『DINING OUT』シェフたちのBEST 50、彼らは今、何を想う?[Asia’s 50 Best Restaurants 2018/マカオ]

発表直後、壇上で喜びを表現する『傳』長谷川在佑氏。

マカオ一夜限りの祭典を楽しみつつも、自らの立ち位置を冷静に分析。

2018年3月27日、マカオのリゾートホテル・ウィンパレスで行われた食の祭典「アジアのベストレストラン50」授賞式。当日、現地で取材を行ったONESTORY取材班が感じた、アジアの潮流レポート。3回目であり連載のラストを飾るのは『DINING OUT with LEXUS』参加シェフ4名による、授賞式後のインタビューをお届けます。

DINING OUT NIHONDAIRA』担当シェフ・神宮前『傳』長谷川在佑氏、『DINING OUT MIYAZAKI』担当シェフ・神宮前『フロリレージュ』川手寛康氏、『DINING OUT UCHIKO』担当シェフ・大阪・本町『ラシーム』高田裕介氏、『DINING OUT IYA』担当シェフ・大阪・肥後橋『HAJIME』米田肇氏。

彼らは現在、日本のレストランシーンを牽引するシェフたちであり、次世代へと食のバトンを繋ぐ使命を担ったキーマンであるとONESTORYは考えています。今回、マカオで行われた食の祭典でも、会場を沸かせ、日本勢躍進の立役者になったといって過言ではないでしょう。

そんな彼らの現在の率直な想い、ONESTORYや『DINING OUT with LEXUS』について、さらには視線の先、今後の日本のレストランシーンについてまで、食の最前線で戦うシェフたちの熱き想いをお届けできればと思います。

会場にはロゴ入りのリンゴなど、イベントを盛り上げる工夫が。

「アジアのベストレストラン50」の日本評議委員長を務める中村孝則氏。

授賞式後のパーティ会場はプールサイドを貸し切りに。

マカオ僕的には“チーム・アジア”がしっくりくる。

まずは、今大会、昨年の11位から堂々2位へとジャンプアップした東京・神宮前『傳』長谷川在佑氏(『DINING OUT NIHONDAIRA』担当シェフ)。

興奮覚めやらぬ帰国数日後に、今大会を振り返っていただきました。

(長谷川)ーー個人的には、この大会で受賞されるレストランって、『TOCTOC』のキムさん、『La Cime』の高田さん、『ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ』の剛さん、台湾の『RAW』のアランさんに『MUME』のリッチーさん、本当に皆がBEST 50に入る前から交流があって、情報共有もしている仲なんですよ。僕らの世代って隠し事もなく、変な線を引くでもなく、今回日本人シェフが過去最多でランクインしていて“チーム・ジャパン”という風になっていますが、僕的には“チーム・アジア”って言った方がしっくりくる。アジア全体がよくならないと「WORLD’S  BEST 50」では太刀打ちできないですからね。ガガンとも会えばいつもそんな話ばかりしていました。だから、4位で『シューリング』が呼ばれてチキショウ『フロリ』に負けたと悔しがり、『フロリレージュ』が3位で呼ばれると、何だよまた『傳』が邪魔してと笑い、僕が呼ばれた時は『ガガン』、あのやろ〜早く店閉めろよ。そんな冗談が言えるメンバーなんです。誰が一位かは正直あまり気にしていない。それくらい皆が皆を認めている。一年に一度皆で会えることが最大の楽しみなんです。


Q.今回の大躍進について、上位を狙うように自ら考え動いていたのですか?

ーー色々な見解はあると思いますが、実際そこまで考えられてないですね。上位に入るための答えって、活動とかではなくて、日々目の前のお客さんたちをいかに満足させるかだけだと思うんです。店や自分を認知されるには海外に出ていかないといけないと思いますが、認知と人気はまったく違う。まずは局地的に爆発的な人気が起こって認知に変わると思うんです。例えばAKBはその最たるものですね。海外に行く、コラボする、学会に行くとか色々活動はあると思うんですけど、それをやれば上位になれるわけではない。僕は人が好きだから人間味を持って付き合っていく、結局はお店に来てもらったお客様にまた来たいと思ってもらうしかないと思うんです。


Q.2位を獲得し、今後何を目指していきますか?

ーーもともと日本料理が大好きだからこそ危機感があったんです。だから店を始めた時に同年代の人が入りやすい店にしたかった。若い人も気軽に入れる店がないと、日本料理という文化が無くなっていってしまうと思って。だからこそ日本人としてBEST 50に選ばれるよう頑張ってきたのは事実。そのシェフが親しみやすい人だったら、お客様もすごくリラックスして楽しめると思うんですよね。威厳や真面目にの姿勢が大切という人もいるけど、じゃあ、それだけで世界に発信できるの? ファンを増やすために、知ってもらう努力はいくらでもできるんじゃない? 自分はそういう風にやっていきたいと思ったんです。日本を世界に伝えるならば、出汁や旬も大切ですが、相手を思いやるという精神をもっと伝えていきたいと思うんです。


Q.最後にONESTORYについて思うことがあれば教えてください。

ーー『DINING OUT』を中心にONESTORYがやっていることは大好きですし、すごく意義のあることだと思います。さらに言えば「アジアのベストレストラン50」をいつか日本でできたら最高に嬉しい。その時こそ、ONESTORYに力になって欲しいと思います。会場は東京でなくていいんじゃないのかな、いや地方がいい、やるなら島一個を使うとかも面白いですね。日本各地のシェフとBEST 50のシェフが各地で料理するイベントがたくさんあって、地域の食材を使って、地域が活性化する。やりませんか? 僕は協力惜しみません。それが『DINING OUT』であり、ONESTORYが進むべき道な気がする。そのためにONESTORYはできたんじゃないのかな。やりましょうよ!

授賞式での2位という快挙の際もそうでしたが、いつでも気さく、そして子供のように目を輝かせる長谷川氏。氏と話していると、「ああ、この人の作る料理は、絶対に楽しいだろうな」、そう思わせ、いつかアジアを、いや世界をもその楽しさを認めることになるのだろうなと確信するのでした。

アジアのシェフたちと仲良く記念撮影。

壇上に登壇する際、愛犬のお面で登場の長谷川氏。

アジアのシェフと多くの友人関係を築く長谷川氏と川手氏。

マカオBEST 50というの流れがあり、つくづく生き物だと痛感。

続いて登場は、『傳』長谷川在佑氏と常に競い、共に励み、新境地へと進んだフレンチの雄。昨年の14位であり、こちらも大躍進の3位を獲得した東京・神宮前『フロリレージュ』川手寛康氏(『DINING OUT MIYAZAKI』担当シェフ)。

帰国後、すでに日常に戻った川手氏に今大会を振り返ってもらいました。

(川手)ーー結果を見た時の感想と自分の想像していたことにズレがあって、順位とかランキングとか本当に今回の大会は良い意味でも悪い意味でも予想外の結果でした。


Q.それは今まで上位だった人との世代交代を感じるものだったということでしょうか?

ーー世代交代というよりBEST 50というのは、つくづく生き物だなと。本当に今まで僕たちはレジェンドと呼ばれる人達に勝つことができなかったんですよ。今回はたまたま流れがよかっただけだと思います。また来年は大きく変わっているだろうし、BEST 50の質自体が、ミシュランなどとは全く異なり色々な人たちが多くの基準を考えて、決めていると思うんです。どれだけ人々を幸せにできたかが個人的に一番の審査基準なのかなと思いました。おいしいっていうのは一つの基準でしかないと思うんですよね、このBEST 50の場合は。ですから今回は自分もレストランを通して色々な人たちを少しは幸せにできたんではないかと思います。


Q.昨年の14位から、今年一気に3位にランクアップ。心の有り様はどんな感じでした?

ーー常にバクバクですよ。『ナリサワ』成澤さんと『龍吟』山本さんが呼ばれた時はドキッとしましたね。成澤さんには本当にお世話になっていて、山本さんのところでも研修を受けさせていただいたことがあり、おふたりとも若いときから知ってくれているんですよ。成澤さんは、僕が初めてBEST 50に参加したきっかけのような存在。ランキングにあがる全然前から僕の店を色々な人に推薦してくれていたり本当に感謝しています。そういうことがなければいまの自分はこの場に居ないし、BEST 50には参加すらできなかったと思います。今回、自分がこの順位に入れたことは、そういう意味で恩返しであり、何か意味があったのかなと思います。


Q.次も上位入賞を狙うんですか?

ーー狙ってとれるもんじゃないと思うんですけど、可能性はあるかなって思います。とりあえず、来年は長谷川さんに勝ちたいですね。


Q.良い関係ですよね?

ーーリスペクトしています。自分にはできないことを長谷川さんはコツコツ学んでいたり、敵わないところはたくさんあります。でも自分のできることで彼とは今後も勝負していきたいですね。


Q.最後にONESTORYについてはどのように感じていますか?

ーー宮崎の回で参加させていただいた『DINING OUT』は自分を試したいっていうのが第一にあって、その先に現地のシェフやスタッフ、地元の人を通してその地域や食材を知れるいい機会になりました。イベント後も、掴んだ感覚や人脈を自分なりにどう試し、新たな扉を開けるか。そんな気づきを与えてくれるイベントだと思いましたね。もちろん大変ですが、チャンスがあれば多くのシェフにチャレンジして欲しいと思います。

笑顔を絶やさず、紳士的。それでも料理や将来について話し始めると言葉の端々に熱を持つ川手氏。常に挑戦を続ける氏の姿勢は、これからもやりたいことで溢れているし、次世代のシェフたちに向けて貪欲に前を向くと語ってくれたようでした。

『フロリレージュ』のスタッフでの記念撮影。

ランキング発表後の川手氏。この後。思わず涙するシーンも。

各国のメディアなどからコメントを求められる川手氏。

マカオ今大会、最も会場を沸かせたのは初登場17位のあの人!

昨年、愛媛内子での『DINING OUT UCHIKO』も記憶に新しい『ラシーム』高田裕介シェフは、なんと初登場のランクインにも関わらず17位、さらには「最上位の新規入賞レストラン賞」という快挙に輝きました。

授賞式後のパーティで短い時間でしたが、初の授賞式参加の感想をいただきました。

(高田)ーー今回、初ランクインで素直に本当にうれしいです。いつも遊んでもらっている川手さんや長谷川さんを見ながら、いいな、いいなと思っていた自分もいて、ようやくこの場に立つことできました。大阪も含め、地方で頑張っているレストランに向けて自分なりに何ができるのかと思っていたんです。そういう意味でこういうランキングに入りたいという気持ちが常にあって、海外でのイベントなどもかなりやってきました。インバウンドで訪日外国人観光客の来店などの影響もあったと思います。さらに長谷川さんや川手さん、剛さんなど、多くの仲間達が沢山のお客様を紹介してくれた事も感謝したいです。なりたくてもなれないし、食べに来てくれたから17位になったかと言うと、それはわからない。誰が投票してるのかもわからない。実直に仕事をやってきた結果が今回のタイミングで繋がったのかな?と思うだけです。本当に地方都市なので、これをきっかけに世界中の人がうちの店だけではなく、大阪に来てくれたらと思います。」


Q.昨年の『DINING OUT』はいかがでしたでしょう?

ーーオファーを頂いた時は、今回の授賞式同様、すごく緊張したのを覚えています。僕もど田舎の出身で、ああいう地方の田舎に眠る素晴らしさを、改めて料理を通して知れたいい機会でした。モチベーションの高い、内子という小さな町の人々の熱も、とても刺激になりました。終わってみると自然と地域と食が結ばれ、皆が仲間になれた、そんな素敵な記憶です。

今回の「アジアのベストレストラン 50」授賞式は、初参加で右も左も分からず、ただ参加しただけと高田氏。今後の目標を聞けば、「順位を上げるとかではなくて、もっと皆が大阪に来てくれたらいいな、家族とか両親とか周りを幸せにしたい」と、謙虚であり、どこまでも穏やかなコメント。そんな高田氏の魅力は、アジアが認めた17位で証明したのだと思います。

ラシーム高田氏とスーシェフの藤尾康浩氏。

「最上位の新規入賞レストラン賞」にも輝き壇上へのぼる高田氏。

マカオ冷静かつ情熱的、クレバーなシェフが見たBEST 50。

最後は常に大阪のダイニングシーンを牽引し続ける『HAJIME』米田肇氏。『DINING OUT IYA』の担当シェフであり、2018年度の「アジアのベストレストラン50」では2017年度同様に34位に。

受賞後の祭り気分のパーティの中でも、冷静な洞察でこのイベント、さらには自身の店の方向性を的確に分析している解析力が印象的でした。

(米田)ーー今年の流行はシェフ同士のコラボだったり、海外で何をやったかだったり。そういう店が順当にランキングされた印象です。逆に自分の店でしっかりやっているだけでは、評価はそれほどされなかった。それはアジアのレストランシーンの現代性だと思います。ですが、流行に思い切り舵を切るだけでは『コラボやるなんてダサいよね』となった時、舵を切ったシェフたちはどうなるのか? 要は流されず、自分の軸をぶらさないことが、私と私のお店の考え方なんです。レストランは時代時代で流行がありますが、それは世の中の流れはバネのように一周回れば同じ位置でも高さが違う。この高さが進化です。なので、自分自身の軸を大切にしながら、次に流行が回って来た時に進化をした形を提供できるように準備をしておきたいクラシカルが見直される時代、クオリティ重視の時代、いろいろと巡ってくると思うのですが、自分が大切にしているものを崩さないこと。そんなシンプルな答えに行き着きました。

鍛えた身体でタキシードを着こなす米田氏。

川手氏と米田氏のツーショット。

マカオシェフたちの飽くなき挑戦は止まることなく続いていく。

『DINING OUT』というイベントを通し、関わり合ったシェフたち。その勇姿とアジアの食の潮流を感じてみようと参加した「アジアのベストレストラン 50」でしたが、終わってみればひとつの明確な答えが出てきました。

そう、シェフたちはすでに次の目的へと歩きだしているのです。立ち止まらずに、ビジョンを持って次へと突き進む。そんな姿勢にこそ、世界中に散らばる審査員は心を打たれ、またあの店に行きたいと投票するのではないでしょうか?

我々ONESTORYは今後も日本各地に眠る魅力を探し続け、シェフたちの飽くなき挑戦に寄り添い続ける、そして長谷川在佑氏も言っていた日本開催を応援したいと思います。そう、日出国の魅力は、まだまだ尽きることがなく、世界を驚かせ、感動とともに魅了できると思っているのですから。

チームジャパンの面々での記念撮影。皆が笑顔に。

日々

フルートのテキスタイル^ ^長い長い生地で4メートルあります。 さて、何ができるかな?

ブックファン95 (@bookfun95 )

コットンの自然な色合いを残すため、あえて漂白や染色をしない。また自然な風合いをあえて残すため柔軟剤を使用しないようにしたタオル

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

かぁいいなぁ。今年は のボランティアさんがなんと両日合わせて29名。忍城の新しい足軽さんの名前が「たび助」で響きがかわいかったので、蔵の助っ人で、蔵助かな。 あるいは行田の助っ人で、ぎょう助(ぎょうじょ)。笑←昔、行田女子高校=行女っていう学校がありました

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

4/22日はこんなイベントも!朝9時に古代蓮の里へ行き、10時からはぎょうだ蔵めぐりまちあるきに参加、あるいは蔵めぐりが15時に終了だから、蔵めぐり後に古代蓮の里で間に合いますね。そしてその後に行田窯へ(17時終了)でいかがでしょう!?まめや忍、日和カフェはその後でも間に合う!

レストランミヨシ (@gyoda_miyoshi )

いよいよ明日から忍町アートギャラリーが始まります🎨 今回、行田の人気ゆるキャラ フラベーやこぜにちゃんの生みの親えみさんの作品を展示します✏️ 当店にこのままずっと飾っておきたいと思う素晴らしい作品に一同感激😂 今回から展示期間が1ヶ月と長くなってますのでぜひご覧にいらして下さい🙋

気がつくと過ぎてるあの日…

皆様こんにちはウインク

だんだんと日が暖かくなってきて

こたつともさようなら、ですねDASH!DASH!

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持続可能なアートイベントの原点を見る。[葉山芸術祭/神奈川県三浦郡]

新緑の葉山がアートと賑わいに包まれるフェスティバル。

神奈川県三浦郡「地域発信」、今や当たり前に聞く言葉だけれど。

「地域発信のアートイベント」が各地で見られるようになった昨今。中には数年で終了したり、自治体の予算次第で打ち切りになったりするものも見られますが、地域内外の人に支えられ、2018年で27年目を迎える芸術祭があります。
それが『葉山芸術祭』。毎年参加者も来場者も増え、更に盛り上がりを見せる芸術祭の魅力と見所に迫ってみました。

参加企画では個人宅やショップ、ギャラリーなどがオープンハウスに。

神奈川県三浦郡全国においても先駆的だった“オープンスタイル”。

『葉山芸術祭』は葉山・逗子・横須賀・鎌倉にまたがるエリア内で、プロフェッショナル・アマチュア問わず個人や団体が自宅やアトリエを会場に作品展示を行うのがメインイベントです。

始まったのは1991年。文化団体「一葉会」が地域の文化環境を高めようとスタートさせ、今では葉山芸術祭実行委員会が主催しています。

普段見慣れている場所もアートの出現で違った表情になる。

神奈川県三浦郡新陳代謝が活発だから、芸術祭にも新しい風が入る。

立ち上げ当時から運営に携わっている『海の家 OASIS』代表の朝山正和氏は、長年続いている背景について「葉山という地が芸術祭を定着させやすい素質を持っていたのでは」と語ります。

葉山・逗子は都会から移住してくる若者が多く、新陳代謝が活発な土地。芸術などものづくりや表現に関わる活動以外にも、オーガニックや自然の中での暮らしなど「クオリティオブライフ」を重視する人が集まる場所です。

芸術祭がプロフェッショナル限定のクローズドなイベントではなく「誰でも」「何でも」出展できることが、こういった人々の「発信したい」という気持ちを汲み取るきっかけになったのでしょう。「無理に続けようと意気込むよりも、自然と続いていくことがイベントにとって重要」と朝山氏は話します。

築90年の古民家でのボディセラピーなど様々な企画が催される。

神奈川県三浦郡2018年も約80の多様な表現、企画に出合える。

『葉山芸術祭』が開かれるのはゴールデンウィークの前後3週間、湘南が最も清々しい空気に包まれる時期です。

主なイベントは冒頭で説明した「オープンハウス」での展示と、「青空アート市」です。「オープンハウス」は、工芸作品から木工、写真、建築、絵画、食、アクセサリー、ファッション、庭の草にいたるまで実に多彩。ですが、どんな展示内容でも良いわけではなく、芸術祭の趣旨を理解し、何らかの表現であることが参加の条件です。

毎年多くの応募の中から選ばれ、2018年も約80企画が出展予定です。『大久保家倉庫解放!!!』『築200年の古民家での【ひょうたんらんぷ展】』『ゆる中医学と旬の色を食べる会&マルシェ』など、タイトルを聞くだけでもワクワクするような企画がスタンバイしています。

過去の「アフリカンリズム」ワークショップ風景。体験型イベントも豊富。

神奈川県三浦郡グルメと買い物。神社をのんびり歩きながら。

また、「青空アート市」は住宅街の森山神社境内で開かれる芸術祭のハイライト的イベントで、出店希望者が多いため4月28日の「PART-1」と5月12-13日の「PART-2」に分けて開催されます。

特に「PART-2」は約80のブースが出店するボリューム。革製品にガラスに織物、草木染めなど全国から集まった個性豊かな作品を、作り手と触れ合いながら買うことができます。更に葉山ローカルのフード屋台も出店し、参道や境内での散策とともにグルメも楽しめます。

森山神社での「青空アート市」は最も人気のイベント。

神奈川県三浦郡庭園に浮かび上がるあかりの中で、幻想的な茶会を。

見逃せないのが、葉山しおさい公園で行われる「竹あかり」と「葉山アート茶会」です。

夕暮れ時、一景庵茶室を囲む池の周りにワークショップで制作した竹のあかりが灯り、日本庭園を美しく彩ります。
そこに、東京ミッドタウンアートワークなどを手がけるアートキュレーターの清水敏男氏が「宙」(そら)をテーマに現代アートを道具に見立てた茶室が登場。竹あかりとのコラボレーションで幻想的かつ芸術的な葉山ならではの茶会を楽しめます。

葉山しおさい公園の池の周りを幻想的に彩る「竹あかり」。

神奈川県三浦郡「やりたい」が内部から湧き起これば、自然と続く。

『葉山芸術祭』はもともと堀内・一色エリアのアート展示からスタートしましたが、今では湘南一帯の大規模なイベントに拡大し、年々出展希望者も増えています。

一般的にアートイベントが持続できなくなる理由は「お金」か「人」が止まることにあるといわれています。自治体の予算が打ち切りになったり、主催者の高齢化によりイベントを維持する力がなくなったり。しかし、始めから自分たちの力で運営し、地域から発信する土壌ができていれば、外的要因によって立ち行かなくなることは少ないのかもしれません。

住む人が「発信したい」、来る人も「見たい」、更には「自分も出てみたい」という思いが同じ方向を向き、次の年、また次の年へとつながるのです。
 
「持続可能なアートイベント」の真のあり方――。『葉山芸術祭』は、参加者や来場者が楽しむだけでなく、これから地域を盛り上げていきたいという人にとってもヒントや学びがあるイベントといえるのではないでしょうか。

「青空アート市」、「葉山アート茶会」、「深川バロン倶楽部 ライブ」など目玉イベントがいっぱい。

Data
葉山芸術祭

開催期間:2018年4月21日(土)~5月13日(日)
開場時間:各企画が会期中に独自で、開催日程と開催時間を設定
開催場所:葉山・逗子・横須賀エリアの個人宅、店舗、展示場、屋外、他
主 催:葉山芸術祭実行委員会
〈主催イベント〉
◆竹あかり×葉山しおさい公園
会 期:ワークショップ4月29日(日)~30日(月)10:00~16:00 
    竹あかり展示:5月5日(土)~6日(日) 18:30~20:30
会 場:葉山しおさい公園(神奈川県三浦郡葉山町一色2123-1)
入 場:入園料300円/ワークショップ1,000円

◆森山神社・青空アート市
会 期:PART-1:4月28日(土) 10:00~17:00 ※一部店舗はライブ終了まで
    PART-2:5月12日(土)~13日(日) 10:00~17:00
会 場:森山神社境内(神奈川県三浦郡葉山町一色2167)
入 場:無料

◆森山神社・あかりのイベント:深川バロン倶楽部 ライブ
会 期:4月28日(土)18:30~20:30(予定)
会 場:森山神社境内の一色会館(神奈川県三浦郡葉山町一色2167)
入 場:投げ銭方式のドネーション

◆葉山アート茶会
会 期:5月5日(土)~6日(日)
会 場:葉山しおさい公園内 一景庵
アートキュレーター:清水敏男(学習院女子大学教授、美術評論家)
茶会テーマ:「宙」(そら)
アーティスト:イワタルリ、金 理有、佐藤正治、真砂秀朗、真砂三千代、Mariaはるな、三輪華子、村瀬治兵衛(五十音順)
茶席・協力:村瀬治兵衛(現代工芸家)、高橋伸吾(茶道家)、鈴木佳歩(茶道家)、若江栄戽(カスヤの森現代美術館館長)
花:大出真里子(葉山文化園、ギャラリー蓮 REN)
菓子:鳥海 勝(ラ・ターブル ド トリウミ)
入場:予約制 料金1,500円(お抹茶1服、お茶菓子つき、公園入園料含む)
申し込み方法については葉山芸術祭ホームページを参照
https://www.hayama-artfes.org/
写真提供:葉山芸術祭実行委員会

ブックファン95 (@bookfun95 )

酵素(微生物)の効果を利用して、不純物等(糊や汚れも)だけを微生物に食べさせ、化学薬品を使用しないで不純物等を取り除く処理をしたタオル。

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

蔵めぐりまであと一週間!本日は最後のボランティア説明会でした。途中立ち寄ったワーオハウスさんでは行田足袋売り場が始動!行田足袋が買える場所が増えてます🌈VIKIくんは明日もいるそうなので、ぜひ行ってみてください。作品に使うレシートは色が変わっちゃったのでもOKなんですって!

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コーナーキック。ゴールラインを割ったときに最後に触れた選手が守備側だった場合、ボールの出たところから近いコーナーアークから相手に邪魔されない形でキックすることができる。直接ゴールを狙ってもよい。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

「宿泊&ものづくり」のコンビネーションで職人を表舞台に。[BED AND CRAFT/富山県南砺市]

職人は作品を表現でき、ゲストは気に入った作品が手に入り、宿は常に新鮮なしつらえを保てるという『三方良し』のシステム。(Photo @前 康輔)。

富山県南砺市ものづくりの歴史が息づく町に、職人とゲストをつなぐ宿が登場。

富山県南砺(なんと)市。富山市と金沢市に挟まれ、世界遺産に登録された五箇山(ごかやま)の合掌造り集落などを擁する、歴史と緑に溢れた地域です。中でも手仕事と職人の文化が色濃く残り、日々の暮らしや家屋の中にまで彫刻が息づいているのが南砺(なんと)市井波地域。そこに、「職人に弟子入りできる宿」として賑わっているゲストハウス群があります。

その名は『BED AND CRAFT』。「宿泊」を意味するBEDと、「職人から直に学べるワークショップ」を意味するCRAFTを併せ持った宿として、新たな滞在スタイルを提案しています。更に、地域の飲食店やカフェ、ショップ、ギャラリー、温泉などとも提携し、「地域全体がひとつの宿泊施設」というコンセプトでつながっています。井波が誇る「井波彫刻」の職人はもちろんのこと、地域の人々や旅行者たちとも交流できるコミュニティワールド。宿泊客だけに配られる地域マップには、このマップを持つ人だけが鑑賞できる作品や訪れることができる名所などが多数紹介されており、各所で発見の喜びを味わうことができます。

人口約8,000人のうち約200人が彫刻師という驚異の比率。1390年に建立された古刹・瑞泉寺の再建のために、多数の大工たちが集った歴史を持つ。

『KIRAKU-KAN』のキッチンラウンジ。「旧横山一夢美術館」をフルリノベーションした、木のぬくもり溢れる空間。

富山県南砺市観光客と地域の職人を結ぶ独自のシステム。

『BED AND CRAFT』の名を冠する宿は、井波の中に3軒あります。

まずは『KIRAKU-KAN(きらくかん)』。広々とした空間に世界中の銘木がふんだんに使われており、「木の博物館」とでも呼ぶべき趣が漂っています。まるで森林浴をしているかのような居心地の良さが魅力。更に4階と5階にある横山一夢(よこやま・いちむ)氏作の欄間(らんま)は、圧巻の眺めです。

次は『TATEGU-YA(たてぐや)』。
その名のとおり、築50年の建具店のエッセンスを生かした「職人のための宿」です。梁(はり)や柱、階段などの基本構造を引き立てた空間は、そこからインスピレーションを受けた彫刻家・田中孝明氏の作品で彩られています。ここに泊まらないと見られない作品もあり、職人との特別な絆を結んでくれます。また、屋内の各所に溶け込むように配された田中氏の作品を探す楽しみもあります。

最後は『TAË(たえ)』。養蚕業で栄えた豪商・藤澤家の邸宅をリノベーションした宿で、こぢんまりとした平屋ながらも長く滞在したくなる住み心地の良さを実現しています。太い梁(はり)を見上げる開放感あるダイニングをはじめ、かつて蚕を育てていた屋根裏部屋を改装した主寝室にまで、漆芸家(しつげいか)の田中早苗氏の作品がアクセントを添えています。

『TATEGU-YA』のラウンジ。地域に根ざした本や、お勧めスポットのマップなどが閲覧できる。(Photo @前 康輔)。

『TAË』の内装。窓を額縁のように配するなど、フォトジェニックなしつらえ。

富山県南砺市宿を「職人のギャラリー」にしてゲストとの縁をつなぐ。

3軒全てに共通するのは、ギャラリーの機能を持った宿として、職人と観光客とをつなげていることです。ゲストが気に入れば展示されている作品を購入することも可能で、さらに最後にオープンした『TAË(たえ)』では、宿泊料の一部を作品のリース料として職人に還元する試みも行なっています。職人の継続的な活動を支えるだけでなく、新たな顧客をも掘り起こすシステムなのです。

そして出色なのが、「職人に弟子入りできる」ワークショップの開催です。約630年の歴史を誇る「井波彫刻」の職人の工房に赴き、漆の箸、木彫りのスプーン、木彫りの豆皿といったクラフトを製作できます。更に、出来上がった作品はそのまま持ち帰ることができます。漆の箸づくりは、塗るための色漆を練り上げるところから始めるなど、いずれのワークショップも本格的なもの。まさに井波でしかできない体験が溢れています。

ワークショップは漆の箸、木彫りのスプーン、木彫りの豆皿の3種。宿泊と合わせて申し込める。(Photo @前 康輔)。

故郷の富山の過疎化や空き家問題を知った建築家の山川氏が、帰郷してプロデュース。(Photo @前 康輔)。

富山県南砺市世界を体感した建築家が新たなまちづくりに挑んだ。

『BED AND CRAFT』をプロデュースしたのは、建築家として「トモヤマカワデザイン」を主催し、職人やクリエイターたちがフラットな関係で協力し合う「株式会社コラレアルチザンジャパン」を立ち上げた、建築家の山川智嗣(やまかわ・ともつぐ)氏でした。カナダへの留学を経て上海の設計事務所に入社し、発展めざましいアジアの大都市で、チーフデザイナーとして大規模な建築に多数関わってきました。
「上海の建築現場は近未来都市というイメージとは裏腹に、昔ながらの手仕事に支えられていました。地方から出てきた人たちが、正式な建築の教育も受けずに手探りでものづくりをしていて、丁寧に図面を引いて持参しても、『読めないから口で説明してくれ』と言われるような状況でした。非常に面食らいましたが、そうしたアナログな現場には、人と人とのつながりと、ものづくりをしている確かな実感があったんです」と山川氏は語ります。

その空気に魅了されて6年半ほど上海に滞在するうちに、クライアントだった日本法人の担当者たちが次々と帰国。日本国内の仕事も依頼してくれるようになりました。そこで、仕事の拠点を日本に移すべく山川氏も帰国したのです。

しかし、新たな活躍のステージとなるはずだった日本の建築現場は、山川氏にとっては無味乾燥なものでした。「非常に成熟していて技術的にも高い水準にあるのに、既存のパーツをプラモデルのように組み合わせる建築方法。そして、分業が進み、人と人とのつながりが希薄になってしまい、なんとも寂しく感じました」と山川氏。
「人の血が通っている現場で、職人と一対一で向き合いたい」――そんな欲求にかられた山川氏は、親戚がいて、幼少期によく通っていた井波に居を定めることにしました。ですが、実際に住んで知った井波の現状は、やはり寂しいものでした。

由緒正しい「井波彫刻」の発祥地だが、全国的な知名度は低かった。「仕事を失いつつある職人をどうPRすればいいのか?」と模索。(Photo @前 康輔)。

富山県南砺市慣れ親しんだ想い出の地が寂れていた衝撃。職人の手仕事の価値を取り戻すために。

「昔は様々な職人が身近にいて、日常的に仕事をお願いしていました。住まいの建築や建具、下駄やザルなどの小道具など――職人は生活のあらゆる場面で仕事を頼まれ、作り、地域の人々と語り合いながら共生していたんです。でも生活の近代化や、住宅の規格化などによって手仕事の需要は激減してしまいました。そのため他の地域よりもはるかに職人と密接だった井波でも、職人の暮らしが立ち行かなくなりつつあったんです。近代的な暮らしは一見便利ですが、作った人の顔が見えません。それに、そもそも手仕事ですらないしつらえが多い。これは非常に寂しく、また、味気ないことだと思います。そういった現代のライフスタイルを、職人の手仕事とつなげて復活させていきたい――『そのためにはどうすればいいのか?』と模索し始めました」と山川氏は言います。

模索の結果、山川氏は発想を転換して、「欲しがる人が見つからないのなら、欲しがる人自身に井波に来てもらえばいい」という答えにたどりつきました。職人に会いに来られるシステムをつくり、職人もゲストもWin - Winの関係になればいい――こうして、「職人に弟子入りできる宿」のコンセプトが固まったのです。

「世界中の人に井波にマイ職人を持ってもらいたい」と山川氏。職人との新しい関係性を構築。

富山県南砺市予期せぬ客層が活路を開いた。

最初にメインターゲットに据えたのは、20~30代の首都圏の女性たち。金銭的な余裕があり、インターネットでの発信力が強く、『女子旅』というトレンドにも恵まれているからです。ですが、いざ宿をオープンしてみると、押し寄せて来たのはほとんどが外国人でした。8割以上にもなったというその内訳は、日本にほど近いアジア系の人々ではなく、ほぼ欧米系の人々だったそうです。

「オープン当初に訪れてくれたカナダ人に、『こんな所で宿をやるなんてクレイジーだ』と言われてしまいました(笑)。でも、日本を何度も訪れていたその人から見ても、井波に息づく手仕事の文化と町並みは新鮮だったようです。『自分だけが知っている、見つけた!』という特別感を持ってもらえる古き良きジャパン。宣伝は今にいたるまでほぼ行っていませんが、こうした通なゲストの方々が口コミで広げてくださっています。旅の情報交換サイトやSNSに何十行もの熱い口コミを書いてくれる人も多く、とても嬉しく思っています」と山川氏は話してくれました。交通の便が不便な井波への行き方を解説してくれたり、映像作家が無償で動画をYouTubeに上げてくれたりと、多くのファンに盛り立てられています。

堅実な職人が築いた木彫りの産業地だからこそ、アレンジされていない素の魅力が残る。(Photo @前 康輔)。

富山県南砺市長く海外にいたからこそ見出せた、井波の価値。

山川氏が外からの視点でディレクションした『BED AND CRAFT』が、宿を訪れた外国人たちの琴線に触れたのは必然だったのかもしれません。
「ホームページに載せているような綺麗な風景だけでなく、路地裏に入ると細い路地が迷路のように入り組んでいたり、それを抜けて行ける秘密基地のような場所があったりと、けっこう面白い町なんですよ。昔ながらの門構えの家や、レトロな時代物の看板なども珍しくありません。そこが他の所から来てくださった方々には新鮮なんでしょうね。そういった素の魅力を、建築家かつデザイナーとして広報していければと思います」と山川氏は言います。

瑞泉寺の門。欄間(らんま)・獅子頭・龍といった精巧なモチーフを生み出す技術は、若き職人たちに受け継がれてモダンなスタイルにも生かされている。(Photo @前 康輔)。

富山県南砺市『ONEゲストハウス・ONE職人』。新たな職人との関係を築く。

「『BED AND CRAFT』は“バケーションレンタル”というコンセプトで造りました。これは、中~長期間滞在して地域を存分に巡ってもらうための拠点、という意味です。ゆったり寛いで頂ける造りはもちろんのこと、『TAË』と『KIRAKU-KAN』には自炊できるキッチンもあります。また、職人たちの行きつけの飲食店も紹介できるので、それぞれの好みによって暮らすように滞在して頂きたいですね」と山川氏。

更に重要なコンセプトとしたのは、『ONEゲストハウス・ONE職人』だそうです。
「設計の段階から対になる職人を定め、建物の造りやしつらえをはじめ、室内に置く作品までも構想してもらいました。職人とともに創り上げた空間なので、後づけのインテリアにはない効果や感動が生まれたと思います」と山川氏は語ります。

「井波彫刻」の売り上げは減り続けているものの、それでも作り続けなければ職人の技術は途絶えてしまいます。でも、一般的な販売方法であるギャラリーへの委託は、委託料などの負担が大きいという難点が。そこで、展示するだけでインセンティブが入り、更に販売のきっかけともなる「マイギャラリー制度」を導入。この制度はゲストだけでなく職人にも好評だそうです。

設置された作品は、配置場所から光の効果にいたるまで計算し尽くされている。

富山県南砺市連綿と受け継がれてきた職人技を、守り、広めるために。

「『BED AND CRAFT』で築き上げてきたものは、ひとつの社会システムだと思っています。これを井波だけでなく、他の様々な地方にも広げていくことが目標です」と山川氏は言います。
山川氏は続けて、「日本には、優れた職人技や魅力を持ちながらも、知られないまま衰退している地域が多数あります。そうした地域を盛り立てて、その価値を知ってもらえれば……。このまま地方の経済を地方だけで回していくのは、今後ますます厳しくなるでしょう。人口の減少やライフスタイルの変化など、努力だけではどうにもならない要因がありますから。『ここに訪れてお金を落としたい』と思ってもらえるようなサポートを、『BED AND CRAFT』の試みをもとに行っていきたいですね」と言います。

今も息づく職人技を、いかに多くの人々に伝えていくか――未来に向けた関係性の構築のために、山川氏の活動は広がっていきます。

職人が何よりのメイン。注目され、作品を見てもらえるシステムを全国に広げたい。

Data
BED AND CRAFT

【KIRAKU-KAN】
住所:富山県南砺市山斐184 MAP
宿泊費:基本料金 1名様まで16,000円(税込)〜 
以降、1名追加ごとに4,000円(税込)〜
最大宿泊人数:10名
【TATEGU-YA】
住所:富山県南砺市井波1896 MAP
宿泊費:基本料金 1名様まで10,000円(税込)〜 
以降、1名追加ごとに4,000円(税込)〜
最大宿泊人数:5名
【TAË】
住所:富山県南砺市藤橋31番地 MAP
宿泊費:基本料金 1名様まで12,000円(税込)〜 
以降、1名追加ごとに4,000円(税込)〜
最大宿泊人数:5名
電話:0763-77-4544(代表)
info@corare.net
https://www.bedandcraft.com/home

牧禎舎 藍染体験工房 (@makiteisha )

蔵めぐりまであと一週間!保泉蔵さんの中のちょっとした片付けをしました。いよいよですね。 明日はラストのボランティア説明会をします〜!忘れられてなければ良いんだけど…どきどき。

「みちのくの小京都」と称される街並みと桜。歴史を重ねた情緒溢れる風景。[角館 武家屋敷群/秋田県仙北市]

見頃は4月下旬から5月上旬。毎年4月20日から5月5日(予定)に行われる「角館の桜まつり」では、町内で様々なイベントが開催されます。

秋田県仙北市趣ある武家屋敷の門や生垣から枝垂れ咲く、圧巻のシダレザクラ。

『玉川』と『桧木内川(ひのきないがわ)』沿いに市街地が広がり、山々に囲まれた秋田県仙北市角館(かくのだて)町は、江戸時代初期に蘆名(あしな)氏により都市計画が進められ、その後佐竹北家のもとで栄えた、当時の城下町の面影を残す県内屈指の観光地です。『火除(ひよけ)』と呼ばれる広場を中心に、武家屋敷が立ち並ぶ『内町(うちまち)』と、町人や商人が住む『外町(とまち)』とに区分され、400年以上が経った現在も、その街並みを残しています。町内には約450本もの「シダレザクラ」があり、そのうちの162本は国の天然記念物に指定されるなど、「桜のまち」としても有名です。その始まりは約350年前、角館佐竹家2代目・佐竹義明の妻の輿入れの際に、京都より嫁入り道具のひとつとして3本の桜の苗木を持ち込んだことにあり、それが受け継がれ、町内に広まったと伝えられています。しなやかな枝に小さな花を付けるシダレザクラは「エドヒガンザクラ」の変種とされ、樹齢は約300年。可憐に咲き誇る白と淡紅色の桜の花と趣ある武家屋敷の共演は、訪れる人の心に深く刻み込まれることでしょう。(文中には諸説ある中の一節もございます)

Data

角館 武家屋敷群

住所:秋田県仙北市角館町表町下丁1(石黒家) MAP
アクセス:JR東日本・秋田内陸縦貫鉄道角館駅より徒歩約25分

春限定の美しさ。希少な星形要塞を桜色で彩る、約1,600本ものソメイヨシノ。[五稜郭公園/北海道函館市]

五稜郭タワーの展望台から見下ろした五稜郭公園。夜間には桜の時季限定でライトアップが実施され、美しい夜景も楽しめます。

北海道函館市散策、食事、展望台と、様々な角度から楽しめる、函館ならではのお花見。

北方防備を目的に1866年に建造された星形要塞の城郭で、江戸時代末期、旧幕府勢力と新政府軍との最後の戦いであった「箱館戦争」の舞台となったことでも知られる『五稜郭』。その跡地の約25.2haを整備し開園した『五稜郭公園』は、1952年に「国の特別史跡」に指定された、北海道・函館を代表する観光地です。機能性と美しさを兼ね備えたフランス築城方式を採用し、日本で初めて造られたという星形要塞は、四季を通じて多彩な表情を見せてくれますが、中でも土塁に沿って植えられた約1,600本の「ソメイヨシノ」が開花する4月下旬から5月上旬には、春限定の景色を見ようと多くの人が足を運びます。園内にはゆったりとお花見できる散策路の他、手ぶらでジンギスカンが楽しめる専用席(予約制・要確認)の用意などもありますが、せっかく訪れるのならば、桜色で埋め尽くされた公園の全体を見渡したいもの。五稜郭の南側に位置する『五稜郭タワー』の展望台は約90mの高さがあり、緻密に建造された星形の堀に沿って咲き連なる桜が、園内を染める様を眺めることができます。(文中には諸説ある中の一節もございます)

Data
五稜郭公園

住所:北海道函館市五稜郭町44 MAP
アクセス:道央自動車道大沼公園ICより車で約45分/函館市電五稜郭公園前停留所より徒歩約15分

儚いカスミザクラと残雪の岩手山がつくる、優しい、絵画のような景色。[上坊牧野の一本桜/岩手県八幡平市]

地元では有名な一本桜。ほんのりと桜色に染まる花弁と残雪の岩手山が、大自然の中で優しい存在感を放ちます。

岩手県八幡平市岩手県に数多ある一本桜の中でも、知る人ぞ知る名勝。

ただそこで生き、花を咲かせる、それだけのことなのに不思議と人々の心を掴んで離さない一本桜。雄大な自然を背景にした、美しい一本桜が数多く存在する岩手県にあって、隠れた名勝として地元の人を中心に愛されているのが、『上坊牧野(うわぼうぼくや)の一本桜』です。花弁が比較的白っぽく、遠くから見るとぼんやりと霞(かすみ)がかかっているように見えることからその名がつけられたという「カスミザクラ」は、例年、5月上旬から中旬にかけて開花します。樹齢は不明ながら、整った樹形は美しく、まだ雪が残る春の『岩手山』と、青々と茂る牧草との共演により、まるで絵画のように素晴らしい風景を見ることができます。牧草地は私有地により入ることができないため、近隣の道路から観賞を。車は決められたスペースに駐車するなど、マナーを守って楽しんでください。(文中には諸説ある中の一節もございます)

Data
上坊牧野の一本桜

住所:岩手県八幡平市松尾寄木 MAP
アクセス:東北自動車道西根ICより車で約15分/JR東日本花輪線大更駅より車で約15分

日本最古のソメイヨシノや堀の水面を埋め尽くす花筏。圧巻の見所が揃う。[弘前公園/青森県弘前市]

2018年は4月21日から5月6日まで「弘前さくらまつり」を開催。100周年を迎える記念の年に、ぜひ足をお運びください。

青森県弘前市52種、約2,600本。弘前城一帯が桜色に染まる、絢爛な景色に感動。

東北の春に鮮やかな絶景をもたらす、52種、約2,600本もの桜が揃う『弘前(ひろさき)公園』。日本一と称される手厚い管理のもと開花する樹齢100年超の「ソメイヨシノ」の他、「シダレザクラ」や「ヤエザクラ」など、多種多様な桜の花が楽しめ、「日本さくら名所100選」にも選定されています。『弘前城(ひろさきじょう)』の天守を望む『二の丸』には、青森におけるリンゴ栽培のパイオニアとして知られた、旧藩士の菊池楯衛(きくちたてえ)が寄贈したとされるソメイヨシノがあり、現存するソメイヨシノの中では日本最古といわれています。植樹より130年以上を経てもなお、堂々と花開く姿に、自然の大いなる力を感じることができます。更に、弘前公園を桜の名所たらしめるのが、桜の花びらが水面を埋め尽くす「花筏」です。城内には7つの堀があり、中でも城の外堀の水面には、沿道や土塁の上に数多く植えられた桜の花びらが降り注ぎ、桜の海のような景色を作り出します。2018年の開花予想は4月20日、満開は4月25日となっており、例年どおり絢爛なお花見を楽しめそうです。(文中には諸説ある中の一節もございます)

Data
弘前公園

住所:青森県弘前市下白銀町1 MAP
アクセス:東北自動車道大鰐弘前ICより車で約25分/JR東日本・弘南鉄道弘前駅より弘南バス乗車、バス停・市役所前下車、乗車時間約15分、バス停より徒歩約5分

朝日新聞さいたま総局 (@asahi_saitama )

デイサービス施設を舞台に往年のスターと施設利用者たちがロックンロールを演奏しようと奮闘。中尾ミエさんがプロデュースしたミュージカル「ザ・デイサービス・ショウ」が18日、戸田市文化会館で上演されます。(秋)     

ぶらっと♪ぎょうだ (@A3ajLVRV0jeg8Fs )

先日 朝日新聞 の記事に行田の足袋が掲載されていました。 が注目されています。記事の中に出てくる足袋フィッター10人のうち3人が に在籍しております。試し履きもできますし、気に入ったサイズや柄がない時はお店や会社のご案内も致しますのでお気軽にご利用下さい。

アジアを牽引し続けるTOPシェフ。ガガン&アンドレ・チャン、スペシャルインタビュー。[Asia’s 50 Best Restaurants 2018/マカオ]

授賞式前の貴重な時間でアジアを代表するシェフの夢のインタビューが実現。

マカオふたりが思うアジアのレストランの今とこれから。

2018年3月27日に行われた食の祭典「アジアのベストレストラン50」授賞式。当日、マカオでの現地取材を行ったONESTORY取材班が感じた、今のアジアの潮流レポート。連載第2回目は、アジアの食シーンを牽引し続ける2人のキーマンへのスペシャルインタビューをお届けします。

タイ・バンコク『ガガン』のガガン・アナンドシェフと、シンガポール『レストラン・アンドレ』のアンドレ・チャンシェフ。二人は「アジアのベストレストラン50」アワードがスタートした2013年以来、5年間にわたり最上位を争ってきた――つまり、アジアのダイニングシーンを最前線でリードしてきた存在です。2018年2月に『レストラン・アンドレ』をクローズし、アジアでの新たな挑戦の発表が待たれるアンドレシェフと、4回目の首位が期待される(※)ガガンシェフが見る、アジアのレストランの今とこれから。2018年3月27日、ランキング発表を数時間後に控えた会場で、二人にそれぞれじっくりと話を聞けました。

アジアのシェフたちが世界で戦うために必要な素質とは?、2人が思う日本人シェフの強みとは?、さらにはDINING OUTというイベントの意義についてまで、今、アジアで巻き起こっている食の流れとともに、2人の目線で感じた“今”を検証できればと思います。

※この直後のランキング発表で、ガガンシェフは見事4回目の首位を受賞しました。

それぞれのインタビューの間に重なる時間が生まれ、久々の再会にくつろいだ表情で。

マカオ流れが早く、揺れが大きい分、新たなヒーローが生まれるイベント。

3年連続アジアチャンピオンを獲得し、2018年BEST50への想いは?
――2015年から連続3年間、「アジアのベストレストラン50」で一位をいただきました。自分でも信じられませんが、投票してくださった方々には心から感謝しています。4回目の発表がある今日はというと、これまでを振り返ってみても一番ストレスが少ないですね(笑)。ランキング発表直前でもリラックスできています。やりきったというか…。実は来年以降、私はこのランキングを辞退しようと思っているんですよ。今晩のセレモニーが終わったら、「来年はガガンに投票しないでくださいね」とみなさんにお伝えするつもり。もう後進に道を譲りたいんです。

この「ベストレストラン50」は、毎年のように内容が大きく変わるランキングです。とても揺れが大きい分、毎年新しいヒーローが生まれる。各国の才能を発掘し、プロモートするという意味でも、とても意義の大きいランキングシステムだと思います。

常に大きな身振り手振り、たっぷりのユーモアとはじける笑顔を交えながらが、ガガン流。

マカオ西洋の真似事ではなく、ディスカバー・アジアの視点を。

アジアのレストランが、世界で戦うために必要なことは何ですか?
――何より、自分の料理を信じて貫くことだと思います。私は昨年、「世界のベストレストラン50」ランキングで7位に選んでいただきましたが、それは私が自分のルーツを大切に勝負したからこその結果だと思うんです。西洋の真似をして世界と同じ土俵で戦おうとしても、必ず限界が見えてきます。もっともっと自分たちの足元を探り、それぞれの伝統料理を学び、磨いてみる。たまたま別ジャンル、たとえばフランス料理の道を選んだとしても、そこに素材であれテクニックであれプレゼンテーションであれ、我々なりのアレンジや個性を明確に持たせてみる。アジアに生きるシェフとして、「ディスカバー・アジア」の視点が絶対に必要だと思っています。

考えるときは空を仰ぐ。オーバーアクションも、ガガンシェフの手にかかればエンターテインメント。

マカオ言葉の壁の打開と、言葉に限らないコミュニケーションを。

日本人シェフの強み、弱みをお教えください。
――日本のシェフはみな、プロフェッショナルとしての姿勢がすごいし、もちろんテクニックもすばらしい。私はこれまで、日本のレストランでネガティブな印象を受けたことが一度もないんですよ。全員が完璧主義者だと思います。日本そのものの印象も、もちろんとてもいい。特に素材の品質は最高です。

ただ、日本人シェフの弱点はなんといっても言葉です。英語を話さないのは本当に致命的。日本の料理人を取りまとめる協会があるなら、今後真剣に英語教育を考えた方がいいと思います。ただ言葉に限らないコミュニケーションという意味では、できる人がかなり増えていますよね。たとえばザイユー(『傳』の長谷川在佑氏)などはすごく上手です。

「来年はもう、後進に道を譲りたいと思っています」とガガン氏。

マカオ力強いストーリーと、地域との密接な関係性。それこそが醍醐味。

DINING OUTはいかがでしたか?
――『DINING OUT』には、2017年夏の『DINING OUT NISEKO』に、客の一人として参加させていただきましたが、ロケーションもコンセプトもすばらしかった。実はそれまで、僕は野外でのダイニングイベントに感動したことがなくて、いい印象を持てなかったんです。だって料理人にとっての環境がパーフェクトではないのだから、普通はいいものが生まれるわけがないじゃないですか。でも、『DINING OUT』は違いました。クオリティがすばらしかったのはもちろん、全体に力強いストーリーがあり、地元との密接な関係性が育まれていました。

ディナーの最後に、すべてのライトを消して真っ暗にする演出があったんです。その瞬間に見えた美しい星空、鳥の声、野生動物の気配を感じたことなども忘れられません。アメージングな経験でしたね。

2017年夏『DINING OUT NISEKO』にゲストとして参加、『DINING OUT』を体験したガガン氏。

マカオシェフ同士がキャッチアップできる得難い機会。

Best50に対する想い、また今後の展望を教えてください。
――Bes50は今の私にとって、仲のよかったクラスメートと一年に一回顔を合わせ、キャッチアップする機会といった感覚です。正直なところ順位については、自身気にしていないシェフが多いですよね(笑)。ただ顔を合わせて「久しぶり、どうしてた?」と肩をたたき合い、近況や思いをシェアし、お互いの一年の苦労をねぎらう得難い機会という…だからこの場に来られるのは本当にうれしいし、ありがたいことです。「レストラン・アンドレ」は閉めましたが、新しいレストランを背負ってまたここに戻ってきたいですね。

今後も、どんどん大きなイベントに育っていってほしいと思います。内容については、観客と私たちシェフが近しく意見を交換できるようなセッションがあればもっと楽しいと思いませんか? 現在の「プレゼンテーション(50 Best Talks)+セレモニー」という2日構成に加え、あと1〜2日あれば最高ですね。

いつも穏やかでスマート。ロジカルで分かりやすい話ぶりには、誰しもつい引き込まれてしまう。

セレモニー後のアフターパーティー。『レストラン・アンドレ』でサービスを担当されていたマダムと。

マカオ世界に通用する言葉や舌、それこそが武器に。

アジアのレストランが、世界で戦うために必要なことは何ですか?
――世界の中で他にはない、唯一無二のレストランになる、ということだと思います。そのためには、「インターナショナルな言葉」を身につけなければならない。ここで言う言葉とは実際の「言葉」、つまり英語だけを指すのでなく、たとえば世界に通用する「舌」――料理の味、色、盛り付け、トレンドなど――も含みます。

概して、アジアのレストランは、客層を特定の国籍やカテゴリーに絞り込んだ料理や店を作りがちです。たとえば「うちのお客さんは、ほとんどがこういう国籍のこういう人だから、こんな料理でこんなサービスをする」という風に。それはそれで優れた戦略なのですが、もし世界を意識するのであればこのままでは難しい。もっと広い射程で店を作る必要がありますね。

「次につくるレストランにも期待していてくださいね」と笑顔のアンドレ。

マカオ素材への理解と、季節感の取り入れ方は他の国を凌駕。

日本人シェフの強み、弱みをお教えください。
――日本人のシェフは、それぞれ独自の優れたスタイルを持っていますよね。素材の理解、季節感の取り入れ方についても、アジアの他地域のシェフに比べて圧倒的に深いものがあります。これらは料理人として本当に大きな強みだと思います。

一方で、いやだからこそ、残念だなと思う時もあります。先の質問への答えの繰り返しになってしまうかもしれませんが、まず言葉の問題。コミュニケーションのためには、英語の必要性は絶対です。次にフレキシビリティ。料理の味わいやプレゼンテーションなど自分とは違ったアプローチのアイディアを認めること、また世界の流れを見極めて柔軟に動くことなど、一般に苦手な人が多いのではないでしょうか。

授賞式前日、「50 Best Talks」にスピーカーとして登場し今後について語ったアンドレ氏。

マカオ好奇心のタネを生み出す、冒険ともいえる、わくわくするイベント。

――DINING OUTはいかがでしたか?
『DINING OUT』には、2015年の『DINING OUT ARITA』にゲストシェフとして参加させていただきました。『DINING OUT』、つまり 「そとで食べる」という狭義の語意にとどまらず、各地の文化や自然にどんどん入り込んでいって冒険させるというような、わくわくするイベントだと思いました。

料理する側のシェフにとっては間違いなく新しいクリエーション、新たな好奇心の種を生み出す好機ですし、食べ手にとってはそのシェフの新たな一面を見ることができ、体験できる。この先も、ずっと続いていってほしいですね。日本だけでなく、各国が自国のすばらしさを再発見するためにも、このような取り組みをするべきだとすら思いました。

料理はもちろん、器もアンドレシェフの料理哲学で構想された2015年の『DINING OUT ARITA

マカオ自らの暮らす地域を深く掘り下げる、そこに世界と戦うヒントが。

いかがでしたでしょう?
授賞式直前、忙しい合間を縫ってお願いした2人のTOPシェフのスペシャルインタビュー。
長年、アジア代表として世界と戦ってきた2人だからこそ思う、アジアでの日本人シェフの立ち位置が浮き彫りになったのではないでしょうか? 

さらには今後、アジアのシェフたちが世界で戦うために必要なヒントも。
「世界で戦うからこそ、アジアに生きるシェフとして、ディスカバー・アジアの視点が絶対に必要だ」と唱えるガガン・アナンド氏。
「世界の中で他にはない、唯一無二のレストランを作って欲しい」と願ったアンドレ・チャン氏。
インタビュー中、我々ONESTORYが目指している方向性やDINING OUTというイベントのテーマとも重ねる言葉は幾度となく飛び出しました。自らの暮らす地域を深く掘り下げ、まだ見ぬそのエリアの楽しみを探していく。それこそが、アジアはもちろん世界で戦うシェフたちのワールドスタンダードになりえるのではないでしょうか?

短い時間ながら2人の言葉には、そんな重みと愛が溢れていたのです。

インドのカルカッタ出身。インド料理を刷新することを目標に2010年にタイ・バンコクに自身の店『Gaggan』をオープン。2015年~2018年「アジアベストレストラン50」においては4年連続で1位を獲得。名実ともにアジアのTOPシェフとして活躍。
http://eatatgaggan.com/

1976年、台湾生まれ。2010年の開店以来、世界のレストランシーンに鮮烈な印象を与え続けた『レストラン・アンドレ』は、昨年閉店。台湾『RAW』のほか、新たなプロジェクトが始動中。 2017年の「アジアのベストレストラン50」では2位にランクイン。
http://www.raw.com.tw/