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最近の寝不足の原因 乙君は寝ません😭 今日は雨模様の一日ですね 素敵な午後をお過ごしくださ^ ^

祖母の死、3.11、将来の在り方……。複雑な思いが絡み合い、徳島で一からのスタートを決意。[nagaya./徳島県徳島市]

祖父母が残してくれた長屋。右手が『nagaya.』。左手の長屋では様々なショップが営業している。

徳島県徳島市面白さを見出すとともに葛藤もあった東京での社会人生活。

『nagaya.』のオーナー・吉田絵美氏は徳島県徳島市の出身。18歳の時に大学へ通うために上京し、卒業後の社会人生活も含め東京と神奈川では13年を過ごしました。大学卒業後は夜間学校へ通ってデザインを学び、有名スニーカーメーカーに就職して、デザイナーとして社会人のキャリアをスタートさせた吉田氏。しかしその1年後、マーチャンダイザーとなり、2年半で転職することになりました。
「デザインはずっとやりたかったのですが、商品開発も楽しかったんです。ただ、色変えとかコラボレーション商品とか、『パッと出してすぐに終了』という企画ばかりで。もっと、ものに深く関わって普遍的なことがしたいという思いが強くなって」と吉田氏は話します。

転職先に選んだのは、人々の生活により密接に関わるインテリア商品を販売する会社でした。そこでバイヤーとして全国を飛び回ったという吉田氏は、インハウスな仕事からより外の世界と多く関わるようになりました。
「結局、そこには4年半いたんです。激務でしたが、面白さも感じていましたし、直営店舗にも時々立たせてもらいました。この『nagaya.』をオープンするにあたっても、すごく勉強になりました」と吉田氏。

ただ、そんな中でもやはり求めていた「普遍的な仕事」への葛藤がありました。人々の生活により密接に関わるインテリアであれば、自分の求めるものが見つかると思っていたものの、どこかに違和感を覚えていました。
「東京の仕事はやはり新しいものをずっと追い続けているんです。それがインテリアでもやっぱりトレンドがあって、自分の中にある『普遍』との違いを少なからず感じ始めていたんです」と吉田氏は言います。
吉田氏にある知らせが届いたのはそんなタイミングでした。

『nagaya.』の店内。器をはじめとした生活雑貨を販売する一方、カフェスペースも備える。

外壁のトタンも、借家として使われていた当時のまま。入口に生けた花が素朴な雰囲気を醸し出す。

吉田氏がお気に入りだという、勝手口はガラス張りに。ドライフラワーが飾られている。

徳島県徳島市祖母の死と3.11。仕事の在り方や将来と向き合い、帰郷を決意。

それは祖母の訃報でした。そして、帰郷するために徳島へと向かう羽田空港で、あの3.11の東日本大震災が起こりました。
「15時の飛行機でしたから、その時はちょうど羽田空港にいました。その便は2時間遅れぐらいで運良く飛びましたが、翌日は全て欠航でしたね」と吉田氏は振り返ります。

3.11が決定的な出来事ではないにしろ、祖母の死と震災、そして仕事への思いが重なったことは、吉田氏が自分の将来と改めて向き合うには十分なきっかけとなったのです。

吉田氏はバイヤーの仕事で全国各地を飛び回り、生産者や職人の話を聞くうちに、「東京でなくても意外と面白いことってできるのかな!?」と思うようになっていました。そう、吉田氏に帰郷を決意させるには十分すぎるほどの条件が揃っていたのです。
そして、「地域おこし協力隊」への応募が通ったことも、帰郷を決意させる条件のひとつでした。
「今では全国各地で公募していますけど、当時はまだ少なくて。徳島県では3ヵ所くらいで募集があって、応募したら運良く受かったんです」と吉田氏。

吉田氏は、仕事もなしに徳島へ帰るのでは大学まで通わせてもらった両親に顔向けできないと考え、「地域おこし協力隊」という仕事だけはなんとか見つけて、帰郷をするにいたったのだといいます。場所も、すぐに実家のある徳島市に戻るのではなく、車で1時間ほどの所にある三好市という点も吉田氏には都合が良かったそうです。
「東京で10年以上を過ごし、『いきなり実家』というのには抵抗がありまして(笑)。ちょうど良い距離感だったんです」と吉田氏は話します。

店内を案内しながら建物や作家の作品である焼き物について説明してくれる吉田氏。ゆったりとした時間が流れる。

店内に飾られているドライフラワー。これは裏手の長屋で営業する専門店の商品だとか。

徳島県徳島市地域おこし協力隊として、三好市の一大人気イベントを企画・発案。

そうして三好市で「地域おこし協力隊」として活動を開始した吉田氏。そこで始めた大きなプロジェクトのひとつが、吉田氏が立ち上げた「うだつマルシェ」だったのです。
「きっかけは三好市で住み始めた家の近所のおばあちゃんが、『地場産品や手作り品を売る場を設けるためにイベントをやりたい』とおっしゃったこと。けれど、おじいちゃん、おばあちゃんだけでなく、『若い人にも来てもらいたい』というので始めたのがこのマルシェでした」と吉田氏は言います。

2011年の秋に初めて開催された時は、出店数はわずかに10店ほどでした。そこから徐々に出店数が増えるとともに、そのファンなどを取り込み、イベント参加者の数も増加。今では150店以上の応募が集まるようになり、年に2回開催されるように。地元酒造の酒祭りと同日開催の際には、三好市の人口とほぼ同じ3万人が訪れるビッグイベントとなっています。

そして、「地域おこし協力隊」の任期を終える1年ほど前から、『nagaya.』の構想は膨らんでいきました。そして、ここでも吉田氏を徳島市へと戻ることを決意させるいくつかのきっかけが重なるのでした。
「自分がどうやって食べていくかという切実な問題もありましたし、“うだつマルシェ”で関わった人とのつながりをどうやったら生かせるか。更に、ちょうどこの頃に結婚し、父も定年退職を迎えて歳になってきたこともありました。色々な要素が絡み合って徳島市へ戻ることを決意したんです。もちろん、そこで後押しをしてくれたのが、祖父母の持つ長屋の存在だったんです。『ここをどうにかすればうまく使えるんじゃないか?』って思えたので」と吉田氏。

店内は築50年の長屋とは思えない雰囲気。できるだけ手を加えず、当時の生活感が出るようにリノベーションした。

二児の母でもある吉田氏。その笑顔には人柄がにじみ出ている。

Data
nagaya.

住所:徳島県徳島市沖浜町大木247番地 MAP
電話:088-635-8393
http://nagayaproject.com/

面白いことをしたい。多彩な店と人が集まり、新たなつながりが生まれる「ナガヤプロジェクト」。[nagaya./徳島県徳島市]

錆びたトタンの壁もそのまま。看板がなければショップだとは気付かない店構え。

徳島県徳島市およそ10年間誰も住んでいなかった長屋を改装。自らの個性として打ち出す。

今では東京でもほとんど目にすることがなくなった長屋。住宅が不足していた時代、高度成長期の日本の家屋のひとつの象徴でもあり、かつては隣人同士が助け合うようにひとつの長屋で暮らす生活がそこにはありました。『nagaya.』のある長屋もまさにその古き良き時代を経てきた建物なのです。かつてはオーナー・吉田絵美氏の祖父母が借家として貸し出していましたが、2014年に『nagaya.』がオープンするまでのおよそ10年間は、誰も住んでいない空き家になっていたといいます。

「この店のオープンに踏み切れたのもこの長屋があったからなんです。お店を始める前はこの敷地内に全部で5棟の長屋があったんですが、もちろんここを更地にするにもとてもお金がかかる。かといって、そのままにしていたらもったいない。自分としても“地域おこし協力隊”の任期を終えた後の仕事を見つけなければいけない状況で、“うだつマルシェ”で広がった人脈をなんとか生かしたいと思っていました」と吉田氏は言います。

家賃はかからない、固定資産税だけ払えば済む、かつ自分らしさも出せる。となれば、吉田氏がこの長屋をうまく活用しようと考えるのは自然な流れでした。

昔懐かしい形のブロック塀に看板がかかる。駐車場をはさみ、奥に見えるのが『nagaya.』。

細工の施されたガラス窓も当時から使われていたもの。趣のある空間に素朴な器がよく似合う。

徳島県徳島市住居として使われていた当時の名残をそのままにした店内。

店の目の前にある駐車スペースはもともと2棟の長屋が立っていた所。そこを更地にして駐車場にしています。店として改装する際も建築士と相談し、なるべくこの長屋の雰囲気をそのまま残す方向で話がまとまったのだそうです。

「本当は壁も白く塗り直したり、色々と手を加えたりしたい所もあったんです。けれど、『色々やりすぎると費用もかさむし、それなら新しい建物を建てた方が安く済む。かつての長屋の雰囲気をそのまま残した方がいいと思うけどな』と建築士さんに促されて」と吉田氏は話します。

結局大きく手を加えたのは、コンクリートを流し固めて耐震補強した床と、フル改装したカフェのキッチン部分ぐらいだそうです。壁や柱、使えるガラス戸などは当時のまま。そればかりか、ガス会社のシールが貼られたままの柱など、かつてここに人が住んでいたことを思わせる痕跡が店内のそこかしこに見られます。

「私が小さい頃、実はこの長屋がすごく怖かったんです。当時ですでに古さが際立つ建物でしたし、住んでいた人もちょっとガラが悪くて(笑)。自分の家はすぐそこなんですが、前を通る時は逃げるように走っていたのを覚えています。それがこうやって使ってみると、『味があるな』って思いますね」と吉田氏。

『nagaya.』の裏手にある2棟の長屋に6つのショップや工房、事務所などが入っている。

こちらはフラワーショップ。留守にしていることも多く、『nagaya.』の店内にも商品をディスプレイ。

長屋と長屋の間。タイムスリップしたかのような懐かしさを覚える。

徳島県徳島市ジャンルも様々。個性豊かな6つのショップや工房が入居。

そして『nagaya.』の裏手にはもう2棟の長屋が並んで立っています。こちらは『nagaya.』の建物に比べれば、築年数は2年ほど浅いそうですが、それでも住居としての使い道はもうありません。吉田氏は取り壊すことも考えたそうですが、「めちゃくちゃ古いから住むには難がある。破格の値段で面白いことをしたい人に貸したらどうだろう?」と思い直したそうです。それが「ナガヤプロジェクト」だったのです。

そして、その狙いはズバリと当たります。まず、この長屋を初めて借りた人が、失礼ながら実にぶっ飛んでいる方で面白いのです。『おとなり3』という店名で、1階はご自身が買い集めた本などを並べた図書館、2階は子供を対象にしたプログラミング教室として開放しているのです。

「図書館、プログラミング教室なんていっていますが、なんでもいいから面白いことができればいいんです。例えば、スラックと連携して、ここをオートロックにして、店に来る人が電話をくれたらカギを開ける。そういう形にすれば24時間365日営業の図書館になる。たたけばすぐ壊れるような長屋で、そんなことをやっていたら面白いじゃないですか」と言って、『おとなり3』の店主は笑います。

他にも、古本屋の『you are…』、皮作家が工房として使う『トリトヒツジ』、ネイルサロン『四ツ葉』、フラワーショップ『Bilton Flower Design』、ウエディングプランナーが事務所として使う『Beaucoup de bonheur』などがテナントとして入り、独自に活動を展開しています。

かつての長屋暮らしのように隣人が助け合う間柄とは少し違うかもしれませんが、新たな感性を持った色々なショップが集まり、人と人がつながっていく。大きなプロジェクトを企てているわけはありませんが、ここはそんな古くて新しい人と人との出会いの場となっているのです。

トタンの切れ端を使った道しるべ。砂利の上に無造作に置かれていた。

窓を開けて取材していると『おとなり3』の店主がご挨拶。こうした会話も日常茶飯事。

Data
nagaya.

住所:徳島県徳島市沖浜町大木247番地 MAP
電話:088-635-8393
http://nagayaproject.com/

人とつながり発信していく生活雑貨店。それが求めてきた普遍の形。[nagaya./徳島県徳島市]

商品を手に取り、想いを絞り出すように言葉を紡ぐ吉田氏。取材班全員が器を購入して帰った。

徳島県徳島市ただ並べて売ればいいだけではない。作家と吉田氏の想いを伝える。

吉田絵美氏の『nagaya.』とは、簡単に言うと生活雑貨を扱う店です。その中でも特に扱うものが多いのが、焼き物を中心とした食器類です。吉田氏が「普遍的」な仕事の在り方を求め、東京で転職し、そして帰郷したことを考えれば、暮らしと密接に関係し、人間の営みと切っても切れない関係にある食器にフォーカスしているのは、ある意味では当然のことかもしれません。そして、東京でバイヤーを経験し、地方の作り手と間近に接してきたからこそ、作家との関係性を大切にし、それを販売して、発信し続けることに大きな喜びを感じているようにも思えます。

だから、取材班が「これはどんな作家さんの焼き物ですか?」とたずねれば、吉田氏は「佐々木智也さんといって、実家が妙楽寺というお寺なんですよ。だから名前は妙楽窯。住職として後を継ぐ一方で、作家さんとしても活動しているんです。境内の横にある自宅の庭に窯があって、土も自分で持ってきて作品に使うなど、チャレンジ精神旺盛な方ですね。最近はモダンな形の作品が増えている気がします」と、しっかりと解説をしてくれます。


また、違う作家さんの作品については、「この作品を作ったのは女性の作家さんなんですが、イギリスの美術大学に通っていた方で、もともとはセラミックを使ったアートを創作していました。今では生活用品も作るようになって、細部にこだわりが感じられる作品が多いですね」と解説してくれました。

そうして吉田氏の話を聞いて器を手にすれば、ビジュアルや手触りなどからは伝わってこない情報が、その作品のまた違った魅力を見せてくれるのです。

佐々木氏の作品。伝統的な器の形である輪花や八角が人気。釉薬の種類が豊富で色違いも。

入口を入って正面が焼き物のコーナー。常時20名ほどの作家の作品が並んでいる。

裏手のフラワーショップで取り扱うドライフラワーもディスプレイされる。

徳島県徳島市使って改めて気付く器の魅力を併設のカフェで体感。

そして、『nagaya.』でのもうひとつの楽しみといえば、併設されたカフェ。築50年の長屋空間で寛ぎながらコーヒーを楽しむ時間は、店へ足を運ぶゲストに小さな幸せを与えてくれます。

というのも、ここで出されるメニューには、実際に店内でも販売されている器が使われるからです。
例えば、この日出された季節のパフェには、『おとなり3』の店主の奥様の実家で採れるイチゴを使用し、透明なイッタラのビンテージグラスに、イチゴジャム、ミルクアイス、イチゴが綺麗な層をつくる見た目にも美しいひと品です。もちろん、その味わいも素晴らしいのですが、驚いたのはそのソーサーの淡くも深い紫色の陶器の使い方。棚にディスプレイされていただけでは、その色合いばかりが目立ち、お皿としてどう使えばいいかわからなかったものの、こうして出されるとイチゴの赤に映えてその美しさが際立つのです。

「実際に使うと、やっぱりイメージの膨らみ方も違いますよね。こちらは石川県在住の作家さんの作品。グラデーションのある釉薬が特徴的で、食卓のアクセントになりそうですよね」と吉田氏は言います。
高知県本山町にある『JOKI COFFEE』が焙煎する豆で淹れるコーヒーのカップは、先ほど紹介した佐々木氏の作品です。こうして見ると和にも洋にも寄り添う、懐の深さを秘めていることがわかります。

もちろん、店内に並ぶのは器だけではありません。今治タオルに、コーヒー豆、靴下、焼き菓子など、四国を中心とした作り手の顔が見える商品が並んでいます。
端的に言ってしまえば、生活雑貨店。しかし、そこに感じるのはやはり人の縁。一朝一夕ではできない、人とのつながりから生まれる仕事にこそ、もしかしたら吉田氏が求めていた「普遍」の形があるのかもしれません。

純粋にカフェとして楽しんでも、長屋をリノベーションした空間はやはり絵になる。

「季節のパフェ」500円と「ホットコーヒー」500円。器の魅力を改めて教えてくれる。

作家の話になると思わず笑顔になる吉田氏。自身もやはり焼き物が好きなのだという。

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nagaya.

住所:徳島県徳島市沖浜町大木247番地 MAP
電話:088-635-8393
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生活雑貨ショップに図書館に皮工房、古本屋…。築50年の長屋に新たな息吹が吹き込まれる。[nagaya./徳島県徳島市]

徳島県徳島市OVERVIEW

徳島県徳島市沖浜町。JR徳島駅から2つ目の二軒屋駅より歩いて10分ほどの何の変哲もない住宅街に、今回『ONESTORY』取材班が向かった『nagaya.』はあります。その舞台となるのが、築50年になるまさに「長屋」です。オーナーの吉田絵美氏の祖父母が借家として長年使っていという長屋は、およそ10年間誰も住んでおらず、まもなくその役目を終えようとしていました。そんな時に、吉田氏がここをショップとして蘇らせようとしたのです。

東京から故郷の徳島へ戻り、三好市では「地域おこし協力隊」として3年の任期を全うしようとしていた吉田氏。三好市で2010年より始まった「うだつマルシェ」の発起人としても知られる彼女が、そのイベントで知り合った人とのつながりを「どうにかして生かせないものか」と考えてオープンしたショップでした。
そして現在、「ここで何か面白いことをしたい!」という人たちのために、裏手に立っているもう2棟の長屋も安価で貸し出し、その長屋を借りたクリエイティヴな人たちがショップなどを展開しています。

図書館に古本屋に皮工房、そしてドライフラワーショップができ、築50年の長屋に新しい息吹を吹き込んでいます。
古くて新しい『nagaya.』の全貌を、オーナーの吉田氏の想いとともに取材してきました。

Data
nagaya.

住所:徳島県徳島市沖浜町大木247番地 MAP
電話:088-635-8393
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お経のように刻まれた磨崖仏が佇む、日本の「敦煌」。[大野寺の弥勒磨崖仏/奈良県宇陀市]

切り立った岩壁に彫り窪められた『大野寺の弥勒磨崖仏』。左下の一角には梵字(ぼんじ)で曼荼羅が描かれている。

奈良県宇陀市規模が大きく、佇まいはエレガント。

仏教の歴史の中で、寺が創建されるずっと前。その時代には山肌に仏像を刻む伝統がありました。古い例では、アフガニスタンのバーミヤン渓谷などがあります。こうした山肌や岩壁に刻まれた仏像は「磨崖仏」と呼ばれており、人間の手が加わってはいるけれども、自然の中で雨風にさらされ、信仰も根強く残っています。そして「磨崖仏」は遠くシルクロードを経て、日本にも伝わってきたのです。ほとんどのものは規模としてはさほど大きなものではありませんでしたが、奈良県宇陀市にある『大野寺の弥勒磨崖仏』は別格といえます。以前、この連載で「室生寺」を取り上げた際にも少し触れましたが、宇田川の対岸の高さ約30mの大岸壁に13.8mもの「磨崖仏」が彫り窪められており、規模が大きく、実にエレガントです。道路沿いにあるとはいえ目立つ場所でもなく、山の中なので観光客もわずか。当時はもっと山深く、周囲に何もなかったはずです。何かの霊験によって導かれたのか、当時でもそうした見方がされ、京都からわざわざ天皇がお見えになったほどです。

宇陀川の対岸の自然岩に刻まれている。1207年から制作が開始され、3年ののちに後鳥羽上皇ご臨席の元、開眼供養が行われた。

奈良県宇陀市線のような筋で彫り込まれたお経のよう。

周囲には木々が生い茂り、苔むしています。そうした風景の中に『大野寺の弥勒磨崖仏』は、ふわっと現れるのです。その大きさもさることながら、最大の特徴は立体的ではなく、平面的であること。ある種、日本や中国の書物にある挿絵のようでもあり、版画や印刷物のように線のような筋で仏像が刻まれています。これはあくまで私の推測ですが、紺地の紙に金の文字で記されたお経をイメージして彫ったのではないかと思うのです。仏像がある岸壁左下の一角には梵字(ぼんじ)で曼荼羅も描かれています。他に類を見ない、壮麗なこの『大野寺の弥勒磨崖仏』は、私にとっての日本の「敦煌」です。ぜひ訪れてほしい一景です。

Data
大野寺の弥勒磨崖仏

住所:奈良県宇陀市室生大野1680 MAP
電話:0745-92-2220
拝観時間:8:00〜17:00
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/03east_area/onodera/

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

本日をもって、はつなつ展終了いたしました。

本日をもって、はつなつ展終了いたしました。 会期中は沢山の出会いと再会があって楽しい展覧会でした。 お越し頂きました皆様、カウリさんありがとうございました。 また、次の展覧会でお会いできるのを楽しみにしています^ ^ おまけ 詩人の西尾さんがお越しくださったようです こちらがはっとしました

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アメリカはアイスホッケーのリンクに人工芝を敷いたインドアサッカー場が全米の至る所に普及しており、「MISL (Major Indoor Soccer League) 」というプロリーグも存在する。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム

日々

昨日からstartしてます。 絞る 締める 染める 展 に行ってきました。今回、憧れの作家さん達と作品をご一緒できて嬉しいです お時間ございましたら染めの勉強にもなりますのでぜひご高覧ください。 場所 染清流館           京都市中京区室町錦小路上る山伏山町551-1明倫ビル6階   075-255-5301 会期...

酒造りの神様に試練。杜氏(とうじ)歴58年目にして、初めての「1年目の重圧」。[農口尚彦研究所/石川県小松市]

大雪に見舞われた2017年の冬。春を迎え、ようやく緑を取り戻しつつある『農口尚彦研究所』の裏手にある田圃で2019年の意気込みを語る農口氏。

石川県小松市およそ半年に及ぶ酒造りをほぼ終え、蔵にリラックスムードが漂う。

初めて訪れた2017年の12月上旬は、しとしとと降る雨の中での取材。年が明けて向かった2月上旬は大雪の後での取材。そして4月上旬、3度目にして最後の取材のために小松を訪れると、雲ひとつない晴天が我々取材班を迎えてくれました。『農口尚彦研究所』のある小松市観音下町(かながそまち)は、東京よりもひと足遅く、桜が満開。半年間続いた酒造りを間もなく終えようとしている『農口尚彦研究所』を祝福するような美しい景色が広がっていました。

4月上旬、蔵はすでに今シーズンの最後の蒸米を終えたことを意味する「甑(こしき)倒し」という行事を執り行った後でした。そんなこともあり、蔵は、前回訪れた酒造りの最盛期の緊迫感とはかけ離れた、リラックスした雰囲気に包まれていました。少しはしゃぎながら事務スタッフと冗談を言い合って笑う人、訪れた取材陣に気兼ねなく話しかけてくれる人、休憩時間に気持ちよさそうに日光浴をする人。そればかりか農口尚彦氏の少し緩んだ表情からも、半年間を戦い抜いたという充足感が伝わってきます。

今回、取材班が蔵へと向かった理由は、今年の酒造りを総括するため。半年間の酒造りで、農口氏が感じたこと、蔵人の働きぶり、そして取材班が改めて感じた農口氏についてレポートします。

貯蔵タンクが並ぶ部屋をせっせとデッキブラシで清掃。約半年の酒造りを間もなく終えようとしている。

蒸したての米に風を送りながら冷却、乾燥させる放冷機。ビニールが被せられ、今年の稼働を終えた。

「00:00」で止まったままのタイマーは、浸漬(しんせき)に費やした時間を計るもの。

石川県小松市2年間のブランクと「初めてづくし」の酒造りの中、農口氏が背負ったプレッシャー。

およそ半年に及ぶ酒造りの率直な感想をうかがうと、「いや〜、とにかく大変でした」と言って農口氏は相好を崩しました。

前回、前々回と、酒造りの話になると眼光が鋭くなる農口氏を知っているだけに、その表情からは緊張感溢れる仕込みの時期が終わったことが見て取れます。

では、これまで酒造りに関わって70年近く、杜氏(とうじ)になってからもすでに60年近くのキャリアを持つ農口氏をして、「大変でした」と言わしめる要因は、いったい何だったのでしょうか?
「まず、初めての蔵で色々な環境が違う中、2年間のブランクもあって、なんとか自分のカラーを出さなきゃならん、という緊張感が本当にあったんです」と農口氏は言います。

ただ、それは酒造りを始める前からわかっていたことでもありました。農口氏は更に、「それよりもやたらと宣伝されるでしょう(笑)。酒造りの神様が復活する、伝説の杜氏(とうじ)が新たな挑戦に出る、また旨い酒ができる、と言われ、こっちとしては自分のカラーをしっかり出せるか、出せないかわからない状態なのに宣伝ばかり先行されてね。それはもう今までにないプレッシャーでしたよ。最後は神様にすがりたいくらいの(笑)。そんな簡単なもんじゃないですから、酒造りはね」​​と言葉を続けます。

この日の農口氏は終始リラックスした面持ち。酒造りの話に及んでも、仕込みの真っ最中のような鬼気迫る表情にはならなかった。

前回の取材では大雪に埋もれ、その存在に気付かなかった路線バスのバス停。待合所にも『農口尚彦研究所』のロゴマークが。

仕込みを終えた蔵人たちの仕事も変わった。蔵人以外のスタッフとともに瓶詰めやラベル貼りを手伝うことも。

石川県小松市仕込み水の想定外の水温。すぐさま対策案を立てるも難題が…。

そして、農口氏を苦しめたことがもうひとつありました。それは、酒造りに使う仕込み水でした。

仕込み水は酒造りの様々な工程で使われます。洗米、蒸米、酒母造り、醪(もろみ)造りなど、そのほとんどの工程で必要になってくるものです。とはいえ、問題は水質にあったかといえばそうではなく、その水温にありました。

水温は浸漬(しんせき)、つまり米を水に浸け、吸水させる工程に大きな影響を与えます。そして、その浸漬(しんせき)の出来、不出来は、蒸米後の米の仕上がりをも左右します。つまり、蒸米の先に待ち受ける、農口氏が酒造りにおいて最も重要とする麹造りにも大きな影響を及ぼす工程といえるのです。

『農口尚彦研究所』の仕込み水は、18℃と非常に高いものでした。浸漬(しんせき)にそのまま使えば、よい蒸米とはなりません。一般的に浸漬(しんせき)に使う水温は10℃前後が理想といわれていますから、いかに18℃という温度が高いかがわかります。

「米の吸水率は、水の温度と時間で決まるんです。その時間はある程度目星をつけることもできますが、水温が一定であることが条件。それで蒸米が良ければ、それをひとつの基準にできますけど、水温がころころと変わるから、毎日時間を変えなきゃならん。もちろん、毎日蒸す米も違うから、神経をすり減らさないといけないんです」と農口氏は話します。

2017年12月に取材にうかがった時の1枚。米の吸水作業にストップウォッチを使う意味を、3回目の取材でようやく理解した。

麹造りと酒母造りの責任者が、浸漬(しんせき)を終えた米の前で何やら意見を交わす。

石川県小松市麹菌が心白の全体に、そして芯深くまで発育する「総破精(そうはぜ)」を目指す。

浸漬(しんせき)という作業は、はたから見ればさほど重要な工程には思えないでしょう。しかし、その工程は、麹の良し悪しに決定打を与えるものといっても大げさではありません。例えば、浸漬(しんせき)が不十分で米の芯まで水分が行き渡っていなければ、蒸米の中心には固く芯が残り、麹造りにおいて麹菌が米の中心にまで行き届きません。逆に浸漬(しんせき)が過剰だと、蒸米が柔らかすぎて酵素力の弱い麹となってしまう恐れがあります。麹は「総破精(そうはぜ)」といって、麹菌の胞子が米の中心深くに向かい、かつ米全体を覆うように繁殖した状態が理想といわれており、これが良い酒を造るには欠かせないポイントでもあるのです。

そのような大事な工程で、こんな自体が起ころうとは、農口氏自身思いもよらなかったはずです。

思えば、初めて取材に訪れた際、浸漬(しんせき)の工程でストップウォッチとにらめっこし、鬼の形相で米と向き合っていた農口氏がいました。あの鋭い眼差しは、今になって浸漬(しんせき)の重要性、難しさを取材班に知らしめていたのでした。

初めての蔵での新たな酒造り。杜氏(とうじ)として60年近いキャリアがあっても「初めてづくし」の仕込み、そして「酒造りの神様が復活!」と各メディアで騒がれる中での挑戦、仕込み水の問題……。期待とプレッシャー、不安など、様々な想いが交錯する中で、『農口尚彦研究所』は1年目を間もなく終えようとしています。

「いや〜、とにかく大変でした」という冒頭の言葉と表情からは、戦いを終えての苦労と充足感が見て取れました。

蔵の裏手にある田圃には水が張られ、次なる稲作の準備が始まっていた。

Data
農口尚彦研究所

住所:石川県小松市観音下町ワ1番1 MAP
https://noguchi-naohiko.co.jp/

古代蓮の里 (@g_kodaihasu )

【イベントのお知らせ】 5月19日(土)、20日(日)に古代蓮会館内で、青梅詰め放題イベントを開催します! また、うどん店隣の休憩所で、梅ジュースを販売いたします。 土・日はぜひ、古代蓮会館にお越しください。

はつなつ展

はつなつ展あと2日になりました(๑˃̵ᴗ˂̵) 早いものです。。 bag、お洋服、ストールなど夏の装いにぜひ 明後日20日は終日在廊しております ★お買い上げ頂いた皆様にちょっとおまけ。 ハギレを使ったおリボンを付けて頂いてます^ ^

PAZZO-DI-PIZZA!GYODA (@pdp_gyoda )

ランチタイム始まってますよー カフェタイムまで後少し⏳ て事でプリンできました。 固めのカスタードプリンです。 ミニプリンアラモード的な感じで🍮 ワタクシは窯の前で汗ダラッダラですが 店内は涼しくしてお待ちしてます。

フードキュレーターとその土地の食材生産者が創り出す、メイドイン国東の究極のおつまみとは。[LOCAL MEISTER PROJECT/大分県国東市]

大分県国東市シェフにその土地の食材の魅力を伝えるフードキュレーターだからこその発想を、『YEBISU MEISTER』とのペアリングに注ぎ込む。

一流の料理人がその土地の食材を新しい感覚で切り取った料理を、その土地を最も魅力的に表現する場所と演出とともに、五感全てで味わっていただくことをテーマとした野外レストラン『DINING OUT』。
5月26日(土)、27日(日)に開催が決定している『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』の舞台となるのは大分県国東半島です。

両子山という岩山を中心に6つの山稜に分かれている国東半島は、日本のひとつの宗教観である神仏習合の考え方が生まれた地とされ、同地にある寺院群を総称して「六郷満山(ろくごうまんざん)」と呼んでいます。2018年はその「六郷満山」開山1300年の節目の年。

そんな1300年の歴史や国東独自の文化に触れ、料理の腕を振るうのはオープンからわずか9ヶ月でミシュランガイド2つ星を獲得したことでも話題を集める『茶禅華』のシェフ川田智也氏。

シェフ自ら、国東半島の料理や農家を訪ね歩き、汲み取った生産者の想いまで昇華させ、感動的な料理を供するのが『DINING OUT』の醍醐味である一方、開催の半年前からリサーチを開始し、数百という食材を見つけ出している人物が『DINING OUT』の裏側を支えています。それが、『DINING OUT』食材調達チームリーダーであり、フードキュレーターの宮内隼人。

今回、ONESTORYではフードキュレーターの宮内が探しだした、その土地を知り尽くす生産者「地域のMEISTER(匠)」と共に、地場の食材をふんだんに使ったビールに合う究極のおつまみを創り上げる新たなプロジェクト『LOCAL MEISTER PROJECT』を立ち上げます。一緒にこのプロジェクトを進めていくのは『DINING OUT』のオフィシャルビールである『YEBISU MEISTER』。

そのプロセスの裏側を、『ONESTORY』と『YesMAGAZINE』で発信していく事で、世の中にまだ知られていない、その土地の上質な食材の魅力を伝えるとともに、開発された究極のおつまみは新たな特産品として商品化。様々な場所で販売する事で、その地域を多くの人に知ってもらう為のプロジェクトです。

全国各地のさまざまな食材を知り尽くす宮内と、国東の生産者が一体となって創り上げる、究極のおつまみとは。その全貌に少しずつ迫っていきます。

鹿の狩猟から加工まで一貫して行う田口幸子氏。元々、東京で映像関係の仕事をしていたが、故郷である国東に数年前にUターンしたそう。

大分県国東市害獣として駆除される鹿を無駄にしない。人と野生動物がともに生きていく上で最良の手段を考える。

まず、宮内が向かったのは、農作物を荒らすなど深刻な農業被害を生んでいる鹿を自ら狩猟し、解体、加工まで一貫する『TAG−KNIGHT』代表の田口幸子氏の加工場。

加工場に到着早々、「鹿が罠にかかったと連絡が入ったので、一緒に行きましょう」と田口氏。連れて行ってもらった場所は山間にあるミカン畑です。
「鹿も生きていくために一生懸命。果樹の新芽や野菜、植栽した杉の木の皮など、食べやすくて栄養豊富なエサを求めて、畑や人家が建つ地区に足を踏み入れてきます。そうなると人と野生動物が共存するためにどうしても駆除が必要で、そんな駆除された鹿を有効活用できないかという考えから、鹿肉の加工を始めました」と話す田口氏。

現在、鹿肉は無添加、無着色、無香料のジャーキーに主に加工され、大型犬などペット用として全国各地に販売されています。ただ、数年前に許可を取り、地元民向けにバーベキュー用などとしても販売しているという田口氏。鹿やイノシシなど野生動物の肉は独特の匂いがあると思われがちですが、田口氏は血抜きなど下処理を素早く終わらせることで、臭みのない鹿肉を提供されています。

そんな田口氏の加工場で宮内の興味を惹いたのが、一頭からわずかしか取れないロース肉。「本当に肉の色がキレイですね。匂いもほとんどない」と、肉質の良さを間近に見て実感した宮内。熱風で乾燥させるジャーキーの作り方や骨の活用法なども熱心に聞いていました。

駆除された鹿を廃棄するのではなく、活かす手段について田口氏から説明を受ける。

解体作業をしっかりと目に焼き付ける宮内。命の尊さ、大切さを改めて考えるきっかけにもなったと話す。

冷凍されたロース肉を手に取り、重さを量る。鹿肉は脂が少なく、タンパク質が豊富だ。

田口氏が製造しているのはペット用の鹿肉ジャーキーだが、どのくらい乾燥させているかなど、じっくり確認していた。

大分県国東市国東育ちの豚を原料とした生ハム。シンプルに“おいしい”と感じたからこそ、その理由を知りたい。

次に向かったのは国東半島を離れ、大分市。それだけ聞くと、国東半島で生まれ育った食材という、『LOCAL MEISTER PROJECT』のテーマからそれる気がしますが、「ここでは原料に注目してほしい」と宮内は話します。

そう、ハム、ソーセージを製造する『(株)ゆふいん牧場』まで足を伸ばした理由は、国東半島で飼育されたブランド豚『桜王』にあります。『桜王』とは国東市安岐町で飼育される安心安全なSPF豚のことで、『(株)ゆふいん牧場』では、この豚肉を使ったハムやソーセージを製造。大分県下でも『桜王』を加工しているのは唯一だそうです。

なかでも今回、宮内が実際に製造工程を見てみたいと強く熱望したのが、『桜王』を使った生ハムです。東京銀座にある大分県のフラッグショップ『坐来大分』で偶然食べた『桜王』の生ハム。宮内は「しっとりとしていて、旨みもしっかり閉じ込められていた。この生ハムは『LOCAL MEISTER PROJECT』にも活用できるんじゃないかと感じました」と話します。

実際にハムソーセージ課製造担当の江頭幸治氏に話を聞いてみると、原料以外にもおいしさの秘密が隠されていました。
それは熟成庫を活用し、2〜3週間と生ハムとしては短期間で作り上げる点がまず一つ。そして、宮崎県産のヤマザクラのチップで、華やかな燻の香りをほのかにまとわせる点も特徴です。「冷燻には香り、風味を高めるより良くするという狙い以外に、防腐の意味もあります」と江頭氏は話します。防腐剤や着色料など余計な添加物を使わないだけに、昔ながらの考え方も取り入れているのが印象的でした。

そんな一工夫を凝らした生ハムですが、食品加工事業部部長の小野晃正氏は、「実は当社の商品のなかでも生産量が極めて少ない商品で、販売しているのも直営2店舗のみ。『坐来大分』にも常時卸しているわけではなく、本当に極稀になんです。国東半島で『DINING OUT』を行うタイミングで、宮内さんが食べられたのは本当に奇跡ですね」と笑います。

『DINING OUT』から生まれたスピンオフプロジェクト『LOCAL MEISTER PROJECT』。今回初となる同プロジェクトで出合ったのは、“国東の野生の鹿肉”と“ブランド豚の桜王”。まだまだ、国東半島における宮内の食材探しは続きます。

(supported by YEBISU MEISTER

宮崎県産のヤマザクラのスモークチップの香りを嗅ぐ宮内。「生ハムは確かにほのかにスモークの香りがありますね。ただ、言われないと気付かないほど繊細」とコメント。その言葉に対し、製造担当の江頭氏は「よく分かられていますね。そうなんです。香りをつけるというよりも防腐の意味合いが強いんです」と返します。

生ハムの生産量は年間100kgにも満たない上、『坐来大分』に卸すのは極稀という小野氏の話しを聞き、驚き、偶然の出合いに思わず笑みがこぼれる宮内。

生ハムを販売しているのは大分市内にある老舗百貨店『トキハ本店』にある直営店をはじめ、大分駅構内のみやげ店のみ。

1977年東京都生まれ。18歳の時、海外経験のために訪れたカナダの日本料理店でのアルバイトで料理に目覚める。半年後帰国し、居酒屋で働きながら調理師免許を取得。系列のフランス料理店に異動。その後都内のカフェで働いた後、2001年から3年間「ラ・ビュット・ボワゼ」で本格的なフランス料理に触れる。株式会社HUGEの「ダズル」の立ち上げを手伝うなどした後に、2010年「HAJIME」に入り、5年半の経験を積む。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2015年より現職。