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静謐で神秘的な地で開かれた幻の饗宴『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』 スペシャルムービー公開。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市
『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』(2018年5月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。
作り手と食べ手を直につなぐ、新しい農業。[Farm Owner’s/ 山形県山形市]
山形県山形市農家が自分のために、野菜を育ててくれる。
カブ主になりませんか? ただし、配当は野菜です―。
こんな面白いキャッチフレーズのもと、2016年2月、山形県であるユニークな農業の形が誕生しました。その名も『Farm Owner's』です。
ウェブサイト上で「蕪(株)券」を買うと、農家のオーナー(蕪主)になり、自分の食べたい種類の野菜が届けられるというシステムです。立ち上げたのは、誰よりも伝統野菜を愛する農家の4代目・佐々木康裕氏です。
山形県山形市味が美味しく安全でも、農家が作りたがらない。
「本来、ピーマンは苦いものなんです」と佐々木氏。昔ながらの固定種・在来種と呼ばれる野菜は、トマトはトマトらしい酸味がしっかりあり、ニンジンは土の香りがして、大地の味が感じられるもの。それが今は、トマトはトマトを超えた糖度を追求され、根菜や葉菜もえぐみが少なくなり、何よりも形が綺麗で均一です。それらが悪いわけではありませんが、農薬や化学肥料を使うことで大量生産を可能にしている場合も多いため、健康面への影響が懸念されています。
国の発表によると、現在有機野菜は市場の0.4%程度で、更にその中でも固定種や在来種は約0.01%しかないそうです。農家がこういった野菜を育てないのは、「特別な野菜を育ててもJAや市場には適正な値段で売れない」「ほとんどの農家の人が70歳近くで、自力で売り先を広げるのが難しい」「農薬や化学肥料を使わないことで野菜の成長が遅くなり、しばらく収入が減る」といった理由があると佐々木氏は話します。
山形県山形市農家は安心して作れる。消費者は信頼して買える。
一方でそういった安全な昔ながらの野菜を求める消費者は増え、レストランでも在来種の無農薬野菜を使いたいというシェフも多くなっています。ですが、作る人が少ないため、これらはスーパーマーケットにもあまり並ばず、あっても種類が少なく、価格も高め。この流通のミスマッチをなんとかしようと考えた佐々木氏は、「作った野菜を買ってもらう」という従来の仕組みから、「食べたい野菜を農家に育ててもらう」という関係に変えることを考えつきました。それが、この『Farm Owner’s』という制度です。
山形県山形市年収200万円程度という状態を、当たり前と思ってはいけない。
佐々木氏の家は4代続く農家でしたが、「農業は儲からないからやめなさい」と祖母に諭されていました。佐々木氏は一度全く違う仕事に就いていましたが、東日本大震災で食の安全や日本の農業の大切さを見直したことも、この新たな農業のシステムを始めようということのきっかけになりました。まずは自分が農家を継ぎ、自分の農園をこの事業の実験台に。クラウドファンディングで資金を集め、ウェブサイトで「蕪(株)券」を販売したところ、蕪主は予定数を達成することができました。
山形県山形市美味しい「蕪主総会」。農家とつながることが喜ばれる。
「蕪(株)券」の金額によって届く内容や回数が異なり、定額以上の蕪を買った人には定期的に野菜が届きます。山形赤根ほうれんそうや、甚五右ヱ門芋、肘折かぶなど、どれも都会では手に入らない在来種・無農薬野菜です。届いた人からは「こんな野菜見たことがない」「味が濃くて美味しい」「野菜ってこんな味がするんですね」といった喜びの声ばかり。野菜の定期便だけでなく、東京で「蕪主総会」と称してバーベキューや芋煮会を開くなど交流会も開催しています。
野菜を買うことで、会社も出身も関係ないオーナー同士のつながりも生まれます。蕪主からは、野菜そのものへの感想はもちろんですが、「生産者との関係づくりができることが楽しい」という声も多いそうです。都会の消費者は顔の見えない「食」よりも、作った人の体温が感じられる食べ物を求めているー。佐々木氏自身もそのことを強く認識したといいます。
山形県山形市まず自分で食べたかった、が原点。
今のところ『Farm Owner’s』の生産農家は佐々木氏だけで、今後他の農家と協働するなどの拡大予定はないそうです。その理由を聞くと「まず私が食べたかったんです、伝統野菜を」との答え。誰よりも地元に伝わる野菜を愛し、それを人に届けたいという純粋な想いが原点となっているのです。
「蕪(株)券」はあと数枠残っているそうなので、あなたもオーナーになってみては?
Data
Farm Owner’s
電話:090-7333-4771
営業時間:13:00〜18:00
休日:不定休
料金:蕪主(小)12000円の例
あなたの野菜のお届け便(小)16L(80サイズ)×4回分(7・8・9・10月まで毎月1回お届け)
http://farmowners.thebase.in/
写真提供:Farm Owner’s
日々
染め待ちの布藍色に染まってしまった伸子針が刺さってます
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一日中糊置きをしていると時が止まってしまったように感じる つまり 果てしなく 長いのです 笑
日々
一日中糊置きをしていると時が止まってしまったように感じる つまり 果てしなく 長いのです 笑
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「世界のベストレストラン50」13位。エンリケ・オルベラ氏のポップアップレストランへ。[マンダリン オリエンタル 東京/東京都中央区]
東京都中央区世界的メキシカンファインダイングが繰り広げた贅沢な4日間。
2018年6月、バスクにて発表されたばかりの「世界のベストレストラン50」。日本から17位『傳』、22位『NARISAWA』、41位『龍吟』の3店がラインクインしたことは記憶に新しいところでしょう。
今回、お届けする話題は、その「世界のベストレストラン50」において13位を獲得した『プジョル(Pujol)』のエンリケ・オルベラシェフによる日本初のイベントです。世界を代表するメキシカンファインダイニングの実力を堪能あれ!
伝統に培われた豊かな料理文化と、精緻な味わいの構成――メキシコの伝統料理は、ユネスコの「食の無形文化遺産」に、和食より3年早い2010年に登録されました。エンリケ・オルベラシェフは、そんなメキシコ料理の奥深さを世界中に知らしめたシェフの一人です。アメリカの有名な調理師科学校を卒業後、首都メキシコシティにファインダイニングレストラン『プジョル(Pujol)』を立ち上げたのは2000年のこと。以来、伝統をバージョンアップさせるその卓越したセンスに世界中のフーディー達が注目し、2011年以降は「世界のベストレストラン50」に毎年ランクイン。2018年6月には13位に選出されています(※)。現在はメキシコに多数(『Eno』など)、ニューヨークに2店(『Cosme』、『Atla』)のレストランを展開し、今年末から年始の予定でLAにも新店をオープンすることを発表。その人気はとどまることを知らないようです。
そのオルベラシェフを迎え、去る2018年5月15日(火)~18日(金)の4日間、『マンダリン オリエンタル 東京』において『プジョル』の期間限定ポップアップイベントが開催されました。大の日本好きで頻繁に来日するオルべラシェフですが、意外にもイベントは初体験。日本がはじめて体験した、メキシカンファインダイニングの世界をご紹介します。
※ラテンアメリカ版である「ラテンアメリカのベストレストラン50」のリストでは、2013年のスタート時からずっと一桁代の順位をキープ。
東京都中央区伝統的なメキシコ料理をガストロノミーに昇華させる。
イタリアなどと同様に、メキシコは各州によって特徴的な食文化を持つことで知られます。なかでもオルべラシェフがもっとも影響を受けた地域のひとつは、南部・オアハカ州。豊かな海と変化に富む地形を持ち、先住民の伝統文化が色濃く残る、また美食の地としてもよく知られるこの地方の食文化、そして他の様々な文化に感化され、現代(いま)の食べ手に寄りそうテクニックと洗練されたプレゼンテーションを掛け合わせた数々の料理を発表してきました。
たとえばスペシャリテの「熟成させたモーレ・マドレとモーレ・ヌエボ」(写真参照)。ピューレ状のモーレ(ソース)はオアハカ州の名物のひとつですが、プジョルでは甘く香ばしいアンチョなどの乾燥唐辛子、玉ねぎやトマト、ニンニク、ナッツなど50種以上の食材をじっくり煮込んだオリジナルのモーレを二種類重ねて提供しています。色の深いモーレ・マドレは食材を足しながら毎日火を入れ、味の深みを重ねたもので、1500日以上熟成させています。中心には作りたてを流し、二種類の味の対比を楽しませる趣向です。伝統に倣い、毎日キッチンでトウモロコシを挽いて粉にし、都度焼き上げる香り高いトルティーヤもこの皿には欠かせません。
「既存の料理や味わいに新たな価値を与え続けること――それが私の料理哲学なんです」と、オルベラシェフは説明します。
東京都中央区『プジョル』の味と、メキシコ×日本の融合の皿。
オルべラシェフが、初めて日本を訪れたのは2010年。それ以来毎年1~2回はプライベートで来日し、各地の料理を食べ歩いています。
「新鮮な食材が何より大切なこと、魚が食文化のなかでとても重要な位置にあること、酸味の使いかた、軽やかな食後感、、、日本料理はメキシコ、特に太平洋に面した地方の料理と似た点が多いと感じています。だからこそ日本が好きなのかもしれませんね。今回はそんな僕の思いを表現するためにも、肉を使わず魚と野菜だけでコースを構成しました」
今回提供されたコースは、デザート2皿を合わせて全9皿。このうち数皿は、食材も含めプジョルの味そのままを伝える料理です。先に紹介したモーレの皿をはじめ、「茄子のタコ オハ・サンタ ひよこ豆とクレソン」などもそのひとつ。逆に、メキシコ×日本を意識して作った皿も目立ちました。たとえば一皿目の「蕪 デコポン ワームソルト ハーブのワカモレ」では、オリジナルの料理に使うヒカマ(葛芋)をカブに、オレンジをデコポンに置き換え、またデザートの「プルケ酒と酒粕のソルベ 宮崎とメキシコのマンゴー」では両国の食材を巧みに組み合わせるなど、意識的に二つの文化を融合させるチャレンジも。
「これまでの来日機会では料理をする機会がなかったので、今回は本当に楽しかったですね。市場を歩いていろんな食材を試しました」
東京都中央区
常に進化を重ねるために。
マンダリン オリエンタル 東京は、2015年の『ノーマ Noma』(デンマーク・コペンハーゲン)に続いて、昨年は『ガガン Gaggan』(タイ・バンコク)のポップアップイベントを開催。今回の『プジョル』招聘にあたっては、総料理長であるダニエレ・カーソン氏の力が大きかったといいます。
「昨年、オルべラシェフがプライベートで東京を訪れていた際に会い、すっかり意気投合したんです。日本に本当のメキシコ料理を知る人は少ない。ならばぜひうちのホテルでポップアップレストランを、と話をさせていただきました」
それから1年弱、トウモロコシをはじめメキシコ食材の調達は本当に大変だったものの、ホテル側の大きな情熱で困難を乗り越え、今回のイベント開催が実現したのです。
「ダイバーシティ(多様性)」をテーマに掲げ、キッチンを含め積極的に様々な国籍のスタッフを招いてきた同ホテルにとって、世界の最前線のレストランと通じることはごく自然な流れなのでしょう。なかでも一流シェフを招聘するポップアップレストランは、とても意義あるイベントだとカーソン氏は言います。
「日本の料理文化はとても洗練されていて、食べ手の経験値も高い。そんな中で常に進化を重ねるためには、このような機会はとても大切です。レストランのスタッフにとって、世界の一流と接し、ともに働くことは、今後に向けた大きな学びになったと思います」
東京都中央区未知の食文化に通じる窓として。新しい味覚への道しるべとして。
今回、日本に初めて紹介されたメキシカンファインダイニングの世界。今回を体験したゲストが、メキシコの『プジョル』を訪れる日も遠くないかもしれません。未知の食文化に通じる窓として、新しい味覚への道しるべとして、このようなポップアップやコラボレーションなどのイベントが、世界中で大きな役割を果たすようになっているのを感じます。
インタビューの最後に、日本の若い料理人にメッセージはありますか、と聞いてみました。
「ミシュランで三ツ星を取るために、フランス料理でなければいけないという時代は終わりました。日本料理はもちろんですが、どんな料理分野であれ可能性を秘めています。若い料理人の方々には自分のルーツをまず確立し、そして多様性を受け入れるフレキシビリティを持っていただきたいですね」
Data
マンダリン オリエンタル 東京
住所:東京都中央区日本橋室町2-1-1 MAP
電話:03-3270-8800
http://www.mandarinoriental.co.jp/tokyo/
Text:HIROKO SASAKI
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繰り返される小さなサプライズが、やがて大きな満足に繋がる。[阿讃琴南/香川県仲多度郡]
香川県仲多度郡「小さなお得や満足を、これでもかと積み重ねる」。それがこの宿のおもてなし。
最初にお会いした時、支配人の山口氏は「不便な場所にあることが魅力」と笑いました。それは人里を離れることで、身の回りの小さなことに改めて目を向けることができるから。そしてこうも言いました。「不便ではあっても、不満はあってはいけない」。その言葉通り、2日間滞在してみて、確かに心地よい満足感に包まれました。その理由を振り返ってみると、随所に小さな驚きが、無数に隠されていたことに気づきます。ジェットコースターのような、インパクトある驚きではありません。ひとつひとつは、ほんの些細なサプライズ。その積み重ねが、やがて大きな満足に繋がるのです。
たとえば温泉から上がってみると、置かれた冷蔵ケースの横に「18時までアイスキャンディー無料」の文字。冷たいアイスキャンディーが、風呂上がりの火照った体に気持ちよく染み込みます。
客室には、話題のカプセル式コーヒーマシンが備えられていました。無論、こちらも無料。ソファやデッキでくつろぎながら、好きなだけコーヒーが楽しめる。これもまた、小さいけれど確かな満足です。
山歩きに出かけたければ、フロント横で登山靴や雨合羽などのグッズを無料で貸し出ししてくれるサービスも実施。この日は生憎の雨でしたが、夕食前にファミリー揃って登山を楽しむゲストも多いといいます。
21時からは囲炉裏ラウンジで、焼きマシュマロが振る舞われます。これだって温泉宿に必須というサービスではありません。「あればうれしい」という程度の小さなサプライズ。しかしそれが積み重なることで、やがて心は「うれしい」の思いに満たされていくのです。
小さな満足はそればかりではありません。館内用の車椅子はゆったりとした木製。クッションの利いた座面は、長く座っても疲れません。スモーキングエリアは、庭を臨む気持ちの良いガラス張りの一室。「もちろん喫煙をされる方も大切なお客様。気持ちよく過ごして頂きたいですから」と、近年の事情から隠されるように隅に追いやられていることが多い喫煙所を、できるだけ気持ちの良い空間に設えました。
あるいは里山ヒュッテのゲストには「坂道をお歩き頂くことになりますので」と、毎朝の牛乳が届けられます。また、ヒュッテは部屋に露天風呂がない代わりに、60分の貸切露天風呂無料利用が可能。小さな不満を大きな満足に変える心配りです。
香川県仲多度郡影でホテルを支える支配人は、生粋のホテルマンであり、“ホテルの便利屋さん”。
ゲストが積み重ねる小さな満足には、スタッフの存在も欠かせません。それを支える支配人の山口氏は、プロフェッショナルのホテルマン。新卒で『リーガロイヤルホテル』グループに入り、フランス料理部門のマネージャーも経験。その後は鉄道系ホテルブランドの開業にも携わり、ここ『阿讃琴南』の支配人に就任。ホテル一筋30年。黒子のようにゲストの影に控え、言葉にするより前にその要望を汲み取る、生粋のホテルマンです。
そのプロフェッショナルぶりは、日々の仕事を見ていると伝わります。たとえばある日の支配人はこんな感じ。
朝一番に出勤すると、まずは施設の点検も兼ねて館内すべてを歩いてまわります。次にレストランで朝食の手伝いをし、売店のチェックをし、それから書類仕事をした後、チェックアウトのお客様のお見送り。午後一番にミーティングで、その日のお客様の情報を共有し、続いて部屋のメンテナンスの対応。電球の交換程度なら、支配人自らがやってしまいます。そろそろお客様がやってくる頃。にこやかに出迎え、館内のを案内したら、お次は夕飯の準備。休む間もありません。
お客様からの質問や世間話によどみなく答えるのは「空き時間はすべて読書です」という実益を兼ねた趣味の賜物。フランス料理部門の経験を活かし、センス抜群のワインのラインナップも、すべて支配人のセレクトです。このホテルの申し子のような支配人の存在が、求心力となりスタッフ全員のモチベーションとなっているのです。そして満足感の高い滞在は、そんなスタッフのサービスにより支えられているのです。
香川県仲多度郡スタッフの多くは業界未経験。だから教えるのはルールではなく、おもてなしの心。
支配人だけではなく、他のスタッフたちも皆、気持ち良い滞在に欠かせぬ存在。しかも形式的ではなく、どこか温かみのある心のこもったサービスが印象に残ります。そんな点を支配人に尋ねると、予想外の言葉が返ってきました。
「実は当館のスタッフでホテル業界経験者は、私とマネージャーだけなんです」
そう、宿を支えるスタッフの多くは、2017年の開業にあたり新たに募集した方々。異業種からの転職や新社会人、外国人留学生の姿もあります。その全員が、それぞれ自覚を持って、心尽くしのサービスでもてなすのです。
「たとえばコーヒーをお出しする順番や、テーブルでどなたの前に伝票を置けば良いのか。これはホテルマンの経験から自然とわかることです。レディファーストや年功序列だけではない、勘のようなものも必要。教えてわかるものではありません」
そう話す支配人。ホテルのゲストは10人居れば10通りの接客が必要。それを身につけるためには、長い業界経験を要するというわけです。しかし宿はオープンしています。お客様は待ってはくれません。
「ですからマニュアルを覚える、という接客ではなく、より根本的な“おもてなしの気持ち”を共有することにしたのです」
つまりパターン化して機械的に対応するのではなく、ただ相手のことを思い、気持ちよく過ごしてもらうことを願う。それを形にしたサービスを徹底したというわけです。
宿の外観を撮影している間、雨の中、傘を持って待っていてくれたスタッフがいました。方言の残る言葉で、地元の歴史を教えてくれたスタッフもいました。「こうしなさい」と言われたサービスではなく、「こうしたら喜ぶだろう」と思うサービス。それがこの宿の魅力を形作っていることは疑いようもありません。
Data
阿讃琴南
住所: 〒766-0204 香川県仲多度郡まんのう町勝浦1 MAP
電話: 0877-84-2611
https://www.asankotonami.com/
その佇まいは絢爛ではなく、優雅。穏やかな木の香りに包まれる温泉宿。[阿讃琴南/香川県仲多度郡]
香川県仲多度郡激しい雨さえもプラスに変える、豊かな緑が茂る場所。
高松空港から車に乗って南へ。町並みはすぐに木々に取って代わり、まるで山の中に分け入って行く感覚になります。時間にすれば、わずか30分ばかり。それでも「遠くまで来た」という印象があるのは、この山景色の影響でしょうか。人の気配もまばらな山間。この辺鄙な場所に『阿讃琴南』はあります。
訪れたのは5月の初旬。天気は雨。それもしとしと煙るような雨ではなく、叩きつけるような激しい雨足です。天気は旅の印象を大きく左右するもの。この雨は宿にマイナスの印象を与えてしまうのか、それとも天気などものともしない魅力を、宿自体が備えているのか。やがて到着した『阿讃琴南』は、すぐさまその問いに答えてくれました。
「この季節の雨は、緑をいっそう輝かせます」
出迎えてくれた支配人の山口孝博氏は、そう言って笑いました。山懐に抱かれるように建つ宿。見れば周囲の緑は、雨に濡れて青々と輝いています。
「晴れには晴れの、雨には雨の良さがあります。そんな当たり前のことに気づけるのも、こんな山の中ならではでしょう」
この後、館内を歩くごとに雨景色の良さは何度も実感することになるのですが、第一印象で、雨の日ならではの瑞々しい緑が心に残ります。
香川県仲多度郡第一印象は「森」。穏やかな木の香りに包まれる空間。
「山道はたいへんだったでしょう? 不便な場所ですから」
支配人の山口氏は穏やかにそう尋ねます。聞けば近隣にはスーパーもコンビニもなく、病院が開くのも2日に一度。失礼ながら頷くと、山口氏は我が意を得たりとばかりに微笑みます。
「その不便さこそが、当館の魅力なんです」
技術が発展し、生活は便利になる一方の昨今。だからこそ少々の不便さが、身の回りのさまざまなことに改めて目を向けさせてくれる。やがて日常に戻ったとき、この場所の記憶がそれまでの意識に少しの変化を加えてくれる。だからこそ、辺鄙な場所にあることさえも、「この宿の魅力」と言い切れるのです。
もちろん、不便な場所であっても、不満はあってはいけません。この宿で過ごすごとに、その絶妙なさじ加減に唸らされます。まずは順を追ってみてみましょう。
自動ドアを抜けると、そこがロビー。正面には一年通して薪ストーブに火が入れられています。その温もりも含めて、最初の印象は「森」。木を多用したインテリア、大きな窓の外に見えるしっとり濡れた緑、そしてここに来るまでに抜けてきた山道の記憶。それらがすべて作用して、森のなかのロッジのような印象を抱かせるのでしょうか。森の空気さえ感じるような気持ち良い雰囲気にしばし浸ります。入り口右手にフロントがありますが、そこで記帳をする必要はありません。まずは左手のラウンジに腰を落ち着けて、お茶と甘味でひと息。部屋の説明や宿泊手続きも、ここで座ったまま済ませます。
案内を見ると館内には庭園、足湯、セレクトショップ、温泉、ビリヤードが置かれた娯楽室など、気になる場所がいろいろ。さっそく散策してみたいところですが、その前にまずは部屋に行って荷物をおろしましょう。部屋にもまた、多彩な魅力が詰まっています。
香川県仲多度郡ラグジュアリーな客室と、野趣あふれる露天風呂。
全28室の客室は、大別して本館内にある通常の客室と、独立型の里山ヒュッテの2タイプ。本館客室はゆったりと温泉を堪能できる専有露天風呂付きと、気軽に利用できるモデレート客室があります。設えは部屋により異なりますが、どの部屋も10畳以上の余裕があるスペースと、緑を臨む大きな窓は共通。さらにウッドテラスやモダンなソファなど、部屋ごとにくつろぎのスペースが設えられているのも特徴です。
「お部屋内にお気に入りの場所を作っていただきたい」
そんな思いの表れなのでしょう。
一方の里山ヒュッテは、本館横の坂道を辿った先、山の斜面に十分な間隔を取って点在するコテージ型の客室。2間続きの居室とウッドテラスで構成され、よりいっそう山に抱かれる気分が感じやすい場所です。ウッドテラスでくつろぎ、清流のせせらぎと鳥の声に耳を澄ます。宿泊者だけに許される、なんとも贅沢な時間の使い方です。
どの部屋もラグジュアリーで、いつまでもくつろいでいたくなりますが、ここは温泉宿。風呂も忘れてはなりません。河畔風呂「せせらぎ」に足を運んでみましょう。
まず印象的なのは、河畔風呂の名の通り、川沿いに作られた岩風呂。清流と滝を借景にした、野趣あふれる露天風呂です。隣にはタイル張りの露天風呂も。こちらには深さ100cmの深湯や寝湯などもあり、好みのスタイルで湯を満喫できます。湯船に満たされるのは無色無臭でありながらしっとりと肌に馴染むアルカリ泉。夏場で39度程度というぬるめの温度に保たれているのも、ゆったりくつろいでもらうための心配りです。
ダイジェストで見てきた館内。どこも正統派の温泉宿でありながら、どこかに人の“思いやり”が潜んでいます。できたばかりの近代的な施設でありながら、無機質にならず、ほっと安らげるのは、周囲を包む木々の息吹と、そんな心遣いの帰結なのでしょう。
Data
阿讃琴南
住所: 〒766-0204 香川県仲多度郡まんのう町勝浦1 MAP
電話: 0877-84-2611
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舞台は山間の正統派温泉宿。滞在するほどにその魅力にはまる、小さなサプライズの連続。[阿讃琴南/香川県仲多度郡]
香川県仲多度郡OVERVIEW
高松空港から車で30分ほど。山道を抜けた先の静かな山間に『阿讃琴南(あさんことなみ)』はあります。決して便利な場所ではありませんが、そこには温泉があり、ラグジュアリーな客室があり、レストランがあり、カラオケを備えた娯楽室があり、そして豊かな自然があります。誤解を恐れずに言うならば、ここはお手本のような温泉宿。誰しもが想像する、いわば“スタンダード”な施設です。
ならばその魅力も想像の範囲内かと思えば、そうではありません。一見、普通と思える施設。しかし、やがてゲストは気づくのです。客室の家具ひとつ、コーヒーメーカーひとつとっても見えてくる、細やかな心配りとこだわり。そして何度も繰り返される小さなサプライズ。だから滞在するほどに、誰もがこの宿の魅力に惹かれていくのです。そして、その施設にさらなる魅力を添える、スタッフひとりひとりにまで浸透したおもてなしの心。それらに触れるうち、ゲストは再訪の思いを強くします。
普通だなんてとんでもない。想像した施設をすべて備え、さらにそこに素晴らしいサービスが加わる。『阿讃琴南』こそは、日本人の誰しもが「戻ってきたい」と思うような温泉宿の完成形なのです。
Data
阿讃琴南
住所: 〒766-0204 香川県仲多度郡まんのう町勝浦1 MAP
電話: 0877-84-2611
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素朴であっても地味ではない。京料理をベースに温泉旅館の発想を加えた、独自の里山料理。[阿讃琴南/香川県仲多度郡]
香川県仲多度郡料亭からキャリアを開始した腕利きの料理長。
「ゆったり楽しんでくれたらいいですよ。懐石料理じゃないですから」
料理長・石田健二氏は一見、いかにも“頑固一徹な料理人”という顔つき。恐る恐る話を聞くと、先の言葉が返ってきました。自身の料理を「素朴な里山料理」という石田氏。山に囲まれた近隣の食材は、たしかに素朴な印象。しかし料理自体は、華やかささえ感じさせる豪勢な品々。つまり食材と料理との間、技術や発想の部分に華やかさがあるのでしょう。だから料理の詳細を聞く前に、まずは料理長について尋ねてみました。
石田氏は昭和37年、淡路島生まれ。高校を卒業するとすぐに料理の世界に飛び込み、まずは京都の名料亭『下鴨茶寮』で修業を開始しました。そこから関西の店をいくつか経て、次に入ったのは兵庫県の塩田温泉にある名門旅館『夢乃井』。ここで温泉宿の料理を学び、技術の幅を広げてきたといいます。その後、淡路で名の知れた国際ホテルを経て『ホテルニュー淡路』グループに入社、2017年『阿讃琴南』の開業と同時に料理長に就任します。
京料理からスタートし、旅館の懐石を学び、ホテルの厨房も経験。そんな道をたどってきたからこそ「今までやってきたことの応用であり、集大成」として、この里山料理が生みだされるのです。「魚は川魚。それに山菜や野菜。伊勢海老や雲丹を出すわけにいきませんからね。どうしても地味になってしまう。あとは工夫です」さらりと言ってのける石田氏ですが、その“工夫”の数々には、きっと誰もが驚かされることでしょう。
香川県仲多度郡味の基本は香川の食材に共通する、透明感ある脂。
「香川はオリーブの産地ですから、油の質が高いんです」
それが石田氏の、地元食材への印象。オリーブオイルはもちろん、オリーブで育てる豚やコーチン、サーモンも、脂の質が良くなっているのだといいます。そしてその透明感あるおいしさが、里山料理に輝きを加えます。たとえば美しく盛られた前菜には、オリーブオイルで焼いた油揚げに鯛味噌をのせたカナッペ風の一品も見られます。あるいはスモークサーモンは、上質な燻香のなかから爽やかな旨みが立ち上がります。見た目の華やかさ以上に、複雑で重層的な味わいが広がります。
山から切り出してきた竹筒で焼き上げるオリーブ豚の竹筒焼きも印象的な一皿。ほのかに移る竹の香りが、オリーブ豚のピュアな脂をいっそう爽やかな味わいに仕上げます。一方、オリーブ牛は、石焼きに。遠赤効果でじっくりと火を通し内部の脂を溶かし出すことで、こちらは噛むごとに溢れる旨みの印象が先立ちます。素材を知り、それを活かす術を知る料理長ならではの技。これを「工夫」の一言で済ませてしまうあたりにも、料理人としての矜持が垣間見えます。
香川県仲多度郡メイン料理は夏でも鍋。和食料理人の粋を集めた技アリのスープが光る。
メイン料理は一年通して鍋。これも「夕食のひとときを、賑やかで楽しい時間に」という心遣いです。取材時は、コラーゲン豆乳鍋。鶏白湯と豆乳を合わせ、香川の白味噌で味を調えたスープで、讃岐コーチンや地元の野菜を味わいます。
特筆すべきは、30リットルが半分になるまで炊くというこのスープ。口に含んだ瞬間に濃厚なパンチがあるわけではないのですが、そこからじわりと旨みが広がり、長い余韻を残す。出汁という和食の基本を知る料理長だからこそ、素材が鶏に変わってもその魅力を引き出す術を知るのでしょう。「塩分ではなく、旨みでインパクトを生む」という信念も、このスープに込められているようです。ちなみに他の季節には胡麻ポン酢鍋、すき焼き、酒粕鍋などが登場するとか。この料理長のことですから、きっとその名前以上のインパクトを持つ鍋となっていることでしょう。
コースの終盤、鍋と共に登場するご飯も印象深い一品。使用するのは地元で採れた琴南米。標高が高い場所で育てられるため虫がつきにくく、結果、低農薬で栽培できるという安心の米。これをゲストの食事のタイミングに合わせて釜で炊き上げます。その艷やかな見た目通り、ふっくらとした食感と上質な甘みがあるこのご飯、コースのなかの隠れた主役とさえいえそうです。
山里の幸をふんだんに使い、そこにひと手間、ひと工夫を加えることで華やかに仕立てた全10品の膳。随所に潜む心遣いに、最初に「ただ楽しめばいい」といった料理長の真意が改めて見えてくるようです。宿の食事は、団欒の時間でもある。そんな事実を再確認させてくれる心尽くしの品々でした。
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和蔵
こんにちは
今日は和蔵の紹介をしていきますっ
和蔵は倉敷デニムストリートでしか買えない限定商品となっております!
倉敷と言えば美観地区!美観地区と言えば白壁!
なので和蔵は白壁をモチーフに作られているのでジーンズにはちょっと珍しい白色の糸で縫製されております。
内側にも白壁の柄もあるので思い出・記念にもなりますね!
シルエットはレギュラーストレート(細すぎず太すぎずなシルエット)とスリム(細身)の二種類ございます!
まずはレギュラーストレート
レギュラーは、昔ながらのスタンダード!
真っ直ぐなシルエットでどんなスタイルにも合わせやすいジーンズです!
オールマイティなのでカジュアルからオールディーズに何でもok!!
続いてはスリムストレート
スリムは裾に向かって細くなっているタイプで、バックポケットも細くなっており
表はシンプルに仕上げ内側にこだわりが詰まったジーンズ
細身のジーンズなのでジャケットなどタイトな着こなしに合わせやすいのが特徴です!
他にもデニムストリート限定の茶色の糸バージョンもございます!
こちら!
こちらは14ozのレギャラーとスリムタイプ
こちらは15ozのワイドなシルエットタイプ
だいぶワイドでゆったり楽に穿けて股上も深めなので穿きやすいシルエットです!
こちらは姉妹店の軽井沢デニムストリートでもございますが、
デニムストリート限定になりますので倉敷デニムストリートと軽井沢デニムストリートでしか買えないので
これまたレアな商品になります!!
※白色の糸タイプ・茶色の糸タイプ両方とも一回洗い済みのワンウォッシュとなります。
倉敷にお越しの際はぜひ穿いて試してみてくださいね
1300年の時を経た神仏習合発祥の地を舞台にした幻の野外レストラン。ドキュメンタリー番組「奇跡の晩餐」6/30(土)ついに放送。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市『LEXUS presents 奇跡の晩餐 ダイニングアウト物語 ~大分 国東篇~』6/30(土)放送。
大分県国東市で開催された『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』(2018年5月26-27開催)の準備段階から密着したドキュメンタリー番組『LEXUS presents 奇跡の晩餐 ダイニングアウト物語 ~大分 国東篇~』が6/30(土)21時からBS-JAPANで放送されます。
▶『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』の開催模様はこちらから
番組では『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』の準備段階から密着した至極のドキュメンタリーをお楽しみ頂けます。
今回の『DINING OUT』の舞台は山岳信仰と神仏習合の地として知られる大分県国東半島です。
両子山という岩山を中心に6つの山稜に分かれた国東半島には、総称して「六郷満山」と呼ばれる無数の寺院が点在。日本古来の宗教観である神仏習合もこの地で生まれたといわれ、土地に根付いた山岳信仰と混淆し、この地独自の六郷満山文化として発展しました。目を奪う奇岩が聳え、寺社の山門には苔むした石造仁王像が立つ。その静謐で神秘的な空気は、宗教という枠組みを抜きにしても、誰しもの心に響くことでしょう。
そんな印象的な空気感を伝えるべく、今回設定されたテーマは『ROCK SANCTUARY―異界との対話』。耳に沁みるような静寂の裏に、ふと感じられる人知を超えた何者かの存在。それは近現代の神仏のように、明確なイメージを伴うものではなく、より得体の知れない何か。その何者かに問いかけているのか、それとも自分自身に語りかけているのか。この半島に足を踏み入れた人は、きっとそんな思いにとらわれるに違いありません。そしてそんな独特な空気感を、『ROCK SANCTUARY(岩の聖地)』という言葉に込めたのです。
捉えどころのない、この難しいテーマに挑んだのは中華料理人の川田智也シェフ。「和魂漢才」をポリシーに掲げ、中華料理の大胆さに、日本料理の精緻さ、滋味深さを加え独自の料理を生み出す気鋭のシェフ。その実力は、2017年に開いた『茶禅華』が、オープンわずか9ヶ月でミシュラン2つ星を獲得したことからも明らかです。
そしてホスト役は、「世界のベストレストラン50」の日本評議委員長を務める中村孝則氏が務めました。今回で6度目となる『DINING OUT』に出演した経験と、多岐にわたる深い知識で、国東らしい不思議な体験へとゲストを誘ってくれました。
番組では、川田シェフが出会った個性豊かな地元の生産者や国東の食材に心動かされる様子や、1300年の歴史ある山岳宗教「六郷満山」の文化から大きなインスピレーションを受け誕生した今回の『DINING OUT』メニューが完成するまでのバックストーリーに迫ります。
突如出現した幻の野外レストランがオープンするまでに完全密着し、その模様を余すところなくお届けします。あの奇跡の晩餐がドキュメンタリー番組として蘇ります。
▶番組の詳細はこちらから
Data
BS-JAPAN『LEXUS presents 奇跡の晩餐 ダイニングアウト物語 ~大分 国東篇~』
放送日時:6月30日(土)21:00~
番組ホームページ:http://www.bs-j.co.jp/official/diningout11/
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自由気ままに絶景ステイ。十勝の雄大な自然を満喫。[KOYA.lab/ 北海道中川郡]
北海道中川郡フリーな滞在スタイルと特別な体験を叶える。
「自然の中でアウトドアを存分に楽しみたい!」「でも、日ごろの疲れを癒してリフレッシュしたいから快適な設備が欲しいし、土地勘の無い場所でいきなりキャンプはしたくない…」。そんな現代人ならではの贅沢な悩みに、至れり尽くせりで応えてくれる滞在スタイルがあります。
北海道の本別町を拠点に展開するタイニーハウスレンタルの『KOYA.lab』。十勝平野の絶景の中に設置された「移動式の家」の中には、キッチン・シャワー・冷蔵庫・空気清浄器・ウォッシュレット付きトイレなどが完備。寝具や洗面用具などのアメニティも充実しており、最低限の荷物で思い立ったときにアウトドア体験ができます。
北海道中川郡バラエティ豊かな4ヶ所の絶景スポットで、個性豊かなアクティビティを満喫。
このタイニーハウスの魅力は、大掛かりなアウトドア用品を揃える必要もなく、苦労して持ち運ぶ必要もなく、気軽にアウトドアステイを楽しめることです。さらに、車で運べる“モバイルハウス”なので設置場所も自由自在です。
タイニーハウスをプロデュースする『KOYA.lab』がおすすめするのは、抜群の景観を誇る4つのビューポイント。まずは小高い山の上から足寄町市街と雌阿寒岳を一望できる『本別町新明台』。次に、管理の行き届いた芝生と森林に囲まれて、お子様用の遊具も充実している『本別公園』。そして、「日本一星が綺麗に見える」と名高い『陸別銀河の森』。最後に、広大な畑の中で“ばんえい競馬”の競走馬だった“ばん馬アズキ”と触れ合える『アズキとコムギ牧場』です。
いずれも個性豊かなアクティビティを兼ね備えた、厳選スポットです。
北海道中川郡料理もアクティビティも手ぶらでOK!
さらに『KOYA.lab』では、料理やアクティビティも手ぶらで楽しめます。
北海道ならではの豊かな食材を味わえるバーベキューや、名物のスープカレーや、ジビエの鹿肉料理などなど。食材のデリバリーからテーブルや椅子のセッティングに至るまでスタッフが行なってくれます。「焼く」「味わう」といったアウトドア料理の醍醐味だけを楽しんだ後は、後片付けもスタッフにおまかせ。まさに楽々ステイのアウトドア体験です。
また、十勝の広大なロケーションを堪能できるツアーも2種類用意。マウンテンバイクのレンタル付きの“サイクルツーリング”と、滞在箇所の周辺を巡れる“ウォーキングツアー”は、ぜひオプションで楽しみたいものです。さらに、これらのオプションの移動先を次の滞在地として、そこにタイニーハウスを移動してもらえるプラン『ちほくモビリティー』もおすすめです(※『ちほく地方』とは本別町・足寄町・陸別町の3町の総称)。
北海道中川郡十勝を愛する地元の青年と、十勝に惚れ込んで移住してきた青年が考案。
この『タイニーハウス』でのプランを考案したのは、地元の建設会社の4代目である岡崎慶太(おかざき・けいた)氏でした。
「本業の建設業が公共事業の浮き沈みなどで安定しない中で、社員やトラックなどの経営資源を生かして新たな事業を始められないだろうか、と模索していたんです。さらに、『生まれ育った十勝の素晴らしい自然を、訪れる人々に満喫して頂きたい』という想いもありました。しかし本別町には、観光客の方々が滞在できるようなホテルがありませんでした。かと言って、資金面、環境面などから新たなホテルの建設も難しかったんです。これらの課題を解決するために、『移動できる快適なモバイルハウス』の運用を思いつきました」と岡崎氏は語ります。
帯広信用金庫が主催する創業支援プログラム『とかち・イノベーション・プログラム』に参加していた岡崎氏は、そこで十勝の自然に魅せられて移住してきた、一級建築士の山本晃弘氏と知り合いました。自らの理想と山本氏のアイデアをぶつけ合ううちに岡崎氏に返ってきたのは、「それなら設計してみましょう」という山本氏の快諾。「建築技術で地域に貢献したい」と考えていた山本氏が、岡崎氏のかけがえのないパートナーとなってくれたのです。
北海道中川郡「滞在施設」は多くの仕事を生み出す。地域おこしも担う挑戦。
岡崎氏と山本氏が立ち上げた『KOYA.lab』は、タイニーハウスという斬新なアイデアを独占することなく、本別町全体の振興のために活用しています。
「もともと地域の商工会に所属していて、地域振興にまつわる課題に直面していたんです。青年部の若手達でイベント等を立ち上げても、そのほとんどが一過性で終わってしまって、継続性と集客力のあるプロジェクトになりきれていなかった。誰かが新たなアイデアを生み出して、皆のやる気を取り込めるプロジェクトを立ち上げないと――そう考えていたからこそ、このタイニーハウスを企画できたんです」と岡崎氏は語ります。
楽しく、珍しく、話題性も抜群のタイニーハウス。さらに、滞在にまつわる新たな仕事も生み出しつつあります。
「『滞在=人が暮らす』ためには、多くの人々の手を必要とします。まずは誰もが欠かせない食事をはじめとして、快適に過ごすためのライフラインや、クリーニングなどなど。多くの方面に仕事が生まれて、地元や周辺地域の業者にお金が落ちるようになります。タイニーハウス用のウッドデッキ製作も地元の工務店にお願いしたんですが、食材の用意やデリバリーは飲食店に、調理用のガスや衣服のクリーニングはそれぞれの業者に、といった風に連携の輪を広げています。一歩ずつの歩みではありますが、地域のお店の繁栄のための起爆剤になれれば。生まれ育った大好きな本別町に恩返しをして、訪れる人々にも本別町の良さを実感していただきたい。これが全ての動機です」と岡崎氏は熱く語ります。
北海道中川郡地域おこしのモデルプランとして、全国に広めていきたい。
現在は1台のみで運営している『タイニーハウス』ですが、将来的には台数を増やしていきたいそうです。
斬新なアイデアとビジネスモデルを、愛する地域と全国のために広めていきたい――岡崎氏と山本氏の志あふれる取り組みは、今後も堅実に展開していきます。
Data
KOYA.lab
電話:0156-30-4315
営業時間:9:00~18:00 (お問い合わせ時間帯)
休日:日曜
定員:4~5名(大人4名もしくは大人3名・子ども2名)
料金:
【早割22時間レンタル】プラン 40,000円
【道民割22時間レンタル】ベーシックプラン 40,000円
【22時間レンタル】ベーシックプラン 60,000円
https://www.koya-lab.com/
日々
織りネームも作ります♪ 晴れてきて良かった〜
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アートは、地域に「気付き」を与えてくれる。[BEPPU PROJECT/大分県別府市]
大分県別府市湯けむりの街、アートの街、別府。
「別府がアートの街になっている」。メディアでそう耳にしたり、実際に行ったりして、街のあちこちにアートやデザインが溶け込んでいる様子に触れたことがある人も多いと思います。
「アートの力で地域活性」が決まり文句となるずっと前から、別府ではアートの力で街を変えようという運動が起こっていました。今回は、そんなアートプロジェクトが生まれた背景と、そのユニークで斬新な発想の根幹となるものについて探ってみました。
大分県別府市年間を通して大小100ほどのプロジェクトを手がけるアートNPO。
2009年から2015年まで3回行われた別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」や、アーティストが暮らす「清島アパート」、古い建物のギャラリーやショップ、宿への利活用など、別府はここ10年ほどで「アートの息づく街」という印象が強まりました。
それらを手がけているのは、『BEPPU PROJECT』。2005年に発足し、アーティストでありアートプロデューサーの山出淳也氏が代表を務めるNPO法人です。
大分県別府市「その風景を見てみたい」という思いから始まった。
端的に言うとこのプロジェクトは「地域経済を活性化させよう!」という社会的意義よりも、「この作家が別府を舞台に作品を作ったらどうなるんだろう」という山出氏の個人的興味から生まれたものでした。しかし誤解してはいけないのは、山出氏はもともとキュレーター的な素質を持っており、日本人にはないグローバルな発想の持ち主だったということです。
1970年に大分で生まれ、「興味のあることはやってみなければ納得しない」という性格。高校時代からイベントを友人たちと開催し、横のつながりを広げていったといいます。そして美術の専門教育を受けたことがないのにもかかわらず、高校卒業後に自分で描いた絵の展覧会を開いたところ、20点ほどの作品が完売。それを元手にイギリスやイタリアに留学、その後は「台北ビエンナーレ」などの国際展に参加し、国から国へと飛び回って国際的なアートシーンの中で活躍していました。
大分県別府市別府には果てしない「伸びしろ」がある。
しかし2003年頃、自分の仕事のあり方を見つめ直そうとした時、ちょうどインターネットで別府についての記事を目にしました。それは、「別府のホテル経営者が個人宿泊者対象の路地裏散策ツアーを始めた」というもの。山出氏が小さい頃に両親に連れられて行った別府といえば、旅館は団体客でいっぱいで、浴衣を着たお客たちが浴衣姿で笑い、時には大声で歌い、賑々しく夜の温泉街を闊歩するイメージがあったそうです。その団体で成り立っていた別府が個人向けに視点を切り替えた背景には何かがあるはずー。
別府は戦災を免れたため街には趣深い建物や商店が数多く残り、古い路地のあちこちに公共温泉があります。また移住者や旅行者を日常的に受け入れてきた背景から、地元の人もよその人を優しく受け入れてくれる土壌がある場所。山出氏は別府という街そのものに限りない魅力と可能性があることを確信し、帰国を決意。別府で芸術祭を開くという目的で『BEPPU PROJECT』を立ち上げ、「混浴温泉世界」の実現に向けて動き出しました。
大分県別府市「芸術祭」とは街の課題を洗い出すためのもの。
1回目の「混浴温泉世界」はパスポートと地図を片手に温泉、港、商店街、神社などに点在するアート作品を巡る芸術祭でした。最初の計画では1回のみで終える予定でしたが、開催の準備過程で、街にある「課題」が次々に見えてきたと山出氏は話します。外国人対応や宿泊施設といった対観光客の問題から、人材育成、空き家、後継者不足といった暮らしにかかわる問題。
山出氏は芸術祭とは一度打ち上げて終わる花火ではなく、街の課題を解決しながら、インフラや暮らしをより良い方向へマネジメントしていく長期的なコンサル活動のようなものだと考えていました。
大分県別府市存続のために、終わりを決めていた。
「混浴温泉世界」は全国的に注目を浴びていたにも関わらず、3回目で終わることが決められていました。「大事なのは会期が終わった後なんです」と山出氏。『BEPPU PROJECT』が芸術祭と並行して手がけてきた事業は、空き家利活用やアーティストの活動支援、企業のブランディング、お土産商品の開発など多岐にわたります。別府では、芸術祭を通じて地域の課題を抽出し、会期終了後にその解決を図る事業を展開してきました。そして次の芸術祭でその成果を測るとともに、これまで行ってきた事業の発展や新たな課題の解決に向けてすべきことを見出すためのいわばマーケティングの場ととらえ、芸術祭を継続開催。芸術祭を継続することで、永続的な課題の解決を目指す。それが真の意味での「アートによる地域活性」といえるのかもしれません。またこの取り組みをモデルケースとして、別府以外の地域でも、「国東半島芸術祭」やトイレを舞台・テーマにした「おおいたトイレンナーレ2015」などアートイベントを展開してきました。
撮影:久保貴史(C)国東半島芸術祭 実行委員会
大分県別府市大家の遺志を継いだアーティストレジデンス。
芸術祭のコンテンツの一つが「継続的な地域プロジェクト」へとシフトした例もあります。それが、「清島アパート」です。「混浴温泉世界」のプログラムの1つとして、戦後すぐに建てられた元下宿アパートが若手アーティストによる滞在制作・展示空間に変身。この時の参加クリエイターの中から清島アパートでの居住・制作を継続したいと希望する人々が現れ、芸術祭終了後も清島アパートは続くことになりました。現在は6期目を迎え、画家や服作家、現代美術作家など新進気鋭の9組が居住。一般の人も参加できる展示会や交流イベントも開かれ、地域からは「身近にアートに触れられる場所」として親しまれています。芸術祭を通じてアーティストとの親交が深まっていた大家さんは、「アーティストの活動の場として維持してほしい」と『BEPPU PROJECT』にアパートの運営を委ねました。数年前に大家さんは亡くなりましたが、その遺志は今も受け継がれています。
大分県別府市「前例がない」はやらない理由にはならない。
何かのムーブメントを起こす人に共通しているのは、「社会を変えよう」という正義感よりも「自分が好きだからやりたい」という純粋な夢が原動力になっていることではないでしょうか。加えて、人並み以上の行動力。普通の人が「できない」「無理」と考える前に、まずやってみるという人が多いような気がします 。
「やれるかやれないかじゃなく、やるかやらないかが大事」と山出氏。次は別府で何が始まるのかー? プロジェクトのたびに洗練されていく別府を見て、私たちは「アートの力」の大きさを実感することでしょう。
Data
BEPPU PROJECT
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アイアンハート ビーニー コットン
待望のビーニー(コットン)が登場!
- アイアンハートでは久しぶりのビーニーキャップ
- ビーニーとはワッチキャップと同義で、ニット帽の一種です
- 春〜秋に最適なコットン100%で、程よいフィット感と通気性があります
- サマーニットとしても、コーディネートのアクセントにも使いやすいシンプルなデザインです
- また、丸めて携行してヘルメットを脱いで崩れた髪を隠すにも良いです
- 折り返したリブ部分にはアイアンハートのタグが付きます
- サイズ展開はフリーサイズのみとなります
- コットン100%の為、ご家庭でも洗えます
- 手もみ等で優しく洗い、平置きにて干してください。洗濯バサミ等で吊るすと伸びてしまいます。また乾燥機の使用も縮んでしまう可能性がありますのでお控え下さい
サイズ
- FREE(約:56cm〜62cm)
素材
- 綿 100%
アイアンハート ビーニー ウール
待望のビーニー(ウール)が登場!
- アイアンハートでは久しぶりのビーニーキャップ
- ビーニーとはワッチキャップと同義で、ニット帽の一種です
- 冬らしい肌触りのウール100%を使用していますので、防寒にはもちろん、コーディネートのアクセントにも使いやすいシンプルなデザインです
- また、丸めて携行してヘルメットを脱いで崩れた髪を隠すにも良いです
- 折り返したリブ部分にはアイアンハートのタグが付きます
- サイズ展開はフリーサイズのみとなります
- 洗う際はウール用の洗剤で、セーターと同じような扱いにて洗って下さい
- また、乾燥機の使用は縮んでしまう為お控え下さい
サイズ
- FREE(約:56cm〜62cm)
素材
- ウール 100%
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数百年続く窯元から、歴史を塗り替える斬新なプロダクトを創出。 [SUEKI CERAMICS/徳島県鳴門市]
徳島県鳴門市
徳島県の特産品である『藍染め』とともに発展した『大谷焼』の里、徳島県鳴門市大麻町。この地で最も古い歴史を持つ窯元『矢野陶苑』から誕生し、業界に新鮮な驚きを与えたのが、矢野実穂氏が率いる陶器ブランド『SUEKI CERAMICS』です。後編では、拠点とする大麻町やルーツである『大谷焼』の歴史から、矢野氏の経歴、ブランド誕生までの道のりをたどります。(前編はコチラ)
徳島県鳴門市徳島県の名産品・『藍染め』ともに発展した伝統工芸『大谷焼』。
徳島駅から電車で約20分。町中とは打って変わって、穏やかな田園風景の中に佇む阿波大谷駅を降りると、そこは『大谷焼』の里、鳴門市大麻町大谷です。この地で『大谷焼』が誕生したのは約230年前。徳島県の名産品として知られる『藍染め』の藍を発酵し、染料にするために使われる『藍甕(あいがめ)』をはじめ、醤油や酒を入れるための甕(かめ)、睡蓮鉢など、大型の陶器を得意とし発展してきました。
鉄分が多い大谷の土を使って作られる『大谷焼』は、ザラッとした風合いとかすかに金属のような光沢を感じさせる質感が特徴です。素朴な土の味わいを感じられる焼き物です。また、時代の流れに合わせて、ここ数十年は大型の甕(かめ)や睡蓮鉢だけではなく、湯呑みや茶碗など日常使いの食器やインテリア雑器など、より実用的な製品も多く作られています。
徳島県鳴門市紆余曲折を経て、陶芸の世界へと足を踏み入れた5代目夫婦。
『SUEKI CERAMICS』の生みの親である矢野氏の夫・耕市郎氏は、130年以上続く窯元『矢野陶苑』の5代目です。『大谷焼』の里では最も長く続く、歴史ある窯元で生まれ育ちました。しかし、高校卒業後は大阪の大学に進学。デザインや映像などを学び、そのまま大阪に残ってウェブデザイナーとして働いていました。その前には一時プロフェッショナルを目指し、ドラマーとして音楽活動も行っていたそうです。
それでも3年ほど経った頃から、やはり陶芸の方が向いているのではないかと思うようになった耕市郎氏。当時はウェブデザイナーといっても、職場はネットショップの経営をしている会社で、デザインよりはオペレーション作業を担当していました。毎日大量に届く注文メールをさばいて、商品を発注して……ということを繰り返しているうちに、ものづくりの道、中でも最も身近である陶芸の道への想いが募っていったのです。幼い頃から父親の姿を間近に見ながら、遊びの一環とはいえ本物の土を触り、人形や器を作ってきた経歴を考えると、とても自然な流れに思えます。
そうして今から9年前の2009年、耕市郎氏は妻の実穂氏と子供を連れてUターンしました。「私は兵庫県出身で、陶芸とは無縁の環境で育ちました。大学卒業後も全く関係ない職業に就いていたので、まさか徳島県に移住し、陶芸の道に進むことになるとは夢にも思いませんでしたね」と実穂氏は当時を振り返ります。
なお、耕市郎氏の父親である4代目は、『大谷焼』で初めて作家として成功した人物だそうです。人間国宝も所属する日本工芸会の四国支部の幹部を務めています。そんな父親が最も活躍した時期、耕市郎氏が小学生だった30~40年ほど前は、ちょうどバブルや陶芸ブームも重なったタイミングでした。時代の後押しもあって、『矢野陶苑』は順風満帆だったそうです。こうした良い時代のイメージが頭に残っていたこともあり、「さすがに当時ほどの勢いはなくても、ある程度なんとかなるだろう」と楽観的に考えていたといいます。
徳島県鳴門市作家ではなくメーカーとして、面白いプロダクトを生み出したい。
実家に舞い戻り、新たに仕事として陶芸に取り組むことになった耕市郎氏。父親の成功体験をイメージしながらのスタートだったものの、想像以上に厳しい産地の現状を目の当たりにし、すぐに当初の考えの甘さを痛感することになりました。『大谷焼』の窯元は、最盛期には町に数十軒も点在していたものの、残っているのはたったの7軒。「それぞれの窯元が、時代の流れ、消費者のニーズの変化に合わせて、大型の甕(かめ)や鉢ばかりではなく日常使いの食器なども手がけるようになってはいました。それでも、ずっと厳しい状況が続いていたんですよね。芸術品のひとつとして、この地までわざわざ買い求めに来てくださる方もどんどん減っていて。産地としての規模は年々縮小し、私たちが移り住んだ時にはまさに底辺。最盛期の約4分の1にまで落ち込んでいました」と実穂氏は話します。
そんな中、耕市郎氏はまず父親と同じく作家活動をスタート。東京での展示会の機会などにも恵まれましたが、徐々に自身の作家活動に疑問を抱き、プロダクトの製造へとシフトするようになりました。耕市郎氏は磁器で作った器など色々と試みますが、何を作ってもダメで、相手にされなかったといいます。「ショップ関係の方などには、『大谷焼』の方が良いと言われたようです。正直、皆さんは『大谷焼』なんて見たこともないはずなんですけどね(笑)。なんとなく『大谷焼』のストーリー性に惹かれるのか、そういう反応でした。それならばということで、大谷の土や徳島の青石を使ったものづくりを始めたところ、少しずつ目に留めてもらえるようになったんです」と実穂氏。
耕市郎氏が目指したのは、作家が作るアートと、メーカーが作るプロダクトの間を取ったような存在。作家の一点モノではなく、メーカーの大量生産品だけれど、既存のプロダクトとはちょっと違うものを生み出すことで、多くの人に使ってもらい、多くの人に影響を与えたい。そういった思いで、最初は自らろくろを回してプロダクトを作り、それを持って営業活動を行っていました。しかし、これでは量産できず商売にならないということで、ろくろではなくある程度の技術があれば、誰でも製作可能な型を使った製造方法に思い切って変えることに。『大谷焼』はろくろで作るものであり、その伝統から考えると邪道でしたが、大谷の土や徳島の青石を使うことで、地元の素材を生かしたストーリー性のあるものづくりとして認められるのではないかと、果敢に挑戦したのです。「とにかく当時の主人は、地元に戻ってきた以上、何かしら成し遂げなければ!と必死に試行錯誤していました」と実穂氏は語ります。
こうして、歴史ある窯元に身を置きながら、新しいスタイルのものづくりを模索。約2年という準備期間を経て、2012年に新たな陶器メーカーとして『SUEKI』を立ち上げ、『SUEKI CERAMICS』を生み出したのです。それから、作家のように自由な発想で、メーカーのようにきちんとした安定的なものづくりを行う『SUEKI』のプロダクトが注目を浴びるのに、そう時間はかかりませんでした。
徳島県鳴門市理想の実現を目指して、感覚ではなく理論立てて考え、着実に販路を拡大。
『SUEKI CERAMICS』の成功には、独自性溢れるプロダクト自体の魅力はもちろん、耕市郎氏によるブランディングや販売戦略によるところも大きいといえます。実穂氏曰く、「いわゆる業界のトップの方と仕事をすることで、認知度を拡大していきました」とのこと。例えば、ブランドを立ち上げて最初にアポイントメントを取った相手は、東京でハイセンスなインテリアショップやカフェを運営する企業『Landscape Products』の代表・中原慎一郎氏でした。中原氏は『SUEKI CERAMICS』のヒントになった『ヒースセラミックス』をいち早く扱っていたこともあり、耕市郎氏は「この人に認められれば間違いない!」という想いでアプローチをしていきました。すると、その3ヵ月後には、国内外の様々なブランドのPR業務を行う『alpha PR』代表のクリエイティブディレクター・南 貴之氏からコンタクトが。『SUEKI CERAMICS』のPRを手伝わせてほしいという逆オファーを受けました。そこから更に勢いは加速。一流のセレクトショップや飲食店などから、『SUEKI CERAMICS』を取り扱いたいというオファーが続々と寄せられ、現在にいたります。
元来、耕市郎氏は物事を理論立てて考えることが好きな性格だとか。パズルのピースをひとつずつ組み上げていくように、頭の中で思考を完全に整理してから、物事を進めていくタイプなのです。だからこそ、前述のとおり釉薬の研究も根気強く、地道に楽しみながら取り組めたというもの。そして、ブランド運営においても、どのように舵を切ればどのような発展が可能になるのか、じっくりと策を練り行動に移したことで、成功を収めたのです。「主人は、これを作りたい!というのではなく、どういうものづくりをすればどういった人に受け入れてもらえるのかということを考えて、プロダクトのラインナップや、一つひとつの製品の色や形といったデザインの設計、製造方法や販路拡大の計画を立てていました。だから、やっぱり作家ではなくメーカーですよね。メーカーだけど、自由でアート性の高いメーカー。その実現に向けて、スタートからゴールまで徹底的に、具体的に想定して実行に移していったんです」と実穂氏は話します。
徳島県鳴門市ブランド設立後初の大幅リニューアルを追い風に、更なる飛躍を。
試行錯誤の末に生まれ、順調に発展してきた『SUEKI CERAMICS』。その成功と高い人気を受けて、全国的にマットな質感の器を作るメーカーも増えたそうです。そしてもちろん、2018年5月のリニューアル後も勢いは留まるところを知らず、東京・日比谷にニューオープンした注目の商業施設『日比谷ミッドタウン』でも人気に。出店しているセレクトショップで販売されている他、飲食店でも使用する器の一部に採用されています。
実穂氏曰く、「『大谷焼』の窯元のうち、主人や私と同世代の若手が引き継いでいる所が4軒ほどあるのですが、皆さん地場産業的にしかやっていないんですよね。うちだけが唯一、毛色の違うことをやっているという状態」とのこと。その現実は、伝統を守りながら新しいことに挑戦するということがどれほど大変なのかを物語っているようです。それでも「これからも主人がつないできた縁を大切に、一流の方々と一流の仕事をしていきたいです。これまで培ってきた中に私らしさも加えながら、楽しく続けていきたいと思っています」と笑顔で話す実穂氏。『SUEKI CERAMICS』は、まだまだこれから新たな道を切り開いていくことでしょう。
Data
矢野陶苑/SUEKI CERAMICS
住所:〒779-0303 徳島県鳴門市大麻町大谷字久原71-1 MAP
電話: 088-660-2533
営業時間:9:00〜17:00
定休日:年末年始
http://sue-ki.com/
兵庫県出身。130年以上の歴史を持つ『大谷焼』の窯元、『矢野陶苑』の5代目・矢野耕市郎氏の妻となったことから、少しずつ作陶の道へ。当初は簡単なサポートのみだったが、2012年に耕市郎氏が『SUEKI CERAMICS』を立ち上げて以降、同ブランドの製造にも携わるようになった。そして2018年5月、耕市郎氏からブランド運営を継承。女性ならではの感性も加えながら、デザインから製造までトータルに携わり、新たなブランド構築を図っている。
日々
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日々
ベルロゴ シルバーピンズ
用途は無限大!アイアン初のシルバーピンズ
- アイアンハート初のシルバー925製ピンズです
- アイアンではお馴染みのベル柄をモチーフにし、周りを唐草模様で縁取っています
- 100円玉程度のほど良い大きさで、アクセントにはもってこいのサイズ感です
- コンチョ型の上にベル柄と唐草模様を乗せているので、とても立体的で高級感のあるピンズに仕上がっています
- 素材はシルバー925を使用、使っていくうちに表情の変化が楽しめます
- バッグ【 IHE-19 】、帽子【 IHG-077 】、ジャケット【 IHJ-46 】、ベスト【 9526V 】等に付けるのがオススメです
- ※力を入れすぎると針の部分が折れる可能性がありますのでご注意ください
素材
- シルバー925
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その彩りで巡りくる季節を里の人々に伝える、格調高い桜のクロニクル。[馬ノ墓の種蒔桜/福島県会津美里町]
福島県会津美里町ただ愛でられるだけではなく、農耕の日々の始まりを告げるために立つ桜。
果樹園と水田に囲まれるようにして立つ、幹回り6mのエドヒガンの大木です。樹齢は300年を超えるといい、桃や林檎の花が咲き誇る中、そうした果樹より頭ひとつもふたつも抜け出して紅色の花を開かせるその姿は、あたかも周囲の花々を従えた「春の王」のような風格を漂わせます。見頃は例年4月中旬から下旬で、近くの「馬ノ墓」の集落の人々が古くより、この力強い野生種の桜の開花を作物の種を蒔く時期の目安としていたことから、「種蒔桜」の名がついたといいます。観光客に広く知られるような存在ではなく、満開の時期に花見のために人々が押し寄せるということはありませんが、枝が地表付近まで伸びる見事な半球状の樹形を備えた「春の王」は、その花の気高い色合いをもって、会津の人々に農耕の日々が始まる時期を今日まで告げ続けてきたのです。
Data
馬ノ墓の種蒔桜
仏都・会津の光陰を見つめ続けてきた、古刹の境内を満たす静謐さ。[法用寺/福島県会津美里町]
福島県会津美里町穏やかな田園風景を一望できる高台に広がる、会津地方でも2番目に古い寺院。
『法用寺』は720(養老4)年に創建されたという寺伝を持つ会津屈指の古刹で、平安京を造営した桓武天皇の皇子である嵯峨天皇の祈願所でもあり、往時には多くの末寺を有して栄えたといいます。境内にあってひときわ目を引く三重塔は、初重から三重までの屋根の大きさの差が少ない均整のとれた姿が特徴。三重塔は、時代が下って1780(安永9) 年の建立ですが、会津地方ではこの『法用寺』以外では見ることができず、その意味でも貴重な存在です。三重塔に隣接した観音堂には、金剛力士像2躰と厨子(ずし)といういずれも国の重要文化財に指定されている寺宝が収められており、また境内に植えられている「虎の尾桜」は「会津五桜」のひとつにも数えられる名木です。境内の池の水面には、この田園の古刹を流れた時を映すかのように、今日も三重塔の影が静かに揺れています。
Data
法用寺
住所:福島県大沼郡会津美里町雀林字三番山下3554 MAP
小林紀晴 春の写真紀行「人知れず、花」。
久しぶりに浅草から列車に乗った。浅草に足を運ぶのは久しぶりのことだ。いつ以来だろうか。数年前の冬に一人の小説家のポートレイトを撮らせてもらうために訪れたのが最後だった気がする。その方が浅草在住だったからだ。
でも、初めて浅草に来た時のことはしっかりと憶えている。いまから32年前の春のことだ。わたしは18歳で、写真学校に入学して一ヶ月ほどしかたっていなかった。1986年5月。
入学した写真学校では報道写真部に入部したのだが、その部では伝統的に三社祭を撮影することになっていた。当時は東京の地理のことはほとんど知らないに等しかったのだが、それでも浅草という地名は知っていた。雷門の前に立ったときには少なからずの感慨があったし、脇を流れる隅田川にかかる橋の上、中央に立って川面の写真を撮ったことをよく憶えている。
記憶に刻まれていることがある。偶然、世界的に著名な写真家にばったり出会ったのだ。写真家の名はエド・ヴァン・デル・エルスケンという。オランダ出身の写真家で、若い頃にパリにやって来て、あやうさをともなった若者たちを撮影した「セーヌ左岸の恋」で一躍有名になった写真家だ。
そのエルスケンに早朝のファストフードの店内で出会った。浅草寺の境内で一夜を明かし、早朝「宮出し」と呼ばれる神輿が浅草神社から出る場面を撮影したあと、数人の先輩たちと近くのその店で朝食をとっていたら、エルスケンが入って来たのだ。先輩もわたしもカメラを持っていて、テーブルの上に投げ出していたからだろう、エルスケンから話しかけられたのだ。
ただ、先輩もわたしも、赤ら顔で長身の外国人が著名な写真家であるなどとは考えもしなかった。カメラを持った、日本好きの外国のおじいさん程度の認識だった。
有名な写真家だと知ったのは数日後、たまたまアパートでテレビを観ているとあの赤ら顔が写し出されたからだ。著名な写真家が来日しているというニュースだった。名前もそこで初めて知った。それからエルスケンについて調べて、彼のことを好きになった。
30代になってからドイツの田舎町まで彼の企画展に足を運んだこともある。エルスケンが亡くなったあとのことだが、あの日、浅草で出会っていなければ、わざわざ足を運んだりはしなかっただろう。
列車が駅のホームを離れ隅田川が窓の外に見えた。その流れにカメラを向けたあと、シートに身を任せているとそんなことが自然と思い出される。あの頃と変わらないことより、変わってしまったことのほうがどれほど多いのだろうか。あるいはその逆はどうなのだろうか。30数年という時間の流れについてぼんやりと考える。窓の外にはスカイツリー。
車窓を風景が流れていく。居眠りを誘う。土曜日の午前、車内には行楽へ向かうと思われる人たちの姿がいくつかある。
東京ではすでに桜が散った。今年は例年よりずっと早く、満開の頃がずいぶん遠い季節のように思える。すると果たして、私がこれから向かう地にその花は咲いているだろうかと不安になる。
奥へ奥へとわけいっていく。そんな感覚がやってくる。山の木々の多くはまだ芽吹いていない。春ではなく、まだ冬の続きにある。あたかも季節は逆行しているようで、そのことにホッとしている自分に気がつく。
地下のホームで列車は止まった。湯西川温泉駅。駅名を目にして、小さく声をあげそうになった。ああ、あの湯西川かと。
20代前半の頃、わたしは山を分け入った先、深い谷を越えたこの地に何度も車で通った。平家の落人伝説がある地なのだが、谷沿いの道をこわごわ運転しながら進んでいると、その伝説は十分にうなずけた。とにかく険しい谷あいを行くからだ。
親からお金を借りて買ったあの中古のカローラは、ずっと昔に売ってしまった。カメラマンとしてまだ駆け出しの頃のことで、湯西川のホテルや民宿のパンフレットを撮影する仕事だった。ただ、多くはカメラマンではなく、そのアシスタントとしてだった。
アジアへの長い旅から帰ってきたばかりの頃で、身体全体が弛緩しているような、時間もまた弛緩しているような感覚をおぼえる日々だった。また再びアジアへ旅に出たいという強い思いに突き動かされるたびにそれを必死に抑え、日本でどうにかカメラマンとしての基盤を築かなければと自分に言い聞かせた。職業としての写真というものに直面した頃ともいえる。
あの時に巡ったあの場所は、この地下ホームから上がったところにいまも本当に広がっているのだろうか。わたしは衝動的にここで列車を降りて、改札の向こうへ歩んでいきたい気持ちになった。
平家大祭という祭りがあって、それを撮影しに行ったこともある。慣れない中判カメラにボジフィルムを入れて撮影した。そのフィルムは露出を少し間違うと明るくなりすぎたり、暗くなりすぎたりして扱いが難しいのだが、デジタルカメラが主流になってからは、もはや使うこともほとんどなくなった。
ぼんやりと車窓に目をやる。流れゆくものたちが目の前を通りすぎてゆく。
見ることは不思議だと改めて思う。意識しなくても、いろんなものが目の前を過ぎるだけなのに「こと」になるからだ。それは能動的な行為だろうか。いや、やはりどこまでも受動的なものだろうか。
遠く、山の中腹にピンク色に染まった「何か」が見えた。目を凝らす。桜の花だった。それを合図とするように、桜の花が車窓の向こうにポツポツと広がり始めた。
わたしは思い出す、いや正確には思い出そうとする。遠い日の桜を……。
あれは小学3年生だったはずだ。わたしは父と母と祖父と姉と兄と、高遠(長野県伊那市高遠町)へ向かった。そのときのことはしっかりと憶えているのだが、肝心な内容は曖昧だ。何を食べたかとか、桜はどんなふうに咲いていたかとか……一切憶えていない。家族総出だという記憶も、もしかしたら残されたアルバムの中の写真をあとから見て、修正されたものかもしれない。
あの頃、祖父も祖母もまだ若かった。60代だろうか。父と母は30代だったはずだ。あの頃を家族の青春時代と呼べばいいのだろうか。3世代なのだから、そんな言葉が正しくないのは十分わかっているのだが、ふとそう呼びたくなる。この冬に13回忌を迎えた写真の中の父はいまのわたしよりずっと若く、青年のように映る。
高遠城址の桜。4月終わりのはずだ。家から峠をひとつ越えれば高遠だ。私の実家は古い宿場町にあって、子供の頃から親や学校の先生に何度も繰り返し、その地名を聞かされた。
「高遠の殿様が参勤交代で江戸へ行く時、ここを必ず通った」
誰もがまるで直接目にしたような口ぶりだった。
そんなこともあって高遠という場所には特別な思いがある。峠の向うの見はてぬ花園とでもいったような。徳川の直轄地だったから、特別な存在として誰もが語っていたのかもしれない。
高遠の殿様、保科正之が会津藩主となったことは子供の頃は知らなかったはずだが、あるときそれを知ってからは会津に親しみを抱くようになった。
高遠に花見へ行ったのはその時限りだと思う。それ以後の記憶はない。どうしてだろうかと考えるまでもなく、畑と田んぼの繁忙期と重なるからだと気がつく。実家には田んぼと畑があって、特に田おこしの時期にあたる。
ちなみに子供の頃、ゴールデンウイークにどこかへ連れて行ってもらったことはほとんどない。連れて行ってもらえるという発想すらなかった。野良の手伝いばかりしていた。
大内宿で高遠蕎麦に出会った。かすかに高遠とこの地が繋がって感じられ、遠い過去とか歴史の片鱗とかに触れた気がした。
この山深い地に何故、主要な街道(会津西街道)があったのか。不思議でならなかったのだが、今回改めて調べてみると会津藩、新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などと江戸を結ぶ重要な街道で、東北、新潟から江戸への物流と人の流れが盛んだった街道だったことがわかった。多くの藩が米どころであるのも特徴だ。それと会津と新潟が繋がっているとは思いもしなかったのだが、会津を流れる阿賀野川は太平洋に向かってではなく、新潟へ、つまり日本海へ向かって流れていることも今回初めて知り、ここが東北、新潟から江戸への人と物流の幹線だったことを理解した。多くの大名が参勤交代でここを通ったことを考えると、同時に政治の道でもあったはずだ。
この街道を整備したのは保科正之といわれている。保科正之は二代将軍秀忠の実子だが、母は正室でも側室でもない女性だといわれている。そんな事情から高遠藩に養子にやられ、若くして高遠藩主になった。わずか三万石の小さな藩へ送られたのは、そんな出生の事情が影響しているようだ。その後、26歳で最上山形の領主をへて会津藩の藩主となった。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の「白河・会津のみち」には保科正之が「もっとも重視したのは、風儀だった」とある。風儀とは文化、士度、精神的慣習をつくることで、その代表的なものとして「会津家訓(かきん)十五カ条」を作り上げた。
トンネルを抜けるたび桜の花が窓の外に増えていく。風景も次第に穏やかな里山のそれへと変わってゆく。列車は思い出したように小さな駅に停車する。ほとんど人影はない。どの駅前にも桜の木があって、人知れず花が揺れている。
ふと、なにか、ものたりない。東京では常に桜の下に誰かがいる。そのことに慣れすぎていたのだろうか。
わたしが父と娘を初めて一枚の写真におさめたのは桜の花の下だった。いまから13年前の4月の終わり、初めて娘をつれて信州へ帰省したときのことだ。満開を少しだけ過ぎたていた。
生まれて数ヶ月の娘を父が抱いている。それが最後の父と娘の写真となった。父はその直後、癌であることがわかり、約10ヶ月後、大雪が降る日にこの世を去ったからだ。娘を抱いた父を立たせた桜の木は山の麓、田んぼの脇で誰にも気づかれないようにひっそりあった。
南会津でいくつもの桜を訪ねた。会いに行くという感覚に近かった。そのなかに「馬ノ墓の種蒔桜」と呼ばれるものがあった。桃畑とリンゴ畑の先の巨木で、枝が八方へ地面につきそうなほどに伸びていた。その姿を神々しく感じた。
木の脇に小さな立て看板があり、「ここには昔、薬師堂があり、境内の桜が美しい桜を咲かせていた。周辺の人達は桜が丁度、稲の種蒔き時期に重なる事から、いつしかこの桜を『種蒔桜』と呼ぶようになった」と記されていた。樹齢は約400年ほどのようだ。
やはり、誰もいない。根元に小さな祠のようなものがあったが、花見をしている人の姿はない。ああ、ここも同じなのだと思う。父と娘を撮影したあの日のことが鮮明に甦る。
桃の花越しに咲く桜にカメラを向ける。夢幻(ゆめまぼろし)という言葉が浮かぶ。ふと自分がそんな世界にいるような錯覚をおぼえる。ほんの数ヶ月前、厳冬にこの地を訪ねたときに見た風景が信じられなくもなる。例年にない大雪で、屋根の雪下ろしをする姿はあちこちで見た。見渡す限りの雪が春になったら本当にとけるのだろうかと、心配になるほどに圧倒的だった。
ファインダーを覗き、シャターを押しながら思う。奇跡だと。
そんなふうに感じるのは長い冬を経たからだと気がつく。
寒さが厳しい地方では春になると、多くの花がほぼ同時に咲く。目の前で桜と桃とリンゴとタンポポ、さらに名も知らぬ花が同時に咲いている。それでいて目をつぶり、再び開けると、すべてが目の前から消えてなくなっていそうな、そんな儚さがある。どれもが風に揺れている。
今回の旅は、この場所に、こうして立つために来たのだと唐突に思う。何かがシンクロしたという実感を得た。
その夜、地ビールのお店へ向かった。この地で作られた「アニー」という名のそれを飲んだ。入り口のガラスドアの向こうは穏やかに暮れ、やがて闇に包まれた。誰もいない桜の木の下で、花見をしている気持ちになった。
(supported by 東武鉄道)
1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。
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地の利の悪さやリスクを受け入れ、鹿屋(かのや)という地で発信し続ける意味。[Araheam/鹿児島県鹿屋市]
鹿児島県鹿屋市鹿児島県の端っこで、エッジを利かせながらも地に足の付いた活動をする。
多肉植物や観葉植物、サボテンなどの多種多様なグリーンとともに、ライフスタイルの延長線上にある服やグッズなどをセレクトして取り扱う『Araheam(アラヘアム)』。
ショップのある場所は、鹿児島県鹿屋(かのや)市です。
と、聞いて、すぐにその地を思い描けたり特長を挙げられたりしたら、かなりの鹿児島ツウ。もしくは地元関係者ではないでしょうか。何しろここは、なかなかの地の利の悪さなのです。
鹿児島に2つある半島のうちのひとつ、大隅半島。その中央部に位置するのが鹿屋(かのや)市で、県内では3番目の人口規模を有する町といいます。しかし現実的なロケーションでいえば、鹿児島空港からは車で順調に走り続けても所要時間約1時間、鹿児島市内からはフェリーを乗り継いで約1時間30分と、県外から足を運ぶには結構な距離です。
周辺環境も、国道沿いにあるいくつかの大手チェーン店の他は、個人経営のお店は限られており、シャッターが下りている商店も少なくない場所です。
「ここで店をやることは、リスクだらけですよ」と語るのは、前原宅二郎氏。『Araheam(アラヘアム)』を、兄・良一郎氏とともに経営しています。
しかし、その言葉をそのまま受け取ると、なんだか厳しい環境下に身を置いているように思えるのですが、これがちょっと違うのです。なんというか、その環境を「ごく普通に」受け止めているだけ、という感じなのです。
躍起になって、ここから何かをやってやろうとか、仲間を集めて事を動かそうとか、そういうムードではないのが、妙に印象的です。
「昔はそういうのも、多少はあったんです。でも寄ってたかってこうしようと、その時だけ、見た目だけの考えで何かをしても、結局続かないんですよね。それよりも、地に足をつけて自分たちの店をしっかりやる。元気な店作りをすることが、一番の町おこしなんじゃないかなと思うようになったんです」と宅二郎氏は話します。
まずは、自分たちのできることをやっていく。けれどその実、とてもエッジが利いているのです。
それは宅二郎氏然り、扱うアイテムや漂うオーラ、空気感の全てに、通じるものがあります。
鹿児島県鹿屋市「お客さんが5分で帰る店」から、「住みたい」と思わせる店作りへ。
なんとも、気持ちがいい。
『Araheam(アラヘアム)』の中にいると、全身が深呼吸しているような感覚になります。店内をとりまく数々のグリーンの効果はもちろんですが、ぐるぐると店内を徘徊する楽しさや、立ち止まったりしゃがみ込んだり、目線を色々と動かせる楽しさに気付くのです。
「皆さんそう言ってくれますね。『住みたい』なんて言う人も。『住めませんよー』って言うんですが(笑)」と宅二郎氏。
でも実は、この店の前身である『Edge×Edge(エジエジ)』時代は、その真逆だったようで、「お客さんが5分で帰る店」だったとか。
現在は、元材木店の倉庫を改装した、かなり広い空間。天井高もたっぷりあるので、圧迫感はいっさいありません。店内にはコンテナが設置してあり、そこはギャラリースペースになっています。
「そのコンテナが、以前の『Edge×Edge(エジエジ)』だったんです。場所はここからすぐ近くの別の所にあったんですが、父親の会社で倉庫として使っていたものを、そのまま店舗にして。2009年に、兄と始めました。最初は植物とジュエリーという商品構成でスタートしたんですが、何しろ狭いでしょ。お客さんが入ってはくれるんだけど、居づらいのか、見たら帰る、買ったら帰る。ホントに5分。なんとかもう少し長く、店に居続けてほしくて」と、宅二郎氏は当時を振り返りながら話します。
そんな折、現在のこの倉庫が空き物件だったこともあり、2011年に移転。『Araheam(アラヘアム)』として心機一転、始動したといいます。
この広い倉庫に移ってからも、「5分で帰らせない」対策は続きます。店内に設けたコーヒーショップ『POT a cup of coffee』が、それです。
「極端な話、植物って別に普段なくてもいいものじゃないですか。でもコーヒーはごくごく日常的なものだし、せっかく広いのでコーヒーでも1杯、飲めるといいかな、と」と宅二郎氏。
そんな思いから設けたコーヒーショップは、今やご近所の喫茶店代わりの存在にもなり、遠方から来た人には、旅の途中の安息所にもなっています。
取材時、東京から来たゲストが、次の場所へ移動するためにタクシーを呼んでいたのですが、「車中で飲みます」と、コーヒーをテイクアウトしていました。そのコーヒーを飲みながら『Araheam(アラヘアム)』を思い出し、窓の外を流れる知らない町の景色を見る−−−−。そんな、1杯のコーヒーが、旅という非日常の思い出になるのも、なんだかいいなと思った瞬間です。
鹿児島県鹿屋市幼い頃からそばにあった植物の存在に、リアルな「いま」の気分の可能性を感じて。
前原兄弟がともにお店を始めるにいたったきっかけは、父親が経営する会社の存在だったそうです。その会社は、全国に植物を卸していて、園芸店も営んでいたといいます。それらの植物を入れる鉢や器も作っており、数でいえば1,000個単位でものを動かすような、いわゆる量販の業務を行っていたとか。
良一郎氏はアメリカ、宅二郎氏は中国とイギリスへの留学経験があり、帰国後それぞれ、父親の会社にて勤務。家業を継ぐことは、自然な流れだったのでしょうか。
「確かに、物心ついた時から植物に囲まれて生活していたので、グリーンは身近な存在でしたけど、まさか仕事にするとは思っていなかったですよ。何しろ小学生の時から手伝わされていたのが、イヤでイヤで。台風の時とか、外で育てている鉢物を保護するため、土砂降りの中で作業するんですが、もう大っ嫌いでしたもん(笑)」と宅二郎氏。
でも留学先から帰ってきたら、「なんか植物っていいな、面白いな」と思い始めたのだそうです。
父親の会社で扱うものは、大手量販店向けの「かわいい」ものが多かったとか。そうではなく、自分たちの家にも置きたいような、「かわいい」ではないものを扱いたくて、良一郎氏と独立したのだといいます。
確かに子供の頃から慣れ親しんできた植物ではありますが、もう少し違う目線で選べば、もっと今の自分たちのリアルに合ったグリーンライフを提案できる。そしてふたりの海外経験を生かした目線があれば、鹿屋(かのや)の地でも、 『Edge×Edge(エジエジ)』なことができるのではないか。そんな思いから、前原兄弟は動き始めたのです。
Data
Araheam
住所:鹿児島県鹿屋市札元1丁目24-7 MAP
電話:0994-45-5564
http://araheam.com/
リアルな鹿屋の「半歩先の日常」を、自ら楽しんで実践する。[Araheam/鹿児島県鹿屋市]
鹿児島県鹿屋市思いを形にするための、呪文のような店名。
すでに気付いている方もいるかと思いますが、『Araheam(アラヘアム)』という店名は、店主が考えた名前のトリックです。
「いやぁ、大学生の時、ミュージシャンのセバジュンが自分の名前を逆から読ませるNujabesっていうのを使っていて、めっちゃカッコいいと思って」と、店名の由来を明かしてくれた前原宅二郎氏。現在のお店のロゴマークも宅二郎氏がデザインしたものだといいます。「ものすごく書き直しました(笑)」と宅二郎氏。
名字を使った店名には、結果論かもしれないですが、重要な意味があったそうです。ここは、兄・良一郎氏と、弟・宅二郎氏のふたりのコンセプトがひとつになって、形となる場所。現在は更に父と、三男の弟さんも、『Araheam(アラヘアム)』には欠かせない存在になっています。
「自社農園があるんですが、その農園はもともと父が中心になって始めたことで、弟は現在その生産管理をしています。海外からの仕入れは、兄と僕のふたりで」と宅二郎氏は話します。
まさに前原ファミリーが、ひとつになるために用意されたかのような『Araheam(アラヘアム)』。言葉の力は大きいと常日頃から感じますが、まるで呪文のようなこの店名は、家族が一丸となって店に携わるための言霊だったのかもしれません。
鹿児島県鹿屋市またひとつ鹿屋(かのや)に、日々を少しだけ楽しくするお店が誕生。
基本的に今回のような取材対応は、宅二郎氏が担当。店頭に立っているのも、多くが宅二郎氏だといいます。そう聞くと、宅二郎氏が全面的にコンセプトから何からを考えているように思えますが、実際にはそうでもないのだとか。
「セレクト自体はふたりで一緒にやっていますが、どちらかといえば僕の方が保守的で、兄はもっと自由。野球のバッテリーでいったら兄がピッチャーで僕はキャッチャー。更に両親に置き換えると、兄が父、僕が母、という感じ。対照的な互いの性格がいい刺激にもなって、バランスがとれているんでしょうね」と宅二郎氏は話します。
ふたりが最初に手がけた『Edge×Edge(エジエジ)』は、商品構成が植物とジュエリーだったといいますが、ジュエリーを最初から展開したいと言っていたのは、良一郎氏の方だったとか。今のようにライフスタイル全般の提案であれば、そこにジュエリーがあるのも不思議ではないですが、植物ともう1アイテムを掛け合わせる時にジュエリーをイメージできるのは、確かに大胆かつ自由な発想です。
そしてその良一郎氏の温めていたプロジェクトが、また新たに動き始めるのだとか。
「今度は犬です。犬と飼い主のためのお店で、『Balmy Grooming & Supply』といいます。予約制のグルーミングと、オリジナルのグッズやオーガニックのフードなんかを扱っていく予定です。犬と飼い主が集えるお店になればいいなぁと思っています」と宅二郎氏は話してくれました。
こうやって、ふたりは自分たちの生まれた地・鹿屋(かのや)で、少しずつ、でも確実に、自分たちの「あったらいいな」を形にしています。
『Araheam』のことを考えていると、ロックバンド「くるり」の『ハイウェイ』という曲を思い出します。そこで描かれる旅に出る理由のように、前原兄弟の「鹿屋(かのや)でお店を出す理由」は、少なくともだいたい100個くらいあるのではないでしょうか。
それは、生きること、食べること、眠ること、嬉しいこと、悲しいこと……。その全ての日常の瞬間に寄り添う何か。生きていく上で、さり気ないけれどとても大切な何か。それを伝えたり、分かち合ったりできる場所を、持ちたいだけなのかもしれません。
「もっともっと洗練させたいんですよね」と語る宅二郎氏ですが、肩の力は、あまり入っていないように感じます。商売という意味では、人がたくさんいる所や都会でやっていたらどうなんだろうと、想像することはたまにあるといいます。でも、鹿屋(かのや)にいて、鹿屋(かのや)で何かを、続けていきたいと考えているそうです。
「自然と、ここだったので」と宅二郎氏。
鹿児島の端っこ、大隅半島の中央部で、今日も前原兄弟は「日々の素敵な何か」とともに、ゲストを待っています。
Data
Araheam
住所:住所:鹿児島県鹿屋市札元1丁目24-7 MAP
電話:0994-45-5564
http://araheam.com/
「人」とのつながりを大切にした、ストーリーを伝えたくなるものたち。[Araheam/鹿児島県鹿屋市]
鹿児島県鹿屋市羊の皮を被った狼のごとく、園芸店を装ったハイセンスな快適空間。
材木店の倉庫だったという広い店内には、入り口から奥まで所狭しと、大小様々な植物が置かれています。右手の部屋には衣類や雑貨、アクセサリーなどのライフスタイルまわりの商品が、左手には緑色に塗装されたコンテナがあり、ギャラリーになっています。更に奥にはコーヒーショップがあり、その脇には園芸雑貨をディスプレイした小さな温室があります。
店内に足を踏み入れた最初の印象は、ちょっと変わったグリーンショップかな?といった、取り立てて何かガツンとくる気配はない、さっぱりとしたもの。ところがそれらの緑の茂みの奥から、何やら素敵そうで面白そうなものが、じわじわ、続々と現れてくるのです。
極端な例え話をするなら、無人島で、まるで廃屋のような倉庫の中で、実はものすごく文化レベルの高い生活をしている民族を見つけてしまった! そんな感じです。
全体のレイアウトとしては一応カテゴリー分けされているのですが、植物に関しては細かなグルーピングはされておらず、どちらかといえば意外な位置に置かれているものが多いことに気付きます。
「農場とか生産者の所へ行くと、『おっ!』と目が合う植物があるんですよね。そういう時は、『こいつは店のどこに置いてやろうかな』って思います。これなんか、まさにそう」と、優に3mを超える高さの、シタシオンという植物を指差す前原 宅二郎氏。シタシオンはベンジャミンという植物の一種ですが、ベンジャミンの「可もなく不可もなく」という顔つきとは違い、そのシタシオンは「自由」なオーラが幹全体から漂っていました。
「家の中で、ものを見上げる機会ってあまりないでしょう? そういうのも提案できたらいいなと思って。ちなみにこれは、鹿児島生まれです」と宅二郎氏は言います。
日常の視点を変える。それだけで、日々新しい何かが生まれることを、気付かせてくれるのです。
鹿児島県鹿屋市全てのもののバックグラウンドストーリーを伝えたい。
宅二郎氏は、先に挙げたシタシオン同様、他の植物の出自も、「どこ生まれとか、どこ育ちとかだけでなく、どんな人が育てたかということも伝えますね。『これはものすごく几帳面な人が育てている』とか、『若いヤンキーみたいな人で(笑)』とか、『おじいちゃんが育てているんですよ』とかね。うちの店に置いているものは、どれも一つひとつストーリーがあるんです。何を取っても、“人”の話になりますね」と説明してくれます。
服や小物もそうです。例えば、『MULTIVERSE』というブランドは、デザインからパターン、縫製まで全てひとりで行っている、鹿児島を拠点に活動する女性デザイナーの洋服です。シンプルなのですが、手仕事の良さや丁寧さが伝わるそれらの洋服は、宅二郎氏が伝えたくなる「ストーリーを持つもの」の代表だとか。
「嬉しいのは、初めから僕が、この服はなんだと話す前に、お客さんがそれに気付いてくれること。オーラや佇まいなんでしょうね。数ある中でもすっと手が伸びるものって、必ず伝えたいことがある何か、なんだと思います。だから話し出すとついこっちも熱くなっちゃって」と宅二郎氏。
洋服を扱い始めた当時は、全国的にも知られた、わりと大手のブランドものが中心だったといいます。鹿屋(かのや)という地では珍しくても、ちょっと足を延ばせば手に入るものでした。でもだんだんと、ミニマムなものに絞り込まれていったのは、「話が盛り上がらない」からだそうです。お客さんがわざわざ足を運び、求めているのは、『Araheam(アラヘアム)』にしかない何か、そしてここでしか過ごせない時間だった、と宅二郎氏は気付いたのです。
また、コンテナで展開するギャラリーの作家は、展示をするまでに、必ず何かしらつながりがあるとか、長く付き合いのある人だといいます。どこかで目にした作品というだけで、展示のオファーをするのではなく、きちんと「人」付き合いがあった上で情報発信を行っているそうです。
「国内の作家も海外の作家も、僕と兄の今までの付き合いやつながりが、ここでの情報発信になっています。販売する商品も、ギャラリーの作品も、僕ら2人の出会いの形なんです」と宅二郎氏は話します。
Data
Araheam
住所:鹿児島県鹿屋市札元1丁目24-7 MAP
電話:0994-45-5564
http://araheam.com/
グリーンとライフスタイルグッズ、コーヒーショップとギャラリー。日常と非日常を、同じ目線で気持ち良く提案する。[Araheam/鹿児島県鹿屋市]
鹿児島県鹿屋市OVERVIEW
鹿児島県の大隅半島中央部・鹿屋(かのや)市に、グリーン好きの間では全国的に著名なショップがあります。前原良一郎氏、宅二郎氏の兄弟が営む『Araheam(アラヘアム)』です。
こちらは、多肉植物や観葉植物など様々な植物の販売を中心に、二人の目線で選んだライフスタイルまわりのものと、「あったらいいよね」という遊び心を感じさせるライフスタイルアイテムを取り扱っています。
また店内には、コーヒーショップとギャラリーもあり、日常と少しだけ非日常が混在しているのも面白いところです。
実際に足を運ぶとわかるのですが、ショップのある場所の周辺は本当に静かなもの。個人経営のお店としては、かろうじて飲食店がいくつかありますが、散歩がてらに他に寄り道できそうな場所は、あまり見当たらないのです。
そんな中、悪目立ちすることは決してない佇まいながら(むしろ町と同化するように溶け込んでいるといった方が正しい)、一度足を運ぶと、空間全体に広がる気持ち良く感度の高いオーラに、心を掴まれてしまいます。植物、衣類、雑貨、ギャラリーにコーヒーショップと、様々なものに囲まれているのに、何ひとつ違和感なく同居し合って、『Araheam(アラヘアム)』という空間を生み出しているのです。
ハイセンスなのに、それをグイグイ押してくるところがまるでないこの不思議な空気感は、弟の宅二郎氏と話をしていても同じように伝わってきました。
店内にひしめくグリーンがそうさせるのか、のほほんとした、ある意味時空を曲げるその「抜け感」は、全身の毛穴を開かせる、極上のミストスパのようでもあるのです。
Data
Araheam
住所:鹿児島県鹿屋市札元1丁目24-7 MAP
電話:0994-45-5564
http://araheam.com/
日々
先日の空月と星の微妙な距離が 近そうで、遠い❔ 遠そうで、近い❔ しかし、綺麗だなぁ
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日々
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ヒッコリーショートパンツ【メンズ館】
こんにちは
晴れたと思えば雨が降ったり、、、
雨が降って傘をさした瞬間やんだり、、、、
(ちなみに今は降っています)
梅雨が明けると
ミーンミーンと焼けるような夏がすぐにやってくるわけですが
そんな時期にメンズ館からオススメするのは、、、
大人気児島ジーンズのショートパンツです
アメカジ定番インディゴデニムとヒッコリーを組み合わせたデザインのショートパンツ
シンプルなサイドライン切替デザインだったり、、、
インディゴに内股の部分がデニムの切替デザインのもの、、、
ピンクやイエローのヒッコリーだったり、、、
個性的なデザインからシンプルなデザインまで6種類ほど置いています
シンプルなTシャツと合わせるだけでオシャレに見えます
写真だけでは伝わらないと思うので
倉敷までお越しの際には是非お店にきて穿いてみてくださいね
お待ちしております
俗世から隔絶されたアンコールワットを思わせる山城。[岡城/大分県竹田市]
大分県竹田市自然に溶け込んだワイルドな城跡。
大野川の支流、稲葉川と白滝川とに挟まれた舌状台地上に築かれた「岡城」。高さ数十メートルの断崖にそそり立つその姿は天然の要塞に守られた難攻不落の城だったことが伺えます。大分県竹田市に対談の仕事で招かれた際、詳しく調べずにわからないまま訪れ、真っ先に連れて行かれたのがこの「岡城」でした。周囲を山に囲まれており、城下町から離れたところに位置し、住民の気配もありません。その名の通り丘の上にあり、規模も大きい。これほど大きな城跡は見たことがありません。有名な「荒城の月」の発祥地であり、瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、この曲を発表したと言います。かつて日本にあった多くの城は、明治政府によって取り壊され、この「岡城」もそのひとつです。高さのある立派な石垣は残されていますが、草木に覆われており、自然に溶け込んだワイルドな佇まいは一種の遺跡のよう。まるでカンボジアのアンコールワットを思わせ、非常にロマンチックです。
大分県竹田市登城口に残されたキリシタンの遺物。
「岡城」の特徴のひとつが、丸くカーブのついた独特のかまぼこ石。城に登っていく登城口や石垣に水を逸らすために使われており、これがまた美しい。この「かまぼこ石」はキリシタンの墓碑とも言われており、ひょっとしたら、岡藩は藩主が中心となって藩ぐるみでキリシタン隠しをしたと推測されている。実に独特な形をしています。これほどの規模でありながら、兵庫県竹田城のように観光地化されすぎておらず、周囲の景色や自然と溶け込み、世間からも隔絶されている。その佇まいが何よりの魅力と言えるでしょう。最近では、街の復興に貢献している若いアーティストがこの岡城からインスピレーションを受けているそうで、毎日登っても飽きないと聞きました。私もその気持ちがわかります。写真写りが良く、雨の日も雪の日もいい。100景で紹介したい好きな場所のひとつです。
Data
岡城
住所:〒878-0013 大分県竹田市竹田2912 MAP
拝観時間:9:00〜17:00(年中無休)
https://www.city.taketa.oita.jp/okajou/
1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。
日々
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山が見守る土地で、山のような言葉と物語を紡ぐ。[みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ/山形県山形市]
山形県山形市山形は、可能性を秘めた土地。
東京ではなく、地方で行われる芸術祭。その魅力とは、「土地の自然や文化そのものも作品の一部となり得る」ということかもしれません。まさに、そんな地の利を生かしたアートの祭典が2014年から山形で開かれています。「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」。3回目が、9月の開幕に向けて始動しています。
山形県山形市東北芸術工科大学が開催する2年に1度の祭典。
山形市から蔵王方面にバスで20分。東に西蔵王高原と蔵王連峰を背負い、上桜田の斜面にそびえる切妻形のシンメトリーな建物は、「東北芸術工科大学」。1992年に開学し、現在は現代美術家でデザイナーの中山ダイスケ氏が学長を務める芸術大学です。「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」を主催するのはこの大学。2年に1回、現代アートをはじめ幅広いジャンルの作家を招いて、国の重要文化財「文翔館」をメイン会場に多彩なプログラムを展開します。
山形県山形市「山のようなもの」を、山のように。
3回目となる2018年のテーマは「山のような」。一見とらえどころのない、現代アートらしい漠然としたテーマですが、これには「東北の暮らしと地域文化への深い共感や鋭い洞察から、現在の山形を表す(=山のような)作品を提示する」「芸術祭の制作過程において、山形の過去・未来に光をあてる創造的なアイデアや協働をたくさん(=山のように)生み出していく」というメッセージが込められています。実はこのテーマは、荒井氏が15年前につくった物語『山のヨーナ』から生まれたもので、今回の芸術祭でも実際にヨーナのお店をはじめとする物語の世界が「文翔館」に登場します。
山形県山形市日本を代表するクリエイティヴが山形を舞台に表現。
芸術監督は山形出身で世界的に知られる絵本作家・荒井良二氏。総合プロデューサーは中山氏、プログラムディレクターは芸工大教授の宮本武典氏、キュレーターは東京の古書店『6次元』店主のナカムラクニオ氏……と、各界で活躍する面々が指揮を執り、出展・参加アーティストも作家のいしいしんじ氏、ライブパフォーマーの空気公団、トラフ建築設計事務所、音楽家の野村誠氏など、日本のみならず世界的に知られるクリエイター約40組が名を連ねます。「文翔館」のほか、若者が再生させた商店、丘の上のアトリエ群(大学キャンパス)を舞台として、作品展示やインスタレーション、映像、体験、ワークショップ、食など、五感やジャンルにとらわれない多彩なアートプロジェクトを展開します。
山形県山形市仕事を離れて本気で表現したら、どうなるか。
実はこの芸術祭には、少しマニアックな「もう一つの見どころ」が隠れています。それは、「作家が普段の仕事を離れて作りたいものを作ったらどうなるか」という遊び的な企みがもたらされていること。というのも、出展作家はほとんどがデザイナーや写真家、絵本作家などとして商業的にも活躍している第一人者。「その彼らが仕事としてのクライアントワークを離れて、あるテーマのもと、自由に作りたいものを作ったらどうなるか。その化学反応はかなり面白い」と中山氏は話します。
山形県山形市「食」を突き詰め、向き合った「ゆらぎのレシピ」。
例えば、ケータリングやフードコーディネートを行う「山フーズ」の小桧山聡子氏は、今回の芸術祭で、最上郡真室川町での食をめぐる取材を通して制作した「ゆらぎのレシピ」を展示。山での山菜採りや、地鶏を解体して焼くまでの様子など、狩猟や屠殺の現場を通して体験した印象を写真・映像・テキストで表現します。「都会にいると、『食べる』ことの生々しい部分と距離ができてしまう。この真室川で、食材と対峙した時に感じたことをリアルに伝えたい」(小桧山氏)。
山形県山形市文字のお化け、のようなものだってあると思う。
またタイポグラフィを中心としたグラフィックデザインなどで注目を集める大原大次郎氏は「もじばけ – Throw Motion – 」と称し、月山の雪原や庄内の砂浜を巡って描いた文字の軌跡を記録写真とモビールで再構成。「例えば消しゴムで字を消したら、消えた文字はどこへ行くんだろう?と不思議になって。消えずに残っている文字の想いみたいなものがあるんじゃないかと。『文字と自然の間』に見える風景、を表現しようと思いました」と制作背景を語ります。「クライアントのあるデザインの仕事では、意味のわかるものしか求められません。けれど、“意味と無意味”の間を追求してみたかった。この芸術祭は、自分の中のアートという分野において『やっておかなきゃいけないこと』をできる機会だと思っています」(大原氏)。
山形県山形市山のような包容力で、年齢もアート経験値も問わず楽しめるアートを。
もちろん、芸術祭では普段アートに関わりのない人も驚きや興味を持って楽しめるようなデジタルアート、ライブ、陶器市といったプログラムも充実。年齢を問わず楽しめるため、子供連れが多く訪れるそうです。「東京で開催したら物凄くたくさんの人が来ると思う。でも山形でやるからいいんです」と中山氏。さまざまなアーティストが山形の自然・文化への畏敬の思いやインスピレーションを形にし、観る人々が自分なりに解釈し、それぞれの物語を紡ぐ。そこに決まった形はありません。つまり「○○のようなもの」に見え、感じる。どのようなものに見えてもいい。それぞれの「ような」ものが、山のように生まれることを願って、この芸術祭は今年も山形で開催されようとしています。
Data
みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ
開催期間:2018年9月1日(土)~9月24日(月・祝)
*期間中の金・土・日・祝日のみ開催(9/1・2・7・8・9・14・15・16・17・21・22・23・24)
開催場所:文翔館(山形市旅籠町3-4-51)、東北芸術工科大学(山形市上桜田3-4-5)、とんがりビル、郁文堂書店、BOTA theater、gura、長門屋ひなた蔵・塗蔵、東北芸術工科大学キャンパス
料金:無料(一部イベントプログラムは有料)
主催:東北芸術工科大学 MAP
芸術監督:荒井良二
プログラムディレクター: 宮本武典
キュレーター:ナカムラクニオ、三瀬夏之介、宮本晶朗、森岡督行
アートディレクター:小板橋基希
総合プロデューサー:中山ダイスケ
電話:023-627-2091(東北芸術工科大学 山形ビエンナーレ事務局)
https://biennale.tuad.ac.jp/
写真提供:山形ビエンナーレ事務局
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飛騨でこそ、つくれる、伝えられるものがある。裏にあるのは限りない飛騨愛。 [岐阜県飛騨]
岐阜県自分たちが楽しむことが、飛騨の魅力を伝える早道。
インターネットが普及し、あらゆる情報やモノが簡単に手に入るようになった現代。どういった基準でモノやコトを選択すればよいのでしょうか。こんな時代だからこそ、確かなつくり手と伝え手に出会うことは、とても贅沢なことなのかもしれません。
地産地消にこだわるスイス人と日本人の夫婦、次世代につなげる農業を目指す牛飼い、民芸運動から暮らしの在り方や生き方のヒントを得た民芸品店の店主。飛騨という土地を選び、それぞれの観点や視点でこの土地でしかつくることのできないモノや思いを伝える3人に出会いました。
3者に共通するのは、自分たちがまずは楽しむことと、限りない地元愛。彼らの自分たちらしい仕事や暮らしが、飛騨をより魅力的なものにしています。
岐阜県偶然の出会いから導かれた飛騨が、定住の地になる。
飛騨高山にある商店街で、ミューズリーの専門店『トミィミューズリー』を営むスタインマン氏と尾橋美穂氏。ミューズリーはシリアルの一種。スタインマン氏のミューズリーはオーツ麦(オートミール)のみに、ドライフルーツやナッツなどを混ぜ合わせたものです。元々はスイス人の医師が考案した健康食品のひとつとして知られ、スイスでは朝ごはんの定番だそうです。
スイス人であるスタインマン氏が高山にやってきたのは約30年前。世界を旅している中で、のちに奥様となる美穂氏とオーストラリアで出会います。ふたりはたまたま知り合った日本人から奥飛騨にある宿を仕事先として紹介してもらい、迷うことなく飛騨へ。
「飛騨は自然があり、小さな町があり、四季があるところがスイスに似ている。実は軽い気持ちで来たけど、他に行こうという気持ちには一度もならなかった」とスタインマン氏。オーストラリアという自然豊かな地で出会ったふたりは、いつしか自然に寄り添う暮らしをしたいと夢見ていたのかもしれません。偶然の出会いから導かれた飛騨でしたが、この地に足を運び、定住するのは必然だったのかもしれません。
岐阜県飛騨に恩返しがしたい。その思いが新しいことへの活力に。
奥飛騨で1年ほど働いたのち高山に移ったスタインマン氏たちは、スイス料理の店を始めます。店は一度移転をしたものの26年続き、モーニングで提供していたミューズリーはとても人気だったそう。その後タイミングや縁が重なり、2017年、現在の場所にミューズリーの専門店をオープンしました。
ここ数年、ふたりは新しい試みを開始しています。ミューズリーの主材料であるオーツ麦の栽培を始めたのです。飛騨は冷涼でオーツ麦の栽培に適していることもありますが、りんごや糀など良い素材が多いので、自分たちで育てたオーツ麦と飛騨の材料を使って商品がつくれないかと思ったのです。さらに、「飛騨に恩返しがしたい」とふたりは話します。観光客は増えても、高山に住む人は減る一方。オーツ麦の栽培が広がり、それが高山の産業のひとつになればよいと思っているのです。
とはいっても、商品化は簡単ではありません。「栽培自体は難しいことではないのですが、脱穀や籾殻を外す方法が分からない。今はまだ手探りです」と美穂氏。言葉で表現するよりも、それはきっと大変なことに違いありません。でも、今まで過ごした30年間のように、自分たちらしいやり方を模索する姿は困難ではなく、どこか楽しげなのです。
岐阜県化学肥料を使っていてはダメだ。循環型農業が地域の未来をつくる。
昔から農業や畜産業が盛んな地域でも、近年は高齢化が進み耕作放棄地が目立っているのは事実。今回訪ねた『熊﨑牧場』がある下呂市萩原町も、例外ではありません。各地で次世代につなぐ農業の仕組みとして「集落営農組織」が立ち上がって久しいですが、「この地域でも去年から集落営農が立ち上がった」と、牧場主の熊﨑光夫氏は話します。
熊﨑氏が発起人として立ち上げた「南ひだ羽根ファーム」。何よりこだわったのが、化学肥料を一切使わずに有機で作物をつくること。化学肥料を使うと一旦は収穫量が上がりますが、使い続けると土の中の必要な微生物が死んでしまい、長期的にみれば有機栽培よりも収穫量が落ちるといわれています。ですが、従来の農法に慣れた組合員の多くは有機農業に反対だったそう。循環型農業をやっていた熊﨑氏は懸念する組合員を根気強く説得し、100%有機の米づくりが始まりました。
循環型農業とは牛や鶏など家畜の糞尿から堆肥をつくり、その堆肥で野菜やお米を育て、米を収穫した後の藁や野菜のくずは家畜が食べて……と、それが繰り返される農業のことです。「昔の農業ではそれが当たり前だった。昔の米がおいしかったのは循環型農業でつくられていたからだと思っとる。あの味をもう一度復活させたい」と、熊﨑氏は力強く言います。
岐阜県牛も育てるし、米も日本酒もつくる。そこにストーリーが生まれる。
熊﨑氏が子どもの頃は、牛を飼っていた農家はめずらしくなかったそう。その頃の牛は食肉用ではなく、畑を耕したり、物を運んだりする役用だったといいます。それが機械化により役用牛は衰退。そこから循環型農業は姿を消していきました。
将来は牛を飼って生計を立てたいと思っていた熊﨑氏は、高校は畜産科に進み、農業大学校、北海道で酪農を学んだ後、飛騨牛の繁殖を手がけることに。「野菜や米をつくる農家と違って牛飼いは簡単な仕事ではない。おまけに、設備投資など相当のお金もかかる。家族に迷惑をかけたこともあるけど、それでも続けているのは楽しいから。繁殖は子育てと一緒。子育てはたいへんだけど、やっぱり楽しいでしょ(笑)」と熊﨑氏は本当に楽しそうです。
熊﨑氏が育てる牛は繁殖牛ですが、ここ6年くらいは経産牛をつぶして食肉にしています。基本的には他に卸さず、年に1日限り店をオープンさせ販売しています。雑草を含んだ牧草を食べた牛は健康で、さらに無駄な肥育をしていないため味は格別なのだとか。また、地域の人たちと一緒に自分たちでつくったお米を使って、日本酒造りも行っています。
あらゆるものが簡単につくられ、簡単に手に入る世の中で、熊﨑氏が目指す農業は時代と逆行しているのかもしれません。でも、誰がどこでどんな風につくったか、そこにひとつのストーリーが生まれます。その価値に、私たちは気づかねばなりません。
岐阜県民芸運動との出会いが、人生をがらりと変えた。
情緒ある古いまち並みが残る飛騨高山の中心地から国道41号線を北西へ。10分も車を走らせれば、緑が濃い山々が目に入ります。その先さらに10分ちょっと。里山らしい景色が広がってきたところに現れる一軒の古民家が、『やわい屋』です。築150年の家を移築し、自宅の一角を店に。民芸や古本などを扱っています。
店主の朝倉圭一氏は高山市出身で、20代の頃は愛知県で働いていました。十数年前に高山に戻ってきましたが、当時は今の暮らしとは仕事も住まいも真逆。会社員として勤め、アパートメントに住んでいたそうです。何かが違うと思っていたものの、その答えは見つからなかったといいます。
人文学や社会学、郷土史に興味を持ち、たくさんの本を読む中で出会ったのが思想家の柳宗悦であり、民芸運動でした。民芸運動は「用の美」や「機能美」ばかりがクローズアップされがちですが、本来の趣旨は日々の暮らしに価値を見出して、より豊かな暮らしを実現していくこと。ひとり一人が個性を発揮しながら生きていける社会をつくるその考え方に共感した朝倉氏は、今の暮らしにヒントを見つけました。
岐阜県ケの部分にこそある美しさ。飛騨で古民家に住むことの意味。
「古民家に暮らしたいとか民芸品店をやりたいとか、そうではなく飛騨高山らしい暮らしと仕事は何かということをずっと考えていました。民芸運動と出会ってハレとケの、ケの部分にこそ日々の美しさがあると感じたのです」と朝倉氏。それを伝える手段として、結果的に古民家に住むことになったといいます。
古民家は日々の普通の暮らしを営む人とともに育ち、その土地に根ざします。朝倉氏と話している中で、何度なく出てきた「普通に暮らしたい」という言葉。地元らしさや普通の暮らしにこだわった気持ちの表れが、朝倉氏たちを飛騨や古民家での暮らしに導いたのでしょう。 民芸のうつわと古本の販売も、それが始めからやりたかったというよりは、古民家に合うものを考えた末に自然にそうなったといいます。それでも、高山には民芸にゆかりがある人が多く訪れ、民芸館や関連が深い家具メーカーもあり、今のようなスタイルは飛騨高山だからこそ、自分たちだからこそできることではないかと考えています。
「こういう仕事のやり方や暮らし方がある。自分たちのような生き方が、新しい生き方のひとつとして感じてもらえればいいと思っています。でもそれはひとつの選択肢であり、これが絶対ではないとも思っています」と朝倉氏は話します。
Data
トミィミューズリー
住所:〒506-0011 岐阜県高山市本町4-60 MAP
電話:080-6975-4013
南ひだ羽根ファーム
住所:〒509-2506 岐阜県下呂市萩原町羽根1926 MAP
やわい屋
住所:〒509-4121 岐阜県高山市国府町宇津江1372-2 MAP
電話:0577-77-9574
日々
熊本展、連日沢山お越し頂いているようです^ ^嬉しいなぁ〜 ありがとうございます😊 展覧会は明日まで ぜひ、お越しください。
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くすんだ色とマットな質感、独特のフォルムの器で新風を吹き込む。[SUEKI CERAMICS/徳島県鳴門市]
徳島県鳴門市
徳島県の特産品である『藍染め』とともに発展した『大谷焼』の里、徳島県鳴門市大麻町。この地で最も古い歴史を持つ窯元『矢野陶苑』から誕生し、業界に新鮮な驚きを与えたのが、矢野実穂氏が率いる陶器ブランド『SUEKI CERAMICS』です。前編では、日本中の名高いセレクトショップが注目する、『SUEKI CERAMICS』のプロダクトの魅力を紐解きます。
徳島県鳴門市独特の風合いとフォルム、使い心地の良さで瞬く間に話題に。
2012年に誕生して以来、北海道から沖縄まで、全国各地のセレクトショップがこぞって取り扱う陶器ブランド『SUEKI CERAMICS』。
200年以上の歴史を誇る徳島県の特産品『大谷焼』の里において、最も古い窯元『矢野陶苑』の5代目である、矢野耕市郎氏が立ち上げたブランドです。そして2018年5月からは、妻の実穂氏が引き継ぎ代表を務めています。
大谷の赤土や阿波の青石など地元産の材料を選び抜き、独自に開発した釉薬による絶妙な色合いとマットな質感の器は、これまでありそうでなかった逸品。カラフルながらも、ややくすみがかった、落ち着いたトーンの色味は、どのような料理とも相性抜群だと評判です。
料理との相性だけを考えると、最も無難なのは白い器。しかし、そればかりではつまらないものです。そこでカラフルな器も欲しいと買い求めると、一般的にはポップなカラーや、日本の伝統的な渋い色合いのものが多く目に付きます。ところが、これらは器単体で見ると素敵だと感じても、食べ物を乗せた瞬間いまいちな印象になってしまうことも少なくないものです。それに引き替え、『SUEKI CERAMICS』の器は、あらゆるライフスタイルにぴったりフィット。和洋どのような食べ物も、ちょっとリッチに、美味しく美しく見せてくれるのです。
また、マットながらサラリ&しっとりとした肌触りで、器は手に持った時の触感が良く、カップは優しい口当たり。柔らかなフォルムを描く、ほどよい厚みと端正なデザインも魅力的で、シーンを問わず使える実用性の高さを誇り人気を集めています。
徳島県鳴門市シンプルながら、これまでにない新たなプロダクトを目指して。
『SUEKI』とは、焼き物を示す『陶物(すえもの)』と、縄文式・弥生式土器などの後に登場して今日の陶芸方法が確立したとされる『須恵器(すえき)』にちなんで命名されたもの。見た目は徹底的にシンプルでありながら、常に進化し続けたいという想いが込められています。
そんな『SUEKI CERAMICS』のデザイン性が高いプロダクトは、しばしばアメリカの『ヒースセラミックス』と比較されることも。矢野氏曰く、実際に参考にしている部分もあるそうです。「日本国内にはたくさんの陶器メーカーがありますが、こういったくすんだ色味でマットな質感、適度な厚みのものを扱っている所はなくて。日本どころか世界でもあまりないけれど、でも皆が探しているであろう品質だと目を付けた主人が、同じような雰囲気のものを作れないかと模索したことで、『SUEKI CERAMICS』が生まれたんです」と矢野氏は話します。
欲しいけれど誰も手を出さないのは、それだけ品質の維持が難しいということを意味します。それでも、130年以上続く窯元の歴史にあぐらをかかず、さらなる進化を求めて果敢に挑戦したことで、新たな道が開けたのです。
徳島県鳴門市試行錯誤の末に生まれた、理想的なくすみカラー&質感を叶える釉薬。
『SUEKI CERAMICS』の落ち着いた色合いとマットな質感の要となっているのが、オリジナルの釉薬。釉薬とは、陶磁器を覆っているガラス質の部分のことです。粘土や顔料などの素材を混ぜて作られた液状のもので、最後に窯で焼く前、素焼き段階の陶磁器の表面に仕上げとして施されます。つまり、この釉薬によって最終的な色や手触りが変化するのです。
通常、光沢のあるはっきりとした色味はつるっとした触感、マットでくすんだ色味はざらっとした触感になるもの。そんな中で矢野氏は、落ち着いた色味ながらサラリ&しっとりと心地良く使いやすい、理想的なラインを追求しました。釉薬のテストに費やした時間は、実に2年弱で通算約2万回。細かい単位で成分量を変えながら、試行錯誤を繰り返したと言います。
「釉薬の開発は主人が行いました。色々と調合して釉薬自体の色が上手くできても、釉薬を施した状態と、その後焼き上げて窯から出した状態とでは、製品の色合いは異なります。実際にどう仕上がるかは、焼き上げてみないと分からないんです。そのため、一色を完成させるのに、1グラム以下の微量な成分の配合を少しずつ変えては試し、変えては試し、といった具合で。途方もない作業に感じますが、本人は毎回『次はどんな風に出て来るかな?』と、意外と楽しみながら取り組んでいたようです(笑)」と、矢野氏は語ります。
繊細な作業を経て完成した釉薬は、正に唯一無二のもの。青、ピンク、アイボリー、ブランなど、カラフルなのに絶妙にくすんだ、華やかさと落ち着きの間を取ったようなバランス良い風合いのバリエーションは、『SUEKI CERAMICS』にしか成し得ないラインナップとなっています。
徳島県鳴門市リニューアルで生まれた、次世代の『SUEKI CERAMICS』。
2018年5月より、生みの親である矢野耕市郎氏から妻の実穂氏へと、ブランド運営が受け継がれた『SUEKI CERAMICS』。この機会に、これまでのものづくりをベースにしつつ、さらなる進化を求めてリニューアルが図られました。
「主人から私に代わることで、これまでやや男性的だったプロダクトを、女性的なものに変化できないかと試みました。ぽってりとした印象の厚みを少し薄くしたり、重さをなるべく軽くしたり。色味も、くすんでいるけどやや明るめの、パステルカラーのようなものを採用しています。女性の視点で、日常使いのしやすさをポイントに改良しました」と実穂氏。おまけに、価格も求めやすい設定に見直されました。
ラインナップはこれまで通り、プレートやボウル、マグカップなど。カラー展開は、定番の5色「honey white」「sorbet blue」「misty pink」「chocolate brown」「lapis blue」に加え、オンラインショップ限定色も用意されています。釉薬はご主人が開発したものですが、色のセレクトや「honey white」など可愛らしいネーミングは実穂氏が考案したものも。ここにもさりげなく、女性らしさが伺えます。
また、釉薬の施し方にも変化が。これまでは一度に全面に施すことで、表面は均一でムラのない印象でした。対してリニューアル後は、半分ずつ施すスタイルに。こうすることで、一部重なる部分に模様のような釉薬のラインが入ることになります。これが良いアクセントとなり、これまでとは一味違う表情を見せるのです。
徳島県鳴門市豊かなクラフト感が加わり、さらに進化し続けるものづくり。
今回の『SUEKI CERAMICS』のリニューアルですが、それは見た目だけに留まりません。実は、使う素材や製造工程にも変化が加えられました。
まず、これまで材料の大部分には硬い焼き締めが可能な磁気土を使っていたところを、リニューアル後は磁気土と大谷の赤土とをおよそ半々の割合で使用。また、成形型と機械を用いる圧力鋳込みから、機械ろくろを使っての成形にシフトしました。型の中に土を入れ、人の手で形作っていくのです。さらに、これまで電気窯で焼いていたところを、ガス窯に変更。刻々と移ろう炎がもたらす独特なニュアンスが、豊かな表情を生み出します。
こうして、女性らしさとともに手作り感も増した新たなプロダクト。従来のファンをより一層魅了するだけではなく、新たなユーザーも開拓し始めています。
次回の後編では、『SUEKI CERAMICS』が拠点とする徳島県鳴門市大麻町や、ルーツである『大谷焼』の歴史から、矢野氏の経歴、ブランド立ち上げの経緯とその道のりを辿ります。
Data
矢野陶苑/SUEKI CERAMICS
住所:〒779-0303 徳島県鳴門市大麻町大谷字久原71-1 MAP
電話: 088-660-2533
営業時間:9:00〜17:00
定休日:年末年始
http://sue-ki.com/
兵庫県出身。130年以上の歴史を持つ『大谷焼』の窯元、『矢野陶苑』の5代目・矢野耕市郎の妻となったことから、少しずつ作陶の道へ。当初は簡単なサポートのみだったが、2012年に耕市郎氏が『SUEKI CERAMICS』を立ち上げて以降、同ブランドの製造にも携わるようになった。そして2018年5月、耕市郎氏からブランド運営を継承。女性ならではの感性も加えながら、デザインから製造までトータルに携わり、新たなブランド構築を図っている。
日々
桐下駄に藍の鼻緒を挿げました。 NY在住のアーティストさんが、黄色スカートに桐下駄を合わせて履いてくださったようです♪ 素敵だなぁ〜 きっとお似合いなんだろうな〜って妄想中 熊本展、本日も開催中です *17日(日)まで
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皿の上に現れた国東の鬼。迫力あるビジュアルと豊かな味わいで魅了したスペシャリテ。[DINING OUT KUNISAKI with LEXUS/大分県国東市]
大分県国東市見事なコースのなか、ひときわ存在感を放った一皿。
2018年5月26日、27日。開山1300年の節目を迎える「六郷満山」の地・国東を舞台にした「DINING OUT KUNISAKI with LEXUS」は、訪れたゲスト、参加したスタッフの双方に素晴らしい記憶を残しながら、盛大な拍手とともに閉幕しました。その成功の立役者のひとつは、やはり川田智也シェフが仕立てた料理の数々。「和魂漢才」のテーマのもと、地元の食材を中華の技法で調理する、その日、その場所でしか味わえない料理です。
全10品のコースは、どれも甲乙つけがたい完成度。すべてが主役といえるような見事な品々です。今回はそのなかでもビジュアル的にもコースの中でひときわの存在感を放った一皿、「和魂漢才」のテーマ、国東の食材の魅力、地域の歴史と文化、それらすべてを詰め込んだ象徴的な料理をご紹介します。「国東的良鬼」と名付けられた魚料理。そこに込められる川田智也シェフの思いを紐解きます。
大分県国東市食材視察の合間を縫って訪れた寺社で、国東の文化に触れる。
『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』を2ヶ月後に控えた3月末。大分県国東市に、川田智也シェフの姿がありました。目的は食材の視察。多忙なスケジュールを押しての訪問でした。
ところで通常の視察は、食材生産者の元を訪れてその特徴や生産にかける思いを伺い、本番に向けて料理の構想を練ることが目的。もちろん今回の視察でも、分刻みのスケジュールでさまざまな生産者を訪問し、国東が誇る食材の数々に触れてきました。
しかしそればかりではありませんでした。川田シェフは視察の合間を縫って、寺社を訪れ、石仏を拝観し、険しい山道を登り、岩肌に直接掘られた磨崖仏を眺めます。そして同行して頂いた国東市観光課職員の説明にも、真剣に耳を傾けます。そこにはどんな狙いが潜んでいるのでしょうか。
川田シェフの料理の最重要テーマは「和魂漢才」。一義的には「日本の食材を、中華の技法で仕立てる料理」という解釈になります。しかしより突き詰めて見るならば「和魂」とはつまり「日本の心」。川田シェフが持てる中華の技法で表現するのは、生産者の思いや土地に受け継がれるストーリーを含めた、その「心」の部分なのかもしれません。だからこそ川田シェフは、一見料理とは無関係に思えるような寺社や石仏を、熱心に見つめていたのです。
古刹のご住職や観光課職員の話を、メモを取りながら熱心に聞く川田シェフ。古来よりこの地で親しまれていた山岳信仰に仏教が融合して生まれた独特の宗教観。古来より石への特別な思いを抱き、数多くの石仏が残されていること。そして六郷満山が今年開山1300周年を迎えること。どの話も、この土地の精神性を象徴する興味深い内容です。
とりわけシェフの興味を惹いたのが、鬼の話。「鬼の形相」「心を鬼にする」など、一般的に鬼は「怖いもの」として描かれがちですが、ここ国東の地では善なる存在として親しまれています。現在でも六郷満山の寺院に受け継がれる「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」という行事。これは僧侶が扮した鬼が松明を持って堂内を巡りますが、ここでも鬼は祖先が姿を変えた善なるものとされています。この話を聞いていたことが、後に生まれるシェフのインスピレーションに繋がります。
大分県国東市「一目惚れ」した、ある魚。そこから生まれる料理のインスピレーション。
翌早朝、国東市安岐町の魚市場。帰港してきた漁船から次々と魚が下ろされ、活気に包まれる市場に、川田シェフの姿がありました。横にいるのは、国東市で和食店『国東食彩zecco』を営む中園彰三氏。地元の食材に詳しい中園氏の案内で、次々と運び込まれる魚を熱心に眺めます。そんな中、川田シェフの目がある魚に止まりました。中園氏も目にしたことはあっても詳細は知らない様子。漁港関係者に尋ねて、ようやく正体が判明します。「これは三島フグ。漁師は誰も食べないけどね」そう、地元では食べられることのない雑魚の扱い。それでも川田シェフの目は、この魚から離れません。
後に聞くと「一目惚れでした」と川田シェフは笑いました。そしてこれも後にわかったことですが、実はこの時すでにシェフの頭の中には、料理の完成図までが浮かんでいたのです。「僕の料理へのアプローチは2種類。一から組み立てていくパターンと、完成品のイメージから巻き戻していくパターンです」そう話す川田シェフ。三島フグを使った今回の料理は「完全に後者」といいます。つまりまず味や盛り付けも含めた料理の完成図があり、その後、パズルのように構成要素を埋めていったのです。三島フグの料理が本番で果たした役割の大きさを思えば、この漁港での出合いは運命だったといえるかもしれません。
大分県国東市これ以外ないという調理法で、三島フグが生まれ変わる。
三島フグは、“フグ”の名がつきますが、カサゴの一種。カサゴ自体は川田シェフが日頃から使い慣れた食材です。しかし、試作の過程でさらなる驚きもありました。それは川田シェフが厨房で、三島フグを揚げたときのこと。高温で揚げた三島フグは鰓が立ち上がり、まるで鬼の角のように見えたのです。もともと鬼面との類似性からこの魚に興味を惹かれていた川田シェフ。国東の文化で重要な役割を果たす鬼。そのストーリーまでを、この魚で表現できるのではないか。
そして料理は完成しました。料理名は『国東的良鬼(三島フグ“国東の鬼” 四川名菜 干焼魚)』。調理法として最初から頭にあったのは、四川省の伝統料理である「干焼魚(ガンシャオユイ)」。四川省では川魚が使用されることが多いこの料理に、三島フグという地魚と、国東の鬼の文化を取り入れる。まさに「和魂漢才」を地で行く一品。無論、細やかな味の調整にも余念はありません。
まず250度という高温の油で揚げ、やや淡白な身に燻したような香りを加えます。揚げた魚は清湯で蒸した後、休ませて味を染み込ませます。ソースは挽肉、タケノコ、椎茸などに調味料と魚の漬け汁を加え、とろみをつけたもの。香ばしく揚がった皮目と、ゼラチン質が豊富でふっくらとした白身に少しだけ刺激のあるソースが絡む。そしてそれらが口中で一体となる。まさに至高の食体験といえる完成度の逸品です。
料理を目にした中園氏は「歴史まで踏まえてくれたドラマチックな料理に感動しました」と絶賛。さらにその料理の構造に触れ「国東の漁獲高は減少傾向ですが、地元の魚でこれだけの料理ができあがったという事実は地域の人々の自信にも繋がると思います」と感想を伝えてくれました。
もちろん、川田シェフにとっても自信作。「まず(三島フグの)ビジュアルから入り、中華の先人達が築いた名菜の調理法が加わり、地元のストーリーが潜む。“コレ以外考えられない”という料理になったと思います」そう振り返った言葉にも、この料理への自信と達成感が滲んでいました。
1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。
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ワインとスイーツのマリアージュでオンリーワンの世界観を魅せる。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]
福岡県福岡市OVERVIEW
お酒とスイーツのマリアージュを楽しめるお店は、東京をはじめ全国にいくつもあります。けれどその多くは、レストランメニューの一部としてや、あるいはカフェ利用がメインで、ピンポイントでお酒にも合うスイーツを提案している場合がほとんどです。
しかし、福岡県中央区高砂にある『WINE & SWEETS tsumons(つもん)』は、少し、いえ、全くと言っていいほど、それらの世界観とは一線を画します。なぜならこちらのスイーツは、ワインに合う、お酒に合う、ではなく、それら両者がひとつになって初めて、世界が完成するのです。
そんな独自の世界観を創り上げるのは、パティシエールでありソムリエールの香月友紀氏。『ONESTORY』では初の女性シェフのご紹介となります。
彼女が作るスイーツの中でとびきりのスペシャリテは、2014年3月のオープン以来、変わらず「スフレ」です。ふわふわでこんもりと膨らんだ、淡雪のように繊細な口どけの「スフレ」と、香月氏が選ぶワインは、口の中で溶け合い、鼻腔で混じり合い、蜜月を迎えます。
その甘美な世界を求めて、県内はもとより県外、時には噂を聞きつけたフーディーな海外ゲストが足を運ぶ『tsumons』。今回はその魅力と香月氏の素顔を、お伝えしたいと思います。
Data
WINE & SWEETS tsumons
住所:福岡県福岡市 中央区高砂1-21-3 MAP
電話:092-791-8511http://wine-sweets.com/
ザッツ・エンターテインメント。ようこそ、『tsumons』のスフレ劇場へ。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]
福岡県福岡市一人ひとりのために、その都度時間をかけて焼き上げる。
『WINE & SWEETS tsumons』とその名が示すように、ここはスイーツとともにワインもしくはスピリッツを愉しむお店。紅茶やコーヒーの用意はなく、どちらかといえばバーに近い存在といえます。
供するスイーツは季節替わりで約10種(2018年5月現在)。そのうちの半数を占めるのが、この店のシグネチャースイーツであり、香月友紀氏を語る上で欠かすことのできない「スフレ」です。
全ての「スフレ」は「oven fresh(焼きたて)」で、オーダーを受けてから焼き上がりまでおよそ30分かかります。ゲストの目の前で卵白を泡立て、メレンゲを作るところからスタートするのですが、あまりに自然な流れで香月氏が泡立てを始めるので、カウンターに座る私たちはよほど覗き込まない限り、何かが始まったとは気が付かないほどです。
今回は改めて、その動きをじっくりと観察してみたところ、最初は右手で泡立て始め、次に左手に替えてまた泡立て、その後は約10秒毎に左右の手を替えながら、都合約2分半、ひたすら泡立て続けていました。途中、砂糖を加える時以外は、途切れることなくずっと、です。言葉で約2分半と言えば簡単ですが、一度でも卵白の泡立て経験がある人ならば、それがどれほどキツい作業かは想像がつくのではないでしょうか。
「でも私はですね、メレンゲを作るのが一番好きなんです。落ち着くっていうか……。昔から洗濯機がぐるぐる回っているのを見るのが好きだったので、もしかして攪拌(かくはん)作業は自分にとって精神安定剤みたいなものなのかも(笑)」と、ケラケラと笑いながら博多弁で話す香月氏。実際、泡立てている時は、手に余計な力や負荷はかかっていないのだそうです。ゲストと会話をしながらも、流れるような所作で泡立てを続けられるのも納得です。
彼女の作る「スフレ」は、砂糖の量が控えめ。これはワインやスピリッツなどとの相性を考えると、とてもバランスのいいことなのですが、実際のところ、メレンゲ作りに砂糖は不可欠なのです。多いほど早く泡立ち、膨らみのキープ力も高まります。けれど香月氏は、砂糖には頼りません。目指す味わいとマリアージュのためには、一つひとつ、そして一人ひとりのために、労力を惜しまないのが香月氏なのです。
福岡県福岡市夢ならば醒めないで。まるで魔法にかけられたようなスフレたち。
「スフレ」は、ベーシックなものをはじめ、フレーバーやトッピング違いなど5種ほどの用意があります。この日は、「エクストラ チーズ スフレ」と「きょうのもやしスフレ」を作ってくれることに。
まずチーズは、鹿児島県鹿屋で、2018年の5月より始動したチーズ工房『Kotobuki CHEESE』のモッツァレラを使用。このチーズの開発には、香月氏も関わったといいます。そしてチーズの上には、フランスのスパイス専門店『イズラエル』で購入した、香り高いクミンがたっぷりと振りかけられます。
さて、「スフレ」作りの見せ場は、その焼き上がりです。初めて『tsumons』で「スフレ」を経験する人は皆、「こんなに膨らむの!?」と目を疑うほど。何しろ、ココット(陶製の容器)の倍の高さにまで膨らんで登場するのです。驚きなしには迎えられません。
差し出された柄の長いフォークの先で「ぷすっ」と真ん中を突けば、モッツァレラのミルキーな香りがふんわりと。思わずうっとりしていると……。
「チーズ、すくってみてください。びよ〜んと伸びるので。早く、早く!」と香月氏に急かされました。言われるまますくい上げてみれば、なんとまぁ伸びる伸びる。「スフレ」を食べるだけなのに、なんだか笑いが止まらなくなりました。これはまさに、tsumonsエンターテインメントです。
この「スフレ」に合わせたワインは、日本ワインのドメーヌ・ポンコツ「おやすみなさい」。山梨県産巨峰から造られる微発泡のこのワインと鹿屋のモッツァレラは、どちらも優しく穏やかで、日本人ならではのものづくりの繊細さに溢れています。「スフレ」とワインが、穏やかに抱擁し合うのです。
その次に登場したのは、森のように深い緑が迫り上がった抹茶の「スフレ」。これを、「もやし」にすると香月氏。メニューにも、「もやし」とあります。
「よくお客様に、もやしってあの“もやし”ですか? と目を丸くされるのですが、その反応が楽しくて。正解は“燃やし”、フランベにするんです」と香月氏。
話し切らないうちに、間髪入れずフランベにしたジンとシャルトリューズを、焼き上がった「スフレ」にさっと注ぎます。この瞬間、私たちゲストが「おぉ~」と声を上げるのは当然なのですが、実は香月氏自身が一番楽しそうなのです。まるで子供がいけない遊びをしているような、やんちゃな表情になっているのです。
香月氏は、抹茶という素材を草(=ハーブ)と捉えています。そしてフランベで使ったお酒も薬草香るリキュールとスピリッツ。そこへ合わせるのは、ほんのり青々しさを感じさせる、にごり系の白ワイン、ソーヴィニヨン・ブランです。
「もう、草草草! 草ワールドです」と香月氏。またしても彼女自身が誰よりも嬉々としているのが、印象的なのでした。
福岡県福岡市まじめにもほどがある。スイーツと向き合う姿勢は馬鹿正直。
「スフレ」以外のスイーツは「TODAY'S SWEETS」として、パフェやアイスクリーム、シャーベットなど4、5種の用意があります。しかしこれらも先ほどの「もやし」同様、ネーミングが少し、普通じゃありません。チョコレートアイスクリームのパフェは「ケンタウロス」、ラズベリーのメレンゲとアイスクリームのコンビネーションは「メレンゲ御殿」、スピリッツのジンが香るシャーベットには「ジンジン」……。どれもが実にユニークなのです。
けれど、そんなネーミングセンスとは裏腹に、素材と向き合う姿勢は、恐ろしいほどにまじめで真摯。例えば、アイスクリームに安定剤は不使用。使用する副材料もできる限り、作れるものは全て自分で作るといいます。
「スイーツを作り始めた時から、心の師匠はずっと『オーボンヴュータン』(東京都・尾山台)の河田勝彦シェフでした。パティシエールとして生きていくと決意するきっかけを与えてくれたのも、氏の本。副材料を自分で作ることと、職人である以上は白衣を着るということを、そこから学びました」
修業時代に応募したコンクールの中でも、「第4回 メープルスイーツコンテスト」では金賞を受賞した香月氏。その時の審査委員長が河田氏だったということで、コンクールの勝敗や結果よりも、自分のお菓子を河田氏に食べてもらえるということが、最大の喜びだったとか。思い出すたび、その時の興奮と熱が、全身を駆け巡るのだそうです。
Data
WINE & SWEETS tsumons
住所:福岡県福岡市 中央区高砂1-21-3 MAP
電話:092-791-8511
http://wine-sweets.com/
スイーツが持つ魔法に気付いて以来、自分の中の湧き水を止められない。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]
福岡県福岡市『tsumons』の「つ」は、「つよし」の「つ」。
香月友紀氏の心の師匠は、『オーボンヴュータン』のシェフ・河田勝彦氏。では、実際の修業先はどこで、真の師匠はどなたなのでしょうか?
「つよしです。『tsumons』の“つ”は、“つよし”の“つ”、ですから」と、いきなり下の名前で説明されたその「つよし」氏とは、福岡・薬院で創業25年になるチーズケーキとパスタの店『プティ ジュール』を営む岸本 剛氏です。
『tsumons』のスペシャリテのスフレは、この岸本氏から教わったそうです。
「教えとらんったいね、盗んだったいね、香月は。技術職は、盗まんと。教えるもんじゃないけんね」と話す岸本氏。
香月氏など目じゃないほど、「バリバリの博多弁」で語る岸本氏は、この道約50年の大ベテラン。福岡で創業した某有名飲食企業で、長く商品開発や技術革新に携わり牽引してきた、職人の中の職人です。その岸本氏の店にアルバイトとして入った香月氏は、毎日泣きながら厨房で技を習得していったそうです。
「まずは全卵を、ハンドミキサーを使わずに手作業で泡立てることを、ひたすら叩き込まれました。『機械を使わずに全部できれば、どんな状況でもブレずに同じクオリティのものが作れる』と。その教えが今は本当に役立っていて、海外からお仕事を頂いた時に、どんな所でもホイッパーひとつあればスフレを作ることができます」と香月氏は話します。
不器用なのに負けず嫌いという香月氏ですが、この経験があるからこそ、今のクオリティとパフォーマンスが成り立っているのです。
「何人もうちに働きに来よった子はおるけど、続いたのは香月だけ。スフレも、あの味を出せるのはこの子だけ。この子にはあんまり言葉はいらんけん。まぁ、頑張り」と、素っ気ない岸本氏。けれど、「他にもう教えることがない」というひと言からは、ふたりの師弟関係の深さを感じ取れました。
福岡県福岡市クリエイティヴの源泉を掘り起こした、もうひとりの存在。
今の『WINE & SWEETS tsumons』を創り上げたのは、香月氏だけではありません。もうひとり、彼女の「世界観」を現実に引き出した立役者がいます。それは、お店の設計を担当した、現『micelle』主宰の片田友樹氏です。
「僕がまだ独立する前、デザイナーの二俣公一さんが主宰する『ケース・リアル』という設計事務所にちょうど入ったばかりの時、香月さんの担当になったんです。変態さんですよね、彼女(笑)」と、面白そうに語る片田氏。
お店を作るにあたり、香月氏からの注文は3つ。「黒×金、シャッター、窓」。これが絶対だったといいます。
「でも、黒×金のリクエストがどうしてもピンと来なくて。どんなことをイメージしているのかをよくよく話し合っていくと、彼女が本当に思い描いている世界は黒ではないなと。なので僕が方向転換をして、現状のグレーベースに落ち着きました。後は、シャッターも窓も、普通に考えるとヘンなことになりそうなパーツを、あえて面白がって形にしていきました。僕は彼女の思いを“翻訳”したまでです」と片田氏は話してくれました。
こうして出来上がった箱(店舗)は、とうとう香月ワールドを開花させたのです。開店中も半開きの金色のスライドシャッター、最小限に絞られたスポットライトに照らし出されるショーケース内の小さなアミューズ、壁面には少々のワインボトル。そして奥には一枚板のカウンターが延びていますが、表からはかろうじて見える程度です。実際のところは、お店に入ってみるまでよくわかりません。
どこから見てもスタイリッシュなのですが、そこで起こることはまるでおとぎの国の出来事のようです。この箱(店舗)は、香月氏の頭の中をリアルに再現した龍宮城であり、『WINE & SWEETS tsumons』の完全なるマリアージュを体感できる、大きな玉手箱なのです。
福岡県福岡市スイーツという魔法で、すべての人を幸福に導きたい。それが自分の使命。
スイーツとお酒の組み合わせ方も然り、そのビジュアルセンスやネーミングにも、なんとも独特な世界観をみせる香月氏。まさに空想の世界に生きる人だなと、話を聞いていると感じます。
幼い頃は人と話すのが苦手で、ほとんど喋らない子供だったといいます。ある時、湧き水の出る所で遊んでいたら、それがとても楽しくて刺激的だったとか。その感覚が、今も身体の奥に残っているのだそうです。
「何かを作ったり、組み合わせを考えたりするのがとにかく好きで。今も、頭の中でこれとこれを組み合わせたらこんな味であんな世界が広がって……! と、いても立ってもいられなくなるんですが、その感覚が、湧き水を見た時ととても近いんです」と香月氏。
ふわふわと浮世離れしているように受け取られがちな彼女の言動ですが、順調に今の職に就くことができたわけではありません。むしろ紆余曲折ばかりだったといいます。法学部に進んだ大学時代、ホームステイ先のテキサス州の家庭は弁護士夫妻で、ためになるだろうと毎日のように法廷に連れて行かれたのだとか。でもそこでの滞在中、ホストファミリーのためにたくさんのお菓子を作り好評を得たことが、「こんなにも喜ばれるんだ」という発見と嬉しさを、彼女にもたらします。
もうひとつ、お菓子以外ではフラワーコーディネイトにも興味を持ち、その道も考えていたそうです。けれど、コンクールでの受賞経験や「つよし」のもとでの修業が、お菓子は人を幸せにするという喜びと使命を、与えてくれたのだといいます。
「何より私自身、お菓子作りが好きですから。思い描いたものを形にするのは、楽しくて仕方がないですね」と香月氏は話します。
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WINE & SWEETS tsumons
住所:福岡県福岡市 中央区高砂1-21-3 MAP
電話:092-791-8511
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常に職人であるという矜持を持ち続け、スイーツというフィールドで生きてゆく。[WINE & SWEETS tsumons/福岡県福岡市]
福岡県福岡市<スイーツデザイナー>は、香月友紀氏のもうひとつの顔。
お店で供するスイーツ&ワインの他、香月氏は<スイーツデザイナー>という側面も持ち合わせています。
主な内容は、様々なイベント等におけるケータリングをはじめ、新しいフレーバーのプロデュース、スイーツとドリンクのディレクションなどです。
今回の取材で登場した「エクストラ チーズ スフレ」に使用した鹿児島県鹿屋の『Kotobuki CHEESE』もその一環で、こちらのチーズの開発にあたり、同社の社長とともにフランスのカマンベール村やイタリアのミラノにも、視察へ赴いたそうです。そしてそのファクトリーのお披露目会に立ち会える機会を得たため、私たち取材班も参加させて頂くことになりました。
この『Kotobuki CHEESE』を運営する寿商会は、畜産・水産飼料の販売を行う会社で、数々の飲食店経営も行っています。今回のチーズ工房設立の背景には、自社の飼料を卸している農家さんから、今度はその牛が作り出す牛乳を買い取り、製品にするという取り組みがありました。新しい仕事の仕組みです。
社長の竹中貴志氏は、もともと『tsumons』のお客様だったといいます。店の噂を知人から聞き、初めて足を運んだ時から、その味わいやマリアージュの虜になってしまったのだとか。
「最初は目も合わしてくれんかったですよ(笑)。でも2度、3度と通って、ようやく色々と話をしてくれるようになりまして。こんなに味覚が優れていて、ここまで素材を生かして、それにまた別の何かを合わせて新しいものが作れる人なんて、いないんじゃないですかね。尊敬しています」と竹中氏は、香月氏に心酔しきり。そこで香月氏にチーズ開発のご意見番となってもらい、今回のお披露目会では、チーズを主役にしたスイーツを考えてもらったのだそうです。
福岡県福岡市人に合わせる、ワインに合わせる。デザインや、ソムリエという仕事。
「私にとって<スイーツデザイナー>というお仕事は、素材ありき、人ありきです。お店の仕事と比較すると、スイーツを考える時は普段と同じ感覚なんですが、より“人”に寄り添わせていくので、ソムリエのお仕事に近いですかね。どんな人、国、気候……など、様々な要素を踏まえて、味わいや形、食べやすさなんかも考えて。テーマとなる素材のいい所を見つけて引き出すこのお仕事は、楽しいし、大好きです」と香月氏。そしてこの鹿屋のチーズにも、その「いい所」を見つけられたのだそうです。
「正直、日本のチーズでどこまで美味しいものができるのかと、半信半疑だったんですよ。でも試作品を食べて、イメージが変わりました。いい意味での乳臭さがちゃんと出ていて、しかもフレッシュ感の中にしかない香りもあって。これって、逆に日本のチーズにしかできない繊細な表現かもって思ったら、アイデアがむくむくと湧いてきました」と香月氏は話してくれました。
ソムリエという仕事は、香月氏にとって後付けだったといいます。たまたま機会があってワインの勉強をし始めたら、面白くてハマってしまったのだとか。
今お店で扱うワインの多くは、自然派ワインと呼ばれるナチュラルな造りのものがほとんど。素材を生かすことを追求すれば、そこにたどりつくのはごく普通のことだったのでしょう。でも、理由はそれだけではないそうです。
「ナチュラルなワインはその時々で味わいに波があって、それが難しさでもあるんですが、私にはそれが面白くて。まだまだ飲み頃は先と思っていたものが急に開き始めることもあって。それをお客様にも感じてもらえるように、スイーツとの組み合わせを考えるのが楽しい。いつも同じではない所が魅力です」と、香月氏は言葉を続けます。
自称「ドM」という香月氏。しかし実際のところ、ワインに翻弄されているようでそれを御するスイーツとのマリアージュの瞬間が、最高の快感なのかもしれません。
福岡県福岡市本物の職人として、愛を持って向き合う。
それにしても、あまたあるスイーツの中から、なぜ「スフレ」だったのでしょう。もちろん修業先の『プティ ジュール』の名物メニューのひとつだったというのもありますが、岸本 剛氏のお店では、チーズケーキだって看板メニューです。
「それはもう、決まっています。お客様が、絶対喜んでくれるからです」と、きっぱり即答してくれた香月氏。揺るぎない思いがあるようです。
「膨らむものって、喜ばれるし、本当に幸せを感じるじゃないですか。あの“スフレ”の膨らみは、もはや愛ですよね。LOVEですよ。それに、“スフレ”作りには本当にどんなささいなことも、全て出てしまうんです。その日の体調や気分など、驚くほどに。だからこそ私は職人として、常に同じクオリティのものを作れるようになりたいし、本当の職人でありたい。ここでしか味わえない最高のマリアージュと、楽しいという気持ちを、感じて頂きたいんです」と香月氏は語ります。
『tsumons』のカウンターで待つ、「スフレ」が焼き上がるまでのおよそ30分は、私たちを夢の国へとワープさせてくれる時間です。絵に描いたような幸福=ふんわりと膨らむ「スフレ」が、誰をも笑顔にしてくれます。でも、あまりに口どけのいい「スフレ」はあっという間に消えてしまうので、おとぎの魔法もすぐに解けてしまうのではないでしょうか……?
いえ、大丈夫です。何しろここには、選りすぐりの魔法のワインやスピリッツたちが、手ぐすね引いて待っているのですから。
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梅雨の季節
皆様いかがお過ごしでございましょうか?
6月に入り気温も高くなってきましたね~
中国地方も梅雨入りしたみたいで、最近雨の日が多くなってきました
今日も朝から雨が降っております
まあ、雨の日は雨の日で情緒があって良い物です
昨日も雨が降っていたのですが帰るときには止んでおり
写真では入りきらなかったのですが絵に描いたような半円の虹が
かかっており少し幸せな気分になりました
そんな梅雨を少しでも楽しむためのアイテムが当店、雑貨館にはあります
それがこちら
↓↓
デニム柄の傘でございます
ほかの人と柄で被りたくないという人にオススメの商品です
折りたたみ傘もご用意しておりますので、気になったお客様や
美観地区へ来た際に急な雨に遭われたお客様は是非雑貨館へ
それでは皆様、暑くなってきましたので体調の方もお気を付け下さい