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昨日からstartしてます。 絞る 締める 染める 展 に行ってきました。今回、憧れの作家さん達と作品をご一緒できて嬉しいです お時間ございましたら染めの勉強にもなりますのでぜひご高覧ください。 場所 染清流館           京都市中京区室町錦小路上る山伏山町551-1明倫ビル6階   075-255-5301 会期...

酒造りの神様に試練。杜氏(とうじ)歴58年目にして、初めての「1年目の重圧」。[農口尚彦研究所/石川県小松市]

大雪に見舞われた2017年の冬。春を迎え、ようやく緑を取り戻しつつある『農口尚彦研究所』の裏手にある田圃で2019年の意気込みを語る農口氏。

石川県小松市およそ半年に及ぶ酒造りをほぼ終え、蔵にリラックスムードが漂う。

初めて訪れた2017年の12月上旬は、しとしとと降る雨の中での取材。年が明けて向かった2月上旬は大雪の後での取材。そして4月上旬、3度目にして最後の取材のために小松を訪れると、雲ひとつない晴天が我々取材班を迎えてくれました。『農口尚彦研究所』のある小松市観音下町(かながそまち)は、東京よりもひと足遅く、桜が満開。半年間続いた酒造りを間もなく終えようとしている『農口尚彦研究所』を祝福するような美しい景色が広がっていました。

4月上旬、蔵はすでに今シーズンの最後の蒸米を終えたことを意味する「甑(こしき)倒し」という行事を執り行った後でした。そんなこともあり、蔵は、前回訪れた酒造りの最盛期の緊迫感とはかけ離れた、リラックスした雰囲気に包まれていました。少しはしゃぎながら事務スタッフと冗談を言い合って笑う人、訪れた取材陣に気兼ねなく話しかけてくれる人、休憩時間に気持ちよさそうに日光浴をする人。そればかりか農口尚彦氏の少し緩んだ表情からも、半年間を戦い抜いたという充足感が伝わってきます。

今回、取材班が蔵へと向かった理由は、今年の酒造りを総括するため。半年間の酒造りで、農口氏が感じたこと、蔵人の働きぶり、そして取材班が改めて感じた農口氏についてレポートします。

貯蔵タンクが並ぶ部屋をせっせとデッキブラシで清掃。約半年の酒造りを間もなく終えようとしている。

蒸したての米に風を送りながら冷却、乾燥させる放冷機。ビニールが被せられ、今年の稼働を終えた。

「00:00」で止まったままのタイマーは、浸漬(しんせき)に費やした時間を計るもの。

石川県小松市2年間のブランクと「初めてづくし」の酒造りの中、農口氏が背負ったプレッシャー。

およそ半年に及ぶ酒造りの率直な感想をうかがうと、「いや〜、とにかく大変でした」と言って農口氏は相好を崩しました。

前回、前々回と、酒造りの話になると眼光が鋭くなる農口氏を知っているだけに、その表情からは緊張感溢れる仕込みの時期が終わったことが見て取れます。

では、これまで酒造りに関わって70年近く、杜氏(とうじ)になってからもすでに60年近くのキャリアを持つ農口氏をして、「大変でした」と言わしめる要因は、いったい何だったのでしょうか?
「まず、初めての蔵で色々な環境が違う中、2年間のブランクもあって、なんとか自分のカラーを出さなきゃならん、という緊張感が本当にあったんです」と農口氏は言います。

ただ、それは酒造りを始める前からわかっていたことでもありました。農口氏は更に、「それよりもやたらと宣伝されるでしょう(笑)。酒造りの神様が復活する、伝説の杜氏(とうじ)が新たな挑戦に出る、また旨い酒ができる、と言われ、こっちとしては自分のカラーをしっかり出せるか、出せないかわからない状態なのに宣伝ばかり先行されてね。それはもう今までにないプレッシャーでしたよ。最後は神様にすがりたいくらいの(笑)。そんな簡単なもんじゃないですから、酒造りはね」​​と言葉を続けます。

この日の農口氏は終始リラックスした面持ち。酒造りの話に及んでも、仕込みの真っ最中のような鬼気迫る表情にはならなかった。

前回の取材では大雪に埋もれ、その存在に気付かなかった路線バスのバス停。待合所にも『農口尚彦研究所』のロゴマークが。

仕込みを終えた蔵人たちの仕事も変わった。蔵人以外のスタッフとともに瓶詰めやラベル貼りを手伝うことも。

石川県小松市仕込み水の想定外の水温。すぐさま対策案を立てるも難題が…。

そして、農口氏を苦しめたことがもうひとつありました。それは、酒造りに使う仕込み水でした。

仕込み水は酒造りの様々な工程で使われます。洗米、蒸米、酒母造り、醪(もろみ)造りなど、そのほとんどの工程で必要になってくるものです。とはいえ、問題は水質にあったかといえばそうではなく、その水温にありました。

水温は浸漬(しんせき)、つまり米を水に浸け、吸水させる工程に大きな影響を与えます。そして、その浸漬(しんせき)の出来、不出来は、蒸米後の米の仕上がりをも左右します。つまり、蒸米の先に待ち受ける、農口氏が酒造りにおいて最も重要とする麹造りにも大きな影響を及ぼす工程といえるのです。

『農口尚彦研究所』の仕込み水は、18℃と非常に高いものでした。浸漬(しんせき)にそのまま使えば、よい蒸米とはなりません。一般的に浸漬(しんせき)に使う水温は10℃前後が理想といわれていますから、いかに18℃という温度が高いかがわかります。

「米の吸水率は、水の温度と時間で決まるんです。その時間はある程度目星をつけることもできますが、水温が一定であることが条件。それで蒸米が良ければ、それをひとつの基準にできますけど、水温がころころと変わるから、毎日時間を変えなきゃならん。もちろん、毎日蒸す米も違うから、神経をすり減らさないといけないんです」と農口氏は話します。

2017年12月に取材にうかがった時の1枚。米の吸水作業にストップウォッチを使う意味を、3回目の取材でようやく理解した。

麹造りと酒母造りの責任者が、浸漬(しんせき)を終えた米の前で何やら意見を交わす。

石川県小松市麹菌が心白の全体に、そして芯深くまで発育する「総破精(そうはぜ)」を目指す。

浸漬(しんせき)という作業は、はたから見ればさほど重要な工程には思えないでしょう。しかし、その工程は、麹の良し悪しに決定打を与えるものといっても大げさではありません。例えば、浸漬(しんせき)が不十分で米の芯まで水分が行き渡っていなければ、蒸米の中心には固く芯が残り、麹造りにおいて麹菌が米の中心にまで行き届きません。逆に浸漬(しんせき)が過剰だと、蒸米が柔らかすぎて酵素力の弱い麹となってしまう恐れがあります。麹は「総破精(そうはぜ)」といって、麹菌の胞子が米の中心深くに向かい、かつ米全体を覆うように繁殖した状態が理想といわれており、これが良い酒を造るには欠かせないポイントでもあるのです。

そのような大事な工程で、こんな自体が起ころうとは、農口氏自身思いもよらなかったはずです。

思えば、初めて取材に訪れた際、浸漬(しんせき)の工程でストップウォッチとにらめっこし、鬼の形相で米と向き合っていた農口氏がいました。あの鋭い眼差しは、今になって浸漬(しんせき)の重要性、難しさを取材班に知らしめていたのでした。

初めての蔵での新たな酒造り。杜氏(とうじ)として60年近いキャリアがあっても「初めてづくし」の仕込み、そして「酒造りの神様が復活!」と各メディアで騒がれる中での挑戦、仕込み水の問題……。期待とプレッシャー、不安など、様々な想いが交錯する中で、『農口尚彦研究所』は1年目を間もなく終えようとしています。

「いや〜、とにかく大変でした」という冒頭の言葉と表情からは、戦いを終えての苦労と充足感が見て取れました。

蔵の裏手にある田圃には水が張られ、次なる稲作の準備が始まっていた。

Data
農口尚彦研究所

住所:石川県小松市観音下町ワ1番1 MAP
https://noguchi-naohiko.co.jp/