「全ては心の問題。今回の経験は、職人としてだけでなく、人として成長させてくれました」と話す秦野氏。
妙心寺 退蔵院 技術を磨くのではない。精神を磨く修行。11月某日、世界中からジャーナリストやフーディが集ったシークレットイベントが開催。料理を担うのは、麻布十番「秦野よしき」です。そして、舞台となったのは、日本最大の禅寺、京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 退蔵院。
「妙心寺」の山内には、46の塔頭があり、その中でも「退蔵院」は、応永11年(1404年)に建立された山内屈指の古刹です。方丈には「退蔵院」開祖である無因宗因禅師(妙心寺第三世)がまつられ、日本最古の水墨画「瓢鮎図」(国宝 原本は京都国立博物館に寄託)を所蔵。本堂(方丈)をはじめ、墨跡の数々も重要文化財に指定されています。
境内には、史跡名勝の枯山水庭園「元信の庭」、池泉回遊式庭園「余香苑」と異なる趣の庭園が広がり、樹々や草花に彩られ、一年を通して美しい景観を形成しています。
偉容を誇るこの地において、イベントが開催されるのは極めて異例。
テーマとなったのは、「六根清浄」。
「この言葉は、妙心寺 退蔵院の副住職・松山大耕様より賜りました」と秦野氏。
眼、耳、鼻、舌、身、意。六根を研ぎ澄ます時間が始まります。
今回のテーマは、「六根清浄」。心身が清らかになることを示し、霊山に登る時や寒参りなどの修行の際に唱える仏教用語。
妙心寺 退蔵院 麻布十番「秦野よしき」にかまけた戒め。今回のイベントは、ただ食べるだけではありません。座禅、本堂見学、聞香、庭園周遊を経て、鮨ライブが開催される仕立て。鮨ライブという聞きなれない言語に対しては、後にその意味を知ることになります。
坐禅は、体験だけでなく、その意義を松山氏が教授します。
「仏教の教えに、三慧(さんえ)という言葉があります。経典の教えを聞いて生じる聞慧(もんえ)、思惟・観察によって得られる思慧(しえ)、禅定を修して得られる修慧(しゅえ)です」。
一般的に噛み砕くと、聞慧はセオリーや座学、情報。思慧はそれを鵜呑みにせず疑うこと。修慧は、それらを活かして実践すること。坐禅は、聞慧に当たります。なぜ、坐禅をするのか?
「現代において、考える時間が失われつつあります。ここには、何かに悩み、考え、その答えを導き出そうとする方々が坐禅をするために訪れます。しかし、お寺に答えがあるわけではありません。それをリレクションするための時間と場を提供するのが我々の役目」。
かのスティーブ・ジョブスもまた、禅の思想に触れ、その哲学を自身の生活と仕事に取り入れ、ビジョンと革新的なアイデアを追求し続けたひとり。
そして、坐禅をより効果的にするのが呼吸です。
「息とは、自の心と書きます。焦る、緊張する、イライラする、腹が立つ……。その全ては呼吸に表れます。逆を言えば、呼吸を整えれば、感情をコントロールできるのです」。
今回、ゲストが体験するプログラムは、事前に秦野氏も体験。多くの発見を見出しました。
「これまでは決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました。どうすれば次に進めるのか、どこに向かうべきなのか。とても悩んでいました。同時に、これまでの自分にあぐらをかいていたことにも気づきました。今回のように、わざわざ遠くまで足を運んでくださるお客様に対して鮨を握る緊張感をお店でも持てていたかと言うと、かまけていた自分がいます。お店にお越しいただけることは当たり前ではありません。改めて、身を引き締め、もう一度、鮨と向き合うことができました。そして、目指すべき目標への教えも得ることができました」。
坐禅同様、得たのは目標の答えではなく、考え方。それは、「瓢鮎図」にありました。
坐禅を続けることで、自分の心の持つ清浄心に気付き、「無生心(むしょうしん)」「無住心(むじゅうしん)」が得られると言われる。
妙心寺 退蔵院 鮨職人として、人として。どう生きるか、禅問答に学ぶ。「退蔵院」は、三代目の和尚によって約600年前に創建。風景は、室町時代の画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」(国指定名勝)が形成しています。
「絵の世界を具現化したらどうなるのか。そんな思想から構成されており、当時には珍しく常緑樹を採用しています。ゆえに、桜や紅葉はございません。欧米は左右対称の庭が多いのに対し、日本は左右非対称。人が自然を支配する景色の形成ではなく、いかに自然が作ったかのように見せるか。これを無作為の作為と我々は呼びます」と松山氏。
その庭を愛でられる間にあるのが、「瓢鮎図」です。絵の内容は、真ん中に男がひとり、手には小さなひょうたん、目の前には大きな鯰(なまず)。どうすれば男は鯰を捕まえることができるのか? この禅問答を考えたのは、足利義満を父に持つ、足利義持です。
「実際に捕まえることはできません。では、なぜこんなことを考えるのか。我々は、悟りを満月に見立て、その意義を見出しており、禅問答は満月を差す指。指ばかり見ていたら、満月は見えません。私たちは、指が差す先にあるものを見なければいけないのです。この問題においては、論理的なことが大切なわけではなく、指が差す先にあるものに目を向け、自分を導き出すことなのです」。
秦野氏もまた、指先ばかり見ていたひとり。鮨職人・秦野として、人間・秦野として、これからどうなりたいのか。仏教では悟りですが、一般的には、それを夢や希望などに置き換えられるのかもしれません。
ここで面白いエピソードを松山氏が話してくれました。
「以前、某世界的に著名な企業の代表の方が、退蔵院に訪れ、この禅問答をChatGPTに問いました。出した答えはここでは伏せますが、論外。その方は、坐禅もされていかれましたが、帰り際、“どんなにAI発達しても、この価値は失われることはないでしょう”とおっしゃっていました」。
どんなにテクノロジーやデジタルが発達しても、人の精神にたどり着くことはできない。それは、鮨もまた同じなのです。
山水画の始祖といわれている如拙が、足利義持の命により心血注いで描いた最高傑作「瓢鮎図」。ただでさえ捕まえにくい鯰を、こともあろうに瓢箪で捕まえようとするという、この矛盾をどう解決するか。高僧連が頭をひねって回答を連ねた様子は壮観。 日本では、鮎を「あゆ」と読むが、中国では「なまず」と読む。
妙心寺 退蔵院 目に見えない香りとの対峙。臭覚を研ぎ澄まし、聞き分ける。聞香では、創業約300年の「松栄堂」専務取締役・畑元章氏が指南します。
聞香とは、その名の通り、「香」りを「聞」くことです。つまり、嗅ぐこととは異なり、嗅ぐことによって、心中で香りを聞き、それを味わうという行為。
聞香は、鎌倉・室町時代に確立された香木の繊細な香りを鑑賞する手法であり、政治や宗教などの博学が高かった京都を中心に、その文化が栄えてきました。
「本日は4種の香りを用意させていただきました。とても似た香りと感じるか、それとも、それぞれに個性を感じるか。強さ、癖、性格……。はたまた、甘味、酸味、辛味、苦味……。ご自身の心と香りを寄り添わせてください」。
大きな香木の塊は沈香と呼ばれるものであり、最上級品。それをチップにし、高炉で温め、香りを立てていきます。
ゆっくりと、静かに、深呼吸。松山氏の言葉を借りるなら、自の心を整えるように。
4種の高炉は、2週、3週、4週……と回遊され、時の経過と共に変化する香り機微に心の耳を澄まします。
「この行為は、好き、嫌い、どれが1番かなど、優劣を付けるものではありません」。
香木は切る位置によって硬さが異なり、切り方によって香りも変化します。
「それは魚も同じ。そこに鮨の美意識を感じます」と、畑氏ならではの視点で鮨と聞香の接点に触れ、場を締めくくりました。
「聞香」に集中すべく、暗く、閉ざすことによって、深く香りと対峙し、心と通わせる。
妙心寺 退蔵院 善悪、自他、そして陽影。対立する二つではなく、一つになる不二の教え。朱の帳が落ちる頃、聞香の余韻に浸りながら向かう先は、この流れを汲むかのような名称であり名勝「余香苑」。
「敷砂の色が異なる二つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。仏教には素晴らしい教えが多くありますが、現代で最も大切にしたい語が不二。対立する二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく、一つのものであるという意味です」。
対立の最たるもの、それは戦争です。また、園内には敷石の色が異なる二つの庭を有し、物事や人の心の二面性を伝えています。そこには陽の庭に7つの石を、陰の庭に8つの石が配されています。
「15は完全を表す数字と言われています。七五三、十五夜、瀧安寺の石庭においても15の石を配しています」。
陽がなければ陰は存在せず、陰がなければ陽は存在しません。相反する二つのように見えるそれは、実は一つの存在なのです。
庭の設計は、造園家の中根金作氏が手がけたもの。前述、画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」とともに、中世と現代、二つの名庭を一つの地で堪能できることもまた、「退蔵院」の特筆すべき点と言って良いでしょう。歩を進めるに連れ、高低、奥行きなどの変化が庭の表情を豊かに描き、緻密な計算のもと、作庭されていることがよく理解できます。そして、表れた小さな池。
「実はこの池は、ひょうたんの形をしています。中には一匹の鯰が泳いでいます」。
そう、これは、松山氏の祖父が出した「瓢鮎図」の答え。
「答えを求める際、外に目を向けてしまいますが、実は内にある。お爺さんの遊び心ですね」。
秦野氏が欠落していたもの。それは、六根の中でも唯一五感以外の根、意=心。その答えもまた、外にはなく、内にあるのです。
「余香苑」に備えるひょうたん型の池。この中に、一匹の鯰が悠々と泳ぐ。
妙心寺 退蔵院 もっと自由に。覚醒した秦野よしきの鮨ライブ。秦野氏は言います。
「退蔵院という環境、精神との対峙、自分の中にあった靄が晴れた」。
斬新だったのは、そのプレゼンテーション。一般的に鮨をイベントで供する際は、料理の特性上、職人が握る場にゲストが足を運ぶか、数貫の盛り合わせをサービスするケースが多い。
しかし、「一貫一貫、握りたてにこだわりたかった」秦野氏が編み出した手法は、二列のテーブルの間に一つの可動式カウンターを設え、前後に移動しながら握りたての鮨を左右に供するという仕立て。
鮨ライブです。
料理の内容は、吉次のしゃぶしゃぶや牡蠣の南蛮漬け、雲丹出汁、蟹ジュレなど、逸品九品と鮨十貫。特筆すべき点は、メニューにあったが供されなかった本鮪赤身漬けの鮨。
「最初は、漬けでやろうと思って決めていたのですが、実際、仕入れた赤身が素晴らしく、わざわざ漬けにする必要はないと思い。素材をそのまま味わってほしくて」。
前述、「決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました」という境地からの変化。また、この赤身を本鮪とろと本鮪中とろの間に挟んだ妙も、セオリーを覆した順。
「臨機応変や変化を楽しめるようになり、のびのび鮨を握ることができました」と秦野氏。
今回、秦野氏が自身に課したテーマは、アップデート。しかし、それは奇を衒うという意味ではありません。
「今回のために新しいことをするのではなく、これまでと同じように違う環境で表現することに努めたかった」。
ベストな鮨を味わいたいのであれば、麻布十番「秦野よしき」に行くべきでしょう。なぜなら、「退蔵院」は、素晴らしい環境である一方、厨房やサービス導線が整わない環境でもあるからです。
では、ここで味わう鮨の醍醐味は何か。それは、人間「秦野芳樹」が握る鮨と言って良いのではないでしょうか。つまり、生き様です。
「色々、難しいことがたくさんありましたが、一番苦労したのは、何回炊いても同じシャリにならなかったことでした。環境変わると同じことすらできない」。
これまでの秦野氏であれば、ここでまた苛立ちを覚えたでしょう。ですが、「退蔵院」の教えが秦野氏の息を整え、心を落ち着かせ、目指すべき方向、指が差す先へと導きます。
六根清浄。これまでの体験を経て、秦野氏の眼、耳、鼻、舌、身、意が結実してゆきます。
「シャリ(舎利)も仏舎利が由来しており、鮨は仏教と親密な関係を持っていると感じています。鮨の歴史は約200年ですが、退蔵院の歴史は約600年。鮨以上の歴史の空間で握ったのは初めての経験でした。ですが、こんなに長い歴史がある中で、松山さんは新しいことをやり続けている。まさに温故知新。挑戦しなければ伝統は生まれませんし、伝統にも気付けない。今回は、何が自分に足りないのかに気付くことができました」。
そんな言葉で振り返る秦野氏は、職人としての成長だけでなく、人としての成長を得たに違いありません。そして、「何より、この環境をスタッフと共有できたことが良かったです」と言葉を続けます。
それはなぜか。
「今回の体験をいつの日か振り返った時、必ずターニングポイントになったと思うから」。
それを自分だけの筋肉にするのではなく、チームの筋肉にできたことは、今後、秦野氏の鮨をより強くしてくれるでしょう。
ゲストのテーブルの間を秦野氏が可動式のカウンターとともに移動し、一人ひとりに鮨を握る。ありそうでなかった画期的な演出。
メニューには、本鮪赤み漬けとあったが、素材の質と状態を見極め、急遽変更。余計な手を加えず、赤身の握りに。
妙心寺 退蔵院 今やっていることを当たり前に。世界基準を作りたい。「例えば、現在は当たり前のように甲殻類や貝類が握られていますが、鮨が魚から始まったことを考えると、誰かが魚ではないそれを握った先人がいるわけです。きっと肯定的な意見だけではなかったでしょう。ですが、続けることによって、当たり前になりました。そんな未来の世界基準を作っていきたいと思っています」と秦野氏。
現在、秦野氏が追及している「酸と脂」もそのひとつ。今回、供された茄子の揚げ浸しの鮨や牡蠣の南蛮漬けの逸品などは、その好例です。
そんな秦野氏の想いを伝えたかったと一肌脱いだ人物がいます。今回のプロデュースを務めたレバレッジコンサルティング代表の本田直之氏です。
「秦野芳樹は、確実に進化している。しかし、それに気付いていない人もいる」。
この言葉は、シンプルなように聞こえますが、実は奥が深いと考えます。なぜなら、一人の料理人を定点観測することは難しいからです。通い続ければできますが、言うほど容易なことではありません。
「だから、それをどうしたら伝えられるかをものすごく考えた結果、秦野芳樹の進化した鮨だけでなく、深化した精神を伝えることが必要だと思いました。ただのイベントではなく、正しい場所で、正しい形で、今の秦野芳樹を表現したかった」。
「退蔵院」でそれが具現化できたことは、奇跡のショーケース。そして、もうひとつ。「ゲストは世界中から」ということも本田氏がこだわったところ。
「秦野芳樹が世界基準で鮨の礎を築こうとしていることは知っていました。だから、今回のメッセージは、日本だけでなく世界の人に伝えたかった」。
厳選されたゲストは、わずか20名。半分は外国人。国も年齢も性別も業種も様々。さらに補足すべきことは、レストランランキングなどが目的とされていないこと。あくまでも、対ゲストに向けられたイベントだったということです。
「今回の趣旨は、正直、日本人でも理解するのは難しいと思っています。しっかりと本質を伝えるには、20名が限界。自分自身もまた、本質とは何かに向き合えた体験でした」。
茄子の揚げ浸しの握り。酸と脂という関係は、秦野氏が追及する究極のハーモニー。
今回、鮨に合わせられたのは、「ドン ペリニヨン 2015」。本田氏がアドバイザーを務める「ドン ペリニヨン」は、「世界最高のワインを造る」という強い意志のもと、修道士のピエール・ペリニヨンによって17世紀に誕生した歴史の深いメゾン。
京都の「日々醸造」もペアリングに登場。京都の水と天然の乳酸菌から丁寧に育て上げた 日本酒は秦野氏の鮨とも好相性。
妙心寺 退蔵院 食でつながる時代から、精神でつながる時代へ。「これほどまでに情報過多の時代、人間は変わらないと成長できない」。秦野氏は、そう話します。
「退蔵院」で鮨を握るということ。それは、高い技術に裏打ちされた握りを供することにあらず。禅の振る舞いに相応しい振る舞いをしなければならず、その精神性を兼ね備えなければいけません。それは秦野氏に限らず、ゲストも同様。
「今後は、もっとアグレッシブに外に出てい(生)きたいと思っています。矢面に立てば、批判も出ると思いますが、それも真摯に受け止めようと思っています。日本の魚って素晴らしい、日本の鮨って素晴らしい。これから自分が目指す鮨をワールドオーダーにしたい」。
自分を超えられるのは、自分だけ。
指先を見ている秦野芳樹は、もういない。六根清浄――。秦野芳樹は、自身を導き出し、指が差す先を目指す。
この日のためだけに、世界中から集まったゲストは、わずか20名のみ。たった一夜のみ、「退蔵院」で行われた奇跡の時間は、秦野氏の人生を大きく変えたに違いない。
Photographs:YOHEI MURAKAMI
Text:YUICHI KURAMOCHI