この世で使える限りの色で、日本の美を表現。[だるま商店/京都府京都市]

小野小町の一生と平安時代の華やかさを描いた『極彩色梅匂小町絵図』。

京都府京都市絢爛豪華なCG画。なぜ京都の厳粛な仏閣に?

蛍光色に近いピンクに青、鮮やかすぎる色の洪水。印刷用語を使うと「“特色”のオンパレード」です。描かれているのは極楽浄土を思わせるような宮中や花街の世界。「影絵」のような人物は、じっくり見ると一人ひとりに人間味があり、妖艶かつ具象的です。気が遠くなるほど緻密なデジタルアートのようなこの作品が、京都の有名な寺に奉納されていると聞いてミスマッチに感じる人もいるかもしれません。ですが、実際に飾られている空間を見ると、まるで仏教画のように――そして曼荼羅のように場になじんでいるから不思議です。

『極彩色梅匂小町絵図』は襖絵として随心院に奉納された。

京都府京都市絵師とディレクターという完全分業の作者。

作者は『だるま商店』。絵師の安西 智氏と、ディレクターの島 直也氏からなる2人組です。彼らの絵は、京都の六道珍皇寺や妙心寺、随心院など名だたる寺社に飾られています。なぜ厳格な京都の寺に超現代的なCG画が平然と飾られているのでしょうか。その理由は後にして、まずは『だるま商店』の成り立ちについてお話しします。

安西氏(左)と島氏(右)。「男前絵描きユニット」の異名も。

京都府京都市「運命の人に会える運」を使い切ったかも。

島氏は兵庫県、安西氏は埼玉県出身。大阪の大学で建築や都市計画について学んだ島氏は、デザイン会社に就職しCM関係の仕事をしていました。東京に転勤になったのち、独立を考えていた時にデザインのイベントで出会ったのが安西氏の絵でした。描かれていたのは、宇宙人の胎児。「めっちゃ気持ち悪い絵や。美しい色使いなのにここまで気分が悪くなる絵があるなんて!」と、島氏はその奇妙なエネルギーに惹かれたといいます。なんとなく気に入って絵を壁に飾ったものの、特に連絡先も聞いていなかったため安西氏とはそれきり。2001年のことです。それから2年間、二人は会う機会がありませんでした。

2003年、ある飲み会に参加した島氏は、たまたま目の前に座った初対面の男性が泥酔したため、家に泊めることに。「ほんま迷惑な男や」とぼやきながら家に連れて帰った時、泥酔した男性が壁の絵を見て言った言葉は「これ、俺の絵だ」。なんと2年前に興味を持ったあの絵を描いたのがこの迷惑男――安西氏だったのです。

時にはライヴペインティングで力強い筆さばきを披露することも。

京都府京都市京都・花街の「あじき路地」を拠点に活動。

安西氏は小さい頃から絵画が好きで、絵描きになりたいと上京。当時は大学生で、島氏に一緒に絵を制作しようと誘われて遊び程度に描き始めました。それが『だるま商店』のスタート。東京在住は3年だけと決めていた島氏は、2004年に関西に戻ることに。安西氏も島氏からの、絵の題材が近くにある京都への移住の提案を受け入れました。それから二人は、宮川町の花街に近いクリエイターが集まる長屋(通称「あじき路地」)の一室を住居兼アトリエにして活動することになります。

人物を「影絵」のように表現するのは、背景や衣装を際立たせるためだという。

京都府京都市「安西には、俺が見えてない色が見えてるねん」。

ディレクターと絵師という珍しい分業制ですが、主にクライアントから仕事を受けるのは島氏で、描くのは安西氏。島氏は小学校の頃から「お笑い」に憧れ、かつ日本史に詳しく、更には超論理的思考を持つ多角的な人物。マーケティングの仕事経験もあり、知識欲も旺盛なため政治から経済、地域の風習、文化やアートまで膨大な情報の持ち主です。一方、安西氏は文系で江戸文学に強く読書好き。日本文化や着物など興味があることにとことん打ち込むタイプです。島氏は『だるま商店』の分業について「安西が持つ感性を軸に、自分がディレクターとして論理的に構成して、その世界観を拡げていく手法」であると話します。安西氏の描く世界は絢爛豪華な極彩色ですが、「安西にはこう見えてるらしいんです」と島氏。「あの雲黄色い」と安西氏に言われ、集中して見てみると本当にそんな色をしている。物事の奥底にある本質のようなものが、安西氏には見えているのかもしれません。「この世界で使える限りの色を持ってる奴」――そう島氏は安西氏を評します。

祇園の春の風物詩「都をどり」を描いた『極彩色艶舞祭礼絵図』。

京都府京都市ファンタジーではなく、実は徹底したリアリズム。

彼らが名前を知られるようになったきっかけは『極彩色熊野古道曼荼羅』です。熊野古道巡礼の旅を1枚の絵におさめたもので、世界遺産登録記念のコンペティションにおいて最優秀賞作品となりました。徹底的に現地調査を行い、追体験し、そこで出会ったものや見知ったことを事細かに描く。その時代に使われていた、流行した色、着物の柄なども調べ、史実にも忠実に。更に昔の物事だけでなく、「特急くろしお」が走っていたり、三脚を立てて撮影する人がいたり……。現代の風景も取り混ぜているのは、「今、生きている世界」を描かなければ意味がないからです。なおかつ、どこかクスッと笑えるストーリーで、見る人のハードルを一気に下げる。これが『だるま商店』の「小ワザ」なのです。

出世作『極彩色熊野古道曼荼羅』。巡礼の旅をコミカルに描いた。

京都府京都市「楽しいもの、面白いもの」ならみんな見るでしょ。

それは核心をついた問いでもある「どうしてこのような活動をしているのか?」の答えにもつながります。島氏は「もっと楽して生きたらええやん、って言いたいんです」と笑います。楽しいこと、笑えること。今の日本人が当たり前、古い、つまらないと見向きもしなくなった文化や歴史は、改めて見るととても理にかなっていたり、面白いものだったりする。また「陽」の部分だけではなく、赤線や芸者といった「陰」の文化にも素晴らしい美意識や芸術性があり、こうしたタブーが孕む「艶やかさ」や「すごみ」は、日本が世界に誇るべき財産といえるかもしれません。『だるま商店』は「笑い」をフックにして作品へ入り込んでもらい、その背景にある文化へ誘うのです。

太秦(うずまさ)での「きゃばれえ竜宮城」と題したイベント。「立体浮世絵」として空間をつくり上げた。

京都府京都市アバンギャルドな手法で、古人の精神を伝える。

活動は絵だけではなくイベントにまで及びます。例えば貴船神社の「新嘗祭(にいなめさい)」。収穫の恵みに感謝する祭りですが、『だるま商店』が企画したのはドラァグクイーン(女装した男性)のミセス・オリーヴが巫女姿で田植えをし、神事を務めるという「新嘗祭(にいなめさい)」です。傍で宮司が真剣に祝詞(のりと)をあげ、直会(なおらい)では料亭『吉兆』の総料理長・徳岡邦夫氏が料理を振る舞い……と冗談のような光景ですが、そこにはこんなメッセージが込められています。「これから日本はよりコンパクトな消費で生きていく時代になると思う。まずはお米を美味しく食べるという“基本”に立ち戻ってみては」。女装した男性が巫女役なのは、「だって面白いから。みんな見に来るでしょ」。――一本取られたという感じです。

自然や食への感謝を表し行われる新嘗祭(にいなめさい)。

京都府京都市芸術家ではなく、伝達する役目でありたい。

『だるま商店』はアーティストではなく、「コンバーター」(変換器)といえるのかもしれません。日本文化の意味を信号のように解釈し、それを笑いやユーモアを交えたモチーフに変換して伝える。寺社の住職が『だるま商店』の作品を受け入れるのは、彼らが伝えたいものをきちんと汲み取っているからなのです。その作品が決して「神様への冒涜」「茶化し」などではないことがわかっているのです。

2018年から東京にも拠点を作り、活動の幅を広げました。2020年の東京オリンピックに向け、様々なイベントに参加予定です。日本中の人そして世界中から来る人に「日本には、こんなに美しく面白い文化がある」ということを再発見させてくれることでしょう。

南蛮の遺品が残る妙心寺には菓子にちなんだ『極彩色菓子来迎安楽浄土絵図』を奉納。 

日本、更に世界で活躍。今後彼らの作品を目にする機会が増えることだろう。

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ブックファン95 (@bookfun95 )

オゾン(O3)を利用して、不純物等の除去と漂白をしたタオル。オゾンは水道水やプールの殺菌でも使用され低濃度だと全く問題のないもの。自然分解がはやく有害な残留物も残らない。

もこ (@mocomoco1979 )

行田市の防災無線の夕方のメロディが「木星」(陸王で使われたからであって、本家、ホルストとなんの関係のない)になるそうですが、わたし個人の希望は、スタレビの「木蘭の涙」だったりする

整然と美しい桜並木に加え、自然がもたらす鮮やかな色彩が目を楽しませる。[舟川/富山県下新川郡]

残雪の山々を仰ぎ、足元に花々のキャンバスが広がる絶景は、「この世の楽園」とも称されています。

富山県下新川郡残雪の山々と桜、チューリップ、菜の花が共演する「あさひ舟川・春の四重奏」。

『朝日岳』や『白馬岳』といった北アルプスの山々を背景に、清流『舟川』沿いの堤防に丁寧に手入れされた「ソメイヨシノ」が咲く、富山県朝日町の春の風景。舟川の両岸約1.2kmにわたって咲く約280本の桜並木は、1957年に舟川の河川改修を行った際に地域の人々によって植えられたものだといわれており、見頃となる4月中旬には、見事な桜のアーチを作ります。チューリップの名産地でもあるという朝日町では、桜と同じ時期に開花する極早生(ごくわせ)の品種を栽培。また菜の花も一緒に植えたことで、色彩豊かな花のキャンバスを楽しめるようになりました。残雪の山々と桜並木、鮮やかなチューリップ、可憐な菜の花の4つの色彩が織りなす風景は、通称「あさひ舟川・春の四重奏」と呼ばれ、この美しい景色をひと目見ようと、毎年多くの人で賑わいます。開花時季には「あさひ桜まつり」も開催され、屋台や伝統芸能のステージが楽しめる他、夜にはかがり火がたかれ、炎とライトアップによる幻想的な夜桜を満喫できます。(文中には諸説ある中の一節もございます)

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住所:富山県下新川郡朝日町舟川新 MAP
アクセス:北陸自動車道朝日ICより車で約3分/北陸新幹線黒部宇奈月温泉駅より車で約15分/あいの風とやま鉄道泊駅より、桜づつみ・チューリップ畑往復臨時バス(4月7日から18日まで・予定)乗車、所要時間約10分

潜伏キリシタンが移り住んだ離島。黒島天主堂は信者の心の拠り所であり続ける。[黒島天主堂/長崎県佐世保市]

霧に包まれた黒島天主堂。1902(明治35)年に完成した教会で、一帯は2018年夏の世界遺産登録を目指す『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産の一つになっている。

長崎県佐世保市九十九島最大の有人島・黒島に息づく信仰の文化。

208の島々からなる九十九島で一番大きな島、黒島。現在の人口は430人足らずですが、かつてこの島には多いときで2400人程度の人が暮らしていたといいます。

それは黒島が「潜伏キリシタンの島」だった歴史が大きく関係しています。江戸時代、幕府の禁教令による厳しい弾圧から逃れるため多くのキリシタンがこの島に渡り、現在も島民の約8割がカトリック信者だという、まさに“祈りの島”。

島のシンボルである黒島天主堂を含む“黒島集落”が『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産の一つとして、世界遺産登録が間近ということで注目を集めていますが、それはこの島が歩んできた歴史を深く知れば、特別なことではないと分かるはず。

島の宝、黒島天主堂をテーマに島民たちの想いをめぐる黒島の旅へ。

九十九島に4つある有人島のなかでも、一番大きく、人口も最多の黒島。産業のメインは漁業と農業。かつては御影石の採石も盛んだった。

長崎県佐世保市潜伏キリシタンの当時の暮らしぶりを島内の様子からうかがい知る。

佐世保市相浦港を発着するフェリーで、片道約50分で到着する黒島。黒島の名前の由来は、島が木々に覆われ黒いから、江戸時代のキリシタン弾圧で“苦労”したから、など諸説ありますが、明確な由来はわからないそうです。

江戸時代、平戸藩の領地だった黒島は、軍馬の飼育を主とする島でしたが、平戸藩から移住してきた人々が開墾を進め、人が住める島へと発展しました。1815年ごろには佐世保と大村湾の間にある針尾島、平戸の生月島、長崎市北部の外海などから多くの潜伏キリシタンが移り住んだそうです。

黒島港から上がった高台には仏教徒が形成した集落があり、潜伏キリシタンたちが所属した興禅寺もあります。この集落は家屋が集まる一般的な姿といえます。しかし、島の南側の集落などは、2〜3軒がポツポツと集まる程度の集落が点在する形で、禁教令が出されていた当時、潜伏キリシタンの人々がひっそりと暮らしていたことがうかがえます。

島民たちの心の拠り所になっている黒島天主堂。建造に使われたレンガの総数は40万個で、ほとんどが島外から仕入れたもの。なかには島民たちが焼いたものも使われているそうだ。

長崎県佐世保市1世紀の時を超えて、今なお誇り。先祖たちが築き上げた唯一無二の天主堂。

島中心部の名切地区に入ると、佐世保市役所黒島支所や商店などが並び、現在の島民の暮らしが見えてきます。そのなかでも、ひときわ存在感を放つレンガ造りの教会が黒島天主堂。この島のシンボルです。

フランス人のマルマン神父の設計と指導のもと、1902(明治35)年に2年の歳月をかけて完成した天主堂。建設費用は現在の価値にして3億円にも及んだそうで、その費用は島のカトリック信者たちからの献金だけでは到底足りませんでした。ただ、島の男たちは自らが労働に従事することで、人件費を削減。使用された40万個のレンガや礎石に使った御影石、重たい木材などを人力で運び、わずか2年でこんなにも立派な天主堂を築き上げたというから驚きを隠せません。長い潜伏の時代を乗り越えて、信仰の自由を得た人々の喜びがいかに大きなものだったかが分かります。

外観意匠はロマネスク様式の簡素な構成である一方、三層構造の天井が高い堂内は圧倒的な美しさを放っています。一つ一つ木目を手描きしたこうもり天井や束ね柱、祭壇の床に貼られた有田焼のタイルなど、細部にまでマルマン神父や島のカトリック信徒たちのこだわりを感じられます。

もちろん現在も毎日行われるミサで、島民たちが日常的に祈りを捧げる場所として親しまれる黒島天主堂。島の先祖たちがマルマン神父らとともに造り上げ、守ってきた、いわば島の信者たちの誇りともいえる建造物なのです。

天主堂正面にはバラ窓以外、窓がない。窓のように見えるアーチ型のものは、ブラインド・アーチと呼ばれる装飾。細かな部分にまで意匠を凝らしたことがわかる。

荘厳な雰囲気を醸し出すこうもり天井が印象的な天主堂内。マルマン神父が自ら作ったという説教壇、当時のままのステンドグラスなど、どこも保存状態が良い。これこそ、島の信者たちが黒島天主堂を大切に守ってきた証だ。

長崎県佐世保市黒島天主堂が守ってきた島の暮らしを味わい、体感する。

潜伏キリシタン関連の見どころ以外にも、黒島ならではの楽しみはまだまだあります。その一つが島めし。近海で獲れた鮮魚を惜しみなく使う家庭的な料理で、島に3軒ある民宿と1軒あるお食事処で前日までに予約すれば日帰りでも味わうことができます。

島めしを提供し、島民が居酒屋として利用することも多い、『民宿つるさき』を営む鶴﨑浩司さんは黒島で生まれ、一度は神父を目指したほど信心深いカトリック信者。神学校で学ぶために、小学校卒業後、島を離れ、それから10数年にわたり、島外で暮らしたそうです。そんな鶴﨑さんは「29歳で島に戻ってきて、改めて黒島天主堂の大切さを感じました。私たち島民にとって、この天主堂は宝であり、自慢です」と話します。

昔から行事やお祝いなど人が多く集まるときに、必ず作っていた黒島ふくれまんじゅうも隠れた島の名物。港そばのインフォメーション兼直売所『黒島ウェルカムハウス』で不定期で販売しているほか、予約すればまんじゅう作り体験を楽しむこともできます。体験を受け入れている一人、藤村スミ子さんは、生まれも育ちも黒島という生粋の島人。「赤ん坊のときから、毎週ミサに行くのが当たり前やったけん、すごいとかは感じんとよ。だけど、この教会は私や家族をずっと守ってくれとる大切な場所。黒島が世界遺産に登録されるのは名誉なことやけど、だからこそ今まで通りの場所であってほしかね」と藤村さん。

島の人々にとっては身近な存在の黒島天主堂。カトリック信者以外の見学も快く受け入れてくれる教会だからこそ、畏敬の念を持って見学してほしいと感じました。

『民宿つるさき』のある日の島めし。イサキの塩煮、アラカブの味噌汁、お造りなど魚づくし。海水をにがり代りに作る、島とうふも素朴な味わいでウマイ。全7品で1300円、アワビ付きで2000円とコストパフォーマンスも良い。

『民宿つるさき』で調理を担当する鶴﨑浩司さん。島の人々が普段当たり前に食べている料理だが、島外から訪れた人にとっては逆に新鮮に感じられるのが島めしの魅力。「蕨(わらべ)展望所など、黒島ならではの絶景も楽しんでほしいですね」と鶴﨑さん。

小麦粉とふくらし粉だけで作る、黒島ふくれまんじゅう。中には手作りの黒餡が入っており、素朴な味わい。サツマサンキライの葉を巻くのが特徴だ。まんじゅう作り体験は1人2000円。7日前までに要予約。

黒島ふくれまんじゅう作り体験を受け入れる、笑顔がステキな藤村スミ子さん。普段は食料品や雑貨を販売する『ストアー藤村』を切り盛りしている。「ふくれまんじゅうはとにかくシンプル。黒餡を手作りするのが大変とよ〜」と笑う。

長崎県佐世保市次の100年へ、黒島天主堂を繋いでいく。

黒島で生まれ、20代からシスターとして生きてきた馬込光子さんにもお話をうかがいました。異動になる33歳まで黒島天主堂でカトリックの教えを広めていた馬込さんは「40年ほど前は堂内がいっぱいになるほどのカトリック信者がおりましたが、今は島の人口が減ったこともあり、大勢の人が集まることはなくなりましたね」と当時を振り返ります。教会学校と呼ばれる教会での学びの場にくる子どもたちにとってシスターはお姉さんのような存在だったそうで、「教会は子どもたちの学びの場であり、地域コミュニティでした。年上のお兄さんやお姉さんが小さな子どもたちの面倒を見ながら一緒に遊ぶ。それが当たり前だったんですが、今は島に暮らす子どもたちも減ったこともあり、そういったことに触れられる機会が少なくなったのは少し残念ですね」と馬込さん。

島民の高齢化も進み、自分の足で教会に通えなくなるというケースも増えているそうで、そんなカトリック信者のために、神父さんが聖体を持って各家庭を回る取り組みも行われています。
「時代の流れとともに黒島の環境はどんどん変わっています。ただ、先人たちが築いてくれた黒島天主堂は次世代へと引き継いでいかなければいけません。今年の秋からは保存修理が始まります。黒島が世界遺産に登録されれば、今よりもっと注目を集めるでしょうが、長い目で黒島天主堂を見守っていきたい」と力強く話してくれました。

シスターの馬込光子さん。現在、『黒島こども園』の施設長兼保育士として5名の子どもたちの成長を温かく見守っている。

一見すると100年以上が経過した建物には見えない立派な佇まいだが、やはり年月による劣化はあるという。2018年11月から長期間の保存修理に入る予定だ。

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住所:〒857-3271 長崎県佐世保市 黒島町3333 MAP
電話:095-823-7650(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター)
※黒島天守堂の見学は事前予約が必要です。

海の上で興じる桜見物。半島に春を告げる淡紅色のヤマザクラ。[神子のヤマザクラ/福井県三方上中郡]

穏やかな若狭湾が眼前に迫る新緑の山肌を、約300本のヤマザクラが淡い紅色に咲き染めます。

福井県三方上中郡桜と海が織り成す色彩のコントラスト。千本桜とも称される港町の景勝地。

福井県から京都府にかけて広がる『若狭湾国定公園』の一部であり、『三方五湖』などの観光地が点在する『常神(つねがみ)半島』に春の訪れを告げる『神子(みこ)のヤマザクラ』。若狭湾に面した神子地区の小高い山、東西約1km、南北約200mの区域に植えられ、4月上旬に満開となる「ヤマザクラ」は、地元では「千本桜」と称され、県の名勝に指定されています。その始まりは1742年頃、小浜藩の推奨により集落にアブラギリの木を植えるために開墾した際、土地の境界をわかりやすくするために植えられたといわれ、その数は約300本。3月下旬より山肌の新緑にぽつりぽつりと淡紅色が広がってゆき、満開時には山全体が鮮やかに色づきます。近隣の海岸からその景色を楽しむのも良いですが、神子地区の一部の民宿が実施している漁船での桜見物(要問合せ)も、趣がありお勧めです。ヤマザクラと若狭湾の美しいコントラスト、そして潮の香りが出合う、港町ならではの春がそこにはあります。(文中には諸説ある中の一節もございます)

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住所:福井県三方上中郡若狭町神子 MAP
アクセス:北陸自動車道敦賀ICより車で約1時間/舞鶴若狭自動車道小浜ICより車で約1時間/JR西日本小浜線三方駅より常神行きバス乗車、バス停・神子下車すぐ

豊潤な水辺に咲き誇る桜のアーチと、「分水おいらん道中」の艶やかな共演。[大河津分水/新潟県燕市]

約10kmにわたって広がる桜並木は日本屈指の長さで、「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

新潟県燕市自然の脅威を乗り越えて。人の叡智を結集した分水堤防に咲く約3,000本の桜並木。

日本で最も長い川である『信濃川』は、その昔、洪水のたびに氾濫を繰り返す暴れ川として恐れられ、越後平野に甚大な水害をもたらしていました。そんな信濃川の流量をコントロールするべく、当時の最新技術を駆使して1922年に完成した『大河津分水』は、地域住民のたび重なる請願が結実した賜物で、完成した時の喜びは計り知れないものだったといいます。そんな大事業の完成を記念して桜を植えたのが、大河津分水の桜並木の始まりとされ、現在では分水堤防沿い約10kmにわたり約3,000本の「ソメイヨシノ」が並び、迫力ある桜並木を見ることができます。開花の時季には「つばめ桜まつり 分水おいらん道中」(2018年4月7日〜4月22日)が開催されますが、中でも毎年4月の第3日曜日に行われる「分水おいらん道中」は、「信濃」「桜」「分水」の3名のおいらん役が豪華な衣裳を身にまとい、総勢60名もの付き人を従えて練り歩くイベントです。このイベントは大正時代、花見客のために行われた仮装行列が起源といわれ、艶やかな時代絵巻と桜の共演が楽しめます。(文中には諸説ある中の一節もございます)

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住所:新潟県燕市五千石地内 MAP
アクセス:北陸自動車道中之島見附ICまたは三条燕ICより車で約25分/JR越後線分水駅より車で約5分

神話の時代より時を重ね、今年も花開く。生命力と存在感に満ちた国内最古の桜。[山高神代桜/山梨県北杜市]

悠久の時間を生きてもなお生命力に溢れる姿は尊く、思わず手を合わせる人も。圧倒的な風格を備えた、日本有数の桜です。

山梨県北杜市樹齢、根回りともに日本最大級。誇り高くたくましい姿が多くの感動を呼ぶ。

推定樹齢は1800年から2000年と、気が遠くなるほどの時間を生き続け、毎年欠かさず花をつけてきた『実相寺』の『山高神代桜(やまたかじんだいざくら)』。その始まりは神話の時代、武将・日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折にお手植えになり、それが名前の由来であると伝えられています。時代は移り、この地を訪れた日蓮聖人が衰えた桜の木と出会い、その回復を祈ったところ、見事に再生したという伝説から、別名「妙法桜」とも呼ばれるようになりました。品種は日本の野生種である「エドヒガン」で、樹高は約10.3m、根回りは約13.5mと、ともに国内最大級の大きさです。1922年に日本で初めて国の天然記念物に、1990年に「新日本名木百選」に選定された他、「日本三大桜」のひとつとしても有名です。早咲きとして知られるエドヒガンの開花は3月下旬、見頃は4月初旬から約10日間で、実相寺の境内には、山高神代桜の他にも「ソメイヨシノ」やラッパ水仙が咲き、屋台も出るなど、春爛漫の賑やかな雰囲気に包まれます。(文中には諸説ある中の一節もございます)

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住所:山梨県北杜市武川町山高2763 MAP
アクセス:中央自動車道須玉ICより車で約15分/中央自動車道小淵沢ICより車で約30分/JR東日本中央本線日野春駅より車で約15分/JR東日本中央本線韮崎駅より山交タウンコーチバス下教来石行き乗車、バス停・牧の原下車、乗車時間約40分、バス停より徒歩約30分

重厚な史跡に満開の桜が映える。加賀藩の栄華を彷彿とさせる艶やかな風景。[金沢城公園/石川県金沢市]

1788年に再建された『石川門』は櫓と櫓を長屋でつないだ造りが特徴。重厚な雰囲気に桜が華やかさを添えます。

石川県金沢市城跡ならではの開放的なロケーションに、賑やかな春の息吹が訪れる。

1546年に築城され、江戸時代には加賀藩主前田氏の居城として使われた『金沢城』。長い歴史の中で落雷や大火などたび重なる災害に見舞われ、建造物は櫓(やぐら)や門など数ヵ所を残すのみとなっていましたが、明治時代以降は陸軍や大学の施設として活用され、1999年より公園の整備が進められました。2001年に一部の建造物が完全復元され、『金沢城公園』と改称、現在も継続して整備事業が進められています。広大な敷地には広場やお堀など多種多様な憩いの場があり、開放感溢れるロケーションでゆったりと過ごすことができます。敷地内には約350本の桜があり、4月上旬から中旬にかけて見頃を迎えますが、中でも国の重要文化財に指定されている『石川門』付近が特に景色が良いことで知られ、櫓や石垣、お堀や桜の共演は、かつて栄華を極めた加賀藩の姿を彷彿とさせます。また2003年に新たに誕生した『桜の園』では、「ソメイヨシノ」を中心に、「コシノヒガン」、「シダレザクラ」など、開花時期の異なる桜が植えられており、長く桜の花を楽しむことができます。(文中には諸説ある中の一節もございます)

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住所:石川県金沢市丸の内1-1 MAP
アクセス:北陸自動車道金沢西ICまたは金沢東ICより車で約30分/JR西日本北陸本線金沢駅より車で約10分/JR西日本北陸本線金沢駅下車、金沢駅東口6番乗り場より兼六園シャトルバス乗車、兼六園下・金沢城(石川門向かい)8番停留所で下車、そこから徒歩すぐ、所要時間約20分

美しい九十九島に暮らす作り手たちの想い、裏側に流れる物語に触れる。[九十九島(くじゅうくしま)/長崎県佐世保市]

石岳展望台から見た九十九島。夕暮れ時がとくに美しい場所として知られる。

長崎県佐世保市神秘さえ感じる208の島々からなる九十九島(くじゅうくしま)。美しさの裏側に流れる、海と人との繋がりを知る。

明治時代に日本海軍の鎮守府が設置されるまでは、小さな村にすぎなかった長崎県・佐世保市。現代では明治時代からの歴史や文化が受け継がれ、自衛隊や在日米軍の基地がある、九州有数の港町として知られています。

そんな佐世保市で、全国的にみても珍しい風景が広がるエリアが今回訪れた九十九島。名前の通り、無数の島々と複雑に入り組んだリアス海岸からなる多島海で、佐世保湾から北へ約25㎞の海域には、208の島があるといわれています。

市内に8ヶ所ある展望台から見下ろすのはもちろん、観光施設『九十九島パールシーリゾート』を発着する遊覧船に乗り、間近で島々を見ても絶景の九十九島。今回は絶景だけじゃない、九十九島に息づく人々の暮らしや、美しい海を舞台にした“食”の物語にもフォーカスを当ててみます。

『展海峰』からパノラマビューで九十九島を望む。春は菜の花、秋は15万本のコスモスと、花の名所としても知られる。

長崎県佐世保市海賊、平家の落人伝説...さまざまな言い伝えが残る、自然が生んだ良港。

九十九島は複雑な地形かつ島々が多いこともあり、一年を通じて比較的波が穏やかだといいます。展望台から遠望してもそれは感じられますが、せっかくなら近くで島々や豊かな海を見てみたい。そんなときに活躍するのが定期的に運航している遊覧船です。展望台から見た景色とは一変して、自然が残る無人島群を目の前に冒険心がくすぐられます。

さらに間近で見る海の美しさにも驚かされるはず。南国の海とは違い、深い緑色をたたえた海ですが、透明度が高く、海底まで見える場所もあります。

208ある島のうち、有人島の4島を除いて、204島が無人島。その昔、海賊船が停泊していたといわれる『牧の島』、平家の落人伝説が残る『松浦(まつら)島』など、各島に残る言い伝えや名前の由来を知ると、より九十九島という場所がおもしろいものに感じられるはずです。

『九十九島パールシーリゾート』を代表する大型遊覧船『パールクィーン』。白い船体がエメラルドグリーンの海によく映える。

複雑な形で、九十九島南部のシンボルともいえる『松浦(まつら)島』の入江にも大型遊覧船は入っていく。その昔、海賊船が停泊していたという逸話も納得の奥地的な雰囲気。

『九十九島パールシーリゾート』を発着する小型遊覧船『リラクルーズ』。大型の遊覧船では行けない場所も巡ることができる。

長崎県佐世保市九十九島の豊かな海が育む養殖鯖。生産者の想いと日々の仕事が、長崎が誇るブランド鯖を生んだ。

九十九島の海を見ていて、海上にイカダが多く点在していることに気づきます。実は波が穏やかでありながら、干満の差が大きい九十九島一帯は魚介類の養殖が盛んな場所。冬に旬を迎える『九十九島とらふぐ』、『九十九島かき』が有名ですが、九十九島北部の海域で育つ『長崎ハーブ鯖』が今回の旅の大きな目的でした。

佐世保市で2軒、隣りの松浦市で1軒、計3軒の生産者が10年前から始めた取り組みで、今や年間20万尾を出荷するまでに人気を得ています。その理由が、一年を通じて旬時期の天然ものに引けを取らないクオリティの高い鯖を出荷できる点が一つ。さらに、名前の由来にもなっている飼料にも注目です。ナツメグ、オレガノ、シナモン、ジンジャーなどのハーブを配合した飼料を与えることで、臭みがなく、血合いが変色しにくい鯖が育ちます。

佐世保市小佐々町で『長崎ハーブ鯖』の養殖に取り組む(有)リョウセイの専務・浜田孝男さん、(株)金政水産の代表・金子博幸さんは「養殖鯖は飼料で身質が変わるけんね。一般的な飼料と嗅ぎ比べてん。ハーブ飼料はにおいがいいやろ?これが鯖の身の匂いにも影響するとばい。ハーブ飼料やと脂ののり方もちょうどいいっちゃん」と口を揃えます。

左から(有)リョウセイの専務・浜田孝男さん、(株)金政水産の代表・金子博幸さん。2人とも『長崎ハーブ鯖』の生産者だ。「こいとは(この人とは)仲良おなかけん(仲良くないから)、一緒に写真に写りたくなかと〜」と冗談を飛ばし合うほど仲良し。

「最初は鯛に与える飼料で鯖の養殖を始めたとよ。脂質の量が多いけん、よく太るけど、脂がのり過ぎて身がギトギトになってしもうてね。それでハーブ飼料に変えたとばい。飼料を変えてからはまったく違う鯖になったね」と話す浜田さん。

「九十九島の海は波が穏やかやし、干満の差も大きかけん、魚介類の養殖には向いとる。ただ海水温が上がる夏場は鯖も弱ってしまうけん大変やね。海水温ばっかりはどうしようもなかけん」と金子さん。

自然の海を利用した養殖イカダの中を元気に泳ぎ回る『長崎ハーブ鯖』。100〜200gほどの天然の稚魚を仕入れ、育てていく。出荷できる400〜500g以上のサイズになるまで、7ヶ月〜1年半を要するそうだ。

通常の飼料に比べ、1袋あたり2000円程度高いというハーブ鯖専用の飼料。2日に1回程度のエサやりで1つのイカダに4袋ほどを与えるというから、エサ代だけでも相当額必要なのが分かる。

長崎県佐世保市育て方や生産者の想いを聞いた上でいただく。最高の贅沢は、やはりその地でリアルタイムで味わうこと。

佐世保市内でも浜田さんらが育てた『長崎ハーブ鯖』が味わえる店がいくつかあるという話しを聞き、そのうちの1店に早速コンタクト。2018年で創業100周年を迎える地場発の老舗居酒屋『ささいずみ』にお邪魔しました。

料理長として腕を振るう豊村竜也さんは地元出身で、幼少期から鯖は食していたそう。ただ、そんな地元民の豊村さんでさえ最初に『長崎ハーブ鯖』を食べたときは、その質の高さに驚いたと語ります。
「臭みがほぼなくて、血合いがキレイなことにまず驚きました。さらに脂はのっているんですが、脂質がサラッとしているので、しつこくなくて。鯖に苦手意識がある人にこそ、ぜひ食べていただきたいと思っています」と豊村さん。

地元民にも人気だという『長崎ハーブ鯖の活造り』は1尾余すところなく味わえて、3240円と圧巻のコストパフォーマンス。4〜5人で食べても十分なボリュームです。その味わいは、生産者、料理人の言葉通り、一切臭みを感じることなく、身質もプリップリ。とくに腹身の脂のりは絶妙で、口に入れ、一口噛むと、あとは溶けていくような味わいです。

生産者の話しを直接聞き、養殖イカダまで見学させてもらったことで、よりその味わい、感動が増したのはいうまでもありません。

『ささいずみ』では活魚で仕入れ、注文後に生け簀から揚げてさばくスタイルを一貫。『長崎ハーブ鯖』はとくに鮮度を重視しているそう。

『ささいずみ』の料理長・豊村竜也さん。「『長崎ハーブ鯖』は刺身もおいしいですが、しめ鯖もおすすめです。最近はお土産用の冷凍しめ鯖『サバタベンバ』の販売も始めました」と話す。

「脂はほどよくのっているのですが、手が脂でギットリしないんです。サラッとした脂質も、『長崎ハーブ鯖』の魅力の一つ」と豊村さん。

『ささいずみ』で味わえる『長崎ハーブ鯖の活造り』(3240円)。1尾400g程度あり、ボリュームも文句なし。残ったアラは味噌汁(1杯+190円)に調理してもらうことも可能。

長崎県佐世保市風土や歴史が育んだ伝統工芸品に共通点を見出す。ジャンルレスに存在する、この地だからこそ生まれ育つもの。

10年前から生産が始まった注目のブランド鯖がある一方、明治時代から100年以上にわたり、佐世保市民に親しまれ、今なお一つ一つ手作りされている郷土玩具があるのも同エリアの面白さの一つ。それが、『佐世保独楽』です。手がけているのは『佐世保独楽本舗』の三代目・山本貞右衛門さん。
「明治期になり、海軍の鎮守府が置かれるまでは、小さな村だった佐世保。この小さな村が一気に大きな町へと発展していくなかで、玩具にお金を払うことができるような土地となったのが佐世保独楽の隆盛の歴史です。いわば、佐世保独楽はこの町と一緒に成長してきた、昔ながらの佐世保の文化を象徴するものの一つ」と山本さんは話します。

その特徴はラッキョウ型と呼ばれる独特な形状と、中国の陰陽五行説に影響を受けた5色で構成された色彩。さらに剣先を上に向けた状態で、一般的なコマとは逆さに持ったまま投げるスタイルも佐世保独楽ならではです。

マテバシイと呼ばれる広葉樹を原料とし、丸太の状態から一つ一つ削っていきます。海軍や在日米軍で知られる港町としての顔、庶民の暮らしに裏打ちされたものづくり。一見すると関係性を見いだせないもの同士ですが、やはりこの土地における暮らし、風土、文化がどこかでリンクしていることを感じずにいられません。

荒削りした原料のマテバシイを、長年の経験に裏打ちされた勘で削っていく。次世代に残したい素晴らしい技術だ。

陰陽五行説の考えに沿った、赤・黒・黄・緑(青)・白(素材の色)で着色された伝統的な佐世保独楽。

『佐世保独楽本舗』の三代目・山本貞右衛門さん。コマ作りの技術はもちろんだが、玩具の歴史や成り立ちなどにも造詣が深い。

現在使用している道具は、ほぼすべて山本さんの自作。「先代が早くに他界し、一番困ったのは道具でした。ただ、先代が築いてきた職人同士の繋がりに助けられました。今があるのは、右も左もわからなかったときを支えてくれた、周りの方々のおかげです」と山本さん。

ここ数年、注目を集めているのが、節句人形やお雛様、干支などのイラストが描かれた縁起物の佐世保独楽。米軍関係者から記念コインを埋め込んだ一点ものの製作依頼も多いそうだ。

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