キングZOZO、「似合う」をいよいよ搭載【ZOZO 澤田宏太郎社長】

PROFILE: 澤田宏太郎/ZOZO社長兼CEO

澤田宏太郎/ZOZO社長兼CEO
PROFILE: (さわだ・こうたろう)1970年12月15日生まれ、神奈川県出身。早稲田大学理工学部卒業後、NTTデータに新卒入社。その後NTTデータ経営研究所、経営コンサルのスカイライトコンサルティングを経て、2008年5月スタートトゥデイコンサルティング代表取締役に就任。13年6月にZOZO取締役、19年9月から現職 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

ZOZOは2022年3月期で商品取扱高(GMV)を5000億円の大台に乗せた後も、順調に成長を続けている。「MORE FASHION × FASHION TECH ~ ワクワクできる『似合う』を届ける ~」を掲げ、売るだけでなく独自の受注生産モデル「メイドバイゾゾ」など、新たな事業も軌道に乗りつつある。「似合う」の解明も進み、今年には実装に着手する。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「似合う」の解明でファッションECは、新たなステージへ

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年を振り返ると?

澤田宏太郎社長兼CEO(以下、澤田):社長就任後に「ファッションのことならZOZO」と「MORE FASHION × FASHION TECH ~ ワクワクできる『似合う』を届ける ~」の2つを掲げた。ブランドの在庫リスクゼロを目指す「メイドバイゾゾ」、ブランドの実店舗の売上支援の「ZOZOMO」など、単に売るだけでなく「作る」「伝える」「届ける」に関する新事業を順調に拡大できた。中でも、最も手応えを感じているのが「似合う」の解明だ。22年12月に東京・表参道にオープンした「似合うラボ」で、テクノロジーとスタイリストの力を掛け合わせて1年以上運営してきた。ユーザーのリアクションはかなりよい。それ以上に、「似合う」についてかなり深い分析ができるようになった。

WWD:そもそも「似合う」に着目した発想自体、ZOZOらしい取り組みだった。

澤田:「似合う」という感覚は、いろいろな要素が複雑に絡み合って成立している。ロジックはかなり深いところまで解明できた。今はすでに、このロジックを生かしてZOZOのサービスにどう実装するか、というところまで来ている。今春には何かしらのアウトプットができそうだ。

WWD:商品単価は7四半期連続で、出荷単価は6四半期連続で上昇している。

澤田:商品単価は、じわじわと上がり続けているが、現時点では売れ行きに影響していない。今後については、どこまで価格上昇が続くと売れ行きに影響しそうか、社内では仮説を立ててシミュレーションもしているが、はっきりしたことは分からない、というのが正直なところ。ただ、今後も継続的な成長を続けるためには、より積極的な仕掛けが必要になる。

WWD:具体的には?

澤田:例えば、ユーチューブ向けの動画広告を打つと、10代後半から20代前半、つまりZ世代からのリアクションがとてもいい。実際にボリュームとしてもここはまだまだ深掘りできるし、「ファッション」を打ち出す限り、このゾーンの取り込みは数字以上に重要だ。あとはキッズ。取扱商品数は多いのにユーザーへの認知度が低い。ママ&パパ世代にきちんとアピールできれば、まだまだ深掘りできる。引き続き、ユーザーやマーケットをよりきめ細かく分析し、積極的にプロモーションを行う。

WWD:コスメは?

澤田:23年3月期で90億円、今期で100億円の大台は見えている。昨年には「口コミ」機能も実装し、順調ではあるが、今年はもう少し加速させたい。コスメは服以上に画像を見ただけでは売れない商材。次は300億〜500億円を目標に、そろそろコスメスタート時に導入した「ZOZOグラス」のようなテクノロジーを生かした仕掛けが必要だと感じている。サイトにアクセスして楽しめる部分で何か仕掛けられたらと思っている。

WWD:つくばの物流倉庫に100億円を投じた。つくばの物流倉庫「ZOZOBASEつくば3」が本格的に稼働した。意外だったのが、処理数を増やす以上に、効率化を重視していたこと。その狙いは?

澤田:投資額は大きいが、投資回収効率も高い。「ポケットソーター」やロボットなどの最先端のツールも導入し、自動化・省人化を進めた結果、人員数を3割ほど減らすことができた。現時点ではアルバイトの募集をかければ順調に集まるが、人手不足は構造的で慢性的な問題だ。それにモチベーションの維持など、人数も多いためマネジメントや運営の負担が大きい。なので省人化の効果は、3割という数字以上に、業務効率の改善面でポジティブな効果がある。

WWD:「物流2024年問題」への対応は?

澤田:ZOZOはユーザーと物流会社の間に立っているわけで、現在の物流の抱える問題を、きちんとユーザーや消費者に伝えた上で、ZOZO・物流会社・消費者の3者にとって最適な解決方法を提案していく立場だ。こうした問題は、小さな積み重ねが大事になる。「つくば3」でトラックの待ち時間の短縮をしたり、昨年は「置き配」をデフォルト設定にした。

WWD:「物流2024年問題」は、ファッションやビューティ業界全体としても取り組むべき課題だ。アパレルやコスメ企業との取り組みは?

澤田:まだ検討を始めた段階だが、アパレル企業とはいわゆるミルクラン方式(巡回集荷)の共同配送ができないか、と思っている。今はZOZOの倉庫に製品を入庫する際に、アパレル企業がそれぞれの自社倉庫からバラバラに配送している。トラックは帰りにカラで戻ることになり、効率が悪い。ZOZO側でトラックを手配し、巡回して集荷するようにできればかなり効率的だ。もちろんブランド側にもそれぞれの事情があり、すぐに実現できるわけではないが、これはわれわれが声を上げないと動かない。こうしたことを積み重ねていく。

会社概要

ZOZO

1998年に輸入レコードの通販を目的にスタート・トゥデイ(現ZOZO)を設立。2000年1月に輸入レコードのオンライン通販を開始、04年12月「ゾゾタウン」スタート、07年12月東証マザーズに上場、12年2月東証一部(現東証プライム)に変更、19年9月にヤフー(現LINEヤフー)の傘下入りを発表。23年3月期の業績は商品取扱高5443億円、売上高1834億円、営業利益564億円、経常利益567億円、純利益395億円。従業員数は1677人(平均年齢33.2歳、23年9月時点)

問い合わせ先
ZOZO
お問い合わせフォーム

The post キングZOZO、「似合う」をいよいよ搭載【ZOZO 澤田宏太郎社長】 appeared first on WWDJAPAN.

データ分析を駆使し、感性と数値を融合【マークスタイラー 秋山正則社長】

PROFILE: 秋山正則/マークスタイラー社長

秋山正則/マークスタイラー社長
PROFILE: (あきやま・まさのり)1959年生まれ、神奈川県出身。82年、國學院大学経済学部卒業後、ニコルに入社。セレクトショップを主な取引先とするOEM会社を経て、99年エクシブに入社し「ココルル」企画生産部長、常務取締役に。2001年フェイクデリック(現バロックジャパンリミテッド)で「マウジー」「スライ」の立ち上げと運営に携わる。06年にマークスタイラーに入社し、09年から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

2023年は「守りから攻めへ」を経営テーマに掲げ、アパレルメーカーからデータマーケティング企業への変容を目指したマークスタイラー。データを駆使し、PRや販促策とも連動した独自のMDは、新たな成長をもたらす起爆剤となりそうだ。SNS時代こそのビジネスモデルと若い人材の力で変革を目指す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

独自の商品計画“MMD”を横展開

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年をどのように振り返るか。

秋山正則社長(以下、秋山):24年2月期の売上高は、目標を下回る334億円(前期比6%増)で着地する見込みだ。当社が強みとする顧客売り上げがけん引したことで、コロナ禍中も業績はそこまで落ちなかったが、コロナが明けてからはマス向けのブランドを運営する大手企業に伸び代を持っていかれてしまった面は否めない。外出制限が緩和して実店舗の売り上げは早々に回復したが、ECがやや伸び悩み、回復スピードは想定に届かなかった。

WWD:回復途上の中でも手応えを感じた点はあるか。

秋山:達成したことは大きくは3つある。1つ目は、2年前から注力してきたマークスタイラー流の商品計画(MD)のロジック、“MMD”が完成したこと。店頭とECそれぞれで、商品投入とPR・販促策まで連動した統合システムだ。「リゼクシー(RESEXXY)」「ジェイダ(GYDA)」で先行導入し、数シーズンにわたって検証を重ねてきた。23年中に他ブランドでも横展開を想定していたが、やや遅れている。感性とデータ分析との融合を実現し、24年は横展開を進めていきたい。2つ目は、SNSのデータ解析ツールを導入し、PRと販促の効率を高めたこと。インプレッションやエンゲージメントを徹底的に分析し、起用するインフルエンサーや投稿内容、投稿タイミングなども細かく決め込んでいる。商品がどういう経路で売れたかが可視化できたことで、打ち手が講じやすくなった。3つ目は人材採用だ。マーケティングが整っても、デザイナーがいなければ意味がない。その点、23年はデザイナー採用が非常に順調に進んだ。われわれはファッションが好きでこの仕事を選んだ人間の集まり。会社としてその熱い思いを全うするしかない。引き続き、今後3年はデザインやマーケティングで人材採用を強化する。昨年、当社はアパレル企業からデータマーケティング企業へ変わると宣言したことで、ITやAI関連の企業から売り込みが増えたことはありがたい。採用と関連する話では、販売社員の処遇は既にコロナ禍中に見直したが、ここからさらに上げるためにシミュレーションを重ねている。月5日の在宅ワーク制度や時差勤務の導入、子育て支援制度の充実など、働きやすさ向上のための改革も行った。

WWD:23年の成果を受け、24年に注力するポイントは何か。

秋山:課題は主に2つある。1つは原価高騰を受けてのASEAN生産の拡大だ。23年2月期に5%だったASEAN生産比率を24年2月期は10%まで高めることを目標にしているが、欧米のSPAもASEANに移行しており、8%ほどで着地する見込み。工場との業務提携なども視野に入れながら、26年2月期までに30%にまで高めたい。2つ目は卒業生向けブランドの開発だ。成長した既存ブランド顧客に向けた次のブランド開発が当社は手薄だった。そんな中、21年秋に立ち上げた「エモダ(EMODA)」の卒業生向けレーベル“ベクム(VEQUM)”は好調に推移している。よりモード色が強く一格上の価格帯で、「エモダ」が出店していない商業施設でのポップアップストアも積極的に行っている。同様に、卒業生向けブランド開発を3つほど進めるほか、「アングリッド(UNGRID)」などでブランド内新カテゴリー開発を進める。若い層に向けた低価格業態も構想がある。

WWD:コロナが明け、世の中や業界の価値観も大きく変わっている。

秋山:企業がどう売りたいかではなく、お客さまがどう買いたいのかをより深く考えるべき時代になった。われわれから「これがかわいい」を押し付けるのではなく、お客さまと一緒に進んでいくあり方だ。多様化するお客さまのニーズを把握し、ITやデジタルを積極的に活用し成長していくことは、ファッション業界全体の課題だと感じる。他業界や他企業のマーケティングパッケージをそのまま応用することには意味がない。われわれに合わせてカスタマイズする必要がある。

WWD:カスタマイズしていくために、具体的にどのように客の声を汲み取っているのか。

秋山:優良顧客にご協力いただいて、なぜその商品を買ったのかといった直接的な購入動機に加え、購入前後の心理や購入後の保管方法、そのブランドの何を支持しているのか、どんな暮らし方をしているのかといったことも積極的にヒアリングし、当社だけのデータを集めている。買う前から買った後の行動心理まで全てを含めて、着たいと思わせる要因を作らないといけない。その際、数値が専門のマーケッターは顧客像や売れ筋の分析は細かく提示できるが、論理だけで服については詳しくない。その逆で、デザイナーは服のことはよく分かっていても、数値に疎い。各部署がプロ化しているがゆえに横の連携を失っているともいえる。感性と数値の両立ができる人材を採用していきたいし、社内でも育てていく。強固なロジックがある一方で、遊ぶところは遊ぶというような会社のあり方が理想だ。僕自身、服が好きでこの業界で40年以上も働いている。服は人の気持ちを変えられる。ファッション好きが集まる会社であり続けたい。

会社概要

マークスタイラー
MARK STYLER

2005年設立。「マーキュリーデュオ」や「ムルーア」「エモダ」といったブランド群でヤングウィメンズ向けのファッション市場をけん引。15年から中国系投資ファンド、トラスター・キャピタル・パートナーズ・ジャパン・リミテッドの傘下。15ブランドで155店舗を持つ(23年2月末現在)。23年2月期の売上高は前期比6.4%増の315億円、営業利益は同135.9%増の11億円だった

問い合わせ先
マークスタイラー
お問い合わせフォーム

TEXT:RIE KAMOI

The post データ分析を駆使し、感性と数値を融合【マークスタイラー 秋山正則社長】 appeared first on WWDJAPAN.

データ分析を駆使し、感性と数値を融合【マークスタイラー 秋山正則社長】

PROFILE: 秋山正則/マークスタイラー社長

秋山正則/マークスタイラー社長
PROFILE: (あきやま・まさのり)1959年生まれ、神奈川県出身。82年、國學院大学経済学部卒業後、ニコルに入社。セレクトショップを主な取引先とするOEM会社を経て、99年エクシブに入社し「ココルル」企画生産部長、常務取締役に。2001年フェイクデリック(現バロックジャパンリミテッド)で「マウジー」「スライ」の立ち上げと運営に携わる。06年にマークスタイラーに入社し、09年から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

2023年は「守りから攻めへ」を経営テーマに掲げ、アパレルメーカーからデータマーケティング企業への変容を目指したマークスタイラー。データを駆使し、PRや販促策とも連動した独自のMDは、新たな成長をもたらす起爆剤となりそうだ。SNS時代こそのビジネスモデルと若い人材の力で変革を目指す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

独自の商品計画“MMD”を横展開

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年をどのように振り返るか。

秋山正則社長(以下、秋山):24年2月期の売上高は、目標を下回る334億円(前期比6%増)で着地する見込みだ。当社が強みとする顧客売り上げがけん引したことで、コロナ禍中も業績はそこまで落ちなかったが、コロナが明けてからはマス向けのブランドを運営する大手企業に伸び代を持っていかれてしまった面は否めない。外出制限が緩和して実店舗の売り上げは早々に回復したが、ECがやや伸び悩み、回復スピードは想定に届かなかった。

WWD:回復途上の中でも手応えを感じた点はあるか。

秋山:達成したことは大きくは3つある。1つ目は、2年前から注力してきたマークスタイラー流の商品計画(MD)のロジック、“MMD”が完成したこと。店頭とECそれぞれで、商品投入とPR・販促策まで連動した統合システムだ。「リゼクシー(RESEXXY)」「ジェイダ(GYDA)」で先行導入し、数シーズンにわたって検証を重ねてきた。23年中に他ブランドでも横展開を想定していたが、やや遅れている。感性とデータ分析との融合を実現し、24年は横展開を進めていきたい。2つ目は、SNSのデータ解析ツールを導入し、PRと販促の効率を高めたこと。インプレッションやエンゲージメントを徹底的に分析し、起用するインフルエンサーや投稿内容、投稿タイミングなども細かく決め込んでいる。商品がどういう経路で売れたかが可視化できたことで、打ち手が講じやすくなった。3つ目は人材採用だ。マーケティングが整っても、デザイナーがいなければ意味がない。その点、23年はデザイナー採用が非常に順調に進んだ。われわれはファッションが好きでこの仕事を選んだ人間の集まり。会社としてその熱い思いを全うするしかない。引き続き、今後3年はデザインやマーケティングで人材採用を強化する。昨年、当社はアパレル企業からデータマーケティング企業へ変わると宣言したことで、ITやAI関連の企業から売り込みが増えたことはありがたい。採用と関連する話では、販売社員の処遇は既にコロナ禍中に見直したが、ここからさらに上げるためにシミュレーションを重ねている。月5日の在宅ワーク制度や時差勤務の導入、子育て支援制度の充実など、働きやすさ向上のための改革も行った。

WWD:23年の成果を受け、24年に注力するポイントは何か。

秋山:課題は主に2つある。1つは原価高騰を受けてのASEAN生産の拡大だ。23年2月期に5%だったASEAN生産比率を24年2月期は10%まで高めることを目標にしているが、欧米のSPAもASEANに移行しており、8%ほどで着地する見込み。工場との業務提携なども視野に入れながら、26年2月期までに30%にまで高めたい。2つ目は卒業生向けブランドの開発だ。成長した既存ブランド顧客に向けた次のブランド開発が当社は手薄だった。そんな中、21年秋に立ち上げた「エモダ(EMODA)」の卒業生向けレーベル“ベクム(VEQUM)”は好調に推移している。よりモード色が強く一格上の価格帯で、「エモダ」が出店していない商業施設でのポップアップストアも積極的に行っている。同様に、卒業生向けブランド開発を3つほど進めるほか、「アングリッド(UNGRID)」などでブランド内新カテゴリー開発を進める。若い層に向けた低価格業態も構想がある。

WWD:コロナが明け、世の中や業界の価値観も大きく変わっている。

秋山:企業がどう売りたいかではなく、お客さまがどう買いたいのかをより深く考えるべき時代になった。われわれから「これがかわいい」を押し付けるのではなく、お客さまと一緒に進んでいくあり方だ。多様化するお客さまのニーズを把握し、ITやデジタルを積極的に活用し成長していくことは、ファッション業界全体の課題だと感じる。他業界や他企業のマーケティングパッケージをそのまま応用することには意味がない。われわれに合わせてカスタマイズする必要がある。

WWD:カスタマイズしていくために、具体的にどのように客の声を汲み取っているのか。

秋山:優良顧客にご協力いただいて、なぜその商品を買ったのかといった直接的な購入動機に加え、購入前後の心理や購入後の保管方法、そのブランドの何を支持しているのか、どんな暮らし方をしているのかといったことも積極的にヒアリングし、当社だけのデータを集めている。買う前から買った後の行動心理まで全てを含めて、着たいと思わせる要因を作らないといけない。その際、数値が専門のマーケッターは顧客像や売れ筋の分析は細かく提示できるが、論理だけで服については詳しくない。その逆で、デザイナーは服のことはよく分かっていても、数値に疎い。各部署がプロ化しているがゆえに横の連携を失っているともいえる。感性と数値の両立ができる人材を採用していきたいし、社内でも育てていく。強固なロジックがある一方で、遊ぶところは遊ぶというような会社のあり方が理想だ。僕自身、服が好きでこの業界で40年以上も働いている。服は人の気持ちを変えられる。ファッション好きが集まる会社であり続けたい。

会社概要

マークスタイラー
MARK STYLER

2005年設立。「マーキュリーデュオ」や「ムルーア」「エモダ」といったブランド群でヤングウィメンズ向けのファッション市場をけん引。15年から中国系投資ファンド、トラスター・キャピタル・パートナーズ・ジャパン・リミテッドの傘下。15ブランドで155店舗を持つ(23年2月末現在)。23年2月期の売上高は前期比6.4%増の315億円、営業利益は同135.9%増の11億円だった

問い合わせ先
マークスタイラー
お問い合わせフォーム

TEXT:RIE KAMOI

The post データ分析を駆使し、感性と数値を融合【マークスタイラー 秋山正則社長】 appeared first on WWDJAPAN.

女性事業部長を2倍に、組織を活性化【バロックジャパン 村井博之社長】

PROFILE: 村井博之/バロックジャパンリミテッド社長

村井博之/バロックジャパンリミテッド社長
PROFILE: (むらい・ひろゆき)1961年生まれ、東京都出身。84年立教大学文学部を卒業後、中国国立北京師範大学への留学をへてキヤノンに入社し、中国での支店開設などに携わる。97年に日本エアシステム(現日本航空)でJAS香港社長に就任。2006年にフェイクデリックホールディングス会長兼社長に就任、07年にフェイクデリックホールディングスなど3社を統合しバロックジャパンリミテッド設立。08年から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

中国事業に早くから注力してきたバロックジャパンリミテッドは、中国のゼロコロナ政策で、2022年は足踏み状態となった。コロナの収束と共に23年は回復基調に乗ったが、中国市場の完全回復はもう少し先になりそうだ。今後は国内外で店舗のスクラップ&ビルドを進めていくと共に、手薄だった分野での新ブランド開発も進める。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

チャレンジ精神ある若手を登用

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年は女性登用が目立った。

村井博之社長(以下、村井):事業部長クラス以上で、女性登用を進めている。現在、女性の事業部長は4人、販売統括部長も含めれば5人だ。社員の8割が女性であることを考えれば決して多くはないが、まずは大きな一歩。25年2月期に向けて、この人数を倍にしたい。もともと女性がパワフルな会社であり、販売や企画、PRなどの現場で高い能力を発揮している人材は非常に多い。マネジメント層にも女性が入ることで、試行錯誤をしながら物事を前進させる力が会社として強くなったと感じている。コロナ明けの社会は前に戻るのではなく、これまで経験したことのない世の中になる。そこに迅速に対応できるスピード感のある人、やる気があってチャレンジの意志が強い人をどんどん登用していきたい。植田みずき(常務執行役員)やバロックチャイナ統括の女性幹部はいるが、そういった会社の創成期をけん引してきたメンバーではない、この10年前後で入社した女性社員の抜擢は、23年が一番多かった。

WWD:女性登用による活性化は、どんな成果を生んでいるか。

村井:成長率が大きく、25年2月期に向けて大幅拡大を考えている「スタイルミキサー(STYLEMIXER)」の事業部にも、昨年4月に女性事業部長が就任した。事業部長がチームで一番若く、経験豊富なMDやデザイナーが後輩を盛り立てている。「スライ(SLY)」の事業部も今、同様のチーム編成だ。「スタイルミキサー」は郊外SCへの出店が主だったが、23年3月にリニューアルした原宿の旗艦店「ザ シェルター トーキョー(THE SHEL'TTER TOKYO)」でも売り上げをけん引し、出店先として都心の可能性も出てきた。来期の売上高は大幅増を見込む。

WWD:中国事業はコロナで苦しんだ期間が長かった。

村井:中国は日本や米国に比べて立ち直りに時間はかかったが、いよいよ回復してきた。ただ、都市によって回復具合には差がある。地方都市では一旦店舗数を減らし、北京や上海、天津、杭州、深圳では出店するという、スクラップ&ビルドを進める。モノ作りの面ではASEANでの生産比率を約20%にまで高め、中国に偏っていたサプライチェーンを是正してきた。ただ、中国は販売拠点も多く、日本からの距離も近い。パンデミックが収まったことで、改めて最適なサプライチェーンを構築する。

WWD:中国も国内ブランドが成長して市場環境が大きく変わっている。

村井:中国において、「日本のブランドだから」というだけでは購入の大きなモチベーションにならない。とは言え、当社のブランドは中国で既に一定の規模や認知度がある。一時期は中国に約300店を出店していたが、コロナによって採算性が悪化した店舗を閉鎖し、現在は約270店に縮小した。コロナを経てデベロッパーも勝ち組、負け組が明確になった。これからは従来以上に出店先を精査する。

WWD:24年の消費をどう予測するか。

村井:国内はリベンジ消費が一巡し、特にわれわれが対象としている若年層向けでは、消費は堅実になっていく。人口も減っていく。当社のブランドは決してマス向けではなくニッチだ。ニッチブランドを手掛ける企業として、こうした状況の中でどう収益性を担保していくかを考える必要がある。従来手薄だったゾーンでも積極的なブランド展開を進める。例えば40代向けのマーケットだ。海外は、既に基盤整備が済んでいる中国や米国事業を主力にしつつ、新たな形で事業を広げていきたい。「エンフォルド(ENFOLD)」が22年秋に、新世界百貨店と組んで韓国進出しているのが先行例だ。24年は海外事業についての種まきの時期。「マウジー(MOUSSY)」「スライ」以外のブランドも、順次中国に上陸させていく。

WWD:ニッチな新ブランドとは、具体的にどんなものか。

村井:今までは売上高10億円以下のブランドには積極的に取り組んでこなかった。ただ、嗜好は多様化しており、規模の大きなブランドを目指そうとすると、エッジの利いたデザインや世界観を得意とする当社らしさが生かせない。極端なことを言えば、利益が出ていれば売り上げは10億円でもいい。10億円ブランドが10個あれば100億円だ。ブランドを立ち上げたいという声は社内で非常に多い。20年にスタートした「へリンドットサイ(HERIN.CYE)」で昨年は初の実店舗を新宿ルミネ2に出店し、9月にはEC専業の新ブランド「ミエル クリシュナ(MIEL CRISHUNANT)」をローンチした。

WWD:長い夏や暖冬など、気候変動の影響も年々拡大している。

村井:CO2排出量は、スコープ1、2(店舗やオフィスなど、自社による直接排出と、電力使用などによる間接排出)で30年までに21年度比で50%削減、スコープ3(取引先工場など事業に関連する他社の排出)で衣料品1点あたりの排出量を30年までに20%削減する。作り過ぎも問題だ。30年までの目標として最終残在庫の廃棄ゼロ、焼却ゼロも掲げた。サステナビリティのために何に取り組むか、われわれの中での理解が徐々に深まり、1つ1つアクションプランを達成していく。

会社概要

バロックジャパンリミテッド
BAROQUE JAPAN LIMITED

2000年にフェイクデリックとして設立し、「マウジー」「スライ」が“平成ギャルブーム”をけん引し大ヒット。08年にバロックジャパンリミテッドに商号変更。13年に中国の靴小売り大手ベル・インターナショナルとの合弁会社バロックチャイナを設立し、中国出店を加速。16年に東証1部(現プライム)市場上場。23年2月期の売上高は前期比0.5%減の588億円、営業利益は同21.9%減の21億円

問い合わせ先
バロックジャパンリミテッド広報
03-5738-5775

The post 女性事業部長を2倍に、組織を活性化【バロックジャパン 村井博之社長】 appeared first on WWDJAPAN.

女性事業部長を2倍に、組織を活性化【バロックジャパン 村井博之社長】

PROFILE: 村井博之/バロックジャパンリミテッド社長

村井博之/バロックジャパンリミテッド社長
PROFILE: (むらい・ひろゆき)1961年生まれ、東京都出身。84年立教大学文学部を卒業後、中国国立北京師範大学への留学をへてキヤノンに入社し、中国での支店開設などに携わる。97年に日本エアシステム(現日本航空)でJAS香港社長に就任。2006年にフェイクデリックホールディングス会長兼社長に就任、07年にフェイクデリックホールディングスなど3社を統合しバロックジャパンリミテッド設立。08年から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

中国事業に早くから注力してきたバロックジャパンリミテッドは、中国のゼロコロナ政策で、2022年は足踏み状態となった。コロナの収束と共に23年は回復基調に乗ったが、中国市場の完全回復はもう少し先になりそうだ。今後は国内外で店舗のスクラップ&ビルドを進めていくと共に、手薄だった分野での新ブランド開発も進める。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

チャレンジ精神ある若手を登用

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年は女性登用が目立った。

村井博之社長(以下、村井):事業部長クラス以上で、女性登用を進めている。現在、女性の事業部長は4人、販売統括部長も含めれば5人だ。社員の8割が女性であることを考えれば決して多くはないが、まずは大きな一歩。25年2月期に向けて、この人数を倍にしたい。もともと女性がパワフルな会社であり、販売や企画、PRなどの現場で高い能力を発揮している人材は非常に多い。マネジメント層にも女性が入ることで、試行錯誤をしながら物事を前進させる力が会社として強くなったと感じている。コロナ明けの社会は前に戻るのではなく、これまで経験したことのない世の中になる。そこに迅速に対応できるスピード感のある人、やる気があってチャレンジの意志が強い人をどんどん登用していきたい。植田みずき(常務執行役員)やバロックチャイナ統括の女性幹部はいるが、そういった会社の創成期をけん引してきたメンバーではない、この10年前後で入社した女性社員の抜擢は、23年が一番多かった。

WWD:女性登用による活性化は、どんな成果を生んでいるか。

村井:成長率が大きく、25年2月期に向けて大幅拡大を考えている「スタイルミキサー(STYLEMIXER)」の事業部にも、昨年4月に女性事業部長が就任した。事業部長がチームで一番若く、経験豊富なMDやデザイナーが後輩を盛り立てている。「スライ(SLY)」の事業部も今、同様のチーム編成だ。「スタイルミキサー」は郊外SCへの出店が主だったが、23年3月にリニューアルした原宿の旗艦店「ザ シェルター トーキョー(THE SHEL'TTER TOKYO)」でも売り上げをけん引し、出店先として都心の可能性も出てきた。来期の売上高は大幅増を見込む。

WWD:中国事業はコロナで苦しんだ期間が長かった。

村井:中国は日本や米国に比べて立ち直りに時間はかかったが、いよいよ回復してきた。ただ、都市によって回復具合には差がある。地方都市では一旦店舗数を減らし、北京や上海、天津、杭州、深圳では出店するという、スクラップ&ビルドを進める。モノ作りの面ではASEANでの生産比率を約20%にまで高め、中国に偏っていたサプライチェーンを是正してきた。ただ、中国は販売拠点も多く、日本からの距離も近い。パンデミックが収まったことで、改めて最適なサプライチェーンを構築する。

WWD:中国も国内ブランドが成長して市場環境が大きく変わっている。

村井:中国において、「日本のブランドだから」というだけでは購入の大きなモチベーションにならない。とは言え、当社のブランドは中国で既に一定の規模や認知度がある。一時期は中国に約300店を出店していたが、コロナによって採算性が悪化した店舗を閉鎖し、現在は約270店に縮小した。コロナを経てデベロッパーも勝ち組、負け組が明確になった。これからは従来以上に出店先を精査する。

WWD:24年の消費をどう予測するか。

村井:国内はリベンジ消費が一巡し、特にわれわれが対象としている若年層向けでは、消費は堅実になっていく。人口も減っていく。当社のブランドは決してマス向けではなくニッチだ。ニッチブランドを手掛ける企業として、こうした状況の中でどう収益性を担保していくかを考える必要がある。従来手薄だったゾーンでも積極的なブランド展開を進める。例えば40代向けのマーケットだ。海外は、既に基盤整備が済んでいる中国や米国事業を主力にしつつ、新たな形で事業を広げていきたい。「エンフォルド(ENFOLD)」が22年秋に、新世界百貨店と組んで韓国進出しているのが先行例だ。24年は海外事業についての種まきの時期。「マウジー(MOUSSY)」「スライ」以外のブランドも、順次中国に上陸させていく。

WWD:ニッチな新ブランドとは、具体的にどんなものか。

村井:今までは売上高10億円以下のブランドには積極的に取り組んでこなかった。ただ、嗜好は多様化しており、規模の大きなブランドを目指そうとすると、エッジの利いたデザインや世界観を得意とする当社らしさが生かせない。極端なことを言えば、利益が出ていれば売り上げは10億円でもいい。10億円ブランドが10個あれば100億円だ。ブランドを立ち上げたいという声は社内で非常に多い。20年にスタートした「へリンドットサイ(HERIN.CYE)」で昨年は初の実店舗を新宿ルミネ2に出店し、9月にはEC専業の新ブランド「ミエル クリシュナ(MIEL CRISHUNANT)」をローンチした。

WWD:長い夏や暖冬など、気候変動の影響も年々拡大している。

村井:CO2排出量は、スコープ1、2(店舗やオフィスなど、自社による直接排出と、電力使用などによる間接排出)で30年までに21年度比で50%削減、スコープ3(取引先工場など事業に関連する他社の排出)で衣料品1点あたりの排出量を30年までに20%削減する。作り過ぎも問題だ。30年までの目標として最終残在庫の廃棄ゼロ、焼却ゼロも掲げた。サステナビリティのために何に取り組むか、われわれの中での理解が徐々に深まり、1つ1つアクションプランを達成していく。

会社概要

バロックジャパンリミテッド
BAROQUE JAPAN LIMITED

2000年にフェイクデリックとして設立し、「マウジー」「スライ」が“平成ギャルブーム”をけん引し大ヒット。08年にバロックジャパンリミテッドに商号変更。13年に中国の靴小売り大手ベル・インターナショナルとの合弁会社バロックチャイナを設立し、中国出店を加速。16年に東証1部(現プライム)市場上場。23年2月期の売上高は前期比0.5%減の588億円、営業利益は同21.9%減の21億円

問い合わせ先
バロックジャパンリミテッド広報
03-5738-5775

The post 女性事業部長を2倍に、組織を活性化【バロックジャパン 村井博之社長】 appeared first on WWDJAPAN.

主要ブランドが絶好調「数字」に捉われず価値を追求【マッシュHD 近藤広幸社長】

PROFILE: 近藤広幸/マッシュホールディングス社長

近藤広幸/マッシュホールディングス社長
PROFILE: (こんどう・ひろゆき)1975年8月6日生まれ、茨城県出身。98年にグラフィックデザインを手掛けるスタジオ・マッシュを設立、99年にマッシュスタイルラボに社名変更。2005年にファッション事業部を立ち上げ、ビューティ、フード、スポーツ&ウェルネスなどに事業を拡大。12年にマッシュホールディングスを設立し、現職 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

マッシュホールディングスは2023年8月期、ファッション事業の主力ブランドの「ジェラート ピケ」が300億円、「スナイデル」が200億円、「ミラ オーウェン」が100億円、「リリー ブラウン」が50億円と、それぞれ節目の数字を踏み超えた。創業から25年。マッシュグループを国内ウィメンズ市場のリーダー的存在に育て上げた、近藤広幸社長の次なる一手とは。 (この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

“ハッピー”を作る熱意を原動力に

WWDJAPAN(以下、WWD):23年は創業25年という節目の年だった。

近藤広幸社長(以下、近藤):ファッション事業では主力ブランドが軒並み節目の数字を超え、手応えを感じられる1年だった。誕生から15年目を迎えた「ジェラート ピケ」が300億円の大台を突破した。武器になったのはコラボレーション。特に、「ポケモンスリープ」との協業は、ポケモンになりきれるかわいらしいルームウエアで大きな話題を作れた。単に売り上げという“数字”目的では、実現しなかった協業だ。これまでも、おうちの中での時間をハッピーにしたいという思いを熱意を持って伝えてきたからこそ、相手先さまと手を携えることができてきた。今後は、海外でもブランドの魅力を伝え、新たな成長のエンジンにしたい。

WWD:「リリー ブラウン」(以下、リリー)と「ミラ オーウェン」(以下、ミラ)の両ブランドが、ともに売上高が前期比22%増と好調だ。

近藤:それぞれのブランドの強みと届けるべき価値に立ち返り、力強く息を吹き返すことができた。「リリー」は、売上高がコロナ前のピークを超える54億円と絶好調。21年夏のリブランディング後、“ヴィンテージ フィーチャー ドレス”というコンセプトに回帰しながら、トレンドを加味したモノ作りを進めたことが結果につながっている。売上高が100億を超えた「ミラ」も、“ネクストベーシック”“ロープライスラグジュアリー”というブランドコンセプトに立ち返り、生地から縫製、パターンまで、価格に対するモノの良さを改めて追求したことが、好成績につながった。数字は確かな手応えとなり、社員の自信と日々の仕事に向かうビタミン剤になっている。

WWD:ブランドを育てる上で大切にしていることは。

近藤:ブランドコンセプトを大切にしつつ、まずは売上高25億円に到達すること。市場での存在感とそれを支えてくださるファンが生まれ、ブランドとしてやるべきことが明確になってくるフェーズだ。だが数字にとらわれすぎると大事なものを見失う。売上高を大きくすることがすべてではなく、「何を届けたいか」がはっきりしていなければお客さまはついてこない。

「ミラ」は当初より売上高200億円を目標に掲げている。規模を拡大すれば、スケールメリットによりさらに値ごろで質の良い商品を届けられる。ブランドの価値を追求する上では理にかなっているし、スタッフもさらなる高みを目指して燃えている。一方、「リリー」はむやみに店舗を増やしてしまうと、ブランドの個性が薄まってしまうだろう。50億円を達成した今、どういったベクトルに向かっていくべきなのかを見極めている。

WWD:メンズ事業の進捗は。

近藤:メンズ事業の合計売上高は「バブアー」などのライセンス事業を含めると、72億円。そのうち、当社のオリジナルブランドである「ジェラート ピケ オム」と「アウール」が同30%増の55億円だ。オリジナルブランドだけで100億円を目指したい。メンズ事業の成長とともに、ブランドの入れ替わりが少ない百貨店メンズフロアの景色を変えたいという思いがある。実際、お客さまの潜在需要は大きい。ブランドがしっかり独自性を発揮できれば、有力な選択肢の1つになれる。

WWD:飲食事業も初の営業黒字となった。

近藤:フード事業は売上高34億円。次の目安となる50億円に向けてさらに進化していく。当社初となるフード業態、「ジェラート ピケ カフェ」の立ち上げから10年。苦労することもたくさんあったが、“ウェルネスデザイン”を掲げるマッシュグループにとって、飲食はなくてはならないものだと信じて続けてきた。かつてビューティ事業の黒字化にも、7年を費やした。今回も「諦めの悪い」僕たちが、覚悟を持って、粘り強く貫いた成果だと思っている。

WWD:資本提携を結んだ米国の投資ファンド、ベインキャピタルとのシナジーによる海外戦略は。

近藤:ここ数年はコロナの影響で守りに徹してきた部分が大きい。特に今後の海外戦略の足がかりとなるであろう中国は、これまで従業員の雇用を守ることに必死だった。今年はやや古びてしまった既存店舗の改装投資に力を入れる。現地のお客さまには、改めてブランドの世界観と魅力を思い出していただきたい。

WWD:24年8月期は売上高が前期比8%増の1230億円を見込む。

近藤:前年比のクリアは指針として分かりやすいが、成長を追い求めるあまり「何のために仕事をしているのか」が抜け落ちては、やるべきことがブレてしまう。ブランドを通してお客さまを常に喜ばせたいという気持ちは変わらない。変わりゆく社会を忠実に捉え、答え合わせをしながら、情熱を持ってモノ作りをしていく。24年はパリ五輪の開催もあり、明るいムードになる。世の中の気分を盛り上げる商品を作り、お客さまの元気や幸せを後押しする支援を続けたい。

会社概要

マッシュホールディングス
MASH HOLDINGS

1998年、グラフィックデザイン会社として設立。2005年に「スナイデル」を立ち上げファッション事業に参入。「ウェルネスデザイン」のスローガンの下、ビューティやフードにも裾野を拡大。23年8月期売上高は前期比11%増の1134億円。営業利益は非開示だが、98億円の黒字だった前期からは増益し、3期連続の増収増益を記録している

問い合わせ先
マッシュホールディングス
お問い合わせフォーム

TEXT:RIE KAMOI

The post 主要ブランドが絶好調「数字」に捉われず価値を追求【マッシュHD 近藤広幸社長】 appeared first on WWDJAPAN.

主要ブランドが絶好調「数字」に捉われず価値を追求【マッシュHD 近藤広幸社長】

PROFILE: 近藤広幸/マッシュホールディングス社長

近藤広幸/マッシュホールディングス社長
PROFILE: (こんどう・ひろゆき)1975年8月6日生まれ、茨城県出身。98年にグラフィックデザインを手掛けるスタジオ・マッシュを設立、99年にマッシュスタイルラボに社名変更。2005年にファッション事業部を立ち上げ、ビューティ、フード、スポーツ&ウェルネスなどに事業を拡大。12年にマッシュホールディングスを設立し、現職 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

マッシュホールディングスは2023年8月期、ファッション事業の主力ブランドの「ジェラート ピケ」が300億円、「スナイデル」が200億円、「ミラ オーウェン」が100億円、「リリー ブラウン」が50億円と、それぞれ節目の数字を踏み超えた。創業から25年。マッシュグループを国内ウィメンズ市場のリーダー的存在に育て上げた、近藤広幸社長の次なる一手とは。 (この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

“ハッピー”を作る熱意を原動力に

WWDJAPAN(以下、WWD):23年は創業25年という節目の年だった。

近藤広幸社長(以下、近藤):ファッション事業では主力ブランドが軒並み節目の数字を超え、手応えを感じられる1年だった。誕生から15年目を迎えた「ジェラート ピケ」が300億円の大台を突破した。武器になったのはコラボレーション。特に、「ポケモンスリープ」との協業は、ポケモンになりきれるかわいらしいルームウエアで大きな話題を作れた。単に売り上げという“数字”目的では、実現しなかった協業だ。これまでも、おうちの中での時間をハッピーにしたいという思いを熱意を持って伝えてきたからこそ、相手先さまと手を携えることができてきた。今後は、海外でもブランドの魅力を伝え、新たな成長のエンジンにしたい。

WWD:「リリー ブラウン」(以下、リリー)と「ミラ オーウェン」(以下、ミラ)の両ブランドが、ともに売上高が前期比22%増と好調だ。

近藤:それぞれのブランドの強みと届けるべき価値に立ち返り、力強く息を吹き返すことができた。「リリー」は、売上高がコロナ前のピークを超える54億円と絶好調。21年夏のリブランディング後、“ヴィンテージ フィーチャー ドレス”というコンセプトに回帰しながら、トレンドを加味したモノ作りを進めたことが結果につながっている。売上高が100億を超えた「ミラ」も、“ネクストベーシック”“ロープライスラグジュアリー”というブランドコンセプトに立ち返り、生地から縫製、パターンまで、価格に対するモノの良さを改めて追求したことが、好成績につながった。数字は確かな手応えとなり、社員の自信と日々の仕事に向かうビタミン剤になっている。

WWD:ブランドを育てる上で大切にしていることは。

近藤:ブランドコンセプトを大切にしつつ、まずは売上高25億円に到達すること。市場での存在感とそれを支えてくださるファンが生まれ、ブランドとしてやるべきことが明確になってくるフェーズだ。だが数字にとらわれすぎると大事なものを見失う。売上高を大きくすることがすべてではなく、「何を届けたいか」がはっきりしていなければお客さまはついてこない。

「ミラ」は当初より売上高200億円を目標に掲げている。規模を拡大すれば、スケールメリットによりさらに値ごろで質の良い商品を届けられる。ブランドの価値を追求する上では理にかなっているし、スタッフもさらなる高みを目指して燃えている。一方、「リリー」はむやみに店舗を増やしてしまうと、ブランドの個性が薄まってしまうだろう。50億円を達成した今、どういったベクトルに向かっていくべきなのかを見極めている。

WWD:メンズ事業の進捗は。

近藤:メンズ事業の合計売上高は「バブアー」などのライセンス事業を含めると、72億円。そのうち、当社のオリジナルブランドである「ジェラート ピケ オム」と「アウール」が同30%増の55億円だ。オリジナルブランドだけで100億円を目指したい。メンズ事業の成長とともに、ブランドの入れ替わりが少ない百貨店メンズフロアの景色を変えたいという思いがある。実際、お客さまの潜在需要は大きい。ブランドがしっかり独自性を発揮できれば、有力な選択肢の1つになれる。

WWD:飲食事業も初の営業黒字となった。

近藤:フード事業は売上高34億円。次の目安となる50億円に向けてさらに進化していく。当社初となるフード業態、「ジェラート ピケ カフェ」の立ち上げから10年。苦労することもたくさんあったが、“ウェルネスデザイン”を掲げるマッシュグループにとって、飲食はなくてはならないものだと信じて続けてきた。かつてビューティ事業の黒字化にも、7年を費やした。今回も「諦めの悪い」僕たちが、覚悟を持って、粘り強く貫いた成果だと思っている。

WWD:資本提携を結んだ米国の投資ファンド、ベインキャピタルとのシナジーによる海外戦略は。

近藤:ここ数年はコロナの影響で守りに徹してきた部分が大きい。特に今後の海外戦略の足がかりとなるであろう中国は、これまで従業員の雇用を守ることに必死だった。今年はやや古びてしまった既存店舗の改装投資に力を入れる。現地のお客さまには、改めてブランドの世界観と魅力を思い出していただきたい。

WWD:24年8月期は売上高が前期比8%増の1230億円を見込む。

近藤:前年比のクリアは指針として分かりやすいが、成長を追い求めるあまり「何のために仕事をしているのか」が抜け落ちては、やるべきことがブレてしまう。ブランドを通してお客さまを常に喜ばせたいという気持ちは変わらない。変わりゆく社会を忠実に捉え、答え合わせをしながら、情熱を持ってモノ作りをしていく。24年はパリ五輪の開催もあり、明るいムードになる。世の中の気分を盛り上げる商品を作り、お客さまの元気や幸せを後押しする支援を続けたい。

会社概要

マッシュホールディングス
MASH HOLDINGS

1998年、グラフィックデザイン会社として設立。2005年に「スナイデル」を立ち上げファッション事業に参入。「ウェルネスデザイン」のスローガンの下、ビューティやフードにも裾野を拡大。23年8月期売上高は前期比11%増の1134億円。営業利益は非開示だが、98億円の黒字だった前期からは増益し、3期連続の増収増益を記録している

問い合わせ先
マッシュホールディングス
お問い合わせフォーム

TEXT:RIE KAMOI

The post 主要ブランドが絶好調「数字」に捉われず価値を追求【マッシュHD 近藤広幸社長】 appeared first on WWDJAPAN.

地域に利益を還元しながら、社会をより良くする【シロ 福永敬弘社長】

PROFILE: 福永敬弘/シロ社長

福永敬弘/シロ社長
PROFILE: (ふくなが・たかひろ)1973年広島生まれ。大学卒業後、リクルートに入社。雑誌編集長やメディアプロデュース責任者などを経て、2014年にシロに入社。経営全般の戦略立案や、新規・海外事業の実行を担当。16年、専務取締役に就任。21年、社長に就任した PHOTO : TAMEKI OSHIRO

シロは2023年4月、創業の地である北海道砂川市にモノ作りと環境、観光をテーマにした付帯施設「みんなの工場」をオープン。同市の活性化を目的に、砂川市民と子どもたちを主役に進めてきた町づくり“みんなのすながわプロジェクト”にとって、シンボリックな存在が完成した。「みんなの工場」は全面ガラス張りで、同社が大切にする透明性を発信。今井浩恵会長は社会課題の解決と経済性の両立に挑む起業家としてアワードを受賞するなど、再び注目度が高まっている。福永敬弘社長に23年を振り返ってもらった。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

創業地の北海道・砂川で
市民と進める町づくり

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年は、念願の体験型複合施設「みんなのすながわプロジェクト」が形になった。

福永敬弘シロ社長(以下、福永):形になり、人流が生まれ、砂川市民のみなさんや行政から一定の理解を得られるようになった。とはいえ4月末のオープン以来、施設への来場者数は23万人。年間150万人の計画にはほど遠い。コンテンツの拡張など、やるべきことは多い。

WWD:当初から、「形になれば、理解していただけることがある」の一方、「形になって、新たに見える課題もある」と言っていた。

福永:市民の皆さんの反応は、間違いなくポジティブになった。いくら砂川市全体の活性化のためとは言え、オープン前の民間企業による施設は皆さんにとって「得体のしれないもの」。だがオープンして人流が生まれ、「みんなの工場」だけでなく、近隣のトンカツ屋まで含め、点ではなく線で潤ってきた。すると違和感や不安は払拭されていく。

WWD:一方の課題は?

福永:一番は交通インフラだ。駅から歩ける距離ではないのでシャトルバスを運行しているが、1時間に1本では足りない。レンタカーなどでの来場が増えれば、駐車場の拡充も必要だろう。砂川市だけではなく、鉄道会社との協議が必要になる。「みんなの工場」の雇用も課題だ。今は「シロ(SHIRO)」のブランド力で、従業員には砂川市に移住してもらっている。新規採用と異動をあわせて40人強、新卒も6人、砂川市で働き始めてくれた。われわれの「ふるさと納税」による税収アップで、砂川市の子どもの医療費が来年、高校生まで無料になるのは移住の一助になった。地域とブランドで町を共創する関係性が生まれつつある。今までの砂川市は、「旭川に行くとき、通過する町」。行政とは、こんな現状に歯止めをかけたいと話している。タッグを組んで、遊べて、滞在できる町にしたい。来年以降は、市内の砂川パークホテルの改装に着手する。年間6000万円の赤字ホテルに20億円を投資して、砂川市のコミュニティスペースに変える。町が変われば、付近の住民も変わるだろうし、新しい発想を持つ移住者が増える。周囲の飲食施設も変われば、砂川市に滞在する時間が楽しくなり、地元の充実は「みんなの工場」の雇用に寄与する。地元の牛乳を使ったソフトクリームなどの小さなソフトから、ホテルを筆頭とする大規模なハードまで。利益を地域に還元しながら、「シロ」の故郷から世の中、社会をより良くするビジネスに挑む。

WWD:訪れているのは、どんな人?

福永:約6万人が道外からだ。売り上げは、周辺人口は最も少ないのに全31店舗の中で「圧倒的1番店」。インバウンド的な特需はなく、ローレル時代からのファンも多い。

WWD:砂川を含め、23年の商況は?

福永:売上高は、前年比13.2%増。客数も同13%増で、年間のお買い上げ客数は300万人を超えた。過去数年は新規:リピートが65:35だったが、今年は逆転。リピーターが過半数を超えた。3年に及んだコロナ禍で接客できなかった状況が改善され、220SKUの中からニーズに合う商品をご案内できるようになったのが大きい。引き続きフレグランスの売り上げが過半数を占めており、むしろシェアは増加しているが、スキンケアやメイクアップも成長している中、フレグランスの勢いが上回っているだけのこと。日本の香水市場に風穴を開けた自負もあるのでネガティブには捉えていない。一方、23年はスキンケアで10、コスメティックで28アイテムを新商品として発売した。今後もプロダクトアウトを続けることで、フレグランスとスキンケア、メイクアップの理想的なバランスを探りたい。

WWD:23年は、「ふるさと納税」にも積極的だった。

福永:昨年は8億円の寄付額を集めた。砂川市の他、ラワンぶきを調達している同じ北海道の足寄(あしょろ)町、酒かすを頂戴している北海道夕張郡栗山町の3市町で、産地の素材を原材料に使っている商品を「ふるさと納税」の返礼品に選んでいただいている。砂川市の子どもの医療費と給食費が無料になるのは、われわれの「ふるさと納税」の返礼品による税収アップによるもの。「ふるさと納税」は大都市に集まりがちなお金を地方にまわし、行政の施策にまで反映できる可能性を感じている。

WWD:新たな販路では、アジアでの拡販にも意欲的だ。

福永:現在、海外売り上げのシェアは全体の2%弱。9月に実店舗を立ち上げた台湾、ようやく商標権が決着して越境ECがスタートした中国は、年間2億円前後の売り上げを見込んでいる。海外においては、さまざまな国々からオファーをいただいている。薬事などにもスピーディーに対応できるのは、工場を持つ私たちの強み。24年は、韓国やタイなどで本格的なビジネスが始まるだろう。

会社概要

シロ
SHIRO

自社内に製品の開発から販売まで全ての機能を持ち、創業当初からエシカルな信念に基づくモノづくりを続けている。国内外で見つけた素材の力を最大限に引き出すスキンケア、メイク、フレグランスを提案。日本全国に展開するほか、ロンドンや台湾に実店舗を構え、米国や中国ではEC販売を行う。製品に使う素材同様、厳選した食のセレクト「シロ ライフ」、素材のおいしさを伝える「シロ カフェ」、美しさを体感できるサロン「シロ ビューティー」などの業態も手掛けている。2021年6月から「みんなのすながわプロジェクト」を推進。23年4月には新工場と付帯施設を含む「みんなの工場」をオープン。今春、北海道の長沼町に一棟貸しの宿泊施設「MAISON SHIRO」の開業を目指す

問い合わせ先
シロ カスタマーサポート
info@shiro-shiro.jp

The post 地域に利益を還元しながら、社会をより良くする【シロ 福永敬弘社長】 appeared first on WWDJAPAN.

進化したウェルネスビューティを未来へ 【マッシュビューティーラボ 豊山YAMU陽子社長】

PROFILE: 豊山YAMU陽子/マッシュビューティーラボ社長

豊山YAMU陽子/マッシュビューティーラボ社長
PROFILE: (とよやま・やむ・ようこ)2005年にマッシュスタイルラボのファッション事業の立ち上げに参加し、「スナイデル(SNIDEL)」「ジェラート ピケ(GELATO PIQUE)」「フレイ アイディー(FRAY I.D)」「リリー ブラウン(LILY BROWN)」といった主力ファッションブランドの成長・拡大に寄与。マッシュスタイルラボ取締役を経て、23年4月1日より現職。リテール企画本部長を兼任し、「コスメキッチン(COSME KITCHEN)」「ビープル(BIOPLE)」など小売業態の売り場編集力と企画力の底上げを図る PHOTO:YUKIE SUGANO

マッシュビューティーラボは「コスメキッチン」「ビープル」を柱に日本のナチュラル&オーガニック市場を長年リードしてきた。2023年4月にマネジメント層の人事を刷新。数々のファッションブランドを育てあげてきた豊山YAMU陽子氏が社長に就任。推進力のある新組織体制のもと、次なるステージへと向かう。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「心地いいイノベーション」を推進し、話題性と消費者に届ける幸せを最大化

WWDJAPAN(以下、WWD):社長就任から半年以上が経過した。

豊山YAMU陽子社長(以下、豊山):当社は人の24時間を豊かにし、笑顔を届ける「ウェルネスデザイン」をグループスローガンに掲げており、大きな役割を果たすビューティ事業を担うことに身の引き締まる思いだ。その中でナチュラル・オーガニックビューティ業界の方々は、われわれと深くつながりながら、そのプレッシャーを取り払ってくれて感謝している。

WWD:就任時に感じた課題への取り組みは?

豊山:今、クリーンビューティなどさまざまな言葉が飛び交っているが、枠にとらわれない新しいオーガニックビューティを私たちが提案しなければと感じている。古来のオーガニックの素晴らしさを伝えるのも使命だが、その一方で、時代の流れと共にオーガニックの伝え方にも多様性が必要になっている。ファッション分野出身の私には、それを具現化することが期待されていると日々痛感している。私は「心地いいイノベーション」を得意としてきた。オーガニックという変わらない価値を届けつつ、話題性を作りお客さまに届ける幸せを最大化させたい。

WWD:2023年の業績を振り返っての感想は?

豊山:22年8月期の売上高は164億円(エコストアジャパンを含む。以下同)で、23年は172億円。24年は185億円を目標とする。その中で、「ビープル」が前年比10%増と順調に推移している。食品やサプリメントなどインナービューティを主力とする事業だが、コロナ禍を経験したことでインナーケアに対する人々の意識が高まった結果だと思う。また、インバウンドのお客さまがメイド・イン・ジャパンの食品を大量買いされるケースも目立つ。22年2月、屋号からコスメキッチンの名を外したが、「ビープル」はどんな店なのかお客さまにしっかり浸透した。サプリメントだとハードルが高いお客さまでも、ちょっとしたドリンクやお菓子などからインナーケアをスタートできる。そんなコミュニケーションができるのが「ビープル」の面白さ。最近は、出店依頼も多くいただいている。また、24年は世界有数のトラフィックを誇るターミナル駅構内へ「ビープル」の新業態を出店予定だ。東京には今、世界中から観光客が戻り、ビーガンなど多種多様な人も多い。そこでは、その人たちが気軽に買い物できる場所を提供するという新たなミッションを与えてもらった。

WWD:22年にブランド事業部を立ち上げ、プライベートブランドの見直しを図ったが、23年の売り上げ状況は?

豊山:「セルヴォーク(CELVOKE)」「トーン(TO/ONE)」は横ばいで、「スナイデル ビューティ(SNIDEL BEAUTY)」が前年比39%増と成長した。店舗限定商品が大きな話題となり、即日完売のニュースが何度も届いた。店舗限定は大変だが、お客さまからもデベロッパーからも期待は大きく、最近は海外からのオファーも増えている。そのようなステージに至ったことがうれしいし、苦労のかいがある。

WWD:23年7月、「トリロジー(TRILOGY)」との総販売代理店契約も話題になった。

豊山:契約後リローンチした際は、「肌を輝かせる、赤のオーガニック」というコンセプトを打ち出し、関わる全員でそのベクトルに向かうコミュニケーションを実現したことが功を奏した。主力商品である“ローズヒップオイル”は価格を少し下げたこともあるが、リローンチ後の9〜11月の売り上げは前年比354%増に。現在、マッシュグループ全体で、ブランドの理念に共感・リスペクトし、その歴史を重んじながら世に発信していくライセンス事業に力を注いでおり、「トリロジー」もその一つ。われわれは未来につながるウェルネスビューティを育てるのがミッションだと思っている。

WWD:デジタルとリアル店舗のバランスと施策は?

豊山:グループ全体で23年8月期のEC比率は33%。24年デジタルは最も注力したいポイントの一つだ。デジタルコミュニケーションは大きな課題で、優秀なスタッフをアサインして、変革するプロジェクトを昨年キックオフした。接客の熱量が届けづらいデジタルでは、起爆剤として価格商戦に手を伸ばしがちだ。それでは本来私たちが伝えたいことが伝わらないと気付き、売上高を上げると同時に、今後は目的を明確にしたPR訴求に切り替えていく。ウェルネスをキーワードに、ファッションとビューティをつなげた訴求をデジタルで挑戦したい。

WWD:24年のアクションは?

豊山:2月に「エッフェオーガニック(F ORGANICS)」をリニューアルするので、まずはそれを成功させたい。素晴らしいオーガニックスキンケアを作っていると自負しているので、現在シリーズで約9億5000万円の売り上げを25億円規模に成長させるため、多様性を備えたブランドに進化させる。また、20周年を迎える「コスメキッチン」はすでに確固たるイメージがあると思うが、新たなライフスタイルを発信する新生コスメキッチンとして、さまざまなチャレンジを行っていく。2月にリニューアルする「エッフェオーガニック」を皮切りに、新しい形のウェルネスビューティを提案する。

会社概要

マッシュビューティーラボ
MASH BEAUTY LAB

マッシュグループの傘下として2010年に設立。ナチュラル&オーガニックコスメのセレクトショップ「コスメキッチン」や「メイクアップキッチン(MAKEUP KITCHEN)」、コスメに加え食品やインナーケアアイテムをそろえる「ビープル」を運営する。「セルヴォーク」「トーン」「スナイデル ビューティ」などプラベートブランドも充実し、22年に発表した「ミティア オーガニック(MITEA ORGANIC)」ではファミリーマートと協業。「ミートゥデイ(ME TODAY)」「トリロジー」などと独占販売契約を締結している

問い合わせ先
マッシュビューティーラボ
お問い合わせフォーム

TEXT:YOSHIE KAWAHARA

The post 進化したウェルネスビューティを未来へ 【マッシュビューティーラボ 豊山YAMU陽子社長】 appeared first on WWDJAPAN.

独創性ある本物の製品を武器に、グローバルカンパニーへ【ヤーマン 山﨑貴三代社長】

PROFILE: 山﨑貴三代/ヤーマン社長

山﨑貴三代/ヤーマン社長
PROFILE: (やまざき・きみよ)大学卒業後、ヤーマンに入社。マーケティング部門や海外部門を経て、1999年に社長に就任。日本で初めてミネラルコスメを市場に投入し、化粧品市場の新カテゴリーを開拓した。美顔器をはじめ、ヘアケアやオーラルケアなど幅広く美容機器を展開し、美容機器市場をリードするヒット商品を世に送り出す。メーカーとしてモノ作りに真摯に取り組み、効果実感を生み出すテクノロジーの開発を使命に掲げる PHOTO:SHUNICHI ODA

スローガンに「美しくを、変えていく。」を掲げるヤーマンは、美容機器を日常的に使用するという新しい美容習慣を提案し、ヒット商品を世に生み出してきた。世界40の国と地域で展開し市場を拡大する中、グローバルブランドとしてさらに成長するための拠点として、初の旗艦店「ヤーマン ザ ストア ギンザ(YA-MAN the store GINZA)」を2023年11月にオープンした。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

“ゴーインググローバル”の拠点が
昨年11月、銀座に完成

WWDJAPAN(以下、WWD):設立45周年の23年をどう振り返るか?

山﨑貴三代社長(以下、山﨑):11月に当社の全製品をそろえる初の旗艦店をオープンできた。長い間さまざまな場所を検討したが、世界から人が集う銀座、そして大通りに面した1階にこだわって物件を探し、われわれが目指す“ゴーインググローバル”の拠点となる場が完成した。1、2階で構成し、2階には顔専門のトレーニングジム「フェィス・リフト・ジム」を設け、長年の表情筋研究から生まれたメソッドを体感していただける。1階中央には、5148個のLEDをあしらった“美肌光ステーション”を設置。当社の美容機器に使用するLEDを全身で浴びることができる。

WWD:22年に研究開発拠点「表情筋研究所」を開設したが成果は?

山﨑:表情筋研究所は5年で100億円の投資が決定しており、昨年はスペースも2倍に拡張し研究者の数も増えた。さまざまな知見を持つ研究者がチームに加わり、検証実験環境も整備したことで、それまで外部に依頼していた細胞試験なども自社でできるようになり、研究スピードが上がった。美容機器のテクノロジーだけでなく、化粧品との融合など、機器と化粧品の両方を展開するわれわれにしかできない開発を進め、新たな潮流を作るのが使命だと思っている。旗艦店「ヤーマン ザ ストア ギンザ」のフェィス・リフト・ジムでは肌データを収集し、表情筋研究所にフィードバックして、そこから新たな研究開発につなげる。旗艦店オープン時に先行発売した、ウエアラブルLED美顔器“ブルーグリーンマスク”や、6月に発売した愛用スキンケア化粧品を最適な波形で浸透させるAI美顔器“ハケイ”は表情筋研究所の研究成果から生まれた。

WWD:商品やカテゴリーで、23年の売り上げをけん引したのは?

山﨑:美顔器は10万円以上の高価格帯のものが好調だ。美顔器市場全体を正確な数字で把握するのは難しいが、23年は、店頭は前年比30〜50%増で伸長している印象だ。化粧品にお金をかけるより美顔器に投資、という動きが見られる。22年はヘアケア製品やオーラルケア製品、メンズシェイバーなど、カテゴリーを横へ広げ順調に推移した。今後はこれをどう進化させ、深めていくかが重要だ。

WWD:目元のリフトアップにフォーカスした11月発売の美顔器も今までになかった製品として話題を呼んでいる。

山﨑:日本初※1の伸びる電極シートによる目元用美顔器“デザインリフト”は大変好評をいただいている。この製品は、高い伸縮性と通電性を両立した新素材「ストレッチフィットシート」を採用し、抜群のフィット感がEMS(電気刺激)で眼輪筋や側頭筋にアプローチするもの。高い技術力を持つ日本ならではの新素材と出合い、当社が独自研究により美容機器に応用し誕生した。「あっ!」と驚く提案をし続けていることがわれわれの強みだ。

WWD:“ゴーインググローバル”を掲げているが、海外事業の進捗は?

山﨑:23年6月に、ウエアラブルEMS美顔器“メディリフト プラス”が米国FDA(アメリカ食品医薬品局)の認可を取得し、秋にECやメディカルスパでの展開をスタートした。海外事業は、今後これがどう推移していくかが非常に重要になる。また中国では、Tモールの11月11日(独身の日)セールでブランド別美容機器部門販売実績2位を獲得した。処理水問題などの影響もあり中国ブランドに1位を譲ったが、中国では15年からブランディングに注力し今に至り、「美容機器を買うならヤーマン」との声を多くいただいている。今後は現地百貨店への出店などオフライン展開にも力を入れていく。国によって主戦場となるチャネルは異なるが、海外ビジネスは米国と中国がカギとなる。

WWD:サステナビリティ分野での取り組みはどうか。

山﨑:サステナブルな取り組みの一環として、旗艦店「ヤーマン ザ ストア ギンザ」では、当社製品以外も含めて使わなくなった美顔器やヘアドライヤーなどの美容機器の回収プログラムをスタートした。不要な美容機器を持ち込んでくれた人には、購入金額から割り引きするサービスを提供する。肌や髪の悩みは年齢により変化し、必要なケアや商品も変わる。このプログラムが使っている美容機器の買い替えや最新機種に興味を持つきっかけになればと願っている。

WWD:24年の目標と実現のための具体的な施策は?

山﨑:“ゴーインググローバル”を推進し、25年に売上高500億円を目指す。その達成のために一番重要なのは、メーカーとして全身全霊でモノ作りに取り組むこと。常にお客さまのニーズを深掘りし、メーカーとして提供するべき真実を追求し、“本物”を作り続けてお客さまに届けるのがわれわれの仕事だ。“本物”というのは、志と独創性溢れる製品のこと。24年も日本発の美容機器&化粧品メーカーであるわれわれにしかできない大型新製品を発表する予定なので、ぜひ期待してほしい。

※1 日本マーケティングリサーチ機構調べ。調査概要:2023年10月期、日本初であることの証明・検査調査

会社概要

ヤーマン
YA-MAN

1978年に設立。半導体検査装置の輸入・販売からスタートし、美容機器分野に事業を拡大。体内脂肪重量計をはじめ、特許技術を搭載した画期的な美容機器を開発。新しい美容習慣の創出を目指し、美容機器業界をけん引する。2007年にミネラルコスメブランド“オンリーミネラル”の販売を開始。20年には顔専門トレーニングジム「フェイス・リフト・ジム」をオープン、22年には研究開発ラボ「表情筋研究所」を本社内に開設した。23年11月に初の旗艦店となる「ヤーマン ザ ストア ギンザ」をオープン。同店を拠点に海外市場をさらに拡大する

問い合わせ先
ヤーマン
0120-776-282

TEXT : YOSHIE KAWAHARA

The post 独創性ある本物の製品を武器に、グローバルカンパニーへ【ヤーマン 山﨑貴三代社長】 appeared first on WWDJAPAN.

売り上げ目標達成に向けターゲットとマーケットを拡大する【ベイクルーズ 杉村茂CEO】

PROFILE: 杉村茂/ベイクルーズ取締役CEO

杉村茂/ベイクルーズ取締役CEO
PROFILE: (すぎむら・しげる) 1962年8月22日生まれ。神奈川県出身。アパレルメーカーを経て84年にベイクルーズに入社。2003年、同社初の子会社ジョイントワークスの初代社長を務め、14年9月1日から現職。趣味はスポーツ観戦とスニーカー収集 PHOTO:YOW TAKAHASHI

ミドル層からの支持を基盤に成長してきたベイクルーズ。ここからさらにマーケットを広げファンの絶対数を増やしていくことが成長のカギになる。2024年は売上高前期比16%増の数字を掲げてビジネス規模の拡大を目指す。2月の虎ノ門ヒルズ ステーションタワーへの新たな大型店舗の出店は大きな挑戦だ。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

成長のカギは
絶対的なファンの増加

WWDJAPAN(以下、WWD):今年2月には虎ノ門ヒルズ ステーションタワーに大型複合店舗のオープンを控える。

杉村茂取締役CEO(以下、杉村):ビジネス街である虎ノ門での大型店は当社にとってもチャレンジであり、最初の2〜3年は苦労する前提だ。目指すは全盛期のパリのコレットやミラノのコルソ・コモのように世界の業界人の目的地になる店。もちろん日本のお客さんにも買ってもらいたいが、世界の業界人が日本に来たときは必ず見にきて、感動してもらえる場所にしたい。今まで当社にいなかった層にお客さんになってもらうきっかけにもなる。アパレル以外にも、飲食やアート業態も出店する。服以外にも興味があるいろんな人が集まってほしい。

WWD:2023年9月に始まった45期の注力領域は?

杉村:この2年間、安売りしてお客さんをがっかりさせるのはやめましょう、結果として利益を出す構造を作りましょう、とスタッフに働きかけてきた部分は浸透した手応えがある。だから今度は規模を拡大するために、あえて売上高にこだわる。この2年間で培ってきた利益構造を前提に、売上高は前期比16%増を目指す。当社にとっては、かなりハードルの高い数字だ。ターゲットとマーケットを拡大して絶対的なファンの数を増やしていかないことには達成できない。店長たちには、今までの使い古した引き出しばかりではなくて、新しい引き出しをもっともっと増やしてほしいし、結果が出ればきちんと還元していく方針だと伝えている。

WWD:現場の工夫に加えて、経営側からはどんなサポートをしていくのか?

杉村:セールの抑制は浸透してきたものの、モノ作りの部分で在庫を残さない仕組み作りが必要だ。たとえば、無理に製品を作らずに生地や付属の在庫は残していいと伝えている。そのぶん、発注するタイミングや状況を慎重に見極めたり、別のブランドと連携して活用したりしてもらう。パンデミックや世界情勢など予想できない外的要因にも対応できる考え方が問われる時代になった。

WWD:市場がモノ消費からコト消費にながれている中で、ファッション市場のポテンシャルをどう見ている?

杉村:服を買う人たちみんながファッションを好きで買っているわけではない。そういう人たちにもっと服の楽しさやこだわりを伝えていこうと思えば、まだまだ可能性はある。当社は真ん中(ミドルマーケット)に偏りがちで、地方のショッピングセンター(SC)にはほとんど出ていない。そういうところに対しても、ベイクルーズなりの解釈でマーケットを広げることはできる。

WWD:24年に仕掛けていくことは?

杉村:手薄だったマスボリュームに向けては、伊藤忠商事がライセンスを持つ「アウトドアプロダクツ(OUTDOOR PRODUCTS)」の国内アパレルおよびブランドストア運営に関するパートナーシップ契約を締結した。春には東京・中目黒に路面店を出店予定で、そこを皮切りに駅ビルや郊外の大型SCに積極的に出店していく。もう一つは、アッパーマーケットへの挑戦だ。パリコレを経験している日本人デザイナーと組んで新ブランドを立ち上げる。海外でショーや展示会を開くことも見据えている。

WWD:23年はどんな1年だった?

杉村:44期(23年8月期)は、増収増益で過去最高の利益が取れた。この4年でECの売上高は100億円ほど増えた。とはいえ高い予算を掲げているのでそこには若干届かなかった。来客数も何も手を打たなければ自然には戻ってこない。いろいろ変えていく必要を感じている。店舗の人材獲得も深刻な課題だ。

WWD:業界全体で人材獲得が課題に挙がっているなかで、ベイクルーズが23年久しぶりにリアルで開催した入社式では、ファッション好きな若手が集まり熱気を感じた。

杉村:人材不足の部分では、店で一人前に仕事ができる人が少ないということ。バランスの取れたチーム体制や新人教育は引き続き課題だ。24年は新卒を23年の倍以上採用した。継続して採用を行っていると優等生ばかりが集まってしまう。学歴に関係なく多様な人材を入れるように意識している。人材が枯渇するとその業界はどんどん廃れてしまう。去年は役員以外の社員全員の給料を、月額2万円、年間で25万円程度、総額8億円賃上げした。プライドを持って仕事をしろと言っても、社員の生活水準をきちんと上げていかないと口先だけになってしまう。ある社員はランチに使える予算が限られていると言っていた。本社の前に出ているキッチンカーのランチも厳しいと。地方から1人で出てきて、自分で家賃を出して生活していたら、そうなるのはよくわかる。自分自身もそういう時代があった。でも月2万円給料が上がったら、お昼に食べたいものを食べられるくらいにはなる。すごく大事なことだ。働きがいはもちろんだが、一人一人の生活水準が上がるようなサポートは会社として必要だと思っている。

会社概要

ベイクルーズ
BAYCREW'S

1977年設立。アパレル、家具、飲食、フィットネス事業を展開。2016年に売上高1000億円を突破。17年に本社オフィスを渋谷キャストに移転。21年にベイクルーズとファッション事業のジョイントワークス、フレームワークス、JS.ワークス、ルドーム、ラクラス、家具事業のアクメ、飲食事業のフレーバーワークスを統合。他にラデュレジャポン、ウィルワークス、台湾ベイクルーズ、ル・プチメック、Foodies USA. Incを傘下に持つ。23年8月期の連結売上高は1389億円、期末店舗数は409店舗

問い合わせ先
ベイクルーズ
お問い合わせフォーム

The post 売り上げ目標達成に向けターゲットとマーケットを拡大する【ベイクルーズ 杉村茂CEO】 appeared first on WWDJAPAN.

売り上げ目標達成に向けターゲットとマーケットを拡大する【ベイクルーズ 杉村茂CEO】

PROFILE: 杉村茂/ベイクルーズ取締役CEO

杉村茂/ベイクルーズ取締役CEO
PROFILE: (すぎむら・しげる) 1962年8月22日生まれ。神奈川県出身。アパレルメーカーを経て84年にベイクルーズに入社。2003年、同社初の子会社ジョイントワークスの初代社長を務め、14年9月1日から現職。趣味はスポーツ観戦とスニーカー収集 PHOTO:YOW TAKAHASHI

ミドル層からの支持を基盤に成長してきたベイクルーズ。ここからさらにマーケットを広げファンの絶対数を増やしていくことが成長のカギになる。2024年は売上高前期比16%増の数字を掲げてビジネス規模の拡大を目指す。2月の虎ノ門ヒルズ ステーションタワーへの新たな大型店舗の出店は大きな挑戦だ。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

成長のカギは
絶対的なファンの増加

WWDJAPAN(以下、WWD):今年2月には虎ノ門ヒルズ ステーションタワーに大型複合店舗のオープンを控える。

杉村茂取締役CEO(以下、杉村):ビジネス街である虎ノ門での大型店は当社にとってもチャレンジであり、最初の2〜3年は苦労する前提だ。目指すは全盛期のパリのコレットやミラノのコルソ・コモのように世界の業界人の目的地になる店。もちろん日本のお客さんにも買ってもらいたいが、世界の業界人が日本に来たときは必ず見にきて、感動してもらえる場所にしたい。今まで当社にいなかった層にお客さんになってもらうきっかけにもなる。アパレル以外にも、飲食やアート業態も出店する。服以外にも興味があるいろんな人が集まってほしい。

WWD:2023年9月に始まった45期の注力領域は?

杉村:この2年間、安売りしてお客さんをがっかりさせるのはやめましょう、結果として利益を出す構造を作りましょう、とスタッフに働きかけてきた部分は浸透した手応えがある。だから今度は規模を拡大するために、あえて売上高にこだわる。この2年間で培ってきた利益構造を前提に、売上高は前期比16%増を目指す。当社にとっては、かなりハードルの高い数字だ。ターゲットとマーケットを拡大して絶対的なファンの数を増やしていかないことには達成できない。店長たちには、今までの使い古した引き出しばかりではなくて、新しい引き出しをもっともっと増やしてほしいし、結果が出ればきちんと還元していく方針だと伝えている。

WWD:現場の工夫に加えて、経営側からはどんなサポートをしていくのか?

杉村:セールの抑制は浸透してきたものの、モノ作りの部分で在庫を残さない仕組み作りが必要だ。たとえば、無理に製品を作らずに生地や付属の在庫は残していいと伝えている。そのぶん、発注するタイミングや状況を慎重に見極めたり、別のブランドと連携して活用したりしてもらう。パンデミックや世界情勢など予想できない外的要因にも対応できる考え方が問われる時代になった。

WWD:市場がモノ消費からコト消費にながれている中で、ファッション市場のポテンシャルをどう見ている?

杉村:服を買う人たちみんながファッションを好きで買っているわけではない。そういう人たちにもっと服の楽しさやこだわりを伝えていこうと思えば、まだまだ可能性はある。当社は真ん中(ミドルマーケット)に偏りがちで、地方のショッピングセンター(SC)にはほとんど出ていない。そういうところに対しても、ベイクルーズなりの解釈でマーケットを広げることはできる。

WWD:24年に仕掛けていくことは?

杉村:手薄だったマスボリュームに向けては、伊藤忠商事がライセンスを持つ「アウトドアプロダクツ(OUTDOOR PRODUCTS)」の国内アパレルおよびブランドストア運営に関するパートナーシップ契約を締結した。春には東京・中目黒に路面店を出店予定で、そこを皮切りに駅ビルや郊外の大型SCに積極的に出店していく。もう一つは、アッパーマーケットへの挑戦だ。パリコレを経験している日本人デザイナーと組んで新ブランドを立ち上げる。海外でショーや展示会を開くことも見据えている。

WWD:23年はどんな1年だった?

杉村:44期(23年8月期)は、増収増益で過去最高の利益が取れた。この4年でECの売上高は100億円ほど増えた。とはいえ高い予算を掲げているのでそこには若干届かなかった。来客数も何も手を打たなければ自然には戻ってこない。いろいろ変えていく必要を感じている。店舗の人材獲得も深刻な課題だ。

WWD:業界全体で人材獲得が課題に挙がっているなかで、ベイクルーズが23年久しぶりにリアルで開催した入社式では、ファッション好きな若手が集まり熱気を感じた。

杉村:人材不足の部分では、店で一人前に仕事ができる人が少ないということ。バランスの取れたチーム体制や新人教育は引き続き課題だ。24年は新卒を23年の倍以上採用した。継続して採用を行っていると優等生ばかりが集まってしまう。学歴に関係なく多様な人材を入れるように意識している。人材が枯渇するとその業界はどんどん廃れてしまう。去年は役員以外の社員全員の給料を、月額2万円、年間で25万円程度、総額8億円賃上げした。プライドを持って仕事をしろと言っても、社員の生活水準をきちんと上げていかないと口先だけになってしまう。ある社員はランチに使える予算が限られていると言っていた。本社の前に出ているキッチンカーのランチも厳しいと。地方から1人で出てきて、自分で家賃を出して生活していたら、そうなるのはよくわかる。自分自身もそういう時代があった。でも月2万円給料が上がったら、お昼に食べたいものを食べられるくらいにはなる。すごく大事なことだ。働きがいはもちろんだが、一人一人の生活水準が上がるようなサポートは会社として必要だと思っている。

会社概要

ベイクルーズ
BAYCREW'S

1977年設立。アパレル、家具、飲食、フィットネス事業を展開。2016年に売上高1000億円を突破。17年に本社オフィスを渋谷キャストに移転。21年にベイクルーズとファッション事業のジョイントワークス、フレームワークス、JS.ワークス、ルドーム、ラクラス、家具事業のアクメ、飲食事業のフレーバーワークスを統合。他にラデュレジャポン、ウィルワークス、台湾ベイクルーズ、ル・プチメック、Foodies USA. Incを傘下に持つ。23年8月期の連結売上高は1389億円、期末店舗数は409店舗

問い合わせ先
ベイクルーズ
お問い合わせフォーム

The post 売り上げ目標達成に向けターゲットとマーケットを拡大する【ベイクルーズ 杉村茂CEO】 appeared first on WWDJAPAN.

小売業からプラットフォーマーへ、24年はその準備の年【アダストリア 木村治社長】

PROFILE: 木村治/アダストリア社長

木村治/アダストリア社長
PROFILE: (きむら・おさむ)1969年生まれ、茨城県出身。90年に福田屋洋服店(現アダストリア)に入社し、店長などを経験。2001年に独立してワークデザイン設立。同社は07年にドロップ(トリニティアーツの前身)と経営統合し、11年にトリニティアーツ代表取締役社長に就任。16年にアダストリア常務、18年副社長を経て21年取締役社長、22年から代表取締役社長 PHOTO:SHUHEI SHINE

自社EC「ドットエスティ(.ST)」が好調で、アパレルECの勝ち組の代表格となったアダストリア。2024年も、「ドットエスティ」上の提供サービスを拡大し、アパレル小売業の枠を超えた成長を描く。約30ブランドを擁するマルチブランド戦略、積極的な海外投資、実店舗とECの両輪成長が独自性を生んでいる。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「ドットエスティ」と実店舗の両輪で
過去最高業績を達成

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年3〜11月期は過去最高業績を達成した。特に何が寄与したのか。

木村治社長(以下、木村):通期の24年2月期でも、売上高が前期比11.3%増の2700億円、営業利益が同56.3%増の180億円、純利益が同59.1%増の120億円を達成できる見込みで、過去最高を更新する。円安、原料高で厳しい1年だったが、価格見直し(値上げ)を行うと共に、無駄な値引きを抑え、「適時・適価・適量」方針のもと、商品企画や生産のあり方、在庫管理の徹底に常に努めてきた成果だ。21年に素材開発部を立ち上げて以降、自社独自の素材開発により一層力を入れていることも利益確保につながっている。種まきを行った新ブランドや新事業は、芽が出たものも、まだまだなものもある。ただ、マルチブランド戦略のもと、それら全てがデータとして蓄積されているということは財産だ。生産面では、中国もコスト上昇している中でASEAN生産も広げ、計画生産によってコストを抑えている。来期以降はインド生産もトライしていく。

WWD:24年に注力するポイントは。

木村:23年は好業績を達成したが、客数はコロナ前と比較してまだ完全には戻っていないし、厳しい状況は続くかもしれない。大量に生産し、大量に売るという価値観自体が時代と合わなくなっている。引き続き、客数増よりも重点目標である利益確保のために品質やデザイン価値を高め、その分価格を上げる。例えば「ハレ(HARE)」「ジーナシス(JEANASIS)」は、客単価が2ケタ増のペースだ。単に値上げするだけではお客さまの心は離れてしまうが、1点1点どう付加価値を高めるか考えているなら、お客さまとの信頼関係は崩れない。

WWD:自社ECの「ドットエスティ」が成長をけん引している。

木村:「ドットエスティ」は引き続き注力事業の1つであり、会員数は1710万人を突破した。店舗スタッフによる投稿コンテンツ“スタッフボード”の効果が大きく、お客さまと店舗スタッフとのつながりが非常に強まっている。国内約1300の実店舗を持っていることとECが、当社の成長の両輪としてうまく回っている。社内インフルエンサーが増えたことで、インセンティブや教育制度も強化した。「ドットエスティ」は22年春に他社にも開放し、現在8社9ブランドを扱っている。他社へのオープン化により、当社のポートフォリオで手薄な部分を補完できており、購買層も広がっている。23年はJR九州と組んで、“スタッフボード”の人気店舗スタッフが登場する旅行企画も「ドットエスティ」上で行った。そういった地方創生企画も可能であり、ほかにも多様な切り口が「ドットエスティ」では考えられる。23年10月にはフリマサービスも開始した。ゆくゆくはお客さま同士での売買やイベント共有なども可能にし、「ドットエスティ」でカバーするサービスを充実させ、ID(会員登録)の価値をさらに高めていく。“スタッフボード”は自社でシステム開発しており、今後はベンダーとして他社に販売も予定している。ここまでデジタルに投資ができている企業は業界の中でも限られており、投資できている企業がここからさらに伸びる。

WWD:海外事業では台湾が絶好調だ。

木村:台湾は昨年、事業開始20周年を迎え、ローカル化も順調、トップも現地人材だ。23年は22店出店し、現在64店。来期も積極出店して一気に勢いに乗る。コロナ禍中も出店し続けた中国本土はまだ回復途上だが、今後も投資を続ける。23年4月にはタイのバンコクにも「ニコアンド(NIKO AND…)」を初出店し、順調だ。フィリピンにも子会社を2月に設立し、24年に出店を計画している。

WWD:ブランド別では、「グローバルワーク(GLOBAL WORK)」が順調に伸びている。

木村:われわれの強みは、約30ブランドを展開するマルチブランド体制を採りつつも、主力の「グローバルワーク」「ニコアンド」「ローリーズファーム(LOWRYS FARM)」「スタディオクリップ(STUDIO CLIP)」の4ブランドでそれぞれ200億円以上、合計で1100億円超の売り上げがある点。これがあるからデジタルをはじめとした大型投資ができるし、社員の賃金も上げられる、サステナビリティも追求できる。この4ブランドはここからさらに成長させられる。「グローバルワーク」は現在の売上高が約500億円だが、1000億円規模を目指せる。国内は人口減で縦積みが厳しくなる以上、海外がますます重要になるし、会社全体としての成長ではM&Aも考えている。

WWD:コロナ禍中に、苦しくても投資をやめなかったことが花開いた。

木村:福田(三千男会長)が指揮を執っていた時代から、システムにも物流にも投資をしてきた。ファッションだけでなくライフスタイルブランドも手掛けていることで、当社には多種多様な大量のデータが蓄積されている。データ分析の担当者がDX部門にも、各ブランド内にも、マーケティングチームにもおり、分析内容を週次、月次、四半期といったターム別に落とし込み、改善している。データを分析し掛け合わせることで新しい事業につながる。ただの小売りから、新しいプラットフォーマーになっていく。24年はそのスタートの年だ。

会社概要

アダストリア
ADASTRIA

1953年に茨城県水戸市で福田屋洋服店として創業。93年にポイントに商号変更。2013年にアダストリアホールディングスとしてトリニティアーツなどをグループ化。15年にアダストリアホールディングス、ポイント、トリニティアーツを統合し、アダストリアに社名変更。主要ブランドは「グローバルワーク」「ニコアンド」など。2023年2月期は売上高が前期比20.3%増の2425億円、営業利益が同75.4%増の115億円だった

問い合わせ先
アダストリア
お問い合わせフォーム

The post 小売業からプラットフォーマーへ、24年はその準備の年【アダストリア 木村治社長】 appeared first on WWDJAPAN.

小売業からプラットフォーマーへ、24年はその準備の年【アダストリア 木村治社長】

PROFILE: 木村治/アダストリア社長

木村治/アダストリア社長
PROFILE: (きむら・おさむ)1969年生まれ、茨城県出身。90年に福田屋洋服店(現アダストリア)に入社し、店長などを経験。2001年に独立してワークデザイン設立。同社は07年にドロップ(トリニティアーツの前身)と経営統合し、11年にトリニティアーツ代表取締役社長に就任。16年にアダストリア常務、18年副社長を経て21年取締役社長、22年から代表取締役社長 PHOTO:SHUHEI SHINE

自社EC「ドットエスティ(.ST)」が好調で、アパレルECの勝ち組の代表格となったアダストリア。2024年も、「ドットエスティ」上の提供サービスを拡大し、アパレル小売業の枠を超えた成長を描く。約30ブランドを擁するマルチブランド戦略、積極的な海外投資、実店舗とECの両輪成長が独自性を生んでいる。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「ドットエスティ」と実店舗の両輪で
過去最高業績を達成

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年3〜11月期は過去最高業績を達成した。特に何が寄与したのか。

木村治社長(以下、木村):通期の24年2月期でも、売上高が前期比11.3%増の2700億円、営業利益が同56.3%増の180億円、純利益が同59.1%増の120億円を達成できる見込みで、過去最高を更新する。円安、原料高で厳しい1年だったが、価格見直し(値上げ)を行うと共に、無駄な値引きを抑え、「適時・適価・適量」方針のもと、商品企画や生産のあり方、在庫管理の徹底に常に努めてきた成果だ。21年に素材開発部を立ち上げて以降、自社独自の素材開発により一層力を入れていることも利益確保につながっている。種まきを行った新ブランドや新事業は、芽が出たものも、まだまだなものもある。ただ、マルチブランド戦略のもと、それら全てがデータとして蓄積されているということは財産だ。生産面では、中国もコスト上昇している中でASEAN生産も広げ、計画生産によってコストを抑えている。来期以降はインド生産もトライしていく。

WWD:24年に注力するポイントは。

木村:23年は好業績を達成したが、客数はコロナ前と比較してまだ完全には戻っていないし、厳しい状況は続くかもしれない。大量に生産し、大量に売るという価値観自体が時代と合わなくなっている。引き続き、客数増よりも重点目標である利益確保のために品質やデザイン価値を高め、その分価格を上げる。例えば「ハレ(HARE)」「ジーナシス(JEANASIS)」は、客単価が2ケタ増のペースだ。単に値上げするだけではお客さまの心は離れてしまうが、1点1点どう付加価値を高めるか考えているなら、お客さまとの信頼関係は崩れない。

WWD:自社ECの「ドットエスティ」が成長をけん引している。

木村:「ドットエスティ」は引き続き注力事業の1つであり、会員数は1710万人を突破した。店舗スタッフによる投稿コンテンツ“スタッフボード”の効果が大きく、お客さまと店舗スタッフとのつながりが非常に強まっている。国内約1300の実店舗を持っていることとECが、当社の成長の両輪としてうまく回っている。社内インフルエンサーが増えたことで、インセンティブや教育制度も強化した。「ドットエスティ」は22年春に他社にも開放し、現在8社9ブランドを扱っている。他社へのオープン化により、当社のポートフォリオで手薄な部分を補完できており、購買層も広がっている。23年はJR九州と組んで、“スタッフボード”の人気店舗スタッフが登場する旅行企画も「ドットエスティ」上で行った。そういった地方創生企画も可能であり、ほかにも多様な切り口が「ドットエスティ」では考えられる。23年10月にはフリマサービスも開始した。ゆくゆくはお客さま同士での売買やイベント共有なども可能にし、「ドットエスティ」でカバーするサービスを充実させ、ID(会員登録)の価値をさらに高めていく。“スタッフボード”は自社でシステム開発しており、今後はベンダーとして他社に販売も予定している。ここまでデジタルに投資ができている企業は業界の中でも限られており、投資できている企業がここからさらに伸びる。

WWD:海外事業では台湾が絶好調だ。

木村:台湾は昨年、事業開始20周年を迎え、ローカル化も順調、トップも現地人材だ。23年は22店出店し、現在64店。来期も積極出店して一気に勢いに乗る。コロナ禍中も出店し続けた中国本土はまだ回復途上だが、今後も投資を続ける。23年4月にはタイのバンコクにも「ニコアンド(NIKO AND…)」を初出店し、順調だ。フィリピンにも子会社を2月に設立し、24年に出店を計画している。

WWD:ブランド別では、「グローバルワーク(GLOBAL WORK)」が順調に伸びている。

木村:われわれの強みは、約30ブランドを展開するマルチブランド体制を採りつつも、主力の「グローバルワーク」「ニコアンド」「ローリーズファーム(LOWRYS FARM)」「スタディオクリップ(STUDIO CLIP)」の4ブランドでそれぞれ200億円以上、合計で1100億円超の売り上げがある点。これがあるからデジタルをはじめとした大型投資ができるし、社員の賃金も上げられる、サステナビリティも追求できる。この4ブランドはここからさらに成長させられる。「グローバルワーク」は現在の売上高が約500億円だが、1000億円規模を目指せる。国内は人口減で縦積みが厳しくなる以上、海外がますます重要になるし、会社全体としての成長ではM&Aも考えている。

WWD:コロナ禍中に、苦しくても投資をやめなかったことが花開いた。

木村:福田(三千男会長)が指揮を執っていた時代から、システムにも物流にも投資をしてきた。ファッションだけでなくライフスタイルブランドも手掛けていることで、当社には多種多様な大量のデータが蓄積されている。データ分析の担当者がDX部門にも、各ブランド内にも、マーケティングチームにもおり、分析内容を週次、月次、四半期といったターム別に落とし込み、改善している。データを分析し掛け合わせることで新しい事業につながる。ただの小売りから、新しいプラットフォーマーになっていく。24年はそのスタートの年だ。

会社概要

アダストリア
ADASTRIA

1953年に茨城県水戸市で福田屋洋服店として創業。93年にポイントに商号変更。2013年にアダストリアホールディングスとしてトリニティアーツなどをグループ化。15年にアダストリアホールディングス、ポイント、トリニティアーツを統合し、アダストリアに社名変更。主要ブランドは「グローバルワーク」「ニコアンド」など。2023年2月期は売上高が前期比20.3%増の2425億円、営業利益が同75.4%増の115億円だった

問い合わせ先
アダストリア
お問い合わせフォーム

The post 小売業からプラットフォーマーへ、24年はその準備の年【アダストリア 木村治社長】 appeared first on WWDJAPAN.

値引きに頼らないファッションビジネスへ脱皮【ストライプインターナショナル 川部将士社長】

PROFILE: 川部将士/ストライプインターナショナル社長

川部将士/ストライプインターナショナル社長
PROFILE: (かわべ・まさし)1972年生まれ、神奈川県出身。95年一橋大学社会学部卒業後、住友商事に入社。99年住商リテイルストアーズ(現トモズ)へ出向、2008年バーニーズ ジャパンへ出向、16年住商ブランドマネジメントに出向して社長就任、18年フェイラージャパンに出向して社長就任、22年9月住友商事に帰任し11月に退職。12月にストライプインターナショナルに入社、23年2月から現職。学生時代はラグビーに注力 PHOTO:SUGURU TANAKA

2023年2月に、住友商事出身で元フェイラージャパン社長の川部将士氏が社長に就任し、新体制となったストライプインターナショナル。創業者によるトップダウン型企業から、社員自ら考えて進んでいく組織へと脱皮を進めている。値引きを抑えることで、指標にしている営業利益率は想定以上のスピードで改善している。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

営業利益率5%を達成

WWDJAPAN(以下、WWD):社長就任から丸一年。手応えは。

川部将士社長(以下、川部):想定していた以上の手応えだ。外から見ていた以上に、自力のある会社だと感じた。収益改善を進める中で、売上高ではなく営業利益率を指標としているが、23年2〜10月期では5%台にまで高まった。業界内で高水準ではないが、前年同期は赤字だったことを考えれば、想定以上のスピードで利益が出せる体質へと変わっている。方針さえ明確になれば、ミッションをしっかりこなせる会社だ。売上高をかつての水準まで回復させることも将来的に考えてはいるが、中身が伴わない状態で売り上げだけ追求しても、うまくはいかない。

WWD:利益率改善には値引き抑制が効いているのか。

川部:ここ数年はかなりセール偏重の商売をしてきた。ファッションの会社として、最初にお客さまに伝えるべきは商品やブランドの魅力であり、できるだけ値引きせず売る努力をしよう、しっかり接客しようと社内で伝えてきた。同時に、仕入れもコントロールしている。需給のバランスの中で、最終消化のために値引きすることはもちろんあるが、安易なタイムセールはしない。その意識改革だけでも、粗利はかなり改善できた。

WWD:一丸となるため、まずは社内に向けたパーパスも策定した。

川部:「ファッションの力で笑顔輝くあしたを創る」だ。リーダー約30人に集まってもらい、4日間のワークショップで議論し決めた。私自身は横で見ていたが、社員からこの言葉が出てきたことで、やはり値引きに頼った商売ではなく、ファッションビジネスをやりたいという思いを強く感じた。われわれの服を着ることで、お客さまが前向きに生きていこうと思えるような、そんなブランドでありたいという思いがこもっている。

WWD:以前は創業者が引っ張るトップダウン型組織だった。

川部:経営層が変わった今、皆の意識を変えて、会社の新しい運営形態を作っていかなければいけない。今はあらゆることが猛スピードで変化していく時代であり、成功体験を持っている人が必ずしも正しいとは限らない。だからこそ、皆で挑戦を重ねるしかない。活力ある若い人たちがいかに挑戦していくかにしか答えはない。ただし、強力なオーナーシップの下、言われたことをこなす形で働いてきた社員が、自主自律で動いていく組織に変わるのは時間もかかる。だからこそまずパーパスを策定し、そこに向けて自分は何に挑戦するかを考えられるようにした。

WWD:23年は適時・適量・適価で売り切るといった商売の基本に改めて注力したが、24年の課題は何か。

川部:より戦略的に、会社をどう成長させていくかを考えていく。ファッションビジネスの軸は、クリエイション、カスタマーコミュニケーション、サプライチェーンの3つだ。ネットへの常時接続を前提に社会もビジネスも変わっていく中、その3つも変えていく必要がある。正直に言って、当社は業界の中でやや遅れている。マーケットへの挑戦権を得るために、まずは3領域で最低限のアップデートを行い、加えて他社との差別化も必要となる。

WWD:具体的に何から始めるのか。

川部:3つのボタンを同時に押すような気持ちだが、まずカスタマーコミュニケーション、いわゆるOMO領域が先行している。顧客とのコミュニケーションの軸であるブランドアプリ、SNS、LINE、自社ECサイトの4つで、強化すべき部分は多い。お客さまとつながる回数を増やさないと今はブランド力が落ちてしまう。LINE登録を店頭でしっかり促すなど、基礎的なところから進めている。その上で、次はクリエイションを強化。サプライチェーンマネジメントにも本格的に着手する。当社はモノ作りや物流において、商社や物流業者に任せっきりになってしまっている部分が大きい。全て自社で行うという考えはないが、流れを把握し、自ら課題を見出して解決していく組織になることが、SDGsの観点でも不可欠だ。昨年9月にサプライチェーン本部を立ち上げたが、流れを見える化し、パートナー企業と議論ができる形を作る。それが、原料高騰や物流問題対応にもつながっていく。

WWD:一部ブランドでは既に好循環も生まれ始めている。

川部:最大ブランドの「グリーン パークス(GREEN PARKS)」は業績も伸びている。端境期のMDコントロールが好調で、再現性のある成功事例を作ることができている。「アメリカンホリック(AMERICAN HOLIC)」も堅調だ。見直し中の「アース ミュージック&エコロジー(EARTH MUSIC&ECOLOGY)」は、チームの議論の中から新しい指針が出てきている。これらマスマーケット向け3ブランドとミドルマーケット向けの他のブランドとでは、9月に事業部も分けた。

WWD:24年度の数値目標は。

川部:営業利益率5%という、26年1月期を最終年度とする3カ年の中期経営計画で掲げた目標は1年目で既に達成できたが、24年度は人材へのさらなる投資や、ECプラットフォームの刷新も進めるため、横ばいの見込みだ。会社としての基盤強化に投資していく1年にする。

会社概要

ストライプインターナショナル
STRIPE INTERNATIONAL INC.

1994年に岡山県でセレクトショップとして開業。95年にクロスカンパニー設立、99年に「アース ミュージック&エコロジー」を立ち上げてSPA企業に転換。2000年に東京本部を開設、12年にキャンをグループ化、16年に現社名に変更した。「アース」のほか、「グリーン パークス」「アメリカンホリック」「イェッカヴェッカ」などを擁する。23年1月期の売上高は前期比4.1%減の607億円、営業損失は10億円(前期は15億円)

問い合わせ先
ストライプインターナショナル
お問い合わせフォーム

The post 値引きに頼らないファッションビジネスへ脱皮【ストライプインターナショナル 川部将士社長】 appeared first on WWDJAPAN.

値引きに頼らないファッションビジネスへ脱皮【ストライプインターナショナル 川部将士社長】

PROFILE: 川部将士/ストライプインターナショナル社長

川部将士/ストライプインターナショナル社長
PROFILE: (かわべ・まさし)1972年生まれ、神奈川県出身。95年一橋大学社会学部卒業後、住友商事に入社。99年住商リテイルストアーズ(現トモズ)へ出向、2008年バーニーズ ジャパンへ出向、16年住商ブランドマネジメントに出向して社長就任、18年フェイラージャパンに出向して社長就任、22年9月住友商事に帰任し11月に退職。12月にストライプインターナショナルに入社、23年2月から現職。学生時代はラグビーに注力 PHOTO:SUGURU TANAKA

2023年2月に、住友商事出身で元フェイラージャパン社長の川部将士氏が社長に就任し、新体制となったストライプインターナショナル。創業者によるトップダウン型企業から、社員自ら考えて進んでいく組織へと脱皮を進めている。値引きを抑えることで、指標にしている営業利益率は想定以上のスピードで改善している。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

営業利益率5%を達成

WWDJAPAN(以下、WWD):社長就任から丸一年。手応えは。

川部将士社長(以下、川部):想定していた以上の手応えだ。外から見ていた以上に、自力のある会社だと感じた。収益改善を進める中で、売上高ではなく営業利益率を指標としているが、23年2〜10月期では5%台にまで高まった。業界内で高水準ではないが、前年同期は赤字だったことを考えれば、想定以上のスピードで利益が出せる体質へと変わっている。方針さえ明確になれば、ミッションをしっかりこなせる会社だ。売上高をかつての水準まで回復させることも将来的に考えてはいるが、中身が伴わない状態で売り上げだけ追求しても、うまくはいかない。

WWD:利益率改善には値引き抑制が効いているのか。

川部:ここ数年はかなりセール偏重の商売をしてきた。ファッションの会社として、最初にお客さまに伝えるべきは商品やブランドの魅力であり、できるだけ値引きせず売る努力をしよう、しっかり接客しようと社内で伝えてきた。同時に、仕入れもコントロールしている。需給のバランスの中で、最終消化のために値引きすることはもちろんあるが、安易なタイムセールはしない。その意識改革だけでも、粗利はかなり改善できた。

WWD:一丸となるため、まずは社内に向けたパーパスも策定した。

川部:「ファッションの力で笑顔輝くあしたを創る」だ。リーダー約30人に集まってもらい、4日間のワークショップで議論し決めた。私自身は横で見ていたが、社員からこの言葉が出てきたことで、やはり値引きに頼った商売ではなく、ファッションビジネスをやりたいという思いを強く感じた。われわれの服を着ることで、お客さまが前向きに生きていこうと思えるような、そんなブランドでありたいという思いがこもっている。

WWD:以前は創業者が引っ張るトップダウン型組織だった。

川部:経営層が変わった今、皆の意識を変えて、会社の新しい運営形態を作っていかなければいけない。今はあらゆることが猛スピードで変化していく時代であり、成功体験を持っている人が必ずしも正しいとは限らない。だからこそ、皆で挑戦を重ねるしかない。活力ある若い人たちがいかに挑戦していくかにしか答えはない。ただし、強力なオーナーシップの下、言われたことをこなす形で働いてきた社員が、自主自律で動いていく組織に変わるのは時間もかかる。だからこそまずパーパスを策定し、そこに向けて自分は何に挑戦するかを考えられるようにした。

WWD:23年は適時・適量・適価で売り切るといった商売の基本に改めて注力したが、24年の課題は何か。

川部:より戦略的に、会社をどう成長させていくかを考えていく。ファッションビジネスの軸は、クリエイション、カスタマーコミュニケーション、サプライチェーンの3つだ。ネットへの常時接続を前提に社会もビジネスも変わっていく中、その3つも変えていく必要がある。正直に言って、当社は業界の中でやや遅れている。マーケットへの挑戦権を得るために、まずは3領域で最低限のアップデートを行い、加えて他社との差別化も必要となる。

WWD:具体的に何から始めるのか。

川部:3つのボタンを同時に押すような気持ちだが、まずカスタマーコミュニケーション、いわゆるOMO領域が先行している。顧客とのコミュニケーションの軸であるブランドアプリ、SNS、LINE、自社ECサイトの4つで、強化すべき部分は多い。お客さまとつながる回数を増やさないと今はブランド力が落ちてしまう。LINE登録を店頭でしっかり促すなど、基礎的なところから進めている。その上で、次はクリエイションを強化。サプライチェーンマネジメントにも本格的に着手する。当社はモノ作りや物流において、商社や物流業者に任せっきりになってしまっている部分が大きい。全て自社で行うという考えはないが、流れを把握し、自ら課題を見出して解決していく組織になることが、SDGsの観点でも不可欠だ。昨年9月にサプライチェーン本部を立ち上げたが、流れを見える化し、パートナー企業と議論ができる形を作る。それが、原料高騰や物流問題対応にもつながっていく。

WWD:一部ブランドでは既に好循環も生まれ始めている。

川部:最大ブランドの「グリーン パークス(GREEN PARKS)」は業績も伸びている。端境期のMDコントロールが好調で、再現性のある成功事例を作ることができている。「アメリカンホリック(AMERICAN HOLIC)」も堅調だ。見直し中の「アース ミュージック&エコロジー(EARTH MUSIC&ECOLOGY)」は、チームの議論の中から新しい指針が出てきている。これらマスマーケット向け3ブランドとミドルマーケット向けの他のブランドとでは、9月に事業部も分けた。

WWD:24年度の数値目標は。

川部:営業利益率5%という、26年1月期を最終年度とする3カ年の中期経営計画で掲げた目標は1年目で既に達成できたが、24年度は人材へのさらなる投資や、ECプラットフォームの刷新も進めるため、横ばいの見込みだ。会社としての基盤強化に投資していく1年にする。

会社概要

ストライプインターナショナル
STRIPE INTERNATIONAL INC.

1994年に岡山県でセレクトショップとして開業。95年にクロスカンパニー設立、99年に「アース ミュージック&エコロジー」を立ち上げてSPA企業に転換。2000年に東京本部を開設、12年にキャンをグループ化、16年に現社名に変更した。「アース」のほか、「グリーン パークス」「アメリカンホリック」「イェッカヴェッカ」などを擁する。23年1月期の売上高は前期比4.1%減の607億円、営業損失は10億円(前期は15億円)

問い合わせ先
ストライプインターナショナル
お問い合わせフォーム

The post 値引きに頼らないファッションビジネスへ脱皮【ストライプインターナショナル 川部将士社長】 appeared first on WWDJAPAN.

韓国発「ミュード」代表のレミが語る「約1000本のマスカラを試した私が、世界中の人が満足できるマスカラを作ったわけ」

韓国の人気インフルエンサーであるレミ(Raemi)が手掛けるメイクブランド「ミュード(MUDE)」がロフトや東急ハンズ、アットコスメストア、アインズ&トルペなどで日本展開をスタートし、好調な滑り出しをきった。レミが化粧品マーケティング会社で培ったノウハウから生まれた韓国アイドルのようなまつげをかなえる“インスパイア カーリング マスカラ”が代表アイテムで、若い世代を中心に高い支持を集める。世界各国のマスカラを使用する中で自身がこだわりぬいた“マスカラ愛”やブランドに対する思いをレミが語った。

WWD:自身が代表を務めるミュードメイトで「ミュード」を立ち上げたきっかけは?

レミ・ミュードメイト代表(以下、レミ):化粧品マーケティング会社に勤務していたころ、3年半で世界各国の1000個以上のマスカラを調査しました。インスタグラマーとしても活動していたのでそれをレビューすることも。約24万のインスタのフォロワーは、韓国はもちろんさまざまな国の人がいました。フォロワーの声に耳を傾けると、国ごとにマスカラに対する悩みがあることが分かりました。韓国と日本は、「冬にマスカラがにじみやすい」という声が、東南アジアのように四季がない国では「湿度が高いとカールがキープできない」といった声がありました。世界中の人が満足できるマスカラを作りたいと考え、独立することを決め2020年7月にミュードメイトを設立し「ミュード」を立ち上げました。

WWD:マスカラに着目した背景は?

レミ:私はもともとアイメイクに興味があり、中でもマスカラにはこだわりがありました。韓国のマスカラはスキニーなタイプが多く、日本はロングラッシュタイプが多かったので2つを重ねて使用するのも普通のことでしたね。使う際に選ぶ基準はにじまない、クレンジングで落ちやすい、毎日使っても健康的なまつげをキープできること。自分がほしいと思えるマスカラを開発したかったのです。また、他のメイクアイテムに比べてマスカラは一度気に入ると使い続け顧客化につながるアイテムだとデータ分析で理解していました。これらからマスカラは必須アイテムでした。

自信作のマスカラは100万個超販売

WWD:デビュー時に発売した “インスパイア カーリング マスカラ”は、各オンラインメディア・モールでの売り上げランキング1位を多数獲得した。

レミ:開発には1年半かかり、化学研究員の父親に協力してもらい成分開発にも力を入れました。メイクアイテムでもスキンケアのような効果が期待できる自然由来のフィトケラチンとビオチンを配合し、まつ毛も保護しています。もちろんカールのキープ力も抜群です。この商品は、マスカラのレビューをしていた私が自信を持って開発したことから、多くの人を魅了することができデビューから現在までで100万個以上売れ、ベストセラー商品となっています。

WWD:中心顧客層や年商は?

レミ:韓国は20〜30代ですね。韓国版セフォラと話題の店舗、シコル(CHICOR)などに約20店舗出店していますが、売り上げの70%がECサイトになります。売上高は20年が10億ウォン(約1億1000万円)、21年が30億ウォン(約3億3000万円)、22、23年が66億ウォン(約7億3000万円)。23年はオリーブヤングのオンラインを強化するなど、事業の精度を高めることに注力し、順調に推移しています。海外の売上高が約60%を占め、香港や台湾、中国など8つの国と地域で展開。1月にはベトナムに参入しました。

WWD:日本では昨年、伊藤忠商事と日本市場における独占輸入販売契約を結んだ。

レミ:20年7月にブランドを立ち上げ、翌月にはQ10に出店しました。21年に韓国企業経由で日本のバラエティーショップで販売したのですが、情報把握が難しく22年に休止することに。今回、伊藤忠商事とタッグを組むことで、新商品の展開がスムーズになりますし、日本の声を素早くフィードバックしてもらえる環境になりました。日本の中心顧客層は10〜20代と韓国と比べ少し若い世代に支持されています。30〜40代からはオフラインでも購入したいとの要望があり、バラエティーショップやドラッグストアでも展開しているので、反応に期待しているところです。

WWD:今後の展開は?

レミ:売上高のシェア66%を占めるマスカラは引き続き強化します。主軸の“インスパイア カーリング マスカラ” “インスパイア ロングラッシュ カーリング マスカラ”などの新色や、日本限定色などを発売する予定です。韓国ではクッションファンデーションを扱っていますが、リニューアルする計画もあります。スタート時に発売したリップアイテムはコロナ禍で足踏みをしてしまったので、1月に発売したマットな仕上がりですがパサつきや感想しにくい“ソフトブラーティント”で再攻勢をかけます。

The post 韓国発「ミュード」代表のレミが語る「約1000本のマスカラを試した私が、世界中の人が満足できるマスカラを作ったわけ」 appeared first on WWDJAPAN.

社長の「体当たり動画」も追い風? オーダースーツSADA、過去最高業績ねらう

佐田展隆/オーダースーツSADA社長

PROFILE:(さだ・のぶたか)1974年生まれ。一橋大学経済学部を卒業後、東レに入社。2003年に父が経営する佐田に入社し、05年に社長。PRのため自社スーツをまとってスキージャンプを飛ぶ、富士山に登る、東京マラソンを走る等のチャレンジをユーチューブで配信。「カンブリア宮殿」(テレビ東京)等メディア出演多数。著書に「迷ったら茨の道を行け」(ダイヤモンド社) PHOTO:SHUHEI SHINE

オーダースーツSADAは、全国に47店舗を有する注文服大手だ。初回限定1万9800円という手頃な価格でフルオーダースーツを製造販売する。3代目の佐田展隆社長はこれまでバブル崩壊による消費低迷、東日本大震災による自社工場(宮城県)の被災、そしてコロナ禍によるスーツ離れ――数々の困難に直面してきたが、2024年7月期は過去最高の売上高を達成する見込みだ。ライトネイビーのスーツに赤ネクタイの姿で体当たりの企画に挑戦し、スーツの魅力を発信するユーチューバーとしての顔も持ち合わせる。

WWD:リモートワークが進んだコロナ禍を経て、ビジネスウエア市場は大きく変わった。直近のオーダースーツの商況は?

佐田展隆社長(以下、佐田):コロナ前の売り上げ水準に回復しており、今期(24年7月期)は過去最高の売り上げを更新する見通しだ。振り返るとコロナ禍は本当に大変だった。スーツ自体の需要が激減してしまったのだから。昨年も猛暑によって9月まで苦戦したものの、10月以降は復調した。以降、1月まで前年売り上げをクリアし続けている。

WWD:好調の要因は?

佐田:顧客の平均単価が上がった。現在の購買平均単価は4万円強。原料高にともない商品価格を上げたことも一因だが、“スーツは勝負の場で着るもの”という認識がコロナ以降に浸透した。ビジネススーツ市場自体は縮小している一方で、顧客が「スーツを何のために着るか」を見直したようだ。コロナ前はとりあえず仕事で必要だから何着か持っておく。それがTPOをわきまえ、大事な相手と会うときの勝負服、一張羅としての意味合いを強めた。せっかく購入するのであれば、サイズや着心地、デザインに納得いくフルオーダーの一着を持っていたいという声を聞くようになった。高価なインポート生地を選ぶ方も多い。

実際、オーダースーツへの関心が高まっている。グーグルの分析データによると「オーダースーツ」という検索キーワードがコロナ前の倍に増えているという。弊社公式ホームページの10月アクセス数が前年同期比4倍、11月も2.5倍に急伸した。こうしたことが追い風になっている。

初めてのフルオーダーの着心地に驚く

WWD:コロナ前後で顧客層も変化した?

佐田:顧客の平均年齢が10歳以上若返った。現在のボリュームは30代から40代。初めてオーダースーツを作りに来てくれるお客さまが多い。スーツをあつらえた経験があると言う方も、よくよく聞くと(既成の型紙から作る)パターンオーダースーツであることがほとんど。当社のように一人一人の体形を細かく採寸し、着心地も好みにも合わせるフルオーダーを経験している方は本当に少ない。そんなお客さまが出来上がったスーツに袖を通すと、一様に着心地やクオリティに驚く。そしてリピーターになってくれる。45%のお客さまが3年以内に再びSADAでスーツを作る。年に2回来店してくれるコアなファンもおり、こうしたロイヤルリピーターをどれだけ増やせるかが今後の鍵になりそうだ。

WWD:オーダースーツSADAの強みは?

佐田:自社工場(宮城県と中国・河北省)だ。細かいニーズに柔軟に対応できるほか、パターンオーダーとほぼ同価格でフルオーダースーツを作ることができる。流れとしては、個人に合わせたオリジナルパターンをおこし、好みのゆとり幅に調整しながら細かく補正。そのパターンに合わせ自社工場で縫い上げていく。

ヌード寸法(服ではなく着用者自身の寸法)に対して、どのくらいのゆとりが好まれるかを把握するのが重要だ。一口にスーツを着るホワイトカラーといっても仕事内容によって体の動きは異なる。デスクワークが多いのか、外回りが多いのか、車を運転することも多いのか。丁寧なヒアリングを重ね、仮縫いしたスーツを試着してもらいながら肩や背中などパーツごとに細かくゆとりを確認していく。ここを緻密に行うことで体形にジャストフィットし、着心地の良さに納得してもらっている。SADAのスーツはプロ野球やJリーグなど27のプロスポーツチームに公式スーツを提供(24年1月11日現在)している。アスリートの皆さんはフルオーダーでなければ体形に合うスーツが見つかない。契約数を通しても評価をもらえていると思う。

社長がスーツを着て過酷な山登りに挑戦

WWD:社長自身も自社スーツを着て、スポーツから山登りまで数多くのアクティビティにチャレンジしている様子をユーチューブで配信している。

佐田:富士山登頂からスキージャンプ、スキューバダイビング、トライアスロンまで本当にさまざまなことに挑戦してきた。きっかけは全部、社員からの無茶振り(笑)。ちなみに今日着ているスーツは海に潜ったとき、何回も着用していたものなので、クリーニングしても塩が落ちきれていない。こうした挑戦を通して、スーツにゆとりがあれば山登りでも何でも問題なく動けることを私自身も実感している。昨年のモンブラン(4807m、ヨーロッパアルプス最高峰)登頂の際は、あまりの強風でアンダーウエアやアウターが必須だったが、寒さ対策さえ万全にしていればスーツでも余裕で山に登れる。

毎月1回のペースで山に登り、ユーチューブで配信している。これまで登った数は、日本百名山でいえば35座。百名山を完登するまで絶対に続けると決めている。年に1回は海外の山にも登っている。もともと学生時代にノルディック複合の選手だったので、基礎体力には自信があるし追い込まれる方が好きなタチ。スーツが似合う体形をキープするためにも体脂肪率は11%を維持している。基本、夕食では炭水化物を食べない。

会社の公式チャンネルも開設していて、そちらではビジネスマナーやスーツの着こなしの動画が人気だ。私のチャンネルはあくまでも、笑いを交えてオーダースーツの敷居を下げたいという思いから。店頭スタッフによるとお客さまから社長動画について話題に上ることも非常に多いらしく、たいへんだけど続けてよかった。

WWD:会社として、社長個人として、今年に成し遂げたいことは?

佐田:会社としては、2024年7月期に過去最高の売上高40億円を達成し、コロナ脱却を証明する年にしたい。創業100周年を迎えたメモリアルイヤーに成し遂げる意義も大きい。個人としては、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(5895m)登頂だ。標高5000メートル以上の山に挑むのは初めて。頂上でキリマンジャロコーヒーを飲むと決めている。実は昨年末に左腕を骨折してしまい手術をしてリハビリ中だが、問題なくやり遂げられる自信はある。

The post 社長の「体当たり動画」も追い風? オーダースーツSADA、過去最高業績ねらう appeared first on WWDJAPAN.

社長の「体当たり動画」も追い風? オーダースーツSADA、過去最高業績ねらう

佐田展隆/オーダースーツSADA社長

PROFILE:(さだ・のぶたか)1974年生まれ。一橋大学経済学部を卒業後、東レに入社。2003年に父が経営する佐田に入社し、05年に社長。PRのため自社スーツをまとってスキージャンプを飛ぶ、富士山に登る、東京マラソンを走る等のチャレンジをユーチューブで配信。「カンブリア宮殿」(テレビ東京)等メディア出演多数。著書に「迷ったら茨の道を行け」(ダイヤモンド社) PHOTO:SHUHEI SHINE

オーダースーツSADAは、全国に47店舗を有する注文服大手だ。初回限定1万9800円という手頃な価格でフルオーダースーツを製造販売する。3代目の佐田展隆社長はこれまでバブル崩壊による消費低迷、東日本大震災による自社工場(宮城県)の被災、そしてコロナ禍によるスーツ離れ――数々の困難に直面してきたが、2024年7月期は過去最高の売上高を達成する見込みだ。ライトネイビーのスーツに赤ネクタイの姿で体当たりの企画に挑戦し、スーツの魅力を発信するユーチューバーとしての顔も持ち合わせる。

WWD:リモートワークが進んだコロナ禍を経て、ビジネスウエア市場は大きく変わった。直近のオーダースーツの商況は?

佐田展隆社長(以下、佐田):コロナ前の売り上げ水準に回復しており、今期(24年7月期)は過去最高の売り上げを更新する見通しだ。振り返るとコロナ禍は本当に大変だった。スーツ自体の需要が激減してしまったのだから。昨年も猛暑によって9月まで苦戦したものの、10月以降は復調した。以降、1月まで前年売り上げをクリアし続けている。

WWD:好調の要因は?

佐田:顧客の平均単価が上がった。現在の購買平均単価は4万円強。原料高にともない商品価格を上げたことも一因だが、“スーツは勝負の場で着るもの”という認識がコロナ以降に浸透した。ビジネススーツ市場自体は縮小している一方で、顧客が「スーツを何のために着るか」を見直したようだ。コロナ前はとりあえず仕事で必要だから何着か持っておく。それがTPOをわきまえ、大事な相手と会うときの勝負服、一張羅としての意味合いを強めた。せっかく購入するのであれば、サイズや着心地、デザインに納得いくフルオーダーの一着を持っていたいという声を聞くようになった。高価なインポート生地を選ぶ方も多い。

実際、オーダースーツへの関心が高まっている。グーグルの分析データによると「オーダースーツ」という検索キーワードがコロナ前の倍に増えているという。弊社公式ホームページの10月アクセス数が前年同期比4倍、11月も2.5倍に急伸した。こうしたことが追い風になっている。

初めてのフルオーダーの着心地に驚く

WWD:コロナ前後で顧客層も変化した?

佐田:顧客の平均年齢が10歳以上若返った。現在のボリュームは30代から40代。初めてオーダースーツを作りに来てくれるお客さまが多い。スーツをあつらえた経験があると言う方も、よくよく聞くと(既成の型紙から作る)パターンオーダースーツであることがほとんど。当社のように一人一人の体形を細かく採寸し、着心地も好みにも合わせるフルオーダーを経験している方は本当に少ない。そんなお客さまが出来上がったスーツに袖を通すと、一様に着心地やクオリティに驚く。そしてリピーターになってくれる。45%のお客さまが3年以内に再びSADAでスーツを作る。年に2回来店してくれるコアなファンもおり、こうしたロイヤルリピーターをどれだけ増やせるかが今後の鍵になりそうだ。

WWD:オーダースーツSADAの強みは?

佐田:自社工場(宮城県と中国・河北省)だ。細かいニーズに柔軟に対応できるほか、パターンオーダーとほぼ同価格でフルオーダースーツを作ることができる。流れとしては、個人に合わせたオリジナルパターンをおこし、好みのゆとり幅に調整しながら細かく補正。そのパターンに合わせ自社工場で縫い上げていく。

ヌード寸法(服ではなく着用者自身の寸法)に対して、どのくらいのゆとりが好まれるかを把握するのが重要だ。一口にスーツを着るホワイトカラーといっても仕事内容によって体の動きは異なる。デスクワークが多いのか、外回りが多いのか、車を運転することも多いのか。丁寧なヒアリングを重ね、仮縫いしたスーツを試着してもらいながら肩や背中などパーツごとに細かくゆとりを確認していく。ここを緻密に行うことで体形にジャストフィットし、着心地の良さに納得してもらっている。SADAのスーツはプロ野球やJリーグなど27のプロスポーツチームに公式スーツを提供(24年1月11日現在)している。アスリートの皆さんはフルオーダーでなければ体形に合うスーツが見つかない。契約数を通しても評価をもらえていると思う。

社長がスーツを着て過酷な山登りに挑戦

WWD:社長自身も自社スーツを着て、スポーツから山登りまで数多くのアクティビティにチャレンジしている様子をユーチューブで配信している。

佐田:富士山登頂からスキージャンプ、スキューバダイビング、トライアスロンまで本当にさまざまなことに挑戦してきた。きっかけは全部、社員からの無茶振り(笑)。ちなみに今日着ているスーツは海に潜ったとき、何回も着用していたものなので、クリーニングしても塩が落ちきれていない。こうした挑戦を通して、スーツにゆとりがあれば山登りでも何でも問題なく動けることを私自身も実感している。昨年のモンブラン(4807m、ヨーロッパアルプス最高峰)登頂の際は、あまりの強風でアンダーウエアやアウターが必須だったが、寒さ対策さえ万全にしていればスーツでも余裕で山に登れる。

毎月1回のペースで山に登り、ユーチューブで配信している。これまで登った数は、日本百名山でいえば35座。百名山を完登するまで絶対に続けると決めている。年に1回は海外の山にも登っている。もともと学生時代にノルディック複合の選手だったので、基礎体力には自信があるし追い込まれる方が好きなタチ。スーツが似合う体形をキープするためにも体脂肪率は11%を維持している。基本、夕食では炭水化物を食べない。

会社の公式チャンネルも開設していて、そちらではビジネスマナーやスーツの着こなしの動画が人気だ。私のチャンネルはあくまでも、笑いを交えてオーダースーツの敷居を下げたいという思いから。店頭スタッフによるとお客さまから社長動画について話題に上ることも非常に多いらしく、たいへんだけど続けてよかった。

WWD:会社として、社長個人として、今年に成し遂げたいことは?

佐田:会社としては、2024年7月期に過去最高の売上高40億円を達成し、コロナ脱却を証明する年にしたい。創業100周年を迎えたメモリアルイヤーに成し遂げる意義も大きい。個人としては、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(5895m)登頂だ。標高5000メートル以上の山に挑むのは初めて。頂上でキリマンジャロコーヒーを飲むと決めている。実は昨年末に左腕を骨折してしまい手術をしてリハビリ中だが、問題なくやり遂げられる自信はある。

The post 社長の「体当たり動画」も追い風? オーダースーツSADA、過去最高業績ねらう appeared first on WWDJAPAN.

カテゴリーを問わず各消費者に合う香りを提案 【ブルーベル・ジャパン セルジュ・グレベール社長】

PROFILE: セルジュ・グレベール/ブルーベル・ジャパン社長

セルジュ・グレベール/ブルーベル・ジャパン社長
PROFILE: (Serge Grebert)仏パリのビジネススクールHEC経営大学院を卒業後に来日。20年以上にわたり欧米企業の日本国内における事業の開発、営業戦略、マーケティング、業務プロセス最適化、組織づくりなどに従事。日本在住歴は30年以上になる。2009年11月から現職 PHOTO:TSUKASA NAKAGAWA

「グッチ(GUCCI)」「バーバリー(BURBERRY)」などのファッションフレグランスを手掛けるブルーベル・ジャパンは、「キリアン パリ(KILIAN PARIS)」「メゾン フランシス クルジャン(MAISON FRANCIS KURKDJIAN」などのニッチフレグランス、「ペンハリガン(PENHALIGON'S)」「ロジェガレ(ROGER & GALLET)」といった老舗ブランドまで幅広く輸入販売している。香水だけでなく、ボディーソープやハンドクリームなどライフスタイル全般に関わる“香り”を提供する企業として業界をリードする存在だ。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

多様化、拡大するフレグランス市場 
香りのプロの育成とタッチポイントの強化が鍵

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年の日本におけるフレグランス市場の動向は?

セルジュ・グレベール社長(以下、グレベール):欧米に比べると、まだまだ日本におけるフレグランス市場のシェアは低いが、ファッション、ニッチ、ホームと全てのカテゴリーで伸長しており、絶好調だ。ギフト需要が多い商材だが、コロナ禍以降は自分で楽しむ需要も高まっている。“おうち時間”が増えた影響でホームフレグランスも伸びている。日本では、長い間、清潔感のあるフレッシュな香りの人気が高かった。代表的なフローラル系の人気は相変わらず高いが、最近、通好みの洗練された香りの市場が出てきて、個性のあるフレグランスも売れるようになってきている。ブランドで選び香水を購入する層もあれば、自分だけの香りを探す層もあり、多様化している。個性を求める層の増加により市場は拡大している。

WWD:若い消費者を中心にニッチフレグランスの市場が拡大しているが?

グレベール:ファッションもニッチも両方のカテゴリーの需要がある。消費者の需要がファッションフレグランスからニッチへとアップグレードするわけではなく、それぞれに顧客がいる。基本的に、好きな香りは変わらないものだ。以前は、オフィスなどではフレグランスは使いにくいという風潮があったが、それが変わりつつあり、男性も普通に香水をつけるようになった。また、日本では、香水をシーン別に使い分けする傾向がある。フレグランスに対する許容範囲が広がり、消費者の関心の高まりが見られる。次々と新しいフレグランスが登場し、まずは小さいサイズを購入して新しい香りの体験をしている人も多いようだ。

WWD:23年の売上高の伸長率は?

グレベール:前年比2ケタ増で、19年の売上高にほぼ戻った。フレグランスはインバウンド比率が低いため、あまり売り上げに影響はない。

WWD:現在販売しているフレグランスのブランド数は?

グレベール:約35ブランドだ。

WWD:23年に成長したブランドとその理由は?

グレベール:ファッションカテゴリーでは、「バーバリー」の“ゴッデス”が世界的に大ヒット。香りだけでなく、レトロなイメージのボトルも人気だ。憧れのブランドの代表格「ティファニー(TIFFANY & C0.)」も人気が高い。「コーチ(COACH)」では、メンズフレグランスが伸びている。ニッチでは、「キリアン パリ」や「フレデリック マル(FREDERIC MALLE)」が好調で前年比30%以上伸長した。いろいろな香りを試してみたいという人が増えて、ディスカバリーセットがよく動いた。「メゾン フランシス クルジャン」は、ボディーソープやボディークリームなどを発売し、好評だった。ストーリー性のある「ペンハリガン」も好調。香りには長いトレンドと短いトレンドがあるが、“いい香り”のものしか市場で長続きしない。ニッチフレグランスは、洗練されたまねできない香りが高い支持を得ている。

WWD:コロナ禍前後のECの売り上げの変化は?

グレベール:コロナ禍でECの売上高は30%以上伸長した。好調をキープし、さらに10%程度ずつ伸長している。市場が広がり、ECではリピート購入やディスカバリーセットの購入が増えている。

WWD:ECでフレグランスを販売するための施策は?

グレベール:購入者へ新たな香りの体験を促すためにサンプルを同梱したり、メンバーシッププログラムでプレゼントを用意したりする。また、継続的にフレグランスに関する情報発信なども行っている。

WWD:ここ数年の日本におけるフレグランス市場の動向を踏まえて、24年のフレグランス市場の予測は?

グレベール:ファッション、ニッチ、ホーム、全てのカテゴリーで伸長するだろう。ブランドが多くなり市場が活性化し、拡大している。アイテム数やカテゴリーが増え、販路も広がり、さまざまな香りにアプローチしやすくなった。そのため、勉強してファンになる消費者が増えている。

WWD:フレグランス業界における“ブレークスルー”を目指して、ブルーベル・ジャパンとして取り組むべき課題は?

グレベール:日本のフレグランス市場をどう広げていくかが課題だ。社内に“パルファム ソムリエール”という資格制度があり、香りのプロを育成している。現在社内に約50人資格を持ったスタッフがおり、使い方のアドバイスをするだけでなく、好みやライフスタイルをヒアリングして、各顧客に合う香りをすすめている。自社で展開するショップ“ジャルダン デ パルファム”などで気軽にフレグランスを試してもらえるようタッチポイントも増やしていく予定だ。

会社概要

ブルーベル・ジャパン
BLUEBELL JAPAN

1954年、ラグジュアリーブランドのアジアに特化したディストリビューターとしてブルーベル・グループが誕生。世界市場をけん引する有名ブランドをアジアの消費者に紹介してきた。日本、韓国、中国、香港、台湾、シンガポール、タイなどに現地法人を構える。ブルーベル・ジャパンは1976年に創設。複合的な小売りと卸売りネットワーク、ECサイトを擁し、ファッション、香水、化粧品などのビジネスをオムニチャネルで幅広く展開

問い合わせ先
ブルーベル・ジャパン 香水・化粧品事業本部
0120-005-130

The post カテゴリーを問わず各消費者に合う香りを提案 【ブルーベル・ジャパン セルジュ・グレベール社長】 appeared first on WWDJAPAN.

2024年はBtoBの強化を図る【アイスタイル 遠藤宗社長兼COO】

PROFILE: 遠藤宗/アイスタイル社長兼COO

遠藤宗/アイスタイル社長兼COO
PROFILE: (えんどう・はじめ)船井総合研究所、たしろ薬品などを経て、2007年コスメネクスト設立、アットコスメストア開業とともに取締役に就任しアイスタイルグループに参画。コスメネクスト社長を経て、21年7月から店舗・ECの運営を行うアイスタイルリテール社長に就任。アイスタイルグループの国内外のリテール事業全般を統括する。22年9月から現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

リテールの好調で
スタート地点に回帰

アイスタイルの勢いが止まらない。既存店の成長に加え、関西に初上陸した旗艦店「アットコスメオーサカ」や、買収した老舗化粧品専門店シドニー7店舗が寄与し、直近の2024年7〜9月期の売上高は前年同期比35.3%増と四半期で過去最高の124億円を記録。リテールを中心にマーケティング支援やグローバルなど全セグメントにおいて増収を達成し、好調に推移している。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

WWDJAPAN(以下、WWD):23年6月期は過去最高の売り上げを達成した。

遠藤宗社長兼COO(以下、遠藤):この2〜3年はコロナ禍で店舗事業を中心に大きな影響を受けたが、やっと厳しかった時期を乗り越えたという感覚にある。コロナ直前の20年1月にオープンした「アットコスメストア」初の旗艦店「アットコスメトーキョー」は連日にぎわいを見せており、平日は約9000人、週末は約1万5000人と来客数が増加。買い上げ率は約40%で、月間の売り上げも平均約5億円まで伸ばしている。「アットコスメトーキョー」をフックに、会社全体が盛り上がっており、ようやくスタート地点に戻ってきた思いだ。

WWD:中でもリテール事業が好調だ。

遠藤:9月に関西初の旗艦店として、JR大阪駅直結の商業施設ルクア イーレ3階に出店した「アットコスメオーサカ」が好調で、館全体の盛り上がりにも貢献している。当社は「アットコスメ」の口コミ情報を利用して店舗やEC展開できるのが強み。ただブランドごとに商品を並べるだけでなく、プチプラからラグジュアリーコスメまで価格差のあるランキングをもとに豊富な品ぞろえで世界観を作ることができるのがリテール事業の好調理由の1つだろう。また、同店のオープンで近隣百貨店の売り上げが落ちることも無く、人流をつくりながら新マーケットを創出する役割を果たした。生活者とブランドをつなぐために地道にやってきたことがまさに評価されたと感じており、今後もチャンスがあれば主要都市に旗艦店を出店していきたい。

WWD:生活者とブランドをつなぐために具体的に行ったことは。

遠藤:社長就任から社内で言い続けているのは、ミッションである「Beautyの世界をアップデートしながら、多くの人を幸せにする」ために、どのような行動をしなければいけないかということ。当社のミッションを実現するには、生活者とブランドの双方を深く理解し、メディアの「アットコスメ」、ECの「アットコスメショッピング」、店舗の「アットコスメストア」の3つを密に連携させてビジネスをしていくことが重要になる。また、当然ながら持続的に事業成長させることが求められるが、これまでのアイスタイルでは、「かけたコストを必ず事業成長につなげる」という部分への意識が薄くなりがちな部分があったように思う。社長就任後、基本的な事業戦略はなにも変わっていないが、そういった部分の社員の行動指針や考え方をそろえることに注力してきた。

WWD:コロナ前後で消費者の買い方はどう変化したか。

遠藤:訪日外国人客の買い方は大きく変化した。これまでは日本で特定の商品の指名買いだったが、自身の悩みに対応する化粧品を求めるようになった。個人旅行も多く、団体での爆買いもほとんどない。また、業界の変化としては日本に進出したい海外ブランドも増加している。日本は米国、中国に次ぐ世界第3位の規模を誇るビューティ市場で、日本で支持される商品は良いモノという認識が根強い。今後は、そういったブランドの日本進出のサポートにもより力を入れていきたい。このほか20年に設立した、インフルエンサーマーケティングを行うアイスタイルミーでは「アットコスメ」のプラットフォームとSNSの双方を活用したプランニングはもちろんのこと、「アットコスメ」を全く介在させない純粋なSNSマーケティングのサポートも多くおこなっており、順調に成長している。

WWD:22年に業務資本提携を締結した米国アマゾンと三井物産との取り組みについて。

遠藤:昨年11月にアマゾンジャパン合同会社と協業し、Amazon.co.jp上に「アットコスメ ショッピング」をオープンした。まだ8ブランドの取り扱いではあるが、当初の狙い通りラグジュアリーブランドに参画いただき、まずはオープンというスタート地点に立つことができ安堵した。「アットコスメ」の特徴である口コミに加え、美容部員のレコメンドやアドバイスなども掲載し、アマゾンユーザーに新たな化粧品の購入体験を提供。この先も、ラグジュアリーブランドを中心に取り扱いを増やしていくほか、リアル店舗でのコラボレーションなども引き続き推進していく。三井物産とも海外での取り組みについて引き続きいろいろと可能性を検討している。

WWD:24年に注力することは?

遠藤:リテールやメディアの勢いでBtoC事業が順調な一方、BtoB事業の成長スピードが追い付いていない。今後は、これまで中心だったキャンペーン型の広告ではなく、より包括的なブランドのマーケティング支援事業を中心に据えたい。その準備に24年は注力する。花開くのは25年以降になると思うが、しっかりやり切りたい。

会社概要

アイスタイル
ISTYLE

前職で化粧品メーカーに勤務していた山田メユミ取締役の化粧品のメルマガへの大きな反響をきっかけに、コスメ・美容の総合サイト「アットコスメ」事業化のため、アクセンチュアに勤務していた吉松徹郎会長と山田取締役が共同で1999年7月に設立。2002年にEC事業、07年に店舗事業を開始し、ネットとリアルで事業を展開。12年に東証一部上場

問い合わせ先
アイスタイル
お問い合わせフォーム

TEXT:WAKANA NAKADE

The post 2024年はBtoBの強化を図る【アイスタイル 遠藤宗社長兼COO】 appeared first on WWDJAPAN.

ソフトとハードに磨きをかけ、唯一無二の商品力を発信【SK-II 西田文彦事業代表】

PROFILE: 西田文彦/P&Gプレステージ「SK-Ⅱ」事業代表

西田文彦/P&Gプレステージ「SK-Ⅱ」事業代表
PROFILE: (にしだ・ふみひこ)「日本発のイノベーションを世界に羽ばたかせるビジネスリーダーになりたい」という信念の下、国内医療機器メーカーの海外営業を経て2011年にP&Gに入社。一貫して「SK-Ⅱ」事業に携わり、シンガポール、日本、香港、台湾でのブランドマネジメントを経験。日本の「SK-Ⅱ」営業組織を統括した後、22年1月から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

主力商品の“フェイシャル トリートメント エッセンス”を中心に、世界中の女性から支持され続けるプレステージスキンケアブランド「SK-Ⅱ」を展開する。「秋田10年肌研究」をはじめとする同ブランドが誇る最先端の肌研究は進化を続け、2023年は第25回世界皮膚科学会で炎症老化にまつわる新知見を発表した。24年も進化の手を緩めず、スキンケアエキスパートとしてまだ見ぬエイジングケア領域を切り開く。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

“ドント・ストップ・ザ・モメンタム”を合言葉に
“No.1”ブランドを目指す

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年はどのような年だったか。

西田文彦「SK-Ⅱ」事業代表(以下、西田):一貫してプレステージスキンケアブランドとして“No.1”を意識した1年で、業績は非常に好調だった。21年から2年連続で新客2ケタ成長を実現している勢いを維持すべく、23年は“ドント・ストップ・ザ・モメンタム(勢いを止めない)”を合言葉に走り抜けた。ブランドの真骨頂である“フェイシャル トリートメント エッセンス”を柱とする多角的な施策が奏功し、さらに加速することができた。

WWD:具体的な要因は?

西田:特別な酵母を独自に発酵させた成分「ピテラ™」※1の優位性を丁寧に伝え続ける実直な姿勢が、お客さまの心に響いている。22年に開催したグローバルイベント「ワールド ピテラ™ デイ」を進化させ、23年は7月に「ワールド ピテラ™ マンス」として1カ月にわたる啓蒙キャンペーンを全国で実施した。その一環として東京・表参道でピテラ™の秘密を解き明かす五感体験型イベント「シークレットキーハウス」を2日間限定で開催し、多くの人に来場いただいた。ピテラ™の便益やサイエンスを再訴求することができ、新客のカウンターへの誘引にも寄与した。23年後半は「メゾン キツネ」とコラボレートした限定ホリデーコフレが大変好評だった。このように独自成分ピテラ™の魅力を発信する場を持つことや、思わず手に取ってしまう特別感のある商品を定期的に打ち出すことで、新客獲得のチャンスをまだまだ生み出せる手応えを感じている。

WD:2年ぶりの新商品発売も話題を呼んだ。

西田:これまでも世界最先端の皮膚科医と共同研究を重ねてきたが、23年はエイジング領域の新知見として炎症老化の引き金となる“エイジングの火種”※2を発表した。この新知見を基に開発したのが “スキンパワー アドバンスト クリーム”だ。発売4カ月で53※3のアワードを受賞するなど大きな反響をいただいている。また新商品の発売に伴い、全国のカウンターに設置する非接触型肌測定マシン「マジックスキャン」にも“エイジングの火種”※2を測定する最新機能を導入した。

WWD:ピテラ™の研究では新知見を発表し続けている。

西田:昨年は“肌調和研究”が進み、ピテラ™には乾燥やキメの乱れなどの肌悩みの要因となる肌の不調和を整える働きがあることを発表した。ピテラ™の無限の可能性を生かして商品開発や店頭カウンセリングにさらに磨きをかけられるのは当社の大きな強みだ。売り上げやランキングなど数値化される評価だけにとらわれず、スキンケアエキスパートブランドとして、R&D分野を含む価値ある情報と商品を届け、本当の意味で支持されるブランドを目指したい。とはいえ、他社と顧客を奪い合うつもりはない。当社独自の調査によると、「SK-Ⅱ」を含めて高価格帯プレステージスキンケアは世帯普及率(ある商品の100世帯あたりの保有数)がまだまだ低い。

つまりプレステージスキンケア商品に触れたことのない層がまだまだ多いということだ。伊勢丹新宿本店で「SK-Ⅱ」の最高級ライン“LPX”のポップアップショップを開催した際、予想をはるかに上回る新客に購入いただく一方で、「百貨店には頻繁に訪れ商品を購入するが、スキンケアは良いものに出合ったことがなく投資していなかった」という声も聞かれ、潜在的なニーズと購買力があるにもかかわらず、プレステージスキンケアとの接点がない人の多さを実感した。カテゴリー自体の普及率が低い中でシェアを奪い合うのではなく、カテゴリーの成長に貢献したい。潜在顧客とのタッチポイントを精力的に増やすことで、市場自体を活性化させることがわれわれの目指す“No.1”への近道だと信じている。

WWD:プレステージスキンケアを身近に感じてもらう施策は?

西田:オフラインでの体験と掛け合わせたSNSコンテンツの配信などだ。例えば肌測定マシン「マジックスキャン」の店頭体験動画や、ビューティ・インフルエンサー(美容部員、以下BI)との店頭からのライブ配信は反響が大きかった。「SK-Ⅱ」に興味がありながら百貨店のカウンターに行くハードルの高さを感じている層を取り込むには、オンラインで手軽に閲覧できるコンテンツを入り口として、魅力的な店頭体験を伝える必要がある。また数年前に発足した、全国の卓越した接客力を持つBIを集結させた選抜チームを派遣するポップアップのメガイベントも強化する。

WWD:24年に注力することは?

西田:ピテラ™の魅力をより幅広く発信する大型キャンペーンや、商品面での新たなイノベーションを控えている。店頭においては“共感型接客”をテーマにソフト面(BI)とハード面(肌測定マシン)の進化に磨きをかけていく。商品とカウンセリングの双方でイノベーションを起こし、スキンケアエキスパートとしてさらなる高みを目指す。

※1 特別な酵母の株を、独自のプロセスで発酵させ生み出した「SK-Ⅱ」だけの天然由来成分(『SK-Ⅱ』独自のガラクトミセス培養液-整肌保湿成分)
※2 ハリの低下や乾燥による小じわ、キメの乱れ、毛穴の目立ちを引き起こす乾燥状態
※3 2023年12月31日時点での雑誌・ウェブ等のメディア・SNSにおけるビューティアワード相当賞受賞総数

会社概要

エスケーツー
SK-II

1980年に、日本酒の酒造所の杜氏の手肌の美しさにヒントを得て、特別な酵母の発酵がもたらす唯一無二の成分「ピテラ™」(※1)を配合したスキンケア商品“フェイシャル トリートメント エッセンス”が誕生したのが「SK-Ⅱ」ブランドの始まり。1991年にマックスファクター傘下からプロクター・アンド・ギャンブル傘下に移った。その後、「SK-Ⅱ」商品の海外への販売を開始し、2016年8月に社名をP&Gプレステージ合同会社に変更した。現在、世界12の国と地域で展開する

問い合わせ先
「SK-Ⅱ」お客さま相談室
0120-021325

The post ソフトとハードに磨きをかけ、唯一無二の商品力を発信【SK-II 西田文彦事業代表】 appeared first on WWDJAPAN.

多様なワクワク・ドキドキとつながるプラットフォーマー企業へ【デイトナ 佐々木聡社長】

PROFILE: 佐々木聡代表取締役/社長執行役員CEO

佐々木聡代表取締役/社長執行役員CEO
PROFILE: (ささき・あきら)1965年9月3日生まれ、北海道出身。古着店、アパレルメーカーを経て21年デイトナ・インターナショナル代表取締役に着任 PHOTO:YOW TAKAHASHI

2021年4月に代表取締役に就任した佐々木聡氏の指揮のもと第2創業期を迎えているデイトナ・インターナショナル。23年はさまざまなプロジェクトや子会社の発足のニュースが目を引いたが、そこにあるのは一貫して、多様な価値観を応援する企業でありたいという思いだった。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

デジタルとリアルを融合
お客さまとの全タッチポイントで満足度を高める

WWDJAPAN(以下、WWD):社長就任から3年弱、業績の変化と取り組んできたことは。

佐々木聡社長(以下、佐々木):売り上げは、この3年間順調に成長している。注力したことは、多様な「ワクワク・ドキドキ」を伝えるプラットフォームとしてのデジタルとリアルの融合だ。リアル店舗とeコマースとSNS、お客さまとのタッチポイント全てにおいて満足度を高めるために私たちはいるのだ、ということを軸にしてきた。

WWD:売上高が成長した要因は。

佐々木:顧客体験価値の最大化を全てのタッチポイントで改善、向上していくことを積み上げていった結果と思う。

WWD:就任時からどんな考え方で会社経営に取り組んできたか。

佐々木:広義の意味での「ファッション」とは何か、「豊かさ」とは何かを考え続けることが大事なポイントだと思っている。服だけにしばられずに、私たちは人々の生活をどう豊かにするかを社員と一緒に取り組んできた。社員もステークホルダーの皆さんも多様なメンバーがそろっている。だから面白いことができる。

WWD:マーケットや消費者の変化をどう見ているか。

佐々木:人の「好き」の細分化が非常に深まり、それが顕在化している。特に23年は、多様性を尊重することが大事であることが広く認識され、ポジティブな感覚を認め合うモチベーションが高まった年だったように思う。私たちはファッションの企業であると同時に人の「好き」を応援する企業でありたいと考えている。23年に始動し、個性的なアーティストや行政、企業とのコラボレーションを行う「フリークス ビレッジ」は、まさにその一例。何かが好きという感覚を軸に誰かとつながることはうれしい。私たちはモノのセレクトだけではなく、「好き」のセレクト業態を目指したい。ほかにもラジオ番組「ラジオフリークス」やサステナブルプロジェクト、映像事業(映画の配給・宣伝など)の「フリークスムービー」、そしてOMOソリューションの企画・製造・販売などデジタルDX事業を行う子会社のイノベーションスタジオの設立、ヨセミテ・ストラップの企画・製造・販売を行っているスモーキーサンデーを当社グループに迎えた。ユーチューブで「オカルト部」を作ったりも。多様な「好き」でコミュニティーを作ることがブランドになると考えているからだ。年齢・性別・国籍をまたいでつながることができる多様な「好き」をベースにセグメントすることが成長のキーだと思う。

WWD:精力的に多方面へチャレンジしているように見える。

佐々木:自分たちがドキドキ、ワクワクするものをお客さまにご提案、共有し、お客さまからも同じように共有いただいて、互いにリスペクトし合える時間を生み出していく会社でありたいと考えている。社員がさまざまな価値観にふれ、つながることで企業の枠を超えて新しいビジネスを生み出していける。23年12月の京成電鉄とのコラボレーションもそんな考えから生まれている。開業90周年を迎えた東京・上野にある廃駅、旧博物館動物園駅に「フリークス ストア」のポップアップストアを開き、京成電鉄のスカイライナーや限定ロゴのグッズを販売した。これは異業種コラボレーション「京成フリーク」の第1弾で、今後も複数の企画が進行している。

WWD:アイデアを形にするための組織体系の工夫は?

佐々木:組織体系は普通だが、横串を通したさまざまなプロジェクトを走らせて業務の壁を越える機会を作っている。業務・職種関係なく、他部門・他社の価値観をリスペクトすることが浸透しているので、新規事業を始めたときに、協力、応援しようという流れになりやすい。チーム編成もジェネラリストとスペシャリストと分けがちだが、横串を通したプロジェクトを走らせることや、人事制度も職種の枠を柔軟に超えられる仕組みにした。その方が風通しがよくなり、さまざまなケイパビリティを一人一人が備えることが今の時代に対応した職種や働き方を作っていくと考えている。チャレンジャーな企業であるためにはtoB、toCで分けたビジネスモデルや組織体制ではなく、もっと自由に社内のシナジーを生み出すことが大事だ。

WWD:24年はどんな年にしようと思っているか。

佐々木:今もいろいろなプロジェクトを準備しているが、今年は一段ギアを上げて行きたい。昨年面白かったのは「着る、名店スウェット」という企画だ。長野県の地元で愛される店や人にちなんだイラストのオリジナルスエットを着て応援しようというもの。ショップスタッフやお客さんが盛り上がって始めたものだが、かなり人気でテレビの取材も5社ほど来たり、他の市町村からも相談が来たりした。店舗や社員がさまざまなステークホルダーの皆さんの「好き」を、表現することが当社のミッションだと思っている。

会社概要

デイトナ・インターナショナル

1986年茨城県古河市に「フリークス ストア」1号店をオープン。90年デイトナ・インターナショナル設立。96年に渋谷店をオープンし全国へ展開。協業規格住宅「フリークス ハウス」、コワーキングスペース「アンドフリーク」、再エネ電力プロジェクト「フリークス電気」など幅広く⼿がける。2023年には、新ブランド「カウラム」、映像事業「フリークスムービー」、新プロジェクト「フリークスビレッジ」などを始動。グループ企業に「イノベーションスタジオ」や「スモーキーサンデー」など。従業員数は751人

問い合わせ先
デイトナ・インターナショナル
03-5770-8798
TEXT: MIWAKO ANNEN

The post 多様なワクワク・ドキドキとつながるプラットフォーマー企業へ【デイトナ 佐々木聡社長】 appeared first on WWDJAPAN.

BtoB事業と海外を拡大し コミュニティーを世界へ【ビームス 設楽洋社長】

PROFILE: 設楽洋/ビームス社長

設楽洋/ビームス社長
PROFILE: (したら・よう)1951年4月13日生まれ、東京都新宿区出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、75年に電通入社。76年2月に家業の新光の新規事業として「ビームス」1号店を原宿に出店。83年電通を退社し、ビームスと新光の専務に。88年ビームス、新光、ビームスクリエイティブの代表取締役を兼任。2011年に持株会社化し、ビームスホールディングス社長に PHOTO:YOW TAKAHASHI

コミュニティーブランド化を図るビームスは2023年、その柱となる人施策を強化し、「一人一人が光る」をスローガンにスタッフのスター化を推進した。24年はこのコミュニティーの輪を広げ、BtoB事業、さらにはグローバル事業も巻き込んでいく。新物流センターにも注目だ。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

人施策が絶大な効果に

WWDJAPAN(以下、WWD):23年を振り返ると?

設楽洋社長(以下、設楽):コロナ禍から行ってきた創意工夫が今、非常に効果を発揮し、売り上げ、客数共に伸び、過去最高益に近い数字が出ている。さらに、アジア圏のみならず欧米を含むインバウンドの売り上げが全体の1割に達し、海外進出への可能性も感じた。上期は売上高が前年同期比10%増で、EC化率は30%台に落ち着いた。

WWD:注力した施策と収穫は?

設楽:一つは「人施策」だ。店舗を中心としたスタッフの活躍で、オンライン、オフライン問わず絶大な効果を上げた。もう一つは「セール時期の変更・短縮」だ。業界を上げて取り組みたかったが調整の難しさもあり、自社単独で22年から行ってきたところ、昨年夏のセールでもプロパー販売が増え、微減収だが粗利は増えた。懐疑的だった幹部らにも、売り上げより利益、粗利を重視する意識が浸透したことは大きな収穫だ。三つ目が「BtoB事業」だ。年間400〜500案件ほどオファーがあり、小売りビジネスの粗利を超える収益性も含め、次の時代の布石になった。

WWD:コミュニティーブランド化への動きも活発化した。

設楽:各セクションで濃いファンのオフ会のような催しをしたり、人施策においては、コミュニティーを持っているスター社員の本を出版したり、出雲や日光に出店した「ビームス ジャパン(BEAMS JAPAN)」のゲートストアや地方店舗などで地域コミュニティーを作ったり。「フェルメリスト ビームス(VERMEERIST BEAMS)」20周年イベントには200人が来場。「ビームス エフ(BEAMS F)」45周年イベントではこんなにもスーツやジャケットをビシッと着こなす男性が集まるものなのかと驚きつつ、お客さま同士のつながりもできていた。「ビームス ボーイ(BEAMS BOY)」では企画会議に参加してもらったお客さまの声を反映した商品作りも実践。若手バイヤー主導の「フューチャー アーカイブ(FUTURE ARCHIVE)」も新世代のコミュニティーを生み出すなど、理想の形に近づいてきている。

WWD:24年のスローガンは?

設楽:「自ら熱源になれ!」だ。一人一人が進化し、お客さまにも取引先にも、スタッフ同士も経営陣も熱い思いを持った集団になりたい。店舗のスタッフは「ルミネスト認定会」で最上位のルミネストゴールドを獲得し、「スタッフオブザイヤー」で上位になるなどロープレにも前向きだし、SNS時代に入っても成果を出している。ビームスの自由かったつな社風が若手の熱量と相まっていい効果が出ている。

WWD:24年の大きなトピックスは?

設楽:次の時代のビームスのために、近代的なロジスティクスにすべく、物流センターを深川に移転する。面積は約1万坪で、世界初のロボティクス技術を使ったマテハン機器も導入する計画だ。色別、サイズ別で10万アイテム超、しかも、ファッションだけでなく家具やアートのような1点ものまで扱う難しさもあるが、自社物流で培ってきたノウハウに磨きをかける。

WWD:課題は海外事業とBtoB事業のさらなるブランディングだ。

設楽:海外は現地法人が8店舗を運営する台湾が先行している。ビームスは業界内では欧米、アジアで有名だが、一般の方にはアジア以外は認知度が高くないのでブランディングが必要だ。店を持つのが一番だが、セレクト業態は難しいので、海外バイヤーから評価の高い「ビームス プラス(BEAMS PLUS)」と「ビームス ボーイ」を欧米の展示会に出して、ブランドとして育てたい。また、台湾で現地企業とBtoBで協業するなど有機的につながる海外進出のビジョンが見えてきた。ビームスはとんがった面白いことをやる集団で、スポーツやマンガ、アートに強いスタッフも多い。それらをグローバル事業やBtoB事業に活用したい。人材育成の面でも、長い経験のあるスタッフに次の挑戦を促すいい流れができている。27校ある制服デザインのような、恒常的ビジネスのパートナー作りも重要だ。

WWD:基幹のtoC事業での課題は?

設楽:持続的なビジネスのためにも商品と価格のバランスは考えていきたい。極端な例だが、コラボ商品が発売日にメルカリで倍の値段で出品されているケースを考えると、その価値があるなら最初からその値段を付ければいいとも言える。お客さまの満足度を高めるこだわりがあり利益も出る、ビームスなりのリーズナブルのあり方を模索したい。

WWD:最後に、ファッション業界で働く人々にエールを。

設楽:日本を背負っているという思いで、一緒に日本を元気にしましょう!日本は歴史の中で培われた素晴らしいものがある。それを世界に送り届けるのはわれわれの役目だ。経済的な豊かさよりも文化やスピリチュアリティが重要になる時代の中で、日本自体がスーパーブランドになれる可能性がある。社内では「日本=ビームスになる」と言っている。48年前、たった6.5坪で「日本の若者の文化・風俗を変えるぞ」と言ってここまで来たのだから、それくらい言ってもいいでしょ(笑)。

会社概要

ビームス
BEAMS

1976年、段ボールを中心に扱う家業のパッケージ会社、新光紙器(現新光)がオイルショック直後に新事業「ビームス」を立ち上げる。82年ビームス設立。87年ビームスクリエイティブを設立。2011年にビームスホールディングス設立。売上高は23年2月期で831億円。30以上レーベルを展開し、期末店舗数は162店舗(うち、海外12店舗)。台湾と英国に現地法人を構える。従業員は2233人

問い合わせ先
ビームス
お問い合わせフォーム

INTERVIEW : KUMI MATSUSHITA

The post BtoB事業と海外を拡大し コミュニティーを世界へ【ビームス 設楽洋社長】 appeared first on WWDJAPAN.

藤原ヒロシが教える「正しい充電器の選び方」

藤原ヒロシといえば、ガジェット通で誰よりも早く最新のMacBookやiPhoneを手にしている印象が強いが、実は充電器にも詳しい。ガジェットを手に世界各地を飛び回る中で、これまでにさまざまな充電器を試してきたという。そんな藤原が日頃から愛用している「アンカー(ANKER)」と「フラグメント デザイン(FRAGMENT DESIGN)」のコラボモデル「アンカー プライム ウォール チャージャー(100W, 3 ports, GaN)フラグメント エディション(Anker Prime Wall Charger(100W, 3 ports, GaN)FRAGMENT Edition)」がこのほど発売した。最大100ワット(W)出力で3ポート搭載、1.8mのUSB-Cケーブルに「ラミダス(RAMIDUS)」の専用ポーチと、全てがちょうど良いサイズ感。ほとんど人は充電器のことを深く考えたことはないかも知れないが、実は奥が深いのだ。充電器を語らせたらちょっと“うるさい”藤原が、正しい充電器の選び方を教える。

――“充電器マニア”でもあるヒロシさんが、充電器に最も求めていることはなんですか?

藤原ヒロシ(以下、藤原):持ち歩きしやすいように小さい方がいいな、とかかな。確実に必要なものだから、新しいものが出たらどんどん買って試していますね。「アンカー」は初期の“アトム(Anker PowerPort Atom、2018年発売)”シリーズが登場してから急激に充電が速くなったんです。テクニカルなことは分からないけど、サイズは小さいのにワット(W)数が急激に上がった。

――なぜ、充電器にこだわるんですか?

藤原:MacBookが僕の仕事道具だと思っているので、常にMacBookを持ち歩いていて、常に充電もしたかったりするから。逆にみんなパソコンにはこだわるのに、なんで充電器にこだわらないんだって(笑)。

――確かに、充電器を気にしない人は多いですね。

藤原:ほとんどの人が大きく捉えていないことでも、実は大きな問題って結構あるんです。僕が常々思っているのは、イヤホンを左右逆につけている人がいっぱいいること。最近は形そのものが右耳用、左耳用になっているけど、気にしない人がいる。でもそれって僕らにとっては冒涜なんです。レコーディングしているときに左右ちゃんと決めていて、逆にすると聴こえない音もある。だからイヤホンとかも、もっと右と左が分かるようにしておいてくれたらいいのになとか、いろいろ思うことがあったんです。それと充電器も似ていて、昔のiPhoneの充電器を気にせず最新の機種にそのまま使っている人が結構います。MacBookもAirからProに買い替えるとジャック(出力端子)は同じだからAirの充電器とケーブルをそのまま使えはするんだけど、実は充電ワット数が全然違う。

――今回コラボした充電器は100Wですが、100Wを選んだ理由は何ですか?

藤原:最近出た100Wの充電器が持ち歩けるサイズで、出力が一番大きかったんです。MacBook Pro(の充電ワット数)が65〜140Wなので、100Wあれば安心ですね。

――iPhoneの初期の小さい充電器は5Wみたいですね。

藤原:厄介なことにそれでも充電できないわけではないんです。すごく時間がかかるだけで。最近はMacBookもiPhoneもジャックがUSB-Cになったから、ケーブルは共有できるものもあるんだけど、充電器は共有できない。時間は大切じゃないですか。

――充電器に“100W”と大きくデザインした理由は?

藤原:イヤホンの左右をちゃんとつけて欲しいのと同じです。同じようなサイズで65Wもあるから。よくみたら違うけど、これならすぐ分かるじゃないですか。

――確かに充電器って全部同じような黒い塊が多いというか……。

藤原:そうなんです。

――商品には「ラミダス」のポーチが付属するんですね。

藤原:結局こういうのってかさばるので、充電器とケーブルがちょうど入るサイズにしました。(充電器にはポートが3つ付いているので)ケーブルをもう1本用意していただければ、MacBookとiPhoneを同時に充電できます。

――4本付属する結束バンドも「フラグメント」のロゴが入った特別仕様ですね。

藤原:実はこれも改良した方がいいんじゃないか?って言ったんですけどね。これは絶対間違えていると思う。(先端をコードに巻き付け、穴に通してマジックテープで留める仕様だから)穴に通して引っ張る方が長くないといけないと思うんだけど、穴に通した方が短いから気付くとたまに取れてしまうんです。

――よく細かいところに気付かれますよね。

藤原:やっぱり旅をするからじゃない?でもここは今回改良できなかったんです。まぁ「アンカー」はベルクロ屋ではないので、充電器に注力してくれれば大丈夫なんですけどね(笑)。

――ちなみに、旅へはどのような充電器のセットを持っていくんでしょうか?

藤原:充電器1個と海外用の変換アダプターですね。スーツケースにも充電器を入れているけど、ラウンジで使うには持ち歩かなきゃいけないので。ラウンジは変換アダプターがないと使えないことが結構多いんです。

――充電器に関して、旅で困ることはありますか?

藤原:飛行機もだけど、充電器そのものが重くて大きいと、コンセントに差していても知らない間に抜け落ちていることがある。だけど、これはコンセントの部分がラバーコーティングしてあって落ちないんです。すごい小さなことだけど、重要なこと。移動中に充電されているはずが、着いたらされていなかったとかもあるので。

――そもそもヒロシさんは、どれくらいの頻度でガジェット(PCやその周辺機器)を買い替えますか?

藤原:情報が出たらついつい買ってしまいますね。

――頻繁にMacBookやiPhoneを買い替えると、データ移行が億劫じゃないですか?

藤原:ちょっと億劫だけど、なんとなく使命感的に。僕が率先して買い替えなかったら誰が買い替えるんだって(笑)。

――どのくらい昔のデータまで保存しているんですか?

藤原:基本的には全てしているはず。上手くデータ移行できていないときもあるだろうけど、2000年以降は確実にありますね。

――いつからラップトップを使われているんですか?

藤原:PowerBook(MacBookの前身のラップトップ)を買ったのが89年か90年だったかな。

――当時は海外へもPowerBookを持って行っていたんですか?

藤原:持っていっていました。そのときは買ったときに付いている純正の充電器だけだったと思います。

――充電器が選べるようになったのはいつ頃からですか?

藤原:充電器のサードパーティが出てきたのは、やっぱりiPhoneが普及してきてからですよね。たまにあったけど、そこまでポピュラーじゃなかったし。iPhoneが普及して、家に充電器を忘れる人が増えて、コンビニで売り出したりとかしたんじゃないですか。今でもMacはMacの充電器を使っている人が多いかも知れないけど、めっちゃでかいんですよ。なのに(充電ワット数が)80W。だから僕はMacBookの純正の充電器は開けてもいないです。別に家ならそれも使えるんだろうけど、それにしても大きいし、家用にももっといい「アンカー」の充電器がたくさんあるので、そっちの方がいいです。

――そうなんですか!じゃあ今回のコラボは、純正よりもハイスペック……。

藤原:はい。旅をすると本当に荷物が多くなっちゃうから、MacBookはモニターが大きい方がいいけど、充電器みたいなものは軽ければ軽い方がいいし、小さければ小さい方がいいですよね。今は100Wで十分だけど、これからもしMacBookやiPhoneがどんどん進化したら、もっとワット数の大きい充電器が必要になって、なおかつサイズも小さくなったりするだろうね。

――ヒロシさんが「アンカー」を使い続ける理由は何ですか?

藤原:ワット数の高い充電器って、最初に「アンカー」から出て、そのあと他のメーカーからもちょこちょこ出てくるんですが、それと比べるとデザインが「アンカー」の方がかっこいいからです。他も買って試していましたが、最近は「アンカー」しか買っていませんね。充電器は本当にワット数によって全然スピードが違うんで。知らない人は時間を無駄にしますよってことです(笑)。

The post 藤原ヒロシが教える「正しい充電器の選び方」 appeared first on WWDJAPAN.

「徹底した現場主義」が世界で評価【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.5】

PROFILE:須藤玲子/「NUNO」代表兼ディレクター、東京造形大学名誉教授(手前)

(すどう・れいこ)1953年茨城県石岡市生まれ。日本の伝統的な染織技術から現代の先端技術を駆使し、新しいテキスタイルづくりをおこなう。作品は、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ロサンゼルスカウンティ美術館、ビクトリア&アルバート博物館、東京国立近代美術館など、世界の名だたるミュージアムに収蔵されている。2022年第11回円空大賞受賞。主な書籍に『日本の布(1〜4)』(MUJI BOOKS 2018, 2019)、『NUNO: Visionary Japanese Textiles』(Thames & Hudson 2021)など。写真は桐生の兵藤織物での須藤氏

世界的なテキスタイルデザイナーの一人である須藤玲子「NUNO」代表兼ディレクターにとって、日本の繊維産地は非常に深い関係がある。1987年に「NUNO」のディレクターに就任以来、ずっとほぼ全てのアイテムを日本で作り、須藤ディレクター自身が自らの足で産地を歩き、文字通り彼ら/彼女らと一体となってモノ作りを行ってきた。まさに“共創”と呼ぶにふさわしいモノ作りのこれまでを語った。(文中敬称略)

1回目はこちら
2回目はこちら
3回目はこちら
4回目はこちら

1987年以来、「徹底した現場主義」を貫く

須藤は1987年にNUNOのディレクターになったとき「できる限り全アイテムを日本生産にする」と心に決め、以来ずっとそのルールを頑なに守っている。さらに「工場や職人と協業し、チームワークでモノづくりを進める」という信条を抱いている須藤にとって、全国各地にある産地で布づくりを行う工場や職人は、かけがえのない存在だ。繊維工場の場合、いわゆる中小・零細企業が多く、社長=職人という場合も多い。徹底した現場主義を貫き、積極的に工場へ赴き、ずっと職人と直にやりとりしてきた。

実際には産地ごとどころか、工場ごとに得意分野があり、どんな機械を持っていて、どんな技術を持っているかは異なっており、いわゆる産地の外にいるとそれを把握するのは実はかなり難しい。須藤の凄みは、非常に高い解像度でそれらを把握していること。つくりたいテキスタイルに対して、須藤の頭のなかにのみ存在する“日本産地マップ”があり、「この人に頼めばできるはず」「この産地に相談してみよう」と算段しているのだ。

1998年のMoMAによる「日本素材の展覧会」の衝撃

1998年9月12日から99年1月26日にかけてニューヨーク近代美術館(MoMA)が開催した「Structure and Surface: Contemporary Japanese Textiles」は、日本の布づくりの偉大さとユニークさを世界に発信し、世界の繊維・アパレル関係者、アート、デザイン分野で高い評価を得た。加えて、これまで日本国内ですらあまり表に出てこなかった「産地企業」が名前付きで大きく前に出たことで、その後の日本の繊維産業に衝撃を与えた。

この展覧会は、須藤にも大きく、そして深く影響を与えている。実はこの展覧会の実施から10年前にさかのぼるある日、須藤の元を後に同展覧会担当キュレーターになるカーラ・マッカーシー(Cara McCarty)とマチルダ・マクエイド(Matilda McQuaid)が訪れた。聞けば、当時「イッセイミヤケ」「コム デ ギャルソン」などを通して、欧米で関心の高まっていた日本のテキスタイルにフォーカスした展覧会をしたいという。「私に案内役になって欲しいというんですよ。それなら、ということで北は青森から、南は沖縄まで、彼女たちを案内して回ったんです。当時はインターネットなんてない時代です。それこそ、産地ごとに組合の電話番号を調べて、その産地の工場を紹介してもらって、電話してアポを取り付けてカーラとマチルダと一緒に回って、ということを繰り返しました」と須藤は語る。

当時、須藤もキュレーターのふたりも、気力、体力ともに充実した30代で、「日本のテキスタイルのものづくりの現場を知り尽くしてやろう」という熱い野心に燃えていた。「当初は10年も続けるとは思いませんでしたけど(笑)」。このリサーチは須藤に単に産地ごとの特色やものづくりの知見をもたらしただけでなく、全国津々浦々に存在する職人やテキスタイル会社とのつながりも構築した。「京都には軽自動車に布を積んで、河原で染色したり、晒しをしたりする染色工場のCBU工芸の梅谷和夫さんや、当時最先端の加工技術だった『スパッタリング』をテキスタイルに加工してやろうという愛知県蒲郡市の鈴寅(現・積水ナノコートテクノロジー)、沖縄では八重山上布の作家など、色々な人に出会いました」。ハイテクから工芸、織物から編み物、シルクから綿、ポリエステルまで、バリエーション豊かで、様々な要素が絡み合って成立していた「日本の布」は、当時実は世界的にもユニークなポジションにあった。そのモノづくりの現場と直接つながったことは、須藤を唯一無二のテキスタイルデザイナーに押し上げる一因になったのだ。

現場との結びつきが新しいデザインやテキスタイルを生み出す

ただ、現場の産地企業の経営者や職人と、「最初からスムーズにやりとりできたわけではない」と須藤は言う。産地を訪れ始めた1980年代後半、工場のガードは堅く、簡単に受け入れてはもらえなかった。しかし諦めることなく、何度も依頼を繰り返す。「機械を理解することは、布を理解することと同じ。布がどのようにつくられるのか、その構造を知るためには、機械を知らなければなにも理解できない」。絶対に撮影しないと誓い、ようやく工場の扉が開くこともあったという。そうして時間をかけて全国各地の工場を訪れ、多くの職人との交流が生まれた。

機械を知ることで、新たな試みも提案できるようになる。その工場では扱ってこなかった素材を試したり、技術を転用するアイデアも持ち込める。職人たちにとっては布づくりのプロセスに過ぎないからと放り出されているサンプルが、デザインを触発することもあった。また、職人たちがどのような環境で布をつくり出しているのかを目の当たりにすることで、課題と同時に可能性も見いだせる。工場のこと、機械のこと、職人のことをきちんと理解した上での提案だから、聞く耳を持ってもらえる。ときには職人の方から「こういうつくり方はどうか」と提案を受けることもあるという。自らが現場に飛び込むことで培ってきた信頼関係があってこそ、である。

また、布以外の要素にも、産地の特色を積極的に採り入れている。たとえば大分県立美術館(設計:坂茂)の巨大なオブジェを制作した際には、大分の伝統工芸である竹編みの作家を訪ね、構造に転用。NUNOが編み出した折り紙プリーツを立体的に浮かばせている。「布を知ることで、その地域の文化や歴史、そして日々の生活が見えてくる」と須藤は言う。

「Found MUJI」店頭で「日本の布」プロジェクト、4冊の本にも

2013年にはアドバイザリーボードを務める無印良品で「日本の布」プロジェクトを立ち上げ、山形から沖縄まで数多くの産地を訪れ、その産地や工場の特性を活かした商品をつくり、東京・青山のショップ「Found MUJI」で展覧会を開催。4冊の本にもまとめた。

日本の布づくりの現場は、国際的な価格競争や後継者難など、厳しい現実と戦っている。着物産業を背景に技術を伝承してきた産地は、未来をどう描けばいいのか、模索している事項も多い。また、布は我々の生活に対してとても身近である存在でありながら、産地ごとの特徴や、布づくりの構造や仕組みはそれほど知られてこなかった。そのことに須藤は危惧を抱いている。打破すべく、展覧会などを通して布の成り立ちを積極的に紹介し、職人たちの姿を浮かび上がらせる。伝統的な布づくりを行ってきた産地の魅力を、現代の生活に通じるものとして引き出して商品化し、多くのひとの眼に触れるようにする。生産者と消費者をつなぐことで、ものづくりの未来を少しでも明るいものにしたいと願っているからこそ、いまなお全国の産地に赴く。

The post 「徹底した現場主義」が世界で評価【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.5】 appeared first on WWDJAPAN.

2通りの突き抜け方で 飛ばし始めたヒットを、魂を揺さぶるホームランに【アルビオン 小林章一社長】

PROFILE: 小林章一/アルビオン社長

小林章一/アルビオン社長
PROFILE: (こばやし・しょういち)1963年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、西武百貨店勤務を経て、88年にアルビオンに入社。「ソニア リキエル ボーテ」事業の立ち上げなど、ブランドビジネスに携わる。フランス勤務を経て、91年に取締役に就任。95年、常務取締役・マーケティング本部長に就任。副社長を経て、2006年から現職 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

知名度も人気も高かったシリーズを廃し退路を断つ形で始めた新スキンケアシリーズの“フラルネ”、現状に満足せず大人気の中で刷新してきた“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”や“エクラフチュール”など、アルビオンは攻めの姿勢が続く。大胆な戦略の奥底にあるのは、小林章一社長がかつて体感した「魂が揺さぶられるような成功体験」と、そこから生まれた化粧品への愛だ。ここまで商品にこだわる小林社長の成功体験とは?そして、その感動体験をどう後に続く社員に広めようとしているのかを聞いた。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「化粧品って、面白い!」
そう思える価値を提供したい

WWDJAPAN(以下、WWD):2022年に発売したスキンケアシリーズ“フラルネ”以降、かつてのコンフォート・ゾーンからの脱却を目指した商品開発に意欲的だ。

小林章一アルビオン社長(以下、小林):一昨年からの新しいチャレンジは、正直批判も多かった。けれど新規は確実に増えている。一つ一つの商品のブランド力を高め、最終的な肌実感はもちろん、アイデアの段階からワクワクする“突き抜けた”商品で新しい市場を開拓したい。アルビオンの“突き抜け方”は、大別すると2通り。1つ目は“フラルネ”のように、スタート時はおとなしくてもユーザーから評判がジワジワと広がり、スタッフとお店さまが一丸となって、その評価をより多くの消費者に伝えようと努力して成し遂げる突き抜け方。“フラルネ”においては、他社とは全く違う乳液の評判が広がりつつある中、ブライトニングシリーズを投入したり、新たなプロモーション施策に取り組んだりして、23年は大きく成長した。私たちが突き抜けていると思う商品を、より多くの消費者に実感いただけるようになった。2つ目は、“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”に代表される、すでに突き抜けている商品さえ「もっと突き抜けられる」と信じてアグレッシブに取り組むリニューアルだ。昨年は、美容液の“エクラフチュール”をリニューアル。独自の保湿成分“夢彩花エキス”(シャクヤク花エキス)など原料においても突き抜けた商品は、リニューアル以降、さらなる大きな結果につながっている。アルビオンのやり方では、突き抜けるのに時間がかかるかもしれない。スキンケアならなおさらだが、それでも構わない。夢中になって、魂が揺さぶられるような成功体験を味わうことで、関係者一同が「化粧品って、面白い!」と思えるような商品・ブランド価値の創造に取り組みたい。

WWD:自身に「魂が揺さぶられるような成功体験」がある?

小林:「ブルガリ」と作った“おしぼり”だ。“おしぼり界の「ロールスロイス」”を目指し、香水ではなく化粧水に浸したおしぼりを、4層構造のパッケージに収めて販売。世界中から注文が押し寄せ、2000万本を売った。輸入販売だけだと思っていた「ブルガリ」の香水ビジネスが広がり、「化粧品って、面白い!」と思った。「アナ スイ」の化粧品を立ち上げ、百貨店における化粧品の単日販売記録を樹立したのも、人生に一度あるかないかのサクセスストーリーだ。

WWD:振り返って、魂が揺さぶられるほどの成功に必要なものとは?

小林:当たり前を疑い、本気で「壊す」ことだ。その間に売り上げが下がっても構わない。本気で「壊す」のはとても難しいことだし、経営陣としてバックアップしきれていない反省もあるが、ヒットに恵まれてきた今なら失敗できる。今のヒットを将来のホームランにしたい。ヒットも打てないバッターには、ホームランは望めない。ただ今のアルビオンは、ヒットを飛ばし始めている。全体の8割に上るスキンケアとベースメイク商品は、1年でも、1日でも長く愛していただけるよう、1品1品を育てる。将来は手間暇をかけてリニューアルして、またみんなで一緒に育てる。育てるのが、アルビオンの文化だ。創業以来、時代の空気を吸ってきた。アルビオンらしく呼吸することで、あくまで作る商品は私たちらしく、そして唯一無二でありたい。

WWD:育て、突き抜けた商品が次々生まれた先にある理想像は?

小林:販売数量も大事だが、圧倒的な存在感を誇る会社だ。トヨタが年間約1000万台の車を販売する中、対するフェラーリは年間およそ1万数千台。でも多くの消費者にとって、その存在感はトヨタ以上だろう。

WWD:育てる商品を生み出すため、今後取り組むのは?

小林:会社が課す業務に割くのは、働く時間のおよそ半分。残りの半分で「やりたいこと」にトライできる環境を整えたい。「やりたいこと」は、予算も、期限も、目標も、発案者と組織の双方で確認しつつも個人の裁量に委ね、10回失敗した人を、何もしなかったから一度も失敗しなかった人より評価したい。「失敗しても良いから」「何をやってもいいから」「失敗もまた勉強だから」を表面的な言葉ではなく、全ての部署に通底している価値観や考え方にしたい。世に送り出そうとする商品について「売れ過ぎちゃったらどうしよう!?」なんて妄想できるくらい、提案から開発、商品化から販売に至るまで一貫してワクワクし続けられる会社でありたい。私は「みんなの給料を2倍にしたい」と思いながら日々の仕事に励んでいる。「やらされている」と感じるような仕事からは、突き抜けられる商品は生まれない。そしてアルビオンは商品のみならず、その流通から販売においても、存在感において一番になりたいと思っている。「化粧品業界でいい仕事がしたいなら、アルビオンだよね」と思ってほしい。

会社概要

アルビオン
ALBION

「日本一、世界一の高級化粧品メーカーを目指す」という夢を掲げて、1956年に創業。乳液先行の独自の美容理論を確立。主軸のスキンケアブランド「アルビオン」には、創業時から販売する乳液や、74年に誕生した“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”など、ロングセラー商品が多数存在する。そのほか「エレガンス」「イグニス」「ポール & ジョー ボーテ」「アナ スイ コスメティックス」などを手掛ける

問い合わせ先
アルビオンお客様相談室
0120-114-225
(10:00〜17:00/土・日・祝日除く)

The post 2通りの突き抜け方で 飛ばし始めたヒットを、魂を揺さぶるホームランに【アルビオン 小林章一社長】 appeared first on WWDJAPAN.

2通りの突き抜け方で 飛ばし始めたヒットを、魂を揺さぶるホームランに【アルビオン 小林章一社長】

PROFILE: 小林章一/アルビオン社長

小林章一/アルビオン社長
PROFILE: (こばやし・しょういち)1963年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、西武百貨店勤務を経て、88年にアルビオンに入社。「ソニア リキエル ボーテ」事業の立ち上げなど、ブランドビジネスに携わる。フランス勤務を経て、91年に取締役に就任。95年、常務取締役・マーケティング本部長に就任。副社長を経て、2006年から現職 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

知名度も人気も高かったシリーズを廃し退路を断つ形で始めた新スキンケアシリーズの“フラルネ”、現状に満足せず大人気の中で刷新してきた“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”や“エクラフチュール”など、アルビオンは攻めの姿勢が続く。大胆な戦略の奥底にあるのは、小林章一社長がかつて体感した「魂が揺さぶられるような成功体験」と、そこから生まれた化粧品への愛だ。ここまで商品にこだわる小林社長の成功体験とは?そして、その感動体験をどう後に続く社員に広めようとしているのかを聞いた。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「化粧品って、面白い!」
そう思える価値を提供したい

WWDJAPAN(以下、WWD):2022年に発売したスキンケアシリーズ“フラルネ”以降、かつてのコンフォート・ゾーンからの脱却を目指した商品開発に意欲的だ。

小林章一アルビオン社長(以下、小林):一昨年からの新しいチャレンジは、正直批判も多かった。けれど新規は確実に増えている。一つ一つの商品のブランド力を高め、最終的な肌実感はもちろん、アイデアの段階からワクワクする“突き抜けた”商品で新しい市場を開拓したい。アルビオンの“突き抜け方”は、大別すると2通り。1つ目は“フラルネ”のように、スタート時はおとなしくてもユーザーから評判がジワジワと広がり、スタッフとお店さまが一丸となって、その評価をより多くの消費者に伝えようと努力して成し遂げる突き抜け方。“フラルネ”においては、他社とは全く違う乳液の評判が広がりつつある中、ブライトニングシリーズを投入したり、新たなプロモーション施策に取り組んだりして、23年は大きく成長した。私たちが突き抜けていると思う商品を、より多くの消費者に実感いただけるようになった。2つ目は、“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”に代表される、すでに突き抜けている商品さえ「もっと突き抜けられる」と信じてアグレッシブに取り組むリニューアルだ。昨年は、美容液の“エクラフチュール”をリニューアル。独自の保湿成分“夢彩花エキス”(シャクヤク花エキス)など原料においても突き抜けた商品は、リニューアル以降、さらなる大きな結果につながっている。アルビオンのやり方では、突き抜けるのに時間がかかるかもしれない。スキンケアならなおさらだが、それでも構わない。夢中になって、魂が揺さぶられるような成功体験を味わうことで、関係者一同が「化粧品って、面白い!」と思えるような商品・ブランド価値の創造に取り組みたい。

WWD:自身に「魂が揺さぶられるような成功体験」がある?

小林:「ブルガリ」と作った“おしぼり”だ。“おしぼり界の「ロールスロイス」”を目指し、香水ではなく化粧水に浸したおしぼりを、4層構造のパッケージに収めて販売。世界中から注文が押し寄せ、2000万本を売った。輸入販売だけだと思っていた「ブルガリ」の香水ビジネスが広がり、「化粧品って、面白い!」と思った。「アナ スイ」の化粧品を立ち上げ、百貨店における化粧品の単日販売記録を樹立したのも、人生に一度あるかないかのサクセスストーリーだ。

WWD:振り返って、魂が揺さぶられるほどの成功に必要なものとは?

小林:当たり前を疑い、本気で「壊す」ことだ。その間に売り上げが下がっても構わない。本気で「壊す」のはとても難しいことだし、経営陣としてバックアップしきれていない反省もあるが、ヒットに恵まれてきた今なら失敗できる。今のヒットを将来のホームランにしたい。ヒットも打てないバッターには、ホームランは望めない。ただ今のアルビオンは、ヒットを飛ばし始めている。全体の8割に上るスキンケアとベースメイク商品は、1年でも、1日でも長く愛していただけるよう、1品1品を育てる。将来は手間暇をかけてリニューアルして、またみんなで一緒に育てる。育てるのが、アルビオンの文化だ。創業以来、時代の空気を吸ってきた。アルビオンらしく呼吸することで、あくまで作る商品は私たちらしく、そして唯一無二でありたい。

WWD:育て、突き抜けた商品が次々生まれた先にある理想像は?

小林:販売数量も大事だが、圧倒的な存在感を誇る会社だ。トヨタが年間約1000万台の車を販売する中、対するフェラーリは年間およそ1万数千台。でも多くの消費者にとって、その存在感はトヨタ以上だろう。

WWD:育てる商品を生み出すため、今後取り組むのは?

小林:会社が課す業務に割くのは、働く時間のおよそ半分。残りの半分で「やりたいこと」にトライできる環境を整えたい。「やりたいこと」は、予算も、期限も、目標も、発案者と組織の双方で確認しつつも個人の裁量に委ね、10回失敗した人を、何もしなかったから一度も失敗しなかった人より評価したい。「失敗しても良いから」「何をやってもいいから」「失敗もまた勉強だから」を表面的な言葉ではなく、全ての部署に通底している価値観や考え方にしたい。世に送り出そうとする商品について「売れ過ぎちゃったらどうしよう!?」なんて妄想できるくらい、提案から開発、商品化から販売に至るまで一貫してワクワクし続けられる会社でありたい。私は「みんなの給料を2倍にしたい」と思いながら日々の仕事に励んでいる。「やらされている」と感じるような仕事からは、突き抜けられる商品は生まれない。そしてアルビオンは商品のみならず、その流通から販売においても、存在感において一番になりたいと思っている。「化粧品業界でいい仕事がしたいなら、アルビオンだよね」と思ってほしい。

会社概要

アルビオン
ALBION

「日本一、世界一の高級化粧品メーカーを目指す」という夢を掲げて、1956年に創業。乳液先行の独自の美容理論を確立。主軸のスキンケアブランド「アルビオン」には、創業時から販売する乳液や、74年に誕生した“薬用スキンコンディショナー エッセンシャル”など、ロングセラー商品が多数存在する。そのほか「エレガンス」「イグニス」「ポール & ジョー ボーテ」「アナ スイ コスメティックス」などを手掛ける

問い合わせ先
アルビオンお客様相談室
0120-114-225
(10:00〜17:00/土・日・祝日除く)

The post 2通りの突き抜け方で 飛ばし始めたヒットを、魂を揺さぶるホームランに【アルビオン 小林章一社長】 appeared first on WWDJAPAN.

組織の壁をなくし主体的な挑戦や変革を【ポーラ・オルビスHD 横手喜一社長】

PROFILE: 横手喜一/ポーラ・オルビス ホールディングス社長

横手喜一/ポーラ・オルビス ホールディングス社長
PROFILE: (よこて・よしかず)1967年東京生まれ。一橋大学社会学部卒業後、1990年4月ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)入社。2006年フューチャーラボ社長や11年宝麗(中国)美容(ポーラ瀋陽)董事長兼総経理を経て、15年からポーラ執行役員商品企画部長、16年1月にポーラ社長に就任。20年1月ポーラ・オルビスホールディングス取締役グループ海外展開担当などを経て、23年1月から現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

鈴木鄕史会長の意思を引き継ぎ社長就任1年が経過した横手喜一社長は、組織のリゾーム化を推進することを軸に舵取りをはじめ、グループ会社との連携を強めてきた。国内のみならず海外事業でも同様で、これまでの縦割りから水平の連携が取れる組織に変革。それら取り組みが長期経営計画「VISION 2029」のステージ1の最終年度であった23年の好結果に結びついた。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

トップダウンを飛び越えていく風土へ

WWDJAPAN(以下、WWD):23年の取り組みと成果、組織のリゾーム化の進捗は?

横手喜一社長(以下、横手):グループ全体を見る立場として、組織を一度バラバラに考えた後に融合するという取り組みを進めた。コロナ禍で人とのつながりや理解し合うことが希薄になったと実感する。われわれのビジネスはお客さまの気持ちを動かすことがベースになるため、人と人が向き合った時に生み出されるものをよみがえらせるのが狙いだ。

WWD:組織の壁を取り払い、つながり合える人間関係を再構築した。

横手:トップダウンではなくそれを飛び越えていけるような風土を浸透させたい。グループ全従業員約4100人、一人一人が持つ個性や強み、思いを存分に発揮し、そこから生まれる主体的な挑戦や変革がグループやブランドの未来を切り開く。個のエネルギーこそが組織を進化させるだろう。それは従業員だけでなく役員も同様で、昨年からグループ主要会社役員によるリーダーシップチームを組成した。異なる立場の相互理解やグループ共通課題の認識をあわせつつ、それぞれが持つ個の力を結集してグループ共通課題の変革や成長戦略を作る事を目的としている。そのためには、あえて幼少期からの自己紹介から始め胸襟を開いて議論できる場を作ることで、一人一人の個性と価値観が理解でき、考え方や発言に共感も生まれてきた。その上で、長期経営計画である「VISION2029」の達成に向け、バックキャスト志向で新中期計画策定にあたった。そのような1年だったと振り返っている。

WWD:現在のブランドポートフォリオで手薄に感じていることは?

横手:「VISION2029」の主戦略の一つに、新事業領域拡張がある。化粧品の枠組みとは異なる別の分野にビジネスチャンスを生み出すことを重視する。化粧品はお客さまを美しく、健やかに人生を豊かにする手段の一つであるが、それだけが全てではない。そのためには肌研究を長年続けてきた研究所発の新しい技術こそが人の生活スタイルを変容できるのではないか。研究領域もただ単に機能性を重視する従来の研究だけでなく、肌研究の知見を活かしたウェルビーイング領域や社会課題解決も含めた研究をテーマにしている。

WWD:若手社員の活躍も目覚ましい。

横手:この3年で若手社員を中心に約300件の新規アイデア提案があった。昨年は子ども向けブランド「スタスタ」や香水のサブスク「エラム(ERAM)」、オンラインのファスティングプログラム「リモファス」など事業化に進んでいるものもある。約300件の中から誕生したものに、研究所の新しい技術などを反映できたら面白い科学反応が生まれるだろう。

WWD:新価値を生み出すために人材の多様性を重視する。

横手:環境を戦略的に用意しないと熱意やスピード感をもった事業創出が実現しにくい。そのためにも、今後はグループ全体での人材採用の在り方を見直し、多様な人材を登用・育成していくための枠組みを作っていく。ブランドの垣根を越えた人材配置を積極的に行うことで、グループの持つ多様なブランドやカルチャーが学べ、多彩な経験値を得ることで、個性豊かな人材育成につながるだろう。

WWD:24年に注力すべきことは?

横手:まずは海外事業。成長のカギは重点市場である中国に変わりない。市場変化をダイレクトに捉える現地リーダーシップのもと、マルチブランドの強みを生かし、グループとして最適な戦略を市場や顧客の変化に対応しながら迅速に遂行し、業績最大化を実現できる組織体制へ移行を進める。その一環として1月に、中国に地域統括会社であるリージョンカンパニーを設立した。また、これまでポーラとオルビスの中国の現地法人だったポーラ上海とオルビス北京をホールディングスの完全子会社化とした。今後はグループが中国市場全体を捉えて、どのブランドで勝負するのかを考えるべき。現地に権限を渡しビジネスを組み立て資金配分をどうするのかも任せたい。昨年、その土壌を整えてきたので今年はそれを実行に移す時期だ。

 

一方で、海外に投資するには国内の事業基盤を盤石なものにする必要がある。「オルビス(ORBIS)」は商品力をフックに顧客構造がよりよくなってきたため、ブランドの魅力を再発信する。「ポーラ(POLA)」はSNSを含めたデジタル施策を強め、エステやカウンセリングを提案するサロン型ショップへ誘導し、より深い「ポーラ」のファンになってもらい継続率やLTV(顧客生涯価値)が上がるOMO施策を推進する。「スリー(THREE)」は23年11月に精油のみで構成したフレグランス“エッセンシャルセンツ”を発売した。今後は、精油を軸にフレグランスからスキンケアまで一気通貫する売り場を作り強化していく。

会社概要

ポーラ・オルビス ホールディングス
POLA ORBIS HOLDINGS

基幹ブランドを展開するポーラは1929年創業。女性が活躍する訪問販売を中心に事業を拡大し、89年に百貨店市場に進出する。現在、訪問販売はサロンを拠点とするビジネスに形を変えている。手掛けるブランドは「ポーラ」「オルビス」「ディセンシア(DECENCIA)」「スリー」「ファイブイズムバイスリー(FIVEISM × THREE)」「ジュリーク」「フジミ(FUJIMI)」など

問い合わせ先
ポーラ・オルビス ホールディングス
03-3563-5517

The post 組織の壁をなくし主体的な挑戦や変革を【ポーラ・オルビスHD 横手喜一社長】 appeared first on WWDJAPAN.

組織の壁をなくし主体的な挑戦や変革を【ポーラ・オルビスHD 横手喜一社長】

PROFILE: 横手喜一/ポーラ・オルビス ホールディングス社長

横手喜一/ポーラ・オルビス ホールディングス社長
PROFILE: (よこて・よしかず)1967年東京生まれ。一橋大学社会学部卒業後、1990年4月ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)入社。2006年フューチャーラボ社長や11年宝麗(中国)美容(ポーラ瀋陽)董事長兼総経理を経て、15年からポーラ執行役員商品企画部長、16年1月にポーラ社長に就任。20年1月ポーラ・オルビスホールディングス取締役グループ海外展開担当などを経て、23年1月から現職 PHOTO : SHUNICHI ODA

鈴木鄕史会長の意思を引き継ぎ社長就任1年が経過した横手喜一社長は、組織のリゾーム化を推進することを軸に舵取りをはじめ、グループ会社との連携を強めてきた。国内のみならず海外事業でも同様で、これまでの縦割りから水平の連携が取れる組織に変革。それら取り組みが長期経営計画「VISION 2029」のステージ1の最終年度であった23年の好結果に結びついた。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

トップダウンを飛び越えていく風土へ

WWDJAPAN(以下、WWD):23年の取り組みと成果、組織のリゾーム化の進捗は?

横手喜一社長(以下、横手):グループ全体を見る立場として、組織を一度バラバラに考えた後に融合するという取り組みを進めた。コロナ禍で人とのつながりや理解し合うことが希薄になったと実感する。われわれのビジネスはお客さまの気持ちを動かすことがベースになるため、人と人が向き合った時に生み出されるものをよみがえらせるのが狙いだ。

WWD:組織の壁を取り払い、つながり合える人間関係を再構築した。

横手:トップダウンではなくそれを飛び越えていけるような風土を浸透させたい。グループ全従業員約4100人、一人一人が持つ個性や強み、思いを存分に発揮し、そこから生まれる主体的な挑戦や変革がグループやブランドの未来を切り開く。個のエネルギーこそが組織を進化させるだろう。それは従業員だけでなく役員も同様で、昨年からグループ主要会社役員によるリーダーシップチームを組成した。異なる立場の相互理解やグループ共通課題の認識をあわせつつ、それぞれが持つ個の力を結集してグループ共通課題の変革や成長戦略を作る事を目的としている。そのためには、あえて幼少期からの自己紹介から始め胸襟を開いて議論できる場を作ることで、一人一人の個性と価値観が理解でき、考え方や発言に共感も生まれてきた。その上で、長期経営計画である「VISION2029」の達成に向け、バックキャスト志向で新中期計画策定にあたった。そのような1年だったと振り返っている。

WWD:現在のブランドポートフォリオで手薄に感じていることは?

横手:「VISION2029」の主戦略の一つに、新事業領域拡張がある。化粧品の枠組みとは異なる別の分野にビジネスチャンスを生み出すことを重視する。化粧品はお客さまを美しく、健やかに人生を豊かにする手段の一つであるが、それだけが全てではない。そのためには肌研究を長年続けてきた研究所発の新しい技術こそが人の生活スタイルを変容できるのではないか。研究領域もただ単に機能性を重視する従来の研究だけでなく、肌研究の知見を活かしたウェルビーイング領域や社会課題解決も含めた研究をテーマにしている。

WWD:若手社員の活躍も目覚ましい。

横手:この3年で若手社員を中心に約300件の新規アイデア提案があった。昨年は子ども向けブランド「スタスタ」や香水のサブスク「エラム(ERAM)」、オンラインのファスティングプログラム「リモファス」など事業化に進んでいるものもある。約300件の中から誕生したものに、研究所の新しい技術などを反映できたら面白い科学反応が生まれるだろう。

WWD:新価値を生み出すために人材の多様性を重視する。

横手:環境を戦略的に用意しないと熱意やスピード感をもった事業創出が実現しにくい。そのためにも、今後はグループ全体での人材採用の在り方を見直し、多様な人材を登用・育成していくための枠組みを作っていく。ブランドの垣根を越えた人材配置を積極的に行うことで、グループの持つ多様なブランドやカルチャーが学べ、多彩な経験値を得ることで、個性豊かな人材育成につながるだろう。

WWD:24年に注力すべきことは?

横手:まずは海外事業。成長のカギは重点市場である中国に変わりない。市場変化をダイレクトに捉える現地リーダーシップのもと、マルチブランドの強みを生かし、グループとして最適な戦略を市場や顧客の変化に対応しながら迅速に遂行し、業績最大化を実現できる組織体制へ移行を進める。その一環として1月に、中国に地域統括会社であるリージョンカンパニーを設立した。また、これまでポーラとオルビスの中国の現地法人だったポーラ上海とオルビス北京をホールディングスの完全子会社化とした。今後はグループが中国市場全体を捉えて、どのブランドで勝負するのかを考えるべき。現地に権限を渡しビジネスを組み立て資金配分をどうするのかも任せたい。昨年、その土壌を整えてきたので今年はそれを実行に移す時期だ。

 

一方で、海外に投資するには国内の事業基盤を盤石なものにする必要がある。「オルビス(ORBIS)」は商品力をフックに顧客構造がよりよくなってきたため、ブランドの魅力を再発信する。「ポーラ(POLA)」はSNSを含めたデジタル施策を強め、エステやカウンセリングを提案するサロン型ショップへ誘導し、より深い「ポーラ」のファンになってもらい継続率やLTV(顧客生涯価値)が上がるOMO施策を推進する。「スリー(THREE)」は23年11月に精油のみで構成したフレグランス“エッセンシャルセンツ”を発売した。今後は、精油を軸にフレグランスからスキンケアまで一気通貫する売り場を作り強化していく。

会社概要

ポーラ・オルビス ホールディングス
POLA ORBIS HOLDINGS

基幹ブランドを展開するポーラは1929年創業。女性が活躍する訪問販売を中心に事業を拡大し、89年に百貨店市場に進出する。現在、訪問販売はサロンを拠点とするビジネスに形を変えている。手掛けるブランドは「ポーラ」「オルビス」「ディセンシア(DECENCIA)」「スリー」「ファイブイズムバイスリー(FIVEISM × THREE)」「ジュリーク」「フジミ(FUJIMI)」など

問い合わせ先
ポーラ・オルビス ホールディングス
03-3563-5517

The post 組織の壁をなくし主体的な挑戦や変革を【ポーラ・オルビスHD 横手喜一社長】 appeared first on WWDJAPAN.

美の創造と顧客に響く商品を生み出しグローバル展開を加速【コーセー 小林一俊社長】

PROFILE: 小林一俊/コーセー社長

小林一俊/コーセー社長
PROFILE: (こばやし・かずとし)1962年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、86年にコーセーに入社。91年に取締役マーケティング副本部長兼宣伝部長、2004年から副社長を務める。07年から現職。就任直後に「守りの改革」と「攻めの改革」を実行し、V字回復を実現。現在、「世界で存在感のある企業への進化」を掲げ、取り組みを加速している PHOTO:YUKIE SUGANO

包摂性の高い社会に向け、3G(グローバル、ジェンダー、ジェネレーション)を基盤に顧客層拡大を目指すコーセー。2023年、“大谷効果”で不動の地位を確立したパイオニアは今年、生産部、生産会社であるコーセーインダストリーズ及び生産子会社、商品開発、商品デザイン、購買、サプライチェーンの各部門を組織化し、商品本部を新設。グローバルでも存在感を発揮する企業を目指す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

プレステージブランドのシェア拡大へ

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年をどのように振り返る?

小林一俊社長(以下、小林):22年から継続する3Gを基盤とした取り組みの成果が表れ、好調な1年だった。23年を終え、26年に向けた中長期ビジョン「VISION 2026」まで残り3年、そして3人目の男性アスリートと契約するなど、総じて数字の“3”がキーワードとなる年でもあった。個人的には大好きな3つの野球チーム「WBC日本代表」「母校の慶應義塾高校」「阪神タイガース」が優勝したこともビッグニュースだった。

WWD:中でも昨年は “大谷効果”が際立った。

小林:3Gの柱の一つであるジェンダー領域の秘策として、米MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手(当時ロサンゼルス・エンゼルス所属)を商品の広告モデルに起用した反響は想定以上で、年間を通じて大幅な売り上げ増に貢献した。大型プロモーションを仕掛けた“コスメデコルテ リポソーム アドバンスト リペアセラム”は爆発的ヒット。キャンペーン期間中には百貨店の「コスメデコルテ(DECORTE)」カウンターに来店する男性客も13倍と急増した。ハイプレステージかつ美容液という、意外性ある商材での起用が話題性を生んだのではないか。年末に飛び込んできた移籍の話にはびっくりしたが、まさかドジャースとは。当社のコーポレートカラーと同じ青がチームカラーでなにかの縁を感じる。今年も大谷選手との強力なタッグを組んで展開していく。

WWD:3人目の男性アスリートとの契約については?

小林:羽生結弦選手、大谷翔平選手に続く3人目の男性アスリートとして、バレーボール男子日本代表の髙橋藍選手とスポンサー契約を締結した。髙橋選手はヨーロッパで活躍するだけでなく、ASEANでも非常に人気がある。当社のグローバル戦略で掲げる新しい地域であり、今回契約するに至った。当社は1980年代からスポーツ支援を行っており、多様なアスリートを協賛してきた長い歴史がある。スポーツ総合誌『ナンバー』とコラボレートし、自社サイト「コーセー スポーツ ビューティ」を立ち上げたのは、美の創造企業としてスポーツと美の融合や人々の健康意識向上に貢献したい思いがあるからだ。

WWD:23年はヒット商品も多く生み出されている。

小林:「コスメデコルテ」の“AQ アブソリュート エマルジョン マイクロラディアンス”、「ヴィセ(VISEE)」の “ネンマクフェイク ルージュ”、「ワンバイコーセー(ONE BY KOSE)」の“セラムシールド”など、ハイプレステージからコンシューマーブランドまでヒット商品が豊作だったが、これからさらに23年に行った組織改革の成果が期待できる。モノ作りからプロモーション、売り場や話題作りまでそれぞれのブランド戦略を一気通貫して取り組める事業部制へと変革したことで、より魅力的なブランド、商品の構築につながってくる。ステップごとに担当者が替わるバトンタッチ方式ではなく、全員が一緒に走りながらパスを回すラグビー方式であることが大切だ。

WWD:モノ作りにおける変化は?

小林:世代交代が起き、若手が活躍している。彼らの発想は目新しく、独自の感性がある。例えば「ヴィセ」の“ネンマクフェイク ルージュ”は若手社員が担当しているが、カラーネームの“わがままな肉球”などの奇抜なネーミングには当初驚いた(笑)。だが、最近は私が口出しせず、サントリーの鳥井信治郎創業者の言葉ではないが、“やってみなはれ精神”で若手の挑戦を歓迎するようにしている。そうした風土が新世代の感性を生かし、尖った商品作りにつながっているのではないか。

WWD:組織変更と人事異動の狙いは?

小林:1月1日付で新たに商品本部を設置し、小林正典・常務 前マーケティング本部長が商品本部長に就任した。これは3Gの柱の一つ、グローバル戦略の一環で、グローバル商品開発体制を整えていくだめだ。現在韓国や中国ブランドの勢いが増し、日本参入も目立つ。彼らは世界各国に研究所や工場を展開し、最先端のノウハウや各国に対応する処方を持つODMやOEMの企業を上手く活用している。これまで自社内製にこだわってきたが、変化の早い世界に対応し、よりその地域のニーズに応えていくためにはそういった企業とも手を組み、グローバル外注も取り入れて、内作と外作をうまく使い分けながらグローバル商品開発体制を強化する必要があるだろう。

WWD:24年に向けた戦略は?

小林:化粧品業界は低価格帯と高価格帯の二極化が叫ばれる中、中価格帯はやはり日本では規模が大きく、昨年から回復もしてきており、まだまだ期待できるマーケットだ。ロングセラー化粧水“薬用 雪肌精”を初めて刷新し、3月に“薬用雪肌精 ブライトニング エッセンス ローション”の発売を控える「雪肌精(SEKKISEI)」を中心に、中価格帯市場で展開するプレステージブランドのシェアを上げていきたい。

会社概要

コーセー
KOSE

1946年に、小林孝三郎氏が化粧品の製造・販売を行う小林合名会社を創業。48年に小林コーセーを設立。60年代後半から香港、シンガポールなどアジア市場を皮切りに、北米、欧州にも積極的に進出。91年にCIを導入し、コーセーに社名変更。企業メッセージ「美しい知恵 人へ、地球へ。」をサステナビリティ方針とし、あらゆる活動に組み込むと共に、一人一人の美しさを大切にするアダプタビリティーの観点における価値提供を推進している。ブランドは「コスメデコルテ」「雪肌精」「アディクション(ADDICTION)」など

問い合わせ先
コーセー
03-3273-1511

The post 美の創造と顧客に響く商品を生み出しグローバル展開を加速【コーセー 小林一俊社長】 appeared first on WWDJAPAN.

美の創造と顧客に響く商品を生み出しグローバル展開を加速【コーセー 小林一俊社長】

PROFILE: 小林一俊/コーセー社長

小林一俊/コーセー社長
PROFILE: (こばやし・かずとし)1962年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、86年にコーセーに入社。91年に取締役マーケティング副本部長兼宣伝部長、2004年から副社長を務める。07年から現職。就任直後に「守りの改革」と「攻めの改革」を実行し、V字回復を実現。現在、「世界で存在感のある企業への進化」を掲げ、取り組みを加速している PHOTO:YUKIE SUGANO

包摂性の高い社会に向け、3G(グローバル、ジェンダー、ジェネレーション)を基盤に顧客層拡大を目指すコーセー。2023年、“大谷効果”で不動の地位を確立したパイオニアは今年、生産部、生産会社であるコーセーインダストリーズ及び生産子会社、商品開発、商品デザイン、購買、サプライチェーンの各部門を組織化し、商品本部を新設。グローバルでも存在感を発揮する企業を目指す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

プレステージブランドのシェア拡大へ

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年をどのように振り返る?

小林一俊社長(以下、小林):22年から継続する3Gを基盤とした取り組みの成果が表れ、好調な1年だった。23年を終え、26年に向けた中長期ビジョン「VISION 2026」まで残り3年、そして3人目の男性アスリートと契約するなど、総じて数字の“3”がキーワードとなる年でもあった。個人的には大好きな3つの野球チーム「WBC日本代表」「母校の慶應義塾高校」「阪神タイガース」が優勝したこともビッグニュースだった。

WWD:中でも昨年は “大谷効果”が際立った。

小林:3Gの柱の一つであるジェンダー領域の秘策として、米MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手(当時ロサンゼルス・エンゼルス所属)を商品の広告モデルに起用した反響は想定以上で、年間を通じて大幅な売り上げ増に貢献した。大型プロモーションを仕掛けた“コスメデコルテ リポソーム アドバンスト リペアセラム”は爆発的ヒット。キャンペーン期間中には百貨店の「コスメデコルテ(DECORTE)」カウンターに来店する男性客も13倍と急増した。ハイプレステージかつ美容液という、意外性ある商材での起用が話題性を生んだのではないか。年末に飛び込んできた移籍の話にはびっくりしたが、まさかドジャースとは。当社のコーポレートカラーと同じ青がチームカラーでなにかの縁を感じる。今年も大谷選手との強力なタッグを組んで展開していく。

WWD:3人目の男性アスリートとの契約については?

小林:羽生結弦選手、大谷翔平選手に続く3人目の男性アスリートとして、バレーボール男子日本代表の髙橋藍選手とスポンサー契約を締結した。髙橋選手はヨーロッパで活躍するだけでなく、ASEANでも非常に人気がある。当社のグローバル戦略で掲げる新しい地域であり、今回契約するに至った。当社は1980年代からスポーツ支援を行っており、多様なアスリートを協賛してきた長い歴史がある。スポーツ総合誌『ナンバー』とコラボレートし、自社サイト「コーセー スポーツ ビューティ」を立ち上げたのは、美の創造企業としてスポーツと美の融合や人々の健康意識向上に貢献したい思いがあるからだ。

WWD:23年はヒット商品も多く生み出されている。

小林:「コスメデコルテ」の“AQ アブソリュート エマルジョン マイクロラディアンス”、「ヴィセ(VISEE)」の “ネンマクフェイク ルージュ”、「ワンバイコーセー(ONE BY KOSE)」の“セラムシールド”など、ハイプレステージからコンシューマーブランドまでヒット商品が豊作だったが、これからさらに23年に行った組織改革の成果が期待できる。モノ作りからプロモーション、売り場や話題作りまでそれぞれのブランド戦略を一気通貫して取り組める事業部制へと変革したことで、より魅力的なブランド、商品の構築につながってくる。ステップごとに担当者が替わるバトンタッチ方式ではなく、全員が一緒に走りながらパスを回すラグビー方式であることが大切だ。

WWD:モノ作りにおける変化は?

小林:世代交代が起き、若手が活躍している。彼らの発想は目新しく、独自の感性がある。例えば「ヴィセ」の“ネンマクフェイク ルージュ”は若手社員が担当しているが、カラーネームの“わがままな肉球”などの奇抜なネーミングには当初驚いた(笑)。だが、最近は私が口出しせず、サントリーの鳥井信治郎創業者の言葉ではないが、“やってみなはれ精神”で若手の挑戦を歓迎するようにしている。そうした風土が新世代の感性を生かし、尖った商品作りにつながっているのではないか。

WWD:組織変更と人事異動の狙いは?

小林:1月1日付で新たに商品本部を設置し、小林正典・常務 前マーケティング本部長が商品本部長に就任した。これは3Gの柱の一つ、グローバル戦略の一環で、グローバル商品開発体制を整えていくだめだ。現在韓国や中国ブランドの勢いが増し、日本参入も目立つ。彼らは世界各国に研究所や工場を展開し、最先端のノウハウや各国に対応する処方を持つODMやOEMの企業を上手く活用している。これまで自社内製にこだわってきたが、変化の早い世界に対応し、よりその地域のニーズに応えていくためにはそういった企業とも手を組み、グローバル外注も取り入れて、内作と外作をうまく使い分けながらグローバル商品開発体制を強化する必要があるだろう。

WWD:24年に向けた戦略は?

小林:化粧品業界は低価格帯と高価格帯の二極化が叫ばれる中、中価格帯はやはり日本では規模が大きく、昨年から回復もしてきており、まだまだ期待できるマーケットだ。ロングセラー化粧水“薬用 雪肌精”を初めて刷新し、3月に“薬用雪肌精 ブライトニング エッセンス ローション”の発売を控える「雪肌精(SEKKISEI)」を中心に、中価格帯市場で展開するプレステージブランドのシェアを上げていきたい。

会社概要

コーセー
KOSE

1946年に、小林孝三郎氏が化粧品の製造・販売を行う小林合名会社を創業。48年に小林コーセーを設立。60年代後半から香港、シンガポールなどアジア市場を皮切りに、北米、欧州にも積極的に進出。91年にCIを導入し、コーセーに社名変更。企業メッセージ「美しい知恵 人へ、地球へ。」をサステナビリティ方針とし、あらゆる活動に組み込むと共に、一人一人の美しさを大切にするアダプタビリティーの観点における価値提供を推進している。ブランドは「コスメデコルテ」「雪肌精」「アディクション(ADDICTION)」など

問い合わせ先
コーセー
03-3273-1511

The post 美の創造と顧客に響く商品を生み出しグローバル展開を加速【コーセー 小林一俊社長】 appeared first on WWDJAPAN.

まだ見ぬワクワクとカルチャーを創出【ジュン 佐々木進社長】

PROFILE: 佐々木進/ジュン社長

佐々木進/ジュン社長
PROFILE: (ささき・すすむ)1965年生まれ。アメリカ留学後、四方義郎率いるサル・インターナショナルで国内外のショーの演出や選曲に携わる。89年にジュン入社。「アダム エ ロペ」や「アー・ペー・セー(A.P.C.)」のオンリーショップを立ち上げる。98年に常務に就き、2000年9月から現職 PHOTO:HIRONORI SAKUNAGA

アパレルからフード、フィットネスとジャンルに縛られない事業展開で生活者を刺激してきたジュン。今年は表参道の「モントーク(MONTOAK)」跡地での新プロジェクトやセレクトショップ「ビオトープ(BIOTOP)」の新規出店など、物販の先にある“カルチャーの創出”を目指して、攻めの施策を走らせる。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

目指すは、経済を越えた価値提供

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年はどんな年だった?

佐々木進社長(以下、佐々木):増収増益でまずまずの年だった。特に伸びたのは「アダム エ ロペ(ADAM ET ROPE)」「サロン アダム エ ロペ(SALON ADAM ET ROPE)」「ビオトープ」。コロナが明け、社会が快活なムードにあふれる中で、人々を楽しませる色や柄、デザインが支持された。ただ下半期はどのブランドも落ち込む傾向にあった。暖冬のほか、保守的なMDに逃げてしまったことも反省点だ。これを踏まえて、2024年は攻めのMDを増やす。

WWD:好調な「ビオトープ」は事業部を独立させた。新たな動きは?

佐々木:新規出店を計画している。立地も含めて、これまでと異なるアプローチになる。現在は東京・白金台、大阪・南堀江、福岡・大濠公園の3店舗で、いずれも非常に好調だ。商品、ロケーション、店舗デザインそれぞれに独自性があり、オリジナルレーベル「ヨー ビオトープ」も人気だ。産業全体でハイエンドとマスファッションの二極化が進む中、当社は高感度層をつかむ事業が手薄になっていた。「ビオトープ」の拡大は、ポートフォリオとしての価値もある。

WWD:婦人服の「ロペ(ROPE)」は2024年春夏にリブランディングする。

佐々木:「ジル サンダー(JIL SANDER)」などで経験を積んだディレクターを迎えて、クリエイティビティーをより発揮するブランドにする。当社の主要事業のうち“ロペ”と名のつくブランドが3分の2ほど占めている。ほぼ“ロペ”の企業だ(笑)。その本山である「ロペ」のあるべき姿を考えたとき、世界観の構築だけでなく、服作りの本質を追求し続けることが重要だと気づいた。時代の空気を読み、服のイロハを熟知し、コレクションに反映する。そんな姿勢を貫くブランドにしたい。展示会での評判は上々だった。これからもっと磨きをかける。

WWD:閉業から2年近く経つ表参道「モントーク」の跡地はどうなる?

佐々木:「モントーク」をプロデュースした山本宇一さん、「ザ・コンビニ(THE CONVENI)」などをディレクションした(藤原)ヒロシさんと共に、新たなプロジェクトをやる。さまざまな企業とクリエイターを巻き込む。原宿から表参道はかつて、独自の文化の発信地だった。今では世界中の一流ブランドが路面店を構えるラグジュアリーストリートになった。集客力もあるし、洗練されているし、どんな人も楽しめるが、“らしさ”が失われているのも事実。利益だけを考えれば他社に貸すのが一番だが、魂は売れなかった(笑)。経済を越えた文化を創出し、原宿を原宿たらしめるような場所を目指す。

WWD:ECやSNSでの成果は?

佐々木:リアル店舗に行けるようになった今、本当の商売力が試されている。コロナ禍にインフラ整備と情報システムに積極投資して、70点程度のレベルになり、売り上げも伸びた。ただし、自己評価は「発展途上」だ。というのも、CVR(コンバージョンレート)やアクセス数、ABテストなどの指標ばかりに気を取られて、ファッション屋としての姿勢が崩れてしまっていた。それでは、コンテンツやUX・UIもそれなりのレベルで満足してしまう。そうではなく、担当者それぞれの「本当に気に入った商品だから、絶対に届けたい」という思いを起点に、デジタルでどう表現するのかを考えるようにしたい。そのPDCAサイクルを回していくことで、真に商売力のあるECに近づくはずだから。

WWD:若手や女性の役員登用など、“攻め”の人事も見受けられる。

佐々木:一定の成果もある。特に「サロン アダム エ ロぺ」を統括する執行役員の原田(晴美ブランドイノベーション事業部サロン責任者)は、ポジションを与えたことで判断力やリーダーシップを発揮し、業績拡大に大きく貢献した。人事制度を整え、然るべき人材に然るべきタイミングで舞台を用意することの重要性を再認識した。常々話しているが、事業は人で決まる。社員一人一人に向き合い、活躍をサポートすることが経営の務めだ。

WWD:新卒社員が親睦を深める“同期会”や店長同士が交流する“店長会”など、横のつながりを生む施策も実施している。

佐々木:参加した社員からポジティブなフィードバックをもらい、離職率の低下など数字の成果も出ている。離職はどの企業も抱える課題で、賃金や労働環境などティップスはさまざまだが、究極はコミュニケーションにあると思っている。何かあった時に会社に相談できる上司がいるか、仕事の愚痴を話す仲間がいるか、あいつには負けないと心を燃やせるライバルがいるか。リモートワークで希薄になったこの関係性を、会社が率先して創出していく。また昨年11月には、リモートワークから原則出社に切り替えた。オフィスでの何気ない会話からアイデアが生まれ、逆に事業の課題を発見することもある。社員のつながりからファッションビジネスをアップデートし、人々の情緒を動かしていく。

会社概要

ジュン
JUN

現会長の佐々木忠氏が1958年に会社設立。同時に「ジュン」ブランドをスタート。69年にファッション業界初のフランチャイズチェーン1号店を構える。70年代の飲食業を皮切りにゴルフ場運営、ワイナリーなど事業を広げる。アパレルは現在「ロペ」「ロペピクニック」「アダム エ ロペ」「ビス」「ビオトープ」「ジュンレッド」「サタデーズニューヨークシティ」などを運営。2023年9月期は売上高549億円

問い合わせ先
ジュンカスタマーセンター
0120-298-133

The post まだ見ぬワクワクとカルチャーを創出【ジュン 佐々木進社長】 appeared first on WWDJAPAN.

「ポール・スミス」のマーケティングに積極投資【ジョイックス 塩川弘晃社長】

PROFILE: 塩川弘晃/ジョイックスコーポレーション社長

塩川弘晃/ジョイックスコーポレーション社長
PROFILE: (しおかわ・ひろあき)1967年4月24日生まれ、大阪府出身。大阪大学卒業後、90年に伊藤忠商事に入社。「ポール・スミス」や「ランバン」「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ」などに携わる。伊藤忠イタリー会社(ミラノ)社長、欧州総支配人補佐(ロンドン駐在)などを経て、2020年から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

英国を代表するファッションブランド「ポール・スミス(PAUL SMITH)」を筆頭に「ランバン コレクション(LANVIN COLLECTION)」「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ(THE DUFFER OF ST. GEORGE)」といった海外ブランドを展開するジョイックスコーポレーションは、コロナ禍で抑制していたマーケティング活動を積極化する。2024年、塩川弘晃社長は攻めの姿勢を鮮明にする。
(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

メンズとウィメンズの
複合型店舗で新しい魅力を伝える

WWDJAPAN(以下、WWD):2024年の重点施策は何か。

塩川弘晃社長(以下、塩川):「ポール・スミス」の露出の強化だ。今年からの3カ年のマーケティング計画を組み、経営資源を投じていく。店頭、デジタル、イベントなどを通じた露出を増やす。ジョイックスコーポレーションの会社設立50周年(21年)、「ポール・スミス」導入40周年(22年)という節目がコロナに重なってしまい、思い切ったマーケティング活動ができなかった。改めて「ポール・スミス」の魅力を知ってもらうため、新規出店も含めてお客さまとの接点を思い切って広げる。

WWD:昨年秋には企画展「ポール・スミス ストライプを紐解く」を原宿で開催した。

塩川:グローバルで推進するマーケティング施策の第1弾だった。ブランドを象徴するストライプ柄をテーマにした企画展で、1970年代から続くブランド哲学をさまざまなインスタレーションを通じて表現したものだった。10日間ほどの会期ながら、大勢のお客さまが訪れ、ポール・スミス氏のクリエイションに触れてくれ、SNSでも拡散された。店頭だけでなく、ブランドの魅力を再発見できるようなイベントは大切だと痛感した。

WWD:23年春から「ポール・スミス」のウィメンズ事業をオンワード樫山から継承した。

塩川:ウィメンズの店舗を約20引き継ぐとともに、既存の大型店に関してはメンズ・ウィメンズのコンバインストアへと改装した。メンズ・ウィメンズ両方を手掛けることで相乗効果が生まれている。ウィメンズがあると、店舗が華やかになる。コンバインストアにすることで、カップルや夫婦で買い物をされるお客さまが目立つようになった。細身の男性がウィメンズを選んだり、オーバーサイズを好む女性がメンズを買ったりする事例も増えた。商品企画においても共通の素材や柄の採用が広がった。統一感のあるブランディングで、魅力を高められる。新規出店について商業施設のフロア環境や店舗面積で折り合いがつけば、コンバインストアを積極的に出していくつもりだ。

WWD:マーケティング活動やコンバインストア出店でどんな客層に訴求したいのか。

塩川:実は「ポール・スミス」は30〜40代前半のお客さまが手薄になってきた。極端な言い方をすれば、アパレルは40〜50代、革小物などの服飾雑貨は20歳前後が大きな山になっていて、間がぽっかり抜けている。ここに刺さるマーケティングができればマーケットシェアはまだ広がる。価値観が多様化している中で「ポール・スミス」に再び袖を通してもらえるようにするために何をすべきか。コロナ以降、販売促進についてデジタル化の大合唱になっているが、雑誌を参考にしている方も大勢いる。新しい顧客獲得のために社内で知恵を絞っている最中だ。

WWD:コロナ禍でOMO(オンラインとオフラインの融合)に力を注いできた。

塩川:リアル店舗とECの顧客IDを統合し、在庫も一元管理できる体制を整え、すでにPDCA(計画・実行・評価・改善)のサイクルを回している。さまざまなデータの証明の上で手を打つことができるようになった。例えば、コスト高騰に伴い、革小物を値上げしたら、ECの売れ行きに急ブレーキがかかった。データを突き詰めると、どうやら2万円という1つのバーがあることが分かった。ECの場合、お客さまは価格でフィルタリングをかけるので、2万円を越えた商品では検索に掛からなくなる。店頭では販売員が商品の価値を伝え、お客さまが納得して購入していただくことができるが、ECではなかなか難しい。しかし、そういった明確なデータが分かればMDで対応ができる。リアル店舗とECをシームレスに行き来できるようにし、お客さまの体験価値を高める。われわれはデータの解析によって、お客さまの深層心理に応えられる。OMOへの移行で改善点がたくさん見えてきた。伸び代は大きい。

WWD:「ポール・スミス」は店頭でのセールをしていない。それだけに精緻なMDが求められる。

塩川:リアル店舗は正価販売に徹し、残った商品は翌年アウトレットストアで売る。ブランドのファンをがっかりさせないため、線引きはしっかりしている。それだけに今シーズンのような暖冬は悩みの種だ。アパレル業界の常識では8月中旬に秋冬物へと店頭を一斉に切り替える。ポイント施策もあって一部の顧客は暑くても先物買いをしてくださるが、多くのお客さまにとってそれが望ましい姿なのか、よく考える必要がある。今や9月は暑いし、10月だって暑いのが当たり前。にもかかわらず売る側の都合で9月の店頭がコートで埋まっていていいのか。薄手のジャケットやブルゾンを探している方が多いのではないか。お客さま目線で考え、現実とズレが起こらないようにデータや事実をもとにロジカルに物事を捉えながら、お客さまをワクワクさせるMDを提案していきたい。

会社概要

ジョイックスコーポレーション
JOI’X CORPORATION

1971年設立。82年に英国ポール・スミス社と提携。その後、欧米の複数のブランドとパートナーシップを結び、現在日本に200店舗以上を運営する。2023年3月期の売上高は282億円。伊藤忠商事のグループ会社の一つ

問い合わせ先
ジョイックスコーポレーション
03-5213-2500

The post 「ポール・スミス」のマーケティングに積極投資【ジョイックス 塩川弘晃社長】 appeared first on WWDJAPAN.

新規事業の開発で新たな価値を届ける【ユナイテッドアローズ 松崎善則社長】

PROFILE: 松崎善則/ユナイテッドアローズ社長

松崎善則/ユナイテッドアローズ社長
PROFILE: (まつざき・よしのり)1974年2月22日生まれ。98年4月にユナイテッドアローズに入社。ユナイテッドアローズ渋谷店からキャリアをスタートし、店長職やBY本部長などを経て、2018年4月に上席執行役員に昇格し、同年6月に取締役常務執行役員に着任。20年11月に取締役副社長執行役員に就任。21年4月から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

粗利益率がコロナ前の水準に回復したユナイテッドアローズ。既存事業の利益構造の改善を進めつつ、今年注力するのは事業領域の拡大だ。テーマは「お客さまからの共感」。ファッションを軸にしながら、ゆくゆくは顧客の生活全般に携わることを目指す。新規事業開発専門の部署を立ち上げ、新たなアイデアの種を着実に育てていく年になる。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

複数のプロジェクトを始動させる
チャレンジングな一年に

WWDJAPAN(以下、WWD):26年3月期を最終年度にした中期経営計画では事業領域の拡大を掲げている。

松崎善則社長(以下、松崎):2024年は、新規ブランドの開発に力を入れて今までと違う価値をお客さまに提供するチャレンジングな年にしたい。来年度中(25年3月期)に複数のプロジェクトを始動させる予定だ。

WWD:1月には第1弾として、コスメブランド「ユナイテッドアローズ ビューティー(UNITED ARROWS BEAUTY)」を立ち上げた。

松崎:2年前に実施した社内公募で、複数人から上がった意見だったのでまず形にした。当社の課題である次世代へのアプローチにもつながることを期待したい。

WWD:セレクトショップ業態のコスメブランドは、販売接客の面でハードルが高いとも聞く。

松崎:今回は気分が上がると同時に日常使いできる、ちょうどいい価格帯を意識した。ECを軸に販売する計画で、売り場での販売スタッフの詳しい接客トークよりもパッケージやECでの商品説明である程度伝わるような売り方を考えている。今年は既存の主力事業以外でも積極的に増収を目指すが、コスメはすぐに大きくなるとは思っていないのでじっくり育てていくつもりだ。

WWD:業容拡大する上で、参考にしている企業は?

松崎:LVMHの衣食住を網羅するポートフォリオの広げ方はすてきだと思う。当社もセレクトショップと親和性のある分野にはどんどん出ていきたい。既にマンションの内装監修やリノベーションサービスを提供しているが、そこからの派生や生活雑貨を広げる可能性もある。

WWD:23年は粗利益率が過去9年で最高水準に回復した。

松崎:目指す方向にきちんと進められた。コロナが明けて想定以上にお客さまの来店回帰が強くなる中、セールで来店を促進するよりも、商品の正しい価値をいかに伝えて定価でお求めいただくかに注力してきた。それが顕著に結果に現れた。24年も引き続き、定価販売比率を上げることを目標にしていきたい。

WWD:一方で、課題として残ったことは?

松崎:供給量を抑制しつつ、売り逃しを防ぐこと。デジタルツールをうまく活用していかなければいけない部分だ。暖冬や為替など外的要因に出遅れの要因は求めていない。私たちの使命は、それでも欲しいと思ってもらう商品を作り続けることだ。

WWD:売上至上主義から脱却し量より質で勝負する方向なのか?

松崎:売上高は当社に対する支持のバロメーターなので、そこを減らしていく考えは全くない。ただ、在庫を積み上げて売り減らしていくような商売の仕方では、回り回って自分たちが苦しくなるだけだ。その意味でも商品の本来の価値を伝え、認めていただきながら売上高を増やす。当たり前のことだが、これまで経験則で進んできてしまった部分もある。そこを丁寧に見直してきた。23年は商品の改善を伴って値上げをしたが、結果的にきちんとプロパー販売比率が高まった。商品の価値を伝えられた手応えがある。

WWD:商品の改善とは具体的には?

松崎:オリジナル商品をセレクト商品に負けないレベルに高めることだ。たとえば、1万円のドレスシャツであれば畳み幅の変更や生地選び、色の表現の仕方など細部にわたる。工夫をちゃんと伝えるためにも販売スタッフの丁寧な接客があらためて重要だ。

WWD:コロナ以降、接客に求められることに変化は?

松崎:コミュニケーションを求めるお客さまが増え1人あたりの接客時間は増えた。マインドの変化を踏まえて、各店には「これまで以上に接客が重要だ」と日々伝えている。その中、「スタッフ オブ ザ イヤー2023」で当社の仲希望さん(「ユナイテッドアローズ 新宿店」勤務)がグランプリを取れたことはみんなのモチベーションになった。

WWD:顧客と密接につながっていくためにこれから仕掛けていくことは?

松崎:多面的に取り組んでいく。新規事業開発に加えて、中期の柱の一つであるデジタル戦略では、会員プログラムをリニューアルした。店舗やオンラインストアに多く接していただければいただくほど還元率が高くなる仕組みだ。購入金額に対してはもちろん、商品のお気に入り登録やレビュー投稿でもマイルの対象になる。お客さまとのタッチポイントを創出すると同時に、それをきちんとデータ化して情報集約し、的確な商品をお勧めができるようなデジタル化を進めていく。大きなテーマは変わらず、いかにお客さまの共感を得られるか。お客さまとともに、新しい価値を作っていくイメージで進んでいきたい。

会社概要

ユナイテッドアローズ
UNITED ARROWS

1989年10月設立。90年7月、原宿にセレクトショップ「ユナイテッドアローズ」1号店を開く。2002年3月東証二部、03年東証一部に上場、 22年東証プライム市場へ移行。主なグループ会社にコーエンなど。23年3月期の連結業績は、売上高1301億円、純利益43億円だった。従業員数は3915人

問い合わせ先
ユナイテッドアローズ
03-5785-6325

The post 新規事業の開発で新たな価値を届ける【ユナイテッドアローズ 松崎善則社長】 appeared first on WWDJAPAN.

新規事業の開発で新たな価値を届ける【ユナイテッドアローズ 松崎善則社長】

PROFILE: 松崎善則/ユナイテッドアローズ社長

松崎善則/ユナイテッドアローズ社長
PROFILE: (まつざき・よしのり)1974年2月22日生まれ。98年4月にユナイテッドアローズに入社。ユナイテッドアローズ渋谷店からキャリアをスタートし、店長職やBY本部長などを経て、2018年4月に上席執行役員に昇格し、同年6月に取締役常務執行役員に着任。20年11月に取締役副社長執行役員に就任。21年4月から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

粗利益率がコロナ前の水準に回復したユナイテッドアローズ。既存事業の利益構造の改善を進めつつ、今年注力するのは事業領域の拡大だ。テーマは「お客さまからの共感」。ファッションを軸にしながら、ゆくゆくは顧客の生活全般に携わることを目指す。新規事業開発専門の部署を立ち上げ、新たなアイデアの種を着実に育てていく年になる。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

複数のプロジェクトを始動させる
チャレンジングな一年に

WWDJAPAN(以下、WWD):26年3月期を最終年度にした中期経営計画では事業領域の拡大を掲げている。

松崎善則社長(以下、松崎):2024年は、新規ブランドの開発に力を入れて今までと違う価値をお客さまに提供するチャレンジングな年にしたい。来年度中(25年3月期)に複数のプロジェクトを始動させる予定だ。

WWD:1月には第1弾として、コスメブランド「ユナイテッドアローズ ビューティー(UNITED ARROWS BEAUTY)」を立ち上げた。

松崎:2年前に実施した社内公募で、複数人から上がった意見だったのでまず形にした。当社の課題である次世代へのアプローチにもつながることを期待したい。

WWD:セレクトショップ業態のコスメブランドは、販売接客の面でハードルが高いとも聞く。

松崎:今回は気分が上がると同時に日常使いできる、ちょうどいい価格帯を意識した。ECを軸に販売する計画で、売り場での販売スタッフの詳しい接客トークよりもパッケージやECでの商品説明である程度伝わるような売り方を考えている。今年は既存の主力事業以外でも積極的に増収を目指すが、コスメはすぐに大きくなるとは思っていないのでじっくり育てていくつもりだ。

WWD:業容拡大する上で、参考にしている企業は?

松崎:LVMHの衣食住を網羅するポートフォリオの広げ方はすてきだと思う。当社もセレクトショップと親和性のある分野にはどんどん出ていきたい。既にマンションの内装監修やリノベーションサービスを提供しているが、そこからの派生や生活雑貨を広げる可能性もある。

WWD:23年は粗利益率が過去9年で最高水準に回復した。

松崎:目指す方向にきちんと進められた。コロナが明けて想定以上にお客さまの来店回帰が強くなる中、セールで来店を促進するよりも、商品の正しい価値をいかに伝えて定価でお求めいただくかに注力してきた。それが顕著に結果に現れた。24年も引き続き、定価販売比率を上げることを目標にしていきたい。

WWD:一方で、課題として残ったことは?

松崎:供給量を抑制しつつ、売り逃しを防ぐこと。デジタルツールをうまく活用していかなければいけない部分だ。暖冬や為替など外的要因に出遅れの要因は求めていない。私たちの使命は、それでも欲しいと思ってもらう商品を作り続けることだ。

WWD:売上至上主義から脱却し量より質で勝負する方向なのか?

松崎:売上高は当社に対する支持のバロメーターなので、そこを減らしていく考えは全くない。ただ、在庫を積み上げて売り減らしていくような商売の仕方では、回り回って自分たちが苦しくなるだけだ。その意味でも商品の本来の価値を伝え、認めていただきながら売上高を増やす。当たり前のことだが、これまで経験則で進んできてしまった部分もある。そこを丁寧に見直してきた。23年は商品の改善を伴って値上げをしたが、結果的にきちんとプロパー販売比率が高まった。商品の価値を伝えられた手応えがある。

WWD:商品の改善とは具体的には?

松崎:オリジナル商品をセレクト商品に負けないレベルに高めることだ。たとえば、1万円のドレスシャツであれば畳み幅の変更や生地選び、色の表現の仕方など細部にわたる。工夫をちゃんと伝えるためにも販売スタッフの丁寧な接客があらためて重要だ。

WWD:コロナ以降、接客に求められることに変化は?

松崎:コミュニケーションを求めるお客さまが増え1人あたりの接客時間は増えた。マインドの変化を踏まえて、各店には「これまで以上に接客が重要だ」と日々伝えている。その中、「スタッフ オブ ザ イヤー2023」で当社の仲希望さん(「ユナイテッドアローズ 新宿店」勤務)がグランプリを取れたことはみんなのモチベーションになった。

WWD:顧客と密接につながっていくためにこれから仕掛けていくことは?

松崎:多面的に取り組んでいく。新規事業開発に加えて、中期の柱の一つであるデジタル戦略では、会員プログラムをリニューアルした。店舗やオンラインストアに多く接していただければいただくほど還元率が高くなる仕組みだ。購入金額に対してはもちろん、商品のお気に入り登録やレビュー投稿でもマイルの対象になる。お客さまとのタッチポイントを創出すると同時に、それをきちんとデータ化して情報集約し、的確な商品をお勧めができるようなデジタル化を進めていく。大きなテーマは変わらず、いかにお客さまの共感を得られるか。お客さまとともに、新しい価値を作っていくイメージで進んでいきたい。

会社概要

ユナイテッドアローズ
UNITED ARROWS

1989年10月設立。90年7月、原宿にセレクトショップ「ユナイテッドアローズ」1号店を開く。2002年3月東証二部、03年東証一部に上場、 22年東証プライム市場へ移行。主なグループ会社にコーエンなど。23年3月期の連結業績は、売上高1301億円、純利益43億円だった。従業員数は3915人

問い合わせ先
ユナイテッドアローズ
03-5785-6325

The post 新規事業の開発で新たな価値を届ける【ユナイテッドアローズ 松崎善則社長】 appeared first on WWDJAPAN.

24年も市場の2倍の成長率見込む【日本ロレアル ジャン・ピエール・シャリトン社長】

PROFILE: ジャン・ピエール・シャリトン/日本ロレアル社長

ジャン・ピエール・シャリトン/日本ロレアル社長
PROFILE: (Jean-Pierre Charriton)1966年3月13日生まれ、フランス・パリ出身。89年に仏EMリヨン経営大学院を卒業し、91年に仏ロレアル本社に入社。スキンケアブランド「ビオテルム」でキャリアをスタートする。タイや韓国、イギリス、アイルランドにおけるロレアル リュクス事業本部本部長を経て、2008年に「アルマーニ ビューティ」のグローバルプレジデントに就任。13年にアジア太平洋地域(APAC)ロレアル リュクス事業本部ジェネラルマネジャーに就任。21年11月から現職 PHOTO:SHUHEI SHINE

世界最大のビューティ企業、ロレアルグループ(L'OREAL GROUP)の日本法人である日本ロレアルは、昨年設立60周年を迎えた。2021年の「タカミ(TAKAMI)」買収で強固になったグループのポートフォリオに昨年「イソップ(AESOP)」が加わり、今年は「プラダ ビューティ(PRADA BEAUTY)」の日本展開も開始するなど勢いは加速する。“ワン・ロレアル・ジャパン”を掲げ、日本から世界への発信を高めてさらなる攻勢をかける。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

グローバルでの存在感を高めるべく
“ワン・ロレアル・ジャパン”を推進

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年をどのように振り返る?

ジャン・ピエール・シャリトン社長(以下、シャリトン):コロナ禍後のメイク復調とインバウンド客増加を原動力に、日本国内の市場全体が前年比1ケタ台後半の伸長率の中、当社はその2倍を上回る10%後半増で成長した。これはロレアルグループ内でも最大の成長率だった。特にラグジュアリーブランドを擁するリュクス事業本部は、「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」「シュウ ウエムラ(SHU UEMURA)」、21年に傘下に加わった「タカミ」がけん引し、過去25年で最高の業績を収め歴史的な年となった。

WWD:市場の2倍を超える成長率達成の要因は?

シャリトン:包括的なバランス戦略が奏功した。具体的にはチャネル戦略とカテゴリー戦略の2本柱だ。チャネル戦略は、体験を提供する実店舗と利便性のECをバランス良く成長させ、クロスオーバーさせていくことが欠かせない。オンラインでは「楽天市場」や「ZOZOTOWN」「Qoo10」など大手ECと連携し、自社ECだけではリーチできない潜在顧客を取り込めている。一方で、ロイヤルカスタマーが訪問する自社ECは、知的好奇心や商品リテラシーが高い日本の消費者が満足できる快適なサイトを目指し、恒常的に改善を図りコンバージョン(商品購入)率アップにつなげている。現在、最大部門であるリュクス事業本部のオン・オフラインの売上比率は50:50と理想のバランスで推移している。

WWD:2本柱のもう一方のカテゴリー戦略とは?

シャリトン:ラグジュアリーブランドからマスブランドまで、求心力のある商品で多様なニーズに応える盤石なポートフォリオを構築しているのが当社の強みだ。各ブランドの主力商品が好調で、例えばメイクカテゴリーでは「イヴ・サンローラン」のジャパンアンバサダーを務めるJO1とコラボレートして8月に発売したアイシャドウパレット“クチュール ミニ クラッチ”が大ヒット。23年第4四半期の国内百貨店市場のアイメイクカテゴリーで、売上高が1位になった。「メイベリン ニューヨーク(MAYBELLINE NEW YORK)」はマスカラ“スカイハイ”が23年のバラエティー・ドラッグストアカテゴリーのアイメイク部門で売り上げ1位※1を達成。「タカミ」のスター商品である“タカミ スキンピール”は、確かな商品力が顧客の心を捉えており、21年の買収当時と比べて現在約4倍まで売上高が拡大している。

WWD:商品のヒットに寄与したインフルエンサー施策の秘訣は?

シャリトン:「ヴォーグ ジャパン」で平野紫耀さんが所属するアイドルグループNumber_iを起用し、「イヴ・サンローラン」のフレグランス“リブレ”のタイアップコンテンツを仕掛けたところ、1日の売り上げが通常の50倍を記録した。予想以上の反響だったが、彼らのエッジィで若々しさ溢れるイメージと商品の世界観がマッチした好例だろう。

WWD:6月から展開している社内向けエンゲージメントキャンペーン“ワン・ロレアル・ジャパン”の狙いは?

シャリトン:日本はグループ内でも堅強な市場であり、珍しい存在だ。というのも日本発のブランドである「シュウ ウエムラ」「タカミ」があり、国内に研究開発機関のリサーチ&イノベーションセンターと生産工場がある。このような国は世界に5つしかない。日本市場を輝かせたい思いから同キャンペーンを実施した。“ワン・ロレアル・ジャパン”という大きな旗の下、本社や店舗、工場、研究所で働く全従業員が心を一つにして真摯に取り組む姿勢を示すものだ。社内の多様性にフォーカスしたオリジナルムービーを制作したところ、フランス本社やアジア諸国からも称賛の声があった。従業員同士はもちろん、従業員と顧客のエンゲージメントも高め、グローバルでの存在感を発揮したい。

WWD:サステナビリティ推進にも力を入れるが、現在の状況は?

シャリトン:昨年、女性管理職の割合は54%、女性社員の育休復帰率は100%を達成した。また21年に導入した男性の育児休暇は、当時の取得率33%から昨年は73%まで増加した。25年には取得率100%達成を目標に掲げる。環境保護面では22年にカーボンニュートラルを実現した。目標を3年前倒しで成し遂げたのは、われわれが本気で取り組んだ結果だろう。米テラサイクルとの協働により、「ランコム(LANCOME)」「キールズ(KIEHL'S SINCE 1851)」などで使用済みプラスチック容器の回収、リサイクルを行っているが、全ブランドへの導入を進めているところだ。また商品の廃棄管理に新たなトラッキングシステムを導入し、生産予測精度の向上と廃棄量削減に努めている。サステナビリティの領域には特に情熱を注いでいる。

WWD:24年の見通しは?

シャリトン:非常に明るい。24年も市場の2倍の速度で成長すると予測している。今春の「プラダ ビューティ」の日本上陸や、23年に買収し日本をトップ市場とする「イソップ」にも期待がかかる。チャネル戦略とカテゴリー戦略に磨きをかけてさらなる飛躍を目指す。

※1ロレアル調べ、インテージ提供による2023年1月1日~12月31日までのバラエティー・ドラッグストア店舗〈オンラインを除く〉における累計販売個数において

会社概要

日本ロレアル
NIHON L'OREAL

世界最大の化粧品会社であるロレアルが、小林コーセー(現・コーセー)と提携しサロン向け商品の開発を行う合弁会社ロレコスを1963年に設立。76年に一般向け商品の販売をスタートし、95年には本国フランス以外では初となる基礎研究所を茨城県つくば市に開設。96年にロレアルの日本法人である日本ロレアルを設立した。2009年、ロレアルが資本参加していた「シュウ ウエムラ」の株式を100%取得。グループ傘下に初めて日本発のブランドが加わった。21年には日本ロレアルが「タカミ」を買収し、傘下に入った

問い合わせ先
日本ロレアル
03-6911-8100

The post 24年も市場の2倍の成長率見込む【日本ロレアル ジャン・ピエール・シャリトン社長】 appeared first on WWDJAPAN.

グローバルを見据えた尖ったブランドづくり、 組織体制を構築 【カネボウ化粧品 前澤洋介社長】

PROFILE: 前澤洋介/花王 上席執行役員 化粧品事業部門長 カネボウ化粧品社長

前澤洋介/花王 上席執行役員 化粧品事業部門長 カネボウ化粧品社長
PROFILE: (まえざわ・ようすけ)1963年、東京都生まれ。立教大学卒業後、鐘紡(現カネボウ化粧品)に入社。カネボウ化粧品欧米マーケティング室欧米マーケティンググループ統括マネジャー、マーケティング部門国際マーケティンググループ統括マネジャー、スイスのKanebo Cosmetic Europe Ltd.代表取締役などを歴任。2017年エキップ社長、コンシューマープロダクツ事業統括部門化粧品事業部門プレステージビジネスグループ長を経て現職 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

花王グループの化粧品事業部門トップに就任して1年、前澤洋介社長はパーパスドリブンな強いブランドづくりを進めてきた。昨年9月には、「センサイ」「モルトンブラウン」「キュレル」をグローバル化推進の“ファーストランナーブランド”と位置づけ、グローバルで存在感を高めるべく戦略を練る。 (この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

グローバル推進チームを組織
海外での攻勢へ準備着々

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年を振り返ると?

前澤洋介社長(以下、前澤):コロナの5類移行によるメイク市場の復調がめざましかった。コロナ前後の変化として、インバウンド消費が一時期のような大量買いから、自分に合ったものをしっかり選ぶ傾向へ変わり、国内のお客さまと同様の買い方になってきている。海外旅行者向けのトラベルリテールの好調も追い風になった。「モルトンブラウン」もホテルアメニティーを中心に高い伸び率を示している。

WWD:グローバル化の“ファーストランナー”として「センサイ」「モルトンブラウン」「キュレル」の3ブランドを選定した。その背景にある狙いについて。

前澤:グローバル市場で見てもユニークな強みがあるブランドたちだ。それぞれのブランドでグローバル化を推進する社内チームを組織し、世界に打って出る準備を進めている。当社は、グローバル重点ブランドのG11と、国内重点ブランドのR8といった形で、戦略によってブランドを棲み分けているが、これらは決してプライオリティーの度合いを示すものではない。ブランドごとに役割を明確にすることで、適切な商品開発、施策が可能になる。

WWD:「尖った」ブランドづくりの進捗は?

前澤:特に「カネボウ」「ケイト」は売り上げが好調なだけでなく、パーパスドリブンなブランディングが浸透している実感がある。「カネボウ」ではYouTubeコンテンツ「化粧愛。」や、役目を終えた化粧品を絵の具にアップサイクルしたものを活用し子供に向けたアートイベントを実施するなど、「希望」を発信するブランドとしての活動を継続して行っている。「ケイト」で実施している“KATE SCHOOL”や“KATE DANCE CAMP”は、メイクアップを通して自分と向き合い、自己表現するきっかけを提供するイベントだ。

WWD:ブランドの具体的な進化、成長を示すトピックは。

前澤:ベストコスメの受賞数が上期・下期とも過去最高を更新した。ベストコスメはゴールではなく、あくまでお客さまに知っていただくひとつのきっかけ。しかし、ベストコスメに値する商品が作れるかどうかは重要指標として追い続けたい。ここ1、2年で確実に受賞数を増やし、それを継続できていることは事業全体にとっての確かな好材料だ。23年の下期には「RMK」「カネボウ」「スック」「ルナソル」とプレステージ4ブランドで、非常にユニークなファンデーションも発売し、大きな話題を作ることができている。

WWD:5月に「カネボウ」から発売された紙パッケージのアイシャドウ“ブライトフューチャーボックス”はチャレンジングな取り組みだった。

前澤:ブランドメンバーの熱量があるからこそできた商品だ。アイシャドウを充填する皿から、内箱、外箱にいたるまですべてのパーツにFSC認証の紙を採用した。形状や寸法を保つのが難しい紙素材で、よくここまでのものを作ることができたと思う。「カネボウ」はすでに日本で認知度を広げ、お客さまから信頼される、非常に強いブランドになっている手応えがある。海外でもパーパスドリブンなブランディングで存在感を高めていきたい。

WWD:東南アジアのビューティ市場は急成長しているが、展望は。

前澤:とても伸び代がある。特にタイやインドネシアは潜在需要が大きい。タイではすでに当社のプレステージ、マスブランドともに展開しているが、非常に好調だ。インドネシアは現状プレステージのみだが、今後は積極的な展開を検討している。日本よりも日差しの強い東南アジア諸国では、肌ダメージのケアへの関心が高く、スキンケアやUVケアの市場は今後拡大する。引き続き、現地のお客さまのニーズと実直に向き合いたい。

WWD:サステナブル関連の取り組みは。

前澤:「ルナソル」と「スック」で完全予約・受注販売にトライしてきた。半年後の新作を予約していただくのは、シーズントレンドのあるカラーコスメではハードルが高いとも思われたが、お客さまの反応は大変好意的だった。AIによる販売予測も精度を高め、より無駄のない生産へとチャレンジを続けていく。これも現状「ルナソル」のみで実施をしているが、精度が上がれば他ブランドにも応用する。

WWD:8月には自社ECサイト「My Kao Mall」でアウトレット販売を開始した。

前澤:当初は値引き販売をすることに葛藤があったが、廃棄することに比べたら環境にとってもお客さまにとってもベターだと考え、販売に踏み切った。「サラ」や「バルカン」といったすでに終売、もしくは終売が決まっているブランドや商品を購入したお客さまの、「これが最後だから」と惜しんでいただくSNS投稿が数多くあった。これまで以上に長く、深く愛されるブランドを作っていかねばと、改めて気を引き締めた。

会社概要

花王・カネボウ化粧品
KAO KANEBO

1887年に後の花王の母体となる洋小間物商・長瀬商店を設立し、90年に国産石けんを発売。2006年にカネボウ化粧品を完全子会社化。18年に花王グループ化粧品事業の新成長戦略として“新グローバルポートフォリオ”を策定。グローバル戦略ブランドと国内を中心に重点育成するブランドを定めて投資を集中している

問い合わせ先
カネボウ化粧品消費者相談室
0120-518-520

The post グローバルを見据えた尖ったブランドづくり、 組織体制を構築 【カネボウ化粧品 前澤洋介社長】 appeared first on WWDJAPAN.

未来の経営リーダーの輩出を目指す【資生堂 魚谷雅彦会長CEO】

PROFILE: 魚谷雅彦/資生堂会長CEO

魚谷雅彦/資生堂会長CEO
PROFILE: (うおたに・まさひこ)1977年、ライオン歯磨(現ライオン)入社。米国コロンビア大学経営大学院でMBAを取得。クラフト・ジャパン(現モンデリーズ・ジャパン)副社長を経て日本コカ・コーラで社長、会長を歴任。2013年4月、資生堂のマーケティング統括顧問に就任。14年4月に社長CEO就任、23年から現職 PHOTO : HIRONORI SAKUNAGA

世界で勝てる日本発のグローバルビューティカンパニーを目指す資生堂は、「守り」から「攻め」に転じる躍動の年として昨年、中期経営戦略「SHIFT 2025 and Beyond」を策定し始動した。スキンビューティ領域を強化し新しい価値を提供するとともに、経営理念の「ピープルファースト」の考えのもと、創業の地から世界で活躍できるリーダーの輩出を目指す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

“ほとばしる”熱量を持ち
ビジネスの成長と変革を実現する

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年を振り返ると。

魚谷雅彦会長CEO(以下、魚谷):コロナ禍を経て、お客さまはより自身の肌や健康状態、ライフスタイルに合った商品を求め、質の高いカウンセリングを重視する傾向が強くなった。パーソナルビューティパートナー(PBP=美容部員)は知識と技能にさらに磨きをかけ、顧客満足度の高い接客へとつながっている。その中で「クレ・ド・ポー ボーテ(CLE DE PEAU BEAUTE)」は、100年以上にわたる技術を生かした高品質な商品の開発と生産、顧客サービスが総合的に効果を発揮し、力強い成長を見せた。効果実感のある商品力は大前提だが、品質やデザインの細部に至るまでラグジュアリー感を大事に、サステナビリティ含めてブランド独自の世界観を打ち出せている。今後「シセイドウ(SHISEIDO)」とともに、資生堂の看板ブランドとしてさらに成長させていく。

WWD:中期経営戦略「SHIFT 2025 and Beyond」の重点領域として人財育成も推し進めている。その一環で、次世代を担う経営リーダーを育成する施設「Shiseido Future University」を昨秋、創業の地である東京・銀座にオープンした。

魚谷:日本も含めたグローバルで企業が永続的に成長するためには、多様性が重要だと考える。資生堂は日本で誕生し、考え方の根底に“日本”があるが、市場とお客さまは“世界”に広がっている。生活スタイルも違えば、言語も文化も違う。日本から海外の拠点に駐在員を派遣する時代もあったが、いまは世界中で資生堂のパーパスや企業文化、ピープルファーストの考え方、われわれの目指す姿に共感してくれる人が増え、仲間が集まっている。その仲間が力を発揮できる環境をつくるため、そして多様な価値観を持つ人たちに認められる企業になるためには、“ほとばしる”パッションとエネルギーを持ち合わせ、全体を包含できる突出したリーダーが必要だ。「Shiseido Future University」では、自らビジョンを描き、長期的な視点で企業価値を高め、変革を実現する経営リーダーの育成を目指す。

WWD:具体的には。

魚谷:国内外のグループ会社から選抜した次世代の経営リーダーとなる人財を中心に、オリジナルのリーダーシッププログラムを実施する。ビューティカンパニーにふさわしい美への感性や心の豊かさを育むため、150年にわたるDNAやヘリテージからインスピレーションを得られるようなスペースや、生け花や茶道などの日本文化を本質的に捉えるコンテンツも用意する。また、世界中から集まる参加者がフラットに交流できるスペースを設け、日本特有の自己主張をしてはいけない空気感や同調しがちな考えを壊したい。自分の意見が言い合えるようになれば化学反応が起き、新しい商品やサービスのアイデア、そしてイノベーションが生まれるだろう。事業も組織も多様化が進んでいるが、資生堂の“原点”を忘れないよう、創業の地である銀座からグローバルリーダーを輩出することに大きな意味があると感じている。

WWD:グローバルに活躍できる人財の投資を強める一方で、30年までに“スキンビューティ”領域で世界No.1を目指している。各市場をどのように捉えているか。

魚谷:スキンケアは、マイクロバイオームやダーマコスメ、サステナビリティなどの切り口で細分化が進んでいる。また、フレグランスも香りのみならず機能に着目した開発が行われるなどイノベーションが起きている。“スキン”の周辺領域でもあるインナービューティにおいては、もともとの東洋思想である医食同源、飲む・食べることで体や肌がきれいになるという思想がコロナ禍でより顕著に表れた。

WWD:そこで既存の化粧品ブランドを強化するとともに、ウェルネス領域展開への第一歩として、2月1日からインナービューティ事業を本格始動する。

魚谷:インナービューティに関しては、コラーゲンドリンクの“ザ・コラーゲン”を手掛けているものの、われわれは飲み物や食べ物の経験値が低い。カゴメが肌のことに触れた広告を打ち始めたのを見て、直感的にこれだと確信してカゴメの社長に直接ご相談して、2020年に共同研究を開始した。一方で、対症療法の薬ではなく体質改善に期待できる漢方にも興味があった。肌の調子を良くすることにつながるだろうとツムラに声を掛けたところ、共感を得てこちらも共同研究を進めている。両社とも、ビューティは踏み込んでいない領域であったが、「より良い社会を実現していきたい」という思いが一致して業務提携につながった。2月に立ち上げるインナービューティブランド「シセイドウ ビューティー ウエルネス」を通じて、2社と共同研究・開発した商品を日本国内で発売する。今後、他の食品系メーカーとの協業も視野に入れ、新たな健康美習慣を「Jビューティ ウエルネス」としてグローバルに発信し、新市場の創造を目指す。

会社概要

資生堂
SHISEIDO

1872年創業。スキンケアやメイクアップ、フレグランスなどの化粧品を中心とした事業のほか、レストラン事業など幅広く展開。自社開発やオープンイノベーション、戦略的M&Aなどを推進し、より健康的な肌を実現するスキンビューティ領域を強化。企業使命「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)」のもと、本業を通じてより良い世界の実現を目指す

問い合わせ先
資生堂
お問い合わせフォーム

The post 未来の経営リーダーの輩出を目指す【資生堂 魚谷雅彦会長CEO】 appeared first on WWDJAPAN.

自社ECを生かした「クリック&トライ」を武器に【オンワードHD 保元道宣社長】

PROFILE: 保元道宣/オンワードホールディングス社長

保元道宣/オンワードホールディングス社長
PROFILE: (やすもと・みちのぶ)1965年9月13日熊本県生まれ。88年に東京大学法学部卒業後、通産省(現・経済産業省)に入省。2001年にNTT-Xに入社後、同社やオンワードなどが出資したコロモ・ドット・コム社長に就任。06年オンワード樫山(現・オンワードホールディングス)に転じ、15年3月から現職 PHOTO : KAZUO YOSHIDA

デジタルによって会社の姿を大きく変えているのが、老舗アパレルのオンワードホールディングスだ。グループ国内売上高に占めるEC化率は約3割。特筆すべきは、その約9割が自社ECであること。自前のデジタル基盤を生かしたOMO(オンラインとオフラインの融合)に保元道宣社長は自信を深める。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

経営効率をアップさせ
お客さまの満足度も高める仕組みを作る

WWDJAPAN(以下、WWD):24年2月期の連結営業利益の見通しが110億円。2008年のリーマンショック以降、最高益になる。

保元道宣社長(以下、保元):コロナ前から着手したグローバル事業構造改革によって、粗利益率が大きく改善して筋肉質になった。23年以降は売上高も上向いており、3〜11月期は主力の「23区」が前年同期に比べて17%増、21年にデビューした「アンフィーロ」が1.9倍、ペット用品の「ペットパラダイス(PET PARADISE)」が18%増だった。とはいえ、ようやく成長戦略のスタートに立ったにすぎない。大事なのはこれからだ。利益水準にまだ満足していないし、もっと上を目指さなくてはいけない。3年前に発表した2030年度に向けた中長期経営ビジョンの改訂版を春に出すので、具体的にはそこに盛り込む。グループ全従業員7315名が一丸となって前に進みたい。

WWD:売上構成のEC化率が国内で29%になった。

保元:自社EC「オンワード・クローゼット(ONWARD CROSSET)」を始めたのが09年。コロナ前は15%前後だったが、コロナ禍で一気に拡大した。コロナ前から構想していたOMO施策が、コロナ禍で実装に至った。当社の場合、お客さまがECで気に入った服を最寄りの店舗に取り寄せて試着できるサービス「クリック&トライ(C&T)」に成果が出ている。現時点でオンワード樫山の56%の店舗に導入されており、3〜11月の予約件数は約9万6000件にもなる。C&Tを利用するお客さまは取り寄せた服だけでなく、店頭でそれとコーディネートする服を買い求めるケースも珍しくない。シナジーが大きい。C&Tが機能するには、総在庫に占める自社EC向け在庫の比率が3割ほど必要だと、以前から考えてきた。それくらいの規模になれば在庫を自由に動かすことができる。当社はEC売上高における自社ECの割合が9割。ECを始めた当初から自社ECにこだわってきたのは、OMOを見据えた戦略だった。

WWD:なぜC&Tがこれほど早く浸透したのか。

保元:大都市の集客力のある店舗は、商品が手厚く配分される一方、人口が少ないエリアの店舗はどうしても品ぞろえが手薄になりがちだった。品番、サイズ、色の欠品が目立ち、お客さまをがっかりさせてしまう。でもC&Tで取り寄せれば、その不満を解消できる。販売員が薦めた服を取り寄せるケースも多く、来店機会の増加につながっている。あるいは「23区」の販売員が「ICB」の新作をお客さまに薦めることもある。エリアに「ICB」の店舗がないため、接点がなかったお客さまにもブランドを届けられる。当社では販売員をファッションスタイリストと呼んでいるが、まさにスタイリストとしてブランドの枠に縛られず接客できる。

WWD:OMO型複合店舗「オンワード・クローゼットセレクト(OCS)」もC&Tの拠点として機能している。

保元:百貨店やショッピングセンターで現在101店舗を運営する。ブランドの垣根なく、接客して販売する。自社ECをそのままリアル店舗にした感覚だ。地方都市の百貨店では、ブランド単独で出店していた店舗をOCSにまとめる場合もある。単独だと採算が取れなかったエリアがOCSにすると集客力がぐんと上がる。事業構造改革で撤退した地方百貨店にOCSで再出店するケースもある。エリア単位で店舗数は減っても、売り上げを伸ばせる体制ができた。当社の経営効率も高まり、お客さまの満足度も高まる。

WWD:「アンフィーロ」は今期に売上高50億円規模を達成する見通しだ。

保元:機能美をコンセプトに掲げ、“最愛ジョグパン”などのヒットを連発している。始まりはEC専用ブランドだったが、C&TやOCSを通じて実物に触れ、機能性とファッション性を気に入って購入されるお客さまが多い。ブランドの屋号を冠した店舗がないにもかかわらず、21年デビューからの短期間でこれだけの支持を得た。オンワードのOMO戦略を象徴するブランドだ。だいぶ認知も高まってきたので、この先にはブランドの世界観を表現する直営店が必要になるかもしれない。

WWD:OMOを社内に浸透させる秘訣は?

保元:全ての従業員に腹落ちしてもらうこと。OMOは長年のファッション業界の常識を変えるものだからだ。この2年間、私は全国の店舗の7割に出向き、OMOの重要性を説いてきた。商品企画、技能職、生産の各担当者にも直接説明し、たくさんの議論を重ねてきた。職種の壁を越えるのがDXの真髄かもしれない。お客さまの満足のために社内のベクトルを一つに合わせる。中国・大連の最新鋭のグループ工場と連携するオーダーメイドブランド「カシヤマ(KASHIYAMA)」もDXの賜物だ。デジタルの活用によってお客さまの体形にフィットした一着を短時間かつお手頃な価格で提供する。「ICB」や「五大陸」でも、ここのシステムを活用する。既製服が主力だった「五大陸」はスーツの8割がパターンメイドになった。当社は戦後に既製服への進出で現在の姿に発展したわけだが、再びカスタマイズが成長しているのも面白い。

会社概要

オンワードホールディングス
ONWARD HOLDINGS

1927年に樫山純三氏が大阪で樫山商店を創業し、戦後に日本を代表するアパレル企業に発展。中核会社のオンワード樫山は「23区」「ICB」「自由区」「J.プレス(J.PRESS)」「アンフィーロ(UNFILO)」などを展開。グループ会社には法人ビジネスのオンワードコーポレートデザイン、バレエ用品のチャコット、ペット用品のクリエイティブヨーコなどがある。2023年2月期連結業績は売上高1760億円、純利益30億円

問い合わせ先
オンワードホールディングス
03-4512-1070

The post 自社ECを生かした「クリック&トライ」を武器に【オンワードHD 保元道宣社長】 appeared first on WWDJAPAN.

自社ECを生かした「クリック&トライ」を武器に【オンワードHD 保元道宣社長】

PROFILE: 保元道宣/オンワードホールディングス社長

保元道宣/オンワードホールディングス社長
PROFILE: (やすもと・みちのぶ)1965年9月13日熊本県生まれ。88年に東京大学法学部卒業後、通産省(現・経済産業省)に入省。2001年にNTT-Xに入社後、同社やオンワードなどが出資したコロモ・ドット・コム社長に就任。06年オンワード樫山(現・オンワードホールディングス)に転じ、15年3月から現職 PHOTO : KAZUO YOSHIDA

デジタルによって会社の姿を大きく変えているのが、老舗アパレルのオンワードホールディングスだ。グループ国内売上高に占めるEC化率は約3割。特筆すべきは、その約9割が自社ECであること。自前のデジタル基盤を生かしたOMO(オンラインとオフラインの融合)に保元道宣社長は自信を深める。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

経営効率をアップさせ
お客さまの満足度も高める仕組みを作る

WWDJAPAN(以下、WWD):24年2月期の連結営業利益の見通しが110億円。2008年のリーマンショック以降、最高益になる。

保元道宣社長(以下、保元):コロナ前から着手したグローバル事業構造改革によって、粗利益率が大きく改善して筋肉質になった。23年以降は売上高も上向いており、3〜11月期は主力の「23区」が前年同期に比べて17%増、21年にデビューした「アンフィーロ」が1.9倍、ペット用品の「ペットパラダイス(PET PARADISE)」が18%増だった。とはいえ、ようやく成長戦略のスタートに立ったにすぎない。大事なのはこれからだ。利益水準にまだ満足していないし、もっと上を目指さなくてはいけない。3年前に発表した2030年度に向けた中長期経営ビジョンの改訂版を春に出すので、具体的にはそこに盛り込む。グループ全従業員7315名が一丸となって前に進みたい。

WWD:売上構成のEC化率が国内で29%になった。

保元:自社EC「オンワード・クローゼット(ONWARD CROSSET)」を始めたのが09年。コロナ前は15%前後だったが、コロナ禍で一気に拡大した。コロナ前から構想していたOMO施策が、コロナ禍で実装に至った。当社の場合、お客さまがECで気に入った服を最寄りの店舗に取り寄せて試着できるサービス「クリック&トライ(C&T)」に成果が出ている。現時点でオンワード樫山の56%の店舗に導入されており、3〜11月の予約件数は約9万6000件にもなる。C&Tを利用するお客さまは取り寄せた服だけでなく、店頭でそれとコーディネートする服を買い求めるケースも珍しくない。シナジーが大きい。C&Tが機能するには、総在庫に占める自社EC向け在庫の比率が3割ほど必要だと、以前から考えてきた。それくらいの規模になれば在庫を自由に動かすことができる。当社はEC売上高における自社ECの割合が9割。ECを始めた当初から自社ECにこだわってきたのは、OMOを見据えた戦略だった。

WWD:なぜC&Tがこれほど早く浸透したのか。

保元:大都市の集客力のある店舗は、商品が手厚く配分される一方、人口が少ないエリアの店舗はどうしても品ぞろえが手薄になりがちだった。品番、サイズ、色の欠品が目立ち、お客さまをがっかりさせてしまう。でもC&Tで取り寄せれば、その不満を解消できる。販売員が薦めた服を取り寄せるケースも多く、来店機会の増加につながっている。あるいは「23区」の販売員が「ICB」の新作をお客さまに薦めることもある。エリアに「ICB」の店舗がないため、接点がなかったお客さまにもブランドを届けられる。当社では販売員をファッションスタイリストと呼んでいるが、まさにスタイリストとしてブランドの枠に縛られず接客できる。

WWD:OMO型複合店舗「オンワード・クローゼットセレクト(OCS)」もC&Tの拠点として機能している。

保元:百貨店やショッピングセンターで現在101店舗を運営する。ブランドの垣根なく、接客して販売する。自社ECをそのままリアル店舗にした感覚だ。地方都市の百貨店では、ブランド単独で出店していた店舗をOCSにまとめる場合もある。単独だと採算が取れなかったエリアがOCSにすると集客力がぐんと上がる。事業構造改革で撤退した地方百貨店にOCSで再出店するケースもある。エリア単位で店舗数は減っても、売り上げを伸ばせる体制ができた。当社の経営効率も高まり、お客さまの満足度も高まる。

WWD:「アンフィーロ」は今期に売上高50億円規模を達成する見通しだ。

保元:機能美をコンセプトに掲げ、“最愛ジョグパン”などのヒットを連発している。始まりはEC専用ブランドだったが、C&TやOCSを通じて実物に触れ、機能性とファッション性を気に入って購入されるお客さまが多い。ブランドの屋号を冠した店舗がないにもかかわらず、21年デビューからの短期間でこれだけの支持を得た。オンワードのOMO戦略を象徴するブランドだ。だいぶ認知も高まってきたので、この先にはブランドの世界観を表現する直営店が必要になるかもしれない。

WWD:OMOを社内に浸透させる秘訣は?

保元:全ての従業員に腹落ちしてもらうこと。OMOは長年のファッション業界の常識を変えるものだからだ。この2年間、私は全国の店舗の7割に出向き、OMOの重要性を説いてきた。商品企画、技能職、生産の各担当者にも直接説明し、たくさんの議論を重ねてきた。職種の壁を越えるのがDXの真髄かもしれない。お客さまの満足のために社内のベクトルを一つに合わせる。中国・大連の最新鋭のグループ工場と連携するオーダーメイドブランド「カシヤマ(KASHIYAMA)」もDXの賜物だ。デジタルの活用によってお客さまの体形にフィットした一着を短時間かつお手頃な価格で提供する。「ICB」や「五大陸」でも、ここのシステムを活用する。既製服が主力だった「五大陸」はスーツの8割がパターンメイドになった。当社は戦後に既製服への進出で現在の姿に発展したわけだが、再びカスタマイズが成長しているのも面白い。

会社概要

オンワードホールディングス
ONWARD HOLDINGS

1927年に樫山純三氏が大阪で樫山商店を創業し、戦後に日本を代表するアパレル企業に発展。中核会社のオンワード樫山は「23区」「ICB」「自由区」「J.プレス(J.PRESS)」「アンフィーロ(UNFILO)」などを展開。グループ会社には法人ビジネスのオンワードコーポレートデザイン、バレエ用品のチャコット、ペット用品のクリエイティブヨーコなどがある。2023年2月期連結業績は売上高1760億円、純利益30億円

問い合わせ先
オンワードホールディングス
03-4512-1070

The post 自社ECを生かした「クリック&トライ」を武器に【オンワードHD 保元道宣社長】 appeared first on WWDJAPAN.

持続的成長のため、多様性とチャレンジの文化に磨きをかける【ワールド 鈴木信輝社長】

PROFILE: 鈴木信輝/社長

鈴木信輝/社長
PROFILE: (すずき・のぶてる)1974年8月23日生まれ。京都大学大学院法学研究科卒。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)やローランドベルガー、ボストンコンサルティンググループなどを経て2012年ワールドに入社。15年から常務執行役員。18年から専務執行役員。20年6月から現職 PHOTO:KAZUO YOSHIDA

ブランド事業だけでなく、デジタル事業、プラットフォーム事業へと業容を広げるワールドの鈴木信輝社長が目指す姿は「ファッションに関することなら何でもやる会社」だ。2024年はしばらく抑制してきた新ブランド・新業態の開発にも積極的に乗り出す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

選択と集中で筋肉質に
次を見据えた新ブランド開発に本腰

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年4〜9月期(上期)はコア営業利益が期初計画を5%上回った。

鈴木信輝社長(以下、鈴木):上期を勝負所と捉えて、ブランド事業ではトップライン(売上高)を取りにいこうと号令をかけてきた。コロナの5類移行で、ようやく通常モードで商売できたことが大きい。売り場のスタッフの士気が高まった。従業員にとっては厳しい3年間だったが、もう一度、前を向いて、お客さまの期待に応えようと皆が頑張った結果だ。

WWD:デジタル事業やプラットフォーム事業はどうか。

鈴木:デジタル事業はさまざまな方向で可能性を探ってきた。結果、ユーズドセレクトショップ「ラグタグ(RAGTAG)」や高級バッグのシェアリングサービスの「ラクサス」、オフプライスストアの「アンドブリッジ」を中心としたサーキューラー分野が想定以上の成長と収益拡大を果たした。一方でマスカスタムズ分野には見切りをつけた。「選択と集中」によってリソースを絞り込み、サーキュラー分野の成長を加速させていく。

長年培ってきた製造・販売・デジタルなどの仕組みを他社に提供するプラットフォーム事業は、人ありきのビジネスであり、先行投資と時間がかかる。それでもマネジメント基盤の整備や人材の強化によって上期は黒字化した。プラットフォーム事業は、クライアントの課題を解決する仕事。単純でありきたりのサービスでは付加価値を高められない。ワールドだから提供できる付加価値を追求していく。

WWD:24年度は何に取り組むか。

鈴木:26年2月期を最終年度にした中期経営計画「プランW」に基づき、25年2月期は「持続的成長と利益の証明」がテーマになる。昨年から攻めに転じ、結果も出せている。今年はさらにアクセルを踏み、コア営業利益で再上場(18年9月)後の最高益となる170億円以上を目指す。この数年、コロナ禍でたくさんのブランドを終息させざるを得なかった。従業員やディベロッパーの方々にも大きな傷みをお願いすることとなったが、本当に苦渋の決断だった。だが結果的に選択と集中が加速し、筋肉質な体質になった。継続しているブランドは明確な強みを持つものばかり。ワールド本来の多様性とチャレンジの文化を証明していく。

WWD:ブランド事業では新ブランド・新業態の開発に力を入れている。

鈴木:しばらく新ブランド開発が止まっていたが、昨年から再開した。婦人服では20〜30代向けの「ギャレスト」と「コードエー」を23年春に開始した。また12月にはOMO(オンラインとオフラインの融合)型の「アンタイトルギャラリー」の1号店を開き、「アンタイトル(UNTITLED)」だけでなく「インディヴィ(INDIVI)」「クード シャンス(COUP DE CHANCE)」「デッサン」などのECで扱う服を取り寄せて試着できるようにした。従来のように一気に出店するのではなく、ECとの連動で成長を見極めながらアクセルを踏む方法をとる。百貨店では既存ブランド以上に上質な婦人服を求めるお客さまの声が増えた。ここには「アンタイトル」から派生した「オブリオ」を24年春から本格化する。既存ブランドだが「シクラス」も感度の高いお客さまの支持が広がっている。ワールドとして手薄だった高価格帯も大きなポテンシャルがある。

WWD:既存ブランドの改革の成果は?

鈴木:「タケオキクチ(TAKEO KIKUCHI)」はコロナ前を上回る業績だ。今春からはアーカイブをアップデートした新レーベル「ザ・フラッグシップ」を販売する。世代を超えて長く愛されており、百貨店やファッションビル、ECだけでなく、台湾やタイでも人気がある。中期経営計画で掲げるマルチチャネル戦略のお手本といえる。近郊型SCに出店してきた「シューラルー」も広域型SCや駅ビルにも出店するようにした。従来のチャネル軸にこだわらず、お客さまとの接点を広げる。

WWD:MDの精度も磨かれてきたのか。

鈴木:ブランドごとにKPIは異なるが、それぞれ細かく設計している。仕入れ抑制はかなり浸透した。ただ、それだけではきちんと稼ぐことはできない。適時・適品・適量。地道なことの積み重ねだ。まずは定番商品を磨き上げる。マスターパターン一つとっても毎シーズン、ブラッシュアップする。新しい流行でヒットを作り出すことも大切だが、基本的な商品の競争力を高めないと持続的成長にはならない。

WWD:デジタル事業で注力するサーキュラー分野はどう強化するか。

鈴木:裾野が大きな領域だ。「ラグタグ」はブランド品のユーズドが支持されてきたが、低価格帯のカジュアルを売る「ユーズボウル」の出店を開始した。リユースに注目するブランドホルダーは多いが、仕組みを一から作るのは難しい。古着の回収、査定、単品管理、販売に至るオペレーションには独自のノウハウがあるからだ。そこでティンパンアレイの仕組みの外販を始める。「ラグタグ」はグループのサーキュラー分野の核になる。

リユースの成長には調達が欠かせない。現状21店舗の「ラグタグ」やオンラインを通じて買い取りを行っている。店舗を出店すると、オンラインの買い取りも増える。良い商品の確保は他社との競争である。買い取りに特化した拠点を出店することも検討中だ。

会社概要

ワールド
WORLD

1959年、神戸で婦人ニットの卸売業として設立。93年、小売業に進出。「アンタイトル」「インディヴィ」「タケオキクチ」「シューラルー」などのブランド事業を展開。ブランド事業のほか、デジタル事業、プラットフォーム事業と3つのセグメントを推進する。子会社としてブランド古着の買取・販売「ラグタグ」を運営するティンパンアレイ、子供服のナルミヤ・インターナショナルなどがある。2023年3月期連結業績(国際会計基準)は売上収益2142億円、純利益63億円

問い合わせ先
ワールド
078-302-3111(代表)

The post 持続的成長のため、多様性とチャレンジの文化に磨きをかける【ワールド 鈴木信輝社長】 appeared first on WWDJAPAN.

持続的成長のため、多様性とチャレンジの文化に磨きをかける【ワールド 鈴木信輝社長】

PROFILE: 鈴木信輝/社長

鈴木信輝/社長
PROFILE: (すずき・のぶてる)1974年8月23日生まれ。京都大学大学院法学研究科卒。アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)やローランドベルガー、ボストンコンサルティンググループなどを経て2012年ワールドに入社。15年から常務執行役員。18年から専務執行役員。20年6月から現職 PHOTO:KAZUO YOSHIDA

ブランド事業だけでなく、デジタル事業、プラットフォーム事業へと業容を広げるワールドの鈴木信輝社長が目指す姿は「ファッションに関することなら何でもやる会社」だ。2024年はしばらく抑制してきた新ブランド・新業態の開発にも積極的に乗り出す。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

選択と集中で筋肉質に
次を見据えた新ブランド開発に本腰

WWDJAPAN(以下、WWD):2023年4〜9月期(上期)はコア営業利益が期初計画を5%上回った。

鈴木信輝社長(以下、鈴木):上期を勝負所と捉えて、ブランド事業ではトップライン(売上高)を取りにいこうと号令をかけてきた。コロナの5類移行で、ようやく通常モードで商売できたことが大きい。売り場のスタッフの士気が高まった。従業員にとっては厳しい3年間だったが、もう一度、前を向いて、お客さまの期待に応えようと皆が頑張った結果だ。

WWD:デジタル事業やプラットフォーム事業はどうか。

鈴木:デジタル事業はさまざまな方向で可能性を探ってきた。結果、ユーズドセレクトショップ「ラグタグ(RAGTAG)」や高級バッグのシェアリングサービスの「ラクサス」、オフプライスストアの「アンドブリッジ」を中心としたサーキューラー分野が想定以上の成長と収益拡大を果たした。一方でマスカスタムズ分野には見切りをつけた。「選択と集中」によってリソースを絞り込み、サーキュラー分野の成長を加速させていく。

長年培ってきた製造・販売・デジタルなどの仕組みを他社に提供するプラットフォーム事業は、人ありきのビジネスであり、先行投資と時間がかかる。それでもマネジメント基盤の整備や人材の強化によって上期は黒字化した。プラットフォーム事業は、クライアントの課題を解決する仕事。単純でありきたりのサービスでは付加価値を高められない。ワールドだから提供できる付加価値を追求していく。

WWD:24年度は何に取り組むか。

鈴木:26年2月期を最終年度にした中期経営計画「プランW」に基づき、25年2月期は「持続的成長と利益の証明」がテーマになる。昨年から攻めに転じ、結果も出せている。今年はさらにアクセルを踏み、コア営業利益で再上場(18年9月)後の最高益となる170億円以上を目指す。この数年、コロナ禍でたくさんのブランドを終息させざるを得なかった。従業員やディベロッパーの方々にも大きな傷みをお願いすることとなったが、本当に苦渋の決断だった。だが結果的に選択と集中が加速し、筋肉質な体質になった。継続しているブランドは明確な強みを持つものばかり。ワールド本来の多様性とチャレンジの文化を証明していく。

WWD:ブランド事業では新ブランド・新業態の開発に力を入れている。

鈴木:しばらく新ブランド開発が止まっていたが、昨年から再開した。婦人服では20〜30代向けの「ギャレスト」と「コードエー」を23年春に開始した。また12月にはOMO(オンラインとオフラインの融合)型の「アンタイトルギャラリー」の1号店を開き、「アンタイトル(UNTITLED)」だけでなく「インディヴィ(INDIVI)」「クード シャンス(COUP DE CHANCE)」「デッサン」などのECで扱う服を取り寄せて試着できるようにした。従来のように一気に出店するのではなく、ECとの連動で成長を見極めながらアクセルを踏む方法をとる。百貨店では既存ブランド以上に上質な婦人服を求めるお客さまの声が増えた。ここには「アンタイトル」から派生した「オブリオ」を24年春から本格化する。既存ブランドだが「シクラス」も感度の高いお客さまの支持が広がっている。ワールドとして手薄だった高価格帯も大きなポテンシャルがある。

WWD:既存ブランドの改革の成果は?

鈴木:「タケオキクチ(TAKEO KIKUCHI)」はコロナ前を上回る業績だ。今春からはアーカイブをアップデートした新レーベル「ザ・フラッグシップ」を販売する。世代を超えて長く愛されており、百貨店やファッションビル、ECだけでなく、台湾やタイでも人気がある。中期経営計画で掲げるマルチチャネル戦略のお手本といえる。近郊型SCに出店してきた「シューラルー」も広域型SCや駅ビルにも出店するようにした。従来のチャネル軸にこだわらず、お客さまとの接点を広げる。

WWD:MDの精度も磨かれてきたのか。

鈴木:ブランドごとにKPIは異なるが、それぞれ細かく設計している。仕入れ抑制はかなり浸透した。ただ、それだけではきちんと稼ぐことはできない。適時・適品・適量。地道なことの積み重ねだ。まずは定番商品を磨き上げる。マスターパターン一つとっても毎シーズン、ブラッシュアップする。新しい流行でヒットを作り出すことも大切だが、基本的な商品の競争力を高めないと持続的成長にはならない。

WWD:デジタル事業で注力するサーキュラー分野はどう強化するか。

鈴木:裾野が大きな領域だ。「ラグタグ」はブランド品のユーズドが支持されてきたが、低価格帯のカジュアルを売る「ユーズボウル」の出店を開始した。リユースに注目するブランドホルダーは多いが、仕組みを一から作るのは難しい。古着の回収、査定、単品管理、販売に至るオペレーションには独自のノウハウがあるからだ。そこでティンパンアレイの仕組みの外販を始める。「ラグタグ」はグループのサーキュラー分野の核になる。

リユースの成長には調達が欠かせない。現状21店舗の「ラグタグ」やオンラインを通じて買い取りを行っている。店舗を出店すると、オンラインの買い取りも増える。良い商品の確保は他社との競争である。買い取りに特化した拠点を出店することも検討中だ。

会社概要

ワールド
WORLD

1959年、神戸で婦人ニットの卸売業として設立。93年、小売業に進出。「アンタイトル」「インディヴィ」「タケオキクチ」「シューラルー」などのブランド事業を展開。ブランド事業のほか、デジタル事業、プラットフォーム事業と3つのセグメントを推進する。子会社としてブランド古着の買取・販売「ラグタグ」を運営するティンパンアレイ、子供服のナルミヤ・インターナショナルなどがある。2023年3月期連結業績(国際会計基準)は売上収益2142億円、純利益63億円

問い合わせ先
ワールド
078-302-3111(代表)

The post 持続的成長のため、多様性とチャレンジの文化に磨きをかける【ワールド 鈴木信輝社長】 appeared first on WWDJAPAN.

服が好きでたまらないファッション集団が活躍する会社に【TSI 下地毅社長】

PROFILE: 下地毅/社長

下地毅/社長
PROFILE: (しもじ・つよし)1964年12月28日、沖縄県生まれ。文化服装学院卒業後、97年上野商会に入社。2016年専務取締役執行役員商品本部長を経て18年に社長。TSIホールディングスでは19年6月に執行役員、20年5月に取締役営業本部長を経て21年3月から現職

多種多様な50以上ブランドを束ねるTSIホールディングスの下地毅社長は、大手アパレル企業では珍しいデザイナー出身の経営トップである。常々「ファッションの力を信じよう」と話し、現場を鼓舞してきた。今、改めて洋服屋としての原点に立ち返る。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「好き」が生み出すエネルギーは
お客さまに必ず伝わる

WWDJAPAN(以下、WWD):14あった事業会社を段階的に統合し、22年秋に青山の本社オフィスに集約してから1年以上が過ぎた。

下地毅社長(以下、下地):人事、総務、システムといった部門も統合し、組織をスリム化できた。だが、それ以上の効果は人の交流だ。TSIが運営する50以上のブランドの担当者たちが密接に言葉を交わせるようになった。本社1階はショールームになっており、婦人服からアメカジ、ストリートウエアまでさまざまなブランドを並べている。そこには社内向けに運営する「アースカフェ」が出店しているので、日常的に従業員が集まる。自分が所属するブランドの軸だけで考えるのではなく、他のブランドから学ぼうとする気運が高まった。また人事の面でも社内公募制度を実施し、自発的な異動で挑戦の機会を提供した。TSIの多様性を人材活用の強みに転嫁する。

WWD:一丸となった上で2024年は何に取り組むのか。

下地:まずは低収益からの脱却だ。前期(23年2月期)の営業利益率は1.5%。これを当面は5.0%以上、その先には8%を目指す。販管費を抑制しつつ、しっかり稼ぐ。収益性が低いままだと、次の成長に向けた投資ができない。TSIにとって最優先課題だ。すでに業務の棚卸を始めている。それぞれの部署で収益性、業務内容、人員などを精査しているところだ。配置換えも積極的に行う。働き方も含めて大胆に変える。詳しくは4月に発表する新しい中期経営計画に盛り込む。

WWD:異なる事業会社が集結したTSIを束ねる旗印はあるのか。

下地:私たちは洋服屋というアイデンティティーを共有している。服が好きで好きでたまらないファッション集団であることがエネルギーだ。それはお客さまにも伝播する。スタッフには「縮こまらずに、どんどん面白いことをやってくれ」とよく話している。サンフランシスコの古着を着想源にした「セブンバイセブン(SEVEN BY SEVEN)」は、昨年9月の東京コレクションでランウエイショーを開いた。代々木上原に旗艦店を出店するタイミングで、多くの関係者に見ていただく機会を作った。デザイナー川上淳也さんのクリエイションへの熱が伝わるショーだった。外への発信だけでなく、スタッフのモチベーション向上にもつながる。他のブランドのスタッフも刺激を受け「次は私たちの番だ」と思っている。作り手が楽しんで、発信するエネルギーは推進力になる。

WWD:パーパスとして「ファッションエンターテインメント創造企業」を掲げている。

下地:ファッションは社会を変えていける、世の中をもっと楽しくできる。そんな思いが私たちの出発点だ。さまざまなテイストの婦人服からセレクトショップ、アメカジ、ストリートウエア、ゴルフウエア、アウトドアウエアまで事業領域は幅広い。持っていないのは子供服とテーラードスーツくらい。それぞれの領域の強い部分をより強くすれば、どこにも負けないファッション企業になれる。私自身が服が大好きなファッション野郎だし、ファションの力を信じている。

WWD:期待している領域はどこか。

下地:「アドーア(ADORE)」「ル フィル(LE PHIL)」「ヒューエルミュージアム(HUELE MUSEUM)」といったアッパーゾーンの婦人服がとても元気だ。コロナ収束後、思い切りおしゃれがしたいという女性の期待に応えている。デザイン性に優れた時代性のある服を、厳選した素材と計算されたパターンで提供する。知名度はまだまだだけど、きらりと光るものをお客さまも感じてくださっている。大量生産・大量消費の服とは明らかに異なる立ち位置で、高価格帯にもかかわらず売れている。「ヒューエルミュージアム」ではアート作品との協業など、新しい挑戦も続けている。

WWD:一方でけん引役だったゴルフブランドが失速している。

下地:確かに大黒柱の「パーリーゲイツ(PEARLY GATES)」は上期に減収になったが、コロナ禍の急成長の反動であって巡航速度に戻ったと見ている。ロイヤルティーが高いお客さまに支えられているブランドなので心配していない。「ジャックバニー」「ニューバランスゴルフ」「ピンアパレル」は順調に成長している。

WWD:サステナビリティへの取り組みは?

下地:アパレル企業といえども原料までさかのぼることが欠かせなくなる。農業ベンチャー企業のシンコムアグリテック社と資本業務提携し、インドのタミルナドゥ州で試験栽培していた綿花から初めて紡績糸が完成した。当社のブランドの中で製品化を進めている最中だ。今後は作付面積も増やして、オーガニックコットンの採用を広げる。また素材ベンチャー企業のフードリボンと組み、パイナップルの葉から抽出した繊維を使った服を開発している。フードリボンは沖縄やインドネシア、フィリピンなどのパイナップル農家に繊維を抽出する機械を貸し出し、量産態勢に向けて動き出している。これまで大量に廃棄されていたパイナップルの葉を服の素材に活用する。原料までさかのぼった取り組みは、ファッションの未来を考えるととても夢がある。

会社概要

TSIホールディングス
TSI HOLDINGS

旧東京スタイルと旧サンエー・インターナショナルの経営統合によって2011年6月に設立。主なブランドは「パーリーゲイツ」「ナノ・ユニバース」「マーガレット・ハウエル」「ナチュラルビューティーベーシック」「ハフ」「アヴィレックス」など。2023年2月期連結業績は売上高1544億円、純利益30億円。従業員数は4206人

問い合わせ先
TSIホールディングス
03-5785-0412

The post 服が好きでたまらないファッション集団が活躍する会社に【TSI 下地毅社長】 appeared first on WWDJAPAN.

服が好きでたまらないファッション集団が活躍する会社に【TSI 下地毅社長】

PROFILE: 下地毅/社長

下地毅/社長
PROFILE: (しもじ・つよし)1964年12月28日、沖縄県生まれ。文化服装学院卒業後、97年上野商会に入社。2016年専務取締役執行役員商品本部長を経て18年に社長。TSIホールディングスでは19年6月に執行役員、20年5月に取締役営業本部長を経て21年3月から現職

多種多様な50以上ブランドを束ねるTSIホールディングスの下地毅社長は、大手アパレル企業では珍しいデザイナー出身の経営トップである。常々「ファッションの力を信じよう」と話し、現場を鼓舞してきた。今、改めて洋服屋としての原点に立ち返る。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月29日号からの抜粋です)

「好き」が生み出すエネルギーは
お客さまに必ず伝わる

WWDJAPAN(以下、WWD):14あった事業会社を段階的に統合し、22年秋に青山の本社オフィスに集約してから1年以上が過ぎた。

下地毅社長(以下、下地):人事、総務、システムといった部門も統合し、組織をスリム化できた。だが、それ以上の効果は人の交流だ。TSIが運営する50以上のブランドの担当者たちが密接に言葉を交わせるようになった。本社1階はショールームになっており、婦人服からアメカジ、ストリートウエアまでさまざまなブランドを並べている。そこには社内向けに運営する「アースカフェ」が出店しているので、日常的に従業員が集まる。自分が所属するブランドの軸だけで考えるのではなく、他のブランドから学ぼうとする気運が高まった。また人事の面でも社内公募制度を実施し、自発的な異動で挑戦の機会を提供した。TSIの多様性を人材活用の強みに転嫁する。

WWD:一丸となった上で2024年は何に取り組むのか。

下地:まずは低収益からの脱却だ。前期(23年2月期)の営業利益率は1.5%。これを当面は5.0%以上、その先には8%を目指す。販管費を抑制しつつ、しっかり稼ぐ。収益性が低いままだと、次の成長に向けた投資ができない。TSIにとって最優先課題だ。すでに業務の棚卸を始めている。それぞれの部署で収益性、業務内容、人員などを精査しているところだ。配置換えも積極的に行う。働き方も含めて大胆に変える。詳しくは4月に発表する新しい中期経営計画に盛り込む。

WWD:異なる事業会社が集結したTSIを束ねる旗印はあるのか。

下地:私たちは洋服屋というアイデンティティーを共有している。服が好きで好きでたまらないファッション集団であることがエネルギーだ。それはお客さまにも伝播する。スタッフには「縮こまらずに、どんどん面白いことをやってくれ」とよく話している。サンフランシスコの古着を着想源にした「セブンバイセブン(SEVEN BY SEVEN)」は、昨年9月の東京コレクションでランウエイショーを開いた。代々木上原に旗艦店を出店するタイミングで、多くの関係者に見ていただく機会を作った。デザイナー川上淳也さんのクリエイションへの熱が伝わるショーだった。外への発信だけでなく、スタッフのモチベーション向上にもつながる。他のブランドのスタッフも刺激を受け「次は私たちの番だ」と思っている。作り手が楽しんで、発信するエネルギーは推進力になる。

WWD:パーパスとして「ファッションエンターテインメント創造企業」を掲げている。

下地:ファッションは社会を変えていける、世の中をもっと楽しくできる。そんな思いが私たちの出発点だ。さまざまなテイストの婦人服からセレクトショップ、アメカジ、ストリートウエア、ゴルフウエア、アウトドアウエアまで事業領域は幅広い。持っていないのは子供服とテーラードスーツくらい。それぞれの領域の強い部分をより強くすれば、どこにも負けないファッション企業になれる。私自身が服が大好きなファッション野郎だし、ファションの力を信じている。

WWD:期待している領域はどこか。

下地:「アドーア(ADORE)」「ル フィル(LE PHIL)」「ヒューエルミュージアム(HUELE MUSEUM)」といったアッパーゾーンの婦人服がとても元気だ。コロナ収束後、思い切りおしゃれがしたいという女性の期待に応えている。デザイン性に優れた時代性のある服を、厳選した素材と計算されたパターンで提供する。知名度はまだまだだけど、きらりと光るものをお客さまも感じてくださっている。大量生産・大量消費の服とは明らかに異なる立ち位置で、高価格帯にもかかわらず売れている。「ヒューエルミュージアム」ではアート作品との協業など、新しい挑戦も続けている。

WWD:一方でけん引役だったゴルフブランドが失速している。

下地:確かに大黒柱の「パーリーゲイツ(PEARLY GATES)」は上期に減収になったが、コロナ禍の急成長の反動であって巡航速度に戻ったと見ている。ロイヤルティーが高いお客さまに支えられているブランドなので心配していない。「ジャックバニー」「ニューバランスゴルフ」「ピンアパレル」は順調に成長している。

WWD:サステナビリティへの取り組みは?

下地:アパレル企業といえども原料までさかのぼることが欠かせなくなる。農業ベンチャー企業のシンコムアグリテック社と資本業務提携し、インドのタミルナドゥ州で試験栽培していた綿花から初めて紡績糸が完成した。当社のブランドの中で製品化を進めている最中だ。今後は作付面積も増やして、オーガニックコットンの採用を広げる。また素材ベンチャー企業のフードリボンと組み、パイナップルの葉から抽出した繊維を使った服を開発している。フードリボンは沖縄やインドネシア、フィリピンなどのパイナップル農家に繊維を抽出する機械を貸し出し、量産態勢に向けて動き出している。これまで大量に廃棄されていたパイナップルの葉を服の素材に活用する。原料までさかのぼった取り組みは、ファッションの未来を考えるととても夢がある。

会社概要

TSIホールディングス
TSI HOLDINGS

旧東京スタイルと旧サンエー・インターナショナルの経営統合によって2011年6月に設立。主なブランドは「パーリーゲイツ」「ナノ・ユニバース」「マーガレット・ハウエル」「ナチュラルビューティーベーシック」「ハフ」「アヴィレックス」など。2023年2月期連結業績は売上高1544億円、純利益30億円。従業員数は4206人

問い合わせ先
TSIホールディングス
03-5785-0412

The post 服が好きでたまらないファッション集団が活躍する会社に【TSI 下地毅社長】 appeared first on WWDJAPAN.

SNS映えが凄い! 小規模ながら高級志向の“滞在型リゾート”~ 1.南城市・「リヤドランプ」

大型リゾートホテルの開業が相次ぐ沖縄だが、その一方で、小規模ながら高級志向の「スモールラグジュアリーリゾート」のオープンも増えている。このタイプのリゾートは限られたゲストしか宿泊していないことから、プライベートな空間を堪能できるのが特長。しかもユニークな世界観を演出する場所も多く、沖縄ではなく、どこかほかの地に滞在しているような錯覚を覚えることもある。今回は、そんなリゾートのひとつ、沖縄本島・南城市に位置するモロッカンテイストの邸宅ホテル「リヤド ランプ」を紹介しよう。

“リヤド”とは「パティオ(中庭)をもつ邸宅」を意味するアラビア語だ。主にモロッコのマラケシュに多い宿泊施設で、古い邸宅を改装した後、モロッコの伝統的な建築に、現代的なモダンなインテリアのセンスを融合させているのが特徴だ。「リヤド ランプ」は、そんな“リヤド”にほれ込んだオーナー夫妻である中村裕二朗・綾さんが、2020年にオープンさせたリゾートだ。位置しているのは沖縄本島南部の南城市。くねくねと続く細い小道を抜けた、小高い丘の上に「リヤド・ランプ」はある。

駐車場に車を駐めたあと、まるで不思議な国のアリスに出てくるような小さな扉をくぐると、森のなかには階段が。その細い階段を上ったところに、突然、邸宅のようなベージュ色のホテルがあらわれて、思わずハッと驚く。

「実はこれもホテルに宿泊していただくゲストへの演出なのです」と笑うのは、オーナーの中村綾さん。「まずはこんな場所にリゾートがあるのだろうか……、と思うような小道を車で通っていただいて。そして、エントランスにある小さな扉をくぐりぬけた先に、非日常なモロッコ・リヤドの世界観が広がっている……このアプローチは私たちがゲストに高揚感を味わっていただくために当初から思い描いていました」。

館内に入り、ホテルの階段をのぼると、モロッコ装飾に彩られた中庭のような空間があり、開放感溢れるテラススペースには”知念ブルー“の海を一望できるインフィニティプールが鎮座。そこからの絶景に感嘆する。「この小高い丘からの眺望を見ていただいた瞬間に、日常のいろいろなことを忘れられる、と多くのゲストに喜んでいただけています」。

また、装飾はもちろん、建具やカウンターなど細部に至るまで、リヤドの世界観を踏襲しており、その完成度は驚くほどに高い。聞けば、館内装飾のほとんどをモロッコから輸入したという。「そもそも主人(中村裕二朗さん)が東京の桜新町でモロッコ料理などを提供するレストランと、モロッコ家具の輸入販売をしていまして。その時のつながりがあったことで、満足できるリヤドとして仕上げることができました」。

しかし、完成までは約6年を費やしたという。「モロッコの職人さんに手作りしていただいた装飾ばかりなので、全てに思い入れがありますが、作業的に最も時間を費やしたのは、モロッコ漆喰(タデラクト)を用いたカウンターやバスタブでしょうか。現地からモロッコ漆喰を取り寄せたのですが、現地と沖縄では湿度が異なるので、現地と同じ調合で塗ってもうまくいかず……。そこで、沖縄の左官職人さんに相談して、粉と水の配合を研究しつつバランスを調整。加えて、それを重くて硬い石で磨き上げなければならず、何人もの友人に手伝ってもらい、ようやく仕上げることができました」。

客室は全5室。モダンモロッコに仕上げた室内は、それぞれインテリアが異なるのが特長。滞在するたびに異なる部屋に宿泊するリピーターも多く、女性一人でのんびりするゲストも珍しくないとか。

「夕食には沖縄の産直野菜やスパイス、ハーブを用いたコース料理などを提供しています。また、日中はアルガンオイルやローズウォーターなどモロッコの素材をふんだんに用いたスパトリートメントを受けていただいたりと、館内でゆっくり過ごす方が多いですね。リヤドは館内のいろいろな空間で楽しんでいただけることが魅力。ゲストも5組さまだけなのでプールやテラス、パティオなど、お好きな場所でご自身の家にいるような感覚でお過ごしいただいています」と話す。

スペシャルな空間だからこそ、プロポーズや結婚記念日に利用するカップルも多い。特に夜間はモロッコランプの温かい光とムーディな影が館内を照らすので、なんともロマンティックなシチュエーションになるはず。

オープンして4年目だが、施設はさらに拡張を予定している。「施設内には山林もあるのでコテージを作ったり、屋上や庭を整備したりと、さらにアップグレードしていけたらと考えています。ただ、大々的にアピールするというより、『リヤド・ランプ』に宿泊していただいたゲストにさらなる癒しを提供できるよう、より良いリヤドに整えていきたいと考えています」。

■リヤド ランプ
沖縄県南城市知念字久手堅415 TEL:098-943-4294
Instagram @riadlamp
那覇空港から車で約40分、バスで約100分(東陽バス「斎場御嶽入口」より徒歩12分)

The post SNS映えが凄い! 小規模ながら高級志向の“滞在型リゾート”~ 1.南城市・「リヤドランプ」 appeared first on WWDJAPAN.

あのマドンナの名曲が香水に 新フレグランス「アート ミーツ アート」の創業者が語る音楽への愛

フランス・パリ発フレグランス「アート ミーツ アート(ART MEETS ART以下、A.M.A)」の創業者であるタンギー・ル・ポーが昨年末に来日した。「A.M.A」はマドンナ(MADONNA)の名曲「ライク ア ヴァージン」やマーヴィン・ゲイ(Marvin Gay)の「セクシャル ヒーリング」といった名曲を香りで表現するブランド。日本では、ノーズショップ(NOSESHOP)で販売している。来日したル・ポーに話を聞いた。

WWD:今回の来日の目的は?

タンギー・ル・ポー「A.M.A」創業者(以下、ル・ポー):日本のパートナーであるノーズショップの麻布台ヒルズの店舗の視察やミーティングが目的。麻布台ヒルズがどのような商業施設か注目していたので来日できてうれしい。

WWD:ブランドを始めたきっかけは?

ル・ポー:長年ビューティ業界で働いてきたし、私にとってフレグランスは幼少の頃からとても身近なものだった。また、子どもの頃からピアノやギターなど音楽に親しんできて、今でもアマチュアミュージシャンとして演奏することもある。その2つの背景を組み合わせて、音楽から得られる特別な高揚感=“モジョ(魔法や魔術などの虜になるというスラング)”を香りで表現できないかと思った。「A.M.A」を立ち上げたのは自然な流れだった。

WWD:ブランドのコンセプトは?

ル・ポー:音楽の“モジョ”を香りで伝えること。フレグランスはある意味似ていると思う。その2つを組み合わせることで、ライフスタイルをより豊かに彩ることができると思う。私は生粋のパリっ子。パリには素晴らしいライフスタイルがある。それを香りで伝えたいという思いもある。同時に、世界中を旅してきて、各地特有の音楽や香り、言語といったものに触れてきた。それらが生み出す感情体験を香りに置き換えている。

「A.M.A」で自分の中の“モジョ”を解放してほしい

WWD:名曲をテーマにしたフレグランスだが、選曲はどのように行うか?

ル・ポー:それぞれの名曲に込められた感情を香りに置き換えられるか想像してみる。いくら有名な曲でも、香りが想像できなければ香水にはならない。

WWD:調香師とのマッチングはどのように行うか?

ル・ポー:調香を依頼するのは、世界最高峰の調香師ばかり。曲のムードに合う調香師にクリエイションを委ねる。コンセプトは説明するが、同じ曲でも、調香師の感性によって全く異なる香りになる。それがまた、面白い。

WWD:名曲をどのように香りに落とし込むか?音楽のコードと香調など対比させるようなフォーミュラはあるか?

ル・ポー:音楽にはコード、香りにはフローラル、ウッディ、シトラスといったような香調があるが、このコードはこの香調といったフォーミュラはない。香りによる音の表現は、調香師の感性次第で変化する。

WWD:ターゲットは?

ル・ポー:音楽とフレグランスに関心があり、ライフスタイルを謳歌している人々。「A.M.A」により、自分の中にある“モジョ”を解放してほしい。

WWD:日本戦略は?

ル・ポー:ノーズショップという素晴らしいパートナーに恵まれた。彼らと大切にブランドを育てていきたい。どこでも購入できるブランドにするつもりはない。

The post あのマドンナの名曲が香水に 新フレグランス「アート ミーツ アート」の創業者が語る音楽への愛 appeared first on WWDJAPAN.

「ミラノファッション×AI」の仕掛人、クリエイティブチームのトップが語る「AIとファッションの今後」

1月30日に開幕した今回の「ミラノ・ウニカ」は、大々的にAIを打ち出した。その仕掛人の一人が、ステファノ・ファッダ(Stefano Fadda)「ミラノ・ウニカ」アーティスティック・ディレクターだ。同見本市の重要なコンテンツの一つであるトレンドコンセプトの発信にAIを導入した。クリエイティブを最重視するイタリアで、その根幹をなすトレンドコンセプト設計に大胆なまでにAIを導入した理由や手法、今後について、聞いた。

ステファノ・ファッダ「ミラノ・ウニカ」アーティスティック・ディレクター

ミラノ工科大学建築学科を経て、「プラダ」のVMDやファッションショーの演出、トレンドアナリスト、クリエイティブ・ディレクターなどを経て、2015年から現職

AIを導入したワケ

WWD:なぜAIを?

ステファノ・ファッダ(以下、ファッダ):生産性の向上といった業務効率改善には、コスト削減などの面で実際に大きな成果を挙げている有力素材メーカーもある。だが、イタリアの繊維とファッション産業の大きな強みは、クリエイティブの部分だ。

WWD:経緯は?

ファッダ:8か月くらい前に、私の方からグーグルにコンタクトし、
「クリエイティブな分野でAIを使いたい」とオファーしたんだ。正直、その段階では繊維やファッションに限らず、クリエイティブな分野でのAI活用事例もなく、どう使っていくかは私自身もわかっていなかったし、グーグル自体、そうしたAIをイタリアでは公開していなかった。ただちょうどグーグル自身が新たな生成AIツール「BARD」を2024年に公開予定のタイミングだったため、そのプロトタイプでの協力を得られた。

WWD:実際、どのようにAIを取り入れたのか?

ファッダ:そもそも、テーマやコンセプトは、膨大な事前リサーチの結果を整理し、分析し、その上でデザイナーやブランドを触発するために発表する。3つのコンセプト、「リ・ジェネレーション」「デザイン」「インタラクティブ」という3つのコンセプトと、それぞれのコンセプトに3つのテーマ(リジェネ:ニットウエア/エンブロイダリー(刺繍)/ランジェリー、デザイン:クラシック/シャツ/プリント、インタラクティブ:テクノ/グラム/シャイニー)を設けた。テーマごとにカラーやテキスタイルのイメージを設定する。ここまでのやり方は、従来どおりで変えていない。重要なのは、そこだと考えていた。あくまでもAIは、クリエイティブな活動を支援するためのツールだ、という考え方だ。

実際どうAIをクリエイティブに活用?

WWD:では、どの部分にAIを?

ファッダ:実際にやってみたからこそ、わかったのだが活用に関してはいくつかのポイントがあった。テーマやコンセプトが、いわゆるプロンプト(AIに入力する指示)の役割を担った。まずAIは、テーマやコンセプトを反映したビジュアル作りの、基礎部分に使った。例えば従来のトレンド情報は「テクノ」というテーマに対して、「合繊のマットな光沢」のように細かいキーワードも設定しており、それに合わせてデザイナーやブランドにインスパイアするビジュアルを制作してきた。われわれのようなトレンドコンセプターにとっては、社会的な事象をテキストに落とし込む分析力とともに、こうしたビジュアル作りも重要な役割の一つだ。だが、AIを使うと、このビジュアルが思いもよらぬアイデアを出してくる。

従来のビジュアル制作では、どのようにブランドやデザイナーを触発するか、という点が重要なわけだが、ビジュアル制作のときのアイデアはどんなに優れたトレンドコンセプターであったとしても、どうしてもその人のキャリアや発想に左右されてしまう。AIは、この部分の枠を取り払うことができた。

とはいえ、この作業は思っていた以上に非常に大変だった。単にテーマやコンセプトをプロンプトとして打ち込むだけでは、良いものが出来ず、一つのビジュアルを作るのに100回以上、繰り返す必要があった。これは正直、とてもしんどい作業だった。

ビジュアル制作は、AIが出してきたアイデアをベースに、ピッタリ合うテキスタイルを探す、あるいは制作し、服を作り、撮影した。この部分でも、従来であれば、テキスタイル会社や縫製会社にこうしたテーマに合ったテキスタイルや服の制作を依頼し、それが最終的なトレンドコーナーに設置するスワッチサンプルになったりもするのだが、あまりにも突飛なアイデアであるため、単にアイデアイメージを渡すだけでは、テキスタイル会社や縫製工場の協力を得られなかった。実際の服は、手作業で作るようなことになった。

AIは「ファッションのクリエイティブ」をどう変える?

WWD:今後をどう見る?

ファッダ:正直、このやり方は賛否両論というか、当初は大きな反発があった。中には、「イタリアのクリエイティブを重視する文化を破壊する」というものもあった。これには明確に反論したい。テクノロジーの進化は、止められるものではない。われわれがやるべきことであり、重要なのは、「テクノロジーをどう活用するか」だ。今回取り組んでみてAIや生成AIはまだまだ未成熟のテクノロジーだとも感じた。それでも、クリエイティブな活動にとって、大きな可能性も秘めている。世界の繊維・ファッション産業にとってイタリアの果たすべき役割は、クリエイティブを軸に産業を発展させることで、われわれイタリアが先頭を切って挑戦することにこそ、意義がある。今回の冒頭のキーノートセッションに「AI」を掲げたのも、この私の取り組みと考え方に「ミラノ・ウニカ」の会長を始めとして賛同したためだ。

WWD:今後AIの導入は、繊維・ファッション産業にどう進んでいくのか。

ファッダ:繰り返しになるが、生産効率の改善のような部分では、大手素材メーカーのレダ(REDA)のように、実際にコスト削減に成果を挙げている企業もある。ただ、クリエイティブの部分ではアイテムやカテゴリーによって、AIとの相性の良し悪しはある。たとえば、プリント柄の生成なんかは、すでに取り入れている企業もあるほどだし、相性はいいと思う。けど、逆にボタンやファスナーといった服飾資材の相性は良くないかもしれない。そもそも生産のためのテクノロジー自体がかなり高度で複雑だし、服のデザインプロセスにおいても最後の方に決まるため、リードタイムが短い。先行するのは、やはりテキスタイルの部分だろう。

WWD:トレンド予測そのもの、つまりコンセプトやキーワード、カラー予測にも使えるのでは?

ファッダ:ノー(即答)。それはない。これは例えば、需要予測にAIが使えるか、という問いにも似ている。水面下では、これまで何度もメガIT企業が服の需要予測に取り組んでいるが、ことごとく失敗している。ある服一着をとっても、丈の長さ、色、細かな仕様があり、そもそも例えば黒色といっても、いろいろな黒色のバリエーションがある。つまりパラメーター(変数)が多すぎる。これはトレンド予測も全く同じことだ。ずっと先のことはもちろんわからないけど、少なくとも現在、あるいは近い将来まではかなり難しいと思う。

The post 「ミラノファッション×AI」の仕掛人、クリエイティブチームのトップが語る「AIとファッションの今後」 appeared first on WWDJAPAN.

休業から復帰のベラ・ハディッド、力を注ぐノンアル飲料事業と自身のメンタルヘルスについて語る

モデルのベラ・ハディッド(Bella Hadid)は、ライム病の治療に専念するためモデル活動を1年間休止していたが、実業家としての活動を本格化させているようだ。米「WWD」に、2021年から共同経営するノンアルコール飲料ブランド「キン ユーフォリックス(KIN EUPHORICS)」や自身のメンタルヘルスについて語った。

ベラは昨年、ソーシャルメディアで彼女が長年患う感染症の一種であるライム病や慢性疾患の治療と、不安障害などメンタルヘルスの問題について思いを綴っていた。インタビューでは闘病生活について「苦痛に満ちたものだった。点滴を打ちながらZoomミーティングすることもあった。再び仕事に復帰できるように自分の体を追い込もうとしたが、自分がワーカホリックだったことに気づき、今必要なことはただじっとしていることだと受け入れた」と明かし、アルコール摂取にも気を配るようになったという。

健康チャレンジ”ドライ・ジャニュアリー”とは?

欧米では1月に禁酒する健康チャレンジの取り組み“ドライ・ジャニュアリー(Dry January)”が広まっているが、「新年の31日間、体内からアルコールを完全に排除し、ポジティブで前向きなエネルギーで一年を始めることは自分自身と自分の精神のために非常に重要なこと」と語り、ベラ自身も「キン ユーフォリックス」を通じて実践しているとして“ドライ・ジャニュアリー”を勧める。さらにソーシャルメディアからも離れ、瞑想や読書に時間を費やしたといい、「人は競争やSNSの世界に身を置くと、本来の自分ではない“他人から見た自分”に依存してしまう。SNSから距離を置いたことは自分のために行った最高のことだった」と振り返った。

英市場調査会社IWSRや米マーケティング大手ニールセン・アイキュー(NIELSEN IQ)によると、低アルコールおよびノンアルコール市場は近年急速に拡大しており、米小売大手のターゲット(TARGET)も昨年12月、ホリデーシーズンに向けてノンアルコール飲料ブランドを集めたセレクションを販売。「キン ユーフォリックス」は参加ブランドの中で最高売り上げを記録し、米スーパーマーケットチェーンのスプラウツ・ファーマーズ・マーケット(SPROUTS FARMERS MARKET)でのローンチ成功に続き、3月からはターゲットで常時販売する予定だ。

ベラの実業家としての顔

スピリチュアリティをコンセプトに掲げる「キン ユーフォリックス」は、カラフルなデザインの缶ドリンク4種“アクチュアル サンシャイン”“ライトウェーブ”“キンブルーム”“キン スピリッツ”と、特製スピリッツ2種“ハイ ロード”“ドリーム ライト”をラインアップする。ビタミンC、サフラン、ターメリック、アダプトゲンなどを配合し、肝臓と神経系を保護しながら免疫系や炎症の軽減をサポートする。

「キン ユーフォリックス」はジェン・バチェラー(Jen Batchelor)最高経営責任者(CEO)により17年に創設。インスタグラムのフォロワーが6000万人を超える27歳のベラは、単なる広告塔としてではなく、投資家とのビジネスプランにまつわる会議にも参加し、同ブランドのビジネスの隅々まで関わっている。

パレスチナ出身の不動産開発業を営むモハメド・ハディッド(Mohamed Hadid)を父親に、オランダ出身の元スーパーモデルのヨランダ・ハディッド(Yolanda Hadid)を母親に持つベラは、「ファッションの世界は芸術的な面で成長できる。それが本当に好きだけど、自分の脳のビジネス的な面を使う機会はあまりない。私の両親は素晴らしいビジネスマンで、私にとって頭を使える場所にいられることは大きな喜びだ」と述べた。ベラの現在のキャリアの中心は「キン ユーフォリックス」であり、「来年か再来年には、あらゆる家庭に『キン ユーフォリックス』のドリンクが置かれるようにビジネスを広げていきたい。すでに30ページ以上の商品アイデアを書き溜めている」と語った。

The post 休業から復帰のベラ・ハディッド、力を注ぐノンアル飲料事業と自身のメンタルヘルスについて語る appeared first on WWDJAPAN.

三栄コーポレーション×生駒芳子 これからの時代のエシカルとは?

専門商社の三栄コーポレーションは「アワー アース プロジェクト」の下、世界各国のエシカル商品を集めたECサイトの運営のほか、基幹のOEM事業では環境配慮型素材の提案の幅を広げるなど、商社の立場からファッション業界のエシカル消費を推進する。同プロジェクト発足と同時に、ファッションジャーナリストの生駒芳子が代表理事・会長を務める一般社団法人日本エシカル推進協議会に加入。有識者や他企業と連携して、業界全体に働きかける。「アワー アース プロジェクト」の責任者である山田敦担当と生駒代表理事に、エシカル消費のあり方について聞いた。

エシカルは身近 みんなが根底に持つ感覚

WWD:一般社団法人日本エシカル推進協議会の活動内容は?

生駒芳子・一般社団法人日本エシカル推進協議会代表理事・会長(以下、生駒):私たちはいち早く気候変動の危機を感じてきた有識者40人から構成された組織で、「危機のカナリア」として世の中に警鐘を鳴らしエシカルなライフスタイルの重要性を伝えることが大きな役割だ。私自身は専門であるファッションの分野におけるエシカルの重要性を感じ、2017年の設立当初から参加している。具体的には、エシカルを深く理解するためのセミナーや会員のみなさまに各分野の最先端情報をお届けする情報交換会などを主催している。

山田敦・三栄コーポレーション服飾雑貨事業部第一部企画開発担当マネージャー(以下、山田):僕は17年に初めて情報交換会に参加し、エシカルに本気で取り組む決心がついた。というのも、長らくOEMの仕事をして大量生産の現場を見てきたなかで地球環境への関心の低さに違和感を覚えていたからだ。当時はそれでも半信半疑な部分があったが、会で出会った人たちと交流するなかでエシカル消費が今後絶対に重要になると確信した。「アワー アース プロジェクト」立ち上げのタイミングで、専門家たちと横のつながりを持ち最新情報に触れる必要があると考え、法人会員として参画した。

WWD:2人にとってエシカルとは?

生駒:「エシカル」の傘は広く、動物福祉や人権、フェアトレードなど多岐にわたる。サステナビリティやSDGsとほぼイコールだが、エシカルはより具体的な行動指針を示していると思う。エシカルな選択を重ねれば、持続可能な世界に近づいていける。振り返ると80年代から、ファッションの世界でエシカルな活動をしているデザイナーはたくさんいた。例えばアニエス・ベー。彼女は自分がデザイナーになる目的の1つは、世の中の困っている人を助けるためという。そのほかにもキャサリン・ハムネットやダナ・キャラン。感度の高いデザイナーや企業は、2000年代より前から取り組んでいることだ。

山田:言葉の捉え方はいろいろあると思うが、僕自身が感じているのはすごく身近なコンセプトということ。子どもの頃から言われていたような、食べ物を残してはいけないとか、無駄なものは買わないとか。みんなの根底にある感覚なのではないかと思う。

結局何を買えばいいの?の一つの答えに

WWD:三栄コーポレーションが考えるエシカルのアウトプットの一つが、「アワー アース プロジェクト」だ。具体的にどんな基準でセレクトしている?

山田:一番大切にしているのは、ブランドが核に持つメッセージは何かということ。たとえばドイツ初の「ゴットバッグ(GOTBAG)」は、世界の海洋ごみが一番たまりやすい地域がインドネシアということから、インドネシアの海洋プラスチックごみを原料にバッグを製造している。それは根幹に、世界の海をきれいにしたいという思いがあるからだ。加えて、現地の雇用も生み出している。輸送手段もなるべく二酸化炭素を出さないように船や陸路を使用するなど、細部にわたるまでエシカルを徹底している部分に共感した。

生駒:私も一番印象に残っているのが「ゴットバッグ」。海洋プラスチックごみの問題から、フェアトレード、リサイクルなどさまざまな問題に多角的にアプローチしている。そしてクリエイティブでおしゃれ。エシカルにデザイン性は絶対に欠かせない。「アワー アース プロジェクト」の商品は、全てデザイン性が高く未来を感じる。エシカル消費を呼びかけるなかでも、「結局何を買えばいいの?」と迷う声もよく聞く。その意味でこのプロジェクトは、一つのアンサー。エシカル経営をしている企業と消費者をつなぎ良い循環を生んでいる。

OEMはエシカルなものづくりを
実現するカギ

WWD:同プロジェクトでは、OEM事業での環境配慮素材の提案も強めている。

山田:OEMはこれまで黒子の役割だったが、これからの時代はモノ作りの現場をエシカルに変えていくための要になると思っている。当社が正規販売代理店を務める「イーダイ(E.DYE)」もその一例だ。これは無水染色技術を活用した原着生地のブランドで、リサイクルペットボトル由来のチップを着色し糸にするため水を使わない。比較的小ロットで対応でき、QRコードから環境負荷軽減のデータも示せる。3月には「イーダイ」を使ったオリジナルブランド「ユーエフ(UF)」も立ち上げる。こうした素材をそろえているものの、実際に普及させていくためには難しさもある。例えばクライアント企業から、リサイクルポリエステルでもペットボトル由来の素材は他社と差別化できないので何か新しい切り口の素材はないかと聞かれることもある。いろいろな素材の選択肢が増えるのはいいことだが、果たしてちゃんとそれが根本的な問題の解決になっているのか、企業のエゴで終わっていないのか、疑問に思う場面もある。従来のOEM業界は、面白いものを出す勝負のような一面があったが、サステナビリティにおいては、それはまた違う競争のような気がする。

生駒:すごくファッションっぽい部分だ。脅かすわけではないが、気候危機の現状は私たちが思っている以上に深刻だ。温暖化の状況でよく例えられるのが、真夏にGジャンを着ているような状態だった地球が、今やダウンジャケットを着ていると。私たちの望む未来に進めるかどうかの瀬戸際まで来ている。その危機感が業界としてやっぱり薄い。人はどうしても楽しい方に、豊かな方に進んでいく。ただ今は、本当の豊さとは何か?というすごく哲学的な問いがなされなくてはいけないと思う。人間の心理が社会を作っていくならば、大事なのは心のエシカル。日本人の心根にはたくさんのエシカルな知恵がある。原点回帰する時が来ていると思う。そしてやはり大人、企業が動かないと社会は変わらない。私たちが2021年に中小企業向けに策定した「JEIエシカル基準」も参考にしてほしい。

山田:エシカル事業の担当者として身に沁みる言葉。企業人として周りの社員を、会社を本当に動かすぐらいの危機感と熱量を持って取り組みたいと改めて思った。「アワー アース プロジェクト」では、エシカルとデザイン性を両立する品ぞろえが強みだ。多くの人に気軽に手に取ってもらうことで、エシカルを考えるきっかけになると信じている。サステナブルやエシカルな体験に興味がある人にはぜひのぞいてもらいたい。

わくわくするエシカル消費に出合える
オンラインショップ

「アワー アース プロジェクト」は2019年に始動。“より地球にやさしい”をコンセプトに、「サステナブル」「エシカル」のキーワードに合致する製品やサービスを提供する。オンラインショップ「アワー アース プロジェクト サステナブルターミナル」では、海洋廃棄プラスチックをリサイクルしたドイツ発のバッグブランド「ゴットバッグ」や、車のエアバッグをアップサイクルしたドイツ発のバッグブランド「エアパック(AIRPAQ)」など、世界のエシカルブランドやオリジナルブランドを含めた全9ブランドを扱う。屋号の「サステナブルターミナル」は、さまざまな商品が行き交う"ターミナルストア"を意味し、空港や大きな電車の駅で新しいものを見つけるようなわくわくするエシカル消費を楽しんでほしいという思いを込めた。

PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
問い合わせ先
三栄コーポレーション
03-3847-3521

The post 三栄コーポレーション×生駒芳子 これからの時代のエシカルとは? appeared first on WWDJAPAN.

良品計画会長×リトゥンアフターワーズ代表「社会・地域の課題解決とデザイン」を探る

循環型社会の実現に向けて「社会・地域の課題解決とデザイン」は大きなテーマになりつつある。とはいえ「社会・地域」という大きな主語を前に、課題も解決方法も多くの人にとってはおぼろげだ。そこで理想像や概念から具体へ進める道筋を2人のフロントランナーによる対談から探る。金井政明・良品計画代表取締役会長には同社が実践している「地域密着型の事業モデル」について、またファッションデザイナーによる社会・地域の課題解決のアクション例として山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表にそのユニークな取り組みを聞く。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

PROFILE:左:金井 政明/良品計画 代表取締役会長

1957年生まれ。西友ストアー長野(現株式会社西友)を経て93年良品計画入社。生活雑貨部長として長い間、売り上げの柱となる生活雑貨を牽引し良品計画の成長を支える。その後、常務取締役営業本部長として良品計画の構造改革に取り組む。2008年2月代表取締役社長、15年5月代表取締役会長に就任、現在に至る。西友時代より「無印良品」に関わり、一貫して営業、商品分野を歩み、良品計画グループ全体の企業価値向上に取り組む

PROFILE:右:山縣 良和/リトゥンアフターワーズ代表、ここのがっこう代表

1980年鳥取生まれ。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。07年4月自身のブランド 「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」を設立。15年日本人として初めて「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」にノミネートされる。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「ここのがっこう(coconogacco)」を主宰。19年には英国のファッションメディア「ザ・ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion)が主催する「BOF500」に選出される。21年第39回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞を受賞 PHOTO:TAMEKI OSHIRO


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):テーマである「社会課題、地域振興とデザイン」についてお二人の考え方を実際のプロジェクトを通じてお話しいただきます。金井さんからお願いします。

金井政明・良品計画代表取締役会長:「素の自分に」が基本的な考え方です。我々人間はとても欲張りな生き物です。人の目を気にして比べて妬んだり、自慢をしたりというような性質を持っています。 そこに消費社会が入り込んでくると「高級な自動車に乗って」「僕の友達はこんなスニーカー持っている」みたいなことが起きて社会がどんどん個人主義になっていく。一方で共同体、その集団と心という「社会」もある。僕らの祖先がアフリカから出た時は道具なんてほとんどなくて、心とその集団でサバイブした。僕達はもう一度、その「心と集団」という時代に向かっている。今は過渡期です。

比べたり、妬んだり、自慢したりという社会に僕達は今生きています。でも、もう一人の自分は例えば、家に帰って全部脱ぎ捨ててホッとしたい。その「素の自分」はどんな商品を選び取るのだろうか、に着目しているのが私共です。

生活の価値そのものを作りたいという思いもあり、衣料品も生活用品も、食品もと領域を多岐に広げてきました。そのデザインは色々なクリエーターに参画してもらいながら積み上げてきましたが、一般的な消費や欲望を煽るようなデザインではありません。

WWD:煽るのではなく「役に立つ」、ですね。

金井:戦略はとてもシンプルです。キーワードが7つほどあり、最初の4つ「1.傷ついた地球の再生」「2.多様な文明の再認識」「3.快適・便利追求の再考」「4.新品のツルツル・ピカピカでない美意識の復興」は創業時から変わりませんが、この対談を含めて最近改めて話をする機会が増えています。

他の3つ「5.つながりの再構築」「6.よく食べ、眠り、歩き、掃く人間生活の回復」「7.OKAGE SAMA、OTAGAI SAMA、OTSUKARE SAMAを世界語として発信」は10年ほど前から「社会にこれが足りないよね」と話しながら加えてきました。

商品は徹底的にそぎ落とした「素材」としての良品、「素の自分」が自分の考え方で生活を編集する「商品」でありたいから、「商品」が自己主張する必要は全くない。できるだけ無駄なく、環境にも良く、そして使う方の自由になる「商品」をずっと目指してきました。

店は「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」の拠点

WWD:「商品」をデザインする起点が「生活、社会」なのですね。

金井:日本は2100年には人口が約半分の6000万人になると言われています。それはどんな社会だろう?今を生きる人は誰も経験はありませんが、大正末期と同じ人口です。NHKの連続テレビ小説の「おしん」が生きた時代です。その2100年に向けて、社会がどういう社会であれば、みんなが感じ良く暮らせて幸せ感があるか、と考えて出したのが「経済と環境と文化がバランス良く支え合う社会」です。言葉を変えれば「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」です。

皆が自分のエネルギーを出し合う社会だと仮定して、日本も含めて世界の津々浦々にそういう拠点となるお店を作り始めています。それを今は第二創業と称して、社員が株主であり、個店経営者であり、プレイヤーである会社をぜひ作りたいと考えているところです。主人公は地域の皆さん。オーナーで経営者である超小売り人材である店舗のスタッフ達が地域に巻き込まれて一緒に社会を作りたい。それが社員の働く充足感だと思っています。

特に日本では5つのテーマ「食と農」「健康と安全」「空き家の利活用」「現代的コミュニティ」「文化・アート」を中心に取り組んでいきます。我々は間違いなく社会を変えなくてはいけない。だから若い人たちに期待をしています。

WWD:御社の社員の一人が「将来の夢は自分の故郷に無印良品の店を持ち、品出しをしている途中に息耐えることだ」と話していた理由がわかりました。生涯好きなことに夢中で誰かの役に立つ、いい人生ですね。

山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表:僕は高校時代から無印良品のファンでしたが、当時は地元の鳥取には店舗がなくて大阪や神戸へわざわざ行ってワクワクしていたことを思い出しながら聞いていました。これから自分が話そうとしていることとは、ひょっとすると金井さんの話と全然異なるように聞こえるかも知れませんが、実は共通点が多くて嬉しい。

ファッションデザインと「心の持続可能性」

WWD:良品計画のキーワードの一つ「多様な文明の再認識」から想起するのが、2019年に上野恩寵公演噴水広場で発表した「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」のショーです。魔女をテーマにした3部作の最終章で、タイトルは「フローティング・ノマド」でした。

山縣:僕は社会の現状を自分の中に入れ込んでコレクションを制作することがよくあります。この時は、民族間の対立やその結果土地を渡り歩く人たちのことを考え、いずれ日本にもそういう人たちがやってくるだろう、とイメージしました。

WWD:主宰する「coconogacco(ここのがっこう)」も縫製や仕立てなどの服作りの技術というより社会を見つめる目を養うような性格ですね。

山縣:自分のルーツと向き合いながらファッション表現を学ぶ場所です。2008年からこれまでに1000人以上世の中に送り出してきました。最近では、卒業生である津野青嵐の作品がITS20周年記念式典本の表紙を飾ったり、セント・マーチン美術大学のサラ・グレスティ(Sarah Gresty)教授が来校したりと海外ともつながりを持っています。

WWD:技術を教えることはもちろん重要ですが、同じくらい心の持ちようを教える山縣さんの存在は貴重だと思います。

山縣:今日話したいのが「心の持続可能性」についてです。サステナビリティを考える時、物質的と精神的、両方の持続可能性が大事だと思うからです。立てた問いは「ケアメゾン、キュアメゾンは可能か?」。メゾンは家、ブランドを意味します。今よりもう少し、心に寄り添ったブランド、メゾンの活動ができないだろうか?という問いです。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為

WWD:その活動のひとつが昨年、長崎県の五島列島北部に位置する小値賀島(おぢかじま)での新作コレクションの展示・受注会ですね。

山縣:僕のルーツは長崎と鳥取です。東京藝大のゲスト講師として小値賀島でワークショップを行いました。日比野(克彦東京藝大学長)さんや学生と今も残る土地の文化や伝統、なくなったものなどをリサーチし、最終的には空き家を借りてインスタレーションやトークイベントなどを行いました。

WWD:その後それらの作品は、山梨県立美術館の展覧会「ミレーと4人の現代作家たち」で展示されました。

山縣:ミレーの絵画と同じ空間で展示する企画で、小値賀島で得たインスピレーションや衣服などを展示しました。シルクロードの玄関口とも言われる長崎と、シルクの終着地点と言われる山梨を結びつけることで、自分なりに新たな歴史のリサーチを重ねるよう意味合いがあります。自分が生まれ、暮らす場所の歴史を知り、リスペクトする。忘れ去られてしまったものの中にもある大切なものを見つめながら次へつなげてゆく。そういったことが「心の持続性」とつながると考えるからです。

最近は、サステナビリティ以上に「再生」を意味するリジェネラティブという概念が広がっていますが、自分たちが脈々と培ってきた文化や精神性にもリジェネラティブの姿勢をもって向き合うことが大事じゃないかと。だから小値賀島なり、日本なり、島の民の人間像って何だろう?と考えています。

小値賀島の近くにある無人島、宇々島は「自力更生の島」と呼ばれてきました。生活困窮者が移住し、税を免除されつつ生活を立て直しいずれ出てゆく。この仕組みは昭和30年代まで200年くらい続いたそうです。柳田國男が「困窮島」と呼んだこういったある種の共同体は、現代においてもインスピレーションとなりえる。

キュレーターであり作家、美術評論家のニコラ・ブリオーが最近「ラディカント」という本の中で、「群島の可能性」について言及しています。多くのものが融合し根付いている「大陸的」なものとの対比で、「島国的」はいろいろなかけ合わせで自己を作ってゆく旅人のような文化だと。群島で構成されている日本には、ニコラの「群島的な精神」があるんじゃないかと。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為でもあります。ファッションデザインを通して行う対話は自他のルーツや文化の理解や自尊心の回復、心のケアや治癒にもつながり、それが結果として未来のデザインにつながっていくのではないでしょうか。

WWD:金井さんは民族衣装にも詳しいですが今の話を聞いてどう思いましたか?

金井:ファッションの方はみな、これを辿るんですよ。浜野安宏さんも「地球風俗曼荼羅」で1980年ころに南米、アジアの民族衣装を研究して「ここに未来がある」と仰っていました。オラファー・エリアソンの現代アートは彼のルーツであるアイスランドの氷の世界が創作の原点。クリエイティブの背景はその時代や文化、伝統に加えて個人の記憶、生まれる前の記憶も含めて関係があるのでしょうね。

山縣:金井さんの「素の自分」という言葉を聞き考えたのが、和服を着てきた自分たちが洋服を着ていることである種の精神的な分断が起きているのでは?ということ。自分たちの文化、存在に尊厳、自尊心を持てなければ持続可能性がちょっといびつな形になってしまうのでは。

他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会

WWD:「地域の社会課題を解決するデザイン」が今日のお題ですが、お2人の話は多層的で深く、簡単に答えを得られるものではない、と痛感します。

金井:ファッションはある種の自己表現ですが、「他人に見られる」自己表現だけでなく、「素の自分が着たい、地球上にたった一人でもこれを着たい」も自己表現ですよね。レストランに行くときも美術館に行くときも他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会、それがこれから向かう先で、僕の理想でもあります。そのためには、さきほどの山縣さんの共同体の話じゃないけど地域社会も変わらないといけない。

日本には元々、人間も自然の一部だという考え方がありますが、都心よりもほかの地域の方が自然と近い暮らしをしてきたから社会を変える力は島を含めた地方にある、と考えます。だから無印良品の社員には自分で考え、地域の方と一緒に仕事か遊びか分からないぐらいの仕事をしてほしい。それが成長だし幸せだと思うから。

山縣:無印のコミュニティーは「印が無い」という響き、ひとつのイデオロギーに引っ張られないぞ、という、多層的で混ざり合うメッセージがいいなと思います。

「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点

WWD:金井さんにお伺いします。地域に入り、街の課題も可能性も見えていざ「無印良品」が店舗を出そうとするとき、具体的には何から始めてどう設計に落とし込んでいくのですか?

金井:「無印良品」の創業時のクリエイターは、10代の頃に戦争を経験し、大体ひどい目にあっている。戦争が終わり正反対の社会で彼らが何を思ったかと言えば、権力に対して疑いの眼差し、なんですよ。そして弱い物、はかない物への眼差しも鋭い。だから「無印」の発想を持てたのだと思う。その視点で地域を見るときは資本の論理だけではなく、「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点。出ていくとうまくいかないことも現実問題としてはある。そこからが出発点でこの地域に本当に必要な品揃えって何だろうと一生懸命考える。そんなノリで出店をしています。

WWD:営業、商品の分野を率いてきた金井さんですが、地域社会の中でも「無印」の理想と利益は両立すると考えますか?

金井:株主総会でもそういう「バランスをどのように取るのか」といった質問が出ますが、肝心なことはバランスではなく、地域と一緒に汗かいて実態を作っていくこと。今は社会や価値観が大きく変わるタイミングで、若い世代が変えようと動いている。結果的には商売につながる、儲かると考えています。

WWD:山縣さんにとってファッションのデザインとは?

山縣:哲学者の鷲田清一さんは、著書「ファッション学のすべて」の中で、医学者・精神科医である中井久夫さんの、「心のうぶ毛」という言葉を取り上げています。ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為であると考るとき、「ここのがっこう」の学生たちの作品はうぶ毛がぼふっと映えているように見える。

鹿児島のしょうぶ学園とのプロジェクトでは知的障がい者の作品を紹介しましたが、そこにも心のうぶ毛が、つまりある種の豊かさがありました。こういうファッションデザインの本質的な可能性をぼくは追及したいです。

WWD:心のうぶ毛、良い言葉ですね。暴力的に刈り取られてはならない心のうぶ毛。金井さんは心のうぶ毛は?

金井:僕は結構生えていると思う。アートやデザインの領域には、少し先を見ることができる人がいますよね。無印良品は地域に入りつつ、人間が生きていたら絶対必要な生活の基本の商品を、環境を害さず、むしろ使うことで環境に良くなる商品作ってひたすら頑張っていくから、山縣さんのようなアーティストはその世界をどんどん広げていってほしい。その両方が我々の社会には必要だと思うから。よろしくお願いします。

山縣:こちらこそよろしくお願いします。

サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題

WWD:ここからは参加者との質疑応答です。

参加者:欧州ではアパレルの廃棄に関する法規制の施行が進んでいますが、それらは無印良品の商売にどのような影響をありますか?

金井:僕たちも含めて皆が、その方向に向かないとまずいだろうと、思います。リサイクルなども含めて新しいテクノロジーを取り入れて企業とお客さんが一緒にそういう社会を作るんだ、と思います。イギリスの経済学者エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーは約50年前に「体温を保ち、着やすくて、見た目も良い服をなるべく少ない資源と労力で作るべきだ」と話しています。

参加者:創業時からサステナブルである良品計画は、それをどうやって伝えてゆくのでしょうか?伝えることは非常に重要だが、宣伝と受け取られもかねないですよね。

金井:僕らは一店舗一店舗がその地域にあり、信頼されたり、競争したりしている。(サステナブルな考え方は)コマーシャルを通じてではなく、そういった活動を地域の皆様と対話し共感の輪を拡げ、共創や協働によって伝わるのだと思います。まだ過程だが「無印良品がないと困るよ」といってもらえるところまで一生懸命に汗をかこうと思います。

参加者:山縣さんへ質問です。ルーツをコレクションやプロダクトで表現するとき、締め切りとはどう向き合うのでしょうか?最初からタイムリミットを設けてリサーチを進める?それとも自然と出来上がるものなのか?

山縣:どちらもあると思います。僕は常に発見の連続で終わりはない。ある種自分の中で旅を続けながら発展させていっている感じです。ただすべてを歴史に接続しなければならないとも思っていません。

参加者:無印良品はリーダーシップを取れる企業です。循環型社会の中で今の無印良品の取り組みは100点満点で何点?

金井:リーダーシップか、共感する場をどんどん設けて一緒に進めるかのどちらかで言えば我々は後者を選んでいます。素材、工程、包装みたいな領域ではもう済まなく、サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題。そう考えるとまだ20点、です。

参加者:山縣さんへは、ファッションがサステナビリティにおいて、できること、可能性をどう感じていますか?

山縣:ファッションデザインの社会的な役割の一つに「人間の尊厳に対するデザイン」があります。ファッションデザインの歴史を遡ると、例えば差別的なもの、見過ごされたしまった価値観にメスを入れるようなところがあります。今僕は、人間の尊厳のために「体の中の感覚と外衣としての服がもっとつながってゆくべき」だと思っていて、サステナビリティについても、例えば問われている労働環境の問題など、そのためにファッションデザインができることがあると思っています。

YouTube視聴はこちら

The post 良品計画会長×リトゥンアフターワーズ代表「社会・地域の課題解決とデザイン」を探る appeared first on WWDJAPAN.

良品計画会長×リトゥンアフターワーズ代表「社会・地域の課題解決とデザイン」を探る

循環型社会の実現に向けて「社会・地域の課題解決とデザイン」は大きなテーマになりつつある。とはいえ「社会・地域」という大きな主語を前に、課題も解決方法も多くの人にとってはおぼろげだ。そこで理想像や概念から具体へ進める道筋を2人のフロントランナーによる対談から探る。金井政明・良品計画代表取締役会長には同社が実践している「地域密着型の事業モデル」について、またファッションデザイナーによる社会・地域の課題解決のアクション例として山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表にそのユニークな取り組みを聞く。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

PROFILE:左:金井 政明/良品計画 代表取締役会長

1957年生まれ。西友ストアー長野(現株式会社西友)を経て93年良品計画入社。生活雑貨部長として長い間、売り上げの柱となる生活雑貨を牽引し良品計画の成長を支える。その後、常務取締役営業本部長として良品計画の構造改革に取り組む。2008年2月代表取締役社長、15年5月代表取締役会長に就任、現在に至る。西友時代より「無印良品」に関わり、一貫して営業、商品分野を歩み、良品計画グループ全体の企業価値向上に取り組む

PROFILE:右:山縣 良和/リトゥンアフターワーズ代表、ここのがっこう代表

1980年鳥取生まれ。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。07年4月自身のブランド 「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」を設立。15年日本人として初めて「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」にノミネートされる。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「ここのがっこう(coconogacco)」を主宰。19年には英国のファッションメディア「ザ・ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion)が主催する「BOF500」に選出される。21年第39回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞を受賞 PHOTO:TAMEKI OSHIRO


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):テーマである「社会課題、地域振興とデザイン」についてお二人の考え方を実際のプロジェクトを通じてお話しいただきます。金井さんからお願いします。

金井政明・良品計画代表取締役会長:「素の自分に」が基本的な考え方です。我々人間はとても欲張りな生き物です。人の目を気にして比べて妬んだり、自慢をしたりというような性質を持っています。 そこに消費社会が入り込んでくると「高級な自動車に乗って」「僕の友達はこんなスニーカー持っている」みたいなことが起きて社会がどんどん個人主義になっていく。一方で共同体、その集団と心という「社会」もある。僕らの祖先がアフリカから出た時は道具なんてほとんどなくて、心とその集団でサバイブした。僕達はもう一度、その「心と集団」という時代に向かっている。今は過渡期です。

比べたり、妬んだり、自慢したりという社会に僕達は今生きています。でも、もう一人の自分は例えば、家に帰って全部脱ぎ捨ててホッとしたい。その「素の自分」はどんな商品を選び取るのだろうか、に着目しているのが私共です。

生活の価値そのものを作りたいという思いもあり、衣料品も生活用品も、食品もと領域を多岐に広げてきました。そのデザインは色々なクリエーターに参画してもらいながら積み上げてきましたが、一般的な消費や欲望を煽るようなデザインではありません。

WWD:煽るのではなく「役に立つ」、ですね。

金井:戦略はとてもシンプルです。キーワードが7つほどあり、最初の4つ「1.傷ついた地球の再生」「2.多様な文明の再認識」「3.快適・便利追求の再考」「4.新品のツルツル・ピカピカでない美意識の復興」は創業時から変わりませんが、この対談を含めて最近改めて話をする機会が増えています。

他の3つ「5.つながりの再構築」「6.よく食べ、眠り、歩き、掃く人間生活の回復」「7.OKAGE SAMA、OTAGAI SAMA、OTSUKARE SAMAを世界語として発信」は10年ほど前から「社会にこれが足りないよね」と話しながら加えてきました。

商品は徹底的にそぎ落とした「素材」としての良品、「素の自分」が自分の考え方で生活を編集する「商品」でありたいから、「商品」が自己主張する必要は全くない。できるだけ無駄なく、環境にも良く、そして使う方の自由になる「商品」をずっと目指してきました。

店は「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」の拠点

WWD:「商品」をデザインする起点が「生活、社会」なのですね。

金井:日本は2100年には人口が約半分の6000万人になると言われています。それはどんな社会だろう?今を生きる人は誰も経験はありませんが、大正末期と同じ人口です。NHKの連続テレビ小説の「おしん」が生きた時代です。その2100年に向けて、社会がどういう社会であれば、みんなが感じ良く暮らせて幸せ感があるか、と考えて出したのが「経済と環境と文化がバランス良く支え合う社会」です。言葉を変えれば「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」です。

皆が自分のエネルギーを出し合う社会だと仮定して、日本も含めて世界の津々浦々にそういう拠点となるお店を作り始めています。それを今は第二創業と称して、社員が株主であり、個店経営者であり、プレイヤーである会社をぜひ作りたいと考えているところです。主人公は地域の皆さん。オーナーで経営者である超小売り人材である店舗のスタッフ達が地域に巻き込まれて一緒に社会を作りたい。それが社員の働く充足感だと思っています。

特に日本では5つのテーマ「食と農」「健康と安全」「空き家の利活用」「現代的コミュニティ」「文化・アート」を中心に取り組んでいきます。我々は間違いなく社会を変えなくてはいけない。だから若い人たちに期待をしています。

WWD:御社の社員の一人が「将来の夢は自分の故郷に無印良品の店を持ち、品出しをしている途中に息耐えることだ」と話していた理由がわかりました。生涯好きなことに夢中で誰かの役に立つ、いい人生ですね。

山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表:僕は高校時代から無印良品のファンでしたが、当時は地元の鳥取には店舗がなくて大阪や神戸へわざわざ行ってワクワクしていたことを思い出しながら聞いていました。これから自分が話そうとしていることとは、ひょっとすると金井さんの話と全然異なるように聞こえるかも知れませんが、実は共通点が多くて嬉しい。

ファッションデザインと「心の持続可能性」

WWD:良品計画のキーワードの一つ「多様な文明の再認識」から想起するのが、2019年に上野恩寵公演噴水広場で発表した「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」のショーです。魔女をテーマにした3部作の最終章で、タイトルは「フローティング・ノマド」でした。

山縣:僕は社会の現状を自分の中に入れ込んでコレクションを制作することがよくあります。この時は、民族間の対立やその結果土地を渡り歩く人たちのことを考え、いずれ日本にもそういう人たちがやってくるだろう、とイメージしました。

WWD:主宰する「coconogacco(ここのがっこう)」も縫製や仕立てなどの服作りの技術というより社会を見つめる目を養うような性格ですね。

山縣:自分のルーツと向き合いながらファッション表現を学ぶ場所です。2008年からこれまでに1000人以上世の中に送り出してきました。最近では、卒業生である津野青嵐の作品がITS20周年記念式典本の表紙を飾ったり、セント・マーチン美術大学のサラ・グレスティ(Sarah Gresty)教授が来校したりと海外ともつながりを持っています。

WWD:技術を教えることはもちろん重要ですが、同じくらい心の持ちようを教える山縣さんの存在は貴重だと思います。

山縣:今日話したいのが「心の持続可能性」についてです。サステナビリティを考える時、物質的と精神的、両方の持続可能性が大事だと思うからです。立てた問いは「ケアメゾン、キュアメゾンは可能か?」。メゾンは家、ブランドを意味します。今よりもう少し、心に寄り添ったブランド、メゾンの活動ができないだろうか?という問いです。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為

WWD:その活動のひとつが昨年、長崎県の五島列島北部に位置する小値賀島(おぢかじま)での新作コレクションの展示・受注会ですね。

山縣:僕のルーツは長崎と鳥取です。東京藝大のゲスト講師として小値賀島でワークショップを行いました。日比野(克彦東京藝大学長)さんや学生と今も残る土地の文化や伝統、なくなったものなどをリサーチし、最終的には空き家を借りてインスタレーションやトークイベントなどを行いました。

WWD:その後それらの作品は、山梨県立美術館の展覧会「ミレーと4人の現代作家たち」で展示されました。

山縣:ミレーの絵画と同じ空間で展示する企画で、小値賀島で得たインスピレーションや衣服などを展示しました。シルクロードの玄関口とも言われる長崎と、シルクの終着地点と言われる山梨を結びつけることで、自分なりに新たな歴史のリサーチを重ねるよう意味合いがあります。自分が生まれ、暮らす場所の歴史を知り、リスペクトする。忘れ去られてしまったものの中にもある大切なものを見つめながら次へつなげてゆく。そういったことが「心の持続性」とつながると考えるからです。

最近は、サステナビリティ以上に「再生」を意味するリジェネラティブという概念が広がっていますが、自分たちが脈々と培ってきた文化や精神性にもリジェネラティブの姿勢をもって向き合うことが大事じゃないかと。だから小値賀島なり、日本なり、島の民の人間像って何だろう?と考えています。

小値賀島の近くにある無人島、宇々島は「自力更生の島」と呼ばれてきました。生活困窮者が移住し、税を免除されつつ生活を立て直しいずれ出てゆく。この仕組みは昭和30年代まで200年くらい続いたそうです。柳田國男が「困窮島」と呼んだこういったある種の共同体は、現代においてもインスピレーションとなりえる。

キュレーターであり作家、美術評論家のニコラ・ブリオーが最近「ラディカント」という本の中で、「群島の可能性」について言及しています。多くのものが融合し根付いている「大陸的」なものとの対比で、「島国的」はいろいろなかけ合わせで自己を作ってゆく旅人のような文化だと。群島で構成されている日本には、ニコラの「群島的な精神」があるんじゃないかと。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為でもあります。ファッションデザインを通して行う対話は自他のルーツや文化の理解や自尊心の回復、心のケアや治癒にもつながり、それが結果として未来のデザインにつながっていくのではないでしょうか。

WWD:金井さんは民族衣装にも詳しいですが今の話を聞いてどう思いましたか?

金井:ファッションの方はみな、これを辿るんですよ。浜野安宏さんも「地球風俗曼荼羅」で1980年ころに南米、アジアの民族衣装を研究して「ここに未来がある」と仰っていました。オラファー・エリアソンの現代アートは彼のルーツであるアイスランドの氷の世界が創作の原点。クリエイティブの背景はその時代や文化、伝統に加えて個人の記憶、生まれる前の記憶も含めて関係があるのでしょうね。

山縣:金井さんの「素の自分」という言葉を聞き考えたのが、和服を着てきた自分たちが洋服を着ていることである種の精神的な分断が起きているのでは?ということ。自分たちの文化、存在に尊厳、自尊心を持てなければ持続可能性がちょっといびつな形になってしまうのでは。

他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会

WWD:「地域の社会課題を解決するデザイン」が今日のお題ですが、お2人の話は多層的で深く、簡単に答えを得られるものではない、と痛感します。

金井:ファッションはある種の自己表現ですが、「他人に見られる」自己表現だけでなく、「素の自分が着たい、地球上にたった一人でもこれを着たい」も自己表現ですよね。レストランに行くときも美術館に行くときも他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会、それがこれから向かう先で、僕の理想でもあります。そのためには、さきほどの山縣さんの共同体の話じゃないけど地域社会も変わらないといけない。

日本には元々、人間も自然の一部だという考え方がありますが、都心よりもほかの地域の方が自然と近い暮らしをしてきたから社会を変える力は島を含めた地方にある、と考えます。だから無印良品の社員には自分で考え、地域の方と一緒に仕事か遊びか分からないぐらいの仕事をしてほしい。それが成長だし幸せだと思うから。

山縣:無印のコミュニティーは「印が無い」という響き、ひとつのイデオロギーに引っ張られないぞ、という、多層的で混ざり合うメッセージがいいなと思います。

「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点

WWD:金井さんにお伺いします。地域に入り、街の課題も可能性も見えていざ「無印良品」が店舗を出そうとするとき、具体的には何から始めてどう設計に落とし込んでいくのですか?

金井:「無印良品」の創業時のクリエイターは、10代の頃に戦争を経験し、大体ひどい目にあっている。戦争が終わり正反対の社会で彼らが何を思ったかと言えば、権力に対して疑いの眼差し、なんですよ。そして弱い物、はかない物への眼差しも鋭い。だから「無印」の発想を持てたのだと思う。その視点で地域を見るときは資本の論理だけではなく、「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点。出ていくとうまくいかないことも現実問題としてはある。そこからが出発点でこの地域に本当に必要な品揃えって何だろうと一生懸命考える。そんなノリで出店をしています。

WWD:営業、商品の分野を率いてきた金井さんですが、地域社会の中でも「無印」の理想と利益は両立すると考えますか?

金井:株主総会でもそういう「バランスをどのように取るのか」といった質問が出ますが、肝心なことはバランスではなく、地域と一緒に汗かいて実態を作っていくこと。今は社会や価値観が大きく変わるタイミングで、若い世代が変えようと動いている。結果的には商売につながる、儲かると考えています。

WWD:山縣さんにとってファッションのデザインとは?

山縣:哲学者の鷲田清一さんは、著書「ファッション学のすべて」の中で、医学者・精神科医である中井久夫さんの、「心のうぶ毛」という言葉を取り上げています。ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為であると考るとき、「ここのがっこう」の学生たちの作品はうぶ毛がぼふっと映えているように見える。

鹿児島のしょうぶ学園とのプロジェクトでは知的障がい者の作品を紹介しましたが、そこにも心のうぶ毛が、つまりある種の豊かさがありました。こういうファッションデザインの本質的な可能性をぼくは追及したいです。

WWD:心のうぶ毛、良い言葉ですね。暴力的に刈り取られてはならない心のうぶ毛。金井さんは心のうぶ毛は?

金井:僕は結構生えていると思う。アートやデザインの領域には、少し先を見ることができる人がいますよね。無印良品は地域に入りつつ、人間が生きていたら絶対必要な生活の基本の商品を、環境を害さず、むしろ使うことで環境に良くなる商品作ってひたすら頑張っていくから、山縣さんのようなアーティストはその世界をどんどん広げていってほしい。その両方が我々の社会には必要だと思うから。よろしくお願いします。

山縣:こちらこそよろしくお願いします。

サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題

WWD:ここからは参加者との質疑応答です。

参加者:欧州ではアパレルの廃棄に関する法規制の施行が進んでいますが、それらは無印良品の商売にどのような影響をありますか?

金井:僕たちも含めて皆が、その方向に向かないとまずいだろうと、思います。リサイクルなども含めて新しいテクノロジーを取り入れて企業とお客さんが一緒にそういう社会を作るんだ、と思います。イギリスの経済学者エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーは約50年前に「体温を保ち、着やすくて、見た目も良い服をなるべく少ない資源と労力で作るべきだ」と話しています。

参加者:創業時からサステナブルである良品計画は、それをどうやって伝えてゆくのでしょうか?伝えることは非常に重要だが、宣伝と受け取られもかねないですよね。

金井:僕らは一店舗一店舗がその地域にあり、信頼されたり、競争したりしている。(サステナブルな考え方は)コマーシャルを通じてではなく、そういった活動を地域の皆様と対話し共感の輪を拡げ、共創や協働によって伝わるのだと思います。まだ過程だが「無印良品がないと困るよ」といってもらえるところまで一生懸命に汗をかこうと思います。

参加者:山縣さんへ質問です。ルーツをコレクションやプロダクトで表現するとき、締め切りとはどう向き合うのでしょうか?最初からタイムリミットを設けてリサーチを進める?それとも自然と出来上がるものなのか?

山縣:どちらもあると思います。僕は常に発見の連続で終わりはない。ある種自分の中で旅を続けながら発展させていっている感じです。ただすべてを歴史に接続しなければならないとも思っていません。

参加者:無印良品はリーダーシップを取れる企業です。循環型社会の中で今の無印良品の取り組みは100点満点で何点?

金井:リーダーシップか、共感する場をどんどん設けて一緒に進めるかのどちらかで言えば我々は後者を選んでいます。素材、工程、包装みたいな領域ではもう済まなく、サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題。そう考えるとまだ20点、です。

参加者:山縣さんへは、ファッションがサステナビリティにおいて、できること、可能性をどう感じていますか?

山縣:ファッションデザインの社会的な役割の一つに「人間の尊厳に対するデザイン」があります。ファッションデザインの歴史を遡ると、例えば差別的なもの、見過ごされたしまった価値観にメスを入れるようなところがあります。今僕は、人間の尊厳のために「体の中の感覚と外衣としての服がもっとつながってゆくべき」だと思っていて、サステナビリティについても、例えば問われている労働環境の問題など、そのためにファッションデザインができることがあると思っています。

YouTube視聴はこちら

The post 良品計画会長×リトゥンアフターワーズ代表「社会・地域の課題解決とデザイン」を探る appeared first on WWDJAPAN.

「パタゴニア」の製品開発責任者が語った「地球に責任を持つ」モノ作りの実践と葛藤

INFASパブリケーションズは12月11日、「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」を東京ポートシティ竹芝ポートホールで開催した。4回目を迎えた今回の開幕を飾ったのは、パタゴニア(PATAGONIA)のマーク・リトル(Mark Little)=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクターだ。この日のためにアメリカから来日し、「環境危機下で製品をデザインするときに必要な視点とは何か?」をテーマに、「地球に責任を持つデザインをするときに必要な視点」「製品を作る意義」「チームメンバーとの価値観共有と評価法」について自身の経験を交えて語った。(この記事はから抜粋・加筆しています)

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):まず、マークさん自身にキャリアについて教えてください。

マーク・リトル=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクター(以下、マーク):パタゴニアに入社して約12年、アパレル産業には24年近くいます。カナダで生まれ、10歳のときにアメリカに移住しました。カナダは私のアウトドアへの愛と情熱が生まれ、育まれた場所です。

私とパタゴニアとの歩みのきっかけはユーザーの一人だったこと、そして次世代のためにできることをしたいという思いから始まりました。

アパレル産業でのキャリアは2000年代、「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」の絶頂期に始まりました。そこで製品作りについて多くを学び、また、世界中の製産工場や紡績工場などに行き、製品作りのダークサイドを見ることになりました。その後、いくつかのファストファッションブランドで働き、製品の使い捨てや質の悪い製品を目の当たりにするようになり、最終的にパタゴニアで仲間を見つけることができ、地球へ情熱を捧げています。

資本主義や製造業、特に採掘資本主義がいかに気候変動危機に影響を及ぼしていて、パタゴニアがそれに対してどのように取り組んでいるかいう話をする前に、原点が非常に大切なので、パタゴニアの歴史を話そうと思います。

パーパス「故郷である地球を救う」が生まれた背景

マーク:私たちの掲げる「故郷である地球を救う」というミッションステートメントは決してマーケティングキャンペーンではなく、パタゴニアというブランドが紡いできた歴史に深く根ざしており、その歴史は1974年にイヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard )が会社を立ち上げたときまでさかのぼります。イヴォンは1970年代前半にビジネスを始めましたが、彼は、いやいやビジネスマンになったと公言しています。彼は、ビジネスマンになるためにパタゴニアを始めたのではないのです。

イヴォンもカナダのケベック州の生まれで、幼少期にアメリカ・ニューイングランド地方のメイン州へと家族で移住し、一家は羊毛紡績工場で働きだしました。メイン州での生活では、素晴らしい森林で多くの時間を過ごし、そこからアウトドアに対する情熱が生まれました。特に魚釣りにのめり込んでいきました。

WWD:パタゴニアはガレージから始まったんですか?このガレージの写真、いいですね。

マーク:これは悪名高きブリキ小屋、ティンシェッドです。この小屋こそが、のちのちイヴォンが登山用器具を作り始めるきっかけになった場所です。しかしその前に、彼の冒険好きな母親は、一家に、メインからカリフォルニアへ移ろうと説得し、イヴォンの父親が喘息を患っていたこともあり、カリフォルニアへの移住を決めます。

カリフォルニアへの旅路で、彼らは空腹の女性と子どもたちと出会いました。イヴォンの母親はこの旅に向けてたくさんの食物を準備していたので、彼女たちに食物を与えました。イヴォンにとって初めての慈善活動の経験です。この慈善経験こそが、パタゴニアの歴史の中でも重大な瞬間の一つです。

カリフォルニアでの生活でイヴォンは言葉と文化背景の違いから、多くの時間を山で小川を探したり、海に行ったりと、一人で過ごすことになりますが、高校時代に鷹狩りクラブに入部します。クラブでは鷲や鷹の訓練をする訳ですが、最終的には、カリフォルニア州で最初の鷹狩り規定の制定に一役買うこととなります。イヴォンがこの先どんな道のりをたどるのかが見えて来たでしょう?
鷹狩りクラブにいる間、イヴォンは鷹を寄せ付けずに鷹の巣に辿り着く方法を見つけました。ある日、彼がいつものように鷹を追い払っていると、シエラ・クラブ(サンフランシスコに本部を置くアメリカの環境保護団体で、アメリカの50州に支部がある)の人々に会いました。彼らはイヴォンにいくつかの登山のアドバイスを与えてくれました。そしてこの鷹狩りクラブで技を磨く中で、登山に対する愛情が育まれていきました。

イヴォンは、夏はヨセミテやワイオミングなどを歩いて回り魚釣りを、冬にはメキシコでサーフィンをしました。こうしたイヴォンの行動から、彼のアウトドアに対する深い愛情を感じていただけると思います。

その後イヴォンは鍛冶屋になる方法を独学で学びますが、これがイヴォンの方向性を大きく変えるきっかけになりました。鍛冶を学ぶことで、製品に対する熱意が芽生えました。イヴォンはパタゴニアを、登山用アパレルとしてスタートしたのではなく、登山用器具のベンチャービジネスとしてスタートしたのです。理由は、彼が納得できる上質な登山器具が見当たらなかったから。彼はピトンを自分の車のトランクで地道に販売し、そこで得た利益を登山とサーフィンを楽しむことに注ぎました。

そのうちに需要が増え、イヴォンはピトンの生産を続けて行くのですが、このタイミングで、イヴォンは品質にこだわるようになります。これがパタゴニアの歴史のキーポイント、その2です。パタゴニアが創業から“高品質が全て”とこだわり続けるきっかけです。なぜならアウトドアでは、質の悪いものは死を意味するからです。

のちにイヴォンは、彼の作る登山用器具が岸壁と環境にダメージを与えているということに気付きます。これがきっかけとなり、シュイナード・イクイップメントは、新しい形状による安全確保と、よりサステナブルな製品作りへと導かれます。私たちが“製品が環境に与える影響”を理解し取り組む最初のきっかけになりました。さらに、カタログで“クリーンクライミング”という環境エッセイを掲載することになりました。この一件こそが、環境問題への取り組みの大きな第一歩になりました。パタゴニアの歴史において、非常に辛い時代でした。

「私たちの行動自体が環境の一部であること」を学ぶ

イヴォンはまた、現在パタゴニア本社のあるべンチュラで自分自身の活動を続ける中“アクティビズム”の機会を見出しました。そんな時に周辺環境に多大な影響を及ぼすべンチュラ川の転流工事が行われると聞き、イヴォンは市役所に転流反対を訴えに行きました。これはイヴォンと会社にとっての初のアクティビズムでしたが、この行動のおかげでべンチュラ川の転流工事は取りやめとなり、「1% for the planet」(収益の1%を地球のために)というプログラムを始める着想源にもなりました。パタゴニアが「アクティビズム」「品質」「環境へのインパクトについてこだわり続けている」という3点を知っていただくためにお話しました。その後アパレル分野に進出し、「シュイナード・イクイップメント」から登山用アパレルの会社になりました。

私たちは製品を生産する中で、気候に及ぼす影響の大きさを知り始め、製品作りの方向性を大きく変えることになります。私たちの行動自体が環境の一部であるということを学び、地球温暖化と生態系の破壊の規模について知り、それに対して私たちがどう貢献できるかを確かめていきます。私たちは企業として、真剣かつ献身的にビジネスのあり方を変えるつもりで挑みました。自社製品を、より害の少ない材料を用いて生産し、収益の1%を地球を守るための活動に寄付し始めました。そして、パタゴニアはカリフォルニア州初のベネフィットコーポレーションになります。

近年では、パタゴニアはミッションステートメントを、「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」、と改訂したことはみなさんもご存知のことと思います。これは、デザイナー、生産プロセス担当、経理担当……、会社のどの部署で働いているかに関わらず、パタゴニア社全体の意思決定の指針となります。私たちが毎日目を向け、どのようにビジネスに取り組むのかを定めた指標なのです。

「メーカーとして故郷の地球を救う」意味

WWD:その辺りはこの後さらに掘り下げさせていただきます。

マーク:以前のミッションステートメント「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」では十分ではありませんでした。私たちは、アクティビストをサポートするだけの企業から、アクティビスト主導の企業へと倍増し、進化したかったのです。これが、製造と資本主義におけるパタゴニアの役割、そして「地球を救うためにビジネスを営む」という私たちのビジネスの柱に繋がって行く訳ですが、では、これは何を意味するのでしょうか?「メーカーとして故郷の地球を救う」とはどういう意味でしょうか?

私たちは、気候変動が私たちの生活を脅かしていることを理解しています。私たちは、世界規模の採取主義的な経済がこの危機の根本原因であることを理解しています。私たちは、消費主義が環境破壊の原動力になっていることも理解しています。私たちはパタゴニアがこの問題に関与していることを自認しています。

したがって、パタゴニアの次の段階のアクションは、「不必要な危害を誰にも加えないこと」から、「”危害を加えないこと”以上の努力をすること」になりました。私たちは、たとえ資本主義経済の中であっても、商品消費型のビジネスが広義において非採取主義的になれる可能性があることを証明するために取り組んでいます。

WWD:ルーツが大切であると杭が打たれました。売れていたピトンが環境に影響を与えていたと理由から売るのをやめたのは、相当勇気が必要な判断でしたよね?

マーク:ええ、流れのままに進むということです。イヴォンとチームメンバーが持っていたリーダーシップと先見の明の結果であり、彼らは製品製造が引き起こす影響を理解していました。登山用品は生死が関わりますので、品質が最重要だったことは明らかです。

より大切なポイントは、シュイナード・イクイップメントの初期の頃からずっと、ビジネスの優先事項は製品の品質より何よりも生産している商品が環境に及ぼす影響について考えることで、それが私たちパタゴニア気質の基盤であり、ビジネスを始めた日からずっと変わらないということです。

イヴォンは誰が働くとかそういったことは全く気にしていないのです。彼が気にかけているのは正しい行いをすること。繰り返しになりますが、彼がビジネスをするのはお金を得るためではなく、登山とサーフィンにはまったからです。

新しい資本主義を体現するための新体制発表から変わったこと

WWD:上手く行くかどうかは分からなかったけれど、「正しいことをしたい」と思った。今日の名言を胸に刻みましょう。今日は3つのテーマについてお話いただきます。1つ目はパタゴニアが目指す新しい資本主義と新体制での製品作り、2つ目は製品を作る意義、3つ目はチームメンバーとの価値観共有と評価法です。まず1つ目の「地球が唯一の株主になる」と聞いた時、マークさんはどう受け止めましたか?

マーク:衝撃を受けました。昨日のことのように覚えています。私たちは全員“キャンパス”(パタゴニア本社)に集合しました。パンデミックが明けたばかりの頃で、数年ぶりに全員が直接顔を合わせたタイミングでした。そして、誰も発表の内容を知りませんでした。元 CEO の皆さんを含む初期メンバーが姿を現し始め、どうやら何か大きなことが起こっていると、とても興奮しました。新体制発表のタイミングは、私たちの創立50周年でもありました。ちょうど次の50年を視野に入れ23年秋コレクションに取りかかり始めた非常に意味のあるタイミングでした。「最初の50年間で学んだことは何か」「継続したい物は何か」そして「やめたいことは何か」について熟考しながら次のチャプターに進みたいと考えました。そしてイヴォンとシュイナード家の決断は次の 50 年に向けた大胆なアプローチ方法であると感じました。

株式譲渡について最も意義深い点は、会社を地球に委ねるという点です。地球は厳しい上司です。母なる地球、彼女と一緒に働くのは本当に難しいです。私が“キャンパス”を歩き回ると木々に怒鳴られたり、風に飛ばされた葉っぱが私に当たったり、地球はイヴォンよりもさらに働くのが難しい相手です。

イヴォンとシュイナード家はオーナーシップを 2つの組織に譲渡しました。そして重要なことを言及させていただきますと、私たちは「1% for the Planet」を通して、常に収益の 1% を寄付し続けてきました。私たちは気候危機において十分な推進力を発揮できていないと感じていました。これらを深慮した結果、2つの組織を新たに設立し地球を唯一の株主として据えたわけですが、これはビジネスに再投資されなかった全ての利益が地球に分配されるということを意味します。これは非常に壮大な規模の話です。

自然から採った価値ある原材料、それを株主の富に変えるという今までの方法ではなく、私たちはビジネスで得られる富――つまりパタゴニアの富を、原材料の源である母なる地球の創造と保護に役立てるのです。パタゴニアは、株式公開する代わりに、パーパスを遂行した訳です。これにより、気候と生態系の危機を保護し、永久に戦うことができます。いいと思いませんか?

WWD:この新体制はモノ作りの責任者であるマークさんにとっては、地球に責任を持つ製品作りというとんでもなく大変な役割が求められている訳ですよね。製品をデザインする時に必要な視点について教えてください。

マーク:私たちの製品デザインの哲学をお伝えするのにちょうど良い前フリになりましたね!“キャンパス”の正面玄関に刻まれていて、私たちがいつも目にするものであり、そしてこの発表とともに強烈に思い起こされた言葉をご紹介します。シエラ・クラブのエグゼクティブディレクター、デイビッド・ブラウワー氏の言葉で「死んだ地球からはビジネスは生まれないです。死んだ惑星ではビジネスが成り立ちません。これらは、製品開発チームの私たちにとっては常に最優先事項です。けれど、技術的には大きなプレッシャーですよね?私たちは、矛盾するものを一切作りたくないメーカーになってしまった訳ですから。私たちは、製品作りをする時点で矛盾しているのです。

マーク:この図は「故郷である地球を救う」ために私たちが取り組んでいる事業の核心、「地球が唯一の株主である」ということを要約したものです。製品開発やその他のビジネスを行うときのアプローチについての重要な柱です。パタゴニアは地球上の生命のために従事し、自分たちが作ったもの全てを保証します。私たちは人々の情熱を功績として残します。私たちは草の根活動を支援します。私たちは衣類を修理し、再販を経て、利益を地球に還元します。

「採取主義的資本主義の製品製造・販売は正当化できない」ことを強く問い、模範となるために

WWD:分かりやすい図ですね。

マーク:私はこの図が好きで、時々カンニングペーパーとして持ち歩くこともあります(笑)。

では、この図は製品および製造面において何を意味するのでしょうか?私たちは故郷の地球を救うために製品を作っていますが、これは少し矛盾しています。なぜなら、私たちが何かを作るときは常に、何かを搾取していることになるからです。私たちがパタゴニアにいる理由は、私たちが行う全てのことで模範を示し、先頭に立つことです。私たちのパーパスは、採取主義的資本主義の製品開発と販売を営むことは、もはや正当化できないと強く問うことです。

製品開発でも、単に害を減らすだけでなく、それ以上のことを行う必要があります。パタゴニアが行うことは全て問題解決の一部であり、本質的な問題を解決することに重点を置いています。したがって私たちは最良な素材に重きを置いています。最良の素材とは、例えば、環境再生型有機農業、リサイクル合繊、廃棄された古着の活用などです。当社は優れた品質だけではなく、製品の終着点まで見据えて生産を行っています。

私はこのデザイン哲学に辿り着き、これに基づいて取り組んでいます。私たちは仕組まれた緊張の世界に住んでいます。パタゴニアは基本理念に沿わない物は何も作りたくないと考え、製品の品質保持が私たちにできる最も重要なことだと信じています。私たちはファッションのトレンドなど気にしていませんし、トレンドを追うことはパタゴニアの価値観とは異なります。

大好きな文章がひとつあります。「完璧さとは、これ以上追加するものが何もない時に達成されるのではなく、これ以上取り除く物がないときに達成されるのです」(サン=テグジュペリ)。これは私たちの製品作りへのアプローチにも当てはまるもので、より少ないリソースでより多くのことを実現しようとするものです。私たちは、「禅」のスタイルと「シェーカースタイル」(シェーカー教徒たちのインテリアを模したシンプルかつ機能的なスタイル)のシンプルさに基づいて、必要かつ便利でなければ作らないという設計哲学のもと、日々活動しています。しかし、製品が必要な物かつ役に立つ便利な物なのであれば、ためらわずに美しく製作しようーーこれがパタゴニアの第一のルールです。

「品質とはすなわち環境問題である」、品質を重視する理由

次のトピックは「品質」です。今日の話の中で、皆さんに記憶して欲しいことがたった1つあるとすれば、この言葉に尽きます。「品質とはすなわち環境問題である」ということです。

たとえどんなに環境に配慮した材料を使用しても、使い捨て製品を製造すれば、その素材がもたらす利益を軽減してしまうことになります。ですから製品は、どのような品質であるかが重要なのです。安価な製品は祖末に作られ、すぐに捨てられてしまう。つまり人々とこの地球に多大なダメージを与えていることになります。したがって品質こそが現在パタゴニアが心底強化していることであり、活動の中核なのです。

WWD:「製品を作る意義」について。製品を通じてサプライチェーンを変革されていますが、その具体例を教えてください。

マーク:はい。私たちはこれから作る製品について考えるとき、「その製品を作ることでどのような問題を解決しようとしているのか」をしっかりと理解したうえで製作に入ります。それぞれの製品が貴重な資源を使用して作ることを熟知しているので、目的、機能性、そして長持ちすることを考え抜いてデザインをします。そうしたデザインの基礎となる品質こそが、製品寿命を高めるためのキーとなるので、先ほど品質の部分について何度もしつこくお話してしまいました。

解決すべき問題が見つかった製品は、さらに製品寿命や使用する素材など、どのようにアプローチすべきかを熟考します。耐久性と機能性、長持ちするかの3点がデシジョンツリー(決定木)を作成する際の中核になります。

これから解決すべきは「製品の終着点について考慮すること」

マーク:低品質製品の問題点は、使い捨ての観点で考えられていることです。私たちは一時的なトレンド、計画的陳腐化の道をたどっています。ファストファッション、大量消費主義――人々は過剰に生産し、不必要なものを過剰に消費しています。再生不可能な資源を使用し、有毒化学物質、環境汚染、(生産に際して)使われるエネルギーの量、水の使用などの問題があります。そしてさらなる問題は、ただ「要らなくなったから」と捨てられてしまう、使い捨て製品から発生する産業廃棄物です。製品の終着点について考慮されていない、リサイクルも堆肥化も不可能な廃棄物です。これらが解決すべき問題点です。パタゴニアがこうした問題に対して何を行っているのか、あるいはそうした問題への解決策の取り組みとして修正したキーポイントが2点あります。それは私たちと「製品」との関係性です。

1つ目は、可能な限りリサイクル原料を使用して、耐久性があり、長持ちする、高機能な製品を製造すること、2つ目は、耐用年数が終了した衣類を修理、再利用、またはリサイクルする取り組みです。製品をデザインするときに、これら2つについて考えます。独自のデザイン価値を備えた製品を生み出し、品質を重視しながら、一時的なトレンドを追うのではなく、タイムレスな製品をデザインしています。

私たちは大量消費主義について考えていますが、これがおそらく次の大きなテーマになるでしょう。ところで、パタゴニアが行った「このジャケットを買わないでください」というキャンペーンを覚えていますか?「ジャケットを買いに来ないでください」と言うのはビジネスとして少し変わっていますよね。しかし結局のところ、パタゴニアの製品作りと同じように、消費者の皆さんには「自分は本当にそれを必要としているのか?」と考えてもらいたいのです。私たちは接客で、「このジャケットがご希望ですね?承知しました、環境に配慮した最新バージョンを提供させていただきます。けれど、ちょっと立ち止まって新しく買う必要が本当にあるのかを考えてください」と言った会話を始めています。従来型の「物との関係のあり方」を変えることで、カスタマーを消費者からパタゴニアのコミュニティに取り込みつつ、行動変容を促すことができるのです。

またパタゴニアのコミュニティでは、”Need less”(新規購入を減らす)手段として、簡単かつ楽しい方法を提案したいとも考えています。そのため、デザインと製品製作チームに多目的なワードローブやレイヤリングシステム、買い換える必要のない時代を超越した製品をデザインしてもらおうと考えています。

パタゴニアが製品作りで取り組む具体的なアクション

WWD:具体的なアクションについて教えてください。

マーク:パタゴニア製品に使われている素材に対する解決策について少しお話します。パタゴニアは過去40数年にわたって、非常に堅固なSER(社会環境責任)方針を構築しました。そしてそれは、2025年に向けた当社の戦略的取り組みの一部でもあります。そのキーとなる2点は、世界中のコミュニティに投資をすることと、パタゴニアのパートナーたちを“ファミリー”の一員として真剣に考えることです。私たちにとってパートナー企業は製品の延長線上にいる人(ビジネス上だけの関係性)ではなく、“ファミリー”なのです。

そのためにパタゴニアでは25年に向け、優先材料の使用率を100%にすることを目標にしています。また一方で、化学物質の永久排除に向けても投資しています。DWR(durable water repellent/耐久撥水)は永久化学物質の一種ですから。それとは別に染色では、製品の核となるカラーバリエーションで、”エバーグリーンカラー”と呼ばれる、合成繊維向けの染料の中では環境への悪影響が非常に低い染料を、全ての色味で100%使用できるように取り組んでいます。また、残端などの布地の廃棄物でリサイクル100%を目指しており、合成繊維の 50%で二次廃棄物を使用できるように取り組んでいます。

以上がパタゴニアの推奨する環境に配慮した素材であり、社会的および環境的責任の遂行を支える柱です。これが、私たちのモノ作りにおけるアプローチ方法です。また天然繊維の使用では、革新的農業技術を使った素材、具体的には、オーガニックコットン、コットンインコンバージョン・コットン(有機栽培に変換するための、移行期間中に生産されるコットン)、そしてリジェネラティブ・オーガニックコットン(環境再生型有機農法によるROC認定コットン)を使用しています。

合成繊維の二次廃棄物活用では、パタゴニアは長年、ほとんどの製品でリサイクルポリエステルを使用してきましたが、今は次のレベルに引き上げ、指針としてきたリサイクル素材だけでなく、埋め立て地に送られる産業廃棄物や海洋廃棄物の回収・使用に乗り出そうとしているところで、これらが私たちの言う「二次廃棄物」です。

そのために次のような企業と提携しています。ナイロン素材では、廃漁網の再利用の提携をブレオ社と、ポリエステル素材ではペットボトルの活用をバイオニックと協働しています。彼らとプラスチック廃棄物を再利用するための地域廃棄物管理システムを構築しました。道路や海岸にリサイクルステーションを設置し、海岸清掃キャンペーンや地域社会への働きかけを組織化し、分別、こん包、粉砕のための集中施設や、地元企業、学校、その他の機関への回収ルートを整備しました。一旦ペットボトルが海に流れ込んでしまったら、手の施しようがないですよね?すぐさま海に沈んでしまい、利用できなくなります。そして、社会的責任の遂行が鍵となります。

リサイクルウール素材とリサイクルコットン素材は、本格的に研究を始めているもう1つの分野です。この2つの素材の素晴らしい点は、すでに色が付いているため染色する必要がないことが多く、分別プロセスが進むにつれて、埋め立て地から転用できるだけでなく、ゴミとして終わらせず、継続的な再利用が可能になるかもしれないという点です。

そして最後に、私たちは化学物質とは永遠に別れを告げます。25年までに、パタゴニア全製品でPFC(有機フッ素化合物)フリーを達成します。今後この規制がカリフォルニア州やアメリカだけではなく欧州で、そして究極的には全世界で実施されていきます。

パタゴニアのゴール達成に向けての進捗について少しだけ話します。23年の秋冬コレクションで使用素材の 91% を環境配慮素材にすると掲げた目標は無事に達成されました。25年までに、ダウンは全て責任を持って調達された物を使用します。つまり、卵に至るまでどこから来たのかを把握し、もし新たにダウンを使用する場合はその調達ルートから来るバージンダウンを使用します。実際のところ、古い掛け布団や枕などの寝具から出たリサイクルダウンを使用している場合がほとんどです。

そしてみなさんご存知のようにコットン素材では1996年以来、100%オーガニックコットンを使用しています。環境再生型有機農業やコットン・イン・コンバージョンを引き続きサポートしております。

結果的に25年までに、私たちは目標をほぼ達成しつつあることになります。そして世の常ですが、最後のほんの少しが最も困難とはなりますが、目標の 97% は達成されることになるでしょう。これは困難な課題を乗り越えたという点で、「多大なる功績」と言えるでしょう。

価値観の共有と評価法

WWD:本当に困難な道だと思います。これだけの具体的なアクションを重ねてもなお100%になり得ず、まだ3%残っているという事実に驚かされます。3つ目のテーマ「価値観の共有と評価」について、マークさんがどんなリーダーシップを発揮されているのかお聞かせください。

マーク:実際のところ、パタゴニアではとても簡単だと思います。なぜなら、パタゴニアに入社する人は皆、ミッションステートメントを信じてやって来ます。私たちにとってはこの点が唯一にして最重要な評価ポイントです。もちろん、それでも私たちはビジネスを営んでいるわけですから、目標があり、生き残るために売り上げの必要指標があります。しかし、売り上げは私たちを日々動かす原動力ではありません。パタゴニアの原動力はあくまでも「地球」なのです。そして、生きている者にとっても亡くなった者にとっても、パタゴニアに属する皆にとって大切なのは私たちのミッションステートメント「地球を救うためにビジネスを営む」というただ1点なのです。私たちは常にそれを従い自己評価をしています。自分たちがここでやるべきことは何かを理解したうえで出勤する訳ですから、非常に簡単です。スッキリ明快、目的はたった1つなのです。つまり、パタゴニア社員となったその日から、私たち全員が同じ方向を向いています。

ビジネスを通して「地球全体を救う」ために最小限の害で最高の製品を作り、他のビジネスにインスピレーションを与えるなど、どんなに大きな仕事を成し遂げたことも、原点にあるのはミッションステートメントなのです。

また、お客さまに私たちのコミュニティに参加してもらうことは、私たちの核となる価値観であり重要なことでもあります。そして私たちは可能な限り製品やクリエイションに責任を持ち、系統的かつ客観的にどのような種類の製品を作るかを見極めていきます。そしてお客さまにもそのソリューションに参加していただきたいと考えています。

「コモンスレッズ・イニシアティブ」(パタゴニア社の商品回収プログラム)は、共同的プロジェクトという点で、自分自身を称えたい取り組みのひとつです。この取り組みは再考することの大切さを改めて知る良い機会となりました。繰り返しになりますが、私たちと「物」との関係をもう一度考えてみましょう。欲しいと思う気持ちを減らし、修理・再利用・リサイクルの可能性についてもっと考えましょう。

それから、ただ消費、消費、消費と新しい物を買い続けるのではなく、ぜひ中古品を購入していただきたいです。実は、2013年のファッション・ウィーク中に(製品を長く使うためのプラットフォーム)「ウォーンウエア(WORN WEAR)」をローンチしました。「製品」との関係性を考える意味で、消費者をソリューションの一部として招待した形となったわけですから、パタゴニアのコミュニティにとって大きく評価すべきことと言えます。新しい物を買うのであれば、その製品が長く使えるかどうかを考えてください。手持ちの洋服で、どこかが破れたり、ボタンをなくしてしまった場合は、捨てたり新しい物を買わず、修理することを考えてください。私たちは、顧客が訪ねて来て修理を継続できるよう、顧客とコミュニティとの関係を築き始めています。

WWD:評価についてもう少し教えてください。何をしたら褒められるのか?何をしたら褒めるのかなど具体的なことはありますか?

マーク:利益を逃したのに賞賛されるという状況を理解するのはきっとみなさんには難しいでしょうね。この事実を正しく理解するのに苦労しているようですから。確かに、私たちはビジネスを継続できるように努力し続け、利益を上げる必要があります。しかし、です。パタゴニアでは「利益目標を達成できたこと」よりも、「フェアトレード認定工場を導入したこと」が賞賛される可能性があります。パタゴニアはそんな会社なのです。

(そのような方針でも)会社はかなりうまくいっています。私たちは、このような型破りな考え方でも利益を上げられることを50年間にわたり証明してきました。ですので、私がお薦めしたいのは、伝統的な資本主義の評価を捨て、健全なコミュニティと健全な地球について考え始めること。ビジネスにとって有益なはずです。確かに現実的には物を売ってお金を稼がなければなりませんが、実際に毎年どのくらいの成長が必要ですか?どのような品質の製品を世に出していますか?顧客との関係はいかがですか?

そしてパタゴニアは、かなりフラットな組織です。上下関係はそれほど大した問題ではありません。私たちはお互いを上司と部下として考えていません。私たちは自分たちを家族であり、ひとつの目的を持ったコミュニティであると考えて入社します。施設内に託児所を完備しておりますので、自身の子どもと一緒にランチを食べることができます。私たちはお互いの子どもたちの叔父と叔母です。そして私たちは実際に、健全なコミュニティを通して健全なビジネスを営むことが可能であることを証明しています。

WWD:羨ましいですね。大きな家族の中で仕事をしているーー今までの会社組織の考え方と異なり、そもそも会社の在り方が変わってきている中で、評価法がどうかという固定概念が当てはまらないと感じました。最後にマークさん自身の仕事のやりがいについて教えてください。

マーク:私はパタゴニアのミッションステートメントを信じていますし、登壇の機会に話してしまうと陳腐に聞こえるかもしれませんが、パタゴニアにいる全員が皆、自分たちのしていることを信じていると思います。変化を起こし、革命を起こすには、既成概念にとらわれずに考える必要があり、システムの規範を打ち破る必要があります。私たちは株の利益と成長に左右されるシステムに囚われてしまっていますから。

私が“使命を持って働いている”という事実をも超えて、いそいそと毎日仕事に熱心に取り組むのかというと、同僚たちを心から近しく思い、敬愛しているからです。私はこのチームのメンバーの一員として、社会の既存の構造を覆す役割を果たし、新しい消費方法を!と人々を教育し、揺さぶる機会を得ている訳ですが、この活動こそが、私にとって本当にエキサイティングなのです。

私は若い頃から現在に至るまで、常にちょっとしたアナーキストであったと思います。私を見てください。年を重ねてもパンクロッカーであり続けるための、正しい見本みたいでしょう?パンクロッカーであり続けることが、将来の世代にとって本当に良い利益をもたらすこと、そして、それが世界をより良い場所にすると願っています。ですから、私たちの秘伝のソース(おまじない)はいつだって常識にとらわれないこと。革命を起こすには勇気が必要ですが、どうぞ恐れないでください、私たちはそれを支援するためにここにいるのです。

WWD:ありがとうございました。では会場のみなさんから質問を受けたいと思います。

アクティビズムの役割、アプローチ法について

質問者1:私は日本人ですが、カナダに住んでいて、アメリカにも住んでいたので、すでに少し繋がりを感じています。 2016~ 20 年までニューヨーク市にいたのですが、この期間は、破壊的なアメリカの歴史を経験した瞬間だったと思います。今日のアメリカ社会の形成において、そして地球規模の環境問題全般において、アクティビズムがどのように大きな役割を果たしているかを教えてください。アクティビズムを推進することは、ある種の政党間の対立を感じることにもなると思います。アクティビズムの目的とは人々を一つの場所にまとめることにあります。例えば、本質的に対立している人や、相手を負かせられるくらいの説得力を持つ人々を、どのように予測してどのように巻き込みますか?より良い未来のために全ての人を含めるという観点で、マークさんがビジネスとどのように関わっているのかを知りたいのです。

マーク:素晴らしい質問ですが、なかなか厳しい答えになりますね。私の回答は、私たちはおそらく、歩みを進める中でナビゲートすることを同時に学んでいる、とお答えします。

結局のところ、私たちの最大のメッセージは、気候危機からしてみれば、あなたが誰であるかはどうでも良いということです。地球が滅亡したら、私たち皆いなくなってしまうのですから。では私たちが直面していることに関して、十分に破壊的なメッセージを作るにはどうしたら良いのでしょうか?

それはコミュニティから始まりますが、コミュニティ内の全ての人々をどのように教育し、影響を与えることができるのでしょうか。世界のどこに行っても同じような状況とは思います。特定の名前を挙げるのは控えますが、特に米国では、非常に異なる見解を持つ非常に異なる政党間で、多くの物議を醸す議論が行われてきました。しかし、私たちパタゴニアが学んでいることは、より保守的に票を投じたり、共和党に傾く傾向があるコミュニティだったりしても自然保護活動家がたくさんいて、アウトドア活動にも参加しているということです。

私たちにとっては、最終的には環境政策に興味があり、それが私たちの目指すところです。そして、私たちはそのメッセージができる限り包摂的であるように努めるつもりです。しかし、例えばあなたが私たちと働いていて、イヴォンが「この地球を救うことに死ぬ気で取り組んでいる」と言っているのを聞いたとして、もしもあなたがイヴォンほど真剣に問題に取り組めないのであれば、あなたに構っている時間はありません。私たちは私たちでさらに努力を続けて行くだけです。

質問者1:共通認識を持つことが鍵、と言うことでしょうか。

マーク:はい、そうです。

パタゴニアの社員になる方法

質問者2:パタゴニアの社員になるためにはどうしたら良いのですか?また、必要とされる条件はありますか?

マーク:あなたの履歴書をいただけますか?そこから始められますよ!(笑)。どういう訳か、私もここに辿り着けたのでそんなにハードルは高くないと思うのですが…。冗談はさておき、真剣にお答えいたしますと、気候危機に対するあなたの情熱、全てはそこから始まります。そしてパタゴニアのミッションステートメントを信じていて、それについて何かをしたいと考えている人が求められています。そこが始まりです。役割や資格、経験レベルによって異なりますが、私たちは常に外部から人材を迎え入れようとしています。私が会社に還元できたことは、よりトラディショナルな(経営方法の)ファッションアパレルとファストファッションでの経験でした。その経験からビジネスの汚い側面も知っていましたが、その点で変化を起こしたい、過去に習得したスキルをパタゴニアで活かしたいと思っていました。それらのスキルを良い方向でパタゴニアに上手く持ち込んで活用できたらと思っていました。

夜寝るときに鏡の中の自分を見て、「一晩で全ての問題を解決できるわけではないんだ」と思ったとしても、今は、少なくとも鏡の中の自分を(自信を持って)見ることができます。そしてチームメイトも私と同じ状況のはずで、彼らも自分と同じように地球にいいことをしようとチャレンジしているはずだ、と思えるのです。

製品作りで最も大変でチャレンジなこと

質問者3:プリファードマテリアルのお話を伺い、とんでもなく大変なことだと思いました。実際にそういった素材を、探して、見つけて、使えるかを確認して、デザインして、作って、届けて、LCAも計算して売るというサプライチェーンは大変だと思うのですが、一番大変でチャレンジングな点は何かを教えてください。

マーク:素晴らしい質問ですね。最も責任ある素材であるかを確認することが常に重要ではあるのですが、同時にそれは難しいことでもあります。繰り返しになりますが、品質について考えることで、バランスが取れるのです。

1つ簡単な例を挙げます。リサイクルコットンは、埋め立て地からのコットンを完全に転用できるので、本当に楽しみな素材です。一方で、私たちはリサイクルの過程で糸が短くなってしまうため、品質が低下することを学びました。そこで、リサイクルコットンとオーガニックコットンをブレンドして、その品質と寿命を長くする方法を学ぶことが課題になりました。社内にはこの課題に専念しているチームがあります。

ここにいるあなたにお伝えできることは、ぜひパタゴニアをリソースとして頼ってみるのはどうですかというご提案です。パタゴニアは資料を自分たちだけのために抱え込むことに興味はありません。問題の解決にならないからです。品質レベルを維持するために責任ある素材をどうやって得るかといった課題のいくつかは、私たちが長年にわたって学んできたことです。

サステナビリティを本当の意味で理解して進むために必要なこと

質問者4:パタゴニアの、地球で暮らして行くことをパーパスに掲げてモノ作りをしていることは、アパレルだけでなくモノ作りをする企業にとって目指すべきパーパスだと思うのですが、サステナビリティという言葉だけが一人歩きしている気がしています。日本の企業がパタゴニアのように本当の意味でなぜこれをやらなければならないかを理解し、進んで行くためには何を変えて行くべきだと思いますか?

マーク:リーダーシップから始まります。人々から始まります。それぞれのブランドのリーダーがすぐに態度を変えなければ、時代の声に耳を傾けなければ、消費者も従業員も他の場所に行ってしまいます。消費者は私たちブランドが「地球として向かうべき方向だ」と信じている場所に(一緒に)行きますが、それは(このままでは)あまり良い場所ではありません。

それを理解して、少しずつ変えていかなければなりません。私もかつて変化が遅かったり、ビジョンがなかったりするブランドにも所属してきました。最終的には、自分と一致する価値観を核に掲げるブランドに行かなければならないかもしれません。それが私も最終的に選んだ手段であり、そうして別の形で影響を与えました。または、自分のブランドから働きかけるか、ですね。リーダーシップから始まりますが、この考え方において進歩的なパタゴニアでも、大きな神的な変化が起こりました。

私は人々の多くが、良い方向に向かうことを望まないリーダーシップに不満を抱いていることを知っていますし、これまで話してきた多くの人々の現実でもあります。
満足してもらえる回答ではないかもしれませんが、声を上げ、内部で変化を起こそうと努力し続けることが始まりであり、最終的には、そのブランドが目指す方向性とあなたの目指す方向性が一致するかどうかの岐路に立つタイミングがやってくるでしょう。

(質問者を探している間に…)
マーク:今日ここに来てくださった皆さんは大きな一歩を踏み出した、とだけ言わせてください。そして、パタゴニアがその一歩をサポートするためにここにいることを知っておいてください。変化はごく少数の人々から始まります。少数でも、変化に参加させるべく他者に働きかけることができるのは驚異なのです。ですから自分の会社に不満がある場合は、デザインや製品に携わる人々、さらには会計に携わる人々であっても、少人数でも社内で変革を起こすことができます。これが私からみなさんへの本日の励ましの言葉です。

50年存続できた理由は「品質と透明性」

質問者5:資本主義を変えようとしている企業が資本主義社会で50年続けられた理由は何だと考えますか?

マーク:良い質問ですね。お客さまが当社の存続に投票してくれたのだと思います。私見ですが、50年も存続できたのは私たちが築き上げてきた信頼性によるものだと思います。それは、第一に品質、次に透明性です。私たちは完璧ではありません。ずっと完璧ではありません。私たちはパンデミックの間に起きた品質問題にいまだに悩まされているくらいです。

私はパタゴニアで働く以前から、顧客としてブランドを知っていました。パタゴニアが最高の製品を作っていると知っていたので、信頼していました。それが彼らに対する私の忠誠心を築いたのです。確かに値段は高かったですが、一度そのジャケットを手に入れたら(長持ちするので)、もう次のジャケットを買う必要はないとわかっていたので、お金を貯めて購入していました。それは環境に配慮した素材が使われる以前の製品です。

顧客たちは、私たちがおオフィスからお金を出して、それを地球に還元しているのを実際に見ています。50周年を迎えるにあたり、これ以上にお伝えできることはありません。 私たちは地球に会社を差し出したのですから!

WWD:以上、「環境危機化でのモノ作りとデザイナーの役割とは」を終了させていただきます。マークさん、ありがとうございました。

YouTube視聴はこちら

The post 「パタゴニア」の製品開発責任者が語った「地球に責任を持つ」モノ作りの実践と葛藤 appeared first on WWDJAPAN.

「パタゴニア」の製品開発責任者が語った「地球に責任を持つ」モノ作りの実践と葛藤

INFASパブリケーションズは12月11日、「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」を東京ポートシティ竹芝ポートホールで開催した。4回目を迎えた今回の開幕を飾ったのは、パタゴニア(PATAGONIA)のマーク・リトル(Mark Little)=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクターだ。この日のためにアメリカから来日し、「環境危機下で製品をデザインするときに必要な視点とは何か?」をテーマに、「地球に責任を持つデザインをするときに必要な視点」「製品を作る意義」「チームメンバーとの価値観共有と評価法」について自身の経験を交えて語った。(この記事はから抜粋・加筆しています)

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):まず、マークさん自身にキャリアについて教えてください。

マーク・リトル=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクター(以下、マーク):パタゴニアに入社して約12年、アパレル産業には24年近くいます。カナダで生まれ、10歳のときにアメリカに移住しました。カナダは私のアウトドアへの愛と情熱が生まれ、育まれた場所です。

私とパタゴニアとの歩みのきっかけはユーザーの一人だったこと、そして次世代のためにできることをしたいという思いから始まりました。

アパレル産業でのキャリアは2000年代、「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」の絶頂期に始まりました。そこで製品作りについて多くを学び、また、世界中の製産工場や紡績工場などに行き、製品作りのダークサイドを見ることになりました。その後、いくつかのファストファッションブランドで働き、製品の使い捨てや質の悪い製品を目の当たりにするようになり、最終的にパタゴニアで仲間を見つけることができ、地球へ情熱を捧げています。

資本主義や製造業、特に採掘資本主義がいかに気候変動危機に影響を及ぼしていて、パタゴニアがそれに対してどのように取り組んでいるかいう話をする前に、原点が非常に大切なので、パタゴニアの歴史を話そうと思います。

パーパス「故郷である地球を救う」が生まれた背景

マーク:私たちの掲げる「故郷である地球を救う」というミッションステートメントは決してマーケティングキャンペーンではなく、パタゴニアというブランドが紡いできた歴史に深く根ざしており、その歴史は1974年にイヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard )が会社を立ち上げたときまでさかのぼります。イヴォンは1970年代前半にビジネスを始めましたが、彼は、いやいやビジネスマンになったと公言しています。彼は、ビジネスマンになるためにパタゴニアを始めたのではないのです。

イヴォンもカナダのケベック州の生まれで、幼少期にアメリカ・ニューイングランド地方のメイン州へと家族で移住し、一家は羊毛紡績工場で働きだしました。メイン州での生活では、素晴らしい森林で多くの時間を過ごし、そこからアウトドアに対する情熱が生まれました。特に魚釣りにのめり込んでいきました。

WWD:パタゴニアはガレージから始まったんですか?このガレージの写真、いいですね。

マーク:これは悪名高きブリキ小屋、ティンシェッドです。この小屋こそが、のちのちイヴォンが登山用器具を作り始めるきっかけになった場所です。しかしその前に、彼の冒険好きな母親は、一家に、メインからカリフォルニアへ移ろうと説得し、イヴォンの父親が喘息を患っていたこともあり、カリフォルニアへの移住を決めます。

カリフォルニアへの旅路で、彼らは空腹の女性と子どもたちと出会いました。イヴォンの母親はこの旅に向けてたくさんの食物を準備していたので、彼女たちに食物を与えました。イヴォンにとって初めての慈善活動の経験です。この慈善経験こそが、パタゴニアの歴史の中でも重大な瞬間の一つです。

カリフォルニアでの生活でイヴォンは言葉と文化背景の違いから、多くの時間を山で小川を探したり、海に行ったりと、一人で過ごすことになりますが、高校時代に鷹狩りクラブに入部します。クラブでは鷲や鷹の訓練をする訳ですが、最終的には、カリフォルニア州で最初の鷹狩り規定の制定に一役買うこととなります。イヴォンがこの先どんな道のりをたどるのかが見えて来たでしょう?
鷹狩りクラブにいる間、イヴォンは鷹を寄せ付けずに鷹の巣に辿り着く方法を見つけました。ある日、彼がいつものように鷹を追い払っていると、シエラ・クラブ(サンフランシスコに本部を置くアメリカの環境保護団体で、アメリカの50州に支部がある)の人々に会いました。彼らはイヴォンにいくつかの登山のアドバイスを与えてくれました。そしてこの鷹狩りクラブで技を磨く中で、登山に対する愛情が育まれていきました。

イヴォンは、夏はヨセミテやワイオミングなどを歩いて回り魚釣りを、冬にはメキシコでサーフィンをしました。こうしたイヴォンの行動から、彼のアウトドアに対する深い愛情を感じていただけると思います。

その後イヴォンは鍛冶屋になる方法を独学で学びますが、これがイヴォンの方向性を大きく変えるきっかけになりました。鍛冶を学ぶことで、製品に対する熱意が芽生えました。イヴォンはパタゴニアを、登山用アパレルとしてスタートしたのではなく、登山用器具のベンチャービジネスとしてスタートしたのです。理由は、彼が納得できる上質な登山器具が見当たらなかったから。彼はピトンを自分の車のトランクで地道に販売し、そこで得た利益を登山とサーフィンを楽しむことに注ぎました。

そのうちに需要が増え、イヴォンはピトンの生産を続けて行くのですが、このタイミングで、イヴォンは品質にこだわるようになります。これがパタゴニアの歴史のキーポイント、その2です。パタゴニアが創業から“高品質が全て”とこだわり続けるきっかけです。なぜならアウトドアでは、質の悪いものは死を意味するからです。

のちにイヴォンは、彼の作る登山用器具が岸壁と環境にダメージを与えているということに気付きます。これがきっかけとなり、シュイナード・イクイップメントは、新しい形状による安全確保と、よりサステナブルな製品作りへと導かれます。私たちが“製品が環境に与える影響”を理解し取り組む最初のきっかけになりました。さらに、カタログで“クリーンクライミング”という環境エッセイを掲載することになりました。この一件こそが、環境問題への取り組みの大きな第一歩になりました。パタゴニアの歴史において、非常に辛い時代でした。

「私たちの行動自体が環境の一部であること」を学ぶ

イヴォンはまた、現在パタゴニア本社のあるべンチュラで自分自身の活動を続ける中“アクティビズム”の機会を見出しました。そんな時に周辺環境に多大な影響を及ぼすべンチュラ川の転流工事が行われると聞き、イヴォンは市役所に転流反対を訴えに行きました。これはイヴォンと会社にとっての初のアクティビズムでしたが、この行動のおかげでべンチュラ川の転流工事は取りやめとなり、「1% for the planet」(収益の1%を地球のために)というプログラムを始める着想源にもなりました。パタゴニアが「アクティビズム」「品質」「環境へのインパクトについてこだわり続けている」という3点を知っていただくためにお話しました。その後アパレル分野に進出し、「シュイナード・イクイップメント」から登山用アパレルの会社になりました。

私たちは製品を生産する中で、気候に及ぼす影響の大きさを知り始め、製品作りの方向性を大きく変えることになります。私たちの行動自体が環境の一部であるということを学び、地球温暖化と生態系の破壊の規模について知り、それに対して私たちがどう貢献できるかを確かめていきます。私たちは企業として、真剣かつ献身的にビジネスのあり方を変えるつもりで挑みました。自社製品を、より害の少ない材料を用いて生産し、収益の1%を地球を守るための活動に寄付し始めました。そして、パタゴニアはカリフォルニア州初のベネフィットコーポレーションになります。

近年では、パタゴニアはミッションステートメントを、「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」、と改訂したことはみなさんもご存知のことと思います。これは、デザイナー、生産プロセス担当、経理担当……、会社のどの部署で働いているかに関わらず、パタゴニア社全体の意思決定の指針となります。私たちが毎日目を向け、どのようにビジネスに取り組むのかを定めた指標なのです。

「メーカーとして故郷の地球を救う」意味

WWD:その辺りはこの後さらに掘り下げさせていただきます。

マーク:以前のミッションステートメント「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」では十分ではありませんでした。私たちは、アクティビストをサポートするだけの企業から、アクティビスト主導の企業へと倍増し、進化したかったのです。これが、製造と資本主義におけるパタゴニアの役割、そして「地球を救うためにビジネスを営む」という私たちのビジネスの柱に繋がって行く訳ですが、では、これは何を意味するのでしょうか?「メーカーとして故郷の地球を救う」とはどういう意味でしょうか?

私たちは、気候変動が私たちの生活を脅かしていることを理解しています。私たちは、世界規模の採取主義的な経済がこの危機の根本原因であることを理解しています。私たちは、消費主義が環境破壊の原動力になっていることも理解しています。私たちはパタゴニアがこの問題に関与していることを自認しています。

したがって、パタゴニアの次の段階のアクションは、「不必要な危害を誰にも加えないこと」から、「”危害を加えないこと”以上の努力をすること」になりました。私たちは、たとえ資本主義経済の中であっても、商品消費型のビジネスが広義において非採取主義的になれる可能性があることを証明するために取り組んでいます。

WWD:ルーツが大切であると杭が打たれました。売れていたピトンが環境に影響を与えていたと理由から売るのをやめたのは、相当勇気が必要な判断でしたよね?

マーク:ええ、流れのままに進むということです。イヴォンとチームメンバーが持っていたリーダーシップと先見の明の結果であり、彼らは製品製造が引き起こす影響を理解していました。登山用品は生死が関わりますので、品質が最重要だったことは明らかです。

より大切なポイントは、シュイナード・イクイップメントの初期の頃からずっと、ビジネスの優先事項は製品の品質より何よりも生産している商品が環境に及ぼす影響について考えることで、それが私たちパタゴニア気質の基盤であり、ビジネスを始めた日からずっと変わらないということです。

イヴォンは誰が働くとかそういったことは全く気にしていないのです。彼が気にかけているのは正しい行いをすること。繰り返しになりますが、彼がビジネスをするのはお金を得るためではなく、登山とサーフィンにはまったからです。

新しい資本主義を体現するための新体制発表から変わったこと

WWD:上手く行くかどうかは分からなかったけれど、「正しいことをしたい」と思った。今日の名言を胸に刻みましょう。今日は3つのテーマについてお話いただきます。1つ目はパタゴニアが目指す新しい資本主義と新体制での製品作り、2つ目は製品を作る意義、3つ目はチームメンバーとの価値観共有と評価法です。まず1つ目の「地球が唯一の株主になる」と聞いた時、マークさんはどう受け止めましたか?

マーク:衝撃を受けました。昨日のことのように覚えています。私たちは全員“キャンパス”(パタゴニア本社)に集合しました。パンデミックが明けたばかりの頃で、数年ぶりに全員が直接顔を合わせたタイミングでした。そして、誰も発表の内容を知りませんでした。元 CEO の皆さんを含む初期メンバーが姿を現し始め、どうやら何か大きなことが起こっていると、とても興奮しました。新体制発表のタイミングは、私たちの創立50周年でもありました。ちょうど次の50年を視野に入れ23年秋コレクションに取りかかり始めた非常に意味のあるタイミングでした。「最初の50年間で学んだことは何か」「継続したい物は何か」そして「やめたいことは何か」について熟考しながら次のチャプターに進みたいと考えました。そしてイヴォンとシュイナード家の決断は次の 50 年に向けた大胆なアプローチ方法であると感じました。

株式譲渡について最も意義深い点は、会社を地球に委ねるという点です。地球は厳しい上司です。母なる地球、彼女と一緒に働くのは本当に難しいです。私が“キャンパス”を歩き回ると木々に怒鳴られたり、風に飛ばされた葉っぱが私に当たったり、地球はイヴォンよりもさらに働くのが難しい相手です。

イヴォンとシュイナード家はオーナーシップを 2つの組織に譲渡しました。そして重要なことを言及させていただきますと、私たちは「1% for the Planet」を通して、常に収益の 1% を寄付し続けてきました。私たちは気候危機において十分な推進力を発揮できていないと感じていました。これらを深慮した結果、2つの組織を新たに設立し地球を唯一の株主として据えたわけですが、これはビジネスに再投資されなかった全ての利益が地球に分配されるということを意味します。これは非常に壮大な規模の話です。

自然から採った価値ある原材料、それを株主の富に変えるという今までの方法ではなく、私たちはビジネスで得られる富――つまりパタゴニアの富を、原材料の源である母なる地球の創造と保護に役立てるのです。パタゴニアは、株式公開する代わりに、パーパスを遂行した訳です。これにより、気候と生態系の危機を保護し、永久に戦うことができます。いいと思いませんか?

WWD:この新体制はモノ作りの責任者であるマークさんにとっては、地球に責任を持つ製品作りというとんでもなく大変な役割が求められている訳ですよね。製品をデザインする時に必要な視点について教えてください。

マーク:私たちの製品デザインの哲学をお伝えするのにちょうど良い前フリになりましたね!“キャンパス”の正面玄関に刻まれていて、私たちがいつも目にするものであり、そしてこの発表とともに強烈に思い起こされた言葉をご紹介します。シエラ・クラブのエグゼクティブディレクター、デイビッド・ブラウワー氏の言葉で「死んだ地球からはビジネスは生まれないです。死んだ惑星ではビジネスが成り立ちません。これらは、製品開発チームの私たちにとっては常に最優先事項です。けれど、技術的には大きなプレッシャーですよね?私たちは、矛盾するものを一切作りたくないメーカーになってしまった訳ですから。私たちは、製品作りをする時点で矛盾しているのです。

マーク:この図は「故郷である地球を救う」ために私たちが取り組んでいる事業の核心、「地球が唯一の株主である」ということを要約したものです。製品開発やその他のビジネスを行うときのアプローチについての重要な柱です。パタゴニアは地球上の生命のために従事し、自分たちが作ったもの全てを保証します。私たちは人々の情熱を功績として残します。私たちは草の根活動を支援します。私たちは衣類を修理し、再販を経て、利益を地球に還元します。

「採取主義的資本主義の製品製造・販売は正当化できない」ことを強く問い、模範となるために

WWD:分かりやすい図ですね。

マーク:私はこの図が好きで、時々カンニングペーパーとして持ち歩くこともあります(笑)。

では、この図は製品および製造面において何を意味するのでしょうか?私たちは故郷の地球を救うために製品を作っていますが、これは少し矛盾しています。なぜなら、私たちが何かを作るときは常に、何かを搾取していることになるからです。私たちがパタゴニアにいる理由は、私たちが行う全てのことで模範を示し、先頭に立つことです。私たちのパーパスは、採取主義的資本主義の製品開発と販売を営むことは、もはや正当化できないと強く問うことです。

製品開発でも、単に害を減らすだけでなく、それ以上のことを行う必要があります。パタゴニアが行うことは全て問題解決の一部であり、本質的な問題を解決することに重点を置いています。したがって私たちは最良な素材に重きを置いています。最良の素材とは、例えば、環境再生型有機農業、リサイクル合繊、廃棄された古着の活用などです。当社は優れた品質だけではなく、製品の終着点まで見据えて生産を行っています。

私はこのデザイン哲学に辿り着き、これに基づいて取り組んでいます。私たちは仕組まれた緊張の世界に住んでいます。パタゴニアは基本理念に沿わない物は何も作りたくないと考え、製品の品質保持が私たちにできる最も重要なことだと信じています。私たちはファッションのトレンドなど気にしていませんし、トレンドを追うことはパタゴニアの価値観とは異なります。

大好きな文章がひとつあります。「完璧さとは、これ以上追加するものが何もない時に達成されるのではなく、これ以上取り除く物がないときに達成されるのです」(サン=テグジュペリ)。これは私たちの製品作りへのアプローチにも当てはまるもので、より少ないリソースでより多くのことを実現しようとするものです。私たちは、「禅」のスタイルと「シェーカースタイル」(シェーカー教徒たちのインテリアを模したシンプルかつ機能的なスタイル)のシンプルさに基づいて、必要かつ便利でなければ作らないという設計哲学のもと、日々活動しています。しかし、製品が必要な物かつ役に立つ便利な物なのであれば、ためらわずに美しく製作しようーーこれがパタゴニアの第一のルールです。

「品質とはすなわち環境問題である」、品質を重視する理由

次のトピックは「品質」です。今日の話の中で、皆さんに記憶して欲しいことがたった1つあるとすれば、この言葉に尽きます。「品質とはすなわち環境問題である」ということです。

たとえどんなに環境に配慮した材料を使用しても、使い捨て製品を製造すれば、その素材がもたらす利益を軽減してしまうことになります。ですから製品は、どのような品質であるかが重要なのです。安価な製品は祖末に作られ、すぐに捨てられてしまう。つまり人々とこの地球に多大なダメージを与えていることになります。したがって品質こそが現在パタゴニアが心底強化していることであり、活動の中核なのです。

WWD:「製品を作る意義」について。製品を通じてサプライチェーンを変革されていますが、その具体例を教えてください。

マーク:はい。私たちはこれから作る製品について考えるとき、「その製品を作ることでどのような問題を解決しようとしているのか」をしっかりと理解したうえで製作に入ります。それぞれの製品が貴重な資源を使用して作ることを熟知しているので、目的、機能性、そして長持ちすることを考え抜いてデザインをします。そうしたデザインの基礎となる品質こそが、製品寿命を高めるためのキーとなるので、先ほど品質の部分について何度もしつこくお話してしまいました。

解決すべき問題が見つかった製品は、さらに製品寿命や使用する素材など、どのようにアプローチすべきかを熟考します。耐久性と機能性、長持ちするかの3点がデシジョンツリー(決定木)を作成する際の中核になります。

これから解決すべきは「製品の終着点について考慮すること」

マーク:低品質製品の問題点は、使い捨ての観点で考えられていることです。私たちは一時的なトレンド、計画的陳腐化の道をたどっています。ファストファッション、大量消費主義――人々は過剰に生産し、不必要なものを過剰に消費しています。再生不可能な資源を使用し、有毒化学物質、環境汚染、(生産に際して)使われるエネルギーの量、水の使用などの問題があります。そしてさらなる問題は、ただ「要らなくなったから」と捨てられてしまう、使い捨て製品から発生する産業廃棄物です。製品の終着点について考慮されていない、リサイクルも堆肥化も不可能な廃棄物です。これらが解決すべき問題点です。パタゴニアがこうした問題に対して何を行っているのか、あるいはそうした問題への解決策の取り組みとして修正したキーポイントが2点あります。それは私たちと「製品」との関係性です。

1つ目は、可能な限りリサイクル原料を使用して、耐久性があり、長持ちする、高機能な製品を製造すること、2つ目は、耐用年数が終了した衣類を修理、再利用、またはリサイクルする取り組みです。製品をデザインするときに、これら2つについて考えます。独自のデザイン価値を備えた製品を生み出し、品質を重視しながら、一時的なトレンドを追うのではなく、タイムレスな製品をデザインしています。

私たちは大量消費主義について考えていますが、これがおそらく次の大きなテーマになるでしょう。ところで、パタゴニアが行った「このジャケットを買わないでください」というキャンペーンを覚えていますか?「ジャケットを買いに来ないでください」と言うのはビジネスとして少し変わっていますよね。しかし結局のところ、パタゴニアの製品作りと同じように、消費者の皆さんには「自分は本当にそれを必要としているのか?」と考えてもらいたいのです。私たちは接客で、「このジャケットがご希望ですね?承知しました、環境に配慮した最新バージョンを提供させていただきます。けれど、ちょっと立ち止まって新しく買う必要が本当にあるのかを考えてください」と言った会話を始めています。従来型の「物との関係のあり方」を変えることで、カスタマーを消費者からパタゴニアのコミュニティに取り込みつつ、行動変容を促すことができるのです。

またパタゴニアのコミュニティでは、”Need less”(新規購入を減らす)手段として、簡単かつ楽しい方法を提案したいとも考えています。そのため、デザインと製品製作チームに多目的なワードローブやレイヤリングシステム、買い換える必要のない時代を超越した製品をデザインしてもらおうと考えています。

パタゴニアが製品作りで取り組む具体的なアクション

WWD:具体的なアクションについて教えてください。

マーク:パタゴニア製品に使われている素材に対する解決策について少しお話します。パタゴニアは過去40数年にわたって、非常に堅固なSER(社会環境責任)方針を構築しました。そしてそれは、2025年に向けた当社の戦略的取り組みの一部でもあります。そのキーとなる2点は、世界中のコミュニティに投資をすることと、パタゴニアのパートナーたちを“ファミリー”の一員として真剣に考えることです。私たちにとってパートナー企業は製品の延長線上にいる人(ビジネス上だけの関係性)ではなく、“ファミリー”なのです。

そのためにパタゴニアでは25年に向け、優先材料の使用率を100%にすることを目標にしています。また一方で、化学物質の永久排除に向けても投資しています。DWR(durable water repellent/耐久撥水)は永久化学物質の一種ですから。それとは別に染色では、製品の核となるカラーバリエーションで、”エバーグリーンカラー”と呼ばれる、合成繊維向けの染料の中では環境への悪影響が非常に低い染料を、全ての色味で100%使用できるように取り組んでいます。また、残端などの布地の廃棄物でリサイクル100%を目指しており、合成繊維の 50%で二次廃棄物を使用できるように取り組んでいます。

以上がパタゴニアの推奨する環境に配慮した素材であり、社会的および環境的責任の遂行を支える柱です。これが、私たちのモノ作りにおけるアプローチ方法です。また天然繊維の使用では、革新的農業技術を使った素材、具体的には、オーガニックコットン、コットンインコンバージョン・コットン(有機栽培に変換するための、移行期間中に生産されるコットン)、そしてリジェネラティブ・オーガニックコットン(環境再生型有機農法によるROC認定コットン)を使用しています。

合成繊維の二次廃棄物活用では、パタゴニアは長年、ほとんどの製品でリサイクルポリエステルを使用してきましたが、今は次のレベルに引き上げ、指針としてきたリサイクル素材だけでなく、埋め立て地に送られる産業廃棄物や海洋廃棄物の回収・使用に乗り出そうとしているところで、これらが私たちの言う「二次廃棄物」です。

そのために次のような企業と提携しています。ナイロン素材では、廃漁網の再利用の提携をブレオ社と、ポリエステル素材ではペットボトルの活用をバイオニックと協働しています。彼らとプラスチック廃棄物を再利用するための地域廃棄物管理システムを構築しました。道路や海岸にリサイクルステーションを設置し、海岸清掃キャンペーンや地域社会への働きかけを組織化し、分別、こん包、粉砕のための集中施設や、地元企業、学校、その他の機関への回収ルートを整備しました。一旦ペットボトルが海に流れ込んでしまったら、手の施しようがないですよね?すぐさま海に沈んでしまい、利用できなくなります。そして、社会的責任の遂行が鍵となります。

リサイクルウール素材とリサイクルコットン素材は、本格的に研究を始めているもう1つの分野です。この2つの素材の素晴らしい点は、すでに色が付いているため染色する必要がないことが多く、分別プロセスが進むにつれて、埋め立て地から転用できるだけでなく、ゴミとして終わらせず、継続的な再利用が可能になるかもしれないという点です。

そして最後に、私たちは化学物質とは永遠に別れを告げます。25年までに、パタゴニア全製品でPFC(有機フッ素化合物)フリーを達成します。今後この規制がカリフォルニア州やアメリカだけではなく欧州で、そして究極的には全世界で実施されていきます。

パタゴニアのゴール達成に向けての進捗について少しだけ話します。23年の秋冬コレクションで使用素材の 91% を環境配慮素材にすると掲げた目標は無事に達成されました。25年までに、ダウンは全て責任を持って調達された物を使用します。つまり、卵に至るまでどこから来たのかを把握し、もし新たにダウンを使用する場合はその調達ルートから来るバージンダウンを使用します。実際のところ、古い掛け布団や枕などの寝具から出たリサイクルダウンを使用している場合がほとんどです。

そしてみなさんご存知のようにコットン素材では1996年以来、100%オーガニックコットンを使用しています。環境再生型有機農業やコットン・イン・コンバージョンを引き続きサポートしております。

結果的に25年までに、私たちは目標をほぼ達成しつつあることになります。そして世の常ですが、最後のほんの少しが最も困難とはなりますが、目標の 97% は達成されることになるでしょう。これは困難な課題を乗り越えたという点で、「多大なる功績」と言えるでしょう。

価値観の共有と評価法

WWD:本当に困難な道だと思います。これだけの具体的なアクションを重ねてもなお100%になり得ず、まだ3%残っているという事実に驚かされます。3つ目のテーマ「価値観の共有と評価」について、マークさんがどんなリーダーシップを発揮されているのかお聞かせください。

マーク:実際のところ、パタゴニアではとても簡単だと思います。なぜなら、パタゴニアに入社する人は皆、ミッションステートメントを信じてやって来ます。私たちにとってはこの点が唯一にして最重要な評価ポイントです。もちろん、それでも私たちはビジネスを営んでいるわけですから、目標があり、生き残るために売り上げの必要指標があります。しかし、売り上げは私たちを日々動かす原動力ではありません。パタゴニアの原動力はあくまでも「地球」なのです。そして、生きている者にとっても亡くなった者にとっても、パタゴニアに属する皆にとって大切なのは私たちのミッションステートメント「地球を救うためにビジネスを営む」というただ1点なのです。私たちは常にそれを従い自己評価をしています。自分たちがここでやるべきことは何かを理解したうえで出勤する訳ですから、非常に簡単です。スッキリ明快、目的はたった1つなのです。つまり、パタゴニア社員となったその日から、私たち全員が同じ方向を向いています。

ビジネスを通して「地球全体を救う」ために最小限の害で最高の製品を作り、他のビジネスにインスピレーションを与えるなど、どんなに大きな仕事を成し遂げたことも、原点にあるのはミッションステートメントなのです。

また、お客さまに私たちのコミュニティに参加してもらうことは、私たちの核となる価値観であり重要なことでもあります。そして私たちは可能な限り製品やクリエイションに責任を持ち、系統的かつ客観的にどのような種類の製品を作るかを見極めていきます。そしてお客さまにもそのソリューションに参加していただきたいと考えています。

「コモンスレッズ・イニシアティブ」(パタゴニア社の商品回収プログラム)は、共同的プロジェクトという点で、自分自身を称えたい取り組みのひとつです。この取り組みは再考することの大切さを改めて知る良い機会となりました。繰り返しになりますが、私たちと「物」との関係をもう一度考えてみましょう。欲しいと思う気持ちを減らし、修理・再利用・リサイクルの可能性についてもっと考えましょう。

それから、ただ消費、消費、消費と新しい物を買い続けるのではなく、ぜひ中古品を購入していただきたいです。実は、2013年のファッション・ウィーク中に(製品を長く使うためのプラットフォーム)「ウォーンウエア(WORN WEAR)」をローンチしました。「製品」との関係性を考える意味で、消費者をソリューションの一部として招待した形となったわけですから、パタゴニアのコミュニティにとって大きく評価すべきことと言えます。新しい物を買うのであれば、その製品が長く使えるかどうかを考えてください。手持ちの洋服で、どこかが破れたり、ボタンをなくしてしまった場合は、捨てたり新しい物を買わず、修理することを考えてください。私たちは、顧客が訪ねて来て修理を継続できるよう、顧客とコミュニティとの関係を築き始めています。

WWD:評価についてもう少し教えてください。何をしたら褒められるのか?何をしたら褒めるのかなど具体的なことはありますか?

マーク:利益を逃したのに賞賛されるという状況を理解するのはきっとみなさんには難しいでしょうね。この事実を正しく理解するのに苦労しているようですから。確かに、私たちはビジネスを継続できるように努力し続け、利益を上げる必要があります。しかし、です。パタゴニアでは「利益目標を達成できたこと」よりも、「フェアトレード認定工場を導入したこと」が賞賛される可能性があります。パタゴニアはそんな会社なのです。

(そのような方針でも)会社はかなりうまくいっています。私たちは、このような型破りな考え方でも利益を上げられることを50年間にわたり証明してきました。ですので、私がお薦めしたいのは、伝統的な資本主義の評価を捨て、健全なコミュニティと健全な地球について考え始めること。ビジネスにとって有益なはずです。確かに現実的には物を売ってお金を稼がなければなりませんが、実際に毎年どのくらいの成長が必要ですか?どのような品質の製品を世に出していますか?顧客との関係はいかがですか?

そしてパタゴニアは、かなりフラットな組織です。上下関係はそれほど大した問題ではありません。私たちはお互いを上司と部下として考えていません。私たちは自分たちを家族であり、ひとつの目的を持ったコミュニティであると考えて入社します。施設内に託児所を完備しておりますので、自身の子どもと一緒にランチを食べることができます。私たちはお互いの子どもたちの叔父と叔母です。そして私たちは実際に、健全なコミュニティを通して健全なビジネスを営むことが可能であることを証明しています。

WWD:羨ましいですね。大きな家族の中で仕事をしているーー今までの会社組織の考え方と異なり、そもそも会社の在り方が変わってきている中で、評価法がどうかという固定概念が当てはまらないと感じました。最後にマークさん自身の仕事のやりがいについて教えてください。

マーク:私はパタゴニアのミッションステートメントを信じていますし、登壇の機会に話してしまうと陳腐に聞こえるかもしれませんが、パタゴニアにいる全員が皆、自分たちのしていることを信じていると思います。変化を起こし、革命を起こすには、既成概念にとらわれずに考える必要があり、システムの規範を打ち破る必要があります。私たちは株の利益と成長に左右されるシステムに囚われてしまっていますから。

私が“使命を持って働いている”という事実をも超えて、いそいそと毎日仕事に熱心に取り組むのかというと、同僚たちを心から近しく思い、敬愛しているからです。私はこのチームのメンバーの一員として、社会の既存の構造を覆す役割を果たし、新しい消費方法を!と人々を教育し、揺さぶる機会を得ている訳ですが、この活動こそが、私にとって本当にエキサイティングなのです。

私は若い頃から現在に至るまで、常にちょっとしたアナーキストであったと思います。私を見てください。年を重ねてもパンクロッカーであり続けるための、正しい見本みたいでしょう?パンクロッカーであり続けることが、将来の世代にとって本当に良い利益をもたらすこと、そして、それが世界をより良い場所にすると願っています。ですから、私たちの秘伝のソース(おまじない)はいつだって常識にとらわれないこと。革命を起こすには勇気が必要ですが、どうぞ恐れないでください、私たちはそれを支援するためにここにいるのです。

WWD:ありがとうございました。では会場のみなさんから質問を受けたいと思います。

アクティビズムの役割、アプローチ法について

質問者1:私は日本人ですが、カナダに住んでいて、アメリカにも住んでいたので、すでに少し繋がりを感じています。 2016~ 20 年までニューヨーク市にいたのですが、この期間は、破壊的なアメリカの歴史を経験した瞬間だったと思います。今日のアメリカ社会の形成において、そして地球規模の環境問題全般において、アクティビズムがどのように大きな役割を果たしているかを教えてください。アクティビズムを推進することは、ある種の政党間の対立を感じることにもなると思います。アクティビズムの目的とは人々を一つの場所にまとめることにあります。例えば、本質的に対立している人や、相手を負かせられるくらいの説得力を持つ人々を、どのように予測してどのように巻き込みますか?より良い未来のために全ての人を含めるという観点で、マークさんがビジネスとどのように関わっているのかを知りたいのです。

マーク:素晴らしい質問ですが、なかなか厳しい答えになりますね。私の回答は、私たちはおそらく、歩みを進める中でナビゲートすることを同時に学んでいる、とお答えします。

結局のところ、私たちの最大のメッセージは、気候危機からしてみれば、あなたが誰であるかはどうでも良いということです。地球が滅亡したら、私たち皆いなくなってしまうのですから。では私たちが直面していることに関して、十分に破壊的なメッセージを作るにはどうしたら良いのでしょうか?

それはコミュニティから始まりますが、コミュニティ内の全ての人々をどのように教育し、影響を与えることができるのでしょうか。世界のどこに行っても同じような状況とは思います。特定の名前を挙げるのは控えますが、特に米国では、非常に異なる見解を持つ非常に異なる政党間で、多くの物議を醸す議論が行われてきました。しかし、私たちパタゴニアが学んでいることは、より保守的に票を投じたり、共和党に傾く傾向があるコミュニティだったりしても自然保護活動家がたくさんいて、アウトドア活動にも参加しているということです。

私たちにとっては、最終的には環境政策に興味があり、それが私たちの目指すところです。そして、私たちはそのメッセージができる限り包摂的であるように努めるつもりです。しかし、例えばあなたが私たちと働いていて、イヴォンが「この地球を救うことに死ぬ気で取り組んでいる」と言っているのを聞いたとして、もしもあなたがイヴォンほど真剣に問題に取り組めないのであれば、あなたに構っている時間はありません。私たちは私たちでさらに努力を続けて行くだけです。

質問者1:共通認識を持つことが鍵、と言うことでしょうか。

マーク:はい、そうです。

パタゴニアの社員になる方法

質問者2:パタゴニアの社員になるためにはどうしたら良いのですか?また、必要とされる条件はありますか?

マーク:あなたの履歴書をいただけますか?そこから始められますよ!(笑)。どういう訳か、私もここに辿り着けたのでそんなにハードルは高くないと思うのですが…。冗談はさておき、真剣にお答えいたしますと、気候危機に対するあなたの情熱、全てはそこから始まります。そしてパタゴニアのミッションステートメントを信じていて、それについて何かをしたいと考えている人が求められています。そこが始まりです。役割や資格、経験レベルによって異なりますが、私たちは常に外部から人材を迎え入れようとしています。私が会社に還元できたことは、よりトラディショナルな(経営方法の)ファッションアパレルとファストファッションでの経験でした。その経験からビジネスの汚い側面も知っていましたが、その点で変化を起こしたい、過去に習得したスキルをパタゴニアで活かしたいと思っていました。それらのスキルを良い方向でパタゴニアに上手く持ち込んで活用できたらと思っていました。

夜寝るときに鏡の中の自分を見て、「一晩で全ての問題を解決できるわけではないんだ」と思ったとしても、今は、少なくとも鏡の中の自分を(自信を持って)見ることができます。そしてチームメイトも私と同じ状況のはずで、彼らも自分と同じように地球にいいことをしようとチャレンジしているはずだ、と思えるのです。

製品作りで最も大変でチャレンジなこと

質問者3:プリファードマテリアルのお話を伺い、とんでもなく大変なことだと思いました。実際にそういった素材を、探して、見つけて、使えるかを確認して、デザインして、作って、届けて、LCAも計算して売るというサプライチェーンは大変だと思うのですが、一番大変でチャレンジングな点は何かを教えてください。

マーク:素晴らしい質問ですね。最も責任ある素材であるかを確認することが常に重要ではあるのですが、同時にそれは難しいことでもあります。繰り返しになりますが、品質について考えることで、バランスが取れるのです。

1つ簡単な例を挙げます。リサイクルコットンは、埋め立て地からのコットンを完全に転用できるので、本当に楽しみな素材です。一方で、私たちはリサイクルの過程で糸が短くなってしまうため、品質が低下することを学びました。そこで、リサイクルコットンとオーガニックコットンをブレンドして、その品質と寿命を長くする方法を学ぶことが課題になりました。社内にはこの課題に専念しているチームがあります。

ここにいるあなたにお伝えできることは、ぜひパタゴニアをリソースとして頼ってみるのはどうですかというご提案です。パタゴニアは資料を自分たちだけのために抱え込むことに興味はありません。問題の解決にならないからです。品質レベルを維持するために責任ある素材をどうやって得るかといった課題のいくつかは、私たちが長年にわたって学んできたことです。

サステナビリティを本当の意味で理解して進むために必要なこと

質問者4:パタゴニアの、地球で暮らして行くことをパーパスに掲げてモノ作りをしていることは、アパレルだけでなくモノ作りをする企業にとって目指すべきパーパスだと思うのですが、サステナビリティという言葉だけが一人歩きしている気がしています。日本の企業がパタゴニアのように本当の意味でなぜこれをやらなければならないかを理解し、進んで行くためには何を変えて行くべきだと思いますか?

マーク:リーダーシップから始まります。人々から始まります。それぞれのブランドのリーダーがすぐに態度を変えなければ、時代の声に耳を傾けなければ、消費者も従業員も他の場所に行ってしまいます。消費者は私たちブランドが「地球として向かうべき方向だ」と信じている場所に(一緒に)行きますが、それは(このままでは)あまり良い場所ではありません。

それを理解して、少しずつ変えていかなければなりません。私もかつて変化が遅かったり、ビジョンがなかったりするブランドにも所属してきました。最終的には、自分と一致する価値観を核に掲げるブランドに行かなければならないかもしれません。それが私も最終的に選んだ手段であり、そうして別の形で影響を与えました。または、自分のブランドから働きかけるか、ですね。リーダーシップから始まりますが、この考え方において進歩的なパタゴニアでも、大きな神的な変化が起こりました。

私は人々の多くが、良い方向に向かうことを望まないリーダーシップに不満を抱いていることを知っていますし、これまで話してきた多くの人々の現実でもあります。
満足してもらえる回答ではないかもしれませんが、声を上げ、内部で変化を起こそうと努力し続けることが始まりであり、最終的には、そのブランドが目指す方向性とあなたの目指す方向性が一致するかどうかの岐路に立つタイミングがやってくるでしょう。

(質問者を探している間に…)
マーク:今日ここに来てくださった皆さんは大きな一歩を踏み出した、とだけ言わせてください。そして、パタゴニアがその一歩をサポートするためにここにいることを知っておいてください。変化はごく少数の人々から始まります。少数でも、変化に参加させるべく他者に働きかけることができるのは驚異なのです。ですから自分の会社に不満がある場合は、デザインや製品に携わる人々、さらには会計に携わる人々であっても、少人数でも社内で変革を起こすことができます。これが私からみなさんへの本日の励ましの言葉です。

50年存続できた理由は「品質と透明性」

質問者5:資本主義を変えようとしている企業が資本主義社会で50年続けられた理由は何だと考えますか?

マーク:良い質問ですね。お客さまが当社の存続に投票してくれたのだと思います。私見ですが、50年も存続できたのは私たちが築き上げてきた信頼性によるものだと思います。それは、第一に品質、次に透明性です。私たちは完璧ではありません。ずっと完璧ではありません。私たちはパンデミックの間に起きた品質問題にいまだに悩まされているくらいです。

私はパタゴニアで働く以前から、顧客としてブランドを知っていました。パタゴニアが最高の製品を作っていると知っていたので、信頼していました。それが彼らに対する私の忠誠心を築いたのです。確かに値段は高かったですが、一度そのジャケットを手に入れたら(長持ちするので)、もう次のジャケットを買う必要はないとわかっていたので、お金を貯めて購入していました。それは環境に配慮した素材が使われる以前の製品です。

顧客たちは、私たちがおオフィスからお金を出して、それを地球に還元しているのを実際に見ています。50周年を迎えるにあたり、これ以上にお伝えできることはありません。 私たちは地球に会社を差し出したのですから!

WWD:以上、「環境危機化でのモノ作りとデザイナーの役割とは」を終了させていただきます。マークさん、ありがとうございました。

YouTube視聴はこちら

The post 「パタゴニア」の製品開発責任者が語った「地球に責任を持つ」モノ作りの実践と葛藤 appeared first on WWDJAPAN.

榮倉奈々の決意 なぜアパレルCEOの道を選んだのか

PROFILE:榮倉奈々/LAND NK CEO

(えいくら・なな)2002年にファッションモデルとしてキャリアをスタートし、04年に俳優デビュー。その後、数々のドラマや映画の話題作に出演するとともに、「トッズ」のアンバサダーを務めるなど、ファッションアイコンとしても注目を集める。23年には、自身の経験やビジョンを活かしてLAND NK,Inc.を設立し、最高経営責任者(CEO)に就任。新しい価値観を表現するブランド「ニューナウ(NEWNOW)」をスタートした

2023年12月に開催したイベント「WWDJAPAN サステナビリティ・サミット 2023」では、ミューズとして榮倉奈々を迎えた。「WWDJAPAN」が思い描くミューズとは、日頃からサステナビリティについて考え、取り組み、一緒に世の中に発信していきたいと思うパートナーだ。

榮倉は、受注生産型ブランド「ニューナウ(NEWNOW)」を23年秋に立ち上げた。コンセプトは“変わり続ける今を生きる服”で、10年後に着ても新たな楽しみ方ができる服作りを目指す。榮倉はなぜ表現者として服をまとう側から作り手になり、アパレルメーカーを擁する会社のCEOになる決意をしたのか。ブランド立ち上げの経緯から服作りに込める思い、そして新しいものを生み出していくことへの葛藤や希望を聞いた。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

向千鶴「WWDJAPAN」編集統括兼サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):環境について意識し始めたきっかけは?

榮倉奈々=LAND NK CEO(以下、榮倉):きっかけは子どもを産んだことですね。育児をする中で、サステナブルや環境、地球について真剣に考えるようになりました。また、コスメブランド「ラ ブーシュ ルージュ(LA BOUCHE ROUGE)」とコラボレーションしたときに、創業者ニコラス・ジェルリエ(Nicolas Gerlier)さんと話をし、彼の情熱に感銘を受けたんです。その行動力を見て、私も立ち止まっている場合ではないなと。

WWD:誰かがきっかけになるのは、皆一緒ですね。中でも出産や子育てが大きな経緯になったのですね。

榮倉:私がサステナブルを考えるときのポイントは、やはり子どもです。子どもが大人になったときの世界や、自分がいなくなった後の世界。わが子が成長したときに、より良い世界であってほしいと願うと共に、子どもが仲間と助け合いながら、世界中の子どもたちが過ごす場所がより良い場所であってほしい——その願いがきっかけです。3年ほど前に、地域の子どもや保護者が気軽に立ち寄り、栄養バランスのとれた食事をしながら交流できる場所「子ども食堂」について調べていたことがあったんです。運営を自身で行うとなったときに大きな壁だと感じたのが、資金力と継続性でした。企業として、お金を循環させて継続していくシステムが必要だと学びました。そのようなことを考えながら、「ニューナウ」を経営しています。

芸能界で得た知名度を社会のために

WWD:改めて、「ニューナウ」を立ち上げた経緯を教えてください。

榮倉:「ニューナウ」は、スタイリストの上杉美雪さんをクリエイティブ・ヴィジョン・ディレクターとして、ブランド「コート(COATE)」の福屋千春さんをクチュール・デザイナーとして迎えて立ち上げたブランドです。お2人とはそれぞれ10年、5年とスタイリングや服を通して信頼関係を築いてきました。次第に「上杉さんのフィルターを通した服を着てみたい」と思うようになり、彼女の視点を通じたスタイリングと、福屋さんの確かなものづくりをたくさんの方に届けたくて起業しました。私は、お2人のクリエイティブを守る役割だと思っています。

また、環境への意識が高まっていくうちに、廃棄物を減らす大きなシステムを作りたいとも考えるようになりました。以前、建築家の武田清明さんを取材したときに、人工物がバイオマスを上回ったという話を聞いてショックを受けて。自分が地球に生きる人間としてのあり方を、今一度考えなければいけないと思いました。

さらに、子どもの未来や人生を考える中で、自らの人生を振り返る機会も自然と増え、芸能界で21年間活動してきた意味についても考えるようになりました。その答えがまだ完全に出たわけではありませんが、自分のためだけに発信するのではなく、何か社会の役に立てるようにしたいと思っています。

WWD:モデルや俳優として服をまとう側から、作り手にもなったことで気付いたことはありますか?

榮倉:企業理念やブランドコンセプトを考えれば考えるほど、美しさは内部に宿っていると強く実感します。

WWD:サステナビリティは誰にとっても新しい世界です。業界の皆さんが純粋に洋服作りやクリエイティブを発揮できる環境を今すぐ作らねばという思いで取り組んでいます。ただ、いざサステナビリティをビジネスにしようとすると知らない言葉ばかり。科学やデジタルの専門用語も多く、技術も今までの作り方とは全く違うものも入ってきて、戸惑っている人も多いです。榮倉さんも、新しい知識や技術について勉強されたのですか?

榮倉:ビジネスに関係していなくても、サステナブル自体が難しいと思います。奥が深く、また見る人の角度や立場によっても答えが変わってくる。個人的には自宅でコンポストをやっていて、本当にできることから少しずつ取り組んでいるのですが、それがあまりにもちっぽけ過ぎて、気が遠くなるときがあります。ただ、小さくてもとにかく続けることが大切だと信じ、自分を鼓舞しています。

「ニューナウ」でいうと、会社の規模や資金力、ステージによって、できることとできないことは変わってくると感じます。私の頭の中で描いていること全てを実現しようとすると、現在の「ニューナウ」の規模ではまだまだ足りない。でも、それでいいと思っています。できることからコツコツと取り組み、そこから継続してできる方法や仲間を探し、大きくなっていきたいです。

WWD:作り手として、1つの大きなステージが受注会だったと思います。

榮倉:5日間開催し、私も会場に立ちました。楽しかったです。「ニューナウ」の服がさまざまな体形や幅広い世代の方に似合うことをお客さまに改めて見せてもらい、次の受注会に生かすヒントにもなりました。生の声を聞けて幸せでした。

WWD:同じ“買い物”でも、従来の買い物と受注会のオーダーでは、購入側の姿勢や気持ちにも違いがあるのでしょうか?

榮倉:受注会を開催した理由は、受注生産にすることで過剰在庫を持たず、廃棄される服を減らしたかったから。「ニューナウ」を買ったら、そういう付加価値があると思ってくださったらうれしいです。でも、服を買うお客さまが、その付加価値に魅力を感じて買ってくださるのか、それとも服が美しいから買ってくださるのか、それは私たちが決めることではありません。どちらの思いで買ってくださった方にもスペシャルな服を届けたいと思っています。

WWD:CEOとしてここまでやってきて得た気付きや学びはありますか?

榮倉:コツコツやっていくことと、日々変わる目の前の課題に柔軟に対応する重要性です。

環境だけでなく
人の心や気持ちも大切にしたい

WWD:ファッションブランドに関わる多くの関係者が、環境への思いと、企業を成り立たせるために作り続けることへの葛藤を抱えています。「ニューナウ」としてはどう考えていますか?

榮倉:アパレルブランドを始めたり続けたりすることは、環境への思いと相反する部分もあります。でも、「ニューナウ」のように受注生産で在庫をコントロールして、さらに10年後も大切にきれいに着続けられる服を作るなら、けして無駄ではありません。そして、「ニューナウ」の成長と共にできることもきっと増えていく。忘れてはいけないのは、洋服ってすごく楽しいじゃないですか。

WWD:それを今言おうと思っていました!ファッションへの愛がとても伝わります。

榮倉:やはり、物理的にも精神的にもまずは楽しくないと。だからこそきれいな服を着ることは大事。私は、イタリアブランド「トッズ(TOD'S)」のアンバサダーとして公私ともに長くいい関係を築かせていただいていますが、それは「トッズ」がクラフツマンシップやアフターケアの重要性を考えていて、尊敬しているからこそ。環境だけでなく、人の心や気持ちを考えることも同じくらい大切。それら2つを両立させられることを、ブランドを通じて実現していきたいです。

WWD:ところで、私は先日合同展「エコプロ」に行ったのですが、そこには小学生や中学生もたくさん来ていたんです。中には盛り上がっているブースとそうでないブースがあり、盛り上がっているブースには、子どもの心をつかみやすいVRがあったり、キャッチーな遊びがあったり。もう1つ面白かったのが、大人が一生懸命説明しているブースは、子どもたちも真剣に話を聞いているんです。本気は子どもには伝わるんだと、熱量は大事なんだと感じました。冒頭でお子さんが1つのきっかけということでしたが、子どもの手本にならなければという気持ちはありますか?

榮倉:教育環境でも、サステナブルやSDGs、地球という言葉をよく聞くようになりましたよね。とてもいいことだと思います。私が子どもに見てもらいたいのは、自分事として捉えて、行動に移している姿。本を読んで教えることは誰にでもできますが、親として行動している姿を見て学んでほしい。それが、次世代の社会を担う子どもたちに対して見せるべき姿だと、大人として責任を感じています。

WWD:背中を見せましょう。最後に、今後「ニューナウ」として挑戦したいことは?

榮倉:「ニューナウ」として、榮倉奈々として、賀来奈々として私が目指している目標は、とても大きすぎて1人では成し遂げられません。クラフツマンシップやフェアトレード、環境問題についてもそうですが、まだ皆さんにお伝えできるほどまとまっていないので、これから一緒に頑張れる仲間や方法を見つけて、自分なりに前に進んでいきたいです。

会場の参加者とのQ&A

参加者:サステナブルが魅力あるファッションで楽しいという話に共感しました。起業して1つの目標を達成し、次に見えている課題を教えてください。

榮倉:洋服を楽しんでもらうことを継続するのがとても重要だと考えています。今後は、受注生産の過程で出た布で何か作れないかなど、アイデアはたくさんあります。そして、もう少し大きな渦を巻き起こしたい。今はまだそれぐらいしか言えないのですが、仲間と出会うべくして出会いながら、つながっていきたいです。

YouTube視聴はこちら

The post 榮倉奈々の決意 なぜアパレルCEOの道を選んだのか appeared first on WWDJAPAN.

榮倉奈々の決意 なぜアパレルCEOの道を選んだのか

PROFILE:榮倉奈々/LAND NK CEO

(えいくら・なな)2002年にファッションモデルとしてキャリアをスタートし、04年に俳優デビュー。その後、数々のドラマや映画の話題作に出演するとともに、「トッズ」のアンバサダーを務めるなど、ファッションアイコンとしても注目を集める。23年には、自身の経験やビジョンを活かしてLAND NK,Inc.を設立し、最高経営責任者(CEO)に就任。新しい価値観を表現するブランド「ニューナウ(NEWNOW)」をスタートした

2023年12月に開催したイベント「WWDJAPAN サステナビリティ・サミット 2023」では、ミューズとして榮倉奈々を迎えた。「WWDJAPAN」が思い描くミューズとは、日頃からサステナビリティについて考え、取り組み、一緒に世の中に発信していきたいと思うパートナーだ。

榮倉は、受注生産型ブランド「ニューナウ(NEWNOW)」を23年秋に立ち上げた。コンセプトは“変わり続ける今を生きる服”で、10年後に着ても新たな楽しみ方ができる服作りを目指す。榮倉はなぜ表現者として服をまとう側から作り手になり、アパレルメーカーを擁する会社のCEOになる決意をしたのか。ブランド立ち上げの経緯から服作りに込める思い、そして新しいものを生み出していくことへの葛藤や希望を聞いた。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

向千鶴「WWDJAPAN」編集統括兼サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):環境について意識し始めたきっかけは?

榮倉奈々=LAND NK CEO(以下、榮倉):きっかけは子どもを産んだことですね。育児をする中で、サステナブルや環境、地球について真剣に考えるようになりました。また、コスメブランド「ラ ブーシュ ルージュ(LA BOUCHE ROUGE)」とコラボレーションしたときに、創業者ニコラス・ジェルリエ(Nicolas Gerlier)さんと話をし、彼の情熱に感銘を受けたんです。その行動力を見て、私も立ち止まっている場合ではないなと。

WWD:誰かがきっかけになるのは、皆一緒ですね。中でも出産や子育てが大きな経緯になったのですね。

榮倉:私がサステナブルを考えるときのポイントは、やはり子どもです。子どもが大人になったときの世界や、自分がいなくなった後の世界。わが子が成長したときに、より良い世界であってほしいと願うと共に、子どもが仲間と助け合いながら、世界中の子どもたちが過ごす場所がより良い場所であってほしい——その願いがきっかけです。3年ほど前に、地域の子どもや保護者が気軽に立ち寄り、栄養バランスのとれた食事をしながら交流できる場所「子ども食堂」について調べていたことがあったんです。運営を自身で行うとなったときに大きな壁だと感じたのが、資金力と継続性でした。企業として、お金を循環させて継続していくシステムが必要だと学びました。そのようなことを考えながら、「ニューナウ」を経営しています。

芸能界で得た知名度を社会のために

WWD:改めて、「ニューナウ」を立ち上げた経緯を教えてください。

榮倉:「ニューナウ」は、スタイリストの上杉美雪さんをクリエイティブ・ヴィジョン・ディレクターとして、ブランド「コート(COATE)」の福屋千春さんをクチュール・デザイナーとして迎えて立ち上げたブランドです。お2人とはそれぞれ10年、5年とスタイリングや服を通して信頼関係を築いてきました。次第に「上杉さんのフィルターを通した服を着てみたい」と思うようになり、彼女の視点を通じたスタイリングと、福屋さんの確かなものづくりをたくさんの方に届けたくて起業しました。私は、お2人のクリエイティブを守る役割だと思っています。

また、環境への意識が高まっていくうちに、廃棄物を減らす大きなシステムを作りたいとも考えるようになりました。以前、建築家の武田清明さんを取材したときに、人工物がバイオマスを上回ったという話を聞いてショックを受けて。自分が地球に生きる人間としてのあり方を、今一度考えなければいけないと思いました。

さらに、子どもの未来や人生を考える中で、自らの人生を振り返る機会も自然と増え、芸能界で21年間活動してきた意味についても考えるようになりました。その答えがまだ完全に出たわけではありませんが、自分のためだけに発信するのではなく、何か社会の役に立てるようにしたいと思っています。

WWD:モデルや俳優として服をまとう側から、作り手にもなったことで気付いたことはありますか?

榮倉:企業理念やブランドコンセプトを考えれば考えるほど、美しさは内部に宿っていると強く実感します。

WWD:サステナビリティは誰にとっても新しい世界です。業界の皆さんが純粋に洋服作りやクリエイティブを発揮できる環境を今すぐ作らねばという思いで取り組んでいます。ただ、いざサステナビリティをビジネスにしようとすると知らない言葉ばかり。科学やデジタルの専門用語も多く、技術も今までの作り方とは全く違うものも入ってきて、戸惑っている人も多いです。榮倉さんも、新しい知識や技術について勉強されたのですか?

榮倉:ビジネスに関係していなくても、サステナブル自体が難しいと思います。奥が深く、また見る人の角度や立場によっても答えが変わってくる。個人的には自宅でコンポストをやっていて、本当にできることから少しずつ取り組んでいるのですが、それがあまりにもちっぽけ過ぎて、気が遠くなるときがあります。ただ、小さくてもとにかく続けることが大切だと信じ、自分を鼓舞しています。

「ニューナウ」でいうと、会社の規模や資金力、ステージによって、できることとできないことは変わってくると感じます。私の頭の中で描いていること全てを実現しようとすると、現在の「ニューナウ」の規模ではまだまだ足りない。でも、それでいいと思っています。できることからコツコツと取り組み、そこから継続してできる方法や仲間を探し、大きくなっていきたいです。

WWD:作り手として、1つの大きなステージが受注会だったと思います。

榮倉:5日間開催し、私も会場に立ちました。楽しかったです。「ニューナウ」の服がさまざまな体形や幅広い世代の方に似合うことをお客さまに改めて見せてもらい、次の受注会に生かすヒントにもなりました。生の声を聞けて幸せでした。

WWD:同じ“買い物”でも、従来の買い物と受注会のオーダーでは、購入側の姿勢や気持ちにも違いがあるのでしょうか?

榮倉:受注会を開催した理由は、受注生産にすることで過剰在庫を持たず、廃棄される服を減らしたかったから。「ニューナウ」を買ったら、そういう付加価値があると思ってくださったらうれしいです。でも、服を買うお客さまが、その付加価値に魅力を感じて買ってくださるのか、それとも服が美しいから買ってくださるのか、それは私たちが決めることではありません。どちらの思いで買ってくださった方にもスペシャルな服を届けたいと思っています。

WWD:CEOとしてここまでやってきて得た気付きや学びはありますか?

榮倉:コツコツやっていくことと、日々変わる目の前の課題に柔軟に対応する重要性です。

環境だけでなく
人の心や気持ちも大切にしたい

WWD:ファッションブランドに関わる多くの関係者が、環境への思いと、企業を成り立たせるために作り続けることへの葛藤を抱えています。「ニューナウ」としてはどう考えていますか?

榮倉:アパレルブランドを始めたり続けたりすることは、環境への思いと相反する部分もあります。でも、「ニューナウ」のように受注生産で在庫をコントロールして、さらに10年後も大切にきれいに着続けられる服を作るなら、けして無駄ではありません。そして、「ニューナウ」の成長と共にできることもきっと増えていく。忘れてはいけないのは、洋服ってすごく楽しいじゃないですか。

WWD:それを今言おうと思っていました!ファッションへの愛がとても伝わります。

榮倉:やはり、物理的にも精神的にもまずは楽しくないと。だからこそきれいな服を着ることは大事。私は、イタリアブランド「トッズ(TOD'S)」のアンバサダーとして公私ともに長くいい関係を築かせていただいていますが、それは「トッズ」がクラフツマンシップやアフターケアの重要性を考えていて、尊敬しているからこそ。環境だけでなく、人の心や気持ちを考えることも同じくらい大切。それら2つを両立させられることを、ブランドを通じて実現していきたいです。

WWD:ところで、私は先日合同展「エコプロ」に行ったのですが、そこには小学生や中学生もたくさん来ていたんです。中には盛り上がっているブースとそうでないブースがあり、盛り上がっているブースには、子どもの心をつかみやすいVRがあったり、キャッチーな遊びがあったり。もう1つ面白かったのが、大人が一生懸命説明しているブースは、子どもたちも真剣に話を聞いているんです。本気は子どもには伝わるんだと、熱量は大事なんだと感じました。冒頭でお子さんが1つのきっかけということでしたが、子どもの手本にならなければという気持ちはありますか?

榮倉:教育環境でも、サステナブルやSDGs、地球という言葉をよく聞くようになりましたよね。とてもいいことだと思います。私が子どもに見てもらいたいのは、自分事として捉えて、行動に移している姿。本を読んで教えることは誰にでもできますが、親として行動している姿を見て学んでほしい。それが、次世代の社会を担う子どもたちに対して見せるべき姿だと、大人として責任を感じています。

WWD:背中を見せましょう。最後に、今後「ニューナウ」として挑戦したいことは?

榮倉:「ニューナウ」として、榮倉奈々として、賀来奈々として私が目指している目標は、とても大きすぎて1人では成し遂げられません。クラフツマンシップやフェアトレード、環境問題についてもそうですが、まだ皆さんにお伝えできるほどまとまっていないので、これから一緒に頑張れる仲間や方法を見つけて、自分なりに前に進んでいきたいです。

会場の参加者とのQ&A

参加者:サステナブルが魅力あるファッションで楽しいという話に共感しました。起業して1つの目標を達成し、次に見えている課題を教えてください。

榮倉:洋服を楽しんでもらうことを継続するのがとても重要だと考えています。今後は、受注生産の過程で出た布で何か作れないかなど、アイデアはたくさんあります。そして、もう少し大きな渦を巻き起こしたい。今はまだそれぐらいしか言えないのですが、仲間と出会うべくして出会いながら、つながっていきたいです。

YouTube視聴はこちら

The post 榮倉奈々の決意 なぜアパレルCEOの道を選んだのか appeared first on WWDJAPAN.

「グローバルノースの大量消費を解決するためにいるのではない」 古着の最終地点ケニアのデザイナーと現状を議論

ケニア出身のデザイナー、イオナ・マクレス(Iona Mccreath)は自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるファッションブランド「キコ ロメオ(KIKOROMEO)」を通して、現地の伝統技法を現代的に昇華したモノ作りを続ける。彼女が拠点とするケニアは美しいクリエイティビティーに溢れる土地でありながら、世界の大量生産・大量消費が生み出す古着の最終地点にもなっている。昨年現地を訪れたサステナブルファッションの啓発活動を続ける一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗を交えて、ケニアの現状とファッション産業のあるべき未来を議論する。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


木村和花WWDJAPAN編集部記者(以下、WWD):1人目のゲストは、一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗さんです。そもそもこのテーマをサミットで取り上げたいと思ったのは、鎌田さんが2023年8月に古着の行き着く先を見るためにケニアに行ったというお話を聞いたのがきっかけでした。この後、現地の様子を詳しくお話しいただきます。2人目は、アフリカ・ケニアからご参加いただきましたファッションデザイナーのイオナ・マクレスさんです。イオナさんは「キコロメオ(KIKOROMEO)」というファッションブランドのクリエイティブ・ディレクターで、ケニアのファッションシーンを担うデザイナーの1人です。自己紹介とブランドの紹介をお願いします。

イオナ・マクレス=「キコロメオ」クリエイティブ・ディレクター(以下、マクレス):皆さんこんばんは。今日この場に参加できてとてもうれしいです。「キコ ロメオ」は私の母が1996年に始めたブランドで、2020年に私が引き継ぎました。サステナビリティに関してはさまざまなことに取り組んでいます。まず大事にしていることは、人々がずっと持ち続けたくなるような素晴らしい伝統を持つ服を作ること。衣服は投資であり、生涯ずっと持ち続けてもらうものであるべきだと思います。私たちの服には、アートが欠かせません。例えば今スクリーンに映っているのは、スーダンのアーティストがハンドペイントで描いた絵で、私の後ろにある絵も彼の作品です。バティックやそのほかの伝統的な染め技法も多く使っています。今私が着ているもののように、伝統や芸術性を生かしながらケニアのストーリーを、服を通じて伝えることに挑戦しています。ほかにもケニア北部のビーズ細工のパターンを取り入れるといった、伝統的なものをインスピレーション源としています。生地は、リネンやケニアで紡がれたコットンなど天然繊維のみを使用しています。日本とは、生地の使い方や作り方、染め方などの歴史や知恵を共有していると思います。以上が私のブランドについてです。

WWD:色が印象的ですが、染色は植物染めですか?

マクレス:いいえ、現在は認証済みの染料を使っていますが植物由来というわけではありません。でも今植物由来の染料で鮮やかな色を出す方法を探しているところです。木の皮や植物を使ってできないかなどいろいろ試しているところで、近々お披露目できたらと思います。

WWD:ありがとうございます。もう一つ、「キコ ロメオ」の顧客層や販路についても教えてください。

マクレス:顧客基盤はとても広く、世界中に顧客がいます。共通点を挙げるとしたら、芸術性を大事にしている点。それから、自分の人生や未来を豊かにするような、投資対象として服を購入しようという価値観を持っている点。世界を旅して、地球環境やサステナビリティ、周りの人々に配慮した選択をしようとしている人たちですね。商品は公式ウェブサイトで販売しています。今まさに世界に販路を広げようと思っているところで、いつか日本でも実現したいです。

輸入される古着の質が低下 そのまま売れるものは2、3割に

WWD:彼女が生まれ育ったケニアは素晴らしい伝統工芸やクリエイティビティーに溢れる土地ですが、もう一つの側面としてファッション産業が生み出す廃棄された服の最終到着地点の一つにもなっています。鎌田さんのケニア滞在の様子をお話しいただけますか?

鎌田:ありがとうございます。私はファッション産業の透明性を高めるグローバルキャンペーン、ファッションレボリューションの日本の事務局をしています。イオナのお母さんが同団体のケニアの代表だったことから、彼女と出会うことができました。8月にはナイロビを中心にケニアのさまざまな場所を訪ねました。最初の写真は、ナイロビ市内の古着マーケットです。数字は50シリング、30シリングという値段です。1シリング大体1円くらいなので、50円、30円ですね。ケニアは物価も上がっていて、貧富の差は激しいんですが、われわれのような海外から行った人が訪ねるようなレストランやカフェでランチを食べると1500円くらい。東京とあまり変わらないですよね。一方で服がとても安い。その理由の1つが、欧米諸国から大量に輸入される古着です。これがモンバサというナイロビの近くの港に届いた古着のかたまりです。現地ではミツンバと呼ばれています。日本だとベールと呼ぶと思います。50kgぐらいのかたまりを2万、3万円程度で古着の業者が購入します。10年前は大体5、6割がそのままマーケットで売れたそうですが、現在そのまま売れるものは2、3割だそうです。それ以外のものは質が悪かったり、傷んでいたりする。街中にはミシンが並んでいるエリアがあり、そこではお直しが行われます。子供服の方が消費のスピードが早いので、大人の服をザクザク切って縫って子供服のサイズにしたりといったことも行われています。お直しをしているとはいえ、寿命が延びるのはすごく短い期間なのかなと思います。

WWD:先ほどの市場の写真では50円30円の服が並んでいましたが、以前はもっと1500円くらいが普通だったんですね。

鎌田:エリアによっては現在もいいものを売っている場所はあるようですが、全体としてその割合が変わってきている。ちなみに先ほどのミツンバはどこから入ってくるかというとイギリス、中国、アメリカ、それからパキスタン、トルコが多いそうです。日本の服は見かけなかったですが現地の方に聞くと「日本の服はパキスタンからたくさん入ってきます」とおっしゃっていて、そういう形で回っているんだなと思いました。

服の形をしたプラスチックが現地の環境を汚染

WWD:ちなみにイオナは先ほどのマーケットには行くんですか?

イオナ:はい、行ったことがあります。今話に上がっていたようにここ数年で、間違いなく古着の質は落ちています。私たちは最近、埋立地の衣類を再利用するプロジェクトを始めました。Tシャツはちょっとしたダメージやシミで売れずに膨大な量が埋め立てられています。これは私たちが作ったバッグで、埋立地から拾ったTシャツ7枚で製作したものです。

鎌田:埋立地に行く前にいろんな形でレスキューされていく服を目撃して、そのクリエイティビティーは本当にワクワクするものがありました。お直しをしていた現場の足元では、端切れをそのまま床に落とすのでマーケットの中が常時10cmから1mぐらい端切れが積み重なって、歩くとふかふかするんです。それが水分も含んで非常に強いにおいがする。その上マーケットの真ん中を流れている川にも端切れや売れない服がそのまま流れ込んでいくような状況です。ケニアに輸入されている服の3枚に1枚はポリエステル混であるといわれています。ケニアはゴミ回収と焼却、再生の仕組みが整っていないため、環境汚染や自公衆衛生上の観点から厳しくプラスチックを取り締まっているんですが、衣類は取り締まられていないので衣類の形をしたプラスチックが河川を汚染してしまう、あるいは土壌汚染してしまうということが一つの大きな問題です。

WWD:端切れ以外の服も混ざっていますね。すごい量だということが分かります。

鎌田:端切れはトラクターが定期的に回収し、ナイロビ市内の埋立地ダンドラという場所に運んでいきます。服だけでなく医療ゴミなど特殊なもの以外はほぼここに集まるため、すでにこれ以上ゴミを埋め立てられなくなっている現状もあります。ここでは見慣れたブランドの服もそのまま落ちていました。非常に真新しい服も落ちています。洗濯表示を見ると、ポリエステル由来のものが多い。日本では洗濯するときのマイクロファイバーが課題として指摘されますが、こういった形でそのまま服が河川や埋立地に入ってしまう可能性もあるんだと思いました。それからもう一つの問題が、国内産業への影響です。これはアフリカのいろんな国々が対策を考えていて、古着の輸入を禁止するところが出ていてきます。ナイロビから2、3時間離れたところの大きな工場に話を聞くと、以前はファッションアパレルがメインだったそうですが、それでは経営できないので今は軍隊の制服やガソリンスタンドなどのグローバルブランドの制服などをメインの事業として行っているそうです。もう一つ忘れてはいけないのが、非常にクリエイティブで面白いクリエイションをしている若いデザイナーが現地にはたくさんいるということ。彼らは古着を素材として扱う感覚が非常に強い。新しい生地を買って服を作るよりも、マーケットに行ってマテリアルとして古着を調達して服を作っています。また現地の適正価格で新品の服を作ると到底売れないとも話していました。適正価格であっても古着に比べると高いのでなかなかビジネスをするのが難しいそうです。こうしたクリエイティビティーの芽をつんでしまうようなことがあるのはもったいないことだなと思いました。

「他人の問題を解決するためにでは疲弊してしまう」

WWD:滞在後、率直にどんな感想をお持ちになりましたか?

鎌田:服のエンドオブライフを考える、循環の仕組みを作るという言葉を耳にすることは増えていますが、本当に服を循環させるのは非常に難しい。全然できていないと強く感じましね。アフリカにある種押し付けてしまっている部分もあると思います。衣類は混紡が多く分離して再生する技術がまだ確立されていなかったり、国内で回収して再利用する際のコストの部分だったりといった課題はありますが、そこを改善していくためには具体的な仕組みや制度を考えていく必要性を感じました。

WWD:イオナはこの現状をどう思っていますか?

マクレス:今鎌田さんが話してくれた内容はまさに現場で起こっていることです。写真を見たことはあっても、実際に何が起こっているかをそこから図ることは難しいでしょうし、現実を外に伝えていくことも簡単ではありません。だからこそ、このような会話の場をもっと生み出していくべきだと思いました。古着の廃棄に加えて、ケニアには「H&M」のようなインターナショナルブランドの巨大な製造拠点もあり、そこで使われなかった新しい生地も同じマーケットに捨てられています。私たちはブランドとしてそうした生地にバティックを施して美しい服を新たに生み出したりしてサステナビリティに取り組むことができますが、問題なのは主にグローバルノースに生きる人々の大量消費を解決するために、私たちがイノベーションを起こさなければいけないことです。アップサイクルしますが、それはしなければいけないからなのです。もちろんここでイノベーションを起こせることは素晴らしいですが、他人の問題を解決するためにという目的のためでは疲弊してしまいます。もう一つの問題は、安い古着が輸入され、さらに再販を繰り返すことで、価格のシステムが完全にゆがんでしまうことです。若手を含めた多くのデザイナーが、ビジネスを続けるために適切な価格をつけようと試みています。しかし、人々は安い価格に慣れているせいでそれらがとても高いと認識されてしまう。つまり、大量の古着が流れ着いている現状はさまざまな問題を起こしています。そしてこのような会話をすること、現実を直視することがとても重要だと思います。私たちは、デザインの仕方を考え直すこと、そして服の最後を考えてデザインする必要があります。世界ではエンドオブライフを考慮せずに作り続けてきたために、廃棄物をどう処理していくべきかという問題を抱えています。だからこそ、ものの最後を念頭に置いてデザインするようになるだけでも問題解決に向けた大きな一歩になるはずです。最後に、私たちの消費主義的価値観の見直しです。人々はもはやそれが美意識とも言えるくらいに、消費に取り憑かれています。この価値観が変化していくには長い時間がかかると思います。消費に対する価値観を徐々に変えると同時に、消費主義の中でもできるだけ害の少ないモノ作りとは何かを考えていくことが重要だと思います。

鎌田:価格の話は、日本でも全く同じ状況だと思います。価格勝負の中ではインディペンデントなクリエイターがビジネスを続けていくことが非常に難しい。日本においてもこの30年で衣服の平均価格は約半分になりました。価格が下がると同時に、衣服の所有期間が短くなっているというデータもあります。自分自身を振り返っても学生時代に服がどんどん安くなってかわいい服が買えるのがうれしかったですが、ある日家に帰ると全然愛着がない服がたくさんある。飽きてしまった服は一応どこかに寄付しますけど回収した企業がどういうふうに服を回していけるかというと、繊維to繊維のリサイクル率は1%未満ですよね。リユースされるとはいえ、最終地点の一つの形としてケニアみたいな状況がある。適正価格と適正な生産量をどう考えていけば良いのかは非常に悩ましいですよね。

「美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがい」

WWD:イオナの周りの若いファッションデザイナーは、こうした現状を見ながらも新しいものを作り続けたいというパッションを持つ人は多いのでしょうか?

マクレス:もちろんです。アートにしろ、ファッションにしろ、何か美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがいだと思いますし、このような廃棄やそのほかさまざまな問題のソリューションにもなりえます。ケニアには多くの才能あふれるデザイナーがいます。彼らが置かれた環境に限定されずに、どのようにグローバル市場にアクセスできるかということも考えていきたいです。

WWD:イオナは次世代のサステナブル素材の研究開発にも携わっています。

マクレス:素材開発は、私が一番情熱をささげていることです。テキスタイルとそのイノベーションの世界が大好きなんです。最近取り組んでいるプロジェクトは、地元で入手できる原材料のバリエーションを増やし、エンドオブライフの観点からも実用的な代替素材の開発です。生分解性かつ、肌にも優しい生地は作れないかなどですね。たとえば、サイザルです。まずサイザルを使ってバスケットを作っている地元の女性グループに話を聞きました。これはサイザルを土を使って染色しているところですね。ここの土はとても強力で、茶色の顔料を含んでいるので、とてもいい色を出すんです。そのほかにも煙や木の皮などさまざまなものを使って染めています。これは、彼女たちがサイザルから繊維を抽出し、糸にするところです。従来はこれでバスケットを作っていましたが、私たちはこの糸をもっと細くすることで衣料品を作れないか研究しています。今は研究開発の道なかばで、糸を使って織ることはできましたが、今後もっと柔らかな糸にしたいと思っています。昔からある技術やリソースといった過去を振り返りながらも、新しい未来を作っていく作業はとても楽しいプロセスです。

WWD:彼女のように地元の特徴に焦点を当てて、そこからしか生まれないクリエイションを生み出すというのはすごく良いアイデアだと思います。

鎌田:そうですね。現地でデザイナーと話すと、エンドオブライフの現場にいるので生み出すことへの恐れも当然感じると。ではもう、古着だけ着てれば良いのかというと、それはあまりにも喜びがない。作るという喜びは人間にとって根源的なものだからそれを奪われたくないと強く主張していました。日本でもほとんど海外に生産が移っています。もちろん国外生産が悪いわけではないですし、大量生産がすぐに悪とはいえないかもしれないですが、それぞれの土地で育まれてきた技術が全く使われなくなってしまうのは明らかにもったいないこと。作る喜びを感じながら、それぞれの土地のユニークネスがもっと生き残っていけるような形にできないんだろうかと考えました。

WWD:そこも私たちが考えていかないといけない持続可能性の大事なポイントの一つですね。先ほどの動画にもあったエプソンも古着を使った素材を開発している。

鎌田:エプソンは紙の再生技術ドライファイバーテクノロジーを繊維製品に活用するための技術開発を行っています。今衣類のリサイクルの一つの大きな課題は、複数の繊維を分離してそれぞれ生かすことだと思いますが、混ざった状態でも再生できる選択肢を模索しているようです。

「個人が感じている違和感を業務に反映できるような制度を」

WWD:最後に鎌田さんから、日本のファッション産業に関わる人たちに伝えたいことは?

鎌田:皆さんここにいらっしゃるということは、どうにか産業を変えなくてはいけないと思われているかもしれません。ファッション産業で働く1人1人の方と話すと、繊維やファッションへの強い愛着を感じます。日々仕事をする中で企業人として売り上げを伸ばし続けなければいけないということと、明らかに環境的に無理が来ているという、どちらもが一人の人の中に共存しています。今の経済システムでは売り上げを上げながら、一気に環境負荷を低くすることが難しい。環境負荷が低い方が、価格が高いですし、生み出したものに対して責任を持たなくていい仕組みになっています。産業によっては生産量に合わせて回収して再生する責任を負う業界もありますが、そういった制度がない中で1人の努力、個社の努力で変えられることには限界があると思います。ですので、個人が感じている違和感や変えた方がいいと思っていることを業務に反映できるような制度、政策について、どこかに過度に負担がかからない形できちんと議論されていく必要が早急にあると思います。

WWD:イオナからも最後に来場者へのメッセージをいただけますでしょうか。

イオナ:ありがとうございます。生産者であれ、消費者であれ、この産業に関わる全ての人たちが過去を振り返り、そしてこれからどこに向かおうとしているのかを立ち止まって考えること、そして衣服のエンドオブライフを設計段階から考え、消費主義の価値観を見直すこと、産業と国とがつながり方法を見つけていくことが大事です。エプソンのチームがケニアにきて進めていることを見ただけでもとても驚きました。そうした垣根を越えたコラボレーションによって今私たちが直面している問題を解決できると思います。

WWD:ありがとうございました。

YouTube視聴はこちら

The post 「グローバルノースの大量消費を解決するためにいるのではない」 古着の最終地点ケニアのデザイナーと現状を議論 appeared first on WWDJAPAN.

「グローバルノースの大量消費を解決するためにいるのではない」 古着の最終地点ケニアのデザイナーと現状を議論

ケニア出身のデザイナー、イオナ・マクレス(Iona Mccreath)は自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるファッションブランド「キコ ロメオ(KIKOROMEO)」を通して、現地の伝統技法を現代的に昇華したモノ作りを続ける。彼女が拠点とするケニアは美しいクリエイティビティーに溢れる土地でありながら、世界の大量生産・大量消費が生み出す古着の最終地点にもなっている。昨年現地を訪れたサステナブルファッションの啓発活動を続ける一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗を交えて、ケニアの現状とファッション産業のあるべき未来を議論する。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


木村和花WWDJAPAN編集部記者(以下、WWD):1人目のゲストは、一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗さんです。そもそもこのテーマをサミットで取り上げたいと思ったのは、鎌田さんが2023年8月に古着の行き着く先を見るためにケニアに行ったというお話を聞いたのがきっかけでした。この後、現地の様子を詳しくお話しいただきます。2人目は、アフリカ・ケニアからご参加いただきましたファッションデザイナーのイオナ・マクレスさんです。イオナさんは「キコロメオ(KIKOROMEO)」というファッションブランドのクリエイティブ・ディレクターで、ケニアのファッションシーンを担うデザイナーの1人です。自己紹介とブランドの紹介をお願いします。

イオナ・マクレス=「キコロメオ」クリエイティブ・ディレクター(以下、マクレス):皆さんこんばんは。今日この場に参加できてとてもうれしいです。「キコ ロメオ」は私の母が1996年に始めたブランドで、2020年に私が引き継ぎました。サステナビリティに関してはさまざまなことに取り組んでいます。まず大事にしていることは、人々がずっと持ち続けたくなるような素晴らしい伝統を持つ服を作ること。衣服は投資であり、生涯ずっと持ち続けてもらうものであるべきだと思います。私たちの服には、アートが欠かせません。例えば今スクリーンに映っているのは、スーダンのアーティストがハンドペイントで描いた絵で、私の後ろにある絵も彼の作品です。バティックやそのほかの伝統的な染め技法も多く使っています。今私が着ているもののように、伝統や芸術性を生かしながらケニアのストーリーを、服を通じて伝えることに挑戦しています。ほかにもケニア北部のビーズ細工のパターンを取り入れるといった、伝統的なものをインスピレーション源としています。生地は、リネンやケニアで紡がれたコットンなど天然繊維のみを使用しています。日本とは、生地の使い方や作り方、染め方などの歴史や知恵を共有していると思います。以上が私のブランドについてです。

WWD:色が印象的ですが、染色は植物染めですか?

マクレス:いいえ、現在は認証済みの染料を使っていますが植物由来というわけではありません。でも今植物由来の染料で鮮やかな色を出す方法を探しているところです。木の皮や植物を使ってできないかなどいろいろ試しているところで、近々お披露目できたらと思います。

WWD:ありがとうございます。もう一つ、「キコ ロメオ」の顧客層や販路についても教えてください。

マクレス:顧客基盤はとても広く、世界中に顧客がいます。共通点を挙げるとしたら、芸術性を大事にしている点。それから、自分の人生や未来を豊かにするような、投資対象として服を購入しようという価値観を持っている点。世界を旅して、地球環境やサステナビリティ、周りの人々に配慮した選択をしようとしている人たちですね。商品は公式ウェブサイトで販売しています。今まさに世界に販路を広げようと思っているところで、いつか日本でも実現したいです。

輸入される古着の質が低下 そのまま売れるものは2、3割に

WWD:彼女が生まれ育ったケニアは素晴らしい伝統工芸やクリエイティビティーに溢れる土地ですが、もう一つの側面としてファッション産業が生み出す廃棄された服の最終到着地点の一つにもなっています。鎌田さんのケニア滞在の様子をお話しいただけますか?

鎌田:ありがとうございます。私はファッション産業の透明性を高めるグローバルキャンペーン、ファッションレボリューションの日本の事務局をしています。イオナのお母さんが同団体のケニアの代表だったことから、彼女と出会うことができました。8月にはナイロビを中心にケニアのさまざまな場所を訪ねました。最初の写真は、ナイロビ市内の古着マーケットです。数字は50シリング、30シリングという値段です。1シリング大体1円くらいなので、50円、30円ですね。ケニアは物価も上がっていて、貧富の差は激しいんですが、われわれのような海外から行った人が訪ねるようなレストランやカフェでランチを食べると1500円くらい。東京とあまり変わらないですよね。一方で服がとても安い。その理由の1つが、欧米諸国から大量に輸入される古着です。これがモンバサというナイロビの近くの港に届いた古着のかたまりです。現地ではミツンバと呼ばれています。日本だとベールと呼ぶと思います。50kgぐらいのかたまりを2万、3万円程度で古着の業者が購入します。10年前は大体5、6割がそのままマーケットで売れたそうですが、現在そのまま売れるものは2、3割だそうです。それ以外のものは質が悪かったり、傷んでいたりする。街中にはミシンが並んでいるエリアがあり、そこではお直しが行われます。子供服の方が消費のスピードが早いので、大人の服をザクザク切って縫って子供服のサイズにしたりといったことも行われています。お直しをしているとはいえ、寿命が延びるのはすごく短い期間なのかなと思います。

WWD:先ほどの市場の写真では50円30円の服が並んでいましたが、以前はもっと1500円くらいが普通だったんですね。

鎌田:エリアによっては現在もいいものを売っている場所はあるようですが、全体としてその割合が変わってきている。ちなみに先ほどのミツンバはどこから入ってくるかというとイギリス、中国、アメリカ、それからパキスタン、トルコが多いそうです。日本の服は見かけなかったですが現地の方に聞くと「日本の服はパキスタンからたくさん入ってきます」とおっしゃっていて、そういう形で回っているんだなと思いました。

服の形をしたプラスチックが現地の環境を汚染

WWD:ちなみにイオナは先ほどのマーケットには行くんですか?

イオナ:はい、行ったことがあります。今話に上がっていたようにここ数年で、間違いなく古着の質は落ちています。私たちは最近、埋立地の衣類を再利用するプロジェクトを始めました。Tシャツはちょっとしたダメージやシミで売れずに膨大な量が埋め立てられています。これは私たちが作ったバッグで、埋立地から拾ったTシャツ7枚で製作したものです。

鎌田:埋立地に行く前にいろんな形でレスキューされていく服を目撃して、そのクリエイティビティーは本当にワクワクするものがありました。お直しをしていた現場の足元では、端切れをそのまま床に落とすのでマーケットの中が常時10cmから1mぐらい端切れが積み重なって、歩くとふかふかするんです。それが水分も含んで非常に強いにおいがする。その上マーケットの真ん中を流れている川にも端切れや売れない服がそのまま流れ込んでいくような状況です。ケニアに輸入されている服の3枚に1枚はポリエステル混であるといわれています。ケニアはゴミ回収と焼却、再生の仕組みが整っていないため、環境汚染や自公衆衛生上の観点から厳しくプラスチックを取り締まっているんですが、衣類は取り締まられていないので衣類の形をしたプラスチックが河川を汚染してしまう、あるいは土壌汚染してしまうということが一つの大きな問題です。

WWD:端切れ以外の服も混ざっていますね。すごい量だということが分かります。

鎌田:端切れはトラクターが定期的に回収し、ナイロビ市内の埋立地ダンドラという場所に運んでいきます。服だけでなく医療ゴミなど特殊なもの以外はほぼここに集まるため、すでにこれ以上ゴミを埋め立てられなくなっている現状もあります。ここでは見慣れたブランドの服もそのまま落ちていました。非常に真新しい服も落ちています。洗濯表示を見ると、ポリエステル由来のものが多い。日本では洗濯するときのマイクロファイバーが課題として指摘されますが、こういった形でそのまま服が河川や埋立地に入ってしまう可能性もあるんだと思いました。それからもう一つの問題が、国内産業への影響です。これはアフリカのいろんな国々が対策を考えていて、古着の輸入を禁止するところが出ていてきます。ナイロビから2、3時間離れたところの大きな工場に話を聞くと、以前はファッションアパレルがメインだったそうですが、それでは経営できないので今は軍隊の制服やガソリンスタンドなどのグローバルブランドの制服などをメインの事業として行っているそうです。もう一つ忘れてはいけないのが、非常にクリエイティブで面白いクリエイションをしている若いデザイナーが現地にはたくさんいるということ。彼らは古着を素材として扱う感覚が非常に強い。新しい生地を買って服を作るよりも、マーケットに行ってマテリアルとして古着を調達して服を作っています。また現地の適正価格で新品の服を作ると到底売れないとも話していました。適正価格であっても古着に比べると高いのでなかなかビジネスをするのが難しいそうです。こうしたクリエイティビティーの芽をつんでしまうようなことがあるのはもったいないことだなと思いました。

「他人の問題を解決するためにでは疲弊してしまう」

WWD:滞在後、率直にどんな感想をお持ちになりましたか?

鎌田:服のエンドオブライフを考える、循環の仕組みを作るという言葉を耳にすることは増えていますが、本当に服を循環させるのは非常に難しい。全然できていないと強く感じましね。アフリカにある種押し付けてしまっている部分もあると思います。衣類は混紡が多く分離して再生する技術がまだ確立されていなかったり、国内で回収して再利用する際のコストの部分だったりといった課題はありますが、そこを改善していくためには具体的な仕組みや制度を考えていく必要性を感じました。

WWD:イオナはこの現状をどう思っていますか?

マクレス:今鎌田さんが話してくれた内容はまさに現場で起こっていることです。写真を見たことはあっても、実際に何が起こっているかをそこから図ることは難しいでしょうし、現実を外に伝えていくことも簡単ではありません。だからこそ、このような会話の場をもっと生み出していくべきだと思いました。古着の廃棄に加えて、ケニアには「H&M」のようなインターナショナルブランドの巨大な製造拠点もあり、そこで使われなかった新しい生地も同じマーケットに捨てられています。私たちはブランドとしてそうした生地にバティックを施して美しい服を新たに生み出したりしてサステナビリティに取り組むことができますが、問題なのは主にグローバルノースに生きる人々の大量消費を解決するために、私たちがイノベーションを起こさなければいけないことです。アップサイクルしますが、それはしなければいけないからなのです。もちろんここでイノベーションを起こせることは素晴らしいですが、他人の問題を解決するためにという目的のためでは疲弊してしまいます。もう一つの問題は、安い古着が輸入され、さらに再販を繰り返すことで、価格のシステムが完全にゆがんでしまうことです。若手を含めた多くのデザイナーが、ビジネスを続けるために適切な価格をつけようと試みています。しかし、人々は安い価格に慣れているせいでそれらがとても高いと認識されてしまう。つまり、大量の古着が流れ着いている現状はさまざまな問題を起こしています。そしてこのような会話をすること、現実を直視することがとても重要だと思います。私たちは、デザインの仕方を考え直すこと、そして服の最後を考えてデザインする必要があります。世界ではエンドオブライフを考慮せずに作り続けてきたために、廃棄物をどう処理していくべきかという問題を抱えています。だからこそ、ものの最後を念頭に置いてデザインするようになるだけでも問題解決に向けた大きな一歩になるはずです。最後に、私たちの消費主義的価値観の見直しです。人々はもはやそれが美意識とも言えるくらいに、消費に取り憑かれています。この価値観が変化していくには長い時間がかかると思います。消費に対する価値観を徐々に変えると同時に、消費主義の中でもできるだけ害の少ないモノ作りとは何かを考えていくことが重要だと思います。

鎌田:価格の話は、日本でも全く同じ状況だと思います。価格勝負の中ではインディペンデントなクリエイターがビジネスを続けていくことが非常に難しい。日本においてもこの30年で衣服の平均価格は約半分になりました。価格が下がると同時に、衣服の所有期間が短くなっているというデータもあります。自分自身を振り返っても学生時代に服がどんどん安くなってかわいい服が買えるのがうれしかったですが、ある日家に帰ると全然愛着がない服がたくさんある。飽きてしまった服は一応どこかに寄付しますけど回収した企業がどういうふうに服を回していけるかというと、繊維to繊維のリサイクル率は1%未満ですよね。リユースされるとはいえ、最終地点の一つの形としてケニアみたいな状況がある。適正価格と適正な生産量をどう考えていけば良いのかは非常に悩ましいですよね。

「美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがい」

WWD:イオナの周りの若いファッションデザイナーは、こうした現状を見ながらも新しいものを作り続けたいというパッションを持つ人は多いのでしょうか?

マクレス:もちろんです。アートにしろ、ファッションにしろ、何か美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがいだと思いますし、このような廃棄やそのほかさまざまな問題のソリューションにもなりえます。ケニアには多くの才能あふれるデザイナーがいます。彼らが置かれた環境に限定されずに、どのようにグローバル市場にアクセスできるかということも考えていきたいです。

WWD:イオナは次世代のサステナブル素材の研究開発にも携わっています。

マクレス:素材開発は、私が一番情熱をささげていることです。テキスタイルとそのイノベーションの世界が大好きなんです。最近取り組んでいるプロジェクトは、地元で入手できる原材料のバリエーションを増やし、エンドオブライフの観点からも実用的な代替素材の開発です。生分解性かつ、肌にも優しい生地は作れないかなどですね。たとえば、サイザルです。まずサイザルを使ってバスケットを作っている地元の女性グループに話を聞きました。これはサイザルを土を使って染色しているところですね。ここの土はとても強力で、茶色の顔料を含んでいるので、とてもいい色を出すんです。そのほかにも煙や木の皮などさまざまなものを使って染めています。これは、彼女たちがサイザルから繊維を抽出し、糸にするところです。従来はこれでバスケットを作っていましたが、私たちはこの糸をもっと細くすることで衣料品を作れないか研究しています。今は研究開発の道なかばで、糸を使って織ることはできましたが、今後もっと柔らかな糸にしたいと思っています。昔からある技術やリソースといった過去を振り返りながらも、新しい未来を作っていく作業はとても楽しいプロセスです。

WWD:彼女のように地元の特徴に焦点を当てて、そこからしか生まれないクリエイションを生み出すというのはすごく良いアイデアだと思います。

鎌田:そうですね。現地でデザイナーと話すと、エンドオブライフの現場にいるので生み出すことへの恐れも当然感じると。ではもう、古着だけ着てれば良いのかというと、それはあまりにも喜びがない。作るという喜びは人間にとって根源的なものだからそれを奪われたくないと強く主張していました。日本でもほとんど海外に生産が移っています。もちろん国外生産が悪いわけではないですし、大量生産がすぐに悪とはいえないかもしれないですが、それぞれの土地で育まれてきた技術が全く使われなくなってしまうのは明らかにもったいないこと。作る喜びを感じながら、それぞれの土地のユニークネスがもっと生き残っていけるような形にできないんだろうかと考えました。

WWD:そこも私たちが考えていかないといけない持続可能性の大事なポイントの一つですね。先ほどの動画にもあったエプソンも古着を使った素材を開発している。

鎌田:エプソンは紙の再生技術ドライファイバーテクノロジーを繊維製品に活用するための技術開発を行っています。今衣類のリサイクルの一つの大きな課題は、複数の繊維を分離してそれぞれ生かすことだと思いますが、混ざった状態でも再生できる選択肢を模索しているようです。

「個人が感じている違和感を業務に反映できるような制度を」

WWD:最後に鎌田さんから、日本のファッション産業に関わる人たちに伝えたいことは?

鎌田:皆さんここにいらっしゃるということは、どうにか産業を変えなくてはいけないと思われているかもしれません。ファッション産業で働く1人1人の方と話すと、繊維やファッションへの強い愛着を感じます。日々仕事をする中で企業人として売り上げを伸ばし続けなければいけないということと、明らかに環境的に無理が来ているという、どちらもが一人の人の中に共存しています。今の経済システムでは売り上げを上げながら、一気に環境負荷を低くすることが難しい。環境負荷が低い方が、価格が高いですし、生み出したものに対して責任を持たなくていい仕組みになっています。産業によっては生産量に合わせて回収して再生する責任を負う業界もありますが、そういった制度がない中で1人の努力、個社の努力で変えられることには限界があると思います。ですので、個人が感じている違和感や変えた方がいいと思っていることを業務に反映できるような制度、政策について、どこかに過度に負担がかからない形できちんと議論されていく必要が早急にあると思います。

WWD:イオナからも最後に来場者へのメッセージをいただけますでしょうか。

イオナ:ありがとうございます。生産者であれ、消費者であれ、この産業に関わる全ての人たちが過去を振り返り、そしてこれからどこに向かおうとしているのかを立ち止まって考えること、そして衣服のエンドオブライフを設計段階から考え、消費主義の価値観を見直すこと、産業と国とがつながり方法を見つけていくことが大事です。エプソンのチームがケニアにきて進めていることを見ただけでもとても驚きました。そうした垣根を越えたコラボレーションによって今私たちが直面している問題を解決できると思います。

WWD:ありがとうございました。

YouTube視聴はこちら

The post 「グローバルノースの大量消費を解決するためにいるのではない」 古着の最終地点ケニアのデザイナーと現状を議論 appeared first on WWDJAPAN.

ケリング×CI 生物多様性とファッションの関係をわかりやすく解説

地球上には知られていない種も含めて3000万以上の生き物が存在すると考えられており、それらは直接・間接的に支え合って存在している。その生物多様性の損失が今、大きな問題となっている。ファッションは生物多様性とどう関わりがあり、そして、損失を止め自然を回復するために何ができるのか?専門家である、ケリング(KERING)のサブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ=ソーシングおよび生物多様性スペシャリストと、ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクターを迎えて、実は深いその関係性について理解を深める。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):自己紹介をアメリアさんからお願いします。

ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクター(以下、アメリア):私は日本人の母親と、アメリカ人の父親での間で生まれました。出身地の米国ウィスコンシン州は北海道と同じ緯度で寒い地域です。酪農地として知られており、子供のころは東京の学校に通いつつ、夏休みはウィスコンシンの牧場で馬の世話をしていました。

2023年3月末にコンサベーション・インターナショナル・ジャパンへ転職する前は、イノベーション・コンサルティングとして、多くの日本企業と一緒に新製品やサービス、体験を開発する仕事に携わってきました。いろいろな産業の現場を見てきましたが、 中でも食品産業と農業の未来を考えるプロジェクトに携わったことで、自分自身の意識が変わりました。農業における化学肥料使用と健康被害、農家の搾取といった問題ですね。食品を大量生産する中で、地球も人間の体も病んでしまう構造が見えてしまった。

それ以降は、どの産業においても自然と調和する形でビジネスを展開していく必要性を感じ、そこに一番のイノベーション・チャレンジがあると考えるようになりました。コンサベーション・インターナショナル(以下CI)は、政府や企業との協働を通して地球規模の環境課題に取り組んでいる団体であり、そこに惹かれました。

WWD:パリのケリング本社からオンラインで参加のサブリナさん、自己紹介をお願いします。

サブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ =ソーシングおよび生物多様性スペシャリスト(以下、サブリナ):私はケリング・グループのサステナビリティ・チームで、持続可能な調達と生物多様性のスペシャリストとして働いています。特にレザーやコットン、ウール、カシミアのような環境負荷の高い主要原材料の調達に関連する影響を改善し、生物多様性への影響の理解をうながし、管理する手助けをしています。1年半前にケリングに入社し、グループのすべてのブランドとこれらのテーマについて協働してきました。専門は企業の持続可能性の支援、つまり企業が自然や気候、人々に与える影響をより理解し、取り扱うことを手助けすることです。ケリングの前は、世界自然保護基金WWFの英国事務所やその他の環境団体にいました。

人間は4つの生態系サービスを受け取っている

WWD:生物多様性は時代のキーワードですが、実のところその意味が分からない人は多いと思います。まずはアメリアさん、生物多様性の基本をレクチャーください。

アメリア:生物多様性とは、地球上の生命には幅広い多様性があることを指しています。バクテリアから大きな木、クジラから昆虫、キノコ類にカエルまで。つまりすべての種を指しています。そして、生物多様性には、3つのレベルがあります。 一つ目は遺伝子の多様性。例えば、犬にはさまざまなの犬種があります。また、 米もインドだけでも5万種があると言われています。2つ目は種の多様性。例えば、グレートバリアリーフの岩礁であればサンゴだけで400種類、魚で150種類、亀も10種類が生息していると言われています。 最後が生態系の多様性です。地球には砂漠や湿地帯、森林などさまざまなエコシステム、生態系があります。それらはずっと変わらないイメージがありますが、ジャングルが弱って砂漠化したり、サンゴも白化したりしています。

この3つの多様性が互いに関係性を持ち、密度が高まることで強さを増します。織物に置き換えると糸、色、ステッチの種類などが豊富になることで、より強いマテリアルとなったり、より長く使えたり、より美しくなる。その豊富さがつながっているのが生物多様性のイメージです。

WWD:健全な生態系において一種を失ってしまうと、どのような影響があるのでしょうか。

アメリア:こんな事例があります。1920年にアメリカのイエロストーンの国立公園で「捕食動物を駆除する」法律ができて、公園内のオオカミが絶滅しました。すると鹿の一種であるエルクが繁殖し過放牧となり景観が悪化、オオカミの重要さが認識されました。時が進み1995年、オオカミを公園に戻す取り組みを始めた結果、エルクの数が減少しバランスが取れ、ビーバーや鳥類が戻ってきて、川の浸食もなくなった。一種の動物が自然にどれだけ影響を与えているかがわかるストーリーです。

そしてなぜ生物多様性が人間にとっても重要かと言えば、人間の生活が生態系サービスの上に成り立っているからです。

WWD:サービスという言葉を使うのですか?

アメリア:はい、そうです。サービスには4つのカテゴリーがあります。1つは「基盤サービス」。死んだ生物を分解し栄養素を土へ戻し、光合成や土作り、遺伝的多様性の維持を行います。2つ目が「供給サービス」。飲み水や魚、食料など、人間が直接的に得られるものです。3つ目は「調節サービス」といって、空気や水の浄化、気温の調整など健全性を保つ機能が含まれるサービスです。4つ目の「文化的サービス」は自然の中での癒しやレジャーなど“モノ”とは異なるものを指します。

こういったサービには値段をつけることがあまりないので「価値がない」「壊してもいいもの」と思いがちですが、私たちの健康や地球上の生き物、それにビジネスの健康にとっても重要であることがわかると思います。

この瞬間も20分に1種が絶滅している

WWD:その生物多様性が今脅威にさらされています。

アメリア:生物多様性の宝庫として知られているアマゾンの熱帯はこの50年で、17%以上が失われ、ハチのようなポリネーターも40%以上減少していると言われています。ポリネーターは、果物や野菜、ナッツ、スパイスといった人間の食用作物の75パーセントの受粉をサポートしています。また海の生物の25%の生息地で重要な生態系であるサンゴ礁は過去30年で50%以上が死滅しています。過去に見られないスピード感で進行しています。

どれほど深刻かというと、約100万種が絶滅の危機に瀕しており、その絶滅スピードは自然絶滅の1000倍から1万倍のスピードであり、特に過去50年で加速し、一説では現在20分に1種が絶滅していると見られています。

WWD:改めてゾッとします。私たちにできることはあるのでしょうか。

アメリア:ファッションができる生物多様性のサポートの一例は藍染めなど草木染です。大量生産では合成染料が使用されるなか、藍染めが復活しつつあります。染め方を選ぶだけで、生活者も間接的に生物多様性をサポートすることができます。

WWD:しかし、ことは急ぎますね。

アメリア:従来のビジネスを続ければ、生物多様性の危機は下り坂で滅びるばかりです。また、保全活動を強化するだけでは80年経っても2010年の状態まで戻すことすらできません。我々が進むべき道は、保全活動を強化しつつ、より持続可能な生産と消費の革新を起こしてゆくという、新しい姿です。各ファッション企業はビジネスと生物多様性をどうやって調和させていくか、2030年までに新しい姿を描く必要があります。

生態系の管理を誤れば産業基盤も失われる

WWD:サブリナさんは、ファッションと生物多様性の関係をどう見ていますか?

サブリナ:ファッション産業が自然と深く関わっていることを忘れてはなりません。なぜなら、私たちの活動は生物多様性に大きく依存しており、生物多様性にも大きな影響を与える可能性があるからです。私たちの産業は、綿花畑から、カシミア・ウール・レザーを供給するヤギ・ヒツジ・牛、シルクを供給する蚕、そして蚕の餌となる桑の木、森林に至るまで、素材に依存しています。これらはすべて複雑な生物学的網の目の一部であり、アメリアさんが例に挙げたような非常に複雑なタペストリーのようなものです。生態系の完全性が保たれることで、私たちは原料を確保し、産業を続けることができるのです。原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関連があります。染料や化学薬品はさまざまな方法で土地を汚染する可能性があるため、原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関係があります。

また、森林は製品を生産するスペースを確保するために伐採され、開拓される可能性があります。こうした資源や生態系の管理を誤れば、私たちは産業を支える基盤や機能を損なうことになります。もちろん、これは私たちのグローバルな責任とステークホルダー、つまり投資家や消費者、パートナー、政治家などの課題でもあります。最近は、環境に対する意識が高まり、生物多様性とのつながりをよりよく理解するために、産業構造の透明性を求める動きが出てきていますが、それでもこのテーマに対する誠実さを求める圧力は存在しており、それは増大しています。

WWD:素材別にもう少し詳しく教えてください。

サブリナ:ビスコースやモダールといったセルロース系繊維のほとんどが木材パルプ由来です。木材パルプは木から生産されます。もちろん、持続可能な方法で森林を植林・管理する方法はたくさんあります。しかし残念ながら、この問題に取り組んでいるNGOの試算によると、森林パルプの最大48%が高リスク地域からもたらされている可能性があるそうです。しかも太古から続きつつ絶滅の危機に瀕している森林の木々から生じている可能性があるのです。

土地利用の変化による森林破壊や自然生態系の転換は、動植物の生息地を喪失し、生物多様性を損なっています。ですからこれは本当に重要な問題で、緊急課題を明確に把握することが重要です。

牛の放牧の拡大がアマゾンの森林破壊の一因に

WWD:レザーやカシミアについては?

サブリナ:牛の放牧の拡大は世界で最も重要な生態系のひとつであるアマゾンの森林破壊の主原因となっています。レザーは一般的に牛肉産業の副産物ですが、ファッションは間接的にこの自然環境の損失と荒廃に関係しています。ファッション産業が直面している複雑な課題を浮き彫りにしています。透明性とトレーサビリティを高め、間接的に皮革に関連する森林破壊や加工の潜在的なリスクに対処するために、ファッション産業内だけでなく、食肉産業といった他産業との協業も考える必要があります。

カシミヤの産地であるモンゴルでは1990年代初頭からカシミヤヤギの個体数が増え、過放牧によりヤギが生態系の植物を食べ尽くし、土壌の劣化を引き起こしています。ひいては砂漠化につながっています。生態系の自然回復サイクルを維持できる頭数は限られているのです。

生態系のキャパシティを超えて個体数を増やすと、生態系自体を弱体化させ、その動物を維持する能力さえ失わせてしまうのです。このまま劣化が進めば植物を損失し、将来的には砂漠化が進み、多様性に富んでいるはずのモンゴルの生態系が損なわれ、同じ数のヤギを維持できなくなります。ですから、これもまた本当に重要なトピックでもあり、この特定の状況において私たちが取り組んでいるテーマでもあります。

環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」からわかること

WWD:ケリングは10年以上前に環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」を開発しました。

サブリナ:EP&Lは原料の調達データを用いてライフサイクル・アセスメント調査を行い、原材料の生産から店舗、さらには製品の使用や寿命に至るまで、バリュー・チェーン全体における環境への影響を推定するツールです。EP&L評価の結果を見ると、私たちが環境に与える影響の大部分は原材料の生産段階にあることがはっきりとわかります。もちろん、バリューチェーンにはさまざまな形があります。しかし、影響の大部分は原料生産にあるのです。ですから、原材料の生産をより持続可能なものにする点に業界努力を集中させることが大切です。

EP&Lからは、ケリングの活動は毎年、世界中で約35万ヘクタールの土地を必要としていることがわかります。これには私たちのオフィスや倉庫、工業用地も含まれます。しかし大半は原材料が生産される世界中の農場、森林地帯であり、そこに影響の大半があるのです。そのためケリングは2020年に生物多様性戦略を策定し、25年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げています。

また、生物多様性の専門家や機関の協力のもと、ファッション産業のための生物多様性戦略策定ガイドを作成しました。戦略の優先順位を定めるのにも有用なのでぜひご覧ください。戦略の詳細には触れませんが、ケリングはアメリアさんのレクチャーで紹介された「グリーンカーブ」に沿って2025年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げていることを強調しておきたいと思います。私たちはネガティブなインパクトをさまざまな方法で可能な限り回避し、最小限に抑えるだけでなく、生態系や生物種にとって測定可能なプラスの影響を念頭に置いています。このような戦略の下、私たちは100万ヘクタールの土地の再生を支援しているのです。

WWD:ケリングは21年、コンサベーション・インターナショナルと自然再生基金を共同で設立しました。 ラグジュアリービジネスに欠かせない天然素材に関して、その生産地、生息地との向き合い方が、ネガティブなインパクトを減らすにとどまらず、自然を保護・再生するというより能動的なスタンスがポイントです。

サブリナ:23年にインディテックスが加わりました。現在、世界6カ国で7つのプロジェクトが進行中で、自然保護の観点から非常に重要な生態系の保全と回復に貢献しています。ファッション産業にとって環境負荷が高い原材料であるレザー、ウール、コットン、カシミアに焦点を当てており、現在100万ヘクタールの既存農地や放牧地を環境再生型農業に移行する支援を行っています。プロジェクト第一弾は2021年から2025年ですが、その先も提案を開始しています。

WWD:ファッションは農業と深く繋がっているのですね。

サブリナ:そうですね。生物多様性とファッションの間には深いつながりがあります。環境再生型農業は、自然破壊や生物多様性の損失をもたらす従来型の農業からの転換につながる重要な解決策だと思います。

南アフリカのプロジェクトに参加して考えたこと

WWD:アメリアさんはそのプロジェクトの一つ、南アフリカの取り組みに今年の5月に参加されています。現地で何を思いましたか。

アメリア:まず、日本からとても遠かったです。首都のヨハネスブルグから国内線で一時間のダーバンという街からさらに車で4時間行った先に宿があり、そこから毎日90分、道なき道を四駆で走ってたどり着くのが目的の村です。アパルトヘイト制度の時代に、先住民が元いた場所から奥地へと移動されられた歴史があるからです。

プロジェクトは、人も環境もビジネスもウィン・ウィン・ウィンの保全デザインができており、素晴らしいと思いました。村の人たちの全財産である土地と羊が保全計画の中心に置かれています。羊のワクチンやトレーニング、毛刈りといったサポートを受ける代わりに、保全協定に沿って放牧地を3分の1ずつ休ませる。すると健全な草が生え、それを食べる羊も健全になり、刈り取る毛の質も向上します。

生物多様性の回復と同時に土壌が改善することで炭素吸収も増えて気候対策にもつながり、どのアングルを取っても素晴らしい保全計画になっています。

WWD:基金、保護活動と聞くと「助ける」印象を受けますが、それは結果であり、知識やノウハウを提供して資産をより生かすように導くのがこの基金の活動なのですね。

アメリア:まさに発展と保全を同時にできることが重要ですね。

WWD:ケリングのマリー・クレール・ダヴー=チーフ・サステナビリティ・オフィサーは、「会社の枠組みの中で起こることだけに目を向けるのではなく、サプライチェーンの上流にも踏み込むべきだ」と話しています。サブリナさんもそう思いますか。

サブリナ:とても重要なメッセージだと思う。我々は、オフィスや倉庫、工業用地も環境にネガティブな影響を与えていることはもちろんわかっています。しかし、影響のほとんどは原材料が生産されるはるか上流にあることは先ほどの環境損益計算のスライドからも明らかです。もちろん、私たちの会社は農家から直接購入しているわけではないため、行動を起こすのは難しいのです。しかし、本当に影響が大きく、それゆえに生態系や気候、そして人々にポジティブな影響を与えるチャンスがあるのも上流なのです。上流に目を向けて対処することは不可欠です。

会場の参加者とのQ&A

WWD:ここから参加者からの質問・意見を交えてお伺いします。

参加者:サステナブルな素材が高価格であることがアクションを妨げる一因になっていることをどう考えますか?

サブリナ:革新的な原材料など持続可能な素材はよりコスト高なのは事実です。しかし、持続可能性の低い原材料を選択することで地球や気候に対して目に見えないコストが発生します。金銭的価値にも換算できる生態系のサービスを失いつつあることと、そこに私たちが影響を及ぼしていることを結びつけて考えたい。それを商品の価格設定に反映させてビジネスモデルをどう構築するかも考える必要があります。

参加者:アメリアさんは日頃、日本企業と接して思うことは?

アメリア:日本企業に限らず、生物多様性は個社ではなく産業の共通課題です。一社での取り組みは、お金もかかるしインパクトも出しづらい。だから競争のマインドセットを横におき、競業ではなく協業、コレクティブなアクションを取る領域だと思います。産業連携のプラットフォームを作って資金を集めてより大きなインパクトを出してゆく活動が重要になってゆくと思います。

まずは、このような場で生物多様性について知ること。そして自社のサプライチェーンの上流がどのくらいのインパクトを与えているからを知ることです。それが難しければまずは現場を見に行くことですね。役員の方を誘って現場ツアーや研修トリップなど何か形にする。見ることによってイノベーションのヒントも見えてくるはずです。

WWD:ファッション産業に従事する人たちは洋服を作ったり売ったりしながら、綿花畑や牧場にも行ったことがない人が大半だと思う。まずは行ってみる。社員研修は畑が良さそうですね。

YouTube視聴はこちら

The post ケリング×CI 生物多様性とファッションの関係をわかりやすく解説 appeared first on WWDJAPAN.

ケリング×CI 生物多様性とファッションの関係をわかりやすく解説

地球上には知られていない種も含めて3000万以上の生き物が存在すると考えられており、それらは直接・間接的に支え合って存在している。その生物多様性の損失が今、大きな問題となっている。ファッションは生物多様性とどう関わりがあり、そして、損失を止め自然を回復するために何ができるのか?専門家である、ケリング(KERING)のサブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ=ソーシングおよび生物多様性スペシャリストと、ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクターを迎えて、実は深いその関係性について理解を深める。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):自己紹介をアメリアさんからお願いします。

ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクター(以下、アメリア):私は日本人の母親と、アメリカ人の父親での間で生まれました。出身地の米国ウィスコンシン州は北海道と同じ緯度で寒い地域です。酪農地として知られており、子供のころは東京の学校に通いつつ、夏休みはウィスコンシンの牧場で馬の世話をしていました。

2023年3月末にコンサベーション・インターナショナル・ジャパンへ転職する前は、イノベーション・コンサルティングとして、多くの日本企業と一緒に新製品やサービス、体験を開発する仕事に携わってきました。いろいろな産業の現場を見てきましたが、 中でも食品産業と農業の未来を考えるプロジェクトに携わったことで、自分自身の意識が変わりました。農業における化学肥料使用と健康被害、農家の搾取といった問題ですね。食品を大量生産する中で、地球も人間の体も病んでしまう構造が見えてしまった。

それ以降は、どの産業においても自然と調和する形でビジネスを展開していく必要性を感じ、そこに一番のイノベーション・チャレンジがあると考えるようになりました。コンサベーション・インターナショナル(以下CI)は、政府や企業との協働を通して地球規模の環境課題に取り組んでいる団体であり、そこに惹かれました。

WWD:パリのケリング本社からオンラインで参加のサブリナさん、自己紹介をお願いします。

サブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ =ソーシングおよび生物多様性スペシャリスト(以下、サブリナ):私はケリング・グループのサステナビリティ・チームで、持続可能な調達と生物多様性のスペシャリストとして働いています。特にレザーやコットン、ウール、カシミアのような環境負荷の高い主要原材料の調達に関連する影響を改善し、生物多様性への影響の理解をうながし、管理する手助けをしています。1年半前にケリングに入社し、グループのすべてのブランドとこれらのテーマについて協働してきました。専門は企業の持続可能性の支援、つまり企業が自然や気候、人々に与える影響をより理解し、取り扱うことを手助けすることです。ケリングの前は、世界自然保護基金WWFの英国事務所やその他の環境団体にいました。

人間は4つの生態系サービスを受け取っている

WWD:生物多様性は時代のキーワードですが、実のところその意味が分からない人は多いと思います。まずはアメリアさん、生物多様性の基本をレクチャーください。

アメリア:生物多様性とは、地球上の生命には幅広い多様性があることを指しています。バクテリアから大きな木、クジラから昆虫、キノコ類にカエルまで。つまりすべての種を指しています。そして、生物多様性には、3つのレベルがあります。 一つ目は遺伝子の多様性。例えば、犬にはさまざまなの犬種があります。また、 米もインドだけでも5万種があると言われています。2つ目は種の多様性。例えば、グレートバリアリーフの岩礁であればサンゴだけで400種類、魚で150種類、亀も10種類が生息していると言われています。 最後が生態系の多様性です。地球には砂漠や湿地帯、森林などさまざまなエコシステム、生態系があります。それらはずっと変わらないイメージがありますが、ジャングルが弱って砂漠化したり、サンゴも白化したりしています。

この3つの多様性が互いに関係性を持ち、密度が高まることで強さを増します。織物に置き換えると糸、色、ステッチの種類などが豊富になることで、より強いマテリアルとなったり、より長く使えたり、より美しくなる。その豊富さがつながっているのが生物多様性のイメージです。

WWD:健全な生態系において一種を失ってしまうと、どのような影響があるのでしょうか。

アメリア:こんな事例があります。1920年にアメリカのイエロストーンの国立公園で「捕食動物を駆除する」法律ができて、公園内のオオカミが絶滅しました。すると鹿の一種であるエルクが繁殖し過放牧となり景観が悪化、オオカミの重要さが認識されました。時が進み1995年、オオカミを公園に戻す取り組みを始めた結果、エルクの数が減少しバランスが取れ、ビーバーや鳥類が戻ってきて、川の浸食もなくなった。一種の動物が自然にどれだけ影響を与えているかがわかるストーリーです。

そしてなぜ生物多様性が人間にとっても重要かと言えば、人間の生活が生態系サービスの上に成り立っているからです。

WWD:サービスという言葉を使うのですか?

アメリア:はい、そうです。サービスには4つのカテゴリーがあります。1つは「基盤サービス」。死んだ生物を分解し栄養素を土へ戻し、光合成や土作り、遺伝的多様性の維持を行います。2つ目が「供給サービス」。飲み水や魚、食料など、人間が直接的に得られるものです。3つ目は「調節サービス」といって、空気や水の浄化、気温の調整など健全性を保つ機能が含まれるサービスです。4つ目の「文化的サービス」は自然の中での癒しやレジャーなど“モノ”とは異なるものを指します。

こういったサービには値段をつけることがあまりないので「価値がない」「壊してもいいもの」と思いがちですが、私たちの健康や地球上の生き物、それにビジネスの健康にとっても重要であることがわかると思います。

この瞬間も20分に1種が絶滅している

WWD:その生物多様性が今脅威にさらされています。

アメリア:生物多様性の宝庫として知られているアマゾンの熱帯はこの50年で、17%以上が失われ、ハチのようなポリネーターも40%以上減少していると言われています。ポリネーターは、果物や野菜、ナッツ、スパイスといった人間の食用作物の75パーセントの受粉をサポートしています。また海の生物の25%の生息地で重要な生態系であるサンゴ礁は過去30年で50%以上が死滅しています。過去に見られないスピード感で進行しています。

どれほど深刻かというと、約100万種が絶滅の危機に瀕しており、その絶滅スピードは自然絶滅の1000倍から1万倍のスピードであり、特に過去50年で加速し、一説では現在20分に1種が絶滅していると見られています。

WWD:改めてゾッとします。私たちにできることはあるのでしょうか。

アメリア:ファッションができる生物多様性のサポートの一例は藍染めなど草木染です。大量生産では合成染料が使用されるなか、藍染めが復活しつつあります。染め方を選ぶだけで、生活者も間接的に生物多様性をサポートすることができます。

WWD:しかし、ことは急ぎますね。

アメリア:従来のビジネスを続ければ、生物多様性の危機は下り坂で滅びるばかりです。また、保全活動を強化するだけでは80年経っても2010年の状態まで戻すことすらできません。我々が進むべき道は、保全活動を強化しつつ、より持続可能な生産と消費の革新を起こしてゆくという、新しい姿です。各ファッション企業はビジネスと生物多様性をどうやって調和させていくか、2030年までに新しい姿を描く必要があります。

生態系の管理を誤れば産業基盤も失われる

WWD:サブリナさんは、ファッションと生物多様性の関係をどう見ていますか?

サブリナ:ファッション産業が自然と深く関わっていることを忘れてはなりません。なぜなら、私たちの活動は生物多様性に大きく依存しており、生物多様性にも大きな影響を与える可能性があるからです。私たちの産業は、綿花畑から、カシミア・ウール・レザーを供給するヤギ・ヒツジ・牛、シルクを供給する蚕、そして蚕の餌となる桑の木、森林に至るまで、素材に依存しています。これらはすべて複雑な生物学的網の目の一部であり、アメリアさんが例に挙げたような非常に複雑なタペストリーのようなものです。生態系の完全性が保たれることで、私たちは原料を確保し、産業を続けることができるのです。原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関連があります。染料や化学薬品はさまざまな方法で土地を汚染する可能性があるため、原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関係があります。

また、森林は製品を生産するスペースを確保するために伐採され、開拓される可能性があります。こうした資源や生態系の管理を誤れば、私たちは産業を支える基盤や機能を損なうことになります。もちろん、これは私たちのグローバルな責任とステークホルダー、つまり投資家や消費者、パートナー、政治家などの課題でもあります。最近は、環境に対する意識が高まり、生物多様性とのつながりをよりよく理解するために、産業構造の透明性を求める動きが出てきていますが、それでもこのテーマに対する誠実さを求める圧力は存在しており、それは増大しています。

WWD:素材別にもう少し詳しく教えてください。

サブリナ:ビスコースやモダールといったセルロース系繊維のほとんどが木材パルプ由来です。木材パルプは木から生産されます。もちろん、持続可能な方法で森林を植林・管理する方法はたくさんあります。しかし残念ながら、この問題に取り組んでいるNGOの試算によると、森林パルプの最大48%が高リスク地域からもたらされている可能性があるそうです。しかも太古から続きつつ絶滅の危機に瀕している森林の木々から生じている可能性があるのです。

土地利用の変化による森林破壊や自然生態系の転換は、動植物の生息地を喪失し、生物多様性を損なっています。ですからこれは本当に重要な問題で、緊急課題を明確に把握することが重要です。

牛の放牧の拡大がアマゾンの森林破壊の一因に

WWD:レザーやカシミアについては?

サブリナ:牛の放牧の拡大は世界で最も重要な生態系のひとつであるアマゾンの森林破壊の主原因となっています。レザーは一般的に牛肉産業の副産物ですが、ファッションは間接的にこの自然環境の損失と荒廃に関係しています。ファッション産業が直面している複雑な課題を浮き彫りにしています。透明性とトレーサビリティを高め、間接的に皮革に関連する森林破壊や加工の潜在的なリスクに対処するために、ファッション産業内だけでなく、食肉産業といった他産業との協業も考える必要があります。

カシミヤの産地であるモンゴルでは1990年代初頭からカシミヤヤギの個体数が増え、過放牧によりヤギが生態系の植物を食べ尽くし、土壌の劣化を引き起こしています。ひいては砂漠化につながっています。生態系の自然回復サイクルを維持できる頭数は限られているのです。

生態系のキャパシティを超えて個体数を増やすと、生態系自体を弱体化させ、その動物を維持する能力さえ失わせてしまうのです。このまま劣化が進めば植物を損失し、将来的には砂漠化が進み、多様性に富んでいるはずのモンゴルの生態系が損なわれ、同じ数のヤギを維持できなくなります。ですから、これもまた本当に重要なトピックでもあり、この特定の状況において私たちが取り組んでいるテーマでもあります。

環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」からわかること

WWD:ケリングは10年以上前に環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」を開発しました。

サブリナ:EP&Lは原料の調達データを用いてライフサイクル・アセスメント調査を行い、原材料の生産から店舗、さらには製品の使用や寿命に至るまで、バリュー・チェーン全体における環境への影響を推定するツールです。EP&L評価の結果を見ると、私たちが環境に与える影響の大部分は原材料の生産段階にあることがはっきりとわかります。もちろん、バリューチェーンにはさまざまな形があります。しかし、影響の大部分は原料生産にあるのです。ですから、原材料の生産をより持続可能なものにする点に業界努力を集中させることが大切です。

EP&Lからは、ケリングの活動は毎年、世界中で約35万ヘクタールの土地を必要としていることがわかります。これには私たちのオフィスや倉庫、工業用地も含まれます。しかし大半は原材料が生産される世界中の農場、森林地帯であり、そこに影響の大半があるのです。そのためケリングは2020年に生物多様性戦略を策定し、25年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げています。

また、生物多様性の専門家や機関の協力のもと、ファッション産業のための生物多様性戦略策定ガイドを作成しました。戦略の優先順位を定めるのにも有用なのでぜひご覧ください。戦略の詳細には触れませんが、ケリングはアメリアさんのレクチャーで紹介された「グリーンカーブ」に沿って2025年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げていることを強調しておきたいと思います。私たちはネガティブなインパクトをさまざまな方法で可能な限り回避し、最小限に抑えるだけでなく、生態系や生物種にとって測定可能なプラスの影響を念頭に置いています。このような戦略の下、私たちは100万ヘクタールの土地の再生を支援しているのです。

WWD:ケリングは21年、コンサベーション・インターナショナルと自然再生基金を共同で設立しました。 ラグジュアリービジネスに欠かせない天然素材に関して、その生産地、生息地との向き合い方が、ネガティブなインパクトを減らすにとどまらず、自然を保護・再生するというより能動的なスタンスがポイントです。

サブリナ:23年にインディテックスが加わりました。現在、世界6カ国で7つのプロジェクトが進行中で、自然保護の観点から非常に重要な生態系の保全と回復に貢献しています。ファッション産業にとって環境負荷が高い原材料であるレザー、ウール、コットン、カシミアに焦点を当てており、現在100万ヘクタールの既存農地や放牧地を環境再生型農業に移行する支援を行っています。プロジェクト第一弾は2021年から2025年ですが、その先も提案を開始しています。

WWD:ファッションは農業と深く繋がっているのですね。

サブリナ:そうですね。生物多様性とファッションの間には深いつながりがあります。環境再生型農業は、自然破壊や生物多様性の損失をもたらす従来型の農業からの転換につながる重要な解決策だと思います。

南アフリカのプロジェクトに参加して考えたこと

WWD:アメリアさんはそのプロジェクトの一つ、南アフリカの取り組みに今年の5月に参加されています。現地で何を思いましたか。

アメリア:まず、日本からとても遠かったです。首都のヨハネスブルグから国内線で一時間のダーバンという街からさらに車で4時間行った先に宿があり、そこから毎日90分、道なき道を四駆で走ってたどり着くのが目的の村です。アパルトヘイト制度の時代に、先住民が元いた場所から奥地へと移動されられた歴史があるからです。

プロジェクトは、人も環境もビジネスもウィン・ウィン・ウィンの保全デザインができており、素晴らしいと思いました。村の人たちの全財産である土地と羊が保全計画の中心に置かれています。羊のワクチンやトレーニング、毛刈りといったサポートを受ける代わりに、保全協定に沿って放牧地を3分の1ずつ休ませる。すると健全な草が生え、それを食べる羊も健全になり、刈り取る毛の質も向上します。

生物多様性の回復と同時に土壌が改善することで炭素吸収も増えて気候対策にもつながり、どのアングルを取っても素晴らしい保全計画になっています。

WWD:基金、保護活動と聞くと「助ける」印象を受けますが、それは結果であり、知識やノウハウを提供して資産をより生かすように導くのがこの基金の活動なのですね。

アメリア:まさに発展と保全を同時にできることが重要ですね。

WWD:ケリングのマリー・クレール・ダヴー=チーフ・サステナビリティ・オフィサーは、「会社の枠組みの中で起こることだけに目を向けるのではなく、サプライチェーンの上流にも踏み込むべきだ」と話しています。サブリナさんもそう思いますか。

サブリナ:とても重要なメッセージだと思う。我々は、オフィスや倉庫、工業用地も環境にネガティブな影響を与えていることはもちろんわかっています。しかし、影響のほとんどは原材料が生産されるはるか上流にあることは先ほどの環境損益計算のスライドからも明らかです。もちろん、私たちの会社は農家から直接購入しているわけではないため、行動を起こすのは難しいのです。しかし、本当に影響が大きく、それゆえに生態系や気候、そして人々にポジティブな影響を与えるチャンスがあるのも上流なのです。上流に目を向けて対処することは不可欠です。

会場の参加者とのQ&A

WWD:ここから参加者からの質問・意見を交えてお伺いします。

参加者:サステナブルな素材が高価格であることがアクションを妨げる一因になっていることをどう考えますか?

サブリナ:革新的な原材料など持続可能な素材はよりコスト高なのは事実です。しかし、持続可能性の低い原材料を選択することで地球や気候に対して目に見えないコストが発生します。金銭的価値にも換算できる生態系のサービスを失いつつあることと、そこに私たちが影響を及ぼしていることを結びつけて考えたい。それを商品の価格設定に反映させてビジネスモデルをどう構築するかも考える必要があります。

参加者:アメリアさんは日頃、日本企業と接して思うことは?

アメリア:日本企業に限らず、生物多様性は個社ではなく産業の共通課題です。一社での取り組みは、お金もかかるしインパクトも出しづらい。だから競争のマインドセットを横におき、競業ではなく協業、コレクティブなアクションを取る領域だと思います。産業連携のプラットフォームを作って資金を集めてより大きなインパクトを出してゆく活動が重要になってゆくと思います。

まずは、このような場で生物多様性について知ること。そして自社のサプライチェーンの上流がどのくらいのインパクトを与えているからを知ることです。それが難しければまずは現場を見に行くことですね。役員の方を誘って現場ツアーや研修トリップなど何か形にする。見ることによってイノベーションのヒントも見えてくるはずです。

WWD:ファッション産業に従事する人たちは洋服を作ったり売ったりしながら、綿花畑や牧場にも行ったことがない人が大半だと思う。まずは行ってみる。社員研修は畑が良さそうですね。

YouTube視聴はこちら

The post ケリング×CI 生物多様性とファッションの関係をわかりやすく解説 appeared first on WWDJAPAN.

ファッションとアートの蜜月は続く パルコ宣伝部長とNANZUKA代表に聞くそのワケ

渋谷パルコ(PARCO以下、パルコ)は創業以来、世界中の気鋭クリエイターとコラボレーションしてきた。19年の改装後、パルコミュージアムを含む9つのギャラリーを設置。単なるファッションビルではなく、若者及び訪日観光客にとって日本のカルチャーを象徴する場所になっている。パルコとギャラリーNANZUKAは19年の改装以降、2階にオープンしたギャラリー「2G NANZUKA」やパルコミュージアムの展覧会、販促など多岐に渡りコラボレーションしている。手塚千尋パルコ宣伝部部長と「NANZUKA UNDERGROUND」などを運営する南塚真史NANZUKA代表に、ファッションとアートについて聞いた。

パルコは幅広い人とアートのコミュニケーションをする場

パルコミュージアムから劇場まで、文化的な活動はパルコにとって企業の存在意義の一つ。手塚部長は、「ギャラリーが多いのは、パルコに来るたびに新しい発見がある、そのような刺激を与えたいからだ。アートを購入する若い人が増えた。ファッションが好きな人はアートへの関心が高い」と話す。パルコミュージアムでは、見て楽しいコンテンツを提供し、ギャラリーでは新進気鋭のアーティストやクリエイターの作品を紹介している。南塚代表は、「パルコは、若い世代がファッション以外にアートに興味を持ち始める場。アートに関心がなかったような幅広い層とのコミュニケーションの場になっている」と語る。アートは、一定の富裕層とエリート層のものだったが、ファッションなどのコラボにより、民主化、大衆化が進んでいる。「日本におけるアート的デコレーション=ポピュラーアートの浸透力はものすごい。そうではなく、中身のあるアートを届ける必要がある。価値のあるアートを一般に届けるために、よりフレンドリーなアプローチを模索している。保守的なアート界からすると、商業的と見られることもあるが新しい層とのタッチポイントになり、販促効果も大きい」と同代表。NANZUKAが目指すのは、パルコとの取り組みなどを通じて商業目的だけで拡大してきたポピュラーアートに挑むことだ。

「ルイ・ヴィトン」が変えた企業とアーティストの関係

手塚部長と南塚代表は、2000年前半の「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON以下、LV)」と村上隆のコラボレーションが、ファッションとアートの関係性を象徴すると口をそろえる。このコラボレーションを機に、アートの大衆化が進み、ファッションとアートの蜜月は続いている。南塚代表は、「LV」と村上のコラボについて、「ファッションの価値を高め、アートの価値をより広く認知させることに成功した例。ファッションだけで新しいものを生み出すのは難しいが、アートは常に新しいものを産まなければならない。うまくアートを解釈して取り入れれば、新たなものが生まれる」と話す。「LV」と村上とのコラボは、アーティストにとって重要な著作権にも変化をもたらした。それ以前“著作権“は企業側にあるケースが多かったが、アーティストに残すべきだと言う流れができた。契約によりけりだが、アーティストがコラボ作品を自分の作品として発表し販売できるようになった。無名なアーティストがラグジュアリー・ブランドとコラボすれば、一気に広く知れ渡り、価値が上がる。ブランドにとっても新たな話題づくりになる。コラボは、ブランドにとってもアーティストにとっても“ウィン・ウィン”というわけだ。同代表は、「20世紀のアートは概念=コンセプトありきだった。今は、コンテクスト=文脈の時代で、作品から派生する影響も含まれる。ファッションは実用性が求められ、商業化するには、文脈が重要視される」と話す。ブランドがアーティストとコラボするのは、お互いの文脈を共有することで相互価値を高めるためだ。ラグジュアリー・ブランドの情報発信性や付加価値を生む力にアート業界は学ぶべきということだ。南塚代表は、「システムの中に自然に価値が生まれるのを待っているだけではダメだ。アーティストは、能動的に価値を生み出すことを考えるべきだ」と言う。

業界の枠組みを超えたコラボは加速するか?

手塚部長は、「アーティストに対する反応が、ブランド自体の方向性になっている。クリエイティブ・ディレクターの世代交代で、キム・ジョーンズ(Kim Jones)が『ディオール(DIOR)』のメンズ、ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)が『LV』メンズを率いている。彼らは、ストリートアートに大きく影響を受けている」と話す。メゾンを率いるのは通常、ファッションを学んだデザイナーたちだった。それが、「LV」はメンズのクリエイティブ・ディレクターにミュージシャンであるファレルを選んだ。10年前のファッション業界では、想像できないことが起こっている。ファッションやラグジュアリー業界に求められる価値が時代と共に変化し、ファッションの専門知識よりも、ファレルが持つ感性や影響力が今、ブランドに必要と考えたからだろう。「現代アーティストがラグジュアリー・ブランドのディレクターになるなど、業界の境界を超えて起こりうるのか?それは、もはやクリエイターに適正があるかないかだと思う」と南塚代表。時代を映し出す鏡がアートであれば、それを一般に波及させる力を持つのがファッション。「LV」とファレルがタッグを組んだように、業界の枠組みを超えて、アーティストがラグジュアリー・ブランドのディレクションを手掛ける日が来るかもしれない。

The post ファッションとアートの蜜月は続く パルコ宣伝部長とNANZUKA代表に聞くそのワケ appeared first on WWDJAPAN.

D2Cアパレル「ソージュ」のモデラートが5周年 原点回帰に選んだのはアート

パーソナルスタイリングサービス「ソージュパーソナル(SOEJU PERSONAL)」とD2Cウィメンズブランド「ソージュ(SOEJU)」を運営するモデラートは、2023年ブランド設立5周年を迎えた。同ブランドは、“誰もが社会と心地よくつながれる世界”をコンセプトに“自己表現の選択肢を広げる”ことを目的に活動を行っている。5周年を記念し、モデラートは、2023年10月、東京・銀座のポーラ ミュージアム アネックスでアートイベント「The Fitting Room」を開催した。4つの試着室から構成された会場でブランドの哲学である“I like the way I am.(私は私のままでいい)”を表現。アートイベントを開催した理由や思いを市原明日香モデラート代表に聞いた。

市原代表は、「起業するときは、ロジカル、アート、デザインシンキングが交差していたが、創業5年目を迎えて、ビジネスとして日々数字を追うロジカルシンキングとは異なる価値観が必要だと感じていた」と語る。スタイリングサービスでは、プロのスタイリストが仕事や家事が忙しい30〜40代女性にコーディネートを提案。そのサービスから派生した洋服が「ソージュ」だ。意外と見つからない“大人向けの素材”を使用しベーシックかつ程よい価格帯のアイテムを提供している。体型診断などによりファッションに正解が求められるようになり、同代表は、「消費者に寄り添うことで正解を提示しているのではないか」と感じるようになった。モノづくりに関しても、「1+1=2ではなく、その背後にある熱量を伝えることが大切だ」と5周年が、ブランド哲学やそれを伝える方法について考えるきっかけになった。

究極の目標“北極星”をアートに例えた

モデラートの出資企業の一つにポーラ・オルビスホールディングスがある。その公益財団法人ポーラ美術振興財団が運営するポーラ美術館で開催した全社の合宿で出合ったのが、 “アートは否定しないし、回答がない”という価値観だった。「アートは、サイズや性別、国籍など関係ないので、広い範囲にメッセージが届く。D2Cビジネスとアートは、つながりがなさそうに思えるが、迷う気持ちや言葉にできないものを発信できるのはアートしかないと思った」。市原代表は顧客に到達してほしい境地“北極星”をアートに例え、内なるファッションを伝えるにはアートしかないと考えた。「“北極星”と向き合うということは、コレクションブランドにとっては、ファッションショーがその手段かもしれない。私たちにとっては、それが答えのないアートインスタレーションだった」と同代表。

「本当に好きなもの」に気づくきっかけに

インスタレーションのアートディレクターは、「ソージュ」のビジュアルを手掛ける土田あゆみ、制作は土田が代表を務めるクリエイティブ・エージェンシーのバンガル・ドーソン、映像作品は映像監督の林響太郎が手掛けた。エントランスには、さまざまな言葉が書かれた洋服のカバーが並べられ、フェイスカバーには説明がプリントされた、その先には3つの部屋を設置。最初の部屋には歪んだ姿を映し出す鏡、次は幾層にも重ねたカーテン、最後のミニシアターでは4つの試着室の中で起こるストーリーから構成されるショートフィルムを流した。「フィッティングルーム以外のテーマはなく、自由にクリエイションしてもらった」。その結果、エッジの効いたインスタレーションが完成。「費用対効果は説明できないが、インスタレーションを見た人に、ポジティブな何かを持ち帰ってほしい」。そこには市原代表の、「ファッションもアート同じ。今回のインスタレーションを通して、本当に自分が好きなものに気づいてもらえれば」という思いが込められている。

「ソージュ」は、ベーシックだからこそ着る人の個性が出るブランド。アートを通して問いかけをすることにより、モデラートにとっても、消費者にとっても、潜在的な課題解決につながるのではないかと考えた。「今回のインスタレーションを通して、われわれが何故、このような取り組みを行っているか興味を持ってもらうのが大切。アートを通して世の中に問いかけることで、波紋が広がる。また、ビジネスとブランドとして目指したいところを実現する手掛かりになると思う」。

The post D2Cアパレル「ソージュ」のモデラートが5周年 原点回帰に選んだのはアート appeared first on WWDJAPAN.

ベストセラーから5年 福田稔が新著「2040年アパレルの未来」で解く日本企業の生き残り戦略

PROFILE: 福田稔/A.T.カーニー シニアパートナー

福田稔/A.T.カーニー シニアパートナー
PROFILE: ふくだ・みのる 1978年東京生まれ。慶應義塾大学卒、IESEビジネススクール経営学修士(MBA)、ノースウェスタン大学ケロッグビジネススクールMBA exchange program修了。電通総研(旧ISID)、ローランド・ベルガーを経てA.T.カーニー入社。主に、アパレル・繊維、ラグジュアリー、化粧品、小売、飲料、ネットサービスなどのライフスタイル領域を中心に、戦略策定、ブランドマネジメント、グリーントランスフォーメーション、DXなどのコンサルティングに従事。上記領域においてプライベートエクイティやスタートアップへの支援経験も豊富。経済産業省の産業構造審議会 繊維産業小委員会委員、繊維製品における資源循環システム検討会委員、これからのファッションを考える研究会~ファッション未来研究会~副座長など、アパレル・繊維、ライフスタイル産業に関わる多くの政策支援にも従事する。主要メディアへの寄稿、各種セミナーやイベントでの講演などの活動を通じ、ライフスタイル産業の革新に向けた多くの発信をしている。著書に『2040年アパレルの未来 「成長なき世界」で創る、持続可能な循環型・再生型ビジネス』(東洋経済新報社)など。PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

ベストセラー「2030アパレルの未来」の著者でコンサルタントの福田稔A.T.カーニー シニアパートナーがこのほど、新刊「2040年アパレルの未来」を東洋経済新報社から出版した。前著は「日本企業が半分になる日」という副題の衝撃もあり、7刷の話題本となった。あれから5年。今回つけた副題は「成長なき世界で創る、持続可能な循環型・再生型ビジネス」である。グローバルの最先端事情を踏まえた日本企業の生き残りの戦略について聞いた。

過去5年に見る3つの大きな変化

WWD:前著書「2030年アパレルの未来」を発行したのが2019年。コロナ禍を間に挟み、この5年でアパレルビジネスを取り巻く環境は大きく変わった。新刊「2040年アパレルの未来」ではその変化理由と現状を整理しつつ、未来への展望を示している。まずは「変化」の3つのポイントを教えてほしい。

福田稔A.T.カーニー シニアパートナー:過去5年は、コロナ禍とインフレにより予想だにしなかった変化が起こった。変化の一つ目がまず、「多くつくり、多く売るという時代の終焉」だ。コロナ以降の市場の成長を名目ベースではなく実質ベースで見るとほぼ横ばい。インフレによる単価の上昇によって市場が一気に拡大しているように見えるが、売られている量自体は変わっておらず、むしろ作り過ぎの影響もあり、絞る傾向にある。サステナビリティの観点を踏まえても「たくさん作って、それで成長していく」時代はもう終わりを遂げた。

2点目が「中古品市場の世界的な拡大」だ。特に欧米では顕著で、中古品の売買がサステナブルな消費行動である、すなわち「物を作らないのでカーボンフットプリントほぼ生み出さない消費行動」との認知が広まりポジティブな消費行動として根付いた。もう一つ、CtoCアプリやeコマースが消費行動として根付いたことも大きい。企業も2次流通市場の事業拡大に積極的で、2次流通業者だけではなくアパレル各社も参入している。「ZARA」の「Pre -Owned」や、アダストリアの「ドットシィ」などいろいろな形の2次流通市場が出てきたことで、中古品が回転する量も回数も多くなり、市場が拡大している。

3点目は「ウェルネス市場の拡大」だ。コロナ禍を経て「幸せに生きるためには健康、ウェルネスが大前提である」といった価値観が非常に強くなり、実際にスポーツアパレル事業やアウトドア関連のビジネスが大きく伸び、まだ成長力がある。大きくはこの3つが過去5年の重要な変化だろう。

WWD:消費者の中古品への関心はサステナビリティ的な意識の変化以上に、低価格志向が理由ではないか?

福田:国や地域、価格帯によって変わり、日本においてはサステナビリティ以上に価格的側面があると思う。特にラグジュアリーは値上げを繰り返した結果、一般の人には手が届きづらい価格帯になりつつあるから、価格要素がリユース市場を押し上げている側面がある。他方で欧米においては、価格帯を問わずカーボンフットプリントを新しく生み出さない消費行動であるという認知が広まったと思う。欧米でCtoC市場が伸びている背景は、この部分が非常に大きく、それを示すデーターも多く出ている。

WWD:頻発する災害は消費行動に影響を与えているか?

福田:災害直後は買い控えやサステナビリティ意識の高まりなどが一時的に見られるが、時が経つと忘れるのが人間。東日本大震災のときも翌年以降は元に戻っていた。ただ今後、気候変動に起因する大きな災害が日本で起こると、カーボンフットプリントに対する意識がより高まり、消費行動に根付いていく可能性は大きいと思う。

欧州は北地中海沿岸で毎年山火事が発生したり、気温上昇により栽培するぶどうの味が変わりワインやシャンパンの味が変ったりと、気候変動の影響が多方面で社会問題になっている。さらに気候変動の悪化は、難民問題にもつながっている。欧州はすでにアフリカや中東からの難民問題に悩まされているが、気候変動が悪化するとアフリカでの食糧危機が間違いなく起こるので、欧州としては背に腹は変えられず、すぐにでも対応しなければならない状況だ。日本は島国なこともあり、気候変動や難民問題の影響はまだまだ少なく、その差は大きいと思う。

大手によるシェア拡大と中堅企業の淘汰が進む

WWD:著書には「大手によるシェア拡大と中堅企業の淘汰が進む」とあるが、その理由とは。

福田:ひとつめは、環境負荷を下げるグリーントランスフォーメーション(GX)に必要なコストが大きいこと。カーボンニュートラルを大前提に、「デジタルプロダクトパスポート(DPP)」へ対応するためのトレーサビリティなどGXコストがかかる。欧米では一定規模以上の企業は対応を求められており、コストを吸収できない中堅企業は厳しくなる。また、デジタル化により個人のアパレルビジネス、PtoCが今後増えてゆくことだろうから、そういったスモールビジネスと大手の間にある中堅が構造的に一番厳しくなり淘汰が進むことが予測される。

WWD:欧州委員会が導入を検討している「DPP」は商品の原材料調達から生産、販売、リサイクルに至るまでトレーサビリティを確保できるデータのこと。これは欧米の話であり、国内市場向をターゲットとする日本企業にはあまり関係ないのでは?

福田:2つの理由から関係がある。一つ目は、日本の経済産業省も同様の施策の検討を開始しており、「DPP」に対応するという方向でガイドラインを出している。また2年後に欧州での対応が始まれば、欧米ブランドは日本市場においても「DPP」対応した情報開示を始める。当然、消費者とは製品の環境負荷情報を開示した上でコミュニケーションを取り始めるから、生活者の購買時の行動変容が一気に進む可能性もある。実際、欧州では物を買うときに、製品の環境負荷やトレーサビリティを確認する行動がかなり根付いてきている。カルフールなどの欧州企業が自社PB商品を中心に開示する取り組みをしてきた結果だ。今後アパレルが開始すれば消費者は自然と見るだろう。

WWD:サステナビリティ視点からみたアパレルの課題は、気候変動、環境汚染、資源枯渇、人権、動物愛護など複数あるが中でも重要なのは何か。

福田:どれも重要なテーマであることは大前提。その上で人類および生物多様性に与えるインパクトという意味では圧倒的に気候変動だと思う。気温が2度上がれば何十万人の生活基盤が失われるというリスクを抱えている。温室効果ガス排出削減のためには、やはり抜本的に生産量の削減に踏み込まなくてはいけない。それを理解し、覚悟できている企業はまだ少ない。

WWD:GXとDXはこれからのアパレル経営の両輪だ。変革を促すためのイノベーションの重要性、特に注目している分野を教えてほしい。

福田:領域としてはまずは「素材」。消費量ベースではコットンとナイロンやポリエステルのPET繊維が圧倒的に多いが、それぞれに一長一短がある。その中で今注目を集めているのが、スパイバーのようなバイオマテリアル素材でこの領域での技術革新は目を見張るものがある。もう一つは循環再生型のビジネスにおけるイノベーション。ここもデジタル活用を組み合わせないと実現しない。代表的なのがスイスのスポーツブランド「オン(ON)」が開発した持続可能なモデル“サイクロン(CYCLON)”で、パーツを非常に極限まで削減してバイオ素材のみで作るという非常にイノベーティブなプロダクトかつデジタルを生かしたサブスクリプションサービス。まさにイノベーションだと思う。

環境負荷を減らすためには環境負荷の低いマテリアルの開発だけでなく、生産工程をいかに減らせるかも重要。「ナイキ(NIKE)」のニードルパンチ技術を用いたアパレルシリーズ「ナイキ フォワード(NIKE FORWARD)」が例に挙げられる。他にも生分解性のポリマーのような原料から、3Dプリンタで一気に完成品を作るといった技術革新にも期待している。そういう製法なら副資材を用いず、分子に戻してのリサイクルがしやすいだろう。

WWD:「一定の富裕層を捉えているラグジュアリーは盤石のように見えるが、そうでもない」とある。その理由は。

福田:一つにはラグジュアリーのあり方の変容にある。“クワイエット・ラグジュアリー”のトレンドもまさにそれを示唆している。きらびやかなだけのラグジュアリーは時代遅れであり、最先端のラグジュアリーは工芸やアートとのつながりなどよりヒューマニズムを感じられるものへと移り始めている。また、気候変動が悪化する中での富裕層や問題意識の高い層の「お金の使い方」の変化もある。社会の不安定化が進むと、彼らは気候変動に挑むクライメートテックへの投資やグローバルサウスへの支援に熱心になるだろう。近年のラグジュアリーの成長はインフレに乗じた値上げが基本的なドライバー。富裕層もインフレにより資産を増やしてきたことで吸収してきたが、今後は従来型のラグジュアリーなファッションに時間とお金を使うことが「クールではない」という動きも出やすくなると思う。

WWD:その中で日本は「商社がカギとなる」と書いているが、その背景とは?

福田:一言で言えば、商社がサプライチェーンを握っているから。そこでしか取れない情報があり、それを提供できるようになるかが、アパレル業界全体を考えたときのGXの鍵となる。サプライチェーンのトレーサビリティは、一部の大手企業にしかできない。アパレル業界は中小企業が多いから業界全体のGX&DXを進めるためには商社がカギ、というよりは、やってもらわなくては困る。

日本の商社は低価格の商材から、スポーツ、ハイエンドまで幅広いジャンルの素材生産に関わっているから集めた情報を付加価値に変えるってことができれば、それは他国にはなかなか真似できない。特に環境負荷情報については、世界中が公平なデータベースを欲している。ヒグインデックスには現状賛否両論があるから、日本発の新しいクラウドサービスデータを提供ができると、大きなビジネス機会になるだろう。

WWD:産地に見る可能性とは?

福田:日本の産地には伝統技術工芸が未だに残っており、世界的に見て希少性がある。「希少性」はこれからのラグジュアリーを語る上でのキーワードだと思う。そこでしか作れない、歴史がある、と言った産地の要素はまさに希少。LVMHメティエダールと日本のデニムメーカーのクロキの提携の背景にもそれがある。

WWD:ファブシティとは。

福田:2000年代に米マサチューセッツ工科大学(MIT)から出てきたコンセプトで、グローバル化が進んだサプライチェーンを、デジタル技術も用いて一つのロケーションに戻してゆく、新しいモノづくりのあり方。日本でも鎌倉市やつくば市といった自治体が参加している。サステナビリティの観点からも地産地消の循環・再生型の都市の姿は今後日本の産地が目指す一つのロールモデルになるのではないだろうか。

WWD:各自治体で、カーボンニュートラルと循環の動きが出てきているが、それぞれが活動して連動していないケースが多い。

福田:まさに、COP28でも議論に上がっていた。カーボンニュートラルと経済成長は両立しづらくトレードオフで捉えられがちだが、一つの経済圏の中で両立してゆくアプローチを考えて行かなければいけない。

The post ベストセラーから5年 福田稔が新著「2040年アパレルの未来」で解く日本企業の生き残り戦略 appeared first on WWDJAPAN.

「クラブでも公園でも気軽に高品質なナチュラルワインを」 「ディージュース」が提案する新しいワインの楽しみ方

スウェーデン・ストックホルム発の新興ワインブランド「ディージュース(DJUCE)」は、新しいワインの消費体験を提案する。現代アーティストとコラボしたポップなイラストが目を引くアルミ缶のパッケージでは、厳選したヨーロッパの自然派ワインを提供する。「ディージュース」があえてアルミ缶で挑戦している背景には、ガラス製のワインボトルの環境負荷の高さがある。スウェーデン国営酒販店のシステムボラーゲットの調査によると、ワインの製造工程において、ガラス瓶の製造・輸送時にかかるCO2は全体の排出量の約半分を占める。これを軽量なアルミ缶に変えることで、ガラス瓶と比較して79%削減可能だという。

2022年夏にスタートして以降、ヨーロッパや北米などの17カ国でデパートや小売店、飲食店、ナイトクラブ、ホテルなどでの取り扱いが始まっている。日本ではメイベルインターナショナルが輸入元となり国内の卸販売を担う。すでに「ディーン&デルーカ(DEAN & DELUCA)」六本木店などで販売がスタートした。ワイン産業の持続可能性を追求しつつ、新たなワインカルチャーを切り開こうとしている同ブランドの創業者に話を聞いた。

WWD:ブランド設立の経緯は?

アレックス・バウマン(Alex Baumann)=ディージュース共同創業者(以下、バウマン):「ディーシュース」は、5人のメンバーで立ち上げた。1人は10年以上ナチュラルワインを専門にしてきたソムリエだけど、そのほかはただのワイン好き(笑)。僕は元々オーガニックのペットフード会社を経営していて、ワインビジネスの経験は全くなかった。それでもワイン愛好家の一人として、昨今ワインを楽しむ若い人たちが減って産業が衰退している現状に何かできないかと思っていたんだ。

WWD:ワイン離れが進んでいる原因はなんだと考える?

バウマン:ワインの世界は知識がある人だけが楽しめるような敷居の高い印象を持たれているんだと思う。僕たちも一消費者としてその流れは感じていたし、周りもクラフトビールやカクテル派が多い。マーケット全体でも、若者に寄り添ったクールな印象のワインブランドって少ない。もっといろんな人たちが気軽に楽しめるようになるためにも、異業種で経験を積んだ僕たちが新しい視点でこれまでにないワインの消費体験を提案できると思った。

ガラスボトルのCO2排出量に着目

WWD:環境負荷の観点からパッケージにはアルミ缶を選んだ。

バウマン:ワインの製造工程においてもっとも環境負荷が高いのが重いビンの輸送だ。創業前にリサーチしていた時には、ガラス製のボトルのリサイクルはアルミ缶と比較して80%以上の二酸化炭素を排出することも知った。そこでオルタナティブな選択肢として缶に注目したんだ。若い世代の消費者はサステナビリティに関心が高いと言われるけど、この事実はまだまだ知られていないと思うし、僕たちが消費者を教育していく段階だと思っている。

WWD:アルミ缶は味の劣化が心配されるのでは?

バウマン:確かにこれまで特にヨーロッパでは缶のワインは、安くて質の悪いイメージを持たれていた。でも僕たちの商品は、缶でも品質を落とさずにとても美味しいワインが楽しめる。「ディージュース」の⽸はバルセロナのパートナー企業で生産していて、アルコール飲料のために開発したライナーを施すことでワインとアルミの接触を防いでいるんだ。缶から直接飲んでも、ワイングラスから飲むのと同じように味わうことができる。アルミ⽸は中⾝の酸化を防いで光も完全に遮断できるので保存にも適している。実際にその味が認めてもらえたからこそ、世界中のメディアから注目を浴びたんだと思う。予想以上にいろんな人たちに興味を持ってもらう頃ができてとても嬉しいよ。日本でもこれから適切なパートナーと一緒にどんな商品が好まれるのか探っていきたい。

ファッショション業界と一緒にサステナブルな消費を盛り上げたい

WWD:思わず写真を撮りたくなるようなパッケージや、ウェブサイトなどの見せ方も新しさを感じる。

バウマン:クールなライフスタイルブランドのような見え方はすごく意識しているところなのでそう言ってもらえてうれしいよ。チームに現代アーティストとのネットワークを持っているメンバーがいて、今のデザインを実現できている。大事にしているのはアーティストとワインメーカーの両方が満足してくれるアウトプットであること。ウェブサイト上では、生産地の情報や僕たちの企業としの考え方などを載せて透明性も大事にしている。

WWD:どんな人たちに、どんなシーンで楽しんでほしい?

バウマン:まずはデュア・リパ(Dua Lipa)かな(笑)。というのも、彼女は本物のナチュラルワイン愛好家なんだ。彼女に認めてもらえたらとてもうれしいよ。実際は若者からお年寄りまでいろんな人に楽しんでほしい。「いいワインを飲みたいけど、ボトル1本はいらないんだけどな」という時に気軽に楽しめるサイズなのもポイント。ナイトクラブでも公園でも、どんなところでもジュース缶を手にするように、高品質なナチュラルワインをみんなが楽しんでいる光景を見るのが僕たちの夢だ。そのためには、ぜひ日本の消費者にも私たちのワインを一度味わってみてほしい。「ディージュース」が売れることで、環境への影響も減らせることも伝えていきたい。

WWD:サステナブルかつデザイン性の高いオルタナティブな選択肢を増やしていくことは、ファッション産業においても重要だ。

バウマン:ライフスタイルブランドを目指している僕たちとファッションは共通するところがたくさんあるし、特にサステナブルファッションに興味のある人たちは僕たちが狙っている層でもある。長く楽しめる高品質な物を消費者に手に取ってほしいというのは、僕たちも同じだ。ファッション産業に関わる人たちと一緒にサステナブルな消費のムーブメントを盛り上げていきたい。

The post 「クラブでも公園でも気軽に高品質なナチュラルワインを」 「ディージュース」が提案する新しいワインの楽しみ方 appeared first on WWDJAPAN.

アートと切っても切れないファッション 「アキラナカ」がつくる“コンテクストをまとう”洋服

ナカ アキラ/「アキラナカ」デザイナー

PROFILE:1973年三重県生まれ。2005年ベルギー・アントワープ王立芸術アカデミー在学中に若手デザイナーの登竜門、イェール国際モードフェスティバルに選出される。その後アントワープでニットデザイナーに師事し、06年に日本へ帰国。07年ウィメンズブランド「ポエジー」をスタート。08年、ブランド名を「アキラナカ」に変更 PHOTO:TSUKASA NAKAGAWA

ウィメンズブランド「アキラナカ(AKIRANAKA)」は、アートからインスピレーションを得た服づくりを行なっている。2024年プレ・フォール・コレクションでは印象派画家を、2024年春夏コレクションではフランス出身のクリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)をアイデアの源泉とした。ブランドの公式サイトには、シーズンごとのコレクションノートを掲載した「ボイス(VOICE)」を設けており、デザインチームがどのようにテーマを解釈し、クリエイションに落とし込んだのかを垣間見ることができる。デザイナーのナカ アキラはなぜアートを起点にしたコレクションを発表するのか。ナカに話を聞いた。

「ファッションからファッションをつくらない」という教え

WWD: アートをデザインソースにする理由は?

ナカ アキラ(以下、ナカ):そのように教育されたから、というのが一番大きい。僕はアントワープ王立芸術アカデミーで服づくりを学んだが、当時の学長だったリンダ・ロッパが、「ファッションからファッションを作らないように心掛けて」といつも言っていた。アントワープ王立芸術アカデミーの英語名は“ロイヤル・アカデミー・オブ・ファインアーツ”、つまり芸術大学だ。ファッションの枠組みの中だけでクリエイションしても、新しいものは生まれないという考えのもと、アートを始め建築など、ファッション以外のものをリサーチして組み合わせる教育を受けた。今でも、リサーチを踏まえた上で洋服のデザインを発展させている。

WWD:アートを用いる意図は?

ナカ:「アキラナカ」はウィメンズブランドで、“アティテュードをまとう”がコンセプト。女性の内面に働きかける服を作りたいと思い、たどり着いたのがアートを用いて服の中に価値を据えることだった。建築やアートには作り手の視点や思考が含まれている。それらをファッションに盛り込むことで、女性の内面にある知性や美意識などを引き出し、鼓舞したい。見た目の美しさの追求によって、自尊心や美意識が成長することもあるが、外見のスタイルで終わってしまうことが少なくないから。

WWD: 24年プレ・フォール・コレクションを発表した。ここではアートをどう落とし込んだか?

ナカ:今回のテーマは「習作の美」。アーティストたちが下絵や練習のために描いた作品を、一般的に「エチュード(習作)」と呼ぶ。19世紀半ばに活躍したクロード・モネ(Claude Monet)やポール・セザンヌ(Paul Cezanne)のような印象派たちは、あえて筆跡を残したり、絵の具で塗りつぶさず余白を残したりした。当時は「絵画は写実的であるのが当たり前」という価値観があったにもかかわらず、彼らはこのような習作に見られる技法を取り入れた表現を試みた。そのような印象派たちから着想を得て、ファッションの美しさも写実的に完成されたものだけでなく、プロセス自体にも宿るということを伝えたいと思った。今回のコレクションでは、ラペルが途中までしかないジャケットなどで表現した。また、自然なままの状態に美しさを見出す女性の姿勢を表現するため、天然石をボタンにあしらったシャツをつくったが、ボタンひとつひとつの形を整えることはせず、不揃いのままで使っている。

美しさの裏側のコンテクストが重要

WWD:アートから着想を得たファッションがたくさん存在するが、「アキラナカ」ではそれらとどのように差別化を図っているか?

ナカ:クリエイションの裏にたくさんのコンテクスト(文脈)がある点だ。ファッションとアートのコラボレーションの多くは、絵画の色彩を使ったり、デザインをプリントしたりして、その面白さや美しさをそのままファッションに持ち込んでいる。「アキラナカ」では、特定のアーティストを取り上げた理由や、そのアーティストが生きた時代背景など、アートやアーティストにまつわる事象をコンテクストとしてクリエイションに落とし込んでいる。僕の洋服によって、「どう生きるか」「物事をどう見つめるか」といった思索を人に喚起できればと思う。ファッションは美しさで人を魅了することも重要だが、表面的な美しさ以上に視点や思考を含ませたい。

WWD:「アートは難しい」と距離を感じる人も多いが?

ナカ:アート自体はどのように理解されてもいいものだし、それぞれの人の経験と紐づけられることによって、作品に対する理解や好き嫌いが生まれるものだと思う。答えがあるものではなく、むしろ解釈が広がるのがアートだ。答えを集約してしまうような見方をしてはもったいないと思う。

アートを観る喜びは、自分にない視点を得られることにあるが、僕は洋服がその役割を果たしてもいいと考える。自分にとっては服が最後のゴールではなく、コレクションや制作プロセス、その発信も全て作品の一部だから。「ファッションデザイナーであれば服で表現した方がいい」という人もいるが、僕はそう思わない。ファッションの先があっていいはずだ。

The post アートと切っても切れないファッション 「アキラナカ」がつくる“コンテクストをまとう”洋服 appeared first on WWDJAPAN.

アートと切っても切れないファッション 「アキラナカ」がつくる“コンテクストをまとう”洋服

ナカ アキラ/「アキラナカ」デザイナー

PROFILE:1973年三重県生まれ。2005年ベルギー・アントワープ王立芸術アカデミー在学中に若手デザイナーの登竜門、イェール国際モードフェスティバルに選出される。その後アントワープでニットデザイナーに師事し、06年に日本へ帰国。07年ウィメンズブランド「ポエジー」をスタート。08年、ブランド名を「アキラナカ」に変更 PHOTO:TSUKASA NAKAGAWA

ウィメンズブランド「アキラナカ(AKIRANAKA)」は、アートからインスピレーションを得た服づくりを行なっている。2024年プレ・フォール・コレクションでは印象派画家を、2024年春夏コレクションではフランス出身のクリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)をアイデアの源泉とした。ブランドの公式サイトには、シーズンごとのコレクションノートを掲載した「ボイス(VOICE)」を設けており、デザインチームがどのようにテーマを解釈し、クリエイションに落とし込んだのかを垣間見ることができる。デザイナーのナカ アキラはなぜアートを起点にしたコレクションを発表するのか。ナカに話を聞いた。

「ファッションからファッションをつくらない」という教え

WWD: アートをデザインソースにする理由は?

ナカ アキラ(以下、ナカ):そのように教育されたから、というのが一番大きい。僕はアントワープ王立芸術アカデミーで服づくりを学んだが、当時の学長だったリンダ・ロッパが、「ファッションからファッションを作らないように心掛けて」といつも言っていた。アントワープ王立芸術アカデミーの英語名は“ロイヤル・アカデミー・オブ・ファインアーツ”、つまり芸術大学だ。ファッションの枠組みの中だけでクリエイションしても、新しいものは生まれないという考えのもと、アートを始め建築など、ファッション以外のものをリサーチして組み合わせる教育を受けた。今でも、リサーチを踏まえた上で洋服のデザインを発展させている。

WWD:アートを用いる意図は?

ナカ:「アキラナカ」はウィメンズブランドで、“アティテュードをまとう”がコンセプト。女性の内面に働きかける服を作りたいと思い、たどり着いたのがアートを用いて服の中に価値を据えることだった。建築やアートには作り手の視点や思考が含まれている。それらをファッションに盛り込むことで、女性の内面にある知性や美意識などを引き出し、鼓舞したい。見た目の美しさの追求によって、自尊心や美意識が成長することもあるが、外見のスタイルで終わってしまうことが少なくないから。

WWD: 24年プレ・フォール・コレクションを発表した。ここではアートをどう落とし込んだか?

ナカ:今回のテーマは「習作の美」。アーティストたちが下絵や練習のために描いた作品を、一般的に「エチュード(習作)」と呼ぶ。19世紀半ばに活躍したクロード・モネ(Claude Monet)やポール・セザンヌ(Paul Cezanne)のような印象派たちは、あえて筆跡を残したり、絵の具で塗りつぶさず余白を残したりした。当時は「絵画は写実的であるのが当たり前」という価値観があったにもかかわらず、彼らはこのような習作に見られる技法を取り入れた表現を試みた。そのような印象派たちから着想を得て、ファッションの美しさも写実的に完成されたものだけでなく、プロセス自体にも宿るということを伝えたいと思った。今回のコレクションでは、ラペルが途中までしかないジャケットなどで表現した。また、自然なままの状態に美しさを見出す女性の姿勢を表現するため、天然石をボタンにあしらったシャツをつくったが、ボタンひとつひとつの形を整えることはせず、不揃いのままで使っている。

美しさの裏側のコンテクストが重要

WWD:アートから着想を得たファッションがたくさん存在するが、「アキラナカ」ではそれらとどのように差別化を図っているか?

ナカ:クリエイションの裏にたくさんのコンテクスト(文脈)がある点だ。ファッションとアートのコラボレーションの多くは、絵画の色彩を使ったり、デザインをプリントしたりして、その面白さや美しさをそのままファッションに持ち込んでいる。「アキラナカ」では、特定のアーティストを取り上げた理由や、そのアーティストが生きた時代背景など、アートやアーティストにまつわる事象をコンテクストとしてクリエイションに落とし込んでいる。僕の洋服によって、「どう生きるか」「物事をどう見つめるか」といった思索を人に喚起できればと思う。ファッションは美しさで人を魅了することも重要だが、表面的な美しさ以上に視点や思考を含ませたい。

WWD:「アートは難しい」と距離を感じる人も多いが?

ナカ:アート自体はどのように理解されてもいいものだし、それぞれの人の経験と紐づけられることによって、作品に対する理解や好き嫌いが生まれるものだと思う。答えがあるものではなく、むしろ解釈が広がるのがアートだ。答えを集約してしまうような見方をしてはもったいないと思う。

アートを観る喜びは、自分にない視点を得られることにあるが、僕は洋服がその役割を果たしてもいいと考える。自分にとっては服が最後のゴールではなく、コレクションや制作プロセス、その発信も全て作品の一部だから。「ファッションデザイナーであれば服で表現した方がいい」という人もいるが、僕はそう思わない。ファッションの先があっていいはずだ。

The post アートと切っても切れないファッション 「アキラナカ」がつくる“コンテクストをまとう”洋服 appeared first on WWDJAPAN.

東急不動産が進める「生物多様性」が軸の街づくり 都心で人と生き物、植物をつなぐ

渋谷を中心に都市開発を進める大手デベロッパーの東急不動産は“環境先進企業”を掲げ、「脱炭素社会」「循環型社会」「生物多様性」を重点課題としている。中でも、業界で先進的に取り組むのが生物多様性の保全だ。都心地域の植生を保持し、人と生き物、そして植物が共生する街づくりを進めている。持ち株会社である東急不動産ホールディングスでは2023年、国内不動産業として初めて自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下TNFD)レポートを公開し、事業におけるネイチャーポジティブへの貢献を示した。なぜ街づくりにおいて「生物多様性」が必要なのか。TNFDレポートで評価された内容や事例をもとに、サステナビリティ推進部の松本恵・担当部長に取り組みの背景について聞く。

「東急プラザ表参道原宿」開業以降、
渋谷圏内の生物多様性の回復に貢献

TNFDレポートの分析では、同社が保有する39施設の緑地面積の増加により、2012年以降の東急グループが定める渋谷駅から半径約2.5kmのエリア「広域渋谷圏」における物件建設前後の生物多様性再生効果が上昇していることが分かった。これは同エリアの渋谷区商業地域の平均を上回る数値になる。その一例が同年に開業した東急プラザ表参道原宿だ。商業と自然の共存がコンセプトの大規模な屋上庭園「おもはらの森」は開業時に大きな話題となった。鳥や虫が好む樹木を配し、ケヤキやイロハモミジといった日本在来の植物を選び、野鳥が水を飲んで水浴びできるバードバスも設置。近所の小学校とは鳥の巣箱を作る出張授業を行うなど、次世代に向けて生物多様性の重要性を発信する。毎年鳥類と昆虫類のモニタリング調査を行い、生き物の生息・飛来状況の変化を把握し、緑化を進めるなど、生態系にポジティブインパクトを与えている。

サステナブルな設計で森林につながりを持つ
「フォレストゲート代官山」

23年に開業したフォレストゲート代官山は、「緑・環境サステナブル」などのライフスタイルを提案する商業・住宅・シェアオフィスなどの複合施設だ。同社の日本の森林を守る「緑をつなぐプロジェクト」が保全する対象である岡山県西粟倉村の木材を建材に利用した緑豊かな空間は生物多様性に配慮している。建築家の隈研吾が設計したMAIN棟は、小箱を積み上げたようなナチュラルな木目の外観デザインが特徴的だ。サステナブルな生活体験を提供するTENOHA棟の六角形の木造建物は、解体して組み直すことが可能な設計になっている。屋上には菜園があり、収穫物は入居店舗で利用するなど、館内で循環の実現を図っている。さらに食物廃棄物を利用したメタン発酵から生まれた電力の利用にも着手している。来館者がサステナブルなコンセプトを体感しながら、考えるきっかけを提供したいと考えている。

「自然資本そのものが、事業の根幹」

同社が環境ビジョンの基本理念を策定したのは1998年にさかのぼる。2021年には、持ち株会社である東急不動産ホールディングスが2030年に向けた長期ビジョン「GROUP VISION 2030」を発表し、現在、グループ全体で全社方針として「環境経営」を掲げて取り組みを推進している。「企業の持続的な成長のためには、個人を支える社会、その社会を支える地球環境、それぞれに対して価値を創造し続けることが重要。中でも、生活や経済活動を支える基盤の環境を守ることは最も大事で、ここに注力しなければ、個人や社会も存続できない」と松本部長は語る。

松本部長に「生物多様性」に取り組む重要性を聞くと、「当社は、北海道ニセコのスキー場や沖縄のリゾートホテルまで全国でリゾート事業を展開している。海や山といった豊かな自然資本そのものが、事業の根幹という意識。また、都市のまちづくりで緑化を取り入れることは、建物を利用する上で魅力や癒しにつながる。例えば、オフィスの緑化はワーカーのストレス軽減や生産性の向上にもよい影響となると考えている。サステナブルな視点での先進的な提案は、都市開発の魅力につながる」と話す。

TNFDレポートから見えた新たな課題は?
理想の街づくりとは?

同社グループのTNFDレポートは、自然資本への「依存」と「インパクト」を大きなテーマとしてまとめられている。企業の活動が、その土地や地域にどれほどの影響を与えるのか。また、建築資材などでの調達が自然にどれほど依存しているのか。自然資本への影響を把握することは、持続的な事業活動のために不可欠であるとの考えがある。

「脱炭素や気候変動が先行して環境の意識が高まった感があるが、これからは生物多様性の重要性が高まるだろう。難しさはあるが、まちづくりを通じて、自然をどう回復させるかを実現できるかが一層求められる。環境への取り組みは私たちの強みなので、いろんなステークホルダーと新しい取り組みを進めるきっかけにもなりえるのでは」と松本部長。今春には原宿の神宮前交差点に商業施設「東急プラザ原宿 ハラカド」、夏には「渋谷サクラステージ(SHIBUYA SAKURA STAGE)」の開業を控えている。「買い物もスマホで簡単にできる時代。魅力ある街には、その場所にどうしても行きたくなる動機が必要。これからも『住む』『過ごす』『働く』という街の機能の魅力を更に高めていく。その上で、持続可能な街作りには環境への取り組みが重要な基盤だと考えている」。

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
東急不動産問い合わせフォーム
https://www.tokyu-land.co.jp/contact/

The post 東急不動産が進める「生物多様性」が軸の街づくり 都心で人と生き物、植物をつなぐ appeared first on WWDJAPAN.

東急不動産が進める「生物多様性」が軸の街づくり 都心で人と生き物、植物をつなぐ

渋谷を中心に都市開発を進める大手デベロッパーの東急不動産は“環境先進企業”を掲げ、「脱炭素社会」「循環型社会」「生物多様性」を重点課題としている。中でも、業界で先進的に取り組むのが生物多様性の保全だ。都心地域の植生を保持し、人と生き物、そして植物が共生する街づくりを進めている。持ち株会社である東急不動産ホールディングスでは2023年、国内不動産業として初めて自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下TNFD)レポートを公開し、事業におけるネイチャーポジティブへの貢献を示した。なぜ街づくりにおいて「生物多様性」が必要なのか。TNFDレポートで評価された内容や事例をもとに、サステナビリティ推進部の松本恵・担当部長に取り組みの背景について聞く。

「東急プラザ表参道原宿」開業以降、
渋谷圏内の生物多様性の回復に貢献

TNFDレポートの分析では、同社が保有する39施設の緑地面積の増加により、2012年以降の東急グループが定める渋谷駅から半径約2.5kmのエリア「広域渋谷圏」における物件建設前後の生物多様性再生効果が上昇していることが分かった。これは同エリアの渋谷区商業地域の平均を上回る数値になる。その一例が同年に開業した東急プラザ表参道原宿だ。商業と自然の共存がコンセプトの大規模な屋上庭園「おもはらの森」は開業時に大きな話題となった。鳥や虫が好む樹木を配し、ケヤキやイロハモミジといった日本在来の植物を選び、野鳥が水を飲んで水浴びできるバードバスも設置。近所の小学校とは鳥の巣箱を作る出張授業を行うなど、次世代に向けて生物多様性の重要性を発信する。毎年鳥類と昆虫類のモニタリング調査を行い、生き物の生息・飛来状況の変化を把握し、緑化を進めるなど、生態系にポジティブインパクトを与えている。

サステナブルな設計で森林につながりを持つ
「フォレストゲート代官山」

23年に開業したフォレストゲート代官山は、「緑・環境サステナブル」などのライフスタイルを提案する商業・住宅・シェアオフィスなどの複合施設だ。同社の日本の森林を守る「緑をつなぐプロジェクト」が保全する対象である岡山県西粟倉村の木材を建材に利用した緑豊かな空間は生物多様性に配慮している。建築家の隈研吾が設計したMAIN棟は、小箱を積み上げたようなナチュラルな木目の外観デザインが特徴的だ。サステナブルな生活体験を提供するTENOHA棟の六角形の木造建物は、解体して組み直すことが可能な設計になっている。屋上には菜園があり、収穫物は入居店舗で利用するなど、館内で循環の実現を図っている。さらに食物廃棄物を利用したメタン発酵から生まれた電力の利用にも着手している。来館者がサステナブルなコンセプトを体感しながら、考えるきっかけを提供したいと考えている。

「自然資本そのものが、事業の根幹」

同社が環境ビジョンの基本理念を策定したのは1998年にさかのぼる。2021年には、持ち株会社である東急不動産ホールディングスが2030年に向けた長期ビジョン「GROUP VISION 2030」を発表し、現在、グループ全体で全社方針として「環境経営」を掲げて取り組みを推進している。「企業の持続的な成長のためには、個人を支える社会、その社会を支える地球環境、それぞれに対して価値を創造し続けることが重要。中でも、生活や経済活動を支える基盤の環境を守ることは最も大事で、ここに注力しなければ、個人や社会も存続できない」と松本部長は語る。

松本部長に「生物多様性」に取り組む重要性を聞くと、「当社は、北海道ニセコのスキー場や沖縄のリゾートホテルまで全国でリゾート事業を展開している。海や山といった豊かな自然資本そのものが、事業の根幹という意識。また、都市のまちづくりで緑化を取り入れることは、建物を利用する上で魅力や癒しにつながる。例えば、オフィスの緑化はワーカーのストレス軽減や生産性の向上にもよい影響となると考えている。サステナブルな視点での先進的な提案は、都市開発の魅力につながる」と話す。

TNFDレポートから見えた新たな課題は?
理想の街づくりとは?

同社グループのTNFDレポートは、自然資本への「依存」と「インパクト」を大きなテーマとしてまとめられている。企業の活動が、その土地や地域にどれほどの影響を与えるのか。また、建築資材などでの調達が自然にどれほど依存しているのか。自然資本への影響を把握することは、持続的な事業活動のために不可欠であるとの考えがある。

「脱炭素や気候変動が先行して環境の意識が高まった感があるが、これからは生物多様性の重要性が高まるだろう。難しさはあるが、まちづくりを通じて、自然をどう回復させるかを実現できるかが一層求められる。環境への取り組みは私たちの強みなので、いろんなステークホルダーと新しい取り組みを進めるきっかけにもなりえるのでは」と松本部長。今春には原宿の神宮前交差点に商業施設「東急プラザ原宿 ハラカド」、夏には「渋谷サクラステージ(SHIBUYA SAKURA STAGE)」の開業を控えている。「買い物もスマホで簡単にできる時代。魅力ある街には、その場所にどうしても行きたくなる動機が必要。これからも『住む』『過ごす』『働く』という街の機能の魅力を更に高めていく。その上で、持続可能な街作りには環境への取り組みが重要な基盤だと考えている」。

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
東急不動産問い合わせフォーム
https://www.tokyu-land.co.jp/contact/

The post 東急不動産が進める「生物多様性」が軸の街づくり 都心で人と生き物、植物をつなぐ appeared first on WWDJAPAN.

60周年のジュン アシダ 芦田多恵デザイナーが父から受け継いだもの

「ジュン アシダ(JUN ADHISA)」と「タエ アシダ(TAE ASHIDA)」を手掛けるジュン アシダは昨年、会社設立60周年を迎えた。これを記念して11月には、両ブランド初の合同ショーを東京・新宿の三角広場で開催した。「ブランドの過去と現在を示すショーにしたかった」と芦田多恵デザイナーは振り返る。

「ジュン アシダ」は、アーカイブを盛り込んだコレクションを見せた。「これまでの資料を見返すと、今でも古く感じない服がたくさんあった。父(故・芦田淳デザイナー)のタイムレスなデザインの魅力を伝えたくて、51点中21点をアーカイブで構成した」と芦田デザイナー。

象徴的なアイテムは、ジッパーの開閉で身頃などを取り外し、丈の長さやシルエットを変化できる“ジッパーシリーズ”だ。当時としては珍しいギミックだが、「気分やシーンに合わせて変えられる、父お気に入りのシリーズだった」という。そんなアイテムを、スタイリングの工夫と素材の変更で、トレンド感を盛り込んだ。ジッパーは、途中まで開けて肌見せに応用し、素材は動きやすさを考慮してソフトなものに変更。そのほかのアーカイブも、肩周りと袖周りをコンパクトに調整するなど、日常での着やすさを意識した。ショー冒頭では、冨永愛をはじめとしたモデル6人が白い舞台に立つ演出を実施。これも、過去のファッション写真のオマージュだという。

一方の「タエ アシダ」は、グローバルトレンドでもあるデニムアイテムを押し出した。一口にデニムと言ってもその表現は多様で、襟をフリルに見立てたブラウスや、同系色のレースをドッキングしたスカート、騙し絵風のプリントコートなど、実験的なアイテムもあり、芦田デザイナーの飽くなき探究心がうかがえた。

ショーでは、芦田淳デザイナーの半生を描いたCGアニメーションも披露し、ブランドの背景をまっすぐに伝えた。また、音楽プロデューサー小室哲哉やモデルの大平修蔵によるパフォーマンスも行った。

今後のビジョンについて聞くと、芦田デザイナーは「全くわからない」と笑った。「常に“今”を大事にしてきた。振り返れば父もそうだった。今やりたいことと、やるべきことを必死にやるだけ。時代がどうなるかは、誰にも分からないから」。

The post 60周年のジュン アシダ 芦田多恵デザイナーが父から受け継いだもの appeared first on WWDJAPAN.

60周年のジュン アシダ 芦田多恵デザイナーが父から受け継いだもの

「ジュン アシダ(JUN ADHISA)」と「タエ アシダ(TAE ASHIDA)」を手掛けるジュン アシダは昨年、会社設立60周年を迎えた。これを記念して11月には、両ブランド初の合同ショーを東京・新宿の三角広場で開催した。「ブランドの過去と現在を示すショーにしたかった」と芦田多恵デザイナーは振り返る。

「ジュン アシダ」は、アーカイブを盛り込んだコレクションを見せた。「これまでの資料を見返すと、今でも古く感じない服がたくさんあった。父(故・芦田淳デザイナー)のタイムレスなデザインの魅力を伝えたくて、51点中21点をアーカイブで構成した」と芦田デザイナー。

象徴的なアイテムは、ジッパーの開閉で身頃などを取り外し、丈の長さやシルエットを変化できる“ジッパーシリーズ”だ。当時としては珍しいギミックだが、「気分やシーンに合わせて変えられる、父お気に入りのシリーズだった」という。そんなアイテムを、スタイリングの工夫と素材の変更で、トレンド感を盛り込んだ。ジッパーは、途中まで開けて肌見せに応用し、素材は動きやすさを考慮してソフトなものに変更。そのほかのアーカイブも、肩周りと袖周りをコンパクトに調整するなど、日常での着やすさを意識した。ショー冒頭では、冨永愛をはじめとしたモデル6人が白い舞台に立つ演出を実施。これも、過去のファッション写真のオマージュだという。

一方の「タエ アシダ」は、グローバルトレンドでもあるデニムアイテムを押し出した。一口にデニムと言ってもその表現は多様で、襟をフリルに見立てたブラウスや、同系色のレースをドッキングしたスカート、騙し絵風のプリントコートなど、実験的なアイテムもあり、芦田デザイナーの飽くなき探究心がうかがえた。

ショーでは、芦田淳デザイナーの半生を描いたCGアニメーションも披露し、ブランドの背景をまっすぐに伝えた。また、音楽プロデューサー小室哲哉やモデルの大平修蔵によるパフォーマンスも行った。

今後のビジョンについて聞くと、芦田デザイナーは「全くわからない」と笑った。「常に“今”を大事にしてきた。振り返れば父もそうだった。今やりたいことと、やるべきことを必死にやるだけ。時代がどうなるかは、誰にも分からないから」。

The post 60周年のジュン アシダ 芦田多恵デザイナーが父から受け継いだもの appeared first on WWDJAPAN.

祐真朋樹と東邦レオ社長が日本庭園の新プロジェクト、「日本発ラグジュアリー」で世界も射程

左:祐真朋樹/スタイリスト、ファッションディレクター 右:吉川稔/東邦レオ社長、NI-WA社長

(すけざね・ともき)1965年生まれ、京都市出身。1986年、21歳で上京しマガジンハウス「ポパイ」のファッションエディターとしてキャリアをスタート。ファッション誌や広告のスタイリングでも活躍する一方で、さまざまなファッションブランドのブランディング、ディレクションも手掛ける。2018年から香取慎吾と共創する「ヤンチェ_オンテンバール」をディレクション。 2021年から「ランバン コレクション メンズ」のクリエイティブ・ディレクターを務める
(よしかわ・みのる)1965年生まれ、大阪府出身。1989年神戸大学農学部を卒業後、住友信託銀行に入社。1999年オーブを設立しライフスタイル事業への投資を開始。2001年ルシェルブルー(現リステアホールディングス)の取締役となり2004年にリステア(同)の副社長に就任。ゴールドマンサックスとの合弁会社リステアインベストメントの代表取締役に就任し、グッチグループとともにバレンシアガ・ジャパンを設立し取締役に。2010年クール・ジャパン官民有識者会議委員に就任。2012年から東邦レオのアドバイザーとなり、2016年7月子会社NI-WAを設立し社長に就任。同年11月東邦レオ社長に就任

緑化事業や九段ハウスの企画運営などを手がける東邦レオと子会社NI-WAが、「日本庭園プロジェクト」を開始した。ディレクターとして参画するのが、ファッションディレクターの祐真(すけざね)朋樹だ。1月27日から九段ハウスで始まる「黒松フィジタルNFTアート」の凱旋お披露目展の前夜のオープニングパーティでは、一夜限りのサロンの“主(あるじ)”としてゲストを迎える。このプロジェクトと、日本庭園とのかかわりや魅力、サロンに込めた思いや今後のビジョンについて、祐真氏と吉川稔・東邦レオ社長に話を聞いた。

日本庭園に注目したワケ

――東邦レオと子会社のNI-WAが手がける日本庭園プロジェクトとは?

吉川稔・東邦レオ社長(以下、吉川):東邦レオは緑化・グリーンインフラ事業が祖業で、私はリステア副社長を経て2016年に社長に就任した。以降は街づくりやコミュニティづくり、ランドスケープデザインなど、クリエイティブに業容を拡大してきた。18年から運営する九段ハウスは、築90年以上の和洋折衷のスパニッシュ様式の邸宅をリノベーションし、庭は京都の職人を起用して、あえて日本庭園を造った。ビジネスサロンとして活用するだけでなく、ここに価値を感じて、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」をはじめとしたラグジュアリーブランドやアーティストにイベント会場や撮影に使用していただいたりもしている。

さらに、日本庭園に魅力を感じ、ホテルや店舗、個人宅に作りたいというニーズの高まりから、台湾や欧米などで新しい事業として展開していこうと考えた。日本庭園の象徴である黒松は海外でも大人気で、樹齢300~500年など良いものには高値が付き、希少性が増している。けれども、輸送して環境の異なる土地に植えても根付かず枯れてしまうケースも多く、日本の資産、自然の資産、生き物・命が消費されているように感じて嫌だなと感じていた。そこで、緑化のプロであるわれわれ自身が黒松を扱い、日本庭園を造る際に活用しようと、良いもの、個性的なものをコツコツ買い集める一方で、黒松に負担をかけずに、しかもアーティスティックな方法で海外でもプロモーションを行おうと、黒松フィジタルNFTアートを作成し、第1弾を「スコープ マイアミ ビーチ2023」で昨年12月に発表した。1月27日~2月4日に九段ハウスで行う「アーティストラウンジ」イベントはその凱旋展示を兼ねたイベントだ。日本庭園や茶会には主(あるじ)が重要なので、日本庭園プロジェクトのクリエイティブディレクター的な立場を担っていただく祐真さんと、「酒肆(しゅし)ガランス」の星野哲也オーナーにオープニングパーティでその役割を担っていただくことにした。

――祐真さんと日本庭園のかかわりや、興味を持ったきっかけは何か?

祐真朋樹ファッションディレクター(以下、祐真):京都の比叡山を一望できる北山で生まれ育った。京都は「グッチ(GUCCI)」発祥の地であるフィレンツェの姉妹都市。それが縁で2011年には90周年イベントを京都で行いたいとの相談を受け、オーガナイザーを務めた。「グッチ」のブランドイメージと金閣寺の舎利殿が繋がり、金閣寺で執り行った。全体監修には京都造形芸術大学長だった千住博さんをお迎えし、グッチのアーカイブを展示。数百人のプレスやゲストが来た。

1986年に21歳で東京に来て以来、ずっとファッション畑を歩んできた。ミラノ、パリ、ニューヨーク、ロンドンのコレクションに足繁く通い、プライベートを含めて世界40カ国を訪れた。どの土地でファッションショーを見ても、それは街の特徴や気配と一体化していて、服だけでブランドを論じることはできないと感じるようになった。僕の感覚の根底にも、生まれ育った京都の古い街並みがあることはわかっていたし、それが外国人に刺さることも理解していた。けれども、20代の頃の僕の志向は西洋一色だったので、本当に京都の良さが身にしみてわかったのは30歳を過ぎてから。きっかけは京都をよく勉強していた高校時代の友人が、大徳寺の瑞峯院と、鞍馬寺を案内し、その歴史や建物や庭の様式、塔頭や茶室、なぜこの場所にあるのかなどを説明してくれたこと。それで初めて、京都の奥深さを体感した。こんな素晴らしい文化がある日本も捨てたもんじゃないなと気付かされた。山の上にあって京都が一望できる鞍馬寺はとてもミステリアスで、山道を抜けると貴船神社に通じている。すごいパワースポットだと感じた。

「日本庭園」に海外でも注目高まる

――ステラ・マッカートニーや彼女の夫で「ハンター(HUNTER)」のクリエイティブディレクターのアラスデア・ウィリス、「グッチ」の元クリエイティブ・ディレクターのアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)など、ファッションデザイナーにも日本庭園のファンは多いが、印象深かったエピソードは?

祐真:「ボッテガ ヴェネタ(VOTTEGA VENETA)」で一時代を築いたトーマス・マイヤーが最も記憶に残っている。来日時に京都を案内してほしいと言われて、大徳寺の孤篷庵という塔頭に連れていった。トーマスは初めて訪れたにも関わらず、小堀遠州が作庭したことや、山を船に見立てたり、湖水に浮かんだ船に乗っているような造りであることなども説明してくれて。「ほんまですか?」と和尚さんに聞いたら「おうてます(あってます)」と。驚くとともに、自分の青さを恥じた。もっと知りたくなり、京都に帰るたびに禅寺や神社などを訪れたり、本を読んだりするようになった。

それが実際、スタイリングにどう影響したのか、を明確には語ることはできないが、京都や枯山水の庭で撮影したり、「GQジャパン」で着物のファッションストーリーを作ったり。そのうち、日本の建築と着物の相性の良さや、畳や和紙との関係性や、日本庭園の知られざる世界などについて、より深く知るようになった。ちなみに僕は、「カーサブルータス」で『ミラクルクローゼット』という連載を20年以上続けている。建築物とファッションを融合させる企画だが、その撮影場所に九段ハウスを選んでシューティングをしていたところ、吉川さんに10数年ぶりに再会した。

――そもそも二人はいつごろ、どんなきっかけで出会ったのか?

吉川:2000年代前半、リステアのデザイナーだったハン・アン・スンがきっかけだ。彼女が一度しか会ったことがないというのに、「私がデザイナーとして成功するには祐真さんの力が必要なんです!祐真さんしかいないんです!」と言い張って。それでお会いしてお仕事をお願いするようになって。その後、飲みに行ったり、ミッドタウンにリステアを作るときにも相談し、バイイングの方法も人の意識も変えなきゃねとアドバイスをもらったり、ダメ出ししてもらったりしていた。

祐真:ハンさんから情熱満載のお手紙をいただき、とにかく会いたいと言っていただいた。こんなアツい人なら面白いかもと思い、数シーズンお仕事させていただいた。その縁で吉川さんとも知り合いに。久しぶりにお会いしたときに、九段ハウスは洋館プラス日本庭園という珍しい造りで、外国文化と混ざった日本文化がここにはあり、自分は今そういうものに関心があるという話をした。京都のアマンやフォーシーズンズは、日本の良いところを取り入れて現代的に表現していて素敵だけれども、なぜ外国人の作り手ばかりが活躍しているのか、残念に思っていたところだった。

吉川:その話を憶えていて、ファッション、とくにラグジュアリーな世界では、日本庭園の価値は高く評価されるなと、いろいろな展開の可能性に気付き、もっと日本庭園を掘り下げて理解しなければと考えた。ただし、昔ファッションに携わっていたので、グローバルでビジネスを広げるにあたり、かつて「グッチ」を飛躍させたトム・フォードのようなクリエイティブディレクター的な存在が重要だと感じた。庭師でも造園家でもガーデナーでも建築家でもなく、異業種の人、異質の人が日本庭園を再解釈したら面白くて新しいものが生まれるのではないかと思い、「まずは勉強会をしましょう」「日本庭園をいろいろ見に行きましょう」と声をかけさせてもらった。それがちょうど1年前だ。

――多くの日本庭園を見てきたと思うが、とくに興味深かったことは?

祐真:宇治の平等院を訪ねたときのこと。平等院(の最勝院住職の家)を実家に持ち、東大大学院教授としてランドスケープアーキテクチュアを研究されている宮城俊作先生に話を伺ったことはとても興味深かった。平安時代に藤原家によって造られた浄土式庭園で、橘俊綱が編纂したといわれる世界最古の庭の本「作庭記」にも記されている。建物や庭が池に移り込んだ姿も美しく、それはあの世とこの世の境界線を表しているということ、そこは主が客を招いて絶景の眺めを前に飲んで遊ぶサロン的な存在だったということも教えていただいた。それまでは庭師の術中にはまるように造形を読み解くものだと思っていた日本庭園が、遊びの場であり、人の交流の場であったということを知った。庭園は、いかに楽しむかを追求する場でもあったということに気付かされた。その考え方が、26日の「アートラウンジ」の一夜限りのサロンにもつながっている。来ていただいた方々が交流し、楽しんでいただけるように精一杯ホストを務めたい。

彫刻家のイサム・ノグチさんが手がけた札幌のモエレ沼公園も良かった。彼は日系アメリカ人で、逆境にもさらされたが、最終的には日本で自分のやりたかったことを実現できたのではないか。その姿はどこか比叡山の麓に後水尾天皇が造った自然景観を生かした修学院離宮と似ているように僕には思え、すごく美しくて良いなと思った。  

吉川:サロンでは、審美的に静的に日本庭園を観賞するというよりも、人の存在と行為にフォーカスし、その空間や背景であるという概念としての日本庭園、つまり、サロンをやろうと考えた。そしてわかったのは、日本庭園においては主が大事だということ。僕はたまたまこの場所のオーナーだけど、祐真さんと、映画監督でもあり、まさにサロンのような飲食店「酒肆ガランス」のオーナーの星野さんに主をお願いし、デジタルアートとともにみなさんをお迎えしたい。

米国マイアミで発表、日本庭園 × NFT

――「黒松フィジタルNFTアート」とはどのようなものなのか?

吉川:東邦レオがメンバー非公開のメタバース・アート集団「○△□Labs (まるさんかくしかくらぼ)」のコアメンバーになり、第1弾の作品としてフィジタル彫刻NFTアート作品「ザ ラスト クロマツ ガーデン(THE LAST KUROMATSU GARDEN)」を制作した。日本庭園にたたずむ1本の黒松と禅の石庭を融合した“世界一静寂なフィジタルな映像彫刻”で、実在する黒松を高解像度スキャンをして、幹や枝のうねりや緑の松葉の繊細なタッチを表現し、12台の4Kモニターで映し出すもの。昨年12月5~10日まで出展した国際アートフェア「スコープ・マイアミ・ビーチ2023(SCOPE MIAMI BEACH 2023)」では、ポップな作品が多い中、マイアミビーチの砂を使った枯山水と、樹齢300年と言われる黒松の長く静寂な時の流れを感じられる優美な映像作品に、多くの来場者やデジタルアーティストらから好評をいただいた。今回のサロンでは同時に、星野さんが応援している写真家の飯田安国さんの写真展「Hi Love CAROL」も披露する。

祐真:ある朝突然、1月26日のサロンイベントの依頼が来ていて「すぐ返事しろ」というので驚いたけれど、「ガランス」の星野さんとは、原宿の「オーバカナル」時代から30年近く親しくしていただいている。星野さんとだったらいいサロンが出来るだろうなと思って「YES」と即答した。また、デジタルを活用できるということだったので、ハイスペックな仮想空間が出来たら面白そうだなと思い、富士山や満月、苔、錦鯉、稲穂、桜そして黒松など、日本のキャッチーな景色をアイコンにした空間を九段ハウスの地下に登場させた。廊下にはヒノキの木床も造作する。静寂をキープしながら、ちょっとした美的感覚を共有して豊かさを感じられる時間にしてもらえたら幸いだ。

吉川:黒松をフィジタルアートにした意味も改めて感じてほしい。というのも、所有するものだけでなく、月とか星とか空気とか、所有できないものを含めた構成要素で作り上げられた環境がいかに重要かを感じてほしいから。そして、日本庭園プロジェクトでは、外国人にも大人気のあの庭園や美術館「みたいなもの」を作ってくださいというような仕事は受けたくないし、海外で形だけをコピペされる偽物などとは一線を画す、本質的なものを作っていきたい。今、そういうものを求めている方々が増えていると思う。

祐真:令和の究極のサロンをつくることを目指したいですよね。

■Artist Lounge@kudan house(期間限定サロン)
日時:2024年1月27日~2月4日(1月31日休館日)
時間:10:00/14:00/19:00(所要時間1時間程度)
参加方法:事前予約制、無料
場所:九段ハウス/千代田区九段北1-15-9

The post 祐真朋樹と東邦レオ社長が日本庭園の新プロジェクト、「日本発ラグジュアリー」で世界も射程 appeared first on WWDJAPAN.

「マルジェラ」や「プラダ」のビンテージを販売開始 渋谷の古着「ツナギ ジャパン」

今年10周年を迎える「ツナギ ジャパン(TUNAGI JAPAN)」は、東京・渋谷のビンテージセレクトショップだ。これまでは井澤元気オーナーが厳選した古着を中心にオリジナルブランドのアイテムを取りそろえていたが、1月にはラグジュアリーブランドのビンテージアイテムの取り扱いもスタートした。

店名に込めた思いは、“日本中の笑顔をつなげる”

井澤オーナーは大学卒業後、大手アパレルに入社し販売経験を積む。学生の頃から古着が好きだったこともあり、28歳で「ツナギ ジャパン」を立ち上げた。店名の「ツナギ ジャパン」に込めた思いは、“日本中の笑顔をつなげる”。「ただ服を売るだけの店は、ほかにもある。私は、大切にしている人や好きな人同士が集まれる、つながれる場所を作りたかった。実際にここで生まれたつながりは、お客さまとスタッフが友人なったり、お客さま同士が仕事仲間になったケースもある」。

海外だけでなく、スタイリストからも買い付ける

ビンテージのラグジュアリーアイテムの取り扱いは、かつて2度イベントとして開催したことがあるが、このほど常時取り扱うことに決めた。「ハイブランドのビンテージアイテムが好きなこともあり、ずっと手掛けたいとは思っていたが、コロナなどの影響もあって思いとどまっていた。23年5月に店舗を移転し、落ち着いたこのタイミングで本格的にスタートしようと思った」と井澤オーナー。

現在並んでいるアイテムは、「プラダ(PRADA)」「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」の3ブランドを主軸に、「ジョン・ガリアーノ(JOHN GALLIANO)」や「ウェールズ ボナー(WALES BONNER)」など、ほかの古着屋ではあまり見かけないブランドも並ぶ。買い付けは主にアメリカとフランス、イギリスの3カ国に加え、スタイリストからも行っているそう。「過去に撮影で使用したアイテムや私物を買い取る。使用頻度が少ないこともあってか、かなり状態の良いアイテムが手に入る」と、少し珍しい買い付けのルートも教えてくれた。

アイテム一つひとつが引き立つ開放的な店内

店内は和モダンな空間で、無機質なコンクリートの内装に、“枯山水”や提灯型のデザインライトなどの和の要素が散りばめられている。広く開放感があり、商品をゆっくりと見ることが可能だ。

アイテムが窮屈に見えないよう、並べる間隔にゆとりを持たせているため視認性が良い。ディスプレーは古着とオリジナルアイテムをミックスし、来店客がワードローブにビンテージ古着を1点プラスするコーディネートをイメージしやすいよう工夫している。

井澤オーナーが選ぶ目玉アイテム5選

約150点のビンテージアイテムが並ぶ中、井澤オーナーに注目の品を5つ聞いた。

「プラダ」のジャケット

「ブラックとホワイトの2色をそろえているが、ボタンの数やポケットの数など、それぞれデザインが少しちがう。シルエットが美しくトレンドに囚われないデザインで、コーディネートに迷った時はつい手が伸びてしまう。『プラダ』の永遠の定番アイテムになるだろうと思い、常時店頭に置けるよう買い付けを強化する予定だ」。

「ジョン・ガリアーノ」のレザージャケット

「重厚感のある、当時の空気感を反映しているような形とデザイン。ジョン・ガリアーノ(John Galliano)は、現在『メゾン マルジェラ』のデザイナーを務めているが、今のデザインにもつながるストーリー性のある一着だと思う。個人的にはコレクションとして購入したい」。

「メゾン マルジェラ」のピーコート

「ブランドのアイコニックなマークである首元後ろのステッチがないピーコートだ。袖口が狭くなっている、かつ丸みのあるシルエットなので今の時代に合っているデザイン」。

「ドリス ヴァン ノッテン」のスエット

「『ドリス ヴァン ノッテン』の定番だが、シーズンなどによってカラーや仕様が少し変わる。その年代によってオーバーサイズになったり、体にフィットする形になったり。一枚でコーディネートが成り立つし、シャツなどをレイヤードしてもまとまる。古着初心者でもトライしやすいアイテムだ」。

「プラダ」のパンツ

「『プラダ』っぽくないミリタリーの表現が珍しいと思いセレクト。ポケットは取り外し可能で、お尻や足元など、好きなところにつけられるユニークな仕様になっている」。

■「TUNAGI JAPAN」
営業時間:13:00〜20:00
住所:東京都渋谷区神南1-17-3 サンビル2階

The post 「マルジェラ」や「プラダ」のビンテージを販売開始 渋谷の古着「ツナギ ジャパン」 appeared first on WWDJAPAN.

企業側の負担ゼロ、ショーイチ衣料品リサイクル “三方よし”な仕組みで笑顔を生む

アパレル余剰在庫の買い取り事業で知られるショーイチ(大阪、山本昌一社長)は近年、衣料品リサイクル事業にも注力している。世の中の環境意識の高まりを背景に、余剰在庫のリサイクルを推進しようとショーイチに興味を持つファッションブランドや小売店は増えているが、他のリサイクル企業と比較した際、「ショーイチはコストの面でも強みがある」と山本社長は話す。公式サイトでも、「廃棄より環境によく、廃棄より安価」と自社のリサイクル事業を打ち出しているが、これは一体どういうことか。

ブランド側は“廃棄費用ゼロ”

一般的に余剰在庫は産業廃棄物として扱われ、リサイクルしようとする場合は、ブランドや小売店側がリサイクル企業に料金を支払う仕組みになっている。しかし、ショーイチは自治体からの助成金も得て運営している自社グループ内の就労支援施設を活用。就労支援施設の“仕事”としてリサイクル原材料となる余剰在庫を買い取り、同施設で仕分けや解体、タグカットを行うことで、ブランドや小売店側は“廃棄費用ゼロ”となり、就労支援施設は仕事やその対価を得ることができ、ショーイチはリサイクル事業を推進できる。そんな“三方よし”を実現している。

グループ内の就労支援施設でタグカット

2023年6月のある日、大阪にあるショーイチの倉庫を訪ねた。倉庫の一角で、リサイクル原材料である余剰在庫の仕分けや解体、タグカットを行っていたのは、徒歩5分ほどの距離にある就労継続支援事業所「やさしいあおぞら」の通所者や施設スタッフ、計15人ほどだ。タグのどの部分をカットするかはブランドや商品ごとに異なっており、ファスナーの取り外しなどは想像以上に手間がかかる。ここでは、通所者3〜4人ごとに1人の施設スタッフがつき、丁寧に指示を出していた。タグを取り、解体された余剰在庫が、提携工場に運ばれて再生ウールやフェルト製品に加工される流れになっている。

経験を生かし、一般企業への就職も

「やさしいあおぞら」はショーイチのグループ会社が運営しており、倉庫ではショーイチ側の担当者と施設スタッフとで情報共有を密に行っているという。例えば、倉庫内の温度が暑いという声が出た際には、ショーイチが迅速に送風機や空調付きの服を用意した。また、通所者の仕事の範囲をタグカットに限定せず、希望者には倉庫内で別の作業を任せることもある。通所者は施設を出た後に、その経験を生かして一般企業に就職するケースもあるという。「やさしいあおぞら」以外にも、ショーイチはグループ内で5軒の就労支援施設を運営している。

「関わる人全てが笑顔になる仕組み」

「困ったことや分からないことがあったらすぐに聞ける。楽しく仕事をしている」と、倉庫でタグカットをしていた「やさしいあおぞら」の通所者の女性は話してくれた。ショーイチの山本社長は、自社のリサイクル事業の特徴の1つとして「笑顔」を挙げる。「『やさしいあおぞら』の通所者も、取引先のブランドや小売店も、われわれも、関わる人皆がそれぞれにメリットがある仕組みを実現しており、それが笑顔につながっている」と山本社長は話す。

問い合わせ先
ショーイチ
050-3151-5247

The post 企業側の負担ゼロ、ショーイチ衣料品リサイクル “三方よし”な仕組みで笑顔を生む appeared first on WWDJAPAN.

「マルティニーク」に一目ぼれ【メルローズと私vol.1 ビルダーズ代表・安田耕司さん】

1973年創業のメルローズは今年50周年を迎えた。「マルティニーク(MARTINIQUE)」「ティアラ(TIARA)」「ピンクハウス(PINK HOUSE)」 など個性豊かなブランドを運営する同社とゆかりの深い人たちによる新連載「メルローズと私」を開始する。1回目は大手デベロッパーの三菱地所の在籍時に数多くの商業リーシングを手掛けてきたビルダーズの安田耕司さん。街づくりの仕掛け人から見たメルローズの姿とは?

「カッコいい大人たち」が作る
魅力的なブランド

私は長く商業のリーシングを担当してきて、たくさんのアパレル企業と仕事をしてきました。中でも白金のビギグループ(現ビギ ホールディングス)の方たちの記憶は鮮烈です。創業者の大楠祐二さんを筆頭に、とにかく皆さん素敵なのです。ファッションだけではなく、遊びや趣味も洗練されていて、たくさんのことを教えていただきました。サラリーマンっぽくないというか、仕事を含めたライフスタイル自体がカッコよかったのです。そんな人たちが作るブランドだからあこがれの対象になるのだと感心しました。

2000年前後、私は東京・丸の内の街づくりに奮闘していました。オフィスしかなかった丸の内をショッピングや食事も楽しめる 街へと作り替える。そのためにファッションは重要な要素です。丸の内のブランド価値を上げてくる店はないだろうか。リサーチを続ける中で、当時の部下だった武井哲也君に紹介されたのが代官山に開店したばかりの「マルティニーク」でした。

足を踏み入れた瞬間、「なんて素敵な店だろう」と興奮しました!並んでいる服が素晴 らしいのはもちろん、売り場の内装の細部までこだわりがあり、ストーリー性を感じさせる。洗練された大人の女性のライフスタイルが想像できるのです。すっかり一目惚れしました。

「みんなで面白いことやろうぜ」
の社風

「マルティニーク」を仕掛けたのは、メルローズの武内一志さん(後にメルローズ社長、現在はビギホールディングス社長)でした。私は武内さんに熱烈なラブコールを送りました。ファッションビルの中ではこの世界観は出せないと考え、丸の内のメインストリートである仲通りの路面店に誘致しました。当時の丸の内はショッピングストリートとしては黎明期。今のようにファッションのお店がずらっと軒を連ねているわけではありません。新しく出店するのはチャレンジングな決断だったと思います。「マルティニーク」 は成功を収め、丸の内の活性化に大いに貢献してくれました。

全国の街づくりを手がけてきて痛感するのは、街のエネルギーを生むのは携わる人、そして店の魅力に他ならないということです。ビジネスだから収支が大事なのはその通りですが、資本の論理だけでは割り切れない。収益性だけで推し進めると、全国どこも同じような街になってしまうのです。

先ほど「サラリーマンっぽくない」と言いましたが、ビギグループからメルローズに連綿と感じるのが、仕事だからと自分を殺して頑張るのではなく、仕事を自分の楽しみや喜びにしてしまうDNAみたいなものですね。良い意味での公私混同といえるかもしれません。好きなことを仕事としながら「みんなで面白いことやろうぜ」みたいな社風は、今の 時代こそすごく大切なように思えます。大楠さんとその世代の先輩方や武内さんはそうだったし、現役の若いスタッフもそうあってほしい。お客さんはそれを敏感に感じとります。代官山の「マルティニーク」に私が感じた魅力も、それを源にしていたのでしょう。

問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

The post 「マルティニーク」に一目ぼれ【メルローズと私vol.1 ビルダーズ代表・安田耕司さん】 appeared first on WWDJAPAN.

ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー

ブルーノ・メジャー/シンガーソングライター

PROFILE:1988年生まれ、イングランド・ノーサンプトン出身。幼い頃からギターを嗜み、リーズ音楽大学ジャズ専門科を卒業後、セッションギタリストや作曲家としての活動を経て、2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」でデビュー。23年7月には最新作となる3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月にパンデミック後の初ライブを日本で行った PHOTO:NEIL KRUG

甘美な歌声と高度なギタースキルで世界を魅了するイギリスのシンガーソングライター、ブルーノ・メジャー(Bruno Major)。“現代最高のメロディアーティスト”と称される彼は、多様なジャンルの要素を高次元で昇華したノスタルジックなサウンドを武器に、「スポティファイ(Spotify)」だけで毎月400万以上のリスナーを抱えるトップアーティストだ。しかし、もともとは表舞台での活動を考えておらず、セッションギタリストや作曲家といった“裏方”として活動する中で、あるきっかけから独立。2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」を発表すると、その音楽性で遠耳が利くファンをすぐに獲得した。その後、パンデミック中の2020年6月に2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」を、パンデミック明けの23年7月に3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月には3年半ぶりのツアー「プラネット アース(Planet Earth)」を日本からスタートさせ、現在も鋭意巡業中だ。

そんな彼に、27歳でのデビューまでの道のりをはじめ、“裏方”からアーティストに転身した経緯や、パンデミック後の初ライブとなった日本公演などを振り返ってもらった。

ーーまずは、音楽活動を始めたきっかけを教えてください。

ブルーノ・メジャー(以下、ブルーノ):父親がよく家でギターを弾いていたので、それに触発される形で7歳から弾き始め、遊びでセッションをしているうちに夢中になり、16歳の頃は1日中触っていたね。それからジャズに目覚め、リーズ音楽大学(注:欧州初のジャズ専門科がある名門)でジャズの学位を取得し、卒業後はロンドンに拠点を移してR&Bやソウルを中心としたセッションミュージシャンとして生計を立てていたんだ。また、ギターと並行する形で10代の頃から遊びの延長で曲作りを行っていて、22歳から本格的に取り組むようになり、24歳頃に作曲家として某レーベルと契約することができた。

それからしばらく他のアーティストに楽曲を提供している中で、僕自身もアーティストとしてレーベル契約を結び、1stアルバムを制作したもののリリースしてもらえなかったんだ。だから、今のマネージャーと一緒に自主レコードレーベル「ハーバー(Harbour)」を立ち上げたのさ。ただ、作詞作曲から演奏、リミックス、プロデュースまで全てを自分たちで行う必要が生じたためデビューに時間がかかってしまい、1stアルバム「A Song for Every Moon」をリリースした時には27歳になっていたよ。思うに、遅すぎる年齢かもしれないけど、振り返ると必要な時間だったと思うね。

ーーアーティストとしてのデビューは、かねてからの夢だったのか、それとも作曲家として活動する中で芽生えた道なのでしょうか?

ブルーノ:幼い頃はアーティストよりも、バンドのギタリストになりたかったんだ。分かりやすい例えだと、ロバート・プラント(Robert Plant)やフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)、アクセル・ローズ(Axl Rose)ではなく、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)やブライアン・メイ(Brian May)、スラッシュ(Slash)のような存在に憧れていたね。彼ら3人は、今でも僕のヒーローだよ。

それで、大学卒業後は結果としてセッションギタリストになったんだけど、本当は大学教授や講師など、音楽を教える側に回りたいと考えていたんだ。......正直に言うと、アーティストになることは夢のまた夢すぎる話で、考えたことがないというか、考えることが考えになかった。1stアルバムを制作した時も、ただ作曲が好きだから作っているうちに気に入った楽曲がいくつか溜まり、自分自身の記録も兼ねてレコーディングしたい気持ちが生まれ、その出来が良かったのでインターネットに載せてみたんだよ。すると、想像以上の反応が返ってきて、それがアーティスト活動のきっかけになったんだ。

ーー自然発生的な流れからアーティストになったんですね。

ブルーノ:1stアルバムを作った時から今でも、「アーティストになりたい」「有名になりたい」という気持ちはなくて、ただひたすらにいい音楽を作りたいだけなんだ。それと、常に人々に伝えたいことが自分の中にあって、それを表現するために音楽を作っているとも思うね。

ーー少し話を戻すと、ハードロック系のギタリストをヒーローに挙げられているのが意外でした。

ブルーノ:そうだよね(笑)。18歳頃まで全然ジャズに興味が無くて、ずっとHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)が好きだったんだ。ずっと“レスポール(Les Paul)”を使っているのもスラッシュの影響で、彼のプレイしている姿が神様に見えた日から使い始め、レコーディングも全て“レスポール”で行っているよ。いまでもHR/HMは好きで、ジムでトレーニングしている時などに聴いて「ワーッ!」って(笑)。

ある人物との出会いで音楽性が確立

ーーそのような背景もあって、ジャズをベースとしながらさまざまなジャンルのエッセンスも感じられる現在のスタイルが生まれたと思うのですが、どのような過程で確立していったのでしょうか?

ブルーノ:アーティストは基本的に、人生で聴いてきた音楽が制作する楽曲の土台になっていると思う。僕の場合、歌い方はチェット・ベイカー(Chet Baker)、ベースの弾き方はピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ビートの打ち込み方はJ・ディラ(J Dilla)、プロダクションの方法はディアンジェロ(D'Angelo)、プロデュースの仕方はジェイムス・ブレイク(James Blake)から学び、それを自分のパレットに乗せて絵を描くようなイメージなんだ。その中で、音楽性が確立したと思った瞬間は、共同プロデューサーのファイロー(Phairo)との出会いだね。彼はもともと、エレクトロニックのプロデューサーとしてイングランドのダンスミュージックシーンで活動していた人物で、「Wouldn't Mean A Thing」(2016年発表)という楽曲にヒップホップ調のビートを提供してくれた時、僕の音楽性が確立されたと感じたんだ。

もし、僕のスタイルを端的に説明するのであれば、“ジャズのスタンダードにヒップホップのビートが乗ったもの”になると思う。ただ、「The Show Must Go On」や「We Were Never Really Friends」などは、さらに複雑なサウンドでジャズがベースになっているとも言い切れないし、説明するのが難しいな。

ーー日本人アーティストのハマ・オカモトは、あなたを“現代最高のメロディーアーティスト”と絶賛していました。

ブルーノ:褒めてもらったことは素直にありがたいけど、自分ではメロディーが一番の弱点だと思っているんだよね。アーティストは大抵2種類のタイプに分類することができて、先にメロディーが浮かんでリリックを乗せるか、リリックを書いてからメロディーを乗せるか。ただ、僕の場合はメロディーはリリックというか言葉の中に存在していると思っている。英語と日本語では喋り方や発音が違うから、理解してもらうのは少し難しいかもしれないけど、例えば「The Show Must Go On」の「And you’ll tell yourself」から「'Cause the show must go on」までのリリックを口ずさむと、それだけでメロディがあるように感じるんだよ。だから、僕にとってメロディーは作るものではなく、リリックそのものという認識が近いかもしれないね。

ーーそんな「The Show Must Go On」も収録されている3rdアルバム「Columbo」は、ビンテージで購入した「メルセデスベンツ(MERCEDES-BENZ)」の“380SL”(1978年製)の愛称から名付けられたそうですが、クラシックカーのコレクターなのでしょうか?

ブルーノ:クラシックカーのコレクターにはなりたいと思いつつ、どうしてもお金がかかる趣味だし、いつかなれたらね(笑)。そもそも車がとても好きで、幼い頃はレーシングカーのドライバーになりたくて、「ポルシェ(PORCHE)」でサーキットを走ることは夢の一つだよ。ちなみに、アルバムタイトルにもなった“380SL”は、残念ながら交通事故で廃車になってしまったんだ。でも、“380SL”で西海岸沿いをドライブするのが趣味だし、今後しばらくの夢はまた“380SL”を手に入れることだね。

日本からスタートしたパンデミック後の初ツアー

ーーまた、8月には東京・渋谷で来日公演を行っていましたが、パンデミックの影響から3年半ぶりのライブだったそうですね。

ブルーノ:2018年に一度だけライブのために日本を訪れたけど、とても小さい規模で自分1人のために行ったような感じだった。今回のように、バンドを引き連れてのライブは初で、1日中すごく緊張していて始まるまでは恐怖心もありつつ、いざステージに立つと喜びしかなかったよ。「Columbo」に収録されている全ての曲をパフォーマンスできたことはもちろん、パンデミック期間中に発表した2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」の楽曲も一度も人前で披露できていなかったしね。特に、「Nothing」という楽曲は一番再生されているにもかかわらず、ライブでは演奏できていなかったから、「ようやく!」という気持ちだったよ。

ーー「Nothing」は、リリックに「Nintendo」が出てきたり、「スーパーマリオ(Super Mario)」のサウンドエフェクトをサンプリングしていたりと、所々に日本要素が散りばめられていますよね。

ブルーノ:実はあれ、サンプリングじゃないんだ。ファイローと一緒に、“MS-20”というシンセサイザーを使って制作して、こうして勘違いされるくらい本物に近い音を再現できたので本当に気に入っているよ。任天堂のサンプリングは、権利関係が複雑だしね(笑)。

ーー最後に、ファッションメディアなのでファッション関連の質問を。私服とステージ衣装の違いや、こだわりのポイントがあれば教えてください。

ブルーノ:エルトン・ジョン(Elton John)がステージ衣装で近所を出歩かないのと一緒で、彼ほどの違いはないにしろ、衣装と私服には差を儲けることを意識しているかな。衣装は、ステージ上での自分のキャラクターを構成する要素のひとつであり、ステージアートの一部だと考えて気を遣っている。8月の来日公演は、スタイリストにお願いした結果、全身「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」になったよ。私服は、自分自身がクールだと思っていればなんでもいいと思っているね。

The post ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー appeared first on WWDJAPAN.

ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー

ブルーノ・メジャー/シンガーソングライター

PROFILE:1988年生まれ、イングランド・ノーサンプトン出身。幼い頃からギターを嗜み、リーズ音楽大学ジャズ専門科を卒業後、セッションギタリストや作曲家としての活動を経て、2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」でデビュー。23年7月には最新作となる3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月にパンデミック後の初ライブを日本で行った PHOTO:NEIL KRUG

甘美な歌声と高度なギタースキルで世界を魅了するイギリスのシンガーソングライター、ブルーノ・メジャー(Bruno Major)。“現代最高のメロディアーティスト”と称される彼は、多様なジャンルの要素を高次元で昇華したノスタルジックなサウンドを武器に、「スポティファイ(Spotify)」だけで毎月400万以上のリスナーを抱えるトップアーティストだ。しかし、もともとは表舞台での活動を考えておらず、セッションギタリストや作曲家といった“裏方”として活動する中で、あるきっかけから独立。2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」を発表すると、その音楽性で遠耳が利くファンをすぐに獲得した。その後、パンデミック中の2020年6月に2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」を、パンデミック明けの23年7月に3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月には3年半ぶりのツアー「プラネット アース(Planet Earth)」を日本からスタートさせ、現在も鋭意巡業中だ。

そんな彼に、27歳でのデビューまでの道のりをはじめ、“裏方”からアーティストに転身した経緯や、パンデミック後の初ライブとなった日本公演などを振り返ってもらった。

ーーまずは、音楽活動を始めたきっかけを教えてください。

ブルーノ・メジャー(以下、ブルーノ):父親がよく家でギターを弾いていたので、それに触発される形で7歳から弾き始め、遊びでセッションをしているうちに夢中になり、16歳の頃は1日中触っていたね。それからジャズに目覚め、リーズ音楽大学(注:欧州初のジャズ専門科がある名門)でジャズの学位を取得し、卒業後はロンドンに拠点を移してR&Bやソウルを中心としたセッションミュージシャンとして生計を立てていたんだ。また、ギターと並行する形で10代の頃から遊びの延長で曲作りを行っていて、22歳から本格的に取り組むようになり、24歳頃に作曲家として某レーベルと契約することができた。

それからしばらく他のアーティストに楽曲を提供している中で、僕自身もアーティストとしてレーベル契約を結び、1stアルバムを制作したもののリリースしてもらえなかったんだ。だから、今のマネージャーと一緒に自主レコードレーベル「ハーバー(Harbour)」を立ち上げたのさ。ただ、作詞作曲から演奏、リミックス、プロデュースまで全てを自分たちで行う必要が生じたためデビューに時間がかかってしまい、1stアルバム「A Song for Every Moon」をリリースした時には27歳になっていたよ。思うに、遅すぎる年齢かもしれないけど、振り返ると必要な時間だったと思うね。

ーーアーティストとしてのデビューは、かねてからの夢だったのか、それとも作曲家として活動する中で芽生えた道なのでしょうか?

ブルーノ:幼い頃はアーティストよりも、バンドのギタリストになりたかったんだ。分かりやすい例えだと、ロバート・プラント(Robert Plant)やフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)、アクセル・ローズ(Axl Rose)ではなく、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)やブライアン・メイ(Brian May)、スラッシュ(Slash)のような存在に憧れていたね。彼ら3人は、今でも僕のヒーローだよ。

それで、大学卒業後は結果としてセッションギタリストになったんだけど、本当は大学教授や講師など、音楽を教える側に回りたいと考えていたんだ。......正直に言うと、アーティストになることは夢のまた夢すぎる話で、考えたことがないというか、考えることが考えになかった。1stアルバムを制作した時も、ただ作曲が好きだから作っているうちに気に入った楽曲がいくつか溜まり、自分自身の記録も兼ねてレコーディングしたい気持ちが生まれ、その出来が良かったのでインターネットに載せてみたんだよ。すると、想像以上の反応が返ってきて、それがアーティスト活動のきっかけになったんだ。

ーー自然発生的な流れからアーティストになったんですね。

ブルーノ:1stアルバムを作った時から今でも、「アーティストになりたい」「有名になりたい」という気持ちはなくて、ただひたすらにいい音楽を作りたいだけなんだ。それと、常に人々に伝えたいことが自分の中にあって、それを表現するために音楽を作っているとも思うね。

ーー少し話を戻すと、ハードロック系のギタリストをヒーローに挙げられているのが意外でした。

ブルーノ:そうだよね(笑)。18歳頃まで全然ジャズに興味が無くて、ずっとHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)が好きだったんだ。ずっと“レスポール(Les Paul)”を使っているのもスラッシュの影響で、彼のプレイしている姿が神様に見えた日から使い始め、レコーディングも全て“レスポール”で行っているよ。いまでもHR/HMは好きで、ジムでトレーニングしている時などに聴いて「ワーッ!」って(笑)。

ある人物との出会いで音楽性が確立

ーーそのような背景もあって、ジャズをベースとしながらさまざまなジャンルのエッセンスも感じられる現在のスタイルが生まれたと思うのですが、どのような過程で確立していったのでしょうか?

ブルーノ:アーティストは基本的に、人生で聴いてきた音楽が制作する楽曲の土台になっていると思う。僕の場合、歌い方はチェット・ベイカー(Chet Baker)、ベースの弾き方はピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ビートの打ち込み方はJ・ディラ(J Dilla)、プロダクションの方法はディアンジェロ(D'Angelo)、プロデュースの仕方はジェイムス・ブレイク(James Blake)から学び、それを自分のパレットに乗せて絵を描くようなイメージなんだ。その中で、音楽性が確立したと思った瞬間は、共同プロデューサーのファイロー(Phairo)との出会いだね。彼はもともと、エレクトロニックのプロデューサーとしてイングランドのダンスミュージックシーンで活動していた人物で、「Wouldn't Mean A Thing」(2016年発表)という楽曲にヒップホップ調のビートを提供してくれた時、僕の音楽性が確立されたと感じたんだ。

もし、僕のスタイルを端的に説明するのであれば、“ジャズのスタンダードにヒップホップのビートが乗ったもの”になると思う。ただ、「The Show Must Go On」や「We Were Never Really Friends」などは、さらに複雑なサウンドでジャズがベースになっているとも言い切れないし、説明するのが難しいな。

ーー日本人アーティストのハマ・オカモトは、あなたを“現代最高のメロディーアーティスト”と絶賛していました。

ブルーノ:褒めてもらったことは素直にありがたいけど、自分ではメロディーが一番の弱点だと思っているんだよね。アーティストは大抵2種類のタイプに分類することができて、先にメロディーが浮かんでリリックを乗せるか、リリックを書いてからメロディーを乗せるか。ただ、僕の場合はメロディーはリリックというか言葉の中に存在していると思っている。英語と日本語では喋り方や発音が違うから、理解してもらうのは少し難しいかもしれないけど、例えば「The Show Must Go On」の「And you’ll tell yourself」から「'Cause the show must go on」までのリリックを口ずさむと、それだけでメロディがあるように感じるんだよ。だから、僕にとってメロディーは作るものではなく、リリックそのものという認識が近いかもしれないね。

ーーそんな「The Show Must Go On」も収録されている3rdアルバム「Columbo」は、ビンテージで購入した「メルセデスベンツ(MERCEDES-BENZ)」の“380SL”(1978年製)の愛称から名付けられたそうですが、クラシックカーのコレクターなのでしょうか?

ブルーノ:クラシックカーのコレクターにはなりたいと思いつつ、どうしてもお金がかかる趣味だし、いつかなれたらね(笑)。そもそも車がとても好きで、幼い頃はレーシングカーのドライバーになりたくて、「ポルシェ(PORCHE)」でサーキットを走ることは夢の一つだよ。ちなみに、アルバムタイトルにもなった“380SL”は、残念ながら交通事故で廃車になってしまったんだ。でも、“380SL”で西海岸沿いをドライブするのが趣味だし、今後しばらくの夢はまた“380SL”を手に入れることだね。

日本からスタートしたパンデミック後の初ツアー

ーーまた、8月には東京・渋谷で来日公演を行っていましたが、パンデミックの影響から3年半ぶりのライブだったそうですね。

ブルーノ:2018年に一度だけライブのために日本を訪れたけど、とても小さい規模で自分1人のために行ったような感じだった。今回のように、バンドを引き連れてのライブは初で、1日中すごく緊張していて始まるまでは恐怖心もありつつ、いざステージに立つと喜びしかなかったよ。「Columbo」に収録されている全ての曲をパフォーマンスできたことはもちろん、パンデミック期間中に発表した2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」の楽曲も一度も人前で披露できていなかったしね。特に、「Nothing」という楽曲は一番再生されているにもかかわらず、ライブでは演奏できていなかったから、「ようやく!」という気持ちだったよ。

ーー「Nothing」は、リリックに「Nintendo」が出てきたり、「スーパーマリオ(Super Mario)」のサウンドエフェクトをサンプリングしていたりと、所々に日本要素が散りばめられていますよね。

ブルーノ:実はあれ、サンプリングじゃないんだ。ファイローと一緒に、“MS-20”というシンセサイザーを使って制作して、こうして勘違いされるくらい本物に近い音を再現できたので本当に気に入っているよ。任天堂のサンプリングは、権利関係が複雑だしね(笑)。

ーー最後に、ファッションメディアなのでファッション関連の質問を。私服とステージ衣装の違いや、こだわりのポイントがあれば教えてください。

ブルーノ:エルトン・ジョン(Elton John)がステージ衣装で近所を出歩かないのと一緒で、彼ほどの違いはないにしろ、衣装と私服には差を儲けることを意識しているかな。衣装は、ステージ上での自分のキャラクターを構成する要素のひとつであり、ステージアートの一部だと考えて気を遣っている。8月の来日公演は、スタイリストにお願いした結果、全身「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」になったよ。私服は、自分自身がクールだと思っていればなんでもいいと思っているね。

The post ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー appeared first on WWDJAPAN.

「CBDは危険薬物だと思っていた」 大阪府警捜査一課の元スゴ腕刑事がつくるCBDブランド

吉村文男/オズジャパン株式会社代表取締役社長(写真左)

PROFILE:(よしむら・ふみお)1965年大阪府生まれ。84年に大阪府警に採用され、約30年奉職する。最終的に警部補に昇任し、凶悪犯捜査の指揮にあたった。2017年大阪府警部を最後に50歳の節目で退官し、同年10月に企業の危機管理コンサルティングを行うディフェンスカンパニーを設立。CBDの可能性に気づき、CBDビジネスをスタートすることを決意する。22年12月、ウェルネス事業に特化したオズジャパンを設立。ちょうど1年後の23年12月、CBDブランド「『凪』ナギ.ウェルネス」を発表した

城野靖也/オズジャパン株式会社取締役副社長

PROFILE:(じょうの・やすなり)1965年大阪府生まれ。セフォラ AAP ジャパンのセフォラ心斎橋店ストアディレクターや、サマンサタバサジャパンリミテッドのブランド長兼海外事業担当などを経て、2011年にファッション業界や小売業界、消費財メーカーを中心に人材紹介を行うザ・フォースウエイブを設立。現在も代表取締役を務める。小学校時代の同級生である吉村社長から誘いを受け、22年12月にオズジャパンに参加した

日本のCBD市場は近年活況で、ビューティ企業が次々にCBD配合のスキンケアやウェルネスグッズを発売するほか、CBDブランドを始める企業も増えている。若い世代を中心にCBDに対する理解が進む一方で、世間では“CBD=違法薬物の大麻”という誤った認識が根強い。そんなCBDのネガティブイメージに真っ向から挑むのが、オズジャパン(OZJAPAN)を立ち上げ、2023年12月にオリジナルCBDブランド「『凪』ナギ.ウェルネス(NAGI.WELLNESS)」をスタートした吉村文男社長だ。

元敏腕刑事のセカンドキャリア

吉村社長がブランドを始動するまでの道のりは長い。大阪府出身の吉村社長は、大阪府警察本部刑事部で捜査第一課に所属し、殺人事件などの凶悪犯事件に取り組んだ異色の経歴を持つ人物。警察署時代の5年間には、大阪府下の62警察署の中で常に検挙率1位という実績を収め、個人で「警察本部長賞」や「警察本部長賞詞」などを受賞するほど、「悪いやつを捕まえるのが生きがいだった」と話す。ただ、「人のために役立つことがしたい」との思いで警察に就職したものの、組織の巨大さゆえに、市民から相談を受けたとしても実際に犯罪が発生するまでは動き出せないジレンマがあったという。50歳になったころ「もう一度自分のやりたいことにチャレンジしよう」と一念発起し、企業の危機管理専門のコンサルティング会社であるディフェンスカンパニーを2017年に設立した。

約30年の警察人生で培った知識をもとに、弁護士や会計士などの専門家を含めたチームを組み、“お助けマン”として企業トラブルに向き合う中、「タイ人の理学博士が、高品質なCBDを日本に輸出したがっている」とクライアントから偶然舞い込んできたのがCBDの話だった。当初は知識もなく、「大麻なんて危険だ!」と警戒したが、調べていくうちに精神疾患や皮膚疾患などに有効であり、副作用もないと知った。「刑事時代、重度のうつ病患者の自殺現場に立ち会うことが多かった。CBDなら人の命を救えるかもしれないと考えた」。吉村社長は22年、チェンマイ大学で有機化学の理学博士号を取得し、現在はカセサート大学に所属するウィーラチャイ・フッドターウォング(Weerachai Phutdhawong)理学博士をパートナーに、小学生時代からの親友で輸入販売のノウハウをもつ城野靖也を副社長に迎え、ウェルネスに特化したオズジャパンを始動した。

濃度より純度

23年12月に発売した“CBDオイル”(濃度10%が9500円、濃度30%が1万9000円)では、製造過程で違法成分が混入しないことを何よりも重視し、99.9%に近い純度を確保する。「安心・安全な商品をつくるには濃度より純度が大切」。吉村社長のこの姿勢は当然のことのように思われるかもしれないが、大麻取締法によって産業用大麻の栽培を制限してきた日本は、CBDの入手を外国からの輸入に頼るしかなく、海外工場は生産過程でCBDのみが抽出されているかどうかを確認するのは非常に困難だ。

そもそもCBDは「カンナビジオール(cannabidiol)」の略称で、植物の大麻草が含む成分「カンナビノイド」の一つだ。世界保健機構(WHO)や世界ドーピング防止機構(WADA)もその安全性と有効性を認めている。100種類以上あるとされる「カンナビノイド」の中ではCBDのみが規制の対象から外れており、規制対象の例としてマリファナの主原料成分「テトラヒドロカンナビノール(tetrahydrocannabinol=THC)」がある。

吉村社長いわく、「CBDが取れるのは大麻草の種と茎だけ。加えて『1キロのCBDを生産するには大麻草が2トン必要』と言われるほどわずかな量にしかならないため、違法成分を含む葉などを使用し、かさ増ししている業者も多い」。吉村社長のビジネスパートナーであるウィーラチャイ博士が管理する工場では、大麻草の枝打ちを行い、茎だけになった状態で抽出機に投入する。安全性を担保するため「近々、タイに行って全過程を学ぶために修行するつもり」と吉村社長は意欲を見せる。

CBDを一過性のブームで終わらせない

リリースしたばかりの“CBDオイル”を引っ提げ、現在は自社オンラインECサイト以外の販路拡大に奔走し、大手百貨店などと商談を進めている。「CBDは単なるブームでなく今後も社会に残っていくべき成分」と信じる城野副社長。

とはいえ、日本社会ではCBDに対する理解度がまだまだ高くない。吉村社長は、「日本のマスコミはこれまで、合法成分のCBDとマリファナの主原料になる違法成分THCを一口に“大麻”として報道してきた。“大麻グミ”などによってついたネガティブイメージをCBD業界全体で払拭する必要がある」と話す。そのためにも自身の元刑事という経歴を明かして、メディア取材を受けることにしたという。「最初はメディアに登場することに抵抗感があったが、違法薬物を摘発する立場だった元刑事の自分がCBDのメリットを伝えることで、世間のネガティブイメージを解消できるかもしれないと考え直した」。

今後はフェイスクリームやシャンプーなどの企画や開発にも併せて取り組む。吉村社長の“人助け”人生第2章は始まったばかりだ。

The post 「CBDは危険薬物だと思っていた」 大阪府警捜査一課の元スゴ腕刑事がつくるCBDブランド appeared first on WWDJAPAN.

ピース又吉直樹がファッションブランドを立ち上げた理由 第1弾はパジャマ

PROFILE: 又吉直樹/お笑い芸人・作家

又吉直樹/お笑い芸人・作家

PROFILE: (またよし・なおき)1980年、大阪府寝屋川市生まれ。2003年にお笑いコンビ「ピース」を結成。10年「キングオブコント2010」準優勝、同年「M-1グランプリ2010」4位、11年「第11回ビートたけしのエンターテインメント賞」日本芸能大賞を受賞。15年「火花」で芥川賞を受賞し、同年「GQ メン・オブ・ザ・イヤー」に選出される。YouTubeチャンネル「渦」やオフィシャルコミュニティ「月と散文」では又吉の頭の中を除くことができる PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

ピースの又吉直樹が、ファッションブランド「水流舎(つるしゃ)」を立ち上げた。第1弾は、街着としても着用できるパジャマを、2月に東京と大阪で開催するポップアップストアで限定販売する。ユニセックスで2サイズ(M、L)を用意し、価格はセットアップで3万3000円。同ブランドのタグは、又吉とかねてより親交の深い書道家の田中象雨が手掛けた。メディアにもたびたび登場するほどファッション好きの又吉は、なぜブランドを立ち上げたのか。その経緯や目的を聞いた。

“寝る”ことが地名になっている町で生まれ育った

WWDJAPAN(以下、WWD):ブランドをローンチしたきっかけは?

又吉直樹(以下、又吉):7〜8年前にふと、パジャマを作りたいと思い立って、たくさんパジャマを買って試すようになったんです。1年ほど前に周囲の人に話したら、「面白いんじゃないか」という反応があり、自分自身が“一番着たいパジャマ”を作り始めました。パジャマを作るならそれを発表する母体が必要になり、ブランドを立ち上げることになりました。

WWD:パジャマを作ろうと思ったのはなぜ?

又吉:出身地が関わっているんです。僕が生まれた寝屋川市の由来については諸説あるんですけど、昔、京都から大阪まで偉い人たちが移動する時に必ず寝泊まりした宿があったとか。あるいは、山で狩りをしていた人たちが降りてきて寝た場所だとか。自分が知っている2つの説は、どちらも“寝る”にまつわる話なんですよね。現在、寝屋川市は“大阪のベッドタウン”と呼ばれていて、地名の由来と現代の役割がリンクしていることにも気づき、自分が“寝る”ことが地名になっている町に生まれ育ったんだと意識し始めた時に、パジャマを作ってみたいと思いました。

WWD:「水流舎」のネーミングの意味は?

又吉:音を含め、川と睡眠は親和性が高いイメージがあったんです。寝屋川を着想源として始まったプロジェクトなので、水にまつわる名前にしたいとも考えていました。以前、どこかの弁当屋に“水流”というネームプレートを付けた店員がいて、読み方を尋ねたら“つる”だと。「かっこいい名前やな......」と思った記憶が残っていて、そこから取りました。

WWD:パジャマを“街着”としても着られるようにデザインした理由は?

又吉:“寝る”という文字が入っている町で生まれ育ったとはいえ、寝るだけじゃなく、学校やバイトなど、いろいろな活動もしていたわけですよね。そこで、“街着”としても使えるようにしたら面白いと思ったんです。

WWD:“街着”として着用する際のおすすめコーディネートは?

又吉:パジャマのトップスはゆったりとしたシルエットなので、黒のワイドパンツとスニーカーがよく合うと思います。かさばらない素材なので、上からアウターを羽織ってもハマりますね。パンツの方も、シンプルにTシャツとか、何でも合わせられると思います。

WWD:デザインの着想源と、こだわったポイントは?

又吉:寝屋川市の“川”や、「水流舎」の“水”から連想した水神の竜を、胸元に刺しゅうで入れました。あとは、特に生地にこだわりましたね。自分がこれまでに着てきたパジャマの中で一番気に入っている素材に近いものをいくつか試作し、家に持ち帰って睡眠時に実際に着用してみて、着心地がいいものを選びました。

小説を1行ずつ書いていくような感覚でデザインした

WWD:文章を書くときと、服をデザインするときの共通点は?

又吉:文章を書くときは、「よし、これを書こう」と書き始めて、1行書いたら、1行目が2行目のヒントになって、2行書いたら、1行目と2行目が3行目のヒントになって、というように数秒前や数分前の自分に刺激を受けて書き進めていくようなところがあるんです。パジャマを作っている時も、自分が生まれ育った町のことを考えたり、改めて「川ってなんや」とか、「水ってなんや」とか、睡眠についても思考を巡らせたりして。このパジャマを着て寝た人が、「今日ちゃんと寝られたな」という喜びを味わえたらいいなと思い、「じゃあ竜に守ってもらうか」とか。いろいろな考えに対して、「ということはこうやな」という風に一つずつ進めていったので、それが小説を1行ずつ書いていく感覚とすごく似ていましたね。

WWD:ブランドの今後は?

又吉:実際に商品を見て、面白がってもらえたらいいなと考え、まずはポップアップストアでの販売というかたちにしました。でも、たとえば子供の頃に、図書館の移動バスとかあったじゃないですか。ああいうのも、すごく楽しくていいかもしれないですね。
ブランドを発展させたいというよりは、自分が作りたいものを作って、完成した喜びを味わう、という温度感を大切にしつつ、一つずつじっくりと作っていきたいですね。

WWD:第2弾の予定は?

又吉:まだ何も決まっていないですが、スカジャンやベトジャンは昔から興味があって、作ってみたいですね。あるいは、本自体をファッションとして捉え直して、詩集なども作ってみたいです。ファッション性の高い本、みたいなものがあるのかは分からないんですけど、そういう仕掛けや視点があれば、書けなかったものが書けるのかもしれませんよね。

見たことのないシルエットや変な刺しゅうのある服に惹かれる

WWD:自身のコーディネートの決め方は?

又吉:その日の予定に合わせて決めます。今日は、「水流舎」のパジャマと私服を何度も着替える予定だったので、着替えやすい服装にしました。
美術館に行く時は、展示の内容にもよりますが、だいたい地味な格好にしますね。美術館ではもちろん展示を見るんですけど、人の流れとかも目に入るじゃないですか。たとえば水墨画を見に来た時に、全身ピンクのおじさんとかがいたら気になっちゃいますよね。だから、そういうことにならんように、とかは考えます。
逆に、街でお店を回る時は色が多めのコーディネートにしてみたり、先輩と会う時にはシャツとジャケットと革靴を選んだりしますね。

WWD:大事にしているファッションアイテムは?

又吉:今日着ている、自由が丘の古着屋「エロティック(EROTIC)」がオリジナルで作っているシャツです。「シリンギルド(SHIRIN GUILD)」のシャツが元になっているんですけど、素材がよりカジュアルで、形は似ているのに着た感じはまた全然違うんですよね。ゆったりとしたシルエットが気に入っていて、もう10年くらい着ています。今日は太めのコーデュロイのパンツに合わせているんですけど、さらにゆったりとしたシルエットのパンツにもよく合います。
基本的に、見たことのないシルエットや変な刺しゅうのある服に惹かれます。「エロティック」のオーナーの杉本陽介さんとは30代前半の頃から親交があるんですけど、僕がお店に行くたびにめっちゃ変な服を倉庫から持って来てくれるんですよね。


販売について

■ポップアップストア「まだ、起きてたで」
日程:2月17日(土)
時間:12:00 開場、15:30 終了
場所:LIVE HOUSE VINTAGE
住所:大阪府寝屋川市東大利町5-10
入場料:無料

■ポップアップストア「まだ、起きてたよ」
日程:2月25日(日)
時間:12:00 開場、16:00 終了
場所:ADRIFT
住所:東京都世田谷区北沢3-9-23
入場料:無料

>公式YouTubeチャンネル「渦」

The post ピース又吉直樹がファッションブランドを立ち上げた理由 第1弾はパジャマ appeared first on WWDJAPAN.

「アミリ」のCEOは、ブランドの50年後を考える。 将来のレガシーはLA由来の開放感

ロサンゼルス生まれの「アミリ(AMIRI)」が、エイドリアン・ワード・リース(Adrian Ward-Rees)を最高経営責任者(CEO)に指名してから、まもなく1年を迎える。エイドリアンCEOは、「ディオール オム(DIOR HOMME)」(当時)でマネジング・ディレクターを務めた後、「バーバリー(BURBERRY)」で約3年、シニア・バイス・プレジデントを務めた。日本でのビジネスは、独占販売契約を締結するスタッフ インターナショナル ジャパンが手掛けている。エイドリアンCEOに、「アミリ」の今後について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「アミリ」のCEOに就任した経緯は?
エイドリアン・ワード・リース=アミリCEO(以下、エイドリアン):2年ほど前、友人を介してマイク・アミリ(Mike Amiri)=クリエイティブ・ディレクターと知り合った。当時からマイクは、「ブランドとして、次のステップに進みたい。ハイプなファッションブランドとして終わるのではなく、(独自の歴史やカルチャーを持つ)メゾンに進化したい」と語っていた。メゾンへの進化に必要なものを一緒に考えているうちに、CEOのポジションをオファーしてくれたんだ。これまで携わってきた「バーバリー」や「ディオール オム」「ナイキ(NIKE)」に比べれば、「アミリ」はとても小さなブランド。でも開放的なカルチャーと透明性を有し、成長を続けている。ショップスタッフも含めて200人という組織は、皆が互いの顔を認識、つながり、新たなチャレンジをどう乗り越えるべきか話し合い、共有するためにちょうど良い規模感。ラグジュアリーの世界で、カルチャーと透明性でどこまで戦っていけるのか?この2つを武器に、メゾンへの成長を試みる「アミリ」にどう貢献できるのか?を考え、マイクのオファーを引き受けることにした。

WWD:マイクは、どんな人物?
エイドリアン:アートをよく知るクリエイティブな存在でありながら、「ファンにとってのベストは?」を考え、商業的な成功のために決断することもできる。腰の低い、謙虚なデザイナーだ。謙虚だから、デザインチームはもちろん、店頭、物流に携わるスタッフの意見にも耳を傾け、フィードバックを返す。こんな開放感や透明性が、「アミリ」の魅力だと思う。

WWD:そんな開放感や透明性は、どこから来ると感じている?
エイドリアン:マイクのパーソナリティはもちろん、拠点を構えるロサンゼルスの空気感やカルチャーによるところも大きいだろう。我々が目指すのは、青い空や青い海を感じさせる、カリフォルニアのメゾン。皆にもこの魅力を体感してほしい。ポップアップも含めて、アメリカ西海岸のオープンマインドなムードをどう伝えるべきか?考えている。

デニムはダメージ加工やアップリケ、ペインティングで
自己表現できるアイテムとして認識され、復活した

WWD:その上で、デニムをキーアイテムの1つに据えようとしている。
エイドリアン:デニムは長らくダウントレンドだったが、ここ数年で劇的に復活した。理由は、これまでより快適に着られるようになったからじゃない。ダメージ加工やアップリケ、ペインティングなどが、アメリカ西海岸を含む、若い世代のコミュニティで広がり、改めて自己表現できるアイテムとして認識されたからだと思う。そんなコミュニティに向けて、「アミリ」はデニムを再定義しようとしている。若い世代のフレキシブルな感覚を意識して、改めてデニムをドレスアップにもドレスダウンにも使えるアイテムとして提案している。この感覚は、スニーカーやトラックスーツで、すでに若者に受け入れられることがわかっている。そしてロサンゼルス発祥の「アミリ」らしい。こうして若い世代のカルチャーを意識しながら、「アミリ」やロサンゼルスらしい自由な発想を盛り込み続けることができれば、メンズでは着実に成長できるだろう。一方のウィメンズは、また別のマーケット。「アミリ」にとってはまだまだ小さく、強化するには違う戦略や意志、人材が必要だ。

WWD:そうして「メゾン」を目指す。
エイドリアン:豊かな歴史と遺産を持つブランドに長年携わってきた。メゾンとして成長するには、こうしたブランドと戦わなくちゃならないし、そのためには「アミリ」にも遺産、レガシーが必要だ。50年後、「アミリ」にとってのレガシーは、何になっているだろう?そう考え続けると、やはり開放的なムードは普遍的かつ国際的だと思う。当面は、ラグジュアリーブランドよりも買いやすい価格帯の商品や、デニムのように自分のスタイルに取り入れやすいアイテムを、友達の家のような空間・体験を楽しんでもらいながら買ってほしい。そんな顧客体験を繰り返すことで、マイクの歴史、「アミリ」の歴史を体感し続けてもらい、将来子どもや若い世代にその魅力を自分たちの言葉で語ってくれたら「アミリ」のレガシーが生まれるのではないか?「バーバリー」や「ディオール」とは違う形で、すでにあるレガシーを語り直すのではなく、共に作る。そんなビジネスを今、楽しんでいる。

The post 「アミリ」のCEOは、ブランドの50年後を考える。 将来のレガシーはLA由来の開放感 appeared first on WWDJAPAN.

「オダカ」に生まれ変わった「マラミュート」 日本のニット技術を更新し世界を目指す

PROFILE:小高真理/「オダカ」デザイナー

(おだか・まり)埼玉県生まれ。 2011年文化ファッション大学院大学卒業。ニットデザイナーとして経験を積んだ後、14-15年秋冬シーズンに「マラミュート」をスタートする。17年に「東京都新人デザイナー大賞」を、21年に「東京ファッションアワード」を受賞。23年にブランド名を「マラミュート」から「オダカ」に変更した PHOTO:AYA YAMAMOTO

小高真理デザイナーによるファッションブランド「マラミュート(MALAMUTE)」が2023年、「オダカ(ODAKHA)」にブランド名を変更した。小高デザイナーは「マラミュート」時代から日本製のニットを強みにユニークなアイテムを生み出しており、今後は自身の名を冠したことでより“メード・イン・ジャパン”を打ち出したいという思いがあった。今年10周年を迎えるブランドのこれまでと今後の展望を、デザイナーの小高に聞いた。

ーーブランド名を「オダカ」に変更した理由は?

小高真理「オダカ」デザイナー(以下、小髙):21年に「東京ファッションアワード」を受賞し、パリで展示会を開く機会を得て、海外のバイヤーにコレクションを見てもらえるようになりました。そこで日本のニット技術に興味を持ってもらえたのですが、ちょうど同時期に取引先の工場2軒が廃業したんです。それを機に “日本のニットブランド”としてちゃんと打ち出していくことが大切だと思いました。「マラミュート」という名前は犬種の名前でとても気に入っていましたが、日本のブランドということが分かりづらい。スタッフとも話し合いを重ね、自分の苗字に変更することを決心しました。

ーー“ODAKHA”の名前に“H”が入るのはなぜ?

小高:フランス語で“洋服を着る”という意味を持つ“habiller(アビエ)”という言葉があるのですが、「H」はフランス語では発音されない言葉。色の“Khaki(カーキ)”のように、“H”を忍ばせたかったんです。

ーーネームタグにも使用されているネオングリーンが印象的だ。新たなブランドカラーにこの色を選んだ理由は?

小高:このネオングリーンは、ビートルズ(The Beatles)のレコードレーベルであるアップル・レコード(Apple Records)の青りんごの色にヒントを得ています。「マラミュート」の1シーズン目のインスピレーション源がビートルズの楽曲「She's a Woman」だったこともあり、どこかに「マラミュート」らしさを残したかったんです。

日本のニットは誇るべき職人技

ーー改めて、日本のニットの魅力とは?

小高:受け継がれている職人技であること。ブランドを始める前にニットのOEM会社で働いていた時代に、プライドを持ってニット作りに励まれている現場を目の当たりにしたことで、職人への尊敬の念が募りました。ホールガーメントで有名な島精機製作所は工場やニッターと密に連携をとりながら、技術をどんどん向上していく姿もとても素晴らしくて。これまでもそういった日本のニット技術を駆使したユニークな編み地に挑戦してきました。

ーーこれまでの「マラミュート」と「オダカ」の違いは?

小高:「マラミュート」で代表的だったニットと布帛をミックスしたアイテムは継続しつつ、「オダカ」ではさらに日本の伝統的な職人技術を加えることでよりユニークなものを作っていきたいです。例えば、最近はホールガーメントのニットに有松絞りの加工を施してもらうなど、技術を掛け合わせることにチャレンジしています。これは「マラミュート」時代にもやりたかったことで、「オダカ」ではもっと日本の技術にフォーカスしていきます。

“いつかはパリでショーを発表したい”

ーー「オダカ」のお披露目で開催された写真展も印象的だった。

小高:写真家の小見山峻さんと過去にビジュアル撮影でご一緒したことがあり、また何かお取り組みができないか模索していました。23-24年秋冬はアメリカ人の芸術家であるサイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)の赤い花の絵が着想源になっていて、紫や黒、青などさまざまな色を重ねて赤を表現しているのが面白い。それを小見山さんに話したところ、「赤といえば、エネルギーや血、始まりのイメージがある」と対話を重ね、2人のモデルを起用して「マラミュート」から「オダカ」に生まれ変わるさまをイメージしています。鏡を使いながら、時空が歪んでいるようなビジュアルも撮ってもらいました。

ーー24年に10年周年を迎える。これまでで印象に強く残っている出来事は?

小高:19年に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の外苑キャンパスで開催した20年春夏のショーは、雨の中で行ったこともあり思い出深いですね。音楽もオリジナルで制作してもらったり、空間デザイナーの吉添裕人さんによるオブジェを配置したりと、15分間のショーのために、本当に多くの方々がアイデアを出してくれました。ブランドのストーリーを伝えるためにできることはたくさんあると実感しました。コロナ禍の21年にも「東京ファッションアワード」の凱旋イベントで22-23年秋冬のショーを開催しましたが、感染対策で人数制限があり、大事なお客さまを呼べなくて不完全燃焼だったんです。またいいタイミングで「オダカ」としてショーを発表したいですね。

ーー今後はより海外ビジネスを強化していくのか?

小高:これまで同様、日本のお客さまとのコミュニケーションも大切にしていきながら、パリでの展示会も継続していきたいです。海外のバイヤーと話す中で新たな気付きがあり、自分の考え方が広がるような感覚がありました。日本ではショーピースのように捉えられていたドレスが、オケージョンアイテムとして買い付けてもらえることも新鮮でした。いつかはパリでショーを発表することを目標にしています。

“ニットの限界を超えて、技術を更新する”

ーー今後の目標は?

小高:ジャパンメードの強みを伝えていけるブランドにすることです。独りよがりではなく、関わってくれる作り手の方々と一緒に協力して、みんなが健全にビジネスを継続できるように。購入してくれるお客さまには、その部分を認知してもらえるような発信をしていきたいですね。

——これからやってみたいことは?

小高:ニットの限界を超えて、技術を更新していくこと。今、ホールガーメントの機械でどこまで装飾を加えられるのかチャレンジしています。プログラマーとあれこれ試行錯誤しながら作り上げていくことがとても楽しいんです。いろいろな作り手の方々と一緒に取り組みながら、ユニークなアイテムを作っていきたいです。

The post 「オダカ」に生まれ変わった「マラミュート」 日本のニット技術を更新し世界を目指す appeared first on WWDJAPAN.

「オダカ」に生まれ変わった「マラミュート」 日本のニット技術を更新し世界を目指す

PROFILE:小高真理/「オダカ」デザイナー

(おだか・まり)埼玉県生まれ。 2011年文化ファッション大学院大学卒業。ニットデザイナーとして経験を積んだ後、14-15年秋冬シーズンに「マラミュート」をスタートする。17年に「東京都新人デザイナー大賞」を、21年に「東京ファッションアワード」を受賞。23年にブランド名を「マラミュート」から「オダカ」に変更した PHOTO:AYA YAMAMOTO

小高真理デザイナーによるファッションブランド「マラミュート(MALAMUTE)」が2023年、「オダカ(ODAKHA)」にブランド名を変更した。小高デザイナーは「マラミュート」時代から日本製のニットを強みにユニークなアイテムを生み出しており、今後は自身の名を冠したことでより“メード・イン・ジャパン”を打ち出したいという思いがあった。今年10周年を迎えるブランドのこれまでと今後の展望を、デザイナーの小高に聞いた。

ーーブランド名を「オダカ」に変更した理由は?

小高真理「オダカ」デザイナー(以下、小髙):21年に「東京ファッションアワード」を受賞し、パリで展示会を開く機会を得て、海外のバイヤーにコレクションを見てもらえるようになりました。そこで日本のニット技術に興味を持ってもらえたのですが、ちょうど同時期に取引先の工場2軒が廃業したんです。それを機に “日本のニットブランド”としてちゃんと打ち出していくことが大切だと思いました。「マラミュート」という名前は犬種の名前でとても気に入っていましたが、日本のブランドということが分かりづらい。スタッフとも話し合いを重ね、自分の苗字に変更することを決心しました。

ーー“ODAKHA”の名前に“H”が入るのはなぜ?

小高:フランス語で“洋服を着る”という意味を持つ“habiller(アビエ)”という言葉があるのですが、「H」はフランス語では発音されない言葉。色の“Khaki(カーキ)”のように、“H”を忍ばせたかったんです。

ーーネームタグにも使用されているネオングリーンが印象的だ。新たなブランドカラーにこの色を選んだ理由は?

小高:このネオングリーンは、ビートルズ(The Beatles)のレコードレーベルであるアップル・レコード(Apple Records)の青りんごの色にヒントを得ています。「マラミュート」の1シーズン目のインスピレーション源がビートルズの楽曲「She's a Woman」だったこともあり、どこかに「マラミュート」らしさを残したかったんです。

日本のニットは誇るべき職人技

ーー改めて、日本のニットの魅力とは?

小高:受け継がれている職人技であること。ブランドを始める前にニットのOEM会社で働いていた時代に、プライドを持ってニット作りに励まれている現場を目の当たりにしたことで、職人への尊敬の念が募りました。ホールガーメントで有名な島精機製作所は工場やニッターと密に連携をとりながら、技術をどんどん向上していく姿もとても素晴らしくて。これまでもそういった日本のニット技術を駆使したユニークな編み地に挑戦してきました。

ーーこれまでの「マラミュート」と「オダカ」の違いは?

小高:「マラミュート」で代表的だったニットと布帛をミックスしたアイテムは継続しつつ、「オダカ」ではさらに日本の伝統的な職人技術を加えることでよりユニークなものを作っていきたいです。例えば、最近はホールガーメントのニットに有松絞りの加工を施してもらうなど、技術を掛け合わせることにチャレンジしています。これは「マラミュート」時代にもやりたかったことで、「オダカ」ではもっと日本の技術にフォーカスしていきます。

“いつかはパリでショーを発表したい”

ーー「オダカ」のお披露目で開催された写真展も印象的だった。

小高:写真家の小見山峻さんと過去にビジュアル撮影でご一緒したことがあり、また何かお取り組みができないか模索していました。23-24年秋冬はアメリカ人の芸術家であるサイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)の赤い花の絵が着想源になっていて、紫や黒、青などさまざまな色を重ねて赤を表現しているのが面白い。それを小見山さんに話したところ、「赤といえば、エネルギーや血、始まりのイメージがある」と対話を重ね、2人のモデルを起用して「マラミュート」から「オダカ」に生まれ変わるさまをイメージしています。鏡を使いながら、時空が歪んでいるようなビジュアルも撮ってもらいました。

ーー24年に10年周年を迎える。これまでで印象に強く残っている出来事は?

小高:19年に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の外苑キャンパスで開催した20年春夏のショーは、雨の中で行ったこともあり思い出深いですね。音楽もオリジナルで制作してもらったり、空間デザイナーの吉添裕人さんによるオブジェを配置したりと、15分間のショーのために、本当に多くの方々がアイデアを出してくれました。ブランドのストーリーを伝えるためにできることはたくさんあると実感しました。コロナ禍の21年にも「東京ファッションアワード」の凱旋イベントで22-23年秋冬のショーを開催しましたが、感染対策で人数制限があり、大事なお客さまを呼べなくて不完全燃焼だったんです。またいいタイミングで「オダカ」としてショーを発表したいですね。

ーー今後はより海外ビジネスを強化していくのか?

小高:これまで同様、日本のお客さまとのコミュニケーションも大切にしていきながら、パリでの展示会も継続していきたいです。海外のバイヤーと話す中で新たな気付きがあり、自分の考え方が広がるような感覚がありました。日本ではショーピースのように捉えられていたドレスが、オケージョンアイテムとして買い付けてもらえることも新鮮でした。いつかはパリでショーを発表することを目標にしています。

“ニットの限界を超えて、技術を更新する”

ーー今後の目標は?

小高:ジャパンメードの強みを伝えていけるブランドにすることです。独りよがりではなく、関わってくれる作り手の方々と一緒に協力して、みんなが健全にビジネスを継続できるように。購入してくれるお客さまには、その部分を認知してもらえるような発信をしていきたいですね。

——これからやってみたいことは?

小高:ニットの限界を超えて、技術を更新していくこと。今、ホールガーメントの機械でどこまで装飾を加えられるのかチャレンジしています。プログラマーとあれこれ試行錯誤しながら作り上げていくことがとても楽しいんです。いろいろな作り手の方々と一緒に取り組みながら、ユニークなアイテムを作っていきたいです。

The post 「オダカ」に生まれ変わった「マラミュート」 日本のニット技術を更新し世界を目指す appeared first on WWDJAPAN.

キャンドル「アーメン」に見るサステナブル パラフィン不使用で包装はキノコ菌糸由来

フランス発のホームフレグランスブランド「アーメン(AMEN)」は、キャンドルを通じて自身が考えるサステナブルを体現している。パラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを原料に、パッケージにはキノコの菌糸由来の素材を採用。デザイナーのステラ・マッカートニー(Stella McCARTNEY)も愛用するこのキャンドルの香りについて、創業者のロドリゴ・ガルシア・アルバレス(Rodrigo Carcia Alvarez)は「何千年もの歴史があるアロマテラピーの原則に従って選んだ」と話す。

ジャスミンなど“チャクラを整える”7つの香り

ウルグアイ生まれのロドリゴが「アーメン」を立ち上げたのは2020年、パンデミックの最中だった。デビューコレクションは、世界中の主要なヨガスタジオやグルが指導を受けながら「7つのチャクラを整え、心・体・魂のバランスを整える」7つの香りを選択。香りの都、南フランスのグラースで調香し、原料にはパラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを使用して手作業で製作した。

再利用可能な陶器製の容器を包むのは、米国のエコヴァティブ(ECOVATIVE)が開発したマッシュルームの菌糸体を原料にしたパッケージだ。このパッケージは適切な条件下であれば45日で生分解するという。デビューコレクションは、パリのドーバー・ストリート・パルファン・マーケット、NYのバーグドルフ・グッドマン、ロンドンのセルフリッジが販売した。

マッシュルームの菌糸体由来のパッケージを選んだ理由をロドリゴは次のように話している。「プラスチック問題は100%経済学的なものであり、だからこそ私たちはこの問題を解決して、次の世代までにプラスチックのない世界を実現することができると思う。プラスチックが発明された当時は、それはとても高価なものだったが、コスト改善で非常に安価になり、今ではプラスチックに触れないで一日中生活することは不可能だ。新興ブランドとしてこの容器の採用は、ハードルが高い決断だったが、燃焼時間50時間のキャンドルのために、分解に500年もかかるプラスチックを選ぶことはできなかった」。

「ステラ マッカートニー」の“サステナブル・マーケット”にも登場

ロドリゴは今年、2回来日している。1回目は4月に阪急うめだ本店8階にオープンした「ステラ マッカートニー(STELLA McCARTNEY)」による世界初のカフェ併設型コンセプトストア「ステラズ ワールド バイ ステラ マッカートニー(STELLA’S WORLD by Stella McCartney)」のオープン時。“ステラがセレクトした”スーベニアアイテムの一つとして「アーメン」が並び、店頭で説明にあたった。「ステラ マッカトニー」は2024年春夏コレクションのショー会場でも、21のキー素材や技術を紹介する”ステラのサステナブル・マーケット”の中で「アーメン」を紹介している。

またロドリゴは、10月28日にはドーバー ストリート マーケット ギンザ(以下、DSMG)が開催した1日限定イベント「オープンハウス」のために来日し、彫刻家カタリーナ・カミンスキー(Katharina Kaminski)とのコラボレーションをお披露目した。カタリーナの作品は、粘土で手作りした直径30cmの大きなキャンドルはアートピースとしての存在感がある。他の「アーメン」同様、グラースで植物性ワックスを手作業で注いであり、約1200時間点灯するという。

インターセックスの彫刻家とのコラボで光をデザイン

同じくウルグアイ生まれでパリ在住のアーティストであるカタリーナがデザインするのは器自体加えて、その中の“光の形”だ。火がなくなれば消えてしまう儚いその“形”は丸みを帯び、全てを包み込むような優しさがある。「子宮をイメージした」と聞いて納得する。カタリーナは、身体的な性が男性・女性の中間もしくはどちらとも一致しないインターセックスであり、私たちが“身体的なもの”として認識する規範に対して、作品を通じて疑問を投げかけているという。パートナーでもある2人のリビングルームと寝室には電気はないそうだ。「キャンドルの明かりのほうが会話もより素直になる気がする。火は太古の昔から人と人とのつながりの中心であり、キャンドルは火の要素を入れる容器」と考えている。

誰にでも人懐っこい笑顔で情熱的に話しかけるロドリゴは「各コレクションは単なる製品ではなく、ステートメントであり、会話のきっかけでもある」と語る。「プラスチックのない世界は可能であることを伝える菌糸体のパッケージであれ、インターセックスであることの認識を共有するカタリーナとのコラボであれ、どのコレクションも私たちの時代にふさわしく、同時に時代を超越している。私は、デザインやアートがパラダイムや考え方を変える力を持っていると信じている」。

The post キャンドル「アーメン」に見るサステナブル パラフィン不使用で包装はキノコ菌糸由来 appeared first on WWDJAPAN.

キャンドル「アーメン」に見るサステナブル パラフィン不使用で包装はキノコ菌糸由来

フランス発のホームフレグランスブランド「アーメン(AMEN)」は、キャンドルを通じて自身が考えるサステナブルを体現している。パラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを原料に、パッケージにはキノコの菌糸由来の素材を採用。デザイナーのステラ・マッカートニー(Stella McCARTNEY)も愛用するこのキャンドルの香りについて、創業者のロドリゴ・ガルシア・アルバレス(Rodrigo Carcia Alvarez)は「何千年もの歴史があるアロマテラピーの原則に従って選んだ」と話す。

ジャスミンなど“チャクラを整える”7つの香り

ウルグアイ生まれのロドリゴが「アーメン」を立ち上げたのは2020年、パンデミックの最中だった。デビューコレクションは、世界中の主要なヨガスタジオやグルが指導を受けながら「7つのチャクラを整え、心・体・魂のバランスを整える」7つの香りを選択。香りの都、南フランスのグラースで調香し、原料にはパラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを使用して手作業で製作した。

再利用可能な陶器製の容器を包むのは、米国のエコヴァティブ(ECOVATIVE)が開発したマッシュルームの菌糸体を原料にしたパッケージだ。このパッケージは適切な条件下であれば45日で生分解するという。デビューコレクションは、パリのドーバー・ストリート・パルファン・マーケット、NYのバーグドルフ・グッドマン、ロンドンのセルフリッジが販売した。

マッシュルームの菌糸体由来のパッケージを選んだ理由をロドリゴは次のように話している。「プラスチック問題は100%経済学的なものであり、だからこそ私たちはこの問題を解決して、次の世代までにプラスチックのない世界を実現することができると思う。プラスチックが発明された当時は、それはとても高価なものだったが、コスト改善で非常に安価になり、今ではプラスチックに触れないで一日中生活することは不可能だ。新興ブランドとしてこの容器の採用は、ハードルが高い決断だったが、燃焼時間50時間のキャンドルのために、分解に500年もかかるプラスチックを選ぶことはできなかった」。

「ステラ マッカートニー」の“サステナブル・マーケット”にも登場

ロドリゴは今年、2回来日している。1回目は4月に阪急うめだ本店8階にオープンした「ステラ マッカートニー(STELLA McCARTNEY)」による世界初のカフェ併設型コンセプトストア「ステラズ ワールド バイ ステラ マッカートニー(STELLA’S WORLD by Stella McCartney)」のオープン時。“ステラがセレクトした”スーベニアアイテムの一つとして「アーメン」が並び、店頭で説明にあたった。「ステラ マッカトニー」は2024年春夏コレクションのショー会場でも、21のキー素材や技術を紹介する”ステラのサステナブル・マーケット”の中で「アーメン」を紹介している。

またロドリゴは、10月28日にはドーバー ストリート マーケット ギンザ(以下、DSMG)が開催した1日限定イベント「オープンハウス」のために来日し、彫刻家カタリーナ・カミンスキー(Katharina Kaminski)とのコラボレーションをお披露目した。カタリーナの作品は、粘土で手作りした直径30cmの大きなキャンドルはアートピースとしての存在感がある。他の「アーメン」同様、グラースで植物性ワックスを手作業で注いであり、約1200時間点灯するという。

インターセックスの彫刻家とのコラボで光をデザイン

同じくウルグアイ生まれでパリ在住のアーティストであるカタリーナがデザインするのは器自体加えて、その中の“光の形”だ。火がなくなれば消えてしまう儚いその“形”は丸みを帯び、全てを包み込むような優しさがある。「子宮をイメージした」と聞いて納得する。カタリーナは、身体的な性が男性・女性の中間もしくはどちらとも一致しないインターセックスであり、私たちが“身体的なもの”として認識する規範に対して、作品を通じて疑問を投げかけているという。パートナーでもある2人のリビングルームと寝室には電気はないそうだ。「キャンドルの明かりのほうが会話もより素直になる気がする。火は太古の昔から人と人とのつながりの中心であり、キャンドルは火の要素を入れる容器」と考えている。

誰にでも人懐っこい笑顔で情熱的に話しかけるロドリゴは「各コレクションは単なる製品ではなく、ステートメントであり、会話のきっかけでもある」と語る。「プラスチックのない世界は可能であることを伝える菌糸体のパッケージであれ、インターセックスであることの認識を共有するカタリーナとのコラボであれ、どのコレクションも私たちの時代にふさわしく、同時に時代を超越している。私は、デザインやアートがパラダイムや考え方を変える力を持っていると信じている」。

The post キャンドル「アーメン」に見るサステナブル パラフィン不使用で包装はキノコ菌糸由来 appeared first on WWDJAPAN.

ファッション編集者はオワコンなのか? 例えば山下英介という生き方

山下英介/ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人

山下英介/ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人 プロフィール

(やました・えいすけ)1976年6月29日生まれ、埼玉県出身。駒沢大学卒業後、2000年にバウハウスに入社。その後、「レオン」編集部(主婦と生活社)に在籍する。08年、創刊と共に「メンズプレシャス」(小学館)に参画。ファッション・ディレクター、クリエイティブ・ディレクターを歴任し、20年に退任。22年に、ウェブマガジン「ぼくのおじさん」を立ち上げる。「文藝春秋」(文藝春秋)のファッションページも手掛ける PHOTO : YUIKI HAYAKAWA

思えば、自分がこの道を志した四半世紀前から出版界は斜陽だった。とはいえ、“マスコミ”としての輝きはまだかすかにあり、SNSやユーチューブ前夜のため、ことファッションに関しては専売特許状態だった。斜陽産業だからすぐに小山(こやま)の上に立てると思ったが、そうは問屋が卸さず、今もスタート地点あたりを右往左往している。一方で、同じように小さな出版社からキャリアを始めながら、“大手3社”の小学館でファッション・ディレクターを約10年間務めたのが山下英介さんだ。同世代で業界歴も長いため共通の友人・知人も多く、一方で海外の展示会などで顔を合わせたりするものの、話をしたことはほぼなかった山下さんのアトリエを訪ね、“(メンズ)ファッション編集者の現在地点”について聞いた。

——僕らが高校生だった30年ほど前、市井(しせい)のファッションを作るのは雑誌の仕事だった。

山下英介ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人(以下、山下):その通りですね。僕は埼玉県中部の鶴ヶ島市で育ったのですが、国道沿いの何もない街で、ファッション誌を読むことだけが楽しみでした。特に「ブーン(Boon)」(祥伝社、2008年休刊)は、キャプションを暗記するほど読み込みました。

——僕も田舎育ちで、境遇が似ている。

山下:ファッションや雑誌に興味のある友達もいなくて。インターネットもない時代ですから、唯一の情報源であるファッション誌を片っ端から読みました。それがフリーランスになったときに役立ちました。

——というと?

山下:「GQ ジャパン(GQ JAPAN)」(コンデナスト・ジャパン)だとこう、「メンズ・イーエックス(MEN'S EX)」(世界文化社)だとこう、と各雑誌のテイストに合わせられたんです。

——山下さんのファッション遍歴についても聞きたい。

山下:目覚めは中学生のときですね。“渋カジ”と出合い、バッシュ(バスケットボールシューズ)やエンジニアブーツ、ビンテージに傾倒しました。高校生になると、渋谷・並木橋のセレクトショップ「レディ・ステディ・ゴー!」(15年閉店)でスーツを買って、ベスパに乗るように。飽きっぽい性分なので、すぐ次、次な感じで……(笑)。まったく通っていないのは、ヒップホップくらいかな?このあたりの雑食感も、雑誌を読みあさるのと似ていると思います。

“業務”は“好き”にはかなわない

——時代は下り、ファッション誌やファッション編集者に代わって、SNSやインフルエンサーが台頭してきた。

山下:仕方ないのかなと。だって、雑誌がつまらないですもん。もちろん、自分が作るものは面白いと信じてやってきましたが、“業務”は“好き”にかないません。大手の総合出版社の場合、異動があるので、ファッション好きがファッション誌を作っているとは限りません。そこに熱は発生しづらいし、それどころか商業媒体ですから広告主への忖度も生まれる。これでは好きの結晶であるSNSに太刀打ちできません。

でも、そういったインフルエンサーの知識やノウハウをアシストしたのは雑誌だと思うんです。

ファッション誌の影響力は減少し続けていますが、いまだにパリやミラノで編集長が丁重に扱われている現実もありますよね。僕も小学館のおかげで、そちら側にいられた1人です。

雑誌と、クライアントである企業・ブランドとの関係も変わってきました。出稿が減って、紙1ページの価値が軽くなりました。一方で、クライアントからの要求は増える。純広告1Pに対してフォロー2Pの“倍返し”状態で、今後いっそうその傾向は強まるでしょう。

判断基準は本質的に良いか?

——華やかな世界にいた山下さんが、今は「ぼくのおじさん」を作っている。

山下:もちろん、それによって離れていった人もいます。でも、全員というわけではないです。そもそも僕自身、ラグジュアリーな生活をしていたわけではないですし。“値段が高いモノ”ではなく、“本質的に良いモノ”に価値を見出している方とは関係が継続しています。逆に、“売れるモノ”を作っている企業・ブランドとは距離があいてきました。

——山下さんを物語るエピソードの1つとして、“自腹でモロッコ・ロケハン事件”がある。

山下:事件って(笑)。僕の中では、いたって普通のことです。モロッコのファッションをはじめとする文化に興味があって、誌面で形にしたかったので自腹で下見に行きました。

——自腹で行った国はほかにもある?

山下:ポルトガルやインドにも飛びましたね。僕は、誌面で紹介する高いスーツも自腹で仕立てています。そうしないと説得力が生まれないんです。でも、それはあくまで自分が楽しむためであって、ある意味で“プレー”というか……。自分が楽しんでいるさまを暗に見せて、読者を誘導する。1980〜90年代の雑誌で多くのファッション編集者が実践していたことで、僕はそれにならっているだけです。ただ、誰よりもお金を使っている自信はあります(笑)。

日陰に光を当てる、それがメディアの役目

——山下さんを見ていて“自分と似ているな”と感じるのは、“下手くそな人を応援する姿勢”。勝ち馬には誰でも乗れるが、“一生懸命、だけど日の目を浴びないヒト・コト・モノ”を応援するのがメディアの役割だと思う。

山下:本当にそう思います。メディアにはまだその力があるのに、100%活用していないと感じます。

——7、8年ほど前、編集者も多く関わってオウンドメディアブームが起きた。が、いつの間にか沈静化してしまった。

山下:自社のことだから良いことしか書かない、それでは読者に見透かされてしまいます。例えば、80〜90年代にビギは自社製品を一切出さない冊子を発行していました。“良い時代”と言ってしまえばそれまでですが、ビギという世界観を好きになってもらうアクションだったと思うんです。そして今、企業・ブランドやメディアにはそれが求められているはず。

——僕もおじさんが好きで、だから「ぼくのおじさん」がスタートした際には“やられた!”と感じ、同時に“このコンセプトでやっていけるのか?”と勝手に心配した。

山下:便宜的に“おじさん”と言っていますが、特に年齢はセグメントしていません。例えば高校生にとって、近所の古着店のアラサーのお兄さんは十分“おじさん”ですよね。それに、今後は女性が出演しても良いと思っています。

——「ぼくのおじさん」の読者層は?

山下:一番大きな“山”は30代で20代、40代と続きます。そして女性率が40%!理由は、まだ分析できていないのですが……。

——ファッション業界の“おじさん”に会うと、皆一様に山下さんを褒める。だから僕はジェラシーを感じている。“おじさん”、そして取材対象者と仲良くなるコツは?

山下:相手を敬い、きちんと向かい合うことでしょうね。例えば高齢の取材対象者の場合、スマホやパソコンを持ってないこともあります。だから「ぼくのおじさん」編集部では、23年にファックスを導入しました(笑)。まぁ、それは一例ですが、相手のために時間を取ることが肝要かと。そこをケチってしまうと何事もうまくいかないです。

——取材対象者をリスペクトしているからこそきちんと下調べし、それが蓄積されて知識・情報となる。結果としてページに深みが生まれ、読者満足度も上がる、という好循環。

山下:そうなることを願ってコツコツとやっています。

——僕らは野武士や傭兵のようにファッションメディアに従事している(させてもらっている)が、25年前に比べてキラキラした目でこの業界を見ている若者は確実に減っている。改善策はある?

山下:難しい質問ですね……。それを発見したら、ぜひ教えてください(笑)。

でも、読み応えのある雑誌を自費出版している若者もいるし、「ぼくのおじさん」読者のようにジェネレーションギャップのあるモチーフに興味を示す若者もいます。僕ら年長者は、そうしたひたむきな行動を見守り、時に手助けしてあげられたらと思います。

夢は20代の編集長を育てること

——人生の折り返し地点を迎え、僕も最近よく聞かれることなのだが、“ファッションメディア従事者”としての山下さんのゴールとは?

山下:僕がいなくても「ぼくのおじさん」が継続していくことでしょうか。そのために20代の編集長を育てたいです。紙版も作りたいし、組織も大きくしたいです。夢はたくさんあります!

——最後に、ファッション編集者に必要なものとは?

山下:好奇心だと思います。好きになるということは、それだけで才能。そして、若い方はもっと主観を大事にしてほしいですね。リスクもあるでしょうが、旗色を鮮明にすることでキャラクターが立ちますし、同志も増えるはず。

ファッション編集者にとって今後は、ホスピタリティーも必要になるでしょうね。読者と向き合って1人1人の満足度を上げる。そのためには、まず読者が見えている必要があります。昔気質の職人技は通用しなくなると思います。僕は好きなんですけど……。

インタビューを終えて

1つの現場に編集者が2人いることはなく、つまり会社の内外を問わず、他者の仕事を見る機会はほぼない。またファッション編集者は、日本にどんなに多く見積もっても1000人といないはずで、非常にユニークな存在だ。同じ就職氷河期を生き抜いた山下さんと話をして、さまざま感じることがあったが、一番の収穫は“もう少しファッションのため、出版のためにがんばってみよう!”と素直に思えたことだ。

The post ファッション編集者はオワコンなのか? 例えば山下英介という生き方 appeared first on WWDJAPAN.

マドンナも愛用する英発ジュエリー「バニー」 創業者が語る英国スピリットが反映されたクリエイション

アンドリュー・バニー / 「バニー」創業者 プロフィール

イギリス生まれ。英ロンドンのストリートブランドのエージェンシー兼ディストリビューターのギミーファイブで働く。「ステューシー」「ナイキ」「コンバース」などのデザインを手掛けた後に、「ドクター マーティン」などのクリエイションに携わる。2010年ジュエリーブランド「バニー」を創業

英発ジュエリー「バニー(BUNNEY)」の創業者であるアンドリュー・バニーが来日した。彼は、「ドクターマーチン(DR. MARTENS)」などでクリエイティブ・ディレクターを務めた経歴の持ち主。「バニー」では、メード・イン・UKにこだわったジェンダーレスなジュエリーを提案している。彼にブランド設立のきっかけや哲学について聞いた。

まるで何年も使い続けているようなジュエリー

WWD:ジュエリーブランドを立ち上げたきっかけは?

アンドリュー・バニー「バニー」デザイナー(以下、バニー):消費者としてジュエリーに興味を持っていたが、メンズジュエリーは、スカルとか、ゴシックとか大きくアグレッシブで好きではなかった。どちらかというとクラシックで洗練された女性用のジュエリーの方が好きだった。だから、自分でジュエリーブランドを立ち上げようと思ったときに、男性・女性どちらもつけられるものにしようと思った。ジュエリーは貴金属を使用し、きちんとつくられたものだったら、代々使えるほど長持ちする。日本でも「バニー」のスタイルやマリッジリングは人気が高い。人によってはマリッジリングしかジュエリーを着けない人もいる。ジュエリーは、特別で深い意味をもつものだと思う。

WWD:ブランド哲学は?
バニー:イギリスのスピリットを反映したタイムレスなジュエリー。例えば、アメリカのイメージは、力強く、長持ちする、フランスは、繊細で洗練されている。イギリスは、その中間だと思う。イギリスは、洗練されているが実用性もあり、さまざまな年齢やタイプの人に合う。

バニー:イギリス。イギリスは伝統とクラフトの国。美術館も重要だ。新しくモダンだが、どこか懐かしく、まるで何年も使い続けているかのようなジュエリーを提供したい。新しさと古さの両方を持つジュエリー。「バニー」がまだ新しいブランドと聞いて驚く人もいる。

コレクションブランドなどともコラボ

WWD:インスピレーション源は?

バニー:あらゆるもの。青春を象徴するものや、伝統など、見て美しいというより、アイデアやコンセプトの方が重要だ。

WWD:メード・イン・UKにこだわる理由は?

バニー:イギリスが本拠地だから、そうしている。シルバーに関しては、歴史があるし技術力が高い。

WWD:シグニチャーのアイテムやベストセラーは?

バニー:シグネットリングや、アイデンティティーブレスレット、アトマイザーのネックレスチャームなど。フレッシュでモダンかつ、程よく使われた雰囲気があるからだと思う。

WWD:ターゲットは?

バニー:性別に関係なく幅広い。イギリスでは、女性のファンの方が多いけど。「アンダーカバー(UNDER COVER)」や「マーティン ローズ(MARTIN ROSE)」などのコレクションブランドとコラボをしたので、それらのファンやファッション好き、ストリート系など。スーツを着用するクラシックな客層もいる。

WWD:他のブランドとの差別化は?

バニー:独自の感覚とスピリットを持っている。ジェンダーレスである点。古さと新しさのバランスなど。

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?日本では?

バニー:12カ国、40店舗。そのうちの20店舗が日本にある。

WWD:新しいプロジェクトとは?

バニー:2024年に「バニー」=ウサギをテーマにした新聞を発行する。ブランド哲学を伝えるのが目的で、2年ごとに発行している。英「フィナンシャル タイムス(THE FINANCIAL TIMES)」紙と同じ工場で印刷する。ファッションや歴史家、ブランドなど異なるカテゴリーの人々にモダンカルチャーにおけるウサギについて寄稿してもらう。例えば、1920~30年代に米ハリウッドの女優の間でウサギ風ファッションが流行ったのでアカデミー賞のアーカイブについてやぬいぐるみの「シュタイフ(STEIFF)」、ウサギが登場する本など、ウサギにまつわるさまざまなコンテンツがある。フランス人のフォトグラファーとコラボしたマリッジ関連のキャンペーンも予定している。商品に関しては、フラワーモチーフのものが登場する予定だ。

The post マドンナも愛用する英発ジュエリー「バニー」 創業者が語る英国スピリットが反映されたクリエイション appeared first on WWDJAPAN.

新田真剣佑がハリウッドで躍進  実写版映画への出演やアワード受賞など“現在地”を語る

12月16日、新田真剣佑はアメリカ・ロサンゼルスで開催された「アンフォゲッタブル ガラ(the Unforgettable Gala)」に出席した。「アンフォゲッタブル ガラ」はアジア・太平洋諸島系アメリカ人のセレブリティーやインフルエンサーなど、アートやエンターテインメント、カルチャーに貢献した人々を称えるガライベント。8月にネットフリックス(NETFLIX)が配信を開始した人気マンガの実写版シリーズ「ワンピース(ONE PIECE)」で、主人公のルフィ率いる“麦わらの一味”の剣士、ロロノア・ゾロを演じた新田はグローバルグラウンドブレーカー賞を受賞した。「まだ受賞が信じられない。コミック・ブック・コンベンション(コミコン)に参加するためさまざまな国を周り、多忙でした。ようやくゆっくり寝て、休むことができるから嬉しいです。日本の俳優が世界を舞台にすることは大きな出来事で、中でも今回の受賞は日系アメリカ人や日本人のコミュニティにとって非常に意味がある。日本にいる若い俳優はあまり挑戦してきませんでしたが、ついにハリウッドを目標にすることができると思うんです」。

“演じること”に対する興味は
時間をかけて徐々に大きくなった

新田の父は多くの日本映画に加え、「激突!殺人拳」や「キル・ビル(Kill Bill)」、「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」にも出演した日本のアクション俳優、サニー 千葉(千葉真一)。“演じること”に対する興味は「時間をかけて徐々に大きくなってきたもの」と新田は語る。「『よし!俳優になろう』と決めたターニングポイントがあったわけではなく、時間をかけて徐々に興味を抱いてきたのだと思います。父の作品や、たくさんの優れた日本の俳優たちを観ているうちに、自分も同じ道を歩み始めました」。

ハリウッド作品への参加は
日本の映画業界に慣れている
自分自身への挑戦

米国生まれの新田は、2014年から日本の芸能界で仕事をしているが、21年からは海外での活動を優先するため、米国に拠点を置いている。ハリウッドが制作した23年公開の実写版映画「聖闘士星矢 The Beginning」に出演したほか、前述の「ワンピース」は現在シーズン2の制作も進んでいる。また、現在フールー(HULU)で配信中の実写とアニメのハイブリッドドラマ「ワンダーニッチ-空飛ぶ竜の島-」にも出演している新田だが、英語を話す役やハリウッド作品への参加を望んでいるという。「これは日本の映画業界に慣れている自分自身への挑戦でもあります。日本のプロジェクトと違った形で進むであろう、ハリウッド作品が制作後の公開に至る過程にも興味がありました。」

「ワンピース」は全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)によるストライキの最中だった今秋に公開され、米国内でのプロモーションツアーは縮小されたが、それでも今までで一番忙しい日々を送っているという。「ここ数カ月間、たくさんのコミコンで多くのファンと交流し、とても特別な時間を過ごすことができました。『ワンピース』が世界でここまで認知されている人気作品だとは知らなかったので驚きでしたね。ファンの皆さんの愛を感じたから、次のシーズンも全力でゾロを演じようと思います。」

次の現場がどこであろうと、
きっといいものになるはず

新田は映画以外では、「フェンディ(FENDI)」や「カルティエ(CARTIER)」、「ティファニー(TIFFANY & CO.)」によるイベントへの出席や、自身のジュエリーブランド「インクリム(INCRM)」の設立など、ファッションにも強い関心を持つ。「アンフォゲッタブル ガラ」では、アヴォ・イェルマギャン(Avo Yermagyan)がスタイリングを手掛けた「ボス(BOSS)」の白スーツルックを披露。また、SAGアワードの祝賀ディナーでは「ジバンシィ(GIVENCHY)」を着用した。「ファッションには興味があって好きですし、よく買い物にも行きます。ゆるくて着心地のいい、“コージー”な感じが僕のスタイルですね」。

「アンフォゲッタブル ガラ」の後、新田は次のコミコンへの出席のためメキシコとペルーへ向かい、東京の家で今年の終わりを迎える。「次の現場に行くまで、数週間は休めそうです。まだ詳細はわかっていませんが、それがどこであろうと、きっといいものになるはずです」。

The post 新田真剣佑がハリウッドで躍進  実写版映画への出演やアワード受賞など“現在地”を語る appeared first on WWDJAPAN.

「we+」が発見した「テキスタイルの現在地」【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.4】

前回に続いて、コンテンポラリーデザインスタジオ「we+(ウィープラス)」の林登志也氏と安藤北斗氏に話を聞く。麻布台ヒルズの大垣書店で開催中の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads 理想の糸を求めて(1月14日まで/以下KYOTO ITO ITOと略)」展で、須藤と協働したふたりは、布を構成する最小単位である「糸」に焦点を当てた。we+のデザインにとって、素材は常に重要な要素だ。

前編はこちら

we+が見た「テキスタイルとNUNO」

「素材の特性や可能性をリサーチして、どう扱うと面白いことができるかを見いだしていきます。KYOTO ITO ITOでは糸を追いかけることで、より布に近づけるのではないかと考えました」(林氏)。布はとても身近な素材で、入浴時以外は常に身につけている。あまりにも身近すぎて、その特性などは認識せぬまますごしているという人も多いだろう。「かつて布づくりは、職住接近で行われていた。自宅で蚕を育て、糸をたぐり、織物に仕立てていました。ものづくりの現場と生活がとても近かったんですね。現代は距離ができてしまって、ものがどこからどうやって生まれてきているかがわからない。KYOTO ITO ITOはこの距離を縮める試みであり、ものづくりの源流をたどる旅はとても刺激に満ちていました」(安藤氏)。

そうして糸に近づき、布づくりの片鱗が見えてくればくるほど、須藤がNUNOで行っていることの価値と偉大さも見えてきたという。「まず、布づくりに対しての姿勢が非常に柔軟です。新しい技術や新素材と、伝統的な技術や素材を線引きせず、そのどちらにも重きを置いている。そして実験を繰り返しています。糸を溶かしたり、熱によって変化する繊維をオーブンに入れてみたり、よくそんなこと思いつくなと。そして絹や綿や化学繊維といった既存の枠を超えて、金属や和紙も布にしていく。『糸になればどんな素材でも』と思ってらっしゃるのではないかと思います。そういうことを1980年代から継続してきているのだから、その蓄積はどれほどかと驚きます」(林氏)。

we+から見た「須藤玲子」像

「途絶えそうな素材や技術を発掘したり、新たな視点で価値を見いだすことにも長けている。たとえば蚕が最初に吐き出す糸である『きびそ』なんてまさにそう。現代では織り糸として使われなくなっていた『きびそ』に、須藤さんが光を当てた。素材を徹底的にリサーチするし、工場のポテンシャルを最大限に活かすべく、そこもリサーチを重ねる。だからものすごくロジカルだし、テクニカル。さまざまな要素を計算し尽くして、布に着地させていく。『素材からものをつくっていく』ことにものづくりの立脚点を見いだす姿勢は、我々に通じるものがあるというか、大先輩です」(安藤氏)。

もう一つの点が、「デザイナーであり、会社を運営する経営者でもある」点にも、ふたりの関心はおよぶ。「僕たちも同じ立場ですから、クリエイティブと経営という異なる側面を両立させる大変さ、ものづくりに純粋に没頭する姿勢を続ける難しさはよくわかります。それでも須藤さんは、クリエイティブに軸足を置く。ここがぶれない強さがあるからこそ、ずっと第一線で活躍されているのだと思います」(林氏)。

さらにふたりが強調するのが、須藤の「現場主義」な点だ。日本各地にちらばる産地に精力的に足を運び、職人とともにゴールを目指す。日本が誇るべき布づくりは、基盤となる工場があってこそ。NUNOらしい布をつくり続けるためにも、共に継続できる道を探り続ける。そして布という素材に大きな敬意をはらい、大切につくっている。サステナビリティがうたわれはじめるずっと前、それこそ1983年の創業当初から、循環する布づくりに取り組んでいるのもそのあらわれだ。

糸に焦点を当てることで布の特性を見いだす旅をへたふたりは、今後どのように布と向き合おうと考えているのだろうか。「布づくりの現場を間近で見ることができて、現代に生きる我々が布と対峙したらなにができるか、熟考する時間となりました。素材そのものに向き合えたことも大きい。現場のひとと一緒に、自分たちで手を動かして、布をつくってみたいです。布を媒介にして、過去と未来がつながるのではという期待もあります」(安藤氏)。「古代布に興味があります。すでに縄文時代には日本にも布が存在したと言われていて、たとえば平織りは5000年前から変わらない。ここまで変わらなかったものに、自分たちはどうアプローチできるのか。機会があれば、すべてのエネルギーを傾けて挑んでみたい」(林氏)。

ルーペで糸をのぞき込み、見えているようで見えていなかった糸の世界に入り込み、須藤がつくり出すテキスタイルへの理解を深めていった林氏と安藤氏。ふたりが手がける布を見るそのときが、待ち遠しい。

The post 「we+」が発見した「テキスタイルの現在地」【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.4】 appeared first on WWDJAPAN.

「we+」が発見した「テキスタイルの現在地」【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.4】

前回に続いて、コンテンポラリーデザインスタジオ「we+(ウィープラス)」の林登志也氏と安藤北斗氏に話を聞く。麻布台ヒルズの大垣書店で開催中の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads 理想の糸を求めて(1月14日まで/以下KYOTO ITO ITOと略)」展で、須藤と協働したふたりは、布を構成する最小単位である「糸」に焦点を当てた。we+のデザインにとって、素材は常に重要な要素だ。

前編はこちら

we+が見た「テキスタイルとNUNO」

「素材の特性や可能性をリサーチして、どう扱うと面白いことができるかを見いだしていきます。KYOTO ITO ITOでは糸を追いかけることで、より布に近づけるのではないかと考えました」(林氏)。布はとても身近な素材で、入浴時以外は常に身につけている。あまりにも身近すぎて、その特性などは認識せぬまますごしているという人も多いだろう。「かつて布づくりは、職住接近で行われていた。自宅で蚕を育て、糸をたぐり、織物に仕立てていました。ものづくりの現場と生活がとても近かったんですね。現代は距離ができてしまって、ものがどこからどうやって生まれてきているかがわからない。KYOTO ITO ITOはこの距離を縮める試みであり、ものづくりの源流をたどる旅はとても刺激に満ちていました」(安藤氏)。

そうして糸に近づき、布づくりの片鱗が見えてくればくるほど、須藤がNUNOで行っていることの価値と偉大さも見えてきたという。「まず、布づくりに対しての姿勢が非常に柔軟です。新しい技術や新素材と、伝統的な技術や素材を線引きせず、そのどちらにも重きを置いている。そして実験を繰り返しています。糸を溶かしたり、熱によって変化する繊維をオーブンに入れてみたり、よくそんなこと思いつくなと。そして絹や綿や化学繊維といった既存の枠を超えて、金属や和紙も布にしていく。『糸になればどんな素材でも』と思ってらっしゃるのではないかと思います。そういうことを1980年代から継続してきているのだから、その蓄積はどれほどかと驚きます」(林氏)。

we+から見た「須藤玲子」像

「途絶えそうな素材や技術を発掘したり、新たな視点で価値を見いだすことにも長けている。たとえば蚕が最初に吐き出す糸である『きびそ』なんてまさにそう。現代では織り糸として使われなくなっていた『きびそ』に、須藤さんが光を当てた。素材を徹底的にリサーチするし、工場のポテンシャルを最大限に活かすべく、そこもリサーチを重ねる。だからものすごくロジカルだし、テクニカル。さまざまな要素を計算し尽くして、布に着地させていく。『素材からものをつくっていく』ことにものづくりの立脚点を見いだす姿勢は、我々に通じるものがあるというか、大先輩です」(安藤氏)。

もう一つの点が、「デザイナーであり、会社を運営する経営者でもある」点にも、ふたりの関心はおよぶ。「僕たちも同じ立場ですから、クリエイティブと経営という異なる側面を両立させる大変さ、ものづくりに純粋に没頭する姿勢を続ける難しさはよくわかります。それでも須藤さんは、クリエイティブに軸足を置く。ここがぶれない強さがあるからこそ、ずっと第一線で活躍されているのだと思います」(林氏)。

さらにふたりが強調するのが、須藤の「現場主義」な点だ。日本各地にちらばる産地に精力的に足を運び、職人とともにゴールを目指す。日本が誇るべき布づくりは、基盤となる工場があってこそ。NUNOらしい布をつくり続けるためにも、共に継続できる道を探り続ける。そして布という素材に大きな敬意をはらい、大切につくっている。サステナビリティがうたわれはじめるずっと前、それこそ1983年の創業当初から、循環する布づくりに取り組んでいるのもそのあらわれだ。

糸に焦点を当てることで布の特性を見いだす旅をへたふたりは、今後どのように布と向き合おうと考えているのだろうか。「布づくりの現場を間近で見ることができて、現代に生きる我々が布と対峙したらなにができるか、熟考する時間となりました。素材そのものに向き合えたことも大きい。現場のひとと一緒に、自分たちで手を動かして、布をつくってみたいです。布を媒介にして、過去と未来がつながるのではという期待もあります」(安藤氏)。「古代布に興味があります。すでに縄文時代には日本にも布が存在したと言われていて、たとえば平織りは5000年前から変わらない。ここまで変わらなかったものに、自分たちはどうアプローチできるのか。機会があれば、すべてのエネルギーを傾けて挑んでみたい」(林氏)。

ルーペで糸をのぞき込み、見えているようで見えていなかった糸の世界に入り込み、須藤がつくり出すテキスタイルへの理解を深めていった林氏と安藤氏。ふたりが手がける布を見るそのときが、待ち遠しい。

The post 「we+」が発見した「テキスタイルの現在地」【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.4】 appeared first on WWDJAPAN.

農場から世界を変える「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に注目集まる 「バレンシアガ」とも協業

米ニューヨーク郊外のハドソンバレーに、「スカイ ハイ ファーム(SKY HIGH FARM)」という農場がある。栄養素の高い食事ができないコミュニティーを支援するため、アーティストのダン・コーレン(Dan Colen)が2011年にスタートさせた非営利団体だ。ここでは、土壌を修復・改善しながら自然環境の回復を目指す“環境再生型農業(リジェネラティブ農業)”を取り入れ、育てた農作物や家畜を無償で寄付している。

コーレンは、農場運営のために営利団体「スカイ ハイ ファーム ユニバース(SKY HIGH FARM UNIVERSE)」を立ち上げると、「ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET以下、DSM)」とチャリティー・プロジェクトを実現。この協業を機に、「DSM」でファッションと食に情熱を注いでいたダフネ・シーボルト(Daphne Seybold)を迎え、アパレルブランド「スカイ ハイ ファーム ワークウエア(SKY HIGH FARM WORKWEAR)」を22年1月に本格始動させた。

「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、イラストレーターのジョアナ・アヴィレッツ(Joanna Avillez)が描いた、イチゴと月のキャッチなーキャラクターが目印だ。そこには「スカイ ハイ ファーム」が解決しようとする深刻な問題を、親しみやすく魅力的に伝えようとする、遊び心のある美学を反映している。コーレンは、チーフ・クリエイティブ・オフィサーとして、環境再生型農業の理念をベースとした視点でデザインに取り組んでいる。

同ブランドにとってコラボレーションは重要で、「バレンシアガ(BALENCIAGA)」や「コンバース(CONVERSE)」といったブランドから、英「i-D」誌の編集長アリスター・マッキム(Alistair McKimm)ら個人までを垣根なく巻き込みながら、多くの人々にメッセージを届けている。ファッションだけでなく、カリフォルニアのスーパーマーケットチェーン「エラワン・マーケット(Erewhon Market)」と協業し、プロバイオティクスやハチミツを配合した清涼飲料水を発売するなど、その手法はさまざまだ。

同ブランドのスタッフ数は、未だフルタイム7人とパートタイム3人という小さなスタートアップ起業だが、ユニークな寄付システムにより、2年弱の活動で約70万ドル(約9940万円)の寄付金を集めている。ダフネ・シーボルト「スカイ ハイ ファーム ユニバース」共同最高経営責任者(CEO)兼最高マーケティング責任者(CMO)に、その興味深い活動と信念について訊ねた。

必要な人の手に利益が渡る
独自に考案した収益モデル

WWDJAPAN(以下、WWD):「スカイ ハイ ファーム」の活動について教えてほしい。

ダフネ・シーボルト共同CEO兼CMO(以下、シーボルト):環境再生型農業によって栽培された野菜や放牧された家畜を、社会から疎外され、新鮮で栄養価の高い食品を入手できないコミュニティーに寄付している。緊急の食糧支援のみならず、この農場はフードシステムにおける公平性を確立にも重点を置いている。その手段の一つが、青少年を対象とした教育プログラムだ。環境再生型農業や食料主権(どのように食物を作り、どのようなものを食べるかを自分たちで決める権利)について教えている。約9カ月間の有給フェローシップ・プログラムでは、「スカイ ハイ ファーム」で6カ月間働いて実践的に学び、その後3カ月は研究プロジェクトに参加する。参加者の費用は全額支給し、宿泊施設も提供している。また、環境再生型農業を実施する他の農家にも助成金を支給しており、今年は約35万ドル(約4970万円)が使われる予定だ。残念ながらアメリカでは、大規模な農業システムに多くの補助金が支払われている。そこで私たちは、多大な専門知識を持ちながらもその恩恵を受けていない人々の手に資金を渡そうと取り組んでいるのだ。

WWD:なぜ「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を立ち上げたのか?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム」は非営利団体だが、通常そのような組織は寄付や助成金などの慈善事業に頼っているため、資金調達に限界がある。そのため、私たちは補足的な収入源が必要だと考えた。営利事業体を通じて、臨時収入や教育、意見や考えを表明する機会を創出すべく、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を本格始動させた。

WWD:では、「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」とは?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」として最初に着手したアパレルプロジェクトだ。私の古巣であるパリの「DSM」と提携しており、ブランド・インキュベーターでもある彼らは、生産や製造、販売、流通の専門知識で、私たちの市場参入をサポートしてくれている。このブランドが他と大きく異なるのは、環境再生型農業の理念に深く関わっている点だ。環境再生型農業は、土地を総合的に管理して農産物を栽培し、生物多様性をもたらすと同時に、気候変動をも抑制する。

WWD:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」の目的は、環境再生型農業について人々に知らせることでもある?

シーボルト:気候変動や食糧主権、緊急の食糧アクセス、そして個人の行動が環境に与える影響など、世界で起きている問題の重要性を誰もが認識できる機会を提供したい。世の中には、問題を認識しているものの、実際どのように関わればいいのか分からない人も多いと思う。特にファッションの世界では、ポジティブな想像が難しいかもしれない。「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」を立ち上げたのは、私たちはファッションを愛し、ファッションを消費しているからだ。また「スカイ ハイ ファーム ユニバース」には ワークウエアの他に、食品や飲料、ウェルネス、ビューティもある。これらを通じて、効果的なタッチポイントをさまざまに作ることができる。

WWD:服はストーリーを語る一つの方法であるということ?

シーボルト:その通りだ。また、持続可能な服作りは、製品そのものをユニークなものにしている。「DSM」は、私たちのためにデッドストックの素材や生地を調達してくれる。例えば、私が今着ているシャツは「コム デ ギャルソン・シャツ(COMME DES GARCONS SHIRT)」の余剰生地を再利用して作ったもの。新しい生地の場合は、最も持続可能性の高いものを使う。環境再生型農業の背後にある理念は、製品作りや、会社を設計する考え方にも通じている。

WWD:会社の仕組みにはどのように生かしている?

シーボルト:私たちの収益モデルは、従来のものとは全く異なる。まず利益の50%を農場に分配し、次に従業員、そして農業コミュニティーや農場に奉仕する人々に分配し、最後に投資家に渡る。伝統的な富のヒエラルキーを覆し、最も資金を必要とする人々を優先している。農業は高度な知識と技術を要する上に、信じられないほど大変で骨の折れる仕事なのに、従事者の給与は低く、適切な報酬を得られていない。そこで私たちは従業員中心の組織を作り、このような制度改革に取り組んでいる人々を評価したいと考えた。

WWD:「DSM」での経験が現在にどう役立っている?

シーボルト:私たちは目に見える製品だけでなく、ビジネス全体をデザインしており、これは川久保玲やエイドリアン・ジョフィ(Adrian Joffe) コム デ ギャルソン インターナショナルCEOから学んだことかもしれない。「DSM」と共に立ち上げた卸売寄付(Wholesale Donation)プログラムでは、商品の卸売価格を少し上げ、上げた分を農場に寄付している。このシステムによって、商品が店頭でどれだけ売れたかにかかわらず、農場にお金が渡るようになる。通常のチャリティープロジェクトでは、製品が市場に出回った後の売り上げの一部が寄付されるが、私たちの場合は、その前後の段階での利益を寄付している。

コラボレーションしたいのは
日本のあのブランド

WWD:「DSM」を経て「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に取り組む中で、ファッション業界の環境問題への意識を変えたいと思う?

シーボルト:面白いことに、今の仕事は「DSM」にいたときとそれほど変わらない。構造は違えど、ファッションを用いて別のことを行っているだけ。私たちが模範となり、責任を持って倫理的に製品を生産することは重要だが、大きな変化を生み出すためにはファッション業界全体の力が不可欠だ。だからこそ「コンバース」や「バレンシアガ」「コム デ ギャルソン・シャツ」「ディッキーズ(DICKIES)」などとのパートナーシップが必要だ。私たちが今回のような取材で自分たちの取り組みについて伝えることも大切だが、私たちが提携しているブランドはより大きなオーディエンスを抱えているので、彼らのプラットフォームを通じてさらに多くの人々に農場のストーリーを伝えることができる。そして、従来の慈善活動よりも多くの人々にリーチすることができるポップカルチャーの力を信じている。

WWD:コラボレーションの手法にルールはあるのか?

シーボルト:どのブランドとも異なる方法で仕事をしている。それぞれの企業には独自の構造があり、一つのシナリオが全てに当てはまるわけではない。また、大企業を相手にすることが多いため、漸進的なステップを踏んでいる。「バレンシアガ」がいい例だ。彼らはデッドストックを提供してくれて、私たちはフォトグラファーのライアン・マッギンレー(Ryan McGinley)のアートワークでカスタマイズし、再販した。また「コンバース」とも協業し、古いワークウエアをアッパーに再利用した“ワンスター(One Star)”と“チャック・テイラー(Chuck Taylor)”を来年春に販売する。私たちの目標は、長期的なパートナーシップを築くこと。マーケティングのためのマーケティングに興味はない。

WWD:今後コラボレーションしたい企業はあるか?

シーボルト:高品質・低価格を実現する「ユニクロ(UNIQLO)」ともコラボレーションをしてみたい。実現すれば、世界中の人々に私たちの ワークウエアを届けられる未来が見えるかもしれない。消費者の欲求を促さないと、システムを変えることはできない。そして、市場が求めない限り、大企業の仕組みや方針は変わらないため、消費者が自分の購買行動で意見を表明することが重要だ。消費者は購入するものを意識的に選ぶことで、より大きな変化を生み出すことができる。そして私の願いは、誰もが「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を選ぶことだ。キャッチフレーズのように聞こえるが、私たちのブランドでは、すべての顧客が寄付者になるのだから。

WWD:大きな夢だ。

シーボルト:そうでもないかもしれない。まだブランド創立から2年足らずだが、卸売りを通じて約50万ドル(約7100万円)、そして企業や農場との対話を通じてさらに約18万ドル(約2556万円)近くの寄付金を集めることができた。始めた当初はうまくいくかどうか分からなかったが、期待以上の結果を生み出せて、誇りに思っている。卸先は「サックス・フィフス・アヴェニュー(SAKS FIFTH AVENUE)」「ノードストローム(NORDSTROM)」「エッセンス(SSENSE)」など世界70以上の小売パートナーで、その全てが卸売寄付プログラムに喜んで参加してくれた。これほど多くの企業組織を、一つの共通の目標に向かってまとめることができた会社を他に知らない。私たちは個々で活動するよりも、一緒に活動してこそ強くなれる。

The post 農場から世界を変える「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に注目集まる 「バレンシアガ」とも協業 appeared first on WWDJAPAN.

農場から世界を変える「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に注目集まる 「バレンシアガ」とも協業

米ニューヨーク郊外のハドソンバレーに、「スカイ ハイ ファーム(SKY HIGH FARM)」という農場がある。栄養素の高い食事ができないコミュニティーを支援するため、アーティストのダン・コーレン(Dan Colen)が2011年にスタートさせた非営利団体だ。ここでは、土壌を修復・改善しながら自然環境の回復を目指す“環境再生型農業(リジェネラティブ農業)”を取り入れ、育てた農作物や家畜を無償で寄付している。

コーレンは、農場運営のために営利団体「スカイ ハイ ファーム ユニバース(SKY HIGH FARM UNIVERSE)」を立ち上げると、「ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET以下、DSM)」とチャリティー・プロジェクトを実現。この協業を機に、「DSM」でファッションと食に情熱を注いでいたダフネ・シーボルト(Daphne Seybold)を迎え、アパレルブランド「スカイ ハイ ファーム ワークウエア(SKY HIGH FARM WORKWEAR)」を22年1月に本格始動させた。

「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、イラストレーターのジョアナ・アヴィレッツ(Joanna Avillez)が描いた、イチゴと月のキャッチなーキャラクターが目印だ。そこには「スカイ ハイ ファーム」が解決しようとする深刻な問題を、親しみやすく魅力的に伝えようとする、遊び心のある美学を反映している。コーレンは、チーフ・クリエイティブ・オフィサーとして、環境再生型農業の理念をベースとした視点でデザインに取り組んでいる。

同ブランドにとってコラボレーションは重要で、「バレンシアガ(BALENCIAGA)」や「コンバース(CONVERSE)」といったブランドから、英「i-D」誌の編集長アリスター・マッキム(Alistair McKimm)ら個人までを垣根なく巻き込みながら、多くの人々にメッセージを届けている。ファッションだけでなく、カリフォルニアのスーパーマーケットチェーン「エラワン・マーケット(Erewhon Market)」と協業し、プロバイオティクスやハチミツを配合した清涼飲料水を発売するなど、その手法はさまざまだ。

同ブランドのスタッフ数は、未だフルタイム7人とパートタイム3人という小さなスタートアップ起業だが、ユニークな寄付システムにより、2年弱の活動で約70万ドル(約9940万円)の寄付金を集めている。ダフネ・シーボルト「スカイ ハイ ファーム ユニバース」共同最高経営責任者(CEO)兼最高マーケティング責任者(CMO)に、その興味深い活動と信念について訊ねた。

必要な人の手に利益が渡る
独自に考案した収益モデル

WWDJAPAN(以下、WWD):「スカイ ハイ ファーム」の活動について教えてほしい。

ダフネ・シーボルト共同CEO兼CMO(以下、シーボルト):環境再生型農業によって栽培された野菜や放牧された家畜を、社会から疎外され、新鮮で栄養価の高い食品を入手できないコミュニティーに寄付している。緊急の食糧支援のみならず、この農場はフードシステムにおける公平性を確立にも重点を置いている。その手段の一つが、青少年を対象とした教育プログラムだ。環境再生型農業や食料主権(どのように食物を作り、どのようなものを食べるかを自分たちで決める権利)について教えている。約9カ月間の有給フェローシップ・プログラムでは、「スカイ ハイ ファーム」で6カ月間働いて実践的に学び、その後3カ月は研究プロジェクトに参加する。参加者の費用は全額支給し、宿泊施設も提供している。また、環境再生型農業を実施する他の農家にも助成金を支給しており、今年は約35万ドル(約4970万円)が使われる予定だ。残念ながらアメリカでは、大規模な農業システムに多くの補助金が支払われている。そこで私たちは、多大な専門知識を持ちながらもその恩恵を受けていない人々の手に資金を渡そうと取り組んでいるのだ。

WWD:なぜ「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を立ち上げたのか?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム」は非営利団体だが、通常そのような組織は寄付や助成金などの慈善事業に頼っているため、資金調達に限界がある。そのため、私たちは補足的な収入源が必要だと考えた。営利事業体を通じて、臨時収入や教育、意見や考えを表明する機会を創出すべく、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を本格始動させた。

WWD:では、「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」とは?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」として最初に着手したアパレルプロジェクトだ。私の古巣であるパリの「DSM」と提携しており、ブランド・インキュベーターでもある彼らは、生産や製造、販売、流通の専門知識で、私たちの市場参入をサポートしてくれている。このブランドが他と大きく異なるのは、環境再生型農業の理念に深く関わっている点だ。環境再生型農業は、土地を総合的に管理して農産物を栽培し、生物多様性をもたらすと同時に、気候変動をも抑制する。

WWD:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」の目的は、環境再生型農業について人々に知らせることでもある?

シーボルト:気候変動や食糧主権、緊急の食糧アクセス、そして個人の行動が環境に与える影響など、世界で起きている問題の重要性を誰もが認識できる機会を提供したい。世の中には、問題を認識しているものの、実際どのように関わればいいのか分からない人も多いと思う。特にファッションの世界では、ポジティブな想像が難しいかもしれない。「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」を立ち上げたのは、私たちはファッションを愛し、ファッションを消費しているからだ。また「スカイ ハイ ファーム ユニバース」には ワークウエアの他に、食品や飲料、ウェルネス、ビューティもある。これらを通じて、効果的なタッチポイントをさまざまに作ることができる。

WWD:服はストーリーを語る一つの方法であるということ?

シーボルト:その通りだ。また、持続可能な服作りは、製品そのものをユニークなものにしている。「DSM」は、私たちのためにデッドストックの素材や生地を調達してくれる。例えば、私が今着ているシャツは「コム デ ギャルソン・シャツ(COMME DES GARCONS SHIRT)」の余剰生地を再利用して作ったもの。新しい生地の場合は、最も持続可能性の高いものを使う。環境再生型農業の背後にある理念は、製品作りや、会社を設計する考え方にも通じている。

WWD:会社の仕組みにはどのように生かしている?

シーボルト:私たちの収益モデルは、従来のものとは全く異なる。まず利益の50%を農場に分配し、次に従業員、そして農業コミュニティーや農場に奉仕する人々に分配し、最後に投資家に渡る。伝統的な富のヒエラルキーを覆し、最も資金を必要とする人々を優先している。農業は高度な知識と技術を要する上に、信じられないほど大変で骨の折れる仕事なのに、従事者の給与は低く、適切な報酬を得られていない。そこで私たちは従業員中心の組織を作り、このような制度改革に取り組んでいる人々を評価したいと考えた。

WWD:「DSM」での経験が現在にどう役立っている?

シーボルト:私たちは目に見える製品だけでなく、ビジネス全体をデザインしており、これは川久保玲やエイドリアン・ジョフィ(Adrian Joffe) コム デ ギャルソン インターナショナルCEOから学んだことかもしれない。「DSM」と共に立ち上げた卸売寄付(Wholesale Donation)プログラムでは、商品の卸売価格を少し上げ、上げた分を農場に寄付している。このシステムによって、商品が店頭でどれだけ売れたかにかかわらず、農場にお金が渡るようになる。通常のチャリティープロジェクトでは、製品が市場に出回った後の売り上げの一部が寄付されるが、私たちの場合は、その前後の段階での利益を寄付している。

コラボレーションしたいのは
日本のあのブランド

WWD:「DSM」を経て「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に取り組む中で、ファッション業界の環境問題への意識を変えたいと思う?

シーボルト:面白いことに、今の仕事は「DSM」にいたときとそれほど変わらない。構造は違えど、ファッションを用いて別のことを行っているだけ。私たちが模範となり、責任を持って倫理的に製品を生産することは重要だが、大きな変化を生み出すためにはファッション業界全体の力が不可欠だ。だからこそ「コンバース」や「バレンシアガ」「コム デ ギャルソン・シャツ」「ディッキーズ(DICKIES)」などとのパートナーシップが必要だ。私たちが今回のような取材で自分たちの取り組みについて伝えることも大切だが、私たちが提携しているブランドはより大きなオーディエンスを抱えているので、彼らのプラットフォームを通じてさらに多くの人々に農場のストーリーを伝えることができる。そして、従来の慈善活動よりも多くの人々にリーチすることができるポップカルチャーの力を信じている。

WWD:コラボレーションの手法にルールはあるのか?

シーボルト:どのブランドとも異なる方法で仕事をしている。それぞれの企業には独自の構造があり、一つのシナリオが全てに当てはまるわけではない。また、大企業を相手にすることが多いため、漸進的なステップを踏んでいる。「バレンシアガ」がいい例だ。彼らはデッドストックを提供してくれて、私たちはフォトグラファーのライアン・マッギンレー(Ryan McGinley)のアートワークでカスタマイズし、再販した。また「コンバース」とも協業し、古いワークウエアをアッパーに再利用した“ワンスター(One Star)”と“チャック・テイラー(Chuck Taylor)”を来年春に販売する。私たちの目標は、長期的なパートナーシップを築くこと。マーケティングのためのマーケティングに興味はない。

WWD:今後コラボレーションしたい企業はあるか?

シーボルト:高品質・低価格を実現する「ユニクロ(UNIQLO)」ともコラボレーションをしてみたい。実現すれば、世界中の人々に私たちの ワークウエアを届けられる未来が見えるかもしれない。消費者の欲求を促さないと、システムを変えることはできない。そして、市場が求めない限り、大企業の仕組みや方針は変わらないため、消費者が自分の購買行動で意見を表明することが重要だ。消費者は購入するものを意識的に選ぶことで、より大きな変化を生み出すことができる。そして私の願いは、誰もが「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を選ぶことだ。キャッチフレーズのように聞こえるが、私たちのブランドでは、すべての顧客が寄付者になるのだから。

WWD:大きな夢だ。

シーボルト:そうでもないかもしれない。まだブランド創立から2年足らずだが、卸売りを通じて約50万ドル(約7100万円)、そして企業や農場との対話を通じてさらに約18万ドル(約2556万円)近くの寄付金を集めることができた。始めた当初はうまくいくかどうか分からなかったが、期待以上の結果を生み出せて、誇りに思っている。卸先は「サックス・フィフス・アヴェニュー(SAKS FIFTH AVENUE)」「ノードストローム(NORDSTROM)」「エッセンス(SSENSE)」など世界70以上の小売パートナーで、その全てが卸売寄付プログラムに喜んで参加してくれた。これほど多くの企業組織を、一つの共通の目標に向かってまとめることができた会社を他に知らない。私たちは個々で活動するよりも、一緒に活動してこそ強くなれる。

The post 農場から世界を変える「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に注目集まる 「バレンシアガ」とも協業 appeared first on WWDJAPAN.

SUMIREが透き通る肌をキープするコスメの見つけ方 「SNSでワード検索し自分の肌に合う商品と出合う」

PROFILE:SUMIRE/モデル・俳優

(すみれ)1995年生まれ、東京都出身。2014年からファッション誌「装苑」の専属モデルを務める。18年に「サラバ静寂」で映画デビューし、活躍の場を広げる。テレビ東京ドラマチューズ!枠「THE TRUTE」(毎週火曜深夜24:30〜放送)に出演中

透明感のある肌にオリーブグリーンの瞳が印象的なモデル・俳優として活躍するSUMIREは、2014年からファッション誌「装苑」の専属モデルに起用されるなど、ファッションセンスは群を抜く。ビューティでは敏感に傾きがちな自身の肌と向き合い、SNSなどによる化粧品に関する情報収集を軸に愛用品を決め、透き通るような肌をキープする。

WWD:コスメとファッションの連動は必須?

SUMIRE:ファッションとビューティどちらも同じくらい好きなんです。おしゃれな服を着ていたら、メイクしていた方が映えますし、メイクをばっちりして普段着でもいいですよね。どちらも補い合う関係のような気がします。

WWD:普段のスキンケアで気をつけていることは?

SUMIRE:敏感肌で乾燥肌なので、季節に関係なくクリームやオイルを肌が艶々になるぐらいたっぷり塗布します。秋冬はオイルを塗ってからシートパックを毎日していますね。シートパックは「メディヒール(MEDIHEAL)」「アビブ(ABIB)」など、保湿効果が高いので韓国コスメブランドを愛用しています。朝はシートパックをした後に、「ニールズヤードレメディーズ(NEAL'S YARD REMEDIES)」の化粧水“フェイシャルミストFH”、「エッフェオーガニック(F ORGANICS)」の乳液“ブライトニングミルク”、日焼け止め“UVプロテクトミルク50プラス”の順で使うのがルーティンですね。

WWD:メイクのこだわりは?

SUMIRE:ベースメイクはファンデーションをあまり使用せず、日焼け止めの後に気になる箇所に「ビズゥ(BISOU)」のコンシーラーでカバーし、フェイスパウダーで仕上げています。カラーメイクは普段アイラインを主張するような強い印象は好まず、マスカラとチークだけにとどめることが多いですね。カラーマスカラが好きで、赤やオレンジ、白などを選びます。最近お気に入りのチークは「ナーズ(NARS)」の“アフターグロー リキッドブラッシュ”(色番02799)で、リキッドタイプなんですが、指でなじませるとすごくナチュラルな仕上がりになるんですよ。アイシャドウを使う場合は「シャネル(CHANEL)」の商品を愛用しています。

WWD:「WWDBEAUTY」12月25日号の表紙はSUMIREさんの赤い髪を生かし、赤の世界で統一した。ヘアスタイル・ヘアケアのこだわりについては。

SUMIRE:少し前の髪色はピンクだったのですが、退色が進み新しい色を美容師さんに相談したら赤が似合うのでは?とアドバイスをもらい、赤を選びました。髪色をキープするために「ソマルカ(SOMARCA)」の“カラーシャンプー”や“カラーチャージ”を使いますが、ドラッグストアなどで購入した商品も日常的に使っています。セットには、「オーウェイ」のヘアオイル“グロッシーネクター”がイチオシです。軽いつけ心地で使いやすいですね。

WWD:「WWDBEAUTY」やビューティ誌のベストコスメは気になる?

SUMIRE:「WWDBEAUTY」2023年上半期の紙面を見ると自分が使っていたり、知っていたりする商品がわりと掲載されていたので親近感が湧きました。ベスコスを獲得した商品を店舗で見ることもあり気になったりしますが、肌が敏感なため自分に合うかは未知数なんです。新しい商品を試す際は、まずインスタやXでワード検索します。「コスメ、評判がいい、肌にいい」などで検索し、そこから気になる商品を調べ、百貨店やドラッグストアに行き、タッチアップしたりしています。

WWD:今後取り入れたいコスメは?

SUMIRE:ミストタイプ化粧水ですね。きめ細かいミストの方が肌への浸透や保湿力が高いという記事を目にするので、乾燥肌の持ち主としては気になります。自分に合うミスト化粧水を探してみたいですね。韓国ブランドではシカ成分を配合している商品が多いので注目しています。


Cover’s Makeup point

村上綾/メイクアップアーティスト

表紙のSUMIREさんの肌は、ベストコスメを受賞した商品を多用して表現しました。ベースは作った肌というより整えられた肌を意識し、パウダーを塗布することで1枚ベールをまとったようなセミマット肌に仕上げました。目元はベージュなどニュアンスカラーが多いので、ブラウンベージュを太めのブラシでアイホール全体と下瞼に。陰影をつけ目に深みをだした後に、ラメをポイント使い。ラメは小さいストーンを若干混ぜ、きれいにあしらうより散らす感じに。チークは血色感を演出する程度でとどめ、ファッションとのリンクも考えダークチェリーのリップで締めた印象にしました。髪はあえてシンプルなストレートヘアにしています。


使用アイテム
アイシャドウ:「シャネル」“レ キャトル オンブル ビザンス”(318)、アイブロウ:「セザンヌ」“超細芯アイブロウ”(06)、リップ:「ケイト」“リップモンスター”(05)、パウダー:「ナーズ」“ライトリフレクティングセッティングパウダー プレスト N”

衣装
ニット11万8800円/モトヒロ タンジ(エスティーム プレス 03-5428-0928)、中に着たカーディガン7万9200円/フェティコ(ザ・ウォール ショールーム 03-5774-4001)、ピアス7200円/トゥワクリム(エスタードジャパン 03-5413-4807)、タイツ、シューズ/共にスタイリスト私物

ART DIRECTION : RYO TOMIZUKA
MODEL : SUMIRE
PHOTOS : MASAYA TANAKA(TRON)
HAIR & MAKEUP : AYA MURAKAMI
STYLING : MASUMI YAKUZAWA(TRON)
DESIGN : JIRO FUKUDA

The post SUMIREが透き通る肌をキープするコスメの見つけ方 「SNSでワード検索し自分の肌に合う商品と出合う」 appeared first on WWDJAPAN.

「ジーユー」、NYポップアップの手応えは? ファンタジスタ歌麻呂とNY限定商品も

ファーストリテイリング傘下の「ジーユー(GU)」は、2022年10月から米ニューヨークのソーホーで長期ポップアップショップを運営している。“GO GLOBAL”を掲げ、今年9月にはニューヨークに商品本部も構えてグローバル化を推進。ソーホーのポップアップストアについては今後、正式な店舗化の動きも見せているという。ユニクロUSAのドーン・アボツィ(Dawn Abotsi)マーケティング・マネジャーに、「ジーユー」のニューヨークでの試行錯誤や今後について話を聞いた。

ーーニューヨークに「ジーユー」のポップアップショップがオープンしてから一年が経過した。手応えは。

ドーン・アボツィ=ユニクロUSA ジーユー USマーケティング・マネジャー(以下、アボツィ):具体的な売り上げや予算比は公開していませんが、商品構成や売り場の整備、店舗サービスの強化によって、業績は好調です。また、「ジーユー」を知っていただくきっかけとしてSNSや店舗アクティビティーに注力し、集客を強化しています。この12月には、ニューヨーク在住の日本人アーティスト、ファンタジスタ歌麻呂氏とコラボレーションし、ニューヨーク店限定商品を発売しました。まだ課題はありますが、来店後の口コミがさらなる集客につながり、認知度も向上してきていると感じています。

ーー売れ筋商品について教えてほしい。

アボツィ:トレンド且つ気の利いたデザイン、品質、価格の3拍子がそろった「ジーユー」らしい商品が好調です。23年秋冬物では触り心地がよく、デザインバリエーションが豊富な”パフィータッチ”シリーズのニットや、ウールライクなコージーメルトンのコートが人気です。また、マルチウェイデザインのワンピースはさまざまな着こなしが楽しめることに加え、タイトなフィット感でニューヨークのお客さまにも受け入れられています。

通年で好調なボトムスはワイドシルエットが人気です。オフィスカジュアルにも活用できるタックワイドパンツ、ワイドジーンズ、カーゴディテールなどトレンドのデザインを押さえながら、さまざまなスタイルを楽しめるラインナップがヒットしています。日本でも人気の“ラウンドショルダーバッグ”もニューヨークで好調に動いています。
 
「ジーユー」の代表商品でもある“ヘビーウェイトスウェット”は、今シーズンからウィメンズもラインアップに加わり型数を拡大しました。品質のよさと手頃な価格で支持され、リピーターのお客さまも多い商品です。ファンタジスタ歌麻呂氏とのコラボでは、“ヘビーウェイトスウェット”の胸元に日本のポップカルチャーを代表するアニメや漫画風のアートをデザインし、ニューヨーク店限定として発売しました。

「日本の“体形カバー”発想はNYにはない」

ーー日本と北米市場の違いをどう理解し、どう調整しているのか。

アボツィ:日本とニューヨークではサイズ感(フィット)と着こなしが大きく違うと感じています。お客さまの体形も異なるため、デザインが気に入っても日本のサイズではフィットしないことがあります。追加生産の際にサイズのSKUをニューヨークのお客さまに合うように調整しています。また、日本では(コンプレックスのある箇所を隠すといった)「体形カバー」が浸透している一方で、ニューヨークでは個を尊重する文化の背景もあり、体形は隠すのではなく魅力的に見せる着こなしが浸透しています。そのため店頭のマネキンは、ニューヨークのお客さまにフィットするようにスタイリングを日本と変えています。

お客さまやニューヨークのスタッフから出た意見は、日常的に(東京の)グローバルヘッドクォーターに伝え、改善ポイントを明確にして商品開発に活かしています。同時に、9月に設立したニューヨーク商品本部のメンバーは、ニューヨーク(グローバル)市場の商品・トレンド情報を日々リサーチし、最短で商品開発に反映することにも取り組んでいます。

ーー「ジーユー」をニューヨークの客はどう受け止めているか。

アボツィ:「ユニクロ(UNIQLO)」の姉妹ブランドということで、興味を持って来店される方も多くいらっしゃいます。トレンドかつデザインに気が利いていて、他のブランドにはないようなユニークな商品がお手頃に買える、という商品へのポジティブな声もいただいています。また、SNS上ではニューヨーク以外のエリアへの出店を期待するコメントも寄せられています。

ーーニューヨークでの常設店オープンの予定は。

アボツィ:常設店の具体的な時期については現在計画中で物件も探しています。ニューヨークへの正式出店および米国での事業拡大という目標に向けて、ポップアップストアを延長し引き続き「ジーユー」がお客さまから何を期待されているのかをよく学び、今後につなげていきたいと考えています。

The post 「ジーユー」、NYポップアップの手応えは? ファンタジスタ歌麻呂とNY限定商品も appeared first on WWDJAPAN.

ルチア・ピカが語る「バイレード」の自由な精神と創造性 「香水とメイクの架け橋を作る」

スウェーデン・ストックホルム発のフレグランス&メイクアップブランド「バイレード(BYREDO)」は、クリエイティブイメージ、メイクアップパートナーであるルチア・ピカ(Lucia Pica)が手掛けたホリデーコレクションを限定販売中だ。ルチアはフリーランスのメイクアップアーティストとして20年、ビューティ業界で活躍した後、2015年から6年にわたり「シャネル(CHANEL)」のクリエイティブメイクアップ&カラーデザイナーを務め、22年に現職に就いた。「バイレード」でのものづくりやブランドへの思い、最新コレクションについて聞いた。

「創業者のベンは人々に自由を許し最高のものを引き出す」

WWD:「バイレード」で仕事をするまでの経緯は?

ルチア・ピカ=「バイレード」クリエイティブイメージ、メイクアップパートナー(以下、ピカ):創業者のベン・ゴーラム(Ben Gorham)とは共通の友人を通じて知り合ったが、その時は自分の今後について軽く会話しただけで、わりと唐突なできごとだった。最初のミーティングでは特に具体的なプロジェクトについて話したわけではなく、まずは知り合いになってお互いに合うかどうかを確認した。その時は彼が私に「バイレード」のメイクアップディレクターを引き継いでほしいと思っていることすら知らなかった。

幸運なことに物事はごく自然にすんなりと流れ始めた。すぐに意見が一致し、ブランドに対する哲学や目標も合致した。ベンは常に自分のやることに対して答えとインスピレーションを見出そうとしている。彼は真に意図してそれを行っていて、私もそれを踏襲している。彼の真摯な態度は本当に素晴らしい。

WWD:ゴーラム創業者との会話で印象に残っていることは?

ピカ:一番印象に残っているのは、最初の会話だ。約1時間の会話の中で、物事の捉え方がまったく同じだったことにとても惹かれた。まるで同じ言語を話しているような、昔から彼を知っているような安心感を持てた。

WWD:「シャネル」でのクリエーションと「バイレード」でのクリエーションの違いは?

ピカ:興味深い違いとしては、ブランドの創始者やオーナーといったクリエイティブな人たちと頻繁に話をするようになった。大企業では、往々にして多くの人が関わっているため、多くのステップを省かれることがあるが、「バイレード」では心をオープンにして何度も話し合うことができる。それもあって物事が速く進み、ブランドの核心やエモーショナルな部分に直接触れることが容易にできる。ベンとの仕事はありのままの新鮮なエネルギーに触れられる自由があると思っていて、それは特別でありながら正しい道のりだと思う。ほかの人とのコラボレーションも同様だ。彼は人々に自由を許すことで、結果、彼らから最高のものを引き出している。

WWD:これまでの経験で「バイレード」の仕事に生かされていることは?

ピカ:「バイレード」でのこの数年間、自然なフローが流れると同時に刺激的な面もあり大変充実している。志を同じくするクリエイティブな人たちと一緒に仕事ができて、しかも表現の自由があるのは本当に素晴らしいこと。ベンと彼が創り上げたブランドはとても魅力的で、そのメイクアップセクションを担当し開発することはスペシャル。これからも挑戦したいことがたくさんある。このコラボレーションは本当に素晴らしい。

ホリデーコレクションのテーマは“セルフイリュージョン”

WWD:今回のホリデーで新しいメイクアップコレクションを発売したが、製作の過程はどうだった?

ピカ:ホリデーコレクションは、“バル ダフリック(Bal d'Afrique)”の香りについてベンと話した後に生まれた。彼は、父親の日記を読んだ記憶だけで未踏の地に愛着を持ち、香りを通じて人々をその地に連れて行った。そしてそれは感情移入できる世界を創り上げ、その経験をメイクアップや色に昇華したいという私のアイデアと一致した。“セルフ・イリュージョン・コレクション”のアイデアは、この神秘の世界を創り出すことだった。リアルで生きていると感じられる夢の中の風景があり、もしかしたら過去に見たことがない「何か」が現実に訪れるのかもしれない。現実と夢の感覚が共存しているかのような。私はこのような心情を色で想像し、その中間的でスモーキーな色合いに変換してみた。グレーでもなく、青でもなく、こげ茶色と暖かなテラコッタカラー、そしてアクセントとしての明るい色みを加えた。「幻想状態」、そんなムードを形にしたいと思った。

WD:ホリデーコレクションのおすすめの使い方は?

ピカ:このコレクションでは、その日のインスピレーション次第で、何を主役にするかを決めることができる。パレットにスポットライトを当てたいなら、シルバーかゴールドのどちらかをアクセントにしたスモーキーアイで楽しんでほしい。このパレットは寒色系と暖色系を備えていて、チャコール、グレーブルー、そしてシルバー、それらを同時に使うことももちろん素敵。チャコールグレーを使って、目の奥行きや目頭、目尻に深みを出し、丸くぼかしてスモーキーアイの効果を出す。そして、青みがかったシルバーグレーをまぶたの内側に入れ、目尻を含む上部にはシルバーのアクセントを加える。暖色系にする場合も同様にブラウンとゴールドを用いる。あるいは、アイライナーをまぶたの縁の内側に使い、まつ毛の生え際をはっきりさせてから、パレットのブラウンとゴールドを上にのせてなじませるのもおすすめ。

マスカラを主役にするなら大胆に使って、艶やかで透明感のある肌のトーンに。私自身はブルーのマスカラは使用しないが、“イロ―デッド エコー”はグリーンとブルーの中間の色で、温かみのあるグレイッシュなトーンによって絶妙なバランスが生まれ、遊び心がありながら洗練された、少しミステリアスな雰囲気を醸し出す。意外性のあるものに挑戦する気持ちと、過剰になりすぎない洗練された安心感を合わせ持つような繊細さにこだわった。

“カジャールペンシル パープレックスト”は、ブロンズ系のカーキなのであまり正確に線を引かなくても大丈夫。指先で内側に塗ったり、まつ毛の生え際に沿わせて外角に向かって少し伸ばしたり。とてもソフトで繊細なので、正直なところこのペンシルで失敗することは難しいはず!

リップスティックは自信に満ちた赤の中にテラコッタカラーも含み、より使いやすく多様な肌のトーンに適応する。このコレクションは、私にとって本当にウエアラブルなコレクションだ。

「メイクアップにブランドの本質を反映させたい」

WWD:今後、「バイレード」で挑戦したいことは?

ピカ:「バイレード」は内面的な感情の世界を物語るブランドで、見た目の美しさだけでなく、商品を使って素晴らしい体験をしてもらえる。私の役割はメイクアップを施し、顔になじませ、自分の一部となる体験を与えるテクスチャーを提供することで自己表現を実現し、なおかつ個性を内側から輝かせること。それを可能にする商品を作り提供することにより皆さんが楽しみながら自己を見出し、創造性を探求することが大切だ。「バイレード」のメイクアップが皆さんの顔で素敵に輝くことに熱い思いをかけている。さらに言えば、「バイレード」の中でフレグランスとメイクアップの架け橋を作り、メイクアップに「バイレード」の本質を反映させたいと願っている。

The post ルチア・ピカが語る「バイレード」の自由な精神と創造性 「香水とメイクの架け橋を作る」 appeared first on WWDJAPAN.

「プラダ ビューティ」、スキンケア&メイクアップ成功への道筋は? グローバル プレジデントに聞く

ヤン・アンドレア/プラダ ビューティ グローバル プレジデント

2001年に「アルマーニ ビューティ」のフレグランスのインターナショナル・マーケティング・プロダクト・マネージャーとしてロレアルに入社。その後、インターナショナル・グループ・マーケティング・マネージャーに任命された。07年にはスペインにへ移り、「アルマーニ ビューティ」と「ヘレナ ルビンスタイン」のマーケティングを指揮した。10年にフランスに戻り、「イヴ・サンローラン」のインターナショナル・フレグランス・マーケティング・ディレクターに就任。その後、「アルマーニ ビューティ」と「ビオテルム」のジェネラル・マネージャーとして中国に赴任。21年1月から現職

「プラダ(PRADA)」は2024年3月20日、スキンケアとメイクアップ製品を発売する。それに先駆けて、東京・表参道のポップアップストア「プラダ ビューティ トウキョウ(PRADA BEAUTY TOKYO)」で2月1日に先行発売する。グローバルでは8月1日にローンチし、ミラノ・コレクションでファッションショーの来場者にアイシャドウとリップ、クリームがプレゼントされ話題になるなど日本国内でも注目を集めていた。来春、満を持して日本に上陸する。

「プラダ」がロレアル(L’OREAL)と長期的なビューティライセンス締結を発表したのは2019年12月。契約は21年1月1日付で有効となり、ロレアルは直近ではウィメンズフレグランス“パラドックス(PARADOX)”を世界的な成功に導いている。世界トップのビューティ企業で は「プラダ ビューティ」のビジョンをどう描くのか。ロレアルのヤン・アンドレア(Yann Andrea)=プラダ ビューティ グローバル プレジデントに話を聞いた。

目指すは真の意味の
グローバルビューティブランド

WWD : 8月1日にスキンケアとメイクアップがローンチしたが、現在何カ国で展開しどのような反響があるか?

ヤン・アンドレア=プラダ ビューティ グローバル プレジデント(以下、アンドレア): まず初めに「プラダ ビューティ」が目指しているのは、真の意味でのグローバルブランドだ。展開する地域やプロダクトカテゴリーでもグローバル(世界的、網羅的、全方位的)でありたいと考えている。その上で、世界中の誰が見ても「プラダ ビューティ」だと分かるブランドコードを大切にして進めていく。現在イギリスやドイツ、イタリア、中国など7カ国で展開しているが、新しいマーケットでローンチする度に出店した百貨店のトップ5ブランドに入るなど大きな反響を得ている。来年は米国や日本でのローンチも控え、展開国を拡大する。グローバル戦略においてはアジア、特に日本に注目しており、多くの人に「プラダ ビューティ」を手にしたいと思ってもらえるビューティブランドに育てたい。

WWD : アジアや日本市場を重視する理由は?

アンドレア : ビューティカテゴリー自体が強い市場であり、「プラダ」というブランドがアジアの生活者から非常に愛され力を持っているからだ。そして、アジアでは男女共にビューティを重要と考えているからだ。アジアの中でも、とりわけ日本の消費者はビューティのエキスパートが多い。

WWD : ロレアルが「プラダ」とビューティ事業のライセンス契約を締結したのは2019年だった。当初からスキンケアとメイクアップの構想はあった?

アンドレア : 「プラダ」とのコラボレーションが始まった時から私たちは非常に意欲的な目標を持っていた。最もグローバルなビューティブランドを目指す上で、フレグランスだけでなくスキンケアやメイクアップでも新しいビジョンを提案したい思いがスタートからあった。

全ての処方の背景にイノベーション

WWD : スキンケアとメイクアップの開発にはどのくらいの時間を要した?

アンドレア : 商品開発には非常に長いプロセスがある。まず初めに処方作りに着手した。「プラダ ビューティ」の全ての処方の背景にはイノベーションがあり、なおかつベストパフォーマンスを出すことを目指した。同時に素敵なパッケージ作りもしなければならない。「プラダ ビューティ」では男女関わらずいいと思えるパッケージ開発を行っている。機能的で美しいオブジェクトを作りつつ、長く使えるように全商品をリフィル対応にした。開発過程では、容器に入れた時に中身の処方が変容しないか、発色が美しく出るかなどのテストを重ねた。

WWD : イノベーションには例えばどんなものがある?

アンドレア : 前提として、「プラダ ビューティ」の哲学はマイナスをゼロにしたり、良くないものを改善したりするのではなく、肌にポジティブな影響を与えることを大事にしている。未来の肌に働きかけるように、肌を整え準備をしていくということが重要だ。例えばスキンケアのスター商品“オーグメンテッド スキン クリーム”は「APG スマート テクノロジー」を搭載している。これはさまざまな有用成分の組み合わせにより、クリームを使う人の肌をその人がいる環境に順応させてくれるもの。肌トラブルを補正するのではなく、ライフスタイルや環境の変化に素早く対処する、肌に本来備わる“適応力”を高める。あらゆる外的・内的要因から肌を守ってくれるというイノベーションだ。

WWD : メイクアップでは2人のアーティストを起用しているが狙いは?

アンドレア : 私たちはコラボレーションの力とコレクティブ・インテリジェンス(集合知)を強く信じている。そして、ビューティの世界に新しいアプローチを持ち込みたいと考えている。また、私たちは現実世界とバーチャル世界に強いつながりがあると感じており、それをなんとか商品開発やそのほかの活動にも反映したいと考えた。そんな背景があり、2人を起用した。1人は「プラダ」のファッションショーも手掛け、彼女の世代では最も名前が知られる才能豊かなメイクアップアーティスト、リンジー・アレキサンダー(Lynsey Alxander)。もう1人は世界的に知られるデジタルアーティストで、ビューティ・ファッション・ラグジュアリー界でアートディレクターとして3Dを使い始めた第一人者であるイネス・アルファ(Ines Alpha)だ。

色に対する新しい視点
人の力とテクノロジーの融合

WWD:コラボレーションはどのように進んだ?

アンドレア:例えば色と色の組み合わせを考える時に、“フィジカルメイクアップアーティスト”のリンジーは実際にピグメント(色素、顔料)を触って考える。一方で、“デジタルメイクアップアーティスト”のイネスはパソコン上でピクセルを使って考える。その後、意見交換を重ねる。このプロセスで「プラダ ビューティ」は色に関する新しい視点を持つことができた。「プラダ ビューティ」のもう一つの特徴として、クラフトマンシップ(職人技)とテクノロジーの融合がある。人の力とテクノロジーを合わせた錬金術の末にどのような新しいものが生まれるかを非常に重視している。

細かい話だが、リップスティックの表面には「プラダ」のファッション小物を象徴する素材であるサフィアーノ レザーとリナイロンの質感を再現した精緻な刻印を施した。実はこれは非常に難しい技術で、液状のリップを型に流し込んで固めて製造するが、これだけ細かくしかも深く彫るのはとても困難だ。発色にもこだわり、2種の質感のうち マットレザーは黒のピグメントを、スムース ナイロンは白のピグメントをベースに色素を足していくことで、サフィアーノ レザーの深みやナイロンバッグの表面の白い反射を再現した。こうした細部へのこだわりもあり、リップスティックの売れ行きは非常に好調だ。アイシャドウも「プラダ」のテキスタイルのアーカイブからインスパイアされたカラーハーモニーが大変好評だ。アイシャドウは通常パウダーケースに充填してプレスして固める工程を取るが、「プラダ ビューティ」ではクリームを充填して水分を蒸発させている。そのため、塗り広げた時に粉落ちせず、滑らかな感触と質感が出せる。このテクスチャーは重ね塗りに適していて、薄くつけて柔らかく発色させてもいいし、重ねて大胆な濃い発色を楽しむこともできる。

ターゲットはビューティに
高いパフォーマンスを求める層

WWD:すでにスキンケアとメイクアップを発売した国ではどのような客層が購入している?「プラダ ビューティ」のターゲットは?

アンドレア:ビューティはよりインクルーシブ(包括的)でユニバーサルである必要があり、展望としては“Beauty for Everyone”と考えているが、20〜30代の若年層、特にファッションとビューティの融合を目指している人たちから支持されている。“ビューティアディクト”“ファッションアディクト”と言われるような人、ビューティにより良いパフォーマンスを求めている人、ビューティの力を信じている人に向けてアプローチしていきたい。

WWD:欧米ではフレグランス市場が非常に大きいが、スキンケアやメイクアップの顧客は「プラダ」の香水を購入する顧客と違う層になるか?

アンドレア:フレグランスとビューティのお客さまは乖離してしまうことがよくあるが、私たちは一貫性のある「プラダ」らしいコード作りを大切にしながら同じアプローチをしている。ただ、日本はフレグランス市場が小さいため、スキンケアやメイクアップを展開することでフレグランスに入ってくるお客さまもいるだろう。グローバルと日本では状況は異なるが、フレグランスとビューティで一貫したメッセージや世界観を伝えていく。

各市場のフラッグシップストアに出店

WWD:今後のグローバル展開におけるリテール戦略は?

アンドレア:まずは各マーケットのアイコンと言われるようなビューティのフラッグシップストアへの出店を目指す。欧米においてはセフォラ(SEPHORA)やパフューマリーショップと言われる業態のエクスクルーシブなストアを狙う。一例として、10月末には1996年のオープン以来、初のリニューアルオープンをしたセフォラのパリ・シャンゼリゼ通り店でローンチした。

WWD:ロレアルには「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」「アルマーニ ビューティ(ARMANI BEAUTY)」「ヴァレンティノ ビューティ(VALENTINO BEAUTY)」といったデザイナーズブランドがあるが、「プラダ ビューティ」の目指すポジションは?

アンドレア:ロレアルグループはミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)やラフ・シモンズ(Raf Simons)とのコラボレーションのチャンスをもらい、良い機会などという言葉では言い表せないほどの素晴らしい経験を得ている。共同開発がインスピレーション源となり新たなビジョンやクリエイティビティも生まれた。当社は「プラダ ビューティ」に関して非常に意欲的な目標を掲げており、世界的にもプロダクトレンジ的にも真のグローバルブランドを目指し育てようとしている。そのために、今回スキンケアとメイクアップを発売した。しかしこれは共同開発の序章にすぎず、今後も商品レンジを完璧で幅広いものにしていく予定だ。評価され力のあるブランドに育成し、「プラダ ビューティ」にふさわしいポジションを目指す。

The post 「プラダ ビューティ」、スキンケア&メイクアップ成功への道筋は? グローバル プレジデントに聞く appeared first on WWDJAPAN.

現代のフェミニズムを表現する「マックスマーラ」 デザイナーにエンパワメントの極意を聞く

イアン・グリフィス/「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター

英国生まれ。マンチェスターでアートとデザインを学んだ。当時の音楽シーンはニューウェーブ全盛期であり、多大な影響を受けた。建築を専攻した後にファッションに転向。マンチェスターの学校を首席で卒業し、ロンドンのRoyal College of Art (RCA) の修士課程に進学した。RCAにおける初期のプロジェクトのひとつがマックスマーラ主催のコンクールであり、本コンクールでの優勝をきっかけに1987年の卒業と同時にデザイナーとしてマックスマーラに入社。「ウェアラブルなモダンクラシック」「控えめなラグジュアリー」「知的なデザイン」というマックスマーラのフィロソフィーを表現し続けている。1990年からキングストン大学で教鞭を執りはじめ、92年から2000年にかけてファッション学科のディレクターに就任。ファッションビジネスで必要とされるクリエイティブな才能を育成し、産業と教育の密接なつながりを作り上げることに尽力した。近年はRCAの客員教授に就任、またマンチェスター・メトロ ポリタン大学から名誉博士号を授与された。現在マックスマーラのクリエイティブ・ディレクターとして、世界各地から集結したデザイナーチームを統括。彼の活動の拠点は、ロンドン、イタリア、スペイン、そして都会の喧騒から逃れることのできる故郷サフォーク。現代美術、カルチャー、建築、ガーデンに造詣が深い。

「マックスマーラ(MAXMARA)」の2024年春夏コレクションは、ジャンプスーツやワークジャケットなどミリタリーのユニフォームを題材に、自らの力を信じて道を切り開く強い女性像を描いた。1987年に同社に入社して以来、女性をエンパワメントする服作りを追求してきたイアン・グリフィス=クリエイティブ・ディレクターに、その極意を聞いた。

WWD:毎シーズンエンパワリングな女性のアイコンがテーマに掲げられるが着想源はどこから?

イアン・グリフィス「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター(以下、グリフィス):パワフルな女性たちみんな。オフィスのデスクには、私が尊敬する女性たちの写真がたくさん飾ってある。マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)からグレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)、エリザベス女王(Queen Elizabeth II)、作家のシドニー=ガブリエル・コレット (Sidonie-Gabrielle Colette)、そして私の母の写真も。おそらく40〜50枚くらいあると思う。彼女たちの歴史や活動を振り返ってその力を感じとり、どうやったら現代の女性たちが同じようにパワフルに感じられるのだろうかと思いをめぐらせる時間が好きなんだ。

「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ

WWD:男性デザイナーとしてどのように女性の視点を自分ごと化している?

グリフィス:私自身もよく自問する部分だ。ゲイの男性として、社会に存在を認めてもらうための苦しみは少なからず理解している。今は結婚の平等も達成されたが、1980年代のイギリスで育った私は、子どもの頃はゲイであることを話すことすら難しかった。この経験は女性に対する共感や想像力を養ってくれたと思う。

WWD:その共感をどのように服で表現している?

グリフィス:何か特別なレシピがあるわけではなく、緻密なディテールへの気配りの積み重ねでしかない。これを理解するためには、エンパワリングではない服について考えてみるといい。ランウエイでは輝かしいドレスでも、それを着るために自分が変わらなきゃいけない、もっと若く見えなきゃいけない、もっと細くならなくちゃいけない、そんな風に不安で仕方なくさせるような服のことだ。私たちがデザインするのは、朝それを身にまとった時に気分を上げてくれる服で、一度まとったら忘れてしまうくらいの服。着ている人に余計な心配を与えずに、その人が今力を注ぎたいことに集中させてあげられるような服のことだと理解している。とはいえ、いつも気をつけているのは上から目線にならないこと。「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ。エンパワメントするのは女性たち自身だから。

WWD:80年代から今にかけてエンパワメントの定義に変化は?

グリフィス:87年に私が入社した当時の女性の服装は、働く場でのドレスコードが焦点でパワーショルダーのようなスーツが台頭した。ユニフォームを着ることがエンパワーメントだったように思う。そこから今にかけては、より自己表現にプライオリティーが置かれるようになった。2024年春夏コレクションで私がミリタリーをテーマにしたのにはちょっと矛盾を感じるかもしれないが(笑)。「マックスマーラ」は、着ていることを忘れさせてくれる服という軸は変えないものの、多様な女性たちがそれぞれに着飾ることができるオプションを広く用意することを心がけている。フェミニズムに対するイメージも変わった。1960〜80年代のフェミニズムは、政治的で女性たちもフェミニストを名乗ることをためらうようなムードがあった。当時は私たちも会社としてフェミニストのフィロソフィーを大きく打ち出してはいなかった。しかし現代の“マックスマーラ ウーマン”は過激なアクションで権利を訴えることはしないものの、同時にパワフルであり彼女たちが影響力を及ぼすことのできる範囲で着実に変化を生み出そうとしている。多様なフェミニズムがある今、「マックスマーラ」も自然にフェミニストの立場を表明できるようになった。

自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらない

WWD:先日六本木で行われたテディベアコートのアニバーサリーイベントでは、若年層から大人世代までたくさんの女性が集まった。特に最近、ブランドのコミュニティーが拡大している感覚はある?

グリフィス:それを聞けて嬉しい限り。若い世代を私たちのコミュニティーに向かい入れることはすごく重要だが、それは既存の顧客に寄り添わなければ実現しない。難しいことではない。私の最大のミューズである母と話した時に、彼女は今87歳だが「私が惹かれるモノと、私の姪や孫娘のそれとが大きく違うなんて思わないで。私たちはみんな同じものが好きなのよ」と言われた。例えばテディベアコートがそれにあたるだろう。50歳を過ぎたらよりコンサバティブなものを求める、という具合に見方を変えるのは間違い。自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらないんだ。

WWD:表参道を歩いてみて、日本の女性たちの装いについて思うことは?

グリフィス:私が初めて来日した80年代からは大きく変わったよ。当時の若者たちはみんなパンクに影響されていて、ロンドンのカムデン・タウンのようだった。その後20年間くらいは、アメリカのスーツスタイルが流行っていた。土曜日の午後でもスーツにハイヒールの女性をよく見かけたよ。今は20代も40代もそれぞれの個性を表現したファッションになったと思う。

WWD:特に日本の女性たちに届けたいメッセージは?

グリフィス:「マックスマーラ」は成功を手に入れたいと願うすべての女性たちのためのツールを提供したい。私がデザインする服は、袖を通せば自信がみなぎるはず。そして何よりもファッョンの喜びを忘れないでと伝えたい。朝を起きて素敵な服をまとった時の高揚感やファッションの持つパワフルな力を信じ続けてほしい。

The post 現代のフェミニズムを表現する「マックスマーラ」 デザイナーにエンパワメントの極意を聞く appeared first on WWDJAPAN.

現代のフェミニズムを表現する「マックスマーラ」 デザイナーにエンパワメントの極意を聞く

イアン・グリフィス/「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター

英国生まれ。マンチェスターでアートとデザインを学んだ。当時の音楽シーンはニューウェーブ全盛期であり、多大な影響を受けた。建築を専攻した後にファッションに転向。マンチェスターの学校を首席で卒業し、ロンドンのRoyal College of Art (RCA) の修士課程に進学した。RCAにおける初期のプロジェクトのひとつがマックスマーラ主催のコンクールであり、本コンクールでの優勝をきっかけに1987年の卒業と同時にデザイナーとしてマックスマーラに入社。「ウェアラブルなモダンクラシック」「控えめなラグジュアリー」「知的なデザイン」というマックスマーラのフィロソフィーを表現し続けている。1990年からキングストン大学で教鞭を執りはじめ、92年から2000年にかけてファッション学科のディレクターに就任。ファッションビジネスで必要とされるクリエイティブな才能を育成し、産業と教育の密接なつながりを作り上げることに尽力した。近年はRCAの客員教授に就任、またマンチェスター・メトロ ポリタン大学から名誉博士号を授与された。現在マックスマーラのクリエイティブ・ディレクターとして、世界各地から集結したデザイナーチームを統括。彼の活動の拠点は、ロンドン、イタリア、スペイン、そして都会の喧騒から逃れることのできる故郷サフォーク。現代美術、カルチャー、建築、ガーデンに造詣が深い。

「マックスマーラ(MAXMARA)」の2024年春夏コレクションは、ジャンプスーツやワークジャケットなどミリタリーのユニフォームを題材に、自らの力を信じて道を切り開く強い女性像を描いた。1987年に同社に入社して以来、女性をエンパワメントする服作りを追求してきたイアン・グリフィス=クリエイティブ・ディレクターに、その極意を聞いた。

WWD:毎シーズンエンパワリングな女性のアイコンがテーマに掲げられるが着想源はどこから?

イアン・グリフィス「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター(以下、グリフィス):パワフルな女性たちみんな。オフィスのデスクには、私が尊敬する女性たちの写真がたくさん飾ってある。マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)からグレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)、エリザベス女王(Queen Elizabeth II)、作家のシドニー=ガブリエル・コレット (Sidonie-Gabrielle Colette)、そして私の母の写真も。おそらく40〜50枚くらいあると思う。彼女たちの歴史や活動を振り返ってその力を感じとり、どうやったら現代の女性たちが同じようにパワフルに感じられるのだろうかと思いをめぐらせる時間が好きなんだ。

「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ

WWD:男性デザイナーとしてどのように女性の視点を自分ごと化している?

グリフィス:私自身もよく自問する部分だ。ゲイの男性として、社会に存在を認めてもらうための苦しみは少なからず理解している。今は結婚の平等も達成されたが、1980年代のイギリスで育った私は、子どもの頃はゲイであることを話すことすら難しかった。この経験は女性に対する共感や想像力を養ってくれたと思う。

WWD:その共感をどのように服で表現している?

グリフィス:何か特別なレシピがあるわけではなく、緻密なディテールへの気配りの積み重ねでしかない。これを理解するためには、エンパワリングではない服について考えてみるといい。ランウエイでは輝かしいドレスでも、それを着るために自分が変わらなきゃいけない、もっと若く見えなきゃいけない、もっと細くならなくちゃいけない、そんな風に不安で仕方なくさせるような服のことだ。私たちがデザインするのは、朝それを身にまとった時に気分を上げてくれる服で、一度まとったら忘れてしまうくらいの服。着ている人に余計な心配を与えずに、その人が今力を注ぎたいことに集中させてあげられるような服のことだと理解している。とはいえ、いつも気をつけているのは上から目線にならないこと。「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ。エンパワメントするのは女性たち自身だから。

WWD:80年代から今にかけてエンパワメントの定義に変化は?

グリフィス:87年に私が入社した当時の女性の服装は、働く場でのドレスコードが焦点でパワーショルダーのようなスーツが台頭した。ユニフォームを着ることがエンパワーメントだったように思う。そこから今にかけては、より自己表現にプライオリティーが置かれるようになった。2024年春夏コレクションで私がミリタリーをテーマにしたのにはちょっと矛盾を感じるかもしれないが(笑)。「マックスマーラ」は、着ていることを忘れさせてくれる服という軸は変えないものの、多様な女性たちがそれぞれに着飾ることができるオプションを広く用意することを心がけている。フェミニズムに対するイメージも変わった。1960〜80年代のフェミニズムは、政治的で女性たちもフェミニストを名乗ることをためらうようなムードがあった。当時は私たちも会社としてフェミニストのフィロソフィーを大きく打ち出してはいなかった。しかし現代の“マックスマーラ ウーマン”は過激なアクションで権利を訴えることはしないものの、同時にパワフルであり彼女たちが影響力を及ぼすことのできる範囲で着実に変化を生み出そうとしている。多様なフェミニズムがある今、「マックスマーラ」も自然にフェミニストの立場を表明できるようになった。

自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらない

WWD:先日六本木で行われたテディベアコートのアニバーサリーイベントでは、若年層から大人世代までたくさんの女性が集まった。特に最近、ブランドのコミュニティーが拡大している感覚はある?

グリフィス:それを聞けて嬉しい限り。若い世代を私たちのコミュニティーに向かい入れることはすごく重要だが、それは既存の顧客に寄り添わなければ実現しない。難しいことではない。私の最大のミューズである母と話した時に、彼女は今87歳だが「私が惹かれるモノと、私の姪や孫娘のそれとが大きく違うなんて思わないで。私たちはみんな同じものが好きなのよ」と言われた。例えばテディベアコートがそれにあたるだろう。50歳を過ぎたらよりコンサバティブなものを求める、という具合に見方を変えるのは間違い。自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらないんだ。

WWD:表参道を歩いてみて、日本の女性たちの装いについて思うことは?

グリフィス:私が初めて来日した80年代からは大きく変わったよ。当時の若者たちはみんなパンクに影響されていて、ロンドンのカムデン・タウンのようだった。その後20年間くらいは、アメリカのスーツスタイルが流行っていた。土曜日の午後でもスーツにハイヒールの女性をよく見かけたよ。今は20代も40代もそれぞれの個性を表現したファッションになったと思う。

WWD:特に日本の女性たちに届けたいメッセージは?

グリフィス:「マックスマーラ」は成功を手に入れたいと願うすべての女性たちのためのツールを提供したい。私がデザインする服は、袖を通せば自信がみなぎるはず。そして何よりもファッョンの喜びを忘れないでと伝えたい。朝を起きて素敵な服をまとった時の高揚感やファッションの持つパワフルな力を信じ続けてほしい。

The post 現代のフェミニズムを表現する「マックスマーラ」 デザイナーにエンパワメントの極意を聞く appeared first on WWDJAPAN.

ノルウェー発ジュエリー「トムウッド」創業者に聞くブランド誕生秘話と成功のワケ

ノルウェー発ジュエリー「トムウッド(TOMWOOD)」の旗艦店が11月25日、東京・青山にオープンした。2フロア約320㎡のノルウェー国外初の同店は、所どころに和の要素を盛り込んだミニマルなデザイン。2階はアパートメントと呼ばれるスペースになっており、イベントなどを開催する予定だ。オープニングのために来日した「トムウッド」のクリエイティブ・デザイナー兼創業者のモナ・ヤンセンとモーテン・イサクセン最高経営責任者(CEO)に話を聞いた。

ブランドは私のアルターエゴ

WWD:ブランド名の「トムウッド」はどこから?

モナ・ヤンセン「トムウッド」クリエイティブ・デザイナー兼創業者(以下、ヤンセン):ブランドは、私のアルターエゴ、作家に例えるとペンネーム的なものだ。トムは世界中で知られている男性の名前の代表格。ウッドは、ノルウェーの自然の中の木から取った。私自身は表に出たくないし、ユニセックスなブランドとして余白を持たせたかった。女性誌の編集者に「アメリカのブランドだと思った」と驚かれたことがある。

WWD:ジュエリーブランドを立ち上げようと思ったきっかけは?

ヤンセン:それは偶然だった。モーテンが私にプロポーズしたときに、指輪を探していたのだけど、伝統的な結婚指輪はほしくなかった。モーテンが持っていたシグネットリングのサイズを変えて、日付を刻印したのが始まり。私にとって初めて大切に気にかけたジュエリーだった。それがブランドの始まりだ。成功するとは思わなかったけど、独立することは、自分自身へのチャレンジでもあり、喜びでもあった。旅に出る余裕が出て、市場を見て回るうちに、「トムウッド」のようなブランドがないことに気付いた。

モーテン・イサクセン=トムウッドCEO(以下、イサクセン):私は約15年間クリエイティブエージェンシーで他のブランドのブランディングを手掛けていた。モナが独立したいと考えたときに私も加わり、「トムウッド」はファミリービジネスになった。以前は、クライアント頼りの仕事だったが、ブランドを持ってからは、目的を持って活動ができる。当時、市場にフェミニンなジュエリーはたくさんあったが、ユニセックスなジュエリーはなかった。シグネットリングは、市場の流れとは全く反対のもの。だが、バイヤーたちがシグネットリングにすぐ反応したのは驚きだった。

ジェンダーレスジュエリーのパイオニア

WWD:ブランド哲学は?

イサクセン:インターナショナルなジュエリーブランドとして業界で責任を持つこと。シンプルだが完璧でタイムレスなデザインで、代々受け継がれるジュエリー派手じゃなくシンプルなので、年代問わずさまざまな人が着けることができる。

ヤンセン:ジェンダーレスであること。性別を全く考えなかったから成功した。ジェンダーレスなジュエリーのパイオニアだったといえる。シグネットリングは男性だけのものではない。

WWD:デザインのインスピレーション源は?

ヤンセン:建築や彫刻、自然などから。長く着けられるジュエリーをつくることができるのはとても満足いくこと。また、エシカルかつ持続可能性な方法で生産することが大切だと思う。それにより環境負荷を減らせるから。ジュエリーに使用するシルバーやゴールドは、ほぼ100%リサイクルされたものだ。

イサクセン:われわれは、企業活動を通して、真剣に環境やダイバーシティー、平等などの問題に取り組んでいる。会社には多くの女性のディレクターがいるし、自社だけでなく取引先の工場でも、国籍、文化、宗教、性別の平等性を重視している。2年前から二酸化炭素排出量を測り削減に務めているし、サプライチェーンも開示してトレーサブルにしている。それは、われわれの責任であり、業界の人々をインスパイアしていきたいと思う。

成長よりも選ばれるブランドに

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?日本国内では?

ヤンセン:50~60カ国、約300店舗で販売している。日本国内では、90店舗程度。

WWD:日本における戦略は?

ヤンセン:ビジネス拡大は重要ではない。たくさんブランドがあるから、正しい方法で重要なブランドとして選ばれる存在になりたい。旗艦店ができたので、ブランドの世界観を体感してもらえるはず。

WWD:今後、どのようにブランドを成長させたいか?

イサクセン:今まで通り、「トムウッド」らしく活動していく。実験を恐れることなく、思慮深く、私たちがすべきことにフォーカスしていく。成長はいいことだが、堅実に高品質なものをつくり続けることで、興味を持ってもらえるブランドにしたい。

ヤンセン:「トムウッド」がどのようになるのか次の10年も楽しみ。素晴らしい10年にしたい。

The post ノルウェー発ジュエリー「トムウッド」創業者に聞くブランド誕生秘話と成功のワケ appeared first on WWDJAPAN.

蜷川実花が過去最大規模の“体験型”展覧会 「瞬きの中の永遠」で見えた過去と現在、未来

蜷川実花/写真家、映画監督 プロフィール

(にながわ・みか)写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。木村伊兵衛写真賞ほか、数々の賞を受賞。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版。「ヘルタースケルター」(12年)、「Diner ダイナー」(19年)はじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ「FOLLOWERS」を監督。22年、最新写真集「花、瞬く光」を刊行。クリエイティブチーム「EiM:Eternity in a Moment」の一員としても活動している PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI

虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの“トウキョウ ノード(TOKYO NODE)”で展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」が幕を開けた。24年2月25日まで。「蜷川実花が挑む過去最大の展覧会」と銘打つとおり、圧巻のスケールの立体展示やアートの世界観に没入できる大規模な映像インスタレーションが見どころだ。作品は全て同展のために新たに制作され、データサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoらで結成したクリエイティブチーム“エイム(EiM)”として臨んだ。地上200m超、高層ビル45階の高さに位置する総面積1500㎡のギャラリーを最大限に生かし、東京の風景もデザインに取り入れた体験型展覧会になっている。

開幕前日の内覧会には、1800人以上のプレス・メディア関係者が来場。思わず写真を撮りたくなる鮮やかな色彩の展示はSNSで連日多くの投稿が溢れ、国内の人気デザイナーと制作したアパレルやオリジナルグッズ、施設内の飲食店とのコラボレーションメニューなども話題を呼んでいる。コロナ禍を経て、クリエーションに対する姿勢や心境に変化があったという蜷川実花氏に、本展の制作秘話や共創によって見えた新しい景色について聞いた。

日常で何気なく目にするリアルな瞬間を立体芸術に昇華

WWD:立体作品から映像インスタレーションまで、14の作品群を全て体験すると一つの映画を観終えたような余韻が残った。来場客がZ世代からミドル世代まで幅広いのも興味深い。

蜷川実花(以下、蜷川):SNSでいただく感想が、みんな見事にバラバラなのがとても面白いです。見る人によって作品の受け取り方が異なり、それぞれに届くものが違うのはとても嬉しいですね。

今回の映像インスタレーションはCGを一切使わず、被写体は全て日常の延長線上にあるものです。手持ちのiPhoneで撮影した写真も多い。そんな何気ない瞬間が皆さんの心象風景につながったのではないかと思います。当たり前に広がる景色の見方を少し変えるだけで、気づかなかった美しさがある。それらの一瞬が重なり合って未来につながるという思いを展覧会のタイトルにも込めました。

WWD:これまでの象徴的な作風である花や蝶が舞う“極彩色”の世界だけでなく、時間の経過で移ろう陽の光や雨粒の反射といった光の表現も多彩だった。“光彩色”の空間に重点を置いた理由は?

蜷川:いろんな光が差し込むことによって、それぞれの想いや祈る気持ちが多様に表現できました。作品は多様性のメッセージを含んでいて、観る人が参加することで初めて完成します。光や音、表現の受け取り方が異なる皆さんで体験することに価値を置いています。

展示はまず、枯れた花々の空間展示「残照」から始まります。ひまわりは、咲いている姿が明るくて綺麗とよく言われますよね。太陽を目指して同じ方向を向いて咲きますが、実は枯れ方は個体によって全然違うんですよ。そこにスポットを当てることで、枯れ方に多様性があり、決してネガティブなことではないことを伝えたくて。また、この作品の真裏には、満開の花々で埋め尽くした桃源郷のような空間があるんです。物事には必ず表と裏の側面があり、それは表裏一体なのだというメッセージも込めています。

生きていると大変なことだらけだけど、その中でどう光を見つけていくかを、これまでもずっと考えながら写真を撮ってきました。今回の展覧会では、より印象的に表現できたように思います。

WWD:都会のネオンや車のヘッドライトなど、都市の情景を随所に取り入れた理由は?

蜷川:昔から都会の街の明かりに惹かれます。東京生まれだからこそ、都会のネオンやビルが並ぶ景色が自分にとって“自然なもの”でもあるんです。人の手が入っていない自然も美しいけれど、人が暮らす風景も美しい。高層ビルの頂上で点滅している赤いランプは、街が呼吸しているように見えます。大きな生命体のような。これも、写真で表現したいものの一つです。

本展の作品は、昼と夜で見え方が変わるんですよ。夜もおすすめです。15mの天井全面を使ったドーム型の巨大スクリーンの展示「Flashing Before Our Eyes」の会場ではカーテンが開いて、リアルな東京の風景と作品が融合する瞬間が体験できます。

“エイム”との共創は「バンドを組んだようなイメージ」

蜷川:今回の展覧会の一番の特徴は、自分のキャリアが全て詰まっていることです。写真家として写真を撮ってきて、監督として映画も制作して、それら全ての経験値が必要な展覧会でした。以前から写真をただ額装するだけのスタイルはあまりとらず、写真にくるまれたような世界に浸れるインスタレーションにこだわっていたので、このような規模で最新のテクノロジーを使った見せ方ができたことに、私が一番興奮しています。

WWD:クリエイティブチーム“エイム(EiM)”との共創はどのようなプロセスで制作を進めた?

蜷川:彼らとの活動は、「バンドを組んだようなもの」と説明していますね。もともと、前進となる共作の映像作品が1つあって、その後いくつか映像作品を一緒に作っていたところ、本展が決まりました。昨年の話です。例えると、バンドとしてはまだ1曲しか作ってないのに武道館など大舞台のコンサートが決まったような感じでしょうか(笑)。

WWD:データサイエンティスト・慶應義塾大学教授の宮田裕章氏とのタッグも新鮮だった。

蜷川:宮田さんと私は、専門領域は違うけれど、新しいものへの好奇心や前進意欲の高さが共通しているんです。以前、展覧会の解説文を宮田さんに書いてもらったことがありました。自分が撮った写真に言葉をつけてもらったことで、潜在的な思いが言語化されて立ち上がったような感覚がありました。その芯が通ることで、新しいクリエーションができそうだと思ったんです。そんな意欲的な私たちの思いを汲んで、クリエーションのアイデアを形にしていってくれたのが、桑名(功 森ビル 新領域事業部 TOKYO NODE運営室 本展クリエイティブ・ディレクター)さんや杉山(央  本展プロデューサー)さんです。

本展では映画制作のチームもたくさん関わっています。映画の美術を担当しているセットデザイナーのEnzoくんは、私の考えていることや良しとすることを全て理解してくれるコアメンバー。花のセットは、彼が中心に作ってくれています。音楽や映像の編集、照明のチームも映画製作で一緒のスタッフ。こういった面からも、展覧会というよりはゆるやかな映画を1本観るような、ストーリーを巡る体験に近い構成になったと思います。

メンバーはそれぞれ別の領域でキャリアがあり、個人でも活躍している。でも、あえてチームを組むことで、できることが掛け算で増えていきました。結果として、「(本展は)自分だけではできなかったこと」と全員が思える、幸福なクリエーションのパターンになった。モノづくりの姿勢として、チームで作る面白さを知れたのは、自分の中では大きな変化でした。

作品作りの主語が変化。一人で真摯に向き合う「I」から、共創と共有の「WE」へ

蜷川:コロナ禍のパンデミックを経験して、世界が音を立てて変わる瞬間を私たちはこの2〜3年感じてきたじゃないですか。併せて自分の心境も変化して、作品作りの主語が「I」から「WE」に変わっていきました。今も世界では色々なことが起こっていて、身近な美しさによりフォーカスしたい、日常において視点を変えるだけで世界が変わって見えることを伝えたいと思うようになったのも、時代に応じた変化だと感じます。

以前は尖った表現に固執した時期もありました。映画「ヘルタースケルター」の頃などは、湧き上がる怒りが作品の原動力でしたね。まず自分の嗅覚や感性だけで撮り始めて、そこから一人で誠実に作品と向き合い作ることによって、結果的にまわりに良い影響があったらいいなと思っていました。でも今は、いろんな人に見てもらいたい、見て感じてもらえることが嬉しい、という思いもクリエーションの優先順位として高くなりました。

WWD:「フェティコ(FETICO)」「キディル(KIDILL)」「エムエーエスユー(MASU)」「テンダーパーソン(TENDER PERSON)」ら日本デザイナーとコラボしたのはなぜ?

蜷川:個人的に好きなブランドだったんです。もともと知り合いだったわけではなく、お話しするのが初めてのブランドばかりで、「フェティコ」はインスタグラムに私が直接DMしたんですよ。いきなり飛び込みでのお願いでしたが、お声がけした全ブランドが快諾してくださって嬉しかったですね。今第一線で活躍しているデザイナーさんも支持してくれているのだと、背中を押してもらえました。トモさん(小泉智貴「トモ コイズミ」デザイナー)は、「実花さんの私物の洋服で一点モノを作ります」と言ってくれて。昔作った洋服を土台に、ドレスを仕立ててくれました。

今回のコラボにおいては、日本のブランドを応援したいという思いが根底にありました。国内には今、面白いブランドがたくさんあるじゃないですか。人目につく機会が多い立場なら、積極的に日本ブランドの洋服を着て、いろんな人に紹介していきたいなと思っています。

キャリアの集大成であり、新たな可能性を感じたスタート地点

WWD:本展は“五感”も大きなキーワードだった。多岐にわたるコンテンツ作りで気を付けていたことは?

蜷川:ジャンルを超えたコラボレーションや音楽など、いろいろなことを手掛けましたが、「何を大切にしているか」という核さえぶれなければ、どんな表現も今ならできると分かったことが大きな収穫でした。技術に頼ることが増えても基本は変わらず、ぶれない感性が中心にあれば表現の可能性が広がる。生成AIが登場し、今後もさらに技術革新は加速するはずです。自分が表現したい核をどれだけ持てて、深掘りしながら突き進めるかが重要になっていくと感じました。

WWD:Z世代らの来場やSNSへのポストが相次いでいる。次世代クリエイターを目指す学生たちにアドバイスするなら?

蜷川:SNSが当たり前になった今、いろんな声が良くも悪くもたくさん届く時代になりました。何を発表するにも、見せる前から足がすくんでしまう場面が多いと思うんです。でも、若い今しかできない、怖いもの知らずなモノづくりや表現は、絶対やったほうがいい。稚拙でも、やりたい時に足を止めることは本当にもったいないです。

若い時はもう必死でした。自分のことで精一杯でただ走り続けていたように思います。でも、ここ数年で、下の世代にバトンを引き継ぎたいと思うようになりました。ただ背中を追いかけてもらうのではなく、直接バトンを渡して手助けできることはないかなと。表現方法が広がっているからこそ、自由にモノづくりができたりチャンスに恵まれる機会を作ったり、背中を押せることはないかなと考えています。

WWD:キャリアの集大成を見せた本展で、一区切りがついた?

蜷川:「やり切った!」という思いはなくて、もうすでに次にできることは何かを考えています。制作過程で新しくやりたいこともたくさん見えて、集大成でありながら新たなスタート地点に立てた、そんな気持ちです。私、達成感を感じたことが今まで一度もないんですよ。多分、一生ないでしょうね。止まることなく作り続けることが私にとってのウェルビーイングなんだと思います(笑)。

The post 蜷川実花が過去最大規模の“体験型”展覧会 「瞬きの中の永遠」で見えた過去と現在、未来 appeared first on WWDJAPAN.

蜷川実花が過去最大規模の“体験型”展覧会 「瞬きの中の永遠」で見えた過去と現在、未来

蜷川実花/写真家、映画監督 プロフィール

(にながわ・みか)写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。木村伊兵衛写真賞ほか、数々の賞を受賞。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版。「ヘルタースケルター」(12年)、「Diner ダイナー」(19年)はじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ「FOLLOWERS」を監督。22年、最新写真集「花、瞬く光」を刊行。クリエイティブチーム「EiM:Eternity in a Moment」の一員としても活動している PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI

虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの“トウキョウ ノード(TOKYO NODE)”で展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」が幕を開けた。24年2月25日まで。「蜷川実花が挑む過去最大の展覧会」と銘打つとおり、圧巻のスケールの立体展示やアートの世界観に没入できる大規模な映像インスタレーションが見どころだ。作品は全て同展のために新たに制作され、データサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoらで結成したクリエイティブチーム“エイム(EiM)”として臨んだ。地上200m超、高層ビル45階の高さに位置する総面積1500㎡のギャラリーを最大限に生かし、東京の風景もデザインに取り入れた体験型展覧会になっている。

開幕前日の内覧会には、1800人以上のプレス・メディア関係者が来場。思わず写真を撮りたくなる鮮やかな色彩の展示はSNSで連日多くの投稿が溢れ、国内の人気デザイナーと制作したアパレルやオリジナルグッズ、施設内の飲食店とのコラボレーションメニューなども話題を呼んでいる。コロナ禍を経て、クリエーションに対する姿勢や心境に変化があったという蜷川実花氏に、本展の制作秘話や共創によって見えた新しい景色について聞いた。

日常で何気なく目にするリアルな瞬間を立体芸術に昇華

WWD:立体作品から映像インスタレーションまで、14の作品群を全て体験すると一つの映画を観終えたような余韻が残った。来場客がZ世代からミドル世代まで幅広いのも興味深い。

蜷川実花(以下、蜷川):SNSでいただく感想が、みんな見事にバラバラなのがとても面白いです。見る人によって作品の受け取り方が異なり、それぞれに届くものが違うのはとても嬉しいですね。

今回の映像インスタレーションはCGを一切使わず、被写体は全て日常の延長線上にあるものです。手持ちのiPhoneで撮影した写真も多い。そんな何気ない瞬間が皆さんの心象風景につながったのではないかと思います。当たり前に広がる景色の見方を少し変えるだけで、気づかなかった美しさがある。それらの一瞬が重なり合って未来につながるという思いを展覧会のタイトルにも込めました。

WWD:これまでの象徴的な作風である花や蝶が舞う“極彩色”の世界だけでなく、時間の経過で移ろう陽の光や雨粒の反射といった光の表現も多彩だった。“光彩色”の空間に重点を置いた理由は?

蜷川:いろんな光が差し込むことによって、それぞれの想いや祈る気持ちが多様に表現できました。作品は多様性のメッセージを含んでいて、観る人が参加することで初めて完成します。光や音、表現の受け取り方が異なる皆さんで体験することに価値を置いています。

展示はまず、枯れた花々の空間展示「残照」から始まります。ひまわりは、咲いている姿が明るくて綺麗とよく言われますよね。太陽を目指して同じ方向を向いて咲きますが、実は枯れ方は個体によって全然違うんですよ。そこにスポットを当てることで、枯れ方に多様性があり、決してネガティブなことではないことを伝えたくて。また、この作品の真裏には、満開の花々で埋め尽くした桃源郷のような空間があるんです。物事には必ず表と裏の側面があり、それは表裏一体なのだというメッセージも込めています。

生きていると大変なことだらけだけど、その中でどう光を見つけていくかを、これまでもずっと考えながら写真を撮ってきました。今回の展覧会では、より印象的に表現できたように思います。

WWD:都会のネオンや車のヘッドライトなど、都市の情景を随所に取り入れた理由は?

蜷川:昔から都会の街の明かりに惹かれます。東京生まれだからこそ、都会のネオンやビルが並ぶ景色が自分にとって“自然なもの”でもあるんです。人の手が入っていない自然も美しいけれど、人が暮らす風景も美しい。高層ビルの頂上で点滅している赤いランプは、街が呼吸しているように見えます。大きな生命体のような。これも、写真で表現したいものの一つです。

本展の作品は、昼と夜で見え方が変わるんですよ。夜もおすすめです。15mの天井全面を使ったドーム型の巨大スクリーンの展示「Flashing Before Our Eyes」の会場ではカーテンが開いて、リアルな東京の風景と作品が融合する瞬間が体験できます。

“エイム”との共創は「バンドを組んだようなイメージ」

蜷川:今回の展覧会の一番の特徴は、自分のキャリアが全て詰まっていることです。写真家として写真を撮ってきて、監督として映画も制作して、それら全ての経験値が必要な展覧会でした。以前から写真をただ額装するだけのスタイルはあまりとらず、写真にくるまれたような世界に浸れるインスタレーションにこだわっていたので、このような規模で最新のテクノロジーを使った見せ方ができたことに、私が一番興奮しています。

WWD:クリエイティブチーム“エイム(EiM)”との共創はどのようなプロセスで制作を進めた?

蜷川:彼らとの活動は、「バンドを組んだようなもの」と説明していますね。もともと、前進となる共作の映像作品が1つあって、その後いくつか映像作品を一緒に作っていたところ、本展が決まりました。昨年の話です。例えると、バンドとしてはまだ1曲しか作ってないのに武道館など大舞台のコンサートが決まったような感じでしょうか(笑)。

WWD:データサイエンティスト・慶應義塾大学教授の宮田裕章氏とのタッグも新鮮だった。

蜷川:宮田さんと私は、専門領域は違うけれど、新しいものへの好奇心や前進意欲の高さが共通しているんです。以前、展覧会の解説文を宮田さんに書いてもらったことがありました。自分が撮った写真に言葉をつけてもらったことで、潜在的な思いが言語化されて立ち上がったような感覚がありました。その芯が通ることで、新しいクリエーションができそうだと思ったんです。そんな意欲的な私たちの思いを汲んで、クリエーションのアイデアを形にしていってくれたのが、桑名(功 森ビル 新領域事業部 TOKYO NODE運営室 本展クリエイティブ・ディレクター)さんや杉山(央  本展プロデューサー)さんです。

本展では映画制作のチームもたくさん関わっています。映画の美術を担当しているセットデザイナーのEnzoくんは、私の考えていることや良しとすることを全て理解してくれるコアメンバー。花のセットは、彼が中心に作ってくれています。音楽や映像の編集、照明のチームも映画製作で一緒のスタッフ。こういった面からも、展覧会というよりはゆるやかな映画を1本観るような、ストーリーを巡る体験に近い構成になったと思います。

メンバーはそれぞれ別の領域でキャリアがあり、個人でも活躍している。でも、あえてチームを組むことで、できることが掛け算で増えていきました。結果として、「(本展は)自分だけではできなかったこと」と全員が思える、幸福なクリエーションのパターンになった。モノづくりの姿勢として、チームで作る面白さを知れたのは、自分の中では大きな変化でした。

作品作りの主語が変化。一人で真摯に向き合う「I」から、共創と共有の「WE」へ

蜷川:コロナ禍のパンデミックを経験して、世界が音を立てて変わる瞬間を私たちはこの2〜3年感じてきたじゃないですか。併せて自分の心境も変化して、作品作りの主語が「I」から「WE」に変わっていきました。今も世界では色々なことが起こっていて、身近な美しさによりフォーカスしたい、日常において視点を変えるだけで世界が変わって見えることを伝えたいと思うようになったのも、時代に応じた変化だと感じます。

以前は尖った表現に固執した時期もありました。映画「ヘルタースケルター」の頃などは、湧き上がる怒りが作品の原動力でしたね。まず自分の嗅覚や感性だけで撮り始めて、そこから一人で誠実に作品と向き合い作ることによって、結果的にまわりに良い影響があったらいいなと思っていました。でも今は、いろんな人に見てもらいたい、見て感じてもらえることが嬉しい、という思いもクリエーションの優先順位として高くなりました。

WWD:「フェティコ(FETICO)」「キディル(KIDILL)」「エムエーエスユー(MASU)」「テンダーパーソン(TENDER PERSON)」ら日本デザイナーとコラボしたのはなぜ?

蜷川:個人的に好きなブランドだったんです。もともと知り合いだったわけではなく、お話しするのが初めてのブランドばかりで、「フェティコ」はインスタグラムに私が直接DMしたんですよ。いきなり飛び込みでのお願いでしたが、お声がけした全ブランドが快諾してくださって嬉しかったですね。今第一線で活躍しているデザイナーさんも支持してくれているのだと、背中を押してもらえました。トモさん(小泉智貴「トモ コイズミ」デザイナー)は、「実花さんの私物の洋服で一点モノを作ります」と言ってくれて。昔作った洋服を土台に、ドレスを仕立ててくれました。

今回のコラボにおいては、日本のブランドを応援したいという思いが根底にありました。国内には今、面白いブランドがたくさんあるじゃないですか。人目につく機会が多い立場なら、積極的に日本ブランドの洋服を着て、いろんな人に紹介していきたいなと思っています。

キャリアの集大成であり、新たな可能性を感じたスタート地点

WWD:本展は“五感”も大きなキーワードだった。多岐にわたるコンテンツ作りで気を付けていたことは?

蜷川:ジャンルを超えたコラボレーションや音楽など、いろいろなことを手掛けましたが、「何を大切にしているか」という核さえぶれなければ、どんな表現も今ならできると分かったことが大きな収穫でした。技術に頼ることが増えても基本は変わらず、ぶれない感性が中心にあれば表現の可能性が広がる。生成AIが登場し、今後もさらに技術革新は加速するはずです。自分が表現したい核をどれだけ持てて、深掘りしながら突き進めるかが重要になっていくと感じました。

WWD:Z世代らの来場やSNSへのポストが相次いでいる。次世代クリエイターを目指す学生たちにアドバイスするなら?

蜷川:SNSが当たり前になった今、いろんな声が良くも悪くもたくさん届く時代になりました。何を発表するにも、見せる前から足がすくんでしまう場面が多いと思うんです。でも、若い今しかできない、怖いもの知らずなモノづくりや表現は、絶対やったほうがいい。稚拙でも、やりたい時に足を止めることは本当にもったいないです。

若い時はもう必死でした。自分のことで精一杯でただ走り続けていたように思います。でも、ここ数年で、下の世代にバトンを引き継ぎたいと思うようになりました。ただ背中を追いかけてもらうのではなく、直接バトンを渡して手助けできることはないかなと。表現方法が広がっているからこそ、自由にモノづくりができたりチャンスに恵まれる機会を作ったり、背中を押せることはないかなと考えています。

WWD:キャリアの集大成を見せた本展で、一区切りがついた?

蜷川:「やり切った!」という思いはなくて、もうすでに次にできることは何かを考えています。制作過程で新しくやりたいこともたくさん見えて、集大成でありながら新たなスタート地点に立てた、そんな気持ちです。私、達成感を感じたことが今まで一度もないんですよ。多分、一生ないでしょうね。止まることなく作り続けることが私にとってのウェルビーイングなんだと思います(笑)。

The post 蜷川実花が過去最大規模の“体験型”展覧会 「瞬きの中の永遠」で見えた過去と現在、未来 appeared first on WWDJAPAN.

リステア創業者の高下氏が新会社 世界中のいいものを集めた「高級デジタル百貨店」

ラグジュアリーセレクトショップ「リステア(RESTIR)」元社長の高下浩明氏がファッションビジネスで再始動している。2021年8月に246inc.を設立し、2年の準備期間を経て、デジタル百貨店「246セレクト(246select.com)」をソフトオープンしたもの。リステアで培った“セレクト力”やハイブランドとのネットワーク、高感度や富裕層などの顧客ニーズをつかむ力などを活かして、ブランドの公式サイトとユーザーとをダイレクトで結ぶ、在庫を持ったないセレクト&キュレーション型メディア事業を行っていく。高下246inc.CEOにその狙いと勝算を聞いた。

――リステアをトゥモローランドに2015年に売却し、2019年に社長を辞した。充電期間を経て、デジタル百貨店「246セレクト」を立ち上げようと考えた理由は?

高下浩明246inc.CEO(以下、高下):「246セレクト」は、自分たちが良いと思って選んだ商品やブランドをキュレーションして紹介する、デジタル版セレクトショップ、デジタル版百貨店だ。ただし、ECではなく、在庫も持たない。ブランドビジネスには、リアルでもデジタルでも高いクリエイティビティが必要だが、オフィシャルサイト以外にイメージを維持できる場所がないと悩むブランドが多い。しかも、ECの売上げ拡大は急務だが、他社サイトへの出店は販売手数料も高額で、在庫移動などの業務も発生する。そこでブランド側の課題を解決するために、最適な露出機会を提供し、ユーザーとブランドの直営ECをダイレクトに結ぶキュレーションメディア、かつ、プラットフォームを目指すものだ。

また、32年間売る側の立場だったが、2019年に前職を辞任してお客さまの側になって多くのことに気付いた。コロナ禍や鎌倉を拠点にした生活をする中で、買い物はネット中心になったが、便利な反面、情報が膨大すぎて、何がイケてるいるのか、何が本当に良いのかを探そうとしても見つけにくく不便を感じた。これは同じような悩みを持つ方がかなりいらっしゃると感じた。また、前職からの流れで、知り合いの経営者クラスや著名人、VIP層などから、奥さんや彼女へのギフトや新築祝いなどについて相談を多く受けていた。本当にセンスが良くて信頼できるものをセレクトし、キュレーションし提案してくれるサイトや店があったらという切実な声もあり、全てが心地よいコンフォートショッピングの場を作りたいと考えた。

デジタルを駆使、新業態は「セレクトショップ」と「百貨店」、そして「メディア」を横断

実は次のステップに進む中で、小売りコンサルタントのダグ・スティーブンスが10年前に書き、5年前に翻訳本が出た「小売再生―リアル店舗はメディアになる」を何度も読み、何かファッション業界に役に立つ新しいことができないかと考えた。前職でもブランドのプロモーションイベントにリステアのお客さまを招いたり、パーソナルスタイリングを行ったり、コンシェルジュ的な仕事も担っていた。リアルがデジタルに変わっただけで、やろうとしていることは前職のセレクトショップビジネスと変わっていない。それを少し時代に合わせて、デジタルやAIを活用して、寄り良い購買体験やサービスを実現しようとしている。

――「246セレクト」や“デジタル百貨店”というネーミングの由来は?

高下:ラグジュアリーブランドなどが多く店を構える表参道や青山を通る、日本を代表する国道246号線から名付けた。その界隈に店を作るとしたらどんなものを作ろうか、あるいは、そのまま一つの商業施設やモールのようにも見える街なので、それをデジタルで表現したらどうなるかなどを考えた。

インバウンドなどで少し活気が戻りつつあるものの、百貨店は斜陽と言われたりもしている。けれどもかつては、新しいものや本物、信頼感のあるものなどを豊富に取り扱い素晴らしい魅力を持っていた。今回は前職時代から培ったセレクト力、キュレーション力を生かして、自分たちが良いと信じたものを紹介していく。

キュレーションした商品画像を介してユーザーとブランド公式サイトをつなぐ媒介・プラットフォームに

――サイトの構成や取扱商品については?

高下:まさに百貨店のようなフロアガイドを設け、1階を中心にショーウインドーを配し、カテゴリーごとにフロアを分けて展開している。とくに店の顔であるショーウインドーには力を入れている。30分~1時間にひとつ、新商品が自動でアップされて見るたびに発見があったり、GIFや動画などを使って感覚的な心地よい刺激も与えるようなデザインを心掛けている。気になる商品をタップすると、商品の詳細ページに飛び、ブランドの公式ECの商品ページにダイレクトに遷移できるボタンを配している。また、その商品ページの下部には、類似商品や推奨商品などをAIのアルゴリズムでレコメンドできるような仕組みにしている

自分たちがセレクトしたブランドのアイテムに加えて、PRプロモーション枠を設けて、出稿してもらったブランドには、商品画像をクリックすると直営サイトに遷移するとともに、上層階にワンブランドを専用に扱うフロアを開設する。仮想の世界なので、実質的に∞(無限大)でフロアや商材を増やしていくことができるのもデジタル百貨店の特徴だ。

取り扱うブランドは、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」「ディオール(DIOR)」「ロエベ(LOEWE)」「ティファニー(TIFFANY)」などLVMH系をはじめとしたラグジュアリーブランドから、ストリートブランド、コスメやジュエリー、ガジェットやインテリア、車やアート、さらには旅などまで幅広い。プライスも数百円から数千万円までハイ&ローをミックスしている。現在は約80ブランドだが、共感していただけるブランドとの取り組みをどんどん強めながら、カテゴリーやサービス・体験などにまで広げていきたい。とくにギフトは強化したいし、ホテルやトラベル、スーパーカーからエコカーまで新しい車なども訴求していきたい。

多忙な経営者やその秘書、VIP層にも好適、ギフトコンシェルジュサービスでタイパとセンスを向上

――サービスのカギの一つであるコンシェルジュサービスとはどのようなものなのか?

高下:一つは、ユーザーが友達や家族を登録できるギフトボックスサービスを用意している。いいね、を押したものを保存しておくだけでなく、想定プライスや、モード、ナチュラル、セクシー、コンサバなどファッションのテイストを入力しておくと、誕生日や記念日が近いことをリマインドしてもらえたり、クリスマス向けのギフトプランを提案してもらえたりするものだ。

経営者層やその秘書、著名人、ファッションに興味がある方々などの利用を想定しているが、忙しくて時間がないけれども、相手を喜ばせて自分の評価にもつながるセンスのいいものを贈りたいという気持ちに応えるものになるし、頼まれて困っている秘書の方々の力強い味方になれる。もちろんファッションの提案や相談承りなどもできる。AIなども活用しながら、究極のスタイリング&コンシェルジュサービスとして役割を果たしたい。

――マネタイズの方法が気になるが、出店料・出稿料なのか、アフィリエイトなのか?

高下:現在はプロモーションの出稿料をいただいている。すでに、「ディーゼル(DEISEL)」や「アルフレックス(ARFLEX)」「マクラーレン(McLAREN)などが可能性を感じてプロモーション枠を活用してくれている。また、現在は商品中心だが、キュレーションマガジンとして読み物などを増やしていくこともできる。こうなるとリテールメディア化が進むことになる。あだし、広告という概念はなくて、紹介しているものすべてを心地よいものにしたいので、扱うもののフィルターについてはこれからも大切にしたいし、そこはセレクトショップの知見も生きてくる。あとは、コンシェルジュサービスは現在は無料だが、将来的にはSpotifyのようなサブスク型のサービスとして進化させていきたい。

――百貨店の外商やホテルのコンシェルジュのように、良いユーザー層が集まれば、ブランド同士の相乗効果も生まれそうだ。

高下:今まで知らなかったブランドや商品とのマッチングが生まれることを期待している。実は創業に当たり、若くデザイナーやクリエイター、アーティストから集客方法やビジネス展開などの相談を受けることも多く、彼らの渾身の商品や作品を良い客層の人々に紹介し、彼らが世に羽ばたく支援をしていきたいということも、このプラットフォームを作る原動力の一つになっている。厳選されたブランドやその公式ECサイトにダイレクトにつながるサイトを作って、ブランドの活性化を図ることをビジョンに、新しい才能ある人々を世界に出す役割をミッションとして、成長させていきたい。

――どんなチームがこの「246セレクト」を支えているのか?

高下:2021年に僕とエンジニアだけでスタートした。今までになかった新しい挑戦にワクワクしてくれている20~30代を中心に、優秀な方々と一緒に、よりクリエイティブでかっこいいことを世界に向けて発信していこうとしている。今はまだベータ版の状態。1962年生まれで年が明けたら62歳になるし、スピードを上げ、本番であるアプリのオープンや、開発やサービスの拡充をしていきたい。どんどん進化させていくので、まずはユーザー登録をして、一度使ってみてほしい。

The post リステア創業者の高下氏が新会社 世界中のいいものを集めた「高級デジタル百貨店」 appeared first on WWDJAPAN.