ブックファン95 (@bookfun95 )

タオルの生産工程では、繊維の不純物を洗い流したり、染色した糸や素材の余分な染料を洗い落とすために、"晒(さらし)" という処理がされる。

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

熊谷女子校前にある「ころぽっくる」さんへアイシングクッキーを受取に行ってきました!藤の盆栽がすてきです✨明日、藍染体験工房で販売します。なくなり次第終了です。ころぽっくるさんはGWに牧禎舎で開催の「和ンダーランド埼玉」に5/4金に出展されるそうです。

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

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ブックファン95 (@bookfun95 )

酵素(微生物)の効果を利用して、不純物等(糊や汚れも)だけを微生物に食べさせ、化学薬品を使用しないで不純物等を取り除く処理をしたタオル。

ブックファン95 (@bookfun95 )

マイクロファイバーは、直径1マイクロメーター(1/1000mm)の超極細の化学繊維です。高い吸水性と乾燥性、そして細い繊維が細かな汚れをかき出すため、その高い洗浄性に注目されている。

土地の息吹まで汲み取り、自身の技とする料理人・川田智也。その高潔な精神が生む和魂漢才の料理とは?[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]

常に自然体を崩さぬ川田智也シェフ。その瞳は常に、物事の奥深くの本質を見つめる。

大分県国東市

2018年5月26日(土)、27日(日)の2日間限定で開催される『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。今回の舞台は、山岳信仰と神仏習合の宗教観を育んだ緑深き場所、大分県国東半島です。そしてこの静謐な土地、巨岩と石仏に囲まれる独特な空気感に触れるべく設定されたテーマは「ROCK SANCTUARY―異界との対話」。この地に棲む“何者か”との対話を通し、未知なる精神体験を生むこと。形はなくとも心に残る、深遠なるテーマと言えるでしょう。

そんなテーマに挑む料理人は、いま食通の間で話題に上らぬ日はないシェフ・川田智也氏。2017年2月に開いた『茶禅華』は開店わずか9ヶ月でミシュラン2つ星獲得。しかしそんな偉業ばかりではなく、この場所、このテーマにピタリとはまる数々の符合が、『DINIG OUT』の成功を予感させてなりません。まるで惹かれ合うように、国東を訪れた川田シェフ。そこで目にしたもの、体感したことが、川田シェフにどのような思いを運んだのでしょうか。穏やかで誠実で、けれども決して折れない芯を持つ川田シェフの言葉から、その心の裡が少しだけ見えてきました。

「食材と話をする」それが川田シェフの料理の根幹。

大分県国東市わずか5歳で料理人を夢見た少年が、師と出会い才能を開花する。

川田智也シェフの人物像には、”深い”という形容がふさわしいでしょう。決して圧倒してくる迫力があるわけではありません。むしろ物腰やわらかく、親しみやすい人柄の人物です。

旅先で出会う一人ひとりの目を見つめてしっかりと話を聞き、別れ際には深く頭を垂れてお辞儀をする。食材を前にすれば宝物のように丁寧に扱い、その本質を全身で読み取ろうとする。寺を訪れれば誰よりも長く手を合わせ、あるいは心を込めて鐘を撞く。

それはまるで修行僧のような、真摯で誠実で偽りのない姿でした。そしてそんな人柄の内側に、決して揺らぐことのない芯があることも同時に垣間見えるのです。どこまでも穏やかで、かつ”深い”人物。そんな川田シェフの現在までに至るその足跡を辿りながら、世に轟く独自の料理観を紐解いてみましょう。

1982年、栃木県に生まれた川田シェフ。外食が好きな両親の影響からか、物心つく頃には料理に関心を示し、5歳ですでに料理人になる夢を持っていたといいます。そんな川田シェフがまず選んだのは、中国四川料理の道。料理学校在学中の2000年に「修業するならここしかない」と思い定めた『麻布長江』の門を叩き、まずはアルバイトを開始。卒業後も同店で腕を磨き、2008年には副料理長まで務めました。

当時は中国本土志向、つまり本場の中華料理への思いが強かったという川田シェフ。その思いに変化を生んだのは、師である長坂松夫氏に言われた「食材と話をしなさい」という言葉でした。「日本の食材に中国語で話しかけても通じませんよね。日本の食材を使うからには日本語、つまり日本料理が必要だと感じたのです」人生の岐路に立った川田シェフは、日本料理を学ぶという決断を下しました。

『茶禅華』の厨房。開店1年を越え、少しずつ形を変えながら進化を続ける。

『茶禅華』の店内もまた、和漢の趣を取り混ぜた穏やかな空間。

大分県国東市日本料理の名店で学んだことは、食材に語りかける言葉。

やるからには半端ではいけない。川田シェフが日本料理の修業先として定めたのは日本最高峰の名店『日本料理 龍吟』でした。もちろん入店希望者も多い狭き門。簡単に入れるわけではありません。川田シェフは「とにかく通う」という愚直な方法を選びました。

価格も一流の名店に、毎月のように通うまだ20代の川田シェフ。1年も過ぎる頃、店主・山本征治氏にその熱意が伝わり、ようやく入店が叶います。川田シェフ28歳の頃でした。

「繊細さの中に力強さがある料理。とくに下処理のレベルはずば抜けています。食材に語りかけるためにも『龍吟』での経験は他に代えがたいものでした」

それからときは流れ2013年。『龍吟』の厨房に立ち腕を磨く川田シェフに、もうひとつの転機が訪れました。それは台湾に開かれる『祥雲龍吟』立ち上げへの参加。「台湾という場所で、台湾の食材で、日本料理を作る。その考え方に大きな気付きがありました」

これは「日本で、日本の食材で、中華料理を作る」という現在の川田シェフの鏡写しのような試み。川田シェフは『祥雲龍吟』で副料理長も務め、2年後に帰国すると自身の店の開店準備に取り掛かりました。

一番出汁のイメージという雉のスープ。お湯のように澄んだスープは、味わいにも透明感がある。

お茶のペアリングも店の名物のひとつ。中国茶ばかりではなく、日本茶も登場する。

大分県国東市和魂漢才。根底にいつも日本の心が流れる独自の料理。

2017年2月に誕生した川田シェフの店『茶禅華』は、オープンわずか9ヶ月でミシュラン2つ星を獲得という快挙を成し遂げます。その原動力は、長い修業と数々の転機の末に到達した「和魂漢才」の思想。日本の心と中国の技。その両者の融合こそが、『茶禅華』の料理を唯一無二の味として輝かせているのです。

食材への敬意、日本料理の繊細さ、滋味深さ、そして中華料理の大胆さ。そのどれが欠けても生まれ得ない『茶禅華』の味。加えて川田シェフが大切にするのは、日本料理に由来する「温度感」です。たとえば名物の叉焼は、醤油、砂糖、スパイスに3時間漬け込んだ後、ゲストが着席してから焼き上げます。「時を捉えること。どんなに良い料理でも、その一瞬を外れると魅力が半減します」

季節感ある付け合せ、お茶のペアリングに登場する玉露など、直接的な日本だけではなく、より深い精神的な部分にも、このような日本らしさが潜んでいるのです。

あるいは懐石料理での椀物の位置付けにある澄んだスープ、炭火を使った焼き物、無駄がなく凛とした佇まいの盛り付け。「中心部に日本らしさが残る料理」とシェフ自らが評する料理の数々は、中華料理でも日本料理でもなく、かといって表面的な“フュージョン”というわけでもなく、ただ”川田智也の料理”として独特の存在感を放っているのです。「調理が主役の中華料理、下処理を重視する日本料理。良いとこ取りというわけではありませんが、互いに補い合うことで、さらなる高みを目指したいと思います」

名物の叉焼。クラゲにはスダチの香りと酸味を添えて。ウドと大豆には和の技法が活かされる。

2種の調理で楽しむ鳩。胸肉は藁で燻製にした後、炭火焼きに。もも肉は中国スタイルの揚げ物に。

調理場に炭火を入れたのも、日本らしい技法を取り入れる川田シェフのこだわり。

大分県国東市国東で出会った数々の符合、そして生まれるインスピレーション。

はじめて大分県に、そして国東半島に降り立った川田シェフは、この地に心惹かれている様子でした。あれこれ騒ぎ立てるタイプではありませんが、その言葉の端々に、土地や人に接する態度に、その思いが溢れ出ていました。

そして思わぬ符合も、数多くありました。たとえばこの地が神仏習合の宗教観に縁の深い場所であること。寺院の境内に鳥居があり、鳥居の内側に仏教建築がある。そんな歴史ある混在は、日本料理と中華料理を融合する川田シェフの思いと共鳴するのでしょう。

あるいは山号を峨眉山とする寺の存在。峨眉山は四川省にある霊山であり、四川料理をベースとする川田シェフも足を運んだことがある場所。これも国東と四川省との思わぬ共通点でした。また、護摩焚きに代表される炎と、清冽な湧き水の両者が集う土地であることも、ひとつの符合でした。「中華料理は火の力、日本料理は水の力。その両方の力が強いこの土地は、さまざまなインスピレーションが浮かびます」川田シェフは少しだけ声を弾ませながら、そう語りました。
「現在メニューは6割くらい完成しています。でもここに足を運んで、さまざまなことに感銘を受けて、新たな思いも浮かびました。東京に戻って、もう一度考え直してみます」それから川田シェフは、いたずらっぽい笑顔を浮かべて少しだけメニューのヒントを教えてくれました。「この地で信仰を集める岩を、料理で表現してみます」

岩を使う料理とは想像できませんが、土地の歴史や文化に思いを馳せ、その精神を汲み取り昇華する川田シェフの手で、きっと思いもよらぬ料理となることでしょう。

巨岩が連なる国東の自然を前に、さまざまなアイデアが生まれたという。

はじめて訪れた国東の自然に触れ、感動の面持ちを見せる場面も。

生産者の話を聞きながら必ずメモを取る川田シェフ。その真剣な姿が多くの生産者の心を動かした。

1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。

http://sazenka.com/

『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]

大分県国東市OVERVIEW

『DINING OUT』第13弾となる今回の舞台は、山岳信仰と神仏習合の地として知られる大分県国東半島です。

両子山という岩山を中心に6つの山稜に分かれた国東半島には、総称して「六郷満山」と呼ばれる無数の寺院が点在。日本古来の宗教観である神仏習合もこの地で生まれたといわれ、土地に根付いた山岳信仰と混淆し、この地独自の六郷満山文化として発展しました。目を奪う奇岩が聳え、寺社の山門には苔むした石造仁王像が立つ。その静謐で神秘的な空気は、宗教という枠組みを抜きにしても、誰しもの心に響くことでしょう。

そんな印象的な空気感を伝えるべく、今回設定されたテーマは『ROCK SANCTUARY―異界との対話』。耳に沁みるような静寂の裏に、ふと感じられる人知を超えた何者かの存在。それは近現代の神仏のように、明確なイメージを伴うものではなく、より得体の知れない何か。その何者かに問いかけているのか、それとも自分自身に語りかけているのか。この半島に足を踏み入れた人は、きっとそんな思いにとらわれるに違いありません。そしてそんな独特な空気感を、『ROCK SANCTUARY(岩の聖地)』という言葉に込めたのです。

捉えどころのない、難しいテーマです。しかし今回の料理人である川田智也シェフなら、それを形にして私たちに提示してくれるはずです。「和魂漢才」をポリシーに掲げ、中華料理の大胆さに、日本料理の精緻さ、滋味深さを加え独自の料理を生み出す気鋭のシェフ。その実力は、2017年に開いた『茶禅華』が、オープンわずか9ヶ月でミシュラン2つ星を獲得したことからも明らかです。

そしてホスト役には、「世界のベストレストラン50」の評議委員長を務める中村孝則氏が登場。過去5回にわたり『DINING OUT』に出演した経験と、多岐にわたる深い知識で、国東らしい不思議な体験へとゲストを誘ってくれることでしょう。

静謐で神秘的で、それでいてどこか懐かしい。そんな国東半島の『DINING OUT』。どうぞご期待ください。

Data
DINING OUT KUNISAKI with LEXUS

開催日程:①2018年5月26日 (土)~ 27日(日) / ②2018年5月27日 (日)~ 28日(月) ※2日間限定
開催地:大分県国東市
出演 : 料理人  川田 智也(「茶禅華」 )/ホスト  中村孝則(コラムニスト)
オフィシャルパートナー:LEXUS http://lexus.jp)、YEBISU(http://www.sapporobeer.jp/yebisu/
オフィシャルサポーター : 大分県国東市

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

ツイートありがとうございます🍀足袋のかたちの生チョコ、お煎餅、ハンバーグ、ゼリーフライ(←行田のソウルフード。おからコロッケです)、クッキーなどの食べ物や、ストラップ、がま口、ペンケースなどのグッズも近辺で販売しています。足袋のまち、足袋蔵のまちにぜひお越しください〜!

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

今年の蔵めぐりでの「足袋屋横丁」開催はイサミスクール工場さんが会場です!fbページでお知らせしております。 イベントページ作る時間なく…😞今年はなんといっても、足袋屋さん同士が販売を手伝い合うそうなので、土日とも全足袋屋さんの足袋が買えます!

ロケーションジャパン編集部 (@locationjapan )

役所広司さんや山﨑賢人さん、竹内涼真さん出演!あの『陸王』の世界を楽しめる♪埼玉県行田市×ドラマ『陸王』ロケ地MAPが発行されました!ロケ地情報はもちろん、グルメや観光情報も盛りだくさん!なりきり写真が撮れるスポットも。今年のGWはロケ地MAPを片手に行田市へGO♪

備中備後ジャパンデニムプロジェクト (@BichuBingoDenim )

【参加者満足度100% デニムツアーの開催レポート】 デニム製造の工程見学ツアーを2月3月に開催しました。 参加者より「この地域にさまざまな技術があることを知りました」「国産デニムと気づいたら1本買おうと思いました」などの感想をいただきました!   

浴衣が続々と旅立っています^ ^

浴衣が続々と旅立っています^ ^ 喜んで手にとってくださる現場に立ち会える事は作り手にとって本当に幸せな事です^ ^ きっと、お客様にとって素敵な夏になりますね〜よかったです♪ ビシッと! 和装は女性を一段と美しく見せますね〜 改めて思いました^ ^ 今年も新作浴衣を染めています。 一枚づつ柄が違いますので、ぜひ手にとってご覧頂けたらと思います。

敵わないものと出合いたい。そんなものを傍に置きたい。[硯箱/京都府京都市]

今回、原氏が用意してくれた愛用品は、「蒔絵硯箱」。「長く付き合うことによって、古いモノのエッセンスが自分に染み込んでいく」と話す。

京都市京都府日本の工芸は、世界的に見ても突出している。

「僕は“印”つまりクラシックなハンコが好きで色々な意匠の篆刻(てんこく)を持っているのですが、印や印泥を入れる“箱”として使っています」。

そう話すのは、日本を代表するグラフィックデザイナー、『日本デザインセンター原デザイン研究所』の原 研哉氏です。
「桃山時代に作られた“蒔絵硯箱”です。愛用している日本製といえばこのあたり」と言う原氏は、この蒔絵硯箱を普段の道具として使い、身近な存在として常に見える場所に置いています。そして、この「硯箱」を例に挙げながら「日本の工芸は、世界的に見ても本当に緻密で繊細。これを作り上げる感性を誇らしいと感じる」と話します。そして、「世界にはもの作りに長けた国が多々ありますが、そういう国々と比べても日本の技術や感性は格別」と言葉を続けます。

一方で「自分は骨董マニアでもなければコレクターでもないし、専門家でもない」と言います。この原氏の姿勢にはむしろ独特の審美眼を感じます。

つまり、時代がつているからいいとか、評価の定まった仕事だからいいというような目線でものの善し悪しを決めていないのです。では、何を基準にモノと付き合っているのか。

それは、「自分が敵わないもの」かどうかということ。

丁寧に描かれた蒔絵、絶妙な三次曲面。時間をかけて丁寧に作られた職人の仕事。

「この“硯箱”とは、京都の新門前の古美術店で出合いました。骨董品選びには、馴染みのお店を持つことや店主との関係も大事だと思います」と話す原氏。

京都市京都府時間をかけないとできない手仕事。その作品が手元にある豊かさ。

「蒔絵で描かれた植物の精緻で優雅な造形。かなりの技術を持った人が、安定していい仕事をした時の成果というか、相応の時間をかけないとできない仕事。それが時を経て大事にされ続けて、今に残ってきているという事実にまず感動します」と、原氏は話します。

現在の精密機器をもってしても追いつかない。手間をかけ、培った技を伸びやかに発揮しつつ、丹精を込める。だからこの「硯箱」はずっと尊重され、結果として今ここに残っている。つまり、モノを納める箱という役目を果たすだけではなく、伝統や技術の無言の代弁者でもあるのです。それが今、ひとりのデザイナーの手に渡ったのも運命だったといえます。
「仕事柄、世界を旅することが多いのですが、ついふらふらとアンティークの集まる一角へと吸い寄せられてしまう。例えば、パリならクリニアンクール、フィレンツェならベッキオ橋周辺、香港ならハリウッドロード……。いずれも由緒正しい骨董品店ではなく、偽物だらけのいかがわしい文化ウイルスが湧き出している場所です。しかしなぜか心が潤ってくる。古い時代のものに触れると、かつての才能たちが、もの作りを通してせめぎ合った痕跡を感じます。あざといものでも真っ当なものでも、作られてそこに集まってきたものたちのさざめきを、懸命に受け止めつつ漂っているのが楽しくて、疲れていてもなぜか足が向いてしまいます」と原氏は話します。

疲れていても招き寄せられる。それは、古いものたちとの一期一会が「自分のエネルギーを知らず満たしてくれる」からです。
「大半の店は怪しい品を扱っているわけですが、保証されているものを買うものも、混沌の中から何かを探し出す方が楽しい。本物かどうかも大事ですが、それよりも自分が“敵わない”と思える対象と出合いたい」。

滑らかな曲線を描く角の丸みや寸分の狂いもなくぴたりと収まる蓋と箱。この手触りは数百年前のもので、現代の工芸ではなかなか味わえない。

緻密に描かれた蒔絵は、経年変化によって味わいを増している。

「実際に手で触れることが大切。この“硯箱”に毎日叱られている」と、原氏。

京都市京都府古いモノは未来の資源。美術品は自分の寿命より圧倒的に長い。

「本当にきちんとした美術品は、美術館にあります。美術館に展示されているものは確かに格別に素晴らしい。だからこそ美術館へ行くのは楽しい。ただ、この硯箱はそういう美術品として扱ってはいません」と、「硯箱」について話す原氏。
「僕らがおののくようなもの作りをしていた時期は、日本では平安、鎌倉あたり。室町、桃山と徐々におおらかになってきて、江戸ではどかんと大衆化し、現代はもうかなり堕落しているかもしれません。しかし、当然のことながら、その時代に戻ることはできません。僕は、この“硯箱”が傍にいてくれることによって、かすかながら昔のもの作りの消息とつながっている気がするのです。日々使うことによって、“硯箱“からたしなめられているように感じますし、発見もあります」と、原氏は話します。

「硯箱」は400年ほど前のもの。時空を超えて原氏の手元にやってきたという偶然は、作り手はもちろん、誰も想像できなかったことです。
「これを眺めていると、“お前はほんとに最低だな”“デザインなんてどうしようもないな”“価値というものがわかっているのか”と叱られているような気がします」と原氏。

ここで原氏が言う「眺めている」とは「対話」をすることです。この感覚は、「使う美術」だからこそ。
「美術品は人(自分)の寿命より圧倒的に長い」と言う原氏は、「僕の人生という、ほんのわずかな時間、道具として付き合ってもらっている」と、自分と硯箱との関係について話します。
「未来永劫、自分のものとして残したいというような気持ちはありません。やがては歴史の文脈に勝手に戻っていくでしょうし、そうなればいい」と原氏は言います。

そして、そう考える理由として、「古いものは未来資源だからです」とも話します。
古いモノといえば、伝統や歴史など、過去を振り返るという印象を抱きますが、「未来」という言葉の選択と視点は原氏ならでは。
「現代アートやキレのいいキュレーション、洗練されたデザインも好きですが、古いモノや美術品は“別腹”かも。日本の美術は、平安、鎌倉、そして室町、桃山と時代を経て形成されてきたわけです。日本の感受性は、そこから現代に流れてきたもの。ですから古い時代のものに触れることで、日本人としてのもの作りの血が騒ぐというか、意欲を掻き立てられるのです。数百年の時を生き続けるクリエイティヴへの野心のようなものかもしれません」。

「国は小さい方が格好良い。大国はなんだか醜いし恥ずかしい。日本は大きくなりすぎたかもしれない。世界は経済大国になる前の日本を知らないし、日本人もそれには疎い」と話す原氏。「だからこそ、これから少しずつ勉強しなくてはいけない」と言葉を続ける。

京都市京都府原 研哉氏が考える、「ジャパン クリエイティヴ」とは。

原氏は「これからは世界中から日本を訪れる人がどんどん増えていきます。従来の観光という言葉では表現できない新たなツーリズムの時代がくると思います」と話す一方で「世界はまだ日本を知らない」とも。
「グローバル化が進んできていますが、“グローバル”という文化はありません。文化の本質は常に“ローカル”なものにあります。そういう意味ではグローバルとローカルは一対の概念かもしれません。グローバルになればなるほど、ローカルの価値が際立つのです。例えば、世界のインフルエンサーに共通しているのは、“常に旅をしている”こと。グローバルに動き回っているからこそ、ローカルの価値に敏感になれるのです」と原氏。

では、何をどうしなければならないのか。それは、「日本に昔からあるものを未来資源として活用して行くことが大切」と、原氏は話します。
「地方創生は本当にできるか。これは今、かなり重要な課題だと思います。しかし、闇雲にお国自慢をしたり、例えば『ミラノサローネ』に戦略もなく出展したり。これらはあまり効果を生まないと思います。ひと時の花火として終わってしまい、持続していく糧にはならないでしょう。どうしたら世界の人々に“日本の価値”を理解してもらえるかの仕組みを、入念に、したたかに考えることが必要だと思うのです」とも話します。

更に原氏は、ツーリズムの主要な要素のひとつは「移動の拠点」にあると言葉を続けます。
「可能性を感じているもののひとつは日本の国際空港です。海外から訪れる人がそこを通過しなければ出入国できないこの場所を、ただの通過点に留めておくのはもったいない。日本のショーケースとして、地域の価値を表現する場として活用できるならここに大きな可能性がある。

例えば、“さしこ”や“かすり”などの織物は、当時は庶民が極めた技術であり美です、それが今でもまだ残っている。陶磁器も、昔の品質を再現しながら今の時代の陶磁技術を深めようとする若い世代も出始めています。指物師の技術もまだ冴えている。そんな現代日本の工芸の販路を世界に広げてみたい。

戦後数十年、日本は製造業でやってきた。いわゆる原料を輸入して工業製品として輸出を行う「加工貿易」が主流でした。しかし、状況は刻々と変わっていきます。「ラジカセ」が3,500円ほどで売られていた現実を目の当たりにして愕然としたことがあります。こういうものをこの値段で売らなきゃいけないなら製造業はもう末期に来ているわけです。同じ金額の飲食サービスなら“うな重の上”あたりでしょうか。うな重なら、気に入ってもらえば、次の週にまた食べるかもしれない。 フランス人が日本に来てうな重を食べれば輸出です! テクノロジーは大事にしないといけないですが、優位のある文化との組み合わせが大事なのです。

自分の中に育ちつつある構想として面白いのは、日本列島の半島の先をつないで行く移動インフラ、“半島空港”。かつて半島は、海からやってくる情報をキャッチするアンテナだった。しかし今は最も行きにくい場所。しかし三方を海に囲まれた場所は、素晴らしい異界。そういう異界に、見たこともないようなホテル空間や充実したもてなし、そして食のサービスを展開してみたい……。いつ実るか実るかはわかりませんが、そういう方向を今は見ている」。

もはや、デザインの領域を超えたデザイン。工業化時代のデザインが「モノ」のデザインだとしたら、ツーリズムの時代は「コト」のデザインかもしれません。
「基本的にはグラフィックデザインが主な仕事でしたが、グラフィックデザインが必要とされるのは、プロジェクトの最後の最後。自分の仕事を生き生きとさせるには、その下地から作らないといけない。畑に例えるならば、土を耕し、種を蒔き、作物を育てる……。そんなことを考えるうちに“コト”のデザインの方が、自分の仕事になってきました。依頼された仕事だけデザインをしていたら未来は作れない。未来を結実させるような構想の力を持ったデザイン、したたかな根っこのデザインをやっていかなければならないと思っています」と原氏は話します。

「瀬戸内海は島々が程よい距離で点在し、それらはフェリーで巡るには格好の距離感である。景観も、島を吹き抜ける風も本当に心地良い、日本の国立公園第一号。列島というと世界の人はエーゲ海を想像するらしいが、エーゲ海とは全く違う繊細さを持っている」と言う原氏は、岡山県出身。

京都市京都府千数百年、ひとつの国として在り続けた日本の「蓄積」こそ、ジャパン クリエイティヴ。

日本の歴史は世界の中でも稀に見る古さです。千数百年もひとつの国であり続けたことによる文化的蓄積は半端ではない。フランスのブルボン王朝ができたのは室町時代。日本の方がずっと古い」と原氏。更に「東西南北に広がる列島は自然や季節の変化に富んでいて、いたる所に温泉が湧き出し、和食は今や世界に注目され、高度なホスピタリティも熟成されている」と言葉を続けます。
「例えば、中国4,000年の歴史と言いますが、それは様々な国々が存亡を繰り返し、文化が分断され続けてきた歴史。掘れば何か出てくるかもしれないけれど、継続的に蓄積された文化という意味で日本はやはり特別なのです。文化、伝統、自然、技術、風土など、その全てが日本の未来資源です。世界はそういう日本をまだ知らないし、実は日本人がまずそれを自覚していない。日本の資源や地域の本当の価値を表現していく方法を探さないといけないと思います」と話す原氏は、もはや何屋なのか!?
「デザインは好きですが、デザイナーになるとは思っていませんでした。強いて言うなら“デザインを携えて生きる人”ですかね。でも今は、デザイナーという職能の意味を拡張したいと思っています」。

そして今、資源は現代に生きる我々に託されています。原 研哉氏が考えるジャパン クリエイティヴとは、先人たちが絶やさなかったからこそ、今なお積み重ね続けられている日本の「蓄積」なのです。

言葉の一つひとつをじっくりと丁寧に紡ぎ出しているのが印象的だった原氏(右)。「モノ」のデザインと同様に「コト」のデザインも重視する。

1958年岡山県生まれ。『日本デザインセンター』代表取締役社長。武蔵野美術大学教授。 日本グラフィックデザイナー協会副会長。外務省「JAPAN HOUSE」総合プロデューサー。主な活動は、2000年「RE-DESIGN─日常の21世紀」開催、2004年「HAPTIC─五感の覚醒」開催。2002年より無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなりアートディレクションを担当。2005年「愛知万博」の公式ポスターを制作。2007年、2009年にはパリ/ミラノ/東京にて「TOKYO FIBER ─ SENSEWARE展」開催、 2008〜2009年にはパリ/ロンドンにて「JAPAN CAR展」開催。2011年「HOUSE VISION」の活動を開始し、2013年、2016年に東京展を開催。2012年「犬のための建築展」開催、2014年「TAKEO PAPER SHOW 2014 SUBTLE」開催。2011〜2012年には北京を皮切りに「DESIGNING DESIN 原研哉 中国展」を巡回。2016年にミラノトリエンナーレにて、 アンドレア・ブランツィと「新先史時代-100の動詞展」を開催。また、蔦屋書店やGSIX、羽田空港等のブランドデザインや、地域のアイデンティティに関わる仕事をしている。主著に、「デザインのデザイン(岩波書店)」「日本のデザイン(岩波新書)」「白(中央公論新社)」「白百(中央公論新社)」などがある。
https://www.ndc.co.jp/hara/

ペコペコカフェ (@sphooncafe2013 )

こんにちはー!!!!熊谷、ウスキングベーグルさんが!今、行田市で販売しにきていると!!! これから、ゆかりんも買いにいきますー♪♪ペコペコちかくに来る予定だよー♪(*^^*)今現在、15:42!!! 早く来ないかな~♪