先行して展開する海外では、ブランドのウェブサイトで「レジメン(処方)ビルダー」と呼ぶ商品の使用法や併用に関するガイドを見られるようにしている。また、LINEアプリとも提携し、消費者にエデュケーションの機会を提供するほか、インスタグラムなどのソーシャルメディアを通じて徹底したエデュケーションを提供するとともにコミュニケーションを図っている。店頭ではお客さまがスマートフォンを手にTikTokのレビューやブランドサイトの「レジメンビルダー」を見ているのをよく見かける。店頭で商品を手に取りながらオンライン上の自分の情報にアクセスしており、ニーズをカバーできているのではないか。

小売業者に対しても同様のエデュケーションを提供し、ブランド側のスタッフが小売側に入ることが許可されれば、チームメンバーが小売店に入ることもある。世界中のどの店舗に行っても、消費者体験の観点で、私たちのチームが提供する教育レベルが驚くほど高いことを理解いただけるだろう。この点でさらに存在感を示していきたい。

WWD:「オーディナリー」はSNSのフォロワー数がインスタグラムで約241万人、TikTokで約152万人(2024年4月時点)と新興美容ブランドの中でもトップレベルだ。その要因は?

キルナー:一番は商品力だ。私たちはとにかく化粧品を手に取る際の障壁を減らすことに力を注いでいるため、消費者は使いやすいと感じているだろう。手に入れやすい価格設定にも関わらず、ブランドのポジショニングはクールで今っぽく高級感があり、お客さまは「オーディナリー」を使っていることをシェアするのに誇りを感じている。同様の価格帯の他ブランドのように大衆的な商品を使っている感覚はないだろう。

多くの消費者、特にZ世代やミレニアル世代のお客さまは、個人的な価値観と企業の価値観が一致しているブランドから商品を購入したがっている。「オーディナリー」は人や地球、動物に対するアプローチについてかなりオープンなので、人々は私たちの信念についていこうと思うだろう。私たちはどの投稿においても、声を上げる時は常に「オーディナリー」のコミュニティーの大多数の声を反映していると思っている。だから人々は引き込まれる。そして実際に商品を使って違いを感じることにより、高いエンゲージメントを維持し、周りにも勧める。価格設定に関しては、買いやすさを最優先するとともに、各国でほぼ価格差がないようにこだわっている。

価格はマスブランド
売り場はラグジュアリー

WWD:ベンチマークしているブランドは?

キルナー:「オーディナリー」のポジショニングは非常にユニークで、私たち自身が他ブランドと比べることをしていないため答えるのが非常に難しい。というのも、「オーディナリー」は価格の面ではマスブランドだが、売り場はラグジュアリーやプレステージとされる場が合っている。私たちは価格でラグジュアリーを定義することはできないと信じており、「オーディナリー」は新しいカテゴリーに位置していると思う。セフォラや、イギリスのハロッズやセルフリッジで初めて販売した時も、彼らは自分たちをプレステージの小売業者と考えているため「オーディナリー」の価格帯を気にしていた。プレミアムリテールにおいて商品の高価格化が進む状況の中、変化が見られたことはとても良いことだ。私はチームに対して、他社を意識しすぎると自分たちが特別な存在であることを見失ってしまうといつも伝えている。ただ、今回の来日で「ジェントルモンスター(GENTLE MONSTER)」のショップを訪れたが、そこからインスピレーションを得ることはできると思う。私は彼らのクリエイティビティーが大好きだ。

WWD:ブランドの目的の一つが化粧品業界の透明性を高めることだ。「オーディナリー」の存在は業界に影響を与えたか?

キルナー:そう願っている。私たちは化粧品業界の民主化に取り組み、大きな影響を与えたと感じている。とりわけ商品名、マーケティングにおける成分と科学の強調、研究室からのダイレクトの発信などにおいて、ほかのブランドに影響を与えることができたのではないか。また、科学に特化した重要な問題について自分たちの言葉で発信してきた結果、今では科学に対する議論の余地がある時、消費者が探している答えを持っているブランドとみなされているだろう。私たちは消費者に肌につけている化粧品とその利点について透明性を持って伝え、原材料を商品化し、価格を下げることを実現した。これからも謙虚な姿勢で透明性のある声を発信していきたい。

WWD:今後の成長戦略は?

キルナー:今年後半には日本の商品ラインアップを増やす予定だ。グローバルにおいても新商品の開発を予定している。また、360度視点のブランド体験を提供するポップアップイベントなども検討している。

The post 成分ブームの火付け役「オーディナリー」CEOに聞く、カルト的人気の裏側 appeared first on WWDJAPAN.

仏発のバッグブランド「アールエスヴイピー パリ」が初のポップアップ 若手の感性で伝統をモダンに

クイーポ(KUIPO)が2023年から独占輸入販売契約を結ぶフランス発のレザーバッグブランド「アールエスヴイピー パリ(RSVP PARIS)」が伊勢丹新宿本店本館1階で初のポップアップストアを出店中だ。会期は4月9日まで。17〜23日には阪急うめだ本店にも出店する。これに合わせ来日した創業メンバーの1人、ジョナサン・アンドレス(Jonathan Andres)に同ブランドの強みを聞いた。

強みは素材、品質、エクスクルーシビティー

同ブランドはパリを拠点とし、有名メゾンで経験を積んだ4人の若手が2015年にスタートした。「もともとみんなフランス・マレ地区に住む友人同士だった。立ち上げ当時、僕たちは25〜30代。フランスには卓越した技術を持つ伝統的なブランドがたくさんありすごく尊敬しているが、どれも自分たち若者に向けているとは感じられなかった。そこで僕らなりの若い視点でフランスらしい素材使いやサヴォアフェールを重んじたブランドを作りたいと考えた」とアンドレス。

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン (LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)で生産管理に携わっていたアンドレスは知見を生かして素材調達や工場選定などを担う。レザーは主に「エルメス(HERMES)」傘下のタンナリーから調達し、革本来の表面感を生かすアニリン仕上げと呼ばれる手法を採用している。2つのゴールドのメタルパーツが特徴的な“ゴールデンアイ”シリーズを筆頭に、シンプルながらアイコニックなシルエットを作り上げるレザーのカッティング技術もこだわりだ。

なかでも一番の売れ筋は、小ぶりなワンハンドルバッグ“マンチキン”(8万9100円)。伊勢丹のポップアップイベントではこのほか、収納力の高いダブルコンパートメント仕様の“デュオ”(8万9100円)や花瓶から着想を得た“ローファイブ”(11万8800円)や牛乳パックから着想を得たボックス型のバケットバッグ“ミルクマン”(10万8900円)、カードケースなどのスモールレザーグッズなども並ぶ。

高品質ながら日本円で10万円前後の価格帯であることから、フランスや韓国では仕立ての良いレザーグッズを求める25〜35歳の若者たちを軸に顧客基盤を築いている。全て500個限定で生産し、それぞれにはシリアルナンバーを刻印するエクスクルーシビティーも支持される理由の1つだという。

アンドレスは「僕たちはみんな日本の大ファンだ。日本のファッションや職人技、生地、そしてもちろん食べ物も。特に今日本の人々は、ヨーロッパの新しいブランド開拓に関心が高いようだ。良いタイミングで日本に来られたと思う」と話す。

クイーポの岡田孔明クイーポ常務取締役営業本部本部長は「素材や仕立てのクオリティーは間違いないし、すでにイットバッグが確立している点も契約を結んだ理由だ。彼らとは“枯渇感”を大事にしようと話している。生産しすぎず、売り切れ御免のスタイルは今の流れにフィットしているはずだ」とコメント。今度はまずポップアップストアをベースに、百貨店内の常設店舗出店も狙うという。5月には期間限定で伊勢丹新宿本店本館のハンドバッグ売り場での販売も予定する。

■伊勢丹新宿店

日程:4月3〜9日
場所:伊勢丹新宿店本館1階 ハンドバッグ/プロモーションスペース
時間:午前10時~午後8時

■阪急うめだ本店

日程:4月17〜23日
場所:阪急うめだ本店 1階 バッグギャラリー プロモーションスペース12
時間:午前10時~午後8時

The post 仏発のバッグブランド「アールエスヴイピー パリ」が初のポップアップ 若手の感性で伝統をモダンに appeared first on WWDJAPAN.

仏発のバッグブランド「アールエスヴイピー パリ」が初のポップアップ 若手の感性で伝統をモダンに

クイーポ(KUIPO)が2023年から独占輸入販売契約を結ぶフランス発のレザーバッグブランド「アールエスヴイピー パリ(RSVP PARIS)」が伊勢丹新宿本店本館1階で初のポップアップストアを出店中だ。会期は4月9日まで。17〜23日には阪急うめだ本店にも出店する。これに合わせ来日した創業メンバーの1人、ジョナサン・アンドレス(Jonathan Andres)に同ブランドの強みを聞いた。

強みは素材、品質、エクスクルーシビティー

同ブランドはパリを拠点とし、有名メゾンで経験を積んだ4人の若手が2015年にスタートした。「もともとみんなフランス・マレ地区に住む友人同士だった。立ち上げ当時、僕たちは25〜30代。フランスには卓越した技術を持つ伝統的なブランドがたくさんありすごく尊敬しているが、どれも自分たち若者に向けているとは感じられなかった。そこで僕らなりの若い視点でフランスらしい素材使いやサヴォアフェールを重んじたブランドを作りたいと考えた」とアンドレス。

LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン (LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)で生産管理に携わっていたアンドレスは知見を生かして素材調達や工場選定などを担う。レザーは主に「エルメス(HERMES)」傘下のタンナリーから調達し、革本来の表面感を生かすアニリン仕上げと呼ばれる手法を採用している。2つのゴールドのメタルパーツが特徴的な“ゴールデンアイ”シリーズを筆頭に、シンプルながらアイコニックなシルエットを作り上げるレザーのカッティング技術もこだわりだ。

なかでも一番の売れ筋は、小ぶりなワンハンドルバッグ“マンチキン”(8万9100円)。伊勢丹のポップアップイベントではこのほか、収納力の高いダブルコンパートメント仕様の“デュオ”(8万9100円)や花瓶から着想を得た“ローファイブ”(11万8800円)や牛乳パックから着想を得たボックス型のバケットバッグ“ミルクマン”(10万8900円)、カードケースなどのスモールレザーグッズなども並ぶ。

高品質ながら日本円で10万円前後の価格帯であることから、フランスや韓国では仕立ての良いレザーグッズを求める25〜35歳の若者たちを軸に顧客基盤を築いている。全て500個限定で生産し、それぞれにはシリアルナンバーを刻印するエクスクルーシビティーも支持される理由の1つだという。

アンドレスは「僕たちはみんな日本の大ファンだ。日本のファッションや職人技、生地、そしてもちろん食べ物も。特に今日本の人々は、ヨーロッパの新しいブランド開拓に関心が高いようだ。良いタイミングで日本に来られたと思う」と話す。

クイーポの岡田孔明クイーポ常務取締役営業本部本部長は「素材や仕立てのクオリティーは間違いないし、すでにイットバッグが確立している点も契約を結んだ理由だ。彼らとは“枯渇感”を大事にしようと話している。生産しすぎず、売り切れ御免のスタイルは今の流れにフィットしているはずだ」とコメント。今度はまずポップアップストアをベースに、百貨店内の常設店舗出店も狙うという。5月には期間限定で伊勢丹新宿本店本館のハンドバッグ売り場での販売も予定する。

■伊勢丹新宿店

日程:4月3〜9日
場所:伊勢丹新宿店本館1階 ハンドバッグ/プロモーションスペース
時間:午前10時~午後8時

■阪急うめだ本店

日程:4月17〜23日
場所:阪急うめだ本店 1階 バッグギャラリー プロモーションスペース12
時間:午前10時~午後8時

The post 仏発のバッグブランド「アールエスヴイピー パリ」が初のポップアップ 若手の感性で伝統をモダンに appeared first on WWDJAPAN.

「ストリング ティング」が東京と福岡、名古屋でポップアップ デザイナーも来日

英ロンドン発のハンドメードストラップブランド「ストリング ティング(STRING TING)」が4月6日にヌビアン 虎ノ門、7日にヌビアン 渋谷でポップアップを開催した。9〜15日は福岡パルコ、20〜21日はヌビアン 名古屋でも行う予定だ。

2020年にチャリティー目的で立ち上げられた「ストリング ティング」は、BLACKPINKやデュア・リパ(Dua Lipa)ら、多くの海外のセレブリティーがSNSでシェアしたことから人気沸騰中だ。本ポップアップで新たに発売するバッグチャームは1万1000〜2万5300円)で、ポップアップでも好調な売れ行きだ。今回で2度目の来日となるカナダ・トロント出身のデザイナー、レイチェル・ミドルトン(Rachel Middleton)に話を聞いた。

WWD:今回の来日ではどこに行った?

レイチェル・ミドルトン「ストリング ティング」デザイナー(以下、レイチェル):今回は夫と6歳の娘と一緒に日本に来て、六本木に宿泊しています。昨日は下北沢にも行きました。それから浅草にも行き、日本人職人が作るシルバーのブレスレットを買いました。他にも最近はこけし人形にハマっていて、実はすでに20体も持っているんです!

WWD:本ポップアップで注目してほしいアイテムは?

レイチェル:全ての商品を愛しているので、1つに決めるのはとても難しいですね!強いて言うのであれば、色々な商品に使われているハートのパーツにとても誇りを持っています。このハートのパーツは私が「ストリング ティング」のためにデザインして作ったものなので、とても愛着があります。レジンで作られていて、とても丈夫です。私が幼い頃に、よく祖母がハートを描いてくれた思い出を形にしたので、とてもスペシャルなモチーフなんです。

WWD:新作のバッグチャームはどのようにコーディネートするのがおすすめ?

レイチェル:バッグにチャームをつけることは、その人のパーソナリティーをトッピングするようなものだと思っているので「人それぞれのムードやエナジーで楽しんでほしい」というのが正直な感想です。私は最近、こんなふうにドレープ状に複数のチャームをつけて楽しんでいますし、バッグだけではなくてブーツにつけるなど、その人ならではのコーディネートをぜひシェアしてくれたらうれしいです!

WWD:多くの商品に使われている日本産の「ミユキビーズ」はどのように知った?

レイチェル:「ストリング ティング」は、コロナ禍に私のリビングで作り始めたことから始めました。当時は外に素材を探しに行くことはできなかったので、グーグルで色々なことを調べていた時に広島県産の「ミユキビーズ」の存在を知りました。実際に取り寄せてみたところ、とても小さいのに全てのビーズが完璧に統一されたサイズで作られていて感動したのを今でも覚えています。

WWD:商品のデザインはどのように考えている?

レイチェル:ふと思い出した時に幸せな気分になるような、幼い頃の記憶がインスピレーション源になることが多いです。ハートやスマイル、雲のパーツは、そういった楽しい記憶から取り入れたものになります。

WWD:「ストリング ティング」の製作は何人規模のチームで行われている?

レイチェル:私がデザイナーとして全てのデザインを行い、これまでに900ものデザインを作ってきました。そしてロンドンのオフィスでは11人の女性が共に働いています。母親の女性もいれば、ヨガインストラクターやスタイリスト、俳優など、個性があふれるメンバーです。

WWD:今後新たにローンチ予定のアイテムは?

レイチェル:「ストリング ティング」を象徴するビーズの手描きプリントを施したバンダナを作る予定です。ブランドの延長線上にあるのは、チャームだけではなく、日常的なものを作ることだと思ってす。その商品が誰かを幸せにすることができれば私も幸せで、それこそ私の仕事なのです。

■「ストリング ティング」福岡パルコ ポップアップ
期間:4月9~15日
時間:10:00〜20:30
会場:福岡パルコ
住所:福岡県福岡市中央区天神2-11-1
※4月13日13:00~17:00デザイナー来店予定

■「ストリング ティング」ヌビアン 名古屋ポップアップ
期間:4月20~21日
時間:10:00〜21:00
会場:ヌビアン 名古屋
住所:福岡県福岡市中央区天神2-11-1

PHOTOS:MISA KUSAKABE

The post 「ストリング ティング」が東京と福岡、名古屋でポップアップ デザイナーも来日 appeared first on WWDJAPAN.

「ストリング ティング」が東京と福岡、名古屋でポップアップ デザイナーも来日

英ロンドン発のハンドメードストラップブランド「ストリング ティング(STRING TING)」が4月6日にヌビアン 虎ノ門、7日にヌビアン 渋谷でポップアップを開催した。9〜15日は福岡パルコ、20〜21日はヌビアン 名古屋でも行う予定だ。

2020年にチャリティー目的で立ち上げられた「ストリング ティング」は、BLACKPINKやデュア・リパ(Dua Lipa)ら、多くの海外のセレブリティーがSNSでシェアしたことから人気沸騰中だ。本ポップアップで新たに発売するバッグチャームは1万1000〜2万5300円)で、ポップアップでも好調な売れ行きだ。今回で2度目の来日となるカナダ・トロント出身のデザイナー、レイチェル・ミドルトン(Rachel Middleton)に話を聞いた。

WWD:今回の来日ではどこに行った?

レイチェル・ミドルトン「ストリング ティング」デザイナー(以下、レイチェル):今回は夫と6歳の娘と一緒に日本に来て、六本木に宿泊しています。昨日は下北沢にも行きました。それから浅草にも行き、日本人職人が作るシルバーのブレスレットを買いました。他にも最近はこけし人形にハマっていて、実はすでに20体も持っているんです!

WWD:本ポップアップで注目してほしいアイテムは?

レイチェル:全ての商品を愛しているので、1つに決めるのはとても難しいですね!強いて言うのであれば、色々な商品に使われているハートのパーツにとても誇りを持っています。このハートのパーツは私が「ストリング ティング」のためにデザインして作ったものなので、とても愛着があります。レジンで作られていて、とても丈夫です。私が幼い頃に、よく祖母がハートを描いてくれた思い出を形にしたので、とてもスペシャルなモチーフなんです。

WWD:新作のバッグチャームはどのようにコーディネートするのがおすすめ?

レイチェル:バッグにチャームをつけることは、その人のパーソナリティーをトッピングするようなものだと思っているので「人それぞれのムードやエナジーで楽しんでほしい」というのが正直な感想です。私は最近、こんなふうにドレープ状に複数のチャームをつけて楽しんでいますし、バッグだけではなくてブーツにつけるなど、その人ならではのコーディネートをぜひシェアしてくれたらうれしいです!

WWD:多くの商品に使われている日本産の「ミユキビーズ」はどのように知った?

レイチェル:「ストリング ティング」は、コロナ禍に私のリビングで作り始めたことから始めました。当時は外に素材を探しに行くことはできなかったので、グーグルで色々なことを調べていた時に広島県産の「ミユキビーズ」の存在を知りました。実際に取り寄せてみたところ、とても小さいのに全てのビーズが完璧に統一されたサイズで作られていて感動したのを今でも覚えています。

WWD:商品のデザインはどのように考えている?

レイチェル:ふと思い出した時に幸せな気分になるような、幼い頃の記憶がインスピレーション源になることが多いです。ハートやスマイル、雲のパーツは、そういった楽しい記憶から取り入れたものになります。

WWD:「ストリング ティング」の製作は何人規模のチームで行われている?

レイチェル:私がデザイナーとして全てのデザインを行い、これまでに900ものデザインを作ってきました。そしてロンドンのオフィスでは11人の女性が共に働いています。母親の女性もいれば、ヨガインストラクターやスタイリスト、俳優など、個性があふれるメンバーです。

WWD:今後新たにローンチ予定のアイテムは?

レイチェル:「ストリング ティング」を象徴するビーズの手描きプリントを施したバンダナを作る予定です。ブランドの延長線上にあるのは、チャームだけではなく、日常的なものを作ることだと思ってす。その商品が誰かを幸せにすることができれば私も幸せで、それこそ私の仕事なのです。

■「ストリング ティング」福岡パルコ ポップアップ
期間:4月9~15日
時間:10:00〜20:30
会場:福岡パルコ
住所:福岡県福岡市中央区天神2-11-1
※4月13日13:00~17:00デザイナー来店予定

■「ストリング ティング」ヌビアン 名古屋ポップアップ
期間:4月20~21日
時間:10:00〜21:00
会場:ヌビアン 名古屋
住所:福岡県福岡市中央区天神2-11-1

PHOTOS:MISA KUSAKABE

The post 「ストリング ティング」が東京と福岡、名古屋でポップアップ デザイナーも来日 appeared first on WWDJAPAN.

スタートアップ支援の「ケリング・ジェネレーション・アワード」が日本初開催 CSOが語る “破壊的イノベーション”の重要性

PROFILE: マリー=クレール・ダヴー/ケリング チーフ・サステナビリティ・オフィサー(CSO)兼渉外担当責任者 

マリー=クレール・ダヴー/ケリング チーフ・サステナビリティ・オフィサー(CSO)兼渉外担当責任者 
PROFILE: ジャン=ピエール・ラファラン元フランス首相の内閣のテクニカル・アドバイザーとしてキャリアをスタートさせた後、セルジュ・ルペルティエ元フランス環境・持続可能開発大臣の個人秘書に就任。2005年にはサノフィ・アベンティス・グループのサステナブル部門におけるディレクターに就任した。07年から12年まで、フランス環境・持続可能開発省などにおいて、当時の環境・持続可能開発・運輸住宅大臣、ナタリー・コシュースコ=モリゼのチーフスタッフを務めた。12年にケリングのチーフ・サステナビリティ・オフィサー兼国際機関渉外担当責任者に就任し、ケリングやグループのブランドのサステナビリティ戦略を担当。フランス国籍。パリ生命・食品・環境科学技術研究所(ENGREF)卒業。パリ・ドフィーヌ大学にて行政学の高等教育研究専門免状(DESS)を取得 PHOTO:©CAROLE BELLAICHE

「未来のラグジュアリーを創造する」をビジョンに掲げるケリング(KERING)は、サステナビリティ戦略の一環として、日本に事業拠点があるスタートアップ企業にした「ケリング・ジェネレーション・アワード(KERING GENERATION AWARD)」を初開催する。2018年に中国でスタートした同アワードの目的は、ラグジュアリー、ファッション、ビューティ分野における持続可能なイノベーションの加速させること。技術力の高さや革新性、環境・社会へのインパクト、ファッション・ビューティ業界での活用などを基準に選ばれた最優秀企業には賞金1000万円が贈られるほか、上位3社にはヨーロッパでの研修やネットワーキングの機会などが与えられる。現在公式ウェブサイトで応募を受け付け中で、4月8日には東京、10日には大阪でプログラムの説明会とローンチイベントも開催予定だ。日本での開催の理由やアワードにかける思いをマリー=クレール・ダヴー(Marie-Claire Daveu) チーフ・サステナビリティ・オフィサー(CSO)兼渉外担当責任者に聞いた。

破壊的イノベーションにはスタートアップ企業との連携が必要

WWD:「ケリング・ジェネレーション・アワード」をスタートした背景は?

マリー=クレール・ダヴー ケリングCSO兼渉外担当責任者(以下、ダヴー):何よりもまず、ケリングにとってサステナビリティは戦略の一貫だ。全てのファッション企業にとってサステナビリティはマストであり、それ抜きで事業を立ち上げたり発展させたりすることはできない。そして、たとえパラダイム(規範的な考え方)を変える準備ができていなかったとしても、私たちが取り組むあらゆる最善策をスケールアップする必要があると信じている。そのために欠かせないのが、イノベーションだ。そこには、クラシカルなイノベーションと破壊的イノベーションがあると考えている。クラシカルなイノベーションとは、例えば技術の力を生かしてリサイクルやアップサイクルをより大きな規模で行うこと。規模とスピードの問題だ。一方、破壊的イノベーションとは、微生物を使用したエコな染色技術など、研究室から生まれるようなもの。その実現には、スタートアップ企業と密接に協力し、革新にとって最も重要な場所からイノベーションを起こす必要がある。そこで、まずは私たちの拠点であるヨーロッパでの取り組みとして、13年に社内にマテリアル・イノベーション・ラボ(サステナブルな素材を追求する研究所)を新設したほか、17年にはアムステルダムを拠点にグローバル・イノベーション・プラットフォームのプラグ・アンド・プレイ(PLUG AND PLAY)と提携してアクセラレーター・プログラムを立ち上げた。

そんなヨーロッパでの活動と同じ精神で、アジアのスタートアップ企業と密接に連携することができないかと考えたのが、アワード開催のきっかけだ。先にスタートした中国では、たとえファッションやラグジュアリーの分野で直接ビジネスを行っていなくてもサステナビリティの分野で素晴らしい仕事をしている企業に出会い、感銘を受けた。そして昨夏に訪れた日本でも数々の興味深いスタートアップの起業家と交流し、日本でのアワード開催が素晴らしい機会になると確信した。というのも、日本にはラグジュアリーのサヴォアフェールや職人に対する深い理解があり、日本でもサステナビリティへの意識がますます高まっていることを感じているから。海に囲まれているという地理的背景から、海洋問題に向き合う革新的なアイデアを持ったスタートアップ企業もあると期待している。

WWD:日本初開催となる今回のメーンテーマは、「サステナブルファッション&ビューティ」。製品のライフサイクルにおける重要な段階である「代替原材料・素材」「製造工程」「リテール」「消費者エンゲージメント」という4つのサブテーマに取り組む企業を募集している。中国版よりも幅広い企業を対象にしている印象だが。

ダヴー:初開催となる今回は、まず日本のエコシステムとイノベーションについて理解を深める必要があると考えているためだ。もちろん、事前にさまざまなトピックに関するリサーチを行って知見を深めたが、それだけでは十分ではないと感じている。また、23年に新たにケリング ボーテが設立されたので、今回初めてビューティも対象になる。ただ、次回からはより具体的なテーマに焦点を絞ることになるだろう。

WWD:審査員には、フランソワ・アンリ・ピノー(Francois-Henri Pinault)=ケリング会長兼最高経営責任者(CEO)をはじめ、ラファエラ・コルナッジャ(Rafaella Cornaggia)=ケリング ボーテCEO、ティエリ・マルティ(Thierry Marty)=ケリング ノースおよびサウスイーストアジア プレジデント、ダヴーCSOが名を連ねる。また、日本の外部審査員も加わるというが、人選で意識したことは?

ダヴー:多様性のある審査員団を作ること。サステナビリティやファッション、ビューティーからビジネスや財務、技術、学術まで異なる専門知識や背景を持った人を選んでいる。ケリングは男女平等の促進にも注力しているので、もちろん男女のバランスも大切だ。

賞金1000万円よりも価値のあるもの

WWD:最優秀企業には賞金1000万円が贈られる。その使途にルールはあるのか?

ダヴー:いいえ、ない。「最優秀」に選ばれるというのは、私たちがそのビジネスモデルや事業開発計画を信頼しているから。もちろん資金はスタートアップ企業にとって重要な要素だと思う。ただ、それ以上に彼らにとって価値があるのはビジビリティーとネットワーク、そして相互交流だろう。「ケリング・ジェネレーション・アワード」では選考を勝ち抜いたファイナリスト10社を対象に集中支援コースを実施する。そのため、受賞する上位3社に選ばれなくても、他の人たちの目に触れ、そこから新たな人脈や支援につながることもある。

WWD:上位3社には、パリで開催される地球の問題解決に取り組むチェンジメーカーが集う大型イベント「チェンジナウ(ChangeNOW)」への出展やケリング・グループのファッションおよびビューティネットワークとのミーティングの機会も与えられる。

ダヴー:「チェンジナウ」のようなイベントは、潜在投資家や他企業の経営幹部をはじめ、革新的なアイデアを売り込める人々と出会い、ビジネスを発展させることができる場になる。そして、他のスタートアップ企業やインフルエンサーなどとの交流によって、直接的なビジネスの関係ではなくともビジビリティーを高めることもできるだろう。また、ケリングとの取り組みを通じて、彼らはイノベーションやソリューションのスケールアップを実現可能だ。アワードで選出する時点で正確に将来どうなるかは分からないし、それぞれの企業の成長ステージは異なる。なので、私たちは短期的ではなく継続的に連絡を取り合い、彼らがさまざまな可能性を開花できるよう努めている。

WWD:一方、ケリングにとってアワードを開催するメリットは?

ダヴー:第一に、破壊的イノベーションこそ、ケリングが目標を達成するためのカギを握っているという事実がある。そのため、あらゆる面でサステナブルなイノベーションを後押しし、私たちが実行可能な革新的ソリューションを見出すことが必要だ。そして、ケリングはサステナビリティとイノベーションで高く評価されるようになったが、全てのイノベーションを自分たちだけで独占せず、他の企業が活用することを促している。私たちが見出した革新的なアイデアを他社が採用するのは、私たちにとってはこの上なく幸せなことだ。

WWD:中国版の歴代受賞者のアイデアをケリングの事業や活動に採用した具体例はあるか?

ダヴー:事業に採用された例は、現時点ではまだない。というのも、イノベーションは常にとても複雑だから。私たちが手掛けているのはラグジュアリーなアイテムであり、スタートアップ企業にもラグジュアリーの基準をクリアしていることを求める。それは、なかなかチャレンジングなことだ。例えば、「バレンシアガ(BALENCIAGA)」はキノコの菌糸から作られるマッシュルームレザーを使ったことがあるが、商品化には改良を重ねる必要があった。逆を言えば、ケリングのようなラグジュアリー企業と取り組むことで、スタートアップ企業は自らのスタンダードを大幅に引き上げることができる。

WWD:日本でのアワードは、スタートアップ成長支援を行うCIC インスティチュートの協力のもと開催する。CICインスティチュートをパートナーに選んだ理由は?

ダヴー:重視したのは、日本のエコシステムを熟知しているだけでなく、ケリングの求めるものやスタンダードを理解できる組織とタッグを組むこと。もちろん、社内のサステナビリティ&イノベーション専任スタッフと密に連携でき、日本のスタートアップ企業と技術的な話もできる言語能力も必要だが、それだけでは十分ではない。なぜなら、私たちはただ斬新なイノベーションを求めているわけではなく、事業において実現可能なイノベーションを見出したいから。質が高く、地球に良い変化をもたらすと確信できるスタートアップ企業を選出したい。そのため、現地の強力なパートナーが必要だった。

大切なのは、物事を変える意欲

WWD:最後に、これからサステナビリティ関連のスタートアップ企業設立を考える学生や駆け出しの若手起業家に必要なマインドセットは?

ダヴー:何より大切なのは、物事を変える意欲だ。サステナビリティ関連のスタートアップを立ち上げるのは容易くないので、障壁を飛び越える大きな原動力が必要であり、完璧ではなくても自分が信じるソリューションによって現状を変えていくという意欲的なマインドが欠かせない。サステナビリティにまつわるイノベーションの多くは微生物など生物学を強く結び付いていて、時間を要する。それに、投資家から投資を受けられるようになるまでにも時間がかかりうる。そのため、他のイノベーションの領域よりもおそらく挑戦的だろう。だからこそ高い意欲が必要であり、さらに小さくても相互補完を考えた多様性のあるチームを作ることも大切。そして、すぐにはうまくいかなくても続けることだ。今若者たちが取り組んでいることは素晴らしく、本当にクリエイティブ。彼らは自分たちが見ている世界を変えたいと考えていて、リスクを取る覚悟ができている。それは簡単なことではない。だからこそ、大企業が彼らをしっかりとサポートすることが重要だと思う。

The post スタートアップ支援の「ケリング・ジェネレーション・アワード」が日本初開催 CSOが語る “破壊的イノベーション”の重要性 appeared first on WWDJAPAN.

業界人図鑑 vol.1 アパレル販売員 酒井香菜

「マウジー」「スライ」「リエンダ」などから数々のカリスマ販売員を輩出してきたバロックジャパンリミテッドの旗艦店「ザ シェルター トーキョー」(東京・原宿)で販売員を務める酒井香菜さんは、若干26歳ながらキャリア8年、「ラグアジェム」の1号店のルミネエスト店長も経験した実力者の一人だ。ファッション業界の最も身近な存在であるアパレル販売の奥深さを語った。

The SHEL'TTER TOKYO
───

酒井香奈(26)

アパレル販売員
───
「ザ シェルター トーキョー」販売員
PROFILE:(さかい・かな)東京・足立区出身。高校卒業後、2016年に新卒でバロックジャパンリミテッドの「スライ」池袋パルコ店の契約社員として入社(17年に正社員)。2019年3月「ラグアジェム」ルミネエスト店店長を経て、2023年から現職。給与は25万〜30万円+インセンティブ

Q アパレル販売員を志望した理由は?

酒井:販売員に憧れてというわけではなく、ずっとギャルでファッションが好きだったので、高校卒業時の進路選択時に「販売員」を選んだという感じです。体育会系で、高校のときに焼肉屋でバイトもしていたので、販売員のノリにはすぐ馴染め、戸惑いみたいのはなかったです。

Q 販売員のやりがいは?

酒井:販売員になってみて、奥の深さに感動しました。1年目の前半は接客中心でしたが、後半からはVP(ビジュアル・プレゼンテーション)もやらせてもらえました。販売員は接客して服を売るだけでなく、服の並べ方や見せ方、店舗で流す音楽まで、店の運営全体をプロデュースしていく仕事なんだって徐々に理解していきました。覚えることはとにかく多いけれど、2年くらいで一通りの仕事を任せてもらえるようにはなっていました。

Q 転機は?

酒井:「ラグアジェム」の1号店であるルミネエスト店の店長になったことです。先ほど販売員という仕事はお店全体の運営に携わると話しましたが、実際に店長になり、店全体の責任を持つことでさらにステージが変わりました。新しいブランドの1号店で販売員も私を含め経験の浅い若い子が多く、余計に大変でした。ただ、その分、本部との距離も近くて、大げさに言えば「自分たちでブランドを作り上げていくんだ!」って雰囲気もありました。いまでも1号店のオープン時のことはよく覚えています。ルミネエストのお客さまの多さに戸惑っているところに、他のブランドや先輩たちがヘルプしてくれて。チームワークの重要性やバロックの良さみたいなものもすごく感じました。売り上げの管理や人のマネジメントから戦略まで、店長を経験したことで、「アパレル販売」という仕事への解像度はかなり上がりました。

Q 心掛けていることは?

酒井:とにかく話す、コミュニケーションを取ることです。接客業なのでお客さまとはもちろんお話ししますが、同僚や後輩、先輩、上司ともたくさん話します。店長になってマネジメントを経験したときに感じたのですが、接客動作や考え方の修正にしても、行動を起こしてもらうためにはやっぱり話すしかないんですよね。ただ話すだけじゃ伝わらない場合は、伝え方が悪かったんだなあと思います。私の場合は戦略のこと、マネジメントのこと、店舗運営のこと、何でも困ったらすぐに上司や先輩に相談します。トレンドやファッションであれば、後輩にアドバイスを求めたりもします。

Q 新人の販売員にメッセージをお願いします。

酒井:アパレル販売はものすごく面白い仕事だと思います。かわいいお洋服たちに囲まれて自分自身のファッションやメイクも常にアップデートされるし、私にとっては人間性も育ててくれた職場です。先輩や後輩、いろんな仲間がいて家族のように支え合って成長してきました。皆さんも自分も楽しみながら、素敵な空間を作ってお客さまを楽しませてほしいです。

PHOTO : KEI ONO

The post 業界人図鑑 vol.1 アパレル販売員 酒井香菜 appeared first on WWDJAPAN.