お経のように刻まれた磨崖仏が佇む、日本の「敦煌」。[大野寺の弥勒磨崖仏/奈良県宇陀市]

切り立った岩壁に彫り窪められた『大野寺の弥勒磨崖仏』。左下の一角には梵字(ぼんじ)で曼荼羅が描かれている。

奈良県宇陀市規模が大きく、佇まいはエレガント。

仏教の歴史の中で、寺が創建されるずっと前。その時代には山肌に仏像を刻む伝統がありました。古い例では、アフガニスタンのバーミヤン渓谷などがあります。こうした山肌や岩壁に刻まれた仏像は「磨崖仏」と呼ばれており、人間の手が加わってはいるけれども、自然の中で雨風にさらされ、信仰も根強く残っています。そして「磨崖仏」は遠くシルクロードを経て、日本にも伝わってきたのです。ほとんどのものは規模としてはさほど大きなものではありませんでしたが、奈良県宇陀市にある『大野寺の弥勒磨崖仏』は別格といえます。以前、この連載で「室生寺」を取り上げた際にも少し触れましたが、宇田川の対岸の高さ約30mの大岸壁に13.8mもの「磨崖仏」が彫り窪められており、規模が大きく、実にエレガントです。道路沿いにあるとはいえ目立つ場所でもなく、山の中なので観光客もわずか。当時はもっと山深く、周囲に何もなかったはずです。何かの霊験によって導かれたのか、当時でもそうした見方がされ、京都からわざわざ天皇がお見えになったほどです。

宇陀川の対岸の自然岩に刻まれている。1207年から制作が開始され、3年ののちに後鳥羽上皇ご臨席の元、開眼供養が行われた。

奈良県宇陀市線のような筋で彫り込まれたお経のよう。

周囲には木々が生い茂り、苔むしています。そうした風景の中に『大野寺の弥勒磨崖仏』は、ふわっと現れるのです。その大きさもさることながら、最大の特徴は立体的ではなく、平面的であること。ある種、日本や中国の書物にある挿絵のようでもあり、版画や印刷物のように線のような筋で仏像が刻まれています。これはあくまで私の推測ですが、紺地の紙に金の文字で記されたお経をイメージして彫ったのではないかと思うのです。仏像がある岸壁左下の一角には梵字(ぼんじ)で曼荼羅も描かれています。他に類を見ない、壮麗なこの『大野寺の弥勒磨崖仏』は、私にとっての日本の「敦煌」です。ぜひ訪れてほしい一景です。

Data
大野寺の弥勒磨崖仏

住所:奈良県宇陀市室生大野1680 MAP
電話:0745-92-2220
拝観時間:8:00〜17:00
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/03east_area/onodera/

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。