ブックファン95 (@bookfun95 )

柔軟剤は "繊維どうしの絡み合いをほぐす" ような性質があるので、過度の柔軟剤の使用は "毛羽落ち、繊維の抜け落ち" を助長させる。

幻の地鶏「土佐ジロー」で限界集落の再生に挑む。[はたやま憩の家/高知県安芸市]

一番人気の「土佐ジロー大満足コース」。効率性を度外視して育てた地鶏は、まるでジビエのような味わい。

高知県安芸市愛する故郷で人が暮らせる産業を生み出したい。

高知県は安芸市の山奥。険しい山道をたどった先に、のどかながらも活気にあふれた宿があります。ここは『はたやま憩の家』。高級地鶏として名をはせる「土佐ジロー」を看板に、その多彩なグルメが味わえる食事処と、ゆったり滞在して里山の空気に浸れる宿として、「土佐ジロー」の生産販売を手掛ける有限会社『はたやま夢楽(むら)』が営んでいます。

1987年に会長の小松靖一(せいいち)氏が育て始めた「土佐ジロー」は、野趣あふれるジビエのような味わい。天然記念物の「土佐地鶏」から採卵用として掛け合わされた銘柄を、独自の育て方で食肉用へと転換しました。脂質が低いのに旨味成分は多く、現代の健康志向ともマッチ。その美味しさが大評判となり、人口40人ほどの集落に年間3,000人もの観光客が訪れています。

そのきっかけとなったのは、靖一氏に嫁いだ元新聞記者の圭子(けいこ)氏でした。靖一氏と二人三脚で、限界集落の再生に挑んでいます。

「土佐ジロー」を軸に、新たな田舎型産業として展開。山村の自立と自律を実践。

靖一氏と圭子氏。愛情こめて育てた地鶏が多くの人々を魅了する。

高知県安芸市過疎化が進む故郷を憂いて、田舎暮らしの道を模索。

今でこそ高級地鶏として名をはせ、グルメ雑誌や有名レストランなどの引き合いも絶えない「土佐ジロー」ですが、そこに至るまでの道のりは苦難の連続でした。独身時代の靖一氏が最初は卵から売り出したものの、知名度の低さや産卵率の低さなどによって、規模の拡大は無理と判断。一転、肉用として育て始めたものの、小柄で肉の歩留まりが悪かったため、やはり採算率はいまいひとつでした。それでも諦めずに奮闘し続けた靖一氏に、奇跡のような出会いが待っていました。

それはもちろん、靖一氏よりも25歳も年下の圭子氏でした。

当時は学生だったという圭子氏は、やはり過疎化が進む漁村だった故郷の未来を憂いていました。「なぜ若者が故郷を出て行かなくてはならないの?」「大好きな故郷には価値はないの?」と悩みながら、田舎で暮らす道を模索。多くのシンポジウムや講演会などに参加して、地域活性化や町並み保存のプロフェッショナル達に師事していました。

そして大学3年生の秋、国道交通省が主催する田舎体験のモニターツアーに参加。畑山も、小松靖一氏の名も、「土佐ジロー」の存在すら知らないままで運命の出会いを果たしたのです。

学生から新聞記者に、そして地鶏を供する宿の女将に。社長として経営と広報にもいそしんでいる。

かつて栄えた林業の衰退によって過疎化が進む畑山。しかしそこには人間らしい喜びがあふれている。

高知県安芸市朴訥(ぼくとつ)で真っ直ぐな人と、宝のような地鶏に魅せられて。

安芸市の各所を巡る1週間のモニターツアーのうち、圭子氏が靖一氏のもとにいたのは、わずか1泊でした。しかし、限界集落で独自の事業を起こし、生きる道と覚悟を固めていたその姿に、強い感銘を受けたといいます。その後、いったんは愛媛新聞の記者として就職したものの、「田舎に住んで一次産業で働きたい」という想いを捨てきれずに学生時代からの模索を継続。年に一回は畑山にも訪れ、「土佐ジロー」の味に感動するお客さん達の声や、『はたやま憩の家』がどんどん居心地良くなっていくさまを目の当たりにしていました。

圭子氏の畑山と靖一氏への想いは、募っていくばかり。もちろん限界集落で生きる厳しさは知り尽くしており、「そこで自分が何ができるのだろうか」という不安もありました。しかし、ある日訪ねて行った際に「今なら来てもいいよ」という言葉を得ました。「従業員としてなのか、嫁としてなのか」という問いに返ってきたのは、「仕事が嫌で来るのなら歓迎はしない」という厳しい言葉。でも、「自分の給料くらいは稼ぎ出してみせる!」と奮起して押しかけていきました。

2010年の6月に決意して、7月には入籍。9月に移住して、9月末には新聞社を退職しました。
「まさに怒涛のような押しかけでした」と圭子氏は振り返りますが、決して勢いや陶酔ではなく、田舎暮らしの厳しさを知り尽くした上での決断。靖一氏の母は「世界中で誰か一人でも靖一のことを理解してくれる人がいると思っていた」と感激し、宇和島の離島に住む圭子氏の祖父母も祝福してくれました。こうして夫婦二人三脚の取り組みが始まったのです。

田舎に対する想いも価値観も、すべてがピタリと一致。「これほど相性が合う人もいない」と確信し、その後、二人の子どもにも恵まれた。

高知県安芸市ぶしつけな好奇心や無理解に翻弄されたこともあった。

身近な人々からは祝福されたものの、「限界集落の年の差婚」という話題にぶしつけな興味を持つ人達もいたそうです。「土佐ジロー」の生産者として知られる靖一氏の知名度から、二人の結婚は地方紙の一面で報道されることに。テレビの取材も多々訪れるなど、大々的に報道されました。それは「土佐ジロー」とお店の周知にもつながりましたが、ただ好奇心で圭子氏を見たいと押しかける人や、「新婚さんの番組に出ないか」と強引にすすめる人まで。「それはもう、人間不信になりそうなくらい色々とありました」と圭子氏は振り返ります。

当時は会社の経営状態も芳しくありませんでした。それなのに、「金があるから若い嫁が来た」と吹聴する人まで。ほどなく東日本大震災が起こり、都市部の取引先が激減するなどして、会社はさらに苦境に陥ってしまいました。

靖一氏が長らく試行錯誤を重ねた「土佐ジロー」の味には絶対の自信があった。なのに売れない、という苦悩が続いた。

高知県安芸市軌道に乗るまでは苦難の連続。それでも挑戦し続けた熱意の果てに。

「“土佐ジロー”はこんなに美味しいのに、どうして売れないのか」。新聞記者として記事を書いてきた経験や、独自に地域おこしの研究をしてきた自負から、「私ならできる」と思い込んでいたことを圭子氏は反省したそうです。新聞の記事と売る記事は全く違いました。でも、圭子氏の目標はただの売らんかなの広告ではなく、「自分達がどんな想いで“土佐ジロー”を育てているのか」という背景の周知。その想いがあったからこそ、「土佐ジロー」は美味しく育つのです。

田舎には素晴らしい価値があり、こんなにも美味しいものを生み出せる。ただ食べ物として消費するのではなく、育つ過程や背景にまで思いをはせてもらいたい。田舎にも楽しい暮らしがあって、宝物のような経験があふれている。だから都会の人達も、帰って来るような気持ちで訪れてもらいたい――そんな様々な想いを知ってもらうためにも、「土佐ジロー」と『はたやま憩の家』を軌道に乗せなくては――千年続いてきた畑山を未来につなげていくために、気持ちを新たにしました。

緑の中にも多彩な色がある。何もないが全てがある。

高知県安芸市一から学び直す決意を人の輪が支援。

生産と経営に関しては、圭子氏は全くの素人でした。「今までの勉強はなんだったのか、と嘆くほどに無知でした」と語ります。「土佐ジロー」を売るための課題はなんなのか、一体何が間違っているのか――それすら分からないままに、手当たり次第に調べ、取り組み、教えてくれそうな人達と会うようにしました。

まずは安芸商工会議所の指導員に、経営や数字のことを教わりました。さらに専門家を派遣してくれる制度を利用して、DMの書き方などを学びました。商工会議所の女性会にも参加し、同じ経営者の女性達に相談。こうして築き上げていった人脈は、苦境にあった際に「土佐ジロー」をお遣い物にしてくれたり、宿を交流の場として利用してくれたりと、善意で支えてくれたそうです。

「土佐ジロー」の美味しさと物語を、元新聞記者のスキルを生かして発信。

高知県安芸市スキルを生かして限界集落のリアルを広める。

嫁いだ直後から依頼のあった執筆の仕事も、徐々に広報の効果を上げていきました。元新聞記者としてのスキルは、やはり無駄ではなかったのです。限界集落の現状を現場から発信する圭子氏は、メディアにとっても貴重な存在でした。様々に寄稿し、連載を持つなどするうちに、講師の依頼まで来るように。ついには地元で圧倒的な購読率を誇る高知新聞にも連載を得ました。

『畑山じゃ! 山奥じゃ 限界集落・若嫁奮闘記』というタイトルで、写真を交えたフルカラーの記事を2年間に渡って執筆。畑山にかける想いや訪れる人々との交流の様子、子ども達との過ごし方など、月に1度のペースで綴り続けました。さらに地元テレビのコメンテーターや、NHKラジオのリポーター、日本農業新聞の連載などもこなすように。それらを目にした人々や自治体から、講演や視察の依頼も増えていきました。

こうした活動を経て、嫁いだ当時は「靖一さんの嫁」と認識されていた圭子氏は、「小松圭子」という個人として認められるように。理解と応援に加え、「土佐ジロー」の知名度をも広げていきました。

畑山に来て食べれば誰もが笑顔に。Webサイトや電話、FAXによる通信販売も受けつけている。

高知県安芸市不機嫌な人までも笑顔にする「土佐ジロー」の魅力。

こうして「土佐ジロー」は徐々に知名度を上げ、『はたやま憩の家』にも多くの人々が訪れるようになりました。現在、畑山を訪れるお客さんには2つのパターンがあるといいます。ひとつは圭子氏の記事や発信した内容を見て、熱い想いと期待を持って訪ねてくる人。こうした人々は喜んで「土佐ジロー」を味わい、その多くが熱心なリピーターになってくれるといいます。

もうひとつは、嫌々来た人。何らかのきっかけで知り、誰かに連れられて来てはみたものの、道の険しさやお店までの遠さに明らかに不機嫌。「なんでこんな所で営業してるの?」などと言われたり、「鶏料理は嫌いです」と言われたりすることまで。ですが、そんな人たちもひと口「土佐ジロー」を食べれば見る見るうちに態度を豹変させるそうです。コース料理の場合は、まずはたたきから。「えっ、これが鶏肉なの!?」という素直な驚きの声が上がり、お次の炭火焼が目の前で供されると、顔つきまでもが変わっていきます。ひととおり給仕を終えたら、後はおまかせ。その頃には、最初は不機嫌だったお客様も「次はいつ来ようか?」と話しながら盛り上がっているそうです。更にすき焼き、親子丼とコースは続きますが、それに加えてサイドメニューの唐揚げやラーメンの注文が入ることもあるそうです。

メニューやコースは、その由来や背景も感じてもらえるように工夫している。追加の注文を自然にしたくなる仕組み。

食事処にも宿にも、長く滞在して楽しんでもらうための気遣いが溢れる。

高知県安芸市「土佐ジロー」で産業と雇用を創出しながら、畑山そのものを楽しめる環境づくりを。

圭子氏と靖一氏の今後の目標は、「土佐ジロー」を軸とした産業を創出しながら、畑山自体を楽しめる環境づくりを進めていくことだそうです。「現在も保育園の子ども達が時々、来てくれ、“土佐ジロー”を食べてもらったり、一緒に川や山で遊ぶなどしています。遊具も何もない田舎ですが、自然の中から見出して工夫する喜びは、何よりの学びになります。美しい田畑や山、星が降るような夜空、漆黒の闇夜なども絶好の環境学習の場です」と圭子氏。
「“土佐ジロー”の生産量を増やしたり、売り方を工夫すれば、住むための仕事に繋げられます。畑山で暮らせる人を増やして、そうした人達にさらに別の生業を生み出してもらいたい。限界集落ゆえのインフラの不備もありますが、そういったマニアックで万人受けしない世界があっても良いと思うんです。畑山の素晴らしさを“土佐ジロー”を通じて知ってもらうことで、田舎暮らしの基盤作りに繋げていきたいですね」。

限界集落に産業を創出し、生きる道を切り拓く――圭子氏も靖一氏も、その理想と共に歩み続けます。

小松家の人々と『はたやま夢楽(むら)』のメンバーたち。畑山の地で生きるために力を合わせる。

Data
はたやま憩の家

住所:高知県安芸市畑山甲982-1 MAP
電話:0887-34-8141
営業時間:ランチ11:00~15:00(L.O.15:00)
休日:毎週水曜日/12月27日~翌年1月1日
料金:
【食事】
土佐ジロー欲張りコース 5,000円/1人前
土佐ジロー大満足コース 6,000円/1人前
炭火焼き堪能コース 8,000円(+野菜500円)
※コースは要予約(3日前まで)
※通常メニュー約20種類は予約不要
【宿泊】
3部屋限り。1室1~4人利用。最大定員12人。
11,000円(1室3〜4人/平日1人あたり)~
http://tosajiro.com/
写真提供:有限会社はたやま夢楽

タオルの奥の深さ・・・ (@bookfun85 )

オート・スクリーンが移動・停止の繰り返しと、スクリーンが上がるタイムラグがあったのに対して、ロータリーは生地もロータリーも一定の高速で運転でき、染色糊も自動供給できるので、高速大量生産型、柄は生地と無関係のリピートで、ヘムにも柄がプリントされる。

辻崇雅 (@tsujitakamasa )

今日はさいたま芸術劇場にて我らが大将野原のぼ出演の 観劇。明日までだよ。今日は本番の合間にマチコミの出演も。すげぇなぁ。すげえよ、のぼさん。 僕は夜は殺陣WSへ。良い時間を共有しました。久しぶりの方も参加。楽しかった。 追伸。 髪を切りました。髭をそりました。