PROFILE: (やまざき・きみよ)大学卒業後、ヤーマンに入社。マーケティング部門や海外部門を経て、1999年に社長に就任。日本で初めてミネラルコスメを市場に投入し、化粧品市場の新カテゴリーを開拓した。美顔器をはじめ、ヘアケアやオーラルケアなど幅広く美容機器を展開し、美容機器市場をリードするヒット商品を世に送り出す。メーカーとしてモノ作りに真摯に取り組み、効果実感を生み出すテクノロジーの開発を使命に掲げる PHOTO:SHUNICHI ODA
スローガンに「美しくを、変えていく。」を掲げるヤーマンは、美容機器を日常的に使用するという新しい美容習慣を提案し、ヒット商品を世に生み出してきた。世界40の国と地域で展開し市場を拡大する中、グローバルブランドとしてさらに成長するための拠点として、初の旗艦店「ヤーマン ザ ストア ギンザ(YA-MAN the store GINZA)」を2023年11月にオープンした。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)
1977年設立。アパレル、家具、飲食、フィットネス事業を展開。2016年に売上高1000億円を突破。17年に本社オフィスを渋谷キャストに移転。21年にベイクルーズとファッション事業のジョイントワークス、フレームワークス、JS.ワークス、ルドーム、ラクラス、家具事業のアクメ、飲食事業のフレーバーワークスを統合。他にラデュレジャポン、ウィルワークス、台湾ベイクルーズ、ル・プチメック、Foodies USA. Incを傘下に持つ。23年8月期の連結売上高は1389億円、期末店舗数は409店舗
1977年設立。アパレル、家具、飲食、フィットネス事業を展開。2016年に売上高1000億円を突破。17年に本社オフィスを渋谷キャストに移転。21年にベイクルーズとファッション事業のジョイントワークス、フレームワークス、JS.ワークス、ルドーム、ラクラス、家具事業のアクメ、飲食事業のフレーバーワークスを統合。他にラデュレジャポン、ウィルワークス、台湾ベイクルーズ、ル・プチメック、Foodies USA. Incを傘下に持つ。23年8月期の連結売上高は1389億円、期末店舗数は409店舗
Installation view of the exhibition, "Structure and Surface: Contemporary Japanese Textiles" November 11, 1998 through January 26, 1999
1998年9月12日から99年1月26日にかけてニューヨーク近代美術館(MoMA)が開催した「Structure and Surface: Contemporary Japanese Textiles」は、日本の布づくりの偉大さとユニークさを世界に発信し、世界の繊維・アパレル関係者、アート、デザイン分野で高い評価を得た。加えて、これまで日本国内ですらあまり表に出てこなかった「産地企業」が名前付きで大きく前に出たことで、その後の日本の繊維産業に衝撃を与えた。
佐々木進社長(以下、佐々木):増収増益でまずまずの年だった。特に伸びたのは「アダム エ ロペ(ADAM ET ROPE)」「サロン アダム エ ロペ(SALON ADAM ET ROPE)」「ビオトープ」。コロナが明け、社会が快活なムードにあふれる中で、人々を楽しませる色や柄、デザインが支持された。ただ下半期はどのブランドも落ち込む傾向にあった。暖冬のほか、保守的なMDに逃げてしまったことも反省点だ。これを踏まえて、2024年は攻めのMDを増やす。
英国を代表するファッションブランド「ポール・スミス(PAUL SMITH)」を筆頭に「ランバン コレクション(LANVIN COLLECTION)」「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ(THE DUFFER OF ST. GEORGE)」といった海外ブランドを展開するジョイックスコーポレーションは、コロナ禍で抑制していたマーケティング活動を積極化する。2024年、塩川弘晃社長は攻めの姿勢を鮮明にする。 (この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)
ジャン・ピエール・シャリトン社長(以下、シャリトン):コロナ禍後のメイク復調とインバウンド客増加を原動力に、日本国内の市場全体が前年比1ケタ台後半の伸長率の中、当社はその2倍を上回る10%後半増で成長した。これはロレアルグループ内でも最大の成長率だった。特にラグジュアリーブランドを擁するリュクス事業本部は、「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」「シュウ ウエムラ(SHU UEMURA)」、21年に傘下に加わった「タカミ」がけん引し、過去25年で最高の業績を収め歴史的な年となった。
シャリトン:昨年、女性管理職の割合は54%、女性社員の育休復帰率は100%を達成した。また21年に導入した男性の育児休暇は、当時の取得率33%から昨年は73%まで増加した。25年には取得率100%達成を目標に掲げる。環境保護面では22年にカーボンニュートラルを実現した。目標を3年前倒しで成し遂げたのは、われわれが本気で取り組んだ結果だろう。米テラサイクルとの協働により、「ランコム(LANCOME)」「キールズ(KIEHL'S SINCE 1851)」などで使用済みプラスチック容器の回収、リサイクルを行っているが、全ブランドへの導入を進めているところだ。また商品の廃棄管理に新たなトラッキングシステムを導入し、生産予測精度の向上と廃棄量削減に努めている。サステナビリティの領域には特に情熱を注いでいる。
世界で勝てる日本発のグローバルビューティカンパニーを目指す資生堂は、「守り」から「攻め」に転じる躍動の年として昨年、中期経営戦略「SHIFT 2025 and Beyond」を策定し始動した。スキンビューティ領域を強化し新しい価値を提供するとともに、経営理念の「ピープルファースト」の考えのもと、創業の地から世界で活躍できるリーダーの輩出を目指す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)
“ほとばしる”熱量を持ち
ビジネスの成長と変革を実現する
WWDJAPAN(以下、WWD):2023年を振り返ると。
魚谷雅彦会長CEO(以下、魚谷):コロナ禍を経て、お客さまはより自身の肌や健康状態、ライフスタイルに合った商品を求め、質の高いカウンセリングを重視する傾向が強くなった。パーソナルビューティパートナー(PBP=美容部員)は知識と技能にさらに磨きをかけ、顧客満足度の高い接客へとつながっている。その中で「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」は、100年以上にわたる技術を生かした高品質な商品の開発と生産、顧客サービスが総合的に効果を発揮し、力強い成長を見せた。効果実感のある商品力は大前提だが、品質やデザインの細部に至るまでラグジュアリー感を大事に、サステナビリティ含めてブランド独自の世界観を打ち出せている。今後「シセイドウ(SHISEIDO)」とともに、資生堂の看板ブランドとしてさらに成長させていく。
WWD:中期経営戦略「SHIFT 2025 and Beyond」の重点領域として人財育成も推し進めている。その一環で、次世代を担う経営リーダーを育成する施設「Shiseido Future University」を昨秋、創業の地である東京・銀座にオープンした。
1872年創業。スキンケアやメイクアップ、フレグランスなどの化粧品を中心とした事業のほか、レストラン事業など幅広く展開。自社開発やオープンイノベーション、戦略的M&Aなどを推進し、より健康的な肌を実現するスキンビューティ領域を強化。企業使命「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)」のもと、本業を通じてより良い世界の実現を目指す
PROFILE: (すずき・のぶてる)1974年8月23日生まれ。京都大学大学院法学研究科卒。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)やローランドベルガー、ボストンコンサルティンググループなどを経て2012年ワールドに入社。15年から常務執行役員。18年から専務執行役員。20年6月から現職 PHOTO:KAZUO YOSHIDA
鈴木:しばらく新ブランド開発が止まっていたが、昨年から再開した。婦人服では20〜30代向けの「ギャレスト」と「コードエー」を23年春に開始した。また12月にはOMO(オンラインとオフラインの融合)型の「アンタイトルギャラリー」の1号店を開き、「アンタイトル(UNTITLED)」だけでなく「インディヴィ(INDIVI)」「クード シャンス(COUP DE CHANCE)」「デッサン」などのECで扱う服を取り寄せて試着できるようにした。従来のように一気に出店するのではなく、ECとの連動で成長を見極めながらアクセルを踏む方法をとる。百貨店では既存ブランド以上に上質な婦人服を求めるお客さまの声が増えた。ここには「アンタイトル」から派生した「オブリオ」を24年春から本格化する。既存ブランドだが「シクラス」も感度の高いお客さまの支持が広がっている。ワールドとして手薄だった高価格帯も大きなポテンシャルがある。
PROFILE: (すずき・のぶてる)1974年8月23日生まれ。京都大学大学院法学研究科卒。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)やローランドベルガー、ボストンコンサルティンググループなどを経て2012年ワールドに入社。15年から常務執行役員。18年から専務執行役員。20年6月から現職 PHOTO:KAZUO YOSHIDA
鈴木:しばらく新ブランド開発が止まっていたが、昨年から再開した。婦人服では20〜30代向けの「ギャレスト」と「コードエー」を23年春に開始した。また12月にはOMO(オンラインとオフラインの融合)型の「アンタイトルギャラリー」の1号店を開き、「アンタイトル(UNTITLED)」だけでなく「インディヴィ(INDIVI)」「クード シャンス(COUP DE CHANCE)」「デッサン」などのECで扱う服を取り寄せて試着できるようにした。従来のように一気に出店するのではなく、ECとの連動で成長を見極めながらアクセルを踏む方法をとる。百貨店では既存ブランド以上に上質な婦人服を求めるお客さまの声が増えた。ここには「アンタイトル」から派生した「オブリオ」を24年春から本格化する。既存ブランドだが「シクラス」も感度の高いお客さまの支持が広がっている。ワールドとして手薄だった高価格帯も大きなポテンシャルがある。
下地:私たちは洋服屋というアイデンティティーを共有している。服が好きで好きでたまらないファッション集団であることがエネルギーだ。それはお客さまにも伝播する。スタッフには「縮こまらずに、どんどん面白いことをやってくれ」とよく話している。サンフランシスコの古着を着想源にした「セブンバイセブン(SEVEN BY SEVEN)」は、昨年9月の東京コレクションでランウエイショーを開いた。代々木上原に旗艦店を出店するタイミングで、多くの関係者に見ていただく機会を作った。デザイナー川上淳也さんのクリエイションへの熱が伝わるショーだった。外への発信だけでなく、スタッフのモチベーション向上にもつながる。他のブランドのスタッフも刺激を受け「次は私たちの番だ」と思っている。作り手が楽しんで、発信するエネルギーは推進力になる。
「セブンバイセブン」は、2024年春夏シーズンの「楽天ファッション・ウィーク東京」に初参加した。デザイナーの川上淳也が20代の大半を過ごした地であり、ブランドのルーツでもある“サンフランシスコ”をテーマに、39ルックを披露した PHOTO : RYAN CHAN
下地:私たちは洋服屋というアイデンティティーを共有している。服が好きで好きでたまらないファッション集団であることがエネルギーだ。それはお客さまにも伝播する。スタッフには「縮こまらずに、どんどん面白いことをやってくれ」とよく話している。サンフランシスコの古着を着想源にした「セブンバイセブン(SEVEN BY SEVEN)」は、昨年9月の東京コレクションでランウエイショーを開いた。代々木上原に旗艦店を出店するタイミングで、多くの関係者に見ていただく機会を作った。デザイナー川上淳也さんのクリエイションへの熱が伝わるショーだった。外への発信だけでなく、スタッフのモチベーション向上にもつながる。他のブランドのスタッフも刺激を受け「次は私たちの番だ」と思っている。作り手が楽しんで、発信するエネルギーは推進力になる。
「セブンバイセブン」は、2024年春夏シーズンの「楽天ファッション・ウィーク東京」に初参加した。デザイナーの川上淳也が20代の大半を過ごした地であり、ブランドのルーツでもある“サンフランシスコ”をテーマに、39ルックを披露した PHOTO : RYAN CHAN
イヴォンはまた、現在パタゴニア本社のあるべンチュラで自分自身の活動を続ける中“アクティビズム”の機会を見出しました。そんな時に周辺環境に多大な影響を及ぼすべンチュラ川の転流工事が行われると聞き、イヴォンは市役所に転流反対を訴えに行きました。これはイヴォンと会社にとっての初のアクティビズムでしたが、この行動のおかげでべンチュラ川の転流工事は取りやめとなり、「1% for the planet」(収益の1%を地球のために)というプログラムを始める着想源にもなりました。パタゴニアが「アクティビズム」「品質」「環境へのインパクトについてこだわり続けている」という3点を知っていただくためにお話しました。その後アパレル分野に進出し、「シュイナード・イクイップメント」から登山用アパレルの会社になりました。
マーク:衝撃を受けました。昨日のことのように覚えています。私たちは全員“キャンパス”(パタゴニア本社)に集合しました。パンデミックが明けたばかりの頃で、数年ぶりに全員が直接顔を合わせたタイミングでした。そして、誰も発表の内容を知りませんでした。元 CEO の皆さんを含む初期メンバーが姿を現し始め、どうやら何か大きなことが起こっていると、とても興奮しました。新体制発表のタイミングは、私たちの創立50周年でもありました。ちょうど次の50年を視野に入れ23年秋コレクションに取りかかり始めた非常に意味のあるタイミングでした。「最初の50年間で学んだことは何か」「継続したい物は何か」そして「やめたいことは何か」について熟考しながら次のチャプターに進みたいと考えました。そしてイヴォンとシュイナード家の決断は次の 50 年に向けた大胆なアプローチ方法であると感じました。
イヴォンとシュイナード家はオーナーシップを 2つの組織に譲渡しました。そして重要なことを言及させていただきますと、私たちは「1% for the Planet」を通して、常に収益の 1% を寄付し続けてきました。私たちは気候危機において十分な推進力を発揮できていないと感じていました。これらを深慮した結果、2つの組織を新たに設立し地球を唯一の株主として据えたわけですが、これはビジネスに再投資されなかった全ての利益が地球に分配されるということを意味します。これは非常に壮大な規模の話です。
そのためにパタゴニアでは25年に向け、優先材料の使用率を100%にすることを目標にしています。また一方で、化学物質の永久排除に向けても投資しています。DWR(durable water repellent/耐久撥水)は永久化学物質の一種ですから。それとは別に染色では、製品の核となるカラーバリエーションで、”エバーグリーンカラー”と呼ばれる、合成繊維向けの染料の中では環境への悪影響が非常に低い染料を、全ての色味で100%使用できるように取り組んでいます。また、残端などの布地の廃棄物でリサイクル100%を目指しており、合成繊維の 50%で二次廃棄物を使用できるように取り組んでいます。
イヴォンはまた、現在パタゴニア本社のあるべンチュラで自分自身の活動を続ける中“アクティビズム”の機会を見出しました。そんな時に周辺環境に多大な影響を及ぼすべンチュラ川の転流工事が行われると聞き、イヴォンは市役所に転流反対を訴えに行きました。これはイヴォンと会社にとっての初のアクティビズムでしたが、この行動のおかげでべンチュラ川の転流工事は取りやめとなり、「1% for the planet」(収益の1%を地球のために)というプログラムを始める着想源にもなりました。パタゴニアが「アクティビズム」「品質」「環境へのインパクトについてこだわり続けている」という3点を知っていただくためにお話しました。その後アパレル分野に進出し、「シュイナード・イクイップメント」から登山用アパレルの会社になりました。
マーク:衝撃を受けました。昨日のことのように覚えています。私たちは全員“キャンパス”(パタゴニア本社)に集合しました。パンデミックが明けたばかりの頃で、数年ぶりに全員が直接顔を合わせたタイミングでした。そして、誰も発表の内容を知りませんでした。元 CEO の皆さんを含む初期メンバーが姿を現し始め、どうやら何か大きなことが起こっていると、とても興奮しました。新体制発表のタイミングは、私たちの創立50周年でもありました。ちょうど次の50年を視野に入れ23年秋コレクションに取りかかり始めた非常に意味のあるタイミングでした。「最初の50年間で学んだことは何か」「継続したい物は何か」そして「やめたいことは何か」について熟考しながら次のチャプターに進みたいと考えました。そしてイヴォンとシュイナード家の決断は次の 50 年に向けた大胆なアプローチ方法であると感じました。
イヴォンとシュイナード家はオーナーシップを 2つの組織に譲渡しました。そして重要なことを言及させていただきますと、私たちは「1% for the Planet」を通して、常に収益の 1% を寄付し続けてきました。私たちは気候危機において十分な推進力を発揮できていないと感じていました。これらを深慮した結果、2つの組織を新たに設立し地球を唯一の株主として据えたわけですが、これはビジネスに再投資されなかった全ての利益が地球に分配されるということを意味します。これは非常に壮大な規模の話です。
そのためにパタゴニアでは25年に向け、優先材料の使用率を100%にすることを目標にしています。また一方で、化学物質の永久排除に向けても投資しています。DWR(durable water repellent/耐久撥水)は永久化学物質の一種ですから。それとは別に染色では、製品の核となるカラーバリエーションで、”エバーグリーンカラー”と呼ばれる、合成繊維向けの染料の中では環境への悪影響が非常に低い染料を、全ての色味で100%使用できるように取り組んでいます。また、残端などの布地の廃棄物でリサイクル100%を目指しており、合成繊維の 50%で二次廃棄物を使用できるように取り組んでいます。
パルコとNANZUKA、ポケモンによる2020年にパルコミュージアムで開催されたダニエル・アーシャム×ポケモンの展覧会「Relics of Kanto Through Time」は、ポケモン史上初となる本格的な現代アーティストとのコラボプロジェクト2021年パルコミュージアムで開催した「Mickey Mouse Now and Future」はNANZUKAがキュレーションを担当。空山基や田名綱敬一、オリバー・ペインなどが参加2022年にパルコミュージアムで開催したスペイン人アーティストであるハビア・カジェハの展覧会「MR. GUNTER, THE CAT SHOW」のキュレーションもNANZUKAが手掛けたNANZUKAによるキュレーションで2022年にパルコミュージアムで開催したイギリス人アーティストのジェームス・ジャービスの「Hello Bauhaus」
パーソナルスタイリングサービス「ソージュパーソナル(SOEJU PERSONAL)」とD2Cウィメンズブランド「ソージュ(SOEJU)」を運営するモデラートは、2023年ブランド設立5周年を迎えた。同ブランドは、“誰もが社会と心地よくつながれる世界”をコンセプトに“自己表現の選択肢を広げる”ことを目的に活動を行っている。5周年を記念し、モデラートは、2023年10月、東京・銀座のポーラ ミュージアム アネックスでアートイベント「The Fitting Room」を開催した。4つの試着室から構成された会場でブランドの哲学である“I like the way I am.(私は私のままでいい)”を表現。アートイベントを開催した理由や思いを市原明日香モデラート代表に聞いた。
昨年ローランド・ベルガーからA.T.カーニー入社へ移籍。「循環・再生型モデルに力を入れているところに共感をした」から。BtoC全般を担当しつつ中でもアパレル、ラグジュアリーに強さを発揮している。「元々デザイナーになりたかった」というだけであり、デザインへのこだわりも強い。この日の服は「CFCL」のジャケット&パンツに「オー・ゼロ・ユー」のシャツ。靴は「オニツカタイガー」を選ぶなどメード・イン・ジャパンへの応援姿勢がそのスタイリングからわかる PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
渋谷を中心に都市開発を進める大手デベロッパーの東急不動産は“環境先進企業”を掲げ、「脱炭素社会」「循環型社会」「生物多様性」を重点課題としている。中でも、業界で先進的に取り組むのが生物多様性の保全だ。都心地域の植生を保持し、人と生き物、そして植物が共生する街づくりを進めている。持ち株会社である東急不動産ホールディングスでは2023年、国内不動産業として初めて自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下TNFD)レポートを公開し、事業におけるネイチャーポジティブへの貢献を示した。なぜ街づくりにおいて「生物多様性」が必要なのか。TNFDレポートで評価された内容や事例をもとに、サステナビリティ推進部の松本恵・担当部長に取り組みの背景について聞く。
渋谷を中心に都市開発を進める大手デベロッパーの東急不動産は“環境先進企業”を掲げ、「脱炭素社会」「循環型社会」「生物多様性」を重点課題としている。中でも、業界で先進的に取り組むのが生物多様性の保全だ。都心地域の植生を保持し、人と生き物、そして植物が共生する街づくりを進めている。持ち株会社である東急不動産ホールディングスでは2023年、国内不動産業として初めて自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下TNFD)レポートを公開し、事業におけるネイチャーポジティブへの貢献を示した。なぜ街づくりにおいて「生物多様性」が必要なのか。TNFDレポートで評価された内容や事例をもとに、サステナビリティ推進部の松本恵・担当部長に取り組みの背景について聞く。
PROFILE:1988年生まれ、イングランド・ノーサンプトン出身。幼い頃からギターを嗜み、リーズ音楽大学ジャズ専門科を卒業後、セッションギタリストや作曲家としての活動を経て、2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」でデビュー。23年7月には最新作となる3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月にパンデミック後の初ライブを日本で行った PHOTO:NEIL KRUG
甘美な歌声と高度なギタースキルで世界を魅了するイギリスのシンガーソングライター、ブルーノ・メジャー(Bruno Major)。“現代最高のメロディアーティスト”と称される彼は、多様なジャンルの要素を高次元で昇華したノスタルジックなサウンドを武器に、「スポティファイ(Spotify)」だけで毎月400万以上のリスナーを抱えるトップアーティストだ。しかし、もともとは表舞台での活動を考えておらず、セッションギタリストや作曲家といった“裏方”として活動する中で、あるきっかけから独立。2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」を発表すると、その音楽性で遠耳が利くファンをすぐに獲得した。その後、パンデミック中の2020年6月に2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」を、パンデミック明けの23年7月に3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月には3年半ぶりのツアー「プラネット アース(Planet Earth)」を日本からスタートさせ、現在も鋭意巡業中だ。
それからしばらく他のアーティストに楽曲を提供している中で、僕自身もアーティストとしてレーベル契約を結び、1stアルバムを制作したもののリリースしてもらえなかったんだ。だから、今のマネージャーと一緒に自主レコードレーベル「ハーバー(Harbour)」を立ち上げたのさ。ただ、作詞作曲から演奏、リミックス、プロデュースまで全てを自分たちで行う必要が生じたためデビューに時間がかかってしまい、1stアルバム「A Song for Every Moon」をリリースした時には27歳になっていたよ。思うに、遅すぎる年齢かもしれないけど、振り返ると必要な時間だったと思うね。
ブルーノ:アーティストは基本的に、人生で聴いてきた音楽が制作する楽曲の土台になっていると思う。僕の場合、歌い方はチェット・ベイカー(Chet Baker)、ベースの弾き方はピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ビートの打ち込み方はJ・ディラ(J Dilla)、プロダクションの方法はディアンジェロ(D'Angelo)、プロデュースの仕方はジェイムス・ブレイク(James Blake)から学び、それを自分のパレットに乗せて絵を描くようなイメージなんだ。その中で、音楽性が確立したと思った瞬間は、共同プロデューサーのファイロー(Phairo)との出会いだね。彼はもともと、エレクトロニックのプロデューサーとしてイングランドのダンスミュージックシーンで活動していた人物で、「Wouldn't Mean A Thing」(2016年発表)という楽曲にヒップホップ調のビートを提供してくれた時、僕の音楽性が確立されたと感じたんだ。
もし、僕のスタイルを端的に説明するのであれば、“ジャズのスタンダードにヒップホップのビートが乗ったもの”になると思う。ただ、「The Show Must Go On」や「We Were Never Really Friends」などは、さらに複雑なサウンドでジャズがベースになっているとも言い切れないし、説明するのが難しいな。
ブルーノ:褒めてもらったことは素直にありがたいけど、自分ではメロディーが一番の弱点だと思っているんだよね。アーティストは大抵2種類のタイプに分類することができて、先にメロディーが浮かんでリリックを乗せるか、リリックを書いてからメロディーを乗せるか。ただ、僕の場合はメロディーはリリックというか言葉の中に存在していると思っている。英語と日本語では喋り方や発音が違うから、理解してもらうのは少し難しいかもしれないけど、例えば「The Show Must Go On」の「And you’ll tell yourself」から「'Cause the show must go on」までのリリックを口ずさむと、それだけでメロディがあるように感じるんだよ。だから、僕にとってメロディーは作るものではなく、リリックそのものという認識が近いかもしれないね。
PHOTO:NEIL KRUG
ーーそんな「The Show Must Go On」も収録されている3rdアルバム「Columbo」は、ビンテージで購入した「メルセデスベンツ(MERCEDES-BENZ)」の“380SL”(1978年製)の愛称から名付けられたそうですが、クラシックカーのコレクターなのでしょうか?
ブルーノ:2018年に一度だけライブのために日本を訪れたけど、とても小さい規模で自分1人のために行ったような感じだった。今回のように、バンドを引き連れてのライブは初で、1日中すごく緊張していて始まるまでは恐怖心もありつつ、いざステージに立つと喜びしかなかったよ。「Columbo」に収録されている全ての曲をパフォーマンスできたことはもちろん、パンデミック期間中に発表した2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」の楽曲も一度も人前で披露できていなかったしね。特に、「Nothing」という楽曲は一番再生されているにもかかわらず、ライブでは演奏できていなかったから、「ようやく!」という気持ちだったよ。
PROFILE:1988年生まれ、イングランド・ノーサンプトン出身。幼い頃からギターを嗜み、リーズ音楽大学ジャズ専門科を卒業後、セッションギタリストや作曲家としての活動を経て、2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」でデビュー。23年7月には最新作となる3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月にパンデミック後の初ライブを日本で行った PHOTO:NEIL KRUG
甘美な歌声と高度なギタースキルで世界を魅了するイギリスのシンガーソングライター、ブルーノ・メジャー(Bruno Major)。“現代最高のメロディアーティスト”と称される彼は、多様なジャンルの要素を高次元で昇華したノスタルジックなサウンドを武器に、「スポティファイ(Spotify)」だけで毎月400万以上のリスナーを抱えるトップアーティストだ。しかし、もともとは表舞台での活動を考えておらず、セッションギタリストや作曲家といった“裏方”として活動する中で、あるきっかけから独立。2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」を発表すると、その音楽性で遠耳が利くファンをすぐに獲得した。その後、パンデミック中の2020年6月に2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」を、パンデミック明けの23年7月に3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月には3年半ぶりのツアー「プラネット アース(Planet Earth)」を日本からスタートさせ、現在も鋭意巡業中だ。
それからしばらく他のアーティストに楽曲を提供している中で、僕自身もアーティストとしてレーベル契約を結び、1stアルバムを制作したもののリリースしてもらえなかったんだ。だから、今のマネージャーと一緒に自主レコードレーベル「ハーバー(Harbour)」を立ち上げたのさ。ただ、作詞作曲から演奏、リミックス、プロデュースまで全てを自分たちで行う必要が生じたためデビューに時間がかかってしまい、1stアルバム「A Song for Every Moon」をリリースした時には27歳になっていたよ。思うに、遅すぎる年齢かもしれないけど、振り返ると必要な時間だったと思うね。
ブルーノ:アーティストは基本的に、人生で聴いてきた音楽が制作する楽曲の土台になっていると思う。僕の場合、歌い方はチェット・ベイカー(Chet Baker)、ベースの弾き方はピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ビートの打ち込み方はJ・ディラ(J Dilla)、プロダクションの方法はディアンジェロ(D'Angelo)、プロデュースの仕方はジェイムス・ブレイク(James Blake)から学び、それを自分のパレットに乗せて絵を描くようなイメージなんだ。その中で、音楽性が確立したと思った瞬間は、共同プロデューサーのファイロー(Phairo)との出会いだね。彼はもともと、エレクトロニックのプロデューサーとしてイングランドのダンスミュージックシーンで活動していた人物で、「Wouldn't Mean A Thing」(2016年発表)という楽曲にヒップホップ調のビートを提供してくれた時、僕の音楽性が確立されたと感じたんだ。
もし、僕のスタイルを端的に説明するのであれば、“ジャズのスタンダードにヒップホップのビートが乗ったもの”になると思う。ただ、「The Show Must Go On」や「We Were Never Really Friends」などは、さらに複雑なサウンドでジャズがベースになっているとも言い切れないし、説明するのが難しいな。
ブルーノ:褒めてもらったことは素直にありがたいけど、自分ではメロディーが一番の弱点だと思っているんだよね。アーティストは大抵2種類のタイプに分類することができて、先にメロディーが浮かんでリリックを乗せるか、リリックを書いてからメロディーを乗せるか。ただ、僕の場合はメロディーはリリックというか言葉の中に存在していると思っている。英語と日本語では喋り方や発音が違うから、理解してもらうのは少し難しいかもしれないけど、例えば「The Show Must Go On」の「And you’ll tell yourself」から「'Cause the show must go on」までのリリックを口ずさむと、それだけでメロディがあるように感じるんだよ。だから、僕にとってメロディーは作るものではなく、リリックそのものという認識が近いかもしれないね。
PHOTO:NEIL KRUG
ーーそんな「The Show Must Go On」も収録されている3rdアルバム「Columbo」は、ビンテージで購入した「メルセデスベンツ(MERCEDES-BENZ)」の“380SL”(1978年製)の愛称から名付けられたそうですが、クラシックカーのコレクターなのでしょうか?
ブルーノ:2018年に一度だけライブのために日本を訪れたけど、とても小さい規模で自分1人のために行ったような感じだった。今回のように、バンドを引き連れてのライブは初で、1日中すごく緊張していて始まるまでは恐怖心もありつつ、いざステージに立つと喜びしかなかったよ。「Columbo」に収録されている全ての曲をパフォーマンスできたことはもちろん、パンデミック期間中に発表した2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」の楽曲も一度も人前で披露できていなかったしね。特に、「Nothing」という楽曲は一番再生されているにもかかわらず、ライブでは演奏できていなかったから、「ようやく!」という気持ちだったよ。
PROFILE: (またよし・なおき)1980年、大阪府寝屋川市生まれ。2003年にお笑いコンビ「ピース」を結成。10年「キングオブコント2010」準優勝、同年「M-1グランプリ2010」4位、11年「第11回ビートたけしのエンターテインメント賞」日本芸能大賞を受賞。15年「火花」で芥川賞を受賞し、同年「GQ メン・オブ・ザ・イヤー」に選出される。YouTubeチャンネル「渦」やオフィシャルコミュニティ「月と散文」では又吉の頭の中を除くことができる PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
小高:このネオングリーンは、ビートルズ(The Beatles)のレコードレーベルであるアップル・レコード(Apple Records)の青りんごの色にヒントを得ています。「マラミュート」の1シーズン目のインスピレーション源がビートルズの楽曲「She's a Woman」だったこともあり、どこかに「マラミュート」らしさを残したかったんです。
小高:このネオングリーンは、ビートルズ(The Beatles)のレコードレーベルであるアップル・レコード(Apple Records)の青りんごの色にヒントを得ています。「マラミュート」の1シーズン目のインスピレーション源がビートルズの楽曲「She's a Woman」だったこともあり、どこかに「マラミュート」らしさを残したかったんです。
新田の父は多くの日本映画に加え、「激突!殺人拳」や「キル・ビル(Kill Bill)」、「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」にも出演した日本のアクション俳優、サニー 千葉(千葉真一)。“演じること”に対する興味は「時間をかけて徐々に大きくなってきたもの」と新田は語る。「『よし!俳優になろう』と決めたターニングポイントがあったわけではなく、時間をかけて徐々に興味を抱いてきたのだと思います。父の作品や、たくさんの優れた日本の俳優たちを観ているうちに、自分も同じ道を歩み始めました」。
米国生まれの新田は、2014年から日本の芸能界で仕事をしているが、21年からは海外での活動を優先するため、米国に拠点を置いている。ハリウッドが制作した23年公開の実写版映画「聖闘士星矢 The Beginning」に出演したほか、前述の「ワンピース」は現在シーズン2の制作も進んでいる。また、現在フールー(HULU)で配信中の実写とアニメのハイブリッドドラマ「ワンダーニッチ-空飛ぶ竜の島-」にも出演している新田だが、英語を話す役やハリウッド作品への参加を望んでいるという。「これは日本の映画業界に慣れている自分自身への挑戦でもあります。日本のプロジェクトと違った形で進むであろう、ハリウッド作品が制作後の公開に至る過程にも興味がありました。」
前回に続いて、コンテンポラリーデザインスタジオ「we+(ウィープラス)」の林登志也氏と安藤北斗氏に話を聞く。麻布台ヒルズの大垣書店で開催中の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads 理想の糸を求めて(1月14日まで/以下KYOTO ITO ITOと略)」展で、須藤と協働したふたりは、布を構成する最小単位である「糸」に焦点を当てた。we+のデザインにとって、素材は常に重要な要素だ。
10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI
「素材の特性や可能性をリサーチして、どう扱うと面白いことができるかを見いだしていきます。KYOTO ITO ITOでは糸を追いかけることで、より布に近づけるのではないかと考えました」(林氏)。布はとても身近な素材で、入浴時以外は常に身につけている。あまりにも身近すぎて、その特性などは認識せぬまますごしているという人も多いだろう。「かつて布づくりは、職住接近で行われていた。自宅で蚕を育て、糸をたぐり、織物に仕立てていました。ものづくりの現場と生活がとても近かったんですね。現代は距離ができてしまって、ものがどこからどうやって生まれてきているかがわからない。KYOTO ITO ITOはこの距離を縮める試みであり、ものづくりの源流をたどる旅はとても刺激に満ちていました」(安藤氏)。
前回に続いて、コンテンポラリーデザインスタジオ「we+(ウィープラス)」の林登志也氏と安藤北斗氏に話を聞く。麻布台ヒルズの大垣書店で開催中の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads 理想の糸を求めて(1月14日まで/以下KYOTO ITO ITOと略)」展で、須藤と協働したふたりは、布を構成する最小単位である「糸」に焦点を当てた。we+のデザインにとって、素材は常に重要な要素だ。
10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催された「KYOTO ITO ITO」展 PHOTO:KENICHI MURASE PHOTO:MASAYUKI HAYASHI
「素材の特性や可能性をリサーチして、どう扱うと面白いことができるかを見いだしていきます。KYOTO ITO ITOでは糸を追いかけることで、より布に近づけるのではないかと考えました」(林氏)。布はとても身近な素材で、入浴時以外は常に身につけている。あまりにも身近すぎて、その特性などは認識せぬまますごしているという人も多いだろう。「かつて布づくりは、職住接近で行われていた。自宅で蚕を育て、糸をたぐり、織物に仕立てていました。ものづくりの現場と生活がとても近かったんですね。現代は距離ができてしまって、ものがどこからどうやって生まれてきているかがわからない。KYOTO ITO ITOはこの距離を縮める試みであり、ものづくりの源流をたどる旅はとても刺激に満ちていました」(安藤氏)。
アンドレア:ビューティはよりインクルーシブ(包括的)でユニバーサルである必要があり、展望としては“Beauty for Everyone”と考えているが、20〜30代の若年層、特にファッションとビューティの融合を目指している人たちから支持されている。“ビューティアディクト”“ファッションアディクト”と言われるような人、ビューティにより良いパフォーマンスを求めている人、ビューティの力を信じている人に向けてアプローチしていきたい。
英国生まれ。マンチェスターでアートとデザインを学んだ。当時の音楽シーンはニューウェーブ全盛期であり、多大な影響を受けた。建築を専攻した後にファッションに転向。マンチェスターの学校を首席で卒業し、ロンドンのRoyal College of Art (RCA) の修士課程に進学した。RCAにおける初期のプロジェクトのひとつがマックスマーラ主催のコンクールであり、本コンクールでの優勝をきっかけに1987年の卒業と同時にデザイナーとしてマックスマーラに入社。「ウェアラブルなモダンクラシック」「控えめなラグジュアリー」「知的なデザイン」というマックスマーラのフィロソフィーを表現し続けている。1990年からキングストン大学で教鞭を執りはじめ、92年から2000年にかけてファッション学科のディレクターに就任。ファッションビジネスで必要とされるクリエイティブな才能を育成し、産業と教育の密接なつながりを作り上げることに尽力した。近年はRCAの客員教授に就任、またマンチェスター・メトロ ポリタン大学から名誉博士号を授与された。現在マックスマーラのクリエイティブ・ディレクターとして、世界各地から集結したデザイナーチームを統括。彼の活動の拠点は、ロンドン、イタリア、スペイン、そして都会の喧騒から逃れることのできる故郷サフォーク。現代美術、カルチャー、建築、ガーデンに造詣が深い。
英国生まれ。マンチェスターでアートとデザインを学んだ。当時の音楽シーンはニューウェーブ全盛期であり、多大な影響を受けた。建築を専攻した後にファッションに転向。マンチェスターの学校を首席で卒業し、ロンドンのRoyal College of Art (RCA) の修士課程に進学した。RCAにおける初期のプロジェクトのひとつがマックスマーラ主催のコンクールであり、本コンクールでの優勝をきっかけに1987年の卒業と同時にデザイナーとしてマックスマーラに入社。「ウェアラブルなモダンクラシック」「控えめなラグジュアリー」「知的なデザイン」というマックスマーラのフィロソフィーを表現し続けている。1990年からキングストン大学で教鞭を執りはじめ、92年から2000年にかけてファッション学科のディレクターに就任。ファッションビジネスで必要とされるクリエイティブな才能を育成し、産業と教育の密接なつながりを作り上げることに尽力した。近年はRCAの客員教授に就任、またマンチェスター・メトロ ポリタン大学から名誉博士号を授与された。現在マックスマーラのクリエイティブ・ディレクターとして、世界各地から集結したデザイナーチームを統括。彼の活動の拠点は、ロンドン、イタリア、スペイン、そして都会の喧騒から逃れることのできる故郷サフォーク。現代美術、カルチャー、建築、ガーデンに造詣が深い。
(にながわ・みか)写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。木村伊兵衛写真賞ほか、数々の賞を受賞。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版。「ヘルタースケルター」(12年)、「Diner ダイナー」(19年)はじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ「FOLLOWERS」を監督。22年、最新写真集「花、瞬く光」を刊行。クリエイティブチーム「EiM:Eternity in a Moment」の一員としても活動している PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI
虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの“トウキョウ ノード(TOKYO NODE)”で展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」が幕を開けた。24年2月25日まで。「蜷川実花が挑む過去最大の展覧会」と銘打つとおり、圧巻のスケールの立体展示やアートの世界観に没入できる大規模な映像インスタレーションが見どころだ。作品は全て同展のために新たに制作され、データサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoらで結成したクリエイティブチーム“エイム(EiM)”として臨んだ。地上200m超、高層ビル45階の高さに位置する総面積1500㎡のギャラリーを最大限に生かし、東京の風景もデザインに取り入れた体験型展覧会になっている。
展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」 作品「残照」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」 作品「Breathing of Lives」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」 作品「Embracing Lights」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」から
(にながわ・みか)写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。木村伊兵衛写真賞ほか、数々の賞を受賞。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版。「ヘルタースケルター」(12年)、「Diner ダイナー」(19年)はじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ「FOLLOWERS」を監督。22年、最新写真集「花、瞬く光」を刊行。クリエイティブチーム「EiM:Eternity in a Moment」の一員としても活動している PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI
虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの“トウキョウ ノード(TOKYO NODE)”で展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」が幕を開けた。24年2月25日まで。「蜷川実花が挑む過去最大の展覧会」と銘打つとおり、圧巻のスケールの立体展示やアートの世界観に没入できる大規模な映像インスタレーションが見どころだ。作品は全て同展のために新たに制作され、データサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoらで結成したクリエイティブチーム“エイム(EiM)”として臨んだ。地上200m超、高層ビル45階の高さに位置する総面積1500㎡のギャラリーを最大限に生かし、東京の風景もデザインに取り入れた体験型展覧会になっている。
展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」 作品「残照」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」 作品「Breathing of Lives」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」 作品「Embracing Lights」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」から展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」から