「くし」でつながる仲間の声! Part.2 有田焼陶工・小鹿田焼陶工・フラワーデザイナー・染色家[でんくしふろり/東京都港区]

『でんくしふろり』では、陶器やご飯炊き鍋を手がける『安楽窯』陶磁器製造の有田焼陶工・末村安孝氏。「時代に合った焼き物作りを目指しています」。

でんくしふろりふたりの職人技が光る。料理を更においしくする、究極の相方。

「ふたりと」は、『安楽窯』陶磁器製造の有田焼陶工・末村安孝氏と『柳瀬晴夫窯』14代目、小鹿田焼陶工・柳瀬元寿氏であり、相方とは「器」を指します。

今回、『でんくしふろり』の器全般は、ふたりが手がけます。
末村氏は陶器やご飯炊き鍋を、柳瀬氏は器を。両者とも『傳』からの付き合いになります。
「長谷川さんとは、有田焼創業400年事業がきっかけで出会いました。いつも笑顔が素敵で元気をもらっています」とは、末村氏。特にこだわるご飯炊き鍋は、「火の通りが良く、ご飯がふっくら炊けます!」と長谷川氏も絶賛。
『傳』に訪れたた方ならすぐにわかると思いますが、あの土鍋ご飯の美味たるや。お腹だけでなく、心も満たしてくれる優しい味には、ファンも多いはず。

柳瀬氏は、小鹿田焼陶工歴20年目、柳瀬家14代目の異名を誇ります。「仰々しい肩書きですが、一般人です(笑)」
とにこやかに話すも、日々『傳』で使用する器を通し、その実力のほどは長谷川氏が一番良く知っています。
「まだ制作中ですが、自分の作品は常に自然がテーマ。主張が強すぎてもいけませんし、器はあくまで脇役。お店や料理の一部として馴染めることが最良かと思っています」と柳瀬氏。
「長谷川さんは、源泉みたいな人(笑)。長谷川さんと川手さん、スタッフの皆様の手によって器がどんな風に様変わりを見せてくれるのか、自分自身が一番ワクワクしています!」。

器は単体でも美しいですが、料理を迎えることで様々な表情に変化します。

「これから進むべき行方は、長谷川さんと川手さんが歩んできた道に続いていくことを心から願います。そして、お客様へ感謝のおすそ分けをしていただけるようなお店になることを期待しています」と柳瀬氏。
「世界中に元気を届けてもらえるようなお店になってもらえることを願います! ふたりならできるはずですから!」と末村氏。

【関連記事】東京都港区/「でん」と「くし」と「ふろり」の関係。

若干41歳にして、小鹿田焼陶工歴20年目の柳瀬家14代目を担う柳瀬氏。『傳』でも親交の深い長谷川氏の新たな挑戦ともあり、その想いは熱い。

色、形など、様々に試作。どんな器に料理が盛られるのかも是非ご注目いただきたい。

でんくしふろり無意識にゲストの心を掻き立てる、見る旬。食材だけでなく、植物を通して季節を彩る。

アーティスティックな空間の『Florilage』を彩る、ダイナミックな生け込み。それは単なる装飾のみならず、知らず知らずのうちにゲストの高揚を誘い、花の彩りや緑の濃淡を通して旬を知らせてくれます。

今回、『でんくしふろり』も同じ人物が手がけます。それは「piLi flower design works」のフラワーデザイナー・大類淳子さんです。

「『Florilage』の生け込みを手がけさせて頂き、そのご縁で川手さんに声をかけてもらいました。『でんくしふろり』では、植物に関わる装飾全てに携わります」。
と言っても、これから決めていく料理のコンセプトやコース内容、ドリンクなどと同様、装飾も『でんくしふろり』のスタッフたちとディスカッションしていきたいため、現状はまだイマジネーションの段階になります。

「現在は、一部ですがデザインに着手しています。確かに未確定要素はありますが、それでも何か手掛かりにして形にしていくのが、今回は自分の役目だと思っていています。ドキドキしますが、やり甲斐も感じています」。

現段階でわかっていることは、空間の主役がおくどさんということです。

「おくどさんを植物で装飾するコンセプトはお題として頂戴しているので、そこをメインにどうストーリーを組み立ててデザインしていくのかがポイントだと思っています。全体としては、独創的な世界観にふさわしいパワーのある楽しい空間をイメージしつつ、おくどさんへの敬意を表せたらと思っています」。

ふたりからのリクエスト、それは「フレッシュな植物」の起用です。

「時にその場で時間の経過を感じたり、季節の移ろいを感じたり。メッセージを植物に込めたいと思っています。『でんくしふろり』で過ごすゲストの感受もこだわりのポイントにできればと思っています」。

語弊を恐れずに言えば、命ある植物は、常に優雅なわけではありません。花びらや葉が落ちゆく様もまた美しく、生き物として当然の姿でもあるのです。

「『でんくしふろり』は、おいしい料理をいただく以上の何かをすでに感じており、私自身、早くお客として行きたいです!」。

自身のアトリエ「piLi flower design works」にて。『でんくしふろり』では、どんな植物が空間を彩るのか!? そんな視点を含め、風景を愛でる時間も楽しんでいただきたい。

「川手さんの印象は、豪快に笑う人。長谷川さんの印象は、即興で場を作っていくのが上手な人」と大類さん。

でんくしふろり右手でちょいとかき分け、暖簾をくぐる。そこから「でんくしふろり」の世界は始まる。

諸説ありますが、暖簾の文化は奈良時代だと言われているそうです。
主には屋号、商標、はたまた取り扱い商品を記すところもありますが、お客様目線で言うと、暖簾の役目はお店が営業中か否かのサインでもありました。

『でくしふろり』にも暖簾が下がります。手がけるのは、江戸型染作家・小倉充子さんです。

「実家が神保町で履物屋をやっている関係で、神保町時代に『傳』の長谷川さんと知り合いました。それがご縁で、お店の暖簾と手ぬぐいなどを製作させて頂き、今回は『でんくしふろり』でも同じく暖簾と手ぬぐいを手がけさせていただきます」。

小倉さんは、大学でデザインを学んだ後、型染職人のもとで江戸文化と型染めを学び、独立。以降、江戸の町人文化、風俗をテーマに、浴衣や手ぬぐい、下駄の花緒、暖簾など、型染の作品を製作してきた人物です。特筆すべき点は、図案、型彫り、染めまで、ほぼ全ての工程を一貫して手がけていることにあります。

「暖簾はお店にとって第一印象になります。今回は、入口の重厚なアンティークの木戸と共鳴するように暗めの藍色のグラデーションを施しました。柄はオープニングということで、シンプルに『でんくしふろり』の酔っ払いおじさんワンポイントで! これもおじさんが徐々に酔っ払っていく様子を赤のグラデーションで表現しました。今後は季節によって違う素材、色柄でも展開していきたいと企んでいます!」。

手ぬぐいは、『傳』と『Florilage』が初めてコラボレーションした際に制作した手ぬぐいを改めて染めます。丸紋がモチーフのそれにあらゆる食材をぎゅっと詰め込み、混沌としている中から見たこともないような楽しい何かが生まれるイメージでデザイン。注染の本染めで染めています。

「長谷川さんは、いつお会いしても小学5年生男子のようで楽しそう! 昔から全く変わりません。いや、歳を重ねるごとに子供に戻っていっているような気が……(笑)」。
そして、川手氏もまた、「長谷川さんとそっくりだなあと思いました」。

そんなふたりの新たな門出『でんくしふろり』は、ぴかぴかの○年生♪の誕生か!?

「“でんくしふろり”の印象は、ふたりのぴかぴかの一流料理人のおもちゃ箱。今後に期待することは特にありません。きっと期待なんか裏切って、いつも驚かせてくれるお店になると思いますから!」。

暖簾に腕押し、暖簾に誘われ、ふと一杯。愛さればまた訪れ、そうでなければ立ち去る。布一枚だからこそできる技であり、粋な境界線。

未来の暖簾分けはあるのか!?を考えるのは時期早々ですが、まずは暖簾を守るところからスタートします。

『でんくしふろり』を長谷川氏と川手氏以外の視点で聞き取りした「くしでつながる仲間の声!」Part.1&2。登場していただいた建築家、インテリアデザイナー、左官職人、有田焼焼陶工、小鹿田焼陶工、フラワーデザイナー、染色家は、皆プロフェッショナルなミッションを創造することはもちろん、共通していることは、関係者としてではなくゲストとしての高い期待。

仲間が「行きたい!」と思わせる『でんくしふろり』の世界。
 

そんな『でんくしふろり』は、あなたとつながることも心待ちにしています。

※『でんくしふろり』の住所も公開! 予約も開始しました!

制作過程における版木彫り。今回の参画において、「こんなワクワクするプロジェクトにお招きいただいて光栄です!暖簾や手ぬぐいで、少しでもワクワクのお返しができたら幸いです」と小倉さん。

実際の暖簾の制作風景。微妙な染まり具合や濃淡にこだわる。お店に足を運ぶ際は、ぜひご注目を!

Text:YUICHI KURAMOCHI

瑞々しく、香り豊か。パティシエの心を捉えた、水の都の恵みを湛えた滋賀県のお茶とフルーツ。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

ブドウ、梨、柿、イチジク。滋賀県の豊かな水と温暖な気候が多彩なフルーツを育てる。

ローカルファインフードフェア滋賀パティシエと食材バイヤーが巡った、滋賀県が誇るお茶とフルーツ。

都内で活躍する料理人たちが滋賀県産の食材を肌で感じ、その美味しさを最大限に引き出した料理をそれぞれの店で提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。9月11日(金)より都内の各レストランでフェアは始まっていますが、その開催に先立ち、滋賀の食材の本質と美味しさの裏に潜むストーリーを掘り下げるべく、参加する料理人や食材バイヤーが現地の生産者のもとを訪問しました。

料理人たちが参加した滋賀県視察ツアー第一弾に対し、第二弾となる今回の視察はパティシエが中心。素材にこだわるパティシエたちは「知る人ぞ知るフルーツ産地」滋賀県でどんな発見をして、どんなお菓子を構想したのでしょうか。

【関連記事】滋賀食材フェア/産地を巡り、生産者と語り、本質を知る。滋賀県の食材の魅力を伝える都内レストランフェア開催。

古くから茶所として知られる朝宮茶の産地『かたぎ古香園』にて。昼夜の温度差が香り高いお茶を育てる。

ローカルファインフードフェア滋賀ドリンクとしてではなく、素材として捉えられる滋賀県の銘茶。

今回、滋賀県を訪れたのは、フランスの三3つ店や都内の名店のシェフパティシエを経て、2020年に九品仏(くほんぶつ)に自身のパティスリー『INIFINI』を開いた金井史章氏、人気パティスリーからレストラン、ベーカリーまで幅広く経験を積んだ後、その集大成として代官山にデニッシュ専門店『Laekker』をオープンした小出貴大氏、そして洋食の料理人として働くうちにより深く食材を突き詰めようと仲卸に転向し、現在は数多の高級料理店の食材仕入れを担当するバイヤー・木村 聡氏の3名。それぞれ食材に対する深い思い入れがあり、現地に向かう車中からすでに滋賀県の食材談議に花が咲いていました。

一行がまず訪れたのは、県南部の甲賀(こうか)市信楽町の高台にある『かたぎ古香園』の茶畑。1200年以上の歴史を誇り、日本五大銘茶にも数えられる朝宮茶の産地です。『かたぎ古香園』は、茶畑を案内してくれた片木隆友氏の祖父である先々代が小売を始めたことをきっかけに、完全無農薬に切り替えた茶園。47~48年前、その頃は無農薬という言葉さえもなく、完全に手探りの挑戦だったといいます。しかし、その苦労は実り、現在ではこの土地の力を凝縮したような上質なお茶が採れるようになりました。参加者たちも、試飲したこのお茶を「クセがなく、繊細で透明な味わい」と高く評価しました。

しかし、パティシエの目線になると、少し話が変わってきます。
「私のデニッシュは、強く焼き込むスタイル。優しく焼き上げる方がこのお茶には合いそうです」と小出氏が言えば、金井氏も「皿盛りのデザートと違い、一品で完結するケーキは構成要素が多く、このお茶の繊細さが生きてこない」と同意します。
しかし、そこで終わってしまわないのが、人気パティシエたるゆえん。「ダイレクトにショコラに混ぜたらどうか。食感は楽しいけれど口に残る」「ほうじ茶ならバターやアーモンド、卵など他の素材に隠れないかもしれない」「ここのほうじ茶は香りが柔らかく雑味もないためケーキに合わせやすい」。
「私はお菓子はさっぱり」と苦笑する片木氏を置いてけぼりにするように熱く語り合う参加者たち。片木氏に鋭い質問を投げかけつつ、予定時間を大幅に過ぎてもお茶の話に熱中していました。

昔ながらの方法で在来種の茶を育てる政所(まんどころ)茶『茶縁むすび』を訪ねても、パティシエの興味は尽きませんでした。前回の訪問で訪ねた料理人たちが基本的にこの政所茶を「ドリンク」と捉えていたのに対し、お菓子を構成するひとつの「素材」として見た今回のパティシエたち。
「一般的な茶園では、葉の栄養を取られないようになるべく花を咲かせません。しかし政所では自然のままの姿で育てていますから、花も咲くし実もつきます」と話すのは、生産者の山形 蓮さん。この話が参加者たちを惹きつけました。目当ては珍しいお茶の花、そして花を搾って採れるオイルです。山形さんが試しに少しだけ搾ったというオイルを前に、小出氏は「オイルはクリーム系と非常に相性がいいんです」と言い、金井氏も「土地の匂い、土の匂いがするオイル。コーヒーやカカオとも相性が良さそうです」と続けます。ここでもパティシエの頭の中では、具体的なメニューの構想が生まれていたようです。

『かたぎ古香園』の片木氏。半世紀近くも無農薬栽培を続けるこの茶畑には、多くの野生動物もやって来る。

品種はやぶきた。菜種かすや胡麻かすなどの植物系肥料を与えながら完全無農薬栽培で茶を育てる。

『かたぎ古香園』でお茶を試飲する木村氏。元料理人だけに、食材の味や香りに敏感だ。

在来種のお茶を育てる政所。古き良き里山の風景が、パティシエの創造力を刺激する。

政所に湧く清冽(せいれつ)な水は地元の生活用水。硬度40mg/Lほどの軟水で、政所茶との相性は抜群。

葉も花も、時には生産者さえ食べたことのないものも必ず香りを確かめ、口に運ぶのが金井氏のスタイル。

ローカルファインフードフェア滋賀多彩なフルーツが、パティシエのインスピレーションを刺激する。

日本一大きな湖・琵琶湖と、そこに流れ込む460の川。豊富な水に恵まれた滋賀県では、たっぷりと水分を含んだジューシーなフルーツが育ちます。

東近江市で作られるブランドブドウ・黒蜜葡萄もそのひとつ。その実力を探るべく、愛東ぶどう生産出荷組合青年部の漆崎厚史氏の農園を訪ねました。
「ワイン用として知られるマスカットベリーAという品種ですが、生食での美味しさを伝えるために、試行錯誤を重ねてブランド化にこぎつけました」と漆崎氏。糖度は22~23度まで上げ、皮は薄く、実は大きく、種はない。そうして生まれた黒蜜葡萄は、日々各地の食材と向き合う木村氏をして「生食用のマスカットベリーAは初めて見ます。おそらく豊洲市場にも入っていません」と言わしめるほど希少。「身離れが良く、甘みも香りも良いですね」と味の面でも太鼓判を押していました。

琵琶湖東岸に位置する彦根市の名産・彦根梨の畑でも、生産者から説明を受ける一行。かつてこの場所が沼だったこと、今から40年ほど前から地域で梨生産に乗り出したこと、土作り、畑作り、剪定、品種特性、旬……。様々な話を興味深げに聞き入る参加者たち。
ちなみに、完熟してから収穫する彦根梨は日持ちしないため、ほぼ県外には出回らないという希少な梨。さっぱりとした幸水、酸味がありジューシーな豊水の2種を食べ比べながら、次なるメニューのアイデアを練ります。

滋賀県西部にある高島市今津町では、名産品である柿の畑を訪ねました。取材時の9月初頭は、柿の収穫には少し早い季節。それでもJA今津町柿部会の部会長・岡本義治氏は、色づいた柿を探し、その場で食べさせてくれることで、柿を使ったスイーツ作りのアイデアをくれました。
岡本氏の柿園がある深清水(ふかしみず)という地区は扇状地であり、豊富な伏流水が湧き出す地。その水と、長い日照時間を利用して10品種の柿を育てているのだといいます。広大な柿園を歩きながら、そんな説明を受ける一行。試食した柿の味はもちろん、この地で見た景色や聞いた物語が、パティシエのインスピレーションを刺激するのでしょう。

黒蜜葡萄を作る愛東ぶどう生産出荷組合青年部の皆さん。若い世代の力で新たなブランドの認知に挑む。

黒蜜葡萄の品種・マスカットベリーAはワインでおなじみ。デラウェアに近い適度な酸味と上品な甘さが特徴。

美味しさだけでなく、生産者の思いやストーリーも伝えたいと話す小出氏。

彦根梨は出荷の真っ最中。瑞々しく、糖度が高い幸水のもぎたてを皮ごと試食した。

彦根梨を生産する吉田保夫氏。「糖度は計測できるが、食感や香りには生産者の個性が表れる」と言う。

JA今津町柿部会の部会長を務める岡本氏。大正初期から続く柿の名産地・深清水の誇りを伝えてくれた。

色づき始めたばかりの晩夏の柿園にて。焼酎とドライアイスで渋を抜くさわし柿もこの地域の名物。

西村早生(にしむらわせ)、太秋、さわし柿が今回のフェア用の品種。甘み、食感、香りなどそれぞれに際立った個性がある。

ローカルファインフードフェア滋賀ジューシーさと、上質な香り。お菓子作りの肝となる滋賀の食材。

上質なお茶と多彩なフルーツを巡った今回の視察。続いて訪れたのは、甲賀市のイチジク生産者でした。そしてこのイチジクが、参加者に大きな衝撃を与えたのです。

約900坪の敷地でおよそ160本のイチジクの木を育てる『浅野ファーム』の浅野正明氏は、元大手電機メーカー勤務。14年前に脱サラして、露地栽培主体でイチジク生産に乗り出しました。前職の経験からか、園は非常に美しく整備され、生産もロジカル。大きく、甘く育てる日照と水の関係を緻密に計算したイチジクは、品評会でも高い評価を得ています。
採れたてのイチジクを試食した参加者たちも、その美味しさに驚いた様子。更に話は、イチジクそのものの美味しさを超え、この品質を生かすお菓子についてまで広がります。お菓子などに調理する際、熟したイチジクの実は熱を加えることで水分が生地に染みて食感が悪くなってしまうのです。だからといって、洋梨のようにあらかじめソテーすると食感が生きず、コンフィチュールにすると香りが飛んでしまいます。そこで金井氏が提案したのが、ドライフルーツの要領で事前に実の水分を減らすこと。「縦半分に切ったらどうだろう? 」「穴を開けてみては?」「半乾燥なら使用量も増え生産者にもメリットがあるのではないか?」。様々なアイデアを出しながら、具体的に話し合う浅野氏と参加者たち。
「美味しい果実を育てることに尽力しますが、それがどのような形になって使用されるか、最終形のイメージが生産の現場にはあまりありません。パティシエの方々に直接具体的な話を聞けて良かった」。浅野氏は今回の訪問をそう振り返りました。

全ての視察を終えた帰り道、金井氏は滋賀の食材を「瑞々しく、香りが良い」と評しました。「香りを通して記憶に残るお菓子を作ること」を信条とする金井氏だけに、これは最上級の賛辞。生産者と交わした具体的な話から、すでにフェアに向けたアイデアも固まりつつある様子でした。「まずは箱を開けた時の香り、見た目、そして口に近づけた時の香り。そして口どけのスピード感に差をつけることで主張したい香りをどこに持ってくるか」と、自身のお菓子作りの理念を語る金井氏。「甘さは足すことができますが、香りや食感には素材の特徴が出てきます。そういう点で滋賀の魅力を伝えられるメニューを作りたい」と、金井氏は『Local Fine Food Fair SHIGA』への決意を語ってくれました。

傷がついたもの、粒の揃わないもの、捨てられる部位。日頃から食材を無駄なく使用することを意識する小出氏は、そんな値のつかない素材を、正規品と変わらぬ値段で買い求め、加工することを大切にしています。「大げさに言えば、未来への投資。農業が潤わなければ洋菓子はなくなってしまいますから。ただ単純に、捨てられるものに価値を見出すのが面白い、というのもあります」と話す小出氏。それだけに今回の視察で生産者と直接話せたことは、『Local Fine Food Fair SHIGA』に向けての構想だけでなく、今後の自身のクリエイションにも大きく役立ったといいます。そして「例えば若手生産者がブランディングを進める黒蜜葡萄。誰が、なぜ、この場所でそれを作るのか。そういう物語の部分まで伝えられるメニューを作りたい」と決意を語ってくれました。

今回の視察第二弾ではお茶とフルーツの生産者を巡りましたが、『Local Fine Food Fair SHIGA』では、これら以外にも滋賀の食材をふんだんに取り入れた料理が登場します。10月末まで、東京の7つのレストランにて開催していますので、ぜひ、この機会に滋賀の旬の恵みを味わってみてください。

『浅野ファーム』の浅野氏は、就農14年。品評会で高い評価を得る今でも「毎年がチャレンジです」と語る。

品種は桝井ドーフィン。例年、お盆前から10月半ばまで出荷される。

浅野氏が手がけるドライイチジク。パティシエたちはこれをセミドライで試作するよう依頼した。

産地を巡り、生産者の話を聞くことで、これまでにない様々なアイデアが浮かんだという。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

瑞々しく、香り豊か。パティシエの心を捉えた、水の都の恵みを湛えた滋賀県のお茶とフルーツ。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

ブドウ、梨、柿、イチジク。滋賀県の豊かな水と温暖な気候が多彩なフルーツを育てる。

ローカルファインフードフェア滋賀パティシエと食材バイヤーが巡った、滋賀県が誇るお茶とフルーツ。

都内で活躍する料理人たちが滋賀県産の食材を肌で感じ、その美味しさを最大限に引き出した料理をそれぞれの店で提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。9月11日(金)より都内の各レストランでフェアは始まっていますが、その開催に先立ち、滋賀の食材の本質と美味しさの裏に潜むストーリーを掘り下げるべく、参加する料理人や食材バイヤーが現地の生産者のもとを訪問しました。

料理人たちが参加した滋賀県視察ツアー第一弾に対し、第二弾となる今回の視察はパティシエが中心。素材にこだわるパティシエたちは「知る人ぞ知るフルーツ産地」滋賀県でどんな発見をして、どんなお菓子を構想したのでしょうか。

【関連記事】滋賀食材フェア/産地を巡り、生産者と語り、本質を知る。滋賀県の食材の魅力を伝える都内レストランフェア開催。

古くから茶所として知られる朝宮茶の産地『かたぎ古香園』にて。昼夜の温度差が香り高いお茶を育てる。

ローカルファインフードフェア滋賀ドリンクとしてではなく、素材として捉えられる滋賀県の銘茶。

今回、滋賀県を訪れたのは、フランスの三3つ店や都内の名店のシェフパティシエを経て、2020年に九品仏(くほんぶつ)に自身のパティスリー『INIFINI』を開いた金井史章氏、人気パティスリーからレストラン、ベーカリーまで幅広く経験を積んだ後、その集大成として代官山にデニッシュ専門店『Laekker』をオープンした小出貴大氏、そして洋食の料理人として働くうちにより深く食材を突き詰めようと仲卸に転向し、現在は数多の高級料理店の食材仕入れを担当するバイヤー・木村 聡氏の3名。それぞれ食材に対する深い思い入れがあり、現地に向かう車中からすでに滋賀県の食材談議に花が咲いていました。

一行がまず訪れたのは、県南部の甲賀(こうか)市信楽町の高台にある『かたぎ古香園』の茶畑。1200年以上の歴史を誇り、日本五大銘茶にも数えられる朝宮茶の産地です。『かたぎ古香園』は、茶畑を案内してくれた片木隆友氏の祖父である先々代が小売を始めたことをきっかけに、完全無農薬に切り替えた茶園。47~48年前、その頃は無農薬という言葉さえもなく、完全に手探りの挑戦だったといいます。しかし、その苦労は実り、現在ではこの土地の力を凝縮したような上質なお茶が採れるようになりました。参加者たちも、試飲したこのお茶を「クセがなく、繊細で透明な味わい」と高く評価しました。

しかし、パティシエの目線になると、少し話が変わってきます。
「私のデニッシュは、強く焼き込むスタイル。優しく焼き上げる方がこのお茶には合いそうです」と小出氏が言えば、金井氏も「皿盛りのデザートと違い、一品で完結するケーキは構成要素が多く、このお茶の繊細さが生きてこない」と同意します。
しかし、そこで終わってしまわないのが、人気パティシエたるゆえん。「ダイレクトにショコラに混ぜたらどうか。食感は楽しいけれど口に残る」「ほうじ茶ならバターやアーモンド、卵など他の素材に隠れないかもしれない」「ここのほうじ茶は香りが柔らかく雑味もないためケーキに合わせやすい」。
「私はお菓子はさっぱり」と苦笑する片木氏を置いてけぼりにするように熱く語り合う参加者たち。片木氏に鋭い質問を投げかけつつ、予定時間を大幅に過ぎてもお茶の話に熱中していました。

昔ながらの方法で在来種の茶を育てる政所(まんどころ)茶『茶縁むすび』を訪ねても、パティシエの興味は尽きませんでした。前回の訪問で訪ねた料理人たちが基本的にこの政所茶を「ドリンク」と捉えていたのに対し、お菓子を構成するひとつの「素材」として見た今回のパティシエたち。
「一般的な茶園では、葉の栄養を取られないようになるべく花を咲かせません。しかし政所では自然のままの姿で育てていますから、花も咲くし実もつきます」と話すのは、生産者の山形 蓮さん。この話が参加者たちを惹きつけました。目当ては珍しいお茶の花、そして花を搾って採れるオイルです。山形さんが試しに少しだけ搾ったというオイルを前に、小出氏は「オイルはクリーム系と非常に相性がいいんです」と言い、金井氏も「土地の匂い、土の匂いがするオイル。コーヒーやカカオとも相性が良さそうです」と続けます。ここでもパティシエの頭の中では、具体的なメニューの構想が生まれていたようです。

『かたぎ古香園』の片木氏。半世紀近くも無農薬栽培を続けるこの茶畑には、多くの野生動物もやって来る。

品種はやぶきた。菜種かすや胡麻かすなどの植物系肥料を与えながら完全無農薬栽培で茶を育てる。

『かたぎ古香園』でお茶を試飲する木村氏。元料理人だけに、食材の味や香りに敏感だ。

在来種のお茶を育てる政所。古き良き里山の風景が、パティシエの創造力を刺激する。

政所に湧く清冽(せいれつ)な水は地元の生活用水。硬度40mg/Lほどの軟水で、政所茶との相性は抜群。

葉も花も、時には生産者さえ食べたことのないものも必ず香りを確かめ、口に運ぶのが金井氏のスタイル。

ローカルファインフードフェア滋賀多彩なフルーツが、パティシエのインスピレーションを刺激する。

日本一大きな湖・琵琶湖と、そこに流れ込む460の川。豊富な水に恵まれた滋賀県では、たっぷりと水分を含んだジューシーなフルーツが育ちます。

東近江市で作られるブランドブドウ・黒蜜葡萄もそのひとつ。その実力を探るべく、愛東ぶどう生産出荷組合青年部の漆崎厚史氏の農園を訪ねました。
「ワイン用として知られるマスカットベリーAという品種ですが、生食での美味しさを伝えるために、試行錯誤を重ねてブランド化にこぎつけました」と漆崎氏。糖度は22~23度まで上げ、皮は薄く、実は大きく、種はない。そうして生まれた黒蜜葡萄は、日々各地の食材と向き合う木村氏をして「生食用のマスカットベリーAは初めて見ます。おそらく豊洲市場にも入っていません」と言わしめるほど希少。「身離れが良く、甘みも香りも良いですね」と味の面でも太鼓判を押していました。

琵琶湖東岸に位置する彦根市の名産・彦根梨の畑でも、生産者から説明を受ける一行。かつてこの場所が沼だったこと、今から40年ほど前から地域で梨生産に乗り出したこと、土作り、畑作り、剪定、品種特性、旬……。様々な話を興味深げに聞き入る参加者たち。
ちなみに、完熟してから収穫する彦根梨は日持ちしないため、ほぼ県外には出回らないという希少な梨。さっぱりとした幸水、酸味がありジューシーな豊水の2種を食べ比べながら、次なるメニューのアイデアを練ります。

滋賀県西部にある高島市今津町では、名産品である柿の畑を訪ねました。取材時の9月初頭は、柿の収穫には少し早い季節。それでもJA今津町柿部会の部会長・岡本義治氏は、色づいた柿を探し、その場で食べさせてくれることで、柿を使ったスイーツ作りのアイデアをくれました。
岡本氏の柿園がある深清水(ふかしみず)という地区は扇状地であり、豊富な伏流水が湧き出す地。その水と、長い日照時間を利用して10品種の柿を育てているのだといいます。広大な柿園を歩きながら、そんな説明を受ける一行。試食した柿の味はもちろん、この地で見た景色や聞いた物語が、パティシエのインスピレーションを刺激するのでしょう。

黒蜜葡萄を作る愛東ぶどう生産出荷組合青年部の皆さん。若い世代の力で新たなブランドの認知に挑む。

黒蜜葡萄の品種・マスカットベリーAはワインでおなじみ。デラウェアに近い適度な酸味と上品な甘さが特徴。

美味しさだけでなく、生産者の思いやストーリーも伝えたいと話す小出氏。

彦根梨は出荷の真っ最中。瑞々しく、糖度が高い幸水のもぎたてを皮ごと試食した。

彦根梨を生産する吉田保夫氏。「糖度は計測できるが、食感や香りには生産者の個性が表れる」と言う。

JA今津町柿部会の部会長を務める岡本氏。大正初期から続く柿の名産地・深清水の誇りを伝えてくれた。

色づき始めたばかりの晩夏の柿園にて。焼酎とドライアイスで渋を抜くさわし柿もこの地域の名物。

西村早生(にしむらわせ)、太秋、さわし柿が今回のフェア用の品種。甘み、食感、香りなどそれぞれに際立った個性がある。

ローカルファインフードフェア滋賀ジューシーさと、上質な香り。お菓子作りの肝となる滋賀の食材。

上質なお茶と多彩なフルーツを巡った今回の視察。続いて訪れたのは、甲賀市のイチジク生産者でした。そしてこのイチジクが、参加者に大きな衝撃を与えたのです。

約900坪の敷地でおよそ160本のイチジクの木を育てる『浅野ファーム』の浅野正明氏は、元大手電機メーカー勤務。14年前に脱サラして、露地栽培主体でイチジク生産に乗り出しました。前職の経験からか、園は非常に美しく整備され、生産もロジカル。大きく、甘く育てる日照と水の関係を緻密に計算したイチジクは、品評会でも高い評価を得ています。
採れたてのイチジクを試食した参加者たちも、その美味しさに驚いた様子。更に話は、イチジクそのものの美味しさを超え、この品質を生かすお菓子についてまで広がります。お菓子などに調理する際、熟したイチジクの実は熱を加えることで水分が生地に染みて食感が悪くなってしまうのです。だからといって、洋梨のようにあらかじめソテーすると食感が生きず、コンフィチュールにすると香りが飛んでしまいます。そこで金井氏が提案したのが、ドライフルーツの要領で事前に実の水分を減らすこと。「縦半分に切ったらどうだろう? 」「穴を開けてみては?」「半乾燥なら使用量も増え生産者にもメリットがあるのではないか?」。様々なアイデアを出しながら、具体的に話し合う浅野氏と参加者たち。
「美味しい果実を育てることに尽力しますが、それがどのような形になって使用されるか、最終形のイメージが生産の現場にはあまりありません。パティシエの方々に直接具体的な話を聞けて良かった」。浅野氏は今回の訪問をそう振り返りました。

全ての視察を終えた帰り道、金井氏は滋賀の食材を「瑞々しく、香りが良い」と評しました。「香りを通して記憶に残るお菓子を作ること」を信条とする金井氏だけに、これは最上級の賛辞。生産者と交わした具体的な話から、すでにフェアに向けたアイデアも固まりつつある様子でした。「まずは箱を開けた時の香り、見た目、そして口に近づけた時の香り。そして口どけのスピード感に差をつけることで主張したい香りをどこに持ってくるか」と、自身のお菓子作りの理念を語る金井氏。「甘さは足すことができますが、香りや食感には素材の特徴が出てきます。そういう点で滋賀の魅力を伝えられるメニューを作りたい」と、金井氏は『Local Fine Food Fair SHIGA』への決意を語ってくれました。

傷がついたもの、粒の揃わないもの、捨てられる部位。日頃から食材を無駄なく使用することを意識する小出氏は、そんな値のつかない素材を、正規品と変わらぬ値段で買い求め、加工することを大切にしています。「大げさに言えば、未来への投資。農業が潤わなければ洋菓子はなくなってしまいますから。ただ単純に、捨てられるものに価値を見出すのが面白い、というのもあります」と話す小出氏。それだけに今回の視察で生産者と直接話せたことは、『Local Fine Food Fair SHIGA』に向けての構想だけでなく、今後の自身のクリエイションにも大きく役立ったといいます。そして「例えば若手生産者がブランディングを進める黒蜜葡萄。誰が、なぜ、この場所でそれを作るのか。そういう物語の部分まで伝えられるメニューを作りたい」と決意を語ってくれました。

今回の視察第二弾ではお茶とフルーツの生産者を巡りましたが、『Local Fine Food Fair SHIGA』では、これら以外にも滋賀の食材をふんだんに取り入れた料理が登場します。10月末まで、東京の7つのレストランにて開催していますので、ぜひ、この機会に滋賀の旬の恵みを味わってみてください。

『浅野ファーム』の浅野氏は、就農14年。品評会で高い評価を得る今でも「毎年がチャレンジです」と語る。

品種は桝井ドーフィン。例年、お盆前から10月半ばまで出荷される。

浅野氏が手がけるドライイチジク。パティシエたちはこれをセミドライで試作するよう依頼した。

産地を巡り、生産者の話を聞くことで、これまでにない様々なアイデアが浮かんだという。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

「くし」でつながる仲間の声! Part.1 建築家・インテリアデザイナー・左官職人[でんくしふろり/東京都港区]

空間デザインを手がけるのは、「株式会社エスキス」代表の建築家・インテリアデザイナーの甲斐晋介氏。「川手さんとのお仕事は、今回で4店目。注文が少ない分、緊張します(汗)」。

でんくしふろり川手さんとの出会いは 20年前。独立後、ずっと見続けてきた。

そう話すのは、『でんくしふろり』の空間を手がける、「株式会社エスキス」代表の建築家・インテリアデザイナーの甲斐晋介氏です。
「今回、ご縁をいただいたのは川手さんとの関係からです。最初の出会いは、自分が空間デザインを手がけた西麻布のフレンチ『OHARA ET CIE』だったと思います。まだ、大原正彦さんのもとで修行されている時代でした。その後、独立して開業した青山の『Florilege』と移転した今の神宮前の店舗、台湾に展開した『logy』を手がけさせて頂きました」。

甲斐氏は、『OHARA ET CIE』や『Florilege』をはじめ、日本の名だたるレストランの空間をデザインしています。千駄ヶ谷『Sincere』、代官山『abysse』、外苑前『L’EAU』、有楽町『TexturA』、京都『VEL ROSIER』など、どれも洗練された人気店ばかり。そのほか、虎ノ門『mement mori』と日比谷『Mixology Heritage』のバーや新潟『WineryStay TRAVIGNE』のホテルなど、活躍の場はさまざま。しかし、『でんくしふろり』のようなスタイルは初かもしれません。
「最初にお話を伺った時の印象は、絶対楽しい店になる! そう思いました。世界で活躍されているおふたりのお店なので、国内外からゲストが多くいらっしゃると思いますし、きっと期待値も高い。でも、最初の打ち合わせ段階では、ざっくりと串のお店……としか聞かせてもらえなかったのですが(笑)」。

今回で4店目となる川手氏とのプロジェクトですが、「いつも川手さんからは多くの注文はありません」と言います。
今回のオーダーはひとつだけ。「『傳』と『Florilege』の要素を取り入れてほしい」でした。
「一番難しい……(笑)」。

【関連記事】東京都港区/「でん」と「くし」と「ふろり」の関係。

『でんくしふろり』の図面。おくどさんを主役にコの字型にカウンターを配す。『傳』や『Florilege』同様、オープンキッチンのスタイルは、ライブ感を生む。

でんくしふろりそのプレッシャーは半端じゃない。自分はいつも試されている。

前述の通り、川手氏は多くは語りません。
「プレゼンの時は、汗が止まりません(笑)。そのプレッシャーはもちろん、常に自分が試されているような気がしています」。

しかし、一方で「その期待に応えるため、いつも全力で取り組ませてもらえるので、ありがたい存在です」と言葉を続けます。また、意外だったのは、甲斐氏と長谷川氏は初対面だったこと。
「長谷川さんのお名前は、もちろん存じ上げていました。お会いするまでどんな人かわからず、また川手さんとは違った緊張がありました。ですが、打ち合わせの大半が川手さんとの釣りの話だったので、直ぐに緊張は解けました(笑)」。

とはいえ、長谷川氏も川手氏も世界で活躍する名シェフ。
「プレッシャーも自分が試されている感も2倍です(汗)」。
甲斐氏は、厨房を含む平面レイアウトから動線計画、距離感、使い勝手、見え方、魅せ方など、空間のさまざまに携わります。
「動きやすいオペレーションは設計段階で決まると思っているので、特にこの段階が重要と思っております」。

そんな『でんくしふろり』の空間の主役は、「おくどさん」です。
「コミュニケーションを重ねる中、“おくどさん”というアイデアが出てきました。空間の全体的な印象は、『傳』の日本料理の要素、『Florilege』のフレンチの要素、どちらにもイノベーティブなので、純和や強いフレンチの要素を出しすぎないように心がけました。デザイン的にはカウンターは重要なファクターなので、和を感じられる木の無垢材を採用。ただ、材種はイロコと呼ばれる原産国がアフリカのアフリカンチークを使うことで、純和に寄らず、洋の要素を加味しました」。
そして、「おくどさん」を作るということで、直ぐに思い浮かんだ造り手がいたと言います。
それは、大橋左官の大橋和彰氏です。

「大橋さんとは、神宮前『Florilege』の工事の際に大きなコの字カウンターを作ってもらった時からのお付き合いです。いつも自分の難しいリクエストを軽々と超えて施工してくれる頼もしい仲間です。通常の“おくどさん”を作るのであれば、普通の左官屋さんでも良いのですが、今回は誰も見たことがないイノベーティブな“おくどさん”を作り上げようと思い、大橋さんと試行錯誤して完成させました。ぜひ、カウンターの中心に据えられるおくどさんにも注目してもらいたいです」。

大橋氏は、世界を放浪後、左官の道へ歩んだ一風変わった経歴を持ちます。
「放浪している時、土の建築やヴァナキュラー建築に感動を覚えました。自分もそんな感動を表現したい。そう思った時、身近な素材で作る左官に興味を抱き、この道を志ました」。

今回、大橋氏は、「おくどさん」以外にも入り口の壁、蹲、通路正面の壁、カウンター横の壁も手がけます。
「全てに共通して素材の力と可能性を引き出すことを意識しています。長谷川さんとは、初対面でしたが、気さくに話してくださり魅力的な方だと思いました。川手さんは、美しい料理を作る人」。
言葉数の少なさは、やはり職人気質だが、「今回、『でんくしふろり』に携わらせていただき、本当に光栄です。ふたりのエネルギーに負けないようなおくどさんと壁を作ります!」と意欲も見せる。

「くし」でつながるのは、料理だけではありません。建築、空間、職人もつなぎます。
「常に新しい食と体験を期待してます! 串に何が刺さって出てくるのか? 何を串で繋ぐのか楽しみです」と大橋氏。
「和食、フレンチ、串……。今後の可能性や拡がりを考えても楽しそう!の一言です。これからもずっと進化していく可能性を秘めたお店になると思います!」と甲斐氏。

携わる周囲までも期待が膨らむ『でんくしふろり』。
次回は何をつなぐのか!? 乞うご期待!

※『でんくしふろり』の住所も公開! 予約も開始しました!

大橋左官の大橋和彰氏。『でんくしふろり』では、メインとなるおくどさんのほか、様々な壁面も手がける。お店に訪れたらそんなテクスチャーにも注目したい。

珪藻土や漆喰、砂壁など、自然素材を使用する左官同様、大橋氏のライフスタイルもまた、自然と共存する。

Text:YUICHI KURAMOCHI

Vol.2 シャンパーニュととくべつな一ページ。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・フロリレージュ/東京都渋谷区神宮前]

「ミシュランガイド」二つ星の「フロリレージュ」オーナーシェフの川手寛康シェフと小説家の角田光代さん。「今回の料理の内容を事前にうかがっていたのですが、全く想像がつきませんでした! その答え合せを楽しみにうかがいました!」と角田さん。その結果はいかに!?

フロリレージュ × 角田光代

 廊下を歩いて店内に入ると、オープンキッチンが舞台のセットみたいにうつくしく広がっている。シックでありながら華やかなそのキッチンに入るのに、ちょっとした勇気がいる。
 今日いただく料理はアンディーブのミルフィーユとアイスクリームの二部構成だと聞いていて、事前にレシピも説明してもらっていたのだが、じつは何も思い描けずにいた。川手寛康シェフが発酵したアンディーブの芯を取り除き、葉、一枚一枚のあいだにトリュフを挟んでいく。手際よく進めているけれど、ものすごく細かい作業だ。それを蒸して半分にカットし、皿に盛る。一枚の絵画のように印象的なうつくしさだ。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/作家・角田光代が体験する「食べるシャンパン。」の特別連載エッセイ!

川手シェフが「テタンジェ」のトップキュヴェ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」に合わせるために考案した料理は「発酵させたアンディーブのミルフィーユ 2部構成」。2部構成の意味は下記にてお楽しみに! 「今回のテーマは“複雑さ”です。味の複雑さ、香りの複雑さ。それを足し算するのではなく、かけ算し、更に、どうアクセントを加えられるかが重要だと思っています」と川手シェフ。

発酵したアンディーブを蒸し、一度その発酵を止めることによってベストな味わいに。「独特な香りですよ」と言う川手シェフに勧めれ、香りを嗅ぐ角田さんは、思わず「おー!」っと唸る。しかし、「この時点では、味の想像がつきません(笑)」と言葉を続ける。

発酵したアンディーブの葉を一枚一枚丁寧にめくり、たっぷりとトリュフを挟んでいく川手シェフ。その仕事を見ながら「まるでキムチみたいですね!」と角田さん。挟むことによってトリュフはアンディーブに香りを纏わせ、同時に余分な水分を吸う役目も果たす。

アンディーブの芯を切り落とし、2つに切った断面。それを見て「すごく綺麗!」と角田さん。トリュフと形成する黄・緑・白・黒の層が美しいそれは、まるで植物のような不思議な雰囲気が漂う。「ちなみに、芯はまた別の料理にしますのでお楽しみに!」と川手シェフ。

開放的なキッチンにて、今回のメニューのポイントを角田さんに説明する川手シェフ。「複雑さ」をテーマにしたそれは、調理過程もまた複雑だ。

アンディーブを漬物のように発酵させ、味わいも香りも複雑に。「その複雑さがテタンジェのトップキュヴェ、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランに合う」と川手シェフ。この時点で発酵は5日目。「漬け込みすぎず、まだまだ菌が元気な状態で発酵を止めるのが良い」。

フロリレージュ × 角田光代

 アンディーブにはゴルゴンゾーラチーズのソースをかけ、薄い輪切りのレモン、酢漬けにしたフェンネルの花、コリアンダーの花、ハーブをあしらう。この花は、よくよく見ないとわからないくらいちいさい。もう一品が、さっき取り除いたアンディーブの芯とヨーグルトをピュレ状にしたアイスクリームだ。
 けっこうたくさんのトリュフが使われているのに、香りは控えめで、アンディーブのほろ苦さとうっすらとした甘みを引き立てる。そしてこの料理、切り分けた一口に、ソースをどのくらいつけるか、酢漬けの花をいっしょに食べるか否か、皿の端の塩をつけるか否かで、一口一口の味がまったく異なる。トリュフのかぐわしさはシャンパーニュの香りをけっして消さない。一口食べたあとにシャンパーニュを飲むと、キリリとした強さを感じる。ふたたびアンディーブを食べると、さっきとは違う奥深さが生じる。アイスクリームはやわらかい酸味があって、これもまたシャンパーニュと合う。

合わせるのは、ブルーチーズと白ワインのソース。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランは、香りの中にハチミツのような甘さがあると思います。ブルーチーズとハチミツは相性が良いので、そこも感じて頂ければ」。ソムリエの資格も持つ川手シェフらしい考察の妙。

フェンネルの花、ディルの花、人参の花、コリアンダーの花と種を自家製ピクルスにし、料理のアクセントに。「酢漬けにすることによってそれぞれの個性を引き出します」と川手シェフ。

そのうちのひとつ、コリアンダーの種のピクルスを試食する角田さん。「こんなに小さいのに味の個性がしっかり! しかも、ちゃんとその奥にコリアンダーの存在と香りが残っているのがすごいですね!」。

一見、何の素材を使用してどんな料理なのかが全くわからない容姿もまた、川手シェフの表現の特徴。ナイフを入れながら「料理にドキドキする……」と角田さん。

「アンディーブの芯はまた別の料理に」と言っていたそれは、アイスクリームに! ペースト状にしてヨーグルトと合わせ、アカシアとニセアカシアの花をシロップとともに発酵させ、アカシアのハチミツを混ぜ合わせたソースを添えて提供。料理名にもある「2部構成」の2部目の品。「これもまた変わった味!」と角田さんも驚愕。「料理をしていると端材が出てしまうことがあります。2部構成にする手法を取り入れてからは、食材を無駄なく使用でき、かつ味の広がりを演出できるようにもなりました」と川手シェフ。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランは、独創的な料理の味に落ち着きを与えてくれると思います。これまで体験したことのないペアリング」と角田さん。

「通常、シャンパーニュの温度は8℃か9℃。しかし、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランの場合は、10℃〜13℃の方が味と香りが開き、料理とのバランスも良いと思います」と川手シェフ。

フロリレージュ × 角田光代

 テタンジェの個性は「複雑さ」だと川手さんは言う。だから、複雑さに複雑さをかける料理として、このアンディーブを選んだ。足すのではなく、かける。たしかに、ペアリングすることで未知なる世界が広がっていく感覚になる。
 それにしても、この味を説明するのはむずかしい。味も香りも食感も独特で、比喩として使える料理が思いつかないのだ。しかも、食べ進めるごとに、シャンパーニュと合わせるごとに、変化していっていっこうに固定されないので、「こういう味だ」と言い切ることができない。

おいしい料理とシャンパーニュは2人を笑顔に。「どうやったらあんなに美しくて食べたことのないような味を創造できるのですか?」という角田さんの問いに対し、「パッとひらめくようなことはありません。何度も考えて、何度も試作して。ひとつの料理のために何十時間と費やし、ようやく完成するような地道な作業です」と川手シェフ。

今回の料理は、主役から脇役までの演者が多いメニューですが、ちゃんとひとつにまとめて、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランにピタリと合わせるのは、さすが」と角田さん。更には、「アンディーブに添えたピクルスやブルーチーズのソース、アイスにかかるアカシアのソースの具合によって味が様々に変化するので、この感覚を言語化するのは難しい」と話す。

料理の複雑な味を何とか言葉として手繰り寄せようとする角田さん。川手シェフの解説にも真剣に耳を傾け、気になる言葉は全てメモを取る。

フロリレージュ × 角田光代

 フロリレージュはフランス料理店ではあるが、川手さんはクラシックなフランス料理にはこだわっていない。クラシックなフランス料理とは、たとえてみると、たくさんの食材をぐっと煮詰めて作るソース。けれど自分の目指すのはそれではなくて、たくさんの食材のもっともおいしい部分を少しずつ使った料理なのだと川手さんは説明する。煮詰めるのではなく、それぞれの持ち味を生かす料理。さらに、食材のもっともおいしい部分以外、ほかの料理店では破棄してしまうような部分も、きちんと生かしたい、というのが川手さんの考えだ。今日の、アンディーブと、取り除いた芯で作るアイスクリーム、という二部構成がまさにその思想そのものである。

「川手さんのように何かひとつのものを極める人は輝いている。例え、100のうち90つらいことがあっても10やりがいを得られたらまた次に進める活力になるのではないでしょうか」と角田さん。「その10のために僕は料理を作り続けています」と川手シェフ。料理と小説、モノは違えど、同じ道をひたすら歩み続ける職人同士。2人は近しい感性を持つのかもしれない

「僕の料理は、お客様をハラハラさせてしまう(笑)。料理を見て“何これ!?”という驚く姿を見るのも密かな楽しみです」と川手シェフ。そんな想定外の味を求める「フロリレージュ」のファンは世界中に多く、ゆえに「たまに手堅い料理を出すと、ものたりない! もっとチャレンジして!とおっしゃる方もいます(笑)」。

フロリレージュ × 角田光代

 店名の、フロリレージュの意味を尋ねると、「詩歌集」だという。ひとつの本に綴じられたうつくしい詩の数々。食材を作る人たち、扱う人たち、料理人、このお店にかかわる人々、支えてくれる人々、それらすべてが集まって完成するものという意味合いでつけた店名なのだという。
 それを聞いて思った。川手さんの世界では、食材、酒類、飲料、食器や家具や調度品、照明や花瓶の花、そして人、それらは隔たりなく等しく存在していて、すべての持ち味を最大限に生かすことを川手さんは目指しているのに違いない。店内に一歩足を踏み入れたとき、舞台みたいだと思ったけれど、ここでのランチタイムなりディナータイムなりはたしかに一日かぎりの舞台なのかもしれない。セットとキャストと音楽、何が登場するのかと、わくわくと席に着く私やあなたも含めて、フロリレージュの幸福な一ページとなる。

「今度は是非コースで楽しみたいです!」と話す角田さんに対し、「よろしければ、ハラハラコースをご用意します!」と川手シェフ。「そのペアリングにはもちろん、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランで!」とふたり。

住所:東京都渋谷区神宮前2-5-4 SEIZAN外苑B1F  MAP
電話:03-6440-0878
https://www.aoyama-florilege.jp

1967年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業。'90年『幸福な遊戯』で第9回海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。'96年『まどろむ夜のUFO』で第18回野間文芸新人賞、'98年『ぼくはきみのおにいさん』で第13回坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で'99年第46回産経児童出版文学賞フジテレビ賞、2000年第22回路傍の石文学賞、'03年『空中庭園』で第3回婦人公論文芸賞、'05年『対岸の彼女』で第132回直木賞。'06年『ロック母』で第32回川端康成文学賞、'07年『八日目の蝉』で第2回中央公論文芸賞、'11年『ツリーハウス』で第22回伊藤整文学賞、'12年『紙の月』で第25回柴田錬三郎賞を受賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞受賞。'14年『私の中の彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/


Photographs:KOH AKAZAWA

(Supported by TAITTINGER)

Vol.2 シャンパーニュととくべつな一ページ。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・フロリレージュ/東京都渋谷区神宮前]

「ミシュランガイド」二つ星の「フロリレージュ」オーナーシェフの川手寛康シェフと小説家の角田光代さん。「今回の料理の内容を事前にうかがっていたのですが、全く想像がつきませんでした! その答え合せを楽しみにうかがいました!」と角田さん。その結果はいかに!?

フロリレージュ × 角田光代

 廊下を歩いて店内に入ると、オープンキッチンが舞台のセットみたいにうつくしく広がっている。シックでありながら華やかなそのキッチンに入るのに、ちょっとした勇気がいる。
 今日いただく料理はアンディーブのミルフィーユとアイスクリームの二部構成だと聞いていて、事前にレシピも説明してもらっていたのだが、じつは何も思い描けずにいた。川手寛康シェフが発酵したアンディーブの芯を取り除き、葉、一枚一枚のあいだにトリュフを挟んでいく。手際よく進めているけれど、ものすごく細かい作業だ。それを蒸して半分にカットし、皿に盛る。一枚の絵画のように印象的なうつくしさだ。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/作家・角田光代が体験する「食べるシャンパン。」の特別連載エッセイ!

川手シェフが「テタンジェ」のトップキュヴェ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」に合わせるために考案した料理は「発酵させたアンディーブのミルフィーユ 2部構成」。2部構成の意味は下記にてお楽しみに! 「今回のテーマは“複雑さ”です。味の複雑さ、香りの複雑さ。それを足し算するのではなく、かけ算し、更に、どうアクセントを加えられるかが重要だと思っています」と川手シェフ。

発酵したアンディーブを蒸し、一度その発酵を止めることによってベストな味わいに。「独特な香りですよ」と言う川手シェフに勧めれ、香りを嗅ぐ角田さんは、思わず「おー!」っと唸る。しかし、「この時点では、味の想像がつきません(笑)」と言葉を続ける。

発酵したアンディーブの葉を一枚一枚丁寧にめくり、たっぷりとトリュフを挟んでいく川手シェフ。その仕事を見ながら「まるでキムチみたいですね!」と角田さん。挟むことによってトリュフはアンディーブに香りを纏わせ、同時に余分な水分を吸う役目も果たす。

アンディーブの芯を切り落とし、2つに切った断面。それを見て「すごく綺麗!」と角田さん。トリュフと形成する黄・緑・白・黒の層が美しいそれは、まるで植物のような不思議な雰囲気が漂う。「ちなみに、芯はまた別の料理にしますのでお楽しみに!」と川手シェフ。

開放的なキッチンにて、今回のメニューのポイントを角田さんに説明する川手シェフ。「複雑さ」をテーマにしたそれは、調理過程もまた複雑だ。

アンディーブを漬物のように発酵させ、味わいも香りも複雑に。「その複雑さがテタンジェのトップキュヴェ、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランに合う」と川手シェフ。この時点で発酵は5日目。「漬け込みすぎず、まだまだ菌が元気な状態で発酵を止めるのが良い」。

フロリレージュ × 角田光代

 アンディーブにはゴルゴンゾーラチーズのソースをかけ、薄い輪切りのレモン、酢漬けにしたフェンネルの花、コリアンダーの花、ハーブをあしらう。この花は、よくよく見ないとわからないくらいちいさい。もう一品が、さっき取り除いたアンディーブの芯とヨーグルトをピュレ状にしたアイスクリームだ。
 けっこうたくさんのトリュフが使われているのに、香りは控えめで、アンディーブのほろ苦さとうっすらとした甘みを引き立てる。そしてこの料理、切り分けた一口に、ソースをどのくらいつけるか、酢漬けの花をいっしょに食べるか否か、皿の端の塩をつけるか否かで、一口一口の味がまったく異なる。トリュフのかぐわしさはシャンパーニュの香りをけっして消さない。一口食べたあとにシャンパーニュを飲むと、キリリとした強さを感じる。ふたたびアンディーブを食べると、さっきとは違う奥深さが生じる。アイスクリームはやわらかい酸味があって、これもまたシャンパーニュと合う。

合わせるのは、ブルーチーズと白ワインのソース。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランは、香りの中にハチミツのような甘さがあると思います。ブルーチーズとハチミツは相性が良いので、そこも感じて頂ければ」。ソムリエの資格も持つ川手シェフらしい考察の妙。

フェンネルの花、ディルの花、人参の花、コリアンダーの花と種を自家製ピクルスにし、料理のアクセントに。「酢漬けにすることによってそれぞれの個性を引き出します」と川手シェフ。

そのうちのひとつ、コリアンダーの種のピクルスを試食する角田さん。「こんなに小さいのに味の個性がしっかり! しかも、ちゃんとその奥にコリアンダーの存在と香りが残っているのがすごいですね!」。

一見、何の素材を使用してどんな料理なのかが全くわからない容姿もまた、川手シェフの表現の特徴。ナイフを入れながら「料理にドキドキする……」と角田さん。

「アンディーブの芯はまた別の料理に」と言っていたそれは、アイスクリームに! ペースト状にしてヨーグルトと合わせ、アカシアとニセアカシアの花をシロップとともに発酵させ、アカシアのハチミツを混ぜ合わせたソースを添えて提供。料理名にもある「2部構成」の2部目の品。「これもまた変わった味!」と角田さんも驚愕。「料理をしていると端材が出てしまうことがあります。2部構成にする手法を取り入れてからは、食材を無駄なく使用でき、かつ味の広がりを演出できるようにもなりました」と川手シェフ。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランは、独創的な料理の味に落ち着きを与えてくれると思います。これまで体験したことのないペアリング」と角田さん。

「通常、シャンパーニュの温度は8℃か9℃。しかし、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランの場合は、10℃〜13℃の方が味と香りが開き、料理とのバランスも良いと思います」と川手シェフ。

フロリレージュ × 角田光代

 テタンジェの個性は「複雑さ」だと川手さんは言う。だから、複雑さに複雑さをかける料理として、このアンディーブを選んだ。足すのではなく、かける。たしかに、ペアリングすることで未知なる世界が広がっていく感覚になる。
 それにしても、この味を説明するのはむずかしい。味も香りも食感も独特で、比喩として使える料理が思いつかないのだ。しかも、食べ進めるごとに、シャンパーニュと合わせるごとに、変化していっていっこうに固定されないので、「こういう味だ」と言い切ることができない。

おいしい料理とシャンパーニュは2人を笑顔に。「どうやったらあんなに美しくて食べたことのないような味を創造できるのですか?」という角田さんの問いに対し、「パッとひらめくようなことはありません。何度も考えて、何度も試作して。ひとつの料理のために何十時間と費やし、ようやく完成するような地道な作業です」と川手シェフ。

今回の料理は、主役から脇役までの演者が多いメニューですが、ちゃんとひとつにまとめて、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランにピタリと合わせるのは、さすが」と角田さん。更には、「アンディーブに添えたピクルスやブルーチーズのソース、アイスにかかるアカシアのソースの具合によって味が様々に変化するので、この感覚を言語化するのは難しい」と話す。

料理の複雑な味を何とか言葉として手繰り寄せようとする角田さん。川手シェフの解説にも真剣に耳を傾け、気になる言葉は全てメモを取る。

フロリレージュ × 角田光代

 フロリレージュはフランス料理店ではあるが、川手さんはクラシックなフランス料理にはこだわっていない。クラシックなフランス料理とは、たとえてみると、たくさんの食材をぐっと煮詰めて作るソース。けれど自分の目指すのはそれではなくて、たくさんの食材のもっともおいしい部分を少しずつ使った料理なのだと川手さんは説明する。煮詰めるのではなく、それぞれの持ち味を生かす料理。さらに、食材のもっともおいしい部分以外、ほかの料理店では破棄してしまうような部分も、きちんと生かしたい、というのが川手さんの考えだ。今日の、アンディーブと、取り除いた芯で作るアイスクリーム、という二部構成がまさにその思想そのものである。

「川手さんのように何かひとつのものを極める人は輝いている。例え、100のうち90つらいことがあっても10やりがいを得られたらまた次に進める活力になるのではないでしょうか」と角田さん。「その10のために僕は料理を作り続けています」と川手シェフ。料理と小説、モノは違えど、同じ道をひたすら歩み続ける職人同士。2人は近しい感性を持つのかもしれない

「僕の料理は、お客様をハラハラさせてしまう(笑)。料理を見て“何これ!?”という驚く姿を見るのも密かな楽しみです」と川手シェフ。そんな想定外の味を求める「フロリレージュ」のファンは世界中に多く、ゆえに「たまに手堅い料理を出すと、ものたりない! もっとチャレンジして!とおっしゃる方もいます(笑)」。

フロリレージュ × 角田光代

 店名の、フロリレージュの意味を尋ねると、「詩歌集」だという。ひとつの本に綴じられたうつくしい詩の数々。食材を作る人たち、扱う人たち、料理人、このお店にかかわる人々、支えてくれる人々、それらすべてが集まって完成するものという意味合いでつけた店名なのだという。
 それを聞いて思った。川手さんの世界では、食材、酒類、飲料、食器や家具や調度品、照明や花瓶の花、そして人、それらは隔たりなく等しく存在していて、すべての持ち味を最大限に生かすことを川手さんは目指しているのに違いない。店内に一歩足を踏み入れたとき、舞台みたいだと思ったけれど、ここでのランチタイムなりディナータイムなりはたしかに一日かぎりの舞台なのかもしれない。セットとキャストと音楽、何が登場するのかと、わくわくと席に着く私やあなたも含めて、フロリレージュの幸福な一ページとなる。

「今度は是非コースで楽しみたいです!」と話す角田さんに対し、「よろしければ、ハラハラコースをご用意します!」と川手シェフ。「そのペアリングにはもちろん、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランで!」とふたり。

住所:東京都渋谷区神宮前2-5-4 SEIZAN外苑B1F  MAP
電話:03-6440-0878
https://www.aoyama-florilege.jp

1967年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業。'90年『幸福な遊戯』で第9回海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。'96年『まどろむ夜のUFO』で第18回野間文芸新人賞、'98年『ぼくはきみのおにいさん』で第13回坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で'99年第46回産経児童出版文学賞フジテレビ賞、2000年第22回路傍の石文学賞、'03年『空中庭園』で第3回婦人公論文芸賞、'05年『対岸の彼女』で第132回直木賞。'06年『ロック母』で第32回川端康成文学賞、'07年『八日目の蝉』で第2回中央公論文芸賞、'11年『ツリーハウス』で第22回伊藤整文学賞、'12年『紙の月』で第25回柴田錬三郎賞を受賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞受賞。'14年『私の中の彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/


Photographs:KOH AKAZAWA

(Supported by TAITTINGER)

産地を巡り、生産者と語り、本質を知る。滋賀県の食材の魅力を伝える都内レストランフェア開催。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

ローカルファインドフードフェア滋賀OVERVIEW

水、大地、気候、そして人。
良い食材を生み出すには、これらの条件が必要です。広い大地があっても水がなければ、穏やかな気候でも土が悪ければ、あるいはすべての自然条件を満たしてもそこに熱意ある生産者がいなければ、本当に素晴らしい食材は生まれません。
この条件を満たす食材を我々は「Local Fine Food」と呼んでいます。

今回舞台となった滋賀県には、言わずと知れた日本一の湖・琵琶湖があります。琵琶湖の水は周辺だけでなく関西の広域を潤します。県の半分を占める山のミネラルを、琵琶湖に流れ込む460本もの河川が運び、周囲の大地を豊かにします。穏やかな沿岸部と、雪の積もる山間部、メリハリのある気候は、それぞれの土地にあった作物を育みます。そして古くから食の都・京の食卓を支えてきただけに、生産者たちは蓄積された技術と、高い誇りを持って生産にあたります。

だから滋賀県の食材には、水と大地のパワーと、生産者の心が宿っているのです。心を動かすような力強さが潜んでいるのです。「Local Fine Food」を発掘するのにもってこいの地域と言えます。

今回は、名だたる料理人たちがそんな滋賀県の食材を視察。その土地に足を運び、生産者の声に耳を傾け、風土を知り、郷土料理を食したうえで、滋賀の食材を自らの店で特別な料理へと昇華させ提供する、都内レストランフェアを期間限定で開催します。


題して「Local Fine Food Fair SHIGA」。

『ONESTORY』取材班は、そんな料理人たちの食材探索に密着し、滋賀県の食材の魅力を紐解きます。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

産地を巡り、生産者と語り、本質を知る。滋賀県の食材の魅力を伝える都内レストランフェア開催。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

ローカルファインドフードフェア滋賀OVERVIEW

水、大地、気候、そして人。
良い食材を生み出すには、これらの条件が必要です。広い大地があっても水がなければ、穏やかな気候でも土が悪ければ、あるいはすべての自然条件を満たしてもそこに熱意ある生産者がいなければ、本当に素晴らしい食材は生まれません。
この条件を満たす食材を我々は「Local Fine Food」と呼んでいます。

今回舞台となった滋賀県には、言わずと知れた日本一の湖・琵琶湖があります。琵琶湖の水は周辺だけでなく関西の広域を潤します。県の半分を占める山のミネラルを、琵琶湖に流れ込む460本もの河川が運び、周囲の大地を豊かにします。穏やかな沿岸部と、雪の積もる山間部、メリハリのある気候は、それぞれの土地にあった作物を育みます。そして古くから食の都・京の食卓を支えてきただけに、生産者たちは蓄積された技術と、高い誇りを持って生産にあたります。

だから滋賀県の食材には、水と大地のパワーと、生産者の心が宿っているのです。心を動かすような力強さが潜んでいるのです。「Local Fine Food」を発掘するのにもってこいの地域と言えます。

今回は、名だたる料理人たちがそんな滋賀県の食材を視察。その土地に足を運び、生産者の声に耳を傾け、風土を知り、郷土料理を食したうえで、滋賀の食材を自らの店で特別な料理へと昇華させ提供する、都内レストランフェアを期間限定で開催します。


題して「Local Fine Food Fair SHIGA」。

『ONESTORY』取材班は、そんな料理人たちの食材探索に密着し、滋賀県の食材の魅力を紐解きます。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

メンズ新作ワークシャツが入荷!

 

 

 

 

 

 

こんにちは晴れ

 

 

皆様どうお過ごしでしょうか?

こちらは台風が過ぎてから朝と夜は比較的

涼しくなったように感じます。

 

 

 

さて、そんな涼しくなってきたこの時期からぴったりの

春先まで着れる新作シャツが入荷致しましたので紹介させて頂きます!

 

 

 

 

 

じゃーーーん!!

 

 

 

 

めちゃくちゃかっこいい!!&かわいい!!!

ストライクゴールドからの新作ワークシャツです!

生地感良き!シルエット良き!

店内入ってすぐの所で展開しておりますルンルン

 

 

 

 

 

全部で7種類ございます!

 

 

SGS2003 チェックネルワークシャツ

サイズS/M/L/XL

¥19,800(税込)

 

 

 

 

 

SGS2004 チェックワークシャツ

サイズS/M/L/XL

¥19,800(税込)

 

 

 

 

 

SGS2005 チェックワークシャツ

サイズS/M/L/XL

¥19,800(税込)

 

 

 

 

以上です!

 

 

 

全種類SサイズからXLサイズまでございますので

女性の方も着ることが出来ます!

カップル、夫婦、友達とお揃いなんて

最高にお洒落で可愛いと思いますラブラブ

 

 

 

 

 

ジーンズとの相性抜群です!

お気に入りの1枚見つけて下さいね!

(試着だけでも大歓迎ですよーーー!)

 

 

 

 

 

倉敷に来た際は是非お立ち寄り下さい!

スタッフ一同お待ちしております。

 

 

日中はまだまだ暑いので水分補給や塩分補給で

熱中症対策お忘れ無く手

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひと皿以上、ふた皿未満の方程式。1.5皿という哲学。[東京都港区]

『傳』のキッチンにて試作をスタート。「予定はないです! ゼロベースで始めます!」とふたり。

でんくしふろり打ち合わせは常にキッチンで。テーブルから生まれる料理はない。

8月某日、『傳』のキッチンにて『でんくしふろり』の試作はスタート。
と言っても、ふたりの中では昼夜問わず、常にやり取りを重ねているため、この日が初日という認識はありません。
「今日は、いくつか試してみたいものを用意してきました!」。そう話すのは、『フロリレージュ』の川手寛康氏です。
手際良く、もといガサガサとせわしなくそれらを並べ、中にはラー油と書かれたケースも!?(のちにこれはハリッサだと判明。後述参照)

「まずはこれを試してみたいんです」と川手氏が取り出したのは、三角に形状したブータンノワール。「これにフルーツとか合わせても良いと思うんですけど、長谷川さんどう思います?」というアイデアに被せ気味で「りんごのガリを作ってみたんですけど、合わせてみませんか?」と長谷川氏。
漬けておいた輪切りのリンゴを「これなら千切りの方が合うな」とつぶやきながらサクサクと包丁を入れ、串に刺したブータンノワールに盛り、お互いにひと口。ふたりの声が揃います。

「合う!」。

続けて、「これならもっとガリをガバっと盛っても良いかも」と長谷川氏が言えば、「あとは辛子を添えてもアクセントになりそう」と言う川手氏に対し、再度、被せ気味に「種から挽いた自家製の辛子もあります!」と長谷川氏。
それらを試し、またひと口。もう一度、ふたりの声が揃います。

「合う!」。

「僕には、りんごのガリという発想はありませんでした。こうゆうところは、ふたりでやるおもしろさですよね」と川手氏。「これだけガリを盛るなら、ブータンノワールのサイズがもっと大きくても良いかも」と長谷川氏。ふたりの手と会話が休まることはありません。
「僕らは、じっくりテーブルで顔を付け合わせながら考えることはありません。もちろん、事前にアイデアやイメージを出し合うことはありますが、基本的にはキッチンで全て行います」とふたり。

型にはめすぎず、ゴールを決めすぎず、その日のセッションから生まれるのは、余白によるサプライズや想像を超えた化学反応。
ふたりの共通点は、自分らしさにどう相手らしさをどう足し算できるか、はたまたその逆も然り。互いを尊重し合っているところにあります。

この日、ふたりが用意したものがピタリと合点するのは、相手の料理やその特徴を知っているからこそ。まだまだ試作は続きます。

【関連記事】東京都港区/「でん」と「くし」と「ふろり」の関係。

川手氏のブータンノワールに長谷川氏のリンゴのガリを盛り付け、種から挽いた自家製の辛子も添えて。

上記の料理にリンゴのガリを盛り付ける長谷川氏。味だけでなく食感もまたアクセントに。

この日のために川手氏は色々用意。色々記される中、気になるのはフレンチシェフが作るラー油!?の文字。

でんくしふろり『傳』と『フロリレージュ』の食材は使わない。高級食材や希少食材も使わない。

次に登場したのはナス。
「これはナスにフォアグラ、穴子を詰めたものになります。フレンチだとビネガーをかけて食べたりしますが、長谷川さんのエッセンスを加えたらどうなるんだろう?と僕も楽しみな料理です」と川手氏。
「だったら、これとか合うと思います。葛粉で溶いた酸味のあるタレです。ちょっと味見してもらえますか?」と長谷川氏。
ひと口含み、「これは合いそう!」と川手氏が言うとさっそく試作。
「ナスがうまく串にささらないなぁ」と川手氏が言えば、「くるっと巻いてみましょうか?」と長谷川氏。タレをかけて、互いにひと口。
ふたりの声が揃います。

「合う!」。

「なんだろう、これは。ナスだけで食べると『フロリレージュ』の味なんだけど、このタレをかけると全く別の料理になる!」と川手氏が目を丸くすれば、長谷川氏もまた「わっ! なんだこれは!? 一体、何料理なんだ!?」と笑います。続けて、これを添えたらおもしろいかもと川手氏が取り出したのは紫のシート。
「これは先ほどのナスの皮で作ったペーパーシートです。これがあることによって、味の重層をより楽しめるかもしれません」と川手氏。「であれば、このシートも串に挟んでみますか? 刺すだけじゃなくて挟める串もあるので!」と言い、実際に試してみると「いや、これはないな(笑)。何か変だし、食べづらい(笑)」。
良き時もあれば、悪き時もある。試作はトライ&エラーの繰り返しです。


そのほか、川手氏は、レモンを丸々焦がした自家製パウダーやフランス料理で使われる唐辛子をベースにしたペースト状の調味料のハリッサを日本風にアレンジしたもの、そして、長谷川氏も絶賛した海老の頭に赤味噌をほんの少し隠し味に加えた濃厚ソースを用意。
「これはすごい! 野菜とかイカとかの串にドバッと漬けて食べても合いそう」と長谷川氏が言えば、「それは良い! でも、そうであれば、この味噌の風味を弱くして、ビスク風にした方がもっと合いそうな気がします!」と川手氏。

一方、長谷川氏は、出汁と昆布を効かせた自家製醤油やカツオの漬け、イワシを用意。更に、「塩麹と醤油麹も今作っている最中なので、それを使った川手さんの料理も見てみたいです」と長谷川氏。
「『でんくしふろり』では、僕らがキッチンに立たないので、まずは基本をしっかり作りたいと思っています。今はまだ、基本の“き”の段階」とふたり。
「『DINING OUT』のご縁がきかっけで、今でも静岡の『サスエ前田魚店』を『傳』は仕入れていますが、その日獲れた良い魚をお任せで送っていただいています。届いたものを見て、どんな料理にするのが良いか考えてメニューを構成していくのですが、最初の『でんくしふろり』にはハードルが高すぎます。まずは、決まった食材でしっかり体制を作ることが大事。その分、僕らがバックアップしたいと思っています」と長谷川氏。

そう話したと思えば、いきなり「あと、チーズを使った料理も作りたいね」とふたり。「そうそう、デザートも試作してみたんです」と川手氏。会話があっちに行ったりこっちに行ったり。
「メレンゲで挟んだ大福です」。
ひと口、長谷川氏が食べると「大福だけど軽くておいしい! あぁ、お茶が飲みたくなってきた……」。
「『でんくしふろり』では、最後にお茶を出すのもいいですね!」と川手氏が言えば、「絶対良いと思う! ほうじ茶とか絶対欲しくなる!」と長谷川氏。そして、「デザートだったらプリンも良いと思います! うちにベースになるプリンがあるので食べてみてください」と言葉を続けます。それを食べた川手氏は「これはシンプルに出してもおいしいけど、キャビアとも合うと思う!」。
「やっぱり、これもお茶に合いそう!」とふたり。しかし、「あ、でも……、お茶を出すっていうことは……」と川手氏が言えば、「ゆのみがない!(汗)」と長谷川氏。

まるで漫才。ふたりの掛け合いは止まりません。

川手氏作のフォアグラ、穴子を詰めたナスに長谷川氏作の葛粉で溶いた酸味のあるタレをかけ、ナスの皮で作ったペーパーシートを添えて。

「長谷川さんの作るタレやソースは、真似できそうでできない」と川手氏。

川手氏が用意した海老の頭を丸々使った濃厚ソース。「牛乳を入れたり、とろみをつけるとまた違った味に変化します」。

川手氏が作るハリッサを試食。「あー、これは何か絶対合わせられる! 万能調味料!」と長谷川氏。

 漬けにしたカツオに塩をひと振り。「焼きのものだけでなく、生のものも構成に入れていくとおもしろい」と長谷川氏。

メレンゲに挟んだ大福。「ありそうでなかった組み合わせのデザートを表現してみたかった」と川手氏。

川手氏が用意した大福をひと口。「大福なんだけど、軽く、最後はお茶が欲しい!」と長谷川氏。

長谷川氏が用意したプリンを食べ、「これはシンプルにおいしいですね。あまりアレンジしなくて良い気もしますが、キャビアとかを合わせてもおもしろい」と川手氏。

それぞれが用意した料理やその場で繰り広げられる技術、情報の開示は、ふたりにとって刺激になる。

でんくしふろり自ずと引き寄せられたイワシとレバー。僕らの原点はここにある。

前述に用意した長谷川氏のイワシ。このイワシにはふたりの原点が隠されています。
振り返ること約10年前、まだレストラン界でコラボレーションが主流でない時にふたりはそういった試みを実践していました。
「一番思い出に残っているメニューは、イワシのなめろうにフォアグラアを組み合わせたひと品」とふたりは言います。
「僕は川手さんの料理と発想力に毎回驚かされていました。この時もそうです。なめろうにフォアグラを入れるなんて! しかもそれがおいしい。日本料理にはない発想ですし、本当に勉強になりました」と長谷川氏。
「僕だってそうですよ。さっき長谷川さんが作った酸味を効かせた葛粉のタレありましたよね。実は自分でも作ってみたことがあるのですが、何となく違う。コピーした味になってしまうんです。真似できそうでできない。ある人に伺ったのですが、旨味の視点で見れば、フランス料理は日本料理には勝てないそうです。それだけ奥が深い」と川手氏。
隠れたところに手数が多いのは、日本料理の特徴であり、美徳。陰翳礼讃のごとく、見えないところに本質や技術は潜んでいるのかもしれません。

今回は、同じ内蔵でもフォアグラをレバーに変えてイワシと合わせるイメージをふたりは持っています。しかし、まだ形になる一歩手前。
「例えば、イワシのタルタルとレバーのタルタルを合わせるとか、色々考えています」と川手氏。「あとは、つくねなんですが、最初はイワシで徐々にレバーの味わいに、和から洋へグラデーションしていくような仕掛けがあったり。もちろん、いくつかの玉を串で刺して、ひとつずつ変化するのもおもしろい」と長谷川氏。
「原点に返るという意味では、もうひとつ。長谷川さんとコラボレーションした時に鳩を使った料理を作ったんです。最初はそのまま食べて、最後は長谷川さんが鳩に合うように作った生姜で炊いたお米と出汁のスープをかけてひと皿が完成するという内容でした。ひと皿なんですが、おいしさと楽しさはひと皿以上。この考え方は『でんくしふろり』でも取り入れたいですし、そうゆうお店にしたい」と川手氏。

ふたりだからできる、ひと皿以上、ふた皿未満の方程式。1.5皿という世界が『でんくしふろり』の哲学なのかもしれません。

とはいえ、試作の段階。はたしてどうなるのかは、乞うご期待!

長谷川氏が仕込んだイワシ。「川手さんとイワシを使って料理を考えると約10年前のコラボレーションを思い出します」。

長谷川氏が用意したイワシをたたきに。「イワシを使った串はメニューに取り入れたい」と話すふたり。

上記のたたいたイワシをバーナーで炙り、様々な手法で味を確認する。

キッチンでは笑顔が絶えないふたり。今回の試作を経て、また次の課題に向けて、料理を考案していく。

Photographs:JIRO OTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

秋の香り

みなさまこんにちは!


まだまだ暑い日が続きますね(・・;)

9月に入りましたがまだまだ夏のような日が続く倉敷です(๑・̑◡・̑๑)


さて、秋に向けて倉敷デニムストリートは続々と新商品を入荷しております!!




2020FW IRON HEART -black is Colorful-

2020FW のカタログができました!

  • アイアンハート商品をご購入いただいた方にはこちらのカタログを同梱させていただきます。(特にお申し込みは必要ありません)
  • カタログのみをご希望の方はこちらを商品カートに入れていただき、通常の購入手続きをしていただければ、下さい。郵送にてお送りいたします。(送料無料)
  • 今期のアイアンハートラインナップをどうぞお楽しみください。

「でん」と「くし」と「ふろり」の関係。[東京都港区]

でんくしふろり「傳」長谷川在佑と「フロリレージュ」川手寛康を密着する短期連載スタート!!

2020年8月、青山某所の工事現場から密着はスタート。

その内容は、ともに神宮前を拠点におく『傳』の長谷川在佑氏と『フロリレージュ』の川手寛康氏が創造するふたりのレストランです。

奇しくも共通点の多い長谷川氏と川手氏は、年齢も同じであり、ともに料理人の親に影響を受け、この道を志した歩みを持ちます。

更には、自店をオープンさせた年や「ミシュランガイド東京」にて星を獲得した年から落とした年、「アジアのベストレストラン50」にランクインした年なども同時期。

趣味の釣りまで同じという奇跡は、何のいたずらか。

長谷川氏と川手氏は、「DINING OUT」出演シェフでもあり、長谷川氏は2015年に静岡県清水区の日本平にて、川手氏は2017年宮崎県宮崎市の青島にて、腕を振るいました。

また、長谷川氏は2017年「JAPAN PRESENTATION in PARIS」も担い、料理、器、桜など、日本の文化と歴史を表現・演出した体験は、パリジェンヌの感動を呼びました。

話を冒頭に戻し、そんなふたりが新たなレストランの準備を進めているのです。

『でんくしふろり』。

この店名もしかり、突っ込みどころと謎の多い本件。

どこでやるのか? どんな経緯だったのか? ふたりはお店にいるのか? 既存のお店はどうなるのか? くし屋なのか?

唯一分かっていること、それは2020年10月オープン。

今回は、そんな『でんくしふろり』ができるまでを短期密着します。

Photographs:KOH AKAZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

7.5oz ヘビーボディ フロントプリントTシャツ(ロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • フロントプリントなので上にシャツを羽織ってもプリントが映えます。
  • プリントはラバープリント
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2005:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

津軽といえばりんご? いえ、“山”もです! 日常でも霊域でもある、岩木山の不思議。[TSUGARU Le Bon Marché・特別対談/青森県弘前市]

左から『のみものやわんど』坂爪梓さん、『She/shock/cheese』相澤隆司氏、『RandBEAN』佐藤孝充氏、『GARUTSU』久保茜さん。津軽で活躍する若手に集まってもらった。

津軽ボンマルシェ全津軽人に愛される地域のシンボル・岩木山を語る。

「津軽ボンマルシェ」の取材中、よく話題にのぼるテーマのひとつが“山”。津軽で山といえば、多くの場合、ある特定の山のことを指します。津軽平野の真ん中にそびえる標高1,625メートルの岩木山。その美しい姿から津軽富士とも呼ばれ、古くから山岳信仰の聖地として知られている霊山です。第一回目の対談時は、津軽各地の市町村で「うちから見る岩木山が一番きれい」と喧嘩になる話が登場。第四回目では、りんごに次ぐ津軽名物として名が挙げられ、「富士山は“よその偉い人”って感じだけど、岩木山は“うちの親方”」という問題発言(?)が。以前紹介したハンバーガー店『ユイットデュボワ』の井上信平氏は、兵庫県出身ながら岩木山との出合いにより人生が一変、現在では飲食店とデザイン事務所を経営する傍ら、岩木山だけを描く画家としても人気に。岩木山のことになるとつい熱くなる、そんな津軽人の本音をもっと聞きたいと、今回は地域に根差した活動を続ける若手のみなさんに声を掛け、対談を行いました。しょっぱなから「岩木山、そんなに思い入れあったかなぁ」と口にするなど、やや不安な雰囲気で始まった仲良し4人の対談でしたが、蓋を開けてみればエピソードが次々と。岩木山に見守られた高台で、チーズとコーヒーを味わいつつのおしゃべりに花が咲きました。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

会場は『RandBEAN』の店舗の外にあるテラス。岩木山を正面に眺める最高のロケーションにある。

相澤氏は元々『RandBEAN』のスタッフで、坂爪さん、久保さんは共に相澤氏、佐藤氏と以前からの知り合い。リラックスした雰囲気で対談が進んだ。

津軽ボンマルシェ高尾山とはスケールが違う。都会の真横にあるビッグなシンボル。

ONESTROY編集部(以下編集部):本日は岩木山を眺めながら、津軽エリアで活躍する移動式カフェ『のみものやわんど』の坂爪さんが淹れてくださるコーヒーを飲みつつ、本音でお話していただきたいと思います。チーズ専門店『She/shock/cheese』相澤さんには、コーヒーに合うチーズをセレクトしていただきました。本当は『GARUTSU』のシードルも飲みたいところですが、お仕事ということで我慢です。

坂爪梓さん(以下坂爪):チーズとコーヒーって合うんですよね。ワインに合わせるものだと思っていたけど、相澤さんと会ってそのイメージが変わった!

相澤隆司氏(以下相澤):チーズの色々な楽しみ方を提案したくてお店をやっているんですよ。今日は知ってる顔ばかりなので、全然緊張しないですね。でも自分、考えてみたらそこまで岩木山について語れないかも……。昨日必死で話すことを考えました(笑)。

佐藤孝充氏(以下佐藤):この中だと、相澤くんだけ住んでいるのが黒石市だよね。あとのみんなは弘前市。その違いってある?

相澤:ありますよ。黒石だと、岩木山より八甲田山の方が身近なんです。でも弘前に岩木山というシンボルがあるのはいいなと思いますね。うちの辺りからすると、昔から弘前は上品でおしゃれな都会のイメージ。岩木山の佇まいもきれいで上品だから、街の雰囲気が形に出ているというか。都会の中にこういう山があるって、東京にはないじゃないですか。高尾山とはスケールが違うし。

佐藤:確かに。裏の畑にりんごがあるくらい岩木山が見えることが普通で、特別感も感じず育ったけど、一度東京に出て戻ったら見方が変わったかも。弘前だと「山」といえば岩木山のことだよね。「山行ってくる」って。

相澤:そうそう。「ちょっと自転車で山超えてきた」とか話すと、こっちでは「あー岩木山行ったんだ、いいね」ってなるけど、東京の友達から「そういう感覚で行く場所じゃないでしょ!」って突っ込まれる。

久保茜さん(以下久保):それ、ありますよね。私は群馬県出身の移住組なんですけど、弘前の人に「みんな山行くよ、スニーカーで登れるよ」と勧められて登山して、最後死ぬかと思いました(笑)。「嘘つき! 騙された~」って。登山靴じゃないと無理です! ちょっと感覚が違う。

相澤:あとは違う場所から津軽に戻ってきたとき、まずすぐ岩木山が見えてきて「いいなぁ、帰ってきたな」ってなります。「山以外に何もねえ! でもそれが最高!」みたいな。

久保:それも分かる! 私の場合は、初めて岩木山を見たのが大学のオープンキャンパスで弘前に来たときで。電車の窓から、開けた平野にだんだんと岩木山が見えてきて、それが本当にきれいで驚きました。何だか「いらっしゃい」といってもらった感じがして、弘前の街も居心地がいいし、もう「ここに住む」と決めて弘前大学しか受けませんでした。

一同:おお~。

坂爪:私は出身が弘前なんだけど、3歳からは東京で育ったのね。一時期転勤で仙台に住んでいたとき、車で弘前のおばあちゃんの家まで行く途中に大鰐インターから岩木山が見えると「いつも『ただいま』っていってるね」って旦那さんにいわれて。弘前で育ったわけじゃないのに、無意識のうちにそういってた。弘前に引っ越すときも、岩木山が見える家がいいって決めてて、以前住んでいたところでも今のアパートでも、毎朝岩木山に「おはようございます」って挨拶してる。

佐藤:身近過ぎて特別感はそれほどないと思っていたけど、やっぱり好きな人は多いし、結構それぞれ感じることがあるんだねー。

相澤氏の元上司でもある『RandBEAN』佐藤氏。弘前に生まれ育ち、東京で楽器製作の専門学校へ通ったあと帰郷。現在は家具製作やリメイク、販売を手掛ける。

RandBEAN』店内。ヴィンテージ家具や人気ブランドの新品家具、セレクト雑貨を扱う他、オリジナルの家具のショールームと工房も兼ねる。最近フロアを拡充したばかり。

津軽産のりんごやぶどうからシードル・ワインを製造する『GARUTSU』の広報、久保さん。今回唯一の県外出身者ながら津軽愛は人一倍。公私ともにアクティブで顔が広い。

以前、チーズとのマリアージュイベントも開催したという『GARUTSU』の「白神ピュアシードル」シリーズ。「お客さんにも大好評のイベントでした」と久保さん。

津軽ボンマルシェポニー、クラフト、犬、湧き水。三者三様の津軽人・岩木山あるある。

相澤:子どもの頃よく行ったのが、岩木山の麓の「弥生いこいの広場」っていう公園。小さい動物園みたいなところでポニーに乗って、従弟とセブンティーンアイス食べて、アイスの棒を剣にして戦う。それが岩木山の原体験。当時は岩木山に対して、わくわく感みたいなものがありましたね。

佐藤:アイスと剣とセットだからね(笑)。自分も「弥生いこいの広場」は行ってた。岩木山は結構イベントも多い。クラフトイベントの『津軽森』が一番大きいかな。

相澤:あれは自分もつめさん(注:坂爪さんの愛称)も出店経験がありますが、本当に気持ちのいいイベント。なんだか癒されるというか、それこそ岩木山の力みたいなものを感じます。会場の桜林公園は、キャンプもできていいですよ。あと「DOG FES IWAKI」という犬が1000頭くらい集まるイベントがあって、それもすごく楽しい。出店用のテントを設営してると、わんちゃんがどんどん入ってきちゃって(笑)。そういえば、車で岩木山に行くとあんまり“山に行った感”ないんですよ。ドライブしてたら、気が付けばいつの間にか岩木山にいるというか、弘前の街と地続き。

佐藤:そうそう。ドライブする道もすごく景色がよくて気持ちいい。

久保:道、気持ちいいですよね~。青森は全体的に信号が少ないし、道もまっすぐだし、一時期関東に住んでいたときは運転する気にならなかったけど、こっちに来てドライブ大好きになりました。

相澤:子どもが生まれてからは特に、とりあえず山行っとけば楽しめるかなという感覚で岩木山に来ちゃいますね。岩木山や地元の山でキャンプして自転車乗って、近くの海でサーフィンして、山も海もある津軽は最高!

編集部:相澤さん、ちゃんと岩木山エピソードあるじゃないですか! ちなみに坂爪さんは、何か思い出深い体験はありますか?

坂爪:岩木山に行くと色々起こるんです。でもちょっと変というか、あんまり信じてもらえないかもしれないんだけど。たとえば、昔おばあちゃんと岩木山の麓の岩木山神社に初詣でに行ったとき、手水舎の龍神さまの口からあふれ出る湧き水が虹色に輝いて見えて、「すごい!」と思ったことがあって。『のみものやわんど』でコーヒーを淹れることになった際、水道水を使うのはなんだかピンと来なかったんだけど、そのことを思い出して、自宅やみんなでコーヒーを楽しむとき、水を汲みにいくようになりました。今日も今朝岩木山で汲んだ水を使っています。

一同:そうなんだ!

坂爪:おばあちゃんから、弘前は岩木山のおかげで大きい災害がないっていわれて育ったし、岩木山がいつも守ってくれるから安心できる。毎朝、岩木山に挨拶するのも、仏壇とか神棚に「今日もよろしくお願いします」っていうのと似てるかな。そういえば昨日、うちのインコが亡くなっちゃったんだけど。仕事にいく車から岩木山を見ていたら、「大丈夫だよ」っていわれた気がして元気が出ました。神さまみたいな存在に近いかも。

久保:うんうん、私も大学を卒業して弘前から出るときは岩木山から「いってらっしゃい」、また戻ってきたときは「おかえり」といわれた気がしました。岩木山に見守ってもらう感じ、分かります。

佐藤:確かにおばあちゃん世代は岩木山への想いが強いよね。うちは違ったけど、小さい頃からそういう感覚が身に付いてる人もいると思う。

『She/shock/cheese』相澤氏の実家は黒石市の牛乳店。東京で高級スーパーの乳製品の仕入れ・販売に携わったあと、『RandBEAN』で店舗設営や経営を学び独立した。

コーヒーに合わせ9種のチーズを持参してくれた相澤氏。チーズの薫香や塩味、甘みが意外なマリアージュを生む。「チーズの原料はミルク。コーヒーとの相性はいいんです」。

看護師として働くかたわら、移動式の3輪自転車を改造したカフェで、イベント出店を中心に活動する『のみものやわんど』の坂爪さん。「わんど」は津軽で「私たち」の意味。

取手の取れたカップも「思い入れがあるから」と使い続けるのが、自然体の坂爪さんらしい。東ティモール産のフェアトレードのオーガニックコーヒーが現在の定番。

津軽ボンマルシェ思い立ったらお詣りへ。日常の中に信仰がある津軽の暮らし。

編集部:岩木山はやっぱり山岳信仰の山なので、宗教的な捉え方をしている人も多いのかなと思います。よく津軽人の心の拠り所という表現も聞きますし。

佐藤:あ、そういえばこの場所をお店にするときに、岩木山神社の宮司さんにご祈祷してもらいました。弘前界隈で商売をしている人は結構やっていますね。特に意識してなかったけど、普通にそういう信仰は根付いている。

坂爪:私もご祈祷してもらいに岩木山神社まで行ったよ。2年くらい前、『パン屋 といとい』の志乃ちゃんとかと一緒に。あとはお正月とか時期的なものに関係なく、お詣りに行く。何だか呼ばれてる気がするときがあって。

相澤:お詣りは日常ですよね。自分も小さい頃からお母さんに「山行くよ」って誘われて、「何でよー」とかいいながらも一緒に行くのが普通でした。

佐藤:お詣りついでに温泉に行ったり、生活の一部。お詣りが特別じゃないっていう時点で、日常に信仰があるってことだもんね。僕はお山参詣(注:毎年旧暦8月1日に行われる行事で、国の重要無形民俗文化財。岩木山神社から登山囃子に合わせて山頂の奥の院を目指し、御来光を拝む)にも参加しました。自分は登山用の格好で行ったけど、本来は白装束だし、奥の院に登る前はお囃子が演奏されたり円になって踊ったり。ある意味トランス状態になって、神さまに近づくっていうことなんだろうと思います。

坂爪:私も2回参加した! 昔は女人禁制の山だったみたいで、こうも時代が変わると女性としてはありがたいよね。

久保:ね。こっちはお祭りも多い。地元の群馬では、小さい頃から県の名物や歴史が盛り込まれた「上毛かるた」をやって育つので、郷土のことは詳しいんです。でも信仰に根付いたイベントはあまりなくて。個人的にはお祭りや行事が好きなので、弘前に来て居心地のよさを感じます。あと、私は迷ったり悩んだりすることがあると、岩木山神社までおみくじを引きに行きます。気持ちを改めたり、答えを導いたりする感じで。家からも近いし、何だか強力そうな感じもするし(笑)。

坂爪:分かる~。私の場合おみくじは一年に一回、お正月って決めてるけど。岩木山神社のおみくじ、厳しめだよね。

久保:そうなんです! 厳しい! 「〇〇は改めよ」とか、ほんとにこれ大吉? って思う。でも当たり障りがないことより、厳しくいってもらえる方がいいかなって。

佐藤・相澤:大吉でも厳しいなら、凶だとどうなっちゃうのか気になる……。

坂爪:そういえば、今朝岩木山神社で、お土産の手ぬぐいを買ってきたんですー。

編集部:なんと、ありがとうございます! お山参詣のお囃子の唱文が染め抜かれていて、ご利益がありそうですね。津軽に来ると感じるのは、この世とあの世の境界線があいまいなこと。第一回の対談のときも、津軽に昔から存在するイタコのような“カミサマ”という女性の話がありました。

相澤:僕、カミサマに見てもらったことありますよ。色々うまくいかなくて絶不調だった23歳のとき、「25歳で結婚する」っていわれて。自分こう見えてすっごくリアリストなんで「絶対嘘だろ」と思ってたら、本当に25歳で結婚したし、その後もいわれた通りになってる。今は信じてます。

一同:えー! すごい。そんなこともあるんだね。

坂爪さんからのお土産、岩木山神社の参拝記念手ぬぐい。岩木山神社は創建約1200年の津軽の一の宮。ヒバ材で造られた本殿などの建造物は、国の重要文化財にも指定される。

RandBEAN』の2階から眺める景色。「岩木山が見えるように、この場所に窓を作りました」と佐藤氏。“山”という字に似ているといわれるシルエットが、くっきりと。

津軽ボンマルシェ季節ごとに衣替えする姿も美しい、フォトジェニックな山。

坂爪:今日みたいに、曇りで小雨も降る日に岩木山が見えるのは珍しくない?

佐藤:確かに。普段、曇りの日は絶対見えないもん。

坂爪:実はね、朝に岩木山神社でお祈りしてきました! 昨日まではすごくいい天気だったのに、対談の日程、私の都合で今日にずらしてもらったでしょ。来るとき「あれ? 見えてる!」って。これが岩木山の力です!

一同:おお~。

編集部:祈りが通じたんですね。ちなみにみなさん、どの場所から見える岩木山がお気に入りですか?

一同:『RandBEAN』のこの場所、ベストじゃない?

佐藤:横の道を通る人から、よく「山の写真撮りたいんで車停めていいですか?」って聞かれますね。おじいちゃんおばあちゃんとか、長年岩木山を見てきた世代の方からもいわれるから、いい場所なんだと思います。ここに来るまでは見えない岩木山が、そこの坂を曲がるとバーン! と登場する。つめさんが岩木山見て元気が出たといってたけど、それと似てて、自分のスイッチが入る感じがします。ここで店を始めたのも、景色に惹かれたことが理由のひとつです。

坂爪:生まれた場所や住んでいる場所から見える岩木山が一番っていう人、結構いますよね。何年か前に、弘前の職場で岩木山の話になって。「ここから見る岩木山いいよね」ってぽろっといったら、同僚に「鶴田(青森県鶴田町)の方がきれい」と返されてびっくりした。観光パンフレットには、だいたい弘前から見る岩木山の写真が使われるし、こっちが正面と信じて疑わなかったんだけど。静岡と山梨から見る富士山の違いみたいなことが、津軽にもあるんだなと思った。

久保:私は弘前から見るのも好きだけど、県外から弘前に戻るとき、電車から眺める岩木山の姿に毎回感動します。写真撮ってる人も多くて。

相澤:みんな岩木山の写真よく撮るよね。雪の残り具合で見え方が変わったり、季節によって変化するからですかね。

佐藤:今の時期は街中から見ても、青々とした山肌まで見える。

坂爪:そうそう、肉眼で見えるのがまたいい! 緑のもこもこと雪とか、緑とオレンジのグラデーションとか、山が衣替えする感じ。

相澤:時間帯でいえば夕方、マジックアワーのときの岩木山も好きですね。黒石に浅瀬石川という川があって、そこから眺めると川と山以外に何もない。コントラストがすごいし、赤と青の空が幻想的で、海外に来たみたいな雰囲気なんですよ。「岩木山いいなあ」って思う瞬間です。

久保:見てみたい。私は朝の岩木山も好きです。頑張ろうって気分になりますし。

坂爪:あと何だっけ、ライジング岩木山? サムシング岩木山? あ、ダイヤモンド岩木山か。5月末にちょうど岩木山のてっぺんに夕日が沈むのがきれいで、最近人気みたいよ。いろんなところで宣伝されてる。

相澤:……あ! 突然ですが、今思い出した話をしてもいいですか? 昨日、対談で何を話そうか考えてたとき、これは絶対いおうと思ってたんです。うちの母方のおばあちゃんの名前が「ふじ」というんですけど、津軽富士と呼ばれる岩木山から命名されたそうなんですよ。おばあちゃんの名前が岩木山だったという。いきなりすみません(笑)。

坂爪:いい話。対談も終盤のタイミングで思い出せてよかったね~。

佐藤:そうそう、実は今、会社の手前側の土地を購入しようと思っていて。元々農業用の土地なので建物は建てられないんですけど、イベントができるようなスペースにしたいなと。岩木山が本当にきれいに見えると思うので、たくさんの人に来てほしいです。

一同:えー! いいですね。

坂爪:みんなでイベントに出店しよう。とにかく、この対談を読んだり、何かで岩木山のことを耳にして気になったりした県外の人は、一度津軽に来てみるといいと思う。岩木山に呼ばれてるんだと思います。私も呼ばれた気がして岩木山に行くと、だいたい何か次に繋がることが起こるので。『RandBEAN』のイベントはいいタイミングになるかも! ぜひ遊びに来てくださいね。

対談当日はときどき小雨が降る曇天。が、坂爪さんのお詣りのおかげか、4人を見守るように常に岩木山が見えていた。その雄大な姿には、津軽人でなくとも心動かされるはず。

場所協力:RandBEAN
住所:青森県弘前市小沢山崎83-4
電話:0172-55-9564

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/茨城県行方市]

行方 ベジタブルキングダムOVERVIEW

茨城県行方市。
茨城県南東部、霞ヶ浦と北浦の間に広がる面積約166平方キロメートルのこの市のことをご存知でしょうか。
起伏の少ない広大な平地、豊富な水を湛える霞ヶ浦、関東ローム層の豊穣な大地、そして湖の保温効果による温暖な気候。そんな地理条件を聞いて何が思い浮かぶでしょうか。

そう、この行方市は日本でも指折りの野菜王国なのです。
さまざまな農業に適した条件が重なり、さらに首都圏から70kmという利便性まで加わることで、行方市では各地の食卓に並ぶ多彩な野菜が育てられているのです。
その種類は年間60種以上。全国有数の生産量を誇るサツマイモ、同じく全国有数の出荷量を誇るセリ、ミネラル豊富な大地で甘く育つイチゴ、先進的な生産者により作られる西洋野菜やハーブ。

だからきっと誰もが、行方市の野菜を食べたことがあるのです。食卓を彩る常備菜も、レストランで食べたあの野菜も、もしかしたら行方市で作られたものかもしれません。そしてこれからも口にする行方市の野菜がもっとおいしく、楽しく感じられるように、我々ONESTORYでは、それぞれの野菜に隠された物語をお伝えしていきます。

今回フォーカスするのは、四季それぞれの野菜。夏のトマトと大葉、秋のサツマイモと米、冬のレンコンとチンゲン菜、そして春のイチゴとセリ。春夏秋冬それぞれの季節の行方市を代表する野菜を通して、生産者の思いと、行方市の今を伝えます。

さらにそれぞれの野菜は、野菜料理のスペシャリストであり、いばらき食のアンバサダーも務める『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフが試食し、その味わいを活かすレシピも考案。

野菜を知り、物語を知り、生産者を知り、調理法を知れば、行方市の野菜がいっそう味わい深く感じられることでしょう。

ではそろそろ「NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM」、その王国を支える、真摯で誇り高い生産者たちと、その思いが詰まった野菜の世界へ旅立ってみましょう。

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

オンラインショップができました☆

 

 

 

 

 

倉敷デニムストリート

ONLINE STORE

 

2020/08/18 Tuesday

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人と物が繋がる森、津軽の夏の始まりを告げるクラフト市。[TSUGARU Le Bon Marché・津軽森/青森県弘前市]

『津軽森』会場の岩木山桜林公園にて、実行委員の武田孝三氏。ここは約3.8ヘクタールの敷地におよそ1000本もの桜が咲く、市民に愛される桜の名所。若葉の季節も美しい。

津軽ボンマルシェ岩木山の麓、新緑に包まれた公園で開催されるクラフトの祭典。

新型コロナウイルスの感染拡大により、多くのイベントが中止や延期となった今年の春。津軽でも、毎年数万人の動員数を誇る一大イベントの延期がアナウンスされました。霊峰・岩木山の登山道の入口にある岩木山桜林公園で、毎年5月末の2日間に渡り開催される『津軽森』。約130人の作家と20店舗以上の飲食店が出店する、界隈随一の規模のクラフトイベントです。

実は、「今年こそ『津軽森』の取材を!」とかなり前から意気込んでいたONESTORY取材班。その理由はいくつかありました。ひとつは、これまで「津軽ボンマルシェ」で紹介してきた多くの作家や生産者、たとえば陶芸家夫妻による『陶工房ゆきふらし』、リネン雑貨の『KOMO』、ドライフラワー作品を手掛ける『Flower Atelier Eika』、草木染製品の『Snow hand made』、キャンドル作家『YOAKE no AKARI』、放牧で豚を育てる『おおわに自然村』などが出店する、津軽中のいいものが集まるイベントだと確信していたこと。もうひとつは、津軽塗やこぎん刺し、津軽打刃物といった伝統工芸のみならず、多種多様な作品が集まる場所、つまり、今の津軽のリアルなクラフトシーンが垣間見える場所だと期待していたこと。そしてなにより、これまで取材してきた先々で「本当に気持ちがいい場所だから、一度行ってみて!」とおすすめされる、地元に愛されるイベントであることを実感していたからです。

残念ながら開催は1年の延期、来年5月までお預けとなりましたが、今回、実行委員の武田孝三氏に話を伺うことができました。ちなみに、ONESTORY取材班に武田氏を紹介してくれたのは、クラフト繋がりでもある『木村木品製作所』の代表・木村崇之氏。なんでも木村氏からは、「武田さんはムーミンに出てくる、スナフキンみたいな魅力がある人」で「無人島で暮らすなど、おもしろいエピソードがたっぷりある」との前情報が……。クラフト市のスナフキン!? 一体どんな話を聞けるのか、どきどきしながら取材がスタートしたのでした。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

『弘前工芸協会』の理事長も務める武田氏。活動分野は、陶芸や木工、グラフィックデザイン、店舗設計などジャンルレス。この日は自ら設計した自宅にて取材に応じてくれた。

会場の岩木山桜林公園までは、JR弘前駅から車で30分ほど。毎年『津軽森』の開催期間中は、岩木山を眺めるこの道が来場者の車で埋まる。(写真提供:津軽森実行委員会)

5月頭に桜が満開を迎え、11月には初雪が降る津軽。5月末は、ちょうど短い夏の始まりの頃。県名通りの青々とした森が美しい。(写真提供:津軽森実行委員会)

津軽ボンマルシェそれまでの青森にはなかった、伝説的クラフトイベントがルーツに。

以前「津軽のクラフト」をテーマにした対談で話題となったのは、津軽人にクラフト好きが多いこと。城下町だった弘前を中心に芸術・工芸文化が成熟した歴史ゆえでしょうか、若手作家たちは、「ほかの県のクラフトフェアより、津軽のイベントの方が人も多いし売り上げもいい」と口を揃えます。しかし、津軽でさまざまなクラフトフェアが誕生したのはここ10年ほどのこと。急速なクラフト人気の高まりの裏には、『C-POINT』というイベントの存在がありました。

『C-POINT』は今から20年前、安田修平氏と安田美代さんという津軽在住の陶芸家夫婦とその作家仲間により始まりました。『津軽森』実行委員の武田氏もそのひとりでした。「自分たちで作家を募って、ちゃんと選別して、いい作家を集めたクラフトフェアをやりたいと思ってね」と武田氏は当時を振り返ります。伝統工芸の文化が色濃い津軽エリアにあり、ジャンルも作家の年代も多様なこのイベントは、大きな挑戦でもありました。「ひと口に“作り手”といっても、ひとつのものを突き詰めて作る人や、思うがまま自由に作る人など、色々なタイプがいるでしょう」と話す武田氏は、歴史も知名度もある伝統工芸を三ツ星レストラン、それ以外を大衆食堂に例えて続けます。「三ツ星レストランはもちろんたいしたものだけれど、だからといって大衆食堂が違うかといえばそうじゃない。安くて美味しい大衆食堂も、地元でしか知られていないけれど頑張っている大衆食堂も、たいしたものなんですよ」。

その会場となったのは、日本海に面した鰺ヶ沢町の風光明媚な海浜公園。公募で選ばれた全国各地64名の作家が、自らテントを立てて販売するフリーマーケット形式のイベントでした。たくさんの作品から宝物を見つけ出すわくわく感、作家との会話から生まれる共感や感動……。会場を満たしたのは、参加者の笑顔と楽しげな雰囲気です。年々規模を広げ、作家の参加人数が150人を超える一大イベントになっても、守り続けたのがそうした空気感。純粋な“クラフトの楽しさ”にこだわり、行政や自治体の援助も受けずに10年間続いた『C-POINT』は、今も津軽のクラフトシーンで伝説的に語り継がれています。

『C-POINT』終了後、旗振り役だった安田夫妻は海外協力隊の活動でタイへ。しかし各方面から再開を求める声があがります。そして2013年、安田夫妻とともに『C-POINT』を立ち上げた武田氏と、グラフィックデザイナーの相馬仁氏のふたりに新たなメンバーが加わり、『津軽森』が発足。「弘前市や会場周辺の施設も協力的でしたし、初回から数万人のお客さんが来てくれて。みんな、待っていてくれたんだという実感がありました」。県内最大級のイベントである『津軽森』が、今と変わらない規模でスタートを切り成功をおさめたのは、既に津軽エリアの人々に“クラフトの楽しさ”が浸透していたからにほかなりません。

2013年の初回から、約130店の参加枠に対し応募が300店を超えていたという『津軽森』。個性豊かなクラフト作家が集結する。(写真提供:津軽森実行委員会)

全国から陶芸、ガラス、木工、染織、金属、皮革、漆などの作品が集結。県内作家はそのうち2割ほど。まだ見ぬ津軽の工芸にも触れられる。(写真提供:津軽森実行委員会)

初夏の新緑の木漏れ日が作品を美しく演出する。屋内のイベントでは味わえない開放的なロケーションの中、宝探しのような楽しさが。(写真提供:Flower Atelier Eika

ひとつ数百円の雑貨から高価な大型作品までが揃う。作家と会話しながら買い回れるこの機会を楽しみに待っているクラフトファンも多数。(写真提供:津軽森実行委員会)

津軽ボンマルシェ作家目線の心地よさこそ、ほかならぬ『津軽森』の魅力?

「『C-POINT』のよさを継承しようという想いは、ずっと変わらない。『津軽森』も、割とずれないでやって来たと思っています」と武田氏。「期間中の道路渋滞など、改善すべきところはもちろんある。でも僕は、ベストは目指しても、完璧は目指していないんですよ、楽しいよりも辛くなっちゃうから。相馬さんやほかのメンバーが完璧主義だから、ストッパー役なのかもしれないね」。現在70歳の武田氏ですが、話していてもその年齢を感じさせないばかりか、『弘前工芸協会』理事長の肩書や展覧会での多数の受賞歴などをふと忘れてしまうほど、フラットで穏やかな雰囲気の持ち主です。
そもそも生まれも育ちも弘前市の武田氏の半生はかなりユニーク。20歳から数年間かけて全国を放浪して帰郷、「体力も根気もない自分でも、ものづくりならできるかも」と、まずは興味のあった陶芸を始めたそう。「ところが、いざ工房に弟子入りすると全然だめで、すぐ辞めちゃった。向こうも、来るからには技術を教えようとなるでしょ。僕は、ものづくりは技じゃない、作りたいものがあるから技が生まれる、と思っているから(笑)。仕事は自分で生み出す方がおもしろいですよ」。

自ら陶芸を始めるにはお金も設備もなかった武田氏は、山に自生するあけびの蔓を使った作品を制作し始めます。それも、工芸店で見かけるあけび細工とはまったく異なる風情のもの。生きたあけびの姿があまりにも美しく、武田氏はその光沢を再現するため塗料も研究。もちろんすべて独学です。あけびの作品は「日本クラフト展」で新人賞を受賞、その後もブナ材や炭板を使った作品、最初はできなかった陶器など、「何か作って応募するとなぜか受賞する」ように。それから数十年が経ち、什器デザインや内装デザイン、グラフィックデザインを手掛けるようになっても、ものづくりへの向き合い方は少しも変わらないそう。自由な創作を続け「作品や活動を通じ、世間に伝えたいことはひとつもない」という武田氏。「『津軽森』にしても、『若手作家にも活躍の場を提供したい』とか『伝統工芸以外の作品も発表できる場を作りたい』という志を主体にしてきたわけではないんです。でも今、結果としてそういう場になったのはうれしいことですね」と心の内を話してくれます。

『津軽森』は、武田氏にとって「体力的にはきついけど、楽しいから続けちゃう」活動。曰く、「主催する自分たちもものづくりをしているから、出店作家に『実行委員も楽しんでいるのが分かる』といわれることが喜び。ほかの実行委員がどう思っているか分からないけど、僕はいい意味で“緩い”イベントだと思ってる(笑)」。『津軽森』がお客さんだけでなく作家陣からも人気を博す大きな理由は、武田氏はじめ主催側が作り出す、会場を包み込むような心地よさにあるのだろうと感じました。

無職で放浪……その半生は、確かにスナフキン的。「無人島で暮らしたことはないけど、鹿児島県の浜辺で生活したことはあったよ。ウミガメの卵ってまずいんだよね」。

武田氏の作品は、津軽のあちこちに。JR弘前駅構内にあるオブジェ「弘前な記憶」は『弘前工芸協会』メンバーで制作したもの。弘前市民会館や青森空港にも作品が置かれる。

以前紹介した『二唐刃物鋳造所』がパリの国際展示会「メゾン・エ・オブジェ」に出展した際は、武田氏が商品デザインを担当。こちらは独自の「暗紋」模様が美しい花器。

閑静な住宅街で異彩を放つ黒い家が、武田氏の住居兼事務所。設計も独学でこなすというから驚き。「ものづくりの失敗から次のアイデアが出てくる」という生粋の作り手だ。

津軽ボンマルシェ新芽が枝となり、木となり、森となる。津軽のクラフト文化の成長。

『津軽森』というイベント名は「物と人、人と人が繋がる森」という意味から命名されたといいます。まさに名は体を表す、「毎年この公園でお気に入りの作家に会えるのが楽しみ」と語るお客さんのなんと多いこと。ところが、繋がるのはお客さんと作家だけではありません。全国から集まる作家たちの中には、会場に併設されたキャンプ場でテントや車に寝泊まりする人も多く、夜には大々的な交流会が行われ、親睦を深めるのだとか。ただ物を販売するだけでなく、物を媒体にコミュニケーションが生まれ、さらにそれが広がっていく……、イベントの理想的な姿がここにあります。

「自分たちがするのは、あくまで場を作ること」と語る武田氏。「ベストを目指したいと話したけれど、みんなのベストはそれぞれ個人差があって違う。だからもっと高いレベルを目指す人が出てくればそれでいいし、一緒に今の"緩さ"を楽しんでくれる人も大歓迎。個人的には、『津軽森』でやりたいことはかなり達成していると思うんです。これ以上を望むなら、別の場所で新しくやってもらう方がいい。そのときはどんどん『津軽森』を利用してもらえれば」と続けます。

20年前に『C-POINT』で芽吹いた津軽のクラフトの芽は、『津軽森』のみならず、たくさんのクラフトイベントが生まれるきっかけを作りました。今や県内のあちこちで大小さまざまなイベントが催されていますが、中でも代表的なのが、『津軽森』と並ぶ屈指の規模を誇る青森市の『A-line』と、昨年まで板柳町の遊歩道「アップルロード」で開催されていた『クラフト小径』。前者は『C-POINT』に出店していた作家とその仲間たちが立ち上げ、後者はあの安田夫妻がタイから帰国後に立ち上げたイベントです。そして昨年、安田夫妻により『クラフト小径』の終了と、『C-POINT』の復活が宣言されました。今年予定されていた開催は残念ながら1年延期となりましたが、来年は弘前市、青森市、鰺ヶ沢町という津軽の3エリアで、大規模なクラフトイベントが控えているのです。

小さな芽が20年を経て根を張り、枝を広げて木となるように、新しいクラフト文化が着々と育つ津軽。木々が集まり、森となるのももうすぐです。この森がどう成長し成熟していくのか。あなたも繋がりの輪に加わり、楽しみながら見守ってみてはいかがでしょう。

実行委員6名とサポーター10数名で活動する『津軽森』。出店者の選定も、幅広い年代の全員で行う。「雑多でいい、それが楽しい」と武田氏。(写真提供:津軽森実行委員会)

住所:弘前市大字百沢字東岩木山3168 (岩木山桜林公園) MAP
http://tsugarumori.com/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

2020年 夏期休業のお知らせ

【2020年 夏期休業のお知らせ】
平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら下記期間を夏季休業とさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020年8月13日(木)~
2020年8月16日(日)まで
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 2020年8月17日(月)より、通常業務を開始します。
※ 休暇中のお問合せにつきましては、
2020年8月17日(月)以降に対応させていただきます。
大変ご迷惑をお掛けいたしますが、
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

お盆の営業に関して

暑い日が続きますがみなさまいかがお過ごしでしょうか??

倉敷デニムストリートはお盆期間も絶賛営業いたします(°▽°)

夏物商品も売り尽くしとなっております!!



美観地区もものすごく暑いので来られる際は

暑さ対策の上お越し下さい(・∀・)


津軽のアートの未来を担う美術館。場所に息づく100年の物語をひも解く。[TSUGARU Le Bon Marché・弘前れんが倉庫美術館/青森県弘前市]

取材当日、勤務中だったスタッフに集まってもらい記念撮影。この記事の主役は、彼らのような関係者、そしてこれまでこの場を作り育ててきた弘前の市民や文化人だ。

津軽ボンマルシェ市民に愛された「レンガ倉庫」の記憶を、美術館として継承する。

つい先日の7月11日、弘前市に新たなスポットがグランドオープンしました。本来は今年の春に開館予定だった『弘前れんが倉庫美術館』。新型コロナウイルスの影響で開館延期となり、6月のプレオープンを経てからの全面オープンは、津軽にとって明るいビッグニュースとなりました。印象的なのは、味のある赤色のレンガ造りの建物。完成したばかりにもかかわらず、昔からあるような落ち着いた佇まいで周囲に馴染む理由には、元々この場所が弘前市民から赤壁の「レンガ倉庫」と呼ばれ親しまれてきた歴史があります。

建築設計者は、次世代を担う若手建築家として、世界各国でプロジェクトを手掛ける田根剛氏。代表作の『エストニア国立博物館』では、旧ソ連時代の負の遺産であった軍用滑走路を美しい文化施設に生まれ変わらせ、国際的な評価を受けています。その土地に代々積もり重なってきた「場所の記憶」を掘り起こし、その精神性を未来へ繋げていく──。そんな田根氏の手法は、今回の『弘前れんが倉庫美術館』でも一番大切にされたことでした。たとえば、この建物のアイデンティティともいえるレンガ。温かみのある赤い外壁は残され、蛇腹状に積んだ新しいレンガ壁を付け加えることで、建物の顔となるエントランスのアーチが作られました。また、通常はいわゆるホワイトキューブ=白い立方体で構成される展示空間も、ここでは一部、白ではなく黒に。タールが塗られた黒い壁をあえて残し、美術館としては異色の“ブラックキューブ”をメインの展示室としています。

建物に残され、継承された「場所の記憶」。そのルーツは100年以上も前の明治・大正期まで遡ります。歴史を紐解くと現れるのが、りんごやシードルといった現代の津軽を象徴するキーワードの数々。そしてこの建物に関わってきたたくさんの人々の想いです。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

弘前市初の公立美術館。レンガ壁を保存すべきという田根氏の意志により、元々の壁に長さ9メートルの鋼棒(こうぼう)を打つ高度な耐震補強が施された。

美術館のシンボルが、シードルをイメージした“シードル・ゴールド”の屋根。1万3000枚もの特注チタン製プレートは、天気や時間によりさまざまな色合いに変化する。

田根氏により「弘前積みレンガ工法」と名付けられた独特なレンガ使いのエントランス。古いレンガ壁に合わせ、新しく付け加えた部分にもあえて色むらやゆがみを出した。

黒い壁と天井高が圧倒的な吹き抜けの展示室。奥はタイ出身ナウィン・ラワンチャイクンによる大型作品《いのっちへの手紙》2020年。手前は尹秀珍《Weapon》2003-2007年。

津軽ボンマルシェ津軽のものづくりの歴史の真っただ中に、この倉庫があった。

レンガ造りの建物が建てられる前、ここ弘前市吉野町はりんご園が広がる土地でした。今でこそ津軽の名産品であるりんごですが、当時は栽培が始まったばかり。園主の楠美冬次郎は、りんごの普及に努めたレジェンドとして知られています。その後、土地を譲り受けた実業家・福島藤助により、日本酒醸造のためのレンガ倉庫群が建設されたのは1910年代から1920年代にかけて。当時、最先端の技術や設備を備えた醸造所は県随一の製造量を誇ったそう。「この時代に一番頑丈とされた建材がレンガでしたが、費用も相当なもの。安価な木造にすればいいと止めた人もいたといわれています」。当時の逸話についてそう教えてくれたのは、現在美術館の運営統括を務める小杉在良氏。「それでも福島さんは『これは自分の子孫のために造るのではない。もし事業が失敗しても建物が残れば、街の将来のための遺産になる』といって聞き入れなかったそうです」。

関東大震災や太平洋戦争といった激動の時代を経て、レンガ倉庫に活気が戻ったのは1950年代。酒造会社の代表だった吉井勇が『朝日麦酒』(現アサヒビール)との連携により、日本初の大規模なシードル工場として操業を開始。りんご産業を活性化させ、地元に貢献したいとの想いから生まれた「朝日シードル」は、大きな話題を呼びました。1960年には『ニッカウヰスキー』にシードル事業が譲渡され、「ニッカウヰスキー弘前工場」として操業をスタート。しかし、1965年の工場の移転に伴い稼働が止められると、一時的に政府米の保管用倉庫に。長く“ものづくりの場”として認知されてきたこの場所には、静かな時間が流れるようになります。

街のシンボルであるレンガ倉庫に再びものづくりの火が灯ったのは、弘前市民の働きかけがきっかけでした。1980年代には美術家を中心としたグループにより、倉庫を美術館にする働きかけが起こるなど、その活用方法が議論され始めます。そして大きな転機となったのが2002年。弘前市出身の現代アーティスト、奈良美智氏による個展「IDON’T MIND,IF YOU FORGET ME.」の開催です。

福島藤助の時代に形成されたレンガ壁には、絶妙な趣が。当時はこの壁のため、専用のレンガ工場を建設。数年がかりで建物を作る、大がかりな事業だったといわれる。

受付スタッフの制服にも、津軽のものづくりの技術が。襟元には「弘前こぎん研究所」によるこぎん刺しのブローチ。胸元のロゴは市内の刺繍店「東北シシュー」が手掛けた。

エントランスに鎮座する奈良美智《A to Z Memorial Dog》2007年。 2006年の個展後、展覧会をサポートした地域のボランティアのために制作、奈良氏から弘前市に寄贈された。

運営統括の小杉氏。弘前大学在学中、奈良氏の個展の運営に参加したことがきっかけでNPO法人『harappa』メンバーに。その後も津軽のアートシーンに関わってきた。

津軽ボンマルシェ“奇跡の展覧会”が築いた、弘前のアートの地盤。

大型の美術展としては規格外のことだらけだったこの個展は、今も弘前で伝説的に語り継がれています。始まりは、レンガ倉庫を管理していた『吉井酒造』の社長(当時)・吉井千代子さんが書店で見かけた奈良美智氏の作品集でした。吉井さんと奈良氏の出会いにより、このレンガ倉庫で奈良氏の個展が開催されることが決まります。ゼロの状態からスタートを切った個展でしたが、吉井さんから相談を受けた青森県立美術館の学芸員(当時は準備室)や弘前大学の教授の働きかけにより、市の商工会議所や商店会が始動。ボランティアの市民で組織する実行委員会を立ち上げ、運営が行われました。蓋を開けてみれば、集まったボランティアの数は450人以上。当時の人口が17万人程度だった弘前市において、51日間の開催期間中5万8000人以上の入場客を集めたほか、公的な助成を受けずに運営され、展覧会は異例の成功をおさめたのです。

弘前のアートの灯を繋ぐべく翌年誕生したのが、アート系NPO法人『harappa』。その後も2005年の「From the Depth of My Drawer」展、2006年の「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」展と2度に渡り奈良氏の個展の開催をサポートします。現職の前に『harappa』事務局員を務めていた小杉氏は「倉庫オーナー・吉井さんの活動から始まり、市民が関わって実現させた最初の展覧会では、美術専門家の参加はほんのひとにぎりでした。自分たちで作った新しいアートの場、そういう市民の想いがこの場所の根幹となり、今の『弘前れんが倉庫美術館』のスタートになったのだと思います」と語ります。

奈良氏の個展終了後も、展覧会や映画上映会、ワークショップなどを開催しつつ、活動を続けてきた『harappa』。美術館の開館準備期間には市民を巻き込んで「れんが倉庫部」なるグループを立ち上げ、レンガ倉庫の歴史やエピソードを探って成果展示を行いました。ちなみに以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚学氏や、家具工房『イージーリビング』の葛西康人氏、『弘前シードル工房kimori』の高橋哲史氏は、家具やプロダクトの開発など、これまでさまざまな企画を共同で行っていますが、そのきっかけとなったのも『harappa』での出会いだったと聞いています。『harappa』は津軽のアートシーンのパイオニアとして、今もものづくりに関わる人々を支える組織となっています。

美術に関する書籍、展示に参加している作家の作品集のほか、津軽の歴史や文化について書かれた書籍が並ぶ美術館2階のライブラリー。どれも自由に閲覧が可能だ。

『CAFE & RESTAURANT BRICK』はシードル工房も併設。『弘前シードル工房kimori』や『ガルツ』、『もりやま園』などのさまざまなシードルの飲み比べもできる。

『CAFE & RESTAURANT BRICK』のテーマは、幅広い年代が集う“弘前のファミリーレストラン”。特別感のある料理を目当てに、ここを目指して訪れる市民も多い。

美術館のオリジナルグッズのほか、『ヨアケノアカリ』や『スノーハンドメイド』の雑貨、『岩木山の見えるぶどう畑』や『おぐら農園』のジュースなど津軽の良品を揃える。

カフェ併設の『A-FACTORY 弘前吉野町シードル工房』は、青森市『A-FACTORY』の2つめの醸造所。今後は順次ラインナップを増やしていく予定だそう。

津軽ボンマルシェ未来の弘前市民へバトンを繋ぐ。それがこの美術館の役割だから。

2015年に弘前市が買い取った「レンガ倉庫」は、2017年に市民のための芸術文化施設とされることが発表され、翌年には正式に『弘前れんが倉庫美術館』という名称が決定。ものづくりの場として受け継がれ、津軽にアートの火を灯し、数々のエポックメイキングな出来事とともに存在してきたこの場所は、田根氏の設計によってその記憶を宿したまま、未来へ開いた新たなスポットに生まれ変わりました。

「実際に人が入ると館内の雰囲気が明るくなって、建物に息が吹き込まれたような感覚に。『初めて来たのに懐かしい』、そんな感想も多くいただきます」と感慨深く話すのは、広報の大澤美菜さん。“不要不急”が叫ばれた新型コロナ渦では、「美術には何の意味があるのか」を問う日々だったと語ります。6月頭から弘前市民のみを対象とするプレオープンを決めた際も、万人に開かれるべき美術館という場で対象を制限することに、スタッフ内で議論が起こったそう。「でも、ずっとこの建物に向き合ってきた田根さんから『市民のための美術館でもあるので、まず市民から観ていただきましょう』と言っていただき、少しホッとしました」と小杉氏。「オープンしてみたら、みなさんが美術館の完成を自分ごとのように喜んでくれて。とてもうれしかったです」と続けます。

開館を記念した最初の展覧会のタイトルは「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」。建築同様、記憶の継承に焦点をあてたこの企画には、弘前市民が制作に協力した作品や、倉庫に残されていた古い建具や資材を取り入れた作品、倉庫の改修工事の過程を記録した作品など、8人のアーティストと弘前の街のさまざまな要素が交錯します。吹き抜けの展示室にあるナウィン・ラワンチャイクン氏の作品《いのっちへの手紙》は、弘前のねぷたを模した全長13メートルの扇形の大型絵画。登場人物は過去と現在の弘前市民たちです。りんごの普及に努めた楠美冬次郎やレンガ倉庫を建てた福島藤助、シードル造りを始めた『吉井酒造』の人々……。「ここは彼らのように、私利私欲よりも人のためを想い、行動した人たちが作り上げた場所なんです」と小杉氏。「開館を延期中、ドイツのメルケル首相が『新型コロナ禍でも多彩な文化が存在し続けることが大事』と話しているのを見て、それこそが我々の役割なのだと。ちょうどこの建物ができた頃も、スペイン風邪が大流行した時代でしたが、バトンは今に繋がっている。それを途絶えさせないようにしていきたいと思います」。

今から100年前、ここが津軽の芸術文化の中心地となると予想できた人はいなかったでしょう。歴史をたどると、静かに積もり重なった多くの人々の想いが、美術館の実現を引き寄せたようにも思えます。さて、あなたがここに立つときは、どんな想いに包まれるでしょうか。そのとき、あなたもまた弘前の時間軸、土地の記憶の一部となり、未来を作る一部となるのです。

畠山直哉×服部一成《Thank You Memory》2020年の一部。コラージュされた田根氏のスケッチには、この建築の目指す姿が「MORE HISTORY」と表現されている。

「ここには、誰でも気軽に入れる緑地やライブラリーもあります。刺激を受ける場、クリエーションの場として使っていただけたら」と広報の大澤美菜さん。

ショップでは奈良美智氏のグッズも期間限定で販売、人気を博す。過去に3度個展を開いたこの場所と奈良氏の繋がりは、やはり特別なもの。

住所:青森県弘前市吉野町2-1 MAP
電話:0172-32-8950
https://www.hirosaki-moca.jp/
※開館記念プログラム「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」は2020年9月22日までの開催。

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

“ヨソモノ”店主が営む津軽のカフェが、住宅街の拠り所となるまで。[TSUGARU Le Bon Marché・Coffeeshop Hachicafe/青森県弘前市]

13年前、県外から弘前に移住した店主の佐藤智子さん。好きだったコーヒーを生業とすることを決め、『Coffeeshop Hachicafe』をオープンさせた。

津軽ボンマルシェ目指した人だけが辿り着く? 住宅街に佇む、赤壁の北欧風カフェ。

その店があるのは、津軽エリアの中心・弘前市の繁華街から車で10分以上かかる場所。周囲には鉄道の駅もなく、正直アクセスがいいとはいえません。取材当日も、送ってくれたタクシー運転手の方が「本当にこんなところにカフェがあるの!?」と驚いたほど。そう、わざわざここに来ることを目的にしないと辿り着けない店、それが今回ご紹介する『Coffeeshop Hachicafe』。スウェーデンやフィンランドの伝統家屋のような赤い壁と三角屋根がトレードマークです。

静かな店内は、席数も少なめでゆったり。テーブル、カウンター、隠れ家のような店内奥の個室のほか、円卓が置かれた小上がり席も。さらには、さりげなくリクライニングチェアがあったり、子どもが座ってお絵かきできる小さなテーブルセットがあったり。さまざまな工夫からは、“おひとりさまもグループも、年齢問わず大歓迎。どうぞ長居してください!”、そんな店の姿勢が見てとれるようです。「この店の店主は、きっと気配り上手に違いない」。その予感は、付かず離れずの接客が心地よい店主・佐藤智子さんと話し、すぐに確信に変わりました。

以前は、まさか自分がカフェ店主になるとは思ってもみなかったという佐藤さん。秋田県秋田市の出身で、結婚を機に夫の故郷である弘前市へ移住してきたという過去があります。「ちょうどこっちへ来た頃は、色々と大変で。秋田の父が亡くなったり、子どもを授かったりが重なったうえ、なかなかこちらの生活に馴染めず体調を崩してしまいました。鬱々としていたとき、夫が『好きなことをやってみたら?』といってくれたんです」。元々、カフェ巡りをするほどのコーヒー好き。奇しくも、移住してきた弘前は知る人ぞ知る“コーヒーの街”でした。以前「津軽ボンマルシェ」で紹介したコーヒー焙煎所『白神焙煎舎』の代表、成田志穂さんの父である成田専蔵氏は弘前のコーヒー文化の担い手で、『弘前コーヒースクール』を主宰する人物。そして佐藤さんが夫から「通ってみたら?」と紹介された場所も、このスクールだったのです。『弘前コーヒースクール』に通い始めたことで、佐藤さんの人生は再び動き出しました。そしてその後、多くの人を支える場所が生まれるきっかけとなったのでした。

コーヒーを学ぶうち、佐藤さんはいつしか前向きな気持ちになっていることに気付いたといいます。「いつか自分もコーヒーにまつわる仕事がしたい。そう考えていたら、ちょっと破天荒な夫が、業務用のエスプレッソマシンを買ってきて(笑)。水道工事までして繋いでくれたんです。飲料関係の仕事をしているから、組み立てもメンテナンスもお手の物。私の精神状態を見て、なんとか励ましたかったんでしょうね。開業もぐいぐい後押ししてくれました」。開業場所は、自宅の敷地内。家族の応援もあり、住宅ローンを組んでカフェ用の一軒家を新築しました。スクール卒業後は、市内の喫茶店のアルバイトとして働き勉強した佐藤さんは、2014年11月、晴れて『Coffeeshop Hachicafe』をオープンさせます。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

住宅街に突然現れる、かわいい北欧風の一軒家。家族のサポートを受けながら自宅の敷地内に作り上げた、佐藤さんの理想の空間だ。

カフェ巡りの経験を活かし工夫を凝らした店内。「隣の人が近いと落ち着かないから」と、席の間隔は相当広め。自分の居心地のいい場所を見つけるのも楽しみに。

注文が入ってから豆を挽き、ネルドリップでゆっくり抽出。佐藤さんのコーヒーの味にほれ込み通う常連客も多い。

コーヒーは充実のラインナップ。佐藤さんの故郷である秋田市の名店『08COFFEE』による「Hachicafe ブレンド」450円など、9種ほどが揃う。

津軽ボンマルシェ「仕方なく」津軽へ。世間の“移住者”とのイメージギャップ。

実は「津軽ボンマルシェ」取材チームが佐藤さんの存在を知ったのは、これまで何度も記事に登場してもらっている弘前の人気店『パン屋といとい』の成田志乃さんから、「おもしろいイベントをやっているカフェがありますよ」と聞いたのが始まり。「『ヨソモノカフェ』というイベントで、テーマの視点がすばらしいんです」と成田さん。“よそ者”というインパクトの強い言葉を冠したこのイベントこそ、個人営業の街はずれのカフェが多くの人の拠り所となる所以。この記事の本題でもあります。

イベントの発端は2017年頃。佐藤さんと、店の常連客であり、現在共に「ヨソモノカフェ」を主催する増田華子さんとの会話からでした。増田さんは北海道出身。同じく道産子の夫の仕事の関係で弘前に移り住んだ経歴を持つ移住者です。「一般的に移住者というと、自らその場所を選び、目的を作って前向きに移り住むイメージがあると思うんです。でも増田さんも私も、自分で望んで弘前に来た訳ではなくて。ずっと悶々としていたけれど、増田さんと移住当時の苦労話をしていたら、『あ、自分の落としどころはこれだ』と気付きました。転勤とか結婚とか、私たちみたいな理由で仕方なく移住した人も結構いる。そういう人が集まって何でも話せる場所を作りたい、店でイベントをやりたいと、増田さんに声を掛けたんです」と佐藤さん。

ちなみに佐藤さんが移住したとき、もっとも悩んだのは言葉の問題。ご存知の通り津軽地方の共通言語は津軽弁で、年齢や地域によっては、県外からの訪問者の理解がほとんど追いつかないほど強い方言が残っています。隣県秋田生まれの佐藤さんでも当時は「ほぼ異国」状態。家族の会話についていけない、アルバイト先で仕事内容を説明されても分からない……。「弱音を吐いたら津軽に嫁に来る覚悟がないと思われる、何度聞いても理解できない自分がだめなんだと、絶望感満載でした」と佐藤さん。「自分は夫も同郷だから、夫婦で悩みを共有できた」という増田さんも「でも実際は、夫が津軽人だから悩みを伝えられない、友人も作れないという人が多いことに気付いて。だから佐藤さんがイベントに誘ってくれたときは、すぐ乗りました」と話します。

「ヨソモノ」という言葉選びは、増田さんの発案。「周りからそう思われている自覚があったから」と笑います。これを「逆にインパクトがあっていいと思った」と佐藤さん。「私たちは世間が考える“移住者”じゃない、所詮はヨソモノだって想いを共有していたから。自虐ですよね(笑)。そうそう、開催前に地域のニュース媒体に取り上げていただいたとき、コメント欄に『イベント名がマイナスイメージで嫌』って書かれていたんです。でもそれを見たとき、不思議と『しめしめ……』ってわくわくしちゃって。同じ想いを持つ人だけ来てもらえればいいイベントですから」と続けます。こうして2018年、初めての「ヨソモノカフェ」が開催されました。

増田華子さん(左)と佐藤さん。話上手な増田さんは、イベントのムードメーカー。津軽エリアの情報を紹介するサイト『いるへぼん雑貨店』も運営する。

現在、フードメニューはパンメニューなどの軽食と、チーズケーキなどの定番ケーキがメイン。この日は市内の焼き菓子店『スロウ』のマフィンも入荷。

店内の物販コーナーでは、『08COFFEE』のコーヒー豆や青森市『コノハト茶葉店』の紅茶、こぎん刺し雑貨などを販売。ちょっとした手土産に人気。

カフェ内装は、ディスプレイなども手掛ける弘前市内の『古道具ミヤマコ』が手掛けた。ちょっと気になるおしゃれな調度品もあちこちに。

津軽ボンマルシェ「大丈夫、弘前を好きになれるよ」。悩みを共有して、そう伝えたい。

初回の「ヨソモノカフェ」はまさに手探り状態。通常営業をしながら、店の小上がりスペースのみを参加者の語らいの場として設定しました。が、蓋を開けてみれば、お客さんが絶えない盛況ぶり。「話がしたい“ヨソモノ”さんはたくさんいる」。二人はそう確信します。2回目は、初回の反省をふまえて内容を更新。店は貸し切り営業にし、それまでUターン経験者などもOKだった参加条件を“ヨソモノ=県外出身者であること”に変更。参加者には好きな席で自由に過ごしてもらいました。「やっぱり、地元の人がいると話しづらいこともあるんです。『弘前に来たとき辛かったよね』、『本当は来たくなかったよね』と、そこまで話して発散できる場所にしたかったから」と増田さんは話します。

やがて認知も広まり、参加者が増えていった「ヨソモノカフェ」。しかし同時に、近隣の地元民から反発の声があがることもあったそう。「自分たちを締め出し悪口をいっているんだろうと思われて。後は『困っているなら、なんでも地元の人に聞いてくれればいいのに』ともいわれました。でも私たちヨソモノは、答えよりも共感が欲しいんです。自分だけじゃないと思えることが大事」と増田さん。佐藤さんは、「ネガティブな意見は想定内。とにかく回を重ねなければと、不思議な自信がありました」といいます。「これは悪口大会ではないから。同じ立場の人に自分たちの経験を話して、大丈夫だよ、弘前を好きになれるよといいたいんです。今なら、長く住んだから分かる弘前のよさも伝えられる。ここで話して明日から前向きになれたら、とてもいいことですよね」。

イベントを続けて丸2年。最近では地元客から「楽しそうでうらやましい」、「Uターン者版もぜひ」といった声も。「でも私たちは地元出身でもUターンでもないから、それはできなくて。単なる賑やかしでやっても、絶対に続かないし」と増田さん。多くのヨソモノさんたちが信頼し、今も安心して通い続けているのは、当事者目線を何よりも大切にするふたりの信念があってこそ。世間一般のイメージや行政のサポートからはこぼれ落ちてしまう、いうなれば“消極的移住者”である県外出身者の存在をすくい出す「ヨソモノカフェ」。この活動は私たちに、ひとくくりにされがちな移住者の多様性を気付かせてくれます。

久しぶりの開催となった今年6月の「ヨソモノカフェ」当日、初参加という20代の女性の言葉が印象に残りました。「結婚を機に移住して、こっちで頼れる人はパートナーだけ。普段から、弘前で通える“拠り所”のような場所を探していたんです」。イベント終了間際、その日知り合った“ヨソモノ仲間”と連絡先を交換し、「家、近いね!」と一緒に帰っていきました。拠り所と友を得た今、「津軽の自然はすごい。これから色々な場所を開拓したいです」と話してくれた彼女のこと、新たな地元・津軽の魅力をたくさん発見していくに違いありません。

取材当日は、新型コロナによる緊急事態宣言が解除され、久々に開催された「ヨソモノカフェ」の日。楽しみ待っていたヨソモノさんが、マスク姿で続々と集まった。

ヨソモノさんで満席の店内。参加3回目という女性が「移住当時は専業主婦。気候や言葉の違いに悩みましたが、ここでやっと同年代の友人ができました」と話してくれた。

明るく話上手な増田さんが場を盛り上げる。この日は初参加の人も5名いたが、それを感じさせないほど、にぎやかでアットホームな席に。とにかくみんな楽しそう。

津軽ボンマルシェオープンから5年。ヨソモノにとっても地元民にとっても、かけがえのない場所に。

「ヨソモノカフェ」開催時はフードメニューも絞り、なるべくお客さんとコミュニケーションを取る佐藤さん。「通常営業時と違い、私もお客さんと対等のヨソモノになれる。このイベントは自分が欲しかった場所、なくてはならないアイデンティティのような場所でもあるんです」と語ります。しかし現在「ヨソモノカフェ」が開催されるのは2~3ヵ月に一日程度。それ以外の通常営業の『Coffeeshop Hachicafe』は、佐藤さんにとってどんな存在なのでしょうか。

「もはや生活の一部だから、こうありたいとかこうでなきゃというのが、あまりないんです」。一見無欲にも思える佐藤さんの返事。が、そこに至るまでには5年以上の年月を要しました。元々器用ではなく、細かなことが気になり、臨機応変に立ち回るのが苦手な気質の佐藤さんは、無理がたたって倒れたことも数度。「最初は万人に喜ばれる店にしなきゃと必死でした。自分のキャパを超えてもすぐ気付かず、二度三度ダウンして初めて理解して。そこから自分に負荷をかけないよう、少しずつ改善しながらやってきました。やっぱり原点はコーヒー。それを柱にして、フードメニューも数を減らして厳選しました。ようやく最近、無理せず美味しいものを出せるようになった気がします」。そんな佐藤さんの言葉を受け、増田さんが続けます。「佐藤さんのコーヒーは、何か盛られているわけじゃない、見た目も普通の一杯でしょう。でも彼女のコーヒーの美味しさと想いは、きちんとお客さんに届いてるんです。出入りの業者さんが仕事を辞めた後も来てくれたり、体調不良で休む時期があっても、待っているお客さんがたくさんいたり。やれることをやってきた結果、普段から地元の方とヨソモノさん両方が来てくれる、地域に根差した店になっている。だからこそ、ああいうイベントが続けられるんですよ」。

話を聞いて思い出したのは、イベント時に参加者から聞いた「拠り所」という言葉でした。人に言えない悩みがあること。その悩みを抱えてしまうこと。精神的、体力的に揺らぎやすいこと。きっと多くの人が感じ、でも声高にいえないようなあれこれを、店主とお客さんが互いに認め合い開放できる拠り所、それが『Coffeeshop Hachicafe』なのです。

ヨソモノの佐藤さんが、新天地・弘前でもがきながら作り上げてきた住宅街のカフェは、今や街にとってかけがえのない場所となりました。店は今日も、そんなストーリーをひっそりと隠しながら、ただただ美味しいコーヒーを提供し続けることでしょう。

コーヒーと並んで人気のメニューは「ガトーショコラ」と「ベイクドチーズケーキ」。「ここに来たらこれがある、そんな安心感のあるメニューに」と佐藤さん。

「『ヨソモノカフェ』でうれしいのは、午前中から夕方までいてくれる人が多いこと」とふたり。「自分たちが無理のない範囲でできるように」と、開催は3ヵ月に一度ほど。

「夫の後押しや増田さんとの出会いがなければ、店は始められなかった。色々なご縁に感謝したい」と佐藤さん。店にはときどき、夫や子どもたちも顔をのぞかせる。

住所:青森県弘前市藤代2-14-5 MAP
電話:0172-35-3873
https://www.instagram.com/hachicafe/
※営業日や「ヨソモノカフェ」開催日についてはInstagramを参照

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

梅雨明け☆

 

 

 

 

 

この間、大雨の後に

 

 

 

 

 

 

虹が、、、虹音譜

 

 

 

 

これで長かったジメジメの季節がようやく終わりましたひまわり

 

 

 

夏の新作なども続々入荷しておりますので

デニム雑貨館、レディース館、メンズ館、キャラ工房

スタッフ一同ご来店お待ちしておりますルンルン

 

 

 

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暑いので水分補給もしながら美観地区をお楽しみ下さいね上差しキラキラ

 

 

 

 

 

 

ずっと変わらぬ思いで、江戸時代からの文化とともに、伝統の手仕事を受け継ぐ。[TSUGARU Le Bon Marché・御菓子司 大阪屋/青森県弘前市]

大阪屋の13代目・福井清氏。仕込みの際は凛とした職人の風格を漂わせながらも穏やかな物腰で、菓子にもその人柄が表れている。

津軽ボンマルシェたくさんの菓子屋が軒を連ねる城下町、弘前。

城下町と呼ばれるところには、昔ながらの和菓子屋が変わらぬ姿で残っていることがよくありますが、ここ弘前もそんな町のひとつです。城あるところ、銘菓あり。今や弘前はお菓子の町と言ってもいいくらいに、古き良き素朴な餅菓子を売る和菓子店はもちろんのこと、津軽のりんごをふんだんに使ったモダンなアップルパイを出すパティスリーまで、新旧、和洋、様々なタイプの店が、町中に無数にひしめいています。それでいて、どの店にもさり気ない中に個性があり、それぞれの良さが感じられるのです。弘前城の裏鬼門といわれる南西方向には、全国的にも珍しい、禅林街と呼ばれる33もの寺院が一同に集まるエリアがあり、そういったことも弘前の菓子文化が発達したひとつの所以ではないのでしょうか。お菓子好きにとっては、これ以上ワクワクする場所もなかなかありません。

寛永7年(1630年)に創業した、東北でも特に古い歴史を持つ『御菓子司 大阪屋』は、そんな弘前という町を代表する和菓子店のひとつ。弘前城のある弘前公園から、徒歩4、5分のところにある店は、蔵造りの風格ある門構えが老舗の重みを感じさせます。
店には、冠婚葬祭や様々な行事のおつかいものにと由緒ある菓子を求める客がいる一方で、日常のおやつとして、気軽に1個、2個と買いに来る、ご近所さんもいます。以前に紹介した『カネタ玉田酒造店』の玉田宏造氏も御用達だそうで、「歴史を感じるどっしりとした店構えで、弘前を代表する大店です。全てにおいて感嘆するばかり」と称賛しています。弘前の和菓子文化の重鎮的存在ともいえるこの店から、一体どんなお菓子が生まれてきたのでしょうか。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

店舗外観。弘前には古い建物が多く残り、町歩きが楽しい。『大阪屋』は昭和28(1953)年頃の建築で、弘前市の「趣のある建物」に認定されている。

店内の漆塗りのカウンターも建物ができた当時のまま。奥の壁をよく見ると、青森出身の板画家、棟方志功の直筆画がさりげなく飾られている。

息を呑むような繊細な模様が美しい螺鈿(らでん)細工の引き出しは、もともと津軽藩へお菓子を納める為に使われた「飾り蒸篭」だったものをリメイクしたという。

津軽家の牡丹の家紋が刻まれた引き出しの中には、お菓子が大切に仕舞われており、客から注文があると、ここから取り出す。

ショーケースに並ぶ上生菓子は季節で変わる。器は陶芸家・河井寛次郎の弟子でもあった、弘前出身の陶芸家・高橋一智の作品を使っている。

津軽ボンマルシェ京都で修業し、300年を超える伝統の技を受け継ぐ。

言い伝えによると、『大阪屋』の先祖はかつて豊臣家の家臣だったそうで、大坂夏の陣、冬の陣に敗れた際に、縁を辿って弘前までやってきました。その後は津軽藩2代目藩主・津軽信枚(のぶひら)の命で、藩御用達の菓子司として仕えたといわれます。初代・福井三郎右衛門から現在までのおよそ390年、その味と技は受け継がれています。

13代目として生まれた福井清氏は、子供の頃から菓子作りの現場を身近に見て育ちました。
「昔から甘いものは大好きでしたよ。子供の頃は、羊羹の切れ端をよくもらって食べていました。枠に流して固めた羊羹を切るときに、両サイドから細い切れ端が出るんですね。それをたくさんまとめて厚くしてパクッと。味は一緒ですからね」と笑いながら話してくれます。小さな頃から祖父母には「おめえはここを継ぐんだよ」と耳にタコができるほど言われていたそうですが、実際にお菓子を作ったのは、大学を卒業し、修業に出てから。4年間修業した、京都の老舗『亀屋清永』でのことです。
「私らの時代は丁稚奉公で、“昔は見て覚えろ”の世界。『菓子屋のせがれが餡玉(練り切りなどの芯になる部分、和菓子のベース)も作れないのか!』なんて怒られましたが、本当に何にも知らなくてね。1度に200、300とたくさん作るんですけど、均一の大きさでつるっときれいに丸くならないといけない。時間はかかるわ、凸凹になってしまうわで、何度も『やり直し!』と叱られて。だから、人が見ていないところで必死に練習しました。でも作ることは基本的に嫌いじゃなく、苦ではなかったですね。むしろ、お菓子作りは性に合っていたのか、楽しかったですよ。修業先の旦那さんには本当に良くして頂き、感謝しています」

京都では様々な経験をさせてもらったことが良い思い出として残っている、という福井氏。菓子だけに偏らず、幅広くいろんなものの世界を見ることで勉強させてもらったそう。例えば着物の新作発表会に出かければ、その絵柄や図案が、菓子作りのアイデアのヒントとして役立ったのだそうです。祇園の祭りに参加したり、神社の手伝いをしたり、京都の文化を肌で感じることも多く経験しました。それらの学びは、『大阪屋』の菓子に通じるどこか優美で気品ある風情と、芯の強い職人気質なものづくりのベースとなっているのかもしれません。

江戸時代の菓子の図案帖がいくつか残っており、今見てもそのデザインの美しさに圧倒される。「昔の職人は絵心もないといけない。大したもんだと思います」と福井氏。

1m以上ある巨大な鯉の菓子型。「これで菓子を作るときは落雁の下に雷おこしのような生地を敷いて壊れないようにしたのではないか」とのこと。

床に模様のように埋め込まれているのは、かつて使われていた石臼。昔は砂糖も藩から氷砂糖で支給され、自分たちで臼を挽いて上白糖にしていたという。

津軽ボンマルシェ江戸時代の伝統菓子を今に伝える「竹流し」と「冬夏」。

元は砂糖蔵だったという建物を改装し、現在は菓子作りの工房として活用している『大阪屋』。中へ入ると数人の職人たちが黙々と作業を行なっていました。この日作られていたのは、『大阪屋』を代表する銘菓の一つといわれる「竹流し」。薄く繊細な短冊状で、パリパリとした軽い食感、噛むほどにふわりと蕎麦粉の香ばしい風味が感じられる上品な味わいの焼き菓子です。その名の由来は、4代目の福井三郎右衛門包純(かねずみ)が、いまはなき西目屋村の金属鉱山・尾太(おっぷ)鉱山で行われていた、青竹の節に金を流す様子からヒントを得て創作したといわれます。うっすらと焦げ目の付いたベージュの焼き色は、磨く前のくすんだ金の姿を表しているとか。時の津軽藩主へ献上し、大変喜ばれたと伝えられており、この土地らしい歴史を感じさせます。

「竹流しは、実は一番手間のかかるお菓子なんです」と福井氏。材料は小麦粉と砂糖蜜、そして蕎麦粉だけ。ごく限られた材料だけに職人の腕が頼り。作り方は昔からほとんど変わっていません。
「西目屋は古くから蕎麦の産地で、昔の菓子屋は蕎麦も打って藩に献上していたそうです。めん棒一つでなんでも作るんですね。でも蕎麦粉と砂糖蜜をこね、めん棒で伸ばして竹流しを作ろうとしても、なかなかうまくいかなかった。4代目は随分と研究したようです。そこで小麦粉を入れて薄く伸ばし、最後に蕎麦粉を手粉で振って焼くことで良い香りを出しています」
伸ばした生地は小さな短冊状に切りそろえ、鉄板に並べてオーブンで焼きます。この作業がまた気を抜けません。薄い生地はあっという間に焼けていきますから、オーブンからいっときも目を離さず、火加減とにらめっこしながら、一番いいタイミングで火から下ろすのです。季節、天候や生地の状態によって焼き具合は変わってくるし、オーブンの癖もあるため、毎回一斉に焼きあがるわけではありません。鉄板にずらりと並んだ短冊生地から、ちょうど良く焼けた順に、微妙な時間差で1枚1枚選び取っているのです。職人の経験と勘がものをいう作業だからこそ、機械化が難しいのです。
「焦げ過ぎや、焼きむらのあるものは商品にできないので外すのですが、実はこのちょっと焦げ過ぎのものも結構おいしいんですよ。外には出回らない、職人だけのおやつです」と手渡してくれたのは焦げ目の付いた熱々の一枚。パリッとかじってみると、焼きたて独特のコクと深い香ばしさに包まれ、確かにこれはついつい手が伸びてしまいそうです。

江戸時代の技術を引き継いでいる菓子のもう一つに、「冬夏(とうか)」があります。名前の由来は、大坂夏・冬の陣で戦に敗れたことを忘れてはならない、という戒めの意味があるとか。和三盆に包まれた繭のような形をしており、ほんのり甘くサクッとした食感の軽焼で、かつて4代目が江戸で習い、覚えてきた菓子だそうです。当時は全国的に流行っていたらしいのですが、何分長い時間と手間を要する製法のため、現在作っている店もごく僅かで、ほとんど廃れてしまったといいます。
「だいたい出来上がるまで3〜5ヶ月くらいかかります。餅米に砂糖を入れたタネを仕込んでから数ヶ月かけて乾燥させ、じっくり熟成させる必要があるのです。タネを作ってすぐ焼くと、中がスカスカのがらんどうになってしまうんです。時間をかけて良い具合に乾燥させたものは、中がみっしり詰まって、ふわふわの心地よい食感になります」
その年の気候や米の品質、熟成具合でタネの様子が変わるので、ひとつは失敗してもいいよう1回につきふたつのタネを仕込まないといけません。福井氏は子供の頃、冬夏の失敗作を離乳食にして食べていたという、思い出があるそうです。

「手間のかかる菓子ですが、作り続けていかないと職人の腕が衰えてしまう。ご先祖様が習い覚えてきた技術を途絶えさせたくはありません。私たちが続けていくことで、江戸時代から伝わる和菓子の文化に少しでも興味を持ってもらえれば」と控えめな口調ながら、思いを込めて語ってくれました。

竹流しの生地をめん棒で伸ばす作業は、この道40年以上のベテランである職長の米谷繁則氏が行う。均一で繊細な厚みは、覚えた指の感覚で調整しているのだとか。

オーブンの中で、ほんのりと焦げ目が付き始めた竹流し。オーブンのない時代は直接火を焚いて作っていたため、夏場は暑くて大変だったという。

竹流し作りは段取りよく手早い作業が求められるため、スタッフのチームワークが重要。焼きあがったら熱いうちに木の重しで軽く押して平たく整え、どんどん木箱に詰める。

ずらりと並んだ竹流し。商品は一つの箱に60枚くらいが、きっちりと隙間なく詰められた状態で入っている。

津軽ボンマルシェ目新しさでなく、他では真似できない唯一無二を追求。

2019年11月より翌年3月まで、弘前市誕生130周年記念として、市立博物館で「殿さまのくらし―五感で味わう大名文化―」という企画展が行われました。実は弘前藩9代目藩主、津軽寧親(やすちか)は菓子に関心が高く、本人お手製の菓子を周りに振る舞っていた、という記録もあるそうで、藩主と菓子の関わりが紹介されました。福井氏も、江戸時代の菓子の再現や、その解説を行うために登壇するなど、この企画に協力したそうです。
「殿様がカステラや饅頭を作って配っていたそうなんですが、昔のカステラの配合表を見ると、今のようにしっとりしていなくて、パンみたいに硬いんです。この時代の菓子文化を改めて深く知ることができて、私もすごくいい勉強になりました。大勢の人の前で話をするのは、どうなることかと冷や汗をかきましたがね」

時に古い時代の菓子を復元することはあるけれど、『大阪屋』では新商品と呼ばれるような目新しい菓子はそうそう作りません。見ればホッとするような、馴染みの菓子が店に並び、ずっと変わらない様子が、『大阪屋』らしい魅力でもあります。それらはシンプルな素材で一見地味ですが、伝統を受け継ぎ、昔ながらの手法で、職人の丁寧な手仕事が細部まで行き届いた、他では食べられない唯一無二の菓子なのです。竹流しや冬夏は、かつては代々跡を継ぐ長男だけに製法を伝えられる秘伝だったそうですが、現在は若いスタッフの誰にでも作り方を教えているとのこと。伝統の味を次の時代へ残していくためにはそうする必要があるという福井氏の思いがあります。
「新しいものを作るのも手だとは思うのですが、菓子屋には、その店の味というものがありますので、私たちは長く受け継がれてきたうちの味を大切にしたいのです。お客さんには『おいしかった』とか、『綺麗だね』と言われたら、もうそれだけで十分に嬉しい。割と単純ですよ。いつもご先祖様に感謝して、この店を守り、地道に続けていくことで、和菓子業界に少しでも貢献できればありがたいと思っています」
終始穏やかな優しい口調で話す福井氏。しかし、そこにはお菓子への深い愛情と職人の誇り、そして先人への感謝の気持ちが一言一言に深く重く滲み出ていました。

竹流し(手前)と冬夏(奥)。弘前を代表する伝統的な和菓子として知られ、観光客も多く買いにくる。お茶はもちろん、コーヒーやお酒にも合う。

笑顔の福井氏。時代劇の好きだった祖母の影響で、子供の頃から神社仏閣や古いものが好きで、和菓子の歴史を辿ることもその延長だという。

住所:青森県弘前市本町20  MAP
電話:0172-32-6191

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コロナ禍によって見えてきた人類と自然の断絶。再び地球は蘇る。

今回の取材場所は「SHIBUYA SKY」。地上229mの所から見える景色からも「街や環境の微細な変化を感じますね」と石川直樹氏。

石川直樹 インタビュー悪いことばかりではなかった。立ち止まって向き合えた思考の広がり。

世界的にロックダウンや自粛を余儀なくされた数ヵ月間、様々なことが一変してしまいました。

そんな中、「悪いことばかりではなかった」と語るのは、写真家の石川直樹氏です。写真家として作品を発表し続けてきましたが、登山家、冒険家、作家など、ひとつの肩書きに留まらない横断的な活動をしています。

「今回のコロナ禍によって国内やブラジルのサンパウロで行う予定だった写真展、パキスタンへのヒマラヤ遠征など、全て延期になりました。これまで1年の大半を旅に費やしてきた自分にとって、こんなに長い間、同じ場所(東京の自宅)にいるのは初めてかもしれません。でも、これまでずっと振り返らずに走り続けてきたので、改めて自分自身と向き合い、色々なことを考え直す時間にもなりましたね」と石川氏。

一日は24時間、一年は365日。当然、アウトプットが増えればインプットは減ってしまいます。国内外を旅し、移動に次ぐ移動をしていると、先のことを「考える」にはちょうどいい時間になりますが、振り返って「考え直す」時間にはなりにくいのかもしれません。

「旅をすることはできませんが、映画を観たり本を読んだりして想像力の旅に出ることはできる。頭の中でイメージを巡らせ、今まで到達することのできなかった目的地に意識を飛ばし、ひとところにいながら新しいこと、今までやれなかったことに着手することができました」と石川氏は語ります。

読書による想像力の旅は、石川氏の原点でもあります。幼少期に通った学校は電車で約30分の場所にあり、手にはいつも本を持っていました。そのタイトルは、『トム・ソーヤーの冒険』、『ロビンソン・クルーソー』、『十五少年漂流記』など、冒険をテーマにしたものばかり。

石川氏は「通学中に本を読む時間が僕にとって旅の始まりでした」と言います。同時に「実際に移動し、旅をすることがどれだけ自分にとって大切なことかも改めて認識することができました」と話します。

活動は止まってしまっても、思考は止めない。

ネガティブなニュースや悄然(しょうぜん)とする記事がはびこる社会ではありますが、己との向き合い方や視点次第で、日常が戻ってきた時に備え、未来を描くことはできるのです。

そして、石川氏の活動の場でもある山など自然環境は、この時間をどう生きているのでしょうか。

【関連記事】生きるを再び考える/RETHINK OF LIFE 特集・10人の生き方

「自分にとって富士山は“見る山”ではなく“登る山”」。登るからこそ、その都度、新しい世界と出合うことができるのだという。

2009年に出版された石川氏にとって初の写真絵本「富士山にのぼる」。2020年に8ページを追加した増補版をアリス館より刊行。

石川直樹 インタビュー日本が誇る名峰・富士山は、孤独を得たことによって本来の姿を取り戻す。

世界中を旅する石川氏は、日本の中で特別な場所がいくつかあるといいます。そのひとつが「富士山」です。

「富士山は、これまで30回以上は登頂したと思います。富士山は“見る山”だと言う方もいますが、僕にとっては完全に“登る山”ですね」と石川氏。

その価値観は、石川氏の写真絵本「富士山にのぼる」のタイトルが物語っています。

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「みんながしっている富士山。とおくから何度も見ていた富士山。でも、そこに登れば、かならず、新しい世界にであうことができる。見なれた姿の中に知らないことがたくさんあることに、ぼくは気がついた」と。
それは富士山にのぼることにとどまらない、人生の真実を伝える言葉だ。
この絵本を通して、一歩、一歩、読者にも、前に進んでほしいと著者は願う。
どんな事でも、一歩、一歩、足を前に出すことしか、たどり着く方法はない。
この絵本は未来へ歩きだす子どもたちに差し出された、力強いバトンである。
(写真絵本「富士山にのぼる」作品紹介より抜粋)
―――

そんな富士山は、コロナ禍によって夏のシーズンは全ての登山道が閉鎖。人間との関係が遮断され、ゆったりした時間が流れています。

「富士山の全道閉鎖は、僕の知る限り初めてのことです。大勢の登山者によって絶えず登山道は踏まれ続け、どんなにその山が野生の力を備えていてもダメージは少しずつ蓄積されていきます。富士山のような人気のある山は特にそうでしょう。でも、これほどまで人が立ち入らない期間が長いと、富士山の自然はある程度再生されるはず。2021年の夏はよりいっそう鮮やかな自然に触れられるのでは」と石川氏は話します。

石川氏同様、富士山にとっても「悪いことばかりではなかった」のかもしれません。

「登山者のいないこの数ヵ月によって、自然環境は野生を取り戻すきっかけになったと思います」と石川氏。

例えば、大気汚染の度合いの変化が挙げられます。
ネパールの首都カトマンドゥから世界最高峰のエベレストが近代史上初めて目視できるようになったことは、その好例でした。

「ネパールは深刻な大気汚染に悩まされていて、中でも首都のカトマンドゥの公害はひどい。舗装されていない道から舞い上がる砂埃は、瞬きするだけで涙が出ることも。ゴミが原因のダスト公害や排気ガスなど、環境問題が深刻なカトマンドゥで、ヒマラヤ山脈の白い峰々やエベレストさえもが目視できたなんて、明らかに空気が澄んだ証拠。人間の活動がどれだけ大気に影響を及ぼしているかよくわかりますよね」と石川氏は言います。

空気の変化は、都心でも感じることができました。

今回、石川氏の取材先となった「渋谷SKY」は、地上229m。
(2020年8月31日まで、「渋谷SKY」にて石川直樹写真展「EXHIBITION SERIES vol.1 -EVEREST 都市と極地の高みへ-」開催中)
「渋谷から奥多摩や奥秩父の山まで見えたりして、奥行きのあるこのような景色を望むことができるのは、都心もまた空気が少しは浄化されたからではないでしょうか」と石川氏は言います。

緊急事態宣言とそれに伴う外出自粛によって、車の移動による排気ガスは抑えられ、店舗や商業施設などの一時閉店は、深刻な地球温暖化問題の一因となる室外機の排熱低減にもつながったと思います。

「外国の自然と日本の自然を比べると、日本では“機微”が感じられます。四季を通じた環境の繊細な変化が、多様な風景をもたらしてくれる。時の流れとともに表情の変化がきちんとあって、春夏秋冬で色彩も豊か。ヒマラヤだったら、春と秋の乾季と夏のモンスーン、そして雪に閉ざされる冬が繰り返され、日本の四季ほどの変化は当然感じられません。ちなみに、遠征でヒマラヤに行くと2~3ヵ月は現地にいることになります。その間、氷河の氷を溶かしたものが飲み水になるわけですが、砂なども混じっていて、意外と綺麗じゃない。そんな経験を経て久しぶりに帰国すると、日本の蛇口から出る綺麗な水が本当にありがたく思える」と石川氏は話します。

水もまた自然からの恵み。昨今、各界において「サスティナブル」という言葉に重きを置くようになりましたが、「水」はその原点なのではないでしょうか。

標高8,848m、世界最高峰のエベレスト。石川氏は2001年にチベット側から登頂。当時は世界最年少で七大陸最高峰登頂を記録。2011年にはネパール側からの登頂も果たす。

上記と同じ写真をモノクロームにしたものが表紙になっている「EVEREST」(2019年出版)。エベレストの他、ローツェやマカルーへの遠征で撮影された写真も含めて構成された一冊だ。

石川氏が2度挑戦したが、いまだ登頂できていない「K2」。2020年に再訪する予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大により、パキスタンに入国できず断念。

石川直樹 インタビュー約20年、世界中を旅してきた。その中でも通いたい場所と通わなければならない場所がある。

これまで世界中を旅してきた石川氏ですが、国内では定期的に訪れる場所があるといいます。それは、北海道の「知床半島」です。

「ただ美しい場所であれば、これまでたくさん見てきました。“通いたい”と思うようになるのは、やはり人との出会いがあったからです」と石川氏は話します。

もともとは仕事で訪れた知床ですが、地元の人々と交流を深め、現在では「知床写真ゼロ番地」というプロジェクトを立ち上げて、定期的に展覧会などを開催しています。

「このプロジェクトは2016年にスタートしました。以降、写真展やワークショップ、地元の人たちとの共同制作など、様々な活動をしています」と石川氏。

特筆すべきは、地域と一体になって活動していること。結果としてプロフェッショナルな写真とはまた別の、地元から発信される新しい知床の側面を伝える写真が生まれています。

知床では、漁業や農業、そして観光業が盛んです。
「コロナ禍の中にあっても、作物は育つ。特に第一次産業はこうした状況下に強いな、と改めて思いました」と石川氏は言います。

知床といえば、北海道の東部に位置する最果ての地。オホーツク海に約70km突き出たそこは冬になると流氷に覆われます。やはり石川氏は、雪に取り憑かれているのか、はたまた過酷な地に惹かれるのか……。

「僕は、端っこが好きなんです(笑)。北だけでなく南の沖縄にも頻繁に行っていますね」と石川氏。

そして、通わなければならない場所。それは「ヒマラヤ」です。

その理由は「自分自身を一度自然な状態に戻すため」だと言います。

「一年に一度、ヒマラヤに行くようにしています。デジタル化が急速に進んで、何もかもスピードが増すばかりですよね。何かを調べたり、探したりするのも、スマートフォンがあればすぐにできてしまう。そして、それだけで知っているつもり、行ったつもりになってしまいますが、そんなのはもちろん錯覚です。インターネットの数百文字から読み取れる情報と、その場所に行って全身で感じることとは、情報量も、その質も全く異なる。日々、インターネットで検索しているだけでは、人が持つ感受性が減退していくばかりだと思います。体験から得られる豊かさや多様性に勝るものはないでしょう。僕は、自身の目で見て、耳で聞いて、身体で感じたい。そういうごくごく当たり前のことをちゃんと気付かせてくれるのが、自分にとっては、ヒマラヤでの数ヵ月間の旅なんです」と石川氏は語ります。

石川氏にとってヒマラヤは、気付きの装置。

他の生き物同様、人もまたこの地球(ほし)の生き物。特別な存在ではありません。大地を踏みしめ、胸いっぱいに空気を吸い込み、胸の鼓動に耳を傾ける。

― 僕はちゃんと生きている ―

「ヒマラヤで、毎回、僕は生まれ変わっているような感覚を持っています」と石川氏。

2005年、世界自然遺産に登録された知床。石川氏は、地元の人々とともに「写真ゼロ番地 知床」プロジェクトを2016年に立ち上げた。これまで注目されなかった知床の新たな一面を、ワークショップなどを通して発信している。

石川直樹 インタビュー
大切なのは頂上の景色ではない。そこにいたるプロセスにこそ、物語はある。

「エベレストの頂上に行きたいけれど、ヘリコプターで行ったら意味がありません。頂上はたくさんあるうちのひとつのゴールでしかなく、そこにたどりつくまでのプロセスが大切。もちろんたどりつけなかったとしても」と石川氏は語ります。

そのプロセスの中には、想像を超える出来事や新しい自分自身の発見もあるそうです。

「自分はこういう状況ではこんなに弱かったのか」と思うこともあれば、「こんな場面では自分は踏ん張ることができるんだ」など、知らなかった自分の一面との出会いがあって、石川氏にとって旅が「思考を活性化させる」と言います。

効率よりも非効率、便利よりも不便、近道よりも回り道。時にはそんな選択も必要で、石川氏が選ぶカメラにも、それが表れています。

「プラウベルマキナという中判のフィルムカメラを使用しています。普通の35mmのカメラよりも重いのですが、僕にとってはこれが一番身体にフィットしています」と石川氏。

少しでも荷物を軽くしたいと思うのが登山者の心理ですが、それとは真逆の発想です。更に驚くべきは、1本のフィルムで10枚しか撮れないこと。過酷な雪山であれば、デジタルカメラにSDカードを入れて何千枚も撮る方が効率的で便利ですが、石川氏が選択したのは非効率と不便。

「でも、そのカメラでしか撮れない写真があるんですよ。僕は、とりあえず撮っておく、みたいな撮り方をしていないし、できないんです。デジタルカメラであれば、たくさん撮っておいて失敗したら消せばいいですが、僕のカメラではそういう撮り方はできない。人生も同じですよね。失敗したからといって、簡単に消すことはできない」と石川氏は言います。

「同じカメラを4台所有しています」と言う石川氏が使用するカメラは、プラウベルマキナ。傷や凹みもまた、ともに過酷な旅をしてきた証。

石川氏のエベレストの写真は、現在開催中の「EXHIBITION SERIES vol.1 ―EVEREST 都市と極地の高みへ―」にも展示。その迫力を自身の目で見て、体感してほしい。

石川直樹 インタビュー人は自然に抗えないということを再認識すべき。我々はこれからどう生きるべきなのか。

地球規模で巻き起こる今回の難局によって、色々なことがゼロ化されるのかもしれません。

「わずか0.1ミクロン以下の新型コロナウイルスによって、あれだけ揺るぎなかった日々が、政治が、経済が、根底から揺さぶられています。人間は自然の領域に踏み入りすぎてしまった。ウイルスは打ち克つための存在ではありません。環境を変えるのではなく、自分たちがこの環境に順応していかなくてはならない。ヒマラヤ登山において最も重要な“高所順応”とも似ています。周りを変えるのではなく、自分を変える。自然に抗ったり、侵したりするのではなく、自然への敬意を持ち、謙虚に生きていきたいですね」と石川氏は語ります。

この難局もまた人生のプロセス。世界に暗い影が落ちている今をどう生きるかによって、希望の光は見えてくるのではないでしょうか。

1977年東京生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年「NEW DIMENSION」(赤々舎)、「POLAR」(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年「CORONA」(青土社)により土門拳賞を受賞。2020年「EVEREST」(CCCメディアハウス)、「まれびと」(小学館)により写真協会賞作家賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した「最後の冒険家」(集英社)ほか多数。2016年に水戸芸術館ではじまった大規模な個展「この星の光の地図を写す」は、新潟市美術館、市原湖畔美術館、高知県立美術館、北九州市立美術館、東京オペラシティアートギャラリーなどへ巡回。同名の写真集も刊行された。2020年には「アラスカで一番高い山」(福音館書店)、「富士山にのぼる」(アリス館)を出版し、写真絵本の制作にも力を入れている。
http://www.straightree.com/

夏の暑い日に

皆さまこんにちは!

いかがお過ごしでしょうか??

梅雨明け宣言はされておりませんが暑い日が続きますね(ーー;)

美観地区でも蝉が鳴き出していよいよ夏本番といった感じです(°▽°)


そんな暑い日にオススメしたい食べ物が

コチラ!!



シャリシャリデニム(*´ω`*)

ラムネ風のソーダアイスなのです(°▽°)

夏の期間限定!!

倉敷テイクアウトでしか食べることができません!!

夏の暑い日にシャリシャリして食べてください笑

お値段は350円です。

美観地区に来られる際はぜひご賞味ください(・∀・)

暑い日が続きますので皆さまお体を大切にしてください(`・∀・´)

鬼神様に捧げられた青森にんにく発祥の地。物語があり、公共性があり、ビジョンがある、にんにくの話。[TSUGARU Le Bon Marché・鬼丸農園/青森県弘前市]

岩木山の裾野に広がる鬼丸農園のにんにく畑。かつてりんご園だった耕作放棄地に手を入れて、広大なにんにく畑を作っている。

津軽ボンマルシェ作るだけではなく、これからの農園は売り方も考える。

農業というフィールドで革新を打ち出す人は、大きく2つのタイプに分けられます。ひとつは、手間暇、採算を二の次に考え、ひたすら農産物の質を掘り下げる職人タイプ。もうひとつが、産物の質だけでなく販売ルートや加工品なども含めて戦略を練る経営者タイプ。もちろん、どちらのタイプも地域振興や農業の未来を考える上で、必要な存在です。
そして今回お会いした『鬼丸農園』の奈良慎太郎氏は、後者のタイプでした。

ひろさきマーケット』の高橋信勝氏は「意欲的な若手農家として期待している存在」と評し、『パン屋といとい』の成田志乃さんは、『鬼丸農園』のにんにくをふんだんに使用したおいしいパンを仕立てます。『おおわに自然村』三浦隆史氏や『岩木山の見えるぶどう畑』伊東竜太氏とは、同じ若手生産者同士、地域の農業を牽引していく仲間。
地域でも存在感を発揮しながら、『鬼丸農園』の名はいま全国でも知られつつあります。

“青森のにんにく”という一般名詞ではなく、“鬼丸農園のにんにく”という固有名詞での指名買いを目指す。奈良氏が思い描く、その戦略と内に潜む思いを伺いました。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

生産、加工、流通、販売などを全体的に手掛ける6次産業(現在、販売は分社化)として、農業の未来を模索する『鬼丸農園』。

若き経営者・奈良慎太郎氏の目線は、いつも遠い先まで見越している。

津軽ボンマルシェいくつもの偶然が重なって、やがて紡がれるストーリー。

奈良慎太郎氏は昭和57年8月、弘前市北部の鬼沢という地区に生まれました。鬼沢は岩木山の山裾に広がる標高200mほどのエリアで、弘前の鬼伝説の中心部である「鬼神社」を擁する歴史ある地。そして、そこは寒暖差のある高地というロケーションを活かしたリンゴ園が多くある地区でもあります。

はじめは農業とは無縁の職に就いていた奈良氏。成人すると、その鬼沢地区で父親とともに建設業を営みはじめました。しかし、28歳の頃、最初の転機が訪れます。りんご園を営んでいた親戚が農地を譲りたい、と伝えてきたのです。
当時は、ちょうど建設業が軌道に乗りはじめたときでもありました。農業は未経験の奈良氏でしたが、会社の人手も増えてきたことから、この話を受けることにしました。奈良氏は28歳にして、異業種からの農業デビューを果たすことになるのです。タイミングもあったのでしょう、奈良氏は「ちょっとやってみようかな、という漠然とした気持ちでした」と当時を振り返ります。

ところがはじめて見ると、これがたやすくできるほど農業は簡単な話ではありませんでした。とくにりんごは一年通して何かしらの作業が必要になる作物。建築業との二足のわらじでは手が回らなかったのです。軌道にのった建設業をないがしろにはできない。一方で、このままでは譲り受けた農地が無駄になる。奈良氏は試行錯誤の末、青森産のブランドが確立されつつあったにんにくの栽培に目をつけます。「秋に作付けして、夏に収穫。建設業の繁忙期とも重ならない。これなら効率的にできる、と思いました」

偶然は続きます。りんごに変わって作り始めたにんにくを収穫してみると、その質が明らかに高いのです。にんにくの糖度は一般的に39度〜40度。ところがここで育ったにんにくはそれよりも、平均2度ほど高かったのです。

「『なぜだろう?』といろいろ考えてみました。寒暖の差が大きい気候や岩木山由来の火山灰土は関係しているとはすぐに分かりました。しかし、それよりも大きいのが土の状態だったのです」

というのも通常は水田の転作として作付けされることが多いにんにくですが、こちらはりんごが実をつけていた豊かな土壌。露地栽培でその栄養をたっぷりと吸ったにんにくが甘く育つのは必然のことだったのです。
「りんごの力に助けられて育つにんにく。弘前らしいですよね」

『鬼丸農園』のにんにく栽培で使用するのは、りんご園の耕作放棄地。豊かな栄養が糖度の高いにんにくを育てる。

重機で慣らした奈良氏はフォークリフトの操縦もお手の物。広い倉庫を自在に走り回る。

新規就農だからこそ、人以上に熱心に学んだという奈良氏。にんにく栽培を開始する際には、一年に渡り産地に修業に出た。

津軽ボンマルシェ弘前の鬼伝説の舞台となった、青森にんにく発祥の地。

偶然はそれだけではありませんでした。
鬼沢地区の鬼神社を舞台とした鬼伝説。これも奈良氏の仕事に大きく関わってきます。

弘前の鬼伝説、それはかつて岩木山に住んでいた鬼が農民と親しくなり、困った農民のために一夜にして堰を作り、畑を拓いたという逸話。優しく、農民の敬愛を集める鬼、ゆえにこの神社の「鬼」の字の上には、角にあたる「ノ」がなく、この地区では節分に豆まきをすることもないといいます。

さて、そんな鬼神社で宵宮が開かれたときのこと。奈良氏は、弘前の歴史を研究する先生と同席することになります。そして、その先生の口から、この地が青森にんにくの発祥の地であることを聞かされたのです。

「鬼の好物がにんにくだったということで、神社ににんにくが奉納されることは知っていました。しかし、この地が青森のにんにく栽培発祥の地ということまでは知りませんでした」

りんご園の土が作る甘いにんにく、にんにくが好きだった鬼の伝説、そしてここが青森のにんにくの発祥の地という事実。さまざまな要素が絡み合う、鬼沢のにんにく作り。

「これでストーリーが繋がった、と思いました」

奈良氏は、この偶然が紡いだ物語を軸にブランディングに乗り出しました。

静謐な空気が印象的な鬼神社の境内。角である「ノ」のない「鬼」の文字が、この地に伝わる鬼の善性を表す。

鬼神社にお参りする奈良氏。ここで毎年開かれる「鬼沢のハダカ参り」は、奈良氏の大切なライフワーク。褌一丁で水を浴びる奇祭で、近年全国的に知られつつある。

鬼沢という地名、鬼神社、そして『鬼丸農園』。「鬼」という印象的なワードが、ブランディングの中軸をなしている。

津軽ボンマルシェ耕作放棄地を利用することで、地域の問題も解決する。

奈良さんへの追い風は、地区の状況にもありました。
それは高齢化をはじめとしたさまざまな理由で引退、廃業するりんご農園の存在でした。耕作放棄地は持っているだけで維持費がかかる、所有者にとってはいわば負債でもあります。りんご園だった土地を、『無償で構わないから使ってほしい』と奈良氏に申し出る人が数多くいたのは当然のことでもあります。

奈良氏には、元りんご園の土地でにんにくを育てた実績があったことも大きな要因だったのでしょう。奈良氏の元には、そんな依頼がいくつも飛び込んできたといいます。
一般的には、耕作放棄地であったりんご園を畑として使えるようにするには、根の排除などを業者に依頼する必要があります。しかし、奈良氏の本業は建設業。自前の重機で障害物を取り除くのもお手の物です。
こうして地域の環境を守り、地域住民の悩みを解決し、そして初期投資なしで農地を拡大するというwin-winの関係ができあがりました。

現在、奈良氏が借りている耕作放棄地は約15箇所、広さは約10ヘクタール。気づけば『鬼丸農園』は、弘前市内で最大のにんにく農家になっていました。建設業との二足のわらじではなく、農業に本腰を入れる農事組合法人も立ち上げました。

鬼沢地区にはりんご園が多く、耕作放棄地も増加傾向。『鬼丸農園』の存在は、農地の有効活用として地域の役に立っている。

「結果論ですが、水はけの良い火山灰土が、にんにく栽培に適していました」と奈良氏。古くからにんにく栽培の歴史があるのは、この土壌のためかもしれない。

『鬼丸農園』は露地栽培が中心。収穫時の降雨量が多いとダメになってしまうなど、リスクはあるが、土壌と気候の恩恵を最大限に受けることもできる。

津軽ボンマルシェ販売経路まで考えることが、これからの農業のブランディング。

この土地ならではの物語に支えられた『鬼丸農園』のにんにく生産は、右肩上がりで増加しました。同時に『鬼丸』というインパクトある名前のにんにくは、首都圏や関西でも少しずつ知名度を増しています。

しかし奈良氏の目は、さらに先を見つめています。これこそ、奈良氏が経営者タイプと書いた故由。農業の未来を作る第一歩は、労力に見合う収入をしっかりと得られること。ブランディングだけではなく、経営者タイプにはより具体的な販売戦略も必要とされるのです。

「極端にいえば農作物は、収穫した瞬間から劣化が始まります。つまり、それは他の産業に比べて、買い手の存在がより重要になるということ。ただ良いものをたくさん作れば良いというのではなく、売り方、つまり出口の部分まで見極めた上で作付けしていくことが重要です」

先行投資としてマイナス2度の貯蔵用冷蔵庫を導入したのは、収穫期だけでなく通年一定量のにんにくを出荷するため。生産者としての情報はSNSで発信し、反対に消費者の声はイベントなどで丁寧に拾い集めます。その声をもとに、ニーズを捉えた加工品も次々と開発。近隣農家からの買い付けも行うなど、地域生産者の応援する体制も整えています。
また、近年では「作ることと売ることには別の能力が必要」との思いから、営業のプロフェッショナルをヘッドハンティングし、販売部門を分社化しました。すべては売り方、つまりアウトプットを見定めるための戦略。

育てる、加工する、売る。そのすべてを計算した『鬼丸農園』の存在が、おいしいにんにくを消費者に届け、耕作放棄地の再利用により地域を支え、そして青森の農業の未来も切り開いていくのです。

先を見越した投資も経営者の資質。この大型冷蔵庫は80tのにんにくを貯蔵できるが、収穫時には満杯になるという。

撮影時に通りかかったリンゴ農園『ちかげの林檎』石岡千景氏とともに。同級生でもある石岡氏とは、刺激を受け合う仲間。

小分けパック、二段熟成の黒にんにく、にんにく麹たれなど、ニーズを捉えた加工品も展開し、好評を博している。首都圏、関西圏の大型スーパーでも取り扱いがある。

住所:青森県弘前市鬼沢276-23  MAP
電話:0172-98-2485
http://onimarunouen.com/

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アレックス・カーが耳打ちする「本当は教えたくない」祖谷の旅ツアー開催![徳島県三好市]

推定樹齢1100年ともいわれる五所神社の大スギ。ダイナミックな祖谷の自然の中でもさらに「奥」の魅力を開拓する、それが今回の旅のテーマのひとつ。

アレックス・カー × 徳島県・祖谷「千年のかくれんぼ」と称される秘境・祖谷を巡る旅。

東洋文化研究家、作家として活躍するアレックス・カー氏が、徳島・祖谷の地に魅せられ、住居を構えたのは40年以上前のこと。深緑の山あいに佇む別世界は桃源郷さながら、悠久の時を閉じ込めたかのようにひっそりと人々が暮らすこの地は「千年のかくれんぼ」とも称され、古き良き原風景は訪れる人に感動を与え続けています。

2020年9月、アレックス氏自らがナビゲーターとなり、知られざる祖谷の風景や魅力をご紹介する「祖谷の旅」が幕を開けます。これまでに数多くの『DINING OUT』のホストを務め、『ONESTORY』とも親交の深い彼が、今だからこそ伝えたい祖谷の姿、そして、今だからこそ追求したい観光の意味に触れる旅とは、どのようなものなのでしょうか。

山肌に沿うように霧が立ち込める景色が幻想的な祖谷地区。険しい山々と深い峡谷に遮られた陸の孤島には、独自の生活習慣や習俗、口承文芸などが残される。

アレックス・カー × 徳島県・祖谷知られざる祖谷の魅力が、心に深く浸透する旅を届けたい。

「第一は、古くからの景観を美しく維持していることです」
心から素晴らしいと感じる地域の条件とは?との問いに、こう答えたアレックス氏。

中でも祖谷は一般的な日本の風景と大きく異なり、田んぼがほとんどなく、山の傾斜地に住居が建つ、全国でもあまり例がない場所だといいます。

「茅葺きの家が点々と建ち、畑が斜面に流れ、遠く眼下に川を眺められるという別世界――険しい山々が創る雲の上の「秘境」という言葉がふさわしい、世間からかけ離れた雰囲気を持ちあわせています」

傾斜地に人が住んでいる村はイタリアなどにもあるといいますが、深い渓谷に沿って密集するジャングルのような木や苔、川といった自然に囲まれた祖谷の風景は、日本特有の自然環境だからこそもたらされたもの。その深緑こそが、世界でも類を見ない神秘性を感じさせるのです。

山あいにひっそりと佇む有宮神社に続く石畳の参道。『onestory』でも初めての紹介となる、アレックス氏のお気に入りの場所だ。

有宮神社に隣接する森。澄んだ空気に包まれ、巡るほどに心身が浄化するような感覚に。

アレックス・カー × 徳島県・祖谷「奥」にこそ、本当に美しい場所がある。

第二の故郷として、長く祖谷と関わりを持ってきたアレックス氏。自然農業や古民家、風習の保存といった事業にユニークかつ前進的に取り組んだ結果、祖谷は知る人ぞ知る名地として知名度を上げていきました。

「祖谷を特徴付けるもののひとつが、保存された古民家の数々です。古材を活かしながらも水回りなどは整備し、快適に滞在できるようにしています」

アレックス氏が語るように、落合の8つの古民家は比較的モダンなスタイルで修復した一方で、彼の心を強烈に揺さぶり、自身で購入するに至った「篪庵(ちいおり)」は、時代の古さをそのままに、ディープで古典的な感覚が残されています。

「今回のツアーの目的は、まず旅行者に祖谷のありのままを知っていただくこと。観光名所を回るのではなく、茅葺きの家、山、霧が、深く心の中に浸透する旅になってほしいと考えています。

発見こそが旅の本来の目的であるはずなのに、決まったルートばかりを歩み、「奥」の魅力的な場所を追求しない……そうならないように、今回は一般的に知られている祖谷を敢えて紹介せず、奥に秘められた美しい場所にみなさまをお連れします」

アレックス氏が約50年前に購入し、2012年に改修を行った滞在施設「篪庵(ちいおり)」は、もちろん今回の旅の行程にも含まれる。美しく保存された古民家の素晴らしさをこの目で確かめたい。

アレックス・カー × 徳島県・祖谷幻の味をもう一度。ツアーのハイライトは「祖谷ヌーヴェルランチ」。

祖谷の旅をさらなる高みへと昇華させるのが、地域の美味を知り尽くした地元の料理人が作るコース料理です。

供されるのは、郷土の歴史や文化を表現した「祖谷ヌーヴェルランチ」。世界農業遺産認定の、急傾斜地の畑で穫れる食材を贅沢に使用した料理の数々は、この場所でしか味わうことはできません。

「2013年に開催された『DINING OUT IYA』、その革新的な取り組みから7年の間に進化を重ねたプレミアムな祖谷の味覚を、どうぞお楽しみください」

2日目の昼食に供される「祖谷ヌーヴェルランチ」は、7年前の『DINING OUT IYA』に携わったスタッフが手がける。命名はアレックス氏によるもの。

アレックス・カー × 徳島県・祖谷コロナ禍で気付いた観光の本質。心を揺さぶる未知の体験を。

近年は「観光(ツーリズム)」そのものが自身における重要なテーマだと語るアレックス氏。過疎と高齢化に苦しむ祖谷は観光こそが命綱であり、だからこそ篪庵(ちいおり)と落合の家の修復を通じて、地域の活性化を目指してきたという背景があります。

「お客様をどこにお連れすれば、祖谷の自然が静かに吟味できるのか。どう説明すれば祖谷の美しさが伝わるのか。料理もとても大事で、だからこそどこでも食べられる『温泉懐石』ではなく、地元の素材を使った新しい料理に力を入れています。

コロナ禍により大勢の人が集まるような場所を避けたくなるご時世ですが、それがきっかけとなり、これまでに当たり前に思っていた観光の意味を考え直す機会になりました。特別感こそが旅の醍醐味だと、今はそう考えています」

古民家を「快適で美しく直した」と同時に、観光も快適で美しく立て直したい、それがアレックス氏の思いです。

古民家「徳善屋敷」の近隣から渓谷を望む。重要文化財に指定されながら今も人が住まう家は深緑に囲まれている。

西祖谷に位置する五所神社の社。このすぐ横には、冒頭で紹介した五所神社の大スギがのびのびと枝を伸ばして立つ。

アレックス・カー × 徳島県・祖谷未知の自然環境と出合うことによって、人生の発見が待っている。

「交通や通信が発展し、身近になった現代人にとって、旅行は簡単なものになりました。そのために特別感は失われ、SNSで知り得た有名な観光スポットで写真を撮れればそれでお終い、という旅が一般化していることを憂慮しています。

祖谷を訪れるということは、全くの別世界、未知の自然環境と出会うということです。下から湧きあがる幻想的な霧は、本当に美しく心揺さぶられるもの。日常から離れ、自然の静けさ、済んだ空気の中に、旅の魅力、ひいては人生の新たな発見が待っているかもしれません」

未知の秘境に立ち、その風景を眺める時、何を感じ、何を思うのか。
この旅でしか出合うことのできない祖谷に、ぜひ身を委ねてみてはいかがでしょうか。


※2020年7月16日時点では実施を予定しておりますが、今後、更なる新型コロナウイルスの感染拡大や災害の危険性などにより、本ツアーが延期及び中止の可能性もございます。参加申し込みをされるお客さまには、事前にご連絡をさせて頂きますが、あらかじめご了承のほど何卒宜しくお願い致します。
 

▼ ツアー参加はこちらから

1952年にアメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の葺き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社を設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

IRON HEART x KADOYA HEAD FACTORY パンチングレザージャケット

KDDOYAの熟練の職人さんによるHEAD FACTORYとのコラボデル

  • パンチングは熟練の職人さんよるひとつひとつ手作業にて作成
  • 1.6mmの牛革を仕様軽さと丈夫さを兼ね備えています
  • シアルナンバー付き
  • パンチングによる風通しの良さで春夏のライディングに最適
  • アイアンのサイズ感よりも少し小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい

IHJ-94:サイズスペック

着丈 肩幅 バスト 裾回り 袖丈
S 63 43.5 104.5 101.0 64
M 64 44.5 108.5 105.0 65
L 65.5 46 112.5 109.0 66
XL 67 47.5 116.5 113.0 67
XXL 68.5 49 120.5 117.0 68
  • 商品は若干の誤差が出る場合がございます。

素材

  • 表地 牛革 : 100%
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  • 裏地 ポリエステル : 100%
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創業350年の伝統を誇る津軽打刃物を、次の世代へ伝え、世界に広げていく。[TSUGARU Le Bon Marché・二唐刃物鍛造所/青森県弘前市]

鉄を叩く、7代目の吉澤俊寿氏。職人仕事はあまり得意ではなかったそうだが、「津軽打刃物」の歴史と伝統を守るために東奔西走。若い世代へと繋ぐために現在も奮闘中。

津軽ボンマルシェ津軽の歴史とともに歩んだ製鉄業。

「鬼に金棒」といったら、怖いもの無しの強さを表す言葉ですが、鬼と金棒は、思った以上に深く結びついている、と津軽の地に来て知ることになりました。

名峰・岩木山の麓には、製鉄遺跡が多数発掘された一大地帯があります。大半は平安時代からのものといわれていますが、同時代の日本の他の地域とは異なる、独自の形式を有する遺跡もあり、もっと古くから製鉄が行われていたのではないかと考えられています。

この地域に多く伝わるのが「鬼伝説」。点在する小さな神社の鳥居には、全国的にも珍しい「鳥居の鬼コ」と呼ばれる小さな鬼の彫り物がちょこんと鎮座している姿を時々見かけます。鬼コは悪者、怖い鬼というよりも、ちょっとユーモラスな明るい風貌で、地域を守る強く頼もしい神様のような存在として親しまれています。この辺りでは節分の時も「福は内、鬼も内」と言うそうです。この鬼というのが、鉄を扱う民だったのではないか、と伝えられているのです。炉の炎で顔を真っ赤にしながら、一心不乱で熱い鉄を打つ様子に、まるで鬼のようなパワーを感じたのかもしれません。

岩木山麓には「鬼沢」という地名もあり、そこには「鬼神社」という名の通り、鬼を祀った神社があります。「村人たちが水不足で困っていると、山から降りて来た鬼が一夜にして水路を作り上げ、田畑の開墾を助けた」という伝説が残っています。鬼神社の御神体はなんと鉄の鍬。拝殿には古い農耕具が飾られ、製鉄の技術が村人たちにとって大切なものだったことを物語っています。鬼(鉄の民)と金棒が村人たちの暮らしを支える、ありがたい存在だったのです。

一方で、弘前市内には「鍛冶町」という地名があります。弘前っ子にはお馴染みの、市内最大の繁華街。現在は飲食店が無数に軒を連ねる楽しいエリアですが、ここはかつての城下町であり、江戸時代初期には100軒以上の鍛冶屋が建ち並んでいたといわれています。当時、藩お抱えの鍛治職人たちは、戦となれば鎧や刀などの武器を製造。やがて農耕具や日用品なども作るようになり、明治時代になると軍用品などの注文を受け繁栄していたそうです。

こうした津軽の長い歴史の中に深く根付いている製鉄の技術や文化を、今に伝えている会社があります。それが、津軽藩政時代から350年以上続く伝統の鍛造技術を誇り、「津軽打刃物(つがるうちはもの)」を作り続けている『二唐(にがら)刃物鍛造所』です。以前に紹介した『カネタ玉田酒造店』も創業330年、同じ歴史ある老舗の職人同士だからか、玉田宏造氏も予てより吉澤氏と親しくしているとのこと。老舗酒蔵お墨付きの刃物となれば、一層興味は深まります。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

工場に掲げられた書は、吉澤氏の母である書道家・吉澤秀香さん作。「和衷共済」には「一つの目的に向かってみんなで力を合わせ、笑顔で頑張ろう」という思いを込めた。

津軽打刃物の制作を担うメンバー。左端は三男の周氏、隣は長男・剛氏、右の二人は地域おこし協力隊として修業中の静岡出身・花村英悟氏と東京出身・丸山敦史氏。

津軽ボンマルシェ苦手だったものづくり、努力と信念で受け継ぐ。

工場に一歩足を踏み入れると、轟々燃え盛る炎と、カーンカーンと響く音。ハンマーを打ち下ろすたびに、赤い火花が勢いよく飛び散り、そこには昔ながらの手仕事の姿がありました。職人たちはそれぞれの持ち場で黙々と手を動かしています。制作されているのは、主に包丁などの刃物。1200℃の炉で熱した鉄と鋼を叩いて接合する「鍛接」、鉄を叩きながら刃物の形を整えていく「荒延ばし」など、包丁作りには23もの製造工程があり、どれも神経を集中して行う、気の抜けない作業。精巧な、高い技術が求められます。

「私は手先が不器用で、実はものづくりはあんまり好きじゃないんです」と意外な一言を告げたのは、7代目代表の吉澤俊寿氏。青森県伝統工芸士であり、弘前市が創設した優れた技術者に認定される「弘前マイスター」にも選ばれていますが、寡黙な職人というより、明るく陽気でおしゃべり好きなイタリア紳士といった風情。ファッションにも関心が高く、昔は“ロン毛”だったとか。お洒落なメガネをコレクションしたり、その日の気分や服に合わせたり。読書が趣味で、さらにアート好きというのですから、こちらが勝手に想像していた鍛冶屋の印象がガラリと変わりました。

吉澤氏の祖父である5代目の故・二唐国俊は、日本刀作りの技術で数々の賞を受賞し、県無形文化財保持者である、優れた名工だったそう。叔父である6代目の故・二唐国次に後継ぎがなかったため、吉澤氏は中学生になると家業を継ぐ者として、夏休みには工場の手伝いをし、大学を卒業すると、22歳で本格的な厳しい修業に入ることになりました。
「先代は頭の切れる人で、みっちり仕込まれました。自分は苦手と思いながらも、一番長く苦楽を共にした人。今の自分があるのは、先代が厳しくやってくれたおかげです。本当に感謝しています」と吉澤氏は当時を振り返ります。

『二唐刃物鍛造所』のもう一つの大きな柱となっているのが鉄構事業。

城ごと移動させる曳屋工事で話題にもなった弘前城。移動時の基礎部分や、石垣の解体・補修工事のために組まれた鉄骨の製造を請け負った。(写真提供:二唐刃物鍛造所)

弘前城天守内部。2020年現在、城の耐震補強目的で組まれた仮置き中の鉄骨も、『二唐刃物鍛造所』で製造されたもの。

津軽ボンマルシェ鉄構事業がもう一つの柱となり、津軽打刃物は世界へ進出。

吉澤氏の修業時代は平坦な道ではありませんでした。時代と共に、世の中のニーズは刻々と変化し、代々伝わる刀づくりの技術を継承していきたい一方で、それだけでは売上は下がるばかり。吉澤氏は製造の傍ら、店頭に立って刃物販売のノウハウを身につけたり、飛び込みで営業したり。ありとあらゆることを実践し、会社を支え続けました。そうして鍛冶屋が衰退の一途を辿っていた頃、6代目が立ち上げたのは鉄構事業でした。長年受け継がれてきた金属加工技術を鉄骨製造に応用し、やがて事業の大きな柱となっていきます。建設現場の鉄骨から住宅用の防雪フェンスまで、多岐にわたる製造を請け負い、その仕事は弘前城をはじめとする文化財建造物の耐震補強や、ねぷた祭りの骨組み製作などイベント関連にも波及。近年では、東京の商業施設「GINZA SIX」の天井からぶら下がるアート作品の骨組みを製作したこともありました。吉澤氏も溶接管理技術者一級の資格を取り、自ら鉄構事業に関わるようになっていきました。
「現在のうちの売り上げの90%は鉄構事業なんです。この大きな支えがあるおかげで経営が安定し、歴史ある打刃物を途絶えさせることなく継承していける。一方で、津軽の伝統工芸である打刃物が広告塔となって、うちの事業に注目してもらえるのだからありがたいことです」

2008年より、弘前商工会議所による津軽打刃物のブランド化プロジェクトがスタートし、再び脚光を浴びることになりました。日本だけでなく、フランスのインテリア・デザイン系国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」やドイツで開催される世界最大級の消費財見本市「アンビエンテ」など国際的なイベントに刃物を出展する機会に恵まれ、海外からも高い評価を得ました。切れ味の良さやデザイン性の高さは、プロの料理人に支持されています。
常に外部へ情報発信することに努力を厭わず、自分たちでオリジナル商品を生み出していることも強みだという吉澤氏。特に「暗門(あんもん)」と呼ばれる独特の模様が入った包丁は自信作で、世界遺産である白神山地の麓にある「暗門の滝」をイメージし、揺らめく波紋の繊細で神秘的な美しさを表現しています。他にはない個性的なデザインが、海外でも大きな反響を呼びました。
「でも実はこれ、最初のインスピレーションはアンディ・ウォーホルが描いた、ジョン・レノンの絵がヒントなんですよ。僕はどっちも大好きで。ジョンのメガネの部分が波のような不思議な模様になっていて、そこからピンと来たんです」とお茶目に笑う吉澤氏。アートや音楽など幅広い分野に興味を持ち、あちこちにアンテナを巡らせて常に感性を磨いてきたことが、制作にも大いに反映されているようです。ストイックに技術を高めることももちろん大事ですが、幅広い視野を持つことが、新たな扉を開くと吉澤氏は説きます。
「ものづくりは苦手だけれど楽しいですし、すごく面白くてやりがいがありますよ」

制作中の「暗門」の包丁が並ぶ。鉄と鋼を何層にも重ねて磨き上げる特殊な技術を必要とする。

海外にも出品した包丁やペーパーナイフ。同じく青森の伝統工芸である津軽塗やこぎん刺しともコラボ。椅子やテーブルもオリジナルで、看板や土木に使う鉄材をリメイク。

吉澤氏の直筆デザインノート。普段からいろんなものを見るように意識していると、ある時ふとアイデアが湧いてくるのだとか。思い浮かんだらどんどん描き溜める。

津軽ボンマルシェ次の若い担い手へと引き継がれていく未来に向かって。

現在、刃物部門を牽引しているのは、いずれ8代目となる、吉澤氏の長男・剛氏。吉澤氏と嗜好が似ているのか、実は映画や小説が好きで、かつては小説家や脚本家に憧れていたこともあったそう。しかし6代目が亡くなる時、吉澤氏は病床に呼ばれこう遺言を授かったそうです。「剛を手元に置いて育って欲しい」。最初は興味がなかった剛氏でしたが、「3年目くらいから少しずつものづくりの魅力に気付き、面白くなっていった」といいます。転機が訪れたのは5年目のとき。頼りにしていた兄弟子が抜け、自分で全てを背負わなければならなくなり、納期に間に合わせるために夜中の3時まで必死で制作、納品したにも関わらず、ほとんど返品されてしまった、という苦い経験がありました。
「その時の気持ちは今も肝に銘じています。ものの品質を見る目、お客様の厳しさ。あの時は心折れそうになりましたが、ものすごく勉強させてもらいました。正直未だに自分のことは鍛冶屋だと思っていなくて、『これでいい』と思ったことはありません。まだまだ未熟者です」

一方で三男の周氏は「兄貴が大変そうだったので、助けになればと思って入りました。高校時代にインターンシップで試しにやってみたら『腕がいい』と言われ、やる気が出たんです。自分の成長を楽しみながら続けていきたい」と明るく話します。地域おこし協力隊として、20代で県外からIターンでやって来た花村氏と丸山氏は、13名の応募者から選ばれたという精鋭。花村氏は以前より趣味で金属加工や刃物などをつくっていたそうで、実用刃物をもっと追求していきたいと職人魂をみせています。手先が器用で時計修理技能士の資格も持つ丸山氏は東京から家族みんなで引っ越して来たそうで、仕事への強い思いと覚悟を感じます。
「彼ら3人が来なかったら、自分はもっと未熟だったと思いますし、お互いに刺激を受けています。自分が教えるなんてまだまだおこがましい立場ですが、先輩として負けてはいられないという気持ちです」と剛氏は話します。

剛氏の次なる目標は、日本刀をつくる「刀匠」を目指すこと。そして「津軽の刃物の知名度をあげ、その魅力をもっと広く世界へ伝えていきたい」と真摯に語ります。吉澤氏は、剛氏を中心とした若手世代が安心して前に進みやすいように、「後ろから後押しすることが自分の役目」だといいます。そして、「一生懸命やっているならそれを認め、見守り、口出しはせず、経済的なサポート体制を整えることが私の仕事です」と続けてくれました。
先祖代々が苦労して続けて来た永きに渡る伝統の炎を決して絶やしてはならない。その言葉には、ひたむきな思いとともに、次の担い手へと手渡され、さらにその先の未来へ続いていくことへの揺るぎない決意が感じられるのでした。

鉄と向き合う剛氏。「息子が刀匠として刀鍛冶を復活させたら自分は一つの役目を終える」と吉澤氏。剛氏に任せたことで販路も良い意味でガラリと変わり、社は改革された。

剛氏が壁に貼った紙。近代建築の巨匠の一人といわれるドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエの言葉を心に刻む。

伝統の刀を握る吉澤氏。手に持つとずっしり重いが、繊細でするりと滑らかな刃先が精巧な技術を物語る。

「人っこがいい」とは津軽弁で人がいいことを表す言葉。「心良く、一生懸命やっていれば、それでいい」と朗らかに話す吉澤氏。「和衷共済」の思いを若い世代に伝える。

住所:〒036-8245 青森県弘前市金属町4-1  MAP
電話:0172-88-2881
https://www.nigara.jp

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

倉敷限定☆デニム箸

 

 

 

こんにちは晴れ

この前、とうとうセミの鳴き声を聞きましたひまわりもう夏ですね

 

 

さて、今回はデニムのご紹介!!、、、

ではなく!!デニムのお箸のご紹介ですキラキラ

 

 

倉敷デニムストリートの隣には

倉敷遊膳というお箸のお店があるのですが

 

 

そのお箸やさんで人気の商品がなんと
和蔵のジーンズをモチーフにしたデザインのお箸なんですキョロキョロキラキラ

 

 

 

こちらが倉敷遊膳オリジナルのお箸

デニム箸です!!(デニム生地ではありません笑)

 

まるでお箸がジーンズを穿いているようですねニコニコルンルン

 

 

 

カラーは

青色、白色、赤色、水色、黒色の

5色展開となっています音符

 

家族やお友達、カップルでお揃いにしたいですねラブラブ

 

 

 

これだけでも充分可愛いお箸なのですが

よく見ると、、、裾がロールアップされている、、、!!

 

 

細かいところまでこだわっていてビックリです目キラキラ

 

 

 

 

名前彫刻も無料で出来るので、

特別感がより出ますねグッルンルン

プレゼントやお土産にもピッタリですキラキラ

 

 

他にも、遊膳にはデニムのランチョンマットやコースター、デニム柄のお皿など

可愛い箸置きやお箸も沢山の種類が置いてあるので

見るだけでもワクワクするお店ですルンルン

 

 

倉敷にお越しの際には

是非、倉敷遊膳にも立ち寄ってみて下さいね流れ星

 

 

 

 

 

 

台湾の美食家たちを魅了した、全く新しいコンセプトの輪島塗と名店の料理のコラボレーション。[DESIGNING OUT Vol.2×祥雲龍吟/台湾台北市]

互いを高め合う料理と器。光の反射まで計算する稗田シェフの技も光る。

デザイニングアウト Vol.2伝統を再解釈して誕生した現代の新たな輪島塗。

日本の伝統工芸や産業に現代のクリエイションを加え、新たな価値を創出するプロジェクト『DESIGNING OUT』。世界的建築家・隈研吾氏をプロデューサーに迎え、「輪島塗」をテーマにした『DESIGNING OUT Vol.2』は、1年以上の準備、製作期間を経て過去前例の無い輪島塗の器を『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』(2019年10月開催)にてお披露目しました。

それは124あるといわれる輪島塗の工程そのものを表現した、全く新しいアプローチでデザインされた6枚1セットの器。
作業工程は完全に分業され、多数の職人の手を介す事でできあがる輪島塗のプロセスはこれまで仕上げの漆塗や加飾以外、表面上は全く見えなかった部分。その途中工程の器を製品にするチャレンジは輪島塗史上初めての試みです。
工程を6つに分解し、これまで可視化されていなかった職人たちの技術力がひと目でわかるよう、独立した6枚の器として完成させました。隈氏らしい、緻密な計算を経て6枚を重ねた時も美しい見事な「輪島塗」です。

この取り組みは、世界的に知名度が高い隈研吾氏を迎えることにより、日本が誇る輪島塗の素晴らしさを改めて世界に発信するために企画されたもの。

とりわけ台湾は、リサイクル輸送コンテナを使用した花蓮市のスターバックスの設計、勤美術館で開催された個展『隈研吾的材料公園』の成功など、近年、隈氏の話題が高まる地。さらに日本の漆器文化も取り入れながら発展してきた漆工芸の歴史、茶器や食器に縁の深い台湾茶道の存在、そして日本文化への深い理解などから、この輪島塗を自然に受け入れてもらえるはず。
そんな思いのもと、まず台湾で実験的に輪島塗を主役にしたレストランイベントを開くことになったのです。
今回、日本を飛び出した輪島塗は、どのような料理と出合い、世界の人々の目に、どう映ったのでしょうか?

【関連記事】DESIGNING OUT Vol.2

124に及ぶともいわれる輪島塗の製造工程を6枚の皿で表現した今回の作品。

台中市・逢甲大学の新キャンパス設計も隈氏が担当するというニュースも。台湾での隈氏の人気がうかがえる。

デザイニングアウト Vol.2イベントの主役は、日本が誇る重要無形文化財・輪島塗。

2020年2月。
台湾でも知名度が高い隈研吾氏プロデュースの器と、台湾ミシュラン2ツ星『祥雲龍吟』の料理がコラボレーションするイベントが開かれる旨がアナウンスされました。

ビッグネーム・隈研吾氏の名が呼び水となったのか、あるいは日本国指定の重要無形文化財である輪島塗が興味を呼んだのか。用意された席は、発売からわずか2時間で完売。『祥雲龍吟』のある台北からも遠いはずの台中や台南からのゲストも、こぞって限られた席を押さえました。

台湾の食材で、日本の技と心を表現する。そんな『祥雲龍吟』の持ち味ですが、今回はさらに器が生まれた輪島の地も大きなテーマ。稗田良平シェフはイベントに先立って輪島に足を運び、そこで景色や伝統、特産に触れました。

「能登空港に着陸する時、窓から景色を眺めていたのですが、山が深く高低差もあり、ここで生活することの大変さを感じました。きっと昔、冬の間は完全に雪で閉ざされていたのだろう、と」稗田シェフは輪島の第一印象をそう語りました。
しかしそれは、決して僻地へのマイナスのイメージばかりではありません。
「過酷な状況の中だからこそ、輪島塗を始めとした工芸品や、さまざまな郷土料理が生まれたのでしょう」そんな能登への敬意を胸に、地元生産者や工芸品に触れた稗田シェフ。そこからすでに、料理の着想は始まっていました。

輪島塗と能登の食材を起点に発想し、現地の体験でイメージを膨らませ、名店の技で仕上げる。果たしてどんな料理が生み出されたのでしょうか?

日本を代表する名店『日本料理 龍吟』の支店であり、台湾ミシュラン二つ星も獲得する『祥雲龍吟』。

輪島を視察で訪れ「海に森があるような、豊富な海藻がある海」に感銘を受けたという稗田シェフが、その思いを料理で描く。

食材、景色、伝統工芸。輪島視察のあらゆる情報からインスピレーションを得た稗田シェフ。

デザイニングアウト Vol.2寡黙な料理人・稗田良平が、皿というキャンパスに独自の世界観を描く。

「私自身の輪島での経験を起点に、輪島と台湾の食材を組み合わせ、それを器のストーリーに繋げ、お客様に体験して頂くこと」稗田シェフは、今回の料理のコンセプトをそう語りました。それは料理や土地の食材と同様に、器への深い理解も求められる難しい工程。しかし輪島を体験した稗田シェフに迷いはありませんでした。

「今回のお客様はすべて台湾人。もし日本通の方が来られても知らないような輪島のローカルを届けたいと思ったのです」つまり稗田シェフが目指したのは、単においしい料理を提供するのではなく、料理という“メディア”を通して知られざる文化を発信すること。

「能登牛や鮑、赤ムツ、ホタルイカをといった有名な食材だけを使っても面白くありません。だからたとえば“鬼姫”と呼ばれる波の荒い場所でしか育たない海苔や、鯖と塩のみで作るという魚醤、藁で巻いて塩蔵した巻鰤など、ローカルなものを取り入れたかった。そして、そんな食材を、それにまつわる話も含め料理として提供したら、より輪島のことを知っていただけると思いました」

そして稗田シェフが仕立てたのは、輪島塗の工程を伝える6枚の皿、そのそれぞれを掘り下げるような料理。色や質感だけではなく、器の制作工程や受け継がれてきた伝統も考慮した内容。そこに現地に受け継がれてきた伝統的食材を合わせることで、時代を越えた能登の情景を皿の上に描き出したのです。

「木目と色合いに深みがある“木地の器”を、これから最盛期を迎える蓮の池に見立てました」
稗田シェフがそう説明する最初の皿。料理はドライエイジングした真鯛を台湾のレモンでマリネした海鮮。キャビア、海ブドウとともにナスタチュームの葉で包んで味わう仕掛けです。

続く“布きせの器”からは、能登の冬をイメージ。能登の厳しい冬を越すために生まれた伝統の塩鰤を取り入れ、柔らかい羽カツオを合わせました。

さらにゴツゴツとした質感とマットな黒の色合いに能登の磯場の情景を重ねた“下地の器“には能登の磯場で暮らす魚介類のお造りを、「光沢があり、水に触れるとまた違う美しさが見える」という“中塗りの器”には波をイメージし、台湾で旬を迎えている鰆の炭火焼を合わせた稗田シェフ。木を使った器に海や水のイメージを重ね、独自の世界観を構築します。

そして5枚目の皿は、稗田シェフをして「こんなに美しい塗りの器には出合ったことがない」と言わしめた“上塗りの器”。シェフはその驚きを表現すべく、油分のある液体を使って光を反射させることで、その赤い色合いを際立たせます。タタキのように仕上げた赤むつに台湾の馬告(マーガオ)という胡椒と一緒に発酵させたキャベツを合わせ、能登の伝統調味料である“いしる”で仕上げた一皿です。

最後の“加飾の器”は、輪島の餅と栗を使った甘味。シンプルな色彩の料理が、重厚な光沢ある器を彩ります。6枚の皿すべてにストーリーがあり、皿の上に広がる世界がある。料理が卓に届き、シェフが説明するたびに会場からは拍手と歓声があがり、ゲストたちは一皿一皿を写真に収めていました。
それはまるで、皿の上に能登の情景が浮かび上がるような料理たち。料理はできたてを味わうべき、と知る美食家のゲストたちですが、それを知ってもなお写真に収めずにはいられない美しさを感じ取ったのでしょう。

木目と緑の美しさが目を引く「木地の器」の料理。燻製した真鯛にレモンや海藻を合わせた。

「布着せの器」の料理は色ではなく、フォルムから着想。日本と台湾の食材を取り合わせたサラダに。

力強い器のイメージを能登の磯場に重ねた「下地の器」の料理。磯場の魚を中心としたお造り。

波をイメージした「中塗りの器」の一品。海藻を波に見立て、鰆の炭火焼きを合わせた。

稗田シェフがその美しさに感動した「上塗の皿」には、赤むつの炭火焼きを盛った。

「加飾の器」ではデザートを提供。少し塩の入った輪島の餅をアイスクリームと合わせた。

デザイニングアウト Vol.2日本の伝統を深く理解し、愛でる台湾の美食家たち。

稗田シェフが仕立てた料理にはどれも、器そのものへの深い理解が垣間見えました。そして使用する食材や構成には台湾と能登への敬意が。
「輪島で出合った食材や工芸品はどれも素晴らしいものでしたが、それ以上に生産者の方々が印象的でした。みなさんご自身の扱う食材や商品に愛情を持って接し、それを通して能登の良さを多くの人に知ってもらいたい、という情熱があったのです」

食材や器のほか、テーブルセッティングに使用されたのは、輪島仁行和紙という海藻を練り込んだ輪島の伝統的な和紙。稗田シェフ自らが輪島の地で生産者と話し、その思いを汲み取ったこの和紙は、すべてのゲストが終演後にお持ち帰りになりました。この事実ひとつからも、ゲストがこの日を存分に楽しんだ様子が伝わります。

輪島塗を幾つも所有する蒐集家の方や食器好きのゲストは、事前にこの日の器について調べ、大きな期待とともに訪れたといいます。そしてもちろん『祥雲龍吟』と稗田シェフに惹かれた方々は、見事な料理に心打たれたことでしょう。

訪れた誰もが「大満足です」という言葉を残して会場を後にしたこのイベント。
稗田シェフも「台湾の人たちに輪島塗はとても人気です。しかし今回は、輪島塗の美しさだけでなく、工程や職人さんの思いにまで興味を持って頂けました。日本人としてとてもうれしい」と手応えを伝えてくれました。

そして稗田シェフ自身にとっても、今回の試みは大きな糧となったよう。イベントのあと、稗田シェフはこんなことを話しました。
「輪島塗は、これ以上進化の余地がないほど完成されています。それはこれまで輪島塗の歴史に関わってきた方々が、日々さらなる高みを目指してきたことの結果です。私も料理人として、毎日なにかひとつでもアップデートして、翌日を迎えたいと思っています。だからこの輪島塗には、とても共感できる部分が多くありました」

稗田シェフの料理を起点に、輪島塗の素晴らしさを伝えることができた今回のイベントは、輪島塗という日本文化のさらなる可能性を示しました。
海を越え、時代を越えてもなお人々を魅了する、美しき漆器。その確かな存在感は、食という舞台で、これからも価値を高めていくことでしょう。

イベント当日の食卓を彩った輪島仁行和紙。稗田シェフも手漉きに挑戦し、その伝統を体感した。

器と料理の相乗効果をテーマとした今回のイベントは、台湾の美食家たちに日本文化の素晴らしさを改めて伝えた。

美しい景観を100年先に繋げるために。弘前公園の桜を守る、桜守という仕事。[TSUGARU Le Bon Marché・桜守/青森県弘前市]

「大好きな植物を仕事にできてうれしい」と橋場さん。プロの樹木医としての厳しい視線と、植物への純粋な愛着を兼ね備えている。

津軽ボンマルシェ例年200万人以上が眺める弘前公園の桜。

毎年ゴールデンウィーク頃に開かれる日本一の桜まつり・弘前さくらまつり。人口約17万人の弘前市に、まつりの期間だけで例年200万人以上の人が訪れると聞けば、その盛り上がりようが窺えます。

残念ながら2020年の弘前さくらまつりは中止となってしまいましたが、お濠の向こうに咲き誇る桜が市民の心の支えとなったことは想像に難くありません。そしてさらに想像してみれば、遠くに見える桜の陰に、その美しさを守り続ける縁の下の力持ちが居ることもわかります。

それが今回の主役、桜守(さくらもり)です。弘前市の職員として弘前公園の桜を手入れする「チーム桜守」は約45名。そのひとりで樹木医である橋場真紀子さんに話を伺いました。

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同じ種類の桜でも、日当たりや地面の傾斜、人に踏まれやすい場所など、環境により生育具合が変わってくるという。

約45人のメンバーで構成されるチーム桜守。「ひとりだとできないことも、チームならできる」と橋場さん。

桜の状態を調査、管理する桜守。その仕事は開花調査や土壌の改良から枝の雪下ろしまで多岐にわたる。

津軽ボンマルシェ弘前市民と桜の深い繋がり。

弘前城を中心とした弘前公園には、52品種、約2600本。例年4月下旬から5月上旬に見頃を迎える桜は、弘前のシンボルとなっています。この桜は、単なる春の風物詩として以上に、市民と深いかかわりがあります。

たとえば「不定期ですが、雪や寿命で倒れた弘前公園の桜を木材として使用しています」と話すのは、弘前市に工房を構えるオーダーメイド家具工房『木村木品製作所』の木村崇之さん。「桜の木自体は古くから家具造りに使われ、珍しいわけではありません。でもこれが弘前公園の桜になると、意味が変わってきますよね。楽しませてくれた桜を最後まで大切にしよう、というメッセージにもなります」と、桜への愛着を語ります。

開花の時期以外も、毎日弘前公園を散歩する人もいます。桜の景色を名物にするカフェやレストランもあります。「桜との繋がりが非常に強い市民。市職員に桜の管理をする係があること自体が、市民の理解があることの証明です」と橋場さんは話しました。

「桜を見に来た方には綺麗だな、すごいな、と思って頂ければ良いのですが、私たちは仕事ですから、葉の出方や樹勢、土壌の状態など、さまざまな点を注視しなくてはなりません」とプロの目で桜を見守る橋場さん。
「それでも満開の時期にはやっぱり圧倒されてしまいますが」と笑う橋場さんの物語を少しだけ紐解いてみましょう。

樹齢100年を越す桜が密集して咲き誇るのが弘前公園の桜の特徴。開花密度は国内屈指で、圧倒的な存在感の桜が楽しめる。

通年開放される弘前公園は市民の憩いの場。「桜の四季を見てもらいたい」という意識が、チーム桜守のモチベーションに繋がる。

津軽ボンマルシェ開花調査から雪下ろしまで。桜を支える桜守の仕事。

橋場さんは1973年、青森県大鰐町に生まれました。
「自然が当たり前にある環境で育ったからでしょうか」と、小さい頃から植物が好きで、成人後は弘前公園内にある植物園に就職。そこで経験を積み樹木医の資格を取り、やがて弘前市の職員となり、公園緑地課に配属されました。
「弘前公園が自分のフィールド。恵まれた環境だと思います」と自身の仕事への愛を語ります。

桜守の仕事は、一年中続きます。4月と5月は開花調査。花の咲き方、散り方を見て、今後に繋げる計画を立てるのです。「少し調子の悪いエリアがあれば、肥料の与え方などを変える。そして翌年以降に効果を調査する。地道な作業です」

6月になると土壌を調査するほか、新しい品種を作るための種の採取。夏には枝や葉をチェックし、病虫害の部分を剪定します。秋には極端に弱った木の土の入れ替えをし、冬は枝の雪下ろし。古い枝を落とし、若い枝を育てるための冬の剪定も大切な仕事です。そして1月には枝を加温して人工的に開花させることで、その年の開花量を調査し、3月からは開花を予想。どの作業も桜のために欠かすことのできない、大切な仕事です。

ハサミとノコギリとコテが仕事の三種の神器。特注で角の部分に刃を入れたコテは、土壌を調べたり、樹皮を削ったりと万能。

夏の剪定は、春から伸びた枝で病気や虫害が被害枝を落とす作業。細かいチェックが後の生育に繋がる。

公園内の桜は約2600本。状態を調査するだけでも膨大な時間がかかる。

津軽ボンマルシェその目が見据えるのは、100年先の弘前公園。

橋場さんに仕事で辛かったことを聞くと「ありませんね」ときっぱり。それでも「今年はさくらまつりが中止になって、改めて大勢の方がこの桜に関わり、待ち望んでいたのだとわかりました。早くまたみんなで楽しめたら良いですね」と思いを聞かせてくれました。
反対に仕事でうれしいことは「今年の桜は良いね、といわれること。市民の方は桜との思い出が多く、大切に見守っていますから、その言葉は重いですね」といいます。弘前の桜を守る、責任と誇りが垣間見える言葉です。

弘前市で桜が管理されはじめたのは昭和30年代から。手入れの方法や桜への思いを、脈々と引き継ぎながら現在に至ります。

その甲斐あって、通常は60〜80年といわれるソメイヨシノの寿命ですが、弘前公園には樹齢100年を越える木が400本以上。開花量も豊かな古木の存在が、日本屈指といわれる弘前公園の桜景色を生み出しているのです。

「弘前の桜を守るために仕事をしています。だから今の夢は、この景色を100年先まで繋げること」
桜を守るため日々努力する桜守の存在を思えば、来年の桜はいっそう美しく感じられるかもしれません。

昭和30年代から受け継がれる管理方法だが、資材や機械の入れ替わりに合わせ、時代に沿った方法が日々模索されている。

古い枝が若い枝と入れ替わることを繰り返しながら、毎年美しい花を見せる桜。その陰には桜守たちの仕事がある。

住所:青森県弘前市大字下白銀町1 MAP
電話:0172-33-8739(弘前市公園緑地課)
https://www.hirosakipark.jp

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

プリマロフト(R)キルティングライディングジャケット

アイアンの冬アウター定番!保温性抜群のプリマロフト(R)ジャケット

  • 高機能中綿「プリマロフト(R)」を採用したキルティングジャケット
  • ダウン同等の保温性・コンパクト性・透湿性を誇りながら優れた撥水性も兼ね備えています
  • スナップ釦仕様の内ポケットが左右につきます
  • 衿元は表衿とリブ衿の2重仕様
  • ダブルジッパー、スナップ釦とバイカーに嬉しい仕様
  • ラグランスリーブ仕様。肩のラインがスッキリ見えます

素材

  • 表地:ナイロン 100%
  • 中綿:ポリエステル 100%(プリマロフト)
  • 裏地:ナイロン 100%

納期

  • 10月ごろ〜

プリマロフト(R)×イーベント ウィンターパーカー

アイアンハートのヘビーアウターでは1番の機能性を誇るウィンターパーカーの再販

  • 表地は60/40(ロクヨンクロス)と呼ばれる、コットンより通気性がよくナイロンよりも磨耗に強い昔ながらの素材を採用。ハイテク素材のイーベントをラミネート。
  • 縫い目には裏から止水テープを張り込んだ完全防水仕様です。
  • 内側にはジャケットでお馴染みの中綿、プリマロフト(R)を詰め込んだ、冬のバイクシーンにはピッタリの仕様です
  • 衿元はパーカー内側に中綿入りスタンドカラーが付いた2重仕様
  • 胸の縦ポケットはファスナー開きで左右にひとつずつ、腰ポケットはベルクロ+釦でしっかりと止められるフラップが付いた仕様
  • フロントはダブルジッパー、スナップボタンの二重留めで、バイクで走る際の風の入りこみを防ぎます
  • 両脇内側にあるドローコードで裾の絞り具合を調整でき、袖口は中リブ付きに加え、ベルクロで絞れる2重構造になっており、バイクに乗る際に便利なアイアンならではの仕様

eVent(イーベント)とは

  • 英国BHA社が開発した延伸PTFEラミネートの技術 「Direct Ventingシステム」の防水透湿素材。 独自の技術「Dry System」を駆使し、汗を外に放出しウェアの内側をドライに保つ画期的なファブリックです

PRIMALOFT(R)(プリマロフト(R))とは

  • 米国Albany社が開発したアメリカで軍の寒冷地用防寒着の中材として開発、使用され る高機能中綿 ダウン同等の保温性・コンパクト性・透湿性を誇りながら優れた撥水性も兼ね備えています

素材

  • 表地 綿:60% ナイロン:40%
  • 裏地 ナイロン:100%
  • 中綿 ポリエステル:100%(プリマロフト(R))

納期

  • 10月ごろ〜

ウィップコードN-1タイプ デッキジャケット

アイアンハート冬の定番!N-1 タイプデッキジャケット

  • 表地は経糸(タテ糸)に細番手、緯糸(ヨコ糸)に太番手の糸を使って高密度に織り上げた、昔ながらのN-1デッキジャケットと同じ作り方のウィップコード素材を採用。
  • 身頃の裏地と腰ポケットの内側には、毛足の長いアルパカウールを使っています。
  • ライディング時の動きやすさを考慮し、袖裏はポリエステル素材を採用
  • 同素材のベスト【IHV-22】ウィップコードN-1タイプ デッキベストもございます。
  • 未洗い

素材

  • 表地 綿:100%
  • 身頃裏 ウール:80% アルパカ:20%
  • 袖裏地 ポリエステル:100%

納期

  • 10月ごろ〜

防風スウェット スタンドアップカラースウェット

防風仕様の極厚アイアンスペックのスウェット

  • アイアンハート定番の極厚裏起毛スウェットパーカー
  • 表生地の裏側に「ゼラノッツ」という防風力に富んだ素材をラミネート加工しております
  • その為、スウェット素材ながら非常にハリ感のある生地で、これ一枚でアウター的な着方もできる、アイアンらしいスウェットです
  • 各リブは通常のスウェットアイテムよりも更に肉厚な畝の太いリブを採用。
  • スウェットらしからぬ防風力とゴツさと、裏のスウェットらしい起毛と暖かさが特徴的です
  • スタンドカラー仕様でライディング時の首元からの風の侵入を防ぎます
  • ワンウォッシュ済み
  • 「ゼラノッツ」の専用タグがつきます

素材

  • 綿:100%

納期

  • 9月ごろ〜

プリマロフト(R)キルティングベスト

2019年に再販したプリマロフト(R)ベストが好評につき今期も再販決定!

  • 高機能中綿「プリマロフト(R)」を採用したキルティングベストです。
  • スナップ釦仕様の内ポケットが左右につきます。
  • 衿元は表衿とリブ衿の2重仕様。
  • ダブルジッパーにスナップ釦と、バイカーに嬉しい仕様。
  • 家庭での洗濯が可能です。

PRIMALOFT(R)(プリマロフト(R))とは

  • 米国Albany社が開発したアメリカで軍の寒冷地用防寒着の中材として開発、使用され る高機能中綿 ダウン同等の保温性・コンパクト性・透湿性を誇りながら優れた撥水性も兼ね備えています

素材

  • 表地:ナイロン100% / 裏地:ナイロン100% / 中綿:ポリエステル 100%(プリマロフト(R))

納期

  • 9月ごろ〜

ウィップコードN-1タイプ デッキベスト

アイアンの冬ではお馴染みのN-1ベストにアイボリーが登場

  • 表地は経(タテ)糸に細番手、緯(ヨコ)糸に太番手の糸を使って高密度に織り上げた、昔ながらのN-1デッキジャケットと同じ作り方のウィップコード素材を採用。
  • 裏地には毛足の長いアルパカウールを採用。
  • 腰ポケットの袋布にもアルパカウールを採用。
  • 前立ては釦とファスナーの2重仕様です。
  • ダブルファスナーのため、ライディング時でも気になりません。
  • ジャケットの上から着られるよう、少し大きめの作りになっております。

素材

  • 表地:綿 100%
  • 裏地:ウール 80% , アルパカ 20%

納期

  • 9月ごろ〜

スヌーピーデニム風タオル

     みなさんこんにちはぁ〜おねがい

まだ、梅雨カエルが続いている、少しうっとおしい季節でもありますアセアセ
そんな時にピッタリキラキラな商品をご紹介いたします口笛

  スヌーピーデニム風タオル

サイズは3種類ございます爆笑

色はネイビーサックスの2色展開ですアップ

サックスにはきいろネイビーには赤いステッチが入っていてどちらも違った雰囲気でデニム感を
楽しんでいただけますよルンルン
フェイスタオル (34✖️80cm) 1320円

ウォッシュタオル (34✖️35cm) 660円

ミニタオル (25✖️25cm) 605円



暑い日の晴れお出かけに女の子一緒に連れてってくださいねひまわり

ミニタオルは手洗いのお供に使いやすいですよ流れ星



倉敷美観地区にお越しの際は是非、きゃら工房にお立ち寄りくださいねグラサンハート
くまちゃんとスタッフ一同心よりお待ちしておりますクマ


12ozインディゴウォバッシュ ダブルニーオーバーオール

人気のインディゴウォバッシュ、ついにオーバーオール化!

  • 12ozブラックウォバッシュ素材のオーバーオール、814(ID)814(BK)814(WH)と同素材
  • シルエット・仕様は定番806と同等。股下〜ひざ下までを覆うダブルニー仕様、ハンマーループとスケールポケットを装備
  • ウエストにベルトループを採用。ウォレットチェーンやキーチェーンの取り付けが可能
  • 前/後ポケットの裏には全面力布仕様。強度UP!
  • 巻縫い(3本針)の下糸にはオレンジ糸の配色。ロールアップしたときのアクセントに!
  • ワンウォッシュ済み

819:サイズスペック

  ウエスト 前ぐり 後ぐり ワタリ ヒザ巾 裾巾 股下 胸当て高さ
W30 92.0 24.0 30.0 31.8 24.5 23.0 88.0 28.5
W32 97.0 25.0 31.0 33.4 25.5 24.0 88.0 30.0
W34 102.0 26.0 32.0 35.0 26.5 25.0 88.0 31.5
W36 107.0 27.0 33.0 36.6 27.5 26.0 88.0 33.0
W38 112.0 28.0 34.0 38.2 27.5 26.0 88.0 34.5
  • 商品により若干の誤差が出る場合がございます。予めご了承ください
  • 前ぐり、後ぐりはベルト巾を含みません。
  • 製品はすでにワンウォッシュしてありますので ジャストの寸法でお選び下さい

素材

  • 綿:100%

ヘビーウェイト2インチボーダーロングTシャツ

定番のヘビーボーターに新色登場!

  • ボディに10番単糸天竺、リブに20/2フライスを使用し、肌触りや着心地にこだわった11ozの極厚ボーダーロングTシャツ。
  • 袖は細く、リブを長めにし、ライディング時の風のバタつきを抑えました。
  • 秋冬シーズンのインナーとして重宝します。ベストとの相性も抜群!

IHTB-01: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 64.0 38.0 84.0 85.0 62.0 8.0
S 66.0 41.0 90.0 91.0 63.0 8.0
M 68.0 44.0 94.0 95.0 64.0 9.0
L 70.0 46.0 100.0 101.0 65.0 9.0
XL 72.0 48.0 106.0 107.0 66.0 9.0
XXL 74.0 50.0 112.0 113.0 67.0 10.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • ワンウォッシュ済み

素材

  • 綿:100%

人にも自然にも限りなく優しい気持ちが、知の探求と津軽の未来を繋ぐ原動力に。[TSUGARU Le Bon Marché・医果同源りんご機能研究所/青森県弘前市]

左端の佐藤悠平氏は安幸氏の元教え子で、学生時代のりんごの機能性研究で培った知識と技術でみんなを助ける心強いスタッフ。

津軽ボンマルシェひたすらりんごの研究を続けた、農学博士が作る自然のお茶。

弘前市内から出発して、もう一時間近く経っていました。車はどんどん森の奥へと進んで行きます。木々の生い茂る鬱蒼とした狭い山道が続き、やがて舗装されていないガタガタ道に差し掛かった頃、ハンドルを握る城田創氏がポツリと語り始めました。「僕、熊に会ったことあるんですよ」。悪路で体を上下左右に不規則に揺らしながら彼は続けます。「子熊を2頭連れた母熊に遭遇しちゃいまして。最初は僕を見つけた子熊が、無邪気にパーッとこっちに走って来たんです。そしたら今度は気を荒げた母熊がグワッと向かってきました。もう体が氷のように固まって動けなくて。自分との距離は10mもなかったです。とっさに、たまたま持っていたチェーンソーのエンジンをかけたら、音が響いて、驚いた母熊は逃げてくれた。それでどうにか九死に一生を得たんです」。
そんな話を聞いた後、農園で見たりんごの木には、熊の爪痕がしっかり残っていました。ばったり熊と出会ってもおかしくないほどの深い山の奥地に、彼らのりんご農園はあります。

『医果同源りんご機能研究所』という会社が、無農薬無化学肥料のりんごの葉でお茶を作っている、という噂を耳にした時は興味が募りました。りんごの葉がお茶になるなんて今まで聞いたことがなく、どんな味なのか想像もつきません。そのお茶が販売されていることを最初に発見したのは、以前紹介したbambooforestにて。店主の竹森幹氏も一押しの商品でした。実際に味わってみると、焙じ茶のような穏やかな香ばしさの中に、ほんのりと優しい甘みがあり、クセのないまろやかなお茶で、お菓子との相性も良いものでした。
この会社では、お茶の他に、未熟りんごの入ったりんごジュースや、りんごの発泡酒など、一風変わったりんごの加工品を手掛けています。所長の城田安幸氏は農学博士で、かつては弘前大学農学生命科学部准教授として20年以上りんごの機能研究を続けてきたという専門家。その博士が作るりんご製品というのならば、ただのジュースやお茶ではないはずです。これはどうしても、城田博士に会ってみたくなりました。

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農園へ向かう道中「車が5秒で真っ黒に汚れるので、ここに来る時は洗車しません」と笑う創氏。冬は雪に覆われるのでスノーモービルで移動する。

「アップルバレー」と彼らが親しみを込めて呼んでいる、標高400m、18haの広大な農園。晴れた日には津軽のシンボル、岩木山が雄大にそびえる姿を拝むことができる。

津軽ボンマルシェ生き物への興味と好奇心、そして優しい気持ちが新しい扉を開く。

「おーい。みんなで畑に行こう!」と明るく人懐こい笑顔で迎えてくれた安幸氏は研究者というより、これからジャングルへ向かう探検隊長のようでした。そして研究していたのは、りんごだけではありません。子供の頃から昆虫が大好きだったという安幸氏。高校の同級生だった妻のあい子さんに言わせると「今も昔も本当に、アリもゴキブリも殺さない」のだとか。安幸氏の父親は沖縄の生まれで「虫はご先祖様であり、お盆には虫に姿を変えて会いにきている」と教えられたそうです。弘前大学では進化生態学という、生物の進化の研究をする中で、蝶や蛾の羽などに目玉模様があることに疑問を持ち、カイコにも目玉模様を付けられないか遺伝子実験を行ったり、化石の中に閉じ込められた何千万年も前のハエのDNAを取り出して蘇らせるという「ジュラシック・パーク」のようなプロジェクトを行ったりもしていたそうです。昆虫少年・安幸氏の活動は、当時放映されていたNHKのテレビ番組「むしむしQ」「あにまるQ」などの監修にも広がり、子供たちに虫や動物のことを面白く楽しく伝えることに情熱を注いでいました。

そしてカイコの実験をきっかけに開発したのがなんと「目玉かかし」。田んぼや畑へ行くと、目玉の模様が付いた鳥避けの風船のようなものを見かけることはないでしょうか? これを最初に発案したのは、実は安幸氏だったのです。目玉模様のあるカイコを鳥に餌として与えると避ける傾向にあったことを発端に、「鳥は目玉に怯えるのでは?」という仮説を立て、鳥が怖がる目玉のサンプルをいくつも試作して、鳥の行動観察実験を繰り返し、目玉かかしが誕生したのでした。実験の様子は「目玉かかしの秘密」という書籍にまとめられ、課題図書にもなっています。

このように安幸氏の研究活動は一つには収まらず、次々と湧き上がる疑問と興味が多様に広がり、とてもここでは書ききれないほど膨大なものでした。「父の話は1つ引き出しを開けると、あっちもこっちも開いちゃうので、1話が100話分くらいになっちゃうんですよ」と笑う創氏の言葉も納得です。
しかしどれも一貫して、人を含めた生き物、そして自然への底抜けに温かく優しい眼差しが根底にあるのです。目玉かかしは鳥をむやみに殺さず傷付けず、人間とうまく共存するために考え抜いた策。そこに安幸氏が安幸氏たる所以があります。

そんな安幸氏は、カイコの研究でひとつの発見をしました。というのも、大量に出るサナギを使い、冬虫夏草の一種であるサナギタケを育て、抗腫瘍効果の研究も行っていたのです(冬虫夏草は蛾の幼虫やサナギなどに寄生するキノコの一種で、漢方の生薬や薬膳料理にも用いられる)。ただ、冬虫夏草はかなり高価な稀少品。そのほかに試しに地域の特産物であるりんごを使い、同様の実験をしたところ、未熟りんごと成熟りんごを混ぜたジュースに抗腫瘍効果があることが分かったのです。

自家農園で育てた有機未熟りんごを25%混ぜたりんごジュース。甘みの中に酸味がスッキリと爽やかで透明感のある味。パッケージデザインは2020年にリニューアル。

左から城田家長男の妻の城田文香さん、次男・創氏の妻の城田沙織さん。そして福士友実さんは家族以外で初めて採用された、勤続12年のベテラン社員。

無農薬のりんご栽培はほぼ不可能と言われるほど難しいが、「それは本当なのか、どこまでできるのか、実証してみせる必要がある」と安幸氏。農園は2014年に有機JAS認証を取得。

津軽ボンマルシェ大切な人を失い、癌の研究から無農薬のりんご栽培へ。

通常、摘果時に捨てられてしまう未熟りんごは、一般的なりんごの3分の1ほどの大きさですが、紫外線や害虫から身を守り、元気に成長するために、成熟りんごの5〜10倍ものポリフェノールが含まれています。未熟りんごの果汁は、それだけでは渋くて飲めませんが、さらに研究を重ね、砂糖や香料などは使わず、成熟りんごを混ぜたベストな配合を編み出したのです。
こうして完成したジュースをもっと世に役立たせたい、と考えた安幸氏はあい子さんと二人で会社を設立。食は医療の根本であり、病を治す薬と、健康な暮らしを保つための日常の食は本来一緒である、という意味を表す「医食同源」から発想を得て、「医果同源」とネーミング、ジュースの商品名として名付け、販売を開始。2005年には「リンゴやナシの、未熟果実と未成熟果実の両方用いることで得られる免疫賦活剤」の特許を日本特許庁より取得しました。さらに中国特許庁より「免疫賦活剤」「健康飲料や健康食品」の特許も取得。「リンゴの抗腫瘍効果」と題して、日本癌学会学術総会でも発表されました。

このように安幸氏が癌研究を始めたきっかけは、過去の辛い出来事にあります。というのは、安幸氏は、癌と誤診され、高齢で手術に踏み切った父親をなくしています。しかも、その手術を勧めたのが安幸氏本人だったのです。安幸氏は自責の念に苛まれました。とことろが、父親が解剖された翌日、安幸氏の夢の中に父親が出てきて、こう告げるのです。
「手術と抗癌剤と放射線治療に代わる方法を考えなさい。それが、残されたお前の人生を賭けてやるべきことだ!」
もうひとつ大きな要因もありました。社会人入学で大学院に進学した、将来有望だった同世代の大切な友を癌で亡くしたことも安幸氏に大きな影響を与えていたそうです。その友との約束が「免疫力を高めることで癌を予防する方法を確立する」ことだったといいます。

2010年より自分たちでりんごの無農薬栽培を始め、2013年に大学を退職すると、退職金で広大な土地を購入。安幸氏は「退職後の事業、また生涯の研究課題として続けて行く」と覚悟を決めました。しかし、実際にりんご栽培はそう簡単なものではなかったといいます。たとえ花がたくさん咲いても、実が少ない年が続いたり、病気や害虫で木がどんどん枯れてしまったり……。ただ、通常、病気になった木は菌を保持しているので切り倒してしまうのですが、安幸氏は病気だからと見捨てることはありません。まだ生きているのなら大事に育てよう、と最後まで残したのです。剪定もしないためグイッと空高く伸びる枝。ようやく実ったりんごは形の悪いものも多かったそうですが、自然を大切にするという一貫した志が消費者の心を掴むのでした。首都圏の百貨店で販売したところ、瞬時に売れてしまったそうです。

そして10年間継続してきた無農薬栽培ですが、現実にはほとんどの木が枯れてしまいました。ただ、結果的には悪いことばかりではありませんでした。以前、『津軽ボンマルシェ』で紹介した『岩木山の見えるぶどう畑』の伊東竜太氏は、かつては農場での酢の散布やりんごの収穫を、アルバイトとして手伝ってもらっていました。『白神アグリサービス』の木村才樹氏は安幸氏の教え子で、収穫時に重機によるりんごの運搬や人手の紹介などでお世話になっていたのです。比較的近くにある『おおわに自然村』は豚ぷんを堆肥として分けてもらっているという長年のお付き合い。『津軽ボンマルシェ』に登場の面々を始め、地域の人々との繋がりによって助けられ、『医果同源りんご機能研究所』はここまで育てられてきたのでした。たとえ多くの木を失ってしまったとしても、それ以上に得るものはたくさんあったのではないでしょうか。

2020年の春、安幸氏は新たに414本のりんごの苗を植えました。
「これで良い悪いではなく、10年やった結果として受け止め、今後に生かしていければ。植えた苗のうち214本は、12年間試みた完全無農薬栽培で元気に生き残った木の枝を接木した苗です。昨年から有機栽培も開始しました。有機といっても色々あり、認証を受けた農薬なら予防目的で使うこともできるのですが、自分たちは引き続き極力農薬は使わず、病気が出たときだけ、例えば木の幹に菜種油を塗るなど、なるべく自然に近い形で対応していく方針です」

植えられたばかりのりんごの苗。自分たちのやり方で有機栽培を行い、どんな果実が実るのか挑戦は続く。いずれは様々な品種のりんごの葉をお茶にすることも研究したいそう。

「りんご葉の茶」の原料になる湖北海棠(コホクカイドウ)の葉。よく見ると縁の部分がほんのり赤いのが特徴。

湖北海棠の葉の状態をチェックする創・沙織夫妻。収穫は夏と秋の2回行い、二つの季節の葉をブレンドして商品にしている。

満開の湖北海棠の花。“海棠”といえば、ほろ酔いでうたた寝姿の楊貴妃をたとえた話を思い出すが、その仲間だろうか。上品で可憐なピンク色にハッと目が引き寄せられる。

津軽ボンマルシェ津軽を思い、りんごの新しい可能性を探る、探求は生きがい。

2020年から本格的な販売が始まった「りんご葉の茶」も、長年のりんご研究の中から生まれました。りんごの葉でお茶を作れないか、という構想自体は安幸氏のなかで10年前からあったそうです。実際に調べてみると、中国では昔から、湖北海棠(コホクカイドウ)という品種のりんごの葉をお茶にして飲んでいたようで、効能に関する研究論文があり、apple leaf teaという言葉も記録されていました。湖北海棠は日本でもかつて九州地方に自生していましたが、現在は絶滅状態。そこで安幸氏は、様々な種類のりんご栽培研究を行なっている「青森県産業技術センター りんご研究所」で研究用として保存されていた木の枝を譲ってもらい、接ぎ木で増やすことに。現在は177本の湖北海棠が畑で育っているのだとか。生の葉を少しかじってみると、ほのかに柔らかな甘さ。秋にはもっとりんごらしい香りと深みのある味になるのだそうです。

りんごの葉にはポリフェノールの一種であるフロリジンという成分が豊富に含まれています。これには血糖値の上昇を抑え、抗加齢効果のあることが分かってきており、注目の成分として、世界で様々な研究が行われているそうです。「お茶として製品化するのは、実はうちが日本で初めてなんです」と安幸氏。収穫した茶葉は、きれいに洗浄して5日〜1週間乾燥させた後、静岡にある有機JAS認証の茶製造業者にて焙煎し、お茶に加工されます。ティーバッグは自然に還すことのできる、地球に優しい素材として、植物由来のフィルターを使用しました。

青森県は短命県と言われ、平均寿命は日本最下位が続いていますが、安幸氏はその改善に少しでも役立つことができないか、と以前から考えていたそうです。また、りんご農家は高齢化が進み、後継者不足と経営難で生産者が激減しています。りんご栽培の新たな可能性を多方面から探り、「付加価値を生み出すことで農業を支えることができたら」という思いが、この研究の大きな原動力になっています。終始温かい目で安幸氏を見つめていたあい子さんは、「ジュースができて15年、お茶が発案から10年目で発売など、2020年はいろんな意味で節目の年なんです。振り返ってみると、私たちがずっと大切にしてきたのは“優しさ”でした。人にも自然にも優しいということが全ての根本にあり、これからもずっと続けていきたいと願っていることです」と静かに語ってくれました。

さて、みんなが農園から引き上げようとすると、「僕はまだここに残るから」と安幸氏。実は毎日午後から農園に出向くと、夜の9時10時まで居残り、新たな研究に勤しんでいるのだそうです。農園の一角に定点カメラを設置し、夜間にどんな動物がここを訪れるのか、りんごを置いて観察しています。「これは父の生きがいだから、誰にも止められません」と創氏。テンやアナグマ、ハクビシンなど、様々な動物たちの写真をまるで自分の友達のように見せる安幸氏の目はキラキラと輝き、優しさに溢れていました。そして安幸氏の意志を受け、生き生きとした姿勢で全面的に支え、地道に丁寧に形にしていく家族やスタッフたちが、今後も共に地域の希望を照らしていくのだと強く感じられたのでした。

「りんご葉の茶」。左の立体のパッケージは、あい子さんが湖北海棠の葉を押し花にしたものを見た地元のデザイナーがアイディアを巡らし、葉の形としてデザインした。

こちらは水を一切使わず、オーガニックのりんごと麦芽だけで作られた発泡酒。19歳の時の安幸氏の写真がトレードマークのようにラベルにデザインされている。

3年前から設置している手作り巣箱に、ようやく棲みついたフクロウが卵を産み、二羽の雛が孵った。フクロウはネズミをたくさん食べるため、畑にとって幸運の鳥といわれる。

この日は巣箱に入ったフクロウを初めて見る日だった。ちょっとはしゃぎ気味で嬉しそうに巣箱を覗こうとする城田ファミリー。

住所:〒036-8252 青森県弘前市旭ヶ丘2-4-13 MAP
電話:0172-35-5931
https://www.ikadogen.com

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第一弾のレシピ動画が公開! 続く第二弾は7月中旬に公開予定。

第一弾のレシピ動画は6月25日公開、続く第二弾は7月中旬に公開予定。

ダイニングインサイドあの名シェフがレシピを直伝。家庭で気軽に、一流の味を楽しめる。

遠方への旅行や頻繁な外食から少し足が遠のいた昨今。家庭での食事の機会も増え、毎日の料理のレパートリーに悩む方も多いことでしょう。

そんな今、レクサスが、名だたるシェフたちの手によるレシピ動画を公開します。

なぜモビリティ・ブランドのレクサスが、レシピ動画なのか? それは、レクサスがプレミアム野外レストラン『DINING OUT』のパートナーとして、数々の地域で一流シェフや真摯な生産者と繋がってきたから。こんな時代だからこそ、各地の食材を使ったレシピ動画「DINING INSIDE」を通し、改めて地域の豊かさを感じてほしい。そんな思いが形になった、オリジナルレシピです。

第一弾は6月25日に4名のシェフのレシピを公開。いまや世界的人気を誇る和食店のあの人、福岡を代表するあの店、星付きフレンチの巨匠、魚介フレンチの若きスペシャリスト。個性豊かな4名のシェフが、個性豊かなレシピを紹介してくれます!

下ごしらえや盛り付けなど、一流シェフたちのテクニックを一挙に公開。

使用する食材は基本的に、手軽に手に入るもの。家庭で簡単に再現できる。

動画はすべてシェフたちが自ら撮影してくれたもの。名店の雰囲気も伝わる。

ダイニングインサイド鍵となる食材は、ECサイトでお取り寄せ可能。

今回のレシピのテーマは、家庭で手軽に再現できること。使用する食材も、基本はスーパーで購入できるものばかりです。
しかし実は使用食材の中にはそれぞれのシェフごとに数品ずつ、特別な食材が含まれています。そしてこれこそが、地元応援の軸となるのです。

これまでレクサスは、地域生産者の協力を得ながら、ONESTORYとともに「DINING OUT」を開催してきました。そして今回のレシピ動画は、その地、その食材に縁の深いシェフが心を込めて作り上げたもの。食材を通して地域の魅力が伝わり、その土地に思いを馳せることができるもの。いつか再びその地を訪れられるようになる日まで、思いを繋ぐことができるもの。そんな地元応援の気持ちがレシピに込められているのです。

そこでシェフたちが紹介する、レシピの鍵となる各食材は、記事内のリンクにあるECサイトで購入できるようになっています。鍵となる土地の食材があることで、シェフの伝える料理もいっそう郷土色豊かなものになるのです。

各地の食材を取り寄せ、その食材を知り尽くしたシェフのレシピで調理する。家にいながら、その土地に思いを馳せ、その土地の魅力を味わう。だから名前は、「DINING OUT」ならぬ、「DINING INSIDE」。各地を旅するように味わう、名シェフのレシピ。ぜひお楽しみください。

日本各地でこれまでに18回開催された「DINING OUT」。その魅力を自宅で再現することが今回のテーマ。

「DINING OUT」を陰で支えたのは、数々の生産者たちの存在。地元応援レシピは、シェフから生産者への恩返し。

盛り付けや器選びなど、レシピ以外にも参考になる情報がもりだくさん。

クロップドパンツ【メンズ館】

 

 

 

 

最近暑さと梅雨のジメジメを感じるようになってきましたね雨汗

 

 

そんな時期にさらっとオシャレに決まる1本をご紹介します音符

 

児島ジーンズ 

(右から)

BNB-1247W  クロップドパンツ ¥12,100

RNB-1247 クロップドパンツ ¥12,100

RNB-1277 クロップドパンツ ¥11,000

 

ショートパンツには抵抗がある、、、けどフルレングスだと暑い、、、

そんな方にオススメのクロップドパンツ流れ星

 

 

七分丈なので、程よく足首が見えて涼しげですブルー音符

 

 

 

 

 

 

 

そのままの長さで七分丈で穿くのはもちろん

ロールアップで短くコーディネートしてもかっこいい一本です馬キラキラ

 

秋冬はブーツと合わせるのも良いですね!!

 

 

倉敷にお越しの際には是非当店にお立ち寄り下さいねブルー音符

暑くなってきたので体調にはお気を付け下さい晴れ

お待ちしております!

 

 

 

 

 

 

農業を知的産業に。革新を打ち出すりんご農園が描く、農業の未来。[TSUGARU Le Bon Marché・もりやま園/青森県弘前市]

2015年に会社化し、シードルの醸造も自社で行う『もりやま園』。労働環境や賃金の問題にも積極的に取り組む。

津軽ボンマルシェ青森のりんごの故郷近くで、注目を集めるりんご農園。

明治時代初期、3本の樹からはじまった弘前のりんご作り。その発祥の地の石碑にもほど近い場所に、一軒のりんご農園があります。名は『もりやま園』。広さ9.7ヘクタール、りんご農家としての歴史は100年以上、そして前事務所の所在地はりんご栽培に由来する「弘前市樹木」。規模も歴史も、りんごの街・弘前を代表するような農園です。しかしこの農園が注目を集めるのは、出荷量の多さや伝統を脈々と引き継いでいるという事だけではありません。

『もりやま園』を「革新的なことに捨て身で取り組んでいる」と評したのは、『カネタ玉田酒造店』の玉田宏造氏。同じくりんご作りに取り組む『おぐら農園』の小倉慎吾氏も「考え方が非常に合理的で、多大な影響を受けています」と話します。業種を問わず注目を集めるのは、伝統ではなく、むしろその革新性にあるようです。

そこで100年続くりんご農園が打ち出す革新性、そして描く未来を探りに、『もりやま園』代表の森山聡彦氏を訪ねました。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

岩木山を望む9.7ヘクタールのりんご畑。敷地には明治築の貯蔵蔵が残されるなど、青森におけるりんご草創期から続く歴史ある農園。

前事務所の住所は、青森県弘前市樹木。りんご作りに因んで名付けられた、由緒ある地名。

津軽ボンマルシェ自転車競技に没頭した学生時代。

出迎えてくれた聡彦氏は、少し寡黙な印象。心の距離を縮めるべく、まずは聡彦氏自身について尋ねてみました。

「自分は森山家の11代目、りんご園としては4代目。だから家を継ぐのは当たり前。小学生の頃から農園の手伝いをしながら、いつか自分がやることを考えていました」と聡彦氏。それから「トラクターに憧れもあったかな」と笑いました。幼い頃から家を手伝い、りんご作りの基本を両親から学ぶ聡彦氏。やがてこの経験は活かされますが、それは少し先の話。成長した聡彦氏は、やがて弘前大学の農学部に進学します。

りんご農園に生まれたからと言って、四六時中りんごのことばかり考えていたわけではありません。学生時代は自転車競技に没頭。とりわけ自転車のクロスカントリー競技は、「畑に出てたから足腰が強かったのかな」と、初めて出た大会でいきなり優勝。卒業後も「寝ても覚めても自転車」というほど熱中していました。

そんな自転車競技に「十分やらせてもらった」と、自身で区切りをつけたのは、35歳の頃。その前後から本格的に農園に入り、さまざまな手を打ち出す聡彦氏。革新の物語が、ようやく動き出します。

ちなみに最初は寡黙な印象でしたが、一度打ち解けるとさまざまな思いを打ち明けてくれる聡彦氏。「強情ばりで人情深い」といわれる津軽の男・津軽衆のイメージそのままの人物です。  

パソコン知識やシステム開発は独学。子供の頃から、好きなことはとことん追求するタイプだったという聡彦氏。

自転車のキャリアハイは、ジャパンシリーズ・エキスパートクラスでの準優勝。表彰台に立つほどの実力だった。

事務所の薪ストーブで燃えていたのは、りんごの樹。「捨てる時点で負け」という聡彦氏の言葉の証明。

幼い頃の聡彦氏を惹きつけたトラクターは現在も健在。いかにも少年の心をくすぐるメカニカルな造りが印象的だ。

津軽ボンマルシェデータベース化により可視化されたりんご作りの課題。

『もりやま園』の畑は9.7ヘクタール。弘前の一般的なりんご農園が1.0〜1.4ヘクタールであることと比べれば、かなり大規模であることが伝わります。一方で働き手は、基本的に家族のみ。それぞれに長年作業に従事する“慣れ”があるからこそ、可能なことでした。幼い頃から農園を手伝っていた聡彦氏には、漠然とした疑問がくすぶっていました。

「どの品種が何本あって、どういった収益があるか、そのためにどういう順序で作業をするか。そのすべては父の頭の中だけにありました。何かを変えたいと思っても、現状が何もわからない状態だったんです」

2008年、聡彦氏が最初に手をつけたのは、すべての樹に番号を振り、データベースにする作業でした。数はおよそ1300本。気の遠くなるような作業です。書き終える前に初期に振った番号が雨で消えてしまうこともありました。しかし地道に、一本ずつデータを取る聡彦氏。データベースのシステムは独学。スマートフォンのない当時、オークションでPDAを買い漁りました。そうしてようやく農園の様子が俯瞰でみえるようになると、問題点が浮き彫りになりました。

「収益が上がらない品種に手間ばかり取られ、上がる品種に手が回っていなかったんです」

データにすることで見えてきた実像。以後も聡彦氏はこのデータベースを基本に、栽培の管理を進めていきます。

データベース化で見えてきたのは、安祈世(あきよ)という手間のかかる品種が2割もあり、フジなどの主力品種の作業を圧迫していたこと。

1300本のりんごの樹だが、現在は1本ずつ作業記録をつけることで、無駄なく効率的な作業が可能に。

津軽ボンマルシェ当たり前の作業に疑問を抱かせた、ひとつの災害。

りんごの樹のデータベース化に成功した2008年、もうひとつの転機が訪れました。きっかけは、6月13日の降雹。摘果作業が始まったばかりの小さな果実がほぼ全て陥没だらけになったのです。傷は元には戻りません。
今振り返ればこの時期は、まだ年間作業の20%程度の進捗。その年のりんごに見切りをつけて残り80%の投資を打ち切れば、経済的な傷口をそれ以上広げずに済んだでしょう。しかし「諦めずに頑張ろう」と呼びかける業界のキャンペーンに流され、結局『もりやま園』だけでなく、他の農家も皆、例年通りの管理を続けたのです。その結果、秋に採れたりんごはおいしく食べられるにも関わらず、見た目は傷だらけで大半がジュース向けの加工用に仕分けられました。
加工場には処理能力を超えるりんごがうず高く積まれ、買い取りをストップし、行き場のなくなったりんごが大量に廃棄されたのです。

雹や台風といった自然災害は人の力では防ぎようがない、しかし、経済的な損失はコントロールすることができる。もっと素直に自然と向き合えば、自然災害のリスクをリスクとせず、チャンスに変えられるのではないか。聡彦氏はこの経験をもとに、そう考え始めたのです。

「そんな時、鰺ヶ沢の方で、加工専用栽培をやられている人がいると耳にしました」

その人物こそが、40年以上も前から加工専用りんごの栽培を続けるパイオニア『白神アグリサービス』の木村才樹氏。現在は友人でもあり、ともに挑戦を続ける人物です。

「当時は加工用のりんごは“ジャムりんご”といって見下されるような価値観。しかし可能性として無視したくありませんでした」

そう振り返る聡彦氏。というのもデータベース化により見えてきたのは、品種別の収益のことだけではなかったのです。

「摘果に年間3000時間、着色管理に3000時間、選定にも膨大な時間。収穫する時間は年間の15%だけ。つまり残りの85%は、捨てるためだけのマイナスの作業だったんです」

多大な作業時間は、家族といういわば無償の労働力があってはじめて成り立つもの。このマイナスを、なんとかプラスに変えなくてはいけない。しかし加工用のりんごの取引価格は、普通のりんごの半額以下。「何かもうひとつ、アイデアが欲しかった」あれこれ考え続けていた聡彦氏に、またしても転機が訪れます。2013年のことでした。

ひとつを残して未熟な実を摘む摘果。すべての樹の、すべての花に対して手作業で行われる。

聡彦氏の摘果は、目にも止まらぬ早業。長年続けてきたからこその熟練度だ。

津軽ボンマルシェマイナスをプラスに変える、未熟りんごのシードル。

2013年、弘前市で発足した「弘前シードル研究会」の研修でフランスを訪れた聡彦氏は、ノルマンディーで開かれたシードル祭りで、原料のりんごを齧りました。その味は、苦い、渋い、酸っぱい。しかしこれがシードルになると、途端においしくなる。そして聡彦氏は、このりんごに似た味を知っていました。それが摘果の未熟りんごです。

摘果とは、ひとつの株に星型に5つほど成るりんごの幼果を、中心のひとつを残して摘む作業のこと。養分を分散させず、りんごの実を大きく育てるために必須の作業ですが、摘んだ未熟な果実は、ただ捨てるだけ。手間はもちろん、廃棄自体にもコストがかかります。しかしこれがりんご栽培の常識でした。

ノルマンディーでの体験により「摘果がビジネスになる」ことは確信しました。その着地点は、シードル。ジュースを使ったシードル作りは以前から続けていました。ここに摘果が入ることで、革新性が生まれます。

「7月に摘果、秋にりんごの収穫。年に2回の収穫があるわけです。これはマイナスをプラスに変えること」もちろん、シードル作りも簡単な道ではありません。シードルにするには無農薬でなければならず、一般流通にすると周辺農家に迷惑がかかるから、と、自社加工の設備を整えました。そして何度も試作を繰り返し、ノウハウを積み重ねます。そうして生まれたシードルは、すっきりとして、ビールのように爽快な味わい。いまや『もりやま園』の代名詞ともなった『テキカカシードル』の誕生です。

課題を見つけ、仮説を立て、実証する。聡彦氏の革新性の背景には、そんな研究者的な思考がありました。そしてその研究は、いまも止まることなく続けられています。

販路を拓くこと、価格決定権を自身で持つこと、知的財産、特許、商標の活用、ブランディング。さまざまな思考が聡彦氏の頭の中を駆け巡ります。そしてそれらをまとめ、聡彦氏は未来の夢を語ります。

「農業を知的産業にしたい」

作る側が主導権を握り、未来を描ける農業。その実現までの道程で、聡彦氏は今後もきっとさまざまな革新を、私達に見せてくれることでしょう。

りんごのデータベース化とスマートフォン管理のシステムなどが、ビジネスコンテストで受賞。摘果を使ったシードルは、農林水産大臣賞も受賞している。

テキカカシードルは甘くなく、食中酒として料理に合わせやすい。ビールのようにシードルを普及させることも聡彦氏の課題。

自社農園の天然酵母と彩香(さいか)という品種のりんごで作った「えんシードル」は、2020年5月に新発売。

住所:青森県弘前市緑ヶ丘1-10-4 MAP
電話:0172-78-3395
https://moriyamaen.jp/

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コーデュラ(R) ボディバッグ

コーデュラ(R)のボディバッグ

  • 【IHJ-12】【IHJ-45】【と同様コーデュラ(R)を使用した新型のバッグ
  • 内ポケット1つと背面ポケット1つのシンプルな作りで軽さをだしたカジュアルなバッグ
  • 内容量は今までの【IHE-37】などのウエストバッグタイプよりも増量しています
  • 引き手は全て牛革のスライサーを使用
  • 背面ポケットの両端には牛革で補強を兼ねたアクセントとして革を縫い付けています

コーデュラ(R)ナイロン ボディバッグ

コーデュラ(R)ナイロンのボディバッグ

  • 【IHJ-12】【IHJ-45】【と同様コーデュラ(R)ナイロンを使用した新型のバッグ
  • 内ポケット1つと背面ポケット1つのシンプルな作りで軽さをだしたカジュアルなバッグ
  • 内容量は今までの【IHE-37】などのウエストバッグタイプよりも増量しています
  • 引き手は全て牛革のスライサーを使用
  • 背面ポケットの両端には牛革で補強を兼ねたアクセントとして革を縫い付けています

作らない工芸作家。大好きな津軽塗を守るために選んだのは「伝える」という戦い方。[TSUGARU Le Bon Marche・CASAICO/青森県弘前市]

漆の技術のひとつである金継ぎの技法で器を修理するのも彩子さんの仕事。丁寧な仕事で、ひとつにつき数週間はかかる。

津軽ボンマルシェ無限のバリエーションを持つ、青森県唯一の国指定伝統工芸品。

花柄、カモフラージュ柄、アニマル柄。見ようによってさまざまな柄に捉えられる、複雑で、どこかモダンでさえある模様。これも津軽塗なんですか、と問うと「津軽塗の表現は、無限なんです」と誇らしげな答えが返ってきました。

声の主は、セレクトショップ、ギャラリー、工芸教室、漆工房が複合した施設『CASAICO』の店主・葛西彩子さん。店先には陶器、漆器、金属工芸などの雑貨が並び、奥のギャラリーはゆったりとした空間がゲストを迎えます。そして教室に置かれた津軽塗の色見本「手板」には、たしかに無限と思える無数の色、柄。多くの観光客にとって、美術館や土産物店で出会うだけだった津軽塗、その歴史やバリエーションも含め、より深く親しむことができるのがこの『CASAICO』なのです。

そもそも津軽塗とは、青森県で唯一の経済産業大臣指定伝統工芸品。江戸時代からこの地に受け継がれてきた漆器が、明治6年のウィーン万博出展を機に、正式に津軽塗と呼ばれ始めたことが起源です。その姿はさまざまですが、とりわけ印象的なのは「研ぎ出し変わり塗り」。凹凸をつけて何度も重ね塗りした漆の表面を研ぐことで複雑な模様が浮かび上がる、津軽塗独特の手法です。

そんな青森を代表する工芸品・津軽塗ですが、課題がないわけではありません。とくに後継者不足による産業自体の衰退は、喫緊の課題です。しかし困難があれば、それに立ち向かう人もいる。そこで『CASAICO』の葛西彩子さんの、津軽塗の未来のための物語をお伝えします。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

『CASAICO』があるのは、弘前駅東側、長四郎公園の近く。観光客がふらりと来るエリアではないが、こだわりのある小さな店が点在する。

何層も塗り重ねた後に、表面を削って模様を浮き上がらせる研ぎ出し変わり塗り。これにより複雑で立体的な模様となる。

制作や教室で使う道具は自作。これにより「職人の数だけ模様がある」という多様性が生まれる。

津軽ボンマルシェ錫に魅せられた少女が、津軽塗と出会うまで。

宮城県仙台市に生まれた彩子さん。小さい頃からどちらかといえばインドア派で、工芸品などに興味を示す子供だったといいます。そんな彩子さんがとりわけ興味を持ったのは金属。独特の光沢と重厚な存在感、そして金属を加工して生まれる工芸品の美しさに惹かれました。

高校卒業後は、東北芸術工科大学工芸コースに進学。そこで転機が訪れます。金属のなかでもとくに錫に没頭していた彩子さんですが、大学の金属コースの定員はごく少数で、当時は需要の面からも錫作家の道は狭き門だったのです。そんな折に本当に偶然に、津軽塗を目にしましたといいます。いままで触れたこともない漆は、まったく未知の世界。しかし生で見る津軽塗は、大好きな金属のような輝きを放っていました。「これなら金属表現ができる」そう直感した彩子さんは、金属コースを諦め、漆コースに進学、大学院まで修了しました。

津軽塗に惹かれ、恩師も津軽塗産業技術センター出身ではありましたが、卒業後の彩子さんはまず、地元仙台で工房を開きました。同時に誰でも気軽に漆芸が体験できる教室もスタート。この教室で「教える」という体験も、彩子さんの視野を広げました。それから2年後、大学院の先輩であった葛西将人さんと結婚し、将人さんの故郷の弘前へ。2011年に念願だった『CASAICO』のオープンに至ります。そしてここでも中心となるのは、教室の存在でした。

しかし結婚を機に弘前にやってきた彩子さんは、いわば無からのスタート。友達もいない土地で、ゼロからすべてを築き上げなくてはなりませんでした。『CASAICO』をオープンするまでの4年間は悶々とした日々を過ごしたといいます。だからこそ、『CASAICO』での漆と金継ぎの教室は、地元の人を繋げる役割も果たしました。ギャラリーでは漆器にこだわらず、地元作家の個展も多く開きました。工房エリアを広くしたのも「津軽塗をやりたいけれど拠点のない若い世代の職人とともにやれれば」との思いから。そうして少しずつ、彩子さんの弘前での存在感は高まってきました。

近所でチャレンジしている人たちにも熱い視線を注ぎます。歩いて2分とかからぬ場所にある『パン屋といとい』の成田さんには『CASAICO』のオープニングパーティで料理の準備を頼みました。セレクトショップの『green』に対しては「刺激にもなるし、憧れもあります」と。互いに意識しながらエリアを盛り上げることで「雑貨と食べ物で人の流れが生まれれば良い」といいます。

注目の木工作家とコラボレーションし、生粋のねぷた祭り好きである将人さんの繋がりで知り合ったねぷた絵師とも交流を深める。そうして少しずつ弘前に根を張りながら、彩子さんは歩み続けてきました。

明るく、よく笑い、話しやすい彩子さん。この人柄も、地元で人の繋がりを作る原動力になったのだろう。

現在でも彩子さんの作品は、どこかに金属の輝きがあるものがメイン。錫への思いはいまも変わらずに胸にある。

陶器、ガラス、アクセサリーなどがセンス良くならぶショップエリア。売れ筋は実際に運行したねぷた絵で作るオリジナルポチ袋(その年分は無くなり次第終了)。

漆教室の生徒は約60名。津軽塗の変わり塗コースもあり評判を呼んでいる。写真は生徒の製作中作品。

3~4名が作業できる工房エリア。シェア工房にすることで、津軽塗の若い職人をサポートすることが目標。

津軽ボンマルシェ夢は津軽塗を広め、職人を守ること。決意を胸に新たな一歩を踏み出す。

時々、芸術や工芸に関わる人は、その内面にある抽象的な情熱と、言葉という表現手段の乖離によって、頑固、偏屈というイメージを持たれてしまいます。しかし彩子さんは違いました。真摯に言葉を探し、丁寧に話を重ね、その胸の内をなんとか伝えようと一生懸命なのです。そんな彩子さんに、モノ作りのモチベーションについて質問してみました。すると想定外の答えが返ってきたのです。

「今思うのは、自分でモノを作ることが好きじゃないってこと」

津軽塗を仕事にする人の、まさかの爆弾発言。しかしさらに話を聞いてみると、その思いが垣間見えます。

「16年間漆に関わってきて思うのは、これからもずっと漆を続けたいということ。津軽塗は大好きですし、教室も生涯の仕事にしたい。でもたぶんそれだけじゃダメなんです。今の自分にできること、自分にしかできないことを考えていかなくては」

そうして考え抜いた末に彩子さんがたどり着いた結論。それは自身が手を動かして制作することではなく、スピーカーとなって津軽塗を広げること、そして足並みの揃わぬことが多い職人たちの目線を揃えること。「県外から来た、漆に詳しい女。地元の職人さんたちにとっては怪しい存在ですよね、私。でもそんな立場だからこそできることがあります」

たとえば先述の津軽塗の課題。実は後継者不足以外にも、クライアントとのやりとり、配色や模様のレシピ考案、事務的な仕事も含めて作る以外の仕事は実は多いもの。そしてそれらをまとめる「ウルシディレクター」「職人のマネージャー」のような仕事は、今までにありそうでなかったのだといいます。

「弘前に来て12年、同年代の職人との信頼関係ができて、職人それぞれの得意や個性もわかってきた今だから、私にできることをやっていきたい」それが彩子さんの現在の思い。

さらに「産業と職人を守るためには、今はとにかく売れる商品をつくること」と、新たな津軽塗ブランド『KABA』のメンバーのひとりとして、より身近なアイテムの開発に乗り出しました。忙しい合間を縫って、次々に舞い込む器の修理の依頼もこなします。もちろん教室も大事。さらに職人同士の橋渡しにも邁進します。その中心となる『CASAICO』は「津軽塗が見える、買える、学べる場」。地元の人にとっても遠い世界のものだった津軽塗を、より身近な存在に変えてくれる場所なのです。

作ることではなく、伝えることで守る伝統工芸。もちろんそれは簡単な道ではありません。それでも彩子さんは清々しい笑顔で「これから5年間は、津軽塗のためだけに生きるつもり」と言い切りました。

 新ブランド『KABA』の第一弾は、箸置きとしても利用できるナプキンリング。地元ホテルなどに広め、津軽塗と出合うきっかけにしたいという。第二弾の装身具も製作中。

この日、ギャラリーに展示されていたのは、津軽塗の見本。滑らかな光沢があり、それ自体が芸術品として見惚れるような美しさ。

「ものづくりは好きではない」との爆弾発言はあったが、制作や修理に集中する彩子さんは、やはり職人の顔だ。

「大好きな津軽塗のために」と決意を新たにする彩子さん。今後はPRのほか、さまざまなコラボレーションなどの道も探していきたいという。

住所:〒036-8093 青森県弘前市大字城東中央4丁目2-11 MAP
電話:0172-88-7574
http://www.casaico.com/

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季節の変わり目

皆さんこんにちは!
いかがお過ごしでしょうか??

全国的に梅雨に入ってジメジメした日が続きますね(。-_-。)

個人的にはカラッとした晴れの日が好きなので早く夏が来てほしいものでございます(*^◯^*)


暑くなってきた日にオススメが


こちら





テイクアウトの新商品レモネードです(о´∀`о)

スッキリ爽やかな味わいでこの夏オススメ!(*゚▽゚*)

今までデニムストリートに来られたことがあるお客様も是非またお越しいただいて新商品を味わってみてください٩( 'ω' )و

19oz インディゴxブラック セルビッチデニムスーパースリムストレート 

新生地19oz右綾セルビッチ登場

  • タテ糸をインディゴ、ヨコ糸をブラックで織り上げたセルビッチ生地。
  • ヨコ糸が黒糸のためかなり濃紺。通常のデニムよりも深く、青が強い表情です。
  • 擦れたりシワがよりやすい所は色が落ち、残る所は通常のデニムより色が濃いので非常にメリハリのある特徴的な色落ちをします。
  • 革ラベルは19oz専用の新型ラベルでブラックタイプを採用
  • ワンウォッシュ済み

素材

  • 綿:100%

納期

  • 10月ごろ〜

伝統工芸が生き続けるために。今こそ、本来の時間軸を取り戻したい。

永田宙郷インタビュー伝統工芸に向き合い、繋ぐが仕事。

「本当は職人になりたかったのだと思う」。
そう話すのは、伝統工芸の世界に従事するプランニングディレクター・永田宙郷氏です。少し遠回りをしながら辿り着いたのは、伝統工芸を作るのではなく支えるという仕事の方法でした。

各地の伝統工芸の商品や産地のプロデュースに関わる永田氏は、作り手と使い手と伝え手を繋ぐ場として「ててて商談会(2019年まで見本市)」を主宰する人物でもあります。デザイナー、ディストリビューター、デザインプロデューサーとともに発足したそれは、2012年にスタート。当時の参加は約20社でしたが、現在は100社以上集い (応募は200社以上)、そのオファーは増える一方です。
しかし、2020年秋の開催は中止。その理由は、周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

そこで新たに立ち上げたのが、オンラインショップ&メディア「4649商店街」。
一見、ふざけているようなネーミングですが、永田氏は大真面目。
「イベントや催事が次々と中止になり、接点を作る場を失ってしまいました。今の世の中で、何とか伝統工芸の火を絶やさないようにしなければいけないと思い、急遽、立ち上げました」。
出店は、何と150社以上。国が指定した伝統工芸品は235品(経済産業省HP参照。2019年11月20日時点)のため、その数の充実度は言うまでもありません。

「みなさま、どうかで日本の地域のもの作りと伝統工芸を“よろしく”お願い致します」。

新型コロナウイルス後に急遽立ち上げたオンラインショップ&メディア「4649商店街」。

「ててて見本市」の風景。日本全国の伝統工芸が一同に集い、もの、人、ことがエネルギッシュに交錯する。

永田宙郷インタビュー「売る」、「買う」を通して、伝統工芸を考える。

「現状、伝統工芸の世界では、“まだ”難局を迎えていないと思います。発注から納品までに時間がかかる特殊な業種なので、本当に怖いのは“これから”。新型コロナウイルス後の発注がなくなるのではと危惧しています」。

永田氏は、このように不安視しています。
「ものに関しての伝統工芸は、主に4つの部類に分かれると思います。美術工芸、生活工芸、手工芸、量産工芸がそれです」。
端的に解説すると、美術工芸は芸術品、生活工芸は作家が提案する日用品、手工業はメーカーが提案する日用品、量産工芸は大量生産にも近い日用雑器などです。

今回は、主に生活工芸や手工業を中心に考えていきたいと思います。
「元々、右肩上がりの業種ではないことは皆さまご存知の通りかと思います。そんな中、“売る”、“買う”という視点で考えると、主にそれをつなぐのは百貨店などの小売業になります。その販路が今回の新型コロナウイルスによって絶たれてしまったことは大打撃です。更には、新生活の始まる4月という繁忙期だったことも多大な影響を及ぼしています」と永田氏は言います。

ここで改めて浮き彫りになったことがあります。それは「依存」です。
「伝統工芸は、伝統工芸が好きなファンを増やしてきましたが、そうでない人たちにももっと声を掛けねばならなかった。ここ数十年で、ものは売り場以外でも買えるようになり、インターネットやSNSの普及が急速に時代を変化させました。特別な人だけに支えられる時代は終わったのです」。
「そうでない人たち」にも声を掛けた好例に「中川政七商店」を挙げます。
「中川さんは、伝統工芸の民主的な入り口を作ったと思います」。

しかし、丁寧に時間をかけて作られたものであればあるほど、デジタルと相性は解離してしまう難もまたあり。永田氏も頭を悩ませます。
「例えば、ある器があったとします。その手触りや口当たりが特徴であれば、やはり体感しないと伝わりません。それをオンライン上で理解してもらうのはとても難しいです」と言うも、「リアルな場にも改善の余地はある」と言葉を続けます。
「例えば、以前の呉服屋さんでは、数時間、時には数日かけて品定めをしてきたと思います。本来は、伝統工芸品もじっくり品定めをする時間が必要な類。しかし、小売業に見る陳列は、隣にカワイイかどうか瞬間で判断するような雑貨が置かれてしまうこともしばしば。ものと向き合う時間軸が異なる商品と並べられてしまうことがあります。それではものの良さは伝わりませんし、判断に必要な時間も提供できません。作る側もわかりやすいものを作ろうと考えが寄ってしまいます。分かりづらさを紐解いいて余裕を重ねていけるような商品や購入機会は生まれません」。

それは、いわゆるジャンルごとに切り分けてしまう売り場の改善。ものと向き合う時間が異なるということは、横並びにある価格の高低差も発生します。時には数十万、数百万する美術工芸であれば別ですが、手が届きやすい生活工芸や手工業の品であれば、切実な件になります。
「ものの価値を伝えるのは至難の業だと思います。伝統工芸が含む、素材、技術、精神、文化の蓄積の全てをリアルな店舗だけで補うのも難しいですし、オンラインだけで補うのも難しい。特にこの新型コロナウイルス後には、それを適材適所に伝える努力と工夫が必要だと思っています。伝統工芸だからすごい!ではなく、そのすごい!の可視化と言語化を再度するべきだと考えます」。

なぜなら、「伝統」と謳うには、その理由があるから。

上記写真は、全て2020年2月に開催された「ててて商談会」より。

永田宙郷インタビュー欧米の伝統工芸は、日本の伝統工芸に憧れを持っている。

そう永田氏は言います。
欧米の工芸は、その価値基準として社会的に芸術と並ぶクラスを日本よりも感じますが、その「憧れ」とは何なのでしょうか。
「様々な国を見ても、日本のように街角に工房があるところは特殊だと思うからです」。

街角にあることによって、地域の文化を感じることができる。
街角にあることによって、手仕事を覗くことができる。
街角にあることによって、人に触れることができる。

その全ては、ものの用途を超えた価値と言えます。その価値を得られるのは、街角にあるからこそ可能にできる体験によるもの。さらには、旅というフィルターを通すことによって、より愛着も沸き、それは特別な存在になるでしょう。
「地域と過ごす時間、手仕事を覗く時間、人に触れる時間。そんな時間の共有に国外の工芸士は憧れを持っている」。

その憧れとは、作り手と使い手の関係の深さ。それは、他国では真似できない日本独特の文化なのかもしれません。

上記写真は、全て2020年2月に開催された「ててて商談会」より。

永田宙郷インタビュー「作る」だけではいけない。「直す」までを伝えたい。

永田氏は、現在の活動以外に、実は「金継ぎ」にも力を注いでいます。その拠点は京都に置き、「ホテル カンラ京都」本館1階に「金継工房リウム」を構えます。
「例えばお皿や器を買った時、その中には産地や装飾の説明があったとしても割れた時の連絡先や修理の方法が記されているものは極めて少ないです。僕自身は漆器以外では見たことがないです。販売店は“長くお付き合い頂ける逸品です”、“これは一生ものです”と勧める方もいらっしゃると思いますが、その修理の方法を聞いた時に即答できる方は少ないのではないでしょうか。それは売り手にも問題ありますが、作り手の責任もあると思います。なぜなら、“大切に使って欲しい”、“長く使って欲しい”という意思表示は、必要だと考えるからです」。

その件に関し、フランスの某有名ブランドを例に話を続けます。
「フランスの某有名ブランドの革製品は、高額にも関わらず数年待ってでも手に入れたい方々がいます。もちろんステータスやクラスを装いたいのかもしれませんが、使い続けるという視点でも相当優れています。直せる品は、原則として必ず分解できます。革製品であれば、手縫いで仕上げ、ボンドなどを使用しないことも特徴のひとつです。更に分解した革の裏側には作り手の名も記され、世界中でそれが管理されています」。

つまり、誰がどんな風に作ったのかがアーカイブ化され、技術の足跡が永遠に残されるのです。ゆえに、そのブランドのブティックで修理の質問をしても世界中で同じ応えが即答されるのです。“お直しは可能です”と。

だからこそ、“長くお付き合い頂ける逸品です”、“これは一生ものです”という言葉の説得力が生まれるのです。
「日本の伝統工芸品もそれに負けないくらい一流だと思いますし、当然、直せるのです。しかし、この“直せる”という大切なメッセージのピースを埋めないまま、次から次への売るビジネスに傾倒していったのかも知れません。買い手は、壊れたら嫌だからと購入から遠のき、傷がついたら勿体ないからと使わない人もいます。ですが、ナイロンでなくセルロースのスポンジであれば漆器も傷つかず洗えます。鉄の包丁も研ぎ方を教えてくれる人はいても洗い方まで教えてくれる人は少ないです。油物を切っても油脂は約70℃で溶けるので、例えばコーヒーを沸かす前に少しだけお湯を多く沸かしてそれで洗い流せば綺麗に手入れもできるのです」。

今に始まったことではない話かもしれませんが、このコロナ禍によって課題が浮き彫りになったのかもしれません。
「直せることが分かれば長く使えることを前提に買えますし、手入れの仕方を知れば尚更に長く使うこともでき、一層愛着が湧きます」。
直し続けられるものの命は、人の命よりもはるかに長い。だからこそ、時代を超えて文化や歴史は継承され、伝統が生き続けるのです。

使い続けながら伝統工芸を残すことは、これから画一化されていくであろう世界に対し、大きな意味をもたらすでしょう。
それは、多様性を保つために必要な情報が埋め込まれたものや技のかたちをした生きるデータベースづくりとも言えるからです。
我々は、失ってしまったものと向き合う時間軸を取り戻せるのか。作るの先の世界へシフトできるのか。今こそ、改めて、伝統工芸と向き合うべきなのかもしれません。

1978年、福岡県出身。TIMELESS LLC.代表・プラニングディレクター。「ててて協働組合」共同代表、「DESIGNART」Co-Founder、「金継工房リウム」代表、「京都造形大学」伝統文化イノベーションセンター研究員、「京都精華大学」伝統産業イノベーションセンター客員研究員。「金沢21世紀美術館」(非常勤)、「t.c.k.w」、「EXS Inc」を経て現職。「LINKAGE DESIGN」を掲げ、数多くの事業戦略策定と商品開発に従事。特許庁窓口支援事業ブランディング専門家、関東経済産業局CREATIVE KANTOプロデューサー(2014年〜2016年)、京都職人工房講師(2014年〜2019年春)、越前ものづくり塾ディレクター(2015年〜2018年)を始め、各地でのものづくりや作り手のプロデュース事業にも多く関わる。伝統工芸から最先技術まで必要に応じた再構築やプランニングを多く手掛け、2020年5月には、日本の伝統工芸品を集めたオンラインメディアショップ「4649商店街」を立ち上げる。著書は「販路の教科書」。
https://nagataokisato.themedia.jp
https://tetete.jp/4649/

今こそ、日本の伝統工芸を考える。僕の原点は、世界の名匠から学んだ。

立川裕大インタビュー日本のアイデンティティを生かすために、改めて足元を掘りたい。

そう話すのは、伝統技術ディレクター/プランナーの第一人者、立川裕大氏です。

立川氏といえば、日本各地の伝統的な技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、その領域を拡張している人物です。
それぞれの空間に応じて表現し、 家具、照明器具、アートオブジェなどをオートクチュールで製作 。ものづくりプロジェクト「ubushina」として活動しています。

「ubushina」 とは「産品(うぶしな)」であり、「産土(うぶすな)」という古語の同義語です。その意味は、「その人が産まれた場所」というアイデンティティを指しています。

「その地域でしかできないこと、その職人でなければできないことを重要視しています。効率の良いやり方ではないかもしれませんが、今までにそうした産地や職人の持ち味を発掘し、多彩なネットワークを構築してきました。個々の多様性を尊重し、手と頭がよく働く職人たちと創意工夫しながら、これからの社会にとって希望あるものづくりの文化を探求することが自分の信念です」。

手がけた作品は「東京スカイツリー」、「八芳園 (はっぽうえん)」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など、多数あります。

長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけており、高岡鋳物、波佐見焼、大川家具などの産地との関わりも深いです。

そんな立川氏は、今の伝統工芸についてどう考えているのか。

立川氏がブランディングディレクションを行う高岡の鋳物メーカー「能作」の新社屋・工場。

2017年に竣工した「能作」の新社屋・工場のコンセプトは産業観光。毎月約1万人の見学者が来場する。Architectural Design:Archivision Hirotani Studio

波佐見焼のエキシビション「あいもこいも」をディレクション。Space Design:DO.DO. Graphic Design:DEJIMA GRAPH Photograph:Kazutaka Fujimoto

立川氏のものづくりプロジェクト「ubushina」の代表作ともなった「東京スカイツリー」の伝統工芸アートワーク。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO Photograph:Nacasa & Partners

「ubushina」の初作品ともいえる2003年の「CLASKA」。漆や鋳物などの伝統技術をふんだんに採用した作品。Design:INTENTIONALIES

立川裕大インタビュー伝統工芸の世界は、基本的に3つの関係で成り立っている。

「3つとは、職人・デザイナー・そして、我々のように場を作って管理するディレクターです。コンピュータ の世界にたとえれば、ハードウェア、ソフトウェア、ミドルウェアの関係にも似ています」と立川氏は話します。

「日本の伝統工芸の“職人”と“デザイナー”は、かなりハイレベルだと思います。台頭できない問題はミドルウェアのポジションである我々にあると思います。ここのスキルアップが急務」だと言葉を続けます。

現在、国が認めている日本の伝統工芸は、235品(経済産業省HPより参照)もあり、「この数字を取っても世界的にトップクラス。しかし、マネタイズの仕組みの悪さもトップクラス」と言います。

「例えば、フランスやイタリアはその逆。産地や生産数が少なくても、高価格帯で取引されるものを生み出しています。伝統工芸の高い技術力も美意識も日本にはある。しかし、ビジネスという点、ブランドづくりという点が劣ってしまっています」。
極論、10個売れてもひとつ売れても、同じ利益を生む仕組み と価値化が必要ということです。

「ヨーロッパでは、伝統工芸も職人もリスペクトされています。更には、職業としての地位も高く、ビジネスを司るミドルウェアのポジションにはMBA取得者などの優秀な人材が携わることもしばしば。そのくらい格別ですし、外貨もしっかり稼ぎだす産業なんです」。
日本においてビジネスとブランドをコントロールするミドルウェアの育成が喫緊の課題のようです。

新型コロナウイルスの感染拡大は伝統工芸界もダメージを避けられません。これがきっかけになって産地の生態系 が崩れていくことを恐れているともいいます。

「多くの産地は分業制で成り立っていて、ひとつの商品を作るのにも何人も何社もの職人が関わることになります。全ての工程を一企業が賄いきれることは滅多にありません。ブランドを携えて産地をリードするメーカーも、様々な工程を担う、多くは家族経営の外部 の職人たちに支えられているのです。彼らの多くは経済的な基盤が弱く、コロナで多大な影響を受けていることが予想されます。そもそもからして後継者の問題も抱えていたため、今後の産地の生態系 の維持がリアルに問題視されることになるでしょう。ヨーロッパのブランドではそういった優秀な職人たちを自社へ招聘し、社内で後継者を育成していたりするようですが、そういった取り組みを産地として模索する必要性がありそうです」。

「パレスホテル東京」のために製作 した銀粉漆塗りのカウンターと真鍮網代編みの天井。Design:A.N.D Photograph:Nacasa & Partners

「八芳園」の日本料理店「槐樹 (えんじゅ)」では、七宝文様をモチーフに手技と機械技術の融合を実現させた建具を採用。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO   Photograph:Nacasa & Partners

「檜タワーレジデンス」の銀箔ドットアートウォール(左)。Design:k/o design studio   Photograph:Nacasa & Partners
「東京スカイツリー」の江戸切子ガラスで装飾したエレベーター(右)。Design:NOMURA   Photograph:Satoshi Asakawa 

「三井寺」の宿坊「妙厳院」のために誂えた和紙の特注壁紙。Design:INTENTIONALIES Photograph:Toshiyuki Yano

「セイコーウオッチ株式会社」の創業130周年記念に竹細工の伝統技術を用いたオブジェを製作 。海外の見本展示会「BASELWORLD2011 SEIKO Stand」にて発表。Design:TANSEISYA

「日本は素材と技術の宝庫」とは立川氏の言葉。各地に特性と個性があり、土地に根付いた文化が宿る 。

立川氏の事務所「工藝素材一目部屋」には、全国から集められたマテリアルのサンプルで 溢れている 。

立川裕大インタビュー僕には英雄がふたりいる。それは、エンツォ・マーリとアキッレ・カスティリオーニ。

実はあまり知られていませんが、伝統工芸の世界に入る前の立川氏は「カッシーナ(現カッシーナ・イクスシー)」に在籍していました。

「僕は、もともと学生時代からイタリアのデザインが大好きで、1988年に“カッシーナ”に就職しました。当時 の日本ではまだ海外の家具の認知度は低かったです。働くにつれ、ミラノサローネなどにも足を運ぶようになり、あるふたりのデザイナーと出会い、僕はその虜になったのです。それは、エンツォ・マーリさん とアキッレ・カスティリオーニさんでした」。

のちに、このデザインの巨匠たちの自宅やアトリエにも招かれるほどの幸運に恵まれた立川氏は、彼らが日本を敬愛していることを知ります。そして同時に、デザインやビジネスに関して様々な 学びも得たのです。

「ある時、エンツォ・マーリさんから“龍安寺の石庭に佇んだことはあるか?”と聞かれました。“いいえ”と答えると“日本人ならば必ず体験するべきだ”と言われました。その時の自分は海外ばかりに目を向け、日本のことをあまり知りませんでした。日本の美徳について学ぼうと思ったのはそれがきかっけでした」と立川氏はその当時を振り返ります。

エンツォ・マーリ 氏は、飛騨高山とのプロジェクトも過去に行っており、日本を愛したデザイナーのひとりです。

「アキッレ・カスティリオーニさんからは、“消費経済の奴隷になるような仕事をしてはいけません”と言われました」。

つまり、あくまで我々の仕事の土台は社会や文化にあって、経済とは折り合いをつけるにしても短期的な数字だけを追い求めた 先に未来はないということを意味します。

日本に魅了されたのは、立川氏が出会ったふたりだけではありません。

世界的に著名な建築家であるブルーノ・タウト氏は「桂離宮」を見て「日本建築の世界的奇跡」と言葉を残し、シャルロット・ペリアン氏は「修学院離宮」の霞棚や日本の竹を自らのデザインソースに生かしています。チャールズ&レイ・イームズ氏もまた民藝を愛し、宮城県のこけしが自宅に飾られていたことは有名なエピソードとして残っています。

1999年、立川氏は日本にフォーカスして独立。
「独立して早々、富山県高岡市のセミナーにお声がけをいただきました。その時に参加者が、ほぼ伝統工芸に携わる方々だったのです。“能作”との出会いもそれがきっかけでした」。

英雄の言葉を胸に、伝統工芸の道へと歩みだした立川氏の始まりです。

「今、日本文化の礎になっている美意識は、主に室町時代あたりにできたものだと思います。そして、我々も令和のこの時代に未来の文化の苗床を作り出さなければならないと思っています」。
そうなれるかなれないか、生かすも殺すも「ミドルウェア次第」だが、「勝算はある」と立川氏は言います。

「幸いなことに伝統技術は残っていますし、それとともに育まれてきた美意識も健在です。職人もデザイナーもそうですが、とりわけミドルウェアの立ち居振る舞い次第では、伝統工芸は大きく躍如する可能性を秘めた成長産業なのです。そのためには日本文化の深層に眠るものを、最適な方法で表に引っ張り出すことが必要だと思っています」。

そう、日本には間違いなく資産はあるのです。

「新型コロナウイルスの収束後、需要や生産などを含め、伝統工芸の世界も落ち込むでしょう。しかし日本人は縮むことを得意とする国民性を持っています。団扇を扇子にしたり、提灯を畳んだり。お茶の世界でも最初は大広間で楽しんでいたものが、いつの間にか小さくなり、千利休にいたっては一畳半ににじり口です」。
かの有名な建築家、ル・コルビュジエのカップマルタンの休暇小屋は、日本の茶室ともいわれています。

「好んで小さくしながら新しい価値を加えていくんですね。バブル後に産地の売上規模は5分の1にまで縮小したといわれていますが、それなりに生産体制を作り直して新しい市場も創造してきた。コロナウイルスの収束後 は何ごとも縮まざるをえない状況ですが、今こそ日本ならではの美意識や付加価値を纏ったビジネスへの転換を図る〝逆転の時〟にしたいと思っています」。

大切なことは、世界が認めた日本ではなく、日本が認めた日本の創造。立川氏と伝統工芸の二人三脚は、まだまだ続きます。その日が来るまで。

1997年、立川氏が初めてアキッレ・カスティリオーニ氏と会った時の1枚。「カスティリオーニさんとの出会いは、仕事に対する向き合い方と、僕の人生を変えました」。 

1965年、長崎県生まれ。株式会社t.c.k.w 代表。日本各地の伝統的な素材や技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、空間に応じた家具・照明器具・アートオブジェなどをオートクチュールで製作するプロジェクト「ubushina」を実践し伝統技術の領域を拡張。主な作品は、「東京スカイツリー」、「八芳園」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など多数。長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけ、高岡鋳物・波佐見焼・長崎べっ甲細工・甲州印伝・因州和紙・福島刺子織などの産地との関わりも深い。2016年、伝統工芸の世界で革新的な試みをする個人団体に贈られる「三井ゴールデン匠賞」を受賞。自ら主宰する特定非営利活動法人地球職人では、東日本大震災復興支援プロジェクト「F+」を主導し、寄付つきブランドの仕組みを構築し3年にわたって約900万円 を被災地に送り続けた。
http://www.ubushina.com

T/Cウエポン メカニックワークシャツ

夏の定番!ヘビーな半袖!

  • 本来はパンツ用のT/Cウエポン素材を使用したアイアンらしいヘビーな半袖シャツ
  • 極厚のウェポン生地は高密度で厚手の為、風を受けた際のバタ付きも少なく春夏のライディングにはピッタリです
  • ボタンはグローブをしたままでも留め外しのし易いウエスタンタイプのYKK製パーメックス釦
  • 未洗い

IHSH-271: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 66.0 41.5 106.0 103.0 23.0 18.5
S 68.0 43.5 110.0 107.0 24.0 19.0
M 70.0 45.5 114.0 111.0 25.0 19.5
L 72.0 47.5 118.0 115.0 26.0 20.0
XL 74.0 49.5 122.0 119.0 27.0 20.5
XXL 76.0 51.5 126.0 123.0 28.0 21.0
XXXL 78.0 53.5 130.0 127.0 29.0 21.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • コットン:50%
  • ポリエステル:50%

Made in U.S.A スナップバックキャップ ブラック

バイク乗りの定番、トラッカーキャップ!

  • 新柄のベル柄ワッペンを配したNewトラッカーキャップです
  • 今までのツイル地ワッペンとは違い初のフェルト地ワッペン
  • Made in U.S.Aの6パネルのスタンダードなキャップです
  • 浅すぎず深すぎずのミッドクラウンタイプなので被りやすさはバッチリです
  • バイザー部分は芯入りのフラットバイザータイプ
  • スナップバックを外せるので、ベルトループやバッグに付けられます
  • 携行性があるのでヘルメットを脱いで崩れた髪型も隠せ、ツーリングにも最適です
  • アジャスターによりサイズ調整が出来る為、頭の大きな方でも問題なく被れます
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます

サイズスペック

  • フロント高さ 17.5cm
  • ツバ 7cm
  • ツバ幅 18.5cm
  • 頭周り 55cm〜60cm

素材

  • ウール:80% ポリエステル:20%

ワイドテーパードトラウザーパンツ【レディース館】

 

 

こんにちはチューリップ黄

 

 

この時期、レディース館人気商品に

ルーズデニムというジーンズがあるのですが、、、

 

 

この、ゆったり穿きやすいこちらですね下矢印

 

 

 

この大人気ルーズデニムのカラーバージョン

が入荷しておりますキラキラ

 

 

(写真お借りしましたアセアセ

72894 ワイドテーパードトラウザーパンツ

¥15,400(税込)

 

カラーはベージュカーキブラックの3色展開です

 

 

チノパンのように通年活躍でき、

上品な光沢感があり、さらっとした履き心地ですルンルン

 

 

普通のチノパンに比べゆったりしているので穿きやすく

オシャレに決まる1本ですOKキラキラ

 

 

是非当店にお越しの際にはご試着してみて下さいね流れ星

 

 

 

 

日中暑いのに夕方寒かったり体調を崩しやすい季節ですので

皆様もお身体にはお気を付け下さいね風鈴

 

 

 

 

 

ワイドテーパードトラウザーパンツ【レディース館】

 

 

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皆様もお身体にはお気を付け下さいね風鈴

 

 

 

 

 

藍染マスクのこと

こんにちは。藍染坐忘です。久々のブログ更新です。

新型コロナウイルス感染症に罹患された方々、及び関係者の皆様に置かれましては、謹んでお見舞い申し上げます。
世界各国での新型コロナウイルス感染症の流行が一日も早く終息致しますことをお祈り申し上げます。
先日ようやく緊急事態宣言も全国的に解除され、徐々に地域にも活気が戻り始めました。

2月中旬、この度の事態の緊急性を知ってより直ぐに、自社で出来ることは無いか?と考え、自社内の縫製設備と技術環境を活かした藍染マスクを作ろうと、スタッフ一同団結し、試行錯誤を重ねオリジナル製品化いたしました。
沢山の方に手にとって頂き、心より感謝申し上げます。
当時深刻だったマスク不足も今は解消され、供給安定により落ち着きを取り戻しましたが、不安な皆様のお役に立ちたい・少しでも明るい気持ちで毎日を過ごして頂きたいとの思いは変わらぬまま、弊社ならではの特別なマスク、また藍染商品の開発を変わらぬ続けております。

-新商品ご紹介-
〜夏も快適に〜 天然藍染抗菌ドライマスク&エアーマスク

詳細はこちらから

今後とも、こだわりの商品を作り続けてまいります。宜しくお願い致します。

日本人としてパリを愛し、パリに尽くす。僕は、これからもこの街で生き続ける。

Photograph:Restaurant MAISON

MAISON/渥美創太インタビュー

自身初のレストラン「MAISON」開業1年目に訪れた難局。そして、渥美創太シェフの今。

「実は3月の1週目にバカンスに出かけており、新型コロナウイルスの危機感を覚えたのはその旅から戻ってきた直後でした。満席だった予約がすごい数のキャンセルに。明らかに異変を感じました」。
そう話すのは、パリを活動の拠点におく渥美創太シェフです。

渥美シェフといえば、2019年9月に自身初のレストラン「MAISON」をオープンしたばかりであり、世界中から注目を集めています。パリでは珍しい一軒家のそこは、三角屋根の外観も手伝い、その名の通り、まるで「家」のよう。
建築を手がけるのは、同じくパリで活躍する田根 剛氏です。そして、ロゴデザインには映画監督のデビッド・リンチ、カトラリーデザインにはフィリップ・ワイズベッカーなど、驚異的な面々が、その「家」を取り巻きます。

渥美シェフは19歳で渡仏し、「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ ロブション」、「TOYO」などの名店にて研鑽を積み、26歳の若さで「ヴィヴァン・ターブル」のシェフに就任。2014年には「クラウン・バー」のシェフに抜擢され、2015年にはフランスのレストランガイド「ル・フーディング」にて最優秀賞ビストロ賞を受賞する快挙を成し遂げます。これは真の意味でパリジャンから愛されたことの証であり、ある種、「星」よりも名誉ある賞賛と言っていいでしょう。

そんな様々を経て、パリ在住14年。その集大成が「MAISON」なのです。

パリがロックダウンになったのは、3月17日。開業1年目、早々に訪れた難局にどう立ち向かうのか。

しかし、渥美シェフは変わらない。

厳密に言えば、今回の件に関わらず、常に不安と戦い、それを払拭するためにはどうしたら良いか不断の努力を続けているため「変わらない」のです。ゆえに、良い時も「変わらない」。

良い時も悪い時も表裏一体。

「最悪の事態は常に想定している。そのための準備と備えはしている」。

パリでは珍しい一軒家の「MAISON」。三角屋根が特徴的であり、その名の通り、まるで家のよう。Photograph:Restaurant MAISON

控えめに配されたレストラン外観のサイン。映画監督のデビッド・リンチによるデザイン。Photograph:Restaurant MAISON

レストラン2階部分。オープンキッチンに8mある長いカウンターが印象的。Photograph:11h45

レストラン1階部分。建築・デザインは、田根 剛氏が手がける。Photograph:11h45

自分にとって大切なことは嘘をつかないこと。見栄を張らず、見て見ぬ振りもしたくない。

「MAISON」は、渥美シェフがオーナーを務めるレストランです。つまり、経営も担います。

「オーナーシェフになると、責任感はもちろん、好きなように料理ができなくなるとかスタッフのケア、お金の管理が大変とか、色々な話を言われました。それはもちろんありますが、幸いにもシェフに抜擢してくれた“ヴィヴァン・ターブル”のオーナーや、“クラウン・バー”のオーナーたちは厳しくも優しく、全てをさらけ出して共有してくれていました。そしてその一部を任せてくれていたお陰で僕にとっては全て当たり前のこととして“MAISON”のオープンに臨めたと思います」。

失礼ながら、二足の草鞋が履けるバランスの取れたシェフなのかといえば、それも違うように見えます。その答えは、渥美シェフと話すに連れ、全てキッチンから学んだのかもしれないと思うのです。

「料理人にあることは、高級食材や希少部位も使いたいという欲求です。それは当然の心理だと思いますし、誰でもそうしたいのは山々。それをお客様においしいを届けたいという善意を盾に“何とかやれるだろう”、“何かで帳尻を合わせれば大丈夫だろう”など、数字と向き合わずに騙しだましやってしまい、自分に嘘をついてしまうのが一番良くない」と言います。

そして、振り返れば、修行時代にも結果として数字と向き合う現場がありました。

「例えば、アラカルトが数の多いレストランがあったとします。お客様は嬉しいかもしれませんが、種類の多さは食材のロスにもつながるのです。昔のシェフは怖い人も多かったので、食材が余ったことを言い出せない若いシェフをたくさん見てきました。僕はそれを見て見ぬふりをしたくなかったので、“これだけ余ってしまうのでメニューを減らした方がいいと思います”と言いましたが、“何で余らせるんだ!”と叱られました。食材のロスは生産者への思いを裏切ることになりますし、お店の経営も悪化させてしまいますから。そんな経験も全て“MAISON”で活かしたいと考えています」。

レストランという大きな組織の現実。それは、名を馳せれば馳せるほど起こりうる可能性を秘めているのかもしれません。結果、そのような環境に違和感を感じ、名店を離れてスタイルの異なる「クラウン・バー」に携わった経緯にもつながります。

「とはいえ、昔のレストランはすごかったと思います。種類豊富な皿数はもちろん、コースの方程式も多種多様。現在のようにお任せ一本でやれるなんてありえませんでした。そういう意味で、今は恵まれている時代だと思います」。
この「恵まれている」とは、料理を作りやすい、食材の量を読みやすいこともしかり、堅実に行えば経営的な体力も自ずと付いてくるという意味も含みます。

「お客様にも、スタッフにも、料理にも、僕は見栄を張らない」。
それは、内に秘めた確固たる自信を感じた瞬間でもありました。

────

高級食材だけに頼ることはない。
その季節、その日に生産者から直接届く最高の食材に全てを注ぎ込む。
その日の「MAISON」だから食べられるお皿を作り上げる。
簡単なようですごく難しいそれを毎日実現する。
それだけのことはやってきた。
────

嘘をつかない。見栄を張らない。見て見ぬ振りをしない。

この3つを基本に、経営者としての自分とシェフとしての自分の合点を探し続け、体力の備えをしたのちに「MAISON」をオープン。本当のガストロノミーをやるためにレストランへ還ってきたのです。

「まさか新型コロナウイルスのような件でレストランを一時閉めることになるとは思いませんでしたが、2015年の大規模なテロなども経験していて最悪の事態は常にイメージしてきましたし、その不安と向き合う心構えはしてきました。今のお店では、スタッフとのコミュニケーションをより大切にし、改善点はないか、無駄はないかなど、見えないところにもちゃん目を向けるように心がけています。全てを把握することが、レストランも経営も良い世界を創造すると思っているから」。

オープンキッチンのレストラン同様、風通しの良い環境の「MAISON」スタッフは、現在10名。約30席のレストランには少ない人数です。

「レストランを経営するには、料理やワインのコストだけではなく、家賃、人件費など様々あります。今のチームで最高のパフォーマンスを発揮するため、みんな死に物狂いでやっています」と苦笑い。「本当にスタッフには助けられています」と言葉を続けます。

「経営に関しては、妻の存在が大きいです。妻は僕よりもっとシビアだし、政治にも明るい。だから、今回のような一件であれば、より助けられている感はあります。あとは、“クラウン・バー”時代の経理担当者なども親身にサポートしてくれているので、そういった昔の仲間の支援もあっての今だと思っています」と渥美シェフ。

「ただひとつわかることは、近道はない。コツコツやることが大事だと思っています。堅実にやれば体力は付くし、体力が付けはステップアップもできます。経営も現場も料理もうまく機能しないとみんなを不幸にしてしまう。僕は器用ではないので、レストラン内外の多くの仲間たちの助けを借りてオーナーシェフとして進んでいます」。

 

保証のあるフランス、保証のない日本。ロックダウンのフランス、自粛の日本。

この両国を渥美シェフはどう捉えるか。

「フランスの対応は早く、ロックダウン当日に政府が人件費を補償するとの発表がありました。現在は、給与が短期失業保険として84%保証されています。ただ、家賃などその他はその制度には含まれていません。政府は保険会社に保険が適応されるように要請していますが、今なお協議中です」。

今回、一時閉店を余儀なくされた渥美シェフは、医療従事者やホームレスの方々へ食事提供を行うボランティアにも参加しました。それは「MAISON」としてではなく、渥美創太としての活動です。
「この活動を知った時、参加したいと強く思いました。医療従事者の方々には、週2日、1日100食を提供していました。病院の数にして3ヶ所ほどになります。ホームレスの方々には週1日、食事の提供をしていました。パリには、ホームレスに無償で食事を提供しているレストランがあります。その発起人たちがスーパーの賞味期限の迫る食材を集まる場所を郊外に作って、そこから仕入れるものでホームレスの人たちには食事を作っていました。それ以外だと家族や子供と過ごしたり、レシピ開発や新しいプロジェクトの構想などにも取り組んでいました」。

日本に目を向けてみたいと思います。

ロックダウンはせず、自粛という“お願い”と“自己判断”に委ねられ、保証はありません。補助金などが導入され始めているものの、すぐ手元にキャッシュが入るわけではないのが現状です。もし自粛であれば渥美シェフはどうしたのか。

「僕は、お店を閉めます。現状だけで言えば、すごく苦しむと思います。でも、そこで閉める判断ができるような店づくりをしたい」。
それは、「感染拡大の抑制に勤めたいと思いますし、何より人を死に追いやる治療法のない伝染病だから」です。

現在、9月半ばまでは従業員の給与が保証されていますが、それ以外は5月末に発表されます。その間、デリバリーやテイクアウトのような手法があるも、「それをやる時はレストランだからこそできることが何なのかを考えて実現させたい」と渥美シェフは言います。

なぜなら、前述の通り、本当のガストロノミーをやるためにレストランへ還ってきたからです。

「僕は、レストランにこだわりたい」。

支給される食材に加え、「MAISON」で提供しているパン用の小麦粉でパンを焼き、ボリューム満点の食事を作る。

チョコを食べる風習があるイースター(復活祭)の日に提供した食事には、「MAISON」のレシピで作ったチョコレートケーキも添える。その優しさは、おいしい先にある心に響く。

1度に作る数は100食。「MAISON」にある8mのテーブルにずらりと並ぶ。

医療従事者へ届ける料理の箱には、感謝の気持ちを込めて「Merci beaucoup! Super hèros!(本当にありがとう。あなたたちはヒーローだ!)」とメッセージを添える。

ボランティア活動が早く終わった日には、再開後に使える調味料などを仕込む。この日はこの時期にしか取れないニワトコやアカシアの花などを漬けた。

食材を届ける人間も食事を届ける人間もボランティア。様々の人々が参加する本プロジェクトの多くは20代後半から30代後半。若い人たちが積極的に参加している。

医療従事者へ食事を届けるボランティア活動を総括するアソシエーションを立ち上げたアドリアン(中央・マスクの人物)と自主的に参加をしてくれた「MAISON」のスタッフ。

自宅にて子供とうどんを打つ様子。この難の中、渥美シェフがホッとするひと時かもしれない。

フランスと日本の違い。制度、文化、そして、我々は誰かのために尽くせるか。

今回に関していえば、一見「日本と比べてフランスは保証制度が手厚い」と思う人もいるかもしれませんが、それが補えているのは税金です。
標準税率で比べてもフランスは20%に対し、日本はその半分10%。今後、国として備えを得るべく、日本の税金を20%に引き上げるとなった場合、すぐに国民は首を縦にふるのでしょうか。

「自分たちではありませんが、政府から発表されるレストラン再開の合図を待たずにお店を営業しようとしているところがいくつかあります。その理由のひとつに、これ以上の税金を使うと、今後、さらに税率が上がってしまうのではという懸念があります。更には、新型コロナウイルス終息後、本当に困った人たちの保証が出なくなってしまうのではという危惧も耳にします。そのためにも早く経済を再開させようという動きです」。

見切り発車とも思えるそれは、後世や市民、街を守るためなのか、その真意は定かではありません。政府のルールもあるため、一概に正解と位置付けられませんが、これが法律でないということも厄介です。

「実際にお店を再開させたとしても、そのルールをどれだけの人が守るのかもわかりません。誰かが取り締まるのかといっても、それもまた難しいのではないでしょうか。もちろん事態の収束が最優先ですが、”MAISON"も早く開けたい気持ちはあります」。

人類初の難のため、正解を導くのもまた難。

しかし、何があっても、パリがパリたる所以のエスプリは宿ります。それは忘れもしない2019年の事件にもありました。「ノートルダム大聖堂」の大火です。

この時も周囲の動きが早かったことは記憶に新しいです。その好例として、「LVMH」は多額な寄付をした企業のひとつです。さらに同企業は現代アートをフランス国内外において推奨・振興することを目的とした「ルイ・ヴィトン ファウンデーション」も2014年に開館し、芸術活動にも力を注いでいます。そのほか、社会貢献に向けた活動も精力的に行ない、今回も約4,000枚のマスクと香水工場を稼働させて製造した消毒用アルコールジェルをフランス保険当局へ供給しています。

芸術、建築、ファッション、デザイン、そしてレストランなど、それぞれが文化的価値として同様に肩を並べていることは、パリが持つ最大の特徴かもしれません。

今回もパリはパリのやり方で街を守り、きっとこの難を乗り越えるのではないでしょうか。

 

パリはレストランが一番の宝だと思っている。「MAISON」は、その一部になりたい。

これは渥美シェフの言葉です。

「この街で僕は外人ですが、心からパリを愛しています。そして、多くの日本人がパリで活動していますが、みんなパリに尽くしていると思います。だから僕はフランス料理にこだわりたいし、その一心でこれまでやってきました」。

ゆえに、自身初となるレストラン「MAISON」には、並並ならぬ想いが込められています。その価値とは何か?

「“MAISON”は、フランスでやっているフランス料理です。だから、お客様には、フランスの食材をどれだけ伝えられるかを大事にしたいと思っています。そして、理想は“温かい場所”でありたい。そして“ひとつのものを全員で共有できる場所”でありたい」。
その例として、デンマークのレストラン「noma」を挙げます。

「世界で一番好きなレストランかもしれません。人が作る空間が温かく、同じ時間をそこに集う全員が共有するような関係性がいつの間にか生まれている。正直、料理は僕の好みではありませんが、それを度外視するくらいレストランの魅力に引き込まれる」。
そんな「noma」を牽引するヘッドシェフ、レネ・レゼピですら、新型コロナウイルス後は「これからのレストランの在り方は全て変わる」と語っています。

そういう意味でも、時間という体験の総合芸術は、唯一無二の価値を生むかもしれません。しかし、料理や技術を習得するよりも時間を創造することは難儀です。

「レストランは料理だけでなく時間やサービス、空間やそこにあるヒストリー、そこで起こるストーリー全てに対価を払ってくれていると思っています。スタッフの笑顔や会話によって、流れている音楽や居合わせた隣のお客様全てがその時間を一緒に作ります。だからこそ僕は、お客様や僕を含めたスタッフ全員と“MAISON”で過ごす時間を分かち合いたい。そのためにもスタッフが思い切り楽しんで打ち込める環境作りをすることも僕の役目。その全てが結実した“MAISON”を楽しみに来てもらえたら嬉しいです」。

今後の「MAISON」はどうなっていくのか。
「まずは、今週の政府の発表を待ち、その中で自分たちに何ができるのか最善を考えたいです。やっぱりこのレストランを一番知っているのは自分なので、周りに流されずに“MAISON”にとって一番良いルールを見つけて再開に臨みたいと思います」。

開業の決意、閉める決意、再開の決意。
その都度、覚悟を持って臨んできたオーナーシェフ、渥美創太。

「MAISON」の再開を待ち望むファンは、世界中にいます。
それが訪れた時、より魅力に溢れた「MAISON」時間を体感できるはずです。

なぜなら、「そのための準備と備えをしている」から。

Photograph:Restaurant MAISON

 Photograph:Restaurant MAISON

1986年千葉県生まれ。19歳で渡仏し「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ロブション」などを経て、26歳で「ヴィヴァン・ターブル」シェフに就任。2014年、100年以上続く「クラウン・バー」のリニューアルに伴いオープニング・シェフを勤め、2015年、フランスで最も人気のあるレストランガイド「ル・フーディング」のベストビストロ賞を受賞。2019年、自身初となるオーナー・シェフを務めるレストラン「MAISON」を開業。また、「ONESTORY」が主催するレストランイベント「DINING OUT」には、過去2回(「DINING OUT ONOMICHI」、「DINING OUT ARITA」)出演。
http://sotaatsumi.wixsite.com/mysite-1

「なにもない場所だけど、僕の欲しかったすべてがある。」目指すは鳥取だからこそのイタリアン。[AL MARE/鳥取県岩美郡岩美町]

大学卒業後、長野県の水産会社に就職。勤務先であった築地で魚の買付などを担当していた飯田直史氏。料理の世界は30歳からという遅咲きの料理人。

アル マーレ3月取材の現場を、ようやく記事として出せるという現実。

今回ご紹介するレストランの取材は2020年3月某日のこと。今なお世界を震撼させている新型コロナウイルスが、日本ではまだそこまで逼迫した状況にないときでした。ですが、その後政府による緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出は控えることに。そういった中、各地の飲食店も自粛を余儀なくされ、外出を助長するレストランの紹介記事は、今は出すべきときではないと我々ONESTORYでは、記事掲載の時期を見合わせることにしました。

そして今回、約2ヶ月の時を経て取材をしたレストランの紹介をさせていただきます。それは、いつの日かまたこの場所を笑顔で訪れてほしいから。そして、今現在も、日々歯を食いしばり頑張っている飲食店が数多くあるから。
日本の各地でがんばる飲食店の皆様にエールを送ります。

のりきろう日本、つながろう日本。

3月某日の取材は快晴ながら風が強く、日本海の荒波が打ち寄せていた。

店の窓からは山陰海岸国立公園に指定される海の絶景が広がる。天気が良ければテラス席へ出ることも可能。

アル マーレ鳥取の海沿いで根を張る、イタリアンの新星がここに。

「作りたいものは溢れるほどあるんです。後は、いつかそんな料理を楽しみに訪れる人で店を埋めるのが目標です」
今回、お話を伺ったシェフの飯田直史氏はそう笑いました。

ONESTORYの読者であるならば、上記のコメントは「あれ?」と思うかもしれません。日本各地に眠る、愉しみを探し求め、伝え続けてきたONESTORY。中でもレストラン記事では、誰も人が来ないような僻地でも、その店を訪れるだけでも旅の目的となり得る、訪れるべきレストランをご紹介してきました。誤解を恐れずに言うならば、今回ご紹介する『AL MARE』は、そんな訪れるべきレストランに今後なりえる原石なのです。

その立地、食材、シェフの仕事と、どれをとってもこの場所でこそ、なし得る味。そのひとつひとつを体験すれば、きっとこう思うのです「また、違う季節に訪れたい」と。

場所は鳥取県岩美町の海岸線。JR山陰線東浜駅からならば徒歩3分と好立地ながら、山陰海岸国立公園に指定される辺り一帯は、自然以外はなにもないを地で行く場所なのです。店名『AL MARE』とは、イタリア語の海岸を意味する言葉。まさに目の前に広がる東浜の絶景こそが、醍醐味のオーシャンフロントレストランです。潮騒とともに移りゆく情景、寄せては返す波音に浸っていると、気がつけば驚くほど時間が経過している心地よい場所でもあります。

「夏は海水浴客も多く訪れる場所ですが、人が少なくなった秋が好き。さらには日本海の荒波を感じる冬もいい。春はまだ体験していないから、今後が楽しみで仕方ないんです」とシェフの飯田氏。

聞けば店のオープンは3年ほど前ながら、飯田氏がシェフに就任したのは9ヶ月前のことだったと言います。

「食材もまだ3シーズンのみの体験ですが、この地は本当に豊かな場所なんです」

目の前に広がる海の恩恵は、地元の漁師や市場の人々と仲良くすることで、今まで知らなかった魚介も果敢に挑戦でき、この地だからこその味を追求。ベースは本場仕込みのイタリアンながら、〆鯖をアレンジしたかと思えば、足の早いモサエビを鳥取の郷土グルメの牛骨スープでパスタに仕上げるなど、枠に囚われることなく自由奔放。さらには海の幸と同様、この地は海を背にすれば山の幸の宝庫でもあるのです。地元の野菜はもちろん、季節ごとに山菜やわさびなど、山の幸がとにかく豊富。それらを趣味でもある釣りを通し、地元の人に貪欲に溶け込むことで、驚くほどの吸収力で飯田氏は自らの料理に生かしてきたのです。

「料理人としてのスタートが30歳からでしたから。人と同じやり方では追いつけないですし、店もとにかく早く軌道に乗せたいと思いまして」

料理人としての人生も型破りならば、鳥取の食材はおろか目の前に広がる海と山の幸を中心に構成するコースも型破り。それが違和感なくイタリア料理に落とし込めているのが、飯田氏がこの地で目指すイタリア料理の形なのです。

境港で水揚げされた鯖を白ワインビネガーを使い〆鯖に。きよみオレンジ、ハマダイコンの花などでサラダ仕立てに。

お隣・浜坂漁港で水揚げのホタルイカを温かいサラダに。山菜とルッコラのペーストとボッタルガで味付け。

活きモサエビと殻で取ったビスクで作ったパスタ。牛骨のスープで旨味をプラス。

鰆のソテーとバターソース。裏山で採れたふきのとうのほろ苦さがアクセントに。

アル マーレ夢ではなく目標。人のいない場所にゲストを呼ぶ店を目指す。

「イタリアは、日本に似ていました。僕が修業したピエモンテとシチリアでは、料理はまったく別物ですし、師でもある徳吉洋二さんと出会ったミラノもまた、独自性が光っていた。南北に長いところも類似性がありますよね。その土地その土地の良さを活かすのがイタリア料理ならば、鳥取には鳥取のイタリアンがあるはずと思っています」

飯田氏が師と仰ぎ、鳥取を郷土に持つ徳吉洋二氏。実はこの『AL MARE』は、徳吉氏が監修を務めることでも話題であり、徳吉氏がミラノで一ツ星を獲得する『Ristorante TOKUYOSHI』で氏の右腕として活躍したのが実は飯田氏なのです。イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン三ツ星獲得に大きく貢献。さらに自らの店『Ristorante TOKUYOSHI』もオープンわずか10ヶ月で星を獲得したスターシェフの徳吉氏。そんな日本を代表するシェフが、地元・鳥取の何もない場所に作ったのが海沿いの『AL MARE』なのです。

イタリア時代からの腹心・飯田氏をシェフに据え、地元の食材で魅せるイタリアン。季節季節で変わりゆく、景色、食材、そして飯田氏の感性。どうですか? 一度訪れたならば、「また、違う季節に訪れたい」。そう思わせる、可能性に満ちた一軒が、周囲になにもない『AL MARE』という訳なのです。

豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風」が立ち寄る、美しい海辺のレストランとしても話題に。

釣りの話となるとすぐに笑顔になる釣りキチでもある飯田氏。海が目前のこの場所は氏の理想郷なのかもしれない。

住所:鳥取県岩美郡岩美町大字陸上34  MAP
電話:0857-73-5055
https://www.al-mare.jp/

(supported by 鳥取県)

“醸造”から“創造”の場へ。過去と現在と未来、ローカルとグローバルが交錯する。[弘前れんが倉庫美術館/青森県弘前市]

上空から見たシードル・ゴールドの屋根。ⒸAtelier Tsuyoshi Tane Architects

弘前れんが倉庫美術館およそ100年の時を経て美術館に生まれ変わった弘前の歴史的建造物。

来る6月1日(月)、青森県弘前市としては初となる公立美術館がプレオープンします。その名も『弘前れんが倉庫美術館』。舞台となるのは、日本で初めてシードルが大々的に生産された場所としても知られる酒造工場。弘前市を象徴する、煉瓦造りの歴史的建造物が、およそ100年の時を経て、“醸造”から“創造”の場へと生まれ変わります。
醸造場だった煉瓦造りの建物は、貯蔵室や搾汁室、濾過室、瓶詰室として使われていた場所が、5つの展示室やスタジオ、ライブラリー、市民ギャラリーなどに。これらの建築設計を担当したのが、考古学的な(Archaeological)考察を重ね、場所の記憶を掘り起こし、さらには未来をつくる建築「Archaeology of the Future」を追求する建築家・田根剛氏です。その哲学は、まさに『弘前れんが倉庫美術館』の根幹と共鳴するものといってもいいでしょう。
そもそもミュージアム(美術館)の語源は、古代ギリシャ神話に登場する「記憶の女神」の娘である「学問・芸術の女神」たちの神殿の名に由来しています。つまり、記憶と芸術は不可分。美術館を過去、現在、未来をつなげる「記憶」をめぐる装置とも捉えられるでしょう。

吉野町煉瓦倉庫 外観。©Naoya Hatakeyama

吉野町煉瓦倉庫の改修風景、2017 年。©Naoya Hatakeyama

煉瓦壁を内外無傷で保存する設計によって、『弘前れんが倉庫美術館』へと新しく生まれ変わった建物。

弘前れんが倉庫美術館場所と建物の「記憶」に焦点をあて、8名のアーティストの作品を展示。

それを物語るように、開館を記念する春夏プログラムも「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」と命名。場所と建物の「記憶」に焦点をあて、煉瓦倉庫や弘前の歴史に新たな息吹を浮きこむ8名のアーティストによる、新作を中心とした作品を展示します。
たとえば、畠山直哉氏や藤井光氏は、煉瓦倉庫の改修過程を記録した写真作品や映像作品を展示し、笹本晃氏は、煉瓦倉庫の建材や資材を取り入れたインスタレーション作品を発表。海外アーティストでは、中国の尹秀珍(イン・シウジェン)氏が弘前市民より譲り受けた古着を使い、弘前の街をモチーフにした立体作品を、フランスのジャン=ミシェル・オトニエル氏がりんごにインスピレーションを受けたガラス彫刻とドローイングなどを展示します。そのほか、地域に広く愛されてきた、弘前出身のアーティスト奈良美智氏による《A to Z Memorial Dog》もおよそ2年ぶりに再展示。
過去と現在と未来、ローカルとグローバル、作り手と地域の人々と鑑賞者が交錯する地域の創造的な魅力を再発見できる施設として、『弘前れんが倉庫美術館』は弘前の新たなる象徴となっていくことでしょう。

尹秀珍 《Weapon》 2003-2007 年 ©Yin Xiuzhen, courtesy of Beijing Commune and the artist

笹本晃 《random memo random》2016 年 ©Aki Sasamoto, courtesy of Take Ninagawa, Tokyo

住所:青森県弘前市吉野町2-1 MAP
観覧料:
「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」
一般 1,300円(1,200円)、大学生・専門学校生 1,000円(900円)
https://www.hirosaki-moca.jp/

■期間1. 弘前市民対象(事前予約制)
開館期間:6/1(月)~ 6/15(月)※休館日 6/4(木)、6/9(火)
開館時間:9:00~17:00※入館は、9:30~16:00の30分ごと
予約期間:5/23(土) ~6/14(日)※初日は9:00より受付開始
電話:0172-32-8950(9:00~16:30 ※6/4・6/9を除く)
定員:30分ごとに20名まで※先着順

■期間2. 青森県民対象(事前予約制)
開館期間:6/17(水)~終了未定※毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日に振替)
開館時間:9:00~17:00※入館は、9:30~16:00の30分ごと
予約期間:来館希望日の14日前の9:00より予約可能
電話:0172-32-8950(9:00~16:30 ※休館日を除く)
定員:30分ごとに20名まで※先着順
※予約はHPからも申し込み可能

営業に関してお知らせです★

 

 

 

 

いつも倉敷デニムストリートをご利用いただきありがとうございますガーベラ

 


 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、
当店では、臨時休業を行っておりましたが

 

5/23(土)から

デニム雑貨館・テイクアウト・レディース館・メンズ館・キャラ工房

営業再開致しますキラキラ

 

 

徐々に普段の賑やかな美観地区に戻りますようにニコニコ音譜

 

 

 

 

マスクもドドンと入荷しております!!

 

 【緊急値下げ】

50枚入り ¥2,480+税 で販売しております!!

数に限りがございますのでお早めにアセアセ

 

 

皆様のお越しをスタッフ一同心よりお待ちしておりますお願い音符

 

 

 

 

7.5oz ヘビーボディ プリントTシャツ(バイクロゴ柄:2020 New Color)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • バックプリント&フロントワンポイントプリント
  • プリントはラバープリント
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2001: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

歩みは止めない。創作し続けることで伝統工芸と生きてゆく。

© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

舘鼻則孝インタビュー花魁の高下駄から着想を得た作品は、世界のディーバを虜にした。

世界で活躍する日本の芸術家・舘鼻則孝氏。

一躍その名を轟かせたのは約10年前。音楽界の歌姫、レディー・ガガが舘鼻氏のヒールレスシューズを採用したことがきっかけでした。その着想の源は、花魁の高下駄から得た現代の日本の靴です。
「明治維新以降、開国した日本は西洋化という経済政策を選択し、日本独自の文化が置き去りになってしまったと思います。もともと私は日本の伝統的な染織技法を学んでいたのですが、江戸時代の前衛的なファッションとも言える花魁の装いに魅力を感じていました。ライフスタイルや服装が西洋化された現代において、日本独自の文化・ファッションとして、古来の日本文化の延長線上に、現代の日本文化として世界に発信できるようなものを生み出したかったのです」と話します。
 

その後、海外での活動はもちろん、近年では日本でも精力的に表現を行い、歴史ある建築物「旧山口萬吉邸」にて異例の開催をした「舘鼻則孝と香りの日本文化」や「ポーラ ミュージアム アネックス」にて開催された「It’s always the others who die」などは記憶に新しいです。
作品の特徴は、何と言っても日本の伝統文化や工芸と密接に関わっていることにあると思います。

各界に猛威を振るう新型コロナウイルスは、舘鼻氏やその手法の主となる伝統工芸の類にどのような影響を及ぼしたのか。

2018年に九段下の旧山口萬吉邸で開催された個展「舘鼻則孝と香りの日本文化」 © NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

2019年にPOLA MUSEUM ANNEXで開催された個展「It’s always the others who die」 © NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

舘鼻則孝インタビュー日本の伝統工芸の雑貨化を危惧している。品格を取り戻したい。

舘鼻氏は、自らの芸術表現において、「あえて伝統工芸という手法の選択したわけではありません。それはごく自然に、私にとっては至極真っ当な道筋だった」と話します。

出身は日本芸術の登竜門「東京藝術大学」であり、専攻は美術学部工芸科染織。前出のヒールレスシューズも卒業制作として発表したものです。その時の経験が今の礎を築いています。
「在学中には、課題を通して過去の伝統文化を模倣するようなかたちで技法研究をしていましたが、日本文化を見直し現代に再構築することで生まれた“ヒールレスシューズ”は、私の作家活動の出発点になりました。ファッションデザイナーという職業を目指していた私が、作家(美術家)という生き方を選択した瞬間でもあります」。
舘鼻氏の目指していたものづくりには、常に新しくアヴァンギャルドな要素が必要だったのです。

「自分の手を使い専門的に学んだ工芸技法は染織技法のみでしたが、現在では様々な伝統工芸技法を用いて作品を制作しています。そのような制作の工程では私が手を動かすのではなく、日本各地の伝統工芸士と呼ばれる技術保持者の方々に協力を仰ぎ作品化しています」。
つまり、舘鼻氏の芸術は、ひとりの作品ではなく、チームの作品でもあるのです。
「私はひとりの芸術家として、美術家として、チームで活動をしています。自らの手でものづくりをする作家であろうと、ひとりでは完結する仕事はありません。常にチームで前進することが大切だと考えます」。

そのチームは、プロジェクトごとによって様々です。
「作品に対してどのような技法や素材を用いるかということに対しては、極力制約を設けないようにしています。その作品の主題を表現すべく最も有用な選択肢を都度選んでいるつもりです。伝統工芸技法を用いていることに関しては、昨今における“日本の伝統工芸の雑貨化を危惧し、品格を取り戻したい”という思いもあるためです。自ら実践することがお互いに最も触発されるイベントだと思っています。実際に用いている技法は、漆芸や金工、螺鈿細工などの加飾技法まで様々ですが、富山や石川などの北陸地方が多いと感じています。加賀藩のもとで栄えた工芸文化が今まで育まれてきたことの証かもしれません」。

Heel-less Shoes, 2018 © NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

石川県輪島市で制作した蒔絵細工の施された香炉。個展「舘鼻則孝と香りの日本文化」で初公開された。源氏香図蒔絵香炉, 2018  ©️NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA  Photograph:GION

富山県高岡市で制作した花魁の簪をモチーフとした彫刻作品。片仮名の意匠が螺鈿細工で施されている。Hairpin Series, 2014  © NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA  Photograph:GION

舘鼻則孝インタビュー日本から見る伝統工芸と世界から見る日本の伝統工芸の違いと在り方を考える。

伝統工芸とは、日本の文化のひとつであり、古きより代々受け継がれてきた技法によって手作業から生まれてきた品の総称になります。その内容は下記になります。

・主として日常生活の用に供されるもの
・その製造過程の主要部分が手工業的
・伝統的な技術又は技法により製造されるもの
・伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの
・一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの

項目は全5つ。
その全て満たし、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年法律第57号、以下「伝産法」という)に基づく経済産業大臣の指定を受けたもののみ認められています。(経済産業省HPより参照) 

現在、その産業を行う企業は2,000社以上、数にして1,000品以上あると言われており、そのうち国が認定したものは、235品(経産省による2019年11月20日時点)。もちろん、地域と種類は多岐に渡ります。
なぜここで数字にズレが生じるかは、産地から申請されないものは対象外になってしまうため、上記の条件を満たしていても指定されない工芸品も存在しているからです。

「日本の文化はとてもハイコンテクストなコミュニケーションによるものが多いと感じています。外から見た時には、そのようなスタイルがミステリアスに感じる要素なのかもしれない。島国であり大陸からの文化流入の終着地点とも捉えられるので、大陸からの潮流はあるものの非常に独特な育まれ方をしたものも多いと感じています。仏教文化なども大陸の隣国と比べて独特な要素が多いのも特徴のひとつかもしれません」と舘鼻氏は話します。

世界にも目を向けてみます。

その国や品は数あれど、一例として、数百万円するものを数年待ってまでも手に入れたいという需要があります。これは、価値としてのクラス感や国や周囲に認知されている最たる例といっていいでしょう。
そして、先述の「日本の伝統工芸の雑貨化を危惧し、品格を取り戻したい」という言葉にもつながるかもしれません。舘鼻氏の活動は、自身の創作はもちろん、そこに伝統工芸という手法を取り入れることで産業の価値化も含んでいるのです。

では、産業や企業、職人らが単体で何かできることはあるのか? 舘鼻氏は、そのヒントを、ある日本の伝統的な企業の代表の言葉に見たと言います。

その人物とは、創業500年以上の老舗和菓子店「虎屋」黒川光博氏です。

埼玉県の塗装工房で仕上げられた溜塗(ためぬり)と呼ばれる漆芸技法で制作された彫刻作品。Woodcuts, 2018  © NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA  Photograph:GION

舘鼻則孝インタビュー
無理に延命して”残す”ことが正解だとは思っていない。

一見、冷酷な文脈にも見えるかもしれませんが、舘鼻氏が考察するこの言葉の裏には様々な解が潜んでいます。
「個人的には、無理に延命して”残す”ことが正解だとは思ってはいません。現代に合ったかたちで育まれているかどうかということが最も重要な在り方であり、昔のものを今に復刻することでは前進しているとは言い難い現実があるためです。歴史ある伝統をどう捉えるかということに関しては、“虎屋”の黒川光博社長が十数年前に提言されていた“伝統は革新の積み重ね”という言葉があります。正に“虎屋”の500年以上の歴史を体現していると感銘を受けましたが、黒川社長が昨今おっしゃっている“革新ではなく必然が必要だ”という言葉には目から鱗が落ちました。現代のお客様にどのように楽しんでいただくか、とにかく今の時代を生きる人に寄り添うことができるかどうかということが重要だと感じています。そのような観点では、ある意味で過ぎ去ってしまった日本文化や伝統工芸を今の時代に新しいものとして提案することもできると考えています。むしろ、日本人も新鮮に感じるほどに日本文化との距離は開いてしまっているのかもしれません。“文化”という言葉の響きからも過去のものしか連想されることがないように感じますが、現代に過去の日本文化を投影した時に新しい道筋が見えてくると思っています」。

これは伝統工芸に限った話ではありません。

まさに今がその狭間であり、新型コロナウイルス前と後では世界は一変するでしょう。日常への向き合い方はもちろん、消費に対する思考や働き方、何が必要で何が不必要か、価値観や道徳心、さらには人生まで変わってしまうかもしれません。

それでも人は生きていかねばならぬ、時代に呼応することが必要なのです。
 

展覧会の開催は断念したが、命に変わるものはない。

実は、3月上旬に大規模展覧会を予定していた舘鼻氏。
「東京都主催の“江戸東京リシンク展”の展覧会ディレクターを務めていたので、様々な準備を多数のメンバーと進めていました。東京の伝統産業事業者と私のコラボレーション作品を中心に構成された展覧会で、江戸東京の伝統産業の過去から未来までを往来するような内容を企画していました。主催者である東京都とも協議の上、感染拡大防止の観点から展覧会は直前のタイミングで中止とすることにしました」。

この展覧会では、きっと伝統工芸の新たな可能性とその表現力を体感できたでしょう。しかし、人の命に変わるものはありません。
「期待してくださっていたお客様や発表を待ち望んでいた事業者の方々はもちろんのこと、我々も協力企業の方々とも肩を落とすことになりましたが、健やかな世の中で未来をみつめて開催するからこそ意義のあることだと思っていましたので、無理に決行しなかったのは正解だったと今は思っています。また、今後のスケジュールで開催を検討したいと東京都とも話し合いを進めています」。

チームでの制作風景。各自の専門技術を生かして舘鼻をアシストする。© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

作品の設置作業も素材や技法を熟知した制作担当の専任チームが行う。© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

舘鼻則孝インタビュー創作活動を継続することで雇用を継続することも自分の役目。

舘鼻氏が活動のベースとしている現代アートの世界は、マーケットを主導とした大きな経済の渦にあります。
「伝統工芸に限らず、芸術界もコロナ禍の影響は甚大です。かつて、ファッション業界がそうであったように、アート業界はまだまだオンラインでの取引は主流ではありません。特に作品を鑑賞するという目線で考えてみれば容易に想像できることかと思いますが、質量をともなったビジネスから抜け出すことは容易ではないでしょう。ただ、今回の騒動をきっかけにオンライン上でも様々な動きが加速しています。自分のことで置き換えても、卒業制作で発表した“ヒールレスシューズ”をメールでアプローチし、レディー・ガガの専属シューメイカーになったという話は、10年前のその当時、ひどく驚かれるような事柄でした。それはEメールという手段についての話です。今やYouTuberのように独自メディアを持つことも当たり前の世の中になり、クリエイターの成功体験も十数年で大きく変わったのではないでしょうか。アートの世界でも作家自らが発信をし、ギャラリーなどのアートディーラーの在り方も大きく変わってくるかもしれません」。

表現の根本は普遍ですが、確かに届け方や伝え方はここ十数年でめまぐるしい変化をしています。
「私はひとりの美術家として、チームで活動をしています。私が代表を務める会社のスタッフとともにテレワークにおけるクリエーションのあり方を模索しています。在宅勤務中の離れた各自の部屋からでも繋がりを持ち、コミュニケーションを醸成し、創作活動を絶やすことなく前進しています。まだ詳細はお話しできませんが、実際に在宅勤務を開始した4月上旬から約1ヶ月で100点以上の作品を完成させました。当然のことですが、会社組織の代表である私の立場であれば、創作活動を継続させることが内外の雇用を継続させることにもなり、生み出された作品をお客様のもとへ届けることが私たちの仕事です。私のように自分の手でものづくりをする作家であろうとひとりで完結する仕事はありません。常にチームで前進することが、芸術の世界でもこれからの在り方だと感じています。アーティストや伝統工芸のような才能を支える専任スタッフもまた、プロフェッショナル。全ての関係が結実しなければ、どの界も大成を得ることはできないと思っています」。

絵画やヒールレスシューズ などの作品は、舘鼻のアトリエの手仕事で全工程が行われている。© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

1985年、東京都生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻卒。卒業制作として発表したヒールレスシューズは、花魁の高下駄から着想を得た作品として、レディー・ガガが愛用していることでも知られている。現在は現代美術家として、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館などに永久収蔵されている。
http://www.noritakatatehana.com

ワールド バリスタ チャンピオン・井崎英典のクラウドカフェ「#BrewHome」誕生!

#ブリューホームコーヒーを通して、みんなで語ろう。みんなでつながろう。

ワールド バリスタ チャンピオンの井崎英典氏が中心となって手掛けるクラウドカフェ「#BrewHome」が誕生しました。

新型コロナウイルスの被害拡大を防ぐために緊急事態宣言が発令された2020年4月7日、あるSNS上では「疲」、「鬱」、「ストレス」といったネガティブワードが通常の3倍もアップされたそうです。
自宅待機やリモートワーク、先行きが見えない経済……。一変してしまった生活による精神的ダメージは想像以上に大きく、その影響を受けた人も少なくありません。

「#BrewHome」は、それらによって引き起こされる様々な不安や孤独を感じる人たちの支えとして、幸せなひと時を参加者と共に過ごすクラウドカフェであり、コーヒーでつながるソーシャルプロジェクトです。

その時間は、まるで皆とひとつのテーブルを囲むようです。

コーヒーに含まれる香りやカフェインは、高いリラックス効果があると言われ、ストレスなどの軽減や心身を安定させる飲み物として再び評価が高まっています。

同プロジェクトは、毎日13時30分から14時までの30分間、「ZOOM」上で井崎氏がファシリテーターとなり、時にゲストを招いて開催。

世界中から集まった参加者と共に、コーヒーを片手に読みたい本、おすすめのコーヒーカップ、著名バリスタのおうちコーヒーなど、様々な話題をテーマにお楽しみ頂けます。

#ブリューホーム僕はコーヒーを通して何ができるのか。それが「#BrewHome」だった。

「自粛から緊急事態宣言を受け、コーヒーを通して今何をすべきか自問自答し、私が運営するチームでも議論を重ねました」と井崎氏は話します。

実は、予定していた新規事業のローンチも控えていたそうですが、それを延期し、本企画を優先してスタートしたそうです。

「周知の通り、世界中の方々が新型コロナウイルスによって甚大な被害と精神的苦痛を体感していると思います。そんな中、僕が信じるコーヒーを通して何か役に立てることもあるはずだと思い、“#BrewHome”を立ち上げました。私たちの仕事は一貫して“人とコーヒーの素敵な出会いをプロデュースすること”です。そしてコーヒーが創り出す“ ホッ”とする感情の連鎖をつなぐことで、多くの人に安らぎや幸せを届けたいと願う“Brew Peace”という理念のもと活動しています」。
 
5月14日、一部の地域では緊急事態宣言が解除されたとはいえ、不安が払拭されたわけではありません。

「ほんのひと時……。オンライン上のカフェ“#BrewHome”にて、安らぎや癒しをご提供できればと思っています。ぜひご来店のほど、お待ちしております」。

1990年生まれ。高校中退後、父が経営するコーヒー屋「ハニー珈琲」 を手伝いながらバリスタに。法政大学国際文化学部への入学を機に、(株)丸山珈琲に入社。2012年、史上最年少で「ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ」にて優勝し、2連覇を成し遂げた後、2014年の「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」にてアジア人初の世界チャンピオンとなり、以後独立。現在は年間200日以上を海外で過ごしつつ、コーヒーコンサルタントとしてグローバルに活動。ヨーロッパやアジアを中心に、コーヒー関連機器の研究開発、小規模店から大手チェーンまで幅広く商品開発や人材育成を行う。日本マクドナルドの「プレミアムローストコーヒー」、「プレミアムローストアイス コーヒー」、「新生ラテ」の監修、中国最大のコーヒーチェーン「luckin coffee」の商品開発や品質管理なども担当。NHK「逆転人生」ほか、テレビ・雑誌・WEBなどメディア出演多数。

・おうちで淹れたコーヒーやテイクアウト、デリバリー、インスタントのコーヒーでも、みなさん思い思いのコーヒーを準備する。
ZOOMに入れるように、PC、スマートフォン、タブレットなどを用意する。
・13:30〜14:00の間に「#BrewHome」オフィシャルサイトから「参加する」ボタンをクリックする。
会話に参加するも良し、ビデオは停止して音声だけをラジオのように聞き流すのも良し、のんびりと自由にご参加ください。

期間:2020年4月10日より毎日13:30〜14:00(30分)
http://brewhome.qahwa.co.jp/
発起人:第15代ワールド バリスタ チャンピオン井崎英典(QAHWA)
企画・クリエイティブディレクター・コピーライター:川嵜鋼平
オペレーションマネージャー・ファシリテーター:広田 聡 a.k.a“サミー” (QAHWA)
プロデューサー:ソ・ヨンボン(PEAK)
アートディレクター:橘 友希(Shed)