アートは、地域に「気付き」を与えてくれる。[BEPPU PROJECT/大分県別府市]

Anish Kapoor/「Sky Mirror」/2006/Photo:Seong Kwon Photography/(c) Anish Kapoor, 2018

大分県別府市湯けむりの街、アートの街、別府。

「別府がアートの街になっている」。メディアでそう耳にしたり、実際に行ったりして、街のあちこちにアートやデザインが溶け込んでいる様子に触れたことがある人も多いと思います。

「アートの力で地域活性」が決まり文句となるずっと前から、別府ではアートの力で街を変えようという運動が起こっていました。今回は、そんなアートプロジェクトが生まれた背景と、そのユニークで斬新な発想の根幹となるものについて探ってみました。

西野 達/「油屋ホテル」/2017/Photo:脇屋伸光/(c)混浴温泉世界実行委員会

大分県別府市年間を通して大小100ほどのプロジェクトを手がけるアートNPO。

2009年から2015年まで3回行われた別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」や、アーティストが暮らす「清島アパート」、古い建物のギャラリーやショップ、宿への利活用など、別府はここ10年ほどで「アートの息づく街」という印象が強まりました。

それらを手がけているのは、『BEPPU PROJECT』。2005年に発足し、アーティストでありアートプロデューサーの山出淳也氏が代表を務めるNPO法人です。

「別府のトキワ荘」的存在の清島アパート。

大分県別府市「その風景を見てみたい」という思いから始まった。

端的に言うとこのプロジェクトは「地域経済を活性化させよう!」という社会的意義よりも、「この作家が別府を舞台に作品を作ったらどうなるんだろう」という山出氏の個人的興味から生まれたものでした。しかし誤解してはいけないのは、山出氏はもともとキュレーター的な素質を持っており、日本人にはないグローバルな発想の持ち主だったということです。

1970年に大分で生まれ、「興味のあることはやってみなければ納得しない」という性格。高校時代からイベントを友人たちと開催し、横のつながりを広げていったといいます。そして美術の専門教育を受けたことがないのにもかかわらず、高校卒業後に自分で描いた絵の展覧会を開いたところ、20点ほどの作品が完売。それを元手にイギリスやイタリアに留学、その後は「台北ビエンナーレ」などの国際展に参加し、国から国へと飛び回って国際的なアートシーンの中で活躍していました。

山出氏(写真)が率いる「BEPPU PROJECT」の職員は15人ほど。

大分県別府市別府には果てしない「伸びしろ」がある。

しかし2003年頃、自分の仕事のあり方を見つめ直そうとした時、ちょうどインターネットで別府についての記事を目にしました。それは、「別府のホテル経営者が個人宿泊者対象の路地裏散策ツアーを始めた」というもの。山出氏が小さい頃に両親に連れられて行った別府といえば、旅館は団体客でいっぱいで、浴衣を着たお客たちが浴衣姿で笑い、時には大声で歌い、賑々しく夜の温泉街を闊歩するイメージがあったそうです。その団体で成り立っていた別府が個人向けに視点を切り替えた背景には何かがあるはずー。

別府は戦災を免れたため街には趣深い建物や商店が数多く残り、古い路地のあちこちに公共温泉があります。また移住者や旅行者を日常的に受け入れてきた背景から、地元の人もよその人を優しく受け入れてくれる土壌がある場所。山出氏は別府という街そのものに限りない魅力と可能性があることを確信し、帰国を決意。別府で芸術祭を開くという目的で『BEPPU PROJECT』を立ち上げ、「混浴温泉世界」の実現に向けて動き出しました。

「別府という街はどこかセンシュアス(官能的)でもある」と山出氏。

大分県別府市「芸術祭」とは街の課題を洗い出すためのもの。

1回目の「混浴温泉世界」はパスポートと地図を片手に温泉、港、商店街、神社などに点在するアート作品を巡る芸術祭でした。最初の計画では1回のみで終える予定でしたが、開催の準備過程で、街にある「課題」が次々に見えてきたと山出氏は話します。外国人対応や宿泊施設といった対観光客の問題から、人材育成、空き家、後継者不足といった暮らしにかかわる問題。

山出氏は芸術祭とは一度打ち上げて終わる花火ではなく、街の課題を解決しながら、インフラや暮らしをより良い方向へマネジメントしていく長期的なコンサル活動のようなものだと考えていました。

宮島達男/「Hundred Life Houses」/2014/Photo:久保貴史(C)国東半島芸術祭実行委員会

大分産の商品を紹介する「OitaMade」など地域産品プロジェクトも。

大分県別府市存続のために、終わりを決めていた。

「混浴温泉世界」は全国的に注目を浴びていたにも関わらず、3回目で終わることが決められていました。「大事なのは会期が終わった後なんです」と山出氏。『BEPPU PROJECT』が芸術祭と並行して手がけてきた事業は、空き家利活用やアーティストの活動支援、企業のブランディング、お土産商品の開発など多岐にわたります。別府では、芸術祭を通じて地域の課題を抽出し、会期終了後にその解決を図る事業を展開してきました。そして次の芸術祭でその成果を測るとともに、これまで行ってきた事業の発展や新たな課題の解決に向けてすべきことを見出すためのいわばマーケティングの場ととらえ、芸術祭を継続開催。芸術祭を継続することで、永続的な課題の解決を目指す。それが真の意味での「アートによる地域活性」といえるのかもしれません。またこの取り組みをモデルケースとして、別府以外の地域でも、「国東半島芸術祭」やトイレを舞台・テーマにした「おおいたトイレンナーレ2015」などアートイベントを展開してきました。

チームラボ/「花と人、コントロールできないけれども、共に生きる Kunisaki Peninsula」/2014
撮影:久保貴史(C)国東半島芸術祭 実行委員会

東野祥子ほか/「楠銀天街劇場」/2012/Photo:久保貴史/(C)混浴温泉世界実行委員会

大分県別府市大家の遺志を継いだアーティストレジデンス。

芸術祭のコンテンツの一つが「継続的な地域プロジェクト」へとシフトした例もあります。それが、「清島アパート」です。「混浴温泉世界」のプログラムの1つとして、戦後すぐに建てられた元下宿アパートが若手アーティストによる滞在制作・展示空間に変身。この時の参加クリエイターの中から清島アパートでの居住・制作を継続したいと希望する人々が現れ、芸術祭終了後も清島アパートは続くことになりました。現在は6期目を迎え、画家や服作家、現代美術作家など新進気鋭の9組が居住。一般の人も参加できる展示会や交流イベントも開かれ、地域からは「身近にアートに触れられる場所」として親しまれています。芸術祭を通じてアーティストとの親交が深まっていた大家さんは、「アーティストの活動の場として維持してほしい」と『BEPPU PROJECT』にアパートの運営を委ねました。数年前に大家さんは亡くなりましたが、その遺志は今も受け継がれています。

アパートの居住は公募によって決定する。毎年多くの応募があるという。

大分県別府市「前例がない」はやらない理由にはならない。

何かのムーブメントを起こす人に共通しているのは、「社会を変えよう」という正義感よりも「自分が好きだからやりたい」という純粋な夢が原動力になっていることではないでしょうか。加えて、人並み以上の行動力。普通の人が「できない」「無理」と考える前に、まずやってみるという人が多いような気がします 。

「やれるかやれないかじゃなく、やるかやらないかが大事」と山出氏。次は別府で何が始まるのかー? プロジェクトのたびに洗練されていく別府を見て、私たちは「アートの力」の大きさを実感することでしょう。

小沢剛/「バベルの塔イン別府 <別府タワーのネオン広告「アサヒビール」を使った作品>」/2012/Photo:草本利枝/(C)混浴温泉世界実行委員会

クリスチャン・マークレー/「火と水」/2012/Photo:久保貴史/(C)混浴温泉世界実行委員会

Data
BEPPU PROJECT

住所:大分県別府市野口元町2-35 菅建材ビル2階 MAP
電話:0977-22-3560
http://www.beppuproject.com/

アイアンハート ビーニー コットン

待望のビーニー(コットン)が登場!

  • アイアンハートでは久しぶりのビーニーキャップ
  • ビーニーとはワッチキャップと同義で、ニット帽の一種です
  • 春〜秋に最適なコットン100%で、程よいフィット感と通気性があります
  • サマーニットとしても、コーディネートのアクセントにも使いやすいシンプルなデザインです
  • また、丸めて携行してヘルメットを脱いで崩れた髪を隠すにも良いです
  • 折り返したリブ部分にはアイアンハートのタグが付きます
  • サイズ展開はフリーサイズのみとなります
  • コットン100%の為、ご家庭でも洗えます
  • 手もみ等で優しく洗い、平置きにて干してください。洗濯バサミ等で吊るすと伸びてしまいます。また乾燥機の使用も縮んでしまう可能性がありますのでお控え下さい

サイズ

  • FREE(約:56cm〜62cm)

素材

  • 綿 100%

アイアンハート ビーニー ウール

待望のビーニー(ウール)が登場!

  • アイアンハートでは久しぶりのビーニーキャップ
  • ビーニーとはワッチキャップと同義で、ニット帽の一種です
  • 冬らしい肌触りのウール100%を使用していますので、防寒にはもちろん、コーディネートのアクセントにも使いやすいシンプルなデザインです
  • また、丸めて携行してヘルメットを脱いで崩れた髪を隠すにも良いです
  • 折り返したリブ部分にはアイアンハートのタグが付きます
  • サイズ展開はフリーサイズのみとなります
  • 洗う際はウール用の洗剤で、セーターと同じような扱いにて洗って下さい
  • また、乾燥機の使用は縮んでしまう為お控え下さい

サイズ

  • FREE(約:56cm〜62cm)

素材

  • ウール 100%

数百年続く窯元から、歴史を塗り替える斬新なプロダクトを創出。 [SUEKI CERAMICS/徳島県鳴門市]

ブランドを生んだ夫の後を継いで活躍する矢野氏。

徳島県鳴門市

徳島県の特産品である『藍染め』とともに発展した『大谷焼』の里、徳島県鳴門市大麻町。この地で最も古い歴史を持つ窯元『矢野陶苑』から誕生し、業界に新鮮な驚きを与えたのが、矢野実穂氏が率いる陶器ブランド『SUEKI CERAMICS』です。後編では、拠点とする大麻町やルーツである『大谷焼』の歴史から、矢野氏の経歴、ブランド誕生までの道のりをたどります。(前編はコチラ

『大谷焼』の里で最も長い歴史を誇る『矢野陶苑』。

徳島県鳴門市徳島県の名産品・『藍染め』ともに発展した伝統工芸『大谷焼』。

徳島駅から電車で約20分。町中とは打って変わって、穏やかな田園風景の中に佇む阿波大谷駅を降りると、そこは『大谷焼』の里、鳴門市大麻町大谷です。この地で『大谷焼』が誕生したのは約230年前。徳島県の名産品として知られる『藍染め』の藍を発酵し、染料にするために使われる『藍甕(あいがめ)』をはじめ、醤油や酒を入れるための甕(かめ)、睡蓮鉢など、大型の陶器を得意とし発展してきました。

鉄分が多い大谷の土を使って作られる『大谷焼』は、ザラッとした風合いとかすかに金属のような光沢を感じさせる質感が特徴です。素朴な土の味わいを感じられる焼き物です。また、時代の流れに合わせて、ここ数十年は大型の甕(かめ)や睡蓮鉢だけではなく、湯呑みや茶碗など日常使いの食器やインテリア雑器など、より実用的な製品も多く作られています。

『大谷焼』の原点である、巨大な甕(かめ)。

独特の風合いを醸し出す、大きな睡蓮鉢も。

近年は小型の酒器など、日常使いの器も。

味わい深い湯呑みや茶碗なども数多く見られる。

徳島県鳴門市紆余曲折を経て、陶芸の世界へと足を踏み入れた5代目夫婦。

『SUEKI CERAMICS』の生みの親である矢野氏の夫・耕市郎氏は、130年以上続く窯元『矢野陶苑』の5代目です。『大谷焼』の里では最も長く続く、歴史ある窯元で生まれ育ちました。しかし、高校卒業後は大阪の大学に進学。デザインや映像などを学び、そのまま大阪に残ってウェブデザイナーとして働いていました。その前には一時プロフェッショナルを目指し、ドラマーとして音楽活動も行っていたそうです。

それでも3年ほど経った頃から、やはり陶芸の方が向いているのではないかと思うようになった耕市郎氏。当時はウェブデザイナーといっても、職場はネットショップの経営をしている会社で、デザインよりはオペレーション作業を担当していました。毎日大量に届く注文メールをさばいて、商品を発注して……ということを繰り返しているうちに、ものづくりの道、中でも最も身近である陶芸の道への想いが募っていったのです。幼い頃から父親の姿を間近に見ながら、遊びの一環とはいえ本物の土を触り、人形や器を作ってきた経歴を考えると、とても自然な流れに思えます。

そうして今から9年前の2009年、耕市郎氏は妻の実穂氏と子供を連れてUターンしました。「私は兵庫県出身で、陶芸とは無縁の環境で育ちました。大学卒業後も全く関係ない職業に就いていたので、まさか徳島県に移住し、陶芸の道に進むことになるとは夢にも思いませんでしたね」と実穂氏は当時を振り返ります。

なお、耕市郎氏の父親である4代目は、『大谷焼』で初めて作家として成功した人物だそうです。人間国宝も所属する日本工芸会の四国支部の幹部を務めています。そんな父親が最も活躍した時期、耕市郎氏が小学生だった30~40年ほど前は、ちょうどバブルや陶芸ブームも重なったタイミングでした。時代の後押しもあって、『矢野陶苑』は順風満帆だったそうです。こうした良い時代のイメージが頭に残っていたこともあり、「さすがに当時ほどの勢いはなくても、ある程度なんとかなるだろう」と楽観的に考えていたといいます。

『矢野陶苑』の5代目、耕市郎氏(右)と実穂氏(左)。

広大な敷地には、工程ごとにいくつもの工房が。

130年以上使い続ける、希少価値の高い大きな登り窯。

窯の中に、今も現役で作陶している4代目の作品を発見。

徳島県鳴門市作家ではなくメーカーとして、面白いプロダクトを生み出したい。

実家に舞い戻り、新たに仕事として陶芸に取り組むことになった耕市郎氏。父親の成功体験をイメージしながらのスタートだったものの、想像以上に厳しい産地の現状を目の当たりにし、すぐに当初の考えの甘さを痛感することになりました。『大谷焼』の窯元は、最盛期には町に数十軒も点在していたものの、残っているのはたったの7軒。「それぞれの窯元が、時代の流れ、消費者のニーズの変化に合わせて、大型の甕(かめ)や鉢ばかりではなく日常使いの食器なども手がけるようになってはいました。それでも、ずっと厳しい状況が続いていたんですよね。芸術品のひとつとして、この地までわざわざ買い求めに来てくださる方もどんどん減っていて。産地としての規模は年々縮小し、私たちが移り住んだ時にはまさに底辺。最盛期の約4分の1にまで落ち込んでいました」と実穂氏は話します。

そんな中、耕市郎氏はまず父親と同じく作家活動をスタート。東京での展示会の機会などにも恵まれましたが、徐々に自身の作家活動に疑問を抱き、プロダクトの製造へとシフトするようになりました。耕市郎氏は磁器で作った器など色々と試みますが、何を作ってもダメで、相手にされなかったといいます。「ショップ関係の方などには、『大谷焼』の方が良いと言われたようです。正直、皆さんは『大谷焼』なんて見たこともないはずなんですけどね(笑)。なんとなく『大谷焼』のストーリー性に惹かれるのか、そういう反応でした。それならばということで、大谷の土や徳島の青石を使ったものづくりを始めたところ、少しずつ目に留めてもらえるようになったんです」と実穂氏。

耕市郎氏が目指したのは、作家が作るアートと、メーカーが作るプロダクトの間を取ったような存在。作家の一点モノではなく、メーカーの大量生産品だけれど、既存のプロダクトとはちょっと違うものを生み出すことで、多くの人に使ってもらい、多くの人に影響を与えたい。そういった思いで、最初は自らろくろを回してプロダクトを作り、それを持って営業活動を行っていました。しかし、これでは量産できず商売にならないということで、ろくろではなくある程度の技術があれば、誰でも製作可能な型を使った製造方法に思い切って変えることに。『大谷焼』はろくろで作るものであり、その伝統から考えると邪道でしたが、大谷の土や徳島の青石を使うことで、地元の素材を生かしたストーリー性のあるものづくりとして認められるのではないかと、果敢に挑戦したのです。「とにかく当時の主人は、地元に戻ってきた以上、何かしら成し遂げなければ!と必死に試行錯誤していました」と実穂氏は語ります。

こうして、歴史ある窯元に身を置きながら、新しいスタイルのものづくりを模索。約2年という準備期間を経て、2012年に新たな陶器メーカーとして『SUEKI』を立ち上げ、『SUEKI CERAMICS』を生み出したのです。それから、作家のように自由な発想で、メーカーのようにきちんとした安定的なものづくりを行う『SUEKI』のプロダクトが注目を浴びるのに、そう時間はかかりませんでした。

広大な敷地の一角に、大谷の土が集められる。

土の加工場。巨大な機械で大量の土が加工される。

ろくろでの製造に代わり、新たに導入された型。

徳島県鳴門市理想の実現を目指して、感覚ではなく理論立てて考え、着実に販路を拡大。

『SUEKI CERAMICS』の成功には、独自性溢れるプロダクト自体の魅力はもちろん、耕市郎氏によるブランディングや販売戦略によるところも大きいといえます。実穂氏曰く、「いわゆる業界のトップの方と仕事をすることで、認知度を拡大していきました」とのこと。例えば、ブランドを立ち上げて最初にアポイントメントを取った相手は、東京でハイセンスなインテリアショップやカフェを運営する企業『Landscape Products』の代表・中原慎一郎氏でした。中原氏は『SUEKI CERAMICS』のヒントになった『ヒースセラミックス』をいち早く扱っていたこともあり、耕市郎氏は「この人に認められれば間違いない!」という想いでアプローチをしていきました。すると、その3ヵ月後には、国内外の様々なブランドのPR業務を行う『alpha PR』代表のクリエイティブディレクター・南 貴之氏からコンタクトが。『SUEKI CERAMICS』のPRを手伝わせてほしいという逆オファーを受けました。そこから更に勢いは加速。一流のセレクトショップや飲食店などから、『SUEKI CERAMICS』を取り扱いたいというオファーが続々と寄せられ、現在にいたります。

元来、耕市郎氏は物事を理論立てて考えることが好きな性格だとか。パズルのピースをひとつずつ組み上げていくように、頭の中で思考を完全に整理してから、物事を進めていくタイプなのです。だからこそ、前述のとおり釉薬の研究も根気強く、地道に楽しみながら取り組めたというもの。そして、ブランド運営においても、どのように舵を切ればどのような発展が可能になるのか、じっくりと策を練り行動に移したことで、成功を収めたのです。「主人は、これを作りたい!というのではなく、どういうものづくりをすればどういった人に受け入れてもらえるのかということを考えて、プロダクトのラインナップや、一つひとつの製品の色や形といったデザインの設計、製造方法や販路拡大の計画を立てていました。だから、やっぱり作家ではなくメーカーですよね。メーカーだけど、自由でアート性の高いメーカー。その実現に向けて、スタートからゴールまで徹底的に、具体的に想定して実行に移していったんです」と実穂氏は話します。

耕市郎氏が確立したブランドを、実穂氏が更に高みへ。

どのような料理にも合い、飲食店からも引く手あまた。(写真/濱田英明、料理/丸山智博)

徳島県鳴門市ブランド設立後初の大幅リニューアルを追い風に、更なる飛躍を。

試行錯誤の末に生まれ、順調に発展してきた『SUEKI CERAMICS』。その成功と高い人気を受けて、全国的にマットな質感の器を作るメーカーも増えたそうです。そしてもちろん、2018年5月のリニューアル後も勢いは留まるところを知らず、東京・日比谷にニューオープンした注目の商業施設『日比谷ミッドタウン』でも人気に。出店しているセレクトショップで販売されている他、飲食店でも使用する器の一部に採用されています。

実穂氏曰く、「『大谷焼』の窯元のうち、主人や私と同世代の若手が引き継いでいる所が4軒ほどあるのですが、皆さん地場産業的にしかやっていないんですよね。うちだけが唯一、毛色の違うことをやっているという状態」とのこと。その現実は、伝統を守りながら新しいことに挑戦するということがどれほど大変なのかを物語っているようです。それでも「これからも主人がつないできた縁を大切に、一流の方々と一流の仕事をしていきたいです。これまで培ってきた中に私らしさも加えながら、楽しく続けていきたいと思っています」と笑顔で話す実穂氏。『SUEKI CERAMICS』は、まだまだこれから新たな道を切り開いていくことでしょう。

Data
矢野陶苑/SUEKI CERAMICS

住所:〒779-0303 徳島県鳴門市大麻町大谷字久原71-1 MAP
電話: 088-660-2533
営業時間:9:00〜17:00
定休日:年末年始
http://sue-ki.com/

兵庫県出身。130年以上の歴史を持つ『大谷焼』の窯元、『矢野陶苑』の5代目・矢野耕市郎氏の妻となったことから、少しずつ作陶の道へ。当初は簡単なサポートのみだったが、2012年に耕市郎氏が『SUEKI CERAMICS』を立ち上げて以降、同ブランドの製造にも携わるようになった。そして2018年5月、耕市郎氏からブランド運営を継承。女性ならではの感性も加えながら、デザインから製造までトータルに携わり、新たなブランド構築を図っている。

日々

本日も早朝から乙君に起こされる 朝日が壁に映って綺麗。 早く起きて良かったなぁ^ ^ 今日も素敵な一日を

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選手と応援団との間にある一体感を一層高めようと思ったら、選手が発注しているショップに依頼して自分のサイズにピッタリ合った商品を製作してもらうことだ。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

ベルロゴ シルバーピンズ

用途は無限大!アイアン初のシルバーピンズ

  • アイアンハート初のシルバー925製ピンズです
  • アイアンではお馴染みのベル柄をモチーフにし、周りを唐草模様で縁取っています
  • 100円玉程度のほど良い大きさで、アクセントにはもってこいのサイズ感です
  • コンチョ型の上にベル柄と唐草模様を乗せているので、とても立体的で高級感のあるピンズに仕上がっています
  • 素材はシルバー925を使用、使っていくうちに表情の変化が楽しめます
  • バッグ【 IHE-19 】、帽子【 IHG-077 】、ジャケット【 IHJ-46 】、ベスト【 9526V 】等に付けるのがオススメです
  • ※力を入れすぎると針の部分が折れる可能性がありますのでご注意ください

素材

  • シルバー925

小林紀晴 春の写真紀行「人知れず、花」。

 久しぶりに浅草から列車に乗った。浅草に足を運ぶのは久しぶりのことだ。いつ以来だろうか。数年前の冬に一人の小説家のポートレイトを撮らせてもらうために訪れたのが最後だった気がする。その方が浅草在住だったからだ。
 
 でも、初めて浅草に来た時のことはしっかりと憶えている。いまから32年前の春のことだ。わたしは18歳で、写真学校に入学して一ヶ月ほどしかたっていなかった。1986年5月。

 入学した写真学校では報道写真部に入部したのだが、その部では伝統的に三社祭を撮影することになっていた。当時は東京の地理のことはほとんど知らないに等しかったのだが、それでも浅草という地名は知っていた。雷門の前に立ったときには少なからずの感慨があったし、脇を流れる隅田川にかかる橋の上、中央に立って川面の写真を撮ったことをよく憶えている。

 記憶に刻まれていることがある。偶然、世界的に著名な写真家にばったり出会ったのだ。写真家の名はエド・ヴァン・デル・エルスケンという。オランダ出身の写真家で、若い頃にパリにやって来て、あやうさをともなった若者たちを撮影した「セーヌ左岸の恋」で一躍有名になった写真家だ。
 
 そのエルスケンに早朝のファストフードの店内で出会った。浅草寺の境内で一夜を明かし、早朝「宮出し」と呼ばれる神輿が浅草神社から出る場面を撮影したあと、数人の先輩たちと近くのその店で朝食をとっていたら、エルスケンが入って来たのだ。先輩もわたしもカメラを持っていて、テーブルの上に投げ出していたからだろう、エルスケンから話しかけられたのだ。

 ただ、先輩もわたしも、赤ら顔で長身の外国人が著名な写真家であるなどとは考えもしなかった。カメラを持った、日本好きの外国のおじいさん程度の認識だった。

 有名な写真家だと知ったのは数日後、たまたまアパートでテレビを観ているとあの赤ら顔が写し出されたからだ。著名な写真家が来日しているというニュースだった。名前もそこで初めて知った。それからエルスケンについて調べて、彼のことを好きになった。

 30代になってからドイツの田舎町まで彼の企画展に足を運んだこともある。エルスケンが亡くなったあとのことだが、あの日、浅草で出会っていなければ、わざわざ足を運んだりはしなかっただろう。

 列車が駅のホームを離れ隅田川が窓の外に見えた。その流れにカメラを向けたあと、シートに身を任せているとそんなことが自然と思い出される。あの頃と変わらないことより、変わってしまったことのほうがどれほど多いのだろうか。あるいはその逆はどうなのだろうか。30数年という時間の流れについてぼんやりと考える。窓の外にはスカイツリー。

 車窓を風景が流れていく。居眠りを誘う。土曜日の午前、車内には行楽へ向かうと思われる人たちの姿がいくつかある。

 東京ではすでに桜が散った。今年は例年よりずっと早く、満開の頃がずいぶん遠い季節のように思える。すると果たして、私がこれから向かう地にその花は咲いているだろうかと不安になる。

 奥へ奥へとわけいっていく。そんな感覚がやってくる。山の木々の多くはまだ芽吹いていない。春ではなく、まだ冬の続きにある。あたかも季節は逆行しているようで、そのことにホッとしている自分に気がつく。

 地下のホームで列車は止まった。湯西川温泉駅。駅名を目にして、小さく声をあげそうになった。ああ、あの湯西川かと。

 20代前半の頃、わたしは山を分け入った先、深い谷を越えたこの地に何度も車で通った。平家の落人伝説がある地なのだが、谷沿いの道をこわごわ運転しながら進んでいると、その伝説は十分にうなずけた。とにかく険しい谷あいを行くからだ。 

 親からお金を借りて買ったあの中古のカローラは、ずっと昔に売ってしまった。カメラマンとしてまだ駆け出しの頃のことで、湯西川のホテルや民宿のパンフレットを撮影する仕事だった。ただ、多くはカメラマンではなく、そのアシスタントとしてだった。

 アジアへの長い旅から帰ってきたばかりの頃で、身体全体が弛緩しているような、時間もまた弛緩しているような感覚をおぼえる日々だった。また再びアジアへ旅に出たいという強い思いに突き動かされるたびにそれを必死に抑え、日本でどうにかカメラマンとしての基盤を築かなければと自分に言い聞かせた。職業としての写真というものに直面した頃ともいえる。

 あの時に巡ったあの場所は、この地下ホームから上がったところにいまも本当に広がっているのだろうか。わたしは衝動的にここで列車を降りて、改札の向こうへ歩んでいきたい気持ちになった。

 平家大祭という祭りがあって、それを撮影しに行ったこともある。慣れない中判カメラにボジフィルムを入れて撮影した。そのフィルムは露出を少し間違うと明るくなりすぎたり、暗くなりすぎたりして扱いが難しいのだが、デジタルカメラが主流になってからは、もはや使うこともほとんどなくなった。

 ぼんやりと車窓に目をやる。流れゆくものたちが目の前を通りすぎてゆく。

 見ることは不思議だと改めて思う。意識しなくても、いろんなものが目の前を過ぎるだけなのに「こと」になるからだ。それは能動的な行為だろうか。いや、やはりどこまでも受動的なものだろうか。

 遠く、山の中腹にピンク色に染まった「何か」が見えた。目を凝らす。桜の花だった。それを合図とするように、桜の花が車窓の向こうにポツポツと広がり始めた。

 わたしは思い出す、いや正確には思い出そうとする。遠い日の桜を……。

 あれは小学3年生だったはずだ。わたしは父と母と祖父と姉と兄と、高遠(長野県伊那市高遠町)へ向かった。そのときのことはしっかりと憶えているのだが、肝心な内容は曖昧だ。何を食べたかとか、桜はどんなふうに咲いていたかとか……一切憶えていない。家族総出だという記憶も、もしかしたら残されたアルバムの中の写真をあとから見て、修正されたものかもしれない。

 あの頃、祖父も祖母もまだ若かった。60代だろうか。父と母は30代だったはずだ。あの頃を家族の青春時代と呼べばいいのだろうか。3世代なのだから、そんな言葉が正しくないのは十分わかっているのだが、ふとそう呼びたくなる。この冬に13回忌を迎えた写真の中の父はいまのわたしよりずっと若く、青年のように映る。

 高遠城址の桜。4月終わりのはずだ。家から峠をひとつ越えれば高遠だ。私の実家は古い宿場町にあって、子供の頃から親や学校の先生に何度も繰り返し、その地名を聞かされた。
「高遠の殿様が参勤交代で江戸へ行く時、ここを必ず通った」

 誰もがまるで直接目にしたような口ぶりだった。

 そんなこともあって高遠という場所には特別な思いがある。峠の向うの見はてぬ花園とでもいったような。徳川の直轄地だったから、特別な存在として誰もが語っていたのかもしれない。

 高遠の殿様、保科正之が会津藩主となったことは子供の頃は知らなかったはずだが、あるときそれを知ってからは会津に親しみを抱くようになった。

 高遠に花見へ行ったのはその時限りだと思う。それ以後の記憶はない。どうしてだろうかと考えるまでもなく、畑と田んぼの繁忙期と重なるからだと気がつく。実家には田んぼと畑があって、特に田おこしの時期にあたる。

 ちなみに子供の頃、ゴールデンウイークにどこかへ連れて行ってもらったことはほとんどない。連れて行ってもらえるという発想すらなかった。野良の手伝いばかりしていた。

 大内宿で高遠蕎麦に出会った。かすかに高遠とこの地が繋がって感じられ、遠い過去とか歴史の片鱗とかに触れた気がした。

 この山深い地に何故、主要な街道(会津西街道)があったのか。不思議でならなかったのだが、今回改めて調べてみると会津藩、新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などと江戸を結ぶ重要な街道で、東北、新潟から江戸への物流と人の流れが盛んだった街道だったことがわかった。多くの藩が米どころであるのも特徴だ。それと会津と新潟が繋がっているとは思いもしなかったのだが、会津を流れる阿賀野川は太平洋に向かってではなく、新潟へ、つまり日本海へ向かって流れていることも今回初めて知り、ここが東北、新潟から江戸への人と物流の幹線だったことを理解した。多くの大名が参勤交代でここを通ったことを考えると、同時に政治の道でもあったはずだ。

 この街道を整備したのは保科正之といわれている。保科正之は二代将軍秀忠の実子だが、母は正室でも側室でもない女性だといわれている。そんな事情から高遠藩に養子にやられ、若くして高遠藩主になった。わずか三万石の小さな藩へ送られたのは、そんな出生の事情が影響しているようだ。その後、26歳で最上山形の領主をへて会津藩の藩主となった。

 司馬遼太郎の『街道をゆく』の「白河・会津のみち」には保科正之が「もっとも重視したのは、風儀だった」とある。風儀とは文化、士度、精神的慣習をつくることで、その代表的なものとして「会津家訓(かきん)十五カ条」を作り上げた。

 トンネルを抜けるたび桜の花が窓の外に増えていく。風景も次第に穏やかな里山のそれへと変わってゆく。列車は思い出したように小さな駅に停車する。ほとんど人影はない。どの駅前にも桜の木があって、人知れず花が揺れている。

 ふと、なにか、ものたりない。東京では常に桜の下に誰かがいる。そのことに慣れすぎていたのだろうか。

 わたしが父と娘を初めて一枚の写真におさめたのは桜の花の下だった。いまから13年前の4月の終わり、初めて娘をつれて信州へ帰省したときのことだ。満開を少しだけ過ぎたていた。

 生まれて数ヶ月の娘を父が抱いている。それが最後の父と娘の写真となった。父はその直後、癌であることがわかり、約10ヶ月後、大雪が降る日にこの世を去ったからだ。娘を抱いた父を立たせた桜の木は山の麓、田んぼの脇で誰にも気づかれないようにひっそりあった。

 南会津でいくつもの桜を訪ねた。会いに行くという感覚に近かった。そのなかに「馬ノ墓の種蒔桜」と呼ばれるものがあった。桃畑とリンゴ畑の先の巨木で、枝が八方へ地面につきそうなほどに伸びていた。その姿を神々しく感じた。

 木の脇に小さな立て看板があり、「ここには昔、薬師堂があり、境内の桜が美しい桜を咲かせていた。周辺の人達は桜が丁度、稲の種蒔き時期に重なる事から、いつしかこの桜を『種蒔桜』と呼ぶようになった」と記されていた。樹齢は約400年ほどのようだ。

 やはり、誰もいない。根元に小さな祠のようなものがあったが、花見をしている人の姿はない。ああ、ここも同じなのだと思う。父と娘を撮影したあの日のことが鮮明に甦る。

 桃の花越しに咲く桜にカメラを向ける。夢幻(ゆめまぼろし)という言葉が浮かぶ。ふと自分がそんな世界にいるような錯覚をおぼえる。ほんの数ヶ月前、厳冬にこの地を訪ねたときに見た風景が信じられなくもなる。例年にない大雪で、屋根の雪下ろしをする姿はあちこちで見た。見渡す限りの雪が春になったら本当にとけるのだろうかと、心配になるほどに圧倒的だった。

 ファインダーを覗き、シャターを押しながら思う。奇跡だと。
 
 そんなふうに感じるのは長い冬を経たからだと気がつく。
 
 寒さが厳しい地方では春になると、多くの花がほぼ同時に咲く。目の前で桜と桃とリンゴとタンポポ、さらに名も知らぬ花が同時に咲いている。それでいて目をつぶり、再び開けると、すべてが目の前から消えてなくなっていそうな、そんな儚さがある。どれもが風に揺れている。

 今回の旅は、この場所に、こうして立つために来たのだと唐突に思う。何かがシンクロしたという実感を得た。

 その夜、地ビールのお店へ向かった。この地で作られた「アニー」という名のそれを飲んだ。入り口のガラスドアの向こうは穏やかに暮れ、やがて闇に包まれた。誰もいない桜の木の下で、花見をしている気持ちになった。

(supported by 東武鉄道

1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。

「人」とのつながりを大切にした、ストーリーを伝えたくなるものたち。[Araheam/鹿児島県鹿屋市]

ものだけでなく、そのバックグラウンドをも一緒に伝えたい。言い換えれば、それを伝えられるものしか置かないという『Araheam(アラヘアム)』。

鹿児島県鹿屋市羊の皮を被った狼のごとく、園芸店を装ったハイセンスな快適空間。

材木店の倉庫だったという広い店内には、入り口から奥まで所狭しと、大小様々な植物が置かれています。右手の部屋には衣類や雑貨、アクセサリーなどのライフスタイルまわりの商品が、左手には緑色に塗装されたコンテナがあり、ギャラリーになっています。更に奥にはコーヒーショップがあり、その脇には園芸雑貨をディスプレイした小さな温室があります。

店内に足を踏み入れた最初の印象は、ちょっと変わったグリーンショップかな?といった、取り立てて何かガツンとくる気配はない、さっぱりとしたもの。ところがそれらの緑の茂みの奥から、何やら素敵そうで面白そうなものが、じわじわ、続々と現れてくるのです。

極端な例え話をするなら、無人島で、まるで廃屋のような倉庫の中で、実はものすごく文化レベルの高い生活をしている民族を見つけてしまった! そんな感じです。

全体のレイアウトとしては一応カテゴリー分けされているのですが、植物に関しては細かなグルーピングはされておらず、どちらかといえば意外な位置に置かれているものが多いことに気付きます。
「農場とか生産者の所へ行くと、『おっ!』と目が合う植物があるんですよね。そういう時は、『こいつは店のどこに置いてやろうかな』って思います。これなんか、まさにそう」と、優に3mを超える高さの、シタシオンという植物を指差す前原 宅二郎氏。シタシオンはベンジャミンという植物の一種ですが、ベンジャミンの「可もなく不可もなく」という顔つきとは違い、そのシタシオンは「自由」なオーラが幹全体から漂っていました。
「家の中で、ものを見上げる機会ってあまりないでしょう? そういうのも提案できたらいいなと思って。ちなみにこれは、鹿児島生まれです」と宅二郎氏は言います。

日常の視点を変える。それだけで、日々新しい何かが生まれることを、気付かせてくれるのです。

グリーンの先に見える部屋に、何やら楽しそうな服や雑貨が置かれており、初めて訪れたゲストはその「発見」感がとても楽しい。

天井高のある元材木店の倉庫を利用した店内の中でも、ひときわ背の高いシタシオンは、「これが家にあったらどんなだろう」と空想させる面白さがある。

鹿児島県鹿屋市全てのもののバックグラウンドストーリーを伝えたい。

宅二郎氏は、先に挙げたシタシオン同様、他の植物の出自も、「どこ生まれとか、どこ育ちとかだけでなく、どんな人が育てたかということも伝えますね。『これはものすごく几帳面な人が育てている』とか、『若いヤンキーみたいな人で(笑)』とか、『おじいちゃんが育てているんですよ』とかね。うちの店に置いているものは、どれも一つひとつストーリーがあるんです。何を取っても、“人”の話になりますね」と説明してくれます。

服や小物もそうです。例えば、『MULTIVERSE』というブランドは、デザインからパターン、縫製まで全てひとりで行っている、鹿児島を拠点に活動する女性デザイナーの洋服です。シンプルなのですが、手仕事の良さや丁寧さが伝わるそれらの洋服は、宅二郎氏が伝えたくなる「ストーリーを持つもの」の代表だとか。
「嬉しいのは、初めから僕が、この服はなんだと話す前に、お客さんがそれに気付いてくれること。オーラや佇まいなんでしょうね。数ある中でもすっと手が伸びるものって、必ず伝えたいことがある何か、なんだと思います。だから話し出すとついこっちも熱くなっちゃって」と宅二郎氏。

洋服を扱い始めた当時は、全国的にも知られた、わりと大手のブランドものが中心だったといいます。鹿屋(かのや)という地では珍しくても、ちょっと足を延ばせば手に入るものでした。でもだんだんと、ミニマムなものに絞り込まれていったのは、「話が盛り上がらない」からだそうです。お客さんがわざわざ足を運び、求めているのは、『Araheam(アラヘアム)』にしかない何か、そしてここでしか過ごせない時間だった、と宅二郎氏は気付いたのです。

また、コンテナで展開するギャラリーの作家は、展示をするまでに、必ず何かしらつながりがあるとか、長く付き合いのある人だといいます。どこかで目にした作品というだけで、展示のオファーをするのではなく、きちんと「人」付き合いがあった上で情報発信を行っているそうです。
「国内の作家も海外の作家も、僕と兄の今までの付き合いやつながりが、ここでの情報発信になっています。販売する商品も、ギャラリーの作品も、僕ら2人の出会いの形なんです」と宅二郎氏は話します。

天然素材を使った『MULTIVERSE』の服は、凛としたなかに抜け感もある心地いい服。全国でも限られた所でしか取り扱いがない。

取材時のギャラリーでは、長野のガラス工房『STUDIO PREPA』の照明にスポットを当てた展示が。ここでの展示も前原兄弟の「人」との繋がりをフィーチャーしている。

手の圧力と的確な温度でコーヒーの美味しさを引き出すエアロプレス。スタッフの安田雄大氏は、その技術を競う大会『JAPAN AEROPRESS CHAMPIONSHIP』で2位受賞の経歴を持つ人だ。

Data
Araheam

住所:鹿児島県鹿屋市札元1丁目24-7 MAP
電話:0994-45-5564
http://araheam.com/

グリーンとライフスタイルグッズ、コーヒーショップとギャラリー。日常と非日常を、同じ目線で気持ち良く提案する。[Araheam/鹿児島県鹿屋市]

鹿児島県鹿屋市OVERVIEW

鹿児島県の大隅半島中央部・鹿屋(かのや)市に、グリーン好きの間では全国的に著名なショップがあります。前原良一郎氏、宅二郎氏の兄弟が営む『Araheam(アラヘアム)』です。

こちらは、多肉植物や観葉植物など様々な植物の販売を中心に、二人の目線で選んだライフスタイルまわりのものと、「あったらいいよね」という遊び心を感じさせるライフスタイルアイテムを取り扱っています。

また店内には、コーヒーショップとギャラリーもあり、日常と少しだけ非日常が混在しているのも面白いところです。

実際に足を運ぶとわかるのですが、ショップのある場所の周辺は本当に静かなもの。個人経営のお店としては、かろうじて飲食店がいくつかありますが、散歩がてらに他に寄り道できそうな場所は、あまり見当たらないのです。

そんな中、悪目立ちすることは決してない佇まいながら(むしろ町と同化するように溶け込んでいるといった方が正しい)、一度足を運ぶと、空間全体に広がる気持ち良く感度の高いオーラに、心を掴まれてしまいます。植物、衣類、雑貨、ギャラリーにコーヒーショップと、様々なものに囲まれているのに、何ひとつ違和感なく同居し合って、『Araheam(アラヘアム)』という空間を生み出しているのです。

ハイセンスなのに、それをグイグイ押してくるところがまるでないこの不思議な空気感は、弟の宅二郎氏と話をしていても同じように伝わってきました。

店内にひしめくグリーンがそうさせるのか、のほほんとした、ある意味時空を曲げるその「抜け感」は、全身の毛穴を開かせる、極上のミストスパのようでもあるのです。

Data
Araheam

住所:鹿児島県鹿屋市札元1丁目24-7 MAP
電話:0994-45-5564
http://araheam.com/

日々

先日の空月と星の微妙な距離が 近そうで、遠い❔ 遠そうで、近い❔ しかし、綺麗だなぁ

日々

おはようございます。昨日の地震、皆さまご無事でしたでしょうか? ちょうど移動中でした。 電車が止まってしまい、帰る事も行く事もできないので途中の駅で3時間待ちぼうけ。 帰宅してから大変な事になってる事を知りました(*_*) 亡くなられた皆様、ご冥福をお祈りいたします。

@adidasfun

サロンフットボールとは弾まないボールのことで、「サロンフットボール」は、1930年にウルグアイで考案された。また、ブラジルでも同様のものが考案された。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

@adidasfun

交代要員は公式試合で最大9人までとする。国際Aマッチでは最大10人まで、その他の一般的な試合では、両チームの合意のもと、10人を超えた交代要員を置くことができる。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

ヒッコリーショートパンツ【メンズ館】

 

 

 

こんにちはカエルかさ

 

晴れたと思えば雨が降ったり、、、

雨が降って傘をさした瞬間やんだり、、、、

(ちなみに今は降っていますかさ。

 

梅雨が明けると

ミーンミーンアブラゼミと焼けるような夏がすぐにやってくるわけですが

 

そんな時期にメンズ館からオススメするのは、、、

 

 

大人気☆児島ジーンズのショートパンツですきらきら。

 

アメカジ定番インディゴデニムとヒッコリーを組み合わせたデザインのショートパンツ!!

 

 

シンプルなサイドライン切替デザインだったり、、、

インディゴに内股の部分がデニムの切替デザインのもの、、、

ピンクイエローのヒッコリーだったり、、、

個性的なデザインからシンプルなデザインまで6種類ほど置いていますハート

 

 

シンプルなTシャツと合わせるだけでオシャレに見えますビックリ!!

 

写真だけでは伝わらないと思うので

倉敷までお越しの際には是非お店にきて穿いてみてくださいねにこにこきらきら。

 

お待ちしておりますハート

 

 

 

俗世から隔絶されたアンコールワットを思わせる山城。[岡城/大分県竹田市]

緩いカーブを描く岡城の高石垣。大手口から大手門へ向かう登城道の崖側にある「かまぼこ石」も見もの。

大分県竹田市自然に溶け込んだワイルドな城跡。

大野川の支流、稲葉川と白滝川とに挟まれた舌状台地上に築かれた「岡城」。高さ数十メートルの断崖にそそり立つその姿は天然の要塞に守られた難攻不落の城だったことが伺えます。大分県竹田市に対談の仕事で招かれた際、詳しく調べずにわからないまま訪れ、真っ先に連れて行かれたのがこの「岡城」でした。周囲を山に囲まれており、城下町から離れたところに位置し、住民の気配もありません。その名の通り丘の上にあり、規模も大きい。これほど大きな城跡は見たことがありません。有名な「荒城の月」の発祥地であり、瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、この曲を発表したと言います。かつて日本にあった多くの城は、明治政府によって取り壊され、この「岡城」もそのひとつです。高さのある立派な石垣は残されていますが、草木に覆われており、自然に溶け込んだワイルドな佇まいは一種の遺跡のよう。まるでカンボジアのアンコールワットを思わせ、非常にロマンチックです。

遠くの山々を背景にし、標高325メートルの山上に築かれ、難攻不落とされた「岡城」。

緑の木々や草木に覆われ、自然と溶け込むように残された山城。古の時代に思いを馳せてみるのもいい。

大分県竹田市登城口に残されたキリシタンの遺物。

「岡城」の特徴のひとつが、丸くカーブのついた独特のかまぼこ石。城に登っていく登城口や石垣に水を逸らすために使われており、これがまた美しい。この「かまぼこ石」はキリシタンの墓碑とも言われており、ひょっとしたら、岡藩は藩主が中心となって藩ぐるみでキリシタン隠しをしたと推測されている。実に独特な形をしています。これほどの規模でありながら、兵庫県竹田城のように観光地化されすぎておらず、周囲の景色や自然と溶け込み、世間からも隔絶されている。その佇まいが何よりの魅力と言えるでしょう。最近では、街の復興に貢献している若いアーティストがこの岡城からインスピレーションを受けているそうで、毎日登っても飽きないと聞きました。私もその気持ちがわかります。写真写りが良く、雨の日も雪の日もいい。100景で紹介したい好きな場所のひとつです。

石垣は一見の価値あり。ヨーロッパの古城を思わせる存在感と壮麗さを漂わす佇まい。

Data
岡城

住所:〒878-0013 大分県竹田市竹田2912 MAP
拝観時間:9:00〜17:00(年中無休)
https://www.city.taketa.oita.jp/okajou/

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

日々

おはようございます今日から雨模様の日が続きそうですね〜 昨日をもって熊本での展覧会が終了いたしました。沢山の出会いと再会のあった、楽しい展覧会でした^ ^ また、お会いできる事を楽しみにしています

山が見守る土地で、山のような言葉と物語を紡ぐ。[みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ/山形県山形市]

荒井良二氏の作品「山のヨーナ」。山形ビエンナーレ2018のメインビジュアルでもある。

山形県山形市山形は、可能性を秘めた土地。

東京ではなく、地方で行われる芸術祭。その魅力とは、「土地の自然や文化そのものも作品の一部となり得る」ということかもしれません。まさに、そんな地の利を生かしたアートの祭典が2014年から山形で開かれています。「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」。3回目が、9月の開幕に向けて始動しています。

東北芸術工科大学(通称『芸工大』)。アートやデザインを通じて地域と密接につながる。

山形県山形市東北芸術工科大学が開催する2年に1度の祭典。

山形市から蔵王方面にバスで20分。東に西蔵王高原と蔵王連峰を背負い、上桜田の斜面にそびえる切妻形のシンメトリーな建物は、「東北芸術工科大学」。1992年に開学し、現在は現代美術家でデザイナーの中山ダイスケ氏が学長を務める芸術大学です。「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」を主催するのはこの大学。2年に1回、現代アートをはじめ幅広いジャンルの作家を招いて、国の重要文化財「文翔館」をメイン会場に多彩なプログラムを展開します。

文翔館は大正5年築の旧県庁舎・県会議事堂。現在は山形県郷土館として無料公開。

2014年には文翔館の前庭もトラフ建築設計事務所によって作品「WORLD CUP」に。

山形県山形市「山のようなもの」を、山のように。

3回目となる2018年のテーマは「山のような」。一見とらえどころのない、現代アートらしい漠然としたテーマですが、これには「東北の暮らしと地域文化への深い共感や鋭い洞察から、現在の山形を表す(=山のような)作品を提示する」「芸術祭の制作過程において、山形の過去・未来に光をあてる創造的なアイデアや協働をたくさん(=山のように)生み出していく」というメッセージが込められています。実はこのテーマは、荒井氏が15年前につくった物語『山のヨーナ』から生まれたもので、今回の芸術祭でも実際にヨーナのお店をはじめとする物語の世界が「文翔館」に登場します。

公式ポスターは2種のビジュアルがある。こちらは少女の「ヨーナ」バージョン。

大人バージョンの「ヨーナ」はモデルで女優の前田エマ氏。

山形県山形市日本を代表するクリエイティヴが山形を舞台に表現。

芸術監督は山形出身で世界的に知られる絵本作家・荒井良二氏。総合プロデューサーは中山氏、プログラムディレクターは芸工大教授の宮本武典氏、キュレーターは東京の古書店『6次元』店主のナカムラクニオ氏……と、各界で活躍する面々が指揮を執り、出展・参加アーティストも作家のいしいしんじ氏、ライブパフォーマーの空気公団、トラフ建築設計事務所、音楽家の野村誠氏など、日本のみならず世界的に知られるクリエイター約40組が名を連ねます。「文翔館」のほか、若者が再生させた商店、丘の上のアトリエ群(大学キャンパス)を舞台として、作品展示やインスタレーション、映像、体験、ワークショップ、食など、五感やジャンルにとらわれない多彩なアートプロジェクトを展開します。

18歳まで山形で過ごしたという荒井氏。世界的な絵本作家でありアーティストだ。

『6次元』のナカムラ氏。番組制作、執筆活動、プロデュースなど活躍の幅は広い。

山形県山形市仕事を離れて本気で表現したら、どうなるか。

実はこの芸術祭には、少しマニアックな「もう一つの見どころ」が隠れています。それは、「作家が普段の仕事を離れて作りたいものを作ったらどうなるか」という遊び的な企みがもたらされていること。というのも、出展作家はほとんどがデザイナーや写真家、絵本作家などとして商業的にも活躍している第一人者。「その彼らが仕事としてのクライアントワークを離れて、あるテーマのもと、自由に作りたいものを作ったらどうなるか。その化学反応はかなり面白い」と中山氏は話します。

山形県山形市「食」を突き詰め、向き合った「ゆらぎのレシピ」。

例えば、ケータリングやフードコーディネートを行う「山フーズ」の小桧山聡子氏は、今回の芸術祭で、最上郡真室川町での食をめぐる取材を通して制作した「ゆらぎのレシピ」を展示。山での山菜採りや、地鶏を解体して焼くまでの様子など、狩猟や屠殺の現場を通して体験した印象を写真・映像・テキストで表現します。「都会にいると、『食べる』ことの生々しい部分と距離ができてしまう。この真室川で、食材と対峙した時に感じたことをリアルに伝えたい」(小桧山氏)。

山フーズ「ゆらぎのレシピ#01 記憶をつなぐ勘次郎胡瓜のサラダ」制作風景。

山形県山形市文字のお化け、のようなものだってあると思う。

またタイポグラフィを中心としたグラフィックデザインなどで注目を集める大原大次郎氏は「もじばけ – Throw Motion – 」と称し、月山の雪原や庄内の砂浜を巡って描いた文字の軌跡を記録写真とモビールで再構成。「例えば消しゴムで字を消したら、消えた文字はどこへ行くんだろう?と不思議になって。消えずに残っている文字の想いみたいなものがあるんじゃないかと。『文字と自然の間』に見える風景、を表現しようと思いました」と制作背景を語ります。「クライアントのあるデザインの仕事では、意味のわかるものしか求められません。けれど、“意味と無意味”の間を追求してみたかった。この芸術祭は、自分の中のアートという分野において『やっておかなきゃいけないこと』をできる機会だと思っています」(大原氏)。

大原大次郎「もじばけ」のためのスタディ(月山にて根岸功撮影)。

山形県山形市山のような包容力で、年齢もアート経験値も問わず楽しめるアートを。

もちろん、芸術祭では普段アートに関わりのない人も驚きや興味を持って楽しめるようなデジタルアート、ライブ、陶器市といったプログラムも充実。年齢を問わず楽しめるため、子供連れが多く訪れるそうです。「東京で開催したら物凄くたくさんの人が来ると思う。でも山形でやるからいいんです」と中山氏。さまざまなアーティストが山形の自然・文化への畏敬の思いやインスピレーションを形にし、観る人々が自分なりに解釈し、それぞれの物語を紡ぐ。そこに決まった形はありません。つまり「○○のようなもの」に見え、感じる。どのようなものに見えてもいい。それぞれの「ような」ものが、山のように生まれることを願って、この芸術祭は今年も山形で開催されようとしています。

画家・絵本作家のミロコマチコ氏による「からだうみ」(2017年制作)。

WOWの「YADORU」はこけしが自分の顔になる不思議なデジタルアート。

Data
みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ

開催期間:2018年9月1日(土)~9月24日(月・祝)
*期間中の金・土・日・祝日のみ開催(9/1・2・7・8・9・14・15・16・17・21・22・23・24)
開催場所:文翔館(山形市旅籠町3-4-51)、東北芸術工科大学(山形市上桜田3-4-5)、とんがりビル、郁文堂書店、BOTA theater、gura、長門屋ひなた蔵・塗蔵、東北芸術工科大学キャンパス
料金:無料(一部イベントプログラムは有料)
主催:東北芸術工科大学 MAP
芸術監督:荒井良二
プログラムディレクター: 宮本武典
キュレーター:ナカムラクニオ、三瀬夏之介、宮本晶朗、森岡督行
アートディレクター:小板橋基希
総合プロデューサー:中山ダイスケ
電話:023-627-2091(東北芸術工科大学 山形ビエンナーレ事務局)
https://biennale.tuad.ac.jp/
写真提供:山形ビエンナーレ事務局

@adidasfun

フットサル(Futsal)は、基本的には室内で行われる、サッカーに似て非なる競技である。長らく非公式に行われ統一ルールが存在しなかったが、1989年にフットサルも国際サッカー連盟(FIFA)の所管となり、1994年には世界共通の統… twitter.com/i/web/status/1…

飛騨でこそ、つくれる、伝えられるものがある。裏にあるのは限りない飛騨愛。 [岐阜県飛騨]

日本三名泉のひとつ下呂温泉がある下呂市で、飛騨牛の繁殖と循環型農業を行う『熊﨑牧場』の熊﨑光夫氏。飛騨だからできる、伝えられるものがあると、新しいことにもどんどん挑戦している。

岐阜県自分たちが楽しむことが、飛騨の魅力を伝える早道。

インターネットが普及し、あらゆる情報やモノが簡単に手に入るようになった現代。どういった基準でモノやコトを選択すればよいのでしょうか。こんな時代だからこそ、確かなつくり手と伝え手に出会うことは、とても贅沢なことなのかもしれません。

地産地消にこだわるスイス人と日本人の夫婦、次世代につなげる農業を目指す牛飼い、民芸運動から暮らしの在り方や生き方のヒントを得た民芸品店の店主。飛騨という土地を選び、それぞれの観点や視点でこの土地でしかつくることのできないモノや思いを伝える3人に出会いました。

3者に共通するのは、自分たちがまずは楽しむことと、限りない地元愛。彼らの自分たちらしい仕事や暮らしが、飛騨をより魅力的なものにしています。

ミューズリーの専門店を営みながら、農業にも勤しむスタインマン氏。畑でつくられた野菜は店で使う。故郷スイスを離れ、高山で暮らすスタインマン氏にとって店も畑もどちらもなくてはならないものである。(写真提供:トミィミューズリー)

岐阜県偶然の出会いから導かれた飛騨が、定住の地になる。

飛騨高山にある商店街で、ミューズリーの専門店『トミィミューズリー』を営むスタインマン氏と尾橋美穂氏。ミューズリーはシリアルの一種。スタインマン氏のミューズリーはオーツ麦(オートミール)のみに、ドライフルーツやナッツなどを混ぜ合わせたものです。元々はスイス人の医師が考案した健康食品のひとつとして知られ、スイスでは朝ごはんの定番だそうです。

スイス人であるスタインマン氏が高山にやってきたのは約30年前。世界を旅している中で、のちに奥様となる美穂氏とオーストラリアで出会います。ふたりはたまたま知り合った日本人から奥飛騨にある宿を仕事先として紹介してもらい、迷うことなく飛騨へ。

「飛騨は自然があり、小さな町があり、四季があるところがスイスに似ている。実は軽い気持ちで来たけど、他に行こうという気持ちには一度もならなかった」とスタインマン氏。オーストラリアという自然豊かな地で出会ったふたりは、いつしか自然に寄り添う暮らしをしたいと夢見ていたのかもしれません。偶然の出会いから導かれた飛騨でしたが、この地に足を運び、定住するのは必然だったのかもしれません。

今でこそ外国人の姿をよく見かける高山だが、「30年前はとてもめずらしかった」とスタインマン氏は話す。奥飛騨では、初めて外国人を見る宿のおばあさんに、手を合わせられたこともあったのだとか。

ミューズリーのもっともポピュラーな食べ方はヨーグルトや豆乳などをかけて食べる。「今後は、お湯を注いで食べるスープ仕立てのミューズリーもつくりたい」とスタインマン氏。

最近ではシリアルといえばグラノーラをよく見かけるが、油脂やはちみつ、糖類などを添加して焼き上げるグラノーラと違い、ミューズリーはそれ自体に味をつけないことが多いためヘルシー食だといわれている。

岐阜県飛騨に恩返しがしたい。その思いが新しいことへの活力に。

奥飛騨で1年ほど働いたのち高山に移ったスタインマン氏たちは、スイス料理の店を始めます。店は一度移転をしたものの26年続き、モーニングで提供していたミューズリーはとても人気だったそう。その後タイミングや縁が重なり、2017年、現在の場所にミューズリーの専門店をオープンしました。

ここ数年、ふたりは新しい試みを開始しています。ミューズリーの主材料であるオーツ麦の栽培を始めたのです。飛騨は冷涼でオーツ麦の栽培に適していることもありますが、りんごや糀など良い素材が多いので、自分たちで育てたオーツ麦と飛騨の材料を使って商品がつくれないかと思ったのです。さらに、「飛騨に恩返しがしたい」とふたりは話します。観光客は増えても、高山に住む人は減る一方。オーツ麦の栽培が広がり、それが高山の産業のひとつになればよいと思っているのです。

とはいっても、商品化は簡単ではありません。「栽培自体は難しいことではないのですが、脱穀や籾殻を外す方法が分からない。今はまだ手探りです」と美穂氏。言葉で表現するよりも、それはきっと大変なことに違いありません。でも、今まで過ごした30年間のように、自分たちらしいやり方を模索する姿は困難ではなく、どこか楽しげなのです。

店がある商店街は、今はシャッター通り化しているが気に留めていないそう。商品や店を気に入ってくれれば、立地に関係なく足を運んでくれると思っているから。

持ち帰り用のミューズリーはお客のリクエストからつくられたもの。りんごや糀甘酒、えごまなど飛騨の食材を使用したオリジナルのミューズリーも人気。すべて、添加物、保存料を使わずにつくられる。

しばらく空き店舗を借りた。2階は改装をせず和室のまま使用。「おもしろいと思ったことをやった方が人生楽しい」と話すスタインマン氏は、高山の人気者だ。

岐阜県化学肥料を使っていてはダメだ。循環型農業が地域の未来をつくる。

昔から農業や畜産業が盛んな地域でも、近年は高齢化が進み耕作放棄地が目立っているのは事実。今回訪ねた『熊﨑牧場』がある下呂市萩原町も、例外ではありません。各地で次世代につなぐ農業の仕組みとして「集落営農組織」が立ち上がって久しいですが、「この地域でも去年から集落営農が立ち上がった」と、牧場主の熊﨑光夫氏は話します。

熊﨑氏が発起人として立ち上げた「南ひだ羽根ファーム」。何よりこだわったのが、化学肥料を一切使わずに有機で作物をつくること。化学肥料を使うと一旦は収穫量が上がりますが、使い続けると土の中の必要な微生物が死んでしまい、長期的にみれば有機栽培よりも収穫量が落ちるといわれています。ですが、従来の農法に慣れた組合員の多くは有機農業に反対だったそう。循環型農業をやっていた熊﨑氏は懸念する組合員を根気強く説得し、100%有機の米づくりが始まりました。

循環型農業とは牛や鶏など家畜の糞尿から堆肥をつくり、その堆肥で野菜やお米を育て、米を収穫した後の藁や野菜のくずは家畜が食べて……と、それが繰り返される農業のことです。「昔の農業ではそれが当たり前だった。昔の米がおいしかったのは循環型農業でつくられていたからだと思っとる。あの味をもう一度復活させたい」と、熊﨑氏は力強く言います。

牧場主の熊﨑光夫氏。熊﨑牧場は一代で築き上げた。「南ひだ羽根ファーム」は現在30〜60代が所属し、100人ほど組合員がいる。熊﨑氏は生産部長兼理事を務める。

ファームでは有機コシヒカリと、飛騨地域のブランド米「銀の朏(みかづき)」を生産している。組織化してから初年度の収穫は、目標の8割は達成できたそう。今年度は、5反ほどはさがけ米もつくる予定。

岐阜県牛も育てるし、米も日本酒もつくる。そこにストーリーが生まれる。

熊﨑氏が子どもの頃は、牛を飼っていた農家はめずらしくなかったそう。その頃の牛は食肉用ではなく、畑を耕したり、物を運んだりする役用だったといいます。それが機械化により役用牛は衰退。そこから循環型農業は姿を消していきました。

将来は牛を飼って生計を立てたいと思っていた熊﨑氏は、高校は畜産科に進み、農業大学校、北海道で酪農を学んだ後、飛騨牛の繁殖を手がけることに。「野菜や米をつくる農家と違って牛飼いは簡単な仕事ではない。おまけに、設備投資など相当のお金もかかる。家族に迷惑をかけたこともあるけど、それでも続けているのは楽しいから。繁殖は子育てと一緒。子育てはたいへんだけど、やっぱり楽しいでしょ(笑)」と熊﨑氏は本当に楽しそうです。

熊﨑氏が育てる牛は繁殖牛ですが、ここ6年くらいは経産牛をつぶして食肉にしています。基本的には他に卸さず、年に1日限り店をオープンさせ販売しています。雑草を含んだ牧草を食べた牛は健康で、さらに無駄な肥育をしていないため味は格別なのだとか。また、地域の人たちと一緒に自分たちでつくったお米を使って、日本酒造りも行っています。

あらゆるものが簡単につくられ、簡単に手に入る世の中で、熊﨑氏が目指す農業は時代と逆行しているのかもしれません。でも、誰がどこでどんな風につくったか、そこにひとつのストーリーが生まれます。その価値に、私たちは気づかねばなりません。

循環型農業には欠かせない大事なパートナー。農業大学校時代には、「牛飼いはやめた方がいい」と先生に反対されたこともあったそう。現在は50頭ほどの牛が飼育されている。

化学肥料は簡単に手に入り量も少なくて済むが、あくまで有機物でつくる堆肥にこだわる。熊﨑氏の牧場では、おがくずと牛糞を混ぜて堆肥をつくる。牛が食べる牧草も自分で育てている。

牛、鶏、犬、猫、ヤギと、様々な動物と共存する熊﨑牧場。ヤギは雑草を食べてくれるため、草刈り機の代わりとして大切な戦力だという。

岐阜県民芸運動との出会いが、人生をがらりと変えた。

情緒ある古いまち並みが残る飛騨高山の中心地から国道41号線を北西へ。10分も車を走らせれば、緑が濃い山々が目に入ります。その先さらに10分ちょっと。里山らしい景色が広がってきたところに現れる一軒の古民家が、『やわい屋』です。築150年の家を移築し、自宅の一角を店に。民芸や古本などを扱っています。

店主の朝倉圭一氏は高山市出身で、20代の頃は愛知県で働いていました。十数年前に高山に戻ってきましたが、当時は今の暮らしとは仕事も住まいも真逆。会社員として勤め、アパートメントに住んでいたそうです。何かが違うと思っていたものの、その答えは見つからなかったといいます。

人文学や社会学、郷土史に興味を持ち、たくさんの本を読む中で出会ったのが思想家の柳宗悦であり、民芸運動でした。民芸運動は「用の美」や「機能美」ばかりがクローズアップされがちですが、本来の趣旨は日々の暮らしに価値を見出して、より豊かな暮らしを実現していくこと。ひとり一人が個性を発揮しながら生きていける社会をつくるその考え方に共感した朝倉氏は、今の暮らしにヒントを見つけました。

取材で訪ねた日は目の前の田んぼに水が張られ、そろそろ田植えが始まる時期。響き渡るカエルの鳴き声に驚いていると、「街から来た人たちはみんなそう言いますね。僕たちはもう、慣れてしまって聞こえないんですよ」と、朝倉氏。

やわい屋をさらに奥に進むと、県立自然公園に指定されている『宇津江四十八滝』がある。やわい屋がある場所は高速道路のICからも県道からも近く、地元の人なら誰もが分かるベストポジションだったのだとか。

岐阜県ケの部分にこそある美しさ。飛騨で古民家に住むことの意味。

「古民家に暮らしたいとか民芸品店をやりたいとか、そうではなく飛騨高山らしい暮らしと仕事は何かということをずっと考えていました。民芸運動と出会ってハレとケの、ケの部分にこそ日々の美しさがあると感じたのです」と朝倉氏。それを伝える手段として、結果的に古民家に住むことになったといいます。

古民家は日々の普通の暮らしを営む人とともに育ち、その土地に根ざします。朝倉氏と話している中で、何度なく出てきた「普通に暮らしたい」という言葉。地元らしさや普通の暮らしにこだわった気持ちの表れが、朝倉氏たちを飛騨や古民家での暮らしに導いたのでしょう。 民芸のうつわと古本の販売も、それが始めからやりたかったというよりは、古民家に合うものを考えた末に自然にそうなったといいます。それでも、高山には民芸にゆかりがある人が多く訪れ、民芸館や関連が深い家具メーカーもあり、今のようなスタイルは飛騨高山だからこそ、自分たちだからこそできることではないかと考えています。

「こういう仕事のやり方や暮らし方がある。自分たちのような生き方が、新しい生き方のひとつとして感じてもらえればいいと思っています。でもそれはひとつの選択肢であり、これが絶対ではないとも思っています」と朝倉氏は話します。

店名の「やわい」は、飛騨の方言で支度をするという意味。日々の暮らしはやわいの積み重ねというところから、そのお手伝いをするという意味を込めて『やわい屋』と名付けたそう。

扱うものは、近隣のものや自分たちが会いに行ける範囲の、いいと思うもの。高山市で活動する安土草多氏のガラスの照明シェードもそのうちのひとつ。

朝倉圭一氏と奥様の佳子氏。「普通に暮らしていくことが都市ではやりにくい。お金に振り回されず、自分たちが本当に心地いいとか楽しいことをここならば実現できる」と話す。

Data
トミィミューズリー

住所:〒506-0011 岐阜県高山市本町4-60 MAP
電話:080-6975-4013

南ひだ羽根ファーム

住所:〒509-2506 岐阜県下呂市萩原町羽根1926 MAP

やわい屋

住所:〒509-4121 岐阜県高山市国府町宇津江1372-2 MAP
電話:0577-77-9574

日々

熊本展、連日沢山お越し頂いているようです^ ^嬉しいなぁ〜 ありがとうございます😊 展覧会は明日まで ぜひ、お越しください。

くすんだ色とマットな質感、独特のフォルムの器で新風を吹き込む。[SUEKI CERAMICS/徳島県鳴門市]

『SUEKI CERAMICS』の代表である矢野氏。

徳島県鳴門市

徳島県の特産品である『藍染め』とともに発展した『大谷焼』の里、徳島県鳴門市大麻町。この地で最も古い歴史を持つ窯元『矢野陶苑』から誕生し、業界に新鮮な驚きを与えたのが、矢野実穂氏が率いる陶器ブランド『SUEKI CERAMICS』です。前編では、日本中の名高いセレクトショップが注目する、『SUEKI CERAMICS』のプロダクトの魅力を紐解きます。

徳島県鳴門市大麻町にある『矢野陶苑』の工房&直営店。

徳島県鳴門市独特の風合いとフォルム、使い心地の良さで瞬く間に話題に。

2012年に誕生して以来、北海道から沖縄まで、全国各地のセレクトショップがこぞって取り扱う陶器ブランド『SUEKI CERAMICS』。

200年以上の歴史を誇る徳島県の特産品『大谷焼』の里において、最も古い窯元『矢野陶苑』の5代目である、矢野耕市郎氏が立ち上げたブランドです。そして2018年5月からは、妻の実穂氏が引き継ぎ代表を務めています。

大谷の赤土や阿波の青石など地元産の材料を選び抜き、独自に開発した釉薬による絶妙な色合いとマットな質感の器は、これまでありそうでなかった逸品。カラフルながらも、ややくすみがかった、落ち着いたトーンの色味は、どのような料理とも相性抜群だと評判です。

料理との相性だけを考えると、最も無難なのは白い器。しかし、そればかりではつまらないものです。そこでカラフルな器も欲しいと買い求めると、一般的にはポップなカラーや、日本の伝統的な渋い色合いのものが多く目に付きます。ところが、これらは器単体で見ると素敵だと感じても、食べ物を乗せた瞬間いまいちな印象になってしまうことも少なくないものです。それに引き替え、『SUEKI CERAMICS』の器は、あらゆるライフスタイルにぴったりフィット。和洋どのような食べ物も、ちょっとリッチに、美味しく美しく見せてくれるのです。

また、マットながらサラリ&しっとりとした肌触りで、器は手に持った時の触感が良く、カップは優しい口当たり。柔らかなフォルムを描く、ほどよい厚みと端正なデザインも魅力的で、シーンを問わず使える実用性の高さを誇り人気を集めています。

食卓を彩る『SUEKI CERAMICS』のプロダクト。

『大谷焼』の原料の一つである大谷の赤土。

耕市郎氏からブランド運営を引き継いだ実穂氏。

徳島県鳴門市シンプルながら、これまでにない新たなプロダクトを目指して。

『SUEKI』とは、焼き物を示す『陶物(すえもの)』と、縄文式・弥生式土器などの後に登場して今日の陶芸方法が確立したとされる『須恵器(すえき)』にちなんで命名されたもの。見た目は徹底的にシンプルでありながら、常に進化し続けたいという想いが込められています。

そんな『SUEKI CERAMICS』のデザイン性が高いプロダクトは、しばしばアメリカの『ヒースセラミックス』と比較されることも。矢野氏曰く、実際に参考にしている部分もあるそうです。「日本国内にはたくさんの陶器メーカーがありますが、こういったくすんだ色味でマットな質感、適度な厚みのものを扱っている所はなくて。日本どころか世界でもあまりないけれど、でも皆が探しているであろう品質だと目を付けた主人が、同じような雰囲気のものを作れないかと模索したことで、『SUEKI CERAMICS』が生まれたんです」と矢野氏は話します。

欲しいけれど誰も手を出さないのは、それだけ品質の維持が難しいということを意味します。それでも、130年以上続く窯元の歴史にあぐらをかかず、さらなる進化を求めて果敢に挑戦したことで、新たな道が開けたのです。

器の底に見られる、想いを込めた『SUEKI』の刻印。

国内メーカー初の、くすんだ色味やマットな質感を実現。

徳島県鳴門市試行錯誤の末に生まれた、理想的なくすみカラー&質感を叶える釉薬。

『SUEKI CERAMICS』の落ち着いた色合いとマットな質感の要となっているのが、オリジナルの釉薬。釉薬とは、陶磁器を覆っているガラス質の部分のことです。粘土や顔料などの素材を混ぜて作られた液状のもので、最後に窯で焼く前、素焼き段階の陶磁器の表面に仕上げとして施されます。つまり、この釉薬によって最終的な色や手触りが変化するのです。

通常、光沢のあるはっきりとした色味はつるっとした触感、マットでくすんだ色味はざらっとした触感になるもの。そんな中で矢野氏は、落ち着いた色味ながらサラリ&しっとりと心地良く使いやすい、理想的なラインを追求しました。釉薬のテストに費やした時間は、実に2年弱で通算約2万回。細かい単位で成分量を変えながら、試行錯誤を繰り返したと言います。

「釉薬の開発は主人が行いました。色々と調合して釉薬自体の色が上手くできても、釉薬を施した状態と、その後焼き上げて窯から出した状態とでは、製品の色合いは異なります。実際にどう仕上がるかは、焼き上げてみないと分からないんです。そのため、一色を完成させるのに、1グラム以下の微量な成分の配合を少しずつ変えては試し、変えては試し、といった具合で。途方もない作業に感じますが、本人は毎回『次はどんな風に出て来るかな?』と、意外と楽しみながら取り組んでいたようです(笑)」と、矢野氏は語ります。

繊細な作業を経て完成した釉薬は、正に唯一無二のもの。青、ピンク、アイボリー、ブランなど、カラフルなのに絶妙にくすんだ、華やかさと落ち着きの間を取ったようなバランス良い風合いのバリエーションは、『SUEKI CERAMICS』にしか成し得ないラインナップとなっています。

工房の一角にある調合室には、様々な材料や道具が。

しっくりくる風合いを求め、試行錯誤した軌跡。

微妙な差異を比較したことが分かるテストピースの一部。

徳島県鳴門市リニューアルで生まれた、次世代の『SUEKI CERAMICS』。

2018年5月より、生みの親である矢野耕市郎氏から妻の実穂氏へと、ブランド運営が受け継がれた『SUEKI CERAMICS』。この機会に、これまでのものづくりをベースにしつつ、さらなる進化を求めてリニューアルが図られました。

「主人から私に代わることで、これまでやや男性的だったプロダクトを、女性的なものに変化できないかと試みました。ぽってりとした印象の厚みを少し薄くしたり、重さをなるべく軽くしたり。色味も、くすんでいるけどやや明るめの、パステルカラーのようなものを採用しています。女性の視点で、日常使いのしやすさをポイントに改良しました」と実穂氏。おまけに、価格も求めやすい設定に見直されました。

ラインナップはこれまで通り、プレートやボウル、マグカップなど。カラー展開は、定番の5色「honey white」「sorbet blue」「misty pink」「chocolate brown」「lapis blue」に加え、オンラインショップ限定色も用意されています。釉薬はご主人が開発したものですが、色のセレクトや「honey white」など可愛らしいネーミングは実穂氏が考案したものも。ここにもさりげなく、女性らしさが伺えます。

また、釉薬の施し方にも変化が。これまでは一度に全面に施すことで、表面は均一でムラのない印象でした。対してリニューアル後は、半分ずつ施すスタイルに。こうすることで、一部重なる部分に模様のような釉薬のラインが入ることになります。これが良いアクセントとなり、これまでとは一味違う表情を見せるのです。

新たな釉薬の施し方。まずは半分だけつけます。

その後残り半分をつけることで、重なる部分に線が。

釉薬が施される前(左)と、施された直後(右)。

釉薬を施したら、最後はこのガス窯で焼き上げます。

成形は手作り感の出る機械ろくろを使って行われます。

実穂氏の感性が加わった、新バージョンのプロダクト。

徳島県鳴門市豊かなクラフト感が加わり、さらに進化し続けるものづくり。

今回の『SUEKI CERAMICS』のリニューアルですが、それは見た目だけに留まりません。実は、使う素材や製造工程にも変化が加えられました。

まず、これまで材料の大部分には硬い焼き締めが可能な磁気土を使っていたところを、リニューアル後は磁気土と大谷の赤土とをおよそ半々の割合で使用。また、成形型と機械を用いる圧力鋳込みから、機械ろくろを使っての成形にシフトしました。型の中に土を入れ、人の手で形作っていくのです。さらに、これまで電気窯で焼いていたところを、ガス窯に変更。刻々と移ろう炎がもたらす独特なニュアンスが、豊かな表情を生み出します。

こうして、女性らしさとともに手作り感も増した新たなプロダクト。従来のファンをより一層魅了するだけではなく、新たなユーザーも開拓し始めています。

次回の後編では、『SUEKI CERAMICS』が拠点とする徳島県鳴門市大麻町や、ルーツである『大谷焼』の歴史から、矢野氏の経歴、ブランド立ち上げの経緯とその道のりを辿ります。

Data
矢野陶苑/SUEKI CERAMICS

住所:〒779-0303 徳島県鳴門市大麻町大谷字久原71-1 MAP
電話: 088-660-2533
営業時間:9:00〜17:00
定休日:年末年始
http://sue-ki.com/

兵庫県出身。130年以上の歴史を持つ『大谷焼』の窯元、『矢野陶苑』の5代目・矢野耕市郎の妻となったことから、少しずつ作陶の道へ。当初は簡単なサポートのみだったが、2012年に耕市郎氏が『SUEKI CERAMICS』を立ち上げて以降、同ブランドの製造にも携わるようになった。そして2018年5月、耕市郎氏からブランド運営を継承。女性ならではの感性も加えながら、デザインから製造までトータルに携わり、新たなブランド構築を図っている。

日々

桐下駄に藍の鼻緒を挿げました。 NY在住のアーティストさんが、黄色スカートに桐下駄を合わせて履いてくださったようです♪ 素敵だなぁ〜 きっとお似合いなんだろうな〜って妄想中 熊本展、本日も開催中です *17日(日)まで

皿の上に現れた国東の鬼。迫力あるビジュアルと豊かな味わいで魅了したスペシャリテ。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]

「国東的良鬼」。この料理名に込められた思いが徐々に明らかになる。

大分県国東市見事なコースのなか、ひときわ存在感を放った一皿。

2018年5月26日、27日。開山1300年の節目を迎える「六郷満山」の地・国東を舞台にした「DINING OUT KUNISAKI with LEXUS」は、訪れたゲスト、参加したスタッフの双方に素晴らしい記憶を残しながら、盛大な拍手とともに閉幕しました。その成功の立役者のひとつは、やはり川田智也シェフが仕立てた料理の数々。「和魂漢才」のテーマのもと、地元の食材を中華の技法で調理する、その日、その場所でしか味わえない料理です。

全10品のコースは、どれも甲乙つけがたい完成度。すべてが主役といえるような見事な品々です。今回はそのなかでもビジュアル的にもコースの中でひときわの存在感を放った一皿、「和魂漢才」のテーマ、国東の食材の魅力、地域の歴史と文化、それらすべてを詰め込んだ象徴的な料理をご紹介します。「国東的良鬼」と名付けられた魚料理。そこに込められる川田智也シェフの思いを紐解きます。

自身の料理観や国東の文化を、すべて料理に注ぎ込んだ。

大分県国東市食材視察の合間を縫って訪れた寺社で、国東の文化に触れる。

『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』を2ヶ月後に控えた3月末。大分県国東市に、川田智也シェフの姿がありました。目的は食材の視察。多忙なスケジュールを押しての訪問でした。

ところで通常の視察は、食材生産者の元を訪れてその特徴や生産にかける思いを伺い、本番に向けて料理の構想を練ることが目的。もちろん今回の視察でも、分刻みのスケジュールでさまざまな生産者を訪問し、国東が誇る食材の数々に触れてきました。

しかしそればかりではありませんでした。川田シェフは視察の合間を縫って、寺社を訪れ、石仏を拝観し、険しい山道を登り、岩肌に直接掘られた磨崖仏を眺めます。そして同行して頂いた国東市観光課職員の説明にも、真剣に耳を傾けます。そこにはどんな狙いが潜んでいるのでしょうか。

川田シェフの料理の最重要テーマは「和魂漢才」。一義的には「日本の食材を、中華の技法で仕立てる料理」という解釈になります。しかしより突き詰めて見るならば「和魂」とはつまり「日本の心」。川田シェフが持てる中華の技法で表現するのは、生産者の思いや土地に受け継がれるストーリーを含めた、その「心」の部分なのかもしれません。だからこそ川田シェフは、一見料理とは無関係に思えるような寺社や石仏を、熱心に見つめていたのです。

古刹のご住職や観光課職員の話を、メモを取りながら熱心に聞く川田シェフ。古来よりこの地で親しまれていた山岳信仰に仏教が融合して生まれた独特の宗教観。古来より石への特別な思いを抱き、数多くの石仏が残されていること。そして六郷満山が今年開山1300周年を迎えること。どの話も、この土地の精神性を象徴する興味深い内容です。

とりわけシェフの興味を惹いたのが、鬼の話。「鬼の形相」「心を鬼にする」など、一般的に鬼は「怖いもの」として描かれがちですが、ここ国東の地では善なる存在として親しまれています。現在でも六郷満山の寺院に受け継がれる「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」という行事。これは僧侶が扮した鬼が松明を持って堂内を巡りますが、ここでも鬼は祖先が姿を変えた善なるものとされています。この話を聞いていたことが、後に生まれるシェフのインスピレーションに繋がります。

視察の合間を縫い、自らの足で険しい山道を登ることで、料理に繋がるヒントを探し続けた。

数々の寺社や山肌に直接掘られた磨崖仏を巡り、土地の歴史、文化への理解を深めた。

自然や石仏を前に、時折沈思黙考にひたる場面も。

国東に伝わる「修正鬼会」の一場面。僧侶が鬼に扮して堂内を練り歩く。

大分県国東市「一目惚れ」した、ある魚。そこから生まれる料理のインスピレーション。

翌早朝、国東市安岐町の魚市場。帰港してきた漁船から次々と魚が下ろされ、活気に包まれる市場に、川田シェフの姿がありました。横にいるのは、国東市で和食店『国東食彩zecco』を営む中園彰三氏。地元の食材に詳しい中園氏の案内で、次々と運び込まれる魚を熱心に眺めます。そんな中、川田シェフの目がある魚に止まりました。中園氏も目にしたことはあっても詳細は知らない様子。漁港関係者に尋ねて、ようやく正体が判明します。「これは三島フグ。漁師は誰も食べないけどね」そう、地元では食べられることのない雑魚の扱い。それでも川田シェフの目は、この魚から離れません。

後に聞くと「一目惚れでした」と川田シェフは笑いました。そしてこれも後にわかったことですが、実はこの時すでにシェフの頭の中には、料理の完成図までが浮かんでいたのです。「僕の料理へのアプローチは2種類。一から組み立てていくパターンと、完成品のイメージから巻き戻していくパターンです」そう話す川田シェフ。三島フグを使った今回の料理は「完全に後者」といいます。つまりまず味や盛り付けも含めた料理の完成図があり、その後、パズルのように構成要素を埋めていったのです。三島フグの料理が本番で果たした役割の大きさを思えば、この漁港での出合いは運命だったといえるかもしれません。

地元の食材に詳しい中園氏(写真左から2番目)や漁港関係者の話に熱心に耳を傾ける。

とりわけシェフの目を引いた三島フグ。これが晩餐のスペシャリテ誕生に繋がる。

川田シェフは「目が合ったんですよ」と冗談めかすが、この出合いが転機となった。

大分県国東市これ以外ないという調理法で、三島フグが生まれ変わる。

三島フグは、“フグ”の名がつきますが、カサゴの一種。カサゴ自体は川田シェフが日頃から使い慣れた食材です。しかし、試作の過程でさらなる驚きもありました。それは川田シェフが厨房で、三島フグを揚げたときのこと。高温で揚げた三島フグは鰓が立ち上がり、まるで鬼の角のように見えたのです。もともと鬼面との類似性からこの魚に興味を惹かれていた川田シェフ。国東の文化で重要な役割を果たす鬼。そのストーリーまでを、この魚で表現できるのではないか。

そして料理は完成しました。料理名は『国東的良鬼(三島フグ“国東の鬼” 四川名菜 干焼魚)』。調理法として最初から頭にあったのは、四川省の伝統料理である「干焼魚(ガンシャオユイ)」。四川省では川魚が使用されることが多いこの料理に、三島フグという地魚と、国東の鬼の文化を取り入れる。まさに「和魂漢才」を地で行く一品。無論、細やかな味の調整にも余念はありません。

まず250度という高温の油で揚げ、やや淡白な身に燻したような香りを加えます。揚げた魚は清湯で蒸した後、休ませて味を染み込ませます。ソースは挽肉、タケノコ、椎茸などに調味料と魚の漬け汁を加え、とろみをつけたもの。香ばしく揚がった皮目と、ゼラチン質が豊富でふっくらとした白身に少しだけ刺激のあるソースが絡む。そしてそれらが口中で一体となる。まさに至高の食体験といえる完成度の逸品です。

料理を目にした中園氏は「歴史まで踏まえてくれたドラマチックな料理に感動しました」と絶賛。さらにその料理の構造に触れ「国東の漁獲高は減少傾向ですが、地元の魚でこれだけの料理ができあがったという事実は地域の人々の自信にも繋がると思います」と感想を伝えてくれました。

もちろん、川田シェフにとっても自信作。「まず(三島フグの)ビジュアルから入り、中華の先人達が築いた名菜の調理法が加わり、地元のストーリーが潜む。“コレ以外考えられない”という料理になったと思います」そう振り返った言葉にも、この料理への自信と達成感が滲んでいました。

食材調達から当日のキッチンまで、地元のスタッフの中心として活躍してくれた中園氏(写真左)。

ゲストの目の前でソースをかける演出も、この料理の重要なポイント。

燻したような香りの福建省の紅茶「正山小種(ラプサンスーチョン)」と合わせて、さらに香りを引き立たせた。

1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。

http://sazenka.com/

日々

水無月を食べました。もうすぐ一年の半分がすぎるんだなぁ〜 早いものですね〜

ワインとスイーツのマリアージュでオンリーワンの世界観を魅せる。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]

福岡県福岡市OVERVIEW

お酒とスイーツのマリアージュを楽しめるお店は、東京をはじめ全国にいくつもあります。けれどその多くは、レストランメニューの一部としてや、あるいはカフェ利用がメインで、ピンポイントでお酒にも合うスイーツを提案している場合がほとんどです。

しかし、福岡県中央区高砂にある『WINE & SWEETS tsumons(つもん)』は、少し、いえ、全くと言っていいほど、それらの世界観とは一線を画します。なぜならこちらのスイーツは、ワインに合う、お酒に合う、ではなく、それら両者がひとつになって初めて、世界が完成するのです。

そんな独自の世界観を創り上げるのは、パティシエールでありソムリエールの香月友紀氏。『ONESTORY』では初の女性シェフのご紹介となります。

彼女が作るスイーツの中でとびきりのスペシャリテは、2014年3月のオープン以来、変わらず「スフレ」です。ふわふわでこんもりと膨らんだ、淡雪のように繊細な口どけの「スフレ」と、香月氏が選ぶワインは、口の中で溶け合い、鼻腔で混じり合い、蜜月を迎えます。

その甘美な世界を求めて、県内はもとより県外、時には噂を聞きつけたフーディーな海外ゲストが足を運ぶ『tsumons』。今回はその魅力と香月氏の素顔を、お伝えしたいと思います。

Data
WINE & SWEETS tsumons

住所:福岡県福岡市 中央区高砂1-21-3 MAP

電話:092-791-8511
http://wine-sweets.com/

ザッツ・エンターテインメント。ようこそ、『tsumons』のスフレ劇場へ。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]

スフレ登場の瞬間は、思わず感嘆の声を上げてしまうほど。圧倒的な膨らみは衝撃的。

福岡県福岡市一人ひとりのために、その都度時間をかけて焼き上げる。

『WINE & SWEETS tsumons』とその名が示すように、ここはスイーツとともにワインもしくはスピリッツを愉しむお店。紅茶やコーヒーの用意はなく、どちらかといえばバーに近い存在といえます。

供するスイーツは季節替わりで約10種(2018年5月現在)。そのうちの半数を占めるのが、この店のシグネチャースイーツであり、香月友紀氏を語る上で欠かすことのできない「スフレ」です。

全ての「スフレ」は「oven fresh(焼きたて)」で、オーダーを受けてから焼き上がりまでおよそ30分かかります。ゲストの目の前で卵白を泡立て、メレンゲを作るところからスタートするのですが、あまりに自然な流れで香月氏が泡立てを始めるので、カウンターに座る私たちはよほど覗き込まない限り、何かが始まったとは気が付かないほどです。

今回は改めて、その動きをじっくりと観察してみたところ、最初は右手で泡立て始め、次に左手に替えてまた泡立て、その後は約10秒毎に左右の手を替えながら、都合約2分半、ひたすら泡立て続けていました。途中、砂糖を加える時以外は、途切れることなくずっと、です。言葉で約2分半と言えば簡単ですが、一度でも卵白の泡立て経験がある人ならば、それがどれほどキツい作業かは想像がつくのではないでしょうか。

「でも私はですね、メレンゲを作るのが一番好きなんです。落ち着くっていうか……。昔から洗濯機がぐるぐる回っているのを見るのが好きだったので、もしかして攪拌(かくはん)作業は自分にとって精神安定剤みたいなものなのかも(笑)」と、ケラケラと笑いながら博多弁で話す香月氏。実際、泡立てている時は、手に余計な力や負荷はかかっていないのだそうです。ゲストと会話をしながらも、流れるような所作で泡立てを続けられるのも納得です。

彼女の作る「スフレ」は、砂糖の量が控えめ。これはワインやスピリッツなどとの相性を考えると、とてもバランスのいいことなのですが、実際のところ、メレンゲ作りに砂糖は不可欠なのです。多いほど早く泡立ち、膨らみのキープ力も高まります。けれど香月氏は、砂糖には頼りません。目指す味わいとマリアージュのためには、一つひとつ、そして一人ひとりのために、労力を惜しまないのが香月氏なのです。

カシャカシャカシャ……から次第にリズムと音が変化していく。その間約2分半は一瞬たりとも手を休めない。

メレンゲが潰れないようそっと器に移し、オーブンへ。この焼き時間はゲストにも香月氏にとっても、ドキドキの時間だ。

連続でスフレを作ることをなんら厭わない香月氏。「一番楽しいし、好きな時間ですね」と話す。

福岡県福岡市夢ならば醒めないで。まるで魔法にかけられたようなスフレたち。

「スフレ」は、ベーシックなものをはじめ、フレーバーやトッピング違いなど5種ほどの用意があります。この日は、「エクストラ チーズ スフレ」と「きょうのもやしスフレ」を作ってくれることに。

まずチーズは、鹿児島県鹿屋で、2018年の5月より始動したチーズ工房『Kotobuki CHEESE』のモッツァレラを使用。このチーズの開発には、香月氏も関わったといいます。そしてチーズの上には、フランスのスパイス専門店『イズラエル』で購入した、香り高いクミンがたっぷりと振りかけられます。

さて、「スフレ」作りの見せ場は、その焼き上がりです。初めて『tsumons』で「スフレ」を経験する人は皆、「こんなに膨らむの!?」と目を疑うほど。何しろ、ココット(陶製の容器)の倍の高さにまで膨らんで登場するのです。驚きなしには迎えられません。

差し出された柄の長いフォークの先で「ぷすっ」と真ん中を突けば、モッツァレラのミルキーな香りがふんわりと。思わずうっとりしていると……。
「チーズ、すくってみてください。びよ〜んと伸びるので。早く、早く!」と香月氏に急かされました。言われるまますくい上げてみれば、なんとまぁ伸びる伸びる。「スフレ」を食べるだけなのに、なんだか笑いが止まらなくなりました。これはまさに、tsumonsエンターテインメントです。

この「スフレ」に合わせたワインは、日本ワインのドメーヌ・ポンコツ「おやすみなさい」。山梨県産巨峰から造られる微発泡のこのワインと鹿屋のモッツァレラは、どちらも優しく穏やかで、日本人ならではのものづくりの繊細さに溢れています。「スフレ」とワインが、穏やかに抱擁し合うのです。

その次に登場したのは、森のように深い緑が迫り上がった抹茶の「スフレ」。これを、「もやし」にすると香月氏。メニューにも、「もやし」とあります。
「よくお客様に、もやしってあの“もやし”ですか? と目を丸くされるのですが、その反応が楽しくて。正解は“燃やし”、フランベにするんです」と香月氏。

話し切らないうちに、間髪入れずフランベにしたジンとシャルトリューズを、焼き上がった「スフレ」にさっと注ぎます。この瞬間、私たちゲストが「おぉ~」と声を上げるのは当然なのですが、実は香月氏自身が一番楽しそうなのです。まるで子供がいけない遊びをしているような、やんちゃな表情になっているのです。

香月氏は、抹茶という素材を草(=ハーブ)と捉えています。そしてフランベで使ったお酒も薬草香るリキュールとスピリッツ。そこへ合わせるのは、ほんのり青々しさを感じさせる、にごり系の白ワイン、ソーヴィニヨン・ブランです。
「もう、草草草! 草ワールドです」と香月氏。またしても彼女自身が誰よりも嬉々としているのが、印象的なのでした。

チーズの「スフレ」の中でも、モッツァレラを使ったものは特に面白いほど伸びる。日本のチーズと日本のワインは、そのまろやかな相性の虜となる。

フランベの用意をする香月氏。まるで子供が理科の実験室で遊んでいるような表情になっている。

「もやし」はただのパフォーマンスではない。「草」を思わせる八女(やめ)の抹茶の香りを、ハーブリキュールがこれでもかと引き立てる。

福岡県福岡市まじめにもほどがある。スイーツと向き合う姿勢は馬鹿正直。

「スフレ」以外のスイーツは「TODAY'S SWEETS」として、パフェやアイスクリーム、シャーベットなど4、5種の用意があります。しかしこれらも先ほどの「もやし」同様、ネーミングが少し、普通じゃありません。チョコレートアイスクリームのパフェは「ケンタウロス」、ラズベリーのメレンゲとアイスクリームのコンビネーションは「メレンゲ御殿」、スピリッツのジンが香るシャーベットには「ジンジン」……。どれもが実にユニークなのです。

けれど、そんなネーミングセンスとは裏腹に、素材と向き合う姿勢は、恐ろしいほどにまじめで真摯。例えば、アイスクリームに安定剤は不使用。使用する副材料もできる限り、作れるものは全て自分で作るといいます。
「スイーツを作り始めた時から、心の師匠はずっと『オーボンヴュータン』(東京都・尾山台)の河田勝彦シェフでした。パティシエールとして生きていくと決意するきっかけを与えてくれたのも、氏の本。副材料を自分で作ることと、職人である以上は白衣を着るということを、そこから学びました」

修業時代に応募したコンクールの中でも、「第4回 メープルスイーツコンテスト」では金賞を受賞した香月氏。その時の審査委員長が河田氏だったということで、コンクールの勝敗や結果よりも、自分のお菓子を河田氏に食べてもらえるということが、最大の喜びだったとか。思い出すたび、その時の興奮と熱が、全身を駆け巡るのだそうです。

コクと酸味が感じられるチョコレートのアイスクリームはなめらかで軽やか。オリーブを散らしたチップスやベリーが好対照。これに合わせるバニュルスは、フレンチでいうところのソースの感覚。

最近特に気に入りのラム『ドン・パパ』(中央)と、香月氏が愛して止まないドイツのスピリッツ『スティーレ・ミューレ』(左)。

ロックフォールのアイスクリームは『ドン・パパ』とともに(右)。シェーブルのアイスクリームには『スティーレ・ミューレ』のアブサンとブラッド・オレンジの蒸留酒をふりかけていただく。香月氏曰く、『tsumons』4年間の集大成のスイーツに仕上がっている。

Data
WINE & SWEETS tsumons

住所:福岡県福岡市 中央区高砂1-21-3 MAP
電話:092-791-8511
http://wine-sweets.com/

スイーツが持つ魔法に気付いて以来、自分の中の湧き水を止められない。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]

頭に思い描いたスイーツを形にする時、そしてそこに合わせるワインやスピリッツを考える時、興奮を伴うこともあるという香月氏。

福岡県福岡市『tsumons』の「つ」は、「つよし」の「つ」。

香月友紀氏の心の師匠は、『オーボンヴュータン』のシェフ・河田勝彦氏。では、実際の修業先はどこで、真の師匠はどなたなのでしょうか?

「つよしです。『tsumons』の“つ”は、“つよし”の“つ”、ですから」と、いきなり下の名前で説明されたその「つよし」氏とは、福岡・薬院で創業25年になるチーズケーキとパスタの店『プティ ジュール』を営む岸本 剛氏です。

『tsumons』のスペシャリテのスフレは、この岸本氏から教わったそうです。
「教えとらんったいね、盗んだったいね、香月は。技術職は、盗まんと。教えるもんじゃないけんね」と話す岸本氏。

香月氏など目じゃないほど、「バリバリの博多弁」で語る岸本氏は、この道約50年の大ベテラン。福岡で創業した某有名飲食企業で、長く商品開発や技術革新に携わり牽引してきた、職人の中の職人です。その岸本氏の店にアルバイトとして入った香月氏は、毎日泣きながら厨房で技を習得していったそうです。
「まずは全卵を、ハンドミキサーを使わずに手作業で泡立てることを、ひたすら叩き込まれました。『機械を使わずに全部できれば、どんな状況でもブレずに同じクオリティのものが作れる』と。その教えが今は本当に役立っていて、海外からお仕事を頂いた時に、どんな所でもホイッパーひとつあればスフレを作ることができます」と香月氏は話します。

不器用なのに負けず嫌いという香月氏ですが、この経験があるからこそ、今のクオリティとパフォーマンスが成り立っているのです。
「何人もうちに働きに来よった子はおるけど、続いたのは香月だけ。スフレも、あの味を出せるのはこの子だけ。この子にはあんまり言葉はいらんけん。まぁ、頑張り」と、素っ気ない岸本氏。けれど、「他にもう教えることがない」というひと言からは、ふたりの師弟関係の深さを感じ取れました。

師匠の岸本氏と『プティ ジュール』の店内で語らう香月氏。「あまりに自分の全てが出てしまうので、時々社長のことを“お母さん”と呼び間違ってしまうんです(笑)」と香月氏は言います。

香月氏が金賞を受賞した「第4回メープルスイーツコンテスト」の賞状には、岸本氏の愛犬「福ちゃん」の写真が貼られ、店内に飾られている。

福岡県福岡市クリエイティヴの源泉を掘り起こした、もうひとりの存在。

今の『WINE & SWEETS tsumons』を創り上げたのは、香月氏だけではありません。もうひとり、彼女の「世界観」を現実に引き出した立役者がいます。それは、お店の設計を担当した、現『micelle』主宰の片田友樹氏です。
「僕がまだ独立する前、デザイナーの二俣公一さんが主宰する『ケース・リアル』という設計事務所にちょうど入ったばかりの時、香月さんの担当になったんです。変態さんですよね、彼女(笑)」と、面白そうに語る片田氏。

お店を作るにあたり、香月氏からの注文は3つ。「黒×金、シャッター、窓」。これが絶対だったといいます。
「でも、黒×金のリクエストがどうしてもピンと来なくて。どんなことをイメージしているのかをよくよく話し合っていくと、彼女が本当に思い描いている世界は黒ではないなと。なので僕が方向転換をして、現状のグレーベースに落ち着きました。後は、シャッターも窓も、普通に考えるとヘンなことになりそうなパーツを、あえて面白がって形にしていきました。僕は彼女の思いを“翻訳”したまでです」と片田氏は話してくれました。

こうして出来上がった箱(店舗)は、とうとう香月ワールドを開花させたのです。開店中も半開きの金色のスライドシャッター、最小限に絞られたスポットライトに照らし出されるショーケース内の小さなアミューズ、壁面には少々のワインボトル。そして奥には一枚板のカウンターが延びていますが、表からはかろうじて見える程度です。実際のところは、お店に入ってみるまでよくわかりません。

どこから見てもスタイリッシュなのですが、そこで起こることはまるでおとぎの国の出来事のようです。この箱(店舗)は、香月氏の頭の中をリアルに再現した龍宮城であり、『WINE & SWEETS tsumons』の完全なるマリアージュを体感できる、大きな玉手箱なのです。

お店が位置する渡辺通エリアは、マンションが林立する住宅街の一角。店内から金色の光が漏れる『tsumons』は、ひと際異彩を放っている。

道路に面した金色のスライドシャッターは、香月氏の希望を片田氏が形にした。「プラモデルっぽく、遊んだ感じの仕上げにしました」と片田さん。

ショーケースに映し出されるスイーツの多くは、店内で頂くアミューズ。テイクアウトは焼き菓子とワイン(ボトル)のみ。

福岡県福岡市スイーツという魔法で、すべての人を幸福に導きたい。それが自分の使命。

スイーツとお酒の組み合わせ方も然り、そのビジュアルセンスやネーミングにも、なんとも独特な世界観をみせる香月氏。まさに空想の世界に生きる人だなと、話を聞いていると感じます。

幼い頃は人と話すのが苦手で、ほとんど喋らない子供だったといいます。ある時、湧き水の出る所で遊んでいたら、それがとても楽しくて刺激的だったとか。その感覚が、今も身体の奥に残っているのだそうです。
「何かを作ったり、組み合わせを考えたりするのがとにかく好きで。今も、頭の中でこれとこれを組み合わせたらこんな味であんな世界が広がって……! と、いても立ってもいられなくなるんですが、その感覚が、湧き水を見た時ととても近いんです」と香月氏。

ふわふわと浮世離れしているように受け取られがちな彼女の言動ですが、順調に今の職に就くことができたわけではありません。むしろ紆余曲折ばかりだったといいます。法学部に進んだ大学時代、ホームステイ先のテキサス州の家庭は弁護士夫妻で、ためになるだろうと毎日のように法廷に連れて行かれたのだとか。でもそこでの滞在中、ホストファミリーのためにたくさんのお菓子を作り好評を得たことが、「こんなにも喜ばれるんだ」という発見と嬉しさを、彼女にもたらします。

もうひとつ、お菓子以外ではフラワーコーディネイトにも興味を持ち、その道も考えていたそうです。けれど、コンクールでの受賞経験や「つよし」のもとでの修業が、お菓子は人を幸せにするという喜びと使命を、与えてくれたのだといいます。
「何より私自身、お菓子作りが好きですから。思い描いたものを形にするのは、楽しくて仕方がないですね」と香月氏は話します。

フラワーコーディネイトに携わっていたこともあり、壁面のグリーンアレンジメントは自分で仕上げた。水やりが彼女の日課だ。

カウンター正面に広がる大きな窓は、スフレが焼き上がるまでの時間をゲストに心地よく過ごしてもらうために設置。「そして私自身の(緊張の)逃げ場でもあります」と香月氏。

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WINE & SWEETS tsumons

住所:福岡県福岡市 中央区高砂1-21-3 MAP
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常に職人であるという矜持を持ち続け、スイーツというフィールドで生きてゆく。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]

ケータリングやディレクションにも力を入れている香月氏。鹿児島県鹿屋の『Kotobuki CHEESE』ファクトリーのお披露目会場で。

福岡県福岡市<スイーツデザイナー>は、香月友紀氏のもうひとつの顔。

お店で供するスイーツ&ワインの他、香月氏は<スイーツデザイナー>という側面も持ち合わせています。
主な内容は、様々なイベント等におけるケータリングをはじめ、新しいフレーバーのプロデュース、スイーツとドリンクのディレクションなどです。

今回の取材で登場した「エクストラ チーズ スフレ」に使用した鹿児島県鹿屋の『Kotobuki CHEESE』もその一環で、こちらのチーズの開発にあたり、同社の社長とともにフランスのカマンベール村やイタリアのミラノにも、視察へ赴いたそうです。そしてそのファクトリーのお披露目会に立ち会える機会を得たため、私たち取材班も参加させて頂くことになりました。

この『Kotobuki CHEESE』を運営する寿商会は、畜産・水産飼料の販売を行う会社で、数々の飲食店経営も行っています。今回のチーズ工房設立の背景には、自社の飼料を卸している農家さんから、今度はその牛が作り出す牛乳を買い取り、製品にするという取り組みがありました。新しい仕事の仕組みです。

社長の竹中貴志氏は、もともと『tsumons』のお客様だったといいます。店の噂を知人から聞き、初めて足を運んだ時から、その味わいやマリアージュの虜になってしまったのだとか。
「最初は目も合わしてくれんかったですよ(笑)。でも2度、3度と通って、ようやく色々と話をしてくれるようになりまして。こんなに味覚が優れていて、ここまで素材を生かして、それにまた別の何かを合わせて新しいものが作れる人なんて、いないんじゃないですかね。尊敬しています」と竹中氏は、香月氏に心酔しきり。そこで香月氏にチーズ開発のご意見番となってもらい、今回のお披露目会では、チーズを主役にしたスイーツを考えてもらったのだそうです。

『Kotobuki CHEESE』のチーズ職人・景山淳平氏が作るフレッシュ感あふれるチーズの味わいを最大限に引き出したスイーツ。

会場内に香月氏が運んで来ると同時に、多くのゲストが殺到。なかでも写真は、この日一番の自信作『ニューサマーオレンジのゼリー』。リコッタチーズにミントやレモンバームを加えた、美しい大人のスイーツだった。

ワインも香月氏自らサービス。「よかったら合わせてみてください」と数々のスイーツとのマリアージュを多くのゲストに愉しんでいただいた。

福岡県福岡市人に合わせる、ワインに合わせる。デザインや、ソムリエという仕事。

「私にとって<スイーツデザイナー>というお仕事は、素材ありき、人ありきです。お店の仕事と比較すると、スイーツを考える時は普段と同じ感覚なんですが、より“人”に寄り添わせていくので、ソムリエのお仕事に近いですかね。どんな人、国、気候……など、様々な要素を踏まえて、味わいや形、食べやすさなんかも考えて。テーマとなる素材のいい所を見つけて引き出すこのお仕事は、楽しいし、大好きです」と香月氏。そしてこの鹿屋のチーズにも、その「いい所」を見つけられたのだそうです。

「正直、日本のチーズでどこまで美味しいものができるのかと、半信半疑だったんですよ。でも試作品を食べて、イメージが変わりました。いい意味での乳臭さがちゃんと出ていて、しかもフレッシュ感の中にしかない香りもあって。これって、逆に日本のチーズにしかできない繊細な表現かもって思ったら、アイデアがむくむくと湧いてきました」と香月氏は話してくれました。

ソムリエという仕事は、香月氏にとって後付けだったといいます。たまたま機会があってワインの勉強をし始めたら、面白くてハマってしまったのだとか。

今お店で扱うワインの多くは、自然派ワインと呼ばれるナチュラルな造りのものがほとんど。素材を生かすことを追求すれば、そこにたどりつくのはごく普通のことだったのでしょう。でも、理由はそれだけではないそうです。
「ナチュラルなワインはその時々で味わいに波があって、それが難しさでもあるんですが、私にはそれが面白くて。まだまだ飲み頃は先と思っていたものが急に開き始めることもあって。それをお客様にも感じてもらえるように、スイーツとの組み合わせを考えるのが楽しい。いつも同じではない所が魅力です」と、香月氏は言葉を続けます。

自称「ドM」という香月氏。しかし実際のところ、ワインに翻弄されているようでそれを御するスイーツとのマリアージュの瞬間が、最高の快感なのかもしれません。

『Kotobuki CHEESE』のチーズを作るための牛を育てている農家の図師氏(中央)と、寿商会・社長の竹中氏(左)。その乳牛の名前は香月氏が名づけたとか。

建築家の片田友樹氏(中央)もともに農場見学。この人なくしては、今の『tsumons』、そして今の香月氏は存在しなかったかもしれない。

ソムリエの資格取得は、あくまで仕事の流れから。品種云々を識別することよりも、そこから感じ取れる香りや味わい、変化を読み取ってスイーツに合わせていくのが香月氏にとって至福の悦びだ。

福岡県福岡市本物の職人として、愛を持って向き合う。

それにしても、あまたあるスイーツの中から、なぜ「スフレ」だったのでしょう。もちろん修業先の『プティ ジュール』の名物メニューのひとつだったというのもありますが、岸本 剛氏のお店では、チーズケーキだって看板メニューです。
「それはもう、決まっています。お客様が、絶対喜んでくれるからです」と、きっぱり即答してくれた香月氏。揺るぎない思いがあるようです。
「膨らむものって、喜ばれるし、本当に幸せを感じるじゃないですか。あの“スフレ”の膨らみは、もはや愛ですよね。LOVEですよ。それに、“スフレ”作りには本当にどんなささいなことも、全て出てしまうんです。その日の体調や気分など、驚くほどに。だからこそ私は職人として、常に同じクオリティのものを作れるようになりたいし、本当の職人でありたい。ここでしか味わえない最高のマリアージュと、楽しいという気持ちを、感じて頂きたいんです」と香月氏は語ります。

『tsumons』のカウンターで待つ、「スフレ」が焼き上がるまでのおよそ30分は、私たちを夢の国へとワープさせてくれる時間です。絵に描いたような幸福=ふんわりと膨らむ「スフレ」が、誰をも笑顔にしてくれます。でも、あまりに口どけのいい「スフレ」はあっという間に消えてしまうので、おとぎの魔法もすぐに解けてしまうのではないでしょうか……? 

いえ、大丈夫です。何しろここには、選りすぐりの魔法のワインやスピリッツたちが、手ぐすね引いて待っているのですから。

毎日毎日、何回でもメレンゲを立てることは苦ではない。ただひと言「好きですからね」と香月氏。日々是スフレなり。

小さな金色の光が、tsumonsフリークの夜光虫を呼び寄せる。静かな佇まいの中で、スイーツの甘い香りと媚薬のワインが待っている。

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コーナーキック。ゴールラインを割ったときに最後に触れた選手が守備側だった場合、ボールの出たところから近いコーナーアークから相手に邪魔されない形でキックすることができる。直接ゴールを狙ってもよい。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

梅雨の季節

皆様いかがお過ごしでございましょうか?

 

6月に入り気温も高くなってきましたね~アセアセ

 

中国地方も梅雨入りしたみたいで、最近雨の日が多くなってきました傘

 

今日も朝から雨が降っておりますショボーン

 

まあ、雨の日は雨の日で情緒があって良い物ですウインク

 

昨日も雨が降っていたのですが帰るときには止んでおり

綺麗な虹を見ることが出来ましたキラキラ

写真では入りきらなかったのですが絵に描いたような半円の虹が

かかっており少し幸せな気分になりました照れ

 

そんな梅雨を少しでも楽しむためのアイテムが当店、雑貨館にはあります

 

 

それがこちら

 

↓↓

 

デニム柄の傘でございますパー

 

ほかの人と柄で被りたくないという人にオススメの商品ですグッ

 

折りたたみ傘もご用意しておりますので、気になったお客様や

美観地区へ来た際に急な雨に遭われたお客様は是非雑貨館へ音符

 

それでは皆様、暑くなってきましたので体調の方もお気を付け下さいパー

 

手筒花火の翌日は盛大な打ち上げ花火大会。[豊橋祇園祭/愛知県豊橋市]

対岸の河原から打ち上がる色鮮やかなスターマイン。

愛知県豊橋市地元の男衆によって打ち上げられる華やかな花火たち。

2017年にこのコラムで愛知県豊橋市吉田神社にて開催される手筒花火を紹介しましたが、今回はその手筒花火の翌日に開催される打ち上げ花火大会を紹介したいと思います。
手筒花火が奉納される吉田神社の脇を流れる豊川河畔を会場として行われるこの花火大会は、手筒花火同様に吉田神社の氏子の男衆の手によって打ち上げられます。これは全国的にも類を見ないケースだと思います。打ち上げに従事する男衆は事前に講習を受け、火薬を扱い、花火を打ち上げるための資格を取得します。

川舞台で各町内の氏子が花火の準備をしています。

愛知県豊橋市日ごろの職業はまちまち、でもこの日だけは花火師になる。

打ち上げ場所は幅広く、ワイドスターマインは時に音楽とともに楽しく盛大に繰り広げられます。花火の打ち上げプログラムは町内ごとに進められます。吉田神社の氏子である八ヶ町と呼ばれる八つの町の男衆が、それぞれ自分たちの町内のプログラムにある花火を、自らの手で打ち上げ進行していきます。日ごろは会社員や商店の店主、あるいは役所の職員など様々な職業の男衆が一致団結し見事な花火を打ち上げます。少し離れた吉田城の方角からも単発花火がゆっくりゆっくりと常に打ち上げられています。地元豊橋市の豊橋煙火さんが大型プログラムの打ち上げと監督を務めます。

豊川の河川敷が打ち上げ花火会場です。

愛知県豊橋市なかなか見ることができない金魚花火。

もうひとつの大きな特徴は、川舞台と呼ばれ豊川に浮かべられる花火打上台船です。小型の台船が町内ごとに浮かべられており、時には町内ごとに、時には八ヶ町全体が力を合わせて一緒に打ち上げます。台船上では手筒花火の放揚(ほうよう)も行われ、前日の吉田神社境内での放揚とはまたひと味違った風情を感じさせてくれます。川舞台では、近年なかなか見ることができなくなった金魚花火も打ち上げられます。男衆が川舞台で点火した金魚花火を一つひとつ川に投げ入れると、花火は川面をチカチカと輝きながらあたかも金魚が泳いでいるかのように可愛らしくスイスイと動き回り、観客たちを楽しませます。最後は明るい火花を散らしながらパチンとはじけます。
豊橋市には「稲荷寿し」で有名な『壺屋』というお弁当屋さんがありますが、花火大会の日には手筒花火弁当もお勧めです。パッケージには手筒花火をあしらい、2段重ねのお弁当箱にはおかずの段と打ち上げ花火をイメージした海苔巻きの段があり、見た目も楽しいお弁当です。もちろん味も美味しいですよ。

八ヶ町の川舞台で打ち上がるワイドスターマイン。

川舞台での手筒花火。

川面で輝きながら本物の金魚のように泳ぐ金魚花火。

Data

豊橋祇園祭

日時:2018年7月21日(土)、7月22日(日)18:00〜
場所:吉田神社境内/豊川河畔 MAP
豊橋祇園祭HP:https://www.toyohashigion.org/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%A5%AD/%E8%8A%B1%E7%81%AB%E5%A4%A7%E4%BC%9A-%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E6%B2%B3%E7%95%94/

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1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

小さなボタンに夢幻の世界を描く。[薩摩ボタン絵付け師 室田志保氏/鹿児島県垂水市]

鹿児島の伝統工芸品である「白薩摩」を素地として、薩摩焼の技法を駆使して絵付け。

鹿児島県垂水市途絶えてしまった希少な工芸品を情熱と試行錯誤で復活。

わずか8mmのものや、5cmほどの陶製のボタン。その中に、花が咲き乱れ、草木が生い茂り、虫や鳥たちが遊ぶ夢幻の世界が広がっています。

この『薩摩ボタン』は、江戸時代末期に薩摩藩が倒幕運動の軍資金などを得るために作らせていたという伝説があります。職人たちが技術の粋(すい)をこらし、海外のジャポニスム愛好家や美術コレクター向けの逸品として名をはせていました。

当時の生活風景や花鳥風月を生き生きと描きながらも、緻密を極めた絵付け。その美しさと希少さで、おおいに珍重されたといいます。

しかし、そんな由緒正しい『薩摩ボタン』はあまりに細かく大変な工程のために、一度は途絶えてしまいました。それを現代に蘇らせたのは、偶然その存在を知って『薩摩ボタン』の魅力に惚れ込んだひとりの女性でした。

幻の『薩摩ボタン』を現代に復活させた室田氏。『薩摩ボタン』のただひとりの女性絵付け師として活躍する。

鹿児島県垂水市偶然の出会いがたぐいまれな美術遺産を復活させた。

『薩摩ボタン』のただひとりの女性絵付け師として、国内はもちろん海外にも多くのファンを持つ室田志保氏。ですが、初めからその道を志していたわけではなく、もとは鹿児島伝統の『薩摩焼』のお茶道具を作る窯元のお弟子さんでした。
「でも、時代が変わってお茶道具そのものの需要が減っていたんです。もともと『手に職をつけて独立したい』『独自の技術を身につけて職人としてひとり立ちしたい』という想いが強くあったところに、偶然『薩摩ボタン』の存在を知りました」と室田氏は振り返ります。

そのきっかけは、鹿児島のタウン誌に掲載されていた「薩摩ボタンの復刻」の記事でした。とあるアパレル会社の社長さんが作らせたものでしたが、「同じ『薩摩焼』の業界にいたのに存在すら知らなかった。昔の鹿児島にこんなに精緻で美しいものがあったなんて!」と大きな衝撃を受けたそうです。

ひと目見て『薩摩ボタン』の虜(とりこ)となった室田氏は、「この素晴らしい伝統工芸品を自分なりの方法で復活させたい!」と決意しました。

『薩摩ボタン』の独自の技法はなく、「白薩摩」の伝統的な技法を用いる。「大きく書くか小さく書くかの違い」と室田氏は語るが、その緻密さはやはり秀逸。「枝垂れ桜/直径40mm×厚み8mm」。

鹿児島県垂水市その時代の逸品に触れて、更に虜(とりこ)に。

室田氏は、早速その社長さんのもとを訪れて復刻した『薩摩ボタン』を見せてもらいました。ですが、「やはり『薩摩ボタン』が実際に隆盛を極めていた時代の品を見たい!」という想いがつのり、東京の日本橋にある『ボタンの博物館』にまで足を延ばすことに。
「それはもう、大変な感銘を受けました。手のひらにちょこんと乗るくらいの小さなボタンの上に、お茶道具のお師匠さんから教えてもらった美しい絵付けがふんだんに施されていたんです。“白薩摩”の温かみのある象牙色の素地と、鮮やかな絵付けとのコントラスト。『すごい!』『綺麗!』という感想しか浮かばず、とにかくその魅力に圧倒されました」と室田氏は振り返ります。
「なんとしても、この素晴らしい伝統工芸品を復活させたい!」と決意を新たにした室田氏。ですが、一度は途絶えてしまった技術だったため、絵付けにどんな道具を使っていたのか、どんな技法を用いていたのか、といった資料すら残っていませんでした。

そこで室田氏は、自身が10年間修業して身につけた『薩摩焼』の絵付けの技法で再現することに。ボタンの素地となる「白薩摩」を作ってくれる職人も自らの足で探し出し、ようやく復活にまでこぎつけたのです。

一筆一筆、絵付けに魂を込める。絵付け時の台座は水道管のパイプを切って作るなど、全て自ら工夫。

「オニヤンマ(白天猫)/直径50mm×厚み10mm」。室田氏が好むモチーフのひとつで、前にしか進まない習性から「勝ち虫」として戦国武将の鎧兜などの装飾に用いられた。

鹿児島県垂水市一つひとつに丹念に絵付け。鮮やかな色彩で小さな宇宙を描く。

室田氏が絵付けする『薩摩ボタン』は、8mmから5cmまでと様々な大きさがあります。ですが、絵付けにかかる時間は絵柄やその密度などによって異なるといいます。「とはいえ、一旦デザインが決まれば仕上げの焼入れで窯(かま)に出入りする時間も含めて、どれも2週間ほどで仕上げます。1日に1~2個、1ヵ月に30~50個程度のペースです」と室田氏。

一つひとつ丹精込めて仕上げられた『薩摩ボタン』には、それぞれに手書きで『永久番号』がつけられます。これは、全ての作品に銘打たれる「まぎれもなく手作りの『薩摩ボタン』である」という証明。現代に蘇った特別な逸品の価値を保証してくれます。

室田氏が得意とする緑青(ろくせい)と海碧(かいへき)の色が美しい 「うさぎつなぎ紋 (Pt)/縦40mm×横60 mm×厚み6 mm」。透明度が高く鮮やかな青系の2色と、対比となる赤とのコントラストが鮮やか。

テントウムシも室田氏が好むモチーフ。赤と黒のナナホシテントウが可愛らしい。直径8mm。

鹿児島県垂水市大隅半島の豊かな自然が創作意欲を育む。

室田氏が絵付けに使う道具は、京都の筆工房が作っているイタチ毛の面相筆(めんそうふで)。顔料は陶器用の絵の具で、自身で混色や調整を重ねて透明度やマットさをアレンジしています。室田氏曰く、「気に入った色は繰り返し使います。特に緑青(ろくしょう)という青みがかった緑色が好きで、同系色の海碧(かいへき)も好きですね。透明度が高く鮮やかな発色が特長で、これら引き立てるために、対比となる赤もよく使います」とのこと。

好きなモチーフは、トンボのオニヤンマだそうです。「生きている本物を主人が採ってきてくれたので、それを見ながら描きました。アトリエの周りは自然が溢れていて、動物もたくさん飼っているため、この環境が創作意欲の助けになっています」と室田氏は語ります。

室田氏のアトリエ「絵付舎・薩摩志史(えつけしゃ・さつましし)」。大隅半島(鹿児島県垂水(たるみず)市)の豊かな自然の中にある。

室田氏の作品が常設展示されている「磯工芸館」。作品はもちろん購入も可能で、鹿児島空港への経路にあるため交通も至便。メインの展示品の『薩摩切子』も必見。

鹿児島県垂水市時間も距離も気にせずファンが訪れる。

これだけ丹念に絵付けされた希少品だけに、熱心なファンとなる人も多いそうです。基本的に注文はホームページから受けつけていますが、アトリエまでタクシーで駆けつけてきた外国人もいたそうです。
「『仕事で中国に行く前に東京観光に来たけど、ボタン博物館であなたの話を聞いてたまらず会いに来ました』と言われました(笑)。事前にボタン博物館の館長さんからお電話もありましたが、てっきり社交辞令だと思っていたので驚きましたね。嬉しいことに、『帰りの飛行機代がなくなってしまったよ』と冗談を言われるくらいに作品もたくさん注文していってくださいました」と室田氏。

もうひとり、長崎に仕事で駐在していた外国人が車で5時間もかけてやって来たことも。「アトリエに3時間ほど滞在されて、また5時間かけてお帰りになりました。翌日が帰国日だったそうで、『ここで手持ちの日本円を全て使って帰る!』と言われてやはりたくさん注文してくださいました」と室田氏は話してくれました。

インターネット時代の現代、好事家には時間も距離も関係ありません。あまりに大人気で注文が殺到しているため、現在は仕上がりまでにかなりの時間がかかるそうです。
室田氏曰く、「今すぐ注文して頂いても、仕上がりまでに1年ほどかかってしまいます。すぐにご要望にお答えできず申し訳ありませんが、十分な余裕を持って注文をお願い致します」とのこと。

手書きならではのオリジナルの絵柄を注文できるのも魅力。価格の目安は1cmあたり1万円程度で、1cm大きくなるごとに+1万円(写真はアメリカでの実演の様子)。

記念品や贈答品としての注文が多い。「白薩摩」ならではの素地の彫りも美しい 「福禄寿宝尽くし透かし紋様 表/50mm×50mm×厚み20mm」。

鹿児島県垂水市愛する薩摩ボタンを自由な発想で広めていきたい。

『薩摩ボタン』は、もともと海外のコレクター向けに作られていたもの。その歴史と意義をも復活させて、再び海外の人々に珍重される存在にしていきたい――そう室田氏は考えているそうです。
「まずは多くの人々に『薩摩ボタン』の存在と歴史を知ってもらうために、コツコツと作り続けていきます。現在メインで製作しているのは花鳥風月をモチーフとした高価格帯のラインですが、今後は絵付けするベースを陶器以外の素材にも広げていきたいと考えています。まだリサーチ中ではありますが、『薩摩ボタン=陶器』と限定せずに絵付けの可能性を探っていきます」と室田氏は語ります。

かつて世界に愛された『薩摩ボタン』を、ひとりの女性が再び世界へ広める。室田氏が小さなボタンの上に描く世界は、現実の世界とリンクして広がっていきます。

絵付けのモチーフも時代に合わせて柔軟に変化。「女王蜂 ティアラ紋 帯留/35mm×35 mm×厚み8 mm」。

薩摩の伝統も大切に伝える。年ごとに選ばれる男子が神様となって行われる伝統行事をモチーフにした「流鏑馬 やぶさめ 幸せ願って射る奉納/直径50mm×厚み8mm」。

Data
薩摩ボタン絵付け師 室田志保氏

http://satsuma.cc/
写真提供:薩摩ボタン絵付け師 室田志保

日々

熊本展、初日はいい感じでした^ ^お客様とゆっくりお話ができたり、嬉しい再会があったり、、、 しかし〜熊本は本当に暑かったです(*_*) 温かく迎えてくださった、陶季さん、etuさんありがとうございました。 展覧会は17日(日)まで、会期中は無休。 ぜひ、夏の一品を探しにいらしてください。

@adidasfun

選手と応援団との間にある一体感を一層高めようと思ったら、選手が発注しているショップに依頼して自分のサイズにピッタリ合った商品を製作してもらうことだ。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

日々

熊本到着しています^ ^ 雨降りだと思っていましたが晴れてます♪ 嬉しい^ ^ とっても素敵にディスプレイして頂いてます。 古民家の雰囲気のある空間に藍色がよく合います♪ お花を生けて頂きました^ ^ さすがです。 心が清々しくなるなぁ〜 今回の展に合わせて作って頂いたスペシャルな一品。 伊藤製靴店さんのネイビーの靴です。 可愛い靴下と、ロングスカートに合わせたいな〜 今日のみ...

子供たちの未来に少しでも多くの「しずく」を残すために。[SHIZQ(神山しずくプロジェクト)/徳島県神山町]

透明感と温かみがある『鶴 Tsuru』シリーズ。山と川を守るために木を使う。

徳島県神山町杉の欠点を美点に。デザインと職人技のコラボレーションでかつてない器が生まれた。

赤と白のコントラストが美しい木目と、手にも口にもしっくりなじむユニバーサルなデザイン。使う人の心までも豊かにしてくれるこの器は、木工業界では常識はずれの杉から作られたもの。柔らかく繊細な木質と鮮やかな木目は、材木としては無価値だと木工業界ではいわれてきました。ですが、この欠点ともいえる特徴が、食器としてはまれな魅力になったのです。

徳島県の山あいに位置する神山町から始まった、間伐材の活用プロジェクト。地域の重要な水源地である山の手入れから生まれた杉材を原料に、徳島の職人技を結集して、かつてない木の器が誕生しました。

杉にこだわり、その個性を磨き上げるデザインにもこだわる。木材の選定・乾燥・加工・塗装まで多くの職人とクリエイターが関わる。

徳島県神山町人工林を自然の姿に戻し、地域の水源を守る。

緑輝く初夏を迎えて、日本の山々はいっそうその美しさを増しています。ですが、一見豊かに見える山々が、実は自然な環境ではなく人工的に造り出されたものだとしたらどうでしょうか? しかも本来の自然のシステムを歪めていて、未来をおびやかすほどの影響を与えているとしたらどうなるでしょうか?

そんな矛盾と問題に気付き、里山を未来に残すために奮闘しているのが、キネトスコープ社代表の廣瀬圭治(ひろせ・きよはる)氏です。大阪でデザイナーとして活躍していた廣瀬氏は、2012年に神山町の自然に魅了され、サテライトオフィスを開設すると同時に、家族とともにこの地に移住してきました。

一歩一歩あゆむ等身大の取り組み。大規模な投資ができなくても未来は変えられる(自ら杉を伐採する廣瀬氏)。

徳島県神山町魅了された山は人工のものだった。それが里山の水源までおびやかしていた、という衝撃。

「ですが、魅力的に見えた神山町の自然が実は人工林だったと知ったんです。しかもかつて国が推奨していた林業の衰退に伴い、手入れが行き届かなくなって、密集した木々が日光をさえぎってしまっていた。そのため下草が生えなくなり、杉は常緑樹で落葉しないため腐葉土もできにくくなって、硬くなった土が雨を吸い込まなくなっていたんです。山の保水力が劇的に衰え、山から川に流れ込む水量が年々減っていると聞きました。これは大変な問題だ、と気付いたんです」と廣瀬氏は語ります。

神山町には年間2,000mmもの雨が降りますが、町を流れる鮎喰川の水量は、30年前と比べて3割にまで落ち込んでしまいました。そこで廣瀬氏は、密集した山の木々を間引くための『間伐』を進めるために、デザイナーとして杉を使う活動をプロデュースして啓蒙活動に取り組むことに。日光を山の地面に届かせ、下草を生い茂らせて、雨を吸い込む力を蘇らせる――そうすれば、山から川へと流れ込む水の量も増えるはずだと廣瀬氏は考えました。地域の基盤ともいえる水源地の再生を目指し、『神山しずくプロジェクト』が始まりました。

杉の『間伐』を進めるために、杉の新たな活用法を提案。「杉の製品を作る」「薪にして使う」の2本柱。

徳島県神山町斬新なアイデアは「素人考え」だと否定された。

不自然な人工の森を自然な姿に戻し、そこから得られた木材を資源として生かす。一挙両得かに思えた廣瀬氏のアイデアは、しかし、早々に行き詰まってしまいました。

その原因は、なんと言っても杉の加工の難しさでした。木の中でも目立って柔らかく、赤と白の木目がくっきりと出てしまうため、木工業界では「建材としても食器としてもゼロ価値だ」とまでいわれていたのです。杉の食器は枡や曲げわっぱなどの板加工の物しか無理、というのが今なお業界内での常識。しかし廣瀬氏は、普通は縦向きに加工する木目を横向きにしたいとも考えていました。このこだわりも、木工業界の常識からはずれていたのです。
「そんな鉄壁のような業界の固定観念を知らなかったため、どの職人さんを訪ねても『素人考えだ』と門前払いされてしまいました。既存の機械ではそもそも加工することすらできず、様々な相談を受けて試作品を作ってくれる職人さんにまで『こんなものは商売にならない』と言われてしまったんです」と廣瀬氏は振り返ります。

『神山しずくプロジェクト』を立ち上げて初めて知った、杉の個性と難しさ。たまに引き受けてくれる職人が見つかっても、廣瀬氏のデザインを再現できず、全く違うものになってしまうこともありました。しかし、「神山町の杉を活用する」「杉に付加価値をつけて新たな商品を生み出す」という課題は廣瀬氏にとって絶対のものでした。ただ間伐材を使うだけの製品は、今やありふれています。神山町ならではの商品を作るために、杉を魅力的にデザインしなくては――相談できる相手もいないまま、廣瀬氏は手探りでパートナーとなる職人を探し続けました。

廣瀬氏のデザインワークス。素材の価値を見出し、魅力を付加する。

柔らかく繊細な杉の加工はとても難しい。機械では到底かなわなかった商品を、手挽きロクロ歴45年以上の木工職人が実現した。

徳島県神山町ようやく巡り会えたパートナーと常識はずれの商品を作り出した。

そして半年あまりの探索の末に、ようやく巡り会えたのが『宮竹木工所』の宮竹氏でした。

宮竹氏は、昔ながらの手挽きロクロで御椀(おわん)などの木工品を作る、熟練の職人。木地師(きじし)とも呼ばれる匠でありながら、新たな挑戦にもひるまない真摯(しんし)な人物でした。かつては仏壇の装飾を行っていたものの、時代の変化に合わせて日用品にシフトしたという宮竹氏は、相談に訪れた廣瀬氏に「一緒に挑戦しよう」という心強い言葉を返してくれました。そして半年ほどの試行錯誤を経て、廣瀬氏が最初に目指していたものに限りなく近い試作品が完成したのです。

45年以上ロクロを引いている宮竹氏ですら、「ちゃんと扱ったことはなかった」という杉。それを削る「挽き刃」の開発からともに取り組み、ようやく実現したのです。モダンなデザインとプロダクトで神山町の未来を切り開く『神山しずくプロジェクト』は、強力なパートナーを得てようやく前に進み始めました。

廣瀬氏のデザインを見事に実現してくれた「宮竹木工所」の宮竹氏を囲んで。

地域に新たな産業を生み出し、伝統産業の後継者をも呼び込む。宮竹氏のもとにも大阪から移住してきた若者が弟子入りした。

徳島県神山町素のままの美しさと重厚な「拭き漆」の渋さ。

こうして生まれた『SHIZQ』の木製品は、2つのシリーズを軸にバラエティ豊かに展開しています。

まずは、クリアな透明感が目を引く『鶴 Tsuru』シリーズ。かつて欠点といわれていた独特の赤と白の木目は、他の木材にはない唯一無二の魅力になりました。廣瀬氏がこだわり抜いた横向きのカットもあいまって、技術面でもデザイン面でも他では真似できない商品となっています。水の波紋を思わせる美しいコントラストは、天然の杉材由来のため一つひとつ異なります。世界に唯一の器を手にする喜びが味わえます。

独特な木目の美しさを保つのは、やはり『SHIZQ』独自の特殊なコーティングである『セラウッド塗装』です。
普通の木製品にはウレタン塗装かオイル塗装が施されていますが、『SHIZQ』は紫外線や熱への対抗力を高めるために、ウレタンにセラミックを配合した特殊な塗料を施しています。更に、木の質感を残しながら、杉の柔らかさを補完するために薄塗りを5回。驚きの職人技で、『SHIZQ』は木目の美しさを長く保ったまま、お手入れも簡単という使いやすさを実現しました。

次は、伝統の「拭き漆」を施した『亀 Kame』シリーズ。漆を塗っては布で拭き取り、1日乾燥させては再び塗り、また1日乾燥させる――この工程を5回も繰り返して、木目と艶が際立つ重厚な色合いが生まれます。ケヤキの盆や茶櫃(ちゃびつ)などで有名な技法ですが、ここまで鮮やかに漆の色が入るのは杉ならでは。加工が難しく繊維の粗い素材だからこそ、漆が浸透しやすいのです。

「漆芸家さんには『杉に漆を塗るなんて』と止められましたが、やってみたら見たことのない漆器が出来上がりました。従来の漆器のイメージとは違うモダンな美しさが好評です」と廣瀬氏。

塗られた漆は時とともに木と一体化するので、歳月を経るほどに器自体を丈夫にします。使うたびに風合いの変化も楽しめ、大切に手入れすれば孫の代まで使えるそうです。

『亀 Kame』シリーズ。漆の伝統技法を杉に施したところ、かつてない美しさが生まれた。渋さを生かした重厚な雰囲気が魅力。

「しずくギャラリーショップ」。オフィスでもあるリノベーションされた古民家の軒先に、タンブラー・ボウル(椀)・プレート(皿)・ぐい呑みなど多彩な器が並ぶ。

徳島県神山町デザインの力と伝統技術のコラボレーションでかつてないオリジナリティを実現。

SHIZQの器を見た人がまず発するのは、「綺麗」「美しい」という感想だそうです。そして手にした時の軽さが、更なる驚きを呼びます。
「杉の特性として、木の中でも目立って軽いんです。横向きに生かした木目の効果もあって『こんな木の食器は初めて見た!』と驚かれることが多いですね」と廣瀬氏は語ります。軽く優しい手触りで、お年寄りや子供用としても好評だそうです。

加工が難しく、美しい木目もマイナスと思われていた杉だからこそ、『SHIZQ』の器はかつてないオリジナリティを持った商品となりました。他のどんなショップや地域にも存在しない『SHIZQ』と神山町ならではの器。そのためギフトとしても大好評で、贈った人自身が改めて自分用に購入することも多いそうです。

使いやすく、口当たりも良く、普段使いに最適なのに特別な贅沢感を得られる。

徳島県神山町ひとしずくの活動が波紋となる。新たなムーブメントが広がっていく。

単なる地域おこしに留まらず、森の存在意義とその危機をも訴える啓発事業。廣瀬氏は、『神山しずくプロジェクト』の取り組みを、「水源を守る」というコンセプトとともに多くの人々に認知してほしいそうです。
「木の商品がメインなのに『SHIZQ(しずく)』という名前をつけたのは、放置された人工林のせいで水が減っていることと、山と水の切っても切れない関係を知ってほしかったからです。地域の水源を守ることの必要性と意義を、多くの人々に広めていきたい。加えて、一般的なエコロジーのイメージとは真逆の人工林の手入れの方法も知ってほしかったんです。例えば、山に関するエコロジーな活動と聞けば『木を伐ってはいけない』というイメージを持つ人が多いと思います。ですが、杉林のような人工林は『間伐』=『木を伐る』ことが絶対に必要なんです」と廣瀬氏。

「社会にそのことを訴えるために、デザインの力で独自の商品を生み出しました。これらを販売することで山の手入れの費用も捻出していますが、我々だけで木を伐り続けるのは限界があります。そこで、できるだけ多くの人々に山と水の深い関係を知ってもらい、波紋のように活動を広げていければ。それぞれがしずくのように小さくても、いずれは新たなムーブメントになっていくはずです」と廣瀬氏は語ってくれました。

商品の購入者にも、山と水のエピソードを記したパンフレットを添えるなどして啓蒙活動を行っています。ですが、廣瀬氏はただ自らの想いを訴えるだけでなく、『SHIZQ』の活動を末永く続けていくための現実的な足固めも行っています。

2017年10月に木工所「SHIZQラボ」もオープン。宮竹氏の職人技を若者たちが受け継ぐ。

徳島県神山町未来のために「しずく」を注いで波紋を広げる。

「例えば欠かせないパートナーである木工職人の宮竹さんは、ご自身は高齢で、かつ後継ぎとなるお弟子さんもいない状態でした。そこで『SHIZQ』の活動を通じて若者を紹介し、貴重な技術を受け継いでもらえるようにしました。このように、我々の目指す将来に『参加したい』と思ってくれる人たちを増やすことが、何よりも大事だと考えています」と廣瀬氏は語ります。

神山町の人口は現在約5,000人。杉の木をはじめとする資源は溢れるほどありますが、それを生かせる産業がかつては存在しませんでした。廣瀬氏と『SHIZQ』が目指すのは、日本の中山間地全体が抱える問題へのアプローチです。地域の資源を生かす地場産業を生み出し、更に、それを都会のバイヤー頼みではなく、世界を相手に直接販路を広げる――多くのしずくが波紋を広げるように、様々な取り組みがゆっくりと広がっています。
「それぞれの取り組みが実現していけば、新たな地場産業も次々に生まれるでしょう。本当の意味での地方創生を目指し、都会の力を借りない独自のビジネスモデルに取り組んでいます」と話す廣瀬氏は、広い視野であらゆる方向を見据えています。しかし、その根底に流れるのは「美しい神山町の環境を未来に残したい」という揺るぎない想いです。
「私は神山町の自然に魅了されて移住してきましたが、その裏にある問題を今解決していかないと、将来的には人が住めなくなってしまうという危機感を抱いています。2人の息子たちの未来のためにも、神山町の住人としての責任を果たすためにも、同じ価値観を持ってくれる人たちとともに動き続けていきます」と廣瀬氏は語ります。

『神山しずくプロジェクト』のしずくとは、「最初の一滴」のこと。廣瀬氏が始めた取り組みは、これからも多くの波紋を広げていくことでしょう。

神山町の景色。美しい里山とそれを支える水源地を未来に残すために。

Data
SHIZQ(神山しずくプロジェクト)

住所:徳島県名西郡神山町神領字本上角90 MAP
電話:088-636-7292
メール:info@shizq.jp
営業時間:10:00~18:00
休日:月曜(祝日を除く)
写真提供:キネトスコープ社

土地の歴史や文化、生産者の思いまでを料理に込める、川田智也の料理の世界。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]

「岩香蒸山海」。一見シンプルな料理に、さまざまな思いが込められる。

大分県国東市人の思いを形にする。川田智也シェフが、ひとつの料理を生みだすまで。

2018年5月26日、27日に開催された『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。巨石に囲まれる神秘的な土地・国東を舞台にした幻のレストランは、盛大な拍手とともに大成功のうちに幕を下ろしました。国東の自然と歴史、開催を支えた約70名の地元スタッフの存在、そして南麻布『茶禅華』川田智也シェフの料理。どれひとつ欠けても、ここまでの成功には至らなかったことでしょう。

卓に並んだ川田シェフの料理は、そんな『DINING OUT』の象徴的存在。歴史や文化、地域住民の思いまで反映した見事なプレゼンテーションで、ゲストの心を掴みました。今回の記事では、そんな料理の詳細をお知らせします。川田シェフがどんなプロセスで料理を組み立て、どう調理し、当日どう提供したのか。そのすべてをお伝えします。

川田シェフの料理を形作るのは、食材への鋭い洞察眼と、土地や生産者への敬意。

大分県国東市発想の原点は、国東で出合ったひとつの乾し椎茸。

ご紹介するのは「岩香蒸山海」(国東山海の恵み岩の香り蒸し)と名付けられた料理。蒸籠に入れた国東の山海の幸を、熱した岩に中国茶をかけて立ち上がる蒸気で蒸し上げる一品です。素材感際立つシンプルな料理に、国東の魅力とそこに潜むストーリーまで込めたというこの料理。どんな過程を経て誕生したのでしょうか?
「国東で素晴らしい乾し椎茸に出合いました。これを使いたいと思ったのが最初です。ただしこの時点では、まだ料理の形はおぼろげでした」そう振り返る川田シェフ。実は大分県は国内の乾し椎茸生産量の約50%を占める椎茸王国。シェフが心を動かした乾し椎茸とは、この地で昔ながらのクヌギ原木栽培に取り組む『山や』のことです。

椎茸を栽培するホダ場を訪れ、代表・山口勝治氏の案内を受ける川田シェフ。その後は、山口氏の奥様・しのぶさんが、自慢の乾し椎茸を振る舞ってくれました。「肉厚で食感が良く、味はクリア。イメージが膨らみます。中華料理において乾物は、全体の味を左右する重要な食材ですから」とすでにこの乾し椎茸に惚れ込んでいた川田シェフ。この時点ですでに、料理の構想が生まれていたのかもしれません。

椎茸農家『山や』を訪れた川田シェフ。ホダ場の様子を熱心に見学した。

見学後は自慢の乾し椎茸を試食。ここから今回の料理の発想がスタート。

「DINING OUT」当日は山口ご夫妻2人ともスタッフとして参加した。写真は奥様のしのぶさん。

大分県国東市食材を活かすためのロジックをひとつずつ積み重ねる。

乾し椎茸が構想の起点になった食材なら、もうひとつ、料理の方向性を定めた食材がありました。それが食材視察で訪れた『ヤンマーマリンファーム』で出合った牡蠣・くにさきオイスターです。農業機械で知られるヤンマーが、その技術の粋を集めて生み出した海水ろ過システムにより、安心な生食用牡蠣として生まれたくにさきオイスター。牡蠣一筋30年、自身を「牡蠣バカ」と称する所長・加藤元一氏が「日本一」と胸を張るこの牡蠣。小ぶりな身の中に旨みが凝縮されたような味に、試食した川田シェフも「素晴らしい」と手放しの称賛を送りました。「完成された味という印象です。生でもひとつの料理になりますが、少しだけ火を入れることで、さらに甘みが増しそうです」

こうして乾し椎茸ではじまった料理の構想は、この牡蠣と出合い、「加熱する」という方向性が定められました。しかしこれでもまだ、役者は揃ったわけではありません。「乾し椎茸と牡蠣という個性のある食材ですから、同じ調理法にしても別々の料理になってしまいます。この両者を繋ぐ役割が必要でした」そう話す川田シェフ。そして答えは身近にありました。海と山を繋ぐのは平地。つまり畑の野菜です。

シェフが目をつけたのは『佐藤自然農園』という草木堆肥有機農業に取り組む農園と、『まるか三代目』という自然農法を実践する農園。どちらも手間と時間をかけて、心を込めて育てられた野菜。これこそが、牡蠣や椎茸に負けぬ存在感を放ちつつ、両者を繋ぐ役割を果たしてくれると考えたのです。「甘みがあるのはもちろんですが、野菜本来の味が本当に強い。これをシンプルに活かしたい」そう考えた川田シェフ。素材の味を残しつつ、適度に熱は加える。そこでシェフが行き着いたのが「蒸す」という調理法でした。

『ヤンマーマリンファーム』の加藤氏。人生を牡蠣に捧げた男の集大成が「くにさきオイスター」だ。

「くにさきオイスター」は1品目の料理「国東開胃菜」でも登場した。

『まるか三代目』では採れたての野菜を試食。ひとつひとつの出会いが、料理を徐々に形作る。

大分県国東市生産者の思いまで伝えるテロワールとストーリー。

さて、これで「海と山と畑の食材を蒸す」という料理の輪郭ができあがりました。しかしこれでもまだ完成ではありません。「生産者とお会いして、話を伺いました。料理人にはその思いまでを料理に反映する義務があります」と川田シェフ。ただ良い食材を集め、料理を仕立てるだけではないのです。作っている方の顔を思い浮かべて、野菜の切り方ひとつまで徹底的に考える。そうすることで、生産者たちの熱意までゲストに伝える。そんな料理だからこそ、川田智也シェフの料理は心に響くのでしょう。土地の気候や地理的条件を指すテロワール、川田シェフはそこに、人々の思いまで組み込むのです。

さらにもうひとつ、川田シェフの料理で欠かせない要素があります。それがシェフをして「一生かけて追求するテーマ」という「和魂漢才」の理念。中華料理の技法を用いて、和の心を表現する。言葉にするとシンプルですが、これは単に、日本の食材で中華料理を仕立てるだけではありません。その土地独自の歴史や文化を深く知り、それを持てる技術を活かして表現する。つまり土地と食材への深い理解と、それを形にする技術があってはじめて実現することなのです。

そして川田シェフは、国東の岩を集めました。この地は古くから独自の山岳信仰が花開いた土地。地域の各所に石仏が鎮座し、人々は石や岩に特別な思いを抱きながら生きているのです。そんな神聖で、身近な岩を料理に使用する。そしてその岩と中国福建省の山肌の岩に生えるお茶・岩茶が出合う。そんなストーリーを思い描いたのです。そうしてようやく、料理の完成図が姿を現しました。

まずは国東で集めた岩を熱する。岩に囲まれ、岩とともに生きる国東の歴史を形にした。

岩茶の香りで包み個性的な食材全体をまとめあげ、卓上で蒸し上げることで、立ち上る香りも含めて楽しませた。

蒸し時間は1分程度。食材の持ち味を残しつつ、甘みを引き出す。

大分県国東市個性的な食材たちを、中国茶の香りが結びつける。

ここに来て、冒頭にお伝えした「岩香蒸山海」という料理名も腑に落ちることでしょう。国東の山海の幸を、岩の香りで蒸し上げる料理、というわけです。

乾し椎茸は、中華料理の澄んだスープ・清湯であらかじめ蒸した後、醤油を塗って炭火で焼き上げ、それを野菜や牡蠣、同じく国東で採れたワカメとともに蒸籠に並べる。蒸籠の下に高温で熱した国東の岩を忍ばせ、そこに淹れておいた中国の岩茶をかけて発生する蒸気で、国東の食材たちを蒸し上げる。国東の岩と中国の岩茶の香りを纏うのは、生産者たちの思いが詰まった国東の食材。これが川田シェフの描いた「和魂漢才」の姿なのです。

牡蠣と椎茸は、牡蠣のエキスを加えた醤油で味わい、野菜はお好みで柚子胡椒とともに。牡蠣の甘み、椎茸の旨み、野菜の食感と力強い風味。すべてが明確な個性を放ちながら、それでいてすべてに共通する香りがあるため、全体に一体感があります。適度に食感を残す野菜は、牡蠣と椎茸をまとめあげ、さわやかな後味を残します。

この料理が登場したのは、乾杯の後のコースの3品目。力強い旨みをたたえつつ、どこか透明感のある味わいは、その後に登場する無数の国東の食材たちへの期待も高めました。同時に食材の本質の部分にある持ち味を、テロワールとストーリーとで表現する、という“川田ワールド”の縮図のような存在でもありました。

「大分と国東の情景を表現できたかなと思います」終演後、川田シェフはこの料理をそう振り返りました。その“情景”という言葉こそが、土地に根付く歴史や伝統であり、そこに生きる人々の思いでもあるのでしょう。

国東の山海の幸を中華の技法で仕立てる。「岩香蒸山海」は、まさに「和魂漢才」を象徴する料理となった。

石や岩に特別な思いを抱く国東。そんな神聖で身近な岩を料理に取り入れることで、国東の地域性を表現した。

1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。

http://sazenka.com/

日々

梅雨入りしましたね〜 熊本展にもリネンストール達を持って行きます 梅雨空の下にもよく似合う一品です♪ 素材 リネンガーゼ サイズ 60×200㎝ *一点物になります

【直営店限定】ピストン柄プリント T/Cストライプ半袖ワークシャツ

今季はピストン推し!

  • 背中はお馴染み「Hopping Shower」TETSTU氏によるピストン柄をプリントしています!
  • アイアンハートで通常使用しているパンツ用T/Cウエポン素材よりも薄い生地を使用
  • サラっとしたシャリ感のある生地で夏にピッタリの素材です
  • ポリエステルを混ぜている為、風通りも良く乾きやすいのも特徴です
  • 各部の縫い合せはすべて強度のある2本針巻縫い仕様
  • 裏はロック目のないきれいな仕上り(下糸はレッド)
  • ボタンは、ワークシャツらしく四ツ穴ボタン
  • 真夏に羽織れる、サラッとしたシャツです!
  • ワンウォッシュ済み

IHSH-217 : サイズスペック

  着丈 肩幅 バスト

裾回り

袖丈 袖口幅
XS69.5411031032118
S71431071072218
M72.5451111112318.5
L74471151152419
XL 75.5491191192519.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • ポリエステル:65% 綿:35%

モンローデニム【レディース館】

 

こんにちは~~!!!

始まってしまいましたね!この時期が梅雨のじきがカエルかさ。

この時期は湿気で髪の毛がうねっちゃって困ります(わたくしごとですがw

 

 

そんなことはさておき、、、

 

 

皆さんはモンローデニムって知っていますか??

 

耳(*´?`*耳)??

 

 

そう!

その名の通りマリリン・モンローくちびるが当時穿いていたジーンズを再現したジーンズなんですが

ジーンズはまだ男性の作業着だった時代に、マリリン・モンローはファッションアイテムとして愛用

 

 

股上が深く、シルエットはヒップから裾にかけて

ワイドストレートになっている独特なラインですハート

 

 

トップスをインしても、

短めのブラウスなんかを合わせても可愛いと思いますにこにこ!!

 

 

個人的に好きです!!!!好きなシルエットですハート

 

一見メンズっぽいデザインですけど、

ウエストがキュッとしていてヒップラインから大きめになっているので

女性らしいジーンズだと思いますにこハート

 

股上が深めなので、脚長効果もありますGOOD。

 

 

 

ロールアップしてセルヴィッチの(赤耳)部分を見せて穿いてもオシャレですよハート

 

 

一本持っていると万能アイテムなので、

是非当店にお越しの際には試しに穿いてみてくださいね~~カエルハート

 

 

お待ちしておりますにこにこchurippu☆☆

 

日々

雨降りの1日。 こんな日は実は糊置きには最適な日です 湿度100%は糊に優しい。

のんびりした田島の町並みになじむ、どこかレトロな雰囲気のカフェ。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]

福島県南会津郡OVERVIEW

福島県南西部にある小さな町、南会津。そこで2010年から毎年開催されている「大宴会in南会津」をご存知でしょうか。町の有志がボランティアで企画、運営しているこのローカルフェスティバルは、音楽フェスティバルではあるのですが、同時に様々な形で南会津の暮らしの豊かさを実感できるものとして知られています。

このフェスティバルの発起人は、会津田島駅の近くの場所で小さな『CAFE JI*MAMA』を営む五十嵐大輔氏。カフェを訪れたひとりのお客様との出会いから始まった手作りのフェスティバルは、今では県外からお客さんを集めるまでに成長し、そこから派生した多様な動きは、何もないといえば何もなかったこの地域に、様々なものを生み出しています。

このような小さなカフェで何が起こったのでしょうか。たったひとりの力が、どうやって大きな力へと変わっていったのでしょうか。そこから見えてくる物語は、誰もがより所を失った時代にどうしたら幸せに生きられるのか、その答えが見つかるかもしれません。

Data
CAFE JI*MAMA

住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話:0241-62-8001
http://ji-mama.com/

「大宴会in南会津」が教える、小さなコミュニティに生きる幸せ[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]

「大宴会 in 南会津2017」その名の通り乾杯からはじまる。

福島県南会津郡ローカルフェスティバル「大宴会 in 南会津」。

2010年から毎年、福島県の南会津町で開かれているローカルの野外フェスティバル「大宴会in南会津」。フェスティバルだけど、大宴会……。それって、いったいどんなものなのでしょうか。発起人の五十嵐大輔氏は、「会場のオートキャンプ場は、1,000人入ればもういっぱい。このくらい小規模でやっている野外フェスティバルは、他にはほとんどないと思います。音楽のライヴはありますが、それで盛り上がるというよりは、芝生の上でのんびり過ごしながら楽しむ“地元の夏祭り”みたいなイメージに近い。フェスティバルだと思ってくると、拍子抜けするかもしれません」と言います。

数年前から使われているキャッチフレーズは「お盆、正月、大宴会」。誰もが故郷に戻るお盆やお正月に、おじいちゃんおばあちゃんや子供たち、お酒を飲む人も飲まない人も、みんなで集まってワイワイやる――つまりそんな宴会の拡大版が、「大宴会 in 南会津」なのです。「地元を盛り上げたい」という思いで集まったボランティアスタッフの、手作りのもてなしもまた、のんびりとした雰囲気にぴったりです。

2010年より始まった初回の大宴会の様子。何もわからない所から周囲の人たちに助けられて何とか形となった。

福島県南会津郡地域の人々がつながり始めた初回と、震災という試練。

発起人である五十嵐氏が、田島町で『CAFE JI*MAMA』をオープンさせたのは2007年、つまり初回の「大宴会 in 南会津」が開催される3年前です。営業が始まって危機感を覚えたのは、都会であれば町がにぎわうはずの土曜日や日曜日、祝日に、逆に町が静かになってしまうことでした。町に人の動きをつくるには、カフェを作るだけでは足りないのかもしれない。何かしらイベントを立ち上げたい、そのための横のつながりが欲しい――そう思っていた丁度その時、『CAFE JI*MAMA』に現れたのが、「大宴会 in 会津」のもうひとりの発起人、県職員の東海林氏です。「“地域を盛り上げたい”という彼のストレートな熱い思いに、まんまと焚きつけられた所はあります(笑)」と五十嵐氏。こうして「大宴会 in 会津」は動き始めることになります。

とはいうものの、イベントを企画したことも、企画しようと思ったこともなかった五十嵐氏。まずは周囲に声をかけ、次々とスタッフとして引き込んでいきました。奥会津の三島町に住む三澤真也氏も、そんなひとり。東海林氏から「田島に面白い人がいる」と引き合わせられた三澤氏は、「“寂しいからみんなで飲もうよ”みたいなことが書いてある、ものすごくチープなチラシを見て、“ホントにやるの?”と思っていましたね(笑)」と、当時を振り返りながら話してくれました。

「とにかくバカになってやってしまえ」という気持ちで動き始めた五十嵐氏は、当然ながら様々な困難に出くわすことに。でもそんな時に、なんとなく助けてくれる人、なんとなく「目から鱗が落ちる」ような言葉を言ってくれる人が現れたことも覚えているといいます。

例えば「漠然と動くのではなく、ある程度大きさを決めて」とアドバイスをくれたのは、『CAFE JI*MAMA』のお客様だった県の地域振興局の局長でした。出演を交渉するために芸能事務所に電話しては叱られてばかりの五十嵐氏に、どういうわけか飲み屋さんで知り合った人がアーティストを連れて来てくれたこともありました。「結局のところ人とのつながり」なのですが、それはきっと五十嵐氏が自ら動く者であったがゆえに与えられたに違いありません。

「初回の当日、目の前に広がっていたのは、見たこともない光景でした。人ってこんな風に集まってくれるんだなって。ずぶの素人でしたが、やろうと思えばできる。ずっと続けようとまでは思いませんでしたが、“来年も絶対にやろう”という気持ちにはなっていました」と五十嵐氏は話します。

当時の開催は9月。その半年後、あの震災がやってきます。
盛り上がり、つながり始めた地域の動き。でも震災後に起きた情報の錯綜(さくそう)と不安による分断の中で、それは危うい状況に追い込まれていきます。そんな中で迷いながらも、五十嵐氏が「大宴会 in 南会津」開催に踏み切ったのは、せっかく始まった動きが「失われてほしくない」と思ったからだといいます。

気持ちいいほど晴れ上がった「大宴会 in 会津」当日。自然の中で子供たちが笑顔で遊ぶ姿に、五十嵐氏は「ホッとした」と言います。地域はまだまだつながっている。つながっていける。そして2018年、大宴会は9年目を迎えます。

子供も大人も楽しめる、地元ならではのワークショップのおかげでファミリーで参加する人も多い。

三澤氏。現在は奥会津の三島町でゲストハウス「ソコカシコ」を営み、町の求心力となっている。

福島県南会津郡どこにも似ていない「南会津」を愛することに、地域の未来がある。

初回の「大宴会 in 南会津」が掲げたのは、「この地域らしい夢のある未来」です。言い換えれば、この地域で暮らす楽しさや豊かさを再発見すること。「フェスティバル」と名乗るからにはメインは音楽ですが、それ以外の部分には「南会津らしさ」が満載です。

例えば、奥会津に今も残る「熊撃ち猟師」(いわゆるマタギ)さんや、「サンショウウオ獲り」のおじいちゃんから聞く貴重な体験談。羊毛の糸つむぎや箒(ほうき)造り、伝統工芸の編み組細工などの体験、鶏を絞めて食べる「命をいただくワークショップ」を行ったことも。初回の開催からその部分に深く関わってきた三澤氏は、「かつてのように現金収入の手立てとしては成立しにくくなってはいるものの、“自然をうまく利用しながら生きる術”が、南会津、奥会津には残っています。別の言葉で言うとそれは“手間暇をかけること”なんですよね。雪国での山の暮らしは、食べ物ひとつ、例えば山菜のアクをぬく、塩漬けにするなどの手間がかかる。でもその手間暇こそが愛情であり、ずっと続いてきた尊い文化であり、豊かさだと思うんですよね」と言います。
「地域の魅力を最も知らないのは、そこに生まれ育った人」というのは、よくいわれる話です。三澤氏をはじめとする移住者のこの地域に対する思い入れは、五十嵐氏を中心とする地元の若い世代が知らなかった「地域の魅力」を喚起していきます。
「自分はその価値をわかっているつもりだけれど、他の地域の人がいいと思ってくれるかどうか。『大宴会in会津』を通じてそれを確認できた所はあります。例えば地元ではあまり食べない郷土料理を、他の地域から来た人は食べたいと言ってくれる。会場でお客さんに“地ビールはないんですか”なんて聞かれることも。そういう中で、実際に南会津の地ビールが生まれたのは、すごくいい流れで嬉しかった。あの時のお客さんが、また来てくれるといいなと思います」と五十嵐氏は言います。

「大宴会in南会津」の運営に初回から関わっている五十嵐氏と三澤氏。

福島県南会津郡地元のワクワクした雰囲気を、「大宴会 in 会津」を通じて伝えたい。

時に地方イベントでは、観光誘致を目論み、都会で活躍するイベントのプロフェッショナルを招き入れることがありますが、「大宴会in会津」の在り方はその対極にあるものと言っていいかもしれません。他の地域からのお客さんにだって、もちろん来てほしい。でも大切にしたいのは、自分が住む地域の人たちに楽しんでもらうこと。そこで築いた関係が地域の日常をつなげていき、巡り巡って、地域の魅力を発信することになるのではないか。そこにこそ南会津らしい未来があるのではないか。三澤氏は、「会津とひと口に言っても、南会津郡と、いわゆる奥会津といわれる地域は、それぞれ神奈川県くらいの広さがあります。これまでその二つの地域にはそれほど交流はなかったと聞いていますから、『大宴会in会津』を中心につながり始めたのは、すごく大きなことですよね。関係者の中で毎年のように結婚する人がいるし、新たな友情もたくさん生まれる、地域の文化祭みたいな感じでしょうか。でもそのワクワクした雰囲気は、きっと他の地域の人にも伝わっていくような気がします」と語ってくれました。

奥会津で三澤氏が営むゲストハウス「ソコカシコ」。金曜日と土曜日は居酒屋としても営業し、地元の人と旅人が交流する場となっている。

「大宴会in南会津」の発起人である五十嵐氏。たったひとりでも動き出すことで、地域が変わるきっかけになる。

福島県南会津郡「大宴会 in 会津」から生まれる、小さなコミュニティならではの幸せ。

更に注目に値することは、「大宴会 in 南会津」に関わる人たちが、それぞれの場所でそれぞれに新たな活動を始めていること。すでに五十嵐氏の話に出た、南会津発の地ビールを誕生させた「ビアフリッジ」、かつて運営側のボランティアとして参加していた人たちが、ワークショップや飲食の出店者として戻ってくることも少なくありません。三澤氏も昨年、奥会津の三島町で「人が集まりつながる場所」として、ゲストハウスをオープンさせています。五十嵐氏はいいます。
「1年に一度、それぞれに活動している人が一堂に会し、情報を共有し、楽しむ場所が『大宴会 in 南会津』。そういう形が定着してきていることを感じます。そこでつながった人を訪ねて、また人が動く。『大宴会 in 南会津』はそういう縁づくりの場所なんです」と言います。

誰かが動けば何かが変わり、それがまた別の人を動かしてゆく。南会津の小さな『CAFE JI*MAMA』から始まったその物語は、まだまだ続いていきそうです。小さなコミュニティだからこそ生まれる親密さ、そこに生きることの喜びと幸せ。「大宴会 in 南会津」に足を運ぶことは、その生き方に触れることなのです。あなたの幸せの在り方が、変わるきっかけになるかもしれません。

1年に一度、それぞれに活動をしている人が一堂に会し、情報を共有し、楽しむ場所が「大宴会 in 会津」

Data
CAFE JI*MAMA

住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/

Data
「大宴会in南会津2018」

開催日:2018年6月16日
会場:会津山村道場うさぎの森オートキャンプ場
〒967-0014 福島県南会津郡南会津町糸沢字西沢山3692-20 MAP
http://daienkai.org/

小さなカフェで手に入れた、思い描いた理想の場所。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]

田島の町で生まれ育った五十嵐氏。一度は東京に出たUターン組。

福島県南会津郡会津田島の『CAFE JI*MAMA』、前代未聞のローカルフェスティバル「大宴会 in 南会津」の発信地。

南会津を訪れたのは4月末。まだ少しひんやりする空気の中、春の訪れを告げる桜が今を盛りに花開く季節です。これを皮切りにあらゆる花が一斉に咲き始める5月を経て、「会津の1年で、最も気持ちのいい季節」――6月がやってきます。
「『大宴会in南会津』は2018年から6月開催なんですが、一番喜んでいるのは僕ら主催者側かもしれません。長い冬が明けた喜びに胸を膨らませながら、フェスの準備ができるから」

そう語るのは、南会津ローカルの野外フェス「大宴会 in 南会津」の発起人である、五十嵐大輔氏。会津田島駅にほど近い『CAFE JI*MAMA』の「マスター」です。

2007年にオープンした『CAFE JI*MAMA』は、福島県南会津郡の中心の町、南会津町田島で、ゆったりと営業している居心地の良いカフェです。カフェがあるのは駅に続く大通り、地元の方からすれば「駅前」といっていいい場所ですが、忙しく混雑した都会の繁華街とはもちろん異なり、クルマも人通りも決して多くはない、のんびりとのどかな場所です。それでいて、平日の昼間から、『CAFE JI*MAMA』の美味しいコーヒーを求めて訪れるお客さんは少なくありません。

豆の計量、湯の温度、抽出量など、厳密なレシピは崩さず、丁寧にコーヒーを淹れる。

福島県南会津郡「昭和の喫茶店」のように、ただ美味しいコーヒーを追い求めて。

五十嵐氏がコーヒーを淹れ始めるのは、お客様からの注文が入ってから。その時点で初めて豆の分量を量り、丁寧に挽き始めます。挽いた豆から丁寧に微粉を除去し、ドリッパーの中で平らにならしてお湯を注ぎ入れるのですが、五十嵐氏が持つケトルの口から落ちるお湯は、ポタ、ポタ、ポタと1滴ずつ。やがてコーヒーの粉が、むく、むく、むく、と膨らみ始め――カウンターからは、あのなんとも香ばしい香りが漂い始めます。コーヒーが抽出されるまでの3分弱、一連の作業を見つめているだけで、心がゆったりと穏やかに凪いでゆきます。そして出されたコーヒーの深いコク、それでいて雑味のない美味しさ。
「小さい頃から“喫茶店”が好きだったんです」と五十嵐氏。金物店「田浦商店」の看板を残す古民家をリノベーションした店内は、今という時代の感覚で制御されながらも、どこかレトロな雰囲気。その価値観の中心として「昭和の喫茶店」の世界を彷彿させるのは、彼自身の「美味しいコーヒー」を追究する姿勢といえそうです。自身を「オーナー」でなく「マスター」と位置づけるのも、そういった意味があるのかもしれませんが、いわゆる「昭和のマスター」のように「こだわり」を押し出すことはありません。それが『CAFE JI*MAMA』を、今の時代の「カフェ」たらしめているようにも思えます。

夏場は水出しコーヒーも。漆黒の液体が一滴一滴落ちる音が、静かな店内にかすかに響く。

カフェ・ラテなどのメニューには、ラ・マルゾッコのマシンで抽出したエスプレッソを。

金物店「田浦商店」の看板を残す古民家をリノベーション。

福島県南会津郡「生きること」は、自分自身の身体で生活を実感すること。

市町村合併で「南会津町」と名前を変える以前、この場所は会津田島町と呼ばれていました。町に生まれ育った人にその魅力を尋ねると、帰ってくる言葉は「本当に近くに山を感じられる町であること」。そんな故郷を持つ普通の少年として、幼い頃の五十嵐氏は山に遊び、川と戯れる日々を元気いっぱいに過ごしていたといいます。そしてそんな故郷を持つ普通の少年として、都会に憧れました。
「大学で東京に出る時点では“いつか田島に戻ろう”と思ってはいませんでしたね。でもお盆やお正月に帰ってくると、そのたびに“なんかいいな”と思うようになっていって。特に呼び覚まされる子供時代の記憶が、すごくよくて」と五十嵐氏。

通っていたのは名の知れた大学の法学部でしたが、そこで学んでいたことにも妙な空虚さを覚えていました。かつての故郷での暮らしで感じていた、「日々を自分自身の身体で実感する」ような感覚は、大学生活ではなく実社会にあるのではないか。次第に大学に通う意味を見出せなくなった五十嵐氏は、漠然と「このままいたらダメになる」と思い、大学を中退します。

でも飛び込んだ実社会で、様々なアルバイトを転々としながらも、東京ではそうした実感をつかむことはできませんでした。そして5年の月日が流れ、五十嵐氏は故郷に戻ることになります。帰って何をするのか、特にあるわけでもなく。「都会に負けて帰ったというような感覚がありましたね」。五十嵐氏は、当時をそんな風に振り返ります。

肩の力が抜けた五十嵐氏のお人柄と笑顔も、このカフェの魅力。

福島県南会津郡そこを目的に「人が集まる場所」を作りたい。

五十嵐氏が『CAFE JI*MAMA』をオープンさせたのは、帰郷してから2年後。そのきっかけは「母が喫茶店をやりたいと言い出したので、そこに乗っかりました」と五十嵐氏は笑いますが、そのきっかけは、帰ってきた田島の町の変化を実感したこともあったようです。
「ちょっとしたイベント、お祭りのようなものでも人出が減っているし、商店街も“シャッター化”している。自分が子供の頃は、もっとたくさんの子供が遊んでいたのになあと。人の動きを作りたい、“ここを目的に集まってくる”といった場所を作りたいなと思っていました」と五十嵐氏は話します。

2017年の暮れにオープンから10年目を迎えた『CAFE JI*MAMA』は、当初、五十嵐氏が思い描いていた場所になっているようです。田島に来るたびに立ち寄ってくれる地域外のお客様も多いのですが、圧倒的に多いのはふらっと立ち寄る地元のおひとり様。そこに顔見知りの別の誰かが現れて言葉を交わし、同じテーブルで仲良くコーヒーを飲み始めるという光景も珍しくありません。

フランスの哲学者、モンテスキューは自著『ペルシャ人の手紙』の中で、カフェについてこんな風に語っています。
「会話がリアリティを創出し、雄大な計画やユートピア的な夢想やアナキスティックな謀反が生み出せる唯一の場所」

南会津における『CAFE JI*MAMA』が、そんな場所になっているのは言うまでもありません。そしてここから生まれた「雄大な計画」――前代未聞のローカルフェスティバル「大宴会 in 南会津」へと、Storyはつながってゆきます。

オープンから10年目を迎えた『CAFE JI*MAMA』は「ここを目的に集まってくる」会津田島の名所となっている。

Data
CAFE JI*MAMA

住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/

人と人との出会いがつくる「理想のコーヒー」の味。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]

コーヒー豆は、コーヒーの栽培から製造、販売までを手がける茨城県の名店サザ・コーヒーから仕入れたもの。

福島県南会津郡どれも同じではないコーヒー、そのおいしさを伝えたい。

『CAFE JI*MAMA』が扱うコーヒー豆は、コーヒーの栽培から製造、販売までを手がける茨城県の名店「サザ・コーヒー」から仕入れたもの。店内の看板には、その日に飲めるコーヒーについて、原産国、味、焙煎方法などが細かく表示されています。それは毎回出すコーヒーが異なる個性と美味しさを持っていることを、お客様にちょっとだけ意識してもらいながら、体験してほしいから。仕入れた豆がなくなるたびに、異なる味わいの豆を仕入れることも、五十嵐大輔氏が心がけていることです。「いつも“本日のコーヒー”を注文する常連の方から、“あの時の、あのコーヒーが美味しかったね”と言われると、自分なりの美味しさを見出して頂いているんだなと、すごく嬉しくなります」と、五十嵐氏は顔をほころばせながら話します。

コーヒーのメニューは、五十嵐氏が好きな「深煎り」の豆を中心に取り揃えている。

黒板にはコーヒーの丁寧な説明書きが。知るほどにハマるもよし、まったく知らないままただ味わってもらうもよし。

福島県南会津郡コーヒーを極めたいと思わせた、運命的な出合い。

もともとコーヒーが大好きだった五十嵐氏。田島に帰ってきた後も、美味しいコーヒーを飲める店があると聞くと、時間を見つけては足を運んでいました。そして彼にとっての特別なコーヒーとの出合いは、『CAFE JI*MAMA』を開いたばかりの2008年。それは郡山市にあった伝説的なカフェ「プレイタイムカフェ」のマスター・丹治 徹氏が淹れるコーヒーでした。丹治氏は、思わずじーっと見入ってしまうほど、じっくりと時間をかけてコーヒーを淹れます。深煎りコーヒーの場合、抽出に時間をかけると苦みやえぐみが出てしまうのが普通ですが、そのコーヒーは、丹治氏の優しい人柄そのままに、まろやかな美味しさだったといいます。
「丹治さんはコーヒー人としても本当に大好きな方で、プレイタイムカフェのコーヒーは本当に特別でした。この出合いをきっかけに、自分が美味しいと思うコーヒーを自分なりに極めていこうと思うようになりました」と五十嵐氏は言います。

カフェで何の知識もこだわりもなく注文する私たちは、そこで出されるあらゆる漆黒の液体を「コーヒー」というひと言で片づけてしまいがちです。しかし豆の種類や原産国はもちろん、ローストの深さ、豆の挽き方、豆の分量、そして抽出の仕方――どのフィルターを使うか、どのドリッパーを使うか、お湯の温度はどれくらいか、どんな方法で、どんな手順で湯を注ぐのか――と、それらの何通りもの組み合わせによって、コーヒーの味は無限に広がってゆくのです。

だからこそ大切なのは、自分が美味しいと思うコーヒーをイメージすること。やがて明確になってきた五十嵐氏のそれは、「深煎りの豆を使った、奥行きのあるコクと、すっきりとした後味のコーヒー」というものでした。美味しいコーヒーを飲み歩いて研究し、知識と経験を積み重ね、豆の分量、湯の温度、ドリッパーの変更などの試行錯誤を繰り返した結果……。五十嵐氏は「10年かけてようやく形になってきた感じ」と語ります。

紆余曲折を経てたどりついた「コーノ式」のドリッパー。推奨する独特の抽出法は、雑味が出にくい。

福島県南会津郡コーヒーをまろやかに変える、厚口のカップ。

五十嵐氏の「ハマるととことん追究したくなってしまう性格」は、理想のコーヒーの味を求めて、さらなる別の方向に発想を広げてゆきます。それは、お客様にコーヒーを出すときのカップ。CAFE JI*MAMAのカップは、コーヒーには珍しい、飲み口がぽってりと厚手のものです。
「コーヒーカップは飲み口が薄手のものが多いのですが、僕が好きなあるカフェで厚手のカップで出していて。それで飲むと味がまろやかに感じるんです」

五十嵐氏の求めに応じてオリジナルの「ぽってりカップ」をデザインしたのは、陶芸家の田崎宏氏。会津若松にあった五十嵐氏の妻・史織氏のショップ「hitotsubu」で、最初の個展を開いた白磁の作家さんです。「地元の会津本郷焼の作家さんだったこともありますが、何より田崎さんの人柄が好きで」と五十嵐氏。ところが当の田崎氏はこの発注に、ご本人史上最高に頭を悩ませることになります。

「カップのぽってりと厚手の飲み口は、コーヒーの味がよろまろやかに感じられる」というのが、五十嵐氏のこだわり。

福島県南会津郡“モノづくり”への思いが完成させたコーヒーカップ。

会津本郷焼は全国的にも珍しい陶器と磁器の両方を有する産地。その窯元が軒を連ねる会津美里町に、田崎氏の「工房・爽」はあります。父親の代から窯を開き、田崎氏は二代目ですが、「後を継いだ」というのとは少し異なるかもしれません。機械いじりが好きで自動車メーカーに勤めていた田崎氏は、6年前に脱サラしこの工房を開きました。そして主に絵付けの磁器を作っていた父親とは180度異なる作品を、田崎氏は作り続けています。白さを追求したシャープな「白磁」です。
「民芸の持つ“ほっこり”とした雰囲気を好きになれなかった。単純に、自分が“カッコいい”と思えるものを作ることで、自信を持って世の中に出したかったんです」と田崎氏は話します。

自身で「決め技」と語るのは、ろくろで引いた素地から優雅な稜線を削り出す「しのぎ」と呼ばれる技法。ひねりを加えた田崎氏の繊細な「しのぎ」は、きりりとしていながらどこか有機的な柔らかさがあり、女性の美しいボディラインにも似た艶っぽさも感じさせます。日差しに青く光る雪を想起させる青みがかった釉薬「会津の白」も、そのシャープさを引き立たせるために、田崎氏自身が開発したものです。

会津本郷焼の工房が軒を連ねる美里町に、田崎氏が構える「工房 爽」。

ろくろを回す田崎氏。純度の高い白い土を使用する白磁では、埃やゴミが入れば作品が台無しになってしまうので、工房の出入りには気を遣う。

「しのぎ」とは、へらで削り出したくぼみとくぼみの間に生まれるラインのこと。斜めに入れたしのぎは、器をひねったような優雅な動きを生み出す。

福島県南会津郡悩みに悩んだ末に、見つけた小さな糸口

ところが。五十嵐氏からの発注は、そうした田崎氏らしさをすべて封印したもの――“しのぎ”なしで、ぽってりと厚い飲み口のカップでした。「民芸に先祖返りするように思えてしまって……」。困惑しながらも引き受けたのは、商売用に使う価格とは言えない自分の作品を選んでくれた、作り手として信用し、必要としてくれたことが嬉しかったから。

かつて自動車会社に勤めていた時、1台を数分で完成させる工場で感じたのは「これが自分が好きだった“モノづくり”だろうか」という疑問でした。
「自分の手でちゃんと作ったものを、お客さんが気に入り、買ってくれる。そのやり取りをして初めて、自分が仕事をしたと思えるんじゃないかと。実感が欲しかったのかもしれません」
五十嵐氏の信頼には、そうした実感があったことは言うまでもありません。

そして。ひと月以上も悩み続けた末に見つけた糸口は、とあるカフェで出されたコーヒーのカップ――ファイヤーキングのDハンドルマグ。
「これだ、と思いました。こういうイメージで落とし込めば、飲み口の部分が厚くてもシャープな印象が成立するなと」。

CAFE JI*MAMAの「ぽってりカップ」は、そうして完成しました。

右手が五十嵐氏発注の「ぽってりカップ」(3,000円)。左と比べるとその厚口ぶりがわかる。

福島県南会津郡白磁に注がれたコーヒー、それは飲む人の思いが作る物語。

白磁の飽きの来ない魅力は「周囲の環境によってその表情を微妙に変えてゆくこと」だと、田崎氏は言います。白熱灯の光、蛍光灯の光、昼と夜、晴天と曇天で異なる太陽光。藍染めや漆の上に置けば、その青や赤を反射します。あらゆるイメージを受け止める白磁は、もしかしたらその器を使う人の気持ちによっても、いかようにも表情を変えるのかもしれません。

田崎氏が作り上げたこだわりの白磁、それが際立てる五十嵐氏の思いがこもったコーヒー。それは飲む人の思いによって展開してゆく、一杯の物語。今日もいい香りをたてながら、人と人の新たな出会いを生み出しています。

磁器は光を透過するため、赤ワインなどを注げば“しのぎ”の薄い部分はピンク色に染まる。

Data
CAFE JI*MAMA

住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/

Data
工房 爽

住所:〒969-6116  福島県大沼郡会津美里町字瀬戸町甲3175 MAP
電話: 0242-56-3732

人と人の距離を縮め、「じまま」に過ごせるカフェ。[CAFE JI*MAMA/福島県南会津郡]

会津田島の駅にほど近い場所で、マスターの五十嵐大輔氏が営む『CAFE JI*MAMA』。

福島県南会津郡カフェの魅力は、思い思いにリラックスできること。

その空間には様々な「本」がさりげなく置かれています。店内の一番奥に並ぶのは五十嵐氏が幼い頃に読んでいた文学全集。カウンターの先には映画やインテリア、旅やコーヒーなどに関する、ちょっとマニアックなカルチャー本やコミックなど。よく見れば店内のパーテーションも、最初から本を立てる用に作られています。「本があると落ち着くし、暇な時にちょっと手に取ってもらえたらいいなと」と、五十嵐氏。最近では持参した本を「置いて行っていい?」と、そのパーテーションに、ポン、と残していくお客様もいるようです。

テーブルにはそれぞれにランプが設置されています。コーヒーを飲む、本を読む、ものを書く、ランチを食べる、目の前を過ぎてゆく時間をただ眺める……その時々の過ごし方によってお客様が自由に点け消しできるよう、それぞれにスイッチもついています。それだけでなく、椅子とテーブルの高さも絶妙です。もちろんそれも「何をやっても疲れないバランスを」と、五十嵐氏自身が入念に吟味して決めたもの。

「田島」という地名の音にもかけた店名は、沖縄の方言で「自由気まま」の意味。会津田島で、自由気ままに。そんなリラックス感があるからこそ、このカフェでは人と人との距離が縮まっていくのかもしれません。

お客様が自由に点け消しできるよう、それぞれにスイッチもついています。

お店の売りは珈琲。

水を使わず、会津若松・平出油屋の菜種油をぜいたくに使い、丸二日煮込んだ「オリジナルチキンカレー」(900円)。チキンはほろほろと崩れるほど柔らかい。

地元の野菜などを使った週替わりのランチ「今週のパスタ」(900円)。この週は名産のアスパラを使用したトマトソース。

「スコーンとケーキ」(650円)。国産小麦と全粒粉、キビ砂糖を使った甘さ控えめのスコーンと、本日のケーキから選んだセット。写真は会津地鶏の卵をふんだんに使ったシフォンケーキ。

福島県南会津郡地域を知りたいという思いから始まった「まねぶ会」。

そうしたコミュニティの中で、ローカルフェス「大宴会 in 南会津」が誕生してゆくのですが――これは後に譲るとして。『CAFE JI*MAMA』ではそれと同時進行しながら、もうひとつの企画が育っています。それが「まねぶ会」。“地元・南会津で暮らす楽しさを発見すること”という、「大宴会 in 南会津」と同じコンセプトで始まった勉強会です。
「『大宴会 in 南会津』を始めてみて、地元の文化や歴史、生活について、まだまだ知らないことがたくさんあるんだなと感じました。そういうことを勉強する場を作れば、これまでとは別の人とつながるきっかけにもなり、参加した方がお友達を連れてきてくれることで、輪もどんどん広がってゆきますよね」

そのテーマは、「南会津に仕事を増やすには?」「イベントを仕掛けるには?」という地域活性化から、「会津祇園祭の起源」「現在に復活した南郷刺し子」など地域の歴史文化、はたまた地元畜産業者による「ソーセージ作り」まで、テーマは多岐にわたります。

中でも、神事で集まった人達が楽しむために生まれたという「会津の農民歌舞伎」には、自身の活動に共通する思いを感じたといいます。楽しむことこそが人を動かす。それはどの時代にも変わらない真理に違いありません。

会津の歴史、文化、生活を学ぶ「会津学」も、さりげなく店内に。

福島県南会津郡震災以降意識するようになった“会津のもの”。

そして人が動けば、何かが変わっていくのも必定のことです。

実は4年前に結婚した五十嵐氏。ここ数年は子育てする妻・史織氏の都合を優先し、彼女がギャラリーひと粒を営む会津若松で暮らしていました。

一家が揃って田島に居を移したのは2017年のこと。そしてこの5月からは『CAFE JI*MAMA』と店を共有しながら、史織氏が取り扱う作家モノの雑貨の販売を開始しています。そこで目を引くのは「会津木綿」の雑貨たちです。史織氏はいいます。
「“会津のもの”を意識するようになったのは、震災からですね。当時、私は会津若松で店をやっていて、親類を頼って関西に避難する際、とにかく店にあるものを車に詰め込みました。震災の風評被害は作家さんにも及んでいましたし、“会津のものを持っていかなければ”と集め始めて。それが今につながっています」

五十嵐氏の妻・史織氏。2009年から作家モノの雑貨を販売する「ギャラリーひと粒」を営んでいる。

会津木綿を使った動物たちのぬいぐるみは、滋賀の作家さんの作品。大胆な布使いと愛嬌のある表情がいい。

ステッチをきかせた会津木綿のブローチ。この他、帆布と合わせたセミオーダーのトートバッグなど、会津木綿の取り扱いは多い。

福島県南会津郡「外からの風」を取り込むことで、新しいことが始まる。

史織氏が言うところの「会津のもの」は、「会津の生粋のもの」かと言えば必ずしもそうではありません。例えば「会津木綿」を使った大胆な動物のぬいぐるみは、滋賀の作家さんが作ったものだし、それ以外にも「“会津のもの”でないもの」も多く揃えています。それは史織さんが意識的にやっていることでもあります。
「その場所にある土と、外から吹き込む風が“風土”を作る――そう言っている人がいて、なるほどなと思いました。私自身、郡山生まれの“外”の人間です。会津の人は頑固だなあと思うこともあるのですが(笑)、そんな場所でも外からの風が入ることで、何か新しいことが始まるんじゃないかなと思うんです」と史織氏。

そう考えると、五十嵐氏が言うところの「地元の人が普通に使ってくれる店。それでいて外から訪れる人も、心地よく過ごせる店」としての『CAFE JI*MAMA』は、「外からの風が入る場所」そのもの。だからこそこの場所から、次々と新しいことが起こっているのかもしれません。

五十嵐氏をはじめ、お客様から持ち込まれた本の数々。この店とつながる人たちの姿が、そこから浮かび上がる。

Data
CAFE JI*MAMA

住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話: 0241-62-8001
http://ji-mama.com/

日々

爽やかな型染めらしい細かい柄の浴衣です 浴衣 柄 レース金魚 素材 綿紅梅 本藍 技法 型染め 半幅帯 柄 クッキー×無地 素材 麻 下駄 柄 レース 素材 桐 麻 *全て一点物です

@adidasfun

ドイツでは、「ハーレンフースバル」と呼ばれる壁付のインドアサッカーが、ブンデスリーガの冬の中断期に行われている。この試合には、現役のブンデスリーガの選手やかつてのスター選手が参加している。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

@adidasfun

ドイツでは、「ハーレンフースバル」と呼ばれる壁付のインドアサッカーが、ブンデスリーガの冬の中断期に行われている。この試合には、現役のブンデスリーガの選手やかつてのスター選手が参加している。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム