八木橋百貨店 (@yagihashi_dept )

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若かりし頃の料理長時代、『麻布長江』時代があってたどりついた料理の境地。[長江SORAE/香川県高松市]

忙しい時こそ平常心を。調理場があわただしくなった時に思わず歌を口ずさむのは、修業時代からの長坂氏の癖なのだとか。

香川県高松市剛速球ではない、打たせてあげる料理こそお客様を安心させられる。

今の長坂松夫氏が料理を作る上で最も大切にしていること。それは、味というよりも哲学的な部分が大きいといった方がいいかもしれません。それは、食べ手をリードするのではなく、一歩引いた料理。それを長坂氏は、野球になぞらえて、「剛速球でコースにズバズバ投げ分ける。あるいは、変化球を交えて食べ手にこちらの手の内を読ませない。そういう料理を作ってばかりいると、肩も壊すし、肘も壊してしまう。私が実践するのは、お客様が安心できる料理。100kmくらいの直球を、お客様の打ちやすい所へ投げるんです」と教えてくれました。

つまり、剛速球は、30代そこそこの脂がのっているシェフがやればいいもの。奇をてらい、食材の魅力に様々な角度からフォーカスし、見た目も斬新なひと皿を作る。まさに、『麻布長江』時代の長坂氏自身がそうだったのかもしれません。

メディアに追われ、取材を受け、読者や視聴者が望む、新しい料理を考案する。つい先日新しいひと皿が完成したかと思えば、すぐさま次なる新作へ。しかしそれでは、料理に大切な「深み」が出ないのだと長坂氏は実感したのです。

その深みのない薄っぺらな料理では、お客様を安心させるような味にはなりません。作り続けることで、その料理は洗練されていき、奥行きのある味わいへと深化していくのです。

掃除の行き届いた店内の美しさに、長坂氏の性格の一面が見え隠れする。

サヨリとイイダコとアスパラガスのトリオ。その味を優しく優しくまとめ上げるのが貝柱のスープだ。

サヨリとイイダコとアスパラガスのトリオ。その味を優しく優しくまとめ上げるのが貝柱のスープだ。

香川県高松市奇をてらわずとも食べれば思わず笑みがこぼれる、優しく幸せな味。

そんな長坂氏の作る料理はどんなものかといえば、確かに奇をてらった料理ではありません。春に旬を迎えたサヨリは、背骨と腹骨を除き、塩、胡椒、醤油を振って片栗粉をまぶし、頭部から身を切り離さないように捌いてから、身をくるくると巻き上げます。そのサヨリをからりと揚げ、そこに合わせるのは、長坂氏が懇意にしている生産者から仕入れたホワイトアスパラガスです。蒸し器を使って10分ほど戻し貝柱のスープで過熱することで、じっくりとホワイトアスパラガスに貝柱の旨味を吸わせていきます。一方でホワイトアスパラガスとともに並ぶのは、グリーンアスパラガス。こちらも戻し貝柱のスープに加えて火入れすることで、その味わいの違いを楽しませてくれます。

貝柱のソースの優しい旨味がサヨリに寄り添い、それが更に春らしさを強調。何が出しゃばるでもなく、その秀でたバランスは、長坂氏のいうまさに「お客様に打たせてあげる料理」の真骨頂ではないでしょうか?

そんな中にも長坂氏ならではのちょっとした緩急も。香川県産のオリーブ牛を四川風のタレで味わわせる料理も登場しました。
「広東料理は、どちらかといえばコースの中で波打たない料理が出てくる。一方、四川料理は香辛料を使った波のある料理が特徴だからね。私は四川料理の出身だし、そこはやっぱり大切にしていきたい部分のひとつだね」と長坂氏は言います。

味わえば、片栗粉と卵がまぶされた牛肉は、外はカリッと中はジューシー。甘辛のソースながら、何かが突出しすぎるわけでもないその味わいには、やはり長坂氏らしさが感じられます。

豆鼓辣醤にニンニク、老酒、スープ、中国黒酢で仕立てたソース。牛の甘みを包み込む。

白ではなく、赤いユニフォームにバンダナという姿は、今や長坂氏のトレードマークに。

生からでもナマコは戻せることを実証した料理。オイスターソースの深い味がナマコに寄り添う。

香川県高松市生から戻したナマコの料理に、長坂氏の神髄を見る。

そして、この日最も驚いたのが次の料理でした。登場したのは、そう、教え子である『茶禅華』のオーナー・林 亮治氏が考案したという「生から戻す」やり方のナマコの料理。1日2回以上、90℃の湯で加熱しては冷ましを繰り返すこと1週間、手間と時間をかけて完成したナマコは、老酒や豆板醤、醤油などで味つけし、蒸し器で過熱します。そこへ、むき海老をペースト状にして、背脂、ピーマン、パプリカなどを加えてナマコに詰め、更に蒸し上げます。仕上げにオイスターソースベースの餡をたっぷりとかけたひと品は、宮廷料理を発祥とする料理ということです。

「これが林君の編み出したナマコを生から戻す方法。手間は確かにかかるけど、原価自体は抑えられる。これにはほんと驚いたし、こうして使わせてもらっているから、林君にはフィーを払わないと(笑)」と長坂氏。

これが長坂松夫という料理人なのです。
教え子から教わったことに悔しがるでもなく、むしろ50年もの間、ナマコは「干したものを戻す」が当然だった長坂氏の概念を打ち破ってくれたことに対しての、喜びを素直に表す方なのです。

「そうやってみんなで学びながらやってこられたから今の自分がある。もし、若かりし頃でなく、修業と年齢を重ねてから料理長になっていたら、上から頭ごなしにどなって、おさえつけてしまう大ばか野郎な料理人になっていたかもね」と長坂氏は話します。

調理場には特段変わったものは見当たらない。シンプルなまでに潔い。

Data
長江SORAE

住所:香川県高松市屋島東町32-12 MAP
電話:087-843-2567
http://www.choko-sorae.com/

自然の中に身を置き大切な人と過ごせるレストランに勝るものはなし。[長江SORAE/香川県高松市]

対岸は最高級御影石の産地として知られる庵治(あじ)の町。瀬戸内ならではの穏やかな風景が心に染みる。

香川県高松市風光明媚な檀ノ浦の海辺に佇む絶好のロケーション。

香川県高松市の北東、瀬戸内海に突き出る半島のように広がる屋島地区。古くは源平の古戦場ともなった檀ノ浦(「壇」ノ浦は山口県下関市にある源平の古戦場)で知られ、溶岩台地で屋根の形をした屋島が海べりまで迫る独特の地形が広がっています。市内からもアクセスしやすい西岸は住宅地が広がる一方、東岸は一部に別荘が点在するなど、美しい景観が広がっています。

その東岸のちょうど真ん中あたり、屋島をぐるりと囲む道路から脇道を下っていくと、これぞ絶好のロケーションともいうべき場所に『長江SORAE』はありました。
道路沿いにも、店先にも看板はなく、事前情報がなければ飲食店とも思えない、別荘地に溶け込んだ外観。唯一、軒先に植栽されたハクモクレンの木だけが手がかりです。

そして、店内に入ると噂どおりの景色が目に飛び込んできます。一面ガラス張りの窓から見えるのは、瀬戸内海。水平線までくっきりと映るパノラミックな景観とは異なりますが、対岸に最高級御影石の採石地として知られる庵治(あじ)の町を望み、左手には大島や豊島、小豆島(しょうどしま)など、これぞ瀬戸内といった多島美です。穏やかなその景色に心が浄化されていくのがわかります。
そうしてしばし見とれていると、奥様の康子氏が「あちらにテラスがありますので、よろしければどうぞ」と声をかけてくれました。促されるままテラスへと出れば、浜辺で静かに打ち寄せる波の音が届き、心地よい風が肌を撫で、取材時にちょうど満開を迎えた桜が風にそよいでいます。
レストランというよりは、まるでどこかの絶景宿にでも訪れたかのような気分です。もはや心は旅人のように寛いでいるのでした。

この土地にレストランを構えるのに、多くを費やしたという建物。その本気度がうかがえる。

店内に入ったらまずはテラスへ出る人が大半。波の音を聞き、風を感じ、心をリセットする。

店内には黄色いクロスが敷かれたテーブルが4卓あり、奥には個室も用意されている。

香川県高松市順風満帆とはいかなかった店探し。たどりついた理想の地。

前置きが長くなりましたが、これが『長江SORAE』の率直な第一印象。素晴らしいロケーションの中、料理を味わう前から何だか心が癒されていくのがわかります。

そう、それこそがシェフの長坂松夫氏が、この高松に求めたものだったのです。

聞けば、長坂氏が移転を決意するきっかけとなったのは、東京の第一線でスターシェフとして活躍していた最中に、ふと自らの頭の中に浮かんできた「麻布で48歳から『麻布長江』を始め、60歳までの12年間東京でやってきた。ちょうど55歳を過ぎたあたりから、思い始めたのかな? “最高のレストランって、どんなレストランだろう?”って」という疑問でした。


当時は、テレビや雑誌など、様々なメディアからの取材が続く日々。レストラン業以外にこなさねばならない仕事に追われる生活でした。その一方で、「60歳を過ぎてこれをやっていたら、料理と向き合うことができなくなる」との思いが長坂氏の中で日に日に増していったのだといいます。そんな時にふと思い浮かんだのが、先ほどの疑問だったのです。

あれこれと考えた末に、長坂氏は、「自然の中でその美しさ、心地よさを感じる。それを大切な人と共有しながら、食べる料理とその時間。それに勝るものはない」という答えにたどりついたのでした。

しかし、順風満帆といきません。修業時代から知っていた高松なら、「美しい海があるし、必ずそれが実現できる」と信じた長坂氏。月に一度ほどの頻度で高松へ戻り、地元の海岸線を車でくまなく走り、ここでもない、あそこでもないと、物件探しに奔走しました。およそ3年間を費やすも、いい建物があっても借りられず、惚れ込んだ土地があっても売ってもらえずという状況が続き、自分が望む物件にはなかなか出合えませんでした。そうして、高松という土地をあきらめかけていた時に、今、店が立っている土地と出合ったのです。

奥様とテラス席でのツーショット。お客様同様のその笑顔はこの土地の素晴らしさがそうさせるのか。

昼間とは異なり、夜は一転してムーディーに。テラスへ出ると聞こえてくる波の音までもが昼間とは違う印象だ。

屋島の頂上にある展望台からの眺め。手前が屋島の東岸、奥に見えるのは庵治(あじ)町。砕石工場が点在する。

香川県高松市『麻布長江』時代にも言われたことがない、長坂氏の心を打ったひと言。

そのような経緯からこの屋島に店を構えて8年。長坂氏にとって忘れられない、お客様から贈られた言葉があります。それが帰り際に言われた「この店は本当に去りがたい」というひと言でした。

長坂氏の心を打った言葉は、「本当に美味しかった」でもなく、「楽しい時間だった」でもありません。長坂氏が東京の『麻布長江』で12年間を費やしても聞くことができなかった、の「去りがたい」の5文字に長坂氏は胸を震わせたといいます。

「人間の食べるという行為は、ひとつの感情だと思うんだよね。自分の中でレストランって『=料理』ではない。もっと総合的なものだと思っている。料理はその一環でしかなくて、そこに食べ手と作り手がいて、食事をする環境があって、もてなしがある。それが調和して、いかにお客様に心地よいと思ってもらえるか。料理でなくその時間に対価としてのお金を支払う。それが、私が求める最高のレストランのあり方だよ」と長坂氏は語ります。

だからこそ、「美味しかった」ではないのです。微妙なニュアンスですが「楽しかった」ともまた違います。「去りがたい」の5文字には、「レストラン側のもてなしと、お客様が求めるもの、レストランを形作る要素の全てがピタリと当てはまった時にしか出ない言葉」と長坂氏は考えるのです。

「また、『去りがたい』という言葉をさらりと言える感性を持った人から贈られた言葉だということにも、嬉しさを感じた。これはレストランの境地だと思うよ」と長坂氏。
奥様の康子氏も、「遠い所までわざわざ来て頂くのですから、お客様にはこの時間を本当に楽しんで頂きたいんです。だから、気は遣うのですが、それを気付かせないサービス。料理と景色を楽しんで頂いて、心地よさを感じて頂いた上で、“あ、いたのね”くらいの存在感があればいいですね」と言います。

長坂氏夫妻こそが自然体でゲストをもてなせる。それは『長江SORAE』がここでやりたいことを突き進めていることの何よりの証拠でもあると感じます。

自らこの場所を楽しんでいるように見える長坂氏。夕暮れが迫る瀬戸内海を見て何を思うのか。

Data
長江SORAE

住所:香川県高松市屋島東町32-12 MAP
電話:087-843-2567
http://www.choko-sorae.com/

中華のスターシェフを移転に踏み切らせた「最高のレストランとは!?」。[長江SORAE/香川県高松市]

香川県高松市OVERVIEW

長坂松夫氏。東京『麻布長江』で一時代を築き上げた、言わずと知れた中国料理界の重鎮です。過去に多くの名シェフを輩出してきたことでも知られ、調理師学校の講師時代にはあの『龍吟』の山本征治氏も授業後に教えを請いに足繁く店へと通い、5月26・27日の2日にわたり大分県国東半島で開催予定の『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』にて腕を振るう『茶禅華』のシェフ・川田智也氏が今も師と仰ぐ料理人でもあります。

そんな長坂氏が、自らの店『麻布長江』を弟子に譲り、香川県高松市に『長江SORAE』をオープンしたのは、2010年のことでした。まさに、東京でスターシェフへと上り詰め、テレビ・雑誌などのメディアからも引っ張りだこだった時分。順風満帆な時を過ごしていた真っ只中のことでした。

では、なぜ長坂氏は高松へ移転してきたのでしょうか? 東京での約束された未来を投げ捨てようと決意させたものは何だったのでしょうか? 移転当時、長坂氏はすでに60歳を過ぎていました。もしかしたらセカンドキャリアをゆっくりと楽しむための決意だったのでしょうか?

高松市の北東、かつての源平の古戦場として知られる檀ノ浦の海辺。『ONESTORY』取材班は、対岸に庵治(あじ)の町を望む風光明媚なロケーションに店を構える長坂氏のもとへと駆けつけました。
そこで長坂氏が表現していたのは、料理人の哲学、美学を貫いたレストランと料理のあり方でした。

Data
長江SORAE

住所:香川県高松市屋島東町32-12 MAP

電話:087-843-2567
http://www.choko-sorae.com/

人間的な個性が強くても、付き合う生産者は考え方、生き方が好きな人。[長江SORAE/香川県高松市]

高松のホテルでの料理長時代から、かれこれ40年ほどの付き合いがある鮮魚店『魚信』。

香川県高松市えぐみがないからそのまま調理できるホワイトアスパラガス。

料理にも、レストランづくりにも己の哲学を行き渡らせる長坂松夫氏。生産者もやはり長坂氏のお眼鏡にかなった人かと聞けば、長坂氏は笑って「僕がこの高松で付き合っている人たちは奇人変人ばかりだからね。己の信じたものにこだわって、己の道を突き進んでいる人しかいない。人間的なクセというか、強い個性がある人ばかりだけど、そこはどうでもいい。大切なのは生産者としての本質であり、人生をかけてやっていることを我々がどう受け入れて、どう吸収するかだよね」と答えてくれました。

そんな中、長坂氏が「事前にロケーション・ハンティングを済ませておいたから」と言って連れて行ってくれたのは、アスパラガスの農家の植村隆昭氏のもとでした。

ビニールハウスの中に並ぶのは、何やら袋が被せられたアスパラガスがにょきにょき。実はこれ、陽に当たると緑になってしまうホワイトアスパラガス。光を遮断して栽培しているのだそうです。

「ここのホワイトアスパラガスはえぐみが本当にないんだよ。そして太くて甘い。えぐみが出るアスパラガスだとどうしても酸味を足したり、甘みを足したりするから、素材本来の味が出せない。ここのものはそれがないから、戻し貝柱の旨味を吸わせて調理するのが定番だね」と長坂氏が言えば、植村氏も「よく使って頂いているシェフにも、なぜこんなにえぐみがないのか聞かれるんですけど、科学的検証をしたわけではないのでなんとも言えない……。ただひとつ言えるのは、除草剤は使わず、有機質の肥料を半分以上使っているということ。農薬については、安全な農薬であることが理由のひとつかもしれません。素材自体の安全もそうですが、生産者にとって安全な農法であることも大切だと思っていますから」と返します。

植村氏の奥様と談笑。小屋の中ではトマトや生のアスパラガスにそのままかぶりついた。

アスパラガスを前にした長坂氏と植村氏。互いに意見を言い合えるほどの信頼関係を築いている。

収穫されたばかりのこの日のホワイトアスパラガスはやや小さめ。噛みしめると瑞々しさと甘さが口の中に広がる。

香川県高松市探求心と本気度が伝わる長坂氏がいう奇人変人たちはこれ以上ない褒め言葉。

一流の生産者とは何かと長坂氏にたずねたところ、「いいものを作っている人は、それを更に良いものにしたいから、いい料理人に使ってもらいたいと思うんだよ。自分の能力を更に高めるために、色々なアドバイスをもらいたいから、生産者は様々な食材を料理人の所に持ってくる。その向上心が一流になるための条件だよね。その探究心をプライドが上回ってはダメ。こうして高松でやっているけど、やっぱりそういう人たちがまだまだ少ない」と、長坂氏ならではの答えが返ってきました。
実は、植村氏もそうして『長江SORAE』と付き合いが始まった生産者のひとりだとか。長坂氏のもとへ直々に食材を持ってきて、「使ってください」と頭を下げたといいます。それから長坂氏との付き合いが始まったのだそうです。

長坂氏が次に連れて行ってくれたのは、『魚信』という地元のプロフェッショナル御用達の鮮魚店。ここにもまた長坂氏が「奇人変人」という人がいます。店主の北岡重信氏は、365日のうち360日をここへ来て働いている人です。何がすごいかといえば、「自分がもし休めば、香川の飲食店が止まってしまう」と本気で思ってやっていること。実際、北岡氏はほぼ休みがないため旅行にすら行ったことがなく、更に取引先の関係者が亡くなった時も仕事着でそのまま来て、焼香だけを済ませて帰ることもあったとか。魚に、商売に、とんでもない情熱をかける職人だといっていいでしょう。やはり、奇人変人でも確かな芯があるようです。長坂氏が一目置くのも納得です。

やはり店の雰囲気からして、一般人を相手にする鮮魚店とは異なる。そこら中に発泡スチロールが置かれている。

長坂氏がホテルで料理長時代に使いたかったのはまさしくこうした小魚なのかもしれない。

一般人は買えないこともないが、料理人たちが買いに来て殺気立つ午前中は避けるべし。

香川県高松市40年来の付き合いがある鮮魚店。今では高松に欠かせない店に。

そもそも長坂氏と北岡氏の付き合いが始まったのは、長坂氏が高松のホテルで料理長を務めていた時でした。

「ホテルのレストランで小魚を使いたくてね。でも、ホテル専用の魚屋さんに頼むと、そういった小魚は手間もかかるし、相手にされなかった。そんな時、知り合ったのが北岡氏。そこで『実は店でこういうことをやろうと思うんや』と言って少しずつ仕入れてもらうようにしてね。当時はプロフェッショナル専用の魚を出していたわけではないけど、徐々にそうした魚が増えていったんだよね」と長坂氏。

それから40年ほどの月日が流れ、今では高松中のレストランがこぞってやって来る店になった『魚信』。北岡氏になぜそれほど働くのかと聞くと、「なんだろうね、ただ商売が好きなんだろうね」との答え。そっけないが、その言葉の奥に隠れている思いは2代目である明彦氏が次のように代弁してくれました。「地元の飲食店さんが良くなればな~と思って、色々なものを仕入れてきているだけですよ。『都会と比べてどうしても……』と言われないように、できるだけいいものを揃える、それだけです。やっぱり注文分だけの仕入れじゃ面白くないと思いますし、こっちの方が売る側も買う側も楽しいし、やりがいがあるじゃないですか」。

14時過ぎに店を訪れた時には買いつけにやって来る人もまばらで、店は少し和やかなムードに。これがオープン前だと殺気立って声もかけられないほどというから、想像もつきません。
長坂氏が連れて行ってくれた農家と鮮魚店。タイプは違えども、まぎれもなく、東京でも通用する「奇人変人」でした。

生産者のもとへ車で案内してくれる長坂氏。車中では生産者たちへの想いをじっくりと語ってくれた。

Data
長江SORAE

住所:香川県高松市屋島東町32-12 MAP
電話:087-843-2567
http://www.choko-sorae.com/