「ミラノファッション×AI」の仕掛人、クリエイティブチームのトップが語る「AIとファッションの今後」

1月30日に開幕した今回の「ミラノ・ウニカ」は、大々的にAIを打ち出した。その仕掛人の一人が、ステファノ・ファッダ(Stefano Fadda)「ミラノ・ウニカ」アーティスティック・ディレクターだ。同見本市の重要なコンテンツの一つであるトレンドコンセプトの発信にAIを導入した。クリエイティブを最重視するイタリアで、その根幹をなすトレンドコンセプト設計に大胆なまでにAIを導入した理由や手法、今後について、聞いた。

ステファノ・ファッダ「ミラノ・ウニカ」アーティスティック・ディレクター

ミラノ工科大学建築学科を経て、「プラダ」のVMDやファッションショーの演出、トレンドアナリスト、クリエイティブ・ディレクターなどを経て、2015年から現職

AIを導入したワケ

WWD:なぜAIを?

ステファノ・ファッダ(以下、ファッダ):生産性の向上といった業務効率改善には、コスト削減などの面で実際に大きな成果を挙げている有力素材メーカーもある。だが、イタリアの繊維とファッション産業の大きな強みは、クリエイティブの部分だ。

WWD:経緯は?

ファッダ:8か月くらい前に、私の方からグーグルにコンタクトし、
「クリエイティブな分野でAIを使いたい」とオファーしたんだ。正直、その段階では繊維やファッションに限らず、クリエイティブな分野でのAI活用事例もなく、どう使っていくかは私自身もわかっていなかったし、グーグル自体、そうしたAIをイタリアでは公開していなかった。ただちょうどグーグル自身が新たな生成AIツール「BARD」を2024年に公開予定のタイミングだったため、そのプロトタイプでの協力を得られた。

WWD:実際、どのようにAIを取り入れたのか?

ファッダ:そもそも、テーマやコンセプトは、膨大な事前リサーチの結果を整理し、分析し、その上でデザイナーやブランドを触発するために発表する。3つのコンセプト、「リ・ジェネレーション」「デザイン」「インタラクティブ」という3つのコンセプトと、それぞれのコンセプトに3つのテーマ(リジェネ:ニットウエア/エンブロイダリー(刺繍)/ランジェリー、デザイン:クラシック/シャツ/プリント、インタラクティブ:テクノ/グラム/シャイニー)を設けた。テーマごとにカラーやテキスタイルのイメージを設定する。ここまでのやり方は、従来どおりで変えていない。重要なのは、そこだと考えていた。あくまでもAIは、クリエイティブな活動を支援するためのツールだ、という考え方だ。

実際どうAIをクリエイティブに活用?

WWD:では、どの部分にAIを?

ファッダ:実際にやってみたからこそ、わかったのだが活用に関してはいくつかのポイントがあった。テーマやコンセプトが、いわゆるプロンプト(AIに入力する指示)の役割を担った。まずAIは、テーマやコンセプトを反映したビジュアル作りの、基礎部分に使った。例えば従来のトレンド情報は「テクノ」というテーマに対して、「合繊のマットな光沢」のように細かいキーワードも設定しており、それに合わせてデザイナーやブランドにインスパイアするビジュアルを制作してきた。われわれのようなトレンドコンセプターにとっては、社会的な事象をテキストに落とし込む分析力とともに、こうしたビジュアル作りも重要な役割の一つだ。だが、AIを使うと、このビジュアルが思いもよらぬアイデアを出してくる。

従来のビジュアル制作では、どのようにブランドやデザイナーを触発するか、という点が重要なわけだが、ビジュアル制作のときのアイデアはどんなに優れたトレンドコンセプターであったとしても、どうしてもその人のキャリアや発想に左右されてしまう。AIは、この部分の枠を取り払うことができた。

とはいえ、この作業は思っていた以上に非常に大変だった。単にテーマやコンセプトをプロンプトとして打ち込むだけでは、良いものが出来ず、一つのビジュアルを作るのに100回以上、繰り返す必要があった。これは正直、とてもしんどい作業だった。

ビジュアル制作は、AIが出してきたアイデアをベースに、ピッタリ合うテキスタイルを探す、あるいは制作し、服を作り、撮影した。この部分でも、従来であれば、テキスタイル会社や縫製会社にこうしたテーマに合ったテキスタイルや服の制作を依頼し、それが最終的なトレンドコーナーに設置するスワッチサンプルになったりもするのだが、あまりにも突飛なアイデアであるため、単にアイデアイメージを渡すだけでは、テキスタイル会社や縫製工場の協力を得られなかった。実際の服は、手作業で作るようなことになった。

AIは「ファッションのクリエイティブ」をどう変える?

WWD:今後をどう見る?

ファッダ:正直、このやり方は賛否両論というか、当初は大きな反発があった。中には、「イタリアのクリエイティブを重視する文化を破壊する」というものもあった。これには明確に反論したい。テクノロジーの進化は、止められるものではない。われわれがやるべきことであり、重要なのは、「テクノロジーをどう活用するか」だ。今回取り組んでみてAIや生成AIはまだまだ未成熟のテクノロジーだとも感じた。それでも、クリエイティブな活動にとって、大きな可能性も秘めている。世界の繊維・ファッション産業にとってイタリアの果たすべき役割は、クリエイティブを軸に産業を発展させることで、われわれイタリアが先頭を切って挑戦することにこそ、意義がある。今回の冒頭のキーノートセッションに「AI」を掲げたのも、この私の取り組みと考え方に「ミラノ・ウニカ」の会長を始めとして賛同したためだ。

WWD:今後AIの導入は、繊維・ファッション産業にどう進んでいくのか。

ファッダ:繰り返しになるが、生産効率の改善のような部分では、大手素材メーカーのレダ(REDA)のように、実際にコスト削減に成果を挙げている企業もある。ただ、クリエイティブの部分ではアイテムやカテゴリーによって、AIとの相性の良し悪しはある。たとえば、プリント柄の生成なんかは、すでに取り入れている企業もあるほどだし、相性はいいと思う。けど、逆にボタンやファスナーといった服飾資材の相性は良くないかもしれない。そもそも生産のためのテクノロジー自体がかなり高度で複雑だし、服のデザインプロセスにおいても最後の方に決まるため、リードタイムが短い。先行するのは、やはりテキスタイルの部分だろう。

WWD:トレンド予測そのもの、つまりコンセプトやキーワード、カラー予測にも使えるのでは?

ファッダ:ノー(即答)。それはない。これは例えば、需要予測にAIが使えるか、という問いにも似ている。水面下では、これまで何度もメガIT企業が服の需要予測に取り組んでいるが、ことごとく失敗している。ある服一着をとっても、丈の長さ、色、細かな仕様があり、そもそも例えば黒色といっても、いろいろな黒色のバリエーションがある。つまりパラメーター(変数)が多すぎる。これはトレンド予測も全く同じことだ。ずっと先のことはもちろんわからないけど、少なくとも現在、あるいは近い将来まではかなり難しいと思う。

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休業から復帰のベラ・ハディッド、力を注ぐノンアル飲料事業と自身のメンタルヘルスについて語る

モデルのベラ・ハディッド(Bella Hadid)は、ライム病の治療に専念するためモデル活動を1年間休止していたが、実業家としての活動を本格化させているようだ。米「WWD」に、2021年から共同経営するノンアルコール飲料ブランド「キン ユーフォリックス(KIN EUPHORICS)」や自身のメンタルヘルスについて語った。

ベラは昨年、ソーシャルメディアで彼女が長年患う感染症の一種であるライム病や慢性疾患の治療と、不安障害などメンタルヘルスの問題について思いを綴っていた。インタビューでは闘病生活について「苦痛に満ちたものだった。点滴を打ちながらZoomミーティングすることもあった。再び仕事に復帰できるように自分の体を追い込もうとしたが、自分がワーカホリックだったことに気づき、今必要なことはただじっとしていることだと受け入れた」と明かし、アルコール摂取にも気を配るようになったという。

健康チャレンジ”ドライ・ジャニュアリー”とは?

欧米では1月に禁酒する健康チャレンジの取り組み“ドライ・ジャニュアリー(Dry January)”が広まっているが、「新年の31日間、体内からアルコールを完全に排除し、ポジティブで前向きなエネルギーで一年を始めることは自分自身と自分の精神のために非常に重要なこと」と語り、ベラ自身も「キン ユーフォリックス」を通じて実践しているとして“ドライ・ジャニュアリー”を勧める。さらにソーシャルメディアからも離れ、瞑想や読書に時間を費やしたといい、「人は競争やSNSの世界に身を置くと、本来の自分ではない“他人から見た自分”に依存してしまう。SNSから距離を置いたことは自分のために行った最高のことだった」と振り返った。

英市場調査会社IWSRや米マーケティング大手ニールセン・アイキュー(NIELSEN IQ)によると、低アルコールおよびノンアルコール市場は近年急速に拡大しており、米小売大手のターゲット(TARGET)も昨年12月、ホリデーシーズンに向けてノンアルコール飲料ブランドを集めたセレクションを販売。「キン ユーフォリックス」は参加ブランドの中で最高売り上げを記録し、米スーパーマーケットチェーンのスプラウツ・ファーマーズ・マーケット(SPROUTS FARMERS MARKET)でのローンチ成功に続き、3月からはターゲットで常時販売する予定だ。

ベラの実業家としての顔

スピリチュアリティをコンセプトに掲げる「キン ユーフォリックス」は、カラフルなデザインの缶ドリンク4種“アクチュアル サンシャイン”“ライトウェーブ”“キンブルーム”“キン スピリッツ”と、特製スピリッツ2種“ハイ ロード”“ドリーム ライト”をラインアップする。ビタミンC、サフラン、ターメリック、アダプトゲンなどを配合し、肝臓と神経系を保護しながら免疫系や炎症の軽減をサポートする。

「キン ユーフォリックス」はジェン・バチェラー(Jen Batchelor)最高経営責任者(CEO)により17年に創設。インスタグラムのフォロワーが6000万人を超える27歳のベラは、単なる広告塔としてではなく、投資家とのビジネスプランにまつわる会議にも参加し、同ブランドのビジネスの隅々まで関わっている。

パレスチナ出身の不動産開発業を営むモハメド・ハディッド(Mohamed Hadid)を父親に、オランダ出身の元スーパーモデルのヨランダ・ハディッド(Yolanda Hadid)を母親に持つベラは、「ファッションの世界は芸術的な面で成長できる。それが本当に好きだけど、自分の脳のビジネス的な面を使う機会はあまりない。私の両親は素晴らしいビジネスマンで、私にとって頭を使える場所にいられることは大きな喜びだ」と述べた。ベラの現在のキャリアの中心は「キン ユーフォリックス」であり、「来年か再来年には、あらゆる家庭に『キン ユーフォリックス』のドリンクが置かれるようにビジネスを広げていきたい。すでに30ページ以上の商品アイデアを書き溜めている」と語った。

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三栄コーポレーション×生駒芳子 これからの時代のエシカルとは?

専門商社の三栄コーポレーションは「アワー アース プロジェクト」の下、世界各国のエシカル商品を集めたECサイトの運営のほか、基幹のOEM事業では環境配慮型素材の提案の幅を広げるなど、商社の立場からファッション業界のエシカル消費を推進する。同プロジェクト発足と同時に、ファッションジャーナリストの生駒芳子が代表理事・会長を務める一般社団法人日本エシカル推進協議会に加入。有識者や他企業と連携して、業界全体に働きかける。「アワー アース プロジェクト」の責任者である山田敦担当と生駒代表理事に、エシカル消費のあり方について聞いた。

エシカルは身近 みんなが根底に持つ感覚

WWD:一般社団法人日本エシカル推進協議会の活動内容は?

生駒芳子・一般社団法人日本エシカル推進協議会代表理事・会長(以下、生駒):私たちはいち早く気候変動の危機を感じてきた有識者40人から構成された組織で、「危機のカナリア」として世の中に警鐘を鳴らしエシカルなライフスタイルの重要性を伝えることが大きな役割だ。私自身は専門であるファッションの分野におけるエシカルの重要性を感じ、2017年の設立当初から参加している。具体的には、エシカルを深く理解するためのセミナーや会員のみなさまに各分野の最先端情報をお届けする情報交換会などを主催している。

山田敦・三栄コーポレーション服飾雑貨事業部第一部企画開発担当マネージャー(以下、山田):僕は17年に初めて情報交換会に参加し、エシカルに本気で取り組む決心がついた。というのも、長らくOEMの仕事をして大量生産の現場を見てきたなかで地球環境への関心の低さに違和感を覚えていたからだ。当時はそれでも半信半疑な部分があったが、会で出会った人たちと交流するなかでエシカル消費が今後絶対に重要になると確信した。「アワー アース プロジェクト」立ち上げのタイミングで、専門家たちと横のつながりを持ち最新情報に触れる必要があると考え、法人会員として参画した。

WWD:2人にとってエシカルとは?

生駒:「エシカル」の傘は広く、動物福祉や人権、フェアトレードなど多岐にわたる。サステナビリティやSDGsとほぼイコールだが、エシカルはより具体的な行動指針を示していると思う。エシカルな選択を重ねれば、持続可能な世界に近づいていける。振り返ると80年代から、ファッションの世界でエシカルな活動をしているデザイナーはたくさんいた。例えばアニエス・ベー。彼女は自分がデザイナーになる目的の1つは、世の中の困っている人を助けるためという。そのほかにもキャサリン・ハムネットやダナ・キャラン。感度の高いデザイナーや企業は、2000年代より前から取り組んでいることだ。

山田:言葉の捉え方はいろいろあると思うが、僕自身が感じているのはすごく身近なコンセプトということ。子どもの頃から言われていたような、食べ物を残してはいけないとか、無駄なものは買わないとか。みんなの根底にある感覚なのではないかと思う。

結局何を買えばいいの?の一つの答えに

WWD:三栄コーポレーションが考えるエシカルのアウトプットの一つが、「アワー アース プロジェクト」だ。具体的にどんな基準でセレクトしている?

山田:一番大切にしているのは、ブランドが核に持つメッセージは何かということ。たとえばドイツ初の「ゴットバッグ(GOTBAG)」は、世界の海洋ごみが一番たまりやすい地域がインドネシアということから、インドネシアの海洋プラスチックごみを原料にバッグを製造している。それは根幹に、世界の海をきれいにしたいという思いがあるからだ。加えて、現地の雇用も生み出している。輸送手段もなるべく二酸化炭素を出さないように船や陸路を使用するなど、細部にわたるまでエシカルを徹底している部分に共感した。

生駒:私も一番印象に残っているのが「ゴットバッグ」。海洋プラスチックごみの問題から、フェアトレード、リサイクルなどさまざまな問題に多角的にアプローチしている。そしてクリエイティブでおしゃれ。エシカルにデザイン性は絶対に欠かせない。「アワー アース プロジェクト」の商品は、全てデザイン性が高く未来を感じる。エシカル消費を呼びかけるなかでも、「結局何を買えばいいの?」と迷う声もよく聞く。その意味でこのプロジェクトは、一つのアンサー。エシカル経営をしている企業と消費者をつなぎ良い循環を生んでいる。

OEMはエシカルなものづくりを
実現するカギ

WWD:同プロジェクトでは、OEM事業での環境配慮素材の提案も強めている。

山田:OEMはこれまで黒子の役割だったが、これからの時代はモノ作りの現場をエシカルに変えていくための要になると思っている。当社が正規販売代理店を務める「イーダイ(E.DYE)」もその一例だ。これは無水染色技術を活用した原着生地のブランドで、リサイクルペットボトル由来のチップを着色し糸にするため水を使わない。比較的小ロットで対応でき、QRコードから環境負荷軽減のデータも示せる。3月には「イーダイ」を使ったオリジナルブランド「ユーエフ(UF)」も立ち上げる。こうした素材をそろえているものの、実際に普及させていくためには難しさもある。例えばクライアント企業から、リサイクルポリエステルでもペットボトル由来の素材は他社と差別化できないので何か新しい切り口の素材はないかと聞かれることもある。いろいろな素材の選択肢が増えるのはいいことだが、果たしてちゃんとそれが根本的な問題の解決になっているのか、企業のエゴで終わっていないのか、疑問に思う場面もある。従来のOEM業界は、面白いものを出す勝負のような一面があったが、サステナビリティにおいては、それはまた違う競争のような気がする。

生駒:すごくファッションっぽい部分だ。脅かすわけではないが、気候危機の現状は私たちが思っている以上に深刻だ。温暖化の状況でよく例えられるのが、真夏にGジャンを着ているような状態だった地球が、今やダウンジャケットを着ていると。私たちの望む未来に進めるかどうかの瀬戸際まで来ている。その危機感が業界としてやっぱり薄い。人はどうしても楽しい方に、豊かな方に進んでいく。ただ今は、本当の豊さとは何か?というすごく哲学的な問いがなされなくてはいけないと思う。人間の心理が社会を作っていくならば、大事なのは心のエシカル。日本人の心根にはたくさんのエシカルな知恵がある。原点回帰する時が来ていると思う。そしてやはり大人、企業が動かないと社会は変わらない。私たちが2021年に中小企業向けに策定した「JEIエシカル基準」も参考にしてほしい。

山田:エシカル事業の担当者として身に沁みる言葉。企業人として周りの社員を、会社を本当に動かすぐらいの危機感と熱量を持って取り組みたいと改めて思った。「アワー アース プロジェクト」では、エシカルとデザイン性を両立する品ぞろえが強みだ。多くの人に気軽に手に取ってもらうことで、エシカルを考えるきっかけになると信じている。サステナブルやエシカルな体験に興味がある人にはぜひのぞいてもらいたい。

わくわくするエシカル消費に出合える
オンラインショップ

「アワー アース プロジェクト」は2019年に始動。“より地球にやさしい”をコンセプトに、「サステナブル」「エシカル」のキーワードに合致する製品やサービスを提供する。オンラインショップ「アワー アース プロジェクト サステナブルターミナル」では、海洋廃棄プラスチックをリサイクルしたドイツ発のバッグブランド「ゴットバッグ」や、車のエアバッグをアップサイクルしたドイツ発のバッグブランド「エアパック(AIRPAQ)」など、世界のエシカルブランドやオリジナルブランドを含めた全9ブランドを扱う。屋号の「サステナブルターミナル」は、さまざまな商品が行き交う"ターミナルストア"を意味し、空港や大きな電車の駅で新しいものを見つけるようなわくわくするエシカル消費を楽しんでほしいという思いを込めた。

PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
問い合わせ先
三栄コーポレーション
03-3847-3521

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良品計画会長×リトゥンアフターワーズ代表「社会・地域の課題解決とデザイン」を探る

循環型社会の実現に向けて「社会・地域の課題解決とデザイン」は大きなテーマになりつつある。とはいえ「社会・地域」という大きな主語を前に、課題も解決方法も多くの人にとってはおぼろげだ。そこで理想像や概念から具体へ進める道筋を2人のフロントランナーによる対談から探る。金井政明・良品計画代表取締役会長には同社が実践している「地域密着型の事業モデル」について、またファッションデザイナーによる社会・地域の課題解決のアクション例として山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表にそのユニークな取り組みを聞く。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

PROFILE:左:金井 政明/良品計画 代表取締役会長

1957年生まれ。西友ストアー長野(現株式会社西友)を経て93年良品計画入社。生活雑貨部長として長い間、売り上げの柱となる生活雑貨を牽引し良品計画の成長を支える。その後、常務取締役営業本部長として良品計画の構造改革に取り組む。2008年2月代表取締役社長、15年5月代表取締役会長に就任、現在に至る。西友時代より「無印良品」に関わり、一貫して営業、商品分野を歩み、良品計画グループ全体の企業価値向上に取り組む

PROFILE:右:山縣 良和/リトゥンアフターワーズ代表、ここのがっこう代表

1980年鳥取生まれ。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。07年4月自身のブランド 「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」を設立。15年日本人として初めて「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」にノミネートされる。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「ここのがっこう(coconogacco)」を主宰。19年には英国のファッションメディア「ザ・ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion)が主催する「BOF500」に選出される。21年第39回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞を受賞 PHOTO:TAMEKI OSHIRO


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):テーマである「社会課題、地域振興とデザイン」についてお二人の考え方を実際のプロジェクトを通じてお話しいただきます。金井さんからお願いします。

金井政明・良品計画代表取締役会長:「素の自分に」が基本的な考え方です。我々人間はとても欲張りな生き物です。人の目を気にして比べて妬んだり、自慢をしたりというような性質を持っています。 そこに消費社会が入り込んでくると「高級な自動車に乗って」「僕の友達はこんなスニーカー持っている」みたいなことが起きて社会がどんどん個人主義になっていく。一方で共同体、その集団と心という「社会」もある。僕らの祖先がアフリカから出た時は道具なんてほとんどなくて、心とその集団でサバイブした。僕達はもう一度、その「心と集団」という時代に向かっている。今は過渡期です。

比べたり、妬んだり、自慢したりという社会に僕達は今生きています。でも、もう一人の自分は例えば、家に帰って全部脱ぎ捨ててホッとしたい。その「素の自分」はどんな商品を選び取るのだろうか、に着目しているのが私共です。

生活の価値そのものを作りたいという思いもあり、衣料品も生活用品も、食品もと領域を多岐に広げてきました。そのデザインは色々なクリエーターに参画してもらいながら積み上げてきましたが、一般的な消費や欲望を煽るようなデザインではありません。

WWD:煽るのではなく「役に立つ」、ですね。

金井:戦略はとてもシンプルです。キーワードが7つほどあり、最初の4つ「1.傷ついた地球の再生」「2.多様な文明の再認識」「3.快適・便利追求の再考」「4.新品のツルツル・ピカピカでない美意識の復興」は創業時から変わりませんが、この対談を含めて最近改めて話をする機会が増えています。

他の3つ「5.つながりの再構築」「6.よく食べ、眠り、歩き、掃く人間生活の回復」「7.OKAGE SAMA、OTAGAI SAMA、OTSUKARE SAMAを世界語として発信」は10年ほど前から「社会にこれが足りないよね」と話しながら加えてきました。

商品は徹底的にそぎ落とした「素材」としての良品、「素の自分」が自分の考え方で生活を編集する「商品」でありたいから、「商品」が自己主張する必要は全くない。できるだけ無駄なく、環境にも良く、そして使う方の自由になる「商品」をずっと目指してきました。

店は「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」の拠点

WWD:「商品」をデザインする起点が「生活、社会」なのですね。

金井:日本は2100年には人口が約半分の6000万人になると言われています。それはどんな社会だろう?今を生きる人は誰も経験はありませんが、大正末期と同じ人口です。NHKの連続テレビ小説の「おしん」が生きた時代です。その2100年に向けて、社会がどういう社会であれば、みんなが感じ良く暮らせて幸せ感があるか、と考えて出したのが「経済と環境と文化がバランス良く支え合う社会」です。言葉を変えれば「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」です。

皆が自分のエネルギーを出し合う社会だと仮定して、日本も含めて世界の津々浦々にそういう拠点となるお店を作り始めています。それを今は第二創業と称して、社員が株主であり、個店経営者であり、プレイヤーである会社をぜひ作りたいと考えているところです。主人公は地域の皆さん。オーナーで経営者である超小売り人材である店舗のスタッフ達が地域に巻き込まれて一緒に社会を作りたい。それが社員の働く充足感だと思っています。

特に日本では5つのテーマ「食と農」「健康と安全」「空き家の利活用」「現代的コミュニティ」「文化・アート」を中心に取り組んでいきます。我々は間違いなく社会を変えなくてはいけない。だから若い人たちに期待をしています。

WWD:御社の社員の一人が「将来の夢は自分の故郷に無印良品の店を持ち、品出しをしている途中に息耐えることだ」と話していた理由がわかりました。生涯好きなことに夢中で誰かの役に立つ、いい人生ですね。

山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表:僕は高校時代から無印良品のファンでしたが、当時は地元の鳥取には店舗がなくて大阪や神戸へわざわざ行ってワクワクしていたことを思い出しながら聞いていました。これから自分が話そうとしていることとは、ひょっとすると金井さんの話と全然異なるように聞こえるかも知れませんが、実は共通点が多くて嬉しい。

ファッションデザインと「心の持続可能性」

WWD:良品計画のキーワードの一つ「多様な文明の再認識」から想起するのが、2019年に上野恩寵公演噴水広場で発表した「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」のショーです。魔女をテーマにした3部作の最終章で、タイトルは「フローティング・ノマド」でした。

山縣:僕は社会の現状を自分の中に入れ込んでコレクションを制作することがよくあります。この時は、民族間の対立やその結果土地を渡り歩く人たちのことを考え、いずれ日本にもそういう人たちがやってくるだろう、とイメージしました。

WWD:主宰する「coconogacco(ここのがっこう)」も縫製や仕立てなどの服作りの技術というより社会を見つめる目を養うような性格ですね。

山縣:自分のルーツと向き合いながらファッション表現を学ぶ場所です。2008年からこれまでに1000人以上世の中に送り出してきました。最近では、卒業生である津野青嵐の作品がITS20周年記念式典本の表紙を飾ったり、セント・マーチン美術大学のサラ・グレスティ(Sarah Gresty)教授が来校したりと海外ともつながりを持っています。

WWD:技術を教えることはもちろん重要ですが、同じくらい心の持ちようを教える山縣さんの存在は貴重だと思います。

山縣:今日話したいのが「心の持続可能性」についてです。サステナビリティを考える時、物質的と精神的、両方の持続可能性が大事だと思うからです。立てた問いは「ケアメゾン、キュアメゾンは可能か?」。メゾンは家、ブランドを意味します。今よりもう少し、心に寄り添ったブランド、メゾンの活動ができないだろうか?という問いです。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為

WWD:その活動のひとつが昨年、長崎県の五島列島北部に位置する小値賀島(おぢかじま)での新作コレクションの展示・受注会ですね。

山縣:僕のルーツは長崎と鳥取です。東京藝大のゲスト講師として小値賀島でワークショップを行いました。日比野(克彦東京藝大学長)さんや学生と今も残る土地の文化や伝統、なくなったものなどをリサーチし、最終的には空き家を借りてインスタレーションやトークイベントなどを行いました。

WWD:その後それらの作品は、山梨県立美術館の展覧会「ミレーと4人の現代作家たち」で展示されました。

山縣:ミレーの絵画と同じ空間で展示する企画で、小値賀島で得たインスピレーションや衣服などを展示しました。シルクロードの玄関口とも言われる長崎と、シルクの終着地点と言われる山梨を結びつけることで、自分なりに新たな歴史のリサーチを重ねるよう意味合いがあります。自分が生まれ、暮らす場所の歴史を知り、リスペクトする。忘れ去られてしまったものの中にもある大切なものを見つめながら次へつなげてゆく。そういったことが「心の持続性」とつながると考えるからです。

最近は、サステナビリティ以上に「再生」を意味するリジェネラティブという概念が広がっていますが、自分たちが脈々と培ってきた文化や精神性にもリジェネラティブの姿勢をもって向き合うことが大事じゃないかと。だから小値賀島なり、日本なり、島の民の人間像って何だろう?と考えています。

小値賀島の近くにある無人島、宇々島は「自力更生の島」と呼ばれてきました。生活困窮者が移住し、税を免除されつつ生活を立て直しいずれ出てゆく。この仕組みは昭和30年代まで200年くらい続いたそうです。柳田國男が「困窮島」と呼んだこういったある種の共同体は、現代においてもインスピレーションとなりえる。

キュレーターであり作家、美術評論家のニコラ・ブリオーが最近「ラディカント」という本の中で、「群島の可能性」について言及しています。多くのものが融合し根付いている「大陸的」なものとの対比で、「島国的」はいろいろなかけ合わせで自己を作ってゆく旅人のような文化だと。群島で構成されている日本には、ニコラの「群島的な精神」があるんじゃないかと。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為でもあります。ファッションデザインを通して行う対話は自他のルーツや文化の理解や自尊心の回復、心のケアや治癒にもつながり、それが結果として未来のデザインにつながっていくのではないでしょうか。

WWD:金井さんは民族衣装にも詳しいですが今の話を聞いてどう思いましたか?

金井:ファッションの方はみな、これを辿るんですよ。浜野安宏さんも「地球風俗曼荼羅」で1980年ころに南米、アジアの民族衣装を研究して「ここに未来がある」と仰っていました。オラファー・エリアソンの現代アートは彼のルーツであるアイスランドの氷の世界が創作の原点。クリエイティブの背景はその時代や文化、伝統に加えて個人の記憶、生まれる前の記憶も含めて関係があるのでしょうね。

山縣:金井さんの「素の自分」という言葉を聞き考えたのが、和服を着てきた自分たちが洋服を着ていることである種の精神的な分断が起きているのでは?ということ。自分たちの文化、存在に尊厳、自尊心を持てなければ持続可能性がちょっといびつな形になってしまうのでは。

他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会

WWD:「地域の社会課題を解決するデザイン」が今日のお題ですが、お2人の話は多層的で深く、簡単に答えを得られるものではない、と痛感します。

金井:ファッションはある種の自己表現ですが、「他人に見られる」自己表現だけでなく、「素の自分が着たい、地球上にたった一人でもこれを着たい」も自己表現ですよね。レストランに行くときも美術館に行くときも他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会、それがこれから向かう先で、僕の理想でもあります。そのためには、さきほどの山縣さんの共同体の話じゃないけど地域社会も変わらないといけない。

日本には元々、人間も自然の一部だという考え方がありますが、都心よりもほかの地域の方が自然と近い暮らしをしてきたから社会を変える力は島を含めた地方にある、と考えます。だから無印良品の社員には自分で考え、地域の方と一緒に仕事か遊びか分からないぐらいの仕事をしてほしい。それが成長だし幸せだと思うから。

山縣:無印のコミュニティーは「印が無い」という響き、ひとつのイデオロギーに引っ張られないぞ、という、多層的で混ざり合うメッセージがいいなと思います。

「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点

WWD:金井さんにお伺いします。地域に入り、街の課題も可能性も見えていざ「無印良品」が店舗を出そうとするとき、具体的には何から始めてどう設計に落とし込んでいくのですか?

金井:「無印良品」の創業時のクリエイターは、10代の頃に戦争を経験し、大体ひどい目にあっている。戦争が終わり正反対の社会で彼らが何を思ったかと言えば、権力に対して疑いの眼差し、なんですよ。そして弱い物、はかない物への眼差しも鋭い。だから「無印」の発想を持てたのだと思う。その視点で地域を見るときは資本の論理だけではなく、「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点。出ていくとうまくいかないことも現実問題としてはある。そこからが出発点でこの地域に本当に必要な品揃えって何だろうと一生懸命考える。そんなノリで出店をしています。

WWD:営業、商品の分野を率いてきた金井さんですが、地域社会の中でも「無印」の理想と利益は両立すると考えますか?

金井:株主総会でもそういう「バランスをどのように取るのか」といった質問が出ますが、肝心なことはバランスではなく、地域と一緒に汗かいて実態を作っていくこと。今は社会や価値観が大きく変わるタイミングで、若い世代が変えようと動いている。結果的には商売につながる、儲かると考えています。

WWD:山縣さんにとってファッションのデザインとは?

山縣:哲学者の鷲田清一さんは、著書「ファッション学のすべて」の中で、医学者・精神科医である中井久夫さんの、「心のうぶ毛」という言葉を取り上げています。ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為であると考るとき、「ここのがっこう」の学生たちの作品はうぶ毛がぼふっと映えているように見える。

鹿児島のしょうぶ学園とのプロジェクトでは知的障がい者の作品を紹介しましたが、そこにも心のうぶ毛が、つまりある種の豊かさがありました。こういうファッションデザインの本質的な可能性をぼくは追及したいです。

WWD:心のうぶ毛、良い言葉ですね。暴力的に刈り取られてはならない心のうぶ毛。金井さんは心のうぶ毛は?

金井:僕は結構生えていると思う。アートやデザインの領域には、少し先を見ることができる人がいますよね。無印良品は地域に入りつつ、人間が生きていたら絶対必要な生活の基本の商品を、環境を害さず、むしろ使うことで環境に良くなる商品作ってひたすら頑張っていくから、山縣さんのようなアーティストはその世界をどんどん広げていってほしい。その両方が我々の社会には必要だと思うから。よろしくお願いします。

山縣:こちらこそよろしくお願いします。

サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題

WWD:ここからは参加者との質疑応答です。

参加者:欧州ではアパレルの廃棄に関する法規制の施行が進んでいますが、それらは無印良品の商売にどのような影響をありますか?

金井:僕たちも含めて皆が、その方向に向かないとまずいだろうと、思います。リサイクルなども含めて新しいテクノロジーを取り入れて企業とお客さんが一緒にそういう社会を作るんだ、と思います。イギリスの経済学者エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーは約50年前に「体温を保ち、着やすくて、見た目も良い服をなるべく少ない資源と労力で作るべきだ」と話しています。

参加者:創業時からサステナブルである良品計画は、それをどうやって伝えてゆくのでしょうか?伝えることは非常に重要だが、宣伝と受け取られもかねないですよね。

金井:僕らは一店舗一店舗がその地域にあり、信頼されたり、競争したりしている。(サステナブルな考え方は)コマーシャルを通じてではなく、そういった活動を地域の皆様と対話し共感の輪を拡げ、共創や協働によって伝わるのだと思います。まだ過程だが「無印良品がないと困るよ」といってもらえるところまで一生懸命に汗をかこうと思います。

参加者:山縣さんへ質問です。ルーツをコレクションやプロダクトで表現するとき、締め切りとはどう向き合うのでしょうか?最初からタイムリミットを設けてリサーチを進める?それとも自然と出来上がるものなのか?

山縣:どちらもあると思います。僕は常に発見の連続で終わりはない。ある種自分の中で旅を続けながら発展させていっている感じです。ただすべてを歴史に接続しなければならないとも思っていません。

参加者:無印良品はリーダーシップを取れる企業です。循環型社会の中で今の無印良品の取り組みは100点満点で何点?

金井:リーダーシップか、共感する場をどんどん設けて一緒に進めるかのどちらかで言えば我々は後者を選んでいます。素材、工程、包装みたいな領域ではもう済まなく、サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題。そう考えるとまだ20点、です。

参加者:山縣さんへは、ファッションがサステナビリティにおいて、できること、可能性をどう感じていますか?

山縣:ファッションデザインの社会的な役割の一つに「人間の尊厳に対するデザイン」があります。ファッションデザインの歴史を遡ると、例えば差別的なもの、見過ごされたしまった価値観にメスを入れるようなところがあります。今僕は、人間の尊厳のために「体の中の感覚と外衣としての服がもっとつながってゆくべき」だと思っていて、サステナビリティについても、例えば問われている労働環境の問題など、そのためにファッションデザインができることがあると思っています。

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良品計画会長×リトゥンアフターワーズ代表「社会・地域の課題解決とデザイン」を探る

循環型社会の実現に向けて「社会・地域の課題解決とデザイン」は大きなテーマになりつつある。とはいえ「社会・地域」という大きな主語を前に、課題も解決方法も多くの人にとってはおぼろげだ。そこで理想像や概念から具体へ進める道筋を2人のフロントランナーによる対談から探る。金井政明・良品計画代表取締役会長には同社が実践している「地域密着型の事業モデル」について、またファッションデザイナーによる社会・地域の課題解決のアクション例として山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表にそのユニークな取り組みを聞く。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

PROFILE:左:金井 政明/良品計画 代表取締役会長

1957年生まれ。西友ストアー長野(現株式会社西友)を経て93年良品計画入社。生活雑貨部長として長い間、売り上げの柱となる生活雑貨を牽引し良品計画の成長を支える。その後、常務取締役営業本部長として良品計画の構造改革に取り組む。2008年2月代表取締役社長、15年5月代表取締役会長に就任、現在に至る。西友時代より「無印良品」に関わり、一貫して営業、商品分野を歩み、良品計画グループ全体の企業価値向上に取り組む

PROFILE:右:山縣 良和/リトゥンアフターワーズ代表、ここのがっこう代表

1980年鳥取生まれ。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。07年4月自身のブランド 「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」を設立。15年日本人として初めて「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」にノミネートされる。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「ここのがっこう(coconogacco)」を主宰。19年には英国のファッションメディア「ザ・ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion)が主催する「BOF500」に選出される。21年第39回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞を受賞 PHOTO:TAMEKI OSHIRO


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):テーマである「社会課題、地域振興とデザイン」についてお二人の考え方を実際のプロジェクトを通じてお話しいただきます。金井さんからお願いします。

金井政明・良品計画代表取締役会長:「素の自分に」が基本的な考え方です。我々人間はとても欲張りな生き物です。人の目を気にして比べて妬んだり、自慢をしたりというような性質を持っています。 そこに消費社会が入り込んでくると「高級な自動車に乗って」「僕の友達はこんなスニーカー持っている」みたいなことが起きて社会がどんどん個人主義になっていく。一方で共同体、その集団と心という「社会」もある。僕らの祖先がアフリカから出た時は道具なんてほとんどなくて、心とその集団でサバイブした。僕達はもう一度、その「心と集団」という時代に向かっている。今は過渡期です。

比べたり、妬んだり、自慢したりという社会に僕達は今生きています。でも、もう一人の自分は例えば、家に帰って全部脱ぎ捨ててホッとしたい。その「素の自分」はどんな商品を選び取るのだろうか、に着目しているのが私共です。

生活の価値そのものを作りたいという思いもあり、衣料品も生活用品も、食品もと領域を多岐に広げてきました。そのデザインは色々なクリエーターに参画してもらいながら積み上げてきましたが、一般的な消費や欲望を煽るようなデザインではありません。

WWD:煽るのではなく「役に立つ」、ですね。

金井:戦略はとてもシンプルです。キーワードが7つほどあり、最初の4つ「1.傷ついた地球の再生」「2.多様な文明の再認識」「3.快適・便利追求の再考」「4.新品のツルツル・ピカピカでない美意識の復興」は創業時から変わりませんが、この対談を含めて最近改めて話をする機会が増えています。

他の3つ「5.つながりの再構築」「6.よく食べ、眠り、歩き、掃く人間生活の回復」「7.OKAGE SAMA、OTAGAI SAMA、OTSUKARE SAMAを世界語として発信」は10年ほど前から「社会にこれが足りないよね」と話しながら加えてきました。

商品は徹底的にそぎ落とした「素材」としての良品、「素の自分」が自分の考え方で生活を編集する「商品」でありたいから、「商品」が自己主張する必要は全くない。できるだけ無駄なく、環境にも良く、そして使う方の自由になる「商品」をずっと目指してきました。

店は「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」の拠点

WWD:「商品」をデザインする起点が「生活、社会」なのですね。

金井:日本は2100年には人口が約半分の6000万人になると言われています。それはどんな社会だろう?今を生きる人は誰も経験はありませんが、大正末期と同じ人口です。NHKの連続テレビ小説の「おしん」が生きた時代です。その2100年に向けて、社会がどういう社会であれば、みんなが感じ良く暮らせて幸せ感があるか、と考えて出したのが「経済と環境と文化がバランス良く支え合う社会」です。言葉を変えれば「自分のエネルギーを出し惜しみしない社会」です。

皆が自分のエネルギーを出し合う社会だと仮定して、日本も含めて世界の津々浦々にそういう拠点となるお店を作り始めています。それを今は第二創業と称して、社員が株主であり、個店経営者であり、プレイヤーである会社をぜひ作りたいと考えているところです。主人公は地域の皆さん。オーナーで経営者である超小売り人材である店舗のスタッフ達が地域に巻き込まれて一緒に社会を作りたい。それが社員の働く充足感だと思っています。

特に日本では5つのテーマ「食と農」「健康と安全」「空き家の利活用」「現代的コミュニティ」「文化・アート」を中心に取り組んでいきます。我々は間違いなく社会を変えなくてはいけない。だから若い人たちに期待をしています。

WWD:御社の社員の一人が「将来の夢は自分の故郷に無印良品の店を持ち、品出しをしている途中に息耐えることだ」と話していた理由がわかりました。生涯好きなことに夢中で誰かの役に立つ、いい人生ですね。

山縣良和・リトゥンアフターワーズ代表:僕は高校時代から無印良品のファンでしたが、当時は地元の鳥取には店舗がなくて大阪や神戸へわざわざ行ってワクワクしていたことを思い出しながら聞いていました。これから自分が話そうとしていることとは、ひょっとすると金井さんの話と全然異なるように聞こえるかも知れませんが、実は共通点が多くて嬉しい。

ファッションデザインと「心の持続可能性」

WWD:良品計画のキーワードの一つ「多様な文明の再認識」から想起するのが、2019年に上野恩寵公演噴水広場で発表した「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」のショーです。魔女をテーマにした3部作の最終章で、タイトルは「フローティング・ノマド」でした。

山縣:僕は社会の現状を自分の中に入れ込んでコレクションを制作することがよくあります。この時は、民族間の対立やその結果土地を渡り歩く人たちのことを考え、いずれ日本にもそういう人たちがやってくるだろう、とイメージしました。

WWD:主宰する「coconogacco(ここのがっこう)」も縫製や仕立てなどの服作りの技術というより社会を見つめる目を養うような性格ですね。

山縣:自分のルーツと向き合いながらファッション表現を学ぶ場所です。2008年からこれまでに1000人以上世の中に送り出してきました。最近では、卒業生である津野青嵐の作品がITS20周年記念式典本の表紙を飾ったり、セント・マーチン美術大学のサラ・グレスティ(Sarah Gresty)教授が来校したりと海外ともつながりを持っています。

WWD:技術を教えることはもちろん重要ですが、同じくらい心の持ちようを教える山縣さんの存在は貴重だと思います。

山縣:今日話したいのが「心の持続可能性」についてです。サステナビリティを考える時、物質的と精神的、両方の持続可能性が大事だと思うからです。立てた問いは「ケアメゾン、キュアメゾンは可能か?」。メゾンは家、ブランドを意味します。今よりもう少し、心に寄り添ったブランド、メゾンの活動ができないだろうか?という問いです。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為

WWD:その活動のひとつが昨年、長崎県の五島列島北部に位置する小値賀島(おぢかじま)での新作コレクションの展示・受注会ですね。

山縣:僕のルーツは長崎と鳥取です。東京藝大のゲスト講師として小値賀島でワークショップを行いました。日比野(克彦東京藝大学長)さんや学生と今も残る土地の文化や伝統、なくなったものなどをリサーチし、最終的には空き家を借りてインスタレーションやトークイベントなどを行いました。

WWD:その後それらの作品は、山梨県立美術館の展覧会「ミレーと4人の現代作家たち」で展示されました。

山縣:ミレーの絵画と同じ空間で展示する企画で、小値賀島で得たインスピレーションや衣服などを展示しました。シルクロードの玄関口とも言われる長崎と、シルクの終着地点と言われる山梨を結びつけることで、自分なりに新たな歴史のリサーチを重ねるよう意味合いがあります。自分が生まれ、暮らす場所の歴史を知り、リスペクトする。忘れ去られてしまったものの中にもある大切なものを見つめながら次へつなげてゆく。そういったことが「心の持続性」とつながると考えるからです。

最近は、サステナビリティ以上に「再生」を意味するリジェネラティブという概念が広がっていますが、自分たちが脈々と培ってきた文化や精神性にもリジェネラティブの姿勢をもって向き合うことが大事じゃないかと。だから小値賀島なり、日本なり、島の民の人間像って何だろう?と考えています。

小値賀島の近くにある無人島、宇々島は「自力更生の島」と呼ばれてきました。生活困窮者が移住し、税を免除されつつ生活を立て直しいずれ出てゆく。この仕組みは昭和30年代まで200年くらい続いたそうです。柳田國男が「困窮島」と呼んだこういったある種の共同体は、現代においてもインスピレーションとなりえる。

キュレーターであり作家、美術評論家のニコラ・ブリオーが最近「ラディカント」という本の中で、「群島の可能性」について言及しています。多くのものが融合し根付いている「大陸的」なものとの対比で、「島国的」はいろいろなかけ合わせで自己を作ってゆく旅人のような文化だと。群島で構成されている日本には、ニコラの「群島的な精神」があるんじゃないかと。

ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為でもあります。ファッションデザインを通して行う対話は自他のルーツや文化の理解や自尊心の回復、心のケアや治癒にもつながり、それが結果として未来のデザインにつながっていくのではないでしょうか。

WWD:金井さんは民族衣装にも詳しいですが今の話を聞いてどう思いましたか?

金井:ファッションの方はみな、これを辿るんですよ。浜野安宏さんも「地球風俗曼荼羅」で1980年ころに南米、アジアの民族衣装を研究して「ここに未来がある」と仰っていました。オラファー・エリアソンの現代アートは彼のルーツであるアイスランドの氷の世界が創作の原点。クリエイティブの背景はその時代や文化、伝統に加えて個人の記憶、生まれる前の記憶も含めて関係があるのでしょうね。

山縣:金井さんの「素の自分」という言葉を聞き考えたのが、和服を着てきた自分たちが洋服を着ていることである種の精神的な分断が起きているのでは?ということ。自分たちの文化、存在に尊厳、自尊心を持てなければ持続可能性がちょっといびつな形になってしまうのでは。

他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会

WWD:「地域の社会課題を解決するデザイン」が今日のお題ですが、お2人の話は多層的で深く、簡単に答えを得られるものではない、と痛感します。

金井:ファッションはある種の自己表現ですが、「他人に見られる」自己表現だけでなく、「素の自分が着たい、地球上にたった一人でもこれを着たい」も自己表現ですよね。レストランに行くときも美術館に行くときも他人からの物差しではなく「素の自分」に自信をもてる社会、それがこれから向かう先で、僕の理想でもあります。そのためには、さきほどの山縣さんの共同体の話じゃないけど地域社会も変わらないといけない。

日本には元々、人間も自然の一部だという考え方がありますが、都心よりもほかの地域の方が自然と近い暮らしをしてきたから社会を変える力は島を含めた地方にある、と考えます。だから無印良品の社員には自分で考え、地域の方と一緒に仕事か遊びか分からないぐらいの仕事をしてほしい。それが成長だし幸せだと思うから。

山縣:無印のコミュニティーは「印が無い」という響き、ひとつのイデオロギーに引っ張られないぞ、という、多層的で混ざり合うメッセージがいいなと思います。

「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点

WWD:金井さんにお伺いします。地域に入り、街の課題も可能性も見えていざ「無印良品」が店舗を出そうとするとき、具体的には何から始めてどう設計に落とし込んでいくのですか?

金井:「無印良品」の創業時のクリエイターは、10代の頃に戦争を経験し、大体ひどい目にあっている。戦争が終わり正反対の社会で彼らが何を思ったかと言えば、権力に対して疑いの眼差し、なんですよ。そして弱い物、はかない物への眼差しも鋭い。だから「無印」の発想を持てたのだと思う。その視点で地域を見るときは資本の論理だけではなく、「僕たちが役に立てそうであれば出ていく」が出発点。出ていくとうまくいかないことも現実問題としてはある。そこからが出発点でこの地域に本当に必要な品揃えって何だろうと一生懸命考える。そんなノリで出店をしています。

WWD:営業、商品の分野を率いてきた金井さんですが、地域社会の中でも「無印」の理想と利益は両立すると考えますか?

金井:株主総会でもそういう「バランスをどのように取るのか」といった質問が出ますが、肝心なことはバランスではなく、地域と一緒に汗かいて実態を作っていくこと。今は社会や価値観が大きく変わるタイミングで、若い世代が変えようと動いている。結果的には商売につながる、儲かると考えています。

WWD:山縣さんにとってファッションのデザインとは?

山縣:哲学者の鷲田清一さんは、著書「ファッション学のすべて」の中で、医学者・精神科医である中井久夫さんの、「心のうぶ毛」という言葉を取り上げています。ファッションデザインは心の内なる人間像を外側に出す行為であると考るとき、「ここのがっこう」の学生たちの作品はうぶ毛がぼふっと映えているように見える。

鹿児島のしょうぶ学園とのプロジェクトでは知的障がい者の作品を紹介しましたが、そこにも心のうぶ毛が、つまりある種の豊かさがありました。こういうファッションデザインの本質的な可能性をぼくは追及したいです。

WWD:心のうぶ毛、良い言葉ですね。暴力的に刈り取られてはならない心のうぶ毛。金井さんは心のうぶ毛は?

金井:僕は結構生えていると思う。アートやデザインの領域には、少し先を見ることができる人がいますよね。無印良品は地域に入りつつ、人間が生きていたら絶対必要な生活の基本の商品を、環境を害さず、むしろ使うことで環境に良くなる商品作ってひたすら頑張っていくから、山縣さんのようなアーティストはその世界をどんどん広げていってほしい。その両方が我々の社会には必要だと思うから。よろしくお願いします。

山縣:こちらこそよろしくお願いします。

サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題

WWD:ここからは参加者との質疑応答です。

参加者:欧州ではアパレルの廃棄に関する法規制の施行が進んでいますが、それらは無印良品の商売にどのような影響をありますか?

金井:僕たちも含めて皆が、その方向に向かないとまずいだろうと、思います。リサイクルなども含めて新しいテクノロジーを取り入れて企業とお客さんが一緒にそういう社会を作るんだ、と思います。イギリスの経済学者エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーは約50年前に「体温を保ち、着やすくて、見た目も良い服をなるべく少ない資源と労力で作るべきだ」と話しています。

参加者:創業時からサステナブルである良品計画は、それをどうやって伝えてゆくのでしょうか?伝えることは非常に重要だが、宣伝と受け取られもかねないですよね。

金井:僕らは一店舗一店舗がその地域にあり、信頼されたり、競争したりしている。(サステナブルな考え方は)コマーシャルを通じてではなく、そういった活動を地域の皆様と対話し共感の輪を拡げ、共創や協働によって伝わるのだと思います。まだ過程だが「無印良品がないと困るよ」といってもらえるところまで一生懸命に汗をかこうと思います。

参加者:山縣さんへ質問です。ルーツをコレクションやプロダクトで表現するとき、締め切りとはどう向き合うのでしょうか?最初からタイムリミットを設けてリサーチを進める?それとも自然と出来上がるものなのか?

山縣:どちらもあると思います。僕は常に発見の連続で終わりはない。ある種自分の中で旅を続けながら発展させていっている感じです。ただすべてを歴史に接続しなければならないとも思っていません。

参加者:無印良品はリーダーシップを取れる企業です。循環型社会の中で今の無印良品の取り組みは100点満点で何点?

金井:リーダーシップか、共感する場をどんどん設けて一緒に進めるかのどちらかで言えば我々は後者を選んでいます。素材、工程、包装みたいな領域ではもう済まなく、サプライチェーン全体をどうやって清流のようにしてゆくかが課題。そう考えるとまだ20点、です。

参加者:山縣さんへは、ファッションがサステナビリティにおいて、できること、可能性をどう感じていますか?

山縣:ファッションデザインの社会的な役割の一つに「人間の尊厳に対するデザイン」があります。ファッションデザインの歴史を遡ると、例えば差別的なもの、見過ごされたしまった価値観にメスを入れるようなところがあります。今僕は、人間の尊厳のために「体の中の感覚と外衣としての服がもっとつながってゆくべき」だと思っていて、サステナビリティについても、例えば問われている労働環境の問題など、そのためにファッションデザインができることがあると思っています。

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「パタゴニア」の製品開発責任者が語った「地球に責任を持つ」モノ作りの実践と葛藤

INFASパブリケーションズは12月11日、「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」を東京ポートシティ竹芝ポートホールで開催した。4回目を迎えた今回の開幕を飾ったのは、パタゴニア(PATAGONIA)のマーク・リトル(Mark Little)=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクターだ。この日のためにアメリカから来日し、「環境危機下で製品をデザインするときに必要な視点とは何か?」をテーマに、「地球に責任を持つデザインをするときに必要な視点」「製品を作る意義」「チームメンバーとの価値観共有と評価法」について自身の経験を交えて語った。(この記事はから抜粋・加筆しています)

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):まず、マークさん自身にキャリアについて教えてください。

マーク・リトル=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクター(以下、マーク):パタゴニアに入社して約12年、アパレル産業には24年近くいます。カナダで生まれ、10歳のときにアメリカに移住しました。カナダは私のアウトドアへの愛と情熱が生まれ、育まれた場所です。

私とパタゴニアとの歩みのきっかけはユーザーの一人だったこと、そして次世代のためにできることをしたいという思いから始まりました。

アパレル産業でのキャリアは2000年代、「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」の絶頂期に始まりました。そこで製品作りについて多くを学び、また、世界中の製産工場や紡績工場などに行き、製品作りのダークサイドを見ることになりました。その後、いくつかのファストファッションブランドで働き、製品の使い捨てや質の悪い製品を目の当たりにするようになり、最終的にパタゴニアで仲間を見つけることができ、地球へ情熱を捧げています。

資本主義や製造業、特に採掘資本主義がいかに気候変動危機に影響を及ぼしていて、パタゴニアがそれに対してどのように取り組んでいるかいう話をする前に、原点が非常に大切なので、パタゴニアの歴史を話そうと思います。

パーパス「故郷である地球を救う」が生まれた背景

マーク:私たちの掲げる「故郷である地球を救う」というミッションステートメントは決してマーケティングキャンペーンではなく、パタゴニアというブランドが紡いできた歴史に深く根ざしており、その歴史は1974年にイヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard )が会社を立ち上げたときまでさかのぼります。イヴォンは1970年代前半にビジネスを始めましたが、彼は、いやいやビジネスマンになったと公言しています。彼は、ビジネスマンになるためにパタゴニアを始めたのではないのです。

イヴォンもカナダのケベック州の生まれで、幼少期にアメリカ・ニューイングランド地方のメイン州へと家族で移住し、一家は羊毛紡績工場で働きだしました。メイン州での生活では、素晴らしい森林で多くの時間を過ごし、そこからアウトドアに対する情熱が生まれました。特に魚釣りにのめり込んでいきました。

WWD:パタゴニアはガレージから始まったんですか?このガレージの写真、いいですね。

マーク:これは悪名高きブリキ小屋、ティンシェッドです。この小屋こそが、のちのちイヴォンが登山用器具を作り始めるきっかけになった場所です。しかしその前に、彼の冒険好きな母親は、一家に、メインからカリフォルニアへ移ろうと説得し、イヴォンの父親が喘息を患っていたこともあり、カリフォルニアへの移住を決めます。

カリフォルニアへの旅路で、彼らは空腹の女性と子どもたちと出会いました。イヴォンの母親はこの旅に向けてたくさんの食物を準備していたので、彼女たちに食物を与えました。イヴォンにとって初めての慈善活動の経験です。この慈善経験こそが、パタゴニアの歴史の中でも重大な瞬間の一つです。

カリフォルニアでの生活でイヴォンは言葉と文化背景の違いから、多くの時間を山で小川を探したり、海に行ったりと、一人で過ごすことになりますが、高校時代に鷹狩りクラブに入部します。クラブでは鷲や鷹の訓練をする訳ですが、最終的には、カリフォルニア州で最初の鷹狩り規定の制定に一役買うこととなります。イヴォンがこの先どんな道のりをたどるのかが見えて来たでしょう?
鷹狩りクラブにいる間、イヴォンは鷹を寄せ付けずに鷹の巣に辿り着く方法を見つけました。ある日、彼がいつものように鷹を追い払っていると、シエラ・クラブ(サンフランシスコに本部を置くアメリカの環境保護団体で、アメリカの50州に支部がある)の人々に会いました。彼らはイヴォンにいくつかの登山のアドバイスを与えてくれました。そしてこの鷹狩りクラブで技を磨く中で、登山に対する愛情が育まれていきました。

イヴォンは、夏はヨセミテやワイオミングなどを歩いて回り魚釣りを、冬にはメキシコでサーフィンをしました。こうしたイヴォンの行動から、彼のアウトドアに対する深い愛情を感じていただけると思います。

その後イヴォンは鍛冶屋になる方法を独学で学びますが、これがイヴォンの方向性を大きく変えるきっかけになりました。鍛冶を学ぶことで、製品に対する熱意が芽生えました。イヴォンはパタゴニアを、登山用アパレルとしてスタートしたのではなく、登山用器具のベンチャービジネスとしてスタートしたのです。理由は、彼が納得できる上質な登山器具が見当たらなかったから。彼はピトンを自分の車のトランクで地道に販売し、そこで得た利益を登山とサーフィンを楽しむことに注ぎました。

そのうちに需要が増え、イヴォンはピトンの生産を続けて行くのですが、このタイミングで、イヴォンは品質にこだわるようになります。これがパタゴニアの歴史のキーポイント、その2です。パタゴニアが創業から“高品質が全て”とこだわり続けるきっかけです。なぜならアウトドアでは、質の悪いものは死を意味するからです。

のちにイヴォンは、彼の作る登山用器具が岸壁と環境にダメージを与えているということに気付きます。これがきっかけとなり、シュイナード・イクイップメントは、新しい形状による安全確保と、よりサステナブルな製品作りへと導かれます。私たちが“製品が環境に与える影響”を理解し取り組む最初のきっかけになりました。さらに、カタログで“クリーンクライミング”という環境エッセイを掲載することになりました。この一件こそが、環境問題への取り組みの大きな第一歩になりました。パタゴニアの歴史において、非常に辛い時代でした。

「私たちの行動自体が環境の一部であること」を学ぶ

イヴォンはまた、現在パタゴニア本社のあるべンチュラで自分自身の活動を続ける中“アクティビズム”の機会を見出しました。そんな時に周辺環境に多大な影響を及ぼすべンチュラ川の転流工事が行われると聞き、イヴォンは市役所に転流反対を訴えに行きました。これはイヴォンと会社にとっての初のアクティビズムでしたが、この行動のおかげでべンチュラ川の転流工事は取りやめとなり、「1% for the planet」(収益の1%を地球のために)というプログラムを始める着想源にもなりました。パタゴニアが「アクティビズム」「品質」「環境へのインパクトについてこだわり続けている」という3点を知っていただくためにお話しました。その後アパレル分野に進出し、「シュイナード・イクイップメント」から登山用アパレルの会社になりました。

私たちは製品を生産する中で、気候に及ぼす影響の大きさを知り始め、製品作りの方向性を大きく変えることになります。私たちの行動自体が環境の一部であるということを学び、地球温暖化と生態系の破壊の規模について知り、それに対して私たちがどう貢献できるかを確かめていきます。私たちは企業として、真剣かつ献身的にビジネスのあり方を変えるつもりで挑みました。自社製品を、より害の少ない材料を用いて生産し、収益の1%を地球を守るための活動に寄付し始めました。そして、パタゴニアはカリフォルニア州初のベネフィットコーポレーションになります。

近年では、パタゴニアはミッションステートメントを、「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」、と改訂したことはみなさんもご存知のことと思います。これは、デザイナー、生産プロセス担当、経理担当……、会社のどの部署で働いているかに関わらず、パタゴニア社全体の意思決定の指針となります。私たちが毎日目を向け、どのようにビジネスに取り組むのかを定めた指標なのです。

「メーカーとして故郷の地球を救う」意味

WWD:その辺りはこの後さらに掘り下げさせていただきます。

マーク:以前のミッションステートメント「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」では十分ではありませんでした。私たちは、アクティビストをサポートするだけの企業から、アクティビスト主導の企業へと倍増し、進化したかったのです。これが、製造と資本主義におけるパタゴニアの役割、そして「地球を救うためにビジネスを営む」という私たちのビジネスの柱に繋がって行く訳ですが、では、これは何を意味するのでしょうか?「メーカーとして故郷の地球を救う」とはどういう意味でしょうか?

私たちは、気候変動が私たちの生活を脅かしていることを理解しています。私たちは、世界規模の採取主義的な経済がこの危機の根本原因であることを理解しています。私たちは、消費主義が環境破壊の原動力になっていることも理解しています。私たちはパタゴニアがこの問題に関与していることを自認しています。

したがって、パタゴニアの次の段階のアクションは、「不必要な危害を誰にも加えないこと」から、「”危害を加えないこと”以上の努力をすること」になりました。私たちは、たとえ資本主義経済の中であっても、商品消費型のビジネスが広義において非採取主義的になれる可能性があることを証明するために取り組んでいます。

WWD:ルーツが大切であると杭が打たれました。売れていたピトンが環境に影響を与えていたと理由から売るのをやめたのは、相当勇気が必要な判断でしたよね?

マーク:ええ、流れのままに進むということです。イヴォンとチームメンバーが持っていたリーダーシップと先見の明の結果であり、彼らは製品製造が引き起こす影響を理解していました。登山用品は生死が関わりますので、品質が最重要だったことは明らかです。

より大切なポイントは、シュイナード・イクイップメントの初期の頃からずっと、ビジネスの優先事項は製品の品質より何よりも生産している商品が環境に及ぼす影響について考えることで、それが私たちパタゴニア気質の基盤であり、ビジネスを始めた日からずっと変わらないということです。

イヴォンは誰が働くとかそういったことは全く気にしていないのです。彼が気にかけているのは正しい行いをすること。繰り返しになりますが、彼がビジネスをするのはお金を得るためではなく、登山とサーフィンにはまったからです。

新しい資本主義を体現するための新体制発表から変わったこと

WWD:上手く行くかどうかは分からなかったけれど、「正しいことをしたい」と思った。今日の名言を胸に刻みましょう。今日は3つのテーマについてお話いただきます。1つ目はパタゴニアが目指す新しい資本主義と新体制での製品作り、2つ目は製品を作る意義、3つ目はチームメンバーとの価値観共有と評価法です。まず1つ目の「地球が唯一の株主になる」と聞いた時、マークさんはどう受け止めましたか?

マーク:衝撃を受けました。昨日のことのように覚えています。私たちは全員“キャンパス”(パタゴニア本社)に集合しました。パンデミックが明けたばかりの頃で、数年ぶりに全員が直接顔を合わせたタイミングでした。そして、誰も発表の内容を知りませんでした。元 CEO の皆さんを含む初期メンバーが姿を現し始め、どうやら何か大きなことが起こっていると、とても興奮しました。新体制発表のタイミングは、私たちの創立50周年でもありました。ちょうど次の50年を視野に入れ23年秋コレクションに取りかかり始めた非常に意味のあるタイミングでした。「最初の50年間で学んだことは何か」「継続したい物は何か」そして「やめたいことは何か」について熟考しながら次のチャプターに進みたいと考えました。そしてイヴォンとシュイナード家の決断は次の 50 年に向けた大胆なアプローチ方法であると感じました。

株式譲渡について最も意義深い点は、会社を地球に委ねるという点です。地球は厳しい上司です。母なる地球、彼女と一緒に働くのは本当に難しいです。私が“キャンパス”を歩き回ると木々に怒鳴られたり、風に飛ばされた葉っぱが私に当たったり、地球はイヴォンよりもさらに働くのが難しい相手です。

イヴォンとシュイナード家はオーナーシップを 2つの組織に譲渡しました。そして重要なことを言及させていただきますと、私たちは「1% for the Planet」を通して、常に収益の 1% を寄付し続けてきました。私たちは気候危機において十分な推進力を発揮できていないと感じていました。これらを深慮した結果、2つの組織を新たに設立し地球を唯一の株主として据えたわけですが、これはビジネスに再投資されなかった全ての利益が地球に分配されるということを意味します。これは非常に壮大な規模の話です。

自然から採った価値ある原材料、それを株主の富に変えるという今までの方法ではなく、私たちはビジネスで得られる富――つまりパタゴニアの富を、原材料の源である母なる地球の創造と保護に役立てるのです。パタゴニアは、株式公開する代わりに、パーパスを遂行した訳です。これにより、気候と生態系の危機を保護し、永久に戦うことができます。いいと思いませんか?

WWD:この新体制はモノ作りの責任者であるマークさんにとっては、地球に責任を持つ製品作りというとんでもなく大変な役割が求められている訳ですよね。製品をデザインする時に必要な視点について教えてください。

マーク:私たちの製品デザインの哲学をお伝えするのにちょうど良い前フリになりましたね!“キャンパス”の正面玄関に刻まれていて、私たちがいつも目にするものであり、そしてこの発表とともに強烈に思い起こされた言葉をご紹介します。シエラ・クラブのエグゼクティブディレクター、デイビッド・ブラウワー氏の言葉で「死んだ地球からはビジネスは生まれないです。死んだ惑星ではビジネスが成り立ちません。これらは、製品開発チームの私たちにとっては常に最優先事項です。けれど、技術的には大きなプレッシャーですよね?私たちは、矛盾するものを一切作りたくないメーカーになってしまった訳ですから。私たちは、製品作りをする時点で矛盾しているのです。

マーク:この図は「故郷である地球を救う」ために私たちが取り組んでいる事業の核心、「地球が唯一の株主である」ということを要約したものです。製品開発やその他のビジネスを行うときのアプローチについての重要な柱です。パタゴニアは地球上の生命のために従事し、自分たちが作ったもの全てを保証します。私たちは人々の情熱を功績として残します。私たちは草の根活動を支援します。私たちは衣類を修理し、再販を経て、利益を地球に還元します。

「採取主義的資本主義の製品製造・販売は正当化できない」ことを強く問い、模範となるために

WWD:分かりやすい図ですね。

マーク:私はこの図が好きで、時々カンニングペーパーとして持ち歩くこともあります(笑)。

では、この図は製品および製造面において何を意味するのでしょうか?私たちは故郷の地球を救うために製品を作っていますが、これは少し矛盾しています。なぜなら、私たちが何かを作るときは常に、何かを搾取していることになるからです。私たちがパタゴニアにいる理由は、私たちが行う全てのことで模範を示し、先頭に立つことです。私たちのパーパスは、採取主義的資本主義の製品開発と販売を営むことは、もはや正当化できないと強く問うことです。

製品開発でも、単に害を減らすだけでなく、それ以上のことを行う必要があります。パタゴニアが行うことは全て問題解決の一部であり、本質的な問題を解決することに重点を置いています。したがって私たちは最良な素材に重きを置いています。最良の素材とは、例えば、環境再生型有機農業、リサイクル合繊、廃棄された古着の活用などです。当社は優れた品質だけではなく、製品の終着点まで見据えて生産を行っています。

私はこのデザイン哲学に辿り着き、これに基づいて取り組んでいます。私たちは仕組まれた緊張の世界に住んでいます。パタゴニアは基本理念に沿わない物は何も作りたくないと考え、製品の品質保持が私たちにできる最も重要なことだと信じています。私たちはファッションのトレンドなど気にしていませんし、トレンドを追うことはパタゴニアの価値観とは異なります。

大好きな文章がひとつあります。「完璧さとは、これ以上追加するものが何もない時に達成されるのではなく、これ以上取り除く物がないときに達成されるのです」(サン=テグジュペリ)。これは私たちの製品作りへのアプローチにも当てはまるもので、より少ないリソースでより多くのことを実現しようとするものです。私たちは、「禅」のスタイルと「シェーカースタイル」(シェーカー教徒たちのインテリアを模したシンプルかつ機能的なスタイル)のシンプルさに基づいて、必要かつ便利でなければ作らないという設計哲学のもと、日々活動しています。しかし、製品が必要な物かつ役に立つ便利な物なのであれば、ためらわずに美しく製作しようーーこれがパタゴニアの第一のルールです。

「品質とはすなわち環境問題である」、品質を重視する理由

次のトピックは「品質」です。今日の話の中で、皆さんに記憶して欲しいことがたった1つあるとすれば、この言葉に尽きます。「品質とはすなわち環境問題である」ということです。

たとえどんなに環境に配慮した材料を使用しても、使い捨て製品を製造すれば、その素材がもたらす利益を軽減してしまうことになります。ですから製品は、どのような品質であるかが重要なのです。安価な製品は祖末に作られ、すぐに捨てられてしまう。つまり人々とこの地球に多大なダメージを与えていることになります。したがって品質こそが現在パタゴニアが心底強化していることであり、活動の中核なのです。

WWD:「製品を作る意義」について。製品を通じてサプライチェーンを変革されていますが、その具体例を教えてください。

マーク:はい。私たちはこれから作る製品について考えるとき、「その製品を作ることでどのような問題を解決しようとしているのか」をしっかりと理解したうえで製作に入ります。それぞれの製品が貴重な資源を使用して作ることを熟知しているので、目的、機能性、そして長持ちすることを考え抜いてデザインをします。そうしたデザインの基礎となる品質こそが、製品寿命を高めるためのキーとなるので、先ほど品質の部分について何度もしつこくお話してしまいました。

解決すべき問題が見つかった製品は、さらに製品寿命や使用する素材など、どのようにアプローチすべきかを熟考します。耐久性と機能性、長持ちするかの3点がデシジョンツリー(決定木)を作成する際の中核になります。

これから解決すべきは「製品の終着点について考慮すること」

マーク:低品質製品の問題点は、使い捨ての観点で考えられていることです。私たちは一時的なトレンド、計画的陳腐化の道をたどっています。ファストファッション、大量消費主義――人々は過剰に生産し、不必要なものを過剰に消費しています。再生不可能な資源を使用し、有毒化学物質、環境汚染、(生産に際して)使われるエネルギーの量、水の使用などの問題があります。そしてさらなる問題は、ただ「要らなくなったから」と捨てられてしまう、使い捨て製品から発生する産業廃棄物です。製品の終着点について考慮されていない、リサイクルも堆肥化も不可能な廃棄物です。これらが解決すべき問題点です。パタゴニアがこうした問題に対して何を行っているのか、あるいはそうした問題への解決策の取り組みとして修正したキーポイントが2点あります。それは私たちと「製品」との関係性です。

1つ目は、可能な限りリサイクル原料を使用して、耐久性があり、長持ちする、高機能な製品を製造すること、2つ目は、耐用年数が終了した衣類を修理、再利用、またはリサイクルする取り組みです。製品をデザインするときに、これら2つについて考えます。独自のデザイン価値を備えた製品を生み出し、品質を重視しながら、一時的なトレンドを追うのではなく、タイムレスな製品をデザインしています。

私たちは大量消費主義について考えていますが、これがおそらく次の大きなテーマになるでしょう。ところで、パタゴニアが行った「このジャケットを買わないでください」というキャンペーンを覚えていますか?「ジャケットを買いに来ないでください」と言うのはビジネスとして少し変わっていますよね。しかし結局のところ、パタゴニアの製品作りと同じように、消費者の皆さんには「自分は本当にそれを必要としているのか?」と考えてもらいたいのです。私たちは接客で、「このジャケットがご希望ですね?承知しました、環境に配慮した最新バージョンを提供させていただきます。けれど、ちょっと立ち止まって新しく買う必要が本当にあるのかを考えてください」と言った会話を始めています。従来型の「物との関係のあり方」を変えることで、カスタマーを消費者からパタゴニアのコミュニティに取り込みつつ、行動変容を促すことができるのです。

またパタゴニアのコミュニティでは、”Need less”(新規購入を減らす)手段として、簡単かつ楽しい方法を提案したいとも考えています。そのため、デザインと製品製作チームに多目的なワードローブやレイヤリングシステム、買い換える必要のない時代を超越した製品をデザインしてもらおうと考えています。

パタゴニアが製品作りで取り組む具体的なアクション

WWD:具体的なアクションについて教えてください。

マーク:パタゴニア製品に使われている素材に対する解決策について少しお話します。パタゴニアは過去40数年にわたって、非常に堅固なSER(社会環境責任)方針を構築しました。そしてそれは、2025年に向けた当社の戦略的取り組みの一部でもあります。そのキーとなる2点は、世界中のコミュニティに投資をすることと、パタゴニアのパートナーたちを“ファミリー”の一員として真剣に考えることです。私たちにとってパートナー企業は製品の延長線上にいる人(ビジネス上だけの関係性)ではなく、“ファミリー”なのです。

そのためにパタゴニアでは25年に向け、優先材料の使用率を100%にすることを目標にしています。また一方で、化学物質の永久排除に向けても投資しています。DWR(durable water repellent/耐久撥水)は永久化学物質の一種ですから。それとは別に染色では、製品の核となるカラーバリエーションで、”エバーグリーンカラー”と呼ばれる、合成繊維向けの染料の中では環境への悪影響が非常に低い染料を、全ての色味で100%使用できるように取り組んでいます。また、残端などの布地の廃棄物でリサイクル100%を目指しており、合成繊維の 50%で二次廃棄物を使用できるように取り組んでいます。

以上がパタゴニアの推奨する環境に配慮した素材であり、社会的および環境的責任の遂行を支える柱です。これが、私たちのモノ作りにおけるアプローチ方法です。また天然繊維の使用では、革新的農業技術を使った素材、具体的には、オーガニックコットン、コットンインコンバージョン・コットン(有機栽培に変換するための、移行期間中に生産されるコットン)、そしてリジェネラティブ・オーガニックコットン(環境再生型有機農法によるROC認定コットン)を使用しています。

合成繊維の二次廃棄物活用では、パタゴニアは長年、ほとんどの製品でリサイクルポリエステルを使用してきましたが、今は次のレベルに引き上げ、指針としてきたリサイクル素材だけでなく、埋め立て地に送られる産業廃棄物や海洋廃棄物の回収・使用に乗り出そうとしているところで、これらが私たちの言う「二次廃棄物」です。

そのために次のような企業と提携しています。ナイロン素材では、廃漁網の再利用の提携をブレオ社と、ポリエステル素材ではペットボトルの活用をバイオニックと協働しています。彼らとプラスチック廃棄物を再利用するための地域廃棄物管理システムを構築しました。道路や海岸にリサイクルステーションを設置し、海岸清掃キャンペーンや地域社会への働きかけを組織化し、分別、こん包、粉砕のための集中施設や、地元企業、学校、その他の機関への回収ルートを整備しました。一旦ペットボトルが海に流れ込んでしまったら、手の施しようがないですよね?すぐさま海に沈んでしまい、利用できなくなります。そして、社会的責任の遂行が鍵となります。

リサイクルウール素材とリサイクルコットン素材は、本格的に研究を始めているもう1つの分野です。この2つの素材の素晴らしい点は、すでに色が付いているため染色する必要がないことが多く、分別プロセスが進むにつれて、埋め立て地から転用できるだけでなく、ゴミとして終わらせず、継続的な再利用が可能になるかもしれないという点です。

そして最後に、私たちは化学物質とは永遠に別れを告げます。25年までに、パタゴニア全製品でPFC(有機フッ素化合物)フリーを達成します。今後この規制がカリフォルニア州やアメリカだけではなく欧州で、そして究極的には全世界で実施されていきます。

パタゴニアのゴール達成に向けての進捗について少しだけ話します。23年の秋冬コレクションで使用素材の 91% を環境配慮素材にすると掲げた目標は無事に達成されました。25年までに、ダウンは全て責任を持って調達された物を使用します。つまり、卵に至るまでどこから来たのかを把握し、もし新たにダウンを使用する場合はその調達ルートから来るバージンダウンを使用します。実際のところ、古い掛け布団や枕などの寝具から出たリサイクルダウンを使用している場合がほとんどです。

そしてみなさんご存知のようにコットン素材では1996年以来、100%オーガニックコットンを使用しています。環境再生型有機農業やコットン・イン・コンバージョンを引き続きサポートしております。

結果的に25年までに、私たちは目標をほぼ達成しつつあることになります。そして世の常ですが、最後のほんの少しが最も困難とはなりますが、目標の 97% は達成されることになるでしょう。これは困難な課題を乗り越えたという点で、「多大なる功績」と言えるでしょう。

価値観の共有と評価法

WWD:本当に困難な道だと思います。これだけの具体的なアクションを重ねてもなお100%になり得ず、まだ3%残っているという事実に驚かされます。3つ目のテーマ「価値観の共有と評価」について、マークさんがどんなリーダーシップを発揮されているのかお聞かせください。

マーク:実際のところ、パタゴニアではとても簡単だと思います。なぜなら、パタゴニアに入社する人は皆、ミッションステートメントを信じてやって来ます。私たちにとってはこの点が唯一にして最重要な評価ポイントです。もちろん、それでも私たちはビジネスを営んでいるわけですから、目標があり、生き残るために売り上げの必要指標があります。しかし、売り上げは私たちを日々動かす原動力ではありません。パタゴニアの原動力はあくまでも「地球」なのです。そして、生きている者にとっても亡くなった者にとっても、パタゴニアに属する皆にとって大切なのは私たちのミッションステートメント「地球を救うためにビジネスを営む」というただ1点なのです。私たちは常にそれを従い自己評価をしています。自分たちがここでやるべきことは何かを理解したうえで出勤する訳ですから、非常に簡単です。スッキリ明快、目的はたった1つなのです。つまり、パタゴニア社員となったその日から、私たち全員が同じ方向を向いています。

ビジネスを通して「地球全体を救う」ために最小限の害で最高の製品を作り、他のビジネスにインスピレーションを与えるなど、どんなに大きな仕事を成し遂げたことも、原点にあるのはミッションステートメントなのです。

また、お客さまに私たちのコミュニティに参加してもらうことは、私たちの核となる価値観であり重要なことでもあります。そして私たちは可能な限り製品やクリエイションに責任を持ち、系統的かつ客観的にどのような種類の製品を作るかを見極めていきます。そしてお客さまにもそのソリューションに参加していただきたいと考えています。

「コモンスレッズ・イニシアティブ」(パタゴニア社の商品回収プログラム)は、共同的プロジェクトという点で、自分自身を称えたい取り組みのひとつです。この取り組みは再考することの大切さを改めて知る良い機会となりました。繰り返しになりますが、私たちと「物」との関係をもう一度考えてみましょう。欲しいと思う気持ちを減らし、修理・再利用・リサイクルの可能性についてもっと考えましょう。

それから、ただ消費、消費、消費と新しい物を買い続けるのではなく、ぜひ中古品を購入していただきたいです。実は、2013年のファッション・ウィーク中に(製品を長く使うためのプラットフォーム)「ウォーンウエア(WORN WEAR)」をローンチしました。「製品」との関係性を考える意味で、消費者をソリューションの一部として招待した形となったわけですから、パタゴニアのコミュニティにとって大きく評価すべきことと言えます。新しい物を買うのであれば、その製品が長く使えるかどうかを考えてください。手持ちの洋服で、どこかが破れたり、ボタンをなくしてしまった場合は、捨てたり新しい物を買わず、修理することを考えてください。私たちは、顧客が訪ねて来て修理を継続できるよう、顧客とコミュニティとの関係を築き始めています。

WWD:評価についてもう少し教えてください。何をしたら褒められるのか?何をしたら褒めるのかなど具体的なことはありますか?

マーク:利益を逃したのに賞賛されるという状況を理解するのはきっとみなさんには難しいでしょうね。この事実を正しく理解するのに苦労しているようですから。確かに、私たちはビジネスを継続できるように努力し続け、利益を上げる必要があります。しかし、です。パタゴニアでは「利益目標を達成できたこと」よりも、「フェアトレード認定工場を導入したこと」が賞賛される可能性があります。パタゴニアはそんな会社なのです。

(そのような方針でも)会社はかなりうまくいっています。私たちは、このような型破りな考え方でも利益を上げられることを50年間にわたり証明してきました。ですので、私がお薦めしたいのは、伝統的な資本主義の評価を捨て、健全なコミュニティと健全な地球について考え始めること。ビジネスにとって有益なはずです。確かに現実的には物を売ってお金を稼がなければなりませんが、実際に毎年どのくらいの成長が必要ですか?どのような品質の製品を世に出していますか?顧客との関係はいかがですか?

そしてパタゴニアは、かなりフラットな組織です。上下関係はそれほど大した問題ではありません。私たちはお互いを上司と部下として考えていません。私たちは自分たちを家族であり、ひとつの目的を持ったコミュニティであると考えて入社します。施設内に託児所を完備しておりますので、自身の子どもと一緒にランチを食べることができます。私たちはお互いの子どもたちの叔父と叔母です。そして私たちは実際に、健全なコミュニティを通して健全なビジネスを営むことが可能であることを証明しています。

WWD:羨ましいですね。大きな家族の中で仕事をしているーー今までの会社組織の考え方と異なり、そもそも会社の在り方が変わってきている中で、評価法がどうかという固定概念が当てはまらないと感じました。最後にマークさん自身の仕事のやりがいについて教えてください。

マーク:私はパタゴニアのミッションステートメントを信じていますし、登壇の機会に話してしまうと陳腐に聞こえるかもしれませんが、パタゴニアにいる全員が皆、自分たちのしていることを信じていると思います。変化を起こし、革命を起こすには、既成概念にとらわれずに考える必要があり、システムの規範を打ち破る必要があります。私たちは株の利益と成長に左右されるシステムに囚われてしまっていますから。

私が“使命を持って働いている”という事実をも超えて、いそいそと毎日仕事に熱心に取り組むのかというと、同僚たちを心から近しく思い、敬愛しているからです。私はこのチームのメンバーの一員として、社会の既存の構造を覆す役割を果たし、新しい消費方法を!と人々を教育し、揺さぶる機会を得ている訳ですが、この活動こそが、私にとって本当にエキサイティングなのです。

私は若い頃から現在に至るまで、常にちょっとしたアナーキストであったと思います。私を見てください。年を重ねてもパンクロッカーであり続けるための、正しい見本みたいでしょう?パンクロッカーであり続けることが、将来の世代にとって本当に良い利益をもたらすこと、そして、それが世界をより良い場所にすると願っています。ですから、私たちの秘伝のソース(おまじない)はいつだって常識にとらわれないこと。革命を起こすには勇気が必要ですが、どうぞ恐れないでください、私たちはそれを支援するためにここにいるのです。

WWD:ありがとうございました。では会場のみなさんから質問を受けたいと思います。

アクティビズムの役割、アプローチ法について

質問者1:私は日本人ですが、カナダに住んでいて、アメリカにも住んでいたので、すでに少し繋がりを感じています。 2016~ 20 年までニューヨーク市にいたのですが、この期間は、破壊的なアメリカの歴史を経験した瞬間だったと思います。今日のアメリカ社会の形成において、そして地球規模の環境問題全般において、アクティビズムがどのように大きな役割を果たしているかを教えてください。アクティビズムを推進することは、ある種の政党間の対立を感じることにもなると思います。アクティビズムの目的とは人々を一つの場所にまとめることにあります。例えば、本質的に対立している人や、相手を負かせられるくらいの説得力を持つ人々を、どのように予測してどのように巻き込みますか?より良い未来のために全ての人を含めるという観点で、マークさんがビジネスとどのように関わっているのかを知りたいのです。

マーク:素晴らしい質問ですが、なかなか厳しい答えになりますね。私の回答は、私たちはおそらく、歩みを進める中でナビゲートすることを同時に学んでいる、とお答えします。

結局のところ、私たちの最大のメッセージは、気候危機からしてみれば、あなたが誰であるかはどうでも良いということです。地球が滅亡したら、私たち皆いなくなってしまうのですから。では私たちが直面していることに関して、十分に破壊的なメッセージを作るにはどうしたら良いのでしょうか?

それはコミュニティから始まりますが、コミュニティ内の全ての人々をどのように教育し、影響を与えることができるのでしょうか。世界のどこに行っても同じような状況とは思います。特定の名前を挙げるのは控えますが、特に米国では、非常に異なる見解を持つ非常に異なる政党間で、多くの物議を醸す議論が行われてきました。しかし、私たちパタゴニアが学んでいることは、より保守的に票を投じたり、共和党に傾く傾向があるコミュニティだったりしても自然保護活動家がたくさんいて、アウトドア活動にも参加しているということです。

私たちにとっては、最終的には環境政策に興味があり、それが私たちの目指すところです。そして、私たちはそのメッセージができる限り包摂的であるように努めるつもりです。しかし、例えばあなたが私たちと働いていて、イヴォンが「この地球を救うことに死ぬ気で取り組んでいる」と言っているのを聞いたとして、もしもあなたがイヴォンほど真剣に問題に取り組めないのであれば、あなたに構っている時間はありません。私たちは私たちでさらに努力を続けて行くだけです。

質問者1:共通認識を持つことが鍵、と言うことでしょうか。

マーク:はい、そうです。

パタゴニアの社員になる方法

質問者2:パタゴニアの社員になるためにはどうしたら良いのですか?また、必要とされる条件はありますか?

マーク:あなたの履歴書をいただけますか?そこから始められますよ!(笑)。どういう訳か、私もここに辿り着けたのでそんなにハードルは高くないと思うのですが…。冗談はさておき、真剣にお答えいたしますと、気候危機に対するあなたの情熱、全てはそこから始まります。そしてパタゴニアのミッションステートメントを信じていて、それについて何かをしたいと考えている人が求められています。そこが始まりです。役割や資格、経験レベルによって異なりますが、私たちは常に外部から人材を迎え入れようとしています。私が会社に還元できたことは、よりトラディショナルな(経営方法の)ファッションアパレルとファストファッションでの経験でした。その経験からビジネスの汚い側面も知っていましたが、その点で変化を起こしたい、過去に習得したスキルをパタゴニアで活かしたいと思っていました。それらのスキルを良い方向でパタゴニアに上手く持ち込んで活用できたらと思っていました。

夜寝るときに鏡の中の自分を見て、「一晩で全ての問題を解決できるわけではないんだ」と思ったとしても、今は、少なくとも鏡の中の自分を(自信を持って)見ることができます。そしてチームメイトも私と同じ状況のはずで、彼らも自分と同じように地球にいいことをしようとチャレンジしているはずだ、と思えるのです。

製品作りで最も大変でチャレンジなこと

質問者3:プリファードマテリアルのお話を伺い、とんでもなく大変なことだと思いました。実際にそういった素材を、探して、見つけて、使えるかを確認して、デザインして、作って、届けて、LCAも計算して売るというサプライチェーンは大変だと思うのですが、一番大変でチャレンジングな点は何かを教えてください。

マーク:素晴らしい質問ですね。最も責任ある素材であるかを確認することが常に重要ではあるのですが、同時にそれは難しいことでもあります。繰り返しになりますが、品質について考えることで、バランスが取れるのです。

1つ簡単な例を挙げます。リサイクルコットンは、埋め立て地からのコットンを完全に転用できるので、本当に楽しみな素材です。一方で、私たちはリサイクルの過程で糸が短くなってしまうため、品質が低下することを学びました。そこで、リサイクルコットンとオーガニックコットンをブレンドして、その品質と寿命を長くする方法を学ぶことが課題になりました。社内にはこの課題に専念しているチームがあります。

ここにいるあなたにお伝えできることは、ぜひパタゴニアをリソースとして頼ってみるのはどうですかというご提案です。パタゴニアは資料を自分たちだけのために抱え込むことに興味はありません。問題の解決にならないからです。品質レベルを維持するために責任ある素材をどうやって得るかといった課題のいくつかは、私たちが長年にわたって学んできたことです。

サステナビリティを本当の意味で理解して進むために必要なこと

質問者4:パタゴニアの、地球で暮らして行くことをパーパスに掲げてモノ作りをしていることは、アパレルだけでなくモノ作りをする企業にとって目指すべきパーパスだと思うのですが、サステナビリティという言葉だけが一人歩きしている気がしています。日本の企業がパタゴニアのように本当の意味でなぜこれをやらなければならないかを理解し、進んで行くためには何を変えて行くべきだと思いますか?

マーク:リーダーシップから始まります。人々から始まります。それぞれのブランドのリーダーがすぐに態度を変えなければ、時代の声に耳を傾けなければ、消費者も従業員も他の場所に行ってしまいます。消費者は私たちブランドが「地球として向かうべき方向だ」と信じている場所に(一緒に)行きますが、それは(このままでは)あまり良い場所ではありません。

それを理解して、少しずつ変えていかなければなりません。私もかつて変化が遅かったり、ビジョンがなかったりするブランドにも所属してきました。最終的には、自分と一致する価値観を核に掲げるブランドに行かなければならないかもしれません。それが私も最終的に選んだ手段であり、そうして別の形で影響を与えました。または、自分のブランドから働きかけるか、ですね。リーダーシップから始まりますが、この考え方において進歩的なパタゴニアでも、大きな神的な変化が起こりました。

私は人々の多くが、良い方向に向かうことを望まないリーダーシップに不満を抱いていることを知っていますし、これまで話してきた多くの人々の現実でもあります。
満足してもらえる回答ではないかもしれませんが、声を上げ、内部で変化を起こそうと努力し続けることが始まりであり、最終的には、そのブランドが目指す方向性とあなたの目指す方向性が一致するかどうかの岐路に立つタイミングがやってくるでしょう。

(質問者を探している間に…)
マーク:今日ここに来てくださった皆さんは大きな一歩を踏み出した、とだけ言わせてください。そして、パタゴニアがその一歩をサポートするためにここにいることを知っておいてください。変化はごく少数の人々から始まります。少数でも、変化に参加させるべく他者に働きかけることができるのは驚異なのです。ですから自分の会社に不満がある場合は、デザインや製品に携わる人々、さらには会計に携わる人々であっても、少人数でも社内で変革を起こすことができます。これが私からみなさんへの本日の励ましの言葉です。

50年存続できた理由は「品質と透明性」

質問者5:資本主義を変えようとしている企業が資本主義社会で50年続けられた理由は何だと考えますか?

マーク:良い質問ですね。お客さまが当社の存続に投票してくれたのだと思います。私見ですが、50年も存続できたのは私たちが築き上げてきた信頼性によるものだと思います。それは、第一に品質、次に透明性です。私たちは完璧ではありません。ずっと完璧ではありません。私たちはパンデミックの間に起きた品質問題にいまだに悩まされているくらいです。

私はパタゴニアで働く以前から、顧客としてブランドを知っていました。パタゴニアが最高の製品を作っていると知っていたので、信頼していました。それが彼らに対する私の忠誠心を築いたのです。確かに値段は高かったですが、一度そのジャケットを手に入れたら(長持ちするので)、もう次のジャケットを買う必要はないとわかっていたので、お金を貯めて購入していました。それは環境に配慮した素材が使われる以前の製品です。

顧客たちは、私たちがおオフィスからお金を出して、それを地球に還元しているのを実際に見ています。50周年を迎えるにあたり、これ以上にお伝えできることはありません。 私たちは地球に会社を差し出したのですから!

WWD:以上、「環境危機化でのモノ作りとデザイナーの役割とは」を終了させていただきます。マークさん、ありがとうございました。

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「パタゴニア」の製品開発責任者が語った「地球に責任を持つ」モノ作りの実践と葛藤

INFASパブリケーションズは12月11日、「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」を東京ポートシティ竹芝ポートホールで開催した。4回目を迎えた今回の開幕を飾ったのは、パタゴニア(PATAGONIA)のマーク・リトル(Mark Little)=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクターだ。この日のためにアメリカから来日し、「環境危機下で製品をデザインするときに必要な視点とは何か?」をテーマに、「地球に責任を持つデザインをするときに必要な視点」「製品を作る意義」「チームメンバーとの価値観共有と評価法」について自身の経験を交えて語った。(この記事はから抜粋・加筆しています)

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):まず、マークさん自身にキャリアについて教えてください。

マーク・リトル=メンズ・ライフ・アウトドア グローバル・プロダクト・ライン・ディレクター(以下、マーク):パタゴニアに入社して約12年、アパレル産業には24年近くいます。カナダで生まれ、10歳のときにアメリカに移住しました。カナダは私のアウトドアへの愛と情熱が生まれ、育まれた場所です。

私とパタゴニアとの歩みのきっかけはユーザーの一人だったこと、そして次世代のためにできることをしたいという思いから始まりました。

アパレル産業でのキャリアは2000年代、「アバクロンビー&フィッチ(ABERCROMBIE & FITCH)」の絶頂期に始まりました。そこで製品作りについて多くを学び、また、世界中の製産工場や紡績工場などに行き、製品作りのダークサイドを見ることになりました。その後、いくつかのファストファッションブランドで働き、製品の使い捨てや質の悪い製品を目の当たりにするようになり、最終的にパタゴニアで仲間を見つけることができ、地球へ情熱を捧げています。

資本主義や製造業、特に採掘資本主義がいかに気候変動危機に影響を及ぼしていて、パタゴニアがそれに対してどのように取り組んでいるかいう話をする前に、原点が非常に大切なので、パタゴニアの歴史を話そうと思います。

パーパス「故郷である地球を救う」が生まれた背景

マーク:私たちの掲げる「故郷である地球を救う」というミッションステートメントは決してマーケティングキャンペーンではなく、パタゴニアというブランドが紡いできた歴史に深く根ざしており、その歴史は1974年にイヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard )が会社を立ち上げたときまでさかのぼります。イヴォンは1970年代前半にビジネスを始めましたが、彼は、いやいやビジネスマンになったと公言しています。彼は、ビジネスマンになるためにパタゴニアを始めたのではないのです。

イヴォンもカナダのケベック州の生まれで、幼少期にアメリカ・ニューイングランド地方のメイン州へと家族で移住し、一家は羊毛紡績工場で働きだしました。メイン州での生活では、素晴らしい森林で多くの時間を過ごし、そこからアウトドアに対する情熱が生まれました。特に魚釣りにのめり込んでいきました。

WWD:パタゴニアはガレージから始まったんですか?このガレージの写真、いいですね。

マーク:これは悪名高きブリキ小屋、ティンシェッドです。この小屋こそが、のちのちイヴォンが登山用器具を作り始めるきっかけになった場所です。しかしその前に、彼の冒険好きな母親は、一家に、メインからカリフォルニアへ移ろうと説得し、イヴォンの父親が喘息を患っていたこともあり、カリフォルニアへの移住を決めます。

カリフォルニアへの旅路で、彼らは空腹の女性と子どもたちと出会いました。イヴォンの母親はこの旅に向けてたくさんの食物を準備していたので、彼女たちに食物を与えました。イヴォンにとって初めての慈善活動の経験です。この慈善経験こそが、パタゴニアの歴史の中でも重大な瞬間の一つです。

カリフォルニアでの生活でイヴォンは言葉と文化背景の違いから、多くの時間を山で小川を探したり、海に行ったりと、一人で過ごすことになりますが、高校時代に鷹狩りクラブに入部します。クラブでは鷲や鷹の訓練をする訳ですが、最終的には、カリフォルニア州で最初の鷹狩り規定の制定に一役買うこととなります。イヴォンがこの先どんな道のりをたどるのかが見えて来たでしょう?
鷹狩りクラブにいる間、イヴォンは鷹を寄せ付けずに鷹の巣に辿り着く方法を見つけました。ある日、彼がいつものように鷹を追い払っていると、シエラ・クラブ(サンフランシスコに本部を置くアメリカの環境保護団体で、アメリカの50州に支部がある)の人々に会いました。彼らはイヴォンにいくつかの登山のアドバイスを与えてくれました。そしてこの鷹狩りクラブで技を磨く中で、登山に対する愛情が育まれていきました。

イヴォンは、夏はヨセミテやワイオミングなどを歩いて回り魚釣りを、冬にはメキシコでサーフィンをしました。こうしたイヴォンの行動から、彼のアウトドアに対する深い愛情を感じていただけると思います。

その後イヴォンは鍛冶屋になる方法を独学で学びますが、これがイヴォンの方向性を大きく変えるきっかけになりました。鍛冶を学ぶことで、製品に対する熱意が芽生えました。イヴォンはパタゴニアを、登山用アパレルとしてスタートしたのではなく、登山用器具のベンチャービジネスとしてスタートしたのです。理由は、彼が納得できる上質な登山器具が見当たらなかったから。彼はピトンを自分の車のトランクで地道に販売し、そこで得た利益を登山とサーフィンを楽しむことに注ぎました。

そのうちに需要が増え、イヴォンはピトンの生産を続けて行くのですが、このタイミングで、イヴォンは品質にこだわるようになります。これがパタゴニアの歴史のキーポイント、その2です。パタゴニアが創業から“高品質が全て”とこだわり続けるきっかけです。なぜならアウトドアでは、質の悪いものは死を意味するからです。

のちにイヴォンは、彼の作る登山用器具が岸壁と環境にダメージを与えているということに気付きます。これがきっかけとなり、シュイナード・イクイップメントは、新しい形状による安全確保と、よりサステナブルな製品作りへと導かれます。私たちが“製品が環境に与える影響”を理解し取り組む最初のきっかけになりました。さらに、カタログで“クリーンクライミング”という環境エッセイを掲載することになりました。この一件こそが、環境問題への取り組みの大きな第一歩になりました。パタゴニアの歴史において、非常に辛い時代でした。

「私たちの行動自体が環境の一部であること」を学ぶ

イヴォンはまた、現在パタゴニア本社のあるべンチュラで自分自身の活動を続ける中“アクティビズム”の機会を見出しました。そんな時に周辺環境に多大な影響を及ぼすべンチュラ川の転流工事が行われると聞き、イヴォンは市役所に転流反対を訴えに行きました。これはイヴォンと会社にとっての初のアクティビズムでしたが、この行動のおかげでべンチュラ川の転流工事は取りやめとなり、「1% for the planet」(収益の1%を地球のために)というプログラムを始める着想源にもなりました。パタゴニアが「アクティビズム」「品質」「環境へのインパクトについてこだわり続けている」という3点を知っていただくためにお話しました。その後アパレル分野に進出し、「シュイナード・イクイップメント」から登山用アパレルの会社になりました。

私たちは製品を生産する中で、気候に及ぼす影響の大きさを知り始め、製品作りの方向性を大きく変えることになります。私たちの行動自体が環境の一部であるということを学び、地球温暖化と生態系の破壊の規模について知り、それに対して私たちがどう貢献できるかを確かめていきます。私たちは企業として、真剣かつ献身的にビジネスのあり方を変えるつもりで挑みました。自社製品を、より害の少ない材料を用いて生産し、収益の1%を地球を守るための活動に寄付し始めました。そして、パタゴニアはカリフォルニア州初のベネフィットコーポレーションになります。

近年では、パタゴニアはミッションステートメントを、「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」、と改訂したことはみなさんもご存知のことと思います。これは、デザイナー、生産プロセス担当、経理担当……、会社のどの部署で働いているかに関わらず、パタゴニア社全体の意思決定の指針となります。私たちが毎日目を向け、どのようにビジネスに取り組むのかを定めた指標なのです。

「メーカーとして故郷の地球を救う」意味

WWD:その辺りはこの後さらに掘り下げさせていただきます。

マーク:以前のミッションステートメント「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」では十分ではありませんでした。私たちは、アクティビストをサポートするだけの企業から、アクティビスト主導の企業へと倍増し、進化したかったのです。これが、製造と資本主義におけるパタゴニアの役割、そして「地球を救うためにビジネスを営む」という私たちのビジネスの柱に繋がって行く訳ですが、では、これは何を意味するのでしょうか?「メーカーとして故郷の地球を救う」とはどういう意味でしょうか?

私たちは、気候変動が私たちの生活を脅かしていることを理解しています。私たちは、世界規模の採取主義的な経済がこの危機の根本原因であることを理解しています。私たちは、消費主義が環境破壊の原動力になっていることも理解しています。私たちはパタゴニアがこの問題に関与していることを自認しています。

したがって、パタゴニアの次の段階のアクションは、「不必要な危害を誰にも加えないこと」から、「”危害を加えないこと”以上の努力をすること」になりました。私たちは、たとえ資本主義経済の中であっても、商品消費型のビジネスが広義において非採取主義的になれる可能性があることを証明するために取り組んでいます。

WWD:ルーツが大切であると杭が打たれました。売れていたピトンが環境に影響を与えていたと理由から売るのをやめたのは、相当勇気が必要な判断でしたよね?

マーク:ええ、流れのままに進むということです。イヴォンとチームメンバーが持っていたリーダーシップと先見の明の結果であり、彼らは製品製造が引き起こす影響を理解していました。登山用品は生死が関わりますので、品質が最重要だったことは明らかです。

より大切なポイントは、シュイナード・イクイップメントの初期の頃からずっと、ビジネスの優先事項は製品の品質より何よりも生産している商品が環境に及ぼす影響について考えることで、それが私たちパタゴニア気質の基盤であり、ビジネスを始めた日からずっと変わらないということです。

イヴォンは誰が働くとかそういったことは全く気にしていないのです。彼が気にかけているのは正しい行いをすること。繰り返しになりますが、彼がビジネスをするのはお金を得るためではなく、登山とサーフィンにはまったからです。

新しい資本主義を体現するための新体制発表から変わったこと

WWD:上手く行くかどうかは分からなかったけれど、「正しいことをしたい」と思った。今日の名言を胸に刻みましょう。今日は3つのテーマについてお話いただきます。1つ目はパタゴニアが目指す新しい資本主義と新体制での製品作り、2つ目は製品を作る意義、3つ目はチームメンバーとの価値観共有と評価法です。まず1つ目の「地球が唯一の株主になる」と聞いた時、マークさんはどう受け止めましたか?

マーク:衝撃を受けました。昨日のことのように覚えています。私たちは全員“キャンパス”(パタゴニア本社)に集合しました。パンデミックが明けたばかりの頃で、数年ぶりに全員が直接顔を合わせたタイミングでした。そして、誰も発表の内容を知りませんでした。元 CEO の皆さんを含む初期メンバーが姿を現し始め、どうやら何か大きなことが起こっていると、とても興奮しました。新体制発表のタイミングは、私たちの創立50周年でもありました。ちょうど次の50年を視野に入れ23年秋コレクションに取りかかり始めた非常に意味のあるタイミングでした。「最初の50年間で学んだことは何か」「継続したい物は何か」そして「やめたいことは何か」について熟考しながら次のチャプターに進みたいと考えました。そしてイヴォンとシュイナード家の決断は次の 50 年に向けた大胆なアプローチ方法であると感じました。

株式譲渡について最も意義深い点は、会社を地球に委ねるという点です。地球は厳しい上司です。母なる地球、彼女と一緒に働くのは本当に難しいです。私が“キャンパス”を歩き回ると木々に怒鳴られたり、風に飛ばされた葉っぱが私に当たったり、地球はイヴォンよりもさらに働くのが難しい相手です。

イヴォンとシュイナード家はオーナーシップを 2つの組織に譲渡しました。そして重要なことを言及させていただきますと、私たちは「1% for the Planet」を通して、常に収益の 1% を寄付し続けてきました。私たちは気候危機において十分な推進力を発揮できていないと感じていました。これらを深慮した結果、2つの組織を新たに設立し地球を唯一の株主として据えたわけですが、これはビジネスに再投資されなかった全ての利益が地球に分配されるということを意味します。これは非常に壮大な規模の話です。

自然から採った価値ある原材料、それを株主の富に変えるという今までの方法ではなく、私たちはビジネスで得られる富――つまりパタゴニアの富を、原材料の源である母なる地球の創造と保護に役立てるのです。パタゴニアは、株式公開する代わりに、パーパスを遂行した訳です。これにより、気候と生態系の危機を保護し、永久に戦うことができます。いいと思いませんか?

WWD:この新体制はモノ作りの責任者であるマークさんにとっては、地球に責任を持つ製品作りというとんでもなく大変な役割が求められている訳ですよね。製品をデザインする時に必要な視点について教えてください。

マーク:私たちの製品デザインの哲学をお伝えするのにちょうど良い前フリになりましたね!“キャンパス”の正面玄関に刻まれていて、私たちがいつも目にするものであり、そしてこの発表とともに強烈に思い起こされた言葉をご紹介します。シエラ・クラブのエグゼクティブディレクター、デイビッド・ブラウワー氏の言葉で「死んだ地球からはビジネスは生まれないです。死んだ惑星ではビジネスが成り立ちません。これらは、製品開発チームの私たちにとっては常に最優先事項です。けれど、技術的には大きなプレッシャーですよね?私たちは、矛盾するものを一切作りたくないメーカーになってしまった訳ですから。私たちは、製品作りをする時点で矛盾しているのです。

マーク:この図は「故郷である地球を救う」ために私たちが取り組んでいる事業の核心、「地球が唯一の株主である」ということを要約したものです。製品開発やその他のビジネスを行うときのアプローチについての重要な柱です。パタゴニアは地球上の生命のために従事し、自分たちが作ったもの全てを保証します。私たちは人々の情熱を功績として残します。私たちは草の根活動を支援します。私たちは衣類を修理し、再販を経て、利益を地球に還元します。

「採取主義的資本主義の製品製造・販売は正当化できない」ことを強く問い、模範となるために

WWD:分かりやすい図ですね。

マーク:私はこの図が好きで、時々カンニングペーパーとして持ち歩くこともあります(笑)。

では、この図は製品および製造面において何を意味するのでしょうか?私たちは故郷の地球を救うために製品を作っていますが、これは少し矛盾しています。なぜなら、私たちが何かを作るときは常に、何かを搾取していることになるからです。私たちがパタゴニアにいる理由は、私たちが行う全てのことで模範を示し、先頭に立つことです。私たちのパーパスは、採取主義的資本主義の製品開発と販売を営むことは、もはや正当化できないと強く問うことです。

製品開発でも、単に害を減らすだけでなく、それ以上のことを行う必要があります。パタゴニアが行うことは全て問題解決の一部であり、本質的な問題を解決することに重点を置いています。したがって私たちは最良な素材に重きを置いています。最良の素材とは、例えば、環境再生型有機農業、リサイクル合繊、廃棄された古着の活用などです。当社は優れた品質だけではなく、製品の終着点まで見据えて生産を行っています。

私はこのデザイン哲学に辿り着き、これに基づいて取り組んでいます。私たちは仕組まれた緊張の世界に住んでいます。パタゴニアは基本理念に沿わない物は何も作りたくないと考え、製品の品質保持が私たちにできる最も重要なことだと信じています。私たちはファッションのトレンドなど気にしていませんし、トレンドを追うことはパタゴニアの価値観とは異なります。

大好きな文章がひとつあります。「完璧さとは、これ以上追加するものが何もない時に達成されるのではなく、これ以上取り除く物がないときに達成されるのです」(サン=テグジュペリ)。これは私たちの製品作りへのアプローチにも当てはまるもので、より少ないリソースでより多くのことを実現しようとするものです。私たちは、「禅」のスタイルと「シェーカースタイル」(シェーカー教徒たちのインテリアを模したシンプルかつ機能的なスタイル)のシンプルさに基づいて、必要かつ便利でなければ作らないという設計哲学のもと、日々活動しています。しかし、製品が必要な物かつ役に立つ便利な物なのであれば、ためらわずに美しく製作しようーーこれがパタゴニアの第一のルールです。

「品質とはすなわち環境問題である」、品質を重視する理由

次のトピックは「品質」です。今日の話の中で、皆さんに記憶して欲しいことがたった1つあるとすれば、この言葉に尽きます。「品質とはすなわち環境問題である」ということです。

たとえどんなに環境に配慮した材料を使用しても、使い捨て製品を製造すれば、その素材がもたらす利益を軽減してしまうことになります。ですから製品は、どのような品質であるかが重要なのです。安価な製品は祖末に作られ、すぐに捨てられてしまう。つまり人々とこの地球に多大なダメージを与えていることになります。したがって品質こそが現在パタゴニアが心底強化していることであり、活動の中核なのです。

WWD:「製品を作る意義」について。製品を通じてサプライチェーンを変革されていますが、その具体例を教えてください。

マーク:はい。私たちはこれから作る製品について考えるとき、「その製品を作ることでどのような問題を解決しようとしているのか」をしっかりと理解したうえで製作に入ります。それぞれの製品が貴重な資源を使用して作ることを熟知しているので、目的、機能性、そして長持ちすることを考え抜いてデザインをします。そうしたデザインの基礎となる品質こそが、製品寿命を高めるためのキーとなるので、先ほど品質の部分について何度もしつこくお話してしまいました。

解決すべき問題が見つかった製品は、さらに製品寿命や使用する素材など、どのようにアプローチすべきかを熟考します。耐久性と機能性、長持ちするかの3点がデシジョンツリー(決定木)を作成する際の中核になります。

これから解決すべきは「製品の終着点について考慮すること」

マーク:低品質製品の問題点は、使い捨ての観点で考えられていることです。私たちは一時的なトレンド、計画的陳腐化の道をたどっています。ファストファッション、大量消費主義――人々は過剰に生産し、不必要なものを過剰に消費しています。再生不可能な資源を使用し、有毒化学物質、環境汚染、(生産に際して)使われるエネルギーの量、水の使用などの問題があります。そしてさらなる問題は、ただ「要らなくなったから」と捨てられてしまう、使い捨て製品から発生する産業廃棄物です。製品の終着点について考慮されていない、リサイクルも堆肥化も不可能な廃棄物です。これらが解決すべき問題点です。パタゴニアがこうした問題に対して何を行っているのか、あるいはそうした問題への解決策の取り組みとして修正したキーポイントが2点あります。それは私たちと「製品」との関係性です。

1つ目は、可能な限りリサイクル原料を使用して、耐久性があり、長持ちする、高機能な製品を製造すること、2つ目は、耐用年数が終了した衣類を修理、再利用、またはリサイクルする取り組みです。製品をデザインするときに、これら2つについて考えます。独自のデザイン価値を備えた製品を生み出し、品質を重視しながら、一時的なトレンドを追うのではなく、タイムレスな製品をデザインしています。

私たちは大量消費主義について考えていますが、これがおそらく次の大きなテーマになるでしょう。ところで、パタゴニアが行った「このジャケットを買わないでください」というキャンペーンを覚えていますか?「ジャケットを買いに来ないでください」と言うのはビジネスとして少し変わっていますよね。しかし結局のところ、パタゴニアの製品作りと同じように、消費者の皆さんには「自分は本当にそれを必要としているのか?」と考えてもらいたいのです。私たちは接客で、「このジャケットがご希望ですね?承知しました、環境に配慮した最新バージョンを提供させていただきます。けれど、ちょっと立ち止まって新しく買う必要が本当にあるのかを考えてください」と言った会話を始めています。従来型の「物との関係のあり方」を変えることで、カスタマーを消費者からパタゴニアのコミュニティに取り込みつつ、行動変容を促すことができるのです。

またパタゴニアのコミュニティでは、”Need less”(新規購入を減らす)手段として、簡単かつ楽しい方法を提案したいとも考えています。そのため、デザインと製品製作チームに多目的なワードローブやレイヤリングシステム、買い換える必要のない時代を超越した製品をデザインしてもらおうと考えています。

パタゴニアが製品作りで取り組む具体的なアクション

WWD:具体的なアクションについて教えてください。

マーク:パタゴニア製品に使われている素材に対する解決策について少しお話します。パタゴニアは過去40数年にわたって、非常に堅固なSER(社会環境責任)方針を構築しました。そしてそれは、2025年に向けた当社の戦略的取り組みの一部でもあります。そのキーとなる2点は、世界中のコミュニティに投資をすることと、パタゴニアのパートナーたちを“ファミリー”の一員として真剣に考えることです。私たちにとってパートナー企業は製品の延長線上にいる人(ビジネス上だけの関係性)ではなく、“ファミリー”なのです。

そのためにパタゴニアでは25年に向け、優先材料の使用率を100%にすることを目標にしています。また一方で、化学物質の永久排除に向けても投資しています。DWR(durable water repellent/耐久撥水)は永久化学物質の一種ですから。それとは別に染色では、製品の核となるカラーバリエーションで、”エバーグリーンカラー”と呼ばれる、合成繊維向けの染料の中では環境への悪影響が非常に低い染料を、全ての色味で100%使用できるように取り組んでいます。また、残端などの布地の廃棄物でリサイクル100%を目指しており、合成繊維の 50%で二次廃棄物を使用できるように取り組んでいます。

以上がパタゴニアの推奨する環境に配慮した素材であり、社会的および環境的責任の遂行を支える柱です。これが、私たちのモノ作りにおけるアプローチ方法です。また天然繊維の使用では、革新的農業技術を使った素材、具体的には、オーガニックコットン、コットンインコンバージョン・コットン(有機栽培に変換するための、移行期間中に生産されるコットン)、そしてリジェネラティブ・オーガニックコットン(環境再生型有機農法によるROC認定コットン)を使用しています。

合成繊維の二次廃棄物活用では、パタゴニアは長年、ほとんどの製品でリサイクルポリエステルを使用してきましたが、今は次のレベルに引き上げ、指針としてきたリサイクル素材だけでなく、埋め立て地に送られる産業廃棄物や海洋廃棄物の回収・使用に乗り出そうとしているところで、これらが私たちの言う「二次廃棄物」です。

そのために次のような企業と提携しています。ナイロン素材では、廃漁網の再利用の提携をブレオ社と、ポリエステル素材ではペットボトルの活用をバイオニックと協働しています。彼らとプラスチック廃棄物を再利用するための地域廃棄物管理システムを構築しました。道路や海岸にリサイクルステーションを設置し、海岸清掃キャンペーンや地域社会への働きかけを組織化し、分別、こん包、粉砕のための集中施設や、地元企業、学校、その他の機関への回収ルートを整備しました。一旦ペットボトルが海に流れ込んでしまったら、手の施しようがないですよね?すぐさま海に沈んでしまい、利用できなくなります。そして、社会的責任の遂行が鍵となります。

リサイクルウール素材とリサイクルコットン素材は、本格的に研究を始めているもう1つの分野です。この2つの素材の素晴らしい点は、すでに色が付いているため染色する必要がないことが多く、分別プロセスが進むにつれて、埋め立て地から転用できるだけでなく、ゴミとして終わらせず、継続的な再利用が可能になるかもしれないという点です。

そして最後に、私たちは化学物質とは永遠に別れを告げます。25年までに、パタゴニア全製品でPFC(有機フッ素化合物)フリーを達成します。今後この規制がカリフォルニア州やアメリカだけではなく欧州で、そして究極的には全世界で実施されていきます。

パタゴニアのゴール達成に向けての進捗について少しだけ話します。23年の秋冬コレクションで使用素材の 91% を環境配慮素材にすると掲げた目標は無事に達成されました。25年までに、ダウンは全て責任を持って調達された物を使用します。つまり、卵に至るまでどこから来たのかを把握し、もし新たにダウンを使用する場合はその調達ルートから来るバージンダウンを使用します。実際のところ、古い掛け布団や枕などの寝具から出たリサイクルダウンを使用している場合がほとんどです。

そしてみなさんご存知のようにコットン素材では1996年以来、100%オーガニックコットンを使用しています。環境再生型有機農業やコットン・イン・コンバージョンを引き続きサポートしております。

結果的に25年までに、私たちは目標をほぼ達成しつつあることになります。そして世の常ですが、最後のほんの少しが最も困難とはなりますが、目標の 97% は達成されることになるでしょう。これは困難な課題を乗り越えたという点で、「多大なる功績」と言えるでしょう。

価値観の共有と評価法

WWD:本当に困難な道だと思います。これだけの具体的なアクションを重ねてもなお100%になり得ず、まだ3%残っているという事実に驚かされます。3つ目のテーマ「価値観の共有と評価」について、マークさんがどんなリーダーシップを発揮されているのかお聞かせください。

マーク:実際のところ、パタゴニアではとても簡単だと思います。なぜなら、パタゴニアに入社する人は皆、ミッションステートメントを信じてやって来ます。私たちにとってはこの点が唯一にして最重要な評価ポイントです。もちろん、それでも私たちはビジネスを営んでいるわけですから、目標があり、生き残るために売り上げの必要指標があります。しかし、売り上げは私たちを日々動かす原動力ではありません。パタゴニアの原動力はあくまでも「地球」なのです。そして、生きている者にとっても亡くなった者にとっても、パタゴニアに属する皆にとって大切なのは私たちのミッションステートメント「地球を救うためにビジネスを営む」というただ1点なのです。私たちは常にそれを従い自己評価をしています。自分たちがここでやるべきことは何かを理解したうえで出勤する訳ですから、非常に簡単です。スッキリ明快、目的はたった1つなのです。つまり、パタゴニア社員となったその日から、私たち全員が同じ方向を向いています。

ビジネスを通して「地球全体を救う」ために最小限の害で最高の製品を作り、他のビジネスにインスピレーションを与えるなど、どんなに大きな仕事を成し遂げたことも、原点にあるのはミッションステートメントなのです。

また、お客さまに私たちのコミュニティに参加してもらうことは、私たちの核となる価値観であり重要なことでもあります。そして私たちは可能な限り製品やクリエイションに責任を持ち、系統的かつ客観的にどのような種類の製品を作るかを見極めていきます。そしてお客さまにもそのソリューションに参加していただきたいと考えています。

「コモンスレッズ・イニシアティブ」(パタゴニア社の商品回収プログラム)は、共同的プロジェクトという点で、自分自身を称えたい取り組みのひとつです。この取り組みは再考することの大切さを改めて知る良い機会となりました。繰り返しになりますが、私たちと「物」との関係をもう一度考えてみましょう。欲しいと思う気持ちを減らし、修理・再利用・リサイクルの可能性についてもっと考えましょう。

それから、ただ消費、消費、消費と新しい物を買い続けるのではなく、ぜひ中古品を購入していただきたいです。実は、2013年のファッション・ウィーク中に(製品を長く使うためのプラットフォーム)「ウォーンウエア(WORN WEAR)」をローンチしました。「製品」との関係性を考える意味で、消費者をソリューションの一部として招待した形となったわけですから、パタゴニアのコミュニティにとって大きく評価すべきことと言えます。新しい物を買うのであれば、その製品が長く使えるかどうかを考えてください。手持ちの洋服で、どこかが破れたり、ボタンをなくしてしまった場合は、捨てたり新しい物を買わず、修理することを考えてください。私たちは、顧客が訪ねて来て修理を継続できるよう、顧客とコミュニティとの関係を築き始めています。

WWD:評価についてもう少し教えてください。何をしたら褒められるのか?何をしたら褒めるのかなど具体的なことはありますか?

マーク:利益を逃したのに賞賛されるという状況を理解するのはきっとみなさんには難しいでしょうね。この事実を正しく理解するのに苦労しているようですから。確かに、私たちはビジネスを継続できるように努力し続け、利益を上げる必要があります。しかし、です。パタゴニアでは「利益目標を達成できたこと」よりも、「フェアトレード認定工場を導入したこと」が賞賛される可能性があります。パタゴニアはそんな会社なのです。

(そのような方針でも)会社はかなりうまくいっています。私たちは、このような型破りな考え方でも利益を上げられることを50年間にわたり証明してきました。ですので、私がお薦めしたいのは、伝統的な資本主義の評価を捨て、健全なコミュニティと健全な地球について考え始めること。ビジネスにとって有益なはずです。確かに現実的には物を売ってお金を稼がなければなりませんが、実際に毎年どのくらいの成長が必要ですか?どのような品質の製品を世に出していますか?顧客との関係はいかがですか?

そしてパタゴニアは、かなりフラットな組織です。上下関係はそれほど大した問題ではありません。私たちはお互いを上司と部下として考えていません。私たちは自分たちを家族であり、ひとつの目的を持ったコミュニティであると考えて入社します。施設内に託児所を完備しておりますので、自身の子どもと一緒にランチを食べることができます。私たちはお互いの子どもたちの叔父と叔母です。そして私たちは実際に、健全なコミュニティを通して健全なビジネスを営むことが可能であることを証明しています。

WWD:羨ましいですね。大きな家族の中で仕事をしているーー今までの会社組織の考え方と異なり、そもそも会社の在り方が変わってきている中で、評価法がどうかという固定概念が当てはまらないと感じました。最後にマークさん自身の仕事のやりがいについて教えてください。

マーク:私はパタゴニアのミッションステートメントを信じていますし、登壇の機会に話してしまうと陳腐に聞こえるかもしれませんが、パタゴニアにいる全員が皆、自分たちのしていることを信じていると思います。変化を起こし、革命を起こすには、既成概念にとらわれずに考える必要があり、システムの規範を打ち破る必要があります。私たちは株の利益と成長に左右されるシステムに囚われてしまっていますから。

私が“使命を持って働いている”という事実をも超えて、いそいそと毎日仕事に熱心に取り組むのかというと、同僚たちを心から近しく思い、敬愛しているからです。私はこのチームのメンバーの一員として、社会の既存の構造を覆す役割を果たし、新しい消費方法を!と人々を教育し、揺さぶる機会を得ている訳ですが、この活動こそが、私にとって本当にエキサイティングなのです。

私は若い頃から現在に至るまで、常にちょっとしたアナーキストであったと思います。私を見てください。年を重ねてもパンクロッカーであり続けるための、正しい見本みたいでしょう?パンクロッカーであり続けることが、将来の世代にとって本当に良い利益をもたらすこと、そして、それが世界をより良い場所にすると願っています。ですから、私たちの秘伝のソース(おまじない)はいつだって常識にとらわれないこと。革命を起こすには勇気が必要ですが、どうぞ恐れないでください、私たちはそれを支援するためにここにいるのです。

WWD:ありがとうございました。では会場のみなさんから質問を受けたいと思います。

アクティビズムの役割、アプローチ法について

質問者1:私は日本人ですが、カナダに住んでいて、アメリカにも住んでいたので、すでに少し繋がりを感じています。 2016~ 20 年までニューヨーク市にいたのですが、この期間は、破壊的なアメリカの歴史を経験した瞬間だったと思います。今日のアメリカ社会の形成において、そして地球規模の環境問題全般において、アクティビズムがどのように大きな役割を果たしているかを教えてください。アクティビズムを推進することは、ある種の政党間の対立を感じることにもなると思います。アクティビズムの目的とは人々を一つの場所にまとめることにあります。例えば、本質的に対立している人や、相手を負かせられるくらいの説得力を持つ人々を、どのように予測してどのように巻き込みますか?より良い未来のために全ての人を含めるという観点で、マークさんがビジネスとどのように関わっているのかを知りたいのです。

マーク:素晴らしい質問ですが、なかなか厳しい答えになりますね。私の回答は、私たちはおそらく、歩みを進める中でナビゲートすることを同時に学んでいる、とお答えします。

結局のところ、私たちの最大のメッセージは、気候危機からしてみれば、あなたが誰であるかはどうでも良いということです。地球が滅亡したら、私たち皆いなくなってしまうのですから。では私たちが直面していることに関して、十分に破壊的なメッセージを作るにはどうしたら良いのでしょうか?

それはコミュニティから始まりますが、コミュニティ内の全ての人々をどのように教育し、影響を与えることができるのでしょうか。世界のどこに行っても同じような状況とは思います。特定の名前を挙げるのは控えますが、特に米国では、非常に異なる見解を持つ非常に異なる政党間で、多くの物議を醸す議論が行われてきました。しかし、私たちパタゴニアが学んでいることは、より保守的に票を投じたり、共和党に傾く傾向があるコミュニティだったりしても自然保護活動家がたくさんいて、アウトドア活動にも参加しているということです。

私たちにとっては、最終的には環境政策に興味があり、それが私たちの目指すところです。そして、私たちはそのメッセージができる限り包摂的であるように努めるつもりです。しかし、例えばあなたが私たちと働いていて、イヴォンが「この地球を救うことに死ぬ気で取り組んでいる」と言っているのを聞いたとして、もしもあなたがイヴォンほど真剣に問題に取り組めないのであれば、あなたに構っている時間はありません。私たちは私たちでさらに努力を続けて行くだけです。

質問者1:共通認識を持つことが鍵、と言うことでしょうか。

マーク:はい、そうです。

パタゴニアの社員になる方法

質問者2:パタゴニアの社員になるためにはどうしたら良いのですか?また、必要とされる条件はありますか?

マーク:あなたの履歴書をいただけますか?そこから始められますよ!(笑)。どういう訳か、私もここに辿り着けたのでそんなにハードルは高くないと思うのですが…。冗談はさておき、真剣にお答えいたしますと、気候危機に対するあなたの情熱、全てはそこから始まります。そしてパタゴニアのミッションステートメントを信じていて、それについて何かをしたいと考えている人が求められています。そこが始まりです。役割や資格、経験レベルによって異なりますが、私たちは常に外部から人材を迎え入れようとしています。私が会社に還元できたことは、よりトラディショナルな(経営方法の)ファッションアパレルとファストファッションでの経験でした。その経験からビジネスの汚い側面も知っていましたが、その点で変化を起こしたい、過去に習得したスキルをパタゴニアで活かしたいと思っていました。それらのスキルを良い方向でパタゴニアに上手く持ち込んで活用できたらと思っていました。

夜寝るときに鏡の中の自分を見て、「一晩で全ての問題を解決できるわけではないんだ」と思ったとしても、今は、少なくとも鏡の中の自分を(自信を持って)見ることができます。そしてチームメイトも私と同じ状況のはずで、彼らも自分と同じように地球にいいことをしようとチャレンジしているはずだ、と思えるのです。

製品作りで最も大変でチャレンジなこと

質問者3:プリファードマテリアルのお話を伺い、とんでもなく大変なことだと思いました。実際にそういった素材を、探して、見つけて、使えるかを確認して、デザインして、作って、届けて、LCAも計算して売るというサプライチェーンは大変だと思うのですが、一番大変でチャレンジングな点は何かを教えてください。

マーク:素晴らしい質問ですね。最も責任ある素材であるかを確認することが常に重要ではあるのですが、同時にそれは難しいことでもあります。繰り返しになりますが、品質について考えることで、バランスが取れるのです。

1つ簡単な例を挙げます。リサイクルコットンは、埋め立て地からのコットンを完全に転用できるので、本当に楽しみな素材です。一方で、私たちはリサイクルの過程で糸が短くなってしまうため、品質が低下することを学びました。そこで、リサイクルコットンとオーガニックコットンをブレンドして、その品質と寿命を長くする方法を学ぶことが課題になりました。社内にはこの課題に専念しているチームがあります。

ここにいるあなたにお伝えできることは、ぜひパタゴニアをリソースとして頼ってみるのはどうですかというご提案です。パタゴニアは資料を自分たちだけのために抱え込むことに興味はありません。問題の解決にならないからです。品質レベルを維持するために責任ある素材をどうやって得るかといった課題のいくつかは、私たちが長年にわたって学んできたことです。

サステナビリティを本当の意味で理解して進むために必要なこと

質問者4:パタゴニアの、地球で暮らして行くことをパーパスに掲げてモノ作りをしていることは、アパレルだけでなくモノ作りをする企業にとって目指すべきパーパスだと思うのですが、サステナビリティという言葉だけが一人歩きしている気がしています。日本の企業がパタゴニアのように本当の意味でなぜこれをやらなければならないかを理解し、進んで行くためには何を変えて行くべきだと思いますか?

マーク:リーダーシップから始まります。人々から始まります。それぞれのブランドのリーダーがすぐに態度を変えなければ、時代の声に耳を傾けなければ、消費者も従業員も他の場所に行ってしまいます。消費者は私たちブランドが「地球として向かうべき方向だ」と信じている場所に(一緒に)行きますが、それは(このままでは)あまり良い場所ではありません。

それを理解して、少しずつ変えていかなければなりません。私もかつて変化が遅かったり、ビジョンがなかったりするブランドにも所属してきました。最終的には、自分と一致する価値観を核に掲げるブランドに行かなければならないかもしれません。それが私も最終的に選んだ手段であり、そうして別の形で影響を与えました。または、自分のブランドから働きかけるか、ですね。リーダーシップから始まりますが、この考え方において進歩的なパタゴニアでも、大きな神的な変化が起こりました。

私は人々の多くが、良い方向に向かうことを望まないリーダーシップに不満を抱いていることを知っていますし、これまで話してきた多くの人々の現実でもあります。
満足してもらえる回答ではないかもしれませんが、声を上げ、内部で変化を起こそうと努力し続けることが始まりであり、最終的には、そのブランドが目指す方向性とあなたの目指す方向性が一致するかどうかの岐路に立つタイミングがやってくるでしょう。

(質問者を探している間に…)
マーク:今日ここに来てくださった皆さんは大きな一歩を踏み出した、とだけ言わせてください。そして、パタゴニアがその一歩をサポートするためにここにいることを知っておいてください。変化はごく少数の人々から始まります。少数でも、変化に参加させるべく他者に働きかけることができるのは驚異なのです。ですから自分の会社に不満がある場合は、デザインや製品に携わる人々、さらには会計に携わる人々であっても、少人数でも社内で変革を起こすことができます。これが私からみなさんへの本日の励ましの言葉です。

50年存続できた理由は「品質と透明性」

質問者5:資本主義を変えようとしている企業が資本主義社会で50年続けられた理由は何だと考えますか?

マーク:良い質問ですね。お客さまが当社の存続に投票してくれたのだと思います。私見ですが、50年も存続できたのは私たちが築き上げてきた信頼性によるものだと思います。それは、第一に品質、次に透明性です。私たちは完璧ではありません。ずっと完璧ではありません。私たちはパンデミックの間に起きた品質問題にいまだに悩まされているくらいです。

私はパタゴニアで働く以前から、顧客としてブランドを知っていました。パタゴニアが最高の製品を作っていると知っていたので、信頼していました。それが彼らに対する私の忠誠心を築いたのです。確かに値段は高かったですが、一度そのジャケットを手に入れたら(長持ちするので)、もう次のジャケットを買う必要はないとわかっていたので、お金を貯めて購入していました。それは環境に配慮した素材が使われる以前の製品です。

顧客たちは、私たちがおオフィスからお金を出して、それを地球に還元しているのを実際に見ています。50周年を迎えるにあたり、これ以上にお伝えできることはありません。 私たちは地球に会社を差し出したのですから!

WWD:以上、「環境危機化でのモノ作りとデザイナーの役割とは」を終了させていただきます。マークさん、ありがとうございました。

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榮倉奈々の決意 なぜアパレルCEOの道を選んだのか

PROFILE:榮倉奈々/LAND NK CEO

(えいくら・なな)2002年にファッションモデルとしてキャリアをスタートし、04年に俳優デビュー。その後、数々のドラマや映画の話題作に出演するとともに、「トッズ」のアンバサダーを務めるなど、ファッションアイコンとしても注目を集める。23年には、自身の経験やビジョンを活かしてLAND NK,Inc.を設立し、最高経営責任者(CEO)に就任。新しい価値観を表現するブランド「ニューナウ(NEWNOW)」をスタートした

2023年12月に開催したイベント「WWDJAPAN サステナビリティ・サミット 2023」では、ミューズとして榮倉奈々を迎えた。「WWDJAPAN」が思い描くミューズとは、日頃からサステナビリティについて考え、取り組み、一緒に世の中に発信していきたいと思うパートナーだ。

榮倉は、受注生産型ブランド「ニューナウ(NEWNOW)」を23年秋に立ち上げた。コンセプトは“変わり続ける今を生きる服”で、10年後に着ても新たな楽しみ方ができる服作りを目指す。榮倉はなぜ表現者として服をまとう側から作り手になり、アパレルメーカーを擁する会社のCEOになる決意をしたのか。ブランド立ち上げの経緯から服作りに込める思い、そして新しいものを生み出していくことへの葛藤や希望を聞いた。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

向千鶴「WWDJAPAN」編集統括兼サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):環境について意識し始めたきっかけは?

榮倉奈々=LAND NK CEO(以下、榮倉):きっかけは子どもを産んだことですね。育児をする中で、サステナブルや環境、地球について真剣に考えるようになりました。また、コスメブランド「ラ ブーシュ ルージュ(LA BOUCHE ROUGE)」とコラボレーションしたときに、創業者ニコラス・ジェルリエ(Nicolas Gerlier)さんと話をし、彼の情熱に感銘を受けたんです。その行動力を見て、私も立ち止まっている場合ではないなと。

WWD:誰かがきっかけになるのは、皆一緒ですね。中でも出産や子育てが大きな経緯になったのですね。

榮倉:私がサステナブルを考えるときのポイントは、やはり子どもです。子どもが大人になったときの世界や、自分がいなくなった後の世界。わが子が成長したときに、より良い世界であってほしいと願うと共に、子どもが仲間と助け合いながら、世界中の子どもたちが過ごす場所がより良い場所であってほしい——その願いがきっかけです。3年ほど前に、地域の子どもや保護者が気軽に立ち寄り、栄養バランスのとれた食事をしながら交流できる場所「子ども食堂」について調べていたことがあったんです。運営を自身で行うとなったときに大きな壁だと感じたのが、資金力と継続性でした。企業として、お金を循環させて継続していくシステムが必要だと学びました。そのようなことを考えながら、「ニューナウ」を経営しています。

芸能界で得た知名度を社会のために

WWD:改めて、「ニューナウ」を立ち上げた経緯を教えてください。

榮倉:「ニューナウ」は、スタイリストの上杉美雪さんをクリエイティブ・ヴィジョン・ディレクターとして、ブランド「コート(COATE)」の福屋千春さんをクチュール・デザイナーとして迎えて立ち上げたブランドです。お2人とはそれぞれ10年、5年とスタイリングや服を通して信頼関係を築いてきました。次第に「上杉さんのフィルターを通した服を着てみたい」と思うようになり、彼女の視点を通じたスタイリングと、福屋さんの確かなものづくりをたくさんの方に届けたくて起業しました。私は、お2人のクリエイティブを守る役割だと思っています。

また、環境への意識が高まっていくうちに、廃棄物を減らす大きなシステムを作りたいとも考えるようになりました。以前、建築家の武田清明さんを取材したときに、人工物がバイオマスを上回ったという話を聞いてショックを受けて。自分が地球に生きる人間としてのあり方を、今一度考えなければいけないと思いました。

さらに、子どもの未来や人生を考える中で、自らの人生を振り返る機会も自然と増え、芸能界で21年間活動してきた意味についても考えるようになりました。その答えがまだ完全に出たわけではありませんが、自分のためだけに発信するのではなく、何か社会の役に立てるようにしたいと思っています。

WWD:モデルや俳優として服をまとう側から、作り手にもなったことで気付いたことはありますか?

榮倉:企業理念やブランドコンセプトを考えれば考えるほど、美しさは内部に宿っていると強く実感します。

WWD:サステナビリティは誰にとっても新しい世界です。業界の皆さんが純粋に洋服作りやクリエイティブを発揮できる環境を今すぐ作らねばという思いで取り組んでいます。ただ、いざサステナビリティをビジネスにしようとすると知らない言葉ばかり。科学やデジタルの専門用語も多く、技術も今までの作り方とは全く違うものも入ってきて、戸惑っている人も多いです。榮倉さんも、新しい知識や技術について勉強されたのですか?

榮倉:ビジネスに関係していなくても、サステナブル自体が難しいと思います。奥が深く、また見る人の角度や立場によっても答えが変わってくる。個人的には自宅でコンポストをやっていて、本当にできることから少しずつ取り組んでいるのですが、それがあまりにもちっぽけ過ぎて、気が遠くなるときがあります。ただ、小さくてもとにかく続けることが大切だと信じ、自分を鼓舞しています。

「ニューナウ」でいうと、会社の規模や資金力、ステージによって、できることとできないことは変わってくると感じます。私の頭の中で描いていること全てを実現しようとすると、現在の「ニューナウ」の規模ではまだまだ足りない。でも、それでいいと思っています。できることからコツコツと取り組み、そこから継続してできる方法や仲間を探し、大きくなっていきたいです。

WWD:作り手として、1つの大きなステージが受注会だったと思います。

榮倉:5日間開催し、私も会場に立ちました。楽しかったです。「ニューナウ」の服がさまざまな体形や幅広い世代の方に似合うことをお客さまに改めて見せてもらい、次の受注会に生かすヒントにもなりました。生の声を聞けて幸せでした。

WWD:同じ“買い物”でも、従来の買い物と受注会のオーダーでは、購入側の姿勢や気持ちにも違いがあるのでしょうか?

榮倉:受注会を開催した理由は、受注生産にすることで過剰在庫を持たず、廃棄される服を減らしたかったから。「ニューナウ」を買ったら、そういう付加価値があると思ってくださったらうれしいです。でも、服を買うお客さまが、その付加価値に魅力を感じて買ってくださるのか、それとも服が美しいから買ってくださるのか、それは私たちが決めることではありません。どちらの思いで買ってくださった方にもスペシャルな服を届けたいと思っています。

WWD:CEOとしてここまでやってきて得た気付きや学びはありますか?

榮倉:コツコツやっていくことと、日々変わる目の前の課題に柔軟に対応する重要性です。

環境だけでなく
人の心や気持ちも大切にしたい

WWD:ファッションブランドに関わる多くの関係者が、環境への思いと、企業を成り立たせるために作り続けることへの葛藤を抱えています。「ニューナウ」としてはどう考えていますか?

榮倉:アパレルブランドを始めたり続けたりすることは、環境への思いと相反する部分もあります。でも、「ニューナウ」のように受注生産で在庫をコントロールして、さらに10年後も大切にきれいに着続けられる服を作るなら、けして無駄ではありません。そして、「ニューナウ」の成長と共にできることもきっと増えていく。忘れてはいけないのは、洋服ってすごく楽しいじゃないですか。

WWD:それを今言おうと思っていました!ファッションへの愛がとても伝わります。

榮倉:やはり、物理的にも精神的にもまずは楽しくないと。だからこそきれいな服を着ることは大事。私は、イタリアブランド「トッズ(TOD'S)」のアンバサダーとして公私ともに長くいい関係を築かせていただいていますが、それは「トッズ」がクラフツマンシップやアフターケアの重要性を考えていて、尊敬しているからこそ。環境だけでなく、人の心や気持ちを考えることも同じくらい大切。それら2つを両立させられることを、ブランドを通じて実現していきたいです。

WWD:ところで、私は先日合同展「エコプロ」に行ったのですが、そこには小学生や中学生もたくさん来ていたんです。中には盛り上がっているブースとそうでないブースがあり、盛り上がっているブースには、子どもの心をつかみやすいVRがあったり、キャッチーな遊びがあったり。もう1つ面白かったのが、大人が一生懸命説明しているブースは、子どもたちも真剣に話を聞いているんです。本気は子どもには伝わるんだと、熱量は大事なんだと感じました。冒頭でお子さんが1つのきっかけということでしたが、子どもの手本にならなければという気持ちはありますか?

榮倉:教育環境でも、サステナブルやSDGs、地球という言葉をよく聞くようになりましたよね。とてもいいことだと思います。私が子どもに見てもらいたいのは、自分事として捉えて、行動に移している姿。本を読んで教えることは誰にでもできますが、親として行動している姿を見て学んでほしい。それが、次世代の社会を担う子どもたちに対して見せるべき姿だと、大人として責任を感じています。

WWD:背中を見せましょう。最後に、今後「ニューナウ」として挑戦したいことは?

榮倉:「ニューナウ」として、榮倉奈々として、賀来奈々として私が目指している目標は、とても大きすぎて1人では成し遂げられません。クラフツマンシップやフェアトレード、環境問題についてもそうですが、まだ皆さんにお伝えできるほどまとまっていないので、これから一緒に頑張れる仲間や方法を見つけて、自分なりに前に進んでいきたいです。

会場の参加者とのQ&A

参加者:サステナブルが魅力あるファッションで楽しいという話に共感しました。起業して1つの目標を達成し、次に見えている課題を教えてください。

榮倉:洋服を楽しんでもらうことを継続するのがとても重要だと考えています。今後は、受注生産の過程で出た布で何か作れないかなど、アイデアはたくさんあります。そして、もう少し大きな渦を巻き起こしたい。今はまだそれぐらいしか言えないのですが、仲間と出会うべくして出会いながら、つながっていきたいです。

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榮倉奈々の決意 なぜアパレルCEOの道を選んだのか

PROFILE:榮倉奈々/LAND NK CEO

(えいくら・なな)2002年にファッションモデルとしてキャリアをスタートし、04年に俳優デビュー。その後、数々のドラマや映画の話題作に出演するとともに、「トッズ」のアンバサダーを務めるなど、ファッションアイコンとしても注目を集める。23年には、自身の経験やビジョンを活かしてLAND NK,Inc.を設立し、最高経営責任者(CEO)に就任。新しい価値観を表現するブランド「ニューナウ(NEWNOW)」をスタートした

2023年12月に開催したイベント「WWDJAPAN サステナビリティ・サミット 2023」では、ミューズとして榮倉奈々を迎えた。「WWDJAPAN」が思い描くミューズとは、日頃からサステナビリティについて考え、取り組み、一緒に世の中に発信していきたいと思うパートナーだ。

榮倉は、受注生産型ブランド「ニューナウ(NEWNOW)」を23年秋に立ち上げた。コンセプトは“変わり続ける今を生きる服”で、10年後に着ても新たな楽しみ方ができる服作りを目指す。榮倉はなぜ表現者として服をまとう側から作り手になり、アパレルメーカーを擁する会社のCEOになる決意をしたのか。ブランド立ち上げの経緯から服作りに込める思い、そして新しいものを生み出していくことへの葛藤や希望を聞いた。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)

向千鶴「WWDJAPAN」編集統括兼サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):環境について意識し始めたきっかけは?

榮倉奈々=LAND NK CEO(以下、榮倉):きっかけは子どもを産んだことですね。育児をする中で、サステナブルや環境、地球について真剣に考えるようになりました。また、コスメブランド「ラ ブーシュ ルージュ(LA BOUCHE ROUGE)」とコラボレーションしたときに、創業者ニコラス・ジェルリエ(Nicolas Gerlier)さんと話をし、彼の情熱に感銘を受けたんです。その行動力を見て、私も立ち止まっている場合ではないなと。

WWD:誰かがきっかけになるのは、皆一緒ですね。中でも出産や子育てが大きな経緯になったのですね。

榮倉:私がサステナブルを考えるときのポイントは、やはり子どもです。子どもが大人になったときの世界や、自分がいなくなった後の世界。わが子が成長したときに、より良い世界であってほしいと願うと共に、子どもが仲間と助け合いながら、世界中の子どもたちが過ごす場所がより良い場所であってほしい——その願いがきっかけです。3年ほど前に、地域の子どもや保護者が気軽に立ち寄り、栄養バランスのとれた食事をしながら交流できる場所「子ども食堂」について調べていたことがあったんです。運営を自身で行うとなったときに大きな壁だと感じたのが、資金力と継続性でした。企業として、お金を循環させて継続していくシステムが必要だと学びました。そのようなことを考えながら、「ニューナウ」を経営しています。

芸能界で得た知名度を社会のために

WWD:改めて、「ニューナウ」を立ち上げた経緯を教えてください。

榮倉:「ニューナウ」は、スタイリストの上杉美雪さんをクリエイティブ・ヴィジョン・ディレクターとして、ブランド「コート(COATE)」の福屋千春さんをクチュール・デザイナーとして迎えて立ち上げたブランドです。お2人とはそれぞれ10年、5年とスタイリングや服を通して信頼関係を築いてきました。次第に「上杉さんのフィルターを通した服を着てみたい」と思うようになり、彼女の視点を通じたスタイリングと、福屋さんの確かなものづくりをたくさんの方に届けたくて起業しました。私は、お2人のクリエイティブを守る役割だと思っています。

また、環境への意識が高まっていくうちに、廃棄物を減らす大きなシステムを作りたいとも考えるようになりました。以前、建築家の武田清明さんを取材したときに、人工物がバイオマスを上回ったという話を聞いてショックを受けて。自分が地球に生きる人間としてのあり方を、今一度考えなければいけないと思いました。

さらに、子どもの未来や人生を考える中で、自らの人生を振り返る機会も自然と増え、芸能界で21年間活動してきた意味についても考えるようになりました。その答えがまだ完全に出たわけではありませんが、自分のためだけに発信するのではなく、何か社会の役に立てるようにしたいと思っています。

WWD:モデルや俳優として服をまとう側から、作り手にもなったことで気付いたことはありますか?

榮倉:企業理念やブランドコンセプトを考えれば考えるほど、美しさは内部に宿っていると強く実感します。

WWD:サステナビリティは誰にとっても新しい世界です。業界の皆さんが純粋に洋服作りやクリエイティブを発揮できる環境を今すぐ作らねばという思いで取り組んでいます。ただ、いざサステナビリティをビジネスにしようとすると知らない言葉ばかり。科学やデジタルの専門用語も多く、技術も今までの作り方とは全く違うものも入ってきて、戸惑っている人も多いです。榮倉さんも、新しい知識や技術について勉強されたのですか?

榮倉:ビジネスに関係していなくても、サステナブル自体が難しいと思います。奥が深く、また見る人の角度や立場によっても答えが変わってくる。個人的には自宅でコンポストをやっていて、本当にできることから少しずつ取り組んでいるのですが、それがあまりにもちっぽけ過ぎて、気が遠くなるときがあります。ただ、小さくてもとにかく続けることが大切だと信じ、自分を鼓舞しています。

「ニューナウ」でいうと、会社の規模や資金力、ステージによって、できることとできないことは変わってくると感じます。私の頭の中で描いていること全てを実現しようとすると、現在の「ニューナウ」の規模ではまだまだ足りない。でも、それでいいと思っています。できることからコツコツと取り組み、そこから継続してできる方法や仲間を探し、大きくなっていきたいです。

WWD:作り手として、1つの大きなステージが受注会だったと思います。

榮倉:5日間開催し、私も会場に立ちました。楽しかったです。「ニューナウ」の服がさまざまな体形や幅広い世代の方に似合うことをお客さまに改めて見せてもらい、次の受注会に生かすヒントにもなりました。生の声を聞けて幸せでした。

WWD:同じ“買い物”でも、従来の買い物と受注会のオーダーでは、購入側の姿勢や気持ちにも違いがあるのでしょうか?

榮倉:受注会を開催した理由は、受注生産にすることで過剰在庫を持たず、廃棄される服を減らしたかったから。「ニューナウ」を買ったら、そういう付加価値があると思ってくださったらうれしいです。でも、服を買うお客さまが、その付加価値に魅力を感じて買ってくださるのか、それとも服が美しいから買ってくださるのか、それは私たちが決めることではありません。どちらの思いで買ってくださった方にもスペシャルな服を届けたいと思っています。

WWD:CEOとしてここまでやってきて得た気付きや学びはありますか?

榮倉:コツコツやっていくことと、日々変わる目の前の課題に柔軟に対応する重要性です。

環境だけでなく
人の心や気持ちも大切にしたい

WWD:ファッションブランドに関わる多くの関係者が、環境への思いと、企業を成り立たせるために作り続けることへの葛藤を抱えています。「ニューナウ」としてはどう考えていますか?

榮倉:アパレルブランドを始めたり続けたりすることは、環境への思いと相反する部分もあります。でも、「ニューナウ」のように受注生産で在庫をコントロールして、さらに10年後も大切にきれいに着続けられる服を作るなら、けして無駄ではありません。そして、「ニューナウ」の成長と共にできることもきっと増えていく。忘れてはいけないのは、洋服ってすごく楽しいじゃないですか。

WWD:それを今言おうと思っていました!ファッションへの愛がとても伝わります。

榮倉:やはり、物理的にも精神的にもまずは楽しくないと。だからこそきれいな服を着ることは大事。私は、イタリアブランド「トッズ(TOD'S)」のアンバサダーとして公私ともに長くいい関係を築かせていただいていますが、それは「トッズ」がクラフツマンシップやアフターケアの重要性を考えていて、尊敬しているからこそ。環境だけでなく、人の心や気持ちを考えることも同じくらい大切。それら2つを両立させられることを、ブランドを通じて実現していきたいです。

WWD:ところで、私は先日合同展「エコプロ」に行ったのですが、そこには小学生や中学生もたくさん来ていたんです。中には盛り上がっているブースとそうでないブースがあり、盛り上がっているブースには、子どもの心をつかみやすいVRがあったり、キャッチーな遊びがあったり。もう1つ面白かったのが、大人が一生懸命説明しているブースは、子どもたちも真剣に話を聞いているんです。本気は子どもには伝わるんだと、熱量は大事なんだと感じました。冒頭でお子さんが1つのきっかけということでしたが、子どもの手本にならなければという気持ちはありますか?

榮倉:教育環境でも、サステナブルやSDGs、地球という言葉をよく聞くようになりましたよね。とてもいいことだと思います。私が子どもに見てもらいたいのは、自分事として捉えて、行動に移している姿。本を読んで教えることは誰にでもできますが、親として行動している姿を見て学んでほしい。それが、次世代の社会を担う子どもたちに対して見せるべき姿だと、大人として責任を感じています。

WWD:背中を見せましょう。最後に、今後「ニューナウ」として挑戦したいことは?

榮倉:「ニューナウ」として、榮倉奈々として、賀来奈々として私が目指している目標は、とても大きすぎて1人では成し遂げられません。クラフツマンシップやフェアトレード、環境問題についてもそうですが、まだ皆さんにお伝えできるほどまとまっていないので、これから一緒に頑張れる仲間や方法を見つけて、自分なりに前に進んでいきたいです。

会場の参加者とのQ&A

参加者:サステナブルが魅力あるファッションで楽しいという話に共感しました。起業して1つの目標を達成し、次に見えている課題を教えてください。

榮倉:洋服を楽しんでもらうことを継続するのがとても重要だと考えています。今後は、受注生産の過程で出た布で何か作れないかなど、アイデアはたくさんあります。そして、もう少し大きな渦を巻き起こしたい。今はまだそれぐらいしか言えないのですが、仲間と出会うべくして出会いながら、つながっていきたいです。

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「グローバルノースの大量消費を解決するためにいるのではない」 古着の最終地点ケニアのデザイナーと現状を議論

ケニア出身のデザイナー、イオナ・マクレス(Iona Mccreath)は自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるファッションブランド「キコ ロメオ(KIKOROMEO)」を通して、現地の伝統技法を現代的に昇華したモノ作りを続ける。彼女が拠点とするケニアは美しいクリエイティビティーに溢れる土地でありながら、世界の大量生産・大量消費が生み出す古着の最終地点にもなっている。昨年現地を訪れたサステナブルファッションの啓発活動を続ける一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗を交えて、ケニアの現状とファッション産業のあるべき未来を議論する。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


木村和花WWDJAPAN編集部記者(以下、WWD):1人目のゲストは、一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗さんです。そもそもこのテーマをサミットで取り上げたいと思ったのは、鎌田さんが2023年8月に古着の行き着く先を見るためにケニアに行ったというお話を聞いたのがきっかけでした。この後、現地の様子を詳しくお話しいただきます。2人目は、アフリカ・ケニアからご参加いただきましたファッションデザイナーのイオナ・マクレスさんです。イオナさんは「キコロメオ(KIKOROMEO)」というファッションブランドのクリエイティブ・ディレクターで、ケニアのファッションシーンを担うデザイナーの1人です。自己紹介とブランドの紹介をお願いします。

イオナ・マクレス=「キコロメオ」クリエイティブ・ディレクター(以下、マクレス):皆さんこんばんは。今日この場に参加できてとてもうれしいです。「キコ ロメオ」は私の母が1996年に始めたブランドで、2020年に私が引き継ぎました。サステナビリティに関してはさまざまなことに取り組んでいます。まず大事にしていることは、人々がずっと持ち続けたくなるような素晴らしい伝統を持つ服を作ること。衣服は投資であり、生涯ずっと持ち続けてもらうものであるべきだと思います。私たちの服には、アートが欠かせません。例えば今スクリーンに映っているのは、スーダンのアーティストがハンドペイントで描いた絵で、私の後ろにある絵も彼の作品です。バティックやそのほかの伝統的な染め技法も多く使っています。今私が着ているもののように、伝統や芸術性を生かしながらケニアのストーリーを、服を通じて伝えることに挑戦しています。ほかにもケニア北部のビーズ細工のパターンを取り入れるといった、伝統的なものをインスピレーション源としています。生地は、リネンやケニアで紡がれたコットンなど天然繊維のみを使用しています。日本とは、生地の使い方や作り方、染め方などの歴史や知恵を共有していると思います。以上が私のブランドについてです。

WWD:色が印象的ですが、染色は植物染めですか?

マクレス:いいえ、現在は認証済みの染料を使っていますが植物由来というわけではありません。でも今植物由来の染料で鮮やかな色を出す方法を探しているところです。木の皮や植物を使ってできないかなどいろいろ試しているところで、近々お披露目できたらと思います。

WWD:ありがとうございます。もう一つ、「キコ ロメオ」の顧客層や販路についても教えてください。

マクレス:顧客基盤はとても広く、世界中に顧客がいます。共通点を挙げるとしたら、芸術性を大事にしている点。それから、自分の人生や未来を豊かにするような、投資対象として服を購入しようという価値観を持っている点。世界を旅して、地球環境やサステナビリティ、周りの人々に配慮した選択をしようとしている人たちですね。商品は公式ウェブサイトで販売しています。今まさに世界に販路を広げようと思っているところで、いつか日本でも実現したいです。

輸入される古着の質が低下 そのまま売れるものは2、3割に

WWD:彼女が生まれ育ったケニアは素晴らしい伝統工芸やクリエイティビティーに溢れる土地ですが、もう一つの側面としてファッション産業が生み出す廃棄された服の最終到着地点の一つにもなっています。鎌田さんのケニア滞在の様子をお話しいただけますか?

鎌田:ありがとうございます。私はファッション産業の透明性を高めるグローバルキャンペーン、ファッションレボリューションの日本の事務局をしています。イオナのお母さんが同団体のケニアの代表だったことから、彼女と出会うことができました。8月にはナイロビを中心にケニアのさまざまな場所を訪ねました。最初の写真は、ナイロビ市内の古着マーケットです。数字は50シリング、30シリングという値段です。1シリング大体1円くらいなので、50円、30円ですね。ケニアは物価も上がっていて、貧富の差は激しいんですが、われわれのような海外から行った人が訪ねるようなレストランやカフェでランチを食べると1500円くらい。東京とあまり変わらないですよね。一方で服がとても安い。その理由の1つが、欧米諸国から大量に輸入される古着です。これがモンバサというナイロビの近くの港に届いた古着のかたまりです。現地ではミツンバと呼ばれています。日本だとベールと呼ぶと思います。50kgぐらいのかたまりを2万、3万円程度で古着の業者が購入します。10年前は大体5、6割がそのままマーケットで売れたそうですが、現在そのまま売れるものは2、3割だそうです。それ以外のものは質が悪かったり、傷んでいたりする。街中にはミシンが並んでいるエリアがあり、そこではお直しが行われます。子供服の方が消費のスピードが早いので、大人の服をザクザク切って縫って子供服のサイズにしたりといったことも行われています。お直しをしているとはいえ、寿命が延びるのはすごく短い期間なのかなと思います。

WWD:先ほどの市場の写真では50円30円の服が並んでいましたが、以前はもっと1500円くらいが普通だったんですね。

鎌田:エリアによっては現在もいいものを売っている場所はあるようですが、全体としてその割合が変わってきている。ちなみに先ほどのミツンバはどこから入ってくるかというとイギリス、中国、アメリカ、それからパキスタン、トルコが多いそうです。日本の服は見かけなかったですが現地の方に聞くと「日本の服はパキスタンからたくさん入ってきます」とおっしゃっていて、そういう形で回っているんだなと思いました。

服の形をしたプラスチックが現地の環境を汚染

WWD:ちなみにイオナは先ほどのマーケットには行くんですか?

イオナ:はい、行ったことがあります。今話に上がっていたようにここ数年で、間違いなく古着の質は落ちています。私たちは最近、埋立地の衣類を再利用するプロジェクトを始めました。Tシャツはちょっとしたダメージやシミで売れずに膨大な量が埋め立てられています。これは私たちが作ったバッグで、埋立地から拾ったTシャツ7枚で製作したものです。

鎌田:埋立地に行く前にいろんな形でレスキューされていく服を目撃して、そのクリエイティビティーは本当にワクワクするものがありました。お直しをしていた現場の足元では、端切れをそのまま床に落とすのでマーケットの中が常時10cmから1mぐらい端切れが積み重なって、歩くとふかふかするんです。それが水分も含んで非常に強いにおいがする。その上マーケットの真ん中を流れている川にも端切れや売れない服がそのまま流れ込んでいくような状況です。ケニアに輸入されている服の3枚に1枚はポリエステル混であるといわれています。ケニアはゴミ回収と焼却、再生の仕組みが整っていないため、環境汚染や自公衆衛生上の観点から厳しくプラスチックを取り締まっているんですが、衣類は取り締まられていないので衣類の形をしたプラスチックが河川を汚染してしまう、あるいは土壌汚染してしまうということが一つの大きな問題です。

WWD:端切れ以外の服も混ざっていますね。すごい量だということが分かります。

鎌田:端切れはトラクターが定期的に回収し、ナイロビ市内の埋立地ダンドラという場所に運んでいきます。服だけでなく医療ゴミなど特殊なもの以外はほぼここに集まるため、すでにこれ以上ゴミを埋め立てられなくなっている現状もあります。ここでは見慣れたブランドの服もそのまま落ちていました。非常に真新しい服も落ちています。洗濯表示を見ると、ポリエステル由来のものが多い。日本では洗濯するときのマイクロファイバーが課題として指摘されますが、こういった形でそのまま服が河川や埋立地に入ってしまう可能性もあるんだと思いました。それからもう一つの問題が、国内産業への影響です。これはアフリカのいろんな国々が対策を考えていて、古着の輸入を禁止するところが出ていてきます。ナイロビから2、3時間離れたところの大きな工場に話を聞くと、以前はファッションアパレルがメインだったそうですが、それでは経営できないので今は軍隊の制服やガソリンスタンドなどのグローバルブランドの制服などをメインの事業として行っているそうです。もう一つ忘れてはいけないのが、非常にクリエイティブで面白いクリエイションをしている若いデザイナーが現地にはたくさんいるということ。彼らは古着を素材として扱う感覚が非常に強い。新しい生地を買って服を作るよりも、マーケットに行ってマテリアルとして古着を調達して服を作っています。また現地の適正価格で新品の服を作ると到底売れないとも話していました。適正価格であっても古着に比べると高いのでなかなかビジネスをするのが難しいそうです。こうしたクリエイティビティーの芽をつんでしまうようなことがあるのはもったいないことだなと思いました。

「他人の問題を解決するためにでは疲弊してしまう」

WWD:滞在後、率直にどんな感想をお持ちになりましたか?

鎌田:服のエンドオブライフを考える、循環の仕組みを作るという言葉を耳にすることは増えていますが、本当に服を循環させるのは非常に難しい。全然できていないと強く感じましね。アフリカにある種押し付けてしまっている部分もあると思います。衣類は混紡が多く分離して再生する技術がまだ確立されていなかったり、国内で回収して再利用する際のコストの部分だったりといった課題はありますが、そこを改善していくためには具体的な仕組みや制度を考えていく必要性を感じました。

WWD:イオナはこの現状をどう思っていますか?

マクレス:今鎌田さんが話してくれた内容はまさに現場で起こっていることです。写真を見たことはあっても、実際に何が起こっているかをそこから図ることは難しいでしょうし、現実を外に伝えていくことも簡単ではありません。だからこそ、このような会話の場をもっと生み出していくべきだと思いました。古着の廃棄に加えて、ケニアには「H&M」のようなインターナショナルブランドの巨大な製造拠点もあり、そこで使われなかった新しい生地も同じマーケットに捨てられています。私たちはブランドとしてそうした生地にバティックを施して美しい服を新たに生み出したりしてサステナビリティに取り組むことができますが、問題なのは主にグローバルノースに生きる人々の大量消費を解決するために、私たちがイノベーションを起こさなければいけないことです。アップサイクルしますが、それはしなければいけないからなのです。もちろんここでイノベーションを起こせることは素晴らしいですが、他人の問題を解決するためにという目的のためでは疲弊してしまいます。もう一つの問題は、安い古着が輸入され、さらに再販を繰り返すことで、価格のシステムが完全にゆがんでしまうことです。若手を含めた多くのデザイナーが、ビジネスを続けるために適切な価格をつけようと試みています。しかし、人々は安い価格に慣れているせいでそれらがとても高いと認識されてしまう。つまり、大量の古着が流れ着いている現状はさまざまな問題を起こしています。そしてこのような会話をすること、現実を直視することがとても重要だと思います。私たちは、デザインの仕方を考え直すこと、そして服の最後を考えてデザインする必要があります。世界ではエンドオブライフを考慮せずに作り続けてきたために、廃棄物をどう処理していくべきかという問題を抱えています。だからこそ、ものの最後を念頭に置いてデザインするようになるだけでも問題解決に向けた大きな一歩になるはずです。最後に、私たちの消費主義的価値観の見直しです。人々はもはやそれが美意識とも言えるくらいに、消費に取り憑かれています。この価値観が変化していくには長い時間がかかると思います。消費に対する価値観を徐々に変えると同時に、消費主義の中でもできるだけ害の少ないモノ作りとは何かを考えていくことが重要だと思います。

鎌田:価格の話は、日本でも全く同じ状況だと思います。価格勝負の中ではインディペンデントなクリエイターがビジネスを続けていくことが非常に難しい。日本においてもこの30年で衣服の平均価格は約半分になりました。価格が下がると同時に、衣服の所有期間が短くなっているというデータもあります。自分自身を振り返っても学生時代に服がどんどん安くなってかわいい服が買えるのがうれしかったですが、ある日家に帰ると全然愛着がない服がたくさんある。飽きてしまった服は一応どこかに寄付しますけど回収した企業がどういうふうに服を回していけるかというと、繊維to繊維のリサイクル率は1%未満ですよね。リユースされるとはいえ、最終地点の一つの形としてケニアみたいな状況がある。適正価格と適正な生産量をどう考えていけば良いのかは非常に悩ましいですよね。

「美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがい」

WWD:イオナの周りの若いファッションデザイナーは、こうした現状を見ながらも新しいものを作り続けたいというパッションを持つ人は多いのでしょうか?

マクレス:もちろんです。アートにしろ、ファッションにしろ、何か美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがいだと思いますし、このような廃棄やそのほかさまざまな問題のソリューションにもなりえます。ケニアには多くの才能あふれるデザイナーがいます。彼らが置かれた環境に限定されずに、どのようにグローバル市場にアクセスできるかということも考えていきたいです。

WWD:イオナは次世代のサステナブル素材の研究開発にも携わっています。

マクレス:素材開発は、私が一番情熱をささげていることです。テキスタイルとそのイノベーションの世界が大好きなんです。最近取り組んでいるプロジェクトは、地元で入手できる原材料のバリエーションを増やし、エンドオブライフの観点からも実用的な代替素材の開発です。生分解性かつ、肌にも優しい生地は作れないかなどですね。たとえば、サイザルです。まずサイザルを使ってバスケットを作っている地元の女性グループに話を聞きました。これはサイザルを土を使って染色しているところですね。ここの土はとても強力で、茶色の顔料を含んでいるので、とてもいい色を出すんです。そのほかにも煙や木の皮などさまざまなものを使って染めています。これは、彼女たちがサイザルから繊維を抽出し、糸にするところです。従来はこれでバスケットを作っていましたが、私たちはこの糸をもっと細くすることで衣料品を作れないか研究しています。今は研究開発の道なかばで、糸を使って織ることはできましたが、今後もっと柔らかな糸にしたいと思っています。昔からある技術やリソースといった過去を振り返りながらも、新しい未来を作っていく作業はとても楽しいプロセスです。

WWD:彼女のように地元の特徴に焦点を当てて、そこからしか生まれないクリエイションを生み出すというのはすごく良いアイデアだと思います。

鎌田:そうですね。現地でデザイナーと話すと、エンドオブライフの現場にいるので生み出すことへの恐れも当然感じると。ではもう、古着だけ着てれば良いのかというと、それはあまりにも喜びがない。作るという喜びは人間にとって根源的なものだからそれを奪われたくないと強く主張していました。日本でもほとんど海外に生産が移っています。もちろん国外生産が悪いわけではないですし、大量生産がすぐに悪とはいえないかもしれないですが、それぞれの土地で育まれてきた技術が全く使われなくなってしまうのは明らかにもったいないこと。作る喜びを感じながら、それぞれの土地のユニークネスがもっと生き残っていけるような形にできないんだろうかと考えました。

WWD:そこも私たちが考えていかないといけない持続可能性の大事なポイントの一つですね。先ほどの動画にもあったエプソンも古着を使った素材を開発している。

鎌田:エプソンは紙の再生技術ドライファイバーテクノロジーを繊維製品に活用するための技術開発を行っています。今衣類のリサイクルの一つの大きな課題は、複数の繊維を分離してそれぞれ生かすことだと思いますが、混ざった状態でも再生できる選択肢を模索しているようです。

「個人が感じている違和感を業務に反映できるような制度を」

WWD:最後に鎌田さんから、日本のファッション産業に関わる人たちに伝えたいことは?

鎌田:皆さんここにいらっしゃるということは、どうにか産業を変えなくてはいけないと思われているかもしれません。ファッション産業で働く1人1人の方と話すと、繊維やファッションへの強い愛着を感じます。日々仕事をする中で企業人として売り上げを伸ばし続けなければいけないということと、明らかに環境的に無理が来ているという、どちらもが一人の人の中に共存しています。今の経済システムでは売り上げを上げながら、一気に環境負荷を低くすることが難しい。環境負荷が低い方が、価格が高いですし、生み出したものに対して責任を持たなくていい仕組みになっています。産業によっては生産量に合わせて回収して再生する責任を負う業界もありますが、そういった制度がない中で1人の努力、個社の努力で変えられることには限界があると思います。ですので、個人が感じている違和感や変えた方がいいと思っていることを業務に反映できるような制度、政策について、どこかに過度に負担がかからない形できちんと議論されていく必要が早急にあると思います。

WWD:イオナからも最後に来場者へのメッセージをいただけますでしょうか。

イオナ:ありがとうございます。生産者であれ、消費者であれ、この産業に関わる全ての人たちが過去を振り返り、そしてこれからどこに向かおうとしているのかを立ち止まって考えること、そして衣服のエンドオブライフを設計段階から考え、消費主義の価値観を見直すこと、産業と国とがつながり方法を見つけていくことが大事です。エプソンのチームがケニアにきて進めていることを見ただけでもとても驚きました。そうした垣根を越えたコラボレーションによって今私たちが直面している問題を解決できると思います。

WWD:ありがとうございました。

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「グローバルノースの大量消費を解決するためにいるのではない」 古着の最終地点ケニアのデザイナーと現状を議論

ケニア出身のデザイナー、イオナ・マクレス(Iona Mccreath)は自身がクリエイティブ・ディレクターを務めるファッションブランド「キコ ロメオ(KIKOROMEO)」を通して、現地の伝統技法を現代的に昇華したモノ作りを続ける。彼女が拠点とするケニアは美しいクリエイティビティーに溢れる土地でありながら、世界の大量生産・大量消費が生み出す古着の最終地点にもなっている。昨年現地を訪れたサステナブルファッションの啓発活動を続ける一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗を交えて、ケニアの現状とファッション産業のあるべき未来を議論する。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


木村和花WWDJAPAN編集部記者(以下、WWD):1人目のゲストは、一般社団法人ユニステップス代表の鎌田安里紗さんです。そもそもこのテーマをサミットで取り上げたいと思ったのは、鎌田さんが2023年8月に古着の行き着く先を見るためにケニアに行ったというお話を聞いたのがきっかけでした。この後、現地の様子を詳しくお話しいただきます。2人目は、アフリカ・ケニアからご参加いただきましたファッションデザイナーのイオナ・マクレスさんです。イオナさんは「キコロメオ(KIKOROMEO)」というファッションブランドのクリエイティブ・ディレクターで、ケニアのファッションシーンを担うデザイナーの1人です。自己紹介とブランドの紹介をお願いします。

イオナ・マクレス=「キコロメオ」クリエイティブ・ディレクター(以下、マクレス):皆さんこんばんは。今日この場に参加できてとてもうれしいです。「キコ ロメオ」は私の母が1996年に始めたブランドで、2020年に私が引き継ぎました。サステナビリティに関してはさまざまなことに取り組んでいます。まず大事にしていることは、人々がずっと持ち続けたくなるような素晴らしい伝統を持つ服を作ること。衣服は投資であり、生涯ずっと持ち続けてもらうものであるべきだと思います。私たちの服には、アートが欠かせません。例えば今スクリーンに映っているのは、スーダンのアーティストがハンドペイントで描いた絵で、私の後ろにある絵も彼の作品です。バティックやそのほかの伝統的な染め技法も多く使っています。今私が着ているもののように、伝統や芸術性を生かしながらケニアのストーリーを、服を通じて伝えることに挑戦しています。ほかにもケニア北部のビーズ細工のパターンを取り入れるといった、伝統的なものをインスピレーション源としています。生地は、リネンやケニアで紡がれたコットンなど天然繊維のみを使用しています。日本とは、生地の使い方や作り方、染め方などの歴史や知恵を共有していると思います。以上が私のブランドについてです。

WWD:色が印象的ですが、染色は植物染めですか?

マクレス:いいえ、現在は認証済みの染料を使っていますが植物由来というわけではありません。でも今植物由来の染料で鮮やかな色を出す方法を探しているところです。木の皮や植物を使ってできないかなどいろいろ試しているところで、近々お披露目できたらと思います。

WWD:ありがとうございます。もう一つ、「キコ ロメオ」の顧客層や販路についても教えてください。

マクレス:顧客基盤はとても広く、世界中に顧客がいます。共通点を挙げるとしたら、芸術性を大事にしている点。それから、自分の人生や未来を豊かにするような、投資対象として服を購入しようという価値観を持っている点。世界を旅して、地球環境やサステナビリティ、周りの人々に配慮した選択をしようとしている人たちですね。商品は公式ウェブサイトで販売しています。今まさに世界に販路を広げようと思っているところで、いつか日本でも実現したいです。

輸入される古着の質が低下 そのまま売れるものは2、3割に

WWD:彼女が生まれ育ったケニアは素晴らしい伝統工芸やクリエイティビティーに溢れる土地ですが、もう一つの側面としてファッション産業が生み出す廃棄された服の最終到着地点の一つにもなっています。鎌田さんのケニア滞在の様子をお話しいただけますか?

鎌田:ありがとうございます。私はファッション産業の透明性を高めるグローバルキャンペーン、ファッションレボリューションの日本の事務局をしています。イオナのお母さんが同団体のケニアの代表だったことから、彼女と出会うことができました。8月にはナイロビを中心にケニアのさまざまな場所を訪ねました。最初の写真は、ナイロビ市内の古着マーケットです。数字は50シリング、30シリングという値段です。1シリング大体1円くらいなので、50円、30円ですね。ケニアは物価も上がっていて、貧富の差は激しいんですが、われわれのような海外から行った人が訪ねるようなレストランやカフェでランチを食べると1500円くらい。東京とあまり変わらないですよね。一方で服がとても安い。その理由の1つが、欧米諸国から大量に輸入される古着です。これがモンバサというナイロビの近くの港に届いた古着のかたまりです。現地ではミツンバと呼ばれています。日本だとベールと呼ぶと思います。50kgぐらいのかたまりを2万、3万円程度で古着の業者が購入します。10年前は大体5、6割がそのままマーケットで売れたそうですが、現在そのまま売れるものは2、3割だそうです。それ以外のものは質が悪かったり、傷んでいたりする。街中にはミシンが並んでいるエリアがあり、そこではお直しが行われます。子供服の方が消費のスピードが早いので、大人の服をザクザク切って縫って子供服のサイズにしたりといったことも行われています。お直しをしているとはいえ、寿命が延びるのはすごく短い期間なのかなと思います。

WWD:先ほどの市場の写真では50円30円の服が並んでいましたが、以前はもっと1500円くらいが普通だったんですね。

鎌田:エリアによっては現在もいいものを売っている場所はあるようですが、全体としてその割合が変わってきている。ちなみに先ほどのミツンバはどこから入ってくるかというとイギリス、中国、アメリカ、それからパキスタン、トルコが多いそうです。日本の服は見かけなかったですが現地の方に聞くと「日本の服はパキスタンからたくさん入ってきます」とおっしゃっていて、そういう形で回っているんだなと思いました。

服の形をしたプラスチックが現地の環境を汚染

WWD:ちなみにイオナは先ほどのマーケットには行くんですか?

イオナ:はい、行ったことがあります。今話に上がっていたようにここ数年で、間違いなく古着の質は落ちています。私たちは最近、埋立地の衣類を再利用するプロジェクトを始めました。Tシャツはちょっとしたダメージやシミで売れずに膨大な量が埋め立てられています。これは私たちが作ったバッグで、埋立地から拾ったTシャツ7枚で製作したものです。

鎌田:埋立地に行く前にいろんな形でレスキューされていく服を目撃して、そのクリエイティビティーは本当にワクワクするものがありました。お直しをしていた現場の足元では、端切れをそのまま床に落とすのでマーケットの中が常時10cmから1mぐらい端切れが積み重なって、歩くとふかふかするんです。それが水分も含んで非常に強いにおいがする。その上マーケットの真ん中を流れている川にも端切れや売れない服がそのまま流れ込んでいくような状況です。ケニアに輸入されている服の3枚に1枚はポリエステル混であるといわれています。ケニアはゴミ回収と焼却、再生の仕組みが整っていないため、環境汚染や自公衆衛生上の観点から厳しくプラスチックを取り締まっているんですが、衣類は取り締まられていないので衣類の形をしたプラスチックが河川を汚染してしまう、あるいは土壌汚染してしまうということが一つの大きな問題です。

WWD:端切れ以外の服も混ざっていますね。すごい量だということが分かります。

鎌田:端切れはトラクターが定期的に回収し、ナイロビ市内の埋立地ダンドラという場所に運んでいきます。服だけでなく医療ゴミなど特殊なもの以外はほぼここに集まるため、すでにこれ以上ゴミを埋め立てられなくなっている現状もあります。ここでは見慣れたブランドの服もそのまま落ちていました。非常に真新しい服も落ちています。洗濯表示を見ると、ポリエステル由来のものが多い。日本では洗濯するときのマイクロファイバーが課題として指摘されますが、こういった形でそのまま服が河川や埋立地に入ってしまう可能性もあるんだと思いました。それからもう一つの問題が、国内産業への影響です。これはアフリカのいろんな国々が対策を考えていて、古着の輸入を禁止するところが出ていてきます。ナイロビから2、3時間離れたところの大きな工場に話を聞くと、以前はファッションアパレルがメインだったそうですが、それでは経営できないので今は軍隊の制服やガソリンスタンドなどのグローバルブランドの制服などをメインの事業として行っているそうです。もう一つ忘れてはいけないのが、非常にクリエイティブで面白いクリエイションをしている若いデザイナーが現地にはたくさんいるということ。彼らは古着を素材として扱う感覚が非常に強い。新しい生地を買って服を作るよりも、マーケットに行ってマテリアルとして古着を調達して服を作っています。また現地の適正価格で新品の服を作ると到底売れないとも話していました。適正価格であっても古着に比べると高いのでなかなかビジネスをするのが難しいそうです。こうしたクリエイティビティーの芽をつんでしまうようなことがあるのはもったいないことだなと思いました。

「他人の問題を解決するためにでは疲弊してしまう」

WWD:滞在後、率直にどんな感想をお持ちになりましたか?

鎌田:服のエンドオブライフを考える、循環の仕組みを作るという言葉を耳にすることは増えていますが、本当に服を循環させるのは非常に難しい。全然できていないと強く感じましね。アフリカにある種押し付けてしまっている部分もあると思います。衣類は混紡が多く分離して再生する技術がまだ確立されていなかったり、国内で回収して再利用する際のコストの部分だったりといった課題はありますが、そこを改善していくためには具体的な仕組みや制度を考えていく必要性を感じました。

WWD:イオナはこの現状をどう思っていますか?

マクレス:今鎌田さんが話してくれた内容はまさに現場で起こっていることです。写真を見たことはあっても、実際に何が起こっているかをそこから図ることは難しいでしょうし、現実を外に伝えていくことも簡単ではありません。だからこそ、このような会話の場をもっと生み出していくべきだと思いました。古着の廃棄に加えて、ケニアには「H&M」のようなインターナショナルブランドの巨大な製造拠点もあり、そこで使われなかった新しい生地も同じマーケットに捨てられています。私たちはブランドとしてそうした生地にバティックを施して美しい服を新たに生み出したりしてサステナビリティに取り組むことができますが、問題なのは主にグローバルノースに生きる人々の大量消費を解決するために、私たちがイノベーションを起こさなければいけないことです。アップサイクルしますが、それはしなければいけないからなのです。もちろんここでイノベーションを起こせることは素晴らしいですが、他人の問題を解決するためにという目的のためでは疲弊してしまいます。もう一つの問題は、安い古着が輸入され、さらに再販を繰り返すことで、価格のシステムが完全にゆがんでしまうことです。若手を含めた多くのデザイナーが、ビジネスを続けるために適切な価格をつけようと試みています。しかし、人々は安い価格に慣れているせいでそれらがとても高いと認識されてしまう。つまり、大量の古着が流れ着いている現状はさまざまな問題を起こしています。そしてこのような会話をすること、現実を直視することがとても重要だと思います。私たちは、デザインの仕方を考え直すこと、そして服の最後を考えてデザインする必要があります。世界ではエンドオブライフを考慮せずに作り続けてきたために、廃棄物をどう処理していくべきかという問題を抱えています。だからこそ、ものの最後を念頭に置いてデザインするようになるだけでも問題解決に向けた大きな一歩になるはずです。最後に、私たちの消費主義的価値観の見直しです。人々はもはやそれが美意識とも言えるくらいに、消費に取り憑かれています。この価値観が変化していくには長い時間がかかると思います。消費に対する価値観を徐々に変えると同時に、消費主義の中でもできるだけ害の少ないモノ作りとは何かを考えていくことが重要だと思います。

鎌田:価格の話は、日本でも全く同じ状況だと思います。価格勝負の中ではインディペンデントなクリエイターがビジネスを続けていくことが非常に難しい。日本においてもこの30年で衣服の平均価格は約半分になりました。価格が下がると同時に、衣服の所有期間が短くなっているというデータもあります。自分自身を振り返っても学生時代に服がどんどん安くなってかわいい服が買えるのがうれしかったですが、ある日家に帰ると全然愛着がない服がたくさんある。飽きてしまった服は一応どこかに寄付しますけど回収した企業がどういうふうに服を回していけるかというと、繊維to繊維のリサイクル率は1%未満ですよね。リユースされるとはいえ、最終地点の一つの形としてケニアみたいな状況がある。適正価格と適正な生産量をどう考えていけば良いのかは非常に悩ましいですよね。

「美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがい」

WWD:イオナの周りの若いファッションデザイナーは、こうした現状を見ながらも新しいものを作り続けたいというパッションを持つ人は多いのでしょうか?

マクレス:もちろんです。アートにしろ、ファッションにしろ、何か美しいものを生み出したい気持ちは人々が根源的に持っている生きがいだと思いますし、このような廃棄やそのほかさまざまな問題のソリューションにもなりえます。ケニアには多くの才能あふれるデザイナーがいます。彼らが置かれた環境に限定されずに、どのようにグローバル市場にアクセスできるかということも考えていきたいです。

WWD:イオナは次世代のサステナブル素材の研究開発にも携わっています。

マクレス:素材開発は、私が一番情熱をささげていることです。テキスタイルとそのイノベーションの世界が大好きなんです。最近取り組んでいるプロジェクトは、地元で入手できる原材料のバリエーションを増やし、エンドオブライフの観点からも実用的な代替素材の開発です。生分解性かつ、肌にも優しい生地は作れないかなどですね。たとえば、サイザルです。まずサイザルを使ってバスケットを作っている地元の女性グループに話を聞きました。これはサイザルを土を使って染色しているところですね。ここの土はとても強力で、茶色の顔料を含んでいるので、とてもいい色を出すんです。そのほかにも煙や木の皮などさまざまなものを使って染めています。これは、彼女たちがサイザルから繊維を抽出し、糸にするところです。従来はこれでバスケットを作っていましたが、私たちはこの糸をもっと細くすることで衣料品を作れないか研究しています。今は研究開発の道なかばで、糸を使って織ることはできましたが、今後もっと柔らかな糸にしたいと思っています。昔からある技術やリソースといった過去を振り返りながらも、新しい未来を作っていく作業はとても楽しいプロセスです。

WWD:彼女のように地元の特徴に焦点を当てて、そこからしか生まれないクリエイションを生み出すというのはすごく良いアイデアだと思います。

鎌田:そうですね。現地でデザイナーと話すと、エンドオブライフの現場にいるので生み出すことへの恐れも当然感じると。ではもう、古着だけ着てれば良いのかというと、それはあまりにも喜びがない。作るという喜びは人間にとって根源的なものだからそれを奪われたくないと強く主張していました。日本でもほとんど海外に生産が移っています。もちろん国外生産が悪いわけではないですし、大量生産がすぐに悪とはいえないかもしれないですが、それぞれの土地で育まれてきた技術が全く使われなくなってしまうのは明らかにもったいないこと。作る喜びを感じながら、それぞれの土地のユニークネスがもっと生き残っていけるような形にできないんだろうかと考えました。

WWD:そこも私たちが考えていかないといけない持続可能性の大事なポイントの一つですね。先ほどの動画にもあったエプソンも古着を使った素材を開発している。

鎌田:エプソンは紙の再生技術ドライファイバーテクノロジーを繊維製品に活用するための技術開発を行っています。今衣類のリサイクルの一つの大きな課題は、複数の繊維を分離してそれぞれ生かすことだと思いますが、混ざった状態でも再生できる選択肢を模索しているようです。

「個人が感じている違和感を業務に反映できるような制度を」

WWD:最後に鎌田さんから、日本のファッション産業に関わる人たちに伝えたいことは?

鎌田:皆さんここにいらっしゃるということは、どうにか産業を変えなくてはいけないと思われているかもしれません。ファッション産業で働く1人1人の方と話すと、繊維やファッションへの強い愛着を感じます。日々仕事をする中で企業人として売り上げを伸ばし続けなければいけないということと、明らかに環境的に無理が来ているという、どちらもが一人の人の中に共存しています。今の経済システムでは売り上げを上げながら、一気に環境負荷を低くすることが難しい。環境負荷が低い方が、価格が高いですし、生み出したものに対して責任を持たなくていい仕組みになっています。産業によっては生産量に合わせて回収して再生する責任を負う業界もありますが、そういった制度がない中で1人の努力、個社の努力で変えられることには限界があると思います。ですので、個人が感じている違和感や変えた方がいいと思っていることを業務に反映できるような制度、政策について、どこかに過度に負担がかからない形できちんと議論されていく必要が早急にあると思います。

WWD:イオナからも最後に来場者へのメッセージをいただけますでしょうか。

イオナ:ありがとうございます。生産者であれ、消費者であれ、この産業に関わる全ての人たちが過去を振り返り、そしてこれからどこに向かおうとしているのかを立ち止まって考えること、そして衣服のエンドオブライフを設計段階から考え、消費主義の価値観を見直すこと、産業と国とがつながり方法を見つけていくことが大事です。エプソンのチームがケニアにきて進めていることを見ただけでもとても驚きました。そうした垣根を越えたコラボレーションによって今私たちが直面している問題を解決できると思います。

WWD:ありがとうございました。

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ケリング×CI 生物多様性とファッションの関係をわかりやすく解説

地球上には知られていない種も含めて3000万以上の生き物が存在すると考えられており、それらは直接・間接的に支え合って存在している。その生物多様性の損失が今、大きな問題となっている。ファッションは生物多様性とどう関わりがあり、そして、損失を止め自然を回復するために何ができるのか?専門家である、ケリング(KERING)のサブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ=ソーシングおよび生物多様性スペシャリストと、ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクターを迎えて、実は深いその関係性について理解を深める。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):自己紹介をアメリアさんからお願いします。

ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクター(以下、アメリア):私は日本人の母親と、アメリカ人の父親での間で生まれました。出身地の米国ウィスコンシン州は北海道と同じ緯度で寒い地域です。酪農地として知られており、子供のころは東京の学校に通いつつ、夏休みはウィスコンシンの牧場で馬の世話をしていました。

2023年3月末にコンサベーション・インターナショナル・ジャパンへ転職する前は、イノベーション・コンサルティングとして、多くの日本企業と一緒に新製品やサービス、体験を開発する仕事に携わってきました。いろいろな産業の現場を見てきましたが、 中でも食品産業と農業の未来を考えるプロジェクトに携わったことで、自分自身の意識が変わりました。農業における化学肥料使用と健康被害、農家の搾取といった問題ですね。食品を大量生産する中で、地球も人間の体も病んでしまう構造が見えてしまった。

それ以降は、どの産業においても自然と調和する形でビジネスを展開していく必要性を感じ、そこに一番のイノベーション・チャレンジがあると考えるようになりました。コンサベーション・インターナショナル(以下CI)は、政府や企業との協働を通して地球規模の環境課題に取り組んでいる団体であり、そこに惹かれました。

WWD:パリのケリング本社からオンラインで参加のサブリナさん、自己紹介をお願いします。

サブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ =ソーシングおよび生物多様性スペシャリスト(以下、サブリナ):私はケリング・グループのサステナビリティ・チームで、持続可能な調達と生物多様性のスペシャリストとして働いています。特にレザーやコットン、ウール、カシミアのような環境負荷の高い主要原材料の調達に関連する影響を改善し、生物多様性への影響の理解をうながし、管理する手助けをしています。1年半前にケリングに入社し、グループのすべてのブランドとこれらのテーマについて協働してきました。専門は企業の持続可能性の支援、つまり企業が自然や気候、人々に与える影響をより理解し、取り扱うことを手助けすることです。ケリングの前は、世界自然保護基金WWFの英国事務所やその他の環境団体にいました。

人間は4つの生態系サービスを受け取っている

WWD:生物多様性は時代のキーワードですが、実のところその意味が分からない人は多いと思います。まずはアメリアさん、生物多様性の基本をレクチャーください。

アメリア:生物多様性とは、地球上の生命には幅広い多様性があることを指しています。バクテリアから大きな木、クジラから昆虫、キノコ類にカエルまで。つまりすべての種を指しています。そして、生物多様性には、3つのレベルがあります。 一つ目は遺伝子の多様性。例えば、犬にはさまざまなの犬種があります。また、 米もインドだけでも5万種があると言われています。2つ目は種の多様性。例えば、グレートバリアリーフの岩礁であればサンゴだけで400種類、魚で150種類、亀も10種類が生息していると言われています。 最後が生態系の多様性です。地球には砂漠や湿地帯、森林などさまざまなエコシステム、生態系があります。それらはずっと変わらないイメージがありますが、ジャングルが弱って砂漠化したり、サンゴも白化したりしています。

この3つの多様性が互いに関係性を持ち、密度が高まることで強さを増します。織物に置き換えると糸、色、ステッチの種類などが豊富になることで、より強いマテリアルとなったり、より長く使えたり、より美しくなる。その豊富さがつながっているのが生物多様性のイメージです。

WWD:健全な生態系において一種を失ってしまうと、どのような影響があるのでしょうか。

アメリア:こんな事例があります。1920年にアメリカのイエロストーンの国立公園で「捕食動物を駆除する」法律ができて、公園内のオオカミが絶滅しました。すると鹿の一種であるエルクが繁殖し過放牧となり景観が悪化、オオカミの重要さが認識されました。時が進み1995年、オオカミを公園に戻す取り組みを始めた結果、エルクの数が減少しバランスが取れ、ビーバーや鳥類が戻ってきて、川の浸食もなくなった。一種の動物が自然にどれだけ影響を与えているかがわかるストーリーです。

そしてなぜ生物多様性が人間にとっても重要かと言えば、人間の生活が生態系サービスの上に成り立っているからです。

WWD:サービスという言葉を使うのですか?

アメリア:はい、そうです。サービスには4つのカテゴリーがあります。1つは「基盤サービス」。死んだ生物を分解し栄養素を土へ戻し、光合成や土作り、遺伝的多様性の維持を行います。2つ目が「供給サービス」。飲み水や魚、食料など、人間が直接的に得られるものです。3つ目は「調節サービス」といって、空気や水の浄化、気温の調整など健全性を保つ機能が含まれるサービスです。4つ目の「文化的サービス」は自然の中での癒しやレジャーなど“モノ”とは異なるものを指します。

こういったサービには値段をつけることがあまりないので「価値がない」「壊してもいいもの」と思いがちですが、私たちの健康や地球上の生き物、それにビジネスの健康にとっても重要であることがわかると思います。

この瞬間も20分に1種が絶滅している

WWD:その生物多様性が今脅威にさらされています。

アメリア:生物多様性の宝庫として知られているアマゾンの熱帯はこの50年で、17%以上が失われ、ハチのようなポリネーターも40%以上減少していると言われています。ポリネーターは、果物や野菜、ナッツ、スパイスといった人間の食用作物の75パーセントの受粉をサポートしています。また海の生物の25%の生息地で重要な生態系であるサンゴ礁は過去30年で50%以上が死滅しています。過去に見られないスピード感で進行しています。

どれほど深刻かというと、約100万種が絶滅の危機に瀕しており、その絶滅スピードは自然絶滅の1000倍から1万倍のスピードであり、特に過去50年で加速し、一説では現在20分に1種が絶滅していると見られています。

WWD:改めてゾッとします。私たちにできることはあるのでしょうか。

アメリア:ファッションができる生物多様性のサポートの一例は藍染めなど草木染です。大量生産では合成染料が使用されるなか、藍染めが復活しつつあります。染め方を選ぶだけで、生活者も間接的に生物多様性をサポートすることができます。

WWD:しかし、ことは急ぎますね。

アメリア:従来のビジネスを続ければ、生物多様性の危機は下り坂で滅びるばかりです。また、保全活動を強化するだけでは80年経っても2010年の状態まで戻すことすらできません。我々が進むべき道は、保全活動を強化しつつ、より持続可能な生産と消費の革新を起こしてゆくという、新しい姿です。各ファッション企業はビジネスと生物多様性をどうやって調和させていくか、2030年までに新しい姿を描く必要があります。

生態系の管理を誤れば産業基盤も失われる

WWD:サブリナさんは、ファッションと生物多様性の関係をどう見ていますか?

サブリナ:ファッション産業が自然と深く関わっていることを忘れてはなりません。なぜなら、私たちの活動は生物多様性に大きく依存しており、生物多様性にも大きな影響を与える可能性があるからです。私たちの産業は、綿花畑から、カシミア・ウール・レザーを供給するヤギ・ヒツジ・牛、シルクを供給する蚕、そして蚕の餌となる桑の木、森林に至るまで、素材に依存しています。これらはすべて複雑な生物学的網の目の一部であり、アメリアさんが例に挙げたような非常に複雑なタペストリーのようなものです。生態系の完全性が保たれることで、私たちは原料を確保し、産業を続けることができるのです。原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関連があります。染料や化学薬品はさまざまな方法で土地を汚染する可能性があるため、原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関係があります。

また、森林は製品を生産するスペースを確保するために伐採され、開拓される可能性があります。こうした資源や生態系の管理を誤れば、私たちは産業を支える基盤や機能を損なうことになります。もちろん、これは私たちのグローバルな責任とステークホルダー、つまり投資家や消費者、パートナー、政治家などの課題でもあります。最近は、環境に対する意識が高まり、生物多様性とのつながりをよりよく理解するために、産業構造の透明性を求める動きが出てきていますが、それでもこのテーマに対する誠実さを求める圧力は存在しており、それは増大しています。

WWD:素材別にもう少し詳しく教えてください。

サブリナ:ビスコースやモダールといったセルロース系繊維のほとんどが木材パルプ由来です。木材パルプは木から生産されます。もちろん、持続可能な方法で森林を植林・管理する方法はたくさんあります。しかし残念ながら、この問題に取り組んでいるNGOの試算によると、森林パルプの最大48%が高リスク地域からもたらされている可能性があるそうです。しかも太古から続きつつ絶滅の危機に瀕している森林の木々から生じている可能性があるのです。

土地利用の変化による森林破壊や自然生態系の転換は、動植物の生息地を喪失し、生物多様性を損なっています。ですからこれは本当に重要な問題で、緊急課題を明確に把握することが重要です。

牛の放牧の拡大がアマゾンの森林破壊の一因に

WWD:レザーやカシミアについては?

サブリナ:牛の放牧の拡大は世界で最も重要な生態系のひとつであるアマゾンの森林破壊の主原因となっています。レザーは一般的に牛肉産業の副産物ですが、ファッションは間接的にこの自然環境の損失と荒廃に関係しています。ファッション産業が直面している複雑な課題を浮き彫りにしています。透明性とトレーサビリティを高め、間接的に皮革に関連する森林破壊や加工の潜在的なリスクに対処するために、ファッション産業内だけでなく、食肉産業といった他産業との協業も考える必要があります。

カシミヤの産地であるモンゴルでは1990年代初頭からカシミヤヤギの個体数が増え、過放牧によりヤギが生態系の植物を食べ尽くし、土壌の劣化を引き起こしています。ひいては砂漠化につながっています。生態系の自然回復サイクルを維持できる頭数は限られているのです。

生態系のキャパシティを超えて個体数を増やすと、生態系自体を弱体化させ、その動物を維持する能力さえ失わせてしまうのです。このまま劣化が進めば植物を損失し、将来的には砂漠化が進み、多様性に富んでいるはずのモンゴルの生態系が損なわれ、同じ数のヤギを維持できなくなります。ですから、これもまた本当に重要なトピックでもあり、この特定の状況において私たちが取り組んでいるテーマでもあります。

環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」からわかること

WWD:ケリングは10年以上前に環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」を開発しました。

サブリナ:EP&Lは原料の調達データを用いてライフサイクル・アセスメント調査を行い、原材料の生産から店舗、さらには製品の使用や寿命に至るまで、バリュー・チェーン全体における環境への影響を推定するツールです。EP&L評価の結果を見ると、私たちが環境に与える影響の大部分は原材料の生産段階にあることがはっきりとわかります。もちろん、バリューチェーンにはさまざまな形があります。しかし、影響の大部分は原料生産にあるのです。ですから、原材料の生産をより持続可能なものにする点に業界努力を集中させることが大切です。

EP&Lからは、ケリングの活動は毎年、世界中で約35万ヘクタールの土地を必要としていることがわかります。これには私たちのオフィスや倉庫、工業用地も含まれます。しかし大半は原材料が生産される世界中の農場、森林地帯であり、そこに影響の大半があるのです。そのためケリングは2020年に生物多様性戦略を策定し、25年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げています。

また、生物多様性の専門家や機関の協力のもと、ファッション産業のための生物多様性戦略策定ガイドを作成しました。戦略の優先順位を定めるのにも有用なのでぜひご覧ください。戦略の詳細には触れませんが、ケリングはアメリアさんのレクチャーで紹介された「グリーンカーブ」に沿って2025年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げていることを強調しておきたいと思います。私たちはネガティブなインパクトをさまざまな方法で可能な限り回避し、最小限に抑えるだけでなく、生態系や生物種にとって測定可能なプラスの影響を念頭に置いています。このような戦略の下、私たちは100万ヘクタールの土地の再生を支援しているのです。

WWD:ケリングは21年、コンサベーション・インターナショナルと自然再生基金を共同で設立しました。 ラグジュアリービジネスに欠かせない天然素材に関して、その生産地、生息地との向き合い方が、ネガティブなインパクトを減らすにとどまらず、自然を保護・再生するというより能動的なスタンスがポイントです。

サブリナ:23年にインディテックスが加わりました。現在、世界6カ国で7つのプロジェクトが進行中で、自然保護の観点から非常に重要な生態系の保全と回復に貢献しています。ファッション産業にとって環境負荷が高い原材料であるレザー、ウール、コットン、カシミアに焦点を当てており、現在100万ヘクタールの既存農地や放牧地を環境再生型農業に移行する支援を行っています。プロジェクト第一弾は2021年から2025年ですが、その先も提案を開始しています。

WWD:ファッションは農業と深く繋がっているのですね。

サブリナ:そうですね。生物多様性とファッションの間には深いつながりがあります。環境再生型農業は、自然破壊や生物多様性の損失をもたらす従来型の農業からの転換につながる重要な解決策だと思います。

南アフリカのプロジェクトに参加して考えたこと

WWD:アメリアさんはそのプロジェクトの一つ、南アフリカの取り組みに今年の5月に参加されています。現地で何を思いましたか。

アメリア:まず、日本からとても遠かったです。首都のヨハネスブルグから国内線で一時間のダーバンという街からさらに車で4時間行った先に宿があり、そこから毎日90分、道なき道を四駆で走ってたどり着くのが目的の村です。アパルトヘイト制度の時代に、先住民が元いた場所から奥地へと移動されられた歴史があるからです。

プロジェクトは、人も環境もビジネスもウィン・ウィン・ウィンの保全デザインができており、素晴らしいと思いました。村の人たちの全財産である土地と羊が保全計画の中心に置かれています。羊のワクチンやトレーニング、毛刈りといったサポートを受ける代わりに、保全協定に沿って放牧地を3分の1ずつ休ませる。すると健全な草が生え、それを食べる羊も健全になり、刈り取る毛の質も向上します。

生物多様性の回復と同時に土壌が改善することで炭素吸収も増えて気候対策にもつながり、どのアングルを取っても素晴らしい保全計画になっています。

WWD:基金、保護活動と聞くと「助ける」印象を受けますが、それは結果であり、知識やノウハウを提供して資産をより生かすように導くのがこの基金の活動なのですね。

アメリア:まさに発展と保全を同時にできることが重要ですね。

WWD:ケリングのマリー・クレール・ダヴー=チーフ・サステナビリティ・オフィサーは、「会社の枠組みの中で起こることだけに目を向けるのではなく、サプライチェーンの上流にも踏み込むべきだ」と話しています。サブリナさんもそう思いますか。

サブリナ:とても重要なメッセージだと思う。我々は、オフィスや倉庫、工業用地も環境にネガティブな影響を与えていることはもちろんわかっています。しかし、影響のほとんどは原材料が生産されるはるか上流にあることは先ほどの環境損益計算のスライドからも明らかです。もちろん、私たちの会社は農家から直接購入しているわけではないため、行動を起こすのは難しいのです。しかし、本当に影響が大きく、それゆえに生態系や気候、そして人々にポジティブな影響を与えるチャンスがあるのも上流なのです。上流に目を向けて対処することは不可欠です。

会場の参加者とのQ&A

WWD:ここから参加者からの質問・意見を交えてお伺いします。

参加者:サステナブルな素材が高価格であることがアクションを妨げる一因になっていることをどう考えますか?

サブリナ:革新的な原材料など持続可能な素材はよりコスト高なのは事実です。しかし、持続可能性の低い原材料を選択することで地球や気候に対して目に見えないコストが発生します。金銭的価値にも換算できる生態系のサービスを失いつつあることと、そこに私たちが影響を及ぼしていることを結びつけて考えたい。それを商品の価格設定に反映させてビジネスモデルをどう構築するかも考える必要があります。

参加者:アメリアさんは日頃、日本企業と接して思うことは?

アメリア:日本企業に限らず、生物多様性は個社ではなく産業の共通課題です。一社での取り組みは、お金もかかるしインパクトも出しづらい。だから競争のマインドセットを横におき、競業ではなく協業、コレクティブなアクションを取る領域だと思います。産業連携のプラットフォームを作って資金を集めてより大きなインパクトを出してゆく活動が重要になってゆくと思います。

まずは、このような場で生物多様性について知ること。そして自社のサプライチェーンの上流がどのくらいのインパクトを与えているからを知ることです。それが難しければまずは現場を見に行くことですね。役員の方を誘って現場ツアーや研修トリップなど何か形にする。見ることによってイノベーションのヒントも見えてくるはずです。

WWD:ファッション産業に従事する人たちは洋服を作ったり売ったりしながら、綿花畑や牧場にも行ったことがない人が大半だと思う。まずは行ってみる。社員研修は畑が良さそうですね。

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ケリング×CI 生物多様性とファッションの関係をわかりやすく解説

地球上には知られていない種も含めて3000万以上の生き物が存在すると考えられており、それらは直接・間接的に支え合って存在している。その生物多様性の損失が今、大きな問題となっている。ファッションは生物多様性とどう関わりがあり、そして、損失を止め自然を回復するために何ができるのか?専門家である、ケリング(KERING)のサブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ=ソーシングおよび生物多様性スペシャリストと、ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクターを迎えて、実は深いその関係性について理解を深める。

(この対談は2023年12月11日に開催した「WWDJAPANサステナビリティ・サミット2023」から抜粋したものです。記事下のYouTubeでも視聴できます)


向千鶴WWDJAPAN編集統括サステナビリティ・ディレクター(以下、WWD):自己紹介をアメリアさんからお願いします。

ジュール・アメリア=コンサベーション・インターナショナル・ジャパン カントリー・ディレクター(以下、アメリア):私は日本人の母親と、アメリカ人の父親での間で生まれました。出身地の米国ウィスコンシン州は北海道と同じ緯度で寒い地域です。酪農地として知られており、子供のころは東京の学校に通いつつ、夏休みはウィスコンシンの牧場で馬の世話をしていました。

2023年3月末にコンサベーション・インターナショナル・ジャパンへ転職する前は、イノベーション・コンサルティングとして、多くの日本企業と一緒に新製品やサービス、体験を開発する仕事に携わってきました。いろいろな産業の現場を見てきましたが、 中でも食品産業と農業の未来を考えるプロジェクトに携わったことで、自分自身の意識が変わりました。農業における化学肥料使用と健康被害、農家の搾取といった問題ですね。食品を大量生産する中で、地球も人間の体も病んでしまう構造が見えてしまった。

それ以降は、どの産業においても自然と調和する形でビジネスを展開していく必要性を感じ、そこに一番のイノベーション・チャレンジがあると考えるようになりました。コンサベーション・インターナショナル(以下CI)は、政府や企業との協働を通して地球規模の環境課題に取り組んでいる団体であり、そこに惹かれました。

WWD:パリのケリング本社からオンラインで参加のサブリナさん、自己紹介をお願いします。

サブリナ・ゴンサルヴェス・クレブズバッハ =ソーシングおよび生物多様性スペシャリスト(以下、サブリナ):私はケリング・グループのサステナビリティ・チームで、持続可能な調達と生物多様性のスペシャリストとして働いています。特にレザーやコットン、ウール、カシミアのような環境負荷の高い主要原材料の調達に関連する影響を改善し、生物多様性への影響の理解をうながし、管理する手助けをしています。1年半前にケリングに入社し、グループのすべてのブランドとこれらのテーマについて協働してきました。専門は企業の持続可能性の支援、つまり企業が自然や気候、人々に与える影響をより理解し、取り扱うことを手助けすることです。ケリングの前は、世界自然保護基金WWFの英国事務所やその他の環境団体にいました。

人間は4つの生態系サービスを受け取っている

WWD:生物多様性は時代のキーワードですが、実のところその意味が分からない人は多いと思います。まずはアメリアさん、生物多様性の基本をレクチャーください。

アメリア:生物多様性とは、地球上の生命には幅広い多様性があることを指しています。バクテリアから大きな木、クジラから昆虫、キノコ類にカエルまで。つまりすべての種を指しています。そして、生物多様性には、3つのレベルがあります。 一つ目は遺伝子の多様性。例えば、犬にはさまざまなの犬種があります。また、 米もインドだけでも5万種があると言われています。2つ目は種の多様性。例えば、グレートバリアリーフの岩礁であればサンゴだけで400種類、魚で150種類、亀も10種類が生息していると言われています。 最後が生態系の多様性です。地球には砂漠や湿地帯、森林などさまざまなエコシステム、生態系があります。それらはずっと変わらないイメージがありますが、ジャングルが弱って砂漠化したり、サンゴも白化したりしています。

この3つの多様性が互いに関係性を持ち、密度が高まることで強さを増します。織物に置き換えると糸、色、ステッチの種類などが豊富になることで、より強いマテリアルとなったり、より長く使えたり、より美しくなる。その豊富さがつながっているのが生物多様性のイメージです。

WWD:健全な生態系において一種を失ってしまうと、どのような影響があるのでしょうか。

アメリア:こんな事例があります。1920年にアメリカのイエロストーンの国立公園で「捕食動物を駆除する」法律ができて、公園内のオオカミが絶滅しました。すると鹿の一種であるエルクが繁殖し過放牧となり景観が悪化、オオカミの重要さが認識されました。時が進み1995年、オオカミを公園に戻す取り組みを始めた結果、エルクの数が減少しバランスが取れ、ビーバーや鳥類が戻ってきて、川の浸食もなくなった。一種の動物が自然にどれだけ影響を与えているかがわかるストーリーです。

そしてなぜ生物多様性が人間にとっても重要かと言えば、人間の生活が生態系サービスの上に成り立っているからです。

WWD:サービスという言葉を使うのですか?

アメリア:はい、そうです。サービスには4つのカテゴリーがあります。1つは「基盤サービス」。死んだ生物を分解し栄養素を土へ戻し、光合成や土作り、遺伝的多様性の維持を行います。2つ目が「供給サービス」。飲み水や魚、食料など、人間が直接的に得られるものです。3つ目は「調節サービス」といって、空気や水の浄化、気温の調整など健全性を保つ機能が含まれるサービスです。4つ目の「文化的サービス」は自然の中での癒しやレジャーなど“モノ”とは異なるものを指します。

こういったサービには値段をつけることがあまりないので「価値がない」「壊してもいいもの」と思いがちですが、私たちの健康や地球上の生き物、それにビジネスの健康にとっても重要であることがわかると思います。

この瞬間も20分に1種が絶滅している

WWD:その生物多様性が今脅威にさらされています。

アメリア:生物多様性の宝庫として知られているアマゾンの熱帯はこの50年で、17%以上が失われ、ハチのようなポリネーターも40%以上減少していると言われています。ポリネーターは、果物や野菜、ナッツ、スパイスといった人間の食用作物の75パーセントの受粉をサポートしています。また海の生物の25%の生息地で重要な生態系であるサンゴ礁は過去30年で50%以上が死滅しています。過去に見られないスピード感で進行しています。

どれほど深刻かというと、約100万種が絶滅の危機に瀕しており、その絶滅スピードは自然絶滅の1000倍から1万倍のスピードであり、特に過去50年で加速し、一説では現在20分に1種が絶滅していると見られています。

WWD:改めてゾッとします。私たちにできることはあるのでしょうか。

アメリア:ファッションができる生物多様性のサポートの一例は藍染めなど草木染です。大量生産では合成染料が使用されるなか、藍染めが復活しつつあります。染め方を選ぶだけで、生活者も間接的に生物多様性をサポートすることができます。

WWD:しかし、ことは急ぎますね。

アメリア:従来のビジネスを続ければ、生物多様性の危機は下り坂で滅びるばかりです。また、保全活動を強化するだけでは80年経っても2010年の状態まで戻すことすらできません。我々が進むべき道は、保全活動を強化しつつ、より持続可能な生産と消費の革新を起こしてゆくという、新しい姿です。各ファッション企業はビジネスと生物多様性をどうやって調和させていくか、2030年までに新しい姿を描く必要があります。

生態系の管理を誤れば産業基盤も失われる

WWD:サブリナさんは、ファッションと生物多様性の関係をどう見ていますか?

サブリナ:ファッション産業が自然と深く関わっていることを忘れてはなりません。なぜなら、私たちの活動は生物多様性に大きく依存しており、生物多様性にも大きな影響を与える可能性があるからです。私たちの産業は、綿花畑から、カシミア・ウール・レザーを供給するヤギ・ヒツジ・牛、シルクを供給する蚕、そして蚕の餌となる桑の木、森林に至るまで、素材に依存しています。これらはすべて複雑な生物学的網の目の一部であり、アメリアさんが例に挙げたような非常に複雑なタペストリーのようなものです。生態系の完全性が保たれることで、私たちは原料を確保し、産業を続けることができるのです。原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関連があります。染料や化学薬品はさまざまな方法で土地を汚染する可能性があるため、原材料だけでなく、私たちが消費する水も生態系と関係があります。

また、森林は製品を生産するスペースを確保するために伐採され、開拓される可能性があります。こうした資源や生態系の管理を誤れば、私たちは産業を支える基盤や機能を損なうことになります。もちろん、これは私たちのグローバルな責任とステークホルダー、つまり投資家や消費者、パートナー、政治家などの課題でもあります。最近は、環境に対する意識が高まり、生物多様性とのつながりをよりよく理解するために、産業構造の透明性を求める動きが出てきていますが、それでもこのテーマに対する誠実さを求める圧力は存在しており、それは増大しています。

WWD:素材別にもう少し詳しく教えてください。

サブリナ:ビスコースやモダールといったセルロース系繊維のほとんどが木材パルプ由来です。木材パルプは木から生産されます。もちろん、持続可能な方法で森林を植林・管理する方法はたくさんあります。しかし残念ながら、この問題に取り組んでいるNGOの試算によると、森林パルプの最大48%が高リスク地域からもたらされている可能性があるそうです。しかも太古から続きつつ絶滅の危機に瀕している森林の木々から生じている可能性があるのです。

土地利用の変化による森林破壊や自然生態系の転換は、動植物の生息地を喪失し、生物多様性を損なっています。ですからこれは本当に重要な問題で、緊急課題を明確に把握することが重要です。

牛の放牧の拡大がアマゾンの森林破壊の一因に

WWD:レザーやカシミアについては?

サブリナ:牛の放牧の拡大は世界で最も重要な生態系のひとつであるアマゾンの森林破壊の主原因となっています。レザーは一般的に牛肉産業の副産物ですが、ファッションは間接的にこの自然環境の損失と荒廃に関係しています。ファッション産業が直面している複雑な課題を浮き彫りにしています。透明性とトレーサビリティを高め、間接的に皮革に関連する森林破壊や加工の潜在的なリスクに対処するために、ファッション産業内だけでなく、食肉産業といった他産業との協業も考える必要があります。

カシミヤの産地であるモンゴルでは1990年代初頭からカシミヤヤギの個体数が増え、過放牧によりヤギが生態系の植物を食べ尽くし、土壌の劣化を引き起こしています。ひいては砂漠化につながっています。生態系の自然回復サイクルを維持できる頭数は限られているのです。

生態系のキャパシティを超えて個体数を増やすと、生態系自体を弱体化させ、その動物を維持する能力さえ失わせてしまうのです。このまま劣化が進めば植物を損失し、将来的には砂漠化が進み、多様性に富んでいるはずのモンゴルの生態系が損なわれ、同じ数のヤギを維持できなくなります。ですから、これもまた本当に重要なトピックでもあり、この特定の状況において私たちが取り組んでいるテーマでもあります。

環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」からわかること

WWD:ケリングは10年以上前に環境損益計算と呼ばれるツール「EP&L」を開発しました。

サブリナ:EP&Lは原料の調達データを用いてライフサイクル・アセスメント調査を行い、原材料の生産から店舗、さらには製品の使用や寿命に至るまで、バリュー・チェーン全体における環境への影響を推定するツールです。EP&L評価の結果を見ると、私たちが環境に与える影響の大部分は原材料の生産段階にあることがはっきりとわかります。もちろん、バリューチェーンにはさまざまな形があります。しかし、影響の大部分は原料生産にあるのです。ですから、原材料の生産をより持続可能なものにする点に業界努力を集中させることが大切です。

EP&Lからは、ケリングの活動は毎年、世界中で約35万ヘクタールの土地を必要としていることがわかります。これには私たちのオフィスや倉庫、工業用地も含まれます。しかし大半は原材料が生産される世界中の農場、森林地帯であり、そこに影響の大半があるのです。そのためケリングは2020年に生物多様性戦略を策定し、25年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げています。

また、生物多様性の専門家や機関の協力のもと、ファッション産業のための生物多様性戦略策定ガイドを作成しました。戦略の優先順位を定めるのにも有用なのでぜひご覧ください。戦略の詳細には触れませんが、ケリングはアメリアさんのレクチャーで紹介された「グリーンカーブ」に沿って2025年までに生物多様性にポジティブな影響を与えるという目標を掲げていることを強調しておきたいと思います。私たちはネガティブなインパクトをさまざまな方法で可能な限り回避し、最小限に抑えるだけでなく、生態系や生物種にとって測定可能なプラスの影響を念頭に置いています。このような戦略の下、私たちは100万ヘクタールの土地の再生を支援しているのです。

WWD:ケリングは21年、コンサベーション・インターナショナルと自然再生基金を共同で設立しました。 ラグジュアリービジネスに欠かせない天然素材に関して、その生産地、生息地との向き合い方が、ネガティブなインパクトを減らすにとどまらず、自然を保護・再生するというより能動的なスタンスがポイントです。

サブリナ:23年にインディテックスが加わりました。現在、世界6カ国で7つのプロジェクトが進行中で、自然保護の観点から非常に重要な生態系の保全と回復に貢献しています。ファッション産業にとって環境負荷が高い原材料であるレザー、ウール、コットン、カシミアに焦点を当てており、現在100万ヘクタールの既存農地や放牧地を環境再生型農業に移行する支援を行っています。プロジェクト第一弾は2021年から2025年ですが、その先も提案を開始しています。

WWD:ファッションは農業と深く繋がっているのですね。

サブリナ:そうですね。生物多様性とファッションの間には深いつながりがあります。環境再生型農業は、自然破壊や生物多様性の損失をもたらす従来型の農業からの転換につながる重要な解決策だと思います。

南アフリカのプロジェクトに参加して考えたこと

WWD:アメリアさんはそのプロジェクトの一つ、南アフリカの取り組みに今年の5月に参加されています。現地で何を思いましたか。

アメリア:まず、日本からとても遠かったです。首都のヨハネスブルグから国内線で一時間のダーバンという街からさらに車で4時間行った先に宿があり、そこから毎日90分、道なき道を四駆で走ってたどり着くのが目的の村です。アパルトヘイト制度の時代に、先住民が元いた場所から奥地へと移動されられた歴史があるからです。

プロジェクトは、人も環境もビジネスもウィン・ウィン・ウィンの保全デザインができており、素晴らしいと思いました。村の人たちの全財産である土地と羊が保全計画の中心に置かれています。羊のワクチンやトレーニング、毛刈りといったサポートを受ける代わりに、保全協定に沿って放牧地を3分の1ずつ休ませる。すると健全な草が生え、それを食べる羊も健全になり、刈り取る毛の質も向上します。

生物多様性の回復と同時に土壌が改善することで炭素吸収も増えて気候対策にもつながり、どのアングルを取っても素晴らしい保全計画になっています。

WWD:基金、保護活動と聞くと「助ける」印象を受けますが、それは結果であり、知識やノウハウを提供して資産をより生かすように導くのがこの基金の活動なのですね。

アメリア:まさに発展と保全を同時にできることが重要ですね。

WWD:ケリングのマリー・クレール・ダヴー=チーフ・サステナビリティ・オフィサーは、「会社の枠組みの中で起こることだけに目を向けるのではなく、サプライチェーンの上流にも踏み込むべきだ」と話しています。サブリナさんもそう思いますか。

サブリナ:とても重要なメッセージだと思う。我々は、オフィスや倉庫、工業用地も環境にネガティブな影響を与えていることはもちろんわかっています。しかし、影響のほとんどは原材料が生産されるはるか上流にあることは先ほどの環境損益計算のスライドからも明らかです。もちろん、私たちの会社は農家から直接購入しているわけではないため、行動を起こすのは難しいのです。しかし、本当に影響が大きく、それゆえに生態系や気候、そして人々にポジティブな影響を与えるチャンスがあるのも上流なのです。上流に目を向けて対処することは不可欠です。

会場の参加者とのQ&A

WWD:ここから参加者からの質問・意見を交えてお伺いします。

参加者:サステナブルな素材が高価格であることがアクションを妨げる一因になっていることをどう考えますか?

サブリナ:革新的な原材料など持続可能な素材はよりコスト高なのは事実です。しかし、持続可能性の低い原材料を選択することで地球や気候に対して目に見えないコストが発生します。金銭的価値にも換算できる生態系のサービスを失いつつあることと、そこに私たちが影響を及ぼしていることを結びつけて考えたい。それを商品の価格設定に反映させてビジネスモデルをどう構築するかも考える必要があります。

参加者:アメリアさんは日頃、日本企業と接して思うことは?

アメリア:日本企業に限らず、生物多様性は個社ではなく産業の共通課題です。一社での取り組みは、お金もかかるしインパクトも出しづらい。だから競争のマインドセットを横におき、競業ではなく協業、コレクティブなアクションを取る領域だと思います。産業連携のプラットフォームを作って資金を集めてより大きなインパクトを出してゆく活動が重要になってゆくと思います。

まずは、このような場で生物多様性について知ること。そして自社のサプライチェーンの上流がどのくらいのインパクトを与えているからを知ることです。それが難しければまずは現場を見に行くことですね。役員の方を誘って現場ツアーや研修トリップなど何か形にする。見ることによってイノベーションのヒントも見えてくるはずです。

WWD:ファッション産業に従事する人たちは洋服を作ったり売ったりしながら、綿花畑や牧場にも行ったことがない人が大半だと思う。まずは行ってみる。社員研修は畑が良さそうですね。

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ファッションとアートの蜜月は続く パルコ宣伝部長とNANZUKA代表に聞くそのワケ

渋谷パルコ(PARCO以下、パルコ)は創業以来、世界中の気鋭クリエイターとコラボレーションしてきた。19年の改装後、パルコミュージアムを含む9つのギャラリーを設置。単なるファッションビルではなく、若者及び訪日観光客にとって日本のカルチャーを象徴する場所になっている。パルコとギャラリーNANZUKAは19年の改装以降、2階にオープンしたギャラリー「2G NANZUKA」やパルコミュージアムの展覧会、販促など多岐に渡りコラボレーションしている。手塚千尋パルコ宣伝部部長と「NANZUKA UNDERGROUND」などを運営する南塚真史NANZUKA代表に、ファッションとアートについて聞いた。

パルコは幅広い人とアートのコミュニケーションをする場

パルコミュージアムから劇場まで、文化的な活動はパルコにとって企業の存在意義の一つ。手塚部長は、「ギャラリーが多いのは、パルコに来るたびに新しい発見がある、そのような刺激を与えたいからだ。アートを購入する若い人が増えた。ファッションが好きな人はアートへの関心が高い」と話す。パルコミュージアムでは、見て楽しいコンテンツを提供し、ギャラリーでは新進気鋭のアーティストやクリエイターの作品を紹介している。南塚代表は、「パルコは、若い世代がファッション以外にアートに興味を持ち始める場。アートに関心がなかったような幅広い層とのコミュニケーションの場になっている」と語る。アートは、一定の富裕層とエリート層のものだったが、ファッションなどのコラボにより、民主化、大衆化が進んでいる。「日本におけるアート的デコレーション=ポピュラーアートの浸透力はものすごい。そうではなく、中身のあるアートを届ける必要がある。価値のあるアートを一般に届けるために、よりフレンドリーなアプローチを模索している。保守的なアート界からすると、商業的と見られることもあるが新しい層とのタッチポイントになり、販促効果も大きい」と同代表。NANZUKAが目指すのは、パルコとの取り組みなどを通じて商業目的だけで拡大してきたポピュラーアートに挑むことだ。

「ルイ・ヴィトン」が変えた企業とアーティストの関係

手塚部長と南塚代表は、2000年前半の「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON以下、LV)」と村上隆のコラボレーションが、ファッションとアートの関係性を象徴すると口をそろえる。このコラボレーションを機に、アートの大衆化が進み、ファッションとアートの蜜月は続いている。南塚代表は、「LV」と村上のコラボについて、「ファッションの価値を高め、アートの価値をより広く認知させることに成功した例。ファッションだけで新しいものを生み出すのは難しいが、アートは常に新しいものを産まなければならない。うまくアートを解釈して取り入れれば、新たなものが生まれる」と話す。「LV」と村上とのコラボは、アーティストにとって重要な著作権にも変化をもたらした。それ以前“著作権“は企業側にあるケースが多かったが、アーティストに残すべきだと言う流れができた。契約によりけりだが、アーティストがコラボ作品を自分の作品として発表し販売できるようになった。無名なアーティストがラグジュアリー・ブランドとコラボすれば、一気に広く知れ渡り、価値が上がる。ブランドにとっても新たな話題づくりになる。コラボは、ブランドにとってもアーティストにとっても“ウィン・ウィン”というわけだ。同代表は、「20世紀のアートは概念=コンセプトありきだった。今は、コンテクスト=文脈の時代で、作品から派生する影響も含まれる。ファッションは実用性が求められ、商業化するには、文脈が重要視される」と話す。ブランドがアーティストとコラボするのは、お互いの文脈を共有することで相互価値を高めるためだ。ラグジュアリー・ブランドの情報発信性や付加価値を生む力にアート業界は学ぶべきということだ。南塚代表は、「システムの中に自然に価値が生まれるのを待っているだけではダメだ。アーティストは、能動的に価値を生み出すことを考えるべきだ」と言う。

業界の枠組みを超えたコラボは加速するか?

手塚部長は、「アーティストに対する反応が、ブランド自体の方向性になっている。クリエイティブ・ディレクターの世代交代で、キム・ジョーンズ(Kim Jones)が『ディオール(DIOR)』のメンズ、ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)が『LV』メンズを率いている。彼らは、ストリートアートに大きく影響を受けている」と話す。メゾンを率いるのは通常、ファッションを学んだデザイナーたちだった。それが、「LV」はメンズのクリエイティブ・ディレクターにミュージシャンであるファレルを選んだ。10年前のファッション業界では、想像できないことが起こっている。ファッションやラグジュアリー業界に求められる価値が時代と共に変化し、ファッションの専門知識よりも、ファレルが持つ感性や影響力が今、ブランドに必要と考えたからだろう。「現代アーティストがラグジュアリー・ブランドのディレクターになるなど、業界の境界を超えて起こりうるのか?それは、もはやクリエイターに適正があるかないかだと思う」と南塚代表。時代を映し出す鏡がアートであれば、それを一般に波及させる力を持つのがファッション。「LV」とファレルがタッグを組んだように、業界の枠組みを超えて、アーティストがラグジュアリー・ブランドのディレクションを手掛ける日が来るかもしれない。

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D2Cアパレル「ソージュ」のモデラートが5周年 原点回帰に選んだのはアート

パーソナルスタイリングサービス「ソージュパーソナル(SOEJU PERSONAL)」とD2Cウィメンズブランド「ソージュ(SOEJU)」を運営するモデラートは、2023年ブランド設立5周年を迎えた。同ブランドは、“誰もが社会と心地よくつながれる世界”をコンセプトに“自己表現の選択肢を広げる”ことを目的に活動を行っている。5周年を記念し、モデラートは、2023年10月、東京・銀座のポーラ ミュージアム アネックスでアートイベント「The Fitting Room」を開催した。4つの試着室から構成された会場でブランドの哲学である“I like the way I am.(私は私のままでいい)”を表現。アートイベントを開催した理由や思いを市原明日香モデラート代表に聞いた。

市原代表は、「起業するときは、ロジカル、アート、デザインシンキングが交差していたが、創業5年目を迎えて、ビジネスとして日々数字を追うロジカルシンキングとは異なる価値観が必要だと感じていた」と語る。スタイリングサービスでは、プロのスタイリストが仕事や家事が忙しい30〜40代女性にコーディネートを提案。そのサービスから派生した洋服が「ソージュ」だ。意外と見つからない“大人向けの素材”を使用しベーシックかつ程よい価格帯のアイテムを提供している。体型診断などによりファッションに正解が求められるようになり、同代表は、「消費者に寄り添うことで正解を提示しているのではないか」と感じるようになった。モノづくりに関しても、「1+1=2ではなく、その背後にある熱量を伝えることが大切だ」と5周年が、ブランド哲学やそれを伝える方法について考えるきっかけになった。

究極の目標“北極星”をアートに例えた

モデラートの出資企業の一つにポーラ・オルビスホールディングスがある。その公益財団法人ポーラ美術振興財団が運営するポーラ美術館で開催した全社の合宿で出合ったのが、 “アートは否定しないし、回答がない”という価値観だった。「アートは、サイズや性別、国籍など関係ないので、広い範囲にメッセージが届く。D2Cビジネスとアートは、つながりがなさそうに思えるが、迷う気持ちや言葉にできないものを発信できるのはアートしかないと思った」。市原代表は顧客に到達してほしい境地“北極星”をアートに例え、内なるファッションを伝えるにはアートしかないと考えた。「“北極星”と向き合うということは、コレクションブランドにとっては、ファッションショーがその手段かもしれない。私たちにとっては、それが答えのないアートインスタレーションだった」と同代表。

「本当に好きなもの」に気づくきっかけに

インスタレーションのアートディレクターは、「ソージュ」のビジュアルを手掛ける土田あゆみ、制作は土田が代表を務めるクリエイティブ・エージェンシーのバンガル・ドーソン、映像作品は映像監督の林響太郎が手掛けた。エントランスには、さまざまな言葉が書かれた洋服のカバーが並べられ、フェイスカバーには説明がプリントされた、その先には3つの部屋を設置。最初の部屋には歪んだ姿を映し出す鏡、次は幾層にも重ねたカーテン、最後のミニシアターでは4つの試着室の中で起こるストーリーから構成されるショートフィルムを流した。「フィッティングルーム以外のテーマはなく、自由にクリエイションしてもらった」。その結果、エッジの効いたインスタレーションが完成。「費用対効果は説明できないが、インスタレーションを見た人に、ポジティブな何かを持ち帰ってほしい」。そこには市原代表の、「ファッションもアート同じ。今回のインスタレーションを通して、本当に自分が好きなものに気づいてもらえれば」という思いが込められている。

「ソージュ」は、ベーシックだからこそ着る人の個性が出るブランド。アートを通して問いかけをすることにより、モデラートにとっても、消費者にとっても、潜在的な課題解決につながるのではないかと考えた。「今回のインスタレーションを通して、われわれが何故、このような取り組みを行っているか興味を持ってもらうのが大切。アートを通して世の中に問いかけることで、波紋が広がる。また、ビジネスとブランドとして目指したいところを実現する手掛かりになると思う」。

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ベストセラーから5年 福田稔が新著「2040年アパレルの未来」で解く日本企業の生き残り戦略

PROFILE: 福田稔/A.T.カーニー シニアパートナー

福田稔/A.T.カーニー シニアパートナー
PROFILE: ふくだ・みのる 1978年東京生まれ。慶應義塾大学卒、IESEビジネススクール経営学修士(MBA)、ノースウェスタン大学ケロッグビジネススクールMBA exchange program修了。電通総研(旧ISID)、ローランド・ベルガーを経てA.T.カーニー入社。主に、アパレル・繊維、ラグジュアリー、化粧品、小売、飲料、ネットサービスなどのライフスタイル領域を中心に、戦略策定、ブランドマネジメント、グリーントランスフォーメーション、DXなどのコンサルティングに従事。上記領域においてプライベートエクイティやスタートアップへの支援経験も豊富。経済産業省の産業構造審議会 繊維産業小委員会委員、繊維製品における資源循環システム検討会委員、これからのファッションを考える研究会~ファッション未来研究会~副座長など、アパレル・繊維、ライフスタイル産業に関わる多くの政策支援にも従事する。主要メディアへの寄稿、各種セミナーやイベントでの講演などの活動を通じ、ライフスタイル産業の革新に向けた多くの発信をしている。著書に『2040年アパレルの未来 「成長なき世界」で創る、持続可能な循環型・再生型ビジネス』(東洋経済新報社)など。PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

ベストセラー「2030アパレルの未来」の著者でコンサルタントの福田稔A.T.カーニー シニアパートナーがこのほど、新刊「2040年アパレルの未来」を東洋経済新報社から出版した。前著は「日本企業が半分になる日」という副題の衝撃もあり、7刷の話題本となった。あれから5年。今回つけた副題は「成長なき世界で創る、持続可能な循環型・再生型ビジネス」である。グローバルの最先端事情を踏まえた日本企業の生き残りの戦略について聞いた。

過去5年に見る3つの大きな変化

WWD:前著書「2030年アパレルの未来」を発行したのが2019年。コロナ禍を間に挟み、この5年でアパレルビジネスを取り巻く環境は大きく変わった。新刊「2040年アパレルの未来」ではその変化理由と現状を整理しつつ、未来への展望を示している。まずは「変化」の3つのポイントを教えてほしい。

福田稔A.T.カーニー シニアパートナー:過去5年は、コロナ禍とインフレにより予想だにしなかった変化が起こった。変化の一つ目がまず、「多くつくり、多く売るという時代の終焉」だ。コロナ以降の市場の成長を名目ベースではなく実質ベースで見るとほぼ横ばい。インフレによる単価の上昇によって市場が一気に拡大しているように見えるが、売られている量自体は変わっておらず、むしろ作り過ぎの影響もあり、絞る傾向にある。サステナビリティの観点を踏まえても「たくさん作って、それで成長していく」時代はもう終わりを遂げた。

2点目が「中古品市場の世界的な拡大」だ。特に欧米では顕著で、中古品の売買がサステナブルな消費行動である、すなわち「物を作らないのでカーボンフットプリントほぼ生み出さない消費行動」との認知が広まりポジティブな消費行動として根付いた。もう一つ、CtoCアプリやeコマースが消費行動として根付いたことも大きい。企業も2次流通市場の事業拡大に積極的で、2次流通業者だけではなくアパレル各社も参入している。「ZARA」の「Pre -Owned」や、アダストリアの「ドットシィ」などいろいろな形の2次流通市場が出てきたことで、中古品が回転する量も回数も多くなり、市場が拡大している。

3点目は「ウェルネス市場の拡大」だ。コロナ禍を経て「幸せに生きるためには健康、ウェルネスが大前提である」といった価値観が非常に強くなり、実際にスポーツアパレル事業やアウトドア関連のビジネスが大きく伸び、まだ成長力がある。大きくはこの3つが過去5年の重要な変化だろう。

WWD:消費者の中古品への関心はサステナビリティ的な意識の変化以上に、低価格志向が理由ではないか?

福田:国や地域、価格帯によって変わり、日本においてはサステナビリティ以上に価格的側面があると思う。特にラグジュアリーは値上げを繰り返した結果、一般の人には手が届きづらい価格帯になりつつあるから、価格要素がリユース市場を押し上げている側面がある。他方で欧米においては、価格帯を問わずカーボンフットプリントを新しく生み出さない消費行動であるという認知が広まったと思う。欧米でCtoC市場が伸びている背景は、この部分が非常に大きく、それを示すデーターも多く出ている。

WWD:頻発する災害は消費行動に影響を与えているか?

福田:災害直後は買い控えやサステナビリティ意識の高まりなどが一時的に見られるが、時が経つと忘れるのが人間。東日本大震災のときも翌年以降は元に戻っていた。ただ今後、気候変動に起因する大きな災害が日本で起こると、カーボンフットプリントに対する意識がより高まり、消費行動に根付いていく可能性は大きいと思う。

欧州は北地中海沿岸で毎年山火事が発生したり、気温上昇により栽培するぶどうの味が変わりワインやシャンパンの味が変ったりと、気候変動の影響が多方面で社会問題になっている。さらに気候変動の悪化は、難民問題にもつながっている。欧州はすでにアフリカや中東からの難民問題に悩まされているが、気候変動が悪化するとアフリカでの食糧危機が間違いなく起こるので、欧州としては背に腹は変えられず、すぐにでも対応しなければならない状況だ。日本は島国なこともあり、気候変動や難民問題の影響はまだまだ少なく、その差は大きいと思う。

大手によるシェア拡大と中堅企業の淘汰が進む

WWD:著書には「大手によるシェア拡大と中堅企業の淘汰が進む」とあるが、その理由とは。

福田:ひとつめは、環境負荷を下げるグリーントランスフォーメーション(GX)に必要なコストが大きいこと。カーボンニュートラルを大前提に、「デジタルプロダクトパスポート(DPP)」へ対応するためのトレーサビリティなどGXコストがかかる。欧米では一定規模以上の企業は対応を求められており、コストを吸収できない中堅企業は厳しくなる。また、デジタル化により個人のアパレルビジネス、PtoCが今後増えてゆくことだろうから、そういったスモールビジネスと大手の間にある中堅が構造的に一番厳しくなり淘汰が進むことが予測される。

WWD:欧州委員会が導入を検討している「DPP」は商品の原材料調達から生産、販売、リサイクルに至るまでトレーサビリティを確保できるデータのこと。これは欧米の話であり、国内市場向をターゲットとする日本企業にはあまり関係ないのでは?

福田:2つの理由から関係がある。一つ目は、日本の経済産業省も同様の施策の検討を開始しており、「DPP」に対応するという方向でガイドラインを出している。また2年後に欧州での対応が始まれば、欧米ブランドは日本市場においても「DPP」対応した情報開示を始める。当然、消費者とは製品の環境負荷情報を開示した上でコミュニケーションを取り始めるから、生活者の購買時の行動変容が一気に進む可能性もある。実際、欧州では物を買うときに、製品の環境負荷やトレーサビリティを確認する行動がかなり根付いてきている。カルフールなどの欧州企業が自社PB商品を中心に開示する取り組みをしてきた結果だ。今後アパレルが開始すれば消費者は自然と見るだろう。

WWD:サステナビリティ視点からみたアパレルの課題は、気候変動、環境汚染、資源枯渇、人権、動物愛護など複数あるが中でも重要なのは何か。

福田:どれも重要なテーマであることは大前提。その上で人類および生物多様性に与えるインパクトという意味では圧倒的に気候変動だと思う。気温が2度上がれば何十万人の生活基盤が失われるというリスクを抱えている。温室効果ガス排出削減のためには、やはり抜本的に生産量の削減に踏み込まなくてはいけない。それを理解し、覚悟できている企業はまだ少ない。

WWD:GXとDXはこれからのアパレル経営の両輪だ。変革を促すためのイノベーションの重要性、特に注目している分野を教えてほしい。

福田:領域としてはまずは「素材」。消費量ベースではコットンとナイロンやポリエステルのPET繊維が圧倒的に多いが、それぞれに一長一短がある。その中で今注目を集めているのが、スパイバーのようなバイオマテリアル素材でこの領域での技術革新は目を見張るものがある。もう一つは循環再生型のビジネスにおけるイノベーション。ここもデジタル活用を組み合わせないと実現しない。代表的なのがスイスのスポーツブランド「オン(ON)」が開発した持続可能なモデル“サイクロン(CYCLON)”で、パーツを非常に極限まで削減してバイオ素材のみで作るという非常にイノベーティブなプロダクトかつデジタルを生かしたサブスクリプションサービス。まさにイノベーションだと思う。

環境負荷を減らすためには環境負荷の低いマテリアルの開発だけでなく、生産工程をいかに減らせるかも重要。「ナイキ(NIKE)」のニードルパンチ技術を用いたアパレルシリーズ「ナイキ フォワード(NIKE FORWARD)」が例に挙げられる。他にも生分解性のポリマーのような原料から、3Dプリンタで一気に完成品を作るといった技術革新にも期待している。そういう製法なら副資材を用いず、分子に戻してのリサイクルがしやすいだろう。

WWD:「一定の富裕層を捉えているラグジュアリーは盤石のように見えるが、そうでもない」とある。その理由は。

福田:一つにはラグジュアリーのあり方の変容にある。“クワイエット・ラグジュアリー”のトレンドもまさにそれを示唆している。きらびやかなだけのラグジュアリーは時代遅れであり、最先端のラグジュアリーは工芸やアートとのつながりなどよりヒューマニズムを感じられるものへと移り始めている。また、気候変動が悪化する中での富裕層や問題意識の高い層の「お金の使い方」の変化もある。社会の不安定化が進むと、彼らは気候変動に挑むクライメートテックへの投資やグローバルサウスへの支援に熱心になるだろう。近年のラグジュアリーの成長はインフレに乗じた値上げが基本的なドライバー。富裕層もインフレにより資産を増やしてきたことで吸収してきたが、今後は従来型のラグジュアリーなファッションに時間とお金を使うことが「クールではない」という動きも出やすくなると思う。

WWD:その中で日本は「商社がカギとなる」と書いているが、その背景とは?

福田:一言で言えば、商社がサプライチェーンを握っているから。そこでしか取れない情報があり、それを提供できるようになるかが、アパレル業界全体を考えたときのGXの鍵となる。サプライチェーンのトレーサビリティは、一部の大手企業にしかできない。アパレル業界は中小企業が多いから業界全体のGX&DXを進めるためには商社がカギ、というよりは、やってもらわなくては困る。

日本の商社は低価格の商材から、スポーツ、ハイエンドまで幅広いジャンルの素材生産に関わっているから集めた情報を付加価値に変えるってことができれば、それは他国にはなかなか真似できない。特に環境負荷情報については、世界中が公平なデータベースを欲している。ヒグインデックスには現状賛否両論があるから、日本発の新しいクラウドサービスデータを提供ができると、大きなビジネス機会になるだろう。

WWD:産地に見る可能性とは?

福田:日本の産地には伝統技術工芸が未だに残っており、世界的に見て希少性がある。「希少性」はこれからのラグジュアリーを語る上でのキーワードだと思う。そこでしか作れない、歴史がある、と言った産地の要素はまさに希少。LVMHメティエダールと日本のデニムメーカーのクロキの提携の背景にもそれがある。

WWD:ファブシティとは。

福田:2000年代に米マサチューセッツ工科大学(MIT)から出てきたコンセプトで、グローバル化が進んだサプライチェーンを、デジタル技術も用いて一つのロケーションに戻してゆく、新しいモノづくりのあり方。日本でも鎌倉市やつくば市といった自治体が参加している。サステナビリティの観点からも地産地消の循環・再生型の都市の姿は今後日本の産地が目指す一つのロールモデルになるのではないだろうか。

WWD:各自治体で、カーボンニュートラルと循環の動きが出てきているが、それぞれが活動して連動していないケースが多い。

福田:まさに、COP28でも議論に上がっていた。カーボンニュートラルと経済成長は両立しづらくトレードオフで捉えられがちだが、一つの経済圏の中で両立してゆくアプローチを考えて行かなければいけない。

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「クラブでも公園でも気軽に高品質なナチュラルワインを」 「ディージュース」が提案する新しいワインの楽しみ方

スウェーデン・ストックホルム発の新興ワインブランド「ディージュース(DJUCE)」は、新しいワインの消費体験を提案する。現代アーティストとコラボしたポップなイラストが目を引くアルミ缶のパッケージでは、厳選したヨーロッパの自然派ワインを提供する。「ディージュース」があえてアルミ缶で挑戦している背景には、ガラス製のワインボトルの環境負荷の高さがある。スウェーデン国営酒販店のシステムボラーゲットの調査によると、ワインの製造工程において、ガラス瓶の製造・輸送時にかかるCO2は全体の排出量の約半分を占める。これを軽量なアルミ缶に変えることで、ガラス瓶と比較して79%削減可能だという。

2022年夏にスタートして以降、ヨーロッパや北米などの17カ国でデパートや小売店、飲食店、ナイトクラブ、ホテルなどでの取り扱いが始まっている。日本ではメイベルインターナショナルが輸入元となり国内の卸販売を担う。すでに「ディーン&デルーカ(DEAN & DELUCA)」六本木店などで販売がスタートした。ワイン産業の持続可能性を追求しつつ、新たなワインカルチャーを切り開こうとしている同ブランドの創業者に話を聞いた。

WWD:ブランド設立の経緯は?

アレックス・バウマン(Alex Baumann)=ディージュース共同創業者(以下、バウマン):「ディーシュース」は、5人のメンバーで立ち上げた。1人は10年以上ナチュラルワインを専門にしてきたソムリエだけど、そのほかはただのワイン好き(笑)。僕は元々オーガニックのペットフード会社を経営していて、ワインビジネスの経験は全くなかった。それでもワイン愛好家の一人として、昨今ワインを楽しむ若い人たちが減って産業が衰退している現状に何かできないかと思っていたんだ。

WWD:ワイン離れが進んでいる原因はなんだと考える?

バウマン:ワインの世界は知識がある人だけが楽しめるような敷居の高い印象を持たれているんだと思う。僕たちも一消費者としてその流れは感じていたし、周りもクラフトビールやカクテル派が多い。マーケット全体でも、若者に寄り添ったクールな印象のワインブランドって少ない。もっといろんな人たちが気軽に楽しめるようになるためにも、異業種で経験を積んだ僕たちが新しい視点でこれまでにないワインの消費体験を提案できると思った。

ガラスボトルのCO2排出量に着目

WWD:環境負荷の観点からパッケージにはアルミ缶を選んだ。

バウマン:ワインの製造工程においてもっとも環境負荷が高いのが重いビンの輸送だ。創業前にリサーチしていた時には、ガラス製のボトルのリサイクルはアルミ缶と比較して80%以上の二酸化炭素を排出することも知った。そこでオルタナティブな選択肢として缶に注目したんだ。若い世代の消費者はサステナビリティに関心が高いと言われるけど、この事実はまだまだ知られていないと思うし、僕たちが消費者を教育していく段階だと思っている。

WWD:アルミ缶は味の劣化が心配されるのでは?

バウマン:確かにこれまで特にヨーロッパでは缶のワインは、安くて質の悪いイメージを持たれていた。でも僕たちの商品は、缶でも品質を落とさずにとても美味しいワインが楽しめる。「ディージュース」の⽸はバルセロナのパートナー企業で生産していて、アルコール飲料のために開発したライナーを施すことでワインとアルミの接触を防いでいるんだ。缶から直接飲んでも、ワイングラスから飲むのと同じように味わうことができる。アルミ⽸は中⾝の酸化を防いで光も完全に遮断できるので保存にも適している。実際にその味が認めてもらえたからこそ、世界中のメディアから注目を浴びたんだと思う。予想以上にいろんな人たちに興味を持ってもらう頃ができてとても嬉しいよ。日本でもこれから適切なパートナーと一緒にどんな商品が好まれるのか探っていきたい。

ファッショション業界と一緒にサステナブルな消費を盛り上げたい

WWD:思わず写真を撮りたくなるようなパッケージや、ウェブサイトなどの見せ方も新しさを感じる。

バウマン:クールなライフスタイルブランドのような見え方はすごく意識しているところなのでそう言ってもらえてうれしいよ。チームに現代アーティストとのネットワークを持っているメンバーがいて、今のデザインを実現できている。大事にしているのはアーティストとワインメーカーの両方が満足してくれるアウトプットであること。ウェブサイト上では、生産地の情報や僕たちの企業としの考え方などを載せて透明性も大事にしている。

WWD:どんな人たちに、どんなシーンで楽しんでほしい?

バウマン:まずはデュア・リパ(Dua Lipa)かな(笑)。というのも、彼女は本物のナチュラルワイン愛好家なんだ。彼女に認めてもらえたらとてもうれしいよ。実際は若者からお年寄りまでいろんな人に楽しんでほしい。「いいワインを飲みたいけど、ボトル1本はいらないんだけどな」という時に気軽に楽しめるサイズなのもポイント。ナイトクラブでも公園でも、どんなところでもジュース缶を手にするように、高品質なナチュラルワインをみんなが楽しんでいる光景を見るのが僕たちの夢だ。そのためには、ぜひ日本の消費者にも私たちのワインを一度味わってみてほしい。「ディージュース」が売れることで、環境への影響も減らせることも伝えていきたい。

WWD:サステナブルかつデザイン性の高いオルタナティブな選択肢を増やしていくことは、ファッション産業においても重要だ。

バウマン:ライフスタイルブランドを目指している僕たちとファッションは共通するところがたくさんあるし、特にサステナブルファッションに興味のある人たちは僕たちが狙っている層でもある。長く楽しめる高品質な物を消費者に手に取ってほしいというのは、僕たちも同じだ。ファッション産業に関わる人たちと一緒にサステナブルな消費のムーブメントを盛り上げていきたい。

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アートと切っても切れないファッション 「アキラナカ」がつくる“コンテクストをまとう”洋服

ナカ アキラ/「アキラナカ」デザイナー

PROFILE:1973年三重県生まれ。2005年ベルギー・アントワープ王立芸術アカデミー在学中に若手デザイナーの登竜門、イェール国際モードフェスティバルに選出される。その後アントワープでニットデザイナーに師事し、06年に日本へ帰国。07年ウィメンズブランド「ポエジー」をスタート。08年、ブランド名を「アキラナカ」に変更 PHOTO:TSUKASA NAKAGAWA

ウィメンズブランド「アキラナカ(AKIRANAKA)」は、アートからインスピレーションを得た服づくりを行なっている。2024年プレ・フォール・コレクションでは印象派画家を、2024年春夏コレクションではフランス出身のクリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)をアイデアの源泉とした。ブランドの公式サイトには、シーズンごとのコレクションノートを掲載した「ボイス(VOICE)」を設けており、デザインチームがどのようにテーマを解釈し、クリエイションに落とし込んだのかを垣間見ることができる。デザイナーのナカ アキラはなぜアートを起点にしたコレクションを発表するのか。ナカに話を聞いた。

「ファッションからファッションをつくらない」という教え

WWD: アートをデザインソースにする理由は?

ナカ アキラ(以下、ナカ):そのように教育されたから、というのが一番大きい。僕はアントワープ王立芸術アカデミーで服づくりを学んだが、当時の学長だったリンダ・ロッパが、「ファッションからファッションを作らないように心掛けて」といつも言っていた。アントワープ王立芸術アカデミーの英語名は“ロイヤル・アカデミー・オブ・ファインアーツ”、つまり芸術大学だ。ファッションの枠組みの中だけでクリエイションしても、新しいものは生まれないという考えのもと、アートを始め建築など、ファッション以外のものをリサーチして組み合わせる教育を受けた。今でも、リサーチを踏まえた上で洋服のデザインを発展させている。

WWD:アートを用いる意図は?

ナカ:「アキラナカ」はウィメンズブランドで、“アティテュードをまとう”がコンセプト。女性の内面に働きかける服を作りたいと思い、たどり着いたのがアートを用いて服の中に価値を据えることだった。建築やアートには作り手の視点や思考が含まれている。それらをファッションに盛り込むことで、女性の内面にある知性や美意識などを引き出し、鼓舞したい。見た目の美しさの追求によって、自尊心や美意識が成長することもあるが、外見のスタイルで終わってしまうことが少なくないから。

WWD: 24年プレ・フォール・コレクションを発表した。ここではアートをどう落とし込んだか?

ナカ:今回のテーマは「習作の美」。アーティストたちが下絵や練習のために描いた作品を、一般的に「エチュード(習作)」と呼ぶ。19世紀半ばに活躍したクロード・モネ(Claude Monet)やポール・セザンヌ(Paul Cezanne)のような印象派たちは、あえて筆跡を残したり、絵の具で塗りつぶさず余白を残したりした。当時は「絵画は写実的であるのが当たり前」という価値観があったにもかかわらず、彼らはこのような習作に見られる技法を取り入れた表現を試みた。そのような印象派たちから着想を得て、ファッションの美しさも写実的に完成されたものだけでなく、プロセス自体にも宿るということを伝えたいと思った。今回のコレクションでは、ラペルが途中までしかないジャケットなどで表現した。また、自然なままの状態に美しさを見出す女性の姿勢を表現するため、天然石をボタンにあしらったシャツをつくったが、ボタンひとつひとつの形を整えることはせず、不揃いのままで使っている。

美しさの裏側のコンテクストが重要

WWD:アートから着想を得たファッションがたくさん存在するが、「アキラナカ」ではそれらとどのように差別化を図っているか?

ナカ:クリエイションの裏にたくさんのコンテクスト(文脈)がある点だ。ファッションとアートのコラボレーションの多くは、絵画の色彩を使ったり、デザインをプリントしたりして、その面白さや美しさをそのままファッションに持ち込んでいる。「アキラナカ」では、特定のアーティストを取り上げた理由や、そのアーティストが生きた時代背景など、アートやアーティストにまつわる事象をコンテクストとしてクリエイションに落とし込んでいる。僕の洋服によって、「どう生きるか」「物事をどう見つめるか」といった思索を人に喚起できればと思う。ファッションは美しさで人を魅了することも重要だが、表面的な美しさ以上に視点や思考を含ませたい。

WWD:「アートは難しい」と距離を感じる人も多いが?

ナカ:アート自体はどのように理解されてもいいものだし、それぞれの人の経験と紐づけられることによって、作品に対する理解や好き嫌いが生まれるものだと思う。答えがあるものではなく、むしろ解釈が広がるのがアートだ。答えを集約してしまうような見方をしてはもったいないと思う。

アートを観る喜びは、自分にない視点を得られることにあるが、僕は洋服がその役割を果たしてもいいと考える。自分にとっては服が最後のゴールではなく、コレクションや制作プロセス、その発信も全て作品の一部だから。「ファッションデザイナーであれば服で表現した方がいい」という人もいるが、僕はそう思わない。ファッションの先があっていいはずだ。

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アートと切っても切れないファッション 「アキラナカ」がつくる“コンテクストをまとう”洋服

ナカ アキラ/「アキラナカ」デザイナー

PROFILE:1973年三重県生まれ。2005年ベルギー・アントワープ王立芸術アカデミー在学中に若手デザイナーの登竜門、イェール国際モードフェスティバルに選出される。その後アントワープでニットデザイナーに師事し、06年に日本へ帰国。07年ウィメンズブランド「ポエジー」をスタート。08年、ブランド名を「アキラナカ」に変更 PHOTO:TSUKASA NAKAGAWA

ウィメンズブランド「アキラナカ(AKIRANAKA)」は、アートからインスピレーションを得た服づくりを行なっている。2024年プレ・フォール・コレクションでは印象派画家を、2024年春夏コレクションではフランス出身のクリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)をアイデアの源泉とした。ブランドの公式サイトには、シーズンごとのコレクションノートを掲載した「ボイス(VOICE)」を設けており、デザインチームがどのようにテーマを解釈し、クリエイションに落とし込んだのかを垣間見ることができる。デザイナーのナカ アキラはなぜアートを起点にしたコレクションを発表するのか。ナカに話を聞いた。

「ファッションからファッションをつくらない」という教え

WWD: アートをデザインソースにする理由は?

ナカ アキラ(以下、ナカ):そのように教育されたから、というのが一番大きい。僕はアントワープ王立芸術アカデミーで服づくりを学んだが、当時の学長だったリンダ・ロッパが、「ファッションからファッションを作らないように心掛けて」といつも言っていた。アントワープ王立芸術アカデミーの英語名は“ロイヤル・アカデミー・オブ・ファインアーツ”、つまり芸術大学だ。ファッションの枠組みの中だけでクリエイションしても、新しいものは生まれないという考えのもと、アートを始め建築など、ファッション以外のものをリサーチして組み合わせる教育を受けた。今でも、リサーチを踏まえた上で洋服のデザインを発展させている。

WWD:アートを用いる意図は?

ナカ:「アキラナカ」はウィメンズブランドで、“アティテュードをまとう”がコンセプト。女性の内面に働きかける服を作りたいと思い、たどり着いたのがアートを用いて服の中に価値を据えることだった。建築やアートには作り手の視点や思考が含まれている。それらをファッションに盛り込むことで、女性の内面にある知性や美意識などを引き出し、鼓舞したい。見た目の美しさの追求によって、自尊心や美意識が成長することもあるが、外見のスタイルで終わってしまうことが少なくないから。

WWD: 24年プレ・フォール・コレクションを発表した。ここではアートをどう落とし込んだか?

ナカ:今回のテーマは「習作の美」。アーティストたちが下絵や練習のために描いた作品を、一般的に「エチュード(習作)」と呼ぶ。19世紀半ばに活躍したクロード・モネ(Claude Monet)やポール・セザンヌ(Paul Cezanne)のような印象派たちは、あえて筆跡を残したり、絵の具で塗りつぶさず余白を残したりした。当時は「絵画は写実的であるのが当たり前」という価値観があったにもかかわらず、彼らはこのような習作に見られる技法を取り入れた表現を試みた。そのような印象派たちから着想を得て、ファッションの美しさも写実的に完成されたものだけでなく、プロセス自体にも宿るということを伝えたいと思った。今回のコレクションでは、ラペルが途中までしかないジャケットなどで表現した。また、自然なままの状態に美しさを見出す女性の姿勢を表現するため、天然石をボタンにあしらったシャツをつくったが、ボタンひとつひとつの形を整えることはせず、不揃いのままで使っている。

美しさの裏側のコンテクストが重要

WWD:アートから着想を得たファッションがたくさん存在するが、「アキラナカ」ではそれらとどのように差別化を図っているか?

ナカ:クリエイションの裏にたくさんのコンテクスト(文脈)がある点だ。ファッションとアートのコラボレーションの多くは、絵画の色彩を使ったり、デザインをプリントしたりして、その面白さや美しさをそのままファッションに持ち込んでいる。「アキラナカ」では、特定のアーティストを取り上げた理由や、そのアーティストが生きた時代背景など、アートやアーティストにまつわる事象をコンテクストとしてクリエイションに落とし込んでいる。僕の洋服によって、「どう生きるか」「物事をどう見つめるか」といった思索を人に喚起できればと思う。ファッションは美しさで人を魅了することも重要だが、表面的な美しさ以上に視点や思考を含ませたい。

WWD:「アートは難しい」と距離を感じる人も多いが?

ナカ:アート自体はどのように理解されてもいいものだし、それぞれの人の経験と紐づけられることによって、作品に対する理解や好き嫌いが生まれるものだと思う。答えがあるものではなく、むしろ解釈が広がるのがアートだ。答えを集約してしまうような見方をしてはもったいないと思う。

アートを観る喜びは、自分にない視点を得られることにあるが、僕は洋服がその役割を果たしてもいいと考える。自分にとっては服が最後のゴールではなく、コレクションや制作プロセス、その発信も全て作品の一部だから。「ファッションデザイナーであれば服で表現した方がいい」という人もいるが、僕はそう思わない。ファッションの先があっていいはずだ。

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東急不動産が進める「生物多様性」が軸の街づくり 都心で人と生き物、植物をつなぐ

渋谷を中心に都市開発を進める大手デベロッパーの東急不動産は“環境先進企業”を掲げ、「脱炭素社会」「循環型社会」「生物多様性」を重点課題としている。中でも、業界で先進的に取り組むのが生物多様性の保全だ。都心地域の植生を保持し、人と生き物、そして植物が共生する街づくりを進めている。持ち株会社である東急不動産ホールディングスでは2023年、国内不動産業として初めて自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下TNFD)レポートを公開し、事業におけるネイチャーポジティブへの貢献を示した。なぜ街づくりにおいて「生物多様性」が必要なのか。TNFDレポートで評価された内容や事例をもとに、サステナビリティ推進部の松本恵・担当部長に取り組みの背景について聞く。

「東急プラザ表参道原宿」開業以降、
渋谷圏内の生物多様性の回復に貢献

TNFDレポートの分析では、同社が保有する39施設の緑地面積の増加により、2012年以降の東急グループが定める渋谷駅から半径約2.5kmのエリア「広域渋谷圏」における物件建設前後の生物多様性再生効果が上昇していることが分かった。これは同エリアの渋谷区商業地域の平均を上回る数値になる。その一例が同年に開業した東急プラザ表参道原宿だ。商業と自然の共存がコンセプトの大規模な屋上庭園「おもはらの森」は開業時に大きな話題となった。鳥や虫が好む樹木を配し、ケヤキやイロハモミジといった日本在来の植物を選び、野鳥が水を飲んで水浴びできるバードバスも設置。近所の小学校とは鳥の巣箱を作る出張授業を行うなど、次世代に向けて生物多様性の重要性を発信する。毎年鳥類と昆虫類のモニタリング調査を行い、生き物の生息・飛来状況の変化を把握し、緑化を進めるなど、生態系にポジティブインパクトを与えている。

サステナブルな設計で森林につながりを持つ
「フォレストゲート代官山」

23年に開業したフォレストゲート代官山は、「緑・環境サステナブル」などのライフスタイルを提案する商業・住宅・シェアオフィスなどの複合施設だ。同社の日本の森林を守る「緑をつなぐプロジェクト」が保全する対象である岡山県西粟倉村の木材を建材に利用した緑豊かな空間は生物多様性に配慮している。建築家の隈研吾が設計したMAIN棟は、小箱を積み上げたようなナチュラルな木目の外観デザインが特徴的だ。サステナブルな生活体験を提供するTENOHA棟の六角形の木造建物は、解体して組み直すことが可能な設計になっている。屋上には菜園があり、収穫物は入居店舗で利用するなど、館内で循環の実現を図っている。さらに食物廃棄物を利用したメタン発酵から生まれた電力の利用にも着手している。来館者がサステナブルなコンセプトを体感しながら、考えるきっかけを提供したいと考えている。

「自然資本そのものが、事業の根幹」

同社が環境ビジョンの基本理念を策定したのは1998年にさかのぼる。2021年には、持ち株会社である東急不動産ホールディングスが2030年に向けた長期ビジョン「GROUP VISION 2030」を発表し、現在、グループ全体で全社方針として「環境経営」を掲げて取り組みを推進している。「企業の持続的な成長のためには、個人を支える社会、その社会を支える地球環境、それぞれに対して価値を創造し続けることが重要。中でも、生活や経済活動を支える基盤の環境を守ることは最も大事で、ここに注力しなければ、個人や社会も存続できない」と松本部長は語る。

松本部長に「生物多様性」に取り組む重要性を聞くと、「当社は、北海道ニセコのスキー場や沖縄のリゾートホテルまで全国でリゾート事業を展開している。海や山といった豊かな自然資本そのものが、事業の根幹という意識。また、都市のまちづくりで緑化を取り入れることは、建物を利用する上で魅力や癒しにつながる。例えば、オフィスの緑化はワーカーのストレス軽減や生産性の向上にもよい影響となると考えている。サステナブルな視点での先進的な提案は、都市開発の魅力につながる」と話す。

TNFDレポートから見えた新たな課題は?
理想の街づくりとは?

同社グループのTNFDレポートは、自然資本への「依存」と「インパクト」を大きなテーマとしてまとめられている。企業の活動が、その土地や地域にどれほどの影響を与えるのか。また、建築資材などでの調達が自然にどれほど依存しているのか。自然資本への影響を把握することは、持続的な事業活動のために不可欠であるとの考えがある。

「脱炭素や気候変動が先行して環境の意識が高まった感があるが、これからは生物多様性の重要性が高まるだろう。難しさはあるが、まちづくりを通じて、自然をどう回復させるかを実現できるかが一層求められる。環境への取り組みは私たちの強みなので、いろんなステークホルダーと新しい取り組みを進めるきっかけにもなりえるのでは」と松本部長。今春には原宿の神宮前交差点に商業施設「東急プラザ原宿 ハラカド」、夏には「渋谷サクラステージ(SHIBUYA SAKURA STAGE)」の開業を控えている。「買い物もスマホで簡単にできる時代。魅力ある街には、その場所にどうしても行きたくなる動機が必要。これからも『住む』『過ごす』『働く』という街の機能の魅力を更に高めていく。その上で、持続可能な街作りには環境への取り組みが重要な基盤だと考えている」。

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
東急不動産問い合わせフォーム
https://www.tokyu-land.co.jp/contact/

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東急不動産が進める「生物多様性」が軸の街づくり 都心で人と生き物、植物をつなぐ

渋谷を中心に都市開発を進める大手デベロッパーの東急不動産は“環境先進企業”を掲げ、「脱炭素社会」「循環型社会」「生物多様性」を重点課題としている。中でも、業界で先進的に取り組むのが生物多様性の保全だ。都心地域の植生を保持し、人と生き物、そして植物が共生する街づくりを進めている。持ち株会社である東急不動産ホールディングスでは2023年、国内不動産業として初めて自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下TNFD)レポートを公開し、事業におけるネイチャーポジティブへの貢献を示した。なぜ街づくりにおいて「生物多様性」が必要なのか。TNFDレポートで評価された内容や事例をもとに、サステナビリティ推進部の松本恵・担当部長に取り組みの背景について聞く。

「東急プラザ表参道原宿」開業以降、
渋谷圏内の生物多様性の回復に貢献

TNFDレポートの分析では、同社が保有する39施設の緑地面積の増加により、2012年以降の東急グループが定める渋谷駅から半径約2.5kmのエリア「広域渋谷圏」における物件建設前後の生物多様性再生効果が上昇していることが分かった。これは同エリアの渋谷区商業地域の平均を上回る数値になる。その一例が同年に開業した東急プラザ表参道原宿だ。商業と自然の共存がコンセプトの大規模な屋上庭園「おもはらの森」は開業時に大きな話題となった。鳥や虫が好む樹木を配し、ケヤキやイロハモミジといった日本在来の植物を選び、野鳥が水を飲んで水浴びできるバードバスも設置。近所の小学校とは鳥の巣箱を作る出張授業を行うなど、次世代に向けて生物多様性の重要性を発信する。毎年鳥類と昆虫類のモニタリング調査を行い、生き物の生息・飛来状況の変化を把握し、緑化を進めるなど、生態系にポジティブインパクトを与えている。

サステナブルな設計で森林につながりを持つ
「フォレストゲート代官山」

23年に開業したフォレストゲート代官山は、「緑・環境サステナブル」などのライフスタイルを提案する商業・住宅・シェアオフィスなどの複合施設だ。同社の日本の森林を守る「緑をつなぐプロジェクト」が保全する対象である岡山県西粟倉村の木材を建材に利用した緑豊かな空間は生物多様性に配慮している。建築家の隈研吾が設計したMAIN棟は、小箱を積み上げたようなナチュラルな木目の外観デザインが特徴的だ。サステナブルな生活体験を提供するTENOHA棟の六角形の木造建物は、解体して組み直すことが可能な設計になっている。屋上には菜園があり、収穫物は入居店舗で利用するなど、館内で循環の実現を図っている。さらに食物廃棄物を利用したメタン発酵から生まれた電力の利用にも着手している。来館者がサステナブルなコンセプトを体感しながら、考えるきっかけを提供したいと考えている。

「自然資本そのものが、事業の根幹」

同社が環境ビジョンの基本理念を策定したのは1998年にさかのぼる。2021年には、持ち株会社である東急不動産ホールディングスが2030年に向けた長期ビジョン「GROUP VISION 2030」を発表し、現在、グループ全体で全社方針として「環境経営」を掲げて取り組みを推進している。「企業の持続的な成長のためには、個人を支える社会、その社会を支える地球環境、それぞれに対して価値を創造し続けることが重要。中でも、生活や経済活動を支える基盤の環境を守ることは最も大事で、ここに注力しなければ、個人や社会も存続できない」と松本部長は語る。

松本部長に「生物多様性」に取り組む重要性を聞くと、「当社は、北海道ニセコのスキー場や沖縄のリゾートホテルまで全国でリゾート事業を展開している。海や山といった豊かな自然資本そのものが、事業の根幹という意識。また、都市のまちづくりで緑化を取り入れることは、建物を利用する上で魅力や癒しにつながる。例えば、オフィスの緑化はワーカーのストレス軽減や生産性の向上にもよい影響となると考えている。サステナブルな視点での先進的な提案は、都市開発の魅力につながる」と話す。

TNFDレポートから見えた新たな課題は?
理想の街づくりとは?

同社グループのTNFDレポートは、自然資本への「依存」と「インパクト」を大きなテーマとしてまとめられている。企業の活動が、その土地や地域にどれほどの影響を与えるのか。また、建築資材などでの調達が自然にどれほど依存しているのか。自然資本への影響を把握することは、持続的な事業活動のために不可欠であるとの考えがある。

「脱炭素や気候変動が先行して環境の意識が高まった感があるが、これからは生物多様性の重要性が高まるだろう。難しさはあるが、まちづくりを通じて、自然をどう回復させるかを実現できるかが一層求められる。環境への取り組みは私たちの強みなので、いろんなステークホルダーと新しい取り組みを進めるきっかけにもなりえるのでは」と松本部長。今春には原宿の神宮前交差点に商業施設「東急プラザ原宿 ハラカド」、夏には「渋谷サクラステージ(SHIBUYA SAKURA STAGE)」の開業を控えている。「買い物もスマホで簡単にできる時代。魅力ある街には、その場所にどうしても行きたくなる動機が必要。これからも『住む』『過ごす』『働く』という街の機能の魅力を更に高めていく。その上で、持続可能な街作りには環境への取り組みが重要な基盤だと考えている」。

TEXT : RIE KAMOI
問い合わせ先
東急不動産問い合わせフォーム
https://www.tokyu-land.co.jp/contact/

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60周年のジュン アシダ 芦田多恵デザイナーが父から受け継いだもの

「ジュン アシダ(JUN ADHISA)」と「タエ アシダ(TAE ASHIDA)」を手掛けるジュン アシダは昨年、会社設立60周年を迎えた。これを記念して11月には、両ブランド初の合同ショーを東京・新宿の三角広場で開催した。「ブランドの過去と現在を示すショーにしたかった」と芦田多恵デザイナーは振り返る。

「ジュン アシダ」は、アーカイブを盛り込んだコレクションを見せた。「これまでの資料を見返すと、今でも古く感じない服がたくさんあった。父(故・芦田淳デザイナー)のタイムレスなデザインの魅力を伝えたくて、51点中21点をアーカイブで構成した」と芦田デザイナー。

象徴的なアイテムは、ジッパーの開閉で身頃などを取り外し、丈の長さやシルエットを変化できる“ジッパーシリーズ”だ。当時としては珍しいギミックだが、「気分やシーンに合わせて変えられる、父お気に入りのシリーズだった」という。そんなアイテムを、スタイリングの工夫と素材の変更で、トレンド感を盛り込んだ。ジッパーは、途中まで開けて肌見せに応用し、素材は動きやすさを考慮してソフトなものに変更。そのほかのアーカイブも、肩周りと袖周りをコンパクトに調整するなど、日常での着やすさを意識した。ショー冒頭では、冨永愛をはじめとしたモデル6人が白い舞台に立つ演出を実施。これも、過去のファッション写真のオマージュだという。

一方の「タエ アシダ」は、グローバルトレンドでもあるデニムアイテムを押し出した。一口にデニムと言ってもその表現は多様で、襟をフリルに見立てたブラウスや、同系色のレースをドッキングしたスカート、騙し絵風のプリントコートなど、実験的なアイテムもあり、芦田デザイナーの飽くなき探究心がうかがえた。

ショーでは、芦田淳デザイナーの半生を描いたCGアニメーションも披露し、ブランドの背景をまっすぐに伝えた。また、音楽プロデューサー小室哲哉やモデルの大平修蔵によるパフォーマンスも行った。

今後のビジョンについて聞くと、芦田デザイナーは「全くわからない」と笑った。「常に“今”を大事にしてきた。振り返れば父もそうだった。今やりたいことと、やるべきことを必死にやるだけ。時代がどうなるかは、誰にも分からないから」。

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60周年のジュン アシダ 芦田多恵デザイナーが父から受け継いだもの

「ジュン アシダ(JUN ADHISA)」と「タエ アシダ(TAE ASHIDA)」を手掛けるジュン アシダは昨年、会社設立60周年を迎えた。これを記念して11月には、両ブランド初の合同ショーを東京・新宿の三角広場で開催した。「ブランドの過去と現在を示すショーにしたかった」と芦田多恵デザイナーは振り返る。

「ジュン アシダ」は、アーカイブを盛り込んだコレクションを見せた。「これまでの資料を見返すと、今でも古く感じない服がたくさんあった。父(故・芦田淳デザイナー)のタイムレスなデザインの魅力を伝えたくて、51点中21点をアーカイブで構成した」と芦田デザイナー。

象徴的なアイテムは、ジッパーの開閉で身頃などを取り外し、丈の長さやシルエットを変化できる“ジッパーシリーズ”だ。当時としては珍しいギミックだが、「気分やシーンに合わせて変えられる、父お気に入りのシリーズだった」という。そんなアイテムを、スタイリングの工夫と素材の変更で、トレンド感を盛り込んだ。ジッパーは、途中まで開けて肌見せに応用し、素材は動きやすさを考慮してソフトなものに変更。そのほかのアーカイブも、肩周りと袖周りをコンパクトに調整するなど、日常での着やすさを意識した。ショー冒頭では、冨永愛をはじめとしたモデル6人が白い舞台に立つ演出を実施。これも、過去のファッション写真のオマージュだという。

一方の「タエ アシダ」は、グローバルトレンドでもあるデニムアイテムを押し出した。一口にデニムと言ってもその表現は多様で、襟をフリルに見立てたブラウスや、同系色のレースをドッキングしたスカート、騙し絵風のプリントコートなど、実験的なアイテムもあり、芦田デザイナーの飽くなき探究心がうかがえた。

ショーでは、芦田淳デザイナーの半生を描いたCGアニメーションも披露し、ブランドの背景をまっすぐに伝えた。また、音楽プロデューサー小室哲哉やモデルの大平修蔵によるパフォーマンスも行った。

今後のビジョンについて聞くと、芦田デザイナーは「全くわからない」と笑った。「常に“今”を大事にしてきた。振り返れば父もそうだった。今やりたいことと、やるべきことを必死にやるだけ。時代がどうなるかは、誰にも分からないから」。

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祐真朋樹と東邦レオ社長が日本庭園の新プロジェクト、「日本発ラグジュアリー」で世界も射程

左:祐真朋樹/スタイリスト、ファッションディレクター 右:吉川稔/東邦レオ社長、NI-WA社長

(すけざね・ともき)1965年生まれ、京都市出身。1986年、21歳で上京しマガジンハウス「ポパイ」のファッションエディターとしてキャリアをスタート。ファッション誌や広告のスタイリングでも活躍する一方で、さまざまなファッションブランドのブランディング、ディレクションも手掛ける。2018年から香取慎吾と共創する「ヤンチェ_オンテンバール」をディレクション。 2021年から「ランバン コレクション メンズ」のクリエイティブ・ディレクターを務める
(よしかわ・みのる)1965年生まれ、大阪府出身。1989年神戸大学農学部を卒業後、住友信託銀行に入社。1999年オーブを設立しライフスタイル事業への投資を開始。2001年ルシェルブルー(現リステアホールディングス)の取締役となり2004年にリステア(同)の副社長に就任。ゴールドマンサックスとの合弁会社リステアインベストメントの代表取締役に就任し、グッチグループとともにバレンシアガ・ジャパンを設立し取締役に。2010年クール・ジャパン官民有識者会議委員に就任。2012年から東邦レオのアドバイザーとなり、2016年7月子会社NI-WAを設立し社長に就任。同年11月東邦レオ社長に就任

緑化事業や九段ハウスの企画運営などを手がける東邦レオと子会社NI-WAが、「日本庭園プロジェクト」を開始した。ディレクターとして参画するのが、ファッションディレクターの祐真(すけざね)朋樹だ。1月27日から九段ハウスで始まる「黒松フィジタルNFTアート」の凱旋お披露目展の前夜のオープニングパーティでは、一夜限りのサロンの“主(あるじ)”としてゲストを迎える。このプロジェクトと、日本庭園とのかかわりや魅力、サロンに込めた思いや今後のビジョンについて、祐真氏と吉川稔・東邦レオ社長に話を聞いた。

日本庭園に注目したワケ

――東邦レオと子会社のNI-WAが手がける日本庭園プロジェクトとは?

吉川稔・東邦レオ社長(以下、吉川):東邦レオは緑化・グリーンインフラ事業が祖業で、私はリステア副社長を経て2016年に社長に就任した。以降は街づくりやコミュニティづくり、ランドスケープデザインなど、クリエイティブに業容を拡大してきた。18年から運営する九段ハウスは、築90年以上の和洋折衷のスパニッシュ様式の邸宅をリノベーションし、庭は京都の職人を起用して、あえて日本庭園を造った。ビジネスサロンとして活用するだけでなく、ここに価値を感じて、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」をはじめとしたラグジュアリーブランドやアーティストにイベント会場や撮影に使用していただいたりもしている。

さらに、日本庭園に魅力を感じ、ホテルや店舗、個人宅に作りたいというニーズの高まりから、台湾や欧米などで新しい事業として展開していこうと考えた。日本庭園の象徴である黒松は海外でも大人気で、樹齢300~500年など良いものには高値が付き、希少性が増している。けれども、輸送して環境の異なる土地に植えても根付かず枯れてしまうケースも多く、日本の資産、自然の資産、生き物・命が消費されているように感じて嫌だなと感じていた。そこで、緑化のプロであるわれわれ自身が黒松を扱い、日本庭園を造る際に活用しようと、良いもの、個性的なものをコツコツ買い集める一方で、黒松に負担をかけずに、しかもアーティスティックな方法で海外でもプロモーションを行おうと、黒松フィジタルNFTアートを作成し、第1弾を「スコープ マイアミ ビーチ2023」で昨年12月に発表した。1月27日~2月4日に九段ハウスで行う「アーティストラウンジ」イベントはその凱旋展示を兼ねたイベントだ。日本庭園や茶会には主(あるじ)が重要なので、日本庭園プロジェクトのクリエイティブディレクター的な立場を担っていただく祐真さんと、「酒肆(しゅし)ガランス」の星野哲也オーナーにオープニングパーティでその役割を担っていただくことにした。

――祐真さんと日本庭園のかかわりや、興味を持ったきっかけは何か?

祐真朋樹ファッションディレクター(以下、祐真):京都の比叡山を一望できる北山で生まれ育った。京都は「グッチ(GUCCI)」発祥の地であるフィレンツェの姉妹都市。それが縁で2011年には90周年イベントを京都で行いたいとの相談を受け、オーガナイザーを務めた。「グッチ」のブランドイメージと金閣寺の舎利殿が繋がり、金閣寺で執り行った。全体監修には京都造形芸術大学長だった千住博さんをお迎えし、グッチのアーカイブを展示。数百人のプレスやゲストが来た。

1986年に21歳で東京に来て以来、ずっとファッション畑を歩んできた。ミラノ、パリ、ニューヨーク、ロンドンのコレクションに足繁く通い、プライベートを含めて世界40カ国を訪れた。どの土地でファッションショーを見ても、それは街の特徴や気配と一体化していて、服だけでブランドを論じることはできないと感じるようになった。僕の感覚の根底にも、生まれ育った京都の古い街並みがあることはわかっていたし、それが外国人に刺さることも理解していた。けれども、20代の頃の僕の志向は西洋一色だったので、本当に京都の良さが身にしみてわかったのは30歳を過ぎてから。きっかけは京都をよく勉強していた高校時代の友人が、大徳寺の瑞峯院と、鞍馬寺を案内し、その歴史や建物や庭の様式、塔頭や茶室、なぜこの場所にあるのかなどを説明してくれたこと。それで初めて、京都の奥深さを体感した。こんな素晴らしい文化がある日本も捨てたもんじゃないなと気付かされた。山の上にあって京都が一望できる鞍馬寺はとてもミステリアスで、山道を抜けると貴船神社に通じている。すごいパワースポットだと感じた。

「日本庭園」に海外でも注目高まる

――ステラ・マッカートニーや彼女の夫で「ハンター(HUNTER)」のクリエイティブディレクターのアラスデア・ウィリス、「グッチ」の元クリエイティブ・ディレクターのアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)など、ファッションデザイナーにも日本庭園のファンは多いが、印象深かったエピソードは?

祐真:「ボッテガ ヴェネタ(VOTTEGA VENETA)」で一時代を築いたトーマス・マイヤーが最も記憶に残っている。来日時に京都を案内してほしいと言われて、大徳寺の孤篷庵という塔頭に連れていった。トーマスは初めて訪れたにも関わらず、小堀遠州が作庭したことや、山を船に見立てたり、湖水に浮かんだ船に乗っているような造りであることなども説明してくれて。「ほんまですか?」と和尚さんに聞いたら「おうてます(あってます)」と。驚くとともに、自分の青さを恥じた。もっと知りたくなり、京都に帰るたびに禅寺や神社などを訪れたり、本を読んだりするようになった。

それが実際、スタイリングにどう影響したのか、を明確には語ることはできないが、京都や枯山水の庭で撮影したり、「GQジャパン」で着物のファッションストーリーを作ったり。そのうち、日本の建築と着物の相性の良さや、畳や和紙との関係性や、日本庭園の知られざる世界などについて、より深く知るようになった。ちなみに僕は、「カーサブルータス」で『ミラクルクローゼット』という連載を20年以上続けている。建築物とファッションを融合させる企画だが、その撮影場所に九段ハウスを選んでシューティングをしていたところ、吉川さんに10数年ぶりに再会した。

――そもそも二人はいつごろ、どんなきっかけで出会ったのか?

吉川:2000年代前半、リステアのデザイナーだったハン・アン・スンがきっかけだ。彼女が一度しか会ったことがないというのに、「私がデザイナーとして成功するには祐真さんの力が必要なんです!祐真さんしかいないんです!」と言い張って。それでお会いしてお仕事をお願いするようになって。その後、飲みに行ったり、ミッドタウンにリステアを作るときにも相談し、バイイングの方法も人の意識も変えなきゃねとアドバイスをもらったり、ダメ出ししてもらったりしていた。

祐真:ハンさんから情熱満載のお手紙をいただき、とにかく会いたいと言っていただいた。こんなアツい人なら面白いかもと思い、数シーズンお仕事させていただいた。その縁で吉川さんとも知り合いに。久しぶりにお会いしたときに、九段ハウスは洋館プラス日本庭園という珍しい造りで、外国文化と混ざった日本文化がここにはあり、自分は今そういうものに関心があるという話をした。京都のアマンやフォーシーズンズは、日本の良いところを取り入れて現代的に表現していて素敵だけれども、なぜ外国人の作り手ばかりが活躍しているのか、残念に思っていたところだった。

吉川:その話を憶えていて、ファッション、とくにラグジュアリーな世界では、日本庭園の価値は高く評価されるなと、いろいろな展開の可能性に気付き、もっと日本庭園を掘り下げて理解しなければと考えた。ただし、昔ファッションに携わっていたので、グローバルでビジネスを広げるにあたり、かつて「グッチ」を飛躍させたトム・フォードのようなクリエイティブディレクター的な存在が重要だと感じた。庭師でも造園家でもガーデナーでも建築家でもなく、異業種の人、異質の人が日本庭園を再解釈したら面白くて新しいものが生まれるのではないかと思い、「まずは勉強会をしましょう」「日本庭園をいろいろ見に行きましょう」と声をかけさせてもらった。それがちょうど1年前だ。

――多くの日本庭園を見てきたと思うが、とくに興味深かったことは?

祐真:宇治の平等院を訪ねたときのこと。平等院(の最勝院住職の家)を実家に持ち、東大大学院教授としてランドスケープアーキテクチュアを研究されている宮城俊作先生に話を伺ったことはとても興味深かった。平安時代に藤原家によって造られた浄土式庭園で、橘俊綱が編纂したといわれる世界最古の庭の本「作庭記」にも記されている。建物や庭が池に移り込んだ姿も美しく、それはあの世とこの世の境界線を表しているということ、そこは主が客を招いて絶景の眺めを前に飲んで遊ぶサロン的な存在だったということも教えていただいた。それまでは庭師の術中にはまるように造形を読み解くものだと思っていた日本庭園が、遊びの場であり、人の交流の場であったということを知った。庭園は、いかに楽しむかを追求する場でもあったということに気付かされた。その考え方が、26日の「アートラウンジ」の一夜限りのサロンにもつながっている。来ていただいた方々が交流し、楽しんでいただけるように精一杯ホストを務めたい。

彫刻家のイサム・ノグチさんが手がけた札幌のモエレ沼公園も良かった。彼は日系アメリカ人で、逆境にもさらされたが、最終的には日本で自分のやりたかったことを実現できたのではないか。その姿はどこか比叡山の麓に後水尾天皇が造った自然景観を生かした修学院離宮と似ているように僕には思え、すごく美しくて良いなと思った。  

吉川:サロンでは、審美的に静的に日本庭園を観賞するというよりも、人の存在と行為にフォーカスし、その空間や背景であるという概念としての日本庭園、つまり、サロンをやろうと考えた。そしてわかったのは、日本庭園においては主が大事だということ。僕はたまたまこの場所のオーナーだけど、祐真さんと、映画監督でもあり、まさにサロンのような飲食店「酒肆ガランス」のオーナーの星野さんに主をお願いし、デジタルアートとともにみなさんをお迎えしたい。

米国マイアミで発表、日本庭園 × NFT

――「黒松フィジタルNFTアート」とはどのようなものなのか?

吉川:東邦レオがメンバー非公開のメタバース・アート集団「○△□Labs (まるさんかくしかくらぼ)」のコアメンバーになり、第1弾の作品としてフィジタル彫刻NFTアート作品「ザ ラスト クロマツ ガーデン(THE LAST KUROMATSU GARDEN)」を制作した。日本庭園にたたずむ1本の黒松と禅の石庭を融合した“世界一静寂なフィジタルな映像彫刻”で、実在する黒松を高解像度スキャンをして、幹や枝のうねりや緑の松葉の繊細なタッチを表現し、12台の4Kモニターで映し出すもの。昨年12月5~10日まで出展した国際アートフェア「スコープ・マイアミ・ビーチ2023(SCOPE MIAMI BEACH 2023)」では、ポップな作品が多い中、マイアミビーチの砂を使った枯山水と、樹齢300年と言われる黒松の長く静寂な時の流れを感じられる優美な映像作品に、多くの来場者やデジタルアーティストらから好評をいただいた。今回のサロンでは同時に、星野さんが応援している写真家の飯田安国さんの写真展「Hi Love CAROL」も披露する。

祐真:ある朝突然、1月26日のサロンイベントの依頼が来ていて「すぐ返事しろ」というので驚いたけれど、「ガランス」の星野さんとは、原宿の「オーバカナル」時代から30年近く親しくしていただいている。星野さんとだったらいいサロンが出来るだろうなと思って「YES」と即答した。また、デジタルを活用できるということだったので、ハイスペックな仮想空間が出来たら面白そうだなと思い、富士山や満月、苔、錦鯉、稲穂、桜そして黒松など、日本のキャッチーな景色をアイコンにした空間を九段ハウスの地下に登場させた。廊下にはヒノキの木床も造作する。静寂をキープしながら、ちょっとした美的感覚を共有して豊かさを感じられる時間にしてもらえたら幸いだ。

吉川:黒松をフィジタルアートにした意味も改めて感じてほしい。というのも、所有するものだけでなく、月とか星とか空気とか、所有できないものを含めた構成要素で作り上げられた環境がいかに重要かを感じてほしいから。そして、日本庭園プロジェクトでは、外国人にも大人気のあの庭園や美術館「みたいなもの」を作ってくださいというような仕事は受けたくないし、海外で形だけをコピペされる偽物などとは一線を画す、本質的なものを作っていきたい。今、そういうものを求めている方々が増えていると思う。

祐真:令和の究極のサロンをつくることを目指したいですよね。

■Artist Lounge@kudan house(期間限定サロン)
日時:2024年1月27日~2月4日(1月31日休館日)
時間:10:00/14:00/19:00(所要時間1時間程度)
参加方法:事前予約制、無料
場所:九段ハウス/千代田区九段北1-15-9

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「マルジェラ」や「プラダ」のビンテージを販売開始 渋谷の古着「ツナギ ジャパン」

今年10周年を迎える「ツナギ ジャパン(TUNAGI JAPAN)」は、東京・渋谷のビンテージセレクトショップだ。これまでは井澤元気オーナーが厳選した古着を中心にオリジナルブランドのアイテムを取りそろえていたが、1月にはラグジュアリーブランドのビンテージアイテムの取り扱いもスタートした。

店名に込めた思いは、“日本中の笑顔をつなげる”

井澤オーナーは大学卒業後、大手アパレルに入社し販売経験を積む。学生の頃から古着が好きだったこともあり、28歳で「ツナギ ジャパン」を立ち上げた。店名の「ツナギ ジャパン」に込めた思いは、“日本中の笑顔をつなげる”。「ただ服を売るだけの店は、ほかにもある。私は、大切にしている人や好きな人同士が集まれる、つながれる場所を作りたかった。実際にここで生まれたつながりは、お客さまとスタッフが友人なったり、お客さま同士が仕事仲間になったケースもある」。

海外だけでなく、スタイリストからも買い付ける

ビンテージのラグジュアリーアイテムの取り扱いは、かつて2度イベントとして開催したことがあるが、このほど常時取り扱うことに決めた。「ハイブランドのビンテージアイテムが好きなこともあり、ずっと手掛けたいとは思っていたが、コロナなどの影響もあって思いとどまっていた。23年5月に店舗を移転し、落ち着いたこのタイミングで本格的にスタートしようと思った」と井澤オーナー。

現在並んでいるアイテムは、「プラダ(PRADA)」「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」の3ブランドを主軸に、「ジョン・ガリアーノ(JOHN GALLIANO)」や「ウェールズ ボナー(WALES BONNER)」など、ほかの古着屋ではあまり見かけないブランドも並ぶ。買い付けは主にアメリカとフランス、イギリスの3カ国に加え、スタイリストからも行っているそう。「過去に撮影で使用したアイテムや私物を買い取る。使用頻度が少ないこともあってか、かなり状態の良いアイテムが手に入る」と、少し珍しい買い付けのルートも教えてくれた。

アイテム一つひとつが引き立つ開放的な店内

店内は和モダンな空間で、無機質なコンクリートの内装に、“枯山水”や提灯型のデザインライトなどの和の要素が散りばめられている。広く開放感があり、商品をゆっくりと見ることが可能だ。

アイテムが窮屈に見えないよう、並べる間隔にゆとりを持たせているため視認性が良い。ディスプレーは古着とオリジナルアイテムをミックスし、来店客がワードローブにビンテージ古着を1点プラスするコーディネートをイメージしやすいよう工夫している。

井澤オーナーが選ぶ目玉アイテム5選

約150点のビンテージアイテムが並ぶ中、井澤オーナーに注目の品を5つ聞いた。

「プラダ」のジャケット

「ブラックとホワイトの2色をそろえているが、ボタンの数やポケットの数など、それぞれデザインが少しちがう。シルエットが美しくトレンドに囚われないデザインで、コーディネートに迷った時はつい手が伸びてしまう。『プラダ』の永遠の定番アイテムになるだろうと思い、常時店頭に置けるよう買い付けを強化する予定だ」。

「ジョン・ガリアーノ」のレザージャケット

「重厚感のある、当時の空気感を反映しているような形とデザイン。ジョン・ガリアーノ(John Galliano)は、現在『メゾン マルジェラ』のデザイナーを務めているが、今のデザインにもつながるストーリー性のある一着だと思う。個人的にはコレクションとして購入したい」。

「メゾン マルジェラ」のピーコート

「ブランドのアイコニックなマークである首元後ろのステッチがないピーコートだ。袖口が狭くなっている、かつ丸みのあるシルエットなので今の時代に合っているデザイン」。

「ドリス ヴァン ノッテン」のスエット

「『ドリス ヴァン ノッテン』の定番だが、シーズンなどによってカラーや仕様が少し変わる。その年代によってオーバーサイズになったり、体にフィットする形になったり。一枚でコーディネートが成り立つし、シャツなどをレイヤードしてもまとまる。古着初心者でもトライしやすいアイテムだ」。

「プラダ」のパンツ

「『プラダ』っぽくないミリタリーの表現が珍しいと思いセレクト。ポケットは取り外し可能で、お尻や足元など、好きなところにつけられるユニークな仕様になっている」。

■「TUNAGI JAPAN」
営業時間:13:00〜20:00
住所:東京都渋谷区神南1-17-3 サンビル2階

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企業側の負担ゼロ、ショーイチ衣料品リサイクル “三方よし”な仕組みで笑顔を生む

アパレル余剰在庫の買い取り事業で知られるショーイチ(大阪、山本昌一社長)は近年、衣料品リサイクル事業にも注力している。世の中の環境意識の高まりを背景に、余剰在庫のリサイクルを推進しようとショーイチに興味を持つファッションブランドや小売店は増えているが、他のリサイクル企業と比較した際、「ショーイチはコストの面でも強みがある」と山本社長は話す。公式サイトでも、「廃棄より環境によく、廃棄より安価」と自社のリサイクル事業を打ち出しているが、これは一体どういうことか。

ブランド側は“廃棄費用ゼロ”

一般的に余剰在庫は産業廃棄物として扱われ、リサイクルしようとする場合は、ブランドや小売店側がリサイクル企業に料金を支払う仕組みになっている。しかし、ショーイチは自治体からの助成金も得て運営している自社グループ内の就労支援施設を活用。就労支援施設の“仕事”としてリサイクル原材料となる余剰在庫を買い取り、同施設で仕分けや解体、タグカットを行うことで、ブランドや小売店側は“廃棄費用ゼロ”となり、就労支援施設は仕事やその対価を得ることができ、ショーイチはリサイクル事業を推進できる。そんな“三方よし”を実現している。

グループ内の就労支援施設でタグカット

2023年6月のある日、大阪にあるショーイチの倉庫を訪ねた。倉庫の一角で、リサイクル原材料である余剰在庫の仕分けや解体、タグカットを行っていたのは、徒歩5分ほどの距離にある就労継続支援事業所「やさしいあおぞら」の通所者や施設スタッフ、計15人ほどだ。タグのどの部分をカットするかはブランドや商品ごとに異なっており、ファスナーの取り外しなどは想像以上に手間がかかる。ここでは、通所者3〜4人ごとに1人の施設スタッフがつき、丁寧に指示を出していた。タグを取り、解体された余剰在庫が、提携工場に運ばれて再生ウールやフェルト製品に加工される流れになっている。

経験を生かし、一般企業への就職も

「やさしいあおぞら」はショーイチのグループ会社が運営しており、倉庫ではショーイチ側の担当者と施設スタッフとで情報共有を密に行っているという。例えば、倉庫内の温度が暑いという声が出た際には、ショーイチが迅速に送風機や空調付きの服を用意した。また、通所者の仕事の範囲をタグカットに限定せず、希望者には倉庫内で別の作業を任せることもある。通所者は施設を出た後に、その経験を生かして一般企業に就職するケースもあるという。「やさしいあおぞら」以外にも、ショーイチはグループ内で5軒の就労支援施設を運営している。

「関わる人全てが笑顔になる仕組み」

「困ったことや分からないことがあったらすぐに聞ける。楽しく仕事をしている」と、倉庫でタグカットをしていた「やさしいあおぞら」の通所者の女性は話してくれた。ショーイチの山本社長は、自社のリサイクル事業の特徴の1つとして「笑顔」を挙げる。「『やさしいあおぞら』の通所者も、取引先のブランドや小売店も、われわれも、関わる人皆がそれぞれにメリットがある仕組みを実現しており、それが笑顔につながっている」と山本社長は話す。

問い合わせ先
ショーイチ
050-3151-5247

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「マルティニーク」に一目ぼれ【メルローズと私vol.1 ビルダーズ代表・安田耕司さん】

1973年創業のメルローズは今年50周年を迎えた。「マルティニーク(MARTINIQUE)」「ティアラ(TIARA)」「ピンクハウス(PINK HOUSE)」 など個性豊かなブランドを運営する同社とゆかりの深い人たちによる新連載「メルローズと私」を開始する。1回目は大手デベロッパーの三菱地所の在籍時に数多くの商業リーシングを手掛けてきたビルダーズの安田耕司さん。街づくりの仕掛け人から見たメルローズの姿とは?

「カッコいい大人たち」が作る
魅力的なブランド

私は長く商業のリーシングを担当してきて、たくさんのアパレル企業と仕事をしてきました。中でも白金のビギグループ(現ビギ ホールディングス)の方たちの記憶は鮮烈です。創業者の大楠祐二さんを筆頭に、とにかく皆さん素敵なのです。ファッションだけではなく、遊びや趣味も洗練されていて、たくさんのことを教えていただきました。サラリーマンっぽくないというか、仕事を含めたライフスタイル自体がカッコよかったのです。そんな人たちが作るブランドだからあこがれの対象になるのだと感心しました。

2000年前後、私は東京・丸の内の街づくりに奮闘していました。オフィスしかなかった丸の内をショッピングや食事も楽しめる 街へと作り替える。そのためにファッションは重要な要素です。丸の内のブランド価値を上げてくる店はないだろうか。リサーチを続ける中で、当時の部下だった武井哲也君に紹介されたのが代官山に開店したばかりの「マルティニーク」でした。

足を踏み入れた瞬間、「なんて素敵な店だろう」と興奮しました!並んでいる服が素晴 らしいのはもちろん、売り場の内装の細部までこだわりがあり、ストーリー性を感じさせる。洗練された大人の女性のライフスタイルが想像できるのです。すっかり一目惚れしました。

「みんなで面白いことやろうぜ」
の社風

「マルティニーク」を仕掛けたのは、メルローズの武内一志さん(後にメルローズ社長、現在はビギホールディングス社長)でした。私は武内さんに熱烈なラブコールを送りました。ファッションビルの中ではこの世界観は出せないと考え、丸の内のメインストリートである仲通りの路面店に誘致しました。当時の丸の内はショッピングストリートとしては黎明期。今のようにファッションのお店がずらっと軒を連ねているわけではありません。新しく出店するのはチャレンジングな決断だったと思います。「マルティニーク」 は成功を収め、丸の内の活性化に大いに貢献してくれました。

全国の街づくりを手がけてきて痛感するのは、街のエネルギーを生むのは携わる人、そして店の魅力に他ならないということです。ビジネスだから収支が大事なのはその通りですが、資本の論理だけでは割り切れない。収益性だけで推し進めると、全国どこも同じような街になってしまうのです。

先ほど「サラリーマンっぽくない」と言いましたが、ビギグループからメルローズに連綿と感じるのが、仕事だからと自分を殺して頑張るのではなく、仕事を自分の楽しみや喜びにしてしまうDNAみたいなものですね。良い意味での公私混同といえるかもしれません。好きなことを仕事としながら「みんなで面白いことやろうぜ」みたいな社風は、今の 時代こそすごく大切なように思えます。大楠さんとその世代の先輩方や武内さんはそうだったし、現役の若いスタッフもそうあってほしい。お客さんはそれを敏感に感じとります。代官山の「マルティニーク」に私が感じた魅力も、それを源にしていたのでしょう。

問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)

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ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー

ブルーノ・メジャー/シンガーソングライター

PROFILE:1988年生まれ、イングランド・ノーサンプトン出身。幼い頃からギターを嗜み、リーズ音楽大学ジャズ専門科を卒業後、セッションギタリストや作曲家としての活動を経て、2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」でデビュー。23年7月には最新作となる3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月にパンデミック後の初ライブを日本で行った PHOTO:NEIL KRUG

甘美な歌声と高度なギタースキルで世界を魅了するイギリスのシンガーソングライター、ブルーノ・メジャー(Bruno Major)。“現代最高のメロディアーティスト”と称される彼は、多様なジャンルの要素を高次元で昇華したノスタルジックなサウンドを武器に、「スポティファイ(Spotify)」だけで毎月400万以上のリスナーを抱えるトップアーティストだ。しかし、もともとは表舞台での活動を考えておらず、セッションギタリストや作曲家といった“裏方”として活動する中で、あるきっかけから独立。2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」を発表すると、その音楽性で遠耳が利くファンをすぐに獲得した。その後、パンデミック中の2020年6月に2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」を、パンデミック明けの23年7月に3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月には3年半ぶりのツアー「プラネット アース(Planet Earth)」を日本からスタートさせ、現在も鋭意巡業中だ。

そんな彼に、27歳でのデビューまでの道のりをはじめ、“裏方”からアーティストに転身した経緯や、パンデミック後の初ライブとなった日本公演などを振り返ってもらった。

ーーまずは、音楽活動を始めたきっかけを教えてください。

ブルーノ・メジャー(以下、ブルーノ):父親がよく家でギターを弾いていたので、それに触発される形で7歳から弾き始め、遊びでセッションをしているうちに夢中になり、16歳の頃は1日中触っていたね。それからジャズに目覚め、リーズ音楽大学(注:欧州初のジャズ専門科がある名門)でジャズの学位を取得し、卒業後はロンドンに拠点を移してR&Bやソウルを中心としたセッションミュージシャンとして生計を立てていたんだ。また、ギターと並行する形で10代の頃から遊びの延長で曲作りを行っていて、22歳から本格的に取り組むようになり、24歳頃に作曲家として某レーベルと契約することができた。

それからしばらく他のアーティストに楽曲を提供している中で、僕自身もアーティストとしてレーベル契約を結び、1stアルバムを制作したもののリリースしてもらえなかったんだ。だから、今のマネージャーと一緒に自主レコードレーベル「ハーバー(Harbour)」を立ち上げたのさ。ただ、作詞作曲から演奏、リミックス、プロデュースまで全てを自分たちで行う必要が生じたためデビューに時間がかかってしまい、1stアルバム「A Song for Every Moon」をリリースした時には27歳になっていたよ。思うに、遅すぎる年齢かもしれないけど、振り返ると必要な時間だったと思うね。

ーーアーティストとしてのデビューは、かねてからの夢だったのか、それとも作曲家として活動する中で芽生えた道なのでしょうか?

ブルーノ:幼い頃はアーティストよりも、バンドのギタリストになりたかったんだ。分かりやすい例えだと、ロバート・プラント(Robert Plant)やフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)、アクセル・ローズ(Axl Rose)ではなく、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)やブライアン・メイ(Brian May)、スラッシュ(Slash)のような存在に憧れていたね。彼ら3人は、今でも僕のヒーローだよ。

それで、大学卒業後は結果としてセッションギタリストになったんだけど、本当は大学教授や講師など、音楽を教える側に回りたいと考えていたんだ。......正直に言うと、アーティストになることは夢のまた夢すぎる話で、考えたことがないというか、考えることが考えになかった。1stアルバムを制作した時も、ただ作曲が好きだから作っているうちに気に入った楽曲がいくつか溜まり、自分自身の記録も兼ねてレコーディングしたい気持ちが生まれ、その出来が良かったのでインターネットに載せてみたんだよ。すると、想像以上の反応が返ってきて、それがアーティスト活動のきっかけになったんだ。

ーー自然発生的な流れからアーティストになったんですね。

ブルーノ:1stアルバムを作った時から今でも、「アーティストになりたい」「有名になりたい」という気持ちはなくて、ただひたすらにいい音楽を作りたいだけなんだ。それと、常に人々に伝えたいことが自分の中にあって、それを表現するために音楽を作っているとも思うね。

ーー少し話を戻すと、ハードロック系のギタリストをヒーローに挙げられているのが意外でした。

ブルーノ:そうだよね(笑)。18歳頃まで全然ジャズに興味が無くて、ずっとHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)が好きだったんだ。ずっと“レスポール(Les Paul)”を使っているのもスラッシュの影響で、彼のプレイしている姿が神様に見えた日から使い始め、レコーディングも全て“レスポール”で行っているよ。いまでもHR/HMは好きで、ジムでトレーニングしている時などに聴いて「ワーッ!」って(笑)。

ある人物との出会いで音楽性が確立

ーーそのような背景もあって、ジャズをベースとしながらさまざまなジャンルのエッセンスも感じられる現在のスタイルが生まれたと思うのですが、どのような過程で確立していったのでしょうか?

ブルーノ:アーティストは基本的に、人生で聴いてきた音楽が制作する楽曲の土台になっていると思う。僕の場合、歌い方はチェット・ベイカー(Chet Baker)、ベースの弾き方はピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ビートの打ち込み方はJ・ディラ(J Dilla)、プロダクションの方法はディアンジェロ(D'Angelo)、プロデュースの仕方はジェイムス・ブレイク(James Blake)から学び、それを自分のパレットに乗せて絵を描くようなイメージなんだ。その中で、音楽性が確立したと思った瞬間は、共同プロデューサーのファイロー(Phairo)との出会いだね。彼はもともと、エレクトロニックのプロデューサーとしてイングランドのダンスミュージックシーンで活動していた人物で、「Wouldn't Mean A Thing」(2016年発表)という楽曲にヒップホップ調のビートを提供してくれた時、僕の音楽性が確立されたと感じたんだ。

もし、僕のスタイルを端的に説明するのであれば、“ジャズのスタンダードにヒップホップのビートが乗ったもの”になると思う。ただ、「The Show Must Go On」や「We Were Never Really Friends」などは、さらに複雑なサウンドでジャズがベースになっているとも言い切れないし、説明するのが難しいな。

ーー日本人アーティストのハマ・オカモトは、あなたを“現代最高のメロディーアーティスト”と絶賛していました。

ブルーノ:褒めてもらったことは素直にありがたいけど、自分ではメロディーが一番の弱点だと思っているんだよね。アーティストは大抵2種類のタイプに分類することができて、先にメロディーが浮かんでリリックを乗せるか、リリックを書いてからメロディーを乗せるか。ただ、僕の場合はメロディーはリリックというか言葉の中に存在していると思っている。英語と日本語では喋り方や発音が違うから、理解してもらうのは少し難しいかもしれないけど、例えば「The Show Must Go On」の「And you’ll tell yourself」から「'Cause the show must go on」までのリリックを口ずさむと、それだけでメロディがあるように感じるんだよ。だから、僕にとってメロディーは作るものではなく、リリックそのものという認識が近いかもしれないね。

ーーそんな「The Show Must Go On」も収録されている3rdアルバム「Columbo」は、ビンテージで購入した「メルセデスベンツ(MERCEDES-BENZ)」の“380SL”(1978年製)の愛称から名付けられたそうですが、クラシックカーのコレクターなのでしょうか?

ブルーノ:クラシックカーのコレクターにはなりたいと思いつつ、どうしてもお金がかかる趣味だし、いつかなれたらね(笑)。そもそも車がとても好きで、幼い頃はレーシングカーのドライバーになりたくて、「ポルシェ(PORCHE)」でサーキットを走ることは夢の一つだよ。ちなみに、アルバムタイトルにもなった“380SL”は、残念ながら交通事故で廃車になってしまったんだ。でも、“380SL”で西海岸沿いをドライブするのが趣味だし、今後しばらくの夢はまた“380SL”を手に入れることだね。

日本からスタートしたパンデミック後の初ツアー

ーーまた、8月には東京・渋谷で来日公演を行っていましたが、パンデミックの影響から3年半ぶりのライブだったそうですね。

ブルーノ:2018年に一度だけライブのために日本を訪れたけど、とても小さい規模で自分1人のために行ったような感じだった。今回のように、バンドを引き連れてのライブは初で、1日中すごく緊張していて始まるまでは恐怖心もありつつ、いざステージに立つと喜びしかなかったよ。「Columbo」に収録されている全ての曲をパフォーマンスできたことはもちろん、パンデミック期間中に発表した2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」の楽曲も一度も人前で披露できていなかったしね。特に、「Nothing」という楽曲は一番再生されているにもかかわらず、ライブでは演奏できていなかったから、「ようやく!」という気持ちだったよ。

ーー「Nothing」は、リリックに「Nintendo」が出てきたり、「スーパーマリオ(Super Mario)」のサウンドエフェクトをサンプリングしていたりと、所々に日本要素が散りばめられていますよね。

ブルーノ:実はあれ、サンプリングじゃないんだ。ファイローと一緒に、“MS-20”というシンセサイザーを使って制作して、こうして勘違いされるくらい本物に近い音を再現できたので本当に気に入っているよ。任天堂のサンプリングは、権利関係が複雑だしね(笑)。

ーー最後に、ファッションメディアなのでファッション関連の質問を。私服とステージ衣装の違いや、こだわりのポイントがあれば教えてください。

ブルーノ:エルトン・ジョン(Elton John)がステージ衣装で近所を出歩かないのと一緒で、彼ほどの違いはないにしろ、衣装と私服には差を儲けることを意識しているかな。衣装は、ステージ上での自分のキャラクターを構成する要素のひとつであり、ステージアートの一部だと考えて気を遣っている。8月の来日公演は、スタイリストにお願いした結果、全身「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」になったよ。私服は、自分自身がクールだと思っていればなんでもいいと思っているね。

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ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー

ブルーノ・メジャー/シンガーソングライター

PROFILE:1988年生まれ、イングランド・ノーサンプトン出身。幼い頃からギターを嗜み、リーズ音楽大学ジャズ専門科を卒業後、セッションギタリストや作曲家としての活動を経て、2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」でデビュー。23年7月には最新作となる3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月にパンデミック後の初ライブを日本で行った PHOTO:NEIL KRUG

甘美な歌声と高度なギタースキルで世界を魅了するイギリスのシンガーソングライター、ブルーノ・メジャー(Bruno Major)。“現代最高のメロディアーティスト”と称される彼は、多様なジャンルの要素を高次元で昇華したノスタルジックなサウンドを武器に、「スポティファイ(Spotify)」だけで毎月400万以上のリスナーを抱えるトップアーティストだ。しかし、もともとは表舞台での活動を考えておらず、セッションギタリストや作曲家といった“裏方”として活動する中で、あるきっかけから独立。2017年8月に1stアルバム「A Song for Every Moon」を発表すると、その音楽性で遠耳が利くファンをすぐに獲得した。その後、パンデミック中の2020年6月に2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」を、パンデミック明けの23年7月に3rdアルバム「Columbo」をリリースし、同年8月には3年半ぶりのツアー「プラネット アース(Planet Earth)」を日本からスタートさせ、現在も鋭意巡業中だ。

そんな彼に、27歳でのデビューまでの道のりをはじめ、“裏方”からアーティストに転身した経緯や、パンデミック後の初ライブとなった日本公演などを振り返ってもらった。

ーーまずは、音楽活動を始めたきっかけを教えてください。

ブルーノ・メジャー(以下、ブルーノ):父親がよく家でギターを弾いていたので、それに触発される形で7歳から弾き始め、遊びでセッションをしているうちに夢中になり、16歳の頃は1日中触っていたね。それからジャズに目覚め、リーズ音楽大学(注:欧州初のジャズ専門科がある名門)でジャズの学位を取得し、卒業後はロンドンに拠点を移してR&Bやソウルを中心としたセッションミュージシャンとして生計を立てていたんだ。また、ギターと並行する形で10代の頃から遊びの延長で曲作りを行っていて、22歳から本格的に取り組むようになり、24歳頃に作曲家として某レーベルと契約することができた。

それからしばらく他のアーティストに楽曲を提供している中で、僕自身もアーティストとしてレーベル契約を結び、1stアルバムを制作したもののリリースしてもらえなかったんだ。だから、今のマネージャーと一緒に自主レコードレーベル「ハーバー(Harbour)」を立ち上げたのさ。ただ、作詞作曲から演奏、リミックス、プロデュースまで全てを自分たちで行う必要が生じたためデビューに時間がかかってしまい、1stアルバム「A Song for Every Moon」をリリースした時には27歳になっていたよ。思うに、遅すぎる年齢かもしれないけど、振り返ると必要な時間だったと思うね。

ーーアーティストとしてのデビューは、かねてからの夢だったのか、それとも作曲家として活動する中で芽生えた道なのでしょうか?

ブルーノ:幼い頃はアーティストよりも、バンドのギタリストになりたかったんだ。分かりやすい例えだと、ロバート・プラント(Robert Plant)やフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)、アクセル・ローズ(Axl Rose)ではなく、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)やブライアン・メイ(Brian May)、スラッシュ(Slash)のような存在に憧れていたね。彼ら3人は、今でも僕のヒーローだよ。

それで、大学卒業後は結果としてセッションギタリストになったんだけど、本当は大学教授や講師など、音楽を教える側に回りたいと考えていたんだ。......正直に言うと、アーティストになることは夢のまた夢すぎる話で、考えたことがないというか、考えることが考えになかった。1stアルバムを制作した時も、ただ作曲が好きだから作っているうちに気に入った楽曲がいくつか溜まり、自分自身の記録も兼ねてレコーディングしたい気持ちが生まれ、その出来が良かったのでインターネットに載せてみたんだよ。すると、想像以上の反応が返ってきて、それがアーティスト活動のきっかけになったんだ。

ーー自然発生的な流れからアーティストになったんですね。

ブルーノ:1stアルバムを作った時から今でも、「アーティストになりたい」「有名になりたい」という気持ちはなくて、ただひたすらにいい音楽を作りたいだけなんだ。それと、常に人々に伝えたいことが自分の中にあって、それを表現するために音楽を作っているとも思うね。

ーー少し話を戻すと、ハードロック系のギタリストをヒーローに挙げられているのが意外でした。

ブルーノ:そうだよね(笑)。18歳頃まで全然ジャズに興味が無くて、ずっとHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)が好きだったんだ。ずっと“レスポール(Les Paul)”を使っているのもスラッシュの影響で、彼のプレイしている姿が神様に見えた日から使い始め、レコーディングも全て“レスポール”で行っているよ。いまでもHR/HMは好きで、ジムでトレーニングしている時などに聴いて「ワーッ!」って(笑)。

ある人物との出会いで音楽性が確立

ーーそのような背景もあって、ジャズをベースとしながらさまざまなジャンルのエッセンスも感じられる現在のスタイルが生まれたと思うのですが、どのような過程で確立していったのでしょうか?

ブルーノ:アーティストは基本的に、人生で聴いてきた音楽が制作する楽曲の土台になっていると思う。僕の場合、歌い方はチェット・ベイカー(Chet Baker)、ベースの弾き方はピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ビートの打ち込み方はJ・ディラ(J Dilla)、プロダクションの方法はディアンジェロ(D'Angelo)、プロデュースの仕方はジェイムス・ブレイク(James Blake)から学び、それを自分のパレットに乗せて絵を描くようなイメージなんだ。その中で、音楽性が確立したと思った瞬間は、共同プロデューサーのファイロー(Phairo)との出会いだね。彼はもともと、エレクトロニックのプロデューサーとしてイングランドのダンスミュージックシーンで活動していた人物で、「Wouldn't Mean A Thing」(2016年発表)という楽曲にヒップホップ調のビートを提供してくれた時、僕の音楽性が確立されたと感じたんだ。

もし、僕のスタイルを端的に説明するのであれば、“ジャズのスタンダードにヒップホップのビートが乗ったもの”になると思う。ただ、「The Show Must Go On」や「We Were Never Really Friends」などは、さらに複雑なサウンドでジャズがベースになっているとも言い切れないし、説明するのが難しいな。

ーー日本人アーティストのハマ・オカモトは、あなたを“現代最高のメロディーアーティスト”と絶賛していました。

ブルーノ:褒めてもらったことは素直にありがたいけど、自分ではメロディーが一番の弱点だと思っているんだよね。アーティストは大抵2種類のタイプに分類することができて、先にメロディーが浮かんでリリックを乗せるか、リリックを書いてからメロディーを乗せるか。ただ、僕の場合はメロディーはリリックというか言葉の中に存在していると思っている。英語と日本語では喋り方や発音が違うから、理解してもらうのは少し難しいかもしれないけど、例えば「The Show Must Go On」の「And you’ll tell yourself」から「'Cause the show must go on」までのリリックを口ずさむと、それだけでメロディがあるように感じるんだよ。だから、僕にとってメロディーは作るものではなく、リリックそのものという認識が近いかもしれないね。

ーーそんな「The Show Must Go On」も収録されている3rdアルバム「Columbo」は、ビンテージで購入した「メルセデスベンツ(MERCEDES-BENZ)」の“380SL”(1978年製)の愛称から名付けられたそうですが、クラシックカーのコレクターなのでしょうか?

ブルーノ:クラシックカーのコレクターにはなりたいと思いつつ、どうしてもお金がかかる趣味だし、いつかなれたらね(笑)。そもそも車がとても好きで、幼い頃はレーシングカーのドライバーになりたくて、「ポルシェ(PORCHE)」でサーキットを走ることは夢の一つだよ。ちなみに、アルバムタイトルにもなった“380SL”は、残念ながら交通事故で廃車になってしまったんだ。でも、“380SL”で西海岸沿いをドライブするのが趣味だし、今後しばらくの夢はまた“380SL”を手に入れることだね。

日本からスタートしたパンデミック後の初ツアー

ーーまた、8月には東京・渋谷で来日公演を行っていましたが、パンデミックの影響から3年半ぶりのライブだったそうですね。

ブルーノ:2018年に一度だけライブのために日本を訪れたけど、とても小さい規模で自分1人のために行ったような感じだった。今回のように、バンドを引き連れてのライブは初で、1日中すごく緊張していて始まるまでは恐怖心もありつつ、いざステージに立つと喜びしかなかったよ。「Columbo」に収録されている全ての曲をパフォーマンスできたことはもちろん、パンデミック期間中に発表した2ndアルバム「To Let a Good Thing Die」の楽曲も一度も人前で披露できていなかったしね。特に、「Nothing」という楽曲は一番再生されているにもかかわらず、ライブでは演奏できていなかったから、「ようやく!」という気持ちだったよ。

ーー「Nothing」は、リリックに「Nintendo」が出てきたり、「スーパーマリオ(Super Mario)」のサウンドエフェクトをサンプリングしていたりと、所々に日本要素が散りばめられていますよね。

ブルーノ:実はあれ、サンプリングじゃないんだ。ファイローと一緒に、“MS-20”というシンセサイザーを使って制作して、こうして勘違いされるくらい本物に近い音を再現できたので本当に気に入っているよ。任天堂のサンプリングは、権利関係が複雑だしね(笑)。

ーー最後に、ファッションメディアなのでファッション関連の質問を。私服とステージ衣装の違いや、こだわりのポイントがあれば教えてください。

ブルーノ:エルトン・ジョン(Elton John)がステージ衣装で近所を出歩かないのと一緒で、彼ほどの違いはないにしろ、衣装と私服には差を儲けることを意識しているかな。衣装は、ステージ上での自分のキャラクターを構成する要素のひとつであり、ステージアートの一部だと考えて気を遣っている。8月の来日公演は、スタイリストにお願いした結果、全身「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」になったよ。私服は、自分自身がクールだと思っていればなんでもいいと思っているね。

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「CBDは危険薬物だと思っていた」 大阪府警捜査一課の元スゴ腕刑事がつくるCBDブランド

吉村文男/オズジャパン株式会社代表取締役社長(写真左)

PROFILE:(よしむら・ふみお)1965年大阪府生まれ。84年に大阪府警に採用され、約30年奉職する。最終的に警部補に昇任し、凶悪犯捜査の指揮にあたった。2017年大阪府警部を最後に50歳の節目で退官し、同年10月に企業の危機管理コンサルティングを行うディフェンスカンパニーを設立。CBDの可能性に気づき、CBDビジネスをスタートすることを決意する。22年12月、ウェルネス事業に特化したオズジャパンを設立。ちょうど1年後の23年12月、CBDブランド「『凪』ナギ.ウェルネス」を発表した

城野靖也/オズジャパン株式会社取締役副社長

PROFILE:(じょうの・やすなり)1965年大阪府生まれ。セフォラ AAP ジャパンのセフォラ心斎橋店ストアディレクターや、サマンサタバサジャパンリミテッドのブランド長兼海外事業担当などを経て、2011年にファッション業界や小売業界、消費財メーカーを中心に人材紹介を行うザ・フォースウエイブを設立。現在も代表取締役を務める。小学校時代の同級生である吉村社長から誘いを受け、22年12月にオズジャパンに参加した

日本のCBD市場は近年活況で、ビューティ企業が次々にCBD配合のスキンケアやウェルネスグッズを発売するほか、CBDブランドを始める企業も増えている。若い世代を中心にCBDに対する理解が進む一方で、世間では“CBD=違法薬物の大麻”という誤った認識が根強い。そんなCBDのネガティブイメージに真っ向から挑むのが、オズジャパン(OZJAPAN)を立ち上げ、2023年12月にオリジナルCBDブランド「『凪』ナギ.ウェルネス(NAGI.WELLNESS)」をスタートした吉村文男社長だ。

元敏腕刑事のセカンドキャリア

吉村社長がブランドを始動するまでの道のりは長い。大阪府出身の吉村社長は、大阪府警察本部刑事部で捜査第一課に所属し、殺人事件などの凶悪犯事件に取り組んだ異色の経歴を持つ人物。警察署時代の5年間には、大阪府下の62警察署の中で常に検挙率1位という実績を収め、個人で「警察本部長賞」や「警察本部長賞詞」などを受賞するほど、「悪いやつを捕まえるのが生きがいだった」と話す。ただ、「人のために役立つことがしたい」との思いで警察に就職したものの、組織の巨大さゆえに、市民から相談を受けたとしても実際に犯罪が発生するまでは動き出せないジレンマがあったという。50歳になったころ「もう一度自分のやりたいことにチャレンジしよう」と一念発起し、企業の危機管理専門のコンサルティング会社であるディフェンスカンパニーを2017年に設立した。

約30年の警察人生で培った知識をもとに、弁護士や会計士などの専門家を含めたチームを組み、“お助けマン”として企業トラブルに向き合う中、「タイ人の理学博士が、高品質なCBDを日本に輸出したがっている」とクライアントから偶然舞い込んできたのがCBDの話だった。当初は知識もなく、「大麻なんて危険だ!」と警戒したが、調べていくうちに精神疾患や皮膚疾患などに有効であり、副作用もないと知った。「刑事時代、重度のうつ病患者の自殺現場に立ち会うことが多かった。CBDなら人の命を救えるかもしれないと考えた」。吉村社長は22年、チェンマイ大学で有機化学の理学博士号を取得し、現在はカセサート大学に所属するウィーラチャイ・フッドターウォング(Weerachai Phutdhawong)理学博士をパートナーに、小学生時代からの親友で輸入販売のノウハウをもつ城野靖也を副社長に迎え、ウェルネスに特化したオズジャパンを始動した。

濃度より純度

23年12月に発売した“CBDオイル”(濃度10%が9500円、濃度30%が1万9000円)では、製造過程で違法成分が混入しないことを何よりも重視し、99.9%に近い純度を確保する。「安心・安全な商品をつくるには濃度より純度が大切」。吉村社長のこの姿勢は当然のことのように思われるかもしれないが、大麻取締法によって産業用大麻の栽培を制限してきた日本は、CBDの入手を外国からの輸入に頼るしかなく、海外工場は生産過程でCBDのみが抽出されているかどうかを確認するのは非常に困難だ。

そもそもCBDは「カンナビジオール(cannabidiol)」の略称で、植物の大麻草が含む成分「カンナビノイド」の一つだ。世界保健機構(WHO)や世界ドーピング防止機構(WADA)もその安全性と有効性を認めている。100種類以上あるとされる「カンナビノイド」の中ではCBDのみが規制の対象から外れており、規制対象の例としてマリファナの主原料成分「テトラヒドロカンナビノール(tetrahydrocannabinol=THC)」がある。

吉村社長いわく、「CBDが取れるのは大麻草の種と茎だけ。加えて『1キロのCBDを生産するには大麻草が2トン必要』と言われるほどわずかな量にしかならないため、違法成分を含む葉などを使用し、かさ増ししている業者も多い」。吉村社長のビジネスパートナーであるウィーラチャイ博士が管理する工場では、大麻草の枝打ちを行い、茎だけになった状態で抽出機に投入する。安全性を担保するため「近々、タイに行って全過程を学ぶために修行するつもり」と吉村社長は意欲を見せる。

CBDを一過性のブームで終わらせない

リリースしたばかりの“CBDオイル”を引っ提げ、現在は自社オンラインECサイト以外の販路拡大に奔走し、大手百貨店などと商談を進めている。「CBDは単なるブームでなく今後も社会に残っていくべき成分」と信じる城野副社長。

とはいえ、日本社会ではCBDに対する理解度がまだまだ高くない。吉村社長は、「日本のマスコミはこれまで、合法成分のCBDとマリファナの主原料になる違法成分THCを一口に“大麻”として報道してきた。“大麻グミ”などによってついたネガティブイメージをCBD業界全体で払拭する必要がある」と話す。そのためにも自身の元刑事という経歴を明かして、メディア取材を受けることにしたという。「最初はメディアに登場することに抵抗感があったが、違法薬物を摘発する立場だった元刑事の自分がCBDのメリットを伝えることで、世間のネガティブイメージを解消できるかもしれないと考え直した」。

今後はフェイスクリームやシャンプーなどの企画や開発にも併せて取り組む。吉村社長の“人助け”人生第2章は始まったばかりだ。

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ピース又吉直樹がファッションブランドを立ち上げた理由 第1弾はパジャマ

PROFILE: 又吉直樹/お笑い芸人・作家

又吉直樹/お笑い芸人・作家

PROFILE: (またよし・なおき)1980年、大阪府寝屋川市生まれ。2003年にお笑いコンビ「ピース」を結成。10年「キングオブコント2010」準優勝、同年「M-1グランプリ2010」4位、11年「第11回ビートたけしのエンターテインメント賞」日本芸能大賞を受賞。15年「火花」で芥川賞を受賞し、同年「GQ メン・オブ・ザ・イヤー」に選出される。YouTubeチャンネル「渦」やオフィシャルコミュニティ「月と散文」では又吉の頭の中を除くことができる PHOTO:KAZUSHI TOYOTA

ピースの又吉直樹が、ファッションブランド「水流舎(つるしゃ)」を立ち上げた。第1弾は、街着としても着用できるパジャマを、2月に東京と大阪で開催するポップアップストアで限定販売する。ユニセックスで2サイズ(M、L)を用意し、価格はセットアップで3万3000円。同ブランドのタグは、又吉とかねてより親交の深い書道家の田中象雨が手掛けた。メディアにもたびたび登場するほどファッション好きの又吉は、なぜブランドを立ち上げたのか。その経緯や目的を聞いた。

“寝る”ことが地名になっている町で生まれ育った

WWDJAPAN(以下、WWD):ブランドをローンチしたきっかけは?

又吉直樹(以下、又吉):7〜8年前にふと、パジャマを作りたいと思い立って、たくさんパジャマを買って試すようになったんです。1年ほど前に周囲の人に話したら、「面白いんじゃないか」という反応があり、自分自身が“一番着たいパジャマ”を作り始めました。パジャマを作るならそれを発表する母体が必要になり、ブランドを立ち上げることになりました。

WWD:パジャマを作ろうと思ったのはなぜ?

又吉:出身地が関わっているんです。僕が生まれた寝屋川市の由来については諸説あるんですけど、昔、京都から大阪まで偉い人たちが移動する時に必ず寝泊まりした宿があったとか。あるいは、山で狩りをしていた人たちが降りてきて寝た場所だとか。自分が知っている2つの説は、どちらも“寝る”にまつわる話なんですよね。現在、寝屋川市は“大阪のベッドタウン”と呼ばれていて、地名の由来と現代の役割がリンクしていることにも気づき、自分が“寝る”ことが地名になっている町に生まれ育ったんだと意識し始めた時に、パジャマを作ってみたいと思いました。

WWD:「水流舎」のネーミングの意味は?

又吉:音を含め、川と睡眠は親和性が高いイメージがあったんです。寝屋川を着想源として始まったプロジェクトなので、水にまつわる名前にしたいとも考えていました。以前、どこかの弁当屋に“水流”というネームプレートを付けた店員がいて、読み方を尋ねたら“つる”だと。「かっこいい名前やな......」と思った記憶が残っていて、そこから取りました。

WWD:パジャマを“街着”としても着られるようにデザインした理由は?

又吉:“寝る”という文字が入っている町で生まれ育ったとはいえ、寝るだけじゃなく、学校やバイトなど、いろいろな活動もしていたわけですよね。そこで、“街着”としても使えるようにしたら面白いと思ったんです。

WWD:“街着”として着用する際のおすすめコーディネートは?

又吉:パジャマのトップスはゆったりとしたシルエットなので、黒のワイドパンツとスニーカーがよく合うと思います。かさばらない素材なので、上からアウターを羽織ってもハマりますね。パンツの方も、シンプルにTシャツとか、何でも合わせられると思います。

WWD:デザインの着想源と、こだわったポイントは?

又吉:寝屋川市の“川”や、「水流舎」の“水”から連想した水神の竜を、胸元に刺しゅうで入れました。あとは、特に生地にこだわりましたね。自分がこれまでに着てきたパジャマの中で一番気に入っている素材に近いものをいくつか試作し、家に持ち帰って睡眠時に実際に着用してみて、着心地がいいものを選びました。

小説を1行ずつ書いていくような感覚でデザインした

WWD:文章を書くときと、服をデザインするときの共通点は?

又吉:文章を書くときは、「よし、これを書こう」と書き始めて、1行書いたら、1行目が2行目のヒントになって、2行書いたら、1行目と2行目が3行目のヒントになって、というように数秒前や数分前の自分に刺激を受けて書き進めていくようなところがあるんです。パジャマを作っている時も、自分が生まれ育った町のことを考えたり、改めて「川ってなんや」とか、「水ってなんや」とか、睡眠についても思考を巡らせたりして。このパジャマを着て寝た人が、「今日ちゃんと寝られたな」という喜びを味わえたらいいなと思い、「じゃあ竜に守ってもらうか」とか。いろいろな考えに対して、「ということはこうやな」という風に一つずつ進めていったので、それが小説を1行ずつ書いていく感覚とすごく似ていましたね。

WWD:ブランドの今後は?

又吉:実際に商品を見て、面白がってもらえたらいいなと考え、まずはポップアップストアでの販売というかたちにしました。でも、たとえば子供の頃に、図書館の移動バスとかあったじゃないですか。ああいうのも、すごく楽しくていいかもしれないですね。
ブランドを発展させたいというよりは、自分が作りたいものを作って、完成した喜びを味わう、という温度感を大切にしつつ、一つずつじっくりと作っていきたいですね。

WWD:第2弾の予定は?

又吉:まだ何も決まっていないですが、スカジャンやベトジャンは昔から興味があって、作ってみたいですね。あるいは、本自体をファッションとして捉え直して、詩集なども作ってみたいです。ファッション性の高い本、みたいなものがあるのかは分からないんですけど、そういう仕掛けや視点があれば、書けなかったものが書けるのかもしれませんよね。

見たことのないシルエットや変な刺しゅうのある服に惹かれる

WWD:自身のコーディネートの決め方は?

又吉:その日の予定に合わせて決めます。今日は、「水流舎」のパジャマと私服を何度も着替える予定だったので、着替えやすい服装にしました。
美術館に行く時は、展示の内容にもよりますが、だいたい地味な格好にしますね。美術館ではもちろん展示を見るんですけど、人の流れとかも目に入るじゃないですか。たとえば水墨画を見に来た時に、全身ピンクのおじさんとかがいたら気になっちゃいますよね。だから、そういうことにならんように、とかは考えます。
逆に、街でお店を回る時は色が多めのコーディネートにしてみたり、先輩と会う時にはシャツとジャケットと革靴を選んだりしますね。

WWD:大事にしているファッションアイテムは?

又吉:今日着ている、自由が丘の古着屋「エロティック(EROTIC)」がオリジナルで作っているシャツです。「シリンギルド(SHIRIN GUILD)」のシャツが元になっているんですけど、素材がよりカジュアルで、形は似ているのに着た感じはまた全然違うんですよね。ゆったりとしたシルエットが気に入っていて、もう10年くらい着ています。今日は太めのコーデュロイのパンツに合わせているんですけど、さらにゆったりとしたシルエットのパンツにもよく合います。
基本的に、見たことのないシルエットや変な刺しゅうのある服に惹かれます。「エロティック」のオーナーの杉本陽介さんとは30代前半の頃から親交があるんですけど、僕がお店に行くたびにめっちゃ変な服を倉庫から持って来てくれるんですよね。


販売について

■ポップアップストア「まだ、起きてたで」
日程:2月17日(土)
時間:12:00 開場、15:30 終了
場所:LIVE HOUSE VINTAGE
住所:大阪府寝屋川市東大利町5-10
入場料:無料

■ポップアップストア「まだ、起きてたよ」
日程:2月25日(日)
時間:12:00 開場、16:00 終了
場所:ADRIFT
住所:東京都世田谷区北沢3-9-23
入場料:無料

>公式YouTubeチャンネル「渦」

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「アミリ」のCEOは、ブランドの50年後を考える。 将来のレガシーはLA由来の開放感

ロサンゼルス生まれの「アミリ(AMIRI)」が、エイドリアン・ワード・リース(Adrian Ward-Rees)を最高経営責任者(CEO)に指名してから、まもなく1年を迎える。エイドリアンCEOは、「ディオール オム(DIOR HOMME)」(当時)でマネジング・ディレクターを務めた後、「バーバリー(BURBERRY)」で約3年、シニア・バイス・プレジデントを務めた。日本でのビジネスは、独占販売契約を締結するスタッフ インターナショナル ジャパンが手掛けている。エイドリアンCEOに、「アミリ」の今後について聞いた。

WWDJAPAN(以下、WWD):「アミリ」のCEOに就任した経緯は?
エイドリアン・ワード・リース=アミリCEO(以下、エイドリアン):2年ほど前、友人を介してマイク・アミリ(Mike Amiri)=クリエイティブ・ディレクターと知り合った。当時からマイクは、「ブランドとして、次のステップに進みたい。ハイプなファッションブランドとして終わるのではなく、(独自の歴史やカルチャーを持つ)メゾンに進化したい」と語っていた。メゾンへの進化に必要なものを一緒に考えているうちに、CEOのポジションをオファーしてくれたんだ。これまで携わってきた「バーバリー」や「ディオール オム」「ナイキ(NIKE)」に比べれば、「アミリ」はとても小さなブランド。でも開放的なカルチャーと透明性を有し、成長を続けている。ショップスタッフも含めて200人という組織は、皆が互いの顔を認識、つながり、新たなチャレンジをどう乗り越えるべきか話し合い、共有するためにちょうど良い規模感。ラグジュアリーの世界で、カルチャーと透明性でどこまで戦っていけるのか?この2つを武器に、メゾンへの成長を試みる「アミリ」にどう貢献できるのか?を考え、マイクのオファーを引き受けることにした。

WWD:マイクは、どんな人物?
エイドリアン:アートをよく知るクリエイティブな存在でありながら、「ファンにとってのベストは?」を考え、商業的な成功のために決断することもできる。腰の低い、謙虚なデザイナーだ。謙虚だから、デザインチームはもちろん、店頭、物流に携わるスタッフの意見にも耳を傾け、フィードバックを返す。こんな開放感や透明性が、「アミリ」の魅力だと思う。

WWD:そんな開放感や透明性は、どこから来ると感じている?
エイドリアン:マイクのパーソナリティはもちろん、拠点を構えるロサンゼルスの空気感やカルチャーによるところも大きいだろう。我々が目指すのは、青い空や青い海を感じさせる、カリフォルニアのメゾン。皆にもこの魅力を体感してほしい。ポップアップも含めて、アメリカ西海岸のオープンマインドなムードをどう伝えるべきか?考えている。

デニムはダメージ加工やアップリケ、ペインティングで
自己表現できるアイテムとして認識され、復活した

WWD:その上で、デニムをキーアイテムの1つに据えようとしている。
エイドリアン:デニムは長らくダウントレンドだったが、ここ数年で劇的に復活した。理由は、これまでより快適に着られるようになったからじゃない。ダメージ加工やアップリケ、ペインティングなどが、アメリカ西海岸を含む、若い世代のコミュニティで広がり、改めて自己表現できるアイテムとして認識されたからだと思う。そんなコミュニティに向けて、「アミリ」はデニムを再定義しようとしている。若い世代のフレキシブルな感覚を意識して、改めてデニムをドレスアップにもドレスダウンにも使えるアイテムとして提案している。この感覚は、スニーカーやトラックスーツで、すでに若者に受け入れられることがわかっている。そしてロサンゼルス発祥の「アミリ」らしい。こうして若い世代のカルチャーを意識しながら、「アミリ」やロサンゼルスらしい自由な発想を盛り込み続けることができれば、メンズでは着実に成長できるだろう。一方のウィメンズは、また別のマーケット。「アミリ」にとってはまだまだ小さく、強化するには違う戦略や意志、人材が必要だ。

WWD:そうして「メゾン」を目指す。
エイドリアン:豊かな歴史と遺産を持つブランドに長年携わってきた。メゾンとして成長するには、こうしたブランドと戦わなくちゃならないし、そのためには「アミリ」にも遺産、レガシーが必要だ。50年後、「アミリ」にとってのレガシーは、何になっているだろう?そう考え続けると、やはり開放的なムードは普遍的かつ国際的だと思う。当面は、ラグジュアリーブランドよりも買いやすい価格帯の商品や、デニムのように自分のスタイルに取り入れやすいアイテムを、友達の家のような空間・体験を楽しんでもらいながら買ってほしい。そんな顧客体験を繰り返すことで、マイクの歴史、「アミリ」の歴史を体感し続けてもらい、将来子どもや若い世代にその魅力を自分たちの言葉で語ってくれたら「アミリ」のレガシーが生まれるのではないか?「バーバリー」や「ディオール」とは違う形で、すでにあるレガシーを語り直すのではなく、共に作る。そんなビジネスを今、楽しんでいる。

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「オダカ」に生まれ変わった「マラミュート」 日本のニット技術を更新し世界を目指す

PROFILE:小高真理/「オダカ」デザイナー

(おだか・まり)埼玉県生まれ。 2011年文化ファッション大学院大学卒業。ニットデザイナーとして経験を積んだ後、14-15年秋冬シーズンに「マラミュート」をスタートする。17年に「東京都新人デザイナー大賞」を、21年に「東京ファッションアワード」を受賞。23年にブランド名を「マラミュート」から「オダカ」に変更した PHOTO:AYA YAMAMOTO

小高真理デザイナーによるファッションブランド「マラミュート(MALAMUTE)」が2023年、「オダカ(ODAKHA)」にブランド名を変更した。小高デザイナーは「マラミュート」時代から日本製のニットを強みにユニークなアイテムを生み出しており、今後は自身の名を冠したことでより“メード・イン・ジャパン”を打ち出したいという思いがあった。今年10周年を迎えるブランドのこれまでと今後の展望を、デザイナーの小高に聞いた。

ーーブランド名を「オダカ」に変更した理由は?

小高真理「オダカ」デザイナー(以下、小髙):21年に「東京ファッションアワード」を受賞し、パリで展示会を開く機会を得て、海外のバイヤーにコレクションを見てもらえるようになりました。そこで日本のニット技術に興味を持ってもらえたのですが、ちょうど同時期に取引先の工場2軒が廃業したんです。それを機に “日本のニットブランド”としてちゃんと打ち出していくことが大切だと思いました。「マラミュート」という名前は犬種の名前でとても気に入っていましたが、日本のブランドということが分かりづらい。スタッフとも話し合いを重ね、自分の苗字に変更することを決心しました。

ーー“ODAKHA”の名前に“H”が入るのはなぜ?

小高:フランス語で“洋服を着る”という意味を持つ“habiller(アビエ)”という言葉があるのですが、「H」はフランス語では発音されない言葉。色の“Khaki(カーキ)”のように、“H”を忍ばせたかったんです。

ーーネームタグにも使用されているネオングリーンが印象的だ。新たなブランドカラーにこの色を選んだ理由は?

小高:このネオングリーンは、ビートルズ(The Beatles)のレコードレーベルであるアップル・レコード(Apple Records)の青りんごの色にヒントを得ています。「マラミュート」の1シーズン目のインスピレーション源がビートルズの楽曲「She's a Woman」だったこともあり、どこかに「マラミュート」らしさを残したかったんです。

日本のニットは誇るべき職人技

ーー改めて、日本のニットの魅力とは?

小高:受け継がれている職人技であること。ブランドを始める前にニットのOEM会社で働いていた時代に、プライドを持ってニット作りに励まれている現場を目の当たりにしたことで、職人への尊敬の念が募りました。ホールガーメントで有名な島精機製作所は工場やニッターと密に連携をとりながら、技術をどんどん向上していく姿もとても素晴らしくて。これまでもそういった日本のニット技術を駆使したユニークな編み地に挑戦してきました。

ーーこれまでの「マラミュート」と「オダカ」の違いは?

小高:「マラミュート」で代表的だったニットと布帛をミックスしたアイテムは継続しつつ、「オダカ」ではさらに日本の伝統的な職人技術を加えることでよりユニークなものを作っていきたいです。例えば、最近はホールガーメントのニットに有松絞りの加工を施してもらうなど、技術を掛け合わせることにチャレンジしています。これは「マラミュート」時代にもやりたかったことで、「オダカ」ではもっと日本の技術にフォーカスしていきます。

“いつかはパリでショーを発表したい”

ーー「オダカ」のお披露目で開催された写真展も印象的だった。

小高:写真家の小見山峻さんと過去にビジュアル撮影でご一緒したことがあり、また何かお取り組みができないか模索していました。23-24年秋冬はアメリカ人の芸術家であるサイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)の赤い花の絵が着想源になっていて、紫や黒、青などさまざまな色を重ねて赤を表現しているのが面白い。それを小見山さんに話したところ、「赤といえば、エネルギーや血、始まりのイメージがある」と対話を重ね、2人のモデルを起用して「マラミュート」から「オダカ」に生まれ変わるさまをイメージしています。鏡を使いながら、時空が歪んでいるようなビジュアルも撮ってもらいました。

ーー24年に10年周年を迎える。これまでで印象に強く残っている出来事は?

小高:19年に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の外苑キャンパスで開催した20年春夏のショーは、雨の中で行ったこともあり思い出深いですね。音楽もオリジナルで制作してもらったり、空間デザイナーの吉添裕人さんによるオブジェを配置したりと、15分間のショーのために、本当に多くの方々がアイデアを出してくれました。ブランドのストーリーを伝えるためにできることはたくさんあると実感しました。コロナ禍の21年にも「東京ファッションアワード」の凱旋イベントで22-23年秋冬のショーを開催しましたが、感染対策で人数制限があり、大事なお客さまを呼べなくて不完全燃焼だったんです。またいいタイミングで「オダカ」としてショーを発表したいですね。

ーー今後はより海外ビジネスを強化していくのか?

小高:これまで同様、日本のお客さまとのコミュニケーションも大切にしていきながら、パリでの展示会も継続していきたいです。海外のバイヤーと話す中で新たな気付きがあり、自分の考え方が広がるような感覚がありました。日本ではショーピースのように捉えられていたドレスが、オケージョンアイテムとして買い付けてもらえることも新鮮でした。いつかはパリでショーを発表することを目標にしています。

“ニットの限界を超えて、技術を更新する”

ーー今後の目標は?

小高:ジャパンメードの強みを伝えていけるブランドにすることです。独りよがりではなく、関わってくれる作り手の方々と一緒に協力して、みんなが健全にビジネスを継続できるように。購入してくれるお客さまには、その部分を認知してもらえるような発信をしていきたいですね。

——これからやってみたいことは?

小高:ニットの限界を超えて、技術を更新していくこと。今、ホールガーメントの機械でどこまで装飾を加えられるのかチャレンジしています。プログラマーとあれこれ試行錯誤しながら作り上げていくことがとても楽しいんです。いろいろな作り手の方々と一緒に取り組みながら、ユニークなアイテムを作っていきたいです。

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「オダカ」に生まれ変わった「マラミュート」 日本のニット技術を更新し世界を目指す

PROFILE:小高真理/「オダカ」デザイナー

(おだか・まり)埼玉県生まれ。 2011年文化ファッション大学院大学卒業。ニットデザイナーとして経験を積んだ後、14-15年秋冬シーズンに「マラミュート」をスタートする。17年に「東京都新人デザイナー大賞」を、21年に「東京ファッションアワード」を受賞。23年にブランド名を「マラミュート」から「オダカ」に変更した PHOTO:AYA YAMAMOTO

小高真理デザイナーによるファッションブランド「マラミュート(MALAMUTE)」が2023年、「オダカ(ODAKHA)」にブランド名を変更した。小高デザイナーは「マラミュート」時代から日本製のニットを強みにユニークなアイテムを生み出しており、今後は自身の名を冠したことでより“メード・イン・ジャパン”を打ち出したいという思いがあった。今年10周年を迎えるブランドのこれまでと今後の展望を、デザイナーの小高に聞いた。

ーーブランド名を「オダカ」に変更した理由は?

小高真理「オダカ」デザイナー(以下、小髙):21年に「東京ファッションアワード」を受賞し、パリで展示会を開く機会を得て、海外のバイヤーにコレクションを見てもらえるようになりました。そこで日本のニット技術に興味を持ってもらえたのですが、ちょうど同時期に取引先の工場2軒が廃業したんです。それを機に “日本のニットブランド”としてちゃんと打ち出していくことが大切だと思いました。「マラミュート」という名前は犬種の名前でとても気に入っていましたが、日本のブランドということが分かりづらい。スタッフとも話し合いを重ね、自分の苗字に変更することを決心しました。

ーー“ODAKHA”の名前に“H”が入るのはなぜ?

小高:フランス語で“洋服を着る”という意味を持つ“habiller(アビエ)”という言葉があるのですが、「H」はフランス語では発音されない言葉。色の“Khaki(カーキ)”のように、“H”を忍ばせたかったんです。

ーーネームタグにも使用されているネオングリーンが印象的だ。新たなブランドカラーにこの色を選んだ理由は?

小高:このネオングリーンは、ビートルズ(The Beatles)のレコードレーベルであるアップル・レコード(Apple Records)の青りんごの色にヒントを得ています。「マラミュート」の1シーズン目のインスピレーション源がビートルズの楽曲「She's a Woman」だったこともあり、どこかに「マラミュート」らしさを残したかったんです。

日本のニットは誇るべき職人技

ーー改めて、日本のニットの魅力とは?

小高:受け継がれている職人技であること。ブランドを始める前にニットのOEM会社で働いていた時代に、プライドを持ってニット作りに励まれている現場を目の当たりにしたことで、職人への尊敬の念が募りました。ホールガーメントで有名な島精機製作所は工場やニッターと密に連携をとりながら、技術をどんどん向上していく姿もとても素晴らしくて。これまでもそういった日本のニット技術を駆使したユニークな編み地に挑戦してきました。

ーーこれまでの「マラミュート」と「オダカ」の違いは?

小高:「マラミュート」で代表的だったニットと布帛をミックスしたアイテムは継続しつつ、「オダカ」ではさらに日本の伝統的な職人技術を加えることでよりユニークなものを作っていきたいです。例えば、最近はホールガーメントのニットに有松絞りの加工を施してもらうなど、技術を掛け合わせることにチャレンジしています。これは「マラミュート」時代にもやりたかったことで、「オダカ」ではもっと日本の技術にフォーカスしていきます。

“いつかはパリでショーを発表したい”

ーー「オダカ」のお披露目で開催された写真展も印象的だった。

小高:写真家の小見山峻さんと過去にビジュアル撮影でご一緒したことがあり、また何かお取り組みができないか模索していました。23-24年秋冬はアメリカ人の芸術家であるサイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)の赤い花の絵が着想源になっていて、紫や黒、青などさまざまな色を重ねて赤を表現しているのが面白い。それを小見山さんに話したところ、「赤といえば、エネルギーや血、始まりのイメージがある」と対話を重ね、2人のモデルを起用して「マラミュート」から「オダカ」に生まれ変わるさまをイメージしています。鏡を使いながら、時空が歪んでいるようなビジュアルも撮ってもらいました。

ーー24年に10年周年を迎える。これまでで印象に強く残っている出来事は?

小高:19年に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の外苑キャンパスで開催した20年春夏のショーは、雨の中で行ったこともあり思い出深いですね。音楽もオリジナルで制作してもらったり、空間デザイナーの吉添裕人さんによるオブジェを配置したりと、15分間のショーのために、本当に多くの方々がアイデアを出してくれました。ブランドのストーリーを伝えるためにできることはたくさんあると実感しました。コロナ禍の21年にも「東京ファッションアワード」の凱旋イベントで22-23年秋冬のショーを開催しましたが、感染対策で人数制限があり、大事なお客さまを呼べなくて不完全燃焼だったんです。またいいタイミングで「オダカ」としてショーを発表したいですね。

ーー今後はより海外ビジネスを強化していくのか?

小高:これまで同様、日本のお客さまとのコミュニケーションも大切にしていきながら、パリでの展示会も継続していきたいです。海外のバイヤーと話す中で新たな気付きがあり、自分の考え方が広がるような感覚がありました。日本ではショーピースのように捉えられていたドレスが、オケージョンアイテムとして買い付けてもらえることも新鮮でした。いつかはパリでショーを発表することを目標にしています。

“ニットの限界を超えて、技術を更新する”

ーー今後の目標は?

小高:ジャパンメードの強みを伝えていけるブランドにすることです。独りよがりではなく、関わってくれる作り手の方々と一緒に協力して、みんなが健全にビジネスを継続できるように。購入してくれるお客さまには、その部分を認知してもらえるような発信をしていきたいですね。

——これからやってみたいことは?

小高:ニットの限界を超えて、技術を更新していくこと。今、ホールガーメントの機械でどこまで装飾を加えられるのかチャレンジしています。プログラマーとあれこれ試行錯誤しながら作り上げていくことがとても楽しいんです。いろいろな作り手の方々と一緒に取り組みながら、ユニークなアイテムを作っていきたいです。

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キャンドル「アーメン」に見るサステナブル パラフィン不使用で包装はキノコ菌糸由来

フランス発のホームフレグランスブランド「アーメン(AMEN)」は、キャンドルを通じて自身が考えるサステナブルを体現している。パラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを原料に、パッケージにはキノコの菌糸由来の素材を採用。デザイナーのステラ・マッカートニー(Stella McCARTNEY)も愛用するこのキャンドルの香りについて、創業者のロドリゴ・ガルシア・アルバレス(Rodrigo Carcia Alvarez)は「何千年もの歴史があるアロマテラピーの原則に従って選んだ」と話す。

ジャスミンなど“チャクラを整える”7つの香り

ウルグアイ生まれのロドリゴが「アーメン」を立ち上げたのは2020年、パンデミックの最中だった。デビューコレクションは、世界中の主要なヨガスタジオやグルが指導を受けながら「7つのチャクラを整え、心・体・魂のバランスを整える」7つの香りを選択。香りの都、南フランスのグラースで調香し、原料にはパラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを使用して手作業で製作した。

再利用可能な陶器製の容器を包むのは、米国のエコヴァティブ(ECOVATIVE)が開発したマッシュルームの菌糸体を原料にしたパッケージだ。このパッケージは適切な条件下であれば45日で生分解するという。デビューコレクションは、パリのドーバー・ストリート・パルファン・マーケット、NYのバーグドルフ・グッドマン、ロンドンのセルフリッジが販売した。

マッシュルームの菌糸体由来のパッケージを選んだ理由をロドリゴは次のように話している。「プラスチック問題は100%経済学的なものであり、だからこそ私たちはこの問題を解決して、次の世代までにプラスチックのない世界を実現することができると思う。プラスチックが発明された当時は、それはとても高価なものだったが、コスト改善で非常に安価になり、今ではプラスチックに触れないで一日中生活することは不可能だ。新興ブランドとしてこの容器の採用は、ハードルが高い決断だったが、燃焼時間50時間のキャンドルのために、分解に500年もかかるプラスチックを選ぶことはできなかった」。

「ステラ マッカートニー」の“サステナブル・マーケット”にも登場

ロドリゴは今年、2回来日している。1回目は4月に阪急うめだ本店8階にオープンした「ステラ マッカートニー(STELLA McCARTNEY)」による世界初のカフェ併設型コンセプトストア「ステラズ ワールド バイ ステラ マッカートニー(STELLA’S WORLD by Stella McCartney)」のオープン時。“ステラがセレクトした”スーベニアアイテムの一つとして「アーメン」が並び、店頭で説明にあたった。「ステラ マッカトニー」は2024年春夏コレクションのショー会場でも、21のキー素材や技術を紹介する”ステラのサステナブル・マーケット”の中で「アーメン」を紹介している。

またロドリゴは、10月28日にはドーバー ストリート マーケット ギンザ(以下、DSMG)が開催した1日限定イベント「オープンハウス」のために来日し、彫刻家カタリーナ・カミンスキー(Katharina Kaminski)とのコラボレーションをお披露目した。カタリーナの作品は、粘土で手作りした直径30cmの大きなキャンドルはアートピースとしての存在感がある。他の「アーメン」同様、グラースで植物性ワックスを手作業で注いであり、約1200時間点灯するという。

インターセックスの彫刻家とのコラボで光をデザイン

同じくウルグアイ生まれでパリ在住のアーティストであるカタリーナがデザインするのは器自体加えて、その中の“光の形”だ。火がなくなれば消えてしまう儚いその“形”は丸みを帯び、全てを包み込むような優しさがある。「子宮をイメージした」と聞いて納得する。カタリーナは、身体的な性が男性・女性の中間もしくはどちらとも一致しないインターセックスであり、私たちが“身体的なもの”として認識する規範に対して、作品を通じて疑問を投げかけているという。パートナーでもある2人のリビングルームと寝室には電気はないそうだ。「キャンドルの明かりのほうが会話もより素直になる気がする。火は太古の昔から人と人とのつながりの中心であり、キャンドルは火の要素を入れる容器」と考えている。

誰にでも人懐っこい笑顔で情熱的に話しかけるロドリゴは「各コレクションは単なる製品ではなく、ステートメントであり、会話のきっかけでもある」と語る。「プラスチックのない世界は可能であることを伝える菌糸体のパッケージであれ、インターセックスであることの認識を共有するカタリーナとのコラボであれ、どのコレクションも私たちの時代にふさわしく、同時に時代を超越している。私は、デザインやアートがパラダイムや考え方を変える力を持っていると信じている」。

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キャンドル「アーメン」に見るサステナブル パラフィン不使用で包装はキノコ菌糸由来

フランス発のホームフレグランスブランド「アーメン(AMEN)」は、キャンドルを通じて自身が考えるサステナブルを体現している。パラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを原料に、パッケージにはキノコの菌糸由来の素材を採用。デザイナーのステラ・マッカートニー(Stella McCARTNEY)も愛用するこのキャンドルの香りについて、創業者のロドリゴ・ガルシア・アルバレス(Rodrigo Carcia Alvarez)は「何千年もの歴史があるアロマテラピーの原則に従って選んだ」と話す。

ジャスミンなど“チャクラを整える”7つの香り

ウルグアイ生まれのロドリゴが「アーメン」を立ち上げたのは2020年、パンデミックの最中だった。デビューコレクションは、世界中の主要なヨガスタジオやグルが指導を受けながら「7つのチャクラを整え、心・体・魂のバランスを整える」7つの香りを選択。香りの都、南フランスのグラースで調香し、原料にはパラフィン不使用のベジタブル・オイル・ワックスを使用して手作業で製作した。

再利用可能な陶器製の容器を包むのは、米国のエコヴァティブ(ECOVATIVE)が開発したマッシュルームの菌糸体を原料にしたパッケージだ。このパッケージは適切な条件下であれば45日で生分解するという。デビューコレクションは、パリのドーバー・ストリート・パルファン・マーケット、NYのバーグドルフ・グッドマン、ロンドンのセルフリッジが販売した。

マッシュルームの菌糸体由来のパッケージを選んだ理由をロドリゴは次のように話している。「プラスチック問題は100%経済学的なものであり、だからこそ私たちはこの問題を解決して、次の世代までにプラスチックのない世界を実現することができると思う。プラスチックが発明された当時は、それはとても高価なものだったが、コスト改善で非常に安価になり、今ではプラスチックに触れないで一日中生活することは不可能だ。新興ブランドとしてこの容器の採用は、ハードルが高い決断だったが、燃焼時間50時間のキャンドルのために、分解に500年もかかるプラスチックを選ぶことはできなかった」。

「ステラ マッカートニー」の“サステナブル・マーケット”にも登場

ロドリゴは今年、2回来日している。1回目は4月に阪急うめだ本店8階にオープンした「ステラ マッカートニー(STELLA McCARTNEY)」による世界初のカフェ併設型コンセプトストア「ステラズ ワールド バイ ステラ マッカートニー(STELLA’S WORLD by Stella McCartney)」のオープン時。“ステラがセレクトした”スーベニアアイテムの一つとして「アーメン」が並び、店頭で説明にあたった。「ステラ マッカトニー」は2024年春夏コレクションのショー会場でも、21のキー素材や技術を紹介する”ステラのサステナブル・マーケット”の中で「アーメン」を紹介している。

またロドリゴは、10月28日にはドーバー ストリート マーケット ギンザ(以下、DSMG)が開催した1日限定イベント「オープンハウス」のために来日し、彫刻家カタリーナ・カミンスキー(Katharina Kaminski)とのコラボレーションをお披露目した。カタリーナの作品は、粘土で手作りした直径30cmの大きなキャンドルはアートピースとしての存在感がある。他の「アーメン」同様、グラースで植物性ワックスを手作業で注いであり、約1200時間点灯するという。

インターセックスの彫刻家とのコラボで光をデザイン

同じくウルグアイ生まれでパリ在住のアーティストであるカタリーナがデザインするのは器自体加えて、その中の“光の形”だ。火がなくなれば消えてしまう儚いその“形”は丸みを帯び、全てを包み込むような優しさがある。「子宮をイメージした」と聞いて納得する。カタリーナは、身体的な性が男性・女性の中間もしくはどちらとも一致しないインターセックスであり、私たちが“身体的なもの”として認識する規範に対して、作品を通じて疑問を投げかけているという。パートナーでもある2人のリビングルームと寝室には電気はないそうだ。「キャンドルの明かりのほうが会話もより素直になる気がする。火は太古の昔から人と人とのつながりの中心であり、キャンドルは火の要素を入れる容器」と考えている。

誰にでも人懐っこい笑顔で情熱的に話しかけるロドリゴは「各コレクションは単なる製品ではなく、ステートメントであり、会話のきっかけでもある」と語る。「プラスチックのない世界は可能であることを伝える菌糸体のパッケージであれ、インターセックスであることの認識を共有するカタリーナとのコラボであれ、どのコレクションも私たちの時代にふさわしく、同時に時代を超越している。私は、デザインやアートがパラダイムや考え方を変える力を持っていると信じている」。

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ファッション編集者はオワコンなのか? 例えば山下英介という生き方

山下英介/ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人

山下英介/ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人 プロフィール

(やました・えいすけ)1976年6月29日生まれ、埼玉県出身。駒沢大学卒業後、2000年にバウハウスに入社。その後、「レオン」編集部(主婦と生活社)に在籍する。08年、創刊と共に「メンズプレシャス」(小学館)に参画。ファッション・ディレクター、クリエイティブ・ディレクターを歴任し、20年に退任。22年に、ウェブマガジン「ぼくのおじさん」を立ち上げる。「文藝春秋」(文藝春秋)のファッションページも手掛ける PHOTO : YUIKI HAYAKAWA

思えば、自分がこの道を志した四半世紀前から出版界は斜陽だった。とはいえ、“マスコミ”としての輝きはまだかすかにあり、SNSやユーチューブ前夜のため、ことファッションに関しては専売特許状態だった。斜陽産業だからすぐに小山(こやま)の上に立てると思ったが、そうは問屋が卸さず、今もスタート地点あたりを右往左往している。一方で、同じように小さな出版社からキャリアを始めながら、“大手3社”の小学館でファッション・ディレクターを約10年間務めたのが山下英介さんだ。同世代で業界歴も長いため共通の友人・知人も多く、一方で海外の展示会などで顔を合わせたりするものの、話をしたことはほぼなかった山下さんのアトリエを訪ね、“(メンズ)ファッション編集者の現在地点”について聞いた。

——僕らが高校生だった30年ほど前、市井(しせい)のファッションを作るのは雑誌の仕事だった。

山下英介ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人(以下、山下):その通りですね。僕は埼玉県中部の鶴ヶ島市で育ったのですが、国道沿いの何もない街で、ファッション誌を読むことだけが楽しみでした。特に「ブーン(Boon)」(祥伝社、2008年休刊)は、キャプションを暗記するほど読み込みました。

——僕も田舎育ちで、境遇が似ている。

山下:ファッションや雑誌に興味のある友達もいなくて。インターネットもない時代ですから、唯一の情報源であるファッション誌を片っ端から読みました。それがフリーランスになったときに役立ちました。

——というと?

山下:「GQ ジャパン(GQ JAPAN)」(コンデナスト・ジャパン)だとこう、「メンズ・イーエックス(MEN'S EX)」(世界文化社)だとこう、と各雑誌のテイストに合わせられたんです。

——山下さんのファッション遍歴についても聞きたい。

山下:目覚めは中学生のときですね。“渋カジ”と出合い、バッシュ(バスケットボールシューズ)やエンジニアブーツ、ビンテージに傾倒しました。高校生になると、渋谷・並木橋のセレクトショップ「レディ・ステディ・ゴー!」(15年閉店)でスーツを買って、ベスパに乗るように。飽きっぽい性分なので、すぐ次、次な感じで……(笑)。まったく通っていないのは、ヒップホップくらいかな?このあたりの雑食感も、雑誌を読みあさるのと似ていると思います。

“業務”は“好き”にはかなわない

——時代は下り、ファッション誌やファッション編集者に代わって、SNSやインフルエンサーが台頭してきた。

山下:仕方ないのかなと。だって、雑誌がつまらないですもん。もちろん、自分が作るものは面白いと信じてやってきましたが、“業務”は“好き”にかないません。大手の総合出版社の場合、異動があるので、ファッション好きがファッション誌を作っているとは限りません。そこに熱は発生しづらいし、それどころか商業媒体ですから広告主への忖度も生まれる。これでは好きの結晶であるSNSに太刀打ちできません。

でも、そういったインフルエンサーの知識やノウハウをアシストしたのは雑誌だと思うんです。

ファッション誌の影響力は減少し続けていますが、いまだにパリやミラノで編集長が丁重に扱われている現実もありますよね。僕も小学館のおかげで、そちら側にいられた1人です。

雑誌と、クライアントである企業・ブランドとの関係も変わってきました。出稿が減って、紙1ページの価値が軽くなりました。一方で、クライアントからの要求は増える。純広告1Pに対してフォロー2Pの“倍返し”状態で、今後いっそうその傾向は強まるでしょう。

判断基準は本質的に良いか?

——華やかな世界にいた山下さんが、今は「ぼくのおじさん」を作っている。

山下:もちろん、それによって離れていった人もいます。でも、全員というわけではないです。そもそも僕自身、ラグジュアリーな生活をしていたわけではないですし。“値段が高いモノ”ではなく、“本質的に良いモノ”に価値を見出している方とは関係が継続しています。逆に、“売れるモノ”を作っている企業・ブランドとは距離があいてきました。

——山下さんを物語るエピソードの1つとして、“自腹でモロッコ・ロケハン事件”がある。

山下:事件って(笑)。僕の中では、いたって普通のことです。モロッコのファッションをはじめとする文化に興味があって、誌面で形にしたかったので自腹で下見に行きました。

——自腹で行った国はほかにもある?

山下:ポルトガルやインドにも飛びましたね。僕は、誌面で紹介する高いスーツも自腹で仕立てています。そうしないと説得力が生まれないんです。でも、それはあくまで自分が楽しむためであって、ある意味で“プレー”というか……。自分が楽しんでいるさまを暗に見せて、読者を誘導する。1980〜90年代の雑誌で多くのファッション編集者が実践していたことで、僕はそれにならっているだけです。ただ、誰よりもお金を使っている自信はあります(笑)。

日陰に光を当てる、それがメディアの役目

——山下さんを見ていて“自分と似ているな”と感じるのは、“下手くそな人を応援する姿勢”。勝ち馬には誰でも乗れるが、“一生懸命、だけど日の目を浴びないヒト・コト・モノ”を応援するのがメディアの役割だと思う。

山下:本当にそう思います。メディアにはまだその力があるのに、100%活用していないと感じます。

——7、8年ほど前、編集者も多く関わってオウンドメディアブームが起きた。が、いつの間にか沈静化してしまった。

山下:自社のことだから良いことしか書かない、それでは読者に見透かされてしまいます。例えば、80〜90年代にビギは自社製品を一切出さない冊子を発行していました。“良い時代”と言ってしまえばそれまでですが、ビギという世界観を好きになってもらうアクションだったと思うんです。そして今、企業・ブランドやメディアにはそれが求められているはず。

——僕もおじさんが好きで、だから「ぼくのおじさん」がスタートした際には“やられた!”と感じ、同時に“このコンセプトでやっていけるのか?”と勝手に心配した。

山下:便宜的に“おじさん”と言っていますが、特に年齢はセグメントしていません。例えば高校生にとって、近所の古着店のアラサーのお兄さんは十分“おじさん”ですよね。それに、今後は女性が出演しても良いと思っています。

——「ぼくのおじさん」の読者層は?

山下:一番大きな“山”は30代で20代、40代と続きます。そして女性率が40%!理由は、まだ分析できていないのですが……。

——ファッション業界の“おじさん”に会うと、皆一様に山下さんを褒める。だから僕はジェラシーを感じている。“おじさん”、そして取材対象者と仲良くなるコツは?

山下:相手を敬い、きちんと向かい合うことでしょうね。例えば高齢の取材対象者の場合、スマホやパソコンを持ってないこともあります。だから「ぼくのおじさん」編集部では、23年にファックスを導入しました(笑)。まぁ、それは一例ですが、相手のために時間を取ることが肝要かと。そこをケチってしまうと何事もうまくいかないです。

——取材対象者をリスペクトしているからこそきちんと下調べし、それが蓄積されて知識・情報となる。結果としてページに深みが生まれ、読者満足度も上がる、という好循環。

山下:そうなることを願ってコツコツとやっています。

——僕らは野武士や傭兵のようにファッションメディアに従事している(させてもらっている)が、25年前に比べてキラキラした目でこの業界を見ている若者は確実に減っている。改善策はある?

山下:難しい質問ですね……。それを発見したら、ぜひ教えてください(笑)。

でも、読み応えのある雑誌を自費出版している若者もいるし、「ぼくのおじさん」読者のようにジェネレーションギャップのあるモチーフに興味を示す若者もいます。僕ら年長者は、そうしたひたむきな行動を見守り、時に手助けしてあげられたらと思います。

夢は20代の編集長を育てること

——人生の折り返し地点を迎え、僕も最近よく聞かれることなのだが、“ファッションメディア従事者”としての山下さんのゴールとは?

山下:僕がいなくても「ぼくのおじさん」が継続していくことでしょうか。そのために20代の編集長を育てたいです。紙版も作りたいし、組織も大きくしたいです。夢はたくさんあります!

——最後に、ファッション編集者に必要なものとは?

山下:好奇心だと思います。好きになるということは、それだけで才能。そして、若い方はもっと主観を大事にしてほしいですね。リスクもあるでしょうが、旗色を鮮明にすることでキャラクターが立ちますし、同志も増えるはず。

ファッション編集者にとって今後は、ホスピタリティーも必要になるでしょうね。読者と向き合って1人1人の満足度を上げる。そのためには、まず読者が見えている必要があります。昔気質の職人技は通用しなくなると思います。僕は好きなんですけど……。

インタビューを終えて

1つの現場に編集者が2人いることはなく、つまり会社の内外を問わず、他者の仕事を見る機会はほぼない。またファッション編集者は、日本にどんなに多く見積もっても1000人といないはずで、非常にユニークな存在だ。同じ就職氷河期を生き抜いた山下さんと話をして、さまざま感じることがあったが、一番の収穫は“もう少しファッションのため、出版のためにがんばってみよう!”と素直に思えたことだ。

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マドンナも愛用する英発ジュエリー「バニー」 創業者が語る英国スピリットが反映されたクリエイション

アンドリュー・バニー / 「バニー」創業者 プロフィール

イギリス生まれ。英ロンドンのストリートブランドのエージェンシー兼ディストリビューターのギミーファイブで働く。「ステューシー」「ナイキ」「コンバース」などのデザインを手掛けた後に、「ドクター マーティン」などのクリエイションに携わる。2010年ジュエリーブランド「バニー」を創業

英発ジュエリー「バニー(BUNNEY)」の創業者であるアンドリュー・バニーが来日した。彼は、「ドクターマーチン(DR. MARTENS)」などでクリエイティブ・ディレクターを務めた経歴の持ち主。「バニー」では、メード・イン・UKにこだわったジェンダーレスなジュエリーを提案している。彼にブランド設立のきっかけや哲学について聞いた。

まるで何年も使い続けているようなジュエリー

WWD:ジュエリーブランドを立ち上げたきっかけは?

アンドリュー・バニー「バニー」デザイナー(以下、バニー):消費者としてジュエリーに興味を持っていたが、メンズジュエリーは、スカルとか、ゴシックとか大きくアグレッシブで好きではなかった。どちらかというとクラシックで洗練された女性用のジュエリーの方が好きだった。だから、自分でジュエリーブランドを立ち上げようと思ったときに、男性・女性どちらもつけられるものにしようと思った。ジュエリーは貴金属を使用し、きちんとつくられたものだったら、代々使えるほど長持ちする。日本でも「バニー」のスタイルやマリッジリングは人気が高い。人によってはマリッジリングしかジュエリーを着けない人もいる。ジュエリーは、特別で深い意味をもつものだと思う。

WWD:ブランド哲学は?
バニー:イギリスのスピリットを反映したタイムレスなジュエリー。例えば、アメリカのイメージは、力強く、長持ちする、フランスは、繊細で洗練されている。イギリスは、その中間だと思う。イギリスは、洗練されているが実用性もあり、さまざまな年齢やタイプの人に合う。

バニー:イギリス。イギリスは伝統とクラフトの国。美術館も重要だ。新しくモダンだが、どこか懐かしく、まるで何年も使い続けているかのようなジュエリーを提供したい。新しさと古さの両方を持つジュエリー。「バニー」がまだ新しいブランドと聞いて驚く人もいる。

コレクションブランドなどともコラボ

WWD:インスピレーション源は?

バニー:あらゆるもの。青春を象徴するものや、伝統など、見て美しいというより、アイデアやコンセプトの方が重要だ。

WWD:メード・イン・UKにこだわる理由は?

バニー:イギリスが本拠地だから、そうしている。シルバーに関しては、歴史があるし技術力が高い。

WWD:シグニチャーのアイテムやベストセラーは?

バニー:シグネットリングや、アイデンティティーブレスレット、アトマイザーのネックレスチャームなど。フレッシュでモダンかつ、程よく使われた雰囲気があるからだと思う。

WWD:ターゲットは?

バニー:性別に関係なく幅広い。イギリスでは、女性のファンの方が多いけど。「アンダーカバー(UNDER COVER)」や「マーティン ローズ(MARTIN ROSE)」などのコレクションブランドとコラボをしたので、それらのファンやファッション好き、ストリート系など。スーツを着用するクラシックな客層もいる。

WWD:他のブランドとの差別化は?

バニー:独自の感覚とスピリットを持っている。ジェンダーレスである点。古さと新しさのバランスなど。

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?日本では?

バニー:12カ国、40店舗。そのうちの20店舗が日本にある。

WWD:新しいプロジェクトとは?

バニー:2024年に「バニー」=ウサギをテーマにした新聞を発行する。ブランド哲学を伝えるのが目的で、2年ごとに発行している。英「フィナンシャル タイムス(THE FINANCIAL TIMES)」紙と同じ工場で印刷する。ファッションや歴史家、ブランドなど異なるカテゴリーの人々にモダンカルチャーにおけるウサギについて寄稿してもらう。例えば、1920~30年代に米ハリウッドの女優の間でウサギ風ファッションが流行ったのでアカデミー賞のアーカイブについてやぬいぐるみの「シュタイフ(STEIFF)」、ウサギが登場する本など、ウサギにまつわるさまざまなコンテンツがある。フランス人のフォトグラファーとコラボしたマリッジ関連のキャンペーンも予定している。商品に関しては、フラワーモチーフのものが登場する予定だ。

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新田真剣佑がハリウッドで躍進  実写版映画への出演やアワード受賞など“現在地”を語る

12月16日、新田真剣佑はアメリカ・ロサンゼルスで開催された「アンフォゲッタブル ガラ(the Unforgettable Gala)」に出席した。「アンフォゲッタブル ガラ」はアジア・太平洋諸島系アメリカ人のセレブリティーやインフルエンサーなど、アートやエンターテインメント、カルチャーに貢献した人々を称えるガライベント。8月にネットフリックス(NETFLIX)が配信を開始した人気マンガの実写版シリーズ「ワンピース(ONE PIECE)」で、主人公のルフィ率いる“麦わらの一味”の剣士、ロロノア・ゾロを演じた新田はグローバルグラウンドブレーカー賞を受賞した。「まだ受賞が信じられない。コミック・ブック・コンベンション(コミコン)に参加するためさまざまな国を周り、多忙でした。ようやくゆっくり寝て、休むことができるから嬉しいです。日本の俳優が世界を舞台にすることは大きな出来事で、中でも今回の受賞は日系アメリカ人や日本人のコミュニティにとって非常に意味がある。日本にいる若い俳優はあまり挑戦してきませんでしたが、ついにハリウッドを目標にすることができると思うんです」。

“演じること”に対する興味は
時間をかけて徐々に大きくなった

新田の父は多くの日本映画に加え、「激突!殺人拳」や「キル・ビル(Kill Bill)」、「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」にも出演した日本のアクション俳優、サニー 千葉(千葉真一)。“演じること”に対する興味は「時間をかけて徐々に大きくなってきたもの」と新田は語る。「『よし!俳優になろう』と決めたターニングポイントがあったわけではなく、時間をかけて徐々に興味を抱いてきたのだと思います。父の作品や、たくさんの優れた日本の俳優たちを観ているうちに、自分も同じ道を歩み始めました」。

ハリウッド作品への参加は
日本の映画業界に慣れている
自分自身への挑戦

米国生まれの新田は、2014年から日本の芸能界で仕事をしているが、21年からは海外での活動を優先するため、米国に拠点を置いている。ハリウッドが制作した23年公開の実写版映画「聖闘士星矢 The Beginning」に出演したほか、前述の「ワンピース」は現在シーズン2の制作も進んでいる。また、現在フールー(HULU)で配信中の実写とアニメのハイブリッドドラマ「ワンダーニッチ-空飛ぶ竜の島-」にも出演している新田だが、英語を話す役やハリウッド作品への参加を望んでいるという。「これは日本の映画業界に慣れている自分自身への挑戦でもあります。日本のプロジェクトと違った形で進むであろう、ハリウッド作品が制作後の公開に至る過程にも興味がありました。」

「ワンピース」は全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)によるストライキの最中だった今秋に公開され、米国内でのプロモーションツアーは縮小されたが、それでも今までで一番忙しい日々を送っているという。「ここ数カ月間、たくさんのコミコンで多くのファンと交流し、とても特別な時間を過ごすことができました。『ワンピース』が世界でここまで認知されている人気作品だとは知らなかったので驚きでしたね。ファンの皆さんの愛を感じたから、次のシーズンも全力でゾロを演じようと思います。」

次の現場がどこであろうと、
きっといいものになるはず

新田は映画以外では、「フェンディ(FENDI)」や「カルティエ(CARTIER)」、「ティファニー(TIFFANY & CO.)」によるイベントへの出席や、自身のジュエリーブランド「インクリム(INCRM)」の設立など、ファッションにも強い関心を持つ。「アンフォゲッタブル ガラ」では、アヴォ・イェルマギャン(Avo Yermagyan)がスタイリングを手掛けた「ボス(BOSS)」の白スーツルックを披露。また、SAGアワードの祝賀ディナーでは「ジバンシィ(GIVENCHY)」を着用した。「ファッションには興味があって好きですし、よく買い物にも行きます。ゆるくて着心地のいい、“コージー”な感じが僕のスタイルですね」。

「アンフォゲッタブル ガラ」の後、新田は次のコミコンへの出席のためメキシコとペルーへ向かい、東京の家で今年の終わりを迎える。「次の現場に行くまで、数週間は休めそうです。まだ詳細はわかっていませんが、それがどこであろうと、きっといいものになるはずです」。

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「we+」が発見した「テキスタイルの現在地」【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.4】

前回に続いて、コンテンポラリーデザインスタジオ「we+(ウィープラス)」の林登志也氏と安藤北斗氏に話を聞く。麻布台ヒルズの大垣書店で開催中の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads 理想の糸を求めて(1月14日まで/以下KYOTO ITO ITOと略)」展で、須藤と協働したふたりは、布を構成する最小単位である「糸」に焦点を当てた。we+のデザインにとって、素材は常に重要な要素だ。

前編はこちら

we+が見た「テキスタイルとNUNO」

「素材の特性や可能性をリサーチして、どう扱うと面白いことができるかを見いだしていきます。KYOTO ITO ITOでは糸を追いかけることで、より布に近づけるのではないかと考えました」(林氏)。布はとても身近な素材で、入浴時以外は常に身につけている。あまりにも身近すぎて、その特性などは認識せぬまますごしているという人も多いだろう。「かつて布づくりは、職住接近で行われていた。自宅で蚕を育て、糸をたぐり、織物に仕立てていました。ものづくりの現場と生活がとても近かったんですね。現代は距離ができてしまって、ものがどこからどうやって生まれてきているかがわからない。KYOTO ITO ITOはこの距離を縮める試みであり、ものづくりの源流をたどる旅はとても刺激に満ちていました」(安藤氏)。

そうして糸に近づき、布づくりの片鱗が見えてくればくるほど、須藤がNUNOで行っていることの価値と偉大さも見えてきたという。「まず、布づくりに対しての姿勢が非常に柔軟です。新しい技術や新素材と、伝統的な技術や素材を線引きせず、そのどちらにも重きを置いている。そして実験を繰り返しています。糸を溶かしたり、熱によって変化する繊維をオーブンに入れてみたり、よくそんなこと思いつくなと。そして絹や綿や化学繊維といった既存の枠を超えて、金属や和紙も布にしていく。『糸になればどんな素材でも』と思ってらっしゃるのではないかと思います。そういうことを1980年代から継続してきているのだから、その蓄積はどれほどかと驚きます」(林氏)。

we+から見た「須藤玲子」像

「途絶えそうな素材や技術を発掘したり、新たな視点で価値を見いだすことにも長けている。たとえば蚕が最初に吐き出す糸である『きびそ』なんてまさにそう。現代では織り糸として使われなくなっていた『きびそ』に、須藤さんが光を当てた。素材を徹底的にリサーチするし、工場のポテンシャルを最大限に活かすべく、そこもリサーチを重ねる。だからものすごくロジカルだし、テクニカル。さまざまな要素を計算し尽くして、布に着地させていく。『素材からものをつくっていく』ことにものづくりの立脚点を見いだす姿勢は、我々に通じるものがあるというか、大先輩です」(安藤氏)。

もう一つの点が、「デザイナーであり、会社を運営する経営者でもある」点にも、ふたりの関心はおよぶ。「僕たちも同じ立場ですから、クリエイティブと経営という異なる側面を両立させる大変さ、ものづくりに純粋に没頭する姿勢を続ける難しさはよくわかります。それでも須藤さんは、クリエイティブに軸足を置く。ここがぶれない強さがあるからこそ、ずっと第一線で活躍されているのだと思います」(林氏)。

さらにふたりが強調するのが、須藤の「現場主義」な点だ。日本各地にちらばる産地に精力的に足を運び、職人とともにゴールを目指す。日本が誇るべき布づくりは、基盤となる工場があってこそ。NUNOらしい布をつくり続けるためにも、共に継続できる道を探り続ける。そして布という素材に大きな敬意をはらい、大切につくっている。サステナビリティがうたわれはじめるずっと前、それこそ1983年の創業当初から、循環する布づくりに取り組んでいるのもそのあらわれだ。

糸に焦点を当てることで布の特性を見いだす旅をへたふたりは、今後どのように布と向き合おうと考えているのだろうか。「布づくりの現場を間近で見ることができて、現代に生きる我々が布と対峙したらなにができるか、熟考する時間となりました。素材そのものに向き合えたことも大きい。現場のひとと一緒に、自分たちで手を動かして、布をつくってみたいです。布を媒介にして、過去と未来がつながるのではという期待もあります」(安藤氏)。「古代布に興味があります。すでに縄文時代には日本にも布が存在したと言われていて、たとえば平織りは5000年前から変わらない。ここまで変わらなかったものに、自分たちはどうアプローチできるのか。機会があれば、すべてのエネルギーを傾けて挑んでみたい」(林氏)。

ルーペで糸をのぞき込み、見えているようで見えていなかった糸の世界に入り込み、須藤がつくり出すテキスタイルへの理解を深めていった林氏と安藤氏。ふたりが手がける布を見るそのときが、待ち遠しい。

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「we+」が発見した「テキスタイルの現在地」【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅 vol.4】

前回に続いて、コンテンポラリーデザインスタジオ「we+(ウィープラス)」の林登志也氏と安藤北斗氏に話を聞く。麻布台ヒルズの大垣書店で開催中の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads 理想の糸を求めて(1月14日まで/以下KYOTO ITO ITOと略)」展で、須藤と協働したふたりは、布を構成する最小単位である「糸」に焦点を当てた。we+のデザインにとって、素材は常に重要な要素だ。

前編はこちら

we+が見た「テキスタイルとNUNO」

「素材の特性や可能性をリサーチして、どう扱うと面白いことができるかを見いだしていきます。KYOTO ITO ITOでは糸を追いかけることで、より布に近づけるのではないかと考えました」(林氏)。布はとても身近な素材で、入浴時以外は常に身につけている。あまりにも身近すぎて、その特性などは認識せぬまますごしているという人も多いだろう。「かつて布づくりは、職住接近で行われていた。自宅で蚕を育て、糸をたぐり、織物に仕立てていました。ものづくりの現場と生活がとても近かったんですね。現代は距離ができてしまって、ものがどこからどうやって生まれてきているかがわからない。KYOTO ITO ITOはこの距離を縮める試みであり、ものづくりの源流をたどる旅はとても刺激に満ちていました」(安藤氏)。

そうして糸に近づき、布づくりの片鱗が見えてくればくるほど、須藤がNUNOで行っていることの価値と偉大さも見えてきたという。「まず、布づくりに対しての姿勢が非常に柔軟です。新しい技術や新素材と、伝統的な技術や素材を線引きせず、そのどちらにも重きを置いている。そして実験を繰り返しています。糸を溶かしたり、熱によって変化する繊維をオーブンに入れてみたり、よくそんなこと思いつくなと。そして絹や綿や化学繊維といった既存の枠を超えて、金属や和紙も布にしていく。『糸になればどんな素材でも』と思ってらっしゃるのではないかと思います。そういうことを1980年代から継続してきているのだから、その蓄積はどれほどかと驚きます」(林氏)。

we+から見た「須藤玲子」像

「途絶えそうな素材や技術を発掘したり、新たな視点で価値を見いだすことにも長けている。たとえば蚕が最初に吐き出す糸である『きびそ』なんてまさにそう。現代では織り糸として使われなくなっていた『きびそ』に、須藤さんが光を当てた。素材を徹底的にリサーチするし、工場のポテンシャルを最大限に活かすべく、そこもリサーチを重ねる。だからものすごくロジカルだし、テクニカル。さまざまな要素を計算し尽くして、布に着地させていく。『素材からものをつくっていく』ことにものづくりの立脚点を見いだす姿勢は、我々に通じるものがあるというか、大先輩です」(安藤氏)。

もう一つの点が、「デザイナーであり、会社を運営する経営者でもある」点にも、ふたりの関心はおよぶ。「僕たちも同じ立場ですから、クリエイティブと経営という異なる側面を両立させる大変さ、ものづくりに純粋に没頭する姿勢を続ける難しさはよくわかります。それでも須藤さんは、クリエイティブに軸足を置く。ここがぶれない強さがあるからこそ、ずっと第一線で活躍されているのだと思います」(林氏)。

さらにふたりが強調するのが、須藤の「現場主義」な点だ。日本各地にちらばる産地に精力的に足を運び、職人とともにゴールを目指す。日本が誇るべき布づくりは、基盤となる工場があってこそ。NUNOらしい布をつくり続けるためにも、共に継続できる道を探り続ける。そして布という素材に大きな敬意をはらい、大切につくっている。サステナビリティがうたわれはじめるずっと前、それこそ1983年の創業当初から、循環する布づくりに取り組んでいるのもそのあらわれだ。

糸に焦点を当てることで布の特性を見いだす旅をへたふたりは、今後どのように布と向き合おうと考えているのだろうか。「布づくりの現場を間近で見ることができて、現代に生きる我々が布と対峙したらなにができるか、熟考する時間となりました。素材そのものに向き合えたことも大きい。現場のひとと一緒に、自分たちで手を動かして、布をつくってみたいです。布を媒介にして、過去と未来がつながるのではという期待もあります」(安藤氏)。「古代布に興味があります。すでに縄文時代には日本にも布が存在したと言われていて、たとえば平織りは5000年前から変わらない。ここまで変わらなかったものに、自分たちはどうアプローチできるのか。機会があれば、すべてのエネルギーを傾けて挑んでみたい」(林氏)。

ルーペで糸をのぞき込み、見えているようで見えていなかった糸の世界に入り込み、須藤がつくり出すテキスタイルへの理解を深めていった林氏と安藤氏。ふたりが手がける布を見るそのときが、待ち遠しい。

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農場から世界を変える「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に注目集まる 「バレンシアガ」とも協業

米ニューヨーク郊外のハドソンバレーに、「スカイ ハイ ファーム(SKY HIGH FARM)」という農場がある。栄養素の高い食事ができないコミュニティーを支援するため、アーティストのダン・コーレン(Dan Colen)が2011年にスタートさせた非営利団体だ。ここでは、土壌を修復・改善しながら自然環境の回復を目指す“環境再生型農業(リジェネラティブ農業)”を取り入れ、育てた農作物や家畜を無償で寄付している。

コーレンは、農場運営のために営利団体「スカイ ハイ ファーム ユニバース(SKY HIGH FARM UNIVERSE)」を立ち上げると、「ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET以下、DSM)」とチャリティー・プロジェクトを実現。この協業を機に、「DSM」でファッションと食に情熱を注いでいたダフネ・シーボルト(Daphne Seybold)を迎え、アパレルブランド「スカイ ハイ ファーム ワークウエア(SKY HIGH FARM WORKWEAR)」を22年1月に本格始動させた。

「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、イラストレーターのジョアナ・アヴィレッツ(Joanna Avillez)が描いた、イチゴと月のキャッチなーキャラクターが目印だ。そこには「スカイ ハイ ファーム」が解決しようとする深刻な問題を、親しみやすく魅力的に伝えようとする、遊び心のある美学を反映している。コーレンは、チーフ・クリエイティブ・オフィサーとして、環境再生型農業の理念をベースとした視点でデザインに取り組んでいる。

同ブランドにとってコラボレーションは重要で、「バレンシアガ(BALENCIAGA)」や「コンバース(CONVERSE)」といったブランドから、英「i-D」誌の編集長アリスター・マッキム(Alistair McKimm)ら個人までを垣根なく巻き込みながら、多くの人々にメッセージを届けている。ファッションだけでなく、カリフォルニアのスーパーマーケットチェーン「エラワン・マーケット(Erewhon Market)」と協業し、プロバイオティクスやハチミツを配合した清涼飲料水を発売するなど、その手法はさまざまだ。

同ブランドのスタッフ数は、未だフルタイム7人とパートタイム3人という小さなスタートアップ起業だが、ユニークな寄付システムにより、2年弱の活動で約70万ドル(約9940万円)の寄付金を集めている。ダフネ・シーボルト「スカイ ハイ ファーム ユニバース」共同最高経営責任者(CEO)兼最高マーケティング責任者(CMO)に、その興味深い活動と信念について訊ねた。

必要な人の手に利益が渡る
独自に考案した収益モデル

WWDJAPAN(以下、WWD):「スカイ ハイ ファーム」の活動について教えてほしい。

ダフネ・シーボルト共同CEO兼CMO(以下、シーボルト):環境再生型農業によって栽培された野菜や放牧された家畜を、社会から疎外され、新鮮で栄養価の高い食品を入手できないコミュニティーに寄付している。緊急の食糧支援のみならず、この農場はフードシステムにおける公平性を確立にも重点を置いている。その手段の一つが、青少年を対象とした教育プログラムだ。環境再生型農業や食料主権(どのように食物を作り、どのようなものを食べるかを自分たちで決める権利)について教えている。約9カ月間の有給フェローシップ・プログラムでは、「スカイ ハイ ファーム」で6カ月間働いて実践的に学び、その後3カ月は研究プロジェクトに参加する。参加者の費用は全額支給し、宿泊施設も提供している。また、環境再生型農業を実施する他の農家にも助成金を支給しており、今年は約35万ドル(約4970万円)が使われる予定だ。残念ながらアメリカでは、大規模な農業システムに多くの補助金が支払われている。そこで私たちは、多大な専門知識を持ちながらもその恩恵を受けていない人々の手に資金を渡そうと取り組んでいるのだ。

WWD:なぜ「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を立ち上げたのか?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム」は非営利団体だが、通常そのような組織は寄付や助成金などの慈善事業に頼っているため、資金調達に限界がある。そのため、私たちは補足的な収入源が必要だと考えた。営利事業体を通じて、臨時収入や教育、意見や考えを表明する機会を創出すべく、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を本格始動させた。

WWD:では、「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」とは?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」として最初に着手したアパレルプロジェクトだ。私の古巣であるパリの「DSM」と提携しており、ブランド・インキュベーターでもある彼らは、生産や製造、販売、流通の専門知識で、私たちの市場参入をサポートしてくれている。このブランドが他と大きく異なるのは、環境再生型農業の理念に深く関わっている点だ。環境再生型農業は、土地を総合的に管理して農産物を栽培し、生物多様性をもたらすと同時に、気候変動をも抑制する。

WWD:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」の目的は、環境再生型農業について人々に知らせることでもある?

シーボルト:気候変動や食糧主権、緊急の食糧アクセス、そして個人の行動が環境に与える影響など、世界で起きている問題の重要性を誰もが認識できる機会を提供したい。世の中には、問題を認識しているものの、実際どのように関わればいいのか分からない人も多いと思う。特にファッションの世界では、ポジティブな想像が難しいかもしれない。「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」を立ち上げたのは、私たちはファッションを愛し、ファッションを消費しているからだ。また「スカイ ハイ ファーム ユニバース」には ワークウエアの他に、食品や飲料、ウェルネス、ビューティもある。これらを通じて、効果的なタッチポイントをさまざまに作ることができる。

WWD:服はストーリーを語る一つの方法であるということ?

シーボルト:その通りだ。また、持続可能な服作りは、製品そのものをユニークなものにしている。「DSM」は、私たちのためにデッドストックの素材や生地を調達してくれる。例えば、私が今着ているシャツは「コム デ ギャルソン・シャツ(COMME DES GARCONS SHIRT)」の余剰生地を再利用して作ったもの。新しい生地の場合は、最も持続可能性の高いものを使う。環境再生型農業の背後にある理念は、製品作りや、会社を設計する考え方にも通じている。

WWD:会社の仕組みにはどのように生かしている?

シーボルト:私たちの収益モデルは、従来のものとは全く異なる。まず利益の50%を農場に分配し、次に従業員、そして農業コミュニティーや農場に奉仕する人々に分配し、最後に投資家に渡る。伝統的な富のヒエラルキーを覆し、最も資金を必要とする人々を優先している。農業は高度な知識と技術を要する上に、信じられないほど大変で骨の折れる仕事なのに、従事者の給与は低く、適切な報酬を得られていない。そこで私たちは従業員中心の組織を作り、このような制度改革に取り組んでいる人々を評価したいと考えた。

WWD:「DSM」での経験が現在にどう役立っている?

シーボルト:私たちは目に見える製品だけでなく、ビジネス全体をデザインしており、これは川久保玲やエイドリアン・ジョフィ(Adrian Joffe) コム デ ギャルソン インターナショナルCEOから学んだことかもしれない。「DSM」と共に立ち上げた卸売寄付(Wholesale Donation)プログラムでは、商品の卸売価格を少し上げ、上げた分を農場に寄付している。このシステムによって、商品が店頭でどれだけ売れたかにかかわらず、農場にお金が渡るようになる。通常のチャリティープロジェクトでは、製品が市場に出回った後の売り上げの一部が寄付されるが、私たちの場合は、その前後の段階での利益を寄付している。

コラボレーションしたいのは
日本のあのブランド

WWD:「DSM」を経て「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に取り組む中で、ファッション業界の環境問題への意識を変えたいと思う?

シーボルト:面白いことに、今の仕事は「DSM」にいたときとそれほど変わらない。構造は違えど、ファッションを用いて別のことを行っているだけ。私たちが模範となり、責任を持って倫理的に製品を生産することは重要だが、大きな変化を生み出すためにはファッション業界全体の力が不可欠だ。だからこそ「コンバース」や「バレンシアガ」「コム デ ギャルソン・シャツ」「ディッキーズ(DICKIES)」などとのパートナーシップが必要だ。私たちが今回のような取材で自分たちの取り組みについて伝えることも大切だが、私たちが提携しているブランドはより大きなオーディエンスを抱えているので、彼らのプラットフォームを通じてさらに多くの人々に農場のストーリーを伝えることができる。そして、従来の慈善活動よりも多くの人々にリーチすることができるポップカルチャーの力を信じている。

WWD:コラボレーションの手法にルールはあるのか?

シーボルト:どのブランドとも異なる方法で仕事をしている。それぞれの企業には独自の構造があり、一つのシナリオが全てに当てはまるわけではない。また、大企業を相手にすることが多いため、漸進的なステップを踏んでいる。「バレンシアガ」がいい例だ。彼らはデッドストックを提供してくれて、私たちはフォトグラファーのライアン・マッギンレー(Ryan McGinley)のアートワークでカスタマイズし、再販した。また「コンバース」とも協業し、古いワークウエアをアッパーに再利用した“ワンスター(One Star)”と“チャック・テイラー(Chuck Taylor)”を来年春に販売する。私たちの目標は、長期的なパートナーシップを築くこと。マーケティングのためのマーケティングに興味はない。

WWD:今後コラボレーションしたい企業はあるか?

シーボルト:高品質・低価格を実現する「ユニクロ(UNIQLO)」ともコラボレーションをしてみたい。実現すれば、世界中の人々に私たちの ワークウエアを届けられる未来が見えるかもしれない。消費者の欲求を促さないと、システムを変えることはできない。そして、市場が求めない限り、大企業の仕組みや方針は変わらないため、消費者が自分の購買行動で意見を表明することが重要だ。消費者は購入するものを意識的に選ぶことで、より大きな変化を生み出すことができる。そして私の願いは、誰もが「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を選ぶことだ。キャッチフレーズのように聞こえるが、私たちのブランドでは、すべての顧客が寄付者になるのだから。

WWD:大きな夢だ。

シーボルト:そうでもないかもしれない。まだブランド創立から2年足らずだが、卸売りを通じて約50万ドル(約7100万円)、そして企業や農場との対話を通じてさらに約18万ドル(約2556万円)近くの寄付金を集めることができた。始めた当初はうまくいくかどうか分からなかったが、期待以上の結果を生み出せて、誇りに思っている。卸先は「サックス・フィフス・アヴェニュー(SAKS FIFTH AVENUE)」「ノードストローム(NORDSTROM)」「エッセンス(SSENSE)」など世界70以上の小売パートナーで、その全てが卸売寄付プログラムに喜んで参加してくれた。これほど多くの企業組織を、一つの共通の目標に向かってまとめることができた会社を他に知らない。私たちは個々で活動するよりも、一緒に活動してこそ強くなれる。

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農場から世界を変える「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に注目集まる 「バレンシアガ」とも協業

米ニューヨーク郊外のハドソンバレーに、「スカイ ハイ ファーム(SKY HIGH FARM)」という農場がある。栄養素の高い食事ができないコミュニティーを支援するため、アーティストのダン・コーレン(Dan Colen)が2011年にスタートさせた非営利団体だ。ここでは、土壌を修復・改善しながら自然環境の回復を目指す“環境再生型農業(リジェネラティブ農業)”を取り入れ、育てた農作物や家畜を無償で寄付している。

コーレンは、農場運営のために営利団体「スカイ ハイ ファーム ユニバース(SKY HIGH FARM UNIVERSE)」を立ち上げると、「ドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET以下、DSM)」とチャリティー・プロジェクトを実現。この協業を機に、「DSM」でファッションと食に情熱を注いでいたダフネ・シーボルト(Daphne Seybold)を迎え、アパレルブランド「スカイ ハイ ファーム ワークウエア(SKY HIGH FARM WORKWEAR)」を22年1月に本格始動させた。

「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、イラストレーターのジョアナ・アヴィレッツ(Joanna Avillez)が描いた、イチゴと月のキャッチなーキャラクターが目印だ。そこには「スカイ ハイ ファーム」が解決しようとする深刻な問題を、親しみやすく魅力的に伝えようとする、遊び心のある美学を反映している。コーレンは、チーフ・クリエイティブ・オフィサーとして、環境再生型農業の理念をベースとした視点でデザインに取り組んでいる。

同ブランドにとってコラボレーションは重要で、「バレンシアガ(BALENCIAGA)」や「コンバース(CONVERSE)」といったブランドから、英「i-D」誌の編集長アリスター・マッキム(Alistair McKimm)ら個人までを垣根なく巻き込みながら、多くの人々にメッセージを届けている。ファッションだけでなく、カリフォルニアのスーパーマーケットチェーン「エラワン・マーケット(Erewhon Market)」と協業し、プロバイオティクスやハチミツを配合した清涼飲料水を発売するなど、その手法はさまざまだ。

同ブランドのスタッフ数は、未だフルタイム7人とパートタイム3人という小さなスタートアップ起業だが、ユニークな寄付システムにより、2年弱の活動で約70万ドル(約9940万円)の寄付金を集めている。ダフネ・シーボルト「スカイ ハイ ファーム ユニバース」共同最高経営責任者(CEO)兼最高マーケティング責任者(CMO)に、その興味深い活動と信念について訊ねた。

必要な人の手に利益が渡る
独自に考案した収益モデル

WWDJAPAN(以下、WWD):「スカイ ハイ ファーム」の活動について教えてほしい。

ダフネ・シーボルト共同CEO兼CMO(以下、シーボルト):環境再生型農業によって栽培された野菜や放牧された家畜を、社会から疎外され、新鮮で栄養価の高い食品を入手できないコミュニティーに寄付している。緊急の食糧支援のみならず、この農場はフードシステムにおける公平性を確立にも重点を置いている。その手段の一つが、青少年を対象とした教育プログラムだ。環境再生型農業や食料主権(どのように食物を作り、どのようなものを食べるかを自分たちで決める権利)について教えている。約9カ月間の有給フェローシップ・プログラムでは、「スカイ ハイ ファーム」で6カ月間働いて実践的に学び、その後3カ月は研究プロジェクトに参加する。参加者の費用は全額支給し、宿泊施設も提供している。また、環境再生型農業を実施する他の農家にも助成金を支給しており、今年は約35万ドル(約4970万円)が使われる予定だ。残念ながらアメリカでは、大規模な農業システムに多くの補助金が支払われている。そこで私たちは、多大な専門知識を持ちながらもその恩恵を受けていない人々の手に資金を渡そうと取り組んでいるのだ。

WWD:なぜ「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を立ち上げたのか?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム」は非営利団体だが、通常そのような組織は寄付や助成金などの慈善事業に頼っているため、資金調達に限界がある。そのため、私たちは補足的な収入源が必要だと考えた。営利事業体を通じて、臨時収入や教育、意見や考えを表明する機会を創出すべく、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を本格始動させた。

WWD:では、「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」とは?

シーボルト:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」は、「スカイ ハイ ファーム ユニバース」として最初に着手したアパレルプロジェクトだ。私の古巣であるパリの「DSM」と提携しており、ブランド・インキュベーターでもある彼らは、生産や製造、販売、流通の専門知識で、私たちの市場参入をサポートしてくれている。このブランドが他と大きく異なるのは、環境再生型農業の理念に深く関わっている点だ。環境再生型農業は、土地を総合的に管理して農産物を栽培し、生物多様性をもたらすと同時に、気候変動をも抑制する。

WWD:「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」の目的は、環境再生型農業について人々に知らせることでもある?

シーボルト:気候変動や食糧主権、緊急の食糧アクセス、そして個人の行動が環境に与える影響など、世界で起きている問題の重要性を誰もが認識できる機会を提供したい。世の中には、問題を認識しているものの、実際どのように関わればいいのか分からない人も多いと思う。特にファッションの世界では、ポジティブな想像が難しいかもしれない。「スカイ ハイ ファーム ワークウエア」を立ち上げたのは、私たちはファッションを愛し、ファッションを消費しているからだ。また「スカイ ハイ ファーム ユニバース」には ワークウエアの他に、食品や飲料、ウェルネス、ビューティもある。これらを通じて、効果的なタッチポイントをさまざまに作ることができる。

WWD:服はストーリーを語る一つの方法であるということ?

シーボルト:その通りだ。また、持続可能な服作りは、製品そのものをユニークなものにしている。「DSM」は、私たちのためにデッドストックの素材や生地を調達してくれる。例えば、私が今着ているシャツは「コム デ ギャルソン・シャツ(COMME DES GARCONS SHIRT)」の余剰生地を再利用して作ったもの。新しい生地の場合は、最も持続可能性の高いものを使う。環境再生型農業の背後にある理念は、製品作りや、会社を設計する考え方にも通じている。

WWD:会社の仕組みにはどのように生かしている?

シーボルト:私たちの収益モデルは、従来のものとは全く異なる。まず利益の50%を農場に分配し、次に従業員、そして農業コミュニティーや農場に奉仕する人々に分配し、最後に投資家に渡る。伝統的な富のヒエラルキーを覆し、最も資金を必要とする人々を優先している。農業は高度な知識と技術を要する上に、信じられないほど大変で骨の折れる仕事なのに、従事者の給与は低く、適切な報酬を得られていない。そこで私たちは従業員中心の組織を作り、このような制度改革に取り組んでいる人々を評価したいと考えた。

WWD:「DSM」での経験が現在にどう役立っている?

シーボルト:私たちは目に見える製品だけでなく、ビジネス全体をデザインしており、これは川久保玲やエイドリアン・ジョフィ(Adrian Joffe) コム デ ギャルソン インターナショナルCEOから学んだことかもしれない。「DSM」と共に立ち上げた卸売寄付(Wholesale Donation)プログラムでは、商品の卸売価格を少し上げ、上げた分を農場に寄付している。このシステムによって、商品が店頭でどれだけ売れたかにかかわらず、農場にお金が渡るようになる。通常のチャリティープロジェクトでは、製品が市場に出回った後の売り上げの一部が寄付されるが、私たちの場合は、その前後の段階での利益を寄付している。

コラボレーションしたいのは
日本のあのブランド

WWD:「DSM」を経て「スカイ ハイ ファーム ユニバース」に取り組む中で、ファッション業界の環境問題への意識を変えたいと思う?

シーボルト:面白いことに、今の仕事は「DSM」にいたときとそれほど変わらない。構造は違えど、ファッションを用いて別のことを行っているだけ。私たちが模範となり、責任を持って倫理的に製品を生産することは重要だが、大きな変化を生み出すためにはファッション業界全体の力が不可欠だ。だからこそ「コンバース」や「バレンシアガ」「コム デ ギャルソン・シャツ」「ディッキーズ(DICKIES)」などとのパートナーシップが必要だ。私たちが今回のような取材で自分たちの取り組みについて伝えることも大切だが、私たちが提携しているブランドはより大きなオーディエンスを抱えているので、彼らのプラットフォームを通じてさらに多くの人々に農場のストーリーを伝えることができる。そして、従来の慈善活動よりも多くの人々にリーチすることができるポップカルチャーの力を信じている。

WWD:コラボレーションの手法にルールはあるのか?

シーボルト:どのブランドとも異なる方法で仕事をしている。それぞれの企業には独自の構造があり、一つのシナリオが全てに当てはまるわけではない。また、大企業を相手にすることが多いため、漸進的なステップを踏んでいる。「バレンシアガ」がいい例だ。彼らはデッドストックを提供してくれて、私たちはフォトグラファーのライアン・マッギンレー(Ryan McGinley)のアートワークでカスタマイズし、再販した。また「コンバース」とも協業し、古いワークウエアをアッパーに再利用した“ワンスター(One Star)”と“チャック・テイラー(Chuck Taylor)”を来年春に販売する。私たちの目標は、長期的なパートナーシップを築くこと。マーケティングのためのマーケティングに興味はない。

WWD:今後コラボレーションしたい企業はあるか?

シーボルト:高品質・低価格を実現する「ユニクロ(UNIQLO)」ともコラボレーションをしてみたい。実現すれば、世界中の人々に私たちの ワークウエアを届けられる未来が見えるかもしれない。消費者の欲求を促さないと、システムを変えることはできない。そして、市場が求めない限り、大企業の仕組みや方針は変わらないため、消費者が自分の購買行動で意見を表明することが重要だ。消費者は購入するものを意識的に選ぶことで、より大きな変化を生み出すことができる。そして私の願いは、誰もが「スカイ ハイ ファーム ユニバース」を選ぶことだ。キャッチフレーズのように聞こえるが、私たちのブランドでは、すべての顧客が寄付者になるのだから。

WWD:大きな夢だ。

シーボルト:そうでもないかもしれない。まだブランド創立から2年足らずだが、卸売りを通じて約50万ドル(約7100万円)、そして企業や農場との対話を通じてさらに約18万ドル(約2556万円)近くの寄付金を集めることができた。始めた当初はうまくいくかどうか分からなかったが、期待以上の結果を生み出せて、誇りに思っている。卸先は「サックス・フィフス・アヴェニュー(SAKS FIFTH AVENUE)」「ノードストローム(NORDSTROM)」「エッセンス(SSENSE)」など世界70以上の小売パートナーで、その全てが卸売寄付プログラムに喜んで参加してくれた。これほど多くの企業組織を、一つの共通の目標に向かってまとめることができた会社を他に知らない。私たちは個々で活動するよりも、一緒に活動してこそ強くなれる。

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SUMIREが透き通る肌をキープするコスメの見つけ方 「SNSでワード検索し自分の肌に合う商品と出合う」

PROFILE:SUMIRE/モデル・俳優

(すみれ)1995年生まれ、東京都出身。2014年からファッション誌「装苑」の専属モデルを務める。18年に「サラバ静寂」で映画デビューし、活躍の場を広げる。テレビ東京ドラマチューズ!枠「THE TRUTE」(毎週火曜深夜24:30〜放送)に出演中

透明感のある肌にオリーブグリーンの瞳が印象的なモデル・俳優として活躍するSUMIREは、2014年からファッション誌「装苑」の専属モデルに起用されるなど、ファッションセンスは群を抜く。ビューティでは敏感に傾きがちな自身の肌と向き合い、SNSなどによる化粧品に関する情報収集を軸に愛用品を決め、透き通るような肌をキープする。

WWD:コスメとファッションの連動は必須?

SUMIRE:ファッションとビューティどちらも同じくらい好きなんです。おしゃれな服を着ていたら、メイクしていた方が映えますし、メイクをばっちりして普段着でもいいですよね。どちらも補い合う関係のような気がします。

WWD:普段のスキンケアで気をつけていることは?

SUMIRE:敏感肌で乾燥肌なので、季節に関係なくクリームやオイルを肌が艶々になるぐらいたっぷり塗布します。秋冬はオイルを塗ってからシートパックを毎日していますね。シートパックは「メディヒール(MEDIHEAL)」「アビブ(ABIB)」など、保湿効果が高いので韓国コスメブランドを愛用しています。朝はシートパックをした後に、「ニールズヤードレメディーズ(NEAL'S YARD REMEDIES)」の化粧水“フェイシャルミストFH”、「エッフェオーガニック(F ORGANICS)」の乳液“ブライトニングミルク”、日焼け止め“UVプロテクトミルク50プラス”の順で使うのがルーティンですね。

WWD:メイクのこだわりは?

SUMIRE:ベースメイクはファンデーションをあまり使用せず、日焼け止めの後に気になる箇所に「ビズゥ(BISOU)」のコンシーラーでカバーし、フェイスパウダーで仕上げています。カラーメイクは普段アイラインを主張するような強い印象は好まず、マスカラとチークだけにとどめることが多いですね。カラーマスカラが好きで、赤やオレンジ、白などを選びます。最近お気に入りのチークは「ナーズ(NARS)」の“アフターグロー リキッドブラッシュ”(色番02799)で、リキッドタイプなんですが、指でなじませるとすごくナチュラルな仕上がりになるんですよ。アイシャドウを使う場合は「シャネル(CHANEL)」の商品を愛用しています。

WWD:「WWDBEAUTY」12月25日号の表紙はSUMIREさんの赤い髪を生かし、赤の世界で統一した。ヘアスタイル・ヘアケアのこだわりについては。

SUMIRE:少し前の髪色はピンクだったのですが、退色が進み新しい色を美容師さんに相談したら赤が似合うのでは?とアドバイスをもらい、赤を選びました。髪色をキープするために「ソマルカ(SOMARCA)」の“カラーシャンプー”や“カラーチャージ”を使いますが、ドラッグストアなどで購入した商品も日常的に使っています。セットには、「オーウェイ」のヘアオイル“グロッシーネクター”がイチオシです。軽いつけ心地で使いやすいですね。

WWD:「WWDBEAUTY」やビューティ誌のベストコスメは気になる?

SUMIRE:「WWDBEAUTY」2023年上半期の紙面を見ると自分が使っていたり、知っていたりする商品がわりと掲載されていたので親近感が湧きました。ベスコスを獲得した商品を店舗で見ることもあり気になったりしますが、肌が敏感なため自分に合うかは未知数なんです。新しい商品を試す際は、まずインスタやXでワード検索します。「コスメ、評判がいい、肌にいい」などで検索し、そこから気になる商品を調べ、百貨店やドラッグストアに行き、タッチアップしたりしています。

WWD:今後取り入れたいコスメは?

SUMIRE:ミストタイプ化粧水ですね。きめ細かいミストの方が肌への浸透や保湿力が高いという記事を目にするので、乾燥肌の持ち主としては気になります。自分に合うミスト化粧水を探してみたいですね。韓国ブランドではシカ成分を配合している商品が多いので注目しています。


Cover’s Makeup point

村上綾/メイクアップアーティスト

表紙のSUMIREさんの肌は、ベストコスメを受賞した商品を多用して表現しました。ベースは作った肌というより整えられた肌を意識し、パウダーを塗布することで1枚ベールをまとったようなセミマット肌に仕上げました。目元はベージュなどニュアンスカラーが多いので、ブラウンベージュを太めのブラシでアイホール全体と下瞼に。陰影をつけ目に深みをだした後に、ラメをポイント使い。ラメは小さいストーンを若干混ぜ、きれいにあしらうより散らす感じに。チークは血色感を演出する程度でとどめ、ファッションとのリンクも考えダークチェリーのリップで締めた印象にしました。髪はあえてシンプルなストレートヘアにしています。


使用アイテム
アイシャドウ:「シャネル」“レ キャトル オンブル ビザンス”(318)、アイブロウ:「セザンヌ」“超細芯アイブロウ”(06)、リップ:「ケイト」“リップモンスター”(05)、パウダー:「ナーズ」“ライトリフレクティングセッティングパウダー プレスト N”

衣装
ニット11万8800円/モトヒロ タンジ(エスティーム プレス 03-5428-0928)、中に着たカーディガン7万9200円/フェティコ(ザ・ウォール ショールーム 03-5774-4001)、ピアス7200円/トゥワクリム(エスタードジャパン 03-5413-4807)、タイツ、シューズ/共にスタイリスト私物

ART DIRECTION : RYO TOMIZUKA
MODEL : SUMIRE
PHOTOS : MASAYA TANAKA(TRON)
HAIR & MAKEUP : AYA MURAKAMI
STYLING : MASUMI YAKUZAWA(TRON)
DESIGN : JIRO FUKUDA

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「ジーユー」、NYポップアップの手応えは? ファンタジスタ歌麻呂とNY限定商品も

ファーストリテイリング傘下の「ジーユー(GU)」は、2022年10月から米ニューヨークのソーホーで長期ポップアップショップを運営している。“GO GLOBAL”を掲げ、今年9月にはニューヨークに商品本部も構えてグローバル化を推進。ソーホーのポップアップストアについては今後、正式な店舗化の動きも見せているという。ユニクロUSAのドーン・アボツィ(Dawn Abotsi)マーケティング・マネジャーに、「ジーユー」のニューヨークでの試行錯誤や今後について話を聞いた。

ーーニューヨークに「ジーユー」のポップアップショップがオープンしてから一年が経過した。手応えは。

ドーン・アボツィ=ユニクロUSA ジーユー USマーケティング・マネジャー(以下、アボツィ):具体的な売り上げや予算比は公開していませんが、商品構成や売り場の整備、店舗サービスの強化によって、業績は好調です。また、「ジーユー」を知っていただくきっかけとしてSNSや店舗アクティビティーに注力し、集客を強化しています。この12月には、ニューヨーク在住の日本人アーティスト、ファンタジスタ歌麻呂氏とコラボレーションし、ニューヨーク店限定商品を発売しました。まだ課題はありますが、来店後の口コミがさらなる集客につながり、認知度も向上してきていると感じています。

ーー売れ筋商品について教えてほしい。

アボツィ:トレンド且つ気の利いたデザイン、品質、価格の3拍子がそろった「ジーユー」らしい商品が好調です。23年秋冬物では触り心地がよく、デザインバリエーションが豊富な”パフィータッチ”シリーズのニットや、ウールライクなコージーメルトンのコートが人気です。また、マルチウェイデザインのワンピースはさまざまな着こなしが楽しめることに加え、タイトなフィット感でニューヨークのお客さまにも受け入れられています。

通年で好調なボトムスはワイドシルエットが人気です。オフィスカジュアルにも活用できるタックワイドパンツ、ワイドジーンズ、カーゴディテールなどトレンドのデザインを押さえながら、さまざまなスタイルを楽しめるラインナップがヒットしています。日本でも人気の“ラウンドショルダーバッグ”もニューヨークで好調に動いています。
 
「ジーユー」の代表商品でもある“ヘビーウェイトスウェット”は、今シーズンからウィメンズもラインアップに加わり型数を拡大しました。品質のよさと手頃な価格で支持され、リピーターのお客さまも多い商品です。ファンタジスタ歌麻呂氏とのコラボでは、“ヘビーウェイトスウェット”の胸元に日本のポップカルチャーを代表するアニメや漫画風のアートをデザインし、ニューヨーク店限定として発売しました。

「日本の“体形カバー”発想はNYにはない」

ーー日本と北米市場の違いをどう理解し、どう調整しているのか。

アボツィ:日本とニューヨークではサイズ感(フィット)と着こなしが大きく違うと感じています。お客さまの体形も異なるため、デザインが気に入っても日本のサイズではフィットしないことがあります。追加生産の際にサイズのSKUをニューヨークのお客さまに合うように調整しています。また、日本では(コンプレックスのある箇所を隠すといった)「体形カバー」が浸透している一方で、ニューヨークでは個を尊重する文化の背景もあり、体形は隠すのではなく魅力的に見せる着こなしが浸透しています。そのため店頭のマネキンは、ニューヨークのお客さまにフィットするようにスタイリングを日本と変えています。

お客さまやニューヨークのスタッフから出た意見は、日常的に(東京の)グローバルヘッドクォーターに伝え、改善ポイントを明確にして商品開発に活かしています。同時に、9月に設立したニューヨーク商品本部のメンバーは、ニューヨーク(グローバル)市場の商品・トレンド情報を日々リサーチし、最短で商品開発に反映することにも取り組んでいます。

ーー「ジーユー」をニューヨークの客はどう受け止めているか。

アボツィ:「ユニクロ(UNIQLO)」の姉妹ブランドということで、興味を持って来店される方も多くいらっしゃいます。トレンドかつデザインに気が利いていて、他のブランドにはないようなユニークな商品がお手頃に買える、という商品へのポジティブな声もいただいています。また、SNS上ではニューヨーク以外のエリアへの出店を期待するコメントも寄せられています。

ーーニューヨークでの常設店オープンの予定は。

アボツィ:常設店の具体的な時期については現在計画中で物件も探しています。ニューヨークへの正式出店および米国での事業拡大という目標に向けて、ポップアップストアを延長し引き続き「ジーユー」がお客さまから何を期待されているのかをよく学び、今後につなげていきたいと考えています。

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ルチア・ピカが語る「バイレード」の自由な精神と創造性 「香水とメイクの架け橋を作る」

スウェーデン・ストックホルム発のフレグランス&メイクアップブランド「バイレード(BYREDO)」は、クリエイティブイメージ、メイクアップパートナーであるルチア・ピカ(Lucia Pica)が手掛けたホリデーコレクションを限定販売中だ。ルチアはフリーランスのメイクアップアーティストとして20年、ビューティ業界で活躍した後、2015年から6年にわたり「シャネル(CHANEL)」のクリエイティブメイクアップ&カラーデザイナーを務め、22年に現職に就いた。「バイレード」でのものづくりやブランドへの思い、最新コレクションについて聞いた。

「創業者のベンは人々に自由を許し最高のものを引き出す」

WWD:「バイレード」で仕事をするまでの経緯は?

ルチア・ピカ=「バイレード」クリエイティブイメージ、メイクアップパートナー(以下、ピカ):創業者のベン・ゴーラム(Ben Gorham)とは共通の友人を通じて知り合ったが、その時は自分の今後について軽く会話しただけで、わりと唐突なできごとだった。最初のミーティングでは特に具体的なプロジェクトについて話したわけではなく、まずは知り合いになってお互いに合うかどうかを確認した。その時は彼が私に「バイレード」のメイクアップディレクターを引き継いでほしいと思っていることすら知らなかった。

幸運なことに物事はごく自然にすんなりと流れ始めた。すぐに意見が一致し、ブランドに対する哲学や目標も合致した。ベンは常に自分のやることに対して答えとインスピレーションを見出そうとしている。彼は真に意図してそれを行っていて、私もそれを踏襲している。彼の真摯な態度は本当に素晴らしい。

WWD:ゴーラム創業者との会話で印象に残っていることは?

ピカ:一番印象に残っているのは、最初の会話だ。約1時間の会話の中で、物事の捉え方がまったく同じだったことにとても惹かれた。まるで同じ言語を話しているような、昔から彼を知っているような安心感を持てた。

WWD:「シャネル」でのクリエーションと「バイレード」でのクリエーションの違いは?

ピカ:興味深い違いとしては、ブランドの創始者やオーナーといったクリエイティブな人たちと頻繁に話をするようになった。大企業では、往々にして多くの人が関わっているため、多くのステップを省かれることがあるが、「バイレード」では心をオープンにして何度も話し合うことができる。それもあって物事が速く進み、ブランドの核心やエモーショナルな部分に直接触れることが容易にできる。ベンとの仕事はありのままの新鮮なエネルギーに触れられる自由があると思っていて、それは特別でありながら正しい道のりだと思う。ほかの人とのコラボレーションも同様だ。彼は人々に自由を許すことで、結果、彼らから最高のものを引き出している。

WWD:これまでの経験で「バイレード」の仕事に生かされていることは?

ピカ:「バイレード」でのこの数年間、自然なフローが流れると同時に刺激的な面もあり大変充実している。志を同じくするクリエイティブな人たちと一緒に仕事ができて、しかも表現の自由があるのは本当に素晴らしいこと。ベンと彼が創り上げたブランドはとても魅力的で、そのメイクアップセクションを担当し開発することはスペシャル。これからも挑戦したいことがたくさんある。このコラボレーションは本当に素晴らしい。

ホリデーコレクションのテーマは“セルフイリュージョン”

WWD:今回のホリデーで新しいメイクアップコレクションを発売したが、製作の過程はどうだった?

ピカ:ホリデーコレクションは、“バル ダフリック(Bal d'Afrique)”の香りについてベンと話した後に生まれた。彼は、父親の日記を読んだ記憶だけで未踏の地に愛着を持ち、香りを通じて人々をその地に連れて行った。そしてそれは感情移入できる世界を創り上げ、その経験をメイクアップや色に昇華したいという私のアイデアと一致した。“セルフ・イリュージョン・コレクション”のアイデアは、この神秘の世界を創り出すことだった。リアルで生きていると感じられる夢の中の風景があり、もしかしたら過去に見たことがない「何か」が現実に訪れるのかもしれない。現実と夢の感覚が共存しているかのような。私はこのような心情を色で想像し、その中間的でスモーキーな色合いに変換してみた。グレーでもなく、青でもなく、こげ茶色と暖かなテラコッタカラー、そしてアクセントとしての明るい色みを加えた。「幻想状態」、そんなムードを形にしたいと思った。

WD:ホリデーコレクションのおすすめの使い方は?

ピカ:このコレクションでは、その日のインスピレーション次第で、何を主役にするかを決めることができる。パレットにスポットライトを当てたいなら、シルバーかゴールドのどちらかをアクセントにしたスモーキーアイで楽しんでほしい。このパレットは寒色系と暖色系を備えていて、チャコール、グレーブルー、そしてシルバー、それらを同時に使うことももちろん素敵。チャコールグレーを使って、目の奥行きや目頭、目尻に深みを出し、丸くぼかしてスモーキーアイの効果を出す。そして、青みがかったシルバーグレーをまぶたの内側に入れ、目尻を含む上部にはシルバーのアクセントを加える。暖色系にする場合も同様にブラウンとゴールドを用いる。あるいは、アイライナーをまぶたの縁の内側に使い、まつ毛の生え際をはっきりさせてから、パレットのブラウンとゴールドを上にのせてなじませるのもおすすめ。

マスカラを主役にするなら大胆に使って、艶やかで透明感のある肌のトーンに。私自身はブルーのマスカラは使用しないが、“イロ―デッド エコー”はグリーンとブルーの中間の色で、温かみのあるグレイッシュなトーンによって絶妙なバランスが生まれ、遊び心がありながら洗練された、少しミステリアスな雰囲気を醸し出す。意外性のあるものに挑戦する気持ちと、過剰になりすぎない洗練された安心感を合わせ持つような繊細さにこだわった。

“カジャールペンシル パープレックスト”は、ブロンズ系のカーキなのであまり正確に線を引かなくても大丈夫。指先で内側に塗ったり、まつ毛の生え際に沿わせて外角に向かって少し伸ばしたり。とてもソフトで繊細なので、正直なところこのペンシルで失敗することは難しいはず!

リップスティックは自信に満ちた赤の中にテラコッタカラーも含み、より使いやすく多様な肌のトーンに適応する。このコレクションは、私にとって本当にウエアラブルなコレクションだ。

「メイクアップにブランドの本質を反映させたい」

WWD:今後、「バイレード」で挑戦したいことは?

ピカ:「バイレード」は内面的な感情の世界を物語るブランドで、見た目の美しさだけでなく、商品を使って素晴らしい体験をしてもらえる。私の役割はメイクアップを施し、顔になじませ、自分の一部となる体験を与えるテクスチャーを提供することで自己表現を実現し、なおかつ個性を内側から輝かせること。それを可能にする商品を作り提供することにより皆さんが楽しみながら自己を見出し、創造性を探求することが大切だ。「バイレード」のメイクアップが皆さんの顔で素敵に輝くことに熱い思いをかけている。さらに言えば、「バイレード」の中でフレグランスとメイクアップの架け橋を作り、メイクアップに「バイレード」の本質を反映させたいと願っている。

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「プラダ ビューティ」、スキンケア&メイクアップ成功への道筋は? グローバル プレジデントに聞く

ヤン・アンドレア/プラダ ビューティ グローバル プレジデント

2001年に「アルマーニ ビューティ」のフレグランスのインターナショナル・マーケティング・プロダクト・マネージャーとしてロレアルに入社。その後、インターナショナル・グループ・マーケティング・マネージャーに任命された。07年にはスペインにへ移り、「アルマーニ ビューティ」と「ヘレナ ルビンスタイン」のマーケティングを指揮した。10年にフランスに戻り、「イヴ・サンローラン」のインターナショナル・フレグランス・マーケティング・ディレクターに就任。その後、「アルマーニ ビューティ」と「ビオテルム」のジェネラル・マネージャーとして中国に赴任。21年1月から現職

「プラダ(PRADA)」は2024年3月20日、スキンケアとメイクアップ製品を発売する。それに先駆けて、東京・表参道のポップアップストア「プラダ ビューティ トウキョウ(PRADA BEAUTY TOKYO)」で2月1日に先行発売する。グローバルでは8月1日にローンチし、ミラノ・コレクションでファッションショーの来場者にアイシャドウとリップ、クリームがプレゼントされ話題になるなど日本国内でも注目を集めていた。来春、満を持して日本に上陸する。

「プラダ」がロレアル(L’OREAL)と長期的なビューティライセンス締結を発表したのは2019年12月。契約は21年1月1日付で有効となり、ロレアルは直近ではウィメンズフレグランス“パラドックス(PARADOX)”を世界的な成功に導いている。世界トップのビューティ企業で は「プラダ ビューティ」のビジョンをどう描くのか。ロレアルのヤン・アンドレア(Yann Andrea)=プラダ ビューティ グローバル プレジデントに話を聞いた。

目指すは真の意味の
グローバルビューティブランド

WWD : 8月1日にスキンケアとメイクアップがローンチしたが、現在何カ国で展開しどのような反響があるか?

ヤン・アンドレア=プラダ ビューティ グローバル プレジデント(以下、アンドレア): まず初めに「プラダ ビューティ」が目指しているのは、真の意味でのグローバルブランドだ。展開する地域やプロダクトカテゴリーでもグローバル(世界的、網羅的、全方位的)でありたいと考えている。その上で、世界中の誰が見ても「プラダ ビューティ」だと分かるブランドコードを大切にして進めていく。現在イギリスやドイツ、イタリア、中国など7カ国で展開しているが、新しいマーケットでローンチする度に出店した百貨店のトップ5ブランドに入るなど大きな反響を得ている。来年は米国や日本でのローンチも控え、展開国を拡大する。グローバル戦略においてはアジア、特に日本に注目しており、多くの人に「プラダ ビューティ」を手にしたいと思ってもらえるビューティブランドに育てたい。

WWD : アジアや日本市場を重視する理由は?

アンドレア : ビューティカテゴリー自体が強い市場であり、「プラダ」というブランドがアジアの生活者から非常に愛され力を持っているからだ。そして、アジアでは男女共にビューティを重要と考えているからだ。アジアの中でも、とりわけ日本の消費者はビューティのエキスパートが多い。

WWD : ロレアルが「プラダ」とビューティ事業のライセンス契約を締結したのは2019年だった。当初からスキンケアとメイクアップの構想はあった?

アンドレア : 「プラダ」とのコラボレーションが始まった時から私たちは非常に意欲的な目標を持っていた。最もグローバルなビューティブランドを目指す上で、フレグランスだけでなくスキンケアやメイクアップでも新しいビジョンを提案したい思いがスタートからあった。

全ての処方の背景にイノベーション

WWD : スキンケアとメイクアップの開発にはどのくらいの時間を要した?

アンドレア : 商品開発には非常に長いプロセスがある。まず初めに処方作りに着手した。「プラダ ビューティ」の全ての処方の背景にはイノベーションがあり、なおかつベストパフォーマンスを出すことを目指した。同時に素敵なパッケージ作りもしなければならない。「プラダ ビューティ」では男女関わらずいいと思えるパッケージ開発を行っている。機能的で美しいオブジェクトを作りつつ、長く使えるように全商品をリフィル対応にした。開発過程では、容器に入れた時に中身の処方が変容しないか、発色が美しく出るかなどのテストを重ねた。

WWD : イノベーションには例えばどんなものがある?

アンドレア : 前提として、「プラダ ビューティ」の哲学はマイナスをゼロにしたり、良くないものを改善したりするのではなく、肌にポジティブな影響を与えることを大事にしている。未来の肌に働きかけるように、肌を整え準備をしていくということが重要だ。例えばスキンケアのスター商品“オーグメンテッド スキン クリーム”は「APG スマート テクノロジー」を搭載している。これはさまざまな有用成分の組み合わせにより、クリームを使う人の肌をその人がいる環境に順応させてくれるもの。肌トラブルを補正するのではなく、ライフスタイルや環境の変化に素早く対処する、肌に本来備わる“適応力”を高める。あらゆる外的・内的要因から肌を守ってくれるというイノベーションだ。

WWD : メイクアップでは2人のアーティストを起用しているが狙いは?

アンドレア : 私たちはコラボレーションの力とコレクティブ・インテリジェンス(集合知)を強く信じている。そして、ビューティの世界に新しいアプローチを持ち込みたいと考えている。また、私たちは現実世界とバーチャル世界に強いつながりがあると感じており、それをなんとか商品開発やそのほかの活動にも反映したいと考えた。そんな背景があり、2人を起用した。1人は「プラダ」のファッションショーも手掛け、彼女の世代では最も名前が知られる才能豊かなメイクアップアーティスト、リンジー・アレキサンダー(Lynsey Alxander)。もう1人は世界的に知られるデジタルアーティストで、ビューティ・ファッション・ラグジュアリー界でアートディレクターとして3Dを使い始めた第一人者であるイネス・アルファ(Ines Alpha)だ。

色に対する新しい視点
人の力とテクノロジーの融合

WWD:コラボレーションはどのように進んだ?

アンドレア:例えば色と色の組み合わせを考える時に、“フィジカルメイクアップアーティスト”のリンジーは実際にピグメント(色素、顔料)を触って考える。一方で、“デジタルメイクアップアーティスト”のイネスはパソコン上でピクセルを使って考える。その後、意見交換を重ねる。このプロセスで「プラダ ビューティ」は色に関する新しい視点を持つことができた。「プラダ ビューティ」のもう一つの特徴として、クラフトマンシップ(職人技)とテクノロジーの融合がある。人の力とテクノロジーを合わせた錬金術の末にどのような新しいものが生まれるかを非常に重視している。

細かい話だが、リップスティックの表面には「プラダ」のファッション小物を象徴する素材であるサフィアーノ レザーとリナイロンの質感を再現した精緻な刻印を施した。実はこれは非常に難しい技術で、液状のリップを型に流し込んで固めて製造するが、これだけ細かくしかも深く彫るのはとても困難だ。発色にもこだわり、2種の質感のうち マットレザーは黒のピグメントを、スムース ナイロンは白のピグメントをベースに色素を足していくことで、サフィアーノ レザーの深みやナイロンバッグの表面の白い反射を再現した。こうした細部へのこだわりもあり、リップスティックの売れ行きは非常に好調だ。アイシャドウも「プラダ」のテキスタイルのアーカイブからインスパイアされたカラーハーモニーが大変好評だ。アイシャドウは通常パウダーケースに充填してプレスして固める工程を取るが、「プラダ ビューティ」ではクリームを充填して水分を蒸発させている。そのため、塗り広げた時に粉落ちせず、滑らかな感触と質感が出せる。このテクスチャーは重ね塗りに適していて、薄くつけて柔らかく発色させてもいいし、重ねて大胆な濃い発色を楽しむこともできる。

ターゲットはビューティに
高いパフォーマンスを求める層

WWD:すでにスキンケアとメイクアップを発売した国ではどのような客層が購入している?「プラダ ビューティ」のターゲットは?

アンドレア:ビューティはよりインクルーシブ(包括的)でユニバーサルである必要があり、展望としては“Beauty for Everyone”と考えているが、20〜30代の若年層、特にファッションとビューティの融合を目指している人たちから支持されている。“ビューティアディクト”“ファッションアディクト”と言われるような人、ビューティにより良いパフォーマンスを求めている人、ビューティの力を信じている人に向けてアプローチしていきたい。

WWD:欧米ではフレグランス市場が非常に大きいが、スキンケアやメイクアップの顧客は「プラダ」の香水を購入する顧客と違う層になるか?

アンドレア:フレグランスとビューティのお客さまは乖離してしまうことがよくあるが、私たちは一貫性のある「プラダ」らしいコード作りを大切にしながら同じアプローチをしている。ただ、日本はフレグランス市場が小さいため、スキンケアやメイクアップを展開することでフレグランスに入ってくるお客さまもいるだろう。グローバルと日本では状況は異なるが、フレグランスとビューティで一貫したメッセージや世界観を伝えていく。

各市場のフラッグシップストアに出店

WWD:今後のグローバル展開におけるリテール戦略は?

アンドレア:まずは各マーケットのアイコンと言われるようなビューティのフラッグシップストアへの出店を目指す。欧米においてはセフォラ(SEPHORA)やパフューマリーショップと言われる業態のエクスクルーシブなストアを狙う。一例として、10月末には1996年のオープン以来、初のリニューアルオープンをしたセフォラのパリ・シャンゼリゼ通り店でローンチした。

WWD:ロレアルには「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」「アルマーニ ビューティ(ARMANI BEAUTY)」「ヴァレンティノ ビューティ(VALENTINO BEAUTY)」といったデザイナーズブランドがあるが、「プラダ ビューティ」の目指すポジションは?

アンドレア:ロレアルグループはミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)やラフ・シモンズ(Raf Simons)とのコラボレーションのチャンスをもらい、良い機会などという言葉では言い表せないほどの素晴らしい経験を得ている。共同開発がインスピレーション源となり新たなビジョンやクリエイティビティも生まれた。当社は「プラダ ビューティ」に関して非常に意欲的な目標を掲げており、世界的にもプロダクトレンジ的にも真のグローバルブランドを目指し育てようとしている。そのために、今回スキンケアとメイクアップを発売した。しかしこれは共同開発の序章にすぎず、今後も商品レンジを完璧で幅広いものにしていく予定だ。評価され力のあるブランドに育成し、「プラダ ビューティ」にふさわしいポジションを目指す。

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現代のフェミニズムを表現する「マックスマーラ」 デザイナーにエンパワメントの極意を聞く

イアン・グリフィス/「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター

英国生まれ。マンチェスターでアートとデザインを学んだ。当時の音楽シーンはニューウェーブ全盛期であり、多大な影響を受けた。建築を専攻した後にファッションに転向。マンチェスターの学校を首席で卒業し、ロンドンのRoyal College of Art (RCA) の修士課程に進学した。RCAにおける初期のプロジェクトのひとつがマックスマーラ主催のコンクールであり、本コンクールでの優勝をきっかけに1987年の卒業と同時にデザイナーとしてマックスマーラに入社。「ウェアラブルなモダンクラシック」「控えめなラグジュアリー」「知的なデザイン」というマックスマーラのフィロソフィーを表現し続けている。1990年からキングストン大学で教鞭を執りはじめ、92年から2000年にかけてファッション学科のディレクターに就任。ファッションビジネスで必要とされるクリエイティブな才能を育成し、産業と教育の密接なつながりを作り上げることに尽力した。近年はRCAの客員教授に就任、またマンチェスター・メトロ ポリタン大学から名誉博士号を授与された。現在マックスマーラのクリエイティブ・ディレクターとして、世界各地から集結したデザイナーチームを統括。彼の活動の拠点は、ロンドン、イタリア、スペイン、そして都会の喧騒から逃れることのできる故郷サフォーク。現代美術、カルチャー、建築、ガーデンに造詣が深い。

「マックスマーラ(MAXMARA)」の2024年春夏コレクションは、ジャンプスーツやワークジャケットなどミリタリーのユニフォームを題材に、自らの力を信じて道を切り開く強い女性像を描いた。1987年に同社に入社して以来、女性をエンパワメントする服作りを追求してきたイアン・グリフィス=クリエイティブ・ディレクターに、その極意を聞いた。

WWD:毎シーズンエンパワリングな女性のアイコンがテーマに掲げられるが着想源はどこから?

イアン・グリフィス「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター(以下、グリフィス):パワフルな女性たちみんな。オフィスのデスクには、私が尊敬する女性たちの写真がたくさん飾ってある。マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)からグレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)、エリザベス女王(Queen Elizabeth II)、作家のシドニー=ガブリエル・コレット (Sidonie-Gabrielle Colette)、そして私の母の写真も。おそらく40〜50枚くらいあると思う。彼女たちの歴史や活動を振り返ってその力を感じとり、どうやったら現代の女性たちが同じようにパワフルに感じられるのだろうかと思いをめぐらせる時間が好きなんだ。

「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ

WWD:男性デザイナーとしてどのように女性の視点を自分ごと化している?

グリフィス:私自身もよく自問する部分だ。ゲイの男性として、社会に存在を認めてもらうための苦しみは少なからず理解している。今は結婚の平等も達成されたが、1980年代のイギリスで育った私は、子どもの頃はゲイであることを話すことすら難しかった。この経験は女性に対する共感や想像力を養ってくれたと思う。

WWD:その共感をどのように服で表現している?

グリフィス:何か特別なレシピがあるわけではなく、緻密なディテールへの気配りの積み重ねでしかない。これを理解するためには、エンパワリングではない服について考えてみるといい。ランウエイでは輝かしいドレスでも、それを着るために自分が変わらなきゃいけない、もっと若く見えなきゃいけない、もっと細くならなくちゃいけない、そんな風に不安で仕方なくさせるような服のことだ。私たちがデザインするのは、朝それを身にまとった時に気分を上げてくれる服で、一度まとったら忘れてしまうくらいの服。着ている人に余計な心配を与えずに、その人が今力を注ぎたいことに集中させてあげられるような服のことだと理解している。とはいえ、いつも気をつけているのは上から目線にならないこと。「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ。エンパワメントするのは女性たち自身だから。

WWD:80年代から今にかけてエンパワメントの定義に変化は?

グリフィス:87年に私が入社した当時の女性の服装は、働く場でのドレスコードが焦点でパワーショルダーのようなスーツが台頭した。ユニフォームを着ることがエンパワーメントだったように思う。そこから今にかけては、より自己表現にプライオリティーが置かれるようになった。2024年春夏コレクションで私がミリタリーをテーマにしたのにはちょっと矛盾を感じるかもしれないが(笑)。「マックスマーラ」は、着ていることを忘れさせてくれる服という軸は変えないものの、多様な女性たちがそれぞれに着飾ることができるオプションを広く用意することを心がけている。フェミニズムに対するイメージも変わった。1960〜80年代のフェミニズムは、政治的で女性たちもフェミニストを名乗ることをためらうようなムードがあった。当時は私たちも会社としてフェミニストのフィロソフィーを大きく打ち出してはいなかった。しかし現代の“マックスマーラ ウーマン”は過激なアクションで権利を訴えることはしないものの、同時にパワフルであり彼女たちが影響力を及ぼすことのできる範囲で着実に変化を生み出そうとしている。多様なフェミニズムがある今、「マックスマーラ」も自然にフェミニストの立場を表明できるようになった。

自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらない

WWD:先日六本木で行われたテディベアコートのアニバーサリーイベントでは、若年層から大人世代までたくさんの女性が集まった。特に最近、ブランドのコミュニティーが拡大している感覚はある?

グリフィス:それを聞けて嬉しい限り。若い世代を私たちのコミュニティーに向かい入れることはすごく重要だが、それは既存の顧客に寄り添わなければ実現しない。難しいことではない。私の最大のミューズである母と話した時に、彼女は今87歳だが「私が惹かれるモノと、私の姪や孫娘のそれとが大きく違うなんて思わないで。私たちはみんな同じものが好きなのよ」と言われた。例えばテディベアコートがそれにあたるだろう。50歳を過ぎたらよりコンサバティブなものを求める、という具合に見方を変えるのは間違い。自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらないんだ。

WWD:表参道を歩いてみて、日本の女性たちの装いについて思うことは?

グリフィス:私が初めて来日した80年代からは大きく変わったよ。当時の若者たちはみんなパンクに影響されていて、ロンドンのカムデン・タウンのようだった。その後20年間くらいは、アメリカのスーツスタイルが流行っていた。土曜日の午後でもスーツにハイヒールの女性をよく見かけたよ。今は20代も40代もそれぞれの個性を表現したファッションになったと思う。

WWD:特に日本の女性たちに届けたいメッセージは?

グリフィス:「マックスマーラ」は成功を手に入れたいと願うすべての女性たちのためのツールを提供したい。私がデザインする服は、袖を通せば自信がみなぎるはず。そして何よりもファッョンの喜びを忘れないでと伝えたい。朝を起きて素敵な服をまとった時の高揚感やファッションの持つパワフルな力を信じ続けてほしい。

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現代のフェミニズムを表現する「マックスマーラ」 デザイナーにエンパワメントの極意を聞く

イアン・グリフィス/「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター

英国生まれ。マンチェスターでアートとデザインを学んだ。当時の音楽シーンはニューウェーブ全盛期であり、多大な影響を受けた。建築を専攻した後にファッションに転向。マンチェスターの学校を首席で卒業し、ロンドンのRoyal College of Art (RCA) の修士課程に進学した。RCAにおける初期のプロジェクトのひとつがマックスマーラ主催のコンクールであり、本コンクールでの優勝をきっかけに1987年の卒業と同時にデザイナーとしてマックスマーラに入社。「ウェアラブルなモダンクラシック」「控えめなラグジュアリー」「知的なデザイン」というマックスマーラのフィロソフィーを表現し続けている。1990年からキングストン大学で教鞭を執りはじめ、92年から2000年にかけてファッション学科のディレクターに就任。ファッションビジネスで必要とされるクリエイティブな才能を育成し、産業と教育の密接なつながりを作り上げることに尽力した。近年はRCAの客員教授に就任、またマンチェスター・メトロ ポリタン大学から名誉博士号を授与された。現在マックスマーラのクリエイティブ・ディレクターとして、世界各地から集結したデザイナーチームを統括。彼の活動の拠点は、ロンドン、イタリア、スペイン、そして都会の喧騒から逃れることのできる故郷サフォーク。現代美術、カルチャー、建築、ガーデンに造詣が深い。

「マックスマーラ(MAXMARA)」の2024年春夏コレクションは、ジャンプスーツやワークジャケットなどミリタリーのユニフォームを題材に、自らの力を信じて道を切り開く強い女性像を描いた。1987年に同社に入社して以来、女性をエンパワメントする服作りを追求してきたイアン・グリフィス=クリエイティブ・ディレクターに、その極意を聞いた。

WWD:毎シーズンエンパワリングな女性のアイコンがテーマに掲げられるが着想源はどこから?

イアン・グリフィス「マックスマーラ」クリエイティブ・ディレクター(以下、グリフィス):パワフルな女性たちみんな。オフィスのデスクには、私が尊敬する女性たちの写真がたくさん飾ってある。マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)からグレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)、エリザベス女王(Queen Elizabeth II)、作家のシドニー=ガブリエル・コレット (Sidonie-Gabrielle Colette)、そして私の母の写真も。おそらく40〜50枚くらいあると思う。彼女たちの歴史や活動を振り返ってその力を感じとり、どうやったら現代の女性たちが同じようにパワフルに感じられるのだろうかと思いをめぐらせる時間が好きなんだ。

「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ

WWD:男性デザイナーとしてどのように女性の視点を自分ごと化している?

グリフィス:私自身もよく自問する部分だ。ゲイの男性として、社会に存在を認めてもらうための苦しみは少なからず理解している。今は結婚の平等も達成されたが、1980年代のイギリスで育った私は、子どもの頃はゲイであることを話すことすら難しかった。この経験は女性に対する共感や想像力を養ってくれたと思う。

WWD:その共感をどのように服で表現している?

グリフィス:何か特別なレシピがあるわけではなく、緻密なディテールへの気配りの積み重ねでしかない。これを理解するためには、エンパワリングではない服について考えてみるといい。ランウエイでは輝かしいドレスでも、それを着るために自分が変わらなきゃいけない、もっと若く見えなきゃいけない、もっと細くならなくちゃいけない、そんな風に不安で仕方なくさせるような服のことだ。私たちがデザインするのは、朝それを身にまとった時に気分を上げてくれる服で、一度まとったら忘れてしまうくらいの服。着ている人に余計な心配を与えずに、その人が今力を注ぎたいことに集中させてあげられるような服のことだと理解している。とはいえ、いつも気をつけているのは上から目線にならないこと。「マックスマーラ」がエンパワーするのではない、あくまでツールをお渡ししているだけ。エンパワメントするのは女性たち自身だから。

WWD:80年代から今にかけてエンパワメントの定義に変化は?

グリフィス:87年に私が入社した当時の女性の服装は、働く場でのドレスコードが焦点でパワーショルダーのようなスーツが台頭した。ユニフォームを着ることがエンパワーメントだったように思う。そこから今にかけては、より自己表現にプライオリティーが置かれるようになった。2024年春夏コレクションで私がミリタリーをテーマにしたのにはちょっと矛盾を感じるかもしれないが(笑)。「マックスマーラ」は、着ていることを忘れさせてくれる服という軸は変えないものの、多様な女性たちがそれぞれに着飾ることができるオプションを広く用意することを心がけている。フェミニズムに対するイメージも変わった。1960〜80年代のフェミニズムは、政治的で女性たちもフェミニストを名乗ることをためらうようなムードがあった。当時は私たちも会社としてフェミニストのフィロソフィーを大きく打ち出してはいなかった。しかし現代の“マックスマーラ ウーマン”は過激なアクションで権利を訴えることはしないものの、同時にパワフルであり彼女たちが影響力を及ぼすことのできる範囲で着実に変化を生み出そうとしている。多様なフェミニズムがある今、「マックスマーラ」も自然にフェミニストの立場を表明できるようになった。

自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらない

WWD:先日六本木で行われたテディベアコートのアニバーサリーイベントでは、若年層から大人世代までたくさんの女性が集まった。特に最近、ブランドのコミュニティーが拡大している感覚はある?

グリフィス:それを聞けて嬉しい限り。若い世代を私たちのコミュニティーに向かい入れることはすごく重要だが、それは既存の顧客に寄り添わなければ実現しない。難しいことではない。私の最大のミューズである母と話した時に、彼女は今87歳だが「私が惹かれるモノと、私の姪や孫娘のそれとが大きく違うなんて思わないで。私たちはみんな同じものが好きなのよ」と言われた。例えばテディベアコートがそれにあたるだろう。50歳を過ぎたらよりコンサバティブなものを求める、という具合に見方を変えるのは間違い。自分に自信を持ちたいと思う女性たちが求めるものは世代の垣根を超えても変わらないんだ。

WWD:表参道を歩いてみて、日本の女性たちの装いについて思うことは?

グリフィス:私が初めて来日した80年代からは大きく変わったよ。当時の若者たちはみんなパンクに影響されていて、ロンドンのカムデン・タウンのようだった。その後20年間くらいは、アメリカのスーツスタイルが流行っていた。土曜日の午後でもスーツにハイヒールの女性をよく見かけたよ。今は20代も40代もそれぞれの個性を表現したファッションになったと思う。

WWD:特に日本の女性たちに届けたいメッセージは?

グリフィス:「マックスマーラ」は成功を手に入れたいと願うすべての女性たちのためのツールを提供したい。私がデザインする服は、袖を通せば自信がみなぎるはず。そして何よりもファッョンの喜びを忘れないでと伝えたい。朝を起きて素敵な服をまとった時の高揚感やファッションの持つパワフルな力を信じ続けてほしい。

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ノルウェー発ジュエリー「トムウッド」創業者に聞くブランド誕生秘話と成功のワケ

ノルウェー発ジュエリー「トムウッド(TOMWOOD)」の旗艦店が11月25日、東京・青山にオープンした。2フロア約320㎡のノルウェー国外初の同店は、所どころに和の要素を盛り込んだミニマルなデザイン。2階はアパートメントと呼ばれるスペースになっており、イベントなどを開催する予定だ。オープニングのために来日した「トムウッド」のクリエイティブ・デザイナー兼創業者のモナ・ヤンセンとモーテン・イサクセン最高経営責任者(CEO)に話を聞いた。

ブランドは私のアルターエゴ

WWD:ブランド名の「トムウッド」はどこから?

モナ・ヤンセン「トムウッド」クリエイティブ・デザイナー兼創業者(以下、ヤンセン):ブランドは、私のアルターエゴ、作家に例えるとペンネーム的なものだ。トムは世界中で知られている男性の名前の代表格。ウッドは、ノルウェーの自然の中の木から取った。私自身は表に出たくないし、ユニセックスなブランドとして余白を持たせたかった。女性誌の編集者に「アメリカのブランドだと思った」と驚かれたことがある。

WWD:ジュエリーブランドを立ち上げようと思ったきっかけは?

ヤンセン:それは偶然だった。モーテンが私にプロポーズしたときに、指輪を探していたのだけど、伝統的な結婚指輪はほしくなかった。モーテンが持っていたシグネットリングのサイズを変えて、日付を刻印したのが始まり。私にとって初めて大切に気にかけたジュエリーだった。それがブランドの始まりだ。成功するとは思わなかったけど、独立することは、自分自身へのチャレンジでもあり、喜びでもあった。旅に出る余裕が出て、市場を見て回るうちに、「トムウッド」のようなブランドがないことに気付いた。

モーテン・イサクセン=トムウッドCEO(以下、イサクセン):私は約15年間クリエイティブエージェンシーで他のブランドのブランディングを手掛けていた。モナが独立したいと考えたときに私も加わり、「トムウッド」はファミリービジネスになった。以前は、クライアント頼りの仕事だったが、ブランドを持ってからは、目的を持って活動ができる。当時、市場にフェミニンなジュエリーはたくさんあったが、ユニセックスなジュエリーはなかった。シグネットリングは、市場の流れとは全く反対のもの。だが、バイヤーたちがシグネットリングにすぐ反応したのは驚きだった。

ジェンダーレスジュエリーのパイオニア

WWD:ブランド哲学は?

イサクセン:インターナショナルなジュエリーブランドとして業界で責任を持つこと。シンプルだが完璧でタイムレスなデザインで、代々受け継がれるジュエリー派手じゃなくシンプルなので、年代問わずさまざまな人が着けることができる。

ヤンセン:ジェンダーレスであること。性別を全く考えなかったから成功した。ジェンダーレスなジュエリーのパイオニアだったといえる。シグネットリングは男性だけのものではない。

WWD:デザインのインスピレーション源は?

ヤンセン:建築や彫刻、自然などから。長く着けられるジュエリーをつくることができるのはとても満足いくこと。また、エシカルかつ持続可能性な方法で生産することが大切だと思う。それにより環境負荷を減らせるから。ジュエリーに使用するシルバーやゴールドは、ほぼ100%リサイクルされたものだ。

イサクセン:われわれは、企業活動を通して、真剣に環境やダイバーシティー、平等などの問題に取り組んでいる。会社には多くの女性のディレクターがいるし、自社だけでなく取引先の工場でも、国籍、文化、宗教、性別の平等性を重視している。2年前から二酸化炭素排出量を測り削減に務めているし、サプライチェーンも開示してトレーサブルにしている。それは、われわれの責任であり、業界の人々をインスパイアしていきたいと思う。

成長よりも選ばれるブランドに

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?日本国内では?

ヤンセン:50~60カ国、約300店舗で販売している。日本国内では、90店舗程度。

WWD:日本における戦略は?

ヤンセン:ビジネス拡大は重要ではない。たくさんブランドがあるから、正しい方法で重要なブランドとして選ばれる存在になりたい。旗艦店ができたので、ブランドの世界観を体感してもらえるはず。

WWD:今後、どのようにブランドを成長させたいか?

イサクセン:今まで通り、「トムウッド」らしく活動していく。実験を恐れることなく、思慮深く、私たちがすべきことにフォーカスしていく。成長はいいことだが、堅実に高品質なものをつくり続けることで、興味を持ってもらえるブランドにしたい。

ヤンセン:「トムウッド」がどのようになるのか次の10年も楽しみ。素晴らしい10年にしたい。

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蜷川実花が過去最大規模の“体験型”展覧会 「瞬きの中の永遠」で見えた過去と現在、未来

蜷川実花/写真家、映画監督 プロフィール

(にながわ・みか)写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。木村伊兵衛写真賞ほか、数々の賞を受賞。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版。「ヘルタースケルター」(12年)、「Diner ダイナー」(19年)はじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ「FOLLOWERS」を監督。22年、最新写真集「花、瞬く光」を刊行。クリエイティブチーム「EiM:Eternity in a Moment」の一員としても活動している PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI

虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの“トウキョウ ノード(TOKYO NODE)”で展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」が幕を開けた。24年2月25日まで。「蜷川実花が挑む過去最大の展覧会」と銘打つとおり、圧巻のスケールの立体展示やアートの世界観に没入できる大規模な映像インスタレーションが見どころだ。作品は全て同展のために新たに制作され、データサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoらで結成したクリエイティブチーム“エイム(EiM)”として臨んだ。地上200m超、高層ビル45階の高さに位置する総面積1500㎡のギャラリーを最大限に生かし、東京の風景もデザインに取り入れた体験型展覧会になっている。

開幕前日の内覧会には、1800人以上のプレス・メディア関係者が来場。思わず写真を撮りたくなる鮮やかな色彩の展示はSNSで連日多くの投稿が溢れ、国内の人気デザイナーと制作したアパレルやオリジナルグッズ、施設内の飲食店とのコラボレーションメニューなども話題を呼んでいる。コロナ禍を経て、クリエーションに対する姿勢や心境に変化があったという蜷川実花氏に、本展の制作秘話や共創によって見えた新しい景色について聞いた。

日常で何気なく目にするリアルな瞬間を立体芸術に昇華

WWD:立体作品から映像インスタレーションまで、14の作品群を全て体験すると一つの映画を観終えたような余韻が残った。来場客がZ世代からミドル世代まで幅広いのも興味深い。

蜷川実花(以下、蜷川):SNSでいただく感想が、みんな見事にバラバラなのがとても面白いです。見る人によって作品の受け取り方が異なり、それぞれに届くものが違うのはとても嬉しいですね。

今回の映像インスタレーションはCGを一切使わず、被写体は全て日常の延長線上にあるものです。手持ちのiPhoneで撮影した写真も多い。そんな何気ない瞬間が皆さんの心象風景につながったのではないかと思います。当たり前に広がる景色の見方を少し変えるだけで、気づかなかった美しさがある。それらの一瞬が重なり合って未来につながるという思いを展覧会のタイトルにも込めました。

WWD:これまでの象徴的な作風である花や蝶が舞う“極彩色”の世界だけでなく、時間の経過で移ろう陽の光や雨粒の反射といった光の表現も多彩だった。“光彩色”の空間に重点を置いた理由は?

蜷川:いろんな光が差し込むことによって、それぞれの想いや祈る気持ちが多様に表現できました。作品は多様性のメッセージを含んでいて、観る人が参加することで初めて完成します。光や音、表現の受け取り方が異なる皆さんで体験することに価値を置いています。

展示はまず、枯れた花々の空間展示「残照」から始まります。ひまわりは、咲いている姿が明るくて綺麗とよく言われますよね。太陽を目指して同じ方向を向いて咲きますが、実は枯れ方は個体によって全然違うんですよ。そこにスポットを当てることで、枯れ方に多様性があり、決してネガティブなことではないことを伝えたくて。また、この作品の真裏には、満開の花々で埋め尽くした桃源郷のような空間があるんです。物事には必ず表と裏の側面があり、それは表裏一体なのだというメッセージも込めています。

生きていると大変なことだらけだけど、その中でどう光を見つけていくかを、これまでもずっと考えながら写真を撮ってきました。今回の展覧会では、より印象的に表現できたように思います。

WWD:都会のネオンや車のヘッドライトなど、都市の情景を随所に取り入れた理由は?

蜷川:昔から都会の街の明かりに惹かれます。東京生まれだからこそ、都会のネオンやビルが並ぶ景色が自分にとって“自然なもの”でもあるんです。人の手が入っていない自然も美しいけれど、人が暮らす風景も美しい。高層ビルの頂上で点滅している赤いランプは、街が呼吸しているように見えます。大きな生命体のような。これも、写真で表現したいものの一つです。

本展の作品は、昼と夜で見え方が変わるんですよ。夜もおすすめです。15mの天井全面を使ったドーム型の巨大スクリーンの展示「Flashing Before Our Eyes」の会場ではカーテンが開いて、リアルな東京の風景と作品が融合する瞬間が体験できます。

“エイム”との共創は「バンドを組んだようなイメージ」

蜷川:今回の展覧会の一番の特徴は、自分のキャリアが全て詰まっていることです。写真家として写真を撮ってきて、監督として映画も制作して、それら全ての経験値が必要な展覧会でした。以前から写真をただ額装するだけのスタイルはあまりとらず、写真にくるまれたような世界に浸れるインスタレーションにこだわっていたので、このような規模で最新のテクノロジーを使った見せ方ができたことに、私が一番興奮しています。

WWD:クリエイティブチーム“エイム(EiM)”との共創はどのようなプロセスで制作を進めた?

蜷川:彼らとの活動は、「バンドを組んだようなもの」と説明していますね。もともと、前進となる共作の映像作品が1つあって、その後いくつか映像作品を一緒に作っていたところ、本展が決まりました。昨年の話です。例えると、バンドとしてはまだ1曲しか作ってないのに武道館など大舞台のコンサートが決まったような感じでしょうか(笑)。

WWD:データサイエンティスト・慶應義塾大学教授の宮田裕章氏とのタッグも新鮮だった。

蜷川:宮田さんと私は、専門領域は違うけれど、新しいものへの好奇心や前進意欲の高さが共通しているんです。以前、展覧会の解説文を宮田さんに書いてもらったことがありました。自分が撮った写真に言葉をつけてもらったことで、潜在的な思いが言語化されて立ち上がったような感覚がありました。その芯が通ることで、新しいクリエーションができそうだと思ったんです。そんな意欲的な私たちの思いを汲んで、クリエーションのアイデアを形にしていってくれたのが、桑名(功 森ビル 新領域事業部 TOKYO NODE運営室 本展クリエイティブ・ディレクター)さんや杉山(央  本展プロデューサー)さんです。

本展では映画制作のチームもたくさん関わっています。映画の美術を担当しているセットデザイナーのEnzoくんは、私の考えていることや良しとすることを全て理解してくれるコアメンバー。花のセットは、彼が中心に作ってくれています。音楽や映像の編集、照明のチームも映画製作で一緒のスタッフ。こういった面からも、展覧会というよりはゆるやかな映画を1本観るような、ストーリーを巡る体験に近い構成になったと思います。

メンバーはそれぞれ別の領域でキャリアがあり、個人でも活躍している。でも、あえてチームを組むことで、できることが掛け算で増えていきました。結果として、「(本展は)自分だけではできなかったこと」と全員が思える、幸福なクリエーションのパターンになった。モノづくりの姿勢として、チームで作る面白さを知れたのは、自分の中では大きな変化でした。

作品作りの主語が変化。一人で真摯に向き合う「I」から、共創と共有の「WE」へ

蜷川:コロナ禍のパンデミックを経験して、世界が音を立てて変わる瞬間を私たちはこの2〜3年感じてきたじゃないですか。併せて自分の心境も変化して、作品作りの主語が「I」から「WE」に変わっていきました。今も世界では色々なことが起こっていて、身近な美しさによりフォーカスしたい、日常において視点を変えるだけで世界が変わって見えることを伝えたいと思うようになったのも、時代に応じた変化だと感じます。

以前は尖った表現に固執した時期もありました。映画「ヘルタースケルター」の頃などは、湧き上がる怒りが作品の原動力でしたね。まず自分の嗅覚や感性だけで撮り始めて、そこから一人で誠実に作品と向き合い作ることによって、結果的にまわりに良い影響があったらいいなと思っていました。でも今は、いろんな人に見てもらいたい、見て感じてもらえることが嬉しい、という思いもクリエーションの優先順位として高くなりました。

WWD:「フェティコ(FETICO)」「キディル(KIDILL)」「エムエーエスユー(MASU)」「テンダーパーソン(TENDER PERSON)」ら日本デザイナーとコラボしたのはなぜ?

蜷川:個人的に好きなブランドだったんです。もともと知り合いだったわけではなく、お話しするのが初めてのブランドばかりで、「フェティコ」はインスタグラムに私が直接DMしたんですよ。いきなり飛び込みでのお願いでしたが、お声がけした全ブランドが快諾してくださって嬉しかったですね。今第一線で活躍しているデザイナーさんも支持してくれているのだと、背中を押してもらえました。トモさん(小泉智貴「トモ コイズミ」デザイナー)は、「実花さんの私物の洋服で一点モノを作ります」と言ってくれて。昔作った洋服を土台に、ドレスを仕立ててくれました。

今回のコラボにおいては、日本のブランドを応援したいという思いが根底にありました。国内には今、面白いブランドがたくさんあるじゃないですか。人目につく機会が多い立場なら、積極的に日本ブランドの洋服を着て、いろんな人に紹介していきたいなと思っています。

キャリアの集大成であり、新たな可能性を感じたスタート地点

WWD:本展は“五感”も大きなキーワードだった。多岐にわたるコンテンツ作りで気を付けていたことは?

蜷川:ジャンルを超えたコラボレーションや音楽など、いろいろなことを手掛けましたが、「何を大切にしているか」という核さえぶれなければ、どんな表現も今ならできると分かったことが大きな収穫でした。技術に頼ることが増えても基本は変わらず、ぶれない感性が中心にあれば表現の可能性が広がる。生成AIが登場し、今後もさらに技術革新は加速するはずです。自分が表現したい核をどれだけ持てて、深掘りしながら突き進めるかが重要になっていくと感じました。

WWD:Z世代らの来場やSNSへのポストが相次いでいる。次世代クリエイターを目指す学生たちにアドバイスするなら?

蜷川:SNSが当たり前になった今、いろんな声が良くも悪くもたくさん届く時代になりました。何を発表するにも、見せる前から足がすくんでしまう場面が多いと思うんです。でも、若い今しかできない、怖いもの知らずなモノづくりや表現は、絶対やったほうがいい。稚拙でも、やりたい時に足を止めることは本当にもったいないです。

若い時はもう必死でした。自分のことで精一杯でただ走り続けていたように思います。でも、ここ数年で、下の世代にバトンを引き継ぎたいと思うようになりました。ただ背中を追いかけてもらうのではなく、直接バトンを渡して手助けできることはないかなと。表現方法が広がっているからこそ、自由にモノづくりができたりチャンスに恵まれる機会を作ったり、背中を押せることはないかなと考えています。

WWD:キャリアの集大成を見せた本展で、一区切りがついた?

蜷川:「やり切った!」という思いはなくて、もうすでに次にできることは何かを考えています。制作過程で新しくやりたいこともたくさん見えて、集大成でありながら新たなスタート地点に立てた、そんな気持ちです。私、達成感を感じたことが今まで一度もないんですよ。多分、一生ないでしょうね。止まることなく作り続けることが私にとってのウェルビーイングなんだと思います(笑)。

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蜷川実花が過去最大規模の“体験型”展覧会 「瞬きの中の永遠」で見えた過去と現在、未来

蜷川実花/写真家、映画監督 プロフィール

(にながわ・みか)写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。木村伊兵衛写真賞ほか、数々の賞を受賞。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版。「ヘルタースケルター」(12年)、「Diner ダイナー」(19年)はじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ「FOLLOWERS」を監督。22年、最新写真集「花、瞬く光」を刊行。クリエイティブチーム「EiM:Eternity in a Moment」の一員としても活動している PHOTO:MICHIKA MOCHIZUKI

虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの“トウキョウ ノード(TOKYO NODE)”で展覧会「蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」が幕を開けた。24年2月25日まで。「蜷川実花が挑む過去最大の展覧会」と銘打つとおり、圧巻のスケールの立体展示やアートの世界観に没入できる大規模な映像インスタレーションが見どころだ。作品は全て同展のために新たに制作され、データサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoらで結成したクリエイティブチーム“エイム(EiM)”として臨んだ。地上200m超、高層ビル45階の高さに位置する総面積1500㎡のギャラリーを最大限に生かし、東京の風景もデザインに取り入れた体験型展覧会になっている。

開幕前日の内覧会には、1800人以上のプレス・メディア関係者が来場。思わず写真を撮りたくなる鮮やかな色彩の展示はSNSで連日多くの投稿が溢れ、国内の人気デザイナーと制作したアパレルやオリジナルグッズ、施設内の飲食店とのコラボレーションメニューなども話題を呼んでいる。コロナ禍を経て、クリエーションに対する姿勢や心境に変化があったという蜷川実花氏に、本展の制作秘話や共創によって見えた新しい景色について聞いた。

日常で何気なく目にするリアルな瞬間を立体芸術に昇華

WWD:立体作品から映像インスタレーションまで、14の作品群を全て体験すると一つの映画を観終えたような余韻が残った。来場客がZ世代からミドル世代まで幅広いのも興味深い。

蜷川実花(以下、蜷川):SNSでいただく感想が、みんな見事にバラバラなのがとても面白いです。見る人によって作品の受け取り方が異なり、それぞれに届くものが違うのはとても嬉しいですね。

今回の映像インスタレーションはCGを一切使わず、被写体は全て日常の延長線上にあるものです。手持ちのiPhoneで撮影した写真も多い。そんな何気ない瞬間が皆さんの心象風景につながったのではないかと思います。当たり前に広がる景色の見方を少し変えるだけで、気づかなかった美しさがある。それらの一瞬が重なり合って未来につながるという思いを展覧会のタイトルにも込めました。

WWD:これまでの象徴的な作風である花や蝶が舞う“極彩色”の世界だけでなく、時間の経過で移ろう陽の光や雨粒の反射といった光の表現も多彩だった。“光彩色”の空間に重点を置いた理由は?

蜷川:いろんな光が差し込むことによって、それぞれの想いや祈る気持ちが多様に表現できました。作品は多様性のメッセージを含んでいて、観る人が参加することで初めて完成します。光や音、表現の受け取り方が異なる皆さんで体験することに価値を置いています。

展示はまず、枯れた花々の空間展示「残照」から始まります。ひまわりは、咲いている姿が明るくて綺麗とよく言われますよね。太陽を目指して同じ方向を向いて咲きますが、実は枯れ方は個体によって全然違うんですよ。そこにスポットを当てることで、枯れ方に多様性があり、決してネガティブなことではないことを伝えたくて。また、この作品の真裏には、満開の花々で埋め尽くした桃源郷のような空間があるんです。物事には必ず表と裏の側面があり、それは表裏一体なのだというメッセージも込めています。

生きていると大変なことだらけだけど、その中でどう光を見つけていくかを、これまでもずっと考えながら写真を撮ってきました。今回の展覧会では、より印象的に表現できたように思います。

WWD:都会のネオンや車のヘッドライトなど、都市の情景を随所に取り入れた理由は?

蜷川:昔から都会の街の明かりに惹かれます。東京生まれだからこそ、都会のネオンやビルが並ぶ景色が自分にとって“自然なもの”でもあるんです。人の手が入っていない自然も美しいけれど、人が暮らす風景も美しい。高層ビルの頂上で点滅している赤いランプは、街が呼吸しているように見えます。大きな生命体のような。これも、写真で表現したいものの一つです。

本展の作品は、昼と夜で見え方が変わるんですよ。夜もおすすめです。15mの天井全面を使ったドーム型の巨大スクリーンの展示「Flashing Before Our Eyes」の会場ではカーテンが開いて、リアルな東京の風景と作品が融合する瞬間が体験できます。

“エイム”との共創は「バンドを組んだようなイメージ」

蜷川:今回の展覧会の一番の特徴は、自分のキャリアが全て詰まっていることです。写真家として写真を撮ってきて、監督として映画も制作して、それら全ての経験値が必要な展覧会でした。以前から写真をただ額装するだけのスタイルはあまりとらず、写真にくるまれたような世界に浸れるインスタレーションにこだわっていたので、このような規模で最新のテクノロジーを使った見せ方ができたことに、私が一番興奮しています。

WWD:クリエイティブチーム“エイム(EiM)”との共創はどのようなプロセスで制作を進めた?

蜷川:彼らとの活動は、「バンドを組んだようなもの」と説明していますね。もともと、前進となる共作の映像作品が1つあって、その後いくつか映像作品を一緒に作っていたところ、本展が決まりました。昨年の話です。例えると、バンドとしてはまだ1曲しか作ってないのに武道館など大舞台のコンサートが決まったような感じでしょうか(笑)。

WWD:データサイエンティスト・慶應義塾大学教授の宮田裕章氏とのタッグも新鮮だった。

蜷川:宮田さんと私は、専門領域は違うけれど、新しいものへの好奇心や前進意欲の高さが共通しているんです。以前、展覧会の解説文を宮田さんに書いてもらったことがありました。自分が撮った写真に言葉をつけてもらったことで、潜在的な思いが言語化されて立ち上がったような感覚がありました。その芯が通ることで、新しいクリエーションができそうだと思ったんです。そんな意欲的な私たちの思いを汲んで、クリエーションのアイデアを形にしていってくれたのが、桑名(功 森ビル 新領域事業部 TOKYO NODE運営室 本展クリエイティブ・ディレクター)さんや杉山(央  本展プロデューサー)さんです。

本展では映画制作のチームもたくさん関わっています。映画の美術を担当しているセットデザイナーのEnzoくんは、私の考えていることや良しとすることを全て理解してくれるコアメンバー。花のセットは、彼が中心に作ってくれています。音楽や映像の編集、照明のチームも映画製作で一緒のスタッフ。こういった面からも、展覧会というよりはゆるやかな映画を1本観るような、ストーリーを巡る体験に近い構成になったと思います。

メンバーはそれぞれ別の領域でキャリアがあり、個人でも活躍している。でも、あえてチームを組むことで、できることが掛け算で増えていきました。結果として、「(本展は)自分だけではできなかったこと」と全員が思える、幸福なクリエーションのパターンになった。モノづくりの姿勢として、チームで作る面白さを知れたのは、自分の中では大きな変化でした。

作品作りの主語が変化。一人で真摯に向き合う「I」から、共創と共有の「WE」へ

蜷川:コロナ禍のパンデミックを経験して、世界が音を立てて変わる瞬間を私たちはこの2〜3年感じてきたじゃないですか。併せて自分の心境も変化して、作品作りの主語が「I」から「WE」に変わっていきました。今も世界では色々なことが起こっていて、身近な美しさによりフォーカスしたい、日常において視点を変えるだけで世界が変わって見えることを伝えたいと思うようになったのも、時代に応じた変化だと感じます。

以前は尖った表現に固執した時期もありました。映画「ヘルタースケルター」の頃などは、湧き上がる怒りが作品の原動力でしたね。まず自分の嗅覚や感性だけで撮り始めて、そこから一人で誠実に作品と向き合い作ることによって、結果的にまわりに良い影響があったらいいなと思っていました。でも今は、いろんな人に見てもらいたい、見て感じてもらえることが嬉しい、という思いもクリエーションの優先順位として高くなりました。

WWD:「フェティコ(FETICO)」「キディル(KIDILL)」「エムエーエスユー(MASU)」「テンダーパーソン(TENDER PERSON)」ら日本デザイナーとコラボしたのはなぜ?

蜷川:個人的に好きなブランドだったんです。もともと知り合いだったわけではなく、お話しするのが初めてのブランドばかりで、「フェティコ」はインスタグラムに私が直接DMしたんですよ。いきなり飛び込みでのお願いでしたが、お声がけした全ブランドが快諾してくださって嬉しかったですね。今第一線で活躍しているデザイナーさんも支持してくれているのだと、背中を押してもらえました。トモさん(小泉智貴「トモ コイズミ」デザイナー)は、「実花さんの私物の洋服で一点モノを作ります」と言ってくれて。昔作った洋服を土台に、ドレスを仕立ててくれました。

今回のコラボにおいては、日本のブランドを応援したいという思いが根底にありました。国内には今、面白いブランドがたくさんあるじゃないですか。人目につく機会が多い立場なら、積極的に日本ブランドの洋服を着て、いろんな人に紹介していきたいなと思っています。

キャリアの集大成であり、新たな可能性を感じたスタート地点

WWD:本展は“五感”も大きなキーワードだった。多岐にわたるコンテンツ作りで気を付けていたことは?

蜷川:ジャンルを超えたコラボレーションや音楽など、いろいろなことを手掛けましたが、「何を大切にしているか」という核さえぶれなければ、どんな表現も今ならできると分かったことが大きな収穫でした。技術に頼ることが増えても基本は変わらず、ぶれない感性が中心にあれば表現の可能性が広がる。生成AIが登場し、今後もさらに技術革新は加速するはずです。自分が表現したい核をどれだけ持てて、深掘りしながら突き進めるかが重要になっていくと感じました。

WWD:Z世代らの来場やSNSへのポストが相次いでいる。次世代クリエイターを目指す学生たちにアドバイスするなら?

蜷川:SNSが当たり前になった今、いろんな声が良くも悪くもたくさん届く時代になりました。何を発表するにも、見せる前から足がすくんでしまう場面が多いと思うんです。でも、若い今しかできない、怖いもの知らずなモノづくりや表現は、絶対やったほうがいい。稚拙でも、やりたい時に足を止めることは本当にもったいないです。

若い時はもう必死でした。自分のことで精一杯でただ走り続けていたように思います。でも、ここ数年で、下の世代にバトンを引き継ぎたいと思うようになりました。ただ背中を追いかけてもらうのではなく、直接バトンを渡して手助けできることはないかなと。表現方法が広がっているからこそ、自由にモノづくりができたりチャンスに恵まれる機会を作ったり、背中を押せることはないかなと考えています。

WWD:キャリアの集大成を見せた本展で、一区切りがついた?

蜷川:「やり切った!」という思いはなくて、もうすでに次にできることは何かを考えています。制作過程で新しくやりたいこともたくさん見えて、集大成でありながら新たなスタート地点に立てた、そんな気持ちです。私、達成感を感じたことが今まで一度もないんですよ。多分、一生ないでしょうね。止まることなく作り続けることが私にとってのウェルビーイングなんだと思います(笑)。

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リステア創業者の高下氏が新会社 世界中のいいものを集めた「高級デジタル百貨店」

ラグジュアリーセレクトショップ「リステア(RESTIR)」元社長の高下浩明氏がファッションビジネスで再始動している。2021年8月に246inc.を設立し、2年の準備期間を経て、デジタル百貨店「246セレクト(246select.com)」をソフトオープンしたもの。リステアで培った“セレクト力”やハイブランドとのネットワーク、高感度や富裕層などの顧客ニーズをつかむ力などを活かして、ブランドの公式サイトとユーザーとをダイレクトで結ぶ、在庫を持ったないセレクト&キュレーション型メディア事業を行っていく。高下246inc.CEOにその狙いと勝算を聞いた。

――リステアをトゥモローランドに2015年に売却し、2019年に社長を辞した。充電期間を経て、デジタル百貨店「246セレクト」を立ち上げようと考えた理由は?

高下浩明246inc.CEO(以下、高下):「246セレクト」は、自分たちが良いと思って選んだ商品やブランドをキュレーションして紹介する、デジタル版セレクトショップ、デジタル版百貨店だ。ただし、ECではなく、在庫も持たない。ブランドビジネスには、リアルでもデジタルでも高いクリエイティビティが必要だが、オフィシャルサイト以外にイメージを維持できる場所がないと悩むブランドが多い。しかも、ECの売上げ拡大は急務だが、他社サイトへの出店は販売手数料も高額で、在庫移動などの業務も発生する。そこでブランド側の課題を解決するために、最適な露出機会を提供し、ユーザーとブランドの直営ECをダイレクトに結ぶキュレーションメディア、かつ、プラットフォームを目指すものだ。

また、32年間売る側の立場だったが、2019年に前職を辞任してお客さまの側になって多くのことに気付いた。コロナ禍や鎌倉を拠点にした生活をする中で、買い物はネット中心になったが、便利な反面、情報が膨大すぎて、何がイケてるいるのか、何が本当に良いのかを探そうとしても見つけにくく不便を感じた。これは同じような悩みを持つ方がかなりいらっしゃると感じた。また、前職からの流れで、知り合いの経営者クラスや著名人、VIP層などから、奥さんや彼女へのギフトや新築祝いなどについて相談を多く受けていた。本当にセンスが良くて信頼できるものをセレクトし、キュレーションし提案してくれるサイトや店があったらという切実な声もあり、全てが心地よいコンフォートショッピングの場を作りたいと考えた。

デジタルを駆使、新業態は「セレクトショップ」と「百貨店」、そして「メディア」を横断

実は次のステップに進む中で、小売りコンサルタントのダグ・スティーブンスが10年前に書き、5年前に翻訳本が出た「小売再生―リアル店舗はメディアになる」を何度も読み、何かファッション業界に役に立つ新しいことができないかと考えた。前職でもブランドのプロモーションイベントにリステアのお客さまを招いたり、パーソナルスタイリングを行ったり、コンシェルジュ的な仕事も担っていた。リアルがデジタルに変わっただけで、やろうとしていることは前職のセレクトショップビジネスと変わっていない。それを少し時代に合わせて、デジタルやAIを活用して、寄り良い購買体験やサービスを実現しようとしている。

――「246セレクト」や“デジタル百貨店”というネーミングの由来は?

高下:ラグジュアリーブランドなどが多く店を構える表参道や青山を通る、日本を代表する国道246号線から名付けた。その界隈に店を作るとしたらどんなものを作ろうか、あるいは、そのまま一つの商業施設やモールのようにも見える街なので、それをデジタルで表現したらどうなるかなどを考えた。

インバウンドなどで少し活気が戻りつつあるものの、百貨店は斜陽と言われたりもしている。けれどもかつては、新しいものや本物、信頼感のあるものなどを豊富に取り扱い素晴らしい魅力を持っていた。今回は前職時代から培ったセレクト力、キュレーション力を生かして、自分たちが良いと信じたものを紹介していく。

キュレーションした商品画像を介してユーザーとブランド公式サイトをつなぐ媒介・プラットフォームに

――サイトの構成や取扱商品については?

高下:まさに百貨店のようなフロアガイドを設け、1階を中心にショーウインドーを配し、カテゴリーごとにフロアを分けて展開している。とくに店の顔であるショーウインドーには力を入れている。30分~1時間にひとつ、新商品が自動でアップされて見るたびに発見があったり、GIFや動画などを使って感覚的な心地よい刺激も与えるようなデザインを心掛けている。気になる商品をタップすると、商品の詳細ページに飛び、ブランドの公式ECの商品ページにダイレクトに遷移できるボタンを配している。また、その商品ページの下部には、類似商品や推奨商品などをAIのアルゴリズムでレコメンドできるような仕組みにしている

自分たちがセレクトしたブランドのアイテムに加えて、PRプロモーション枠を設けて、出稿してもらったブランドには、商品画像をクリックすると直営サイトに遷移するとともに、上層階にワンブランドを専用に扱うフロアを開設する。仮想の世界なので、実質的に∞(無限大)でフロアや商材を増やしていくことができるのもデジタル百貨店の特徴だ。

取り扱うブランドは、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」「ディオール(DIOR)」「ロエベ(LOEWE)」「ティファニー(TIFFANY)」などLVMH系をはじめとしたラグジュアリーブランドから、ストリートブランド、コスメやジュエリー、ガジェットやインテリア、車やアート、さらには旅などまで幅広い。プライスも数百円から数千万円までハイ&ローをミックスしている。現在は約80ブランドだが、共感していただけるブランドとの取り組みをどんどん強めながら、カテゴリーやサービス・体験などにまで広げていきたい。とくにギフトは強化したいし、ホテルやトラベル、スーパーカーからエコカーまで新しい車なども訴求していきたい。

多忙な経営者やその秘書、VIP層にも好適、ギフトコンシェルジュサービスでタイパとセンスを向上

――サービスのカギの一つであるコンシェルジュサービスとはどのようなものなのか?

高下:一つは、ユーザーが友達や家族を登録できるギフトボックスサービスを用意している。いいね、を押したものを保存しておくだけでなく、想定プライスや、モード、ナチュラル、セクシー、コンサバなどファッションのテイストを入力しておくと、誕生日や記念日が近いことをリマインドしてもらえたり、クリスマス向けのギフトプランを提案してもらえたりするものだ。

経営者層やその秘書、著名人、ファッションに興味がある方々などの利用を想定しているが、忙しくて時間がないけれども、相手を喜ばせて自分の評価にもつながるセンスのいいものを贈りたいという気持ちに応えるものになるし、頼まれて困っている秘書の方々の力強い味方になれる。もちろんファッションの提案や相談承りなどもできる。AIなども活用しながら、究極のスタイリング&コンシェルジュサービスとして役割を果たしたい。

――マネタイズの方法が気になるが、出店料・出稿料なのか、アフィリエイトなのか?

高下:現在はプロモーションの出稿料をいただいている。すでに、「ディーゼル(DEISEL)」や「アルフレックス(ARFLEX)」「マクラーレン(McLAREN)などが可能性を感じてプロモーション枠を活用してくれている。また、現在は商品中心だが、キュレーションマガジンとして読み物などを増やしていくこともできる。こうなるとリテールメディア化が進むことになる。あだし、広告という概念はなくて、紹介しているものすべてを心地よいものにしたいので、扱うもののフィルターについてはこれからも大切にしたいし、そこはセレクトショップの知見も生きてくる。あとは、コンシェルジュサービスは現在は無料だが、将来的にはSpotifyのようなサブスク型のサービスとして進化させていきたい。

――百貨店の外商やホテルのコンシェルジュのように、良いユーザー層が集まれば、ブランド同士の相乗効果も生まれそうだ。

高下:今まで知らなかったブランドや商品とのマッチングが生まれることを期待している。実は創業に当たり、若くデザイナーやクリエイター、アーティストから集客方法やビジネス展開などの相談を受けることも多く、彼らの渾身の商品や作品を良い客層の人々に紹介し、彼らが世に羽ばたく支援をしていきたいということも、このプラットフォームを作る原動力の一つになっている。厳選されたブランドやその公式ECサイトにダイレクトにつながるサイトを作って、ブランドの活性化を図ることをビジョンに、新しい才能ある人々を世界に出す役割をミッションとして、成長させていきたい。

――どんなチームがこの「246セレクト」を支えているのか?

高下:2021年に僕とエンジニアだけでスタートした。今までになかった新しい挑戦にワクワクしてくれている20~30代を中心に、優秀な方々と一緒に、よりクリエイティブでかっこいいことを世界に向けて発信していこうとしている。今はまだベータ版の状態。1962年生まれで年が明けたら62歳になるし、スピードを上げ、本番であるアプリのオープンや、開発やサービスの拡充をしていきたい。どんどん進化させていくので、まずはユーザー登録をして、一度使ってみてほしい。

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LINEギフトのビューティカテゴリー、年間流通額2倍に拡大 限定商品でギフト需要と“自分買い”にアプローチ

LINEギフトのビューティカテゴリーが急成長を遂げている。LINEギフトは2020年、ビューティ商品の取り扱いを開始。21年の年間流通額が前年比260%増と大きく伸長したことをきっかけに、22年秋にビューティカテゴリーを新設した。22年10月〜23年9月のビューティカテゴリーの年間流通額は前年同期比約2倍と飛ぶ鳥を落とす勢いだ。現在の出店ショップ数は1500店舗、取扱商品数は約40万点。コアユーザーは20〜30代の女性で、贈る側も受け取った側も6割以上が女性だ。

ビューティカテゴリーを担当する赤木広美LINEギフト本部 カテゴリーセールス&MD2チームに、サービスの特徴や成長について聞いた。

ビューティカテゴリーは“自分買い”も多い

WWDJAPAN(以下、WWD):ビューティカテゴリーが成長した要因は?

赤木広美LINEヤフー株式会社 LINEギフト本部 カテゴリーセールス&MD2チーム(以下、赤木):ブランド数と商品数が増えていることです。20年12月に「M・A・C」の取り扱いからビューティカテゴリーをスタートし、コアユーザーである20〜30代の女性と親和性が高いブランドを拡充しています。また、化粧品は“自分買い”が多いのも特徴なので、豊富なLINEギフト限定商品や独占先行販売商品の認知度が広がったことも一つの要因です。

WWD:ビューティカテゴリーの特徴は?

赤木:LINEギフトはギフト特化サービスとしてギフト需要が主ですが、ビューティカテゴリーの商品は自家需要も多いです。客単価は約4000円と、他のカテゴリーと比べて高いのも特徴です。これまでフェイスマスクやヘアブラシなど、人を選ばない無難な商品が人気でしたが、「ギフトを受け取った相手が色や香りを選べる機能」を5月に導入したことで、フレグランスやリップの人気が高まっています。機能導入後は、ファンデーションの伸びが特に顕著で、売り上げが3倍になりました。

WWD:ビューティカテゴリーが扱う商品の特徴は?

赤木:ビューティ感度の高い人にも刺さるラインアップを意識しています。ギフトとなると、新作よりも定番商品の需要が高く、定番商品のLINE限定誕生日カスタマイズアイテムがヒットしています。たとえば、「キールズ(KIEHL’S SINCE 1851)」の名品クリーム“キールズ クリーム UFC”はもともと売れ筋でしたが、誕生日限定パッケージを用意したことで売り上げが倍増しました。その後、「シュウ ウエムラ(SHU UEMURA)」や「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT以下、YSL)」なども誕生日セットを販売しました。限定商品の数を増やすごとに、売り上げが順調に伸びています。

ビューティカテゴリー人気ランキング

WWD:ビューティカテゴリーの人気商品トップ3は?

赤木:1位は、香りを選べる、「シロ(SHIRO)」の“ボディコロン”です。2位は、「バース(BARTH)」の“中性重炭酸入浴剤”。3位は、色を選べる、「YSL」の“シロップリップ”です。(※集計期間:2023年5月10日〜10月27日)「ギフトを受け取った相手が色や香りを選べる機能」の導入後、上位の半数を同機能対象の商品が占めています。相手の好みに合ったギフトを贈りたいという需要とマッチしていることが分かります。

WWD:ソーシャルギフトにおける、コスメ商戦の特徴や勝機は?

赤木:直接会えなくても、相手の住所を知らなくてもギフトを送れるのが特徴です。直接ギフトを買いに行く場合は事前に用意することが多いと思うのですが、LINEギフトではイベント当日の需要が大きく、他のプラットフォームとは受注のピークがズレるため、他店舗の在庫を販売する場としても活用できます。送料やラッピング代を含めると定価以上の商品も多いですが、ギフト需要だと価格競争がない点も出店ブランドからは評価されています。さらに、店頭に足を運びづらい男性でも利用しやすい、という声もいただいています。

LINEギフトでしか買えない商品が充実

WWD:22年にクリスマスコフレ特集を開始した経緯は?

赤木:21年にビューティ商品の流通額が前年比260%増と大きく伸長したことを受けて、22年に開始しました。LINEギフトでしか買えないビューティ商品が充実していることをより広く認知させたいという思いもあり、コスメの注目度が高まる一大イベントを活用することにしたんです。LINEギフトは、購入するとすぐに相手にメッセージが届くことから、当日の需要も非常に高いですが、クリスマスコフレに関しては、ビューティ感度の高い人の“自分買い”にもアプローチできるように、今年は11月に公開しました。

WWD:今年のクリスマスコフレ特集も注力する?

赤木:LINEギフト限定商品を24点、独占先行販売商品を7点、用意しています。また、お客さまが選びやすいように、バイヤーが選ぶ注目アイテムや“ポーチ付き”、“アワード受賞”など、テーマ別に紹介しています。自分用にも使える10%オフのクーポンを3枚配布しているので、他社より少しお得に買えるという優位性もあります。「トム フォード ビューティ(TOM FORD BEAUTY)」や「ラ・メール(LA MER)」、「ジバンシィ ビューティ(GIVENCHY BEAUTY)」、「ローラ メルシエ(LAURA MERCIER)」、「バウム(BAUM)」など、今回新たに取り扱いを開始するブランドも多く、アピールポイントの1つとなっています。

WWD:出店するブランドの反応は?

赤木:ECや百貨店との自社競合が生じず、新たな需要をつくれているとの評価をいただきます。また、レビューには、誰からどんなシチュエーションでギフトをもらったかというエモーショナルなコメントが寄せられ、他のプラットフォームにはない温かい空間が生まれています。ブランドのLINE公式アカウントの販促を受けて、既存のブランドのファンが自分の気に入っている商品を誰かに送るといった利用シーンも多いです。LINEギフトの枠を越えて、LINEのサービス全体で購買につなげていただいています。

WWD:今後の展望は?

赤木:豊富なブランドや商品をそろえていることをより周知させたいですね。ラグジュアリーブランドや韓国ブランドなどトレンドのブランドをしっかりと押さえ、LINEギフト限定商品も引き続き増やしていきます。「ギフトを受け取った相手が色や香りを選べる機能」に続き、「ギフトに刻印ができる機能」の実装に向けて準備しており、より素敵なギフト体験を創出したいと考えています。また、クリスマスや母の日といった大きなイベントに加えて、ハロウィンや良い夫婦の日など、小さなギフトモーメントも楽しんでいただけるような企画を強化していきます。

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「ヴィセ」がTWICEツウィとTHE RAMPAGE吉野北人のスペシャルインタビュームービーを公開 

コーセーのメイクアップブランド「ヴィセ(VISEE)」は、2024年1月16日に発売するブランド誕生30周年を記念したマルチパレット“30th グラマラス レイヤード パレット”(2種、各3080円)の発売に際し、TWICEのツウィとTHE RAMPAGEの吉野北人が出演するスペシャルインタビュームービーを公開した。

“30th グラマラス レイヤード パレット”はアイカラーやチーク、ハイライト、シェーディングに使える10色セットのマルチパレットで、ツウィと吉野北人がそれぞれ選んだカラーが1色ずつ含まれる。ツウィがセレクトしたカラーが入るのは温かな雰囲気でナチュラルに色気を宿す“フェミニングラマー”で、吉野がセレクトしたカラーが入るのはクールな色気を宿す“ハンサムグラマ”―。どちらも5つの質感をそろえ、美しいツヤめきと立体感を演出する。

スペシャルインタビュームービーでは、セレクトしたカラーやおすすめの使用シーンについて紹介している。ツウィはセレクトカラーについて「上品さの中にも、愛らしくてかわいい雰囲気を引き出せるカラーを選びました」と話し、吉野は「“ハンサムグラマー”をイメージして、甘すぎずクールで洗練された色を選びました」と語っている。

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リピーターが6〜7割のジュエリー「ロロ」デザイナーに聞く”より良いものを届ける”ビジネス 

菅原 美裕(すがわら・みひろ) /「ロロ」「イチイチイチナナ」ディレクター兼デザイナー プロフィール

和歌山県生まれ。都内彫金学校で彫金を学ぶ。ヒコみづのジュエリーCADコース卒業。アパレル商社勤務後、2016年「ロロ」を立ち上げる。ジュエリーを身につけることで得られる自信や勇気、安心感や安らぎをコンセプトにデザインは独学で行う。D2Cアパレルブランド「イナフ」のディレクションも手掛ける

ジュエリーブランド「ロロ(L’ORO)」の東京・青山店が11月、改装オープンした。同ブランドは2016年、菅原美裕が設立。“朝起きてすぐ、身につけたくなるジュエリー”をコンセプトに、有機的なフォームと安心感のある着け心地のメード・イン・ジャパンのジュエリーを提供している。19年には、ブライダル中心のライン「イチイチイチナナ(1117)」をスタートし、20年には青山に旗艦店を出店。卸はせず、直営店やポップアップ、ECで販売を続け、知る人ぞ知るジュエリーブランドに成長した。店舗のリニューアルは、空間デザイナーの二俣公一が担当。菅原の美意識を反映したミニマルなギャラリーのような空間になっている。彼女に、クリエイションやビジネスについて聞いた。

着け心地や肌なじみにこだわりギリギリまで調整

菅原は、「自分でいいと思うものを届けたいと思いブランドを立ち上げた」と語る。アパレル商社で働いていたときに、「ウソをつかずに働きたい」という思いがあり、それが独立のきっかけになった。「母がジュエリー好きで、自分がつけたいと思うものを自分でつくろうと、彫金を学んだ」。しなやかな曲線やなめらかな輝きのジュエリーは、感覚的にデザインすることが多い。彫金を学んだということもあり、ストレスのない着け心地や肌馴染みにもこだわる。「デッサンをして、原型を微調整する。自分でサンプルを解体して組み立てることもある。数ミリの違いが不快感につながることもあるので、0.01ミリにこだわる。ファッション性と着け心地がバランスよくおさまるようギリギリまで調整する」。

安心感を与える「ロロ」と背中を押す「1117」

菅原は森や海に囲まれた和歌山県で育った。彼女のクリエイションには、幼少期の体験や情景が反映されている。「竹藪や霜のおりた土などから着想を得ることが多い。ファッション性がありながらも、故郷につながるような安心感を大切にしている」。ベストセラーは、リングの内側の丸玉がポイントのダブルフィンガーで着用する“シェイプ リング”。「自分から丸玉が見えるとどこか安心する」と菅原。滑らかで彫刻のような造形美を持つリングは、思わず触ってみたくなる。売り上げの約半分を占める「ロロ」のアイコンだ。

コロナ禍には、新たに「1117」をスタートした。「ロロ」はシルバー中心だが、「1117」は、プラチナや18金などを使用したブライダル中心の受注ライン。菅原は、「ブランド名は、エンジェルナンバーからで、“背中を押してあげたい”という気持ちを込めている」と話す。「ブライダルラインをつくったのは、ジュエリーブランドを続けていこうという決意でもあり、自分の背中を押す意味もあった」。

ジュエリーは、“お守り”や“ラッキーチャーム”といった意味を持たせたものが多いが、菅原のクリエイションには、彼女自身の内面から湧き出た“安心感”や“勇気”が反映されている。しかも、ストレスフリーな着け心地。だから、コンセプトが“朝起きてすぐ、着けたくなるジュエリー”なのだろう。有機的なフォームといい、質感といい、“触ってみたい”と思わせる安らぎを感じるジュエリーだ。

できる範囲で欲しい人に届くジュエリー

「つくれる数しかつくらない。なぜなら、それ以上つくったときのクオリティーに疑問があるから。たくさんつくって売るよりは、よりいいものを届けたい」。仕上がったジュエリーは日々、スタッフがSNSで発信し、徐々にブランドの認知を広げてきた。月2階ECで新作を発売するが、即完売することがほとんどだ。ジュエリーの制作は分業で、長年経験を積んだベテランの職人一人一人に依頼している。「着けたら分かる」というのが、菅原のクリエイションの特徴だ。「磨きを徹底的にして、何度も検品を行う。本来、SNS向きのジュエリーではない」。彼女の着け心地と品質へのこだわりは相当なものだ。「長く着けて欲しい」という気持ちがあるため、いつ購入したものでも修理する。全体の6〜7割がリピーターで毎月リングを購入する人もいれば、コレクションする顧客もいる。“一度着けると手放せない”ジュエリーとして着実にファンを増やしている。「欲しい人に届けることが大切。できる範囲で、少しずつビジネスを広げていきたい」。

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気鋭のデザインユニット「we+」が描く「テキスタイルの拡大図」(前編)【NUNO 須藤玲子の見果てぬ布の旅vol.3】

林登志也、安藤北斗/we+デザイナー

「we+(ウィープラス)」はリサーチと実験に立脚した手法を駆使するコンテンポラリーデザインスタジオ。林登志也(左)と安藤北斗(右)により2013年に設立。日々の研究から生まれた自主プロジェクトを国内外で発表しており、そこから得られた知見を生かしてさまざまな企業や組織のプロジェクトを手がける。主な受賞に、Dezeen Awards / Emerging Design Studio of the Year Public Vote(英)、EDIDA / Young Designer of the Year Nominee(伊)、日本空間デザイン賞金賞など多数。ドイツのVitra Design Museumなどに作品が収蔵されている

連載3回目となる本稿は、開業間もない麻布台ヒルズの大垣書店で開催中の「KYOTO ITO ITO Exploring Tango Threads―理想の糸を求めて(以下KYOTO ITO ITOと略)」展のディレクターをつとめるコンテンポラリーデザインスタジオ「we+(ウィープラス)」の林登志也氏と安藤北斗氏に話を聞く。
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「KYOTO ITO ITO」展は、10月5日から30日まで京都・堀川新文化ビルヂングで開催されたものの巡回展。この建物を運営するのは、京都を中心に数多くの店舗を展開している大垣書店だ。大垣書店は書店を「本と人が出会う空間」と捉え、東京初となる麻布台ヒルズ店にはギャラリーも併設。杮落としがこの展覧会となった。

we+はプロダクトをはじめ、インスタレーションやグラフィックなど、多角的な領域でディレクションとデザインを行う。今回のKYOTO ITO ITO展でもディレクションのほか、グラフィックデザイン、会場構成、テキスト作成を担当。そのwe+が得意とするのが、テクノロジーや特殊素材を活用した実験的なアプローチだ。ユニークな活用法を見いだすためには、微細かつ徹底的なリサーチが欠かせない。対象となるものにピントをどう合わせて、近づいていくか。ふたりの異なる「眼」があることで、最適解を探っていく過程も深みが増す。この「複眼的であること」が、彼らの大きな魅力だと須藤も言う。

京丹後産地を、須藤さんと深く潜航

本展は日本を代表する絹織物産地である京丹後を林氏と安藤氏が訪ね、養蚕・製糸・製織といった「絹織物ができるまでの工程」をリサーチ。その成果を、とりわけ「糸」にフォーカスして見せている。京丹後は、須藤の布づくりにとっても重要な産地のひとつ。林氏と安藤氏が訪ねた工場の技術を採り入れて、須藤とNUNOのスタッフがデザインしたテキスタイルを合わせて展示している。

これまでさまざまな素材に向き合ってきたwe+が須藤と初めて協業したのは2021年のこと。東京・AXISギャラリーで開催された「nuno nuno」展で、空間デザインを担当。NUNOの表情豊かなテキスタイルを枠に張り、キューブに仕立てて回転させた。能動的にテキスタイルに近づいていきたくなる展示は評判を呼び、京都へと巡回。「テキスタイルの常識から遠く離れた展示だとあとで言われました。このアプローチを須藤さんが気に入ってくれたことが、今回の展覧会につながります」(林氏)。

京丹後産地をルーペで「深く&超拡大」

展覧会場は大きくふたつのパートにわかれている。まずは養蚕・製糸・製織の工程を紹介するパート。蚕が元気に桑の葉を食み、繭となり、そこからすーっと細い糸がたぐられる。さらに撚って、織って、糸は布になっていくことがよくわかる。もうひとつのパートでは、製織を手がけた6事業者それぞれの布づくりの特色を紐解き、超絶技巧とも言える技術の特殊性を浮かび上がらせている。からみ織り、縫取ちりめん、螺鈿織、絹リボン糸、紙糸、ジャガードのデータ制作、引箔の裁断と、技術も時間もエネルギーも相当に必要な技巧ばかりで、京丹後という産地の個性が再現されている。

ユニークなのが、会場にルーペがいくつも置いてあること。来場者はルーペ片手に、糸やテキスタイルにぐっと近づきのぞき込む。「リサーチに同行したスタッフが、ルーペを持参していたんです。ルーペでテキスタイルをのぞいたら、肉眼では見えない『とんでもなく複雑な世界』がそこにはあって、宇宙を見ているかのよう。みんなで大興奮して、ルーペの取り合いになりました」(安藤氏)。

繊維の柄や目付けなどの確認のため、布づくりの現場にルーペは必ずある。ただしwe+のスタッフが持参していたのは縞見ルーペではなく、宝石鑑定用のそれで、ピント合わせを行う必要がある。それが能動的なアクションを呼び起こし、本来の目的とは異なる面白さが加わった。このアクションを展覧会場に活用し、布づくりの現場の高揚感を観覧者に届けたのである。

実際にルーペをのぞくと、一本の糸と認識していたものが実は何本もの細い糸を撚っていることが、リアルに迫ってくる。各事業者の技巧も、拡大してみるとそのすごさがダイレクトに飛び込んでくる。たとえば貝殻の真珠層を糸にして、経糸として生地に織り込んだ螺鈿織をルーペでのぞくと、裁断された貝殻糸がぴったりと柄が合うように織られている。深海をたゆたうような優雅な織物は、気の遠くなるような労力から生まれていることがよくわかる。じっと見ていると、人間はこんなに手の込んだことができるのだと嬉しくなってくるほどだ。何千倍にも拡大してディスプレイに映し出すのとは違う、目の前にある細い糸を自分でのぞき込むことで得られる「体験」が、そこにはある。肉眼で見えている糸や布が、ルーペを通したらどう見えるのか想像するだけで楽しく、実際にのぞいてみると驚くほど立体的で複雑なことにさらに興奮。どんどんのぞいてみたくなる。きわめてアナログなツールが見る者を能動的にさせ、展示に躍動感を与えている。ぜひ、会場に足を運んで、糸と布の世界に没入してほしい。

それにしても、須藤とNUNOのスタッフによるテキスタイルを見ると、これらの技巧がしっかりデザインに反映されている点にあらためて感嘆を覚える。そこで次回は、「布づくりのプロセスがわかればわかるほど、NUNOと須藤さんのすごさが見えてきた」というふたりが語る、須藤の布づくりの特質に触れる。

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初の個展を開催 トモ・コイズミに聞く「アートは完全でない答えを探す活動」

小泉智貴(コイズミ・トモタカ) / 「トモ コイズミ」デザイナー プロフィール

1988年千葉県生まれ。千葉大学に在学中2011年、自身のブランドを立ち上げる。12年千葉大学卒業。19年に米ニューヨークで初のファッションショーを開催。同年毎日ファッション大賞選考委員特別賞受賞。20年LVMHプライズ優勝者の一人に選ばれる。21年東京オリンピック開会式の国家斉唱の衣装を手掛ける。21年毎日ファッション大賞受賞。23年美術家として初の個展を開催 PHOTO:TAMEKI OSHIRO

「トモ コイズミ(TOMO KOIZUMI)」のデザイナーである小泉智貴の個展が12月9日、東京・天王洲テラダアートコンプレックス内のYUKIKO MIZUTANIでスタートした。テーマは、「ファッションとアートの境界線」。8日に開催された内覧会では、ギャラリーをクローゼットに見立てて小泉がモデルに自作のアート作品を着せるというパフォーマンスを行った。アーティストとして初の個展を行う小泉に話を聞いた。

WWD:アートに取り組んでみようと思ったきっかけは?

小泉智貴「トモ コイズミ」デザイナー(以下、小泉):大学で美術を勉強したが、20代の頃は、自分が作家になるとは想像していなかった。全て、ファッションの肥やしになればと思っていた。10代の頃から服づくりをしてきて、20代で衣装を手掛けるようになり、今は国内外でファッションデザイナーとして仕事をしている。趣味を持ちたいという思いが周期的に巡ってきて、油絵をやろうと絵の具を購入したこともある。でも波があるので、なかなか続かない。約1年半前にNHKの「あさイチ」にファッションデザイナーとして出演した際に、YUKIKO MIZUTANIのオーナーである水谷有木子さんから「アートで何か表現をしてみないか」と声が掛かった。それが自分の周期とぴったり合った。ギャラリースペースを借りて2022年7月ごろから絵画を始めた。アーティストとしてステートメントを出すには、1から勉強しなければならない。キャンバスに絵を描くといっても一朝一夕では、自分らしいものはつくれないと実感した。自分にしかつくり出せない美があるはずだと試行錯誤しながら制作を続けて、ある意味、自分の原点に戻った。開き直ったといってもいいかもしれない。アートは自分にとって、日々勉強。未来に向けてつくれることをシリアスに考える機会ともいえる。

WWD:アートとファッションにおける表現方法の違いは?

小泉:根本は同じ。ファッションは人が着る前提で機能性が必要。アートは着ても着なくてもいい。ドレスと絵の中間といったようなもの。ファッションのように制限がある方が楽かもしれない。アートは何でもありなので、そこに難しさがある。キャンバスの枠に収めようとか、木枠を取ろうとか試行錯誤しながら、自分の中にある固定概念を取り払う必要がある。

説明できなくてもいいのがアート

WWD:アート制作を始めてからの気づきは?

小泉:作家としての活動をファッションに生かせると思う。アートに関わるようになって、説明できなくてもいいと確信できるようになった。説明的なものはつまらないと明確に思えるようになった。

WWD:テーマは「ファッションとアートの境界線」だが、境界線とはどのようなものか?

小泉:ファッションは産業の一つで消費するもので、いくら素晴らしくても、アートに対するほどのリスペクトはない。アートは永遠に残すべきものとして、リスペクトを持って扱われるが、本当に全てのアートがそうなのかと思うこともある。アートとファッションに同じ価値があっても、ファッションは正当に評価してもらえないと感じる。私は、同じ労力だったらアートもドレスも同じ価格にすべきだと考える。京都服飾文化研究財団(KCI)で展示などをすると、とても貴重な洋服なのに、触る人がいるようだ。布だから触りたくなるのかもしれないが、洋服だってアートのように触っていいものとそうじゃない貴重な作品がある。この個展でも、作品に触る人が出てくるんじゃないかな?

アートは完全でない答えを探す活動

WWD:ファッションとアートの融合や相乗効果についてどう考えるか?

小泉:ファッションの良い部分は、情報などの広がり方が早いこと。すぐに消費されて終わらないように気をつけながら、ファッションが持つポップさを上手く利用するとすぐに広まる。同時に、ファッションは2カ月半で全く違うものが求められる。一方アートは、長い目で見てもらえる。同じ作風でもいい。ものづくりへの余裕が感じられるし、成長を見越して見てもらえる気がする。アートでは、今のベストを表現してみる。そしてそれを進化させ続けて、完全でない答えを探すようなものだと思う。ファッションの場合は、プロダクトだから、失敗した形跡があるとだめ。アートの場合は完璧さが重きではなく、もっと俯瞰的に見てもらえる。ファッションデザイナーにはクリエイティビティーが求められるが、つくり出すものや働き方は1つの方法しかないという気がする。産業として大量につくって売るというのは、しっくりこない。アート活動を通してデザイナーとしての違う活動スタイルができればと思う。24年は、ファッションのコラボレーション等のプロジェクトはあるが、アートに専念するつもりだ。25年には、アート活動を通して得た濃厚なアイデアを元にファッションショーをしたい。余裕を持って活動することで、本当にいいもの、人の心に残るものがつくれると思う。アーティストとして私が活動することに対して、半信半疑の人もいるだろう。でも、2つ以上の分野で成し遂げる人もいるから、自分もできると信じてアートとファッション活動をしていきたい。

2024年はアート活動の土台になる年に

WWD:ファッションとアートのコミュニティーの違いは?

小泉:ファッションのコミュニティーはスピードが早くエキサイティング。ただ、消費のスピードに飲み込まれることなく自分とクリエイティビティーをどう守るかが難しい。アートは、まだコミュニティーに入り込めていないが、スピードがゆっくりな分、難しさもある。私が手掛けるのはテキスタイルアートで、どう価値をつけていいかわからないという反応もある。日本でテキスタイルアートというと、伝統工芸という文脈で捉えられるケースが多い。そこも難しい点だ。制作を続けて、美しさ=価値であるということを理解してもらうことが大切だと思う。

WWD:来年アートに専念するそうだが?どのような活動をしたいか?

小泉:23年はファッションのコレクションを2回制作したので忙しかった。今回の個展をきっかけに、スローダウンしてアート活動の土台になるような年にしたい。アートの初心者として、全般的に勉強するつもりだ。世界中の人を対象にアートを見てもらいたいから、国別の傾向や市場についても勉強したい。地元の千葉にアトリエを構えたので、集中してアートの制作に取り組めると思う。制作を続けながら進化したい。5〜10年後には、テキスタイル以外のものもつくれればと思う。

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仏パリ発「ショーメ」のハイジュエリーイベント 視点を広げることで豊かな発見を提案

仏パリ発ジュエラー「ショーメ(CHAUMET)」は11月、東京都内でハイジュエリーの発表会を開催した。「ショーメのハイジュエリーと、若き匠の作品の対話」と題された同イベントでは、陶芸家の奈良祐希、染色家の吉岡更紗、サウンドアーティストの細井美裕の3人の作品とハイジュエリーを対比させて紹介。「ショーメ」の卓越したクラフツマンシップと日本の美を新しい解釈で表現する若い作家の作品との対話を試みた。同イベントのために来日したジャンマルク・マンスヴェルト(Jean Marc Mansvelt)ショーメ最高責任者(CEO)に話を聞いた。

WWD:今回2回目の「ショーメ」のハイジュエリーと日本の職人技の展示だが?

ジャンマルク・マンスヴェルト=ショーメCEO(以下、マンスヴェルト):ジュエリーとアートの対話の取り組みは何年も前から構想を立てていた。前回2021年には、コロナ禍で来日できなかったが、今回は展示を楽しみに来日した。

WWD:新作ハイジュエリーの見どころは?

マンスヴェルト:“ジャルダン ド ショーメ”だ。「ショーメ」にとって自然はとても大切。約250年にわたり、植物をテーマにジュエリーを省察してきた。過去のテーマを違った視点でハイジュエリーに昇華している。小麦の穂やチューリップ、アイリス、シダなど多くの植物を現代的に解釈。木の幹の内側なども表現している。

WWD:ハイジュエリーを日本の職人技と対比させた理由と目的は?

マンスヴェルト:新しい視点でハイジュエリーを見てほしいから。ジュエリーだけの紹介というよりは、視点を広げて、ジュエリーに使用されている最高の石と工芸の技を対比させて軽やかに見せている。例えば、ハイジュエリーと陶芸には、素材を掌握してものをつくるという点、バランス、動き、など共通点がある。また、ジュエリーの輝きと音を対比させることで、違った次元でジュエリーを見ることができる。視点を広げてジュエリーを見ると、より豊かな発見がある。枠から出して他の分野と語らうことで、物事に奥行きが出る。

若い層にもリーチしながら、より高級なブランドに

WWD:日本で、CSR・文化事業ディレクターというポジションを新設したが?

マンスヴェルト:日本人の考え方をより理解することが重要だと考えるから。今年、フランスで、文化的プロジェクトに携わる女性を支援するアワードをスタートした。日本でもこのアワードを創設し、女性の文化的活動をサポートしていきたい。

WWD:コロナを経て現在の商況は?

マンスヴェルト:コロナという大変な時期を経てジュエリーは今まで以上に大切なものになった。ジュエリーは、いろいろな時代を生き延びてきたもの。その大切さがわかった。ジュエリーは世代から世代へ継承されるものであり、人と人とのつながりを表すものだ。古くなるものではなく、永遠に残るもの。それがジュエリーだ。アイコンの“ジョゼフィーヌ”“リアン”“ビーマイラブ”どれも好調だ。シューズやバッグの代わりにジュエリーを身につける人が増えていて、手に届きやすい価格帯が伸びている。ハイジュエリーは、絵や彫刻のように投資の意味があるので需要が高い。ビジネスはとても好調で、在庫が足りなくなることもあるほど。でも、たまにはいいと思う。なぜなら、待つ喜びがあるから。やっと手に入れたという価値を感じてもらえるはずだ。

WWD:今年ギンザ シックスに3つ目の店舗をオープンした理由と目的は?

マンスヴェルト:ギンザ シックスの客層は、ファッション好きな若い人が多い。そういう層に「ショーメ」を知ってもらいたい。年齢を重ねた人々には「ショーメ」は、歴史が長く品格があり、避けて通れないブランドとして知られている。より若い世代にも「ショーメ」を知ってもらい、着けてもらいたい。だから、入りやすいギンザ シックスに出店した。三越銀座店内の店舗は、百貨店の顧客が来店するし、本店は歴史的に重要な店舗で、日本人も外国人旅行客も来店する。週末には、多くの来店があるので、短距離に3店舗構えることで、ちゃんとおもてなしできるようにしている。よりセレクティブな出店をすることで、ジュエリーが中心の、より高級なメゾンであり続けたい。

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エンタメな消費という「レオン経済圏」確立 ユーザーと大人を楽しむ【編集長インタビューVol.6 主婦と生活社「レオン」】

「レオン」読者が全国各地で、多種多彩に、さまざまなラグジュアリー消費を楽しんでいる。石井洋「レオン」編集長はその様子を「『レオン』経済圏が確立し、拡大しつつある」と表現。その立役者は、ユーザーと共に“大人を楽しみたい”と願い揃えたアセットを駆使するプロジェクトの「ONE LEON」と、中でもエンゲージメントの強さが印象的な会員コミュニティーの「Club LEON」。アフターコロナの今年は、石井編集長と堀川正毅編集長代理、近藤高史副編集長の3人を中心に「ほぼ毎月のペース」でイベントを開催し、参加者やクライアントとの絆を深めた。

中でも「Club LEON」は地方でのイベント開催に積極的で、多くの新たなファンと繋がった。今年は4月に広島で「LEONゴルフ&パーティー」を、6月に神戸で「LEONメリケンNight」を、7月には東京で「DISCO LEON」を開催。年末には恒例イベント「NOËL LEON」を大阪で開催して一年を締めくくる。食の知的体験を提供する「LEON’s ガストロノミー」や、ビジネスでもモテるを目指した「LEONビジネスサロン」などの中・小規模イベントも開催した。元来「誌面で紹介するスタイルを楽しむ場所がないからと始めた『LEON ナイト』」(石井編集長)をさまざまな趣向を凝らして四季折々、全国津々浦々に広げている。

ラグジュアリーを楽しんで消費してもらいたいから、イベントでは必ずドレスコードを設定。ECの「買えるLEON」では、「ドレスコードに即した品揃えを強化」(堀川編集長代理)する。すると参加者は、購入した商品に身を包み、華やかな会場で、「レオン」らしいエンターテインメントを堪能して、ますます虜に。こうして「レオン」経済圏が生まれ、広がっていく。「掲載商品が売れるか?大きな反響があるか?は常に考えている」という「レオン」のイベントだからこそ、開催前には「買えるLEON」で、イベント当日は会場で、開催後にもゲストにとって便利な手段で商品が売れる。結果、「花も、実も取りたい」(石井編集長)クライアントからの支持も高い。年末の「NOËL LEON」では、イタリアのラグジュアリーブランドからハイエンドなウオッチメゾンまで、そうそうたるクライアントが協賛する。

「ラグジュアリーな世界観の中に、エンターテインメントと『モテたい』という本音を持ち込んで、楽しんでいただく」という「レオン」経済圏は、クライアントとのタイアップでも変わらない。例えば秋に「カルティエ」と開催した阪急メンズ大阪でのイベントでは、招かれた「Club LEON」会員がパートナーに贈るショートムービーを撮りたいとリクエスト。石井編集長は急きょムービーにゲスト出演した。そのClub LEON会員はパートナーのLINEに動画を送りつつ、ジュエリーは彼女の枕元に。起きるとサプライズプレゼントと動画が待っていた!という演出だったが、パートナーは、「『レオン』みたいにとってもロマンチック」と喜んだ。「やんちゃ」な遊び心に溢れた編集部と「Club LEON」会員とのエンゲージメントは強い。こうした熱烈なファンは現在、全国各地に広がっている。

全国各地で多種多様なイベントの価値を体感して心がけているのは、「従来のマスコミとは違う、もう少しパーソナル」な関係性だ。石井編集長は、「モノが売れるは、『レオン』の生命線。飽きずにファンであり続けてもらうには、会いにいき、楽しんでもらい、『信じてよかった』と体感してもらうのが一番。そんな実感は、雑誌の売れ行きや掲載商品の反響へと還元されていく」と考えている。

「会いにいき、楽しんでもらう」では今年、大人のマリンアイテムを手掛ける「ムータ・マリン」と、ウェイクサーフィン専用ボート「センチュリオンボート」とのトリプルコラボで3700万円超えのボードを2艇販売。進水式には石井編集長とパンツェッタ・ジローラモが駆けつけた。3人は、「ときどきファンとの距離が近すぎるかも?と思うが(笑)、誌面の人とイベントで交流できて、イベントで知り合った人が誌面に登場することでエンターテインメント性はもちろん、媒体やイベントへの信頼感も高まっている」と分析。もはやファンとはファミリーのような存在ではあるが、メディアならではの信頼があるからこそ、彼らには強い思いでラグジュアリーな消費を薦めることができる。「羅針盤のような存在」(石井編集長)であり続けるためにも、誌面からウェブ、イベントまで、いずれのアセットも必要不可欠だ。また誌面に登場して、イベントに登壇するだけが「レオン」の編集部員ではないという。中には今後不動産プロジェクトを進めるために「宅地建物取引士」の資格を取得したり、「買えるLEON」の広告運用を契機にウェブマーケティングのノウハウを蓄える編集部員も存在する。「大人って楽しいを多面的に提供する」ために石井編集長が目指した「編集者2.0」は着々と育っている。

イベントでは、地方のパワフルな読者の存在も再認識した。近藤副編集長は、「地元でパワーを持っている方々は、集客から演出に至るまでイベントをサポートしてくださるし、連帯感の原動力になってくれる。各地のアンバサダー的な人とのコミュニケーションも深めたい」という。そんなパワフルなファンからは常々、「『レオン』を通じて、もっといろんな世界を見たい」というリクエストを受け取っているようだ。そして、各地にはかつての「レオン」読者のように、「きっかけがあれば、ラグジュアリーな消費を楽しめる方がいっぱい存在する」。「レオン」経済圏は、全国に、そしてファッションや時計・宝飾、車、グルメ以上に広がっていく。


「レオン」(主婦と生活社) DATA
【雑誌】創刊:2001年9月 発行部数:7万部
【ウェブ】月間総UU:180万 月間PV:900万(2023年10月時点)
【SNS】X:1万7000 IG:12万2000 FB:4万7000 LINE:25万1000(2023年10月時点)

問い合わせ先
主婦と生活社「レオン」編集部メディアビジネス事業室
03-3563-5135

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お化けモチーフが人気の伊発「アリータ」デザイナーが語る「ジュエリーで笑顔をプレゼント」

イタリア発ジュエリー「アリータ(ALIITA)」のデザイナーであるシンシア・ヴィチェス・カスティリオーニが来日した。彼女は「マルニ(MARNI)」の元デザイナーであるカスティリオーニの義理娘で2015年に同ブランドを立ち上げた。伊勢丹新宿本店のポップアップイベントのために来日したカスティリオーニに話を聞いた。

「ジュエリーが大好きで自分のためにつくったジュエリーをしていたら、周囲から『欲しい』という声があり、ブランドにすることにした」。彼女がデザインしたのは家がモチーフのジュエリー。日常の気になるものやことをスケッチして職人に頼んでジュエリーにしたのが始まりだ。ブランドのコンセプトは、ミニマルでエレガント、そしてタイムレス。「現代における問題を問いかけるようなモチーフもある。見せるというよりは、自分のために着けるジュエリー。洋服の下に隠れることもあるかもしれない、でも、愛着があるから身に着けたいと思うジュエリー。年齢問わず楽しんでもらえるはず」とカスティリオーニ。

高級でシリアスなファインジュエリーの概念を逆転

インスピレーション源は、日々の生活にあるもの全てだ。恐竜は子どもの絵本のキャラクターから。人気モチーフは、お化けや恐竜、ウサギなどだ。ドーナツやローラースケートなどポップなものもある。「モチーフは家族のようなもの。恐竜の目にダイヤモンドを、ウサギのしっぽにパールをはめ込んだり、イカの足が動いたりと一つ一つディテールにこだわっている。キュートで心に響くかわいらしさを持たせるようにしている」。ターゲットは、ユニークで特別な女性だ。「トレンドを気にせず、ハロウィーン以外でもお化け、クリスマス以外でもスノーマンのジュエリーを着けるような、ジュエリーに愛着を持って着ける女性」。

カスティリオーニにとってジュエリーは、必需品。外出するときは必ず着用する。「アリータ」のジュエリーは全てメード・イン・イタリーだ。「『アリータ』のDNAにあるのは、“笑顔をプレゼントする”こと。ファインジュエリーというと、高級でシリアスというイメージが強いが、それを逆転させたのが『アリータ』だ。身近で温かいジュエリーを提供している」。“身近で温かい”とは、カスティリオーニの笑顔そのもの。彼女自身を体現したのが「アリータ」のジュエリーなのだろう。日本では、ポップアップを開催し、限定品も販売する予定だ。「『アリータ』のショップを出店するのが夢。そして、ブランドの世界観を伝えたい」。

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お化けモチーフが人気の伊発「アリータ」デザイナーが語る「ジュエリーで笑顔をプレゼント」

イタリア発ジュエリー「アリータ(ALIITA)」のデザイナーであるシンシア・ヴィチェス・カスティリオーニが来日した。彼女は「マルニ(MARNI)」の元デザイナーであるカスティリオーニの義理娘で2015年に同ブランドを立ち上げた。伊勢丹新宿本店のポップアップイベントのために来日したカスティリオーニに話を聞いた。

「ジュエリーが大好きで自分のためにつくったジュエリーをしていたら、周囲から『欲しい』という声があり、ブランドにすることにした」。彼女がデザインしたのは家がモチーフのジュエリー。日常の気になるものやことをスケッチして職人に頼んでジュエリーにしたのが始まりだ。ブランドのコンセプトは、ミニマルでエレガント、そしてタイムレス。「現代における問題を問いかけるようなモチーフもある。見せるというよりは、自分のために着けるジュエリー。洋服の下に隠れることもあるかもしれない、でも、愛着があるから身に着けたいと思うジュエリー。年齢問わず楽しんでもらえるはず」とカスティリオーニ。

高級でシリアスなファインジュエリーの概念を逆転

インスピレーション源は、日々の生活にあるもの全てだ。恐竜は子どもの絵本のキャラクターから。人気モチーフは、お化けや恐竜、ウサギなどだ。ドーナツやローラースケートなどポップなものもある。「モチーフは家族のようなもの。恐竜の目にダイヤモンドを、ウサギのしっぽにパールをはめ込んだり、イカの足が動いたりと一つ一つディテールにこだわっている。キュートで心に響くかわいらしさを持たせるようにしている」。ターゲットは、ユニークで特別な女性だ。「トレンドを気にせず、ハロウィーン以外でもお化け、クリスマス以外でもスノーマンのジュエリーを着けるような、ジュエリーに愛着を持って着ける女性」。

カスティリオーニにとってジュエリーは、必需品。外出するときは必ず着用する。「アリータ」のジュエリーは全てメード・イン・イタリーだ。「『アリータ』のDNAにあるのは、“笑顔をプレゼントする”こと。ファインジュエリーというと、高級でシリアスというイメージが強いが、それを逆転させたのが『アリータ』だ。身近で温かいジュエリーを提供している」。“身近で温かい”とは、カスティリオーニの笑顔そのもの。彼女自身を体現したのが「アリータ」のジュエリーなのだろう。日本では、ポップアップを開催し、限定品も販売する予定だ。「『アリータ』のショップを出店するのが夢。そして、ブランドの世界観を伝えたい」。

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「ジミー チュウ」デザイナーのサンドラ・チョイが銀座の新店で語る「輝きこそがブランドらしさ」

「ジミー チュウ(JIMMY CHOO)」は12月9日、東京・銀座に日本最大級のコンセプトストアをオープンした。建築・デザイン事務所のクロスビー スタジオ(Crosby Studios)が手掛けた。2フロアで構成する店内は、壁一面にシューズボックスが積まれたストックルームのような空間だ。エントランスでは巨大な蘭のオブジェが出迎える。オープンを機に7年ぶりに来日したサンドラ・チョイ(Sandra Choi)=クリエティブ・ディレクターに、ブランドの強みや変化を聞いた。

WWD:同店を訪れた感想は?

サンドラ・チョイ(Sandra Choi)クリエティブ・ディレクター(以下、チョイ):クロスビー スタジオのハリー・ヌリエフ(Harry Nuriev)クリエイティブ・ディレクターに初めて会ったのは1年程前。友人からすごく新しいアイデアを持っているアーティストがいると紹介されたの。彼のアプローチで面白いのは、何か1つシンプルなものに焦点を当てて拡張していくところ。今回彼はストックルームに着目した。私が工房を訪れて一番気分が高揚するのは、まさに出荷直前のバッグやシューズがボックスに入って積み上がっているのを見た時。私の頭の中にあったアイデアが形になったと実感する瞬間ね。だから彼の提案を聞いた時、すぐに気に入ったわ。

WWD:コロナが明けたいま、「ジミー チュウ」の売れ筋は?

チョイ:実はスニーカーなの。ハイファッションのシューズデザイナーとして経験を積んできて、まさかスニーカーが1番売れているなんていう日が来るとは思ってもみなかったわ。

WWD:その変化はポジティブに捉えている?

チョイ:もちろん。ブランドに多様性をもたらしたと思う。「ジミー チュウ」はもはやグラマラスなシューズだけのブランドではないの。レザーグッズやアクセサリー、香水、アイウエア、ジュエリーもある。大事なことは、きちんと人々に消費されること。人々が何を求めているのか、どんなムードなのかに耳を傾けて柔軟に反応した結果で、驚きはないわ。

「ジミー チュウ」らしさとは、「輝く宝石」

WWD:さまざまな商品カテゴリーに共通するブランドアイデンティティーとは?

チョイ:私が「ジミー チュウ」を説明する時に、いつも思い浮かべるのは宝石。多面体の構造が光を反射し、どれも輝いていて、特別な気分にさせてくれるもの。みんな輝くものを身に付けると気分が上がるでしょ。スニーカーやバッグなどの“ダイヤモンド”シリーズは、多面的な輝きをさまざまな商品で表現していて、ブランドの大事にしているものがよくわかると思う。

WWD:「ディオール(DIOR)」や「ロエベ(LOEWE)」など、ラグジュアリーブランドのバッグ&シューズが勢いを増すなかで、「ジミー チュウ」の強みは?

チョイ:私たちがシューズやハンドバッグのスペシャリストであるのに対し、彼らはブランドとしての信頼感のなかでクリエイティビティーを発揮しているのだと思う。私たちの根底にあるグラマラスな輝きは、大きな差別化のポイントになっている。私たちの商品は、たとえブランドロゴを取っても「ジミー チュウ」とわかるはずよ。

WWD:「ジャンポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」からセーラームーンまで、さまざまなコラボ施策を手掛けているが、大事にしていることは?

チョイ:最も大事なのはシナジーね。共通のマインドセットを持っている相手でなければ、プロジェクトを成功することはとっても難しい。まずそのクリエイターやチームに直接会って、「ジミー チュウ」と交わる何かがあるかを見極める。最初は上手くいく保証はもちろんないけれど、必ず何か新しいことを発見できる。このチャレンジ精神はこの先もずっと持ち続けていたいと思う。アイデアはたくさんあるの。

WWD:アクセサリーブランドとして、今後オケージョンそのものをプロデュースしていく意向はある?

チョイ:もうすでにいろいろ挑戦してきたと思う。「ジミー チュウ」はパーティが大好きだから。加えて、ブライダルコレクションや新年を祝うカプセルコレクションといった、特定のイベントに向けた商品も出している。日本の七五三コレクションなんかがあっても面白いかもしれないね(笑)。

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「ジミー チュウ」デザイナーのサンドラ・チョイが銀座の新店で語る「輝きこそがブランドらしさ」

「ジミー チュウ(JIMMY CHOO)」は12月9日、東京・銀座に日本最大級のコンセプトストアをオープンした。建築・デザイン事務所のクロスビー スタジオ(Crosby Studios)が手掛けた。2フロアで構成する店内は、壁一面にシューズボックスが積まれたストックルームのような空間だ。エントランスでは巨大な蘭のオブジェが出迎える。オープンを機に7年ぶりに来日したサンドラ・チョイ(Sandra Choi)=クリエティブ・ディレクターに、ブランドの強みや変化を聞いた。

WWD:同店を訪れた感想は?

サンドラ・チョイ(Sandra Choi)クリエティブ・ディレクター(以下、チョイ):クロスビー スタジオのハリー・ヌリエフ(Harry Nuriev)クリエイティブ・ディレクターに初めて会ったのは1年程前。友人からすごく新しいアイデアを持っているアーティストがいると紹介されたの。彼のアプローチで面白いのは、何か1つシンプルなものに焦点を当てて拡張していくところ。今回彼はストックルームに着目した。私が工房を訪れて一番気分が高揚するのは、まさに出荷直前のバッグやシューズがボックスに入って積み上がっているのを見た時。私の頭の中にあったアイデアが形になったと実感する瞬間ね。だから彼の提案を聞いた時、すぐに気に入ったわ。

WWD:コロナが明けたいま、「ジミー チュウ」の売れ筋は?

チョイ:実はスニーカーなの。ハイファッションのシューズデザイナーとして経験を積んできて、まさかスニーカーが1番売れているなんていう日が来るとは思ってもみなかったわ。

WWD:その変化はポジティブに捉えている?

チョイ:もちろん。ブランドに多様性をもたらしたと思う。「ジミー チュウ」はもはやグラマラスなシューズだけのブランドではないの。レザーグッズやアクセサリー、香水、アイウエア、ジュエリーもある。大事なことは、きちんと人々に消費されること。人々が何を求めているのか、どんなムードなのかに耳を傾けて柔軟に反応した結果で、驚きはないわ。

「ジミー チュウ」らしさとは、「輝く宝石」

WWD:さまざまな商品カテゴリーに共通するブランドアイデンティティーとは?

チョイ:私が「ジミー チュウ」を説明する時に、いつも思い浮かべるのは宝石。多面体の構造が光を反射し、どれも輝いていて、特別な気分にさせてくれるもの。みんな輝くものを身に付けると気分が上がるでしょ。スニーカーやバッグなどの“ダイヤモンド”シリーズは、多面的な輝きをさまざまな商品で表現していて、ブランドの大事にしているものがよくわかると思う。

WWD:「ディオール(DIOR)」や「ロエベ(LOEWE)」など、ラグジュアリーブランドのバッグ&シューズが勢いを増すなかで、「ジミー チュウ」の強みは?

チョイ:私たちがシューズやハンドバッグのスペシャリストであるのに対し、彼らはブランドとしての信頼感のなかでクリエイティビティーを発揮しているのだと思う。私たちの根底にあるグラマラスな輝きは、大きな差別化のポイントになっている。私たちの商品は、たとえブランドロゴを取っても「ジミー チュウ」とわかるはずよ。

WWD:「ジャンポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」からセーラームーンまで、さまざまなコラボ施策を手掛けているが、大事にしていることは?

チョイ:最も大事なのはシナジーね。共通のマインドセットを持っている相手でなければ、プロジェクトを成功することはとっても難しい。まずそのクリエイターやチームに直接会って、「ジミー チュウ」と交わる何かがあるかを見極める。最初は上手くいく保証はもちろんないけれど、必ず何か新しいことを発見できる。このチャレンジ精神はこの先もずっと持ち続けていたいと思う。アイデアはたくさんあるの。

WWD:アクセサリーブランドとして、今後オケージョンそのものをプロデュースしていく意向はある?

チョイ:もうすでにいろいろ挑戦してきたと思う。「ジミー チュウ」はパーティが大好きだから。加えて、ブライダルコレクションや新年を祝うカプセルコレクションといった、特定のイベントに向けた商品も出している。日本の七五三コレクションなんかがあっても面白いかもしれないね(笑)。

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上國料萌衣&佐々木莉佳子が楽しむジュエリー感覚のハート形イヤホン 「アビオット」“TE-I3”が登場

日本のサウンドを熟知したオーディオエキスパートが手掛ける、オーディオビジュアルブランド「アビオット(AVIOT)」は12月22日に、ハート形イヤホン“TE-I3”を発売する。現在予約を受け付けており、レッド、ゴールド、シルバーの3色展開で、価格は9900円。洗練されたシェイプとカラーリングで耳元にきらめきを添え、ジュエリー感覚で楽しめるイヤホンだ。アンバサダーを務めるアンジュルムの上國料萌衣と佐々木莉佳子をモデルに、三村絵理香スタイリストがコーディネートアイデアを提案する。

女性でも使いやすい小型&
軽量設計を追求

ビジュアルへのこだわりはもちろん、小さな耳にもフィットする着け心地や、ミニバッグにも収まる小型設計を追求した“TE-I3”。付属のクリアハードケースにはハート形のカラビナが付き、バッグに装着することも可能だ。さらに、数々のイヤホンを手掛けてきた「アビオット」ならではの機能(※)を搭載する。

“りかみこ”コンビに聞く、
「アビオット」“TE-I3”の魅力とは?

ジュエリー感覚で
楽しむイヤホン“TE-I3”
スタイリストに聞く耳元コーデ術

耳元コーディネートを楽しむ2人の
スペシャルムービーが到着!
購入者限定プレゼント
キャンペーンも

「アビオット」公式サイトでは、上國料萌衣と佐々木莉佳子が登場するキャンペーンムービーのほか、撮影オフショット、インタビュー動画を公開中。インタビュー動画では「アンジュルムのメンバーに“TE-I3”をあげるなら何色?」「イヤホン選びで重要視するポイントは?」「“TE-I3”のお気に入りポイントは?」など、アーティストとして活動する2人ならではの回答が盛りだくさんだ。

さらに「アビオット」“TE-I3”を購入すると先着順で、2人のオフショット生写真がもらえるキャンペーンも実施する。詳細は「アビオット」公式サイトからチェック。


・専用アプリ「AVIOT SOUND ME」でかなえる音質カスタマイズ機能
・2台の端末と同時接続できるマルチポイント機能
・着けたまま会話ができる外音取り込みモード
・AI 技術を活用しクリアな音声を届けるハンズフリー通話
・雨や汗に強い、IPX4 相当の生活防水仕様※イヤホン本体のみ
・イヤホン単体で最大6.5時間、チャージングケース併用で最大23時間の長時間再生(再生時間は使用環境により変動する可能性あり)
・肌に優しい医療用シリコンのイヤーピースが4サイズ付属(ただし、全ての人にアレルギー反応が起きないことを保証するものではない)
MODEL:MOE KAMIKOKURYO, RIKAKO SASAKI, STYLING:ERICA MIMURA(SLITS), HAIR & MAKEUP:YUKIE TSUJIMURA
<STILL>PHOTOS:KIZEN, PROP STYLING:TEI HANYI, RETOUCH:MARI OBARA
<MOVIE>DIRECTOR:TAKERU YATUSHIRO, DIRECTOR OF PHOTOGRAPHY:YUHEI SAITO, 1ST ASSISTANT CAMERA:TOMOYA KIKUCHI, 2ND ASSISTANT CAMERA:KAZUYA NAKAMURA, MAKING VIDEO:YUKI YAMAZAKI, LIGHTING DIRECTOR:FUYUKI ISHKAWA, LIGHTING ASSISTANT:HUHITO MURAKAMI, CHISATO NISHIMOTO, COLORIST:KOHEI IGARASHI, PRODUCTION SOUND MIXER:TORU KEMORI
問い合わせ先
プレシードジャパン

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上國料萌衣&佐々木莉佳子が楽しむジュエリー感覚のハート形イヤホン 「アビオット」“TE-I3”が登場

日本のサウンドを熟知したオーディオエキスパートが手掛ける、オーディオビジュアルブランド「アビオット(AVIOT)」は12月22日に、ハート形イヤホン“TE-I3”を発売する。現在予約を受け付けており、レッド、ゴールド、シルバーの3色展開で、価格は9900円。洗練されたシェイプとカラーリングで耳元にきらめきを添え、ジュエリー感覚で楽しめるイヤホンだ。アンバサダーを務めるアンジュルムの上國料萌衣と佐々木莉佳子をモデルに、三村絵理香スタイリストがコーディネートアイデアを提案する。

女性でも使いやすい小型&
軽量設計を追求

ビジュアルへのこだわりはもちろん、小さな耳にもフィットする着け心地や、ミニバッグにも収まる小型設計を追求した“TE-I3”。付属のクリアハードケースにはハート形のカラビナが付き、バッグに装着することも可能だ。さらに、数々のイヤホンを手掛けてきた「アビオット」ならではの機能(※)を搭載する。

“りかみこ”コンビに聞く、
「アビオット」“TE-I3”の魅力とは?

ジュエリー感覚で
楽しむイヤホン“TE-I3”
スタイリストに聞く耳元コーデ術

耳元コーディネートを楽しむ2人の
スペシャルムービーが到着!
購入者限定プレゼント
キャンペーンも

「アビオット」公式サイトでは、上國料萌衣と佐々木莉佳子が登場するキャンペーンムービーのほか、撮影オフショット、インタビュー動画を公開中。インタビュー動画では「アンジュルムのメンバーに“TE-I3”をあげるなら何色?」「イヤホン選びで重要視するポイントは?」「“TE-I3”のお気に入りポイントは?」など、アーティストとして活動する2人ならではの回答が盛りだくさんだ。

さらに「アビオット」“TE-I3”を購入すると先着順で、2人のオフショット生写真がもらえるキャンペーンも実施する。詳細は「アビオット」公式サイトからチェック。


・専用アプリ「AVIOT SOUND ME」でかなえる音質カスタマイズ機能
・2台の端末と同時接続できるマルチポイント機能
・着けたまま会話ができる外音取り込みモード
・AI 技術を活用しクリアな音声を届けるハンズフリー通話
・雨や汗に強い、IPX4 相当の生活防水仕様※イヤホン本体のみ
・イヤホン単体で最大6.5時間、チャージングケース併用で最大23時間の長時間再生(再生時間は使用環境により変動する可能性あり)
・肌に優しい医療用シリコンのイヤーピースが4サイズ付属(ただし、全ての人にアレルギー反応が起きないことを保証するものではない)
MODEL:MOE KAMIKOKURYO, RIKAKO SASAKI, STYLING:ERICA MIMURA(SLITS), HAIR & MAKEUP:YUKIE TSUJIMURA
<STILL>PHOTOS:KIZEN, PROP STYLING:TEI HANYI, RETOUCH:MARI OBARA
<MOVIE>DIRECTOR:TAKERU YATUSHIRO, DIRECTOR OF PHOTOGRAPHY:YUHEI SAITO, 1ST ASSISTANT CAMERA:TOMOYA KIKUCHI, 2ND ASSISTANT CAMERA:KAZUYA NAKAMURA, MAKING VIDEO:YUKI YAMAZAKI, LIGHTING DIRECTOR:FUYUKI ISHKAWA, LIGHTING ASSISTANT:HUHITO MURAKAMI, CHISATO NISHIMOTO, COLORIST:KOHEI IGARASHI, PRODUCTION SOUND MIXER:TORU KEMORI
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母になったモデル松岡もなの今とこれから 運命の出会いと夢の舞台

PROFILE:松岡もな/モデル、DJ プロフィール

(まつおか・もな)1998年2月10日、アメリカ・アリゾナ州生まれ。10歳の時に広島に移住。12歳でモデルとして活動スタート。14歳で上京し、本格的にモデルの仕事をスタート。15歳から海外での仕事を始め、ヨーロッパやNYでの経験を増やす。18歳の時にNYに定住。DJとしても活動。モデルの岡井空也と2023年2月に結婚し、7月に男児を出産。ボン イマージュ所属 PHOTO:YURINA JINNAI

モデルの松岡もなは現在ニューヨークを拠点にしており、モデル業に加えてDJとして活動している。昨年7月には、夫でモデルの岡井空也との第一子となる長男を出産。2カ月後の9月には、ニューヨークでの「ヘルムート・ラング(HULMUT LANG)」2024年春夏のショーに岡井とともに登場し、出産後早々にモデルとしてカムバックを果たした。母として新たなステージを迎える彼女に子育てや家族のこと、そして改めてモデルとしてのキャリアやDJの楽しさ、次なる挑戦について聞いた。

転機は13歳の「プラダ」のショーで

――小学生でモデルの仕事を始めたきっかけは?

松岡もな(以下松岡):10歳で日本に来た当時、カタコトの日本語しか話せずにいた私を母が不安に思って、モデルの経験を提案してくれました。私も写真を撮られることは嫌いではなかったし、ファッションもメイクも好きだったので、広島と東京を往復しながら少しずつ始めました。

――本格的にモデルの道に進もうと思ったのはいつ?

松岡:13歳で中学1年生の時ですね。2011年に東京で行われた12年春夏「プラダ(PRADA)」のショーを歩いたのがきっかけです。エクスクルーシブなセットに演出、世界中のトップモデルが集まる中、最新コレクションをまとって、その貴重な一夜が私にとって大きな転機になりました。本格的にモデルの道に進みたい、海外へ行きたいって強く思うようになったんです。

―― ニューヨークに進出した理由は?

松岡:元々国籍も持っていたこともあって、アメリカを選んだことは自然なことでした。まさかこんなに長くいるとは思ってなかったですけどね(笑)。でもニューヨークという街にしかない、強くて、引っ張られるようなエネルギーは、自分の中にすごく通じるものがあった。そこにいつしか魅了されていたんでしょうね。ニューヨークは私のように世界中から人が集まる場所。いろんな人と出会って、たくさんの考えを知って、刺激になってきた。だから、この街が好きなんだなって思います。

――モデルをしていて、大きな影響を受けた経験はありますか?

松岡:フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)による「セリーヌ(CELINE)」で、フィッティングモデルをしていたときですね。フィービーの最後のシーズンで、半年ほどやっていました。フィッティングモデルは未完成の服を着て、サイズ感やシルエットなど最終調整の作業を手伝う仕事なんですが、デザイナーたちが何度も針を刺しながら話し合って、微調整を重ねていくんです。それまでは出来上がった服を着る仕事がほとんどだったんですけど、デザインチームが1着1着を作り上げていくのを目の当たりにして、ファッションに対する感覚が一気に変わったんです。一つのルックを作り出す彼らの熱意やそのクオリティーを知ったことで、ファッションがもっと好きになりました。

「モデルとDJの共通点は、やっぱりセンス」

―― 今はDJとしても活躍されていますね。個性やオリジナリティーが重視されるモデルと似ている部分もあるのではないでしょうか。

松岡:DJはずっとやってみたいと思っていて、21歳くらいに始めました。みんなすごく気に入ってくれて、本格的にスタートすることになったんです。私はエレクトロハウスが好きで、最近はアフロハウスっていうアフリカ民族が背景のジャンルもよく流しています。モデルとの共通点は、やっぱりセンスですかね。DJによって好きな曲もミックスの仕方も違うから、DJの友人といろいろな音楽をシェアしたり、レコードショップでみんなが知らない曲を見つけたり、他のDJのセットを聴いたりして、選曲やテクニックのオリジナリティーを磨いていくという感じです。とにかく耳を鍛えるために、今は勉強中です。モデルでもDJでも、一人のアーティストとして見てくれる機会が増えてきているなと実感しています。

―― ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS)のキャンペーン企画で、夫の空也さんと息子の真空澄(マーズ)くんと家族で初共演していましたね。

松岡:真空澄と一緒に、家族そろってモデルの仕事をさせてもらえて、とても光栄です。空也とは撮影も初めてで、当日まで緊張していました。今後、日本に帰ることが増えていくので、こうした機会も増やしていけるとうれしいですね。

―― 空也さんとのなれ初めは?

松岡:空也とは、イタリアでの「グッチ(GUCCI)」(2023年プレ・スプリング)のショーで出会いました。私にとってはひさしぶりのショーで、アレッサンドロ(・ミケーレ前クリエイティブ・ディレクター、Alessandro Michele)はだいたい同じモデルを起用していたので、ブランクがあった私は知っているモデルがいなくて。それで、仲良くしてくれたモデルが空也だったんです。ニューヨーク出身の日本人だと知って、なんだかびっくりしちゃって、そのまま仲良くなっちゃいました。

私たちは趣味や好みが結構違うんですよね。でも、私は彼のおかげで自分の夢を目指すことができているし、彼にも自分の夢に邁進してほしいなと願っています。それぞれに夢があるっていうバランスが、すごくいい関係を保てているんじゃないでしょうか。

モデルのキャリアや今後のこと

―― ニューヨークでの子育てはどうですか?

松岡:真空澄は帰国中に生後100日を迎えました。産後はおむつ替えだけでもどうしようって感じだったけど、今はもう何も考えずにできるようになりましたね(笑)。真空澄も私たちも、人間の成長って不思議だなと日々刺激を受けています。それに、アメリカは子育てに対してすごく理解もあるから、外出時の授乳も食事も、ベビーカーでの移動もしやすくて、赤ちゃんにも居心地がいいのかなって。子どもたちが泣くことも、楽しむことも、ありのままでいいんだよと伝えられるような子育てをしていきたいです。

―― 環境についても考える機会が増えたのだとか?

松岡:プライベートでは、クローゼットだけの服でコーディネートを組めるようにして、新しいものはあまり買わないようになりました。ニューヨークは環境に対する商品や考えが先進的で、真空澄にも竹でできた紙おむつを使っています。毎日何枚も使うものだから、地球に配慮した、安心できる素材はうれしいですね。今後、サステナビリティーに関して、私の体験を日本でも発信していきたいです。

―― モデル、そしてDJとしての今後の目標は?

松岡:モデルは、自分らしくしかいられないという点がアピールポイントでもあり、それをこれからも生かしていきたいです。ただ、結婚と出産を経て、自分自身の心境や雰囲気が大人っぽくなってきたかなとも思うので、それを意識して表現できるようになっていきたいですね。DJとしては、自分の音楽を作ってプレーしたい。実際にプロデューサーと楽曲を作っているところで、目指せ『フジロックフェスティバル(FUJI ROCK FESTIVAL)』!って感じで(笑)。音楽とファッションにも通じる自分の世界観を、これからは作っていきたいです。

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母になったモデル松岡もなの今とこれから 運命の出会いと夢の舞台

PROFILE:松岡もな/モデル、DJ プロフィール

(まつおか・もな)1998年2月10日、アメリカ・アリゾナ州生まれ。10歳の時に広島に移住。12歳でモデルとして活動スタート。14歳で上京し、本格的にモデルの仕事をスタート。15歳から海外での仕事を始め、ヨーロッパやNYでの経験を増やす。18歳の時にNYに定住。DJとしても活動。モデルの岡井空也と2023年2月に結婚し、7月に男児を出産。ボン イマージュ所属 PHOTO:YURINA JINNAI

モデルの松岡もなは現在ニューヨークを拠点にしており、モデル業に加えてDJとして活動している。昨年7月には、夫でモデルの岡井空也との第一子となる長男を出産。2カ月後の9月には、ニューヨークでの「ヘルムート・ラング(HULMUT LANG)」2024年春夏のショーに岡井とともに登場し、出産後早々にモデルとしてカムバックを果たした。母として新たなステージを迎える彼女に子育てや家族のこと、そして改めてモデルとしてのキャリアやDJの楽しさ、次なる挑戦について聞いた。

転機は13歳の「プラダ」のショーで

――小学生でモデルの仕事を始めたきっかけは?

松岡もな(以下松岡):10歳で日本に来た当時、カタコトの日本語しか話せずにいた私を母が不安に思って、モデルの経験を提案してくれました。私も写真を撮られることは嫌いではなかったし、ファッションもメイクも好きだったので、広島と東京を往復しながら少しずつ始めました。

――本格的にモデルの道に進もうと思ったのはいつ?

松岡:13歳で中学1年生の時ですね。2011年に東京で行われた12年春夏「プラダ(PRADA)」のショーを歩いたのがきっかけです。エクスクルーシブなセットに演出、世界中のトップモデルが集まる中、最新コレクションをまとって、その貴重な一夜が私にとって大きな転機になりました。本格的にモデルの道に進みたい、海外へ行きたいって強く思うようになったんです。

―― ニューヨークに進出した理由は?

松岡:元々国籍も持っていたこともあって、アメリカを選んだことは自然なことでした。まさかこんなに長くいるとは思ってなかったですけどね(笑)。でもニューヨークという街にしかない、強くて、引っ張られるようなエネルギーは、自分の中にすごく通じるものがあった。そこにいつしか魅了されていたんでしょうね。ニューヨークは私のように世界中から人が集まる場所。いろんな人と出会って、たくさんの考えを知って、刺激になってきた。だから、この街が好きなんだなって思います。

――モデルをしていて、大きな影響を受けた経験はありますか?

松岡:フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)による「セリーヌ(CELINE)」で、フィッティングモデルをしていたときですね。フィービーの最後のシーズンで、半年ほどやっていました。フィッティングモデルは未完成の服を着て、サイズ感やシルエットなど最終調整の作業を手伝う仕事なんですが、デザイナーたちが何度も針を刺しながら話し合って、微調整を重ねていくんです。それまでは出来上がった服を着る仕事がほとんどだったんですけど、デザインチームが1着1着を作り上げていくのを目の当たりにして、ファッションに対する感覚が一気に変わったんです。一つのルックを作り出す彼らの熱意やそのクオリティーを知ったことで、ファッションがもっと好きになりました。

「モデルとDJの共通点は、やっぱりセンス」

―― 今はDJとしても活躍されていますね。個性やオリジナリティーが重視されるモデルと似ている部分もあるのではないでしょうか。

松岡:DJはずっとやってみたいと思っていて、21歳くらいに始めました。みんなすごく気に入ってくれて、本格的にスタートすることになったんです。私はエレクトロハウスが好きで、最近はアフロハウスっていうアフリカ民族が背景のジャンルもよく流しています。モデルとの共通点は、やっぱりセンスですかね。DJによって好きな曲もミックスの仕方も違うから、DJの友人といろいろな音楽をシェアしたり、レコードショップでみんなが知らない曲を見つけたり、他のDJのセットを聴いたりして、選曲やテクニックのオリジナリティーを磨いていくという感じです。とにかく耳を鍛えるために、今は勉強中です。モデルでもDJでも、一人のアーティストとして見てくれる機会が増えてきているなと実感しています。

―― ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS)のキャンペーン企画で、夫の空也さんと息子の真空澄(マーズ)くんと家族で初共演していましたね。

松岡:真空澄と一緒に、家族そろってモデルの仕事をさせてもらえて、とても光栄です。空也とは撮影も初めてで、当日まで緊張していました。今後、日本に帰ることが増えていくので、こうした機会も増やしていけるとうれしいですね。

―― 空也さんとのなれ初めは?

松岡:空也とは、イタリアでの「グッチ(GUCCI)」(2023年プレ・スプリング)のショーで出会いました。私にとってはひさしぶりのショーで、アレッサンドロ(・ミケーレ前クリエイティブ・ディレクター、Alessandro Michele)はだいたい同じモデルを起用していたので、ブランクがあった私は知っているモデルがいなくて。それで、仲良くしてくれたモデルが空也だったんです。ニューヨーク出身の日本人だと知って、なんだかびっくりしちゃって、そのまま仲良くなっちゃいました。

私たちは趣味や好みが結構違うんですよね。でも、私は彼のおかげで自分の夢を目指すことができているし、彼にも自分の夢に邁進してほしいなと願っています。それぞれに夢があるっていうバランスが、すごくいい関係を保てているんじゃないでしょうか。

モデルのキャリアや今後のこと

―― ニューヨークでの子育てはどうですか?

松岡:真空澄は帰国中に生後100日を迎えました。産後はおむつ替えだけでもどうしようって感じだったけど、今はもう何も考えずにできるようになりましたね(笑)。真空澄も私たちも、人間の成長って不思議だなと日々刺激を受けています。それに、アメリカは子育てに対してすごく理解もあるから、外出時の授乳も食事も、ベビーカーでの移動もしやすくて、赤ちゃんにも居心地がいいのかなって。子どもたちが泣くことも、楽しむことも、ありのままでいいんだよと伝えられるような子育てをしていきたいです。

―― 環境についても考える機会が増えたのだとか?

松岡:プライベートでは、クローゼットだけの服でコーディネートを組めるようにして、新しいものはあまり買わないようになりました。ニューヨークは環境に対する商品や考えが先進的で、真空澄にも竹でできた紙おむつを使っています。毎日何枚も使うものだから、地球に配慮した、安心できる素材はうれしいですね。今後、サステナビリティーに関して、私の体験を日本でも発信していきたいです。

―― モデル、そしてDJとしての今後の目標は?

松岡:モデルは、自分らしくしかいられないという点がアピールポイントでもあり、それをこれからも生かしていきたいです。ただ、結婚と出産を経て、自分自身の心境や雰囲気が大人っぽくなってきたかなとも思うので、それを意識して表現できるようになっていきたいですね。DJとしては、自分の音楽を作ってプレーしたい。実際にプロデューサーと楽曲を作っているところで、目指せ『フジロックフェスティバル(FUJI ROCK FESTIVAL)』!って感じで(笑)。音楽とファッションにも通じる自分の世界観を、これからは作っていきたいです。

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香水ブランド「バイレード」がファインジュエリー事業に参入 コレクション第1弾は“継承”がテーマ

スウェーデン・ストックホルム発「バイレード(BYREDO)」はファインジュエリー事業に参入し、ファースト・コレクション“ヴィラサート(VIRASAAT)”を、パリ旗艦店で11月30日に先行発売した。2024年1月25日、世界中の旗艦店で販売を開始する。

“ヴィラサート”はヒンディー語で“継承”の意味。イタリア製のネックレスやブレスレット、指輪、イヤリングをそろえる。丸みを帯びた真珠形のパーツと、棒状のパーツを組み合わせたデザインだ。価格帯は350ドル(約5万円)〜2万7000ドル(約394万円)。

バイレードは、仏ジュエリーブランド「シャルロット シェネ(CHARLOTTE CHESNAIS)」とコラボレーションしたラインを20年にローンチした。創業者兼チーフ・クリエイティブ・オフィサーのベン・ゴーラム(Ben Gorham)は、「コラボを通して、貴金属でどういったものが作れるのかを学んだ」と話す。今回のローンチについて、「私はジュエリーを、記憶や文化的なバックグラウンドと結びつけて捉えている。インド出身の母親や祖母の影響が大きく、ジュエリーは代々受け継ぐものだという感覚が強い。時代にとらわれない製品を作りたいという思いがあり、それはフレグランスや化粧品よりもジュエリーの方が相性は良いだろう。ローンチまでには時間がかかったが、仕上がりに満足している」と続ける。

また、「私の家庭内だけを見ても、女性は直感的にジュエリーと触れ合う傾向がある。人々が瞬間的に、ジュエリーピースへの思い入れを持てるのは素晴らしいと思う」とゴーラム創業者兼チーフ・クリエイティブ・オフィサー。アメリカやカナダで育った彼にとっては、西洋文化も着想源の一つだ。「90年代はヒップホップから大きな影響を受けた。今もヒップホップは、ジュエリーの魅力を伝え続けている」。

将来的には宝石をあしらったジュエリーも検討しているというゴーラム創業者兼チーフ・クリエイティブ・オフィサーは、「宝石はそれ自体が“アート”だと気づいた。次のステップとして、宝石に関する理解を深めたい」と話す。なお、06年の設立から香水だけのブランドにするつもりはなかったといい、現在はレザーグッズやアイウエア、メイクアップ商品も展開する。「ブランドのスタートから、好奇心と文化的探究心は尽きることがない。“進化を続ける”という考えにコミットする社風を持ち、これだけの成功を収めてもなお、社員の一人ひとりが前進し続けるモチベーションを保っていることを誇りに思う」と語った。

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「FIGARO」などで活躍しつつも沖縄に移住を決意! 自然派スキンケアを主宰・守本理恵さん

「フィガロ(FIGARO)」をはじめとする数多くのファッション誌やセレブリティを20年以上にわたり手掛けているメイクアップアーティストの守本理恵さん。現在は、拠点を沖縄に移し、自然派ブランド「ネイチャー プランツ スキンケア」を主宰。「スキンケアは肌の食事」というコンセプトのもと、生命力の溢れる県産素材を中心に、日々、化粧品の研究開発に勤しんでいる。

そもそも守本さんが沖縄に移住したきっかけは2011年に発生した東日本大震災だった。「当時、1歳の長男を抱えていて、周囲から小さな子どもがいるなら、なるべく遠くへ避難したほうがいい、と言われていました。ただ、私も東京で仕事を抱えていたのでなかなか決断ができないなか、主人の勧めもあり、ひとまず短期間で沖縄を訪れてみました」。

すると、守本さんに心境の変化が訪れる。「沖縄滞在では自然にすごく癒やされる経験ができて。しかも、ここでは自然豊かな暮らしが根付いていると思い、子どもを育てるなら、自然の中で学ばせたいと思ったこともあり、沖縄に移住することを決めました」。

初めての移住先は本島南部の南城市。那覇から車で30分ほどの場所だが、サトウキビ畑や民家が並び、沖縄ならではの牧歌的な光景が広がるエリアだ。「近所には農家さんもいて、自然栽培のアロエやハーブを栽培していたり、薬草を使って自然療法を実践していたりと、そんな話を聞けば聞くほど、もっと自然ことを知りたいと思いました。仕事ではナチュラルコスメを活用していましたが、実は“自然”のことを全然知らなかったと思い。それをきっかけに、野草や自然農法の勉強会に参加したり、手作りコスメのプロフェッショナルコ-スを受講したりと、もともとのめり込みやすい性格も相まって、集中して勉強しましたね」。

そして、その知識が自身のブランドを立ち上げるうえでの“素地”となる。「たとえば、“月桃と長命草(ボタンボウフウ)のマッサージオイル”は、沖縄に自生していて、かつ古くからデトックスや抗酸化作用のある薬草として使われていた月桃と長命草を使用しました。ハーブのエネルギーが最も高くなる満月の日の朝に私が手摘みして、その生葉をオイルに付け込んでいます。沖縄の大地のエネルギーを感じていただけるオイルに仕上げました」。

手作りコスメが評判を呼ぶ

このような手作り感覚で作ったコスメを友人に使ってもらったところ、たちまち評判を呼び、「ぜひ商品化してほしい」という声が殺到。その多くの声に後押しされて、2016年にスキンケアブランド「ネイチャー プランツ スキンケア」を立ち上げた。

化粧品開発をはじめて以来、沖縄では不思議な縁に恵まれることが多く、それがきっかけで新作のスキンケアが誕生するのも面白い、と守本さんは話す。“リップバームスティック”も、カフェでたまたま会った生産者との出会いが開発にいたったきっかけ。

「乾燥する冬に向けて、ミツロウを使ったリップバームを作りたいと思っていて。そんな話を首里(那覇市)のカフェで友人に話していたら、そのカフェにハチミツを卸している養蜂家の方がいらっしゃったのです! そこで、こんなチャンスはないと思い、リップバームの話をしたところ、話がとんとん拍子で進みまして(笑)。その結果、ミツロウの中でも不純物が少なく、とても希少なミツロウの蓋、蜜蓋(みつぶた)を素材として提供してくださることになり。それをきっかけに開発が急ピッチで進み、保湿力に優れたサチャインオイルやモリンガオイルをたっぷりと配合したリップバームスティックが完成しました。この時も、沖縄は本当に不思議なつながりがある、と改めて感謝しました」。

販売チャネルを広げたいという思いの一方で、原料に限りがあることや手づくりであることから大量生産が難しいというハードルも。「こうして農家や生者の方とのご縁を大切にしながら、一つひとつコスメを作っているので、生産できる商品数には限界があります。ただ、いまは数を増やすよりも、必要な人のもとへ届けたいという気持ちのほうが強い。沖縄の大自然の力は本当に偉大だし、本物の地球を見せてくれていると感じています。この自然の素晴らしさをスキンケアに込めているので、“自然のまま”の気持ちよさをぜひ感じてほしいと願っています」。

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東京五輪スタイリスト山口壮大が「ファッション×障がい」映像作品で問う「ファッションの社会的価値」 【ファッション・フォームズ前編】

11月18日、つくばで行われた福祉機器展で、ファッションディレクターの山口壮大氏がプロデュースした映像作品「ファッション・フォームズ(Fashion Forms.)」が上映された。つくば市及び周辺に在住するそれぞれ異なる障がいを持つ当事者と、「ポト(POTTO)」「オダカ(ODAKHA)」ら5組のデザイナーが向き合い、当事者のための「1着の服」ができるまでの過程を記録した、約1時間の意欲的なドキュメンタリー作品だ。約5カ月がかりで服を完成させたこのドキュメンタリー作品と一連の服作りのプロジェクトは、文化庁などの助成やスポンサードありきで始まったものではなく、山口氏と、障がい者の子どもを持つ五十嵐純子さんが独力で立ち上げ、最終的に完成にまでこぎつけた、いわばインディペンデントなプロジェクトだ。車椅子のファッションジャーナリストの徳永啓太が、この映像作品の解説や山口ディレクターへのインタビュー、コラムを寄稿した(全2回)。

ファッションデザイナーが障がい者と5カ月がかりで作り上げた「私だけの服」

岡山を拠点に自らデザインし、縫製し売る「ポト(POTTO)」デザイナー山本哲也氏は、全身の筋力が弱く呼吸器が手放せない11才の深田心奈(以下、ここなちゃん)ちゃんに、柔らかくて軽いオーガンジー素材を使ったドレスを制作。山本氏は一度対面で、自ら持ってきた素材やデザイン画を見せつつ、その中からここなちゃんは自分で色や素材を選んだ。作品の中では常に「ピンクがいい」とローティーンらしいこだわりを見せる場面も。最後にはオーガンジーのフリルのドレスを着て、ピアノ演奏を披露した。

国内の工場と協業しながら多様なニットの表現を持ち味とする「オダカ(ODAKHA)」のデザイナー小高真理氏は、田中桃愛ちゃんの母・裕子さんが娘に着させやすい伸縮性のあるニットでパンツスカートを提案。ホールガーメントをという技法を用い、桃愛ちゃんの体型に添いながらも縫い代がないニットの利便性と世間一般に機能する年相応の装いをデザインに取り入れた。

作業服から飲食店の制服など企業向けのユニフォームをデザインしているハイドサイン社のデザイナー島中由希氏は、普段車椅子に乗り、つくば市に拠点を置く義肢メーカーの幸和義肢研究所社員でもある鈴木真美さんが右手に麻痺があっても自分で着やすい服をデザイン。袖の長さや脇の分量、開閉しやすいファスナーの位置、摘みやすいよう大きめのリングパーツを選び、普段はご家族からの介助を必要としている真美さんが他者の手を借りることなく自立して毎日の生活を送れるように仕上げた。

山口壮大氏がディレクションする日本の伝統文化と最新テクノロジーを掛け合わせながら新しい暮らし方を提案する『コリショウプロジェクト(KORI-SHOW PROJECT)」は、筋肉が弱くなる進行度が一般よりも早く、日常的に介助が必要な保坂鉄平さんに座っていても履ける袴を制作。障がいを持っていると“弱い”と思われてしまいがちな社会に対してアピールしたいという鉄平さんに、履かせやすいスカートの形式にしながらも男性の強さである袴の表層的なデザインをカスタムできるような提案で彼の自己肯定感を後押しした。

文化服装学院に在学しながら、ファッションとコミュニケーションを軸に社会の中で実験する「カルチュラルラボ(CULTURAL LAB.)」に所属している湯浅琴音氏は、コミュニケーションが取りにくく、目で見えている範囲も狭いという特性を持っている五十嵐心音ちゃんが反応する言葉や音に着目。生成AIに言葉を入力し、生成される大量の画像を心音ちゃんに見せて、笑顔になったり、反応があったものを服のテキスタイルとして採用した。母・純子さんは「一方的なコミュニケーションしか取れないと思っていたが、生成された画像を見ると娘の頭の中を見ているようで感動した」と笑顔で答えてくれた。知的に遅れがある心音ちゃんだが、ファッションとテクノロジーの掛け算が新しいコミュニケーションを生み出した。

山口壮大インタビュー「目指したのは日常を彩る服」

PROFILE:山口壮大/ファッションディレクター プロフィール

(やまぐち・そうた)1982年、愛知県常滑市生まれ。文化服装学院(第22期学院長賞受賞)を卒業後、2006年からファッションディレクターとして活動開始、2006年3月には下北沢の雑居ビルでセレクトショップ「ミキリハッシン」をオープン、2009年1月に原宿キャットストリートへ移転。18年から「カルチュラルラボ」を始動

6月のキックオフミーティングから約5カ月がかりで服を完成させたこのドキュメンタリー作品「ファッション・フォームズ」は、ファッションデザインはあらゆる人に寄り添い生活を豊かにすることを伝えてくれる。山口壮大氏は、なぜこのプロジェクトを行ったのか。その真意を聞いた。

――今回のプロジェクトのきっかけは?

山口壮大(以下、山口):2021年5月にファッションディレクターを務めたイベント「True Colors FASHION(トゥルー カラーズ ファッション):身体の多様性を未来に放つ ダイバーシティ・ファッションショー」の際、モデルの一人として参加していた五十嵐心音ちゃんの母・純子さんとイベント後も連絡を取っ合っていて、純子さんから「もう一度、地元でファッションショーのようなことができないか」という話をもらったことがきっかけです。「トゥルーカラーズファッション」のようなプロジェクトを一過性で終わらせたくないと僕も考えていたので、「僕ができることがあれば!」と二つ返事でした。

――こだわったことは?

山口:地域を限定すること、オンラインを使って積極的に対話をすること、意図的に感動させる演出にしないこと――という3つの点です。「トゥルーカラーズファッション」では多種多様な身体や性別、年齢、障がいを持つ人と一緒にショーを行いました。その経験から、今回はあえて地域に制限を設けて特定の当事者に向けたファッションにフォーカスしようと考えました。地域を限定すると生活が見えてくると考えたんです。たとえば、車椅子を使って生活してたとしても、障がいの症状も、体型も、生活環境も、価値観も違う。服でいうと自分で着るのか、着せるのかで大きく違いますよね。ファッションから見えてくる、着る人の生活や置かれている環境に焦点を当てたかったんです。「困ってるから服を作る」のではなく、対話を重視しながら、各々の生活に寄り添い、日常を潤してくれる服が必要だと考えたからです。なので最終的には、プロジェクトを、スタートしてから完成までの約5カ月間を1時間程度にまとめた記録映像にしました。わかりやすい感動作品にはしないと、制作期間ずっと考えていました。企画の意図が観客に伝わり、心が動いて、感動するというプロセスならば嬉しいのですが、演出で意図的に感情の抑揚をつけたり促したりすることは避けました。感動させることが目的ではないので抑揚がなく淡々と進んでいくように心がけましたね。

――なぜつくば市を選んだのですか?

山口:つくば市になったのは、あくまで結果です。つくば市は、一緒にプロジェクトを行った純子さんがお住まいなので近隣の地域で生活している方にモデルのオファーをしてくださったことがきっかけでしたが、調べるとSDGsの観点のもと「つくば市障害者計画」を掲げ、当事者に向けた福祉サービスを積極的に取り組んでいる都市でもありました。この企画にご賛同くださった幸和義肢研究所もつくば市にあり、こちらの会社が年に1回開催される福祉機器展の中で作品を上映させてもらいました。

――「トゥルーカラーズファッション」の前例があったとはいえ、今回のプロジェクトはゼロから形にしているように感じました。

山口:そうですね。まずは僕たちと当事者、そしてご家族との関係性を作ることが必要だと感じたんです。だから時間があれば直接会いに足しげく通いました。みなさんからすると普段生活していてファッションディレクターやデザイナーと会う機会なんてないですよね。僕たちもつくばにお住まいの障がいを持った方とは初めてだったので、彼・彼女たちの好みを知る、どんなことでお困りかを知る、ときにはご自宅にお邪魔して日常生活を知ることから始めました。

――5人のデザイナーはどのように決めましたか?

山口:最初に僕と純子さん、当事者とご家族の方との対話を何度も繰り返した後、僕の方でそれぞれの当事者に合うデザイナーに依頼しました。ドキュメンタリーを観るとわかると思いますが、僕は「こういう服を作って欲しい」とデザイナーに依頼をしていません。当事者とデザイナーが対話をしながらより良い「かたち」に仕上げてくのが理想で、僕は各々が完成に至るまでの道筋を一緒に作っていったという感じです。

――なぜ映像作品に?

山口:僕たちの出会いから服が出来上がるまでのプロセスを残したかったんです。ファッションショーも検討しましたが、当事者の身体的な違いは明確に伝わるしお祭りのような高揚感を味わえるけど、打ち上げ花火のような一過性のものにしたくなかった。今回のために作った服を継続して着てもらいたかったので、日常生活に支障をきたさないデザインを心がけると、ファッションに精通している人たちが見て、当事者が「映える」かと言われれば正直インパクトは弱くなってしまいます。ドキュメンタリー映像であれば時間と場所を移しても伝えられる機会はあるし、盛り込める情報も多い。例えばデザイナーの哲学や、アイデア、当事者の心境の変化など、あらゆる側面から伝えられることを観てくれた人に持ち帰って欲しいという想いに至りました。

――山口さんが今回のプロジェクトを通して得られたものは?

山口:今回のプロジェクトに参加してくれた当事者とケアをする親御さんたちの心境が変わったことですね。初めは後ろ向きだった方も、対話を重ねていくうちに、終盤はファッションに対しての向き合い方がポジティブに変わって行きました。ファッションの楽しさが当事者に伝わったことは良かったと思ってます。それから、つくば近隣の方で同じような障がいを持っている方が「次回は参加したい」と思ってもらえるものにしたいという想いもありました。このドキュメンタリーは、障がいを持つ方々が今よりも「ファッションは自分のもの」として身近に考えてもらえる「タネ」を蒔いている作品です。そのタネが咲いて、またタネを蒔く役割を当事者が担ってくれたら自然とファッションが地域の中で育っていくと思うんです。先ずはつくば市を起点に、ファッションへの向き合い方が当事者の数だけ存在することを伝えていけると嬉しいです。

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山口壮大が「ファッション×障がい」作品で放つ「ファッションの社会的価値」 【ファッション・フォームズ前編】

    11月18日、つくばで行われた福祉機器展で、ファッションディレクターの山口壮大氏がプロデュースした映像作品「ファッション・フォームズ(Fashion Forms.)」が上映された。つくば市及び周辺に在住するそれぞれ異なる障がいを持つ当事者と、「ポト(POTTO)」「オダカ(ODAKHA)」ら5組のデザイナーが向き合い、当事者のための「1着の服」ができるまでの過程を記録した、約1時間の意欲的なドキュメンタリー作品だ。約5カ月がかりで服を完成させたこのドキュメンタリー作品と一連の服作りのプロジェクトは、文化庁などの助成やスポンサードありきで始まったものではなく、山口氏と、障がい者の子どもを持つ五十嵐純子さんが独力で立ち上げ、最終的に完成にまでこぎつけた、いわばインディペンデントなプロジェクトだ。車椅子のファッションジャーナリストの徳永啓太が、この映像作品の解説や山口ディレクターへのインタビュー、コラムを寄稿した(全2回)。

    ファッションデザイナーが障がい者と5カ月がかりで作り上げた「私だけの服」

    岡山を拠点に自らデザインし、縫製し売る「ポト(POTTO)」デザイナー山本哲也氏は、全身の筋力が弱く呼吸器が手放せない11才の深田心奈(以下、ここなちゃん)ちゃんに、柔らかくて軽いオーガンジー素材を使ったドレスを制作。山本氏は一度対面で、自ら持ってきた素材やデザイン画を見せつつ、その中からここなちゃんは自分で色や素材を選んだ。作品の中では常に「ピンクがいい」とローティーンらしいこだわりを見せる場面も。最後にはオーガンジーのフリルのドレスを着て、ピアノ演奏を披露した。

    国内の工場と協業しながら多様なニットの表現を持ち味とする「オダカ(ODAKHA)」のデザイナー小高真理氏は、田中桃愛ちゃんの母・裕子さんが娘に着させやすい伸縮性のあるニットでパンツスカートを提案。ホールガーメントをという技法を用い、桃愛ちゃんの体型に添いながらも縫い代がないニットの利便性と世間一般に機能する年相応の装いをデザインに取り入れた。

    作業服から飲食店の制服など企業向けのユニフォームをデザインしているハイドサイン社のデザイナー島中由希氏は、普段車椅子に乗り、つくば市に拠点を置く義肢メーカーの幸和義肢研究所社員でもある鈴木真美さんが右手に麻痺があっても自分で着やすい服をデザイン。袖の長さや脇の分量、開閉しやすいファスナーの位置、摘みやすいよう大きめのリングパーツを選び、普段はご家族からの介助を必要としている真美さんが他者の手を借りることなく自立して毎日の生活を送れるように仕上げた。

    山口壮大氏がディレクションする日本の伝統文化と最新テクノロジーを掛け合わせながら新しい暮らし方を提案する『コリショウプロジェクト(KORI-SHOW PROJECT)」は、筋肉が弱くなる進行度が一般よりも早く、日常的に介助が必要な保坂鉄平さんに座っていても履ける袴を制作。障がいを持っていると“弱い”と思われてしまいがちな社会に対してアピールしたいという鉄平さんに、履かせやすいスカートの形式にしながらも男性の強さである袴の表層的なデザインをカスタムできるような提案で彼の自己肯定感を後押しした。

    文化服装学院に在学しながら、ファッションとコミュニケーションを軸に社会の中で実験する「カルチュラルラボ(CULTURAL LAB.)」に所属している湯浅琴音氏は、コミュニケーションが取りにくく、目で見えている範囲も狭いという特性を持っている五十嵐心音ちゃんが反応する言葉や音に着目。生成AIに言葉を入力し、生成される大量の画像を心音ちゃんに見せて、笑顔になったり、反応があったものを服のテキスタイルとして採用した。母・純子さんは「一方的なコミュニケーションしか取れないと思っていたが、生成された画像を見ると娘の頭の中を見ているようで感動した」と笑顔で答えてくれた。知的に遅れがある心音ちゃんだが、ファッションとテクノロジーの掛け算が新しいコミュニケーションを生み出した。

    山口壮大インタビュー「目指したのは日常を彩る服」

    PROFILE:山口壮大/ファッションディレクター プロフィール

    (やまぐち・そうた)1982年、愛知県常滑市生まれ。文化服装学院(第22期学院長賞受賞)を卒業後、2006年からファッションディレクターとして活動開始、2006年3月には下北沢の雑居ビルでセレクトショップ「ミキリハッシン」をオープン、2009年1月に原宿キャットストリートへ移転。18年から「カルチュラルラボ」を始動

    6月のキックオフミーティングから約5カ月がかりで服を完成させたこのドキュメンタリー作品「ファッション・フォームズ」は、ファッションデザインはあらゆる人に寄り添い生活を豊かにすることを伝えてくれる。山口壮大氏は、なぜこのプロジェクトを行ったのか。その真意を聞いた。

    ――今回のプロジェクトのきっかけは?

    山口壮大(以下、山口):2021年5月にファッションディレクターを務めたイベント「True Colors FASHION(トゥルー カラーズ ファッション):身体の多様性を未来に放つ ダイバーシティ・ファッションショー」の際、モデルの一人として参加していた五十嵐心音ちゃんの母・純子さんとイベント後も連絡を取っ合っていて、純子さんから「もう一度、地元でファッションショーのようなことができないか」という話をもらったことがきっかけです。「トゥルーカラーズファッション」のようなプロジェクトを一過性で終わらせたくないと僕も考えていたので、「僕ができることがあれば!」と二つ返事でした。

    ――こだわったことは?

    山口:地域を限定すること、オンラインを使って積極的に対話をすること、意図的に感動させる演出にしないこと――という3つの点です。「トゥルーカラーズファッション」では多種多様な身体や性別、年齢、障がいを持つ人と一緒にショーを行いました。その経験から、今回はあえて地域に制限を設けて特定の当事者に向けたファッションにフォーカスしようと考えました。地域を限定すると生活が見えてくると考えたんです。たとえば、車椅子を使って生活してたとしても、障がいの症状も、体型も、生活環境も、価値観も違う。服でいうと自分で着るのか、着せるのかで大きく違いますよね。ファッションから見えてくる、着る人の生活や置かれている環境に焦点を当てたかったんです。「困ってるから服を作る」のではなく、対話を重視しながら、各々の生活に寄り添い、日常を潤してくれる服が必要だと考えたからです。なので最終的には、プロジェクトを、スタートしてから完成までの約5カ月間を1時間程度にまとめた記録映像にしました。わかりやすい感動作品にはしないと、制作期間ずっと考えていました。企画の意図が観客に伝わり、心が動いて、感動するというプロセスならば嬉しいのですが、演出で意図的に感情の抑揚をつけたり促したりすることは避けました。感動させることが目的ではないので抑揚がなく淡々と進んでいくように心がけましたね。

    ――なぜつくば市を選んだのですか?

    山口:つくば市になったのは、あくまで結果です。つくば市は、一緒にプロジェクトを行った純子さんがお住まいなので近隣の地域で生活している方にモデルのオファーをしてくださったことがきっかけでしたが、調べるとSDGsの観点のもと「つくば市障害者計画」を掲げ、当事者に向けた福祉サービスを積極的に取り組んでいる都市でもありました。この企画にご賛同くださった幸和義肢研究所もつくば市にあり、こちらの会社が年に1回開催される福祉機器展の中で作品を上映させてもらいました。

    ――「トゥルーカラーズファッション」の前例があったとはいえ、今回のプロジェクトはゼロから形にしているように感じました。

    山口:そうですね。まずは僕たちと当事者、そしてご家族との関係性を作ることが必要だと感じたんです。だから時間があれば直接会いに足しげく通いました。みなさんからすると普段生活していてファッションディレクターやデザイナーと会う機会なんてないですよね。僕たちもつくばにお住まいの障がいを持った方とは初めてだったので、彼・彼女たちの好みを知る、どんなことでお困りかを知る、ときにはご自宅にお邪魔して日常生活を知ることから始めました。

    ――5人のデザイナーはどのように決めましたか?

    山口:最初に僕と純子さん、当事者とご家族の方との対話を何度も繰り返した後、僕の方でそれぞれの当事者に合うデザイナーに依頼しました。ドキュメンタリーを観るとわかると思いますが、僕は「こういう服を作って欲しい」とデザイナーに依頼をしていません。当事者とデザイナーが対話をしながらより良い「かたち」に仕上げてくのが理想で、僕は各々が完成に至るまでの道筋を一緒に作っていったという感じです。

    ――なぜ映像作品に?

    山口:僕たちの出会いから服が出来上がるまでのプロセスを残したかったんです。ファッションショーも検討しましたが、当事者の身体的な違いは明確に伝わるしお祭りのような高揚感を味わえるけど、打ち上げ花火のような一過性のものにしたくなかった。今回のために作った服を継続して着てもらいたかったので、日常生活に支障をきたさないデザインを心がけると、ファッションに精通している人たちが見て、当事者が「映える」かと言われれば正直インパクトは弱くなってしまいます。ドキュメンタリー映像であれば時間と場所を移しても伝えられる機会はあるし、盛り込める情報も多い。例えばデザイナーの哲学や、アイデア、当事者の心境の変化など、あらゆる側面から伝えられることを観てくれた人に持ち帰って欲しいという想いに至りました。

    ――山口さんが今回のプロジェクトを通して得られたものは?

    山口:今回のプロジェクトに参加してくれた当事者とケアをする親御さんたちの心境が変わったことですね。初めは後ろ向きだった方も、対話を重ねていくうちに、終盤はファッションに対しての向き合い方がポジティブに変わって行きました。ファッションの楽しさが当事者に伝わったことは良かったと思ってます。それから、つくば近隣の方で同じような障がいを持っている方が「次回は参加したい」と思ってもらえるものにしたいという想いもありました。このドキュメンタリーは、障がいを持つ方々が今よりも「ファッションは自分のもの」として身近に考えてもらえる「タネ」を蒔いている作品です。そのタネが咲いて、またタネを蒔く役割を当事者が担ってくれたら自然とファッションが地域の中で育っていくと思うんです。先ずはつくば市を起点に、ファッションへの向き合い方が当事者の数だけ存在することを伝えていけると嬉しいです。

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「世界を目指す女性の道しるべに」日本人女性プロデューサー初のグラミー賞ノミネート、TOMOKO IDAって誰だ?


日本時間2月5日、米・ロサンゼルスのクリプト・ドットコム・アリーナで開催されるグラミー賞授賞式。今年も豪華な顔ぶれがノミネートされる中、日本人として注目したいのは、女性音楽プロデューサーのTOMOKO IDAだ。彼女が参加したタイニー(Tainy)のアルバム「DATA」が、ラテン部門“最優秀 アーバン・ミュージック・アルバム賞”にノミネートされ、日本人女性プロデューサーとして初のグラミー・ノミネーティッド・プロデューサーとなった。AI、三浦大知、SixTONES、EXILE TRIBEといった著名アーティストの楽曲プロデュースやファッション広告の音楽制作を行い、世界へと躍進し続ける彼女はどんな人間なのかーーこれまでの軌跡を振り返り、次なる展望を語る。

PROFILE:TOMOKO IDA/音楽プロデューサー プロフィール

(ともこ・いだ)母親の影響で幼少期から音楽に興味を持ち、2010年にビートメイカーとしてアーティストデビュー、2016年から音楽プロデューサーとして活動を開始した。日本のセールスチャートで1位を獲得した作品に多数携わり、今年はラテン界のヒットメーカー・タイニーとの楽曲「obstáculo」が全米ビルボードTOP200で11位を獲得。「イヴ・サンローラン」や「トミー ヒルフィガー」、「ナイキ」といったグローバルファッションブランドに関わる音楽制作も行う

東京からグラミーへ。音楽プロデューサーへの道のり


WWD:音楽の道に入ったきっかけとは?
TOMOKO IDA(以下、TOMOKO):母親が音楽教師だったことから、昔から音楽の仕事に携わりたいと思っていました。ダンスやDJなど、色々なことに挑戦する中でトラックを作る仕事に興味を持つようになり、MPCでパフォーマンスをする形で2010年にアーティストデビュー、16年に音楽プロデューサーとして本格的に始動しました。最初は音楽一本では生活できず、アルバイトをしていた時期もありました。少しずつ仕事が増えていっても、常に自分が得意とする楽曲を作れていたわけではなかったですが、色々なジャンルを勉強できたことが良い下積みになったと思います。ただ昔からずっと海外で仕事したいという気持ちがあったし、「海外のアーティストと一緒に曲を作るんだろうな」「グラミーの赤絨毯を歩きたいな」と、よく妄想していました(笑)。

WWD:音楽プロデューサーという職業を、どのように定義する?
TOMOKO:日本でも海外でも、音楽プロデューサーという職業の定義はまだ曖昧ですよね。日本では、新人オーディションをしてメンバーを募り、彼らを教育して、楽曲を出すという流れを考えるアイドルのプロデューサーのような人をイメージする人も多いのではないでしょうか。一方欧米では、楽曲トラックを作っただけでプロデューサーと呼ばれたりもします。でも私の中では、トラックを作るだけであればビートメイカー。音楽プロデューサーはトラックも作るし、起用するトップライナーや演奏者の選出、レコーディングやリリックの方向性、ミキシング、マスタリングまで全ての工程に責任を持つ人だと思っています。現在は複数人で楽曲を制作する共同プロデュースが主流となってきているので、時とともに音楽プロデューサーの定義が変わるかもしれませんね。

ターニングポイントとなったタイニーとの出会い

WWD:楽曲「obstáculo」の制作エピソードが聞きたい
TOMOKO:タイニーはバッド・バニー(Bad Bunny)、J・バルヴィン(J Balvin)、デュア・リパ(Dua Lipa)、ショーン・メンデス(Shawn Mendes)、カーディー・B(Cardi B)といった錚々たるアーティストの楽曲を手掛けるヒットメーカー。日本の仕事でレゲトン(スペイン語のダンスホールレゲエ)を作る機会があり、偶然彼のドラムキットを見つけて「かっこいい!」と思ってから、彼の音楽のファンになりました。その後インスタグラムで繋がってはいたものの特に接触はなかったのですが、昨年末に彼が東京に来ていることを知り、連絡を取り合うように。アルバム曲の制作の相談をされ、こちらから制作したデータを送り、しばらくして返信が来て「パーフェクトだ、本当にありがとう!」ととても喜んでくれて、修正もなくスムーズな制作だったと思います。それが今回グラミーにノミネートされたアルバム「DATA」のリード曲であり、1曲目「obstáculo」の頭のサウンドになりました。本当に色々な人の協力のおかげで、自分が意識してきた“日本人ならではの音”を実現できたので感謝しています。何より私がリスペクトするアーティストや世間の人々に評価してもらえたことがうれしいです。

タイニーとの仕事は私にとって大きなターニングポイントであり、改めてラテンアーティストのファンになるきっかけになりました。「DATA」にも参加しているラテンラッパーのヤング・ミコ(Young Miko)は、コラボレーションしてみたいアーティストの一人です。彼らは日本人や日本文化をリスペクトしてくれるし、私も彼らが持つバイブスが大好き。変な上下関係もないから、変に自分を閉じ込める必要がないのもやりやすい。ものづくりとは言え、結局は人間同士の相性ですから、お互い尊敬し合える仲間と作ると自然といいものが生まれるんだと思います。

ファッションスタイルから見える、クリエイティブの相性

WWD:ファッション広告の音源にも携わるが、ファッションと音楽は互いに影響すると思う?
TOMOKO:ファッションの話はあまり詳しくありませんが、音楽プロデューサーやトラックメーカーの話で言えば、なんとなく服装から「こんな曲を作るんじゃないかな」とイメージができたりします。価格帯やブランドは関係なく、その人がまとうスタイルに魅力を感じるかどうかで、クリエイションの相性が見えることもありますね。感覚的なものをビジュアル化できる要素として、ファッションはすごく分かりやすいと思います。あとずっと忘れないのは、昔先輩のプロデューサーに言われた「作家は常におしゃれに気を使わなきゃダメ」という一言。「アーティストたちを引っ張っていく立場だから、ダサかったら誰もついてこない」と。これは今でも、私が仕事をする中で意識するポイントかもしれません。

9月に国立新美術館で開催された「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」のテーマソングとしてidomの「Knock Knock」をプロデュースした

過去にスウェーデンでセッションウイークがあった時に、毎日洋服をすごい褒められて。多分日本人からしたら普通の服装だったんですけど、向こうの人からはかわいく見えたようです。“東京”そのものが海外からはブランドだったりするので、”東京人”が着ているだけでよく見えるのかもしれないですね。でも日本人の身だしなみへの気配りは素晴らしいと思うし、クリエイティブの繊細さにもそういうところが出ているように思います。日本の音楽って、Aメロ、Bメロ、サビ、Cメロ……1曲の中に細かく色々な展開が盛り込まれているのが特徴的で、海外の作家には手が込んだことをしてると感心されます。

大切なのは「チャンスが来たその時、差し出すカードはあるか」

WWD:若手クリエイターにアドバイスをするとしたら?
TOMOKO:音楽だけではないと思いますが、1つ目はとにかくやり続ける。今回のノミネートでも感じましたが、1曲作っただけで何かが実ることなんてあり得ない。ずっと作り続けて、実ってくるものが少し出てきて、その点と点が結ばれて、やっと大きくなるものなんだと思います。
また、人脈があるに越したことはないですが、大切なのは“チャンスが舞い降りた時に差し出すカードが準備できているか”。音楽業界だけではないと思いますが、人脈ばかり追いかけて、本来の自分の仕事や磨くべきスキルが置いてきぼりになっている人も多いのではないでしょうか。いくらチャンスがあっても、必要とされる能力が準備できていなければ実を結ばないし、弱みにつけ込まれてしまうかもしれない。実力があってこそ、人脈が活かされるものだと思います。

そして、魅力があるクリエイターたちはいつでも自分のスタイルを貫き続けている。制作を続けていく中でクライアントの要望に寄せなきゃならない時もでてくると思いますが、それらが世に出るということは、自分の手掛けた作品になるということ。ブレずに自分の仕事に責任を持つことが大切だと思います。

世界を目指す女性音楽プロデューサーの道しるべに


WWD:今回のノミネートを機に、海外へ拠点を移す可能性は?
TOMOKO:具体的な時期はまだ未定ですが、来年は再び海外移住を考えています。昔住んでいたニューヨークがいいかなと思っていたんですが、現地のソニーのスタッフに「ヒップホップやトラップならアトランタだし、ポップスならナッシュビル、全部を網羅したいならロサンゼルス。ニューヨークに住んでいるプロデューサーやアーティストでさえ、曲を作りにロサンゼルスに行くんだよ」と言われてから、やはりロサンゼルスでの経験も必要かなと思っています。

WWD:世界的に見て女性の音楽プロデューサーの数は少ないが、どうしてだと思う?
TOMOKO:この表現が正しいかはわかりませんが、やっぱり“男性脳っぽい”仕事だからじゃないですかね。常に技術がアップデートされる世界で、色々な機材やテクノロジーを使うので、ロジカルな思考を持つ男性に偏りがちな職業なんだと思います。一般的に、男性が理論的なのに対して女性は感情的だと言われますし、生理周期の影響で気分も変わる。逆に言えば、そういった女性のエモーショナルな部分からは多くのクリエイションが生まれるはずです。

WWD:次なる目標や、挑戦してみたいことは?
TOMOKO:もともと「海外に行ったら、目指すはグラミー・ノミネーション」と思っていたのですが、ありがたいことに今回達成することができました。まだ今回の結果はわかりませんが、次の目標は賞を獲得し、グラミー・ウィニング・プロデューサーになることかな。また、今回のノミネートはラテン部門なので、主要部門でノミネートされることも目標にしたいですね。
アワード以外の部分で個人的にチャレンジしてみたいのは、ドラムレスビートの制作かな。これまで自分が手掛けた楽曲で世に出ているものは、比較的ハードなビートが特徴的な作品が多いから、そういうリクエストをされることが多くて。もちろんハードなものを作るのも大好きですし今後も続けますが、違う世界観の音楽も好きだから作ってみたいです。

先述した通り、世界的な音楽産業の中でも女性プロデューサーは少なく、3%以下だと言われています。その中でアジア人と言ったら、本当にわずかなんじゃないかなと思います。そしてどうしても、アジア人というだけであまり期待されてないっていうか、少し下に見られがち。だからこそもっと頑張りたいし、世界で闘える日本人のプロデューサーが増えるとうれしいです。特に女性のプロデューサーの場合は前例がほぼないと思うので、私のことを良いサンプルにしてもらえるように、これからも精進していきたいと思います。

PHOTOS:RAYCA FUKAGAWA

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活況のセルフネイル市場 今年ヒットしたネイルを振り返る

コロナ禍で改めてセルフネイルに注目が集まるようになった。植物由来の成分で作るパリ発のヴィーガンネイルブランド「マニキュリスト(MANUCURIST)」は、動物実験を行わないクルエルティフリーで生産過程にもこだわり、ファンも多い。タカラベルモントが展開する「ノイロ(NOIRO)」は、2019年に誕生したネイル・ハンドケア総合ブランドで、プロユース、速乾、トリートメント成分inが特徴。全40色と豊富なカラーバリエーションでヒットしている。ディー・アップが展開する「トーンドロップ」は、塗りやすさ・肌映り・速乾性とモチの良さにこだわり、支持を集めている。これらベスコスでも支持を集めるネイル3ブランドに23年上半期の人気カラーを振り返ってもらった。

――― 23年上半期に1番売れたカラーは?

岩田真季「マニキュリスト」マーケィング・PR:“グリーン ナチュラル ネイルカラー コズミックローズ ”(15mL、2970円)。昨年1番人気だった“グリーン ナチュラル ネイルカラー ゴールド”(15mL、2970円)と比べて2倍以上の売り上げを誇っている。不動の人気No.1の“ポリッシュリムーバー”(100mL、3190円)と同じ点数を売り上げた。

一度塗りでもきれいな発色でムラなく塗りやすい点。また、ピンクがかったシルバーなので、グリッターなのに派手すぎず肌なじみが良いと好評だ。店舗やポップアップストアでの売り上げが好調で、実際にテスターを試した顧客がその発色や塗りやすさに驚かれることが多い。

川合未来タカラベルモント 化粧品マーケティング部ネイル担当:「ノイロ」は、繊細なパール、透け感、塗りやすさが支持されている。“S048”(11mL、1980円)は、発売1か月半で目標数達成した。

“S048”を含むコレクションは、ようやく人とたくさん会ったり遠出ができたりする雰囲気が出てきていたので、春を楽しむ気持ちを応援できるような優しい色味を目指した。消費者の気分に合致した結果だと思う。その中でも指先をきれいに見せてくれる、つける人を選ばない青みの落ち着いたサクラカラー“S048”が特に年代を超えて評価を得た。

篠原緑ディー・アップ マーケティング部 商品開発:6月んから販売する“マグネットネイルポリッシュ”(10mL、各1650円)のシリーズ。4色のラインアップすべてが人気となり、発売から約2週間弱で限定数を完売した。ネイルポリッシュの中に特殊な“マグネティックパール”を配合し、ジェルネイルで人気のマグネットネイルを、ネイルポリッシュで手軽に楽しめる点が支持されている。

LEDライトが不要で、通常のリムーバーで簡単にオフできる手軽さが、多くの顧客に喜んでいただけた。この製品は、爪に塗ってすぐに付属のマグネットスティックを近づけると、繊細なパールが磁力に反応して、魅惑的な陰影と奥行き感を楽しむことができる点が最大の特徴だ。マグネットの当て方でパールの反応の仕方も変わるので、自分だけのネイルデザインを楽しめる点も、セルフネイラーの探求心をくすぐるポイントだったのではないかと考える。

―――新色はどのようなプロセスを経て決定されるのか?

岩田真季「マニキュリスト」マーケィング・PR:フランス本国で新色が決定される。「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」や「プラダ(PRADA)」などのラグジュアリーブランドで経験を積み、微妙な色の違いに強いこだわりを持つ創業者のガエル ルブラ ペルソナージュ氏を中心に本国チームがファッション・映画・アートなどから影響を受けてストーリーを構築していく。この為、必ずストーリーと共に色が生まれる。トレンドカラーのみから決定するコレクションではないため、オリジナリティあふれるカラーラインアップとなっている。

篠原緑ディー・アップ マーケティング部 商品開発:シーズンごとのトレンドカラーを意識しながらも、手肌を美しく魅せることができる「肌映りの良さ」を考慮しながら色開発を行っている。また、重ねることで奥行が出るような透け感のある発色や、みずみずしいツヤ感など、テクスチャーにもこだわっている。色選びを楽しんでいただきたいという想いから、毎回色ごとにボトルラベルのデザインを変えている点もポイントだ。

また、ポリッシュだけでなくセミジェルネイルも好調だ。トータルハンドケアブランド「テモ(TEMOT)」は、自宅で楽しめるシール型ジェルネイルを2023年3月より発売。展開するソワンPR森瑞貴氏は「23年7月は、6月比で40%程度売り上げが伸長している。17種類のデザインが揃い、いちばん人気は、ブラウンのマーブル柄“floodwood”(TOP GELのみの価格、3278円)だ。サロンで施術を受けるよりも安価で、専用ネイルパウダーやトップジェルを使うことで、デザインをアレンジできる点も支持されている。

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1年限定で「流行通信」を手掛けた横尾忠則の審美眼

PROFILE:横尾忠則/グラフィックデザイナー プロフィール

(よこお・ただのり)1936年兵庫県生まれ。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、1972年ニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品する。1981年に「画家宣言」で画家に転向。以降は美術家としてさまざまな作品制作に携わる。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館した。2021年7月に東京都現代美術館で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」を開催。現在、12月3日まで東京国立博物館 表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展を開催している。

1980~1981年までの1年間限定で、「流行通信」のアートディレクターを務めた、美術家の横尾忠則。1981年に商業デザインから身を引く、いわゆる「画家宣言」の直前まで手掛けた13冊は、ライティングから作られたファッションストーリー、プロデュース的発想から生まれたアート連載、自身が撮影を手掛けた表紙など、どれもが冒険というべき、情報雑誌とは異なるものだった。最後の号は“さようなら”というメッセージを込めた、後ろ向きの人物の写真が表紙になっている。ときに挑発的で複雑な構成は、あらゆるスタイルを持たず、言語化することを捨てて身体の赴くままに描き続ける、横尾の絵画作品とも重なる。今回は「流行通信」と渋谷PARCOをテーマに新作のコラージュを作り上げた。約40年が経ち、改めて当時の「流行通信」を振り返る。

また、本号の発売と同時期に開幕し、12月3日まで東京国立博物館・表慶館で開催されている「横尾忠則 寒山百得」展では、約1年半で102点もの新作を描き上げた。これらの作品は、中国・唐の時代の詩人、寒山と拾得をモチーフに、短期間で一気に作り上げていった、その時々の感情と独自の解釈を交えながら再構築したシリーズ。自由奔放な画風とその創作性について話を聞くために、世田谷区・成城のアトリエを訪ねた。

1年間限定13冊の「流行通信」

−−1980年から1981年にかけて、ちょうど絵画に移行する端境期に雑誌のアートディレクターを引き受けられたのはなぜでしょうか?

横尾:理由は頼まれたから。グラフィックデザイナーは依頼がないと仕事が成立しないですよね。僕は常に受け身でしたから“頼まれたから”というだけなんです。森英恵さんにお昼に誘われた時に、「『流行通信』が続くまでアートディレクターをしてほしい」と言われて、半永久的ではプレッシャーになるので、1年という期間を限定して引き受けたわけです。最後の号の発売直前にもう1ヵ月だけ続けてほしいと言われて、後ろ向きの人物が表紙の号を作ったんです。

−−オファーがあった時に、森英恵さんからこういうふうに作ってほしいというような要望はあったのでしょうか?

横尾:全くなかったですね。「横尾さんの思い通りのものを作ってください」と言われました。だから、遊びの場を与えられた感じですよね。でも、やり方がわからないから、毎号作りながら輪郭が見えてきた感覚です。自分のイメージもあるから、カメラマンは決めないといけない。大勢が参加して、その都度決めていくのも面倒だし、表紙から小さいサイズの広告写真まで、1冊を1人のカメラマンが撮影したら簡単なので、十文字(美信)くんにお願いしたんです。個人写真集のようなイメージもありました。

−−どのようにカメラマンを決めていったのでしょうか?

横尾:他の雑誌でやってることを真似しても、「流行通信」としての存在価値がないですから、その度にファッションを撮ったことがなかったり、普段やっていないようなことをカメラマンにお願いしました。その時々の人選がうまくいけば成功すると思ってましたからね。カメラマンが初めてのものを撮影する時はまず、戸惑うんです。戸惑って悩みながら撮ることは、ある意味で初心にかえることでもあるし、そこから生まれるものは大抵新鮮なんですよ。職人的にファッション写真を撮っているカメラマンもいましたけど、僕はあまり興味がなかったです。それよりも見たことがない写真を撮ってほしかった。

浅井慎平とか藤原慎也、荒木経惟とかに、直接電話して交渉しました。例えば、藤原新也にお願いしたときは、ちょうど「シルクロード」の作品を撮っていて、「ファッション写真には興味がない」と話すんです。彼は理論家だったので「シルクロードを出発して、青山のファッションショーの舞台を終着点にしたら?」と説得したらおもしろがってくれて実現したんです。

−−有田泰而さんが表紙を撮影された、編集ページが全部白黒で作られた号も印象に残っています。

横尾:これ、おもしろいでしょう。白黒の号はクライアントから「広告が目立ち過ぎる」という指摘があったそうなんです。いつもは広告を目立たせたいけど、目立ち過ぎて嫌だということなんです。編集ページはカラーで広告は白黒っていう、逆の雑誌はたくさんあったんですけどね。

−−編集ページは横組みで、広告は縦組みというデザインもありました。

横尾:発想はみんなあるけど、実行するかどうかなんですよね。僕はあまり説得したくないので「これでお願いします」で終わりだから。細かい事はあまり言いませんでした。デザインは湯村輝彦くんと、もう1人若いデザイナーで養父正一くんでした。最初のコンセプトは、僕が伝えて2人が汲み取ってくれていたんですが、考え方が一致していたので、イメージが違うものはほとんどなかったように思います。

−−何かを繰り返していく中で様式やスタイルが作られていくように感じるのですが、毎号手掛けられる中で実験的な表現を続けられたのはなぜでしょうか?

横尾:理論がないですからね。でも、アバンギャルド精神はあまりなかったですね。変わったことをしたいっていうことだけだったのかもわかりません。森さんは「あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない」とは一切、言いませんでした。僕を解き放つような存在だったということが大きいと思います。先見性というか、ある意味で革命ですよね。

−−クライアントワークの中でも「流行通信」は横尾さんにとってどんな印象でしたか?

横尾:今、そう言われて気が付いたけど、それまでクライアントがいなかったんですよ。僕は企業の仕事もしましたけど、単発でポスターを作ったりする仕事でしたから、グラフィックデザインで、どうしても僕じゃなきゃいけないっていう仕事は『流行通信』が初めてかもしれません。

−−「流行通信」を手掛けられたあと、「グラフィックの時代が終わる」という個人的な感覚が降りてきたとお聞きしました。

横尾:本当のことを言うと、ピカソ展を見に行ったときに会場がものすごく混んでたんです。前に進めない渋滞状態ですよ。その状態が20分くらい続いたのかな。その時、僕の中で衝動的に「グラフィックをやめて次は美術をやれ」っていう概念のようなものがドーンときたんです。誰かが僕の後ろで叫んだのかと思うぐらいで、本当にびっくりしましたね。

そろそろグラフィックに飽きて、絵画をやりたいと思っていれば理解できますけど、そうではなかったですから。グラフィックは僕にとって天性の仕事でしたし、その頃は、海外の美術館から個展のオファーがいくつも来ていたんです。このままグラフィックデザインを続ければ、世界のトップランナーになれると思っていたし、グラフィックデザイナーとして幸福な瞬間に「グラフィックをやめて、絵画の道に行け」という波動というか、それが起こった。一種の洗脳のようです。

−−それは、ご自身の中から湧いてきたような感覚なんでしょうか?

横尾:僕のものじゃないですよ。だけど、僕の中を通らないと出てこないでしょう。それが、神か悪魔か知らないけれど、すごい強い力を送ってきたんです。そうすると、その力に抵抗できなかった。僕の中からグラフィックの概念がスーッと消えていくのがわかったわけです。遠くへ行く感じです。そして、目の前に壁ができて、アートがどんどんやってくるんです。アートをやりたいとは思っていないのにですよ。それで、これは洗脳だなと感じたんです。僕の宿命のプログラムにはそのタイミングでグラフィックから絵画に転向させる計画が組み込まれていたような気がします。こういうことが人生で実際に起こるんだと思いましたけど、これに似たような経験が過去にもあったんですよ。

−−幼少期とかでしょうか?

横尾:高校生のときです。当時は将来、郵便屋になろうと思っていたんですよ。絵は描いていましたし、学生展や県内の展覧会に入選したりもしましたけど、そこまで嬉しくはなかった。高校を出たら郵政研究所に2年入って、郵便屋になるつもりで準備していたんです。そしたら、校長先生に「郵便屋にはなるな」と言われたんですよ。

絵が描けるから芸術家にしたかったんでしょう。学校のPRにもなりますから。その後、ムサビ出身の先生に進められて受験をすることになりました。でも、受験日の前日の夜中に起こされて、「明日の試験は受けるのをやめてくれ」と言われたんです。先生の言うことは絶対ですから「どうしてですか?」とも聞かずに、翌日受験しないで、実家に帰ってきたんです。そしたら両親はものすごく喜んだんですよ。「お祝いしよう」って赤飯まで炊いてくれて。漫画みたいですけど、本当の話です。

−−今だとなかなか考えづらいですね。

横尾:今はみんな、きちんと反抗するでしょうね。でも、僕は帰ってきてしまった。そのことを担任に伝えたら、真っ青になって、先生の自宅の向かいにある印刷会社に電話をかけて、僕を就職させようとしたんです。頼んでないんですけどね。

そして、履歴書を書いている真っ最中に、加古川市の印刷会社から速達で「スケッチマンとして採用したい」とスカウトされたんですよ。僕が描いた西脇市の織物祭りのポスターが新聞に掲載されたのを見たそうなんです。今度はそのハガキをまた、担任の先生に持っていったら、「そっちに行ったほうが良い」と。

受験をせずに帰ってきた翌日にすすめられた会社の履歴書を書いている真っ最中に、別の会社からスカウトが来るなんていう、奇跡みたいなことが重なったんです。漫画みたいで、話としてはでき過ぎていますよね。

−−横尾さんにとってグラフィックデザインの出発点だったのでしょうか?

横尾:もう少し先ですね。結局、就職してもスケッチマンがなんのことかわかりませんでしたし、僕が作った包装紙もどこからも注文が来なかったんです。そこで、印刷物をクライアントに配達する役に回されたんです。大きな自転車で怖かったですよ。そしたら、ある日、運搬中に大雨に降られて8万円分の印刷物をすべて水に濡らしてしまったんです。当時の僕の給料が7000円の時代ですよ。すぐに「明日から君の机はないから」って言われたんです。意味がわかりませんでしたので、翌日も会社に行ったら「君はクビだよ」と言われて。雨が理由なので不可抗力ですけど、社長が言ってるからしょうがない。こういう受け身のスタンスが東京デザインセンターに行くまで続いたんです。僕は子どもの頃から受け身で生きてきたんですよ。主体的に何か事を起こすっていうことが、苦手な性格になってしまったわけです。

−−その後、グラフィックデザインでトップランナーになり、「流行通信」も手掛けらて、その後「画家宣言」をされました。

横尾:美術は僕の人生です。グラフィックに関しては全て仕事だと思っています。ただ、画家に転向する狭間の頃はグラフィックを捨ててもいいと思っていたんじゃないかな。

−−それが、1冊横組みのデザインだったり、ルールや作法から逸脱した表現に繋がったのでしょうか。

横尾:その解釈が正しいと思います。そこまで考えたことないですけど、話をしていて、そう思いますね。

−−今回は「流行通信」のロゴを使った作品について「ロゴを探すように見て欲しい」という言葉をいただきました。

横尾:作品の模様の中に「流行通信」のロゴがあるんですが、はっきりと読めないでしょう。雑誌として綴じられるのも良いけれど、大きなポスターにすると性格がはっきりするんじゃないかな。これは僕の美術、絵画とデザインが合体してるわけですから、グラフィックデザイナーのキャリアがなければできなかったことでしょうね。そういう意味では、記念すべき作品ですよ。

寒山拾得のようにニタニタ笑いながら鑑賞すればいい

−−現在、開催中の「寒山百得」展の作品は約1年半で102点を完成させたとお聞きして驚きました。

横尾:正確には1年2ヵ月ですね。半年くらいあいて1点だけ描いた作品があったので。

−−それぞれの作品には日付が書かれていて、間隔が2、3日だったり、同じ日付の作品もありましたので一気に描かれたのがわかりました。

横尾:そうそう。1回だけ同じ日に3点描いたんです。というのも制作期間中に急性心筋梗塞になってしまって、2週間ほど医者に筆を持っちゃダメって言われて、何もできなかったんですよ。それで、絵を描けない禁断症状を起こしてたので、午前と午後、夕方までに3点描けちゃったんです。ちょっと無理しすぎたかなっていう心配はありましたけど、その後、また元のペースに戻ったから、大丈夫でしたね。本当にアスリートの気分でした。アーティストじゃなくてアスリート。次はアスリート宣言でもしようかな。

−−スタイルを持たずに自由に絵を描くことは横尾さんの真骨頂であるとも思います。

横尾:それは僕の性格です。子どもの頃から何かに夢中になるけど、すぐに飽きちゃう。その性格で現在まできたんです。それでいうと、寒山拾得は中国、唐の時代の風狂の禅僧といわれるくらいはみ出した存在の究極の自由人。僕が絵を描くときに寒山拾得の力を借りて、何をやってもいいと思ったわけです。あとはアスリートになればいい。アスリートは瞬間芸術でもあるでしょう。例えば、バッターが球を打つ瞬間は頭は空っぽだと思うんです。考えてると打てない。どのスポーツでも、究極の瞬間はみんな空っぽになっていると思うわけです。

−−展示の締めくくりの作品が「RAMBOO」でした。アルチュール・ランボーとエドガー・アラン・ポー、マーロン・ブランドの「乱暴者」だったのが印象的でした。

横尾:ダジャレですよね。最後の人達も寒山拾得かもしれない。僕にとっては問題提起ですから、鑑賞者がそれぞれ感じ取ってくれたら良いです。その答えはバラバラでいいんですよね。今はコンセプチュアルでないと現代美術の最先端に立てないでしょう。僕は頭の中を空っぽにして、阿呆になりなさいって言ってるわけだから、およそ水と油です。だけど、その間にいるのは鑑賞者で、どちらを選択するのかはその人の自由ですよね。ところが僕の絵は頭で見ようとしても見られない。そこで初めて空っぽになるわけだから。そういう意味では2通りあっていいんじゃないかな。

−−横尾さんの中にも、寒山拾得が存在すると思いますか?

横尾:そう思いますね。でも、誰しも自由を希求してるわけですから、自分の中に小さな寒山拾得がたくさんいると思うんです。それを1人ずつ自分の中から取り出して自分のステージに乗せればいい。寒山拾得はそれを全て実践しました。だから、僕は絵を描くことによって実践したわけです。固定観念を開放してくれればいいですね。それが、芸術の持つ力だと思うんですよね。気分が良くなってニタニタ笑いながら寒山拾得みたいに観てもらえればいいんじゃないかな。

■「横尾忠則 寒山百得」展
会期 : 9月12日〜12月3日
会場 : 東京国立博物館 表慶館
住所 : 東京都台東区上野公園13-9
時間 : 9:30〜17:00
※入館は閉館の30分前まで
※月曜休館

Photography(Portrait) Mayumi Hosokura
Photography(Work) Niina Nakajima
Interview & Text Jun Ashizawa(Ryuko Tsushin)

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1年限定で「流行通信」を手掛けた横尾忠則の審美眼

PROFILE:横尾忠則/グラフィックデザイナー プロフィール

(よこお・ただのり)1936年兵庫県生まれ。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、1972年ニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品する。1981年に「画家宣言」で画家に転向。以降は美術家としてさまざまな作品制作に携わる。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館した。2021年7月に東京都現代美術館で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」を開催。現在、12月3日まで東京国立博物館 表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展を開催している。

1980~1981年までの1年間限定で、「流行通信」のアートディレクターを務めた、美術家の横尾忠則。1981年に商業デザインから身を引く、いわゆる「画家宣言」の直前まで手掛けた13冊は、ライティングから作られたファッションストーリー、プロデュース的発想から生まれたアート連載、自身が撮影を手掛けた表紙など、どれもが冒険というべき、情報雑誌とは異なるものだった。最後の号は“さようなら”というメッセージを込めた、後ろ向きの人物の写真が表紙になっている。ときに挑発的で複雑な構成は、あらゆるスタイルを持たず、言語化することを捨てて身体の赴くままに描き続ける、横尾の絵画作品とも重なる。今回は「流行通信」と渋谷PARCOをテーマに新作のコラージュを作り上げた。約40年が経ち、改めて当時の「流行通信」を振り返る。

また、本号の発売と同時期に開幕し、12月3日まで東京国立博物館・表慶館で開催されている「横尾忠則 寒山百得」展では、約1年半で102点もの新作を描き上げた。これらの作品は、中国・唐の時代の詩人、寒山と拾得をモチーフに、短期間で一気に作り上げていった、その時々の感情と独自の解釈を交えながら再構築したシリーズ。自由奔放な画風とその創作性について話を聞くために、世田谷区・成城のアトリエを訪ねた。

1年間限定13冊の「流行通信」

−−1980年から1981年にかけて、ちょうど絵画に移行する端境期に雑誌のアートディレクターを引き受けられたのはなぜでしょうか?

横尾:理由は頼まれたから。グラフィックデザイナーは依頼がないと仕事が成立しないですよね。僕は常に受け身でしたから“頼まれたから”というだけなんです。森英恵さんにお昼に誘われた時に、「『流行通信』が続くまでアートディレクターをしてほしい」と言われて、半永久的ではプレッシャーになるので、1年という期間を限定して引き受けたわけです。最後の号の発売直前にもう1ヵ月だけ続けてほしいと言われて、後ろ向きの人物が表紙の号を作ったんです。

−−オファーがあった時に、森英恵さんからこういうふうに作ってほしいというような要望はあったのでしょうか?

横尾:全くなかったですね。「横尾さんの思い通りのものを作ってください」と言われました。だから、遊びの場を与えられた感じですよね。でも、やり方がわからないから、毎号作りながら輪郭が見えてきた感覚です。自分のイメージもあるから、カメラマンは決めないといけない。大勢が参加して、その都度決めていくのも面倒だし、表紙から小さいサイズの広告写真まで、1冊を1人のカメラマンが撮影したら簡単なので、十文字(美信)くんにお願いしたんです。個人写真集のようなイメージもありました。

−−どのようにカメラマンを決めていったのでしょうか?

横尾:他の雑誌でやってることを真似しても、「流行通信」としての存在価値がないですから、その度にファッションを撮ったことがなかったり、普段やっていないようなことをカメラマンにお願いしました。その時々の人選がうまくいけば成功すると思ってましたからね。カメラマンが初めてのものを撮影する時はまず、戸惑うんです。戸惑って悩みながら撮ることは、ある意味で初心にかえることでもあるし、そこから生まれるものは大抵新鮮なんですよ。職人的にファッション写真を撮っているカメラマンもいましたけど、僕はあまり興味がなかったです。それよりも見たことがない写真を撮ってほしかった。

浅井慎平とか藤原慎也、荒木経惟とかに、直接電話して交渉しました。例えば、藤原新也にお願いしたときは、ちょうど「シルクロード」の作品を撮っていて、「ファッション写真には興味がない」と話すんです。彼は理論家だったので「シルクロードを出発して、青山のファッションショーの舞台を終着点にしたら?」と説得したらおもしろがってくれて実現したんです。

−−有田泰而さんが表紙を撮影された、編集ページが全部白黒で作られた号も印象に残っています。

横尾:これ、おもしろいでしょう。白黒の号はクライアントから「広告が目立ち過ぎる」という指摘があったそうなんです。いつもは広告を目立たせたいけど、目立ち過ぎて嫌だということなんです。編集ページはカラーで広告は白黒っていう、逆の雑誌はたくさんあったんですけどね。

−−編集ページは横組みで、広告は縦組みというデザインもありました。

横尾:発想はみんなあるけど、実行するかどうかなんですよね。僕はあまり説得したくないので「これでお願いします」で終わりだから。細かい事はあまり言いませんでした。デザインは湯村輝彦くんと、もう1人若いデザイナーで養父正一くんでした。最初のコンセプトは、僕が伝えて2人が汲み取ってくれていたんですが、考え方が一致していたので、イメージが違うものはほとんどなかったように思います。

−−何かを繰り返していく中で様式やスタイルが作られていくように感じるのですが、毎号手掛けられる中で実験的な表現を続けられたのはなぜでしょうか?

横尾:理論がないですからね。でも、アバンギャルド精神はあまりなかったですね。変わったことをしたいっていうことだけだったのかもわかりません。森さんは「あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない」とは一切、言いませんでした。僕を解き放つような存在だったということが大きいと思います。先見性というか、ある意味で革命ですよね。

−−クライアントワークの中でも「流行通信」は横尾さんにとってどんな印象でしたか?

横尾:今、そう言われて気が付いたけど、それまでクライアントがいなかったんですよ。僕は企業の仕事もしましたけど、単発でポスターを作ったりする仕事でしたから、グラフィックデザインで、どうしても僕じゃなきゃいけないっていう仕事は『流行通信』が初めてかもしれません。

−−「流行通信」を手掛けられたあと、「グラフィックの時代が終わる」という個人的な感覚が降りてきたとお聞きしました。

横尾:本当のことを言うと、ピカソ展を見に行ったときに会場がものすごく混んでたんです。前に進めない渋滞状態ですよ。その状態が20分くらい続いたのかな。その時、僕の中で衝動的に「グラフィックをやめて次は美術をやれ」っていう概念のようなものがドーンときたんです。誰かが僕の後ろで叫んだのかと思うぐらいで、本当にびっくりしましたね。

そろそろグラフィックに飽きて、絵画をやりたいと思っていれば理解できますけど、そうではなかったですから。グラフィックは僕にとって天性の仕事でしたし、その頃は、海外の美術館から個展のオファーがいくつも来ていたんです。このままグラフィックデザインを続ければ、世界のトップランナーになれると思っていたし、グラフィックデザイナーとして幸福な瞬間に「グラフィックをやめて、絵画の道に行け」という波動というか、それが起こった。一種の洗脳のようです。

−−それは、ご自身の中から湧いてきたような感覚なんでしょうか?

横尾:僕のものじゃないですよ。だけど、僕の中を通らないと出てこないでしょう。それが、神か悪魔か知らないけれど、すごい強い力を送ってきたんです。そうすると、その力に抵抗できなかった。僕の中からグラフィックの概念がスーッと消えていくのがわかったわけです。遠くへ行く感じです。そして、目の前に壁ができて、アートがどんどんやってくるんです。アートをやりたいとは思っていないのにですよ。それで、これは洗脳だなと感じたんです。僕の宿命のプログラムにはそのタイミングでグラフィックから絵画に転向させる計画が組み込まれていたような気がします。こういうことが人生で実際に起こるんだと思いましたけど、これに似たような経験が過去にもあったんですよ。

−−幼少期とかでしょうか?

横尾:高校生のときです。当時は将来、郵便屋になろうと思っていたんですよ。絵は描いていましたし、学生展や県内の展覧会に入選したりもしましたけど、そこまで嬉しくはなかった。高校を出たら郵政研究所に2年入って、郵便屋になるつもりで準備していたんです。そしたら、校長先生に「郵便屋にはなるな」と言われたんですよ。

絵が描けるから芸術家にしたかったんでしょう。学校のPRにもなりますから。その後、ムサビ出身の先生に進められて受験をすることになりました。でも、受験日の前日の夜中に起こされて、「明日の試験は受けるのをやめてくれ」と言われたんです。先生の言うことは絶対ですから「どうしてですか?」とも聞かずに、翌日受験しないで、実家に帰ってきたんです。そしたら両親はものすごく喜んだんですよ。「お祝いしよう」って赤飯まで炊いてくれて。漫画みたいですけど、本当の話です。

−−今だとなかなか考えづらいですね。

横尾:今はみんな、きちんと反抗するでしょうね。でも、僕は帰ってきてしまった。そのことを担任に伝えたら、真っ青になって、先生の自宅の向かいにある印刷会社に電話をかけて、僕を就職させようとしたんです。頼んでないんですけどね。

そして、履歴書を書いている真っ最中に、加古川市の印刷会社から速達で「スケッチマンとして採用したい」とスカウトされたんですよ。僕が描いた西脇市の織物祭りのポスターが新聞に掲載されたのを見たそうなんです。今度はそのハガキをまた、担任の先生に持っていったら、「そっちに行ったほうが良い」と。

受験をせずに帰ってきた翌日にすすめられた会社の履歴書を書いている真っ最中に、別の会社からスカウトが来るなんていう、奇跡みたいなことが重なったんです。漫画みたいで、話としてはでき過ぎていますよね。

−−横尾さんにとってグラフィックデザインの出発点だったのでしょうか?

横尾:もう少し先ですね。結局、就職してもスケッチマンがなんのことかわかりませんでしたし、僕が作った包装紙もどこからも注文が来なかったんです。そこで、印刷物をクライアントに配達する役に回されたんです。大きな自転車で怖かったですよ。そしたら、ある日、運搬中に大雨に降られて8万円分の印刷物をすべて水に濡らしてしまったんです。当時の僕の給料が7000円の時代ですよ。すぐに「明日から君の机はないから」って言われたんです。意味がわかりませんでしたので、翌日も会社に行ったら「君はクビだよ」と言われて。雨が理由なので不可抗力ですけど、社長が言ってるからしょうがない。こういう受け身のスタンスが東京デザインセンターに行くまで続いたんです。僕は子どもの頃から受け身で生きてきたんですよ。主体的に何か事を起こすっていうことが、苦手な性格になってしまったわけです。

−−その後、グラフィックデザインでトップランナーになり、「流行通信」も手掛けらて、その後「画家宣言」をされました。

横尾:美術は僕の人生です。グラフィックに関しては全て仕事だと思っています。ただ、画家に転向する狭間の頃はグラフィックを捨ててもいいと思っていたんじゃないかな。

−−それが、1冊横組みのデザインだったり、ルールや作法から逸脱した表現に繋がったのでしょうか。

横尾:その解釈が正しいと思います。そこまで考えたことないですけど、話をしていて、そう思いますね。

−−今回は「流行通信」のロゴを使った作品について「ロゴを探すように見て欲しい」という言葉をいただきました。

横尾:作品の模様の中に「流行通信」のロゴがあるんですが、はっきりと読めないでしょう。雑誌として綴じられるのも良いけれど、大きなポスターにすると性格がはっきりするんじゃないかな。これは僕の美術、絵画とデザインが合体してるわけですから、グラフィックデザイナーのキャリアがなければできなかったことでしょうね。そういう意味では、記念すべき作品ですよ。

寒山拾得のようにニタニタ笑いながら鑑賞すればいい

−−現在、開催中の「寒山百得」展の作品は約1年半で102点を完成させたとお聞きして驚きました。

横尾:正確には1年2ヵ月ですね。半年くらいあいて1点だけ描いた作品があったので。

−−それぞれの作品には日付が書かれていて、間隔が2、3日だったり、同じ日付の作品もありましたので一気に描かれたのがわかりました。

横尾:そうそう。1回だけ同じ日に3点描いたんです。というのも制作期間中に急性心筋梗塞になってしまって、2週間ほど医者に筆を持っちゃダメって言われて、何もできなかったんですよ。それで、絵を描けない禁断症状を起こしてたので、午前と午後、夕方までに3点描けちゃったんです。ちょっと無理しすぎたかなっていう心配はありましたけど、その後、また元のペースに戻ったから、大丈夫でしたね。本当にアスリートの気分でした。アーティストじゃなくてアスリート。次はアスリート宣言でもしようかな。

−−スタイルを持たずに自由に絵を描くことは横尾さんの真骨頂であるとも思います。

横尾:それは僕の性格です。子どもの頃から何かに夢中になるけど、すぐに飽きちゃう。その性格で現在まできたんです。それでいうと、寒山拾得は中国、唐の時代の風狂の禅僧といわれるくらいはみ出した存在の究極の自由人。僕が絵を描くときに寒山拾得の力を借りて、何をやってもいいと思ったわけです。あとはアスリートになればいい。アスリートは瞬間芸術でもあるでしょう。例えば、バッターが球を打つ瞬間は頭は空っぽだと思うんです。考えてると打てない。どのスポーツでも、究極の瞬間はみんな空っぽになっていると思うわけです。

−−展示の締めくくりの作品が「RAMBOO」でした。アルチュール・ランボーとエドガー・アラン・ポー、マーロン・ブランドの「乱暴者」だったのが印象的でした。

横尾:ダジャレですよね。最後の人達も寒山拾得かもしれない。僕にとっては問題提起ですから、鑑賞者がそれぞれ感じ取ってくれたら良いです。その答えはバラバラでいいんですよね。今はコンセプチュアルでないと現代美術の最先端に立てないでしょう。僕は頭の中を空っぽにして、阿呆になりなさいって言ってるわけだから、およそ水と油です。だけど、その間にいるのは鑑賞者で、どちらを選択するのかはその人の自由ですよね。ところが僕の絵は頭で見ようとしても見られない。そこで初めて空っぽになるわけだから。そういう意味では2通りあっていいんじゃないかな。

−−横尾さんの中にも、寒山拾得が存在すると思いますか?

横尾:そう思いますね。でも、誰しも自由を希求してるわけですから、自分の中に小さな寒山拾得がたくさんいると思うんです。それを1人ずつ自分の中から取り出して自分のステージに乗せればいい。寒山拾得はそれを全て実践しました。だから、僕は絵を描くことによって実践したわけです。固定観念を開放してくれればいいですね。それが、芸術の持つ力だと思うんですよね。気分が良くなってニタニタ笑いながら寒山拾得みたいに観てもらえればいいんじゃないかな。

■「横尾忠則 寒山百得」展
会期 : 9月12日〜12月3日
会場 : 東京国立博物館 表慶館
住所 : 東京都台東区上野公園13-9
時間 : 9:30〜17:00
※入館は閉館の30分前まで
※月曜休館

Photography(Portrait) Mayumi Hosokura
Photography(Work) Niina Nakajima
Interview & Text Jun Ashizawa(Ryuko Tsushin)

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1年限定で「流行通信」を手掛けた横尾忠則の審美眼

PROFILE:横尾忠則/グラフィックデザイナー プロフィール

(よこお・ただのり)1936年兵庫県生まれ。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、1972年ニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品する。1981年に「画家宣言」で画家に転向。以降は美術家としてさまざまな作品制作に携わる。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館した。2021年7月に東京都現代美術館で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」を開催。現在、12月3日まで東京国立博物館 表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展を開催している。

1980~1981年までの1年間限定で、「流行通信」のアートディレクターを務めた、美術家の横尾忠則。1981年に商業デザインから身を引く、いわゆる「画家宣言」の直前まで手掛けた13冊は、ライティングから作られたファッションストーリー、プロデュース的発想から生まれたアート連載、自身が撮影を手掛けた表紙など、どれもが冒険というべき、情報雑誌とは異なるものだった。最後の号は“さようなら”というメッセージを込めた、後ろ向きの人物の写真が表紙になっている。ときに挑発的で複雑な構成は、あらゆるスタイルを持たず、言語化することを捨てて身体の赴くままに描き続ける、横尾の絵画作品とも重なる。今回は「流行通信」と渋谷PARCOをテーマに新作のコラージュを作り上げた。約40年が経ち、改めて当時の「流行通信」を振り返る。

また、本号の発売と同時期に開幕し、12月3日まで東京国立博物館・表慶館で開催されている「横尾忠則 寒山百得」展では、約1年半で102点もの新作を描き上げた。これらの作品は、中国・唐の時代の詩人、寒山と拾得をモチーフに、短期間で一気に作り上げていった、その時々の感情と独自の解釈を交えながら再構築したシリーズ。自由奔放な画風とその創作性について話を聞くために、世田谷区・成城のアトリエを訪ねた。

1年間限定13冊の「流行通信」

−−1980年から1981年にかけて、ちょうど絵画に移行する端境期に雑誌のアートディレクターを引き受けられたのはなぜでしょうか?

横尾:理由は頼まれたから。グラフィックデザイナーは依頼がないと仕事が成立しないですよね。僕は常に受け身でしたから“頼まれたから”というだけなんです。森英恵さんにお昼に誘われた時に、「『流行通信』が続くまでアートディレクターをしてほしい」と言われて、半永久的ではプレッシャーになるので、1年という期間を限定して引き受けたわけです。最後の号の発売直前にもう1ヵ月だけ続けてほしいと言われて、後ろ向きの人物が表紙の号を作ったんです。

−−オファーがあった時に、森英恵さんからこういうふうに作ってほしいというような要望はあったのでしょうか?

横尾:全くなかったですね。「横尾さんの思い通りのものを作ってください」と言われました。だから、遊びの場を与えられた感じですよね。でも、やり方がわからないから、毎号作りながら輪郭が見えてきた感覚です。自分のイメージもあるから、カメラマンは決めないといけない。大勢が参加して、その都度決めていくのも面倒だし、表紙から小さいサイズの広告写真まで、1冊を1人のカメラマンが撮影したら簡単なので、十文字(美信)くんにお願いしたんです。個人写真集のようなイメージもありました。

−−どのようにカメラマンを決めていったのでしょうか?

横尾:他の雑誌でやってることを真似しても、「流行通信」としての存在価値がないですから、その度にファッションを撮ったことがなかったり、普段やっていないようなことをカメラマンにお願いしました。その時々の人選がうまくいけば成功すると思ってましたからね。カメラマンが初めてのものを撮影する時はまず、戸惑うんです。戸惑って悩みながら撮ることは、ある意味で初心にかえることでもあるし、そこから生まれるものは大抵新鮮なんですよ。職人的にファッション写真を撮っているカメラマンもいましたけど、僕はあまり興味がなかったです。それよりも見たことがない写真を撮ってほしかった。

浅井慎平とか藤原慎也、荒木経惟とかに、直接電話して交渉しました。例えば、藤原新也にお願いしたときは、ちょうど「シルクロード」の作品を撮っていて、「ファッション写真には興味がない」と話すんです。彼は理論家だったので「シルクロードを出発して、青山のファッションショーの舞台を終着点にしたら?」と説得したらおもしろがってくれて実現したんです。

−−有田泰而さんが表紙を撮影された、編集ページが全部白黒で作られた号も印象に残っています。

横尾:これ、おもしろいでしょう。白黒の号はクライアントから「広告が目立ち過ぎる」という指摘があったそうなんです。いつもは広告を目立たせたいけど、目立ち過ぎて嫌だということなんです。編集ページはカラーで広告は白黒っていう、逆の雑誌はたくさんあったんですけどね。

−−編集ページは横組みで、広告は縦組みというデザインもありました。

横尾:発想はみんなあるけど、実行するかどうかなんですよね。僕はあまり説得したくないので「これでお願いします」で終わりだから。細かい事はあまり言いませんでした。デザインは湯村輝彦くんと、もう1人若いデザイナーで養父正一くんでした。最初のコンセプトは、僕が伝えて2人が汲み取ってくれていたんですが、考え方が一致していたので、イメージが違うものはほとんどなかったように思います。

−−何かを繰り返していく中で様式やスタイルが作られていくように感じるのですが、毎号手掛けられる中で実験的な表現を続けられたのはなぜでしょうか?

横尾:理論がないですからね。でも、アバンギャルド精神はあまりなかったですね。変わったことをしたいっていうことだけだったのかもわかりません。森さんは「あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない」とは一切、言いませんでした。僕を解き放つような存在だったということが大きいと思います。先見性というか、ある意味で革命ですよね。

−−クライアントワークの中でも「流行通信」は横尾さんにとってどんな印象でしたか?

横尾:今、そう言われて気が付いたけど、それまでクライアントがいなかったんですよ。僕は企業の仕事もしましたけど、単発でポスターを作ったりする仕事でしたから、グラフィックデザインで、どうしても僕じゃなきゃいけないっていう仕事は『流行通信』が初めてかもしれません。

−−「流行通信」を手掛けられたあと、「グラフィックの時代が終わる」という個人的な感覚が降りてきたとお聞きしました。

横尾:本当のことを言うと、ピカソ展を見に行ったときに会場がものすごく混んでたんです。前に進めない渋滞状態ですよ。その状態が20分くらい続いたのかな。その時、僕の中で衝動的に「グラフィックをやめて次は美術をやれ」っていう概念のようなものがドーンときたんです。誰かが僕の後ろで叫んだのかと思うぐらいで、本当にびっくりしましたね。

そろそろグラフィックに飽きて、絵画をやりたいと思っていれば理解できますけど、そうではなかったですから。グラフィックは僕にとって天性の仕事でしたし、その頃は、海外の美術館から個展のオファーがいくつも来ていたんです。このままグラフィックデザインを続ければ、世界のトップランナーになれると思っていたし、グラフィックデザイナーとして幸福な瞬間に「グラフィックをやめて、絵画の道に行け」という波動というか、それが起こった。一種の洗脳のようです。

−−それは、ご自身の中から湧いてきたような感覚なんでしょうか?

横尾:僕のものじゃないですよ。だけど、僕の中を通らないと出てこないでしょう。それが、神か悪魔か知らないけれど、すごい強い力を送ってきたんです。そうすると、その力に抵抗できなかった。僕の中からグラフィックの概念がスーッと消えていくのがわかったわけです。遠くへ行く感じです。そして、目の前に壁ができて、アートがどんどんやってくるんです。アートをやりたいとは思っていないのにですよ。それで、これは洗脳だなと感じたんです。僕の宿命のプログラムにはそのタイミングでグラフィックから絵画に転向させる計画が組み込まれていたような気がします。こういうことが人生で実際に起こるんだと思いましたけど、これに似たような経験が過去にもあったんですよ。

−−幼少期とかでしょうか?

横尾:高校生のときです。当時は将来、郵便屋になろうと思っていたんですよ。絵は描いていましたし、学生展や県内の展覧会に入選したりもしましたけど、そこまで嬉しくはなかった。高校を出たら郵政研究所に2年入って、郵便屋になるつもりで準備していたんです。そしたら、校長先生に「郵便屋にはなるな」と言われたんですよ。

絵が描けるから芸術家にしたかったんでしょう。学校のPRにもなりますから。その後、ムサビ出身の先生に進められて受験をすることになりました。でも、受験日の前日の夜中に起こされて、「明日の試験は受けるのをやめてくれ」と言われたんです。先生の言うことは絶対ですから「どうしてですか?」とも聞かずに、翌日受験しないで、実家に帰ってきたんです。そしたら両親はものすごく喜んだんですよ。「お祝いしよう」って赤飯まで炊いてくれて。漫画みたいですけど、本当の話です。

−−今だとなかなか考えづらいですね。

横尾:今はみんな、きちんと反抗するでしょうね。でも、僕は帰ってきてしまった。そのことを担任に伝えたら、真っ青になって、先生の自宅の向かいにある印刷会社に電話をかけて、僕を就職させようとしたんです。頼んでないんですけどね。

そして、履歴書を書いている真っ最中に、加古川市の印刷会社から速達で「スケッチマンとして採用したい」とスカウトされたんですよ。僕が描いた西脇市の織物祭りのポスターが新聞に掲載されたのを見たそうなんです。今度はそのハガキをまた、担任の先生に持っていったら、「そっちに行ったほうが良い」と。

受験をせずに帰ってきた翌日にすすめられた会社の履歴書を書いている真っ最中に、別の会社からスカウトが来るなんていう、奇跡みたいなことが重なったんです。漫画みたいで、話としてはでき過ぎていますよね。

−−横尾さんにとってグラフィックデザインの出発点だったのでしょうか?

横尾:もう少し先ですね。結局、就職してもスケッチマンがなんのことかわかりませんでしたし、僕が作った包装紙もどこからも注文が来なかったんです。そこで、印刷物をクライアントに配達する役に回されたんです。大きな自転車で怖かったですよ。そしたら、ある日、運搬中に大雨に降られて8万円分の印刷物をすべて水に濡らしてしまったんです。当時の僕の給料が7000円の時代ですよ。すぐに「明日から君の机はないから」って言われたんです。意味がわかりませんでしたので、翌日も会社に行ったら「君はクビだよ」と言われて。雨が理由なので不可抗力ですけど、社長が言ってるからしょうがない。こういう受け身のスタンスが東京デザインセンターに行くまで続いたんです。僕は子どもの頃から受け身で生きてきたんですよ。主体的に何か事を起こすっていうことが、苦手な性格になってしまったわけです。

−−その後、グラフィックデザインでトップランナーになり、「流行通信」も手掛けらて、その後「画家宣言」をされました。

横尾:美術は僕の人生です。グラフィックに関しては全て仕事だと思っています。ただ、画家に転向する狭間の頃はグラフィックを捨ててもいいと思っていたんじゃないかな。

−−それが、1冊横組みのデザインだったり、ルールや作法から逸脱した表現に繋がったのでしょうか。

横尾:その解釈が正しいと思います。そこまで考えたことないですけど、話をしていて、そう思いますね。

−−今回は「流行通信」のロゴを使った作品について「ロゴを探すように見て欲しい」という言葉をいただきました。

横尾:作品の模様の中に「流行通信」のロゴがあるんですが、はっきりと読めないでしょう。雑誌として綴じられるのも良いけれど、大きなポスターにすると性格がはっきりするんじゃないかな。これは僕の美術、絵画とデザインが合体してるわけですから、グラフィックデザイナーのキャリアがなければできなかったことでしょうね。そういう意味では、記念すべき作品ですよ。

寒山拾得のようにニタニタ笑いながら鑑賞すればいい

−−現在、開催中の「寒山百得」展の作品は約1年半で102点を完成させたとお聞きして驚きました。

横尾:正確には1年2ヵ月ですね。半年くらいあいて1点だけ描いた作品があったので。

−−それぞれの作品には日付が書かれていて、間隔が2、3日だったり、同じ日付の作品もありましたので一気に描かれたのがわかりました。

横尾:そうそう。1回だけ同じ日に3点描いたんです。というのも制作期間中に急性心筋梗塞になってしまって、2週間ほど医者に筆を持っちゃダメって言われて、何もできなかったんですよ。それで、絵を描けない禁断症状を起こしてたので、午前と午後、夕方までに3点描けちゃったんです。ちょっと無理しすぎたかなっていう心配はありましたけど、その後、また元のペースに戻ったから、大丈夫でしたね。本当にアスリートの気分でした。アーティストじゃなくてアスリート。次はアスリート宣言でもしようかな。

−−スタイルを持たずに自由に絵を描くことは横尾さんの真骨頂であるとも思います。

横尾:それは僕の性格です。子どもの頃から何かに夢中になるけど、すぐに飽きちゃう。その性格で現在まできたんです。それでいうと、寒山拾得は中国、唐の時代の風狂の禅僧といわれるくらいはみ出した存在の究極の自由人。僕が絵を描くときに寒山拾得の力を借りて、何をやってもいいと思ったわけです。あとはアスリートになればいい。アスリートは瞬間芸術でもあるでしょう。例えば、バッターが球を打つ瞬間は頭は空っぽだと思うんです。考えてると打てない。どのスポーツでも、究極の瞬間はみんな空っぽになっていると思うわけです。

−−展示の締めくくりの作品が「RAMBOO」でした。アルチュール・ランボーとエドガー・アラン・ポー、マーロン・ブランドの「乱暴者」だったのが印象的でした。

横尾:ダジャレですよね。最後の人達も寒山拾得かもしれない。僕にとっては問題提起ですから、鑑賞者がそれぞれ感じ取ってくれたら良いです。その答えはバラバラでいいんですよね。今はコンセプチュアルでないと現代美術の最先端に立てないでしょう。僕は頭の中を空っぽにして、阿呆になりなさいって言ってるわけだから、およそ水と油です。だけど、その間にいるのは鑑賞者で、どちらを選択するのかはその人の自由ですよね。ところが僕の絵は頭で見ようとしても見られない。そこで初めて空っぽになるわけだから。そういう意味では2通りあっていいんじゃないかな。

−−横尾さんの中にも、寒山拾得が存在すると思いますか?

横尾:そう思いますね。でも、誰しも自由を希求してるわけですから、自分の中に小さな寒山拾得がたくさんいると思うんです。それを1人ずつ自分の中から取り出して自分のステージに乗せればいい。寒山拾得はそれを全て実践しました。だから、僕は絵を描くことによって実践したわけです。固定観念を開放してくれればいいですね。それが、芸術の持つ力だと思うんですよね。気分が良くなってニタニタ笑いながら寒山拾得みたいに観てもらえればいいんじゃないかな。

■「横尾忠則 寒山百得」展
会期 : 9月12日〜12月3日
会場 : 東京国立博物館 表慶館
住所 : 東京都台東区上野公園13-9
時間 : 9:30〜17:00
※入館は閉館の30分前まで
※月曜休館

Photography(Portrait) Mayumi Hosokura
Photography(Work) Niina Nakajima
Interview & Text Jun Ashizawa(Ryuko Tsushin)

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京都の古道具屋「ものや」 27歳のふたりの「ガラクタも“ギリギリあり”に見せる」セレクト感覚

京都市北区に店を構える「ものや」は、櫻井仁紀さんと吉田拓史さんによる古道具屋兼デザインスタジオだ。二人は京都工芸繊維大学で出会った同級生で、大学在学中の2018年からともに店を続けている。

店頭には、インテリアから灰皿やテープカッター、時にはひと目で用途が分からないガラクタのような雑貨までが並ぶ。デザインも北欧のムードが漂うスタイリッシュなものから、昔懐かしのチャーミングなものまでさまざま。独自のフィルターを通したユニークなセレクトで、共感する人を増やしている。

今年6月の渋谷ヒカリエに続き、12月1〜3日の期間は、中目黒のみどり壮ギャラリーでポップアップを開催する。東京での出店が増えたことでECサイトも動くようになったが、いまだに6〜7割の商品は店頭で売れるという。来店客は、京都の中心街から離れたこの店を目掛けて足を運んでくるのだ。そんな「ものや」の審美眼はどのように磨かれてきたのだろうか。そのセレクト感覚と店の歩みに迫った。

■「ものや」&「物百」 合同ポップアップ「什器」
会期:12月1〜3日
場所:中目黒みどり荘 ギャラリー
住所:東京都中目黒青葉台3-11 3階

「ものや」の仕入れの極意
「提案することで“ギリあり”になるか?」

「ものや」は、平日は櫻井さんがプロダクトデザインを請け負う「スタジオものや」などでクライアントワークを、吉田さんがワインバーなどで勤務しながら、金〜日曜日の3日間のみ店を開けている。価格帯は雑貨が500円〜、オブジェのようなものは5000〜1万円、家具は2〜3万円ほどだ。

店に並ぶものは、ほとんど全国のリサイクルショップで買いつけたものだという。「リサイクルショップで探すと、『ナショナル』や『サンヨー』などの日本のメーカーのレトロな照明や、1990年代のイケア(IKEA)の家具など、掘り出しものが多く集まる。ほどよく野暮ったいものや笑ってしまうようなものに出合えるのも魅力」。

買いつけは予定を合わせて二人で行くのがこだわりだ。「お互いにガラクタのようなものに引かれがちなので、アリ・ナシのジャッジをするために、もう一人の目が必要。どちらかが要らないと言えば仕入れないが、基本は見せたら相手も“めっちゃいいやん”となる。二人で行くと、いいものを見つけた時に帰りの車の中で一緒に喜べるのが楽しい」。

オープンした当初は特に、ガラクタのようなものが大好きだった。しかし、最近は少しセレクトの傾向が変わったという。櫻井さんは、「わけ分からないものだけを並べるのは、意外と楽しくない」と語る。「ひと目見て“尖ってる”と分かるようなものやことが、逆にかっこいいと思えなくなった。デザインが好きで、勉強してきた経験から、照明や時計、カップソーサーも上手く見立てられるだろうと考えた。使えるものをそろえながら、その中に遊びを同居させる楽しみを考える方向にシフトした」。

仕入れの際には、「『ものや』が提案することで“ギリあり”になるか」というフィルターで手に取るものを選ぶ。「誰が見ても“良い”ものも好き。でも、その辺に落ちていたら誰も気づかないものを、自分たちで綺麗に見せて“これ面白いんじゃない?”と提案すれば、誰かが魅力を見出して気に入ってくれるかもしれない。究極、海で拾ったかっこいいものがあったら売ることもある」。

例えば、工場から出たプラスチックの廃材もそのままオブジェとして販売している。「プラスチックは今、評価が難しい素材で、コントロールされた工場素材のようなイメージでも語られるが、一方的に決めつけられているような気もする。これは機械で作り始めた工程で、予期せぬ形になった部分を溶かしたもの。新しい側面が見えたら素材の見え方も変わるかもしれない」

「ものや」のおすすめ5選

「ものや」の二人に、店頭にあったものの中から“おすすめ5選"を選出してもらった。
※商品はすでに売り切れている場合がある

「ものや」が生まれた背景
デザインのアイデアの種を集めるために古道具屋をオープン

櫻井さんは岐阜県出身、吉田さんは奈良県出身。ともに京都工芸繊維大学の建築デザイン学科でプロダクトデザインを学んだ。授業は刺激的で、仲間たちとバイト以外の時間のほとんどを製図室で過ごし、夢中で課題に取り組んできた。櫻井さんは当時、バイト代の大半を注ぎ込むほどの古着好き、吉田さんはお酒や料理に凝っていたという。

「大学で“プロダクトデザインとはこういうもの”と学んだ型は、ファッションでいうと要素を削ぎ落としたノームコアのようなものだった。その反動もあってか、機能を持たない無駄な要素があって、思い切り遊んだデザインも面白いと思うようになり、自分たちで好き勝手やってみたい気持ちが芽生えた。

例えば、1980年代にイタリアで結成したメンフィス(Memphis)も、同じようにユーモアの欠けたデザインへの反発として積み木をゴツゴツと積み重ねたようなオブジェを作っていた集団だった。彼らの作品を仲間内で共有して、憧れを募らせた」。

櫻井さんはデンマークに留学して家具デザインを学び、吉田さんは1年早く大学4年生になったが、企業への就職には前向きになれなかった。「いつかはデザイン事務所をやりたいと考えていたから、たくさんの物に触れて、アイデアの種を集める必要がある。それなら、物をたくさん見て売ればいいとサードプレイスとして古道具屋を始めようと思った」。

京都は家賃が安くて若者も多く、同じく若くして古道具屋をやっている大学時代の先輩もいた。その環境が後押しして、大学近くの一乗寺エリアにあるビルの地下の小さな部屋に、「ものや」をオープンした。「分かりづらく、かなりアングラな感じで」営業していたが、オープンから間もなく来店客が頻繁に訪れるようになった。

「お客さんが4人も来ればいっぱいになってしまう小さな部屋で、「ものや」を目掛けて来てくれる人とじっくり向き合えなかった。それなら、もっと自分たちで文化を作っていけるまっさらな街で、一人一人と向き合えたほうがいいと感じて、この場所に移転した」。

自分たちで改装する前提で選んだのは、築100年を超えた一軒家。当初は二人で2階に住み、生活の拠点とした。改装にかかる費用を計算するより先に次々とアイデアが湧いて、ホームセンターに足を運んだ。その結果、櫻井さんは「途中で全然お金がなくなった(笑)」と振り返る。

「ものや」が考える古道具屋の未来
「いつかは古着の文化と同じように」

近年、古道具屋を新しく始める人が増え、シーンが活気づいているのを感じるという。京都で月1回開催されている、古道具屋、古着屋が集まる「平安蚤の市」には、店を楽しそうに見て回る若者の姿もあり、大衆にも受け入れられ始めている。

「今、古着の文化が成熟していて、どこかの都市に行けば必ず古着屋が1店はある。古道具の文化も同じように変わっていくと思う。古着屋はもともと海外の文化だけど、“もの”は日本とヨーロッパ、どちらも発達してきて、どの国のどの都市に行ってもその地の“もの”がある。これから先、全国各地にもっと古道具屋が増えれば、巡るのがもっと楽しくなるはず」。

また、櫻井さんは現在、同じく京都で建築などに携わる同世代とSIBOというデザインユニットを作り、建物のブランディングから内装、ロゴデザインまでを担うデザインコレクティブにも参加している。そのユニットのパートナーも大学時代から親しい先輩だという。「根本的にはデザインしたいという気持ちが強い。今は集めてきたものがインスピレーション源となって、どのように自分のデザインに表出するかに興味がある。例えば、照明から吸収した要素が椅子のデザインに現れるかもしれない。自分でもいかに出合ってきたものたちから影響を受けているか分かっていないが、食べ物が体を作るように自分の血となっているはずだ」。

吉田さんは、府内の複数の飲食店で勤務している。お互いの強みを持つことを考え、選んだのは飲食の道だった。今後は「ものや」とクロスオーバーして飲食のサービスを展開することも視野に入れているという。「『ものや』の食器やカップソーサーと掛け合わせてできることもあるし、何より飲食店は、人が分け隔てなく集まる場でコミュニケーションが生まれやすい。もし出会ったお客さんがロゴをデザインしたいと考えていたら、僕たちがデザイナーを紹介することもできる。『ものや』が人の輪を生むハブとなるのが理想だ」。

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α・Z世代男子の「脱毛意識」 スキンケア以上に悩みは深い!? 

α・Z世代の男性にスキンケアの話を聞く中で、思いがけず、本題以上に盛り上がったのが「脱毛」に関する話題である。Z世代に限らず、あらゆる世代において「男性心理」の裏側が垣間見えるムダ毛事情。今後拡大が予想される「メンズ脱毛」について考えたい。

近年はサウナの影響も?
男性の間で高まる「脱毛」への関心

仕事柄、友人から美容相談を受ける機会がある。ここ4~5年で目に見えて増えたのが、「思春期の息子がムダ毛に悩んでいて、家庭用脱毛器が知りたい」という相談だ。中学生~高校生の男子は、除毛クリームや剃刀でムダ毛の処理にいそしんでいるというから、最初の頃は驚いてしまった。

「鈴木ハーブ研究所」が20~40代の男性300人に行ったアンケート調査によると、「これまで体毛を処理した経験がある人」は全世代で41%を占め、最も多い20代は半数超えの54%だった。「体毛を処理する際に気にするポイント」としては「家庭で気軽にできること」が圧倒的1位を占め、全世代の49.6%、20代では実に61.1%が家庭で気軽にできることを重視していた。

「ヤーマン(YA-MAN)」の島田京代 ブランド戦略本部PR担当によると、「ここ数年家庭用の光美容器への関心が高まっています。現在、当社で人気があるのはパワーが強く、処理スピードが早い『高機能な機種』です。Z世代の美肌志向・美容意識の高まりに加え、テレワークの浸透やサウナの流行もあって、ムダ毛を意識する男性が増えているのかもしれません」と話す。

光美容器に限らずではあるが、「ヤーマン」の顧客の一定数は男性が占めているという。2018年に登場した“メディリフト”シリーズは約20%、最新の“レイボーテ”シリーズは約30%が男性の顧客だ。

Z世代男子が語る「ムダ毛意識」とリアルな脱毛事情

脱毛に関して20代前半のZ世代男子はどう感じているのだろうか。スキンケアの取材中に盛り上がった内容を紹介したい。

登場するのは前回と同じく、一般企業の営業職のウタさん(23歳、学生時代は特別ファッションや美容に関心なし)、一般企業のリサーチ部門に所属する二郎さん(23歳、学生時代はファッションサークルで活動)、服飾系の大学に在籍中のヒデキさん(22歳、ファッションにも美容にも関心が高い)という、美容に対して感度の異なる3人である。

ウタ:僕はスキンケアより、断然脱毛が気になります。

二郎:僕も興味ある。今は特に何もしてないですけど。

ヒデキ:僕は時々、除毛クリームを使っています。「ムダ毛は一切いらない」と思っているので、たまに家にある脱毛器を使ったりしますね。

―――同世代の友人で、脱毛している人はいる?

ウタ:剃ってる人は、まあまあいますね。3割くらい…?

二郎:半数までいかないけど、います。サウナに行くと「除毛クリーム使ってるな」とか「剃刀のあとが伸びてるな」とか分かるんです。

ヒデキ:同じく半数までいかないけど、一定数います。ヒゲ脱毛している子もいる。

彼らの話を聞いていると「やるか、やらないか」は別にして、同世代の多くが脱毛に関心を持っている様子がうかがえた。スキンケアや美容には一切関心がなく、客観的に「剛毛ではないのでは?」というウタさんが、脱毛に関して言及していたのも印象的だった。

口にはしないけど、潜在的なニーズが大きい「ムダ毛問題」

個人的に驚いたのは、今回「家庭用脱毛器」の使用経験者が3人中2人だったことだ。

ウタ:男性は毛が濃いので、剃ると逆に目立つじゃないですか。だったら脱毛器のほうがいいかなと。でも、結局効果が分らなくてやめてしまった。

二郎:分かる。僕は剛毛なので、脱毛は「やり続けるか、やらないか」の二択。すねはずっと剃ると大変だし不自然だから、脱毛器は興味ある。

ウタ:すねもそうだけど、僕は服で見えない部分が気になるんですよ。お腹とか胸とか、正直他人は気にしないと思う。でも「自分的にすごく嫌」というか……。

ヒデキ:「自分的にすごく嫌」ってあるよね。僕は体毛もヒゲもまばらに生えるのがコンプレックスで、「全部なくしたい」と思うようになった。

二郎:普段こんな話しはしないから知りようもないけど、自分も含めて、実は体毛に悩んでいる男性は多いんじゃないかと思った。

確かに、男性同士でムダ毛について深く語り合う機会は、少ないだろう。実際に言葉にしてみると、非常にパーソナルな美意識に基づいており、部位も悩みの質も個人によってそれぞれ異なる。そしてこの悩みは、年代を問わず、男性が密かに抱えているのではないかと思う。

30代男性の約2割が「ヒゲ脱毛」の経験あり

Z世代の彼らは、レーザー脱毛に関してもとっくにリサーチ済みだった。

ウタ:男性のレーザー脱毛って高いんだよね。

ヒデキ:そうそう、女性は30万円くらいなのに、男性は50万円とか。

ウタ:パーツが細かく分かれて、部位ごとに加算されてく感じ。だったら家庭用脱毛器を試してみようという気になる。

二郎:僕は体毛より「ヒゲ脱毛」に興味があるかな。手間を省きたいし、肌が弱いから剃るより絶対いい。社会人になってボーナスが出たら考えたいなと。

前述の鈴木ハーブ研究所の調査によると「ヒゲ脱毛に興味はありますか」という問いに対して「興味がない」と回答した男性は全世代では53.3%。逆にいうと46.7%は興味を抱いていることになる。

特筆すべきは「ヒゲ脱毛経験のある男性」が、30代で19%にのぼったことだ。可処分所得が増える30代男性のすでに約2割が経験しているということは、今後Z世代が年齢を重ねた時に、ヒゲ脱毛経験者はより増加するのではないだろうか。

クリニックでも増える、若年層の脱毛患者

実際にクリニックに来院する脱毛患者の傾向は変わっているのか。アヴェニュー六本木クリニックの寺島洋一院長は、「男性の脱毛は年々増加傾向にあり、当院では現在若い人が多数を占めます。10代~20代でクリニックに来院する男性は、ムダ毛に対して『清潔感が低下する』『女性からの印象が良くない』と感じているようです」と話す。

まだ成長期であるティーンの頃に、レーザー脱毛をすることに問題はないのだろうか?「医療行為としては問題ありません。皮膚の観点からすると、カミソリや毛抜きを使ってご自身で脱毛するより、肌にダメージを与えにくい面があるでしょう。医療用のレーザー脱毛と、エステや家庭用脱毛器の違いは『照射の出力』です。不可逆的な効果、つまり照射後にムダ毛が生えてこないのは、医療用レーザーのみ。逆にパワーが弱いと『硬毛化』のリスクがあります」。

硬毛化とは、レーザー脱毛時にまれに発生する症状で、体毛がかえって硬く濃く変成してしまうこと。メカニズムはまだよく分かっていないが、医療用のレーザー脱毛を続けることで、最終的には減毛していくという。

ヒゲにおいても体毛においても、根本的な脱毛を希望するなら、やはり医師のもとで行う医療用レーザー脱毛が、安全かつ確実な方法といえそうだ。しかし、費用の面や居住地によっては、近くに通えるクリニックが少ないなど、現時点ではハードルも存在している。

その一方で、中高生の時点ですでに、脱毛に関心を持つ男性が増加しているのは、紛れもない事実。今後Z世代やα世代が年齢を重ねた時に、脱毛や除毛コスメを取り巻く状況はどう変化するだろう? 少なくとも脱毛は、今後メンズ美容を語る上で欠かせない存在であり、間違いなく拡大していくことを実感した取材だった。

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ジュエリー上級者が選ぶ「ミオ ハルタカ」のデザイナーが語る“かわいい”の切り取り方

日本発ジュエリー「ミオ ハルタカ(MIO HARUTAKA)」の国内唯一の店舗が麻布台ヒルズにオープンした。同ブランドは、ジュエリーブランド「ビジュードエム(BIJOUX DE M)」を手掛けるデザイナーの春高未欧が2018年に設立。

動物や花といった植物をモチーフにしたジュエリーを提案している。国外では、米「バーグドルフ グッドマン(BERGDORF GOODMAN)」や英の「ドーバー ストリート マーケット ロンドン(DOVER STREET MARKET LONDON)」など、感度の高い店舗で販売されている。春高にクリエイションやブランドについて話を聞いた。

子どもの頃に決めたクリエイターという道

春高は20歳になった記念に、ジュエリーデザイナーだった母に勧められて初めてジュエリーを制作。うさぎをスケッチしてジュエリーにしようとしたが、職人に「つくれない」と言われたそう。春高は、「他に欲しいジュエリーがなかったし、1年かけてつくって、それがとても楽しかった」と話す。ブランドのシグニチャーであるデイジーフラワーのリングなども制作。自分でデザインしたジュエリーを着用していたところ、褒められることが多かったという。「子どもの頃から漠然とクリエイターになると決めていた。母の影響もあったし、身近に職人もいたのでジュエリーだったらつくれるかもと思った」。彼女は母のサポートを受けて2011年に10点から構成される初のジュエリーコレクションを制作した。そして自身のブランド「ビジュードエム」をスタートし、デイリーに着用できるジュエリーを提案している。

動物のかわいらしい動きを切り取りジュエリーに

18年、海外進出をきっかけに誕生したのがハイエンドラインの「ミオ ハルタカ」だ。同ブランドは、1点ものがほとんど。「動物や植物をモチーフに、自分の好きなものだけをデザインする。“かわいい”のが大事なポイント。私自身の記憶を体現したジュエリーを提案している。一つ一つ丁寧に制作する」。初めてつくったうさぎは、飼っていたうさぎをモチーフに、新作のシロクマのジュエリーはお気に入りの星野道夫の絵本「ナヌークの贈り物」が着想源だ。「動物のかわいらしい一瞬の動きを切り取ってジュエリーに落とし込む。シロクマのジュエリーは花を持つ角度にこだわった」と春高。多くのジュエラーが自然をモチーフにしたジュエリーを制作しているが、「ミオ ハルタカ」のジュエリーは、思わずほほ笑むようなかわいらしさに溢れている。日本での売れ筋は、マーガレットやうさぎモチーフで、海外では、ヘビのモチーフが人気だという。ヘビのジュエリーも、繊細でしなやか、日本発のジュエリーならではの細やかな細工が施されている。「日本では、かわいい要素が大切だが、海外では、大人っぽいエレガントなものの人気が高い」。

“知る人ぞ知る”ブランドとして大切に育てる

現在販売しているアメリカの4店舗、イギリス、フランス、香港の各1店舗に麻布台ヒルズ店が加わった。日本で唯一「ミオ ハルタカ」のジュエリーを手に取ってみることができる場所だ。店舗デザインは、新素材研究所が担当。沖縄のトラバーチンを使用した店舗の至る所に“円”のモチーフが採用されており、穏やかで落ち着いた雰囲気だ。同ブランドのジュエリーを好むのは40~60代のジュエリー上級者。女性が多いが、中には男性ファンもいる。顧客に関して春高は、「ハイブランドは既に持っていて、遊び心のあるジュエリーを探している自信のある女性が多い」と言う。国内唯一の店舗の奥にはサロンも設け、ビスポークオーダーも受け付ける。「自分らしさを残しながら、アートピースをつくる気持ちで妥協せずジュエリーをつくっていきたい。看板を出すというよりは、“知る人ぞ知る”ブランドであることが大切。1点ものを増やし、ブランドとして大切に育てたい」。「ミオ ハルタカ」で新作が登場するのは1年に2点程度。花びらを動かせるようにセッティングしたり、裏側まで美しく見えるよう細部にまでこだわりデザインするからだ。「宝石には目に見えないものが宿っている。ジュエリーは未来永劫輝くもの。人の一生以上輝くものとして制作し、販売する責任がある。特別な場にふさわしいジュエリーをつくっていきたい」。

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彫金に魅せられたデザイナーによる「シービー ジュエリー スタジオ」 インスタで広がるビジネス

「シービー ジュエリー スタジオ(CB JEWELRY STUDIO以下、シービー)」は、デザイナー兼クラフトマンの高橋侑花が北海道で2015年にスタートしたジュエリーブランドだ。22年、高橋が東京の竹藪がある物件に一目ぼれし、拠点を東京に移した。彼女はそれ以前も、直感に従って進路を決めてきたという。「シービー」では、毎月30〜40個ほどジュエリーを受注販売しており、価格帯はシルバーのピアスで1万円前後。フルオーダーも受け付けており、ブライダルの利用者もいる。インスタグラムを通して着々とブランドのファンを増やし、7月には伊勢丹新宿本店で初のポップアップを開催した。高橋の、一人ひとりに寄り添う温かい人柄と、丹精を込めてつくるジュエリーが、顧客の心をつかんでいる。同ブランドのジュエリーを愛用する筆者が、クリエイションについて聞いた。

ブランド設立のきっかけはインスタグラム

WWDJAPAN(以下、WWD):ジュエリーに携わるようになったきっかけは?

高橋侑花「シービー ジュエリー スタジオ」デザイナー兼クラフトマン(以下、高橋):趣味でビーズジュエリーをつくり、撮った写真をインスタグラムに載せたところ、「購入したい」という声があり、販売を始めました。大学卒業後は米ボストンに留学し、帰国後に就職活動をしましたが、ピンとくる仕事がなく途方に暮れていたときに、ふと、小指に着けていたシルバーの指輪が目に入ったんです。それが彫金に興味を持ったきっかけです。英国のエリザベス女王御用達のジュエリー工房で経験を積んだ職人の教室を見つけ、通い始めました。そこでつくった指輪の写真をインスタグラムに載せたところ、問い合わせがあり、すぐに売れました。彫金が楽しくジュエリーをつくりたいという思いと、お客さまの声があって、「シービー」を設立しました。

WWD:ブランドの体制や販路は?

高橋:制作から販売、配送まで、全て一人で手掛けています。もともとはECのみでしたが、昨年から東京のアトリエでも受注を開始しました。また、「シービー ビンテージ(CB VINTAGE)」と題して、海外で買い付けたビンテージのジュエリーも不定期で販売しています。目黒のアートスペース「エバランダート(EVERANDART)」では、「シービー ビンテージ」のジュエリーに加え、ビンテージのカトラリーや食器などを販売しています。

WWD:ブランドコンセプトは?

高橋:“大切な記憶をジュエリーに残す”です。多くのお客さまが、人生の節目や記念にジュエリーをオーダーしてくださいます。「シービー」のジュエリーが、大切な記憶と結び付いたお守りのような存在になれたらと願っています。

WWD:デザインや制作におけるこだわりは?

高橋:まだ見たことのないような、斬新なデザインにこだわっています。見た目のかわいさだけでなく、重量感や着け心地などにも気を配っています。一つひとつ手づくりしているので、温かみを感じられるのも特徴です。

WWD:ブランドの強みは?

高橋:サイズを1mm単位でオーダーできるところです。微差でも着け心地が変わってくるので、ずっと着けていてもストレスを感じないようフィット感にこだわっています。彫金の技術に自信を持ち始めた頃から、フルオーダーも受け付けるようになりました。ブライダルで利用してくださるお客さまもいます。リメイクも対応します。代々受け継ぐジュエリーを新しいアイテムにつくり替えたり、ルース(裸石)を外してピアスやネックレスに再利用したり。お客さまからは、「直接話して希望のリメイクをかなえてもらえる場は貴重なのでうれしい」という声をいただいています。

WWD:ベストセラーは?

高橋:ブランド設立当時から作っている“BIG INITIAL RING”で、「シービー」のファンなら必ず一つは持っていると言っても過言ではありません。絶妙なボリューム感で、性別問わず着けられます。シンプルな洋服のワンポイントになる存在感が人気の理由だと思います。雑誌「キャンキャン(CanCam)」でも紹介されました。

WWD:新作の予定は?

高橋:留め具がなく、肌になじむ“スキンジュエリー”を出す予定です。ヨーロッパでは約3〜5年前からトレンドで、一度着けると取り外せないので、タトゥーのような感覚で楽しんでもらえると思います。

寺嶋香奈と協業する「ケーシービー」はたくさんの愛がテーマ

WWD:ブランドの転機は?

高橋:拠点を東京へ移したことです。予約制で週3回アトリエを開くようになり、リメイクやブライダルのオーダーが増え、売り上げが2倍になりました。また、ジュエリーブランド「ケー.(K.)」を手掛ける寺嶋香奈さんと立ち上げた「ケーシービー(KCB)」が好評で、伊勢丹新宿本店でのポップアップが決まりました。

WWD:「ケーシービー」とは?

高橋:寺嶋さんがディレクションを、私が制作を担当しています。デザインは2人で行います。ファッションやライフスタイルなど、正反対の私たちですが、2人の“重なる思い”を表現しています。「ケーシービー」は“愛”にフォーカスしたアイテムが多く、代表的な商品は“LOVES TOP”のネックレスです。“LOVES”は“LOVE”の複数形で、たくさんの愛をたくさんの方向へ向けて、自分自身も目一杯愛してほしいという思いを込めています。

WWD:伊勢丹新宿本店で開催したポップアップの反響は?

高橋:認知度が広がりました。「ケーシービー」第3弾“LOVED STATION NECKLACE”のアルファベットパーツを選べる、ポップアップ限定カスタムが好評でした。お客さまと一緒にデザインを考える時間が幸せでしたね。

WWD:今後はブランドをどのように成長させたい?

高橋:香港のセレクトショップでホリデーシーズン限定のオーダーを受け付けました。オーナーは、インスタグラムを通して出会ったお客さまで、アトリエに訪れた際に、香港の受注会の提案をしてくれました。今後は台湾や韓国など、アジア圏で認知度を広げていきたいです。また、日本各地でもポップアップを開催し、より多くの人に「シービー」を知ってもらえたらうれしいです。

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「YSL」新事業部長に聞く“クチュールビューティ”戦略 元製品開発ディレクターだからこそ見える景色

「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT、以下 YSL)」の新事業部長にジャロン・チャン氏が8月に就任した。チャン事業部長は2004年にロレアルに入社して以来、19年間化粧品事業に従事する。直近3年間はパリの本部でグローバル メイクアップ製品開発チームのディレクターを務め、商品やブランドへの造詣が深い。全アイテムのストーリーを語れるというほど「YSL」に愛情深く向き合うチャン事業部長に、就任後のミッションや日本市場での狙いについて聞いた。

“クチュールブランド”「YSL」を次のレベルへ

WWD:日本の事業部長に就任し、ミッションをどう捉えているか。

ジャロン・チャン=日本ロレアル ロレアル リュクス事業本部 イヴ・サンローラン・ボーテ事業部 事業部長(以下、チャン事業部長):前任の長谷事業部長(現ランコム事業部長)が育てた「YSL」を次のレベルに引き上げることだ。日本は世界第3位の市場で重視している。「YSL」はラグジュアリーさとシックさを兼ね備えた“クチュール ビューティブランド”だ。パリで商品開発した経験を生かしながら、私自身のブランドへの愛を広く伝えて高みを目指す。

WWD:シンガポールに生まれ、ニューヨーク、上海、パリでキャリアを積んだ。日本に縁はある?

チャン事業部長:個人的にとても親しみがある。仕事では「シュウ ウエムラ(SHU UEMURA)」を担当している時に来日したが、ダンスの交換留学で岩手に訪れた経験もある。幼い頃は母からよく日本の話を聞いていた。母がハネムーンで来日していて、1960年代のモノクロ写真も見た。日本で仕事ができることは光栄で、個人的にも新たな自分を再発見できたらと楽しみにしている。

キャップの音やクッションの弾力まで
細部へのこだわりこそがラグジュアリー

WWD:「YSL」と他のブランドとの大きな違いは?

チャン事業部長:主に、商品の作り方だ。ブランドの遺伝子をひも解くことから始めている。それぞれの商品には核となるアイデアがあり、これがDNAと結びついている。例えば、アイシャドウ“クチュール ミニ クラッチ”の“400 バビロン ローズ”はイヴ・サンローランが住んでいた通りと、彼が好きだったバラから名前を取った。“500 メディナグロウ”は、彼が愛着を持っていたモロッコ西部マラケシュの旧市街、メディナの景色が着想源。彼は旅があまり好きではなかったが、いろいろな旅を想像することを楽しんでいた。その気持ちを反映させた。

WWD:長らく商品開発に携わった。こだわりは?

チャン事業部長:グローバル メイクアップ製品開発チーム ディレクターの時には、デザインと処方の両方にこだわった。特に9月にローンチしたクッションファンデーションは私が手掛けたので、まるで自身の子どものような商品だ。閉める時のカチッという音やバッグの質感を目指した黒いクッションの弾力感まで、何度もやり直したのでぜひ試してほしい。

アイシャドウのアプリケーターにも気を配った。細かい部分にも色をのせられるかを確認したり、消費者の声を反映してチップに使う順番を記載したりと、使いやすいさを追求した。高価なものなので、ささいな瞬間まで楽しんでいただきたい。ほとんどの人が気付かないような細かいこだわりこそが、ラグジュアリーの定義だと思っている。

日本ではメイクとフレグランスに注力
人生を楽しむ後押しを

WWD:チャン事業部長が商品開発を手掛けたコロナ禍以降、商品の魅力が増したように感じる。細部へのこだわりが日本市場に受け入れられている?

チャン事業部長:そう言ってもらえるとうれしい。今年、クッションファンデーションとアイシャドウの2つは発売してすぐ売り切れてしまうほど、日本市場で成功した。日本では特にメイクとフレグランスのカテゴリーを拡大したい。

日本の顧客は洗練されていて、商品の理解度が高い。ブランドに対しての要求も高く、見た目と使用感どちらも重視している。事業部長就任後、店舗のカウンターマネージャーとディスカッションをして、商品がどのように見えるか、どうやって顧客にシェアしていくかを話し合い、理解を深めた。

WWD:顧客とはどうコミュニケーションするか。

チャン事業部長:私の哲学として「お客さまの場所へ行こう」と常々思っている。物理的に足を運ぶだけでなく、心理的にもお客さまの立場に立つことを心掛けている。例えば今朝も「アットコスメ」のランキングを見て171件の口コミをチェックしたところだ。チームでも協力してお客さまの声を集めている。

WWD:顧客は今、何を求めている?

チャン事業部長:“Enjoy my life”、人生を楽しみたいと思っている。ラメが強い“キラキラ”のアイシャドウが売れていることも、その理由の一つだ。リップも大胆な赤を求める人が増えている。赤をまとうと生き生きした気持ちになるので、パワフルで大胆に生きていく力を届けたい。12月にリニューアルする“ルージュ ピュールクチュール”は発色の良い鮮やかなカラーが多く、スキンケア成分が80%で伸びもいい。ルージュミューズやヌードミューズなど4つのカテゴリーで代表シェードがあり、それぞれがまさにファッションアイコンのようにスポットライトを浴びる。ルージュミューズは私のお気に入りで、スタイルを引き立ててくれる理想的なレッドシェードだ。

“R1971”は独特な色だが、これはイヴ・サンローランが1971年に発表し世間に衝撃を与えた“スキャンダル”コレクションからインスパイアされたもの。この解放を意味する言葉はフレグランス“リブレ”の商品名でもある。“今ここで、自由に生きる”というコンセプトが込められている。もし自由でなかったら海外に行くこともできないし、コレクションを見にいくこともできない。自由だから今がある。

WWD:今後、「YSL」をどう成長させるのか。

チャン事業部長:「YSL」はクチュールとビューティのちょうど真ん中の、唯一無二の立ち位置にいる。私自身もビューティには過去19年間商品を作ってきた愛着があり、そしてファッションも大好きだ。「YSL」には商品を求めていらっしゃるお客さまも多いが、ブランド自体を好きになってもらいたい。チームと一緒に愛を広げ、お客さまを巻き込んで売り上げを拡大していく。

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デンマーク発「ルイスポールセン」の世界初の旗艦店が東京・青山に登場 CEOが語る“光を形づくる照明”

デンマーク発照明ブランド「ルイスポールセン(LOUIS POULSEN)」は11月10日、世界初の旗艦店を東京・青山に出店した。同ブランドは、1874年創業。長年にわたり、屋内・屋外問わず、人々が心地よく感じる光を“形づくる”ことを大切に、数々の名作照明を生み出してきた。“形は機能に従う”という原則に基づき、“H5”“PH アーティチョーク”“PH ランプ”などを手掛けたポール・ヘニングセン(Poul Henningsen)や“AJ ランプ”をデザインしたアルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen)、“パンテラ”の作者であるヴァーナー・パントン(Verner Panton)、オラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)などの建築家やデザイナーと協業してきた。

自然光が降り注ぐ地上2層からなる青山の旗艦店は、新たなブランドのアイデンティティーを象徴しており、エントランスには、「ルイスポールセン」のイニシャル“L P”と象徴的な3枚シェードのランプを組み合わせた新しいロゴを設置。同店では、アイコニックな“PHアーティチョーク”や“PH”シリーズなど、ほぼ全ての住宅向け製品を販売するほか、照明のコーディネート提案なども行う。同店には、ショールームの役割もあり、コントラクト向けの商談もできるようになっている。旗艦店オープンを記念して、"ペール ローズ コレクション"を同店と公式オンラインストアで限定発売する。

旗艦店のオープニングのために来日したルイスポールセンのソーレン・ミューギン・ド・エスキルセン最高経営責任者(CEO)は、「デンマークと日本は文化的にも親和性があり、旗艦店出店の場所に東京を選んだのは自然な流れだった。旗艦店を通して、一般の消費者にもブランドを知ってもらい、さらに市場を拡大したい。光を極める唯一無二のブランド“ハウス・オブ・ライト”としての次の一歩だ」と語る。現在、ルイスポールセンは72カ国で販売しており、日本はデンマークに次ぐ市場だ。同CEOは、「われわれは来年、創業150周年を迎える。創業当時から、ろうそくのように“心地よい光を形作る照明”を提案し続けてきた。光を反射させることにより、温かみのある快適な雰囲気を演出する照明にこだわっている。今後は、日本のデザイナーたちとも協業し、新製品を開発していく」。

■ルイスポールセン東京ストア
住所:東京都港区北青山3-2-2 AYビル1・2階
TEL:03-5413-6166
営業時間:11:00~19:00 不定休(年末年始)

問い合わせ先
ルイスポールセン東京ストア
03-5413-6166

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デンマーク発「ルイスポールセン」の世界初の旗艦店が東京・青山に登場 CEOが語る“光を形づくる照明”

デンマーク発照明ブランド「ルイスポールセン(LOUIS POULSEN)」は11月10日、世界初の旗艦店を東京・青山に出店した。同ブランドは、1874年創業。長年にわたり、屋内・屋外問わず、人々が心地よく感じる光を“形づくる”ことを大切に、数々の名作照明を生み出してきた。“形は機能に従う”という原則に基づき、“H5”“PH アーティチョーク”“PH ランプ”などを手掛けたポール・ヘニングセン(Poul Henningsen)や“AJ ランプ”をデザインしたアルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen)、“パンテラ”の作者であるヴァーナー・パントン(Verner Panton)、オラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)などの建築家やデザイナーと協業してきた。

自然光が降り注ぐ地上2層からなる青山の旗艦店は、新たなブランドのアイデンティティーを象徴しており、エントランスには、「ルイスポールセン」のイニシャル“L P”と象徴的な3枚シェードのランプを組み合わせた新しいロゴを設置。同店では、アイコニックな“PHアーティチョーク”や“PH”シリーズなど、ほぼ全ての住宅向け製品を販売するほか、照明のコーディネート提案なども行う。同店には、ショールームの役割もあり、コントラクト向けの商談もできるようになっている。旗艦店オープンを記念して、"ペール ローズ コレクション"を同店と公式オンラインストアで限定発売する。

旗艦店のオープニングのために来日したルイスポールセンのソーレン・ミューギン・ド・エスキルセン最高経営責任者(CEO)は、「デンマークと日本は文化的にも親和性があり、旗艦店出店の場所に東京を選んだのは自然な流れだった。旗艦店を通して、一般の消費者にもブランドを知ってもらい、さらに市場を拡大したい。光を極める唯一無二のブランド“ハウス・オブ・ライト”としての次の一歩だ」と語る。現在、ルイスポールセンは72カ国で販売しており、日本はデンマークに次ぐ市場だ。同CEOは、「われわれは来年、創業150周年を迎える。創業当時から、ろうそくのように“心地よい光を形作る照明”を提案し続けてきた。光を反射させることにより、温かみのある快適な雰囲気を演出する照明にこだわっている。今後は、日本のデザイナーたちとも協業し、新製品を開発していく」。

■ルイスポールセン東京ストア
住所:東京都港区北青山3-2-2 AYビル1・2階
TEL:03-5413-6166
営業時間:11:00~19:00 不定休(年末年始)

問い合わせ先
ルイスポールセン東京ストア
03-5413-6166

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ファミマ細見社長「コンビニで服が売れる可能性を示せた」

コンビニ大手のファミリーマートが2021年春から販売するアパレルブランド「コンビニエンスウェア(CONVENIENCE WEAR)」の成長が続いている。「ファセッタズム(FACETASM)」の落合宏理氏をデザイナーに迎え、話題性のある商品を次々に打ち出してきた。仕掛け人は伊藤忠商事出身で、現在はファミマのトップに就く細見研介社長だ。細見氏は商社マン時代には「ハンティングワールド」や「レスポートサック」などを手掛けてきたブランドビジネスのプロ。30日の大型イベント「ファミフェス」の直前に、コンビニ衣料の手応えを聞いた。

WWD:「コンビニエンスウェア」はファミマのビジネスにどんな影響を与えたか。

細見研介ファミリーマート社長(以下、細見):非常にインパクトがあった。店内が明るくなった。色とりどりの靴下やTシャツが並び、季節ごとにアイテムも変化する。コンビニの衣料品といえば(予定外の宿泊、突然の雨などの)レスキュー需要ばかりで年中同じ品ぞろえ。そんな常識を覆した。上質で楽しいデザインは一度着用すると皆さん好きになり、リピーターになってくださる。

WWD:一番反響のあった商品は?

細見:靴下は累計1500万足以上売れた。私もいつも履いているし、今日ももちろん履いてきた(と言いながら、パンツの裾をめくる)。

ファッション業界はコロナ前から厳しい市況が続き、元気がなかった。伊藤忠時代から長くファッションビジネスに携わった者として、なんとかしたいという気持ちが強くあった。毎日多くの人が利用するコンビニだから出来るやり方があるのではないか、考えを巡らせてきた。そんなとき、デザイナーの落合宏理さんに共感していただき、このプロジェクトが始まった。わざわざ車や電車で遠くに出向かなくても、近所のファミマで上質な日常着が手に入る。実に革新的なチャレンジだ。

WWD:現在の売上高は?

細見:売上高は開示できないが、短期間でかなりの規模まで成長した。一つのアパレルブランドと考えれば、けっこうな存在感といえる。だが、それでもファッション市場の隅っこを少しかじったにすぎない。コンビニでファッションが売れる可能性を示せたとは自負しているが、チャレンジは始まったばかりだ。消費者が服を買うときの選択肢にファミマが入るところまで持っていきたい。

12月5日からはスエットやスエットパーカの新作を全国のファミマで発売するし、「ファミマ!!」の麻布台ヒルズ店(東京都港区)限定だがデニムジャケット(9990円)やサロペット(7990円)を発売する。主力はあくまで実用的な服になると思うが、市場は大きく、将来のポテンシャルは広がっている。

WWD:ファッション事業の中長期的な展望は?

細見:ファミマは巨大なメディアだと考え、店内に大型サイネージの導入を進めている。国内の約1万6500店舗のうち、年内に約1万店舗が設置済みになる。大型サイネージを使った販促はすでに大きな成果を出しているし、当社は1日に約1500万人のお客さまが訪れる。アプリ「ファミペイ」も1500万のダウンロードされている。リアルでもデジタルでもこれだけの消費者との接点を持てる企業はそうそうない。ファッションはコンビニの有力なコンテンツとしてもっと訴求できる。

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上戸彩と玉木宏がまとう「ブルネロ クチネリ」の品格と香り CEOに聞く無二の哲学

イタリア発の「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」が、旗艦店である表参道店で2023年冬の“モンターニャ・カプセルコレクション”とブランド初のフレグランスを発表した。同店を訪れた俳優の上戸彩と玉木宏は、本拠地ソロメオの自然をほうふつとさせるフレグランスの心地よい香りが漂う空間で、今回の企画のために最新ルックを着こなした。また、同店オープン後初の来日を果たしたルカ・リサンドローニ(Luca Lisandroni)最高経営責任者(CEO)が、ブランドの真髄や表参道店に込める思いを語った。

アイスホワイトに映える
モダンエレガンス

表参道店は、同ブランドの本拠地であるイタリア・ウンブリア州ソロメオで培われた理想を反映し、「ブルネロ クチネリ」流のホスピタリティーを体現している。通称“カーサ・クチネリ(クチネリの家)”の旗艦店で上戸彩が“モンターニャ・コレクション”から着用したのは、ラグジュアリーなスノーリゾートでのドレスアップスタイルだ。ベージュのダズリングサテンのセットアップは、繊細なスパンコールを総刺しゅうし、上品で華やかなきらめきを演出。その上には、極小ボールチェーンのアイコンディテール“モニーレ”を効かせたピュアホワイトのギャバジンコートを羽織り、クリーンで奥行きのあるニュートラルカラースタイルを完成させた。

一方、23-24年秋冬コレクションからは、ジャズクラブの世界から着想を得た、イベント・ドレッシング風のスタイリングを披露。ドロップ(しずく)型の布地とスパンコールを何層にも重ねた、半袖のブラックのメッシュトップは、職人が一つ一つ手作業で装飾を施した立体的な輝きが魅力だ。スポーティーシックなきらめきをたたえたネット編みのニットポロをレイヤードし、ホリデームードのリラックス感と遊び心が共存する装いを堪能した。

冬の山で過ごす、
エフォートレスなデー&ナイト

“冬のモンターニャ(山)”をテーマに、気取らないラグジュアリースタイルを提案するカプセルコレクション。玉木宏がまとったのは、ブランドの代名詞である極上カシミヤを用いたジャカードカーディガンだ。ニットの全面には、アンデス地方の伝統柄を幾何学的にアレンジしたモチーフを織り込んだ。コーヒーブラウンの暖かみのあるカラーは、スノーリゾートでのくつろぎのひとときに優しく映える。ホワイトのボタンダウンシャツとソリッドタイをVゾーンに合わせれば、シャレーでのカクテルタイムにもふさわしい。

さらにドレスアップシーンでは、23-24年秋冬コレクションからトラディショナルな“ワン アンド ハーフ”のフォーマルスーツに着替えてイメージチェンジ。シングルとダブルの中間にあたる“1.5ブレスト”仕立てのジャケットは、ボタンを留めても外しても美しく着こなせる。ネイビーとホワイトのワイドチョークストライプのサルトリアパターンを採用したデザインは、タイムレスかつエレガントな中に、大人の余裕を感じさせる。

初のフレグランスは
ソロメオの自然が着想源

ブランド初となるフレグランス“ブルネロ クチネリ プール ファム”と“ブルネロ クチネリ プール オム”の2種を、アジア圏での発売に先駆けて披露した。本拠地ソロメオの自然や文化にインスパイアされた香りは、ラグジュアリーパフュームの製造販売を行うユーロイタリアとのコラボレーションによるもの。調香師ダフネ・ブジェ(Daphne Bugey)が手掛けた女性用の“プール ファム”は、みずみずしいシンプルさを基調に、甘い栗やかんきつ類、ピンクペッパー、プレステージウッドなどのノートが特徴だ。

調香師オリヴィエ・クレスプ(Olivier Cresp)による男性用の“プール オム”は、村の風景を織りなす糸杉のエッセンスが、スパイシーなジュニパー、アンジェリカ、ブラックペッパー、クラリセージ、ジンジャーなどの洗練された成分と調和する。丁寧に作り上げたメード・イン・イタリーのフレグランスは、柔らかなカシミヤに包まれるようなエレガントな香りのベールをさりげなくまとわせてくれる。

“人間主義的資本主義”を貫き
唯一無二なブランドに

WWDJAPAN(以下、WWD):現職就任以降、初の来日になる。改めて、日本最大級の“カーサ・クチネリ”である表参道店はどのような店なのか?

ルカ・リサンドローニCEO(以下、リサンドローニ):各国の店舗デザインに関しては、画一的ではなく、それぞれの国の伝統や文化との調和を大切にしている。われわれが“カーサ・クチネリ”と呼ぶ店舗を通じて発信したいのは、日本語でいう“一期一会な体験”だ。良い商品を買っていただくことはもちろんだが、それ以上に店で心地よい時間を過ごしながら、「ブルネロ クチネリ」流のホスピタリティーを感じ、すてきな思い出を作ってもらいたい。屋外にソファーを配したテラスを設けたり、地下に広々とした学びのアートスペースを作ったりしたのも、そうした理由だ。

WWD:CEOとして、ブランドが提唱する人間性を重視した経営哲学“人間主義的資本主義”をどう解釈している?

リサンドローニ:私たちは1982年にソロメオ村の朽ち果てた古城を買い取って修復し、本社をこの地に移転した。村の古い工場を改築し、今や1000人近い雇用を実現している。村には職人のための学校も設立して、さらに劇場や図書館、公園なども作り、村の人々の文化的で豊かな暮らしの基盤を生み出してきた。「ブルネロ クチネリ」の経営哲学が唯一無二なのは、“資本主義”と“人間らしいサステナビリティ”の考え方が両立している点だ。

創業者ブルネロ・クチネリが尊敬している哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)の名言に、「汝自身または他人に対しても、人格を手段としてだけでなく尊い目的として尊重し行動せよ」という一説があり、その思想がブランドの基盤となっている。つまり、他人の置かれた環境を自分ごととして考え、対処すること。そして“人間の尊厳”を第一に掲げ、働く全ての人を幸福にするという考えだ。サステナビリティに関しては、自然環境保護などの狭い意味ではなく、創業当初からもっと広い定義で捉えている。人々を苦しめず、森羅万象を侵害せず、ネガティブな影響を最小限に抑え、倫理と尊厳を尊重しながら利益を生むこと——それこそが“人間主義的資本主義”だ。

WWD : 地域に基づいたビジネスの重要性が世界中で見直される中、創業当初から地域密着型の経営を貫く「ブルネロ クチネリ」にとって、ソロメオで培った価値観とは?

リサンドローニ:「ブルネロ クチネリ」は最上級のラグジュアリーブランドでありながら、人の手の温もりや包み込まれるような愛に溢れ、独自のポジションを築いているブランドだ。ソロメオを訪れれば、その独自性を実感してもらえると思う。中世の雰囲気を残すソロメオで培われたアイデンティティーは世代を超え、これからの未来もずっと変わらないと確信している。だからこそ何かプロジェクトを企画するときは、目先にとらわれず、100年、200年先までの長いビジョンを持つことを大切にしている。

WWD : ブランド初のフレグランスについて聞かせてほしい。

リサンドローニ:極上素材に触れたときの心地良い感覚を大事にするブランドなので、五感を豊かにするアイテムとしてフレグランスを作りたいと思っていた。ソロメオの自然や文化にインスパイアされた初の香水は、アグレッシブ過ぎず、さりげなく上品にまとえる香りが特徴だ。柔らかなカシミヤにそっと包み込まれる、そんなイメージをぜひ感じてほしい。

MODELS : AYA UETO, HIROSHI TAMAKI
PHOTOS : IBUKI KOBAYASHI
STYLING : KEIKO SASAKI(AGENCE HIRATA)[for AYA UETO], KENTARO UENO(KEN OFFICE)[for HIROSHI TAMAKI]
HAIR & MAKEUP : YUKARI HAYASHI[for AYA UETO], YUKIYA WATABE(riLLa)[for HIROSHI TAMAKI]
TEXT : MAKIKO AWATA
問い合わせ先
ブルネロ クチネリ ジャパン
03-5276-8300

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上戸彩と玉木宏がまとう「ブルネロ クチネリ」の品格と香り CEOに聞く無二の哲学

イタリア発の「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」が、旗艦店である表参道店で2023年冬の“モンターニャ・カプセルコレクション”とブランド初のフレグランスを発表した。同店を訪れた俳優の上戸彩と玉木宏は、本拠地ソロメオの自然をほうふつとさせるフレグランスの心地よい香りが漂う空間で、今回の企画のために最新ルックを着こなした。また、同店オープン後初の来日を果たしたルカ・リサンドローニ(Luca Lisandroni)最高経営責任者(CEO)が、ブランドの真髄や表参道店に込める思いを語った。

アイスホワイトに映える
モダンエレガンス

表参道店は、同ブランドの本拠地であるイタリア・ウンブリア州ソロメオで培われた理想を反映し、「ブルネロ クチネリ」流のホスピタリティーを体現している。通称“カーサ・クチネリ(クチネリの家)”の旗艦店で上戸彩が“モンターニャ・コレクション”から着用したのは、ラグジュアリーなスノーリゾートでのドレスアップスタイルだ。ベージュのダズリングサテンのセットアップは、繊細なスパンコールを総刺しゅうし、上品で華やかなきらめきを演出。その上には、極小ボールチェーンのアイコンディテール“モニーレ”を効かせたピュアホワイトのギャバジンコートを羽織り、クリーンで奥行きのあるニュートラルカラースタイルを完成させた。

一方、23-24年秋冬コレクションからは、ジャズクラブの世界から着想を得た、イベント・ドレッシング風のスタイリングを披露。ドロップ(しずく)型の布地とスパンコールを何層にも重ねた、半袖のブラックのメッシュトップは、職人が一つ一つ手作業で装飾を施した立体的な輝きが魅力だ。スポーティーシックなきらめきをたたえたネット編みのニットポロをレイヤードし、ホリデームードのリラックス感と遊び心が共存する装いを堪能した。

冬の山で過ごす、
エフォートレスなデー&ナイト

“冬のモンターニャ(山)”をテーマに、気取らないラグジュアリースタイルを提案するカプセルコレクション。玉木宏がまとったのは、ブランドの代名詞である極上カシミヤを用いたジャカードカーディガンだ。ニットの全面には、アンデス地方の伝統柄を幾何学的にアレンジしたモチーフを織り込んだ。コーヒーブラウンの暖かみのあるカラーは、スノーリゾートでのくつろぎのひとときに優しく映える。ホワイトのボタンダウンシャツとソリッドタイをVゾーンに合わせれば、シャレーでのカクテルタイムにもふさわしい。

さらにドレスアップシーンでは、23-24年秋冬コレクションからトラディショナルな“ワン アンド ハーフ”のフォーマルスーツに着替えてイメージチェンジ。シングルとダブルの中間にあたる“1.5ブレスト”仕立てのジャケットは、ボタンを留めても外しても美しく着こなせる。ネイビーとホワイトのワイドチョークストライプのサルトリアパターンを採用したデザインは、タイムレスかつエレガントな中に、大人の余裕を感じさせる。

初のフレグランスは
ソロメオの自然が着想源

ブランド初となるフレグランス“ブルネロ クチネリ プール ファム”と“ブルネロ クチネリ プール オム”の2種を、アジア圏での発売に先駆けて披露した。本拠地ソロメオの自然や文化にインスパイアされた香りは、ラグジュアリーパフュームの製造販売を行うユーロイタリアとのコラボレーションによるもの。調香師ダフネ・ブジェ(Daphne Bugey)が手掛けた女性用の“プール ファム”は、みずみずしいシンプルさを基調に、甘い栗やかんきつ類、ピンクペッパー、プレステージウッドなどのノートが特徴だ。

調香師オリヴィエ・クレスプ(Olivier Cresp)による男性用の“プール オム”は、村の風景を織りなす糸杉のエッセンスが、スパイシーなジュニパー、アンジェリカ、ブラックペッパー、クラリセージ、ジンジャーなどの洗練された成分と調和する。丁寧に作り上げたメード・イン・イタリーのフレグランスは、柔らかなカシミヤに包まれるようなエレガントな香りのベールをさりげなくまとわせてくれる。

“人間主義的資本主義”を貫き
唯一無二なブランドに

WWDJAPAN(以下、WWD):現職就任以降、初の来日になる。改めて、日本最大級の“カーサ・クチネリ”である表参道店はどのような店なのか?

ルカ・リサンドローニCEO(以下、リサンドローニ):各国の店舗デザインに関しては、画一的ではなく、それぞれの国の伝統や文化との調和を大切にしている。われわれが“カーサ・クチネリ”と呼ぶ店舗を通じて発信したいのは、日本語でいう“一期一会な体験”だ。良い商品を買っていただくことはもちろんだが、それ以上に店で心地よい時間を過ごしながら、「ブルネロ クチネリ」流のホスピタリティーを感じ、すてきな思い出を作ってもらいたい。屋外にソファーを配したテラスを設けたり、地下に広々とした学びのアートスペースを作ったりしたのも、そうした理由だ。

WWD:CEOとして、ブランドが提唱する人間性を重視した経営哲学“人間主義的資本主義”をどう解釈している?

リサンドローニ:私たちは1982年にソロメオ村の朽ち果てた古城を買い取って修復し、本社をこの地に移転した。村の古い工場を改築し、今や1000人近い雇用を実現している。村には職人のための学校も設立して、さらに劇場や図書館、公園なども作り、村の人々の文化的で豊かな暮らしの基盤を生み出してきた。「ブルネロ クチネリ」の経営哲学が唯一無二なのは、“資本主義”と“人間らしいサステナビリティ”の考え方が両立している点だ。

創業者ブルネロ・クチネリが尊敬している哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)の名言に、「汝自身または他人に対しても、人格を手段としてだけでなく尊い目的として尊重し行動せよ」という一説があり、その思想がブランドの基盤となっている。つまり、他人の置かれた環境を自分ごととして考え、対処すること。そして“人間の尊厳”を第一に掲げ、働く全ての人を幸福にするという考えだ。サステナビリティに関しては、自然環境保護などの狭い意味ではなく、創業当初からもっと広い定義で捉えている。人々を苦しめず、森羅万象を侵害せず、ネガティブな影響を最小限に抑え、倫理と尊厳を尊重しながら利益を生むこと——それこそが“人間主義的資本主義”だ。

WWD : 地域に基づいたビジネスの重要性が世界中で見直される中、創業当初から地域密着型の経営を貫く「ブルネロ クチネリ」にとって、ソロメオで培った価値観とは?

リサンドローニ:「ブルネロ クチネリ」は最上級のラグジュアリーブランドでありながら、人の手の温もりや包み込まれるような愛に溢れ、独自のポジションを築いているブランドだ。ソロメオを訪れれば、その独自性を実感してもらえると思う。中世の雰囲気を残すソロメオで培われたアイデンティティーは世代を超え、これからの未来もずっと変わらないと確信している。だからこそ何かプロジェクトを企画するときは、目先にとらわれず、100年、200年先までの長いビジョンを持つことを大切にしている。

WWD : ブランド初のフレグランスについて聞かせてほしい。

リサンドローニ:極上素材に触れたときの心地良い感覚を大事にするブランドなので、五感を豊かにするアイテムとしてフレグランスを作りたいと思っていた。ソロメオの自然や文化にインスパイアされた初の香水は、アグレッシブ過ぎず、さりげなく上品にまとえる香りが特徴だ。柔らかなカシミヤにそっと包み込まれる、そんなイメージをぜひ感じてほしい。

MODELS : AYA UETO, HIROSHI TAMAKI
PHOTOS : IBUKI KOBAYASHI
STYLING : KEIKO SASAKI(AGENCE HIRATA)[for AYA UETO], KENTARO UENO(KEN OFFICE)[for HIROSHI TAMAKI]
HAIR & MAKEUP : YUKARI HAYASHI[for AYA UETO], YUKIYA WATABE(riLLa)[for HIROSHI TAMAKI]
TEXT : MAKIKO AWATA
問い合わせ先
ブルネロ クチネリ ジャパン
03-5276-8300

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ファインダイニング発想の韓国コスメ「クオカ」が上陸 製造から30日以内に販売する高感度コスメとは? 

2019年に韓国で誕生したプレミアムスキンケアブランド「クオカ(KUOCA)」が今秋、日本に上陸した。イタリア語で“高級レストランのシェフ”を意味する「Cuoca」からインスピレーションを得ており、肌を刺激する3大物質(化学防腐剤、人工色素、人工香料)とシリコンオイルを100%排除し、肌に無害な天然原料の中から優れた効能を持つ高品質な原料を選別。有効成分を肌に最大限に届けるため、独自配合技術である高保湿抗酸化複合体を開発した。

「クオカ」は“ファームトゥテーブル(Farm to table、2010年代に米国西海岸から広まった食に対する考え方)”や“ファインダイニング(富裕層向けの高級レストラン)”から着想。低刺激な有効成分が新鮮な状態で最も優れた効果を発揮する点に着目し、商品を製造後30日以内に消費者の手に届ける販売システムを取っている。それを実現するために、需要に応じた生産量を予測し製造を行っている。日本では、ギフト需要の高いハンドクリームをはじめとするボディーケアライン“エピキュアブレンド”の販売からスタートした。香りはダークティー、ローズケーキ、ワイルドピーチの3種を展開。日本の輸入販売代理店であるインテルコスメ・ジャパンが運営する「クオカ」日本公式オンラインストアと、ナチュラル&クリーンビューティのセレクトショップ「ムードオアネイチャー(MOOD OR NATURE)」の実店舗で取り扱う。「クオカ」のキム・ジス共同創設者とユ・ベンジャミン共同創設者、豆田健司インテルコスメ・ジャパン代表取締役に話を聞いた。

WWD:「食」をテーマにスキンケアブランドを立ち上げた経緯は?

キム・ジス「クオカ」共同創設者(以下、キム):親戚が趣味で化粧品を作っていて、原料にお金を掛けて良い素材だけで作ったら肌に良い影響しかないことに気づいて「クオカ」を立ち上げた。製造工程は家庭で料理を作るのに似ていて、自社の製造室で貴重な原料を使い少量生産で繊細なモノづくりをすることからスタートした。

WWD:韓国ではどこで販売している?

キム: 美食家のように目の肥えた感度の高いお客さまを想定しており、江南区の百貨店からスタート。現在は直営店1店舗で販売するほか、4大百貨店、アパレルのセレクトショップ、ラグジュアリーホテルや高級レストランでも導入してもらっている。韓国では年間に約2000ものビューティブランドが誕生する競争の激しい市場で、消費者のリピート率は2%程度と言われている。そんな中、「クオカ」は40%近いリピート率がある。マーケティングやプロモーションではなく、成分や製造にフォーカスしていることが支持されている。

WWD:韓国以外で進出している国は?

ユ・ベンジャミン「クオカ」共同創設者:日本が2カ国目で、12月初旬に香港の百貨店でも取り扱いがスタートする。アメリカやヨーロッパへの展開も計画している。

WWD:日本の輸入販売元との出合いは?

豆田健司インテルコスメ・ジャパン代表取締役(以下、豆田):当社は事業の柱の1つとして、クリーンビューティを中心とした韓国コスメの輸入販売や百貨店での直営店展開を行っており、一過性の韓国コスメではなくグローバルブランドとして一緒に育てていけるブランドを探していた。「クオカ」は韓国の本当に目の肥えたお客さまから品質を評価されている点に魅力があった。グローバルブランドとして長期にわたり共に育成する。

WWD:韓国での主力商品は、ホワイトトリュフをキー成分としたスキンケアシリーズだが、日本での展開予定は?

豆田: 製造から30日以内に販売というところにはこだわりたいが、輸送時間を考えると販売期間が2週間程度とかなり短くなってしまう。そのため、リピートを前提とした受注生産・定期販売のスキームを考えている。来年の早い段階から直営店でテスト販売をスタートしたい。ゆくゆくは、日本でライセンス生産ができたらいい。

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ファインダイニング発想の韓国コスメ「クオカ」が上陸 製造から30日以内に販売する高感度コスメとは? 

2019年に韓国で誕生したプレミアムスキンケアブランド「クオカ(KUOCA)」が今秋、日本に上陸した。イタリア語で“高級レストランのシェフ”を意味する「Cuoca」からインスピレーションを得ており、肌を刺激する3大物質(化学防腐剤、人工色素、人工香料)とシリコンオイルを100%排除し、肌に無害な天然原料の中から優れた効能を持つ高品質な原料を選別。有効成分を肌に最大限に届けるため、独自配合技術である高保湿抗酸化複合体を開発した。

「クオカ」は“ファームトゥテーブル(Farm to table、2010年代に米国西海岸から広まった食に対する考え方)”や“ファインダイニング(富裕層向けの高級レストラン)”から着想。低刺激な有効成分が新鮮な状態で最も優れた効果を発揮する点に着目し、商品を製造後30日以内に消費者の手に届ける販売システムを取っている。それを実現するために、需要に応じた生産量を予測し製造を行っている。日本では、ギフト需要の高いハンドクリームをはじめとするボディーケアライン“エピキュアブレンド”の販売からスタートした。香りはダークティー、ローズケーキ、ワイルドピーチの3種を展開。日本の輸入販売代理店であるインテルコスメ・ジャパンが運営する「クオカ」日本公式オンラインストアと、ナチュラル&クリーンビューティのセレクトショップ「ムードオアネイチャー(MOOD OR NATURE)」の実店舗で取り扱う。「クオカ」のキム・ジス共同創設者とユ・ベンジャミン共同創設者、豆田健司インテルコスメ・ジャパン代表取締役に話を聞いた。

WWD:「食」をテーマにスキンケアブランドを立ち上げた経緯は?

キム・ジス「クオカ」共同創設者(以下、キム):親戚が趣味で化粧品を作っていて、原料にお金を掛けて良い素材だけで作ったら肌に良い影響しかないことに気づいて「クオカ」を立ち上げた。製造工程は家庭で料理を作るのに似ていて、自社の製造室で貴重な原料を使い少量生産で繊細なモノづくりをすることからスタートした。

WWD:韓国ではどこで販売している?

キム: 美食家のように目の肥えた感度の高いお客さまを想定しており、江南区の百貨店からスタート。現在は直営店1店舗で販売するほか、4大百貨店、アパレルのセレクトショップ、ラグジュアリーホテルや高級レストランでも導入してもらっている。韓国では年間に約2000ものビューティブランドが誕生する競争の激しい市場で、消費者のリピート率は2%程度と言われている。そんな中、「クオカ」は40%近いリピート率がある。マーケティングやプロモーションではなく、成分や製造にフォーカスしていることが支持されている。

WWD:韓国以外で進出している国は?

ユ・ベンジャミン「クオカ」共同創設者:日本が2カ国目で、12月初旬に香港の百貨店でも取り扱いがスタートする。アメリカやヨーロッパへの展開も計画している。

WWD:日本の輸入販売元との出合いは?

豆田健司インテルコスメ・ジャパン代表取締役(以下、豆田):当社は事業の柱の1つとして、クリーンビューティを中心とした韓国コスメの輸入販売や百貨店での直営店展開を行っており、一過性の韓国コスメではなくグローバルブランドとして一緒に育てていけるブランドを探していた。「クオカ」は韓国の本当に目の肥えたお客さまから品質を評価されている点に魅力があった。グローバルブランドとして長期にわたり共に育成する。

WWD:韓国での主力商品は、ホワイトトリュフをキー成分としたスキンケアシリーズだが、日本での展開予定は?

豆田: 製造から30日以内に販売というところにはこだわりたいが、輸送時間を考えると販売期間が2週間程度とかなり短くなってしまう。そのため、リピートを前提とした受注生産・定期販売のスキームを考えている。来年の早い段階から直営店でテスト販売をスタートしたい。ゆくゆくは、日本でライセンス生産ができたらいい。

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ロゴのない「MSGM」、デザイナーがブランドの変化を語る

「MSGM」が変化している。2024年春夏コレクションには、以前のように大きなブランドロゴはなく、抽象的な花柄やさまざまなチェック柄が主役だ。イエローやライラックなど、カラフルな色使いは変わらないが落ち着いた色調で洗練度を増した。ロゴブームが終焉し、“クワイエット・ラグジュアリー”のトレンドが盛り上がるなか、「MSGM」はどう生き残るのか。このほど来日したマッシモ・ジョルジェッティ(Massimo Giorgetti)デザイナーは楽観的だ。むしろ、削ぎ落とされたクリエーションのなかで見えてきた強いブランドアイデンティティーについて語ってくれた。

WWD:2024年春夏コレクションは、抽象的で大人っぽくなった印象だった。

マッシモ・ジョルジェッティ(以下、ジョルジェッティ):「MSGM」は今進化する時期だと思う。モノトーンの色調や抽象的なプリントを多用したアプローチは、6月のメンズコレクションから続けている。以前のようなアシッドカラーと大きなロゴは控えめで、フェミニンかつクールな印象だったと思う。ブランドを始めた時は30代前半だったが、今は46歳。チームのみんなも大人になっているのだから自然な変化だと思う。東京の店舗では、カシミアのメランジェニットやロゴを小さく配したスエット、カーゴパンツが売れ筋だという。顧客の求めるものも変化している。もちろん、今回のコレクションもとても気に入っている。ただ、直前にショー会場を悪天候で変更せざるを得なかったのがとても残念だった。当初はミラノ工科大学近くの屋外の素晴らしいロケーションで計画していたんだ。9月は屋外を選ばないことは今回学んだ教訓の1つだね(笑)

<関連記事>
「MSGM」2024年春夏コレクション

カルチャー全体を体現するブランド

WWD:変化の最中、あらためてブランドのアイデンティティーを何と定義する?

ジョルジェッティ:若さ、フレッシュさ、常識にとらわれない若さゆえの勢い、大胆さ、そして音楽と深いつながりを持ち、カルチャー全体を体現するブランドであることは変わらない。たとえば今回ショーで選んだ音楽は、ベルリン発のエレクトログループ、チックス・オン・スピード(Chicks on Speed)。僕が1990年代から夢中になっているバンドだ。以前は、「イタリア発のストリートウエアブランド」と呼ばれることが多かったけど、それは僕の認識とは違う。確かに若さというマインドは共通しているけど、「MSGM」は最初からメードインイタリーにこだわるテーラリングを核に持つブランドだ。それが支持されているからイタリアでも日本でも50〜60代の女性も着てくれているのだと思う。「シュプリーム(SUPREME)」や「パレス スケートボード(PALACE SKATEBOARDS)」「ナイキ(NIKE)」「アディダス(ADIDAS)」といった本物のストリートウエアブランドは今も大好きだしこの先も生き続けるだろうけど、ファッションブランド生まれのストリートウエアのブームは終わったと思う。

「今のカルチャーはスクリーンショットで消費される時代」

WWD:市場で盛り上がる“クワイエット・ラグジュアリー”の流れはどう見ている?

ジョルジェッティ:正直あんまり好きじゃない。僕にとって、“クワイエット”と“ラグジュアリー”は相反するものなんだ。“ラグジュアリー”とは、ジャクリーン・ケネディ(Jacqueline Kennedy)やジャンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli、※イタリアの実業家)のような昔の本当にリッチな人々が過ごしたライフスタイルのことで、そういう華やかさが好きなんだ。前回のショーの後には、「クワイエットでないショーがやっと見れたよ」と言われたよ。色使いは落ち着いても、「MSGM」らしいフレッシュな部分は失っていないから。コロナの直後はみんなで再びパーティーしようという華やかなムードが高まったけど、今はみんなグレーやキャメルばかり着ている。パーティーは終わってしまったね。ミラノの人々もブルージーンズにTシャツに、テーラリングジャケットといったすごくコンサバティブなファッションになった。今はライフスタイル全般のクオリティーに投資する時期なのだと思う。

WWD:私たちが直面している気候危機も過度な消費を避ける消費者のマインド変化に影響していると思う。この課題に対して思うことは?

ジョルジェッティ:オーガニックコットンやリサイクル認証素材を使ったカプセルコレクションにトライした。パッケージやハンガーなどの資材もプラスチックフリーに変えた。だけど難しさを感じるのが正直なところだ。それでもブランドとしてもっと挑戦していきたいし、可能性を探りたい。「プラダ(PRADA)」はブランドとして尊敬しているだけでなく、この課題に対して力強くアクションしていてすごくインスピレーションを受けている。

WWD:カルチャーを体現するブランドとして、今のカルチャーシーンをどう見ている?

ジョルジェッティ:全てが一瞬で消費されるスクリーンショットの時代だ。音楽で言えば、昔はアルバムで聴くことが多かったけど、今はSpotifyで1つの曲だけ聞くことができる。1曲、1作品、1エピソード。ファッションも同じように、何か強い1つの商品やコンテンツが求められる。「MSGM」はそうした流れの中でも、ハッピーなモーメントを共有するブランドでありたい。

WWD:具体的にどうブランドコミュニティーを広げる?

ジョルジェッティ:「MSGM」は“服”というよりも、“人”のブランドでありたい。今はみんなKOLに夢中だけど、僕は2秒後には違うブランドの服を着ている人よりも、たとえフォロワーが少なくても「MSGM」を本当に愛してくれるリアルなファンとコミュニティーを築きたい。新しい才能を発掘することにも注力したい。若きアーティストや建築家、シンガー、俳優、いろんなジャンルから真につながれる人たちと一緒にブランドを成長させていくのが僕の目標だ。

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伊カプリ島の修道院がルーツの知る人ぞ知る香水「カルトゥージア」 ハンドメードでていねいにつくられる香り

ヴァージニア・ルオッコ / カルトゥージア製品開発兼ブランドマネジャー プロフィール

イタリア・カプリ島生まれ。18歳までカプリ島で育ち、大学では東洋の言語などについて学ぶ。日本の歴史に興味を持ち東京に住んだ後にカプリに戻る。家業であるカルトゥージアを受け継ぎブランドのディレクションなどを手掛ける

伊発フレグランス「カルトゥージア(CARTHUSIA)」の日本2号店が麻布台ヒルズに登場した。ブランド誕生のルーツは1380年に遡る。当時アンジュー家の支配下にあったナポリのサンジャコモ修道院の修道士たちがジョヴァンナ王妃の訪問を機に準備した島々の花がきっかけだった。1948年に古文書の中からその記述が見つかり、伝説の香水の再現に成功。ハンドメードで生産される香水は2002年まで、イタリア国内でも一般に流通していなかった。日本では、豊田貿易が輸入販売を手掛けている。麻布台ヒルズ店のオープンを機に来日したヴァージニア・ルオッコ=カルトゥージア製品開発兼ブランドマネジャーに話を聞いた。

11人の職人がハンドメードでつくる香り

WWD:麻布台ヒルズに出店する理由は?

ヴァージニア・ルオッコ=カルトゥージア製品開発兼ブランドマネジャー(以下、ルオッコ):多くの人々が来る注目の商業施設で、出店するのにふさわしい場所だから。ブランドとしての認知度をアップするのにもいい場所だと思う。

WWD:「カルトゥージア」のブランド哲学は?

ルオッコ:世界中で知られているカプリ島発の香りと14世紀に始まった歴史を世界中に届けること。

WWD:カプリの修道院で生まれた歴史をどのように現代のクリエイションに生かしているか?

ルオッコ:14世紀にジョヴァンナ王妃のための花が入っていた花器の水の神秘的な香りを修道士が研究したところ、その元がカプリ島に咲く“ガロファノ・シルヴェストレ”というカーネーションだとわかった。それが、カプリ島初の香水と言われ、最初のフレグランス“フィオリ デ カプリ”が誕生した。世界一小さい香水製造所という別名を持つ修道院の前にある製造所では、今でも全フレグランスの6割は、修道士のレシピを元に製造している。全てのフレグランスは、カプリの花々や果実、ハーブなど天然由来のものを使用。11人の職人がボトリングからパッケージ包装まで製造過程は7割がハンドメードで行う。だから、大量生産はできない。

WWD :ターゲットは?

ルオッコ:さまざまなタイプの18種類のフレグランスがある。最近人気のグルマン系の香りも加わった。若い人から洗練された大人まで気に入ってもらえるものがあるはず。

WWD:ベストセラーとその理由は?

ルオッコ:アジアではレモンツリーやグリーンティーをミックスしたシトラス系の“メディテラネオ”が人気。人や場所を選ばない香りだから人気なのだと思う。全世界では、海の香りの“アマーレ”が好評だ。一番古い“フィオリ ディ カプリ”も人気だ。

地中海の島の小さな製造所から世界に

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?

ルオッコ:8カ国、約300店舗で販売している。アメリカ、日本、オーストラリア、香港では、ディストリビューターを通して販売。イタリアには直営店が12店舗ある。

WWD:今後の日本戦略は?

ルオッコ:クリスマス前には日本でECをスタートする。もっと多くの人に「カルトゥージア」を知ってもらいたい。今は2店舗だが、これからもっと販売拠点も増やしていきたい。

WWD:競合ブランドは?それらとどのように戦うか?

ルオッコ:「カルトゥージア」は本当に小さいブランド。少しずつ新しいことに挑戦しながら、ゆくゆくは、「ディプティック(DIPTYQUE)」や「ジョー マローン ロンドン(JO MALONE LONDON)」のように、品質が高く認知度の高いブランドになりたい。

WWD:今後ブランドをどのように成長させたいか?

ルオッコ:「カルトゥージア」は歴史のあるブランド。今だに、地中海の小さな島カプリで職人がハンドメードで仕上げるメード・イン・イタリーにこだわった香水を提供している。その歴史を正しく伝えながら、ステップ・バイ・ステップで世界中にブランドを広げていきたいと思う。

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伊カプリ島の修道院がルーツの知る人ぞ知る香水「カルトゥージア」 ハンドメードでていねいにつくられる香り

ヴァージニア・ルオッコ / カルトゥージア製品開発兼ブランドマネジャー プロフィール

イタリア・カプリ島生まれ。18歳までカプリ島で育ち、大学では東洋の言語などについて学ぶ。日本の歴史に興味を持ち東京に住んだ後にカプリに戻る。家業であるカルトゥージアを受け継ぎブランドのディレクションなどを手掛ける

伊発フレグランス「カルトゥージア(CARTHUSIA)」の日本2号店が麻布台ヒルズに登場した。ブランド誕生のルーツは1380年に遡る。当時アンジュー家の支配下にあったナポリのサンジャコモ修道院の修道士たちがジョヴァンナ王妃の訪問を機に準備した島々の花がきっかけだった。1948年に古文書の中からその記述が見つかり、伝説の香水の再現に成功。ハンドメードで生産される香水は2002年まで、イタリア国内でも一般に流通していなかった。日本では、豊田貿易が輸入販売を手掛けている。麻布台ヒルズ店のオープンを機に来日したヴァージニア・ルオッコ=カルトゥージア製品開発兼ブランドマネジャーに話を聞いた。

11人の職人がハンドメードでつくる香り

WWD:麻布台ヒルズに出店する理由は?

ヴァージニア・ルオッコ=カルトゥージア製品開発兼ブランドマネジャー(以下、ルオッコ):多くの人々が来る注目の商業施設で、出店するのにふさわしい場所だから。ブランドとしての認知度をアップするのにもいい場所だと思う。

WWD:「カルトゥージア」のブランド哲学は?

ルオッコ:世界中で知られているカプリ島発の香りと14世紀に始まった歴史を世界中に届けること。

WWD:カプリの修道院で生まれた歴史をどのように現代のクリエイションに生かしているか?

ルオッコ:14世紀にジョヴァンナ王妃のための花が入っていた花器の水の神秘的な香りを修道士が研究したところ、その元がカプリ島に咲く“ガロファノ・シルヴェストレ”というカーネーションだとわかった。それが、カプリ島初の香水と言われ、最初のフレグランス“フィオリ デ カプリ”が誕生した。世界一小さい香水製造所という別名を持つ修道院の前にある製造所では、今でも全フレグランスの6割は、修道士のレシピを元に製造している。全てのフレグランスは、カプリの花々や果実、ハーブなど天然由来のものを使用。11人の職人がボトリングからパッケージ包装まで製造過程は7割がハンドメードで行う。だから、大量生産はできない。

WWD :ターゲットは?

ルオッコ:さまざまなタイプの18種類のフレグランスがある。最近人気のグルマン系の香りも加わった。若い人から洗練された大人まで気に入ってもらえるものがあるはず。

WWD:ベストセラーとその理由は?

ルオッコ:アジアではレモンツリーやグリーンティーをミックスしたシトラス系の“メディテラネオ”が人気。人や場所を選ばない香りだから人気なのだと思う。全世界では、海の香りの“アマーレ”が好評だ。一番古い“フィオリ ディ カプリ”も人気だ。

地中海の島の小さな製造所から世界に

WWD:現在何カ国、何店舗で販売しているか?

ルオッコ:8カ国、約300店舗で販売している。アメリカ、日本、オーストラリア、香港では、ディストリビューターを通して販売。イタリアには直営店が12店舗ある。

WWD:今後の日本戦略は?

ルオッコ:クリスマス前には日本でECをスタートする。もっと多くの人に「カルトゥージア」を知ってもらいたい。今は2店舗だが、これからもっと販売拠点も増やしていきたい。

WWD:競合ブランドは?それらとどのように戦うか?

ルオッコ:「カルトゥージア」は本当に小さいブランド。少しずつ新しいことに挑戦しながら、ゆくゆくは、「ディプティック(DIPTYQUE)」や「ジョー マローン ロンドン(JO MALONE LONDON)」のように、品質が高く認知度の高いブランドになりたい。

WWD:今後ブランドをどのように成長させたいか?

ルオッコ:「カルトゥージア」は歴史のあるブランド。今だに、地中海の小さな島カプリで職人がハンドメードで仕上げるメード・イン・イタリーにこだわった香水を提供している。その歴史を正しく伝えながら、ステップ・バイ・ステップで世界中にブランドを広げていきたいと思う。

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MIMOCAキュレーターに聞く「現代アート×テキスタイルの可能性」【NUNO須藤玲子の見果てぬ布の旅vol.2】

香川県丸亀市、JR丸亀駅の目の前にある美術館「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(以下、MIMOCA)」。ゲートプラザと呼ばれる大空間から自然とエントランスへと引き込まれる。丸亀市にゆかりの深かった画家・猪熊弦一郎(1902〜1993)の全面的な協力によって生まれたこの美術館で、須藤の個展「須藤玲子:NUNOの布づくり」展が開かれている(2月10日まで。その後、水戸芸術館2024年2月17日—5月6日に巡回)。こちらは2019年に香港のミュージアム「CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)」で開催された後に欧州を巡回したものに新作が加わっている。今回は本展の担当キュレーターであるMIMOCAの氏に、本展の見どころと、現代美術館でテキスタイルを展示する意義についてMIMOCAの古野華奈子氏に聞いた。

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現代アートの美術館でテキスタイルを展示する意義

MIMOCAが開館したのは1991年。当時は猪熊も健在で、構想の段階から密に関わった。丸亀市は当初、猪熊の記念館を開設することをプランしていたが、本人の強い意向で美術館、それも現代美術館に変更となった。「記念館は一度訪れたらそれきりになってしまう。街に開かれた、欧州の人にとっての教会のように身近な場所を、猪熊は望みました。来たらリフレッシュできて、元気に日常に戻れる場所。そして当時としては珍しい、現代美術を紹介する場所を望んだのです。同時代のひとが先を見越してつくるものからは、多くのものが得られると説いたそうです」(括弧内古野氏、以下同)。

また、アートと生活は不可分だと考えた猪熊は、生活に関わるようなデザイン、ファッション、建築といった分野もテーマに取り上げてほしいとも希望した。猪熊自身が画家であると同時に、三越の包装紙やパブリックアートを手がけるなど、『生活』をとても大切にした人だった。このような経緯から、MIMOCAではこれまでにも、通常考える美術の範疇におさまらないジャンルの展覧会を開催してきたが、テキスタイルは初めてである。「須藤さんのテキスタイルの展覧会を開くことになり、猪熊が生きていたら喜んだに違いありません」。

とは言え、須藤がこれまでに開催した展覧会の図録などからそのテキスタイルの完成度は強く感じたものの、「テキスタイル=素材」であり、素材を作品と捉えることが最初はイメージしにくかったと古野氏は言う。「ですが今回の展覧会のオリジナルをキュレーションした高橋瑞木さんから、『素材自体が作品』と言われて、腑に落ちました」。

制作過程をそのままインスタレーションに

展示内容も独特だ。テキスタイルの展覧会というと、完成品を見せるのが通常だが、本展はテキスタイルができあがるまでの制作過程を見せている。糸を撚ったり、独自に編み出した手法でプリーツ加工を施したり、NUNOと和紙を貼り合わせたり。須藤、職人、産地、研究者が一丸となって一枚の布をつくり出す工程が、来場者の心をつかむ。制作過程がインスタレーションとして成立しているのだ。「素材そのものに魅力があることに加えて、制作過程自体がデザインと言えます。ものづくりの裏側とも言える部分を見られる機会はめったになく、テキスタイルを学んでいる学生のみなさんにも好評です」。

古野氏の印象に強く残っているのが、須藤はじめ本展関係者が、見てもらう順序を熟考したこと。これまでに須藤が手がけたテキスタイルのなかから300近くをパッチワークした幕に続いて、直に触れるサンプルや、須藤がインスピレーションを受けた裂地のハギレ。続いて、7種のテキスタイルの制作過程をダイナミックに見せて、来場者の好奇心をよりかき立てる。興奮しながら次の部屋に向かうと、パノラマティクスが手がけた、実際にテキスタイルがつくられている現場の映像が流れていて、リアリティが持つ力が迫ってくる。さらには「マンダリンオリエンタル東京」をはじめ代表的なプロジェクトの紹介がある。展覧会のタイトルである「布づくり」を体感する動線だ。「この流れで見ることで、須藤さんのテキスタイルの魅力がしっかり伝わる。印象が強いのはインスタレーションですが、映像によって、美しく独創的なテキスタイルが、日本で、人の手で、量産されていることを知ります。展示の肝となるパートと言えます。また、ミュージアムショップでNUNOのアイテムが購入でき、展示作品を日常に持って帰れるというのも今回の展覧会の大きなポイントです」。

MIMOCAの空間にあわせて制作した作品も

MIMOCAを設計したのは、谷口吉生だ。ニューヨークのMoMAをはじめ数多くの美術館設計で知られる谷口の空間のなかで、MIMOCAはそのおおらかさに特筆すべきものがある。「美しい空間をつくってほしいと、猪熊が直接指名したのが谷口さんです。広々とした大空間で、居心地よく、何度でも訪れたくなるこの場所をつくるために、ふたりは対話を重ねました」。

空間のポテンシャルを感じ取り、呼応した須藤が新たに制作したのが、ファサードにたなびく「ビッグパステルドローイング」と、エントランスに掲げた、猪熊の原作を刺繍で再現した「顔80」。その日の天候で表情をコロコロと変える「ビッグパステルドローイング」は実におおらかで、空間になじんでいる。「そう、なじんでいるのです。NUNOの作品だと思わずに見ている方も多い。それはほかの美術作品と異なる点であり、デザイナーの須藤さんだからこそできたアプローチなのではと思います。その点でも、『生活に美しいものを届ける』『この時代から新しいものが生まれる面白さ』に着眼した猪熊と通じるものがあります。MIMOCAにぴったりの展覧会で、私たちとしても猪熊からの宿題をひとつ仕上げたようにも感じています」。

次回は、須藤の「布づくり」の土台を支える職人と日本各地の産地について、展覧会で紹介されたテキスタイルを中心に紹介していく。

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MIMOCAキュレーターに聞く「現代アート×テキスタイルの可能性」【NUNO須藤玲子の見果てぬ布の旅vol.2】

香川県丸亀市、JR丸亀駅の目の前にある美術館「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(以下、MIMOCA)」。ゲートプラザと呼ばれる大空間から自然とエントランスへと引き込まれる。丸亀市にゆかりの深かった画家・猪熊弦一郎(1902〜1993)の全面的な協力によって生まれたこの美術館で、須藤の個展「須藤玲子:NUNOの布づくり」展が開かれている(2月10日まで。その後、水戸芸術館2024年2月17日—5月6日に巡回)。こちらは2019年に香港のミュージアム「CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)」で開催された後に欧州を巡回したものに新作が加わっている。今回は本展の担当キュレーターであるMIMOCAの氏に、本展の見どころと、現代美術館でテキスタイルを展示する意義についてMIMOCAの古野華奈子氏に聞いた。

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現代アートの美術館でテキスタイルを展示する意義

MIMOCAが開館したのは1991年。当時は猪熊も健在で、構想の段階から密に関わった。丸亀市は当初、猪熊の記念館を開設することをプランしていたが、本人の強い意向で美術館、それも現代美術館に変更となった。「記念館は一度訪れたらそれきりになってしまう。街に開かれた、欧州の人にとっての教会のように身近な場所を、猪熊は望みました。来たらリフレッシュできて、元気に日常に戻れる場所。そして当時としては珍しい、現代美術を紹介する場所を望んだのです。同時代のひとが先を見越してつくるものからは、多くのものが得られると説いたそうです」(括弧内古野氏、以下同)。

また、アートと生活は不可分だと考えた猪熊は、生活に関わるようなデザイン、ファッション、建築といった分野もテーマに取り上げてほしいとも希望した。猪熊自身が画家であると同時に、三越の包装紙やパブリックアートを手がけるなど、『生活』をとても大切にした人だった。このような経緯から、MIMOCAではこれまでにも、通常考える美術の範疇におさまらないジャンルの展覧会を開催してきたが、テキスタイルは初めてである。「須藤さんのテキスタイルの展覧会を開くことになり、猪熊が生きていたら喜んだに違いありません」。

とは言え、須藤がこれまでに開催した展覧会の図録などからそのテキスタイルの完成度は強く感じたものの、「テキスタイル=素材」であり、素材を作品と捉えることが最初はイメージしにくかったと古野氏は言う。「ですが今回の展覧会のオリジナルをキュレーションした高橋瑞木さんから、『素材自体が作品』と言われて、腑に落ちました」。

制作過程をそのままインスタレーションに

展示内容も独特だ。テキスタイルの展覧会というと、完成品を見せるのが通常だが、本展はテキスタイルができあがるまでの制作過程を見せている。糸を撚ったり、独自に編み出した手法でプリーツ加工を施したり、NUNOと和紙を貼り合わせたり。須藤、職人、産地、研究者が一丸となって一枚の布をつくり出す工程が、来場者の心をつかむ。制作過程がインスタレーションとして成立しているのだ。「素材そのものに魅力があることに加えて、制作過程自体がデザインと言えます。ものづくりの裏側とも言える部分を見られる機会はめったになく、テキスタイルを学んでいる学生のみなさんにも好評です」。

古野氏の印象に強く残っているのが、須藤はじめ本展関係者が、見てもらう順序を熟考したこと。これまでに須藤が手がけたテキスタイルのなかから300近くをパッチワークした幕に続いて、直に触れるサンプルや、須藤がインスピレーションを受けた裂地のハギレ。続いて、7種のテキスタイルの制作過程をダイナミックに見せて、来場者の好奇心をよりかき立てる。興奮しながら次の部屋に向かうと、パノラマティクスが手がけた、実際にテキスタイルがつくられている現場の映像が流れていて、リアリティが持つ力が迫ってくる。さらには「マンダリンオリエンタル東京」をはじめ代表的なプロジェクトの紹介がある。展覧会のタイトルである「布づくり」を体感する動線だ。「この流れで見ることで、須藤さんのテキスタイルの魅力がしっかり伝わる。印象が強いのはインスタレーションですが、映像によって、美しく独創的なテキスタイルが、日本で、人の手で、量産されていることを知ります。展示の肝となるパートと言えます。また、ミュージアムショップでNUNOのアイテムが購入でき、展示作品を日常に持って帰れるというのも今回の展覧会の大きなポイントです」。

MIMOCAの空間にあわせて制作した作品も

MIMOCAを設計したのは、谷口吉生だ。ニューヨークのMoMAをはじめ数多くの美術館設計で知られる谷口の空間のなかで、MIMOCAはそのおおらかさに特筆すべきものがある。「美しい空間をつくってほしいと、猪熊が直接指名したのが谷口さんです。広々とした大空間で、居心地よく、何度でも訪れたくなるこの場所をつくるために、ふたりは対話を重ねました」。

空間のポテンシャルを感じ取り、呼応した須藤が新たに制作したのが、ファサードにたなびく「ビッグパステルドローイング」と、エントランスに掲げた、猪熊の原作を刺繍で再現した「顔80」。その日の天候で表情をコロコロと変える「ビッグパステルドローイング」は実におおらかで、空間になじんでいる。「そう、なじんでいるのです。NUNOの作品だと思わずに見ている方も多い。それはほかの美術作品と異なる点であり、デザイナーの須藤さんだからこそできたアプローチなのではと思います。その点でも、『生活に美しいものを届ける』『この時代から新しいものが生まれる面白さ』に着眼した猪熊と通じるものがあります。MIMOCAにぴったりの展覧会で、私たちとしても猪熊からの宿題をひとつ仕上げたようにも感じています」。

次回は、須藤の「布づくり」の土台を支える職人と日本各地の産地について、展覧会で紹介されたテキスタイルを中心に紹介していく。

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LVMHが出資するLA発ストリートウエア「マッドハッピー」 フーディーで広がるコミュニティー Youth in focus Vol.11

undefined 「マッドハッピー」2023年フォール・コレクション

U30の若者たちにフォーカスした連載「ユース イン フォーカス(Youth in focus)」10回目は、ロサンゼルス発のストリートウエアブランド「マッドハッピー(MADHAPPY)」にフォーカスする。

同ブランドは、ノア・ラフ(Noah Raf)とペイマン(Peiman Raf)兄弟、友人のメイソン・スペクター(Maison Spector)が2017年にスタートした。日本にはドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)で10月に開いたポップアップストアをきっかけに初上陸。優しい色使いのスエットやフーディー、メッセージTシャツを核に、ファッションを通じてメンタルヘルスの大切さを伝えようとするパワフルなパーパスが、若者からの共感を集めている。価格帯はフーディー(2万9700円)、Tシャツ(1万2100円)、キャップ(7700円)など。19年にはLVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)の投資ファンドであるLVMHラグジュアリー・ベンチャーズ(LVMH LUXURY VENTURES)が出資して話題になった。

来日した共同創業者の1人ノア・ラフに、ブランド立ち上げの背景やグローバルに広がるブランドのコミュニティーの作り方などを聞いた。

「人生は超楽しいときもあれば、最悪に辛いときもある」

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PROFILE:ノア・ラフ/「マッドハッピー」共同創業者

イタリア・フィレンツェ生まれ。幼少期にアメリカに移住し、ロサンゼルスで育つ。高校卒業後の2017年に弟のペイマンと、友人のメイソン・スペクターの3人で「マッドハッピー」をスタートした PHOTO:YUTA KATO

WWD:「マッドハッピー」が始まった背景は?

ノア・ラフ(以下、ラフ):最初は弟のペイマンと、学生時代から仲のいいメイソンを含めた3人で、Tシャツにポジティブなメッセージをプリントして仲間内で楽しもうという、すごく緩いプロジェクトとしてスタートしたんだ。高校を卒業したばかりで、ビジネスの知識はなかったけど、僕たちの住むLAのダウンタウンは近所に工場がたくさんある環境がラッキーだったね。最初はオンラインでボディーを買って、近くの工場に「ねぇ、Tシャツの作り方教えてよ」って持ち込んだ。そこから、いろんなことを教えてもらいながら形になっていったんだ。「マッドハッピー」というブランド名は、メイソンが「マッド(=狂ったの意)」と「ハッピー」という相反する言葉を並べたら面白いんじゃないかと命名したんだよ。

WWD:メンタルヘルスに興味を持ったきっかけは?

ラフ:メイソンはうつ病を経験していて、僕たちにメンタルヘルスの大切さを教えてくれた最初の人物だ。人生は超楽しいときもあれば、最悪に辛いときもある。誰だってそういうアップダウンを経験したことがあるはずだよね。でもSNSではみんな、「最高の夏休み!」とか人生の一番いい面を見せるでしょ。それってリアルじゃない。僕たちは人生の面倒な部分も、複雑な生き物であることも受け入れて感謝したい。だから、メンタルヘルスに関する話をもっと気軽にできるコミュニティーを作りたくてTシャツを販売し始めたんだ。スタートしてみると、僕たちのコミュニティーに入りたいという若い人たちは想像以上に多くて、ブランドがここまで成長できたんだと思う。

WWD:ストリートウエアとメンタルヘルスという掛け合わせも意外性があって面白い。

ラフ:僕個人は最初からこのトピックには、オープンだった。元々好奇心旺盛な性格だからかもしれないけど、世界的に見ればまだタブー視されている部分はあるかもしれないね。でも僕たちがやりたいことは、真面目なカウンセリングやセラピーじゃない。もっとカジュアルにポジティブなムードを広げたいだけだ。何か驚くべきコンセプトを立ち上げたつもりもなくて、生きていれば普通に経験することにフォーカスを当てただけだよ。でも19年にLVMHが出資してくれたときには、すごく自信がついた。

広がる“ローカル・オプティミスト”の輪

WWD:具体的にどのようにコミュニティーを形成している?

ラフ:まず「マッドハッピー」の商品を着ること自体が、同じ価値観を持つ人同士とつながるきっかけになっている。それから年に2回「ローカル・オプティミスティック・マガジン(LOCAL OPTIMISTIC MEANING)」という雑誌を発行して、アートやデザイン、カルチャーを軸にしながらメンタルヘルスにまつわるトピックを発信している。僕たちはポップアップストアでの販売がメインだから、店がオープンするたびにイベントを毎回開催し、「ローカル・オプティミスティック・マガジン」に登場した人をゲストに招いてトークしてもらう。トピックはさまざまだけど、人生の生きづらさをオープンに語ってもらうという点は共通しているんだ。僕たちは、ブランドファンのことを“ローカル・オプティミスト”と呼んでいて、この前LAのストアでイベントを開催したときは20〜30代の“ローカル・オプティミスト”が60人ほど集まった。

WWD:「マッドハッピー」のポッドキャスト番組でも、さまざまなゲストが人生のアップダウンについて語っていて面白い。

ラフ:ありがとう。ポッドキャストも僕たちのメッセージを発信する手段の一つ。普段からポッドキャストが大好きだったペイマンのアイデアなんだ。あとは、非営利団体の「マッドハッピー基金」を設立して、ブランドの売上高の1%を基金に寄付している。この基金で集めた資金はメンタルヘルスにまつわる研究や、この分野で活動する団体に提供しているんだ。

WWD:実際に顧客からはどんな反応が?

ラフ:「こういう話を安心してできる場所がほしかった」とか「信頼できる場所ができた」といった声をもらえて、ブランドのコンセプトがすごく受け入れられている実感があるよ。ストリートウエアブランドだけど、女性の顧客比率が高いのも特徴だと思う。

WWD:今後のビジョンについて教えてほしい。

ラフ:11月に LAに初の旗艦店をオープンして、ほかにも店舗オープンの話はいくつか進めている。日本でもチャレンジしたいね。日本の若者たちにも好奇心とオープンマインドを貫く大切さを伝えていきたいし、 “ローカル・オプティミスト”の輪をどんどん広げたい。

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日本のクワイエットラグジュアリーブランド「タカミ」とは? 世界戦略をロレアルのキーマン2人が語る

2021年に日本ロレアル傘下となった、美容皮膚の現場から生まれたスキンケアブランド「タカミ」。現在、日本市場でも顕著に売り上げを伸ばすと同時に、中国、台湾に進出しグローバル展開を強化している。世界でさらに成長するために、どのような働き方を推奨し、どのような人材が活躍しているのか?デイビッド・ルブラン「タカミ」グローバルブランドプレジデントと天谷美乃里「タカミ」ゼネラルマネージャーに聞いた。

オリジン、技術、洗練、
それが世界から見た「タカミ」の魅力

WWDJAPAN(以下、WWD):21年に「タカミ」がロレアル傘下となった時は大きな話題となった。

天谷美乃里「タカミ」ゼネラルマネージャー(以下、天谷):日本は世界で3番目に大きい化粧品市場であり、日本のお客さまは世界で一番洗練されていると言われています。ロレアルが「タカミ」を含め37のグローバルブランドを手掛ける中で、「タカミ」の主力の角質美容水“タカミスキンピール”は誕生から18年間処方を変えず、200万人以上(23年6月末時点、累計購入者数)の愛用者がいます。商品もサービスも全てにおいてこだわる日本市場で成功しているブランドは、世界に認められる可能性を十分に秘めている、ロレアルとしてそれを世界に広げていきたいということでタッグを組むことになりました。

WWD:「タカミ」に対する世界の反応は?

デイビッド・ルブラン「タカミ」グローバルブランドプレジデント(以下、デイビッド):非常に興味深いブランドだと認知されています。その理由の1つ目は美容皮膚のノウハウから生まれたというオリジン、2つ目は18年間処方が変わらない“タカミスキンピール”に代表される優れた技術、3つ目は美容意識の高い日本人が認める洗練です。今、ファッションではクワイエットラグジュアリーが注目されていますが、「タカミ」はまさにそれで、派手ではないけれど本物というのはロレアルが求めるもの。ダーマコスメに関心が高まっていることもあり今後、ユニバーサリゼーション(製品の共通コンセプトを維持しながらも展開国・地域の違いを受け入れ尊重するロレアルの戦略)を実践しつつ、世界で認知を上げていきます。

起業家精神が育まれる風土

WWD:グローバル化に伴い社員の意識や働き方は変わった?

天谷:M&Aはよく結婚に例えられますが、お互いに好きでも一緒に暮らしてみるといろんな調整が必要になります。ブランドが大きくなると、小さなチームがたくさんでき、それぞれのチームリーダーが自分の意見を持って業務を推進していく必要が出ます。それまで、指示を仰ぐ働き方が多かった人から「私はこう思いますが、やっていいですか?」という言葉が出るようになった時に変化の手応えを感じ、当社が大切にしている「起業家精神」が育まれたのだと実感しました。

デイビッド:グローバルも同様の傾向にあります。「タカミ」はDtoCブランドで主力はECビジネス。ブランド立ち上げ当初から”お客さまの視点に立ち返ること””お客さまがどう感じるか”という点を重要視しています。お客さまの声やお客さまがどう思うのかを大切にする中、さまざまなブランドを擁するロレアルの傘下になったことで、「タカミ」の良さや課題を再確認し、それを強みとすることでブランド力を高めることにつながり、好成績につながっています。

外見的な美だけでなく
内面的な美の創造も目指す会社

都内大学のファッション系サークルに所属する3人が「タカミ」の取り組みを知り、その思いを語る。

パーパスは「世界をつき動かす美の創造」

1909年に創業し、1世紀以上にわたり「美の創造」を唯一無二の使命としてきたロレアル。「私たちのゴールは、世界中のすべての人、ひとりひとりに最高の美しさをお届けすること」とし、品質、効果、安全性、誠実さ、そしてその責任にいたるまで、あらゆる美のニーズと欲求に応え続ける。ダイバーシティを大切に、傘下の37ブランドを通じて美の多彩な表現を生み出し、インクルーシブ性を根幹においたビジネスを確立することを約束する。また、女性の尊厳を護り、同社が関わるコミュニティーを強化。地球の美しさを護るための気候変動にも挑み、生物多様性を重視し、天然資源の保存にも注力する。

PHOTOS:YUKIE SUGANO,TEXT:YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
日本ロレアル
03-6911-8100

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日本のクワイエットラグジュアリーブランド「タカミ」とは? 世界戦略をロレアルのキーマン2人が語る

2021年に日本ロレアル傘下となった、美容皮膚の現場から生まれたスキンケアブランド「タカミ」。現在、日本市場でも顕著に売り上げを伸ばすと同時に、中国、台湾に進出しグローバル展開を強化している。世界でさらに成長するために、どのような働き方を推奨し、どのような人材が活躍しているのか?デイビッド・ルブラン「タカミ」グローバルブランドプレジデントと天谷美乃里「タカミ」ゼネラルマネージャーに聞いた。

オリジン、技術、洗練、
それが世界から見た「タカミ」の魅力

WWDJAPAN(以下、WWD):21年に「タカミ」がロレアル傘下となった時は大きな話題となった。

天谷美乃里「タカミ」ゼネラルマネージャー(以下、天谷):日本は世界で3番目に大きい化粧品市場であり、日本のお客さまは世界で一番洗練されていると言われています。ロレアルが「タカミ」を含め37のグローバルブランドを手掛ける中で、「タカミ」の主力の角質美容水“タカミスキンピール”は誕生から18年間処方を変えず、200万人以上(23年6月末時点、累計購入者数)の愛用者がいます。商品もサービスも全てにおいてこだわる日本市場で成功しているブランドは、世界に認められる可能性を十分に秘めている、ロレアルとしてそれを世界に広げていきたいということでタッグを組むことになりました。

WWD:「タカミ」に対する世界の反応は?

デイビッド・ルブラン「タカミ」グローバルブランドプレジデント(以下、デイビッド):非常に興味深いブランドだと認知されています。その理由の1つ目は美容皮膚のノウハウから生まれたというオリジン、2つ目は18年間処方が変わらない“タカミスキンピール”に代表される優れた技術、3つ目は美容意識の高い日本人が認める洗練です。今、ファッションではクワイエットラグジュアリーが注目されていますが、「タカミ」はまさにそれで、派手ではないけれど本物というのはロレアルが求めるもの。ダーマコスメに関心が高まっていることもあり今後、ユニバーサリゼーション(製品の共通コンセプトを維持しながらも展開国・地域の違いを受け入れ尊重するロレアルの戦略)を実践しつつ、世界で認知を上げていきます。

起業家精神が育まれる風土

WWD:グローバル化に伴い社員の意識や働き方は変わった?

天谷:M&Aはよく結婚に例えられますが、お互いに好きでも一緒に暮らしてみるといろんな調整が必要になります。ブランドが大きくなると、小さなチームがたくさんでき、それぞれのチームリーダーが自分の意見を持って業務を推進していく必要が出ます。それまで、指示を仰ぐ働き方が多かった人から「私はこう思いますが、やっていいですか?」という言葉が出るようになった時に変化の手応えを感じ、当社が大切にしている「起業家精神」が育まれたのだと実感しました。

デイビッド:グローバルも同様の傾向にあります。「タカミ」はDtoCブランドで主力はECビジネス。ブランド立ち上げ当初から”お客さまの視点に立ち返ること””お客さまがどう感じるか”という点を重要視しています。お客さまの声やお客さまがどう思うのかを大切にする中、さまざまなブランドを擁するロレアルの傘下になったことで、「タカミ」の良さや課題を再確認し、それを強みとすることでブランド力を高めることにつながり、好成績につながっています。

外見的な美だけでなく
内面的な美の創造も目指す会社

都内大学のファッション系サークルに所属する3人が「タカミ」の取り組みを知り、その思いを語る。

パーパスは「世界をつき動かす美の創造」

1909年に創業し、1世紀以上にわたり「美の創造」を唯一無二の使命としてきたロレアル。「私たちのゴールは、世界中のすべての人、ひとりひとりに最高の美しさをお届けすること」とし、品質、効果、安全性、誠実さ、そしてその責任にいたるまで、あらゆる美のニーズと欲求に応え続ける。ダイバーシティを大切に、傘下の37ブランドを通じて美の多彩な表現を生み出し、インクルーシブ性を根幹においたビジネスを確立することを約束する。また、女性の尊厳を護り、同社が関わるコミュニティーを強化。地球の美しさを護るための気候変動にも挑み、生物多様性を重視し、天然資源の保存にも注力する。

PHOTOS:YUKIE SUGANO,TEXT:YOSHIE KAWAHARA
問い合わせ先
日本ロレアル
03-6911-8100

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学生を業界のプロがサポートし世界へ 栗野宏文、山縣良和が語る「ココクリ」

LVMHプライズやITSなど、若手デザイナーの登竜門となるアワードに毎年のように才能を送り出し、世界で注目を集めている山縣良和主宰のファッションの学校、ここのがっこうは11月21日、50周年のアニバーサリーイベントを開催中の渋谷パルコに、期間限定店「ココクリ(cococuri)」をオープンした。仕掛け人は、同校を10年以上にわたって見守り続けている栗野宏文ユナイテッドアローズ上級顧問だ。「トム ブラウン(THOM BROWNE)」をはじめ、海外メゾンの生産を請け負う縫製会社のファッションしらいし(東京・新高円寺)、そして現役のデザイナーたちがチューターとして加わり、学生たちのアイデアを形にし、販売する。「ココクリ」を通して感じた新たな可能性について、二人が語る。

ーー期間限定店「ココクリ」のプロジェクトは、どのようにスタートしたのでしょうか。

栗野宏文ユナイテッドアローズ上級顧問(以下、栗野):渋谷パルコの50周年記念イベントの一環で、館内3区画でのポップアップストアをディレクションしないかという話をパルコからいただいたのが発端です。(6月に公開された渋谷パルコの50周年記念キービジュアルは)「DISCOVER UNKNOWNS(まだ世の中に知られていないものごとを発掘し、発信する)」を掲げ、(1980年代にパルコの広告を担ったことで知られる)井上嗣也さんをクリエイティブ・ディレクターに起用しており、気概を感じました。3区画のうち、最も面積の小さな1区画は通りに面しており、聞けば隣にはパルコの歴史では初めてとなる「エルメス(HERMES)」がビューティショップで出店するいう。そんな場所で、ぜひ”いい驚き”を仕掛けたいと思ったんです。すぐに、常日頃から興味深いと思っているここのがっこうの山縣くんに連絡をしました。

山縣良和「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」デザイナー兼ここのがっこう主宰(以下、山縣):栗野さんからここのがっこうのポップアップのお話をもらい、断る理由は一つもなかったです。常に新しいチャレンジをしたいと考えていますし、以前から生徒たちのピュアなアイデアと日本の高い縫製技術が合わさることで、強いモノ作りができるのではという構想はあって、それをどう形にしていこうかと考えていた時期でもありました。今回、栗野さんにその舞台を用意していただきました。

ーー生徒の作品を商品として形にする上で、技術力に定評のある縫製会社のファッションしらいしに加えて、チューター制として現役デザイナーも多く参加していますね。

山縣:今回プロジェクトに入ってくださったファッションしらいしさんとは、かねてからデザイン、パターン、縫製の3つ全てがそろった服作りの場をどう形にしていくか、話をしていました。ただ、課題もあってなかなか踏み込めなかったところに「ココクリ」の話がきたので、すぐにしらいしさんに協力をお願いしました。ただ、生徒たちと工場さんとのやりとりを考えると、共通言語があまりにも少なく、服作りを進めていけるのかという不安があったんです。短期間で経験のないことを進めるために、技術面だけではないサポートが必要ではないかと考えました。

そんな時に、(「タロウ ホリウチ」デザイナーの堀内)太郎にこの話をしたら「(現役デザイナーが生徒をサポートする)チューター制がいいんじゃないか」と言ってくれて。「チューター1人が生徒1〜2人を見る体制であれば、お互い負担も少ないし、僕も手伝ってもいいよ」と言われて、「なるほど、その形でやってみよう」と。太郎がそういう発言をした背景には、自身がアントワープ王立芸術アカデミー在学中に、現役デザイナーの先生たちから多くを学び、アカデミーがその環境を用意してくれたということがあります。そうした環境の重要性を太郎は話してくれました。

栗野:学生、(縫製工場で)モノ作りをする人、チューターと、全員が現役。現役の人は今の空気の中で生きています。引退すると見えなくなるものもあるし、勘が鈍ることもある。今回の自分の役割は何かと問われたら、現役たちを束ねるプロデューサーのようなものです。僕にはそのアイデアはなかったのだけど、それを聞いた時に、ノスタルジーや歴史をたたえるのではなく、(渋谷パルコという)現役の館が、現役の発想で未来の現役のために投資していくといった、渋谷パルコ50周年のテーマにも重なるなと思いましたね。

学生たちの発想をすばらしいと感じることは多いですが、彼らが自分のブランドを立ち上げて、服を作って販売することができるようになるまでには最低3年はかかります。下手をすれば、世に出られないままになる可能性もある。料理と同じで、学生という現役で感覚が面白い時に、現役の方の力によって形にすることに大きな意味があると感じ、「ココクリ」開催に至りました。

クリエイションは「お金があれば勝ち」ではない

ーー実際にチューターたちと製作をしてみて、生徒たちはどんな様子でしたか。

山縣:チューターと生徒は「初めまして」同士ではありません。ここのがっこうのゲスト講師を含め、生徒たちが何をしてきたか、何を作ってどうやって成長してきたかを知っているデザイナーにチューターを依頼しているので、互いの理解は早かったように思います。今回6人の生徒の作品を販売していますが、「ココクリ」全体でのテーマは設けず、各自で作りたいものを作っています。初めてパルコという舞台で売るわけですし、世界的に評価されている縫製工場のしらいしさんに依頼して生産してもらっている。「ココクリ」オープン前は、生徒たちから日々緊張感が伝わってきました。

栗野:海外の芸大のファッションコースの卒業製作は、当然ながら生徒の自腹です。過去にはお金持ちの学生が、プロの工場やパタンナーを使って完成度の高いショーを見せてくれたこともあります。だからと言って、ファッションの世界はお金がある子が勝ちという話でもない。資金が潤沢ではなくても、高額ではない生地を使ってアイデアをひねったり、先輩に道具や素材を譲ってもらったりして、必死にアイデアを形にして、クリエイションで勝負ができるのがファッションの世界です。

山縣:生徒とはいえ、1人1人がプロ。「ココクリ」では、プロに対するリスペクトを持って生徒に接しています。ファッションしらいしは活躍しているデザイナーにとっても(工賃などの面を含め)敷居の高い工場です。このプロジェクトの工賃については僕からもしらいしさんに相談させてもらって、「お願いします」と伝えていますが、最終的な金額交渉は生徒たちがプロとして各自で行っています。彼らがやりたいことを、「これをどうしても形にしたい」と心を込めて頼んだ方が断然効果がありますから。値付けも生徒たちが各自で行い、10万円を超える商品も並びます。自ら店頭に立って接客も経験してもらいます。

ーー「ココクリ」のように学生が業界のプロに相談できる環境は、海外のファッション教育の現場では一般的なのでしょうか。

山縣:セントマ(ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校)の卒業ショーでは、学生が(縫製士などの)テクニシャンに相談できる時間が割り振られています。プロと接することで服作りの具体的な過程を生徒が学び、ブランドを作るための準備段階を経験できる。以前しらいしさんと、1つの事例としてそんな話をしたことがあります。

栗野:(生徒、現役デザイナーによるチューター、プロの縫製工場という)今回の座組みは、スタージュ(インターンシップ)のようなものです。ドイツ生まれのデザイナー、ベルンハルト・ウィルヘルムは「ダーク・ビッケンバーグ」や「アレキサンダー・マックイーン」「ヴィヴィアン・ウエストウッド」などのアトリエでスタージュを経験して、各社から「スタッフになってほしい」と言われたけど、断って自分のブランドを始めたという逸話がありますね。無償でもいいから体験したいと思うような、個性の強いデザイナーたちのモノ作りの舞台裏を、3カ月でも半年でも給与を払って学生に経験させるという文化が、スタージュとして海外には根付いていますね。

「モノ作りは人間の手に取り戻すべき」

ーー「ココクリ」に向かう生徒たちの姿勢や商品が仕上がっていく過程を見て、どんな可能性があると感じましたか?

山縣:生徒たちからは成長を実感したという声が上がっています。チューターを担当してくれた現役デザイナーからは、こうした環境をうらやむ声も出ました。仕上がった商品を見て、僕自身もこんなに強いモノができるのかと感動し、今回の取り組みの意義を深く感じています。

栗野:パトロネージュという言葉がありますが、芸術家にしてもファッションデザイナーにしても、お金や名誉、人を動かす力を持った人が、自分が才能を認めた人を支援することで、クリエイションが担保されて才能が世に出ていくことができる。例えば若きマックイーンを支援したスタイリストのイザベラ・ブロウがそうですね。1980年代の日本は、消費者が若い才能をパトロネージュしていたと分析する人もいます。僕はその背景に、(当時は)デザイナーの顔が見えて、顧客とつながっていたことがあると考えています。「ココクリ」ではデザイナーが自ら接客をします。80年代に才能をパトロネージュした人が感じていたであろう、新しい才能に出合う喜びを感じられる場所に「ココクリ」はなるだろうし、「自分がこれを買うことで幸せになれる」という感覚を思い起こす体験ができる場所になったらうれしい。同時に、しらいしさんや山縣さん、生徒たち、僕にとっても、これまでは見えていなかった(新しい才能を世に出していくための)次のステップが、このポップアップを経験することで見えてくるかもしれないですね。

山縣:確かに。社会に対するファッションの可能性をどう未来につなげるかを常に考えていますが、「ココクリ」という機会を通し1つの方法論を見出せました。(縫製工場というモノ作りの現場にいる)技術者と対話のできる場所をどう作って、どう未来につなげていくかを、これからも模索していきたい。そういう意味では、「ココクリ」は、(DISCOVER UNKNOWNSという)渋谷パルコが50周年で掲げたコピーに最も忠実な店になりましたね。

栗野:そうだね(笑)。プロジェクトが立ち上がってから、たった2カ月という短い製作期間でしたが、僕の芸風はいつだって”歩きながら考える”。プランAがダメならB、BがだめならCというような感じで進めてきました。ただ、僕が勝手に戦友と考えている山縣さんには、そもそもプランがあるとも思えない!

山縣:確かに僕は、計画的には生きられないタイプです(笑)。

栗野:だからいいんですよ。そういう人でも生き残ることができるし、生き残ることができると世間が知ることができる。壮大な話になっていきますが、モノ作りは人間の手に取り戻されるべきです。自分の手で作ることの面白さや楽しさ、尊さを、山縣くんや僕のこうした活動を通して伝えることでまず知ってもらい、少しずつ社会へ寄与していけるのかもしれません。

■「ココクリ」
期間:11月21〜30日
場所:渋谷パルコ1階POP UPスペース
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1
営業時間:11〜21時

プロデューサー:栗野宏文 
監修:山縣良和

参加デザイナー
可児真嗣、金子圭太、中村英、松田悠太、馬渕岳大、村尾拓美

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パタゴニア日本支社が目的意識の社内共有のために行っていること

マーティ・ポンフレー/パタゴニア日本支社長 プロフィール

1970年6月29日米国ミズーリ州セントルイス生まれ。ナイキジャパンでアナリストとしてキャリアをスタートし、後にカテゴリーセールスマネージャーに就任。その後、フォッシルジャパンでオペレーションズディレクター、マネージング・ディレクターを経て、アメリカ本社で複数のヴァイスプレジデントのポジションを務める。2007年以降、コンサルタントとして、また起業家として多数のビジネス開発プロジェクトに携わる。19年から現職 PHOTO : TSUKASA NAKAGAWA

社員への目的意識の共有に頭を抱える企業は多いのではないだろうか。前提として、パーパスを明確化することが大切だが、その後のフォローも極めて重要になる。パーパス経営で知られるパタゴニア(PATAGONIA)は社内の意識醸成をどのように行っているのか。マーティ・ポンフレー(Marty Pomphrey)=パタゴニア日本支社長に聞く。

WWD:スタッフ間での目的意識の共有や仲間意識の醸成をどのように行っているか。

マーティ・ポンフレー日本支社長(以下、マーティ):年に5回、全スタッフが集まるタウンホールミーティング(経営陣と従業員との対話の場)を開催し、会社の方向性から環境問題、楽しい出来ごとまで、さまざまな情報を共有している。毎月1回、各部門のディレクターやマネージャーを交えたミーティングを行い、リアルタイムな情報を入手し、その声を直接聞いている。

加えて、スタッフ同士が絆を深める環境を作りたいという思いから、さまざまなオフサイト・イベントを開催している。社員が率先して企画し、社員とその家族がロッククライミングを学ぶ日を設けたり、サーフィンやトレイルランに出かける日を設けたりしている。また、さまざまな環境保護活動のボランティア・セッションに一緒に参加している。 加えて社員とゲストがそれぞれの興味や専門分野に関する情報を共有する会も開催している。

WWD:個人的に行っていることは?

マーティ:会社が提供するオーガニックランチを楽しんでいる。スタッフに混じってカジュアルな会話をする機会を得ることができるから。パタゴニアに入社した理由のひとつに、個人対個人のコミュニケーション文化があることが挙げられる。コロナ禍を経て、改めて日本でビジネスを成功させるためには、直接会って一緒に仕事をすることが大切だと感じている。信頼関係を築く唯一の方法は話を聞くこと。そして話している人が尊重されていると感じることも大切だ。信頼を築くには時間がかかる。相手に真の敬意を示し、相手の話を聞く時間を取ることから始まる。

私は上下関係にはまったく興味がない。私が受ける最良のアドバイスは、小売店、カスタマーサービス、修理など、会社の最前線にいる人々からであることが多いから。顧客と直接つながっているスタッフからのフィードバックは、どの取り組みがうまくいったかだけでなく、何がうまくいかなかったか、何を調整する必要があるかを気づかせてくれる。リーダーとして、私はフィードバックを受け入れる姿勢を持ち続けなければならないし、そのフィードバックが批判的で聞きにくいものである場合はなおさらだ。私は、直面している問題やお客さまとのエピソードを知るために、ときどきカスタマーサービス・エリアに座って仕事をすることがある。同じ理由から、できるだけ多くの時間を費やし店舗や修理センターに立ち寄るようにしている。

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パタゴニア日本支社が目的意識の社内共有のために行っていること

マーティ・ポンフレー/パタゴニア日本支社長 プロフィール

1970年6月29日米国ミズーリ州セントルイス生まれ。ナイキジャパンでアナリストとしてキャリアをスタートし、後にカテゴリーセールスマネージャーに就任。その後、フォッシルジャパンでオペレーションズディレクター、マネージング・ディレクターを経て、アメリカ本社で複数のヴァイスプレジデントのポジションを務める。2007年以降、コンサルタントとして、また起業家として多数のビジネス開発プロジェクトに携わる。19年から現職 PHOTO : TSUKASA NAKAGAWA

社員への目的意識の共有に頭を抱える企業は多いのではないだろうか。前提として、パーパスを明確化することが大切だが、その後のフォローも極めて重要になる。パーパス経営で知られるパタゴニア(PATAGONIA)は社内の意識醸成をどのように行っているのか。マーティ・ポンフレー(Marty Pomphrey)=パタゴニア日本支社長に聞く。

WWD:スタッフ間での目的意識の共有や仲間意識の醸成をどのように行っているか。

マーティ・ポンフレー日本支社長(以下、マーティ):年に5回、全スタッフが集まるタウンホールミーティング(経営陣と従業員との対話の場)を開催し、会社の方向性から環境問題、楽しい出来ごとまで、さまざまな情報を共有している。毎月1回、各部門のディレクターやマネージャーを交えたミーティングを行い、リアルタイムな情報を入手し、その声を直接聞いている。

加えて、スタッフ同士が絆を深める環境を作りたいという思いから、さまざまなオフサイト・イベントを開催している。社員が率先して企画し、社員とその家族がロッククライミングを学ぶ日を設けたり、サーフィンやトレイルランに出かける日を設けたりしている。また、さまざまな環境保護活動のボランティア・セッションに一緒に参加している。 加えて社員とゲストがそれぞれの興味や専門分野に関する情報を共有する会も開催している。

WWD:個人的に行っていることは?

マーティ:会社が提供するオーガニックランチを楽しんでいる。スタッフに混じってカジュアルな会話をする機会を得ることができるから。パタゴニアに入社した理由のひとつに、個人対個人のコミュニケーション文化があることが挙げられる。コロナ禍を経て、改めて日本でビジネスを成功させるためには、直接会って一緒に仕事をすることが大切だと感じている。信頼関係を築く唯一の方法は話を聞くこと。そして話している人が尊重されていると感じることも大切だ。信頼を築くには時間がかかる。相手に真の敬意を示し、相手の話を聞く時間を取ることから始まる。

私は上下関係にはまったく興味がない。私が受ける最良のアドバイスは、小売店、カスタマーサービス、修理など、会社の最前線にいる人々からであることが多いから。顧客と直接つながっているスタッフからのフィードバックは、どの取り組みがうまくいったかだけでなく、何がうまくいかなかったか、何を調整する必要があるかを気づかせてくれる。リーダーとして、私はフィードバックを受け入れる姿勢を持ち続けなければならないし、そのフィードバックが批判的で聞きにくいものである場合はなおさらだ。私は、直面している問題やお客さまとのエピソードを知るために、ときどきカスタマーサービス・エリアに座って仕事をすることがある。同じ理由から、できるだけ多くの時間を費やし店舗や修理センターに立ち寄るようにしている。

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